魔弾の王と戦姫 魔弾が紡ぐ未来 (開閉)
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第一話 異烏と無の銃

リメイクです。宜しくお願いします。


「え~と……なにこれ? 何が起きたの?」

 

 新月の真夜中。自分の部屋で女性が困惑した表情で目の前の光景を見つめていた。

 

「うぅ……」

 

 女性の視線の先には、壊れたベッドと、目を回して意識を失った男性がいた。

 男女は全く関係無く、互いを知りさえもしない。なのに、何故二人は部屋に一緒にいるのか。そうなった切欠は数時間前に遡る。

 

 

 ――――――――――

 

 

 其処は一見、ただの森の中にある小さい広場にしか見えない場所。しかし、『それ』を知っている者ならば、直ぐに違和感を感じるだろう。

 今、暗い空が漂う夜の中、そこには4つの異形の存在が集まり『何か』をしていた。

 

「ふわぁ……何時まで待てば良いのかな?」

 

「……流石に暇を持て余すな」

 

 複数の内の二つが退屈そうに口を開く。それぞれの見た目は、片方は普通の青年に見え、もう片方は青年と同じ体格ので頭が禿げている見た目はどこかの将らしき男。

 

「そうでいうでない。ヴォジャノーイ、トルバラン。これは結構手間がかかるのじゃ」

 

「もう少しいれば幾つか省けるが、今回集まったのは我らだけ……。時間がかかって当然だろうな」

 

 残りの二つ――老人と老婆の様な存在に文句を言う同族――ヴォジャノーイ、トルバランと呼ばれた仲間に向けて、遠回しに待てと告げる。

 

「やれやれ……後はどうしてるのかねぇ、ドレカヴァク?」

 

「残りの内、一体はしばらくは都合が悪く、来れん時期が続くと言っておったな。――第一、あれは信用出来ん」

 

 ボソッと呟いたドレカヴァクのその台詞を、ヴォジャノーイだけが聞いていた。

 

「残りの内の片方はとうの昔に『これ』に対してはもう諦めているし、健在かは不明」

 

「最後の一人はどうなのだ? ヤガー殿?」

 

「それもしばらく見つかっておらん。興味を無くし、関わろうとなくなったか、昔に滅んだか。そんなところか」

 

 はぁ、とため息を吐くドレカヴァクとヤガーの話を聞き、ヴォジャノーイやトルバランもつられる。

 

「僕ら七体の内、来れるのが四体って……」

 

「用事とやらで、来れない者はともかく、残りの者達はこれの重要性を分かっているのか?」

 

「知らん筈が無かろうて。しかし、これだけやってもまったく成果が出ないのも事実ではあるからの。それにもういない可能性もある」

 

「そうであれば仕方あるまい。にしても――が協力してくだされば、一々こんなことをせずに済むし、もっと早く我らの悲願を達成出来ると言うのに……」

 

 ドレカヴァクの意見に同意せざるを得ない三人。今からやろうとしている事は成功する確率が限り無く零に等しく、しかも失敗した回数は十や二十ではない。既に三桁は超えている。

 おまけに、機会は年の一度、この時期でないと出来ない。つまり、彼等は最低でも百年以上は続け、全て失敗しているのだ。

 それでも彼等がこれを続けるのは成功に凄まじい価値があるからだ。それこそ今までの苦労でも足りない程の。

 とは言え、度重なる失敗で全員成功するのに諦めを見せ始めているのもまた事実だ。現に彼等の仲間の一人は意欲を完全に無くしている。

 

「まぁ、今回の結果も大体予想がつくし……。とっとと終わらせようよ」

 

「そうだな、流石に私でもどうなるかは嫌でも読める。……今回も失敗だろう」

 

「そんなことを言われれば、儂等もやる気を無くすぞ。もう少し気を使って欲しいの」

 

「まったくじゃ。とりあえず、完成はした。後は儂等の力を注ぐだげじゃな。さっさとやるぞ」

 

 ドレカヴァクとヤガーの二人が離れて合図を出すと、その場所には大きな円に複雑な文字らしき物が大量に刻まれた術式が出現する。

 

「はいはい」

 

「了解だ」

 

「わかった」

 

「では……行くぞ」

 

 術式を確認した四体は四方に立つと少し屈んで術式に手を当てる。すると四体から何かの力が術式に向かって流れ込む。それに伴い、文字の色が一つずつ染まっていく。

 それから数分後、全ての文字の色が変化し終えると術式から激しい光が放たれ、空間が歪み出す。

 

「ここまではいつも通り、だね」

 

「問題はここからだが……」

 

「どうかの?」

 

「集中せい、でなければ成功に近づく事も出来ん」

 

「了解」

 

 さっきまでの雰囲気は全て消え、緊迫した時間が続く。空間の歪みは徐々に強く、大きくなっていく。しかし、それはある程度の状態になるといきなり空間から凄まじい火花と共に空間の歪みが戻っていく。

 

「これ、は……!」

 

「くっ……! やはり、今回も……!」

 

「気を抜くな……! 最後まで集中するのだ……!」

 

「言われずとも……! そのつもりじゃ……!」

 

 何とかしようと集中力を高めるも、無情にも歪みは小さくなっていく。今よりも大人数でやった時ですら、成功した試しが無いのに今は四体しかいない。

 失敗するのは目に見えていた。それでも、彼等がやるのはこれが成功すれば目的を達成する絶好の近道になるからだ。

 例え、この中の誰かが消えようとも。だからこそ、彼等は続ける。自分達の悲願を叶えるべく、己の身を省みずに消える可能性を承知の上で、力を今まで以上に流し込む。

 その影響なのか、空間の歪みはある程度でピタリと停止した。

 

「止まっ……た?」

 

「これならば……!」

 

「行けるかもしれん……!」

 

「今こそ好機……! 力を使い果たすつもりで送り込むのだ……!!」

 

 歪みに四体の膨大な力が流れると――突如空間自体の形が大きく崩れる。思わぬ事態になった四体は慌て出す。

 

「ち、ちょっとヤガー婆さん! これは一体……!?」

 

「わ、分からぬ! 成功ならば普通、『穴』が生まれるのだが……!」

 

「つ、つまり、これは失敗、と言う事かヤガー殿!?」

 

「に、にしては何か可笑しいぞ!? ただの失敗ならば、歪みが無くなるだけの筈……!?」

 

 しかし、これはどう見ても歪み自体が大きく変化し出している。明らかな異常に困惑し、力を送るのを止めてしまう。その結果、更に状況が動く。

 

「な、なんだこれ!? 歪みの形そのものが……!」

 

「ま、丸く、大きくなっていく……!?」

 

「な、何が、何がどうなっておるのだ!?」

 

「ま、待て……! それだけではない……! これは儂等が引っ張られている……!? このままでは、下手するとあの歪みに取り込まれてしまう……! 全員急いでこの場を離れるのだ!!」

 

 危険を感じ、ドレカヴァクは仲間に退避を指示する。同じくそう感じたトルバランやヤガーは逃げ出そうとするも、ヴォジャノーイはまだ少しだけその場に残り、急いで仲間に問う。

 

「け、けど、これは!? この歪みはどうするんだい!? このままじゃあ、どんなことになるか……!」

 

「それは同意だが……! まずは自分の身を優先しろ! でなければ、死ぬかもしれぬぞ!」

 

「くっ! 仕方ないか……!」

 

「ヴォジャノーイ! 早くこの場を去るのだ! 後、全員これが収まり次第、また集合する様に!」

 

「承知!」

 

 歪みから発する力に対抗しつつ残りの力を絞って、その場を離脱する四体。

 彼等の姿が見えなくなると、歪みは更に変化する。まるで全てを飲み込み、夜や闇よりも深く暗く、見る者に死のイメージを与えるような漆黒の玉――そう表現するしかない『なにか』へと変貌。

 周りの土や木、空気や生物も関係なく、全てを手当たり次第に飲み込んでいった。

 

 

 

 

 

 しばらく時が経つと、さっきの場所は漆黒の玉からある程度の数十メートルの範囲がぽっかりと削り取られた様な、無惨な地形に変わり果てていた。

 

「うっひゃあ……。こりゃ、驚きだねえ……」

 

 そこに、一つの影が現れる。いち早くこの場に戻ってきたヴォジャノーイだ。青年の姿をした人外は周りを確かめつつ、下に降りる。

 

「逃げ遅れてたら、冗談抜きに消滅してたかも……」

 

 ヴォジャノーイは思わず、背筋が冷える。彼には、死んでも復活する能力があるだが、これのような空間ごと呑み込まれて死んだ場合、完全に滅ぶ可能性があった。

 

「……戻ってきていたか。ヴォジャノーイ」

 

「ドレカヴァク。先に来てみたよ」

 

 周りを調べるヴォジャノーイを見下ろす新たな影。ドレカヴァクだ。その後、それぞれ違う方向からトルバランやバーバ=ヤガーが現れ、四体の魔は再集結する。

 

「迂闊な行動は避けるべきだ。消えたとは言え、安全とは限らん」

 

「トルバランの言う通りじゃ。現にまだ、此処等の空間は不安定になっておる。特にそこは非常にな」

 

「げっ、そうなの? 離れよっと……」

 

 またさっきのが起きては、堪ったものでは無い。ヴォジャノーイは忠告を素直に聞き、そこを離れた。

 

「にしても、さっきの何だったんだい?」

 

「……空間が、何らかの理由で渦のようにねじ曲げられ、あのようになった。それ以外に答えが無いの」

 

「ヤガー。先程、空間が不安定になっていると言っていたが……入れそうか?」

 

 そもそも、自分達が空間を歪ませたのは、正規の方法では『そこ』に入れないからだ。

 不安定な状態なら、入れる可能性はあるのではないか、ドレカヴァクはそう考えていた。

 

「……無理じゃの。先ず、儂等に力が残っておらぬ。次に、何処に移動するか予測出来ぬ程に不安定になっておる。下手に行えば、海の底や地中の奥深くに転移する恐れがある。しかも、この具合を見ると、数日は持続するじゃろうな」

 

「……流石に、そんな部の悪い賭けに乗るのは御免被るな」

 

 人を超えた存在とは言え、流石に限度がある。そんな所に飛ばされては、最悪二度と動けなくなる可能性もあった。

 

「どの道、今回も失敗ってことでしょ。だったら、僕は行くよ」

 

 失敗と分かった以上は、ここにいる必要は無い。さっさと切り替えたヴォジャノーイは、現場を背に離れていった。

 

「……仕方あるまい。私も戻るとしよう。あまり長く離れると、余計なことを言われかねん」

 

「私も同様だ。失礼させてもらおう」

 

「では、また何時かの」

 

 ヴォジャノーイが離れたことにより、残り三体の人外も踏ん切りが付いたのか、その場を後にした。

 しかし、彼等はまだ知らない。今回の異変による結果は、この荒れた場所だけでは無いことに。

 

 

 ――――――――――

 

 

『……ふん、やっと去ったか』

 

 人外達がいた場所の下の空間で、不快そうな声が響く。そこは、先程の所の下にある場所であり、人外達の目的地だった。

 但し、ここは特殊なため、ただ地面を掘ったりするだけでは絶対に辿り着けない場所でもある。故に、人外達は自分達の身を削ってまで空間を歪ませて入ろうとしていたのだ。結果は失敗したが。

 

『……さて、「これ」はどうしたら良いものか』

 

 声がまた響く。その発生源は、途中で曲がっている黒の物体。方法は不明だが、これが話していた。

 そして、物体は困っていた。何故なら、予期せぬ事態になっていたからだ。ある箇所を見る。其処には。

 

「すー……すー……」

 

 人が、いた。本来、誰も入れないこの場所に。寝ているので瞳の色は不明だが、黒い髪の男性であることだけは分かる。肩から腰には何かを掛けていた。

 この人物は、さっきまでこの場所には存在しなかった。

 しかし、さっきの黒い玉が消えると同時にまるで入れ替わるように歪みがこの部屋に出現。

 その歪みが無くなると、その痕跡のように今度は寝ている彼が出てきたのだ。

 

『……あの異質な歪みの影響で、何処かから飛ばされたか』

 

 申し訳なさそうに、声は呟く。さっきの黒い玉は、意図はしてないとはいえ、声が原因で起きた現象。故に、何の関係もない彼を巻き込んだことを悔やんでいた。

 

『……機会でもあるが』

 

「――ん……? ふわぁ……、何か、堅……?」

 

 何かの違和感を感じたのか、声に反応したのか、男性が身体を少し起こし、目を開く。髪と同色の黒い瞳が現れ、虚ろげにキョロキョロと動く。

 

「…………は? ここ、どこ?」

 

 驚愕から、ぱちくりと男性の瞼が上下する。起きたら、いきなり身に覚えのない場所にいたのだ。無理もないだろう。

 

『目覚めたか』

 

「……誰だ?」

 

 これまた身に覚えがない声に、男性の目付きが鋭くなる。身体を完全に起こし、周りを確かめる。寝起きのおかげか目は暗さにも慣れているが、視界の向こうには壁しか見えてこない。

 しかし、背後を見ると、壁以外のあるものが写る。一つは台座。もう一つは、その台座に納まる、一対のある道具。

 

「これ、は……」

 

 多くの者は、『それ』を見ても意味不明な形状の物としか受け取らないだろう。しかし、男性は違った。『それ』と似た物を、知っていた。

 

「……『銃』?」

 

 その名は、銃。あるものを燃料に、弾を飛ばす威力と殺傷能力の高い武器だ。

 

『……「銃」? そなた、これを銃と呼ぶのか?』

 

「……えっ?」

 

 その呼び方に声が問い掛ける一方、青年は困惑する。誰かいるのかと思えば、武器が喋っているのだ。戸惑って当然である。

 

「……どっきり? どういう原理で声が出てんの、これ?」

 

 二つの銃らしき物を、男性はまじまじと見つめる。

 ――これ、形状は銃に似てるけど……。

 弾を出すための砲口はある。しかし、引金や弾層が存在しておらず、銃に似た『何か』と言った方が正しい。

 

『……あまり、じろじろ見るでない』

 

 ――やっぱり、これが喋ってる……。

 何処かのファンタジーの様に、喋る銃。様子から、自分を見るか感じることも出来るらしい。戸惑いはまだあれど、話せる以上は色々と知ることが出来る。

 深呼吸で冷静さを取り戻すと、青年は銃らしき物に宿る意思に話し掛けた。

 

「お前は、誰だ?」

 

『他者に名を尋ねる時は先ず、自分から告げた方が良いと思うが』

 

「それもそうだな」

 

 相手が人かどうかはこの際、二の次である。

 

「――雅人。向陽雅人(こうようまさと)。それが、俺の名前」

 

 青年――雅人は、己の名を告げる。

 

『……コウヨウ=マサト? 変わった名だな。それに姓もある……。そなた、貴族か?』

 

 ――日本を知らない? それに……。

 先進国の一つを知らず、自分を貴族と思っている。どちらも妙だ。

 

「普通――うん。一応、普通の一般人だよ」

 

 自身の過去を思い出し、一瞬マサトは言葉に詰まるが、とりあえずそう話しておく。

 

「お前の、名は?」

 

『一応というのが引っ掛かるが……まぁ、良かろう。……ただ、済まぬが、我に名は無い。自身を知らぬのでな』

 

「……知らない?」

 

 どうしてと言おうとしたが、おそらくはそれも知らない可能性がある。止めて置くことにした。

 

「とりあえず……ここどこよ?」

 

『ブリューヌ。その一ヶ所にある、特殊な場所だ』

 

「……ブリューヌ?」

 

『うむ。知らぬのか?』

 

「……まったく」

 

 そんな国など、マサトは知らない。聞いたことも無い。

 

「……他には、どんな国がある?」

 

『東にジスタード。南にムオネジル。西にアスヴァールとザクスタンがある』

 

 ――……知らない国ばかりだな。

 一度、あらゆる国名に目を通したことがあるが、そんな国など、見たことも無い。

 ――つまり……。

 信じられないが、ここは自分がいた世界ではない。自分は時代か、場所、その内のどちらかは確実に違う世界へと迷い込んでしまったのだ。

 ――……どうしたものか。

 とりあえず、現在の状況を確かめるのが最優先。その際、銃と何故話せるかが引っ掛かるも、今は無視して話を聞くことにする。

 

「さっき、お前はここを特殊な場所って言ってたけど」

 

『ここは地下にはあるが、何故か入るための扉がこちら側にしか無くてな。故に、普通は入れん』

 

「……何で、俺そんな所にいるんだ? ここを出る方法は? お前、知らないか?」

 

『………………』

 

「おい、何だその間?」

 

 問い詰めると、銃が不自然なぐらい沈黙する。

 

『……怒らぬか?』

 

「正直に言えば、場合によっては勘弁してやる。ちなみに、黙ってたら地面に叩き付けるぞ」

 

 ――乱暴過ぎる!

 これでは、言ったら何をされるか分かったものではない。しかも、黙っていても叩き付けられるだけ。言うしか、銃には選択肢が存在しなかった。

 

『……すまぬ。どうやら、そなたは我のせいでここに来たらしい』

 

「……もう一度言え」

 

『だ、だから……その、我のせいでここに……』

 

「……詳細は?」

 

『あ、ある事から、空間がねじ曲がったらしく、その影響でそなたがここに転移してしまったようなのだ』

 

「……ある事って、何?」

 

『い、言えぬ』

 

 話せば、外に出る機会を失ってしまうかもしれない。なので、銃は黙秘する。そんな銃の言葉にマサトは無言で銃に近付き、二つ共手に取る。

 

「……どっち? 両方か?」

 

『……み、右手の方が我だ。左手にはない』

 

「分かった。――いっ、せー、のぉ!」

 

 マサトは右手の黒銃を全力で掴むと、やはり全力で地面に叩き付けようとする。

 

『ぎゃー! 待て! 頼む! 出る方法を教える! 止めてくれ!』

 

「……嘘だったら、分かるよな?」

 

 鬼気迫る――と言うか、最早修羅みたいな目付きでマサトは銃を睨み付ける。かなり怖い。

 

「……どうやったら、出れる?」

 

『し、四方にある何れかの紋章の足場に行き、我が力を使えば、外に出れる』

 

「あっそ。じゃ、ばいばい」

 

 ――……ファンタジーな方法だな。

 とは言え、方法は聞けた。マサトは銃を背にし、足場に向かって歩こうとする。

 

『ま、待て待て! まだ話すべき内容を話しておらん! それに、そなたに頼みがあるのだ!』

 

「……何? 俺、早く出たいんだけど」

 

 心底うんざりしているマサトだが、聞き逃しては不味いのかも知れないので、嫌嫌聞くことにした。

 

『そ、そのだな。実に言いづらいのだが……そなたには我の使い手に――』

 

「却下」

 

『最後まで聞かぬっ!?』

 

「何で、他の場所に飛ばした元凶、しかも隠し事してる武器の持ち主にならなきゃならないんだ。アホか。第一、メリットあるのか?」

 

『メリット?』

 

「……利だよ」

 

 めんどくさーと、思う青年。一秒も早く出たいのだ。

 

『そうか、利か……。まぁ、それはともかく、さっきの方法は我の使い手にならぬと、出来ぬのだ』

 

 正確に言うと、力が高まっていた四半刻前までは自分だけで出来たのだが、それが過ぎてしまい、単独では不可能になってしまった。次に可能になるのは一ヶ月なので、やはり駄目だ。

 

「……なにこれ、強制イベント? 断固拒否したいんだけど」

 

『……よく分からん言葉を使うな、そなた。それはそうと……実は現在、ある理由から此処等の空間がかなり不安定になっていてな。……正直、何処に出るかまったく分からん。下手すると、空や海などのとんでもない場所に移動する羽目になるかも知れぬ……』

 

「……しばらくしたら、大丈夫なのか?」

 

『……数日は続くな』

 

「……ここ、水や食料ってある?」

 

『……無い。そなたのその箱か? それには入ってないのか?』

 

「……これには、本とか筆記具、必需品しか入ってねえよ。……やっぱり、叩き付けて良いか?」

 

 ぎゅっと、マサトは黒銃を再度握り締める。

 

『すまぬ! 本当に申し訳ない!』

 

「何処に出るか不明、数日は持続、食料、水も無いって、ふざけんな!」

 

 中で待っても、数日以内に水分不足で死ぬ。外に出ても、危険地帯に移動。もしくはそのまま死ぬ可能性が高い。リスクしか無かった。

 

「あぁ、もう、最悪……」

 

 実際のところ、マサトは死ぬことが嫌なのではない。自分の命など、執着してないからだ。

 しかし、『現場』などでならともかく、こんな所で無駄死にするのは絶対に嫌だ。『無駄になってしまう』。

 

『だ、だからだ。我が力を貸そう』

 

「……力?」

 

 そう言えば、この銃がどうやって自分を出すか知らない。おそらく、特殊な力を秘めているのだろうが、それがどんなものかも不明だ。

 

「その力って、何だ?」

 

『――生命。生物から、それを吸い取り、弾として放つ力』

 

「……命を奪う力、か」

 

『……まぁ、正解ではある』

 

 命を守る為に務める自分が、命を奪って力にする武器を手にする。何の皮肉だろうか。

 

「威力や範囲はどれぐらい?」

 

『普段の範囲はこの部屋の五倍ほど。調子が良ければ、もっと伸びる』

 

 ――結構、距離があるな。

 回りを見る。ここから、壁までは大体、五十メートルはある。つまり、直径五百メートルが有効範囲になる。

 

『人以上からは許可が無ければ吸えぬ。威力はと言うと……最大まで溜めぬと、あまり……』

 

「……使いづらい弾しか射てない力って、危険を脱出するのに役に立つ?」

 

『……ご、護身用には最適だぞ? それに我は周りをかなり見渡せ、非常に堅い!』

 

「見渡しは役立ちそうだけど、持ちにくい上に、銃の不法所持で捕まるわ、ぼけ!」

 

 鋭いツッコミに、何とか返した銃だが、マサトに更に一喝されてしまう。

 

『ひ、一つ。さっきから気になっていたが……銃とは何だ?』

 

「……お前、銃を知らないのか? でも、その形って、どう見ても……」

 

『……我は「弩」と呼ばれているが』

 

「……弩?」

 

 ――弩って、確か……。

 機械で通常よりも太く短い矢を放つ、昔の武器。自分の世界でも使われていたが、銃の発達により今は一部の除いて存在しない。この世界にはそれが存在し、銃の名は無い。

 

『他にも、野盗や山賊、海賊などに対抗する武器は必要だと、我は思うが……』

 

 ――野盗や賊がいる、か。

 つまり、この世界は自分がいたのと比べると、治安が悪いか未発達の可能性がある。それならば、武器は必須といっていい。

 

『……それに、我は話し相手が欲しいのだ』

 

 色々考えていると、銃がポツリとそう溢したのが聞こえた。

 

「……話し相手?」

 

『……さっきも言ったように我は己を知らぬ。気が付けばここにいた。そして、ここには誰も入れん。理由も、己も知らず、ずっと孤独だったのだ』

 

「……お前、どれだけここにいたんだ?」

 

『……正確な時は数えておらんので、最早分からん。最低でも、月が無い日を五百数えるほどはいた』

 

 ――月が無い日……? 新月か?

 ただ、あれは一ヶ月に一度だけ。仮にここの時の進み具合が自分の世界と同じすると、銃は最低でも四百年以上いたことになる。この場にポツンと、孤独に。

 

「……はぁ、分かったよ。此処でくたばるのは勘弁だし、使い手になってやる。話し相手にもな」

 

『――本当か!?』

 

「但し、変な目で見られるのは勘弁したいから、時と場合は弁えること」

 

『安心しろ。我の声は任意の相手にしか聞こえぬよう、調整が出来る』

 

 それはこちらとしても助かる。以外と使えるかもしれない。

 

「あと、境遇には同情するけど、信用して欲しかったら、全力で協力すること。最後に、曰く付き、やばい代物だと判明したら、直ぐに捨てるからな」

 

『……了解』

 

 ――……言わなくて良かった。

 自分が狙われているなどと。とはいえ、マサトが生きるには使い手になる他、道はない。

 後ろめたさはある銃だが、自分としては外に出たいので、それは隠す。但し、全力で使い手となる彼の力にはなるつもりだ。

 

「で? どうやったら使い手とやらになれる?」

 

『我と、もう片方の弩――いや、銃か? それを両方持ってくれ』

 

「こう?」

 

 双銃を持つ。すると、黒い靄らしきものが双銃から溢れ、自分の全身にまとわりついていく。

 

「お、おい! これ、大丈夫か!?」

 

 危険を感じ、マサトは咄嗟に黒銃を離そうとするも、この黒い靄に縛られているように外れない。

 

『大丈夫だ。まぁ、見た目は悪いが……危険は無い。――行くぞ』

 

 黒い靄がマサトの身体を完全に覆う。同時に妙な感覚を感じ、それらを数十秒間受け続けると靄は飛散する。

 

『これで、完了だ。……どうだ?』

 

「……特に、痛みとかは無いな」

 

 身体を動かすも、どこにも異常は無い。どうやら、無害なのは本当らしい。

 

「これで、俺はお前の使い手になった。ってことか?」

 

『その通り。我が力、思う存分使うが良い』

 

「まっ、それなりの期待はしとく。さてと、後は……」

 

 ここから出るだけだ。問題は、空や海などに出た場合が怖い。その対処法を決めねば、運悪ければ即座に死だ。

 ――といってもなぁ……。

 手持ちの中に、それらの事態に対処出来る物がない。

 ――命の力、だったよな?

 自分の武器となった黒銃を、マサトは見つめる。自分はさっき、この武器を手に取ったばかりだ。力も知ったとはいえ、まだまだ知らない部分の方が多い。

 危機を切り抜けるとすれば、常識では計り知れないこの力だけだろう。

 

「えーと、そうだな。――ゼロ」

 

『……ゼロ?』

 

 方針が決まり、数秒考えたマサトは銃にそう呼び掛けるも、本人?は疑問符を浮かべた。

 

「お前の名。銃って呼ぶのも、何かめんどくさいから決めた。お前、自分を知らないんだろ? だから、ゼロ。意味は無だ」

 

『無を意味する言葉、ゼロ、か。ふむ、悪くない。では、改めて宜しくだ、コウヨウ』

 

「そっちは姓。マサトが名」

 

 日本や、幾つかの国では姓と名の位置が違う。ゼロが勘違いしても不思議ではない。

 

『そ、そうなのか。それは失礼した。再度改めて……宜しくだ。我が使い手、マサトよ』

 

「あぁ。じゃあ、色々と力を使いたいから、早速付き合ってもらうぞ」

 

『了解だ』

 

 こうして、人と銃の、一組の奇妙な組み合わせが誕生した。

 

「じゃあ、使わせて貰うな」

 

 中に溜まっている命達に告げ、青年は様々なイメージをしながら力を使っていく。

 

「――ふぅ、こんなところか」

 

 一刻、二時間の時を掛け、色々と力を試したマサトは一息付く。その彼の右手では、意思を宿す武器が驚愕に包まれており、絞り出すように何とか呟く。

 

『……こんな風に出来るとはな』

 

 さっきまで見ていたが、それは何れも本来の用途とは離れていた。

 

「力は、使いこなしてこそ。ってことだ」

 

『……くくっ。なるほどな』

 

 どうやら、マサトは自分の使い手としては最適の人物らしい。ゼロは思わず、笑い声を呟く。

 

「じゃあ、そろそろ出るために動くか」

 

 力を使いこなしたいところだが、今は空間の捻れから力の吸収が行えないため、何れは尽きてしまう。

 食料や水も無いため、長引くと力が出せない、平常な思考が出来なくなる。だから、今の内に動く方が生存率は高いのだ。

 

「さて、補充っと」

 

『……今は、周りから吸えぬぞ?』

 

「あるだろ。ここに。俺というな」

 

 マサトは自分を親指で二度叩く。周りから得れぬなら、己から得れば良い。条件も、本人の許可のみで自分でやるなら難しくはない。

 

『……無茶はせぬようにな』

 

 二つの黒銃を持った腕を広げ、その体勢でマサトは目を閉じて深く集中。

 その集中力が高まると、マサトの身体から銃の力となる生命が黒銃に吸い込まれていく。

 ――きつ……。

 身体に一気に疲労が蓄積しているような、そんな感覚だ。

 

「――チャージ終了。溜まった?」

 

『一人分だからな。そこまでではないが、補充にはなった』

 

「……じゃあ、ちょっと休む」

 

 台座に身体を預け、呼吸を何度も繰り返し、しっかりと休む。それを三十分ほど行うと、それなりに疲労が抜けた。

 

「休憩完了。行くか」

 

『ならば、四方にある足場の内の何かに歩いてくれ』

 

「分かった」

 

 適当な場所に向けて歩き、紋章が刻まれた足場近くに付く。前を見ると、壁にも紋章があった。

 

『足場に立ち、力を放出してくれ。そうすれば、自ずと移動できる』

 

「じゃあ、先ずは……」

 

 マサトは黒銃を身体に向け、弾を発射する。しかし、痛みや傷は無く、身体に薄い膜が覆われる。

 

「これでよし」

 

 準備を終わらせ、言われた通りに足場に立って力を放出。すると、足場と壁の紋章が輝いていく。移動のための工程が行われているのだろう。

 ――これまた、ファンタジーだねえ。

 科学ではなく、超常による現象。どんな原理なのか、まったく不明。

 

「ゼロ、ここは何なんだ?」

 

 出るまでには間があるようなので、それまでにゼロからこの場所に付いて尋ねる。

 

『……済まぬが、知らぬ。我は目覚めた時には此処にいただけなのでな』

 

「――そっ」

 

 ――情報無しか。

 そもそも、ゼロは何故ここに納められていたのか。そして、それは誰の手によって行われたのか。

 納められた理由について、先ず考えられるのは、命を吸う力が原因であること。人などには出来ないとはいえ、自然に対して有効。その気になれば自然を枯らすことは容易。それを危惧し、此処に納められた。

 納得はできるが、ゼロによると、普段の状態ならここからでも生命は吸えるとのこと。入れないので持ち出せないとはいえ、封印されていないのが妙だ。

 後は、ゼロは隠している理由と関係しているかだろう。ただ、ゼロが話そうとしないのでこれは幾ら考えても結論は出せない。

 

『――そろそろだ』

 

 時間を迎えたようだ。壁を見ると、紋章のある部分が歪み、渦のように変化。向こうはまったく見えず、闇しか無い不気味な穴。

 

『もう一度言うが、何処に繋がっているか分からぬ。気は引き締めた方が良い』

 

「言われなくとも。――行くぞ」

 

 自分の生き方を全うするために。青年は顔を引き締め、足を進めて空間の歪みへと入って行く。その数十秒後、歪みは渦潮が止むように消えた。

 

「……変な場所だな」

 

 中に入るが、上も下も右も左も、黒しかない、光が何一つ無い闇だけの不気味な場所。此処が、空間の歪みから入れる特異な空間。

 

『まぁ、空間しか無い訳だからな。だからかもしれん』

 

 ――空間、だけね。

 にしては、しっかりとした足場があることや、呼吸が出来るのが引っ掛かる。

 空間だけならば、何故固定の足場や、呼吸の為の酸素が何故あるだろう。

 ――足場に関しては、自動にそうなっている。空気は元いたあの場所から流れたからか、何故か元からあるか。このどちらかか。

 どちらにせよ、歩行も呼吸も出来るのは有難い。移動はスムーズに済むし、溜めていた分を使わずに済む。

 一歩一歩進んでいくと、黒だけの世界だが、捻れのような場所が見えてきた。

 

「あれは?」

 

『おそらく……出口だ』

 

「おそらくって何だよ、おそらくって」

 

 要領の得ないゼロの台詞に、マサトは不満気だ。

 

『通常は入り口同様の穴になるのだが……』

 

「なら、別の所にあるんじゃ?」

 

『かもしれん。とはいえ、不安定になっている以上、まともな出口があるとは思えぬが……』

 

「そう。――なら、行くか」

 

 自分はこの場所を知らない。そんな自分が色々考えようが時間の無駄。早い者勝ち、兵は神速を尊ぶ、という言葉もある。不確定な要素しかない今は、決断は早い方が良い。

 黒銃を強く握り締め、マサトは捻れに入る。黒だけだが、空間が捻れている光景に気持ち悪さを感じながらも意識をしっかり保ち、歩いていく。

 数十歩ほど歩いた頃。周りの空間が急に歪んだ。

 

『出口だな。だが、気を引き締めろ。どうなるか分からんぞ』

 

「言われなくとも」

 

 空間が更に歪んでいくが、そんな中でも、マサトは平然と佇む。そして、十数の時間が立つと、一瞬で景色が変わった。

 

「――えっ?」

 

 何故かそこで、女性、自分の順で声が鳴った。

 

 

 ――――――――――

 

 

「こほっ、こほっ……。はぁ、はぁ……」

 

 数分前のその場所で、一人の女性がベッドから身体を起こす。

 その身体は細く、皮膚は少しあり得ないぐらいに白い。近くには、見事な装飾が施された二つの短めの剣がある。

 二つの剣は、彼女に起きると淡く輝く。まるで、女性を心配するかのように。

 

「……まだ夜、か」

 

 背から来る痛みに耐え、双剣を撫でると、女性は今の時間を確かめる。周りはまだ暗い。

 寝ようとしても、痛みのせいではっきり目が覚めてしまい、眠れる気がしない。

 今は痛みが収まり、しばらくは問題なさそうなのが幸いか。

 

「……さて、どうしよう」

 

 作業をしようにも、自分の身体では長期は出来ない。他の者達にも止められるだろう。これは却下だ。

 となると、残るは本でも読んで時間を潰すぐらいだが、これも身体が原因で上手く出来ない。

 

「……空でも見よう」

 

 作業も本も駄目。そうなると、空を見るしか無い。窓から夜空を見上げるが、月も星も存在しない、黒だけの殺風景な空だった。

 しばらくはなんとなくの気分で眺めるも、何も無い空に飽きてきた。身体を休めようと、ベッドに横になろうとしたが、その時、空から一つの光が流れ、瞬く間に消えた。

 

「流星かあ」

 

 空が見せてくれた気まぐれに、女性は微笑む。流星は場所によって、吉兆とも凶兆とも呼ばれている。

 

「吉兆だと良いな」

 

 そんな、細やかな願望を女性は抱く。しかし、自分の身を考えると、それは先ずあり得ない。十中八九、凶兆だろう。

 ――あっ、そう言えば……。

 何処かの国では、流れ星に向かって願い事を三回言うと、その願いが叶うという願掛けがあるという話を思い出した。

 流星はもう消え、そんなのが起こるとはまったく思っていないが、折角なので、やってみることにする。

 

「僕の元に、吉兆が届きますように。――なんてね」

 

 両手を合わせ、祈るように告げる。その台詞を、女性はあと二回繰り返し、最後にお茶目に一言を加えた。

 

「そろそろ寝よう」

 

 出来ることは少ないが、明日にもすることはある。少しでもこなすため、身体を休めようと女性が横になろうとした。その時だった。

 静寂が戻ろうとしたその部屋に、突然バチッとという、火花のような音が響いた。しかも、徐々に増していく。

 ――何の音?

 女性は目付きを鋭くし、辺りを伺う。聴覚を集中させると、発生源は自分の真上から。しかもそこを見ると、その場所に火花が次々と発生している。

 危険を感じ、そこから離れようとした瞬間、音と火花が突然消えた。奇妙な現象は起きたが、これで一安心、かと思いきや。

 

「――えっ?」

 

 部屋に女性、何故か男性の声が順番に響く。

 女性が見ると、そこには謎の人影――マサトがいた。

 一方のマサトも、身体を起こした状態でベッドにいる発生源の人物の姿が写った。暗いのでその人物の服姿はよく分からない。

 ――あれ? これって……。

 ベッドにいる人物の上に、自分がいる。下を見ると足元には足場が無い。つまり、自分は今――部屋の上の空間にいることになってしまう。

 そして、次の瞬間、マサトの身体は重力に従って落下を始めた。

 

「――わぁああぁぁっ!? は、離れてくれーっ!!」

 

「え、えぇええぇーっ!?」

 

 突然、部屋の天井近くから見知らぬ者が落下してくるという、意味不明にも程がある展開に女性は驚愕の声を上げる。

 その一秒少し後、部屋に何かが派手に壊れた音が大きく鳴った。

 

「あ、危なかった……!」

 

 武器の双剣を持って急いでその場を離れた女性は、焦りから乱した呼吸を正して冷静さを取り戻しつつ、大きな音の発生源を見る。そこには。

 

「うーん……」

 

 さっきの落下による衝突で壊れたベッドと、同じく衝突で気絶し、目を回した謎の男性――マサトの姿。こうして、最初の場面に戻る。

 これが二人のとんでもない出会いの始まりだった。

 



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第二話 烏と姫

暫くは毎日投稿。あと、タイトルがちょっと納得出来なかったので変更しました。


「え、えと……本当に何が起きたんだろう?」

 

 夜中。女性が目の前の光景に戸惑っていた。病気から目が覚め、少し時間を潰したあとに寝ようとした時、部屋の天井近くから人が現れ、自分が身を預けていたベッドに落下したのだ。

 自身は直前に回避したが、そのあと彼女はひたすら戸惑っていた。いきなり人が出現し、落下してきたのだから当然だろう。

 女性は色々と考えるも、まったく分からない。一番可能性が高いのは、自分を狙う暗殺者だが、それにしては間抜け過ぎる。

 第一、この部屋の天井には人が隠れれる空間は無い。さっきのも突然現れた様子だった。

 

「――御無事ですか!?」

 

 部屋の扉が開き、また別の声が響いた。但し、今度のは女性が知っている者の声だ。

 ガチャガチャと金属が擦れ合うような音を足音を立てながら、鎧を纏う騎士や兵士達が部屋に入ってきた。

 数人が女性の元に歩み、残りが部屋に灯りを付ける。すると、マサトの姿がはっきりと全員に写った。

 

「曲者!?」

 

「おい、お前達! 部屋の確認を怠ったのか!?」

 

「そ、そのようなことは決して! しっかりと確認はしております! 前の確認時も、戦姫様以外は誰一人おられませんでした!」

 

「では、この者は一体……?」

 

 全員が何処にいたのか分からない侵入者に困惑していると、その内の纏め役と思われる一人が女性の身の安全を確かめつつ、話を聞く。

 

「一体何が……?」

 

「……落ちてきた」

 

「――はい?」

 

「だから……落ちてきた。あの人が。部屋の天井辺りから」

 

 その騎士や、周りの者達がマサトと現場、その上を交互に見る。当然ながら、全員頭に疑問符を浮かべた。

 

「ど、どういう……?」

 

「聞かれても困るよ! 本当にあの人が落ちてきたとしか、言い様が無いから……」

 

 再度、ここにいる全員がさっきと同じ行動を繰り返し――そして、やはり疑問符を浮かべた。

 

「……とりあえず、この者の処遇はどうしますか?」

 

 普通に考えれば、処刑が妥当。しかし、この事態はどう見ても普通ではない。自分で判断できる範疇を超えすぎていたので、騎士は女性に判断を仰ぐ。

 

「……話を聞きたい。何者なのか、どうやって此処に来たのか。だから、その者を空いている部屋に寝かせて。ただ、万一に備えて身体や持ち物の検査、腕の拘束はして欲しい」

 

 薄くはあるが、暗殺者の線はまだ完全に捨てきれず、身分を知るためにも身体や持ち物の検査、拘束は必須だった。

 

「分かりました。――戦姫様の命令だ。その者の所持品と思われる物は全て回収、調査し、その者は腕を拘束したあとに空いている部屋に寝かせろ」

 

 騎士を通しての主の指示に、兵士達は急いで動く。数十秒で壊れたベッドは破片一つ残さずに片付けられ、マサトや彼が持っていた道具は運ばれて行った。

 

「新しいベッドを至急用意しますので、暫し御待ちください」

 

 女性はある病に掛かっているため、床に寝かせるのはご法度。ベッドでの安らかな眠りは当たり前だった。

 

「分かった。……ただ、目が覚めちゃったから、寝れるかな」

 

 あんなとんでもが起きたため、女性の眠気は完全に吹き飛んでいた。

 

「……気持ちは察しますが、御体のためにも寝てください」

 

「何とかそうする」

 

 それから四半刻後、女性は用意された新しいベッドで横になる。そのまま寝ようとしたが、途中、さっきの人物が頭に過る。

 ――本当に何なんだろう、あの人?

 一体何者で、どうしてあんな風に現れたのか。それを知るためにも、今日はもう寝るべきだ。

 どんな人なのか、女性はそれを一度だけ考えたあと、すやすやと寝始めた。

 

 

 

 

 

 翌朝。ベッドが何時もとは違うせいか、或いは昨日の人物が気になったせいか、女性は早く目覚めた。

 呼鈴を鳴らし、侍女長を呼び出して昨日のことを知っているのかを先ず尋ねる。侍女長が頷くと改めて尋ねた。

 

「少し御待ちください」

 

 侍女長が部屋を出る。その数分後、一人の騎士が入室。昨日の騎士だ。

 

「もうお目覚めでしたか」

 

「うん、何時もと違うからかな。それより、昨日の人物のことなんだけど」

 

 昨日の人物、マサトについて尋ねると、騎士は困った表情になる。

 

「どうしたの? 何か問題でも起こした?」

 

 であれば、直ぐにそれ相応の対応を取らねばならない。

 

「いえ、まだ目覚めてはおられないようです。ですが……」

 

「どうしたの?」

 

「……彼の持ち物が気になるのです」

 

「持ち物?」

 

「はい。所持していたのは、武器らしき黒い物。そして、彼の篭、もそうですが、中身も変なのです」

 

「変?」

 

 彼という言葉から、女性は昨日の人物が男性だと把握するが、篭もその中身も変という言葉に頭を傾げる。どういう意味なのだろうか。

 

「彼の篭には、他国の文字を記した記録本が大量に詰まっていました。ほぼ全てと言っていいほどに」

 

「……そんなに?」

 

「その他にも、筆記具と思われる物や……このような奇妙な物が、中に」

 

 騎士が箱から一つの物を取り出す。掌よりも一回り程度の大きさしかない薄い板らしき何かだ。

 

「これは……染めた金属板?」

 

「一見、そう思われ、調べましたが……どうにも分からないのです」

 

「分からない?」

 

「はい……。物知りの文官達にも見せましたが、全員がまったく知らず、その上……」

 

 騎士が薄い方を出し、ある箇所を押す。すると、黒の面に光、模様が表れ、次々と変わりながら音を鳴らす。それが止むと、また違う模様が幾つも出てきた。

 

「え、えぇ!? これ、何……!?」

 

「わ、分かりません! このような代物、私も他の者達も見たことは勿論、聞いたことすらありません……! 判明しているのは、押して動かすと模様が動いたり、面がまた変化するぐらいしか……」

 

 その様子を見せてもらう。すると言った通りに変化する。

 

「これ、本当に何なの……?」

 

 今の現象に、女性はただ驚くばかりだ。

 

「分からないのです! 方法が判明しても、その原理や用途自体がまったく! その為、調査も全然進みません……」

 

 仮に国宝の様な物だとすれば、壊してしまうと大問題になる。そのため、解体自体が出来ず、調査は慎重に慎重を重ねざるを得なかった。

 暫く呆然としていた女性だが、とりあえず深呼吸。無理にでも平常心になって、物事を判断する。

 ――……とりあえず、暗殺者の線は無いね。

 こんな貴重、いや、唯一無二と言っていい道具を持ち、大量の記録を記した本を所持している。そんな暗殺者など存在するはずがない。

 では、彼は何者なのか。可能性が高いのは、学者。それも、かなりの功績を上げ、国王から評価された者。

 これならば、大量の本や見たこと無い道具を所持していることに辻褄が合う。

 

「今すぐ彼の拘束を解くように。あと、持ち物も全て返却して欲しい」

 

「し、しかし……」

 

 女性の指示に、騎士は何とも言えない表情だ。

 

「彼はおそらく、他国の重要人物の可能性が高い。このままの拘束は、問題になりかねない」

 

「ですが……あの者は、貴女様の部屋に――」

 

「それは何らかの事故に巻き込まれた結果だと思う。でないと、人がいきなり現れるなんて、あり得ない」

 

「恐れながら……人が他の場所に飛ばされる。そのようなことがあり得るのでしょうか?」

 

「『これ』、知ってるよね?」

 

 常識的な返答に、女性はポンポンと双剣を叩く。それを見て、騎士はハッとする。

 

「『これ』だって、何もないところから現れたんだ。人にも同様の事案が起きても不思議じゃない」

 

「なるほど……」

 

 本人達はそれについて知っているので納得しているが、知らない他人からではさっぱりの内容の話だ。

 

「納得は致しました。しかし、拘束を解くと言うのはやはり……」

 

「問題を避ける為だよ。ただ、武器らしき黒い物だったかな? それは預けてもらうように頼んで欲しい。あと、目覚めた場合は食事も用意。それが終わり次第、僕との話し合いを」

 

 普通の狼藉者相手なら、寛大過ぎる対応だが、対象はそんな範囲の人物ではない。これぐらいは仕方ないだろう。

 

「承知しました。ですが、万一もありますので、護衛を最低でも一人か二人は必ず付けてください。また、体調が悪化した場合は延期してもらいます」

 

「分かった」

 

 自分の立場及び、状態を考えれば当然の判断。女性は断らなかった。

 話を終えると、騎士は女性に一礼。道具を持って退室しようとするも、扉が叩かれた。

 女性が尋ね、許可を与えると、また男性が入ってくる。聞くと至急報告したい事があるとのこと。

 

「どうかした?」

 

「いえ……。あの人物について、急いで報告せねばならない事がありまして、その報告に……」

 

「何の報告だ?」

 

「こ、これです……」

 

 一つの黒い何かを受け取る。自分が持っていたのとはまた違い、大きさは一番小さく、材質は革に近い。

 ただ、金色の刺繍らしきものによる文字や、花の意匠が気になる。それと道具の一つと同じ開くらしい。

 ここまでなら、立派そうな革製の何か。大した物ではない。彼等にとって問題なのは、その中身だった。

 

「これは……」

 

 それを見て、女性は目を大きく見開くが、文官の報告に更に驚愕することになる。

 

 

 ――――――――――

 

 

 黒以外、一切何もない闇の世界の中で誰が声を掛けてくる。それが誰なのか、何処にいるのか、何を話してきているのか、まったく分からない。

 何しろ、ここにいる人間、マサトは微かな意識しか無いのだから。

 ただ、闇の中に『何か』が存在しており、そして、その何かは自分を見詰めている。それだけは分かった。

 ――誰だ……?

 そう問い掛けても、何故か声が出ないのでその『何か』には届かない。数秒か、数十秒か、数分か、或いは数十分か。

 どれだけの時間が経ったか、分からない頃に、暗く冷たい何かが自分に触れ、語りかけてきた。

 青年には届かなかったが、何かは笑みを浮かべながらこう言っていた。また会おう、と。

 そして、マサトの意識は闇に飲み込まれるように、途切れていった。

 

「……ここ、は?」

 

 何処かでのマサトの意識が途切れたと同時に、現実で彼の目が開いた。知らない天井が視界に入る。

 ――何だ、この感じ……?

 同時に身体に妙な違和感を感じる。体を起こしてそれを把握しようとしたが、両腕がどうしてか思うように動かせず、体勢を少し崩して背から倒れた。柔らかな感触が伝わる。

 ――ベッド?

 感触からその様だ。確かめようと、もう一度身体を起こそうとしたが、やはり腕が動かない。視線を何とか移すと、縄で縛られていた。結びや縛りは固く、外すのは困難だ。

 幸い、足は動かせたので、身体や足だけで起き、ベッドに腰掛けると周りを見渡す。机や椅子、棚などが置いているので何処かの一室だと伺えた。

 ――機械や、コンセントは無いな。

 周りを確かめるが、自分の世界の主な国なら必ずあるものがこの部屋に無い。

 考えられるのは、ここには何らかの理由で存在しないか、それらがそもそも無いから。この二つのどちらかだろう。

 その割には、自分を拘束しているのが手錠ではなく縄なのが引っ掛かるが。

 ――……どうなってるんだ?

 現在の状況が分からない。一室で丁重に寝かされてると思えば、腕は縛られている。ちぐはぐだった。

 

「物は……無いな」

 

 近くに鞄や黒銃が無い。取り上げられたと考えるのが妥当だろう。にしては、自分が寝ている場所が気になるが。

 

「出れるか? いや……」

 

 こんな状態で出ても、あまり良いことにはならないだろう。寝かされていたことを考えると、誰かが来るまではこの部屋に留まった方が良い。

 ただ、それまでは少しでも自分の立場を良い状態にするため、色々と考えていく。それが数分経つと、扉が開かれた。

 

「――おや、もう起きてたいらしたか」

 

 聞き覚えのある言語と、聞き覚えの無い声色。マサトが入り口を見ると、一人の男性が入ってきた。年齢は自分よりも一回りは上そうで、少なからずの風格を感じた。

 

「……貴方は?」

 

「この国の言語を話せましたか。話が早くて助かります」

 

 その人物は良かったと安心している一方、マサトはあることが引っかかっていた。

 ――……何で、この言語で話せるんだ?

 マサトが今話しているのは、彼が元いた世界に存在する他国の言語。つまり、異世界の言葉だ。それが何故、違う世界の者と話せるのか。

 ゼロの時の疑問が再度浮上するも、今は現状確認を優先し、後回しにした。

 

「縄を御外します」

 

「あ、はい……」

 

 腕を出すと、男性は縄を手早く外す。拘束が無くなり、少し気分が楽になった。

 

「では自己紹介を。私はザウル。レグニーツァで勤める騎士です」

 

「レグニーツァ……?」

 

「ジスタードの七つある公国の一つです。ここはその首都である公都、その中心となる、統治者が御住まう公宮の一室です」

 

 ――ジスタードに、公国か。

 その話で、マサトは今いる国を知る。地図は無いので、現在地はまったく不明だが。

 

「御丁寧に。自分は――マサトと申します」

 

 後ろめたくはあるものの、マサトは名だけを告げる。姓は不味い可能性があると予想したからだ。

 

「――中々、特徴的な名で。気分はどうですか?」

 

 ほんの僅かだが、ザウルには間があった。

 ――今の……。

 その間が、マサトはどうにも気になった。

 ――俺の名を、知ってる……? いや、そんな方法は……。

 そこまで考え、方法があることに思い至る。あるのだ、文字さえ読める人がいれば、簡単に知る方法が。

 ――この様子だと、もう見られてたか。

 だとすれば隠す意味は無いが、かといって、素直に打ち明けるのも抵抗がある。今はまだ言わないことにした。

 

「悪くはありません」

 

「それは良いことで。お腹は空いてますか?」

 

「それなりには……」

 

「では、直ぐに御用意します。あと、所持品を御返しします」

 

 自分の鞄を丁寧に渡される。中を確かめると、鞄の中の物は全てあった。

 

「自分、黒い色をした一対の物を持っていたと思うのですが……」

 

「……あります。しかし、こちらとしては安全のために武器は預かって置きたいのですが」

 

 マサトは少し考える。身を守るためには黒銃を手元に持って置きたい。しかし、経緯はどうあれ、自分は統治者の公宮に不法侵入したのだ。

 それに、ザウルの提案は主を守る騎士としては当然のもの。無理を言えば返してもらえるだろうが、後ろめたさがある。

 

「分かりました。それは暫しお預けします」

 

「感謝致します」

 

「それと……自分、昨日誰かとぶつかりそうになっていたと思うのですが、その人は無事でしょうか?」

 

「御安心を。傷はありません」

 

「そうですか。それは良かったです……」

 

 ほっと胸を撫で下ろすマサトを見て、ザウルは女性の推測が正しいと思うようになる。ただ、警戒は緩めないが。

 

「では、料理を用意しますので、この部屋で御待ちを」

 

 マサトがはいと頷くと、ザウルは部屋前で誰かと話し、そのあと壁際に立つ。

 ――監視役か。

 自分の見張りとしてここにいるのだと、直ぐに分かった。

 

「本があるようですが……拝見しても?」

 

「どうぞ。読めますか?」

 

「おそらく」

 

 適当な一冊を取り出し、本を読むフリをしながら、マサトは思案する。

 ――さて、どうするか。

 向こうの対応、不法侵入した人物なのに、見張りはいるが一度した拘束は解き、所持品も武器以外は返し、食事まで用意する。

 この事から、向こうは自分を何らかの重要人物だと見ているのだろう。 ――となると、問題は……。

 自分を異界人と明かすか明かさないか、である。ただ、そうするには自分は余りにもこの世界を知らない。

 ――ゼロからもっと、話を聞いて置けば良かったな。

 とはいえ、そうしても道具を見られている可能性が高い。こんな状態では上手く話を進めれないだろう。

 ――ここの主と話をする中で、何とかするしかないな。

 行き当たりばったりだが、それ以外に選択肢が無い。思案を続けていると扉が叩かれた。ザウルが返答すると、侍女と思われる女性が入室。料理が届いたらしい。

 ――先ずは、腹ごしらえか。

 腹が減っては戦ができぬ。ここの主と話をするためにも、食事はしっかり摂ることにした。

 部屋にサービスワゴンに乗せられた料理と共に香ばしい匂いが入り、青年の鼻を刺激する。

 メニューはニシン、たまねぎとマッシュポテトを加えた焼いたパイに、鰻をパンのような種で包んだ焼いた料理、野菜と肉を摘めた湯気の無いスープ、お酒やデザートのすももや無花果まである。

 ――……結構、豪勢じゃないか、これ?

 ここの統治者ほどでは無いだろうが、マサトからすれば、かなり豪勢な料理だ。思わずポカンと口を開いた。

 

「……頂いても良いのですか?」

 

「はい。初めて見る料理ばかりで、お気に召さないのであれば、御下げしますが」

 

「そんな失礼なことはいたしません。有り難く頂戴します。ただ、このあとの為にもお酒は遠慮したいのですが……」

 

「では、代わりに果実水を用意させます。あと、スープにはお酒が入っていますが……」

 

「強いので無ければ、これだけは何とか行けます」

 

「大丈夫です。さっぱりする程度ですよ」

 

「なら、頂かせてもらいます」

 

 椅子に座り、両手を合わせていただきますと告げ、料理を有り難く頂いていく。

 

「――ごちそうさまでした」

 

 全てを平らげ、マサトは食べる前と同じように両手を会わせる。直後に侍女がまた入って来て、食器や皿を回収していった。

 

「お口には合いましたか?」

 

「はい、とても」

 

 パイは生地の食感と中の具の味加減が絶妙。鰻を包んだ物は、外の生地のパリッとしながらも柔らかな感触と中の鰻の脂身やタレが次を誘発する。

 スープは冷たいが、肉や野菜にはしっかりとした味と食感があり、スープの冷たさや僅かな炭酸が口の中をさっぱりさせる。

 デザートのすももや果実水も、甘味や酸味が程好く両立していた。

 

「正直、自分には勿体無いと思うほどの御馳走でした」

 

 ――ふむ。

 その台詞に、ザウルはマサトが控え目な性格なのかと考える。

 はっきりとした根拠は無いので実際はまだ不明だが、料理の作法がしっかりとしていたことから、最低限の教養を学んでいたことは見抜いていた。

 ――そもそも、他国の私と話せる訳だからな。

 そして、あの鞄や道具の存在もあり、ザウルからすればやはり重要人物としか思えなかった。

 

「このあと、話し合いとのことですが」

 

「少し御待ちを。我等の主は最近、体調を崩しがちなため、調子が良い時を選んで置きたいのです」

 

 そのような事情があるなら、仕方ないだろう。一通り考えもしたので、今度は本当に本を読んで時間を潰すことにした。

 その本を半分程捲ると、また扉が開いた。但し、今度来たのは女性ではなく男性。それもかなりの高齢だ。

 

「御人、そちらに不都合が無ければ、我らが主との会談を行いますが」

 

「こちらこそ、お願いします」

 

「では、案内します」

 

 鞄を肩に掛けたマサトは、老人とザウルの間の位置で廊下を歩く。途中、何人かが見知らぬ他人であり、昨日の件のマサトに視線を移していたが、本人は気にせずに歩を進める。

 ――ふーん……。

 その際、マサトは目だけを動かし、公宮の内部を見ていた。統治者が住む場所にしては派手さは無く、寧ろ質素にも見え、ほっと安心出来る造りだった。

 回廊を通り抜けると、三人は一つの扉の前に立つ。統治者の部屋なのだろう。

 

「御人、先程も彼から聞いたと思いますが、我等の主は最近、体調を悪くされてるので会談は半刻までとさせてもらいます。また、護衛としてその者も入室します」

 

「構いません」

 

 つまり、この部屋にいるのは自分、ザウル、統治者の三人だけになる。異界人であることを明かすにしても、その方が有難い。

 ザウルが扉を開き、彼の後に続くようにマサトも入室する。

 

「アルシャーヴィン様、例の御人をお連れしました」

 

「こちらに」

 

 ――あれ? この声……。

 何処かで聞いたような声。とりあえず、そのまま入ると、この部屋の主の姿が目に映る。

 

「ようこそ」

 

 自分と同じ黒髪に、黒の瞳。違うのは髪型と、性別。つまり、女性だった。

 ――この人が、公国の統治者……?

 国のトップが女性。というのはあり得なくは無いが、ありふれたものかと言えば否。おまけに、年齢も二十歳未満に見える。若いにも程がある。

 ――それに……。

 腕しか見えないが、女性だからとしても細すぎる気がする。肌の白色も、正直健康的よりも病的に見える。

 

「こちらへ」

 

 女性に言われるがまま、マサトはベッドの近くにある椅子に座る。ただ、距離は一人分離れており、女性の近くにはザウルが直立不動に立っている。

 

「初めまして、ではありませんね。昨日、この部屋で一応会っていますから」

 

 昨日と違い、女性は敬語で話す。これは相手が何者か不特定だからだ。

 ――……一応? あっ!

 一方、何度かの声や、今の発言でマサトは目の前の女性が昨日ぶつかりそうになった人物だと理解する。

 ――ん? 待てよ?

 ここでマサトは情報を纏める。女性はこの公国、レグニーツァを統治する人物で、ここはどうやら彼女の部屋。最後に、昨日自分はこの部屋で彼女と会った。つまり。

 ――俺、公国のトップの部屋に転移したの!?

 よりによって、どうしてそんな場所に転移したのだろうか。偶然とはいえ、起こした件の重大さにマサトは冷や汗を流す。

 

「……昨日は、誠に申し訳ありませんでした」

 

 椅子から離れ、正座からの土下座でマサトは頭を深々と下げる。

 

「いえいえ。故意でないのなら、貴方も被害者。お気になさらず。顔を上げてください」

 

「寛大な御言葉、ありがとうございます……」

 

 顔を上げるも、マサトとしては座りづらい。しかし、女性にどうぞと促されたので座ることにした。

 

「では、自己紹介から。私は、アレクサンドラ=アルシャーヴィンと申します」

 

 ――アレクサンドラ=アルシャーヴィン。

 それが、レグニーツァの統治者であるこの女性の名。

 

「次は自分――と言いたい所ですが、その前に」

 

「何でしょうか?」

 

「既に、知っているのでは?」

 

 マサトがそう答えると、アレクサンドラとザウルが僅かながら無言になる。その時間が終わると、アレクサンドラはにこりと微笑む。

 

「はい、知っていますよ。――向陽雅人殿」

 

 ――やっぱりか。

 アレクサンドラが自分のフルネームを言い当てたことに、マサトは思わず溜め息をつく。

 

「身分証明書、とても良いものですね。その人の身分や、所属国名まで記してあるなんて。見習いたいぐらいです」

 

 マサトの世界の主な国では用意される、自分の身分を証明するもの。アレクサンドラ達はそれを見て、マサトの名や身分等を知ったのである。

 但し、身分についての意味は完全に分かっていない。

 

「時間もありませんので、率直に尋ねます。貴方は、何者ですか?」

 

 ――さぁ、どうする。

 ここで素直に言うか、誤魔化すか。選択肢はこの二つだけだ。

 ――けどな……。

 誤魔化そうにも、身分証明書は見られている。そして、自分がこの世界についてほとんど知らないのが致命的だ。

 ある程度は誤魔化せるだろうが、例えば、自分の国と似た国に連れて行かれた場合、確実にバレる。十数秒だけ悩み――答えを出した。

 

「アルシャーヴィン様、こんなことを考えたことはありませんか? 木や油を使わずに火を起こせたら。火以外の明かりがあれば。遠く離れた人とやり取りが一瞬で済めば。空を飛ぶ乗り物があって、それで移動や物を運べたら。馬よりも何倍も早く、多くの人を乗せる乗り物があれば。長期に渡っての食料の保存技術があれば。高度な医療が存在し、病を直ぐに治し、止めることが出来たら。道具一つで、多くの情報を知れたら」

 

「あります」

 

 それらは、何れも一度は考えたことのある想像ばかりだ。絵空事だと、直ぐに割り切っているが。

 そして、彼女がそう告げたことでマサトはこの世界の範囲を把握する。

 

「自分は――そんな世界から来ました。簡単に申すと、異界人です」

 

「異界、人……?」

 

 アレクサンドラもザウルも、その返答は流石に予想外だった様で、暫し呆気を取られた表情でマサトを見る。

 

「……その割には、外見は私達と差ほど変わらず、こうして話せますね。文字も、この国のではありませんが、半分以上が他国のと同じでした」

 

「その辺りは自分にも分かりません。偶々似ている、そうとしか言いようがありません」

 

 これは本意だろうと、アレクサンドラは思っている。第一、今はそんなに気にする必要も余裕も無い。

 

「分かりました。ところで、異なる世界の貴方が、どうしてこの世界に?」

 

 ――これはどうするか。

 黒銃、ゼロが関与しているのを話すか、知らない間に来たと話すか。後者は誤魔化してこそはいるが、嘘ではない。

 ゼロの存在も、自分かゼロが言わない限りは知られる事はない。マサトの選択肢は――後者だ。

 

「知らない間に飛ばされたらしく、目が覚めたら――」

 

「こちらに来てしまった、という訳ですか」

 

「はい」

 

「事情は分かりました。次に、貴方の身分ですが」

 

「平民です」

 

「平民なのに姓が?」

 

 こちらでは一部例外を除き、貴族しか姓を持っている者はいない。彼はその例外なのかと思うアレクサンドラだが。

 

「向こうでは一人一人を正確に区別するために、姓を持つことになります」

 

 名前だけなら同じ人は沢山いるだろうが、そこに姓も加われば早々同じにはならない。

 合理的な考えに、アレクサンドラとザウルは思わずなるほどと頷く。

 

「次に自衛隊、でしたか? それについて伺いたいのですが」

 

「簡単に申せば、兵士です。国の為に戦い、災害が起きた際には被災地で救助活動を行ないます」

 

「兵士?」

 

 アレクサンドラは少し驚いた様子を見せる。一方で、ザウルは身体を調べる際にマサトのしっかりとした身体付きに納得していた。

 同時に、二人は少し落胆もしていた。その様子がマサトには引っ掛かる。

 

「はい。と言っても、目立った戦争が無い、ある事情から自分の国は戦いを起こせないので未経験です。救助の方は大きな災害がかなりの頻度で発生しますので、幾度も経験してますが」

 

「どんな国なのですか、貴方の国は……?」

 

 戦いは起こせないわ、災害は頻繁に発生するわと、色々と可笑しい。

 

「そういう国だと、理解していただけると助かります」

 

「そうします。次に、変わった道具についてですが」

 

「これらのことでしょうか?」

 

 マサトは鞄から、二つの道具を取り出す。アレクサンドラがさっき見た道具だ。

 

「それらです。一ヶ所を押すと光が溢れ、動く模様や、音が出る……原理はともかく、どんな用途の道具かは気になります」

 

「一つは、連絡を取るための道具で、情報も調べることも可能です。あと、画も作れたりします」

 

 説明しながら物を二人に見せ、それぞれがそういう道具だと伝える。

 

「……それ一つで? 便利過ぎないでしょうか?」

 

 連絡、情報集め、絵を作る。簡単にはできないそれらを、たった一つの道具でこなす。マサトの世界の凄さが充分に分かる話だ。

 

「無限には使用出来ません。バッテリー――燃料が何時かは必ず尽きるので。あと、買う以外にも資金を払う必要もあります」

 

「制限はある、と……」

 

 それでも、高性能な道具なことに代わりはない。

 

「もう片方は?」

 

「携帯音楽プレーヤー――一言で言うと、様々な歌を保存し、何時でも聞くための娯楽用の道具です」

 

「これで娯楽用……」

 

 確かに歌らしきものが出ていたが、一種の装飾品と言っても過言ではなさそうなこれが娯楽のための道具。

 騎士と共にまたまた驚くアレクサンドラだが、冷静にして話を続ける。

 

「……後二つ聞きます。一つは一対の黒い物体について。あれは貴方の武器ですか?」

 

 これは黒銃のことだと、直ぐに分かった。というか、持ってないのはそれだけなので、分かった当然だが。

 ――こいつはどうするかねー。

 誤魔化すか、話すか。またの選択肢にマサトは悩む。とはいえ、一度黒銃に関係ある話で誤魔化した以上、それを通すしか無い。

 ――問題は……。

 話していく中で、アレクサンドラに隠し事を見抜かれた場合。これが一番怖い。自分は彼女を知らないため、どれだけ交渉能力があるか不明。

 ――仕方ないか。

 非がある、立場も不利なのはこちらだ。ぼろが出る前に潔く話した方がまだマシだろう。

 昨日の件を要点を纏めつつ、簡潔に話した。

 

「――ということです。なので、ここの移動は二度目です」

 

 さらっと隠し事を話すマサトに、ザウルは不満気な表情で見つめるが、アレクサンドラは彼を手で制する。

 隠し事をしていたのは確かに失礼だが、向こうはいきなり飛ばされた異界人。警戒は当然だろう。最終的には明かしたことなので、アレクサンドラは批判しなかった。

 

「ここに来るまでの経緯は分かりました。最後の質問ですが――これから、貴方はどうしますか?」

 

「先ずは、この世界を知ろうかと」

 

 自分が成すべきことを成すために。それには、情報が必要不可欠だった。

 

「帰ろうとは、思わないのですか?」

 

「自分は、母国や元いた世界などには欠片も興味ないので」

 

 二人はこれまた呆気を取られる。兵士にもかかわらず、生まれ育った国にも、元いた世界にも興味がないと言う。

 

「貴方は兵士、ですよね?」

 

「はい。ですが、兵士になった理由は国の為ではありません。――少しでも多くの人の命を守るためです」

 

「人命……」

 

「自分はそれを守って死ぬのなら、何処の所属だろうが、構わないのですよ」

 

「……貴方の国の人命を、最優先にはしないのですか?」

 

「帰れるかは不明ですし、未練もほとんどありません」

 

 ――矛盾、してる……。

 いや、違う。マサトは人命を守るために働く。たったそれだけなのだ。それ以上でも、それ以下でも無い。

 故に、その場所は問わない。母国や元いた世界での救助は、其処にいたからこなしただけ。そして、帰還の選択肢も無理だと分かれば簡単に放棄する。彼にとっては、『たったそれだけのこと』。

 目前の異界人のその有り様に、アレクサンドラは戦慄を抱かずにいられなかった。しかし、同時に理解もしたため、徐々に冷静さを取り戻せた。

 

「雅人殿、貴方はさっき、この世界を知ることから始めると言いましたが……衣食住の当てはありますか?」

 

「いえ、まったく。このままだと、運が悪ければ何処かで野垂れ死ぬのが末路でしょう」

 

「では、ここで働くのはどうでしょうか?」

 

「ここで……ですか?」

 

 アレクサンドラの提案に、ザウルは勿論、マサトも驚きを隠せない。正直、癖のある上、異世界の自分を雇ってもメリットは薄そうなものだが。

 

「貴方の持つ知識を、このレグニーツァを豊かにするために活かして欲しいのです。それと――これは強制です」

 

「何故――……ベッドですか」

 

 事故とはいえ、統治者の私物を壊したのだ。その賠償をしろと、アレクサンドラは言っているのだ。

 

「物分かりが良くて、助かります。ちなみに、絨毯も台無しにしていますよ?」

 

「……破損したベッドが絨毯を大きく傷付けた、と」

 

「はい。そして、賠償の金額ですが――」

 

 その金額を告げられるも、マサトにはピンと来ない。なので、事細かに変換した上で伝える。

 

「……やたら、高くありません?」

 

 分かりやすい変換を聞いた上での賠償金だが、べらぼうに高い。自分の国で言うと数億。兵士として働き、余程活躍しても十年は確実だった。

 

「最高の品質や職人によって、造られた代物なので。ただ、何時どう払うかは貴方に一存します」

 

 期限内に払え、ということはしないようだ。立場も無い自分には出来ないと考えてだろう。この方が自分には有難いが。

 

「……分かりました。ここで働かせてもらいます」

 

 どうやら、この世界で自分が最初にすべきことは、アレクサンドラへ出来てしまった借金を返すことらしい。

 

「ですが、自分を此処に留めるのは難しいのでは?」

 

「こちらで考えますから、そこは安心してください」

 

 どうあっても、手放さない。という意味だろう。大人しく従うことにした。

 

「了解しました」

 

「では、今日から宜しくお願いします。――いや、宜しくね。マサト」

 

 アレクサンドラの砕けた口調に聞き、マサトはそっちが素かと理解する。彼にはどうでも良いが。

 

「宜しくお願いします。アルシャーヴィン様。ところで、こちらからも良いですか?」

 

「何かな?」

 

 今まで聞いたばかりなので、話せる内容なら話すつもりだ。

 

「貴女は、このレグニーツァをどんな国にするために、頑張っているのですか?」

 

「ありきたりな答えだけど、良い国にしたい。民達が理不尽に苦しむことなく、心の底から笑って暮らせる。そんな国に」

 

「――そうですか」

 

 それが、難病に苦しみながらも頑張るアレクサンドラが目指すもの。確かにありきたりだが、マサトには好ましく思えた。

 

「あともう一つ。貴女は――何の病にかかっているのですか?」

 

「どうして、そう思うのかな?」

 

 一呼吸分の間を置いてから、アレクサンドラはそう返す。

 

「身体が細すぎますし、髪はぼさぼさで、皮膚も荒れてる上に白過ぎです。はっきり言って、健康とは程遠く、寝たきりの病人としか思えません」

 

 仮にこの推測が正しければ、さっき二人が自分が兵士と聞いた時、少し落胆した表情なのも納得が行く。あれは、医師なら病を治せるのではと期待していたのだろう。

 

「お見事」

 

 ぱちぱちと、アレクサンドラは両手を叩く。

 

「まぁ、何れは知るだろうし、話しておくよ」

 

 箝口令等を敷けば、隠すことは可能だが、それは内にしか効果は無い。外で集められれば、知られるだろう。第一、既に病人と見抜かれてるのだ。隠す意味が無い。

 

「僕の家の女性は、『血の病』と呼ばれる病気のせいで代々短命でね。三十になるまで生きられるかどうかも分からない」

 

「貴女の身体も、その病の……?」

 

「うん。ただ、僕が重病の身でも頑張る理由は、この病の存在もある」

 

 何れは発症し、短命であるにもかかわらず、臣下達は受け入れてくれた。だからこそ、彼女は勤めを果たす。それをマサトは理解した。

 

「血の病、君の世界で聞いたことはある?」

 

「いえ。昔はあったかもしれませんが、自分は知りません」

 

 そんな病気なら、いつの間にか現れ、そしてその血が途絶えると同時に消えていっても不思議ではない。

 

「そっか。残念――」

 

「ただ――詳しく調べれば、完治までは行かなくとも、改善や進行を和らげることは可能かもしれません」

 

「……面白いことを言うね。兵士の君が医師として役に立つのかな? 根拠の無い憶測は、僕は好きじゃないよ?」

 

 口だけで言うことは許さない。アレクサンドラの黒い目が静かに、されど確かな迫力を宿してそう告げていた。

 

「確かに。自分は所詮、知っているだけ。しかし、この世界の者よりは多くを知っているつもりです。何しろ、発達した世界で生きてきたのですから。そして、命の力を振るう武器もあります。可能性は――あると思いますよ?」

 

 暫し、部屋に沈黙の時が流れる。数十秒間、静かに時が経つと。

 

「……ふふっ、面白いね。良いだろう、君を僕の医師としても雇おう」

 

「アレクサンドラ様!?」

 

 その発言には、今まで沈黙を貫いてザウルも驚きを隠せずにいた。マサトを医師として雇うと言うことは、素人の彼に命を預けるに等しいのだから。

 

「但し、期限は一年。その間に成果が何一つ出なければ外す。それまで掛かった費用も君の借金として扱う。そして、最低限の成果が出るまでは治療か、知識の提供のみに専念してもらう」

 

「他の仕事は一切させないと」

 

 知識の提供が混ざってはいるが、妥当の判断だろう。自分にそのつもりは無かったが、医師として雇われたからには、専念させるのが当たり前だ。

 

「勉強や鍛錬などは?」

 

「それぐらいは構わないよ。鍛錬はともかく、勉強は必要だろうしね。ただ、怪しい素振りを見せれば――分かるよね?」

 

「……はっ」

 

 ――思わず、冷えたぞ……。

 台詞の最後の方、アレクサンドラの瞳がとてつもなく冷たかった。何より、マサトは感じた。彼女は――強いと。

 

「あぁ、それと。止めるなら今の内だよ? 大口叩いても成果無しだと、ここでの生活に重大な支障を来すだろうから」

 

 自分から言ったのだ。にもかかわらず成果無しなら、周りからの冷たい視線は避けられないだろう。

 

「でしょうね。ですが、自分はするだけです」

 

「借金を手っ取り早く返すために、かい?」

 

「……借金?」

 

 数秒だけ本気で何の事なのか、マサトは分からない様子を見せる。直ぐ後に気付いたのか、ポンと手を叩く。

 

「あっ、確かに貴女の病を完治出来ればお金は返せますね。気付きませんでした」

 

 平然と告げるマサトに、二人はまたまた呆気を取られる。

 そもそも、マサトは医師でない自分にアレクサンドラの病を完治出来るとは思っていない。延命の方法さえ見つければ、充分なのだ。

 

「そ、そう。あと、銃だったかな? それはどうする?」

 

「治療に回せるかを試したいので、自分としては手元と置いておきたいのですが」

 

「なるほどね。だけど、あれの力を考えると、治療時以外に渡すことは出来ないかな」

 

 尤もな発言だ。生命を吸う力。信頼の無い自分に返すのを躊躇って当然だろう。しかし、護身用としては持って置きたい。

 

『――悪いが断らせてもらう』

 

 どうしたものかと悩むと、ゼロの声と共に部屋の一ヶ所から力の余波みたいなものが放たれる。しかも、何度も。どうやら、この部屋に仕舞ってあったらしい。

 

「これが、例の吸収か。それに本当に喋るんだ。――興味深いね」

 

 興味深い、と言ったのは、黒銃の力や話すことだけではない。ゼロが話した瞬間、自分の武器が気になる反応を示したのだ。

 

「どうやら、自分と離れたくないようです。無闇矢鱈に吸おうとしてますね。効果はありませんが」

 

「あれは君がいなくとも吸える訳か。仕方ない。ザウル、彼に返して」

 

「良いのですか?」

 

「このまま暴れられて、本当に吸われたら大惨事だよ。それなら、彼に返した方がまだマシさ」

 

 渋々と言った様子だが、ザウルはマサトに黒銃を返す。戻ってきた自分の武器を、マサトは腰のポケットに差し込む。

 

「ただ、何らかの被害が出た場合は、それ相応の罰を受けてもらうよ」

 

「承知の上です」

 

「宜しい。話はこれで終わり。明日からは異なる世界の生活で大変だろうし、今日はあの部屋でゆっくり休んで置くと良い」

 

「分かりました。では、失礼しました」

 

 礼儀正しく頭を下げ、マサトは静かに退室しようとしたが、扉の前で足を止める。

 

「どうしたのかな?」

 

「いえ、最後に一つだけ言うのを忘れていたことがありました。貴女が良き為政者だとは自分なりに理解しました。今の自分には、自由が無いことも。ただ、最低限の役目を果たしながらも自分のすべきことの邪魔をすると言うのなら――」

 

 目を細め、マサトはその台詞を言い放つ。

 

「貴女は、俺の敵だ」

 

 統治者足る、自分にだろうがそう言い放つ。そんなマサトに、アレクサンドラは不敵な笑みを浮かべる。

 

「よく覚えておくよ。頑張ってね?」

 

「では、今度こそ失礼しました」

 

 扉を開け、今度こそマサトは退室した。

 

「……本当に彼をここに置いて、大丈夫なのですか?」

 

 これはマサトが万一、工作員などだった場合を危惧しての発言だ。それと、さっきの言葉もある。マサトは手が余る存在なのではないかと、ザウルはそう思わざるを得なかった。

 

「逆だよ。大丈夫にするために彼を置くのさ」

 

「どういう……?」

 

「始末するにしても、それを知られるかもしれない。向こうは発達している世界だからね」

 

 何しろ、自分達は彼の世界を知らない。何処まで可能なのかも不明だ。仮に、世界が違っても見れるとすれば、向こうを刺激するだけ。

 

「それよりは彼を懐柔して、交渉を少しでも有利にする方がまだ良い。彼が無関係だった場合は尚更必要。それにさっきの言葉も、逆に言えば、邪魔しない限りは絶対に敵にならない、そう捉えれるだろう?」

 

 理由を聞き、ザウルは納得する。どちらにしても、マサトは大切に扱うべき存在だ。

 

「あと、君にはジスタードを知らない彼への教育係、補助、監視、彼と触れ合って人柄を確かめる、そして、銃の情報収集。これらを頼んでも良いかな?」

 

「私に?」

 

「うん。僕は余計な問題を起こさない為にも、彼が異界人と公表する気は無い。そうなると、彼が異界人と知っているのは僕と君の二人だけ」

 

 この場合、済む世界や国が違うマサトとジスタード人の間を取り持てる者がアレクサンドラとザウルだけになってしまう。

 しかし、アレクサンドラは満足に動けない病人で、統治者だからこそこなすべき仕事もあるため難しく、不満も買いかねない。そうなると、残るはザウルだけだ。

 

「君も忙しい身だと分かってはいるけど、他に適任者がいない。頼む」

 

「銃の調査については?」

 

「さっき、銃の意思が話した瞬間、この子達が奇妙な反応を見せた。もしかすると、あれはこれと何らかの関係がある武器かもしれない」

 

「分かりました。流石に常時とは行きませんが、一生懸命こなさせてもらいます」

 

「ありがとう。ただ、今日は先に彼の報告を。役目に関しては明日から本格的に頼むよ。彼の報告書について今から書くから、少し待ってて」

 

 アレクサンドラは侍女を呼んで紙と筆を用意し、内容をしっかり考えてから文を書く。

 

「――これでよし。お願い」

 

「お任せください」

 

 主からの手紙をザウルは慎重に受け取り、臣下として一礼してから部屋を静かに退室していった。

 

「ふぅ、少し疲れちゃった」

 

 アレクサンドラは軽く一息付く。話の内容がとんでもないのだったので、いつになく緊張したようだ。

 

「明日からどうなるかな?」

 

 異界から来た者、マサト。彼は自分に何をもたらすのだろう。これからを楽しむかのように、姫は微笑んだ。

 

 

 ――――――――――

 

 

「色々あったなあ」

 

 部屋に付き、椅子に座ったマサトはさっきのアレクサンドラ同様、一息付く。

 今日は色々あった。いつの間にか異界に、その次は公国の統治者の部屋に飛ばされる。結果、最初からかなり高額の借金を背負う羽目になってしまった。

 

『……すまんな、マサト。異界に飛ばしてしまった挙句、金に困らせることになった』

 

「本当だ、まったく。……疫病神じゃないのか、お前?」

 

『……本当に申し訳ない』

 

 ゼロは心の底から謝罪する。顔や自分では動けないので、声だけなのが辛い。

 

「まぁ、もう終わったことだしな。何時まで愚痴を言っても仕方ないか。ただ、迷惑をかけた分は助けてもらうぞ?」

 

『――無論』

 

「宜しい。さぁ、頑張るとするか」

 

 人の命を守るために。それが自分の存在意義なのだから。

 異界――向かいの陽の名を持つ青年の生活がここから始まる。彼が何を照らし、それが何の結果を生むかは、まだ誰も知らない。

 



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第三話 レグニーツァの公宮

 そこは惨状の現場。鮮血に染められた少年の目の前に、人と物が倒れている。物はそれほど破損していないが、人はまったく違った。

 呼吸は非常に荒く、身体には至るところに傷があり、大量の血で染まっている。手足はあらぬ方向に曲がってしまっている。

 致命傷なのは、誰の目から見ても明らか。もう数分生きられるかどうかすら怪しい。

 それでも、目だけはまだ強い光があった。死に瀕しても尚――いや、死が迫っているからこそ、その人物には最後にすべきことがあった。

 

「――」

 

 激痛や今にも遠ざかりそうな喪失感に抗いながら、その人物は少年に声を掛けていき――其処で意識が覚醒した。

 

「……また、あの夢」

 

 陽の名を持つ者とは思えない程の、暗く深い闇に満ちた表情を浮かべる。

 ――本当……消えない。

 今の夢は、十年以上前から何度も何度も見ている。内容だけを見ると悪夢と言っていいが、マサトは一度もそう断じたことは無い。彼にとって、あの夢は『戒め』なのだ。

 自分は一人でも多くの命を守る。その為だけに存在する。それを忘れぬための。

 ただ、それが全てかと言えば否。申し訳なさや後ろめたさも混ざった複雑な思いも、あの夢を見る度に感じる。

 ――終了。

 何時までも思いに浸るほど、自分には自由は無い。異界人は二度目の天井をしっかりと目にすると、身を起こして体の具合を確かめる。特に問題はない。

 

『今日から、この世界での本格的な生活の始まりだな。異界人の我が使い手よ』

 

 呑気そうに、ここに来た原因である黒銃がそう告げる。

 

「初っぱなから、借金背負う羽目になってるけどな」

 

 しかも、かなり高額な。

 

『ね、根に持つな、そなた』

 

「事実だろ。今日から頑張るんだから、しっかりと力を貸せ」

 

『了解だ。で……今日は何をするのだ? アルシャーヴィン殿の治療を早速始めるのか?』

 

「今日は自己紹介及び、建物の構造の把握が先。それが終わったら、ここで暮らすための勉強もしないと。治療は必要な道具が足りないから、アルシャーヴィン様に頼んで、用意や製作して貰うように話す。それが出来るまでは、あの人の病状に関する情報を集めつつ、力を治療に使えるのかの試行錯誤をする」

 

『すべきことは多いということか』

 

「違う世界だからな」

 

 ここは何故か同じ文字や言葉を使っているが、流石に文化や風習まで同じとは限らないし、同じでも慣れる必要があるのだ。

 

『いるでしょうか?』

 

「ザウル殿? いますが」

 

『入っても?』

 

 自分が構わないと告げると、ザウルが部屋に入ってきた。

 

「朝食が済み次第、自己紹介をしますが問題は?」

 

「特には」

 

 眉すら動かずに、青年は淡々と告げる。

 

「肝が据わっています」

 

「所詮は自己紹介。それだけです」

 

 容易くそう言えるのを、人は肝が据わっていると言うのだが。

 

「ちなみに、何故敬語なのですか?」

 

 マサトからすれば、借金で返す理由でここで働く以上、医師であることを配慮しても自分の立場は高くないはず。なので、ザウルがまだ敬語を使うのが引っかかった。

 

「こちらの事情ですよ。気になさらず。あと、立場についてですが、貴殿は遠い先祖が昔大きな成果を立てて、姓や用途不明の特殊な道具を授かった者の末裔となっています。今では家は廃れているので、ほとんど平民と代わりなく、貴殿は昔や道具を知らず、見聞を広めるために数年前から旅をしていた者。と言った設定です」

 

「随分と都合が良い設定ですね」

 

 そういった設定の方が、自分としても助かるが。

 

『ちなみにザウル殿よ。我は黙っていた方が良かろうか?』

 

「確か、マサト殿だけに聴こえるようには出来るのでしたな?」

 

『うむ』

 

 話す武器に、やはり何とも言えない心境のザウルだが、それはそれと飲み込んで冷静に話す。

 

「その状態でならば問題ありませんが、マサト殿に変な噂が付いてはなりませぬので、可能な限り控えて貰えると」

 

『……了解だ』

 

 しょんぼりのゼロ。しかし、ザウルの言う通り、マサトに妙な噂が付くのは避けたい。なので、そうすることにした。

 

「あと、今日から私が貴殿の教育係をすることになっております」

 

「兼、監視や見定め、ですか」

 

「……本当に肝が据わっていますな。貴殿は」

 

 こっちの思惑を、目の前で言い当てるのだから。

 

「不満は抱かぬのですか?」

 

「貴方達がそうするのは当然のことでしょう。自分は得体の知れない異界人なのですから」

 

 寧ろ、そうしない方が信用できない。ちなみに、ゼロは自分は得体の知れない武器かと思っていたりする。

 

「必要な物が有れば、私に申してください。可能な代物なら用意します。金は掛かりますが」

 

「それは助かります」

 

 借金は増えるが、最低限必要な物は揃えれる。これは有難い。

 

「では早速、これに書いてある物をお願いします」

 

 小さな新品同様の手帳を取り出し、その一ページを破ってザウルに渡す。その紙には、大量の要求品が書いてある。

 

「……借金が増えますが?」

 

「先ずは、必要最低限のを揃えてからです。でないと満足に出来ませんから。それと、別に頼みたいこともあるのですが」

 

「何でしょう?」

 

「アルシャーヴィン様の病をよく知りたいので、診断、治療に関する情報を全て見せて欲しいのです」

 

「分かりました。今日中に用意します。――ただ、余計なことはしないで貰いますぞ?」

 

「……例えば?」

 

 本気で分からなそうな様子で、マサトは首を傾げる。

 

「あっ、いや……。下手なことをして、失敗をしないようという意味です」

 

「なるほど。自分は素人ですからね。よく覚えておきます」

 

 普通の医師よりも、慎重に慎重を重ねたぐらいで行なうのが丁度良いだろう。

 

「ち、朝食を用意します。部屋でお待ちください」

 

 はいと言ったマサトに背を向け、ザウルは部屋を後にするが、その表情は何とも言えないものだ。

 

 

「……警戒するべき、なのだろうか? 彼は?」

 

 ザウルはさっき、暗殺などを危惧して釘を刺したが、マサトはその事を微塵も考えていない様子だった。

 どうすれば治療を上手く進めれるか、それだけしか考えてなかったのかもしれない。もしだとすると、警戒するのが馬鹿らしくなる。

 

「いや、演技の可能性も無いとは言い切れん。しっかりとせねばな」

 

 そうは言いつつも、やはり何とも言えない表情でザウルは廊下を歩いて行った。

 

 

 ――――――――――

 

 

 朝食後、マサトはザウルと一緒に公宮内を回り、適当な一室で文官達に簡単な自己紹介を済ませたあと、広場に移動。

 そこでは多くの兵や騎士達が汗を流しながら武器を振るい、己の技を磨いていた。

 

「全員、済まないが少し中止してくれ。紹介するべき人物がいる」

 

 ザウルがそう言うと、兵や騎士達の視線がザウルからマサトに向けられる。但し、疑惑、警戒に満ちた視線だけ。常人なら、少なからず怯む光景だが。

 ――まぁ、こうなるよな。

 とまあ、まったく動じない。昔、こういった負の感情の視線には慣れているや、自身の在り方もあり、怯む要素が無いのだ。

 

『大したものだな、貴様は』

 

「どういたしまして」

 

 そんなマサトに黒銃、ゼロが相棒を気遣って彼にしか届かないようにして褒め、マサトもとりあえず返した。勿論、ゼロだけに届くように。

 ――さて、言いますか。

 何時までもこうしているのは時間の無駄だ。特に意を決することもなく、然も当たり前のようにマサトは告げた。

 

「初めまして、マサトと言います。今日からあなた方と共にここで働かせていただきます。未熟者ではありますが、何卒宜しくお願いします」

 

 マサトは本心も混ぜた丁寧な挨拶をするが、歓迎の拍手などは当然ながらない。マサトはそれを不満に思うことなく下がる。

 

「では、質問が無ければこれにて彼の紹介を終えるが――」

 

「一つ良いですか?」

 

 その問いをしたのは、聞かれる側であるマサトだった。

 

「……何だろうか?」

 

「いえ、自分の強さを計りたいので、もし宜しければ、誰か自分と試合してもらえませんか?」

 

 これは不味いとザウルは頭を抑える。周りを見ると、兵や騎士達の目付きが変わっていた。

 この公宮に勤める者は、誰であろうと非常に厳しい課題や基準をクリアし、実力も性格も認められた者達ばかり。

 特別な事情があるからこそ、滞在が例外的に許されているだけの今のマサトの発言は、彼等の怒りに刺激するには充分だった。

 

「では、私が貴殿の相手をしましょう」

 

 そう言ったのは、ザウルだった。彼は他の物達よりは冷静で、一兵としても将としても充分な力量を持っている。信頼も厚く、周りの兵や騎士達は彼が戦うことに否定はしなかった。

 二人が広場の中央に移動し、鍛錬用の刃が潰れている、鈍い鉄色の両刃の剣をザウルが、同じ色だが、刃が短い短剣をマサトが構える。

 

「そちらは?」

 

 ザウルは黒銃について尋ねる。てっきり、あちらを使うのかと思っていたのだが、ナイフだったのは予想外だ。

 

「これはまだ慣れてないので」

 

 なので今回は短剣にした。重さは丁度よく、刃も潰れているので心配は無い。

 二人が互いに向き合う中、周囲ではマサトがどれだけの時間で負けるだろうかと、話や賭けをしていた。

 そんな周りなど一切無視し、マサトは強い眼差しで対戦相手を見据える。一方のザウルは油断出来ない相手だと悟り、剣をしっかりと構える。

 始めと誰かの声がし、二人は一気に加速。武器の長さから、先手としてザウルの素早い突きが放たれる。

 マサトはそれを横に動いてかわすが、剣が突きから払いへと変化する。その動作に無駄は一切なく、並の相手ならこれで敗けだろう。

 その払いを、マサトは短剣で反らし、その動きを活かして空いた方の手で拳を放つがザウルは手を動かし、柄でガード。

 拳をマサトは途中で止めると、その力を足に回した蹴りを放つ。

 防御は危険だと察したザウルは、一歩下がって蹴りをかわし、素早く前進。剣を振るうも、短剣で防がれる。

 火花が飛び散り、二人は一旦後退。武器をそれぞれの構えで持ち、互いに睨み合う。

 

「――中々で」

 

 予想外のマサトの実力に、周りが呆気を取られる中、ザウルはフッと微笑む。

 兵士とは聞いていたが、自分とそれなりに渡り合える実力があるのは完全に想定外だった。

 ――強いな。

 一方のマサトは、ザウルの強さを冷静に分析していた。今の自分よりも、一回り近くは上。長期はこちらが負けるだろう。

 ならば、自分が取るべき戦法はただ一つのみ。足に力を込め、全速力で走る。ザウルもそれに応えて加速。

 そのまままた激突、かと思いきや、ここでマサトが予想だにしない行動を取る。

 彼はぶつかる少し手前で、己の武器である短剣を、ザウル目掛けて放り投げたのだ。

 驚愕しながらも、一瞬で冷静に戻り剣で弾いたザウルだが、剣に使ったその腕が懐まで入り込んだマサトの両腕に掴まれる。

 

「――失礼」

 

 マサトはそのまま伸ばした腕を円のように回し、ザウルの体勢を大きく崩させ、胸元から地面に叩き付ける。

 次に掴みを両腕から片腕に変更。剣を離させ、掴んだままの腕を片腕で捻らせながら伸ばし、もう片腕で肩を押さえ付けた。

 

「う、動けない……!?」

 

 多少は動かせるのだが、大きな動作がまったく出来ない。

 

「完全に極めてますから無理に動くと関節、外れますよ? 激痛が走る上に、身体には悪影響を与えますし。ちなみにそうしても、直ぐもう片方を極めるだけなので、意味ないです」

 

 勝つための方法は只一つ。彼がおそらく、見たことのない戦い方で一気に決める。故に、この戦法を取ったのだ。自衛隊の格闘術で倒すという方法を。

 

「た、大したもので……! 私の敗けです」

 

 何とか力強くで脱出することも考えたが、おそらく無駄だろう。第一、仕合で大怪我しても利がなく、ザウルは潔く敗けを認めた。

 ザウルが敗北を宣言し、周りは唖然とする。やはり、周囲を無視してマサトはパッと腕を離し、彼を自由にさせる。

 怪我や痛めてないかをチェックするのも忘れない。それが終わると、ナイフを拾う。

 

「すみません。荒っぽい方法で」

 

「いや、これも勝負。貴殿が一枚上だっただけのこと」

 

 これが実戦なら、背後を取られた時点でほぼ敗北確定。それを避けても、戦闘力の要である腕を奪われ、呆気なく仕留められただろう。仕合であることにザウルは安心する。

 平和な世界で生きていようが、彼もまた立派な兵士なのだ。それを再認識させられたザウルだった。

 

「しかし、充分に強いですな、貴殿は。それに変わった動きをします」

 

 ――まぁ、俺のは捕縛を重視したのだしな。

 殺すではなく、生かすのを目的として戦法。変わっていると言われても不思議ではない。

 

「万一、武器無くした時に備えてです」

 

「なるほど。ふむ、中々に身のためになりそうで。機会があれば、教えてもらっても?」

 

「基本的には、武器の方が良いです。さっきも言ったように、これはあくまで万一のための技ですから」

 

 元々、武器というのは、人間が獣からの間合いの外から、一方的に攻めるために作られたもの。

 対して、武術は用途は様々だが、己の身体だけで人間と戦うのを想定したもの。

 どちらが優れ、役立つかは場所や状況によって異なるも、基本的には間合いが広い武器の方がやはり有利なのである。

 

「だからこそです。我等は日々、武器による必死に鍛錬を行なっているが、それ故さっきの貴殿のような行動には、不意を突かれやすい。いざというときの対処や、窮地に陥った時でも戦えるよう、教えてもらいたい」

 

 武器を熟知するということは、悪く言えば武器に依存していると言える。だからこそ、生身の攻撃には僅かながら反応が鈍ってしまう。

 その対策をするべく、武術を知りたいのは自然とも言える。それに万一の対処にもなる。少なくとも、損にはならないはずだ。

 

「自分が出来る範囲であれば」

 

「充分です。――さて、彼の実力の高さも分かった事だ。これにて、自己紹介を終える。誰か異論は?」

 

 無い、と言えば嘘になるも、この場で必要なことは知れたので、誰も何も言わない。

 

「解散」

 

 その一言で、マサトの自己紹介が終わる。マサトはザウルと一緒に公宮に向かい、兵士達はそんな彼を一度複雑な気持ちで見た後、試合や鍛錬を再開した。

 

「――ザウル」

 

 途中、ザウルが誰かに呼び掛けられ、足を止めてそちらに向く。マサトも釣られて見ると、一人の男性が近付いていた。

 その人物は、マサトにとって初見だった。年は三十半ばほどで、遠目だが自分やザウルよりも一回りは逞しい体つきをしているのが分かる。

 髪は短く、常に日に焼けた場所にいるのか、赤銅色の肌をしている。あとは、かなり厳つい顔つき――要するに強面が特徴の男性だ。

 

「マドウェイか。一ヶ月少し振りだが、元気のようだな。相変わらず、その服を着ているのか」

 

「私の好みなのでな、ははっ。――ところで、彼は?」

 

 マドウェイと呼ばれた人物は、若干呆れ気味のザウルと軽くながら楽しく話すと、マサトに視線を向ける。

 

「あぁ、彼は色々な事情で最近ここにいることになった者だ。――丁寧に接して欲しい」

 

 自分だけに届くようにボソリと呟いたザウルに、マドウェイはマサトが特別な人物だと瞬時に悟る。

 

「初めまして、マドウェイ殿。自分はマサトです。まだまだ未熟な新人ですが、今後ともよろしくお願いします」

 

「ご丁寧に。私はマドウェイと申します。白イルカ(ベルーガ)のマドウェイとも呼ばれていますよ」

 

 自己紹介を終えると、マドウェイは背を見せる。真紅色の生地に、跳ねている白イルカの可愛らしい絵柄が刻まれていた。

 ――こ、これは……。

 

「――まったく似合っていないでしょう?」

 

 心境を見抜かれているように、くくっと笑っているザウルに話しかけられ、ついギクリとするマサトだった。

 

「……いや、そんなことは無いと思いますよ? 個人の自由ですし、それにイルカは可愛いですから」

 

「貴殿も白イルカが好みなのですか?」

 

「自分は一番最初に見たのが灰色のイルカなので、残念ながら白イルカは二番目です。薔薇色は三番目ですかね」

 

「ば、薔薇色!? そんなイルカがこの世に!?」

 

 今まで聞いたことすらない色のイルカの話を聞き、マドウェイもザウルも驚愕に包まれる。想像もできないといった様子だ。

 

「じ、自分も直接は見てません。あくまで、そんなイルカもいると何処かの本で見たことがあるだけです」

 

 二人の態度を見て、自分の失言に気付いたマサトは慌てながらも上手く誤魔化す。

 薔薇色、日本ではピンクのイルカは、この世界では存在しないかもしれないのだ。

 自分を異界人だと知るザウルならともかく、まだ知らない可能性が高いマドウェイの前でそれがいると断言するのは非常に不味かった。

 

「そ、そうでしたか……。驚きましたぞ」

 

「紛らわしいことを言ってすみません」

 

「構いませぬ。しかし、中々に興味がそそる話。薔薇色のイルカ……もしいれば、是非とも一目見てみたいものですな」

 

 ザウルも気になるのか、マドウェイの台詞に頷いていた。

 

「ところで、マドウェイさんはどういう人なのですか?」

 

 タイミングを見計らって話を変えると同時に、マサトはマドウェイのことも尋ねる。

 

「私はリプナの港町で働いている船乗りで、誇り高き白イルカ号(ゴルディベルーガ)の船長をしています」

 

「公宮勤めではないのですか?」

 

「えぇ。今日は、ブリューヌについての報告を」

 

「……それは――」

 

「マサト殿。今はそれ以上は止めた方が良いです」

 

 何の報告なのか内容が気になり、聞こうとしたがザウルに小言でそう止められた。

 ――俺に話したくないのか、俺がそう聞くと不味いのか。このどちらか。

 ここは素直に従い、マサトは止めることにした。

 

「では、私は報告があるので失礼します。また」

 

 挨拶をすると、マドウェイは公宮に入っていった。

 

「さっきは申し訳ない。あの質問は、彼が貴殿に違和感を抱かせてしまうので」

 

「それなら仕方ありませんよ。ありがとうございます」

 

 寧ろ、感謝する側だ。なので礼を言う。

 

「まぁ、彼は戦姫様の信頼の厚い者とは言え、無闇な衝突や警戒は避けたいので迂闊に話す訳には行きません。――戦姫様が直接話した場合はですが」

 

 ――つまり、あの人は俺の事を話せるだけの信頼がある人物ってことか。

 公宮勤めでもない船乗りがそこまでの信頼を得るには、余程実績を出したか、人柄が良いのかのどちらかだろう。

 さっきのやりとりを考えれば、おそらくは後者か。かといって、自分が彼を信頼するかはまったく別の話だが。

 

「さて、話も終わりましたし、自己紹介の済みましたので、そろそろ戦姫様への治療をお願いします」

 

「分かりました」

 

 マドウェイとの話でちょっと時間を使ったので、少し早足気味に向かった。

 

 

 ――――――――――

 

 

「今日から宜しく」

 

 一室で女性がペコリと、青年に頭を軽く下げた。

 

「こちらこそ。と言っても、こっちは素人ですが」

 

「まあね。ところで、どんなふうにするの?」

 

「それですが、今は必要な道具がありませんし、下準備――症状についての情報収集と、貴女の身体に力を慣らすのを行います」

 

「慣らす?」

 

「まだ得た情報は自分一人分だけなので、断言は出来ませんが、余程の量や強引な使い方をしない限り、別から集めた命の力を取り込んでもほとんど負担は出ないと思われます」

 

 現に、あの遺跡らしき場所で生命を取り込んだ事があるが、その結果、命を膜のようにすることで身体の防護が可能なのが分かっている。これを利用して病の負荷を減らせないかを試す。

 

「ただ、これは健康な人の場合で、貴女のように身体が弱まっている人だと、僅かでも大きな負担になる可能性があります。他所の命を取り込んでる訳ですから」

 

「なるほどね」

 

 確かに自分のとは違うのを身体に取り込んでいるのだ。少なからずの負担はあって当然。

 しかも、自分は一日の半分が寝たきりの病人。やるにしても、慎重にするのは当然だろう。

 

「でも、どうやって慣らすの?」

 

「貴女の分を吸収し、自分のを混ぜます。これなら負担を減らして、身体に慣らしつつ増加もしますから」

 

「そうやって、身体を力を受けても負担が少ないようにしていくんだね。けど、どうして君のなの?」

 

「その方が自分が生きている限りは安定しますし、一々別のに慣らす手間が省けます」

 

 黒銃に溜め込んだ生命は、多種多様であるため、それを全部慣らすよりはどれか一つの方が良い。

 他にも、黒銃の力は人相手にはその当人の許可が無い限りは集めれない。それを省く利点もある。

 

「では、少しお待ちを」

 

 マサトは目を閉じて集中。すると黒銃の中にある力が砲口に集まり、結晶の様な形になる。これは生命を圧縮して作った結晶。

 これを次々と作り、蓄積した命を無くして、空っぽにしていく。

 

「完了。貴女が良ければ早速始めますが」

 

「僕が許可を与えれば出来るんだよね?」

 

「そうです。勿論、疑わしいと思うのなら断っても構いませんが」

 

「いや、許可は与えるよ。治療が出来ないからね」

 

 とアレクサンドラは口ではそう言いつつも、手ではもしもに備えて自分の武器を掴む。

 

「――吸収」

 

 空になった黒銃に、アレクサンドラの生命を僅かに溜めようとしたが――流れてこない。

 

「これは……?」

 

『アルシャーヴィン殿の生命が一瞬動きはした。が、途中で邪魔されて戻っている』

 

 ――この子達か。

 許可自体は与えている。となると、邪魔する要素は自分の武器だけだ。

 

「何に邪魔されて……?」

 

『――「竜具(ヴィラルト)」。彼女達、「戦姫(ヴァナディース)」となる者の前に現れ、超常の力を宿す武具』

 

「ヴィラルトに、ヴァナディース……?」

 

 前者については、マサトは完全に初耳だが、後者については別だった。

 ――それって、確か……。

 確か、北欧神話に出てくる美と愛、豊饒と戦い、魔法と死を司る女神、フレイヤの別名のはずだ。小惑星にも使われている。

 ――まぁ、文字や言葉が同じ何だし、気にする必要も無いか。

 それよりは、ヴィラルトやこちらのヴァナディースについて聞きたい。アレクサンドラを見ると、自分、というよりはゼロを鋭い目付きで眺めていた。

 

「……ゼロ、だったかな? 君は何者だい? 自分を知らないと言ってる割には、僕達や竜具について少なからず把握してる。矛盾しているよね?」

 

『マサトから聞いたと思いますが、我は自身を知りませぬぞ? ……何故か、知っていましたがな』

 

「随分と都合が良い話だね。信用出来ると思う?」

 

『でしょうな。しかし、我は本当に自身を知らない。幾ら聞いても無駄ですぞ?』

 

 これは事実だ。自分は竜具、そして戦姫を何故か知っているが、その理由は一切不明。なので、聞いても無駄と告げる。

 

「――なら、他は知っていることがあるのかな?」

 

『……いや? 特には』

 

 しかし、アレクサンドラの次の言葉はゼロの予想の斜め上の物だった。そのため、返答に僅かな間が生まれ、アレクサンドラはゼロが隠していることがあると察する。

 

「――そう」

 

 ただ、隠し事があると見抜こうが、問い詰めてもゼロが素直に話す根拠は無い。

 人とも違うので、拷問も効果があるか不明だし、マサトが許可するかも分からない。なので、今はゼロの惚けを受け取ることにした。

 

「さてと……やっぱり、聞きたい? 戦姫について」

 

「まぁ、気にはなります」

 

 竜具については、さっきの説明からファンタジーに出てくるような、特殊な力を宿す武器なのだろうと推測している。

 

「じゃあ、特別に話してあげる。銃から何れ聞きそうだしね。先ずは竜具だけど、未知の金属で構築された武器で、竜の身体をも貫く」

 

「……竜? この世界、竜がいるのですか?」

 

「おや? 君の世界には存在しないのかい?」

 

「恐竜ならば、太古の時代に存在してましたが……今はいません」

 

 ――竜が滅んだ世界、か。

 ジスタード人としては、少し複雑な話だった。とはいえ、世界が違うので気にしても仕方ない。

 

「話を戻すね。竜具は喋りこそはしないけど、その銃同様、意思がある。数は全部で七つ存在し、それぞれ形状や宿す力が異なる。そして、僕のは――」

 

 アレクサンドラは布団の中から、普通のよりも少しだけ短めな二つの短剣を出す。一つは朱、一つは金の刃が特徴のまるで、炎のような剣だ。

 

「『討鬼の双刃』、『煌炎』とも呼ばれる、双剣の竜具、バルグレンだよ。炎の力を宿してる」

 

「炎の双剣、ですか。一人旅の時には凄く便利そうですね」

 

 サバイバルにはナイフは必須とも言える上に、燃料無しで火を発生させられる。竜具の中では一番便利そうだ。

 

『……凄い感想だな』

 

 その感想にゼロはポカンとし、アレクサンドラは少しプッと噴き出す。実は、手にして力を知った時は似たような感想を抱いていた。

 笑ったままは話が続かないので、気を引き締めると、説明を再開する。

 

「僕がこれを手にしたのは、六年前。旅をしていた時だよ」

 

「……旅? 貴女は、統治者の親戚ですよね?」

 

 しかも、生まれつきの病がある。そんな人物が、何の目的で旅をしていたのだろう。

 

「僕は先代とは血が全然繋がってないよ。何しろ、戦姫というのは、竜具に選ばれてなるものだからね」

 

「……はい? 竜具に選ばれてなる?」

 

 ぱちくりとマサトは瞼を動かす。意味が分からなかった。

 

「それまでの身分、立場は関係なく、竜具に選ばれた女性が戦姫として任命され、称号と公国を与えられる。それが、戦姫。ちなみに、僕の称号は『煌炎の朧姫(ファルプラム)』だよ」

 

「……無茶苦茶ですね。選ばれただけでですか?」

 

「そう」

 

 自分の国を基準にすれば、異常にも程がある。とはいえ、向こうにも神に選ばれたとかで、その者が生まれてから直ぐに高い身分に据える国があった。

 それを考えると、戦姫の制度は差ほど異常とは言えないかもしれない。

 あくまで、その国を考慮したらの話で、やはり試練の一つも無いのに竜具を受け取るというの異常と思わざるを得ないが。

 

「まぁ、僕も最初は戸惑っていたよ。けど、このジスタードじゃ、それが基本だからね。だから、戦姫が不在でも公国が維持出来るよう、官僚制がある」

 

 ――異常も、続ければ通常と変わらない。こんなところか。

 欠点に備え、対策も練り込み済みなことから、基本というのは本当なのだろう。

 

「そのおかげもあって、頑張れてるよ。最近は、病が悪化したから寝たきりだけど」

 

 ふう、自分の情けなさからか、アレクサンドラはため息を吐いた。

 

「交代とかは何時決まるのですか?」

 

「竜具が決めたら。だから、僕はまだ戦姫のままなんだよ」

 

 ――もう何とも言えないな。

 決まる時も、終わる時も不定。その上、人選まで女性限定以外は不定。やはり、おかしいという感想しか出ない。

 

「……ちなみに、国王も似たような方法で選ばれたりしますか?」

 

「国王は王からの継承だよ」

 

 流石に、そこは普通だったらしい。マサトは少しホッとした。

 

「ちなみに、戦姫の制度が決まった経緯については、ジスタードの建国神話を見ると良い。若しくは、銃に聞くかだね」

 

「分かりました」

 

 戦姫や竜具についての話も終わり、当初の話、生命の吸収に戻る。

 

「何とか妨害しないよう、言ってもらえませんか?」

 

「バルグレン」

 

 主の声を聞き、双剣の竜具はしばらく考え、渋々承諾した。マサトが主の命を狙っていた場合、主が即座に討つだろうと考えたのだ。

 

「はい、改めてどうぞ」

 

 ではと言い、マサトは片方の黒銃にアレクサンドラの命を僅かだけ吸収させる。

 

「何か、変な感覚……」

 

「直ぐに戻します。――ゼロ、許可する」

 

『何度も相棒にやるとは思わなかったがな』

 

 意識を集中させ、さっき使ったのとは逆の黒銃に自分の命を吸収。次にアレクサンドラに使った方の黒銃で玉の形の結晶を作り、その玉に自分の命で付与。これで完了だ。

 

「どうぞ、飲んでください。戻りますから」

 

「もらうね」

 

 数秒の逡巡のあと、アレクサンドラはその玉を飲み込む。さっきまであった軽度の妙な感覚が消え、本当に極僅かで、気の迷い程度かもしれないが、楽になった気がする。

 

「どうですか?」

 

「本当にちょっとだけ、楽になったかも」

 

「最初はそんなものです。何事も、小さな積み重ねが大切です。状況にもよるでしょうが」

 

「確かにね」

 

 無理しても結果が出るとは限らないが、無理をしないと結果が出ないこともある。とはいえ、基本的にはやはり一つずつやっていくことが大切だ。

 

「次ですが、血の病の症状について詳しく聞かせてください」

 

 ここから病の方に戻るので、ゼロは大人しくする。

 

「分かった。血の病は、前にも言ったように女性だけに発症する病で、症状は身体がだるく、手足は重くなる。時折、呼吸がしづらくなる、背骨に痛みが走る発作が起きる。そして、身体を動かすと症状が悪化する。こんなところだよ」

 

「なるほど……」

 

 ――かなり、解明が難しいな。これは。

 一つ一つの症状は病としては特別ではない。しかし、それらが複合しているため、素人の自分では知識だけでの把握が出来ない。道具は必須だった。

 ――あと気になるのは……。

 何故、男性には無く、女性だけに発症するのか。これが一番引っ掛かる。女性がかかりやすいと言うのなら分かるのだが、アレクサンドラの話から推測すると、男性には発症しないらしい。

 ――考えられるのは……。

 男女で決定的に違う器官。これが遺伝子の異常等で何らかの欠陥が出たために発症する。これが現在、最もあり得る可能性だ。根拠は無いので、推測でしかないが。

 

「何か分かった?」

 

「残念ながら、現段階では」

 

「そう。まぁ、徒労に終わらないようにね」

 

 大して期待してなかったのか、アレクサンドラは落胆する様子も無かった。

 

「今日は初日ですので、これで終わりにします。あと、何らかの変調があった場合は、しっかりと言ってください」

 

「分かってる。それと、あと一つ」

 

「何でしょうか?」

 

「君の世界の話、知識や話を聞きたい。政治としてでなく、個人のとして」

 

「個人の?」

 

 てっきり、早速自分が集めた知識を国の為に使うのかと思いきや、個人の話。これにはマサトは少し意表を突かれた。そして個人と聞き、ゼロはまた黙ることにする。

 

「君は治療で部屋にいるわけだからね。長時間はいれない。だから、政に関してはザウルに話して貰う」

 

「この時間帯に関しては、個人の話で気分転換をする。そんなところですか」

 

 特に、ここしばらくは寝たきりそうなアレクサンドラにとっては、こっちの話は良い気分転換になるだろう。

 

「正解。……嫌かな?」

 

「やりますが」

 

 治療をスムーズに行うには、精神が充実した方が良い。と言うわけでアレクサンドラの頼みを受ける。大体、命令されれば、どのみち話すしか無いのだが。

 

「どんな話が良いですか? ちなみに、物語以外は本があった方が詳細を話せます」

 

「そっか。なら、今日は物語について聞こうかな。君の国、日本だっけ? そこにある代表的な話をお願い」

 

「種類は? 童話、神話、小説、漫画などありますが」

 

「漫画? それって確か、連続した絵で物語を作る本だよね?」

 

 とはいえ、小説などに比べて手間が掛かるので大して出回ってはおらず、アレクサンドラもあまり見たことが無い。

 

「はい。自分の国ではかなりありますよ。その中で有名なのは、優れた技術を持ちながらも資格の無い医師の物語。七つ集めると願いを叶える玉を探す物語。未来から来た機械の物語。一人の少年が海賊王を目指す物語。他にも沢山あります」

 

「へえ、豊富。それにしても、海賊王かあ」

 

「何か?」

 

「いや、このレグニーツァは海に接してる公国。だから、海賊は常に抱えている悩ましい問題なんだ。それを考えるとね」

 

「なるほど……。自分の世界でも海賊はいますからね」

 

 但し、非常に質の悪い海賊だが。

 

「そうなんだ。それは意外」

 

 発達した彼の世界では、賊の類い等はいないと思っていたが。いや、逆に発達してるからこそ、まだいるのかもしれない。

 何にせよ、賊には手こずらされているのはこちらもあちらも変わらないということである。

 

「ちなみに、その漫画ってどれだけ売れてるの?」

 

 アレクサンドラからすれば、差ほど売れて無さそうだなと思っていた。直ぐに覆されるが。

 

「えーと、累計が確か――数億でしたっけ?」

 

 その単位を聞いて、アレクサンドラ、ついでにゼロの思考は数秒間固まる。

 

「……ご、ごめん、よく聞こえなかった。もう一度お願い」

 

「数億です」

 

 二度目も同じ返答に、姫も銃も聞き間違えではないことを数秒掛けて理解した。

 

「お、億? 億!? えっ、そ、そんなに売れてるの、その話……!? と言うより、そんなに本を発行出来るの……!?」

 

「はい。紙を大量生産する方法がありますので」

 

 ――……流石、発展した世界、か。

 こっちでは貴重な紙だが、あちらでは大量に簡単に用意できる。マサトがあれだけの本を持っていたことにも納得し、素直に羨望の意見をアレクサンドラは抱く。

 

「その紙を大量生産する方法って、この世界でも可能?」

 

「複雑な機械が必要不可欠なので、難しいですね。材料も木材が必要ですから」

 

 ――うーん、木材かぁ。

 複雑な機械もそうだが、木材を使う。これは見逃せない点だ。ジスタードは寒い地方のため、冬には身を暖める燃料として木材は必須。

 つまり、仮に紙を多く作れたとしても、代わりに燃料が減ってしまうのだ。

 ――そう簡単に行く訳が無い、か。

 そもそも、こちらよりも発展した世界の技術を取り込もうとしているのだ。簡単に進む方が異常である。

 

「ちなみに、さっきの数って、百年単位で?」

 

「いえ、最近の話で五十年も経ってませんよ」

 

「……どうしたら、そんなに売れるのさ」

 

 百年単位でも、かなりの数なのに、実際はその半分以下。余程の作品なのだろう。

 

「確かに売れてますが、自分の世界では、もっと売れてるのがありますよ。聖書という、宗教の教えを広めるための本で、六十億は売られたそうです。こちらは、数百年ほどのですが」

 

「いや、どちらにしても凄いからね? それ」

 

 億単位に到達している以上、どちらも非常に凄いとしか言い様が無い。

 

「あと、君はさっき、木から紙を作るって言ってたけど……。そうすると、冬は何を燃料にして過ごしているのかな?」

 

「ガス――燃える空気を燃料にして火や熱を起こして料理を作り、風呂を沸かします」

 

「便利。でも、空気が燃料かあ」

 

 完全な密閉が出来ない限り、こちらも採用不可。迂闊に使えば、火災を起こすだけである。やはり、導入は困難だ。

 

「ちなみに、話が徐々に政の方へと向かっているように思いますが……」

 

「あっ、本当だね」

 

 ついつい聞いてしまった。ただ、それでも楽しめたのは事実だ。

 

「時間も迎えたようですし、今日はここまでで」

 

「また明日もお願いするね」

 

 これで今日の診察は終わったが、マサトはまだ出ない。

 

「あと、貴女に頼みたいことが一つ」

 

「何?」

 

「ある道具を用意するための、準備をして欲しいのですが」

 

「それは、僕の病を改善するために必要な物?」

 

「勿論です」

 

「分かった。許可するよ。ザウルを通して、説明して欲しい」

 

「助かります。では、今日は失礼しました」

 

「明日もお願いね」

 

 はいと返し、アレクサンドラに一礼するとマサトは退室していった。

 

 

 ――――――――――

 

 

「これでこの一日はお終いと」

 

『御疲れ様だ』

 

 深夜。自己紹介や多少の仕事で満ちた一日が終わり、少なからずの疲労を感じたマサトは椅子に腰掛け、身体を休める。

 

「これから、本格的にこの世界で生きていく訳か」

 

『そうなるのだな。……ところで、向こうは大丈夫なのか?』

 

「何が?」

 

『貴様がいなくなっても、問題は起きないのか、と言う意味だ。貴様、兵士だったのだろう? しかも、向こうは発達した世界。行方知らずになっても何も起きないと言うのは考えにくいような……』

 

「あぁ……」

 

 ゼロの言う通り、向こうでは情報処理が非常に発達している。しかも、自分は事情があるが、寮暮らししていた。遅くても数日、早ければ既に騒ぎになってても何らおかしくない。

 

「まぁ……。向こうは優秀だし、とっくに騒ぎになってるかもな」

 

『……大丈夫か?』

 

 マサトが行方不明になった事が切欠で、大問題に発展しそうな。そんな予感がしてならない。

 

「流石に、向こうでも世界に転移するなんて簡単に出来ねえっての」

 

 確かに向こうは発達した世界だが、だからと言って異世界に移動するなど、簡単に出来ることではない。

 専門家ではない素人の考えだが、膨大な資金、人材、時間があり、軽く数十年から数百年を有して漸く、何とか可能になりだす。そんなところだろう。

 利点は少なくはないが、それ以上に必要な物が多すぎる。他にも、万一を考えると、更に最低五十年から百年の時は掛けねばならない。

 自分なら、それに費やすよりは、テラフォーミングや更なる発展に回した方が遥かに手っ取り早いと考えるだろう。

 ――ただ……。

 問題なのは、もし、何らかの理由や予想以上の上達でこの世界に来れた場合だ。

 ――その場合……。

 不味いことになる可能性が非常に高い。何しろ、向こうの状態を考えると、杞憂で済ませれない。それに、こちらはあちらよりも遥かに発達している。

 ――と言ってもなぁ……。

 スマートフォンは何の反応も無く、戻る方法も検討が付かない。原因であるゼロも黙り。これでは打つ手が無い。話しても対策にすらならないのが余計に厄介だ。

 自分に出来ることと言えば、全力を尽くすこと。そして、それをより良くするのに頭を使う。これだけだろう。

 何にせよ、自分の敵となるなら、自分が生まれ育った世界だろうが、戦うまで。たったそれだけだ。

 

「寝るか」

 

『そうか? なら、ゆっくり寝るとよい』

 

「言われなくとも」

 

 身体をベッドに預け、心地好い感触に身心を委ねる。そうして、彼の異界に来てからの二日目が終わった。

 

 

 ――――――――――

 

 

 初日から、ジスタードについての勉強や鍛錬、アレクサンドラの治療を行い、数日が過ぎていった。

 この日も彼女の治療や診察、ついでの話を済ませると、アレクサンドラに最近の様子を聞かれた。

 

「ここの生活には慣れた?」

 

「まだ数日ですが、多少は」

 

 機械が無く、勝手は悪いが、衛生面はしっかりとしているし、衣食住も問題は無い。

 

「ただ、一つ気になる事がありますが」

 

「何?」

 

「近い内に、ジスタードとブリューヌで戦いが始まるそうですね。噂で聞きました」

 

 侍女や兵士達が噂していたのを聞き、ザウルに確認は取った。戦場はこのレグニーツァに近いことも。マドウェイが来た理由もこれだ。

 理由は川の氾濫による揉め事らしく、戦いの無い時で過ごし、豊富な水がある国で生きてきたマサトには理解はしたが、今一納得は出来なかった。

 

「まあね。とはいえ、戦うのはレグニーツァじゃなくて、他の公国だけど」

 

 自分が病に伏せてるため、他公国が代わりに担当することになったのだ。

 

「幾つかの公国が連携して戦わないのですか?」

 

「大規模になる理由がある戦いじゃない。複数の公国を出して、事態や亀裂を大きくするのを避けたんだと思う」

 

「……なるほど」

 

 アレクサンドラの言う通り、大軍を用意すれば、本格的な戦争になりかねない。

 故に、一つの公国だけにして小競り合いの範疇で終わらせる。政治の観点からは最善と言えるだろう。

 マサトとしては、やはり納得しきれないが、他の公国が担当している以上、身分も立場も自由も無い自分には何も出来ない。

 第一、聞いたのは戦うという話だけでなので、場所も近い以外は不明。聞いても誤魔化すだろう。思わずはぁと溜め息が溢れる。

 

「おや、てっきりここを勝手に出て、戦場に行こうとするのかと思ったけど」

 

「……最低限を果たしてないのに、ここを勝手に出るわけにも行きませんし」

 

 発見され次第、即座に連れ戻されるのは目に見えている。出てもまだ全然知らない場所なので、野垂れ死にが確定だろう。無駄死には勘弁だ。

 

「意外と、守る所は守ると」

 

「最低限の規則や約束は守りますよ。……それに戦いは素人の自分が行ったところで、足手まといは確定でしょうしね」

 

 悔しいが、戦術には疎い今の自分では、そもそも力にすらならない。出る権利も無い。

 今の自分に出来るのは、アレクサンドラの治療をしっかりとこなす。これだけである。これも果たすべき努めと、無力な自分に言い聞かせた。

 そんなマサトの表情を見て、アレクサンドラは安心する。独断で動くかが少し不安だったが、杞憂で済みそうだ。

 

「この話はここでお終い。マサト、僕は数日後、大人数での話をする必要があるんだけど――」

 

「出来れば、長時間は止めて貰えると」

 

「話の腰を折らない。気持ちは有難いけど、僕が出る必要があるんだ」

 

 ――病気のアルシャーヴィン様が、か。

 つまり、それだけ重要な話ということ。マサトとしてはやはり控えて欲しいところだが、政務に関しては自分が力になる義理や立場は無く、能力も有るかは不明なので注意だけを促す。

 

「ちなみに、どんな御方と話すのですか?」

 

「このジスタードには、王都を囲むように七つの公国があるのは知っているよね?」

 

「はい、読みましたので」

 

 飛ばされたレグニーツァの他に、ライトメリッツ、ルヴーシュ、オルミュッツ、オステローデ、ポリーシャ、ブレスト。この七つがジスタードの公国。勿論、そこにいる戦姫の名も記憶している。顔は写真が無いので、不明だが。

 

「そして、レグニーツァの隣にはライトメリッツとルヴーシュがある。今回はルヴーシュとの話だ。そして、その場には――」

 

「貴女以外の、戦姫がいると」

 

「正解。そして、その戦姫の名は――『雷渦の閃姫(イースグリーフ)』、エリザヴェータ=フォミナだ」

 



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第四話 異なる瞳

 これはリメイク前と大差はありません。なので、もう一つのと一緒に投稿します。


 レグニーツァの公都から十ベルスタ程離れた場所に、ある女性が率いる数人の馬に騎乗している集団が公都に向かっていた。

 

「――見えてきましたわ」

 

 先頭を進む麗しき女性。腰まで到達するほどに赤色の長髪、身に纏った優雅なドレス、腰に掲げた黒鞭等が彼女の美貌を際立たせる。

 が、彼女を見て一番興味を惹くのは、ジスタードでは『異彩虹瞳(ラズイーリス)』、マサトの国では『オッドアイ』と呼ばれる、左右で違う色の瞳だ。

 女性は不意に、金色の右目で数秒間景色を眺め、次に碧色の左目で同様に見る。これは彼女の癖のだった。

 ――……やはり、変わりませんわね。

 違う色の瞳で世界を見ても、変わりはしない。そう分かっていても、ついついしてしまう。女性は割り切ると思案しつつ、馬の操作に意識を少し戻しながら馬の脚を進ませる。

 彼女達の今日の予定は、レグニーツァの公宮で一ヶ月前に起きた海賊の件について、アレクサンドラやその臣下達と会談するのだ。

 ――向こうには悪いのですが、こちらの『目的』のために、使わせてもらいますわ。

 彼女達はレグニーツァとまともに話し合う気は無い。最低限に留めつつ、適当な所で話の進行を止め、会談を長引かせるつもりだ。

 ――元々、向こうが原因ではありますもの。

 隙を付き、こちらを有利にして目的を果たしたり、利益を得るのは常套手段の一つだ。利用できる物は徹底的に使わねばならない。

 ――……ただ、今は都合が悪いですわね。

 自分の標的は、もうすぐ隣国のブリューヌとある理由から起きる、戦の指揮を国王からの命で執ることになっている。

 彼女とアレクサンドラの関係はともかく、戦の事を考えると、今レグニーツァに攻め込むのは難しい。どう見てもジスタードに対する妨害や反逆としかならないからだ。

 不安なのはその戦いで標的が戦死するか、捕縛されること。彼女の強さは身を持って知っているので、おそらく杞憂で済むだろう。

 自分が動くのは最低でもその後からだ。その戦いが自分に充分な口実を与えてくれる、何らかの切欠になれば嬉しいが、彼女はそんな上手く事が進むとは考えてない。

 事態が大きく変化してくれば運が良い、今はその程度の認識で動き、機会をゆっくりと狙う。それだけだ。

 ――あら、結構近付いてきましたわね。

 考えている間に、レグニーツァの公都にかなり近付いた様だ。臣下達に少し急ぐと伝え、馬を走らせた。

 

 

 ――――――――――

 

 

 それから時間が経ち、ルヴーシュとの交渉が始まる少し前。マサトは今日も主君の部屋で、僅かばかりの治療をしていた。

 

「どうですか、体調は?」

 

「それほど悪くは無いかな」

 

「あまり無茶しないように。時間は最大でも半刻までで、発作が出たら直ぐに部屋で身体を休めてください」

 

「分かった」

 

 話が纏まり、マサトはアレクサンドラや部屋の外で待っていた同僚達と一緒に廊を歩き、会議室の扉前で止まる。

 

「では、何か有れば、直ぐに報告してください」

 

 再度の確認に、アレクサンドラがもう一度頷くと、彼等は執務室へと入室。一方のマサトは、部屋前で待つ騎士達と共に待機する。

 自分の今の役目は、アレクサンドラに発作が起きれば即座に部屋に戻し、容体を安定させること。それだけである。

 昨日、アレクサンドラから折角だから参加してみる?と冗談半分に言われたが、余計な面倒が起きるので却下ですとマサトは断っていた。

 ――発作が起きる前に纏まると良いんだけど。

 チラッと扉を見、マサトは自分の出番が来ないことを祈ってから、緊急用の毛布や担架を用意し出した。

 

「――来ましたわね」

 

 一方のアレクサンドラは部屋に入ると、女性に声を掛けられる。

 煌炎の朧姫が視線を移すと、ルヴーシュの者達数人と一人の女性が目に入る。赤い長髪と左右で違う瞳、オッドアイ。そして、大胆な服装。

 アレクサンドラが今見ている彼女こそ、ルヴーシュの戦姫、『雷渦の戦姫(イースグリーフ)』の異名を持つ女性、エリザヴェータ=フォミナだ。

 

「遅くなってすまない。エリザヴェータ」

 

「病人なのですから、仕方ありませんわ。アレクサンドラ」

 

 二人には歳に四つも差があるが、対等に話し合っている。

 

「体調はどうですの?」

 

「普通にしていれば、半刻までは大丈夫と思う」

 

「では、今回はそれまでにしましょう。早速始めますわよ」

 

 彼女のその台詞を切欠に、二つの公国は交渉を始める。

 簡単に纏めると、一ヶ月前に海でレグニーツァとルヴーシュの軍が協力して、海賊達の討伐を行なった。

 レグニーツァやルヴーシュは海に接している公国。一つの国だけでも海賊を退治する事自体は出来るだろう。

 ただ、完全に討伐するとなると片方だけでは、動いていない方に海賊達が逃げてしまい、しばらく潜伏した後、再度現れ被害を出してしまう。二つの公国の連携が必要不可欠と言えた。

 今回の討伐そのものは、問題なく済んだ。しかし、アレクサンドラやレグニーツァにとって問題なのは、主の軍が海賊達を故意にルヴーシュの軍に誘導させ、大きな負担をかけたというエリザヴェータの言い分だった。

 アレクサンドラとしては、部下が故意にそんなことをしようとしたなど思っていない。

 その時の現状から、思わずそうなってしまった。それが今回の結果だろう。人間である以上、どこかで失敗することは避けられないのだから。

 しかし、だからと言ってはいそうですかと相手が納得するかは別。それが政治。

 そして、話や情報を聞く限り、失敗をおかしたのはこちら側。その責任やアレクサンドラが戦えないのもあって、後手に対応せざるを得ない。それが、アレクサンドラ達の現状だった。

 ――他に問題は無い。要点はやっぱり、彼女が言った点のみか。

 今はエリザヴェータとその点について、話し合っている真っ最中だが、自分がどんなに伝えても、向こうが納得しようとしない。完全に平行線だった。

 ――やっぱり、何か不自然だよね。

 最初の報告の時もそうだが、こうして真正面からエリザヴェータと向き合うと話や態度に、アレクサンドラは違和感を覚える。

 批判すること自体は、一統治者としては正しい。然るべき点は批判しないと、甘く見られたり、不利益を被るからだ。

 引っ掛かるのは、そうしている側にしては何の案も出そうとしてないこと。

 被害に怒りを示している風にまったく見えないのだ。まるで、最初から此方の話を聞くつもりが無いかのよう。

 しかし、そうだとすると、会談は自分の体調を考え、半刻まで延々と話し合い、次に続くことになる。下手すると、その繰り返しになるかもしれない。

 ――まさか、それを狙ってる? いや、理由としては小さすぎるよね。でも、何らかの目的を果たすために話を延ばしている……。

 これは十二分にあり得る話だ。だとしたら、その思惑に引っかかるとレグニーツァにいずれ危険が来る可能性がある。今の内に、終わらせて置くべきだ。

 ――よし。

 アレクサンドラは一呼吸すると、意を決した。

 

「――エリザヴェータ」

 

「何かしら?」

 

「君の言い分は、こちらがそちらに負担を強いた。だから、それについての責任を取ってほしい。これで合ってる?」

 

「大方、間違ってはいませんわ」

 

 エリザヴェータはアレクサンドラがどうして今更そんなことをと、疑問を抱いた。

 ――何を考えてますの?

 

「――じゃあ、その方針で進めてみる?」

 

 にっこりと微笑んでそう告げたアレクサンドラの言葉にエリザヴェータだけでなく、ここにいる全員が驚愕する。

 

「あ、アレクサンドラ様、いきなり何を――」

 

「結局どう言おうと、その当時にこっちが彼女達側に負担を強いたのは、紛れもない事実じゃないか」

 

「それはそうですが、しかし――」

 

「なら、潔く受け入れるのが、ルヴーシュに対する誠意だと思わないかい?」

 

 ――まさか。

 嫌な予感がエリザヴェータの身体に走る。もし、アレクサンドラの思惑が自分の予想した通りだとすれば、これは非常に不味い。一瞬だけだが、思わず表情が固まる。

 ――なるほどね。

 そして、その表情を見て、アレクサンドラはこの選択、正確には、前日にマサトが言った案が正しかったと確信する。

 

「エリザヴェータ。仮に僕等が今回の件で賠償すると仮定して、こちらはどれだけ支払えば良いかな?」

 

 その提案とは、ずばりこちら側から終わりを促す。簡単に言うと、賠償を進めることだった。

 マサトがそう提案した理由はアレクサンドラから、あまり進まない交渉を上手く終わらせる方法は無いかと尋ねられ、その時にある言葉を思い出したからだ。その言葉とは、発想の逆転。

 つまり、それまであった、どうすれば向こうが納得して話が終わるのか、ではなく、向こうが納得せざるを得ない話をぶつけて終わらせる。といった感じの慎重から大胆への逆転。

 これを聞いた時、アレクサンドラはその手が有ったかと、思わず手を叩いたものである。

 ――それに、同じ論点を繰り返して、長引くよりは……。

 いっそのこと、大胆に終わらせる方へと重点的にしたほうが良いかもしれない。そう判断し、自身も妙だと思ったと伝えてきたので、提案を使ったのだ。

 アレクサンドラはエリザヴェータの狙いについては、よく分かってはいない。しかし、この話を長引かせては行けないと、戦姫としての勘が告げていた。

 仮にその勘が的中しているとすれば、このまま終わりまで持ち込まれた場合、困るのはおそらくエリザヴェータの方。

 それにこの提案は、人材や資材は多く減るかもしれないが、危険を確実に回避出来る手段でもある。

 アレクサンドラは異界の青年の提案で生まれたこの機会を、活かさないつもりは無かった。

 

「それでは、故意に強いた事を――」

 

「あれ? それを認めてはいないはずだけど。僕はこちらの失敗のせいで、そちらが受けた被害に対する謝罪と、被った損害に対する賠償の話をあくまで仮定として、話しているだけだから」

 

 エリザヴェータはさっきの発言を思い出す。アレクサンドラが話したのは自分達の失敗でこちらに被害を与えてしまったことへの謝罪と、それの賠償だけだった。

 不手際の中に悪意があると認めておらず、また払うともまだはっきりと言ってはいない。あくまで『仮定』なのだ。

 

「――ならば、受けれませんわ。重要なのは被害を強いた事なのですから」

 

 この提案を受けるのは不味いので、エリザヴェータは何としても、話を長引かせようとする。

 

「――どうして?」

 

「……えっ?」

 

 これまた予想外の問いかけに、エリザヴェータは思わずそう呟いた。

 

「どうして、そこが重要なのか、って聞いたんだけど」

 

「それによって、こちらの被害が――」

 

「なら、被害の詳細について改めて教えて欲しい。どれだけの人材と物資を失ったのかを。それを元にしなければ基準を決めれない」

 

 思わずエリザヴェータは目を細める。アレクサンドラが賠償する方向で解決させようとするのは、完全に予想外だった。

 しかも、言い分は間違っていない。何より、こう提案した以上は被害を与えてしまった臣下に充分な罰を処す可能性も考慮しているだろう。

 部下を処罰する理由についても、国の重臣である戦姫を立腹させた罪などで、その部下は納得してしまうだろう。

 悪意は無くとも、被害を増やした事実は変わらないのだから。

 そして、アレクサンドラがそれを出してしまえば、エリザヴェータはそれを重点に話すしかない。

 話している論点も、アレクサンドラの部下が判断を間違えたせいでルヴーシュの被害を大きくしたことなのだ。

 レグニーツァが失敗を許容すると、それを前提に次の話に移行するしかない。

 その点で無理を押し付けようにも、向こうは被害の細部を聞き出そうとしている。

 責任を口実に大きくすることは可能かもしれないが、あまり過剰にし過ぎると向こうが加害側としても、ルヴーシュの不当な言及になりかねない。程々に増やす、これが限度だった。

 ――今から、手を加える……遅すぎますわね。

 今の話を聞いて、レグニーツァが自分達の被害を調査しない訳がない。 誇張が知られれば、糾弾されるのは火を見るより明らかだった。

 それにエリザヴェータ個人としても、隠すはともかく、嘘をつくという下策は取りたくない。

 ――でも、どういうこと……?

 さっきまでは、こちらが強引に吹っ掛けた無理を慎重な説得で解決させようとしていたのに、急に敢えて受けを選び、大胆に話を進ませようとする。明らかにおかしいが、考える間はない。

 ――このまま話が進めば、一気に終了してしまうわ……。

 他の件を出す、完全に悪手だった。エリザヴェータはアレクサンドラにそんな手が通用するとは思えず、簡単に見抜いて追求され、泥沼に嵌まるだけと却下した。

 次に彼女はいっそ攻め込むことを考えたが、これも悪手だと却下する。本来の目的は果たせても、その後がかなり不味い。

 レグニーツァは今度戦をするライトメリッツと近い公国。アレクサンドラも自分の標的と親密な関係の人物だ。

 にも関わらず、今強引に攻め込めば、同国の足を引っ張ること以外の何でもない。批判は避けられないだろう。

 おまけに都合の悪い話から逃れようと起こしたと国王や他の公国からの糾弾され、最悪の場合、今後の行動を大きく制限される可能性も充分にあった。

 ――もっと想定して置くべきでしたわね……。

 ここでエリザヴェータは己の未熟さを痛感する。

 アレクサンドラに付け入る隙と、彼女が戦えないことで油断しており、こうなることについて思案は録に出来てなかったが、それ以上に解決という選択が厄介過ぎる。拒否が出来ないのだ。

 ――どうしたら……。

 現状のまま会談が纏まる方向になれば、いずれレグニーツァが賠償してそれで終了。

 エリザヴェータは目的を果たせず、何時来るか分からない次の機会を待つしかなくなる。しかし、彼女が必死に考えても、打開する方法が浮かばない。

 

「大丈夫? さっきから口をつぐんでるよ?」

 

「そんなことはありませんわ」

 

 自身の信条から、エリザヴェータは弱さを見せまいと強引にでも強がる。

 

「それよりも、賠償を進めるのなら、そちらの誠意を見せてほしいですわ」

 

「――例えば、土下座とかかい?」

 

 アレクサンドラは爽やかな表情でとんでもないことを告げ、エリザヴェータを筆頭にまた周囲が固まる。

 

「そ、そこまではありませんわ」

 

 多かが小さな揉め事程度で国王に次ぐ重臣の戦姫を土下座させるなど、大問題に発展しかねない。エリザヴェータは慌てて否定する。

 

「じゃあ、余計な負担で亡くなった者の親族や親しいものに、負担を掛けた者やその部下達を謝罪させる。とかはどう?」

 

 ――また面倒な提案を……。

 確かに今のは謝罪としては、かなりの提案だ。しかし、それはこちらの被害が甚大で、尚且つ、本当に今回の一件を深く根に持っていた場合。

 実際はこちらがそこまででないのを、機会と捉えて強引に吹っ掛けているに過ぎない。

 閃姫もその部下達も、それを知っているが故に押し黙っていた。

 ――追撃させて貰うよ。

 当然、この機を逃す気はないアレクサンドラは、容赦なく仕掛ける。

 

「これ以外には、増した損害分をこちらが負担するぐらいしかないね。どう?」

 

「悪くはない話ですわ」

 

 気丈に振る舞うエリザヴェータだが、内心は穏やかではない。

 交渉事としては有利に進んでいるが、自分の目的を果たすには不利な方へと確実に進んでいるのだから。

 

「そう。じゃあ、話を続けようか」

 

 と言っても、終わりは見え始めている。後は向こうに主導権を与えぬまま、進ませるだけだ。

 

「僕は何度も言ったけど、賠償する方針で進めたい。君はどう?」

 

「それには、そちらに悪意があったことを認めていただかないとなりませんわ」

 

 ――しつこい。

 閃姫の言い分に、朧姫は眉を潜めた。しかし、それを解決せぬ限りは進まないだろう。

 ――なら、することは一つ。

 

「じゃあ、その場合、どれだけの賠償、及び、謝罪をすれば良いのかな?」

 

 ――本当に厄介ですわね……!

 最早、自分の主張が言いがかりに近いと向こうも分かっているはずだ。

 だというのに、これですら真っ向から受け止め、終わらせようとする。拒否の選択すら潰されていく。

 ――もう手が……!

 これ以上は完全に駄目だ。例えば、法外な値をふっかけ、話を延長させる手段も無くはない。

 だが、効果はあっても、国王の性格を考えるとこの交渉に干渉し、自分が批判されるのは確実だ。

 向こうもそれが分かっているからこそ、ここまで大胆に動けるのだ。

 要するに一時の僅かな成果しか得れない浅はか下策だ。しかも、とびっきりの。

 最早、雷渦の戦姫は諦めるしかないと悟り、せめてもの利益を得ようと、向こうの要求を飲もうとした。

 

「――こほっ……!」

 

 その時、エリザヴェータの耳に咳の音が届く。そして、その音にアレクサンドラの臣下達は動揺する。

 

「こほっ、こほっ……! くっ……!」

 

 アレクサンドラは背に痛みを感じ、身体が重くなり、呼吸も少し辛くなりだする。発作が現れたのだ。

 ――よりによって、こんなときに……!

 今はエリザヴェータを追求する絶好の機会。逃せば彼女が離れ、猶予を与えてしまう。だというのに、狙ったかの如く発作が現れた。

 ――つくづく、この病が憎い……!

 これのせいで臣下達の足を引っ張っている。アレクサンドラは苦しさから胸を押さえるが、痛みが和らぐ気配はなかった。

 

「今回はここで終わりにしましょう」

 

「ま、待って、エリザヴェータ……」

 

「……そんな状態で、話を続けてもまともに出来ませんわ。無理して、更に悪化させる気かしら? 自分の身を案じなさい、アレクサンドラ。貴方達も早く、彼女を介護なさい」

 

「あ、アレクサンドラ様を至急部屋に! 急げ! 彼にも伝えろ!」

 

 朧姫の臣下達はマサトを呼び、慎重に運ぶために数人で担ぐタンカを大至急、用意し始める。

 同時にマサトも入室。この時、エリザヴェータを初めて見る。

 ――この人が、ルヴーシュの戦姫か。

 派手な格好は気になるが今は無視。容姿を記憶すると、アレクサンドラの方を優先する。その間、銃が奇妙な感覚に陥っていた。

 ――この感覚は……?

 銃、ゼロはエリザヴェータから『それ』を感じるも、銃は一旦それを後回しにした。今はアレクサンドラの方が重要だからだ。

 

「アルシャーヴィン様は?」

 

「こちらだ! 手早く頼む!」

 

 体調を確かめながら、アレクサンドラに毛布を被せる。そして、優しく担ぐとストレッチャーに乗せる。

 

「貴方達も手伝いなさい」

 

「しかし……」

 

「発作を起こした病人を見捨てるつもり? 二度は言わないわ」

 

 ――悪いひとじゃ無さそうだな。

 純粋なのか打算なのか。病人の発言から、多分純粋にアレクサンドラの身を心配しているとマサトは予想していた。

 エリザヴェータの臣下達は主の命に従い、マサト達に協力。

 彼等の手助けもあり、マサトはアレクサンドラを揺らさないように手早く部屋に運べた。

 ゆっくりとベッドに乗せて掛布団を丁寧に掛け、彼等を退室させ、体温や体調を確かめていく。

 

「大丈夫ですか? アルシャーヴィン様」

 

「だ、大丈……夫」

 

『説得力が……』

 

 荒い呼吸、額に浮かぶ脂汗、悪い顔色。どう見ても、大丈夫ではなく、ゼロの言う通り、説得力が無い。

 

「強がりは駄目です。ゆっくり休んでください。会話も寝ながらです」

 

「……うん」

 

 アレクサンドラの病について、今は未知の部分が多すぎるため、効果のある薬はない。負担があるためまだ付与も出来ない。

 報告書で一番効果があると記されたのは、薬を飲んで安静にする。それぐらいだ。なので、前の医師から受け取った薬を飲ませる。

 ――後で、この薬も調べておかないとな。

 前の医師の物だ。毒ということは無いだろうが、本当に効果があるのかを確かめる必要がある。

 寧ろ、血の病のメカニズムが不明なため、逆に悪影響を与える代物だった場合、放棄せねばならない。

 

「……もうちょっと、だったのになあ」

 

 ぽつりと、アレクサンドラはそう溢した。

 

「交渉の事ですか?」

 

「……うん。助言で出来た機会も活かせなかった」

 

「次があります。今は休んでください」

 

「……マサト、話の後がどうなったか、聞いてくれる?」

 

 しばらくゆっくりしていると、少しは楽になってきた。動けはしないが、最低限の状況確認だけはしたい。

 

「近くに入れば聞きます。いなければ、しばらく後です」

 

 アレクサンドラがこくんと頷く。マサトは一礼してから部屋を出ると、数人の臣下と出会す。様子を知るまで待っていたらしい。

 

「アレクサンドラ様の調子は?」

 

「とりあえず、落ち着き出しています。安静は絶対ですが。それと、アルシャーヴィン様が交渉の後がどうなったのかを聞いてましたので、話してくれませんか?」

 

 一人がわかったと言うと、自分がアレクサンドラの部屋で看ることになった後の顛末を話す。

 あの後、エリザヴェータは己の臣下達と一緒にこの部屋の近くにまで来ていたらしく、彼女の身を案ずる発言をしていた。

 それにレグニーツァの臣下の一人が礼を返すと、彼女はこう言っていた。

 

「大したことではありませんわ。それと彼女の体調が戻り次第、これからは文通でやりとりをすると伝えなさい」

 

「文通で……ですか?」

 

「えぇ、今回の様な件を避けるためですわ。貴方達もその方が良いでしょう? 後、最初の文通は私達が被害について再度慎重に調べてから、送ります」

 

 それを彼等は承諾し、承諾を聞いたエリザヴェータは自分の臣下達と一緒に、公宮の外へ向かったとのこと。

 ――上手く延ばしたな。

 一件、アレクサンドラを気遣った風な発言に聞こえるが、マサトやゼロはこの発言の厄介さに気付いていた。

 これは、送るのはエリザヴェータ――つまり、ルヴーシュから任意の時間で運べる。

 調査が長引いても、向こうがまだ調べているから待ってほしいと言われれば、加害側であるこちらは後手に回るしかない。

 ――はぁ、仕方ないか。

 自分はその時不在。仮にいても、アレクサンドラが倒れた時に臣下でもない自分が駄目だと言っても、状況を考えると誰も耳を傾けないだろう。後の祭りだし、諦めるしかなかった。

 ただ、思わずため息を溢しそうになったが、それをぐっと堪える。彼等は主を心配して判断しただけ。

 その判断にしても、アレクサンドラが戦えない以上、レグニーツァの負担を無しにしたいと思うのは当然。

 向こうの思惑が不明でもあるし、批判するのは酷だろう。第一、権利も無い。

 

「分かりました。アルシャーヴィン様は自分がしっかりと看ます。そちらは各々の仕事を頑張ってください」

 

 言われずとも、そういいたげに彼等は部屋の前から放れていった。マサトも部屋に戻り、今のをアレクサンドラに話した。

 

「そうなっちゃったか」

 

「さっきも言いましたが、仕方ありません。過ぎたことです。それよりは、身心共に楽にしてください。あと、聞きたい話があればしますが、どうなされますか?」

 

「漫画の話って、駄目?」

 

「命令とあれば」

 

 色々と考え、代表的な作品を話す。駄目な少年の未来を変えるべく、未来からのお世話ロボットが彼の元に現れ、ロボットが持つ道具で様々な非日常な体験をする毎日の漫画。要するにドラえもんだ。

 

「変わった名前の機械だね。それに、耳が無くて太ってて二足で立つ青色の猫って……なんか、狸の方が似合ってない?」

 

「言ったら、傷付くから止めた方が良いです」

 

「あっ、そうなんだ。じゃあ、どんな不思議な道具があるのかを聞きたいな」

 

 ご要望に従い、マサトは色々と話す。頭に付けて空を飛ぶ道具。どこにでも繋げれる扉。大きさに大きくしたり小さくしたりする光を放つ機械。食べると、知らない国の言語を理解する食べ物。敷いて料理の名を言うと、ご飯が出てくるクロス。写すと、写した物が向きが真逆の状態で出る鏡。包むと包んだ対象の時間を操る風呂敷。

 他にも多種多様な道具とその効果を話していく。

 

「何でもありだね、その道具って」

 

「空想ですからね。何があっても、未来の道具で通ります」

 

『はっきり言ったな』

 

 しかし、真理である。

 

「作れたりしない?」

 

「無茶言わないでください」

 

 期待に満ちた子供のような表情で無茶を言うアレクサンドラに、マサトは少し困った表情で返す。

 

「残念。他にどんな面白いのがあるの?」

 

「面白いですか」

 

 そこでマサトはある歌を思い出し、つい照れ臭さを隠したような表情になる。

 

「ねぇねぇ、どうしたの?」

 

 異界人の初めて見るその表情に、アレクサンドラはニヤリとする。

 

「別に。単に、これが面白いか迷っただけです」

 

「言ってよ。聞きたいから」

 

「……分かりました」

 

 数秒の逡巡のあと、マサトははぁとため息を吐く。正直、かなり恥ずかしいが、彼女を楽しませれるだろうと割り切る。

 覚悟を決め、マサトは初期のドラえもんの歌、『ぼくドラえもん』をロシア語で歌唱する。それなりの時間が過ぎると歌は終わるが、彼の顔は少し赤くなっている。

 

「……以上です」

 

「ぷっ……! ふ、ふふっ……! あははっ! な、なにその歌! すっごく面白おかしい!」

 

 歌の内容を聞き、アレクサンドラは大爆笑。マサトが真顔でそれを言ったのが余計に笑える。彼の表情を見て、急いで口や腹を抑えるも、笑いを隠せてない。

 

『くくくっ……! それを、そなたが言っているのが、更に……!』

 

「――潰すぞ、てめえ」

 

 自分だけに微かに聞こえた一言にゼロは危険を感じ、黙ることにした。

 そんな相棒は無視し、マサトは黒髪の戦姫を見るが、未だに笑っている。

 

「ごめんね。笑っちゃいけないって分かってはいるんだけど、どうしても抑えれなくてさ……! ふふふっ……!」

 

「……まぁ、楽しんでいただいたようですし、自分は構いませんが」

 

 むす~と若干、しかめっ面ながらも、マサトは本心を語る。恥ずかしくはあったが。

 しばらくすると、黒髪の戦姫の笑い声が収まる。笑みは消えてないが。

 

「ところで、一つ聞いて宜しいですか?」

 

「何を知りたいの?」

 

「エリザヴェータ=フォミナ様。彼女は、貴女――いや、レグニーツァを攻める敵になるかどうか」

 

 こちらの世界は、向こうほど戦いを抑制されてない。故に、聞いて置きたかった。

 

「それは、分からないかな。僕と彼女はそこまで親しくないからね。ちなみに、もし彼女が攻めてきたら君はどうする気?」

 

「戦いますが?」

 

「僕の臣下じゃない君が?」

 

「貴女の臣下で無かろうかが関係ありません。自分は、自分の戦いをするまでです」

 

「まだ最低限の役目すら果たしていないのに?」

 

 今のマサトは、医師か知識の提供者としか動けないのだ。

 

「ならば、それまでに果たすだけです」

 

「頑固。僕としては、君を臣下にしたいんだけど」

 

「知識の為ですか?」

 

 自分が持つ知識を効率よく得るため、臣下にする。当然の考えだろう。

 

「それもあるよ。けど、君はザウルに勝ったって聞いてる。それほどの兵士を、ただ置いておくだけなんて、勿体無いだろう?」

 

 その話を聞いた時は、思わず驚いた物である。ザウルは公宮にいる者の中でも、高い実力を持つ。その彼に勝ったのだから。

 

「あれは、初めてだから勝てただけです。第一、癖の有りすぎる自分を招くのは、お勧めできません」

 

「自分で分かってるんだ。癖が強いって」

 

「当たり前でしょう。自分のことは分かっているつもりです」

 

「良いことだね。それより、さっきのことだけど――その内、話してあげるよ」

 

 ――話す気は無いか。

 警戒しているからだろうか。まぁ、それならそれで、自分なりに情報を集めるだけである。

 

「では、今日は失礼します。また何かあったら直ぐに呼んでください。まだそんなに役に立ちはしませんが、話ぐらいはさせてもらいます」

 

「ありがとう」

 

 また一礼し、退室。廊を歩いて自分の部屋へと向かう。その途中。

 

『マサト、良いか?』

 

「どうした?」

 

 ゼロが話し掛けて来たため、歩きや態度を変えないまま小声で話す。

 

『アルシャーヴィン殿の前では言えなかったのだが……フォミナ殿に関してだ』

 

「あの人の?」

 

『うむ、我の勘違いかもしれぬが……彼女から妙なものを感じた。それも我が嫌悪を抱く「何か」を』

 

「嫌悪……?」

 

 ――何で、そんなものをフォミナ様から……?

 真っ先に考えられるのは竜具の差だが、バルグレンは良くて彼女の竜具が駄目な理由が分からない。

 ――ただ、こいつが嫌悪を抱く訳だし……。

 万一に備え、対処するべき相手と認識した方が良いかもしれない。

 ――まぁ、何れにしても……。

 自分のやることは変わらない。命を一つでも多く守るために戦う。たったそれだけだ。

 彼女が人の命を奪う選択をし、ここを攻めてくるというのであれば、持てる力全てを駆使して倒すまでだった。

 

 

 ――――――――――

 

 

 ――危なかったわ。

 一方、エリザヴェータはさっきの交渉時を振り返り、自分の未熟さを再度痛感していた。

 アレクサンドラの発作が起きたため、話を中断出来たが、あれが無ければ自分は確実に追い詰められていた。

 とはいえ、結果的には話を延ばせたため、しばらくは大丈夫だろう。

 ――けど、アレクサンドラはどうして……。

 急に話を賠償に切り替えたのか。あれが引っかかる。普通、少しでも説得で解決させるはずだ。

 考えられるのは二つ。一つはアレクサンドラが自分の力で思い付いた。もう一つは、別の誰かが入れ知恵していた。このどちらかだろう。

 前者はともかく、後者の場合、入れ知恵したのが誰なのかが問題だが、アレクサンドラが賠償に切り替えようとした時、彼女の臣下は全員が驚愕していたのが引っ掛かる。

 ――……念のため、レグニーツァを調べた方が良さそうですわね。

 見えない障害ほど、危険な物はない。帰り次第、レグニーツァの臣下達の調査を行うことを決めた。そのあと、雷渦の閃姫は視線を南西に向ける。

 ――エレン。

 エリザヴェータの狙いである、ライトメリッツを統治する戦姫、エレオノーラ=ヴィルターリアの愛称だ。

 彼女とエリザヴェータの間には因縁があるので、互いに愛称を呼び合う仲ではなく、エリザヴェータは心の中で呟くに留めている。

 心境でも呟いてしまうのは、彼女と因縁以外に出会った事があり、その時の親しみからだった。

 ――……どちらになるしから?

 目的を果たせなくなるか、思惑通りになるか。彼女は余程が無い限り前者と推測し、その時は潔く諦め、今回の失敗を糧にまた違う策を練り、新たな機会を伺うつもりだ。

 一通り方針を決めてしばらくすると、時間になったので乗馬する。

 

「帰還します」

 

 これからに備え、オッドアイの戦姫は兵や臣下を連れ、新たな一手を考えながら、自分の公国へと戻っていった。

 



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第五話 流れ月

 前半が同じで、中半から違います。あと、ちょっと嫌だと感じるかもしれません。


「お~、大にぎわいだな~」

 

『うむ、我もそう思う』

 

 日が高い時間帯。ゼロの賛同を小声で返しながらマサトが軽く周りを見渡すと、多くの建物と人が行き交う姿が目に写る。二人が今いるここはレグニーツァの公都。その城下町だ。

 マサトはこの日ここにいるのは、アレクサンドラと一緒に何時もの検査を済ませたあと、そろそろ必要な道具が揃うと告げられ、忙しい日々になる前に休日を味わうと良いと言われ、外に出ることとなった。

 また、アレクサンドラはマサトが気になる物がある際の購入に備え、ある程度の通貨を渡している。勿論、使えばその分借金は増えるが。

 ちなみに、アレクサンドラの身に何かあった場合は、前の担当医師が対応することになっている。

 

「さて、行くか。かといって、適当に歩くつもりは無いけど」

 

 最初は初めての休日に困惑したものの、それならそれで城下町の構造を直に見ることが出来る。

 自分で物を買うときに備え、地図や話からではなく、直接この目で見て覚えて措きたかったため、今日は城下町の見て回ることにしたのだ。

 

「いざ、視察へ」

 

『休む気あるのか、そなたは』

 

「これが俺の休み方なの。時間は有限、ただ休むなんて、無駄なだけ」

 

『はぁ、そなたは……』

 

 呆れ口調だが、尤もだとも思った。第一、今からはマサトの休日。急が無い限りは、どうするかを決める権限は彼だけにある。

 

「レッツゴー、ってな」

 

 マサトは人の波を潜り抜けながら、前にザウルから受け取った公都の地図の情報を元に決めた進路を歩く。その途中で気になるのは、かなりの数がある露店だった。

 ――パッと見、祭りみたいだ。

 こちらとあちらの違いを楽しみつつ色々見渡すと、一つの店に目が止まる。その店は本屋らしい。

 ――入ってみるか。

 入店し、中を伺う。情緒のある、良い雰囲気の店だ。店長は老人だが、店員には自分より年下と思われる若者もいた。

 マサトは棚にある本一冊一冊のタイトルに目を通す。どうやら、この店は昔の本、お伽噺の類のがメインらしい。

 もう少し目を通していくとその途中、あるタイトルの本が目についた。その本の名は。

 

「――魔弾の王」

 

 青年はその本を手に取り、タイトルを見つめる。昔の本そうなのに、弾と言う単語が気になったのだ。

 ――……魔弾の、王?

 その単語にゼロはざわっとした、奇妙な感覚を覚える。何処かで聞いたことがあるような、そんな感じがしたのだ。

 ゼロが話さないため、その状態になったことも気づけず、マサトはもしかしたら、銃と関係している可能性もあると考え、店長に渡し、代金を支払う。

 その際、店長にこの本は何処のかと尋ねたが、最近入荷した本だが、出本は知らないようだ。

 外の休める広場に移動し、腰を下ろすと読む。昔のを、今の時代の言語に書き直した本らしい。

 内容は自分が期待していたのとまったく別物で、黒銃やゼロのことに関しては何一つ判明しなかったが、気になる点もあった。

 ここに記されているのは女神から渡された弓を受け取った男が、あらゆる敵を打ち倒し、王になるというもの。

 引っ掛かるのは、何故弓なのに『矢』でなく、『弾』であるのかと、女神という――自分個人は不快と思う存在だが――神聖な存在が与えたのに、『魔』の単語が付いているのかだ。

 普通、光や聖などの、明るいイメージの単語が付くはずだ。何故、『魔』なのか。正直、不吉な予感がする。

 ――もしかして、何らかのリスクのある力か?

 だとしたら、魔という単語が付いても不思議ではないが、そんなものを与える女神。ろくでもない神だろうと、マサトは心の中で罵倒する。

 ゼロに自分のその意見の感想を求めるも、その時にマサトはゼロが妙な状態にあることに気付く。

 周りに疑われぬよう、また適当な建物の物影に隠れ、ゼロに問い掛ける。

 

「ゼロ、大丈夫か? おい?」

 

『……う、あ? ま、マサ、ト……?』

 

 途切れ途切れだが、銃は使い手の声に何とか返事をする。それから数分後、意識がある程度楽になる。

「大丈夫か?」

 

『……あぁ、すまん。楽になった……』

 

「良かった。でも、どうしたんだ?」

 

『……魔弾の王。あれを聞いてから何故か妙な感覚が感じた。理由は分からぬが、な……』

 

 ――何か、関係があるのか?

 魔弾の弓、女神、そのどちらかがゼロか黒銃には。

 ――だけどなあ。

 現状、情報が圧倒的に足らない。幾ら考えても推測にしかならず、完全な答えまでにはなりはしないだろう。

 この思考を切り上げ、ゼロが完全が楽になるまで待つ。十分程で大丈夫になったらしく、マサトは外套の中に作ったポケットに本を仕舞い、歩きを再開。

 

「喉少し乾いた。果実水を売ってる店を探してから、違う所に行くか」

 

『その途中でそなたの御目に適う店があれば、一石二鳥だな』

 

「あると良いな」

 

 喉を潤すため、果実水を売っている店を探し、その途中で一つ興味が惹かれた店でじゃがいもにバターがのり、数ヶ所を板状に抜いて代わりに仕込んだ板状のチーズを購入。歩きながらかじっていく。

 

「んっ、中々」

 

 値段以上の価値がある味にマサトは舌を満たす。良いものが買えて、上機嫌だ。

 その機嫌のまま、果実水を売ってる露店を発見し、林檎のジュースで喉を潤す。

 

「飲んだ飲んだ」

 

 気分も喉も十分に潤い、満たされた気持ちで歩いていく。

 

「――あっ」

 

「――おっと」

 

 ――ん? これは……。

 ゼロがそれを感じたのと同時に、マサトが角を曲がろうとすると、誰かの影が見えた。身体を止め、ぶつかるのを避ける。

 

「大丈夫? 当たってない?」

 

「はい、大丈夫です」

 

 マサトがぶつかりそうになった相手は、自分より背が低く若い子供だった。但し、フード付きのコートで顔を深く隠しているため、顔は見えない。

 ――……何で、こんな怪しい格好してんの?

 子供だから怪しさは薄れているが、大人ならば不審者以外の何者でもなかった。それに、背負っている布に覆われた何かも目立つ。

 

「……何でしょうか?」

 

「ん?」

 

「さっきから人をじろじろ見ているので、何か用があるのかと聞いています」

 

 どうやら、物珍しさらついつい見ていたらしい。

 

「あぁ、不快にさせたのならごめん。謝る。でも、ちょっと怪しくて……」

 

「……そうでしょうか?」

 

「俺から見るとちょっと……」

 

 公都の道で子供と大人が互いに悩む。端から見ると、奇妙としか言い様が無い光景だ。

 

 其処で二人が留まっていると、何やら騒がしい声がしてきた。

 

「何の騒ぎ?」

 

「……面倒です」

 

 警戒していると、子供が言葉通りの表情でそう呟くのを、マサトの耳に届いた。

 

「どういう意味――」

 

「見つけたぞ! こんなとこにいやがったか!」

 

 大声にマサトが振り向くと、如何にも不良と言えそうな外見の男、二人組が物凄い剣幕で少年に近付いて来ていた。マサトは子供の前に立ち、二人組を目で牽制しつつ、話を聞いてみる。

 

「何のよう?」

 

「どけ! 用があるのはそいつだ! 関係の無い奴は退いてろ!」

 

「この子は俺の連れなんだけど」

 

 咄嗟に嘘を付きながら警戒心を高め、同時に子供に話を聞く。

 

「大体は読めるけど、こいつら何?」

 

「町を知らないわたしに案内すると言って来たのですが、少し怪しいと思い、断ったらしつこく迫ってくるんです」

 

 ――『わたし』?

 子供のその一人称に、マサトは疑問符を浮かべるも、今は二人組の方を優先する。

 

「そんなことだろうとは思ってたけど」

 

 説明を聞いて、マサトはハァとため息を吐く。一方で二人組は舌打ちをすると、二人同時にマサトへ襲いかかってきた。

 

「――ふう」

 

 マサトはドンと大地を蹴って加速。攻撃を軽々回避しつつ、一人の脹ら脛目掛けて蹴りを当てる。痛みで苦悶している隙に、相手の横に移動。

 もう一人の攻撃を遮りながら、脇腹へと二人同時に飛ばそうと追加の蹴りを叩き込んだ。もう一人は運良くその攻撃を回避するが、その隙を子供に狙われ、拳が鳩尾に叩き込まれ悶絶した。

 ――へぇ。

 子供は一瞬の隙を見逃さず、急所へ的確に当てた。顔色も一切変化が無いところから、子供にしてはかなりの余裕と実力があることが窺える。

 見たところ、自分の半分ぐらいの年頃でこの実力にマサトは感嘆、パチパチと拍手する。

 

「お見事」

 

「大したことではありません」

 

「そっか。――で? お前らはどうする?」

 

 マサトは威圧しながら二人組に問いかける。二人組は負け惜しみの台詞を溢し、この場を去った。

 

「留めてごめんな。余計な騒動に巻き込ませてしまった」

 

「いえ、直ぐに立ち去らなかったこちらにも非があります。寧ろ、こちらが謝る立場かと。貴方を巻き込んだのですから」

 

「そうか? まぁ、何にせよ……」

 

 二人が周囲を見渡すと、城下町の人々が自分達を見ていた。

 

「……ここから離れた方が良さそうだ」

 

「みたいです。そうしましょう」

 

 二人は急いでその場を立ち去った。

 

 

 

 

 

「ここまで来れば問題ないか」

 

 全速力でかなり走った二人は、適当な建物の影から周りを確かめる。

 

「少なくとも、さっきの騒ぎからは離れてたと思います。ですが、ここは何処なのか……」

 

 ある理由から元々、場所の把握をしてしない子供は困ったように呟いた。

 

「それなら、人に聞けば良い。幸い、道は覚えて――」

 

「どうしました?」

 

「君、女の子か」

 

「あっ……」

 

 ふとマサトが子供を見ると、走った勢いでフードが外れており、その中から少年ではなく少女の素顔がはっきりと見えていた。

 特徴はピンク色と言うよりは薄い紅色の髪に、幼さこそは残っているが、美少女と言って過言ではない顔付き。何処か冷たさを感じる表情ではあるも、不思議な愛らしさを感じる。

 一人口調がわたしで、大の男二人が少年を狙うのは変とは思っていたが。

 ――しかし、こんないたいけな子を狙うか、普通?

 年に似合わない強さこそはあるが、それ以外は魅力はあるとは言え、まだ子供だ。

 ――とんだロリコンだなあいつら。

 マサトがそう思うと、少女はフードを被って顔をまた隠した。

 

「……すみません」

 

「別に良いよ。君はこの後どうする? 目的地があるなら、知ってたら道ぐらいは教えるぞ?」

 

「良いのですか?」

 

「さっきの詫びみたいなもんだ。気にしない」

 

「わたしの方が迷惑をかけました。そうしてもらう必要がありません」

 

「それでも道ぐらいは知っとく。更に迷うぞ」

 

「……そうします」

 

 たたでさえ、少女は既に迷っていた。せめて、現在地ぐらいは知ろうとマサトと一緒に町人達に話を聞いたり、露店で多少買い物してから一度集まって情報を共有する。

 

「――と言ったぐらいです」

 

「なるほど、現在地も分かった。どこに行きたい?」

 

「公都の西側に行きたいです」

 

「目的地は?」

 

「助けてくれたお礼はありますが、そこまで貴方に言う必要はありません」

 

 それもそうかとマサトは納得し、方角を指すと少女はそこに向かって歩き、マサトも少女と同じように歩く。

 

「付いて来るのですか?」

 

「単に行く場所は同じなだけ。それ以外の理由はない」

 

 少女はその理由に一応納得すると、また二人は一緒に歩いていく。と言っても、マサトから距離は取っているが。

 ――……本当に方向が同じなだけか。

 少女は万が一に備え、マサトがさっきの連中同様、何か企んでいる可能性を考えていたが、彼の動作を見て杞憂だったと悟る。彼は完全に善意で自分を案内しているだけだと。

 ――ただ、まだ読み違いの可能性もある。警戒は怠らない方が良い。

 仮に襲ってきたら、多少目立ちはするが自分の『武器』で凪ぎ払うだけ。そう決めると、『確かめながら』町を見ていく。

 ――これがアレクサンドラ殿の公都か。

 少女は病の身でありながら、このレグニーツァを治める戦姫を、未熟な自分なりに評価していく。

 町は活気に溢れ、民は笑顔に満ちている。これだけでも、十二分に立派であることが証明されている。

 単純ではあるが、それが一番難しいのだから。況してや、彼女は病人。より難しいはずだ。

 さっきの不良についてはああいう類いは何処にでもいるので彼女は放っている。

 少女がその評価をしていると、マサトは彼女に違和感を抱く。

 ――何か妙だ。

 何と言うか、色々と変な感じがするのだ。子供が一人で歩いているのは勿論、まるで身を隠すかのようなマントとフード。二つ共かなり汚れているところから、着ているのは少なくとも、一日や二日はあり得ない。

 旅人にしては、こんな子供がする理由が読めない。背負っている物も見えはしないが、形状が引っ掛かる。

 ――武器?

 ただ、ハンマーや大剣の類いではない。まるで斧の様に見えるが、こんな子供が気軽に振るえる斧があるだろうか。それに態度も引っ掛かっていた。

 町を眺める様子にしても、見ているというよりは、品定めしている風に見えるのだ。

 しかも、目付きからはまるで、戦う者の雰囲気を感じ取れた。

 一体、何者なのか――と、マサトはそこで打ち切った。偶々会った少女にそこまで警戒する理由が無い。

 万一、敵になる可能性を考え、顔と特徴を頭に叩き込むと露店探しを再開するが、その時にゼロに話し掛けられる。

 

『マサト、その者だが……』

 

「この子? どうした?」

 

『……背中にくるまれた物から力を感じる。アルシャーヴィン様のバルグレンと同じ物を』

 

 その台詞に、マサトは思わず少女を見そうになったが、寸前で止める。ゼロの言葉が正しいとすれば、可能性はたった一つ。

 ――戦姫……!

 自然の力を宿す竜具に選ばれた所有者であり、統治者。それ以外に、同じ物などあり得ない。

 ――けど……。

 戦姫が何故、こんな場所にいるのか。戦争や外交など、余程が無い限り自分の公国で政務に励むのが普通のはず。

 何より、若すぎる。見たところ、十二歳程としか思えない。最年少と言っても過言では無いだろう。

 ――……最年少?

 そう言えばと、あることをマサトは思い出す。この数日間で戦姫や公国について一通り知ったが、その中で一番若く、しかも、今は自分の公国から離れて行方知らずになっている人物がいた。その人物の名は。

 

「――オルガ=タム」

 

 本当に小さな呟き。しかし、少女は確かに聞いた。自分の名を。そして、思わず反応して目を開き、青ざめた表情でマサトの方を向いてしまった。

 

「あ、貴方……。私を……!?」

 

「本人……」

 

 ――し、しまった……!

 少女――オルガは、慌てて口を抑えるが手遅れだった。マサトの方を向いただけでなく、さっきの台詞で自分がオルガ=タムなのだと、証明してしまったのだから。現に、マサトは完全に確信を得ていた。

 

「――くっ!」

 

「あっ、ち、ちょっと!?」

 

 戦姫である少女は、恐れの感情から、マサトと離れるべく、全力で走る。

 一方、マサトは呆気を取られてその場に止まったため、二人の距離はみるみる広まる。十数秒も経った頃には、オルガは見えなくなっていた。

 

「オルガ=タム……。こんなところにいたなんて……」

 

 オルガが走り去った方向を、マサトは驚愕がまだ残る眼差しで見つめる。

 

『……どうする気だ?』

 

「……どうしようかね」

 

 オルガは、レグニーツァの戦姫ではない。本来なら深く関わる理由もない。

 しかしだ。あんな恐れを抱いたままの少女を放置するというのは、後味がかなり悪い。

 離れた理由についても、さっきのやり取りである程度推測出来た。

 ――……それに。

 自分の過去と、己の掲げる信念。そして、さっきのオルガを見ると、どうにも放って置けなかった。

 

「彼女を見つける。ゼロ、感知出来る?」

 

 さっきの様子から、ゼロはどうやら竜具の力を感じれるらしい。ならば、ゼロに見付けてもらうのが手っ取り早い。

 

『離れてる上に、布にくるまれている。かなりの近距離でなければ、無理だ』

 

 期待してマサトだが、残念ながら簡単には行かないようだ。

 

「なら、方法は一つ、だ」

 

 青年はその足を進めた。

 

 

 ――――――――――

 

 

「はぁ、はぁ……!」

 

 どれだけ走ったろうか。最初はとにかく、彼から離れたい一心で無我夢中に走ったが、何度も人にぶつかったため、表道から裏道に切り替えてまた全力で走った。

 

「……疲れた」

 

 精神的に焦っていたせいか、何時もの何倍も疲労した気がする。壁にもたれ掛かり、呼吸を繰り返す。

 

「……まさか、こんなところで」

 

 自分を知っている人物に遭遇してしまうとは、完全に想定外だった。

 ――でも、何故……。

 あの人物は、自分を正確にオルガ=タムだと見抜いたのだろう。こちらの失敗はあったが、髪や目はフードで、一番目立つ竜具も布で隠していたのに。

 ここは公国の中心都ではあるが、自分が治めるべき公国からかなり離れている。自分に少なからずの特徴があるとは言え、簡単に分かるはずがない。

 過去に自分と遭遇したことがあるのか。それとも、別の要因で気付かれてしまったのか。

 ――……今日中に出よう。

 彼が何者か分からない以上、この公都に止まるのは危険過ぎる。

 呼吸も安定してきたので、外に向かって歩く。

 

「……情けないな、私は」

 

 つい、オルガはぽつりと溢す。答えも出せず、知っているだけの相手から逃げる。情けないことこの上ない。とぼとぼと、惨めさすら感じる様子で歩くと。

 

「あぁ、ここにいましたか」

 

 オルガの目前の角から、マサトが姿を表す。

 

「な……。何故、ここ、が……」

 

「人に話を聞けば、情報なんて直ぐに集まりますよ?」

 

 特に、オルガは子供で少し格好が目立つし、全力で走っていた。なので、道行く人や露店をやっている人達に話を聞けば、簡単に情報が集まったのだ。

 

「まぁ、ともかく――」

 

「……ふっ!」

 

 話をしようと一歩先を歩いた瞬間、オルガが背の布に覆われた武器を振るう。

 その行動にマサトは目を開くが咄嗟に黒銃を抜き取り、その一撃を何とか流す。しかし、腕に強い衝撃と痺れが残った。

 ――子供の力じゃねぇぞ、おい!?

 受け流したにもかかわらず、この痺れ。明らかに並みの大人の力を優に越えている。しかも、一撃もかなり鋭く、防げたのは奇跡に近い。

 

「……悪いが少しの間、寝てもらう!」

 

「お断りします!」

 

 寝てもらうと言う台詞から、自分を殺す気は皆無であり気絶に留めるつもりだと理解したが、無闇な怪我や失神は勘弁である。黒銃を構え、応戦の意を示す。

 

「――角貫の弐(ドウヴァローク)!」

 

 オルガは地面を蹴って加速。その勢いのまま、武器を振るう。と見せかけて、一気に後退。マサトと十分離れた瞬間に武器を地面に叩き付ける。

 すると、オルガとマサトの間の地面から二人を分断するように、分厚く大きい土色の柱が勢い良く出現した。

 その光景に、マサトは驚愕する。武器を叩き付けた瞬間に、地面から土の柱が突き出た。原理不明のそれは正しく、ファンタジーだ。

 ――って! 驚いてる間は無いな!

 オルガがこれを使って、逃走しようと明白だ。直ぐに対処しないと逃げられてしまう。

 

「――エンチャント」

 

 マサトは弾を両足に撃ち込む。力が付与されたのを実感すると、地面を蹴った。

 同時刻、オルガは今度は簡単に見付からぬようにフードを下ろした状態で裏道を走っていく。

 この後は、表通りに移動し、人混みに紛れながら歩く。そうすれば発見は困難だ。表通りへの道が呼吸を安定させてから行こうとした。

 

「――見付けました」

 

 どういう訳か、さっきの青年の声が背後ではなく空から聞こえる。次の瞬間、前の道にマサトが下り立った。

 

「ど、どうやって……!?」

 

「秘密です」

 

 あの柱をどんな方法で超えたのかを恐る恐るオルガは訪ねるも、マサトにそう返されてしまった。

 

「……私を、どうする気だ? 私に……何を望む?」

 

 もう一度力ずくでこの場を切り抜ける、という方法も無くはない。しかし、ここは表通りに近い裏道。今度は確実に騒ぎになってしまう。今の立場を考えると、不利になるのは自分だった。

 かといって、逃げても彼の方がここを把握しているらしいので、何れはまた見つかるだけだろう。大人しくするしかできなかった。

 

「そうですね、とりあえず――何処かの店で話でもしませんか?」

 

 どうやら、今すぐに報告されることは無いらしい。

 

「……分かった。ただ、一つ条件がある」

 

「何でしょう?」

 

「……会話中は、その敬語を止めて欲しい」

 

 戦姫だと知られるまでのやり取りからの違和感や、今の自分の立場から、敬語はどうしても嫌だった。

 

「……分かった」

 

 向こうにも思うところがあるのだろう。マサトは敬語を止め、オルガと共に歩く。

 

 

 ――――――――――

 

 

「よっと、こんな場所は初めてだな」

 

「貴方は、こう言った所に来た事は無いのか?」

 

「まあ」

 

 二人が今いる場所は、酒場。文字通り、酒を飲む場所。そして、こちらの今では人が集まり、情報を提供し、交流を深める場でもある。

 その分、荒れやすくもなる場所だが、ここは公都の酒場のためか、そんな雰囲気は感じない。こっそりと重大な話をするには、一番良いだろう。

 念のため、隅辺りの席を選び、飲み物と軽いつまみを注文する。但し、酒は断っている。

 数分後、分厚く切り、焼いて塩をかけたじゃがいものつまみと果実水が届く。軽くつまみ、飲むとマサトから話を切り出す。

 

「さて、話し合いを始めようか。先ずは自己紹介から。俺はマサト。ジスタード人じゃなく、他国から来た。今は色々な事情から、レグニーツァの公宮に身を預けてる」

 

「つまり、アレクサンドラ殿の臣下か」

 

「外れ。俺は公宮に身を預けてるだけであって、あの人に仕えてる訳じゃない」

 

 そもそも、自分の国や立場から主従とは無縁だった。なので、誰かの臣下になるのは今一ピンと来ない。

 ――……臣下ではない?

 ならば、何故公宮にいるのだろうか。第一、臣下であっても余程の実力や人柄でなければ、戦姫の住む公宮に勤めるのは難しい。ジスタード人ではないなら、尚更。

 ――気にするべきではないか。

 今は自分に関する話をするかどうかが重要。彼の立場や事情などは後回しである。

 

「改めて名乗る。ジスタードの東にある公国、ブレストを治める、『羅轟の月姫(バルディシュ)』、オルガ=タム。所持する竜具は、『崩呪の弦武』、『羅轟』と呼ばれる、ムマ」

 

 布の一部が外され、中にある竜具ムマが姿を表す。大きさは小柄なオルガに合わせてか、刃も柄も短い。

 但し、装飾はバルグレン同様、見事な物だ。刃には細かな紋様が刻まれ、柄と刃の接合部にある拳大の黄玉が埋め込まれている。

 オルガはマサトに数秒間見せると、目立つのを避けるべく、また布でくるんだ。

 

「……とはいえ、今は国から離れて放浪している身だが」

 

 はぁと、羅轟の月姫は自分の不甲斐なさから、ため息をつく。

 その様子を見る限りは、マサトにはどうにもオルガが戦姫には見えなかった。

 見た目は省くとしても、威厳や雰囲気がまるで足りず、年相応の少女としか思えない。

 

「悩みが深そうだし、本来はゆっくり聞きたいところ、なんだけど、こっちはそんなに自由な立場じゃないからな。率直に聞く。ただ、言いたくないことは言わなくて良い」

 

 了承したと、オルガは首を縦に振る。

 

「じゃあ、早速質問。――耐えられなかったのか?」

 

 青年の一言が、月姫の心を深く突き刺さる。正しく、その通りなのだ。

 

「……どこまで知っている?」

 

「言っておくけど、俺はお前をほとんど知らない。さっき正体を知ったのは、確信できる要素があったからだけど、今のは単なる推測だ」

 

「……その推測というのは?」

 

「若くして戦姫になったは良いが、次第に戦姫の立場や家族の期待の重さに耐えきれず、国から出ててしまった。どう?」

 

「……あっている。情けないことに」

 

 足りない部分もあるが、マサトが自分を知らない事を考えると、無くて当然だった。

 

「……見事な洞察力だ」

 

「見事かねえ? こんなの、ちょっと考えれば誰でも思い至るだろ?」

 

「何故そう思う?」

 

「十代の少女がいきなり、公国とはいえ、一国を背負う羽目になるんだぞ? 今までの立場、今の能力と関係なくだ。そうなっても不思議じゃないだろ」

 

 例え、それなりの地位に生まれ、その地位に相応しい努力していた者だとしても、一国を預かるのだ。その重みは計り知れない。

 

「……私を臆病者だとは言わないのか?」

 

「お前が臆病者なら、周りの臣下や竜具は――無能だな」

 

 とんでもないにも程がある一言に、オルガはまた目を見開き、ポカンと口を開く。マサトは臣下だけでなく、竜具までも無能と言ったのだから。

 そして、彼女の背中ではムマが怒りを抱いたのか、マサトに向けて力の波動を放っていた。本人は欠片も動揺しないが。

 ――……とんでもないな。

 黒銃のゼロも、目の前に戦姫と竜具がいるにもかかわらず、今の発言をしたマサトにはある種の戦慄を抱いていた。

 

「……怒ったようだ」

 

「あっそ。けど、事実だろ。現に、お前がここにいることがその証明だ」

 

「……私が?」

 

「十少しの少女を、一国を預ける立場に選んで置きながら、補助しきれずに出てしまう結果を生んだ。そして、そうなるまで気付けなかった臣下達。これが、無能以外の何だって言うんだ?」

 

 自分に波動をぶつけてきたムマに、マサトは冷たい眼差しにして睨む。

 

「……私が弱いからの理由が、大半だと思うが」

 

「主を支えるのが、臣下の役目だろ。肉体的にも精神的にもな」

 

 歴史書によると、竜具は四百年近く前からあるらしい。実際は不明だが、それでも最低百年以上は様々な戦姫に触れ合って来たはずだ。

 なのに、その経験を活かせてない。マサトからすれば、無能と呼ばれて当然。そして、臣下達も歳上なのにオルガの心境を察せなかった。やはり、無能だ。

 

「更に言えば、試練の一つぐらいは用意してやるべきとも思ってる」

 

 そうすれば、オルガは試練の経験を活かし、重圧にも耐えれる心を養えたかもしれない。

 

「竜具の選択以外、無条件の継承。やっぱり、異常だな」

 

 制度の欠点を諸に受けたオルガを見ると、やはり滅茶苦茶としか思えなかった。

 

「……はっきり言う人だな、貴方は」

 

 今、その制度を導入している国におり、目の前に戦姫がいるのにその批判を平然と言う。凄い胆力である。

 

「どう評しようが、俺の勝手だろ。俺は俺の意思で自分の意見を述べてるだけだ。まぁ、流石に時と場所は選ぶけどな」

 

 その意見を言うと、マサトは軽く果実水を飲んで喉を潤した。

 

「……もし」

 

「ん?」

 

「もし、出る前の私もそう言えていたら。……旅をせずに済んだのだろうか」

 

「……過去に、でも、もしを持ち込んでも何の意味も無えよ。後悔は無くならない、死者は生き返らない、悲劇は消せない。無駄なだけだ」

 

 ぽつりと溢したオルガの『もし』に、マサトは苛立ちを含んだ声色でそう返す。

 残った果実水を一気飲みし、空になったコップをテーブルに強めに叩き付けた。

 

「……すまない、不快にさせたようだ」

 

 初めて見るマサトの荒れた態度に、オルガは頭を下げる。さっきの様子から、彼は過去に何かが有り、それが理由で後悔から過去に『でも』や『もし』を持ち込むのを嫌うのが分かった。

 

「……気にしなくていい。こっちがまだ子供なだけだ」

 

 憂さを晴らすようにマサトはつまみをかじり、追加の果実水を頼む。

 お代わりが届くと、内の感情ごと飲み干すようにまた一気飲みし、それで落ち着いたのか、軽くため息を吐く。

 

「話を戻す。俺達が今どう思おうが、過去は変わらない。何時だって変えられるのは未来だけ。それも、死に物狂いで足掻く者にしか、その権利は与えられない」

 

「……今の私には、無縁の権利だな」

 

「あぁ、そうだな。――で? どうする?」

 

「どうする……とは?」

 

「そのまま、何時までも進まないでいるつもりか。それとも、足掻くかってこと」

 

 前半の台詞に、オルガは少しムッとする。

 

「……失礼だが、私は私なりに進もうとしている」

 

「――さっき、知っているだけの俺から逃げて、挙げ句は気絶させようとしたのに?」

 

 痛いところを突かれ、オルガは言葉に詰まると、顔を俯かせた。

 

「他の場所を見て回って、自分、若しくは戦姫がどうあるべきなのかを探す。旅の理由は大方、こんなところか?」

 

 他には、家族や臣下の期待に応えれない恐怖や、逃げた自分への後悔から、逃げるように旅をしていたという推測もあったが、さっきの発言を聞いてこれは省いている。実際は少しあるかも知れないが。

 

「……その通りだ」

 

「で? それは成果あったの?」

 

「……あと一ヶ月ほどで一年になるが、正直あまり」

 

「アルシャーヴィン様や他の戦姫達には会わなかったのか?」

 

 戦姫ならば、答えが出ずとも良い経験になったはずだ。

 

「……私は最年少の上に、成り立てだ。友好な関係の相手はいなかった。他の戦姫に戦姫として会えば、彼女達に借りを作るか、弱味を見せることになる。それは避けたかった」

 

 その台詞に、マサトは呆れたように深いため息を付く。

 

「……何故、ため息を付く」

 

 月姫は少し怒りを込めた眼差しでマサトを睨むも、本人は微動だにしない。

 

「お前さ、さっき戦姫として会ったら借りができたり、弱味を見せるとか言ってたけど――逃げた奴に、そんなことを気にする権利や資格があるとでも思ってんのか?」

 

「そ、それ、は……」

 

 青年の冷たく、厳しい指摘に、少女の怒りと言葉は抑えられる。彼の言う通りだった。公国から、戦姫から自分は逃げた。それは紛れもない事実だ。

 

「だ、だが、さっき言ったように、戦姫としての借りや弱味を作ればブレストに迷惑が掛かるかもしれない。だからこそ、迂闊には――」

 

「統治者不在のブレストに掛けてるのに?」

 

「じ、ジスタードの公国には官僚制がある。現に、ブレストはわたしがいなくても、何とかはなっていた」

 

「統治者がいた方が、良いに決まっているだろうなあ。政治も、軍事も」

 

 鋭い指摘に、オルガは反論を止めてしまう。

 

「そうだな。この際、はっきり言ってやるか。今のお前は、自分の過ちと向き合えてない子供以下だ」

 

「こ、子供以下……?」

 

「同情はするよ。十ちょっとで、いきなり今までの場所から離れ、国を背負うことになる。俺には分からないけど、辛かったろうし、苦しかったんだろうな。――だけどな。だったら、どうして無理だと臣下や家族に一言だけでも言わなかった? どうして、逃げてしまった? どうして、一生悔いが残る行動を選んでしまった?」

 

 オルガは、何も答えれなかった。彼の言う通り、一言でも掛けていれば。現状は変わっていたはずだ。

 

「貴族や戦姫の誰とも会わず、ブレストや家族に向き合おうとしないのに、自分なりに進もうとしている? 説得力が微塵も無えよ。逃げたままの今のお前は、当然ながら戦姫でも、重荷に押し潰された被害者でも、子供ですら無い。ただの愚か者だ。そんな奴が、ぬけぬけと弱味や借りを気に出来たもんだ」

 

 どこまでも厳しい言葉に、少女は無言で俯くことしか出来なかった。

 重く、苦しい空気が二人の間を漂う。数十の時が経つと――オルガが絞り出すように呟く。

 

「……貴方の、言う通りだ。今の私は……愚か者だ」

 

 借りや弱味など、考えることすら馬鹿らしかった。そもそも、その資格や権利が無いのだから。

 本気で進もうとするなら、例え家族、臣下や他の戦姫、貴族達に卑下され、罵倒されようとも、頭を下げて会いに行くべきだったのだ。

 

「……まぁ、所詮は十ちょっとだし、そうなっても仕方はないんだけどな」

 

 さっきはついつい、厳しく批判はしたが、オルガはまだ十三だ。経験が圧倒的に足りない彼女に、こう言うのは酷だろう。

 

「悪かった。ごめん」

 

「……いや、それは甘えだ」

 

 さっき言われたことを何一つしておらず、逃げたも当然に旅を続ける自分には、慰められる資格すら無いだろう。

 

「……そっか。じゃあ、改めて聞く。オルガ、お前はどうしたい?」

 

 自分が出した問い掛けに、オルガは数十の間を置いた後、顔を上げ、しっかりとした瞳でこちらを見つめ、己の意思を告げる。

 

「……家族や臣下の期待を裏切ってしまった私が言えることではないかもしれないし、とっくに見放されているかもしれないが……それでも進みたい。このままは……嫌だ」

 

 少女の言葉を聞き、マサトは優しげな表情を浮かべた。

 

「なら、協力してやる」

 

 年下の少女が自分と向き合ったのだ。手助けするのが年上の役目だろう。

 

「協力……? もしかして、アレクサンドラ殿と話が出来るように頼んでくれるのか?」

 

 だとすれば、今の自分にとっては非常に有難かった。

 

「それもある。けど、それだけじゃない。公宮で働くように全力で掛け合ってみる」

 

「……は? い、今なんと?」

 

「あれ? 聞こえなかった? だから、お前がレグニーツァの公宮で働けるようにする、って言ったんだけど」

 

「い、いやいや、意味がまったく分からない。何故、私がレグニーツァの公宮で働くことになる?」

 

 第一、他の公国の公宮で働く戦姫など、前代未聞だ。自分が知らないだけかもしれないが。

 

「今のお前じゃ、戦姫としてやり直そうとしても、また重圧に潰されると俺は思ってる」

 

 逃げはしないだろう。しかし、そうなれば今度は余計に増した苦しみや辛さをより強く受け止めてしまいかねず、少女が潰れてしまう恐れがあった。

 反論したかったオルガだが、自分の未熟さを考えると、出来なかった。

 

「それよりはただのオルガとして一から頑張ってから、改めて向き合う方が良い。そう思った」

 

「一から……」

 

 オルガが逃げた要因には、彼女の経験不足とそれ故の精神的な未熟さが大きい。故に、一人の人間として改めて経験し、成長していくべきだとマサトは考えたのだ。

 

「それに、公宮で働けば、戻った時の参考にしやすい。利は多いと思うぞ」

 

「……贅沢な気もするし、迷惑ではないだろうか? それに、貴方はアレクサンドラ殿の臣下ではない。簡単には行かないだろうし、そんなことをすれば、周囲からの目は厳しくなる」

 

「まあな。その上、借金持ちだし」

 

「……借金持ち?」

 

 大丈夫なのだろうかと、オルガは冷や汗を掻く。

 

「だけど、そんなの関係無い。納得するまで話して、何度も頭を下げれば良いだけだ。あと、俺は周りの目なんてどうでも良い。俺は、俺だ」

 

「……本当にはっきり言う人だな、貴方は」

 

 傍若無人にも見えなくは無いが、実際は己の意志を貫こうとする。ただそれだけなのだ。

 

「一つ聞かせて欲しい。どうして、そうしてくれる?」

 

 今日会ったばかりの自分に対し、己の立場を悪化させかねない提案をする。そこまでする理由が分からなかった。

 

「一つは、俺の掲げる信念、一つでも多くの命を守るために。それに従ってだ」

 

 ――そういうことか。

 自分が成長し、良き統治者や人物になれば、それは多くの命を守る結果になるかもしれない。だから、協力してくれるのだ。

 

「しかし、私が貴方が思うように成長せず、積極的に奪う人物になった場合は?」

 

「その時は――容赦なく倒すだけだ」

 

 冷たさを混ぜた眼差しで、青年は少女を睨む。

 

「よく理解できた。頭にしっかり叩き込んで置こう。他には?」

 

「過去の経験から力になってやりたいっていうお節介や――真似事をしたいから、と言うべきかな」

 

「真似事……?」

 

「そっ。悪いけど、これはそれ以上言えない」

 

 一瞬、悲しい表情を浮かべたマサトを見て、オルガは聞かないことにした。

 

「理由に関しては、そんなところ。あと、逃げる選択をしてしまった以上、お前は他の人よりも厳しい道を歩まないと行けない。そして、俺は道の一つを示すだけ。それを選ぶかはお前次第だし、道を選んでも俺がお前の味方になって、優しくするつもりは無い」

 

 逃げた以上、他人よりも何倍も努力せねばならない。それは避けられない壁だ。

 そして、そう頑張ったとしても、マサトは歳上としては助言や手伝いぐらいはするが、積極的に味方する気は無い。後は、オルガが自身で進むべきなのだ。

 オルガの道は、彼女自身の意思で決まる選択であり、歩む道なのだから。

 

「……厳しいな」

 

「残念だけど、俺は仕方ない要素はあっても逃げた選択をした者にただ優しくしてやる気は無くてな」

 

 それは甘えだとマサトは思っている。

 

「最後。自分が未熟な子供であることを素直に受け入れろ」

 

 ――未熟な子供であることを受け入れろ、か。

 思わず、子供呼ばわりするなと言い返したくなった。しかし、事実だ。

 

「で、そこから一歩一歩進め。地に足をしっかりと付け、周りをよく見てからな。それが、今のお前には必要だ」

 

「しっかりと、覚えておく」

 

 今の言葉と忠告を、少女はしっかりと頭に刻み込んだ。

 

「素直で良し。――さぁ、どうする?」

 

 忠告は終わり。後は、オルガにさっきの選択の問いを聞くだけだ。

 

「先ずは、話だけでもさせて欲しい。もう片方はその後に決めたい」

 

「分かった。明日ここで会おう」

 

「今すぐでは無いのか?」

 

 直ぐ様行くのかと思いきや、マサトは一日待って欲しいと告げる。

 

「アルシャーヴィン様は病の身だ。何時可能なのかを事前に話しておく必要や、万が一に備えて、変装はした方が良い」

 

 確かにその通りだ。どちらにしても準備は必要不可欠である。

 

「あと、罠だと思うなら、来なくて良いぞ?」

 

「構わない。罠なら、罠で潔く受け止め、ブレストに戻るだけだ」

 

「じゃあ、今日はお別れだ。出ようか」

 

 話も終わり、つまみや果実水を腹に収めると、二人は酒場を出る。

 

「じゃあ、また明日」

 

「こちらこそ、また明日」

 

 別れの挨拶を告げると、男女はそれぞれの方角、陽と月に向けて歩いていった。

 



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第六話 月と朧と陽と

 これは完全に新しい話です。


 月姫と異烏が出会った日の翌日の昼。オルガは昨日入った酒場の近くで朝早くからマサトを待っていた。

 ――……中々来ないな。

 相手は戦姫かつ、病人だ。会談の予定をしてもらうのに、予想以上の時間が掛かっているのかも知れない。

 もうしばらく待つことにし、オルガは店前で立っていると。

 

「――あっ、てめえ!」

 

「昨日のガキじゃねぇか!」

 

 荒く呼ばれ、オルガがその声の発声箇所に振り向くと、昨日自分に声をかけ、何処かに連れ去ろうとした二人組がいた。

 

「……また貴方達ですか」

 

 オルガは露骨に心底がっかりした表情を見せる。よりによって、何故この二人組なのだろうか。

 

「な、なんだその面は!」

 

「生意気なガキだぜ……。昨日の奴はいないようだし、今日は来てもら――」

 

「人様の連れに、またちょっかいかけるの止めてくれないかな?」

 

 昨日聞いた声に、二人組はぎょっとして振り返ると、袋を持ったマサトがそこにいた。

 

「また痛い目に遭いたい? ――今度は容赦しねえぞ」

 

「私も、だ」

 

 前後からの強烈な雰囲気に二人組はたじろぐと、負け惜しみを言って昨日同様、立ち去って行った。

 

「まったく、昨日ので少しは懲りないのかねえ」

 

「ああいう類のは難しいと思う」

 

「面倒が起きる前に、報告して置くか。それはそうと、話し合いのことだけど――今日、体調が安定してる。だから、そちらさえ良ければ、すぐ会談しようとアルシャーヴィン様は言ってる」

 

「分かった。そうさせてもらう」

 

「よし。じゃあ、一度何処かで変装してから行こう。良い場所無い?」

 

「私が借りている宿がある。そこなら、誰にも見られずに変装できる」

 

「じゃあ、ささっと済ませようか」

 

 二人は直ぐに宿に行き、そこで変装してから公宮へと向かった。

 

 

 ――――――――――

 

 

 黒髪に変装したオルガを連れ、公宮に戻ったマサトはザウルと一緒に客室に案内し、アレクサンドラの様子を見に行っていた。

 一方、オルガはザウルと一緒に部屋で待っている。竜具は、アレクサンドラやザウルが信頼できる相手に預けていた。

 

「結構、掛かりますね」

 

「彼からも聞いたと思いますが、アレクサンドラ様は病弱なため、時間が掛かるのです。御待たせして申し訳ございません」

 

「いえ、こちらが急に頼んだ為もあります。気になさらず」

 

 ザウルは相手が戦姫のために、オルガは自分の今の立場のために敬語を使っていた。

 ――まさか、本当に戦姫を連れて来るとは……。

 しかも、相手は失踪したと言われている、オルガ=タム。今日、主から話を聞いたときも驚いたが、本人だったのもまた驚いた。

 しかし、偶々の休日で偶々放浪していた戦姫と遭遇するとは、彼はどんな運をしているのだろうか。

 これは単なる偶然なのか、運命が呼び寄せた必然なのかは分からない。だが、少なくともただの出会いで終わることは無い。それだけはザウルでも分かった。

 

「一つ、宜しいでしょうか?」

 

「何でしょうか?」

 

「彼――マサトは、どんな人なのですか?」

 

 自分はマサトを知らない。今までの話で知ったのは、ジスタード人ではなく、特別な事情で公宮にいることになった者。それと奇妙な武器らしき何かを所持している。これだけ。

 オルガとしては、どうにも気になる点が多いため、ザウルに聞いたのだ。

 

「誠に申し訳ありませんが、彼の事は言わないように口止めされていますので……」

 

 ――それほど、特別な人物という訳か。

 口止めしているのは、自分の事情を話せているザウルの立場を考えても分かるように、この公宮の重臣か戦姫だけだろう。

 となると、マサトはただの異国人ではあり得ない。そうするだけの価値か何かがある人物ということだ。

 事情があると言っていたことを思い出すが、ザウルは勿論、マサトからも聞けないだろう。特に、他国の上に逃げた今の自分には。そう考えると、つい苦笑してしまった。

 ――本でも読もう。

 ただ待つのも時間の無駄だ。政治の参考になりそうな本を探し、見付けるとゆっくりと読んでいく。

 半分ほど目を通すと、コンコンと叩かれ、マサトの声がした。直後に彼が入り、念のため扉を閉めてから報告する。

 

「アルシャーヴィン様の容態に変化が無く、問題はないため、許可が出ました。如何されますか?」

 

 ――……なんだ、今の違和感?

 さっきのマサトの発言が、オルガは少し引っ掛かった。口調とかではない。彼がまるで、アレクサンドラの体調を確認したかのような。そんな台詞だった気がする。

 ――いや、そんなことはどうでも良いか。

 それよりも、アレクサンドラとの会談が出来るのだ。そちらに集中せねばならない。承知しましたと返すと、マサトとザウルと一緒に廊を歩いていく。

 すれ違う人に奇妙な視線を向けられるも、オルガは気にしない。しばらく歩き、とある部屋の前に立つ。

 扉前にいた従僕が刻限を半刻までと告げると扉が開かれ、オルガは騎士と兵士と共にレグニーツァの主の部屋へと入室する。

 

「ようこそ」

 

 オルガの視線の先に、ベッドで身体を起こすアレクサンドラの姿が見える。どうぞと促され、近くの椅子に座る。

 ザウルが前のマサトと時と同じ様に、アレクサンドラとオルガの間に。マサトは三人から離れた位置に立つと、話が始まる。

 

「初めまして、煌炎バルグレンに選ばれ、国王陛下からレグニーツァの地を賜りし、アレクサンドラ=アルシャーヴィンだ」

 

「……羅轟ムマに選ばれ、国王陛下からブレストの地を賜りし、オルガ=タムと申します」

 

 アレクサンドラに比べ、現状からオルガには話すまでに少し間があった。

 

「こうして会うのは、初めてだね。僕は二年前から病にかかって公宮に籠る日々だったから」

 

「はい、私は昨年戦姫に選ばれたばかりなので」

 

 名こそは知っているが、これが二人の初顔合わせになる。

 

「話は彼から聞いてる。先ずは――君が聞きたい話からしようか」

 

 ――……私に尋ねないのか?

 先ずは、自分が統治すべき公国から逃げたこと。それについて聞かれるか批判されるかと、オルガは思っていた。

 ただ、向こうがそう話すのなら、こちらはしっかりと聞かせてもらうだけだった。

 

「アレクサンドラ殿は、六年前に戦姫に選ばれ、以来勤めてきたとのことですが」

 

「うん。それまではただの平民だったから、最初の方は色々と苦労したよ」

 

 特に文字は最低限だったので、政務をこなす為にも急いで全部を覚える必要があった。

 他にも、統治者であり、戦姫でもある以上は兵を指揮する能力は勿論、政治をこなす能力、立場に似合う作法や教養を筆頭に様々なものを学ぶ必要があった。

 最初は失敗が常に付きまとっており、成功の方が少なかった。決心したとはいえ、本当にやっていけるのか不安で一杯だった時など、何度も感じたものである。

 

「だけど、良き臣下達に恵まれたからね」

 

 アレクサンドラが近くに立つザウルを見ると、彼は光栄ですと言いたげに無言で頭を下げる。 

 彼や、多くの臣下達が未熟な自分を頼もしく支え、時には厳しく教えてくれた。

 ただの平民でしかなかった自分が戦姫へと成長したのは彼等の存在があってこそ。彼等がいなければ、今の自分はいないだろう。

 

「まぁ、今は二年前から病が本格的に発症したせいで、以前ほどは頑張れないけど。それでも、周りの彼等の助けもあって、何とかやって行けてるよ」

 

 またザウルを見る。騎士はまたそれぐらい、当然ですと言いたげに頭を下げる。勿論、無言だ。

 ただ、この事に関しては臣下に恵まれたと嬉しく思いつつも、彼等に負担を掛ける事への後ろめたさもあり、中々に複雑だ。

 

「貴女は……貴女は何故、そこまで頑張れるのですか?」

 

「どういう意味かな?」

 

「聞いた話では、病は非常に辛く重いものだと耳にしました。それなのに、どうしてそこまで公国の為に働けるのか。私はそれが知りたいのです」

 

 何故、そんなに辛く厳しい状態にもかかわらず、まだ頑張れるのか。それこそがオルガが一番知りたいことだ。

 勿論、当人の信念や想いが詰まった、重要な理由でもある。話せないと言われれば、素直に聞き入れる気だ。

 

「だからこそ、だよ」

 

「だからこそ……?」

 

「普通なら、拒絶されても何らおかしくない。だけど、彼等は受け入れてくれた。だから、頑張るのさ」

 

 マサトと話した時と、似た台詞を黒髪の戦姫は告げる。

 とはいえ、臣下達が受け入れた理由の中には戦姫だから、という理由も大きいだろう。現に、彼等と初めて会い、話した時もそうだった。

 しかし、自分を拒絶しない彼等は、アレクサンドラにとって嬉しい存在だった。だからこそ、戦姫になることを受け入れ、今も頑張るのである。

 ――たったそれだけでは、ある。

 しかし、それを貫き、辛い今も尚、戦姫としての勤めを全うしようとしているアレクサンドラと、重みから逃げた自分。

 どちらが人としても戦姫としても立派なのかは、一目瞭然だった。朧姫との大きな差を、月姫は感じてしまう。

 

「もっと聞きたい?」

 

「……」

 

 最初の話だけで、差を思い知らされてしまった。これ以上聞いても、劣等感に打ち拉がれるのは目に見えている。

 ――いや、だからこそ私は……。

 話を聞かねばならないのだ。自分よりも遥かに上である彼女に。どれだけ差を突き付けられ、未熟さを叩き付けられようとも。

 オルガは軽く息を吐き、内にある余計な迷いを払って意を決めると、続きを聞いていく。

 その一つ一つの詳細を知る度に苦しくなっていくが、必死に抑えて気になる所は質問する。そうやって話を十ほど聞かせてもらった。

 

「さて、ある程度話したし、そろそろ今度はこっちが訪ねてもいいかな?」

 

 ――ついに来たか。

 アレクサンドラが何を聞こうとするのか、オルガだけでなく、マサトやザウルも直ぐに気付いた。月姫は朧姫の提案を受け入れる。

 

「じゃあ。――もう少しで国を離れて約一年と聞く。どうして、僕との話し合いをしようと思ったのかな?」

 

 アレクサンドラは姉のように優しげ表情ながらも、しっかりと尋ねる。話自体はマサトから聞いてある程度知っているが、オルガの口から改めて聞きたいのだ。

 その問いに、オルガは意思を強く固めた上で答える。

 

「……私は、統治者や王についての答えを出すために旅をしていました」

 

 ――王。

 その単語に、オルガを除く全員が少し意表を突かれた。昨日の話や報告では出なかったからだが、同時に出た理由を考えればそんなにおかしくはないだろう。

 

「しかし、昨日私は彼と出会い、話をし、その中で自分が時に任せてただ逃げているだけだと理解したのです。……もう手遅れでしょうが、それでもそんな自分を変えたい、前に進みたいと思い、貴女との話をお願いしました」

 

「そう。ところで、この後はどうする気かな?」

 

「簡単には許されないでしょうが、家族や臣下に会い、謝罪をしてから改めて戦姫としての役目を最低限は果たそうと思います」

 

 マサトからの提案については、話さない。今のオルガには甘えと判断したからだ。

 

「出来るのかい?」

 

「出来るか、ではありません。やらねばならないのです。進むために」

 

 ――良い傾向ではあるんだけど。

 一方で自棄気味にも、気負い過ぎているように見える。マサトが言っていたように、戦姫の重さに潰される可能性が高かった。

 オルガが年若く、精神や経験が不足してそうなのも、アレクサンドラが悩む一因だ。そうすべきではあるも、先輩としては不安でもある。

 アレクサンドラの選択肢は二つ。このままオルガの意思を尊重するか、マサトの提案を聞いてもらうか。

 しかし、後者の場合、どうやって彼女を納得させるか。そんな都合の良い方法は――あるのである。

 

「ねぇ、君は昨日、確かマサトに危害を加えようとしたらしいけど――それについての謝罪はどうしてくれるのかな?」

 

「えっ、あっ、い、いやっ、それは申し訳ございませんでした!」

 

 昨日、マサトを気絶させようとしたことを責められ、オルガは慌てて頭を下げる。

 

「悪いけど、マサトは非常に価値のある人物なんだ。その彼に危害を加えようとして置いて、謝罪だけで済ませるのは都合が良すぎるよ」

 

 相手が戦姫とはいえ、他公国の公都で自分が抱える人物に害を加えようとした。

 これが、オルガが何らかの役目を果たそうとしていた間でのなら、マサトとオルガの非は互いに五分五分と言ったところだろう。

 しかし、今のオルガは己の役目を放棄した状態で国を出ている。これでは、非があるのはどう見ても彼女。その非に対する責任は取らねばならない。

 

「いや、自分は――」

 

「君は黙りなさい」

 

 自分の価値に関しての認識が薄いマサトが口を挟もうとするも、アレクサンドラが一蹴する。

 

「話は戻すけど、彼が万一大きな怪我や後遺症が出来ていたりしてたら、レグニーツァの大きな損失になっていた。だから、その分の賠償をしてもらう」

 

「ど、どれだけ払えば……?」

 

「そうだね。ざっと――」

 

 アレクサンドラがその金額を話すと、オルガだけでなく、マサトやザウルも口を開く。何しろ、その値段はマサトの借金の軽く数倍はあったのだから。

 ――これ、完全にぼったくりじゃね?

 マサトからすれば、この値段は法外にしか見えないが、アレクサンドラからすれば、マサトは異界の発達した知識を大量に所持する人物。その価値は計り知れず、これでもかなり控え目だったりする。

 

「ま、待ってください! そんなにですか!?」

 

「そうだよ。ちなみに、彼が無傷だったことを考慮した上でこれね」

 

 ――か、彼はどれだけの価値があるんだ!?

 月姫は唖然とする。この値段はどう考えても個人で払える範囲のではない。

 となると、戦姫として払うしか無い訳だが、国を出た自分が他の公国に早速賠償金を支払う。批判や不満を受けるのは確実だ。

 

「――あと、これは全部、君個人で払ってもらうから」

 

「はい!?」

 

 しかし、自分の責任であるため、オルガは仕方ないと納得しかけたが、次の台詞にまた驚愕する。

 

「いや、君個人で仕出かした事なのに、公国や他人が払うのは筋が通らないよね? だから、ただのオルガとして稼いで払ってもらう。それとも――向き合うと言いながら、自分の起こした事の責任を取るつもりが無いのかな?」

 

 最早、オルガは呆然とするしかなかったが、若さゆえに後半の台詞でムッとなる。

 

「そんなつもりは一切ありません」

 

「一度逃げた人にそう言われても説得力が無いなあ」

 

 アレクサンドラの挑発的な台詞と表情に、オルガは更に苛立ちを募らせる。

 

「しっかりと弁償します!」

 

「本当に? 大金だよ?」

 

「本当にです! 絶対に返済します!」

 

「本当の本当に?」

 

「本当の本当にです!」

 

 徐々に乗せられていることに、オルガは気付いていない。

 

「じゃあ、君は明日からこの公宮で使用人兼、マサトの補助者として働くこと。名誉と契約の神、ラジガストの名に掛けて。宜しい?」

 

「――はい! …………あれ?」

 

 オルガは力強く頷き――しばらく間を置いたあと、アレクサンドラの今の台詞を脳内で繰り返す。

 さっき、彼女はこう言った。今日から公宮で使用人として、同時にマサトの補助者として働くことを、ジスタードの神々の一柱、名誉と契約を司る神、ラジガストの名に置いて、と。

 つまり、自分とアレクサンドラはたった今、そう契約してしまったことになる。神の名の元の契約を。

 

「ザウル、この話が終わり次第、直ぐに契約書を作成するように」

 

「……は、はっ。承知しました」

 

 困惑気味だが、主の命令のため、ザウルは相づちを打つ。

 

「ま、待ってください! さっきのは勢いでつい……!」

 

「でも、了承したよね?。直ぐに手の平返し? さっきはしっかりとすると言ったのに、直ぐに撤回するなんて――君の言葉と責任は随分と軽いんだね」

 

 慌てて止めようとするオルガだが、にっこりしながらもそう告げるアレクサンドラの一言を前に硬直する。

 

「で、ですが、戦姫が使用人として働くなんて、外に知られたら……」

 

「契約はここにいる者達以外は極一部の者にしか話す気は無い。君がここにいることになった理由は、君はマサトが旅をしていた間に交遊を持つことになった知り合いで、彼が偶々外出した時に再会。話し合いをしたあとに、経験を学びたいと彼や公宮に頼んだ。こんな所かな」

 

 これだと、臣下でもないマサトへの批判が一気に高まるが本人は気にしておらず、多少の対処もしてある。

 

「後、ここでの生活は簡単なものじゃない。心構えはしっかりとしておくように」

 

 厳選された人物のみが入ることを許されたこの公宮に、赤の他人が戦姫の許可が与えられたとはいえ、いきなり入る。

 不満や嫉妬の視線を向けられるのは当然だろう。ただ、その分、大きな経験にもなるが。

 

「沢山経験して、活かすようにね」

 

 ――……そうか。

 これらの言葉で、オルガはアレクサンドラもマサト同様に自分を成長させる為の機会を与えてたのだと理解する。

 マサトはともかく、公主であるアレクサンドラはそれだけではないだろうが、機会をくれた。

 

「……とりあえず、頑張ります」

 

 月姫は少し間を置いて、そう返した。

 

「じゃあ、明日からマサトの元で頑張るように。部屋は今日は客室か彼と一緒の所に。ただ、明日からは彼と同室で暮らしてもうけど」

 

「問題ありません」

 

 異性であるマサトと一緒だが、決めた設定を考えると仕方ない。それに自分はそんなことを気にしないし、万一襲ってくるなら力で対応するだけである。

 

「これで話は終わり。一生懸命励んでね」

 

「今日はありがとうございました。失礼します」

 

「ザウル、案内してあげて」

 

「こちらです」

 

「感謝致します」

 

 ペコリと一礼すると、オルガはザウルと一緒に、礼儀正しく部屋から退室した。

 

「これで君の御希望には応えたかな?」

 

「……色々と言いたいのですが、それはともかく……よく、此処に置く判断をしましたね」

 

「あれ? 君が昨日言ったんじゃないか。どちらに転んでも、彼女に恩を売る良い機会だって」

 

 先輩としてのお節介も無くはないが、ここで成長の機会を与えれば戦姫としても、オルガ個人としても、彼女に借りを作れる。そして、もう一つ理由がある。

 

「それに、彼女を雇えば、君は僕の臣下になる。忘れてないよね?」

 

「――はい」

 

 昨日の話の時、アレクサンドラはオルガとの会談は受け入れたが、雇うことに関しては損得が半々なため、ある条件を出した。それこそがマサトが正式に自分の臣下となること。

 オルガへの貸しだけでなく、マサトを自分の臣下に出来る。だからこそ、アレクサンドラはマサトの案を受け入れたのだ。契約書も直ぐに作る予定だ。

 ――忠誠心は欠片も無いって断言してるし、正直、何処まで効果が有るかも不明だけど。

 それでも無いよりは良い。こちらのルールに反ったものである以上、マサトはレグニーツァに身を置き、益になるよう働かねばならない。これは絶対である。

 ――ただ……。

 自分の臣下になってまで、マサトはオルガに時間を与えようとした。これだけは正直、意外だった。理由は分かるのだが、そこまでするとは流石に予想を超えていた。

 これに関しては推測が二つある。一つはレグニーツァの臣下となり、情報を効率良く集めつつ、オルガに恩を売る。

 もう一つは、彼が言っていた目的、一人でも多くの命を救う為と、純粋にオルガの為を思って行動した。たったそれだけ。

 ――見て聞いての限りだと、後者に見えるんだけど……。

 そう断言するだけの根拠が無い。彼が全て計算ずくの可能性だって、十分あり得るのだから。

 

「概ね、君の望み通りには動いたかな?」

 

 頭に浮かぶ思考は欠片も出さず、アレクサンドラはマサトに不敵な笑みでそう呼び掛ける。

 

「……ああなるのは、完全に想定外です」

 

 マサトが考えていたのは精々、オルガを根気よく説得し、ここで学ぶようにする。それぐらいだった。借金の辺りは完全に想定外である。

 

「君はもっと自分の価値を理解するべきだよ。自身には無頓着なのかな?」

 

 オルガが此処に置くなら、自分で言えば確実だったはず。なのに、そうしなかった。

 さっき言ったように無頓着なのか、若しくは己ではなく、自分を動かすために敢えて言わなかったか。

 

「良いかい、君は発達した世界の知を持つ人物。その価値は非常に大きい」

 

「ですが、本を読める人がいれば別でしょう」

 

 自分が持つ知識は、忘れないように全てノートや手帳に記してある。あれさえ読めれば、自分の価値は差ほど無い。

 

「文字を理解しても、その意味を理解出来なければ無駄。時間もかなり掛かるだろうね。そして、君は理解している人物。それなりの実力者であり、特殊な武器を所持し、僕の病を改善か治療出来るかもしれない。替えは効かないんだよ」

 

 他にも、何らかの事態が起きて向こうの世界と交流するようになった時も彼の存在は大きい。大切にするべきなのだ。

 

「そんな人物に危害を加えようとした。だから、あの金額は正当な値だよ。寧ろ、もっと要求しても良いぐらいさ」

 

 ――怖っ。

 あれ以上の金額を要求しようとしたアレクサンドラに、マサトは思わず引いた。

 

「……数年は離れられなくなると思うのですが」

 

「大丈夫。契約は後で君の要求通り、一年間の勤めの後、彼女は解放するようにするから」

 

 何故、一年間なのかと言うと、マサトはそれが適切だと考えていたから。

 一年以内では、学びが不足する恐れがあり、それ以上は良心からオルガが苦しむと思った。なので、一年にしたのである。

 

「ちなみに、残りはどうするんですか?」

 

「残りは何らかの借りとして、返してもらうよ。その辺りはしっかりと決めて置くのが、政治だからね」

 

 この借りは金銭でも良いし、協力でも良い。とにかく、何かしらの方法でレグニーツァに利を与えてくれれば、アレクサンドラは構わない。

 

「万一、彼女が別人であるのを利用して、拒否、若しくは批判をした場合は?」

 

「重みに耐えきれずに出た者に、そんなことを出来る度胸があるとは思えないね。君はそう感じた?」

 

「いいえ」

 

 昔のとある事情から、そういう悪意などには敏感だが、オルガからは一切感じなかった。だからこそ、手伝いをすると決めたのだ。

 

「僕も君もそう感じた。なら、それで充分。万一、そうしたのなら信頼に値しない人間だと分かるし、来るなら迎え撃つだけさ」

 

 クスクスと微笑をアレクサンドラは浮かべる。普通なら魅力的な笑みの筈なのだが、マサトは背筋が冷えたのを感じた。

 ――その時に応じた対処をするんだろうな、この人なら。

 発言はしてないが、そう言っているのは嫌でも分かる。態度も余裕に満ちたもので、焦りなど微塵も感じない。

 

「ちなみにさ、彼女には言ってないの?」

 

 これは自分が異界人であることや、竜具に何らかの関係がある黒銃、ゼロの事を言っている。

 

「自分としては、向き合い出した彼女に正直に打ち明けたいところですが……。まぁ、立場がありますので」

 

 複雑な時以外は、極力隠し事はしたくない。しかし、今の自分はレグニーツァの臣下。故に、問題になる発言は控えねばならない。

 

「良い心掛け。他に話したいことは?」

 

「もうありません。時間も迫っている様ですし、今日はこれで失礼します」

 

 今日から主となった女性にペコリと頭を下げると、マサトも礼儀正しく退室。

 部屋には、公宮の主であるアレクサンドラとその武器、煌炎バルグレンが残る。

 

「さて、どうなるのかな?」

 

 これからを楽しむように、朧姫は微笑んだ。

 

 

 ――――――――――

 

 

 話を終えたマサトは自分が寝泊まりしている部屋に戻り、ドアをノック。返事は無く、いないようだ。

 

『まだ終わっておらんようだな』

 

「なら、情報でも纏めるか」

 

 部屋のルールなどを決めて置きたいため、治療に関する情報をしばらく目を通していく。

 四半刻ほど経つと、ドアが叩かれた。

 

「誰ですか?」

 

『私です。入っても良いでしょうか?』

 

「構いませんよ」

 

 許可を与えると、オルガが入室する。心なしか、少し疲れた様子だ。

 

「大丈夫ですか?」

 

「これぐらい問題ありません。それよりも、ここでは私はただのオルガ。敬語は止めてください」

 

「なら、そっちも敬語はしないで貰おうかな」

 

 敬語を使わない以上は、使われるのは少し抵抗があった。

 

「分かった」

 

「オルガ。お前と俺は、ここで一緒に暮らすことになるわけだけど……やっぱり、抵抗やこうなったことへの不満や恨みはある?」

 

 オルガは年は子供とはいえ、男の自分と共の生活には抵抗があって当然だろう。

 そして、自分が呼んだせいで借金を背負う羽目にもなった。不満があっても何らおかしくはない。

 

「特に。こうなったのは私の自業自得だ。不満や恨みなど無い」

 

 アレクサンドラに誘導された結果だが、元々は自分が逃げ出したり、危害を加えようとした結果がこの現状なのだ。恨むのなら、自分の未熟さや愚かさである。

 ――……それに。

 正直なところ、オルガは時間が出来たことに安心していた。情けないことに。

 覚悟を決めはしたが、それは強い意志を持つアレクサンドラやマサトに触れ合ったから行ける。そう言った、勢い任せな面があった。

 なので、平常になった今では再度恐れが浮かんでいた。戻っても大丈夫だろうか、また逃げてしまうのでは無いのかと。

 

「まっ、仕方ないさ。経験が足りないんだから」

 

 不安が顔に出ていたらしく、マサトにフォローの言葉を掛けられる。見事に当たっている上に、反論できないのが悔しい。やはり、自分は未熟だ。

 

「……マサト、私は立派な人物になれるだろうか?」

 

「さぁ」

 

「……冷たいな」

 

「だって、俺はお前の味方じゃないし、況してや未来を見透す予言者でもない。全然知らない相手に根拠の無い言葉は掛けれない」

 

 ――……尤もだな。

 全く以て、その通りな台詞にオルガは納得せざるを得ない。第一、他人に評価を求める。己の未熟さや自信の無さを自分で示している証だ。

 

「ただ、これだけは言ってやる。特殊な例を除いて、なろうとしなければなれない。それが普通だ」

 

 この特殊な例とは、王や戦姫だろう。血筋や、何かにより選ばれるため、例外にしている。

 

「またなれても、その後の努力も必須だ」

 

 立派になれたからと言って、そこで終わる訳ではない。寧ろ、それに相応しい努力を維持せねばならないのだ。これは王や戦姫も変わらない。

 

「だから、全力で、死に物狂いで努力しろ。背を押すぐらいの手伝いや助言はしてやる」

 

「……ありがとう」

 

 厳しさはある。だが、その中には確かな優しさがあるのをオルガは感じた。

 

「マサト。私は一応戦姫な訳だが、だからといって余計な気を使う必要は無い」

 

「その方が俺も助かる。じゃあ、共同生活に当たっての規則とかや、念のための偽名を決めて置こう」

 

 オルガの名はそこまで特別な物でなく、多く使われてはいるが、正体を感付かれないためにも偽名は使った方が良い。

 

「私はそこまで気にしないが」

 

「そう? まぁ、俺もそれにはそんなに気にしないし、深くは考える必要は無いか」

 

 とはいえ、オルガが道具などを見付けない為にも、最低限は決めた方が良い。オルガも頷き、簡単に話し合って一通りのルールやここで使う偽名を決める。

 

「あと、明日からは補佐や雑用を色々とお願いすることになるから頼むよ」

 

「戦姫の私が雑用か」

 

 思わず苦笑する。勿論、不満などあるわけが無いが、国王の次の地位の自分が雑用をするという事実が可笑しくなっただけである。

 

「不満?」

 

「そんなことは無い。何でもする」

 

 これも経験。言葉通り、何でもこなすつもりだ。

 

「なら、稽古や試合とかもお願いして良い? もっと強くなりたいからさ」

 

 昨日の件から、マサトはオルガが自分よりも強いと見抜いていた。

 向こうでも、身体を鍛えたりいざというときに備えて鍛錬はしてきたが、戦争や討伐が多いこちらでは足りない可能性が高い。

 黒銃、ゼロも使いこなし、自分の心情を貫くためにも、強さと技をもっともっと磨いて置かねばならない。なので、彼女に教えを請いたいのだ。

 

「構わない。しかし、そっちは良いのか?」

 

「何が?」

 

「年下の私に鍛えられる訳だが」

 

 自信や誇りなどを打ち砕かれるかもしれない。オルガは善意でそう言おうとしていた。

 

「そんなこと? 俺はまったく気にしないよ」

 

 存在意義の為に強くなるこそが重要。中途半端な自信や誇りなど、マサトには不要な物でしかない。

 

「変わっている」

 

「よく言われる。だけど、これが俺だ。変えるつもりは無いし、変わるつもりも無い」

 

 ――堂々としている。

 己が己であると、揺るぎない意志で告げているのをオルガは感じる。アレクサンドラもそうだった。今の自分にとって、羨望すら抱くほどの意志。

 ――……今はまだ。

 経験が足りず、未熟な自分では、身に付けるのは到底叶わないだろう。かし、何時かは己の心に宿したい。

 

「マサト」

 

「ん? 何?」

 

「まだまだ未熟な私だが、宜しく頼む」

 

「こちらこそ」

 

 オルガが頭を下げ、マサトもそれに応えて頭を下げた。

 こうして、異烏と月姫の共同生活が始まったのである。

 



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第七話 雌伏の月

 これもリメイク前には無い話です。


 色々あって、ジスタードの七戦姫、アレクサンドラ=アルシャーヴィンの使用人になった、同じく七戦姫、オルガ=タム。

 その翌日の早朝。彼女は早速、使用人としての仕事を始めていた。服は勿論、使用人の服である。

 

「レナータ、そこを」

 

「はい!」

 

 偽名であり、再生の意味を持ち、一からやり直すという意味を込めて付けた偽名、レナータを呼ばれたオルガは使用人長の指示に従い、自分がいることとなった組の同僚達と共に小柄な身体を慌ただしく動かして作業をする。

 乾いた布巾で壁や窓、家具を丁寧に拭いて埃を取り除いていく。汚れがあれば勿論、取れるまで拭く。

 オルガは小柄な身体からでは想像できないほどに力持ちのため、傷付けないようにしっかりと加減する必要があり、少し手こずっていた。

 

「終わりました!」

 

 オルガがそう言うと同時に他の使用人達の作業も終わったらしく、長が使用人が部屋を素早く確かめる。

 

「充分よ。次に行くわ」

 

 オルガを含めた全員がはいと答え、道具を持つと次の部屋に移動。そこでも清掃を完了させると、また次を。一つ一つ済ませていく。

 ――想像よりもきついな……。

 速さと正確さを求められるため、気がまったく抜けない。常時身体を動かしているのと、慣れない作業で気が張っているせいか、思いの外体力を消費していた。

 それでも、オルガは使用人長の下でこなしていく。その数が十に到達し、十一箇所目の部屋でも清掃を進めていると、一人の男性が入ってくる。

 

「すいません。ここにレナータはいますか?」

 

 ――マサト?

 作業の邪魔にならないよう、入ってきたのは自分と共同生活している青年、マサトだった。

 

「ここにいます。何か御用ですか?」

 

「今から、アルシャーヴィン様の診察に向かいたいのですが、レナータには自分の補佐をお願いしたくて」

 

「なるほど」

 

 マサトが自分達の主人の医師であることは知っている。昨日からは、臣下になったことも。

 レナータ――オルガは彼と親しい関係であり、同じ部屋で共同生活しているのも。

 

「けど、貴方一人でも良いのでは?」

 

「アルシャーヴィンは女性。そして、自分は男性です。配慮の為にも、レナータには補佐をお願いしたいのです」

 

 レナータには、組の一人してまだまだ作業をしてもらいたいが、主の医師に診察の補佐をして欲しいとお願いされれば、そちらを優先せねばならない。理由にも納得出来た。

 

「分かりました。レナータ、行きなさい。勿論、診察の時間が終わり次第、直ぐに戻るのよ」

 

「ありがとうございます。皆さん、ごめんなさい」

 

 使用人長と周りのペコリと頭を下げ、オルガはマサトの元に駆け寄り、一緒に廊を歩いていく。

 

「……長、あれで良いんですか?」

 

「ちょっと特別過ぎません?」

 

 二人が去ると、数人が不満を使用人長に溢す。

 

「仕方ないでしょう? あの子は戦姫様の医師に補佐を頼まれてるのよ?」

 

「でも、補佐するだけなら、侍女長や女官の人達の方が数倍良いじゃないですか」

 

「そうですよ。あの子である必要はありません」

 

 特に、侍女長のその下者達は戦姫の世話する立場の人間。使用人達の言う通り、オルガよりも遥かに補佐には適任だろう。

 

「その辺りには、医師の彼の考えや事情や立場が関係しているのでしょう。上手く進めるために親しい相手を選んだとも考えられるわ。私達が一々口出ししても邪魔になるだけ」

 

 使用人達ほど露骨ではないが、オルガの特別扱いには思う所はある。マサトが診察の補佐に選んだのもだ。

 しかし、マサトがどうやろうが、上手く行きさえすればそれで良いのだ。逆に、成果が出ないのであれば、その時に口を出せば良いだけである。

 

「それよりも、手や身体を動かしなさい。作業はまだまだあるのよ」

 

 使用人達はすみませんと頭を下げながら謝罪すると、まだまだ不満はあるが、気持ちを直ぐに切り替えて作業に集中する。

 リーダーに言われたからとはいえ、これが直ぐに出来る辺り、彼女達が公宮に勤めることを許されただけの人物であることが分かる。

 個人のことは後回し。今は速やかに仕事を済ませていった。

 

 

 

 

 

 一方のオルガ。消毒や手洗い、着替えを済ませ、マサトと一緒にアレクサンドラの部屋に入室しており、今から診察を始めようとしていた。

 

「では、今日の診察を始めます」

 

「お願いします」

 

 二人の質問の受け答えをオルガは聞いていく。マサトとアレクサンドラは二十日も続けているので慣れたものだが、オルガは当然ながら今日が初めて。こうするのかと、理解していく。

 ――しかし……。

 マサトがアレクサンドラの医師であることは、正直言ってかなり驚愕していた。

 かなり若い上に、そんな素振りがまったく無かったので当然の反応だろう。

 だが、患者であるアレクサンドラがその事に言及していないので、自分が口を挟む理由は無い。

 ――ただ、一つ気になるのは……。

 見たところ、マサト一人で問題無さそうだった。補佐として呼ばれたが、自分は必要あるのかとオルガは感じた。

 

「瞳を」

 

「どうぞ」

 

 マサトはアレクサンドラの瞼に指で優しく触れ、上下に開いて瞳を確かめる。その次は舌、竜具の光を利用して喉の状態も見る。専門家では無いが、出来る限りの知識はあるので何とかはなる。

 

「レナータ、アルシャーヴィン様の心音――心臓の鼓動の音、数を確かめます。だから、道具の中の一つの……それです。それを使って聞いてください」

 

 マサトが指差したのは、大きさが違う金属の面と、合間から伸びた筒らしき物がくっついた何かだ。

 

「……どう使えば?」

 

 とりあえず手に取るも、当然ながら初めての代物の為、オルガは用途を尋ねた。音を聴く道具らしいが、使い方がまったく分からない。

 

「すいません。端である細いの場所が二つあるでしょう? そっちを両耳に軽く入れてから、面を心臓に当ててください」

 

「こう、でしょうか?」

 

 少し抵抗はあるが、言われた通りにそのヶ所を耳に入れる。そして、面をアレクサンドラの心臓のある所に押し当てた。

 

「あ……」

 

 音が、道具越しにはっきりと聴こえる。病弱の身体からは想像も付かない程に力強い、アレクサンドラの心臓の鼓動が、自分の耳に。

 心音だからだろうか。その音のリズムが不思議と心地よく、オルガは思わず聞き入ってしまう。

 

「レナータ、診察中ですよ」

 

「す、すみません」

 

 呼び掛けられ、オルガはハッとしてアレクサンドラに謝罪する。聞き入っている場合ではない。

 

「別に構わないよ。心地好い音だった?」

 

「は、はい」

 

「それは良かった」

 

 微笑むアレクサンドラに、オルガは何と言えば良いのか分からずに戸惑う。

 

「つ、づ、き、で、す」

 

「は、はいっ!」

 

 強めに言われ、オルガは気を引き締め直す。

 

「一定の音が聞こえてると思いますが、今から自分が良いと言うまで聞いて、その中に違う音が雑ざっているかどうかを調べてください。しっかりと、集中して、ですよ」

 

 釘を刺されたオルガは、耳に届く音に全神経を集中させて、違う音があるかどうかを確かめていく。

 ――六十、六十一、六十二、六十三……。

 一方のマサトも、目を閉じた状態で深く集中しており、ある数を数えていた。それが一定数に到達する。

 

「――終了。どうです?」

 

「特に妙な音はありませんでした」

 

 最初の音が一定のリズムで鳴っていただけで、雑ざっているのは無かった。

 

「なら、今度は鼓動の数を数えてください」

 

 オルガは頷くと、また集中して数を数えていく。

 

「終了。幾つですか?」

 

「八十七でした」

 

「やっぱり、少し多い……。次、今の箇所から少しずらした所に」

 

 ――一ヶ所だけでは無いのか。

 てっきり、そこを調べたら心臓は終了かと思いきや、少しずれた場所も聴くらしい。

 慎重なのか、それぐらいは当然なのかは不明だし、さっきの多いという言葉の意味も気になるが、自分はマサトの指示に従うだけだ。

 オルガが指示通りに心音とその数を確かめ、マサトはその情報を紙に記していく。

 

「次は肺です。そこが終わったら――」

 

 指示通りに、複数の臓器の音を聴いていく。音を確かめるだけの作業ではあったが、一つの臓器で複数箇所を聴くために予想以上に時間が掛かる。

 ――しかし、凄いな、この道具……。

 見た目は得体の知れない何かだが、密着しなくても臓器の音をしっかりと聴ける。かなり優れた医療器具であるのは疑いようもない。

 

「最後に、アルシャーヴィン様の脈を測ります」

 

「分かりました」

 

 これについては知っているため、オルガは左手首に指を軽く押し当てて測り、数を伝える。

 

「次は触診です。これは自分が主に。ただ、一部はお願いします」

 

 女性の大切な部分である胸や股付近などは、異性の自分よりも、同性のオルガの方が適任。なので、其処らは彼女に頼んだのだ。

 異界人と戦姫のコンビが代る代るアレクサンドラの身体を確かめ、それが済むと診察は漸く終わった。

 

「今日の診察は終わりです」

 

「ありがとうございました。さて、今からは話にしようかな?」

 

「なら、わたしはこれで……」

 

 診察が終わったのだ。急いでチームに戻り、清掃を手伝わなければならない。

 

「先輩として、僕の経験の話をしようかなと思ってるんだけど」

 

「有難い言葉ですが、わたしは特殊な事情で入れた新人。一日でも早く、この公宮で働く人達に認めてもらう為にも、頑張らねばなりません。――失礼します」

 

 とことこと歩くとオルガは一礼。素早く退室して行った。

 

「あらら、折角の君の配慮も無駄になっちゃったね」

 

「あれがあの子の性分なのでしょう。一理ありますし」

 

 マサトがオルガを補佐に選んだ理由は、女性で他の人よりも信用できる。そして、アレクサンドラと話をさせることで彼女の経験にするためだった。ただ、しばらくは無理そうだ。

 

「気に掛けてるね、御優しい異界人さん。そんなに気になる?」

 

「誰の事でしょうか?」

 

 仏頂面で、マサトはそう返す。自分は手伝いをしてあげているだけ。優しいと言われる筋合いは無い。

 

「じゃあ、面倒見の良い異界人さん?」

 

「話は聞かないのですか?」

 

 聞かないのなら、自分も退室する。マサトはそういう意味で言っていた。

 

「つれないなあ。聞きたいけど」

 

 アレクサンドラもそれを理解したため、聞くことにする。マサトからの話は初日から楽しみにしている時間。それが無くなるのは嫌である。

 

「なら、さっさとそう言ってください。無駄話は好きでは無いので」

 

「本当につれないね。まぁ、良いや。今日はそうだね――」

 

 アレクサンドラの気分からの要求に応え、それに合った話を語る。そうして、男女の時間は過ぎていった。

 

 

 ――――――――――

 

 

 夜、オルガは自分が寝泊まりする部屋で一息付く。中にはマサトもいて、本に目を通している。

 

「ふう……」

 

「疲れた?」

 

「……かなり」

 

 診察が終わった後、直ぐに自分の組に戻って作業をしていたのだが、そこからは食事時以外は常に働きっぱなしだったため、もうクタクタだった。

 

「……使用人とは、こんなにきつい仕事なのか」

 

 昼の始め辺りまでは周りと同じペースで作業が出来たのだが、それから半刻後からは徐々に作業のスピードが下がりだし、最後に至っては完全に足手まといと化していた。

 

「そりゃ、主人の屋敷の清掃をきっちりとこなさなきゃならないしな。楽な仕事な訳無いだろ」

 

 塵や汚れ一つが残るだけなら、まだ使用人の責任で済む。しかし、それらが客人に見つかれば、主人までに恥をかかせてしまう大失態となる。

 しかも、ここは国王に次ぐ地位を持つ戦姫が住まう公宮。その影響も大きく、清掃は完璧に行わなければならない。

 そして、戦姫が住まう公宮だけあって、平民の家や並みの貴族の屋敷とは比べ物にならない程に大きい。そうなれば、当然ながら作業も増える。

 

「……他の人達は、毎日これを平気でこなしているのか」

 

「でないと、お払い箱だ。平気でこなせないと行けないんだよ」

 

「……凄いな」

 

 慣れない作業とはいえ、ここまで疲れる作業を組や他の人達は平気でこなす。毎日頑張らねば到底不可能だろう。オルガは素直に賞賛する。

 

「と言うか、お前は清掃とかしたことが無かったのか?」

 

 オルガの発言にマサトはふと気になった。子供とはいえ、手伝いの一つぐらいはしてそうだし、生きていればだが、一番見本になるだろう母親の単語が一切出ないのが引っ掛かる。まるで、無縁だったかのようだ。

 

「……わたしは騎馬の民で、現族長の孫にあたる」

 

 ――騎馬民族の出だったのか。

 オルガの戦姫となる前の素性を知り、マサトはさっきの態度に納得する。民族の身内なら、家事とは無縁であってもおかしくない。

 

「何時かは次の長の補佐する者か、もしくはその次の長になるか。皆もわたしもそう考え、一生懸命学んでいたのだが――」

 

「昨年、竜具が自分の元に現れ、戦姫に選ばれた、か」

 

「あぁ、昨年の夏だった。夜、急に光ったかと思うと、その中にムマがあった」

 

 ちなみに、そのムマはこの部屋にちょっとした工夫で隠してある。

 

「そして、国王陛下に謁見したあと、正式にブレストの戦姫となり、治めることとなった。……家族や皆は応援してくれたし、官僚達はわたしを暖かく受け入れてくれたのだが……」

 

「耐えきれずに出てしまった、か。けど、話を聞いた限りは、家族や皆の応援や、臣下の支えもあったんだろ? そんなに重かったのか?」

 

「……それも無いと言えば嘘になる。しかし、一番の理由は――怖かった」

 

「怖い……?」

 

「……さっきも言った通り、わたしは騎馬の民だ。しかし、私の生まれ育った場所に比べ……ブレストはあまりにも大きすぎた」

 

「……上手くやって行けるか、不安になったのか」

 

 オルガはこくりと頷く。あの時の感情は今もしっかりと残っている。自分が暮らしてきた場所とブレスト。その二つは、あまりにも差がありすぎた。

 その現実を目の当たりにした時、どうしようもなく恐怖してしまったのだ。小さな世界で培ったものが、想いが、こんな大きな世界で通用する訳がないと。

 

「……なるほどな」

 

 差というのは、人を奮い立たせることがある。しかし、時には逆に意志を消沈させてしまう。オルガは後者だった。

 だが、オルガは当時、十二。応援や支えがあっても、そんな年で生まれ故郷と規模が違いすぎる公国を背負うことになったのだ。彼女を弱い、臆病者と評するのは間違いである。全員が強者ではないのだから。

 自分だって、その時は己の道を進み出した頃。そんな時期に桁外れの重圧を受け止め、役目を果たせと言われても無理にも程がある。余程強い意志が無ければ潰されるだけだ。

 しかも、オルガは応援されたから、支えられたから戦姫になった。つまり、本人は戦姫に対しての何らかの想いが強くない。これも出てしまった要因だろう。

 ――やっぱり、もう数年待つか、試練の一つぐらいは課すべきだろ。これ……。

 そうすれば、結果はまた違ったはずだ。竜具に選ばれただけで戦姫になるというのは、やはり異常でしかない。

 

「未だに竜具を持っていたのは?」

 

「……正直分からない。戦姫への未練か、若しくは旅をしている最中に見捨ててくれれば諦めが付くと何処かで思っていたのかもしれない」

 

 しかし、時に身を任せるその考え自体、中途半端と言わざるを得ない。今だからこそ、オルガはよく自認できた。

 話を聞き終え、マサトはこう呟く。

 

「……何でお前だったんだ?」

 

 戦姫になる過程もそうだが、人選もおかしい。オルガは十二。アレクサンドラは十五でしかも病気持ち。どちらにしても、二十歳にも満たない相手を選ぶなど、常識で考えてあり得ない。

 

「……それはわたしにもよく分からない。先代の戦姫についても、わたしの元にムマが現れる二ヶ月前に戦死したとしか知らない」

 

 その事を聞き、マサトの両目が見開く。本を動かす手も止まった。

 

「……はっ? つまり、先代の戦姫が亡くなってから、お前も選んだのか?」

 

「ま、まぁ、そうなる」

 

「……馬鹿だろ」

 

「ば、馬鹿?」

 

 今度はオルガが目を開いた。マサトは前に竜具を無能と言ったことがあるが、だからといって慣れるかと言えば否なので当然の反応だろう。

 

「……選ぶにしても、もっと意欲に溢れた次の候補者を事前に決めるとかあるだろ。そうすりゃ、補佐とかにして経験を学ばせれる。聞いた話だと、竜具の選択が絶対らしいし、そういう対処もやろうとすれば出来る筈だろ、まったく……」

 

 マサトは心底呆れた表情で、深い溜め息を溢す。不安定過ぎる地位がよくも、四百年も続いたものだ。仮に自分が王なら、とっくに変えているだろう。

 

「も、尤もな話だが……竜具にも考えがあるのではないのだろうか?」

 

「その選定の結果が、今のお前なのに?」

 

 そう言われると、オルガは何も返せなかった。

 

「……何かもう、呆れしか出てこなさそうだし止め止め。この話は終わりだ」

 

 呆れた表情で、掌をひらひらと振って話を止める。

 

「そんなことよりも、身体はしっかり休めろよ。作業は明日もその後も、ここを出るまでずっと続くんだからな」

 

「……申し訳ない。鍛錬はしばらく出来なさそうだ」

 

 昨日、鍛えると約束したのだが、予想外の疲労のせいで数日は難しそうだった。

 

「他にもやることあるだろ。――これとか」

 

 一冊の本を取り、オルガに見せる。これは政治に関する本で、彼女に勉強させるためのだ。他にも、兵の運用――要するに、軍事関連も学ぶ必要がある。

 

「うっ……。やることは多いな……」

 

「そういう事。だから、鍛錬は余裕が出来てからだ」

 

 オルガが騎馬の民だと知り、もう一つ頼みたいことが増えたが、それは後回しにした。

 

「あと、教えてやろうか?」

 

「何を?」

 

「清掃のコツ。まぁ、どこまで参考になるか分からないけど」

 

「……得意なのか?」

 

「それなりに自信はある」

 

 マサトは向こうの世界で十八から寮暮らしをしていたが、こちらの世界では主に女性が行う、料理を除いた家事のほとんどを一人で済まさねばならないのである。

 その料理だって、指示の際はすることもあるし、何らかの理由で一人暮らしになれば、スムーズに行なうためのスキルは必須。少しでも知識を得るための時間を確保するためにもだ。故に、家事能力は高い。

 

「……お願いする。今のわたしでは、追い付こうとすることも精一杯だ」

 

 男性のマサトがどうして清掃が上手いのか少し引っ掛かったが、手伝いでもしていたのだろうとオルガは判断し、マサトに教わることにした。

 

「素直で宜しい。あと、身体はまだ疲れてる?」

 

「……結構」

 

「じゃあ、ベッド」

 

 疲労の残りをオルガが感じたと言うと、マサトはベッドを指差す。

 

「……ベッド?」

 

 その指に釣られ、オルガは自分が寝させてもらっているベッドを見る。ちなみに、マサトは昨日からもう一人分が来るまで床に布団を敷いて寝ていたりする。

 

「ベッドに腰掛けろ。良いことしてやる」

 

「……分かった」

 

 ちょっと怪しさを感じる発言だが、少女はその通りにベッドに腰掛ける。万一の時は、対処するだけだ。

 オルガが腰掛けたのを見ると、マサトは今行なっている作業を中断。立ち上がり、彼女の近くで膝を曲げる。

 

「――ちょっと痛いぞ?」

 

 

 ――――――――――

 

 

「今日は初日だったけど、彼女はどうだった?」

 

 自室でアレクサンドラは、手にある本を一ページずつ丁寧に見ながらも素早く把握していく。話している相手はザウルだ。

 

「意欲はありますが、どうやら不慣れな仕事のせいか、後半からは疲れだし、最後の方は疲労困憊だった様子。使用人達も、早く慣れて欲しいとの声が」

 

「そう。まぁ、それはこれからの彼女次第かな」

 

 オルガが家事をしたことが無いと把握したアレクサンドラだが、だからといって積極的に助けるつもりは無い。

 依怙贔屓と判断され、今後の彼女の悪影響になるのを避けるのもあるが、そもそも自分とオルガはそれほど親しくも無い。

 自分は彼女の保護者でもないし、恩や借りを作る意味でならともかく、善意で一々助ける理由も無いのだ。

 とはいえ、先輩として少なからずはしてあげるつもりだが、あくまでそこまでである。

 

「彼は?」

 

 曖昧だが、誰の事かはザウルには直ぐに分かった。マサトだ。

 

「何時も通りです。毎日ほぼ同じ時間に起床し、食事を摂り、戦姫様の診察が終わると鍛錬や勉強などを時間を費やして行います」

 

 はっきり言って、見本になるような規則正しい日々を過ごしている。賭けなどは一切しない。

 

「真面目」

 

「自分もそう思います」

 

「怪しい素振りは?」

 

「今のところ、皆無です」

 

 規則正しい生活をこなし、疑わしい点も無し。ここまでなら警戒する理由は零に等しいだろう。

 だが、マサトは異界人だ。この為、確実な証拠や保証が出ない限りはどうしても警戒せざるを得なかった。

 

「ザウル、君は彼を――向陽雅人をどう見る?」

 

 アレクサンドラはマサトのフルネームを言い、ザウルに意見を求める。この公宮で一番彼と触れ合っているのはザウルだ。その彼に意見を聞くのは当たり前だろう。

 

「……純粋で真面目、でしょうか?」

 

 会談の時に誤魔化しや隠し事こそしていたが、命に関わる場面である以上は仕方ないだろう。それに、嘘だけは一度も言っていない。

 普段は一生懸命に鍛錬し、勉強する様を見てもそう称して間違いではないだろう。

 もっとはっきり言うなら、複雑さを宿した純粋さ、か。矛盾しているようにも思えるが、これ以外にぴったりなのは無い。

 

「全て演技という可能性は?」

 

「彼に肩入れしているようですが、そんな様子は微塵も感じません」

 

 特に鍛錬中や勉強中の彼の意志に満ちた瞳には、演技の要素が欠片も感じない。

 

「ただ、無いとも言い切れません」

 

 何しろ、証拠が無いのだから。さっきのも、上手く隠している可能性は充分にあった。

 

「報告、ご苦労様」

 

 二人に関しての報告をしてくれた騎士に労いの言葉を掛ける。主の言葉に嬉しく思うザウルは一度頭を深く下げ、上げる。その時、主が持つ本に視線が集中する。

 彼女が持っていたのは、この部屋や他の場所にある本ではなく、マサトが所持していた鞄にあった本だ。

 

「彼から借りたんだ。ある程度の意味を理解したからね」

 

 ザウルの視線にアレクサンドラは何故持っているかを話す。ちなみに翻訳、説明したのは主にマサトである。

 

「内容は?」

 

「農業。レグニーツァは交易に依存している面が強いから、頼らずとも何とかなるようにしていきたい。だから、先ずはこれからってこと」

 

 レグニーツァは海に接した公国。その為、交易で得られる利益はとても重要だが、それだけに上手く行かない時が危ない。なので、他にも手を付けようと本を借りたのだ。

 

「参考になる点は御座いましたか?」

 

「逆だね、参考になる点ばかりが記されてる」

 

 ただ、向こうとこちらの技術差から、どうしても実用不可能な物が圧倒的に多い。

 百ある内、数個使えれば上出来なぐらいで、導入から立派な形にするには数年は要するだろう。

 しかし、それでも充分過ぎるほどの益が得れそうなのだから、恐ろしいものである。

 

「これらを全て、普通の平民である彼が知っている。向こうの凄さが分かるよ」

 

「確か、インターネット……でしたか? それで様々な情報を容易く調べたり、他にも数千や下手すると数万の多種多様な本があり、誰でも簡単に読めて借りれる図書館とやらも沢山あるとか」

 

 本の数や種類もそうだが、誰でも簡単に入れるのも凄い。

 

「こっちじゃあ、かなりの身分の者じゃないと入れないだろうね」

 

 一つ一つ向こうの世界を知る度に、差を思い知らされる。

 ――数百年、だっけ?。

 マサト曰く、こちらとあちらの世界にはそれだけの差が有るらしい。

 どれだけ時の流れなのか想像も付かないが、何十億をも優に超える人々が様々な障害に立ち向かい、必死に文明を発展させたことだけは分かる。

 だからこそ、高度な文明を築き上げたのだろう。決して、無条件でそうなった訳ではない。

 

「こっちも数百年すれば、向こうと同じになるかな?」

 

「それは分かりませんが……一つ確かなのは、その頃には我等は全員おりませんな」

 

「確かに」

 

 仮にこの世界がマサトの世界のように発展したとしても、自分達がその世界を見ることは叶わないだろう。

 

「まぁ、折角の見本があるんだ。存分に活用させてもらわないとね」

 

「その通りで御座いますな」

 

 自分は他の戦姫と違い、病気で満足に動けない。そんな中での発達した異界の知識と理解出来る人物。

 しかも、竜具同様に特殊な力を宿す武器まである。これらは圧倒的なアドバンテージだ。存分に活かさせてもらおう。

 

「この後、二人に勉強を教えるんだったよね?」

 

「はい」

 

「無理はしないように」

 

「勿論です」

 

「今後ともお願い」

 

「お任せください」

 

 報告を済ませると、騎士は主に一礼し、退室する。

 

「さて、二人は部屋に戻っている頃か……」

 

 すれ違う者達に挨拶をしながら、廊を歩む。彼は今、マサトとオルガが寝泊まりする部屋に向かっていた。勿論、二人に会うためだ。

 

「しかし、益々面倒と言うか、厄介と言うか……」

 

 騎士は困った表情を浮かべる。アレクサンドラの前ではああ言ったが、正直結構きつい。

 何せ、片方は異界人で、もう片方は戦姫である。公宮に勤めてはいるが、一介の騎士である自分には荷が重すぎないだろうか。

 かといって、二人の素性上、簡単には周りに言えないため、今知っているのは自分と主人、マドウェイの三人のみ。

 主人は病があるので、積極的に二人とやり取り出来ない。信頼の厚いマドウェイは公宮勤めではないので頻繁には会えない。そうなると、残るは自分だけだった。

 ――気を引き締めねばな。

 大変な役目だが、これも主やレグニーツァの為である。自分に強く言い聞かせ、しっかりとした歩調で向かう。数分後、二人の部屋の前に着いた。

 

「……ん?」

 

 何か聞こえる。二人で他愛の無い話でもしているのだろうか。そう思い、一度ノックしようとした時。

 

『あ、あぁ! 痛っ……!』

 

 抑えきれなかったのか、少女の悲鳴らしき声が上がった。今のはオルガの声だろうが、問題はどうしてそんな声が出たのかだ。

 念のため、話を聞こうとザウルは扉に耳を当てる。

 

『大丈夫? 痛かった?』

 

『だ、大丈夫だ……。初めてだったから……』

 

「…………はっ?」

 

 初めて、痛かった、そしてさっきのオルガの悲鳴。

 

「い、いや、まさか、そんなはずは……」

 

 額の脂汗と共にある考えが浮かぶも、ザウルは即座に却下する。非常にあり得ないが、そうなるとしても『それ』は深い仲の男女が行うものだ。

 二人がそれをするには、色んな意味で早すぎる。早とちりだろうと、ザウルは思おうとした。

 

『なら、少し優しくしてやる。俺に任せろ』

 

『た、頼む……。くあっ!』

 

 しかし、次の会話とまたのオルガの悲鳴にザウルは更に平常心を欠き、冷や汗の量が増す。

 その後も、優しく声をかけるマサトと苦悶の声を上げるオルガのやり取りは続き、その度にザウルの冷静さは猛スピードで削られていく。

 

『そろそろ……』

 

『わ、分かった……』

 

 数度のやり取りの後のこの会話から、ザウルは終わりが迫っていることを推測。居ても立っても居られなくなり、扉を荒々しく開ける。

 

「お、御二人共っ! 何をしているーっ!?」

 

「……ん?」

 

「……は?」

 

 騎士が焦りながら入室すると、気の抜けた二人の声が聞こえる。

 次に、ベッドに腰かけたオルガと膝曲げた体勢で彼女の足を掴むマサトが見え、ザウルの頭に疑問符が浮かぶ。

 

「何ですか、いきなり」

 

「失礼だと思います」

 

「あっ、いや……。申し訳ない……」

 

 ジト目で睨む青年と少女に、騎士は咄嗟に謝る。

 

「ところで、二人は何を……?」

 

「按摩、とやらをしてもらってます。何でも、手で身体を解して疲労回復を促す効果があるとか」

 

「按摩……?」

 

「マッサージ、マサージュという名に聞き覚えは?」

 

「いや……」

 

 ――こっちじゃ、まだそんなに一般的じゃないのかな。

 自分の世界でも、十六世紀の終盤まではそんなに日の目に当たらなかった療法。それを考えると、ザウルが知らなくても無理はないかもしれない。

 

「今は、それの足裏を刺激する型のをしてます。こんな風に」

 

「くっ……。き、効く……」

 

 マサトがオルガの足裏の一ヶ所をちょっと強めに押す。指圧により発生した痛みに、オルガは表情を歪める。

 ――さ、さっきの声はこれか……。

 完全に早とちりだと理解し、ザウルは自分が恥ずかしくなった。

 

「し、しかし、痛いのであれば、逆効果なのでは……?」

 

「身体を良くする為の痛み、と言ったところです。薬だって、良薬は苦いでしょう?」

 

 焦りを抑えながら疑問を尋ねるザウルだが、マサトの返しに納得する。良い薬というのは苦いものだ。それと同じだと考えれば、おかしくはない。

 

「とりあえず、こんなものでしょうか。気分は?」

 

「ふう……悪くはありません。不思議と気分が楽になりました」

 

 最初は痛みが率先していたが、その中にも不思議な楽さがあった。それはこうして終わると、強く実感できる。

 

「はぁ……効果があるのですね。それはアレクサンドラ様にも?」

 

「いえ、血の病がどのようなものか分からない以上、これは迂闊に出来ません。癒すための療法が、傷つけることになっては洒落になりませんから」

 

 それに、今まで調べた情報から、マッサージが逆効果になる可能性が高い。なので、しっかりと把握し、大丈夫と確信するまではしないと決めている。

 

「簡単には行かない、と」

 

「簡単に行く世の中なんて、ありませんよ」

 

「……それもそうですな」

 

 マサトが発達した世界の知識を持っているとはいえ、所詮はそこまでだ。大体、まだ一ヶ月も経ってない。そんな大それた成果が出る方が異常だ。

 

「……情けないが、わたしも同意だ」

 

 何でもかんでも上手く進む世界なら、自分は今ここにいやしない。無様だが、自分の存在がマサトの発言の正しさを証明していた。

 

「そんな世界だから、必死に努力せねばならないんですよ。進むために」

 

「……確かに」

 

「正論で」

 

 世界は早々、自分の思惑通りに事が進むことは無い。故に、必死に力を絞ら無ければならないのだ。

 

「さてと、何のようですか? ――様子見とか?」

 

「……相変わらず、はっきり言う人だ。まぁ、そんなところです。他にも、頼まれた勉強もありますが」

 

 今日は二人の仲や、マサトのさっきの発言で自分なりに二人を知れた。これ以上は警戒もしてそうなので、様子見についてはここで切り上げることにし、ここからは二人に頼まれた勉強を行おうとする。

 

「その事なのですが、今日は彼女が予想以上に疲れているので、自分だけで」

 

「マッサージをしてもらった。まだ頑張れる」

 

 意欲に満ちているのか、オルガはまだ頑張れると告げる。

 

「少しだけです。マッサージはあくまで、治療の効果を高めるだけで、直接回復させる訳では無いのですから」

 

「……分かった」

 

 それ以上は絶対に駄目だと、マサトの目が強く訴えていた。渋々だが、素直に聞くことにする。

 

「あと、折角なので、貴方にもマッサージしましょうか?」

 

「私にも? ……では、折角なので」

 

 少し疲れはあるし、マッサージがどんなものかを知ろうと、ザウルはマサトの提案を受けることにした。

 十数秒後、想定を超える痛みにより、騎士の悲鳴が上がることになったが。

 

 

 ――――――――――

 

 

「ふっ!」

 

「甘い」

 

 暗くなった広場に金属のぶつかる音と風が切れる音、そして、男女の声が響く。

 それらは十数秒間鳴り続けると、突然止んだ。

 

「またわたしの勝ちだ」

 

「……また、負けました」

 

「お疲れ様です」

 

 息一つ乱さずに淡々とした少女、乱れた呼吸を整えようとする残念そうな表情の青年、労りの言葉を掛ける騎士の、計三人の声が出る。

 ここは兵士や騎士が鍛錬に使う広場、その端の方で、オルガ、マサト、ザウルの三人がおり、今はオルガがマサトを鍛えていた。ザウルは二人が鍛錬をするためにいてもらっている。

 オルガが働いて数日目。作業の繰り返しやマサトの指導もあって、ある程度慣れて余力が残ってきた彼女はマサトを鍛えていた。服は、汗を描いて汚れてはならないので旅をしていた時のを着衣している。

 ちなみに、こんな時間帯で鍛錬している理由は簡単。オルガに時間に余裕があるのが夜だからだ。

 場所が端なのも、オルガは使用人として公宮にいるのに、桁外れの強さを見せ付けては面倒になる。なので、見つからないようにこっそりと鍛錬していたのだ。

 

「傷は無いだろうか?」

 

 オルガが心配そうな表情でマサトに近付き、様子を見る。その手には、斧型の竜具ムマがあり、淡い桃色の光を放っていた。

 出会った時のマサトに無能と言われた事から彼に対して苛立っており、使い手のオルガにもっとやってしまえと伝えていたのだ。

 勿論、オルガにはそんな気は一切無い。仮にあっても、マサトは喜んで戦うだけだろうが。

 

「大丈夫……ですよ」

 

 全力で挑んだため、呼吸は荒れてるし、細かい傷はあれど、大きな怪我はまったくない。それを確認し、オルガはホッと安堵する。一方、ムマはチッと言いたげに光る。

 

「しかし、本当に強い……」

 

 さっきから、数回試合を行なっているのだが、一度も勝てない所か、一撃も掠りすらしていない。

 相手は自分よりも一回り年下の少女で、しかも本人はまだ全力を出してないのだから驚きである。

 十三とはいえ、オルガは戦姫の称号を持つに相応しい強さを所持している。それを実感させられた。

 

「……強い、か」

 

 その単語を聞き、オルガの表情が少し曇る。自分は確かに強いのかもしれない。

 しかし、それは戦闘面だけ。精神面では、マサトやザウルの方が強い。オルガはそう思っていた。特に、今鍛錬しているマサトは。

 

「……どうしました?」

 

「いや、何でもない」

 

 今度はマサトが心配したが、オルガは曇りを消すと何でもないと告げる。

 

「それよりも、わたしはまだまだやれるが」

 

 羅轟はもっと痛め付けてやれと主に伝えるも、オルガはこれも無視する。

 

「では、次もお願いします」

 

 呼吸が安定してきたのか、マサトは構えと共に強い意志の光が込められた眼差しを自分に向ける。

 ――そうだ、この目だ。

 こちらを強く見据える、黒の瞳。その中には、思わず息を飲むほどの意志を宿している。

 もう何度も負けているにも拘わらず、その意志の輝きは鈍るどころか、寧ろ増しているようにさえ思えた。

 その瞳を前に、無意識に力を込めたオルガも構えを取り、今日十度目となる試合が始まる。

 マサトが地面を蹴る。両手に持つ黒き銃を振るうと同時に、砲口から生命で構築された塊が刃の形状へと変化していく。

 刃が銃とは対極の白の色をした丸みを帯びているもので、殺傷能力は皆無だが、まともに食らえば怪我は避けられないだろう。

 その刃をオルガは身体と脚捌きのみで、軽々かわす。マサトの斬撃――というよりは打撃に近いが――は慣れない武器ながらも、並みを簡単に上回る一撃だが、戦姫足るオルガは容易く見切っていた。

 上下左右の払い、前後の突き、動作を駆使し、フェイントも絡めてマサトは様々なパターンの攻撃を放つ。更に、蹴りも加えるも、オルガにはどれも当たらない。

 全ての攻撃が、たったの十三の少女に。だが、それに対して苛立たせることは無い。あっても直ぐに飲み込み、思考していくだけ。

 どうすれば、この若き戦姫に攻撃を当てれるのか、勝てるのかを。幾つも考え、実行していくが決して届かない。

 

「――そろそろ、こちらから行かせてもらう」

 

 少女の言葉が冷たくなる。纏う雰囲気が一変すると共に、オルガは加速。羅轟ムマを荒々しくも的確に振るう。

 その一撃は鋭く、重い。マサトには反撃する余裕がまったくない。全力で回避や防御するのが精一杯で、動く度に呼吸が荒くなり、防ぐ度に腕が痺れる。

 これで加減されてるのだから、実力の差を痛感される。マサトは思わず、苦笑する。

 

「――とどめだ」

 

 数度の攻防の後、オルガの一撃によりマサトはで弾き飛ばされる。直ぐに体勢を整えて応戦するも、あっさりと見切られて武器を弾かれ、目の前に竜具を突き付けられた。

 

「終了」

 

「ふう……。またまた敗北、と……」

 

 オルガは流した汗を拭き、マサトを見る。マサトも同様の行動を取り、休憩の間に深呼吸を繰り返し、次の試合に備えての体力回復と呼吸の整えを行なっていた。

 

「どうぞ」

 

「ありがとうございます」

 

 ザウルから水筒を受け取り、冷やした水で発汗で流した水分を補う。

 水を飲み干し、次の試合まで休んでいると、足音が聞こえる。この場所に自分達以外の誰かが近付いている証拠だ。

 無意識の内に、三人が警戒。ここに迫る来訪者を待ち構える。

 

「やたらと警戒されてますな」

 

「そなたか」

 

「マドウェイさん」

 

 ――……誰だ?

 二人は知っている様子だが、オルガは初見の人物に疑問符を浮かべる。

 

「……知り合い?」

 

「えぇ。まぁ、マサト殿は前に一度会っただけですが」

 

「初めまして、レナータ殿。――素性や事情はアレクサンドラ様から聞いております」

 

 オルガは思わず息を飲む。このマドウェイは、アレクサンドラから自分が月姫だと知らされている。焦りを抱き、警戒を更に高めてしまう。

 ちなみに、マドウェイはマサトの事もアレクサンドラから聞いてたりする。

 

「大丈夫ですよ。戦姫様の深い信頼を得ている者ですので」

 

 ザウルの台詞により、警戒を薄め、オルガは冷静を取り戻す。

 よく考えれば、そんな人物でも無ければ自分の素性を明かしたりはしないだろう。

 

「マドウェイ殿もここで働く人ですか?」

 

「ははっ、貴殿から敬語とは恐れ入ります。私は公宮ではなく、リプナの港町で働く船乗りですよ」

 

「船乗り? そんな人が何故ここに?」

 

 前に会った時に同じ話をしたので、マサトは少し共感を抱いた。

 

「ブリューヌの様子見、と言ったところです」

 

「様子見……もしかして、ブリューヌとの戦いがあるからですか?」

 

 放浪中に村や町で聞いたことがあり、オルガは知っていた。

 

「担当は我等ではありませんが、戦場はこのレグニーツァに近い所です。万一の事態に備え、調査は怠れません」

 

 ライトメリッツが負けた後の場合や、勝った後でもどうなるか分からない。だからこそ、対策を取るためにも調査は必要不可欠なのだ。

 

「……そうですか」

 

 その時か、もしくはそれ以外で危機が訪れれば、自分は戦えるだろうか。オルガはそんなことを考えていた。

 

「何れにしても、自分達に今出来るのは、有事に備えて行動するだけです」

 

 勿論、アレクサンドラの治療も怠らない。

 

「なので次――と行きたいところですが、今日はここまでに」

 

 今日は初めての鍛錬。それにオルガは作業に慣れ出しはしたが、まだ長時間の鍛錬は可能な程の体力は残せてない。勉強もせねばならないし、短めに切り上げた方が良い。

 

「分かりました」

 

「では、ザウルさん。また後で」

 

「失礼します」

 

 騎士と船乗りに挨拶すると、オルガはカルガモの子供のようにてくてくとマサトの後を追い、一緒に部屋に戻った。

 

「風呂に入りたい」

 

「同意見。さっぱりしたいなー」

 

 濡れた布で身体を拭きはしたが、汗で濡れた身体を洗い、すっきりしたいところ。

 しかし、風呂は大量の薪を使う贅沢な代物のため、公宮でも気軽に行えるものではない。なので、決められた日や時間でないと入れない。

 

「吸収。――完了」

 

 マサトは黒銃を手に取ると、目を閉じて集中。数秒後目を開き、銃を仕舞う。

 ――何をしたんだ?

 身体には異常は無い。しかし、マサトが何かをしたのは確かだった。

 これは、マサトが自分やオルガに付いている雑菌の命を身体ごと吸い取った。

 極上の存在なので、沢山吸っても量は微々たるものだが、それでも補充は可能だし、清潔にもなる。

 

「マサト、今のは――」

 

「身体を綺麗にするための作業。お前の分もやって置いた」

 

「それはそんなことが出来るのか?」

 

 見た限りは、やはり得体の知れない何かだが、色々と使えるらしい。

 

「拭くことや風呂も大事だけど」

 

 色々と便利な力だが、所詮はそこまでである。出来ないことだって多い。

 

「それよりも、これ」

 

 棚から本を数冊取り出し、机に置く。政治や軍事関連の本で、オルガだけでなく、自分も読む。

 

「迷惑が掛かるから、疲労が残ったり、倒れたりしないように。頑張るのと無理をするのは違うぞ」

 

 張り切ろうとしたオルガだが、マサトの忠告で抑える。自分が無理をするのは勝手だ。しかし、そのせいで周りに迷惑が掛かっては行けない。

 

「じゃあ、お互い頑張ろう」

 

「あぁ」

 

 互いのこれからのため、年が一回り近く離れた男女は違う本を手に取る。一生懸命にページを捲って文字を読んでいく。そうして、夜は静かに過ぎていった。

 

 

 

 

 

 この数日後、ジスタードの戦姫、エレオノーラ=ヴィルターリアが率いる五千、ブリューヌのレグナス王子が率いる二万五千が戦った。

 結果は、エレオノーラが五倍の差を覆し、ジスタードの大勝。

 しかも、ブリューヌは次期国王と目されていたレグナス王子が戦死するという、とてつもない損失を被ったのであった。

 そして、この戦いから、運命が一気に動き出す。その先にある未来がどうなるかは、まだ誰にも分からない。

 何しろ、舞台に役者はまだ揃いきっていないのだから。

 



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第八話 確かな一歩と、積重

 二つを合わせたので、ちょっと長いです。内容も少し違います。


 ジスタード、ブリューヌの戦い――後にディナントの戦いと呼ばれる一戦が終わってからの数日。初秋のある日。

 世界の流れが大きく動き出したが、まだ知らないマサトにはお構い無し。知っていても、態度は変わらないだろう。そんな彼は今。

 

「……眠い」

 

「……寝るべきだと思う」

 

 机に突っ伏していた。その目は気だるさを感じ、瞼が辛そうに上がる。

 彼は三日前から一睡もしていないのだ。近くにいるオルガは、心配な表情で見ていた。

 

「……いや、まぁ、そうなんだけど。これを一刻も早く調べてたいし」

 

 青年は顔を上げ、目の前にある物を見つめる。

 そこには、赤い液体――血液が入った硝子管が箱に縦に納められた状態で幾つもある。

 近くには、その血液を調べる為の道具である、木製に鏡、細長い棒らしき物、顕微鏡も置いてある。

 これでマサトは血液を調べていたのだ。但し、この血液は自分の物ではない。一応の主、アレクサンドラのだ。

 血の病を調べるため、三日前に彼女から採血した血液を、マサトは寝ずに調べていたので、結構眠いのだ。身体もかなりだるい。

 

「四半刻だけでも休むべきだと思う」

 

「その分の時間が勿体無い。今はとにかく、調べて調べて調べる。それだけ。成果が出るなら、多少の無茶は安いもんだ」

 

 血の病を調べ、改善策さえ見付かれば、最低限の勝利になる。それに結果が出れば、本当の治療法が可能になる可能性もあるのだから。

 ここで眠気ごときに負けるわけには行かない。乾いた音が鳴る。マサトが眠気を飛ばそうと自分の頬を両手で叩いたのだ。

 威力を間違えたのか、手の痕が赤く残っているが、本人は気にもしない。

 

「調査再開」

 

 顕微鏡を近くに置き、力を上手く使って状態を維持したまま血液を一滴取り出し、板に乗せて血をミクロのレベルで目視する。

 

「うん、よく見える。作った人達、良い腕してるなあ」

 

 血液にある、赤血球、白血球、血小板。それらが完全に見える様子に、マサトはガラスを作ったここにいない職人達に賞賛を送る。流石は、アレクサンドラが推薦した職人達である。

 

「……やっぱ、これが原因か」

 

 三日間の調査でマサトは血の病の原因が何かを見抜いてはいた。

 問題は、その何かがどの様なメカニズムで血の病を引き起こしているか、である。それを解明しない限り、安全な治療は出来ない。

 

「……本当に何なんだ、これ。本に該当するのは無し」

 

 おそらく変異したものだろう。しかし、それ故に本職ではないマサトは手こずらされていた。

 ――けど、関係ない。

 少なくはない費用や、職人達の頑張りがある。知らない何かがある、だけの報告など出来るはずがない。最低限はこなさねばならないのだ。

 一生懸命思考しながら、標準の物と未知の何かに対して目を通す。目の前のミクロの世界で見える物と、緊迫感に満ちた表情で対峙し続ける。

 謎の物を、力をミクロレベルの細さにしたピンセットで潰さぬように取り出し、尚且つ血液を払って他のガラス管に集める。

 次に、何が原因でこうなったのかを色々な方法で調べていくのだが。

 

「あー、くそ。駄目だ。分からない。何なんだ、あれ……?」

 

 午前十時ほどから始めたが、現在窓を見てみると、空が黒に染まっていた。どうやら、五刻近くはぶっ通しでやっていたらしい。

 少し休むと、抑えていた眠気で頭がくらくらする。しかし、ここで寝ては駄目だと頭に命令。同時に叩いてまた眠気を強引に飛ばした。

 

『入るが、大丈夫だろうか?』

 

 オルガの声がした。声で彼女だと分かったマサトは、作業をしながらやり取りをする。

 

「身体はきちんと洗った?」

 

『勿論だ』

 

「なら、良いよ」

 

 許可を与えると、オルガは入室し、直ぐ様扉を閉じた。直後に吸収で滅菌を行なう。

 

「……まだやってるのか」

 

 感嘆が雑ざった声で、戦姫でもあり今は使用人でもある少女は呟く。もう四日目なのに、まだ止めていない。

 

「当たり前だ。それが俺の仕事なんだからな」

 

 

「……成果は、得れそうだろうか?」

 

 ここまで頑張ってるのだ。出して欲しいと願わざるを得なかった。

 

「その質問は間違ってるな。得れそうじゃない。得なきゃならないんだよ」

 

「アレクサンドラ殿の病を治し、一つでも多くの人命を救うために?」

 

「よく分かってるじゃないか」

 

「しかし、無茶をするのは……」

 

「悠長にやって、アルシャーヴィン様の病が致命的な所にまで進んだら、何の意味も無い。だから、今の内に徹底的に無茶をする。それが最善なんだよ」

 

「……それは分かるが、やはり無理のし過ぎは良くない。医師の仕事はそれだけ無い。日々の診察も、マサトの仕事だ」

 

「……ふーん、ちょっとは言うようになったか?」

 

「私だって、ちょっとずつは進歩している。……はずと思いたい」

 

 途中までは良い台詞だったのに、最後の一言が明らかに自信が無い。

 

「そこは自信を持って言えよ」

 

 やれやれと、マサトは呆れた様子だ。

 

「ともあれ、無茶は駄目だ。それに考え続けても、頭がごちゃ混ぜになって混乱するだけだと思う」

 

「まぁ、それは一理――」

 

 その時、マサトの頭に何が引っ掛かった。疑問符を浮かんだオルガを放って、色々と思考しているとある一つの仮想が思い付く。

 ――もしかして、あれ……?

 まさかと思い、極小レベルでの付与を顕微鏡の板ガラスに謎の何か全てに、時間を掛けて加える。

 その後、しばらく放置し、違う管から血を一滴出して調査を続行する。何かをしてないと、寝てしまいそうなのだ。

 

「そっちは放って良いのか?」

 

「あぁ、少し確かめたいことがあるからな」

 

「そう」

 

 自分にはまったく分からないが、彼には何かの考えがあるのだろう。

 途中、少し気になったのでマサトの近くにある顕微鏡が見る。

 ――しかし、あの道具、何なのだろう。

 細い棒に、中央は小さな長方形の板とそれを止めるグリップ。下にはしっかりとした土台とその上に赤い点、血液がある円の板状のガラスがある。他には、三つの長さが違う出っ張りと、小さな丸いつまみ。

 とまあ、オルガからすれば、この前の聴診器同様、よく分からない代物だった。詳細も聞いてないので疑問符を浮かべても、仕方ないだろう。

 ただ、聴診器が必要な道具だった以上、あれもそうだと考えるのが自然だ。

 ――だが……。

 治療に血液を調べる、という発想ははっきり言って驚いていた。何らかの痕跡としてならともかく、治療の為の調査は聞いたことが無い。

 ――マサトの国では、それが普通なのだろうか。

 それとも、マサトを含めた少数のみの方法なのか。何れにせよ、謎だらけだ。

 仕事も終わり、自習をしていると教育係のザウルが入ってきた。勿論、滅菌をしてからだ。

 

「……調子はどうですか?」

 

「……かなり疲れています。ですが、休もうとしません」

 

 心配する二人だが、マサトは全く休まない。何故なら、答えが見え出したのだから。

 まだそれで終わりではない。これは発生源が分かっただけ。自分の推測が正しいかの、裏付けを取らねばならない。

 ――そのためには……。

 

「レナータ、一つ頼みがあります」

 

「何でしょうか?」

 

「ちょっと言いにくい事ですか、――血か唾液を採らせてくれません?」

 

「…………」

 

「……何で、無言で距離を取るんですか?」

 

 無言かつ、ジト目でオルガはマサトから少しずつ離れていた。

 

「流石に変態としか……」

 

 血はまだ良いかもしれないが、女の唾液をくれなど、普通に考えれば変態以外の何者でもない。オルガもこれにはドン引きで、ザウルも少し引いていた。

 

「そんなつもりはまったくありません。調査の為には、必要なんです」

 

「……変な用途に使う気は一切無いと?」

 

「自分がそんなことする人なら、とっくに問題起きてるでしょうが」

 

 自分と彼女は、同じ部屋で既に半月は暮らしているが、そんなことは未だに無い。欠片もだ。

 

「……溜まった欲を発散させようとしている、とも考えれる」

 

「どんな変態ですか、それ」

 

 ただ、余程の変態ならあり得るかもしれないが、自分は違う。第一、女性に興味すら無いのだ。

 

「まぁ、嫌なら構いませんが」

 

 これはあくまで頼み。オルガが嫌だと言うのなら、強要する気は無かった。しても、実力差から返り討ちに遭うだけだろうが。

 

「私の血か唾液があれば、アレクサンドラ殿の治療に役立つのか?」

 

「確証は無いけど、可能性は高いです」

 

「私のは?」

 

「今は、アルシャーヴィン様と同性――要するに女性のが欲しいんです」

 

 ザウルの分も、価値が無いわけではないが、今は女性の方が最優先だ。

 

「分かりました。受けます」

 

 自分の協力で、難病に苦しむ人が助かる。ならば、断る理由が無かった。

 

「どっちが良いですか?」

 

「どちらかと言えば、血液の方が――」

 

「なら、採ってください」

 

 マサトとしては適応するのかも確かめたいので、血液の方が有り難い。自分でそう言って置いては何だが、あっさりと了承したオルガに驚く。

 

「痛いですよ?」

 

「子供じゃありません。その程度でわたしは躊躇いません」

 

「いや、子供でしょう。年齢的にも精神的にも」

 

 容赦ない一言に、オルガはぐっと軽くたじろく。言い返せないのが悔しい。

 

「そんなことはともかく。本当に採血しますよ?」

 

 オルガは頷く。痛いらしいが、それぐらい大した事ではない。

 

「では、準備して来るので少し待っててください」

 

 採血の時は、安全に備えて道具を一式揃える必要がある。

 四半刻でそれらを揃え、オルガの右腕に血管の形を把握し、同時に保護をするための付与を加える。

 

「……また見るが、奇妙な形です」

 

「確かに奇妙ですな……」

 

 複雑な血管。見ても良い感じはしない光景だ。

 

「まぁ。――始めます」

 

 オルガが再度頷くと、マサトは目をしっかりと覚ましてから吸収で滅菌を行なう。次に駆血帯を腕に巻き付け、オルガに掌を閉じさせ静脈を浮かび上がせる。

 一旦深呼吸でリラックスしてから静脈に疑似注射器を刺し、力で真空状態を再現した管をホルダーにセット。オルガの血を抜いていく。

 ある程度の量を確保をすると、注射器を抜き、駆血帯を外し、刺した所をアルコールを染み込ませたガーゼで止血。

 止血が終わると、再出血を防ぐため、新しいガーゼと糊で接着させた包帯を腕に巻き付け、固定して終了。

 

「終わりましたよ」

 

「……変な感覚です」

 

 血を抜かれる、注射器で刺されるの二つをオルガは初めて体験した。どちらも、中々に複雑な感覚だった。

 

「痛みは?」

 

「大したことは」

 

 事実、その発言通り、オルガは終始表情を変えることは無かった。

 

「よく耐えました」

 

 採血する際の注射に恐怖を抱く子供は多いが、おそらくこの世界で二人目の体験者となったオルガは難なく耐えた。なので、マサトは褒める。

 

「…………」

 

 子供扱いするなと言い返したいが、さっきの二の舞になりそうなので、オルガは頬っぺたを空気で膨らませて不機嫌をアピールする。

 

「今日は出血を避けるためにも、鍛錬や風呂は控え、身体のために水分を少し取るように」

 

 ――無視!?

 そのアピールをマサトはスルー。というか、見てすらもいないと言いたげに忠告され、オルガはガーンと軽くショックを受ける。ザウルも苦笑いしていた。

 

「……今日も鍛錬無しだろうか」

 

 マサトはこの四日間、治療の時以外はひたすら調査をしていたので、鍛錬は一度もしてなかった。

 

「しばらくは、こちらに専念したかったので……」

 

 自分の腕を衰えさせてでも、これをやる価値は高いのだ。

 

「……役に立ちますか?」

 

「さっきも言った通り、役立てますよ」

 

 早速、採血したオルガの血液を合わせ、調査を再開。徹底的に調べていく。

 

「――持ってきました」

 

 途中、オルガの声と食欲がそそる匂いがしたので振り向くと、彼女が右腕に負担を掛けぬよう、左腕で夕飯を乗せたトレーを持ってきていた。

 

「多分ですが、ほとんど食べてませんよね? しっかりとするためにも、食事はきちんと済ませた方が良いかと」

 

「頂きますね」

 

 オルガの言うことに従い、生命の膜で道具や管を保護。彼女が使っている机で、遅い昼食であり、夕飯を頂く。

 メニューは海藻を使ったスープに、海の幸をふんだんに使い、生地に潰したじゃがいもを混ぜた、溶けたチーズが食欲を強く刺激する、ピッツァ。デザートには、蜂蜜を塗ったリンゴがある。

 ピッツァは潰したじゃがいもの不規則な食感と、魚や貝と混ざったチーズの組み合わせが良い。リンゴも蜂蜜は適度な量のため、程よいアクセントになっている。

 ただ、海藻のスープだけは少し不満があった。味が自分がいつも味わっているのと違い、香りは良いのだが、味が劣る。

 これは、料理人の腕が未熟とかではない。水の違いが理由だ。ここの付近のは味を引き出せる軟水ではなく、硬水なのが原因だろう。

 そのせいで、風呂や身体を洗うときは感触が、飲水のときは味にかなりの差があった。

 ――国が違うって、やっぱり大変だ。

 そんなことを考えつつ、日本の出汁を飲みたいと、ついつい思ってしまうマサトだった。

 

「――ごちそうさま」

 

 とはいえ、腹が減っていたのと料理の充分な美味さから、マサトは数分ほどで夕飯を平らげ、水を飲み干す。続きに向けての、良い補給になった。

 食事を終えると、トレーを厨房に運ぼうとしたマサトだが、彼が持つ前にオルガが手に取る。

 

「わたしが運びます。こういう手伝いならわたしにも出来ますから」

 

 どう足掻いても、今の自分は知識面ではマサトの調査のサポートは叶わない。

 しかし、材料運びなどの力仕事なら僅かでも力になれる。ならば、それをこなす。それが今の自分に出来る事だ。

 

「あと、欲しい物が有れば運びますが」

 

「うーん、今日は無いですね」

 

「そうですか……」

 

 ちょっと残念な様子のオルガだが、直ぐに気を引き締めるとトレーを運んで行く。それを見送ると、マサトは作業を再開。

 また一刻ほどの時間は有したが、その時になると、多少なりとも解明が出来た。それと知識を纏めた書物に記した内容と合わせ、推測をしていく。

 

「やっぱり、血の病って……」

 

 マサトの脳裏に一つの推測が浮かぶ。もし、この考えが正しいとすれば、血の病とは自分やアレクサンドラ達が思ってるような複雑な病ではない。もっと単純なものだ。

 ――けど、それゆえに厄介、って訳か。

 しかも、自分の推測が正しい場合、この病はあまりにも質が悪すぎる。女性に対してのみ起こる――『アレルギー』など。

 

 

 ――――――――――

 

 

 それから半月近く。マサトは四度の調査である程度を把握したため、今日はその報告だ。

 診察も終わり、オルガが作業に戻るべく退室した後、報告を始める。

 しかし、その前に一つして置きたいことがある。

 

「アルシャーヴィン様、今日は身体を見させてももらえますか?」

 

「身体? 彼女に見てもらったけど、またするの?」

 

「はい。血の病のことについて、幾つか判明しましたが、確証を得るためにもその裏付けをしたいのです」

 

「……もう分かったの?」

 

 始めてからまだ半月ちょっとなのに、今まで解明されなかった血の病の詳細を見抜いた。

 

「……凄いね」

 

 アレクサンドラは顕微鏡や知識の凄さに思わず驚愕する。流石は、発達した世界の物だけある。

 

「本当に凄いですよ、向こうの知識は。素人の自分でさえ、最低限の道具と組み合わせれば、こうして分かるのですから。改めて聞きますが、中を拝見しても宜しいでしょうか?」

 

「構わない。けど、見れる?」

 

「勿論です」

 

 機械の無いこちらでは、切開しない限りは不可能だ。しかし、マサトには特殊な力と、それを活かす知がある。

 そして、アレクサンドラへの負担も、慣らしてきたおかげでかなり軽減されている。問題はなかった。

 マサトは腰からポケットから菱形の石らしき物を取り出す。これは生命、しかも自分のを圧縮しながら構築した物体。それを身体に埋め込み、神経に接続する。

 ――相変わらず、気持ち悪……。

 本来以上の生命を身体に取り込ませたせいか、気分が悪くなる。どうやら、もっと慣らせる必要があるらしい。

 強いイメージを行い、力を腕や手に集めながら覆うようにガントレット状へと変化させる。

 

「面白い変化」

 

「自分は『リンク』と呼称してます。色々ときついのが、難点ですが」

 

 テストに何回か使っているが、この負担は中々減らない。リンクしている為、痛みが発生するのも欠点だ。それでも色々な用途に使えるので重宝していた。

 

「アルシャーヴィン様、正確に知りたいので、服を捲ってお腹を出してもらえますか?」

 

「一応聞くけど、お腹だけ、だよね?」

 

「当たり前です。第一、自分はそういうのに興味ありません」

 

 真顔でサラッと言ってのけたマサトに、アレクサンドラはからかう意味で乗っかる。

 

「へぇ、君ってあっち系の……」

 

「しばきますよ」

 

「冗談冗談」

 

 じーっと非難する自分の視線を流しながらケラケラと笑うアレクサンドラに、マサトははぁと溜め息を吐いた。

 

「それより、構わないのか、駄目なのか、どちらなのですか?」

 

「僕は良いよ」

 

「では、横になってください。少し妙な感覚を感じますが、我慢してください」

 

「分かった」

 

 指示通りに黒髪の戦姫が着ている服を捲ると、服よりも白い皮膚が臣下の目にはいる。

 しかし、マサトはさっきの発言通り、特に気にとめずにガントレットと一体化した手を壊れ物に触れるように腹に乗せた。

 神経に接続しているため、柔らかい腹の感触が伝わるも、やはり気にせずに目を閉じて集中する。

 

「――タイニーエンチャント」

 

「んっ……?」

 

 ――この、感じ……。

 普段の身体全体に取り込むのと違い、これは部分的にかつ、少量だけが触れているような感覚を感じる。

 目を閉じて集中すれば、触れている物の造形すらはっきりと認識出来そうだ。

 これは、マサトがガントレットから体内の臓器に極小の粒子状にした生命で付与をしていたため。

 それにより、マサトはアレクサンドラの臓器の外と内を認識していた。オルガに採血した時のと同じだ。

 

「…………」

 

 ――……やっぱり、か。

 しばらくすると、マサト目を開く。その目には苦々しさが浮かんでいたが、直ぐに払って手を腹から離した。

 

「終わった?」

 

「はい、終わりました」

 

 それを聞き、アレクサンドラは少し早めの動作で服を戻す。

 

「次は、血の病の詳細についてですが」

 

「聞きたい」

 

 心臓を少し高鳴らせながら、黒髪の戦姫は異界の臣下に詳細について尋ね、青年は時間を掛けて疑問に答えつつ丁寧に話していく。

 

「――と言う訳です」

 

「つまり、僕の病は人の身体を守るための免疫。その過剰反応、アレルギーかな? その影響によって発症する病。これであってる?」

 

「大体、そんなところです」

 

 但し、アレルギーの症状で悪くなる訳ではないので、厳密には少し違うが。

 それはともかく、アレルギーが起こる要因は人によって様々。一つだけもあるし、沢山の原因を持つ人もいる。

 そして、アレクサンドラの引き金は、ホルモンと呼ばれる体内で作られる物質。その内の女性をより女性らしくする、女性ホルモンが原因だ。

 また、原因が判明した中で、血の病の本当の特性にも気付いた。これは女性だけに発症するのではなく、女性に強く影響する病。

 男性にも少なからず女性ホルモンがあるため、年を取れば発症する可能性はあるのだ。

 症状が異なる場合が考えられるため、別の物が原因だと誤認され、気付かれなかったのだろう。

 ただ、そもそも反応自体は免疫を活発させて身体を丈夫する効果があるため、悪いことではない。

 謎の物――変異した化学物質も、毒性は無い。ヒスタミンのような、神経に伝達する役割のものが活性度の増加と、炎症の抑制能力を得たのだろう。

 これはおそらく、アレルギーに適応するために身体が変化を遂げたのだと思われ、効果だけを見れば寧ろ、歓迎すべきだった。

 普通なら役割を果たしたあと、体内の臓器を通って体外に排出されてお終い、で済むのだから。問題なのは、それが限度を超えている点だ。

 アレルギーで発生した物質は、血管から全身や臓器に送られるが、血の病を起こす要因を持つ女性は、同じ要因がある男性よりも、十倍前後の化学物質を常に発生させていることになる。

 体内に溜まった毒素や、老廃物を排出する肝臓や腎臓。この二つを重点的に、神経の活性化により生命の維持に欠かせない心臓や肺にも、既にかなりの負荷を掛けている可能性が充分にあった。

 そして、その推測は正しかった。さっきの付与で複数の臓器を調べていたが、幾つかは鈍っていたり、腎臓に至っては健康な自分と比べると六割手前の大きさしかない。負担により、消耗している証拠だった。

 こうなると、血圧が増加したり、免疫力が落ちたりして、余計に身体中に負担が掛かってまた機能の低下を招く。すると、身体にまた負担が増していく。

 この負の循環がどんどん進行していくことで、様々な病気を誘発させ、死に至らせるのが血の病の正体とマサトは推測していた。

 身体を動かすと発作が出やすくなるのは、弱った肉体に負担を掛けるのと、血流が活発になることで白血球の活動もまた活発化。

 あの特異な化学物質を急激に出してしまい、急に増えた化学物質が自律神経を乱してしまうためだろう。痛みが出たり、手足が重くなってしまうのも、おそらくは。

 皮膚が白くなることについても、その影響だろう。尋常性白斑と言われる、皮膚の色素が免疫異常などの様々な作用によって失われ、白い斑点が出来る病がある。それが全体的にかつ緩やかに現れたとなれば、辻褄が合う。

 血の病の症状を弱めるには、寝たきりなどの身体を大人しくするしか無いわけだが、免疫を抑えても、その分身体は筋肉が衰えて体力は低下。

 外から入った細菌が活性化しやすくなり、病気にかかりやすくなる。症状も重症になりやすくなり、結果、亡くなってしまう。これが、調査から推測した血の病の正体だった。

 向こうの機械が無いため、何処まで合っているかは不明だが、これ以外では考えにくい。

 それらの説明を聞き終えると、アレクサンドラは何処か呆れた様子でため息を吐く。

 

「……悪質すぎない?」

 

「……自分もそう思います」

 

 何せ、常時身体に負担を掛けているのだ。対処しようにも、免疫か体調を維持するためのホルモンを出す臓器を排除せねばならない。

 そんなことをすれば、当然ながら身体には悪影響しかない。機械のないこちらでは数日も持たないだろう。

 身体を大人しくさせようが、体力が低下して活動と負担を招き、結局は内が侵されていくだけ。

 かといって動かせば、免疫は物質を大量に作り、神経や臓器に強い負担を掛ける。凶悪にも程があった。

 

「誰にも治療、改善ができない訳だよ……」

 

 また溜め息が出る。根本的に、難度の次元が違う。今までの医師達が無理だと言っても仕方がなかった。

 そうなった原因の先祖に、文句を言いたい気分だった。

 

「報告ありがとう。正体が分かって、色々と気分が楽になったよ」

 

 嘘ではないが、虚勢でもある笑みを浮かべ、朧姫は異界の臣下に礼を告げた。

 

「では、これからは身体も楽にしていきましょう」

 

「……どういう意味?」

 

 予想だにしなかった台詞に、主はぱちくりとする。

 

「言葉通りです。よりわかりやすく言えば、貴女の身体の負担を減らし、体調を改善するという意味です」

 

 本当は、完全な治療法も無くはない。だが、それは数百から数万分の一の確率で、しかも、行なうための障害や危険も多い。なので、今日は改善だけしか話さないことにしている。

 

「出来るの?」

 

「そうでなければ、こんな発言はしません」

 

 余程の時を除いて、確証がない限り、相手に無駄な希望を抱かせる気はない。

 

「どうやって?」

 

「血の病は、免疫が過剰に活動するのが原因で発生する病。ならば、その活動を抑制すれば、改善することに繋がります」

 

 幸い、血の病の反応はアレルギーの反応と酷似している。そのことからアレルギーの対処法を流用すれば、大きく改善される可能性は高い。現に、幾つかのテストでも効果があった。

 

「期待、しても良いのかな?」

 

「はい。自分には、多くの人によって培われた知と、それを補助する力があります」

 

 科学によって築かれたの現実の知と、人智を超えたものによる幻想の力。この二つが今の自分にはある。

 

「必ずや、成果を出して見せます」

 

 口調に差こそはないが、普段よりも力強さがあり、アレクサンドラは心に掛かる重荷が軽くなった気がした。

 

「ただ、一つだけ貴女に頼みたいことが」

 

「何だい?」

 

「病は気から、という言葉があります。不安などの負の感情を抱いていると悪くなりますが、逆に安心など正の感情を抱くと良くなる、という意味です」

 

 これは感情論に見えて、実は本当に意味があると科学的に証明されている。

 

「ですから、無茶を承知で申します。アルシャーヴィン様、病と立ち向かう意志を持ってください。自分は病に負けない、精一杯生きてみせると」

 

 ――病と立ち向かう意志、か。

 それは、考えたことがなかった。いや、昔はあったかもしれないが、何時しか捨ててたのかもしれない。

 何せ、この病を話した母や、多くの医師からは治らないと言われ、今まで僅かな改善すら無かったのだ。無理もないだろう。

 しかし、これからは意志も必要と、原理を把握し、改善できると断言した彼が告げた。説得力は充分にあった。

 

「良い台詞だけど、無茶しそうな君に言われたくないかな。それに、反応が強くなりそうな気もするね」

 

「余計な一言はともかく、免疫については、確かに可能性はありますが、逆に抑制される場合も考えられます」

 

 そこは何とも言えないのが現状。人間の身体というのは向こうでも多くの謎に満ちたものだから。治療の中で情報を集め、適した判断をするしかなかった。

 

「ただ、どちらにしても、闘病生活に置いて意志は必要不可欠と自分は思っています。弱腰で戦いに挑んでも勝てないように、弱気な態度で病と対峙しても良くなる訳では無いのですから」

 

「確かにね」

 

 戦も病も、何もしないでいれば、打ち負かされるだけ。勝ちたいのならば、必死に抗うしかない。

 

「分かった。僕もまだ若いしね。全力でこの病と戦って見せるよ」

 

「こちらも全力で補助します。これで報告も終わりましたので、残り時間、聞きたいことがあれば何なりと言ってください」

 

「でも、すること沢山あるでしょ?」

 

「確かにあります」

 

 特に、彼女の病に一番適した薬を作る必要がある。これにはかなりの手間が掛かるだろう。それは勿論重要だ。

 

「ですが、さっきも言った通り、貴女の気持ちも大切ですから」

 

 精神的なケアも、必要不可欠である。

 

「これからは、必要な雑談の時間。どうなされますか?」

 

「必要な雑談、か。変なの」

 

 くすくすと黒髪の戦姫は微笑する。マサトがこういってくれるのだ。終わるまでの間、甘んじても罰は当たらないだろう。

 

「じゃあ、頼もうかな」

 

「仰せのままに」

 

 とはいえ、マサトとしては、あくまで目的を果たすための仕事でしかない。しかし、それゆえに必死にする。たったそれだけだ。

 

「内容はそうですね……。――難病と戦った人達の話、というのは?」

 

「――お願い」

 

 残り時間、異界の烏は異界の姫のため、己の世界で見たことがある話を語る。

 半刻未満の、決して長くはない間、煌炎の朧姫は多くの者の人生をしかと聞き、記憶に刻み込んだ。

 

 

 ――――――――――

 

 

「よっ、おっ、うわわっ」

 

 移動による風を感じながら、振動から来る視界や身体の揺れを何とか制御しようと、マサトはバランスを整えようとする。

 

「焦らないでください。落ち着いて静かに動かしてください」

 

「こ、こうですか……? ――わわわっ!」

 

「危ない!」

 

 近くにいるオルガにアドバイスを貰ったが、揺れが大きいせいで活かせず、その場所から降り下ろされてしまう。

 

「――よっと。ふぅ……」

 

 マサトは足が地に触れる瞬間に膝を曲げ、衝撃を上手く吸収。体勢は微妙だが、無傷で地面に着地する。

 ――10、00。なんてな。

 そんな下らないことを一瞬だけ考えたあと、心配そうな表情で近寄るオルガに大丈夫と告げる。

 

「今は惜しかったですよ」

 

「えぇ、良い感じでした」

 

 少女以外にも、青年の安全を確かめようとザウルとマドウェイも来ていた。二人は彼が無事であることを確認すると安心する。

 ただ、二人の男性は少女と違い、少し事情を含んでの心配だが。

 

「自分はまだまだだと思いますが」

 

 まだ練習して一ヶ月の上、今までしたことも無いため、どうにも上手く出来た感じがしないのだ。

 

「お二人の言う通り、少しずつ上達してますよ」

 

「ありがとうございます、レナータ。それにしても――やはり難しいですね、騎乗と言うのは」

 

 マサトが視線を動かす。三人も釣られ、そちらを向くと、逞しい身体を細かく動かし、嘶く四つ足の生物――馬がいた。

 今マサトは、オルガの助言の元に乗馬の訓練をしていたのだ。この世界での主な移動手段である馬に上手く乗れるために。

 オルガが来る前は、ザウルや乗馬が上手い人達に教わっていたが、今は彼女に頼んでいる。

 何しろ、オルガは騎馬の民。族長の身内で年若いが、その扱いには非常に慣れていた。先生としてはこれ以上無い適任者である。

 とはいえ、そんな優秀な教師がいても、急激には上達しない。馬も穏やかな性格の乗馬訓練にピッタリだが、それでも想像以上に難しい。少しずつ感覚を掴むのが精一杯だった。

 

「もう一度。――失礼します」

 

 馬に告げ、真正面に立って静かに見る。気分に問題ないと自分も判断し、オルガも同意。

 左手でたてがみを持ちながら左足を鐙に掛け、右手は鞍の後橋を掴む。そして、反動を付けて右足だけでジャンプ。

 引っ掛けた左足を支えに身体を動いて静かに鞍に座り、右足を向かいの鐙にしっかりと掛ける。これで馬上完了だ。

 

「そちらはもう慣れたものですな」

 

「乗るだけですから。この馬も大人しいですし」

 

 それに、何十回も繰り返している。流石に乗ることすら苦難していては、情けないにも程があった。

 

「じゃあ、お願いします」

 

 馬に呼びかけ、腹を軽く蹴る。よく躾てある馬は意図を察し、前後の足を動かす。徐々にスピードが増していき、十秒も経つとかなりの速度で広場を駆け抜けていく。

 

「ととっ……! これぐらいの速度になるときつい……!」

 

 今乗っている馬はまだ上の速度を出せるが、マサトが明らかに付いてこれてない。

 バランスを取りづらくなるも、手綱は焦らずにしっかりと持つ。変に引っ張ると、暴れたりして危ないのだ。

 

「良い調子です。そのまま姿勢を上手く維持してください」

 

 ――それが一番難しいんだよねえ。

 オルガは当たり前のように言うが、それが難しいのである。一番の基本であり重要なことなので、難しくて当然なのだが。こればかりは慣れるしかない。

 気持ちはしがみつくつもりで。されど、手は静かに大人しく停止させ、身体に感覚を叩き込んでいく。

 しかし、速さを更に一段階上げてしばらく経つと、バランスが大きく崩れ出す。

 一分ほどは何とか持ちこたえられたが、そこで限界が迎える。

 両脹ら脛で馬の腹を挟み、身体を引き起こして手綱を臍の方に引っ張って停止を伝えると、馬はゆっくりと速度を下げ、止まって行った。

 

「ありがとう」

 

 首や肩を叩き、練習の終わりを馬に伝える。最後に、オルガ達に教わった手順を丁寧にこなして下馬。

 両足が地面に付き、馬の前に立つとマサトは張り詰めた気持ちが消えたかのように大きく息を吐いた。

 

「お疲れさまです。今日も良かったです」

 

 淡々としながらも、教え子の成果を誉めるようにオルガは告げる。

 

「まだまだですが」

 

「続ければ、その内自然とこなせます。筋も良いですから」

 

 これは御世辞ではない。マサトは物事を理解するのが上手く、向上心も強い。今はまだ初心者よりも少し出来るぐらいだが、このまま続ければ直ぐに上達するだろう。

 

「しかし、レナータは凄く上手ですね」

 

「幼い頃から、乗馬は勿論、狩りの為の鍛錬をしてきたから当然です。……今も幼いですが」

 

 えっへんと胸を張るが、オルガはちょっと自虐な台詞を吐いていた。

 

「また鍛錬に付き合ってくれますか?」

 

「勿論」

 

 何時も通りの許可を貰うと、マサトは馬を小屋戻そうとしたが、マドウェイが折角なのでと代わりに受ける。

 マドウェイと訓練に付き合ってくれた馬にありがとうと礼を述べる。その後は武器を構え、オルガとの鍛錬に励んだ。

 

「そちらは?」

 

「あんな感じだ」

 

 四半刻ちょっとで馬を帰し、戻ってきたマドウェイ。見ると、オルガがマサトを圧倒していた。

 

「やはり、戦姫だけあって、桁外れの実力者だな。オルガ殿は」

 

 マサトは弱くない。以前一度手合わせしたことがあるが、予想だにしない戦い方のせいもあったとは言え、ザウルにもマドウェイにも勝っている。

 おそらく、この公宮にいる者の中では、最低でも平均以上はある。にもかかわらず、マサトはオルガに一度も勝ったことは愚か、掠りすらしてない。

 

「あれで何回目なのだ?」

 

「確か、八百三十ほど。全て、彼の完敗だけだ。触れることすら出来ていない」

 

「そんなに……」

 

 短時間の試合を一日に三十以上こなしているがために、短期間でここまで膨れ上がっていたのだ。

 そして、マサトはそれだけ負けている証でもある。それも、完敗のみ。

 

「それでも、まだ試合するのか?」

 

「あぁ、貫くものを最後まで貫きたい。そう言ってな」

 

「……凄いものだ」

 

 それだけ負け続きなら、へこたれても何ら不思議ではない。戦姫とはいえ、十三の少女が相手なのだから。だが、マサトは挫けない。

 彼の意志が、非常に強いものであることがよく伝わってくる。それは目を見れば、より一層理解出来る。

 

「……」

 

「やはり、そなたもそうなるか」

 

「……まぁな」

 

 マドウェイが見る黒髪の青年の目、その瞳に宿る意志の光は最初からも強いが、鍛錬を重ねると更に増していくのだ。

 見る者の目を離さず、心を昂らせ、思わず息を飲ませるほどに。

 

「純粋に高い技量と挫けぬ意志の強さ。どちらも見習う点があるな」

 

 高い実力と、強い意志。両方共、強さに直結する要素。戦う者としては、見習うべき点だ。

 

「ただ、今の彼の戦いは力を温存しているが」

 

「銃、だったな。命を振るう武器」

 

 そして、火薬という燃料を使い、鉄の弾を放つ武器の名でもある。向こうでは最も使われている。

 此方でも作れないかと、アレクサンドラは考えてはいるが、火薬という危険物を扱うので、実装はまだまだ先である。

 

「まぁ、我等にとって重要なのは、あれが戦姫様の為の力になっていることだ。そして、それが大々的に広まるのは、戦姫様と彼の為にはならんということだ」

 

 銃だけで延命している訳ではないが、銃が一因になっているのは事実。それを多くの人に広まれば、貴族や王族に狙われる可能性も高まってしまう。主の治療を円滑に進めるためにも、秘匿は必須だった。

 

「ちなみに、彼は鍛錬していても良いのか?」

 

 これは、医師としての仕事に専念すべきではないかという意味だ。

 

「その事なのだが――」

 

「急いでも、成果が出る訳でもありませんから」

 

「おっと、いつの間に」

 

 突然マサトの声が聞こえたので、二人が振り向くと、疲れた様子で汗だくの身体を布で拭いている彼がいた。

 

「とりあえず、今日やる分の試合が終わったので、こっちに来ました」

 

「丁度良かった。貴殿の事で話していたが、他をしてもアレクサンドラ様の治療に支障は来さないのか?」

 

「何かあれば、直ぐに駆け付けます。改善もし始めましたが、今はゆっくり進める時期。焦っても悪化させるだけなので」

 

「そういうものなのですか?」

 

「そういうものです」

 

「まぁ、そこらは貴殿にしか分かりませんな」

 

 医師でもない自分達の手が届く範囲ではない以上、担当であるマサトに一任するしかなく、そのされた本人がそう言った以上、それが最善なのだろう。

 もっと治療に専念すべきなのではと言う声もあるが、彼はその態度を崩さないので、様子を見るしか無いのが現状だ。

 ただ、最近は主は少し調子が良いとの声もあり、彼も言っているため、成果は確かにあるのだろう。

 

「マサト殿、これからも我等が主をよろしく頼みます」

 

「勿論です」

 

「話は終わりましたか?」

 

「レナータ」

 

 今度は、偽名で呼ばれたオルガが入り込む。試合でさっきのマサト同様汗だくで、ふぅと言いながら布で拭いている。

 

「あれだけすれば、少しは疲れましたか?」

 

「少しは。でも、まだまだやれます」

 

「流石です。けど、もう終わりですよ。明日も作業はあるんですから」

 

「分かっています」

 

 オルガには使用人としての務めがある。雑用もあるし、鍛錬だけに専念させる訳には行かない。

 

「この後、勉強をお願いします」

 

「失礼します」

 

 二人は同時に一礼し、一緒に公宮へ戻っていく。

 

「あの二人、仲が良さそうだな」

 

「年の差は少しあるが、意外と気が合うのかもしれん」

 

 互いに勉強をしている。一緒に寝泊まりしている。協力や鍛錬などもだ。これらの点から、触れ合いが多くなる結果、親しくなったのかもしれない。

 マサトは黒髪と黒い眼、オルガも変装で瞳は違うが、黒髪になっているので端から見れば、兄妹にも見えなくもない。

 

「では、私は一仕事のあとに彼等と話す必要があるので此処で」

 

「今日は私も混ざっても?」

 

「そなたも? ふむ……」

 

 マドウェイは主の信頼が厚い人物。人柄も良いし、問題は無いだろう。

 

「ただ――誤解はせんようにな」

 

「……何の話だ?」

 

 ザウルは前の一件――マッサージの事を言うが、マドウェイには何の事やらさっぱりだった。

 

 

 ――――――――――

 

 

「これは一番下。それは二段目」

 

「分かった」

 

 深夜が近い時間帯。指示を受け、オルガは小柄な身体をてきぱきと動かして木製のファイルを次々と棚に入れる。

 

「終わった」

 

「ご苦労さん。もう頼むことも無いし、寝たらどう?」

 

「マサトの監視が必要。半月前みたいに、何時寝ずに数日働くか分からない」

 

「成果も出たし、しばらくは普通の範囲でやるさ」

 

 嘘ではない。様々な方法で延命が可能になり、成果も現れ出した今、余裕が出てきたのだ。しばらくは無理をしない程度をやる気でいる。

 

「説得力がない」

 

「言ってくれる」

 

 即答で信用ならないと言うオルガに、マサトは不敵な笑みを浮かべる。仕方なくはあるが。

 

「でも、本当だ。まぁ、少しは寝る時間が遅れるかもしれないけど」

 

「その少しも積み重なれば、確かな疲労になる」

 

「続けて行けば、身体が慣れるさ。人間ってのは、そう言う風に出来てる。現に、お前だって作業に慣れ出したろ?」

 

「……それとこれとは別だと思う。とはいえ、止める気は――」

 

「無いな」

 

「……やっぱり」

 

 というか、ちょっと言われた程度でマサトが止めるとは思えないが。

 

「分かったら、子供は寝ろ。明日も仕事はあるぞ?」

 

「……ふんだ」

 

 膨れっ面でそっぽを向くと、オルガはマサトに背を向けた体勢でベッドに身体を預け、数十秒後に寝始めると直ぐに熟睡した。

 寝息の音でマサトがそれを確かめると、引き出しから二つの黒だけのと金と鳥の意匠が施された、一ヶ所に鎖と繋がった棒が付いた丸い何か、おそらくはこのジスタードで初めてかもしれない道具、懐中時計を取り出す。

 竜頭を押して蓋を開かせると、十二の数字と三つの針がある。但し、金は中の機械がはっきり見える構造だ。

 これらはアレクサンドラからお金を借り、部品をそれぞれ用意。ここで作った代物だ。本来はかなり値が張るが、部品として準備させることで出費を抑えていた。

 

「うーん、やっぱり誤差が大きいな……」

 

 スマートフォンを取り出し、今の時間と差を見るが、二つとも擦れがあった。

 とは言え、そんなに大きくも無く、初めての代物でこの程度なら充分である。三つ目も大した差は無いだろう。

 ――こっちはどこまで上手く行くか。

 色々な方法で抑えようとしても、所詮は抑制。完治は出来ない。

 適合者の発見さえ出来れば、他をする必要はない。しかし、そのためには多くの人達から採血が必須。なのだが。

 ――何人受けてくれるか。

 この世界には、治療のために血を調べるという概念がまだない。しかも、自分はまだ新人。信頼は薄い。

 現状では、主のためにと頼んでも、百人どころか十人集まるのがやっとだろう。

 ――俺のや、オルガのとは適合しなかったし……。

 ただ、自分のとは少し妙な反応があった。調べたが、理由は不明。結局は合致してないので、放置している。

 話を戻し、自分達のでは合わなかった以上、多くの人達から集める必要があるも、まだない方法、新人であることから、大々的には出来ない。

 アレクサンドラに頼むのも一つの手ではあるが、不満や疑惑を刺激してしまう恐れもある。

 主、同僚、どちらにしても頼むのは今の改善が一定の成果を出してからだろう。アレクサンドラへの採血も頻繁には行えない。今はゆっくりと進めるのが最善、焦りは禁物だ。

 これからも頑張らねばと意を引き締め直すと、懐中時計が止まらぬよう、竜頭を三回回す。

 金と黒の懐中時計の蓋を閉じ、同じく買った特性の革のケースに入れ、ベッドの隠しスペースに隠す。

 それから布団で横になって、眠りに着いた。

 

 

 

 

 

「――良く寝た」

 

 翌日の早朝、パチリと目を開き、マサトは窓を見る。空はすっかり青くなり、部屋にはまだ少し弱めながらも日の光が差し込む。

 

「起きた?」

 

「お早う、オルガ」

 

「お早う、マサト」

 

「体調はどう? 疲れが残ってたりしてない?」

 

「大丈夫だ。今日も一日頑張れる」

 

 簡単な挨拶を済ませると、マサトは自分の身体の具合を確かめてからオルガを凝視する。問題は――無さそうだ。

 

「前にも言ったけど、無理はし過ぎないようにな。疲れを感じたら直ぐに言えよ」

 

「マサトも」

 

「分かった分かった」

 

 適当に相槌を打つと、マサトが調整の為に取り出した初めて見る懐中時計を見つめる。

 

「それは?」

 

「これ? 試作品の道具。調整が必要だから、こうして見てる」

 

 用途が気になるが、マサトが色々な作業に使うためのだろうと判断した。

 マサトは蓋を閉じ、ケースに収納してポケットに仕舞い、金の懐中時計をもう片方のポケットに入れる。

 

「あとマサト、これ」

 

 あるものを詰めた箱をオルガが渡す。

 

「上手く行った?」

 

「よく分からない作業だったが……まぁ、何とか。けど、これは? 金属みたいだが……」

 

 オルガは不思議そうにその箱にある金属を見つめる。自分でしてなんだが、あることをすると見たことない代物が出てきたのである。

 

「良いもの。扱いも、形にするのも難しいけど」

 

 少なくとも、その方面での経験の無い自分では作れないだろう。一流の職人でなければ駄目だ。

 

「これはどうする?」

 

「後で俺が他の人に渡す。それからは秘密だ」

 

 何かに使うのだろう。それが何かは不明だが、気にする必要は無いとあっさり割り切った。

 それから二人は、一日を頑張るための朝食を摂りに食堂へと歩を進めた。

 

 

 ――――――――――

 

 

「昨日の睡眠は?」

 

「中々寝れたよ」

 

「目覚めは?」

 

「悪くはないかな」

 

「身体に違和感は?」

 

「張り以外、特に」

 

 幾度の繰り返しで、慣れたやり取りで情報を集める一応の臣下と、話していく主。その近くでは、補助の使用人が礼儀正しく待つ。

 

「痛み、気だるさ、発作は?」

 

「昨日の、夜の食事の一刻後ぐらいに、軽いのが一度」

 

「昨日の報告通りですね」

 

 それは何時もと違い、軽く咳き込む程度と、数秒足らずの症状。しかし、貴重な情報を得れる可能性が高かったため、その時も細かな検査をした。結果、成果がしっかり出た事が分かった。

 

「発作が弱まったってことは、効果がしっかり出たきた証かな?」

 

「とはいえ、まだまだ先は長いです。やっと芽が出始めた頃。こういう時こそ、注意と地道な積み重ねが必要です」

 

 尤も発言だった。第一、今やっているのはあくまで改善。それも、毎日続けることできちんとした効果を発揮するのだ。

 たった一度、成果が出たから病への警戒を弱めるなど、馬鹿にも程がある。

 

「続けます」

 

「はい」

 

 それから五分ほど経ち、マサトは全ての質問を終えた。

 

「次は診察です」

 

「お願いします」

 

 黒髪の戦姫がベッドで横になると、同じく黒髪の臣下であり自分の専属医師が、主であり患者でもある女性の髪や皮膚、身体の状態を五感と力を使って診る。

 

「髪の具合、悪くはなし。皮膚も同様。次、触れます。レナータ」

 

「任せてください」

 

 次は触診。今度は桃色の戦姫でもあり、今は使用人でもある少女が筋肉や皮膚、その上から臓器に軽く触れ、異常が無いかを調べる。仰向けでは全部は出来ないので、うつ伏せの状態でもやる。

 

「どう?」

 

「そうですね……。硬さを感じます」

 

 寝たきりの上に、政務の仕事が合わさっているからか、余計になりやすいようだ。カチコチ、とまでではないが、かなりの張りがある。

 解消しようにも、運動すれば身体に負荷が掛かるので、大きなのは出来ない。また、張りになっていると言うことは、血流が鈍っている。

 つまり、免疫の過剰反応も少なからず抑制されている可能性があるので、簡単には解消させるわけにも行かないのが原状だ。

 ――血の病って、分からない点がまだ多いからな……。

 力と知で、身体の中も調べてはいるが、機械が無いためにどうにも不透明な部分が多い。

 一度に知れる部分は終わったため、今は一つ一つをゆっくりと知り、適切な対処をしてより良い改善を地道に進めるのが最善だ。

 

「次、服を捲ってください」

 

 自然に言い放つマサトだが、これはあくまで触診の一環。捲るのも、心臓がある場所まで。下部は見えるが、そこまでだ。第一、マサトは欠片も意識してないし、担当はオルガだ。

 オルガは触診で何ヵ所を軽く押し、次に聴診器で心臓や臓器の音を確かめる。それらの情報を紙に素早く記し、診察は終了する。

 

「終わりましたよ」

 

「二人とも、何時も通りありがとう」

 

「いえ、大したことではありません」

 

「自分は自分の役目をしているだけなので」

 

 遠慮気味にオルガは、マサトは淡々とそう告げた。

 

「では、わたしはこれで」

 

 何時も通りの作業が終わると、オルガは何時も通りに退室した。

 

「今日は何の話をしてくれるのかな?」

 

「その前にこれを」

 

 臣下が腰から取り出した、ケースに仕舞われた金色のある装飾が施された懐中時計を受け取る。

 

「これが懐中時計? もう出来たんだ」

 

 アレクサンドラは懐中時計のことを、勿論知っている。ある程度の時間を知り、予定を詳しく決めるため、金を出して欲しいと頼まれたのだ。

 但し、ただで用意するつもりはまったくないので、結果、マサトの借金は膨らむ羽目になったが。

 

「ちなみに、この鳥は?」

 

「貴女が振るう竜具は炎の力を宿す武器。そして、何時かは病という檻から飛び立つを連想して鳥。その二つを合わせた、火の鳥――不死鳥の意匠を選びました」

 

「不死鳥」

 

 昔、マトヴェイから聞いたことがある。確か、金と赤の翼を持つ鷲で、紅蓮の炎で敵を滅し、金色の炎で死者を蘇らせ、自身の死が近付くと、己の炎で灰となり、その灰から蘇生するので、不死鳥とも言われると。

 その話を聞いたとき、アレクサンドラは己が持つ竜具、バルグレンは金と朱の炎を放つために、少しだけだが似ていると思ったことがあった。

 そんなことを思い出したあと、アレクサンドラは受け取った懐中時計の蓋を押すと、二枚貝のように開く。

 それはマサトのと違い、ガラス面で中のからくりが見えるタイプだった。

 

「わぁ……。すごい」

 

 ガラスの面のおかげで、中の複雑な構造と動きが見える。見ているだけなのに、とても楽しい。

 十二の数字と、常に動くのを含めた、三つの針。そしてカチカチと、機械が奏でる心地よい音。それらの組み合わせには、不思議な楽しさがあった。どういう構造、仕組みで針が動くのか、とても気になる。

 マサトがアレクサンドラに渡した金の懐中時計はスケルトン。中を複雑な構造を見れる装飾性の面が強いタイプ。

 そして、金は単純に金を使うと、かなり重い。アレクサンドラの病で衰えた身体を考慮し、メッキにしてある。

 

「それはお渡しします」

 

「僕よりも、君が持ってた方が役に立つと思うけど」

 

 少なくとも、寝たきりの自分よりは、マサトか、オルガの方が遥かに役に立てれそうなものだが。

 

「大丈夫ですよ。自分のも有りますから」

 

 金色の懐中時計を仕舞っていた反対側のポケットから、黒色の懐中時計を取り出す。

 

「それに今の正確な時間帯や、症状や何かが起きた場合の時間、どれだけ待てば良いのかを知れますよ? ……まぁ、正確ではありませんが」

 

「その辺りは仕方ないよ。初めての代物なんだし」

 

 ある程度だが、時間は知れる。それは充分に有難い。折角用意してくれたので、有り難く受け取ることにした。

 

「今日はそうですね、時計の話を聞きますか?」

 

「聞きたい」

 

 主が了承したので、臣下は時計の歴史について話す。勿論、自分が知っている範囲のだが。

 その後は、少し間があったため、アレクサンドラはマサトに彼が知っている不死鳥の伝承を聞き、世界は異なってもほとんど同じなんだと思った。

 不死鳥の話が終わると、時間を迎えたので、マサトは席を立つ。

 最後に細かい話や、アレクサンドラにアレルギーに改善効果が見込めそうな茶は飲用しているかの確認をし、一礼して部屋を後にした。

 

「今日も楽しかったな」

 

 昔の時計から、先の時計の全て。その中で意外だったのが、発達しても必要な物が昔と同じ、自然の物を利用したものがあることだった。ただ、差は歴然だが。

 ――確か、光を雷に変えるんだっけ?

 どうすれば、そんなことが出来るのか驚愕したものである。

 ただ、文明が進歩しても、必要な物はそんなに大差は無いのかもしれないとも思った。

 

「さて、今日も生きよう」

 

 強い意志を持って、病と戦うために。

 ――僕はまだ、恵まれているんだから。

 血の病の詳細を知った日や、その後の数日で知った、向こうにある様々な難病。

 向こうの発展により、完治したものもいるが、中には、その医学を持ってしても、助からない人達もいる。

 その中には自分の半分の時も経たない内に亡くなってしまった者もいた。

 より残酷だと、五つ以下、物事も完全に判断出来なかった時期にその生が終わってしまった者だって、多くいる。

 病気以外でも、災害や事件で早すぎる死を迎えた者もだ。

 血の病は確かに辛く、苦しい病だ。しかし、決して自分だけが理不尽に苦しんでいる訳でない。他にも沢山の人が、難病や理不尽に苦しめられている。

 死んだ者達に比べれば、自分は長い時を過ごし、まだ生きている。改善の余地も充分にある。

 ならば、自分は生きねばならない。公国を統治する戦姫としても、それらの話を聞いた一人の人間としても。

 

「――負けない」

 

 血の病には、決して。負けるにしても、最後の最後まで戦い、生きる意志を貫いてみせる。アレクサンドラはその決意を新たにする。

 その意志に反応してか、彼女の膝の上にある双剣の竜具、バルグレンが光を放つ。主を応援しているのだ。

 

「ふふっ、ありがとう。バルグレン」

 

 竜具の応援に、朧姫は双剣を刃、鍔、柄の順に撫でることで礼を示す。

 

「今日も一日、頑張ろう」

 

 改善が少しずつ成果を出しているとは言え、政務のできるペースは今まで通りとマサトに制限されているが、自分のやるべき仕事。しっかりとこなさねばならない。

 仕事を始めるべく、呼び鈴を鳴らして従者を呼ぶ。その音は、彼女の意志を表すかのように力強かった。

 



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第九話 姫と烏のお出掛け

 ちょっと時間が擦れましたが、連続で投稿します。前のと少し内容が違います。


 あと一月少しほどで、冬を迎える秋の後半のある日の昼。最近にしては珍しく日差しが強いおかげか、この日は時期に見合わない暖かさがあった。

 そんな天気の中、一組の男女がいた。二人は同じ色の黒い瞳と髪をしている。違うのは、服装の色だけ。男は黒一色で、女性が白一色。

 男女は手を繋ぎ、大勢で賑わう城下町の様子を見渡しながら、歩いていた。

 

「気分はどう?」

 

「すごく良い。二年振りだからね」

 

「そりゃ良かった。沢山、楽しんでくれよ」

 

「勿論」

 

 テンションが最高潮の女性に負担を掛けぬよう、男性は上手く彼女の歩調に合わせて歩く。

 口調や手を繋ぐ様子から、二人は一見、恋人のような親しい仲にも見えそうだが、二人の実際の関係はまったく異なる。

 

「あっ、マサト――じゃなくて、リョーカ。あれ食べたい。……駄目?」

 

 歩く途中、女性がある方向を指差す。その先には、露店があった。

 売ってるのは、ジャガイモのバター焼き。シンプルなメニューだ。漂うバターの香りが食欲をそそる。

 

「……まぁ、ちょっとぐらいなら良いけど」

 

 護ると言う意味の名、アレクセイ。その愛称のリョーカを偽名を呼ばれた青年は許可を出した。

 

「やった」

 

 嬉しいのか、女性は空いた片手を握り締める。二人はその店に立ち寄り、一個購入。買った直後に、それを別ける。

 

「へぇ、恋人同士で一つを別けてか。仲が良いねぇ」

 

「まぁ、悪くはないけど」

 

「彼に同じく」

 

 二人は苦笑いする。手を繋ぎ、一つのを二人で食べる様を見て、恋人と勘違いしても無理はないだろう。

 ――実際は、まったく違う関係だけど。

 自分と彼、マサトは主従関係。一応だが、自分が主でマサトが臣下。それなのに、自分が砕けた口調なのは、主である彼女の要望からだ。更に、要望はもう一つある。

 

「もぐもぐ……。うん、美味しい」

 

 

 久々に外食いしたジャガイモの味に、アレクサンドラは満面の笑みを浮かべる。

 

「あんたの感想は?」

 

「中々」

 

 焼き加減、バターの量など、決して悪くはないのだが、今はリョーカの偽名を使っているマサトとしては、可もなく不可もなくの感想以外にない。

 更に言えば、アレクサンドラが美味しいと言っているのは気分により補正だろうと、身も蓋もない感想を抱いていた。口には出さないが。

 

「何か腹立つな。まぁ、恋人の可愛い嬢ちゃんに免じて、許してやるけどよ」

 

「ありがとう。あと、ごちそうさま」

 

「ごちそうさま」

 

「また来いよー、嬢ちゃん」

 

 微妙な返答への仕返しか、アレクサンドラだけにそう言った店主の声を聞き、二人は再度歩く。

 

「あー、美味しかった」

 

「そりゃ何より。ただ、あまり食うのは許可しないからな。あと、一つか二つだけ」

 

「分かってる」

 

 久々の外出のせいか、何時もよりも気分が良さそうだ。鬱憤がかなり溜まっていたのかもしれない。

 ――やっぱ、して正解だったかな。

 これだけ開放すれば、相当なリラックスになるはず。身体にも良い影響を与えてくれるだろう。残りは、この外出を問題なく済ませるだけだ。

 

「――えい」

 

 頬っぺに、何かが軽く当てられる。見ると、それはアレクサンドラの人差し指だった。

 マサトが視線を向けると、アレクサンドラはあと三回ほどつつく。ぷにぷにと、結構良い肌の感触が彼女に伝わった。

 

「おー、結構柔らかい」

 

「……何してんの」

 

「いや、誰かさんが少し堅そうな表情で色々と考えてたからね」

 

「歩幅は下がってないし、注意は払ってる。別に良いだろ」

 

 何かしら話し掛けられれば、直ぐに彼女の方に意識を戻す気でいる。それに、自分は彼女の体調を注意を払わねばならない立場なのだ。その思案をするのは、当然である。

 

「君のことだから、それぐらいの注意は払ってると思うけどさ。今日は僕が楽しむ時間でしょ? そういう、堅い表情をするのは好きじゃないな」

 

「それは命令?」

 

「頼みだよ。嫌なら良いけど」

 

 少し不満げな表情を浮かべる主だが、自分は今日、彼女の言うことは健康に影響するもの以外は、頼み、命令のどちらでも、内容は何でもあろうと聞くと決めている。

 その彼女がこう言うのなら、それに従うまでだ。

 

「はいはい、わかりました。この時間の間は、止めるよ」

 

「ありがとう。ただ、それはそれとして、君、僕のあっちの名前、最初の以降一度も口にしてないよね。意識してるでしょ」

 

「主だしな」

 

「欠片も気にしてない癖に」

 

 主の頼みで、フランクに接しろと言われても、一応であっても自分と彼女は主従。区切るべき箇所は区切らねばならない。

 

「じゃあ、頼もうかな。僕の愛称を言って」

 

「……はぁ。――サーシャ。これで良い?」

 

 誰が見ても分かるほどの、已む無くといった表情で、マサトはアレクサンドラの愛称――サーシャを言う。

 

「もう一度。今度はもっと親愛を込めて言って貰おうかな?」

 

 こう要求するのは、ぶっちゃけるとからかう為である。マサトが困る様子を見たいのだ。

 

「……んっ? 今、何か言った?」

 

「あっ、こらっ。無視しないの」

 

 主が無茶な要求したため、マサトはスルー。サーシャはそんな臣下に少し膨れっ面になる。

 主従の二人がこうして外出することになったのは、半月前、サーシャが言ったある台詞が切欠だった。

 

 

 ――――――――――

 

 

「外出って――駄目?」

 

 その日は改善が始まってから半月と一日が経ち、数度の血液検査の次の日。

 外を見ると、パラパラと小雨が降っていた。その日も勿論、マサトはオルガを連れて主の治療に関しての診察などをしていた。

 改善の効果がはっきりと現れたことを告げ、必要な行程が全て終わり、オルガが退室したあと、マサトは今日も何かの話をしようとしたが、その前にサーシャがちょっと可愛げと気まずさが混同した表情でそう言ったのだ。

 一応の主のその台詞に対し、マサトは数秒だけポカンとした表情で固まるも、直ぐにこう返した。

 

「何か言いましたか?」

 

「えーと。だから、外出なんて――」

 

「な、に、か、い、い、ま、し、た、か?」

 

 にっこりと、一言ずつ、マサトはそう言い放った。但し、目はまったく笑っておらず、背後からは黒いオーラが溢れている。

 

「ううん、何も言ってないよ。あはは」

 

 サーシャはぶんぶんと高速で横に振る。はっきり言って、滅茶苦茶怖い。

 

「だったら、大人しくしてください」

 

「……はーい」

 

 心底残念そうな表情はサーシャは浮かべた。立場上の臣下でしかなく、彼の性格上言えば、十中八九、こうなるのでは分かっていたが、それでも少しぐらいは許可してくれるのではないかと期待していたのだ。

 ――まぁ、仕方ないか。

 最近、漸くはっきりとした改善の成果が出てきたばかり。それなのに、態々悪化させに行くなど、愚行にも程がある。マサトでなくとも、反対するだろう。

 彼に反対されたおかげか、スッキリはした。さっきのは聞かなかったことにしてと言おうとしたが。

 

「――確か、二年、でしたか? 貴方が寝たきりの生活を送ってから」

 

「え? うん。まぁ、そうだけど……」

 

「……」

 

 顎に手を当て、マサトはしばらく考え込む。さっきは思わずああ言ったものの、それだけ寝たきりの生活を過ごせば、改善の兆候が出てきた今、不満と欲から外に出たいと言っても仕方のないことかもしれない。

 

「マサト。もうその事は忘れて。我が侭にも程があるからさ」

 

「…………」

 

 サーシャはこう言っているが、不満はあまり溜め込むと、大きなストレスになり、身体に何らかの異常が生じる恐れもある。発散させる方法があるなら、実行すべきだ。

 しかし、今すぐは無理だ。血の病もそうだが、彼女の体力が持つか怪しい。

 ――となると……。

 マサトは新しい予定を組み立てていく。だが、これを実行しても、外出、しかも長時間のとなると、最低でも三ヶ月は様子を見たい。

 

「マサトー? 話、聞いてるー?」

 

「………………」

 

 しかし、その頃は冬。しかも、ジスタードの冬はとても厳しい。防寒具があっても、外出は無理がありすぎる。

 ――春まで待つしかない、か。

 その場合、それまで彼女の不満をどう発散させるか。話以外の何らかの方法を模索する必要があった。

 ――とりあえず、試験をしてからか。

 予定が決まり、マサトは早速話すことにした。

 

「アルシャーヴィン様、運動しましょう」

 

「……僕の病は運動すると悪化するよね?」

 

 活性化により、反応が強くなってしまう。運動は厳禁のはずだ。

 

「確かにそうですが、抑制状態なら改善が見込める可能性もあります。体力も付きますから、続ければ限定的な外出ならできるようになるかもしれません。ただ、まだやってないので実験に近く、どうなるかも不明。なので、これを行うかの判断は貴女に一存します」

 

 その説明を聞いて、アレクサンドラは迷う。自分の判断一つで、悪化するか可能性になるのもそうだが、下手すると一応の臣下だが彼にまで責任が及ぶのが気がかりだ。

 しかし、外に出たいという欲求があるのも事実。それに改善の可能性も。迷いに迷ってしまう。

 

「……とりあえず、試してもいい?」

 

「構いませんが」

 

 どちらにせよ、自分は治療が円滑に進めるため、彼女の意を汲むだけだ。

 

「ありがとう。じゃあ、今日からは……無理かな」

 

 自分と彼は実行すると決めたものの、改善もあるが、リスクのあるこの方法を臣下達がはいそうですかと賛同するか怪しい。何れにせよ、話しておく必要はある。

 

「一先ず、これは話が終わったあとにします。今は話を」

 

「そうする」

 

「聞きたい内容は?」

 

「今日はスポーツ、だったかな? それについて色々と聞きたい」

 

「承知しました」

 

「残り、五十七分十二秒。沢山楽しませてもらうね」

 

 サーシャは布団の下から臣下の贈り物、金のメッキに、不死鳥の意匠が刻まれた懐中時計を取り出し、カパッと開いて時を見る。時間は今、午前九時、二分四十八秒だった。

 

「では、どうぞ」

 

 マサトは向こうにあるスポーツ、サッカー、バスケット、野球、バレー、テニス。他にも様々なスポーツの内容を話していく。

 サーシャはそれらをする様を、脳内でイメージしながら楽しく聞き、時に気になる点を質問していった。

 

 

 

 

 

 話が終わり、昼にこの案を同僚達に報告したマサトだが、危険もあるために反対の声も多かった。

 サーシャも、臣下達の様から周りに迷惑や心配を掛けることに後ろめたさを感じたので、一度は中止になっていた。

 しかし、ザウルやマドウェイ、一部の臣下達からは二年も一切外に出ていないサーシャの心境を汲むべき、とりあえず一度だけは様子を見るべきではとの声が上がっていた。

 最初は反対派の臣下達も、今まで病の中でも頑張ってきた主の為になるのならと賛同していき、実行されることになった。

 その後は、サーシャは体力作りのため、マサトから提案された血の病を刺激しない範囲の量の軽いトレーニングを少しずつ増やしながら行っていった。やるのは勿論、城内である。

 二年も寝たきりが多い生活だったため、最初は一日、五分にも満たない時間しかトレーニングは行えなかったものの、本人のやる気や治療が上手く進んでいたおかげで一月経つ頃には、体力はゆっくりの歩きかつ、一時間半ちょっとまでなら何とかなる程度には戻る。

 血の病も、活性化しない範囲のトレーニングや薬の改良や食事で抑えれたため、進行はまったく無かった。

 そして、その日は冬が近付く時期にしては珍しくとても暖かい日で、外出に適していた。

 もしかしたら、外に出れる許可が与えられるのではないかと、サーシャは意を決して外出を申し込む。

 体力の状態から、マサトもザウル達も彼女の頼みにしばらく悩みに悩んだが、この絶好の機会を逃せば、来年まで外出出来そうにないため、半刻半だけ時間を許し、サーシャは二年振りに外出することとなった。

 ただ、臣下達としては、暴漢や万一の恐れがあるので、まだ弱った彼女一人を外出させるわけに行かなかった。

 となると、護衛の人数や誰にするかを決める必要があった。

 しかし、サーシャが目立つのを避けたい、気楽にしたいと、時間も暖かさが強い昼直ぐではない、というかなり厳しい要望を出したため、とことん話し合う羽目になったが。

 話は最終的に反対意見もあったが、力や実力を持ち、担当医師でもあり、更に歳が近くて相手としては不自然ではないマサトが護衛として最適ということで話が纏まる。

 ちなみに、マサトを異界人だと知るザウルやマドウェイは、工作員の可能性が残っていることから反対だったが、言うわけには行かないので已む無く賛成することになったのは余談だ。

 何はともあれ、サーシャとマサトが一緒に外出することになったのであった。

 

 

 ――――――――――

 

 

 そして、体力温存のため、サーシャを木で作られた車椅子で門まで運び、外に出た現在の昼の三時ちょっと。

 異なる世界のマサトと、この世界のサーシャの男女は一緒に城下町を歩いているという訳であった。

 手を繋いでいるのはサーシャをはぐれないため、マサトが口調が抜けた状態なのは、サーシャがそう要求したから。

 愛称呼びもだ。気軽に呼ぶことで、一番良い精神状態にするのと、彼女が戦姫ではないと思わせる目的もある。

 サーシャが二年も城で生活していた、インターネットも無いので情報も少なく、彼女がこうしても公国を治める戦姫だとは誰も気付いてない。

 ――残り、一時間二十五分。

 懐中時計を取り出し、時間を確認。もう五分は過ぎているので、残りは八十五分しかない。

 時間やサーシャの歩行速度から、多くの場所を回ることは不可能なので、マサトは事前にザウル達や自分の見回りで集めた情報を元に、決めた進路を歩いていた。

 二人が歩いているこの通路は、多くの遊びの露店がある。

 今のサーシャは食事を決められている。そんな彼女に食べ物の露店が多い所を案内しても無駄だ。それよりは、退屈を紛らわせる遊びの方が良い。そう判断してだった。

 

「リョーカ、あれやりたい」

 

 少し歩くと、サーシャの瞳に一つの露店が目に入る。内容は離れた場所の的に手投げの矢、ダートを当てて得点を競うダーツだ。ルールは三回投げ、その合計点を決める簡単なものだ。

 ――たまにはやってみるか。

 基本、こういった遊びには金の無駄遣いと興味を示さないマサトだが、そんな素っ気ない態度ではサーシャが楽しめないだろう。

 今日は例外ということで、サーシャと一緒に代金を払う。二人はそれぞれ三つのダートを受け取り、サーシャが先に投げる。

 

「えい」

 

 うきうきとした気持ちでサーシャは手首を軽く振り、ダートを投げる。ダートは軽い弧を描いて的に刺さる。但し、得点は低い。

 

「当たった」

 

 サーシャは軽く喜び、二つ目を投げる。今度は先程よりも中心に近いが、得点はやはり低い。

 ただ、サーシャはそんなことを全く気にせず、当たったことをまた喜んでいた。その気分のまま、最後の一つを投げる。

 矢は中心ではないが、それなりの得点の場所に突き刺さる。結果は三つ共当たっているが、得点は低い。

 

「んー、こんなものか。次は君」

 

 次はマサトの番。サーシャの時と違い、ハイペースで三本のダートを投げ、二つが命中。当たった数は一本少ないが、得点はサーシャより上だった。

 

「俺の勝ち。になるかな」

 

「だね。残念」

 

 口ではそう言っているが、表情にはそんな素振りは欠片もない。

 

「……景品選びな」

 

 結果に対しての景品を選ぶ二人。マサトは木彫りの鹿、サーシャは鳥の縫いぐるみを選んだ。どちらも悪くはない出来栄えだ。

 

「またな」

 

 二人はそれぞれの景品を手に、別の露店に向かう。射的や通貨投げ、九柱戯などを楽しみ、次の露店に着く。

 

「次あれ」

 

 次の店は的当てだ。使うのは、軽くてそんなに固くない球を九つの的に当てるルールだ。ただ、ダーツのように箇所によって得点に差がある。真ん中は百だが、小さい。

 三百以上なら一番良い物を受け取れるそうで、太陽と月をモチーフにした金と銀のアクセサリーがそうだった。

 出来も材質もかなりの高価な代物に見える。しかし、真ん中以外での一番高い得点は二十五。

 つまり、高得点にするには真ん中を一回は当てないとならないが、距離もあって的の大きさも球よりも僅かに大きい程度。高得点を取るのは非常に難しいだろう。

 

「頑張りな、嬢ちゃん」

 

「行くよ」

 

 サーシャが軽く放り投げる。ただ、一投目は力が足らず、当たる前に地面に落下してしまった。

 その後は的を飛び越したり、一番低い箇所に当たったりして終わる。結果は百にも届いていない。

 

「結構残念」

 

 さっきと違い、少し残念さが込もっているようだ。

 

「僕の分も頑張って」

 

「まぁ、それなりには」

 

 マサトが球を手に取る。集中し、その際の感触、重さ、形をしっかりと目や体に叩き込む。

 身体や手首を使い、球を投げる。勢い良くは進んだが、方向が完全に明後日だった。

 

「……」

 

「あらら」

 

 サーシャの残念、と言いたげな声をマサトは無視して集中。球を次々と投げ、残りは三球になる。

 

「おいおい、兄ちゃん。一個も当たってないぜ?」

 

「そうだよ~。もうちょっと真面目に――」

 

 サーシャと男に話し掛けられるも、マサトには聞こえていない。今はただ、集中していた。

 ――次を外したら、無理だな。

 しかし、集中は程よく維持する。息を吐いて無駄な力を抜き、球をしっかり持つと八球目を投げる。 球は一直線に進むが、途中で軌道が僅かに変化。そして、その先は――一番小さい的。一番高い得点のヶ所に命中する。

 

「なっ……!?」

 

「お~。百点!」

 

「次。勿論、その球」

 

「お、おうよ。ほら」

 

 同じ球を受け取り、再度集中と深呼吸。そして、九投目。球は先程とほとんど同じ軌道で飛び、また最高点の的に当たる。

 

「連続……!?」

 

「これで二百。つまり……」

 

 あともう一回中心に当てれば、三百。つまり、一番良い景品が貰える。

 

「最後。分かってると思うけど、その球」

 

「……ほらよ」

 

 最後の一球。マサトは特に焦る事もなく、作業をするように球を投げる。球は先の二度とほぼ同じ動きを取り――中心に向かって当たる。但し、今回は中心と隣の間付近にだった。

 

「これ微妙……」

 

 本当に真ん中のため、店主の判断次第では、二十五点になる。その場合は二百二十五。三百にはならない。どうなると、二人はじーと店主を見る。

 

「あー、負けだ負けだ。くれてやるよ。受け取りな」

 

「良いのか?」

 

「折角だ。くれてやるよ」

 

 一番難しい中心に三度も当てたのだ。正直、敗北を認めざるを得なかった。

 

「まっ、それなりには儲けたし、次への改良の参考にもなった。その礼にやるよ」

 

「ちゃっかりしてるな」

 

「そうでもないと、商売人はやってられねえよ。ほら」

 

 店主はマサトに太陽と月の飾りを手渡す。金の太陽には、中心に赤いガラスが。銀の月は太い三日月の形状に、空いたスペースに青いガラスがある。

 

「恋人同士で付けな」

 

「じゃあ、俺は……」

 

「リョーカは太陽。僕は月。ぴったりでしょ?」

 

「ぴったり?」

 

「君は名前、僕は称号」

 

 ――あぁ、なるほど。

 最近は呼ばれなくなったが、自分の名前は天陽雅人。つまり、太陽の名を持つものだ。

 そして、サーシャの称号は、煌炎の朧姫。この内、朧には月の文字がある。それを考えると、確かに自分が太陽、サーシャが月なのに一応の納得は行く。

 

「という訳で決まり。そっち貰うね」

 

 サーシャがひったくるように月の飾りを取り、自分の首に掛ける。

 

「どうかな?」

 

「似合ってる」

 

 メッキだろうが、銀の煌めきや青いガラスの輝きが彼女の魅力を引き出していた。

 

「次は君」

 

 渋々と言った感じだが、マサトは太陽の飾りを首に掛ける。

 

「どう? あまり似合ってないと思うけど」

 

「そんなことないよ。よく合ってるよ」

 

 皮膚以外、黒のせいか、金の太陽と赤のガラスはよく目立つ。ここまでなら飾りが目立つだけだが、何と言うか不思議な一体感があった。彼が陽の名を持つ者だからかもしれない。

 

「世辞として受け取るよ」

 

「そうしなさい。あと、さっきのは凄かったなあ。得意なの?」

 

「集中して、どう持ってどう投げればどう行くかを計算しただけ。七回しか無かったから、八回目ははっきり言って運だったな。最後も擦れてたし」

 

「いや、それ結構凄いからね?」

 

 然り気無く、マサトは言っているが。たったの七回で軌道、正解の持ち方、投げ方、力加減を大体把握した。かなり凄い。

 

「何にせよ、楽しませて貰ったね。次行こう」

 

「あぁ」

 

 この後も、様々なゲームや一度したゲームをもう一度楽しみ、二人の時間が流れていく。そうして懐中時計を眺めると、もう戻る時間だった。

 

「今日は終わり。帰るぞ」

 

「あと、一時間だけなんてのは――」

 

「……何か言った?」

 

「ごめんなさい」

 

 鬼のような表情のマサトに、サーシャは速攻で謝罪する。

 

「で、でも、あと一ヶ所だけ行きたい所があるんだ。其処は駄目?」

 

「……ここから、どれぐらい?」

 

「……結構距離があるから、刻限は確実に越えると思う。それも、かなり」

 

 ならば、それを認める訳には行かない。既にかなりの体力を消耗しているはずだ。帰る際の歩行による消耗を考えると、今すぐが最善だ。

 

「我が侭だって、分かってる。今、こうして頼むことさえ――ううん、本当なら、ここにいることさえ、既に相当な無茶で、君や皆にとても心配を掛けているのも。それでも……お願い」

 

 ありったけの想いを込め、サーシャも頭を下げる。行きたい理由も我が侭で、この日に限定する必要も無かった。それでも、行きたいのだ。

 

「……はぁ。まぁ、中途半端に残るよりはマシかな。良いよ」

 

「――ありがとう」

 

「但し、限界だと察したら首根っこ掴んでも、直ぐに連れて帰るからな」

 

「うん」

 

 消耗を抑えるべく、少しずつ歩いていく。そうして四十分後、本来なら公宮内に着いている時間。目的の場所に着く二人。どうやら、城下町で一番大きい広場らしい。

 

「ここに何があるんだ?」

 

「……正確には、この広場の一ヶ所なんだ。あそこ……」

 

 限界寸前で、辛そうに呼吸を荒げながらも、サーシャは何とか指差す。そこは複数ある植木がある場所の一つ、その隅だ。

 

「……大丈夫か?」

 

「だ、大丈夫……!」

 

 マサトはサーシャの華奢すぎる手を取り、肩を貸しながら進むのをサポート。静かに植え木の縁に腰を下ろす。

 

「本、当に、ありが、とう……」

 

「まったく……。で? 無茶してまで、何でここを?」

 

「……あっち、見て」

 

「ん……?」

 

 向くと――夕焼けによって、仄かな朱に照らされ染まる空や雲、植木、通路や建物や公宮が見えた。

 思わず見とれるほどの、美しき夕焼けの世界、そう呼ぶに相応しい風景が其処にあった。

 

「僕が、まだ元気だった頃、見つけた場所……。夕焼けが出る、時間帯にしか、見れないの……。その中でも、ここは一番良い景色なんだ……。どう、かな?」

 

 サーシャが出る時間を決めたのは、このため。暖かさを退けることは出来なかったので、刻限を破らない限りは夕焼けを見れなかったが。

 

「……綺麗」

 

 純粋に、そう思った。それ以外の言葉は不用で、邪魔でしかないと。

 

「良かったあ……」

 

 そう言ってくれて、サーシャは何故かホッとした。

 

「ただ、そうなってまで、見せたくは無かったな」

 

「ごめん……。けど、二年ぶりの外出だから……夕焼けも含めて外、ここで見たかったんだ……」

 

 この二年、外の景色は建物の中からしか見ることが許されなかった。

 最初はそのことは仕方ないと思いつつも、何時しか外で自由に見たいという願望が募っていたのだ。

 そして、今日は青空に夕暮れ、二つの空を外で見ることが出来た。

 

「こんなに、我が侭聞いてくれて……本当にありがとう。……これしか言えなくて、ごめんね」

 

「気にすんな。それよりも、久々の景色なんだろ? あと数十秒待ってやるから、その目と記憶に焼き付けろ」

 

「もう、良いよ……。これ以上は……迷惑掛けちゃう」

 

「とっくに掛かってるっの」

 

 少なくとも、公宮に戻った瞬間に色々と説教されるのは確実だろう。

 

「ごめん……」

 

「謝ってばっかだな、まったく。ほら、次は来年なんだから沢山見る」

 

「……じゃあ、もうちょっとだけ」

 

 金の不死鳥の意匠が施された懐中時計を取り、機械音と一緒にこの風景を一分だけ楽しむ。

 短いながらも、濃厚な一分があっという間に過ぎていく。

 

「もう、充分……。戻ろう」

 

「分かった。ちょっとあの道に」

 

 表街道ではない道にサーシャを案内し、そこでマサトは足に付与を加える。次に彼女に背を向けて屈む。

 

「乗って」

 

「えっ、わ、分かったよ」

 

 一瞬躊躇ったサーシャだが、とりあえず身体を預ける。胸が当たるが、そこは仕方ない。第一、マサトはまったく気にしてない。

 マサトは腰にある帯を取り出し、自分とサーシャを繋げる。彼女に負担を掛けないようにしつつ、身体をしっかりと固定する。

 

「力は入れなくていい。ただ、口はしっかりと閉じて。あと、驚かないように」

 

「う、うん」

 

「――スタート」

 

 ドンと石の道を蹴り、全速力で路地裏を駆け抜ける。サーシャを背負ったまま。

 

「わ、わわっ……! す、凄いねっ……!」

 

「舌、噛むぞー」

 

「でも、凄いもん、これ……! あははっ……!」

 

 不謹慎と分かりつつも、サーシャは高速による景色の変化と風を楽しんでいく。それは公宮に一番近い表道路に出るまでの十分間続いた。

 

「――停止。ここからは、ゆっくり歩くぞ」

 

「目立つものね」

 

 裏街道ですら、すれ違った人達が二人の様に仰天していたのだ。夕暮れだが、まだ人の動きが多いので、衝突を避けるためもある。

 今度は速度を通常時に戻し、公宮まで歩くマサト。ただ、人を背負っている、しかも男女なのでやはり目立つが。

 

「……ちょっと恥ずかしいかも」

 

「我が侭の罰。これぐらいは受けろ」

 

「そうします」

 

 散々我が侭を言い、マサトを含めた沢山の人に心配や迷惑を掛けたのだ。これぐらいは当然。寧ろ、そのつけにしては安すぎるぐらいだ。

 

「でも、君は全然動じてないよね」

 

「何で動じなきゃならないんだ?」

 

 その台詞通りに、あっさりとマサトは告げる。彼にとって、この行動はサーシャのためのもの。恥じる理由がない。

 

「色んな意味で凄いなあ、君って。それに――」

 

「それに?」

 

「逞しい。やっぱり男の子なんだね」

 

 軽めの自分とはいえ、人一人を背負い、全力で走ってもいる。なのに疲れた様子がまったく無い。自分に伝わる背の感触からも、身体がよく鍛えられているのが分かる。

 

「あのさあ、俺は向こうじゃ、自衛隊――兵士だったんだぞ? これぐらい出来て、当然」

 

 しかも、最近は密度の高い仕合もこなしている。体力は充分あるのだ。

 

「そういや、そうだっけ」

 

 自分に仕えていたので、すっかり忘れていた。そうであれば、色々な作業をこなせるだけの体力もあるのだろう。

 

「最近の成果はどう?」

 

「急激な進展は無い。ちょっとずつが限界」

 

「それでも、僕の病を発作が出なくなるまで改善したり、こうして外出を可能にまでするんだから、凄いと思うな」

 

「運動については、微妙だったけど」

 

 現在、サーシャの体調は発作が出ることないレベルまでには安定していた。最低限の運動を含めてもだ。

 ただ、運動による改善だが、残念ながらマサトが思うほどの効果は無かった。抑制状態でも、減少よりも増加の方が僅かながら上回っているため、長時間は発作を起こしてしまう。

 日常を最低限過ごせるようになるのが、限界だった。戦闘など、以ての他である。

 

「確かさ、君の推測なら、発症する前から治療していれば、もっと改善出来たんだっけ?」

 

「多分」

 

 普通の人と変わらない程度の日常を暮らすことは出来ただろう。ただ、戦闘や運動は刻限付きが絶対だが。

 

「もっと早く、君が来てくれたらなー、って最近思うよ」

 

 そうすれば、体はもっと良くなっていたに違いない。

 

「他の人もそう言ってた」

 

 具体的にはザウルやマトヴェイを筆頭に、他の人からも言われていた。もっと早く来てくれたら、どんなに良かったかと。

 

「その事で、何か嫌なこと言われてない?」

 

「特に」

 

 お礼こそはあったが、その逆は一つも無かった。聞いてないだけかもしれないが。

 

「それは良かった」

 

 それなりにここに馴染めた証拠だ。その内、多くの親しい人が出来るだろう。とそこで、サーシャは一つ気になった。

 

「そういえばさ、向こうには恋人とかいないの? 家族や友人も」

 

 今日、自分とマサトは一緒に出かけ、年が近くて仲好さげな様子から恋人同士と勘違いされたが、そもそも、彼に恋人、家族、友人はいないのだろうか。

 向こうの恋愛は知らないが、一度や二度ぐらいは恋してても不思議ではない。家族や友人についても、一人ぐらいはいるはずだ。

 

「いない。友人以外は必要もないし、興味もない」

 

 即答だった。間は一瞬も無く、彼が本心でそう言っているのが分かる。更に友人が必要な理由も、普通と考えが異なっていた。自分一人では出来ない範囲を広げるためのだ。

 

「……どうして?」

 

「俺には、命を守るために戦う。それだけで良い。恋人とか家族とか、余計な物でしかない」

 

 それは、純粋な想いからの発言。しかし、それ故にサーシャは寒気を感じた。恋人や家族を余計なもの呼ばわりするのだから。

 

「……恋をしたいとか、思ったことないの?」

 

「無い。言ったろ? 興味もない、って」

 

 こんな自分に好意を寄せる物好きがいるかどうか、怪しいものだ。

 

「じゃあさ。仮に恋人を作るなら、どんな人が良いか、とかは?」

 

「仮に、ねえ……」

 

 何でこんなに聞いてくるのか、マサトは不思議に思う。自分にはどうでもいい話でもあるが、今日は命令は聞くつもりだ。故に、純粋な気持ちで告げる。

 

「自分の全てを受け入れ、理解してくれるなら、誰でも良い」

 

 ――……全てを受け入れ、理解してくれるなら、誰でも……か。

 その台詞に、サーシャはピクンと反応する。内にある期待と言う名の種が、口を勝手に動かす。

 

「……もし、その人が病人でも、そう思える?」

 

「先ずそんな人が出ることあり得ないけど。まぁでも、もし出たとして、その人が病人だとしても関係ないな」

 

 鼓動が少しずつ高鳴る。心地よい暖かさが、身体に巡っていく。

 

「……その人の病が、治る見込みのない不治の病で、その人が余命幾許もない、明日をも知れない命だとしても?」

 

「当然。本当に愛しているのなら、その程度で引くわけないだろ。最後の最後まで、その人を強く思う。それが愛ってものじゃないのか? まぁ、経験したことのない俺が言っても説得力無いけど。あと、悪人は勘弁」

 

 純粋ながらも、現実的な意見を青年は述べた。

 

「……そっか。君って厄介だね」

 

「はぁ? どういう意味だよ?」

 

「教えません」

 

 ――本当、厄介。

 よりによって、どうして彼なのだろうか。異界人で、工作員かもしれない人物なのに。異界の知や治療のため、利用していた相手に。

 さっきの発言から意図を察し、自分をそうさせるために言った。充分に有り得るが――そう思いたくない、彼は純粋に答えただけと思い、立場故に全力で警戒せざるを得ず、それが辛いと思う自分も厄介だ。

 ――僕って、単純で騙されやすい型の人間なのかなあ?

 前にも一度あったし、自分は案外そんな人物なのかもしれない。自分の未熟さに、サーシャは深い溜め息を吐く。

 

「はぁ~……」

 

「……本当にどうした?」

 

「元凶さんは黙ってなさい。――えいっ」

 

 自分を惑わせる元凶の異界人の頭に、サーシャは軽くチョップする。そんなに力は込めてないので痛くはない。

 

「……何すんだ。第一、元凶って何の元凶だよ。まったく……」

 

「自分で考えなさい、元凶さん」

 

「……踏んだり蹴ったりだな」

 

 マサトからすれば、心配を足蹴にされるわ、元凶と呼ばれるわ、チョップされるわ、質問は無視されるで、言葉通り踏んだり蹴ったりである。はっきり言って、まったく訳が分からない。

 

「あと少しで到着」

 

 結構話していると、公宮の門が近付いてきた。

 

「もう少しで、終わりだね」

 

 この時が、終わる。それは残念だが仕方ない。

 

「俺の説教は始まるけどな」

 

 はぁと、マサトはため息をもらす。車椅子でサーシャを部屋まで送り、体調を確認すれば、その後は説教だろう。最低でも半刻は確実だ。

 

「大丈夫、僕が口添えしてあげるから」

 

「是非とも頼むよ」

 

「その代わり、明日からは今まで以上に酷使してあげる」

 

「……とんだ、ブラック企業だな」

 

「それなに?」

 

 初見の言葉、黒と企業が合わさって単語に、気を反らす意味を込めてサーシャは尋ねる。

 

「あっちにある労働基準や法律、命令を無視、他にも法や立場を悪用して、働く人に長時間の労働や残業などを強制する人や企業のことだよ。ちなみに、その反対はホワイト企業。ぴったり当てはまるな。訴えたら、勝てるかもな?」

 

「それは君の世界の法ででしょ。こっちには無いので、無関係です」

 

「うわ、典型的なブラック企業の人が言う台詞の類いだ。他に良いとこないかなー」

 

「公国の借金持ちの異界人の君を、三食に部屋付きの厚待遇で雇う人なんて、早々いないと思うよ?」

 

「……ちっ、やっぱりブラックだな。人の弱みに付け込みやがって」

 

「黒ばかりの君にはお似合いだね」

 

 露骨に舌打ち、そう毒づくマサトだが、サーシャにそう返されてしまった。

 

「喧しいわ。――あと、門前で降ろすぞ」

 

 流石に公宮内にまで背負うのは、目立ち過ぎる。門前で降ろし、入って直ぐに車椅子にシフトするのが最善だ。

 

「ねぇ、残りは自分で歩いても良い? 感触を味わいたいんだ」

 

「体力は大丈夫?」

 

「これぐらいなら」

 

「きつくなったら直ぐに言えよ」

 

 マサトが帯を外すと、サーシャは青年の背から降りて地面に立ち、靴先でコンコンと石床を蹴って具合を確かめる。

 サーシャは残りの距離の感触をゆっくりと楽しみながら歩く。途中、どうしてかマサトの手が気になった。今日、自分と繋いだ彼の手が。

 少し悩むと、自分の手で彼の手を握る。突然の感触に、マサトは少し驚きの表情を見せた。

 

「念のため。最後まで警戒した方が良いでしょ?」

 

「それもそうだな」

 

 理由に納得すると、マサトはしっかりとかつ、サーシャの負担にならぬような力加減で握る。

 ――やっぱり、気にしてない、か。

 と言うか、この程度で反応しているのなら、今日自分と手を握ったりしないだろう。離れないように繋いだ。たったそれだけかもしれない。

 ――……なんか、腹立つ。

 自分はこんなにもやもやしているのに、元凶である本人は何処吹く風と言わんばかりに堂々としている。それがサーシャには腹立たしい。

 その苛立ちから、サーシャは病で衰えた腕でギュッと全力で握り締める。

 

「……今度は何すんだ」

 

「何の事だが、僕は知りません」

 

 手を離そうにも、力強くはサーシャの負担になる。マサトは少しもやっとしながらも、仕方なく繋いだままにした。

 青年の表情に溜飲が少し下がった煌炎の朧姫は、残り短い数分にも満たない時間をしっかりと味わい、彼女の久々の外出は終わった。

 その後は公宮内では、やはり色々とあったが、慌ただしくもこの日が過ぎていった。

 



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第十話 月の休日

 完全に新しい話、ではありません。


「じゃあ、今日もやろっか」

 

「うん」

 

 早朝、共同生活している青年と少女が横並びで立つ。

 

「行くぞ。――一二、三四。五六、七八……」

 

「一二、三四。五六、七八……」

 

 リズムに合わせながら、軽く手を握りながら両手を前から上に振り上げ、そこから横に下ろす。これをもう一度行う。

 

「手足の運動ー」

 

 次に踵を上げ、腕を大きく振りながら膝を曲げ伸ばし。両腕を左右に振って交差させる。

 他にも手を大きく回して頭上で交差。掌を上に向け、腕を斜め上に振って胸を伸ばす。それ以外にも様々な妙な動きをしていく二人。

 ――……普通の者が見ても、何やっているか、分からんだろうな。

 腰に仕舞われている黒銃はそんなことを思っていた。ヘンテコというか、妙な動きばかりなので、一種の儀式にも見えてしまいそうだ。

 銃はそう思っている間も少女は青年と共に動きを続ける。最後に、最初のに深呼吸を加えた動作を二度を行うと、動きを止めた。

 

「ふい~、今日も終わり~」

 

「ふう……」

 

 青年は気が抜けた声と息を出すが、少女は若干、疲れた様子で息を吐いていた。

 

「まーた、無駄に力を込めてるな、オルガ」

 

「す、すまない……」

 

 その理由は、オルガが余分に力を込めていたためだった。普通はもっと力を抜き、自然体で行うものなのだが、彼女はその気質から余分な力が入ってしまったのだ。

 

「これはゆったりと伸ばすような感覚でやるんだよ。余計な力が入ると、疲れになるぞ」

 

「それは分かるのだが……今一、感覚が掴めない」

 

「まぁ、あんまりやったことのない動きだもんな。仕方ないか」

 

 これはこちらにはまだと言うか、ほとんど存在しないものだ。やり始めてまだ数日だし、今一勝手が分からなくても無理はない。

 

「だが、身体は解れた気がする。頑張れそうだ」

 

 身体を軽く動かすと、やる前よりもスムーズに動くようにオルガは感じた。

 

「それは良かった」

 

「しかし、これは変わってる。確か、ラジオ体操だったか?」

 

 そう、オルガはラジオ体操をしていたのだ。但し、音楽は無く、ラジオの意味は全く知らないが。

 彼女がこれをしていた理由は数日前。生活にもかなり慣れ、朝早くに目目覚めると、マサトが妙な動き――ラジオ体操をしていたため、それを訪ねた。

 寝起きでまだ鈍い身体を動かしやすくなるし、眠気覚ましにもなる。続ければ健康にもそれなりに効果があるので、教えてほしいと頼み、今に至る訳である。

 

「今日も一日頑張ろう」

 

 オルガは両手をギュッと握り締めた。やる気があることが伺える。レグニーツァで暮らすことになって二ヶ月。もう充分に慣れたと言っていい。

 必死の頑張りから、同僚の使用人達にも認め始められてもいる。それだけに気力も体力も満ちていた。

 

「今日もって……。お前、休日だろ」

 

「……あ」

 

 苦笑いしているマサトに言われ、オルガは思い出す。この日は定期的にある休日で、仕事が無いのだ。

 

「そうだった……」

 

 しょぼんとオルガは落ち込む。このやる気を仕事に向けたいのに、今日はお休み。残念以外の言葉が無い。

 

「て言うか、随分と使用人が板に付いてきたなあ」

 

「……確かに」

 

 よくよく考えれば、自分は戦姫なのだ。本来は承った公国で務めを果たさねばならないのに。

 

「……わたしはこうして良いのだろうか」

 

 まだ二ヶ月の短い期間とはいえ、旅をしている頃に比べれば多くの事を学んだ。

 政治や軍事関連は勿論、使用人として頑張る内にも、気付くことはあった。

 それは公宮で働く者達は、生きるためもあるがそれと同じかそれ以上に、自分の務めに誇りを持っていることだ。

 高い意識こそ、大変な日々を繰り返すのに必要な物だと、まだ未熟な身の自分でも少しは理解できた。

 それらを知った今の自分ならば、満足にとは言わず、最低限の役目はこなせるのではないか。オルガがそう考えていた。

 

「――少々知って理解した程度で出来るようになると、そんな簡単で甘いものだと思ってるのか?」

 

 冷たい視線と共に掛けられた厳しい言葉を前に、オルガは思わず息を飲む。しかし、ここで怯みたくはない。

 

「そんなの分かっている。わたしはまだまだ未熟な子供だ。だが――それでも戦姫だ。何時までも……甘えたくは無いんだ」

 

 二つの黒の瞳が、暫し互いを見つめ合う。一人は強い意志の光を、もう闇と冷徹さを感じさせた。

 

「全く、お前らしいな」

 

 そう呟きながら、マサトは冷たさを消した。顔は若干、呆れ気味だ。

 その様子に、オルガは誉められてるのか、貶されているのか今一判別出来ない。

 

「ちなみに、誉めてはいる。少しだけだけどな」

 

 マサトは時と場合を除けば、思うことをはっきり言う相手だ。その彼がこう言ったのだ。なら、自分はやはり成長しているのだろう。

 

「でも、同時にまだまだ足りないとも俺は思ってる。強いだけ、少し知っただけの域を超えてない。お前は?」

 

「……」

 

 オルガは何も言わない。いや、言えない。それも分かっていたからだ。自分はまだ、他の同年代の子供達よりも少し先にいるだけに過ぎないと。

 

「……やはり、わたしは未熟者か」

 

「誰もそう簡単には一人前に、立派になれねえよ。だから、一生懸命頑張るんだろ?」

 

「……そうだな」

 

 全くもって、その通りだ。返す言葉も無かった。

 ――そして、一生懸命だからこそ、マサトは成果を出している。

 まだ学びの最中の自分と違い、マサトはサーシャの治療の成果を上げていた。

 今まで多くの医師でも手に負えなかった病を、最近では発作を完全に抑え、数日前は外出までできるようにまでに改善した。

 医師としての成果を確かに上げているマサトと、戦姫としてまだ一つすら成果を出せず、ここで学ぶだけの自分。どちらが立派かは、一目瞭然だ。

 

「……はぁ」

 

「……どうした? ため息なんて付いて」

 

 自分とマサトの差から、思わずため息が溢れてしまった。

 

「……どうしたら、わたしはマサトみたいになれる?」

 

「……はい?」

 

「どんな困難でも受け止め、ひたすらに進もうと出来るのか。それが知りたい」

 

「……そう見える?」

 

 オルガは頷きでそうだと答える。マサトに一切の悩みや苦しみが無いわけではない。彼に存在しないのは迷いだ。

 多少はあるかも知れないが、一人でも多くの命を救うためなら、どれだけ険しい壁でも突き進もうとする意志の強さ。それが羨ましい。

 そして、目的に関しては愚直ながらも決して盲目的ではなく、理性的である。

 仮に、自分の想いに陶酔するだけの愚か者なら、ブリューヌやジスタードの戦いの時に強引にでも参加しそうなものだが、立場を理解して止めている。マサトがそれとは無縁なのがよく分かる。

 

「ちょっと過大評価な気もするけど……。まぁ、俺に言えるのは一つだけ。全部を受け止め、その上で進む。それだけだな。ただ――俺のは参考にしない方が良い」

 

「……何故?」

 

 オルガからすれば、寧ろ、一緒に寝泊まりしているからこそ、沢山見てきたマサトが一番模範すべき存在なのだが。

 

「正直、俺の意思は狂気の領域に近い。いや、そのものかもしれない」

 

「……狂気?」

 

 その単語に、オルガは疑問符を浮かべた。彼の何処にそんな様子があるのだろうか。寧ろ、無縁に見える。

 

「まぁ、それはともかく……。俺は俺、お前はお前だ。俺らしくとかじゃなく、自分を磨いて高めろ。俺や他の人達を参考にしてな」

 

「自分か……」

 

 言ってることの正しさは理解出来るのだが、未熟故に自分が分からなかった。

 

「悩みがある時は、話し相手になってやる。まぁ、最近は仕事で忙しいし、余裕があればだけど……」

 

「いや、それで充分だ」

 

 まだまだ悩みは尽きないが、それは自分で解決し、乗り越えるべき課題だ。頼る訳には行かない。

 

「とりあえず、今はここで暮らしながら学びな。どの道、アルシャーヴィン様との契約で一年間はここで働かないといけないんだし」

 

「……そうだった」

 

 自分はマサトと出会った時に彼に危害を加えようとしたことで――勿論、気絶で済ませようとしたが――サーシャとそういう契約を結ぶ羽目になっていたのだ。

 

「ふ、ふふっ……。わたしは本当に駄目駄目戦姫だな」

 

 オルガは顔を俯け、ずーんと黒い影を纏う。目には光はなく、闇が混ざっていた。自分への呪詛を溢しそうだ。

 

「あー……。まぁ、まだ十三なんだ。過ちもその気持ちも糧に必死に努力すれば、立派になれるって」

 

 ――……付けないんだな。

 何時もの彼なら多分やきっと、お前次第などを付けるはずだが、それらが無い。自分を慰めてくれてるのだろう。マサトの表情をちらっと覗くと、困ったものになっていた。

 

「……ありがとう」

 

 甘える形にはなるが、厚意を足蹴するのも嫌なので素直に礼を告げる。

 

「朝食済ませたら、何時も通りアルシャーヴィン様の診察の手伝いお願い。それと、今日はしっかり話しとけ。時間はあるだろ?」

 

 普段と違い、今日は休日。話すだけの充分あるはずだ。

 

「しかし、アレクサンドラ殿の時間もあるだろう。それを使わせるのは……」

 

 一度聞いたことがあるのだが、マサトは診察が終わると、自分が得た知識や知った話をし、まだあまり自由に動けないサーシャを楽しませていると。

 つまり、自分がアレクサンドラと話せば、その時間を費やしてしまう。そうしてまで話はしたくない。

 

「んー、平行線になりそうだな……」

 

 サーシャに言えば、何らかの条件は付くだろうが、先輩としてのアドバイスをしてくれるだろう。しかし、そうしてもオルガは遠慮するのは目に見えている。

 ――一応話はしておくか。

 後は二人の判断次第だ。人任せだが、決めるのは当人達なので仕方ない。

 

「じゃあ、さっさと飯食べようか」

 

「うん」

 

 休日だが、一日をしっかりと過ごすためにも食事はきちんと摂らねばならない。何時も通り、マサトの後ろをてくてくと付きながら食堂に向かった。

 

 

 ――――――――――

 

 

 朝食が済み、診察が終わったあと。月の姫が丁重に断り、朧の姫が誘う。

 

「僕は構わないよ?」

 

「ですが、アレクサンドラ殿の楽しみの時間を使うのは……」

 

「今まで僕に体力の余裕が無かったり、君が仕事や勉強優先にしてたから一度もこう言った話はしたこと無いだろう? 今日ぐらいは良いよ。先輩として、これぐらいはね」

 

 ――ちょっと羨ましくはあるけど。

 これはマサトのことだ。自分や彼よりも一回り近く年下の為か、或いは打算か。

 どちらにしても、彼に色々気に掛けられてるオルガがサーシャは少し羨ましい。一言で言うと、僅かな嫉妬だ。

 ちなみに、当のマサトはオルガの隣で持ち込んでいた勉強用の本を静かに読んでいたりする。但し、二人の話の内容には耳を傾けてはいた。

 二人の姫が少しの間言い合うと、月姫が根負けし、甘える形にはなったが朧姫との話をしてもらうことになった。

 

「じゃあ、早速。オルガ、君はこのレグニーツァでは何が重要だと思う?」

 

「レグニーツァは海に接している公国です。やはり、船による交易は非常に重要かと」

 

 船でこの国から運び、他国から運ばれる大量の貨物。それらの交易による利益は、レグニーツァには非常に価値がある。

 

「正解。それを維持するためには、何が大切かな?」

 

「交易路の定期的な監視や見張り。そして、海賊が現れ次第、速やかな討伐が求められます。その為の訓練や軍船や武器の改良も必須です」

 

 商船を狙い、貨物を奪う海賊は正に一番厄介な相手だ。その監視や対処には万全を期したい。

 

「うん、至ってその通りの答えだね。じゃあ――そもそも、どうしたら海賊の被害を出さずに済むと思う?」

 

「……」

 

 その問いにオルガは言葉に詰まる。と言うのも、海賊達はジスタードやブリューヌ、アスヴァールの管轄を離れた幾つもある小さな島を拠点とするのだ。

 これらを管理しようにも、一つの島だけでも多くの人材と資金を必要とする。全部を管理するなど、レグニーツァだけでは無理だ。

 

「……現実的ではありませんが、隣の公国のルヴーシュや他の貴族達、国王、ブリューヌやアスヴァールと協力し、管理していく。非凡な自分にはこれしか思い付きません」

 

 オルガの意見を聞いたサーシャは、数秒間だけ真剣な表情で見つめると――にっこりと微笑む。

 

「うん、充分な答えだよ」

 

 実は、今の問いには完璧な答えは無い。と言うよりも、幾つもの難題があるために存在しない。その上で、敢えてこの問いを出したのだ。オルガの意志を試すために。

 確かに現実的ではない。領地を増やそうとすると自国や他国との問題は起きるし、上手く管理出来るとも限らない。

 しかし、もし仮に問題を全て解決した上で実現出来たとすれば、最善の道になる。

 重要なのは、今は不可能でも、何時かは実現させる。そういう意志が込もった意見なのだ。

 

「ただ、交易に頼らない農業や産業の発展も考える――が付いていたら完璧だったかな」

 

 意表を突かれた表情をオルガは浮かべる。確かにそうすれば万一交易が不振な時の対策にもなるし、新たな利益を得れる道にもなる。

 良いところを高めるだけが、政策ではない。新しい道を作るのも、為政者の役目なのだ。それをオルガはしっかりと頭に叩き込む。

 

「まだまだ未熟です……」

 

「それでもしっかりと勉強してるよ。――軍事とはいえ、最初一騎討ちだけで戦いを終わらせる案を出した人と同じとは思えないな」

 

 少しずつでも確かに進歩し出したオルガに対し、サーシャはちょっとした意地悪をする。

 

「そ、それは忘れてください!」

 

 汚点とも言える出来事を出され、オルガは顔を真っ赤にする。

 

「あっ、マサト笑ってる」

 

「え、ええっ!?」

 

 オルガが思わず振り向くと、マサトは本を構えたまま、空いた手で自分の口を抑えていた。しかも少し震えてもいる。それだけだと一見、笑っているように見えてしまう。

 

「ひ、酷いぞ、マサト!」

 

「い、いや違……! これは笑っているんじゃありません……! 不意を突かれたからちょっと噴き出して……!」

 

 オルガが来た数日後の、最初の勉強をしたていた頃だ。戦術について話していたが、彼女はその時、敵大将を一騎討ちで討ち取れば直ぐに終わるという、猪武者丸出しの提案をしてしまったことがあるのだ。

 その提案にマサトは呆れ、勉強係のザウルは思わず呆然としたものだ。それを思い出し、噴き出しかけたのだ。

 ちなみに、その時マサトは思わずアホかと辛辣に、ザウルはまぁ、一つの手ではありますなと苦笑いしつつ、やんわりと言っていた。

 

「やっぱり笑ってるじゃないか!」

 

 オルガは真っ赤にしながら頬を膨らませ、目を潤わせてマサトに掴みかかる。

 

「だから、笑ってるんじゃなく、びっくりしただけです!」

 

 自分より小柄で年下なのに、自分以上の力を持つ少女を何とか止めながら、マサトは必死に宥める。

 

「本当か!?」

 

「本当です! と言うより、ここで暴れないでください! 口調も素になってます!」

 

 今の台詞にオルガははっとなる。ここはサーシャの部屋だ。ここで暴れるのは不味すぎる。

 おずおずとサーシャを見ると、さっきのマサト同様に手で口を抑えている。しかし、マサトと違い、彼女は笑みを浮かべていた。

 

「ぷっ……あははっ! あー、面白かった!」

 

 限界が来たのか、腹を抑え、サーシャは満面の笑みで笑い声を上げる。本当におかしいようだ。

 

「か、からかったのですか! 酷いです!」

 

「ごめんごめん。つい」

 

「……自分にも言ってほしいのですが」

 

「ごめんなさい」

 

 この一騒動が終わると、サーシャはお詫びに話に付き合うと言い、この話し合いはやり取りはもう少し伸びたのであった。

 

 

 

 

 

「うぅ……」

 

「……大丈夫?」

 

 サーシャとの話し合いが終わり、マサトと自室に戻ってきたオルガだが、表情は赤みを帯びてる上に、何とも言えない微妙なものだ。

 

「け、経験には……なった」

 

「……無理すんな」

 

 恥ずかしい失敗を暴露されたのだ。同情せざるを得ない。

 

「そ、それより! 勉強を――」

 

 気分を発散させようと、辺りを見まくるオルガだが、マサトの机にある一冊の本に視線が集中する。

 

「これは……?」

 

「『魔弾の王』と言う題名の本だ」

 

「マサトはこういう本は見ない印象がする」

 

「まあ、な」

 

 普段はあまり気にならないが、黒銃に関係しているかもしれないと思い、オルガと出会ったあの日に買った本だ。成果は無かったが。

 

「どんな内容の話? 弾だから……弩などに関するお伽噺?」

 

「いや、題名の魔弾というのは、弩の弾ではなく、女神から授かった弓が放つ、矢のことらしい。内容も、その弓を受け取った人が多くの敵を倒して王になるってやつ」

 

「ありきたりな内容の話か。それにしても女神からの弓なのに、魔弾。変な感じがする」

 

「オルガもそう思う?」

 

「まぁ……」

 

 弓なのに矢ではなく、弾で、神の武器なのに不吉な予感の魔の単語が付く。色々と奇妙だ。

 

「所詮は、お伽噺の類。そこまで気になる必要もないと思う」

 

「お伽噺のような力を持つ、竜具があるのに?」

 

「……それもそうか」

 

 自分が持つ、斧型の竜具、ムマは大地を操る能力を持っている。人知を超えた、お伽噺のような武器その物だ。しかも、ジスタードには他にも六つある。

 マサトの持つ妙な武器だって、不思議な力を宿している。

 これらがあるのに、この話に出てくる弓はお伽噺の中だけの物だと断ずるのは変だ。

 

「とは言え、お前の言う通り、そこまで気にする必要も無いだろうな」

 

 大体、気にしても見たこともない、あらゆる敵を射抜くとしか書かれていない。他にどういう能力が有るかは分からず、どんな人物が手にするかも、所有者に遭遇するか分からない。警戒しても無駄である。

 仮に敵対した時は、徹底的に注意する。出来るのはそれぐらいだろう。

 他愛の無い雑談が終わる。話している間に冷静さを取り戻したオルガは本棚を見て何を読もうかと悩んでいた。

 ――さて、俺は……。

 黒に染めた懐中時計を手に取り、時間を確認する。もう一時間で昼と言ったところだ。外出は、昼食が済ませてからが良いだろう。

 ――あっ、そうだ。

 色々と話をしていたせいで、起きて直ぐに確認すべき物を見るのを忘れていた。机の引き出しから、もう一つのケースを取り出し、中を見る。

 

「出来は二つ同様、良しと……。オルガ」

 

「なに――わっ」

 

 話しかけられた数秒後、マサトから何かを仕舞った革製のケースが放り投げられる。

 オルガはケースを軽々受け取り、中にあるのを取り出す。それは、馬の意匠が施された銀色の何か――おそらく、このジスタードで、三つ目となる懐中時計だった。

 

「これは?」

 

「懐中時計。掌程の大きさにした時計。何時も稽古してくれたり、色々と手伝ってくれたし、頑張ってもいるしな。だから贈り物」

 

 少女の黒い瞳が驚愕に包まれる。マサトが言っている事が正しければ、これは戦姫でも簡単に持てる代物ではない。

 

「これは……かなり高価だろう?」

 

「今それを知ってる人はかなり少ないし、そんなに費用は掛かってない」

 

 既にこれが広まった状態で頼んでいれば、かなりの出費になっていたたが、今はほとんど知られてない。なので、それなりの値で用意出来たのだ。

 それでも、かなりの費用が掛かってしまい、借金はまた増えてしまったが、それは黙って置く。

 

「……どう使う道具?」

 

「出ている部分――つまみを押せば、中の現時刻が分かる」

 

 言われた場所を押すと、蓋がパカッと外れ、秒針が動く中の面が見える。

 

「あと、時計を止めないために、つまみは定期的に回すように。向きは左。時刻の設定は、それを引っ張りながら回せば出来る」

 

「……本当に貰っても良いのか? わたしよりも持つに相応しい人は沢山いる」

 

「アルシャーヴィン様や俺も持っている。それはお前のために用意したんだ。受け取れ」

 

「……なら、そうする」

 

 思わぬ贈り物をオルガは服の一ヶ所に引っ掛ける。表面の銀がよく磨かれているので、装飾に見えなくもない。

 

「馬の装飾か……」

 

「騎馬の民にはお似合いだろう? あと、それは普通の馬じゃなくて、スレイプニルって言う馬を刻んでる」

 

「スレイプニル?」

 

 聞いたことのない馬の名に、オルガは首を傾げた。本人のその気は無いが、その動作は可愛らしい。

 

「とある話に出てくる馬だ。馬のうち、最高のもの。八本の足があり、とても速く走ったり、空を飛んだりも出来るんだとさ」

 

「最高の馬で、空を飛ぶことも出来る、か」

 

 騎馬民族が望む理想の馬ようだと、オルガは感じた。

 

「そっ、何時かは天地を雄々しく駆ける――要するに、立派になる意味を込めて、それを刻んだ」

 

「……ありがとう。ただ、八本の足は不気味だ」

 

 マサトの配慮に礼を言うが、八本の足に関しては微妙だ。頭の中で想像するも、正直格好いいとは思えない。

 

「確かにな。まぁ、話によって普通の馬同様に四本だったりするから。気にすんな」

 

「だからこれは四本なのか」

 

 刻まれてる馬には、足は四本だけ。八本ではなかった。

 

「変だと悟られないためでもあるけどな。ところでオルガ、今日は勉強漬けか?」

 

「勿論だ。わたしはまだまだ学ばねばならない。休む間などない」

 

「……そっか」

 

 その様子を見て、マサトは顎に手を当てて少し考えに浸る。

 

「オルガ、今日の昼、俺は外に出るけど、付き合え」

 

「えっ? いや、わたしは勉強を……」

 

「少し疲れてる気もする。そうでなくても、今からずっと勉強してたら嫌でも疲れる。たまには息抜きも必要だ。きちんとした休息も、立派な仕事の一つだぞ」

 

「……最近は数日に一度、必ず徹夜する人には言われたくない」

 

「……ちょっとは口が達者になったな」

 

 血液検査は鮮度の点からその日中にしか出来ない。なので、一つでも多くの情報を得るために徹夜になってしまうのである。

 

「よし。じゃあ、こうしよう。俺は今日、買い物するんだが、もしかしたら荷物が増えて一人じゃ運びきれないかもしれない。なので、荷物係がいて欲しい。付き合え」

 

「……わたしが必要になるほどの物を買う気は一切ない癖に」

 

「店を回る内に予想外の良い店が見付かって、買い物が増える可能性は充分あるだろ? あと――懐中時計の分、指示を聞いてもらう」

 

「くっ。……分かった。付き合う」

 

 苦虫を潰した表情で、オルガは渋々了承した。

 

「うん、素直で宜しい。じゃあ、昼になるまでは勉強だ」

 

 教育係のザウルは仕事中なので、今はマサトと自分の二人だけ。それでも、最近は互いに政務も軍事もある程度の把握しているので、それなりの勉強にはなる。

 九つの年の差の男女は本を取り出し、静かに本を開いた。

 

 

 ――――――――――

 

 

 昼過ぎ。マサトとオルガは城下町の公宮の門から少し離れた場所で一緒になる。ちなみに、マサトは大型の麻袋を持っている。

 互いの格好は、マサトは飾り気の無い上下の黒一色。オルガはここで用意された麻服の一つを着ていた。

 材質は平凡のだが、着ている素材の彼女が良いため、それなりの見栄えになっていた。

 

「おぉ、結構似合ってるな」

 

「マサト――じゃなかった。リョーカも似合ってる」

 

「そうか?」

 

「うん」

 

 黒だけの簡素な服だが、不思議と似合っているのである。

 

「お世話として受け取って置くよ。行こっか」

 

「向かう場所は?」

 

「先ずは鍛冶屋と仕立て屋。その二つだな。行くぞー」

 

「……おー」

 

 何となく、オルガはそう言ったのであった。

 

 

 ――――――――――

 

 

「よし、貰う物も受け取った。出るぞ」

 

 鍛冶屋で職人達と話し合い、依頼した様々な方法で鍛造した特別な合金を使った武具を確認。

 麻袋に積め込むと、マサトは立ち上がる。オルガも釣られるように立ち上がった。

 

「……持つのはマサトなんだな」

 

 自分を荷物係に頼んだはずなのに。

 

「些細なことは放って置け。もう一ヶ所あるから、さっさと行くぞ」

 

 何時までもここにいる必要も無い。二人は鍛冶屋を後にし、表通りを歩く。

 

「次は確か……」

 

「仕立て屋。今の内に冬服や外套も買っておきたいからな」

 

 オルガは当然知らないが、マサトは異界人。今持っているのはこの世界に来た時に着ていた物と、譲って貰った幾つかだけ。

 それらも夏服しかなく、冬をしっかりと乗り切るために冬服や外套の購入、他にも戦闘用のや、黒銃をしっかりと仕舞うためのホルスターも欲しいのだ。

 

「……他人から受け取れば、直接来る必要は無いと思う」

 

「俺はそんなに偉くない。それにこれや、今から受けとるのは個人の物だ。直接見た方が良いだろ?」

 

 治療に必要なレンズ。、それぞれパーツとして送られた懐中時計と違い、武具や服、靴はそれそのものが完成品。

 マサトとしては、その目で直接出来具合を確かめたいのだ。それに仮に完成品が自分に合ってなくとも、その場で確かめれば差異を調整出来るメリットもある。

 

「あと、お前の分も買ってやる。幾つか欲しいだろ?」

 

「今持っているので充分だ。冬服も用意はしてくれると言っていた」

 

「終わった後の私服が無いだろ。お前のと言ったら、あの時のだけだし」

 

「旅の時は、竜具が寒さを防いでくれたのだが……」

 

「便利だな、竜具」

 

 特殊な力、桁外れの強度、使い手のサポート。ちょっと欲しいと思うマサトは黒銃をジーッと見る。

 

『……残念ながら、我にはそんな力は無い』

 

「使えねえ」

 

 オルガに聞き取れない小声で相棒に毒を吐く異界人。直後、黒銃はガーンとショックを受けつつも、仕方ないと受け止めた。

 

「こっちじゃあ、鍛錬以外じゃ竜具は持てないんだ。しっかり持っとけ。買ってやるから」

 

「次の休日に自分で買う。リョーカに買ってもらう必要は無い」

 

 ツンとちょっと強情になるオルガは、自分で買うと言い切る。

 

「じゃあ、こうしよう。金は出すけど、後で買った分を俺に返す。これならお前が買ったことに代わりはないだろ?」

 

「……後で少な目に立て替えるのは無しだ」

 

「分かってるっつの」

 

 次の場所はここから離れていたため、さっきよりも時間は掛かったが、それでも何事もなく順調に仕立屋でに着いた。

 

「ここだ、ここ」

 

「……かなりの店だ」

 

 周りよりも立派な雰囲気を醸し出す店だ。この店も、さっきの鍛冶屋同様、レグニーツァの公都で一番の仕立屋らしく、マサトはここで服を頼んでいた。

 

「買う?」

 

「……いい」

 

「外で待つ?」

 

「……変なのに絡まれたくないから一緒に入る」

 

 オルガは前に二度、この公都で不良に絡まれたことがある。二度あることは三度あるとも言うし、ここは一緒に入ることにした。

 青年と少女が同時に入る。店に入ると、一番の店だけあって、全ての服もその素材も立派なものばかりが目に入る。店内も華やかだ。

 

「お客様、何用でしょうか?」

 

 二人に店員が近付く。にこやかな表情はしている爽やかな男性だが、目が笑ってない。用が無い、勘違いで入ったのなら出ていけと言いたげだ。

 ただ、マサトよりもオルガには柔らげな視線なのは子供だからか美少女だからか、前者ならともかく、後者は不味い。

 こういう相手には、さっさと物を突き付けるに限る。というわけで、マサトは手紙を渡す。

 立派な装飾が施された手紙を受け取り、店員は驚きの表情を見せる。

 暫しお待ちをと言うと店長に手紙を渡し、十分近くすると女性の店員と一緒にオルガとマサトの元に戻ってきた。

 

 

「御待たせしました。こちらです」

 

 入ったのと違う、真剣な表情の店員に案内され、二人は奥に移動していく。

 

「さっきもそうだが、あの手紙……」

 

 鍛冶屋の時も、マサトは手紙を渡していた。

 

「アルシャーヴィン様に書いて貰った」

 

 ――しっかし、戦姫の名というのは、凄いもんだ。

 初見であろうが、一流の店に難なく入り、きちんと対応してくれる。そのおかげで楽に進むため、帰ったらサーシャに礼を言おうと決めた。

 そこでも少し待つと、店長がマサトが頼んだ物を持ってくる。

 

「こちらです」

 

 ――革鎧、じゃない。

 持ってきたのは黒色のホルスターと、やはり黒を基調とし、革鎧よりは薄いが通常の革の服よりも厚い、言わばハードレザーコート、ハードレザーズバンと呼ぶべき代物だ。

 加工により更に強度を高めた馬の革、それも希少な種類をふんだんに使った高級品で、軽さの割には頑丈さはかなりある。また、重ね着を前提にしてあるので、少し大きめだ。

 他にも機動性を損なわつつ、生存率を僅かでも高めるため、胸、膝、肘は外見からは分からないように厚めにしてある。

 

「無茶な要求に応えて頂き、感謝します」

 

「仕事はこなす。それだけです。しかし、革鎧では行けないのですか?」

 

「自分には、これが一番合うんですよ」

 

 このコートは、向こうで勤めていた自衛隊の服装に近いようにしてある。これと籠手や臑当てが自分にベストなのだ。

 

「ところで、自分は黒一色のみを要求したはずですが……」

 

 よく見ると、銀の装飾が所々あり、黒をより際立たせていた。

 

「黒だけでは少し寂しいかと思い、こちらで追加させてもらいました。……ご不満でしょうか?」

 

 ――うーん……。

 ファッションとしては見事だが、自分の好みは黒のみの服なのだ。装飾に実用性があるわけでもなく、はっきり言って邪魔だ。

 しかし、向こうも悪意があってこうしたわけではないので、言いづらい。

 

「いえ、ご厚意感謝致します。試着しても?」

 

「どうぞ」

 

 許可を貰い、男性店員に案内された一室でマサトはコートやズボンを重ねる。二つをしっかりと通すと、部屋を出てオルガや店員達に感想を求める。

 

「どうですか?」

 

「……お見事です」

 

 ――似合ってはいるが……。

 服の黒が同色の髪と目の青年にマッチしている。しかし、店員や店長はどう表現したら良いのかが分からなかった。というのも、今のマサトは独特の雰囲気があるのだ。それはまるで。

 ――……何処かの刺客みたいだ。

 ほとんどが黒一色で兵士や騎士、傭兵や貴族ともまったく異なる、例えるなら闇の中で標的の命を狙う、暗殺者。

 銀の装飾が無く、黒銃を構えると、印象が更に深くなりそうだ。

 

「着心地は?」

 

「良い感じです。ただ、やっぱり意匠が気になりますね。次からは相談していただけると」

 

「承知しました。次からは気を付けます。ところで、そちらの方は?」

 

 店長達が聞いた当初の予定では、来るのはマサト一人だけ。オルガはいなかった。

 

「自分の知り合いです。今日は色々あって、一緒に」

 

「そうでしたか。折角ですので、この店で買われては? お客様に合わせた一級品を御用意しますよ?」

 

「私はいいです」

 

 此処の服装は、意匠としては素人身の自分でも素晴らしいと分かるが、費用は掛かるし、戦姫ではなく今は使用人の自分には勿体無い。

 

「一着ぐらいは如何ですか? 試着でも構いません」

 

 試着でも構わないと言われ、店内を見渡すオルガだが、ピンと来るのが無かった。

 

「――ん? これ……」

 

「リョーカ? どうしました?」

 

「あ、いや、ちょっと……」

 

 少女と同じ様に服を見渡していた青年の視線が、ある服に集まる。

 ――これって……あれだよな?

 青年の頭に疑問符が浮かぶ。どう見てもこれは『あれ』である。なぜこの一流の店に並べられているのか。

 

「あの、この服……」

 

「はい? ――あっ、そ、それですか……」

 

 その服を見て、店員は微妙そうな表情になるも、直ぐ様営業スマイルに戻す。

 

「……それを御求めですか?」

 

「……レナータ。一つ試着してくれませんか?」

 

「何を?」

 

 店員や店長に許可を求めると、了承を得たのでオルガが来るまでの間に服を畳んで渡す。

 

「この服着てください」

 

 そう言ったマサトに、店員達はえっと驚くも、オルガには聞こえていない。

 

「これを?」

 

 マサトから受け取った服は、一見、毛皮で覆われてもこもこした暖かそうな服だ。

 

「わたしは構わないが」

 

「お願いしますね」

 

「……分かった」

 

 どうしてこの服なのだろうと思いつつ、試着室で着替えていく――が。

 

「はっ!? な、何だこの服は!?」

 

 服を広げ、全体を見たオルガだが、思わず目を疑った。

 

「どうしました? レナータ?」

 

「リョーカ! これをわたしに着ろと!?」

 

「……懐中時計の分」

 

「うっ! う、うぅううぅ……!」

 

 それから数十秒後。扉が開き、中から例の服を着て顔を真っ赤にしたオルガが姿を表す。

 

「……………………こ、これで良いか!」

 

 効果音が有れば、今のオルガにはこう鳴るだろう。『くまー』、と。

 もっと詳しく言おう。今のオルガは、全身を覆う型の服を着ているのだが、それに熊の頭を模したフードと熊そっくりの腹と手足がある。要するに、着ぐるみパジャマを着ていたのだ。

 

「…………うん、似合ってる」

 

 マサトは真顔にしていたが、口を閉じた状態でぷるぷると震えている。よく見れば、店員や客もだ。

 

「笑ってる! 確実に笑ってる! わたしをお子様扱いして楽しいか!?」

 

「いや、実際に似合ってはいるよ? くくくっ……」

 

 事実、小柄で可愛らしい彼女に似合ってる。今のオルガはキュートな子熊、と言ったところだ。

 ただ堪えきれないのか、マサトは軽く笑ってしまう。瞬間、オルガの頭からブチッと何かが切れた音がした。

 

「リョーカもこの服を着ろーっ! わたしと同じ目に遭えーっ!」

 

 がーっと、オルガがマサトに襲いかかろうとしたが、着ぐるみパジャマはぶかぶかなため、裾を踏んで足が縺れ、頭から床に倒れ込んで顔をぶつけてしまう。凄い音が鳴った。

 

「れ、レナータ!? 大丈夫!?」

 

 予想外の事態に、マサトは思わず駆け寄る。近付くと、ぐすんぐすんと泣きじゃくるような声が聞こえた。

 

「マサト、酷い……」

 

「……本当にごめん」

 

 さっき、何故かあった熊の着ぐるみパジャマを見て、どういう訳か悪戯心が芽生えてしまい、彼女に着せてしまったのだが、その結果がこれだ。心の底からマサトは反省する。

 

「怪我ない? 痛みは?」

 

「……まだ痛みはあるが、大丈夫」

 

「ちゃんと見せて」

 

 オルガの顔を見る。額が赤くはなっているが、鼻血などは出ていない。歯も欠けたりはしてないようだ。

 

「すみません、今日は失礼します……」

 

 オルガの具合を確認すると、マサトは今日はもう店を出ることにした。

 

「い、いえ、こちらにも多少の落ち度はありました。申し訳ございません」

 

 自分達も少なからず笑ってしまったため、店員達は頭を下げて謝罪する。

 

「またの御来店して頂いた時は、心からのおもてなしをさせてもらいます」

 

「ありがとうございます」

 

 店員達、マサトの順で頭を下げ、オルガもとりあえず下げた。その後、二人は元の服に着替えてると店を出た。

 

「さっきは本当にごめんな、あんなことになって」

 

「……あの程度で理性を欠いたのも原因だ。マサトだけが悪いわけじゃない」

 

「いや、明らかに俺が主だろ。……本当、何であんなことしたんだか。はぁ……」

 

 オルガへの申し訳なさと、自分への下らなさからマサトは溜め息を吐く。本当に自分は何故、あんなことをしたのだろうか。考えても分からなかった。

 

「……マサト、あれ」

 

 オルガが指を指す。その先には、一つの露店があった。メニューは蜂蜜の匂いが漂う、カブリーシュカと呼ばれるクッキーだ。

 

「どれだけ食べたい?」

 

「……一つで良い」

 

「遠慮すんな。好きなだけ食え」

 

 こんなので詫びになったつもりはない。オルガが望むだけ買うつもりだ。

 

「……三つ」

 

「了解」

 

 対価分の硬貨を渡し、カブリーシュカを三つ受け取る。適当な広場でオルガに渡すと、彼女は黙々と食べていく。その様子に、マサトは小動物のような可愛らしさを感じていた。

 

「これ」

 

「へっ?」

 

 一つ食べ終え、二つ目に手を付けると思いきや、オルガは三つ目をマサトに差し出す。

 

「一緒に食べる」

 

「いや、それは――」

 

「食べる」

 

「……わかったよ」

 

 頼みか、指示か。どちらにしても、さっきの件があるので一緒に食べることにした。

 

「おっ、いけるな」

 

 蜂蜜の味や香りもそうだが、そこにスパイスの風味が合わさって美味しい。二人は同時に食べ終える。

 

「ごちそうさま。でも、何で一人で食べなかったんだ?」

 

「何となく、こうして一緒に食べてみたかった」

 

 特に理由は無い。強いて言うなら、さっき言った通り、何となくマサトと食べたかっただけである。

 

「こんな風に食べるのは……久々か」

 

 公宮での食事とはまた違う、誰かとの気軽な間食の時間。つい、オルガは懐かしさを感じた。

 

「旅をしていたから?」

 

 その問いにオルガは首を縦に振る。

 

「マサトは?」

 

「俺もだな。数年ぶりだ」

 

 嘘の設定だが、マサトはヤーファからの旅人であることをオルガは思い出す。

 

「相手は?」

 

「二人。一人は親しい知人。もしかしたら、初めての友人になったかもしれない相手」

 

 ある人物の面影をマサトは思い出す。自分と同い年の、この数年の間に自分同様に青年となったであろう少年を。

 

「マサトにも、そんな相手がいたのか」

 

「どういう意味だ、おいこら」

 

「さっきの仕返し」

 

「……なるほど」

 

 オルガの細やかな仕返しに、マサトは軽く苦笑する。

 

「その人とは?」

 

「会えてない。連絡も取れない。元気だと良いけど……」

 

「もう一人は?」

 

「……」

 

 見たことのない、親しげさが込もった表情を浮かべたマサトを見て、強い興味を抱いたオルガはもう一人についても尋ねる。しかし、その瞬間、青年の表情に影が帯びた。

 

「もう、いない。亡くなってる」

 

「す、すまない……」

 

 オルガは咄嗟に謝る。ちらっとマサトの顔を見ると、重そうな表情で少し俯いてる。予想外とは言え、辛い想いをさせてしまった。

 

「俺は気にしない。だから、お前も気にすんな。知らない相手に同情されたくはないんだ」

 

「……分かった」

 

 知らない相手という台詞に少し寂しさを感じるが、同情されたくないことを含めれば、それだけ親しい人物だったことは簡単に予想が付く。

 

「……マサトにとって――わたしはなんだ?」

 

 その話を聞いた後だからだろうか。それとも、純粋な好奇心か。少女は青年に自分は何かと尋ねた。

 

「俺にとって? う~ん……色々と気になる先生、かな?」

 

「先生?」

 

 予想外の答えに、オルガは少し驚く。そのせいで、先生の単語の時だけ、僅かに声に曇りが混ざっていたことには気付けなかった。

 

「だって、乗馬とか鍛錬してくれるし」

 

「わたしも色々と教えられてるが……」

 

「そう? じゃあ――互いが互いの先生って関係かな? 俺達」

 

 今度は、暗さと明るさが程よく混同していた。なので、オルガはやはり気付くことは無かった。

 

「妙な関係だ」

 

「だな」

 

 少女と青年が互いに軽い微笑を浮かべる。だが、悪くはない気分だ。

 

「時間もあんまりないし……雑談もここまでにしようか」

 

「わかった。でも――戻った後は勉強に付き合ってもらう」

 

「了解」

 

 その後、青年を伴いながら軽い買い物や夕食、勉強。それらで時間が過ぎていき、少女の休日は幕を閉じた。

 

 

 

 

 

 この次の日、ジスタードの王都、シレジアでジスタード国王がある一件からの発言をしたことにより、レグニーツァは近い日、戦いに巻き込まれることになる。

 



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第十一話 迫る時の中で

「――まさか、エレオノーラが私に機会をくれるなんて。運命かしら?」

 

 紅い長髪に、左右で違う色の瞳――こちらでは『異彩虹瞳(ラズイーリス)』、マサトの世界では『オッドアイ』を宿す美女。

 レグニーツァの隣にある二つ公国の内一つ、ルヴーシュの戦姫、エリザヴェータ=フォミナ。彼女は目の前にある書類を見て微笑む。

 そこには、ジスタード国王の言葉が記されており、その内容はエリザヴェータにとって非常に都合が良い物だったのだ。故に、彼女は微笑んでいた。

 

「早速、準備に取り掛かるとしましょう」

 

 といっても、完了次第直ぐに動くつもりは無い。何かもう一つ切欠が欲しいところだ。

 それまでは調査を続けておきたい。特にある人物の物は。

 

「……どうも、今一つ分かりませんわね」

 

 エリザヴェータは別の書類を手にとる。その紙には、レグニーツァに関しての調査で集まった情報が綴ってある。

 公宮内に侵入するのは色々と手間が掛かるし、面倒にもなるので、城下町で噂や話で手に入れた情報しか無いが、無いよりは遥かにマシだ。

 その中でほとんどは以前と大差ないのだが、一人だけは別だった。その一人こそがマサト。

 これまでの調査で分かったのは、彼が元々はヤーファから旅をしていた医師らしき人物であることと、雇われたのはあの交渉の数日前であること。交渉の数日後に雇われた使用人がいる。

 とまあ、これだけなのだ。どういう経緯で医師の彼が母国から離れて旅人になったか、他に関する情報は一切不明だった。

 

「……単なる医師なのかしら」

 

 普通なら、そう判断するのが正しい。医師にしては若くはあるが、世の中には若くして才能を発揮する人間など、幾らでもいる。

 彼も一人ではなのだろうが、所詮は医師。気にする要因など、無いはず――なのだが、どうしても引っかかる。

 ――考えすぎ、なら良いのだけれど……。まぁ、良いわ。

 仮に、彼が自分の前に立ちはだかる壁になっても、打ち崩すまで。たったそれだけだ。

 

「――さぁ、始めましょう」

 

 歌うように、雷渦の戦姫は告げる。それは戦いへの開幕を華やかに奏でる唄であった。

 

 

 ――――――――――

 

 

「また見てる」

 

「……まぁな」

 

 灰色の雲が空を埋め尽くすその日の朝、自室の窓から、全身を戦闘用以外の黒衣で統一している青年、マサトが険しい目付きである方向、ルヴーシュのある方角を睨んでいた。

 彼は昨日、ある報告をザウルから聞いて、警戒からこれをしていた。その直ぐ近くでは、オルガが佇んでいる。今は使用人の戦姫の彼女は今日休日だった。

 

「……その時とは、突然来るものなのだな」

 

「俺もそう思うよ。……来ないのが最善だったけどな」

 

 何れはその時が来るとは思っていたが、こんなに早いとは思わなかった。

 切欠は、ライトメリッツの戦姫、エレオノーラ=ヴィルターリアと、彼女がディナントの戦いで捕虜したブリューヌのアルサスを治める小貴族、ティグルヴルムド=ヴォルンがブリューヌの大貴族、テナルディエと争った結果、ジスタードの国王はこのような発言を発したのだ。

 諸卿はジスタードの国益をこそ第一に考え、軽挙妄動を慎むようにせよ。と。

 ――余計な発言する国王だな。まったく。

 事情は理解出来れど、切欠になったエレオノーラとティグルヴルムド=ヴォルン。その二人はとにかく、余計な台詞をいったまだ見ぬ国王に対し、マサトはちっと舌打ちする。

 一見、真っ当な発言にも聞こえるが、これは実はかなり厄介なのだ。

 軽挙妄動を慎む、これはまだ良い。問題なのは、国益をこそ第一に考え、という部分だ。

 仮に、エリザヴェータがレグニーツァを攻めるのをジスタードの国益に繋がると解釈した場合、かなり無理矢理で強引だが、問題なく攻めることが可能となってしまうのだ。

 ――本当、面倒だ。

 しかし、一度決まったことは変わらない。幾ら祈ろうが、愚痴を溢そうが、絶対に。

 来るまでの猶予を有効に使う方が、数段意味がある。そう考えているが故に、マサトは動じない。ただ、守るために戦うだけだ。

 

「……わたしに協力は出来るだろうか? 例えば――」

 

「無理だな」

 

 わたしが戦う。そう言おうとしたオルガの台詞を、マサトは先に両断する。

 

「お前は、ただの使用人。そんな奴が、何の役に立つ?」

 

「……戦姫として戦えば」

 

「ブレストを巻き込むつもりか?」

 

 反論をしようとしたが、マサトの言葉に喉が詰まる。そう、オルガが戦姫として戦えば、それはレグニーツァとルヴーシュだけの問題では無くなる。オルガが統治する公国、ブレストにまで及んでしまうのだ。

 

「兵士として戦おう、なんて事も考えるなよ」

 

 いきなり現れた新兵、しかも、使用人など誰も使わないだろう。正体を明かそうとすれば、それはやはり、戦姫としての行動になる。

 

「……今のわたしには、戦うことすら許されてないのか」

 

 戦姫なのに、戦姫として戦えない。兵士としてすらも。経験を与えてくれたこのマサトやサーシャ、公宮で一緒に働かせて貰った仲間達に恩を返そうにも、返すことすら出来ない。正に無力だ。

 

「オルガ、手伝え」

 

「な、何を……?」

 

「お前は戦えない。だけど――出来る範囲でなら力にはなれる。だから、今からすること、頼むことを手伝ってくれ。俺一人じゃあ、無駄だから」

 

「任せてほしい」

 

 オルガはしっかりと頷く。幾ら駄々をこねても、自分は戦えない。だが、戦う人を手伝うことなら今の自分にでも出来る。ならば、それを全力でこなすだけだ。

 

「じゃあ、先ずは――何時も通りの、診察の補佐。これも立派な手伝いだぞ」

 

「……分かった」

 

 確かに立派な手伝いなのだが、少し拍子抜けしてしまったオルガだった。

 

 

 

 

 

「――終了です。今日も、異常はありません」

 

「ありがとうございます」

 

 何時もの診察が終わり、オルガも退室。二人きりになり、ここからはサーシャのための時間になる、はずだが。

 

「最近はどうですか? フォミナ様との交渉」

 

「言わないと駄目?」

 

「情報を得るのは大切でしょう。対処が遅れたら致命的ですし。何より――最低限は果たしてますよ?」

 

 これは、医師としての成果の事だ。延命に成功している以上、自分を縛ることは出来ない。

 

「……ふぅ。全然」

 

 夏の交渉時、サーシャが発作で倒れ、エリザヴェータはそれを利用したことにより、二人は手紙で交渉をしていた。

 

「と言うか、この前の手紙の返事が来ないんだ」

 

「届くのが遅れた、とかではないですよね?」

 

「多分、違うと思う。既に三日も遅れてる」

 

 ジスタードの国王に次ぐ、地位の戦姫。そんな大物が綴った手紙が三日も遅れている。

 運送人の不手際とすれば、大失態にも程がある。向こうが意図的に送るのを止めた、そう考えるのが妥当だろう。

 

「交渉する気は無い、と言うことですか」

 

「そうなるね」

 

 こちらは賠償するつもりなのに、だ。つまり、向こうは最初から話し合うつもりなど、無かったのだ。

 ――……あの機会を逃したのは、大失敗だったなあ。

 夏のあの時、交渉を完全に纏めてさえいれば。つい、そう思ってしまうサーシャだが、もう過ぎた事。何を言っても、意味はない。

 ――それよりも……。

 向こうの狙いが気になる。何を目的に、そうしているのか。賠償で得られる利益を放棄してまで、何をしようとしているるのだろう。

 ――……分からない。

 一つ可能性があるのだが、それが原因で攻めるのは考えづらい。代償が多すぎる。

 

「――よし、マサト。ちょっと僕に近付いて」

 

 ハテナマークを浮かべるも、とりあえず命令らしいのでマサトが少し近付くと。

 

「うりゃ」

 

 ぷにと、サーシャにほっぺを押された。

 

「……何してるんですか」

 

「君のほっぺを押してるの。やっぱり、良い感触だね」

 

 つんつんと、サーシャは更に二度指す。弾力のある肌の心地よい感触が伝わる。中々に癖になる。

 

「……理由は?」

 

「ちょっともやもやしてるから、君のほっぺの感触で発散しようかなって思った」

 

「自分で発散しようとしないでください。ピタミンじゃないんですから」

 

「ピタミン?」

 

「ゴムを材料にして、中に水を詰めた嫌な気分発散用玩具ですよ」

 

 栄養のビタミンと文字と読みは似ているが、まったくの別物である。

 

「地味に贅沢な玩具だねえ」

 

「ですから、然り気無く押さないでください」

 

 こっちでは大切な水を使う玩具に、そんな感想を抱きつつ、サーシャは何度も何度も青年の頬をぷにぷにしていた。

 

「別に良いでしょ。減るものじゃないんだから」

 

「いや、そうですけど……」

 

 かといって、しっくりは来ない。何か、もやっとするマサトだった。その表情にサーシャは少し微笑むと、青年に一つ尋ねる。

 

「マサト、君はその時が来たら戦うつもりかい?」

 

「そのつもりですが?」

 

「人を殺めたことのない君が?」

 

 彼の世界でも、殺人は立派な犯罪。そして、マサトは今まで戦の経験を味わったことが無い。要するに、未経験なのだ。

 

「それが? どうでも良いですね。例え、殺し合いだろうが、自分がするべきことは変わりません」

 

「人の命を守る、か。その為には人を傷付ける、殺さなきゃならないんだよ?」

 

「知っていますよ? それでも、自分はすべきことをするだけ。一つでも多くの人の命を守るために為す。それが全て。邪魔は――許さない」

 

 敵意に満ちた眼差しを、臣下は主に向ける。

 

「頑固者だね。あと――ちょっと迫力無い」

 

 というのも、サーシャは指を頬に刺したままなので、迫力が今一欠けているのだ。

 

「……だったら、止めてくださいよ」

 

「やだ。楽しいし」

 

 鼻歌を奏でながら、サーシャはまた数度ぷにぷにする。本当に楽しそうだ。しかし、ふと止めた。

 

「けど、本当に戦うの?」

 

「さっきも言いましたが?」

 

「辛いし、苦しいものになるよ? もしかしたら、心に傷を負うことだってあり得る」

 

「だから何ですか? 辛い? 苦しい? 心の傷? そんなものどうでもいいです。自分は人の命を守る。それだけですよ。例え、苦しみ、傷を負い――心が壊れてしまわおうが」

 

 青年の最後の言葉で、朧姫の背筋が一気に冷えた。背や額から、冷たい汗を流す。黒銃も、思考が停止するほどの悪寒を感じていた。

 ――違う……。

 マサトは意志が強い、そう思っていた。それは間違ってはいないが、実際は少し違う。

 彼の意志の強さは、狂気の領域に――いや、狂気そのものと言っていい類いの代物だったのだ。

 それほどまでに純粋に他者の命を助けようとするが、反面、自身には何一つ案じない。

 この矛盾こそが、向陽雅人という人物を表していた。

 

「何ですか? 急に無言になって」

 

 あんな台詞を言った直後なのに、青年は何事も無かったかのような普段の表情で自分に尋ねる。その様子がまた、恐ろしい。

 

「……知れたと思っただけさ。君の新しい一面を、闇を」

 

 人の命を守るという光の底にある、深く暗い闇を。

 

「……そうですか」

 

 青年がサーシャに対して、初めての笑みを見せる。但し、それは狂気が若干混ざり、見る者へ悪寒や恐怖を与える笑みだった。

 

「――えいっ」

 

「――はい? ふぎゃっ!?」

 

 とまあ、シリアス真っ只中だったが、直後、マサトの顔が両頬から掌で押され、妙な形に変わる。

 

「ぷぷっ……! あははっ! 変な顔~!」

 

「……あならのへいれひょうふぁ」

 

「ふふっ、何を話してるのか分かんないや」

 

 口も歪んでいるため、発音が擦れていた。それでも、実はサーシャはマサトが何を喋っているのか分かってたりする。要するに、わざと惚けているのだ。

 

「……もろひてくらふぁい」

 

「わっかりまっせん♪」

 

 ジト目で睨むマサトを無視し、サーシャはにこにこしながら暫く彼の顔で遊んでいった。

 

「あー、楽しかった」

 

「……こっちは苛立ちしか溜まってませんよ」

 

「細かいことは気にしないの」

 

 色々と満足もし、さっきの空気も、マサトの狂気の瞳も完全に消し飛んだ。ここで話を持ち出す。

 

「ところで、マサト。僕が出る、なんてのは――」

 

「許可すると思いますか?」

 

 改善はされ、最低限の運動ならなんとかはなったが、それが限界。これ以上の無茶は、寿命を縮めかねない。

 許可など、正式ではないとはいえ、医師としても臣下としても出来る訳がなかった。

 目に力を込め、威圧するマサトだが、サーシャは退かない。

 

「僕は、戦姫だ。なのに、臣下に任せるだけなんて、失礼じゃないか」

 

 サーシャも、自棄になってそう言っているのではない。戦姫の立場としての責任感からの台詞だった。

 

「貴女は戦姫ですが、同時にこのレグニーツァの統治者。一番に果たすべきは国のために生きることではないのですか? ――次が、善人とは限らないのですから」

 

「それは、そうだけど」

 

 次とは、彼女が亡くなった場合の竜具及び、レグニーツァを統治する後継者のことだ。

 

「一つ言って置きますけど、新しい人が自分と合わないと判断した場合、自分は借金を返済したあとは、即座に此処から出ますから」

 

「はっきり言うね、君」

 

「そもそも、自分がここにいるのは貴女への借金があるからです。いい人とは思っていますが」

 

 後は、オルガの経験になるから、も無くはない。

 とは言え、サーシャは病に掛かりながらも戦姫としての勤めを果たしている立派な人物。

 本業ではない医師をしているのも、理不尽に苦しむ彼女を助けたいのと、治療することがレグニーツァの多くの民の安泰になると考えたからである。

 但し、それらもサーシャが善人であるのが前提。仮に悪人ならば借金を返したあとは、とっとと出ていっているつもりだった。

 ――らしい。

 そんなマサトはついついそう思った。第一、彼は異なる国、世界の人物。考えもこちらの通常とも違う。

 自分が掲げる信念、一つでも多くの人の命を守る。それに従い、ここにいるだけなのだ。

 暖かいが故に冷たくもある。そして、光と闇が一体となっている。それが、向陽雅人という人物。

 

「まぁ、とりあえずは借金返済を頑張ったら?」

 

「それを持ち出して、自分を出さないようにはしないでくださいよ? 貴女は統治者として、可能な範囲で全力を尽くす義務があるのですから」

 

「やれやれ、君は厄介だ。――ちなみに、算段は有るのかな?」

 

「無くとも作りますよ。数日以内には。絶対に」

 

 欠片も揺らぎの無い青年の瞳に、サーシャはある感情の火が点きつつも、はぁと溜め息を付く。

 

「出来たら僕に報告して。それが有効と判断したら、許可する。但し、期限は当日まで」

 

 本人としては、マサトの世界との交渉も考慮しているので戦いには出したくないが、統治者の立場や状況を考えると仕方なかった。

 

「了解しました」

 

 サーシャの言葉は得られた。後は当日までに構築し、仕上げるだけだ。

 

「他に聞きたいことはある?」

 

「これ以上は特にありません。今日はどんな話が良いですか?」

 

「今日は――ううん、しばらく話はいい。鍛錬も一人でやるよ。君には、するべきことがあるだろう?」

 

 考えがあって――と言うか、考えしかないだろうが――彼はこう言っているし、自分もその方が嬉しい。しかし、今はそれよりも重要なことがある。鍛錬だ。

 この時間は楽しいし、最近は前よりもちょっとだけ心待ちにしているが、自分の私情に付き合わせ、必要な時間を使わせる訳には行かない。トレーニングも同様だ。

 

「余計な心配です。自分の管理は出来てますので、その中でやります」

 

 自分は兵士だが、今は正式ではないが医師でもある。役目はしっかりとこなさねばならない。

 

「気持ちは嬉しいけど、この時間を他に回した方が良いと思うよ? 時間は有限だからね」

 

「……ですが」

 

「じゃあ、こうしよう。僕が許可を与えるまではこの時間は無し。統治者としての判断だよ」

 

「……分かりました」

 

 そう言われては、立場上だが所詮は臣下でしかない自分は聞くしかない。

 

「では、失礼しますが……トレーニングは無理をしない範囲でこなしてください。あと、終わったらしっかりと入浴で汗を流してください」

 

 これは医師として、しっかりと言っておかねばならない。

 

「むっつりさん」

 

「はい? ……さっきから何なんですか、まったく……」

 

 サーシャのからかいに、マサトは訳が分からないと言った表情で退室していった。

 

「う~ん。やっぱり、ああいう反応か」

 

 命を守ることだけが全て。そう言っていたが、満更嘘でもない様だ。色恋など、欠片も興味なさそうだった。

 

「……にしても、あんな一面があったとはね」

 

 今日の話で知った青年の狂気と闇。あれには思わず悪寒を感じた。

 

「純粋に強く思うが故に、達した狂気か、或いは狂気故の純粋さか。……どちらにしても異常だね」

 

 しかし、そうで有りながら、決して悪人ではないのがまた厄介だ。

 

「……とは言え、それを知っても尚、完全に払えない僕も異常かな? 悪人じゃないんだし、純粋だもんね。ふふふっ……」

 

 一人になった自室で朧姫は思わず、自虐的な笑みを浮かべた。

 

 

 ――――――――――

 

 

「貴殿は、どうする気ですか?」

 

 そう言われたのは昼。ザウル、最近は他の兵士や騎士達との試合を終えた後、ザウルにそう話し掛けられたのだ。近くには、定時報告に来たマトヴェイもいる。

 

「何がですか?」

 

「……先日の国王陛下の発言により、我等が戦う可能性が更に増しました。その時が来た場合、貴殿はどうする気かと聞いています」

 

 今日はよく聞かれる日だなと、ついついマサトは思った。

 

「まさか、自分が臆病風に吹かれるとでも? だとしたら心外です」

 

 マサトはむすっとする。例え、そうなったとしても、戦うだけだ。

 

「そうではありません。貴殿がそんな人物でないと思っていますから」

 

 全てを知っている訳ではない。しかし、今までの触れ合いでマサトがそんな人物とは無縁なのは読めていた。

 

「では、何故そんなことを?」

 

「貴殿は、戦姫様の担当医師です。そして、その結果をしっかりと出し、これからもより良い改善が出来る可能性も充分にあり得えます。はっきり言うと、今貴殿を失うのは、このレグニーツァ、引いては戦姫様への損失があまりにも大きすぎるのです」

 

「大袈裟過ぎますね。今続けているのは、もう自分がいなくても済むことばかりですよ?」

 

 力はゼロ次第だが、薬の調合も、料理も、一通り記したり伝えている。運動は微妙だが、継続だけならはっきり言って自分がいなくなっても問題ない。本も、サーシャはある程度を解明している。

 

「いや、可能なのは持続です。それ以上は、やはり貴殿にしか出来ません。違いますか?」

 

 ――……否定できないな。

 こう言うとこの世界の医師に失礼だが、現在血の病の解明、改善できるのは大量の知識を持つ自分のみ。他では、常識に差が有りすぎて、理解ができないからだ。

 そうなると、これからの改善にも自分は必須であり、その自分を失うのを避けたいと考えるのは当然と言えた。

 特に最近は結果を出したことから、何とか血液検査も行なえるようになったため、尚更。

 

「それに、まだ若い貴殿を散らせたくもありません。どうか、考えては貰えぬでしょうか?」

 

「残念ですが、貴方一人にそう言われようが――」

 

「私だけではありません。文官、武官、他の多くの者の半分が私と同じ意見です」

 

 マサトは思わず呆気に取られる。流石にこれは予想外だった。

 

「言っておくが、私もその一人です」

 

「……マトヴェイさん」

 

「大恩ある、アレクサンドラ様の為にも、貴殿はまだまだ生きてもらわねばならぬ人材です。どうか退いて――」

 

「断る」

 

 敬語ではなく、力が籠った拒絶と鋭い眼差しに、ザウルとマドウェイは思わず圧倒された。

 

「俺は俺の信念に従って動き、戦う。それだけだ」

 

 自分が重要な立場にいるのは分かっている。しかし、それでも戦うことを止める訳には行かない。それが自分の生きる理由であり、信念だからだ。

 

「……そっちが、本当の貴殿か?」

 

「いや? どっちも俺。使い分けしてるわけじゃないけど」

 

「……複雑だな」

 

「人間、そんなものだろ。――これ以上は失礼なので、戻します。すみません」

 

 瞬時に口調や態度を切り替え、マサトはペコッと下げる。その切り替えの早さに、ザウルやマトヴェイは何とも言えない表情だ。

 

「やっぱり、変ですか?」

 

「いや、貴殿も案外我等と変わらないと思いまして」

 

 言葉もそうだが、さっきの感情剥き出しの表情が特に人間臭かった。今までは態度を何時も変えず、淡々と何処か機械らしく見えていたので、ホッとザウルは安堵する。狂気を見てないが故の反応とも言えるが。

 

「所詮は性格の違いの範疇。大した差など、人の思い込みに過ぎないということですか」

 

「例外はあると思いますよ」

 

 特に、自分は。口には出さないが、そう思うマサトだった。

 

「はっきり言います」

 

「事実でしょう?」

 

「確かに」

 

 微笑を浮かべる三人。数秒間続くと、いち早く笑みを止めたザウルがまた真剣な表情でマサトに語りかける。

 

「話は戻しますが……貴殿は引く気など一切ないのですね?」

 

「えぇ、誰に言われようが引きません」

 

 そして、誰が何を言おうが、その時になれば必ず自分が戦うことになるとも確信している。

 

「……はぁ、頑固で癖が強い新人は面倒です」

 

「頑固で癖が強くて、悪うございましたね」

 

「まぁまぁ、落ち着いてください、二人共」

 

 呆れ顔のザウルとしかめっ面のマサト。その二人を宥めるマトヴェイの、少々カオスな男三人だった。

 

「では、今日も頼むとします」

 

 素手で構えるザウル。体術での仕合だ。

 

「今日は、少し痛い目に遭ってもらいますよ?」

 

 にっこりと、黒い笑みを浮かべ、オーラを出すマサトにザウルは勿論、マトヴェイも思わず怯む。

 

「ぶ、武器方式で……!」

 

「却下です。――あと、持つ前に問答無用でぶっ潰す」

 

「ま、マトヴェイ! 助けてくれ!」

 

 オーラの迫力が増し、危険を感じたザウルはマトヴェイに助けを求めるも。

 

「ザウル。……頑張れ」

 

 体格こそこちらが有利だが、前に一度だけの手合わせした時にあっさり投げられたことから、マサトには体格は関係ないことをマトヴェイはよく知っている。

 痛い目には遭いたくないため、船乗りは騎士を見捨てることにした。

 

「薄情者め!」

 

「――スタート」

 

「ま、待ってください! 私はまだ――」

 

 一人の騎士の悲鳴が上がったのは、それから数秒後だった。

 

 

 ――――――――――

 

 

「はあっ!」

 

「ふっ!」

 

「頑張ってる、頑張ってる」

 

 夜の隅の広場。そこでこの二ヶ月半毎日行われてきた少女と青年の試合が今日も行われていた。

 但し、今日は何時もの見物客、騎士と時々の船乗り以外にももう一人増えていた。サーシャだ。

 彼女は今日、マサトの実力をこの目で確かめるため、広場に来ていた。冬が近付いてきた夜なので寒さがあるが、暖かい服や竜具が遮っているので問題ない。

 

「どうで御座いますか、アレクサンドラ様?」

 

「中々、ってところだね」

 

 劣勢だが、戦姫であるオルガとそれなりに渡り合えている。自分の目から見ても、中々の強さだ。さっきの『対策』も悪くない。

 

「けど、彼でなければ駄目、というほどじゃない」

 

 一般兵よりは強い。しかし、ここにいる腕利きとは五分か若干下。それが今のマサトの実力だ。

 要するに、今のままでは勝算が無いのだ。有っても限り無く零に等しい。対策を含めても、これでは許可を出せない。

 

「――良い目はしてるけど」

 

「アレクサンドラ様もそう思いますか?」

 

 サーシャの視線が、マサトの瞳に集中する。試合をして疲れようが、傷付こうが、それを糧にするように増す輝きがとても綺麗だった。

 その目には、朝に見た狂気は一欠片も存在しない。

 

「――あっちの方が、僕は好みかな」

 

「今なんと……?」

 

「あっ……、いや、ああいう強い意思を感じる目は好ましいなと思っただけ」

 

 言葉が思わず零れたらしい。ザウルの問いにサーシャは若干焦りながらも尤もらしい台詞で答える。

 

「終わりましたな」

 

 今余所見した間に、試合が終わったらしい。結果は勿論、オルガの勝利だ。

 

「……どうですか?」

 

「最後は見れなかったけど――その実力じゃあ許可は出せないね。意志の強さは評価するけど、役不足だ」

 

「もう一度見てくれませんか? 今度は、こいつの力を全開にした上で戦います」

 

「力頼りの戦いはあまり評価しないよ?」

 

 サーシャは竜具を持っているが、力を積極的に使うことはしない。これは自制のためは勿論、兵が自分ではなく、竜具の力しか見なくなるのを避けるためだ。

 

「一度だけで構いません。お願いします」

 

 マサトは深く頭を下げる。これで許可を貰えるとは思っていないが、とりあえずだ。

 

「レナータ、君も竜具の力を使って。――本気でね」

 

「えっ……ですが……」

 

 実力に開きがあるのに、その上に竜具の力まで使う。下手すれば、怪我の範囲では済まない。躊躇うのも無理はないだろう。

 

「遠慮はいりません。全力で掛かって来てください」

 

「分かりました。――行きます」

 

 異烏と月姫。互いが持つ武器の特殊な力を全力で使う、本気の試合が始まった。そのしばらく後。

 

「はぁ……! はぁ……!」

 

「ふー……ふー……」

 

 陥没し、削り取られ、凸凹と荒れ放題になった広場。汗だくで疲労困憊の青年以外の全員が驚愕の眼差しで彼を見詰める。

 

「……負け、ました」

 

 結果は、マサトの敗北だ。しかし、それまでの過程は彼以外の全員を驚かせるには充分だった。

 

「これが、銃の力――いや」

 

 使い手である、向陽雅人の実力。武器の力を十二分に引き出す彼の能力。

 

「ザウル、マドウェイ。仮に君達が黒銃を持っていたら、あんな風に戦える?」

 

「……難しい、ですな」

 

「……自分もです」

 

 思いもよらない使い方ばかりだった。見たからとは言え、同じ様に扱えるかはまったく別。おそらく不可能だろう。

 第一、黒銃の力は今マサトにしか使えない。欲が出て、新しい使い手になろうとしても、銃には意志がある。やはり、不可能だ。

 異界の彼だからこその使い方、と言ったところか。

 

「やっぱり……駄目、ですか?」

 

「……」

 

 朧姫は考え込む。正直、これほどの強さとは予想外だった。悪く言えば力頼りではあるが、充分な強さに違いない。

 

「レナータ、話せる?」

 

「だ、大、丈夫、です……」

 

 口ではそう言っているが、呼吸は乱れきっている。相当疲れたらしい。

 

「深呼吸。安定させてから、戦姫として本心で言って欲しい。彼は――強い?」

 

 何度も呼吸を繰り返し、体力をある程度にまで回復させる。

 

「はい。ただ……初めて見て、不意を突かれたという点が大きいです」

 

 マサトの戦法は実力差を補うため、不意を突くものが主だ。機会を作るのも、裏をかくのも上手い。

 しかし、逆に言えば、それは差を証明していた。短期ならともかく、長期は差が顕著になるだろう。それも、二度目からは更に強く影響する。

 

「あと――」

 

「あと?」

 

「何と言うか……最後の攻撃の際、不思議な感じが……」

 

「……不思議?」

 

 曖昧で要領を得ない表現に、サーシャは首を傾げる。騎士や船乗りも、そう言われたマサトも微妙な表情だ。

 

「どう不思議なの?」

 

「その一撃だけ、他の時よりも妙に鋭くて、目も雰囲気も何か違った様な……」

 

 前半については、確かに今までの攻撃よりも鋭さがあった。それはサーシャも感じたが、後半についてはこれまたよく分からない表現だ。

 

「……君はどうなの? 実感はある?」

 

 こういう時は、本人に聞くのが一番。なので、マサトに尋ねる。

 

「……そう言われると、確かに最後の攻撃は、何か妙な感覚がしましたけど……」

 

 無我夢中で余裕は欠片もないため、よく覚えてない。ぼんやりと感覚が残っているぐらいだ。

 

「それに、最近は何度かあったような気も……」

 

「そう。よく分からない事は放って置こう。それはともかく君の実力だ」

 

 よく分からない話は流し、サーシャはマサトについて考える。一度だけの切札、と言った所か。しかし、その時次第では、大いに役立つだろう。

 サーシャは溜め息を溢す。公主としてレグニーツァを守るには、この切札を使わざるを得ないのだから。

 

「――策」

 

「はい……?」

 

「実力は分かった。充分通用するとね。あとは、僕を納得させるだけの策を考案して欲しい。それが無ければ、君は出せない」

 

「ありがとうございます。ただ、自分は未熟なので、他の人の力も御借りたいのですが」

 

「ザウル。余裕が有れば、彼に協力して」

 

「はっ」

 

 マドウェイはリプナでブリューヌ、ルヴーシュの情報収集をして貰わねばならない。ザウルほど余裕が無かった。

 

「あと、マサト。こっちに来て」

 

 ちょいちょいとサーシャは手招き。何故か、嫌な予感がしつつもマサトは彼女に近付く。

 

「――どーん」

 

 サーシャは右手を出すと、親指に掛けて力を溜めた人差し指を弾き、マサトの額にぶつけた。要するに、デコピンだ。

 

「お仕置き完了。じゃあ、僕は部屋に戻るね」

 

 その行動にマサト以外ポカンとするが、サーシャに気にせずに公宮の中に戻っていった。

 

「え、えと……。今のは……?」

 

「さ、さぁ……?」

 

「……マサト殿、何かなされましたか?」

 

「……してませんよ、そんなこと。何でされなきゃならないのか分かりません」

 

 さっきの行動に、様々な感情が込められているのを知るのは、当の本人であるサーシャだけであった。

 

 

 ――――――――――

 

 

『まだ、続けておるのだな』

 

「そりゃな」

 

 僅かな灯火のみの灯りしかない自室で、青年は目の前のノートを見つめる。今は深夜で、オルガはもう寝ている。会話も、彼女には届かないように小さなものだ。

 

『一つ良いか?』

 

「何?」

 

『何故、そなたはそこまでしようとする? 己の生まれ育った世界ではなく、この異世界で戦う?』

 

「前にも言ったろ。人の命を一つでも多く守るため。それ以外に無えよ。場所なんて関係ない」

 

『……言い方は悪いが、普通ではないな』

 

「自覚してる」

 

 自分が普通ではないことは、自分が一番自覚しているつもりだ。

 

『もう一つ構わぬか?』

 

「今度は何?」

 

『我と出会い、所持したことを恨んでおらぬか?』

 

 自分と出会わなければ、マサトは向こうの平和な世界で安全な日々を過ごしていたに違いない。恨んでいても、何ら不思議ではない。

 

「もうどうでも良いな。そんなことを話したところで何かが変わる訳でもないし――生きる世界が変わっても、俺のやるべきことは変わらない」

 

 ただ、守る。それだけだ。それ以上もそれ以下でも無い。

 

『……怖いな、そなたは』

 

 自分の使い手ながら、寒気を感じる。

 

「どう思ってくれても結構。ただ、俺の力にはなってもらう」

 

『分かっている』

 

 マサトをこの世界に飛ばし、何れは人外の者達と戦う定めを背負わせた責任はしっかりと果たさねばならない。彼が死ぬまで力を貸すつもりだ。

 

「ところでさあ。そろそろ、お前の隠し事を教えてくれない?」

 

『……断る』

 

「叩き付けんぞ」

 

『起きるぞ?』

 

 未だに隠し事を続けるゼロに尋ねるも断れ、脅迫するマサトだったが、オルガが起きると返され、露骨な舌打ちをする。どうやら、話すつもりは無いらしい。

 

「何時になったら、話すんだよ」

 

『「その時」が来たらだ』

 

「何年後だよ」

 

『明日か、数日後か、一月、半年、来年。若しくは数年、十数年、数十年……死ぬまで来ぬかもしれぬ』

 

「不定、か。――質問を変える。その時とやらは俺にとって良いことか? それとも悪いことか?」

 

 具体的には何一つ言わないゼロに、マサトは違う方向から問い掛けた。

 

『……そなたは厄介だな』

 

 良いことなら、直ぐに言える。しかし、悪いことならば黙るしかないが、そうしてもマサトは感付いてしまうだろう。嫌な質問だった。

 

『後者、だ』

 

「次の質問。それはお前を捨てても、改善されるか?」

 

『……そなたの危険は消えるが、嫌な予感がする。とてつもない危機を招くような、な』

 

「自身への危機感とかじゃなくて?」

 

『違う』

 

「……本当、面倒臭い代物手に入れちまったな」

 

 しかし、これが無いと、今の自分では戦姫と戦えない。サーシャへの治療にも少なからず影響する。おまけに、捨てれば何らかの危機を引き起こし兼ねない恐れがある。本当に面倒だ。

 

「最後、自分のことは思い出せたか?」

 

『まったく』

 

 これも本当だ。二ヶ月以上一緒にいて、色々と知識を得たが、自分の記憶を思い出すことは叶わなかった。

 ただ一つ、魔弾の王の話を聞いた時だけは妙な感覚があったが、今はもうない。手詰まりだ。

 

「そっ。今はしないと行けないこともあるし。さっき言ったように、俺の武器として力になってくれるなら、それで良いや。ただ――生きてたら、しっかりと調べ尽くしてやるから覚悟しろよ? んで、やばい代物と判明したら、絶対に叩きまくってやる」

 

『……よく覚えて置こう』

 

 将来、痛い目に遭うのは確実になったらしい。その時を考え、ゼロは来ないで欲しいと思っていた。

 

 

 ――――――――――

 

 

 数日後の朝。マサトがサーシャの診察をやっていると、突然扉が叩かれる。

 ――何の用だ?

 診察時は、余程のことが無い限り、部屋に入らないことなっている。少なくとも、しばらくは無かったことだ。

 ――余程の何かが起きた、ってことか。

 瞬時に幾つか考えていくが、その何れもエリザヴェータに関することだった。サーシャも同様だ。

 遅れを出すわけには行かないため、サーシャが許可。幾度の診察、治療によりマサトが見慣れた老いた従僕が入室する。

 

「診察中に入り、誠に申し訳御座いません。アレクサンドラ様」

 

「何の用?」

 

「はい、実は先程――ポリーシャ公国を治める戦姫様、ソフィーヤ=オベルタス様がこの公宮を訪問されました」

 

 それは意表を突く、予想外の人物の訪問だった。

 



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第十二話 竜好きの戦姫と緑青の幼竜

 二つを混ぜた話です。


「もうすぐね。久々に会えるわ」

 

「……キュウ」

 

 レグニーツァの公宮の一室で穏やかに待つ美女。ジスタードの南部にある公国、ポリーシャを治める戦姫、ソフィーヤ=オベルタス。

 くるくると緩やかに流れる金色の髪に、ベリル――緑柱石の瞳と穏やかな雰囲気を宿し、長身の見事なスタイルを足元まで存在する、薄緑のドレスやその身に纏う宝石は彼女の魅力を引き出していた。

 そして、彼女の手には彼女の瞳と同色の宝石と黄金の輝きが美しい、輪と円環が組み合わさった神秘的な造形の杖がある。これは彼女の武器だ。

 それと、他にも彼女の胸元に諦めた表情で項垂れてるゼニスとは違う、緑青色の鱗が特徴の飛竜の子供――名はルーニエも目立つ。

 

「向かう場所がブリューヌで良かったわ」

 

「キュ~……」

 

 ――自分には全然良くない。

 そう言ったルーニエを女性は撫でる。彼女がレグニーツァに向かっているのは、ジスタードを出る前に親友の容体をこの目で見ておきたかったからだ。

 目的地がブリューヌであったからこそ、ここに向かっても差ほど不自然にはならなかった。

 

「最近は調子が良いらしいけど……」

 

 彼女は諦めから、発することも止めたルーニエを撫で続けながら、思案も続ける。もしかして治療法でも見つかったのだろうか。そうだとすればそれは喜ばしいことだ。

 そのおかげで、話し合いすることが出来る。仮に病気が改善されてなければ、会うことが叶わなかったかもしれないのだから。

 ――でも、どんな医師を見つけたのかしら?

 今までかなり手を尽くしてはいたが、それでもほんのちょっと抑える程度の成果しかなかったと聞いていた。それがいきなり改善の兆しを見せた。

 

「魔法みたいね……」

 

 それにもう一つ気になる点もある。体調の改善は手紙を通して知ったが、書いてあったのは何故かそれだけで、『誰』が『どんな方法』で良くしたのかは一切書いてなかった。

 ――まるで、それを隠しているかのように見えるけど……。

 そうする理由が分からなかった。普通は名医に会ったとでも記せば良い筈なのに。何か知らせたくない訳でもあるのだろうか。

 無理に問いただしたくないし、可能なら聞けるぐらいで良いだろう。

 

「……それにしても、あっちは大丈夫かしら?」

 

 ライトメリッツに一旦視線を向ける。自分の親友――エレンの現状は自分を不安がらせた。

 ――確か、ティグルヴルムド=ヴォルン。

 内乱の真っ最中にあるブリューヌのアルサスを治める伯爵の名で、エレンに捕まって捕虜となり、行動を共にしている人物だ。

 聞いた話では、様々な欠点こそ有れど民のためにしっかりと悩み、命を懸ける人物。それと、弓を軽蔑しているブリューヌにしては、珍しい弓の使い手で天才的な技量の持ち主だとか。

 

「そういえば、エレンは彼が一本の矢で上空にいた飛竜を射落としたって、言ってたわね」

 

 これは親友の冗談だろうと女性は思っている。

 

「こっちも今の所は問題無さそうだけど……」

 

 今の所なのは、レグニーツァが攻め込まれる可能性が有るからだ。エレンと因縁のある戦姫、エリザヴェータが。普通ならば、それは難しい。

 

「あの言葉があるのよね……」

 

 ジスタードの国王が言った台詞、『ジスタードの国益をこそ第一に考え、軽挙妄動は慎むようにせよ』。この台詞のある部分を使えば、簡単に動けてしまうのだ。

 

「……杞憂であればいいけど」

 

 そうなってくれないのが世の常、不安で仕方なかった。

 

「――駄目ね。久しぶりに再開するのに、こんな雰囲気はいけないわ」

 

 今の気持ちを振り払う。そのために、ルーニエからすれば何故かの理由で幼竜を撫でる。

 ――……逃げたいよう。

 そんな心境は、残念ながら届かなかった。どういう訳か主から無理矢理預けられ、逃亡しようにも場所がよくわからないので無理がある。

 ――誰か助けてー!

 幼竜の悲痛な叫びが、客室に響き渡った。

 

 

 ――――――――――

 

 

「……ん?」

 

 そんな哀れな叫びが鳴った瞬間、この公宮で寝泊まりしている青年が耳をすませた。

 

「どうした? マサト?」

 

「いや、今なんか、悲鳴みたい声が上がったような……気のせいかな?」

 

「わたしには聞こえないが……?」

 

 九つの年の差のある二人は、耳に意識を集中させて部屋を確かめるも、悲鳴らしき声は聞こえない。

 

「やっぱり、気のせいか。それよりも、今日は思わぬ経験を得れる機会だな」

 

「うん」

 

 サーシャ、オルガ、エリザヴェータに続く四人目の戦姫。光華の耀姫(ブレスウェート)の称号を持つ女性、ソフィーヤ=オベルタス。持つ竜具は、光の力を宿す錫杖とか。

 彼女はサーシャに面会しに来たらしく、体調にはまったく問題ないため、手続きなどの時間は掛かったが、それ以外は難なく通った。今頃は、会っているかもしれない。

 そして、サーシャに頼んで、その後にソフィーヤに余裕があればオルガと彼女を軽い雑談をさせてもらうことになっている。ただ、その際は自分もいないとならない。自分とソフィーヤの話に入らせてもらうからだ。

 

「しかし、ソフィーヤ殿は何の用で来たのだろうか」

 

「さぁな。アルシャーヴィン様はオベルタス様とは親しい仲とは言ってたけど」

 

 しかし、レグニーツァとポリーシャは離れている。親しい相手とはいえ、わざわざ面会の為だけに来たとは少し考えにくい。何かのついでにここに立ち寄ったと考えた方が自然だ。

 

「……どうでも良さそうだ」

 

「正解」

 

 オルガはソフィーヤに興味津々だが、今のマサトは特にどうでも良い。興味が全く無いわけではないが、さっき言った通り、レグニーツァとポリーシャは離れている。親しい間柄そうなので、問題も早々起きないだろう。

 何よりも、今自分が一番気にすべきはエリザヴェータだ。その事に多忙なこともあって、今マサトがソフィーヤに興味を持つ理由が無かった。

 会話も、ソフィーヤはサーシャとの面会が終わったあと、オルガと少し話をするための最低限の事務的なものをして、オルガと交代する。それで終わりだ。

 要するに、マサトにとっては新しい戦姫がサーシャに会いに来た、それだけでしかないのだ。

 

「ちなみに、お前はオベルタス様と会ったことは?」

 

「前に一度だけ。悪い印象は感じなかった」

 

「あるのか」

 

「うん。……だから、オベルタス殿には失礼ではあるが、この恰好で良かったと思ってる」

 

 今のオルガは別人に見せるよう、かつらで違う髪色と髪型になっている。あと、マサトのちょっとした方法で目の色も違う。

 これなら、一度しか会っていない彼女に気付かれる恐れは先ず無いだろう。

 

「念のため、雰囲気もちょっと変えとけ」

 

「……どうやって?」

 

「ほんわか~みたいな感じになれば行ける。多分」

 

「……多分?」

 

 そこは絶対と言ってほしいと思うオルガだった。

 

「……とりあえず、やってみる」

 

「ん。じゃあ、それまで間があるし――」

 

「待って」

 

 オルガと話をしようとしたマサトだが、真剣な表情の少女に止められる。

 オルガは耳を済ませると、何かに気付いたのか、静かに窓の方へと歩き、窓を一気に開く。

 

「――誰だ?」

 

「キュイっ!?」

 

 ――何だ、この鳴き声?

 獣や鳥、虫とも違う奇妙な鳴き声に興味を抱いたマサトが窓を見る。

 

「これは……竜?」

 

 見えたのは、緑青色の体をした、蝙蝠のような一対の翼に、硬質の角や爪、尻から伸びる短い尾を持つ、可愛らしい竜の子供だった。

 

「翼を持つ竜……飛竜(ヴィーフル)と呼ばれる種だ」

 

「何で竜がここに?」

 

 マサトも本で竜についてはある程度知っている。数は少なく、山奥などの人気の無い場所で暮らし、成体の身体は槍や剣、矢を容易く弾き、素材にすることが出来ないほどに堅固だと。

 滅多に遭遇しないはずの存在が、どうして突然公宮に現れたのだろうか。二人は疑問に思っていた。

 ――え、え~と……。

 その竜の正体は、ソフィーヤが連れていた飛竜、ルーニエだった。実はソフィーヤから離れるべく、駄々をこねて客室にとどまったあと、部屋から抜け出し、公宮周りを飛び回っていたのだ。

 

「何処からか迷い込んだか、気まぐれでここまで来た子か?」

 

「多分。その内のどちらかだと思う」

 

 竜は通常、人気のない山奥に暮らしており、滅多に人前に姿を現すことはない。

 なので、二人がそう思うのは無理もない。ソフィーヤが竜が一緒であることを知らないため、尚更だ。

 ――自分を野生と思ってる?

 一方、ルーニエは二人が勘違いしていると知り、この機会を活かそうと考える。

 ――しばらくここにいたる。

 苦手なソフィーヤと折角離れれたのだ。少しの間、そうしても罰は当たらないだろう。

 自由気儘に二人の許可なく部屋に入り、ベッドで丸くなろうとしたが、その途中で止まる。マサトがルーニエの首をむんずと、猫みたいに掴んでいたのだ。

 

「こら、許可なく入ろうとするな。入りたかったら、ちゃんと言え」

 

 ――何だお前! 首掴むな! 離せ!

 手足を振って、じたばたと足掻くルーニエだが、マサトには当たらない。

 

「言、え」

 

 気迫が込められた区切りながらの言葉に、ルーニエは思わずビクッと怯む。コクンコクンと頷くと、入りますと竜の声で言った。

 

「言ったか?」

 

 ――い、言った! ちゃんと!

 冷たい眼差しで確認する青年に、若干怯みながらも幼竜はしっかりと頷く。

 

「そうか。じゃあ――吸収」

 

 黒銃を取り出し、ルーニエの身体に付着している雑菌の生命を体ごと吸い付くした。

 

「良いぞ。入りな」

 

 ――……何だったんだろう、今の。

 許可を貰ったので、とりあえずルーニエは改めて二人の部屋に入室する。

 

「いらっしゃい。あとさっきは悪かったな。けど、自分の場所に勝手に入られるのはお前だって嫌だろ? 人と竜で違いはあるけど、最低限の節度は守らないとな」

 

 ――……まぁ。

 確かにその通りだ。自分だって、寝床やお気に入りの場所に勝手に入られるのはあまり気分が良くない。

 今のでマサトが怒ると怖そう、ちゃんと節度を守りさえすれば良いと分かり、ルーニエは素直に従うことにした。

 

「そっちはオルガのだから、駄目。こっちなら好きに寝転がっていいぞ」

 

 ――分かった、そうする。

 ルーニエはてくてく歩き、マサトのベッドに身体を預けると、ゴロゴロし出した。

 

「ははっ、お気楽だな」

 

「……」

 

「どうした?」

 

 ――な、なに?

 さっきから違和感を感じていたオルガはルーニエに近付くと、まじまじと見つめたり、嗅いだりする。

 

「やっぱりだ。この子、ほとんど汚れてない。それに臭いもキツくない」

 

「そういえば……」

 

 さっきは気付かなかったが、そう言われるとオルガの言う通り、身体が綺麗すぎる。野生にしては妙だ。

 

「本当に野生の子か?」

 

 ――そ、そうだよ!

 鋭い指摘に、ルーニエは焦りながらも頭を上下に振る。

 

「ちょっと怪しいけど……何か悪いことをしたいわけじゃないんだろ?」

 

 ――うん。

 ルーニエはここで憩の一時を味わいたいだけなのだ。危害を加えようなど、そんなことは一切考えていない。

 

「なら、良いだろ。気にする必要もない。その内、自分で帰るさ」

 

「……それもそうか。済まなかった」

 

 追求はしないのなら、問題はない。ルーニエは気にすんなと言い、とりあえずマサトのベッドでゆっくりする。

 その途中、青年と少女が難しいことを話していたのが何となく気になった。何の話と訪ねると、青年はこれからのための大事な話だよと返した。

 ――頑張ってるんだ。

 二人が断片的にしか話さないため、内容はルーニエにはさっぱり分からない。しかし、二人のがマサト、オルガと呼ばれ、一生懸命なのは目を見ればよく伝わって来た。だからだろうか、ルーニエは頑張れと呟いた。

 

「応援してくれたのか?」

 

 ――そう。

 見事に当てた青年に向かって、首を縦に振る。

 

「ありがとう。そうだな……。お菓子持ってこようか?」

 

 幼竜に礼を言ったあと、マサトはそう提案する。しばらく考えていたため、丁度休憩にしようと思っていたのだ。

 この後も頭をしっかりと動かすためにも、休憩や糖分補給は必須。なので、お菓子も貰うことにした。

 ――お菓子! 食べたい、食べたい!

 食欲旺盛な竜としては、断る理由は全く無い。なので、食べたいとお願いする。

 

「了解。じゃあ、お前とオルガ」

 

「あと、マサトの分もしっかりと」

 

「分かってるって。俺もちゃんと食べるよ。あと、お前はここで待っててくれ。目立つからな」

 

 ――そうしとく。

 出ている最中に、ソフィーヤに発見される恐れがあった。ここで大人しくするのが一番だろう。

 

「オルガ。俺が持って来るまで、その子の相手をしてくれる?」

 

「分かった」

 

「お前も暴れたりすんなよ」

 

 分かってると頷いたルーニエを見て、マサトはゼニスのお菓子を貰いに部屋を出た。

 

 

 ――――――――――

 

 

「では、ご案内致します」

 

「感謝します」

 

 何度か面識のある年老いた従僕に案内されながら、女性は親友の部屋へと向かい、その間に話も聞く。

 

「彼女の様子は?」

 

「ここ最近は体調を崩されることなく、最低限では御座いますが、至って健康そのものです」

 

「名医でも発見されました?」

 

「えぇ。ただ、その人物は少々特殊なのですが……」

 

 いきなり、天井から現れた。と言っても、信用出来ないだろうし、こう表現するしかなかった。

 一方、特殊という表現に、ソフィーヤは強い違和感を抱く。一体何者なのだろうか。

 その人物についての話をもっと聞きたいところだが、重要な人物でも有りそうなのでサーシャに聞くことにし、意識を彼女の方へと向けた。

 

「そろそろ……かな?」

 

 懐中時計の予想からサーシャがそう呟くと、コンコンと扉が叩かれた。

 

『アレクサンドラ様、ソフィーヤ様が来られました』

 

「入れて欲しい」

 

『はっ。では、ソフィーヤ様。刻限は半刻までとさせてもらいます。――どうぞ』

 

 六十分の制限時間を貰い、ソフィーヤが入室する。

 

「やぁ、ソフィー。会えて嬉しいよ」

 

「わたくしもよ、サーシャ。元気そうで何よりだわ」

 

 愛称で呼ばれた光華の戦姫、ソフィーは椅子をベッド付近に置いて座り、親友である煌炎の戦姫との抱擁を交わす。

 サーシャもそれに応え、久々の対面に心が満ちるのを感じる。

 それからは色々と他愛のない話をし、少しすると呼鈴を鳴らして従者に果実酒とお菓子を用意させる。

 二人分の葡萄の果実酒と、大麦を焙煎して挽いたはってい粉で作った、シフォンケーキが運ばれる。

 

「あらあら、美味しそうなお菓子ね」

 

「うん、僕も食べるのは初めてのだよ」

 

 これもマサトが提案した菓子のため、まだ食べたことは無かった。

 

「そうなの? それに、貴女の分は小さいわね」

 

 サーシャのは、ソフィーの半分にも満たない量しか無い。

 

「食事の量や物を制限されてるから」

 

 お菓子が食べれるのは最近からで、数日に一度、厳選されたのを少量だけだ。

 

「厳しいのね」

 

「身体の為だから、仕方ないよ」

 

 寧ろ、制限されてる中で菓子まで許してくれるのだ。優しい方である。

「それより食べて」

 

「えぇ」

 

 フォークで先を切り取り、刺して口に運ぶ。しっとりした生地の食感と、他の材料で際立たせた大麦の風味や甘味がとても良い。

 

「美味しいお菓子だわ。良い料理人ね」

 

 ――それと、提供者もね。

 口には出さず、心の中でそう呟くサーシャ。ケーキのあとは果実酒で喉を潤す。ソフィーも同様の順で舌を満足させる。

 

「満足したかい?」

 

 従者が食器を片付ける中、友人に感想を問う。

 

「とても。けど、ルーニエちゃんにも食べさせたかったわ」

 

「じゃあ、後で用意するようにするよ」

 

 サーシャが話すと、片付け中の従者は分かりましたと恭しく一礼。全ての食器を運び、丁寧に退室する。

 

「それにしても本当に元気ね。まるで、病気にかかる以前、とまでは行かないけど、前に見た時よりは遥かに良くなっているように見えるわ」

 

「ふふっ、凄い医師が見つかったからね」

 

「一体、どんな人なの?」

 

「残念だけど、秘密――と言いたいところだけど、教えて上げる。但し、条件が一つ」

 

「それは?」

 

「話の際、その人物が出す要求を飲むこと」

 

「念のため、聞いておくけど……変な要求をしたりはしないわよね?」

 

「当たり前だよ」

 

 と言うか、あれがそんなことを要求するとは思えない。そんな人物なら、とっくにあの世行きである。

 

「どこまで良くなったの?」

 

「発作は無くなって、最低限の運動だけなら何とか」

 

「そこまで?」

 

「まぁ、これが限界だけどね。戦闘は止められてるし。でも、日時生活を過ごすなら問題ないよ」

 

 それでも、前に比べれば遥かに良くなっているのは確実だ。

 

「今度会うか、手紙でエレンにも伝えないと。絶対に喜ぶわ」

 

「だろうね。エレンの状況は?」

 

「早ければ、ミラとの騒動が終わって、今は例の人とアルサスに向かう、ってところじゃないかしら?」

 

「そっか。何事も無ければ、それに越したことは無いけど……」

 

「……確実に一悶着はあるでしょうね」

 

 内乱のブリューヌでそこの大貴族を相手に小貴族と異国――ジスタードの戦姫や兵が介入する。これで、何事も起こらないはずがなかった。

 

「こっちも心配している余裕なんて無いか。――来そうだ」

 

 その一言で、ソフィーは瞬時に悟った。

 ――エリザヴェータ。 ソフィー個人としては、病気で戦えないサーシャに代わってあげたい。

 しかしだ、戦姫である自分が介入すれば、レグニーツァとルヴーシュだけの問題では済まなくなってしまう。

 更に、今は公務中。しかも、ジスタード国王直々の命令。そんな状態で私情で他国に介入する訳には行かなかった。

 ――……こういう時、戦姫って辛いわね。

 国王の次の地位のため、大きな権威を持つも、それ故に自由には動けない。サーシャに申し訳なく思うソフィーだった。

 

「そんな顔しないで。お互い立場があるんだから」

 

「……そうね。ところで、手はあるの?」

 

「あるよ。それが何かは言えないけど」

 

「サーシャ、貴女まさか……」

 

 言えないといったことから、つい自分で戦う気ではないかと思ってしまうソフィー。

 

「違う、僕じゃない。代わりに戦う人がいるんだ」

 

 ――サーシャの代わりに戦う人? 

 自分やサーシャを含めたジスタードに七人いる戦姫は、何れも卓越した武勇と超常の武器の持ち主。例え相手が千の兵でも、打ち倒す実力者ばかり。

 戦姫を倒すには、圧倒的な兵力差か優れた知謀、同じ戦姫をぶつけるしかないと言えるほどだ。そして、エリザヴェータも戦姫の一人。

 その彼女を可能性だけとは言え、倒せる人物がいる。興味を示さない筈がなかった。

 

「誰かは聞けない?」

 

 サーシャの友人として、出来れば色々話したいため、その人物に顔合わせしたい。

 

「残念ながら」

 

 可能なら秘密にしたいのだろうと分かり、潔く諦める。

 

「じゃあ、今度は僕が聞かせて貰おうかな。どうしてここに?」

 

 仕事ではあるが、特に隠す理由も無い。ソフィーは何の抵抗もなく話す。

 

「この前、ブリューヌのアルサスで、エレンとティグルヴルムド卿がテナルディエ公の軍と戦ったでしょう? それが切欠で、わたくしがブリューヌに使者として赴くことになったの」

 

「なるほどね」

 

 ソフィーは外交が上手い戦姫だ。所持する竜具は錫杖型の為、他国で謁見などの際に取り上げられる可能性は低く、それ故に暗殺などには対処しやすい。使者としては、これ以上無い適任者だろう。

 サーシャが納得すると同時に、テナルディエの話をしていたおかげで、ソフィーは一つあることを思い出した。それについて聞くことにする。

 

「サーシャ、唐突だけど、ブリューヌのテナルディエ家に仕えている、竜を調教可能な人物について何か知らないかしら?」

 

「竜を……調教?」

 

 それを聞き、サーシャは眉を潜めた。

 

「エレンからの頼み事で調べているの。レグニーツァは海と接していて、貿易で様々な国の人が来るでしょう? 噂で聞いたことは無い? 僅かな情報でも良いの」

 

「いや、聞いたことが無いよ。竜を調教できる人物だなんて。お伽噺とかじゃないよね?」

 

「違うと思うわ。エレンは二頭の竜を見たって、ちゃんと言ってるもの」

 

 親友は嘘を付く類いの人物ではない。であれば、本当のことなのだろう。

 

「そっか……。けど、ごめん。心当たりが全く無い」

 

 マドウェイや港の一つリプナの長から沢山の話を聞いているが、竜を調教する話は流石に初めてだ。

 

「そう、例の人物は知っているかしら?」

 

「さぁ、僕も今初めて聞いた話だし……。尋ねてみないとわからないな」

 

 マサトは異界人なので、知る由も無いが、それは言えないのでこう誤魔化すしかなかった。

 

「そう。ごめんなさいね、変な質問をして」

 

「別に構わないよ。ただ、竜を操る者なんだから非常に注意した方が良いと思う。万一があったら危ないしね」

 

「えぇ、そうね」

 

 残念ながら収穫は無し。主な話も終わったので、また雑談をしていくと、扉が叩かれる。刻限を迎えたようだ。

 

「時間が来ちゃったね」

 

「そうね、もっと話したかったけど……仕方ないわ」

 

 二人の公国は離れており、互いに忙しい身。しかも片方は病人だ。簡単には会えない。

 

「余裕があれば、帰りの際も立ち寄るわ」

 

「楽しみにしてる」

 

「それと、エリザヴェータのこと、エレンには――」

 

「……出来れば隠してほしい」

 

 向こうにも事情があるはずだ。やむを得ない事態になるまでは余計な心配を掛けたくない。

 

「分かったわ。じゃあ、またね」

 

「うん。またね」

 

 別れの挨拶を済ませ、ソフィーは静かに退室する。

 

「楽しかったな。ふふっ」

 

 親友と久々に直接話せた。小さいが、サーシャにとっては充分過ぎる時間だ。

 

「彼に感謝しないとね」

 

 マサトがいなければ、こうしてソフィーと話せたなかっただろう。その事実が、サーシャを喜ばせた。

 

「――さて。個人の時間はここまで。ここからは」

 

 戦姫として、今迫る脅威に対しての、考え事をせねばならない。

 

「とにかく、できることはしないと……」

 

 動けない自分が出来ることなんて、高が知れている。

 それでも、自分は公主としての役目を精一杯こなす。それが自分の責務なのだから。

 

「僕も彼も……そう簡単に君の思惑通りに進ませる気は無いよ。エリザヴェータ」

 

 雷渦の戦姫がいるであろう、ルヴーシュに向け、煌炎の戦姫はそう言い放った。

 

 

 ――――――――――

 

 

 ――うまうまっ!

 そんな一方、緑青の幼竜が公宮の今日のお菓子、シフォンケーキを貪っていた。ルーニエだ。

 

「美味い?」

 

 ――すっごく!

 ソフィーがいないこともあり、何の心配もなく安心して食べられるのだ。その気分も合わさってか、美味しさが増している気がした。

 

「そりゃ、良かった。提案者としては嬉しいな」

 

 厨房の人達に無理を言って、ケーキを大量に貰った甲斐もあったと思うマサトだった。良い食いっぷりである。

 

「オルガは?」

 

「美味しい。マサトはこんなものも知っているのか」

 

「作ったのは、厨房の人達だけどな」

 

 自分は知っているのを話しただけである。

 

「それでも、マサトが話したから食べられる。だから、ありがとう」

 

 ――ありがとー。

 少女に続き、幼竜もペコッと頭を下げ、次のを瞬時に平らげる。

 ――うぅ、本当に美味しいよぉ……。

 一時ではあるが、久々の平穏の時のお菓子。味も良く、これで嬉しくない筈がなかった。そのせいか感激してしまい、両目が涙が溢れる。

 

「え、えぇ? 涙が出るほど美味かった?」

 

「本当にどういう子だ?」

 

 ――お、驚かせてごめん……。

 びっくりさせてしまったことをルーニエは謝る。果実水で喉を潤し、また別のケーキを口にしようとする。

 

「待った。これ」

 

 マサトは近くにあるジャムの一つを取り出し、ケーキに軽く塗る。

 

「食べな」

 

 ――頂きまーす。

 ジャム塗りのシフォンケーキを一口かじる。苺のジャムのようで、苺の甘味と酸味が良いアクセントになり、普通のとは違う味わいがある。

 

「そっちはどう?」

 

 ――こっちも良いな!

 その後も、幾つかのジャム塗りのケーキの味をルーニエは楽しんでいく。自分の分が無くなる頃にはかなりの満腹感により、暗い気分が吹き飛ぶ。

 ――ごちそうさまー。

 

「沢山食べたなー。ほいっと」

 

 布巾で幼竜の口元に付いた食べ滓を優しく取る。丁寧な扱いに、ルーニエはまたありがとと告げた。

 

「満足した?」

 

 ――とても!

 満面の笑みを、緑青色の幼竜は浮かべる。

 ――ふにゃ?

 硬くはあるが、温かい感触が自分の頭に伝わる。見ると、マサトが掌を当てて撫でていた。

 

「ご、ごめん。つい撫でちゃった」

 

 その可愛さに、マサトはついつい撫でてしまう。嫌がるかと思ったが、ルーニエは特に抵抗を見せず、むしろ続きを促す。

 

「良いの?」

 

 ――良いよ~。

 じゃあ、お言葉に甘えてとマサトは撫で撫でを再開。その内、オルガも気になったのかわたしも良いかと尋ね、ルーニエは許可。男女で幼竜の身体を撫でていく。

 

 ――は~、落ち着く~。

 今日初めて会った人間の掌の暖かい感触を味わいながら、ルーニエはこのままここで暮らしたいなと思う。

 ――ご主人は、苦手な相手の元に送り出すし……。

 主人にはお世話になってるとはいえ、強引に苦手な相手の元に送られて不満に思わないはずがない。

 それに比べ、目の前の相手は厳しいところは有れど、それさえ守れば寛容で優しい。

 主人への不満や現状から、本気ではないが、彼に鞍替えしたやろうかと幼竜は考える。そのさまも可愛らしい。

 

「ははっ、やっぱり可愛な。お前」

 

 ――それほどでも~。

 上機嫌からか、可愛いと言われるも、ルーニエはまったく怒らなかった。逆に機嫌が更に良くなる。

 

「ちょっと抱いても良いか?」

 

 ――や、やり過ぎないなら……。

 撫で撫でから抱き締め。ある人物のことから徐々に危険な予感がし、ルーニエはついつい警戒してしまう。

 

「……どうした? 何か、警戒してるみたいだけど……?」

 

「確かに……」

 

 ――そ、その……。

 おろおろと迷う幼竜。二人がソフィーと同じ行動を取るか不安なのだが、本当に心配そうな表情で見てもいる。十数の間悩み――いっそのこと、言うことにした。

 ――実は……。

 自分が野生ではなく、人に飼われている竜であること。今、色々あって主人ではなく、その知り合いと一緒にいること。その知り合いが苦手な相手であることを動作や鳴き声、表情を駆使して必死に伝えた。

 二人も真剣にかつ、首の頷き確かめながら聞いたため、時間は掛かったが大体を理解する。

 

「え~と……。つまり、お前は誰かに飼われてて、でも今は違う人と一緒にいる」

 

「しかし、その相手は嫌がる自分に何度もお構い無しに迫るので、隙を見てここに来た、であっているか?」

 

 ――そうそう!

 声が読めないので、相手が誰なのかまでは流石に分からなかったが、ほとんど正解のようだ。

 

「そっか……お前も辛いんだな」

 

「にしても、飼い主もその人物も酷いと思う」

 

 苦手な相手に預ける。嫌われてるのに無理に迫る。マサトとオルガはその二人に憤慨し、思わずルーニエに同情する。

 ――分かってくれるの!?

 二人が自分の境遇に同情してくれた。ルーニエは感激のあまり、思わず涙目になって抱き着き、頬擦りしていく。

 

「わわっ、こんなに泣きながら甘えるって……」

 

「本当に酷いということか……」

 

 でなければ、ルーニエがこんな態度を取るはずが無かった。

 ――う~ん、アルシャーヴィン様に頼んで、引き取ってもらえるか聞いてみるか?

 そう思い、ルーニエにその事を話そうとした時、扉が叩かれた。

 

『――宜しいかしら?』

 

 扉の向こうから、穏やかで透き通った女性の声が聞こえる。オルガとマサトその声の主が誰かなのか分からなかったが、幼竜だけは違った。

 ――こここ、この声は……!

 

『わたくし、ソフィーヤ=オベルタスですわ。少し話したいことがあって』

 

 話の時間が来たかと、マサトは答えようとしたが、その途中である光景が見えた。

 

「うわっ、ど、どうした?」

 

 自分を心配する声が出るもルーニエには届かない。緑青の幼竜にとっては、冷たい目をしたマサトと同じかそれ以上に恐ろしい存在の声。

 まるで、伝わる振動で地震が発生しそうなほどに震えており、顔を真っ青で冷や汗が大量に流れていた。

 

「何で、こんなに怯えて……?」

 

 ――入れないで……! 入れないで!

 マサトに必死に抱き付き、涙目で彼女を入れないようにルーニエは懇願する。

 

「え、えと、どうしよう……?」

 

 オルガに意見を求めるが、彼女もどうしたら良いのか判断出来なかった。

 

『あの、都合が余程悪いのかしら?』

 

「え、えと、その……」

 

 サーシャに頼んで用意してもらった折角の話なのだが、この状態では出来ない。二人共困っていると、部屋の向こうから走ってくる音が聞こえた。

 

『あ、あの、ソフィーヤ様! 大変です!』

 

『どうしましたの?』

 

『客室にいるはずの、お連れの幼竜様の姿が無いのです!』

 

『え、えぇ!?』

 

 幼竜という単語を聞き、マサトとオルガの視線がルーニエに向けられる。

 

「お前、もしかして一緒にいた相手って……」

 

「ソフィーヤ=オベルタス……様?」

 

 ――お、終わった……。

 この世の終わりが訪れたかのように、ルーニエはガクッと項垂れた。

 

 

 

 

 

 ――どうしよう、これ?

 現在、自室にいる青年は何とも言えない表情だ。というのも。

 

「る、ルーニエちゃん? そろそろこっちに――」

 

 ――絶対にやだーっ!

 ルーニエが自分の腹に全力でしがみつき、ソフィーの呼び掛けを一切拒否しているのだ。顔も見せようとしない。

 

「ま、マサト殿、どうかルーニエちゃんを説得してください。お願いします……」

 

 ソフィーはマサトの名を口にしているが、これは既に自己紹介済みだからだ。

 ちなみに、その名前とマサトの誤魔化しからソフィーは彼をヤーファ人と認識している。

 

「る、ルーニエ? 一旦、オベルタス様の所に戻って――」

 

 ――マサトは、あの女の味方をするの!?

 涙目でルーニエは訴える。同情してくれたのに、自分よりもソフィーの味方をするのか。ルーニエにとっては、裏切り以外でしか無かった。

 

「……すみません、無理です」

 

 相手が戦姫とは言え、涙目で訴えてくる子供を差し出すのは流石に罪悪感が半端無かった。

 

「うぅ、ルーニエちゃん……」

 

 しょぼんと落ち込むソフィー。そのさまには、戦姫としての威厳がまったく無かった。

 

「……自業自得な気もしますが」

 

「はぅ!」

 

 そこに、ジト目のオルガが容赦ない追撃を仕掛ける。その言葉はソフィーの心にグサリと深く突き刺さる。

 ――遠慮無いな!?

 驚くマサトだが、オルガからすれば、サーシャに続く年長の戦姫。

 さぞかし立派な人なのだろうと思っていたのに、ルーニエに何度も強引に迫っていた相手と知り、印象は下降の一方だった。こんな人と話して経験になるのかと思う始末である。

 ちなみに、オルガの言葉にルーニエはもっとやれ、もっとやれと促していたりする。

 ――このままじゃ、多分、話が進まないな。

 こういう時は強引にでも、話を進めるのが一番である。

 

「と、とりあえずお話ですが……」

 

「え、えぇ。先ずはわたくしから良いかしら」

 

 何時までもへこたれている訳にも行かないので、無理矢理意識を正す。

 

「どうぞ」

 

「では、お言葉に甘えて。サーシャ――アレクサンドラから聞いたけれど、貴方は彼女の医師なのね?」

 

「――はい」

 

 ――愛称呼び。本当に仲が良いんだな。

 とは言え、サーシャはソフィーを信頼しているからといって、自分が彼女を信頼する理由にはならない。

 尋ねられない限り、自分から何かを言う気は一切なかった。そう思っていたが、彼女の口から出た台詞はマサトの意表を突いた。

 

「先ずは、お礼を。彼女の身体を良くしてくれて、ありがとう」

 

 彼女の礼に数秒にも満たない間だけだが、マサトは驚いた。直ぐに平常に戻るが。

 

「自分は自分のやるべきことをしただけです。失礼ながら、他国の戦姫の貴女にわざわざ礼を言われる理由がありません」

 

「えぇ、その通りね。けど、彼女の友人として言って置きたかったの。そのおかげで、今日彼女と話が出来たのかもしれないから」

 

 そう言われると、マサトとしてはその言葉を受け取ることしか出来なかった。自分がいなければ、今日サーシャとソフィーが会えなかったのかもしれないのだから。

 ――まぁ、まだまだ完治への道は程遠いけど。

 それに、仮に完治が出来ても、まだ一つだけ大きな壁が残ってもいる。空気や気持ちを悪くするだけなので、サーシャに言ってないし、この場でも言わないが。

 

「にしても、随分と若そうにも見えるけど、今は幾つなの?」

 

「今年で……二十二ですね」

 

 誕生日はもう過ぎているので、今は二十二だった。

 

 

「……年上?」

 

 身長は平均的だが、顔は童顔なため、自分より下だと思っていたが、年上、しかも二つも上なのは予想外だった。

 彼も気にしているかもしれないので、何時までも驚くのは止める。

 

「ごめんなさいね。若く見えたものだから」

 

「よく言われます」

 

 向こうの世界でもそうだが、此方でも実年齢を知った時は大抵驚かれる。相棒のゼロを筆頭に、サーシャやオルガもそうだった。

 特に、サーシャは一つだけとは言え、年上だったことに。オルガも一回り近く離れていたことに驚いていた。

 

「改めて……そんなに若いのに、難病を治療出来るだけの知識や腕を持ってるなんて、本当に凄いわ。どこで身に付けたのかを聞いても?」

 

「昔、色々と頑張った。たったそれだけです」

 

 それ以外は話す気は無い。暗にそれを示している言い方だが、ソフィーとしては聞くことが無いために何も尋ねなかった。

 

「謙虚なのね」

 

「事実ですよ。他に聞きたいことはありますか?」

 

「あと一つだけ。――竜使いに関して」

 

 その台詞にピクッと、黒銃のゼロは僅かに反応を示したが、マサトはソフィーに集中していたので気付けなかった。

 

「竜使い、ですか?」

 

「えぇ、ブリューヌのテナルディエ公爵は知っているかしら?」

 

「最低限の情報だけなら」

 

 ブリューヌの内乱の兆しが出てから、万一に備えて個人で調べていた。

 良くも悪くも、大物の名。レグニーツァは海路からブリューヌの北方に繋がる場所のため、調べればそれなりの情報を得れたのだ。

 

「その公爵がどうしましたか?」

 

 こうは言っているが、既に大体は読めている。おそらく、テナルディエの元にその竜使いとやらがいるのだろう。

 

「彼の元に、さっき言った竜使いがいるらしいの。貴方は旅をしていたのでしょう? その人について、知っていることはない?」

 

「残念ながら、そんな人については存じません。ただ、そんなことが出来る相手なのですから、気をつけた方が宜しいかとは思います。余計な御心配かもしれませんが」

 

 最高戦力である戦姫の一人に忠告しても、余計かもしれないが、一応はしておきたい。

 

「ご忠告ありがとう。そうさせてもらうわ」

 

「話はこれで全部ですか?」

 

「彼女の友人としては。わたくし個人としては、もう一つ頼みがあるのだけれど――」

 

「その前にこちらの要求をお願いします。貴女の戦姫としての経験を、このレナータに貰いたいのです」

 

「その子に?」

 

 マサトの手の動きと同時に、オルガが一歩前に出て頭を下げる。

 

「この子は、今は使用人ですが、将来の為にも沢山の経験を学びたいのです。国王陛下の次の地位にある戦姫の貴女の話なら、特に良い経験になるかと思いまして」

 

 てっきり、自分に関する要求かと思いきや、使用人――本当は放浪中の戦姫――との会話。これにはソフィーは少し驚いた。

 ――いい人、なのかしら。

 自分よりも他人。余程の思惑が無ければ、早々出来ないだろう。それはともかく、その程度の頼みなら断る理由もない。受けることにした。

 

「わたくしの話で良ければ、喜んで」

 

 マサトは二人の邪魔にならぬよう、抱き着いたままのルーニエと共に距離を取る。

 ソフィーはオルガと正面から向き合い、オルガににっこりと微笑む。

 ――……あら?

 少女を見たソフィーに、少し違和感を感じた。何処かで会ったことがあるような。そんな感じがするのだ。

 しかし、黒の髪と瞳の少女。何処にでもいるだろうし、街や村で見た人と勘違いしているのだろうとソフィーは判断した。

 

「では、お願いします。……ただ、ルーニエのような話は御勘弁です」

 

「そ、それは出さないで貰えると……」

 

 ――……これ、大丈夫かなあ?

 若干の不安な空気が流れながらも、竜好きの耀姫と今は使用人の月姫の話し合いが始まった。

 

「オベルタス様。戦姫になった直後はどうでしたか?」

 

「やっぱり、大変だったわ。忙しい両親に変わって面倒を見てくれた祖父の元で読み書きを学んでいたけど、それでも最初はどうすれば良いか分からなかったもの。騎士の娘だし、戸惑いも多かったわ」

 

 ――騎士の娘。

 ソフィーの生まれや心境を知り、オルガはある程度の共感を示す。自分は騎馬の民の族長の孫だったが、それでも生まれ育った故郷とブレストとの差には呆然とし――逃げてしまった。

 ――……出すな。

 逃げ出した時のことを思い出し、鬱屈した想いが表情に出そうになるも、オルガは寸前で抑える。

 今の自分はあの時とは違う。一から進み直すためにここで使用人として暮らし、ソフィーと話し合いをさせてもらっているのだ。内の負を飲み込み、しっかりと向き合う。

 

 

「そんなに大変でしたのに、どうやって乗り越えたのですか?」

 

「一つは、官僚達の助けもあるわ。でもそれ以上にわたくしの両親の存在が大きかったと思うの」

 

「それは……?」

 

「わたくしの両親ね。いい年をしながらすっごく仲が良いの。娘のわたくしが見て呆れるほどの」

 

「悪いよりは、遥かに良いことだと思いますが……」

 

 急に両親ののろけ話をされ、オルガは少し戸惑い気味だ。離れたところにいるマサトも脳裏にハテナマークが出ている。

 両親の仲の良さと、ソフィーが頑張れる理由。それが繋がらなかった。

 

「わたくし達は統治者。判断一つで統治下にいる民達の人生を大きく変えてしまうことだってあるわ。良い方にも、悪い方にも」

 

 絶大な権力を持つ戦姫。その地位を剥奪するには竜具が離れるか死ぬまで不可能。その気になれば、幾らでも悪事を働け、多くの民達の人生を狂わせることが出来るだろう。

 

「それに気付いて怖くなった時があったわ。そんな時、わたくしは仲の良い両親を思い出して、もう一つ気付いたの。振る舞い次第では、わたくし達は多くの人を苦しませる。だけど、逆に二人と同じ様な人達や、必死に生きている人達の生活を守ることも出来る」

 

 ――……そう、か。

 身近な幸せや努力を理不尽から守る。それこそがソフィーが辿り着いた答え。

 

「そう思えたら、少しずつ恐れが消えていって、戦姫の立場を背負えるようになったの。仕事は次から次へと来るから、苦労や課題は一行に無くならないけど――最近では、自分が戦姫であることを誇りに思えるようになって来たわ。それを教えてくれた両親も、勿論わたくしの誇りよ」

 

 一切の不純物の無い笑みを、ソフィーは浮かべた。

 ――……凄い。

 ルーニエへの態度から、ついつい自分はソフィーが戦姫に相応しい人物なのかと思ったが、それはとんでもない間違いだった。

 欠点はあれど、彼女もまた立派な戦姫の一人で、逃げ出した自分よりも遥かに凄い人物だったのだ。自分の見る目の無さを、オルガは心底恥じた。

 

「参考にはなったかしら?」

 

「……はい、とても。話していただき、本当に感謝します」

 

 光華の戦姫、ソフィーヤ=オベルタス。彼女の意志を知り、自分はまた一つ学ぶことが出来た。オルガは心からの感謝を込め、頭を下げる。

 

「貴女の為になれたら何よりだわ。頑張ってね」

 

「……はい」

 

 最後まで自分の立場を言わないことに、オルガは後ろめたさを感じざるを得なかった。

 

「……あと、ここからは個人として貴方達に頼みたいのだけれど……」

 

 耀姫の表情が柔らかななのから、何処か困ったものへと変わる。離れた場所にいるマサトはルーニエに一旦離れるように言い、二人に近付く。

 

「それはもしかして、ルーニエの……?」

 

「え、えぇ……。貴方達、ルーニエちゃんになつかれてるでしょう? 出来れば、私とあの子の仲を取り持ってくれたり……」

 

「別に良いですが……」

 

 今日会ったばかりだが、ルーニエとはそれなりの仲にもなった。

 自分達の力でソフィーとルーニエの仲が良くなれば、互いの為にもなる。二人は仲を取り持つことにした。

 

「ですが、そもそも何であの子は貴女を嫌っているのですか?」

 

「ある程度知りましたけど、根本の理由が分からないので……」

 

「そ、それは、その……」

 

 気まずそうにソフィーは目を泳がせる。しかし、何時までもこうするのは時間の無駄。

 意を決し、飼い主がライトメリッツの戦姫、エレオノーラ=ヴィルターリアであることと、自分が昔の出来事から嫌われていること、最後に自分とルーニエが一緒にいることになった経緯を話した。

 

「なるほど……」

 

 ――まさか、ヴィルターリア様のとこのだったとは思わなかったな。

 今危機が訪れる切欠と言い、最近何かと彼女の名を聞いている。

 

「ですが、報酬と引換にルーニエを苦手な貴女の元に送るなんて……酷くありませんか?」

 

「そうです。ルーニエは貴女達の玩具ではありませんよ」

 

「……返す言葉も無いわ」

 

 エレンへの批判だが、ジト目で見てくるマサトとオルガに、ソフィーは素直に反省する。

 ルーニエと一緒にいれることだけを喜び、あの子の心情は完全に無視していたのだから。

 

「……そんなに好きなんですか? ルーニエのこと」

 

「……一目で夢中になって」

 

 マサトは大体が読めた気がした。初対面で彼女がルーニエを気に入り、可愛さのあまり強引に抱き締めた。多分、そんなところだろう。

 大抵の者は初対面の出来事で相手を判断することが多い。そして、ルーニエは子供だ。どんな人なのか分からないのに、無理矢理抱き着かれ、強烈な苦手意識を抱いてしまったのだろう。

 ――ルーニエが俺達になついた、というより、俺と親しくなったのも十中八九、それが原因だろうなあ……。

 苦手な相手と常にいる中の不満。それから解放された反動と、苦しみを理解してくれたのが合わさった結果、自分達は短時間の付き合いながらも親しくなったのだろう。

 

「わかりました。出来る限りはさせてもらいます」

 

「そうですね。ルーニエの為にも」

 

「本当に!?」

 

 希望に満ち溢れた緑柱石の両眼で迫られ、マサトとオルガは一瞬怯んでしまった。

 

「ただ、期待はしないでくださいよ?」

 

「今の印象も最悪ですから」

 

「……それは言わないで」

 

 ソフィーの頭に思い浮かぶルーニエとの出会い。見た瞬間に気に入ってしまい、感情が暴走してしまったが故の過ちであり、今日まで続いてしまった。しかし、それも今日までかもしれない。

 

「では、早速。――ルーニエ~、ちょっと来てくれるか?」

 

 ――……良いけど。

 ルーニエはマサトに近付くとぎゅ~っと抱き着く。ソフィーをまったく見ようとせず、ソフィーは落ち込んだが、直ぐに引き締める。

「え~と、ルーニエ。今から、お前とオベルタス様の、まぁ、仲直りの話し合いを始めようかと――」

 

 ――そんなのしないもん。

 ソフィーへの感情からか、ルーニエは即座に拒絶。相当嫌らしい。それを抱き締めを強くする態度で示す。

 ――うーん、これは簡単には行かないな。

 マサトは顔の動きでソフィーに伝えると、思案する。これほど嫌がっていると、一日にも満たない短時間で解決するのは、不可能だろう。

 それでも、可能な限りはやって置くことにする。

 

「ルーニエ、とりあえずだけでも聞いてほしい。オベルタス様は悪い人じゃありません」

 

「わたしもそう思います。欠点は有りますが、それと同じかそれ以上に美点も持っている立派な人です」

 

 ――……本当~?

 しかめっ面のルーニエ。二人はそうは言ってるが、今まで何度も嫌な目に気分になっている幼竜からすれば、欠片も信用できなかった。

 

「ただ、ちょっと可愛がりすぎるところがあるようで――」

 

 ――だったら、それ直せ!

 顔だけをソフィーに向け、ルーニエは文句の鳴き声をあげる。少なくとも、謝罪とそうしない限りは許す気は一切ない。その怒りように、ソフィーはしょぼんと落ち込む。

 

「まぁ、落ち着きなさい」

 

 ここから説明が必要だ。オルガに自分がやると目で伝える。オルガは自分よりもマサトが適任だろうと、首を縦に頷いて了承。マサトは説明を始める。

 

「――ところで、お前はお腹空いたらご飯は食べたい?」

 

 ――……そりゃ、まぁ。

 急に話が変わったことに幼竜は少女、戦姫と同じ疑問を抱いたが、とりあえずそうと頷く。

 

「寝たいと思ったら、寝たい? 退屈だと思ったら、動きまわりたい?」

 

 ――……うん。

 次々と質問されるが、何れもそうしたいのでまた頷いた。

 

「オベルタス様がお前を見て、可愛がりたいのもそれらと似たこと。御しにくいんです」

 

 難しく言うよりは、簡単な例えの方が分かりやすいのは何時でも同じ。特に相手が子供なら尚更だ。

 ――な、なるほど……。

 むむと、その説明に少し唸るルーニエ。自分だって、食べたい時は食べたい。動きたい時は動きたい。寝たい時は寝たい。それらは自由にしたいものだ。

 ソフィーが自分に迫るのも、それらと似たものなら簡単には直せないだろう。

 ――けど~……。

 だからと言って、はいそうですかと簡単に納得出来るかはまったく別だった。

 

「それに、主人がいるだろ? その主人は、お前を撫でたり抱き締めたりするだろ?」

 

 ルーニエはコクンと頷く。忙しいので毎日必ずとは行かないが、余裕があればエレンはそうしてくれる。

 

「オベルタス様もその人も、差こそあれど、お前に向ける気持ちは同じなんですよ」

 

 ――……そっか。

 エレンとソフィーが同じ気持ちで、自分に接している。苦手意識はまだあるが、今までのように思うのには僅かな抵抗があるのをルーニエは感じ、ソフィーを複雑な気持ちで見る。

 その態度を見て、マサトは一定の成果が出たのを確認する。あとは、もう一つだけだ。但し、それはルーニエにではない。

 

「――オベルタス様、貴女はどうしますか?」

 

「わ、わたくし?」

 

「はい。貴女は純粋な気持ちで今まで接して来たのでしょうが、失礼ながら、ルーニエの迷惑になっていたに過ぎません。――どうされますか?」

 

 ――確かにその通りね。

 悪意は無くとも、ルーニエに迷惑になっていたのは紛れもない事実。幼竜からすれば、無理矢理と言っていい。

 謝罪をし、かなり難しいだろうが、今までの態度を改めねば駄目だ。先ずはそれを行動で示さねばならない。

 軽く一呼吸。その間に意識をしっかりと引き締め、幼竜と向き合う。

 

「ルーニエちゃん。今までこちらの都合だけで振り回しただけじゃなく、そっちの気持ちを全部無視して、本当にごめんなさい」

 

 深々と頭を下げるソフィーに、ルーニエはやはり複雑な気持ちだ。

 

「嫌われても仕方のないことだけれど、あなたさえ良ければ、わたくしに一からやり直す機会を与えてほしいの。……勿論、嫌だと言っても、受け入れるわ。その場合、もう関わったりはしないわ」

 

 今までと違う、真っ直ぐな眼差しで見つめるソフィーに、ルーニエは迷う。彼女が本当に謝っているのがよく伝わったからだ。

 

「ルーニエ、しっかりと考えて答えを出すんだ。後悔しないように」

 

 ――……後悔。

 ソフィーがただ謝っただけなら、ルーニエは今までの不満から即座に拒絶していた。しかし、その前のマサトの言葉があり、出来なかった。

 数十の時間、うーんうーんとルーニエはひたすら悩んだ後、こう呟く。

 ――……そこまで言うなら、機会をあげる。

 幼竜のその台詞を、青年は耀姫に伝える。

 

「――ありがとう」

 

 ソフィーはルーニエに微笑むと、マサトに頭を下げ、感謝の言葉を告げる。

 

「後は御自分で頑張ってください」

 

 自分に出来るのはここまで。一新された関係が良いものになるか、悪いものになるかは、これからの彼女次第である。

 

「えぇ、そうさせてもらいますわ。では、そろそろ失礼させて貰いますわね。ルーニエちゃん、もうしばらくだけ付き合ってくれるかしら?」

 

 公宮の誰かにルーニエを預け、ライトメリッツに返す選択も無くはないが、気まぐれな竜が親しくもない相手に従うとは考えにくい。マサトは忙しいだろうし、残りは自分しかいなかった。

 ――まぁ、良いよ。

 これからのソフィーを間近で見る機会だ。この間に彼女とどう付き合うかを決めれば良い。

 

「ルーニエ、お菓子が残ってるけど」

 

 ――じゃあ、最後に一つだけ。

 先の分で結構お腹が膨らんでいるため、一つだけにしておいた。

 ――頂きます。

 時間も無いので、ルーニエは口を大きく空けて自分のケーキを一気に丸飲みする。

 ――ごちそうさん。

 先のもあって、それなりに満足したのか、幼竜は自分の唇をペロンと一舐めした。

 ――本当に直ぐ食べたなー。

 さっきの光景に、流石に少し驚いたマサトとオルガは何となくルーニエの頭を撫でる。

 ルーニエはその感触を少しの間味わうと、ちょっと名残惜しそうに離れ、ソフィーの側に移動する。

 

「それでは、そろそろ」

 

「前まで案内しましょうか?」

 

「それぐらいならさせてもらいます」

 

「そこまでお世話になるのは遠慮しちゃうわ。お気持ちだけ」

 

「では、また」

 

「機会があれば」

 

「えぇ、こちらこそ。ルーニエちゃん、行きましょう」

 

 ――ばいばい~。

 一礼すると、青年と少女は戦姫と幼竜を見送った。

 

「上手く行くだろうか?」

 

「さぁ、それはオベルタス様次第だろ。俺が関与することじゃない」

 

「そうだな」

 

「それよりも経験にはなったか?」

 

「凄くなった」

 

「良かったな。――じゃあ、付き合ってくれ」

 

「――了解だ」

 

 思わぬ良い一時を過ごせた。しかし、何時までのその気持ちに浸る訳には行かない。この公宮の主の戦姫と同じ様に、二人は驚異に備えるべく、部屋に戻っていった。

 

 

 ――――――――――

 

 

 パタパタと自分の横を飛ぶ幼竜と一緒に公宮の廊を進みながら、耀姫は今日を振り返る。

 ――今日は思わぬ一日になったわね。

 親友との楽しい話し合いに、青年や少女の会話。最後はルーニエとの仲が改善された。

 オルガもそうだが、その主な切欠であるマサトには感謝してもしきれない。何か贈り物の一つでも渡さねば、気が済まなかった。

 

「ルーニエちゃん。あの二人はどんなものが好みかしら?」

 

 ――う~ん……。分かんない。

 幼竜は頭を悩ませるが、二人といたのは短い間だ。よくよく考えれば、自分は二人を全く知らなかった。

 ソフィーは幼竜の悩む態度の可愛らしさに、思わず抱き付きたい衝動に駆られたが、グッと堪えた。

 ――駄目……駄目よ、ソフィーヤ=オベルタス! 我慢するのよ!

 ここでルーニエを抱き締めるのは差ほど難しくはない。しかし、その瞬間、自分は幼竜との良き関係を得る道を遠ざけてしまい、何れは永遠に失なうことになるだろう。

 そうなれば、あの二人も自分を白い目で見るのは想像に難くない。ルーニエとの関係、二人のためにも迂闊な愚行は厳禁。

 ソフィーは何度も深呼吸し、必死にこの衝動を抑制する。呼吸は乱しながらも何とか鎮まっていった。

 ――だ、大丈夫?

 その様子を心配し、ルーニエがソフィーの身を案じる。

 

「大丈夫よ、ルーニエちゃん……! これはわたくしが自分で乗り越えなくてならない試練なのよ……!」

 

 ――そ、そう。……頑張ってね。

 何故か出た冷や汗を流しながら、ルーニエはソフィーを応援する。

 ――とりあえず、今度会った時にサーシャに聞いてみましょう。

 今は仕事が先だ。気を引き締めると移動を再開。レグニーツァの公都から出ると、馬にソフィーは騎乗。目前に写る夕焼けに染まった広大な大地を見渡す。

 

「出発しましょう」

 

 ――おう。

 レグニーツァでの色々な一時を過ごした光華の耀姫は、目的地のブリューヌに向けて、役目を果たしに馬を走らせたのであった。

 

 

 ――――――――――

 

 

 翌日。レグニーツァの公宮に報告がもたらされる。隣の公国、ルヴーシュから、その公国を統治するエリザヴェータ=フォミナ率いる四千の兵が、レグニーツァへ攻め込んできたと。

 冬が近付く秋の終わり頃。レグニーツァとルヴーシュ、二つの公国の戦いが始まる。

 



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第十三話 杪秋の開戦

「遂にこの時が来ちゃったね」

 

「ですね」

 

 その日の朝、やはり何時も通りの診察を済ませたマサトは、サーシャに自分がいない間の予定表を手渡し、これをしっかり見て置いてくださいと忠告する。

 

「まったく、僕は君を出したくないんだけど」

 

 医師でもあり、大量の知識を知り、繋ぎにもなれる。そして、少しの興味を抱く彼を死なせたくは無いため、サーシャはマサトを出したくはなかった。

 

「ですが、自分一人ではありませんが、策をしっかりと考えました。貴女も納得したはずです」

 

「そうなんだよねえ」

 

 サーシャはマサトに根拠を示さない限りは出撃を許可しないと告げたのだが、彼は示したのである。

 統治者としては有り難くはあるが、面倒でもあった。

 

「では、時間も無いので、直ぐに失礼――」

 

「マサト」

 

「……何ですか?」

 

「君にはね、まだまだ借金が有る」

 

「……そういえば、そうでしたね」

 

 この世界に転移してしまった日、色々あって自分はサーシャのベッドや自室の絨毯を台無しにしてしまい、多額の借金を背負っているのである。

 

「しかも、減るどころか増える一方」

 

「仕方ないでしょう。色々と必需品を揃えないと行けないんですし」

 

 治療の成果も出始め、提供もしているので、それなりの給与も出ているのだが、出費のせいで借金は減らずに増え続けていた。

 

「典型的な債務者の言い訳だね、まったく。と、に、か、く。君には大量の借金が有るんだ。それに、僕はまだまだ色々な話が聞きたい。――だから、命令。必ず戻って来ること」

 

 嘘ではない。しかし、その言葉が全てでもないことも、秘めた想いにもマサトは気付かなかった。

 

「まぁ、それなりに頑張りますよ」

 

「やれやれ、そこは素直に従いなさい。――さっさと準備して来るように」

 

「はい。失礼します」

 

 礼儀正しく頭を下げ、退室する青年をサーシャは見送る。

 

「……はぁ、こっちの気も知らないで」

 

 話しておらず、この気持ちが本当にそれなのかも不明、相手はそもそも興味すらないので知りようが無いのだが。

 サーシャもそれは理解しているが、こっちは色々悩んでいるのに、あっちは何時も通り平静なのが腹立つのである。

 

「本当、面倒くさいよ。異界の烏さん」

 

 異界の烏とは、マサトのことだ。サーシャは何故、彼をそう呼んだのかというと、マサトの名前には雅の文字が有る。

 これには烏の意味があると最近知り、こっそりとそう呼称しているのだ。向の名もあるので、正しく異界の烏である。

 

「さて、僕も」

 

 出撃するわけではない。ただ、するべきことがあり、それは統治者として絶対にせねばならなかった。

 

 

 ――――――――――

 

 

「これとこれを着けて。あとはあれを入れて。――よし」

 

「準備は出来た?」

 

「万全」

 

 部屋で、青年が黒を基調としたレザーコートと革ズボンを纏い、同色の籠手や脛当てを填める。

 黒でその身を包んだ黒髪の青年は、黒色の外套を纏い、一ヶ所に本を仕舞う。最後に自分の武器である黒い銃を、この前の外出で受け取った特注の黒色のホルスターにしまう。

 

「行って来る。また後でな」

 

「うん。直ぐに」

 

 戦場でまた、そう言い残して、互いに師匠である二人は一旦、その場で別れた。

 マサトが広場に着くと、そこには多数の騎士や将軍、官僚達が先に並んでいる。彼等の向こうにはマサトと彼等の主君足るサーシャが一つの椅子に座っていた。

 ――へぇ……。

 青年が到着し、全員が意識の差はあれど彼を見るが、軽装の黒衣と籠手と脛当てという、アンバランスなのに何処か不思議な一体感のある格好に何とも言えない表情だ。サーシャに至っては、本当に烏のようだと感じている。

 ――大丈夫か?

 青年がチラリとサーシャを見る。彼女は病の身。マサトや臣下達は冬が迫る影響の寒さで余計な負担が掛からぬよう、本来は建物の中で行いたかったが、サーシャの主君としてこれだけはさせて欲しいと言う強い要望があったので、彼等は折れ、やむ無くそうしていた。

 マサトが来たのは、他の人達と比べると遅めだが、遅刻という程でもない。ペコリと頭を下げ、来たことを告げた。

 

「マサト、参りました」

 

「ザウルの隣。そこへ」

 

「はい」

 

 彼女の淡々とした指示に従い、マサトはザウルの隣に立つ。それから数分もしない内に、主な者達が全員集結した。それを確認し、サーシャが口を開く。

 

「今日、国境付近の斥候からルヴーシュが四千の兵を引き連れ、攻めてきたとの報告があった」

 

 全員がやはりと言った表情だった。マサトも同様だ。

 

「君達には、それを食い止めて貰いたい」

 

 全員がはっと勇ましく了承する。そんな彼等を見て、サーシャは暗い表情を浮かべた。

 

「……戦姫である僕が不在の中で、戦姫と戦わせることになる君達には本当に申し訳なく思っている。主の不甲斐なさを許して欲しい」

 

 病さえ無ければ。自分は彼等と共に戦場に立てた。余計な負担を減らせた。それがまったくできない自分とその原因たる病に、サーシャは憤りを感じていた。

 

「何を仰いますか、戦姫様」

 

「そうです。あなた様の身を考えれば、それは当然のこと」

 

「例え、我等だけでも勝って見せましょう」

 

「案外、容易く勝ててしまうかもしれませんな」

 

「そうだと嬉しいね」

 

 その時、サーシャは少しだけ目を動かす。見たのは、他とは違う静けさを纏う一人の青年だ。

 焦りも無く、かといって余裕があるのとまったく異なる。ただ、静かだった。そんな彼に苦笑すると、視線を全体に戻す。

 

「――話はここまで、君達に告げる。全員、ルヴーシュを迎え撃つべく、出陣せよ!!」

 

 主の命令に全員が猛々しく頷き、けれど、静かに部屋を出ていく。

 ――頑張って。

 そんな戦士達を、悔しさの余り、手を強く握り締めながらサーシャは静かに見送った。

 

 

 

 

 

 それから二日後の朝と昼の間頃。マサトやザウル、多くの騎士や将軍を含めた三千のレグニーツァ軍は除雪された道を進み、ボロスローの城砦に到着。

 前から守っていた一千の城兵達と合流し、計四千となった。ザウル達は城兵達に現在の状況を詳しく聞くと、直ぐに主な者達に会議室に向かうように通達する。

 ――凄いな。

 マサトは初めての城砦に何とも言えない迫力さを感じる。鼓動を高鳴らしつつ、内部を歩いていく。

 

「どうかな?」

 

「……レグニーツァの公都のとは、また違った迫力がありますね」

 

「それは何より。貴殿には初めてでしょうな」

 

 二人の会話に、一人の船乗りが話しかける。マトヴェイだ。彼は勿論、国を守る戦士としてここにいる。

 三人は城砦の執務室に入る。十数人の武官達が座っており、三ヶ所席が空いていた。

 マサトが他の人達を一度見渡すと、ザウルにそこに座るように促される。マドウェイと一緒のタイミングで席に腰掛け、軍議が始まった。

 それを告げたのは、ザウルだ。彼は今回の総大将であり、サーシャの代理としてこの戦いで一番の権限と責任を持っている。

 彼の言葉を皮切りに、ここを守っていた城兵の将や隊長が現在の判明している限りの状況を事細かに話す。

 ルヴーシュは昨日の時点で、この城砦から離れた川の向こう岸に陣取っているとのこと。

 距離を考えると、エリザヴェータの判断次第では、早ければ明日には直ぐに戦うことになるかもしれない。

 ――でも、良かった。

 いや、こうなった以上は良くはないのだが。そるでも、明日には戦うかもしれないが、それは逆に言うと、今日はまだ戦わないことになる。つまり、今は開戦前なのだ。

 

「では、軍議を始める。早速――今回の戦いについての作戦を話す」

 

 これには、他の武官達がざわつく。相手は戦姫有りの軍で、こちらは戦姫不在の軍。

 ザウルもジスタード人の以上、この差を理解していないはずがない。なのに、何故彼は不安の色が薄そうなのか。武官達はまったく分からなかった。

 

「ザウル……。まさか、もう策を講じているのか?」

 

「あぁ。だが、これは私一人で考案したわけではない。彼の力あってだ」

 

 ザウルに促され、マサトは静かに立ち上がると、頭を下げる。

 

「……ちょっと戦えるだけの医師風情が、一端の軍師気取りか」

 

「ザウルが主だろう。あの者は一部が手伝ってだけだ」

 

「なのに、堂々としているのか。まったく」

 

「戦姫様の治療が多少上手く行ったからと言って、戦いまで上手くと勘違いしているのだろう。無責任な」

 

「それに確か、新入りの使用人までこの城塞に連れて来たらしいぞ。何を考えてるのやら」

 

 鍛錬しているところを見ているとは言え、治療にも精を出しているので武官達はマサトを医師と思っていたりする。仮に兵士であっても、新兵風情がと言うだろうが。

 彼等が批判をしていると、直後に物凄い音が執務室に響き、シンと静まる。その発生源は、黒髪の青年からだった。

 

「――ごちゃごちゃうるせえぞ、てめえら。下らねえ事を言ってる暇があったら、黙って聞いてろ」

 

 サーシャやザウル達の前での礼儀正しい口調や、オルガやゼロと話す時の気楽な口調とも違う、粗暴極まりない言葉使いが、マサトの口から出る。

 

「な、何だと!? 貴様、何様の――」

 

「……だから、黙ってろっつてんだよ。――潰すぞ」

 

 冷たく暗く深い闇のような声色と、憤怒と狂気が宿る炎のような眼差しに、大声を出そうとした武官は全身から寒気がして、思わず口を紡ぐ。

 周りの者達もだ。その中には、マサトとの試合で勝った者もいるにも関わらず。

 動揺せずにいられたのは、一度感情剥き出しの彼を見たことのあるザウルやマドウェイぐらいだが、その二人も僅かにだけだがたじろいでいた。

 

「あんたらのすべきことって何? くっだらないお喋りして、貴重な時間を潰すことか? それがレグニーツァを守るってことか? はっ、随分とお気楽で無責任だな」

 

「そ、そんな訳が無かろう!」

 

「じゃあ、何で無意味な中傷をしたわけ? 反論するわけでもなく、他の意見を出すわけでもなく。中傷して自分の気を紛らわせて、満足したかった?」

 

 声を荒げ、違うと反論する武官達だが、的を突く言葉に射抜かれ、黙ってしまう。

 

「……我等は病で戦えぬ戦姫様の代わりとしてここにいる。あの方は御自身の役目を果たせず、どれだけ苦悩されておられるか……分からぬとは言わせんぞ」

 

 彼等は自分達の主を思い出す。戦姫は、統治者として公国を守らねばならない。竜具が側にあり、戦姫であり続ける限り。

 なのに、サーシャは病があるために全う出来ない。それは相当な苦しみのはずだ。

 

「その事を忘れ、己の感情を優先し、話を聞こうとせぬと言うのなら、レグニーツァを守る戦士足る資格は無い。今すぐこの部屋から、城塞から出ていけ」

 

 武官達は、誰も部屋から出なかった。ザウルの言葉で不満が全て無くなった訳ではないが、仕える主の苦悩や自分が生まれ育った公国を守りたい意志から、一先ず自制をしたからだ。

 

「では、今から説明致します」

 

 複雑過ぎる空気の中、欠片も気にしないマサトはコートから本を取り出し、作戦を丁寧に説明していく。

 

「――というわけです。どうでしょうか?」

 

 四半刻掛けて、作戦の説明が終わる。その頃には武官達は、様々な感情を表情に浮かべていた。納得した者もいれば、不安視する者もまだ気になる点がある者もいる。

 

「質問は?」

 

 三人程が挙手し、ザウルは一番近い者から話すように指示する。

 

「納得はした。説得力もある。しかしだ……重要な部分が欠けておる」

 

「エリザヴェータ=フォミナ様、ですね?」

 

「そうだ」

 

 実のところ、マサトがオルガやザウル達と一緒に考案した策は、多少通常の範疇からは越えているものの、誰でも思い付ける範囲の物だったりする。武官達もこの場で話されなくても、何れは思い付いただろう。

 だが、却下していたに違いない。何故なら、戦姫であるエリザヴェータの存在が大きすぎるのだ。

 戦姫はその武力と、超常の力と桁外れの強度を持つ竜具の組み合わせにより、一人で千の兵に値する正に一騎当千の強者。エリザヴェータはその一人。

 先ずは彼女を何とかせねば、勝ち目そのものが無い。どんなに綿密な策を練ろうが、力業で突破されかねないからだ。

 

「フォミナ様に対しては――自分が対処に当たります」

 

 ざわめきが起こる。一騎当千の強者と、一番の実力者ではない彼が戦う。はっきり言って、無謀だ。

 

「……勝てるのか?」

 

「勝算はあります」

 

「それは私も保証する。何しろ、戦姫様が認めたほどだ。この策自体もな」

 

 武官達全員が、予想だにもしなかった表情を浮かべる。

 

「ほ、本当なのか?」

 

「嘘を言ってどうする。そんなことをすれば、戦姫様に対する背信だぞ」

 

 正にその通り。サーシャの名を出す以上、嘘は謀反と変わらない。臣下として出来るはずが無い。

 

「つまり、この策も、彼の出番も、戦姫様の指示そのものという訳だ。異議を唱えるなら――これを上回る策を出すか、私に無傷で勝って見せろ」

 

「ぜ、前者はともかく、後者は何故、お前なのだ」

 

「戦前に、無駄に疲れさせる馬鹿が何処にいる。それに、彼の本来の実力は私も認めた。なら、お前達も私に認めさせる以外に考えを変える理由も必要も無い。第一、我等には余裕も無いのだぞ」

 

 そう、不利な自分達に余裕があるはずがない。こうして一々話すのも避けるべきなのだ。

 

「最後に一つ。戦姫様も私も、将として勝利のために考え、判断している。そこに私情などは一切存在しない」

 

 兵の命を、勝敗を左右する策なのだ。私情など挟む余地は無い。

 

「まだ不安なら、この策や判断を行なう全ての責任を私が背負う。これで文句はないだろう?」

 

 この戦いの総指揮官にそこまで言われては、武官達は黙るしかない。

 

「意見、疑問、反論。何れかが有れば、聞きますが」

 

 もう無いようで、武官達は誰も挙手しなかった。

 

「では、解散。準備に取り掛かってくれ」

 

 話が終わり、武官達は次々と立ち上がると執務室を後にする。残りはマサト、マドウェイ、ザウルの三人となる。

 

「さっきはよく、あそこまで言えましたね」

 

「あぁでも言わなければ、納得はしませぬよ」

 

「ありがとうございます」

 

 礼を告げるが、だからと言ってマサトはザウルの為にも、という理由で戦いはしない。青年の理由は何時だって一つだけ。人の命を一つでも多く守る。これだけだ。

 

「あとザウルさん、一つ頼みたいのですが」

 

「何をですか?」

 

 説明し忘れたことでもあるのだろうかと、ザウルは考える。ならば、今の内に聞いて置きたい。

 

「自分は、今からあるところに行きたいのですが、その許可を貰いたいのです」

 

 戦う前だというのに、行きたい場所がある。そう告げた彼にザウルやマドウェイが疑問符を浮かべた。

 

「そのあるところとは?」

 

「――ルヴーシュの陣地です」

 

 

 ――――――――――

 

 

「――止まりなさい。今日はここで陣地を築きます」

 

 冷たい風が吹く夕暮れ前、一人の女性が自分の背後にいる者達に指示を伝える。

 彼女の命令に従い、甲冑を纏った騎士や兵士達が動く。その間、女性は視線の彼方にあろう、ボロスローの城砦を冷ややかに眺めた。

 彼女こそ、エリザヴェータ=フォミナ。レグニーツァの領内に攻め込んでいるジスタードの公国、レグニーツァの隣にある同国の公国、ルヴーシュを統治する、戦姫と呼ばれる赤い長髪の若き美女だ。

 そして、ドレスの様な見た目からは想像も出来ない、一騎当千の実力者でもある。

 ただ、彼女を見て最初に目が付くのは、優れた容姿でもその大胆な服装でも無く、瞳だろう。

 『異彩虹瞳(ラズイーリス)』と呼ばれ、彼女が統治するルヴーシュでは吉兆と崇められるが、大抵は気味が悪いものとして扱われていた。

 彼女はこんな冷たい日の中でも平然としているが、これは腰に掲げた鞭型の竜具、ヴァリツァイフがあるためだ。

 雷の力を操るこの竜具が、主足る彼女を寒気から守っているのである。

 話を戻し、エリザヴェータが四千の兵と共にレグニーツァに来たのは、夏に起きた海賊討伐の時に発生したレグニーツァの失態の責任を問うためだ。『表向き』は。

 本来の目的は、ブリューヌの二大貴族、テナルディエとガヌロンの両方に頼まれ、このレグニーツァの隣にあるもう一つの公国、ライトメリッツの戦姫、エレオノーラ=ヴィルターリア、愛称エレンをこのレグニーツァに誘い出すため。

 もう一つは、自分と因縁ある彼女と戦い、今の自分がどこまで通用するかを試す為だ。あとは、この戦いを期に貧しい村に稼ぐ機会を与える、と言うのもあった。

 ――さて、何日で片付くかしら。

 余裕に満ち溢れているエリザヴェータだが、これは戦姫が一騎当千の猛者ばかりであることが理由だ。

 戦姫には同じ戦姫をぶつけるか、相当な大軍か綿密な策を用意するしか対処法が無いに等しい。

 そして、今いるレグニーツァの戦姫、サーシャは戦いなど無謀とも言える程の病人なのだ。

 故に、戦姫であるエリザヴェータを同じ戦姫のサーシャで止める方法は使えない。これでレグニーツァに勝てる要素など、皆無と言って良いだろう。

 だからこそ、エリザヴェータはそう考えていた。仮にレグニーツァの兵が応戦したとしても、彼女は余裕で対処可能と断言するだろう。

 但し、油断をするつもりは無い。何らかの策を狙っている可能性は充分あるからだ。

 例えば奇襲や夜襲。着いたばかりなら、間に合わせはともかく、完全な陣地も築けていないので防御には幾分か不安がある。自分が向こうなら、これを狙うだろう。

 ――そう来ても、簡単に対応するだけだわ。

 これぐらい、エリザヴェータは普通に予想している。そして、寒さによる負担や、夜襲への危険性、戦術が常道過ぎるため、この策は使ってこないだろうとも。

 その後も色々考えていると、ナウムという名の騎士に話しかけられた。即席の幕舎が出来たようで、そこで休まれてはとのこと。

 エリザヴェータは素直に聞き入れ、身体を休めようと幕舎の方へと足を動そうとした。

 その時だ。彼女の視界の向こう側に影が見えたのは。しばらく待つと、馬に乗った人がこっちに近付いてきていた。

 エリザヴェータと兵士達がしばらく様子見すると、その者は武器を所持していないのが分かった。おそらくは、使者だろう。

 その人物は男性で、平均的な背に茶色の髪と青い目が特徴だった。十五分後、男性はルヴーシュの陣地の目前に到着。兵士達やエリザヴェータに恭しく一礼する。

 

「初めまして、フォミナ様。アレクセイと申します……」

 

 男性は何処か、焦りを感じさせる様子ながらも、名を告げた。見せまいと直ぐに引き締めたが。

 

「何用ですの?」

 

「フォミナ様と、話をしに参りました」

 

 それを聞き、エリザヴェータは悩む。大体は分かっているが、向こうが何の話しに来たのか少し興味があるのだ。

 

「良いでしょう。向こうに幕舎があります。付いて来なさい」

 

「感謝致します……」

 

 エリザヴェータは数人の兵士とアレクセイと名乗った男性を連れ、幕舎へ入る。一番奥にある椅子に腰掛けると、彼と向き合った。

 

「大変でしょうに、よく来ましたわね」

 

 怒り心頭のレグニーツァ側が、よく使者を出せたものだ。普通、侵略者に対して話をする余裕など無いと一喝されそうなものだが。

 

「え、えぇ。何度も説き伏せて、漸く――」

 

「あらそう。それで、私に何の話をしに来たのかしら?」

 

 興味なさそうに話を遮り、エリザヴェータは本題を問う。使者は緊張で汗を掻いたか、布で素早く拭ってから答えた。

 

「はい……。恐れ多くも、レグニーツァから立ち去って頂きたいのです」

 

 ――やっぱり。

 不利なレグニーツァとしては、出来るのなら戦う前に収めたい。そんなところだろうと思っていたが、そのままだった。

 

「却下ですわ。退く理由がありませんもの」

 

「恐れながら……。このまま戦いになっても、互いにとって良い結果になるとは思えませぬ」

 

「そうかしら? 先ずは、そちらの責任をしっかりと果たせるわ」

 

 マルクはこのまま攻めれば、海賊の討伐の一件の謝罪を受け取れないと話すが、エリザヴェータはそう返す。

 

「しかし、互いの公国の関係は悪化し、次からの大事の際の連携に重大な支障を来すかと……」

 

「それはそちら次第でしょう? 大体、元はと言えば、貴方達のせいですわよ?」

 

「ですが……」

 

 確かに、それはエリザヴェータの方が正しい。どう言おうが、結局はこちらが加害者なのだから。

 

「貴方達がどう言おうが、私は考えを変えませんわ」

 

 他にも、攻めることへの不利益を話そうとするマルクだが、その前にエリザヴェータに一蹴されてしまった。

 

「……分かりました。貴重な御時間を使わせてもらい、感謝致します」

 

 これ以上は無駄だと悟ったのか、心底残念そうな表情のマルクは渋々、話を切り上げた。

 

「貴方達、彼を案内なさい」

 

 茶色の使者は深々と頭を下げると、ルヴーシュの臣下数人の案内を受け、陣地の外に出ると馬に乗ってボロスローの城砦へと向かった。

 

「余計な時間を使いましたわ」

 

 幕舎で雷渦の戦姫はつまらなさそうに呟く。最初から結果が分かっていたのだ。わざわざ呼ぶ必要は無かっただろう。追い返しても良かったかもしれない。

 

「にしても、少しは攻めの姿勢を見せて欲しかったですわね」

 

 とはいえ、勝ち目の無い向こうとしては、下手に出るしかないだろう。迂闊に挑発してこちらの機嫌を損ねるのは、レグニーツァにとって最悪の事態なのだから。

 

「さて、明日から始めるとしましょう」

 

 エリザヴェータは軽やかに告げる。今の彼女にはさっきの使者のことなど、気にも止めなかった。

 しかし、彼女はまだ知らない。さっきの使者は、確かに戦いを未然に止めるために来たが、目的がそれだけではないことに。

 そして、さっきの使者の正体にも、彼女はまったく気付けなかった。

 

 

 ――――――――――

 

 

「――寒」

 

 夜、ボロスローの城砦前で、アレクセイと名乗っていた人物はぶっきらぼうにそう呟く。

 表情も、エリザヴェータの話した時とはまったく違う、不愉快や怒りに満ちていた。

 

「『アレクセイ』です。開けてください」

 

 声を出す。それから三分後、大きく部厚い城門が開かれ、数人の兵士が彼の入城を促す。

 城に入ると、彼は兵士達にザウルの居場所を尋ねる。今は執務室で作戦の微調整を行なっているとのことなので、其処に向かう。

 

「宜しいですか?」

 

『貴殿か、入ってくれ』

 

「失礼します」

 

 アレクセイは礼儀正しく入室。ザウルと顔合わせする。部屋には騎士達が数人おり、入ってきた彼を見ていた。

 

「……こうして見ると、声を聞かぬ限りは別人としか思えぬな。――マサト殿」

 

「しっかりと変装してますからね」

 

 アレクセイ、と名乗っていた茶色の男性。その正体は、力の付与による疑似髪や瞳で髪の長さや髪型、瞳を染め、瞳や髪の色を変更し、別人に変装していたマサトだった。

 その理由はただ一つ。戦いを止めるためである。ザウルやマドウェイからすると、切札である彼に危険が及ぶこの行為は避けたかった。万一の逃走も視野に入れているのもある。

 しかし、マサトが一番平然としていられ、尚且つ演技もこなせる自分でなければならないと語り、納得せざるを得なかったために許可した。

 結果は残念ながら失敗したが、同時に戦いに関しては成功もしている。完全に布石を仕込むことが出来た。

 

「お湯ありませんか? 色を落としたいのですが」

 

 疑似髪だけでなく、本来の髪も全部着色していたので、お湯で落とす必要があった。

 

「直ぐに持って来させましょう。あと、腹も空いたでしょう。ご飯も用意させます」

 

「助かります」

 

 途中、貰った干し肉を幾つか食べたが、それでも結構腹が空いていたので、食事にさせてもらうことにした。

 

「それで、結果は?」

 

 マサトがエリザヴェータとの話について語る。それを聞いて、ザウル達はがっかりした様子だ。

 

「……力及ばず、申し訳ございません」

 

 過ぎた話だが、もしこの話し合いでエリザヴェータを説得出来れば、戦いそのものを避けられたのだ。それがこなせなかった。マサトとしては、非常に悔しい。

 

「いや、貴殿はやるべきことをこなしただけだ」

 

 ザウルからすれば、話を聞こうとしない向こうが悪い。寧ろ、マサトに良くやったと言いたいぐらいである。

 

「……しかし、本当に何が目的なのだろうか」

 

「それなんですよね……」

 

 強引にでも攻めてきたから以上、そこには何かしらの思惑が絶対にあるはず。

 しかし、それはこちらの失態を問うためでは決してないことは確実だ。では本当の理由は一体何なのか。

 ――……分からないな。

 この城砦を落とし、お金を得るのも考えたが、たったそれだけで両国の不仲を招いてまで来るだろうか。かなり無理がある。

 他にも幾つか考えるも、納得できる答えが出ず、マサトはそれについての思案を止めた。

 話し合いで済ませられなかった以上、レグニーツァとルヴーシュの戦いはもう止まらない。

 ならば、全力で力を尽くし、この戦いをレグニーツァの勝利によって一秒でも早く終わらせる。それが自分に出来る、唯一にして最善の選択だった。

 

「貴殿はこれからどうする?」

 

 策の内容事態は既に頭に叩き込んでいる。微調整に関しては、経験がある自分達がやる予定だ。

 

「自分も微力でも力になるよう、手伝います。少しでも成功率を上げたいので」

 

「分かりました」

 

 髪を洗い、食事を取ったあと、マサトを含めた彼等は夜遅くまで話し合いを続けた。

 

「今日はここまで。後はゆっくりしてくれ」

 

 深夜になり夜の軍議が終わって武官達、その後にマサトもいなくなった部屋で、ザウルとマドウェイは彼の後ろ姿を眺める。

 

「ザウル、本当に彼を信頼しても大丈夫なのか? 例えば、この策をルヴーシュに持ち込んだ可能性も無くはないだろう」

 

「かもしれぬな。だから、お前にはこれを見せておく」

 

 ザウルが服の中から取り出したのは、ある手紙だ。マドウェイが受け取り、読んでいく。

 内容は、マサトがザウル達と一緒に考えた策がルヴーシュに知れていた場合に備えての対策が記されていた。

 これを知るのはサーシャとザウルだけで、マサトは一切知らない。

 

「戦姫様も私も、彼を無条件で信じている訳ではないと、いうことだ」

 

 何しろ、レグニーツァの平和がかかっているのだから。

 

「……成る程。私もまだまだ未熟だな」

 

 余計な心配だったなと、マドウェイは自分の浅慮を恥じた。

 

「そして、この戦いは彼を知る良い機会でもある」

 

 彼が何時も言っている言葉が本当なのか、嘘なのか。全ては分かりはしないだろうが、ある程度は分かるだろう。

 異界人、向陽雅人が自分達の味方か、敵なのかも。

 

 

 ――――――――――

 

 

「ちょっと疲れたかな」

 

「ご苦労様、マサト」

 

 深夜、一室で色々と頑張った異界人を戦姫である少女が労っていた。オルガだ。

 彼女はサーシャに申し込み、戦闘には絶対に介入しないのを条件にこの城塞に来させてもらったのである。少しでも、青年やザウル達の力になろうと。

 

「果実水飲む?」

 

「少しだけ」

 

 オルガはとことこと歩いて、陶器の杯と果実水の瓶を持って机に置き、ささっと注ぐ。

 

「レナータも飲まない?」

 

「いや、わたしは……」

 

「良いから良いから」

 

 別の杯を用意し、同じ果実水を注ぐ。最初は躊躇うが、飲まないのはどうかと考え、味わうことにした。

 

「うん、中々。どう?」

 

「マサトと同じく。特別上手くはないが、飲みやすい」

 

 軽い一杯を飲み干すと、オルガから話を切り出す。

 

「勝てそう?」

 

「さぁ、推測の域だけど――二割前後。そんなところだな」

 

 

 これはオルガの実力を基準に考えた勝率なので、エリザヴェータ相手となると正確ではない。

 暫定の二割の確率しかないが、こちらは戦争未経験者で、あちらは歴戦の強者。それを考えると高い方だろう。

 

「まぁ、そもそも――勝率はまったく重要じゃないんだけど、な」

 

 勿論、勝つつもりはある。但し、それは二の次。最優先は目的の達成だ。

 

「……わたしとしては、マサトに勝って欲しい」

 

 日々の努力を見ている者としては、侵略者よりも青年に勝って欲しい。そう願うのは当然だろう。

 

「難しいな。あっちだって、努力はしてるだろうし」

 

「……の割には、一切不安を感じないな」

 

 寧ろ、余裕を感じそうなぐらい堂々としていた。

 

「不安、か。そういうのは考えない。それよりも俺は、ただこなす。それだけを考えてる」

 

 マサトは何時もそう考えて現場に望んでいる。どんなことに対面しようが、一人でも多く助ける。それだけを想い、動いていた。

 不安、重圧など、そもそも頭に無く、恐怖も危険を察知する程度しかない。はっきり言って異端だ。

 

「……ただこなす、か。やっぱり凄い」

 

「参考には、して欲しくはないけどな……」

 

 成長する糧である、苦悩と期待。これらを放棄したからこその考え。正直、これからも成長し続けるだろう、オルガには身に付けて欲しくない。

 

「そうだ、レナータ。今の内に言っとく。色々手伝ってくれて、ありがと」

 

「……嫌な予感がするから、そういうのはあまり聞きたくない」

 

 まるで、この戦いが終わる頃には、マサトがこの世にいなさそうな不吉な予感のする台詞だった。

 

「……人なんざ、何時死ぬか分からないからな。物言えなくなる前に言った方が良いだろ」

 

 ――今の……。

 台詞の前半、青年の黒い瞳が深い悲しみの色に染まっていたのを、オルガははっきりと見た。

 きっと、例の亡くなった親しい人物ことだろう。だが、その事には触れない。

 

「……確かにそうだ。だが、わたしはこの戦いが終わったあとに、またその台詞をまた聞きたい。だから――生きて帰ってほしい」

 

 純粋さだけで構築された頼みを聞き、マサトははぁとため息を吐く。

 

「我が侭な台詞だな。まるで、子供だ」

 

「そうだ、わたしは子供だ。半年にも満たない付き合いで、マサトのことはまだまだ知らない。だが――自分なりに親しいと思う相手の無事を祈って、何が悪い」

 

 オルガは胸を張って言い放つ。一方のマサトは予想外の反撃を食らい、目をぱちくりとする。

 

「ははっ、あははっ……! 完全に一本取られた! お前の言う通りだよ。くくくっ……」

 

 直後にマサトは大爆笑する。心の底から楽しそうだ。

 

「一本取られた。つまり、わたしの勝ち。なら、勝者として敗者に命ずる。この戦いを勝利に導いて、生きて戻って来ること。以上!」

 

「口は、達者になったな」

 

 呆れた表情で、マサトはやれやれと手を広げる。

 ――アルシャーヴィン様といい、こいつといい、広まってるのかね?

 それとも、偶々同じなだけか。何れにせよ、自分の返答は一つだけだ。

 

「最優先、次の優先があるから、三番目に頑張ってやるよ」

 

 一番目は勿論、最低限の役目の達成である。二番目は最上の達成だ。

 

「期待する」

 

「すんな。お前は使用人として、戦いで負傷した人達の手当てをしろ。それだけが役目だ」

 

「……むぅ」

 

 突き放す言い方だが、青年なりの思い遣りが詰まっているのを、少女は理解していた。

 

「さっさと歯磨いて寝るぞ」

 

「……分かった」

 

 戦前ながらも、何処かほのぼのとした時間は流れていった。

 

 

 ――――――――――

 

 

 翌日の昼。日差しが照らすボロスローの城塞。城には四千、外にも四千。レグニーツァ、ルヴーシュ、両公国で計八千の兵が数百アルシンの距離で向き合う。

 九割九分九厘以上の割合で男性しかいない中での、極稀な女性であり、ルヴーシュ軍のトップのエリザヴェータが左右で異なる色の瞳でボロスローを見据える。

 

「――始めなさい」

 

 主の指示を受け、側近達が周囲の兵に指示を伝えていく。数分後、ルヴーシュ軍、四千の中から五百の騎兵が動いた。

 彼等は石や矢のなど武器が届く範囲手前まで近付くと、其処で停止。大声を上げる。

 

「おーい、レグニーツァ。出てきたらどうだー?」

 

「俺達は何時でも戦えるぜー? 何なら、この数だけでやってやろうかー?」

 

「もしかして、怖じ気付いたのかー? それとも、レグニーツァは腰抜けしかいないのかよー?」

 

「ははっ、戦姫様が病弱で不在なんだから、それを言い訳にして引き込もってるんだろ!」

 

「部下達がそんな連中しかいないなんて、そっちの戦姫様は可哀想だな! 自分達だけで勝とうって気になれないのかよ?」

 

「止めとけ、止めとけ。臆病者ばかりがいるのがレグニーツァなんだよ、はははっ!」

 

 ――……我ながら、聞くに耐えませんわね。

 損傷を最低限に抑え、尚且つ一刻も早くボロスローの城塞を制圧するため、自分で提案し、実行を指示して置いてなんだが、自分の軍が言ったとは思えない、耳障りな内容ばかりである。

 しかも、馬鹿にするような行動、踊りや手招きなど、甲冑を脱いだり、寝転がる者もいた。

 五百の兵達はしばらくの間、何度も何度もレグニーツァ軍をひっきりなしに罵倒。二刻の時間が経つと、エリザヴェータは五百の兵達を連れ戻し、今日は後退を命じた。

 短い間に攻め落とす必要があるとはいえ、焦る必要は無い。数日の内にレグニーツァ軍が怒りで城から打って出ると確信している。その為のもう一つの策の準備も進んでいた。

 というか、そもそも、城攻めとは防御側の三倍の兵力を必要とする。戦姫の自分がいるとしても、力強くでは簡単に落とせない。力は戦姫がいない向こうに使うのは、体栽に響くので使えない。

 なので、エリザヴェータは最初から、野戦にさせるのを前提に策を練っていた。兵士達の罵倒もその為である。でなければ、こんなことをする気はさらさらなかった。

 ――何日で打って出るかしら?

 明日か、二日か、三日か、もしくは十日近く掛かるかもしれない。待つつもりはあるが、出来るだけ早く済ませたいとも思うエリザヴェータ。

 彼女にとっては、戦姫のいないレグニーツァなど、敵ですらない。単なる壁。さっさと壊し、本当の敵と戦いたかった。

 そう考えるエリザヴェータだが、彼女は後に思い知らされることになる。前にある壁は、自分が思っていたよりも遥かに険しく、強固な物であったことに。

 

 

 

 

 

 ルヴーシュ軍がレグニーツァに挑発を初めてから五日。

 エリザヴェータはこの日も、本隊の最前列でボロスローの城塞を見据えていた。

 未だに両公国はぶつかっていないが、その間のルヴーシュ軍の挑発は日に日に聞く者の怒りを強く刺激するものへとなっていった。勿論、今日も行われている。

 それでも、ボロスローの城塞の門は殻に籠ったかのように開かない。

 ――結構辛抱強いですわね。

 或いは、冷静な者達が必死に血気盛んな連中を抑えているか。此方は何時来ても良いよう、準備を整えているのだが。

 ――あと一日か、二日か続けましょう。

 それでも出てこないのであれば、必要な作業も完了したので、もう一つの策を実行する。

 そう決断すると、ボロスローの城塞方面から、騒がしい音が鳴る。しかも、徐々に音量が増していた。

 ――あら、来ましたのね。

 レグニーツァ軍の怒りが限界に達し、城塞から打って出てきたのだと。その予想は直ぐに来た側近の報告により、正しいことが証明される。

 ――手っ取り早く済みそうですわね。

 もう一つの策は必要無さそうだ。労力は無駄になったが、問題ない。作戦も事前に決めた通りに進んでいる。

 エリザヴェータは自分の馬に乗って兵を素早く的確に纏め、陣地の凄まじい怒声の雄叫びを上げながら迫るレグニーツァ軍を後退で城塞から離していく。

 常人なら足がすくむ光景だが、雷渦の戦姫は欠片も動揺していない。それ所か、充分な距離まで誘導すると指示を伝えると反転。

 馬の腹を蹴り、レグニーツァ軍に向かっていち早く動いた。ルヴーシュ軍も敵に向かって進む。

 エリザヴェータは自分の竜具、ヴァリツァイフを抜き取り、レグニーツァ軍の先頭がその射程範囲に入ると同時に振るおうとした。

 その時だ。先頭の列の一ヶ所が左右に別れ、その後ろから一人の人物が馬に騎乗した状態で迫って来た。

 その人物は髪も目も黒く、全身を甲冑や革鎧ではなく、黒衣で纏っていた。戦場には似合わない格好をしている男性。

 彼は腰から黒い何かを取り出すと、馬の背を蹴って跳躍。空から自分に迫って来た。

 エリザヴェータは黒鞭を振るう。一瞬で四十チェートまで伸びたその鞭は、音速に匹敵する速度でその人物に迫る。

 

「――甘い」

 

 対象は空中におり、自由に動けないためにその一撃は確実に決まるかと思われた。

 しかし、その人物の両手にある黒の何かから、三角状の刃らしき物が出現。その刃がヴァリツァイフの一撃を弾く。

 自身の一撃を予想だにしない何かで防がれ、エリザヴェータは一瞬だけ驚愕する。

 男性はその隙を狙い、三角の刃がある黒の何かを振るうが、黒鞭によって防がれ、刃を破壊された。

 

「――ふっ!」

 

 次の瞬間、エリザヴェータの視界が揺れる。乗っていた馬が視線の前に突き付けられた刃を見て、暴れたのだ。

 急いで馬の腹を蹴って地面に降り、その相手をしっかりと見る。

 

「貴方は……」

 

 その人物を見て、エリザヴェータは思い出す。格好や服装は違えど、夏の交渉時、倒れたサーシャを介抱しに来た青年を。

 

「――勝負だ。エリザヴェータ=フォミナ様。貴女と自分の一騎討ちです」

 

 それを告げると、マサトは己の黒銃を真っ直ぐから横に振る。次に顔も同じように動かした。

 ――面白いわ。乗ってあげましょう。

 エリザヴェータは不敵な笑みを浮かべる。とはいえ、興味があるだけが理由ではない。

 さっきの攻防でマサトは自分が対処すべきと判断し、激突状態のこの戦況から逃れ、捕獲されるのを避ける、自分の竜具で部下達を巻き込むのを避けたいからだ。

 後は、部下の能力を信頼している点もある。自分がいなくとも問題ないと。

 

「――退きなさい!」

 

 エリザヴェータが声を響かせ、敵味方は少しの間止める。その間に二人は走る。

 両軍の戦場から数百アルシン離れると、其処でマサトは足を止め、エリザヴェータも釣られるように止まり、武器を構えて互いに向き合う。

 

「ふふっ。まさか、貴方と戦うことになるなんて……面白い展開ですわね」

 

 情報には医師以外のものはなかった。障害になるかもしれないとは思っていたが、それは知恵者としてであり、戦士としては流石に予想外である。

 

「……」

 

 雷渦の姫のその言葉に、異界の烏は目を細める。こちらはまったく面白く無いのだから。

 

「あら、怖い目ですわね」

 

「こちらは、無駄話をしに来たのではありません。――貴女と戦いに来たのですから」

 

「良いでしょう。ただ、その前に、自己紹介して置きますわ。私は、『雷渦の閃姫(イースグリーフ)』エリザヴェータ=フォミナ」

 

「自分は、マサト。以上です」

 

「素っ気ないですわね。――では、行きますわよ?」

 

「――参ります!」

 

 杪秋の冷たい空気が流れる、ボロスローの平原で、ついにレグニーツァとルヴーシュの戦闘が始まった。

 



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第十四話 流れるは生命、響くは雷鳴

 これはあまり大差は無いです。


 ――先ずは、様子見ですわ。

 腕のしなりを利用し、鞭を勢いよく真っ直ぐに振り下ろすエリザヴェータ。マサトの技量はさっきの攻防で見たが、まだまだ未知数。この一撃で正確に測ろうとしていた。

 金色の雷を纏う、長大な鞭。身体に触れれば、確実に切断されて即死するだろう。それが波のように揺れながら迫る。

 

「――ふっ!」

 

 その一撃を、マサトは焦ることなく、的確に避けながら前に進む。

 刹那の差で死が迫り、その恐怖を刺激するように雷渦の風切りや火花の音が鳴るも、本人はまったく躊躇しない。

 対するエリザヴェータは、一瞬だけ驚きながらも、直ぐに冷静さを取り戻し、後退しながら黒鞭を横に動かす。

 しかし、これもマサトはかわしていく。複雑な軌道を描く鞭を。

 ――偶然ではありませんわね。

 マサトは鞭か、それに似た武器の軌道に慣れている。だからこそ、この二撃をかわしているのだ。

 ――行ける!

 この攻防の間に、マサトはエリザヴェータにあと一メートル半ほどまで接近。其処で彼は――黒銃を両方共、エリザヴェータの真上に行くように投げた。

 ――武器を捨てた!?

 エリザヴェータは思わぬ行動を意表を突かれる。一瞬の間に様々な考えが巡り、外套に隠している本当の武器で自分を倒すためだと判断したが、それにしては互いの距離が短すぎる。

 ――徒手!

 素手で身動きを封じ、自分を倒す気なのだと確信。こんなところで使うとは思わなかったが、接近に対処するには鞭のままではしにくい。故に使う。

 

「――『鋼鞭(クスタル』」

 

 ヴァリツァイフが、変化を見せる。四十チェートまで伸びていた鞭は半分以下の長さの、真っ直ぐな棒状へと。

 ――棒状!? 接近戦型か!?

 鞭の武器であるが故に、そのままだけだと思っていたが、どうやらヴァリツァイフは使い手の意志に応じて形状を変化させられるらしい。これは完全に想定外だった。

 ――でも、それならそれで!

 別方向の対処が可能になる。寧ろ、マサトにとっては好都合だった。

 素早く迫る雷光の突きを身体を横にしてかわし、突き出しに使ったエリザヴェータの右腕を両手で掴む。

 そして、ぐるんと振り回してエリザヴェータの体勢を崩しつつ、ザウルの最初の仕合時と同じように右肩を左腕で抑え、彼女の右腕を自分の右腕で動かし、最後に地面に倒して極める。

 ――な、何ですの、この動き!?

 見たことない体術にエリザヴェータは完全に抑えられた。彼女は自衛隊や、そこにある格闘術を知らないので、喰らっても無理は無いだろう。

 

「乱暴で済みませんが、関節外させて貰います!」

 

 ――負ける……!?

 このまま関節を外されたら、利き腕は当然使えなくなる。いや、確実を求めるなら残りの腕も外そうとするだろう。

 ――そんなの……却下ですわ!

 右腕に力を込める。普通なら、極まれている状態でそんなことをしようが、腕を痛めるだけだ。そう、『普通』なら。

 

「無駄です! 完全に極めて――」

 

 続きを言おうとしたが、その前にあり得ないことが起きる。

 完全に抑えているはずのエリザヴェータの右腕から、とてつもない力が発揮され、身体を持ち上げられた。

 咄嗟にしがみつこうとしたマサトだが、そのまま力任せに放り投げられ、地面の激突。空気を吐き出し、転がる。

 ――な、なんだ、今の……!?

 エリザヴェータの右腕は完全に極めていた。それなのに、彼女の右腕から出鱈目な力を発揮され、無理矢理放り投げられた。

 転がりながら体勢を立て直し、ある仕掛けで近くに落ちた黒銃を引っ張っていく。

 

「……危ないところでしたわ」

 

 雷渦の閃姫は着いた土を払うと、険しさを帯びた左右で異なる瞳でマサトを睨む。

 自分の認識が甘かった。さっきは力を使わねば危うく、敗北するところだった。

 マサトは最初から全力で自分を倒そうとしている。実力も、戦姫と最低限戦うだけはある。底も計り知れない。こちらも全力で戦わなければ行けない相手だ。

 

「――ここからは一切油断しませんわよ?」

 

 ――……千載一遇の機会を逃したな。

 犠牲を最小に留めるべく、無意識の油断がある、最初の攻防で決めたかったのだが、予想外の力のせいで失敗してしまった。徒手による奇襲ももう通用しないだろう。

 ――にしても、なんだあの力?

 極められた状態から拘束を無理矢理外した上に、片腕だけで大人の男一人を強引に投げ飛ばした。明らかに、女性が身に付けれる範囲の力ではない。異常過ぎる力だ。

 

『――マサト、彼女のあの右腕だ!』

 

 近くにより、それを感じたゼロがマサトだけに聞こえるよう、調節して話す。

 

「何が?」

 

『あの腕から、前に言った「何か」を感じる!』

 

 マサトは前にゼロが言っていたのを思い出す。エリザヴェータから、不快な何かを感じると言ったのを。そして、ゼロが感じた腕からあの異常な力が発揮された。

 ――つまり……。

 あの力は、その『何か』によるものだと言うことになる。一騎当千の強者に、超常の力を持つ竜具。更には、異常な膂力。

 ――ヤバいにも程があるな……。

 これでは、極めるのが難し過ぎる。それに接近戦も危ない。とはいえ、気絶させるには近距離でなければ困難だ。より一層、集中力を高める必要があった。

 ――それと……。

 さっきの力について知りたいため、エリザヴェータに鎌をかけることにした。

 

「大した力ですね。――『得体の知れない相手』にからでも貰いましたか?」

 

「貴方……!」

 

 ――この力について、知っている……!?

 エリザヴェータは思わず、右腕を抑える。彼女は怪しまれるのを避けるため、これを誰かに話したことは一度も無い。マサトがここまで具体的に話せるはずがなかった。

 エリザヴェータは思わず警戒してしまうが、マサトは単なる勘で発言しただけだったりする。

 

「……何者ですの?」

 

 ――言う気は無い、と。

 鎌をかけたが、エリザヴェータは言わない。ただ、あの力は彼女にとって後ろめたいようにも感じる。でないと、腕を抑える行動を取った意味が無い。

 何にせよ、情報は一切得られなかったので、返事をする。

 

「レグニーツァで働き、戦う者ですが?」

 

「……そう」

 

 ――話す気は無いということね。

 ならば、選択肢は二つ。生かして情報を得るか、ここで始末するか。エリザヴェータは後者を選んだ。

 マサトを生かして置く特別な理由もなく、余計な噂でも流されては、たまったものではないからだ。

 ヴァリツァイフを鋼鞭から元の鞭に戻そうとしたが、その前にマサトが黒銃を二つとも突き出す。

 奇妙に思ったエリザヴェータだが、その砲口に力が集まっていくのを見て、変えるのを止めて構える。

 自分に向けられた力が最大まで集束され、エリザヴェータも力を溜めていくが、マサトが双黒銃を突然在らぬ方向に向け、生命の流れを放つ。

 当然、流れは明後日の方向へと放たれていく。その一連の流れを怪訝に思うエリザヴェータだが、突然足が強く引っ張られて体勢を崩された。

 何が起きたのか。それを確かめる余裕も無く、マサトが迫ってきた。

 

「――この!」

 

 エリザヴェータは片足で踏ん張りつつ、鋼鞭を解除。九つに分けた鞭をしならせ、捻ることで、縦横無尽に複雑に舞う鞭で迫るマサトへの反撃と防御を同時に行なう。

 マサトはその乱れ舞う雷鞭を後退、前進、左右、跳躍と、あらゆる移動で回避していく。

 ――これも慣れている……!?

 ただの鞭はまだ分かる。しかし、九つに分かれる鞭はこの雷渦ただ一つのはず。今まで戦ったことも無い以上、初見でここまで回避するのは不可能に等しい。なのに、マサトは避けていた。

 その理由はただ一つ。マサトが数日前からオルガに頼み、疑似ヴァリツァイフでの訓練――言わば、対エリザヴェータ戦用の訓練を行なっていたからだ。だからこそ、エリザヴェータと渡り合えていた。

 ――きつい!

 とはいえ、マサトとしてぎりぎりだった。雷渦の動きは鍛錬で見た時よりも遥かに複雑でキレがある。回避に専念するのが限界なのだ。

 一体充分な距離にまで後退。深呼吸を数度行い、平常な状態で集中する。

 ――予想はしてたけど……本物は全然違うな。

 オルガは徐々に鞭の扱いには慣れたが、それでも腕前は本来の得物には遠く及ばなかった。

 一方で、エリザヴェータは正真正銘の使い手。技の精度も練度も圧倒的に上だ。それでも、こうして回避は出来るのだから、成果は充分にある。

 ――……全然違う以上、直ぐには不可能。一度、戦法を変えるか。

 接近戦だけでは、こちらの体力の消耗が激しい。対して、あちらは鞭として振るえば消耗が少ない。このままでは、何れ捕捉されるのは確実。

 体勢を変え、右脚で左脚を隠すと黒銃を真っ直ぐ構えて力をチャージ。そして、さっきと同じように発射寸前にまた黒銃をずらし、左右で一発ずつ射つ。

 弾はかなりの速度で進むが、進路はやはり、エリザヴェータとは擦れている。

 ――また陽動?

 さっきの二度の攻防で、エリザヴェータはマサトの戦い方をある程度推測している。陽動を重点とした、不意を突くものだと。

 ならば、適当な方向に放たれた力は無視し、マサトだけに集中すれば良い。そう思った瞬間、ざわっと身体が反応した。危険が迫っていると、戦場で培った勘が告げているのだ。

 まさかと思い、弾を見ると、さっきの二発が途中で軌道を変え、自分に向かっていた。

 ――陽動に見せかけて……!

 弾こうとしたが、その前にマサトが追加の弾を放ってきた。最初の二発は移動で避け、嵐のように迫る弾の雨を雷渦で弾き落としていく。

 十数秒間、命と雷がひっきりなしに激突し、戦場を火花や残滓で次々に彩っていく。

 ――妙ですわね。

 今放たれている弾丸はどれも、直線的な物ばかり。さっきの途中で軌道が変わる物が無い。変わる前に打ち消してるか、或いは何かを狙っているか。

 ――十中八九、後者。けど、問題は何を狙っているか。

 エリザヴェータがそう思った瞬間、いきなり足が締め付けられる。思わず下を見ると、自分の足が糸らしき物で地面に固定されていた。

 同時に、マサトがそれを狙ったかのように接近してきた。しかも、今度は軌道が変化する弾を放ちながら。

 ――これは不味いですわね……!

 弾を弾こうにも、マサトとは距離が離れているので接近を許してしまう。逆にマサトの接近を阻もうとすれば、弾を受けてしまう。

 ――なら!

 エリザヴェータはヴァリツァイフを真上に翳す。九つのボディは重力に従って使い手を守るように地面に向かい、尖端が大地に突き刺さる。

 更にその状態で力を解放し、柄を横に回転。ヴァリツァイフの異名、雷渦が発生。空気と大地を焼き削りながら弾と防ぎ、マサトの接近を遮った。

 ――防がれたか。

 折角チャンスを作ったが、向こうの防御で潰されてしまった。

 

「――中々出来ますわね」

 

 雷の渦が消え、中からエリザヴェータが姿を表す。脚の糸はまだ着いているが、彼女が鞭を振るうとあっさり焼かれ、消滅した。

 脚の自由を取り戻すと、具合を確かめるようにコンコンと地面を蹴る。

 

「私相手に、ここまで戦えるなんて」

 

 想像以上に面倒な相手だ。不意を突くのが上手く、武器も遠近両方こなせる。後気になるのは、自分の足を縛った糸。

 ――さっき私の体勢を崩したのも、おそらくはその糸。問題は……。

 マサトが何処から、その糸を出し、操っているか。それを見抜かないと、また不意を突かれてしまう。全体を眺めるが、糸らしき物は見当たらない。

 ――普通なら、籠手、のはずですけど……。

 引っかかるのは、マサトはさっきの攻防で一度も籠手には触れてない。それに、仮に籠手だとしても、それがどうやって地中から出現したのか気になる。

 ――ただの糸では、ありませんわね。

 おそらく、マサトが持つ武器の力による特殊な糸。何処から出すかはまだ不明だが、自由自在に操れ、捕縛や体勢を崩すのに使える、これまた厄介な物だ。

 ――先ずは、出所を見抜かないと。

 でないと攻防に影響する。エリザヴェータは雷渦を鋼鞭に変化させ、糸を誘引するために今度はこちらから接近。雷撃を込めて突き、払い、振るう。

 マサトも黒銃から刃を展開し、応戦。膂力があるのでぶつけ合いを避けつつ反撃するも、エリザヴェータは体捌きで軽々かわす。

 ――やっぱり、強い……!

 鞭を棒状にしていた時から予想はしていたが、接近戦でのエリザヴェータの腕前はかなりの物だ。

 オルガとどちらが強いかは一概に比べれないが、残念ながら自分より強いのは確かだった。正面からでは勝ち目が薄い。

 かといって、遠距離は雷渦の射程を考えると、相当工夫しないと届かないだろう。

 稲妻の突きが迫る。それを後退で避け、ある弾を放つ。エリザヴェータがその弾を弾こうと、鋼鞭を当てた瞬間、弾が破裂。極小の粒子が拡散し、彼女の視界を奪う。

 ――こんな技も……!

 エリザヴェータは一瞬思考したあと、後退。すると、それを狙ったかのように移動した彼女の足元から糸が出現。靴に絡まろうと触れる。

 

「――やはり、そう来ましたわね」

 

 そのタイミングに、エリザヴェータは糸が絡まる足を全力で引っ張る。

 

「――そちらも」

 

 すると、マサトが急加速。エリザヴェータは瞬時に自分の動きを読まれたと気付く。咄嗟に迎撃に黒鞭を振るい、マサトも黒銃を振るう。

 二人の黒が激突、結果は体勢が微妙に崩されながらも、エリザヴェータが右の黒銃を弾き飛ばす。

 マサトは直ぐ様横殴りにもう左の黒銃を振るうも、エリザヴェータは軽々避け、空いた右側から仕留めに掛かる。

 直後、雷渦の戦姫は寒気を感じる。無意識に後退すると、銀色の線が空間を通った。

 

「……上手く行かないものですね」

 

 紅の戦姫は距離を取ると、異界の烏を見詰める。その右手には、短い刃を持つ柄も短い剣があった。

 

「……策士ですわね」

 

 さっきの攻撃、マサトは黒銃を弾き飛ばされたのではなく、わざと飛ばし、誘導したのだ。外套の中に隠し持つ短剣で不意を突くために。

 不意を突かれたこともそうだが、エリザヴェータはもう一つ気に入らないことがある。

 マサトが持っている短剣だが、刃が黒銃から展開した刃同様に丸みを帯びており、殺傷能力が無いに等しい短剣だった。

 つまり、マサトにはこちらを殺す気が無いと言うことだ。でなければ、殺傷能力の無い武器を持つ理由が無い。

 

「……私を侮っているいますの?」

 

「そんなつもりはありませんよ?」

 

「なら、どうしてそんな物を持っているのかしら?」

 

「自分が貫きたいものの為に。たったそれだけです」

 

 話ながらマサトは短剣を仕舞い、転がっている黒銃を拾って構え、三角の刃を出すと――一直線に走り出す。

 エリザヴェータも真正面から走り、生命の刃と撃ち合う――と見せ掛け、雷渦から少しの雷光を放ちながら薙ぐ。

 ――眼が……!

 突然の搦め手に、マサトの動きが鈍る。視界も奪われた。幸い光は弱く、直ぐに見えるようにはなったが、念のために一旦下がった瞬間。

 

「――『闇夜斬り払う刹那の牙(ノーテ・ルビード)』」

 

 雷渦から、眩い光を放つ雷波が放たれる。それはマサトの見えるようになった眼を再度眩まし、同時にバチバチと音と立てながら、彼目掛けて突き進む。

 ――避けきれない……!

 眼が見えなず、体勢を崩された上に、雷光のせいで一秒だけだが怯んだ。音の速度から回避は間に合わないと悟り、黒銃を突き出す。

 

「――シールド!」

 

 二つの黒銃から放たれた力が形を瞬時に変え、二メートル近くある、菱形の防壁と化す。

 次の瞬間、命の盾と雷の波が衝突。数秒間せめぎ合うと、互いに消滅していった。

 

「……目眩ましの技ですか」

 

 ――あれが、竜具の技……!

 数秒経ち、視界がある程度回復したマサト。どうやら、さっきの技は主に目眩ましを目的としたもので、威力はそれほど高い技では無いらしい。

 おかげで助かったが、普通のよりは堅い盾が破壊されている。咄嗟に防御せねば、敗北していたに違いない。

 

「決まったと思いましたのに」

 

 竜技を合わせての二段の目眩まし。当たる自信があったが、防がれてしまった。エリザヴェータは残念な様子だ。

 ――搦め手も使って来たな。

 色々と仕掛けてくる自分相手に、真っ向勝負では手こずると考えてだろう。

 ――さて、こっちはどうするか。

 手を一つずつ明かしていくか、一気に使って短期決戦で決めるか。

 ――愚問だな。

 今の自分が一番に果たすべき役目は、時間を稼ぐことだ。向こうが搦め手を使おうが、こちらは戦いを変える必要はまったくない。

 一心不乱に耐えながらも、僅かな機には的確に狙う。これだけだ。

 互いは己の黒で激しく撃ち合い、振るい合う。攻撃の回数は両手に武器を持つマサトの方が多いも、激しさだけならエリザヴェータも負けていない。

 雷撃を纏う鋭い一撃が迫り、マサトは雷渦に向かって弾を放つ。弾は黒鞭に当たった瞬間、破裂する音と共に炸裂。

 

「――ミスト」

 

 生命の細かな粒子を撒き散らし、エリザヴェータの視界を覆う。今度は自分が視界を奪われて危機に陥るが、エリザヴェータは口を歪ませる。直後、大地が轟音と共に揺れた。

 ――痛っ!?

 何故か、マサトの表情が歪んだ。何が起きたのかを理解する前に、霧の中から漆黒の棒が突き出てきた。

 ぎりぎりで身体を捻って回避しつつ、咄嗟に右手の黒銃の砲口から、糸を射出。距離を取って逃れた。

 

「――外してしまいましたわね」

 

 霧が晴れ、中からエリザヴェータが少し残念そうな表情が姿を表した。下の大地は大きく陥没している。

 ――……武器をあの力で叩き付けたのか。

 さっきの衝撃が、エリザヴェータが霧の中で地面に雷渦を全力で叩き付けたものだと、マサトは理解した。

 

「仕止められなかったのは残念ですけれど――種は見抜けましたわ」

 

 マサトは無言だが、目を細める。痛みと不意を突かれたことで、種を隠す余裕が無く、見られてしまった。

 彼の脛当てから地面に向かって糸が出ており、突き刺さっていた。それが自分の体勢を崩し、捕縛した物の正体だとエリザヴェータは確信する。

 ――……気付かれたか。

 この糸は、物への生命の力を付与するエンチャントと、体内に取り込んだ生命を神経に接続、形状などを自在に操るリンクを同時併用した技。

 接続をしているので、痛覚や感覚はあるし、少ないが負担もある。しかし、外見からは通常の装備に見えるため、不意を非常に突きやすい。

 付け外しは自由だし、防御や攻撃にも回せる、言わば、籠手や脛当てを黒銃にしたようなものであり、これまた応用力のある技だ。

 これで付与した生命を糸状に変化、伸縮させ、死角や地中からエリザヴェータを狙っていたが、種がばれた以上は簡単には通用しないだろう。

 ちなみに、痛覚や感覚があるため、地面の時はこの時期の冷たさやそれにより大地の堅さや、糸を千切る、付け外し時は本当に千切れる痛みを感じる。

 糸を利用される恐れや、糸を通して痛みが出たことなど、それなりのデメリットはあったりする。

 

「籠手からも出来るのかしら?」

 

「さぁ、どうでしょう?」

 

 ――まぁ、自分から言う馬鹿はいませんわね。

 ただ、脛当てから出した以上は籠手からも可能と考えるのが自然。

 それに、種が見破られたからには、積極的に使おうとするだろう。用途が糸だけとも限らない。

 あとはあれがどれだけ、どう使えるのか気になるが、何れにしてもこれまで以上の集中、警戒は必須だ。

 ――さて、どう攻めようかしら。

 手品の元である籠手や脛当てを無視して、マサトだけを狙うか、或いは先に籠手と脛当てを破壊するか。

 彼女が決めたのは、半々。籠手や脛当てを狙い、手段や防御力を奪いつつ、同時にマサトも狙うことにした。

 ――その前に。

 

「――雷精(グラメル)」

 

 雷渦が輝き、小さな白い雷撃の塊がエリザヴェータの身体の周りを漂う。

 ――防御用? 反撃用?

 もしくは、彼女の意志に呼応して攻撃をする技か。何れにせよ、早めにどういう技か見切る必要がある。

 稲妻の綿を展開した雷渦の姫はまた雷渦を鞭に戻し、異界の烏との距離を一定に保ちつつ振るう。

 但し、今度はそこに黒鞭の伸縮と、大地をぶつけての反発を追加。鞭は生きた蛇のように、いやそれ以上に複雑な動きを見せながら、マサトに食らい付こうと迫る。

 

「これは……!」

 

「死にたく無ければ、限界まで集中した方が宜しいですわよ。――何しろ、ここまですると、私でもまだ完全に制御できませんもの」

 

 死角を突くため、大地への反発を利用した攻撃の訓練も行い、それもほぼ完全に制御している。

 しかし、伸縮までは操作の難易度が劇的に高まるため、まだ制御しきれてなかった。

 

「でしたら、控えてくれると嬉しいのですが!」

 

 マサトは全力で移動し、回避する。狙いが分かる一撃よりも、こう言ったランダムなものの方が対処する側としては困る。

 ――まぁ、『出来てから』されても、困るけど!

 それを考えると、今の内にこれを見れたのは有り難い。死ねば全て無駄になるなので、結局、死に物狂いで回避や防御するしかないが。

 

「――アーク」

 

 だが、一方的に攻められ続けても、勝てる訳が無い。数瞬の間に黒銃の片方を空へ真っ直ぐ向けると、弾を発射。弾丸は空へと昇っていく。

 ――また、軌道が変わる弾ですわね。

 雷渦を振るいながら、弾へと視線を移すも、その弾はエリザヴェータの予想に反し、まだ空へと進んでいく。

 ――単なる足掻きか、はったり?

 と思ったが、エリザヴェータはその弾に違和感を覚えた。軌道が少し妙な気がするのだ。軌道は確かに上だが、同時に前にも進んでいるような。その違和感は正しい。

 その弾は、ある地点まで移動すると、今度は下――エリザヴェータに向かって一気に進む。

 ――直進でなくて、弧を描いて!

 速さや雷渦の現在位置から、弾くのは間に合わない。種がバレるのを避けるため、雷精で防ぐのは駄目。

 軽い移動で回避するが、そのために攻撃が少し止み、そこを突いてマサトが続けて弾を連発する。

 それらの弾は、何れも大きく弧を描くものであり、しかも上下左右に広く大量に放たれている。何れか一方に対処しても、他の弾が命中してしまう。

 エリザヴェータは先程同様に雷渦を掲げ、柄をまた横に回した。再度雷渦が現れ、弧弾を悉く打ち消す。

 ――この音……。

 雷音に紛れ、聞き取りづらいが、力を打ち消す音が止んでいない。マサトが弾を打ち続けているのだ。

 ――私をこの場に留めるためね。

 そうとなると、マサトはまた捕縛を狙って来るに違いない。問題はどんな方法かだ。先程使い、逆に利用された糸を敢えてか、或いは違う手段か。

 選択を間違えれば、どんな危機に陥るか分からないだけに、迂闊に動けなかった。だが、そんなのは自分の柄ではない。

 雷渦の閃姫が動こうとした時、打ち消しの音が止む。その数秒後、雷渦の結界の一部分が、生命の流れに破られた。

 捕縛かと思いきや、大火力の攻撃による突破。完全に裏をかかれたが、ぎりぎりで身体を捻って回避することには成功する。

 しかし、そこで閃姫の危機が終わった訳ではなかった。周囲に蜘蛛の巣状の糸が迫っていた。マサトが籠手や脛当てを使って、編み込んだのだ。

 焼き切ろうと雷渦を振るおうとしたが、その前に蜘蛛の巣が身体に絡み付こうとする。

 瞬間、蜘蛛の巣が雷精に触れる。雷光と衝撃が発生し、一部が焼失した。

 ――成る程、そういう技か。

 その光景でマサトは雷精を見抜く。触れた物に反応し、雷を炸裂させ、相手を怯ませるカウンターの技。見る限り、防御にも応用出来そうだ。

 

「こ、この……!」

 

 一部は焼かれたが、まだ蜘蛛の巣は身体の自由を奪うには充分。エリザヴェータは急いで雷熱で一部を焼くが、その間にマサトが彼女の左側から近付く。

 

「――漆爪!」

 

 黒い爪が、雷渦の戦姫の脚に迫る。鉄すら砕く材質の銃での直接の殴打。当たれば、人の骨など簡単に折れるだろう。

 

「――『雷刃(メルニテ)』!」

 

 ヴァリツァイフが更なる形へ変化していく。無数の鋭い突起がある大鉈のような片刃へと。

 ――威力に特化した形態か!

 片方だけに集まった刃の剣。威力が集約された形態だと直感的に悟るが、だとしても今エリザヴェータは満足に動けない状態だ。盾である雷精も無い。気にせず攻撃を続行する。

 

「――はぁ!」

 

 黒き爪が触れるその寸前。エリザヴェータは強烈な雷を纏った刃を足下に叩き付ける。威力に地面が少し陥没し、大きな衝撃音と共に、大量の稲妻が放出。

 彼女にまとわりつく蜘蛛の巣が焼失し、一部がマサトを襲って怯ませる。

 

『マサト! 直ぐにそこから離れ――』

 

「貰いましたわよ」

 

 そこに、雷刃が迫る。あの桁外れの膂力が合わさった状態で。

 マサトは咄嗟に両手の黒銃と籠手の付与でガード。しかし、出鱈目な威力によってガードは軽々突破され、大きく吹き飛ばされた。

 余りの威力に地面を転がされるも、直ぐに無理矢理にでも体勢を整え、霧を放出しながら離れる。直後に、自分がいた場所に雷の鉈が叩き付けられ、霧が気化した。

 

「――まだですわよ?」

 

 優雅なのに、ゾッとするほどに冷たい声が聞こえた。前に向くと、ヴァリツァイフが鞭の状態になっており、金雷を帯びた九つの尖端が迫っている。

 弾や刃で防ぎ、弾きつつ後退を続けるも、距離のせいで九つの内の一つが、身体に僅かだが擦った。

 コートと皮膚が裂かれて血が流れ、まとわりつく雷撃が一瞬の時間、マサトの動きを鈍らせる。

 

「――ノーテ・ルビード」

 

 その間を狙い、エリザヴェータは雷渦を鋼鞭にすると、また雷鳴の牙を放つ。眩い光は咄嗟に目を瞑って避けつつ、生命の防壁で雷牙を防ぐ。

 目を開けると、防壁と雷牙がまた互いに消滅したが、その背後からエリザヴェータが接近していた。

 ――竜技を放つと同時に走ったのか!

 さっきの竜技は、目眩ましだけが目的ではなく、接近を悟らせないためのでもあった。

 迫る雷鞭の突きを、刃を展開した黒銃で上手く流す。エリザヴェータが横に振るって来たので、前に進みながら腰を低くして足から、彼女の脚目掛けて回避と攻撃のスライディング。

 エリザヴェータは脚を持ち上げ、その動作を活かして回転、鋼の棒を地面を薙ぎ払うように振るう。

 マサトは先が尖った糸、アンカーを別方向に籠手から放つ。地面に突き刺すと先を柱の様に変化させ、直進の軌道を回転にして糸を調整しながらくるんと勢いよく回り、雷鞭の薙ぎ払いを逃れつつ、エリザヴェータに空から迫る。

 

「面白い動きですわね」

 

 マサトは右手の黒銃から刃を展開。勢いを利用し、振りかかる。エリザヴェータは鋼鞭で刃を砕き、マサトを仕留めようとする。

 

「――ショットガン」

 

 刃と鞭が当たる寸前、マサトは刃を消滅させ、弾を生成。その場で炸裂させて、反動で鋼鞭を押し退けつつ、自身も身体を縦にクルンと回転しながら後ろに飛ぶ。

 すると、その動きに沿って、放出型の半月状の丸い大刃が現れる。マサトが脛当てから出した刃で、エリザヴェータに向かう。

 思わぬ攻撃だが、その程度戦姫である彼女が対応しきれないはずもなく、雷渦で軽々と破壊。ガラスの様な音と共に生命の破片が舞う。

 そこに、彼女の足元及び、その周囲の大地から糸が出現。マサトが斬撃と同時に地面に向かって放ったものだ。

 マサトは更に黒銃と籠手、脛当てを使い、空から拡散、単発式の弾丸も射つ。空から弾、地から糸の同時攻撃だ。

 上下からの攻撃。エリザヴェータはマサトに向かって走り、先ず正面から迫る攻撃を弾く。

 この時に出来ればマサトを攻撃したかったが、距離を更に取られたので、先ずは周りの対処を優先。雷渦を鞭にし、その場で一回転。

 糸や弾の悉くを雷撃で瞬時に打ち消す防御を行い、更にマサトへの攻撃も行なう。

 回避するべく、後退したマサトはエリザヴェータが振るった方向とは逆方向から接近を試みる。

 そこでエリザヴェータは手首を捩り捻る。ヴァリツァイフは軌道を変え、まるで獲物を狙う蛇の様にマサトに向かう。

 しかし、そこでエリザヴェータの視界の端にあるものが見えた。弧を描く弾と追跡の拡散弾が、マサトが接近を狙った方向と逆から迫っていた。

 ――ヴァリツァイフやその雷光で隠して!

 自分の武器を利用した、死角からの攻撃。エリザヴェータは雷渦を引き戻し、鋼鞭に変更。弾丸に向かって走り、アークを回避しながらホーミングを叩き落とす。

 そして、身体をマサトに向け、彼目掛けて鋭い稲妻の突きを繰り出そうとする。

 ――これは……!

 好機だ。最初の攻撃と似たような展開。マサトは同様に回避し、今度は一気に関節を外そうとする。

 

「――咲きなさい」

 

 雷渦の閃姫の台詞に、青年は疑問符を浮かべる。しかし、次の瞬間にそれは氷解する。突き出しの鋼鞭が、そのまま鞭に戻ったのだ。

 しかも、伸びた上に手首の捻りが合わさり、黒鞭には放電しているため、雷渦はまるで花のように美しく広がる。

 ――これ、不味……!

 ヴァリツァイフが広く拡がり、自分は全速力のため、退くと半秒遅れて喰らい、進めば当然受けてしまう。跳躍も無理だ。刹那の思考の後――マサトは前進を選択。

 尖端が周りにあるため、少なくとも切られることは無い。雷撃も付与の生命である程度軽減可能。花のように広がる、雷渦に腕の籠手から突っ込んだ。

 

「――なっ!?」

 

 力を込めてないため膂力は発揮されず、腕、そして身体に予想外の攻撃と衝撃を受けてエリザヴェータは短い悲鳴を上げ、突き飛ばされる。

 ――このまま……!

 勢いに任せ、押し切りたい。しかし、そう上手く事が進まないのが世の常。

 エリザヴェータが雷鞭を振るう。だが、その軌道は途中までは滑らかだったが、その後地面に落下するように刺さる。

 今までのエリザヴェータの技術を見る限りでは、あり得ない操作ミスだ。彼女を見ると、焦った表情で利き腕を抑えている。

 ――さっきの衝突で腕が痺れたのか!

 再度の好機。マサトは全速力で走るが、その瞬間、エリザヴェータが口元を歪ませた。まるで、かかったと言わんばかりに。

 ――罠!

 寒気が走り、マサトは咄嗟に大地を蹴って、無理矢理に後退。瞬間、地面が炸裂した。

 エリザヴェータが大地に刺した雷渦と桁外れの膂力を使い、大量の土を持ち上げたのだ。

 土は寒さで固まっているため、持ち上げられた土はそれなりの量と硬さとなっている上に、微量の雷を纏っている。直撃すれば無傷では済まない。おまけに広範囲に散けていた。

 走るだけでは回避は出来ない。防御はエリザヴェータが見えない以上、かなり危険だ。防壁を張りつつ、その真後ろに下がる。

 

「天地撃ち崩す――」

 

 先程以上に強く輝く雷光が、土の雨の向こうから立ち上る。やばいと本能的に悟り、マサトは高密度の生命の結晶を一つ取り出し、黒銃の砲口に射し込む。

 

「――灼砕の爪」

 

 黒鞭から、九つの爪が放たれる。一つ一つが凝縮された雷であり、その威力はさっきの竜技を遥かに上回る。

 雷爪は凄まじい雷音を轟かせ、土の雨を焼き砕き、防壁を瞬時に焼失させ、標的であるマサトに向かって突き進む。

 

「――ライブドストリーム!」

 

 黒鞭の雷に対抗するように、黒銃からも生命の力が放出される。生命の流れは太陽の光で星屑のように煌めきながら、雷爪とぶつかり合う。

 雷と命。二つの力は数秒間、相手の力によって粒子を散らしながらも片方の力を破らんとせめぎ合うが、威力が拮抗していたため、一瞬の光の炸裂後に消滅した。

 その光の奥から、左右から無数の拡散弾を放ったマサトが現れる。

 

「――あら、同じことを考えていましたのね」

 

 黒い瞳に、エリザヴェータが写る。彼女もまた、マサトと同じタイミングで走っていたのだ。

 二人は既に攻撃の動作を取っており、マサトは漆爪を、エリザヴェータは雷刃を振るっていた。

 黒の爪と雷の刃、そのまま激突するかと思われたが、マサトが黒銃を止めてその場で跳躍。

 雷の刃は空気だけを切り裂くが、その後に弾丸が迫っていた。マサトが時間差で放ち、自分の身体で隠していたのだ。

 跳躍したマサトは更に、上からも少し遅れたタイミングで高火力の弾を放つ。

 左右、前、上からの三方向からの攻撃だが、エリザヴェータは慌てない。後退し、黒鞭を広げて横に回転させる。

 先に来た威力の低い弾を消し、次に後からの弾を移動で回避しようとしたが、その時高火力の弾が無数に拡散。

 速度は増し、上下左右のあらゆる方向からエリザヴェータに迫る。さっきと同じ方法で弾こうにも、後退しても弾が当たる方が速い。

 その脚を、エリザヴェータは前に動かした。広範囲の拡散攻撃は一見、回避不可能に見えるが、広がるが故に前が安全地帯と化していたのだ。

 但し、その間は人一人分ちょっとのみ。しかも、僅かでも擦れれば身体に当たる。その無数の雨を前にも、エリザヴェータはまったく怯まずに直進、全てを避ける。

 攻撃を避けきると、着地寸前のマサト目掛け、移動の間に雷刃に変えた黒鞭を振るう。

 しかし、その一撃は不自然な動きで回避される。マサトが籠手から放った先が尖った糸、アンカーを射出、それを地面に突き刺すと縮めることで離れたのだ。

 エリザヴェータはその場で回転。後ろから迫るさっきの拡散弾を一薙ぎで掻き散らすと、一旦、利き腕の具合を確かめる。

 さっき、マサトがぶつかったため、支障を来していないのかを調べていた。

 痛みはあるが、振るうことには問題ない。雷撃を喰らい、突撃が弱まったおかげだろう。

 

「思った以上に出来ますわね。今の攻防で潜り抜けるなんて」

 

 二、三度程、彼を倒せると思ったが、結果はこの通りだ。それに、最大威力ではないとはいえ、『天地撃ち崩す灼砕の爪』が相殺された。

 素直にマサトを褒めるエリザヴェータ。一方、マサトは答えず、荒くなった呼吸を整える。

 ――……無茶苦茶な力だな。

 先ずは身体、髪が少し焦げ、レザーコートやズボンの一部がさっきの突撃で焼け、服や皮膚の部分が露出している。火傷を負っている箇所まであった。

 腕は、まだびりっとした痺れと、骨には痛みが残っているが問題ない。ただ、受けた時は巨木で殴られたのかと思うほどの衝撃があった。

 力や黒銃でガードしたのに、だ。直撃なら今頃即死か、重傷で敗北が決定していただろう。

 ――にしても、本当に強い……!

 力や武器に頼った様子など、皆無だ。あの膂力が無くとも、自分の予想を上回るほどに充分強い。

 戦姫の強さはオルガとの試合で身を持って知ったつもりだったが、再認識させられた。

 一瞬の判断を的確に当て、意表を突かれ、裏をかかれても直ぐに対応、反撃してくる。正直、食らい付くのが精一杯だ。

 互いに汗は掻いているが、息が荒れて少なからずの傷があるマサトと、呼吸が安定していて、ほぼ無傷のエリザヴェータ。そこからも差が分かる。

 ――……もうすぐで、やっと十五分。

 こっそりと懐中時計を取り出し、時間を見る。移動を差し引くと、戦ってから四半刻の半分も経ってないのに、こちらは消耗し始めている。

 毎日貯めていたので、力がまだまだ使えるのが幸いか。

 ――よし、戻ってきた。

 呼吸が安定し、数度の深呼吸が体力を少しでも回復しようとしたが、雷の鞭が迫ってきた。

 後退するも、新たな雷精を展開したエリザヴェータが迫っているため、次が来る。

 

「回復など、させるはずが無いでしょう?」

 

「――確かに!」

 

 蛇の如く、自分を狙い、迫る雷渦を避けながら、マサトは必死に思考する。

 やはり、自分とエリザヴェータの差は大きい。武器は互角なのだが、実力は彼女の方が一回りも二回りも上だ。

 だが、それがどうした。エリザヴェータが強敵なのは、最初から分かりきっている。勝ち目が低いことも予想していた。

 その上で、自分は彼女と一騎討ちをすることを選んだのだ。この戦いに勝つ。そのための最善を尽くすために。

 身体は少し重くなってきた。だが、まだまだ動ける。戦える。ならば、それで充分。

 

「――行きますよ」

 

「――来なさい」

 

 己の敵を、雷渦の閃姫を、揺るがぬ意志を宿した黒い瞳で捉えると、異界の烏は大地を蹴り、駆けていった。

 



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第十五話 限界の領域

 ここからは、新しい話です。戦いが無理なく表現出来てると良いですが……。
 あと、都合が良い要素があったり、会話が苦手な人もいると思います。


 異界の烏と、雷渦の閃姫が激戦を繰り広げている頃。

 少し離れた場所でのザウル率いるレグニーツァ軍と、エリザヴェータの代わりにナウムという騎士が率いることになったルヴーシュ軍も、激しくぶつかり合っていた。

 

「突撃する! ルヴーシュを蹴散ぞ!」

 

 レグニーツァ軍のザウルがいる騎馬隊五百は進路を途中で横に変え、大きく迂回。ルヴーシュ軍の右側面を攻める。

 その威力と勢いは凄まじく、侵略者であるルヴーシュ兵を次々と突き刺し、踏みにじり、蹴散らしていく。

 

「やはりそうくるか」

 

 想定通りと言わんばかりに、ナウムは呟く。騎馬隊と歩兵部隊では速度に差がある。

 それはレグニーツァが怒り心頭で移動し、ルヴーシュ軍が後退していたことで更に広がっていた。

 そうなれば、五百の騎馬隊は当然ながら突出する。来るまでの間、味方のカバーを得れない以上、多方向から攻撃に脆くなってしまう。

 防ぐには、歩兵が来るまでの時間を稼ぐしかない。騎馬隊を止めるか大きく動かすしかないが、今のレグニーツァの士気を考えると、後者は難しい。つまりは、大きく動くしかないのだ。

 ――流石に、冷静な将が一人ぐらいいて当然か。

 侵略や挑発で激情を抱いたとしても、全員がそうなる保証は無い。特に、一部の将は冷静な判断が出来て当然だ。でなければ、将失格である。

 ――まぁ、所詮は一部に過ぎん。

 レグニーツァの大半の将兵が怒りでこちらの御しやすい状態であることに、変わりはない。対処は簡単だ。

 先ずは機動力がある騎馬隊を撃破するべく、後退しながら崩していない迎撃用の陣形で迎え撃つ。

 次は、冷静な動きが出来ない部隊を一つずつ崩しつつ、怒りに身を任せた部隊の暴走を更に促す。そうして潰して行けば良い。

 

「指示を。予定通り、右翼は誘導に専念。後方の騎馬隊は機動力を活かし、誘導されたレグニーツァの部隊を側面か後方から攻めろ」

 

 ナウムや数人ルヴーシュの武官の指示に従い、右翼と後方が動きを見せる。そのまま、当初の予定通りにレグニーツァの騎馬隊に大打撃を与えると思いきや。

 

「ナウム様! レグニーツァの騎馬隊は右翼を攻めた後、進路を斜めに変更し、そのまま後方の騎馬隊と交戦しました!」

 

 ――そう来たか。

 怒りで一時的に増した機動力と突破力で、こちらの騎馬隊、機動力を先に潰す。悪くない判断だ。

 ――だが、想定外ではない。

 決して、主や自分達が想定していない事態ではない。何より、そう動くと言うことは、その騎馬隊を指揮する者を優先的に叩くべき。向こうが勝手にそう証明してくれたのだ。狙いは着けやすい。

 ――それに、どこまで制御出来るかな?

 怒りに身を任せている部隊を普段通りに動かすのは、容易ではない。何しろ、荒れ狂う炎を精密に動かせと言っているのと同意義なのだ。

 何時、勝手に燃え上がり、自分達を焼くのか分かったものではない。

 ――さて、上手く誘導し、油を撒かねばな。

 現状は、レグニーツァの歩兵部隊が自軍の中央部隊と交戦。騎馬隊もこちらの騎馬隊と交戦している。

 ナウムは自分がおり、レグニーツァの歩兵部隊とぶつかる中央の半分に後退を。

 もう半分はレグニーツァ騎馬隊に側面の攻撃を命じ、左翼に誘導したレグニーツァの歩兵部隊を側面からの襲撃を指示。

 後方と右翼には騎馬隊の攻撃を命じるが、確実な対応を行なうため、それぞれもう一つの命令を足しておく。

 ――問題はどちらかだが……おそらくは。

 自分の考えている通りで正しいはず。ナウムは迎撃の部隊に移動し、ある方向に向かって馬を走らせる。

 ――当たりか。

 その先には、自軍に追われるレグニーツァの騎馬隊がいた。彼等はルヴーシュの左翼を目指している。

 ――しかし、力任せも良いところだ。

 自分達がそう誘導しているとは言え、ナウムはつい苦笑する。彼等は自軍の騎馬隊としばらく交戦すると、また進路を斜めに変更して大規模な移動を再開し、ここまで来たのだ。

 ――余程の信頼の持ち主と、兵の制御が上手いと見える。

 しかし、それもここまでにしてもらわねばならない。ある人物に狙いを済ませるとナウムは馬の腹を蹴った。

 

 

 

 

「今、どうなっているか……!」

 

 目の前のルヴーシュ兵を特殊合金製の剣で斬り捨てながら、ザウルは苦しそうに呟く。

 今、レグニーツァの歩兵部隊はルヴーシュの中央部隊と左翼、更には騎馬隊がいない時に備え、右から攻めるように指示された右翼との三方向から攻められていた。

 非常に不利だが、彼等もただ黙ってやられはしない。主が病弱なのに、生まれ育った故郷を攻められた。

 その怒りをぶつけるように槍や剣、斧などの武器に込めて叩き込む。兜ごと脳天を、鎧ごと身体を切り裂く。

 例え、盾で塞がれようが砕いてやる、三方向から攻められようが、だからどうしたと、寧ろ逆に捩じ伏せてやると言わんばかりに荒々しく戦う。

 その感情から破壊力はやはり凄まじく、レグニーツァの歩兵部隊は前と左右の三方向から攻められながらも、崩れていなかった。今は。

 ――とにかく、持たさねば……!

 今は維持しているとは言え、怒りから何時勝手に動くか分からない。ザウルは騎馬隊に指示し、敵の左翼を深く突く。

 レグニーツァの歩兵部隊の左の部隊も騎馬隊の行動に戦意を昂らせ、ルヴーシュの左翼を一気に攻める。

 しかし、そのあと百を数える時間のあと、ルヴーシュの後方部隊がザウル達を背後から参加し、坩堝と化した。

 乱戦になり、目の前の敵を斬れば直後に別方向の敵から斬られる事態が双軍共に頻繁に発生したが、この状態を制したのは士気の高いレグニーツァだった。

 ルヴーシュの左翼は崩れる前に移動を開始する。しかし、その方向は中央――と見せかけて逆方向、つまり、遠ざかっていく。

 ――これは不味い!

 この動きに乗れば、部隊の一部が細長く伸びてしまう。分断の危機があった。ザウルは先に自分達が動き、自軍の行動を阻止しようとする。

 ザウルは指示を出しながら手に持つレアメタルを使った特殊鋼の剣を振るい、ルヴーシュ兵の武器や鎧を断ち、斬り捨てていく。

 

「――はっ!」

 

「――むっ!」

 

 特殊合金と、鋼の刃が衝突。火花が走る。

 

「貴様は?」

 

「私はルヴーシュの騎士、ナウム。貴様も名乗れ」

 

「私はザウル。貴様達を打ち倒し、この地を守るレグニーツァの騎士だ。今はここの総指揮官でもある。貴様が今ルヴーシュの戦姫様に代わり、部隊を指揮している者か?」

 

「そうだと言ったら?」

 

「――ならば、死ね」

 

 ザウルは躊躇いなく、少し異なる白の刃で斬りかかる。ナウムは鋼の刃で防ぎ、反撃する。

 相手の指揮官の討つべく、二人の騎士は前後左右に刃を振るう。鎧に刃の痕が刻まれるも、互いに致命傷は無い。

 ――かなりの業物だな。

 二人の騎士の実力は、ほぼ互角。しかし、武器はレアメタル合金の剣を持つザウルの方が上だった。

 現にザウルの剣の傷は少しずつだが、ナウムの鋼製の剣には皹が一つ付くと、一撃ごとに増し、広がっていく。

 実力が拮抗している状態で、武器の差は大きい。このままではやられてしまうだろう。

 数度の刃の交錯後、ナウムの剣は亀裂が致命的に広がり、不快な金属音を立てて真っ二つに折れ、刃が地面に突き刺さった。

 

「終わりだ!」

 

「――それはどうかな?」

 

 敵の剣が折れ、止めの一撃に大振りに振るうザウルだが、直前に危険を感じた。

 剣の軌道を強制的に曲げると、強い衝撃が剣から腕に伝わり、馬の手綱を余分に動かしてしまう。直後に制御に専念したので、落馬せずには済んでいる。

 

「……隠し持っていた短剣か」

 

 ルヴーシュの騎士の剣を持っていた手とは逆の手に、刃渡りが短い剣があった。

 ナウムはさっき、ザウルの攻撃が大振りになった瞬間に隠していた短剣で不意を突いたのだ。

 結果は失敗だが、ザウルの利き腕の籠手には鋭い斬撃の痕跡が刻まれていた。

 あと一瞬でも判断が遅れていれば、即死は避けれても、重傷は免れなかっただろう。

 

「倒せたと思ったのだが……やはり、かなりの腕前だな」

 

 指揮能力も相当なもの。個人としては死なすのは惜しいと思うナウムだが、騎士としてはザウルは討ちべき敵でしかない。故に、容赦はしない。

 

「……ある人物との試合で、不意を突かれるのは慣れてるのでな」

 

「なるほど。こちらは主な武器が折れている。それに――それなりに時間は稼げた。一旦下がらせてもらおうか」

 

「貴様……!」

 

「――早くせぬと、本隊の暴走は酷くなるぞ?」

 

 それだけ言うと、ナウムはルヴーシュの本隊に向かう。敵騎士の後ろ姿を眺めたレグニーツァの騎士は、向こうの思惑に気付いて舌打ちする。

 ――私に本隊への指示をさせないためか……!

 ナウムは今までの行動を見て、本隊から自分の指示を奪うため、自分に少しの間の一騎討ちを仕掛けたのだ。

 怒りで勝手に動きかねない本隊を暴走させようと。あわよくば、自分を討とうとするところも強かだ。

 ザウルが戦場を見渡すと、自軍が自分達の予定外の動きをしていた。これは不味い。被害が想定よりも大きくなってしまう。

 

「……ザウル、どうする?」

 

 迫るルヴーシュ兵を斬り捨てながら、近くにいた武官の一人がザウルに聞く。立て直すこと自体は可能だ。

 問題は、そうすると自分達の作戦が向こうに気付かれる恐れが高いことだ。

 

「……被害は増すかもしれんが、暴走を誘導し、破壊力を存分に活かせ。ただ、的確には狙うな。もうしばらく耐えてくれ」

 

「分かった」

 

 自軍に負担を掛ける作戦だが、これしかないのが現状なのだ。将として、最善を尽くすために。

 ――まったく、きついな……!

 将の自分達にも、兵達にも大きな負担を掛ける策だが、全ては確実な勝利を得るため。

 第一、兵士も考案した人物も必死に戦っている。自分だけが辛い訳ではない。ここで降りるなど、絶対にあり得ない。

 今はレグニーツァの総指揮官でもある騎士は一ヶ所から馬の意匠が施された銀色の丸い物体――オルガから借りた懐中時計を取り出して今を見る。

 ――もうしばらくだな。

 それまでは必死に知恵を絞り、その時が来るまで味方の犠牲を最小に留めつつ敵を攻め方法を騎士は模索する。この戦いに勝つために。

 

 

 ――――――――――

 

 

 九つに別れ、それぞれの方向から敵を狙う雷撃の鞭が迫る。烏は手に持つ黒銃で弾き、移動でかわしていくが、その動きは少し荒さを感じる。呼吸の間隔も早い上に乱れている。

 

「はあっ、はあっ……!」

 

「ひっきりなしに動き回りますわね……!」

 

 姫と烏の戦いは、まだ続いていた。ただ、エリザヴェータはほぼ無傷なのに対し、マサトには傷が増えてきていた。

 直撃こそまだ避けているが、疲労から徐々に攻撃をかわしきれず、かすり傷や火傷を少し負っていたのだ。

 

「いい加減、倒れなさい!」

 

「誰が……!」

 

 まだ最低限の役目すら果たしてない。なのに、倒れる訳には行かない。だからこそ、必死に足掻く。

 弾が放たれる。今までのよりも大きさがあり、二つある。二つの弾丸は時間差で放たれ、速度も異なる。途中までは一直線に向かっていたが、最初の弾はある程度まで進むと下に軌道を変える。

 弾は地面に着弾すると、大量の霧を放つ。またまた視界を防がれたエリザヴェータだが、何度も食らえば流石に直ぐに対処出来る。

 足元にも警戒しながら、棒状にした雷渦から強烈な雷撃を放って霧を消す。霧が霧散し、迫る次の弾には移動で回避――した瞬間、軌道を調整した弾で破裂。

 中から蜘蛛の巣がエリザヴェータに向けて射出される。同時にマサトも接近していた。

 ――また同じ行動?

 蜘蛛の巣で捕らえられた時と似た場面に、エリザヴェータは少し不審に思うが、あの時同様に雷刃にした雷渦で蜘蛛の巣を焼失させる。しかし、マサトは力の余波の範囲外で足を止めていた。

 

「――レイン」

 

 接近しないマサトを、エリザヴェータは奇妙に思ったが、そんな彼女の上空から小さな弾丸の雨が降り注ぐ。

 一発の威力は非常に低いが、雷精を反応させて無駄撃ちさせ、防御体勢を取らせるぐらいは可能だ。

 ――注意を上空から反らす為の……!

 狙いに気付いたエリザヴェータだが、マサトが右方向に拡散する生命の弾丸を集中的に放ち、直ぐに刃を展開。左から接近する。

 エリザヴェータは雷渦を棒状に変化させ、弾を無視してマサト目掛けて走り、生命の刃と撃ち合う。

 十数度の激突のあと、生命の刃が砕け、マサトが再び再構築。疲労からか、少し荒さを感じる一撃を放つ。

 エリザヴェータは刃を上手く弾き、マサトの隙を作ろうとしたが、雷渦と生命の刃が衝突する瞬間、刃の形が急激に変化。空振りに終わってしまう。

 

「なっ……!? このっ……!」

 

 予想外の一撃に、回避しようとしたエリザヴェータだが、その足がマサトが設置した生命の塊に引っ掛かって体勢が大きく崩れた。

 そこを、マサトは自分の足をエリザヴェータの足に引っ掛け、体勢を完全に崩させる。

 更にエリザヴェータの隙だらけの左腕を腕で掴みながら、体捌きを駆使してぐるんと背から放り投げる。所謂、一本背負いだ。

 流れるような一連の動作にエリザヴェータは一瞬呆気を取られたが、次の一瞬には気を引き締め、雷渦をばらけた状態で強引な攻撃を仕掛けた。

 危険を感じたマサトは咄嗟に腕を放し、その場を離れる。直後に大地に九つの雷鞭が乱雑に突き刺さった。

 エリザヴェータは伸ばした雷渦を縮め、一気に着地。同時にその勢いを使って、大地を今まで以上に持ち上げた。

 その一撃はマサトが警戒に更に距離を取っていたために外れたものの、エリザヴェータはヴァリツァイフを最大まで伸ばし、雷撃を纏わして広範囲に広げて一気に振り下ろす。

 金色の扇に見える鞭は迸る雷の奔流を解き放ち、空に舞う土塊と大地を焦がし尽くす。

 しかし、人の手応えが無い。攻撃を見て、大きく後退していたようだ。雷が消えると、奥からマサトが迫る。

 姫と烏は激しく振るい合うが、黒銃は全てかわされるか防がれるに対し、雷渦は直撃こそはしないが稲妻の余波や僅かに接触もしていた。

 数撃後、強い衝撃と共に腕が弾かれた。黒銃こそは手放さないが、青年の確かな隙が生まれた。

 

「私相手に、よく頑張りましたわ。けど――これで終わりですわ」

 

 稲妻の突きが迫る。糸で回避や妨害する間も無い。完全に決まったと、エリザヴェータは確信していた。

 だが、それはあらぬ方向からの鋼色の線によって阻止された。ぎりぎりの回避で直撃はしなかったものの、右腕に腫れ上がったような傷痕を残す。

 

「三つ目の、腕……!?」

 

 外套から、両腕以外の第三の腕が現れていた。その腕は隠し持つ殺傷能力の無い短剣を持っている。これがエリザヴェータに不意を突き、一撃を食らわせたのだ。

 ――あの腕……。

 エリザヴェータは距離を取って確かめる。一見、化物かと思ったが、よく見るとマサトの武器が放つ力と色が同じだった。つまり、あの腕は力で作った偽物と言うことになる。

 マサトは疑似腕を外套の中に隠すと、再び構えを取って一定の距離を取りつつ、警戒を続ける。

 

「……本当、色々な手で仕掛けて来ますわね」

 

 特にさっきの刃の変形を使った、空振りからの体勢崩しや、力で作った腕での奇襲は意表を完全に突かれた。

 よく考えれば、力を色々な形状で使用しているので、出来ても何ら不思議ではないのだが、見るまでは完全に頭にも無かった。

 ――こうしてみると、強いと言うよりは厄介、が似合いますわね。

 純粋な実力はそこまで高くない。自分と戦える最低限ちょっと程度だが、力の使い方や裏をかくのがとても上手い。

 武器もそれに応える力を持っており、武器と使い手が互いの能力を引き出していた。

 ――でも。

 やはり、素の実力は低くも無いが、高くもない。幾度も裏をかかれ、隙を突かれているのにも関わらず、自分がほとんど無傷であること。

 一方で、マサトは疲労の色が濃く、動きや呼吸に乱れを感じるのがその証明だ。しかし。

 ――……良い目だわ。

 傷だらけの中でも、マサトの瞳には一切の揺らぎが無かった。寧ろ、意志の光が輝きを増しているようにさえ思えた。

 

「……惜しい、ですわね」

 

「……何が、です?」

 

 惜しいと言われ、マサトは眉を顰めるも、何時でも対応できるように警戒は続ける。

 

「確か、マサト……でしたわね? 貴方――私に仕えなさい」

 

 予想外の台詞に、思いもしなかったマサトは目を見開く。

 

「……勧誘ですか?」

 

「えぇ」

 

 最初は始末しようかと思ったが、実力が大きく離れている格上に対し、ここまで必死に粘る意志の強さ。

 特殊な武器を所持している。伸びしろも充分に感じるし、はっきり言って殺すのが惜しくなったのだ。

 臣下達には色々と不評を言われそうだが、そんなことが気にならないほどに、マサトの意志にエリザヴェータは強い興味を示していた。

 

「病気で戦えない、アレクサンドラよりも、私の所の方が貴方の力を引き出せますわ。その意志の強さも私の元でならもっと輝くでしょう。ですから――」

 

「……くくっ」

 

 青年が顔を俯かせ、震える。エリザヴェータが怪訝に思うと――マサトはいきなり笑い出す。

 

「ははっ……! あははっ! ははははっ!」

 

 心の底から、青年は笑う。おかしくて仕方がないと言いたげに。その様に閃姫は少し苛立ちを感じた。

 

「……何がおかしいのかしら?」

 

「くくっ……! 済みませんね、つい下らなくて笑ってしまいました」

 

「……どう下らないのかしら?」

 

「先に言って置くけど、俺はあの人に忠誠なんか誓ってない。色々あって仕えているだけだ」

 

 口調が変化するも、戦姫にその事を気にするつもりはない。

 

「……だったら、どうしてレグニーツァの兵として、貴方は戦うのかしら? しかも、私と。弱味でも握られてますの?」

 

「まぁ、弱味はあるな。けど、どうでも良い。俺の戦う理由は一つ。命を守る、これだけだ。そんな俺が――何で、あんたなんかに仕えなきゃ行けない訳? 命を奪う選択をした敵に」

 

 マサトの表情が一転。見る者に思わず悪寒を感じさせる、絶対零度の冷たさを、その瞳に宿した。エリザヴェータも例外ではなかった。

 

「戦姫相手に、よくなんかと言えますわね。言葉遣いも最悪ですわ」

 

「はぁ? じゃあ、あんたは罪の無い人達を次々と殺す王に対して、敬意を払える?」

 

 そんな非道な王に、払える訳がない。しかし、それよりも。

 

「私がそれと同じとでも言いたいのかしら?」

 

 まるで、今の自分がそんな非道な王と大差が無いと言わんばかりの説明の方が、不愉快だった。

 

「何が違う? こっちは落ち度を認めて、賠償しようとしているのにそれを無視した挙句、兵を引き連れて侵略。どっからどう見ても、単なる悪だろ」

 

「貴方達に責任を求めに来ただけですわ」

 

「力で押し黙らせに来たの間違いだろうが。殺人者」

 

「貴方、何を言って……」

 

 マサトの論に態度を崩さずに反論したエリザヴェータだが、直後の台詞に思わず動揺する。

 

「今戦場になっているこの地じゃあ、何人もの兵士の人達が死んでるだろうな。レグニーツァもルヴーシュも構わずに。――その原因は誰?」

 

「それは、貴方達が――」

 

「その責任は必死に果たそうとしたよな? あんたがそれを受けたりさえすれば、今ここじゃあ、誰一人死ななかったんだよ。あんたの決断が、今多くの人達の死を招いてるんだよ。それが殺人以外の何だって言うんだよ」

 

「兵士が戦場で死ぬのは、当然でしょう。稼ぎのために戦う者だっていますわ。第一、戦は政治的な理由で戦が起きることだって幾らでも――」

 

「そんなのが政治かよ? 一人でも多くの人を生かすのが、本当の政治じゃねえのか?」

 

「私だって、ルヴーシュの民の為に――」

 

「だったら、それを最初から言えよ。本当の目的を隠したり、大義があるって言い訳するための苦し紛れにしか聞こえねえんだよ」

 

 痛いところを、エリザヴェータは突かれる。

 

「あとさ、兵士が戦場で死ぬのは当たり前? だから何? 簡単に死んでいいとでも思ってんの? 死んだ人達には、未来があったんだぞ。友達や家族、恋人だっていただろうな。毎日仕事で汗水流して苦労して、頑張って、色々と悩んで時には喧嘩したりもして。それでも、多くの楽しみや希望に満ちた未来があったはずなんだよ。それを、あんたの選択が奪ったんだろうが」

 

 賊などとの話が通じない相手との仕方のない戦いなら、納得はしなくてもまだマサトは受け入れざるを得なかった。だけど、今回は違う。

 エリザヴェータの判断次第では、そもそも戦う必要すら無かったはずなのだ。

 なのに、エリザヴェータは攻めてきた。奪う選択をした。彼女なりの理由があるしても、納得も理解もする必要など皆無だった。

 

「あんたが、ここにいる人達を殺したんだ。それ以外の何があるんだよ?」

 

「……子供ですわね。綺麗事や正しいだけの言葉しか言えないなんて」

 

「子供? あぁ、結構。言い訳や屁理屈並べて殺すことしかできない、大人なんかよりも――綺麗事を貫いて、一人でも多く生かせる子供の方がよっぽど良い」

 

 まぁ、無邪気なお子様とかは大嫌いだけど。マサトは苦笑いしながら心の中でそう発言する。

 

「……貴方のせいで死んだ人だっているでしょうに、よく言えますわね」

 

「だろうな」

 

 エリザヴェータの言は正しい。特に、自分はそんなの何度も体験している。

 ある人物や、自分の力無さから、助けられなかった人達。自分の考案した策や考えのせいでこれから死ぬ人達。これらは決して消えないだろう。永遠に。

 さっきはエリザヴェータを人殺しと評したが、この後に亡くなる者達を考えると、自分も彼女と大差は無いだろう。

 知恵を絞って助けようとしても、全ての命を守ることは不可能。無意味かもしれないし、偽善なのかもしれない。自分が人殺しになることも変わらない。

 だけど、そうだとしても、自分がやるべきことは変わらない。変わっては行けないのだ。

 

「俺はこれまでだって、一人でも多くの人を助けようと頑張ってきた。これから先もそれはずっと変わらない」

 

 どれだけ辛くとも、苦しくとも、人の命を一人でも多く守る。

 それが自分の、向陽雅人の『全て』なのだから。だからこそ、青年は揺るがない。

 

「そう言えば、あんたはさっき綺麗事とか言ってたけどさ。あんたはどうして戦姫であることを受け入れた?」

 

「な、何ですの、急に……!」

 

 自分の事をいきなり問われ、エリザヴェータは動揺する。

 

「あくまで推測だけど――その目を受け入れてくれたから、とか?」

 

 先天的な体質で、瞳が左右で異なるエリザヴェータ。周りからはおそらく、奇異の眼差しで向けられたのだろう。

 ならば、その場所の人達がその目を受け入れてくれれば、頑張らない訳がない。

 

「……」

 

「黙り? まぁ、その反応で図星だって分かるけど。――さて、あんたはさっき、俺が綺麗事しか言えないと否定した。だけど、だとしたらあんたは何だ? 受け入れてくれた場所の為に頑張る想いも、綺麗事だろうが」

 

「違う……!」

 

「違わない。あんたは今――自分で自分の想いを否定したんだよ」

 

「違う……! 違う違う違うっ!」

 

「――おっと」

 

 逆上したのか、エリザヴェータは雷渦を乱暴に振り回す。マサトは咄嗟に射程外にまで後退するも、異彩虹瞳を怒りで染めたエリザヴェータが接近してくる。

 今までと違い、荒れ狂う雷雨のような、力任せな攻撃。粗さこそはあるし、隙も目立ちはするが、逆に面倒でもあった。

 ――……きつ。

 話で多少の体力回復こそはしたが、当初と比べても明らかに動作が鈍い。

 おまけにエリザヴェータがめったやたらに攻撃してくるせいで、周囲の地面が次々と荒れてしまい、上手く動かないと足を取られてしまう。

 ――大分、『覚え』はしたけど……。この分じゃ、役に立たないか。

 範囲の広い鞭と、その余波の雷撃が迫る。大きく移動して逃れるも、足を付けたその場所の土が崩れ、体勢が歪む。

 ――これ、やば……!

 強引に離れようとしたが、力が上手く伝わらず、多少しか動けなかった。そこに、雷刃を構えるエリザヴェータが迫る。

 防御はしたが、異常な力が激痛を、雷撃が火傷を身体に刻み込む。後退しようとしたが動作が鈍って上手く動けない。そこにエリザヴェータの蹴りが容赦なく脇に叩き込まれた。

 ――……マジで死ぬかも、これ。

 一度劣勢になると、実力の差がはっきりと出てしまう。力で翻弄しようにも、今のエリザヴェータは力で捩じ伏せることを優先しており、まったく効果がない。

 それでいてよほどの危険には、反応するのだからたまらない。六十を数えるまでの間に、マサトは次々と傷つけられていく。

 何とかして離れはしたが、もうぼろぼろで、痛みと疲労から立つのも辛い。身体も動くなと警告を出していた。

 

「随分と無様な姿になりましたわね?」

 

 雷渦の閃姫が、冷笑を浮かべる。猛攻で怒りがある程度発散したのか、落ち着きを取り戻したようだ。そんな自分に嫌悪しているのも事実だが。

 

「……だから?」

 

「まだ減らず口を言える余裕が……!」

 

 ――それに……!

 瞳の輝きが、まったく衰えていない。今にも倒れそうで、声を出すのも辛そうなのに、輝きが消えない。それがエリザヴェータには腹立たしかった。

 

『マサト、降伏しろ! もうこれ以上は――』

 

「……黙れ、ぼけ」

 

 黒銃が使い手の身を案じ、降伏を促すも即座に却下される。降伏など、あり得ない。命を奪う敵相手にそんなことをしたくもない。

 ――……あと、数分も持つかも怪しいな。

 やはり、戦姫との差は大きかった。どうやら、ここが限界らしい。だが。

 ――……まだ、だ。

 懐中時計を取り出し、中を見る。まだ、時間にはなっていない。ならば、稼がねばならない。

 ――命令しろ、集中しろ……!

 身体にもっと動けと命令し、何時来ても良い様に深く深く集中する。限界を越えても、関係ない。

 自分の身体だ。どう使おうが、自分が決める。だから、身体に無理矢理指示する。動けと。

 そんな無理を伝えた時だった。『異変』が起きたのは。パキン、と何かが砕けた音が響いた。

 

「そろそろ、決着を着けましょう。――終わりですわ」

 

 死をもたらす雷渦が迫る。近付く鞭の竜具に対し、マサトは全く動かず――エリザヴェータは勝ったと確信していた。

 ――あ、れ……? 何だ、これ……?

 その異変に最初に気付いたのは、本人である青年だった。

 彼は身体を動かすと――戦闘当初の万全な時と変わらない速さ、いや、それまでを上回る速度で動き、今まで以上の無駄の無い動作で尖端を的確に捌いた。

 

「……え?」

 

 思わず呆然としたエリザヴェータだが、そんな余裕は無い。マサトが迫っている。最後の抵抗だと思い、九つに分けた雷渦で捕捉しようとするが。

 

「…………」

 

 ――あ、当たらない……!?

 幾ら振るおうが、マサトには一切届かない。余波を含めて全て紙一重で回避される。まるで、こちらの攻撃が見切られているかのように。

 ――どういうことですの……!?

 疲労困憊のはずなのに、その動作からは、微塵も疲れを感じさせない。寧ろ、精錬さが増しているようにさえ見えた。

 ――余力を残していた……!? いや、何か違う……!

 雷の蛇を潜り抜け、懐までに近付くマサトにエリザヴェータは棒状の雷渦を振るう。

 しかし、その一撃は軽々とかわされ、左右の攻撃が迫る。エリザヴェータは避けるも、その動きが読まれたかの如く、攻撃の軌道が変化。

 身体を動かし、必死にその一撃も避けたが、次の瞬間、腹に強烈な蹴りが叩き込まれた。

 蹴りの威力に地面に転がされるも、エリザヴェータは体勢を整え、マサトを見る。

 こっちには来てないが、何やら動作を確かめるように身体を動かしている。

 

「…………」

 

 ――雰囲気が、違う……。

 さっきまでの怒りや、冷静とも異なる、静寂さ。ただ、静かなのだ。目も何故か大きく見開き、瞳の色には輝きに深さが混じっている。

 ――この感覚、は……?

 自分の身体が思った以上に動く。相手の動作が見える。痛みは完全には消えないが、疲労は欠片も感じない。何処か、全能感のような不思議な感覚が心身を満たしていた。

 ――まさか、これ……フロー?

 ゾーン、ピークエクスペリエンス等とも呼ばれる、人が物事に完全に集中し、成功しているような感覚を感じる精神状態。能力が無駄なく引き出せるとも言われている。

 ――それが出来るようになった? いや、でも……。

 フローには色々と条件があるが、その一つに他者から妨害されない環境が必須なのだ。

 戦闘中のケースが無い訳ではないが、疲労困憊で上手く動けるか分からない状態でなれるのだろうか。

 集中状態なのに思考も出来てる。それに肉体の疲労や痛みを無くし、軽減する効果などないはずだ。

 ――フローじゃ、ない。

 その通り。マサトのはただのフローではない。脳の制限を外し、今必要な要素、筋力、思考、計算などの能力や、神経の伝達速度を限界にまで無理矢理引き出し、それ以外の不要な要素を強制的に無視させる。言わば、リミットフロー。限界の領域。

 極限の集中と、特殊な感性が持つか特殊な訓練を行なった者のみに使用可能の、人が持つ力を限界まで発揮させる、諸刃の剣。

 オルガとの鍛錬の中で芽生え出した片鱗が、この戦いの中で覚醒したのだ。

 ――……けど、多分長くは持たないな。

 この推測も正しい。限界寸前の肉体に、能力を強引に引き出している負担は非常に大きい。

 そもそも、これは普段でも負担がきついのだ。訓練無しで発現した場合、制御不能になる。

 長時間の使用は最悪、何らかの障害が残る可能性が高い。つまり、今のマサトの状態は非常に危険なのだ。

 ――充分だ。

 しかし、マサトには関係ない。寧ろ、有り難かった。何しろ、まだ動ける上に、これならエリザヴェータと互角か、それ以上の戦いが出来るかもしれないのだから。

 『この後』なんて、どうでもいい。果たすべき『今』を果たせるのなら、自分はどうなっても構わなかった。

 ――もうしばらくだけ動いてくれよ。

 ある程度の理解も出来た。集中を再開し、意識を深く深く沈める。そして、青年は動く。

 ――来ましたわね……!

 どういう手品かは不明だ。もしかしたら、力を使って強化したのかもしれない。しかし、そんなことはどうでもいい。

 一つ確かなのは、今のマサトは間違いなく戦姫級の実力を持っていることだけ。集中し、雷渦を振るう。

 ――分かる。

 鞭の雷渦がどんな軌道を描くのかが、どんな変化を付けようとするのか。その両方がはっきりと。

 ――覚えて正解だったよ。

 これにはリミットフローと、もう一つはマサトが雷渦の動きを見切ろうとしたことにある。

 マサトはオルガとの訓練で、始動点である腕や手の動きを覚えれば、そこから鞭がどのように動くのかを見切れると考えていた。

 残念ながらこの状態に入るまでに覚えるのは不可能だったが、事前の訓練やこの戦い中に大体を見たおかげで、今は完全に見切ることが出来た。

 ただこの状態になっただけでは、不可能だっただろう。持てる力を限界まで引き出すとは言え、何でも可能にする訳ではないのだから。

 前後左右上下、あらゆる方向から稲妻の鞭は迫る。しかし、その全てをマサトはやはり回避。距離を瞬く間に詰めた。

 ――鞭では……!

 その動きに、エリザヴェータは歯を食い縛りながらも理解するしかなかった。マサトは完全に、ヴァリツァイフの軌道を見切っているのだと。

 血の滲むような鍛錬で漸く使いこなした武器を、短期間で見切られた。悔しいが、無駄である以上は固執しても効果はない。

 雷渦を鋼鞭に切り替え、青年の黒銃と振り合う。さっきは思わぬ速さからの動揺で一撃を受けたが、しっかりと集中さえしていれば同じ不覚は取らなかった。

 雷渦の戦姫と、異界の黒烏。二人は一進一退の攻防を繰り広げる。互いの武器が相手を傷付け合う。両者の実力は今、完全に拮抗していた。

 ――ったく、本当に強いなあ。

 限界になって、漸く互角。つくづく天才だなと、そして、どうしてその強さを生かすために使えないのかと、マサトは思ってしまった。

 規格外の膂力での雷渦の横薙ぎが迫る。マサトは黒銃で防ぎ――衝撃を活かせて身体を加速。薙がれた方向とは逆から黒銃を振るう。

 エリザヴェータはそれをかわそうとしない。刃の部分が接触はする程度のみにし、雷渦での反撃を行なう。

 当てれば重傷を負わせるが、同時に反撃を受けて敗北する。振るいを止め、別角度からの攻撃を仕掛けるが、これも受けるを承知の上でのエリザヴェータの攻撃に止められた。

 ――……面倒なことをしてくるなあ。

 どうやら、エリザヴェータは自分には人を殺めれないと気付き、肉を切らせて骨を断つ、捨て身の戦法にシフトしたらしい。これはとても厄介だ。

 

「あら、やはりこれは苦手の様ですわね」

 

「…………あぁ」

 

 二人のあらゆる意味で対照的な声と共に、戦場に様々な音がひっきりなしに響く。一際大きな激突音が鳴ったあと、二人は互いに後退する。

 二人共に、全身汗だくで、胸が呼吸で常に早く動いている。相当疲れてはいるが、マサトもエリザヴェータも相手を見つめることは止めない。

 

「……どうしてかは不明ですが、大したものですわ」

 

「…………意外だな。誉めるなんて」

 

 もっと悔しがるかと思いきや、ここでの賞賛。表情に変化は無いが、マサトは驚く。

 

「個人としては、不快な相手であろうとも、認める所は認めるべきでしょう?」

 

 これは本心だ。個人としては不快だが、戦士としてここまで必死に戦う者を罵倒する気は無い。

 

「…………それが出来るだけの器量があるなら、どうして強引に攻めてきた」

 

「……それは」

 

 痛い所を突かれ、エリザヴェータは口を紡いでしまう。

 

「…………そういや、まだ一つだけ聞いてなかった」

 

「……何をですの?」

 

「…………あんたはこの戦いを――『公主としての判断だけ』で起こしたのか?」

 

 戦場が少しの間、沈黙する。それだけで、マサトには全て分かった。

 

「…………もう充分だ。例え、あんたがとても立派な人で、これが一時の流れだとしても――俺はあんたを許さない」

 

 これはレグニーツァの人達も同じ思いだろう。これからどうあれ、エリザヴェータが無理矢理に戦いを仕掛けた事実は変えようが無いのだから。

 

「……」

 

 顔を俯かせ、何も言えないでいるエリザヴェータを後目に、マサトは懐中時計を見る。時間の針は――予定の時間を過ぎていた。

 

「…………良かった」

 

「……何が、良かったのかしら?」

 

「…………目的は、果たせた」

 

「目、的……?」

 

 その言葉に、紅の戦姫の両目が大きく開く。そうだ、そもそもこれほど戦える戦士がいるのに、どうしてレグニーツァは打って出ようとしなかった。

 籠城戦を前提としていたら、尚更おかしい。怒りで打って出ようとはしないはず。なのに、レグニーツァは出てきた。こちらに『都合良く』。

 

「ま、まさか……!」

 

「…………この戦――俺達の勝ちだ」

 

 

 ――――――――――

 

 

「そろそろ、時間か」

 

 両公国の軍同士がぶつかる戦場で、ナウムは冷静に戦況を眺めていた。今は右翼との連携で厚みを増やした中央が正面からレグニーツァの攻撃を受け止め、左翼と後方が側面を攻めている。しかし、未だにレグニーツァの抵抗は凄まじい。

 生まれ育った故郷を侵略されたのだから当然の怒りだろうが、それにしても中々倒れない。部隊も崩れそうで崩れない。士気の高さが伺える。

 ――それもここまで。

 もうすぐ、こちらの策が始まる。いや、この表現は正確には正しく無いのだが。何にせよ、この戦いがあと少しで決着が着くことには違いはない。

 ――だが……。

 どうしてか、『何か』がナウムは引っ掛かる。自分だけでなく、他の将も何かを見落としているような気がするのだ。今まで戦場で培った経験が警鐘を鳴らしていた。

 ――しかし、何を見落としているというのだ?

 予定通り、レグニーツァは打って出た。戦場も、当初は猛攻に押されはしたが、今は上手く制御している。主がいないことを除けば――と、そこでナウムは違和感に気付いた。

 しかし、エリザヴェータのように直ぐには気付けなかった。言われた差が有るので仕方ないが。

 ――待て……!

 本当に、自分達の策は予定通りに進んでいるのか。その不安がナウムの頭に過る。エリザヴェータの離脱という予定外の事態があったのに。

 それに注意深く見れば、レグニーツァの部隊が初期と違い、隊列が整っている様にも見える。

 しかし、レグニーツァ兵の雰囲気はやはり怒りに満ちているし、何より予定通りの出撃している。これがどうしても、ナウムの頭に迷いを生んでいた。

 ――違う! 私は、私達は『何か』を勘違いしている!

 ナウムは必死に頭を巡らせ、今までの流れを再確認する。レグニーツァはこちらの挑発で想定よりは早いが、予定通りに打って出た。

 ――……待てよ?

 そこでナウムにある可能性が過る。そもそも、レグニーツァは本当にこちらの挑発で打って出て来たのか。

 もしかして、レグニーツァは挑発で打って出たのではなく――挑発を隠れ蓑に『自分達で出撃した』のだとしたら。

 ――……まさか!

 ナウムは、気付いた。確かに、レグニーツァは予定通りには動いていたのだ。

 しかし、その予定は『こちら』のではなく、『向こう』が立てた予定の通りに。

 そして、自分達はその通りに動かされていたのだと。自分達の策を利用したレグニーツァの策によって。

 

「――全軍撤退しろ! 戦姫様の安全を確保し、ここから離脱する!」

 

 その指示に、ルヴーシュ軍が戸惑う。特に将は、もうすぐ作戦が実行され、レグニーツァの部隊は壊滅する。そう信じて疑っておらず、ナウムにその理由を尋ねた。

 

「ナウム! 貴様、何を戯けたことを言っている! もうすぐ、我等の勝利が確定するのだぞ!」

 

「そうですよ! なのに、いきなり撤退だなんて――」

 

「違う! これは我等の策ではない! 奴等の――」

 

 必死に訴えようとしたナウムだが、その時、西から馬蹄による地響き音が聞こえる。しかも、徐々に近付いていた。

 

「おぉ、来たぞ!」

 

「よし、予定通りに動くぞ」

 

 その一団を、ルヴーシュの武官達は作戦で離れていた自分達の部隊だと当然の様に思い込む。

 しかし、ナウムだけは分かっていた。あれが自分達の部隊ではないと。

 

「――全員に告げる! あれはルヴーシュの部隊ではない!」

 

 戦場に近付く部隊に、事情を知らないレグニーツァ兵達は敵の部隊かと動揺するが、ザウルや武官達の言葉に一瞬困惑する。あれが敵では無いなら、何処の部隊なのかと。

 

「我等の――別動隊だ!」

 

 迫る一団が掲げる旗は――黄色の生地に、朱色と黄金の刃、サーシャが所持する双剣の竜具、煌炎バルグレンを模した双剣が交錯したものが描かれた、レグニーツァの旗だった。

 二つの公国の戦いの、決着が迫る。

 



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第十六話 ボロスローの決着

 この話も上手く説明出来てると良いのですが。


 時間が一旦、四半刻前まで戻る。場所はボロスローの城塞。

 開きっぱなしの城門へ、千の騎兵が近付いていた。

 

「よし、門は開いたままだ。中はほぼいないだろう、いても少数。一気に攻め落とし、その後はレグニーツァを側面か背後から突く」

 

 彼等はルヴーシュ軍だった。エリザヴェータは四千の内、千を別動隊として用意。

 挑発と、本来はもう少しあとになってから実行する筈の作戦を行なったあと、空になった城塞を占拠し、その後にレグニーツァを奇襲する作戦だったのだ。

 今日、レグニーツァが出てきたため、作戦は不要になったが、手間が一つ消えただけ。問題は無かった。

 千の部隊は城門から次々と中に入り、先の部隊が広場から一気に広がって城塞を制圧しようとする。その時だった。

 

「んっ? 何だ、今の音――」

 

 馬蹄の音で掻き散らされたため、耳の良い一部しか聞き取れなかったが、何かが千切れたり、壊れたような音がした。

 そして、次の瞬間――彼等の下にあった大地が沈み、突入の勢いのせいで次々とルヴーシュ兵と馬がぶつかり、躓き、落下していく。

 

「う、うわぁああ!? 何だこれ!?」

 

「こ、これは……落とし穴か!?」

 

「な、なんで、そんなものが!?」

 

 底こそは一人がすっぽり入るちょっとだが、範囲が桁外れに広い。数十はおろか、数百は簡単に入る程の広さがある。

 

「お、落ち着け! とりあえず、ここから脱出を――」

 

「させると思うか?」

 

 部隊を率いる騎士が混乱した兵を纏め、穴から脱出しようとしたが、その前に声がした。全軍出陣し、誰もいないはずの城塞なのに。

 その騎士や兵士達が恐る恐る周りを見る。其処には、矢をつがえた弓や土を構えたり、投石機を向けているレグニーツァ兵がいた。

 しかも、百や二百程度ではない。最低でも四百はいる。

 

「な、な……!?」

 

「誰一人動くな。僅かな素振りを見せれば、その瞬間に一斉に放つ」

 

 体格の良い一人がそう言い放つ。思わぬ展開に、落とし穴から逃れた数十人が無意識に城塞から脱出しようと振り向くも、そこにも弩を構えた兵が多数待ち構えていた。

 

「動けば……分かるだろう?」

 

 城門の路にいるため、兵は密集している。この状態で貫通力のある弩を放たれれば、一発で二、三人、運が悪ければそれ以上が確実に死ぬ。彼等は誰一人動けなかった。

 

「大人しく向こうに行け。抵抗すれば、その瞬間、前にいる貴様達の仲間達も皆殺しになるぞ」

 

 ルヴーシュ兵達は恐る恐る手を上げ、広場に向かう。そこで落ちている仲間達がいる落とし穴に入れられた。

 

「これで全員だな。次だ。少しずつ出てこい。逆らえば勿論、射つぞ」

 

 抵抗も許されてないルヴーシュ兵は死の恐怖からもあり、その指示に素直に従って次々と捕縛されていく。

 

「な、何故だ……! 何故貴様等はここにいる……!? 何故、こんなものを仕掛けている……!?」

 

 ルヴーシュの将の一人が、困惑のあまり思わず尋ねる。全軍で出撃したはずのレグニーツァに、何故まだこの城塞にいて、罠も仕掛けているのか。まったく分からなかった。いや、理解したくなかった。

 

「そんなもの、理由は一つに決まっているだろう。貴様達の作戦など全て、こちらはとっくに見抜いただけだ」

 

 正確には、一人の青年が、だが。

 

「馬鹿な……そんなはず……!」

 

「何なら、この場で言ってやろうか?」

 

 

 ――――――――――

 

 

 時間は更に、マサト達が軍議を始めた頃にまで戻る。

 

「恐らく、向こうは我等を挑発でこちらの目を惹き付けながら、城塞を迂回してレグニーツァの村や町、公都に迫る。――振りをし、城塞のこちらを誘きだし、野戦で迎え撃とうとすると思われます。同時に、他の場所に隠した別動隊で、空か少数になった城塞を落城。その後にこちらを別方向から攻め、壊滅させる」

 

 野戦で戦わせるだけなら、最初から迂回をすれば良いが、おそらくエリザヴェータはより確実な勝利を求めた。

 ただでさえ、レグニーツァの者は自分の母国を攻められた。それに、彼等の主は病弱なのにである。既に相当な怒りがあるはずだ。

 故にその怒りを更に高めた状態で利用し、冷静な判断力を奪おうとする。

 

「成る程……」

 

「……理に適った策だな。それに嫌らしい」

 

 マサトの説明にレグニーツァの武官達は納得せざるを得なかった。

 自分達はレグニーツァの平和や民を守るためにここにいる。向こうが城塞を迂回し、村や町に攻めようとすれば自分達は打って出るしかない。それがブラフとしても。

 しかも、怒りを植え付けた後に行なうというのが更に嫌らしい。冷静さを欠かせた上でこんなことをされれば、怒り心頭で最悪、陣形もへったくれもなく突撃してしまうだろう。そして、大敗する。

 

「なので、こちらはそれを行われる前に向こうに痛い目に遭ってもらいましょう。――徹底的に」

 

 氷のような冷たさを含んだその瞳と台詞に、ザウル達は背筋が凍る感覚を感じた。

 但し、その感情が向けられている相手はルヴーシュ軍ではなく、エリザヴェータだ。

 

「ど、どう痛い目に遭わせるのだ?」

 

「相手の策を利用するのも一つの手ですが、その場合は向こうも本番とあって、気を引き締めてる可能性も有り得るので、完全に上手く行く保証もありません」

 

「向こうの策が貴殿が言ったのと少し異なる可能性もある。その場合は、こちらも苦戦は免れんな」

 

 例えば、大勢に見せ掛けた陽動部隊で引き付け、側面と背後からこちらを突き、三方向で殲滅するという戦法も有り得る。

 この場合、対応しようとすると、ルヴーシュが策を見抜かれたことに気付く恐れが非常に高く、最悪撤退も有り得る。これでは一番高い勝率を逃してしまう。

 

「なので、今回はその前にこちらの流れに巻き込まれて貰います。具体的には、彼等が挑発している間を狙います」

 

「敢えて、向こうの思惑に乗り、自分達が有利だと思い込ませて油断を突く」

 

 

「別動隊に対しては、こちらも別の部隊を用意し、彼等に罠を仕掛けて一気に殲滅。その後はルヴーシュを奇襲する」

 

「また、ルヴーシュに悟られぬよう、この策を知るのは自分達と別動隊の者達だけ。こんなところでしょうか?」

 

「罠に関しても、味方にも悟られぬようにしつつ、出陣の邪魔にならないよう、穴に板や支えが必要ですね。通ったあとは直ぐに支えを壊さねば」

 

「お見事です」

 

 戦姫という存在がレグニーツァの武官達を悩ませていたが、それでも冷静になればこれぐらいは出来る。彼等にも能力がある証左だ。

 

「しかし、危険が大きい策だな……」

 

 だが確実に裏をかける利点がある。一方、ルヴーシュの本番の裏をかくのは、負担は小さいが逆に裏をかかれたり、逃がしてしまう可能性があるのが欠点。武官達はどちらを良いか、悩んでいた。

 マサトですら、多くの死者が出る可能性が大きいこの策には大いに迷ったのだから。しかし、どれだけ考えても一戦で完全な勝利を得るには、これ以外に無かったのである。

 

「あと、一つ違う点がありますが」

 

「……どういうことだ?」

 

 一つだけの差異について、マサトは詳細を事細かに話す。武官達は最初は納得できなかったが、説明を続けていく中で納得するしかなった。

 

「気持ちは分かるが、我等はレグニーツァの兵士。レグニーツァの為に最善を尽くすべきだろう」

 

「……確かにな」

 

「やむを得まい」

 

「了解だ」

 

 只の勝ち、善戦では意味が無い。本当の意味での勝利でなくては、駄目なのだ。それを理解したが故に、武官達は納得する。

 最大の問題である戦姫も、この後マサトが担当することになり、この策が実行されることになったのだ。

 

 

 ――――――――――

 

 

 マドウェイから自分達の策を明かされ、ルヴーシュの将は目を見開く。全て見抜かれていた。

 つまり、自分達は彼等の手の平の上で動いていたに過ぎなかったのだ。

 

「話も終わりだ。やれ」

 

 マドウェイ達は、こちらの動きが怪しまれぬよう、時間を掛けてルヴーシュの別動隊を全て捕縛すると、牢の部屋に押し込む。本来はこんな大人数を想定してないので、ぎゅうぎゅう詰めになる。

 

「念のため言って置くが、暴れたりしないようにな。――部屋ごと燃やされたいか?」

 

 冷ややかな視線と冷酷な言葉に、ルヴーシュ兵は悪寒が走る。冗談ではなく本気なのは、誰の目を見ても明らかだった。

 事実、マドウェイの近くに油を持ったレグニーツァ兵がそれなりにいたのだから。

 

「貴様達……目的は何だ!?」

 

 別動隊を率いる将が、マドウェイに疑問をぶつける。ルヴーシュに勝つためなら、自分達を捕縛せずに罠に掛かった瞬間に殲滅した方が手間が掛からないはず。

 なのに、マドウェイ達は時間を掛けてまでわざわざ自分達を捕縛した。その理由が分からない。

 

「この戦いが終われば、直ぐに分かる。貴様達はそこで大人しくしていろ。――ここは任せるぞ」

 

 マドウェイはルヴーシュの武官の質問を無視。監視、城の防御、いざと言うときの始末を任された百人のレグニーツァ兵に告げ、残り四百の騎兵と共に城塞を出て、一気に向かっていった。

 そして、ルヴーシュ軍を横から襲撃し、陣形と平常心を崩した。

 ――遂に来たか!

 待っていたこの時が。そのタイミングを見計らい、ザウルは少し驚いている本隊に指示を伝える。

 

「全員! 今こそ全力を以て、我等が生まれ育ったこの地を侵略したルヴーシュを撃退する時だ!」

 

 他の策を知る武官達もほぼ同じ台詞を大声で叫ぶ。別の意味での予想外の事態に戸惑うレグニーツァ兵だが、その激励により迷いを瞬時に消し去り、闘志を極限まで昂らせ、ルヴーシュ兵を睨み付ける。

 

「全軍……突撃!」

 

 戦場全体を揺らし兼ねないと思える程の鬨の声と共に、レグニーツァ軍は大いに崩れたルヴーシュ軍に猛攻を仕掛ける。

 怒涛の攻めに、ルヴーシュ軍はたちまち崩れていく。何しろ、兵も将も完全に予定外の出来事が起きたのだから。絶対的優勢の欠点が、ここに来て遂に現れたのだ。

 

「落ち着け! 陣形を整えろ!」

 

 ナウムや、他の数人の何とか冷静に事態を見極めようとした武官達が必死に陣形を立て直そうにも、精神的にも大きく崩れたルヴーシュ兵には届かない。

 第一、レグニーツァの猛攻により、そんな余裕が無い。戸惑いから右往左往に動き回り、そこを突かれて分断されて倒され、それが原因で更に混乱して討たれるという、完全な負の循環と化していた。

 ――駄目だ! もう……!

 ルヴーシュに勝機が無いのは、火を見るより明らかだった。しかも、戦姫であるエリザヴェータは未だに戻らない。いや、下手すると彼女すら倒されている恐れすらあった。

 

「――全軍撤退! 戦姫様の身柄も確保する!」

 

 遂に、ルヴーシュ軍が撤退を始めた。その動きはとにかくこの場から離れたいというもので、戦う前の優位さは微塵も感じない。

 

「逃がすな! 奴等を徹底的に潰せ! その身と心にこの地を踏み込んだ罰を叩き込んでやれ!」

 

 撤退を始めたルヴーシュ軍に、ザウル達は更に追撃。次々とルヴーシュ兵を討ち取っていく。

 そんな戦況をザウルは冷静に確かめ、一番良いタイミングを見計らう。

 ――頃合いだな。

 ルヴーシュ軍の状態を見て、ザウル達は例の行動を兵に指示。

 自分達はまだ追撃を続ける――と見せ掛け、ルヴーシュ軍の後方を良いところで分断。

 武器を突き付けて威圧し、尚逃げようとするルヴーシュ兵達を止める。

 

「な、何だ! お前達の勝ちだろ! もう馬鹿にしないから、早くここから逃がして――」

 

「武器や甲冑を捨て、向こうに行け。でなければ、殺す」

 

 精神的に追い詰められていたルヴーシュ兵は、その言葉やレグニーツァの睥睨、武器で直ぐに黙らされ、指示通りに武具を捨てさせられ、歩かされる。

 

「そっちはどうだ?」

 

「充分な数だ」

 

 マドウェイ達と合流し、向こうに包囲されているルヴーシュ兵を見る。彼等も武具を捨て、威圧されていた。

 

「我等の方と合わせて三百……いや、四百、負傷者を含めればそれ以上いるか?」

 

「あぁ、成果としては予定通りだろう。後は、彼だが……」

 

 未だに戦いを続けているか、もう終わっているか。一人の青年を二人は脳裏に浮かべる。

 

「……その前に、こいつらを城塞に送る。彼の確認は、予定通りにその後だ」

 

「……その間のせいで、彼が亡くなるかもしれんぞ」

 

 レグニーツァが勝った。つまり、向陽雅人は自分達の敵では無いことが証明されたのだ。

 なのに、力を尽くした彼を助けに行かないのは、幾らなんでも良心が耐えられなかった。

 ザウルも苦しくはあるが、今は将としての判断を優先した。

 

「……勝っている可能性もある。その場合、無駄だ」

 

 実力差を考えると、マドウェイの言っていることの方が現実的だが、例えそうだとしても、先ずはルヴーシュ兵を城塞に連れていくことの方が優先だった。確実な安全のために。

 

「全軍に指示! こいつらを城塞に連れていくぞ!」

 

「……仕留めないのですか? わざわざ手間を掛ける必要が無くなります」

 

「奴等が戻って来る可能性も――」

 

「無いな。向こうにそんな余力があるはずがない」

 

 優位な立場を崩され、完敗した今のルヴーシュに、そんな余裕などあるわけがなかった。

 

「それよりも、さっさと城塞に連れていけ。こいつらを生かす理由は戻ったら直ぐに話す」

 

「……はっ」

 

 納得はしきれないが、だからと言って命令に背くことをレグニーツァ兵はしなかった。

 五百以上のルヴーシュ兵を連れ、ザウル達は城塞に戻っていった。

 

 

 ――――――――――

 

 

 少し時間が戻り、マサトから自分の作戦をばらされたエリザヴェータは、理解せざるを得なかった。今頃、自軍は大打撃を受けているのだと。

 但し、たった一つだけ。マサトにも想定外の出来事が起きていたのだが、それはある人物以外誰も知らない。

 

「貴方……何処、まで……!」

 

「…………ほんと腹立つな、あんた。ちょっと裏をかかれた程度で動揺しやがって。その程度の対策と意志で攻めてきてんじゃねえよ。舐めてんのか?」

 

 自分の考えが読まれ、困惑、動揺するエリザヴェータに、マサトは静寂と激情が混じり合う黒い瞳で睨み付けていた。

 ただ、エリザヴェータも生半可な覚悟で攻めてはいないし、策もしっかりと考案したものだ。マサトというジョーカーがいない中での。

 なので、彼女が動揺しても当たり前の話なのだが、だとしてもマサトからすれば、その程度の意志で人の命を奪う選択をしたとしか写らないのである。それ故に、更なる怒りを抱いたのだ。

 

「そんな、ことは……!」

 

「…………もう良い、無駄話も面倒だ。目的は達成した。後は――あんたを倒すだけだ」

 

 最低限の結果は果たした。次は、最上の結果を果たすだけ。

 高濃度の結晶を四つ取り出し、二つは黒銃の砲口に射し込み、残りの二つは体内に吸収。

 双銃を構えると、結晶に力が次々と蓄積、球体状に変化しつつ圧縮していき、まるで宇宙に浮かぶ数多の星のように輝いていく。

 ――負けたく、ない……!

 それを見て、エリザヴェータは雷渦を頭上に構える。漆黒の雷鞭に、金色の雷が眩しいほどに迸っていく。

 確かに公国同士の戦いは負けた。戦姫のいない公国に負け、既に無様だが、まだこの青年との戦いには負けてない。

 追い詰められた今のエリザヴェータを支えていたのは、自身の意地だった。負けたくない、これ以上惨めになりたくない。それだけだった。

 

「――ライブドプラネット」

 

「――天地撃ち崩す灼砕の爪(グロン・ラズルガ)!!」

 

 静かな声と激しい声が響く。次の瞬間、星を模した生命の弾丸と、雷で構築された金色の剛爪が、凄まじい音と共に豪速で放たれ、衝突する。

 最大威力で放たれた命の弾と雷の爪は、互いを撃ち破らんと激しくせめぎ合う。その余波は男女に届き、二人を傷付けていく。

 そして、十数える時間の後――互いを吹き飛ばした力により、数十アルシンにまで届く膨大な光と爆音、強烈な衝撃が発生。巻き上げられた土と風、衝撃と光が二人を襲う。

 視界が晴れ、音が消えると、互いの力によって擂り鉢状となった大地と、汚れ傷付きながらまだ立つお互いが目に入った。

 ――……互角。

 マサトは平然とその事実を受け止めていたが、エリザヴェータは全身全霊を込めた最大の技が防がれ、震えていた。

 ――負けたく、ない……! 負けたくない……! 負けたくない!

 ただ一つの想いと共に、エリザヴェータは再度ヴァリツァイフを高く掲げる。再び、膨大な金雷が集まっていく。

 短時間での最大威力の竜技の連発。体力を凄まじく消耗するが、今のエリザヴェータには関係無かった。ただ、どうやってもマサトを倒す。それだけだった。

 ――……二発、目。

 これは非常に不味かった。何故なら、マサトはもう限界だったのだ。

 さっきの大技、ライブドプラネットは本来黒銃では発揮できない威力を引き出し、その制御をするため、身体にダメージを受けながらも体内に高濃度の生命を取り込む必要がある諸刃の剣。

 一日に一度が限界の大技。これ以上は一つしか取り込めない。

 つまり、今のでマサトは限界寸前。リミットフローは辛うじて続いてはいるが、絶体絶命なのに違いはない。

 ――考えろ……。

 目的は果たした。何時でも死んでも良いという言葉に嘘は無い。だが、まだすべきことがある。

 最大の結果を残すため、エリザヴェータを倒す。それを完全にこなすまでは、無抵抗に死ぬ気はない。だからこそ、考える。

 どうすればこの危機を突破し、エリザヴェータを倒せるのかを。

 ――ライブドプラネットはもう無理。

 無理に取り込もうにも、身体が拒絶してしまう。どう足掻いても結晶を取り込めるのは、一つが限界。

 ――回避も……無理か。

 雷の速度と範囲を考えると、回避は現実的ではない。防御はもっと無理がある。

 ――これしかないな。

 青年の頭に一つの考えが浮かぶ。ただ、これを行うには強い覚悟と意志が必要不可欠だ。

 ――両方でも耐えられないしな。

 結晶を一つ取り出し、利き腕である右腕に取り込む。更に右腕の籠手や脛当てをリンクを使って左手の籠手に接続させる。

 傷付いたコートにも、付与を加えて強度を少しでも上げる。

 ――準備完了。

 後は――考えを実行し、エリザヴェータに勝つだけだ。

 

「――来い」

 

「グロン・ラズルガ!!」

 

 姫の雄叫びと共に、相対する敵を滅ぼす稲妻の爪が再度放たれる。凄まじい速さと威力で迫る稲妻に青年は――雷目掛けて走る。

 これに、エリザヴェータは目を瞠る。力を使わずに身体の耐久力だけで突破しようと言うのか。そんなことは、不可能だ。

 勿論、マサトはそんな自殺行為はしない。力を取り込んだ右腕と右の黒銃を真っ直ぐに構え、雷が黒銃に触れる寸前に――力を解き放った。

 

「――ライブドショットガン」

 

 轟音が、鳴った。同時に、雷の一部が大きな凹み、それに隠れて何かが軋み、折れた音を本人の耳は確かに聞いた。

 ――後は……持ってくれよ!

 まだ止まるわけには行かない。青年は防御を集中させた左腕を頭を覆うように出し、雷の塊に突き進む。

 雷の威力と熱により、レアメタルを使った合金の防具が焦げ、砕けていく。

 破片が腕に突き刺さり、身体や顔に切傷と火傷を刻む。途中で痛みが無視出来なくなったのか、激痛が走る。それでも、青年は進む。

 ――勝っ、た!

 一方、エリザヴェータは雷に飲み込まれた青年を見て、自分の勝利を確信する。一度稲妻が飛散したが、その後は何の変化も無い。自分は勝ったのだ。

 そう思った刹那、雷の一部が何かの影によって破られ、その影がエリザヴェータへと向かってくる。

 影の正体は、マサトだった。技で雷を凹ませ、そこに向かって防具を一点に集中させて進むことで、雷の塊を突破したのだ。しかし、その代償は軽くなかった。

 ――腕が、折れ……!? 雷渦の戦姫の左右で異なる瞳が見た。一点に力を集約し、近距離で最大の破壊力を持つ技を放った青年の右腕は、威力に耐えきれずに有らぬ方向に曲がっていた。

 防御を集中させた左腕も雷熱の火傷と、砕けて防具の破片が突き刺さり、見るも痛々しい。

 コートもボロボロで、下の服も焦げ、皮膚も至るところに火傷を負う、満身創痍の状態だった。

 それでも、青年は雷渦の戦姫に向けて走る。全身から来る激痛を意志のだけで抑え込み、自攻撃範囲にまで距離を詰める。

 

「う、あ……あぁああぁあっ!」

 

 目前の、傷だらけでもまだ向かってくる烏と、彼の揺るがぬ意志を宿す瞳を見て、恐怖を抱いた紅の戦姫が棒状にした雷渦を突き出す。

 それを、青年は身体を捻ってかわし、黒銃から刃を展開。戦姫目掛けて振り掛かる。

 エリザヴェータはとにかく迎撃しようとしたが、その瞬間、黒銃が止まる。何故、と思った直後、彼女の顎に左から強い衝撃が伝わる。

 ――ひ、左から……!?

 しかも、頭に。ふらつきながら、紅の戦姫はマサトを見る。すると――青年の有らぬ方向に折れた腕が写った。

 ――まさか……!?

 殴ったと言うのか。折れた腕で自分を。そんなことをすれば、どれだけの激痛が走ると思っているのだ。

 あり得ないと否定するエリザヴェータだが、それは事実だった。マサトは折れた右腕で彼女を殴ったのだ。失神するほどの痛みを承知で。

 ――痛っ、てぇ……!

 腕から、全身に激痛が電撃のように走る。脂汗が全身から滝のように溢れる。それでも尚、青年は意識を手放さない。

 ――これで……終わりだ!

 左腕の黒銃を振るう。痛みで若干鈍りはすれど、倒すにはまったく問題ない一撃が戦姫に迫る。

 ふらつきながらも、本能的に防ぎ、反撃を試みようとしたエリザヴェータだが、黒銃がまた途中で止まった。

 エリザヴェータはまた、まさかと思う。さっき同様、この一撃は囮で、もう一度折れた腕で殴ろうとしているのではないかと。

 常識で考えれば、あり得ない。しかし、マサトはさっき、痛みもお構い無しに殴った。その事実が、エリザヴェータの判断と行動を僅かに遅らせる。

 その時間が、この戦いの結果を決めた。紅の戦姫の稲妻の一撃も極限の領域にいる青年に見切られてかわされる。

 青年は同時に左腕の肘を紅の戦姫の鳩尾に叩き込む。先程以上の強い衝撃が身体を貫き、エリザヴェータは身体のくの字に仰け反り、肺の中の空気を全て吐き出した。

 だが、これで終わりではない。青年は攻撃を放ったその体勢から――腕と腰、足を上手く動かすことで追撃であり、止めの一撃を再び顎に撃ち込む。

 短期に三度の攻撃を受け、エリザヴェータは大きく転がる。強烈な痛みに耐え、土まみれと身体を起こそうとするも、顎の打撃による脳や視界の揺れでまともに動かない。

 ――負ける……!? この、私が……!?

 その現実を、エリザヴェータは受け入れられなかった。まだ戦える、まだ負けてないと心が思うにも、身体が追い付いてくれない。

 

「はぁー……! はぁー……!」

 

 酷く荒れた呼吸が聞こえる。ふとエリザヴェータの見ると、彼女に異彩虹瞳にふらふらとふらつき、顔を青ざめさせ、脂汗を流し、全身に怪我を負いながらも、まだ瞳に光を失なわずに立つ青年の姿があった。

 青年は一歩一歩短いながらも距離を確かに詰めてくる。痛みで、何時失神してもおかしくないのに。己の役目を果たそうと、動く。

 ――なんて、強い……意志……瞳……。

 青年の意志の込もった黒の瞳に、エリザヴェータは見とれた。限界をとっくに越えても、まだ己の成すべき役目を果たそうとするその意志は、眩しいほどに煌めいていた。まるで、漆黒の宝石だ。

 ――……負け、ですわね……。

 黒の瞳を見て、圧倒されたエリザヴェータは、僅かに微笑むと静かに己の敗けを認めた。もう、抵抗する気など欠片も無かった。したくもなかった。

 ――もう、少し……!

 距離をあと数アルシンにも満たないまでに詰め、エリザヴェータを捕らえようとしたその時。

 

「――う、あ……? あ、れ……?」

 

 頭が何かに掻き回されかのように、ぐちゃぐちゃする。更に酷い酔いみたいな感覚を感じる。

 意識を保つのも苦しい。だが、進もうとすると――意識と視界がプツンと途切れ、マサトは流れるように大地に倒れていった。黒銃もカツンと二三音を立て、地面に落ちた。

 

「……え?」

 

 その出来事をスローモーションのように見ていたエリザヴェータは、しばらく何が起きたのか頭が理解出来なかった。

 三十数える時間のあと、竜技連発の疲労と頭の揺れに耐え、ふらふらしながらもエリザヴェータは何とか立ち上がる。

 

「倒、れた……?」

 

 近くに駆け寄るも、マサトは何の反応もせず、ピクリとも動かない。

「とっくに……限界、でしたのね……」

 

 その通りだった。マサトはとっくに限界を超えていた。いや、超えすぎていた。

 リミットフローによる脳や神経への過剰負荷、技の反動での骨折、竜技で受けた傷や火傷の痛み。おまけに折れた腕で殴りまでしていた。

 身体が悲鳴を上げ、それを意志だけで無理矢理押し込めたのだ。倒れて当然の結果だった。ここまでよく持ったぐらいだ。

 

「……人の命を守るため、そうなるまで戦えますのね。……凄い、ですわ」

 

 エリザヴェータは悔しさに満ちながらも、目の前の青年を賞賛する。

 結果だけを見れば、マサトの敗け。それは変わらない。だが、エリザヴェータは自分の勝ちとは微塵も思えなかった。

 今頃、レグニーツァは勝利しているのだろう。彼が死に物狂いで役目を果たしたから。

 一方で自分はどうだ。戦姫としての最低限の役目、戦わせたルヴーシュを勝利に導くことも出来なかった。悔しくて仕方なかった。

 

「何とか……人を……」

 

 辛い身体を動かし、エリザヴェータは辺りを見渡そうとする。敵のマサトは見捨てることも出来るが――したくはなかった。

 となると今すぐ助けを呼ばないと、自分はともかく、マサトは早く助けを間違いなく命に関わる。それほどに酷い状態だった。

 

「……音?」

 

 何処からか、大地が揺れる音が聞こえる。ルヴーシュかレグニーツァか。敗北を感じている自分としては後者が良いが、そんな余裕もない。

 とにかく何らかの音がして、しかも物凄い速さで近付いてくるのは事実だった。エリザヴェータは何とか確かめようとするも音が揺れた頭に強く不快に響き、膝を着いてしまう。

 

「――離れろ!」

 

 強くも幼げな声が聞こえる。直後、エリザヴェータは強い衝撃と共に吹き飛ばされた。

 大きく転がり、また服を土で汚す。何とかしてそちらを見ると――見事な装飾が施された斧を持った一人の少女が、青年を庇うように立っていた。

 

「マサト……!」

 

 少女の正体は、オルガだった。近くには乗ってきた馬もいる。

 彼女は不安から居ても立っても居られなくなってしまい、サーシャとの約束を破り、マドウェイ達の目を掻い潜ってここに来てしまったのだ。

 武器を構えながら、少女は青年を見る。地にうつ伏せに力なく倒れ、全身ぼろぼろでまったく動かない彼を。

 少女はふるふると震え、音が聞こえるほど歯を食い縛り、竜具を持つ小さな手が真っ白になる程に強く握り締める。

 

「よくも……! 許さない!」

 

 来る途中に呼んだ自分の竜具、ムマを振るい、オルガはエリザヴェータに襲いかかる。但し、殺しはしない。気絶に留める気だ。

 マサトとの激戦で、限界寸前のエリザヴェータには既に余力は無かった。辛うじて自分の竜具で一撃を防ぐことには成功したものの、また吹き飛ばされる。

 ――つ、強い……!

 今の一撃で、エリザヴェータはオルガの実力を瞬時に読み取る。疲労困憊の現状では、勝ち目が皆無だった。

 ――けど、どういうこと……!?

 目の前の少女は青年と互角か、或いはそれ以上の実力がある。しかし、そうだとすると、何故レグニーツァはこの少女を最初から出さなかったのか。

 そもそも、この少女は何者なのか、エリザヴェータは疑問で一杯だった。

 

「寝ていろ!」

 

「ま、待って……!」

 

 再び攻撃が迫る。月姫の怒りが込もった羅轟を、閃姫はこれまた雷渦で防ぐ。同時に雷渦から強い閃光を放ち、月姫の目を眩ませた。

 

「くっ!? 小細工を……!」

 

 思わぬ反撃に怯み、オルガは一旦マサトの近くにまで距離を取る。目が少し眩んだが、まったく見えないほどではない。エリザヴェータを捕らえようと、また接近しようとする。

 

「う……く……!」

 

 その時、微かな唸り声が青年からしたのを、少女の耳は確かに聞いた。見ると、僅かだがピクリと動いた。

 ――まだ生きてる!

 しかし、怪我が酷い。直ぐに介抱し、ボロスローの城塞で手当てせねばならない。

 ――その前に……!

 エリザヴェータを捕らえ、連れていく。そうすればレグニーツァの完全勝利に終わる。マサトも安心できる。何としてもエリザヴェータを捕らえようとしたその時。

 

「――戦姫様!」

 

 遠くから、馬の馬蹄による地響きと共に声が聞こえる。二人の戦姫がそちらに向くと、敗走したルヴーシュ軍がエリザヴェータを助けようと徐々に近付いていた。

 ――駄目か……!

 エリザヴェータを今すぐ捕らえようにも、疲労困憊の彼女も必死に抵抗するだろうし、捕らえれても、兵士達が助けようとするだろう。

 全員撃破してからも考えはしたが、一人や二人なら未だしも、最低でも千以上いる相手を負傷したマサトを護りながら一人で対処しないとならない。流石に無理がありすぎる。竜技を使ってもマサトを守れるかどうか怪しい。

 仕方なくエリザヴェータの確保を断念し、マサトの救助を優先。黒銃を広い、身体を担ぎ、馬に乗る。

 

「ま、待ちなさい。貴女、一体……」

 

「わたしは――オルガ=タム」

 

 咄嗟に呼び掛けたエリザヴェータの眼が見開く。行方知らずのブレストの戦姫が、どうしてレグニーツァにいるのか頭が追い付かなかった。

 

「訳あって、今は身分を隠してレグニーツァにいる。そして、わたしは彼や、アレクサンドラ殿には多大な恩がある。痛い目に遭って尚、まだレグニーツァを攻めようすると言うのなら――今度はわたしが貴女の相手になる。その結果、どれだけわたしの立場が悪くなろうとも、だ」

 

 羅轟の戦姫は、初めて会う雷渦の戦姫に向け、敵意と戦意を込めた台詞を言い放つ。

 

「――失礼する」

 

 言いたいことを言い終えたオルガは、エリザヴェータに背を向けると城塞へと馬を走らせた。

 その時、一つの黒が溢れ落ち、地面に落ちたのをエリザヴェータは見ていた。

 オルガからは死角になっていたり、音が馬蹄の音に掻き消され、気付かなかった様だ。

 

「これは……時計?」

 

 青年が外套の中から取り出し、三度ほど見ていた道具――懐中時計を、エリザヴェータは思い出す。

 広うと、落下の衝撃で開いたらしく、中の面が見える。カチ、カチ、と機械の音が鳴らしながら時間を示していた。

 

「御無事ですか、戦姫様!?」

 

 少しの間エリザヴェータは懐中時計を凝視していると、主に代わって撤退するルヴーシュ軍を纏めていたナウムと十数人の兵士が自分に近付いてきた。

 

「……えぇ、何とか」

 

 土まみれで疲れきった主の姿を見て、ナウム達は息を飲む。こうなるまでに敵に、マサトに追い詰められたのかと思ってしまった。

 

「……そちらは?」

 

「……申し訳ありません。大敗で御座います……!」

 

 やはり、本隊もレグニーツァに撃ち破られたようだ。

 

「……向こうにはまだ策がある可能性も存在しますわ。急いで陣地にまで撤退を」

 

 策が無くとも、自分の疲れ具合や大敗した自軍の士気を見ると、どう足掻いても戦況をひっくり返すことは不可能だ。

 エリザヴェータは黒の懐中時計を持ったまま、弱々しく撤退を指示。

 ルヴーシュ軍は主を馬に乗せると、そそくさとその場を後にした。

 

 

 ――――――――――

 

 

 一方のレグニーツァ軍。五百以上のルヴーシュ兵を引き連れ、ボロスローの城塞の門前にまで着く。

 

「我等だ! 入れてくれ!」

 

「分かりました! あれ……?」

 

 直ぐにルヴーシュ兵と共に城塞に入ろうとしたが、その時城壁から周りを見渡していた兵士達が何かを見た。

 

「どうした?」

 

「いえ、あちらから一つの馬影がこちらに近付いて来ていて……」

 

「……馬?」

 

 マサトは馬に降りていた。エリザヴェータもだ。ルヴーシュにしては、一つだけなのが引っ掛かる。

 兵士達を中に入るのを指示し、ザウルはマドウェイや他の数人の武官や数百の兵達と一緒に警戒していると。

 

「――ザウル殿! マドウェイ殿!」

 

「レナータ……殿!?」

 

「どうして外に……!?」

 

 城塞の中で待っているように約束していたはずのオルガの声に、ザウルとマドウェイは驚愕する。他の武官も兵士達も何故と驚いていた。

 

「叱責は後で幾らでも聞きます! それよりも、彼を!」

 

 彼という言葉に、ザウルとマドウェイはもしやと近付く。すると、全身切傷や火傷、骨折までしているマサトの姿が目に入った。

 

「何という怪我だ……!」

 

「直ぐに医師を! 急がねば、手遅れになるぞ!」

 

 武官や兵士達は慌ただしく動き、直ぐにマサトを城塞に送る。ザウル達も中に入ると、戦場となったボロスローは漸く静けさを取り戻す。

 こうして、ルヴーシュとレグニーツァ。二つの公国による、ボロスローの戦いは絶対的な不利を覆したレグニーツァの勝利で幕を閉じたのであった。

 



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第十七話 脈動

 虚ろげながら、黒髪の青年がゆっくりと目を覚ます。そこは深い深い、闇の中だった。

 

「……なんだ、ここ?」

 

 周りを見る。闇が何処まで続いており、それ以外は存在しない。足でコンコンすると、感触が返ってくる。どうやら、地面はあるらしい。

 ――あれ?

 其所でマサトは気付いた。身体に痛みが無い。右腕は折れておらず、左腕にも傷や痛みが無い。服も身体も無傷だ。そして、黒銃も無い。

 あと何故かは不明だが、この闇の中は心地よかった。暗いのに、温かいのだ。

 

『――くくくっ』

 

「……誰だ?」

 

 突如、何処からか声が聞こえた。しかも、まったく知らない声色。険しい表情で周囲を睨むと。

 

「……俺?」

 

 一ヶ所に、腰掛けた体勢で見下ろし、笑みを浮かべる自分がいた。

 

『やっと、話せたな』

 

 ――やっと? それに……。

 その台詞にマサトは疑問符を浮かべるが、もう一つ気になる点もあった。

 ――碧色の、瞳?

 さっきまで目を瞑ったまま笑っていたために見えなかったが、その自分が目を開くと自分の黒とは違う、綺麗な碧色の瞳があったのだ。

 

「……お前は、誰だ?」

 

『――誰だと思う?』

 

 質問を質問で返した上に、また笑い出す。少しイラッとするも、目の前の者が何者なのかを知る方が先。ふーと軽く一呼吸し、気分を落ち着かせる。

 

「もう一度聞く。お前は、何者だ?」

 

『「者」、か。そう言われると、我(わ)は返せない。何しろ、我は「者」ではないのでな』

 

「……は?」

 

『変な声を出すなと言いたいが、このような奇妙な返答をされれば当然か。だが、済まんな。我は者という概念では説明できぬ存在なのでな』

 

「……じゃあ、お前は何なんだ?」

 

 者ではない、謎の存在。一体どういう存在なのだろうか。

 

『――我は汝等が住まう世界。しかし、真の世界に比べれば、余りにも小さい、闇に漂う粒の一つ』

 

「住まう世界、闇に漂う粒……?」

 

 マサトは頭を働かせ、色々な考えを巡らしていく。すると、その中のある答えに至った。

 

「お前、もしかして――『星』か?」

 

 こっちはどうかは不明だが、自分が元々いて脚を着けていた世界は星によるもの。そして、真の世界や闇と言うのは、おそらく宇宙のことだ。

 そうなると、目の前の存在は自分が脚を着けていた星、その意志ということになる。

 黒銃や竜具という物にも意志があるのだ。星に自我があっても、おかしくは無い。

 

『――ほう。まさか、それに辿り着くとはな』

 

 ――流石は、『異なる者』か。

 心の中で、星の意志はそう呟く。実は、ある方法で青年のことを把握しているのだ。

 

「それよりさ、お前は何で俺の姿をしてるんだ? まさか、それがお前本来の、って訳じゃないだろう?」

 

『然り。そもそも、我に特定の姿はない。この姿をしているのは、汝と話しやすくするため以外の理由はない。故に――』

 

 星の意志の身体がいきなり、調子の悪いテレビのようにぶれる。次の瞬間、ぶれは消え、青年の両眼が開く。彼の視線の先にあったのは。

 

『――こんな姿や声にも、我は慣れる。どうだい? ふふふっ』

 

 黒の髪は変わらないが、顔や体格が違う。その姿は――煌炎の朧姫、サーシャの物だった。声も口調も、一人称以外はまったく同じだ。

 

『おやおや、呆気に取られたようだね。まぁ、無理もないけどさ。後、他にも――』

 

 また、身体がぶれ、違う姿になっていく。紅の長髪と左右で異なる瞳の女性、雷渦の閃姫、エリザヴェータ=フォミナ。

 その次は、桃色の短髪と黒の目の少女、羅轟の月姫、オルガ=タム。

 他にも、金髪で緑柱石の瞳のソフィーヤ=オベルタス。ザウルやマトヴェイにも、星の意志は姿を変えた。

 

『――他にも、こんな姿にもな』

 

 人の姿がぶれる。が、今回のは今までと違う。ブレが小さくなっていくのだ。そして、消えると。

 

「竜……」

 

 それも、緑青の身体と翼を持つ小さな躯――ひょんなことから自分と出会い、仲良くなった幼竜、ルーニエだ。

 

『くくっ、面白かろう?』

 

 一通り姿を変えていった星の意志はその後、マサトの姿に戻った。

 

「……どうして、お前はそんな姿に変えれる?」

 

 まったくの赤の他人なら、分かる。しかし、今変わった全て、自分が出会った者達のもの。初対面の星の意志に、知れる筈がない。

 

『目覚めるまでの間に汝の記憶を多少読み取った。それだけよ』

 

 この方法で、星の意志は向陽雅人を異界人と把握していた。他にも、色々と興味深いこともだ。

 

「……人様の記憶を、勝手に見てるんじゃねぇよ」

 

 今、星の意志が変えた者達の中に、ある人物のが無かったのは幸いだった。それが出ていれば自分は確実に――逆上したに違いないのだから。

 

『くくっ、怖いものだ。だが、汝を不快にさせたしまったのは事実。詫びとして、ある程度の質問にも答えるとしよう。何が聞きたい?』

 

「……お前はさっき、『やっと、会えたな』って言ってたよな? あれ、どういう意味だ?」

 

『む? 我は汝に一度会ったことがある筈だが……?』

 

 ――こいつと?

 記憶を振り返るマサトだが、覚えがまったく無かった。

 

『あぁ、そう言えば、当時は接続が不完全だったな。そのせいで、憶えていないのであろう』

 

 納得したのか、青年の姿をした星の意思がポンと手を叩く。

 

『今から、百日前後ぐらい前か? 汝、「弩」を手にしただろう?』

 

「『弩』……」

 

 ――その呼び名って、確か……。

 ゼロと出会った時、自身をそう読んでいたのをマサトは思い出す。

 ――そうなると……。

 目の前の星の意思は、ゼロを『銃』ではなく、『弩』と読んだ。つまり、それまでのゼロを知っている可能性が非常に高い。これは機会だ。

 

「お前、ゼロの事をどれだけ知っている?」

 

『ゼロ……?』

 

「無、って言う意味のあいつの名だ」

 

『無、か。――何の偶然やら』

 

 ――何だ、今なんて言った?

 星の意思が何かを呟いた。しかし、聞き取れない程の小声のため、内容が分からない。

 

「お前、さっき何を言った?』

 

『――さぁ?』

 

 くくっと笑い、星の意思は惚ける。しかし、その目は聞く必要は無いと言いたげに冷たい。

 

「そう。ところで、弩について聞きたいんだけど。あれは何だ?」

 

『あれは――嘗て、世界を守ろうとした者が振るいし武器よ』

 

「世界を……」

 

 予想を遥かに超えた答えに、マサトは目を見開く。ゼロがそれだけ由緒正しい武器とは思わなかった。

 

「……でも、それならゼロはどうして封印されていたんだ?」

 

 しかも、普通ではとても。特殊な方法でも、一筋縄では行かない場所に。

 

『さぁ、な』

 

 惚ける星の意思だが、その青い瞳には怒りが混ざっているのをマサトは見抜いた。

 そして、向こうがそう返した以上、詳細を開かすつもりは無いのだろう。追求は無理の様だ。

 

「なら、さっきの会ったとかの話なんだけど」

 

『ん、さっき言ったように、汝は弩を手にした日に我と会っている。まぁ、憶えていない様だが』

 

 どうやら、あの後、自分と星の意志は繋がっていたらしい。よく憶えていないが。

 

「あっそう。――次、どうして、お前は俺と繋がっている? そして、どうして、俺に話し掛ける? お前の目的は――何だ?」

 

『一度に聞くでない。まぁ、答えはするが』

 

 星の意思は若干、呆れた様子を見せる。とはいえ、言った通りに答えはする。全てではないが。

 

『汝、身体の許容ぎりぎりにまで生命を大量に取り込んだろう?』

 

「……あぁ」

 

 エリザヴェータとの戦いで、限界寸前まで生命を取り込んだことをマサトは思い出す。ついさっきのこともあり、直ぐに頭に過った。

 

『そのおかげで我は、汝と繋がれたのよ』

 

 これは本当ではあるが、理由の全てではない。

 

『次に汝に話し掛ける理由だが――力を与えに来た。我という、巨大な星の生命の力を』

 

「代償は?」

 

『無い』

 

 ――胡散臭すぎる……。

 力を得るには、それなりの対価や代償が必要不可欠。にもかかわらず、星の意志はそれが無い力を与えれてくれる。ぶっちゃけ詐欺と疑うほどだ。

 

「お前がそうする理由、そもそもの目的次第では、考えてやる」

 

『理由か、丁度良い。我も話したい所だ。我の目的は――多くの命を守ることよ』

 

「命を守る……」

 

『然り』

 

 マサトは自分と同じ理由を持つ、星の意志の青き瞳を見る。そこには、強い意志の光が込もっているのが分かった。

 ――星、の力。

 自分が今生きる世界にある生命の中でも、間違いなく最大最強の力。

 単純な力が不足している自分にとっては魅力的な力。それがあれば、戦姫とも渡り合えるかもしれない。

 ――……けどな。

 正直な感想としては、やはり疑わしすぎる。本当の事を言っている保証も無い。

 

「――星の意志、もう一度だけ聞かせろ。それと確認させてくれ」

 

『何だ?』

 

「さっきのお前の理由、多くの命を守る。この言葉に嘘は無いな?」

 

『――無論だ。あの言葉に嘘など無い』

 

「……分かった。もう一つ、その力は何時でも手に入れて、捨てれるのか?」

 

 もし、危険な力だった場合、即座に捨てるべき。その為、この確認は重要だった。

 

『捨てるは汝の自由。だが、入手は我が送る以外は不可能だ』

 

「……そうか」

 

 暫しの時間、マサトは目を瞑って思案に浸る。数十秒後、目を開くと、彼はこう告げた。

 

「分かった。有り難く貰うよ、星の力を」

 

『そうか、ならば――』

 

「但し――危険な物だと分かれば、直ぐに捨てるからな」

 

『好きにするが良い。――では、受け取れ』

 

 フッと、星の意志は微笑むと手をマサトに向ける。すると、力が青年の身体に流れてくる。それは少しで止まった。

 ――……何ともない?

 身体を動かすが、変化がまったく無い。何かの力を得たのかが怪しいぐらいに。

 

『渡したぞ。ただ代償は無いが、使っても負担にはならない訳ではない。よく覚えて置くことだ』

 

 つまり、一長一短。使い方次第では、大きな助けになるだろう。

 

「ありがとう。ところでさ」

 

『ん? まだ、用があるのか?』

 

「お前、名前は無いのか?」

 

 これから何度か会うかもしれないのだ。名前があれば、知って置きたい。

 

『無い』

 

「なら――アース、ってのはどうだ?」

 

 自分が住んでいた世界である惑星――地球。その英語読みが、アース。目の前の意志も、自分や多くの生命が生きるこの世界の星。マサトはこれが一番、星の意志の名に合うと思っている。

 

『――いや、止めて置こう。我に名は、不要よ』

 

 ――何だ?

 今、一瞬だけだが、星の意志の目付きが鋭くなった気がする。気のせいかもしれないが。

 

『話はこれで終わりかな?』

 

「そうだな。今回は、もうない」

 

『では、ゆっくりと眠り、目覚めると良い』

 

「う、ん……?」

 

 まるで闇に誘われるような、強烈な眠気が身体を襲う。それから十秒も過ぎない内にマサトの意識は閉じた。

 その身体は闇に包まれると、そのまま溶け込むように消えていった。

 

『――ふん』

 

 星の意志の身体が、またぶれる。一秒足らずで消えると、其所には今までの者とはまったく違う、姿があった。特に目立った特徴のない者の姿だ。

 

『まさか、また機会が訪れるとはな』

 

 もう叶わないと思っていた。しかし、それは覆された。

 

『しかし、面白いこともあるものだ』

 

 まさか、違う場所の者があの銃を手にすることになるとは。

 

『何にせよ、「弩」は出された。後は――もう一つ』

 

 罪と負。その結晶足る、もう一つの武器を回収するのみ。そうすれば、自分の悲願は一気に近付く。

 それに、青年の知識から星の意志はあることを一つ考えていた。

 ――まぁ、それはゆっくりこなすとして……。

 先ずは、あの武器の回収だ。それを第一にこなさねばならない。

 

『今度こそ、機会を得て見せる。今度こそ、成し遂げて見せる。さぁ、向陽雅人よ。もっともっと、成長するが良い。世界を守るための――』

 

 星の意志がマサトに語った言葉に、嘘は無い。星の意志は、命を守る為に彼に力を貸す。

 

『――滅びの器に、な』

 

 但し、星の意志とマサト。両者には、決定的な違いがあった。それを知るのは、星の意志のみだった。

 

 

 ――――――――――

 

 

 さっきとは違う闇の場所に、二つの存在がいた。見かけは黒いローブで身を包んだ小さな老人と、普通の人並みの身体の若者だ。

 しかし、彼等は人ではない。『魔物』だ。名は老人がドレカヴァク、若者はヴォジャノーイと言い、マサトがこの世界に来た要因の内の二体だ。

 二体は今、ブリューヌの大貴族、テナルディエの屋敷の一室にいた。正確には、形式上はテナルディエに仕えているドレカヴァクがヴォジャノーイを呼んだのだ。

 

「――で? 僕はそれをやれば良いのかい?」

 

「そうだ」

 

「やれやれ、三ヶ月振りに再開したと思ったら、何で飛竜の死体なんかを運ばないとならないのやら」

 

 ヴォジャノーイは詰まらなさそうに溜め息を吐く。ドレカヴァクから頼まれたのは、エリザヴェータがレグニーツァに攻める切欠となったアルサスの戦いで、モルザイムと呼ばれる平原の沼に落ちた飛竜の死体を運ぶことだ。

 

「少し確認したい事があってな。――もしかすると、面白いことになるかもしれん」

 

「へえ? まぁ、良いけどね」

 

 することも最近はまったく無いので、暇だった。気分転換も兼ねて、ヴォジャノーイは受けることにした。

 

「――あぁ、そうだ。確か、そこの沼にはここの坊っちゃんの死体もあるんじゃ? それはどうするんだい?」

 

 ヴォジャノーイが今告げた坊っちゃんとは、テナルディエ当主の息子、ザイアン=テナルディエのことだ。アルサスの戦いで戦死、その亡骸はドレカヴァクが探している飛の死体と共に、竜沼の中にあった。

 

「放っておけ。そんなもの、なんの価値もない」

 

 仮にも、主君であるテナルディエの息子をドレカヴァクはそんなものと扱う。彼にはテナルディエへの忠誠が無いのだと分かる一言だ。

 

「そっ。――あと、この国に戦姫がいるけど……どうする?」

 

 瞬間、ヴォジャノーイの瞳が獲物を前にした狩人のような目付きになる。

 魔物にとって戦姫とは、武器の付属品程度の認識しか無いので、彼女達を呼ぶときは持ってる武器の名で呼んでいる。

 なので、その戦姫がエレオノーラ=ヴィルターリアという名であること、エリザヴェータが狙うターゲットだとは当然ながら知らない。

 更に言えば、今ヴォジャノーイが彼女を狙う必要性はまったく無い。

 それなのにヴォジャノーイが目を険しくしたのは、先程説明した通り、彼は暇だった。運ぶ間のついでに暇潰しでもしようかと考えてもいたのだ。

 

「残念だが、ある人物が対応する。お前が出る幕はあらぬよ」

 

「僕らや戦姫以外で、戦えるのっていたっけ?」

 

「『黒騎士』。そして、『不敗の剣』。これで分かるかの?」

 

 ヴォジャノーイは後者はともかく、前者は差ほど知らない。数秒間悩むと思い出せた。

 

「ブリューヌ、最強の騎士だったっけ? それと『デュランダル』。かなりの大盤振る舞いだねぇ」

「人が竜具に対抗するには、あれでなければならぬじゃろうな。対竜具用に作られた数多の武具の中で、ただ一つと言っていい完成品だからの。――このブリューヌの神話では、天上の神が遣わせた精霊が始祖に授けた神聖な宝剣と言われておるが……くくっ」

 

 実際はまったく違う。それを知っているドレカヴァクは彼等の無知さを笑っていた。その態度に、肩をすくめるヴォジャノーイ。そんな時、ある代物を思い出した。

 

「――そういや、『鎚』はどうするんだい? あれも竜具に対抗できる武器だと思うけど」

 

 その台詞を聞き、ドレカヴァクは困ったような表情をする。

 

「『鎚』は無理じゃ。今も厳重に封印されておる。大体、『失敗した成功作』など使えぬ」

 

 変わった言い方だが、その武器を知っているのなら、誰もがそう口ずさむのが普通だ。

 

「力も本物で、強度も充分なんだけどねー。制御も問題なかった筈なのに――」

 

「何故か暴走した」

 

 それこそが、その『鎚』が失敗した成功作と呼ばれる所以である。

 鎚にはある力があり、その力は無限に力が増していく。順調に行けば、竜具を凌駕するこちらの頼もしい武器になっていた、筈だった。

 しかし、その鎚はある日暴走し始め、制御不能どころか、持つことすら不可能になってしまったのだ。

 その日の出来事が原因で、鎚は封印されることが決定。ある場所に厳重に納められることとなり、今も尚、そこに封印され、永いときが今でも解けていない。

 その場所に足を踏み入れようにも、封印はマサトが銃と呼ぶ『弩』同様、魔物や力を使おうが破壊することは叶わないほど頑丈。

 空間を移動して直接侵入するのも不可能で、持ち出すことができないのである。

 

「にしても、何が原因で暴走したんだろね?」

 

「分からぬ。汚染は考えられたが……あの程度では問題にすらならぬ筈だ」

 

 にもかかわらず、暴走。その力の性質や特性を考えれば、自分達なら簡単に収めれるかと思ったが、効果はまったく無い。

 原因も分からぬ以上、暴走を止める方法も見付からず、どうすることも出来なかった。なので、今では諦めているのが現状だ。

 

「『鎚』と言い、あれと言い、思った様には行かないもんだねえ」

 

 

 あれとは、黒銃のことだ。ゼロは自身を『弩』という呼称で呼ぶが、魔物達はある理由からゼロをそう呼ぶことをしない。

 

「対極の力を宿せし武器。どちらか一つでも有れば、大いに役立つが……どちらも出せぬ、使えぬ以上はな……」

 

「どっちも以前は役立ってくれたのにねー」

 

 『弩』も『鎚』も、遠い昔は自分達に大いに貢献した武器。弩はあらゆる敵を貫き、鎚はあらゆる敵を砕いた。

 しかし、今はどちらも使用不可能であり、本当に残念と言わざるを得ない。

 

「ちなみにさ、あれは『どっちの状態』で仕舞われてるんだろ?」

 

「さあの。長き時の影響を考えると、『本来の姿』ではないと思うが……。まぁ良い。雑談はここまでじゃ。ヴォジャノーイ、やってくれるかの?」

 

「良い暇潰しになりそうだけど……只働きはやだなぁ」

 

「そこにある」

 

 ドレカヴァクが部屋の隅の一ヶ所を指す。そこには、彼の一応の主からある理由から受け取った袋が大雑把に置かれていた。

 ヴォジャノーイが袋を開けると、中には大量の金貨が詰まっている。その光景が目に入り、にんまりと口を歪めた。

 

「いただきます」

 

 ヴォジャノーイは口を開いて、袋の穴を下に向ける。金の雨が擦れる音と共に零れ、それを全て飲み込んでいく。

 

「ごちそうさま。――行ってくるよ」

 

 そう言ったあと、ヴォジャノーイは音も立てることも、姿を見せることも無く、この部屋から消えた。

 

「――さて、どうなるかのう?」

 

 一人になった部屋で、ドレカヴァクは何処か楽しげにそう呟いた。

 

 

 ――――――――――

 

 

 とある国のとある場所。霧が少し漂う荒野の空間が何の前触れもなく突然揺れ、黒い渦状へと変化。そこから一つの影が現れた。

 

「おー、ここがかあ」

 

 その正体は人。性別は男。銀色の左右に広がる髪型をし、右には碧色の瞳。もう片目には眼帯を付けている。

 男は黒色の外套を纏い、腕や足には黒色の籠手や脛当てを付け、腰には両刃の剣を構えている。

 青年は服の中から、掌大の何かを取り出し、目に平行に構えて周囲を見渡す。

 

「ん、情報通りに霧は出てっけど、人影は無し。来ていいぞー」

 

 彼が告げると、歪みの中から次々と人が現れる。格好こそは似ているが、大量の荷物を背負っている者が多い。数は青年を含め、全部で百。

 

「ここが、ですか」

 

「さほど大差はないように思えますね」

 

「んー、でも空気は良いな。すっげぇ澄んでる」

 

「確かに……」

 

『てめーらさぁ。んなこと言ってねーで、さっさと報告してくんない? 一応、そーしてから閉じなきゃなんねーし』

 

 彼等が話していると、銀髪の青年に荒っぽい口調の声が響く。

 

「悪い悪い。もう良いぞ」

 

『さっさと言えっつのー』

 

 声が終わると、彼等が来た歪みはゆっくりと閉じていった。

 

「んじゃ、行くか。さて、先ずはどう――ん?」

 

「どうしましたか?」

 

「僅かに人影が見える。俺っち達が話している間に範囲に入ったらしいな。――行ってくるわ」

 

 バチィと何かの音が鳴った直後、銀髪の青年の姿は其処から離れる。その跡には微弱な光るジグザグの線があった。

 

「おーい、来てくれ~」

 

 気楽な声がし、九十九人の者達は彼に近付く。何かが弾ける音が鳴り、その周りには十数人の荒れた服装をした男がいた。

 彼等は全員野盗でボロボロ、一人残らず銀髪の青年に恐怖の表情を向けている。銀髪の青年を獲物と判断し、襲い掛かったが返り討ちにあったのだ。ただ、恐怖しているのはそれが理由ではない。

 

「いるんですね。人」

 

「まぁ、建物の情報もあったしな」

 

 彼等は独特の言語でやり取りをする。

 

「さて――さっき言ったことをもう一度言え」

 

「は、はい! ここはアスヴァールのバルベルデに近い場所です! バルベルデは北にあります!」

 

「んっ、どうも。色々と知れたな」

 

 ここの文明レベル、状態も多少ながら把握した。基盤にはなる。

 

「じゃあ、お前らはもう良いよ」

 

「えっ、じゃ、じゃあ――」

 

「あぁ。――ここで死ね」

 

 助かる、野盗達は全員そう思ったが、銀髪の青年は碧色の瞳に冷酷さを浮かべ、剣を振るう。

 一撃で数人の血渋きが上がる。青年が振るった瞬間、剣のワイヤーで繋がる刃と刃が離れ、数人の野盗を斬り裂いたのだ。蛇腹剣、と呼ばれる武器である。

 

「残念だけど、俺の『これ』を見たてめえらを生かす理由が無いんだわ。化け物って騒がれたら困るしな。こっちの文明レベルを考えると、消しても問題なさそうだし」

 

 残りの野盗が悲鳴を上げながら、必死に逃げる。しかし、彼等は全員逃げ延びることは叶わなかった。

 

「始末完了。採取したら埋めとけ」

 

 銀髪の青年は蛇腹剣に付着した血を拭き取り、百人の者達は指示通りに野盗の死体から色々と採取、その後は土葬する。

 

「――様、さっきは仕方ありませんが、次からは出来れば控えて動いてください。万一、騒がれては困ります」

 

「悪い悪い、どうも、昔の癖が消えなくてさあ。今度は出来るだけ控えるわ。んじゃ、バルベルデとやらに向かうぞ」

 

 彼等百人は、目的地に向けて歩き出した。

 そして、他の場所でも歪みが発生。そこでも体格以外は全て同じの人数の者達が現れる。

 そこでは威厳に満ち、斧を背負う白髪の壮年の男が指示を出していた。

 

「ポイントに移動した。閉じてくれ」

 

 最初の場所と同じ様に、歪みは消えていった。

 

「これから、一組二十人で移動し、周りを探索。水や食料をある場所を探す。決して、定期的な報告、警戒は怠るな」

 

 隊の者達は、力強く返す。見知らぬ場所ではあるが、白髪の男性の言葉や態度には、不安を飛ばすだけの余裕を感じるためだ。

 百人の隊は一組二十人の五つに分かれ、周りを確かめる。白髪の男性も一人の部隊に参加し、調査をしていく。

 

「……ん? 熱反応?」

 

 道具でその反応を確かめると、数が徐々に増えていく。それに小さい。

 

「全員警戒。何らかの野生動物の群れだ。他の部隊も集めろ」

 

 彼の指示を聞き、隊員達は的確に動く。十数秒後、彼等の目に野犬の群れが見えた。数は約五十。

 

「攻撃は確実に避けろ。一撃も受けるな。病に掛かるぞ。だが、無駄撃ちはするな」

 

 白髪の男性は斧を構え、隊員達はある道具を構える。充分な距離になると、隊員達は道具から弾を撃ち、野犬を顔、背から貫く。

 そして、隊長の彼は凄まじい速度で距離を詰める、斧で薙ぎ払う。一度で三頭が即死し、次の一撃でまた数匹が仕留められる。

 一頭が彼に素早く迫る。その野犬には速度のある突き出しで当たる前に刺し殺す。

 

「獣ごときが、私達の邪魔をするな」

 

 野犬が怯む。男の気迫に圧されたのだ。しかし、その間が野犬達の死を決定付けた。荒れ狂う斧の連撃により、残った二十足らずの野犬は一頭残らず始末される。

 その頃には、他の隊の者達も集結していた。

 

「終わっていましたか」

 

「済まん。だが、この数が全てとは限らなかったのでな」

 

 仮にこの倍がいた場合、一人は攻撃を受け、病に感染していた恐れがあった。

 定期的な援助や補充があるとは言え、無闇に仲間を失なうのは避けねばならない。

 自分達には方針が自由に決められているが、安全策が一番なのだ。男は隊員達に事態を説明する。

 

「物騒なところですな」

 

「そういう場所なのか、或いは全体的に蔓延しているのか。このどちらかと考えるべきだろう」

 

 だが、これだけで全てを決めるのは浅はかだ。情報はしっかりと集めねばならない。

 

「さて、他の場所はどうだ?」

 

 銀髪の青年、白髪の壮年の男。それ以外にも、三ヶ所、それぞれ違う国に歪みは発生していた。

 

「何やら、騒々しいでござるなあ」

 

 迫る季節に対し、控えめな涼しさのとある国。灰色の奇妙な髪型と口調の男性が率いる一団が、とある村で向こうの様子を眺めていた。

 鉄色の視線の先では、大量の人の波と角がある金の兜と剣を描かれた緋色の旗が幾つもあった。

 

「しかし、中々に壮観」

 

 遠くで小さくはあるが、それでも見える波はかなりの迫力がある。

 

「今から、何か起きるのでござるか?」

 

「……本当に変な口調だな。アンタ。まぁ、それよりも――聞いた話じゃあ、今からある国へと侵略をしに行くんだとさ」

 

「ほう、戦」

 

 何時の時代も、世界も、戦いは無くならないということかと、灰色の青年は感じていた。

 ――しかし、本当に興味深い。

 向こうの今から戦場に赴こうとする一団を見て、灰色の青年は口を歪ませた。何処か楽しげに。

 ――早速話さねば。

 灰色の青年はあることを考えていたが、一人で勝手に動くのは駄目だ。直ぐに話し合わねばならない。

 彼は隊員達のいる場所に向かって、歩き出した。その瞳には、爛々とした輝きが宿っている。

 また違う国の、内乱が起きているその国の何処かの山。

 巨大な体躯の大熊と、小さな身体の栗髪の少年が対峙していた。普通に考えれば、勝つのはどう見ても熊だ。

 何せ、二倍の大きさに、重さは優に二十倍はある。その爪が擦りでもすれば、簡単に勝てるだろう。

 しかし、大熊は動く様子を見せない。怯んでいたのだ。自分よりも遥かに小柄な少年が放つ、尋常じゃない雰囲気に。

 

「喰らわれるのは――お前だ」

 

 少年が消えた。彼がいなくなった風景が大熊が最後に見た光景だった。直後、大熊は頭から股まで真っ二つに裂かれ、血と臓腑が溢れる。

 両断されたのだ。少年が持つ、体躯以上の大きさの大剣とそれを平然と振るう、小さな身体に似合わない桁外れの膂力で。

 

「……弱い」

 

 淡々とそう言った少年は大剣を勢いよく振ってこびりついた大熊の血脂を払い、大剣を横に背負う。

 かなりちぐはぐな光景だが、少年の目や平気で動く様子を見れば、ほとんどの者は笑えないだろう。

 

「あ、ありがとう! 助かったよ!」

 

 大熊を両断した少年に、数人の大人が近付く。実は少年は、さっきの大熊と遭遇していた彼等を助けていたのだ。

 

「もぐもぐ。大したことじゃない」

 

 少年は腰の巾着から物を取り出すと、口に含んで食べる。

 

「ははっ、謙虚なんだな」

 

「もぐもぐ。それよりも、この熊の素材を貰っていい?」

 

 生き抜くためには、仕留めた獲物の素材は一切無駄に出来ない。それは、生まれ育った故郷で少年が学んできたことだ。ほとんど知らないここでは、尚更重要だ。

 

「まぁ、君が仕留めた訳だしな……。持って行くと良い。ただ、要らない物が有れば、交換しないか? 言い値で買い取るよ」

 

 もうすぐ冬になるため、食料や物々交換出来そうな素材は欲しいのだ。

 

「もぐもぐ。高めでも良いなら譲る」

 

「うっ、しっかりしてるな……。分かった、君の要望に応えるよ」

 

「もぐもぐ。出て来て」

 

「えっ?」

 

 少年が言うと、彼の後ろの木々から人がぞろぞろと出てきた。少年を合わせると全部で百人いる。

 

「ひ、一人じゃなかったの?」

 

「もぐもぐ。そんなこと、一言も言ってない」

 

 そういえば、と村人達はハッとする。確かに少年は自分を一人とは一度も口に出してない。

 

「もぐもぐ。安心して。危害は加えない。――そっちが変なことをしない限り」

 

 村人達はゾクッと背筋が冷える。彼の同行者達も、冷淡な瞳で自分達を見ていた。

 

「し、しないよ。絶対に」

 

 リーダーと思われる一人が、しっかりと答える。少年は新しい物を取り出すと、また食べていく。

 

「もぐもぐ。それなら良い。あと、色々聞きたいから、村に案内してくれると嬉しい」

 

「……ちなみに、断った場合は?」

 

 村人達からすれば、少年達が野盗の恐れもあったため、緊張していた。

 

「もぐもぐ。その場合は――仕方ないから、他の人達に話を聞くことにする」

 

 危害を加える気はないと知り、村人達はポカンとした。

 

「そ、そうか。なら、俺達が話をするよ」

 

「もぐもぐ。お願いします」

 

 ペコリと頭を下げ、少年達は村人達から情報を聞き、多少の物々交換をする。

 

「これで良いか?」

 

「もぐもぐ。充分です」

 

「そうか。なら良かったよ。にしても強いなあ坊主は。今のご時世、坊主みたい猛者がいて欲しいもんだぜ……」

 

「もぐもぐ。どういう意味?」

 

「ん? あんたらはまだ知らないか? だったら、出来るだけ早めに出た方が良いぞ。今この国はな、内乱が起きてるんだ。おかげで、色々と辛くてな……」

 

「……もぐもぐ。それは大変」

 

 かといって、熊肉や素材をただで渡す気はない。自分達も大変だし、情けは人の為にならず、である。

 

「もぐもぐ。頑張って。それしか言えない」

 

「あぁ、そうするよ」

 

 村人達は少年に礼を告げると、自分達の村にへと向かっていった。

 

「もぐもぐ。成る程、この国は内乱状態」

 

「どうしますか?」

 

「もぐもぐ。変わらない。この国での調査は続行する。ただ、周りにはかなり気を配って行なって欲しい」

 

 内乱中である以上、注意も警戒も非常に気を配っているはず。迂闊な行動は禁物だ。

 

「もぐもぐ。次を目指して行く」

 

 少年の方針に従い、彼等は森の中を進んでいった。

 最後の一ヶ所。他の四ヶ所よりも寒く、場所が冷気の集まる所であることもあって、もう既に冬ではないのかと思えるほどの場所でも、歪みが発生。

 今までの様に、隊長と百人の隊員が出てくるが、今度はそれだけではない。もう一人の隊長と彼が率いる隊員達まで出てきた。

 

「寒いな……」

 

「……寒冷地。しかも、あちら同様にもうすぐ冬。寒くて当然だろう」

 

 後から出てきた隊長の髪が金色のスタンダードで、瞳が黒色の青年と、明るい茶色の鬣と、赤色の瞳が特徴の、静かさと重さを感じる雰囲気の男が呟く。

 

「しかし、本当に成功させるとは……」

 

「……流石、天才か」

 

『けけけっ、「見本」があったんだぜ? 時間もたっぷりあった。出来て当たり前だろーが。んじゃ、死なねーよになー』

 

 その報告が終わると、二百の者達が出てきた歪みが消えた。

 

「……あとは、口の粗暴さと研究第一な所さえ無ければ、完璧だ」

 

「……対価さえあれば、妥協もする。普通の狂人よりは数倍良いと思うが」

 

「……それもそうか。リーダー。これからどうする?」

 

 茶髪の隊長は自分より年下で、色々な事情から立場上ではあるが、一応自分達の長である金髪の青年に話し掛ける。

 

「北と南の二手に分かれ、無理をしない範囲で調査を始める」

 

「……なら、自分達は――」

 

「俺達が北を。お前達には南を任せたい」

 

「……ほう。リーダーだから、自分から危険を背負いたいと? 心掛けは少しだけ評価するが、若いな」

 

「……何故そう言う?」

 

 自分が未熟であると理解しており、立場も似合わないと自覚している。だからこそ、金髪の青年は尋ねた。

 

「……お前は、自分の隊の連中に危険を背負わせる覚悟があるか?」

 

「……言われずとも理解していると思うが?」

 

「……未熟。やはり、甘い」

 

 やれやれと言わんばかりに、茶髪の男性はため息を付く。

 

「……確かに彼等は覚悟を持ってここにいる」

 

 と言うか、それが無くてはここに来ようともしないだろう。

 

「……しかし、それでも恐怖を消し去ることは出来ない」

 

 何しろ、未知の場所だ。恐怖を抱かずに生き抜けという方が無理がある。

 

「……我等はそれを理解し、その恐怖を背負い、制御せねばならない」

 

 恐怖は決して、悪いことではない。危険を感知する利点もある。必要なのは、コントロールだ。

 

「……隊長として、さっきお前が言うべきは、彼等の分の恐怖を背負う、だ」

 

「……よく覚えて置く」

 

 自分が未熟者だ。だからこそ、しっかりと聞いて置かねばならない。

 

「……清々、しっかりと学ぶと良い。あと、さっきの提案は受けよう。長のお前が積極的にならねばならないからな」

 

 長足る者の役目はその時に応じて変わるが、今の彼等に求められるのは、調査だ。

 故に、彼が引っ張って行かなくては、隊員達に臆病と受け取られてしまう。

 

「……ただ――」

 

「分かっている。無闇矢鱈に動きはしない」

 

「……宜しい。頑張ることだな」

 

 これからの日々で、彼の資質が問われる。長に相応しいか、そうでないかを。

 これは望まぬとは言え、その立場にいることを受け入れた以上、彼自身が乗り越えなくてはならない試練だ。

 

「では、自分達は北を」

 

「……我等は南に。生きて会おう」

 

 自分達の『役目』を果たすため、二つの部隊はそれぞれの方角へと歩き出した。先ずは『こちら』を知るために。

 

「……『こっち』にいるのか? ――雅人」

 

 金髪の青年の、何処か悲しさが混じる小さな声は他の者達には届かず、冷たい空気に消えていった。

 様々なもの達が、自分達の思惑、信念に従い、脈動を始めていた。それぞれが想う世界の為に。

 



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第十八話 介入者

 ここからは、定期的に投稿します。また、人によっては嫌な点があると思います。


 レグニーツァとルヴーシュの戦いの翌日の昼。ボロスローの城塞の一室に五人の男女がいた。

 いるのは、マサト、オルガ、ザウル、マドウェイ、そして医師の五人で、ザウルとマドウェイ、医師が話をしていた。

 身体中に巻かれた包帯や、張られたガーゼが目立つマサトはベッドで辛そうに寝ており、オルガは心配そうに見つめている。

 

「……具合はどうなのだ?」

 

「とりあえず、峠は超えたかと。もう大丈夫でしょう」

 

「……怪我については?」

 

「……右腕が酷く骨折し、右足も軽くはありますが、折れてます。左腕は火傷や刺傷が酷く、左足も皹が入っているかと……はっきり言って、暫くは絶対安静です」

 

 最大火力のショットガンを発射した際、吹き飛ばされないよう、踏ん張った事で足にまで影響が出ていた。

 右足だけが折れているのは、右腕から発射したため、強い反動で大きな皹となり、その後の攻防や倒れた事で限界を超えて骨折してしまったのだ。

 四肢全てが怪我を負っており、右側に至っては腕も足も骨折している。安静以外にさせられる訳がない。

 

「……分かった。ところで、何時目覚めるだろうか?」

 

「早ければ、今日中かと思われます。遅くとも、明日には起きるかと。では、何かあれば報告してください」

 

 そう言うと、医師は恭しく頭を下げて退室する。

 

「マサト……」

 

 戦いが終わってから、一度も目を覚まさない青年に、少女はどうしても不安になってしまう。

 自分なりに必死に看病しているが、一切反応しないので不安になっても仕方ないだろう。

 

「レナータ殿。一旦、休まれた方が良いかと……」

 

「そうですぞ、昨日からほとんど休まれていません。少しだけでも……」

 

「嫌です。彼が目覚めるまで、わたしが付きっきりで看病します。……今出来るのは、これだけですから」

 

 オルガの純粋な想いが込められた台詞に、騎士も船乗りも困った表情をする。

 

「ですが、根を詰めすぎて倒れたりでもしたら、彼は間違いなく悲しみますよ」

 

「えぇ、休憩も必要です」

 

「体力には自信があります。一日や二日ぐらい、余裕です」

 

 どうあっても、傍を離れる気は無いようだ。二人はどうしたものかと頭を抱えるが。

 

「う……ん……?」

 

 微かな声と共に、青年の目がゆっくりと開いていく。オルガも勿論、ザウルやマドウェイも安心した表情を浮かべる。

 

「マサト、大丈夫?」

 

「オル、ガ? 俺は――」

 

 だが、次の瞬間――青年に異変が起きた。

 

「――うっ……!? く、あ、あぁ……! うぐぅ……!? 気持ち、悪……!」

 

 頭に異常な疲労感と酔い、耳鳴りや痛みが襲い、気持ち悪さで辛くなる。

 

「ま、マサト!? 大丈夫!?」

 

「マドウェイ! 直ぐに医師を――」

 

「い、いえ……! それよりも、甘い、物を……

 

「あ、甘い物? お菓子?」

 

「何故、そんなものを……?」

 

「何でも良い! とりあえず、持って来るのだ!」

 

 何故マサトが甘い物を要求したかは不明だが、このまま手を拱いているよりは数段マシだ。

 ザウルは急いで厨房に向かい、数分足らずで幾つかのお菓子、ジャムや蜂蜜が詰まった瓶が部屋に運ばれる。

 

「マサト、届いた!」

 

「何が……ある……?」

 

「お菓子や、ジャムや蜂蜜の瓶などだ!」

 

「は、蜂、蜜……! それ……!」

 

 蜂蜜と言われ、オルガは急いで瓶の蓋を空け、スプーンで掬ってマサトに食べさせる。

 琥珀色の液体が青年の口から喉に入り、胃から腸へと流れ、その成分が体内に吸収されていく。

 

「も、もっと……!」

 

「沢山食べてくれ!」

 

 マサトはオルガの協力で、幾度も蜂蜜を体内に取り込んでいく。それが何度も行われ――数分後。

 

「ふぅ……はぁ……」

 

 まだ辛さはあり、呼吸も乱れているが、とりあえずさっきの症状が楽になったのか、マサトは軽く微笑む。

 

「もう……大丈、夫?」

 

「…………?」

 

 マサトはオルガをもう一度見る。しかし、頭を少し傾げ――その後、何かに気付いたようにコクンと頷き、そうだと伝える。それを見て、オルガ達も一安心したようだ。

 

「しかし、さっきのは一体……?」

 

「……少し、身体を酷使しすぎただけです。蜂蜜も食べましたし、もうしばらくすれば、治ります……」

 

 さっきの疲労や酔いは、リミットフローの反動による、過剰疲労が起こしたもの。

 なので、マサトは蜂蜜に含まれるブドウ糖を摂取することで、脳を回復させ、症状を緩和させたのだ。

 

「……無茶し過ぎだ。本当に心配した」

 

「……うっせ。無茶するのが戦いだっつの。それより、戦いの結果ですけど……」

 

「しばらく安静にしてください。全身傷だらけで、骨折もしているのですから」

 

 話すにしても、最低でもマサトの気分が良くなってからだ。

 

「……そういや、折れてましたね」

 

 技の威力の反動で、右腕が骨折したのだ。改めて状態を確認し、左足以外も重傷で、リミットフローの影響で身体中の筋肉も痛い。満足に動けないのを理解する。

 

「レナータ殿、彼をお願いします」

 

「任せてください」

 

「夜辺りに来ます。それまではごゆっくり」

 

 事後処理を済ませるべく、騎士と船乗りは退室。少女と青年だけになる。

 

「……生きてて、本当に良かった」

 

「一応、約束は守った、かな?」

 

「守ってくれなかったら、一生恨んでた」

 

「怖い怖い。――うっ……」

 

 青年の表情が歪む。軽い頭痛が走ったのだ。

 

「蜂蜜。直ぐに」

 

「んっ……」

 

 安静の為、マサトはオルガに蜂蜜を食べさせて貰う。

 

「どう?」

 

「……軽くなった。ありがと」

 

 ほんの僅かだが、痛みが軽減された。マサトはオルガに礼を告げる。

 

「今、どれくらい?」

 

「えっと……。大体十ぐらいだ」

 

 ザウルから返して貰った、銀色の馬の意匠が施された懐中時計を腰から取り出し、時間を確認する。時針は十を指していた。

 また、オルガは十時を十と言っているが、これはその認識が無いからである。

 

「……そうだ。懐中時計で思い出したが、ここで介抱した時にマサトの分の懐中時計が無くなったのが分かった」

 

「……戦場で壊れたか?」

 

 最後の攻防時、雷撃の波に飛び込んだのだ。壊れても何ら不思議ではないだろう。

 折角入手したのに紛失したのは残念だが、無くなった以上は仕方ない。新しいのをまた用意してもらうしかない。

 

「……まぁ良いや。ところで、ザウルさんやマドウェイさんから、話を――」

 

「だめ。楽になってから」

 

「ちぇ。じゃあ、俺の武器を手に置いてくれないか?」

 

「……変なことはしない?」

 

「しねえよ。力で、身体の調子を詳しく確かめたいんだ」

 

「……それなら」

 

 黒銃を取り、痛みが発生しないように黒銃をゆっくりと手に置く。

 

「――エンチャント」

 

 手に触れた黒銃から太い糸を伸ばし、そこから極上の粒子状にした生命を放って身体に染み込ませ、具合を隅々まで把握していく。

 ――こうなっているのか。骨折以外の問題も無さそうだな。

 確認が終えると、次は折れている部分同士を通常の場所に戻し、リンクと似た要領で繋げてくっ付けていく。最後に薄い膜で骨を包んで固定する。

 ――完了。

 かなり痛かったが、これで普通よりも早く繋がるはず。とりあえず、処置は終了した。

 

「終わった」

 

 マサトは黒銃を近くに丁寧に置く。万一の時、素早く対応するためだ。

 

「後はゆっくりして。暇なら、わたしが話し相手になる。――但し、戦い以外で」

 

 チッと軽く舌打ちすると、マサトはオルガと他愛のない雑談をし、時間を潰していった。

 

 

 

 

 

「気分はどうですかな?」

 

「大分楽には」

 

 夜、用意された食事をまたオルガに食べさせてもらい、済ませるとマドウェイが入ってきた。ザウルは事後処理に大変らしい。

 

「改めて聞きますが、結果は?」

 

「こちらの勝利です。結果は多少の差異が有りますが、予定を大きくは離れてません。貴方のおかげです」

 

「自分だけじゃありません。レナータやザウルさん、マドウェイさんや他の人達の力あってこそです」

 

 自分が時間稼ぎに成功していても、ザウル達の奮闘がなければ勝利には繋がらなかっただろう。

 そして、策も自分一人で作ったものではない。オルガやザウル達の協力あってこそ。

 今回の勝利は、レグニーツァが一丸になったからこそのもので、決して自分一人の成果ではない。

 第一――この勝利はレグニーツァの勝利ではあるが、自分の勝利ではないのだ。決して。安心はするが、喜ぶことは欠片も無い。それを言いはしないが。

 

「ははっ、貴殿らしい謙虚さ。いや、純粋さですかな?」

 

 笑うマドウェイだが、強面なので中々に迫力がある。マサトやオルガは慣れているが。

 

「ちなみに、フォミナ様は……?」

 

「……残念ながら」

 

「……そうですか」

 

 一番の結果は、果たせなかったようだ。

 

「そう落ち込まないでください。貴殿は充分過ぎるほどに活躍してくれました」

 

 そもそも、マサトはこれが初陣。戦姫相手に時間稼ぎをこなした時点で充分な成果なのだ。

 

「わたしもそう思う。マサトは、頑張った」

 

「頑張って、当然ですよ。でないと、結果は出ないんですから」

 

「……むう」

 

 こんな時でも、当然の台詞を止めないマサトに、オルガは不満げだ。

 

「あと、誰が自分を助けてくれましたか? 医師の人にも礼を言いたいのですが」

 

 瞬間、オルガはギクッと言う音を出し、だらだらと冷や汗を流し出す。

 

「えと、それはですな……」

 

 マドウェイがこっそり横目で見ると、オルガがマサトに見えないように両手を合わせ、言わないでくださいと伝えるように懇願していた。

 自分が約束を破って、助けに行った等と知れば、マサトの性格を考えると怒るのは明白だった。

 

「た、確か、本隊の誰かかと思います。後で呼びますよ」

 

「何か間があったような……?」

 

「気のせいですよ。ははっ」

 

「……そうですか? レナータは――」

 

「ななな、何だ!? わわ、わたしは何も知らないっ!」

 

 焦りから、思いっきりテンパった言い方をオルガはしてしまう。それを聞き、マドウェイはあちゃあと言いたげに頭を手で抑えた。

 

「……レナータ」

 

「……は、はい?」

 

「……正直に言いなさい。自分を助けましたね?」

 

 寝たきりなのに、得体の知れない迫力があるマサトの笑みに、オルガはガタガタ震えると、おずおずとコクンと頷いた。

 

「そうですかそうですか。――マドウェイさん、ちょっと部屋から出てください」

 

「――はっ!」

 

「ま、マドウェイ殿! わたしを一人にしないでください!」

 

 マドウェイも得体の知れない迫力と危険を感じ、思わず敬礼するとオルガの呼び掛けを無視して、そそくさと退室する。

 

「オルガ。一人じゃありませんよ? 自分がいます」

 

「そそそ、そうだな……」

 

 オルガは自分に落ち着けと命令する。この際、もう説教は避けられないだろう。潔く、受け入れるしかない。

 

「――アーム」

 

 さっさと同じ要領で生命を取り込むと、神経に接続しながら力を肩から出しつつある形に、腕へと変化させていく。エリザヴェータとの戦いで出た疑似腕だ。

 マサトはそれを使い、身体を起こしてベッドに腰かける。次に周りの壁や床に付与を行なう。音を減らす為だ。

 

「これでよし」

 

「お、面白い手品、だ」

 

「そうでしょう? ――こっちに来て腰掛けなさい」

 

 行ってはいけない。本能が全力でそう警鐘を鳴らしているのに、オルガの足は自然とマサトに向かい、恐る恐る隣に腰掛けた。

 

「――よっと」

 

「――わっ!?」

 

 すると、マサトはオルガを自分の膝の上に乗せる。骨折や筋肉痛のせいか痛みが出たが、固定と補強のおかげでそれほど痛くはない。

 

「……スタート」

 

 次に、オルガの体勢を横一線に倒すと――重い声色でそう告げる。

 

「――痛い!」

 

 お尻から強い痛みが発生した。オルガが思わずマサトを見上げると、こめかみをひきつらせ、誰から見ても怒り心頭だと分かる表情で疑似腕を構えていた。

 マサトはさっき、疑似腕でオルガの小さなお尻を思いっきり叩いたのだ。

 

「この、大馬鹿娘がーーっ!!」

 

 怒号と共に腕が振り下ろされ、二度目の衝撃が少女の尻に叩き付けられる。その後も青年は何回も何回も叩く。

 

「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさーいっ!!」

 

「許すか、ボケーーッ!!」

 

 涙目で必死に謝るオルガだが、マサトは全く止めようとしない。その後、しばらくは尻叩きの音と少女の泣き声、青年の怒号が止むことは無かった。

 ――こ、怖すぎる!

 その様子を見て、青年の武器である黒銃と少女の竜具ムマは震え上がる程の恐怖を感じたのは余談だ。

 

「うぅ……。痛い……。凄く痛い……」

 

 俯せの体勢でベッドで唸るオルガ。全部で五十回も叩かれ、服で隠れて見えはしないが、彼女のお尻はひりひりと真っ赤に腫れていた。

 

「当たり前だ、あほ! 反省しろ!」

 

 五十回叩いても、マサトの怒りは欠片も収まっていなかった。

 

「……お、終わりましたか?」

 

 ガチャと扉が開き、マドウェイはゆっくりと顔を出す。その表情はかなり引き気味だ。

 

「はい」

 

 直ぐに表情を一転させ、言葉遣いも戻るマサトに、マドウェイは違った意味での畏怖を感じた。その後、疑似腕が目に入る。

 

「その腕は……」

 

「力で作った物です」

 

「そうですか。……ちなみに、何が?」

 

「……お尻を五十回も叩かれました」

 

 しくしくと顔を手で覆うオルガの説明に、マドウェイは唖然とする。相手は戦姫なのに、そんなことをしてもいいのだろうか。

 

「言って置きますけど、立場とか知ったことじゃありません」

 

「……そ、そうですか」

 

 全く動じないマサトに、マドウェイは決して怒らせないようにしよう。そう心に決めた。

 

「にしても、約束破って来るなんて全く……」

 

「まあまあ、そのおかけであなたの治療が早く済んで、無事でいられた訳ですから……」

 

「それとこれは、全く別の話です」

 

 オルガを擁護するマドウェイを、マサトはキッと睨む。マサトが怒っているのは、約束を破ったことよりも別の理由があるのだ。

 

「ちなみに、念のために確認して置きますけど……自分の救助以外は何もしてませんよね?」

 

「…………し、していない」

 

 またビクッと反応し、苦しそうにオルガは呟く。

 

「言え、こら。叩くぞ」

 

 ドスの効いた声で、マサトは疑似腕でオルガの頭を鷲掴みする。

 

「い、嫌だ! 言っても叩かれるのは目に見えてる!」

 

「……だったら、言ってあと五十回されるか、黙ってて計三百になるまで叩かれるか。どちらが良い?」

 

 どちらにせよ、叩かれる選択しかなかった。

 

「……そ、その回数は増えたりする?」

 

「そりゃな。――言え」

 

 言うしか、少女には選択肢が無かった。

 

「……た、戦った」

 

「……誰と?」

 

「……エリザヴェータ殿と、ちょっとだけ……」

 

「……他には?」

 

「……エリザヴェータ殿に、警告になればと、宣戦布告とわたしの素性を――」

 

 直後、ゴツンと鈍い音が鳴り、声にならない悲鳴が少女から溢れた。頭に拳骨されたのである。

 

「何やってんだ、お前は!」

 

 約束を破り、エリザヴェータと交戦した挙句、自分の素性まで明かした。どう考えても、大問題だ。

 

「だ、だって! そうすれば、大敗した今、エリザヴェータ殿はもうレグニーツァに攻めたりは考えないだろう!?」

 

 別の戦姫がいる。戦姫がいない公国に敗北したエリザヴェータからすれば、確かに大いに悩む点だ。再戦もしにくい。

 

「わたしだって、世話になったレグニーツァの為に、力になりたかったんだ!」

 

 自分なりに力になりたいという、無垢な想い。それ故に、マサトは思わず言葉に詰まり、数秒後にはぁとため息を溢す。

 

「……前に言ったけど、ブレストを巻き込む恐れが有るんだぞ」

 

「……」

 

 百歩譲り、オルガ個人としては立派な行為だとしても、ブレストの戦姫としては愚行としか言い様が無い。

 オルガもその事を理解しているのか、何も言えない様だ。

 

「マサト殿。もう過ぎた事である以上は、言っても仕方ないのでは?」

 

「……まぁ、そうですが」

 

 言ってしまった以上、もう取り消せない。確かに仕方ないではある。

 

「……そうだな。もう良い。但し、身から出た錆だ。俺は一切、知らないぞ」

 

 この件で自分が不利な立場に陥ろうが、決して助ける気はない。マサトはそう言っているのだ。オルガも元々はその気だったが。

 

「あと、アルシャーヴィン様からにもたっぷり説教されてもらうからな」

 

「まぁ、アレクサンドラ様は話だけに留めると思いますよ」

 

「……うぅ」

 

 確実にそうなるだろう。気分が暗くなる。

 

「この話は終わり。以上。マドウェイさん、移動は出来ませんか?」

 

「重傷者用の簡易な車椅子が幾つのか用意されてますので、出来なくはありませんが……」

 

 マドウェイとしては、この部屋で安静にして貰いたい。オルガも同様だ。

 

「分かっています。けど、この戦いに参加した者としても、個人としても事後をこの眼で確認して置きたいのです」

 

 二人の気持ちは分かるが、これだけは譲れない。

 

「……そこまで言うなら。但し、体調が悪くなれば直ぐにこの部屋に戻ってもらいます」

 

「構いません」

 

「少しお待ちを」

 

 マドウェイが直ぐ様木製の車椅子を用意し、オルガに乗せてもらう。後は暖かい毛布を被せてもらい、疑似腕を消して完了だ。

 

「先ずは何処に?」

 

「戦死した人達は?」

 

「我が軍の兵はボロスローの地で丁寧に埋葬されています。ルヴーシュの方は、向こうでされているかと」

 

 こちらに余裕があった訳ではないため、ルヴーシュの戦死者は埋葬されていない。

 

「では、城壁に」

 

「夜ですが……」

 

「お願いします」

 

 妥協しないだろうと二人は感じ、已む無く受け入れた。マサトはオルガに運んでもらい、すれ違う人達に軽く挨拶しながら移動していく。

 

「……マサト殿? もうお目覚めでしたか」

 

 途中、一人の武官に話し掛けられた。

 

「はい。……身体はぼろぼろですが」

 

「部屋で安静にした方が……」

 

 車椅子の上に、顔にも包帯や絆創膏がある。詳しく知らなくても重傷なのは火を見るより明らかだ。況してや、武官はマサトが骨折しているのも知っている。

 親しい仲でなくとも、心配してしまうのは当然の態度だろう。理由は違えど、共に戦った者なのだから。

 

 

「ちょっと用事を済ませたら、直ぐに部屋で休みます」

 

「どうしてもしたいことが有ってな。無理はさせないように私がしっかりと見て置く」

 

「そうですか。なら、ここで足止めするのは失礼ですね。どうぞ」

 

 武官は一礼すると、無理はなさらずと言葉を付けてから去って行った。

 その他にも色々と話ながら城壁に到着。見渡せば、黒に染まった大地が一望出来る。

 そこで冬が近付く杪秋の冷たい夜風が吹き、傷に染み渡る。

 

「到着しましたが――」

 

「……」

 

 返事しない青年に、マドウェイが向くと両目を閉じていた。

 

「マサト殿?」

 

「祈っているんだと思います」

 

「……彼等に、ですか」

 

 ――いや、きっと……。

 レグニーツァの兵士だけでなく、ルヴーシュの兵士達の分も、マサトは祈っているのではないか。何となく、オルガはそう感じていた。

 青年を中心に、冷たくて静かな時間がゆっくりと流れていく。生者の守れずに亡くなった者達への祈りの時が。

 効果が有るとは決して思っていない。だが、人としてどうしても、やって置きたかったのだ。

 

「……行きましょう」

 

 数十を数える時間のあと、マサトが両眼を開き、終わったことを告げる。

 何時までも浸っても、散った命はもう戻らない。今の自分に出来るのは、悔しさも辛さも受け止め、これからの時に備えて身体を癒し、己を鍛えることだけなのだから。

 二人に頼んで城壁から下り、次は執務室に向かう。

 

『誰だ?』

 

「自分です」

 

『……マサト殿?』

 

 安静の筈の青年の声に、騎士は驚きの声を上げる。

 

『……とりあえず、中へ』

 

 中に入らせてもらい、ザウルや他の武官達に挨拶する。ザウルは勿論、武官達も驚きの表情だ。

 

「……運んで貰ったのですか。しかし……」

 

「すまん。関わった者としてどうしてもと言われてな……」

「……聞くだけですよ」

 

「感謝致します。――早速ですが、進んでいますか?」

 

「えぇ。城塞で捕縛し、戦場で捕虜にした計千五百以上のルヴーシュ兵を材料に、戦姫様と交渉する予定です。使者も既に送っています」

 

 そう、これこそがルヴーシュ兵を捕虜にした理由だった。彼等の返還と引き換えに夏の交渉を終わらせ、不可侵条約を結ばせる。

 どちらか一つでも出来れば、ただ勝つだけよりも余程安全になる。だからこそ、わざわざ手間を掛けたのだ。

 

「流石に、千五百の捕虜を見捨てる訳には行かないでしょうし、上手く行きますよ」

 

 百や二百ならともかく、千以上の捕虜を見捨てれば、流石に体裁に響く。間違いなく受けるだろう。

 

 

「自分もそう思います」

 

「ただ、それまでは食糧が少し不安ですが――まぁ、直ぐに済むでしょう」

 

 一応、この戦いの結果の報告と共に公宮に頼むで、大した問題では無いだろう。

 

「貴殿は充分に役目を果たしました。事後は我等に任せて、明日の療養に戻る者達と一緒に公宮に戻って休んでください。戦士としての努めは果たしても、医師としての努めはまだまだ果たして貰わねばなりませんから」

 

「……ですね」

 

 先日までは戦士として戦っていたが、自分は本来医師としてサーシャに雇われている。戦いが終われば、当然医師の仕事に専念せねばならない。

 

「レナータ、戻らせてください」

 

「はい」

 

 身体が動かせないので、頭だけ軽い一礼をして退室。自分が寝かされていた部屋に戻った。

 

 

 ――――――――――

 

 

 夜。寝かされた部屋でマサトが目を覚まし、疑似腕で身体を起こす。その後、ぶつぶつと何かを呟いていくと次に名前を言う。

 

「……オル、ガ。ザウルさん、マド、ウェイさん、アルシャー、ヴィン様。そして、ゼロ――うぐっ……!」

 

 頭がズキンと痛み、表情が歪む。

 

「……軽度の記憶障害、いや、なりかけ?」

 

 あの頭痛が出たあと、実はマサトはオルガが誰か一瞬だけだが分からなくなっていた。その後直ぐに思い出せたため、軽度かまだなりかけだろう。

 

「……やっぱり、あれの影響か」

 

 己の能力を限界にまで引き出すリミットフロー。それで脳の酷使して自律神経を乱してしまい、新しい記憶を保存する海馬に軽度の異常が出ているのだろう。

 確かめると、脳や血管の損傷は無かった。出血等ではないことは明白だ。その他のどうでもいい幾つかが、喪失している可能性があるが。

 

『……そなた、異常が発生しているのか?』

 

「直ぐに治る」

 

 幸い、今回はぎりぎりで終わってくれた。治療に専念し、しばらく休ませれば自然と収まるだろう。

 ――ただ、それまでは訓練出来ないか?

 この訓練とは、リミットフローだ。短時間かつ、使い方を謝れば自分に多大な危険をもたらす、正しく諸刃の剣。しかし、限界まで力を引き出す状態でもある。

 これに頼る気は無いが、何時でも使用可能にはしたいのだ。己の意志を通すために。

 ――それにもう一つ。

 星の意志から授かれた力。それのテストも行わなければならない。意識を集中させる。

 ――これか。

 奥底に、取り込んだ生命とは違う力を感じる。イメージでその力を手に引き出す。

 

「……ふう」

 

 ――これが、星の力。

 最初に思ったのは、温もりだった。全てを包むような、そんな感触が伝わる。

 ――この、力……。

 使い手の出した違う生命の力に、黒銃はある感情――懐かしさを抱く。

 

『マサト、その力……』

 

「あぁ、これは――」

 

 マサトがその力や星の意志について、話そうとしたが――急激に色々な考えが頭を巡る。この力は謎が多く、星の意志にも謎が多い。今は止めた。

 

「……何か、起きたら妙な感じがしてな。で、それを引き出したらこれが」

 

『……そうか』

 

 ――……気のせいか?

 一瞬、妙な感じがマサトからした。それに、態度を急に変えた様にも見える。何か不自然だ。

 しかし、言う気が無い以上、問い掛けても言わないだろう。

 

『とにかく、寝るが良い。今はそれがすべきことだ』

 

「……そうする。お休み」

 

 マサトは手元に黒銃を置くと、改めて寝る。ゼロも直後に寝出した。

 

「――ふむ」

 

 しかし、その四半刻後、マサトが目を開ける。但し――その瞳は、黒では無く、青空のような碧。

 ――寝ているな。……しかし、痛い。

 『それ』は黒銃を見ると、身体を多少動かし、具合を確かめる。かなり傷付いているようだ。頭も少し辛い。

 ――折角の『器』……。大切にして欲しいものだ。

 違う口調で呟き、呆れた様子を浮かべるのはその肉体の本来の持ち主、向陽雅人ではない。彼に力を与えた、星の意志だった。

 ――あまり時間も無い。さっさと進めるか。

 この器に入れるのは、マサトが弱り、寝ている間のみだけだ。『今はまだ』。

 星の意志は手から自身の力を放出すると、頭に染み込ませる。

 ――これでよし。

 ニヤリと、星の意志は笑う。これでマサトは更に言えなくなった。

 ――まだ、我の存在は知られたく無いのでな。

 今自分の存在を知るのは、この青年だけで良い。彼以外の他者には知られては困るのだ。だからこそ、『仕込み』を更に加えた。

 ――……この力。『地』か

 今回の仕込みも終え、もう少しだけ生身の感触を味わおうとした星の意志だが、近くに感じる力に眉を顰める。

 ――本当に、忌々しい。

 世界の力を悪用する、忌まわしき武具達。それに星の意志は表情を歪める。

 ――今は見逃してやる。

 しかし、何れは必ず破壊する。弩ともう一つの鍵、そして何時かは生まれる新しき力で。

 怒りに満ちたまま、星の意志は青年から離れていった。

 

 

 ――――――――――

 

 

「……はぁ」

 

 ボロスローから少し離れた陣営地の幕舎。海底の様な暗く深い溜め息を、ルヴーシュの戦姫エリザヴェータは溢す。

 何時もの彼女を知る者が見ていれば、さぞかし驚くだろう。

 その手には、黒い二つの丸が繋がったような代物――マサトの落とした懐中時計があった。

 彼女は懐中時計が奏でる音と、刻む時を複雑さが込められた眼差しで見詰める。ちょっと調べたため、使い方は大体理解していた。

 

「宜しいでしょうか、戦姫様」

 

「……何ですの?」

 

 ルヴーシュの筆頭騎士、ナウムが話し掛ける。エリザヴェータは懐中時計の蓋を閉じ、気を引き締めて返事するも、何時もの雰囲気が無い。

 

「例の使者から提案、どうなされますか?」

 

 ――……あれね。

 今日の昼、レグニーツァから使者が陣地に赴き、エリザヴェータに捕虜との引き替えの交渉を持ち掛けられたのだ。

 内容は、撤退と長期の不可侵条約を結ぶか、自分達が攻めた理由である夏の交渉を無かったことにするか、この内のどちらか或いは両方を受けてもらうというもの。

 どちらを受けても、自分はレグニーツァから撤退せねばならない。しかし、そうすれば自分は目的を達成出来ない。

 ――……けど。

 戦姫のいないレグニーツァに敗北して置きながら、また攻める。正直、無様でしたくもない。

 第一、再戦をしようとすれば、千五百の兵を見捨てねばならない。

 こちらが要求を飲まなければ、向こうは容赦なく彼等を殺すか、奴隷として売り飛ばしてしまうだろう。それは何としても避けたい。

 

「……もう少し時間を頂戴。一人にして」

 

 主の苦悩を理解したのか、ナウムは幕舎から出る。

 

「……本当、無様ですわ」

 

 勝って当たり前の戦いだと思い上がり、その結果がこちらの策を利用されて手酷い目に遭った。無様以外に何が有るだろうか。

 マサトと言う、予想外の戦力がいたから、は言い訳にならない。もっと綿密な策を練り、相手の動向を確かめれば避けられたはずなのだから。

 ――舐めていると言われても、全く反論出来ないわ。

 事実、こちらは策を利用されて敗北したのだから。おそらく、徹底的に頭を絞って策を読んだのだろう。

 あの時の使者も自分達にレグニーツァが怒り心頭で、策など無いとこちらに思わせるための布石と考えるべき。本当によく練ったものだ。

 一騎打ちには負けてないが、だからなんだという話である。

 ――……マサト。

 雷渦の戦姫は左右で色が異なる目を閉じると、自分と戦った青年の姿を思い浮かべる。

 持てる力の全てを振るい、身体がぼろぼろになってまで自分を追い詰めた彼を。

 最終的な結果は一応こちらの勝ちだが、エリザヴェータは微塵も自分の勝利だとは思えていない。一騎討ちには勝てても、戦いには負けているのだから。実質、敗北だ。

 彼の独特の戦い方もそうだが、エリザヴェータはマサトが言った台詞の数々も忘れられなかった。

 単なる悪、殺人者、自分の選択が双軍の死を招いたという、決して間違いではない批判と、子供、綺麗事だろうが、自分は変わらずに一人でも多くの人達を助けるという、揺るがない意志と共に告げられた宣言。

 どちらも、人の命を守るという強く眩しい想いから放たれた、隠す理由もない、命を思うがゆえの言葉。一方、こちらはどうだろうか。

 ――……個人的、もっと慎重に考えるべき。どっちにしても最悪ですわね。

 例えば、エレオノーラと戦いたかったのなら、影響を最低限に留めるよう、一対一の決闘を申し込めば良かった。

 貧しい村の者達に稼ぐ機会を与える理由も、戦に限定する必要は無い。

 代わりの仕事を与えるか、無ければ出来るまでに何らかの対処を施せば済んでいたはずだ。政治はその為にあるのだから。

 今思い返せば、私欲と機会に目が眩んだとしか思えない。これが、公国を統治する戦姫の判断だろうか。

 そう思えなかったことも、一度決めたことを後悔することも、どちらも情けない。

 一方のマサト。窮地でも揺るがず、変わらない強い意志。それが生む、傷付いても衰える所か寧ろ増す、眩い輝きを放つ瞳。

 ――……欲しい。

 それらを持つあの青年を、様々な感情を抱きつつも、エリザヴェータは欲するようになっていた。

 ――でも。

 それは決して叶わないだろう。自分が個人的な想いを混ぜた理由で命を奪う選択をしたと知った以上は絶対に。

 ――……どうして、アレクサンドラなの?

 ふと、エリザヴェータはそう思ってしまう。彼はアレクサンドラの臣下だが、それは立場上のものであることは、あの時の会話で明らかだ。

 それならば、自分の臣下でも良い筈だ。元々は旅をしていたのなら、尚更。

 しかし、運命は自分ではなく、アレクサンドラに微笑んで二人を先に出会わせた。その事実が堪らなく悔しい。

 ――……やめましょう。

 そんなことを考えて、何になるのか。時間を無駄に浪費するだけだった。何よりも惨めだ。

 潔く諦め、今後をどうするかに思考を移す。兵は先日の戦で千八百以下にまでに減ってしまっている。これは戦えない怪我人も入っている。

 戦えないほどの重傷者を除くと、今すぐ動かせるのは約千五百。当初の三割しかいない。

 一方のレグニーツァの戦死者は約七百でほぼ同じ。重傷者は不明だが、負担の大きい戦いをした以上は、それなりにはいるだろう。

 自分と渡り合えたマサトは両腕が重傷のため、戦力にならない。今すぐ再戦しても勝てなくはない。

 しかし、士気は低い。捕虜を取り返さない状態で、ここにライトメリッツが援軍に来た場合、それまでに重傷者全員が復帰しても敵の数はこちらの三倍近くになってしまう。この時点で不利だ。

 更に、ライトメリッツが到着するまでにマサトが復帰する可能性もある。おまけに、レグニーツァにはブレストの戦姫、オルガまでいる。

 つまり、自分は戦姫二人に、限定的だが戦姫級の実力者一人、計三人の強敵と戦うことになる。あまりにも分が悪すぎる。

 こんな状況で戦っても、自軍が壊滅状態になるのは火を見るより明らか。とてもだが、現状でレグニーツァに挑むのは愚行でしかない。

 再戦するのであれば、兵の補充は必要不可欠。それに、綿密な策も考える必要があった。

 エリザヴェータは今回の策を提案したのは、マサトだと思っていた。それは正しいが、重要なのはそこではない。

 問題は、レグニーツァに油断していたとは言え、こちらの策を読み取り、利用できるだけの知恵を持つ相手が存在するという事実だ。

 次の一戦でも、同様に策を利用された場合、事前に対応を考えない限り自分はまた敗北するだろう。対策は必須だった。

 ――……損が大きすぎますわ。

 ここまでして、漸く当初の目的を達成できるのだが、手間や損失を考えると明らかに釣り合っていない。

 ――……退きましょう。

 ガヌロンやテナルディエからは、エレオノーラをここに呼び寄せるのを条件に、この戦いの前に金を受け取っている。

 しかし、エリザヴェータはもう全部返却するつもりだった。貰った金だけでは、これ以上の兵や武具の損失、手間の埋め合わせになるとは考えづらいのだ。

 元々、エリザヴェータと二つの貴族とは深い交友が有るわけでもない。先代の戦姫が仲良くしていたから、それなりに付き合っていたに過ぎないのだ。

 要するに、二大貴族への義理もほぼ無い。こっちの損が大きい以上、依頼の破棄に抵抗は無かった。

 金の返却は勿体無いが、約束を果たしてないのに貰うのは、自分の心情に反するので、潔く返す。

 破棄をすれば、これからの付き合いに悪影響が出るかもしれないが、今のブリューヌは内乱状態。

 どちらかはほぼ確実に倒れるだろうし、もしかしたらこの内乱でエレオノーラと一緒にいる小貴族、ティグルヴルムド=ヴォルンが漁夫の利を得て、台頭する可能性だってあり得る。

 まだ少ない勢力の彼に贈り物を渡し、早期に関係を持つのも悪くない判断だ。送る量によっては、今後の付き合いの際に有利に働くだろう。

 残るは、レグニーツァ。自分でやって置いてなんだが、今回の一件で互いの公国の仲は悪化してしまった。

 問題が起きた夏以前にまで修復するのは難しくなったが、それは追々、ゆっくりと慎重にすることにした。

 ――この戦いの経験を教訓に、頑張らないと。

 色々と考えたおかげで頭もある程度冷え、今後の方針も充分に定まった。エリザヴェータは使者の交渉を受けようと、幕舎を出ようとする。その時だった。

 

『――それで本当に良いのかのう?』

 

「……えっ?」

 

 自分以外、誰もいないはずのこの幕舎で声が聞こえた。しかも、エリザヴェータには聞き覚えのある声だ。

 

『お主は惨めに負けたまま、おめおめと去るつもりかと聞いておるのじゃよ』

 

「……惨めですって?」

 

 聞き捨てならない単語にエリザヴェータは目を険しくし、己の竜具ヴァリツァイフを構える。

 確かに、自分は油断や隙からレグニーツァに敗北したが、それを他人に指摘されるのは不愉快だ。

 どこにいるかは不明だが、出てきた瞬間に竜具で少し痛い目に遭ってもらう。

 

『物騒じゃのう。まぁ、それはどうでもよいが――敗北したまま退けば、力を受けたあの時の想いを否定することに繋がらんかの?』

 

「そ、それは……」

 

 エリザヴェータは一年前を思い出す。昨年彼女はある理由からエレオノーラと決闘し、完膚無きまでに敗北、己の力の無さを突き付けられた。

 その後ルヴーシュに戻り、政務と時折する散策のある日に、彼女はその存在と接触した。

 その日、偶々、古びた神殿を発見したのだ。戦姫になって一年程度とはいえ、まったく知らない建物であった為、少し興味を抱いた。

 供の部下を建物の近くで待たせ、中に入るも、長年誰が入った形跡や使われた様子もなかったが、黒い石像が奥に一つだけぽつんとあった。

 

『――力が欲しくはないか?』

 

 好奇心から近付くと、石像から頭に直接届く声がエリザヴェータに響いた。

 声は自分の名と、自分が力を欲するならその力を与えようと言ってきた。

 エリザヴェータは朧気ながらも、それを受けた。自分を倒したエレオノーラに勝ち、自分は弱くない、強いのだと彼女に示したかったのだ。

 そうして、彼女はその右腕に鉄を容易く砕き、人を簡単に捩じ伏せる人外の膂力を宿した。

 それらを思い出し、エリザヴェータは無意識にその右腕を見詰める。今退けば、自分はあの日の想いを否定してしまう。

 ――負けたく、ない……!

 エレオノーラにもマサトにも。このままでは、自分は敗北者のまま。二人に完全に勝利し、自分の強さと価値を見せ付けたい。

 

『今度こそ、その力で勝利するのじゃ。己の誇りを取り戻し、強さを証明する。そして、望む物を手に入れれば良い』

 

「誇り……証明……望む物……」

 

 深く、暗い囁きが、紅の戦姫の左右で異なる瞳を少しずつ昏くしていく。危険を感じた雷渦が主に語り掛けるも、効果は無かった。

 

『今以外に、その機会はあるまい?』

 

 ――……そうですわ。

 失った自信を取り戻し、望む物を自分だけの物にする。実現するには、敵を倒すしかない。勝利する以外に、それらを掴むことはできないのだ。

 

「そんなの、嫌よ……」

 

 欲しい。勝利も価値も望む物も。その全てを手に入れたい。

 

『ならば、戦うのじゃ』

 

「えぇ……その通りですわ……」

 

 毒のように染み込む声の提案を、彼女は自然に受け入れる。一年前のあの日と同じ様に。

 ここで退くなどあり得ない。兵や資材の補充を済ませ次第、レグニーツァに再度挑み、倒す。次に救援に来たエレオノーラも打ち負かす。

 光が闇に反転するかの如く、エリザヴェータは終戦から再戦へと自分の考えを変更する。

 

「ふふ、ふふふ……あはは! ――あぁ、とてもすっきりしましたわぁ……」

 

 エリザヴェータは狂ったように笑う。そのオッドアイは、負の感情に染まっていた。彼女の純粋な想いを穢れで侵蝕したかの如く。

 その声に聞き、何かあったのかとナウムが入って来るが、何でもないと目で威圧しながら一蹴した。

 彼等が出ると、異彩虹瞳の戦姫は歌を軽やかに奏で、黒の髪と瞳の青年の姿を思い浮かべながら懐中時計を開く。

 

「先ずは貴方からよ、マサト。一刻も早く、私だけの物にしてあげますわ。私の黒い宝石……」

 

 手に入れたあとは、檻という名の宝箱に鍵をしっかりと掛け、大切に大切に仕舞って置こう。

 あの美しい漆黒の輝きを、誰にも渡さないように。永遠に自分だけが、その全てを知り、見ていられるように。

 

「その次は貴女よ、エレン……」

 

 彼女の闇は銀色の髪と、赤色の宝玉を思わせる瞳の戦姫、エレオノーラ――愛称、エレンにも向けられていた。

 マサトを捕らえたら、次は彼女も倒し、マサト同様に捕らえよう。

 一緒の部屋に保管し、黒の宝石と赤の宝玉を一生愛でよう。二つの宝の輝きを何時までも楽しもう。

 

「――さぁ、続けましょう」

 

 妖しく艶やかな笑みをエリザヴェータは浮かべる。今の彼女を見つめれば、大抵の者は虜になるだろう。その闇に心を囚われて。

 戦いは、終わらない。それを、黒い懐中時計の音が示すように鳴らしていた。

 

 

 ――――――――――

 

 

 ルヴーシュの陣地から遠くにある森、そこにある一つの木の影から、その存在が姿を現わす。

 

「――ふむ、大体は上手く行ったのう」

 

 姿を表したのは、ゆとりのある黒衣と同色のフードを目が隠れるぐらいに深く被った、短躯の老婆だ。

 身長は子供程度しかなく、それに反して長い衣のせいで裾が土に当たりそうになっているので、老婆は服の端を持った。

 その際に、フードから白髪が元から出ている長い鷲鼻と共に露出する。

 衣が汚れるのを避けようと、手にある大雑把な箒で自分が立つ場所の土をぱっぱっと払った。

 

「移動する場所を間違えたようじゃな。まぁ、よいわ」

 

 目的は達成している。少し意図からは外れているが、彼女を『誘導』出来た。

 戦姫相手にやるのは初めてで、竜具に邪魔されてしまう恐れもあったが、彼女が強い望みを抱く対象がいる、心の底に力や勝利への強い渇望がある。

 他にも、前に与えた力と直接の操作ではなかったことや、彼女が今回の戦いを完全に振り切る前に行なったおかげで成功した。

 大きな挫折を味わおうとも、簡単に変わることが無いのが、良くも悪くも人なのだから。

 とはいえ、あくまで誘導でしかなく、完全に意図した通りとは限らない。

 ただ、この老婆――魔物、バーバ=ヤガーにとってはそうであろうが一向に構わない。

 

「さてと、今度こそは勝つかの?」

 

 バーバ=ヤガーは、夏に仲間達と黒銃を回収しようとしたが失敗。新しい方法を考える日々を過ごす中で、ルヴーシュがレグニーツァに戦を仕掛けることを知っていた。

 一休みと暇潰しの観戦をしようとここへ赴いたのだが、その前に一戦が終わった挙句、自分が力を与えたエリザヴェータが戦姫以外の相手に負けたと知り、この戦に少し興味を抱いたのだ。

 なのに、エリザヴェータは退くと言い出したので、この老婆は力と話術を駆使して彼女が再戦に赴くよう、焚き付け、誘導したのである。

 エリザヴェータの為などではなく、自分が楽しむためだけに。そのせいで多くの死や苦しみが生まれようとも、老婆には関係ない。

 自分が関係しているなど露知らず、人間達が必死になって殺し合う様子を眺め、楽しみ、嘲笑う。たった、それだけだ。

 ただ、バーバ=ヤガーにも一つ気になる点はある。

 

「……儂等や戦姫以外であやつらに勝てる者など、おったかのう?」

 

 戦姫達は、異常な強度と特殊な力を宿す竜具を所持しており、何れも強者ばかりだ。

 偶々それ以上の実力者が対応したか、余程の策略が無い限りは勝てない。

 しかし、さっきのエリザヴェータを見る限り、後者とは考えにくい。となると残るは前者なのだが、どうしてか腑に落ちない。

 

「なんにせよ、楽しませもらおうかの。ひっひっひ……」

 

 闇に呑み込まれた姫の様のこれからを楽しみながら、魔物は邪悪な笑みを浮かべる。

 こうして、魔が生み出した歪みが、更なる戦いを紡いでいった。

 



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