幻想白徒録 (カンゲン)
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第一話 始まりの森の中

初めまして、カンゲンというものです。
申し訳ありませんが、東方キャラは三話くらいから出す予定です~。

深刻すぎる話は書かない予定ですw


 目が覚めた。

 

 周りの景色には見覚えがなく、ここがどこだかわからない。とはいえどういう場所なのかははわかる。

 ここは森の中だ。時間はどうやら昼頃らしく、寝起きな上に仰向けに倒れている俺としては日の光が大変まぶしい。

 体を起こそうとするがうまく力が入らない。睡眠が長すぎたのだろうか。一体いつから寝ていたんだっけ、と思い出そうとしたときに違和感を感じた。

 

 思い出せない。

 

 疲れ果てて気絶するように眠ったというのなら、もしくは眠ったように気絶したというのなら憶えていないことも納得できる。

 だが、ここに来る以前何をしていたのか、どこから来たのか、そも自分は誰なのかということすら思い出せないとなると異常だ。

 思い出そうと必死に頭を回転させるが、ほんの少しの記憶の欠片すら見当たらない。まさに空回りである。

 

 記憶喪失。

 

 少しの間呆然とした。だがそれは本当に少しの間だけだった。どうやら俺はこういう時でもある程度冷静になれる人間だったようだ。

 過去のことは思い出せない。ならば問題はこれからの、未来のことだ。記憶を取り戻すにしても今できることは何もない。まずは行動しなければならないのだ。

 そう考えてから、ふと脳裏をよぎったことがあった。

 

 あれ?俺って人間だよね?

 

 ほんの一瞬考えてすぐに別の考えをしようとしたが、その一瞬の考えに思考停止して他の考え事ができなくなった。

 自分では自分を人間だと思う。だがあいにく記憶がない。

 

「確かめないと…」

 

 何気に声を出したのはこれが初めてだったが、今はそんなことを気にする余裕もない。

 周りの様子をうかがうとサラサラと川の流れる音がする。力の入らない体に鞭を打って川があると思われる方向に向かう。一歩進むだけでもかなりキツイ。案の定、途中で転んでしまい腕を擦りむいてしまった。鈍い痛みを感じ、傷ついた皮膚から血がにじみ出る。

 それでも確認しなくてはならない。立ち上がり、慎重に少しずつ歩く。

 

「着いた…。やっぱり川が流れていたな」

 

 予想通り、川が流れていた。木々の隙間から通り抜けた太陽の光が反射し、なんとも幻想的だ。これだけ綺麗な水ならば今の自分の姿を映すくらい、訳はないだろう。

 意を決して川をのぞき込む。

 

「これが俺か…」

 

 そこには真っ白な髪と黒い瞳を持った男性が映っていた。服装は髪と同じく白の着物だが、ところどころ破れていたり焦げ跡がある。

 

「どうやら普通の人間のようだな。ふぅ…」

 

 思わず安堵のため息をつく。安堵した理由はよくわからないが、おそらく記憶を失う前の俺も人間だったからだろう。「目覚めたら人外でした」はさすがに受け止めるのに時間がかかるからな。

 その場に腰を下ろし、再度ため息をつく。ふと先ほど怪我してしまった部分を洗っておこうと思い、擦りむいた腕を見た。

 

「あれ…?」

 

 だがそこに怪我などなく、他と同じ白い肌があるだけだった。違うのは土で汚れていることと血液が付着していることだ。

 どういうことだと考えていると、その血液が煙を上げ、消えてしまった。さながら蒸発でもしたように。

 

「人間…だよな…?」

 

 零れ落ちた疑問の声に答えるものはなく、ただ風に揺られた木々が音を立てるだけだった。

 

 

 

----------------------------------------

 

 

 

 それからしばらくは体に力が入らないままだったが、数時間後には普通に歩けるようになった。

 だが先程までは一歩歩くだけでもヘロヘロになったのだ。いくらなんでも回復が早すぎる。いつの間にか無くなった傷といい、こういう体質なのだろうか。

 少し気味が悪いがありがたい。いつまでもここにいるわけにもいかないだろう。

 とりあえずの目標は「人を見つけること」と「記憶を取り戻すこと」だな。というか森の中で夜になったら本当に真っ暗になる。

 怖いのは勘弁。人を見つけることを最優先にしようそうしよう。

 

 ここで目覚めたときは空腹などはなかった。つまり、そう長い間森の中にいたわけではないと思う。まぁ森の中にある食物を食べながらここまで来ていたら違うのだが、今は近くに町、もしくは村があると仮定して動こう。

 もしかしたら誰かが探しに来てくれていたりするかもしれない。だが大声は出せない。獣や妖怪にでも見つかったら面倒だ。

 それでもこれは予想なのだが、人に会うのにそんなに時間がかかるとは思えない。早速移動するとしよう。

 

 

 

 そんなふうに考えていた時期が私にもありました。移動開始してから一年。いまだに人に会わない。獣やら妖怪には会うのだが人には会わないのだ。

 最初の三ヶ月は倒れていた場所の周りを歩き回った。結果は惨敗。人に会うどころか村の痕跡すら見つけられなかった。

 次の三ヶ月は最初の場所から離れ、ひたすら一方向に向かって歩いた。結果は森すら抜けられなかった。

 その次の三ヶ月は高いところに上って周りを見渡したり、襲われることを覚悟して叫んでみたりした。結果は落ちたり襲われたりで怪我が増えた。

 最後の三ヶ月は色々実験しながら無心で歩いていた。正直目的を忘れかけていたと思う。

 

 だが、この一年も無駄ではなかった。正確には「後半の六ヶ月は」だが。

 まず怪我について。結論から言うと擦り傷程度なら数秒で治った。骨折は完治に一日かかったがこれでも早すぎる。

 おまけにこの一年、空腹を感じなかった。最初は一応木の実など食べていたのだが、食物が見当たらない場所に来た時に仕方なく数日飲まず食わずでいたが、体に異常は見られなかった。こっちのほうが異常な気がするが。

 睡眠についても同様で必要ないらしく、今の時点で三ヶ月寝ていない。ただ眠れないわけではなく、横になってしばらくすれば普通に眠れる。

 

 これらの状態は俺の持つ生命力に関わっているらしく、怪我をしたときにそれを修復するのに生命力を利用するようだ。

 空腹や睡眠についても同様。食べなかったり眠らなかったりした時は、体調を整えるために生命力を使っているらしい。

 

 記憶喪失とはいえ、全部のことを忘れているわけではない。これは目覚めたときに森の中にいることや、川の音がわかったりしたことからもわかる。

 いわゆる『常識』については忘れてはいないようだ。そして俺の場合、この常識の中に力の使い方についてもあった。

 

 集中して自分の中の力を見てみると俺はどうやら二種類の力を持っているようだ。

 一つは『生命力』。もう一つは『霊力』。

 霊力とは主に人間や霊体が持つ力だったか。俺も持ってはいるが大した量はなく、少し使えばすぐ空っぽになってしまう。

 問題は生命力のほうだ。こちらもそこまで大量にはないのだが、使いまくって少なくなってもすぐに満タンになるのだ。

 一度に出せる量は少ないが、ずっと使っていられる。

 

 これはどういうことだ?

 まるで生命力の出る蛇口だ。バルブさえ開けていればいくらでも出てくる。どこからこんな大量の生命力が出てくるのかさっぱりだ。

 

 だが一度に使える量は決して多くは無いのだ。調子に乗って妖怪に戦いを挑んだりするようなことはしない。一応対策はしておいてあるが。

 元々持っていた知識を使って簡単な術は使えるようになった。それと生命力をそのまま放出して離れた場所の物を動かすことなどもできる。自分の手足の延長のように考えればやりやすい。

 これらを使えば弱い妖怪は対処できるし、手に負えないと判断した場合は飛んで逃げることもできるようになった。

 

 

 

 今は適当な方向に向かって飛んでいる。それほど速度は出ないが、道の悪い森の中を歩くよりは全然マシだ。

 色々とわからないことも多いが、今は当初の予定通り人を探すとしよう。

 妖怪がいるのだから人はいるはず。もう一年以上も誰とも会っていない。いい加減寂しいのだ。

 

 この際、妖怪でもいいから話し相手が欲しいなんて、身も蓋もないことを考えながら旅を続けている今日この頃です。

 

 

 




ほとんど設定の説明だけでした。
そして常識を忘れていないわりに、色々憶えていることがおかしい主人公。
一応理由はありますが、語られるのは少し後です。

文章書くのって難しいね。でも楽しいからいいやw


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第二話 人里での暮らし

東方キャラは次回出ます。もうちょいお待ちを~。


 人里を求めて旅に出てからかなりの時がたった。

 さすがに百年も探せば見つけられるものだな。というか何故百年も見つからなかったのだ…。

 最初に人里を見つけたときはうれしすぎて、全速力で飛んで人里の真ん中に着地してしまった。あの時の周りの目は忘れられない。

 

 そりゃ、妖怪退治の専門家も出てきますよね。

 

 自分が人間だと説得するのは骨が折れた。最終的には俺から妖力が感じられないということで納得してくれて助かったが。…ホントにごめんね。

 この人里には数年滞在させてもらっているが、当初は物々交換に出せるようなものを何も持っていなかったので医者の真似事をしながら暮らしていた。

 俺に普通よりも高い治癒能力があるのは前から知っていたが、自分以外であっても俺の血液を傷に塗ることで再生を促すことができることに気付いたのは割と最近だ。病気であっても血を飲ませることである程度回復するようだ。この体質のおかげでそこそこ豊かな暮らしができている。

 また、この人里には飛んできたためか、力のある者と認識されたようで妖怪退治なんかの依頼もよく来る。

 周りの人々には仙人だと呼ばれたが、あいにく俺は修業などはあまりしていない。

 一度に使える力の量は多くない。そしてこれは昔から変わらない。色々試しては見たのだが増えも減りもしなかった。

 それでもせめて力の扱いが上達するようにという訓練はしているけれど、それだけだ。

 

 

 

「仙人様、いらっしゃいますか?」

「はいはい、いますよ。どうぞ入って」

 

 住まわせてもらっている家で力の扱いの練習をしていたら依頼人が来たようだ。俺は仙人ではないのだが、じゃあ名前は何だと言われたら困るのだ。

 俺はいまだに名無しのままだ。少し不便にも思うが自分で自分に名前を付けようとも思えない。こういうのは誰かに付けてもらいたいのだ。

 

「失礼します。仙人様、依頼をしたいのですがよろしいですか?」

「もちろん。まぁとりあえず上がって。いま、お茶を出すから」

 

 扉を開けたのは十二、三くらいの歳の少女だ。この子のことは知っている。いつも元気で優しい少女だ。確か名前は…

 

「千代…だったかな」

「あっ、名前知っていてくれたんですね。ありがとうございます!」

 

 名前を知っているだけで喜ばれた。やはり名前は重要だよな。その人を表すときに一番最初に出てくるものだ。

 

「仙人様の名前は何なんですか? 私も仙人様を名前で呼びたいです」

「あー、えーっと…」

 

 もしかしてこれはチャンスではないのか? この子に名前を付けてもらうというのも悪くない。

 茶を湯呑に注ぎながらそんなことを考えた。

 

「その、実は俺に名前は…」

「あっ! 申し訳ありません! 私のようなものが仙人様を名前で呼びたいなんて無礼な真似を!」

「いや、違くてな?」

「どうかお許しください!」

「怒ってない怒ってない。大丈夫大丈夫」

 

 勢い良く頭を下げる千代をなだめる。全然怒ってないのにここまで必死に謝られると困ってしまう。なんだか悪いことをした気分だ。

 多分もう名前を付けてもらうのは無理だろうな。それにこの少女の反応からして、この里の人たちには頼めないかもしれない。

 嫌われるよりはいいけれど、ここまで持ち上げられてもなぁ。

 

「大丈夫だから。まぁとりあえずお茶でも飲んで」

「あっ! わざわざありがとうございます! お手伝いせずにすみません」

「お客さんなんだから気を使わなくていいんだよ?」

 

 この歳でここまで気が使えるのはすごいなと素直に感心する。だが、四六時中これだと大変そうだ。とりあえず今はリラックスしてもらおう。

 

「俺は自分で自分のことを普通の人間だと思ってるよ。この里の人たちと同じでね。だから特別扱いなんてしなくていい。普通が一番だ」

「はい…。ありがとうございます」

「まぁそれは少しずつ慣れてもらうとして、依頼があってきたんだよね? どんな依頼かな?」

 

 今のところの依頼内容は大きく分けて二つ。一つは怪我人、病人の治療。もう一つは妖怪退治。後者の依頼は大抵、他の妖怪退治の専門家の人たちからが多いので今回の依頼は前者と予想できる。

 

「はい。ええと、七日後が私の母の誕生日なのですけれども、その贈り物として珍しいお花を見つけたいんです。淡い水色に輝くお花らしいんです」

「ふむふむ」

「それでそのお花なんですけれども、なんでもここから少し離れた山の麓にあるらしくて」

「ふむ…」

「仙人様にそこまでの道の護衛をお願いしたいんです」

「……」

 

 予想は外れたが別に問題はない。ないが…。これはどうしようか。

 正直そこまで遠くない上にここら辺の妖怪は俺でも十分対処できるレベルのものだ。おそらく余裕で依頼は達成できる。

 だがそれでも危険なことに変わりはない。その花を入手できたとしてもそれを贈るとき危険を冒して手に入れたものだと知られたら、間違いなく母親は心配するだろう。家族とはそういうものだ。俺だけで探しに行くという方法もあるが、多分結果は同じだろう。

 危険な場所に人を送った。この時点でいい顔はされないだろうな。

 

「…悪いがその依頼は引き受けられないな」

「え!? ど、どうしてですか?」

「千代を危険な場所に行かせるわけにはいかないからだ」

「で、でも! 仙人様がいれば大丈夫ですよね?」

「これはそういう問題じゃないんだ。無事かどうかは関係なく、危険な場所に行ったことが問題なんだ。わかってくれ。お母さんもその花の贈り物より君と一緒にいたいんじゃないかな」

「ですが…。いえ、わかりました。ありがとうございます」

 

 千代はそう言うと立ち上がり、礼をして帰って行った。俺の伝えたいことが伝わったのならいいんだが。そんな贈り物よりも大切なものがあると。

 

 

 

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 六日後の昼頃。

 俺はその日来た依頼をこなしていた。今回は怪我人の治療だ。どうやらこの男性、屋根の修理中に足を滑らせて落下してしまったようだ。大事には至らなかったようだが、手足に大きな傷ができている。

 すぐさま俺は腰の短刀を取り出して自分の手のひらを切る。俺は慣れたものだが他の人たちはあまり見たくないらしく、目を背けている人も多い。まぁそりゃそうだよな。

 出てきた血液をすぐに男性の傷に垂らす。すると見る見るうちに傷が治っていく。この光景も見慣れたものだ。周りにいた人たちから「おおっ」という歓声が上がる。何でこれは見てるんだよ。

 ついでに男性の力の流れを調整して体調を整える。こと力の扱いに関してはそこそこ上手いという自信がある。

 

「いやぁ、助かったよ仙人様。ありがとう」

「力の流れが少し悪いな。仕事続きなんじゃないか?」

「いやまいったな。頼られるとうれしくて、ついな」

「お人好しな性格は結構だが自分の身は大切にしろよ?」

「仙人様には言われたくないですな!」

 

 なんでだ。ガハハハと豪快に笑う男性を見ながらため息を吐く。周りの人たちもウンウンと頷いている。

 …まぁ確かに。「お人好しな性格は結構だが自分の身は大切にしろよ?」はすごいブーメランだったかもしれない。

 だが、助けたのは依頼があったからだし、あの行動も傷が治ると知っての行動だ、などと頭の中で言い訳を並べてみるが途中でその思考は途切れた。

 

「仙人様! 仙人様!」

「あなたは確か、千代の…」

「ああ! 仙人様! 千代を…千代を見ませんでしたか!?」

「いや。行方不明なのか?」

「はっ、はい! 朝からあの子の姿が見えなくて、遊びに行ってるだけかとも思ったのですが、あの子の友達も知らないと! それで探し回っているんですが見つからなくて! ああ、どこに行ったの千代!」

「とりあえず落ち着いて。一応心当たりがある。探してくるからあなたはここで待っていて」

「お願いします! お願いします仙人様!」

「みんな! 俺は少し里の外に出る。この人のことを頼んだ。それと念のため妖怪退治の専門家たちに里の周囲を警戒するように伝えておいてくれ」

「わかりました! お気をつけて!」

「すぐ戻る」

 

 俺はその場で力を操作し、上空に飛び上がった。同時に集中してあの子の力を探る。子供は力が少ないから探知するのは難しいが、今回はある程度の方向はわかっている。

 よし、見つけた。今のところ力に乱れは感じない。獣や妖怪には遭遇していないようだ。不幸中の幸いだな。すぐに向かうとしよう。

 

 心当たりとは六日前のあの依頼だ。十中八九あの子は一人で贈り物のために花を取りに行ったのだろう。

 俺の言いたいことは伝わっていなかったようだ。まぁ俺も百年近く誰とも話していなかったから、伝え方が悪かったというのもあるんだろうが。

 もしさっきの母親が取り乱している場面に千代がいたなら、俺の言ったことも理解してくれたかもしれないな。そんなことを考えながら全速力で目的地に向かうのであった。

 

 

 

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 山の麓を目指して歩き始めてから大分時間がたった。

 みんながまだ起きてこないうちに家を出て向かえばお昼ごろには戻れると思ったのだが、森の中を歩くしかないという条件が思った以上に大変だった。土はぬかるんでいる上、枝やらなにやらのせいで歩きづらい。

 おまけに視界が悪くて目指している場所を見失いそうになってしまう。もう十回以上転んだだろう。帰ったら着物洗わなきゃ。いや、もう捨てるしかないかな。

 

 目指す場所は山の麓。淡い水色の光を放つお花を持って帰るのだ。お母さんにとって特別な日なんだもの。私もお母さんを喜ばせたい。

 

「はぁ、はぁ…。もう少し…」

 

 足が痛む。肺も痛い。立ち止まって休みたい。でももう少し。

 どうして仙人様は私の依頼を断ったのだろう。仙人様がついていれば絶対大丈夫なのに。こんな辛い思いもすることなかったのに。

 ああ、いけないけない。仙人様を悪く言ってはいけない。きっと何か考えがあったのだ。

 疲れているときって変なことを考えてしまうなぁ。でももう少し。もう少し。

 

「はぁ、はぁ…。着いた…やった…」

 

 やっと着いた。日はもう傾き始めている。森の中というのもあってもう大分暗くなってきている。そのおかげで淡く光る花は簡単に見つけることができた。

 

「わあぁ…。すごくきれい…。これを持って帰ればお母さん絶対喜ぶよね。仙人様も認めてくれるかな?」

 

 光る花を手に取り、傷つけないように周りの土と一緒にそっと持ち上げる。だが不思議なことにその花には根っこがなかった。代わりに一本の管が繋がっている。

 その繋がった先を見ようとして―――

 

「その花から離れろ! それは妖怪の疑似餌だ!」

「え……?」

 

 突然仙人様の声が聞こえた。

 思わず声のしたほうを向こうとしたその時、手に持っていた花が体に巻き付き、ものすごい勢いで引っ張られた。混乱していた私はそのまま管の先にいた妖怪の口に引っ張られていった。

 

 

 

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「その花から離れろ! それは妖怪の疑似餌だ!」

 

 千代を見つけたと思ったら妖力を発している花を手に持っていた。少なくともあれは植物ではない。その花の形をした何かには管がついていて、その先をたどっていくと案の定、妖怪がいた。

 白い毛を持つ大きな狼のような妖怪で、体高は二メートルはある。管は妖怪の頭に繋がっている。この妖怪も上手いことを考えたものだ。

 

「え……?」

 

 千代がこの場にふさわしくない、なんとも気の抜けた声を出す。どうやら予想外のことが立て続けに起こったせいで放心しているようだ。

 その時、妖怪が管を千代に巻き付け思いっきり引き寄せた。突然のことに反応できなかった千代はされるがまま妖怪のもとへ引きずられている。

 全速力で千代と妖怪のもとへ向かいつつ、力を込めた短刀を妖怪の管めがけて投げつけた。

 

「ガアアアアアァァァァァァ!?」

 

 見事命中。管は両断され引き寄せられていた千代は少し転がった後、停止した。俺は妖怪と千代の間に降り立ち先程の短刀を回収し左手に持つ。

 目の前の妖怪は恨みのこもった目でこちらを真っすぐに睨んでいる。

 

「白い髪のよしみで選ばせてやる。今すぐここを立ち去るか。今すぐここで死ぬか」

 

 選ばせてやる、とは言ったが正直この後のことは予想がついている。

 

「ギャアアアアオオオオオォォォォォォォ!」

 

 まぁ、妖怪には人間から逃げるなんていう選択はないみたいだな。

 つんざくような咆哮を上げ、一直線に突進してくる。俺はその場から動かず、生命力を纏わせた右腕を前に突き出す。妖怪は一瞬警戒したようだが、突き出した右腕に咬みついた。

 

「仙人様!」

 

 後ろの千代が叫ぶ。

 大丈夫だ。右腕は力を纏わせたおかげで千切られることはない。かなり痛いがそれだけだ。この程度の傷は数時間でふさがるし、たとえ毒があったとしてもそれも俺には効かない。

 今重要なのはこの妖怪が一時的とはいえ動きを止めたことだ。獣型の妖怪の動きは総じて素早い。おまけにこの妖怪は賢い。こいつと戦う時に俺が攻撃を避けるような真似をすれば、標的が千代に変わる可能性があった。それはいけない。標的は俺に固定しなければならない。

 かなり無茶な方法だったが、狙い通りだ。

 

「妖怪が。あんまり人間なめるなよ」

 

 左手に持った短刀に全生命力を集中する。妖怪が気付いたようだがもう遅い。短刀を左下から右上に振り抜く。

 

「ガ…?」

 

 この場にふさわしくない、なんとも気の抜けた声を出す妖怪。ついさっきの誰かみたいだな。

 妖怪は数秒停止した後ゆっくりと倒れた。だがさすがは大きな妖怪だ。ゆっくり倒れた割に大きな音が響く。衝撃もなかなかで周りの木々がざわめきだした。

 

「ふぅ…」

 

 短刀を腰の鞘にしまいながら後ろを振り返り、座り込んでいる千代と目線を合わせるために俺もしゃがむ。

 

「怪我はないか?」

「は、はい、私は。でも仙人様が!」

「問題ない。数時間でふさがる。今はここにいるほうが危ない。ということで帰るぞ、おんぶしてやるよ」

 

 しゃがんだ体制はそのままで千代に背を向ける。しばらく無反応だったがおずおずと背に乗ってきた。よしよし。

 …そこそこのスピードを出して里に帰るとしよう。

 

「しっかりつかまってろよ。行くぞー!」

「わわ、怖い! 怖いです仙人様!」

 

 みんなを心配させた罰だ。里に着くまでスピードは緩めんぞ。

 

 

 

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「帰ってきた! 帰ってきたぞ!」

 

 どうやら里のみんなも心配して待っていたようだな。もうすっかり真夜中だというのにずいぶんな人数が外にいる。

 この様子からして俺がいない間に妖怪が攻めてきたりはしなかったようだな。

 

「ただいま」

「仙人様!? 腕が!」

「問題ない。が、さすがに疲れた。傷を治すのに集中してるよ。ほれ、千代。お母さんと話してこい」

「う、うん」

 

 背中から千代を下ろし、俺は生命力を傷口に集中し再生を早める。

 

「お母さん……」

「…………」

「えっと、ごめんな―――」

「よかった! 本当によかった! 心配で心配でたまらなかったんだから!」

「え? え? お母さん?」

「珍しい花なんかよりも! 素敵な贈り物なんかよりも! あなたがいてくれればそれでいいんだから!」

「! …グスッ、ありがとう…お母さん…。ごめんなさい…ヒック…ごめ…なさああぁぁぁぃ…」

 

 

 

 それから十数分、二人は抱き合ったままだった。周りにはこの二人に感動して涙を流す人がたくさんだ。何やら酒を持ってきて集まっている者までいる。このままだと今夜は宴会だな。

 俺も傷の再生が終わった。ほっとけば数時間はかかっていただろうが、力を集中すればある程度早めることができる。力の扱いの練習をしていてよかった。

 体の調子を確かめていると、千代とその母親がやってきた。

 

「この度は本当にご迷惑をおかけしました」

「仙人様、助けてくれてありがとうございます」

「あんまり気にするな。俺も千代には上手く言いたいことが伝えられなかったようだしな」

「いえ! 仙人様は悪くありません! 私がもっと周りを見て考えることができていたら…」

「そう思い詰めるな。今回は無事だったんだから。ただ、次からはちゃんと周りを見ろよ。お前の周りはいいやつばかりだからな」

「本当にありがとうございました。何かお礼をしたいのですが…」

「うーん、ならこういうのはどうだ? おーいみんなー!」

「?」

 

 周りで飲めや歌えやと大騒ぎしているやつらに向けて声を上げる。

 

「今日は千代の母親の誕生日だ! 今酒を飲んでいるやつは何か一発芸をしろ! 下品なのはNGな!」

「いきなりそんな! 横暴だー!」

「わはは! ついでに俺も楽しませろ!」

 

 ぎゃーぎゃーとうるさいやつらは無視して横でぽかんとしている母親に話しかける。

 

「俺も宴会を楽しませてもらう。礼はこれでいいよ」

「……。ふふふ、わかりました。仙人様のお気遣い、ありがたく頂戴いたします」

「よせやい、堅苦しいのはなしだ。ほれ千代も。酒はダメだが料理もたくさんあるようだから楽しんで来い」

「はい! ありがとうございます! 仙人様!」

 

 仙人じゃないんだけどなぁ。まぁ今はそんなこと気にならなくなるほど楽しませてもらうとしよう。

 目の前のステージでなかなか面白い芸が思いつかず、おどおどしている酒飲みを見ながらそう思うのだった。

 

 

 



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第三話 妖怪との会話

登場人物の誰一人として名前が出てきませんw
ですが、今回出てくる妖怪は皆さんわかるでしょう。


 あれから数年の時がたった。この人里にはずいぶんな時間滞在したが、そろそろ次の場所に向かおうと思う。ここにいるやつらには世話になったし俺も離れがたいのだが、人に会う以外にも目標がある。それは記憶を取り戻すことだ。

 どこに向かえばいいかはわからないが、ここに居続けることが正解ではないだろう。俺の出身地はここではないようだしな。

 里の連中には近いうちに旅に出ることを伝えてある。一緒に遊んだりした子供たちや、前に依頼に来てくれた人たち、妖怪退治の同業者たちが毎日のようにここに残ってくれと説得しに来ている。

 信頼されているようでとてもうれしいのだが、俺にもやりたいことがあるのだ。相変わらず名前もないしね。

 

 

 

「仙人様、本当に旅立ってしまうのですか?」

「悪いな。俺にも色々とやりたいことがあってな。大丈夫だ、これが最後ってわけじゃないさ。気が向いたら立ち寄ったりするよ」

 

 今日は里を出る日だ。人里の半分以上の人たちが見送りに来てくれた。

 一人一人に挨拶をしていると妖怪退治の専門家たちがこちらに向かってきた。

 

「仙人様、これを」

「なんだ、これ?」

「私たちが作った刀『白孔雀(しろくじゃく)』です。旅のお役に立てるよう力を合わせ作成しました」

「おお…!」

 

 受け取った刀を抜いてみる。純白の刃に光が反射し、儚げな印象を受ける。鍔はなく、刃渡り六十センチほどの直刀だ。今まで使っていた短刀はせいぜい二十センチほどだったので戦闘ではいささか使いづらかったのだ。もともと自傷用にだけ使う予定だったものだから仕方ないのだが。

 これは大変ありがたい。力の操作は慣れているとはいえ、力の量自体は多くない。いざという時の護身用の武器はあったほうがいい。

 

「これは助かるな。ありがとう」

「その刀はある程度の量の力を蓄えられる性質を持っています。仙人様は一度に大きな力は使えないようなので、それに少しずつでも蓄えておけば、いざという時あなたを守る刃となるでしょう」

 

 さすが専門家。よくわかっていらっしゃる。俺の性質を知り、それにぴったりの武器を作るとはさすがとしか言いようがない。

 直刀を鞘にしまい、腰に差す。

 

「俺からもみんなに渡すものがある。ほれ」

「これは…赤い玉?」

 

 持ってきておいた袋を取り出し中身を見せる。入っているのは鮮やかな赤色をした直径三、四センチの球体だ。

 

「俺の血液を圧縮して固形にしたものだ。液体のままだと何故か蒸発してしまうからな。これを多めの水の中に入れてしばらくすれば、少し劣るかもしれないが俺の血液のような効果が得られる。見た目は小さいがかなり大量の血液を固めてあるからそこそこ効くはずだ。少し気持ち悪いかもしれないが勘弁してくれ」

「最後の最後まで…。本当にありがとうございます」

「俺もみんなに大分世話になったからな。これくらいはさせてくれ。じゃ、そろそろ行くよ。みんな元気でな」

 

 俺は生命力を操作し、上空に飛び上がる。下から聞こえる声に手を振ってこたえ、次の人里を目指しゆったりと飛ぶことにした。

 

 

 

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 それから約五百年が経過した。どうやら俺は人里を探すのが苦手らしい。

 確かにあれから前の人里のことを思い出して、飛んでいくのはまずいと思い歩きが多くはなったが、ここまで見つからないとなると一種の才能のようにも感じる。全くもっていらない才能だ。

 他に人里がある場所を聞いておけばよかったなと反省。だが、今から戻るのもなんだが恥ずかしい。

 そんなことを考えながら歩いていたら、森の中だというのに鮮やかな金色に光るものを見た気がした。

 

「こんな森の中で…なんだろう」

 

 若干だが妖力を感じる。というと妖怪だろうか。一応警戒しながらその場所に向かっているが、この分だとかなり弱っているようだな。

 見ると金色の髪をした十歳前後くらいの少女が傷だらけの姿で倒れていた。その鮮やかな金の髪は土で汚れ、整っているであろう顔は今は苦悶の表情を浮かべている。

 

「人間? いや、やっぱり妖力を感じる。てことはこの子妖怪か?」

 

 人型の妖怪など見たことがない。やはり他の妖怪同様、人間には問答無用で襲ってくるのだろうか。

 もしも会話できるのならば、してみたい。五百年間話す相手がいなかったというのもあるが、それよりも単純に興味があった。妖怪と心を通わせることはできるのだろうか、と。

 そのためにも、今この子に死んでもらっては困る。腰の短刀を取り出し、手首を切る。流れ出た血を力を使ってこぼさずに空中に集め、妖怪の傷口にかける。これで外傷は問題ない。次に血液を妖怪の口元に運び、飲んでもらう。内部にも損傷があるかもしれないから一応な。

 妖力の量も少ないな。俺は妖怪の頭に手を置き、自分の生命力を少量譲渡する。妖力と生命力は別物だが力であることに変わりはない。与えれば妖怪の中で勝手に妖力に変換される。

 よし、これで死にはしないだろう。あとは自然に目を覚ますのを待とう。力を与えすぎて起きた直後に殺されるのは勘弁だからな。

 

 

 

 翌日。妖怪はまだ目覚めない。だが妖力は順調に回復している。この調子ならいつ目覚めてもおかしくないな。

 一つ所に留まりすぎるのも危険なので、俺とこの妖怪の力が漏れないような結界を張り、周りに見つからないようにしている。念のため、かなり広い範囲に妖怪避けの結界も張っているから生命力がかなりの勢いで減っていく。

 普通なら危険なのだが、相変わらず俺の生命力は減った先からどんどん回復している。

 

「……んぅ……っ!」

 

 目が覚めたようだ。目をゆっくり開いたかと思えば急に顔がこわばり、飛び起きて俺から距離を取った。警戒するのは当然なのだが少し悲しい。

 

「くっ…妖怪!?」

 

 違います。今回は座っていただけなのに妖怪と断定された。髪が白いからかなぁ?

 

「俺は人間だ。妖力がないだろう。とりあえず落ち着け…」

 

 妖怪に話しかけているとその妖怪が手のひらをこちらに向けてきた。その瞬間、視界が赤に染まった。正確には右半分が。直後に襲い来る激痛。見てみると右の肩から先が無くなっていた。

 

「……ッ!?」

 

 言葉にできないほどの痛みが脳を支配し、思わずその場でうずくまる。断面から流れ出た血が地面を赤く染めていく。

 まずい。これはまずい。急いで修復しないと。

 生命力を傷に集めようとするが、痛みのせいで力の操作に集中しきれない。おまけに結界を張るために力を使っているせいで、修復に使える力が少ない。今まで多少の怪我なら治してきたが、欠損となると元通りになるかわからない。

 

 落ち着け。傷の修復も重要だが目の前の妖怪も警戒しないと。俺は腰の直刀『白孔雀』を取り出し地面に突き刺した。百年以上溜め込んだ生命力をすべて解放して傷の修復を行い、自身の周りに強力な結界を張る。

 これでひとまず大丈夫だと思うが、血液を失いすぎたのか意識が薄れてきた。

 

「……~~~? …~~~~!」

 

 目の前の妖怪が何か言っているようだがうまく聞き取れない。視界も暗くなってきた。今気絶しても直刀の力のおかげで傷の修復と結界の維持は可能だが…。

 それにしても油断したな。まさかあの少ない妖力で腕を消し飛ばすほどの攻撃ができるとは。それに今までの妖怪のような直接的な物理攻撃ではなく、おそらく何かの能力を使っての攻撃だ。

 やっぱり、妖怪と会話なんてできないのだろうか。俺は内心落ち込みながらゆっくりと意識を失っていった。

 

 

 

----------------------------------------

 

 

 

 私は生まれた時から自分が普通の妖怪とは異なることを知っていた。

 『境界を操る程度の能力』。私が最初から持っていた能力だ。その名の通り、境界であればそのすべてを支配下に置くことのできる強力な力だ。

 だが私はこの能力が好きではない。今は能力を持っている妖怪自体が珍しい上、使い方によっては神にも匹敵するほどの強力な能力なのだ。そんな能力を生まれて十数年しか経っていない木っ端妖怪に使いこなせるはずもなく、私はこの能力を持て余していた。

 おまけにこの力を我が物にしようとでも考えているのか、他の妖怪に襲われることなど日常茶飯事だった。まだ使い慣れない能力を駆使して何とか生き延びてはいるが、一時も気が休まる時間がない。

 常に緊張の糸を張りつめ、訪れるかもしれない終末に恐怖する毎日に私の精神はすり減っていた。いっそ、他の妖怪に殺されたほうが楽なのではないかなどと考えてしまうほどに。

 

 そんな自分と比べると、人里で暮らしている人間たちがなんだかとても遠い存在に思える。ほんの少し覗いただけだが、人間たちの暮らしは今の私の目にはとても魅力的なものに映った。

 たくさんの仲間がいて、争いなどほとんどない。妖怪に襲われても力を合わせて撃退する。死ぬも生きるも一蓮托生。絆、とでもいうのだろうか。

 羨ましいな。

 でも自分は妖怪だ。あの輪には入れないのだろう。私は人間たちからすれば排除するべき対象なのだ。

 

 また今日も妖怪が襲ってきた。空間の境界を操り、離れた場所に移動する。いつもならばこれで撒けるはずなのだが、この妖怪は今までの妖怪とは違い、すぐに私の場所を突き止めた。

 どうやら私から発せられる妖力を感じ取れるらしく、どんなに移動しても追い付いてくる。まだ能力を使いこなせない私は、境界を操り移動できる距離も回数も多くない。

 このままでは追い詰められるのも時間の問題だ。一か八か、すべての妖力を使い一番遠くの場所に空間を繋げる。だが案の定、無茶な力の使い方をしたせいで移動した先で意識を失ってしまった。

 

 

 

「……んぅ…」

 

 ようやくある程度の妖力が回復したらしく、私の身体が覚醒を始める。どれくらい眠っていたんだろう。どうやら寝込みを襲われるようなことはなかったようだ。まだ生きていることに安堵しつつ、ゆっくりと瞼を開く。

 太陽の位置からして眠っていたのは二時間程度か。丸一日以上たっている可能性もあるけど、それだけの時間がたてばあの妖怪はとっくに私を見つけているだろう。

 体を起こす前にどこに移動したのか確認しようと、焦点の合い始めた目で周りを見る。そして、すぐ近くにいる何かに気付いた。

 

「……っ!」

 

 一瞬にして眠気が吹き飛び、急いでその何かから距離を取る。いつでも能力を使えるよう、警戒しながら相手を見る。

 見た感じは人間のようだが、保有している生命力が少しおかしい。普通の人間のそれとは少し異なるように感じる。これは変化の得意な狐や狸の妖怪が人間に化けた時に起こる、妖力を無理矢理生命力に変化させたような不自然な力に似ている気がする。

 

「くっ…妖怪!?」

 

 警戒レベルを最大にまで上げる。この人間モドキはどうしてバレたとでも言いたそうな怪訝な顔をしている。ずいぶんと余裕だ。妖力が少ないと思って油断しているのだろう。

 

「俺は人間だ。妖力がないだろう」

 

 苦しい言い訳を並べてくるが、その不自然な生命力が何よりの証拠だ。人間と妖怪の両方を知っている私でも一瞬騙されかけたが、今すぐその化けの皮を剥がしてやる。

 ここまで精巧に化けるには力の操作が上手くないとできない。つまりその力を乱してしまえばすぐにでも変化は解けるだろう。

 

「とりあえず落ち着け…………ッ!?」

 

 相手の言葉を無視して境界を操り、奴の右腕を切り離す。一瞬放心していたようだが、声にならない悲鳴を上げその場にうずくまった。

 何やら力を操作している。反撃でもする気か。だが集中しきれないようで力の流れがでたらめだ。この状態なら変化が解けるのも時間の問題だ。

 

「…………?」

 

 変化が解けない? 相変わらず奴は力の操作を続けているが、変化を解く様子が全くない。その操作している力にしても傷口に集めているだけで反撃するためのものではないようだ。

 普通はこんな重傷を負えば一瞬で術が切れるはずだが。そう思ってから一つの仮定が頭をよぎった。

 

「……まさか、本当にただの人間…?」

 

 だとしたら、私はなんということをしてしまったのだ。この人間はもしかしたら倒れていた私を介抱していたのではないか?

 そもそも、殺したければ眠っているときに殺していただろう。何故そんなことも思いつかなかったのだ。周りを見ると、この男の荷物らしきものと焚火の跡がある。長時間ここにとどまっていたようだ。

 決定だ。この男が人間にしろ妖怪にしろ、私を襲うつもりはなかったのだ。なのに私は早とちりをして右腕を…。

 

 自責の念に駆られていると、男が腰に差した刀を抜き、地面に突き刺した。瞬間、とてつもない量の力があふれ出る。

 何事かと思いその場で動けずにいると、男はその力を上手く操作し、自身の傷に集中した。それと同時に彼の周囲に強力な力場が発生した。

 これは結界? それを自分の周囲に展開しているということは、私の追撃を考慮しての対策だろうか。

 

 境界を操れば右腕を治せるかもしれない。そう思ったが結界が思った以上に強力で、少なくとも今の私ではこの結界の境界は操れない。

 狼狽していると男は意識がなくなってきたのか、その場で倒れてしまった。

 このままでは死んでしまう。だが今の自分には見ていることしかできない。

 

「しっかり! しっかりして! お願い、この結界を解いて…!」

 

 精一杯声を張り上げるが、男は反応しない。

 死んでしまったのだろうか。だが結界は維持され続けている。手出しができない。

 私が殺してしまった。おそらく私を助けようとしてくれていた人間を私が…。

 体の力が抜け座り込んでしまう。

 

 しばらくそのまま俯いていたが、ふと男の行動に疑問を持ち顔を上げた。結界を張るために力を使ったのはわかったが、何故傷口にも力を集中していたのだろうか。

 もしかしたら。そう思い、いまだ結界の中で倒れている男を見る。

 右腕が再生していた。

 力を集中していたのは傷を再生させるためだったのだろう。私は今までにないくらい歓喜した。今考えてみると実におかしな光景だっただろう。

 男がしっかりと呼吸している様子を見て、安堵のため息を吐く。謝らなければならない。そのためにこの男が起きるまではここにいることにしよう。

 

 

 

----------------------------------------

 

 

 

 意識が覚醒する。

 どうやらまだ生きているようだ。結界はしっかり維持されていたようだ。続いて右腕を見るとこちらも再生が終わっていた。

 直刀に溜めていた力を使ったおかげで予想以上に再生速度が上がっていたらしい。自分が使える力だけだったら危なかったな。

 結界が維持されているということはあの妖怪もこの結界は破壊できなかったようだ。ならばもう、どこかへ行ってしまっただろうか。

 

「あ、起きたのね! 良かったわ。本当に良かった…」

 

 心地よいほどに綺麗な声が鼓膜を震わせる。だがそれを聞いた俺は警戒するべきと判断し、体制を整えもう一つの武器である短刀を取り出し構える。

 すると、結界の外にいた妖怪が目に入った。俺が介抱していた妖怪だ。ずっとここにいたのか。

 

「ご、ごめんなさい! ちょっと待ってください!」

 

 妖怪は両手を顔の前でブンブンと振り、慌てているようだ。今は結界があるから安心できるが警戒はしておこう。

 

「何の用だ」

「わ、私…あなたに謝りたくて…。それとお礼を」

 

 謝罪と感謝? この妖怪の考えていることが読めない。油断させて結界を解かせるつもりだろうか。

 意図はつかめないが会話したいというのなら応じよう。いざとなったら結界を張ったまま逃げればいい。

 

「一体何の話だ?」

「何のって…。あなたの右腕を切断してしまったことです。本当にごめんなさい…」

「…感謝っていうのは?」

「あなた、私を介抱してくれていたんですよね。ありがとうございます。おかげですっかり元通りになりました」

「…どうやらそうみたいだな。寝起きに人の右腕を消し飛ばせるくらいには」

「本当に、本当にすみませんでした!」

 

 なるほど。どうやら人間と同じように会話できるほど知能があるようだな。下手すると人間よりも頭がいいのかもしれない。

 この妖怪からは悪意を感じない。謝罪と感謝がしたかったというのも本当のことだろう。殺したければ右腕を切断した直後に追撃していたはずだ。

 俺は地面に刺さっている白孔雀を引き抜き、結界を解く。目の前の妖怪がビクッと反応したが、構わずに刃に付いた土を落とし腰の鞘におさめる。

 

「け、結界を解いて大丈夫なんですか?」

「それはお前次第だろう」

「そ、そうですね……ごめんなさい…」

 

 ちょっと意地悪しすぎたか? だがこっちは生きるか死ぬかの瀬戸際まで追い込まれたんだ。これくらいは勘弁してほしい。

 

「で、お前はどうしてこんなところで倒れていたんだ」

「…あっ! わ、私はここでどれくらい寝ていました!?」

「? 少なくとも一日以上だな」

「一日以上…!?」

「どうしたんだ?」

「私、妖怪に襲われてここまで逃げてきたんです。どうやら私の妖力を追ってきているみたいで振り切れなくて」

「それで何とかここまで逃げてきたが、妖力が切れて倒れた、と」

「そうです…。すみませんがもうここを離れないと」

「いや、その必要はないと思う」

「え?」

 

 俺はここに自分とこの妖怪の力が漏れないような結界と、妖怪避けの結界を張っている。自分の位置が特定されないように張っていたのだが、どうやらこの妖怪にとっても役に立っているようだ。

 

「ここらには俺たちの力が漏れないようにする結界を張っている。その妖怪がお前の妖力を感じて位置を特定しているのなら、この結界がある限りはお前の場所はつかめないだろう」

「……!」

「さて、これでお前の問題は解消された。ということで次は俺の要求を聞いてほしいのだが」

「……わかりました。私にできることなら」

 

 妖怪の顔が暗くなる。俺が妖怪の力を要求するとでも思っているのだろう。だがそんなものに興味はない。

 俺は笑顔を浮かべながら最初からこの妖怪としたかったことを話した。

 

「会話をしたい。妖怪と話したことなんかなかったからな。すごく興味があるんだ。どういう存在なのかとか、どうして人を襲うのかとか、どうやって生きてきたのかとか」

「!」

「聞きたいことはたくさんあるが、とりあえず手始めにお前の話を聞かせてくれ。今までよくたった一人で生き延びたな。生き延びて俺と出会ってくれてありがとう」

「………グスッ…ありがとう…ございます…!」

 

 妖怪が涙を流す。おそらく今までたった一人で生きてきたんだろう。俺とは違い、傷も治せず力も少ないのに。よく頑張ったな。

 話をするだけでも楽になったりするものだ。

 

「ゆっくりでいい。落ち着いたら俺と会話してくれ。いくらでも待ってるよ。」

「はい…!」

 

 涙を流しながらも満面の笑みを浮かべる妖怪を見て、人間も妖怪も大して変わらないのかもしれないなと思った。

 

 

 




何気に危なかった主人公。百年に一度の荒業でしたw
で、何で百年以上も普通に生きてるんですかねw

次回、主人公に名前がつけばいいなぁ。


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第四話 八雲紫は名付け親

後半からがこの作品本来の雰囲気だと思いますw


 

 あれから十数分後、俺は落ち着いた妖怪からこれまでに何があったかを聞いた。

 生まれながらに特殊な能力を持っていたこと。それ故に他の妖怪に狙われ続けたこと。そんな生活に疲れ果て、平和に暮らす人間に憧れたことなどなど。

 十数年しか生きていないというのに、大変な苦労をしてきたようだった。

 

「お話、聞いてもらってありがとうございます」

「いや。ずいぶんと苦労してきたんだな」

「……あなたの話も聞きたいんですが、よろしいですか?」

 

 む、確かに一方的に話を聞いていたがこれは会話とは言えないな。それに相手は自分のことを話してくれたのだ。ここは俺も自己紹介がてら自分のことを話すべきだろう。

 

「ああ、そうだな。と言っても俺の今までの人生なんか普通もいいところだけど」

「そうなんですか? あっ! そういえば私まだ名前を言っていませんでしたね。私は八雲紫(やくもゆかり)といいます」

「俺は…」

 

 俺は名前がない。六百年以上よく名無しでいられたと思うが、実際は名前を呼ぶ人もいないから名前がないことすら忘れていた。

 だが、名前がないのはやっぱり不便だな。特に会話をしようとするときは。この際、八雲紫と名乗るこの妖怪に名付けてもらうのも悪くない。

 妖怪が人間の名前を付ける。ちょっと面白いな。

 

「名前がないんだ。良かったら名前、付けてくれないか」

「え? えっと…あなたは人間ですよね?」

「そうだよ」

「失礼ですが、ご家族は…?」

「わからない。目が覚めた時は森の中でそれ以前の記憶がないんだ。だから名前もわからない」

「そうなんですか。じゃあ、今まで他の人に会ったことはないんですか?」

「いや、あるよ。人里に住んでいたこともある。でもみんな俺のことは仙人と呼んでいてな。名前を付けてもらおうとしても恐れ多いとか何とかで付けてくれなかった。俺も普通の人間なのに」

「えっと、普通の人間はそこまで力を使いこなせたりしないんですが…」

「力の操作は練習したからだよ。百年以上は練習していたからね」

「えっ?」

「えっ?」

 

 えっ? 何かおかしなこと言ったか?

 

「…百年以上?」

「うん。頑張ったよ?」

「いえ、そうではなくて…。えと、あなたは今何歳ですか?」

「記憶がなくなる前がわからないから正確には言えないけど、目を覚ましてから六百年以上たったな」

「…………」

 

 八雲紫がぽかんと口を開けたまま呆然としている。なんでだろう。()()()()()()()()()()()()()()()()()だろう?

 

「…普通の人間はそこまで長生きできません。せいぜい四、五十年も生きれば十分長寿です」

「…は?」

 

 今度は俺が口をぽかんと開ける番だ。四、五十年も生きれば長寿だって? じゃあその十二倍以上生きている俺は何だ?

 いや、そもそも何故今まで疑問に思わなかったのか。それは俺が忘れていない常識ではそうだったからだ。

 俺の常識ではたかが数百年程度で人は死なない。だから他の人もそうだと思い込んでいた。

 

「それにあなたから感じる生命力は普通の人とは少し異なります。よく似てはいるのですが…」

「そうなのか…」

 

 確かに。考えてみれば傷の回復が早い時点で普通の人間とは違うと気付くべきだったな。

 だが、俺の常識がすべて的外れだったわけではない。もしそうなら、他の人とはまともに会話もできなかっただろう。

 俺の持つ常識の中の一部だけが、周りの常識とはかけ離れている。だったらその非常識はどこで身に付いたものなのだ。俺は一体何なんだ…?

 

 などとつらつらと考えてはみたが実際のところは。

 

「まぁ、どうでもいいや」

「え?」

 

 そう、どうでもいい。今更自分が何なのかなど、興味はあるが重要ではない。それを知ったところで自分は変わらない。

 たとえば、妖怪だったとしても、神だったとしても、化物だったとしても、人間だったとしても。それでも今まで生きてきた俺は何も変わらない。

 ただただ、俺として生きていく。少なくとも、記憶が戻るその時までは。

 

「人間か人外かはあまり重要じゃないからね。まぁそんなことはいいさ。それより早く名前を付けてくれよ」

「え? えぇ~…?」

 

 すまないな、八雲紫さんよ。今は名前を付けてもらえるということのほうが重要なのだ。ものすごくワクワクするなぁ。

 

「えーっと……。じゃあ『ハク』っていうのはどうですか? 白いって書いて『(ハク)』」

「…それは髪の毛が白いから?」

「ご、ごめんなさい。やっぱり単純すぎましたよね? 考え直しますから少し待って…」

「気に入ったよそれ! いいなぁ~。『白』か~。かっこいいな!」

「え、ええ? よ、よかったです?」

 

 単純かもしれない。でも誰かに名前を付けてもらえるということ自体が嬉しすぎて二つ返事で決定した。それに自分にはぴったりの名前だ。

 髪の色も白いし、肌も白いし、持っている直刀の名前も『白孔雀』だし、記憶も真っ白だし。

 …ちょっと卑屈だったか?

 

「白、ハク、はく。えへへへへ~」

「えと……ちょっと気持ち悪いです…」

「ひどい!」

 

 何気に心をえぐってくる妖怪だ。うれしいんだから仕方ないだろ。こっちは今までずっと名無しだったのだから。

 

「誰かと会話するのは楽しいな」

「はい…そうですね」

「そうだ! よかったら俺と一緒に旅をしないか? 今まで一人旅だったんだが、話し相手がいたほうが絶対楽しいだろう」

「…ありがたいのですが、私は他の妖怪に狙われています。ご迷惑をおかけするかも…」

「そんなの気にするな。ほれ、妖力が漏れないようにする結界を張ってやる。万が一襲ってきても俺が退治してやるよ。人里では妖怪退治の仕事もしていたからな」

「え…?」

「あ! 言っておくが、悪い妖怪限定だぞ。といっても今まで悪い妖怪としか会ったことはなかったけれど。俺が会ってきた中では八雲紫さんがいい妖怪第一号だ」

「そうなんですか」

「で、どうする? 一緒に来るか?」

「はい! 一緒に旅をしてみたいです!」

「よし! 決まりだ、早速出発しよう。そうだな……。目指すは人里だ。憧れているのなら一緒に行ってみよう、八雲紫さん」

「紫でいいですよ」

「そうか。俺の名前はハクだ。よろしくな」

「フフフ。はい、わかりました」

 

 旅の仲間が増えた。それも妖怪の。今まで続けていた旅とは全く違った旅になるだろう。今から楽しみでしょうがない。

 右腕を切断された分のもとは取れたな、なんてことを紫に言うとすごい勢いで謝ってきた。これをネタにいじるのはもうやめようと思った。

 

 

 

----------------------------------------

 

 

 

 紫と旅を始めてから二百年くらいたっただろうか。一人旅の時と違い、紫と共に旅をするのは実に楽しく新鮮で、退屈な時間などほとんどなかった。

 紫も出会った時よりもずいぶんと成長して、今では少女と呼べるくらいになった。…ん? ずいぶんと、かな?

 妖力もかなり高くなって境界を操る能力も使いこなしている。当初は紫を見るたびに襲い掛かってくる妖怪がたくさんいたが、今では本人が十分強くなったためそんな妖怪も少ない。もう俺よりもはるかに強い。

 

「ハクー、そろそろ出発するんでしょう?」

「そうだな。荷物は持ったか?」

「面倒だから全部スキマの中に入れたわ」

「あ、ずるいな。俺の荷物も入れさせてくれ」

「さすがに二人とも手ぶらで旅に出たらおかしいと思われるでしょう? どっちかは荷物を持たないと」

「くっ、確かに…」

 

 おまけに紫のやつ、相当に頭が切れる。何故その頭をこんなところに使うんだ。才能の無駄遣いとは紫のことを言うのだろう。

 俺たちの旅は基本、人里巡りだ。人里を見つけたら何年か滞在した後、また次の人里を目指して旅に出る。そして今まさに次の人里を求めて旅に出る直前なのだ。

 ちなみに、人里に向かう時はいつも紫に道案内をしてもらっている。俺が先導すると何故か見当違いの方向に行ってしまうのだ。

 

「道案内は頼むぞ、紫」

「まっかせて! ハクに頼むと何年も到着しないからね」

「いや、地図があったりすれば大丈夫なんだよ」

「でも、適当に歩くと面白いくらい人里を見つけられないじゃない」

 

 はい、その通りです。

 

「…もう出発するぞ」

「あはは、ごめんごめん。謝るから拗ねないでよ~」

 

 拗ねてねーし。

 

 

 

 人里を出発してから数日。今は森の中を進んでいる。次の人里はまだ見えてこない。

 俺は歩いて移動しているが、俺の横にいる紫は少し浮いたまま進んでいる。今誰かに会ったらちょっと面倒なことになるぞ。

 などと考えつつ、その実俺も荷物を力を使って浮かせながら歩いている。人のことは言えないのである。

 

「ハクも飛んだらいいのに」

「俺は紫と違って、一度に使える力は多くないんだ。荷物に加えて俺まで飛んだら、力が持つかわからない」

「でも、なくなった先から回復するんでしょう?」

「まあな」

 

 紫には俺の体質については話してあり、力についても知っている。

 

「ハクの中の力を覗いたことがあるけど、ものすごく強力な封印がされてたわよ」

「ちょっと待て、初耳だぞ」

「言ってなかったもの」

 

 なるほど~そりゃ初耳なわけだ~。と、現実逃避はこれくらいにして。また一つ謎が増えたな。

 

「そこは言ってくれよ……俺の体のことなんだから。というか、勝手に覗くんじゃないよ、まったく」

「…ハクさえ良ければ、封印を解いてみてもいいわよ」

「できるのか?」

「さぁ? かなり強力だったからやってみないとわからないわ」

「…まぁ、次の人里についてからでいいよ」

 

 紫の言う封印とやらが解ければ使える力の量が増えるのだろうか。今より便利になるのならやってもらったほうがいいな。それに万が一、今の紫クラスの妖怪に襲われでもしたらさすがに対処するのは難しい。白孔雀に溜めた力を使えば逃げるくらいはできるかもしれないが。

 歩きながら考え事をしていると、横で飛んでいた紫が停止した。かく言う俺も強力な妖力を感知してその場で立ち止まった。

 この妖力の量は…紫に匹敵するほど強大だ。しかもそれが二つ。

 

「ハク、どうする?」

「本来なら来た道を引き返すのが正解なんだが…」

「なんとなくだけど、大丈夫な気がするわね」

「俺も同じだ」

 

 なんとなく。根拠とは呼べない曖昧なものだが、紫の勘はよく当たる。それにおそらく、向こうももう紫の妖力に気付いているだろう。

 

「私と同じくらいの力、ね。……ねぇハク。私行ってみたいわ」

「いいんじゃないか? 俺もついていくよ」

「うん。じゃあ、目的地変更! 向かうはこの妖力の発生源!」

「はいはい。元気だな、紫」

 

 強い力を持っているやつのところに行くんだから少しは警戒しろと注意しつつ、俺も地面から足を離し、紫と共に発生源まで飛んで行くことにした。

 

 

 

----------------------------------------

 

 

 

 飛行を始めてから一時間。妖力の発生源はどちらもほとんど移動しないで一つ所に留まっている。まるで俺たちが到着するのを待っているようだ。

 発生源に近づくにつれて、感じる妖力の数が増えてきていた。どうやら複数の妖怪が集まっているらしく、しかもその一つひとつがかなり強力だ。

 

「強い妖怪が集まっているようだ。もし戦闘になったら俺が対処できる数は限られるぞ」

「その時は私がハクを守ってあげるわ。もし危なくなってもスキマで逃げられるから大丈夫よ」

「その時は頼むぞ、紫」

「まかせて、ハク」

 

 紫と話しながら飛んでいるうちに発生源にかなり近づいてきた。この分だと、数分以内に接触する。どうやら相手は山の中にいるようだ。

 するとその時、今まで動きを見せなかった大きい妖力の内の一つが、こちらに向かって移動してきた。

 

「今気づいた、ってわけじゃないと思うが」

「出迎えでもしてくれるのかしらね?」

「まったく。勝手に人の家に来ておいて、なんとも自分勝手だね」

 

 そんなことを話していると聞きなれない声が会話に交じってきた。誰だろうと周りを見ると前方にずいぶんと小さい少女が現れた。というか幼女の部類だな、ありゃ。

 だがそんな可愛らしい見た目に反して、釣り合っていないほど大きな二本の角と、強大な妖力を持っている。少なくとも俺は、まともに戦ったら勝てないな。

 

「大きな妖力を感じたと思ったら真っすぐこっちに来るから何事かと思ったけど。妖怪と人間だなんて、ずいぶんと珍しい組み合わせだね」

「失礼したわ。私も大きな力を感じたから気になってね。今まで私と同じくらいの力の持ち主は見なかったものだから」

「ふーん。確かにかなり大きな力を感じるな。それじゃ、そっちの人間は?」

「初めまして。この妖怪と一緒に旅している者だ。俺もここから感じた妖力が気になってな。悪いとは思ったが寄らせてもらった」

 

 人の家、ってことはここに住んでいるということか。俺たちは確認を取らずに家に上がり込んだ、言うなれば不法侵入者ということだ。確かに失礼だったな。

 それなのにこうやって自分から来てくれるあたり、予想通り悪い妖怪ではなさそうだ。

 

「それで? その妖怪さんと人間さんがここに何の用だい? 鬼退治に来たというのなら相手になるよ!」

「「興味があったから来ただけです」」

「……あれ?」

 

 なんか意気込んでいるところ申し訳ないが、特に用事があって来たわけではない。興味があったから来ただけだ。まして鬼だなんてことも今知った。

 

「あなた鬼なのね~。その妖力にも納得だわ」

「俺も会うのは初めてだ。話に聞く限りだとずいぶんと厄介な妖怪らしいが…」

「なんとも可愛らしい姿をしているのね」

「すごいちっちゃいな。なでなでしたい」

「……」

 

 俺と紫が正直な感想を述べる。妖力は絶対的な強者のそれだが、外見がそれに追い付いていない。力を感じることができなければ、目の前の幼女が危険であることに気付く者はいないだろう。絶対みんななでなでしたいって思うよ。

 

「…ふ、二人とも馬鹿にしてぇ…! 絶対私のほうが年上だよ!」

「あれ? マジか」

「一体何歳なのかしら?」

 

 見た目幼女が私のほうが年上だと言っている姿は、ありえないと呆れるよりも微笑ましくなってくる。こう、ぷるぷると体を震わせ、顔を赤くしながら叫んでいる姿を見ると余計に。

 今まで俺より年上のやつには会ったことがない。俺よりも長く生きているやつとは色々なことを話してみたいので会ってみたいとは思っているが、できればこの幼女は年下であってほしいと思った。そのほうがしっくりくるから。

 

「こう見えて三百年は生きているんだから!」

「あら、年上だったわ」

「なんだ、やっぱり年下だった」

「え?」

 

 よかった。年下だったみたいだ。五百年くらい。

 

「あれ? あんた人間だよね?」

「俺は人間だよ」

「少なくとも妖怪じゃないわね」

 

 俺は確かに普通の人間とは違う。だが妖力は持っていないし、神のような存在とも違う。じゃあ何に一番近いかといえばやっぱり人間なのだ。

 

「人間が三百年以上生きれるはずはないんだけど…」

「まぁ色々あってな。何があったか知らないけど」

「それって色々あったっていうのかしら…?」

「今ここでは紫、お嬢ちゃん、俺の順番で長生きだな。紫はまだまだかわいいもんだな~」

「な、なによ。すぐ追いついてやるんだから」

「いや、一生追い付けないと思うけど…」

「ハクの年齢の境界をいじって…」

「おいやめろ」

 

 紫が何やら恐ろしいことに力を使おうとしている。年齢の境界ってなんだ。そしてそれをいじられるとどうなってしまうんだ。怖すぎる。

 

「ユカリとハクか。そういえば自己紹介がまだだったね。私は伊吹萃香(いぶきすいか)。この山を治める鬼の一人だ」

「よろしく。私は八雲紫。ちなみに歳は二百と少しよ」

「どうも。ハクという。白いって書いてハクだ。歳は八百と少しだ」

「えっ!? 思った以上に年上だ!」

「わはは、敬いたまえ。あ、あとでなでなでしていい?」

「なんでさ!?」

 

 さっきよりも顔を赤くして怒鳴っている萃香を見ながら、内心言葉の通じる妖怪との遭遇をとてもうれしく思っていた。

 紫と会うまでは妖怪は問答無用で人間を襲うものだと思っていたが、こうやって意思疎通ができる妖怪もいる。

 普通の人間よりも長寿の俺にとっては、人間の世界より妖怪の世界のほうが合っているのかもしれないなと、楽しそうに笑う紫と腕をブンブンと振り回して怒っている萃香を見ながら思った。

 

 

 




そういえば、刀の名前は適当ですw
最初は「直刀」とだけで書いていたんですが、なんか寂しいと思って名前を考えました。
白い花の名前で検索して、かっけぇー! と思った名前を付けました。
なので深い意味はないですw

ちなみにどうやら海外の花らしく、この時代の日本にはないと思われますw


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第五話 鬼と天狗の住まう山

少し長くなってしまいました。文字数調整するのって難しいね~


 伊吹萃香と出会い、少し話した後。俺たちは彼女たちの住む山へとお邪魔させてもらうことにした。俺たちを山へ入れてくれるのはいいのだが、萃香の一存で決めていいのかと疑問に思った。それを伝えると彼女曰く、「山を治めている一人である私が大丈夫というから大丈夫」だそうだ。

 ない胸を張り、ドヤ顔しながら語る萃香は非常にかわいい。なでなでしたい。というかした。

 

「むぅ~。私はハクより年下かもしれないけど、子供じゃないんだよ」

「年下で見た目はそれだろう。子供にしか見えないぞ、よかったな」

「全然うれしくない!」

「まぁそう言うな。なかなか上手いだろう」

「確かに結構気持ちいいけど……」

 

 頬をふくらませながら文句を言う。そういうところが子供っぽいのだ。ちなみに俺は誰かをなでるのが結構好きだ。何というか、親密になった気がするから。

 萃香の頭をなでながら歩いていると、隣で浮いている紫が脇腹を突っついてきた。

 

「うわっ。なんだ急に」

「ハクは出会ったばかりの子の頭はなでるのに、最近私の頭はなでてくれないじゃない?」

「いや、お前自分の容姿と歳を考えてみろ。どうみても頭をなでられるような感じじゃないだろう?」

「ちょっと、どういうことよ。外見は人間で言うと十五、六くらいだし、年齢だってハクと比べたら全然子供じゃない」

「お前のような頭の切れる子供がいるか。歳も俺じゃなくて人間と比べろ」

「ハクだって人間じゃない」

「いや……まぁそうだけど……」

 

 紫のやつ、どれだけ頭をなでてほしいんだ。俺ってそんなに頭をなでるのが上手いのか。今度自分の頭をなでてみよう。

 …やっぱやめよう。気持ち悪い。

 

「イチャついているところ悪いけど、もうすぐ到着だよ」

「だ、そうだ。悪いがまた今度な」

「また今度ね。約束よ」

 

 紫との会話を終了し、前方に意識を集中する。強力な妖怪がたくさんいる場所に行くというのはかなり緊張する。

 しばらくすると森の中の割には開けている場所に着いた。周りから妖力は感じるのだが、肝心の妖怪の姿が見えない。

 すると、前を歩いていた萃香が立ち止まった。

 

「やあ、戻ったよ」

 

 萃香がそう声を上げる。瞬間、周りから感じる妖力の一つひとつが大きくなった。いつでも戦闘に入れるような力の出しかただ。

 だが問題はない、はず。山を治めているはずの萃香が連れてきた人間と妖怪だ。普通は客人か何かと判断するだろう。

 

「戻ったか、萃香」

「おかえりなさい、萃香さん」

 

 念のため警戒していると、真正面から声が聞こえた。見ると二人の女性がこちらに向かって歩いてきている。

 一人は金髪の大人っぽい女性だ。人里ではまったく見ない不思議な服装に、手足に枷がついている。そして何より目を引くのが額から生えている真っ赤な角だ。先程から感じていた強大な妖力はこの人から発せられている。おそらく鬼だろう。

 もう一人は少し派手な着物を来た黒髪の女性だ。角はないようだが、代わりに髪と同じく真っ黒い翼を持っている。だが、それよりも妙なことがある。この人からは妖力も霊力も生命力も感じない。俺の知らない種類の力を持っているわけではなく、何も感じないのだ。まるで、そこに何もいないかのように。

 萃香と金髪の女性は確かに強力な力を持っているが、最も警戒すべきは黒髪の女性である気がする。

 

「ん? こっちに来ていた妖力の元凶も一緒か」

「本当ですね。ですがもう一人の男性からは妖力を感じない……」

「? どうした、天魔(てんま)

 

 黒髪の女性を観察していると、彼女と目が合った。すると彼女も今の俺と同じように眉をひそめた。金髪の女性が俺たちを交互に見ている。

 おそらく、この人は自分の力をコントロールして体外に放出しないようにしているのだろう。紫もできないことはないが、『完璧に』というのは難しいと思う。そんなことができるやつを見るのは自分以外ではこの女性が初めてだ。

 だが、この女性が俺を見て怪訝な表情を浮かべている理由がわからない。俺は普段から力をコントロールしているわけではない。だいたい、そんなことをする必要がない。

 

「……俺も結構長く生きてきたが、そこまで完璧に力をコントロールしている人に会うのは初めてだ。いや、妖怪かな?」

「……私もそれなりに長生きではありますが、あなたのような力は見たことがありませんね。あなた、人間ですか?」

「さぁな。あんたから見たら俺の力、どう見える?」

「人間の持つ生命力によく似ていますね。でも、何かが違う。こんな違和感を感じたのは初めてです。あなた自身は普通の人間に見えるのですが…」

「なるほど……」

 

 彼女はどうやら俺の力に違和感を感じていたようだ。さすが力のコントロールが完璧なだけはある。相手の力を読み取るぐらいお手の物といったところか。

 しかし、そんな彼女でも俺の力がどういうものかわからないようだ。もしかしたらと思ったが、そう上手くはいかんか。

 

「いや、失礼した。俺はハク。こっちは連れの妖怪の八雲紫だ。強大な妖力を感じたから興味があって来たんだ。別に退治しに来たわけじゃない」

「初めまして、八雲紫よ。あなたずいぶんと力の操作が上手いのね」

「ありがとうございます。私は天魔といいます。この山に住む天狗の長をしている者です」

星熊勇儀(ほしぐまゆうぎ)だ。ただの人間かと思ったが違うようだな。こういうのは天魔がいないと気付かないもんだな~」

「たまたまですよ」

 

 初対面の割には緊張感のある会話を終了して自己紹介をする。天魔と名乗った彼女によると、ここには鬼以外に天狗も住んでいるらしい。その天狗の長ということは、天魔はおそらくかなりの実力者ということだろう。

 もう一人の金髪の女性、星熊勇儀は俺たちが最初に感じた妖力の一つだ。紫や萃香と同じぐらい強力だが、力の操作はあまり得意ではないらしい。

 

「この山に客が来るのは久しぶりだ。退治人ならよく来るんだがな」

「そういえば、萃香も最初俺たちを妖怪退治に来たと誤解してたな」

「うっ…しょうがないじゃないか」

「そんなにしょっちゅう退治人が来るほど悪さしているってことかしら?」

「鬼の皆さんはたまに人間に勝負を挑みに行っていますからね。なんでも、正々堂々と戦いたいとか」

「人間が鬼相手に正々堂々と戦えるわけないだろ…」

 

 ただでさえ、人間と妖怪の間には絶対的な力の差が存在する。人間に恐れられなければ妖怪ではないからだ。しかも、その中でも特に力の強い鬼と真正面から戦うなどできるはずがない。そんなことができるのは一部の天才だけだ。

 そういうと鬼の二人はあきらかに不満げな顔をした。

 

「人間にそんな力はない。だから頭を使って妖怪を退治するんだ。正々堂々となんて言語道断。退治するためなら寝込みだって襲うだろう」

「なんだそれは。ひどい話だ。戦いっていうのはもっと純粋なものだろ? 真正面からでないのなら、それは戦いじゃない」

「お前は妖怪だからそう言えるんだ。人間が妖怪退治できるほど強くなるのは難しい。圧倒的な才能や、驚異的な努力でもしないとな」

「じゃあ、どうしてお前はそこまで力の操作ができるんだ。お前だって人間だろ」

「俺は努力したからだ。少なくとも萃香が生まれるずっと前から練習しているから、多少マシになっている」

「私が生まれる…っていうと三百年以上!?」

「七百年近い。だがそれでも萃香や勇儀、天魔どころか周りにいる鬼相手でも勝つのは難しい。人間と妖怪の力の差はこれほどなんだ」

「……」

 

 鬼の二人が閉口する。きつく言いすぎたかもしれないが、事実なんだ。

 人間は弱い。だから頭を使う。だというのに正々堂々勝負しろなんて厄介極まりない。だから鬼は厄介と言われる。ま、こんなところか。

 

「……でも、それじゃあ楽しくないじゃないか」

「そうだな。人間は楽しむために戦うんじゃなくて、死にたくないから戦うんだ。そこに楽しさなんてないよ」

「ハクもそうなの?」

「俺もそうだな」

「そう、なんだ……」

「ただ……」

「?」

 

 俺だって死にたくない。まだやりたいことが残っている。知りたいことが残っている。

 だから練習した。妖怪に襲われても戦えるように力の操作の訓練をした。そこに楽しく戦いたいからなんて思いはなかった。ただ必死だった。

 だが、いつからかそんな思いが変わったのだ。

 

「紫と一緒に行動し始めてからは、戦いの意味を少し考え直したことがあった。紫と模擬戦をすることが増えたからだな。確かに死なないようにする訓練ではあったけど、正直楽しかった。言葉を交わしているわけでもないのに相手と分かり合えるような感覚があったんだ」

「!」

「俺みたいに考える人間もいるかもしれない。俺はこう考えるのに五百年以上かかったが、妖怪退治を生業にしている人間なら案外すぐにそう考えるかもしれないな」

「うん……!」

「だが、専門家でも鬼と戦うのは難しいだろう。だったらルールを決めるか、ハンデをつけるかしてやればいい。俺と紫の模擬戦ではいつもそうしてるよ」

「ルール? ハンデ?」

「そう。たとえば、人間側は一撃でも攻撃を当てたら勝ちとか、鬼は妖力を使わないとか。正々堂々かと言われると微妙だが、ないよりマシだろ」

「なるほど! そうすれば少しはまともに戦えるかもしれないね」

 

 ……てことはやっぱり今までまともに戦えなかったんだな。俺は今まで勝負を挑まれた人間に同情した。

 

 

 

----------------------------------------

 

 

 

「どうしてこうなった…」

 

 今、俺の十メートル先には萃香がいる。さっきまで周りにいて警戒していた鬼や天狗たちも、今は俺と萃香の周りを取り囲んでいて賑やかだ。

 別にそれはどうでもいいことなのだが、問題は今の状況だ。

 

「よし! じゃあさっきハクが言ったルールでやってみよう!」

 

 そう。要するに萃香と戦うことになった。この子、さっき俺が言ってたこと忘れてしまったのか。俺じゃ絶対勝てないって言ったじゃん。

 あ、そういえば解決法も提示してたわ。

 

「くっ! 自分が人間であることが恨めしい!」

「なーに変なこと言ってんのさ! ハクは私に一撃でも当てたら勝ちで、私は妖力は使わないよ。あ、飛ぶのはアリね」

「……ちなみに、萃香の勝利条件は?」

「ハクを再起不能にしたら」

「紫! 代わってくれ!」

「私じゃルールとハンデをつける意味がないでしょう」

「……絶対なでなでしてやらない」

「ちょっと!? 人質なんて卑怯よ!」

 

 人じゃないんだが。まぁ紫以外と訓練できるいい機会としておこう。訓練相手がずっと同じだとパターンがわかってきてしまうからな。

 それにもし、重傷を負っても紫がなんとかしてくれるだろう。…と信じたい。

 

「……ふ~」

「お、諦めた?」

「案を考えたのは俺だからな。付き合うよ」

「うん! そうこなくちゃ! さあ、来な!」

 

 やるからには全力で。俺は生命力を足に集中して思い切り地面を蹴り、萃香に接近する。まさか肉弾戦を挑むとは思わなかったのか、すこし驚いたようだがそれも一瞬。すぐに顔を引き締め構えた。

 力を腕に集中して速度を上げ、思いっきり殴りつけた。

 だが、そんな全力の一撃も鬼相手には役に立たない。殴りつけた右腕をいとも簡単に逸らされた。

 

「!」

「さっすが! 今までの人間とは一味違う……ねっ!」

「ガハッ!?」

 

 萃香に攻撃を逸らされ、無防備になったところにカウンターをもらった。萃香の足が左脇腹に食い込み、吹き飛ばされる。激痛が走るも何とか空中で体勢を立て直し、着地する。生命力で防御してなかったら危なかった。

 予想通りだが、ハンデがあるとはいえ鬼に接近戦は無理だな。短刀も直刀も使いづらい。だったら術を使わせてもらう。

 

「すごいね! 今の一撃で失神してもおかしくないのに!」

「褒められてんのかわからないな……っと!」

「! なにこれ!?」

 

 萃香の周りに結界を張る。移動制限用の結界で、外に出るのは難しい。だが、力を使った弾などは普通に通すから接近戦しかできない妖怪には相性がいい。

 …もう一度言うが外に出るのは難しいはずだ。

 

「面白いことするね! それ!」

「んなっ!?」

 

 萃香が右腕を一振りすると、それだけで結界が破壊される。冗談だろ…。力だけで攻略しやがった。

 妖力を使えないならもしかしたらと思ったが、その状態でも予想以上に強い。俺の使える力だけでは足止めすらできない。

 

「だったら!」

「おおっ!?」

 

 俺は空中に飛び上がり、生命力を大量の弾にして萃香に向けて放つ。威力は必要ない。一撃でも与えれば勝ちなのだ。こちらが攻められる前に決着をつける!

 

「わあぁ……! きれいな弾幕だ……」

「余裕だな、萃香」

「そりゃ、楽しいからね!」

 

 楽しんでいただけて光栄だ。さて、どうするんだ、萃香。

 

「こんなきれいな弾幕を殴って消すのは惜しいねぇ…。ということで全部避ける!」

「くっ!」

 

 萃香も空中に飛ぶと、素早い動きで弾幕を避ける。ここまで簡単に避けられるとは。このままだと弾幕の間を縫って接近されるのも時間の問題だ。

 

「あっははは! こんなに楽しい戦いは久しぶりだよ、ハク!」

「そりゃよかった。こっちは冷や汗が出っぱなしだ」

「さて、そろそろ私の番だね!」

 

 萃香はそういうと最初の俺以上の速度で接近してきた。スピードも彼女のほうが上だ。今からじゃ逃げきれない。

 俺は生命力を全身に纏わせて防御に集中する。

 

「それ!」

「っ!」

 

 萃香の一撃。そのたった一撃で防御した右腕が折れた。だが治している暇がない。真正面から受けるのではなく、さっき萃香がやったように逸らさないと大ダメージだ。

 

「おっ? 接近戦もなかなかやるね!」

「今までただ生きていたわけじゃないんでね」

 

 右腕は折られたが、他の攻撃は今までの経験からくる勘で対処している。こっちはこれで精一杯だというのに、萃香はまだまだ余裕そうだ。いや、実際余裕なんだろう。さっきからずっと笑顔のままだ。

 俺は萃香の周りにもう一度移動制限用の結界を張る。萃香の動きが一瞬止まり、その隙に萃香と距離を取る。

 

「やっぱり接近戦じゃ鬼には敵わないかな。右腕も折れちゃったみたいだし、降参するかい?」

「いや、右腕なら後で再生できる。降参もまだしない」

「そうこなくちゃ。でも、そんな様子で私に通じる攻撃ができるとは思えないけど」

「確かに」

 

 さすがは鬼。ただの人間風情が勝てる相手じゃない。しかもハンデをつけてもらってこれである。

 じゃあ勝てないということで降参しますか、というとそれは違う気がする。勝てなかったとしても最後まで全力でやりたい。そのほうが楽しいだろう。

 だから最後まで全力でやるとしよう。

 

「……だからこれが最後だ!」

「!?」

 

 集中。ひたすらに集中する。力の操作に全神経を使う。

 しばらくすると、膨大な量の力が俺を纏い始めた。俺が一度に使える量よりも遥かに膨大な量の力。俺の力を百倍、二百倍しても足元にも及ばないほどの量だ。

 いかにして集めたか。答えは単純。周りから寄せ集めた。

 ここには強力な妖怪が多い。だが、天魔のように力を全く放出しない妖怪は珍しい。結果、この山には凄まじい量の妖力が漂っている。

 それをすべて支配下に置いた。こんなことは初めてやるが、どうやら上手くいったようだ。

 目の前の萃香を見ると、さすがに度肝を抜かれたようで唖然としていた。だがすぐにハッとして距離を取った。今までの余裕の表情が崩れ、冷や汗を流している。

 周りの鬼や紫や勇儀、天魔も驚いているようで皆一様に先程の萃香と同じように唖然としていた。なんだかおもしろい。

 

 俺は集めた力を使い、折れた右腕の修復と同時に先ほどと同じように萃香の周りに移動制限用の結界を張る。

 

「む、また同じ結界か。何度やっても無駄だよ……!? なっ……壊せない!?」

 

 残念。その結界は今までのとは力の密度が違いすぎる。いくら鬼でも妖力がなけりゃ破壊はできない。萃香は結界を殴り続けているが、結界には傷一つつかない。

 残った力を使い、萃香の周囲に無数の弾幕を展開する。そしてすべての弾幕を萃香のもとへ放った。

 

「いっけえぇ!」

「!」

 

 すべての弾幕が萃香のもとへ着弾した。凄まじい衝撃が起こり、土煙が舞う。

 力が乱れて萃香がどうなっているかがわからない。一つひとつの威力は抑えたから生きているはずだが…。

 

 そう思った瞬間、とてつもない勢いで何かが土煙を突破してきた。とっさに俺は残った生命力を左手に集めて防御した。

 

「……はぁっ!」

「!」

 

 土煙を突破してきた何か―――萃香は俺に渾身の一撃を叩き込んだ。いつもより多い力で防御したにもかかわらず、左腕が切断された。まだこんな力があったのか。

 

「はぁ……はぁ……。あ、やっば!」

「~~~! …紫! 修復を頼む…!」

「言われなくても!」

 

 左肩から流れ出る血を力を使って空中に留める。その間に紫が境界を操り、吹き飛んだ左腕を接合した。

 ふぅ……、危なかった。思わずその場で倒れてしまった。

 

「た、助かったよ紫。ありがとう…」

「全く無茶をして…」

「だ、大丈夫かい!?」

 

 近くにいた萃香が不安そうな声を出す。周りで見ていた勇儀と天魔もやってきた。他の鬼たちはまだ放心している。

 紫に右腕を切断されたことを思い出した。俺の出会う妖怪の間では腕を吹き飛ばすことが流行っているのだろうか。やめてくれ。

 

「大丈夫だ、ほとんど出血もしていない。紫がいなかったら危なかったけど」

「……萃香。私はこの人間がすごく気に入っているの。わざとではないとしても、殺したりしたら殺すわよ」

「わ、悪かったよ。つい熱が入っちゃって……。ごめんね、ハク」

「結果的に大丈夫だったから心配するな。紫も、そういってくれるのはうれしいがあんまり怒るなよ」

「どうやら、本当に問題ないようですね。安心しました」

 

 反省もしているようだし、なにより大丈夫だったのだから俺は全然怒っていない。だが、紫は違うらしく萃香に向かって殺気を放っている。自分のために怒ってくれているのはうれしいが、むやみに怯えさせることもないだろう。まず紫を落ち着かせることにしよう。

 とりあえず一段落したな。すると天魔が正面に来てしゃがみ込み、俺と目線を合わせた。

 

「お聞きしたいのですが、先ほどの攻撃をする際の膨大な量の力は何ですか? あなたからあれほどまでの力は感じなかったのですが…」

「あれは俺の力じゃない。この辺りに漂っていた妖力だ。俺はそれを集めて使っただけだ」

「周りの妖力に干渉して操作し、自身の力として利用したということですか!?」

「あ、ああ。そうだが……」

 

 天魔がやたらと興奮しながら話してくる。何かまずいことをしただろうか。

 

「私でもそんなことできません。目的もなく放出されているだけの力を再利用するなんて……」

「俺もやったことはなかったから、一か八かの賭けだったんだ。でも結局、力の操作はできたけど萃香には通じなかったな……」

「え、えぇっと…ごめん! 私あの時、妖力を使って結界を破壊したんだ。 妖力なしじゃあの弾幕は避けられなかったよ……」

「ふむ。じゃあこの勝負はハクの勝ちだね。いやぁ~。鬼が人間に負けるなんてな~。この勝負の仕方はなかなか良さそうじゃないか!」

「そうだな。だけど、もう少しハンデをつけてもいいだろう。俺もギリギリだったんだから」

 

 ハンデ有りのこの勝負は萃香の反則負けという形で終了した。一応勝ったわけだが実感がわかない。相手は手加減している上に、俺は自分以外の力を使った。適当に考えたルールでの勝負だから仕方ないかもしれないが、それでもしっくりこなかった。

 でも、鬼たちが満足しているようならよかった。まぁ萃香はいまだに申し訳なさそうな顔をしているから満足しているのかわからないが、戦闘中は楽しそうだったからな。大丈夫だろう。

 

「さて、催し物も終わったし、客人もいるんだ。今日は盛大に宴会をしようじゃないか!」

『おおおぉぉぉぉ!』

 

 おうおう、鬼も天狗も元気だな。それに、どうやら俺たちを客人として扱ってくれるようだ。

 

「あら、楽しそうね。私たちも一緒にいいのかしら?」

「もちろんです。ようこそ、私たちの山へ。歓迎しますよ」

「ほれ、萃香も。いつまでもそんな顔するな。宴会は楽しむもんだろう?」

「うん…そうだね。ありがとう、ハク」

 

 萃香の頭をなでて、一緒に立ち上がる。こんなたくさんの妖怪と宴会をするなんて初めてだ。人間以上に騒がしそうだな。でも楽しそうだ。それは紫も同じようで、さっきまでの殺気はどこへやら。笑顔を浮かべながら妖怪たちの輪に入っていく。

 いそいそと準備を始める妖怪たちを見ながら、少しここに滞在してみたいと思った。

 

 

 

 

 

 

「ヤロー共! 酒だ! 酒を持ってこーい!」

 

 勇儀……。お前今一番輝いているよ……。

 

 

 




勇儀さん…影が薄かったっすね…
そしてやたらと腕がなくなる主人公。ご愁傷さまですw


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第六話 小さな一歩、大きな飛躍

天魔様のイメージです。服の構造は適当。私もよくわかりませんw
なんとなく、苦労人のイメージがあります。

【挿絵表示】



 俺と萃香の模擬戦の後、山の妖怪全員で宴会が行われた。噂には聞いていたが、鬼の酒を飲む勢いはすごい。さっきまでなみなみと酒の入っていた壺が空になってそこら中に転がっている。見ているだけで普通の人間は酔ってしまうんじゃないだろうか。勇儀なんかは壺を持ち上げ、直接飲んでいる。あれもラッパ飲みというのだろうか…。

 

 紫は萃香と共に飲んでいる。さすがに鬼と同じ勢いで飲んではいないが、紫も酒は好きだからな。人間と比べると飲んでいる量はかなり多い。

 

 俺も酒は好きなほうで、今も結構飲んでいる。だが、かなりの量を飲んでも酔ったことはない。おそらくだが、傷が治る体質に関係しているんだろう。でも悪くはないと思っている。皆が楽しく騒いでいる様子を冷静な頭で見ているのも楽しいものだ。

 

 そんな風に俺は俺で楽しんでいると、他の天狗と飲んでいた天魔がやってきた。彼女もそこそこ飲んでいるようだが、あまり酔ってはいないようだ。少し顔が赤いが、足取りはしっかりしている。

 

「ハクさん。楽しんでいますか?」

「うん。こんな賑やかな宴会は久しぶりだ」

「それならよかったです。それにしても、大分飲んでいるようですが全然酔っていないみたいですね」

「なかなか酔わない体質でね。でも楽しいのは本当だ」

 

 どうやら、楽しんでいるかどうか確認に来たようだ。めちゃくちゃいいやつだな。天魔は俺の隣に腰を下ろすと、近くにある酒を飲み始めた。

 それにしても、自分より強いと思われる妖怪が近くにいるというのに、全く恐ろしくない。妖力を感じないからだろうか。妖怪としてはどうかとも思うが、変に緊張することがないからありがたいな。

 

「どうぞ、ハクさんも」

「お、ありがとう」

「……ところでハクさん。少し、お願いがあるのですが」

「なんだ?」

 

 天魔がついでくれた酒をありがたく飲んでいると、少し不安そうな顔をして天魔が話してきた。どうやら頼みがあるとのことだが。

 俺は天魔が気に入っている、というと上から目線のような気もするが、とにかく俺は天魔とは友好的な関係を築きたい。力の操作をあそこまでできるやつはなかなかいないし、いろいろ話してみたいのだ。

 願い事というのもできる限りで聞いてやりたい。

 

「…この山に住んでいる妖怪はみな強力です。鬼はもちろん、私たち天狗もそれなりに強い力を持っています」

「そうみたいだな。少なくともそこらの退治人では歯が立たないだろうな」

「はい。ですが、それ故に私のように力の扱いに精通している者は少ない。そんなことができなくても十分すぎるほどに強いのですから」

「確かに」

 

 なるほど。最初から力が強いとそういうこともあるのか。俺や紫は最初は力が弱かったから技術のほうを鍛えて何とかしていたからな。まぁ、俺は今でも力が弱いけど。

 鬼や天狗のような最初から強力な妖怪の中では、むしろ天魔のように力の扱いが上手い妖怪のほうが珍しいということか。だが、それがお願いとやらと何の関係があるんだろう?

 

「なので、今まで私と同じくらいに力を扱える者に会ったことがなかったのですが、あなたは私以上に力を扱って見せた」

「普通とは違うが、それでも人間なんでね。妖怪に対抗するためには、今ある力だけでどうにかしなきゃいけなかったから」

「なるほど。それで少ない力を有効に使うために、私たちの年齢以上の年月を訓練に費やしたと」

「そういうこと。で、結局何が言いたいんだ? 天魔」

「…さっき言った通り、私以上に力の扱いに精通している者に会うのは初めてなのです。なので……えぇっと……」

「?」

 

 天魔の歯切れが悪くなる。そんなに頼みづらいことなのだろうか。天魔は赤かった顔をさらに赤くし、俯いた。

 

「……この山にしばらく滞在してほしいのです。そして、いろいろとお話を聞かせてほしいのです」

「……は?」

「萃香さんも勇儀さんも、力の操作にはあまり興味がなかったので話し相手がいなかったのです。ダメでしょうか…?」

「……」

 

 正直驚いた。話の通じる妖怪に会うこと自体あまりなかったのに、まさか妖怪のほうから話したいと言われるとは。そして、俺と同じことを考えていたとは。

 俺も以前は、紫に力の使い方を教えてきたが、最近はほとんどの妖怪よりも強くなってしまったからな。俺が教える意味もなくなってきてしまっていた。まぁそれでも紫はいろいろと聞きに来るのだが。

 要するに俺も天魔も、共通の何かを持つ友人が欲しかったのだ。周りの環境も自分自身もよく似ているもんだな。

 

「……はは」

「……ハクさん?」

「あっはっはっはははは!」

「ハクさん!? なんでそんなに笑うんです!?」

「くっくっく…。いや、ただ単純にうれしくてな」

「うれしい…?」

「そう。俺もここにもう少し滞在したいと思っていたんだ。俺とよく似ている天魔ともう少し話したいと思っていたんだ。同じこと考えていたんだ。だから面白くて、うれしかったんだ」

「同じことを…」

 

 バカにされたと思ったのか不機嫌な顔をしていた天魔は、俺が笑った理由を説明すると一瞬でキョトンとした顔になった。不安そうな顔になったり、紅潮したり、怒ったり、呆けたりと、まさに百面相である。かわいい。

 

「うん。さて、返答だけど喜んで滞在させてもらうよ。むしろ俺からお願いしたい」

「ふふ…。ありがとうございます」

「おーう! 天魔が人間に興味を持つなんて珍しいな!」

 

 天魔と話していると先程まで酒をがぶ飲みしていた勇儀がやってきていた。人間なら死んでいる量の酒を飲んでまだまだ余裕そうなのはさすがは鬼といったところか。

 それにしても人間に興味を持つのが珍しい、か。

 

「そうなのか?」

「そうさ。私と萃香が人里に勝負を挑みに行くときもついて来ないからな。むしろ見下している感じだよ」

「いえいえ、見下してなんかいませんよ。ただどうでもいいと思っているだけで」

「…興味がないのは本当みたいだな」

 

 まぁ、萃香や勇儀のように人間と戦いたいってわけでもなさそうだし、俺みたいに力を扱いなれている人間も珍しいしな。。人間に興味がないというのも不思議な話じゃない。

 

「あ、そうだ。勇儀、しばらくここに滞在したいんだが、いいか?」

「ああ、もちろん。話は聞いてたしね。それに私としてもぜひ歓迎したい。私らとまともに戦える人間は珍しいからね」

「…あれはルールとハンデをつけたからだ」

 

 歓迎してくれるのはいいのだが、この先ことあるごとに戦いを申し込まれたんじゃ体が持たない。今のうちにあれが限界であるということを教え込まないと。

 まぁそれは後にして、このことを言わなければならないやつがまだいる。

 

「紫ー! 萃香ー!」

「んあ? なんだいハク?」

「しばらくここに滞在させてもらうことになった。大丈夫か?」

「ぜーんぜん大丈夫!」

「紫はどうだ? お前はもう人間や妖怪に襲われても返り討ちにできるほど強くなったから、わざわざ俺に付き合わずに好きな所へ旅に出てもいいんだぞ?」

「いいえ。私もハクと一緒にここに邪魔することにするわ。萃香とは気が合うみたいだし、ハクともまだ一緒にいたいしね」

「…まったく。ほれほれこっち来い、頭なでてやる」

「えっへへ~」

 

 俺も一人旅は少し寂しいからな。できれば紫にもここに残ってほしかったのでよかった。

 だが、いつまでも一緒にいるというわけでもないだろう。いつかは別れる時が来ると思う。とはいえ、紫の能力があればどこにいようとまた会えるわけだが。

 その時のことはその時に考えるとして、今は何百年たっても変わらない紫のさらさらした髪を楽しむとしよう。

 

 

 

----------------------------------------

 

 

 

 三日三晩続いた宴会もようやく終わり、鬼も天狗もそこいらに転がって爆睡している。萃香や勇儀、紫と天魔も例外じゃない。今起きているのは俺だけだ。少しばかり残った酒を飲みながら、夜空に浮かぶ満月を楽しむ。

 相変わらず酒に酔いはしないし、眠くもならない。だが、こうしてみんなの寝顔を見ているのも悪くない。むしろ、夜空の満月よりも見ていて面白いのかもしれないな。

 立ち上がって少し離れているところで眠っている紫のもとへ向かう。横を向いて丸まって寝ている紫はとてもかわいい。ほっぺたつまみたい。というかつまんだ。

 

「…うーん、うぅーむ……」

「やわっこいな~、和むわ~」

「……ハク? まだ起きていたの…?」

「あ、悪い。起こしちゃったか」

 

 紫の頬で遊んでいると紫が起きてしまった。俺は頬をつまんでいた手をはなして謝った。もう少し楽しんでいたかった…。

 紫は寝ぼけ眼をこすりながら起き上がり、こっちをジト目で見つめてくる。

 

「…眠っている少女の顔で遊ぶなんて~」

「悪かったよ、ついな」

「……ふふ、別に怒ってないわよ。それにしても、相変わらずお酒に強いわね」

「まーな」

 

 ジト目で見ていた紫が微笑む。あまり怒っていないようで安心したが、確かに寝ている女性の顔をいじるというのはあまりよろしくないことだな。次からは自重しよう。

 

「…そうだ。この前言ったハクの封印を解いてみましょうか。次の人里に着いたらと言っていたけど、それは少しばかり時間がかかりそうだものね」

「確かにそうだな。でも、酔いを醒ましてからでいいよ」

「む、ちょっと待っててね…」

「?」

 

 酔った状態の紫に境界をいじられたくはない。下手すると変なところの境界をいじられるかもしれん。能力が能力だけにおっかないのだ。素面の状態の時に頼みたい。

 そういうと紫は目を閉じて深呼吸をし始めた。集中でもしているのだろうか、

 

「……よし、大丈夫よ。境界を操って酔いを醒ましたわ」

「お前の能力は便利だな、おい」

 

 何をしていたかと思ったが、酔いの境界を操っていたらしい。それで素面に戻れるんだから、本当に応用性の高い能力だ。ということは酒を飲まなくても境界を操れば好きな時に酔えるということか。

 

「じゃ~行くわよ~」

「……安心すればいいのか不安になればいいのかわからんな」

「私を信頼しなさい。変な風にはいじらないから」

「もちろん信頼はしてるんだがな…」

「そ、そう…、ありがとう…。えへへ…」

「?」

「んんっ! じゃあ行くわよ」

 

 なんだが急に顔が赤くなったようだが、まさか照れてんのか? 何年一緒にいると思ってるんだ、かわいいな。あとでなでなでしてやろう、かわいいから。

 紫は咳払いをすると、両手の手のひらをこちらに向け目を閉じた。しばらくすると、自分の中の何かがむず痒い感覚を覚えた。何というか、上手く説明できないおかしな感覚だ。

 安心感のような、疲労感のような、脱力感のような、陶酔感のような、喪失感のようなものを一度に味わったかのような違和感。だが不思議と不快ではなかった。

 自分の力は自分ではよくわからない。だから紫に言われるまで封印なんて知らなかったわけだが、今は自分の中の何かをこじ開けられているような感じがする。これが封印されているものなのだろうか

 ふと紫のほうを見ると、冷や汗をかきながら険しい表情を浮かべていた。力の流れからしても苦戦しているのがよくわかる。無茶するなと声をかけようかとも思ったが、逆に集中を切らせてしまいそうだったので黙って任せることにした。

 

「…………」

「…………」

 

 ただただ沈黙が続く。今聞こえるのはわずかな風の音と、俺と紫の呼吸音と、萃香の寝言と、勇儀の笑い声と、天魔のうめき声と、周りの鬼や天狗たちの寝言といびきと……。すまん、全然静かじゃなかったわ。お前ら本当に寝てるんだよな?

 そんなことを考えて呆れていると、一瞬だがこれまでにない解放感を感じた。同時に紫のほうから大きなため息が聞こえる。

 

「ふぅ~~~……」

「大丈夫か? 紫」

「ええ。でもごめんなさい。封印はほとんど解けなかったわ」

「なに? 紫の境界を操る能力でも不可能だったのか?」

「不可能というわけではないわ。実際少しだけ解けはしたから。でも全体の一パーセントも解けなかったの。ものすごく強力で複雑な封印よ。全く、誰がこんなことできるのかしら…」

「紫ほどの強さと能力を持っていてもほとんど解けない封印……」

 

 八雲紫は俺が今まで出会ってきた中では最強クラスの強さを持つ。そして持っている能力は神にも匹敵する強力なものだ。その彼女ですら苦戦する封印。本当にわからないことだらけだ。

 

「……取りあえず少しは解けたんだよな。一応どれくらい力を出せるか確認はしておくか」

「そうね。一パーセント未満とはいえ、解けたは解けたからね」

 

 ほんの少しとはいえ、最大値が上がったのだ。確認はしておかなくてはならないな。『100』が『101』になってもあまり変わらないかもしれないが、その『1』に助けられることもあるのだ。

 俺は今出せる力の限界を知るために全力で力を放出した。

 

 

 

 結果。紫に匹敵する量の力が放出された。

 

 

 

「は……?」

 

 俺はいまだに放出され続けている強大な力を制御することも忘れて、呆然とした。今まで使ってきた量とは比較にならない。そして相変わらず、俺の生命力は消費した先から回復していくようで、紫が全力の時に出すような量の力を放出してなお、一切疲れることがない。

 紫も俺と同じく呆然としているようで、その場で固まっていた。しかし、この場にいるのは俺と紫だけじゃない。

 

「な…! 何ですかこの力は! 一体何事……って、ハクさん?」

 

 少し離れていたところで寝ていた天魔が跳ね起きた。自分の状態で頭がいっぱいになっていたようですっかり忘れていた。萃香や勇儀、他の鬼や天狗もさすがに起きたようで、みんな一様に放心している。

 俺はとっさに放出されていた力を抑えて、両手を上げる。戦闘の意思はないという意味なのだが…。

 

「す、すまん。少しいろいろと試していたんだ。まさか、あれだけの力が出てくるとは思わなくてだな…」

「……」

 

 まずい。せっかく滞在を許可してもらえたというのに、不審なことをしたら追い出されるかもしれない。

 

「ハク……」

「な、なんだ、勇儀?」

「それだけ力があるんなら、ハンデつけなくても勝負できそうじゃないか!」

「……え?」

 

 勇儀が心底うれしそうな声を出しながら、俺に詰め寄ってくる。後ろにいる萃香もご機嫌な様子だ。天魔は呆れているようだが、訝しんでいる様子はない。

 え? こんな感じの反応なのか? てっきり「力を隠しているなんて怪しいやつ!」とか「さっきは手加減してしていたのか!」とか言われるものかと…。紫も俺と同じことを考えているのか、納得できないという顔をしている。

 

「そんな感じなのか? 怪しいとは思わないのか?」

「なにをバカな。お前はもうここの一員だよ。仲間を信じない仲間はいないさ」

「勇儀…」

「だから今度は私と勝負だ! ハンデはなし! どちらかが倒れるまでの全力戦闘だ!」

「ちょっと待て。いや待ってください」

 

 感動したと思ったら死刑宣告に近いものをされた。勘弁してくれ、冗談だよな?

 萃香も天魔も、周りにいた鬼も天狗も楽しそうに笑っている。紫も呆れているような態度をとっているが口元が緩んでいる。

 ここのやつらは本当に面白い。だからもう少しここにいたくなったのだが、その判断は正解だったな。

 

 だが、またこれで謎が増えたな。解けた封印は一パーセント未満。だというのに、出てきた力は今までの比じゃない。では完全に解けた時、一体どうなるのか。

 まぁ、考えてもわからないことを考えても仕方がない。今ははしゃいでいる鬼連中を落ち着けるとしよう

 まずは、紫と天魔に手伝ってもらってまた酒を飲もうとしている勇儀を止めるところから始めよう。

 

 

 

 

 

 

「はっはっはー! 酒はまだまだあるぞぉ!」

 

 すまん、力不足で止められなかった。これじゃまた三日三晩宴会だな…。

 

 

 




勇儀さん…宴会好きやねぇ…


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第七話 花を愛する優しき少女

風見幽香は優しいかわいい。
とりあえずロリ幽香描いてみました。右足は上手いこと隠れてますw

【挿絵表示】



 

 勇儀が酒を飲み始めたことで再開した宴会は三日三晩続いた。つまり合計で六日六晩だ。そんなこと言わないか…。

 この山に滞在している間にいろいろなことがあった。萃香や勇儀と模擬戦をしたり、天魔と力の操作の訓練をしたり、他の鬼や天狗たちと語らったり。

 萃香と勇儀に連れられて人里まで行ったこともあった。もちろん俺は人間と戦ったりはしなかったが。むしろやりすぎな二人を止める立場だった。人里の人たちから見たら俺はどういう立場なんだろうか。鬼と一緒に来たが戦いはせず、逆に止めている人間ってわけわからんな。

 まぁなんにせよ、とても充実した日々が続いた。今ここにいる中で人間は自分一人だけなのだが、孤独感なんてものを感じないほど、みんな対等に接してくれた。

 

 だからつい、居心地がよくて百年近く居続けた俺を誰が責められよう。

 ここでの生活は楽しい。離れがたいものなのだが、そろそろ旅を再開しようと思っている。まだまだいろいろなところに行ってみたいのだ。

 きっかり百年目で旅を再開しようと思っていることを少し前にみんなに言っておいた。紫はここに残るかついてくるか考えているようだ。まだ答えは聞いていないが当日までには答えを出してくれるだろう。

 そして、きっかり百年目の日がやってきた。

 

「今日が出発の日か~。あっという間だったねぇ」

「寂しくなっちゃうね」

「悪いな。ここは居心地がいいから俺も離れるのは少し寂しいよ」

「紫さんはどうするんですか?」

「…私もハクについていくわ。旅をするのも悪くないものね。でも、たまにはここに寄らせて頂戴ね」

「もっちろん! いつだって歓迎するよ、友達だもん!」

「ふふふ、ありがとう、萃香」

 

 本当に仲良くなったものだ。

 ふらりふらりと旅をしてきた俺たちは、一つ所に長い間留まっていたことがない。だからこそ、この山が故郷のようにも感じるのだ。紫にとってはここは帰る場所なんだろうな。

 

「ハクも! いつだって帰ってきていいんだからね!」

「ああ。気が向いたら立ち寄ったりするよ。今度は必ずな」

「今度? ってなんのこと?」

「いや、こっちの話だ」

 

 俺が最初に滞在したあの人里。これが最後じゃない、気が向いたら立ち寄ると言ったが、結局あいつらが生きている間に行くことはなかった。寿命のことを知らなかったということもあるのだが、それでも約束を破ったことに変わりはない。

 だから今度こそ約束は違わない。必ずまた来ると誓おう。俺は一人そんなことを考えていた。

 

「…ハク、変な顔してるわよ?」

「気にするな。少し昔のことを思い出していただけだ」

「へぇ…。ねぇ、私ハクの昔のことってあまり聞いたことがないんだけれど?」

「ん~。話すことでもないしな。まぁ旅路の暇つぶしぐらいにはなるか」

「話してくれるの? 楽しみだわ」

 

 大したことはないかもしれないが、そうだな…。俺が最初に滞在した人里の連中のことでも話してやるか。

 

「それじゃあ、またな」

「またね!」

「また会おう!」

「また会いましょう」

「また今度ね」

 

 手を振って送ってくれているみんなに背を向けて歩き出す。次はどこに行こうか、どんな出会いがあるのか。わからないから楽しいのだ。

 

 

 

----------------------------------------

 

 

 

 旅を再開して数ヶ月。今は森の中を歩いているが、まだ人里は見つからない。飛んで上から探せばすぐ見つかるのだが、その後すんなりと人里に入れてくれなくなるだろう。

 最初に見つけた人里でのことを思い出していると、ふと甘い香りがした。だが、食べ物の匂いとは違うようだ。

 気になった俺たちはその匂いのする方向に向かうことにした。もし妖怪の罠だったとしても紫と今の俺ならば問題はないだろう。

 

 力の最大値が上がったわけだが、制御するのは思いのほか簡単だった。続けていた訓練がよかったのだろうか。普段は天魔ほど完璧にではないが、力が漏れ出ないように制御して歩いている。

 それと、前は一切増減しなかった力が、封印の一部を解いてからは少しずつ上昇するようになった。おかげで術の効果も高くなった。ありがたい。

 

 紫と歩いていると、森を抜けたようで太陽の光が目に入ってきた。昼とはいえ、今まで暗い森の中にいた俺たちにとってはかなりまぶしく、思わず目を閉じ手で太陽を遮った。

 しばらくして慣れてきた目を開けると、色とりどりの世界が目に飛び込んできた。

 

「おお…!」

「わぁ…!」

 

 紫と共に眼前の光景を見て、思わず感嘆の息を漏らしてしまった。

 そこにあったのは一面の花畑。赤、青、黄と様々な色の花が咲き誇っていた。照りつける太陽の光も相まって息をのむほど美しい。

 これはすごいな。これほどたくさんの花が咲いているのは初めて見る。隣にいる紫も感動しているようで、花たちに負けないほど笑顔がキラキラとしている。

 

「に、人間…!? また花を取りに来たの…!?」

 

 しばらく花畑に見とれていると、誰かの声が聞こえた。周りを見てみると、花畑の中から一人の少女が出てきた。癖のある緑色の髪に赤色の瞳。そして瞳と同じく赤いスカートをはいている。幼いながらも整っている顔からは、今は敵意を感じる。

 若干だが妖力を感じる。となると妖怪か。最近は人型の妖怪によく会うな。

 

「えっと……なんで怒っているのかわからないけど、俺たちはたまたまここを通りかかっただけだよ」

「森を歩いていたら、いい香りがしたものだから、ついつられてしまってね」

「え、あ…そうだったんですか。すみません…」

 

 正直に事情を説明すると、緑の髪の少女は警戒を解いてくれた。妖怪にしては臆病な感じがするな。生まれてからあまり経っていないのだろうか。

 

「いや、気にするな。それにしても、この花畑はすごいな。見惚れてしまったよ」

「ほんとほんと! こんなきれいなものを見るのは初めてだわ!」

「ほ、本当ですか! え、えへへ……ありがとうございます」

 

 緑の髪の少女はさっきまでのおどおどした様子から一変、心底嬉しそうな表情をして礼を言ってきた。礼を言うということは…。

 

「もしかして、ここは君の花畑なのか?」

「え? えっと、はい。ここで花たちのお世話をしてます」

「あなたがこの花畑を? すごいわね!」

 

 紫のテンションがさっきから高い。この花畑に相当感動しているようだ。かく言う俺も結構上機嫌だ。

 緑の髪の少女は褒められてうれしいのか、顔を赤くしている。

 

「えと……お二人は…その、恋人さんか何かでしょうか?」

「恋人?」

「俺と紫が?」

 

 緑の髪の少女からの質問に俺と紫は顔を見合わせる。俺と紫が恋人…。傍から見るとそう見えるのだろうか?

 

「ち、違うわよ? 一緒に旅をしている友人―――」

「恋人ってのもいいかもしれんな、紫」

「なんだから…ってええええぇぇぇぇぇ!?」

 

 紫が顔を真っ赤にして、口をパクパクしている。紫の反応は面白いな。ついついからかってしまうのも仕方がないことだろう。

 緑の髪の少女は赤面しながら瞳をキラキラとさせている。この子の反応もなかなか面白いな。

 

「なぁ紫。俺はお前といると楽しいよ。お前がよければこれからもずっと一緒にいてくれないか?」

「え、えっと……あぅぁぅ……」

「…………くく」

「! ハクぅ~! あなた私をからかっているでしょう!」

「ばれたか……くくく……」

「もうっ。人をからかうのも大概にしてよね」

「言ったことは本心なんだがな…」

「くぅ…! だ、騙されないわよ!」

 

 残念。さすがに連続では引っかからないか。まぁ十分かわいい姿をみせてくれたから満足だ。後でなでなでしてやろう。

 

「とっても仲がいいんですね。羨ましいです」

「そ、それはどうも。そういえば自己紹介がまだだったわね。私は八雲紫。妖怪よ」

「ハクだ。白いって書いてハク。少し変わってるけど人間だよ」

「紫さんにハクさんですね。私は風見幽香(かざみゆうか)って言います。よろしくお願いします」

「ええ。ところでさっき、『また花を取りに来たの』と言っていたけど、どういう意味?」

「え、えっと……それは……」

 

 紫の問いに風見幽香と名乗った少女の表情が曇る。確かに最初に会った時、幽香は俺たちに対して敵意を向けながらそう言った。

 

「…最近、人間がここの花を勝手に取ってしまうんです。それもたくさん……」

「へぇ。まぁこれだけきれいな花を見たら持って帰りたくもなるわな」

「そうかもしれないですけど…。でも、ホントにいっぱい取っていくんです。私も何とかしようとしてるんですが、力不足で…」

「確かに幽香はあまり強そうな妖怪ではないものね」

「そもそもこんな広い花畑を一人で守れるはずがないな。妖力も大した量はないし………!」

 

 幽香の妖力を探り、そう言いかけた俺は少女の異常性に気付き驚愕した。

 

「紫。幽香の力を探ってみろ」

「探ってるわよ。だからあまり強そうではないと…」

「妖力の量じゃない。力の器の大きさだ」

「……これは…!」

 

 紫も気付いたようでかなり驚いている。幽香は何を言っているのかわからないという顔をしているが…。

 妖力の量は大したことない、というよりかなり少ない。問題なのは器の大きさだ。

 力の器とは、要するに霊力や妖力をためておける入れ物のことだ。大きさには個人差があり、妖怪などは長く生きるにつれてこの器も大きくなっていく。そして重要なのは今現在持っている力の量と、力の器の大きさはイコールではないということだ。力は使えば当然減るが、器が小さくなるようなことは基本的にない。

 この少女は妖力の量こそ少ないが、器の大きさは紫に匹敵する。

 

「どうかしたんですか…?」

「…いや。弱い妖怪かと思ったが、幽香にはなかなか才能があるみたいだぞ」

「え?」

「今の時点で私とそう変わらない器の大きさね。そこそこ強い自信があったのに~」

「え? え?」

「まあまあ落ち着け。そうだ、この子に力の使い方を教えてやってみてはどうだ、紫?」

「いいかもね。上手くいけば花を取りに来た人間を追い払うなんて簡単よ? ど~する?」

「……」

 

 幽香に力の使い方を教えるという提案をする。危険な妖怪ならこんなことはしないが、幽香は心優しい妖怪のようなので問題ないだろう。それに、大量の力を持っているのに制御できないというほうが危険だ。

 紫も力の使い方は上手いから、ちゃんと教えられると思う。さぁ、どうする幽香。

 

「…はい、お願いします。私が強くなることで花たちを守れるのなら」

「いい返事ね。任せておいて、幽香」

「はい!」

「ハクはどうするの? 一緒に教える?」

「いや、俺は少し気になることがあるから少し時間をもらいたい」

「わかったわ。幽香、ここら辺で思いっきり暴れても大丈夫な開けた場所とかないかしら?」

「えぇと、確かあっちのほうに何もない広い場所が……どうしてそんなこと聞くんですか…?」

「決まってるじゃない。思いっきり暴れるからよ」

「ええええぇぇぇぇぇ!?」

 

 紫、ちゃんと教えられるかなぁ。悲鳴を上げ、顔を青ざめている幽香を引きずっている紫を見ながら、心配になる俺であった。

 

 さて、少しばかり気になることがある。

 花を取りに来たという人間。弱いとはいえ妖怪である幽香がいるのは知っているはずなのに、なぜ何度も取りに来ているのか。きれいだからという理由だけでは軽すぎる気がする。考えられるとすれば…。

 俺は集中して、力が集まっている場所を探す。…っと、ちょうどよくこちらに向かって来ている力を見つけた。数は八。おそらく花を取りに来た人間だな。

 彼らがここに到着するのを少し待つとしよう。

 

 

 

 数十分後、向かって来ていた人間が到着したようだ。今は近くに木の陰から様子をうかがっている。

 俺は彼らがいる場所に向かって歩き出す。当然気づいた彼らはすぐに警戒したようだ。

 

「そこに隠れている人達。俺は妖怪じゃない、人間だ。少し話をしたいんだがいいか?」

「……」

 

 返答はない。が、いろいろと話し合っているようでボソボソと声が聞こえる。相談しているのなら俺は後は何も言わないほうがいいな。

 そのまましばらく待っていると、警戒はしているようだが八人とも出てきてくれた。助かる。

 

「初めまして。俺はたまたまここを通りがかった旅人だ」

「…旅人? 白髪なんて珍しいな…」

「まぁな。ついでに言うと妖怪退治の専門家でもある」

「妖怪退治の!?」

 

 妖怪退治の専門家を名乗ると、相手の反応が警戒したものから驚いたものに変わった。それと何人かは少し喜んでいるようにも見える。

 

「それならちょうどいい! この花畑に咲いているとある花を取ってきてもらいたい」

「どうして妖怪退治の専門家にそんなことを頼むんだ? 自分で取ってきたらいいじゃないか」

「この花畑には妖怪がいるんだ。あまり強くはないみたいなんだが、私たちの村には妖怪に対することのできる人がいない。だから、こうして多人数で来ているんだ」

「なるほど。じゃあ、どうしてそうまでして花を取る必要があるんだ?」

「…その花は薬になるからだ。私たちの村は今、ある病が流行っていてな。明確な治療法はわからないんだが、その花から作れる薬で症状を緩和できるんだ」

 

 予想通りだ。危険を冒して取りに来るにはこれくらいの理由があると思ったが、ドンピシャだったな。

 

「なるほど、わかった」

「ってことは取りに行ってくれるのか?」

「いや、悪いがここの妖怪とは知り合いでね。この花畑はそいつにとって大切なものなんだ。だから花を取ったりはしない」

「なっ!? お前さっき妖怪退治の専門家だと…!」

「専門家だ。だが退治する妖怪は選ぶ。悪い妖怪なら退治するが、いい妖怪なら友人にもなる」

「騙したな!」

「嘘は言っていないんだけどね…」

 

 人間たちが、持ってきていた刀やら鎌やらを構える。

 幽香とはさっき知り合ったばかりだが、悪い妖怪でないことはわかる。そんな妖怪が大切にしているものを壊したりはしたくない。

 だが、だからと言ってこの人間たちを見捨てていいのかというと、そんなわけがない。わがままかもしれないが、助けられるなら助けたい。

 

「まぁ落ち着け。花を取ってくることはできないが、病人を診ることぐらいはできる」

「なんだと…?」

「妖怪退治の専門家を名乗ったが、医者みたいなこともしているんだ。治せるのならば治したい。村に案内してくれないか?」

「……本当か? 本当に助けてくれるのか?」

「最善を尽くすよ」

 

 俺がそう答えると構えていた武器を下ろしてくれた。今ここで戦ってもどうしようもないからな。話の通じる相手で助かった。

 村人たちは俺に一言謝罪をすると、村へと案内をしてくれた。

 

 

 

「…………これでどうだ?」

「……! 熱が下がってる!」

「ああ…よかった……!」

 

 村に着いた俺は、早速病になっているという人達の診察を始めた。とはいえ、せいぜい力の流れを見ることぐらいしかできないわけだが。見た感じ、死ぬような病ではないと思うが、力の流れがかなり悪い。本人にとっては辛いだろうから、すぐに治療することにした。

 俺の血液を飲ませ、力の流れを整えると全快とはいかないがかなり回復したようだ。封印が解けたせいか、血液の効果も高くなっていたのが幸いしたな。

 

「本当にありがとうございます! おかげで助かりました!」

「まだ完全に治ったわけではないと思うから、しばらくは安静にしていてね」

「はい、わかりました。本当にありがとうございます」

「うん。これで病になった人は全員か?」

「そうです。それにしても本当に治してしまうとは…。私からも礼を言います。本当にありがとう」

「ああ、気にするな」

 

 数時間かかったが、村にいた病の人を全員治療することができた。そんなに大きな村じゃなかったから思ったより時間はかからなかったな。

 さて、治療は終えたわけだが俺から彼らに頼みたいことがあるのだ。

 

「ところで頼みがあるんだが」

「なんでしょう。私たちにできることなら」

「これからはあの花畑の花を取らないでほしいんだ。この村の病が治ったことであの花畑に行く必要はなくなったと思うんだが…」

「そうですね…。確かにもう行く必要はありません。あそこにいる妖怪もこの村を襲ったりすることはないですし、退治しようとは思いません」

「よかった。それから、俺もしばらくあの花畑の近くにいると思うんだが、たまにこの村に来ても大丈夫か?」

「それはもちろん! 歓迎しますよ、仙人様!」

「……俺は仙人じゃないんだがなぁ」

 

 これで村人があの花畑を荒らすようなことはなくなるだろう。あの花畑を見れないのは気の毒かもしれないが、幽香もただ見に行くぐらいなら許してくれるだろう。そこらへんは幽香と村人が話し合ってルールを決めればいい。

 それにしても、病人を治療しているうちにまた仙人と呼ばれるようになった。俺はそんなに仙人っぽいのだろうか。

 そもそも仙人を見たことがない俺は、まだ見ぬ仙人の姿を想像しながら紫と幽香のいる花畑に戻ることにした。

 

 

 




怪我・病気を治せるのっていいですよね~
羨ましい~


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第八話 風見幽香は頑張り屋

前半の幽香さんキャラ崩壊してますw


 花畑に戻るころには月や星が見えるほど空が暗くなってきた。紫と幽香と別れてから大分時間が経ったが、二人の特訓は終わったのだろうか。

 紫の力をもとに二人を探していると、一軒の家を見つけた。幽香の妖力も感じるからこの家は幽香の家だろうか。とりあえず俺は家の扉をノックしてみた。

 

「は、はい…。誰でしょう…?」

「ハクだ。紫と一緒にいた人間の」

「あ、ハクさんですか。今開けますね」

 

 やはり幽香の家だったみたいだな。トタトタという足音が聞こえて扉が開かれる。出てきた幽香は最初に見たときよりも大分お疲れのご様子だ。

 

「どうぞ。おかえりなさい」

「えぇ~と…、ただいま?」

「……ふふっ」

 

 ここは俺の家ではないのだが、『おかえり』には『ただいま』でかえすものだよな。そう思い答えると、幽香は何がうれしいのやら、クスリと笑った。

 それにしても紫の妖力も感じるのにあいつは出てこないんだな。別にいいけれど。

 俺は幽香に案内されて居間に通してもらった。椅子に座っていると幽香がお茶を持ってきてくれた。

 

「どうぞ、熱いですから気を付けてくださいね」

「ありがとう。……うん、美味い」

「えへへ、よかったです」

「紫はどうした? ここにいるとは思うんだが」

「今は眠っています。この家に連れてきたらまっすぐベッドに行ってそのまま…」

「……幽香のほうが疲れてるだろうに…」

「あはは…」

 

 紫よ、お父さんお前をそんな風に育てた覚えはないぞ。俺お父さんじゃないけど。

 

「どれ、ちょっと手を出してみろ」

「え? はい…」

「ちょっと失礼」

「わっ、わっ…」

 

 幽香の手を両手で包むように握る。幽香が顔を赤くしてあわあわしているが、構わずに集中して自分の力を幽香に譲渡し、ついでに力の流れを整える。これで多少は疲労感も消えるだろう。

 さっきまで慌てていた幽香だが、自分の体調が良くなっているのに気付いたのか驚いた表情に変わった。子供は表情がコロコロ変わるから面白い。あとかわいい。

 

「よし、少しは楽になっただろう?」

「す、すごい…! さっきまでクタクタだったのに…!」

「力の使い方を覚えればこういうこともできるんだ。というか紫はなんでやってやらなかったんだ…」

「すごいすごい! ありがとうございます!」

「はいよ」

 

 幽香が興奮気味に礼を言ってくる。少し力の使い方を覚えることに興味が湧いたかな。だったら一石二鳥だな。

 

「ところで、少し話があるんだ」

「なんですか?」

「実はさっきまで、花を取っていた人達の村に行ってたんだ」

「え…」

 

 はしゃいでいた幽香の表情が一気に冷め、無表情になる。悪いとは思うが、これは話しておくべきことだからな。

 

「花を持って行っていた理由だが、村の人間が病気になってしまっていてな。その病気を治すのにあの花が必要だったということなんだ」

「……てことは、その病気が治るまで花を取りに来るってことですか…」

「いや、大丈夫だ。病は治しておいた」

「え…?」

「俺は医者みたいなこともしているからな。だから村まで行って病気を治してきた。そのときにこの花畑の花を取らないように注意しておいたから、もう取って行ったりはしないだろう」

 

 俺が説明すると幽香はぽかんとしたまま動かなくなってしまった。どうやら俺が言ったことを理解するのに相当の時間がかかっているようだ。

 しばらくすると、幽香はハッとして俺の目をじっと見つめてきた。その瞳には希望の光が灯っているように見えた。

 

「……ほ、本当? もう花を取って行ったりしないの?」

「ああ、大丈夫だ。花を取りにくる必要がなくなったからな」

「……あ、あはは……。ああ、本当によかった…」

 

 前々から思っていたが、この少女の花を愛する心は本当にすごい。まるで自分のことのように、いや、自分のこと以上に花のことを考えている。今も心底安堵した表情で涙を流している。

 

「今までよくたった一人でここを守ったな。これからは俺も紫も手伝うから、だから安心しろ」

「はい……はい……。…ありがとう、ありがとうございます……」

 

 静かに涙を流す幽香の頭を優しくなでる。これまでの頑張りの労りと、これからのことを少しでも安心させられるように。幽香は俺にされるまま、頭をなでられている。

 しばらくそのまま、二人とも何も言わずに時間だけが過ぎていった。だがこの雰囲気は嫌いじゃない。だからもう少しくらい、このままでもいいだろう。

 

「…………いい雰囲気のところ悪いんだけど」

「!」

 

 そう思っていた矢先、紫の登場によってさっきの雰囲気は何処ぞへ行ってしまった。空気読め、紫。

 紫の声が聞こえた瞬間に、幽香が離れてしまった。ものすごい勢いで部屋の隅に飛んで行き、丸まって震えている。ついでに言うと髪の隙間から出ている耳が真っ赤だ。かわいい。

 

「おはよう、っていう時間ではないか」

「おはよう、っていう時間ではないわね」

「お、おはようございます……っていう時間ではないですね…」

 

 ならば『おそよう』とかだろうか。

 

「紫…。慣れない特訓をした後なんだから、幽香は疲れるに決まっているだろう。せめて疲労を取り除くことくらいしてやれよ」

「ハク…。簡単に言うようだけど、妖力を渡すだけならまだしも、相手の力の流れを整えるのって難しいのよ?」

「お前なら簡単だろ?」

「評価してくれるのはうれしいけど、あいにく私には難しいわ。天魔なら少しはできるかもしれないけれど。そもそも相手の力に干渉するのが難しいのよ」

「そうなのか? 俺はできるぞ?」

「私はできないの!」

 

 あれ? 紫のことだから簡単にできるものなのかと思ったんだが…。もしかして、俺のほうがおかしいのか? 訓練しすぎたのかなぁ…。

 

「まぁいいや。それよりも、花畑の花を取って行っていた村人のことだが……」

「聞いていたわ」

「なんだ、起きていたのか。だけどどこで聞いていたんだ?」

「どこにいてもスキマを使えば話を聞くくらい簡単よ」

「お前の能力は便利だな」

「ふふふ……。壁に耳あり障子に目あり、スキマに紫、ってね」

「……………………せやな」

「……………………ご飯作りましょうか」

 

 紫は頭がいいはずなのだが、たまにそこに疑問を持つときがある。今がまさにそのときなのだが…。紫も若干だが顔が赤いようだ。恥ずかしいなら言わなきゃいいのに。

 とりあえず、赤面したままわたわたと弁解を始めている紫は放っておいて、俺も夕飯作りを手伝うとしよう。

 

 

 

「…美味しい! ハクさん料理得意なんですね!」

「まあね。というか連れが全然料理しないからね…」

「ああ…」

「ちょっと! 私だって料理くらいできるわよ!」

「じゃあこれからは自分でやってくれ。そもそも俺は食べる必要がないんだから」

「う……でもハクの料理美味しいし…」

「わかったわかった。今度教えてやるからやってみよう、な?」

「むぅ~ん……、わかったわ」

「そのときは私にも教えてください!」

 

 俺と幽香の合作料理を食べながら、がやがやと賑やかな夕飯となっている。幽香も料理の腕はなかなかのもので、少しでいいからその技術を紫に分けてやってほしいと思ったほどだ。

 

「そうだ。幽香、訓練はどうするんだ?」

「え?」

「村人たちとは話し合ってここの花を取って行かないようにしてもらったから、追い返すために力をつけるのが目的なら、もうその必要はない」

「あ…そうですね」

「まぁ俺としては訓練してほしいが。器が大きいのに力を制御できないとなるとお前自身もこの花畑も危ないからな」

「え! そうなんですか!?」

「そりゃそうだ。うっかり暴走でもしたら、花畑は更地になるしお前は木っ端みじんかもな」

「…………」

「どうする?」

「どうするって……訓練するしかないじゃないですか……」

 

 そうだよな。ちなみに言ったことは冗談じゃない。幽香の器はそれほどまでに大きいのだ。『どうする』なんて聞いたが、拒否したとしても無理矢理訓練させてたな。

 

「もともと訓練はするつもりでしたし…」

「あれ? そうなの?」

「はい。今回はハクさんに助けてもらいましたが、私一人でも花たちを守れるように強くなりたいんです。ご迷惑おかけするかと思いますが…」

「………」

「…ハクさん?」

 

 なんだこの子。めちゃくちゃいい子でした。俺は今、猛烈に感動している。

 今日の幽香の様子を見るに、今回の訓練は相当にキツイものだったということはわかる。だから訓練するつもりにしても、渋々といった感じだろうと思っていたのだが…。

 俺は感極まってついつい幽香を無言で抱きしめてしまった。

 

「わっ、へっ? ど、どうしましたぁ…?」

「ちょっとハク!? 何しているのよ!」

「…………なぁ、紫」

「な、なによ…?」

「この子、うちの子にしよう」

「ホントに何言ってるの!?」

 

 ホントに何言ってるんだろう。自分でもよくわからないが、要するに子供はこういう子が欲しいな~っていう……。俺は何言ってるんだ。

 

「え? え? う、うちの子…?」

「すまんすまん。幽香がいい子すぎてな、つい感動して抱きしめてしまった」

「いえ、大丈夫ですけど…」

 

 抱きしてめいた腕を解いて謝る。いきなり抱きしめられたらびっくりするよな。むしろ叫ばれなくてよかった…。

 幽香は怒ってはいないようだが、何やら顔を赤くしてもじもじとしている。どうしたのかと疑問に思っていると幽香が赤面したままこう言った。

 

「あの…、私ハクさんの子供になら…なってみたいです…」

 

 抱きしめた。刹那で抱きしめた。

 

「…………なぁ、紫」

「なによ?」

「この子、うちの子にしよう」

「いいんじゃない?」

 

 うむ。紫も幽香のかわいさにやられてしまったようで、あっさりと承諾してくれた。

 …お? 抱きしめていた幽香が抱きしめ返してくれた。なんだこの子、かわいすぎる。

 

「ってことは私はハクのお嫁さんかしら~?」

「いや、お前も子供だろ」

「何でよ!?」

「六百年近く歳の離れている夫婦がいてたまるか」

「それを言うなら子供だとしてもありえないわよ!」

 

 む、確かに。だが俺は紫の小さいころを知っている。だから子供としか見れないのだ。

 

「ろ、六百年!? ハクさんって人間でしたよね?」

「あれ? 言ってなかったっけ……って、そういえば本当に簡単な自己紹介しかしてなかったな。よし、じゃあ今からお互いのことを話そう。少し遅めで少し長めの自己紹介だ」

「いいわね。多分これから長い付き合いになると思うしね」

「わかりました!」

 

 そう。これから長い付き合いになるのだ。お互いのことをよく知っていたほうがいいだろう。俺は幽香を放し、三人とも椅子に座った。

 さてと、誰からどこからいつから話そうか。今夜は眠れなさそうだなと、はしゃいでいる紫と幽香をみて思った。

 

 

 

----------------------------------------

 

 

 

 この花畑で幽香と暮らし始めて百年くらい経った。だが楽しい時間というのはあっという間だ。感覚的にはまだ数年しかたっていないような気もする。

 この百年、ずっと幽香は特訓していたかというとそれは違う。彼女は思った通り才能があったようで、五年くらいでそこらの妖怪を上回る力を手に入れた。今は訓練というより、遊びのような感覚で力を操っている。元々大きかった器もさらに大きくなっているものだから、近いうちに大妖怪として名を知られるかもしれないな。

 ただ、優しい性格はそのままなのでむやみに人間を攻撃したりもしない。花に手を出した場合は例外だが。

 

 さて、ここには大分長居した。そろそろ他の場所に向かいたい。幽香ももう一人で問題ないだろう。本当はもっと早く出て行ってもよかったのだが、幽香に引き止められた。まぁ俺も幽香とは別れたくなかったしな。

 

「じゃ、そろそろ出るよ。長い間世話になったな」

「それはこっちのセリフよ」

 

 長い時間一緒にいる間に敬語もなくなって、なんだか本当に親子みたいな感覚だ。反抗期とか来なくてよかったなぁ…。

 

「紫はどうする? 一緒に来るか?」

「……考えていたけど、私はここに残るわ。まだ幽香の世話をしなきゃいけないしね」

「あら、あなたに世話された覚えはないわよ」

「なによぅ! 訓練を手伝ってあげたじゃない!」

「最初の一年ね。ハクに教わったほうがわかりやすいことにもっと早く気付くべきだったわ」

「ぐぬぬ~!」

 

 仲がいいな、こいつら。これならついて来ないといっても不思議じゃない。要するに別れたくないのだろう。紫は能力でいつでも会えるっていうのにな。

 

「そうか。じゃあまた一人旅だな。何百年ぶりかな…」

「あ、まって。行く前に封印を解いてあげるわよ」

「封印って、確かハクの力を抑え込んでるっていう?」

「そう。前に解いたときより私も強くなったからね。できる限りでやってみるわ」

「……私も手伝うわ。少し興味あるし」

「そうだな。頼むわ」

 

 力は強くなったとはいえ一人旅は危険だ。少しでも封印を解いてもらって力の底上げをしたほうがいいだろう。

 紫と幽香がしばし話し合い、二人で俺に手のひらを向けて目を閉じた。その瞬間、前に封印を解いたときと同じ感覚が体を駆け巡った。

 紫と幽香の様子を見ると、やはり二人とも険しい表情をしている。二人がかりでも難しいのか。

 

「「ふぅ……」」

 

 しばらくすると、二人同時に大きく息を吐いた。力の流れから、かなり疲れていることがわかる。

 

「お疲れ。二人とも手を貸して。力を回復させるよ」

「…今解いた封印から出た力で回復するってなんか変な感じ…」

「お願いするわ、ハク」

 

 二人の手を取り、生命力を譲渡する。最大値が増えているだろうから、加減して慎重にゆっくりと。時間をかけて二人の妖力を元に戻した。

 

「はぁ…。なんなのよ、あの封印は。私と紫の二人がかりでもほとんど解けなかったじゃない」

「予想以上ね…。強力なのは前回で知っていたつもりだったけど、ここまでとは……」

「まぁ、なんだ。ありがとう、二人とも」

「どういたしまして。さて、どれくらい力を出せるようになったのかしら?」

「どれくらいって…。ほとんど解けなかったじゃない」

「前回もほとんど解けなかったわ。それなのに、あのとき普通の人間より少し強い程度の力しか持っていなかったハクが、私に匹敵するほどの力を出せるようになったのよ?」

「そ、そうなの?」

「ああ。あのときはびっくりしたな」

 

 さて、では一回外に……というより空中のほうがいいな。そこで力を出してみよう。地上で力を出して、花畑をめちゃくちゃにはしたくない。そう二人に伝えて、三人で空高くまで飛び上がる。

 ある程度の高さで停止した俺は、半分ほどの力を出してみた。

 

 結果。紫に匹敵する量の力が放出された。

 

「………」

「あら? 思ったより増えていないわね?」

「そうなの? かなり強くなったように感じるけど」

「……………」

「? どうしたの、ハク?」

「……まだ半分しか出してない……」

「「……は?」」

 

 まだ半分しか出していないのに紫に匹敵する量。ということは全力でやれば紫の倍ってことか?

 三人とも空中で停止したまま放心している。周りから見ればさぞおかしな光景だったことだろう。とりあえず現実に戻ってきた俺は出していた力を抑えた。

 

「……なんていうか、さすがハクね」

「そ、それほどでも…?」

「人間って何だったかしら…」

「何だったかなぁ…」

 

 なんにせよ、封印はまた少し解けた。一応目的は達成してくれたのだ。感謝の意を込めて二人の頭をなでる。

 

「なんにせよ、ありがとう」

「んふふ~。このなでなでも、しばらく味わえなくなるわね~」

「そうね」

「また戻ってくるさ。そのときまたなでてやるよ」

「約束よ」

「約束だ」

 

 紫と幽香と指切りをして、また会うことを誓う。

 そうだな…。定番の挨拶と再会の約束を同時にして、出発するとしよう。

 

「行ってきます」

「「行ってらっしゃい」」

 

 

 

 再び始まった一人旅。約四百年ぶりだろうか。独りぼっちというのは少し寂しいな。今まで隣にいた紫がいなくなるだけで、ここまで心境に変化が起こるのか。

 それとも、俺が寂しがり屋なだけなのだろうか。…いや、こんなことを考えても仕方がないか。

 別れあれば出会いもある。また新しい出会いがあることを楽しみにして旅をするとしますか。

 そのためには…。

 

 迷子にならないようにしないとな。

 

 

 




主人公が着実に強くなってきてます……ということでチート要素タグつけましたw


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第九話 同い年の土着神

ハクは みちにまよわなく なった!


 

 紫と幽香と別れてから数ヶ月。俺はかなり大きめの村に着いた。今回は力が集まっている場所を探し、見つけてから移動したので迷うことはなかった。

 村の入り口には門番が立っている。なんて言えば通してくれるかな? まぁ正直に言えばいいか。悪いことしてるわけじゃないんだし。

 

「止まれ。何者だ、ここに何の用だ?」

「村々を巡っている旅人だ。怪しい者じゃないよ」

「……白髪。腰にある直刀と短刀の二刀。…もしや『白髪の仙人』様でしょうか?」

「え? 俺ってそんな風に呼ばれているの?」

「私が聞いている特徴と一致していますね。なんでも不思議な術と血液を使い、怪我を瞬時に治すとか…」

「あぁ~…、俺だわ」

 

 自分がそんな風に呼ばれているなんて知らなかったな。幽香の花畑の近くの村には時々行っていろいろしていたから、そこの村人が他の村に伝えたんだろうな。

 

「それで、通っても大丈夫?」

「仙人様でしたら問題ありませんね。歓迎します。一応規則なので言っておきますが、くれぐれも村の中で不審なことはしないように」

「はいよ」

「でないと、ミシャグジ様の怒りに触れますので」

「ミシャグジ様?」

「この村の神です。いくら仙人様でも、神の怒りに触れたらただではすみませんよ」

「了解した。気を付けるよ」

 

 神様ね。そういえば俺は会ったことはないが、存在しているとは聞いたな。もしかしたら、この村では神様に会えるかもしれない。

 少し楽しみになってきた俺は、門番に礼を言い、村に入れてもらった。

 

 

 

「それにしても本当に大きな村だな。これは見て回るのに時間がかかりそうだ」

 

 今まで訪れてきた村の中でも一番大きい。それに比例して人口も多いらしく、道行く人の多いこと多いこと。いっそ飛んでしまおうかなんてことも考えてしまうほどだった。

 普通、村に訪れてまずやることは宿の確保だと思うが、俺一人の場合は宿はあまり重要ではない。いざとなったら空中でも眠れるし、そもそも眠る必要がない。まぁ荷物を置いておける場所はあったほうがいいんだが。

 なので、観光がてら宿を探すというなんとも適当なことをしているのだが、ふと奇妙な力を感じた。

 妖力でも霊力でもない。感じたことのない力だ。気になった俺はその力を感じるほうへ向かうことにした。

 

 

 

「ここら辺だな…」

 

 到着した場所は神社だった。ここから感じたことのない力を感じる。だが、今感じているものは残留しているもののようで、この場所そのものが力を発しているわけではないようだ。

 それにしてもこの神社も大きいな。先程門番が言っていた神を祀っている場所だろうか。だとすると、この力は神様の力ってことなのかな。

 

「そこの君。見ない顔だねぇ。ここに何の用?」

 

 考え事をしていると背後から声をかけられた。随分と幼い声だと思い振り返ると、案の定幼い少女がこちらを見上げていた。髪型は普通なのだが金髪と珍しい髪色の少女だ。だがそれよりも気になるのは、この少女から何か圧力のようなものを感じることだ。

 

「初めまして、さっきこの村に入れてもらった旅人だ。少し散策していたら気になるものを見つけてここに来たんだ」

「ふーん…。旅人かぁ」

 

 少女が値踏みするような目で見ながら俺の周りを回る。俺もその間、少しこの少女について調べてみた。

 俺の感じた力はこの少女から発せられている。さっきまでの考えからするとこの少女がこの村の神、ミシャグジ様ということだろうか。

 

「…もしかして、君が『白髪の仙人』かな?」

「そう呼ばれているのはさっき知ったばかりだけど、そうだよ」

「へぇ。噂に聞くとなかなか強いみたいだね。でも、こうして会ってみて納得したよ。妖怪なら強いのも当然だ」

「……は?」

 

 ちょっと待て。その言い方だと、まるで俺が妖怪だと言っているように聞こえる。姿かたちは人間とほぼ同じだし、妖力だってない。この少女は何を根拠にこう言っているのだろう。

 

「図星って顔だね」

 

 違います。驚きと呆れが混ざっている顔です。

 少女は最初に見た時とは雰囲気を大きく変え、感じていた圧力はさらに強くなった。

 

「私は神だ。相手の力を読み取ることくらい造作もない。お前の力は人間のそれと比べると不自然だ。仙人でもそんな力は持っていない。大方狐か何かの妖怪が人間に化けてでもいるんだろう?」

「いいや、俺は人間だ。確かに普通の人間と比べると少し変わっているかもしれないが」

「む…。まだしらを切るの? 言っておくけど君より私のほうが強いよ? でも、今正直に言えば戦わないであげる」

「だから人間だってば…」

 

 この子、いや神様か。どうやら人の話を聞いてくれないタイプのようだ。あまりこういう人に会ったことがないからどうやって説得すればいいかわからない。

 そういえば紫も最初は俺の話を聞かなかったな。あの時は確か腕を消し飛ばされて、気を失って、起きたら話を聞くようになっていた。ということは…。

 

「腕を切り落としたら信じてくれる?」

「余計に疑うよ!」

 

 そりゃそうだよな。

 

「………本当に人間なの? 君みたいな力は見たことないけど」

「よく言われる。だけど人間だ。……もしかしたら違うかもしれないけど、一番近いのは人間だから人間を名乗っているっていうのが正直な話だけど」

「うぅ~~~~~ん…………」

「なんにせよ、ここで暴れたりするつもりはないよ」

「…………わかった、信じよう。大体紛れ込むのが目的なら、そんな目立つ髪色の人間に化けるわけがないよね」

 

 そう言って神様は、先程まで感じていた圧力を弱めてくれた。とりあえず信じてくれるようだ。正直に話したのがよかったのか、それとも冗談を言ったのがよかったのか。安心した俺は一つため息を吐いて緊張を緩めた。

 

「それで? 人間モドキの人間さん、ここに一体何の用?」

「人間モドキって…。俺も神様と同じで力を読み取ることができるんだが、感じたことのない力を見つけてね。気になって探してみたらここだったってだけだよ」

「へぇ、そんなことできるんだ。っていうか私が神様ってことは疑わないんだね」

「まぁね。小さい見た目の割には存在感というか、威圧感みたいなのがすごいからね。それに、探していた力は君から発せられているし」

「そこまでわかるとは…。これでも結構抑えているのに」

「ふっふーん、崇めるがいい」

「普通崇められるのは私だけどね」

 

 言われてみればそうだな。彼女は神様なんだから崇められるのはもはや当然のことなのだろう。俺もこの神様を崇めたりしたほうがいいのだろうか。

 とりあえず、手を合わせて一礼してみる。

 

「…何してんの?」

「崇めてる」

「絶対バカにしてるでしょ」

「そんなことない。そういえば君ってどういう神様なんだ? 知っていたほうが崇めやすい」

「崇めやすいって…、まぁいいか。では自己紹介をしよう。この村の神、ミシャグジ様を統括している洩矢諏訪子(もりやすわこ)だ」

「あれ? 君がミシャグジ様ではないのか?」

「違うよ。私は昔からこの地にいる土着神。もう千年ぐらい前から存在している」

「おお! 同い年だ!」

「へ?」

 

 神様、改め諏訪子様の年齢を聞いて俺のテンションが上がる。今まで俺と同じかそれ以上の年齢の人物に会ったことがなかったから感動したのだ。

 一方諏訪子様のほうは俺の発言の意味をとらえるのに時間がかかっているようで、目を点にして呆けている。

 しばらくすると、ハッとした顔になり頭をブンブンと振って、慌てた様子で問い詰めてきた。

 

「お、同い年って、君も千歳くらいってこと!?」

「うんうん。正確にはわからないけど、少なくとも千年以上は生きているよ」

「それ人間じゃないよ!」

「だから少し変わってるっていったじゃない」

「全然少しじゃない!」

 

 この神様、ツッコミのキレがすごい。

 

「まぁまぁ、次は俺が自己紹介する番だな。ハクという。白いって書いてハクだ。諏訪子様と同じで千年以上生きている。妖怪退治の専門家兼医者だ」

「ホントなんなのさ…まったく。ああ、私のことは諏訪子でいいよ。同い年ならなおさらね」

「わかった。俺のことは……まぁハクとしか呼べないか」

「苗字はないのかい? ハクだけ?」

「そうなんだよなぁ。今更欲しいとは思わないけど、少し簡単すぎるかな?」

「ん~、別にいいんじゃない?」

 

 思えばこれまでに会ってきた妖怪も人間も、ある程度名前が長いんだよな。たった二文字しかないのは俺だけだ。それでも、紫にもらった大切なものだから改名する気もないけれど。

 これから苗字が欲しくなったらその時考えるとしようか。今はこのままでもいいや、神様もそう言っているしね。

 

「ところで、ハク。君はいつまでこの村にいるつもりなの?」

「さぁ…。この村は大きいからな。見て回るには時間がかかりそうだ」

「すぐに出ていくつもりじゃないんだね?」

「そうだな」

「だったらさ、しばらくここで妖怪退治の専門家として仕事してくれない?」

「まぁ滞在する間はそうしようとは思っていたけど、神様直々にとはどうしてだ?」

「ここには妖怪に対抗できる人が少ないからさ。今まではほとんど私が対処していたけど、最近は力の強い妖怪も出始めたからね。私はそっちに集中するから、ハクには雑魚妖怪のほうをお願いしたいんだ」

 

 なるほど。これほど大きい村だと人間だけでは妖怪に対応できないということか。

 妖怪に対抗できる人間は少ない。才能ある人間ならすぐに戦えるかもしれないが、そんな人間はほとんどいない。修行すれば普通の人間でもある程度戦えるようになりはするが、そうなるには数年、もしくは十数年かかる。だから妖怪退治の専門家は少ないのだ。

 旅人で、しかも素性もわからない人間に頼むくらいだ。今この村は猫の手も借りたい状況ということだろう。

 

 だが、こう言ってはなんだが俺は猫じゃない。さっき諏訪子は自分のことを俺よりも強いと言っていたが、俺からすれば諏訪子のほうが弱く感じる。

 

「俺もそれなりには妖怪に対抗できる。強い妖怪相手でも問題ないぞ?」

「退治人とはいえ、ハクからはあまり強い力を感じない。少し妖怪に対抗できるからって調子に乗っていると、あっという間に死んじゃうよ?」

「力を感じないのは抑えているからだ。それに俺はそう簡単に死にはしない。案じてくれるのはうれしいが…」

「抑えてるって、どれくらい?」

 

 うーん。ここで力を解放してもいいけれど、周りが吹き飛ぶかもしれないし、近くにいる妖怪を刺激する可能性もある。何かいい方法はないか…。

 

「じゃ、俺が妖怪と戦える人間かどうかテストしてくれ」

「テスト? どうやって?」

「今からここに結界を張る。諏訪子がその結界を制限時間内に壊せたら、言われた通り雑魚妖怪でも相手にしてるよ。でも壊せなかったら…」

「ハクの力を認めるよ。ありえないと思うけど、その時はよろしくね」

「うん。よし、いくぞ。制限時間は三十分だ」

「え? 長くない?」

「全然。ほれ、壊してみろ」

 

 俺は目の前に一辺五十センチメートルほどの立方体型の結界を張る。この結界を維持できなくなるほどの負荷を与えることができれば諏訪子の勝ちだ。

 

「よーし! あとで言い訳しないでね!」

 

 諏訪子が結界の下のほうに手を向ける。すると地面が変形し、鋭い刃のような形となって結界にぶつかった。だがこの結界はこれくらいではびくともしない。

 

「あれ? 結構強めにやったのに」

「『結構強め』じゃこの結界は壊れはしないよ。全力でやらないと」

「む、ちょっと調子に乗ってるんじゃない? だったら全力でやるまでさ!」

 

 諏訪子が今度は結界に向かって手をかざす。その瞬間、結界の四方に負荷がかかるのを感じた。どうやら力を使って結界を押しつぶそうとしているようだ。だが結界にはヒビ一つ入らない。

 

「ぐぬぬぬぬ~! な、なんでこんなに頑丈なの…!?」

「わはは、がんばれがんばれ。あと二十九分あるぞ」

「くやし~! 絶対壊してやるぅ~!」

 

 その後、二十九分間。諏訪子はあらゆる手を使って結界を破壊しようとしたが、結局ヒビどころか変形させることもできなかった。

 

 

 

「……ぜぇ……はぁ……ふえぇ……」

「時間切れだ。俺の勝ちだな」

 

 時間切れで勝負は俺の勝ち。俺は維持していた結界を解くと、地面に大の字で転がっている諏訪子を見下ろさないようにしゃがむ。

 

「もう…はぁ…力が…ふぅ…出ない…はぇ…」

「大丈夫か? ほれ、手を出せ」

「? はい……」

「俺の力を分けてやる。少しはマシになるだろ」

「……! なくなってた力が回復してく…!」

 

 諏訪子の手を取り、自分の生命力を譲渡する。神様が俺の生命力で回復するかはわからなかったが、どうやら大丈夫のようだ。

 回復中の諏訪子は俺にまだ力が残っていることに驚いているようで、目を見開いている。

 

「はい、終わり。ほとんど全回復しただろう」

「あ、ありがとう…。あれだけ強力な結界を三十分維持してたのに、まだそんなに力が残ってるなんて…」

「さて、勝負は俺の勝ちだ。強い妖怪相手でも問題ないだろ?」

「それだけの力があるなら心配いらないね。じゃあ、強力な妖怪は私と協力して退治するとしよう!」

「おう。よろしく」

「それはこっちのセリフだよ。頼みを聞いてくれてありがとう」

「あ、そういえば頼まれていたんだった」

 

 いつの間にか、俺が諏訪子に妖怪退治を手伝わせてくれと頼んでいるように感じていた。そう思っていると、諏訪子が笑いだした。

 

「あははは。そうだよ、私が頼んでるんだ。それなのにハクのほうから面倒な仕事を手伝うって言うなんてね。お人よしだなぁ、まったく」

「むぅ…」

「さて、頼み事を頼んだ以上に聞いてくれたハクに何かお礼をしたいんだけど、何かあるかい?」

「う~ん、ありがたいけど今のところ思いつかない……あ!」

「お? 何か思いついた?」

「話をしたい!」

「へ? 話?」

「そう! 同い年の人に会ったことないし、神様に会うのも初めてだからいろいろと聞きたいんだ」

「…そんなのでいいの?」

「そんなのがいいんだ」

 

 俺と同じだけ生きてきた俺とは違う存在は、今まで何をしてきたのか。千年の間にどんなことがあったのかを聞いてみたいのだ。

 

「ふふ…、わかったよ。お礼に私の話をするとしよう。ところで、もう一つ頼み事ができたんだけど」

「なんだ?」

「君の話も聞いてみたい。私と同じだけ生きてきた私とは違う存在が、今まで何をしてきたのか、いろいろ聞いてみたいんだ」

 

 諏訪子のした頼み事が先程自分が考えていたことと全く同じだったことに驚き、呆然としてしてしまった。

 そうだな。俺がそうであるように、諏訪子も同い年の存在などほとんどあったことがないのだろう。故に、話を聞いてみたいんだろう。

 思わず出た笑いを隠すことなく、頼み事の返答をするとしよう。

 

「喜んで引き受けよう」

「ありがとう。さて、今の頼みのお礼なんだけど…」

「なんだよ。もう思いつかないぞ?」

「ならこっちから提案しよう。私の神社で一緒に暮らさないか?」

「え?」

 

 さっきとは違う理由で呆然としてしまった。神社で人間が暮らすって……大丈夫なのか?

 

「話を聞くにしても聞かせるにしても、遠くからここに来るのは面倒でしょ? だったらいっそ、一緒に暮らすほうが楽でいいよ」

「確かにそうかもしれないが…」

「宿だってまだ決めてないんでしょ? 一石二鳥でいいじゃない!」

「むぅ…確かに…。だが年の近い男女が同じ屋根の下とはいささか…」

「何言ってんのさ。年が近いとはいえ、お互い千歳以上でしょ。それに私神様、あなた人間。種族も違うんだから問題なーし!」

「そうだな。爺さんと婆さんが一緒に暮らしても何もないし、犬と猫が一緒に暮らしても何もないわな」

「…たとえがアレだけどそういうこと。さぁ、どうする?」

 

 実際、一緒に暮らして何かあるとは思えない。諏訪子はちっちゃい姿だから余計にな。宿も提供してくれるというのならありがたい。いいことづくめだ。

 ということで、断る理由がないな。

 

「わかった。そのお礼、ありがたく受け取ろう」

「うん。これからよろしくね、ハク」

「よろしく、諏訪子」

 

 どちらからともなく手を差し出し、握手する。また面白い出会いをしたものだ。神様と握手したことのある人間なんて数えるほどしかいないだろう。

 同業者で同居人か。まぁ同業者とは少し違うとは思うが、仕事するときは一緒にだ。長い付き合いになるかはわからないが、濃い付き合いにはなりそうだ。

 

 

 

「そうだ。言っておくけど、俺が退治するのは悪い妖怪だけだぞ。いい妖怪なら退治はしない」

「知ってるよ、噂で聞いたからね。『仕事を選ぶ退治人』さん」

 

 そんな風にも呼ばれているのか…

 

 

 




二つ名が増えるハク。
そしてなんだかんだでミシャグジ様がどういう神か聞いていない。しばらくしてどういう神か聞いて、複雑な気持ちになります。

ちなみに諏訪子はまだ、例の帽子を被っていないイメージです。


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第十話 穏やかな宣戦布告

少し長くなっちゃいましたテヘペロッ


 

 宿を神社として諏訪子と一緒に暮らし始めたわけだが、予想していた通り内容の濃い毎日が続いた。

 諏訪子に頼まれた妖怪退治の仕事はそれほど大変なものではなかった。とはいえ諏訪子の言った通り、たまに力の強い妖怪に会うこともあったが、紫や幽香には程遠い。諏訪子一人で十分対処できるレベルのものだった。

 内容の濃い毎日となったのはむしろ、妖怪退治の仕事のない日のほうであった。

 俺は普段、村に出かけて妖怪による被害がなかったかどうかを聞いて回っている。諏訪子がやればいいのではないかと聞いたことがあるが、曰く、

 

「神様はひょいひょいと人前に出るもんじゃないんだよ。それに私が行くよりも、すでに妖怪退治の専門家として有名なハクが行ったほうが、みんな話しやすいでしょ?」

 

 とのことである。有名かどうかは知らないが、確かに見た目幼女の諏訪子が行くよりはいいだろうと思い納得した。

 

 最初は村人たちの話を聞いていただけだったが、そのうち村にいる退治人から修行させてほしいと頼まれた。今は俺と諏訪子で妖怪に対処しているが、俺もいつまでもここにいるわけではない。村人にも何人か力のある退治人はいたほうがいいだろうということで了承した。

 その他にも、医者としての依頼や様々な雑用、果ては個人の相談事なども引き受けることになっていた。なんだこれ。

 

 確かに忙しい毎日ではあったが、同時に楽しくもあった。今まで巡ってきた村はそこまで大きいものではなかったので、依頼もあまり来なかったのだが、ここでは毎日のように依頼が来る。まぁ依頼が来るということは困っている人がいるということで、あまり喜ぶものではないんだが。

 いろいろな場所でいろいろな依頼をこなしていたおかげか、今では村の中ではそこそこ知名度があるようで、歩いているだけでお礼を言われたり、物をもらったりすることも多い。

 ちなみに、俺は普段から『神様と相談しながら仕事をしている』と公言しているので、諏訪子への信仰も増えているようだ。

 

 

 

 神社に暮らし始めてから百数十年が経った。ずいぶんと長居しているな。最初にここに来た時よりも村は大きくなり、今では国と呼ばれるくらいにまで広がっている。

 だがそれに伴い、妖怪のよる被害は多くなっている。最近は妖怪に対抗できる退治人も増えたが、強い妖怪を相手にするにはやはり不安が残る。そういう妖怪は今まで通り、俺と諏訪子で対応しているというわけだ。

 ちなみに村が大きくなるにつれて諏訪子への信仰が増えたおかげで、今の諏訪子は多分俺より強くなっている。以前のテストで俺が張った結界も、簡単にとはいかないが破壊できるようである。

 

 さて、俺は今、国中を飛び回っている。緊急の妖怪退治だ。畑仕事をしていた人間十数人が妖怪に襲われて重傷を負ったらしい。たまたま近くにいた俺が妖力に気付いて急いで向かい、怪我人を治療したため死者はでなかった。致命傷となるような傷を負った人もいるためかなり危険な妖怪と判断。現在妖力を追って妖怪を探している。

 

「ここら辺のはずだが…」

 

 妖力を追って大通りにでる。見た限り妖怪はいない。ということは人間に擬態できる妖怪か、人間に似ている妖怪か。

 俺は空中で一つため息を吐いて集中し、妖力を探索する。いくら人間に擬態したとしても、妖力がなくなるわけではない。それに一度捕捉した妖力なら探すのはもっと簡単だ。探していた妖怪はすぐに見つかった。

 俺は見つけた人間に擬態している妖怪の周りに結界を張る。移動制限用の結界で、中にいるやつは指一本動かせやしないだろう。周りにいる人に危害を与えられたらマズいからな。

 

「な…体が…!? てめぇ、何故わかったぁ!」

「上手く妖力を抑えていたつもりだろうが、完璧に抑えてなけりゃ見つけるのは簡単だ」

「く、くそ……!」

 

 俺は地面に下り、手のひらに炎を作り出す。これは妖術の類だ。普段使っている結界術などと比べるとあまり使うことはないのだが、威嚇するのが目的ならこっちのほうが効果が高いだろう。

 

「や、やめてくれ! 俺が悪かった! ここにはもう二度と来ない!」

「……本当か? その結界を解いたら今すぐこの村から出て、二度と悪さをしないと誓うのなら許してやる。どうする?」

「ち、誓う! 誓うから命だけは助けてくれ!」

「…………いいだろう。もう悪さするなよ。さぁ、さっさと行け」

 

 俺は手のひらの炎を消し、同時に結界も解いた。妖怪が動けるようになったのを確認して、妖怪に背を向ける。

 

「ああ、助かったよ。ありがとう…」

「礼はいい。二度はないぞ」

「ああ…。お前を殺せば二度はないからな!」

 

 妖怪が叫んだと同時に、俺の左胸から太い槍のようなものが突き出てきた。生温かいものが喉をせり上がり、その場で吐いてしまう。吐いたものと左胸から滴る血で地面が赤く染まっていく。

 どうやら背後から妖怪の変形した腕で刺されたようだ。周りの人が悲鳴を上げているのが聞こえる。

 

「妖怪相手にお優しいことで! だからこんな目にあうのさ、仙人様ぁ?」

 

 背後の妖怪が心底愉快そうな声をあげて笑っている。楽しそうで何よりだ。だが俺は今、心底不愉快だ。

 

「二度はない。そう言ったからな…?」

「はぁ? そのなりで何言ってんだ?」

 

 この妖怪は勝利を確信しているようだ。言葉を話せるから多少頭がいいものかと思ったが、期待外れだったな。

 俺は腰の短刀を抜き、刺さっている槍のような妖怪の手を切断した。

 

「ああ!? てめぇ、なにしやがる!?」

 

 妖怪の言葉を無視して結界を張る。先程のものとは違い、一部例外を除いて何も通さない結界だ。この妖怪程度ではこの結界を突破するすべはない。

 胸に突き刺さっていた腕を引き抜き、傷口に力を集中させる。力の封印を解いてから、再生力も飛躍的に向上しているため、傷は数秒で塞がった。

 妖怪は結界を殴ったり蹴ったりと無駄なあがきをしている。お前にゃこの結界は壊せんよ。

 

「ま、待て! 頼む、待ってくれ!」

「何度も言わせるな。二度はない。残念だったな」

「待て! 止めてくれ!」

 

 妖怪の叫びを無視して、結界の中の妖怪に向かって力をぶつける。この結界は俺の力だけを通すという特性がある。つまり、相手からは攻撃されずにこちらから一方的に攻撃できるのだ。まぁ光や音も通すので完璧ではないが。

 俺の力をもろにくらった妖怪は吹き飛び、結界にぶつかり倒れた。しばらく様子を見ていたが、気絶しているようだ。俺は結界を解き、妖怪を担ぐ。

 周りで見ていた人達にもう安全だと声をかけると、歓声が上がった。

 

「あ、ありがとうございます! 仙人様」

「うん。死者もでなくて何よりだ」

「その妖怪はどうするんですか?」

「殺しはしない。だが、しばらく暴れられないようにはするよ」

 

 そういって俺は妖怪の妖力に干渉し、力のほとんどを引き抜く。これでしばらくは歩けもしないだろう。少しやりすぎだ、反省するんだな。

 周りの人達に一言告げ、妖怪を国の外に追い出すために空を飛ぶ。

 最近、喋れる妖怪は増えてきたが、紫達のように頭のいい妖怪にはなかなか会わない。彼女たちが特殊だったんだろうか。俺は移動しながらそんなことを考えていた。

 

 

 

 妖怪を適当な山の中に捨てて、国に戻ってきた。少しずつ空が暗くなってきているため、このまままっすぐ神社に向かうとしよう。

 今日の夕飯は何にするかを考えながらゆっくり神社に向かっていると、神社から諏訪子がすごい勢いでこちらに向かってきた。その表情にはかなりの動揺がみられる。どうしたんだ?

 

「ハ、ハクっ! ハク、大変だ!」

「なんだ、どうした諏訪子?」

「せ、戦争を申し込まれた!」

 

 戦争だと? なんとも穏やかではない言葉に思わず顔をしかめる。諏訪子は息を切らし顔を真っ青にしている。

 

「ど、どうしよう! 私どうすれば…!」

「落ち着け諏訪子。もう少し詳しく話を聞かせてくれ」

「落ち着けって言ったって…」

 

 相変わらずワタワタと慌てている諏訪子。落ち着くにはまだ時間がかかりそうだ。

 『申し込まれた』ということは拒否もできそうなものだが、諏訪子がそれをしないのは受けざるを得ないのか、拒否できないのか。今日の国の人達を見るに戦争のことなど知らなかったようだし、俺も知らなかった。何故諏訪子だけに伝わっているのか。わからないことだらけだ。

 

「こんな状況、落ち着いていられないよ!」

「こんな状況だから落ち着け。神様がそれじゃ民も不安がる。深呼吸でもして落ち着け」

「あ……そ、そうだね…」

 

 諏訪子はようやく冷静さを取り戻したようで、深呼吸して落ち着こうとしている。俺も諏訪子の話を聞かなければ何もできない。今は諏訪子が落ち着くのを待つとしよう。

 

「……ふぅ。ごめん、取り乱したよ」

「気にするな。それで、何があったか話を聞かせてくれ」

「うん」

 

 

 

 諏訪子の話を要約するとこうだ。今日俺が出かけている間に一通の文が来た。内容は『諏訪子の国の信仰を賭け、勝負しろ』というもの。差出人は大和の神のようだ。

 戦争と聞いて人間同士の戦いを想像していたが、これは神様同士の戦いというわけか。

 

「国にいるみんなが殺されちゃったりしないよね…?」

「信仰を奪うのが目的なら、信仰に絶対必要な人間に危害を加えたりはしないだろう。だから神様だけで戦うものだと思うんだが…」

 

 文の内容はこれだけ。詳しい日にちや場所、戦う相手もわからない。

 

「情報が少なすぎる。これじゃ対応策も考えられないな」

「ど、どうしよう……」

「……直接聞きに行こうか」

「え!?」

 

 わからないのなら聞きに行くしかない。大和の国の場所はわかるし、文には少し神力が染みついているから、行けば差出人を特定できると思う。

 

「で、でも危ないよ! 私も行く!」

「少しとはいえ、二人で行ってこの国を放っておくわけにもいかんだろう。それに行くんなら俺のほうが力の探索が得意だから向いてるだろ」

「でも…」

「大丈夫だ。戦うつもりはないし、たとえそうなったとしても簡単に死なないのは諏訪子も知ってるだろ?」

「……うん…」

 

 まだ不安そうな諏訪子の頭を安心させるようになでる。まだ完全にとはいかないが、少し表情が明るくなった。

 さて、決まったのなら早く行動したほうがいい。諏訪子と話している間に空が白んできた。一晩中話していたんだな。

 俺は早速神社を飛び立ち、大和の国に向かって移動することにした。

 

 

 

----------------------------------------

 

 

 

 しばらく移動し、大和の国に到着した。諏訪子の国よりもはるかに大きい。もう太陽が完全に出ていて、周りに光を与えている。

 大和の国にも諏訪子の国と同じように門番がいるが、人数が多い。大きな霊力を感じる人もいる。妖怪退治の専門家だろう。

 正直、上から侵入するのは簡単だ。用事があるのはここにいる神であって、この国に用事はない。だが、礼儀はしっかりしていたほうがいいだろう。そう考え、門番たちの目の前の地面に下りる。

 

「なっ! 飛んできた…!?」

「妖怪か!?」

「待て待て、妖怪じゃない。白髪の仙人って呼ばれている者だ。ここの神様に用があって来たんだ」

 

 普段はこの名を自称したりはしないが、この名前が知られているのは事実。こういったほうが警戒が解けるだろうと思い名乗った。

 

「は、白髪の仙人…? 確かに白髪、それに腰の二刀…」

「この国にいる神様から文をもらってな。ただ内容にわからないところがあったから聞きに来たんだ。暴れるつもりはないよ」

「むぅ……。わかりました、どうぞお通りください」

「ありがとう」

 

 信じてもらえたようで門を通してくれた。門を通った俺は再度飛んで、文に染みついていた力と同じものを探す。それは簡単に見つかった。

 その場所に飛んで向かう間、下にいる人たち騒いでいた。まぁ見慣れない人間が飛んでいたら混乱するよな。俺は心の中で謝りながら目的地に向かっていた。

 

 

 

「ここか…。随分と立派な屋敷だな」

 

 目的地は神社か何かかと思っていたが、予想に反して豪華な屋敷だった。中からは複数の神力を感じる。神が複数いるのか。

 地面に下り、歩いて門の前に向かう。ここにも門番がいるが、国の入り口にいた門番と違い神力を感じるため、彼も神なのだろう。

 

「何だ貴様。見慣れぬやつだな」

「初めまして。別の国から来た者だ。ここにいる神様に少し聞きたいことがあって来たんだ」

「別の国だと? 怪しいやつだな」

 

 む、これは警戒を解くのは難しいかもしれん。確かに戦争を申し込まれた国から来たと言えば警戒するに決まっているが、まだそこまで言っていないのにかなり警戒している。

 

「おい。何を騒いでいる?」

「こ、これは神奈子様。いえ、この人間がここの神に用があると」

 

 どうしたものか考えていたら門から一人の女性が出てきた。いや、神力を感じるから一柱というべきか。

 青い髪に茶色に近い赤眼。そして感じる強大な神力。俺が探している力と同じものだ。

 

「初めまして。ちょうどいい、あなたに話があって来たんだ」

「我に? 見たところ普通の人間…………ではないようだな……」

「なっ!? 妖怪ですか!?」

 

 青髪の神が、俺の持つ力が普通とは違うことにすぐ気づいた。力の扱いにも長けているようだ。こうなると警戒されてしまうな。

 

「妖怪じゃない。白髪の仙人と呼ばれている」

「白髪の仙人? …なるほど、勝負を申し込んだあの国に住んでいる仙人か」

「そうだ。あの文には詳しいことが書かれていなかったんでな、聞きに来たんだ」

「…ああ! そういえば書くのを忘れていた」

「………………は?」

 

 何だこの神。意図的に書かなかったのではなく忘れていただけだと? だとしたらこの神様、もしかしてバカなのか?

 

「わっはっは! 勝負をするのが楽しみすぎてな。ついそのことだけ書いて送ってしまった」

 

 決定。戦バカだ。

 心底楽しみにしているような顔をしている神を見て、俺は大きなため息を吐いてしまった。糸を張りつめたような話し合いになるかと思ったのだが…。

 

「……じゃあ、内容を教えてくれ。いつ、どこでやるのか、相手は誰かとか」

「相手は我だ。どこでやるかはそちらが決めていいぞ。そちらの神は土着神だからな、その地から離れたら力が弱まるだろう。いつやるかだが…」

「それについては希望を出したい。少なくとは半年は待ってほしいんだが」

 

 この神の力を探ってから、俺は考え事をしていた。その結果、ある程度の時間が欲しいという結論に至った。準備には時間がかかる、ここを譲るわけにはいかない。

 

「む…、半年とはずいぶん長いな。もう少し縮められないか?」

「…………三ヶ月。これが限界だ」

「ふむ……わかった、それでいい。そちらの神に伝えてくれ、正々堂々勝負しようと」

「引き受けた。それでは」

 

 半年も時間はいらなかったが、最初に多めに言っておくと、次の譲歩したときの条件がいいように感じる。狙い通り、三ヶ月時間をもらえた俺は自分の国に戻ろうとした。

 

「待て」

「? なんだ?」

「お前、神ではないがそこそこ強そうだな。どうだ、我と一戦交えてみないか?」

 

 飛ぼうとしたところを引きとめられ、何かと思ったらとんでもない提案をしてきた。戦闘狂か、この神様。

 ワクワクした表情でこちらを見ている神様には悪いが、俺に戦うつもりはない。この国の門番にも暴れないと言ったしな。

 

「悪いが戦わないぞ。戦う理由がない」

「戦いは楽しいではないか。理由などそれで十分」

「そうは言ってもだな…」

「そちらの条件を飲んでやったのだから、これくらいいいだろう?」

「勝手に宣戦布告しておきながら何を言ってんだ、あんた」

「貴様! 神奈子様に向かってなんて口の利き方を!」

 

 ああ、門番さん。まだいたんですか…。確かに神様に対しての話し方ではなかったが、俺も相手が相手ならちゃんとする。つまり、この神様はちゃんとするに値しない気がする。悪い意味だけではないが。

 

「……はぁ、わかった。言っておくが、俺は諏訪子より弱いからな」

「諏訪子、というとそちらの国の神の名か。別にいいぞ、肩慣らしにはちょうどいい」

「肩慣らしとは言ってくれる。諏訪子より弱いが、お前に勝つのは簡単だ」

「ほう…」

 

 青髪の神を挑発する。さっきまでの余裕の表情を崩して、俺を睨みつけてくる。

 俺がさっき考えていた策には必要ないが、ここで俺がこの神様に勝てば、もしかしたら策は必要なくなるかもしれない。

 

「ならば今すぐやるとしよう。ここは地面も屋敷も頑丈だからな。暴れまわっても問題ない」

「わかった」

「問題あります! こんな場所で戦闘など…」

「いいから、お前は屋敷に入っていろ」

 

 門番が反対していたが、青髪の神の威圧のある一言で屋敷の中に走って行った。あの門番、今日は厄日だな。

 さて、目の前の神は派手に戦闘をしたいんだろうが、俺にそのつもりはない。一瞬で終わらせる。

 

「さぁ、いいぞ! いつでもかかってこい!」

「それじゃ、遠慮なく」

 

 俺は神様の力に干渉し、全体の七割近い神力を引き抜く。当然、急激に力を失った神様は何が起きたかわからないという顔をしている。

 

「な……力が…? 一体何をしたんだ…?」

「あんたの神力のほとんどを引き抜いた。今のあんたじゃ俺には勝てないよ」

「何…? そんなことができるのか……」

「悪いな。派手な戦いをしたかっただろうが、それは三ヶ月後まで待っててくれ。その時は俺も諏訪子も真面目に戦うよ。今は時間がないんでな」

「むぅ……わかった…。三ヶ月後を楽しみにするとしよう」

「すまんな、ありがとう。じゃ、またな」

 

 引き抜いた神力を神様に戻す。少し悪いことをしただろうが、それほど怒っているようにも見えない。器の大きい、いい神様だな。そう思いながら自分の国に戻ろうと空を飛ぼうとして…。

 

「ああ、待て待て」

「……今度はなんだ?」

 

 また引きとめられた。まだ何かあるのか?

 

「そういえば自己紹介をしていなかった。私は八坂神奈子(やさかかなこ)。この大和の国にいる神の一柱だ」

「ああ、これは失礼した。ハクだ、白いって書いてハク。妖怪退治の専門家兼医者だ」

「ほう、医者もしているのか。くっくっく、三ヶ月後を楽しみにしているぞ!」

「俺もだ。その時は全力で戦おう」

 

 自己紹介をすっかり忘れてしまっていた。力を探索すれば名前を聞かなくても特定できるから、こういうことがあるんだな。とはいえ、これは俺の失態だな。

 俺は神様、改め神奈子に全力で戦うことを約束して、今度こそ自分の国に戻るため、空を飛んだ。

 

 

 

「ハク、か…。神の力も支配するとは……とんでもないやつだな……」

「ああ、よかった! 周りが壊れていない! 怒られないですむ!」

「……悪かったな、門番よ……」

 

 

 




不憫な門番さん……彼に幸あれ。


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第十一話 闘争の決着

少しシリアス。でも本当に少しだけ。
後半諏訪子視点になります。


 

 大和の国で用事を終えた俺は、国の門番に挨拶して諏訪子の国に向かっている。

 それにしても、ずいぶん親しみやすい神様だったな。諏訪子に対しても思ったが、神様だからってあまりかしこまらないほうがいいのだろうか。まぁ俺は最初から敬語とか使っていなかったけど。

 

 諏訪子の国に戻ってきた。太陽はもう真上を通り過ぎている。よく考えたら俺も諏訪子も徹夜だな。というかこれからしばらく徹夜が続きそうだ。国の一大事、諏訪子の一大事だからな。

 眼下に見える人たちに手を振りながら神社に向かう。諏訪子のやつ、ちゃんと落ち着いて待っているだろうか。

 

「諏訪子、戻ったぞ」

「ハク! だ、大丈夫だった?」

「ああ、戦いに行ったわけじゃないから」

「よかった~」

 

 嘘は言っていない。結局戦いはしたけど、戦うつもりで行ったわけではない。それにあれは戦いと呼ぶにはあまりにお粗末だ。

 …少し萃香と勇儀に考え方が似てきているかもしれないな。

 

「さて、聞いてきたことを説明するよ」

「うん、お願い」

「まず相手だ。大和の国の一柱、八坂神奈子という神だ。知ってるか?」

「うん? え…っと」

「…まぁ相手も諏訪子のことはよく知らないみたいだったからな。次にどこでやるかだが、場所はこっちで決めていいそうだ」

「それは助かるよ。この地を離れたらあまり力が出なくなっちゃうからね」

「で、いつやるかだが、三ヶ月後ってことになった」

「三ヶ月……あまり時間はないね…」

「そうだな」

 

 一通り聞いてきたことを説明する。諏訪子のことと国のことを考えると、その命運を決める戦いが三ヶ月後というのは早すぎる。

 避けられるものではない。諏訪子もそれはわかっているのだろう。だが絶望したような表情はしていなかった。

 

「それでもやるしかない。訓練するよ! ハク、手伝って!」

「おう」

 

 諏訪子は諦めていない。むしろ、やる気十分のようだ。さすがはこの国の神様だな。なら俺も、その神の友人としてできるだけのことをしよう。

 

 

 

----------------------------------------

 

 

 

 正直に言おう。諏訪子は負ける。あの神奈子という神の神力は諏訪子よりも圧倒的に強い。三ヶ月程度の訓練でそれが覆るわけがない。

 俺に負けることで神奈子がコンディションを悪くすることも期待したが、あの神様は戦うこと自体が楽しくて仕方ないという様子だった。ほとんど意味はなかっただろうな。

 だがわざわざ言う必要もないだろう。諏訪子の意欲を下げることに意味はない。神奈子も真正面からの勝負をしたがっていたしな。

 

 じゃあこのまま信仰を奪われても仕方がないのか。 答えは『否』だ。

 信仰を奪われる、失うということは神の消滅を意味する。この国の信仰を神奈子に奪われたその時、諏訪子は消滅するかもしれない。

 それは絶対あってはならない。それだけは絶対に許さない。万が一にでも、億が一にでもだ。

 

 

 

----------------------------------------

 

 

 

 三ヶ月はあっという間に経った。今日が諏訪子と神奈子の決戦の日だ。俺は睨み合っている二人を遠くから見ている。神奈子は会った時とは違い、大きな注連縄と御柱を背負っている。

 この三ヶ月、俺と諏訪子は一度たりとも休まずにこの日に向け備えていた。俺も諏訪子も全力で対策をしていたのだ。

 やれるだけのことはやった。あとはできるだけのことをしよう。

 

「お初にお目にかかる。我は大和の国の神、八坂神奈子。我々の大望のため、この国を支配下に置くべく参上した」

「どうも。この国の神の洩矢諏訪子だ」

「ふむ…。なかなか面白い戦になりそうだ。待っていた甲斐があったな」

「私は戦いたわけじゃないんだけどね。でも、侵略者が来たら排除しなきゃ、この国の神失格だ」

 

 二人が戦闘態勢に入る。ピリピリと空気が張り詰め、威圧感が周りに充満する。

 

「じゃあ行くよ! 大和の国の神の一柱、八坂神奈子!」

「かかってきな! 諏訪の国の神、洩矢諏訪子!」

 

 二人が放出した神力が激突する。衝撃で二人の間の地面が抉れ、小さなクレーターが出来上がった。

 数秒の拮抗。だが予想通り、神力は神奈子のほうが強いらしく、諏訪子は押し負けて後方へ吹き飛ばされた。

 

「くぁっ!」

「どうした! 諏訪の国の神の力はこんなものか!?」

「なんの!」

 

 諏訪子は空中で体勢を立て直して着地してすぐに、地面に手のひらをつける。その瞬間地震が起こり、神奈子の真下に大きな地割れができた。

 

「ほう、面白いことをする」

「まだだよ!」

「!」

 

 神奈子が地割れから回避するために空を飛んだところを、盛り上がり変形した地面が無数の突起となり神奈子に襲い掛かった。だが神奈子は冷静にそれを躱し、不敵な笑みを浮かべた。

 

「なるほど。大地を操り創造する力か。だがその力、雨風のなかでもまともに使えるかな?」

「なっ!?」

 

 神奈子が天に手を突き出す。すると先程まで快晴だった空をみるみるうちに雲が覆い、強烈な雨風を伴う嵐となった。立っているのも難しいほどの暴風雨を受けて、諏訪子が作った地面の突起は無残に崩れ落ちた。

 諏訪子が『地』を操る能力なのに対して、神奈子は『天』を操る能力のようだ。

 

「能力による相性が悪い……。だったら純粋な力で勝負するまで!」

 

 諏訪子が大地を操ることをやめ、空中の神奈子に向かって突撃する。神奈子も天にかざしていた手を下ろし、構えをとった。

 

「愚かだな。最初の攻撃でどちらの力が上かはわかっただろう」

「確かに力は私のほうが弱いみたいだけど、技術なら負けはしないよ!」

 

 諏訪子がそう叫びながら神奈子に周囲に大量の弾幕を展開する。戦闘中でなければ見惚れてしまうほど美しい。

 それは神奈子も同じだったようで、一瞬呆けた顔をしていた。だが、さすが神様というか戦闘バカというか、すぐに迎撃態勢に入る。あれも花より団子というのだろうか。

 

「素晴らしいな! これほど美しい戦闘は初めてだ!」

「余裕そうだね!」

「無論、余裕だからな!」

 

 神奈子は言った通り、余裕そうな表情で迫りくる弾幕の隙間をかいくぐっている。諏訪子と違い、戦闘経験が豊富であるためだろう、弾幕の軌道を上手く予測して回避しているようだ。

 だが、あの弾幕を簡単に回避された諏訪子も予想通りだという顔をしている。これで決着するとは思っていなかったようだ。

 

「だったらこれでどうだ!」

 

 諏訪子がもう一度神奈子の周りに弾幕を展開する。先程の三倍以上の弾幕だ。だが神奈子は余裕の表情を崩さない。

 諏訪子が合図をすると、空一面を埋め尽くしていた弾幕が一斉に神奈子に向かう。

 

「ふん。少し弾幕が増えた程度では私にはかすりもしないぞ」

「知ってる。だったらこれならどう?」

「…なっ! これは結界か!?」

 

 諏訪子が神奈子の周りに結界が張った。この結界は前に俺が妖怪相手に使ったものと同じ、自分の力以外通さない結界だ。

 神奈子は何とか結界を破壊しようとしているが、諏訪子が上手く力を操り破壊されないようにしている。

 

「同居人に教わった技さ! いっけえぇぇぇぇぇ!」

「くぅっ!?」

 

 すべての弾幕が結界の中の神奈子に向かい、直撃した。瞬間、遠くにいた俺にも届くほどの凄まじい衝撃が起こった。先程の暴風雨よりも激しい風が吹き荒れている。

 爆炎と衝撃によって舞い上がった土煙で視界が悪い。諏訪子は結界の維持に力を使い果たしたのか、息を荒げているようだ。

 

「はぁ……はぁ……、ど、どうなった……?」

「…………見事だ!」

「!?」

 

 しばらくして、ようやく視界がよくなってきたところに神奈子の声が聞こえた。先程結界を張った場所から移動していない。多少服が汚れているが神奈子自身は傷一つ負っていない。あれだけの攻撃を受けても大したダメージがないということか。

 

「な、なんで……?」

「あの結界は私の力を通さないもののようだったが、結界の中だけなら力を使えたのでな」

 

 …なるほど。あの結界は力を使えなくするものではない。あくまで力を通さないというだけだ。つまり、弾幕が結界に入ってきてから対処したということだろう。

 だが、あの速度と量の弾幕をあの狭い結界内で対処するというのは難しい。まさに神業、といったところか。

 

「ふむ、さすがに近かったからな。爆発に巻き込まれたりでダメージをもらってしまった。だが、まだ戦えるぞ。どうする、洩矢諏訪子?」

「……もちろん、受けて立とう……と言いたいところだけど、今の攻撃でもう結界の一つ、弾幕の一つも作れやしないよ」

 

 諏訪子はそう言って、ゆっくりと地面に下りた。相当疲れているようで、そのまま地面に倒れてしまった。

 

「…………まいった。降参だ……」

 

 決着だ。二人の神の勝負は神奈子の勝利で幕を閉じた。

 俺は二人がいる場所に飛んで向かった。遠目からだが、諏訪子の肩が震えているのがよくわかる。

 悔しい。悲しい。情けない。そして激しい後悔。そんな感情が今諏訪子の中を渦巻いているのが手に取るようにわかる。

 俺が到着すると同時に、空中に浮かんでいた神奈子も下りてきて、諏訪子のそばに立った。

 

「…………なにさ?」

「くっくっく。いやなに、いい勝負だったな」

「……そうかな……?」

「うむ。これだけのダメージをもらったのは久しぶりだ。それに、神力の差をわかっても立ち向かってくるものは少ない。お前は良い神のようだな」

「……それはどうも……」

「さて、勝負は私の勝ちだ。この国の信仰は近いうちに私が頂く。その時にまた会おう」

 

 神奈子はそう言って飛んで行ってしまった。おそらく大和の国に帰ったのだろう。残ったのは俺と地面に倒れたままの諏訪子。先程までの激しい戦闘があったとは思えないほど静かなものだ。聞こえるのは風の音と、諏訪子の嗚咽だけ。

 俺は諏訪子の隣に座り、腕で顔を隠している諏訪子の頭をなでた。お互い何も言わず、しばらくそのままの状態が続いた。

 

 

 

「…ごめんね、ハク。負けちゃった……」

「ああ」

「あんなに訓練手伝ってくれたのに……ごめん……」

「気にするな」

「…ああ、悔しいなぁ、悲しいなぁ、情けないなぁ……」

「あまり後悔するな」

「……これで、最後なのかぁ……。もう少し……」

 

 諏訪子がぽつりぽつりと語ったことは謝罪と後悔。顔を隠していた腕も今は力なく下ろされており、その瞳はただただ空を見つめている。

 いや、正確には空がある方向に目が向いているだけだろう。多分諏訪子は今、全然違うところを見ている。もしくは、何も見ていないのか。

 

「……ねぇ、ハク」

「なんだ?」

「今までありがとね」

 

 何を言っているんだ、こいつは。まるでこれが最後のような…。

 

「これが最後だ。わかってるんでしょ?」

「……」

「信仰がなくなれば神は消滅する。あの神が私への信仰を奪えば私は消える」

「……」

「だから、あの頼み事も今日で最後でいいよ」

「頼み事?」

「この国で仕事すること。ハクの話を聞きたいってこと。一緒に暮らしたいってこと。全部全部ここでお終い」

「お終い……」

「この国のことを任せたりしないよ。もともと旅人でしょ? 好きなところに行ったらいいよ。そのほうが楽しいさ、きっと」

 

 何を言っているんだ、こいつは……。

 諏訪子の頭をなでていた手を止め、諏訪子と同じように空を見上げる。先程の嵐が嘘のように晴れ渡っている。

 

「好きなところへ行けというのなら、俺は諏訪子の近くにいるさ。今はここが『好きなところ』だから」

「……でも、私はもうすぐ消えるよ?」

「消えさせやしないさ。諏訪子は十分頑張った。だから次は俺の番だ。まぁ任せろ」

「任せろって……でも……」

「なんだよ、俺を信じられないのか。ひどい同居人だな」

 

 虚空を見つめていた諏訪子がこちらを向く。ようやくこっちを見てくれたな。

 諏訪子の頭をなでることを再開する。さっきよりもゆっくり、優しく。大切なものを大事にするのは当たり前だからな。

 

「ここは俺の好きなところで、お前はその好きな理由だ。その大切なものを簡単に壊されてたまるか。失ってたまるか」

「……」

「あとは俺に任せて、今はゆっくり眠ってろ」

「……うん、わかった。任せたよ……」

 

 諏訪子はそう言うと、瞼を閉じて寝息を立て始めた。さっきの戦闘で疲労がたまっていたんだろう。おまけに神力がほとんど空だ。

 俺は諏訪子を抱き上げ、力を回復させながら神社に向かうことにした。

 

「……ありがとう、ハク……」

「……くく、寝言で礼を言われるのは初めてだ」

 

 

 

----------------------------------------

 

 

 

「……ん……う~…ん……」

 

 少しずつ意識が覚醒する。ふわふわとした感覚がなんだかとても心地よい。ゆっくりと瞼を開けると、目に入ったのは見慣れた天井。私の神社の天井だ。

 どうやら昼頃のようで、さんさんと照らす太陽のおかげで屋内だというのにまぶしいくらいだ。

 

「お? やっと起きたか、諏訪子」

「ん~? あ、本当だ。ここの神はずいぶんと寝ぼすけだね」

「元凶が何言ってんだ」

 

 聞き慣れた声。聞き慣れないけど忘れられない声。その二つが私の鼓膜を刺激し、急激に頭が冴えわたる。思わず飛び起きて声の主を見ると、見慣れた姿と忘れられない姿が目に入った。

 

「は、ハク!? それにあんたは!」

「やあ、あの勝負以来だね。お邪魔しているよ、諏訪子」

「大和の国の!」

「八坂神奈子よ」

 

 大和の国の神の一柱、八坂神奈子。あの勝負で私が負けた相手。でもどうしてこの神社に?

 

「あ、あんた……何でここに……」

「やだなぁ。『また会おう』って言ったじゃない」

「た、確かに言ってたかもしれないけど……それに私、なんでまだ……」

 

 あの勝負で私は敗れ、私の信仰は八坂神奈子に奪われたはずだ。そうなれば私は消滅しているはずなのだが、神力の量も前と変わらない。まだ奪っていないだけなのだろうか。それにハクも、どうして神奈子がいることに疑問を持っていないんだろう。

 

「それも含めていろいろ説明しなきゃね。もうあの勝負から七日も経ってるから」

「七日……そんなに……」

「連日の徹夜で余計に疲れていたんだろう。今は起きたばかりでまだ辛いかもしれないから、話をするのはあとでな。少し落ち着いてからのほうが頭に入るだろ」

「いや! 出来れば今すぐ……」

 

 あれからいったい何があったのか。今すぐ知りたい。知らなければならない。

 そんな焦燥感に駆られていると、そばにハクが座り、私の頭をなでた。相変わらずハクのなでなでは気持ちがいい。次の言葉が出てこなくなってしまった。

 先程までの焦燥感はどこへやら、たったこれだけで大分落ち着いてきてしまっている。我ながら単純だなぁ。

 

「まぁ落ち着けって。あとは任せろって言っただろ? 大丈夫だから安心しろ」

「…そうだったね」

「腹減ったろ? 今なんか作ってきてやる」

「うん。楽しみにしてる」

 

 ハクは私の頭をなでるのを止めて、部屋を出て行った。少し寂しい気もするが、ハクの料理を楽しみに待っているのもいい。

 ハクが部屋を出て行ったので、ここには私と神奈子だけ。少々気まずく思い、チラッと神奈子のほうを見てみると、何やらニヤニヤしながらこちらを見ていた。

 

「…………なにさ?」

「ふふふ。いやなに、いい夫婦だと思ってね」

「…………夫婦じゃない」

「顔真っ赤だよ?」

「うるさ~い!」

 

 倒すべき敵だったはずの神奈子がなんだか妙に馴れ馴れしい。私は神奈子に対して少々複雑な気持ちを持っているんだが、神奈子のほうはそんなものないようだ。

 さっきとは違う意味でハクが帰ってくるのが待ち遠しい。できれば神奈子との関係についてぐらい話しておいてほしかったと、うざったい笑みを浮かべている神奈子を見ながらそう思った。

 

 

 




ハクの外見は十代後半から二十代前半くらいのイメージなので、諏訪子と夫婦となると通報されるレベルですw


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第十二話 二柱で手を取り合って

信仰の仕組みはよくわからないまま書いたので、その辺は深く考えてはいけない。
前半諏訪子視点になります。


 

 私が目を覚ました日の晩。私とハクと神奈子は、神社にある部屋でちゃぶ台を囲むようにして座っている。

 私も最初起きた時よりもずいぶん落ち着いてきている。これなら問題なく話を理解できそうだ。ただ、先程まで神奈子にからかわれていたので、なんだかハクを見るのが恥ずかしい。

 

「よし。じゃあ諏訪子が寝ている間に何があったかを説明するぞ」

「……え? あ、うん。お願い」

 

 いけないいけない。今は話に集中しなければ。

 

「単刀直入に言うと、神奈子が信仰を奪うのは失敗した」

「え…!?」

「私が諏訪子と戦ったあと、この国の人間に神が変わることを伝えたんだけど、受け入れてもらえなかったのよ」

「受け入れてもらえなかったって……なんで?」

「違う神を信仰することで今の神の逆鱗に触れるかもと考えたんでしょう。あなたが統括していたミシャグジ様は祟り神らしいからね。その恐怖が忘れられなかったということらしいわ」

「なるほど…」

「それに最近、この国では妙なことが頻発していたようだし、余計に信仰せざるを得なくなっていたみたいよ」

「妙なこと?」

 

 信仰を奪うのに失敗したということは驚いたが納得はできた。だが妙なことが頻発していたことと信仰にどういう関係があるかわからない。思わず首をかしげて考えていると、神奈子が私を見てニヤニヤしながら説明を再開した。

 

「三ヶ月くらい前から、すでにこの国には『神が変わるかもしれない』っていう噂が流れていたらしいのよ」

「え!? そんなこと知らなかったよ!?」

「諏訪子は訓練に集中していたからな。神社に戻ることも少なかったし、知らなかったとしても無理はない」

「それで、そんな噂が流れてからこの国では妙なことが起き始めた。大通りの地面が急に陥没したり、小さいけど竜巻がいくつも発生したり、同時に何人もの人が金縛りになったりとかね」

「そんなことが……」

「私とあなたの勝負の三日前には、空を覆うほどの大きな蛇がこの神社のある方向から出てきて、国を見下ろしたとか。特に何をするってわけでもなく消えたらしいけど」

「総じて大した被害はなかったけど、噂が流れた直後からこんなことがよく起こったものだから、みんなミシャグジ様の祟りだと思ったんだろう。結果、信仰せざるを得なくなったというわけだ」

「で、でも私そんなことしてないよ?」

 

 どの出来事にも心当たりがない。ミシャグジ様を統括している私は何もしていないし、ミシャグジ様が勝手にやったということもない。そんなことをすれば私が気付かないはずがない。となると、その現象は一体誰の仕業なんだろう。

 

「あなたがやっていないというのはその反応でわかったわ。となると、一体誰がそんなことをしたんでしょうね~?」

「さぁ、皆目見当もつかないっすね」

「噂もわざと流されたもののようだしね~」

「三ヶ月前にもうそのことを知っている人がいたとは、情報が速いっすね」

 

 神奈子とハクがなんだかわざとらしい会話をしている。三ヶ月前というと宣戦布告をされた直後だ。そのことを知っているのはこの国では私とハクだけ。となると……。

 

「……もしかして、ハク?」

「何のことやら。さて、次に神奈子がここにいる理由だが、諏訪子にも大分関わってくるからよく聞いてくれ」

「え? う、うん……」

 

 なんだか上手くはぐらかされたような感じだなぁ…。

 

「諸々のせいで信仰を奪うのは失敗したけど、手土産なしで帰るわけにもいかないのよ。だからどうにかならないかハクに相談したの」

「ハクに?」

「ああ。勝手にやっていてすまないが、神奈子が勝負に勝ったのは事実だからな。それに放っておいたら別の大和の神が侵略しに来る可能性もあった」

「あ、そうか…」

「話し合った結果、神奈子が作った名前だけの新しい神を諏訪子と融合させたことにして、その神を信仰させることにした。その神を国の中と外で別の名前で呼び分ければ、この国を支配しているように見えるだろう」

「でも実際は引き続き諏訪子が信仰されてるってわけね。そして私が作った神も同時に信仰されてるから、私にも信仰心が得られるということ」

 

 なるほど、それなら二人とも信仰心を得ることができる。むしろ今までより信仰が増えるかもしれない。神奈子がここにいる理由もわかった。これからはここに住むということだろう。

 

「あとは諏訪子の同意待ちだったんだが、どうだ?」

「もちろん賛成するよ。大体勝負に負けた時点で消えることも覚悟してたんだ。今まで通り過ごせるのなら喜んで協力するよ」

「ふふふ……。じゃあこれからよろしくね、諏訪子」

「こちらこそ、神奈子」

 

 私と神奈子は互いに手を握り合う。これから共にこの国を治める神となるのだ。長く濃い付き合いになりそうだなぁ。

 

「よし、じゃあご飯にするか。もうすっかり夜だからな」

「お、いいね。私も大和の国から酒を持ってきてたんだ。諏訪子が起きたら飲もうと思ってね」

「ちょっと待ってろ。準備はしてたからすぐに作り終わる」

 

 そういうとハクは部屋を出て行った。そういえば私が寝ている間、神奈子はずっとハクの料理を食べていたんだろうか。羨ましい。

 そう思いながら神奈子を見ると、さっき言っていた酒を持ちながらニヤニヤしていた。この顔はさっきまで私をからかっていた時のと同じものだ。

 

「今度はなにさ?」

「諏訪子は愛されてるね~、と思ってね」

「む~?」

「さっきの話、ほんとはもう少し複雑でね。この国の信仰をすべて奪えないことが、大和の国の神々に知られてしまったの」

「え!?」

 

 ということは、大和の国の神々が再び攻めてくるかもしれないってことではないのか?

 

「神々が話し合って、一時は諏訪子を消滅させてミシャグジ様を統括する力を奪い取るっていう話まででてきたくらいだったのよ」

「……」

「でもその時に白髪で腰に二刀を差した誰かさんがやってきてね」

「誰かさん…」

「『極めて紳士的な話し合い』の結果、こういう方法ならば文句はないだろうって神々を納得させたのよ」

「……」

「その誰かさんがね、『もし諏訪子を消せば、大和の神話もそこで終わらせる』なんて言っていてね。私もびっくりしたわ」

 

 ハクだ。間違いない。私が寝ている間にいろいろなことをしてくれていたようだ。私はもう諦めていたのに、ハクは最後まで諦めず行動していた。私のために。

 そう考えると嬉しくて、でも同時に申し訳なくて。そんな気持ちが私の中でいっぱいになり、それがあふれたかのように、私の眼から涙がこぼれた。

 

「……グスッ……」

「……いい友人を持ったね」

「……うん」

 

 私の自慢の友人だ。何よりも大切な友人だ。本当に大好きな友人だ。

 

「二人とも、ご飯できたから運ぶの手伝って……!? ど、どうした諏訪子! 神奈子に何かされたか!?」

「何で真っ先に私を疑うのさ…」

「ここにいたのはお前だけだろ! それとも何もしてないのに諏訪子が急に泣き出したってのか? 怖いわ!」

「それは怖いねぇ」

 

 神奈子と言い合っている私の友人。そのバカバカしいやり取りに、さっきまで考えていた後悔が消えていくのを感じる。私とハクにはこんなもの必要ないということだろうか。

 気付けば涙は止まっていた。はっきりしてきた視界にやけに慌てているハクが映って、思わず笑ってしまった。そんな私を見て、余計に困惑しているハクがとても面白い。

 

「えへへ~。ハク、ありがとね!」

「え? あ、ああ…。なんだよ、泣いたり笑ったり礼を言ったり、忙しいやつだな」

「じゃ、ご飯食べよう! 私持ってくるよ!」

「私も手伝うよ。酒のほうは準備できたからね」

「あ、ありがとう。……何だったんだ?」

 

 

 

----------------------------------------

 

 

 

 出来上がった料理を運び終え、今はもう三人で夕飯を楽しんでいる。諏訪子と一緒に食事するのは久しぶりだ。もっとも、今は神奈子もいるから前と同じというわけではないけれど。

 さっきまで様子のおかしかった諏訪子だが、今はすっかりいつも通りに戻っている。

 

「いや~、ハクの料理はやっぱり美味しいね。これだけでここに来たかいがあったというものだ」

「あ! やっぱり私が寝ていた間にハクの料理を食べてたんだな!」

「まぁね。でも今日のは一段と美味しいな。多分諏訪子が起きたからハクが嬉しくて張り切ったんでしょうね~」

「え? そ、そう? んふふ~、全くハクは私がいないとダメだね!」

「……この神様、ちょろいね」

「知ってた」

 

 すぐに元気になるのはいいことだとは思うが、神様がこうも簡単だとなんか心配だ。誰かに騙されたりしないだろうな。

 

「神奈子の持ってきたこのお酒も美味しー!」

「大和の神々から貰ったお酒よ。勝利の美酒ってやつだね」

「いや、私は負けたんだけど…」

「それを美味しく感じてるってことは勝ったも同然ってことよ」

「なるほど。今回は敗者がいないってことだな」

 

 酒を美味しく感じるくらい、今回の騒動には勝者しかいないということか。何とも素敵なことじゃないか。

 

「だけど諏訪子。あの勝負で私が勝ったのは事実」

「え、急に何? 今『いい話だなぁ』で終わったんじゃないの?」

「そこはちゃんとしないと、これからのこともあるからね。では、罰ゲームといこうではないか!」

「罰ゲームぅ!?」

 

 先程までのいい雰囲気をぶち壊し、神奈子が提案したことに諏訪子は大層驚いている。

 かく言う俺は、実は罰ゲームの内容を知っている。諏訪子が寝ている間に準備を手伝ったくらいだ。

 

「い、一体何をするつもり…?」

「ふっふ~ん。これからは諏訪子には……これを被って生活してもらいます!」

「え? 何それ……帽子?」

 

 神奈子が取り出したのは何とも奇妙な帽子。市女笠に目玉が二つ付いているような、どことなくカエルを彷彿させる帽子だ。

 

「蛇の神である諏訪子に勝ったんだから、これからは私が蛇を象徴するとするわ。だから諏訪子は蛇が天敵のカエルにでもなりなさいな」

「…ってことは、この帽子ってカエルを模してるの?」

「そうよ、かわいいでしょ? ハクが作ったのよ」

「ええ!? ハクも神奈子の味方なの!? この裏切り者~!」

 

 憤慨している諏訪子をなだめる。大した被害があるわけでもないからいいと思うんだけどなぁ。それにしても裏切り者とは失礼な。少しいじってやろう。

 

「まぁまぁ。結構かわいくできたから似合うと思うんだけどな」

「い、いや~……ハクが作ったものでも、さすがにこれは……」

「ああ、そう…? じゃあもったいないけど、捨てちゃおうか…」

「え? べ、別に捨てなくてもいいんじゃない? 国の誰かにあげるとかさ」

「いや、これは諏訪子のことだけ考えて作ったものだから、それを他の誰かにあげるのは違うと思うんだ。でも、いらないのならあっても仕方ないしな…」

「う、う~ん…」

「残念だねぇ、ハク。それ作るのに徹夜までしていたのにね。諏訪子の笑顔が見たいとか言いながら……」

「え!?」

「うん…。でも、これのせいで諏訪子を困らせているんなら、いっそ今燃やしちゃおう」

「ま、待って待って! よく考えたらやっぱり欲しいや! 結構かわいいからね、私気に入っちゃったよ!」

 

 ……自分でやっておいてなんだが、諏訪子ちょろすぎませんかね? 神奈子も協力してくれたからかもしれないけどさ。

 神奈子から帽子を受け取り、わざとらしく喜んでいる諏訪子を見ながら先程感じた心配が大きくなっているのを感じていた。

 

 諏訪子は帽子を受け取ったはいいものの、被るのには勇気が必要なのか深呼吸をしている。

 しばらく待っていると決意したのか、勢いよく帽子を被った。

 

「……ど、どう?」

「…………」

「な、何か反応してよ!」

 

 先程のカエルを模した奇妙な帽子を諏訪子が被ると、あら不思議。ものすごく似合う。

 何というか、最初からこうであったかのように、本来こうあるべきであったように、ものすごくしっくりくるのだ。その『圧倒的コレだ感』に、俺と神奈子は言葉がすぐに出てこなくなってしまった。

 

「……その、なんていうか、ごめん」

「そうだな。似合うとは思っていたが、ここまでとは思っていなかった……」

「そんなに似合うの!? それはそれで複雑!」

「私たちはやっと本当の諏訪子に出会えたのかもしれないね……」

「百年以上一緒にいたのに、気付いてやれなくてごめんな……」

「どういう事なの!?」

 

 ……まぁ、似合うのならよかった。すでに帽子がない時の諏訪子を思い出せないほど似合っているのはどうかと思うが。

 ぎゃーぎゃーと賑やかな夕飯だな。これからはこれが日常になるかと思うと……そうだな、なんとも楽しそうな毎日となりそうだ。

 

 

 

「だ~からぁ~、ハクは私を子ども扱いしすぎなんだってばぁ~」

「見た目がそれじゃあねぇ~」

「む~! ハクとおんなじこと言う~!」

「私みたいなナイスなスタイルにならなきゃ、世の男は振り向きゃしないよ」

「ふん! 神奈子より私のほうが外見的には若いもん!」

「それはどういうことよ! まさか、おばさんに見えるって言ってるのかぁ!」

 

 夕飯はすでに食べ終わり、今は神奈子の持ってきた酒を三人で飲んでいるわけだが、諏訪子と神奈子が面白い感じに酔っているな。俺は相変わらず酔わないので、二人のやり取りを冷静に見ていられる。

 最初は病み上がりで酒を飲んでいる諏訪子が心配だったが、問題はないようだ。むしろ元気になりすぎているような気もする。

 

「よぉし、見てなさいよ神奈子! ハク、子供を作るわよ!」

「ごめん、話聞いてなかった。何がどうしてそうなった?」

 

 二人のやり取りは聞いていたつもりだったが、どうしてそんな話になったかわからん。

 元気になったのはいいが、酒のせいか頭が残念なことになりつつあるのかもしれない。そろそろ止めさせるか。

 

「いいじゃん別に! ハクも子供いないでしょ?」

「いや、いるよ。二人ほど」

「え」

 

 まぁ、子供と言っても紫と幽香のことだけど。

 

「え? え? ハクって好きな人いたの?」

「いや、いないが」

「いないのに子供はいるの!? どういう事!?」

「ちなみに二人とも、妖怪の血が入ってるよ」

「しかも妖怪との子供!?」

 

 嘘は言っていない。いや、紫と幽香が子供というのは嘘かもしれないけど、自分の子供のように大切にしているのは事実。ギリギリセーフだろ。

 

「は、ハクが子持ちだったなんて……知らなかった……」

「しかも妖怪との子とは……恐るべし……」

「まぁまぁ、今度話すよ。それよりももうお開きにしたほうがいいだろ。二人とも飲みすぎだ、顔も真っ赤だぞ」

「……顔が赤いのは酒のせいだけじゃないし、今ので酔いも醒めたけど、確かにもう遅い時間だね」

「えぇ? もやもやすることが残ったんだけど……」

「ほら、布団を敷け。明日からやることはたくさんあるぞ。さっさと寝ろ」

「む~」

 

 神奈子と考えた案はなるべく早く実行したほうがいいだろう。そのことを伝えると、二人とも渋々とだが寝る準備を始めた。

 布団に入った二人は、酔いが回っていたのもあってすぐ眠ってしまった。二人で穏やかな顔で寝ているところを見ると、つい先日まで敵対していた二人とは思えないな。

 

 

 

 二人を寝かせたあと、俺は神社の縁側に座って星を眺めることにした。

 俺は酔いもしないし、寝る必要もない。宴会などのあとは酒を飲んだ人は大体寝てしまうので、こうして一人になることが多い。宴会後ということも相まって、静かな夜が余計に静かに感じる。

 

 今回の騒動は何とか収まった。まぁこれからやることが山積みなわけだけれども、神奈子も言った通り、敗者がいないという結果になった。最善かどうかはわからないが、悪くない結果だと思う。

 さて、山積みになったやることだが、俺も一緒に考えた案だから最後までやり切ろうとは思っている。今考えているのは、やり切ったあとのことだ。

 

「そろそろ、旅を再開するか……」

 

 この場所には今までで一番長く滞在していたな。だが、そろそろ潮時だろう。これからはあの二人がこの国を見守っていくのだ。

 俺も俺でやるべきことがある。記憶を取り戻すという、やるべきことが。

 

「……そうだな。これは、やるべきことなんだ」

 

 ならば、取り戻さなければ。立ち上がり、奔走して、何年かかったとしても、これは絶対に取り戻すべきものなのだから。静かな闇の中、俺は一人そう考えた。

 

 だが今はとりあえず、目の前に山積みになっているものを片付けるのが優先だろう。ならば明日に備えて休むとするか。

 必要はないとはいえ、眠ることはできるのだ。ならばここは二柱の神にならって寝るべきだろう。

 あんなに気持ちよさそうに寝ているのを見ると、何だが羨ましいしな。

 

 

 




諏訪子、ついに本体を手に入れる!


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第十三話 閑話 二柱の神と仙人モドキ

ほのぼのとちょっぴりしんみりなお話です。会話文多め。
読まなくてもいいお話ですが、読むのならブラックコーヒー推奨です。


 

 ―諏訪子とハクの日常―

 

 諏訪子と暮らしてから大分時間が経った。

 俺は日中は村に行っていろいろしているのだが、それ以外のときは神社で諏訪子と共にダラダラとしている。約束通りお互いの今までのことを話したりしているのだが、会話なんていつでもどこでもできる。それに急ぐ必要もないので、気が向いたら話すという感じだ。

 というわけで二人でいるときは特にこれといったことをしているわけではない。強いて言うなら日常をしているというのだろうか。

 

「ただいま~」

「おかえり、ハク。今日は何かあった?」

「いや、特には。いつも通り退治人たちの修行に付き合ったり、相談に付き合ったり」

「平和なのは何よりだよ」

「まったくだ」

 

 挨拶をして神社の中に入る。最初は神社に入るのに抵抗があったが、今はそんなものなくなってしまった。良いのか悪いのか。

 

「ハクぅ~、私もうおなかペコペコだよ~」

「自分で作ればいいだろう、料理できるんだし」

「面倒~」

「俺だって面倒だ~」

 

 二人そろってゴロゴロしている。まさに日常って感じだな。

 

「ていうか、諏訪子は飯を食べなきゃいけないのか?」

「当たり前でしょ。美味しいものは体を動かす動力源だからね!」

「そうじゃなくて、食べないと死ぬのか?」

「んん? そんなことないけど…」

「俺もだ。ということで、どっちも食べなくても生きていけるんだな」

「え? ハクも何も食べなくても平気なの?」

「まぁな。諏訪子と同じで、美味しいものは食べたいけど」

 

 食べなきゃ死ぬってわけではないけど、美味しいものは食べたいからな。体を動かすには十分な理由か。

 

「仕方がない。ご飯作るか」

「やったー! ハクの料理は美味しいから好きだよ!」

「それはどうも。今度は諏訪子が作ってくれよ」

「え~」

「俺も諏訪子の作る料理が食べたいんだよ」

「そ、そう?」

「ああ、諏訪子の料理好きだな~。美味しいってのもあるけど、なんていうか、ほっとするんだよな~」

「え、えへへ~、ありがと」

「それに、かわいい女の子が作る料理ってのは憧れるからな~」

「んふふ~、そこまで言うなら作ってあげようかな!」

 

 ちょろい。この神様、ちょろい。

 

 

 

「ほれ、出来たぞ」

「わーい! いっただっきまーす!」

「いただきます」

 

 料理をちゃぶ台に並べ、早速食べ始める。諏訪子は勢いよく食べているが、そこまで夢中になってくれているのは作った俺からしてもうれしい。

 

「うんうん! 相変わらず美味しいね!」

「そらよかった。ほれ、口にご飯粒がついてる」

「んん…」

 

 諏訪子の口についたご飯粒を取る。……あれ? このご飯粒どうしようか。

 

「あ、ありがと」

「……」

「ど、どうしたの? 取ったご飯粒を見つめて…」

「…これって俺が食べていいのか? それとも諏訪子が食べる?」

「え!? それって聞くことなの!?」

 

 諏訪子が顔を赤くして叫んでいる。俺が食べてもいいけど、もともと諏訪子が食べるはずだったものだ。なら諏訪子に食べさせるのが筋だな。

 

「はい、諏訪子。あ~ん…」

「ええ!? 食べさせる方向になったの!? しかも指についたままのを!?」

「あれ? ダメだったか?」

「だ、ダメじゃないけど……」

「じゃあほれ、あ~ん…」

「あ、あ~……やっぱりダメー!」

 

 騒がしいやつだな。すごい勢いで俺から距離を取る諏訪子を見ながらそう思った。あと、少し悲しくなった。

 結局ご飯粒は俺が食べることになった。

 

 

 

----------------------------------------

 

 

 

 ―冬のある日―

 

「ああ~、寒いな今日は」

「そうだね~。外は一面銀色だ」

「きれいなもんだな」

 

 季節は冬。ついこの前まで紅葉がきれいだったいうのに、季節が変わるのは早いもんだな。朝から降り始めていた雪はあっという間に地面を白く染め上げた。夜になった今でもまだ降り続けている。

 

「今日は村の子供たちがはしゃいでいたな」

「子供は雪が好きだからね」

「俺も結構好きだけどな」

「ふふ、私もだよ」

 

 縁側に腰掛け、諏訪子と二人でしんしんと降る雪を眺める。

 

「ハクは白が好きそうなイメージだな~」

「嫌いじゃないけど…どうしてだ?」

「髪が白いから!」

「好きで白くしてるんじゃないんだけどなぁ」

「あれ、そうなの? 白髪なんて珍しいから自分でしているかと思ってた」

 

 この髪のおかげで村を歩いていてもかなり目立つ。まぁいいけれど。

 

「嫌なら黒くしたらいいのに」

「別に嫌じゃないさ。それに、気付いたときからこの髪色だったからな、もう慣れたよ」

「気付いたとき? 生まれたときじゃなくて?」

「ああ、気付いたときからだ」

「…どういうこと?」

「じゃ、昔話でもするか。約束だしな」

 

 まぁこんな感じで、気が向いたら話をする。適当な感じだが、結構気に入っている。

 

 

 

「……ハクは記憶喪失だったんだ…」

「まぁな。千年以上前の話だけど」

「寂しかったでしょ」

「最初はな。でもそれも慣れたよ」

「それは慣れちゃいけないものだよ。慣れちゃいけないものだったよ」

「……そうだったかもな」

 

 慣れちゃいけないものだった。確かにそうかもしれない。最初の百年で俺の性格が決まったといっても過言ではないかもしれない。

 

「それで? ハクは記憶を取り戻したいの?」

「最初は取り戻そうとしたけど、今はそうでもない。一応目標にしてはいるんだけどな」

「ふーん。まぁ取り戻せないまま千年経っちゃったもんね」

「そうだな~」

 

 最近は記憶を取り戻すということを忘れていることも珍しくない。こういう話をすると思い出すんだけどね。

 

「…そろそろ寝るか。すっかり深夜だ」

「そうだね。布団はもう出してるから」

「お、ありがとう……って、また一つしか出してないのか」

「一緒に寝るとあったかいからね! 早く早く!」

「はいはい」

 

 寒くなってきてから、一緒に寝ることが多くなってきている。最初は別々で寝ていたんだけど、いつの間にやら二人で寝るときの暖かさに心奪われてしまっていたようだ。

 

「あったかいね~」

「そうだな。子供は体温が高いからな~」

「む~! 私はハクと同い年だよ!」

「さっきも言ったろ。記憶がない分も含めれば俺のほうが年上だ、多分」

「私はハクのことを言ってるの!」

「……そうだったな」

 

 諏訪子が言っているのは今の俺のことで、記憶がなくなる前の俺のことじゃなかったな。ちゃんと自分を見てくれているようでうれしい。

 なんだか諏訪子といると心も温かくなっていくような気がする。こういうのも悪くない。

 

「諏訪子~……よしよし~…」

「お~…気持ちいい~…。よく眠れそうだ……」

 

 おやすみ、諏訪子。また明日。

 

 

 

----------------------------------------

 

 

 

 ―大和の国の神々と白髪二刀の誰かさん―

 

 諏訪の国の神、洩矢諏訪子との勝負に勝ったものの信仰を奪えないと悟った私は、ハクにどうすればいいか相談をしていた。というよりもハクのほうから私にコンタクトを取ってきた。

 自分の国の敵だというのに、互いに信仰心を得るにはどうすればいいのかを真剣に考えている。物好きな人間ね。

 

 だがしばらくすると大和の国の神々に、私が信仰をすべて奪えなかったことを知られてしまった。こうなると、他の神がもう一度諏訪の国に攻めてくる可能性がある。

 そのことをハクに伝えると、すぐに大和の国に向かって高速で飛んで行ってしまった。あまりの行動の早さに少しの間呆けてしまったが、私もすぐにハクのあとを追って大和の国に向かった。

 

 

 

 私がハクに追い付いたときには、すでに大和の神々の話し合いの場に乱入していた。

 

「おい、さっきの話はどういうことだ。諏訪子を消すだと? そうまでして大望とやらを叶えたいのか?」

「我らの屋敷にいきなりやってきて無礼な人間だな。ああ、そうだ。『単一の神話を持って全ての国々を統一する』。これには例の祟り神を統括しているあの神は邪魔だ。とはいえまだいい案は出ていないがな」

「だったら俺の案を聞いてくれ。そちらの不利益にはならないはず―――」

「黙れ。たかが人間ごときの案など、我らが聞く必要もない。それに戦争に負けたものが消えるのは当然だろう?」

「……」

 

 大和の神の一柱の断固とした態度にハクが閉口する。それを見たハクと言い合っていた男神は、ハクが悔しくても何も言い返せない状態にでも見えたのだろう。薄気味悪い笑みを浮かべながらハクを見下ろしている。

 だが、少しの間とはいえハクの近くにいた私は、今のハクが男神が思っているような状態ではないことがわかった。

 あれは、マズイ。

 

「……お前は勘違いしているようだが、諏訪の国の神は一人じゃない」

「何? あの国に神が複数いるなど聞いていないぞ」

「諏訪子ですら知らないからな、お前が知らないのも当然だ」

「一体誰だ? そのもう一人の神というのは」

「俺だ」

 

 ハクがそう言うと同時に、今まで全く感じなかった神力がハクから噴き出してきた。私たち神々にも感じ取れないほど完璧に隠していたというのか。

 

「なっ!? 貴様、人間ではないのか!?」

「人間だ。ただ、あの国で百年以上妖怪退治やら何やらをやっていたら、いつの間にか俺も信仰の対象と見られていたようでな。諏訪子と比べると力は少ないが、それでも神の一人にはなってる」

「…………くっくっく。なるほど、あの国を支配するには貴様も消さなければならないということか」

「そういうことだ。どうする?」

「決まっている。今すぐここで消してやろう。私は貴様に宣戦布告する」

「いいよ。受けて立つ」

「お、おい! 何を勝手に…!」

 

 すぐにでも戦闘を始めようとする二人を前に、さすがに他の神々が止めに入る。ここにいる全員がこの男神と同意見というわけではないんだろう。

 

「黙っていろ。あの国を支配するにはどちらにしても邪魔になる存在だ。それに、神になりたてということは影響力も少ないはず、今すぐここで消しても問題ないだろう」

「だからといって、むやみに神を消すことは―――」

「俺は構わないよ。ほれ、かかってこい」

「ふん、愚かな人間が。成り損ないの神が。一瞬で終わらせてやる!」

 

 男神がそう叫んだと同時に二人の力が激突する―――と思い身構えていた私と他の神々だが、いつまでたってもその瞬間が訪れない。

 怪訝に思い状況をよく確認すると、二人とも先程の場所から一歩たりとも動いていなかった。唯一違っているのは、男神がその場で倒れていたことだ。

 

「き、貴様…! 何をした……!?」

「あんたの力のほとんどを引き抜いた。今はその姿を保っているので精一杯だろ。勝負は俺の勝ちだな」

「そ、そんなこと……できるはずが……」

「できるできないは問題じゃない。今そうなっているんだからガタガタ抜かすな」

 

 先程まで温和な雰囲気だったハクが、今は凄まじい殺気を放ちながら男神を見下ろしている。自分に向けられたものではないとわかっていても、わずかに体が震えるのを止められない。周りにいる神々の同じようで、一様に青い顔をしていた。

 

「さて、戦争に勝ったということはあんたの信仰は俺がもらっていいんだよな?」

「くっ……ふざけるな…!」

「黙れ。……でもそうなると、あんたは邪魔だな。確か、戦争で負けたものが消えるのは当然なんだよな? だったら…」

 

 

 

 消されても仕方ないよね?

 

 

 

 ハクが淡々と男神に告げる。今この場で動いている者は誰もいない。ハクも、男神も、私も、他の神々も、まるで時が止まったかのように誰一人動かない。動けない。

 これは冗談ではない。脅しではない。ハクは本気だ。その闇のように真っ黒い瞳の中には、一切の光が見えない。それはまるで、男神の未来を映し出しているようにも感じた。

 

「……っは……っは……」

「…………」

 

 先程までの威勢がなくなり、過呼吸のような状態になっている男神を、ハクはただただ見つめている。このままではハクがあの神を消すのも時間の問題だ。何とかしなくてはならないのに、相変わらず体が動いてくれない。

 

「そういえば…」

「!?」

 

 そんな緊迫した状況を打ち破ったのは意外にもハクだった。いつの間にか元の温和な雰囲気に戻っている。それと同時に私も他の神々も体が動くようになった。

 

「神奈子が宣戦布告したときはこっちの条件を一つ飲んでくれたな。だったら俺も一つチャンスをやる」

「な……何を……」

「とりあえず、俺と神奈子の案を聞け。さっきも言った通り、そちらの不利益にはならないはずだ。たとえこの案を却下したとしても、諏訪子が今後も存在し続けられるような案を考えろ。そうすれば力を戻してやってもいい」

「わ、わかった……約束する……」

「周りの神々もそれでいいか?」

「あ、ああ。もともと神を消すことには反対だったからな」

 

 他の神々の許可を得たハクは、奪った力を男神に戻した。男神は急いで起き上がるとハクと距離を取った。もう少しで消されるところだったのだ、仕方がないだろう。

 

「じゃあ早速説明するぞ。神奈子、手伝ってくれ」

「わ、わかった」

 

 まだ動揺から回復しきっていないのに上手く説明できるだろうか。少しばかり不安になりながらも、ハクと共に考えた案を神々に説明した。

 

 

 

「…………なるほど。その方法なら諏訪の国の神を消さずに信仰を得ることができるな」

「それに対外的には我らの神の一柱が国を支配しているように見せられる」

「大和の神話の名目を保たせることができるというのは重要だ…」

 

 神々が私とハクの案の内容を考え、吟味している。今のところ悪い方向には考えられていない。

 

「どうだ? 大丈夫そうか?」

「うむ。まだ少し細かい調整が必要だが、基本的にはこの方法で問題ないだろう」

「じゃあその案で頼む。細かい調整は俺には難しいだろうから任せるよ」

「……任せてよいのか? 急に我らの気が変わり、諏訪の国の神を消すやもしれんぞ?」

「そんなことしないだろ?」

「もちろん。意味がないからな」

 

 ハクと神々が笑い合う。ハクは誰に対しても物怖じしないというか、常に自然体というか。先程まで剣呑な雰囲気だったというのが信じられないくらいだ。

 

「じゃあ俺は国に戻るよ。あの国を長時間ほっとくのはまずいし、なにより諏訪子が心配だ」

「うむ、あとは任せろ。それにしても、お主はよほど諏訪の国の神が大切なのだな」

「まぁな。もし諏訪子を消していたら、大和の神話もそこで終わらせるつもりだったくらいには」

「くくく、お主にならそれができそうだから恐ろしいものだ」

 

 お互い笑っているが、話の内容は全く笑えないものだ。もしもの話だとはわかっているんだけれどもね…。

 

「しばらくしたらまた来るよ」

「わかった。八坂神奈子も、今後は諏訪の国にいるのだから一緒に行くといい」

「了解した」

 

 細かい調整の結果はあとで話すことにして、とりあえず解散だ。私とハクは諏訪の国に戻ることになった。

 

 

 

 ハクと並んで飛びながら、何とか穏便に済んだことに対して二人でため息を吐いていた。

 

「一時はどうなるものかと思ったが、何とかなってよかった」

「それはこっちのセリフよ。いきなり大和の国に行ったと思ったら、いきなり神に喧嘩を売るんだもの。心臓が止まるかと思ったわ」

「神に心臓ってあるのか…」

「いや、気にするのはそこじゃないわよ…」

 

 本当にのんきな人間だ。あんなことがあってもいつも通りのハクに、さっきとは違う意味でため息を吐く。

 

「そういえば、いつの間に神になっていたんだい? それに、そのことを私に言わなかったのはなんで?」

「あれ? 神奈子は気付くと思っていたんだが」

「?」

 

 気付く? 一体何のことだろう。疑問に思っていると、ハクが少量の神力を放出した。

 

「ほれ、よく見てみろ。お前なら気付くだろ」

「…………! この神力は諏訪子のものじゃないか!」

「そうだ、これは俺の神力じゃない。そもそも俺は神力なんぞ持っていない」

「はったり……だったの……?」

 

 あの状況で、あの神々を相手に平然と、ハクははったりをきかせ、そしてそれを成功させた…。

 そんなこと、出来るものが何人いるのか。考えることが出来るものも少ないだろう。

 

「神奈子も諏訪子のことをよく知らなかったんだ、あの神々は余計に知らないと思ってな。上手くいってよかった」

「い、いつの間に諏訪子の力を取ってきたの?」

「この国を出る直前だ。こんなこともあろうかと抜き取らせてもらった。代わりに俺の力を置いてきたから問題ないと思うけど」

「こんなこともあろうかって……」

 

 最初からこうなることがわかっていたんだろう。でなければ、諏訪子の力を持っていくことなど考えない。

 一体どこまで考えているんだ、この人間は。

 

「まぁなんにせよ、神奈子と考えた案は通ったから一安心だ」

「そうね。あとは諏訪子が起きるのを待って説明するだけ。でも、協力してくれるかしら?」

「そこは大丈夫だ。『今まで通り過ごせるのなら喜んで協力する』とか言うだろう」

「よく知っているのね」

「友人だからな」

 

 違いない。

 

 

 




あまりブラックコーヒーは必要なかったかもw


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第十四話 察言観色の聖人君子

少し長くなりましたが、特に内容はありませんw


 

 俺と神奈子が考え、大和の神々が調整した案は予想以上に上手くいった。以前よりも格段に信仰心が増え、それにより二人の力も増大していった。

 神の力が増えるということは、影響力が増すということ。そして神の影響力が増すと、その神のいる国が繁栄するのは当然だ。

 

 この国はあの日以降、少しの厄介事はあったものの安定している。今のこの状態ならば俺が抜けても問題ないだろう。事実、最近の俺は妖怪退治の仕事とかもほとんど受けていない。俺より強い諏訪子や神奈子のほうが適任だからだ。

 そういうわけで三人で朝食をとっているときに、近々旅を再開するつもりであることを話した。

 

「え~! ハク、出て行っちゃうの!?」

「ああ。少し前から考えてはいたんだ」

「ずっとここにいてもいいのに。それとも、何かやりたいことでもあるの?」

「まぁな。明日明後日には出るつもりだ」

「ずいぶんと急だねぇ」

 

 確かに急な話だとは自分でも思う。特に百年以上滞在した場所だということを考えるとなおさらだ。だが俺も、何も考えずに急に話したわけじゃない。

 

「仕方ないだろ。早めに話したりすると―――」

「ずぅっとここにいればいいじゃん! ここが好きな場所だって言ってのにぃ~……ハクの大嘘つき!」

「……こういう駄々をこねるやつがいるからな」

「ふふ、なるほどね」

 

 諏訪子には悪いかもしれないが、ここを出ていくというのは決定事項だ。余程のことがない限り変えるつもりはなかったので、四六時中こう言われると考えるとちょっとね。

 引き止めてくれるのはうれしいし、駄々をこねる諏訪子もかわいいんだけどね。

 

「まぁ落ち着け、俺は嘘は言っていないぞ。ここは俺の好きなところで、お前はその好きな理由だ。何も変わってない、変わるわけがない」

「う……」

「どこに行ったとしてもその考えは変わらないんだ。だから、必ずまたここに来るさ」

「……本当に? 絶対に? 神に誓って?」

「ああ。諏訪子は待っててくれるか?」

「……もちろん、いつまでも待ってるよ」

「うん、ありがとう」

 

 必ずまたここに来る。これも決定事項だ。またここに来ることを誓おう。

 礼を言いながら諏訪子の頬をなでる。頭には帽子が乗っているので最近はこうすることが多い。諏訪子によると、神奈子にからかわれることが多くなったとのことだが、やめる気はない。

 

「お二人とも、お茶が甘くなるからその辺で……」

「何それ、まずそう」

 

 今度試してみようか。

 

 

 

「それじゃ、長い間世話になったな」

「うん! この国のことは任せて。道中気を付けてね」

「帰ってくるのを楽しみにしてるよ」

「ああ、またな」

 

 簡単な挨拶を済ませて、神社をあとにする。またここに来るのだから、長々と別れ話をする必要はないだろう。

 飛んで行ってもよかったのだが、この国を出るまでは歩いて行こう。次に来たときにどう変わっているか、少し楽しみだしな。

 国を歩いていると、周りを歩いていた人たちが集まってきた。いつも通りの光景なだけあって感慨深い。

 

「あれ? 仙人様、お出掛けですか?」

「ああ、旅を再開しようと思ってな」

「え~! どこかに行っちゃうってこと?」

「そうだな。でも心配することないぞ。この国には優秀な神様がいるからな」

「確かに、仙人様は旅の途中でこの国に寄ったと聞いたことがありますな」

「もう百年以上前のことだ。ずいぶんと懐かしいなぁ」

「では、お別れということですか……。今まで本当にありがとうございました」

「いや、俺のほうこそこの国には世話になった。ありがとう」

「寂しくなりますね」

「俺もだ」

 

 老若男女問わず慕われているというのは嬉しいものだ。だからこそ、離れるのは寂しいのだが。

 出会う人々に挨拶をしながら、国の門の前にやってきた。いつの間にか俺の周りには、ここに来るまでに会った人たちがたくさんついてきていた。

 

「おや、仙人様……今日はずいぶんとお連れさんが多いようで」

「やあ、門番お疲れさん。そうだな、いつの間にかここの人口密度がすごいな」

「一体何事でしょう?」

 

 門の前にいる門番に挨拶をする。門番は俺とその周りの人を見て苦笑を浮かべた。門番という立場からして、こんな人数が門の近くに来るというのは喜ばしいことではないだろうからな。

 

「今日から旅を再開しようと思ってな」

「…ということは、この国を出ていくのですか。それは残念です……」

「心配するな。ここの神がいる限り、この国は安泰だ」

「はい、そうですね」

「うん。みんな、見送りはここまででいいよ、ありがとう。またどこかで会ったらよろしくな」

「今までありがとうございました、仙人様!」

 

 ついてきてくれた人たちに礼を言い、門をくぐって国の外に出る。後ろで手を振っているみんなに手を振り返しながら、まだ見ぬ人里に向かって歩き出した。

 次にここに来るのはいつだろうか。十年後か、百年後か、それ以上か。それほどの時間が経てば今とはずいぶんと変わってしまうだろう。

 だが、変わらないものもある。何百年経ってもここにはあの二人の神がいる。いつまでも変わらずに、いてくれる。

 それがたまらなく嬉しいのだ。

 

 

 

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 今までは森の中を歩いて進んでいたが、今回は適当に飛んで行くことにした。前までは飛んでいるだけで妖怪扱いされたが、今は妖怪退治の専門家の中には空を飛べるものがいるという認識が広まってきたから大丈夫、のはずだ。

 小さい村などに飛んだまま行ったりもしたが、そこまで騒ぎにもならなかった。俺のことがそれなりに広まっていることも理由の一つのようだ。

 まぁ、容姿は若いのに白髪の人間なんて今まで見たことないしな。

 

 旅を再開してしばらく経ったころ、俺は大きな都を見つけた。森の中を進むよりは空を飛んでいたほうが人里を見つけやすいのは当たり前だな。適当に飛んでいても見つけられた。

 

「とりあえず門番に挨拶しておくか…………?」

 

 都の門番の場所に下りようとしたとき、都の中から変わった力を感じた。妖力ではないから妖怪ではないと思うが人間にしては大きい力で、少し神力と似ている気がする。

 念のため力の発生源を調べたほうがいいと考え、門番への挨拶は後回しにして飛んだまま都の中に入った。

 

 力の発生源はすぐに見つかった。ずいぶんと大きく豪華な屋敷がある場所で、おまけに人がたくさん集まっている。

 見ると一人の少女のもとに集まっているようだ。薄い茶色で二つに尖っているという面白い髪型をしている少女だ。温和な雰囲気と圧倒的なカリスマを感じる。

 集まっている人たちはその少女に向かって様々な悩みや願望を叫んでいるのだが、驚くことに一度に叫ばれ聞き取ることが困難なそれを理解し、的確な答えを返している。

 

 それだけでも普通の人間とは違うというのに、俺の感じた力は彼女が発生源のようだ。そこらにいる退治人の力を軽く凌駕している。

 とはいえ彼女は人間だ。近くに来ても妖力は感じないし、悪いことを考えているようにも見えない。

 問題はないと思い安心して少女を見ると、話すのを止めて空に手のひらを向けていた。

 というか、俺に向かって手を突き出していた。

 

 その瞬間、俺の周りに強力な力場が発生した。

 

「これは……結界か?」

「ずいぶんと変わった気配がすると思ったが、妖怪の類か?」

 

 先程までの温和な雰囲気を大きく変え、圧倒的な威圧感を放ちながら少女が疑問を口にする。できるだけ力は抑えていたつもりだが、ばれていたようだ。ますます人間離れしているみたいだな。

 しかしどうしようか。この結界はかなりの強度があるようだが、俺なら力任せに破壊もできるし干渉して解除することもできるが……。

 いや、この結界は破壊しないでおこう。俺はそう思って両手を上げ、少女に聞こえるように声を上げた。

 

「妖怪じゃない。俺も気になる気配がしたからここまで来たんだ。白髪の仙人と呼ばれている」

「白髪の仙人? 確か遠くの国に定住していると聞いたが」

「まぁ百年以上住んでいたが最近旅を再開してな、適当に飛んだらここに着いたんだ」

「ふむ……少なくとも妖力は感じない。狐狸とも違うな」

「おお、狐狸じゃないと言われたのは初めてだ」

 

 これまでに出会った人には狐の妖怪が化けてると勘違いされたが、違うと断言されたのは初めてだ。かなり鋭い感覚を持っているようだ。

 

「そういうことを言うのは本人だけですね。大変失礼しました」

「いや、俺のほうもこっそり見ていて悪かったな」

 

 少女はそう言うと、結界を解いてくれた。話の通じる人で良かった。俺は上げていた両手を下ろして地面に下りた。

 少女の周りにいた人たちは突然のことが連続で起こったせいか、呆けている者が多い。そういえば悩み相談みたいなことをしている最中だったな。邪魔してしまったようだ。

 

「悪いなみんな、驚かせてしまって。俺のことは気にせず続けてくれ」

「えと……仙人様、それはさすがに無理です……」

 

 そらそうだわな。すまんかった。

 

「では皆の者、今日はここで解散としよう。気にするな、また私がここにいるときに来るといい」

「は、はい。ありがとうございました」

 

 少女が集まっていた人たちを解散させる。えーと、よく考えなくても俺のせいだよな?

 集まっていた人たちは少女に礼を言って、帰っていく。その様子を見ていたが、みんな本当に少女に感謝しているようだ。

 周りの人たちは全員帰ってしまい、今ここにいるのは俺と少女だけ。

 

「悪かったな、邪魔してしまって」

「いえ、大丈夫です。今日はもう大分悩みを聞きましたから」

「そう言ってくれると助かる。それにしてもあの人数の声を同時に聞いて理解できるとかすごいな」

「ありがとうございます。ですが、大したことではありませんよ」

 

 ……謙遜しているわけではなく、本当にそう思っているようだ。なんだこの子、人外すぎる。

 

「自己紹介が遅れたな。ハクという、白いって書いてハクだ。さっきも言ったが白髪の仙人と呼ばれている」

「初めまして、豊聡耳神子(とよさとみみのみこ)といいます。よろしくお願いしますね、仕事を選ぶ退治人さん」

「もしかしてそっちの名前のほうが有名なの?」

「どっちもどっちです。ただ、こっちの名前のほうが性格がわかりますね」

「なるほどな」

 

 確かに『白髪の仙人』と『仕事を選ぶ退治人』では後者のほうが内面を表している。とはいえ、これだけだと何だか面倒くさいやつだと思われてもおかしくないと思うんだが。

 

「他にも、直刀と短刀の二刀使い、白髪二刀の不老者、妖怪退治の大師範、親しみやすい仙人様、街のお医者さん、戦わない専門家―――」

「わかった、わかったからもういい……」

 

 いつの間にそんなにたくさんの名前がついたんだ……名前を求めて旅していたころが懐かしい。

 何が面白いのか、げんなりしている俺を見て少女が小さく笑っている。

 

「ここには来たばかりなのですか?」

「うん。そういえば門番にも挨拶しないで真っすぐここに来てしまったからな、見つかったら捕まるかもしれん」

「さっきここにいた人たちの反応を見たでしょう? 誰もあなたを敵視しなかったじゃないですか」

「一人していたような……」

「何のことやら私にはさっぱりですね」

「…………はは」

「…………くすっ」

 

 二人同時に笑ってしまった。最初の印象はカリスマ溢れる指導者といった感じだったが、こうしていると普通の少女のようにも見える。あくまで『見える』ではあるが。

 

「立ち話もなんですから屋敷の中でお茶でもどうでしょう?」

「いいのか?」

「はい。いろいろとお話も聞きたいですし」

「わかった、邪魔させてもらうよ。ありがとう」

 

 少女、豊聡耳神子に案内されて屋敷に入る。というか予想はしていたけど、この目の前の大きな屋敷はこの子のかよ。

 屋敷の廊下を神子と一緒に歩いている。屋敷が大きいためかたくさんの使用人とすれ違ったのだが、みんな俺を見ると驚いたかのような顔をした。

 神子がその内の一人に茶と茶菓子を出すように言うと、使用人はかなり慌てた様子で下がってしまった。何なんだろうか。

 

「客人を招くのは久しぶりですし、その相手が有名な仙人となると慌ててしまうのも無理はありません」

「どう有名なのかは聞かないことにするよ」

 

 さっきの二つ名の多さからして統一性がなさそうだな。それでいて間違いと言い切れないからタチが悪い。

 そうこう話している間にとある一室に通された。この屋敷の外見とは違い、内装は思ったほど豪華というようには見えない。それでも一般の家からすれば十分すぎるほどに整っている。

 部屋にある座卓を挟んで座る。神子のほうを見ると、何やら手を顎に当てながら俺のほうを見てきていた。

 

「なんだ?」

「いえ、不思議だなと思いまして」

「不思議?」

「そこまで真っ白な髪というのは珍しいですね。それなのに外見は若いから余計にミスマッチというか」

「外見はって、中身は相応ってことか?」

「違うんですか?」

「普通の人間で例えると、死んでるどころか骨が残ってるか怪しいぐらいだな」

「ふふふ、それはかなりのおじいさんですね」

 

 小さく笑う神子につられて俺も少し笑ってしまう。そこそこ有名だからというのがあるからか、こういう風に普通に接してくれる人は少ない。何気ない会話というのが一番楽しいものだと俺は思う。こういうところが年寄りっぽいのかもしれないな。

 

「仙人に年寄りとかってあるのかな」

「外見が老人に見えるというのはあります。ですが不老のようなものですし、人間でいう老人や年寄りとは違いますね」

「よく知ってるな」

「私も一人仙人に知り合いがいますので」

「へぇ、どんな人?」

 

 俺は仙人というのを見たことがない。俺も仙人と呼ばれているが、修行したわけでもないし違うのだ。仙人とも会ってみたいと思っていたから、かなり興味がある。

 

「正確には仙人ではなく邪仙です。邪仙とは悪事などを行ったせいで天から仙人と認められなかった者です」

「そういうのもいるのか~」

「どういう人かというと……そうですね、一言で言うと無邪気といったところでしょうか? 良くも悪くも自分に素直な人です」

「目をつけられたら面倒そうな人だな」

「……失礼を承知で聞きますが、ハクさんは仙人なのですか?」

 

 神子が申し訳なさそうな顔をしながら尋ねてくる。ただ、怪しんでいるというわけではないようだ。

 

「あなたの雰囲気や力はその知り合いとは違っているように感じます。まぁ仙人と邪仙の違いだと言われたら反論できないのですが」

「俺は仙人じゃないよ、そう呼ばれているだけ。まぁ白髪の仙人って名前はそこそこ有名らしいから、誰かと聞かれたらそう名乗ってるけど」

「ああ、やっぱりそうでしたか」

 

 隠していることでもないので本当のことを話す。神子は予想通りだというように頷きながら納得している。

 

「てか、そんな質問していいのか?」

「というと?」

「もし俺が人を騙すために仙人だと嘘を言っていたらどうすんだ? 察しのいいお前は消してやる、みたいな展開になったらまずいだろ」

「それはないと確信していたので」

「何というか、すごいな……」

 

 俺にそのつもりはないが、これからそういうやつが出てくる可能性もある。なので忠告をしたのだが、この子には必要なかったようだ。人間には間違いないのだが、観察眼や洞察力がすごい。

 しばらく話していると、さっきの使用人が茶と茶菓子を持ってきてくれた。

 

「ど、どうぞ」

「ありがとう。……うん、落ち着くねぇ」

「あ、ありがとうございます……」

「……俺、何かしたか?」

 

 何だかさっきから使用人が変に緊張しすぎているような気がする。何かした記憶などない、というかここに来てからまだそんなに時間も経ってないのだから当たり前だ。

 俺が首を傾げていると神子が少し笑いながら説明を始めた。

 

「ふふふ、貴方は先程から自分を『そこそこ有名』と言っていましたが、実際は『かなり有名』の間違いです」

「かなり? しばらく旅をしていなかったのにか?」

「むしろあちこち旅をしていたほうが噂になりにくいでしょう。なったとしても不確かで一時的なもののはずです」

「む、言われてみれば」

「同じ場所に留まり、そこで様々な偉業を成していたからこそ真実味のある噂が流れたのです。まぁ多少誇張されていたりもあると思いますが」

 

 なるほど。諏訪の国に滞在していろいろとやっていたことが原因で、かなり名を知られているということか。確かにそこら辺をうろついているようなやつは噂にはなりにくいかな?

 だが、それとこの使用人の態度にどんな関係があるのだろうか。

 

「要するに、すごい有名人に会っちゃってパニクっているということです」

「……はぁ、なるほど」

 

 何故か急に説明が投げやりになったような気もするが納得できた。怯えられているとか避けられているとかではなくてよかった。一安心しながら、持ってきてもらったお茶を飲む。

 座卓に茶を置いた使用人は部屋から出ようとしたが、神子が呼び止めた。どうしたんだろうか。

 

「ところで、ハクさんはしばらくこの都にいるつもりですか?」

「ん? ああ、ここまで大きい都は久しぶりだからそうするつもりだけど」

「でしたら、宿はこの屋敷を使ってもらって構いません」

「いいのか? それなら結構助かるんだけど」

 

 こういう大きな国や都は人が多いからか、総じて宿が取りにくい。それにかなり有名だと言われた今、その辺を適当に歩くと騒ぎになる可能性もある。

 なのでこの屋敷を宿として使っていいというのは実にありがたい。

 

「ええ、歓迎します。そのかわりにお願いしたいことがあるのですが―――」

「当ててやろう。話を聞きたい、だろ?」

「……驚きました。どうしてわかったのです?」

 

 俺が神子の考えていることを予想して言った答えは正しかったようで、目を丸くして驚いている。どうしてわかったか、この問いに対する答えは簡単だ。

 

「俺も同じだからだ。よろしく、神子」

「……ふふ、なるほど。よろしくお願いします、ハクさん」

 

 二人で笑いながら握手する。やはり旅を再開したのは間違いじゃなかったな。こういう面白い出会いがあるから楽しいのだ。

 

「というわけだから、ハクさんの泊まる部屋を用意しておいて」

「はい、わかりました」

「使用人を呼び止めた理由はこれか」

 

 俺が了承することを予想していたということか。何だか負けた気分だな。

 

 

 




初対面の人に警戒されるのが得意な主人公です。


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第十五話 布都の驚愕、屠自古の憂鬱

太子様の口調を少し修正しました。


 

 用意してくれた部屋はよく掃除されていて何だか申し訳ない気がしてしまった。使用人に会ったときに礼を言ったのだが、それだけであたふたとしていたため思わず笑ってしまった。

 神子とはしばらく話していたのだが、疲れているだろうからということで早めに休むように言われた。正直疲れてはいないが、ここは心遣いに感謝し言われたとおりにすることにした。

 

 翌日。早めに寝たせいか早めに起きた。早寝早起きは結構なことだが、まだ空は薄暗く屋敷の中は静かだ。少々早く起きすぎたかと思いながらも、もう一度寝る気にはなれず散歩でもしようかと考え部屋を出た。

 都の雰囲気は昼間とは違い、人気が無くひっそりとしている。これならば出歩いても騒ぎになったりはしないだろうと思い、しばらく歩き回ることにした。

 

 

 

 うっすらと予想はしていたが大分長いこと散歩してしまった。新しい場所に来ると楽しくてつい時間を忘れて周りを見て回ってしまうのだ。

 辺りはすっかり明るくなり、たくさんの人が行き交っている。それはつまり都の人たちに見つかってしまっているということで、少し騒ぎが起きている。

 

「白髪の仙人様だ!」

「初めて見た……」

「この都に来てるって噂は本当だったのね!」

「あ、ああ。昨日来たばかりなんだ。しばらくいると思うからよろしくね」

 

 詰め寄ってくる人たちに圧倒されながら、早めに帰らなかったことを少しばかり後悔する。まぁ、しばらくすればこの騒ぎも落ち着くだろう。

 俺はこのまま歩いて帰るのはさすがに迷惑になると思い、飛んで帰ることにした。

 

 今まで通って来た道を思い出しながら神子の屋敷に到着したのだが、何だが中が騒がしいような気がする。

 そういえばまだ早い時間だったからとはいえ、誰にも何も言わずに散歩に出てしまっていた。もしかして俺を探しているのだろうか。

 悪いことをしたと反省しながら屋敷に入る。

 

「ただいま。悪い、少し散歩をしていたんだが……」

「む、客人か? すまんが今、太子様は手が離せんようで……って、ただいま?」

「使用人にあなたみたいな人いたっけ?」

 

 屋敷に入ってすぐ謝罪をしようとしたのだが、見慣れない二人が目に入った。といってもここに来てから一日しか経ってないのだから、見慣れないのは当たり前なのだが。

 二人とも女性で高貴な雰囲気を感じる。一人は銀、もしくは灰色の髪の毛を後ろで一つにまとめている少女で、かなり背が低い。もう一人は薄い緑色でウェーブのかかった髪型の女性だ。

 

「あ、え~と……初めまして、昨日この屋敷に泊まらせてもらった者なんだが」

「泊まったとな? その見慣れない容姿からして旅人だと思うが、いくら太子様でもそこまで世話を焼くだろうか?」

「太子様ってのは神子のことだよな? お互いの利害が一致して世話になることに―――」

「た、たたた太子様を名前で、しかも呼び捨てだと!? 何と無礼な!」

 

 しまった。確か神子はこの都で結構偉い立場だったはずだ。そうでなくても、昨日の様子を見ればこの都に神子を慕っている者がたくさんいることがわかる。

 その尊敬している人物を呼び捨てで呼ぶなど、慕っている人からすれば許せないことなのだろう。

 そして今、神子を呼び捨てで呼んでしまった俺は、銀髪の少女からものすごい敵意を向けられている。

 どうやって落ち着かせようと考えていたら、銀髪の少女が俺の周りに力場を発生させた。おそらく結界だ。というか、最近結界を張られることが多いな。

 

「断罪! 断じて断罪だ! 我が一族の秘術をもって貴様を―――」

「布都、さっきから騒がしいですが一体……ああ、ハクさん。戻ってたんですか」

 

 結界に囲まれながらどうしたものかと考えていると、騒ぎを聞きつけた神子がやってきた。

 

「た、太子様!? どうしてこのような者に敬語など!? それに何か探し物があったのでは……」

「探し物は今見つかりました」

 

 探し物とは俺のことだろう。やっぱり探させてしまったようだ。

 

「えーと、悪かったな……じゃなくて。すみませんでした、みk……太子様」

「あー! 今また太子様を呼び捨てで呼ぼうとしたな!」

「……なるほど、大体察しました」

「さすがで……さすがだ、神子」

「貴様、また~!」

 

 途中まで敬語で話そうと考えたが、やはり面倒くさくていつも通りの喋り方になってしまった。銀髪の少女の反応が面白いからというのもあって、半分ほどわざとだ。

 神子は今の会話だけで何があったかを理解したようだ。昨日の会話の時点で気付いていたが、やはり頭の回転が速いな。

 薄い緑髪の少女は手を頭に当ててため息を吐いている。こういう騒ぎはよくあることなのだろうか。

 

「布都……。私が敬語を使い、彼が使わない時点で少しはどういう関係か察しなさい」

「え、えぇ~と……弱みを握られているとか?」

「布都…………」

 

 どうやら銀髪の少女―――布都と呼ばれている少女の中では、神子はどうあっても一番上の存在なのだろう。故に、神子が敬語を使う相手がいるなど考えもしたことがない、ということだろう。

 神子は呆れて首を振っているが、そう思われているのが嬉しいからか、雰囲気は柔らかい。薄い緑髪の少女も同じような雰囲気だ。

 俺は内心この関係を微笑ましく思いながら、取りあえず周りに展開されている結界に手のひらを当て、解除した。

 何もしていないのに解けた結界を見て、布都と呼ばれた少女が少し混乱している。

 

「あ、あれ? 我の結界が……?」

「布都、この人は私たちよりも遥かに長い時を生きています。敬うのは当然の相手です」

「な、なんと! 見たところ歳は二十前後といったところのようだが……」

「ずいぶん若く見られているけど、その倍以上生きているよ」

「な、何だと~~~!?」

 

 両手を上げて心底驚いている少女は大変面白いが、さっきまで敵意を向けていた相手の言葉を簡単に信じるとは、純粋すぎる気がする。

 少女は、ならば四十以上かなどと呟いているが、正確に言えば四十を倍にしても足りない。まあ、それをこの少女に言うと気絶でもするのではないかという心配があるので言わないが。

 ともかく、と仕切り直してまずは自己紹介することにした。

 

「初めまして、ハクという。昨日この都に着いたばかりなんだ。偶然……ではないけど、出会った神子の言葉に甘えてこの屋敷に泊まったんだ」

「なるほど。我は物部布都(もののべのふと)という。いきなりすまなかったな、ハク殿」

「布都、敬語を……」

「別にいいよ、神子。俺はそんな偉い人間じゃない。神子も俺のことは呼び捨てで構わないし、かしこまる必要もない。むしろ、俺が敬語を使うべきなのかもしれないが……」

 

 俺は別に貴族だったりするわけじゃない。少し長生きしているだけの人間だ。そこまで敬われる立場ではないのだ。

 逆に神子はそういう立場の人間だ。本来なら俺が彼女に対して敬語を使うべきなのだが、俺は敬語をあまり使わないため、どうしても慣れないのだ。悪いとは思っているのだが。

 

「それこそ、別に構いません。では、お言葉に甘えてこれからは自然体で」

「うん、お互いにね」

「それは私にも適用してもらって大丈夫かい?」

「ああ、もちろん」

「ありがとう。私は蘇我屠自古(そがのとじこ)だ。よろしく、ハク」

「よろしく」

 

 薄い緑髪の少女―――屠自古は布都とは違い、落ち着いた雰囲気の少女だ。元気というか、騒がしい感じの布都との相性は結構いいのかもしれない。

 

「さて、みんな帰ってきたところで朝食にしましょう。布都と屠自古は使用人にハクが見つかったと報告をお願いします」

「承知しました!」

「いや、自分で知らせてくるよ。悪いのは勝手に出歩いてしまった俺だからな」

「そうですか? ではお願いします。私たちは先に部屋に行っていますね。場所は昨日話した場所と同じです」

「はいよ」

 

 三人と別れ、俺は使用人を探しながら屋敷の中を歩き回ることにした。探すといっても力を探ればすぐ見つかるし、ドタドタと音もするので見つけるのは簡単だ。

 見つけた使用人たちに報告と謝罪をしながら歩いていると、調理場を見つけた。中ではまだ調理をしているらしく、いい匂いが漂ってきている。

 そういえば昨日食べた料理はやたらと凝っているものが多かった。毎日あのレベルのものを作るとなると大変だろう。

 そう思った俺は何か手伝おうと考え、調理場の一人に声をかけた。

 

「おはよう、まだ料理作っているのか?」

「あ、ハク様。申し訳ありません、まだ少し時間がかかります」

「ちょっと失礼…………またずいぶんと凝った料理を作っているな」

 

 横から見てみると料理の量も多く、しかもその一つひとつがそれなりに手間のかかるものだ。これでは時間がかかるのも当たり前だろう。

 しかし、いつもこれだけの時間がかかっているのだろうか。

 

「すみません。今日は朝からバタバタしてしまいまして、調理に取り掛かるのが遅くなってしまいました……」

 

 俺のせいだった。

 

「悪い、そりゃ俺のせいだ。お詫びに調理を手伝うよ」

「えっ!? いえ、そんなことをしてもらうわけには……」

「まぁまぁ、こう見えても料理は得意なんだ。ほれ、こっちは俺が味を調えておくから、そっちが焦げないように見ておいてくれ」

「は、はい!」

 

 俺はそう言って目の前の煮物の味を見ながら調味料を入れる。煮物などは水が入っていれば基本的には焦げないが、炒め物はそうはいかない。一人は見ていないといけないのだ。

 

 指示を出したり出されたりしながら、何とか調理を終わらせた。これだけ大人数用の料理を作ったのは初めてだから意外に疲れた。毎日これをしている調理人たちには感心するな。

 出来上がった料理を力を使って宙に浮かせ、先程言っていた部屋に運ぶ。使用人に自分たちが運ぶと言われたが、こっちのほうが速いのでやんわりと断った。

 しかし、汁物などを宙に浮かせて運ぶのはなかなか神経を使う。修行に取り入れてもいいかもしれない、なんてことを考えながら部屋のふすまを開けた。

 

「失礼するよ」

「大分遅かったな……って、なんか周りに浮いてるぞ?」

「む、この空腹感を刺激する匂いは……朝食か! 待ちくたびれたぞ!」

「わざわざありがとうございます。しかし、周囲に料理が浮いているとは面白い光景ですね」

 

 持ってきた料理を座卓に並べる。空いている場所に座り、食前の挨拶をして食べ始めた。

 布都は相当空腹だったのかがつがつと食べており、それを屠自古に注意されている。

 

「む? いつもとは味付けが違う気がするな」

「ホントだ。でも、たまにはこういう味付けもいいもんだな」

「うむ。我も結構好きな味だ!」

「それは俺が味の調整をしたやつだからな。いつもとは違うだろうが、不味くはないみたいだな」

「遅かったと思ったらそんなことをしていたんですか。……ふむ、美味しい」

 

 自分が好きな味付けにしたからもしかしたら合わないかもと思ったが、三人とも美味しそうに食べている様子を見て安心した。

 俺も自分の分を食べていると布都がキラキラした目で俺を見てきた。

 

「ハク殿は料理が得意なのか?」

「まあな。俺は食べなくても平気だが、食べたいと言っているやつが料理をしなかったんでな」

「食べなくてもいいというのも気になるが、その相手はどんな人だったのだ?」

「人じゃなくて妖怪なんだが―――」

 

 ガタッ。

 俺がそう言ったとたんに布都と屠自古が音を立てて立ち上がった。少し驚いて見ると、二人とも目を見開いてこちらを見ていた。感じるのは恐怖と敵意。

 これまたしまった、と思いながら後頭部をかいていると、神子が食事していた手を止めて立ち上がった二人を見据えた。

 

「二人とも、取りあえず落ち着いて、まずは座りなさい」

「しかし太子様―――」

「二度は言わないぞ」

 

 神子の圧力のある言葉を聞いて、二人は大人しく元の場所に座った。

 

「悪かったな、二人とも。妖怪は恐怖の対象だから、繋がりがある人間を警戒するのは間違いじゃない」

「…………」

「だが、妖怪も悪いやつばかりじゃない。中には優しい妖怪もいるんだ。まあ、会ってみなければわからないけどな」

「……いや、こちらこそすまなかった。ハク殿が悪人とは思っていないのだが」

「私もだ。ただ、妖怪と聞くとつい、な」

「気にするな。妖怪を恐れるのは当たり前だ」

 

 お互いに妖怪に対する感覚が違っているのだ。俺はある程度対抗できるから、妖怪を相手にしてもそこまで恐怖を感じないが、普通の人は怖いに決まっている。

 

「ハクは怖くないのか…?」

「昔は怖かった。でも今は、その妖怪と会って話してみてから判断することにしている」

「会って話す……?」

「そう。そしてもし、相手が悪意のない妖怪なら依頼があったとしても退治はしない」

「悪意のない妖怪なんているのか?」

「少なくとも俺があった妖怪には、人間に憧れているやつもいたし、人間に期待しているやつもいたし、逆に人間に恐怖しているやつもいた。妖怪も人間と同じで一括りにはできないんだ」

 

 俺はいまだに納得しきれないという顔をしている布都と屠自古に微笑する。

 これは仕方のないことだ。今まで当然のように身につけていた常識をそう簡単に覆せるわけがない。

 彼女たちの反応は正しく、そしてその常識も間違いというわけでもない。ただ、すべての妖怪が悪ではないということを、少しでいいから覚えておいて欲しいものだ。

 

「ま、何事にも例外はあるってことだ」

「……ふふ、年長者の言葉は違うな」

「ははは。長生きすればいろんな考えができるからな」

「『仕事を選ぶ退治人』という名前は、どうやらその考え故のようですね」

「なんだハク殿、そんな名前で呼ばれているのか……って、どうした屠自古?」

 

 神子が俺の呼ばれ方に納得して、布都が名前に笑っているのだが、屠自古の様子が少しおかしい。食事をしていた手は止まり、少し震えながら俺を指さしている。

 

「仕事を選ぶ退治人って…………まさか、白髪の仙人?」

「はくはつのせんにん? はくはつのせんにん…………っは、はは白髪の仙人!?」

「あ、すまん。言ってなかった」

 

 屠自古はただ呆然と、布都は何回か名前を口に出して何かに気付いたのかいきなり大声を出した。その二人の慌てようを見て名前以外言っていなかったことを思い出した。

 朝の散歩中に自分のことがばれて騒ぎになったので、無意識に詳しい自己紹介をしなかったようだ。

 俺は持っていた煮物の入った器を置いて二人に向き直り、改めて自己紹介することにした。

 

「名前は白いって書いてハクだ。白髪の仙人とか仕事を選ぶ退治人とか呼ばれている。さっきも言った通り、別に偉い人間ってわけじゃないから今まで通りの接し方で頼むよ」

「…………はっ! あ、あの仙人様とはつゆ知らず、今までとんだ無礼を!」

「俺の話聞いてた?」

 

 放心状態から戻ってきたと思ったら、今にも床に頭を擦り付けようとしている布都を見て、思わず苦笑いしてしまった。屠自古はため息を吐いており、神子は俺と同じく苦笑い。

 取りあえず戦々恐々としている布都を、神子と屠自古と協力して落ち着けさせて食事を再開した。

 

「そういえば、ここに帰ってくる途中でやけに都の中が騒がしかったのはこれが理由か」

「多分そうだな。俺も朝に散歩に出たらあっという間に囲まれて驚いた」

「だから『かなり有名』だと言ったんですよ、ハク」

「悪いな、神子。新しい場所に来て浮かれていた」

 

 神子はもちろん、さっきまで少し動揺している様子だった屠自古も今は普通に会話している。布都以外は適応力が高いのだろうか。それとも布都が低すぎるのか。

 

「ところで、帰ってくる途中ってことはどこかに出掛けていたのか?」

「ん? ああ、まあな……」

「私の研究に必要な材料を取ってきてもらったのです」

「た、太子様……?」

 

 屠自古が濁していたことを神子があっさりと話したようで、布都と屠自古が少し動揺している。

 神子は食事していた手を止め、俺を真っすぐに見てきた。

 

「ハク。聞いての通り、私は今あることを目指し研究しています」

「あること?」

「『不老不死』です」

 

 神子がそういった瞬間、この部屋全体の空気が張り詰めた……と思う。

 正確には俺以外の三人が真剣な表情になっているが、俺はかぶの漬物を食べながら聞いているので、ぽりぽりと緊張感のない音が響いている。

 

「貴方は私たちが目指しているもの、そのものです。貴方の協力があれば私たちは不老不死となれる」

「それはどうかね。俺は千年以上生きているが、一度も死んだことはない。だから不老ではあっても不死ではないかもしれない」

「……それでも―――」

「それに、そもそも俺はどうして自分がこういう体質なのかは知らないんだ。だから、その方法を教えることもできない」

「…………そうですか…………」

「だが、協力しないというわけじゃないぞ」

「……え?」

 

 一度は俯きかけた顔を上げ、口を半開きにして呆ける神子。こういう表情は初めて見たので何だかおかしくて、少し笑ってしまった。

 

「俺が今まで得た知識や経験を教えることはできる。もしかしたら何か役に立つかもしれないな」

「いいんですか?」

「悪人が不老不死を目指すというのなら止めたが、お前たちなら問題ないだろう。それに、俺も興味があるからな」

「……こう言っては何ですが、正直手伝ってはもらえないと思ってました。ありがとう」

 

 安心した様子の神子と屠自古。まあ、普通こんな話をして手伝う人は少ないだろう。大抵は邪魔するか、警戒するか、利用するかだろうからな。

 最後の漬物を食べ終わった俺は箸を置き、手を合わせ挨拶をする。

 

「ごちそうさまでした」

「ごちそうさまでした。美味しかったですよ、ハク」

「ごちそうさま。こんなに疲れる食事は初めてだったよ」

「失礼ですが、私もです」

「ははは。それは悪かったな」

 

 確かに、彼女たちはこの食事中に驚いたり、恐怖したり、不安になったりと精神的に疲れることが多かったみたいだな。

 そう考えて少し笑っていると神子が立ち上がり、俺の横まで来て右手を差し出してきた。屠自古も神子の隣に歩いてきている。

 

「それでは、これからよろしくお願いします」

「ああ、よろしく」

 

 俺も立ち上がり差し出された右手を握る。

 この都には長期間滞在することになりそうだが退屈することはなさそうだと、目の前の二人を見て確信する。

 ここに滞在する間、ただ研究の手伝いをするだけでは終わらなさそうだ。そう考えると今から楽しみでしょうがないな。

 

 

 

 

 

 

「ところで、布都はどうした?」

「さっきハクが千年以上生きているって言ったときに気絶しました」

「……布都…………」

 

 

 




布都……かわいい……


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第十六話 豪族の休めない休日

宗教とか難しいねー


 この都に来てから数ヶ月が経った。その間俺は神子が研究をしている横で、部屋にある本を読み漁っていた。というのも、俺は不老不死に繋がるような学問なんて知らなかったので、まずは基礎的な知識が必要だったからだ。

 話によると、彼女たちは道教と呼ばれる宗教を用いて不老不死になろうと考えているようだ。道教とは要するに超人的な力を手に入れることのできる宗教、らしい。

 他にも錬丹術などの研究もしているようで、基礎を理解するだけでもかなり大変だった。結果、数ヶ月かかってしまったというわけだ。

 まあ、その甲斐あって今では神子と一緒に研究できるくらいにはなったが。

 

 だが、俺も神子も四六時中研究をしているというわけではない。

 現に今は神子、布都、屠自古と座卓を挟んで雑談中だ。話すことは様々で、神子の豆知識や布都のドジ話、それに関連するような屠自古の苦労話など。

 

「そういえば、太子様の持っている刀とハク殿の持っている刀はなんとなく似ておるな」

 

 そして今回は布都の呟きにより、俺と神子の刀の話になりそうだ。

 

「ん~、似てるかな? 見た目は全然違う気がするけど」

「私も似ているようには見えないね。 飾りの有無も色も違う」

 

 屠自古の言うように、俺の刀と神子の刀は似ているようには見えない。

 俺の刀、『白孔雀』は刀身はもちろん、柄も鞘も真っ白で飾りはない。逆に神子の刀、『七星剣』は刀身は普通だが柄や鞘は黒く、所々に金の装飾がなされており、特に柄の頭の部分には太陽を模した飾りがついている。

 

「ふむ……確かに見た目は似ていませんが、刀の長さと直刀であるというところは同じですね」

「あ~、言われてみれば」

 

 確かに白孔雀も七星剣も直刀で、長さもほとんど同じだ。見た目ばかりに気を取られて気付かなかった。

 

「ハク殿のそれはどこで買ったのだ?」

「これは買ったんじゃなくて貰ったんだ。前に世話になった村を出るときにな」

「ほぉ~。少し見せてもらってもよいか?」

「いいよ、はい。気をつけろよ?」

 

 横に置いてある白孔雀を左側に座る布都に手渡す。大丈夫だとは思うのだが、子供に包丁を渡したような不安感があるな。

 

「ハク。その刀はいつから持っているんですか?」

「もう千年は経ったな」

「せ、千年……?」

「……その割にはすごくきれいですね」

 

 布都が刀をいろいろな角度から見ている横で、少し声量を下げて話す。千年と聞いてまた布都が気絶したら面倒だと思ってのことだ。

 千年も前の刀ということを聞いて神子も屠自古も驚いている。白孔雀はきれいな刀だから信じられない気持ちもわかる。

 

「ハク殿、この刀抜いてみてもよいか?」

「ん? ちょっと待って」

 

 刀を抜こうとしている布都を少し止めて、この部屋に結界を張る。急に力を使った俺を見て三人が首を傾げている。

 

「ハク、今のは結界ですか? 何故このタイミングで?」

「ま、すぐにわかるよ。布都、いいぞ」

「う、うむ?」

 

 頭上にはてなマークを浮かべながら、布都が白孔雀を抜く。その瞬間、刀から大量の力が噴出した。

 

「ぬお!? 何事だ!?」

「突然何だ!?」

「これは……!」

 

 布都が持っている刀を遠ざけるように両手を伸ばし、屠自古は立ち上がって構え、神子は目を見開いて唖然としている。

 驚き方は三者三様だが、三人とも動揺していることに変わりはない。まあ、普通だと思っていた刀から正体不明の力が噴き出して来たら驚くのは当然だ。

 

「びっくりしただろ? その刀には力を溜めておける性質があるんだ」

「……確かに、これはハクと同じ力ですね」

「よ、よくわかりますね、太子様」

「は、ハク殿ぉ! これ持っていて大丈夫なのか!?」

「大丈夫だから落ち着け。神子の言った通り、これは俺の力だから害があるわけじゃない。だけど、ほとんど妖刀みたいなものだから劣化もしていない、ということだ」

 

 慌てる布都を落ち着けさせながら持っている白孔雀を受け取る。害がないのは本当だが、慌てて振り回したりしたら危ないからな。

 白孔雀を鞘におさめると力の放出がピタリと止まる。ただ、一度放出された力は勝手に刀に戻るわけではないので、部屋中に充満している力をすべて集めて再び刀に戻した。

 

「結界を張った理由がわかりました。あれだけの力が漏れれば、外で騒ぎがあっても不思議ではありませんからね」

「騒ぎというと?」

「退治人が押し寄せてきたり、都の外の妖怪を刺激したり。まぁ、いろいろです」

 

 布都に理由を説明している神子の言葉に頷きながら結界を解き、刀を置く。

 この刀に入っている力の量はかなり多い。鞘には力を抑える機能があるが、抜いた状態では俺自身で抑えていないと先程のように漏れ出てしまうくらいだ。

 普段からいざというときのために力を溜めているせいなのだが、少しばかりやり過ぎたかとも思っている。

 

「力の量も驚きましたが、それを封じ込めている白孔雀の性質もすごいですね」

「そうだな。さっき言った村の退治人が作ってくれたんだが、今思うとあいつらはかなり優秀だったな」

「ところで、そのもう一つの短刀も何か仕掛けがあるのかい?」

 

 屠自古が白孔雀の隣に置いてある短刀を指さす。

 

「いや、これはただの刀だ。ほら、見てもいいよ」

 

 短刀を屠自古に渡しながら少し説明する。と言っても本当に何の仕掛けもないため、昔の刀ということしか言えないが。

 

「……確かに、刀身は錆だらけだし、ところどころ刃が欠けてる」

「ですが、白孔雀と同じくらい古い刀にしては良い状態ですね」

「まぁ、普段から消耗しないように力を纏わせているからな。とはいえ、さすがにな……」

 

 刀を抜いて観察している三人を見ながら、俺はそろそろこの刀も替えどきかと思っていた。

 刀身はすでにボロボロ。最低限の手入れはしていても、千年以上も経てばこうなるのは仕方がない。にもかかわらず今まで捨てなかったのは、変な愛着が湧いてしまっているからだ。

 

「本来なら捨てるべきなんだが、長年使ってきたものだからな。捨てるに捨てられず、てことで困ってる」

「ふむ……っと、もうこんな時間ですか」

「少し話し込んでしまいましたな、もう太陽がてっぺんを通り過ぎてます」

 

 確かに大分時間が経っている。今日は特に急ぐ用事もないので俺と神子は研究の続き、布都と屠自古はその研究に必要な材料をそろえる役割だ。

 

「そうですね。では、私と布都はこの前言われた材料を取ってきます。ほら、行くぞ布都」

「うむ、了解だ」

 

 立ち上がって屋敷を出ていく二人を見送る。手を振ると布都が大きく振り返して、それを見た屠自古が微笑しながら肩をすくめる。いつも思うが、いいコンビだよな。

 先程の部屋に戻ると、神子が軽く伸びをしていた。

 

「神子はこれから研究を続けるのか?」

「あー、いえ。他にやりたいことがあるので」

「? そういえば、この前もそんなこと言っていたな。何してるんだ?」

「世話になった部下への贈り物を作っているんです」

「へえ、何作ってるんだ?」

「面ですよ」

 

 神子が何かを顔に被せるような仕種をしながら説明する。

 

「ま、私がやるのは設計とデザインを決めることだけですが。作るのは職人に任せます」

「よかったらどういうのを作ってるのか見せてくれよ」

「いいですよ、ついてきてください」

 

 神子の考えたデザインというのが気になった俺は、見せてくれないか聞いてみると、快く承諾してくれた。

 彼女の後ろについてしばらく行くと、俺があまり近づかない場所にある部屋に案内された。中に入ってみるとそこら中に何かが書かれた紙が散乱している。

 下に落ちている紙を一つ手に取り見てみると、やたらと文章が書いてある。内容的には記録のようなものだ。

 

「ここは?」

「私が普段書き物をするときに使っている部屋です。そういえば、ハクはあまりこっちには来ないですね」

「最近まで本を読むのに忙しかったからな」

「そういえばそうでしたね。えー……と、これです。どうぞ」

 

 俺が部屋を見ている間に、神子が机を漁って持ってきた五、六枚の紙を手渡してきた。

 見てみると狐や般若の面のデザインが書かれている。

 

「他にも考えてはいるんですが、どれがいいかが決まらなくて」

「ん? これ全部作るんじゃないのか?」

「え? まぁそれもいいかもしれませんが、あまり多いと職人も大変でしょう」

「それもそうか…………いや、自分で作ればいいんじゃないか?」

 

 自分で作るのならば、他人の迷惑にはならない。そう思っての提案だったのだが、神子は何とも微妙な表情をしていた。

 

「自分で、ですか? 作れるでしょうか」

「俺も手伝うから大丈夫だろ。こう見えて何かを作るのは得意なんだ。この前もカエルみたいな帽子を作ったりしたな」

「大丈夫かどうかよくわかりませんね。あと、その帽子を被っている方には同情します」

「何でだよ」

 

 神子の言葉に少しばかり落ち込む。でも、神子もあれを見ればどれだけ諏訪子にあの帽子が似合っているかがわかるはずだ。

 

「神子はなんだかんだで大抵のことはすぐできるんだし、面作りなんて簡単だろ?」

「まぁ簡単でしょうが」

「……さすがだ」

 

 あっけらかんと簡単だと言い放つ神子に少し笑ってしまった。そしてこれは虚勢でも何でもないのだから余計面白い。

 

「じゃあ早速始めよう。まずは材料集めからだな」

「そうですね、行きましょう」

 

 こうして俺たちの面作りが始まった。とはいえ、これはそれほど重要な要件ではない。

 それなのに俺が面作りを勧めた一番の理由は、神子の息抜きにいいのではないかと思ったからだ

 

 彼女は優秀だが人間だ。都の政治だけでも大変だというのに、不死の研究もしているとなると疲れないわけがない。

 それに、彼女は政治に向いているという理由で仏教を広めているが、不死の研究で使っているのは道教だ。

 違う宗教を信仰しているということを絶対に隠さなければならないのは言わずもがな。精神的疲労もたまっているだろう。

 

 ということで適当に、だが楽しく作ろうと思っている。

 世話になった部下とやらには悪いかな? いや、太子様直々に作ったほうが嬉しいだろ。もしかすると恐れ多いとかで土下座するかもしれないが。

 まあ五、六個作れればいいかな。そう考えながら、神子と共に面の材料を買いに行くのであった。

 

 

 

----------------------------------------

 

 

 

 五、六個作ると言ったな。

 あれは嘘だ。

 

「太子様……。これらは何か儀式に使うのですか……?」

「いえ、そういうわけではないですが……」

「……私たちが出掛けている間に何があったんだい?」

「ちょっと、面を作ろうとしただけだ……」

「「ちょっと?」」

 

 現在、五日後に帰ってきた布都と屠自古も含めて、作業部屋の中心で山になっている面を見ている。

 

 あれから材料を持って帰り制作を始めた俺と神子だが、思いのほか面作りが楽しくなり、気付けば二人で夢中になっていた。

 結果、神子の考えた十数個の面に加えて、新しく五十個ほどデザインを考え、最終的に六十を超える数の面が誕生していた。

 

「太子様もハク殿もすごいのは重々承知してますが……」

「これはやり過ぎですよ」

 

 俺もそう思います。

 

「ま、まぁせっかく作ったんだし、その部下の人にあげれば喜ぶだろ」

「喜ばれるというか、迷惑がられるのではないでしょうか」

「いや、そんなことないだろ。………………多分」

 

 ああ、目を閉じていても布都と屠自古がジト目で睨んでいるのがよくわかる。正直、すまんかった。

 夢中になりすぎて徹夜していた日もあるから、息抜きになったかと言えば果てしなく微妙だろうなぁ。

 

「取りあえず、ここに置いていてもしょうがないですからね。彼のところに持っていきましょう」

「太子様。その言い方だと贈り物を渡すというより、邪魔な荷物を押し付けるというように聞こえます」

「なるほど、一石二鳥というやつですね」

「太子様。それ肯定してます」

 

 神子と屠自古が漫才みたいなことをしているのを見ながら、山になっている面をまとめる。

 神子はあんな風に言っているが、この面一つひとつを丁寧に作ったのは知っている。それがどういう意味なのか、説明する必要はないだろう。

 

 まとめ終えた面を布都と屠自古に持って行ってもらったのを見届けると、俺と神子は居間で倒れるように横になった。

 

「何だかとても疲れました。でも、あんなに夢中になって何かをしたのは久しぶりです」

「そうだな。もう今日はこのまま眠れそうだ」

「……ハク、いろいろありがとうございました」

「面作りを提案したのは俺だからな。手伝うのは当たり前だ」

「いえ、それもですが……」

「?」

 

 それ以外のことで何か感謝されるようなことをしただろうか?

 疑問に思い、左隣で寝転がっている神子のほうに頭を傾けると目が合った。何を考えているのか、にっこりと微笑んでいる。

 

「最近の私の様子を案じて、面作りを提案したんでしょう?」

「……お前は本当にすごいな」

 

 実は心でも読めるのではないだろうかと、そんなことを本気で思ってしまうほど彼女は聡い。

 

「だけど、あまり疲れはとれなかっただろう。悪かったな」

「とんでもない。いい気分転換になりました」

「それならいいんだが……」

 

 上を向いて目を閉じ、一つため息を吐く。

 

「神子には敵わないな」

「貴方が私をどう思っているのかはだいたいわかりますが、私からすれば貴方のほうが余程すごい」

「え?」

 

 閉じていた目を開き、先程と同じように彼女を見ると笑みが深くなっているような気がした。

 

「面の話をしたときから考えていたんですか? お人好しですね」

「たまたまだよ。いつもそんなことを考えているわけじゃない」

「不老不死の研究のことを話したら、すぐに協力してくれたのはどうして?」

「もしかしたら自分に関係することかもと思ったからだ」

「最初に会ったとき、私の張った結界を解除しなかったのは何故ですか?」

「結界が強かったからだ」

「ふふっ」

 

 神子から投げかけられる質問を答えていくと、急に笑われてしまった。

 

「あんな結界、貴方の力なら無理矢理破壊することも、布都のときと同じように干渉して解除することも簡単だったはずです」

「それだと戦闘になっていたかもしれないだろ」

「なら、布都の結界をあっさりと解除したのはどうしてですか? あのときの布都は貴方を敵視さえしていたのに」

「……わかった、白状するよ。あのときは周りにお前を慕っている人たちがいたから何もしなかった」

 

 神子を慕っている人たちの前で神子の作った結界を破壊すれば、彼女の力に不安を覚える人も出るだろう。

 別に話すことでもないと思い今まで黙っていたが、こうも詰め寄られると話さざるを得ない。

 

「まだ言葉も交わしていないどころか、敵意さえ発している相手のことを考えるなんて、お人好しにもほどがあります」

「むぅ……」

「もしも私が聞かなかったら、ハクはずっと黙っていたでしょう?」

「話すことでもないからな」

「ハクは隠し事をするのが上手いですね。だからこそ……」

 

 そこで言葉を区切ると、神子が左手を伸ばし俺の頬に触れ、目の下を親指でなぞるようになでてきた。

 どうしたのかと思い彼女を見ると、先程まで笑っていた表情を変えていた。憂い顔、とでもいうのだろうか。

 

「だからこそ、私は貴方が心配です」

「……急にどうした?」

 

 雰囲気を一変させた神子に戸惑い、思わず疑問が口から出る。

 神子は俺の問いには答えず、ゆっくりと瞼を閉じる。そのまましばらく静寂が続いたが、神子が立ち上がることで元の雰囲気に戻った。

 

「いーえ、何でもありません。さて、部屋を片付けましょう。手伝ってくれますか?」

「……もちろん。手早く済ませよう」

「ありがとうございます」

 

 先程の神子の様子が気になったが、何でもないというのならそういう事にしておこう。

 そう考えて神子に続いて立ち上がる。

 

「そうだ。ハク、刀を貸してください」

「? いいけど……」

「あ、白孔雀ではなく短刀のほうです」

「こっちを? 何に使うんだ?」

「今回のお礼です。その刀を直しましょう」

 

 疑問に思いながら短刀を取り出すと、神子が嬉しい提案をしてくれた。

 

「捨てたくないのなら、また使えるようにしましょう」

「本当か? それは助かるよ」

「任せておいてください」

 

 自信満々の神子に短刀を渡す。

 正直、礼が欲しかったわけではないが、この提案は助かる。

 もうあまり使えないが、捨てるに捨てられず、かといって使っていればすぐ壊れる刀だ。直してくれるのなら任せようと思った。

 

「それじゃ、さっさと片付けてご飯でも作るか」

「それは楽しみですね。ハクの料理は美味しいですから」

「みんなと協力して作ってるからな。任せておけ」

 

 神子は面作りで、布都と屠自古は外出続きで疲れているだろうからな。腕によりをかけて作るとしよう。

 そう考えた俺は神子と一緒に、この五日間で出来上がった散らかり放題の部屋の片付けを始めた。

 

 

 




五日間で六十以上の面を作る二人であった…


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第十七話 三人の信頼関係

豪族編が結構長引きますねー。次回で終了予定です。


 

 あれから三年が経った。神子による都の統治は上手くいっているらしく、大きな事件などは起きていない。

 ただ、妖怪の襲撃はどうしようもないため俺に仕事が来ることはあるが、十分対処できるレベルの妖怪ばかりなので大きな問題ではない。

 

 そういえば、都の外に妖怪退治に出たときに霍青娥(かくせいが)と名乗る少女と出会った。髪や目、服までも青一色で、∞の形に結われた髪とかんざし代わりに挿された(のみ)が特徴の少女だ。

 自身を仙人と名乗っていたが、仙人に会ったことのない俺でも違うと思わせるほどの邪気を感じる女性だった。

 

 実は彼女のことは神子から聞いて知っている。

 特徴的な外見ですぐわかったのだが、しばらくの間付きまとわれるという彼女の行動でさらに確信させられた。しかもその間、弟子にしてくれという要求を延々とされるというおまけ付き。

 全部断ったが。

 

 ちなみにだが、やはり俺は仙人ではないようである。

 仙人というのは修業や秘術によって寿命を延ばした人間のことなのだが、不老不死ではないらしい。

 百年に一度くらいの頻度で生き過ぎた人間、つまり仙人のもとに死神がお迎えに来るらしく、その死神に負けると即死んでしまうようだ。

 

 俺は今まで死神が迎えに来たことがない。つまり仙人ではないということなのだが、ならば何なのかということは青娥にもわからないようだ。

 

 

 

 こういうことがあったりしたが、大きな変化はなかった。

 そう、なかったのだ。

 それはつまり、不老不死の研究も成果がないということを意味する。

 

 研究は続けているがどうにも上手く進まない。

 錬丹術はもともと中国の道士が使う術だ。書物の内容を翻訳・理解するだけでも時間がかかるというのに、記されている内容自体が間違っていることも珍しくない。

 それに、俺も神子もあまり時間が取れなくなってきたというのも大きい。俺は妖怪退治、神子は政治と、手を抜けない仕事があるのだ。

 

 そして、いくら神子のような聖人君子でも、いつまでも研究に進歩がないとなると焦るのも仕方がないことだ。

 

 

 

----------------------------------------

 

 

 

 俺は今、都のお偉いさんからの依頼を終わらせて神子の屋敷に帰る途中だ。

 依頼は都に侵入した妖怪の退治だったのだが、今回の妖怪は積極的に人を襲うような妖怪ではなかったため、話し合いで解決できた。

 とりあえず適当な量の食料と俺の力を分けると満足したようで礼を言って帰って行った。

 

 神子の屋敷に到着し、扉を開ける。昼頃に出発して今はもう夕暮れ時だから、そこそこ時間がかかったな。

 

「ただいまー」

「あ、ハク様。おかえりなさいませ」

 

 屋敷に入ると使用人の一人が出迎えてくれた。さすがに最近ではびくびくとする使用人はいなくなり、俺としてもありがたい。

 

「もう夕飯は作ってるんだよな?」

「はい。もうすぐ出来上がりますよ」

「手伝えなくてすまんな」

「いえ、とんでもない。むしろいつも助けられてばかりですから」

 

 いつもは食事の用意を手伝っているのだが、今日のように他の用事があると手伝えないことも当然ある。

 まぁ、ここの使用人は優秀だから俺がいなくても問題ないんだけどね。

 

「神子はどこにいるかわかる?」

「えぇっと、そういえば昼食以降、見かけていませんね……」

「む、そうか……。わかった、俺が探しておく」

「ありがとうございます」

 

 使用人との会話を切り上げ、その場で神子の力を捜索するが反応がない。

 少し嫌な予感を感じながら神子の研究室に足早に向かう。研究室に到着するとすぐに扉を開いた。

 

「神子、いるか?」

 

 少し大きめの声で呼びかけるも返事がない。だが俺はそのまま部屋に入り、普段神子が使っている机のもとへ向かった。

 俺の早歩きによって積み上げられている資料や道具が崩れるのも気にせず、むしろ速度を上げて歩いた。

 そして目的地に着き―――うつ伏せで倒れている神子を見つけた。

 

「っ、神子!」

 

 急いで近づき神子の上体を抱き起こす。顔色が悪く、荒い呼吸を繰り返していて汗がひどい。

 

「はっ……はっ……、くっ……!」 

 

 ……どうやら意識はあるようだな。

 俺は自分の左人差し指に生命力を纏わせ爪を鋭利な刃に変え、そのまま左親指を切り裂いた。

 流れ出る血液を親指ごと神子の唇に押し当てることで飲ませる。その間傷が修復しないように指に生命力が行き渡らないようにする。

 

 神子の喉が動き血液を飲んだことを確認した。とりあえず一安心だな。

 

「……はぁ……やっぱり……ハク、でしたか……」

「今は喋るな。しばらく安静にしてろ」

 

 息も絶え絶えに口を開く神子を制止する。神子はゆっくりと頷くと目を閉じた。

 俺も神子もそのまま動かず、血液の効果が現れるのを待った。その間、持っていた布で神子の汗を拭くことにした。

 

 

 

 数分後、血液の効果はちゃんと出たようで顔色が大分よくなった。もう話しても大丈夫だろう。

 

「ふぅ……、肝を冷やしたぞ、神子」

「ふふ、すみません…………、っと?」

 

 神子が起き上がろうとしたが、神子の額を押さえて頭を俺の脚にのせた。いわゆる膝枕だ。

 

「おお……これはなかなか……」

「まったく……今回も意識があったから自力で血を飲めただろうが、もし意識がなかったら口移しだからな」

「わぉ。それは楽しみですね」

「冗談を言えるくらいには回復したようだな」

 

 調子の戻ってきた神子を見て安心する。

 だが、少しすると俺も神子も真面目な雰囲気になる。理由はもちろん、神子の不調についてだ。

 

「それにしても、またか……」

「……」

「研究に進展がなくて焦るのはわかるが、安全確認もせずにいろいろなことを試すのはいただけないな」

「……」

「俺がいつもいるわけじゃないんだ。頼むから自分の体は大切にしてくれ」

「すみません……」

 

 右手で神子の頭をゆっくりとなでながら諭すように注意する。

 すみません、か。

 

 そう、こういうことは今回が初めてではない。もう何回も神子は不調で倒れているのだ。

 原因は先程言った通り、薬品や術を安全確認なしで試しているからだ。その度に注意しているのだが、止める気配はない。

 

「……ハク。一つ、提案があります」

「何だ?」

 

 しばらく黙っていた神子が顔を上げて目を合わせた。その目には何かを決心したような輝きが見えた。

 

 

 

----------------------------------------

 

 

 

「というわけで、諸君には仙人になってもらいます」

「いえーい」

「いや『いえーい』じゃないですよ太子様」

 

 現在、俺と神子と布都と屠自古は部屋に集まり、座卓を囲むように座っている。

 

「急に何の話だ、ハク?」

「言った通りだ。不老不死の方法っていうのは仙人になるということなんだが、やっと仙人になる方法がわかった。だから近々実行しようと思う」

「なに!? ということはついに不老不死となれるのか、ハク殿!」

「ああ、そういうわけだ」

 

 実際には少し違うが簡単に言えばそういうことだ。

 

 もともと俺たちが研究していたのは不老不死となる霊薬だ。だが、正直このまま研究を続けていても開発できる気がしない。もしかしたら不可能なのでは、とも思えてきたところだ。

 反面、仙人となる方法の一つは俺も神子も独自に研究をしていて、実は結構前からわかっていた。青娥がうろちょろし始めたときからだったかな。

 

 それなのに俺も神子も今まで実行しなかった。

 理由は『一度死ぬ必要がある』からだ。

 

 つまり、失敗は許されない。

 チャンスは一度、たった一度きり。

 

 だから二人とも他の手段を探した。少しでも危険を減らせる方法が見つかるのならば、そのほうがいいに決まっているからだ。

 

 だが、そうも言っていられなくなった。

 これまでの神子の不調は俺の血を飲ませれば回復する程度のものだったが、死んだらもうどうしようもない。いくら俺でも蘇生は不可能なのだ。

 それは神子もわかっているだろう。だから仙人になる決意をしたんだ。

 

 まぁ、神子が無茶な人体実験をしなければいいだけの話なんだけどな……。

 俺はそう思いながら布都と屠自古に神子がした無茶のことは隠しつつ、仙人になるための説明を始めた。

 

 

 

 

 

 

「なるほど! 手順を踏んで一度死んだら、あとはしばらく眠っていればよいのだな!」

 

 説明を終えて最初の布都の言葉はそれであった。いや、確かに簡単に言えばその通りなのだが……。

 

「……不安じゃないのですか?」

「何を言っております。太子様とハク殿が見つけた方法なのでしょう? ならば『絶対に大丈夫』です!」

「そうだな。この二人が研究して発見した。それだけで疑う理由はありません」

 

 思わず、といった感じで疑問を口にした神子に二人が答える。そのほんのわずかの迷いもない言葉に思わず呆けてしまった。

 それは神子も同じようでしばらく静寂が続く。その静寂を打ち破ったのは二人の言葉だった。

 

「太子様。私は太子様を信じているんです。どんな命令をされようと、隠し事をされようと、それには必ず理由がある。私たちを思っての理由が。だから、死ねと言われれば死ぬのは当然です。信じていますので」

 

 屠自古は言う。自分の神子への信頼はそんな程度では揺るがないと。

 

「我にとって太子様は道であり、光であり、唯一絶対のお方であります! 太子様のお力になれるのならば一度死ぬ程度、何の苦でもありません!」

 

 布都は言う。神にも等しい神子のためならば、死など恐れるに足りないと。

 

 二人の言葉にまたも静寂が訪れる。だが先程とは違い、布都と屠自古がにっこりと微笑んでいる。

 しばらく呆けていた俺たちだが、自分たちの考えの深刻さが急に馬鹿馬鹿しくなり、ふと顔を見合わせると声を出して笑った。

 

 二人とも神子を信頼しきっている。ならばそれを裏切らないためにも絶対に成功させてやろう。

 ひとしきり笑ったあと、俺たちは立ち上がり拳を突き合わせた。

 

「よし! 俺たちがお前らをお前らの望む場所に連れてってやる! 覚悟はいいな!」

「「ああ!」」

「私とハクがいるんです! 万に一つの失敗もありえません! 私についてきなさい!」

「「はい!」」

 

 突き合わせていた拳を掛け声とともに天に掲げる。

 この日から本格的な仙人となる準備を始めたのであった。

 

 ちなみに、このあともさんざん騒いだ俺たちは、使用人に「もう少し静かにしていただけませんか……」と言われるのであった。

 

 

 

----------------------------------------

 

 

 

 その日の夜。俺は仙人となるための方法に間違いがないかの最終確認をしていた。時刻はすでに零時を過ぎており、神子たちはかなり前にもう眠っている。

 今夜は月がきれいで明るくはあるが、それでも書物を読むには少し暗いので自分の周りに小さな炎を作って明かりを確保している。

 

「…………うん、問題なさそうだ。な、青娥」

「……あら、いつから気付いていたんでしょう?」

 

 自分以外誰もいないはずの部屋で問いかけると返事が返ってきた。声の聞こえたほうを見ると床に開いた穴から顔を出している青娥がいた。

 

「最初から。気付かれたくなかったら、まずは力が漏れるのを完全に抑えないとな」

「むぅ……。私的にはちゃんと抑えたつもりですが」

 

 青娥が床から這いあがって書物を読んでいる俺の隣に立つ。

 彼女は壁をすり抜けられる能力を持っているためこういうことが可能なのだが、その方法は物理的に壁を切り抜いて穴を開けるというものなので、最初に見たときは屋敷を壊したのかと思い焦った。今は開けた穴はいつの間にか消えてなくなるものだと知っているから安心しているが。

 

「確かに、初めて会ったときよりも力の制御が上手くなってるな」

「わぁ! ありがとうございます、師匠!」

「弟子にした記憶はないぞ」

「ちぇ~」

 

 口を尖らせてあからさまに不満げな顔をする青娥。隙あらば弟子になろうとしてくる彼女に呆れを通り越して笑みが出てくる。

 

 ちなみにだが、俺は最近は力を完全に抑えるようにしている。というのも、紫や諏訪子、神子に俺の力を感じ取られたときに警戒されているからだ。

 前まではわざと少しばかり力を放出していたのだが、これはそのほうが普通っぽいからという理由だ。だがそのせいで相手を刺激してしまうのならやめたほうがいいと考え今に至る。

 

「で、今日は何の用なんだ?」

「えーと、用というほどではないんですが少し聞きたいことが。仙人になるというのは本当ですか?」

「……それ、誰に聞いた?」

「いえ、誰にも。この屋敷の周りをぶらついていたらそんな話が聞こえたので」

 

 ぶらついていたって何だ。絶対覗いていただろう。

 とりあえず、早速この話が都の人間に漏れていたわけではないということを確認して安心する。注意はしているが、絶対ではないからな。

 

「ハク様もついに仙人になるんですか?」

「いや、なるのはあの三人だけ。俺がなってもメリットがなさそうだ」

「あ~、確かに」

 

 理由はわからないが、俺はもともと寿命が長く死神の迎えも来たことがないため、仙人になる必要がない。仙術なども研究した時点ですでに使えるようになっているしな。

 

「ま、強いやつに興味があるならあいつらが仙人になるのを待つといい。そのときには今よりもずっと強くなってるだろうからな」

「ふむ、それもそうですね」

 

 とりあえず青娥の前に新しい餌を用意して俺から注意を逸らすことができた。あの三人には悪いが。

 

「よし、そのためにも少し手伝ってくれ」

「ふぅ……わかりましたよ」

「とは言ってもあとは確認だけなんだけどな」

 

 俺と神子で組み上げた術式を隣にいる青娥に見せる。

 仙人となるための手順の確認を青娥に手伝ってもらいながら、俺は今日のことを思い出していた。

 

「……あんなに信頼されるっていうのもスゲーもんだよなぁ」

「何か言いました?」

 

 ついボソリと口から出た感想は青娥には聞こえなかったようで首を傾げている。

 

「ああ、いや何でもない」

「そうですか? あ、とりあえずこの術式は問題ないですね」

「そうか。じゃあこっちは……」

 

 今日改めて実感した、神子に対する布都と屠自古の圧倒的な信頼と献身。そこに死が絡んでも揺らぐことのない決意。

 あそこまで信頼されるにはそれに応える能力がないとならない。神子はそれほどの能力を持っている。まだ十数年しか生きていない少女が持つには大きすぎるカリスマ。なるほど人間の枠には収まらないわけだ。

 俺もそれだけ信頼されるに足る器を持ちたいものだと、あの三人の関係を見て思うのであった。

 

 

 

 

 

 

「貴方もあのお三方から命を預けられるほど信頼されているでしょうに」

「……聞こえてるじゃねーか」

 

 

 




本当は次回と合わせて一話だったんですが、文字数が多くなり分割しました。
ですが分割すると今度は文字数が少なくなるため急遽青娥さんとの会話を追加。
つまり、本来はセリフがなかった青娥さん。
哀れ。


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第十八話 次に会うときは

豪族編終了! 長かったですw


 

 あれから半年。三人が仙人となる準備はほとんど完了した。

 三人がなるのは尸解仙だ。尸解仙というのは死んだフリ、もしくは実際に体を滅ぼして別のものに魂を移し、のちに人間体に変化させ蘇る術を使い仙人になった人間のことだ。

 

 もちろん、三人が急に死んだというと他の人間に怪しまれるので、神子は大病にかかったことにし、布都と屠自古は治すための薬を探して旅に出たということにしている。

 だが時間がなかったため、完璧に偽装できたというわけではないのが少し不安だ。

 

 残った準備は魂を移す入れ物の用意なのだが、これは復活するまで破損したり腐食したりしないものでなくてはならない。

 だが次の自分の身体になるものなのでそれぞれ好みがあるだろうと思い、各々に任せることにした。

 

 

 

「で、今日が尸解仙になるための術を行う日なんだけど……」

 

 俺は今、屠自古に連れられて屋敷の中を歩いている。どうやら神子に俺を呼んでくるように頼まれたらしい。

 

「こんな日にどうしたんだ?」

「さぁ、私は何も? 太子様からは呼んで来いと言われただけだし」

「ふーん。ま、時間には余裕があるから大丈夫だけどな」

 

 何も今日必ず行わなければならないというわけではない。別の用事があるならそちらを優先しても問題はないだろう。

 

「こんな日にってハクは言うけど、こんな日だからこそだと思うよ」

「こんな日だから?」

「そりゃそうだよ。私たちはこれからしばらく眠るから、その間ハクとは会えないんだ」

「それでも、そんなに長くはないだろ?」

「ハクにとってはそうでも、私たちからすればとてつもなく長いんだ。だから今のうちに話をしておきたいんじゃないかな」

「……言われてみれば、そうか」

 

 どうせまた会えるからと思っていたが、彼女たちにとって『また会える日』というのは果てしない未来の話なのだ。

 千年も生きていると時間の感覚が鈍くなるな、と思いながら頭をかく。

 

「そういえば、次の自分の体になる入れ物は決まったのか?」

「ああ。私は壺、布都は皿だ。用意は布都に任せてある。今ごろ霊廟に持ち込んでるんじゃないか?」

「……布都に任せて大丈夫か?」

「大丈夫だ、問題ない。まさかこんなところでミスをしたりはしないだろ、さすがに」

「それもそうだな」

 

 布都も決してバカではない。だから問題ないだろう…………と思う。

 フラグが立ったような気もするが問題ないだろう…………と思う。

 一応、あとで確認しておくか。

 ちなみに神子は宝剣だ。それはもう持ち込まれているので彼女に関しては問題ない。

 

「はい、着いたよ」

「ここか」

「じゃ、私は他の準備をしてるから」

「はいよ、サンキューな」

 

 とある部屋の前に到着し、屠自古と別れる。この部屋は不老不死の研究に使っていた部屋だ。

 ノックをするとすぐに返事が返ってきて、中に入るように言われた。一応周りに人がいないことを確認してから中に入る。

 いつも通りの薄暗い部屋だ。ちなみにだが、ここにあった書物のほとんどは処分されている。こういう研究をしていたことがバレるのはマズいからな。

 ずいぶんとすっきりした部屋のおかげか、中心に立っている神子をすぐに見つけられた。

 

「よう」

「ハク、急に呼び出してすみません。今の私は自由に動けないもので」

「別にいいさ。こんな日だからこそ、な」

「ふふ、どうせ屠自古にそう言われたんでしょう?」

「むー、そうだけどー」

 

 当たり前のように言い当てられたことに口を尖らせながら半ばやけくそ気味に返事をする。それを見て神子が口に手を当てて笑った。

 

「それで、どうしたんだ?」

「っと、そうでした。大分遅くなりましたが……はい、どうぞ」

 

 そう言って手渡されたのは一本の刀。刃渡りは二十センチ程度で鍔はなく、柄も鞘も黒い。試しに抜いてみると刀身も黒い。なんだこれ。

 

「これは?」

「ずっと前にハクから預かった短刀です。やっと直りましたのでお返しします」

「……ああ! あの短刀か。にしては俺の記憶とはずいぶん違うんだが」

 

 あの刀は良くも悪くも普通の刀だ。こんな全体が真っ黒な禍々しい刀ではなかったはずだが……。

 

「少し改造しました」

 

 ですよね。

 

「とはいえ、私がやったことはもともとあった性質を強化しただけです」

「もともとあった性質?」

「はい。あの刀はもとは普通の刀だったんでしょうが、長年ハクの力を纏っていたせいで力を通しやすい性質になっていました」

「へぇ……」

 

 俺が知らない間にそんな性質を持っていたのか。考えてみれば千年も力を纏わせていたんだ、そういうことがあっても不思議じゃないか。

 

「なのでその性質はそのままに、力を纏わせるほど硬度や切れ味が上がるようにしました。ただ、こういうことはやったことがなかったので時間がかかりましたが」

「いや、三年程度でここまでとはさすがだな。ありがとう」

「どういたしまして。そうだ、その刀は名前がないようですが、私が名付けてもいいですか?」

「ああ。ほとんどお前が作ったようなものだからな」

「では『黒竜(こくりゅう)』と名付けます。大事に使ってくださいね」

「もちろん」

 

 神子の言葉に頷いて刀を腰に差す。久しぶりに二刀に戻ったな。

 内心で嬉しく思っていると、神子が一つ息を吐いて俺を見据えた。だがその眼からはなんとなく弱々しさを感じた。

 

「……ハク。眠りにつく前にお話ししたいことがあります」

「なんだ?」

 

 神子は目線を俺から外し、顔を少し俯かせた。

 いつもの神子ではない。これは滅多に見せないこいつの弱い部分だ。

 

「……正直、私は仙人になるのが怖かった。万が一でも億が一でも、死ぬかもしれないということに私は心底怯えました」

「そうだろうな」

「ですが、布都と屠自古はそれが全くなかった。それを見て、なんだか自分が情けなく感じました。同時に、彼女たちを導くことに少し自信がなくなりました」

 

 ゆっくりと吐露する神子の思いを聞き、俺はため息を吐く。同情や失望ではなく、軽い呆れからだ。

 

「怖くて当たり前だ。怯えるのなんか当然だろ」

「ですが二人は……」

「そりゃお前がいるからだ。お前が先陣切って誰も通っていない道でも走ってくれているからだ。お前自身が道を作っているからだ。だから二人とも安心してお前のあとをついて来れるんだ」

「…………」

「二人も言っていただろう? 信頼していると。道を切り開いてくれているお前を信頼しているから恐怖なんて少しもないと」

「…………はい」

「お前は怖くて当たり前だ。何せお前が走っている道はまだ誰も通っていない。目の前は真っ暗闇、目印の一つもありはしない。怯えるのなんか当然だ、そうだろ?」

 

 俯いている神子の頭に手をのせ、ゆっくりとなでる。

 

「だが、そうだな……。どうしても心細くなったら周りを見ることだ」

「周りを……?」

「おう。布都も屠自古も近くにいるんだ。お前が先頭じゃなくて、三人並んで歩くのも悪くないだろ」

「……そう、ですね」

 

 神子が俯いた顔を上げてにっこりと微笑んだ。

 

 一人で何でもできるからこそ、今まで誰かに頼る必要がなかったんだろう。それでも一人では辛いこともある。

 こいつは今まで一人でやってきたが、ひとりぼっちではない。ちゃんと周りに友人がいるんだ。

 今までも。これからも。

 

「ありがとうございます、ハク」

「俺は何もしていないがな」

 

 俺はただ事実を言っただけで、特別なことは何もしていない。

 そう思いながらいつもの調子に戻った神子を見て安心した。

 

「ふふ……。そういえば、ハクは私が不老不死になろうとした理由を知ってましたっけ?」

「人間を超えたかったから、だろ?」

「はい。その思いは今も変わってません。ですが実は最近、もう一つ理由ができまして」

「へえ、その理由は?」

「貴方ともっと一緒にいたかったからです」

「…………なんだその殺し文句は」

 

 突然の告白のようなセリフに一周回って冷静になる。何を恥ずかしいことを言っているんだこの子は。

 

「私の周りには友人がいると言いましたが、貴方はどうですか?」

「お前たちがいるだろ」

「では、私たちが眠りについたら?」

「む……? 友人くらいいるよ。今は近くにはいないけど」

「そうでしょうね」

 

 何故か神子が俺の心を抉ってくる。さっきまでの明るい雰囲気はどうしたんだ。

 仕方がないだろう。友人はそれなりにいるが、今も生きているという条件が付くとそれほど多くない。それこそ妖怪や神だけだ。

 結構長く生きてきたのに友人が少ないということを再認識して思わずため息が出た。いや、長く生きてきたからこそ、なのだろうか。

 

「だから私が一緒にいたいと思ったのです」

「そりゃどうして?」

「それは貴方がさっき言ったでしょう? 誰かが近くにいるというだけで安心できるものです」

 

 そう言って神子は俺の右手を両手で包み込むようにとった。大切なものを守るように、もしくはそう願うように右手を握る神子が神々しく見えた。

 

「ただでさえ貴方は隠し事が上手い。理解してくれる人は少ないでしょう。なので私が貴方を理解する人の一人になりたかった、ということです」

「……それで今まで無茶をしていた、ということか?」

「放っておくと、いつの間にかいなくなってしまいそうだったので。ですが結局、私たちが貴方を独りにしてしまうことになりました」

「気にするな。な…………俺なら大丈夫だ」

 

 慣れている。そう言おうとしてとっさに言い直した。俺のことで気に病んでいるであろう神子の前で言うのはためらわれたからだ。

 だがそれでも、彼女には俺が何を言おうとしたかがわかってしまったようで、右手を握る力が少し強くなった。

 

「……少しの間、待っていてください。次に会うときは、同じ時を歩めるでしょう」

「そうだな。楽しみに待つことにしよう」

「ええ、私も楽しみです。それでは……」

 

 神子が目を閉じて一度深呼吸をする。しばらくして目を開けた神子の顔はいつも通りの凛々しい、それでいて柔らかい雰囲気の表情になっていた。

 

「行きますか」

「ああ、行こう」

 

 後ろを振り向き、扉を開け部屋の外に出た。薄暗い部屋に長時間いたので外の明かりが少々眩しい。

 しかし不思議と不快ではなく、むしろ心地よく感じながら布都と屠自古が待っているであろう霊廟に向かって二人同時に足を踏み出すのであった。

 

 

 

----------------------------------------

 

 

 

 俺と神子が霊廟の前に到着したころには、布都と屠自古が準備をすべて整えてくれていた。あとは三人が霊廟に入り、俺が外側から術をかければ終了だ。

 

「よし、今のうちに何かやってほしいことがあったら言ってくれ」

「「「はい!」」」

 

 これからしばらくは会えないだろうからと思っての提案だったのだが、言った瞬間に三人そろって手を挙げた。

 そこまで目をキラキラとさせていると、いろんな意味で不安になる。

 

「あー……、俺ができる範囲で頼むな」

「それは大丈夫だ。私は頭をなでてほしいな」

「それはもちろんお安い御用だが、お前がこういう要求をするのは珍しいな」

 

 三人が少しばかり話し合い、左から順番にということになった。最初は屠自古からのようだ。

 屠自古がした要求は実に簡単なもので、逆に俺がこんなものでいいのかと疑問に思うほどだった。

 まぁ無茶な要求じゃないから全然問題ないなと思いながら、屠自古の頭に手をのせゆっくりとなでる。神子の髪質と少し似ている気がするな。

 

「うん、こういうことをやってもらったことはなかったけど、結構いいもんだね」

「お気に召したようで何よりだ」

「また今度よろしく」

「おう」

 

 一通りなでたあと、軽い約束をする。また今度こういう機会があることを確信している言葉が何気に嬉しい。

 えーと、次は神子か。

 

「ハク、私はハグがいいです。ハクだけに」

「うるせぇ」

「おお、大胆ですね太子様」

 

 神子がとてつもなくつまらないことを言いながらこちらに向かって腕を広げている。いつも以上のにっこり笑顔付きなのに、妙な脱力感を感じた。

 だが屠自古と同じで要求自体は簡単なものだ。俺は一度ため息を吐き、神子と同じように腕を広げて彼女を抱き寄せた。

 

「おっと……。あったかいですね、何だか安心します」

「そりゃよかった。できればあんまり動くな、髪が当たってくすぐったい」

「これは失礼、ふふ」

 

 神子を抱きしめると彼女の特徴的な尖った髪の毛が顎の下あたりをくすぐってもどかしい。何とかならんのかと思い、抱きしめながら髪の毛を抑えてみるがすぐに元に戻ってしまう。形状記憶髪の毛か。

 

「抱きしめながらなでなでとは羨ましいですね」

「私もやってもらえるとは思っていませんでした」

「いや、これはなでているわけでは……まぁいいか」

 

 屠自古と神子が何やら勘違いしてるようだが、別に訂正する必要はないと思い肩をすくめる。

 しばらくそのままだったが、まだ布都の頼み事を聞いていないのでとりあえず神子をはなす。

 

「はい、終わりだ」

「む、あと三時間くらいこのままでもよかったんですが」

「そんなに抱き合うってどういう状況だ。雪山遭難かよ」

 

 神子の謎の要求を一蹴して布都のほうを見る。

 

「よし、最後は布都だ。何をすればいい?」

「うむ! 我は高い高いをしてほしいぞ!」

「…………すまん、よく聞こえなかった。なんだって?」

「高い高いがいい!」

 

 ……こいつ、何歳だっけ。ま、いいや。できないわけじゃないし。

 

「そーれ、高い高ーい」

「わはは! 予想通りスリル満点だ!」

「さ、さすが布都ですね」

「私たちにできない事を平然とやってのける」

「「そこにシビれる! あこがれるゥ!」」

「憧れるな!」

 

 妙に息ピッタリな神子と屠自古にツッコミを入れつつ、布都を上に投げては受け止めるのを繰り返す。

 布都は背が低いが、それでも高い高いをするような年齢ではないため、傍から見ればずいぶん奇妙な光景だったことだろう。今ここには俺を含めて四人しかいないからよかったな。

 

「ハク殿! 次は肩車を頼む!」

「ちょっと待ってください。二つ目とはズルくないですか?」

「そうだぞ。みんな一つずつだろ」

「? ハク殿、頼みは一つだけと言っておったか?」

「あれ? そういえば言っていませんね」

「……てことは何回でも―――」

「待て待て待て! わかった、回数を決めなかったのは俺のミスだからな。だけど一人二つまでだ!」

「じゃあ私の頼み事は回数を十回に増やすことで……」

「ちょっと待てぇ!」

 

 願いを叶えるにあたってタブーの一つである、願い事の回数を増やそうとする神子の頭にチョップを叩き込む。

 チョップを受けた神子はわざとらしく頭を両手で押さえ、布都はいつの間にか肩に乗ってきており、それを見た屠自古が苦笑している。

 

 いつも通り、賑やかなやつらだ。きっと次に目覚めて仙人となったあとでもこんな日常になるんだろうな。

 彼女たちにとって遠い先のことだが、そうなることを確信できる。たかが百年や二百年程度で変わる関係ではないだろう。

 俺にとっては遠いか近いか。それはわからないが、そこに俺も入っているのなら御の字だ。せいぜい楽しみに待つとしようか。

 

 そう思い、肩の上ではしゃいでいる布都を落とさないようバランスをとりながら、屠自古の二つ目の要求を聞き、お姫様抱っこをするのであった。

 

 

 

----------------------------------------

 

 

 

 俺は今、三人が眠りについた霊廟の前にいる。

 術は成功した。これでしかるべき時が来れば彼女たちは復活するだろう。あと俺にできることは待つことだけだ。

 ようやく大きな仕事が片付いた安心感により、それに比例するような大きなため息を一つ吐く。

 

「お疲れさまでした」

「青娥か。ああ、ありがとう」

「ふふ、いーえ」

 

 いつの間にか後ろにいた青娥の労りの言葉に感謝する。今のため息は安心感と喪失感によるものだが、確かに少し疲れてもいる。

 

「これからどうするんです?」

「……この都は出ようと思う。正直、あの三人がいなくなったここに居続けようとは思わない」

「そうですか」

「今まで通り、適当に旅をしようと思う。お前はどうするんだ?」

「私も同じですかね。貴方とあの三人以外に興味があるものはこの都にはないので」

「そうか。じゃ、ここでお別れだな」

「それはどうでしょう。気付いたら貴方の後ろにいるかもしれませんよ?」

「勘弁してくれ」

「冗談です」

 

 そう言って小さく笑う青娥を見て、俺もつられてしまった。

 しばしの談笑のあと、軽い別れの言葉を言って青娥は一足先に違う場所に向かい飛んで行った。

 ずいぶんあっさりしたやつだと思いながら、俺は霊廟の壁面に右手を当て、目を閉じた。

 

「『いつかまた、この四人で』……か」

 

 先程神子が言った二つ目の頼み事を呟くように繰り返す。

 

「ああ、待ってるよ」

 

 百年でも二百年でも、生きている限り待ってやる。

 だからきっと、また会おう。

 

「じゃあな」

 

 そう呟いて霊廟から手をはなし、青娥とは違う方向に飛ぶ。

 今までは研究や妖怪退治に時間を取られていたからな。次に会うときはそんなことは気にせずに暮らしたいと思った。

 

 

 

 

 

 

「あ。布都の皿と屠自古の壺、確認するの忘れてたな」

 

 

 




確認って大事だよね……


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第十九話 妖怪寺の大騒動

途中から聖視点です。


 

 神子たちのいた都を離れた俺は、他の都や町を巡っていた。前と同じで適当に力を探って人がいるところを見つけ、その場所に向かうといった感じだ。

 その間はいつも通り妖怪退治や医者をしているのだが、神子の都で歩いていただけで騒ぎになったのを思い出し、普段は網代笠(あじろがさ)を被るようにしている。

 

 他の変わったことといえば、不老不死の研究の過程で仙術を学んだことによるものだろう。仙術でできることはいろいろあるが、その中でも『仙郷』という別世界を作ることができるのが便利だ。

 この仙郷への入り口はどこにでも作ることができ、また出口もどこにでも設定できるため、移動に関しては紫のスキマ並みに便利になった。もちろん制約はあるが。

 だが、これを使っての移動はあまりしていない。自分で移動することも旅の醍醐味の一つだと思うからだ。

 

 もう一つ特徴として、この仙郷に置かれた荷物は劣化しないというものがある。例えば、食材を置いて長時間放置してもカビが生えたり腐ったりしないどころか新鮮なまま保存できるのだ。

 仙郷では時間が止まっているというわけでもなく、仙郷で一時間過ごせば現実でも一時間経っているし、逆もまた然り。

 

 非常に便利なのだがどうしてなのかはわからない。もしかしたら他の仙人の仙郷も同じなのかもしれないが、確かめる術がない。これは青娥と別れてから気付いたことだしな。

 仙人にはこの仙郷を住処にする者もいるようだが、俺は専ら荷物置き場として使っている。なので今の俺は手ぶらに近い。刀は腰に差しているが。

 

 

 

 身軽になった体で適当にふらついていたのだが、とある都に行ったときに少し面白い噂を聞いた。

 曰く、「魑魅魍魎(ちみもうりょう)跋扈(ばっこ)する、通称『妖怪寺』という場所がある」というものだ。これだけでも十分面白そうなのだが、もう一つ「その場所に妖怪との共存を望む人間がいる」という噂も聞いた俺は、ワクワクしながら早速その場所を探しに山に入ったのだった。

 

 結論から言うと、その場所はすぐに見つけることができた。要するに妖力の集まっている場所を探せばいいだけなので小一時間ほどで目的の場所にたどり着けたのだ。

 その場所にあった建物は『妖怪寺』というだけあって、ちゃんと寺院の形をしていた。

 正面には一人の女性がいて、竹箒で参道を掃いている。見た感じ人間っぽいんだが……。

 

「でも少し違和感を感じる……」

「あら? 珍しいですね、参拝でしょうか?」

「ああ、いや。少しここの噂を聞いてな、興味本位で来ただけだ」

 

 その女性は俺が来たことに気付いていなかったようで、ぽつりと呟いた俺の声に少し驚いたようだった。

 金髪に紫のグラデーションが入った髪と金色に輝く瞳。日本人離れしたその姿は、しかし俺にはとっては懐かしさを感じさせるものだった。

 

「噂というと……もしかして、貴方は妖怪の方ですか?」

「ん? いや、俺は人間だけど」

「人間……? では、もしかして退治人?」

「確かに妖怪退治もしているが…………あ」

 

 しまった。少し違うことを考えていたせいで、少女の問いに正直に答えてしまった。

 妖怪寺と呼ばれるほどの場所に来たのが退治人というと、普通考えることは一つだ。俺のその考えを裏付けるように少女の顔が険しくなっていく。

 

「……なるほど。都の方々からの依頼でここの妖怪を退治しに来た、というわけですか」

「いや、違うんだ。何も依頼は受けていない。ただ興味があったから来ただけなんだ」

「何を言っているんですか。妖怪寺と呼ばれているこの場所にそんな理由で来るような人を、私はほとんど知りません」

 

 少女はそう言いながら竹箒を捨て、何かの術式を展開して全身に力を巡らせた。先程まで全く感じなかった圧力が少女から放たれ、否応無しに警戒させられる。

 

「人間を傷付けるのは本意ではありませんが、そうしなければ妖怪が傷付くというのならば致し方ありません。いざ!」

 

 瞬間、少女の小さな体から発せられたとは思えないほどの轟音を立て、地面を蹴り飛ばして接近してきた。

 突然のことに対応できない俺は、少女のとてつもない速度を乗せた重い掌底を腹に受け、吹き飛ばされた。

 

「がふっ!?」

 

 くの字に折れ曲がって後ろに吹き飛ぶほどの勢いは地面に接触してもなお止まらず、三メートルほどの一直線の溝を作ることになった。

 ようやく止まった俺は口からは血の混じった唾を吐き出しつつ、生命力を患部に集中させた。回復は数秒で終わり、肺から押し出された空気を再び取り入れるために一つ深呼吸する。

 

 片膝で立ちながら数メートル先にいる少女を見る。油断なくこちらを見据えて構えている少女の表情は相変わらず険しいが、そこには様々な感情が混じっているように感じた。

 その複雑な表情と今の攻撃を思い出し、先程感じた感覚についてもう一度考える。

 

 結論。俺は彼女を―――。

 

 

 

----------------------------------------

 

 

 

「ん? いや、俺は人間だけど」

 

 その言葉を聞いた瞬間、私はこの網代笠の男を警戒した。

 彼が妖怪ならば妖怪寺の噂を聞き、救いを求めてやってきたと理解できる。だが人間だとすると……。

 

「……では、もしかして退治人?」

「確かに妖怪退治もしているが……」

 

 予想通り、どうやらここの妖怪を退治しに来た専門家ということらしい。当たってほしくなかった予想だけど……。

 一つため息を吐きながら自分の予想を男に話す。どうやら自分が退治人だということは秘密だったようで、男は少し狼狽えながら言い訳をしてきた。

 

「何も依頼は受けていない。ただ興味があったから来ただけなんだ」

「何を言っているんですか。妖怪寺と呼ばれているこの場所にそんな理由で来るような人を、私はほとんど知りません」

 

 そう。普通の人間は妖怪を悪と見なしている。妖怪と会った人間の対応は泣き叫ぶか、命乞いをするか、問答無用で排除しようとしてくるか。

 彼らのことなど一切考えず、一方的な思い込みで敵対する人間が妖怪寺に来るわけがない。

 

 唯一、私と似た考えを持っていたあの人を除いて。

 

「人間を傷付けるのは本意ではありませんが、そうしなければ妖怪が傷付くというのならば致し方ありません」

 

 私は人間の敵というわけではなく、むしろ味方でありたいと思っている。だが人間たちからすれば、妖怪の味方をしている時点で私も敵のようだ。

 だからこういうことになることは予想していたし覚悟もしていた。

 

 双方の被害を極力抑える方法は、今の私にはこれしか思いつかない。そう考えて退治人を名乗る男を真正面に見て構える。

 

「いざ!」

 

 私はそう叫ぶと強化した足で地面を蹴り、無防備な男に急接近して威力の抑えた掌底を叩き込む。まともな反応ができなかった男は数メートル吹き飛び、土煙を上げながら地面を転がった。

 気絶する程度の威力の攻撃がしっかり入った手応えを感じ、必要最低限の戦闘で終了したことに安堵する。

 

 ふぅ……と一息吐いたあと、気絶したであろう男を治療して都に送り届けようと考えて地面に倒れている男を見る。だがそこには気絶どころか倒れもせず、片膝で立ちながらしっかりとこちらを見据える男がいた。

 

「……!」

 

 反射的に構え直したが頭の中では多くの疑問が渦巻いていた。

 私が放った掌底は決して弱くはない。気絶しないとしても戦闘続行は不可能になるほどの威力はあるはずなのだ。それなのに目の前の男は何事もなかったかのように立ち上がり、ゆっくりと構えた。

 口元に血が付いていることから吐血するほどのダメージはあるはずなのに、それを感じさせない自然な構えはこんな状況であるにもかかわらず一瞬見惚れてしまうほど美しかった。

 

 お互い構えたまま、時間が止まったかのように動かない。その探り合いを先に打ち破ったのは男のほうだった。

 その場で身を屈めると全身をバネのようにして地面を蹴り突進してきた。数メートルの距離が一瞬でなくなり、男が構えていた右腕を私の顔を目掛けて突き出した。

 警戒していた私はその拳を見切り左手で弾くが、男はそれを予想していたようで弾かれた勢いを利用して空中で回転し裏拳を打ってきた。

 

「くぅっ……!」

 

 辛うじて右腕を盾にして防御できたが、振り抜かれた腕の力によってそのまま地面を滑る。

 ズザザッ…という音をさせながら足を踏ん張りなんとか停止した。

 

 体格に対して力が強すぎる。私と同じ身体能力を上げる術を使っているのだろうか。だが今の速さや力からして、自分よりも強くなっているわけではない。

 そう考えて今度はこちらから攻めるべく、構えている男に接近する。身体能力の強化によって並の人間の目では捉えきれないほどの速度を誇る攻撃は、しかし男の驚異的な反応速度によってすべていなされてしまった。

 次々と繰り出した右腕を止められ、左腕を弾かれ、右足を逸らされ、左足をかわされた。

 

「それ」

「わっ!?」

 

 上体を後ろに反らして横蹴りを避けた男は、私の足に下から掌底を当てた。バランスを崩した私はバク転で男から距離を取る。

 

 手を抜いているとはいえ、ここまで完璧に対応されるとは思っていなかった。最初の私の掌底に反応できなかった人間とは思えない。

 これ以上力を出すと、下手をすると後遺症が残るような怪我を負わせてしまうかもしれない。

 ふと男を見ると、網代笠のせいで顔の上半分が隠れているので正確な表情はわからないが、その口元は微かに笑っていた。

 

「……何がおかしいんですか?」

「別におかしくはない、ただ楽しいだけだ。こういう肉弾戦は久しぶりなんでな」

「……楽しませるつもりはありません。次で終わりにします」

「へぇ……それは楽しみだ」

 

 何の緊張もなくカラカラと笑う男は、本当にこの戦いを楽しんでいるようだ。戦闘狂か何かだろうか。

 こんな人間の楽しみのためだけに、ここにいる妖怪を退治されてなるものか。

 

 私は男に手のひらを向けて結界を張った。これは昔、師に教わった『特殊な性質の結界を張る術』で、中にいる人間は金縛りにあったように身動き一つとれなくなる結界だ。

 ニヤニヤとしていた男の口がポカンと開かれたことを確認して、逆の手に魔法で弾丸を作り出し、男に向かって撃ち出した。

 この弾丸は当たると電気ショックのような衝撃に襲われ、多少身体能力が上がっている相手でも気絶させることのできる魔法だ。あの結界の中にいる以上、男にこの魔法を避けることはできない。

 私はようやく戦闘が終わったと安堵した。男が再びニヤリと笑うその時までは。

 

「? ……えっ!?」

 

 こんな状況にも関わらず笑っている男に疑問を持っていると、男が結界の中で右腕を振るった。一度囚われれば指一本動かすことのできないあの結界の中でだ。

 それだけでも驚愕するには十分すぎるというのに、次の瞬間には私の結界が解除された。

 結界から抜け出した男は左手に魔法で弾丸を作り出し、私の放った魔法にぶつけた。弾丸同士がぶつかった衝撃で地面が揺れ、広範囲に土煙が舞い上がった。

 

 こんなことありえない。

 あの結界は力の強い妖怪なら力尽くで破壊することはできるかもしれない。だが解除となるとその結界の性質や波長を読み取り、構成を理解し干渉しなければならない。私もできないことはないが、どうしても時間がかかる。少なくともこんな一瞬では無理だ。

 おまけに、今男の撃ち出した魔法は私の放った魔法とまったく同じものだった。あの一瞬で相手の魔法を特定して同じ魔法を作り出すなど、あらゆる術を知り尽くしていないと不可能だ。

 

 こんな芸当ができる人物を、私は一人しか知らない。

 

「…………まさか……っ!?」

 

 そのたった一人の人物を思いついた瞬間、土煙を突破して一発の弾丸が飛んできた。

 思考と動揺、土煙による視界不良で気付くのが遅れた私は、為す術なくその弾丸に直撃した。それによって吹き飛ばされた私は何とか空中で体勢を立て直し、片膝を地面につけて着地した。

 

 吹き飛ばされるほどの衝撃を受けたはずなのに、不自然なほどダメージが少ないことに違和感を感じつつ先程の思考を再開する。

 顔を上げ、真正面からゆっくりと歩いてくる男を見る。笠のせいで相変わらず顔がわからないが、男の後ろで小さくなびく真っ白い髪の毛が目についた。

 

「……やっぱり、貴方は…………うわっ!?」

 

 男に話しかけようとしたとき、私の真横を目が眩むほどの光を放つ光線が通り過ぎた。その光線は辺りを焼き尽くさんばかりの熱をまき散らしながら男に向かって直進し、凄まじい爆発を起こした。発生した衝撃で突風が吹き荒れ、思わず腕で目を覆う。

 何が起こったかを確認するため光線の飛んできた方向である後ろを見ると、ここの寺にいる妖怪たちが私を囲むように立っていた。

 

(ひじり)! 大丈夫ですか!?」

(しょう)!? それに貴方たちもどうして!?」

「すみません。人間に手は出すなと言われていましたが、だからといって聖を見捨てることはできません!」

「ご主人に同じく」

「聖は大切な恩人なので当然です!」

「私と雲山(うんざん)にも頼ってくださいね」

 

 どうやら先程の光線は星の宝塔による攻撃だったようだ。私を慕ってくれている彼女たちの言葉は、こんな状況でなければ泣いてしまいそうになるほどうれしいものだった。

 だが、先程の私の考えが正しいとすると今の状況は少しマズい。

 そう考えて内心で冷や汗をかいていると、いきなり私以外のみんなに結界が張られた。

 

「な、何これ……動けない!?」

「ご主人! くっ……私も……!」

「この結界って……まさか……」

「聖様が使っているのと同じ……!」

 

 私が男に使ったものと同じ結界が作られ、身動きが取れないようだ。みんな妖力を使って破壊しようとしているが、かなりの強度があるようでヒビ一つ入らない。

 当然ながら私は何もしていない。となるとこの結界を作った人物は―――。

 

「……! 聖、前!」

 

 急に叫んだ星に反応して正面を見ると、爆発によって起こった煙を吹き飛ばしながらとてつもない速度で一直線に向かってくる男が目に映った。

 

「聖!」

「聖様!」

 

 手に直刀を持ち、今までとは比較にならない速度でこちらに向かいながらその切っ先を突き出している男を見て、ムラサと一輪(いちりん)が悲痛な叫び声を上げる。

 その声を聞きながらも、私はその場から動かなかった。

 

 音を置き去りにし、空間すら歪ませてしまうのではないかと錯覚してしまうほどの衝撃波を纏った神速の刺突は、しかしそれまでの何もかもが幻だったかのように、私の喉元でピタリと静止した。

 先程までの喧騒が嘘であったかのように、物音一つしない。結界に囚われている彼女たちも固唾を飲んでいる。

 

 私は目の前に立っている男を見る。未だにこちらに刀を突き付けてはいるが、それを動かす気配はなく、真一文字に閉じられている口は何かを待っているかのようにも見えた。

 ふと、男の持っている刀に目を向ける。柄も刀身も神々しいまでに真っ白な直刀。それなりに長生きしているが、こんな刀を見たことは一度しかない。

 私の知っているその刀の名前は―――。

 

「白孔雀……」

「……………………ふふっ」

 

 ぽつりとこぼしたその単語を聞いて、目の前の男が笑いだした。最初は小さくだが少しずつ声が大きくなり、すぐに大笑いになった。

 男は笑いながら刀を腰の鞘におさめ、空いた右手をこちらに差し出してきた。

 

「ほれ、とりあえず立て。ダメージもほとんどないだろ」

「……やっぱり……師匠……」

「「「「え?」」」」

 

 結界の中にいる彼女たちが打ち合わせでもしたかのように同じ表情で同じ声を出す。おそらく今なら結界がなくとも動けないだろうと思えるほど呆然としていた。

 それを聞いた彼はまた少し笑いながら、戦闘でボロボロになった網代笠をゆっくりと取った。

 

「ようやく思い出したか。この笠を被っていたとはいえ、もう少し早く気付いてほしかったな」

 

 そこにいたのは先程の刀と同じく真っ白い髪の毛と、それとは対照的な真っ黒い瞳が特徴の男性。戦っていたときは少し気に障っていた笑みからは、今は安心感しか感じられない。

 差し出された右手を取ると、優しく引っ張り立ち上がらせてくれた。

 

「あ……ありがとうございます、ハクさん……」

「久しぶりだな、聖白蓮(ひじりびゃくれん)。元気そうで何よりだ」

「…………え? し、知り合いだったんですか……?」

 

 最初に意識が戻ってきた星の恐る恐るといった問いかけに、私は苦笑を返すことしかできなかった。

 

 

 




一話持たなかった網代笠。心底同情します。


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第二十話 かつての師と変化する関係

一話丸々聖視点です。


 

 ハクさんは私を立ち上がらせると、一つ息を吐きながら自分の服についた土や埃を払い落とした。かく言う私も服が大分汚れている。

 だが私はそれを払い落とすことも忘れて、目の前にいるかつての師をじっと見つめていた。そんな私を見たハクさんは不思議そうな顔をして首を傾げている。

 

「……そんなに見つめてどうした? 俺の顔に何か付いてるか?」

「……あ、えーと、土とかが……」

「まぁ大分暴れたからな。お前の顔にも付いてるぞ、これで拭いておけ」

 

 ハクさんはそう言うとどこからか手拭を取り出して渡してくれた。見た感じ、こんなものを持っているようには見えなかったけれど……。

 

「それにしても、懐かしい感覚がしたからもしやと思ったが、こんなところで会うとは奇遇だな」

 

 貸してもらった手拭で顔を拭いていると、ハクさんが目を閉じて感慨深いといった感じで話し始めた。

 

「諏訪の国で別れてから結構経ったからな。お前はしっかりしているから大丈夫だと頭ではわかっていたんだが、やっぱり心配でな」

 

 しかし、本当に懐かしい。数十年前に別れるときは、もう再会することはないだろうと思っていたのだが、世界は狭いということだろうか。

 しばらくそんなことをぼんやりと考えながら顔を拭いていたのだが、ふと今の状況を思い出して我に返った。

 

「……はっ!」

「こうしてお互い無事に会えたことが……どうした急に?」

「あ、あの……彼女たちの結界を解いてもらってもいいでしょうか……?」

 

 そう。未だに星たちの周りには結界が張ってあり、身動きが取れない状態なのだ。さすがにこれ以上動きを止めたままなのはかわいそうだ。

 

「彼女たち? ……ああ、忘れてた」

「わ、忘れて……」

 

 ついさっきまで自分に敵意を持っていた相手のことを忘れるとは、相変わらず緊張感がないというかマイペースというか。

 その雰囲気にのまれてか、結界内の彼女たちも少し落ち着いてきているように見えた。

 だが、次の彼の一言でその雰囲気は緊張の糸が張り詰めるものとなった。

 

「……妖怪、ねぇ……」

「!」

 

 星たちの顔が強張る。それも当然だ、人間は基本的に妖怪に対して良いイメージは持っていない。この状況で結界を解くような人間は普通はいないのだ。

 

「聖。俺はお前と別れるとき、力の使い方を間違えるなと言ったはずだが……」

 

 何の感情も込めずに淡々と話すハクさんを見て、星たちが息をのむ。今の彼女たちにとって、彼ほど恐ろしい存在はないだろう。ムラサやナズーリンに至っては涙目になってきている。

 だがはっきりいって私には―――。

 

 

 

「しっかりと守っているようで何よりだ。いい妖怪たちだな」

 

 

 

 いつも通りの温和なハクさんに見える。

 

 ハクさんはそう言うと、パンと手を鳴らして結界を解除した。ようやく動けるようになった彼女たちは皆一様にその場にへたり込んだ。

 私もとりあえず一段落したと安心していると、一足先に歩けるようになった星が近くまでかけつけてきた。

 

「ひ、聖。怪我はありませんか?」

「ええ、多分」

「大丈夫だろ。怪我はそもそもないだろうし、体力や魔力も戻っているはずだ」

「あ、貴方が何故わかるんですか……?」

「……あ、もしかして治してくれたんですか?」

「ああ、さっき手を取ったときに」

 

 あれだけ緊迫した戦いをしていたというのにやけに疲労が少ないと思ったら、すでにハクさんに治療されていたようだ。

 彼にそういう能力があるのは知っていたが、気付かぬ間にそれが行われていたことに少し驚いてしまった。

 みんなには何のことかわからないはずなので、彼に傷を治す力があるということを説明する。

 

「そ、そんな能力が……。でも怪我がないって、さっき聖を吹き飛ばすほど威力のある弾を使ったじゃないですか」

「あれはあくまで吹き飛ばすだけの効力しか持たない弾だ。受けた側からすれば少し押された程度にしか感じないよ」

「確かに、あれは不思議に思うほど痛くなかったですね……。どちらかというと、後ろに引っ張られたような感じでした」

「だろ? お前よりも俺のほうがよっぽど重傷だった」

 

 ハクさんはそう言って自分の両腕を伸ばして見せた。そこには他の部分と同様、傷一つない白い肌がある。

 

「……どこにも傷があるようには見えませんが……?」

「あのな、俺は今、袖をまくりもしないで両腕を見せてるんだぞ?」

「言われてみれば……」

 

 星も傷があるようには見えないというが、そもそも肩から先が丸見えなことがおかしい。とはいえその理由は実に単純で、そこに袖がないから見えるのだ。

 だがハクさんの服装は元々袖がないようなものではないし、実際最初に会ったときは袖があった。ついでにいうと、肩の部分の布は黒く焦げているように見える。

 あれ? ということは……。

 

「も、もしかして……あのレーザーで両腕が黒焦げになったのでは……」

「えっ!?」

「正解。さすがに治すのに時間がかかったぞ」

 

 あのレーザーの爆発のあと、すぐに反撃してこないと思ったら腕の治療をしていたからということらしい。

 そのレーザーを撃った本人は青ざめた表情で震えており、それを見たナズーリンは少し呆れているようだ。

 

「あれを撃ったのはお前だろ? 普通の人間だったらちょっと危なかったぞ」

「も、ももも申し訳ありませんっ!」

「別に怒っちゃいないけど、次は気を付けろよ。特に人間には滅多なことがない限り撃たないようにな?」

 

 勢いよく頭を下げる星。確かに両腕が黒焦げになるような威力の攻撃を何度も使ってほしくはない。

 ハクさんは星の頭をポンポンと叩くと、両手で顔を上げさせた。

 

「気にするな。今回は俺も誤解されるようにしたからな、悪かった」

「誤解されるように? もしかしてわざとだったんですか?」

「少しな」

 

 彼の言葉に引っ掛かる部分があったので聞いてみると微妙な返答をされた。少しわざと、とはどういう意味だろうか。

 ちなみにハクさんはまだ星の顔に両手を当てている。何をしているんだろうか。

 

「最初はそんなつもりはなかったんだが、お前がやる気満々だったから、ついでにどれくらい強くなったか確認しようと思ってな」

「す、すみません……」

「まぁ普通はあんな言葉は信用しないからな、それも気にするな」

 

 確かにハクさんは最初「退治しに来たわけじゃない。興味本位で来ただけ」と言っていた。そんな人間はほとんどいないとはいえ、もう少し真剣に聞くべきだったかもしれない。

 ハクさんが星の頬をいじり始めた。星は抵抗せずされるがままだ。困惑しているんだろう。

 

「それにしてもさすがだったぞ、聖。全部の攻撃が相手の意識を奪う程度の威力に抑えられていた。力の調整が上手くなってるな」

「あはは、ありがとうございます……。ですが、貴方も手加減して戦っていたでしょう?」

「そりゃ当然だ。同程度の力で戦わないと、どれだけ成長したかわからないだろ」

 

 ハクさんが何でもないことのように説明する。それは同程度の力で戦ってなお圧倒的な戦力差がないとわからないことだというのに……。

 さすがと言われるのは彼のほうだと思う。

 その尊敬すべき師は、星の頬を横に伸ばしている。彼女の頬が気に入ったのだろうか。

 

「説明することはそれくらいだろ、というわけで次は自己紹介といこう。俺はハク、白いって書いてハクだ」

「は、はふ? ほほはふぇひーはふぉーあ……」

 

 ハクさんの名前を聞いて星が反応するが、頬を引っ張られているため何を言っているのかわからない。

 

「そう? 名前のほうを聞いたことがあるっていうのは珍しいかもしれないな」

 

 どうしてわかるんでしょう……。

 今の会話の流れからして、多分「は、ハク? どこかで聞いたような……」と言ったのだろうか。

 

「……ああ! ひひりはふはふぃほははふぃほふるほひひ、ほふいっへいふぁははえは!」

「いや、何言ってるかわかりませんよ」

 

 何だか少し興奮気味で星が話しているが、相変わらず頬を伸ばされているので何を言っているのかわからない。

 

「マジで? 聖が俺のことをどう話していたかは結構気になるな」

 

 本当にどうしてわかるんでしょうか……?

 多分「ああ! 聖が昔の話をするときに、よく言っていた名前だ!」と言ったんだろうか。

 ……って! その話は少しマズい!

 

「どんなふうに話してた?」

「ええと……初めて会ったときは普通の人だと思ったけど、自分と似た考えを持ってることを知ってからは……」

「し、星! その話は!」

 

 私が今まで話していたことをハクさんに伝えようとしている星。ハクさんは何故こんなときに限って頬をいじるのを止めてしまうんだ。

 これまでの話を本人に聞かれたら私は―――!

 

 

 

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 私は今、両手で顔を覆うことで忙しい。

 私の抵抗むなしく今までみんなに話していたハクさんへの評価を本人に聞かれたことで、鏡を見なくとも顔が真っ赤なことがよくわかる。何故あんな場面で私に移動制限用の結界まで使ったんですかハクさん……。

 ちなみに話の内容は、悪いイメージは持っていないというもの、とだけ言っておこう。

 

「何だよかわいいやつだな聖は、そこまで好かれているとは嬉しいね~」

 

 ハクさんが私を抱きしめたり頭をなでたりしているせいで、余計に顔が熱くなる。

 

「と、とりあえずこんなところで立ち話も何ですから、寺の中へ行きましょう……」

「ああ、頼む。服も取り替えたいしな。お邪魔します」

 

 この状況から抜け出すために、案内役という逃げ道に向かい寺の中に入る。自然な流れで一番先頭になることで、これ以上顔を見られるのを阻止するという策だ。

 咄嗟に考えた策だが上手くいったようで、ハクさんは私から離れて他のみんなと話をしている。

 

「さっきは悪かったな、頬をいじって」

「い、いえ大丈夫です。私は寅丸星(とらまるしょう)と言います。よろしくお願いします」

「私はナズーリン。ご主人が迷惑をかけたね」

「さっきも言ったが気にするな。ご主人っていうのは星のことか?」

「うん、そうだよ」

「面白い関係だな」

「星は毘沙門天として祀られていまして、ナズは彼女のサポートをしているんです」

「ああ、妖力と神力を感じると思ったらそういう事か」

 

 星とナズの会話に補足して説明する。ハクさんはどうやら星がどういう存在なのかをなんとなく察していたらしい。相変わらず感覚がずば抜けて鋭い人だ。

 

「私は雲居一輪(くもいいちりん)と言います。こっちが雲山。よろしくお願いしますね」

「ああ、よろしく一輪、雲山」

「…………」

「あれ? もしかして雲山には嫌われてるのか?」

「いえいえ、雲山は元々あまり喋らないのです。ハク様だから、というわけではありません。むしろハク様のことを評価してると言っていますよ」

「そうなの? そりゃよかった」

 

 雲山は滅多に話さない上、話したとしても声が小さいので直接会話できるのは一輪だけだ。性格は紳士的なのでハクさんのことも嫌ったりはしないだろう。

 一輪は元人間であるところや妖怪に対する考え方など、私と似ている部分がある。

 

「えっと、村紗水蜜(むらさみなみつ)です。よろしく」

「ああよろしく」

「彼女は舟幽霊です。昔彼女がやんちゃしていたときに会いました」

「へえ、ここ山の中だけど大丈夫?」

「はい。昔と違ってもう水難事故を起こしたりはしていませんよ。………………あんまり」

 

 最後がよく聞こえなかったが、彼女自身の言う通り、ムラサはもう人間に迷惑をかけていない。

 昔の彼女は退治の依頼が来るくらいには人間に迷惑をかけていたので、今の状態まで落ち着いて本当に良かった。人間にとっても、もちろん彼女自身にとっても。

 

「ああ、俺に敬語は使わなくていいぞ。別に偉い人間じゃないから」

「うーん……、聖が敬語で話しているので私も同じほうがしっくりきますね」

「あ、そう? まぁ好きにしていいよ」

 

 ハクさんが話し方の提案をするが、星はこのままのほうがいいと言う。このやり取りは、私とハクさんの昔の会話にそっくりだ。まぁ彼女の場合、まだ緊張が解けていないというのもあるのだろう。

 星とハクさんの会話はそこで終わったのだが、そのあとも二人とも無言で見つめ合っている。

 

「? どうしました?」

「……なんとなく、親近感がわく、というか……」

「あ、ハクさんもですか? 私も何だかハクさんには親近感みたいなのを感じます」

「どこかで会ったことがある、とかですか?」

「いえ、ないと思いますが」

「同じく。会ってたら憶えてると思うし」

「……不思議ですね、何故でしょう?」

「うーん……、まぁ悪い印象を持っているわけじゃないからいいか」

「ふむ、それもそうですね」

 

 お互いに首を傾げていたが、悪いことではないからということで考えることを止めたようだ。

 しかし、妖怪と人間で親近感を持つというのは珍しいことだ。これは妖怪側が星で、人間側がハクさんだからこそだろう。他の妖怪、他の人間ならこんなことは起こらないはずだ。

 そう考えていると、目をキラキラと輝かせたムラサがハクさんの隣に位置取った。

 

「聖以外で妖怪に敵対していない人間って初めて会いました!」

「ああ、確かにあんまりいないかもしれないな」

「聖とはどこで会ったんですか?」

「諏訪の国でだ。あそこで退治人の修行に付き合っていたときがあったんだが、しばらくしてから聖が来て一緒に修行するようになったんだ」

「へぇ~、だからハクさんのことを師匠って言ってたんですね。それって何年くらい前のことなんですか?」

「もう数十年は前の話だな」

「え?」

 

 ムラサが私とハクさんが会ったときのことを聞いているのだが、いつの話かを聞いた途端フリーズした。

 そういえば、ハクさんの体質については話していなかった。

 

「数十年? 数年とか十数年とかじゃなくて?」

「ああ、数十年前、だ。もう少し詳しく言うと七十年くらい前だ」

「ハクさんって人間じゃないんですか?」

「人間だよ。普通のではないけど」

「……ハクさんって何歳なんですか?」

「あー……五百歳以上かな」

「ぴぇ!?」

 

 ハクさんの年齢を聞いたムラサがおかしな声を出す。他のみんなも相当驚いているようで一様に目を見開いている。

 かく言う私も、まさかそこまでとは思っておらず少し驚いている。

 

「え? え? もしかして大妖怪!?」

「いや、人間だ」

「じゃ、じゃあ魔法使いとか!?」

「いや人間だけど」

「まさか幽霊!?」

「人間だって。幽霊はむしろお前だろ」

「せ、仙人とか!?」

「そうも呼ばれているけど人間だ」

「か、かかか神様!?」

「もうそれでいいでーす」

 

 ムラサがハクさんの話が聞こえない程度のパニックになってまくし立てているせいで、ハクさんが少し疲労して自分を神様で妥協しようとしている。

 こんなことを思うのはどうかと思うが、自分以上にパニックになっている人を見ると少し落ち着く。それは他のみんなも同じようで、ムラサ以外は比較的落ち着いていた。

 

 

 

 とりあえず、ムラサを落ち着かせながら客間に案内する。ハクさんは自分の着替えを持っていたようで、先に部屋に入って着替えてもらった。手ぶらに見えたけど。

 着替えが終わり、ムラサも落ち着いたところでみんなで座卓を囲んで座る。

 

「改めまして。お久しぶりです、ハクさん。妖怪寺と呼ばれている場所ですがゆっくりしていってください」

「ああ、ありがとう。さっきは混乱させて悪かったな、ムラサ」

「あ、いえ、こちらこそお見苦しいところをお見せしました……」

「最初よりガチガチになってるぞ……って雲山が言ってますよ」

 

 呆れているらしい雲山の言葉を一輪が翻訳する。確かにさっきのムラサはもう少しフレンドリーな感じだったと思うけど。

 だがそれも仕方のないことで、今日はいろいろとありすぎて頭の整理がついていないのだろう。ハクさんの年齢が止めを刺したようだ。

 

「ところで、ここには興味本位で来たということですが、いつまで居られるんでしょう?」

「うーん……、最初は聖がいるとは思わなかったから、少し寄ったらまた違う場所に行こうと思ってたんだが……」

「ほ、本当に少しだけ立ち寄るつもりだったんですね……」

 

 妖怪寺と呼ばれるこの場所に退治人と呼ばれる人間が興味本位で少し立ち寄っただけ、という現状を改めて考えたムラサが肩を落としている。

 まぁおかげで少し緊張がほぐれたみたいだ。無意識ではあるだろうけど内心でハクさんに感謝する。

 

「それでは少しの間、ここに泊まってはどうでしょうか?」

「いいのか?」

「ええ、もちろん。ですがみんなの意見も聞かないといけないですが……」

 

 私一人で決めていいことではないので、他のみんなにも確認を取らなければならない。そう考えて周りを見ると、みんなこちらを見て頷いてくれた。

 

「私はいいですよ、聖。ハクさんとは気が合いそうです」

「ご主人がそういうなら、私もいいよ」

「私も雲山もいいですよ、歓迎します」

「私も。いろいろとハクさんの話、聞いてみたいです」

「……ありがとう、みんな。どうでしょう、ハクさん?」

 

 最後に本人に確認を取ろうと彼を見ると、少し照れくさそうにしながら頬をかいていた。

 諏訪の国で修行していたときはあまり見なかった表情だ。まぁあのときは修行のために会うことが多かったから当たり前なのだが、だからこそこうして見れたのは何だか得した気分だ。

 

「じゃあ、お言葉に甘えて邪魔させてもらうよ、ありがとう」

「いえいえ。これからもそういう表情が見れると思うと楽しみです」

「……お前みたいな美人の提案を却下するやつはいないよ」

「うぁ……あ、ありがとう、ございます……」

 

 レアな表情を見れて気分がよくなった私は少しばかりハクさんをからかおうとしたのだが、一瞬で反撃されてしまった。なんていうか、いろんな意味でこの人には勝てないなぁ。

 またも赤面してしまった私が縮こまっていると、ハクさんが隣までやってきて先程と同じように抱きしめてきた。

 

「あーもう、かわいい愛弟子だな。よしよし」

「あ、あの、ハクさん……私が悪かったので勘弁してください、恥ずかしいです……」

 

 周りでみんなが見ているというのにベタベタするのはやめてほしい……いや、人がいなければいいというわけではないのだが……。

 

「スキンシップが好きな人なのかな。ご主人の頬もいじくり回してたし」

「星は抵抗しなかったけど、気持ちよかったの?」

「い、いえ、あのときは何が何だがわからなくて……不快ではありませんでしたが」

「私にも触らせてー」

「わひゃ、いひりん!?」

 

 最初は警戒していた相手とはいえ、今のこんな状態を見ればそれがバカバカしく思えてしまうのは当たり前のことで、もうすでにみんな思い思いに話している。

 だがそんな話をする前に私を助けてほしいのだが。

 

「あの……誰かハクさんを引き離してもらえません?」

「ふふ、そんな顔で言われてもやる気になれませんよ、聖様」

「え?」

 

 星の頬をいじっている一輪に言われてハクさんの拘束から抜け出した手で自分の顔を触ってみると、口元が緩んでいるようだった。というか早い話、ニヤけていた。

 ……恥ずかしい。

 

「ハクさんがいる生活、何だか楽しみになってきたかも」

「私も同意見。……あら、雲山も?」

「出会って数時間も経っていないのに、不思議な方ですね」

 

 星の言う通り、ハクさんは不思議な人だ。ほとんど初対面でもすぐに気を許せる雰囲気を持っている。

 本人は警戒されてばかりだというけれど、そんなことは…………あっ。

 

 今日ハクさんと会ったときの自分の対応を思い出し、今なお私の頭をなでているかつての師に……いや、新しい同居人に心の中で謝るのであった。

 

 

 




ハクとは初対面ということで、ハクに対して敬語の人が多いです。
おかげで誰が話しているのかわからんw

次回から少しは区別できるよう頑張ります。


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第二十一話 かつての弟子の変わらない想い

ハク視点に戻りました。


 

「……あら。おはようございます、ハクさん」

 

 妖怪寺で一騒動あり、その後しばらく世話になることになった次の日。久々に大暴れして少し疲れていた俺は寺の一室を貸してもらい、早めに体を休めることにした。

 これまた久々にぐっすりと眠ったわけなのだが、まだ疲れているのか、それともただ寝ぼけているだけなのか、起きたら横で美人さんが微笑みながらこちらを見ているという状況をしっかりと理解できないでいた。

 

「…………俺たち、結婚とかしたっけ……?」

「へ? ……え!?」

「……ん。あぁ、いやなんでもない。おはよう」

 

 美人さんが上げた大声のおかげで目が覚めた俺は上半身を起こし、聖に朝の挨拶をした。

 聖が声を上げる前、自分が何か言った気がするのだが、うとうとしているときのことは思い出しにくい。

 まぁ所詮は寝ぼけている人間の言ったことだ。どうでもいいことなのだろう。

 

「久しぶりによく寝たな。で、どうしたんだ聖。何か用か?」

「……あ、いえ、用というわけでは。ただハクさんの寝顔を見たいと思いまして」

「新婚さんか何かかよ」

「ええ!?」

「冗談だ。ただあんまり寝顔は見ないでくれ、恥ずかしいから」

 

 人の寝顔をずっと横で見ていた仕返しに少しばかり聖をからかう。まぁ俺も人の寝顔を見るのは好きなのであまり強くは言えないが。

 先程聞いた声と似た感じの声を上げたことに少し疑問を持ったが特に考えはせずに、布団から出て一つ伸びをした。

 首の関節をポキポキと鳴らしていると部屋の外から足音が聞こえてきた。自然と音のする方向を見ると襖が開けられ、虎を思わせる金と黒の混じった髪をした星が入ってきた。

 

「失礼します……と、もう起きてましたか、おはようございます」

「ああ、今さっきな。おはよう」

「聖もここにいたんですね、おはようございます」

「おはようございます、星。いい天気ですね」

「そうですね。朝食がそろそろできるので呼びに来ました」

「お、ありがとう。これ片付けるからちょっと待って」

 

 わざわざ呼びに来てくれた星に礼を言いながらさっきまで寝ていた布団を畳む。

 それくらい自分たちがやると星は言ったが、自分のことは極力自分でやるようにしていると伝えてさっさと片付けた。

 

「昨日も言ったが俺は偉い人間じゃない。気を使う必要はないよ」

「年上というだけで敬うべき相手だと思いますが」

「その考えは素晴らしいけどね」

 

 正論を言われてしまい思わず頬をかく。

 昨日年齢を聞かれたときに布都のことを思い出して「五百歳以上」と曖昧に答えたが、それでも彼女たちより年上だったらしい。

 ムラサの混乱っぷりは面白かったが、相手するのは少し疲れたな。

 

「ま、いいや。じゃあ案内頼む」

「はい。こっちです」

 

 別にタメ口を強制するつもりもないのでこの話を切り上げ、部屋の案内をしてもらう。

 場所はさほど離れていなかったようで、しばらくすると他の妖怪たちが歩いている音がしてきた。

 

「あ、ハクさん。おはよう」

「おはよう、ムラサ。寝過ごしたようで悪いな」

 

 廊下を歩いて部屋の前に着くとムラサと会った。昨日会話している途中から敬語を使わなくなったため、親しみやすい感じになったように思える。

 

「いーや、全然問題ないよ。それより……髪の毛すごいね」

「え? ……あ、ほんとだ」

 

 ムラサに言われて自分の頭を触ってみると、見事にボサボサになっていた。最近布団で眠っていなかったから寝ぐせのことなどすっかり忘れていた。

 聖も星も言ってくれればいいのにと思い彼女たちを見ると、二人とも口を押さえて笑っていた。

 

「ふふ、気を使う必要はないと言ったので」

「いやそこは気を使ってくれよ。あぁぁ、直らない……」

 

 手櫛で髪を整えようとするが、なかなか上手くいかない。身なりへの関心は薄いが、さすがに寝ぐせだらけの髪で歩き回りたくはない。

 そう思って苦心していると、聖に背中を押され部屋に入れられた。

 

「おっと……聖?」

「はい、そこに座ってください。私が整えますよ、櫛もちょうど持っていますし」

「おお、助かる」

 

 促されるまま座布団に座って聖に背を向ける。誰かに髪を整えてもらうの初めてかもしれん。

 後ろにいる聖が慣れた手つきで髪をとかし始める。何故かニコニコとしていた星とムラサは朝食を持ってくると言って部屋を出て行った。

 

「…………ハクさん、髪の毛少し長いですね」

「あー、最近切ってなかったからなー」

「今までどうしてたんですか?」

「自分で適当に切ってたよ。刃物は持ってるし」

「刃物って……もしかして白孔雀で切ってたんですか?」

「いや、短刀のほうだ」

 

 俺は言いながら空間に仙郷への入り口を作り、そこにしまっていた短刀『黒竜』を取り出して聖に見せた。仙郷については昨日説明したので聖は特に驚いた様子はない。

 聖は髪をとかす手を止めて短刀を眺めている。

 

「そういえば、その刀は私は知りませんね」

「これか。諏訪の国を出てから少し経ったころにとある都に立ち寄ってな、そこで友人に作ってもらったんだ」

「なるほど。そのご友人というのは?」

「一言で言うと天才だな。それでいて芯の強い性格の、まさに聖人君子と呼ぶにふさわしいやつだったよ」

「へぇ、私も会ってみたいですね」

「ああ、絶対に会えるさ」

「……?」

 

 俺の言い方が少し引っ掛かったのか、聖は首を傾げていたがそれ以上追及はしてこなかった。

 聖が髪をとかす作業を再開したので短刀を床に置いて目を閉じた。髪に櫛を入れられるたびに感じる少しくすぐったいような感覚が心地よい。

 

「その刀は名前はあるんですか?」

「黒竜という。確かに黒くはあるんだが、竜にしては短いかな。だが切れ味は竜の牙にも劣らないと思うぞ」

「それはすごいですね。それに持ち主が貴方なら安心です……と、はい終わりましたよ」

「お、ありがとう」

 

 目を開けて自分の髪を触ってみると、先程までのボサボサ頭が見事にまとまっていた。さすがは聖。略してさすひじ。

 

「こういうのを人にやってもらうのは結構気持ちいいもんだな」

「ハクさんはあまり経験がないんですか?」

「誰かにやったことはたくさんあるけど、やってもらったことはあまりないかな」

 

 今までのことを思い出しながら聖の問いに返答する。まぁ男の髪を進んで整えたいという変わったやつもそうはいないだろう。

 

「良ければこれからは私が髪を整えますよ」

 

 ここにいたようだ。母性の塊のような人である。

 

「あー……じゃあまた機会があったら頼むわ」

「任せてください!」

「次は俺も聖の髪を整えていいか?」

「わぁ! 本当ですか? よろしくお願いします!」

 

 髪を整えるだけなのにやけに喜んでいる聖。無邪気な子供のような人である。

 そんなことをしているとこの寺に住んでいる妖怪たちが朝食を持って部屋に入ってきた。その中で今日はまだ会っていなかった三人に挨拶をする。

 

「よう、ナズーリン。一輪と雲山もおはよう」

「ああ、おはよう」

「おはようございます、ハク様。ボサボサの髪もワイルドで素敵でしたよ」

「見てたのかよ。そう言われても寝ぐせをそのままにするのはちょっとな」

 

 朝食を座卓に置きながら話す一輪に苦笑する。

 意図的にそういう髪型にしているのならいいが、今回のこれは偶然の産物であり自分でやったわけではないので、似合っているとしても直したいのだ。

 

「さて、では全員揃いましたし朝食にしましょう」

 

 聖の合図で全員が座り、いただきますを言う。誰一人普通の人間がいない空間なのに、普通より普通らしい食事風景だ。

 

「俺の分も用意してもらってありがとな」

「むしろ用意しないほうがおかしいでしょう。一人だけご飯抜きとかひどすぎます」

「ああ、そういえばハクさんは食事を取らなくても平気でしたっけ?」

「まぁな。でも食欲はあるし…………ん、こういう美味いものを食べたくなるのは当然だ」

「あ、その煮物は私が作ったの。お口に合ったようでよかった」

「うん、ムラサは料理が上手だな」

「えっへへー」

「いつもは食事作りは当番制なんですが、今日からはハク様もいることですし、今回はみんなで作ることにしたんです」

「へぇ、じゃあみんな料理できるんだな」

「…………あ! ……す、すみません、卵焼きに殻が入ってるかも……」

「ご主人……」

 

 みんな思い思いに話しながら食事をする。こういう賑やかな時間は好きだ。

 ナズーリンの呆れた声を聞きながら星の作ったであろう卵焼きを一つ食べてみると、一回目の咀嚼でガリッという音とふわふわの卵焼きに合わない異物感を感じた。

 だがその他は特に問題ないため普通に味わって飲み込むと、星が不安そうな顔で覗き込んできた。

 

「え、えっと、殻入ってませんでした?」

「ん、入ってたぞ、見事なまでに」

「あぁ……すみません……」

「だけど焼き加減とか味付けはいいな。美味い」

「あ、ありがとうございます」

 

 茶を飲みながら正直な感想を言うと、星は少し顔を赤くしながら俯いた。失敗したのが恥ずかしいのだろうか。

 

 この朝食は星の卵焼きも含めてシンプルな味付けになっている。俺も料理をしたりするが、味付けは基本的にシンプルにする。それは俺自身、シンプルな味付けが好きだからだ。

 凝った料理も悪くないが、舌が肥えているわけでもない俺には簡単なもののほうが美味しく感じたりする。

 

「ハクさん、少しお願いが」

「ん?」

 

 もう一つの卵焼きを口に入れ、またしても入っていた殻ごと噛み砕いていると、聖が箸を置いてこちらを見た。

 

「朝食のあと、久しぶりに稽古をつけていただけませんか?」

「え? もう俺が何かを教えなくても十分強いだろ?」

「そんなことありません。事実、昨日の戦いでは身体能力や術式の強度に差はなかったはずなのに、ハクさんには手も足もでませんでした」

「そりゃ俺のほうが長いこと訓練してきたからな。そう簡単に弟子に抜かれたくもないし」

「ダメでしょうか……」

 

 聖が落ち込んだように少し顔を俯ける。それを見て思わず頭をかいた。

 昨日俺に負けたことが気になっているようだが、それは単に俺のほうが経験があるからというだけのことなのだ。

 だからその差を埋めるには俺と同じように少しずつ経験を積み重ねるしかない。訓練してもすぐに強くなれるわけではないだろう。

 だけど、そうだな……。

 

「いや、弟子が師を追い抜いてはいけないなんて決まりもない。訓練したいっていうならもちろん手伝うよ」

「あ……本当ですか?」

「うん。ただ力の使い方は間違えるなよ……って、お前には必要ない警告だな」

「ふふ、ありがとうございます」

 

 少しでも聖の手助けになるのなら、動くには十分な理由だ。だがそれは朝食をゆっくり楽しんでからにしよう。

 

「ところで、星」

「はい? なんです聖?」

「私の卵焼きにも殻が入ってました」

「え!?」

「あ、私のにも入ってた」

「私のにも」

「ご主人……私のにもだ」

「ええっ!?」

 

 ……ここまで均等に殻を入れられるのは才能ではないだろうか。

 

 

 

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 朝食を終えてしばらく休憩したあと、先程の約束通り訓練することにした俺たちはこの寺で一番広い部屋に集まった。

 今まで行っていた訓練について少しみんなに話したが、星たちも見学したいとのことだ。

 部屋の中心で俺と聖が向かい合って立っていて、星たちは少し離れた壁際で見ている。

 

「よし、じゃあまずは確認からだ。聖、合図したらここに移動制限と能力不可侵の結界を張ってみろ。形は一辺五十センチの立方体だ」

「ハクさん、移動制限はわかりますが能力不可侵の結界とは何ですか?」

「簡単に言うと、力そのものや力を使った術式……例えば魔法とか妖術とかだな、そういうのの侵入を防ぐ結界のことだ。制限するのはそれだけで、物質は普通に通すものだ」

「へぇ……何だか作るのが難しそうな結界ですね」

「ああ、何か一部のみを制限する結界は張るのが結構難しい。だからこそテストするには最適だ。聖、準備はいいか?」

「はい」

 

 星の問いに答えつつ、目を閉じて集中している聖から少し離れる。

 聖の準備ができたことを確認してから、一つ手を鳴らす。その瞬間に聖が手を前に向け、二種類の結界を順々に張った。それを見てムラサや一輪が感嘆の声を上げている。

 かく言う俺も以前よりも早くなった結界の展開速度に感心して思わず声が漏れた。

 

「おお……正しく張られているな。かかった時間は二秒以下、大分速くなったな」

「えへへ……ありがとうございます」

 

 念のため結界が正しく張られているか確認して聖を称賛する。

 この術式は本当に難しいのだ。諏訪の国でこの術式を教えたことはたくさんあるが、実際に使えるようになった人は片手の指で足りるほどしかいない。

 聖も覚えたての頃は一つ張るのに十秒以上かかっていたものだ。そのときと比べれば凄まじい成長ぶりである。

 

「ただ、最初の結界を張ってから次の結界を張るまでの間隔が少し長いな。切り替えに時間がかかるのはわかるけどな」

「う……すみません、精進します……」

「ま、そう思い詰めるな。何事も経験と慣れだ」

 

 肩を落として落ち込んでいる聖の頭にポンと手を置く。

 顔を上げた聖に微笑みかけて手をはなすと、何故か名残惜しそうな顔をされた。疑問に思って聖の頬を伸ばしていると横で見ていたムラサが勢いよく手を挙げた。

 

「はいはい! ハクさんは二種類の結界を張るのにどれくらいかかるの?」

「この二つだったら合図した瞬間に同時に張れるな」

「むぇ……ど、同時にですか、さすがですね」

「経験と慣れの賜物だ」

 

 それに俺の場合は最初から術式の知識があったからな。聖とはそもそもスタートラインが違うため、あまり誇れるようなものではない。

 聖の頬をつかんでいた手をもう一度頭に乗せ、そのままゆっくりとなでる。

 

「聖も修行を積んでいけばこれくらいになるさ」

「あはは、頑張ります」

「よし、じゃあテストは終わり。次は訓練に入るけど、諏訪の国ではやらなかったことをやってみよう」

「それってどういうものですか?」

 

 俺の提案に聖が首を傾げる。それを見てなんとなく得意げになった俺は腕を組んでしたり顔をする。

 

「内容を説明するのは簡単だけど、実際にやるのは難しいぞ。ついて来れるか、聖!」

「も、もちろんです!」

「よしよし、いい返事だ弟子よ」

「……ノリがわかりづらい人だな、ハクは」

 

 拳を突き出した俺に呼応して同じく拳を突き出した聖に満足してうんうんと頷く。ナズーリンが呆れ笑いをこぼしているが気にしてはいけない。

 とりあえず一つ咳払いをして説明を始めることにした。

 

「今から俺が移動制限の結界を張るから、聖はその中で動いてみろ。これが訓練の内容だ」

「え……あの結界の中でですか?」

「ああ、難しそうだろ? じゃ早速行くぞー」

「ちょ、心の準備が……わわっ!」

 

 聖が何かを言い切る前に移動制限の結界に閉じ込める。結界は透明なので中の聖がピクリとも動けていないのがよくわかる。

 

「ほらほら頑張れ聖」

「け、結構頑張っています……!」

「んなこと言っても全然動けてないぞ。まずは結界の構造を調べろ。今回は移動制限とわかっているんだからやりやすいだろ」

「わかり、ました……くぅぅ……!」

 

 手を叩きながら聖を応援するがなかなか苦戦しているようだ。とは言え周りから見ると全く動かない人が百面相をして唸っているだけなので、結構面白い。

 

「あ、あの~ハクさん。あの結界の中で動けるようになると何が変わるんですか?」

「今見てもらえればわかると思うが、あの結界の中で動くのはかなり難しい。必要なのは結界の性質を調べて理解できる頭と、干渉できるほどの力の操作力だ。聖は前者は大丈夫だが、後者がまだ未熟だな」

 

 おずおずと手を挙げて質問する星のほうを向いて説明する。

 聖は頭がいいので性質を理解することはできると思うが、すぐに結界に干渉できるほど力の操作が上達しているわけではないようだ。

 

「移動制限の結界の中でも自由に動けるほど力の操作が上手くなれば、結界を張る速度ももっと上がるだろう。そうなれば戦闘でも役に立つ」

「な、なるほど……。ですがそれなら結界を解除するほうが難しいのでは?」

「確かに結界を解除するときのほうが力を多く使うが、性質を理解・干渉するまでは同じだ。それに『あの結界の中で動き続ける』ということは『常に結界に干渉し続ける』っていう事だ。力の操作に慣れるにはこっちのほうがいい」

 

 結界を無効化することが目的なら確かに解除したほうが手っ取り早い。結界に干渉したままだと、頭は使うし力はなくなっていくしで大変だ。

 だが今回の目的は訓練なので、解除せず干渉し続けたほうが効果が出るだろう。もちろん、聖が力を使いすぎないように注意はする。

 

 一通り説明を終えて聖のほうを向き直すと、両腕をほんの少し動かせるようになっていた。予想よりも干渉するのが速いな。

 

「お、さすが聖。もう動けるようになったか」

「ほんの少し、ですが……」

「いや、十分だよ。今日はここまでにしておくか。力の使い過ぎは良くないからな、解除するぞ」

「お……っと」

 

 うんうんと頷いたあと、一つ手を叩いて結界を解除した。拘束から解放された聖が少しバランスを崩したため、肩を支えて倒れないようにする。ついでに失った分の力を元に戻しておこう。

 ちなみに、結界を解除するのに手を叩く必要はない。これはただの合図というかカッコつけのようなものだ。

 

「よく頑張ったな」

「あ、ありがとうございます」

「結構難しいだろ。ま、ゆっくり頑張ろう」

「あのーハク様。少し質問いいですか?」

「ん?」

 

 大きく息を吐いている聖を労っていると一輪が手を挙げた。どうでもいいけど質問するのにわざわざ手を挙げる必要はないんだがな。

 

「その技術ってどういう場面で使えるのでしょうか?」

「え? うーん……、何かを制限する結界を張られたときに、解除するには力が足りないときとかかなぁ……」

 

 基本的に結界を解除するのと干渉して影響を受けないようにするのでは、後者のほうが使う力は少なくて済む。だが後者は常に力を使い続ける必要があるため、普通はすぐに力が尽きてしまう。

 解除するには力が足りないが、少しの間だけでも影響を受けないようにしたいときにしか使う場面はなさそうだ。

 結界の外に出てしまえば影響は受けないわけだから使えなくもないが、張った相手が近くにいればもう一度張られて振り出しに戻るだろう。

 

「そうだな、他には…………ナズーリン、ちょっと」

「?」

 

 他の使い方を考えて少し思いついたことがあるので、協力してもらおうとナズーリンを手招きして呼ぶ。ナズーリンは首を傾げながらもひょこひょこと歩いて近くまで来てくれた。

 

「例えば俺がナズーリンを捕まえたいと考えたとする。しかし素早く動く相手を結界に閉じ込めるのは難しいから、追いかけて手で捕まえました」

 

 そう言いながらこちらに向いていたナズーリンを俺と同じ向きにして、両肩に手を置いた。ナズーリンの頭の上のはてなマークが増えた気がする。

 

「うーん、とりあえず捕まえたけどこのままじゃいつ逃げ出されてもおかしくないな。よし、聖! 俺ごとナズーリンに移動制限の結界を張れ!」

「え? は、はい!」

「ちょっ、ハク!?」

 

 急に俺から要求された聖は混乱しながらも俺たちの周りに結界を張った。大きめの結界にすっぽりと入った俺とナズーリンは全然動けない状態だ。

 俺が何をしようとしているのかわからず、聖も含めてみんなぽかんとした顔をしている。

 

「よしよし、これで逃げ出すことはできんだろう、がはは」

「は、ハク! これホントに動けないけど!?」

「そういう結界だからな。でも俺はそろそろここから離れたいから失礼するね」

「え、ちょっと」

 

 聖の結界に干渉して自分の体を動かせるようにすると、微動だにしないナズーリンの肩から手をはなしてゆっくり歩いて結界の外に出た。

 

「こうすると捕まえたい対象だけ結界に閉じ込めることができると」

「はぁー……なるほど。考えれば使い道はあるものですね」

「まぁこんな場面ほとんどないと思うが。相手が速いなら大きな結界を張ればいいし」

 

 結界は張ったあとでも形や大きさを変えることはできる。一人を相手に大きな結界を使ったとしても、そのあと適度な大きさにすれば余計な力を使わなくて済む。

 

「……ま、いい使い方があったら教えてくれ」

「あの、ハクさん。ナズーリンに張った結界は解いて大丈夫ですか?」

「ん? そうだな……」

 

 聖の言葉で未だに結界内で身動き取れない状態のナズーリンを見る。今の茶番は終わったからもちろん解いてもらって構わないんだけど……そうだ。

 

「……ああ、移動制限の結界の中で動けるようになれば今のナズーリンに悪戯できるぞ」

「え!?」

「どうだ? なかなか魅力的だと思わないか、星?」

「何で私に振るんですか!?」

「ご、ご主人……まさか……」

「誤解ですぅ! ナズーリン!」

 

 わたわたと慌てている星に軽蔑の視線を向けるナズーリン。まぁ本気じゃないのは口元の小さな笑みを見ればわかるが、絶賛混乱中の星には気付くのは難しいかな。

 

 彼女たちの様子を見ていて、ふと聖が昔言っていたことを思い出した。確か『人間も妖怪も同じようなもの』だったかな。

 今なお目の前でわいわいと騒いでいるこいつらを見ると、聖の言ったことになるほどと返してしまうのも当然だな。

 そう思って小さく笑いながら、とりあえず星を落ち着かせようと彼女のもとに向かうのであった。

 

 

 




今回長かったですねw
次回で妖怪寺編終了予定です。


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第二十二話 聖白蓮の目指す世界

妖怪寺編終了です。


 

 その後、俺は妖怪寺にいるときは聖の訓練に付き合うようになった。彼女はもともと要領がいいため、少しコツを教えただけでぐんぐんと上達していった。移動制限の結界の中でも自由に動けるようになるのは時間の問題だろう。

 妖怪寺に住む他の妖怪たちも途中から訓練に参加するようになったため、小さな道場のような雰囲気になっている。

 

 俺が教えているのは基本的に力の使い方についてだ。たとえ同じ術でも力の使い方によってその効力は大きく変わる。単に発動速度が速くなるだけでなく、影響力や規模なども雲泥の差だ。

 まぁ何をするにしても無駄にならない技術だと思って彼女たちに教えている、というわけだ。

 

 ちなみにだが、体術に関しては何も教えていない。というのも俺の体術や剣術は我流のものだから教えようがないのだ。

 俺はもともと様々な術式の知識を持っている。その量と深さは相当なものらしく、これまで俺以上にその類の知識を持っている人や妖怪に会ったことがない。

 にもかかわらず体術の知識は何故かほとんど持っていなかった。戦闘でしか使えないような術式はたくさん知っているのに、だ。

 なので今の俺の体術は目が覚めたあとに妖怪と戦う過程で習得したものなのだ。組み手などの相手になることはできるが、教えることはできない。

 

 訓練の時間以外は寺の前の掃除を手伝ったり雑談したりとのんびり過ごしている。ああ、星がなくした宝塔をナズーリンと一緒に探すのもほとんど日課になりつつあるな。

 都のほうにもよく行っているが、やっていることはいつもと同じだ。これまで一つ所に留まっているときは妖怪退治と医者の真似事をして暮らしていたので、癖のようなものになっているのかもしれない。

 

 

 

 それにしても、記憶を失う前の俺がどういう人間だったかさっぱりわからないな。

 

 

 

----------------------------------------

 

 

 

 妖怪寺で暮らして五年が経った。聖たちの修行は順調に進んでおり、もう俺が一つひとつ教えなくても自分たちで続けることができるだろう。

 できることはしたのでそろそろ旅を再開しようと思っている。これは聖たちにももう話しており、あと数日で旅に出る予定だ。

 

 だがその前に少し気になることがあった。それは都での妖怪寺の評判だ。

 都の人間たちに良く思われていないと思っていたのだが、その割には退治の依頼などが来ないのだ。

 相変わらず網代笠で白髪を隠しているため、無名の退治人だと思われているという可能性もあると言えばあるのだが。

 

 少し気になった俺は都の人たちに妖怪の被害を聞くついでに妖怪寺についてどう思っているのかを聞くことにした。

 とりあえずと思って近くにあった屋台に入る。そこそこ人気のある甘味処で俺もよく立ち寄っている場所だ。

 

「よう、邪魔するよ」

「お、網代笠の兄ちゃんか、いらっしゃい」

「いつもの団子二つほど貰えるか? あと土産用に同じのを十二ほど作ってくれ」

「はいよ、少々お待ちよ」

 

 ……言っておくが団子を食べに来たわけじゃないぞ。会話を円滑に進めるためには潤滑油が必要なのであって、この場合の潤滑油が団子というだけだ。

 

「ところで最近、何か妖怪絡みの面倒事はあったか?」

「ん~……特には聞かないな。平和なのはいいこった」

「全くだ」

「というか、まだそんなことを聞いて回ってるのか? 悪いこたぁ言わねぇからそういうのは専門家に任せな」

「俺がその専門家なんだがな」

「よく言うよ、まだまだ若い癖して。ほらよ、いつもの二つ」

「サンキュー、おやっさん」

 

 一本に三個刺さった串団子を二つ受け取り、一個頬張る。うん、相変わらず美味い。

 それにしても年下に若いと言われたり、年上をおやっさんと呼んだりと何だが変な感じだ。俺を二十前後の青年と勘違いしているこのおやっさんにそれを言っても流されるだけだろうが。

 

 妖怪に対抗できるようになるにはそれなりの時間を修行に費やさなければならないため、退治人には年を取っている者が多い。俺のことを退治人を名乗っているだけの若造と思ってしまうのも無理はないのだ。

 

「……ん。ところで、おやっさんは妖怪寺のことを知っているか?」

「ああ、この都に住んでいる人なら誰でもな」

「そんなに有名なのに退治の依頼は聞かないんだが」

「……ま、いろいろあってな」

 

 団子を飲み込んで本題に入ろうと聞いてみると、気になる反応が返ってきた。おやっさんは団子を作る手を緩めて、少し遠くを見るような目をしている。

 

「いろいろってのは?」

「……あんまり大きな声じゃ言えないが、あの寺にいる人に世話になった人がこの都には多いのさ」

「妖怪寺の人にか?」

 

 二個目の団子を口に入れながらおやっさんの話に集中する。妖怪寺の人というと聖のことだろうか。

 

「ああ。名前は聖白蓮……と言っても今じゃ本名だったかどうかはわからんけどな。この都にいたのはほんの数年だったが、与えた影響は大きい」

「何をしていたんだ?」

「いろいろさ。一言で言うなら人助けだな」

 

 人助けか。何とも聖らしいというか。

 

「いろんな人の悩みを聞いて、それを解決する手助けをしてくれた。この店の手伝いをしてくれたときもあったな、まだ親父が生きてたときの話だ。客としてもよく来てくれたよ」

「聖姉さんの話かい? ずいぶんと懐かしいね」

「聖姉さん……? 知ってるのか?」

「ああ、もちろん知っているよ。命の恩人だからね」

 

 おやっさんの話を聞いていると二つ隣に座っていた五、六十歳くらいの女性が会話に入ってきた。女性は団子の乗った皿を持って隣に座り、しみじみと話し始めた。

 少し周りを見ると、他の客もこの話に興味を持っているようだった。

 

「何があったんだ?」

「昔、私が何人かの友達と森で遊んでいたときの話なんだけど、遊びに夢中になっていつの間にか森の深くで迷子になったときがあったんだ。そして辺りも暗くなってきたころ、帰り道もわからずに歩き回っていたときに大きな獣に遭遇してしまった。もしかしたら妖怪の類だったのかもしれないね」

「大きな獣、か」

「ああ。その時、聖姉さんが助けに来て何か不思議な力でその獣を追い払ってくれたんだ。あとで聞いた話だと、都で私たちがいないっていう騒ぎを聞いて真っ先に探してくれたみたいだよ」

「懐かしいな、あの時の話か。もう何十年前のことだろうな」

「騒がしいから何事かと思ったっけなぁ。あとでその話を聞いてびっくりしたよ」

 

 女性の話を聞いていた周りの客も思い当たることがあったようだ。みんな口々にその時のことを思い返している。

 

「あの人は本当に頼りになる人だったよ。しっかりとしていて優しくて、それなのに時々子供っぽい一面も見せるものだから飽きない人だった」

「そうそう。まだ子供の俺たちに修行中の話をよく話していたな」

「同じ話を何度もするもんだから覚えちまったよ。ほとんどが白髪の仙人の話だったな」

「白髪の仙人?」

 

 唐突に自分の名前が出てきて少々驚く。そんな俺の反応を見たおやっさんが軽いため息を吐いている。

 

「なんだ、退治人を目指しているのに知らないのか?」

「あ、ああ、いや……まぁ、そうかな?」

「有名な退治人だよ。真っ白い髪に真っ黒い瞳、それで髪と同じ白い刀とボロボロの短刀を腰に差してるんだと」

「……何とも物騒な仙人だな」

 

 自分がどう噂されているのかを改めて確認してみると、常に刃物を持ち歩く物騒な人間のように聞こえる。

 ちなみにだが、刀を二つ持っているというのも噂になっているので、今は刀は仙郷にしまってある。

 

「まぁ見た目だけだと確かに物騒かもな。だけど刀はほとんど使わないらしいぞ」

「聞いた話だとただ立っているだけで勝っちまうらしい」

「なんだそりゃ」

 

 聖が広めたであろう話に呆れて肩を落とす。

 

 この人たちが聞いている話は間違いではない。俺は妖怪と対するときは刀よりも術を使って戦うことが多いので身体を動かす必要がほとんどないのだ。もちろん、相手が強い場合は前の聖との戦闘のときのように動き回るが。

 ただ立っているだけのように見えるかもしれないが、実際は術を使うのに忙しいというのが本当だ。

 

「……見てみな。こんな小さい店にたまたまいた連中ですら、あの人のことを知ってるんだ。あの人が与えた影響がどれだけ大きいかわかるだろ?」

「私たちにとっては大切な恩人。だから退治の依頼を出すはずもないわ」

「……なるほどな」

 

 気付けば店にいた客のほとんどが近くまでやってきて聖の話をしている。そしてその内容に憎しみや恐怖は一切なく、みんな楽しそうだ。

 彼らが妖怪寺に退治人を送らない理由はわかった。だがそれは……。

 

「…………ただ―――」

「直接聖と関わった人たち、つまりおやっさんたちが死んだあとは退治の依頼を出されてもおかしくはない、か」

「……そういうことだ。頭が回るな、兄ちゃん」

 

 それは聖と接点を持った彼らがいる間だけだ。もう百年もすれば聖がこの都でしたことを知っている人はいなくなるだろう。そうなれば、ただ妖怪というだけで排除の対象となってしまう。

 自分の予想が当たったことや褒められたことに少しも喜ぶ気にはなれず、思わず小さなため息を吐く。

 

「……なあ、兄ちゃん。少し頼みがあるんだ」

「なんだ?」

「もし兄ちゃんが将来強い退治人になったとしても、あの寺には手を出さないでくれないか?」

 

 少し俯いていた顔を上げておやっさんのほうを向く。いつもは少し軽薄っぽいおやっさんにしては珍しくまじめな顔をしている。

 その様子を感じてか周りで話していた他の客も静かになりこちらに注目している。

 

「……心配すんな、俺が退治するのは悪い妖怪だけだ。いい妖怪なら退治はしない」

 

 残っている団子を食べながら、いつも通りのセリフを言う。あの寺にいるのはいい妖怪だ、依頼があっても退治することはないだろう。

 俺がそう言うとおやっさんは少しぽかんとした顔をしたと思ったら、大声で笑い出した。

 

「……はっはっは! なんだ兄ちゃん、白髪の仙人と同じこと言ってるじゃねぇか。さては知ってたな?」

「あー、まぁな」

 

 本人だからな。

 

「さて、そろそろ俺は出るよ。話を聞かせてくれてありがとな」

「いんや、懐かしい話をできてよかったよ。ほら兄ちゃん、土産用の団子だ」

「サンキュー。お金ここに置いておくからな」

「はいよ。……ああ、兄ちゃん」

「ん?」

 

 土産用の団子を受け取り、空になった皿の横に代金を置いて立ち上がるとおやっさんに呼び止められた。見ると人差し指で自分の頭をちょいちょいと指さしている。

 

「次来るときはその鬱陶しい笠を脱いで来てくれよ。もう何回も言ってるんだからよ」

「気が向いたらな」

「またそれかよ」

「悪いな。じゃ、またな」

「はぁ、まいど」

 

 笠を被ったままでもちゃんと対応してくれるおやっさんには感謝している。本当は脱いだほうがいいんだろうが、これがなくなると余計に迷惑をかけるかもしれないので仕方ない。

 少し呆れているように見えるおやっさんに右手を上げて別れの挨拶をする。さて、土産も買ったし寺に帰るとしよう。

 

 

 

----------------------------------------

 

 

 

 日が沈みかけてきたころに寺に帰り、土産の団子を星たちに渡した俺は、聖だけ廊下に呼び出して都で聞いたこと話をした。

 

「……なるほど、今まで退治人がここに来なかったのはそういう理由ですか。それにしても、あの都にまだ私のことを友人と思ってくれている人がいるとは」

「ずいぶんと好かれていたようだな。話を聞きながら何回聖らしいと思ったことやら」

「私のやりたいことは変わりませんので」

「そうらしいな」

 

 妖怪の味方をしていると知っても変わらず聖を恩人と思い続けている彼らが、どれだけ聖を慕っているのかは説明する必要もない。

 そう思って笑んでしまったが、これからする本題には笑う暇はないかもしれない。

 

「だが、もう百年もすればあの都は変わるだろう。ここに退治人を送る未来はそう遠くない」

「…………」

「……何か考えはあるのか?」

 

 ここにいる妖怪たちが退治されるのは俺としても避けたいことだ。手伝えることがあるなら力になりたい。

 そう思って聖に問いかけたのだが、彼女はいつもの通り落ち着いたままだ。悲壮な雰囲気は微塵も感じられない。

 

「……ハクさんはあとどれくらいここにいる予定でしたっけ?」

「あと五日くらいって考えてるけど」

「もし、私たちが助けてほしいと言ったら?」

「百年でも二百年でもここ残って、解決策を考えるよ」

「優しいですね、本当に」

 

 くすくすと笑っている聖に少し困惑する。今何か笑う要素があっただろうか。

 

「ですが今回は大丈夫ですよ」

「む、そうか?」

「……これは私が乗り越えるべき課題です。人も妖怪も平等に救うという目標への」

 

 聖はそこで一度話を区切ると穏やかな表情のままゆっくりと目を閉じた。

 

「もしかしたら、ハクさんならこの諸々もあっという間に解決してしまうかもしれません。少なくとも私が何かをするよりも確実でしょう。それでも、私の自分勝手な想いのために……いえ、自分勝手な想いだからこそハクさんに手伝ってもらうわけにはいかないと思うんです」

 

 ……これを女性に対して感じるのはどうかと思うが、はっきりと告げる聖は今まで見たことがないくらいにカッコいいと思った。

 

「ハクさんはここのことは心配せず、予定通り旅を再開してください。あとのことは私たちに任せて」

「…………ああ、わかった。あとはお前たちを信じて任せよう」

「ええ、ありがとうございます」

 

 正直少し心配は残るが、彼女がここまで言うのなら任せるべきだろう。聖の目指す目標なんだ、関係のない俺が余計なおせっかいを焼くわけにはいかない。

 

「とは言え、やっぱり何もできないってのはもどかしいな」

「もう十分力になってくれましたよ」

「あー、訓練とかか?」

「もちろんそれもありますが……」

 

 ニコニコしている聖の言葉に首を傾げる。他に手伝ったことなんかあっただろうか。

 

「私と同じような考えを持っていた貴方と会えただけで嬉しかったんです。それまで妖怪と敵対していない人は見たことがありませんでしたから」

「俺だって妖怪を退治したことはあるぞ」

「いいえ、貴方が退治しているのは妖怪ではなく悪です。妖怪だから退治しているわけではない。そうでしょ?」

「まぁ……そうかもしれんが」

 

 俺は妖怪を退治したことはたくさんあるが、それらは例外なく悪事を働いた者に限る。それに、たとえ相手が人間でもそういう場面を見つけたら懲らしめるくらいはする。

 だがそれは特別なことではない。善をいいことだと思い、悪を悪いことだと思うのは普通なら当然のことなのだ。

 そう思って頭をぽりぽりとかきながら、一つ息を吐く。

 

「そんなヒーローみたいなものじゃないからな、俺は」

「私にとってはヒーローみたいなものですけどね、貴方は」

 

 ……何だか今日の聖はぐいぐい来るな。今もその辺の男なら簡単に惚れてしまいそうな笑顔で話している。

 まぁ褒められて悪い気はしない。俺は礼を言いながら聖の頭にぽんと手を乗せた。

 

「ありがとう。でも、みんなを救いたいって言っているお前のほうがヒーローっぽいと思うけど?」

「……言われてみれば、確かに」

「だろ?」

「……では、ハクさんも何か困り事がありましたら私に相談してくださいね」

 

 胸を張って若干ドヤ顔をしている聖に少し吹き出してしまった。いきなりノリノリすぎるだろ。

 俺の反応を見た聖は案の定不機嫌そうだ。リスのように膨らんでいる両頬をつつきたくなる衝動を何とか抑え、手を縦にして顔の前に持っていきながら謝る。

 

「悪い悪い」

「もう! ハクさんはいつも私をからかってばかりです!」

「それも悪い、ついな」

 

 つーんとそっぽを向いている聖にもう一度謝る。かわいいやつにはついそういうことをしてしまうのだ。好きな子に悪戯してしまう男子のようなものなのかもしれない。

 笑ったことで少し乱れた息を整えて、まだ少し不機嫌そうな聖の頭にもう一度手を乗せる。

 

「俺のことは心配するな。自分のことは極力自分でやるようにしているしな」

「……ハクさん?」

「だが、もし俺一人じゃどうにもできないような何かが起こったら、そのときは頼むな」

「……はい!」

 

 しっかりと返事をしてくれた聖に微笑みかけて頭をなでる。本当に好かれているようで嬉しくなってしまうな。

 ひとしきり頭をなでると聖とはそこで別れ、普段使わせてもらっている部屋に向かった。

 都を歩き回って少し疲れたから今日は早めに休んでしまおう。そう思いながら両腕を上げて伸びをした。

 

 

 

 

 

 

「…………」

「聖? 何か複雑そうな顔をしてどうしたんですか?」

「いえ、大したことではありません。ただ、あまりハクさんに頼られたことがないな、と」

「ハクは何でもできますもんね。いつかハクから頼られるくらいの強さと信頼を得たいですね」

「そうですね。ところで、星」

「はい? なんです聖?」

「口元に団子のたれが付いています」

「え!?」

 

 

 

----------------------------------------

 

 

 

 五日後、予定通り旅を再開することにした俺は妖怪寺の面々に挨拶をして山を下り、聖の話を聞いたあの都へと向かった。

 道中食べ歩くための団子を買っておこうと思い、いつも通っている甘味処ののれんを網代笠を被ったままくぐる。

 

「よう、邪魔するよ」

「お、網代笠の兄ちゃんか、いらっしゃい」

「……あれ、今日は客が少ないな?」

 

 いつもは十人程度いるはずの店の中が今日は俺一人しかいない。これは珍しい、というか初めて見る。

 

「ああ、そうだな。ま、そういう日もあるさ。今日が初めてじゃないし最後でもない」

 

 いつも通りの軽そうな感じで肩をすくめるおやっさん。どうしてこう言い回しがカッコいいんだ、今度真似しよう。

 

「……にしても兄ちゃん、今日は物騒だな。刀を二つもぶら下げてよ」

「ん、気にするな。友人にもらったものだから身につけてるだけだ」

 

 旅を再開するにあたって刀二つを腰に下げているのを見て、おやっさんが少し目を細める。

 だがそれほど警戒している様子もなく、しばらくすると一息吐いて茶を出してくれた。

 

「……まぁいいや。注文は?」

「いつもの団子を持ち帰り用に三十ほど頼む」

「三十? いつもより多いな」

「旅をしながら食べようと思ってな」

「旅……って、ここを出ていくのか兄ちゃん?」

「ああ。悪いけど、もうここには来ないかもな」

「なんだよ、そりゃ寂しくなるな。兄ちゃんは結構金を落としていったのにな」

「それ本当に寂しがってるのか?」

 

 それほど寂しくなさそうなおやっさんの軽口に少し笑ってしまう。別れのときでも暗い雰囲気よりこういう感じのほうがいいな。

 

「客が来ると思って作っておいたやつならあるんだが、それでいいか?」

「ああ、頼む」

「……兄ちゃん一人で食べるのか?」

「そうだけど」

「食いきれるのかよ。言うまでもないと思うけど早めに食べてくれよ」

「そこは心配するな、美味いうちに食べるよ」

 

 普通に考えたら団子三十個なんて一人で食べるには時間がかかる量だな。団子屋の店主としては作った団子は早めに食べてもらいたいのだろう。

 だが心配ない。すぐに食べるのは無理だが仙郷に置いておけば劣化はしないため、いつでもやわらかい団子を食べることができるのだ。仙郷マジ便利。

 

「旅に出ても退治人ごっこするのか? 危ねぇから専門家に任せなって」

「俺がその専門家なんだがな」

「まったく……」

 

 いつもと同じで全然信じる気配のないおやっさんに一周回って安心感を覚えながら茶を飲む。

 そうだ、おやっさんには話しておいたほうがいいかな。最初に話を聞いたのはおやっさんだからな。

 

「おやっさん」

「何だ?」

「聖なら大丈夫だ」

 

 ごくごく自然に放った俺の一言におやっさんの手が止まる。おやっさんはいつもより大きく見開いた目をゆっくりとこっちに向け、小さく口を開いた。

 

「……どういう意味だ?」

「そのまんまの意味だ。あいつらなら大丈夫、見た目よりずっと強い」

「……兄ちゃん、聖姉さんを知ってたのか?」

「古い知り合いだ、おやっさんたちが生まれる前からのな。俺もあいつには世話になった」

 

 俺は言いながら席を立つ。それを見たおやっさんがはっとして、最後の団子を包んで渡してくれた。だがその表情からは何が何だがわからないといった様が見て取れる。

 代金を置いて受け取った団子を仙郷にしまう。いきなり空間に亀裂が入り、その中に団子を入れている俺を見ておやっさんが口をあんぐりと開けている。

 

「ありがとよ、おやっさん。それじゃ……」

「……ま、待ってくれ兄ちゃん」

「ん?」

 

 店を出ようとしたらおやっさんに呼び止められた。もう来ないだろうと思っていろいろやりすぎたか?

 

「最後だっていうならその鬱陶しい笠を脱いでくれないか。もう何回も言ってるんだ」

「……ああ、そうだな。今まで悪かったな」

 

 一つ謝りながら頭に乗っている網代笠を取る。隠していた白髪を見たおやっさんの顔が見る見るうちに驚愕へと変わっていった。

 

「真っ白い髪……って、まさか兄ちゃん……白髪の……」

「ふふ……じゃあな、おやっさん。店頑張れよ」

 

 おやっさんの面白い反応を見れて満足した俺は今度こそ店を出た。網代笠を取ったままこの都を歩いたことはなかったので、視界が開けて何だか新鮮な気分だ。とは言え騒ぎになったら困るので再び網代笠を被り、都の外を目指す。

 ふらりふらりと足を進めながら、ふと先程買った団子を一つ仙郷から取り出し頬張った。

 

 

 

「……うん、美味い」

 

 

 




ちなみにこの時点で聖と一輪以外はハクを呼び捨てです。
聖はさん付け、一輪は様付けですね。聖のは修行時代の名残です。

次回、月人編……とでも言えばいいのかな?


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第二十三話 羞花閉月のお姫様

月人編、始まりです。


 

 とある都に絶世の美女が現れた。

 

 妖怪寺を離れ、また都や町を適当にぶらつく旅を再開してしばらく経ったころ、そんな噂が耳に入った。

 俺も男である以上こういう話には興味があるし、それでなくても今まで面白そうな噂を聞いたら首を突っ込んできた。

 だがこの噂を聞いたとき、俺は興味以上のものを感じた。上手くは言えないが、なんとなく行かなければならない気がしたのだ。

 勘というものはなかなか侮れない。そう思った俺は早速噂の場所へ向かうことにした。

 

 

 

「……あれか。話で聞いた場所に聞いた通りの屋敷、おまけに門の前に人だかりができている」

 

 噂の場所を聞いて回り見つけたその場所には少し大きめの屋敷があった。少し上から屋敷を確認した俺は誰にも見つからないよう、人のいない場所に降り立ち歩いて人だかりに近づいた。

 

「すまない。噂で聞いた絶世の美女とやらがいるのはここか?」

「ん? 確かにそうだが、あんたもかぐや姫を見に来たのか?」

「かぐや姫っていうのか……ああ、そうだ。ところで、どうして門の外で集まってるんだ? 中に入らないのか?」

「知らないのか。屋敷の中にはお偉いさんしか入れない上、かぐや姫は滅多に姿を現さないんだ。だからこうして覗き見ようとしているってことさ」

「何堂々と覗き見発言してんだ」

 

 集まっていた人の一人に話を聞いてみるが、ここが美女のいる屋敷で間違いないようだ。その美女の名は『かぐや』というらしい。屋敷の場所ばかり聞いていたので本人の情報はあまり聞いていなかったな。

 話を聞いた人の発言に少々呆れつつ、とりあえずと思って人をかき分け門の前まで行ってみると、門番が二人ほど立っていた。

 

「すまない。噂の美女を一目見たいんだが通してくれないか?」

「誰だ貴様。貴様のような怪しいやつを通すわけがないだろう」

「まぁ、そうだろうな」

 

 ダメもとで頼んでみたのだがやっぱりダメだった。険しい顔をする門番二人を見て思わず頬をかく。

 さて、どうしようか。屋敷の中に入るのは簡単だが、面倒は避けたい。門の上を飛んで入ったりすれば間違いなく騒ぎになるだろうな。

 

「失礼ですが、貴方もしや白髪の仙人ではないですか?」

「……どうしてそう思った?」

 

 いっそ仙郷を屋敷の中に繋げてしまおうかと考えていると後ろにいた人に話しかけられた。俺は今網代笠を被っているため白髪は見えないはずだが、どこか確信を持って聞いてきたように感じた。

 

「白と黒の二刀なんて珍しいものを持っていると思って下から覗いてみたら白髪が見えたもんで」

「何堂々と覗き見発言してんだ」

 

 ここの連中は覗きが趣味のやつらばかりなのか?

 正体がばれたおかげで少しざわめきが大きくなった気がする。もう意味はないかと思い、ため息を吐いてから網代笠を外して仙郷にしまった。

 

「ははは、これは失礼。それにしても仙人様もこういうことに興味があるんですな」

「確かに興味があってここに来たんだが、噂の美女に会えないとなるとどうしたものか。入っちゃダメかな、門番の人?」

「ぐ……せ、仙人様だったとしても容易にここを通すわけにはいかないのです。申し訳ありませんが……」

「んー、そうか。どうしようかな…………お?」

 

 顎に手を当ててこれからのことを考えていると、屋敷の門がゆっくりと開き始めた。俺は何もしてないし、門番を含めた他の人たちもその場から動いていない。

 何かと思って注視していると、ほんの少し開いた門の隙間から白くきれいな手がゆっくりと出てきた。

 

「……白髪の仙人と呼ばれる方。少しこちらに来てくださいな」

 

 門の内側から少し幼げながらも凛とした声が響いてきた。門の隙間から出ていた手はゆっくりと手招きをしている。おそらくかぐや姫本人だ。

 声の主はそれだけ言うと手を引っ込め、再び門を閉じた。ふと周りの様子を見ると、先程までのざわめきが嘘のように静かになっている。

 

「ここ通っていいか、門番の人?」

「…………ど、どうぞ……」

 

 なんとなくもう一度門番に許可を求めてみると、あっさりと承諾された。まぁ本人がいいと言っているのに通さないはずないわな。

 門番にひょいと手を上げて感謝の意を示してから浮き上がって門を超える。屋敷の中の庭に降り立つと同時に静かだった門の外側が騒がしくなった。ようやくみんな驚きによる金縛りが解けたようだ。

 その時間差を少し面白く感じながら意識を屋敷のほうに戻すと、一人の少女が立っているのが目に入った。

 

「初めまして。そしてようこそ、仙人さん」

 

 先程聞いた声が再び響く。鈴を転がすような声とはこういうもののことか、などということを考えながら挨拶をする彼女に合わせて俺も挨拶をする。

 

「初めまして。お招きどうも、かぐや姫」

 

 腰まで伸ばしたきれいな黒髪に、神に作られたかのような整った顔立ち。詳しい容姿は聞いていなくとも、その美しさは彼女が噂のかぐや姫であると確信するのには十分すぎるものだった。

 ただ、なんていうか……。

 

「ふふふ……。期待外れ、みたいな顔をしてるわね」

「あ、いや、そういうわけじゃないんだが……」

 

 確かに美しい。絶世の美女だという噂に間違いはなく、今なお門の外で男どもが騒いでいる原因が彼女を見るためだということにも納得ができる。

 納得できるのだが……若すぎる。最初に聞いた声と、門の隙間から出てきた手の大きさでなんとなく予想していたが、これは若いというより幼いの類なのではないだろうか。

 

「思っていたより、その……小っちゃいな」

「…………ぷっ、あははは! 正直にものを言う人なのね。今までそんなことを言う人はいなかったわ」

「む、すまない……」

 

 正直に感じたことを言うとかぐや姫は少しポカンとしたあと、吹き出すように笑い始めた。それを見て何だか少し気恥ずかしく感じ、ぽりぽりと頭をかく。

 噂ではかぐや姫はこれまでにたくさんの人から求婚されたという。相手を口説くときに「思ったより小さい」などと言う人は確かにいないだろうな。

 

「いえ、別に怒ってなんかないわ。むしろ遠慮なく話してくれて嬉しいくらい」

「そうか? ならいいんだが。申し遅れた、俺はハクという。白いって書いてハクだ」

「私は蓬莱山輝夜(ほうらいさんかぐや)よ。よろしく、ハク」

 

 お互い知っているのはせいぜい噂で聞いたことだけだろうと思い、簡単な自己紹介をして握手をする。想像していたお姫様より親しみやすい感じがするな。

 かぐや姫、改め輝夜のほうから手を出してきたのには少し驚いた。偏見かもしれないが、お姫様は自分からそういうことをするイメージがなかったからだ。

 少し経って手を離したあと、輝夜が俺を呼んだ理由を聞くことにした。

 

「それで、俺に何か用なのか?」

「あら、用があるのは貴方のほうじゃないの? 噂を聞いてわざわざここまで来たんでしょ?」

「あー、まぁそうなんだけど」

「貴方も求婚しに来たのかしら?」

「それは違う」

「…………そう即座に否定されると、それはそれで悲しいわね」

 

 輝夜が袖を目元に当てて泣いているふりをしているが、声色はむしろ嬉しそうな感じだ。多分求婚されてばかりで少し疲れていたのだろう。こう普通に話す人はあまりいなかったのかもしれない。

 

「ここに来たのは噂の美女を見ようとしたから、ていうのと……」

「いうのと?」

「それとは別に、なんとなく来たほうがいい気がしたから、だな」

「へぇー、面白いわね。それでどうしてそんな風に感じたかはわかった?」

「いや、わからん。というかまだその感覚が消えてないんだ。何とも変な気分だよ」

 

 かぐや姫のいる場所に行ったほうがいいという勘に従って来てみたが、到着した今もその感覚が消えない。例えるなら痒い所に手が届いたものの、いざかいてみると微妙に位置が違っていたような感じだろうか。

 それにしても、こんな勘の話をしても呆れられるだけかと思ったら普通に受け止められてしまった。素直な子だな。

 

「ともかく俺がここに来た理由はそんなとこだ。それで輝夜が俺を呼んだ理由は?」

「あ、そうそう。貴方にこの地上のことを教えてもらいたいなと思って」

「この地上のこと?」

「うん。見ての通り、私はあまり外に出られないからね。だから他の都や国でどういうことがあったのか、どういう人たちがいたのかってすごく興味があるの。噂で聞いたけどハクって長生きしているんでしょ? そういうことたくさん知ってると思って呼んだのよ」

 

 なるほど、箱入り娘らしい要求だな。確かに外のことを知りたいのなら、俺のような長年あちこち歩きまわった人間に聞くのは正しい判断だ。少し警戒心がなさすぎる気もするが。

 

「いいぞ。せっかくここまで来たんだから願い事の一つや二つ聞いてやる」

「ほんと? じゃあ早速、立ち話もなんだから入って入って! あ、おじいさんとおばあさんに話してこなきゃ! ちょっと待ってて。おじいさーん! おばあさーん!」

「……元気なやつだな」

 

 特に用事もなかったので輝夜の頼みを了承すると、途端にテンションが上がったようでバタバタしながら屋敷の中に入ってしまった。

 自分の中にあったお淑やかなお姫様のイメージが粉々になっていくのを感じながら小さく笑い、日が傾き赤く染まった空を見上げた。

 

 

 

「おお、輝夜の言う通りだ。まさか本物の仙人様に会える日が来ようとは……。ささ、どうぞお上がりください」

 

 しばらくすると、輝夜に呼ばれて二人の老人がやって来た。輝夜が言っていたおじいさんとおばあさんだろう。二人とも優しそうな雰囲気を纏っている。

 ただその優しさ故なのか、それともここにはいない輝夜が何か言ったのか、あっさりと俺を本人だと信じてしまった。話がややこしくなるのも勘弁ではあるが、こうも純粋だとそれはそれで心配してしまう。

 

「……輝夜にも思ったが、少し警戒心がないんじゃないのか? 初めて会ったばかりの旅人、それも男を噂の美女の住む屋敷に案内するってのはどうかと思うが」

「ははは、確かにその辺の男なら問題があるでしょうが、仙人様ならば大丈夫でしょう。それにもし本人ではなかったとしても、輝夜が連れてきた人なら何の心配もありますまい」

「輝夜を信頼してるんだな」

「子を疑う親はいませんよ、たとえ血が繋がっていなくともね。さあ、いつまでも仙人様を立たせておくわけにはいきません、どうぞ」

「ありがとう、邪魔するよ」

 

 この二人と輝夜が血縁関係にないということが少し気になったが、二人の穏やかな表情と言葉からは輝夜を心の底から大事にしていることがわかる。何があったかはわからないが、輝夜はいい人に出会ったようだ。そう思いながら、二人の言葉に甘えて屋敷に入った。

 二人と話しながら廊下を歩いていると、一つの部屋から輝夜がひょっこりと顔を出してきた。

 

「あ、やっと来たのね。じゃあこっちに来て!」

「おわっ、わかったから落ち着け」

 

 輝夜がニコニコしたまま近づいてきたと思ったら、着物の袖を引っ張って部屋に入るよう急かしてきた。輝夜に引っ張られながらおじいさんとおばあさんを見ると、輝夜以上にニコニコ笑顔で手を振っていた。

 されるがまま輝夜とともに部屋に入り、用意されていた座布団に座らせられる。内装は思っていたより質素なもので、落ち着くことのできる部屋だ。そう思っていると落ち着きのない輝夜が俺と向かい合うように座った。

 

「それではお願いしまーす」

「……何から話せばいいんだ?」

「もちろん何でもいいわよ。どういう場所でどういうことがあったのか、そこで貴方は何をして、どう思ったのか。貴方の主観で構わないわ、聞かせてちょうだい」

「何でもかぁ。そうだな…………なら、まずは俺が初めて訪れた人里の話をしようか。もう千年以上前のことだ、最初にその人里に着いたときは飛んでいたせいで妖怪と間違われてな……」

 

 目を閉じて、昔のことを思い出しながらゆっくりと話し始める。正面に座っている輝夜は相槌を打ちながら聞き入っているようだった。ここまで真剣に聞いてくれると話している俺としても嬉しいものだ。

 

 

 

「…………今日はここらにしておくか」

「え~! まだまだ聞き足りないわ!」

 

 話し始めてから四時間ほど経った。もう日は完全に沈み、かわりに青白く輝く満月が辺りを照らしている。もう遅い時間なのでそろそろお開きにしようと輝夜に提案したのだが、彼女はまだ満足していないらしい。

 ちなみに四時間ぶっ通しで話していたわけではなく、途中で休憩をはさんだりしている。

 

「もう子供は寝る時間だ。楽しんでくれたのなら、その楽しみを明日のためにとっておけ」

「む~、私は子供じゃないわよ。でもそうね、まだ時間はあるものね」

「そうだ。さて、よっこら……」

「? どこ行くの?」

「どこって……帰ろうかと」

「どこに? ていうか何で?」

「え?」

 

 輝夜が納得したところで一度屋敷から出ようと立ち上がると輝夜に引き留められた。ここは俺の家ではないので、用事が済んだら出ていくのは普通だと思うのだが。

 

「ハクってこの近くに宿でも借りてるの?」

「いや、借りてないが」

「じゃあどこに帰るの?」

「えーと、正確に言うと帰るというより明日になるまで出ていくだけだ」

「じゃあどうして出ていくの?」

「ここ、俺の家じゃないから。ずっとここにいるのはおじいさんとおばあさんにも悪いだろ」

「そうかしら? むしろ二人なら―――」

 

 輝夜が何かを言いかけていたときに襖がすーっと開かれた。何かと思って見ると、布団やら枕やらを持ったおじいさんとおばあさんが部屋に入ってきた。

 

「お二人とも、話はそれくらいにしておいてそろそろ休んだほうが…………どうしました?」

「……二人ならハクを泊める気満々だと思うけど?」

「……そうみたいだな」

 

 俺と輝夜のやり取りに不思議そうな顔をしている二人と、ドヤ顔している輝夜を見て呆れ笑いがこぼれる。

 少し驚いたが泊めてくれるというのならありがたく泊めさせてもらおう。

 

「泊めてくれるのは助かるけど、ここって輝夜の部屋じゃないのか? どうしてここに寝具を?」

「おや? さっき輝夜が仙人様と一緒に寝たいと言っていましたが……聞いてませんか?」

「聞いてません」

 

 さっき、というとおそらく最初に輝夜がこの二人を呼びに行ったときか。この子、最初から俺をここに泊めるつもりだったのか。恐ろしい子……!

 この二人が泊めるつもりだったというより、輝夜のわがままを聞いてくれただけではないのか。そう思い輝夜のほうを見ると、目を逸らしながら唇を尖らせてヒューヒューと鳴りもしない口笛を吹いていた。

 

「ま、まあいいじゃない。おじいさんもおばあさんも貴方にいてほしいっていうのは嘘じゃないと思うわ。ね?」

「それはもちろん。それに仙人様でなくても宿無しの旅人をこんな時間に外に追い出すというのはいささか抵抗がありますよ」

「……ありがとう。世話になるよ」

「ええ、ゆっくり休んでいってください」

 

 心優しい二人に感謝と尊敬の念をもって礼を言う。何故この二人に育てられた輝夜があんなお転婆になったのだ。疑問である。

 持ってきてくれた寝具を受け取ると二人は輝夜にお休みと言って部屋を出て行った。

 

「……寝るか」

「はーい」

 

 元気よく返事をしながら自分の布団を取り出す輝夜。いろいろ振り回された気がするが、ああも楽しそうにしていると小言を言う気にもなれなくなる。

 俺も貸してもらった布団を敷いていると、輝夜が自分の布団を俺の布団にぴったりとくっつけてきた。顔を上げて横にいる輝夜を見ると同じくこちらを見ていた輝夜と目が合った。そのまま見つめ合っていたが、しばらくするとどちらからともなく笑い出した。

 

 敷き終わった布団に寝そべる。柔らかな感触と清潔な布団特有の落ち着く匂いが心地よい。しばらくすると別の部屋で寝巻きに着替えてきた輝夜が隣までやってきて同じように寝転がった。

 

「昼は暖かくなってきたが夜は冷えるからちゃんと布団被れよー」

「また子供扱いしてない?」

「これくらい、相手が誰でも言うよ」

「ふふ……そうね。貴方は何だか私の知り合いに似てる気がするわ……。こう、雰囲気……というか…………」

「そうか、じゃあ安心して寝ろ」

「ええ……、お休みなさい…………」

「ああ、お休み」

 

 うとうとし始めた輝夜に布団をかけてロウソクの火を消し、自分も布団を被る。

 一つ息を吐いてから横ですでに寝息を立てている輝夜を見る。それにしても不思議な少女だ。見た目や行動は無邪気な少女のそれだが、なんとなく年不相応な雰囲気も感じとれる。

 いつか彼女自身の話も聞きたいと思いながら目を閉じた。最近動きっぱなしだったからぐっすり眠れそうだ。

 

 

 




輝夜は初対面でハクを警戒しなかった珍しい人物でしたね。
うん……ハクいつもかわいそうだなw


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第二十四話 月人

最短サブタイトル。


 

 輝夜のいる屋敷に世話になることになった次の日から、家事やら何やらを手伝いつつ輝夜に話を聞かせるという生活が始まった。

 この屋敷はそこそこ広いのに使用人は数人しかいないため、家事をこなすのはそれなりに大変だった。空いた時間のほとんどは輝夜と一緒にいるようにしていたため、都に出掛けることもあまりなくなっていた。

 妖怪退治や医者の真似事をせず、家に引きこもっている状態になったわけだが、これはこれで新鮮で面白かった。これだけ聞くとダメ人間のように聞こえるかもしれないが、むしろ今までいろいろなところに移動しすぎだったのだ。これくらいは許してほしい。

 

 それでも少し噂を聞く機会はあったのだが、俺が輝夜と同じ屋敷で暮らしているという噂は出回っていないようだ。確かに最初は輝夜直々に屋敷に入るように言われはしたが、そこから同居しているとまで考えがいくのは難しいかもしれない。事実、俺も最初は帰ろうとしたわけだし。

 それに俺自身もそういう噂が出ないように気をつけていたというのもある。例えば外出する際は仙郷を使って直接目的地に移動するなどして、輝夜のいる屋敷から直接出ないようにしているのだ。

 理由は単純。周りからいろいろ言われたくないからだ。絶世の美女と一つ屋根の下と聞いて、今まで輝夜に求婚していた男が黙っているはずもない。妬み嫉みを向けられるのは御免、というわけだ。

 

 

 

 そんなこんなで、輝夜にこれまで俺が体験した出来事を語るようになってから約一年が経った。

 それなりに長生きしているため簡単に話題が尽きることはなく、輝夜も飽きる様子はない。端的に言うと楽しい生活を送っていた。

 

 しかし、最近輝夜の様子がどうもおかしい。話を聞いているときは変わらず楽しそうなのだが、たまにその表情に影が差す。

 当然気になりはしたのだが、輝夜自身もどうするべきか考えているようだったので下手に聞きだしたりはしないほうがいいと思い、できるだけいつもと同じように過ごすことにしていた。

 

 

 

「―――と、この村で起こった出来事はこんなものだな。きりがいいから今日はここまでにするか」

「えー、もう少しいいじゃない。いつもより一時間も早いわ」

 

 いつも通り、寝る前の数時間を使って輝夜に話を聞かせている。ただ今日はいつもと違い、早めに話を切り上げることにした。それを輝夜に伝えると頬を膨らませて如何にも不機嫌ですという顔をしている。

 

「たまにはこんな日があってもいいだろ。別に焦る必要もないし」

「…………そう、かもね、うん。それじゃ早いけど寝ましょうか、もう用意はしてあるし」

「よし、そうするか」

 

 輝夜の返答が遅れたことに少し違和感を持ったが、俺の提案を素直に聞いてくれたのでとりあえずこの違和感は置いておくことにした。

 

 すでに布団は敷いてあり、俺も輝夜も寝巻きに着替えているため、さっさと布団に入る。ロウソクの火を消し、目を閉じて眠ろうとしていると輝夜が袖を摘まんできた。

 

「ねぇ、ハクのお話はいつ終わるの?」

「何だ、さすがに一年も同じ視点からの話を聞き続けてきたから飽きたか?」

「あ、ううん、そうじゃないの。むしろその逆なのよ」

「逆?」

 

 遠回しに飽きてきたと言われているのかと思ったがどうやら違うらしい。何気に心にダメージを負うところだった。

 だが逆とはどういうことだ? 『話が面白いから早く終わってほしい』ということなら少しおかしい気がするが。

 

「ハクの話はすごく楽しいわ。それこそ一日、いえ、一年中聞いていても飽きないくらい。だから最後まで聞けないのが……」

「…………?」

「……ハクの話はたくさん聞かせてもらったものね。良ければ次は私の話を聞いてくれるかしら?」

「……もちろん」

 

 そう言うと、輝夜は上を向いて語り出した。ほとんど聞いたことのない輝夜自身の物語りだ。俺も同じように上を向き、ゆっくりと語り出す輝夜の話に耳を傾けた。

 

 

 

 輝夜の話を要約するとこうだ。

 まず彼女はこの星出身ではなく、月からやって来た『月の民』、もしくは『月人』だそうだ。月の民とは、もともとは地上に住んでいたのだが寿命が発生すると言われる『穢れ』から逃れるために月に移住した人々のことだ。現在は穢れのない月にいるため、寿命はほとんど無限らしい。

 輝夜も月に住んでいたのだが、不老不死となれる霊薬『蓬莱の薬』を飲んだことをきっかけに地上に落とされたとのことだ。

 

「蓬莱の薬は飲むと穢れが発生するの。穢れは月の民が最も忌避するもの。だから薬を飲んだ者は重罪となり地上へ流刑されるのよ。月の民から見た地上は罪人が堕ちる監獄だからね」

「……何でまたそんなものを」

「別に不老不死になりたかったわけじゃないわ。地上に来たかったから飲んだのよ」

「……なるほどな」

 

 つまり彼女は流刑目的で不老不死となった、というわけだ。大胆なことをするお姫様である。

 おじいさんとおばあさんの二人と輝夜が血縁関係にない理由もこれでわかったな。

 

「……でももうすぐ刑期が終わる。そうすれば月からお迎えが来て、私は月に戻されるわ。いい待遇はないでしょうね」

「もうすぐってどれくらいだ?」

「あと、三ヶ月」

「……もう時間がないな」

「ええ……。ハクの話は楽しかったから、最後まで聞けないのが残念だわ」

 

 なるほど、さっきのはそういうことか。ある意味『話が面白いから早く終わってほしい』というのは間違いではなかったらしい。正確には『自分がいるうちに終わってほしい』ということらしいが。

 

「それでも、ここに来れて私は満足だわ。優しい人に会えて楽しい話を聞けて。でもおじいさんとおばあさんには迷惑ばかりかけちゃったわね、それも少し心残りだわ」

「……輝夜」

「なに?」

 

 すでに月へ帰ることが決まっているというような輝夜の言葉を聞き、少しばかり胸がもやつく。

 俺は袖を摘まんでいた輝夜の手を包むように握ると、横にいる輝夜と目を合わせた。少し顔が赤い気がするが体調が悪いわけではないようなのでこのまま話そう。

 

「は、ハク……?」

「これはまだ話していない出来事なんだが、ここに来る前に世話になったやつも少し問題を抱えていたんだ」

「え……?」

「そいつ曰く、俺ならその問題を解決することができたかもしれないらしい。でもそいつは助けを求めなかった。だから俺も助けなかった」

「…………」

「ではどうしてそいつは助けを求めなかったのか。それはそいつがその問題を自分自身で解決するべきものだと感じていたからだ。自分が望んで願って求めた想いだから自分自身で何とかしたかったんだろう」

「へぇ……」

「要するにそいつが自分でやりたかったから助けを求めなかったんだ。本当にすごいやつだと思ったよ」

 

 俺が話しているのは聖のことだ。確かにあのとき、俺の名前を出して都の人たちを説得するなり騙すなりすれば、妖怪寺に退治人が来るという未来をかなり先延ばしにすることができたはずだ。

 だが聖はそれをさせなかった。その問題は自分が解決したいと言い、俺はそれに納得しすべて任せることにした。その判断を俺は後悔していない。

 

「だけど、輝夜のそれは少し違うだろ?」

「え……?」

「俺には輝夜がここを離れて、あの二人とも別れて、月に帰ってしまうのを『仕方なく』しようとしているように感じる」

 

 そう。聖は自分がやりたくてやった。だが輝夜はやりたくないことをやろうとしているようにしか見えないのだ。

 輝夜にそう伝えると一瞬手を握る力が増した。

 

「もしお前がまだまだ地上にいたいというのなら、俺が全力で手助けしてやる。俺としても、まだ輝夜と別れたくないしな」

「……そう言ってくれるのは嬉しいけど…………でも無理よ……」

「無理? どうして?」

「月と地上では差がありすぎるのよ。戦闘能力も科学技術も格が違うわ。私も月人だけど複数人を相手にするのはさすがに厳しいの。それに貴方にも迷惑がかかる……」

「別に迷惑なんかじゃないさ。個人的にも月の民っていうやつらには思うところがあるしな」

「……ハク、何か怒ってる?」

「いや、全然」

 

 恐る恐るといった感じで聞いてきた輝夜に小さく首を振って答える。どうして輝夜がそう思ったのか全然わからないなー、別に怒ってないのにー。

 

「まぁ任せておけ。どうすればお迎えとやらから逃げられるかはもう考えてある」

「え? も、もう?」

「ああ。さぁどうする? あとは輝夜がどうしたいか言うだけだぞ。月に帰りたいのか、ここに残りたいのか」

「あ…………」

「何だよ、もう俺と一緒にいるのは飽きたのか? 俺はまだまだ話し足りないんだがな」

「……そういう言い方、すごくずるいわ」

 

 輝夜はそう言ってジト目で睨んできたかと思うと、自分の布団から出て俺の布団に入ってきた。そのまま俺の体に腕を回して額を胸元にくっ付けている。

 

「私はまだ地上にいたいわ。ハク、助けてくれる?」

「当然だ、任せろ」

「……今日は一緒の布団で寝てもいいかしら?」

「ああ、いいぞ」

「腕枕してくれる?」

「わがまま言うようになってきたな。そのほうが輝夜らしいぞ」

「むぅ……うるさいわよ」

 

 抱き着いたままの輝夜の頭をなでながらそう言うと、輝夜は少し不機嫌そうな声を出しながら抱き着く腕の力を強めた。少しばかり苦しくなったが、それよりもその腕が微かに震えているように感じたのが印象的だった。

 

 いつもより早めに寝るはずだったのだが、気付けばすでに空が白んできている。今から寝るとすると二人とも昼過ぎまで起きれなさそうだな。

 ま、今日くらい寝坊してもいいだろう、輝夜も話し疲れているだろうしな。

 俺はそう思い輝夜に腕枕をしながら頭をなでた。とりあえず、横から聞こえる押し殺したような泣き声が止むまでは続けることにしよう。

 

 

 

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 そして三ヶ月後。輝夜の言う月からの使者がやってくるという日となった。時刻はすっかり夜で、空には煌々と輝く満月が浮かんでいる。

 俺と輝夜は屋敷の中で月の使者を待っているわけだが、屋敷の外にも彼らを待っている人たち……というか軍勢がいる。未だ輝夜との婚約を諦めていない帝に送られた軍だ。

 輝夜自身が今日この日に月から迎えが来ると広めていたからなのだが、彼女によると刀や弓では月の使者は倒せず、それどころか攻撃しようとも思えなくなるらしい。

 

 俺は今のところ戦うつもりはなく、できれば話し合いで解決したいと思っている。月の民の考え方に少し思うところがあったのは事実だか、今それは些細なことだ。誰も血を流さない方法があるならそのほうがいい。

 それでも念のため、ということで準備はしてある。おじいさんとおばあさんも別の場所に避難済みだ。この準備が無駄になることを願うね。

 

「そろそろよ」

「ああ」

 

 目を閉じて意識を集中する。この屋敷の周辺に今のところおかしな気配はないが、何故か心がざわつくような感覚を感じていた。

 緊張とはまた違うその感覚は、俺がここに来る要因となった勘によく似ている気がした。

 

「…………!」

 

 ゾクッ。

 

 広範囲に力の探知を行っていた俺は、屋敷の上から発せられる異常な力を感じて全身に鳥肌が立った。同時に屋敷の外にいる兵士たちがざわつき始めたようだ。

 

「……来たわね」

 

 輝夜がぽつりとそう呟いたのを聞いて、小さく頷いた。

 

 下りてくる気配は五つ。どれも強力だが、そのうちの一つが桁違いに大きい。リーダーか何かだろうか。これは俺では絶対に勝てないと断言できる。

 ますます戦いたくないなと思いながら輝夜を見ると、目を見開き使者がいるであろう方向を見ていた。

 

「…………この感じ……もしかして……」

「どうした、輝夜?」

「……多分、知り合いが一緒に来てる。あの一際大きい力は永琳(えいりん)のものだわ」

 

 輝夜が驚いていた理由はどうやら月の使者の中に知り合いがいたかららしい。

 永琳―――八意永琳(やごころえいりん)という名前は俺も輝夜から何度か聞いたことがある。輝夜が飲んだ蓬莱の薬を作った人物で、彼女の教育係も務めていたそうだ。

 輝夜と関係が深い人物か、どうしたものか。

 

「……ハク、まずは私に話をさせてくれないかしら? もしかしたら永琳なら……」

「大切な人なんだろ? 最終的にどうするにしても、話はすべきだと思う。だから気にせず行ってこい」

「……ありがとう、ハク」

 

 輝夜はそう言うとゆっくりと立ち上がり、庭に出た。俺も輝夜のあとを追い、ゆっくりと下りてくる彼らを見る。

 雲のようなものに乗ってきた月の使者は五人。そのうち四人は似たような服装をしているが、一人だけ服装も雰囲気もまるで違う女性がいる。他を圧倒する威圧感を持っているのはこの人だ。なるほどこれでは攻撃する気も失せるだろうな。事実、外にいるはずの兵士による攻撃はおろか、先程までは聞こえてきた話し声すら今はまともに聞こえない。

 下りてきた彼らは地上に足をつけるわけではなく、地面から少し離れた場所で止まった。

 

「お迎えに参りました、かぐや姫。さあ、月に戻りましょう」

「その前に永琳に話がしたいわ。いるんでしょう?」

「……ええ、どうぞ」

 

 一人の男が輝夜に話しかけている。話し方は丁寧なのだが、なんとなく見下しているというか嫌悪感を持った声に聞こえた。

 輝夜が永琳に用件があるというと、五人の中心にいた女性が地面に下りてきた。長い銀髪に左右で色が分かれている特殊な配色の服を着ている、他の四人とは違う女性だ。彼女が輝夜の知り合いの永琳、ということだろう。

 

「輝夜……」

「永琳、貴方も来てたのね」

「ええ、もちろんよ。こうなってしまった原因は私にあるもの。来るのは当然だわ」

「何言っているのよ、私が頼んでこうなったのよ。これは私が望んだことなの、永琳が気に病む必要はまったくないわ」

「それでも……」

 

 彼女はどうやら輝夜の今の状況に相当責任を感じているらしい。それが蓬莱の薬による不老不死のことなのか、地上に落とされるという処罰のことなのか、もしくはその両方のことなのかはわからないが。

 

「私が罪を作らせてしまったことには変わらないわ。だからこの罪を償うためなら私は―――」

「ほんと!? 話が早くて助かるわ、さすが永琳!」

「……え?」

 

 俺たちの周りを漂っていた暗く重い雰囲気が、輝夜の歓声によって吹き飛ばされた。話していた女性はもちろん、他の使者四人も突然の雰囲気の変わりように口を半開きにして驚いている。

 

「えっと……輝夜?」

「ハク、私永琳とも一緒にいたいわ! 永琳も連れて行きましょうよ!」

「あー……彼女の意思は?」

「今何でもするって言ったじゃない! ね、永琳?」

「え、言ってないけど……でも輝夜が望むなら何でもするつもりよ」

 

 大はしゃぎする輝夜に押され気味ではあるが、銀髪の女性が輝夜の言葉を肯定する。輝夜が帰りたくないと言えば、彼女は輝夜を逃がすことも簡単にしそうだな。

 なら一緒に連れて行ってもいいかと考えていると、他の使者が二人に近づいた。

 

「お二人とも。何をするつもりか知りませんが、それが許されないことだとわかっているでしょう。我々は今すぐかぐや姫を連れて帰らねばならないのです」

「…………」

「勝手にここに送っておいて、今度は無理矢理連れ帰ろうってか。ちょっと自分勝手じゃないか?」

「……先程から気になっていたが、貴様は誰だ? 何故かぐや姫とともにいる?」

 

 彼らの身勝手な発言が気になった俺は、月の使者に近づいた。今まで敬語で話していた彼らだが、どうやら俺相手には威圧感と嫌悪感をむき出しにして話すらしい。

 

「俺はただの地上人で輝夜の友人、それだけだ」

「友人? 貴様のような穢れた地の住人が、月の民であるかぐや姫と友人だと? 我ら月人もなめられたものだな」

「……こりゃ予想以上だ」

 

 月の使者は心底馬鹿にしたような笑い声を上げ、鋭く睨みつけてきた。そんな彼らの様子を見て、怒りを通り越して呆れてしまった。

 

「争いたいわけじゃない。できれば話し合いで解決したいんだが……」

「話し合いだと? 地上の咎人と話すことなど何もない」

「そう言うと思った。じゃあ話し合いはなしだ。お前らはそこでそうしてろ」

 

 これはダメだな。話も聞かないようなやつらの相手などするつもりはない。自尊心の高すぎるやつはこれだから困る。

 俺は白孔雀を鞘から抜いて、溜め込んでいた生命力をすべて解放した。月の使者たちが反応するよりも速く彼らの周囲に結界を展開し、身動きできない状態にした。

 

「な、何だこれは!?」

「この結界は……!?」

「ふざけるな! すぐに破壊してやる!」

「いんや、お前らには無理だ」

「何だと!? なめるなよ下郎!」

 

 四人仲良く結界に攻撃しているが、結界はびくともしない。当然だ、これまでに作ってきた結界とは格が違う。

 

「その結界は数百年分の俺の力に加えて、輝夜の力も借りて作った結界だ。お前ら四人でも破壊は不可能だ」

「な、に……!?」

「さて、俺たちはもう行くよ。実力行使になったのは残念だったがな」

「ま、待ちやがれ……!」

 

 彼らの制止する声を無視して自分と輝夜、銀髪の女性の足元に仙郷の入り口を開く。

 穏やかに終わらなかったのは残念だが、輝夜を月の使者から逃がすことには成功した。喜ぶのには十分な理由だろう。次にもし月の民と関わることがあったら、ゆっくり話したいものだがな。

 そう思いながら結界内で暴れている月の使者を尻目に仙郷へと移動した。

 

 

 

「ハク、やっぱり何か怒ってたでしょ」

 

 仙郷に着いて早々、輝夜がそう言った。三ヶ月前にも同じようなことを言われたが、今回は疑問形ではなく断定してきた。

 

「…………まぁ、少しだけ、な」

「やっぱり」

「ちなみに、どうしてそう思ったか聞いていいか?」

「いつものハクと違ったもの。いつものハクならもう少し相手と話そうとしたでしょ? なのに今回はさっさと話を切り上げて実力行使にでた。そんなの、今まで聞いてきたハクの話でもなかったわ」

 

 確かに、いつもの俺と比べると少々短気だったかもしれない。怒ったり悲しんだりしてもそれを表に出さないようにしているのだが、まだまだ完璧とは程遠いらしい。

 

「でもどうして怒ってたのかはわからないわ。ハクがあんな挑発に乗るとも思えないし……」

「大した理由はない。ただ、俺の好きなものを貶されたからってだけだ。単純だろ?」

「え……す、好きなものって……も、もしかして……」

 

 頭をぽりぽりとかきながら輝夜に簡単に説明をする。何故か輝夜が顔を赤くしてもじもじし始めたがどうしたんだろう。よくわからないが、放っておいても問題なさそうな気がする。

 

「俺は地上(ここ)が結構好きなんだ。確かに人間には寿命があり、今いる人たちも百年後にはほとんどいなくなる。知識や能力、技術力なんかも月の民よりも遥かに劣る」

 

 今の人間の寿命は百年もない。その寿命の短さ故にあらゆる点で月の民に劣るものがある。不老である彼らは際限なく知識を蓄え、力をつけることができるからだ。

 普通に考えれば地上人より月の民のほうが圧倒的に能力が高い。それでも地上が好きなのは、月の民より地上人のほうが勝っている部分もあるからだ。

 

「だが、地上人は月の民のように不老ではない故に未来に繋ぐ力を持っている。それに閉鎖的な彼らと比べてここは新鮮だ。記憶を共有している人がいなくなるのは寂しいが、それ以上に楽しいんだ」

 

 寿命があるからこそ、誰かに託したり繋げたりすることは地上人のほうが上手いだろう。そして一人一人の力は弱いからこそ、周りから協力してもらって新しいものを発見するというのは見ていて楽しい。

 

「たとえそこに…………どうした輝夜?」

「べ・つ・にー? 何でもないですよーだ」

 

 自分の考えを話していると先程までニヨニヨしていた輝夜が急に不機嫌になった。少し疑問に思ったが、今の俺の話だと月の民は嫌いで地上人のほうがいいと言っているように聞こえる。月の民である輝夜が聞けば不機嫌にもなるか。

 

「あー……いや、別に月の民が嫌いというわけではないぞ。輝夜のことは好きだし」

「むぅ、それはもう少し早く聞きたかったわね。まぁいいわ」

「はは……。……あ、悪い。すっかり忘れてた」

 

 輝夜の機嫌がある程度直ったことに安心していると、ふと今のこの仙郷にはもう一人月の民がいることを思い出した。自分から呼んでおいて忘れるとか失礼すぎるな。

 きちんと謝ろうと思い、輝夜の連れてきた月の民である銀髪の女性を見ると、彼女のほうもこちらを見ていた。

 

 それだけならよかったのだが―――。

 

「…………あ、なた……は……」

 

 両の目を大きく開き、手で隠した口から漏れ出た声は途切れ途切れで聞き取ることが難しい。呼吸することすら忘れてしまったのかとも思えるほど青ざめた表情は、誰がどう見ても『驚愕』の表情だった。

 

「え、永琳? どうしたの、大丈夫?」

「…………あ、か、輝夜……。え、ええ……大丈夫よ……」

「とてもそうは見えないけど……」

 

 輝夜が銀髪の女性の背中をさすりながら、顔色をうかがっている。女性は大丈夫だと言うが、初対面の俺から見ても絶好調には見えない。

 

「悪いな。急にこんな場所に来てびっくりしただろう。現実味のない真っ白い空間だが害はないから心配いらないぞ」

「い、いえ……そうではないの……」

 

 他の仙人の仙郷がどういうものかは知らないが、俺の仙郷は一面真っ白な空間である。今はそこらに大量の荷物があるため馴染みやすいが、初めてこの空間を見たときは上も下も真っ白なせいで軽くめまいがしたものだ。

 彼女の不調もこの仙郷の現実離れした光景のせいかと思ったが、どうやらそういうわけではないらしい。

 しばらくして、女性が一つ深呼吸をした。輝夜に背中をさすられていたおかげか大分落ち着いたらしく、顔色ももとに戻ってきている。

 

「……はぁ。ごめんなさい、取り乱してしまって。輝夜もありがとう」

「落ち着いてよかったわ。でも永琳があんなになるなんて珍しいわね」

「ええ、そうね。本当にそうだわ」

 

 女性が苦笑しながら輝夜に礼を言う。輝夜の話では彼女があそこまで驚くのは珍しいようだ。確かに月の使者のリーダーのようだったし、彼女自身も落ち着いた雰囲気を持っているから、あまり驚くことがないというのも納得だ。

 彼女が何に驚いていたのかは気になるが、その前にやることがある。

 

「自己紹介が遅れたな。俺はハク、白いって書いてハクだ。輝夜とは一年と少し前に会ってな、一緒に住んでたんだ」

「……ハク、ハクね。わかったわ」

 

 落ち着いたのを見計らって自己紹介をする。女性は俺の名前を数回呟いてゆっくりと頷いた。しばらくすると女性は少し前に出ながら小さく口を開いた。

 

「私は……私の名前は、八意××、よ」

 

 ……え? 今何と言った?

 

「え、永琳? それは……」

 

 彼女が言った自身の名前は聞きなれないもので、思わず呆けてしまった。今までたくさんの人と会ってきた俺だが、そんな発音は聞いたことがない。というか、名前は永琳ではなかったのか?

 輝夜も戸惑っているようだが、それは彼女の名前が聞きなれないものだったから、というわけではないようだ。

 ともかく、人の名前を間違えるのは失礼だ。いろいろな疑問は横に置いておいて確認をしようと思い、彼女に向かって口を開いた。

 

 

 

「えっと……八意××、で合ってるか?」

 

 

 

 そう口にした瞬間、二人の表情が変わった。

 

「……は、ハク? 今、何て……」

「……やっぱり、ね……」

 

 輝夜は驚愕の表情に、銀髪の女性は納得と悲痛の混じった表情になり、こちらを見てきた。その二人の突然の変わりように驚き、一歩後ずさってしまった。

 

「な、何だ? 何か変なこと言ったか?」

「……ハク。貴方、自覚がないの?」

「自覚? 一体何についてのだ?」

「貴方が今言ったことのよ」

 

 俺が今言ったこと、それは銀髪の女性の名前だ。それ以外に考えられないが、この驚きようの理由がわからない。

 

「彼女の名前を言った、八意××と。……それが何かマズいのか?」

「何かおかしいと思わなかったの?」

「……名前は永琳ではないのかとは思った。あとは聞きなれない発音だとも……」

「でも貴方は発音できた。それが問題なのよ」

 

 輝夜の質問に答えていると、銀髪の女性が会話に入ってきた。自然と彼女のほうを見ると小さく頭を下げてきた。

 

「私の名前は××で合っているわ。だけど八意永琳と名乗ることが多いから、貴方も私を呼ぶときはこっちでお願いするわ。それに前者だと地上では通じないから」

「あ、ああ、わかった。だが通じないとはどういうことだ?」

「言葉通りの意味よ。地上人にはこの発音は通じない。聞き取ることはできるけど何を言っているのか理解することはできないの。故に発音することもできない」

 

 どういうことだ? 確かに彼女の名前は聞きなれない発音ではあったが、それはあくまで聞きなれないというだけだ。地上人には通じないと彼女は言ったが、永琳の別の名前だということは理解したし発音することもできる。今まで聞かなかったから馴染みがないというだけで、俺には普通に通じているわけで―――

 

 

 

 いや、待て。『地上人には』?

 

 

 

「そう、地上人には発音できないの。このことに例外はないわ。逆に言えばこの発音ができる者は……」

 

 俺の考えを察したように永琳が口を開く。目を閉じ、眉をひそめているその表情は何かをこらえているようにも見えた。

 

「……貴方が何故そのことを知らないのか、何があったのかは私にはわからない」

 

 少し俯いていた顔をゆっくりと上げ、それと同じように瞼をゆっくりと開く。

 

「わからないけれど、これだけは断言できる」

 

 彼女が俺を真っすぐに見据え、少しの間をおいてはっきりとこう告げた。

 

 

 

 

 

 

「貴方は、月人よ」

 

 

 

 

 

 




故に、月人編なのです。


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第二十五話 終わり良ければ

ほとんどが説明・解説です。


 

「…………月人」

 

 しばしの沈黙のあと、彼女から言われたことをまだ理解しきれなかった俺は、呆然としながら彼女の言葉の一部を呟くように繰り返した。

 

「そう。月人、月の民。かつては地上に住んでいたけど、穢れによる寿命の発生から逃れるために月に移住した人々、そしてその子孫たちの総称。私や輝夜の同胞。そして貴方自身」

 

 俺の呟きを聞いた永琳はゆっくりと頷きながら説明した。前に輝夜に聞いたものと同じ内容ではあったが、最後の一言が付け加えられただけでその意味が大きく違って聞こえた。

 

「……ハク、どうして隠してたの……?」

「…………俺は―――」

「いえ、輝夜、それは違うわ。多分彼自身、知らなかったのよ」

 

 輝夜の質問にまともに答えられずにいると、永琳が助け舟を出してくれた。頭が上手く回らない今の俺からすればかわりに説明してくれるのはありがたいが、どうしてわかったのだろう。

 

「彼が月人であることを隠すことにメリットがないわ。こうして私たち二人を他の使者から逃がしている今ならなおさらね」

「…………」

「それに隠そうとしていたのなら、行動があまりにずさんだわ。月人にしか発音できない私の名前を呼んだんだもの」

「……それもそうね」

 

 永琳の説明に輝夜が納得したように頷く。それにしても、彼女の名前を口にしただけで月人と断定されるとは、な。

 

 ……少し落ち着いてきた。千年以上探してきて手掛かりすらつかめなかった答えを唐突に知らさせても、すぐに冷静になれる自分の性格に少し感謝する。そういえば、記憶喪失だと気付いたときもすぐに冷静になれたな。これが月人の精神構造、ということなのだろうか。

 

「……悪いな、少し取り乱した。永琳の言う通り、自分が月人だとは知らなかったんだ」

「そう……」

「何年もそれを探してきたんだが、こういう形で見つかるとは思わなかったな」

「……何があったの?」

 

 何があったの、か。それは俺が聞きたいんだけどな。

 

「……輝夜は、俺が最初に聞かせた話を覚えているか?」

「え、ええ。ハクが初めて訪れた人里の話でしょ?」

「そうだ。そして俺が目を覚ましたのは、その百年前のことだ」

「百年前……目を覚ました? 一体どういうこと?」

「…………記憶喪失、ね」

「そういうことだ。俺が知っているのはそれだけ、何があったのかは俺も知らないんだ」

 

 いち早く俺の事情を察した永琳は納得したように小さくため息を吐いている。だが輝夜はまだ納得がいかないようで、前に乗り出すようにして質問を続けた。

 

「私、そんな話聞いてない」

「言ってないからな」

「どうして話さなかったの?」

「さして面白い話でもないからな」

「……最後まで、話さないつもりだったの?」

「そうだな」

 

 俺が記憶喪失であることを知っている人は少ない。直接俺が話したのは紫と諏訪子の二人だけで、ほとんどの人には隠している。理由は言った通り、面白い話ではないからというのと、余計な心配はさせたくないからだ.

 諏訪子に話したのは彼女が同い年だったからだが、紫に話したのは正直失敗だったとも思っている。当時は話のできる妖怪と初めて出会ったことで舞い上がっていたんだろうな。

 

「……どうして―――」

「そこまでにしてあげなさい、輝夜。彼にも何か考えがあったはずよ。多分、貴方を思ってのね」

「…………」

「すまんな。こういうことになるんなら話しておいたほうがよかったな」

「……いえ、私のほうこそごめんなさい。一番辛いのはハクなのにね」

「それは気にするな、別に辛くもない」

 

 永琳の言葉で追及を止めた輝夜は頭を下げながら謝ってきた。隠していた俺に非があるというのに優しい子だ。輝夜のほうが年上らしいが。

 とりあえず輝夜に頭を上げてもらい小さく息をついていると、今度は近くまで来ていた永琳がこちらに頭を下げてきた。

 

「まだお礼を言っていなかったわ。私たちを逃がしてくれて本当にありがとう」

「どういたしまして……と言っても永琳ほどの力があるなら、俺なしでも逃げられたと思うけど」

「その場合、あの四人を殺して逃げてたわね」

「……仙郷が使えてよかったよ」

 

 当然、と言うように話す永琳。ずいぶん物騒なことを言っているが、こういう逃げ場を持っていないならそれが一番安全な方法であるため、強く否定することはできない。

 

「それにしても、すぐここに来るなら結界なんて必要なかったんじゃないかしら?」

「俺たちがあの場から消えたとしてもすぐ諦めて帰るとは思えない。手当たり次第に破壊しながら探すとは思えないが一応な」

「じゃあいつまで閉じ込めておくつもりなの?」

「輝夜から月と地上を行き来することのできる時間は聞いているから、その道がなくなる直前までだ。結界は時間になれば勝手に消滅するようになってる」

「放っておいても大丈夫、ということね」

 

 仙郷を少し見回しながら質問する永琳に回答する。輝夜の話では月と地上を結ぶ道ができるのは今日だけで、その時間も短いらしい。短時間ならあの四人を閉じ込めている結界を維持できる。

 ちなみにだが、あの結界にはもう一つ意味がある。それは外にいる軍の攻撃が使者たちに届かないようにするというものだ。誰も血を流さないならそのほうがいい。

 

「永琳が向こう側じゃなくてよかったよ。もし敵側だったらあの結界も簡単に破壊されるだろうしな」

「ふむ。ちなみに、私が敵だったらどうするつもりだったの?」

「逆に使者たちを仙郷に閉じ込めていたかな。その場合、俺が仙郷を開かない限り使者たちが戻ってくることはできなくなる。そしてもちろん仙郷を開くつもりはない」

「ふふ、私がこちら側でよかったわ」

 

 くすくすと小さく笑う永琳を見て首を傾げる。今のどこに笑う要素があったのだろうか、結構残酷なことを言っていたと思うのだが。

 

「何で笑ってるんだ?」

「いえ、貴方が輝夜を大切に思っていることがよくわかると思ってね」

「……輝夜一人のために四人を殺そうとしていた永琳には言われたくないな。どんだけ輝夜が好きなんだよ」

「あら、それを言うなら貴方は五人を実質殺そうとも考えていたんでしょう? どれだけ輝夜が好きなのよ」

「ちょ、ちょっとちょっと……本人が横にいるのにそういうこと言い合うのやめて……」

 

 永琳と言い合い、というか呆れ合いのようなものをしていると輝夜が顔を赤くして俯いてしまった。本人としては恥ずかしくなる会話だったので当然だな。

 赤面した輝夜を見た永琳がこちらを見て笑んだ。ただし『ニコニコ』ではなく『二ヤリ』である。それを見た俺はなんとなく永琳の考えがわかり、同様の笑みを浮かべた。

 

「貴方がどれだけ輝夜が好きかは知らないけど、私のほうが好きに決まってるわ」

「え、永琳……?」

「あー? 何言ってんだ、俺のほうが絶対好きだね、愛してるね」

「は、ハクまで何言ってるの!?」

「たった一年しか輝夜と一緒にいなかった貴方と比べて、私はその何千倍も何万倍も輝夜といるのよ。私のほうが愛してるわ」

「大切なのは一緒にいた時間よりも密度だろ。俺はこの一年ほとんど外出もしないで輝夜のそばにいたんだからな」

「ちょっと……ふ、二人とも……?」

 

 …………いい感じである。

 

「密度でも私のほうが上よ。輝夜が小っちゃいときなんかはよく絵本を読んであげたりしたんだから。何かあったらすぐ私のところにちょこちょこってやってきてかわいかったわ」

「永琳!? な、なに言ってるのよ! そんな昔のこと……!」

「俺なんかこの一年、毎晩一緒に寝てたからね。三ヶ月くらい前からは一緒の布団で腕枕とかしてやってな、輝夜も抱き着いてきてかわいかったぞ」

「ハクもやめてぇ! 対抗なんてしなくていいからぁ!」

 

 真っ赤に染まった顔を両手で隠しながらぶんぶんと頭を振る輝夜を見て、俺と永琳はこらえきれずに笑い出してしまった。期待通りの反応をしてくれて面白いというのと、微笑ましさからくる笑いだ。

 少し間を置いて落ち着いてきた輝夜は顔を隠していた手を下にずらし、ジトっとした目で俺たちを見てきた。それでも相変わらずかわいいのだが。

 

「……やっぱり、二人ともよく似てるわ」

「悪かったな。でもかわいかったぞ」

「ごめんね輝夜。でもかわいかったわ」

「反省してないでしょ!」

 

 頬を膨らませて再び怒る輝夜を見てこみ上げてくる笑いを何とか押し殺す。それは永琳も同じようで手で口を押さえながらそっぽを向いて震えていた。

 からかったのは悪かったが言ったことは本当のことだ。反省したとしても輝夜がかわいいことは変わらないので、これからも自然と口から『かわいい』が出てきてしまうだろう。輝夜がかわいいのが悪い。

 

 まぁそれはともかく、先程まで俺たちを包んでいた少し重い空気は吹き飛んだ。これが重要である。

 

「さて、雰囲気が和んだところで話し合いを始めましょうか」

「そうだな。一番重い雰囲気だった輝夜が元気になったことだし」

「……ほんと、よく似てるわ」

 

 輝夜はさっきまでの怒った様子から一転、一気に疲れたかのようにがっくりと肩を落とし呆れているようだ。

 俺と永琳が輝夜をからかっていたのは、気持ちの沈んでいる様子の輝夜をもとに戻すためという理由もあったのだ。永琳との一瞬のアイコンタクトだけでここまで察せたのは奇跡かもしれない。

 

「それで? 話し合いって何を話すの?」

「いろいろな疑問点を、よ。それで最初に確認したいのだけれど、この場所にいればあの月の使者たちには絶対に見つからないのかしら?」

「あいつらの能力を知らないから絶対とは言えないが、あの結界も突破できないようなら大丈夫だろ」

「この場所にいられる時間制限、もしくは長時間いることで出てくる不都合は?」

「特にない」

「貴方以外でこの場所に来れる人物は?」

「知っているやつは何人かいるが侵入は無理だな」

「貴方が裏切る可能性は?」

「今のところ、裏切るメリットがない。デメリットならたくさんあるが」

 

 永琳からの問いに冷静に考えながら返答する。俺の答えを聞いた永琳は胸の下で腕を組みながら何やら考えているようだ。ここが本当に安全な場所かを確認している最中なのだろう。

 しばらくすると組んでいた腕をほどき、一つ頷いて礼を言ってきた。

 

「わかった、貴方を信じるわ。ありがとう」

「どういたしまして」

「さて、次の話は貴方のことよ、ハク」

「……俺か?」

「そうよ」

 

 永琳が俺の目を真っすぐに見てそう言った。俺の話というと、やはり俺が月人であることに関するものだろう。

 

「貴方は謎が多すぎるわ。一先ず私が思いつく疑問は貴方が何故地上にいるのか、何故記憶を失っているのか、そして何故まだ生きているのか―――こんなところね」

「最後の何かひどくない?」

「ひどくないわ。これが一番の疑問点よ」

 

 最後の疑問は聞きようによってはいじめか何かだと思われるのではないだろうか。そう思って永琳に聞くと、そういう意味で言ったのではないとのことだ。

 

「まず何故地上にいるのかだけど、普通に考えれば輝夜同様、何らかの罪を犯したために罰として地上に落とされた、てところだけど……」

「じゃあハクも蓬莱の薬を飲んだってこと?」

「いえ、それはないわ。私が今まで作った蓬莱の薬がどういう使われ方をしたのかは私が一番よく知ってる。だから彼が蓬莱の薬を飲んでいないことは確実よ。それに記憶を消されて地上に落とされるなんて罰は聞いたことがないわ」

 

 薬を作った本人である永琳曰く、俺は輝夜と同じ理由で地上に落とされたというわけではないらしい。確かに俺は子供に戻されて竹に入れられていたわけではないので輝夜とは罰の種類が違う。だがかわりに俺に施されていた『記憶を消される』という罰はそもそも存在しないそうだ。

 

「そしてもう一つの疑問点……すなわち、何故穢れによる寿命が存在するこの地上で生き続けていられるのか」

「俺が今まであったやつらの中には不老不死の性質を持っているのもいたけど……」

「けどそれにはそれ相応のリスクや制限、代償がある。違うかしら?」

「……確かにその通りだ」

 

 永琳の言葉に、俺は少し今まで会った人たちのことを思い出して一つ頷いた。

 

 妖怪たちは人間に恐れられなければ存在を保てない。神もそれと似ていて、人間に忘れられ信仰が途絶えると消えてしまう。仙人は不老ではあるがそれには修行が必須であり、また百年周期の死神のお迎えを退けなければ死んでしまうため不死でもない。

 どの種族にも相応の制限があるのだ。だが俺自身の不老体質にはそれらが見当たらない。不死かどうかはまだわからないが、不老であるだけで十分異常である。

 

「蓬莱の薬が違うとすると…………他に何か理由はあるのか?」

「……残念だけど、蓬莱の薬の服用以外で、何のリスクもなしに地上で生き続ける方法を私は知らないわ。もしそんな方法が存在するなら、私たちは月には行かなかった」

 

 目を伏せながら説明する永琳。彼女たちが月に移住したのは寿命を捨てるためだ。彼女の言う通り、地上でも寿命関係なく生きていられるのなら月に行く必要はなかったはずだ。

 彼女の説明は辻褄が合う。合うのだが……何だろう、この感覚は。少し胸がざわざわする。

 

「ハクは地上で過ごしてどれくらい経ったのかしら?」

「えーと……千年以上は経ったな」

「その間に何か変化はなかった? 容姿の変化とか力の衰えとか」

「せいぜい髪が伸びたりする程度だ。顔立ちとかは変わってないし、力に関しても衰えてはないと思う」

「……となると、何が原因かはわからないけど、蓬莱の薬とは違う方法で老化を止めているのは確実なようね」

「ハクはその方法のせいで記憶を消されて地上に落とされたってこと?」

「わからないわ。ここまで不可解なことだらけだと、そもそも罰で地上にいるのかもわからない。案外、自分から地上にやってきたのかもね」

 

 お手上げ、というように肩をすくめながら首を振る永琳とは逆に、俺は少し肩を落としてため息を吐いた。動作は違うが俺も永琳と同じでお手上げという気分である。

 自分のことではあるが情報が少なすぎる。ここから答えを導けというのは、虫食いだらけの計算式を解けと言っているようなものだ。

 

「……ちなみに、他に貴方が気になっていることはないかしら?」

「そうだな……。この髪の色とかは?」

「地上では珍しいかもしれないけど、月の都ではそれほどでもないわ。金や紫、それに青……もちろん白髪もいるわ、私みたいにね」

「なるほど。じゃあ俺の力についてはどうだ? 普通の人間とは違うとよく言われるが……って」

「お察しの通り、月人特有の力だから地上人のそれとは違うわ。よく似てはいるでしょうけどね」

「言われてみれば、普通の人間じゃなかったわけだから違うのは当然か。じゃあ力の封印についてはどうだ?」

「……それはわからないわね。どういうこと?」

 

 言われた通り、気になることを一つずつ並べていくと、その内の一つがどうやら引っ掛かったようだ。

 俺に施されている力の封印。紫や幽香といった俺の知る限りで最強レベルの妖怪二人でもほとんど解除することのできなかった堅牢堅固の鉄壁。

 これまでは誰が張ったかわからないものだったが、今は一つ候補がある。

 

「最初に目を覚ましたときから、俺に何かの封印がされてるんだ。どうやら俺の力を制限しているもののようなんだが、かなり強力なものらしくて今までほとんど解除できていない」

「ふむ……少しいいかしら?」

「? ああ」

 

 永琳が少し近づきながらそう聞いてきたのでとりあえず了承すると、右手のひらを俺の胸の中心に置いてゆっくりと目を閉じた。恐らく今言った封印について調べているのだろう。

 じっとして待っているとどうやら調べ終わったようで、永琳が俺の胸をぽんぽんと叩いて頷いた。

 

「なるほど……かなり強力かつ複雑な封印ね」

「これも月人特有のものか?」

「そうね。封印の構成自体は月の都で使われているものと同じよ。ただ……複雑すぎるわね」

「解除できるか?」

「難しいわ」

「え、永琳でも難しいの……?」

 

 予想通り、封印は月人によるものだということはわかった。だが、その月人である永琳であっても解除することは容易ではないらしい。月の頭脳と呼ばれるほど聡明な彼女でも難しいとなると、この封印は強力どころの話ではないのか。

 

「解除できないことはないわ。ただ、ひたすら封印の解除に全神経を使ったとしても、完全に解くには数百年、もしくはそれ以上かかるわ」

「そ、そんなに……」

「ほんの一部なら今すぐ解除できるけど、それはあとでね。他には何かないかしら?」

「気になることか? そうだな……」

 

 とにかく、わからなかったことが少しでもわかったのだから大きな収穫だろう。そう思って頭を切り替え、他の気になることを考え始めた。

 少しの間考えて、ふと一つ思いつくことがあった。

 

「……そういえば、俺は怪我をしてもすぐに治ってしまうんだが、それについてはどうだ?」

「傷を治す能力や技術は珍しくないけど、聞いただけではわからないわね」

「あ、それもそうか。ちょっと見ててくれ」

 

 これについては説明するより実際に見てもらったほうがわかりやすいと思い、腰の短刀を取り出して左腕を少し深めに切った。線のような切り傷からそこそこの量の血液が流れ出て、仙郷の白い地面を赤く染めた。だがそれは少しの間だけで、切った傷は瞬く間に塞がり、腕や地面に付いた血は少しの煙を上げて消えてしまった。

 腕を切った際、輝夜も永琳も少し眉をひそめていたが、二人とも目をそらしはせずに再生する様子を眺めていた。

 

「……こんな感じだ。今話してた封印の一部を知り合いに解いてもらってからは、治る速度も増した」

「んー、そうねぇ……。考えられる要因は、さっき言った老化を止めている蓬莱の薬以外の方法による影響か、それとも貴方自身の能力か」

「蓬莱の薬も服用するとこれぐらい早く傷が治るのか?」

「普通の人よりは早くなるけど、そこまでじゃないわね。それに体外に出た血液が煙を上げて消えることもないわ」

 

 永琳の話を聞きながら俺は輝夜とすごした一年を思い出していた。輝夜は一日中屋敷の中におり、活発に動いていたわけではないので怪我をするようなことはほとんどなかったが、それでもまったくではない。些細なことで怪我をすることはあったのだが、そのときに出た血が煙を上げて消えたところなどは見たことがない。

 

「じゃあ、俺の固有の能力だってことか?」

「可能性はあるけど……蒸発するように消える理由がわからないわ。ただ単に『傷を治す能力』だとしたらそんな現象は起きないだろうし」

「力の操作である程度再生速度をコントロールできるから、俺の力を利用して治しているとは思うんだが」

「いずれにせよ、はっきりとした答えは出せないわね」

 

 ごめんなさい、と謝る永琳に十分だと返す。確かに答えは出なかったがいくつかの可能性は消え、新しい可能性が出た。ややこしくなりはしたが少しは答えに近づけたはずだ。

 そう伝えると永琳は下げていた頭を上げた。彼女が謝る必要はないのだが、律義な人だ。

 

「……そうだ、貴方の血液を調べさせてもらってもいいかしら? と言っても今すぐは無理だけど」

「それはいいけど、さっき見た通り、体外に出ると消えちゃうぞ?」

「輝夜の能力を借りれば液体の状態で固定できるはずよ。輝夜、手伝ってくれる?」

「……へ? ああ、うん。もちろん」

「ああ、なるほどな」

 

 いきなり話を振られた輝夜がはっとして返事をする。まぁ俺と永琳が話してばかりだったからぼーっとしていても仕方ない。

 それにしても、輝夜の持つ永遠の魔法をそういう風に使うのは思いつかなかった。大仰な能力だと思っていたが、意外と細かいところで便利な能力だな。

 

「何か入れ物は持ってるか? ないならそこらにあるやつを適当に使うけど」

「いえ、大丈夫よ。今は中身が入ってるものだけど、入れ物なら持ってるわ」

 

 永琳はそう言って懐から小さいビンを取り出した。ビンは不透明なため何が入っているのかわからなかったのだが、永琳はその栓を開けると中身を口に入れて空にした。

 

「……うん、全然美味しくないわね」

 

 中身を飲み込み、空になったビンをきれいに拭きながら永琳がそう言った。その表情からもビンの中身が美味でないのはわかるのだが、何故か同時に憑き物が落ちたかのような印象も受けた。

 その表情に少し疑問を感じていると、永琳がきれいに拭き終わったビンを手渡してきた。これに血を入れろということだろう。

 

「はい、これを使ってちょうだい」

「ああ。…………これ何が入ってたんだ?」

 

 受け取ったビンに血を入れるため、もう一度短刀を腕に当てながら先程永琳が飲んだものについて聞いた。ああも目の前で飲まれると気になるというものだ。

 

「あれは蓬莱の薬よ」

「ああ、あれが蓬莱の薬なのか……」

「永琳、持ってきてたのね……」

 

 どうやらこのビンに入っていたのは蓬莱の薬だったようだ。その効能は実に単純で不老不死となるものである。後戻りすることはできない効果だ、少なくともあんな気軽に服用するようなものでは…………あれ?

 

「…………え? ほ、蓬莱の薬!? 何自然に飲んでるのよ永琳!?」

 

 数瞬の沈黙のあと、輝夜が驚きの声を上げた。蓬莱の薬を飲んだ者として、その薬の効能の重みというものを理解しているからだろう。

 ちなみに輝夜が声を上げていなかったら俺が上げていたと思う。

 

「あら、そんなに驚くことかしら? 私もこれを飲まないと寿命ができてしまうのよ」

「うっ……それはそうだけど……。でも、ということは……」

「いいえ、それは違うわ、言い方が少し悪かったわね。これは私がしたいからしたことよ。輝夜のせいではないわ」

 

 永琳の突飛な行動に思わず大声を上げた輝夜だったが、彼女の次の言葉でその勢いを削がれてしまった。永琳が蓬莱の薬を飲んだのは自分のせいだと感じたからだろう。

 もちろん永琳はそういう意味で言ったわけではない。永琳が輝夜の頭をゆっくりとなでながらそう伝えると、輝夜は少し俯いていた顔を上げにっこりと笑った。

 

「……ありがとう、永琳。えへへ……」

「? どうしたの?」

「ハクと同じようなこと言うなーって思ってね」

「同じようなこと?」

「ええ、自分のやりたいことをやれって言われたの。だから私は地上に残ることにしたのよ」

「そう……輝夜は地上に来たがっていたものね。それでいいのよ、貴方の人生だもの。楽しまないと損だわ」

「うん!」

 

 永琳に抱き着きながら満面の笑みを浮かべる輝夜を見て、俺も釣られるように顔が緩むのを感じた。

 この短時間で様々なことが起こり、様々なことを知り、様々な感情を持ったが、最終的にこうやって輝夜が笑顔になって本当に良かった。『終わり良ければ全て良し』とはこういうときに言うのだろう。

 

 ただ、月の使者の問題はこれで終わりだが、俺個人の問題や輝夜と永琳の今後についてはまだ終わったわけではない。少なくとも、すぐに解決するようなものでもないだろう。

 いろいろ不安もあるが、こちらも何とか解決できるように頑張るとするか。とりあえず今は、大きな問題の一つが解決したことを喜ぼう。

 

 

 

 

 

 

「……ところで、ハク」

「ん、何だ永琳?」

「そのビンにはそんなにいっぱい入らないわ」

「へ? …………あ゛」

「出血量が半端ない!?」

 

 ……どうやら先程驚いたときに無意識に腕をザックリ切っていたらしい。痛い。

 

 

 




登場人物たちがその場でほとんど動かずに話すだけでしたw


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第二十六話 二人と一振りの友人

各々『やりたいことをしただけ』のお話でした。


 

「……もう大丈夫だろうな」

「そうね、十分時間は経ったわ。月の使者もすでに帰っているはずよ」

「よし」

 

 俺と輝夜、永琳の三人が仙郷に移動してから約八時間が経った。月と地上を繋ぐ道はかなり前に閉ざされていたのだが、念のためということと話がいろいろあったため、気付いたらこんな時間になっていた。もう外は明るくなっているだろう。

 一応二人に確認した俺は外の世界に繋がる出口を作った。空間にパックリと割れたスキマのような出口からは外の様子がほんの少しだが見て取れる。

 

「……ここってどこ? 建物の中みたいだけど、私たちがいた屋敷じゃないし」

「二人を避難させた場所だ」

「え? 二人って……もしかして……」

 

 俺の答えを聞いた輝夜はそう呟きながら出口から外に出た。外と言っても仙郷の外という意味であり、場所的には建物の中。おじいさんとおばあさんを避難させた屋敷だ。

 輝夜が出たあとを追って永琳が、そして最後に俺が仙郷を出た。屋敷に移動してすぐ仙郷を閉じた俺は、布団で横になっている二人の近くに座っている輝夜に目を向けた。

 

「……おじいさん、おばあさん」

「……おお、輝夜。無事だったんだな、よかった……」

「こんな体たらくでごめんなさいね……」

 

 輝夜が呼びかけると二人とも目を覚ましたようで、ゆっくりと目を開き輝夜を見つめた。その表情はすぐに穏やかな笑顔となり、安堵したような声を漏らした。

 二人とも、数ヶ月前から一日の中で横になっている時間が長くなっており、最近では起き上がることも少なくなってきていた。医者の話では病気や怪我などではなく老衰だそうだ。

 

「仙人様、ありがとうございました」

「ああ、気にするな。上手くいってよかったよ」

 

 おじいさんの感謝の言葉に軽く手を振りながら答える。今回の件はずいぶんと濃かったように感じるが、それは逃げたあとの話し合いのほうが原因である。月の使者たちから逃げること自体は言っては何だが簡単だった。それなりの代償は払ったが。

 

「そちらは? 見慣れない方だが……」

「私の昔からの友達よ。ハクと一緒に手助けしてくれたの」

「そうだったのか……。こんな格好のまま失礼します。短い間でしたが輝夜と暮らしていた者です。この度は本当にありがとうございました」

「礼を言うのはこちらも同じよ。たとえ短い間だとしても、輝夜といてくれて感謝してるわ」

「いえいえ、私たちはしたいことしたまでです」

 

 見慣れない出で立ちをした永琳を見て二人は怪訝な表情を浮かべたが、輝夜の説明を聞いてすぐにもとの穏やかな雰囲気に戻った。永琳の感謝の言葉に返答したおばあさんのセリフを聞いて、輝夜がまた同じようなことを聞いたわ、と言って笑った。

 

 

 

「これから輝夜はどうするんだい?」

 

 しばし談笑していた俺たちだったが、おじいさんのその疑問をきっかけに、真面目な話に入ることになった。輝夜のほうを見ると俯いて黙ってしまっている。このことはすでに仙郷で決めてはいるのだが、それをこの二人に話すのは心苦しいのだろう。

 おじいさんもおばあさんもそんな輝夜を見て苦笑を浮かべていたが、声をかけることはなく、輝夜が打ち明けるのを待っていてくれていた。

 

「……私は、永琳と旅に出ようと思っているの」

「……そうか」

「今回の件はハクと永琳のおかげで切り抜けられたけど、これで最後ではないわ。時間が経てば、また月の使者たちが私を連れ戻しに来るでしょう」

「…………」

 

 顔を俯けたままぽつりぽつりと語り出した輝夜の言葉に、二人は静かに耳を傾けている。輝夜の表情はここからは見えないが、少なくともいつものように元気な様子ではない。

 

「私は地上にいたい。だから彼らに見つからないように、気付かれないように旅をしようと思う。自分の足でいろんなところに行ってみたかったしね、いい機会だわ」

「ふふ、それは楽しそうね」

「……二人にはお世話になってばかりで、私からは何にも返せなかったのが心残りなのだけど……」

「それは違うぞ、輝夜」

 

 ゆっくりと話す輝夜の声に耳を傾けていた二人だったが、最後の輝夜の言葉は即座に否定した。あまりにバッサリと言い切られた輝夜は俯いていた顔を上げ、ぱちくりと目を瞬かせて二人を見つめた。

 

「さっきも言ったでしょう? 私たちはしたいことをしただけなの。貴方に自覚がないだけで、私たちは貴方から十分すぎるほど大切なものをもらっているわ」

「その通りだ。それでも、もしまだ心残りがあるというのなら、幸せになってくれ。それがわしらにとって最高のお返しとなるからな」

 

 ニコニコといつもの笑顔を浮かべながら語る二人。その想いを聞いた輝夜は再び俯いた。小さく体を震わせているその姿は、先程の不安と申し訳なさを抱えたものとよく似ていたが、今の輝夜が違う理由で黙り込んでいることは俺にも永琳にもよくわかっていた。

 

「ハクといい、あの老夫婦といい、輝夜は本当にいい人に会えたわね」

「そこにはもちろん、お前自身も含まれているんだろ?」

「……そうなっているといいのだけれどね」

「安心しろ、もうなってるよ」

 

 苦笑を浮かべる永琳を見て、俺は少し呆れて笑ってしまった。お前が輝夜にとって大切な人の一人であることなど、初めて会う前からわかっていたさ。輝夜から永琳の話を聞くときは、悪感情など一つもなく、いつも笑っていたのだから。

 そして永琳が輝夜を大事に思っているということは、小さく嗚咽を漏らしている今の輝夜を見て潤んでいるその目を見れば一目瞭然である。

 

 

 

----------------------------------------

 

 

 

 その後、やはりもう少し二人といたいという輝夜の意見から、旅に出るのは数ヶ月後ということになった。永琳によると、その程度の時間では再び月の使者が来ることはないらしいので安心だ。

 おじいさんもおばあさんも輝夜が近くにいるのがうれしいのだろう、いつもと比べると元気になっているように見えた。それでもちゃんとした医者である永琳の話だと、もって数ヶ月、だそうだが。輝夜もなんとなくわかっていたんだろうな。

 永琳が持ってきていた蓬莱の薬を礼として二人に渡していたが、二人とも使うことはなかった。薬はそのあと帝の手にも渡ったようだが、彼もどうやら使わなかったらしい。

 

 そして数ヶ月後、仲良く逝った二人を見送った輝夜と永琳は、予定通り旅に出ることにした。俺は二人にはついていかず、また気ままに旅をするつもりである。

 

「ほんとにハクは一緒に来ないの?」

「ああ、また適当にぶらつこうと思う。輝夜と会う前みたいにな」

「そう……。残念だけどしょうがないわね。それがハクのやりたいことなんだもんね」

「悪いな。話の続きはまた今度、再会したときの楽しみにしててくれ」

「そうね、そうするわ」

 

 輝夜の頭をぽんぽんとなでながら再会を約束する。お互いそう簡単に死なない体質なんだ、再び会う機会ぐらい何度だってあるだろう。

 いつも通りの笑顔を見て安心した俺は輝夜の頭から手をはなす。そうすると今度はここにいるもう一人が輝夜の頭に手を乗せ、先程の俺と同じようになでた。

 

「本当にありがとう、この子を助けてくれて。……本当に」

「俺は大したことはしてないよ、真の功労者はあの老夫婦さ。まぁ本人たちに言ってもやりたいことをしただけって返されるだろうけど」

「実際、そう返されていたものね」

 

 くすくすと笑う永琳を見て、俺も輝夜も同じように笑った。最期まで輝夜の幸せを願っていたあの二人を思い出したからだ。

 

「ハクはこれからどうするの? 行きたいところとかあるのかしら?」

「うーん、特に決まってはいないけど…………目的を決めずに一人であちこち旅するのも楽しいもんだぞ」

「一人であちこち……ねぇ」

「目的なんて向かう先で決めればいい。輝夜と会ったときみたいにな」

「ふふ、そういう適当なのもいいかもしれないわね」

 

 再び小さく笑う永琳。面白いことを言ったつもりはないのだが……まぁいいか。

 

「そうだ、貴方に言っておきたいことがあったの」

「何だ?」

 

 永琳が口元に笑みを残しながらそう切り出した。その様子から暗い話ではないことはわかるのだが、一体何の話だろう。

 

「最初に会ったとき、私のもう一つの名を呼べる地上人は存在しないって言ったわよね?」

「ああ」

「あの言葉は間違いだったわ。今はもう三人も例外がいるもの」

「…………それって」

「私も輝夜も貴方も、もう月人ではないわ。元月人の現地上人よ」

 

 私は元地上人の元月人の現地上人だけどね、と付け加えながら永琳が優しく微笑んだ。輝夜は首を傾げていたが、その言葉は俺にとってはそれなりに大きな意味を持っていた。

 

「……ああ。ありがとう、永琳」

「どういたしまして」

 

 気にしていなかったと言えば嘘になる。自分はこれまで会ってきた誰とも同種族ではなく、誰とも共通点を持っていなかったことを。

 寂しいとか心細いとかとは少し違う感覚。孤独、疎外感とでもいうのだろうか。そういうのがまったくなかったとは言い切れなかった。

 

 それが少し薄れた気がした。自分と同じ人間が今は二人もいるのだ。心強く感じないわけがない。

 

「むー? 何二人でわかり合ってるの?」

「気にしなくていいわよ。さ、そろそろ旅に出るとしましょうか」

「えぇ? ちょっと気になるんだけど……仕方ないわね。それも今度会ったら話してもらうからね」

「気が向いたらな」

 

 まぁ話すことはないと思うが。ひとりぼっちで寂しかったとか話すの恥ずかしいし。

 ひょいと手を上げて別れの挨拶をすると、二人も軽く手を振り返しながら歩き出した。俺も適当な方向に行こうと体の向きを変えたとき、少し離れた永琳に大きめの声で呼び止められた。

 

「ハク! もう一つ忘れてたわ」

「何だ?」

「貴方の刀、白孔雀のほうを抜いてみなさい」

「白孔雀を?」

 

 永琳の言葉に首を傾げる。白孔雀が力を溜める性質を持っており、その力は月の使者の一件で使い果たしたということは永琳にも説明済みだ。今のこの刀が強力な力を持っていないことはわかっているはず。

 どういう意味があるのかわからないが、とりあえず言われた通り白孔雀を抜いてみる。予想通り、今の白孔雀には俺の溜めておいた力はほとんど残っていなかった。

 そう、俺の力は。

 

「あれ、何だこれ……?」

 

 どういうわけか白孔雀から俺の知らない大きな力を感じる。俺の持つ生命力と似ているのだが、同時に神力にも妖力にも近い感じがする別物だ。

 刀を横にして両手で持ち、一体どういうことかと頭を捻っていると、いきなり白孔雀からボンッと煙が噴き出して重量が急に増した。

 驚きつつ手に持っていた白孔雀を落とさないように支える。そして煙が晴れたとき、俺に腕には小さい女の子がおさまっていた。

 

「………………は?」

「やっぱりね、普通の物でも百年もすれば化けるんだもの。千年以上も使い続けてかつ貴方の力を溜め続けていたのなら、魂も宿るし自我も持つわよ」

「……え? てことはこの子……白孔雀?」

 

 予想通りというように頷いている永琳の説明を聞き、改めてお姫様抱っこ状態になっている少女を見る。十歳にも満たないような小さな体に、俺と同じような真っ白い髪と血のような真紅の瞳をしている。その少女もこちらをじーっと見つめているのだが、その瞳は心なしかキラキラしているように見えた。

 

「多分意識自体は結構前からあったんでしょうけど、溜め込まれていた貴方の力が大きすぎて表に出れなかったのね」

「……ああ、なるほど。この前の一件で邪魔していた力がなくなったから、こうして人化することができたと……」

「そういうこと。さすがハク、混乱してても頭が回るわね」

「……そりゃ……どうも?」

「ふふ、どうやら一人旅じゃなくなったみたいね」

 

 永琳はそういうと、フリーズ気味になっている輝夜を連れて飛んで行ってしまった。残されたのは俺と白孔雀と思われる少女。せめてこの空気をどうにかしてから行ってほしかった。

 

 とりあえず抱き上げていた少女をゆっくりと下ろして立たせた。全体を見て気付いたが、少女は俺が今まで白孔雀と呼んでいた刀を大事そうに抱えている。先程人化したと言ったが、刀そのものが変化したわけではないようだ。

 

「……あ、えっと……初めまして、じゃなくて……お久しぶり、も違うし…………お初にお目にかかります?」

「よーしわかった、まずはお互いに落ち着こう」

 

 相変わらずキラキラした目のまま、しかししどろもどろに挨拶を始める少女を見て、彼女も相当混乱していることがわかった。今お互いに必要なのは冷静さである。

 動揺した心を落ち着けるために一度大きく深呼吸をしたのだが、目の前の少女も俺と同じタイミングで深呼吸をしていたのが見えて少し笑ってしまった。

 

「こ、こんにちは、私は白孔雀です。さっきの銀髪の方……永琳さんが言っていた通り、この刀の付喪神です」

「なるほど。俺はハクという……」

「『白いって書いてハク』ですね」

「……うん、その通り」

 

 お互い落ち着いたあとに自己紹介をしたのだが、俺がいつも使っているフレーズを言われてしまった。永琳の言っていた、結構前から意識があったというのは本当らしい。

 しかし、そうなると……。

 

「……その、悪かった」

「へ? どうして謝るんですか?」

「いや、だって、ずいぶん前から自我があったのに俺の力が邪魔で表に出れなかったんだろ? かなり窮屈だったはずだ」

 

 俺がいつも自己紹介で使っているフレーズを知っていることから、最低でも十数年前から自我があったのだろう。それだけの時間、自分の意思で自由に動けなかったというのは相当にきつかったはずだ。

 

「気付かなかったとは言え、お前を長い間不自由なままにしてしまったのは俺のせいだ。すまなかった」

 

 正面にいる少女に対して、しっかりと頭を下げて謝る。少し考えれば刀に付喪神が宿る可能性があることに気付くことができたはずだ。だが俺は気付くことができなかった。この件に関しては全面的に俺に非がある……というか彼女の非は皆無である。

 頭を下げているため詳しくはわからないが、俺の謝罪を聞いた少女は焦ったかのようにあたふたとしているようだ。

 

「い、いえいえ! 全然窮屈なんかじゃありませんでしたよ! そもそも私はご主人様の力から生まれたようなものですから、その中にいて不快になるようなことはあり得ませんです!」

「……そうなのか?」

「はい、もちろん。むしろご主人様の力は優しくてあったかくて気持ちよかったです。なので謝る必要はありませんよ」

「……ならよかった」

 

 彼女が気にしていないというのなら、いつまでも頭を下げていると逆に不快にさせてしまうだろうと思い、頭を上げる。

 この少女が穏やかな性格でよかった。これで一つ引っ掛かっていたことが解消された。では、もう一つ引っ掛かったことも聞いてみよう。

 

「……ところで、その『ご主人様』って何だ?」

「ご主人様はご主人様ですよ?」

「……どうして俺をそう呼ぶんだ?」

「自分の使い手をご主人様と呼ぶのはおかしいですか?」

「む、う……? いや、おかしくないのかもしれない、が……」

 

 こてんと首を傾げている少女を見て言葉に詰まる。確かに彼女にとっての俺はご主人様と呼ぶべき立場にあるのかもしれないが、それでもその呼び方は落ち着かない。

 

「その呼び方はちょっとやめてほしいな。もっと気軽に名前で呼んでくれ」

「では、『ハク様』でどうでしょう?」

「うーん、もう少し気軽に、友人を呼ぶ感じで」

「……『ハクさん』?」

「もうちょい!」

「…………は、『ハク伯爵』……」

「急にランクアップ!?」

 

 だんだんと落ち着いてきたと思ったらいきなり格が上がり仰天する。気軽でいいと言っているのにいちいちそんな呼び方をされては気が休まらない。

 

「す、すみません。ですが敬称をつけたほうが呼びやすいんです。ダメですか?」

「……ふぅ、わかった。呼び方を強制するつもりはないからな。ただ『ハク伯爵』はなしで」

 

 右手を前に出しながら首を横に振る。『ハク伯爵』だと何か吐いてる伯爵に聞こえる。もしくは掃いてるのか、箒で。どちらにしても威厳も何もなさそうである。

 

「わかりました。では『ハク様』で!」

「うん。よろしく、白孔雀。……うん、白孔雀……白孔雀ね」

「ど、どうしました?」

「……呼びづらいな、白孔雀って」

「え?」

 

 刀の名前だとすると威厳があってカッコいい名前なのだが、目の前にいる少女を呼ぶときに使うとなると堅苦しいし呼びづらい。

 もともと人の名前ではないので仕方ないのだが、こうして人化したのだから刀の名前で呼ぶのには違和感がある。

 

「もっと呼びやすい名を…………そうだ、『シロ』ってのはどうだ?」

「シロ? わ、私の名前ですか?」

「名前っていうか愛称かな。『白孔雀』よりは呼びやすいしかわいいと思うが、どうだ?」

「……シロ……かわいい……」

 

 簡単なものではあるが、愛称はこう親しみやすい感じのほうがいいだろう。なかなか悪くない愛称だと思って少女に聞いてみたのだが、彼女はぶつぶつと独り言を言うだけで反応してくれない。

 き、気に入らなかったか?

 

「……えーと、シロ?」

「はい! 気に入りました、ハク様!」

「お、おお……それはよかった」

 

 不安になって試しに呼んでみると、満面の笑みでものすごく元気な返事をされた。その歓喜の声に少々驚いたが、気に入ってくれたのならよかった。

 シロはその場でぴょんぴょんと飛び跳ねながら、自分の愛称を繰り返している。

 

「シロ、シロ、シロ。えへへへへ~」

「何だこいつめっちゃかわいい」

 

 昔、俺が紫に名付けられたときの反応と少し似ている。あのときの俺は気持ち悪いと言われたが、目の前の少女ははにかむような笑顔で落ち着きがないようにそわそわとしている様がとてもかわいい。

 さて、お互い呼びやすくなったところで次の話をしよう。むしろここからが本題である。

 

「さて、シロ。お前はこれからどうするんだ?」

「え? どうするって……どういうことです?」

「そのままの意味だ。せっかくこうして自由になれたんだから、わざわざ俺についてくる必要は無いぞ。好きなところで好きなように生きればいい」

 

 シロにも自我がある以上、やりたいことがあるはずだ。別れるとなると少し残念ではあるが、ここに縛り続けるつもりもない。俺がしているように、やりたいことをするのが一番だ。

 そう思い彼女に尋ねたのだが、それを聞いたシロは呆けたような表情になった。だがそれは少しの間だけで、すぐに穏やかな雰囲気と表情に戻り、手を胸の前で組みながらゆっくりと口を開いた。

 

「好きなところへ行けというのなら、私はハク様の近くにいます。今はここが『好きなところ』ですから」

「む…………」

 

 どこか慈しむような声色でシロが言ったセリフは、かつて俺が諏訪子に対して言ったセリフと同じものだった。先程、最低でも数年前から自我があったと予想したが、このセリフを言ったのは数百年前だ。思った以上に年を取っているらしい。

 どうでもいいが、シロはドヤ顔まじりに堂々と言っているのだが、改めて聞くこちらとしては恥ずかしいものがある。

 

 なんにせよ、彼女がそう言うのなら断る理由はない。少々の気恥ずかしさを吹き飛ばすために一つ咳払いをして、シロに向かって手を差し出した。

 

「じゃあこれからよろしく…………いや、これからもよろしく、シロ」

「はい! よろしくです、ハク様!」

 

 差し出した手を両手で取りながら、元気に返事をするシロ。一応これも握手と言えるのだろうか。見た目も相まって父親に甘えている子供のように見える。

 先程の慈愛に満ちたような雰囲気から一気にそう変わったため、そのギャップに少し笑ってしまった。

 

「それじゃ、行くか」

「了解です」

 

 歩き出した俺の隣にシロが並ぶ。歩幅の小さい彼女に合わせてゆっくりと歩いているが、お互いいろいろと話しながらならこの速度がちょうどいいだろう。

 今までも大分世話になってきていたが、これからは付き合い方が大きく変わるだろうな。

 

「ハク様」

「ん?」

 

 隣を歩いていたシロが少し前に出て俺の正面に立った。急にどうしたのかと立ち止まり彼女を見ると、今まで以上にニコニコとした表情でこちらを見ていた。

 

「もう一人じゃありませんよ」

 

 シロはそれだけ言うと俺の隣に戻ってきた。多分さっきまでの俺と永琳の会話も聞いていたんだな。彼女の口ぶりからして、俺が感じていた疎外感のことも知っていたのだろう。

 まぁなんにせよ、それを聞いた俺が悪い気分ではなかったのは事実だ。俺は敢えて返事はせず、シロの頭をぽんぽんとなでてから歩き出した。

 

 次は誰と出会い、何が起こるのやら。今回の件のように少々難しい事件が起こるときもあるが、それでも楽しみなのだ。横にぴったりとくっつきながら上機嫌に鼻歌を歌っているシロも、恐らく同じ気持ちなんだろうな。

 

 

 

----------------------------------------

 

 

 

「もう一人じゃない……か」

「どうしたの、永琳?」

 

 月から身を隠せる場所を探して飛びながらふと零した独り言に輝夜が反応する。

 

「いえ、何でも…………ん、そうね」

「?」

 

 意図して発した言葉ではなかったが、ついでに聞いてみてもいいかもしれないと考え直し、何でもないという言葉を打ち消して質問することにした。

 

「一つ聞きたいのだけれど、輝夜はハクをどういう人だと思った?」

「え? 急な質問ね。うーん、そうねぇ……」

 

 一瞬戸惑いながらも素直に考え始める輝夜。とは言え考えはすぐにまとまったようで、一つ頷くと少し硬くなっていた顔をほころばせながら答えてくれた。

 

「ハクはね、優しくて強くて誰からも頼られて、そして助けることのできる力を持っている特別な人、かしらね」

 

 少し照れながら彼のことを話す輝夜は、しかし確信をもってそう言っているようだった。たった一年でここまで信頼されるほどの器を、彼は持っているということなのだろう。

 

「……そうね。私もそう思うわ」

 

 私がハクといた時間はたったの数ヶ月だけ。だがたったそれだけの時間でも、彼が輝夜の言うような人間だと納得するには十分すぎるほどだった。

 優しく強く、頼られ助ける。そんな彼の様子を思い出し、『聖人』『英雄』『勇者』なんていう単語がちらついてしまった私は―――

 

「ほんと、誰かさんにそっくりね」

 

 輝夜に聞こえないくらいの声量でそう呟き、呆れながら笑うのだった。

 

 

 




旅の仲間が増えました。


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第二十七話 白髪不老の二人

何だか急に閲覧数とかお気に入り登録数とか増えていてびっくりです。
シロみたいな白髪幼女って人気なんだなぁ……。


 

 輝夜と永琳の二人と別れて旅を再開した俺とシロは、道中お互いのことを話しながら進んでいた。とは言えシロはすでに俺のことはほとんど知っていたようなので、いろいろ質問するのは俺のほうが多かった。

 

 シロは白孔雀の付喪神だが、白孔雀そのものと言い換えても問題ないそうだ。

 少し気になっていたのは、俺がまた刀に力を溜めてしまうと彼女が表に出れなくなるのではないかということなのだが、彼女によると一度表に出てしまえばその心配はないそうだ。これまで通りに刀を使えるということに安心した。

 ちなみに俺が白孔雀に溜めた力はシロも使うことができる。これに関してはむしろシロのほうが、会って間もない自分に大量の力を預けて大丈夫かと心配していたな。まぁ問題ないと言っておいたが。

 

 もう一つ気になっていたことがある。それは俺の持つもう一本の刀、黒竜のことだ。白孔雀が自我を持ったように、黒竜にも同様のことが起こっているのかと思ったが、こちらは纏わせていた力を消しても何も感じなかった。

 シロ曰く、黒竜も十分古い刀ではあるのだが、この形になるまでの経緯が少し特殊だったため、自我を持つとしてもまだしばらくかかるらしい。

 確かにこの刀はもとはごく普通の短刀だったが、長年使ったせいでボロボロになったのを神子が修復・改造したものだからな。シロの説明にも納得できる。

 

 

 

 そんなことを話しながら適当に旅をして数年。俺たちはとある町に到着していた。

 

「ふむ。今まで見てきた町と比べると少し小さめだな」

「まぁ今まで見てきた町が大きかったですもんね」

 

 町に入って少し周りを見て、とりあえず感じたことを言ってみる。いつもなら独り言になってしまうのだが、今は返してくれる連れがいるのが少し嬉しかったりする。

 

「町中に目立つ奇妙な気配はないな」

「ではいつも通り、妖怪についての情報収集ですか?」

「そーだな。でも観光しながらでいいだろう。行こうか」

 

 妖怪の話を聞けそうな場所を探すわけだが、急ぎの仕事でもないのだから適当に町をぶらつきながらでいいだろう。俺はそこまで仕事熱心というわけではないのだ。

 

 

 

「はー。今はこんなのがあるんだな」

 

 甘味処にでも入ろうと探し歩いていた俺たちだが、道の横に置いてあった大きめの板を見て足を止めた。建物に立てかけてあるその板にはたくさんの紙が貼りつけられており、見てみるとその一枚一枚には妖怪の絵や説明が書かれてあった。

 

「手配書みたいなもんかな?」

「人じゃなくて妖怪バージョンのですか、なるほど」

「……見た感じ、手前にあるほうが新しく張り付けられたものっぽいな」

 

 この数の紙を貼るには少し板が小さかったからだろう、いくつかの紙は重なって張り付けられていた。というかここは結構妖怪による被害があるんだな。

 

「ふーむ…………お?」

「ん?」

 

 ちなみにどれが一番新しい紙かと指でなぞりながらざっと見ていると、ちょうどその紙と思われる場所を指さしたところで誰かの指と触れ合った。

 同時に聞こえてきた少し呆けたような声のするほうを見てみると、同じくこちらを見ていた少女と目が合った。

 

「ああ、これは失礼」

「いや、私のほうこそ」

 

 とりあえず軽く謝ると少女のほうも同じ調子で答えてくれた。普通なら特に気にすることもなく張り紙のほうを見直すのだが、その少女の容姿に俺は少し驚いていた。

 長く真っ白な髪に、血のような真紅の瞳。シロ以外でこんな容姿の人を見るのは初めてだ。

 

「……何? 言っておくけど私は白髪の仙人じゃないよ」

「え? ああ、知ってるけど……」

「そう……。今まで白髪ってだけでそう聞かれることが多かったから…………って、え? 知ってた?」

 

 無意識にジロジロと見てしまっていたらしく、少女が少し不機嫌そうな顔で話してきた。だがその内容は突拍子もないことのように聞こえたので、思わず素直に答えてしまった。

 最初は俺の答えを流していた少女だったが、途中で気になったのかきょとんとした顔をして聞いてきた。

 

「あー……まぁ、知ってたな」

 

 それ俺だからな。というか白髪ってだけでそう聞かれるのか。網代笠を被るようになってかなり経ったから、特徴とか忘れられてきたのかな? それにしたって性別くらいは知っておいてほしかった。

 ……気付かれないように網代笠を被り始めたのに、いざ忘れられると妙に感じてしまう。

 うん。何だろうな、これ。

 

「悪いな。結構珍しい髪と目だなって思って」

「結構って……。こんな髪と目の色した人なんて他にいるわけないでしょ」

「いやいるよ、ここに」

 

 俺はそう言って隣にいたシロを少女の目の前まで持ってきた。俺は網代笠を被っているがシロは特に何も被っていないため、自分とよく似た容姿をしているシロを見た少女は目を丸くして驚いていた。

 

「わ、ほんとだ……。私と同じ人、初めて見た……」

「えへへ。どうも、初めまして」

「あ、はい。初めまして」

 

 きちんと頭を下げて挨拶をするシロにつられてか、少女も同じように頭を下げて挨拶をしている。少しきつめの目つきのせいで第一印象は微妙だったが、本質は素直な子のようだ。やはり見た目は当てにならんな。

 

「初めまして。俺はハクという。白いって書いてハクだ」

「私はシロといいます。えーと……一応、白いって書いてシロですね」

「え? ってことは二人とも漢字で書くと名前は同じなの? 珍しいね」

「本名というか、正式名称は白孔雀です」

「厳ついな!?」

 

 シロの名前を聞いた少女が大声を出して驚いている。確かにこんな小さい女の子の名前が白孔雀と聞けば、そういう反応をしてしまうのは当然だ。女の子らしくないどころか人間らしくない名前だからな。

 しばし固まっていた少女だが、はっとして一つ咳払いをすると自己紹介をしてくれた。

 

「あーっと……私は藤原妹紅(ふじわらのもこう)だ」

「よろしく。ところで、妹紅は退治人なのか?」

「……どうしてそう思った?」

「どうしても何も、ここの張り紙を真剣に見ているようだったから」

 

 少女―――藤原妹紅に少し気になっていたことを尋ねると、質問を質問で返された。だがその質問に対する答えは実に単純なものだ。もちろん、単に興味があったから見ていただけという可能性も大いにあるが。

 俺が答えると妹紅は、それもそうかと言って肩をすくめた。

 

「いいや、私は妖怪退治を仕事にしているわけじゃないよ。気まぐれに退治してるだけさ。そういうあんたは退治人なの?」

「一応。とは言え、退治する妖怪は選ぶけど」

「ふーん。あんまり強そうに見えないもんね」

 

 同じ質問を返してきた妹紅に、先程の彼女と同じように肩をすくめながら答えると、妹紅は俺を上から下まで見たあとに納得といった感じで頷いた。

 恐らくだが、妹紅は俺の『退治する妖怪を選ぶ』という言葉を『強い妖怪は避け、弱い妖怪だけを相手にしている』という意味で受け取ったんだな。実際は『いい妖怪は避け、悪い妖怪だけを相手にしている』わけだが。

 

「まぁ純粋な力量ではシロのほうが強いしな」

「え、この子のほうが強いの? 冗談でしょ?」

「……」

 

 疑い百パーセントといった感じに苦笑している妹紅に、俺もシロも返事はせず目を逸らす。

 彼女は完全に冗談だと思っているようだがマジである。シロは俺が今まで白孔雀に溜めた力を使うことができる上、彼女自身の力もかなり強力だ。力比べなんてしたら一秒も持たない自信がある。

 

「……さて、さっき見ようとした張り紙は、と」

「えーと……これですね」

「……何で冗談って明言しないの?」

 

 眉をひそめている妹紅は一先ず置いておいて、先程見ようとしていた張り紙に視線を戻す。妹紅は少し不満げだったが、深く追及はせず俺たちと同じように一番手前に張られている紙を眺めた。

 えーと、どれどれ。

 

「二日前にこの町で暴れた妖怪のことらしいな。えー……、深夜にこの町を襲撃。幸い騒ぎに気付いた退治人が追い払ったため怪我人は出なかったが、複数の建物が破壊された。その妖怪は町の外へ逃走。特徴は……」

「少女の姿をしていて、腰まで届く青みがかった銀髪に赤い瞳。普段は隠していたようだが、このときは頭に二本の角があった……と」

「結構詳しく書かれているな。思ったより探すのは簡単そうだ」

「……んー?」

 

 説明を読んだ妹紅は楽勝楽勝と言っているが、この説明文少し違和感があるな。

 

「シロはどう思う?」

「何だかおかしいですね、この説明」

「え、どこが?」

 

 横で俺と同じように首を傾げているシロに聞いてみると、彼女もこの説明文に違和感を感じているようだ。特に何も感じていないらしい妹紅は別の意味で首を傾げており、その様子を見たシロが解説をしている。

 

「これ、容姿について詳しく書かれ過ぎです。深夜の出来事だというのに妖怪の髪や瞳の色まで書かれてます。それに二本の角も普段は隠してあるとどうしてわかるのか……」

「あ、言われてみれば……」

「二日前の夜っていうと満月でしたね。でもいくら月明かりがあるからといっても断定はできないはず。これは少し調べてみないとわかりませんね」

「はー……なるほど、すごいな」

 

 シロの説明を聞いた妹紅は心底感心したように何度も頷いている。シロは見かけによらず鋭いからな。

 さて、この妖怪のことだがシロの言う通り、少し調べてみないとわからない。そしてわからないものが気になってしまうのは当然、というわけで。

 

「よし、じゃあ調べに行くか。まずは聞き込みとかだな」

「はい、了解です」

「妹紅はどうする? ついてくるか?」

「……へ?」

 

 ここで会ったのも何かの縁だと思い、口元に手を当てて考え事をしている妹紅を誘ってみると素っ頓狂な声を出された。そんなにおかしなことを言ったつもりはないんだが。

 

「……ついていって大丈夫なの?」

「? もちろん。何の問題もないけど?」

「そう……? じゃあ少し気になるし、ついていくよ」

「おう、よろしく」

 

 少し悩んでいるようだった妹紅だが、ついてくることにしたようだ。自分がいると仕事の邪魔になるとでも思っていたのだろうか。だとすると本当に優しい少女だな。

 

「よーし、行くぞシロ! 俺についてこーい! レッツゴー!」

「はーい、ハク様ー!」

 

 気合を入れるため、掛け声を上げつつ拳を空に突き上げる。意外にノリのいいシロも同様に拳を上げているのだが、こいつは何してもかわいいな。

 

 さて、まずは…………そうだな、甘味処にでも行ってみるか。情報収集するのが目的なら人が集まるような場所のほうがいいだろう。

 別に団子が食べたいわけじゃないぞ。あくまで目的は情報収集だ。まぁ店に入って話を聞くだけというのは悪いから少しは団子を注文すると思うけど。

 

 誰にするというわけでもない言い訳を心の中で並べながら、まだ見ぬ団子…………ではなく情報を求めて歩き出すのだった。

 

「……『ハク様』って…………一体どういう関係なんだろう……」

 

 そんな俺たちの後ろを妹紅がついてくる。何か独り言を言っているようだが、考え事をするのが好きなのだろうか。まぁしっかりついてきているようだし、はぐれたりはしないだろう。

 

 

 

----------------------------------------

 

 

 

 個人的な理由から強い妖怪を探しては退治する日々を送っていた私―――藤原妹紅は、とある町で妖怪退治依頼の張り紙を見ていたところ、二人の人間と出会った。

 

 一人は十以下と思われる少女で、穏やかで優しそうな雰囲気を持っていた。だが何より私を驚かせたのは、その少女が自分と同じ白髪赤目だったということだ。

 そしてもう一人は網代笠に刀を二つ帯刀している青年だ。その如何にも怪しい出で立ちのせいで第一印象は微妙だったが、話してみると予想以上に普通の人だった。やはり見た目は当てにならない。

 

 さて、私は今、そんな二人に誘われて張り紙に書いてあった妖怪について調べるため、甘味処に立ち寄っている。といっても私は二人についていっているだけであり、その二人も注文した団子を食べているだけなので、調べているのかというと違うのだが。

 

「ほら、妹紅も食え。そこにあるのはお前の分だぞ」

「あ、うん。ありがと」

「ハク様、この団子美味しいです!」

「おー、そりゃよかった。ちゃんと噛んで食べろよ」

 

 本来なら情報収集しなくていいのかと聞くところなのだが、二人とも幸せそうに団子を食べている上、差し出された団子を食べてしまった私では強く言うことはできない。

 ……あ、美味しい。

 

「……よし、もう十分堪能したな。俺たちはここに妖怪の話を聞きに来たんだ。団子を食べに来たわけじゃないぞ」

 

 いや、合計十本食べたあとに言われても……。

 

「はっ! 忘れてました!」

 

 案の定である。

 

 ハクは話を聞いてくると言って店の主人のほうへ歩いて行った。残された私とシロは団子を食べながら待っているのだが、あまり親しくない人と同じ席にいるというのは少し気まずい。だが彼女のほうはそんなことはないようで相変わらずニコニコとしている。

 ふと先程思った二人の関係性について聞いてみようと思い、隣で両手で湯呑みを持ってお茶を飲んでいるシロに質問することにした。

 

「シロ、少し質問いい?」

「はい、何ですか?」

「あの……ハクとはどういう関係なの?」

「ハク様との関係ですか? うーん…………持ち主と持ち物?」

「え゛。し、シロって奴隷とかなの?」

「いえ? 少し言い方が悪かったですね。ハク様はご主人みたいなものです」

 

 それは奴隷扱いされているということではないのだろうか。いや、今まで見てきた二人は奴隷とその主人のような関係性には見えなかった。見えなかったけれども……少し警戒したほうがいいかもしれない。

 私がそう考えていると話を聞き終わったらしいハクがこちらに戻ってきた。

 

「二人とも、少し面白い話が聞けたから移動する…………どうした?」

「え? いや、別に」

 

 無意識に警戒している感じが出てしまっていたのか、私を見たハクが怪訝な表情で聞いてきた。咄嗟に取り繕いはしたが、ハクは微妙な表情のままだ。とは言え網代笠のせいでほとんど顔は見えないのだが。

 

「シロ、何かあったのか?」

「いえ、少しお話していただけですよ?」

「そう? なんか妹紅の中の俺に対する好感度が下がっているような気がするんだが……まぁいいか。代金は払っておいたから移動しよう」

 

 何気にピンポイントなことを呟きながらハクが外に出る。そこまで顔に出ているのだろうかと思いながら私も外に出て、彼についていった。

 

 

 

「ハク様、面白い話ってどんなことを聞けたんですか?」

「あの張り紙に書いてあった妖怪の話だ。どうやら三年ほど前からこの町に住んでいたらしい。町の人たちはそいつが妖怪だとは知らなかったようだがな」

 

 前を歩くシロとハクの話を聞きながらしばらく歩いていると、とんでもない情報が耳に入ってきた。そのあり得ない内容に思わずその場で固まってしまう。

 

「あーなるほど。だから髪色とか目の色とか、普段は角を隠しているだとか知っていたんですね」

「そうなんだが、あの張り紙に書いてあった内容は普段の姿と襲撃のあった夜の姿が混ぜられてるってことだからなぁ……」

「角を出した本来の姿は、髪や目の色が普段の姿と違う可能性がある、ということですね」

「そういうこと。シロは頭がいいな、よしよし」

「えへへ~」

「ちょ、ちょっと!」

 

 何でもなかったかのように普通に話している二人を呼び止める。私の大声を聞いた二人は立ち止まって振り向いたのだが、その顔はどうしたんだとでも言いたげなきょとんとした表情だった。

 

「妖怪が人間の町に住んでたって、そんなことあるの?」

 

 妖怪とは恐れの象徴、恐怖そのもの。そんな妖怪が人間の町に住むなんて普通はあり得ない事態のはず。だというのにこの二人はそのことに一切触れないで話を続けている。

 そのことをハクに聞くと、一瞬眉をひそめたがすぐに納得したような表情になった。

 

「あ、そうかなるほど。でも町に人外がいるなんて珍しい話じゃないぞ。な、白孔雀?」

「はい、ハク様」

「そ、そうなの?」

 

 二人が顔を見合わせながらうんうんと頷いてる。退治人を名乗るハクがそう言うということは、今までも同じようなことが結構あったのだろうか。というか何故シロのことをわざわざ白孔雀と呼んだのだろう。

 

「町中には妖怪もいれば神もいるし、仙人とかもいたな。最近は宇宙人とか刀の付喪神と会ったりした」

「いやぁ、まさか……」

「案外妹紅の近くにもそういうのがいるかもしれないぞ。気付かなかったってだけでな」

 

 不思議なことじゃないと言うように説明するハクを見て、軽くあしらおうと思っていた私の口が塞がってしまう。ここまできっぱりと言われると、あり得ないと思っていたことでも真実であるかのように聞こえてしまう。全部を信じたわけではないが、全部を嘘とは思えなくなってしまった。

 ……まぁ確かに、私も普通の人間とは違うしね。

 

「おっと、いつの間にか着いてたんだな。ここが目的地だ」

「ここって……修理中の建物がたくさんありますね」

 

 二人の言葉に少し俯いていた顔を上げると、シロの言う通り、壊れた建物がたくさんある場所に着いていた。たくさんの人が集まり、建物の修理をしている真っ最中のようだ。

 ここは恐らく、張り紙に書いてあった妖怪が暴れた場所だろう。ハクはここが目的地と言っていたが、何故こんな場所に来たのだろうか。

 

「お察しの通り、ここは例の妖怪が暴れまわった場所だ。そして暴れまわったということは大量の妖力を使っていたはず」

「それって重要なの?」

「重要だぞ。その妖力を見つけられれば、あとはその持ち主を探すだけだからな。簡単に言うと匂いを追って犯人を見つける、みたいな感じだ」

「なるほど……って、妖力を見つける!?」

「ああ、まぁ見とけって」

 

 熟練の退治人の中には妖力を感じ取ることができる人がいるとは聞いたことがある。だが実際にそんな能力を持った人間に会ったこともなければ噂もほとんど聞かなかったため、作り話だと思っていたのだが……。まさか彼がそこまで力の強い退治人だったとは。

 私も少しは妖力を扱うことができるが、その域に達するのはまだまだ先のことだと感じている。

 

「てことで、シロ頼む」

「はーい」

「…………自分でやるんじゃないの……?」

 

 ドヤ顔で説明していたあんたじゃなくて、こんな小さい子にやらせるのか。もしかしたらハクは妖力を追うということができないのかもしれない。というか何故シロができるのだ……。

 ハクに頼まれ、目を閉じて集中し始めたシロだったが、少しすると目を開けて不思議そうな表情をした。

 

「どうした、シロ?」

「うーん、どうしてか違う種類の妖力を二つ感じるんですが……。ハク様、例の妖怪は二人いるんですか?」

「いや、そんな話は聞いていない。多分一人だけだろう」

「……ですが、やっぱり二つ感じます。ここには二人妖怪がいたと思うのですが……」

「シロがそう感じるなら、それで間違いないだろう。妖力がどっちの方向に濃く残っているかはわかるか?」

「はい、二つとも同じ方向で、真っすぐこの方向に向かってますね」

「よーし、よくできたな、シロ」

 

 シロが町の外に見える山のほうを指さしながらハクに説明する。それを聞いたハクはうむうむと頷きながらシロの頭をなでているのだが……何故そんなに誇らしげなのだろう。ハクは何もしてないでしょ。

 

「じゃ早速行こう。距離もそんなに遠くないし」

「……それはいいけどそんなにお気楽でいいの? 妖怪のいる場所に行くんだよ?」

「うーん。楽観視しているわけじゃないけど、今回は大丈夫な気がするからな」

「気がするって……そんな曖昧な」

「大丈夫ですよ。ハク様の勘は当たるんです」

「……はぁ」

 

 今から行く場所には町へ人を襲いに来るような危険な妖怪がいるというのに、緊張感も何もない二人に呆れてため息を吐く。

 ハクのほうは知識はあるようだが戦闘はできそうにない。シロは知識や力はあってもまだ子供だ。こんなに危なっかしいコンビもないだろう。よく今まで生き残ってこれたものだ。

 

 シロの指さした山に向かって歩いてゆく二人を見て再びため息を吐く。

 今回の妖怪は被害の規模からみてかなり強力だということがわかる。私でも戦えば殺されてしまうかもしれない。本当なら引き返すのが正解なんだろう。

 

 それでも私は二人のあとをついていくことにした。妖怪を退治しているのは決して正義のためではないのだが、知り合った人間が死ぬのは気分が悪い。

 そう思い、空を見上げて三度目のため息を吐いたあと、二人を追って歩き出すのだった。

 

 

 

 それに私は、たとえ殺されても、死なないのだから。

 

 

 




妹紅の言葉遣い難しい……。
絶対安定してないわコレw


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第二十八話 白と黒の獣人

前回の投稿から大分時間が経ってしまいましたね、すみません。
そして今回はかなり長くなっています。
ほとんど妹紅視点です。


 

「……この辺りですね。近いです」

 

 張り紙に書いてあった妖怪を追って山に入ってから約二時間が経ったころ、先頭を歩いていたシロがそう告げた。時刻はすでに夕暮れ時で、暗い森の中ということもあって周りが見づらいが、立ち止まって耳をすませると微かに物音が聞こえる。

 

「……これは、妖力のぶつかり合い? どうやらこの近くで妖怪同士が戦っているみたいですね」

「妖怪同士で? どうしてそんな……」

「まぁ妖怪も人間と同じで一括りにはできないからな。人間同士で争うことがあるように、妖怪同士争うこともあるだろう」

 

 シロの報告を聞いた私は疑問に思い首を傾げた。妖怪同士で争うなんて、そんなことがあるのだろうか。

 そんな私の様子を見たハクはあり得ないことではないと言っているのだが、人間を襲うはずの妖怪が争っている理由がわからない。

 

「どういう事情があるのかはわからないが、当人たちのところに行かなきゃ始まらないな」

「ですね。近づいてみましょうか」

「……あのね、妖怪に近づいているんだからもう少し危機感を持ちなよ、二人とも」

 

 音のするほうへずんずん進んでいく二人を見て、本日何度目かわからないため息を吐く。どうしてこの二人は妖怪に対してまったく警戒心を持っていないのだろう。

 二人を死なせないようにとついてきたのだが、ここまで無防備だと守るのは大変そうだ。目を離さないようにしないと。

 

「あ、見つけた。あれだろ」

「ほんとだ。戦ってますね」

 

 少し屈みながらハクの視線の先を追うと、確かに妖力を使いながら戦っている二人が目に入った。

 遠目なのではっきりとはわからないが、片方は張り紙に書いてあった特徴とほぼ一致している女性だ。違う点は頭にあるという二本の角が見当たらないことだけ。正直私には人間にしか見えないのだが、ここまで妖力を追ってきたシロが言うのだから妖怪で間違いないとは思う。

 それとは対照的にもう片方は一目で妖怪とわかる。少し赤の混じった黒髪をした十ほどの少女の姿で、鋭い爪や動物の耳と尾が生えていることから、どうやら妖獣の類のようだ。

 

 何故争っているのかはわからないが、ここは手を出さずに様子を見るのが正解だろう。お互い戦って消耗すれば退治するのも楽になるし、上手くいけば共倒れにも―――

 

「ちょっと止めてくるわ」

「はい」

「うん…………え? はぁ!?」

 

 ハクが一言、まるで『散歩に行ってくる』並みの軽さでそう言いながら立ち上がる。そのあまりにも自然に言い放たれた言葉の意味を理解するのに時間がかかった私を誰が責められよう。というか何故シロは普通に見送っているんだ!?

 

「ちょ、ちょっと待って! ハク!」

「まぁまぁ妹紅さん。ここはハク様に任せましょう」

 

 妖怪のほうへ向かって行ってしまったハクを連れ戻そうとすると、隣で屈んでいたシロに止められた。その表情は先程までと変わらず穏やかなままで、とても知り合いが死にに行っている状況だとは思えないものだった。

 

「任せましょうって……ハクは戦えないんでしょ!?」

「へ? どうしてですか?」

「どうしても何も、妖力の追跡を全部シロに任せてたじゃない!」

 

 ここに来るまでの道案内はすべてシロによるものだ。彼女が妖怪の残した妖力を探知して追跡していたわけだが、ハクはそれを一切手伝っていない。いや、恐らく手伝えないのだ。

 妖力の探知ができなければ戦えないのかといえばそんなことはないが、探知できる者のほうが力の扱いに精通しているのは確かだ。こう言っては何だが、戦闘においては妖力の探知ができないハクより、探知できるシロのほうが頼りになるはずだ。

 

 そう思ってハクを止めようとしたのだが、そのことをシロに伝えると首を傾げてきょとんとした表情になった。だがすぐに得心が行ったような表情に変わり、ああと声を漏らした。

 

「なるほど、そういうことでしたか。でも大丈夫ですよ」

「一体何が大丈夫だって―――」

「……おーい。何が理由で喧嘩してるのかはわからんが、そこまでにしておけー」

「あぁぁ、言ってる間に!」

 

 シロとの問答を繰り返しているうちにハクが妖怪の近くまで行ってしまった。友人に挨拶するくらいの気楽さで仲裁に入った彼を見て、張り紙に書かれていた銀髪の妖怪が困惑しているようだ。

 

「な、何しているんだお前! ここは危険だ、離れていろ!」

「離れていろって言われても、もう近づいちゃったからなぁ」

「だから離れろと言っているんだ! そこにいるのは妖怪だ! 町を襲うような危険なやつだ!」

「…………はー、なるほどね」

 

 銀髪の妖怪が叫ぶようにハクに警告している。その状況を見ていた私は疑問を感じざるを得なかった。ハクを止めるため動かそうとしていた足は、今はピクリともせずその場に立ち尽くしてしまっている。

 妖怪が人間に警告している。そこの妖怪は危ないと、妖怪が人間に言っているのだ。動けなくなってしまうほど混乱するのも無理はないと思う。

 

 私がそれほど混乱しているというのに、ハクは銀髪の妖怪の言葉を聞き、何に納得したのか一人頷いていた。私とは別の理由でその場から動かないハクに、銀髪の妖怪は焦燥しているようだ。

 

「早く行け! ここは私が時間を稼ぐ!」

「まぁ落ち着け。そっちのお前も矛を……というか爪を収めてくれ」

「グウゥゥゥ……!」

 

 焦る妖怪の言葉を流して黒髪の妖獣のほうを向き、同じように戦闘を止めようとするハク。だが黒髪の妖獣のほうは狼のような唸り声を上げるだけで、爪を隠そうともしていない。その様子はまさに獣そのもので、まるでハクの声など聞こえていないようだ。

 

「……言葉が通じないってことはないと思うんだがな。いや、千年前なら言葉が通じる妖怪のほうが珍しかったっけか。言葉が通じないことに疑問を持つようになるとは、時代ってのは常に変化するもんだなぁ」

「な、何を言って―――」

「ガアアアァァ!」

 

 ぶつぶつと独り言を言っているハクに銀髪の妖怪が声をかけようとしたとき、それまで動きを見せなかった黒髪の妖獣が咆哮とともに二人に突進していった。鋭い爪を光らせ、獣じみた動きで目の前の獲物を切り裂こうとハクに肉薄している。

 

「お、おい、お前!」

「!」

 

 銀髪の妖怪の叫びで突進してきている妖獣に気付いたハクは、妖獣の繰り出した爪の横薙ぎを上体を後ろに反らすことで何とかかわした。だが妖怪の動きは止まらず、バランスを崩したハクの右腕を掴むとその鋭利な牙を突き立てた。

 

「ガアウゥ!」

「っ、ハク!」

 

 凄まじい勢いで咬みつかれたハクは思わず二、三歩後ずさる。鋭い牙で貫かれた皮膚から溢れる血を見た私はすぐに助けようとしたのだが、またもシロに腕を掴まれ止められた。

 

「っ! 何してるんだシロ! 今すぐ助けないと!」

「まぁまぁまぁ、落ち着いてください妹紅さん。ハク様なら大丈夫です」

「あんな状態で大丈夫なわけ! …………あれ?」

 

 シロに向けていた視線をハクのほうへ戻す。先程までと変わらずハクは妖怪に咬みつかれ、そこから鮮血が流れ出しているわけなのだが、その光景にどうも違和感を感じる。

 そしてその違和感の正体はすぐにわかった。ハクがまったく痛がっていないのだ。あれだけ深い傷を負えば泣き叫びパニックになってもおかしくないのに、ハクは悲鳴を上げるどころか網代笠の隙間からわずかに見える表情すら変わっていないようだった。

 

 私がその不自然な光景に呆然としていると、ハクが中指を丸めて親指で押さえた左手を妖獣の額の前まで持っていった。中指には力が入っているようで、わずかに震えているのが見える。

 

「ふむ、妖力過多で暴走中ってとこか。ま、生まれて間もない妖怪ならよくあることだ。とりあえず今は眠っておけ」

 

 ハクはそう言うと、押さえていた親指をはなした。必然、解き放たれた中指は勢いよく跳ね上がり、その進路の邪魔となっていた妖獣の額に大ダメージを与えた。小難しく説明してしまったが、要するにデコピンである。

 こんなに細かく説明してしまったのは、そのデコピンを受けた妖獣のリアクションが異常だったからだ。

 デコピンを受けた妖獣は身体を大きく仰け反らせてもなお勢いが止まらず、そのまま上半身を勢いよく地面に叩きつけて後頭部が埋まってしまった。空中だったら一回転していたかもしれない。

 

「…………」

「…………」

 

 こうして脳内で状況を確認してはいるが、正直絶賛混乱中だ。それはハクの近くにいた銀髪の妖怪も同じようで、口を開けて唖然としている。恐らくだが、今の私も同じような表情をしているだろう。ちなみに、デコピンを受けて気絶している妖獣も同じように口を開けている。私たちと違い白目もむいているわけだが。

 そしてその光景を作り出した当の本人はというと。

 

「やっべ、少しやり過ぎたかな?」

 

 そう呟きながら傷一つない右腕でぽりぽりと頭をかいていた。

 

 

 

「と、とりあえず礼を言う。助かったよ、ありがとう」

「はいよ」

「その……腕は大丈夫なのか?」

「これが大丈夫に見えるか?」

「ああ、全然大丈夫に見える」

「じゃあ大丈夫だ」

 

 咬まれたはずの右腕を銀髪の妖怪に見せるハク。横で気絶している黒髪の妖獣に咬まれ、出血までしていたはずのその腕には傷も傷跡もなく、辺りには血の一滴も見当たらない。そんな状態を見せられては大丈夫だと言うしかないだろう。何がどうなっているのかはわからないが、怪我がなくてよかった。

 というかそんな風にハクを心配している様子を見せられると、目の前にいるこの人が人間か妖怪かわからなくなってしまう。

 

「私は上白沢慧音(かみしらさわけいね)という。この近くの町に住んでいるんだが、二日前の夜にこの妖獣が町に来てな。何とか追い払いはしたんだが、念には念を入れて退治しておこうと思ってここまで追ってきたんだ」

「え? 待って、自分からここに来たの?」

「そうだが?」

「退治人に追い払われてじゃなくて?」

「退治人……追い払われて? 何のことだ?」

 

 張り紙には『退治人が追い払った』と書かれていたはずだ。だというのにこの妖怪―――慧音の反応からして、そもそも退治人には会ってさえいないようだ。というか慧音の話が本当なら、彼女が妖怪を追い払った退治人本人のような気がする。だがすぐに妖怪を追って行ったのなら張り紙を作れるわけがないし……。

 どういうことかと疑問に思っていると、話を聞いて考えていたハクが一つため息を吐いて話し始めた。

 

「……そこで寝てる妖怪からも話を聞かないとわからないが……。どっちにしろ、いい話ではないと思う」

「一体何の話だ? 君ら三人はあの町から来たのか?」

「ああ。妖怪退治依頼の紙が貼ってあるのを見てな、はるばるここまで来たんだ」

「なるほど、その紙にこの妖獣のことが書かれていたんだな」

「いや、書かれていたのはお前だけ。あの町の中では襲撃したのは慧音ってことになってる。そこで伸びてる妖怪のことは一切書かれてない」

「な、何だと!?」

 

 あの町での認識を知った慧音はかなり動揺しているようだ。まぁ彼女の言ったことが本当だとすれば、町を守るために妖怪と戦ったのに、その妖怪の起こした被害をすべて押し付けられたということになる。そんな話を聞けば動揺もするだろう。

 

「じゃ、じゃあ私は、あの町には……」

「帰らないほうがいいだろう。少なくとも数年はな」

「そ、そんな……」

 

 慧音は絶望といった表情のまま、崩れ落ちるように両膝を突いてしまった。あの町をかなり大切にしていたようだ。やっぱり私には人間にしか見えないなぁ。

 

「くっ……! こんなことになったのも全部そこの妖怪のせいだ! 頭突き百回はしないと気が収まらない!」

 

 前言撤回、やはり妖怪らしい。頭突き百回とか鬼畜過ぎる。

 

「落ち着け落ち着け。こいつにも事情があったんだよ」

「お前に何がわかるっていうんだ!」

「落ち着けっての」

「っ…………悪かった……」

「とりあえず今日はここで野宿だ、どうせ町には戻れないしな。準備するのを手伝ってくれ」

「ああ……手伝うよ」

 

 憤慨していた慧音だったが、ハクの冷静さに引きずられる形で少し落ち着いたようだ。だが気分が落ち込んでいるのは変わらないようで、誰が見てもわかるくらいに元気がない。

 

「自己紹介が遅れたな。俺はハクという。白いって書いてハクだ」

「私はシロです」

「私は妹紅、藤原妹紅だ」

「ああ、よろしく。改めて、助けてくれてありがとう」

「はいはいここ軽く掃除して、これ敷いて、これ準備して、これ組み立てて、ちょっとそっち持ってて、そこの妖怪に毛布かけて」

「ちょ、ちょっと待ってくれ……」

 

 自己紹介もそこそこに、次々に野宿の準備の指示を出すハクに困惑する慧音。その様子を見た私は少し笑いながら準備を手伝った。

 ところで、手ぶらに見えたけどどこからこんなたくさんの荷物を出したのだろう。

 

 

 

----------------------------------------

 

 

 

 そのあと、野宿の準備を終えた私は慧音と黒髪の妖獣に少しの警戒はしつつも大分落ち着くことができていた。それは妖怪がいても対処できる人間が近くにいたことも大きな理由だろう。シロのほうはいいとして、ハクが何故あんなに強いのかは疑問ではあるが。

 

 だが、今ここにハクはいない。野宿の準備のあとでお茶を入れようとしたところで手持ちの水がなくなっていたことに気付き、川か何かを探してくると言って出て行ってしまったのだ。なので今ここにいるのは私とシロ、慧音、そしていまだ気絶したままの黒髪の妖獣だ。

 

 シロ相手ならともかく、慧音とは自身の人見知りな性格と、彼女が妖怪であるという事実から距離がつかみにくい。人間らしいと感じてはいても、警戒を完全に解くのは難しいのだ。シロは相変わらず人懐っこそうなニコニコとした笑顔を浮かべているのだが。

 

「……二人はあの、ハクとかいう男とは長いのか?」

「へ? あ、いや……私は今日、会ったばかりだけど」

「私は話せるようになってから何年か経ちましたね。一緒にいた時間はもっと長いですが」

「? そ、そうか……?」

 

 私のピリピリとした感じが伝わってしまったのか、それとも彼女も状況をつかみ切れておらず緊張しているのか、おずおずといった感じで質問をしてきた。内容自体はたわいもないもので、この気まずい空気を変えようとしただけのものだということがわかる。

 私は言葉少なに無難な答えを返したが、シロの答えを聞いた慧音は疑問を持ったようで少し首を傾げている。確かに、長い間一緒にいたのに話し始めたのは最近、という答えには私も疑問を感じた。

 

「……彼は一体何者なんだ? 小柄とは言え人間サイズの妖怪を一撃で、それもデコピンで気絶させるなんて普通の人間ができることではない。だというのに、あのとき彼からは霊力も魔力も妖力すら感じなかった……あれは一体……」

 

 慧音が右手で頭を抱えながら呟くように話している内容は、私がハクに対して感じていた疑問をさらに強めるものだった。いよいよもって普通の退治人どころか、普通の人間か怪しくなってきた。

 わからないことだらけで少し疲れてきてしまい思わずため息を吐いたところで、それまでたき火に小枝を入れていたシロが話し始めた。

 

「力を感じなかったのは抑えていたからですよ。ハク様や私が持っている力は少し珍しいものなので、慧音さんみたいに力を感じることのできる人に会うと怖がられることがあるんです。なのでいつもは力を外に出さないようにしてるんですよ」

「だ、だが本当に何も感じなかったぞ。普通あれだけ威力のある攻撃をすれば、漏れ出る力はあるはずだろ?」

「普通ならそうですが、ハク様は力の扱いに関して右に出る者がいないほどの腕前です。使った力が一切外に漏れ出ないように操ることなんて朝飯前なのです!」

 

 シロは胸を張りながら誇らしそうに説明しているのだが、それを聞いた慧音は目を丸くして驚いていた。私はあまり力の扱いに慣れているわけではないので実感はなかったが、慧音の反応からそれが信じられないほど難しいことだということは理解した。だがまだわからないことはたくさんある。

 

「そんなにすごいことができるのに、どうして力の探知はできないの?」

「いえ、ハク様も探知できますよ。というか私よりも速いし正確です」

「え? そうなの?」

「はい。その証拠に、私が町で妖力を探知したときに、ハク様が『距離もそんなに遠くないし』と言っていたでしょ? 私はおおよその方向を指さしただけなのに」

「……あ、言われてみれば」

 

 確かに、あのときシロは距離については話していなかったのに、ハクはその場所が近いことを知っていた。つまりあの時点で妖力の追跡を済ませていたということだ。

 ハクが力の探知ができることはわかった。だがそうなるとまた一つ疑問が出てくる。

 

「じゃあ何でわざわざシロにやらせてたんだ?」

「あれはただの訓練ですよ。私もそこそこ力は使えますが慣れているわけではないので、ああして経験を積んでるんです」

「な、なるほど……」

 

 シロの答えを聞いた私は座ったまま体を後ろに反らして、すっかり暗くなった空を見ながら息を吐いた。

 訓練のためにあえてシロにやらせていたということか。そうなるとシロが妖力を探知できたときのハクの反応にも納得できる。例えるなら娘の成長を喜ぶ父親といったところかな。まだ二人の関係などよくわからないことはあるが、一先ず納得することができた。

 

「私も少し聞きたいんだが、さっき言っていた君と彼の力が珍しいというのは一体―――」

「……う、うーん…………」

「!」

 

 私からの質問が終わったことを察した慧音がシロに何かを聞こうとしたとき、今まで話していた三人以外の声が聞こえてきた。私がその声の主が誰かわかったときには、慧音は今まで座っていた場所から飛び退き、いつでも戦えるよう構えながらゆっくり起き始めた黒髪の妖獣を睨みつけていた。

 

「……う……ここは……? 私確か……」

「あ、起きましたね。体調はどうです? 痛いところとかありませんか?」

「え……? えっと……頭が少しズキズキするかな……?」

「しばらく気を失ったあとの頭痛はよくあることです。大丈夫ですよ」

「いや、何ていうか……物理的にというか、思いっきり叩かれたあとみたいな―――」

「あーそれもよくあることです全然大丈夫なので全然気にしなくていいですよいいですかいいですね?」

「あ、はい……」

 

 目を覚ました妖獣は少し混乱しているようで、シロが話して落ち着かせようとしている。この場面だけならシロが怪我人を思いやる少女に見えるが、妖獣が気絶した原因を知っている私には洗脳で証拠隠滅しているように見えて少し怖い。

 とりあえず納得した(というか納得させられた)妖獣は未だ意識がはっきりしていないようで辺りをきょろきょろと見回している。だがその目線がシロと私を通り過ぎて慧音のほうへ向いたとき、妖獣は今までのぼーっとした様子から一転して驚愕と警戒に満ちた表情に変わり、先程の慧音のように距離を取った。

 

「あ、あなたは! あのとき突然襲ってきた妖怪!」

「なっ!? それはこっちのセリフだ! お前のせいであの町に大きな被害が出たんだぞ!」

「ちょ、ちょっと二人とも落ち着いて」

 

 慧音と妖獣のお互いが今にも飛び掛かりそうな勢いで睨み合っている。私とシロが何とか落ち着けようとするが、険悪な空気が薄まることはない。

 どうしたものかと考えていると不意にガサガサと草木をかき分ける音がした。反射的に音のするほうを見るとハク……と思われる男性が歩いてきていた。確信がなかったのは彼が網代笠を被っていなかったからだ。

 

「おう、ただいま。お、ケモミミのほう、目を覚ましたんだな」

「えーと……ハク、で合ってる?」

「ん? 如何にも俺はハク、白いって書いてハクだが、何を今更…………ああ、網代笠を取ったからか」

「……ハクも髪、白かったんだ?」

「白いって書いてハクだからな」

「おかえりなさいです、ハク様」

 

 念のために聞いてみると、彼は当然だろといった感じに肯定した。ハクは少し首を傾げていたが、何故私がそんな質問をしたかはすぐにわかったようで、自分の髪を触りながらなるほどと言った。

 網代笠を取ったハクの髪の毛は私やシロと同じ混じり気のない白髪だった。夜の森の中で光源はたき火だけだったのではっきりとは言えなかったが、本人が肯定したことから間違いないだろう。

 

 それにしても、今日だけで自分と同じ髪色の人とこんなに会うとは……。

 

「ところで、これは何の騒ぎだ?」

「あ、そうだ。実は―――」

 

 未だにいがみ合っている慧音と妖獣を見てハクが再び首を傾げているため、こうなった経緯を説明する。話を聞いたハクは右手を顎に当てながら小さくふむと呟くと、二人のもとへ向かって行った。

 

「慧音、ただいま」

「む、ハク。帰ってきていたのか。悪いが今は呑気に挨拶などできる状況じゃないんだ。念のためこいつを拘束するのを手伝ってくれ」

「いや、俺は拘束をするつもりはない。そんなことすればまともに話も聞けなくなるだろ?」

「妖怪の話など聞くだけ無駄だ! やつらは人間の敵なんだぞ!」

「お前も半分は妖怪だろ」

「なっ……」

 

 ものすごい剣幕で怒鳴っていた慧音だったが、ハクの一言で先程までの怒気がすべて抜け落ち、呆然とした表情で固まってしまった。多分『半分妖怪』という部分に反応したと思うんだけど……。

 

「…………気付いていたのか」

「そりゃ俺は退治人だからな。それに相手が妖怪か人間かそれ以外かを調べるのは得意だ」

「……そうか」

「……はぁ。いいか? 俺が言いたいのは、たとえ人外でも人間と同じように誰かを大切に思うことができるって話だ。半分妖怪のお前が人間を大切に思っているようにな」

「…………」

「妖怪も人間と同じで一括りにはできない。ああ見えてシロも妖怪だぞ?」

「な……、それは本当か……!?」

 

 ハクの言葉を聞いた私たちは横でニコニコしながらピースしているシロを見る。この人畜無害でちっこくてかわいい少女が妖怪って……にわかには信じられない話だ。反対に慧音が半分人間半分妖怪だということは意外にあっさり受け入れられた。理由は彼女自身がすでに人間らしかったからだろう。

 

 ハクはすっかり勢いのなくなった慧音の頭をポンポンとなでると、何が何やらといった顔をしていた妖獣のほうを向いて肩をすくめた。

 

「初めまして、俺はハクという。白いって書いてハクだ。よろしく」

「え……あ、わ、私は今泉影狼(いまいずみかげろう)。よろしく……」

「早速で悪いが今回の出来事の経緯を聞きたい。二日前の夜から今にかけてまで何があったか聞いてもいいか?」

「う、うん。わかった……。覚えてることなら……」

 

 

 

「…………二人の話からして、多分こういうことだろう」

 

 慧音と影狼と名乗った妖獣の二人の話を聞いたハクは、今回の出来事のあらましを説明してくれた。当の二人もずいぶん大人しくなり、ハクの話を静かに聞いていた。

 

 内容はこうだ。まず町にあった張り紙には『町を襲った妖怪を退治人が追い払った』と書かれていた。ここでいう妖怪とは慧音のことで、退治人はあの町にいる誰かのことだ。だが実際には町を襲った妖怪は影狼で、追い払ったのが慧音だということが二人の話でわかった。シロが二つの妖力を感じたと言っていたのは正しかったというわけだ。

 

 ここからはハクの推測らしい。あの町で二人が戦って影狼が逃げたあと、近くにいた退治人が騒ぎに気付いて現場に向かい、そこで見たのが破壊された建物と慧音だった。必然、その退治人はこの惨状を作ったのは慧音だと判断した、ということらしい。要するに勘違いしてしまったのだ。

 

「自分が追い払ったことにしたのは名声が欲しかったのか、単に混乱していただけか、はたまたそれ以外の理由か……。ま、何でもいいけどな」

 

 話を一区切りつけたハクは大きく息をついて、話しながら入れていたお茶を飲んだ。一応私たちの手元にもお茶はあるが、ハクとシロ以外は話に集中しているせいでまったく手を付けていない。

 

「それで影狼のことだが、あの町を襲うつもりがなかったというのは本当だろうな」

「何故そう言えるんだ?」

「襲うつもりだったらもっと被害は大きかっただろうからだ。多分影狼は狼の妖怪だよな?」

「へ? そ、そうだけど」

「その事件があったのは満月の夜だ。狼と満月っていうのは関係が深い。狼の妖怪が満月の日に妖力が著しく高まったりするのは珍しくないが、被害は複数の建物が破壊される程度で済んでいる。その被害だって慧音と戦ったときの流れ弾でそうなっただけらしいしな」

 

 慧音の疑問にハクが再び説明を始める。話を聞いていた影狼は申し訳なさそうな顔をしながら頬をかいていた。それにしてもハクはその被害を『その程度』で済ませるのか……。

 

「まとめると、影狼がたまたま町の近くに行ったときに慧音が襲撃と勘違いして交戦。もともと戦うつもりのなかった影狼は牽制しつつさっさと逃げたが、扱い慣れていない妖力を無理に使ったせいで軽く暴走。それでも何とか抑えていたけど、追ってきた慧音と再度交戦したときに完全に理性が飛んだんだろうな。俺がここで影狼を見たときはまさに獣って感じだったから」

「ああ、最初と雰囲気が大分違うと思ったがそういう理由か……。え、ちょっと待て。その説明だと今回の件は私が悪いような……」

「別にお前が悪いとは言わないが、運は悪かったかな」

「う……」

 

 今度は慧音が申し訳なさそうな顔をして額を押さえた。まぁ今回の件は自分の早とちりのせいで大事になったということを知れば無理もない。

 最初に会ったときの影狼があんな状態だった理由も納得できた。そういえばハクが影狼にデコピンする直前、『妖力過多で暴走中か』と言っていたなと思い出す。

 

「ふー……。一通り謎が解けてすっきりした。さっき釣ってきておいた魚でも焼こ」

「……すまない。迷惑をかけたな、ハク。シロと妹紅も面倒事に巻き込んでしまった。……それに影狼も、すまなかった」

「わ、私も迷惑かけてごめんなさい。あと妖怪だからってすぐ退治しないでくれてありがとう、です……」

「いえいえ、丸く収まって何よりです」

「うん、私も同感」

「……ありがとう」

 

 どこからか出した下処理済みの魚を串にさして焼き始めたハクに変わって、二人の謝罪と感謝を受け取る。と言っても私はまったく何もしていないと言っても過言ではないのだが。

 

「妖怪を二人も目の前にして、手を出さず話を聞いて考えてくれただけで十分すぎるほどだ、妹紅」

「……ハクは心でも読めるの?」

「はは、まさか。俺は妖怪でも半妖でもない、ただの普通の人間だ」

「そうは思えないけどね」

 

 考えていたことの返答を唐突にもらった私は驚きを通り越して呆れてしまう。ここまで万能な普通の人間がいてたまるかと突っ込むと、ハクは軽く肩をすくめながらそりゃそうだと言って小さく笑った。

 

「……さて、今日はもう疲れたと思うがこれだけは決めておかなきゃな。これから慧音と影狼はどうするんだ?」

「どうするって?」

「慧音はもうあの町には帰らないほうがいいだろう。少なくとも数年、数十年はな。影狼もそう力の扱いが不安定だと、次に同じことが起こったら退治されるかもしれない」

「それは……」

「うぅ……」

 

 ハクの質問に二人は俯き黙ってしまった。でもそれは当然のことで、今の二人はあまりいい状況ではない。今後どうするかを慎重に決めなければならないのだ。

 二人がこれからどうするかを悩んでいる中、悩む原因となった質問をしたハクは焼いている魚から目を離さずに二人にある提案をした。

 

「そこでだ。どうだ、予定が無かったら二人とも俺たちと一緒に来ないか?」

「「……へ?」」

 

 ハクの提案に俯いていた二人は同時にふっと顔を上げた。その表情は魂が抜けてしまったのではないかと思うほどに呆然としてる。そんな二人の様子をまったく気にせずに相変わらず魚を焼きながらハクは言葉を続けた。

 

「妖怪はすべて危険だという認識が広まっているのは知っているが、せめて半分妖怪の慧音には妖怪にもいいやつがいることを知っておいてもらいたい。じゃないと俺の友人まで退治されかねないしな」

「友人って、もしかして妖怪のか?」

「ああ、面白いやつらだぞ。いい機会だから会いに行こうと思う、よかったらついてこいよ。影狼には道中、力の使い方を教える。目的地に着いてからはそこに残るのもいいだろう。強いやつらばかりだから人間も退治しに来ることはほとんどない。ほれ、魚焼けたぞ」

 

 二人に自分の考えを話しながら焼きあがった魚に塩を振って全員に配るハク。慧音と影狼は受け取りながらも真剣にハクの案を考えているようだ。ちなみにシロは受け取ってすぐにパクついていた。

 

「はむ。…………ん、まぁ無理にとは言わないよ。でも考えてはみてくれ」

「……そうだな、わかった。私はハクの案に乗るよ」

「え、ちょっと決めるの早いんじゃない……?」

 

 割とあっさりと決めてしまった慧音につい言葉が漏れる。彼女はもっと慎重も物事を決めるイメージがあったのだが、吹っ切れたのだろうか。もしくはいろいろあり過ぎて思考停止しているとか。

 

「ああ、そうかもな。でも投げやりになっているわけじゃないぞ、ちゃんと考えての答えだ。人間に害意のない妖怪が実際にいる以上、自分の固定観念を改めなくてはならないのは確かだ。それに……」

「それに?」

「ハクの言う通りだと思ったのさ。私も半分とは言え妖怪なんだ、いつまでも見て見ぬふりもできないだろう。現状を変えるにはいい機会だ。だからついていくよ」

「……」

 

 強い人だ。純粋にそう思った。

 自分が半妖だということを彼女自身が良く思っていないということは今までの反応でなんとなくわかっていた。だからこそそれを受け入れて前に進もうとしている彼女に対して尊敬に似た想いを抱いてしまってもおかしくはないだろう。

 

 慧音の話を聞いたハクは一つ頷くと、影狼のほうへ視線を移した。

 

「影狼はどうする?」

「あ、わ、私も一緒に行きたい。私、他の妖怪ってまだ見たことなかったから、会ってみたい……です。でもちょっと聞きたいことが……」

「何だ?」

「ハクさんって…………強いの?」

「え」

 

 影狼の疑問を聞いて浮かんだ「当然でしょ」という言葉を辛うじて飲み込む。そういえば彼女がハクと会ったときは暴走状態だったため、何があったのか覚えていないのだった。忘れている原因はあくまで妖力の暴走であって、あのデコピンではないはず。

 その疑問を聞いたハクは立ち上がり、自信満々な様子で仁王立ちしながらもちろんと言った。

 

「そりゃもう、めちゃくちゃ強いぞ俺は。影狼が相手だとしたら、満月の日だったとしてもデコピン一つで倒せるぐらい強い」

「ええ? それはいくら何でも言い過ぎじゃ……」

 

 疑い百パーセントといった感じに苦笑している影狼に、彼女以外の全員が返事をせずに目を逸らす。

 影狼は完全に冗談だと思っているようだが、先程実際にそれをやってのけた人が目の前にいることを私たちは知っている。考えてみるとそんなに強い人が近くにいるというのは心強くもあるけど怖くもあるなぁ。

 

 ていうか、最近私自身がこんな反応をされたような気が……。

 

「よし、とりあえず二人はどうするか決まったな。で、最後に……妹紅はどうする?」

「……へ、私?」

 

 ハクからの急な質問に少し反応が遅れる。先程まで二人を真剣に……ではないけど、二人をほうをずっと見ていたハクの黒い瞳は、今はこちらを向いている。

 

「そう、妹紅。俺たちは早めに、できれば明日には出発しようと思っているが、妹紅はその……どうする?」

「どうするって?」

「あの町に戻るか、一緒に来るかだ。ついてきてもいいけど、普通の人間にはちょっと厳しい旅になるかもしれない。平穏無事に目的地に到着したとしても、それは何十年も先の話だ。妖怪ならそのくらいの年月は大したことないが、普通の人間には長すぎる時間だろう」

 

 あ、そっか。私のことをただの人間だと思ってるなら、何年もかかる旅に連れて行こうとは考えないか。それに普通は家族とか友人もいるわけだしね。

 と、そこまで考えてからごく自然にその時間のかかる旅をしようとしている人間が目の前にいることに気が付いた。

 

「それならハクもシロも……あ、シロは妖怪なんだっけ。でもハクは普通の人間なんでしょ?」

「あー……、寿命がものすごく長い普通の人間だ。たかが数十年や数百年じゃ寿命は来ない体質なんだ」

「えっ!? は、ハクも!?」

「……『も』?」

 

 ハクから聞かされた事実に衝撃を受けた私は、驚きのあまりハクに詰め寄ってしまった。それでも未だ冷静なままのハクは私の言った言葉の一部に疑問を持ったようだが、今の私にそれを気にする余裕はない。「それのどこが普通だ」と突っ込むことも忘れていた。

 

「ど、どうして……もしかしてハクもあの薬を……? でもあの薬がいくつもあるなんて話は聞いてないし……」

「何がどうしたかわからんが落ち着け」

「で、でも本当に不老だとしたらそれ以外の方法なんかあり得ないし……。だとしたら……もしかして……」

「おい、こっち見ろ妹紅」

 

 突然自分の顔を挟むように手が添えられたかと思うと、ぐいと向きを変えられた。急なことに驚いて真正面を見ると、視界いっぱいにハクの顔があった。

 …………ていうか、ち、近っ!?

 

「少し落ち着け。驚くようなことを言ったのは悪かったが」

「う、わわ……わかったから、落ち着いたから」

 

 ハクの言葉というより、ものすごく顔が近いという状況に思考を中断せざるを得なくなった。大丈夫だと伝えるとハクは両手をはなして頷きながら頭をぽんぽんとなでてきた。

 

「よしよし。で、今妹紅が言っていたことだが、『あの薬』が何を指しているのかはわからん。だけど俺の不老体質は少なくとも何かの薬によるものじゃないって医者が言っていたぞ」

「え……そ、そうなの?」

「ああ」

 

 どうやらハクはあの薬を服用して不老不死になったわけではないらしい。ということは輝夜とは無関係ってことかな。

 

「……妹紅も不老体質みたいだな」

「う、うん。正確には不老不死だけど」

「なるほど」

 

 ハクは私が不老不死だということを確認してふーっと息を吐いた。私の頭に乗せていた手をはなして、シロに「俺って今日、何回落ち着けって言った?」と聞いている。

 

 私は薬を飲んで後天的に不老不死になったわけだけれども、目の前の彼はどういう理由でそうなったのだろう。気にはなったが、私自身の経緯があまり人に話したくないものだということを思い出し、開きかけた口は閉じたままにすることにした。

 

 しばらくして、シロから「何回かは忘れましたが過去最多回数だと思います」という返事をもらったハクがこちらに手を伸ばしてきた。

 

「じゃ、妹紅も一緒に来るか?」

「……え?」

 

 彼の言葉に思わず呆けてしまう。こちらに伸ばされている手をたどってハクを見ると、何というか……すべてを包み込むような柔らかく温かい笑顔を浮かべていた。その表情に私はますます呆然としてしまった。

 

「不老不死の先輩として、長い人生の歩み方を教えてやるよ。同じように寿命の長い妖怪との接し方もな」

「…………ついて行っていいの?」

「そりゃもちろん。みんなもいいだろ?」

「はい、もちろん」

「大丈夫、です」

「ああ、全然かまわない。まぁ私と影狼はとやかく言える立場ではないが」

「そ、そうでした」

 

 伸ばされた手を見つめながら考える。

 

 今日は本当にいろいろなことがあった。よくわからない退治人コンビについて行って妖怪同士の争いを見たと思ったら、二人とも人間に対して妙に友好的だったり。自分とよく似た容姿をした女の子が実は妖怪だったり。網代笠を被った怪しげな男が自分と同じ不老不死だったり。

 これからどれだけの年月を旅したとしても、こんな風変わりな人たちと出会える気はしない。正直に言うと、少し楽しそうだと感じたのだ。

 

「……じゃあ、一緒に行くよ。これからよろしく」

「ああ、歓迎する」

 

 ハクの手を取り握手をする。今日の朝起きたときは、まさか一日でこんなことが起こるとはまったく思っていなかった。人生何があるかわからないものなんだなぁ。

 

「さあ、明日に備えて食べろ食べろ。魚はまだまだあるぞ。妹紅なんか一口も食べてないじゃんか」

「そ、そうだった。いただきます」

「慧音と影狼も遠慮するなよ。あ、影狼は魚より肉のほうが好きか? 手持ちにイノシシ肉があったからついでに焼くか」

「あ、ありがとう……ござ、ます」

「わざわざ敬語を使わなくてもいいぞ、影狼。丁寧に話そうとしているのはいいことだけどな」

「……というかその肉とか魚は一体どこから出しているんだ?」

「ハク様の分は私が焼いておきますねー」

 

 森の中だというのにがやがやと騒がしい。だが決してうるさいわけではなく、むしろ落ち着く不思議な感じだ。こんなに賑やかな食事は初めてで楽しい。

 どこからか肉を取り出して焼き始めるハク。そのそばで恐らくハク用の魚を丁寧に焼いているシロ。ハクの焼く肉を今か今かと待っている影狼。まだ状況に慣れないながらも渡された魚を食べ始める慧音。

 

 バラバラな種族のはずなのに妙な一体感を感じる。それが何だか面白く、同時に嬉しくもあった。『違和感もなく、ごく自然に受け入れられている』と、そう感じたからだ。

 

 自分の表情が今までにないくらい穏やかなものになっていることを自覚しながら、持っている魚を食べるのだった。

 

 

 

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「不老不死の薬…………『蓬莱の薬』か」

 

 よだれを垂らしながら待っていた影狼に焼きあがった肉を渡しながら小さく呟いた言葉は、誰にも聞こえることなく賑やかな森の中へ消えていった。

 

「ところでハク様。これからどこに行くんですか?」

 

 焼きあがった魚を手渡してくれながらシロが俺に質問する。そういえばどこに行くかはまだ言っていなかったな。

 もらった魚を一口食べたあと、シロの頭をなでながら次の目的地をここにいる全員に伝えることにした。

 

「今から俺たちが行くのは、妖怪の山だ」

 

 

 



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第二十九話 再び、妖怪の山へ

今まで一話当たりの文字数を6000字程度に抑えようとしていましたが、変なところでぶっつり切るのも何だかなーと思って止めました。


 

 俺の今までの旅はほとんどが一人旅であり、一緒に旅をしたのは紫とシロだけだ。つまり最大でも二人旅までしかしたことはなかったのだが、先日の一件でなんと五人旅にまで人数が増えた。

 そしてその五人は『元月人』『刀の付喪神』『蓬莱人』『ワーハクタク』『狼女』と、見事にバラバラだ。ここまで共通点がないと逆に面白い。

 

 さて、ここで今回一緒に旅をしている方々の説明を軽くしておこう。

 

 まずは慧音について。彼女は半分人間半分妖怪の半獣人だ。その妖怪の部分は白沢と呼ばれる中国の聖獣らしい。なかなかの大物だった。

 ワーハクタクには先天的と後天的のものがあるらしいが、彼女の場合は後者であり、元は普通の人間だったようだ。満月を見ると白沢の部分が強くなり、髪の色が緑がかったものに変化して角や尻尾が生える。本人は妖怪化した容姿があまり好きではないようだが、俺としてはどちらの慧音も普通にかわいいので問題なかった。まぁそれを伝えると顔を真っ赤にして怒られるが。

 ちなみに能力は歴史を操るというもの。これもまた大物らしい能力だな。

 

 次は影狼について。彼女も獣人だが慧音とは違い純粋な妖怪だ。だが人間に敵対心を持っていなかったり、満月の日に毛深くなるのを気にしていたりと妙に人間らしい。まぁ俺としては満月の日の影狼も普通にかわいいから問題なかった。それを伝えると顔を赤くして黙りこくってしまうが。

 妖怪としての力はそれほど強くないが、まだ生まれて数年しか経っていないことを考えれば伸びしろは十分だろう。その上大人しく素直なので教えたことをどんどん吸収する。百年もすればかなり強い妖怪となるだろう。

 

 最後に妹紅について。蓬莱の薬を飲んだ地上人、つまり不老不死の少女である。退治人のようなことをしているとは言っていたが、力量も技術もまだまだ未熟だ。それは本人も自覚しているらしく、影狼との訓練のときは必ず妹紅も参加してくる。影狼同様かなり筋はいいので、教えているこちらとしても楽しい。

 彼女は自身の髪や目の色、または不老不死のことを指して化物のようだと自虐することがあるが、俺やシロも似たようなものだと言うとすぐに訂正してくる。優しい子だ。ついでにかわいい。

 

 妹紅の過去については聞いていないし詮索するつもりもない。

 帝へ届けられたはずの蓬莱の薬を何故妹紅が服用しているのか。その経緯は。理由は。あるいは何か目的があるのか。そもそもどこで蓬莱の薬のことを知ったのか、などなど。

 わからないことはあるが、どれも円満に終わる話ではなさそうだからだ。俺が蓬莱の薬を知っていることを彼女に言わないのもそれが理由だ。

 

 だが少なくとも今の妹紅からは悪い感じはしない。それに帝に届けられた日時や彼女の容姿からして、今の妹紅はまだ二十歳前後だろう。いくら蓬莱の薬で不老不死になろうとも、心は変わっていくものだ。彼女自身が彼女自身の心に整理をつけ、誰かに過去を話したくなったら聞いてやればいい。

 それまでは少し変わった、しかし穏やかな日常を過ごすことにしよう。

 

 

 

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 そんな三人を加えた俺たちが妖怪の山を目指して旅を始めてから数十年が経った。まだ到着していないのかというツッコミは少し待ってくれ。

 確かに妖怪の山を目的地にしていたが、ただひたすらに向かって行くのでは面白くない。ということで通りがかった町や都を観光して回りながらの気ままな旅をしていたのだ。それにすぐ到着したのでは、妹紅や影狼に力の使い方を教える時間が無くなってしまうからな。

 

 だが今となってはほとんど到着したも同然だ。今俺たちがいるのは妖怪の山から一番近い人里だからな。

 

「おー、懐かしい。俺が妖怪の山にいたとき、萃香や勇儀と一緒に来てた人里だ。規模はあのころとあんまり変わってないな」

「てことは、目的地はもう近いのか。いかん、少し緊張してきたな」

「強い妖怪ばかりなのよね。ハクさんから話を聞いているとはいえ……き、緊張するぅ……」

「鬼が頻繁に勝負しに来る人里……にしては移住したりしないんだね。結構人がいる」

「ハク様の提案で無茶な勝負がなくなったからですかね」

 

 俺、慧音、影狼、妹紅、シロの順にこの人里や妖怪の山についての心境を語る。鬼や天狗は話のわかる連中だという話はしているが、慧音と影狼はまだ不安が残っているようだ。二人とも出会ったころよりもかなり強くなっているが、鬼はそれに輪をかけて強力な妖怪だから仕方ないかもしれない。

 

 妹紅のほうはまだこの人里に人が残っていることが不思議なようだ。その疑問を聞いたシロが推測を話しているが、どうしてそれを知っているのだろう。もしかして俺が妖怪の山にいたころから意識があったのだろうか。シロって何歳なんだ……?

 

 ちなみにだが、この五人の中で変化が顕著なのは影狼だけだ。出会ったときはシロと同じ十程度の少女の姿だったが、今は少女と女性の中間くらいまで成長している。

 

 俺とシロ以外はあちこちをきょろきょろとしながら人里を歩いているが、そんなに見てもこの人里自体はおかしなことはないはずだ。というかむしろ、俺たちのほうがここの人たちに不思議がられていると思う。

 

「……あー、お前たち。ここに何の用だ? というか、一体何の集まりだ?」

 

 適当に通りを歩いていたところで、警備をしているらしい人たちに止められた。まぁ俺たちの容姿を見れば当然だろう。

 

 まず俺は網代笠をしていないため、白髪丸出しである。同様にシロも妹紅も慧音も髪を隠すようなものは何も被っていないため、この時点でかなり目立つ。

 そう思いながら目の前で警戒している人たちへの説明を始める。と言っても嘘だが。

 

「何ってただの兄妹だよ」

「兄妹だと? だがその髪色は何だ?」

「これは親の遺伝だ。父も母も生まれつき白髪でな、それで俺たちもこんな髪色だ」

「……なるほど。なら何故そこのお嬢さんだけ黒髪なんだ?」

 

 目の前の警備の人が俺の後ろを指さしながら質問する。示された先を見てみると、網代笠を被った影狼のことを言っているようだ。

 

 この五人の中で網代笠をしているのは影狼だけだ。白髪についての言い訳は何とでもなるが、さすがにケモミミはフォローしようがない。なので人のいる場所に行くときは俺の網代笠を貸しているというわけだ。

 だが影狼はその長い黒髪を笠の中に隠しているわけではないので、そこを指摘された。

 

「ああ、あいつは祖父か祖母の先祖返りらしい。本人はみんなと同じじゃないって気にしていつも笠を被っている。気にしなくていいって言ってるんだがな……」

「……むう」

「まぁ最近は大分落ち着いてきて、髪を伸ばしたりしているから良かったよ。人見知りは相変わらずだが」

「お前が一番上か?」

「ああ。……俺も妹たちも何もしないと誓うよ。だから買い物だけでもさせてくれないか?」

「……わかった。好きなだけ滞在していい」

「ありがとよ」

「家族を大切にしているんだな」

「当たり前だろ」

 

 警備の人に軽く手を上げて挨拶すると、彼らは一つ頷いてその場を立ち去っていった。それを見送った俺はふーっと大きく一息吐いた。

 どやぁ……俺の演技力も大したもんだろ。上手くいったことに少し得意げになっていると、それを見た妹紅が少し呆れ気味に笑った。

 

「……いつも思うけど、よくもあんなにすらすらと作り話を話せるもんだね」

「正直に言ったら追い出されること間違いなしだからな。一応父親と母親の馴れ初めとか慧音の微妙な髪色の違いの理由とかも考えてるぞ、聞くか?」

「いやいいよ、そんな架空の家族の話なんて聞かなくても」

「今回私は先祖返りの黒髪の人見知りか……」

「まぁ前みたいな墨で黒く染めてるっていう設定よりはいいんじゃないか?」

「あはは……」

「さて、予想以上に早く着いたな。太陽が真上を通り過ぎるまでまだ時間がある。これなら今日中に妖怪の山に行ってもいいだろう」

 

 空を見上げると雲一つない晴天だ。おかげで太陽の光が雲に邪魔されず真っすぐ目に入るので少し眩しい。懐かしい友人たちと会うにはいい日だろう。

 

「じゃあ各自さっき言ったものを買って、一時間後にここに集合だ。オーケー?」

「「「「了解」」」」

「よし、散開!」

 

 合図とともに全員がバラバラの方向に向かう。さっき言ったものというのは要するに土産なのだが、鬼連中にはあれで十分すぎるだろ。というかそれ以外のものは論外と言われるかもしれない。

 

 そんなことを考えながら俺も例のものを探して歩き出した。

 

 

 

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「妖力の場所からしてこっちだな。うわー懐かしいな」

「ハク、さっきからそればかり言っているぞ」

「仕方ないだろ、本当に久しぶりなんだから。ここにいたのはもう何百年も前なんだぞ?」

「むしろそんなに長い間、よく戻らなかったわね」

 

 無意識に『懐かしい』を連呼していたことを慧音に笑われてしまったりしながら妖力探知を行う。景色は当然変わってしまっているが、彼女たちの強力な妖力のおかげで道に迷うことはなさそうだ。

 

「…………ん?」

「? どうしました、ハク様?」

 

 しばらく歩いてきたところでふいに違和感を感じ、声が漏れる。振り返り違和感を感じた場所を調べてみると、何か妙なものを感じた。

 

「何だこれ……結界か?」

「へ? …………あ、言われてみれば何かありますね」

 

 シロが遅れて反応するが、他の三人には何も感じないらしく、一様に頭に疑問符が浮かんでいる。

 シロでも感じるのが難しいほど弱い結界のようなものが張ってある。だがこれは……。

 

「……何の効力もないな、これ。目印か何かかな?」

「ここから先は自分たちの領域だって警告するための線引き、みたいなもの?」

「それなら普通の人間にもわかるようにしなきゃ意味がない。これじゃ人妖問わずほとんどの者は気付けないだろう」

「んー、どうしましょう?」

「そうだな、害もなさそうだからとりあえずこのままに…………ん? 誰か来るな」

 

 急速に近づいてくる妖力を探知して、意図不明の結界のことは後回しにする。この結界には警報的な役割も感じなかったんだがな。

 

 数秒後、とてつもない勢いで何かが飛んできた。そのあまりの勢いに周りの木々が揺らめくほどの突風が吹き荒れ、思わず腕で目を覆う。

 

「おや、侵入者は五人ですか。三人だと思ったのですが……」

 

 木々のざわめきが小さくなると、かわりに女性の声が聞こえてきた。腕を下ろし、声のした上空を見上げると真っ黒い翼を広げた黒髪の少女が宙に浮いていた。その翼からして恐らく鴉天狗だろう。

 

「ふむ、珍しい組み合わせですね。妖怪が二人に人間が三人ですか」

「まったくびっくりしたな。あぁ、着物が土やら砂やらで大変だ」

「あややや、これはすみません。急いで来たもので」

 

 少女が起こした突風のおかげで土煙が上がり、俺たちの着物や髪を砂まみれにしてくれた。ずいぶんな歓迎である。

 

「あーあーみんなひどい恰好だぞ。シロ、妹紅、こっちにこい。砂落としてやる。慧音は影狼を頼む」

「わ、わかった」

「あやー……全然驚いていませんねぇ」

 

 とりあえず払い落とせるだけ落としておこう。そう思って近くにいる二人を呼びシロのほうから砂落としを始めた。

 そんな俺たちを黒髪の少女が拍子抜けという感じの表情で見ている。暇なら手伝ってほしいんだが。

 

「そこの天狗さん、話ならあとで聞くから手伝ってくれ。この子を頼むわ、俺は妹紅のほうをやるから」

「え、えぇ~? いや、まぁ確かに私が原因なわけですが……もう、わかりましたよぅ。お嬢ちゃんこっちおいで。…………あれ、私天狗って言ったっけ?」

 

 意外と素直に手伝ってくれるらしい少女にシロを預ける。俺が少女の正体を知っていることに疑問を感じながらも、シロに付いた汚れを丁寧に落としてくれている。あれなら任せて大丈夫だな。

 

「よし、きれいになったぞ影狼。笠を被っていたから髪はさほど汚れずに済んだな」

「ありがとう。次私がやるから、慧音さん少し屈んで」

「妹紅も大分ひどいな。シロと違って髪が長いからな……」

「そういうハクも砂まみれだよ。一番前でまともに突風を受けたからだね」

「マジか……終わったら次頼むわ」

「任せて」

「いたたたたっ! 影狼、もう少し丁寧に頼む!」

「ご、ごめん。木の枝が絡まっちゃってて……」

 

 わーわーと騒ぎながらお互いの汚れを落としあう。動物妖怪が多めということもあって毛づくろいでもしているようだ。

 

 

 

「……とは言えさすがにな。あとでみんなで風呂だなこりゃ」

 

 天狗少女を除いた全員が自分たちの格好を見て空笑いをする。ある程度汚れは落としたものの、手で払うだけでは限界がある。着物も洗わんとな。

 

「お姉さん、ありがとうございます」

「あ、いえいえ」

「まぁ元凶もお姉さんですけどね」

「うぅ……すみません……」

 

 シロが天狗少女に礼を言うと同時に軽く責めている。だがシロの言う通りなので仕方ない。むしろよくぞ言ってくれたと称賛を送りたいくらいだ。

 だが寄ってたかって文句を言うほどではないし、それに少女も反省しているようなのでこの話はここまでとしよう。

 

「それで? 一体何の用だ?」

「ああ……いや、それはこっちのセリフですよ。この山は我々天狗と鬼が支配している地です。ただの人間が足を踏み入れていい場所ではありません」

「ただの人間じゃなきゃいいのか?」

「へ? あー、まぁそれなら……」

「だそうだ。行くぞーみんなー」

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 

 歩き出そうとした俺の前にやってきて、両腕を広げて通せんぼする少女。何だよ、ただの人間じゃないならいいって言ったじゃん。

 

「私の話聞いてました!? ただの人間は通っちゃダメですって! ここは私たちが住んでいる場所なんですから、貴方だって妖怪に会いたくはないでしょう!?」

「ここにいる五人中三人が妖怪だし、別にそうは思わないな。残り二人も普通の人間とは違うから通っていいかなって」

「えぇ~、そう言われましても…………ん? 人間は三人じゃないんですか? 貴方と貴方とお嬢ちゃんの」

 

 少女が『貴方』で俺を、次の『貴方』で妹紅を、次の『お嬢ちゃん』でシロを指さした。お互いまだ名前を知らないからなのだがややこしいな。

 そういえばこの少女は最初に「妖怪が二人に人間が三人」と言っていたな。俺の言ったことと食い違いがあることが気になっているようだ。

 

「俺と妹紅はそこそこ人間だけどシロは妖怪だぞ」

「だって妖力を感じませんよ?」

「別に生命力も霊力も感じないだろ」

「え? ……あ、ほんとだ。っていうか他の力を何にも感じない。これって……」

「ああ、天魔みたいだろ?」

「な、何でその名前を知って……!?」

 

 天魔の名前を出した途端、天狗少女がオーバーなほど驚いた。こうリアクションが大きいとこちらは楽しい。人を驚かせたがる妖怪の気持ちもわかるというものだ。

 よし、ここらでもう一つ驚かせてやろう。

 

「こんなことも知ってるぞ。この山には昔『ハク』って名前の人間がいただろう?」

「え? いや、そんな人間知りませんね」

「………………あれ?」

 

 驚かせようとしたらこちらが驚かされた件について。騙してやろうと待ち構えているやつほど騙しやすいものだということは聞いたことがあるが、少女の顔を見る限り、嘘を言っているわけではなさそうだ。

 

 知らないのか……。もしかして、ここの連中はもう俺のことを忘れているのではないだろうか。考えてみれば数百年前の話だ。覚えているほうが不自然なのかもしれない。

 あり得ないことではないと頭では理解した。だけど、それはやっぱり寂しいな……。

 

「そっか……もう忘れられてるのか……そっか……」

「げ、元気出してくださいハク様。たぶんこの方はまだ若いのでお話を聞いていないだけですよ」

「若いって……こう見えても百年は生きてるんですからね」

「ほらハク様、まだ全然子供みたいなものじゃないですか。天魔さんならきっと覚えていてくれてますって」

「こ、子供みたいなもの……」

「……疑問なんだけど、ハクもシロも何歳なんだろう」

 

 少し気分が落ち込んできた俺の背中をなでながら、シロが励まそうとしてくれている。ああ、この子はなんていい子なんだ。あとで存分になでてあげよう。

 あと何故か天狗少女も少し落ち込む、というか困惑しているようだ。百年生きていることを驚いてほしかったのだろうか。

 

「……そうだな、シロ。実際に天魔とか萃香に聞いてみないとわからないよな。よし、行くか」

「……はっ! いやいやダメですってば!」

「む、なかなか強情な。仕方ない、この手は使いたくなかったが……」

「な、何をするつもりですか……?」

 

 フリーズしていた天狗少女が先程と同じように立ちふさがる。今までの話で俺がこの山と無関係じゃないって察してくれてもいいと思うんだが。

 だがそちらがその気ならこちらにも考えがある。とっておきの手段を使うとしよう。

 

「天魔のほうから来てもらおう」

「…………へ?」

「仕方ないだろ。お前は通してくれないみたいだし、だからって無理矢理通るわけにもいかないし。もし天魔が俺のことを覚えているなら、こうすれば来てくれるかもしれん」

「こ、こうすれば……?」

「今から少し多めに力を放出するぞ。みんなちょっと離れてろ」

 

 今から自分のすることを簡潔に伝えて、みんなを少し遠ざける。十分離れたのを確認してから、俺の中の生命力をコントロールする。

 そう、今からやることは実に単純。俺の力を天魔に感じさせるということだ。

 

 ここから天魔の場所までは少し距離があるだろうし、妖怪の山は妖力に満ちている場所だ。生半可な量では天魔まで届きはしない。

 いろいろ考えた結果、この天狗少女と同程度の力を放出することにした。これだけあれば多分届くだろう。そう思いながら生命力を妖力の集まっている場所に向けて放出した。

 

 あとは天魔が俺の生命力を覚えていてくれれば万事解決なんだが……。

 

 そう考えた数瞬後、とてつもない勢いで何かが飛んできた。だが黒髪の少女のときとは違い、衝撃波も突風も吹き荒れることはなく、まるで瞬間移動でもしたかのような静けさで彼女は俺たちの目の前に現れた。

 

 少し派手な着物を身に纏い、天狗少女と同じような黒髪と黒い翼は森のわずかな光を反射して神々しい雰囲気を醸し出している。そして先程の少女より速く移動してきたはずなのに妖力も霊力も生命力も感じないという異常さ。

 

 ああ、間違いない。

 

「……まさかと思って来てみましたが、そのまさかでしたね」

「久しぶりだな。よく俺の力だってわかったな」

「それはもちろん、貴方の力は特殊ですから。それでなくても友人の力を忘れるわけがないでしょう、ハクさん」

「……そうだな、天魔」

 

 その女性―――天魔は辺りを見渡し、俺を見つけるとゆっくりと近づきその顔をほころばせた。思わず抱きしめてしまいたくなったが、今は大分汚れていることを思い出し辛うじて踏みとどまった。

 先程からいた天狗少女は口をパクパクと開いたり閉じたりしている。金魚かおのれは。

 

「今すぐ再会の喜びやら何やらを語らいたいところではありますが……まずどうしたんですかその恰好は? 後ろの方々も酷いものですね」

「ああ、これな。突風に吹かれてこの有様だ。あとで風呂とか貸してくれないか?」

「それはもちろん構いませんが、突風というと…………(あや)、貴方ですか……」

「ひ、ひゃいっ!?」

 

 どうやら突風という情報だけで犯人が割れてしまったようだ。隠しているつもりはなかったがこんなにあっさりばれるとは。もしかするとこれが最初じゃないのかもしれない。

 

 文と呼ばれた天狗少女は天魔の言葉にビクッとして裏返った声を出した。俺からはただジト目で見つめているだけに見えるが、少女には般若のそれに見えるらしい。

 

「貴方には便利な能力があるのですから、風を起こさないように移動するなど簡単なはずでしょう。幸い相手がハクさんだったからよかったものの……」

「え、俺なら砂まみれになってもよかったってこと?」

「自分よりも圧倒的に格下の相手に無礼を働かれても理性的でいられる人でよかった、という意味ですよ」

「別に格下だなんて思ってないよ。力がすべてじゃないだろ?」

「ええ。ハクさんならそう言うと思っていました」

 

 ニッコリと笑みながら話す天魔。そんなに真っすぐに満面の笑みを向けられるとさすがに少し気恥ずかしい。

 

「あ、あの、お二人はお知り合いなんでしょうか……?」

「そうですよ。貴方も聞いたことあるでしょう? 昔この山に住んでいたハクさんのことを」

「はく……はく…………あ、確かに聞いたことがあります。ありとあらゆる妖術を扱い、並みの妖怪では手も足も出ないほどの戦闘センスを持つっていう……」

「それが彼です」

「え゛」

 

 すごい声出たぞ。

 

「……い、いや、それってもう何百年も前の話でしょう? この人は人間ですし、そんな昔にこの山にいたなんていうのは寿命的にあり得ないのでは……」

「彼、自分を普通の人間だと言っていましたか?」

「言っ……ていませんでした。むしろ、普通の人間とは……違う……と…………え、ほ、ホントに……?」

 

 天魔の誘導によって徐々に俺が話で聞いていた人物だということに気付き始めたようで、天狗少女の顔が少しずつ青ざめていく。

 

 というか俺の名前聞いたことあったのかよ。さっきの俺の落ち込んだ気持ちはどうなるんだ。

 恐らく『ハクって名前の人間』と聞いたからわからなかったんだろうな。『人間』という部分を言わなかったら気付いてくれたかもしれない。

 

「文のことは放っておいて、とりあえず屋敷のほうへ行ってお風呂に入りましょう。後ろの皆さんも、本来人間はこの山に入れないのですが、どうやら普通の人間はいないようですし、何よりハクさんの友人ということなので例外としましょう」

「サンキュー」

「ありがとうございます」

「あ、ありがとう」

「助かるよ」

「お、お邪魔しまーす」

 

 天魔は一つ肩をすくめたあと、俺たちを案内するような仕草をして歩き始めた。各々礼を言って先頭を歩く天魔についていく。

 俺は天魔の横に並んで歩きながら、今までいた場所を見ようと振り向いた。フリーズしたまま動かない天狗少女はそのまま置き去り状態だ。

 

「あいつはどうするんだ?」

「文ですか? 再起動したら勝手に戻ってくるでしょう。噂で聞いていた伝説級の相手を砂まみれにしたことを思い出して顔を真っ青にしながら」

「いや、俺怒ってないから。多分みんなも許してくれるだろ、な?」

「まぁ風呂を借りられる都合のいい理由ができたと考えることにするさ」

「さっすが慧音」

 

 ではみんなで風呂に向かうとしよう。

 

 

 

----------------------------------------

 

 

 

 全員で入れるほど大きな風呂を堪能し、汚れもきれいさっぱり落とした俺たちは、天狗たちが用意してくれた彼らと同じ山伏の服装を着て屋敷の中で寛いでいた。普段は普通の和服なのでこういう服は珍しい。たまには服装をガラッと変えてみるのも悪くないな。

 ちなみに風呂には天魔もついてきた。いろいろ聞きたいことがあるし、ちょうど風呂に入りたかったから、とのことだ。

 

「貴方は妖獣、それで貴方が半獣人、それで貴方は人間だけど不老不死、と。なかなか個性的なメンバーですね。それにまさか白孔雀が妖怪化していたとは」

「会うのは初めてではありませんが、会話するのは初めてですね、天魔さん。白孔雀だと長いので気軽にシロって呼んでください」

「これはどうも、シロさん。それと影狼さん、慧音さん、妹紅さんでしたね。どうぞゆっくりしていってください」

「ど、どうもありがとう」

「すまないな、いきなり来て風呂まで貸してもらって」

「いえ、こちらの不手際な部分もありますので」

 

 俺を除いたみんなと天魔が互いに自己紹介をして歓談している。俺がその様子を眺めていると隣に座っていた妹紅が袖を引っ張ってきた。

 

「……ねぇハク、ホントにこの人が天狗の長なの? 物腰が柔らかいし威圧感もないし、全然強そうに見えないんだけど」

「確かに一見すると強そうには見えないな。でも彼女が本気を出したらこんな屋敷なんて紙切れみたいに吹き飛ぶぞ。俺の知る限り、鬼という強力な妖怪の中でも特に強力な萃香や勇儀を相手に真正面からぶつかれる唯一の天狗だ」

「そ、そんなに強いんだ……!」

 

 小声で聞いてきた妹紅にならって天魔への評価を小声で伝えると、それを聞いた妹紅は小声で驚くという器用なことをしていた。

 

 そういえば萃香と勇儀は今はいないそうだ。二人そろって出かけているらしく、帰ってくるのはもう少し後とのことだ。

 

「…………うん? どうやら文が復活したようですね。すごい勢いでこちらに向かって来ています」

「ああ、さっきの。射命丸文(しゃめいまるあや)だっけ? 今までずっとフリーズしてたのかよ、逆にすげーな」

 

 この屋敷まで歩いて風呂に入って着替えて談笑してと、文と別れてからかなり時間が経ったはずなのだが、今の今まで固まっていたとすると相当な衝撃を受けていたようだ。

 そんなことを考えている間にあっという間に文と思われる力がこの屋敷に到着したと思ったら、間髪入れずに扉が開かれて先程の天狗少女が入ってきた。

 

「て、天魔様! こちらに先程の方はいらっしゃいますか!?」

「いますよ、そこに」

 

 いきなり入ってきた文の問いに、天魔がこちらを手で示しながら冷静に答える。それを聞いた文はこちらに首をグルンと向けて、数メートルあった距離を土下座をしながら高速で滑ってきた。

 こわっ!

 

「すっすすすすみっすみませんでしたぁ!」

「いや、いいよ。怒ってないよ。むしろみんな怖がってるよ、今のお前の奇行に」

「罰を! どうか罰をお与えください!」

「俺の話聞いてた? 別に怒ってないって、風呂にも入れてさっぱりしたし」

「お風呂に入りながら手首をスッパリ切ればよろしいんですか!? わかりました行ってきます!」

「言ってねーよ」

 

 今すぐダッシュで風呂に向かいそうな文を結界で囲いつつ大きくため息を吐く。

 上司と親しくしている人にそうとは知らず失礼な態度を取ってしまい慌てているのはわかるが、こちらの話を聞いてほしい。風呂場で手首を切れって外道過ぎるだろ。

 

「今までどんな話を聞いてきたのかは知らないが、あんなことでは怒らないし、そんな鬼畜な命令もしない。オーケー?」

「お、オーケーです……」

「よかったですね、ハクさんが温和な人で。萃香さんや勇儀さんが相手だったら今ごろ焼き鳥になってましたよ」

「お、おおお温和な人でよかったですぅ……!」

 

 ガクガクブルブルと体を震わせながら、安堵のため息を吐いている文。さすがにあの二人でも焼き鳥にしたりはしないと思うが。多分。

 

 とりあえず俺が怒っていないということはわかったようなので結界を解く。それと同時に俺は立ち上がって自由になった文のもとに向かい、右手を差し出した。

 

「初めまして、俺はハクという。白いって書いてハクだ。よろしく」

「あ、はい……い、いえいえ! 私のようなものがハク様と握手など!」

「俺は昔ここに住んでたってだけで、この山の上下関係には組み込まれていない。よって俺とお前の関係は上司と部下ではなく、知り合いから始まることになる。この右手の意味は『これからは友人としてよろしく』っていう意味だ。納得して了承してくれるなら右手を取ってくれないか?」

「…………」

 

 俺が文にそう言うと、彼女は俺の顔を見てポカーンとした表情のまま固まってしまった。おかしなことを言ったつもりはないんだが。というかまたさっきと同じくらい長く固まってるんじゃないだろうな。

 

 そんな心配をしながら待っていると、思いのほか早く復活した文が小さく吹き出し、そのままくすくすと笑いだした。

 

「……ぷっ、ふふ。変わり者だっていう噂は本当みたいですね。射命丸文です、よろしくお願いします」

「ああ、よろしく。……あとでどんな風に噂されていたか聞かせてくれ、気になるから」

 

 文が差し出した右手をしっかりと取ってそう返事した。

 よしよし、彼女にはさっきまでの事務的なものより、こうフレンドリーな感じのほうが似合っているな。恐らくこちらのほうが素なのだろうと、ニッコリ笑顔の文を見てそう思った。

 

「みなさんも、先程は失礼しました」

「うん。とりあえず妹紅たちも自己紹介を―――」

「あ、自己紹介は少し待ってください。今やると二度手間になってしまいます」

「え?」

「お二人とも、帰って来たみたいですよ」

 

 天魔の言葉に屋敷の扉のほうを向くと、懐かしい気配とともに勢いよく扉が開かれた。

 そこにいたのは大きな壺を二つずつ持った二人の鬼。同種族だというのにその姿は対照的で、一人は幼い容姿に二本の角を、もう一人は女性らしい容姿に赤い一本の角を持っている。

 

「よー、天魔! 今帰ったぞー……お?」

「ただいまー……あれ? お客さんかな? でも天魔がこの屋敷に客を入れるなんて珍し……い…………って、え?」

 

 入ってきたその二人は客が来ていることが珍しいのか、キョロキョロと妹紅たちを見ていたが、その視線が俺と重なると二人ともカチンと動かなくなってしまった。

 

「はは、お前らは本当に変わらないな」

「……これは驚いた。ずいぶんと懐かしい……」

「え? え? ほ、ホントに? ホントのホントに……ハク?」

 

 勇儀が呆けた顔をしながら彼女の声とは思えないほど小さく呟き、萃香が信じられないものでも見たかのような心底驚いた反応をする。

 

「久しぶりだな。如何にも俺はハク、白いって書いて―――」

「ハっクぅーーー!」

「ぐええぇぇ!?」

 

 萃香の疑問に回答してやろうと普段の自己紹介を始めると、いつものフレーズを言い終わる前に萃香が持っていた壺を放り投げ、とてつもない速度で突っ込んできた。

 小さい女の子が抱き着いてきたというだけなら微笑ましいことこの上ないが、その女の子が文字通り鬼のごとき勢いで激突したというのなら話は別だ。

 

「萃香ぁぁぁ! おまっ、俺の右腕が可動域を超えて明後日の方向を向いてるじゃねーか!」

「あははは、本当にハクだ! 今までどこで何してたんだよー! みんな寂しがってたんだからなー! あ、腕ごめん、大丈夫?」

「いや……もう治ったけどさ」

 

 折れ曲がった腕をゴキゴキと音をさせながら適当にもとに戻して修復する。心配するなら最初にしてくれ。てか妹紅たちが引いてるんだが。

 ちなみに萃香が放り投げた壺は勇儀が受け取っていた。両手両足を使って器用にキャッチしている。それどうやってんだ、などと疑問に思っていると勇儀が持っていた計四つの壺を床に置き、クラウチングスタートでもしそうな姿勢になった。

 

 え、ちょっと待て。

 

「ハっクぅーーー!」

「ぐっはあぁぁぁ!? 勇儀ぃぃぃ! お前絶対わざとだろ! わかっててやっただろ! 吐血したぞおい!」

「散々みんなに寂しい思いをさせた罰だよ、甘んじて受け入れな」

「ぐっ……それを言われると弱いが」

 

 未だに俺の腹に頬をこすりつけている萃香と違って、勇儀はそれだけ言うとさっさと離れた。マジで突撃することだけが目的だったんだな。

 

 戻ってくるのが大分遅れたということは自覚しているため勇儀の言うことには納得できる。だが遅くなった代償が右腕と内臓というのはいささか大きすぎるのではないのだろうか。俺に再生能力がなければ普通に重傷だぞ。

 

「よーし! ハクが帰ってきたことだし、今日はド派手に宴会だ!」

「宴会ならいつものことではありませんか?」

「今日は違うぞ、天魔。なんてったって『ド派手に』だからな。ちょうど美味い酒もたんまり持ってきたわけだしな」

「あれ酒だったのか。そうだ、酒なら俺たちも持ってきたぞ。ほら」

 

 萃香と一緒に持ってきていた壺を指さしながらそう言う勇儀に、俺たちが手分けして人里で買った酒の一つを見せる。まぁ鬼への土産なんざこれ以外思いつかんわな。

 

「さすがわかってるねハク。じゃあ早速準備しよう。おらぁ! 鬼ども天狗ども集まれー!」

「あいつは相変わらず宴会バカだな。……萃香、もういいか?」

「んーん、もうちょいこのままー」

「はいはい」

 

 さっさと人を集めに行ってしまった勇儀に呆れ笑いが漏れる。これからあいつの相手をさせられる鬼と天狗には少し同情するよ。文なんかもうすでに少し顔が青くなってきているしな。

 ふと先程からくっついたままの萃香にもうはなしていいか尋ねると、抱き着く力が少し増すという返答をもらった。見た目も相まって、こういう仕草をされると本当に子供にしか見えないな。子供にしか見えないので頭をなでてやろう。

 

「てか勇儀のやつ、妹紅たちのこと聞かないで行っちまったな」

「宴会のときに紹介することにしましょう。ここの妖怪全員に彼女たちのことを周知するにもいい機会ですしね」

「そうだな。でも今ここにいる萃香には言っておこう。ほら萃香、俺の友人たちだ」

「え? ああ。私はこの山を統べる鬼の一人、伊吹萃香だ。ちなみにさっきのやつは星熊勇儀。よろしくね」

「念のため私ももう一度。射命丸文です、よろしくお願いします」

「う、うん、よろしく。私は藤原妹紅」

「私は上白沢慧音だ、よろしく」

「今泉影狼です、よろしく……」

「シロです。またお世話になります」

「どうでもいいけど、俺を挟んで自己紹介するなよ。いたたた、角が痛い」

 

 文は問題ないが、萃香が俺から離れないものだから、萃香と妹紅たちの会話は俺を挟んでのものとなってしまっている。懐いてくれているのは嬉しいが、自己紹介くらいしっかりしなさい。

 

 俺の腹を頭でグリグリしている萃香に苦笑しながら、妹紅たちに悪いやつじゃないんだがと説明すると、俺の苦笑がうつったのか彼女たちも同じような笑いを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

「あの、天魔様。本当に彼があの噂のハク様なのですか?」

「まだ疑っているのですか? 萃香さんや勇儀さんと対等に話していたというだけで十分すぎる証拠だと思いますが」

「それはそうですが……。でも物腰が柔らかいですし威圧感もないですし、失礼ながら全然強そうに見えないのですが……」

「確かに一見すると全然強そうには見えませんね。ですがその実力は折り紙つきです。私や萃香さん、勇儀さんを相手にしても互角に戦えるどころか、ともすればこちらが劣勢を強いられてしまうほどに強力な人間です」

「ぅえ゛!?」

 

 ……なんかすごい声聞こえたぞ。

 

 

 



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第三十話 死に誘う桜と少女

あーシリアスになりそうです。


 

 俺たちが妖怪の山に到着した日の夜。勇儀の宣言通り、今ここではド派手な宴会が行われていた。

 山の統治者の一人である勇儀が自ら声をかけて回り、萃香と天魔が乗り気になっていたのだから当然と言えば当然だ。

 

 集まった妖怪たちは見覚えがあるやつもいたが、知らないやつも大勢いたので、宴会が始まる前に俺も妹紅たちと一緒に自己紹介しておいた。

 その際、自分はこの山の上下関係に組み込まれていないという話もしたが、近くに天魔や萃香たちがいるためか、ほとんどの妖怪は遠くから観察しているだけのようだ。

 

「いや、誠に申し訳なかった、ハク殿。私の部下が迷惑をかけましたな」

「文にも散々謝られたし、俺もみんなも怒ってない。そもそも侵入者を警戒するのは当然だ。そう気にせずに酒を楽しめ、大天狗」

「いやいや、かたじけない」

「あはは……本当にすみません」

 

 周りの妖怪たちの視線に苦笑していると、隣で飲んでいる大天狗から本日何度目かわからない謝罪をされた。

 こいつは俺が以前この山にいたときからの友人だ。当時は大天狗とは呼ばれていなかったが、出世したもんだな。そんな彼はどうやら今は文の上司らしく、部下の不手際は上司の責任だと言ってさっきから謝っているというわけだ。

 

「はー……ホントに君はあの白孔雀の付喪神なのか」

「はい。お話しするのは初めてですね、萃香さん。白孔雀は長いのでシロって呼んでください」

「うん、わかった。しかし何ともおかしな感覚だよ、まさか刀とお話しする機会がくるとはねぇ」

「白孔雀の付喪神ってことは、あの刀に溜められてる力も使えるのかい?」

「まぁ一応は。でもこれはハク様の力なので私は使わないようにしてます。なので全力で勝負したいとは言わないでくださいね、勇儀さん」

「たはー、そりゃ残念」

 

 横ではシロと萃香と勇儀が酒を飲みながら談笑している。といってもシロはほとんど酒は飲まず、二人の盃に酒を注ぐのに忙しそうだ。

 萃香と勇儀は白孔雀のことは知っているが、シロのことは知らない。萃香の言うおかしな感覚とはこのことも原因の一つだろう。

 

「なるほど……。三人の出会いはそういう経緯だったんですね」

「うん。おかげで妖怪に対する印象がガラッと変わったよ」

「それは私もだな。自分の中の半身がそう悪いものではないと思うことができた。ハクには感謝している」

「それにしても、ハクさんらしい話ですね。以前ここにいたときとなんら変わりありません」

「昔からあんなお人好しだったんですか?」

「そうですよ。昔ここに住んでいたときなんかは―――」

 

 こっちでは天魔と妹紅、慧音、影狼が昔話に花を咲かせている。共通の知人である俺の話題が出るのはおかしなことではないが、あまり過去のことを話されると本人としてはどうも気恥ずかしい。

 

 そんな感じでがやがやと騒いでいると、大きな盃の酒を飲みほした萃香がぷはーと一息つきながらこちらに歩いてきた。

 

「やー、ハク。そこそこ飲んでるみたいだけど相変わらず酔ってなさそうだね」

「まーな。でも楽しんでるから問題ないぞ」

「うん、ならいいや。そういえば、この子たちを連れてきたのはやっぱり幻想郷に住まわせるためかい?」

「ゲンソウキョウ? なんだそれは?」

 

 ちょこんと俺の膝の上に座ってきた萃香と話していると聞きなれない単語が耳に入った。当然何のことかわからない俺が尋ねると、萃香も同じように得心が行かないと言った表情になった。

 

「あれ、紫から聞いてない? ここを紫が作る国の一部にするっていう話」

「いや、聞いてないぞ、そんな話」

「あれー? 紫のことだから真っ先にハクに報告してると思ったんだけど……」

 

 首を左右に傾げながら小さく唸っている萃香の話に、俺も同じように首を傾げる。

 

 紫とは幽香のいる花畑で別れて以降、一度も会っていない。当時の俺はまだ仙郷を使えなかったし、紫もスキマを使っての接触はしてこなかったので、わざわざ会いに行かなくてもいいかなと思っていたのだ。しばらく生きていればどこかで会えるだろうという考えもあったのも大きい。

 だが、そんな大事を一言も話さなかったというのは少し気になる。ま、まさか忘れてるとか……。

 

「そのことですが、どうやら紫さんにもハクさんが今どこにいるかがわからなかったようですね」

「え、そうなのか? でもあいつの能力を使えば俺の位置くらい……」

「ええ、別れてからしばらくはどこにいるかはわかっていたようです。ですがいつの間にかハクさんの反応がなくなったと言っていました。もともと幻想郷の基盤がある程度出来てから話そうとしていたようですが、裏目に出てしまいましたね」

「あー、そういえばそんなこと言ってたっけ? 忘れちゃってたよ」

 

 天魔が俺たちの疑問を解消するように説明してくれたことで、ある程度の事情は理解した。でも反応がなくなったとはどういうことだろう。

 

「……ときに、ハクさんは今は私と同じように力を完全に抑えてるんですね」

「……あー、なるほど」

 

 俺が力を完全に抑えるようにしたから見失ってしまったのか。ということは神子と住んでるときぐらいから俺の位置がわからなくなっていたのかな。

 

「そりゃ悪いことをしたな。ところで、その幻想郷っていうのは?」

「紫さんが作ろうとしている国の名前です。人間と妖怪が争うことなく共存できる理想の……いえ、幻想の国だそうです」

「へぇ……幻想の国、ね」

 

 紫のやつ、ずいぶんと面白いことをしているな。自分の顔がにやけているのが鏡を見なくてもよくわかる。

 大妖怪が作る新しい国……いや、その内容からすると国というより世界というほうがしっくりくるかな。どちらにしても、今までに見たことのないものを作り出そうとしている紫に感心する。

 

「恐らくハクさんなら気付いたと思いますが、ここに来る途中妙な結界があったでしょう? あれは幻想郷の土地を決めるための目印です。今はまだ仮ですが」

「ああ、あの結界はそういう意味か。これは本人に直接いろいろ聞きたいな。紫って次はいつここに来るんだ?」

「さあ……紫さんも気まぐれな人ですからね。それでもハクさんよりは顔を出しますが」

「……悪かったよ」

「ふふ」

 

 天魔にジトっとした目で見られた俺は後ろ頭をかきながら謝る。それを見た天魔は何が面白いのか、口を手で隠しながら小さく笑っている。

 

「紫さんなんですか、少し前までは幻想郷を作るために頻繁にここに来ていたんですが、最近はあまり来ていません」

「どこにいるかは聞いてないのか?」

「あー、それなら何か話してたな。確か西行がどうとか言ってたような気がするよ」

「ふむ、西行か……。聞いたことがあるな」

「慧音、知ってるのか?」

 

 萃香の言った西行という単語を聞いて反応した慧音に問いかける。俺の問いに慧音は一つ頷いて簡単な説明をしてくれた。

 

「有名な歌人の名がそれだ。確か桜に関する歌を多く詠んでいたと思うが」

「桜の話も何かしていたから多分合ってるよ」

「場所は言っていなかったか?」

「うーん……場所は聞いてないかなぁ、覚えてないや、ごめんね」

「いや、十分だ。じゃあ慧音、その話ってどこで聞いたか覚えてるか?」

「ああ、それなら―――」

 

 西行の話を聞いた場所を慧音に教えてもらう。有名な人の話なら、その場所の近くまで行って聞き込みでもすればすぐ見つかるだろう。

 

「行くんですか?」

「ああ。シロはここに残ってな。妹紅たちを頼むよ」

「まさか今から行くの、ハクさん?」

「いや、さすがに今日は行かないよ。まだみんなとも話したりないしな」

 

 影狼の問いに手を横に振って答える。自分たちのための宴会を途中で抜けることはしたくない。行くとしたら明日だな。

 

 そう考えていると、未だに膝に乗っている萃香が盛大なため息を吐いた。萃香がため息とは珍しい、と思っていると心底呆れたような目で俺を見てきた。

 

「何百年も顔を見せなかった友人がやっと帰ってきたと思ったら、もう明日には出て行こうとしてるとはね」

「いや、明日行くとは言ってないだろ」

「でも考えてたでしょ?」

「…………まぁ」

「はぁー……放浪癖があるというか、何というか。白髪二刀の不老者(浮浪者)とはよく言ったもんだよ」

「あはは、ハクにぴったりの名前だね」

 

 再度ため息を吐きながらやれやれと首を振る萃香の言葉に妹紅が笑いだす。

 その名前は確か前に神子に聞かされたたくさんの二つ名の中の一つだ。そういう意味があったのかよ。

 

「またすぐ帰ってくるから、そのときは今日みたいに一緒に酒を飲もう。それで勘弁してくれ」

「まったく……約束だからね? 勇儀も天魔も、私だって待ってるんだから」

「はいはい、よしよし」

 

 目の前にある萃香の頭をポンポンとなでながら約束する。

 この場所は覚えているから仙郷を使えばあっという間に戻ってこれるだろう。普段の旅ではあまり仙郷は使わないが、友人が待っているというなら使わない理由はない。

 

 

 

 

 

 

「おらぁー! お前らの上司が帰って来たんだ! もっと酒を追加しろー!」

 

 勇儀……俺は上司じゃないって説明したのに……。

 

 

 

----------------------------------------

 

 

 

 次の日、全員が酔いつぶれて雑魚寝しているところを書き置きだけ残してゆっくりと出て行った。あんなに気持ちよさそうに寝ているのを起こそうとは思えなかったためだ。

 ちなみにだが、刀の白孔雀も置いて行った。まぁシロと白孔雀は一心同体だからな。

 

 さて、妹紅たちのことはシロや天魔に任せて紫に会いに行ってみようか。俺はそう思って昨日慧音が言っていた場所の付近まで仙郷で移動した。

 

 

 

「聞き込みでもしないとと思っていたが、意外と早く見つけられたな」

 

 仙郷で出た先はどこかの都の上空。突然町中に人が現れたら混乱させると思いこの場所に出たのだが、見晴らしがよかったのもあって目的地をすぐに確認できたのは僥倖だった。

 この都から少し離れた場所から紫の妖力を感じる。位置さえわかれば仙郷で直接移動できるため、このまま真っすぐ紫の目の前まで移動することも可能だ。

 

 だが紫の妖力の近くにもう一つ、妙な力を感じた。かなり大きなその妖力は普通の妖怪の持つものとはどこか違うようだ。

 

「……一応確認しておくか、なんとなく嫌な感じもするしな」

 

 そう考えた俺は、紫の目の前に出るのはやめて、もう一つの妙な力の近くに仙郷を繋げた。

 

 

 

「…………これは何とも、立派な桜だ」

 

 仙郷を出てその先の光景を見た俺は自然とそんな感想を漏らした。

 俺の目の前にあるのは一本の桜。そのたった一本の桜に俺は心奪われてしまっていた。

 

 これはすごい。視界一面に花びらが舞い、ただでさえ芸術的な美しさを持つこの桜を幻想の領域にまで引き上げている。不思議と引き付けられる感覚に抗わず、一歩、また一歩と桜に近づく。踏み出すたびにふわりと浮く花びらや風でざわざわと揺れる枝が、まるで俺をこっちに来いと呼んでいるかのようだ。

 

『ああ。こんなに美しい桜ならば、その下で死にたいという気持ちが湧き上がるのも不思議ではない。』

 

『そうだ。何ら不思議なことではない。むしろ当然のことなのだ、この感情は。』

 

『この桜の下で死にたい。』

 

 自然とそう思った俺は腰の短刀を抜き、その切っ先を自身の左胸に向けた。そして少しの抵抗もなく、その真っ黒い刃を心臓目掛けて突き刺した。

 

 鋭い痛み。流れ出る血によって体がじんわりと温かい。それが俺にはまるで幸福に包まれているように感じた。吐き出した鮮血に映る自分の表情は実に穏やかなものだ。

 

『もうすぐ、もうすぐ死ねる。ああ、幸せだ。』

 

 もうじき訪れるそのときを楽しみにしながら脱力感に身を任せてゆっくりと短刀から手をはなす。

 そして少しでもこの美しい桜の近くで死のうと手を伸ばして、そのまま前のめりになりながら瞼を閉じた―――

 

 

 

 

 

 

「……なわけねーだろ」

 

 ―――直後に目を開けて、右足を前に出し体を支えることで倒れる未来を回避する。そして胸に突き刺さっている短刀を引き抜き、付着した血液を拭った。

 

「心臓に穴が開く程度で死ぬんだったら、今まで百回以上死んでるわ。それにしても、妙な力の持ち主はお前か。死ななくても痛いんだからな」

 

 目の前の桜と傷一つない自分の左胸を見ながらそうぼやく。急に感じた衝動に任せて行動したら、まさか自殺まがいのことをさせられるとは。わざと抵抗しなかった俺も悪いが、やっぱり元凶が一番悪いだろう。

 

「まったく……大体、俺の思い描いているのはそんなのじゃ……っ!」

 

 急に感じた敵意に、納刀しようとしていた短刀を真横に構える。次の瞬間、腕に強い衝撃を感じた。見ると短刀に別の刀が合わされていた。

 

「……死に誘う桜の次は突然斬りかかる剣士か。ずいぶんと物騒なところだな」

「……貴様、何者だ」

 

 合わされた刀を弾いて後ろにいるやつから距離を取る。見ると油断なく剣を構えた初老の男性がいた。

 俺と同じ白髪を少し長めにして後ろでまとめており、周りには幽霊のようなものが纏わりついている。その鋭い瞳からは明確な敵意が感じ取れた。

 

「……もう一度問うぞ。貴様は何者だ。何の用があってここに来た」

 

 何も答えない俺に先程と同じような調子で再度問いかける男性。その瞳からは相変わらず敵意を感じるが、怒りや緊張などの感情には一切揺れていない。精神が完全に統一されている。こういう人間は心身ともに非常に強い。

 

「いや、悪かった。悪気があって来たわけじゃないが、敷地内に無断で侵入したことは俺に非がある。悪かった」

 

 俺はそう言いながら短刀を鞘におさめ、男性に向かって頭を下げた。もともと争うつもりなどないのだ。

 少し周りを見ると大きめの屋敷があるのが見えるため、ここが誰かの所有地であることは明白だ。先程までこの桜のせいでそこまで考えが及ばなかったとは言え、この位置に来たのは自分の意思だ。悪いのは俺のほうだろう。

 だからといっていきなり斬りかかるのはどうかと思うが。峰打ちではあったが。

 

 謝罪した俺を見た男性は少し面食らったようで、「む、むぅ……?」と唸っている。まぁ侵入者だと思った男が素直に謝ってきたら困惑もするか。

 

「ここに来た理由だが、友人が近くにいると思ってな、会いに来たんだ」

「ゆ、友人だと……? この西行妖(さいぎょうあやかし)の近くにか?」

「西行妖って……もしかしてこの桜か?」

 

 男性の言った名前を聞いて後ろにある桜を見上げる。相変わらず感じる死への渇望のようなものは理性でねじ伏せておく。

 

「そうだ。貴様も感じたように、その桜は人を死に誘う。そんな桜の近くで平常心でいられる者などいないだろう」

「あんた全然平気そうじゃないの」

「私は例外だ。貴様こそ、何故そんなに西行妖に近づいて平静でいられる?」

「さぁ……方向性の違い?」

「何を訳の分からんことを……」

 

 俺と話していた男性は気が抜けたように刀を下ろして頭を抱え始めた。そんなにおかしなこと言ったか?

 確かにこの桜を見ていると死にたいという気持ちが出てくる。だが十分抵抗できるレベルだ。そんなに気を張らずとも影響は受けないだろう。

 

「とにかく、この西行妖とかいう桜の影響を受けないやつもいるんだな? あんたみたいに」

「む? それは確かに少数ながらいるにはいるが……」

「それって例えば境界を操る金髪の妖怪だったりするか?」

「な、何故紫様のことを知って……! まさか貴様の言う友人というのは―――」

妖忌(ようき)ー? さっきから何を騒いでいるのー?」

「妖忌さん……? どうしたんですか……?」

 

 俺の言葉に男性が驚いたところで、屋敷のほうから誰かを呼ぶ声が聞こえた。自然と声のするほうを見ると屋敷から二人の女性が出てきた。

 二人はまず剣士の彼のほうを確認してから、俺のほうへ目を向けた。二人のうち一人は首を傾げるだけだったが、もう一人のほうは俺を見た瞬間、目を見開いたまま固まってしまった。その様子を見た俺は思わず頬が緩むのを自覚した。

 

「よう、紫。久しぶりだな、元気してたか?」

「う……そ…………は、ハク……?」

 

 片手をひょいと挙げて固まってしまった少女―――紫に軽い挨拶をする。こいつもこいつで変わっていないな。

 俺が声を出したことで再起動した紫は、信じられないものを見るような目で俺を見ながら震える手で口を覆った。

 

「そうだ、白いって書いてハク。というかこの名前はお前が付けたものだろう。まさか忘れてはいないだろうな?」

「忘れるわけないでしょう……! あ、あはは……本当にハクなのね……! ハクー!」

「おっと」

 

 急にこちらに突撃してきた紫を見て反射的に目の前に結界を張る。妖怪の山で萃香と勇儀に突撃された記憶が色濃く残っているのが原因だと思う。

 進路上に突然物理的な壁ができたことなど知らない紫は、そのまま顔面から結界にぶつかり「ぐえぇ!?」と悲鳴を上げた。

 

「……なっ、何するのよ、ハク!」

「悪い悪い、いきなり来るからびっくりしてな」

「感動の再会が台無しよ!」

「悪かったって。ゆっくり来るならハグでもなでなででもしてやるから許してくれ」

「……じゃあその二つを要求するわ」

「お安い御用だ」

 

 ゆっくりと歩いてきた紫を腕を広げて迎え入れ、優しく抱きしめる。紫も同じように俺の背中に腕を回すのを感じながら、彼女の頭をぽんぽんとなでた。

 

「……心配したんだから。いつの間にかハクの力が消えてるし、最後にいた場所を探しても見つからないし、妖怪の山にも幽香の花畑にも帰ってこないし……」

「悪かったよ。それと待っていてくれてありがとな」

「……おかえり」

「ああ、ただいま」

 

 

 

「妖忌さん……これは一体?」

「いえ……私にも何が何やら……」

「そう……。でも……うふふ、あんなに幸せそうな紫は初めて見るかも」

 

 

 

----------------------------------------

 

 

 

 その後、たっぷり五分は抱き合っていた俺と紫だが、そろそろ事情を説明してほしかったらしい剣士の男性の咳払いで一先ずはなれた。

 紫と一緒に屋敷から出てきた淡い桜色の髪をした少女に招かれて屋敷に入ったあと、とりあえず俺は自分のことと紫との関係について簡単に説明し、紫からこの二人のことについての説明を受けた。

 

「へえぇ……ハクさんは紫の親みたいなものなのね」

「私などよりも遥かに年上であったか……」

西行寺幽々子(さいぎょうじゆゆこ)……西行っていうのは君のお父さんのことか。それに魂魄妖忌(こんぱくようき)の種族、半人半霊なんてのは初めて聞いたな」

「ハク、天魔みたいに力を完全に抑えてたのね。そりゃ見つからないわけだわ……」

 

 各々が説明を聞いて納得したようにうんうんと頷いている。桜色の髪をした少女が幽々子で、先程俺に斬りかかってきた剣士が妖忌か。よし、覚えたぞ。

 

 それにしても思ったよりも話に時間がかかってしまった。今はちょうど正午といったところだ。起きてからあまり時間は経っていないが、ずいぶんと濃い時間を過ごしたというのもあって少しお腹が空いた。

 

「そろそろ飯時だな」

「む、本当ですな。気付きませんでした」

「ここではだれが食事を作ってるんだ?」

「私も含め、この屋敷にいる使用人が作っております、ハク様」

「そうか、じゃあ俺も手伝おう。それとそんなに畏まらなくていいぞ、妖忌。様は付けなくていいし、敬語も必要ない。まぁそのほうが話しやすいなら別にいいけど」

「む……わかりました、ハク殿。確かに少し肩に力が入り過ぎていたかもしれません」

「気楽にな。さて、調理場はどこだ?」

「こちらに……というか、わざわざ手伝って頂かなくても……」

「まぁまぁ気楽に気楽に」

「む、むぅ……」

 

 まだ少し態度がかたい妖忌の肩をぽんぽんと叩く。

 腹が減ったから飯を作ってくれとは頼みづらいし作ってもらったとしても若干罪悪感があるが、自分も作るのを手伝うのなら問題ないだろう。まぁこれは俺の心の問題だ。紫とかは普通にご飯作って、とか言うからな。

 

 よいしょと言いながら立ち上がり、調理場へ案内してもらおうとしたとき、紫が心底嬉しそうな様子で手をぽんと叩いた。

 

「わぁ! 久しぶりにハクのご飯が食べられるのね。楽しみだわ~」

「……妖忌。こいつはここに来てから何回調理を手伝った?」

「いえ、一度も。紫様は調理はできないと聞いていましたので」

 

 ……ほう。

 

 ぐりんと首を回して紫のほうを見ると何やら目を泳がせながら頬をかいている。

 

「……あ、あはは~」

「……あははははー、不思議だなぁ紫よ。お前には一通り調理技術を教えたはずだがなぁ?」

「あー、いやー、そのー……」

「……今日の食事は俺と紫で作る。妖忌、みんなの嗜好と使っていい食材だけ教えてくれ」

「えー!?」

 

 うるさい。人の家に長期間上がっておきながら何の手伝いもせずにダラダラしているだけのやつがあるか。

 

 紫が実は調理もできるということを聞いた幽々子は、楽しみだわと言って送り出してくれた。ナイスアシストだ。

 うだうだと文句を言っている紫の首根っこを掴んでずるずると引きずりながら、妖忌に教えてもらいながら調理場まで歩く。先程のことを妖忌に説明されているころにはやっと大人しくなってきた。

 やはり自分も手伝うと言っていた妖忌には、それでは幽々子が一人だぞと言って彼女のもとへ戻ってもらった。

 

「紫、これを切っておいてくれ。煮物に使うから少し厚めでいいぞ」

「は~い……」

「えーと、塩は……ああ、そこか。紫、取ってくれるか?」

「は~い……」

「……紫。あの子から西行妖と似た力を感じるんだが、どういうことだ?」

「……幽々子はあの桜の木に魅入られてしまっているの。最初にあの桜の木の下で死んだ西行の娘だからなのか、それとも単にあの桜の近くにいたからなのかはわからないけれど……。とにかく確定しているのは、幽々子もあの桜と同様に人を死を誘う能力を持ってしまったということよ」

 

 紫は大根を慣れた手つきで切りながら、少しトーンを落として説明する。わざわざ横を見なくとも紫が落ち込んでいるのがわかる。

 

 ぽつりぽつりと話し始めた紫の話はこうだ。

 

 あの子、西行寺幽々子の父親は慧音が言っていた通り、有名な歌人だったそうだ。

 桜をこよなく愛する彼はとある桜を見て、その美しさから死ぬときはこんな桜の木の下で死にたいという歌を詠んだ。

 結果的に彼はその望み通り、満開になった桜の下で永遠の眠りについた。

 

 ここまでならまだよかったのだが、問題は彼を慕っていた人が多く、そして彼の詠んだ歌があまりにも有名だったことだ。

 彼の最期を知った人たちは、自分も彼と同じように死にたいと考え、次々と同じ桜の下で自らの命を絶つようになった。

 

 そうしてたくさんの人の生気を吸ったその桜はいつしか妖力を持ち、自ら人を死に誘う妖怪桜となった。

 それがあの西行妖というわけだ。

 

「あの桜が妖怪になる前でも後でも、幽々子はたくさんに人があの桜の下で自害する様子を見てきたわ。そして自分もまたあの桜と同じ、人を死に誘う能力を持ってしまった……」

「死に誘う能力、ね……」

 

 幽々子は普通の人間だ。有名な歌人が父親というだけのただの人間だ。そんな人間が自分の持つ能力によって他人が進んで死にゆく光景を見て、なんとも思わないわけがない。

 

 俺が幽々子に抱いた第一印象は『儚すぎる』というものだ。その思った理由は髪の色だとか華奢な体躯だとか、そういうものではないのだろう。

 触れれば壊れてしまいそうとは彼女のためにある言葉のようにすら感じた。

 

「ハク、私はあの桜を封印したいと考えている。ここへ来たのは偶然だけれども、幽々子は大切な友人なの。これ以上あの子の壊れそうな笑顔を見るのは嫌なのよ」

 

 キッと顔を上げた紫は真っすぐな瞳で俺を見てそう口にした。それはある種の宣言のように聞こえた。

 俺はそれを横目に見ながら鍋にみそを入れて味をみる。うん、美味い。

 

「でも思った以上に強力で、私一人ではとても封印はできそうにないの。あの死の誘いも自分の境界を操って抵抗していなければ影響が出てしまうほどなのよ」

「…………」

「だけどハクなら……ハクなら何かあの桜を封印する方法を知っているんじゃないの?」

「……まぁな」

 

 紫の懇願にも似た想いを聞いた俺は味見用に使った皿を置いて紫に向き合う。その瞳は悲壮に揺れている気がした。

 

「あれほど強力な妖怪となった西行妖でも封印する方法はある。やろうと思えば今からでも実行できるだろう」

「じゃあ……!」

「でもそれはお前が思いついているものと同じ方法なはずだ」

 

 最後に付け加えた一言で紫の顔は絶望に変わる。そんな紫から目を逸らしたい衝動をぐっとこらえて彼女の頭に手を乗せた。

 

「そんな顔するな。もう何もできないってわけじゃないだろ」

「でも……ハクでも無理なら私には……」

「俺にできないことは自分にもできないってか? おいおい、いつからそんなに自信がなくなったんだ、紫?」

 

 頭に乗せていた手を紫の頬に当て、俯きかけていた顔を上げさせる。

 

「聞いたぞ、紫。国を一つ作ろうとしているそうだな。人間と妖怪が争うことなく共存できる幻想の国。俺が思いつきすらしなかったまったく新しい法則を持つ世界。そして何より、お前の持つ優しさと願いだからこそ生まれたその理想」

「…………」

「自分で気付いていないだけで、もう俺ができなかったことをいくつもしているんだよ、お前は」

「…………」

「ずっと前にも言っただろう。お前はもう十分強くなった、もう俺についてくる必要はないって」

 

 こいつは今まで俺の後ろを歩いているつもりだったのかもしれないが、そんなことはない。いや、そもそも最初から同じ道など歩いていないのだ。

 すでに紫は紫の、自分だけの道を歩いている。それは決して俺にはできないことだ。

 

「俺にできないことでも、お前ならできるかもしれない。お前ならこの問題も俺とは違う結論を出すことができるかもしれない。そう思わないか、八雲紫?」

「…………ふふ、そうね」

 

 それまで黙っていた紫だったが、俺の言葉に一つ頷き頬に当てていた手に自分の手を添えた。そんな紫の瞳は先程までの不安に揺れていたものとは違い、希望の光が宿っているように感じた。

 ああ、そうだ。お前はそうでなくてはな。

 

「でもやっぱりハクには敵わない気がするわ」

「はは、そりゃ気のせいだ。さて、できた料理を持っていくぞ、手伝ってくれ」

「えー……」

「もう俺は両手が塞がってるんだよ、俺にできないことでもお前ならできるだろ」

「感動的なセリフが台無しよ!?」

 

 よーしよしよし、お前はそうでなくてはな。

 

 

 



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第三十一話 西行寺幽々子は思い描く

あーシリアスです。


 

 幽々子の事情を知った日から、俺は彼女の屋敷にいることが多くなった。

 いつも暇な俺とは違い、紫は幻想郷のことや西行妖の封印のことで忙しいのか屋敷に顔を出せない日があったため、俺も幽々子の近くにいるようにと紫に頼まれたのだ。

 久々の紫の頼みを快諾した俺は、基本的には幽々子のところにいて、たまに妖怪の山に帰るという日々を過ごすことにした。

 

 幽々子の屋敷にはその大きさに反して使用人がほとんどいなかった。これは特殊な事情から西行妖の影響を受けない人だけを雇っているからだそうだ。妖忌もそうして雇われた一人である。

 一応俺も影響を受けない人間として、主に調理を中心に手伝いをしているが、それ以外のときは幽々子と一緒にいるようにしていた。

 

 くだらない雑談をしたり、今まで経験した出来事を語ってみたり、思いついた遊戯を試してみたり、何もせず縁側に腰掛けお茶を飲んでいたり。

 そんな日常を紫や、妖忌を含めた使用人たちと一緒に過ごし、それなりに楽しい日々を送っていた。

 

 

 

 そして今日も俺はいつも通り幽々子の屋敷を訪れていた。

 

「よう、幽々子。お邪魔します」

「……あら、ハクさん。いらっしゃい」

 

 仙郷で彼女の真横に現れた俺に特に驚いた様子もなく、ゆっくりとした調子で挨拶を返す。

 少し見回してみるが紫も妖忌もいない。どうやら幽々子一人でお茶を楽しんでいたようだ。

 

「……ハクさんはやっぱりに紫にそっくりね、現れ方とかおんなじだわ。……いえ、この場合は紫がハクさんに似たのかしら?」

「んー、どうだろうな。確かに紫とは四百年くらい一緒にいたが、性格が似てるとは言われたことないな」

「四百年も……すごいわね」

 

 仙郷を出て幽々子とちゃぶ台を挟んで反対側に座り、少し思い出しながら話した内容に、幽々子はぽかんと開いた口に手を当てながら驚いているようだった。

 幽々子はまだ十代の少女。四百年という年月は彼女では想像もできないほど途方もないものなのだろう。

 

「私はそんなに長い間、紫みたいに明るく生きていく自信はないわねぇ」

「別に難しいことじゃない。お茶を一杯飲みたいと感じれば、生きていくには十分だ。あ、これお土産。中はせんべいな」

「あら、ありがとう」

 

 一緒に仙郷から出したせんべいをちゃぶ台に乗せる。

 

 何百年も楽しく生きていく自信がないと幽々子は言うが、これはさほど難しいことじゃない。何かしらの目的さえ作ってしまえばいいのだ。そしてそれは「明日はこのせんべいを食べるんだ」ぐらいのもので十分なのだ。

 

 ただ生きるために生きてる分には余暇ってもんがないからな。だからこうやって目的を作る。肝心なのは望んだり生きたりすることに飽きないことだ。いつか誰かがこういうことを言いそうだ。

 

「まぁ一番いいのはやりたいことをやることだ。俺も紫もそういう風に生きてきたよ」

「……二人とも、本当に強いわ。ハクさんが西行妖の影響を受けないのは、その強さ故なのかしら」

 

 そう言いながら開かれている障子の外へ目を向ける幽々子。つられて俺も屋敷の外を見ると、相変わらず美しく咲き誇る西行妖が目に入った。

 

「さあな。俺も影響を受けていないわけじゃないが、特に対策しなくても問題ない程度にしか感じないよ」

「……きっとそれだけハクさんの心が強いということよ。一体何者なのかしら?」

 

 西行妖を見ていた幽々子の目がこちらを捉える。怪しんだり訝しんだりしているわけではなく、純粋な興味として聞いているということはその目を見て理解した。

 

「ふふふ、俺の正体が知りたいか? 幽々子は何だと思う?」

「え、えぇ? うーん……やっぱり妖怪さんなのかしら。それとも妖忌さんみたいに半分幽霊、とか……?」

「残念、ハズレだ。俺はなぁ~……宇宙人なのだ!」

 

 芝居がかったようにそう言いながら、両手を軽く上げてぎゃおーと叫ぶ。いや、宇宙人がぎゃおーと叫ぶイメージがないのは俺も同じだが、何というか、流れでな?

 

 俺の奇行……もとい、行動を見た幽々子はしばらく目をまん丸にして固まっていたが、突然ぷつりと糸が切れたように笑い始めた。

 

「あ、あははは……! そ、そう、宇宙人さんなのね……! ふふふ……不思議な人だと思っていたけど、それなら納得だわ……!」

 

 そう言いながら、まだこらえきれないように口元を袖で隠しながら笑い続ける幽々子。そんな姿を見ていると元凶である自分が恥ずかしくなってくるが、それよりも幽々子が笑顔を見せたことが俺にとっては嬉しかった。

 どうでもいいけど、『妖怪さん』とか『宇宙人さん』って言い方かわいいな。

 

「……まさか宇宙人さんとお話しできる日が来るなんてね。他にお仲間さんはいるのかしら?」

「言わずもがな、宇宙にはたくさんいるんだろうけど、地上には俺が知る限りではあと二人だけだ」

「そ、そうなの?」

「好んで地上に来る宇宙人は珍しいからな」

「へえぇ~……」

 

 先程までの笑っていた表情から一転、きょとんとした顔を隠しもせずに目をぱちくりとさせている。

 まぁ俺が宇宙人だという話は完全に冗談だと思っていただろうからな。やけに具体的な話を聞かされて混乱するのも無理はない。

 

「……じゃあ、ハクさんはどういう理由でここに―――」

「幽々子ー来たわよー、お邪魔しまーす。あ、ハクもいたのね」

「あら、紫、いらっしゃい。今日は忙しいんじゃなかったの?」

 

 突然先程俺が出てきた場所にスキマが開いたと思ったら、何やら気分の良さそうな紫が登場した。

 言葉を遮られてしまった幽々子だが、まったく気にしていないようで穏やかな笑顔で紫に挨拶を返した。

 

「思いのほか早く仕事が片付いてね、時間があるから来ちゃったわ。それで、二人で何の話してたの?」

「さあな。昔のことだから忘れちゃった」

「いや、たった今話していたことを聞いたのよ。全然昔のことじゃないでしょ」

「俺が覚えてるのは、ずっと昔に紫が『壁に耳あり障子に目あり、スキマに紫』とか言っていたことぐらいだな」

「ぶっ!? そ、それは忘れてって何回も言ったのに!」

 

 幽々子に入れてもらったお茶を盛大に吹き出しながら、手を右往左往させて慌てる紫。そんな彼女の珍しい姿を見た幽々子はまた心底面白そうに笑ったのだった。

 いつも壊れそうな笑顔を浮かべている彼女を知っている俺としては、そのことが本当に嬉しく、同時に少し心が痛んだ。恐らくそう感じるのは紫や妖忌も同じだろう。

 

 俺はそう思いながら、幽々子に「あれは一時の気の迷いなのよ!」などと弁明している紫の首根っこを掴んで、調理場まで連れて行った。

 その途中で振り返り、幽々子を見ながら人差し指を自分の口に当てて『しーっ』という合図を送る。意図に気付いた幽々子はゆっくりと頷いてくれた。

 

 月人の話は絶対秘密というわけではないが、話す理由もないからな。

 

 でも何故だろうか。この隠し事はそんなに長く続かないような気もした。

 

 

 

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 妖怪というのは基本的に長生きしている者ほど強い。

 もちろん、もともとの種族、才能、育った環境などで差は大きくなるものの、長い時を生きてきた妖怪が知識や妖力を蓄えて強くなるのは例外なしと言ってもいい。

 

 そしてそれはどうやら西行妖にも適用されているようで、あの桜の妖力は強くなる一方だ。

 妖力が強くなると周りに影響を及ぼす。あの桜の場合は死に誘うという影響を。

 

 ここ最近、あの桜に惹かれて敷地内に入ろうとした人は一人や二人ではない。すべて妖忌によって追い払われているからまだ犠牲者はいないが、いつまでもこのままではいけない。

 だが俺の知っている唯一の封印方法を行うわけにもいかない。

 

 封印にはいくつか種類がある。

 対象の持つ一部のみを使用不能にするもの。対象そのものも含めて使用・行動不能にするもの。対象をこことは別の空間に転移させるもの……等々。

 いろいろあるが共通するのはそのどれもが膨大な力を必要とするうえ、対象の力量や能力によって術式の複雑さも増すということだ。

 そういう事情から、あの膨大な妖力と面倒な能力を持つ西行妖は封印するのには最悪の相手と言っていいだろう。

 

 だがあれほど強力な妖怪となった西行妖でも封印する方法はある。

 封印する際に核となるものがあれば、封印に必要な力や術式の複雑さをかなり軽減することができるのだ。

 核となるものは何でもいいわけではなく、封印の対象となるものと相性のいいものでなくてはならない。いくら箱に閉じ込めたとしても、錠を正しく使えていなければ意味がないということだ。

 

 そして運のいいことに。もしくは悪いことに。あの桜の封印の核となるのに相性のいい、理想的なものは存在していた。

 

 同じく死に誘うという能力を持った、西行寺幽々子だ。

 

 それは紫も知っていたのだろう。だから俺の知っている封印方法は紫の考えているものと同じだと言ったとき、彼女はどん底に突き落とされたような表情をしたのだ。

 

 だが今考えてみると、幽々子も最初からそのことを知っていたのかもしれないな。

 

 

 

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 その日、俺は西行妖の見える縁側で一人、酒を飲んでいた。すでに日が落ちてから大分経っており、周りは静寂に包まれている。ただ今夜は月がきれいなため、思ったほど暗くはない。

 特に何かあったわけではないが、たまに一人静かにこうしているのも悪くはない。妖怪の山から持ってきたきつめの酒でも相変わらず酔いはしないが、こういうのは雰囲気が大事なのだ。

 

 落ち着いた気分のまま空いた盃に酒を注いでいると、ふと後ろから物音がした。こんな遅い時間に誰かと思い、音のした方向を見るといつもの着物を着た幽々子が立っていた。

 

「わ、ハクさんだったの。こんばんわ」

「幽々子? まだ起きていたのか」

「ええ、今から寝るところなの」

 

 俺の姿を見た幽々子は少し驚いたようだった。俺や紫がいきなり隣に現れても驚かないのに、暗がりに誰かいるのを見ると驚くんだな。

 そんなことを考えていると、俺の持っていた盃を見た幽々子が少し首を傾げながら質問した。

 

「ハクさんは月見酒かしら?」

「ああ、月もこうして見るだけならきれいだからな。こう落ち着いた空気もいいもんだ。紫が近くにいるといつも騒がしい」

「ふふ、それはそれで楽しいですけどね」

「まあな」

 

 くすくすと笑った幽々子につられて俺も少し笑う。

 まぁあいつが騒がしい理由は俺がからかっているからというのもあるから不満などはまったくない。むしろいつも面白くてありがとうと礼を言いたいくらいだ。そんなことを言えばまた怒られるだろうが。

 

 ひとしきり笑った幽々子はふうと一息吐くと、ゆっくりと俺の近くまで来て隣に座った。

 

「寝ないのか?」

「せっかくだから、もう少しハクさんとお話したいわ。お邪魔してもいいかしら?」

「そりゃもちろん。冷えるからこれを羽織っておけ」

 

 仙郷から大きめの着物を取り出して幽々子にかける。小さく礼を言った幽々子はその視線を西行妖のほうへ向けた。

 

「……きれいね」

「そうだな」

 

 幽々子の呟きに同感だと答える。

 あの桜は本当にきれいだ。何人もの命を奪い、今なお広範囲に影響を及ぼしている災害の種だとしても、やっぱり美しいのだ。

 

 そうしてしばらく月と桜を肴にちびちびと酒を飲んでいると幽々子が興味を持ったようで、少し飲んでみたいと言い出した。

 子供に酒はどうかとも思ったがほんの少しならと考え、手持ちの中でそれほど度数の高くない酒を少し盃に注いで手渡す。さすがに妖怪の山から持ってきた鬼用の酒を渡すわけにもいかない。

 

 それでも幽々子にはきつかったらしく、一口飲んだあとで咳き込んでしまった。少し心配したが、二口目以降は咳き込むことなく味わって飲んでいた。

 ふむ、なかなか酒飲みの素質がある。

 

「……何だかあったかくなってきたわ。気分も少し落ち着いたし、お酒っていいものね」

「はは、これは将来一緒に飲むのが楽しみだ。でも本格的に飲むのはもう少し大人になってからな」

「ええ、楽しみに待つことにするわ」

 

 ふぅ……と息を吐いた幽々子はその瞳を揺らしながら穏やかに笑む。少し酔ったかな。

 

「……紫には感謝しているわ。いつも一緒にいてくれて、いつも私のことを気にかけてくれている」

「大切な友人だって言っていたからな。もちろん俺もそう思っている」

「ふふ。ありがとう、ハクさん」

 

 視線を西行妖からこちらに向け、体を左右に揺らしている幽々子は実に気分が良さそうだ。

 そんな姿を見て同様に気分の良くなった俺は、盃の中の残りの酒を飲み干して仙郷にしまい、おもむろに立ち上がった。

 

「少し散歩しようか、幽々子」

「え? で、でももう暗いし、それに遠くに言ったら、その……」

「大丈夫だ、ここの敷地内からは出ないよ」

 

 移動先で自分の能力が周りに悪影響を及ぼすことを心配しているのだろうが、そんなに遠くに行くつもりはない。むしろ、距離的に人里からは離れるだろう。

 

「よし、行くぞー……それ」

「わわっ!? は、ハクさん?」

「さっき渡した着物と盃、しっかりつかんでおけ、寒いからな。飛ぶぞ」

「え、わ、わっ……!」

 

 隣でぽけーという顔をしていた幽々子をお姫様抱っこして上空に飛ぶ。いきなりのことに驚いた幽々子は反射的に俺の着物につかまった。

 よく考えたら幽々子は飛べないはずだから、急に高い場所に連れていかれたら怖いわな。飛ぶことが常識となってしまっていたため、思い至らなかった。

 

「悪いな幽々子、怖かったろ?」

「い、いえ、大丈夫よ。少しびっくりしただけ」

「悪い悪い。よし、この辺でいいだろ」

 

 意外にもあまり怖がっていなかったようだが、驚かせてしまったことには違いないのでもう一度謝る。

 そんなやり取りをしているうちに、いい感じの場所まで上昇していた。場所は西行妖のある庭の上空なので敷地内のはずだ。上方向にそれが適用されるのかは知らないけど。

 

 上昇を止めて足元に板状の結界を大きめに張り、仙郷から取り出した座布団を置いて幽々子を座らせる。即席の空中物見やぐら、とでも言うのかな。結界は透明なので全方位見えるのが普通のやぐらとの違いだ。

 幽々子は何が何だか、といった表情で俺を見ている。その様子を見た俺は少し笑って、下を指さした。

 

「ほら、見てみろよ幽々子。きれいなもんだな、まったく」

「え?」

 

 いつも見上げているはずの西行妖が下に見える。いつもと違う視点から見たいつもと同じ西行妖は、いつもとは違いつつ、それでいていつもと同じできれいなものだ。

 俺に促されて下を見た幽々子もその新鮮な光景を見て、目を輝かせた。

 

「…………わぁ……!」

 

 思わず感嘆の息を漏らす幽々子。その姿に満足した俺は先程しまった盃と酒を取り出す。自分の分と幽々子の分をそれぞれついで、ゆったりとした時間を過ごした。

 

 しばらく二人で眼下の景色を楽しんでいると、少量の酒でも少し酔ったらしい幽々子がこう切り出した。

 

「やっぱり私、あの桜が好きだわ。人を死に誘う妖怪となってしまった今でも、変わらず美しい」

 

 西行妖から視線は外さずに、呟くようにそう言った。その言葉はこれまでにあの桜の犠牲になった人たちの関係者が聞けば一悶着ありそうな内容だったが、だからこそそう言った幽々子が本当にあの桜を気に入っているんだと実感した。

 

「ね、ハクさん。お願いがあるの」

「ん?」

 

 西行妖を見ていた幽々子がこちらに顔を向けた。酒のせいか頬が少し赤いが、その瞳は真っすぐだ。

 

「私はただの人間だからいつか必ず死ぬわ。あの桜を最後まで見ていられない。だから私の代わりにあの桜を見ていて。もうあの桜に人を殺させないで」

 

 そう言った幽々子は普段のおっとりとした様子からは想像がつかないほど凛とした雰囲気を纏っていた。だがそれでも彼女特有の優しさを確かに感じさせる、穏やかで儚げな言葉だと感じた。

 そう、まるで桜の花びらのような。

 

「……ああ、任せろ。約束だ」

「ありがとう。それと、これはただのわがままなんだけど……」

「なんだ?」

「もしも、いつかどこかでまた会えたら、そのときはよろしくね」

 

 幽々子にしては珍しいわがままとやらがどんなものかと聞いた俺は、その内容と彼女の笑顔を見て少し呆けてしまった。

 

 幽々子が死んでしまったあとの話をしているのだから、生まれ変わりがもしもあったならまたよろしく、というような話に繋がるのはわかる。

 だが今の話し方ではまるで―――。

 

「………………それも任せろ。またこうやって酒でも飲もう」

「ええ。次はハクさんと同じのがいいわ」

「これは結構きついんだが……まぁわかったよ」

 

 降参だ、という意味を含めて右手をふりふりと振る。俺が折れたことに満足したのか、幽々子は一つ息を吐いた。

 

「さて、あんまりここにいると冷えるし、そろそろ戻るか」

「そうね、私も眠くなってしまったわ」

「酒飲んだからな」

 

 目元を軽く指でこすっている幽々子を来たときと同じように抱き上げて屋敷まで戻る。

 

「ハクさんはこのあと、妖怪の山に帰るのかしら?」

「そうだな、そろそろ帰らないと心配するかもしれん。ないと思うけど」

「信頼されてるってことですよ」

「どうだかねぇ……」

 

 そんなことを話しながら幽々子を下ろしてお互い見つめ合う。そして二人で笑い合った。

 会話の内容が面白かったのではない。そんな取り留めのない話ができたことが嬉しかったのだ。

 

 一通り笑い合ったあと、妖怪の山に繋がる仙郷を開いた俺は、幽々子のほうを振り返る。見ると彼女もこちらを向いていた。

 俺は軽く手を挙げて幽々子に別れの挨拶をした。

 

「じゃあな、幽々子。また明日」

「ええ、おやすみなさい、ハクさん。また明日」

 

 同じように挨拶を返した幽々子を見て頷きながら俺は仙郷に入る。

 

 明日は何の話をしようか。こんな目的でも、俺にとっては生きていくための大事な理由だ。

 

 

 

----------------------------------------

 

 

 

「やっぱり、こうなるのか……」

 

 次の日、太陽がまだ上って間もない早朝に西行妖の前に仙郷で移動した俺は、目の前の光景を見てそう言葉を漏らした。

 

 相も変わらず美しい桜。そしてその幹に寄りかかって目を閉じている一人の少女。

 手にはナイフを、着物は血に濡れ、周りの地面を赤く染め上げている。

 左右に飛び散ったその血は、まるで蝶の羽のようにも見えた。

 

「また明日、って言ったんだけどな」

「ハク殿……」

 

 すでにこの場にいた妖忌が顔を俯ける。どうやら彼もたった今見つけたばかりのようではあるが。

 

「幽々子……?」

 

 ふと隣から聞きなれた声が聞こえた。そちらを向くと大きく開いたスキマから紫が顔を出していた。その表情は悲嘆に暮れているというよりも何が起こったのかわからないというような呆然としたものだった。

 だがそれも一瞬ことで、紫はその端麗な顔を歪ませて大きく息を吐いた。

 

「…………わかってはいたけど、やっぱりキツイわ」

 

 小さく頭を振りながらそう零す紫。大切な友人がいなくなるというのは、やはり何年生きていても辛いものだ。それは俺もよくわかる。

 築き上げてきた関係は人それぞれ。故にそれがなくなることに慣れることはない。

 

 だがいつまでも悲しんでいるわけにはいかない。そう思うと同時に紫が顔を上げた。

 

「……西行妖の封印を行うわ。手伝ってくれる?」

「ああ、もちろん」

「出来ることがあれば何なりと」

 

 俺と紫、妖忌がそれぞれ頷いて西行妖から距離を取る。

 

 幽々子はもう十分頑張った。今度は俺たちの番だ。

 

「封印は私がやるわ。二人は私が術式の構成に集中できるようにガードしてちょうだい」

「わかった。妖忌は紫の近くにいて、西行妖が攻撃してきた場合は守ってやってくれ。物理的な防御は任せた」

「わかりました。ハク殿は?」

「俺はあいつの死に誘う能力が紫に行かないように食い止める。精神的な防御は任せろ」

 

 紫を中心とした作戦を立て、それぞれに指示を出す。紫が封印を行い、俺と妖忌は紫の防御だ。

 だが俺の担当を聞いた紫と妖忌は同じように顔をしかめた。

 

「そ、それでは死に誘う能力がハク殿に集中します」

「ええ。ハクは影響を受けにくいけど、完全に受けないわけじゃない。いくら貴方でも心は耐えられないわ」

「それは二人も同じだろ。誰かがやらなきゃならないんだ」

 

 俺はそれだけ言うと西行妖に一歩近づいた。

 

 あの桜の能力を一身に受ければ、俺も何らかの影響を受けるかもしれない。もしかしたら、初めてここに来たときのように短刀を片手に自殺を図るかもしれない。

 だが俺にはそうならないという自信があった。

 

「大丈夫だ、任せろ」

 

 振り返って肩をすくめながら二人にそう言った。

 

「さぁ、始めよう」

 

 それが合図となった。

 

 紫は術の構築を始め、妖忌は刀を構える。俺は黒竜は抜かずに一歩、また一歩と西行妖に近づいた。

 こいつも俺たちが何をしようとしているのか気付いたのだろう。急に辺りに突風が吹き荒れ、西行妖の周りにはいくつもの妖力の塊が作られていく。弾と呼べるほどきれいな形をしていない、ただただ力を凝縮しただけの弾丸。その弾丸はすべて封印を行おうとしている紫のもとへ猛スピードで向かって行った。

 

「させんっ!」

 

 いくら数が少ないと言えども、一発一発が妖怪でも致命傷となるほどの威力を持つ弾丸を、妖忌がその刀でもって正確に切り伏せる。余波さえも紫に届かないように精密に刀を操る技術は、まさに剣聖。

 

 あれならば心配はいらないだろう。

 そう思った瞬間、俺の中に強烈な使命感が生まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『死にたい。』

 

 

 来たな、西行妖。

 

 気が付けば先程までの光景は何処へやら。俺は真っ黒い空間に一人、ぽつんと立ち尽くしていた。

 

 

『死にたい。』

 

 

 周りを見回していると俺の少し先のところが淡く輝き、桜吹雪に包まれた西行妖が現れた。その枝は俺を誘うようにゆらゆらと揺らめいている。

 

 

『ああ、この桜の下で死にたい。』

 

 

 無駄だ。俺はお前の下で死ぬつもりはない。

 

 

『こんなに美しい桜なのだ、死にたいと思うのは不思議ではない。』

 

 

 確かに美しい。思わずその下で死にたいと思うのも不思議ではない。だが俺にその気はない。

 

 

『ああ、ここで死ねたらどんなに幸せか。』

 

 

 そうだな。今までお前の下で死んだ者はみな、幸せそうに死んだのだろう。

 お前が妖怪となる前でも後でも、幸福感に包まれて死んでいったのだろう。

 

 だが残念ながら、俺はお前の下で死んでも決して幸せにはなれない。

 俺の思い描いている死はそういうのではない。

 俺とお前では方向性が違う。

 だから、お前に俺は殺せない。

 

 

『願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月の頃』

 

 

 西行妖。きっとお前は悪くない。

 

 誰もがお前の下で幸せそうに死んでいった。

 そんな光景を何度も見ていれば、それが自然なことだと思ってしまっても無理はない。

 お前の下で死んだ人間も、そのせいでお前が妖怪化するとは夢にも思わなかっただろう。

 誰も悪くない。誰も悪くないんだ。

 

 でも正しくもなかったんだろう。

 

 勝手にお前を死に誘う妖怪にして、今度は勝手に封印してしまう俺たち人間も。

 偶然手に入れた力を何も考えずに振るい、多くの人間を望まぬ死に誘い続けたお前も。

 正しくはないんだろうな。

 

 

 だが悪いな、西行妖。

 俺は約束したんだ。

 もうお前に人は殺させない。

 正しくなかったとしても、少なくとも、俺が死ぬまではその約束は守らせてもらう。

 

 だから、じゃあな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハク!」

「ああ! やれ、紫!」

 

 この場を覆いつくすほど巨大な魔法陣が西行妖を中心に展開され、大きな衝撃が地面を揺らす。

 

 暴れるように激しく揺らいでいた西行妖はやがて動かなくなり、見事に咲き誇っていた花びらはわずかな風に吹かれ、散っていった。

 

「終わった……のか?」

「ええ……。助かったわ、二人とも。ありがとう」

「いえ、お役に立てて何よりです」

 

 大きく息を吐いて西行妖を見る。先程まで満開だったことが嘘のように、その枝には一つの花びらも残っていない。

 幽々子がいた場所にはもう何もない。彼女の体も地面を染めていた血もなくなっていた。

 そこまで確認した俺はもう一度息を吐き、天を仰いだ。

 

 幽々子とした約束は守れた。もう西行妖が人を死に誘うことはないだろう。

 だが彼女はもういない。封印の核として縛られ続けている限り、生まれ変わりがあるのかもわからない。

 

 本当にこれでよかったのか?

 

 そんなやりきれない気持ちが俺の心を埋め尽くそうとしたとき、空を見上げていた俺の目に鮮やかな桜色が映った。

 

「花びら……」

 

 その花びらにつられるように視線を西行妖に戻す。すると大した風もないのに、西行妖から落ちた花びらが宙を舞っていた。

 渦のように舞っていた花びらは徐々に一か所に集まり、やがて人の姿を成していく。

 

 失ったはずの、友人の姿へと。

 

「幽々子……!?」

「これは一体……」

 

 目の前の光景に思わず声を漏らす俺と妖忌だったが、紫だけは安心したように胸をなでおろしていた。

 

「これは私が作った新しい術式よ。封印の強度は変えずに、核となった者の魂は縛られないようにする術式。成功してよかったわ」

「新しい術式……」

 

 紫の説明を聞き、俺は驚愕する。

 あの西行妖を封印するためだけの特殊な封印を、紫は編み出していたのか。

 

「ただ、やっぱり何の代償もなしってことには出来なくて……。たとえ成功したとしても、記憶はなくなってしまうの。これを幽々子に話すのは辛かったわ……」

「な……、幽々子に詳細を話したのか!?」

「え、ええ……。すごく悩んだけれど、記憶をなくして存在するっていうのは、やっぱり本人に話さないといけないことだと思ったから……」

「……幽々子は何て?」

「『記憶がなくなったあとでも一緒にいられるのなら、そのときの私もきっと幸せね』って……」

「…………」

 

『もしも、いつかどこかでまた会えたら、そのときはよろしくね』

『また明日』

 

 彼女のその言葉を思い出す。

 幽々子のやつ、知ってたんだな。嘘なんてついていなかったんだ。

 また会えることを知っていたんだ。また明日一緒に話せると知っていたんだな。

 

 ざぁ……と一つ風が吹き、目の前を覆っていた花びらが四散する。そしてそこには真っ白な西行寺幽々子だけが残された。

 その場で立っていた彼女は閉じていた目をゆっくりと開け、辺りを見回した。

 

「……あら? ここは一体……それに貴方たちは?」

 

 キョロキョロとさせていた視線をこちらに向け、小首を傾げながらそう尋ねる幽々子に、紫が一歩前に出て微笑みかけた。

 

「初めまして、西行寺幽々子。私は八雲紫、よろしくね」

「八雲紫……。西行寺幽々子っていうのは私の名前かしら? どうにも思い出せなくて……」

「そうよ。記憶がなくて混乱してしまうのはわかるけど、でも安心して。私たちはみんな、貴方の友達だから」

「私は使用人ですが……」

「友達でいーの。妖忌も自己紹介しなさい」

「むぅ……、魂魄妖忌です、以後お見知りおきを」

「あ、どうも。よろしくね、妖忌さん」

 

 紫に続いて妖忌も一歩前に出て恭しく頭を下げる。その様子に少し驚いたらしい幽々子は同じように頭を下げながら言葉を返した。

 妖忌と同時に頭を上げた幽々子はその純粋に光る瞳をこちらに向け、少し遠慮がちに口を開いた。

 

「えっと、貴方は? 真っ白い髪に真っ黒い瞳のお兄さん?」

「…………はは、お兄さんときたか」

「?」

「ああ、いや、何でもない。俺はハク、白いって書いてハクだ。よろしく、西行寺幽々子」

 

 あまり呼ばれたことのない二人称に少し面食らったが、頭を左右に振っていつも通りの自己紹介をしつつ、右手を差し出す。

 俺の挙動に疑問符を浮かべていた幽々子だったが、差し出した右手を見ると、まるで憑き物でも落ちたかのようなさっぱりとした笑顔で手を取ってくれた。

 

「ええ。よろしくね、ハクさん」

 

 ああ。またよろしく頼むよ。

 

「……さて! 大きな問題も片付いたわけだし、宴会でもしましょうか! 妖忌、幽々子を屋敷まで連れて行って宴会の準備をしてちょうだい」

「ふむ、そうですな。では幽々子様、こちらへどうぞ」

「あ、ありがとう。……あの、私って偉い人か何かだったのかしら?」

「む、むぅ……?」

 

 記憶のない幽々子の質問に妖忌がどう答えたらと考えているのを後ろから見ながら二人に続いて屋敷に向かう。いつもなら紫にお前も手伝えと言うところだが、今隣を歩いている彼女のその表情には影が見える。

 しばらく黙ったまま歩いていると、紫がぽつりと言葉を零した。

 

「……ハク。本当にこれでよかったのかしら?」

 

 それは先程俺が感じていたものと同じものだった。

 そうだ。今回の件は結局、すべて紫に背負わせてしまった。俺なんかよりも彼女のほうが大きな重圧を感じているだろう。

 俺は拳を強く握りながら、紫の問いに正直に答えることにした。

 

「……正直に言うと、これが最善なのかはわからない。そもそもそんなこと、誰にもわからないんだ」

「……そう、そうよね。やっぱりこれじゃ―――」

「だが」

 

 紫が何か言う前に少々強めの口調で割り込む。紫にその先を言わせるわけにはいかない。

 

「だがこの展開は、少なくとも俺の考えていた最善よりも一つ先をいっていることは間違いない。それに何より……」

「……?」

「昨日あいつと話したときは、悲しさだとか寂しさだとか苦しさだとか、そういうのは一切感じなかった。それはきっと、あれこそがあいつの思い描いた理想の死ってやつだったからだろう」

 

 俺はこの問題を幽々子に知らせるべきではないと考えていた。それはどう考えても西行妖の封印には幽々子の死が絶対だったからだ。

 こんなに幼い少女に辛いことを知らせる必要はない。もしかしたら何か方法があるかもしれない。彼女に教えることなく、全部自分たちで解決しなければいけない。

 俺はそんなことを考えていたのだ。この問題の他ならぬ当事者は幽々子だったというのに。

 

 だが紫は違った。西行妖の封印を一番望んでいるのは誰か、そして当人に事情を説明するべきかをちゃんと考えていた。もちろん苦渋の決断だったのだろうが、それでも紫は幽々子の想いを優先したのだ。

 最善ではなかったかもしれない。だが幽々子は紫の話を聞き、納得し、満足していた。ならばこれはきっと、最善と同等の方法だったのだろう。

 

 なんだよ紫。

 何が、ハクには敵わない気がする、だ。

 こっちのセリフだ、まったく。

 

「お前は幽々子を救ったんだ。よくやったな。よく頑張った。ありがとう」

 

 紫の頭に自分の手を乗せてぽんぽんとなでる。

 不安そうな顔をしていた紫はしばらくぽかんとしながら俺を見ていたが、その瞳が水中の宝石のように揺らいでくると同時にそっぽを向いた。

 

「ゆ、幽々子が幸せそうだったって言うんなら、頑張った甲斐があったわね! まったく大変だったんだから! さ、さぁ、宴会楽しむわよ!」

「ああ」

 

 何かを誤魔化すように変なテンションで屋敷に向かう紫。そんな彼女に少し笑みを零しながら、振り返ってもう何の力も感じない一本の木を見やる。

 

「……少し残念だが、もうお前を美しいと思う日が来ないことを祈るよ」

 

 そんな言葉だけを呟いて、俺もみんなのいる屋敷に向かうのだった。

 

 

 




子は親を超えるもの。


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第三十二話 閑話 妖怪の山と白玉楼での一幕

すごいお久しぶりでございます。
ひたすらにほのぼの会話文多めで、どうぞ。


 

 ―伝説の人間とは?―

 

 妖怪の山に戻って十日ほど。

 

「あ、文ー」

「おや、ハクさんではないですか。何か用ですか?」

「ああ、いや、大した用じゃないんだが、少し聞きたいことがな」

「私の知っていることならばお任せください!」

 

 胸をとんと叩いてにっこり笑っている文はかわいいし頼もしく感じる。そんな彼女を見て一つ頷き、聞きたかったことを口にした。

 

「俺がここにいない頃、俺ってどんな風な人間だって言われてたんだ?」

「へ? ハクさんがどんな人と言われていたか、ですか?」

「ああ。久しぶりにここに帰ってきたときのみんなの反応が気になってな。お前なんか気絶の一歩手前みたいになってたし」

「そ、それは忘れてもらえると~……」

 

 あの時のことを思い出しているのだろう、文の顔が赤くなっている。

 しばらくするとコホンと一つ咳払いをして話し始めた。

 

「えーと、私もハクさんの噂はいろいろと聞いていたのですが、どれもあやふやなもので、しかも矛盾したようなものもあったので一概には言えないんですよ」

「そうなのか?」

「はい。一致していたのは今の妖怪の山を統べる天魔様や萃香さん、勇儀さんと並ぶほど強かった、ということだけです。逆に言えばそれ以外は不確定もいいところ。男性ということは知っていましたが、身長が高かったとか低かったとか、かっこよかったとか童顔だったとか、怖かったとか優しかったとか、冷静だったとか戦闘狂だったとか、それはもういろいろありました」

「へぇ……」

 

 いろんな憶測が飛び交っていたということか。

 

「なるほどねー。でもそんなの天魔とかに聞けば真偽はすぐわかりそうなもんだが」

「いやーそのー、私のような下っ端天狗が天魔様や大天狗様などに興味本位で話を聞くなど、とてもとても」

「そういえば天狗は上下関係を重んじる種族だったな」

 

 たははーと笑いながら頭に手をやる文。

 

「それで? 今はよくわかったか?」

「はい! 男性で身長は高め、かっこよく優しく冷静ですね」

「はは、ありがとう」

「いえいえ、事実ですから。あ、ですが一つ疑問が……」

「なんだ?」

 

 何を疑問に感じているのか聞いてみるが、文は気まずそうな顔をしてうーんうーんと唸っている。

 

「いえ。流石にこれは、その、失礼かと……」

「んん? よくわからんが、聞きたいことがあるなら聞いていいぞ。ちょっと変なこと聞かれても怒らないから」

「そ、そうですか? では……その、ハクさんって本当に強いんでしょうか?」

「ぶふっ……」

 

 吹き出してしまった。

 

 そ、そうか……。性格や容姿は一緒にいればわかることだが、戦闘は実際にしてみないとわからないもんな。おまけに俺に関する噂はどれもあやふやなものばかり。たとえ一致していたとはいえ、俺が強いという噂も本当かどうかはわからない、ということか。

 

「……よし! じゃあ手合わせしてみるか?」

「ええ!? い、いや流石にそれはちょっとー……」

「もちろん手加減するよ。俺は文の半分くらいしか力を使わない。これでどうだ?」

「む……。いくらハクさんと言えども、そんな条件では勝負になりませんよ。私だって最強クラスの妖怪、天狗の端くれです。あまりなめないでくださいね」

 

 表面上は穏やか。しかし少しばかり目つきを鋭くした文が言った言葉は、聞いていた俺を笑わせるには十分だった。

 

「あっはははは…………そりゃこっちのセリフだ。かかってこいよ、新人(ルーキー)ちゃん?」

 

 

 

 

 

 

「きゅう~……つ、強すぎですよ、ハクさ~ん……」

「まぁ、なんだ、精進しろよ」

 

 今日も平和で騒がしい。

 

 

 

----------------------------------------

 

 

 

 ―白玉楼のとある一日―

 

 白玉楼の一件を終え、それなりに経ったころ。

 

 短い木刀を右手に持ち、自然体で前を見る。対面には長い木刀を持つ妖忌。

 

「悪いな、俺のわがままを聞いてもらって」

「いえ、私もハク殿の剣技には興味があるので」

「俺のはそんな大層なもんじゃないけどな。だから本場の技を体験してみたいっていう感じだ」

「はは、勉強熱心ですな」

 

 会話が途切れる。

 

 俺は少し腰を落とし、妖忌は木刀を両手に持ち正面に構える。

 

「いざ」

「尋常に」

『勝負!』

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 木刀同士がぶつかり合う乾いた音を聞きながらお茶を飲む。

 滅多にみることのできない強者同士の打ち合いを楽しんでいると、すぐ隣にスキマが開いた。

 

「やっほー幽々子。遊びに来たわよ……って、あら、喧嘩中?」

「いらっしゃい紫。違うわよ、ただの手合わせ」

「ま、そうよね~」

 

 スキマから出てきた紫は器用に一回転しながら隣に座った。私は紫用の湯呑にお茶を入れる。

 

「はい、紫」

「ありがと。……それで、何がどうしてこうなってるの?」

「別に特別なことは何もないわよ? ちょっと前にハクが来て、妖忌と戦いたいって言って、妖忌が了承して、こうなってるの」

「ふーん」

 

 普段の穏やかな様子からは想像できないほど、右へ左へ上へ後ろへ激しく動くハク。そしてそれに冷静に、かつ的確に対処する妖忌。

 このレベルの戦いはもはや美しい。

 

「……こうしてみると、二人の戦い方は大分違っているのね」

「そうね。妖忌は一つ一つの動きが正確で無駄がない。その動作だけでもはや芸術の域だわ。対してハクは緩急をつけつつ高速で動いて相手を翻弄。刀だけじゃなく手足も最大限に使って攻撃と防御をしているわ」

「妖忌の木刀を素手で弾いているけど、真剣だったら切れてるんじゃない?」

「いえ、ちゃんと刀の腹を狙って弾いているわ」

 

 右へ行ったかと思えば左へ、正面から来たと思えば背後に。遠目から見ている私でも追い切れないのだ、実際に対峙している妖忌は私以上にハクの動きに翻弄されるはず。なのに顔色一つ変えずにハクの動きに対応する妖忌。

 そして逆にその正確無比な剣筋で相手を切り伏せるはずの妖忌の刀を、手で、足で、全身で弾き、逸らし、躱しているハク。

 

 二人とも達人を通り越して神業だ。

 

「それにしても、どうしてこんなに戦い方が違うのかしら?」

「妖忌は人間たちから対人間用の剣技を習い、それをもとに自分なりに研究して研鑽して剣技を極めたのだったわね。でもハクはすべて独学、かつ対妖怪用の剣技を求めた。おまけに相手は獣型の妖怪が多かったからね。違いが出るのも当然だわ」

「なるほどね……」

 

 紫の説明を聞いて納得する。そもそもの始まりが違うというわけか。

 

 

 

 違う経緯で積まれてきた二人の剣技に見惚れていると、あっという間に二人の手合わせが始まってから三十分が経っていた。

 

「……ふぅ。ここまでにしよう。相手してくれてありがとな」

「いえ、私にとっても大変有意義な時間でした。新しい世界を目にした気分です」

「はは、大げさだな」

 

 二人で楽しそうに話しながら屋敷のほうへ歩いてくる。私はそんな二人にお茶を入れて差し出した。

 

「はいどうぞ。ちょっと冷めちゃってるけど、運動したあとならこっちのほうがいいでしょ?」

「お、ありがとう幽々子」

「ありがとうございます、幽々子様」

「あれ、紫も来てたのか。全然気づかなかった」

「私もです。申し訳ありません」

「別にいいわよ。面白いものも見れたし」

 

 頭を下げる妖忌にひらひらと手を振って構わないという紫。

 

「しかし、流石に疲れたな。汗も結構かいてるし……。妖忌、風呂を借りてもいいか?」

「ええ、もちろん」

「……というか、妖忌も一緒にどうだ? 今の手合わせのことも話したいし」

「よろしいのですか? では喜んでご一緒させていただきます。私もちょうど同じことについて語らいたいと思っていました」

「おう。てことで幽々子。風呂借りるな」

「ええ、いってらっしゃい」

 

 二人が並んで風呂場へと向かう。その二人を見送っていると、近くから妙な笑い声が聞こえてきた。

 

「ふへへ……ハクと妖忌が二人でお風呂……」

「……紫」

「大丈夫よ~幽々子。私の能力をもってすれば、あの二人に気づかれずに覗くなんてこと朝飯前なんだから……ぐへへ」

 

 正直気持ち悪い笑い方をする友人……の後ろを見た私は何も言わずに目を閉じた。あとは彼が相応の対応をするだろう。

 

「紫」

「え? へ!? ハクぅ!?」

「俺も仙郷を使えば離れた場所からお前の動向を見るくらいわけないんだが?」

「い、いやー、あははー、今のはただの冗談で……」

「……お前ともあとで手合わせしよう。妖術を使っての模擬戦だ。本気でかかってこい、本気で叩き潰してやるから」

「ごめんなさ―――い!」

 

 今日も平和で騒がしい。

 

 

 

----------------------------------------

 

 

 

 ―影狼はかわいい―

 

 妖怪の山にきて百年ほど。

 

「あ」

「む?」

「あれ?」

「わ」

 

 特に待ち合わせしていたわけではないが、私こと妹紅と慧音、影狼、シロがばったりと鉢合わせした。

 

「こんなばったり会うとは、面白い偶然だな」

「ほんとに。みんなどうしたの?」

「私は散歩の途中です。みなさんは?」

「私も散歩」

「私もだ」

「私も」

 

 しばしの静寂のあと、小さく笑い合う。

 少しの雑談のあと、慧音が思い出すように話し始めた。

 

「そういえば、ここに来てもう百年経ったな」

「妖怪といるのも、すっかり慣れちゃったよ」

「私は……まだちょっと」

「影狼さんの敬語が取れるのは私たちとハク様の前でだけですからね。敬語を使うな、とは言いませんが、もう少し肩の力を抜いてもいいかと」

「シロは誰に対しても敬語だがな……」

 

 慧音のツッコミをものともせず、瞳を輝かせたシロがこう提案した。

 

「ではここで、少し強気な口調や態度を練習してみましょう!」

「え、えぇ? 私はこのままでもいいと思うんだけど」

「いえいえ、妖怪は人間に恐れられてなんぼですし、無駄にはならないと思いますよ? 口調だけでも変えれば印象も変わりますし、自分に自信もつきますしね」

「い、一理あるかも」

 

 む、無駄に理由がちゃんとしてる……!

 

「では手始めにまず、オラーとかコラーとか言ってみてください」

「お、オラーコラー……?」

「もっと語気を強く! 視線はえぐりこむように!」

「お、オラー! コラー!」

「かわいいな」

「うん、かわいいね」

 

 声はどこか甘ったるく、視線は上目遣いなため、オラーコラーと言われてもただかわいい。

 

「ふむ、わかっていましたが、影狼さんにこの路線は合いませんね」

「なんでやらせたの……」

「ではミステリアスな妖怪を目指すのはどうだろう」

「いいアイデアです、慧音さん」

 

 ……人間大好きの慧音が、影狼を人間に恐れられる妖怪にするのを手伝うってどういうことなの。

 

「足を組んで、腕は……うん、こんな感じだ。少し顎を上に、相手を見下すようにして、薄く笑みを浮かべてみろ」

「……こ、こう?」

「かわいいですね」

「うん、かわいいね」

 

 にっこり笑う影狼。かわいい。

 

「わかっていたが、ミステリアスとか影狼から最も遠い属性だったな」

「な、なんでやらせたのぉ……」

「うーむ……妹紅、何かアイデアはないか?」

「ええ、私?」

 

 急に話を振られて少し動揺する。

 アイデアと言われてもなぁ。

 

「なんかこう……攻撃的なことを言ってみれば?」

「例えばどんなことだ?」

「えぇーと……『月に代わっておしおきよ!』とか……?」

「なんでそのチョイス!?」

「いいアイデアだな妹紅!」

「流石妹紅さんです!」

 

 いけない。私もここの妙な雰囲気に飲まれてしまっている気がする。

 

 ……あれ? あの少し遠いところからこっちに向かって歩いてきているのは……。

 

「さぁ! 影狼頼む!」

「えぇ!? ほんとに言わなきゃダメなの!?」

「せっかくの妹紅のアイデアを試さないわけにはいかないだろう!」

「こ、こんなところ他の人に……は、ハクさんとかに見られたら、私……」

「大丈夫です! ハク様は今近くにいません。ええ、いませんとも!」

「さあ! 言ってやれ影狼!」

「うぅ~……もう! つ、『月に代わっておしおきよ!』」

 

 

 

「なに面白いことやってんだ、お前ら」

 

 

 

 ゆっくりと振り返る影狼。そして一瞬で赤くなる影狼。羞恥でぷるぷると震えだす影狼。

 そして笑いをこらえてぷるぷると震えだす慧音とシロ。

 

「影狼、お前……」

「……あっ……なっ……は、ハクさ……!」

「お前、かわいいな」

「うわ――――――ん!」

 

 ……今日も平和で騒がしい。

 

 

 




文「せ、戦闘狂って噂も本当かも……」


紫「ぎゃー! 無尽蔵な生命力を最大限活用した連続攻撃ー!?」


ハク「影狼にかわいいって言っただけで泣かれたんだが……」




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第三十三話 開戦の兆し

シリアスになりそう。いや、なる。

今更ですが、作者のシロのイメージです。
大人しいと思いきや、割と元気っ子。

【挿絵表示】



 

「貴方たちは月にも人がいるって知ってる?」

 

 妖怪の山で毎日のように行われていた宴会の最中、近くで飲んでいた紫の言葉に俺は思わず固まってしまった。

 急に動きを止めた俺が不審に思われなかったのは、他のやつらにとってもその内容は驚くようなことだったからだ。

 

「月って、あの空に浮かんでる月のこと?」

「少し想像したことぐらいはあったが……」

 

 俺が何か言うよりも早く反応したのは、満月に変身するということで月に対する考えが他よりも強い影狼と慧音だ。

 二人はこの話題に興味津々らしく、もともと近かった距離をさらに詰めて紫に続きを促している。

 

「少し昔にそんな話が出回っていたのよ。それで確かめてみようと思ってね、実際にスキマを使って月面を見てみたときがあったの」

「すごい行動力だな。そこで人を見つけたってことか?」

「いえ、私が見たところは誰もいなかったわ。誰かがいた痕跡もなかったし、そもそも人の住める環境じゃなかったしね」

 

 慧音の問いに軽く首を振りながら紫が答える。そのやり取りの間に周りにいた妖怪たちが集まってきていた。

 あっという間に増えた観客を見て肩をすくめた紫は、酒を一口飲んで話を続けた。

 

「ただ、月面の一部に私の能力が干渉しにくい場所があってね。目視でも何も見つからなかったけれども、確実に何かがあると断言できるような感じがしたわ」

「はー、紫の力でもって言うと確かに怪しいね。でもそれだけで人がいるとは思わなくない?」

「萃香さんの言う通りですね。根拠としては弱すぎるかと」

「いや、いるよ」

 

 萃香と天魔が紫の説に疑問を抱いていると、隣で静かに飲んでいた妹紅が口を挟んだ。どうやら今のは無意識に漏れてしまった言葉だったらしく、自然と集中する視線にハッとした妹紅だが、照れくさそうに頬をかいて話を続けた。

 

「月に人はいる。かぐや姫がそうだったから。私は会ったことないけど……」

「かぐや姫……聞いたことありますね。確かたくさんの貴族から求婚されるほどの絶世の美女……でしたっけ」

「ええ、妹紅に理由を話されちゃったけど、そういうこと。かぐや姫は月から来たと言われていて、実際月からの使者とともに月へ帰ったのを見た人もいるわ」

 

 妹紅の話に情報通の文が反応する。かぐや姫の話はかなり有名なのは知っていたが、ここまで届くほどとは。

 紫が月に人がいると考える根拠もわかった。あの場にはたくさんの兵士がいたから、目撃情報もたくさんあったのだろう。俺がその場にいたことは知らないようだが。

 

 それにしても、妹紅がかぐや姫のことを知っているのは不自然ではないが、話しているときの妙な雰囲気は少し気になる。寂しさ、後悔、罪悪感……のような感じがする。

 

「月に人がいるっていうのは確実だと思うわ。それで何とか接触できないかっていろいろ試行錯誤していたんだけど、先日やっとその方法が確立できたのよ。つまり、さっき言った干渉しにくいところに干渉する方法が見つかったってこと」

「へぇ、それは面白い! 月に住む人間かぁ、強いのかねぇ」

「勇儀さんはそればかりですね」

 

 未知の人間に会えるかもしれないという話にワクワクしている勇儀に天魔が呆れ気味に笑っている。周りのほとんどのやつらも楽しそう面白そうと笑っていたが、俺は自分でもわかるくらいに険しい顔をしていた。

 

「紫、月には何の目的で行くんだ?」

「幻想郷を豊かにするためによ。少なくともここと月を行き来できるくらいの技術力はあるんだから、何かしら役立つものがあるはずでしょう?」

「なるほど。ちなみにどうやって手に入れるんだ?」

「出来れば交渉で何とかしたいけど……」

「ふむ、それなら―――」

「そんな面倒なことしなくても、無理矢理ぶんどっちまえばいいだろ?」

 

 紫の平和的な案に安心していると、離れた場所で酒を飲んでいた妖怪が数人こちらに歩いてきた。前に俺がここにいたときはいなかった連中だ。何というか、ガラが悪い。

 

「相手はただの人間なんだろ? だったら少し脅せば欲しいもん何でもくれるんじゃねえか? 言うこと聞かないようなら殺せばいいだけだしな」

「……幻想郷は妖怪と人とが共存できる国よ。その国を作るために人に危害を加えるなんて本末転倒だわ。それに月の人間は妙な力を使うっていう話もある」

「はぁ? 俺たちじゃ月の連中には勝てないって言いたいのかぁ?」

「ああ、無理だろうな」

 

 その妖怪と紫の話を聞いていた俺はついつい本音を言ってしまった。まぁ仕方ないだろ、絶対勝てないんだから。

 だが突然の俺の発言を聞いた妖怪たちはかなり機嫌が悪くなったらしく、ニヤニヤした笑みを消して俺を睨みつけてきた。表情は違うが紫たちも驚いたようでこちらを見ている。

 

「あ? 人間風情が何か言ったか?」

「お前らじゃ月人には勝てない。というか勝負にもならない。万に一つも勝ち目はない。殺されるとしたらお前らのほうだ、と言った」

「なめてんのか、てめぇ!」

「別になめてるわけじゃない。ただ俺たちと月人では差がありすぎるって話だ。世界は広い、故に視野は広くしないと―――」

「ふざけんな!」

 

 警告の意味も含めて正直に話していると、最後まで言い切らないうちにいきなり殴りかかってきた。キレるの早すぎだろ。

 右手には酒を持っていたので、仕方なく向かってきた拳を左手で逸らして同じ手で妖怪の腹部に掌底を打ち込む。

 

「話聞けよ」

「ごふッ!?」

 

 力を少し強めに込めて放った掌底を受けた妖怪はくの字に折れ曲がりながら吹き飛んで、遠くに生えている巨木にぶつかって動かなくなった。

 妖力は感じるから死んではいないが……気絶してるな、ありゃ。ちょっと痛い目にあってもらったあとで説明しようとしていたのだが、予想以上に弱かったようだ。

 

「おいおい……たかが人間風情相手にその体たらくでよく大口叩けたな。で、お前らはどうする? やるか?」

「……い、いや、遠慮しとく」

「そうか。だったらあいつの介抱でもしてやってくれ。あと、増長しすぎだって伝えておけ」

「あ、ああ……」

 

 一緒に来ていた妖怪にそれだけ言って追い払う。まったく、宴会の最中だってのに。いや、俺も少し正直に言いすぎたけど。

 今のやり取りのせいで固まってしまっていた周りの妖怪たちに立ち上がって謝る。まぁお詫びとして仙郷から酒を取り出したら元通りの雰囲気に戻ったからよかった。こっちは単純すぎるだろ。

 

 腰を下ろして右手に持ちっぱなしだった酒を飲む。やれやれ。

 

「……悪いわね、ハク。幻想郷を作るにあたって妖怪を集めはしたんだけど、幻想郷を妖怪のためだけの国だと勘違いしている連中もいるのよ。さっきのはその一番わかりやすい例ね」

「いや、俺も悪かったな。あんまり調子に乗り過ぎてるといいことはないっていう警告のつもりだったんだが……意図が伝わらなかったかもしれない」

「それなんだけど、月人って月にいる人間のことよね? やけに詳しいけど、知ってるの?」

「あー、まぁな」

 

 月人という聞きなれない単語に反応する紫に苦笑する。彼女たちに輝夜や永琳の話はしたことがない。あの一件のことを知っているのはこの中では俺とシロだけだ。

 話さなかったのは、その内容が俺にかなり深く関わっているからだ。俺が元月人だということはあまり知られたくはないが……月人のことを知ってもらうには実体験を話すのが一番いいだろう。

 

 そこまで考えて後ろ頭をかきながら、簡単に月人について話すことにした。

 

「さっき妹紅が言っていたかぐや姫のことだが、俺は実際に会ったことがある」

「えっ!? 会ったことあるの!? い、いつ、どこでっ!?」

「お、落ち着け妹紅。どうしたんだ?」

 

 飛びつくような勢いで鼻と鼻がくっつきそうなくらいに近づき、話に食いつく妹紅に圧倒されてしまう。興味があるってだけでここまで反応するか……?

 俺が困惑しているとまたしてもハッとして、顔を少し赤くして元の位置に戻って行った。

 

「ご、ごめん……何でもないから話続けて……」

「う、うん、まぁいいか。話を続けるぞ……て言っても大した話はない。月人と会ったことがあるからその強さも知ってるってだけだ」

「それってそのかぐや姫が強かったってこと?」

「確かにそれもあるが、かぐや姫――輝夜って名前だが、そいつを迎えに来た月の使者の中にはもっと強いやつもいた」

「ほぉ! 強いやつがいたのか、それは楽しみだな!」

「勇儀さん、抑えてください」

 

 萃香の問いの答えに興奮した勇儀を天魔が抑えている光景は普段ならいつも通りだと安心するのだが、今回に限ってはハラハラする。

 本当に戦闘を始めないように縄でもつけておくべきだろうか、などと本気で考えていると、影狼がひょいと手を挙げて質問した。

 

「強いって、ハクさんくらい強いの?」

「俺よりも遥かに強い。というかこの場の全員が束になってかかっても恐らく勝てない」

『へ?』

 

 月人の強さを正直に話したところ、シロを除く全員がまったく同じ反応を返してきた。信じられないとか以前に言っている意味が理解できない、といった感じだ。

 

「……い、いやいや、それはないでしょう。ここにいるのは妖怪の中でも強力な鬼や天狗ですよ? その中でも天魔様や萃香さんに勇儀さんは群を抜いていますし、紫さんは妖力も能力もチート級、妹紅さんは不死、慧音さんは半分神獣、影狼さんは……かわいいです。シロさんは私の何倍も力を持っているそうですし、ハクさんだっているじゃないですか」

「私だけおかしかったような……」

 

 文が目を回しながら現状の戦力分析を行っている。確かに彼女の言う通り、この面子で勝てない相手など普通はいるはずがない。一人一人が最強クラスの力か一級品の能力を持っている。影狼はかわいい。

 

 だがそれはあくまで地上ではの話である。影狼はどこにいてもかわいいが。

 俺は確認の意味も込めて、月人と実際に会ったことのあるもう一人の人物に聞いてみた。

 

「シロはどう思う?」

「勝てません。絶対無理です。瞬殺です」

「だ、そうだ」

 

 いつものシロらしくなくきっぱりと言い放たれた現実は、まだ実際に月人に会ったことのない彼女らには受け入れ難いものだったらしく、呆けて固まってしまっているのがほとんどだ。

 そんな彼女たちに苦笑を漏らしつつ、しかしこれだけは言っておかなければならないと気を引き締めてはっきりと声を出した。

 

「月人と会うこと自体ほとんどないとは思うが一応言っておくぞ。月の人間とは争うな。特に勇儀」

「え~、ちょっと遊びくらいならいいじゃない」

「いや、月人も話のわかるやつばかりじゃないから、やめたほうがいい。俺も月の使者とは敵対しちゃったからな」

「え、さっき私たちより遥かに強いって言ってた相手と? 大丈夫だったの?」

「ああ、大丈夫だ、萃香。その強いやつは味方になってくれたし、俺たちはすぐに逃げたからな」

 

 不安そうな顔の萃香を安心させるため、ぽんぽんと頭をなでる。

 実際、月の使者からは何の危害を加えられていない。もちろんそれは相手が何かする前に結界に閉じ込め仙郷に逃げたからなのだが、終わり良ければ全て良しというやつだ。

 

「だが逃げなきゃならなかったのも事実だ。まぁさすがに交渉しに行くだけなら大丈夫だと思うが。とにかく月人とは戦うなよ、オーケー?」

『オーケー』

「うん。妙な空気にさせて悪かった。さ、せっかく宴会の場なんだから楽しもう」

『おー!』

 

 少し深刻な話をしてしまったのを詫びて元の雰囲気に戻るよう促すと、その瞬間にはもう酒を片手に思い思いの話を始めた。こいつらはこういう気持ちの切り替えが速いからありがたい。

 俺も一息吐いてから長話をしてカラカラになったのどを酒で潤していると、隣にいた妹紅が少し近づいてきた。

 

「あの、ハク。さっきのかぐや姫……輝夜のことだけど」

「ん?」

「その……月に帰ったの?」

「いや、帰ってない。今は地上にいるはずだ。どこにいるかはわからないけど」

「……そうなんだ。わかった、ありがとう」

「ん、よくわからんが、よかった」

 

 満足したような微笑みを浮かべながら礼を言う妹紅に頷いて答える。

 先程の妹紅の反応からしても、輝夜と何かあったのは間違いない。だが俺が突っ込んで聞く必要もないだろう。恐らくだが彼女の中では答えが出始めている。ならあとは見守るだけだ。

 

 

 

 

 

 

「……くそ、あの野郎。なめた真似しやがって……!」

 

 

 

----------------------------------------

 

 

 

「うふふ、人と妖怪が暮らす国を作ってると思ったら、今度は月にお邪魔しに行こうとするなんて、相変わらず紫は面白いわね~」

 

 最近の紫の動向を聞いた彼女は持っていた湯呑を置いてくすくすと笑った。混じり気のないその笑顔に俺も釣られて笑う。

 

「私には魂の管理を任せるし、紫の近くにいると騒がしくて忙しくて死んじゃいそうだわ」

「亡霊のお前が死んじゃいそうとは、さぞかし大変なんだろうな」

 

 目の前にいる少女は西行寺幽々子だ。西行妖封印の一件以来、死に誘う能力は少し変異し、任意での発動が可能となっている。おかげで彼女は生前のような悲しい笑顔を見せることはなくなった。

 ちなみにだが、西行妖の封印の詳細は話していない。あれはすでに終わったことなのだから今の幽々子に話す必要はないと、俺と紫と妖忌はそう考えたからだ。

 

「私も月に行ってみたいけど、どうかしら?」

「ん? そうだな……。聞いた話によると月の民は穢れを嫌う。穢れは寿命をもたらすからだ」

「ふむふむ」

「それで穢れの発生条件は『生きるために殺すこと』とでも言えばいいのかな。そう考えると、すでに死んでいる幽々子には関係がないから、月に言っても悪いことは起きないかもな」

「へ~。なら紫について行ってもいいかしらね」

「まぁ話してみるくらいならいいんじゃないか? ついて行ってもいいかは話し合って決めるといい」

 

 幽々子の質問にすでに暗くなった空に浮かぶ月を見ながら輝夜や永琳から聞いた話を簡単にまとめて答える。

 生存競争が穢れの条件だとすると亡霊となった幽々子はそれに組み込まれていないため、月人も悪くは思わないかもしれない。あくまで『かもしれない』だが。

 

「それにしても、幽々子は自分に正直だな。あれがやりたい、これがやりたい、って」

「やりたいことをやるのが楽しく生きるコツなのよ」

「まったくもってその通り」

「うふふ」

 

 肩をすくめる俺を見て幽々子はまたくすくすと笑った。

 いろいろなわがままが言えるというのはいいことだ。一つのことに縛られておらず、広い視野を持っている証拠だからだ。それに心から信頼できる相手がいる証拠でもある。

 

 いい方向に向かっている彼女を喜ばしく思っていると、幽々子がところで、と話を切り出した。

 

「ハクは月には行かないの?」

「……俺か?」

 

 単なる世間話、興味があったから聞いただけであろうその質問に動きが止まる。そんな俺を見て首を傾げた幽々子は話を続ける。

 

「ハクも知り合いの月の人に話を聞いただけなんでしょ? 実際に行ってみたいとは思わないのかしら~?」

 

 持っていた湯呑をちゃぶ台に置いて考える。

 俺は月に行ってみたいと思っているのだろうか。

 

 月の使者の一件がなかったら迷わず行きたいと答えただろう。何せ自分の知らない未知の世界なのだ、興味を持つなというほうが難しい。

 だが問題なのは、俺が月からの逃亡者である輝夜と永琳と知り合いなどころか、二人の逃亡を手伝った共犯者だということだ。輝夜を月に連れ戻す際に邪魔する地上人がいたという報告は間違いなくされているだろうし、おまけにあのとき俺は網代笠を被っていなかったので面も割れているはずだ。

 紫が月に交渉をしに行って、話のわかる月人が応対したとしても、向こうでは犯罪者扱いのはずの俺がいたのではまとまる話もまとまらない。

 

 興味はあるが行かないほうがいいだろう。

 俺がそう結論づけたとき、ちゃぶ台に乗せていた右手に誰かの左手が添えられた。

 

「ハク、大丈夫? 何だか……様子が変だけど……」

 

 覗き込むように俺を見ている幽々子は心配そうな表情で、俺の右手に添えた左手をきゅっと握る。

 その左手をぼんやりと見ていた俺は先程までの自分の考えに恥じて、苦笑しながら首を左右に軽く振った。

 

「いや、大丈夫だ。ちょっと自分が情けなく感じてな」

 

 そうだ。今のは全部、ただの言い訳だ。月に行きたくないことを隠すためのもっともらしい隠れ蓑だ。

 

 俺が月へ行きたくない理由は他にある。今まではそれから目を逸らし、逃げ続けていた。

 それが間違っているということは、誰よりも俺がわかっていたはずなのに。

 

「だけど、それも潮時なのかな……」

「ハク……?」

 

 いつまでも見て見ぬふりはできない。俺も慧音を見習って、ちゃんと向き合わないとな。

 

「俺なら大丈夫だ。あまり心配するな」

「…………あ、え、ええ」

 

 幽々子の左手に自分の左手を乗せて、安心させるように彼女に微笑む。

 しばらくぼーっと俺の顔を見ていた幽々子だったが、じわじわと顔を赤くして少し俯いてしまった。どうしたのかと思っていると、幽々子は俯いたまま視線をこちらに向け、蚊の鳴くような声でぽつりと呟いた。

 

「無理はしないでね……?」

「! ……ああ。ありがとう」

 

 幽々子の言葉に少しばかり驚いて目を見開く。上目遣いでこちらを見ながら心配そうにそう言った彼女が、生前の幽々子と重なったからだ。

 心配するなと言ってもこうして気遣ってくれる優しい性格は変わらない。そう思いながら彼女に礼を言う。

 

「……私にできることがあるなら手伝うからね?」

「頼りにしてるよ」

「ふふ」

 

 取り合っていた手をはなして、幽々子の頭をぽんぽんとなでる。幽々子は少し照れくさそうにしながらもされるがままなでられている。かわいい。

 

 しばらく幽々子のふわふわした髪を楽しんだあと、先程ちゃぶ台に置いたお茶を飲み切ってしまおうと湯呑を持つ。その瞬間、いきなり俺と幽々子のすぐ近くにスキマが開き、青ざめた表情の紫が飛び出してきた。

 

「っ、ハク! 緊急事態よ!」

「な、何だ、どうした紫?」

 

 突然のことに驚いて少し手からはなれてしまった湯呑を何とか零さずに掴んで、現況たる少女を見る。紫にしては珍しくかなり動揺しているようだ。めったに見ない紫の様子に幽々子も驚いている。

 

「事情はこっちで話すわ! とにかく来てちょうだい!」

「うわっ」

 

 紫は俺の着物の袖をがっちりと掴むと、開いていたスキマの中に引きずり込んできた。有無を言わさないその調子に少し気圧されつつ素直についていくことにする。

 

 移動はすぐに終わり、地面に着地した俺はここは何処かと辺りを見渡すと見慣れた景色と見慣れた面々が目に入った。

 

「妖怪の山……それにお前らまで集まってるのか」

 

 暗くはあるが周りを見るとここが妖怪の山だということはすぐにわかった。それだけなら違和感はないが、シロや天魔、萃香や勇儀を筆頭に多くの妖怪たちが集まっていた。当然妹紅や慧音、影狼もいる。

 普段は仕事をしていたり、適当に遊んでいたり、眠りこけている連中がこうも一か所に集まるとは珍しい。紫の様子から見ても、面倒な何かが起きていることは明白だった。

 

 とりあえず話を聞かないことには始まらないので、近くにいた天魔に視線を向ける。

 

「何があったんだ?」

「少しマズいことになりまして、その……」

「いいわ、天魔。私が話す。私の責任だもの」

 

 言いにくそうに言葉を濁す天魔を制して紫が真正面に立つ。その表情は焦りと罪悪感が混ざり合ったような色をしていた。

 

「単刀直入に言うわ。月に妖怪が数十人、向かって行ってしまったの」

「……は?」

 

 突然告げられた現状に思わず呆けた声が漏れだす。様々な疑問が頭に浮かんできたが、俺がそれを問う前に紫が顔を俯けながら詳しい話を始めた。

 

「私が目をはなしている隙に、試験的に月に繋げていたスキマに入ったみたい。迂闊だったわ……」

「なっ……、誰が行ったんだ!?」

「この前の宴会――月の話をしたあのときに私たちに絡んできた連中と、そいつの部下どもよ。今ここにいない連中が全員向かっていたとすると、多分三十人ほど」

「……冗談じゃねーぞ」

 

 あンの馬鹿ども、俺の話を聞いていなかったのか……?

 いや、あの宴会のあと、直接あいつらに念押しして注意しておけばこんな事態にならずに済んだかもしれない。考えが甘かった俺にも責任があるか。

 

 だが今は後悔している暇はない。

 

「連中が向かってからどれくらい経った?」

「五分と十一秒よ。何かの能力でスキマの感覚が鈍って対応が遅れてしまったの」

「五分か……」

 

 紫の返答を聞いて、大きくため息を吐く。どうしたものかと考えていると、一応、と前置きをしてから天魔が話し始めた。

 

「月へ行った妖怪の妖力は下級天狗と同等レベルです。それが三十人ほど月へ向かったわけですが、まだ生きていると思いますか?」

「生きているかはわからないが、すでに制圧されているのは確かだ」

「たった五分で……それほどですか」

「だから手を出すなと言っておいたんだ」

 

 月人が相手ならあの程度の妖怪三十人程度を制圧するには五分どころか三十秒あれば十分だろう。

 慈悲のある相手なら殺されずに済んでいるかもしれないが、断言できるほど俺は月人の性格を知らない。むしろ地上を穢れた地と呼んでいる彼らが、その穢れた地からの侵攻を笑って許すとは思えない。ただの戦争行為でさえそうなのに、だ。

 

 しばらく天を仰いで黙考していたが、再度大きくため息を吐いてから今後の方針を話すことにした。

 

「冷たいだろうが、月に向かった連中のことは二の次に考える。最優先するのは月との戦争を回避すること、そして月との関係をこれ以上悪化させないことだ」

「手段は?」

「……月へ直接話をしに行くしかないだろうな」

 

 後ろ頭をかきながら自分の考えを話す。残酷と言われても仕方ないが、もしも戦争になった場合の犠牲者は三十人なんてちんけな数ではない。

 彼らが地上までやってきて、地上人を皆殺しに……なんてことはさすがにないとは思うが、それも断言はできない。せめて輝夜や永琳のように話のわかる相手がいればいいのだが。

 

 万が一の事態に内心で頭を抱えていると、真正面にいた紫が真っすぐ俺を見ながら宣言した。

 

「だったら私が行くわ」

「紫……」

 

 確かに、ここは幻想郷の代表たる彼女が行くのが道理だろう。だが向こうに行って無事に帰ってこれるとは限らない。

 俺がそう伝えると紫は小さく首を横に振った。

 

「こうなったのは私の責任よ。だから私が行く。これは私のやるべきことよ」

「やるべきこと、か……」

 

 凛とした声色でそういう紫。

 すでに覚悟を決めている。もう誰が何を言っても曲げないだろう。子供だと思っていた彼女だが、幽々子の件といい、今回といい、しばらく見ない間に本当に成長した。

 

「紫! 私も行くよ!」

「いえ、萃香はここに残っていて。戦いに行くわけじゃないから大勢はいらないわ。むしろ少人数のほうがいい」

「そっか……わかった。気を付けてね」

 

 心配そうな表情をした萃香が自分もついていくというが、紫にやんわりと断られる。他の連中も萃香と同じように紫について行こうと思っていたらしく、紫が断った理由を言った途端、気落ちした様子を見せた。

 

「紫、一人で行くつもりか?」

「……そのつもりよ」

「少人数で行くのは賛成だが、さすがに一人では荷が重いだろ。俺も行くよ。この中で一番月人のことを知っているのは俺だ」

「いえ、でも……」

「紫に責任があるというのなら、俺にもある。あいつらに詳しく説明していればこんな事態は防げたかもしれない」

「それはハクのせいじゃない。そもそもハクがいなかったら月人のことは何もわからなかったんだから」

「そうだ、俺がいなければ紫たちは月人のことを知らないままだった。だからこそ、知っている俺がちゃんとするべきだった。違うか?」

「それは……」

 

 俺がそう聞くと、紫は口ごもって俯いてしまった。違う、と言いたいのかもしれないが言い切れないのだろう。

 この事態を回避させられたかもしれないやつはこの場にたくさんいる。だがその大元は俺だ。俺がもっとも気を付けるべきだった。

 

 そこまで考え、俺は頭を軽く振る。反省は大事だが、今はそれよりも優先することがある。

 

「まぁ今は時間が惜しい。誰が悪いとか誰の責任とかはあとで考えよう。早く行ったほうが……」

「話は聞かせてもらったわ~」

 

 紫に道案内を頼もうとしたところで急に背後からのほほんとした声が届いた。何かと後ろを見てみると、この場にいるはずのない幽々子が先程ののほほんとした声にふさわしい表情で浮いていた。

 

「ゆ、幽々子? どうしてここに?」

「どうしても何も、紫ったらスキマを開きっぱなしにして行くんだもの。嫌でも話が耳に入るわ~」

「え? ……あっ」

 

 幽々子のその言葉に自分が出てきた場所を見ると、そこには相変わらず紫のスキマが開いていた。スキマを覗くと先程まで俺たちがいた白玉楼が見て取れる。紫の反応からして、どうやら慌てていたせいでスキマを閉じるのを忘れていたようだ。

 

「私も二人と一緒に行くわ~」

「なっ……幽々子はついてくる必要ないじゃない」

「必要はないかもしれないけど、行ってみたいのよ。大丈夫、邪魔はしないから」

「そういう問題じゃなくて……」

 

 幽々子のマイペースさに紫が頭を抱えている。紫としては関係のない幽々子を危険な場所に連れて行きたくないのだろう。それは俺も同じだ。

 

「それにハクがさっき言ってたわ。私なら月に行っても悪いことは起きないって」

「そ、そうなの、ハク?」

「まぁ、言ったが……」

 

 ここに来る前に白玉楼で話したことを思い出しながら頭をかく。

 

 あのとき話したことは決して嘘ではないが、それはあくまで最初から穏便に済まそうとしていたらの話だ。月人にとって宣戦布告と取れる行動をした今となっては、さすがに安全とは言い切れない。

 それを重々承知している紫は険しい顔をしながら幽々子をじっと見つめている。

 

「お願い紫、ちょっとだけだから」

「…………」

「ね?」

「……はぁ、わかったわ」

 

 説得ともいえないような幽々子のおねだりに意外にも紫は首を縦に振った。先程まで幽々子がついてくることに難色を示していた紫があっさり手のひらを返したことは疑問に感じたが、紫の決めたことに反対するつもりもない。

 まぁ幽々子は西行妖と繋がりがあった名残なのか、霊力の量はかなり多い。自分の身は自分で守れるだろうし、もしものときは紫が守ればいい。

 

 そして、もしも二人に何かあれば。そう考えたとき、いつの間にか隣にいたシロがぐいと顔を近づけてきた。

 

「ハク様、私も行きます!」

「え? いや、今回は戦いに行くわけじゃない。それに関係ないお前を巻き込むわけには……」

「輝夜さんのときだってハク様は戦うつもりはなかったのに戦闘になりかけました! それに私はハク様の刀、白孔雀です! 大いに関係があります!」

「だが……」

「いーえ、絶対についていきます!」

 

 仁王立ちをしながら断固とした意志を見せるシロ。普段は大人しい彼女だが意外に頑固なところがあり、こうなるとてこでも動かない。そんな彼女の様子を見た俺はため息を一つ吐いてシロの頭をぽんぽんとなでる。

 

「……そうだな、あのときもお前に助けられたからな。悪いが、今回も頼むよ」

「はい!」

 

 両手をぐっと握りながら笑顔を見せるシロにつられて俺も緊張していた頬が緩む。気を張らなければいけない場面ではあるが、張りつめすぎるのもよくはない。狙ってのことかはわからないが、緊張をほぐしてくれたシロに感謝しよう。

 

「……それじゃあ行きましょう。急がないと月への道が閉じてしまうわ」

「わかった。道案内を頼む」

 

 紫が手のひらを地面に向けると自分と俺、シロ、幽々子の足元に大きなスキマを開いた。急に感じる浮遊感に身を任せてしばらく落下すると、見たことのない場所に到着した。だがその場所は空中だったため、俺たちは慌てて自分を浮かせて地面との激突を回避する。

 到着地点が空中であることぐらい事前に説明してほしいんだが。

 

「紫、ここって何処なの?」

「妖怪の山からそんなに離れていないところにある湖の上よ」

 

 紫に言われて見ると確かに下は湖のようだ。となると飛ぶのが間に合わなくても体を地面に強打するということはなかったようだ。まぁだからと言って水浸しになるのも嫌なのだが。

 すでに真夜中ということで水の中など全く見えないほど真っ黒なわけだが、だからなのか、水面に映る月は本物よりも輝いているように見える。

 

「この湖に映っている月を利用して幻と本物の境界をいじって月に行くの。再調整するから少し待っててちょうだい」

 

 紫はそう言うと、境界を操る力を湖に映った月に使い始めた。何をしているのかは俺にはわからないが、彼女の言う通り再調整をしているのだろう。

 こちらも今のうちに、最後の警告をしておこう。

 

「何度も言うが戦闘力においては月人と俺たちじゃ格が違う。もし交渉の余地がない状態だったらすぐに逃げろ」

「わかったわ」

「はい」

「……よし、繋がった」

 

 再調整とやらは意外と早く終わったらしく、紫が俺たちのほうを向いて頷いた。水面の月を見ると真ん中に不自然な裂け目ができている。恐らくここに飛び込めば月へ行けるのだろう。

 俺は仙郷から網代笠を取り出し深めに被る。正体がばれないようにするための方法としては心許ないが、何もしないよりはマシだろう。

 

「行くわよ」

「ああ」

「は~い」

「はい!」

 

 紫の合図にそれぞれ返答した俺たちは、同時に裂け目に飛び込んだ。

 

 

 

 

 

 

「う、動くな!」

 

 移動が終わり、一面灰色の地面に足をつけた瞬間にどこからか緊張した様子の声が聞こえた。見ると大きな兎耳をつけた見慣れない服装の少女が数人、おどおどしながらもこちらに銃剣を突き付けてきている。

 一瞬どうするか迷ったが紫がゆっくりと両手を上げたのを見て、俺たちも同じように両手を上げた。戦闘の意思はないということが伝わればいいが……。

 

「あら、懲りずにまた来たの?」

 

 ゾクッ。

 

 兎耳の少女たちの背後から聞こえたその声に俺は全身に鳥肌が立った。この感覚は、以前月人たちと会ったときに感じたのと同じものだ。俺以外の面々もその声に何かを感じ取ったらしく、一様に顔を強張らせている。

 声のほうを見ると、薄紫色の髪を後ろでまとめた女性が手に刀を持ちながらこちらに向かってゆっくりと歩いてきていた。

 

 これは……ちょっとマズいかも。

 

 そんな俺の内心を察したのか、女性は俺たちを一通り見たあとに小首を傾げながら小さな口を開いた。

 

「今度は少数精鋭というわけかしら? ですが残念ながら、地上人では月の民には勝てないわよ」

 

 後ろにあった紫のスキマがすーっと閉じる音がした。

 

 

 



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第三十四話 月面戦争の影響

本当にお久しぶりです。
もうどんなお話か忘れちゃってますよね~。

【簡単なあらすじ】
幻想郷の基盤ができ始めてきたころ。
月の都の存在を知った紫が月の技術を求めて話し合いに向かおうとしていたが、血の気が多い他の妖怪たちが欲しいものを力ずくで奪うため、勝手に月に向かってしまう。
戦争になることを止めるため紫、幽々子、ハク、シロの四人が月へと向かうが――?

といった感じです。


 

「それにしても何というか……妙な組み合わせね」

 

 しばしの沈黙のあと、今一度俺たちをじっくりと観察した目の前の女性は先程とは逆向きに首を傾げながらそう言った。

 俺たちはその間ずっと手を上げっぱなしだ。疲れはしないが……何だかな。

 

「妖怪と亡霊と、それと一番小さい子は付喪神かしら?」

「……はい、合っています」

「それで貴方は……人間? でも全然力を感じないわね」

「事情があって抑えるようにしてるんでね」

「なるほど。でも普通の人間にはそんな芸当はできない。妙な人間ね」

「よく言われる」

 

 ピリピリとした緊張感を肌で感じながら、努めていつも通りの声色で話す。網代笠のおかげか、どうやら俺が輝夜の一件を邪魔した地上人だとは気づいていないらしい。同時に、月人であるとも。

 表面上は何気ない会話だが、内心ではお互い警戒しまくっているだろう。いや、警戒しているのは俺たちだけか。

 

「それで? 一体何の用かしら?」

 

 そんな俺の考えを証明するかのように、全く緊張した様子のない女性が手に持った刀を弄びながら問いかけてくる。厄介なのは余裕そうなのに油断していないというところだろう。だが幸いなことに問答無用で排除してくるようなタイプではないらしく、一応こちらの話も聞いてくれるようだ。

 相手の様子を見た紫は一つ深呼吸をして手を下ろし、俺たちの代表として話し始めた。

 

「……話を聞いてくれるのは助かるわ。まず初めに、私たちは貴方たちと戦いに来たんじゃない」

「じゃあ何しに来たのかしら?」

「交渉をしに、よ。いえ、そのつもりだったというべきね」

「それは私たちに武力では敵わないと知って方向転換したってこと?」

「いえ、もともと交渉だけが目的で道を繋げたの。もちろん話し合いとしての交渉よ」

「ふむ……?」

 

 顎に手を当てて考え始めた女性に紫が今回のあらましを説明し始めた。説明を聞いている間、女性は口を挟むことなく黙考していた。

 

 

 

 紫の説明が終わったあと、女性は目を閉じて考えていたようだが、しばらくすると一つ頷いて口を開いた。

 

「なるほど。確かに貴方たちの話に矛盾はないわね」

「はぁ……わかってもらえて何より――」

「でも」

 

 ピリッ……と、電気が走るような感覚がした。

 

「その話が真実であるという根拠もない」

「っ! 紫! 今すぐ地上へのスキマを――」

「させると思う?」

 

 嫌な予感を感じた俺が撤退の指示を出すよりも早く、目の前の女性が手のひらをこちらに向ける。その瞬間、俺たち一人一人に結界が張られた。

 この結界は……!

 

「これは、移動制限結界!?」

「どうしてハクと同じ結界を、あの人が……」

「だ、ダメです! 解除できません!」

 

 移動制限結界。それも普段俺が使っているものと基本的な構成が同じやつだ。だがこれに込められた力量や術式の複雑さは段違いで、おまけに能力制限の効果も付与されているため、いつもならあっさりと解除出来るはずの紫やシロでさえ動けずにいる。

 思わずといったように紫が言った内容を聞いた女性は少し驚いた表情をした。

 

「あら、結界の性質を見抜くのが早いわね。慌てずとも殺すつもりはないし、ちゃんと地上に帰してあげるわよ。ただ、このまま何もせずに帰ってもらうわけにはいかないわ」

「……一体何をされるのかしら?」

「単純よ。私と貴方たちの格の違いというものを叩き込むだけ。二度と月の都を侵略しようなどと考えられないほどに」

 

 女性はそこまで言うと、俺たちを見ていたその視線を一点に集中させる。中心にいた紫に。

 

 マズい――!

 

 俺はそう思うと同時に自分に張られていた結界を解除して急いで紫の前に立った。その瞬間、視界が白に染まる。

 

「ハクっ!?」

 

 紫の切羽詰まった声を背後に聞きながら、眼前に迫ってくる一発の弾丸を見て全生命力を短刀『黒竜』に注ぎ込む。時間が引き延ばされるような感覚を覚えながら、西行妖の一件のときの妖忌を思い出し、全集中力をもって慎重かつ正確に魔力弾を切り伏せた。

 だがそれでも圧倒的な力の差から完璧に防ぐことはできず、生じた余波が全身を襲う。切り刻まれるような痛覚に耐えながら、せめて後ろに被害が行かないよう、みんなの周りに防御結界を張った。

 

「――はっ」

 

 何とか生き残ったと、思わず息が漏れる。被っていた網代笠は吹き飛び、着ていた服はボロボロだ。体の至る所から血が流れ出し、地面に血だまりを作っている。

 

 俺の中の力の封印は、永琳に解いてもらったのが一番最後だ。輝夜が寝たきりとなった老夫婦に付き添っているときにやってもらっていた。もちろん封印がすべて解かれたわけではないのだが、力の上昇量はこれまでで最も大きかった。正直今の俺ならば、単純な妖力のぶつけ合いなら紫にだって勝てるだろう。

 

 その力をすべて使っても相殺しきれなかった。まともにくらえば素の防御力が高い妖怪でも戦闘不能にまで追い込まれるような威力だ。普通の人間と大差ない脆弱さの俺がくらえば消し炭になっていただろう。

 

 気が抜けない。

 緩みかけた緊張の糸を限界まで張り直して白孔雀も鞘から引き抜いた。俺たちが地上に脱出するには紫の能力が不可欠だ。何とか紫に張られている制限結界を破壊してスキマを繋げてもらわなければ。

 

 俺の役割は目の前の彼女を足止めすることだ。両の刀を強く握りしめ、半ば睨むように月人の女性を見やると――。

 

「…………あ、貴方、まさか……」

 

 金縛りにあったように体を固まらせて目を見開く女性が目に入った。

 

 急な女性の変わりように少し困惑していると、またも俺の周りに結界が張られた。先程と同じような制限結界だが、構造がさらに複雑になっている上、三重に張られている。

 とはいえ俺にはあまり関係がない。いかに複雑で難しくとも、すでに解き方がわかっているものに苦戦するはずもない。俺は先程と同じように結界に干渉し解除した。

 

「やっぱり、本当に……」

 

 その様子を見ていた女性はそう呟くと何故か悲痛そうな表情をし、顔を俯けた。

 

 既視感を、感じた。

 

「……貴方たち、今すぐお姉様を呼んできなさい。白髪の剣士がやって来たと言えばすぐに来るわ」

 

 今までの堂々とした様子からは想像できないほど小さく呟くように言ったその命令は、それでも兎耳の少女たちを慌てされるには十分だったようで、少女たちは逃げるようにこの場を離れていった。

 

 やがて月人の女性と俺、そして未だ結界に囚われている紫と幽々子とシロ以外誰もいなくなると、女性は構えていた刀をゆっくりと下ろした。

 

「真っ白い髪。それとは対照的な真っ黒い瞳。その二つを模したような二刀。そして何より――我々の力を使い、我々の術を知っている」

 

 女性はそこまで言うと、困ったような、それでいて安心したような複雑な笑みを向けながら一つ息を吐いた。

 

「貴方が八意様が言っていた……ハク様、でしたか」

「……っ!」

 

 その言葉に俺は息が詰まるようだった。湧き出てきたたくさんの疑問が気管を圧迫してしまったのかと錯覚する。

 

 何故俺のことを知っているのか。それを女性に聞く前に、彼女は一つ指を打ち鳴らした。同時に、紫たちに張られていた結界が解ける。

 自由になった紫たちは一瞬ふらつきながらもすぐに態勢の整える。その様子を見ていた女性はゆっくりと首を振った。

 

「もう戦う気はないわ」

 

 そう言いながら肩をすくめる女性に、面食らった紫たちも自然と拳を下げた。戦闘が終了したのは喜ばしいことなのだが、展開が急すぎてついていけないのだろう。かく言う俺もそうだ。

 

「どうして俺のことを知っている?」

「八意様からの手紙に書いてあったので」

「八意……永琳が? 手紙? 一体どうなってるんだ?」

「説明します。なのでとりあえず、その刀をおさめてくれないかしら?」

 

 困ったような笑みを浮かべた月人の女性にそう言われ、俺はようやく白孔雀と黒竜を握りしめたままだということに気が付いた。戦うつもりがないと言ったのはこちら側なのにと、少し自分に呆れながら俺は二刀を鞘におさめた。すでに傷も塞がり、地面を染めていた血も消えている。

 

「悪い」

「いえ、それはこちらもですので」

 

 短く言葉を交わす。

 

「私の名は綿月依姫(わたつきのよりひめ)。貴方のことは先程言った通り、八意様の手紙で知ってるわ」

「逃亡者の永琳が月に手紙を送ったのか?」

「いえ、手紙は姫様のいた屋敷に隠してあったの。私たちにだけわかるように」

「……だとしても、永琳と輝夜が逃亡者だということは変わらないし、それを手伝った俺も要注意人物じゃないのか?」

「大きな声では言えないけど、八意様は私たちの恩師なのです。あの人が間違ったことをするとは思えない。それに姫様のこともよく知っているわ。確かに今の私たちはお二人を罰する立場にいますが、その日が来ることは永遠にないでしょう。当然、その二人を助け、その上私たちの送った使者を誰一人傷付けなかった貴方も」

「……そうか。永琳に感謝しないとな」

 

 ふー……と、大きく息を吐く。戦いを止めてくれた理由を知れて安心した。知らずのうちに永琳に助けられていたようだ。

 こうなることを知っていたのだろうか。まさかとは思うが……否定もしきれない。あいつは少し頭が回りすぎる。

 

「話の全部を理解できたわけじゃないけど、間接的にハクに助けられたらしいわね……」

 

 後ろにいた三人も安心したように胸をなでおろしている。特に紫は今回の件の中心だったため、安堵も人一倍だろう。

 

「理由はどうあれ、戦いを止めてくれて感謝するわ」

「少なくとも一度は我々月の民と接触したハク様が、月の都に攻めようとするはずがないもの。元月人とは言え、今のハク様の力は地上人と大差ないからね」

「え……?」

「ハクが……元、月人?」

 

 依姫の発言を聞いた紫と幽々子が呆けた顔でこちらを見る。その表情は驚いているというよりも何を言われているのかわからないといったものだ。

 少しばかり頭を抱える。そんな俺の様子を見ていた依姫は少し首を傾げたあと、ハッとした表情をした。

 

「あ、そういえば周りには隠していると手紙で……」

「まぁな。でも多分、いい機会だったんだろう。いつか知られることではあったし、話すつもりでもあった。俺以外が言うとは思わなかったけど」

「すみません……」

「いいよ」

 

 気にしている様子の依姫に肩をすくめて見せた俺は、後ろにいる紫と幽々子を見た。

 

「紫、幽々子。この話はあとでな」

「……はぁ、わかったわ」

 

 いろいろな感情が渦巻いているだろうに素直にうなずいてくれた二人に内心で感謝しながら、依姫のほうへ向き直る。

 ひとつ大きく深呼吸をした紫が前に出て、俺の隣に立った。

 

「聞きたいのだけれど、私たちの前にここに来た妖怪たちはどうしたの?」

「彼らには先ほどの貴方たちと似た対応をさせてもらったあと、すぐに地上へ戻したわ」

「そう。彼らは本気でここを攻撃するつもりだったはずだけど……。地上の妖怪を代表して謝罪します。そして寛大な対応に感謝を」

 

 ゆっくりと頭を下げる紫に合わせて俺たちも頭を下げる。

 

 やつらの独断専行とはいえ、制御しきれなかった俺たちには当然責任がある。何かしらの対応策はあったはずだし、できたはずなのだ。

 だができなかった。結果的に穏便に済んだものの、一歩間違えれば戦争状態になってもおかしくない状況にまでなってしまったのだ。

 

「頭を上げてください。地上にいる妖怪と一口に言っても、その思想は様々で一枚岩とはいかないでしょう。私たちも似たようなことがあったのでよくわかるわ」

 

 少し遠い目をしながら苦笑する依姫の言葉に俺たちは頭を上げた。

 

 似たようなこと、か。高度な知能を持つ月人でもそういうことがあるのか。

 少しばかり親近感を覚えた。いや、俺自身彼女たちと同じ月人であったため、そう感じるのは不自然でもなんでもないのだが。

 

「ともかく、この一件についてはハク様への僅かながらの恩返しということで、不問とします」

「それはありがたいが、いくら恩があるからって俺に様をつける必要はないぞ。輝夜と永琳のことは俺がしたくてしたことだし、使者たちに危害を加えなかったのは単純にできなかったからだ」

「い、いえ、ですが……」

「まぁいいじゃないの依姫? 本人がこう言っているのだし」

 

 突然知らない声が背後から聞こえ、反射的に振り返る。するといつの間にいたのか、腰ほどもある長さの金髪に金色の瞳をした女性が扇子を口に当てて笑んでいた。

 その女性がいたことに驚いたのは俺だけではなく、紫たちも同様だったようで皆一様に固まっていた。

 俺と紫の真後ろという位置的に後ろにいる幽々子とシロがその女性に気づかないはずがないのだが……。瞬間移動のような能力でも持っているのだろうか。

 

「お姉様、来てくれたのですね」

「ええ、急いで来たわ。ところで、私も貴方のことをハクと呼んでもかまわないかしら?」

「あ、ああ。もちろんだが、あんたは?」

「申し遅れました。私は綿月豊姫(わたつきのとよひめ)。月の使者のリーダーの一人で、綿月依姫の姉です。よろしくね」

 

 くるりと回りながら自己紹介をする彼女は依姫の姉とのことだ。姉妹で月の使者のリーダーをしているのか。

 

「私は八雲紫。この度は地上の一部の者の独走で大変なご迷惑をおかけしました。同じ地上の妖怪として謝罪します」

「はい、謝罪を受け入れます。まぁこっちの被害はまったくのゼロだから気にしないでいいわ。貴方たちの前に来た妖怪たちは体もプライドもボロボロでしょうけど」

「自業自得よ。これでもまだ世界の広さがわからない井の中の蛙ならそれまで。むしろこちらがやるべき教育をしてくれて感謝だわ」

「あら、授業料でも取ればよかったかも」

 

 紫との掛け合いでくすくすとひとしきり笑った豊姫は、少し体を横に傾けて俺たちの後ろに目をやる。

 

「さて、後ろの二人はどなたかしら?」

「私は西行寺幽々子よ。紫はここの技術とかを聞きに来たみたいだけど、私は特に用事はないの。ただ興味があったら寄らせてもらったわ」

「あら、好奇心の強い亡霊なのね。隣の小さなお嬢さんは?」

「白孔雀です。長いのでシロと呼んでください」

「白孔雀……。確か八意様の手紙に書いてあったわね。そう、貴方が白き刀『白孔雀』の付喪神さんなのね。よろしく、シロ」

「よろしくです」

 

 一通りの自己紹介を聞いた豊姫はうんうんと頷く。

 

「今回の件、先ほど依姫が言った通り不問とするわ。とは言え、なかったことにはできないから、そこは許してね」

「とんでもない、十分すぎるほどだわ。感謝します」

「―――――」

「え?」

 

 豊姫が紫の耳元で何かぽつりと言ったような気がしたが、声が小さすぎて聞き取れなかった。何と言ったのかを尋ねようとする前に豊姫は紫の肩をぽんと叩き、薄く微笑んだ。

 

「そうそう、貴方たちが来た目的であるこちらの技術の話だけど、私たちの一存では決められないし、だからと言って上と掛け合っても反対されるはず。だからこれで我慢して頂戴?」

 

 そう言って豊姫がどこからか出した大き目の包みを紫に渡す。当然受け取った紫は首を傾げていた。

 

「これは?」

「ただのお酒。でも結構古いものだからおいしいと思うわよ?」

「……ありがたく頂戴します」

 

 少しの沈黙のあと、軽く礼をする紫。

 こちらは迷惑をかけただけなんだが……。懐が大きい、なんてものじゃない気がする。

 

「じゃ、皆さんを私の能力で地上へ送るから、この辺りに並んでくれる?」

「ええ、お願いするわ」

「あ、あの」

 

 豊姫の言葉に従い彼女の近くに歩み寄る途中で依姫が声を上げた。

 どうしたのかと見てみると、彼女は少し驚いたような表情で口に手を当てていた。無意識に言葉がでてしまったのだろうか……?

 

「あ、いいえ。何でもありません。話せてよかったです、ハク」

 

 穏やかに笑みを浮かべながらそういう依姫に、言葉が詰まる。

 どう反応すればいいのか少し困ったが、正直に心の内を話すことにした。

 

「できれば、もう少し平和なシチュエーションで話をしたかったが。でも、俺も話せてよかったよ」

 

 俺の言葉を聞いて笑みを深める依姫と豊姫。

 

 今回の事件を未然に防ぐことはできなかったが、最悪の事態は回避できた。それは話のわかるこの二人がいてくれたからこそだろう。感謝してもしきれない。

 

 さて、とひとつ前置きをした豊姫は俺たちのほうへ向き、こちらに向かって手をひらひらと振った。

 

「それでは皆さん。願わくは、次に会うときはゆっくり話ができるといいわね」

「ええ、そうできることを願うわ」

「お邪魔したわね」

「お騒がせしました」

 

 紫たちの一言を聞いた豊姫と依姫はゆっくりと頷き俺に目を向けた。

 俺は一度頷いて、二人にひらひらと手を振った。

 

「またな」

 

 たったそれだけだったが、豊姫はにっこりと、依姫は少し頷いて小さく笑みを返してくれた。

 

 その笑顔を見た瞬間、視界が暗転した。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 気が付けば俺たちは一つの大きな屋敷の前に立っていた。上を見てみれば明るく輝く月がいつものように辺りを照らしている。

 地上に戻ってこれたと、大きなため息が同時に四つほど聞こえた。

 

「何とか最悪の事態は回避できたわね。一時はどうなることかと思ったけど」

「まったくその通りね~。私なんか何の役にも立てなかったし」

「最初のゴタゴタのこと? ならハク以外役立たずだったわよ」

「すみません、ハク様……」

「気にするな。あの結界はお前らにはキツイだろ」

 

 こちらに向かって申し訳なさそうな顔をする三人に苦笑が漏れる。

 そこで紫がそれにしてもと前置きをして俺のほうを向いた。

 

「どうしてハクはあの結界を解除できたの? あんな複雑な結界、私は見たこともなかったのに」

「……俺は知っていたからだ」

 

 制限系の結界はただ張るだけでも難しい。干渉するのも同様にだ。だから対策なんかしなくても干渉できる者は少なく、地上では問題にはならなかった。

 

 だが依姫の張った結界には干渉対策用に複雑な術式が組まれていた。月人の基準ではそういう対策をしなければすぐに無効化されてしまうからだろう。

 

 そして俺はその結界を無効化できた。月人を基準に張られていたはずの結界を。

 

「……ハクは元月人だったから、最初からあの結界の構造を知っていた、てこと?」

「そういうことだ」

 

 理由を簡単に説明した俺は、改めて二人に向き直り頭を下げた。

 

「月人だってこと、黙ってて悪かった」

「ハク……」

「……」

 

 二人が今どんな表情をしているのか、頭を下げている俺にはわからない。

 

 怒りか、失望か。それとも不信か。

 少しばかり不安がよぎった。

 

 そんな俺の頭を細い手がぽんぽんとなでてきた。いつも俺がやっている手つきと同じだ。

 

「別に怒ってないわ、ただ驚いていただけ。幽々子もそうでしょ?」

「ええ、そうね。まさかハクが宇宙人さんだなんてね。まぁなんとなくそんな気もしてたけど」

「ほらね。だから頭を下げる必要なんてない」

「……悪い」

 

 ゆっくりと頭を上げる。視界に入った二人はやけにニコニコとしており、なんとなく気恥ずかしくなった俺は頬をかいた。

 

「俺も自分のことを知ったのは割と最近なんだ。きっかけができたのはちょうどここ」

「ここ?」

「ああ。ここはかぐや姫の住んでいた屋敷の前だ」

「へえ、これが噂の……」

 

 俺の言葉に二人が目の前の屋敷に目を向ける。この屋敷はかつてかぐや姫と彼女を育てた老夫婦が住んでいた場所だ。豊姫がここに送ったのは馴染みがある場所だったからだろうか。

 

「月の使者たちが輝夜を連れ戻しに来た日、俺と輝夜ともう一人の協力者は仙郷にさっさと逃げた。そこでその協力者に自分のことを教えてもらったんだ」

「ふーん……って、あれ? ハクは最近まで自分が月人だってことを知らなかったの?」

「ああ。俺には昔の記憶が無いんでな。ずっと前の自分のことは知らない」

「記憶喪失ってこと?」

「そうだ。幽々子とおそろいだな」

 

 少し心配そうな表情をしていた幽々子の頭をぽんぽんとなでながらニッと笑う。しばしキョトンとした様子の幽々子だったが、すぐにクスクスと笑ってくれた。

 まぁ、暗くなるよりは何倍もいいだろう。

 

 一つ息を吐き、頭を振りながら話を続ける。

 

「月人であることを黙っていたのは悪かったが、積極的に広めるつもりもない」

「……そうね、下手に広めれば無用な混乱が起こる」

「でも妖怪の山のハクのお友達なら問題ないんじゃない? 貴方の正体が何であっても、それで態度が変わるような人たちじゃないと思うわよ?」

「そうだな……。とりあえず、天魔と萃香、それに勇儀には話しておくか」

 

 昔からの友人である三人のことを思い浮かべてみる。

 ……うん。俺が月人だといったところで何かが変わるような感じはしない。

「あ、そうなんだ。で? それが何か問題?」とか言われそう。

 

「……まぁ、妖怪の山に帰るか。紫、頼む」

「そうね。すぐスキマを繋げるわ」

 

 そういって紫はすぐにスキマを開いた。ここを通れば妖怪の山に着く。大して時間はかかっていないはずなのにずいぶん久しぶりに戻るような気がするのは仕方ないことだろう。それくらい濃密な時間だった。

 

 少々……いや、かなり疲れていることを自覚しながら俺たちはスキマに飛び込んだ。

 妖怪の山の連中に結末を伝えないと。帰ってからも少し忙しそうだ。

 

 そういえば、網代笠拾うの忘れてたな。

 

 

 



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第三十五話 『彼』の話

 

 月との一件が終わったあと。

 

 妖怪の山に戻ってきた俺は事の顛末をみんなに説明しようとしたのだが、月に行った俺以外の三人に今日はさっさと寝ろと言われ、一足先に天魔の屋敷の借りている部屋に戻ってきていた。

 実際、精神的にはともかく物理的に消耗したのは(もう治っているとはいえ)俺だけだし、服ももうボロボロだった。紫たちには申し訳ないが、大怪我を負った影響でかなり疲れているのは本当だったので厚意に素直に甘えることにしたのだ。

 

 部屋に戻るとすでに布団が敷かれていた。気の利いた誰かがやってくれたのだろう。心の中で感謝しつつ、すぐに布団へ倒れこんだ。

 

 ああ……風呂には入った方がいいよな。ていうかせめてこのボロボロの服を着替えないと。でも動きたくない。今日は本当に疲れたのだ。

 

 本当に……疲れた。

 

 

 

----------------------------------------

 

 

 

 気が付いたら、真っ白い空間にいた。

 

 ……突然のことに流石に動揺した。

 

「なんだ、ここ……? 仙郷じゃないよな、俺の荷物ないし」

 

 一瞬寝ぼけて仙郷に入ったのかとも思ったが、辺りを見回しても本当に何もない。俺の仙郷もこんな風に真っ白い空間だが、今は食料やら道具やらといった荷物が大量に置かれているはずだ。何もないということは俺の仙郷ではないだろう。

 

「ていうか、何をしてたんだっけ? 確か……」

 

 わからないときは順を追って考えよう。

 

 月の一件が終わり妖怪の山へ戻ってすぐ部屋に戻った。それで……そうだ。あまりに疲れていたため、着替えも風呂にも入らず横になってしまったのだ。

 ということは、そのまま眠ってしまったのか、俺は。

 

「じゃあこれは夢か……?」

「ええ、そうよ。少し話があってね、繋げてもらったの」

 

 ひとりごとに返事が返ってきた。声のした後ろへ振り向くとこちらに歩いてくる一人の女性が見えた。

 

「久しぶり、ハク。元気そうでなによりだわ」

「永琳か……?」

 

 近くまで来て立ち止まり、ふわりと笑顔を浮かべたのは八意永琳だった。蓬莱の薬によって寿命がなくなっているため、俺が知っている頃と見た目に変化はない。

 と、そこまで考えて思わず頬をかいた。いや、これは夢だったな。

 

「月絡みのことがあったばかりだから、同じく月絡みの永琳が夢に出てきたってことか」

「? ……ああ、そういうこと。ハク、これは確かに夢だけど、今あなたの目の前にいる私は正真正銘本物の私よ」

「え、そうなのか?」

 

 夢なのに本人? そんなことあるのか?

 いや、夢なのだから全部俺の想像という可能性も十分にあるのだが。

 

「ええ。さっきも言ったけど少し話があってね。でもハクが今どこにいるのかわからないから彼女に手伝ってもらって私と貴方の夢を繋げてもらったのよ」

 

 そう言いながら永琳は自分の後ろの方を手で示した。その方向を見ると、いつの間にかもうひとりの女性がいた。

 青い髪に青い瞳、頭には妙な帽子を被っている少女だ。彼女もこちらを見ていたようですぐに目が合った。何やらにんまりとした笑顔で手を振ってきたので同じように手を振り返すと、心なしか笑顔を深めてこちらまでふわふわと浮いてきた。

 

「初めまして、でしょうかね? 私はドレミー・スイート、夢の支配者です。よろしくどうぞ」

「初めまして、俺はハクという。白いって書いてハクだ。よろしく」

 

 相変わらずにんまりとした笑顔で自己紹介をする彼女――ドレミ―に俺もいつもの自己紹介をする。それにしても、普通にんまりした笑顔というと何か良からぬことを企んでいるときにするようなイメージがあるが、彼女のそれは悪意を感じない自然なものだ。不思議と彼女によく似合う表情だと思った。

 

 しかし、夢の支配者か。もしかしなくてもすごい大物なのでは。隣にいる永琳の反応を見るに、嘘ではなさそうだし。

 

「えーと、それで話って言うのは?」

「ああ、そのことだけど――」

「まぁまぁちょっとお待ちを。お話をするにしてもこんな殺風景なところでは気が滅入るでしょう」

 

 わざわざ大物の手を借りて呼び出した要件は何かと聞こうとしたところで、その大物のドレミ―から待ったがかかった。

 何かと思い彼女を見ると、ドレミ―はおもむろにどこからか一冊の本を取り出した。そしてその本を開いた瞬間、真っ白だった空間から様々な色が噴き出した。

 

「こ、これは……!」

 

 噴き出した色が形を成し、物が、景色が出来上がっていく。

 見る見るうちに世界が変わる。いや、これは正しく『世界が創られている』。

 

 とんでもないな。

 目を疑うような光景に思わず乾いた笑いが出てしまうほどだった。

 

 気づけば俺たちはとある屋敷の一室にいた。幽々子の屋敷などと似ているかなり広めの和室だ。外からは緩やかな光が差し込んでおり、大きな池とそれを囲む鮮やかな緑が目に入った。こういうのは池泉庭園というのだったかな。

 

「すごいな……! これ全部、ドレミ―が創ったのか?」

「ええ、まぁ夢の支配者なので。お茶とせんべいもありますよ、どうぞ」

「ああ、どうも」

「いただくわ」

 

 部屋の中心にある座卓でお茶とせんべいを用意しながらドレミ―が手招きしている。こんな大それたことをした人物とは思えないななんて、少し失礼なことを思いながら俺と永琳は一つ礼を言って座った。

 今の状態は俺の対面に永琳が、左側にドレミーがいるような座り方だ。

 

「さて、場も整ったことだし本題に入らせてもらうわ」

 

 一口お茶を飲んだ永琳は湯呑を置きながらそう言った。

 さて、話とは一体何なのか。

 

「まず一つは貴方から預かった血液のことよ。ある程度検査が終わったわ」

「お、そうか。わざわざありがとうな。何かわかったか?」

「いたって健康ね。病気なんかの兆候も見られないわ」

「おお、そりゃよかったが……」

 

 永琳の話は俺と彼女が初めて会ったときに預けておいた血液の話だった。俺の血液は体外に出ると気化してしまうので、輝夜の永遠を操る能力で気化するのを防いで持って行ったのだったかな。

 結果は問題なしとのこと。だが俺が知りたかったのは健康状態ではなく、俺自身のことについて何かわかることがあったかどうかなのだが。

 というかその血液、もう結構昔のものだろ。今更当時の健康状態がわかってもな。

 

 そう思い微妙な表情にでもなっていたのだろう。しばらくじっと俺を見ていた永琳が、ふいにクスッと笑って肩をすくめた。からかわれていたのか。

 

 はぁ……。俺もお茶をいただくか。

 

「詳しい説明はあとでね。話はもう一つあるの」

「もう一つ?」

「ええ。ハク、貴方月の都へ行ったわね?」

 

 永琳のその言葉に持っていた湯呑を落としそうになった。

 

「……確かに行ったが、なぜ知ってる?」

「現での別れ際に貴方にちょっと仕込ませてもらっていたの。月の都に張られている結界に入ると起動する術式をね。知ることができるのはあくまで『結界内に入ったことだけ』だけど」

「マジか……全然気づかなかった」

「そうでしょうね。この術式は貴方に施されている封印を参考に作ったから」

「どういうことだ?」

「貴方の封印、自分じゃ認識できないでしょう? それはその封印に認識阻害の術式が組み込まれているから。対象となるのは貴方自身だけだけれども、その代わり強力よ。私が仕掛けた術式はこの部分を参考に組み上げたものなの。だから貴方では絶対気づけない」

「はぁー……なるほど」

 

 確かに俺の封印に最初に気づいたのは紫だ。俺はその時点でかなりの年月を生きていたはずなのにまったく気づけなかった。そういうカラクリだったのか。

 

「月の都で何をしたのかは知っているのか?」

「いいえ。さっきも言ったけど私が知っているのは、『ハクが月の都に行った』ということだけ」

「そうか。なら、事のあらましを説明するよ」

 

 俺は月の都を目指した理由、そして彼の地で何があったか、どう決着がついたかを永琳に説明した。

 

 俺が話している間、永琳とドレミ―は時折質問を加えつつ真剣に聞いてくれていた。

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

「なるほど、そんなことがあったのね」

「全面的にこちら側に非がある。戦争を回避できたのはひとえに依姫と豊姫が寛大だったからだ。それと永琳の手紙があったことも大きいな、助かったよ」

 

 説明を終え、お茶を一口飲む。

 

 今思い出しても冷や汗が出る。本当に危なかった。

 月の代表が依姫と豊姫じゃなかったら。永琳が手紙を残していなかったら。俺が月へ行かなかったら。

 こうはならなかっただろう。

 

 もちろん、それでも最善ではなかったのだろうが。

 

「そんなつもりで手紙を残したわけではないけど、助けになったのならよかったわ」

「こうなると予想していたんじゃないのか?」

「まさか」

 

 俺の問いに肩をすくめながら答える永琳。彼女ならマジで全部見通してやっているかもとも思ったのだが、今回は違ったらしい。

 

 そんな永琳の様子を見た俺は軽く苦笑が漏れ、それをごまかすようにもう一口お茶を飲んだ。

 

 乾いたのどを潤したところで永琳を真正面に見据える。俺も永琳に聞きたいことがあったのだ。

 

「なら、どういうつもりで手紙を残した?」

「え?」

「いや、そもそもその手紙には何が書かれていたんだ?」

「……」

「俺を『永琳の手紙に書かれていたハク』だと気づいた依姫の様子は、はっきり言って妙だったぞ」

「……何が言いたいのかしら?」

 

 ふー、と大きく息を吐く。永琳に向けていた目を閉じて少し俯きながら口を開いた。

 

 

「永琳、お前は知っていたな。『記憶を失う前の俺』のことを」

 

 

 目を閉じているため、永琳の表情はわからない。聞こえるのはドレミ―がせんべいを食べている音だけだ。

 

「……どうしてそう思ったの?」

「ずっと違和感はあったんだ、初めて会ったときのお前の反応に。自分でも不自然ってわかってただろ? あれは『地上にいないはずの月人に会って驚いた表情』じゃない。例えるなら『死んだと思っていた知り合いに不意に会った時の表情』だ」

 

 そもそも月の都に月人を地上に落とすという罰が存在する以上、地上に月人がいるというのは絶対にありえないことではないはず。

 にもかかわらず、あの時の永琳は俺を見て過呼吸の一歩手前になるまで驚いていた。まさにありえないものを目撃したかのような反応だったのだ。

 

「お前は月人に会ったから驚いたんじゃない。『俺』に会ったから驚いたんだ」

「……」

「同じような表情を依姫もしてたぞ。おまけに『今のハクは』なんてことも言っていた。まるで前の俺を知っているかのような、な。たぶん手紙には俺が記憶を失った元知り合いだってことを書いたんだろ?」

 

 依姫にしても同様だ。

 俺を手紙に書かれていたハクだと気づいたときの彼女の反応は、地上に住んでいる月人に対する嫌悪でも、月の都を攻め込んだ敵に対する敵意でも、自分の恩師を手助けした人への感謝でも喜びでも、その人を知らなかったとはいえ攻撃してしまった後悔でもない。

 

 あの悲痛な表情はそういうものではなかった。

 

「…………はぁ」

 

 俺の推測を黙って聞いていた永琳はしばらくの沈黙のあと、小さく息を吐いた。

 そしてどこか諦めたような目をしながら穏やかに微笑んだ。

 

「本当にすごいわね。相変わらず鋭いわ。今も昔も変わらず、ね」

「前にも思ったが、お前は俺を過大評価しすぎだ」

 

 確定だ。永琳は記憶を失う前の俺を知っている。

 

 それにしても、俺が述べたのはすべて推論だ。証拠なんて一つもない。否定しようと思えばできたはずだ。

 それをしなかったところを見ると、永琳もそれほど隠そうとはしていなかったのかもしれない。

 

 そう思いながら永琳へ目を向けると、顔を少し俯けて申し訳なさそうな表情をしていた。

 どうしたのか、と思った直後に俺はハッとして彼女に声をかけた。

 

「言っておくが永琳。俺は怒っちゃいないぞ」

「え……?」

「当然だろ。俺はお前のすべてを知っているわけじゃないが、どういう人間かはある程度知っている。かつての教え子のために永遠を生きる覚悟すら決めることができる優しい奴だ。そんな奴がただの意地悪で隠し事をしていたわけがない」

「……!」

 

 俺の今までの言い方はもしかしたら隠し事をしていたことを責めているように聞こえたかもしれないと思い、訂正した。

 すると一度は顔を上げた永琳が再び俯いてしまった。表情は見えないが頬がほんのり赤いようだ。えーと、これは本当にどうしたのだろう。

 もしや怒らせてしまったかと思い始めたとき、俯いていた永琳が小さく笑い、顔を上げた。

 

「……いろいろと話す前にこれだけは言わせて。記憶を失ったあとの貴方が『貴方』で本当によかったわ」

 

 そう言いながら笑みを見せる永琳。真正面からそれを見ていた俺は何だか気恥ずかしくなり目をそらした。

 移した視線の先にはドレミ―がいた。俺と永琳の話に割って入ることはせず、黙々とお茶とせんべいを楽しんでいる。そこでふと気になったことをドレミ―に聞くことにした。このなんともむず痒い空気を変えたかったというのもあった。

 

「あー……、そういえばドレミ―も『前の俺』のことを知ってるのか?」

「むぐ? ……どうしてそう思いました?」

「いや、最初の初めましてが疑問形だったから。もしかしたら前に夢で会ってて俺が覚えていないだけかもしれないけど」

「ああー……なるほど。お二人の話を聞いてて私も思いましたが、貴方の視野の広さと注意深さは健在ですね。お察しの通り、私も『前の貴方』とは面識があります」

 

 こちらも証拠なんてないただの推測だ。だがどうやら当たりだったらしく、ドレミ―は少し驚いたような表情をした。

 

「時たま夢の中で私の元へ雑談しに来ました。本来夢の世界に勝手に干渉されるのは困るのですが、『彼』の場合は他に全く影響を与えずに来れるので安心でしたね」

「自分の意思でドレミ―のところへ行けたのか?」

「ええ。『彼』の能力はそういうことにも使えたので」

「能力?」

「そこからは私が話すわ」

 

 ドレミ―の話に気になる単語が出てきた。

 『前の俺』の能力か。少し、いやかなり気になるな。

 

 そのことについて詳しく聞こうとしたところで、永琳が解説役を買って出てくれた。

 

「でも、まずは謝らせてちょうだい。貴方について、知っていることを黙っててごめんなさい」

「さっきも言ったけど、気にしてないよ」

「ありがとう。黙っていた理由だけど、やっぱり確信がなくてね。99%『彼』だと思っていたけど、どうしても残りの1%全くの別人だという可能性も捨てきれなかったの。でも貴方の血液を調べた結果、100%貴方が『記憶を失った彼』だという確証が得られたわ」

「その根拠って言うのは……」

「能力よ。ハクの血液から『彼』と同じ能力が検出されたの」

 

 なるほど。能力というのは千差万別だ。それが一致することは珍しい。おまけに月人であることも同じだ。同一人物である可能性はあるだろう。

 

 だがこれだけの理由では100%確信するには全く足りないはずだ。能力は千差万別といったが、同じ能力は決して存在しないなんてこともない。

 たとえば同じ種族だったり、同じ環境で育ったりなどで同じ能力を二人以上が持っているなんてことも十分ある。何だったらまったく接点がなく境遇も似ていない二人が同じ能力を持っていることもなくはないのだ。

 

 なのに何故能力が同じだというくらいでこれほど確信しているのだろう。そんな疑問が顔に出ていたのか、永琳は一つ頷きながら続きを話し始めた。

 

「もちろん普通はこれだけでは同一人物だなんて結論には至らないわ。でもね、貴方の能力はとても特殊なの」

「特殊?」

「そう。とても、とってもね」

 

 そこで永琳は一呼吸置いた。

 

「『変化を操る程度の能力』。それが貴方の、そして『彼』の持っていた能力よ」

「変化を操る程度の能力……」

 

 繰り返して呟く。それが俺の、そして『彼』の能力。

 

 変化を操る程度の能力。

 

 ……そんなに特殊だろうか?

 

「そんなに特殊だろうか?」

 

 口に出てた。

 

「能力自体はとてもシンプルよ。変わるものを変わらないように、変わらないものを変わるようにできる」

「はあ……」

「でもこの能力は一つしか存在しないの。『彼』が能力でそうしたから」

「そうしたって……そんなことができるのか?」

「できるらしいわ。『彼』は能力について詳しく話さなかったから詳細はわからないけど。でもこれが事実なら、もうわかるでしょ?」

 

 一つしか存在しない能力を持っている。なるほどこれは同一人物であるという証拠になる。ここに地上にいる元月人という条件を付ければ証明にもなるだろう。

 

 しかし、能力……能力か。

 

「俺も持っていたんだな」

「能力のこと? そうね、無意識のうちにも使っているでしょう。穢れのある地上で生き続けられているのはこれのおかげよ。寿命を変化しないようにしている」

「な、なるほど。俺が長寿なのはそういう理由か」

「貴方の傷を治す体質もこの能力で元の状態に戻しているからだと思うわ。あとは……貴方の仙郷とかかしら。確か時間が止まっているわけでもないのに物が劣化しないんだったわね」

「変化しないようにしてるってことか……。そういう能力があるならそれで説明できるな」

 

 ちょっと待て。確かにシンプルな能力だが、応用性が高すぎないか。

 自身を不老にし、怪我や病気を治し、周りの物の劣化を止める。これだけでも強力すぎるのに、これがすべてではない。応用の幅はまだあるはずだ。

 

 こんな能力、万が一悪人が手にしたら――。

 

「――だから一つしか存在しないようにしたのか」

「……そういうこと。その能力はシンプル故に強すぎる」

「私のいる夢の世界に悪影響なしで干渉したりもできますしね」

「そうだった。さっき言ってたな」

 

 ドレミ―の言葉で先ほどの話を思い出す。変化を操る能力を使えば夢の世界にも干渉できるらしい。本当に応用性が高すぎる。

 

「なら使ってもすぐに補充される俺の生命力もその能力によるものか?」

「うーん……多分だけど、それは違うと思うわ。補充される生命力はもともと貴方が持っている、封印されているところから零れだしたものじゃないかしら」

「ああ、なるほど。さすがに生命力の量を変化しないようにする、なんてチートみたいなことはできないか」

「そうね。何でもできるってわけじゃなく、いろいろ制限もあったみたい。特に自分自身に能力を使うのはかなり難しいと言っていたかしら。寿命ぐらいなら操れたらしいけど」

「いや、十分だろ」

 

 自分の寿命を操れるのなら、十分自分自身に能力を使っていると言えるのでは?

 

 永琳との感覚の違いに少々呆れる。そしてそんな彼女は顎に手を当てて何やら考えているようだった。

 

「でも、今のその能力は私が知っているころのものと何か違うわね。力が封印されてるからかしら。能力の見た目も違うし」

「そうなのか? ていうか、能力の見た目?」

「ええ。言い忘れてたけど、ハクの血液が消えるときに出る白い煙。あれが能力そのものって考えていいわ。でも『彼』のときは黒い靄みたいな見た目だった。それをいつも手足……とは違うんだけど、手足のあたりに纏ってたわ」

 

 おいおい、あの煙そんなに重要なものだったのかよ。

 

「ただ、血液がどうして消えるのかはわからないわね。能力が関係しているのは間違いないと思うけど……。さっきも言ったけど、私もその能力の詳しいところはわからないの。ごめんね」

「いや、十分だよ」

「あ、そうそう。血液で思い出したけど、貴方は血を他の人に与えて怪我や病気を治したりしていたのよね?」

「ああ、そうだが?」

「それ、あんまり多用しない方がいいかも。貴方の能力を考えると、正確には怪我を治しているんじゃなくて元の状態に戻しているの。回復を促してるわけじゃないからそれだと免疫とかが弱くなるかもしれないわ」

「あ……なるほど。今まで考えたことなかった」

「人間、多少の怪我や病気はあったほうが体が丈夫になるわ。もちろん、命にかかわるようなものだったらその限りじゃないけどね」

 

 永琳の話を聞いて感心の息が漏れる。

 

 そうか。今までいろいろな街や人里で医者の真似事をしていたけど、免疫力のことなんて考えたことがなかった。治せるなら治そうと深く考えずに医者の真似事をしていた俺の行動は本職からすれば考えが足りないと言わざるを得ない、ということか。反省。

 

「さて、私の知っているハクの能力についてはこんなものかしらね。聞きたいことはある?」

「あー……いや、今は情報を整理するので精一杯だ」

「まぁそうよね。少し休憩しましょうか」

「お饅頭用意しましょうか。せんべいばかりでは飽きるでしょう」

「すまん、いただくよ」

「ええ、どうぞ。それにしても、お二人のお話は間の説明をいくらか飛ばして進むので、私はついていくのも大変です」

「む……自分勝手に話を進めて悪い」

「いえ、これは貴方自身のことについてのお話なのでお気になさらず」

 

 一つ礼を言ってドレミ―が出してくれたお茶と饅頭をいただく。

 

 俺と永琳とばかりで話をしているせいでドレミ―は少し退屈だったかもしれないのだが、それを表に出さずにもてなしてくれる彼女は大人だなぁ。

 

 さて。一息ついたところで、永琳に聞いた話を整理するか。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 その後、聞いた話を整理したり確認したりなどして、聞きたかったこともある程度は聞けた。

 もっとも、得られた答えはあくまで永琳の知っていることであり、正確ではないかもしれないということを念押しされた。

 

 今の俺にかかわることは思いつく限りは聞いたと思う。ならあとは――。

 

「あとは、一体何があったのか。それを聞きたいかな」

 

 『彼』に何があったのか。

 

 きっと楽しいことではないだろう。だから永琳が話したくないというのならこの質問はなしにするつもりだった。

 だが永琳はゆっくりと頷いてくれてた。

 

「……私の知っていることだけでいいのなら」

「えーと、それは私も聞いて大丈夫なのでしょうか?」

 

 過去のこと聞こうとしたところでドレミ―が同席していいのかをおずおずと聞いてきた。にんまりとした口元はそのままだが眉が少し八の字になっている。

 もう結構な時間話を聞いていたのだから何を今更とも思ったが、これまで話していた体質や能力のことはただの情報で、しかもドレミ―には既知のものもあっただろう。だがこれから話すことはプライベートなものも含まれる可能性がある。まぁ今の俺のプライベートではないのだが。

 

「ハクのことなんだからハクの意思を尊重するわ」

「……と、言われても俺も内容がわからない以上、判断しにくいな。だけどドレミ―と『前の俺』が友人ならむしろ聞いてもらった方がいいんじゃないか、とは思うが」

「……だそうよ。ドレミ―はどうする?」

「では一緒に聞かせていただきます。私も『彼』に何があったのか気になっていましたから」

「うん。じゃあ頼むよ、永琳」

「わかったわ。念押しするけど、私の知っていることを私の主観で話すからね」

 

 俺とドレミ―が永琳に向かって一つ頷く。それを見た永琳も同じように頷くとゆっくりと話し始めた。

 

 

 

「では話しましょう。『彼』に――『ヒルコ』に何があったのかを」

 

 

 




こんなに『』を使ったのは初めてです。


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第三十六話 ハクの話

 

 記憶を失う前のハク――『ヒルコ』は聖人のような人物だった。

 

 優しくて強くて誰からも頼られて、そして助けることのできる力を持っている特別な人だった。

 

 そんな人だったのだ。

 

 

 

----------------------------------------

 

 

 

 黒い髪に灰色の瞳。

 性格は温厚で常に冷静沈着……というより、のんびりとしているだけだったような気もする。

 運動能力はとある理由により皆無に等しかったが、月人の持つ力の扱いは一級品だった。

 

 これだけならば、それなりに優秀ではあるが珍しいというわけではない人物、といった評価になるだろう。

 だが彼は良くも悪くも『珍しい人物』だった。

 

 

 

 まずヒルコの持つ能力である『変化を操る程度の能力』。

 

 その影響力は凄まじく、当時地上に住んでいた人たち――すなわち今の月の民の寿命を固定し、穢れが発生し始めた地上にいながら不老にすることさえできるほどだった。

 また、力の総量もかなり多く、大出力の術式を難なく発動することができた。加えて頭の回転も速く、勘も鋭い。

 

 まさに完璧とも言えるような能力を持つ人間だった。

 

 

 だが彼は能力面では優秀でも、肉体面ではお世辞にも恵まれているとは言えなかった。

 

 彼には両手・両足・左目が生まれつき無かったそうだ。

 そしてその欠損した四肢と左目の辺りをいつも黒い靄が覆っていた。

 

 一度、彼の持つ能力で四肢を元に戻せないのかと聞いたことがある。

 だが彼の能力は自分以外に使うのは簡単だが、自分自身に使うのは勝手が違うらしく、おまけに少しのことで大量の生命力を持っていかれるためかなり難しいらしかった。

 

 

 まとめるなら。

 

 すべての色を混ぜ合わせたような漆黒の髪。

 白目と虹彩の境界があいまいなほど薄い灰色の瞳。

 両手・両足・左目が無く、黒い靄のようなものがその手足と左目部分を覆っている。

 ほとんどいつも車いすに座り、穏やかな笑みを浮かべていた青年。

 

 

 はっきり言って、いろんな意味で目立つ青年だったわけだ。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 私たち月の民が持つ力や能力は、地上の人間からしてみればとてつもなく強力なものだろう。

 だがそんな私たちからしても、ヒルコの持つ力と能力は別次元のものだった。

 

 ヒルコの扱いについては上層部も意見が割れるのが常だった。

 計画や問題が起こったとき。ヒルコの能力を頼って解決するか、それとも頼らずに解決するか。

 

 もっとも、ヒルコ自身は月に移住してからはあまり能力を使わなくなったわけだが。

 

 

 

 だからこそ『ヒルコの持つ能力を奪い、上層部が自在に使えるようにする計画』なんてものが考えられてしまったのだ。

 

 

 あれは個人が持つには大きすぎる力だと。

 

 組織で活用すべき力だと。

 

 我々のほうがもっと有益に使うことができるのだと。

 

 

 そんな勝手な思想を大義名分に計画は実行された。

 

 

 結果的に言えば、計画は失敗。

 ヒルコから能力を奪い取ることはできなかった。

 

 だが何の影響も無しともいかず、ヒルコは自身の能力の制御が不安定になった。

 

 その制御を取り戻すべく、彼は全生命力を使って自分自身を『変化』させ、月の都の結界を破り地上へと向かって行った。

 

 恐らく、私たちを巻き込まないためだろう。何が起こるのかは自分でも予想できなかったのだと思う。

 

 その場にいた私や豊姫たちは彼を追おうとしたけど、地上へ向かっていた彼の反応が完全に消失したため、追跡することはできなかった。

 

 

 

 彼は死んだ。

 

 そう思ったのだ。

 

 

 

----------------------------------------

 

 

 

「――だから、貴方が生きていたことに、本当に驚いたのよ」

 

 そう言いながら目の前の彼を見つめる。すると彼は肩をすくめて苦笑した。

 

「俺は『ヒルコ』じゃないけどな」

 

 ハクはそう言ってお茶を一口飲んだ。

 

 そう。目の前にいるのは『ハク』だ。

 

 他の色が混じる余地のないような純白の髪に、すべての色を混ぜ合わせたような漆黒の瞳。

 まるでヒルコとは真逆だ。

 

 彼はヒルコではない。それでも生きていてくれて嬉しいのは変わらない。

 

「それにしても、自分自身に能力を使うのは難しいんじゃなかったのか?」

「実際難しかったはずよ。ヒルコが最後に自分を変化させたとき、彼は持っている力を全部使い切っていたわ。私たちから見ても規格外の量の力を全部、ね」

「永琳から見ても規格外って……どんだけなのか、想像できないな」

 

 まぁ、それはそうだろうと思う。

 

 ハクが今使える力の量は、月の民から見てみればまだまだ足元にも及ばない。ハクに施されている封印がすべて解ければわからないけれど。

 

「それで、前の俺が自分を変化させた結果が今の俺ってことか」

「そういうことだと思うわ。どういう人間になるのかはヒルコにもわからなかったと思うけど。とりあえず、悪人にならなくてヒルコも安心でしょうね」

 

 そういえば、ハクの封印はヒルコによるものかしら。結果がわからなかったから、保険として力の大部分を封印したのでしょうね。

 ああ、そういうところにも力を使っていたか。そりゃ全部なくなっちゃうわよね。

 

 そんなことを考えているとハクが大きく息を吐いた。流石にいろいろ情報が多すぎて疲れたのかしら。

 

「二人とも、前の俺とは仲が良かったんだよな?」

「まぁね。千年や二千年なんて短い付き合いじゃなかったからね」

「それは短いのか……?」

「私もそうですね。それに彼は夢の世界に来たときはよく仕事の手伝いをしてくれましたし」

「それは仲がいいのか……?」

 

 私たちの、というかドレミ―の返答を聞いたハクがジト目でこちらを見てくる。

 

 待って待って、ドレミ―は知らないけど私はヒルコに仕事を押し付けたりはしてないわよ。

 ……そんなには。

 

 心の中でそんな言い訳をしていると、ハクが少し苦笑気味に小さく笑んだ。

 穏やかな笑みだ。だけど私にはどこか寂しそうにも見えた。

 

「これだけいろいろ話を聞いても、全然思い出せないなぁ」

 

 寂しそうな笑みのまま、ハクが言う。

 

 いや、ただ寂しそうなだけじゃない。様々な感情が混ざり混ざった表情だ。ハク自身にも今自分がどんな顔をしているのかわからないだろう。

 

 だけど、その理由は恐らくわかる。

 

「思い出さなくていいのよ」

「え……?」

 

 私がそういうと、ハクは心底呆けたような声を出した。

 こんな顔、初めて見る。

 

「ハクは記憶を取り戻そうとしているのよね?」

「ああ、そうだが……?」

「ならそれを取り戻したとき、どうなるかはわかってる?」

「どうなるって……いろいろ思い出して、それで終わりじゃないのか?」

「ハク。本当にそう思ってる?」

 

 何を言っているのかわからないといった表情のハクに問いかける。

 

 いや、違う。

 本当は、『そういうふり』をしているだけなのだ。

 

「私も貴方のことをすべて知っているわけじゃないけど、どういう人かは知っているつもりよ。貴方が気づかないわけがない。

 

 

 

 記憶を取り戻したら、()()()()()()()()()()()()()()()を」

 

 

 

「…………」

 

 ハクが口をつぐみ、私をじっと見つめる。

 その瞳からは感情がうまく読み取れなかった。彼は隠し事が上手いのだ。

 

 しばらく沈黙が続いたが、不意にハクがふっと短く息を吐いた。

 

「……まぁ、やっぱりお前は気づくよな」

 

 観念したようにそう呟くハク。

 やっぱり彼はわかっていた。

 

「……えーと? 一体どういうことでしょうか?」

「簡単な話よ。ハクがヒルコの記憶を思い出したとき、そこにいるのは『ハク』? それとも『ヒルコ』? はたまた『どちらでもない』?」

「……なるほど、そういうことですか」

 

 ピンと来ていないドレミ―に簡潔に説明する。意味を理解した彼女は気まずそうに少し顔を俯けた。

 

 ハクはヒルコではないし、ヒルコはハクではない。

 そんなことは当然だ。

 

 人格は記憶に影響される。

 

 今のハクは『ハクとしての記憶』のみを持っているため、間違いなくハクだと言い切れる。

 だがハクが記憶を取り戻し、『ハクの記憶』と『ヒルコの記憶』の二つを内包したとき。

 

 少なくとも『今のハク』ではなくなるだろう。

 ヒルコの膨大な記憶に押しつぶされ、消滅する可能性も大いにある。

 

 ハクが気づかないわけがない。気づかないふりをしていただけだ。

 

「ハクさんは気づいていたんですか?」

「そりゃずっと前からな。俺自身のことだもん」

「それなのに変わらず記憶を取り戻そうと?」

「…………いや、正直言うと怖くてな。そのことに気づいてからは積極的には動かなくなった」

 

 情けないよな、と言いながらハクが気まずそうに頬をかく。

 

「わかってはいるんだ、記憶を取り戻すことが正解だってことは。本来ここにいるべきなのは『ヒルコ』であって『俺』じゃない」

 

 目を伏せながらハクは語る。

 

 だが言っていることは、見当外れもいいところだ。

 

「ハク。思い出さなくていいのよ」

「……そういうわけにはいかんだろう。逃げ続けてきた俺が言うのもなんだが」

「いいえ、それでいいのよ。そもそも、貴方が記憶を取り戻すことを誰も望んではいないもの」

「何……?」

 

 ゆっくりと首を横に振りながらそう言った私にハクは怪訝な顔をした。

 何故そんな顔をするの? そんなの当たり前なのに。

 

「貴方がいなくなることを望んでいる人がいると思う? 貴方が輝夜に話して聞かせた今まで会ってきた人や妖怪が、そんなことを考えていると思う?

 

 初めて出会った話の通じる幼い妖怪が?

 

 とある山で共に過ごした鬼や天狗が?

 

 花畑を愛した頑張り屋な妖怪が?

 

 敵対から共存関係に変わった二柱の神が?

 

 人の器に収まらない能力を持った聖人君子が?

 

 理想を求め、そのために努力を惜しまなかった貴方の弟子が?

 

 そして、貴方が命と心を救ってくれた輝夜が。

 

 望んでいると思う? そう思うのなら、貴方は彼らを侮辱しているわよ」

 

 私は少し睨みつけるようにハクを見る。

 彼は困惑したような顔をしていた。

 

「だが……」

「言っておくけど、私ももちろん望んでないわよ。確かに貴方が記憶を取り戻せばまたヒルコに会えるかもしれない。けれどそれは貴方を犠牲にしてまで取り戻したい未来じゃないの。貴方もヒルコと同じくらい大切故に」

 

 ハクは察しはいいはずなのに、相手の気持ちに対しては鈍感なように感じる。あるいは自己評価が低いとでもいうのか。まぁ普段からこんなことを考えていたのならそれも納得なのだが。

 これくらい真っすぐに正直に言わないと受け止めてもらえないのだ。

 

「そして、ヒルコも望んでいないはずよ」

「……どうしてそう思う?」

「そういう人だったからよ。具体的に説明しろって言われると難しいけど。あえて言うのなら最後に言われたのよ、『あとは任せた』って。そのときは月の都のことを言っているのかと思ってたけど、きっと貴方のことも言っていたのよ」

「記憶を失ったあとの自分のことをか?」

「そうよ。記憶を失ったあとの、もう自分ではない自分の幸せを願っていたの。彼はそういう人だったのよ」

 

 そう言うと、ハクはハッとしたような顔をして黙り込んでしまった。こんな表情も初めて見るわね。

 俯いて何か考えている様子だったのでしばらく見守っていると、ハクが小さく口を開いた。

 

「……そうか。優しい奴だったんだな」

「ふふっ。ええ、とってもね」

「……そうか」

「だから、思い出さなくていいの」

 

 そういうと、彼はまた俯いて黙り込んでしまった。だが彼の纏う雰囲気は先ほどまでの刺々しいものではなくなっている。

 

 伝わっただろうか。私たちと、彼の想いを。

 

「……そっか。まだこのままでいいのか」

 

 そう言いながら顔を上げたハクの表情はとても穏やかなものだった。

 思わずこちらも顔が緩んでしまうほどに。

 

「ありがとう、永琳。いろいろと教えてくれて、気づかせてくれて」

「ええ」

「ドレミ―も。一緒に聞いてくれてありがとう」

「私も彼には大いに助けられましたので。それが貴方と彼の助けになるというのなら、一緒に話を聞くぐらい、いくらでも」

 

 彼はいつも隠していたのだろう。周りにいる誰も心配させないように。

 

 全部全部自分ひとりで抱え込んだ。

 

 ほんと、ヒルコとよく似ているわ。

 

 

 

 あの日。

 ヒルコが消えた最後の日。

 

 結局私たちは何もできなかった。

 月の都全体を巻き込んだあの騒動はすべて彼が一人で抱え込んで、そして解決させてしまった。

 

 誰に頼ることもなく。

 たった一人で。

 

 

 ヒルコは聖人のような人物だった。

 優しくて強くて誰からも頼られて、そして助けることのできる力を持っている特別な人だった。

 

 それ故に。

 

 優しいから放っておけず。

 

 強いから逃げられなくて。

 

 頼られるから頼れなくて。

 

 助けることのできる力を持っているから、誰も必要とせず自分一人で解決できる。

 

 そんな人だった。

 

 

 そして私たちはそんな彼に甘えてしまっていたのだ。

 

 最後の最後まで。

 

 

 

 だからハクには、知っていて欲しかった。

 貴方を慕う人は貴方が思っている以上に多いのだと。

 

 『彼』に伝えることはできなかった。

 

 だから『貴方』には伝えたかった。

 

 もう二度と大切な友人を失いたくないから。

 

 

 

「……さて、そろそろ時間です」

 

 ぽん、と一つ手を叩いてドレミ―がそう言った。

 

 時間、というのは目を覚ます時間ということだろう。なんだか見計らったようなタイミングだけど、伝えたいことは伝えられたので良しとしよう。

 

 ハクもお別れの時間だと察したのか、残っていたお茶を飲み干して立ち上がった。

 

「二人とも、話せてよかった。ああ、ドレミ―お茶もありがとな」

「いえいえ、またいつでもどうぞ」

「ああ。まぁどうやってここに来るのかはわからないけど」

「私のことを考えながら眠れば私が気付きますので」

「あ、そうなの?」

 

 ドレミ―とハクの掛け合いを聞きながら私も残ったお茶を飲んで立ち上がった。

 そんな私を見て何か思い出したのか、ハクがああ、と声を漏らした。

 

「そうだ、永琳。今どこにいるのか教えてもらっていいか? あ、現実のほうな」

「いいけれど、こっちに来るの?」

「いや、俺じゃないんだが、輝夜に用がありそうなやつがいてな」

「輝夜に?」

「蓬莱の薬を飲んだ地上人だ。多分だけど、帝とはあんまり関係ないと思う」

「蓬莱の薬を……」

「どういう経緯でそれを口にしたのはわからないが、少なくとも悪いやつじゃない」

 

 ハクの話を聞きながら顎に手を添えて考える。

 

 帝に送った蓬莱の薬を彼が服用しなかったのは知っていたが、その後の薬の行方は知らなかった。ハクの話ではその薬は帝と関係のない人物が服用したということらしい。

 ただ永遠の命を求めて、ということなら納得できるが、輝夜に用があるという理由はわからない。薬に関する文句やらなにやらなら私に言うべきことだと思うけど。

 

 でもハクが悪い人じゃないというのならそうなのだろう。

 もしかしたら輝夜にとって、永遠という長すぎる時を共に生きる友人になるかもしれない。

 

 そう考えて一つ頷き、ハクに今の居場所を教えることにした。

 

「わかったわ。今私たちがいる場所は――」

「……オーケー、わかった。あ、ついでにこっちにある面白い国の話をしておくよ。いつか役に立つかもしれん」

「?」

 

 私が今いる場所の説明を終えると、ハクが小さく笑いをこぼしながら気になることを言った。面白いと言いながらハクの笑みは穏やかで優しいものだったのが印象的だった。

 

 ハクの言う面白い国とは、どうやら幻想郷という人と妖怪の共存を目指している国なのだそうだ。

 なるほど、面白いことを考える人――いや、妖怪か――もいたものだ。

 

「よし。じゃあそろそろお別れかな」

「ええ、また会いましょう」

「またね、ハク」

 

 私とドレミ―がハクに手を振る。それを見た彼は目を細めて薄く笑い、手を振りかえしてくれた。

 

 

 その姿がほんの少しだけヒルコと――あの最後の日のヒルコと重なった。

 

 

 一気に膨れ上がる焦燥感。

 だけど私が何か言う前にハクが口を開いた。

 

「またな」

 

 たった一言。

 だけどその一言で自分の中を埋め尽くしていた焦燥感が霞のように消えてなくなるのを感じた。

 

 変な顔でもしていたのだろうか。ハクは私を見て少し眉をひそめたが、すぐに小さく笑んで先ほどの私の不安と同じようにふっと消えた。

 

「…………」

「永琳さん? どうかしましたか?」

「……いえ、何でもないわ」

 

 またな。

 

 そう言ってくれるのなら、大丈夫だろう。

 

 私は彼の言葉をかみしめるようにゆっくりと瞳を閉じた。

 

「……彼は気づいているんでしょうかね?」

「? 何のこと?」

 

 しばらくそうしていると横にいたドレミ―がぽつりとそう零した。

 疑問に思った私が横を見ると、ドレミ―が肩をすくめながら話し始めた。

 

「永琳さんの言った、もう自分ではない自分の幸せを願った優しい人のこと。ハクさん自身も当てはまるんですよね」

「どういうこと?」

「彼は記憶を取り戻せば今の自分が消えてしまうことに気づき、過去を知ることに恐怖を感じるようになった。でも探すことを止めはしなかったんです。それはつまり……」

 

 ドレミ―の話を聞いてなるほどと思った。

 

 それはつまり。彼もまた、名も知らぬかつての自分の幸せを願っていたということ。

 

 とはいえ、彼は自覚していないだろう。

 本来そうあるべきだから、そうしようとしただけ――なんてことを言うに決まっている。

 いやそれとも、結局は逃げようとした臆病者だ――って言うかしら?

 

 どこまでも優しいくせに、自分だけがそれを知らない。

 

 思わずため息が出る。

 

「ほんと、誰かさん(ヒルコ)にそっくりね」

 

 

 

----------------------------------------

 

 

 

「……見知った天井だ」

 

 今度は気が付いたら知らないところにいる、なんてことはなく。

 

 目を覚ました俺がいたのは天魔の屋敷の借りている部屋の中、つまり元の場所だった。

 自分が今布団に横になっていることから、今まで見ていたものは夢だったことがわかる。

 

「だけど、夢だけど夢じゃなかったんだな……」

 

 障子の隙間からは暖かな光がこぼれている。もう完全に日は昇っているようだ。

 本当にぐっすり眠っていたんだな。精神はずっと起きていたようなものだから実感はあまりないが、肉体的な疲れはだいぶとれているので良しとしよう。

 

 仰向けのまま、ゆっくりと右手を上に持ち上げる。人差し指の爪にほんの少し力を纏わせ刃に変え、親指の腹を小さく切りつけた。

 切り傷から血が流れ、一滴右目の下に落ちてきた。だがすぐに出血は止まり、指についた血も顔についた血も少しの煙を上げて消えてしまった。

 

「変化を操る程度の能力、か」

 

 もはや慣れ切ってしまったこの現象の理由が、そういう能力によるものだったなんて。

 

 俺は本当に自分のことを何も知らない――いや、知ろうとしなかったんだな。

 今まではそれを情けない、恥知らず、恩知らずだと心の中で思っていたわけだが。

 

 どうやらそんな生き方でも、ヒルコは許してくれているらしい。

 

 優しいやつだ、本当に。

 感謝するよ、ヒルコ。

 

 上げていた手を布団に下すと、ぼふんという音と干した布団のいい匂いが広がった。

 ふぅ……と大きく息を吐き、ゆっくりと目を閉じた。

 気分がいい。このまま二度寝してしまいそうだ。きっと気持ちいいだろうな。

 

 だが、そういうわけにもいかんだろう。

 俺は昨日事後処理をすべて紫たちに任せて早々に寝てしまったのだ。感謝と謝罪は早めにした方がいい。

 

 さて、と小さくこぼしながらゆっくりと布団から起き上がろうとする。

 だがそこで左手が思うように持ち上がらないことに気づいた。意識を左手に向けると、何かが絡みついているようだ。

 

「なんだ……?」

 

 その何かは大雑把にはすぐにわかった。何かというか誰かだな。誰かが俺に左手にくっついているのだ。

 感じる感触から身長は小さいことがわかる。となると萃香か、と思いつつ少し布団をめくると目に入ったのは黒髪だった。

 

「あれ、黒髪? となると萃香じゃない……そういえば角の感触はしなかったな」

 

 予想が外れたことに少し驚く。ではこれは誰だろう。

 

 黒髪というと天魔や文だが、二人ともこんなに小さくない。烏天狗の子供とかなら黒髪で小さいという条件は満たされているが、寝ている布団に潜り込んでくるほど懐いているやつはいないと思う。

 

「……んん……」

 

 この子供が誰なのかと思案していると、当人がどうやらお目覚めのようだ。

 

 眠そうに少し目をこすりながらゆっくりと起き上がるこの子は、どうやら少女のようだ。だが、その顔を見ても俺には彼女が誰かわからなかった。

 この妖怪の山ではもちろん、今まで出会ってきた人や妖怪の中の誰でもない。端的に言って初対面だと思う。

 

 そんな風に頭に疑問符を浮かべていると、その少女がゆっくりと瞼を持ち上げた。

 薄く開いたそこからのぞいたのは深い緑色の瞳。吸い込まれそうな不思議な魅力のそれだが、やはり見覚えはない。

 

「あー……おはよう」

「んぅ……?」

 

 誰かはわからないけどとりあえず挨拶をと思い彼女におはようというと、その深緑の瞳をこちらに向けた。

 俺と目が合った少女はその半目を少し大きく見開いた、と思う。自信なさげなのは誤差の範囲で変化が小さかったからだ。

 

「あ……ご主人様。おはよう……」

「……『ご主人様』?」

 

 少女が言った単語に余計に頭が混乱する。やはり俺をこんな風に呼ぶ人物に心当たりは――。

 

 あった。

 

 この子のことではないが、俺は以前に初対面だと思った少女に『ご主人様』と呼ばれたことがあった。

 その少女というのは、俺の愛刀が一本『白孔雀』ことシロだ。

 最初に話したときにそう呼ばれ、むず痒いからと呼び方を変えてもらったのだ。

 

 シロは白孔雀の付喪神。白孔雀の所有者である俺を主人と呼ぶのは間違いではない。

 そして俺はもう一本、刀を持っている。それはある意味で白孔雀よりも付き合いが長い短刀だ。

 だとすると、シロと同じように俺を呼ぶ目の前の少女はまさか……。

 

「……もしかして、『黒竜』か……?」

「……すごい。大当たり」

 

 どうやら大当たりらしい。

 

 寝起きのふわふわとした声色でそう言って小さな手をぱちぱちと叩いている少女――黒竜。

 

 何というか……。

 付喪神が増えました。

 

 

 



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