天地燃ゆ (越路遼介)
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若武者隆広

再連載開始です。無理なく定期的に投稿していけたらと思います。外伝を含めると多くのシリーズがある作品ですが、まずは本編を全うしたいと思います。


 ここは加賀の国。現在の石川県。この国は当時は別名『百姓の持ちうる国』と呼ばれ、一向宗門徒の国であったが、加賀の小松城を織田家北陸方面軍である柴田勢が落とすと、ついに越後の龍、上杉謙信が動いたのである。

 上杉家も一向宗門徒とは交戦状態であったが、加賀・能登の一向宗門徒団と上杉謙信との間に歴史的な和睦が成立する。その領内を通過して織田領の能登に進軍した。今まで同盟関係にあった能登の畠山氏が二つに分裂し、片方の勢力が信長についたからである。

 

 柴田勝家は主君織田信長の命令により上杉謙信に対するため加賀国内に進軍していた。

 参陣していた織田側の武将は安藤守就、稲葉一鉄、氏家ト全、滝川一益、丹羽長秀、羽柴秀吉、そして明智光秀と、そうそうたる一同である。柴田家の武将も居城北ノ庄に老臣中村文荷斎を残して、府中三人衆の前田利家、佐々成政、不破光治を筆頭に佐久間盛政、柴田勝豊、可児才蔵、毛受勝照、拝郷家嘉、徳山則秀と揃って参戦している。そしてこの将帥たちの末席に若干十七歳の若武者がいた。

 

 天下統一目前の織田信長が南近江の地に安土城と云う壮大な城を建てた頃、柴田勝家の家臣となった若武者だった。美童だった面影はあるが、現在は堂々とした美丈夫となっている。少年の名前は水沢隆広と云った。

 

 後の世に『手取川の合戦』と呼ばれる戦いに、隆広は兵糧奉行として参陣していた。この時に柴田勝家が率いていた軍勢はおよそ五万。その軍勢の胃の腑を満足させるほどの兵糧を確保し、それを運ぶ輜重隊(兵糧、物資を運搬する隊)を整然と統率していた若武者、それが隆広である。

 地味な仕事ではあるが、腹が減っては戦ができない。兵糧は軍勢の生命線。それを総大将より任されたのであるから、勝家が隆広に持つ信頼は絶大なものであると言える。

 輜重隊と共にあるので、隆広の軍勢は行軍の最後尾にあった。先頭を行く勝家の本隊はそろそろ陣場を築く予定の地に到着するころである。

「隆広様、急ぎませんと本日の夕餉に間に合いません」

 部下の武将が遅々とした行軍に焦れたように言った。

「殿の本隊は騎馬武者と足軽。こちらは食料という大切な荷をもって行軍している。速さに遅れが出るのは当然。我らの務めは一粒の兵糧も失わずに陣中に運ぶことだ」

「それはそうですか…」

「それに各備えも、本日分の兵糧程度は持っておる。心配する必要はない」

 そう言うと隆広は馬を止めた。

「よし、兵たちに休憩と食事を取らせよ」

 兵たちの間から歓喜の声が上がった。およそ将と呼ばれる武士の中で、これほど兵に気遣いを見せる大将はめずらしい。

「とんでもございません、ただでさえ予定より大幅に遅れているのですよ!」

「佐吉、我々は牛馬を使っているのではない。人だ」

「しかし…」

 隆広は本隊の荷駄と別にある荷を解かせた。味噌と麦飯である。

「給仕を始める。みな腹いっぱい食べろ!」

「は!」

 

 兵は飛び上がって喜んでいるが、佐吉は不安でならない。刻限に遅れることではなく柴田家中には隆広を快く思っていない者も何人かいる。

 隆広は武人肌の多い柴田陣営の中で、智将として存在していた。

 加えて彼が始めて勝家の居城である北ノ庄城の軍議に参加したときに、主君の勝家は後々この若者をわしの養子にするつもりだと公言した。すでに養子の柴田勝豊にとり愉快な話であろうはずもなく、隆広自身もまったく聞かされていない事だった。以来、柴田陣営の一部の者にあまり快く思われていないのが現状である。

 

 しかしながら城普請、治水工事、新田開墾、民心掌握などにおいては十七歳とは思えぬ才幹を発揮し、それがいっそう勝家に仕える将たちの妬みをかった。柴田勝家の甥にあたり、家老でもある佐久間盛政などは、会うたびに嫌味を言うほどであった。

 

 彼の初陣は一向宗門徒の鎮圧であったが、隆広はここで内政のみの将でないことを家中に示した。

 年若く戦の経験もない隆広。その彼が初陣であったのに手柄を立てた。仕官当時は足軽組頭であったのに、戦後にすぐ勝家から足軽大将に任命され、現在は二千の兵を従える侍大将である。まだ二十歳にも満たないという若者であるのに、織田信長に仕えた羽柴秀吉のごとく破格の出世を遂げている隆広。妬みが生じるのは自然といえるだろう。

 そんな妬みを持つ者は、隆広の失敗を今か今かと心待ちにしている。兵糧の運搬の遅れなど、一歩間違えれば軍勢総崩れのきっかけにもなりうる。兵を思いやる隆広を認めながらも佐吉は家中の妬みを一身に受けている主君が心配でならなかった。そしてそれは的中した。

 

「こら―ッ!」

 隆広隊のはるか前を行軍していた佐久間盛政軍から、佐久間盛政自身が馬を駆けて隆広隊に来た。

 後陣の隆広隊が炊事の煙をあげているのを見て、盛政は頭から湯気を出して怒鳴り込んできたのである。馬から下りてツカツカと隆広に歩み寄る盛政。

「これは佐久間さ…」

「どけ!」

「あっ!」

 佐吉は盛政に叩き飛ばされた。そして盛政はものすごい形相で隆広をにらむ。

「どういうつもりか! 行軍中に兵に食事を取らせるとは!」

「我らは輜重隊を兼務してございます。兵たちは重い荷物を運び、疲労しておりました。だから労い体力の回復を図りました」

「本隊の兵糧を食わせたのか!」

「いえ、それがし個人が用意した兵糧を与えました」

 隆広は鬼玄蕃の異名を持つ佐久間盛政の怒れる形相を見ても顔色一つも変えず、そして目も逸らさない。自分の怒気を受け流す隆広にますます盛政の怒りは上がる。

「殿の寵愛をいいことに増長したか小僧!」

「はい、それまで」

 

 隆広の後ろ、朱槍を持った武人が立っていた。

「佐久間様、味方同士で争っても仕方ないと思うが?」

 おだやかに言ってはいるが、これ以上主君に言いがかりをつけるのなら容赦しないと目が示している。

「…ふん、どの隊にも『いらない』と言われたキサマがイッパシに弁慶気取りか。笑わせるわ」

 佐久間盛政は捨て台詞を吐きながら踵を返した。だがさすがにこの捨て台詞だけは温厚な隆広も腹を立てた。自分を侮辱するならまだしも、部下を侮辱されたからだ。歩き去る盛政の肩を掴もうとした。だが

「およしなされ、隆広様」

 隆広の部下が、その手を止めた。

「はなせ、助右衛門! いくら上将とはいえ言っていい事と悪い事がある!」

 盛政は一度立ち止まり、フンと鼻息を出して馬に歩み、そして隆広隊から去っていった。

 

「なぜ止めた! ああまで言われて黙っていろというのか!」

「今、佐久間様とやりあっても得することは何もありませんぞ。敵は上杉です」

「確かにそうだが…」

 朱槍を持った部下が隆広の肩を叩いた。

「それに、まんざら盛政殿の言ったことはワルクチとも言えませぬ。『弁慶気取りか』ってこたぁ隆広様は義経ってことでしょう」

「その楽観的な考えも、今この時は貴重だな、慶次」

 助右衛門は苦笑して言った。

「そうだろそうだろ」

「とにかく隆広様、兵たちは突如の佐久間様の乱入で戸惑っている。安心してメシを食べるよう促してください」

「ああ、すまん助右衛門、そうだった!」

 隆広が安心して食べてくれというと、兵たちは麦飯と味噌汁を美味そうに食べはじめた。タクアンと梅干も用意してあり、行軍中の食事としては至れり尽くせりだった。

「たんと食ってくれ」

 兵たちは口に麦飯をかっ込みながら満面の笑顔で隆広の言葉に応えた。

 

 道を外れ、その横にあった畑まで盛政に吹っ飛ばされた佐吉がやれやれと隆広たちの元に歩み寄ってきた。

「やれやれ、えらい目にあいました」

「情けねえなあ佐吉、ちょっと叩かれた程度で二間近く飛ばされよって。そんなんじゃいくさ場で役に立たないぞ」

「ほっといてください、それがしは内政家として隆広様のお側にいるのですから!」

 慶次の言葉に頬をプクリと膨れさせる佐吉。そんな子供のような拗ね方に慶次と助右衛門は笑った。

 佐吉と呼ばれた男は隆広と年が同じであり、気も合った。内政家として自負するだけあり、その内政力は主君隆広と共に抜きん出ていた。佐吉、彼が後の石田三成である。

 

 隆広の家臣は三人、前田慶次郎利益、奥村助右衛門永福、そして石田佐吉三成である。

 しかし当時の佐吉は羽柴秀吉より借り受けた内政家であった。隆広が内政の主命で絶大な成果をあげたのは石田佐吉三成の補佐が大きい。すでにこの時に『三成』と云う名前は秀吉から与えられていたが、彼の仲間は『佐吉』と呼ぶに慣れており、公式の場以外では『三成』と呼ばなかった。また三成も彼らにそう呼ばれることが好きだった。

 

 そして、その佐吉が、この輜重隊の行軍で隆広から学んだことがあった。隆広隊は主君の勝家が課した刻限まで本陣に到着したのである。

 あの休息のあと、兵たちは隆広の計らいに感奮したか、メシを食べた事により体力が回復したか、とにかく懸命に荷を引いて駆けた。休息せずにやっていたら行軍速度は遅くなる一方で結局は刻限まで本陣までたどり着かなかったかもしれない。

 隆広は麦飯と味噌汁を与え、十分に休息を取らせた。そして労いの言葉をかけていった。隆広が兵たちの感奮興起を狙ってやったのかは分からない。だが結果をみてみれば、隆広が兵たちに休息と食事を取らせたことが兵糧運搬という戦時下における最重要任務を成功させたことは疑いない。

 人心掌握においては、佐吉の本来の主君である秀吉も相当なものであるが、隆広も負けてはいなかった。

 

「おお、隆広よ。兵糧運搬、ご苦労であった」

「はっ」

 本陣の中央にある軍机からはなれ、主命達成の報告をしにきた隆広を労う勝家。鬼柴田と呼ばれる彼とは違う、まるで慈父のように隆広を見つめ、隆広の双肩をチカラ強く両手で握った。

「これから軍議を始めるところだ。席に着くがいい」

「わかりました」

 軍机には先刻にいざこざのあった佐久間盛政もついている。忌々しそうに自分を睨む視線を無視して隆広は盛政の向かいに座った。その隆広の横には、向かいの盛政とはまったく逆の愛想ある顔があった。

「いや~久しぶりだのう隆広殿」

「これは羽柴様」

「ウチの佐吉は役に立っておりますかな?」

「ええ、頼りにさせてもらっています」

「それは何より」

 部下を褒められ、上機嫌に笑う秀吉。

「筑前殿、軍議が始まりまするぞ」

 と、盛政。

「おうおう、失礼」

 

「では軍議をはじめる、我が軍勢は加賀に入り、越中の国境を目指している。能登の畠山氏と連携して挟撃。このために我らは手取川を越えて布陣する。上杉は一向宗との和睦がなり、長年の呪縛から開放された。謙信は能登と越中を領土として版図拡大を狙っている。何としても謙信の南下を加賀で防がねばならない。諸将の忌憚なき意見を伺いたい」

 各諸将が活発に意見を出す中、二人ほど沈黙を守っている将がいた。隆広と秀吉である。

 隆広はずっと軍机の上に広がっている地形図を見ていた。そして空模様を。秀吉はただ黙って諸将の言葉を聞いているだけであった。

「秀吉、お前が黙っているとは珍しいな、何か意見はないのか?」

 勝家が秀吉に意見を求めた。

「良いのです。いったんクチを開くと止まらなくなりそうなので」

「かまわん、申してみよ」

「では……」

 

 座っていた秀吉が立ち、軽く咳をする。武将たちは秀吉を見た。

「この戦、我らに勝ち目はありません」

「な、なに! 秀吉! キサマ何と申した!」

「この戦、我らに勝ち目はないと申したのです」

「藤吉郎!」

 秀吉と親交の厚い前田利家が秀吉を睨み、一喝したが秀吉は黙らない。

「勝家殿、相手は軍神謙信ですぞ。浅井や朝倉と格が違いもうす。野戦ではまず勝ち目はありますまい。狭隘な近江路に上杉軍を引きずり込んで、敵の備えに各個撃破体制を執れば、わずかながらも勝機もありましょうが、野戦で正面から対すれば我らの軍勢など謙信の神算鬼謀のごとき用兵でことごとく駆逐されるは必定と…」

「だまれ!」

「勝家殿は大殿からお預かりした大事な将兵を、むざむざ敵の手柄として献上するおつもりか!」

「だまれだまれ! ええい! キサマの猿ヅラなど見とうない! 立ち去れ!」

「今、『去れ』と申されましたな! それは総大将の命令と受け止めました。羽柴隊は陣払いいたします!」

 

「羽柴様!」

 秀吉は隆広にフッと微笑み、軍机から立ち去ろうとした。

「サル! 勝手に陣払いなどして許されると思っているのか!」

「……ふん」

「総大将のワシの命令は大殿の命でもあるぞ!」

 秀吉は聞く耳もたず、そのまま本陣から立ち去ろうとした。だが

「羽柴様、お待ちを!」

 隆広が追いかけて秀吉の前に立って止めた。

「隆広、止めずともよい! そやつは謙信怖さに適当に理由をつけて帰るつもりなのよ。しょせんは百姓出、臆病者よ!」

 諸将は勝家の言葉に乗り、秀吉を笑った。笑っていないのは前田利家と隆広だけである。秀吉は勝家の嫌味を歯牙にもかけず、そのまま隆広の横を歩き去ろうとしていた、その時である。

 

「おそれながら殿!」

「なんじゃ隆広」

「それがしも羽柴様と同じ意見でございます!」

「なんじゃと!」

「……隆広殿?」

 秀吉は驚いた。見所のある若者とは思ってはいたが、この局面で自分の味方をして主君勝家に意見を言おうとするほどの豪胆さがあるとまで思わなかった。

「クチを慎まんか!」

 盛政が軍机を平手で叩いて隆広を一喝する。その盛政を静かに勝家は制し訊ねた。

 

「それはいかなる理由か」

「ハッ」

 しっかり秀吉の腕を掴みながら軍机に戻る隆広。秀吉は振り払うに振り払えず、軍机に歩んだ。そして同時に隆広の意見を聞いてみたかった。

「まず、布陣する場所が問題です。湊川(手取川)を越えて、この水島の地に布陣いたしますれば、われ等は川を背にして上杉軍と戦わなければなりません。そして今は九月。いつ大雨が降ってもおかしくありません」

「…………」

 立ち上がっていた勝家と盛政、そして秀吉も腰を下ろした。

「そして七尾城。城主不在で求心力はなく、自力で家中をまとめる統率力もなく、家中は『織田派』と『上杉派』と分かれているとの事。それがしが謙信公なら、上杉派の主なる将に書状を送り降伏を勧めるか、畠山領の分配や上杉家での地位をエサに内応を促します。いかに堅城でも内部から崩れたら終わりでございます。我らの作戦は七尾城の畠山勢と我らで上杉勢を挟撃のはず。その七尾城が謙信公の手により落ちてしまったら、我らは絶望的な背水の陣を敷くことと相成ってしまいます。秀吉様の言われる近江路まで誘導したら、勝機は多分にありますが、上杉勢を畿内に入れることを許す事となってしまいます。せめて湊川の西側のこの地ならば地の利はこちらにございます。上杉軍が湊川を渡河している最中か、渡河直後に襲えば勝機はあります!」

(見事じゃ……これがわずか十七の小僧とは末恐ろしいわい……)

 傍らにいる秀吉は隆広の意見に唸った。同じく軍机にいる明智光秀もアゴを撫でながら隆広の意見に感じ入っていた。

(的を射ている意見だ。わしならばその言を入れるが……さてさて勝家殿は……)

 

 手取川合戦の予兆はこうである。能登畠山氏の重臣の長続連が織田方に寝返り、上杉方の熊木城、富木城を奪回し、穴水城に迫るとの報を受けた。謙信は春日山城を出発、能登をめざし天神川原に陣を定めた。長続連は一族の長連竜を信長への援軍要請の使者として向かわせた。七尾城主、畠山義春には統率力がなく、重臣たちが虚々実々の駆け引きや謀略を繰り広げ畠山家の主導権を争っていた。

 畠山氏は一向宗への対抗上、越後上杉家と長きにわたり同盟間にあったことから、重臣の遊佐続光は深く上杉謙信と通じていた。しかし城内では反上杉方である長続連、綱連親子は密かに織田信長に通じ、同じく重臣の温井景隆は一向宗門徒と結んでいたため、能登畠山家を取り巻く状況は、もはや修復不能の泥沼状態と言って良かった。

 やがて、城主の畠山義春が毒殺され、あとを継いだ義隆も病死してしまい、主君不在の城内には暗雲が漂っていた。

 

 この時、謙信は家臣たちの専横を除き、越後に人質として送られていた畠山義則を七尾城に入れて能登畠山家を再興するという大義名分をかかげ、能登へ侵攻を開始したのである。

 謙信の本当の目的は、織田と結ぶ長一族を滅ぼし、上杉領を越後から越中、能登と拡大し、越後から能登に及ぶ富山湾流通圏を掌握することだった。

 同時に謙信は足利義昭、毛利輝元、石山本願寺と結んで信長包囲網を作り上げていた。越中、能登に軍を進める謙信は織田の加賀小松城の領内に乱入する勢いだった。信長は謙信の南下を阻止すべく柴田勝家を総大将として、羽柴秀吉ら有力武将を付属させて加賀に派遣した。これが手取川合戦のはじまりである。

 

「確かに隆広の意見にも聞くべき点はある」

 聞き終えると勝家は静かに言った。各諸将も隆広の言に一理ありと思ったのだろう。特に異論は唱えず、勝家の結論を待った。

「しかし、それはすべて推測の範疇であろう。七尾城は天嶮を利用した堅固な城。謙信とて容易に落とせようはずがない。現に謙信は一度落とせずに退陣したこともあるではないか」

「あの謙信公の退陣は、北条が上杉領に侵攻したと云う報が謙信公の耳に入ったからでございます。現在はその北条とは同盟し、一向宗とは和睦し、何の後顧の憂いもありません。今度は落ちるまで退陣はありえません。それにいつ一向宗門徒が我らの背後をつくか……」

 

「水沢殿!」

 軍机の末席にいた客将が言葉を発した。

「長殿……」

 隆広を呼ぶのは長連竜と云う武将である。彼は織田軍に援軍を要請するために安土城へ使者として赴いた長一族の武将である。

 織田は何としてでも加賀の国で謙信の南下を阻止しなくてはならない。そのためには能登の大名の畠山氏との同盟は不可欠である。織田と畠山の連合軍で上杉を撃破すること。これは織田と畠山双方の目的であり、絶対に叶えなくてはならない事である。

 

 現在の七尾城の防備を指揮しているのは、長一族の続連、綱連親子であり、連竜は綱連の弟である。対謙信に対して、電撃的な挟撃を展開させるには織田にとり長一族との繋がりは軽視できないものなのである。その連竜が隆広に言った。

「そのお若さで見事なまでの慧眼と思わぬでもないが、やはりそれは勝家殿の言われるとおり推測の範疇であるとそれがしも思う。悪いほう悪いほうに考えてばかりいては勝てる戦にも勝てなくなりもうす。また貴公の言われる内部分裂であるが、いったん戦端が開けば一致団結しなくては謙信を追い返すことは至難。軍議にて確かに隆広殿の言うとおり降伏か徹底交戦かはもめた。しかし最後は七尾城にこもり、篭城で上杉軍を迎え撃つことに相成った。降伏論を唱えた遊佐や温井も、一度決まったからには謙信を倒すと息巻いておる。皮肉にも謙信という強大な敵がいて家中はまとまっていったわけでござる」

「……それで、七尾城を襲う謙信公を我ら織田勢が襲い掛かり、理想的な挟撃戦を展開。そうでございましたね」

「さよう、七尾城に十分な兵糧や水もあるが、いかんせん相手は上杉謙信。早く能登に到着するに越したことはありませぬ。数日中に湊川を越えねばなりますまい」

 連竜の言葉に諸将はうなづく。武断派の多い柴田勢。音に聞こえた越後上杉軍との戦いが近く、気持ちが高揚しているせいもあるだろう。隆広の慎重論は一蹴されてしまった。

 隆広は勝家に仕えて、まだ二年しか経っていない事に加え、居並ぶ諸将は信長直臣で、身分も部将、家老、宿老級の重臣ばかり。陪臣の侍大将で、かつ歳若い隆広の言葉がそう受け入れてもらえるはずもない。

「だが聞くべき点はあった。以後も腹蔵なく軍議にて言葉を発せよ。よいな隆広」

「は……」

 

 秀吉はため息を嫌味タップリに吐き出し、軍机を離れた。

「藤吉郎!」

 前田利家が呼び止めるが、秀吉は振り返らず、忌々しそうに陣幕を払い、柴田軍本陣から出て行った。

「捨て置け、又佐!」

「しかし勝家様…ッ!」

「あやつの軍勢など、いてもいなくても変わらぬ! それどころが士気の低下に繋がる。おらんでよいわ!」

 明智光秀は相変わらず沈黙している。

(やはりこうなったか……。やむをえまい、この状況で活路を見出すしかない)

 

 隆広は自分の陣所に戻っていった。自分の意見が一蹴されたのは無念だが、いったん畠山勢との挟撃と云う方向に決まったのなら、その上で勝利する方法を考えなくてはならない。

 隆広は気持ちを切り替えて、部下である慶次、助右衛門、佐吉に本陣での出来事を話し、これから隆広隊の執るべき方策を講じだした。

「そうですか、親父様(秀吉)は陣払いを」

「ああ、だが佐吉。オレにはむしろ秀吉様があえて意見の対立をして陣払いしたとも考えられるのだ」

「なぜそのような?」

「秀吉様が毛利攻めの総大将の座を欲しているのは知っていよう。毛利といえば当主の輝元殿は並みの武将だが、毛利の両川と言われる吉川元春殿、小早川隆景殿は優れた武将。対するに秀吉様は戦力の温存をしたいと思っているのだろう。この加賀の戦いの総大将は我が殿勝家様。どんなに働いても結局は殿の手柄となるだろうからな。あえて意見を対立させ、帰陣するも一つの駆け引き。秀吉様の将としての能力は図抜けている。大殿とて罰して殺すより、こき使ったほうが得と考える。すべて計算の上なら、たいした御仁だよ、あの方は」

 佐吉は感嘆した。今の柴田家中で秀吉のあの行いの真意を看破している者などいようか。『すべて計算の上ならば』を見抜いた隆広もまた大した武将だと三人の部下たちは思った。

 

 秀吉は、本陣から出てすぐに自分の陣所に帰り、長浜に引き上げてしまっている。隆広の見抜いた通りなのである。あえて意見を対立させて陣払いすると秀吉に入れ知恵したのは今孔明と名高い、あの竹中半兵衛である。

 秀吉は長浜に帰ると、謹慎のような態度を執らず、わざと毎日酒宴を開いて騒いだ。これも半兵衛の智恵である。大殿、安土城の信長にいらぬ警戒心を持たせぬ方便であった。

 信長からの使者が来るとピタリと酒宴をやめて、安土城に赴くと、信長から言い渡されたのは無断で退陣したことへの叱責ではなく、若殿である織田中将信忠の副将として、謀反を起こした松永弾正久秀の討伐だった。

 今度は柴田勝家が大将でなく、織田の跡継ぎである信忠の副将であるから、秀吉にとっても戦う意味のあるものであった。

 後に佐吉から、柴田陣営からの無断退陣の真意を隆広が看破していたと秀吉は聞き、高笑いをした。そして同時に恐ろしいとも感じたのだ。

 

 軍机に加賀領内の地図を広げる隆広。

「さて、軍議を始めるぞ。まず明日の進軍の道筋だが……」

 隆広、慶次、助右衛門、佐吉は軍議で語り、そしてその後は軽く酒を酌み交わした。特に慶次はこの時間がお気に入りである。

 夜はふけていく。そして月を厚い雲が覆い隠していった。



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軍神の襲来

隆広三忍登場です。彼らの改名も考えたのですけれど、やっぱりそれなりに愛着もあるのでそのままとします。ちなみに
舞⇒餓狼伝説の不知火舞
すず⇒テイルズオブファンタジアの藤林すず
白⇒NARUTOの白からです。
ホームページ連載当時はいささか悪乗りしすぎていたようで。


「なあ半兵衛」

「なんでしょう」

 柴田陣営で、総大将の柴田勝家と意見を対立させ、無断で帰陣する羽柴秀吉軍。加賀から北近江の秀吉の領地、長浜までの帰路についている時であった。

 馬に乗り、先頭を進む秀吉の傍らに、羽柴秀吉軍の軍師、竹中半兵衛がいた。秀吉はその半兵衛に話しかけたのである。

「オレには隆広殿の言葉が現実になる気がする」

「七尾城が落ち、絶望的な背水の陣で謙信と対する事になる、と云う?」

「そうだ」

「……たぶん、その通りに相成りましょう。最悪の場合は一向宗門徒との挟撃も考えられます」

「やはりか……」

「はい、上杉と門徒に同時に攻められては勝家殿に勝機はございますまい」

「ふむう…。権六(勝家)はどうでもいいが、隆広殿や犬千代に死なれては困るな。半兵衛も隆広殿が心配であろう?」

「いいえ」

「あんがい薄情じゃな」

 半兵衛は苦笑して答えた。

「そういう意味ではありませぬ。それがしは隆広殿にこう教えました。『凄惨な辛勝をするくらいなら被害軽微の負け方をせよ』と。相手が謙信と云うことで、隆広殿は少なからず敗戦も想定しておりましょう。となると撤退の方法も考えているはず。私は先の先を読んで、そしてそれに備えよと教えましたから」

「教えたといっても、その当時の隆広殿はいくつだ?」

「確か九つか十か」

「覚えているかあ?」

「それは心配無用です。私より記憶力がある童でしたから」

「ほほう」

 自分の教え子を自慢する半兵衛は嬉しそうな顔を浮かべた。そして後ろを軽く振り返り加賀の方向を見つめ、心の中でつぶやいた。

(竜之介…。あの上杉謙信からどうやって逃げ切るか、じっくりと手並みをみせてもらうとするが……)

 竜之介、これが隆広の幼名である。

(生きて帰れよ……竜之介……)

 

 柴田軍は湊川の渡河の段階に入っていたが隆広の言った九月の大雨の危惧は見事に的中してしまい、湊川は増水していた。

 しかしここで進軍を止めることはできない。勝家は強引な渡河を決断したのだ。当然に隆広は猛反対した。水が引くまで滞陣するか、浅瀬が見つかるまで待つべきと。だが上杉軍はすでに七尾城に攻撃を開始している。迂回もできず、橋を架ける工事をする時間もない。隆広の意見は再び一蹴されてしまった。

「くそ……」

「隆広様、お気持ちは分かりますが総大将の決断です。我ら部下は従うほかございませんぞ」

「助右衛門……」

 助右衛門は沈む主君を労わった。才はあっても、まだ十七の少年。繊細な面も持っている。

「……分かった。佐吉、筏は?」

「はい、ただいま工兵隊が大急ぎで……あ、来ました!」

「隆広様! 急場でございますが隊の半数は渡河できる筏ができました! 数度の往復で隊と物資は運べましょう!」

「辰五郎、少ない時間で材料も調達するも至難であったろうに。礼を言うぞ」

「もったいないお言葉にございます。さ、お急ぎを!」

「よし、ならば我が隊も渡河に入るぞ。筏に乗り込め!」

「「ハハッ!」」

 

 隆広直属の工兵隊は、本隊の勝家直属の工兵隊より技術力があったと言われている。

 北ノ庄の屈指の職人衆であった辰五郎率いる一団は、ある事がきっかけで隆広に心酔し仕える事になった。長の辰五郎は隆広と親子ほどの年の差であるが、若き主君に心から忠誠を誓っていた。

 今回の筏にもそれは現れていた。他の隊では転覆する筏もあったが、隆広隊の筏はただの一つも転覆しなかった。それどころか、川に落ちた他隊の兵を救助することさえできた堅固さであった。

 強引な渡河作戦ではあるが、各将、そして最後尾にいた隆広と佐吉の指示でそれは円滑に進められていった。

 だが将兵の疲労は著しく、勝家は隆広が『ここに布陣しては上杉軍に対して絶望的な背水の陣を敷く事になる』と言った渡河の渡った先の水島の地に布陣を始めた。時刻はすでに夕暮れ時。その指示を隆広が聞いたのは、彼が自分の手勢を渡河し終えた直後だった。勝家からの伝令が隆広に届いた。

「申し上げます」

「なんだ」

「将兵の疲労著しいため、本日の陣はこの水島に陣を築き野営をすると殿の仰せです。水沢様はご自分の陣所を築かれた後に本陣に来るようにと殿の……」

「この水島に陣場を作れと!?」

 伝令兵の言葉が終わらないうちに隆広は悲痛に叫んだ。

「バカな! こんな場所に陣を築けば夜襲でもされたら柴田勢は壊滅する!」

「で、ですが各々の将たちは殿の命令に従い、すでに陣場を……」

「ご再考を請うてくる!」

 その隆広を助右衛門が慌てて止めた。

「お待ち下さい! 現に将兵の疲労は頂点に達しています! 勝家様にとっても苦渋の決断かと!」

「ならん! せめて湊川より三里は離れないと柴田勢は壊滅する!」

 兵たちの疲労の著しさは隆広も分かってはいた。隆広の隊は二千であるから、全兵士が筏での渡河が可能であったが、他の隊はそうはいかなかった。

 小船と筏、そして馬に乗って渡河したものは全体の半数ほどで、あとはほとんどが徒歩での渡河である。流されてしまった者もいるだろう。対岸に流れ着いた兵たちはすでに歩ける状態ではない。

 しかし、この水島の地に布陣するのはあまりにも危険である。隆広は主君勝家の勘気に触れるのも覚悟で再考を願おうとした。しかし受け入れられるとは思えないと考える助右衛門は隆広を止めた。

「休息も戦時における心得の一つです。本日の行軍はもはや無理かと」

「だが……この地はあまりに危険だ……。見ろ、ここ数日の雨で川は増水している。こんな川を背後にしたまま上杉に夜襲でもされてみろ。ひとたまりもないぞ!」

「隆広様……」

「とにかく、オレは柴田家中に侍大将として籍を置いている。危惧を覚えて進言せぬは不忠になろう。言うだけは言ってくる。助右衛門は再度の行軍に備えるか、陣場を築く用意をしていてくれ」

「かしこまいりました。この場はそれがしと佐吉で足ります。慶次、ご一緒せよ」

「ああ、分かった」

 

 隆広は慶次を連れて、本陣へと向かった。何としても今回の進言は聞き入れてもらわなければならない。この地に布陣する不利さを勝家に述べるため、隆広は頭の中で進言の内容を練っていた。それを察してか、慶次も主君の思案を邪魔しないよう黙って横を歩いた。

 そして本陣に到着した。

「殿! 申したき儀がござい……」

 その隆広の横を血相変えて通った伝令兵がいた。そして彼からもたらされた報は柴田勝家軍を震撼させた。

「申し上げます!」

「なんだ」

 軍机につく勝家が言った。

「七尾城が上杉軍により落とされました!」

「な、なんだと!」

 柴田勝家、佐久間盛政、長連竜、そして前田利家、佐々成政ら諸将は愕然とした。そして隆広も慶次も。

「上杉軍は守将を七尾城に置き、反転してこちらに進軍中!」

「さすが謙信、神速だ」

 明智光秀は唸った。

「感心している場合か明智殿!」

 畠山の客将長連竜は冷静な光秀を怒鳴った後、伝令兵の肩を掴んで尋ねた。

「七尾城を守っていた父と兄は!」

「……全員、討ち死にいたしました。上杉派の遊佐続光殿が上杉軍と内応し、城の中に上杉軍を入れさせ、長一族は必死に戦いましたが多勢に無勢。全員討ち死にいたしました。倉部浜に、長一族の首が晒されていますのを、それがしこの目で見届けました」

 伝令兵の言葉に呆然とし、そして地に拳を叩きつけて悔し涙を流す長連竜。陣に言いようのない静寂が流れた。七尾城のあまりに早い陥落にあぜんとする勝家。さらに追い討ちをかける報告がもたらされた。

「申し上げます!」

「今度はなんだ!」

「一向宗門徒、およそ三万五千! 南よりこちらに大挙して押し寄せています!」

 上杉軍と一向宗門徒の挟み撃ち、しかも背後は増水した川。柴田陣中に絶望感が漂った。その時だった。

「殿! この上はこの場で陣形を整えて一向宗を迎え撃つしか術がございません! 上杉三万、門徒三万五千! 向こうが数が多い上に、湊川の渡河のため疲労困憊し、地形的にも不利な我らではひとたまりもござりませぬ! まず門徒を叩かねば我らは上杉と門徒の挟み撃ちです! 今ならば兵力差はこちらに優位で門徒に立ち向かえます! 急ぎ南下して門徒たちを叩いてから総引き上げすべきです!」

「ならん! こうなれば上杉軍と門徒どもを蹴散らすのみじゃ!」

「柴田殿、隆広殿の言を入れられよ! この場で上杉と一向宗門徒に挟撃されたら全滅は必至ですぞ!」

 と、明智光秀。

「明智様……」

「今の我らはあまりに不利な条件を重ね過ぎておりもうす。畠山勢との挟撃が成らず、背後には増水した湊川、将兵らも浮き足立っております。天の時、地の利、人の和すべてに逆らっている状態でどうして上杉と戦えまする! ここは総引き上げかと!」

「勝家様、それがしも隆広と明智殿の意見に同じです!」

 前田利家、佐々成政、佐久間盛政も同調した。勝家はうなだれて床机に腰掛けた。

「ふう……」

「殿……」

「隆広……」

「ハッ」

「すべて、お前の申すとおりに相成った。愚かな主君と思っておろうな……」

「なるようになった結果です。誰の責任でもありません」

「そうか……」

「今はこの局面を打開する事だけをお考え下さいませ」

「ふむ、隆広……考えがあったら聞かせよ」

「門徒たちの狙いは上杉と呼応して我らを掃討する事。つまり敵の挟撃の体制が整える前に、こちらも二手に分かれて備えるしかございません」

「具体的には?」

「時間的に考えますと、上杉がこの地に到達するのは夜半。門徒の到達時間もこれまた同じでしょう。だからここで陣場を築いて迎撃に備えるのではなく、一気にこちらから南下して門徒を殲滅します。当然謙信公にもそれは伝わるでしょうから、こちらの背後を衝く好機とばかり差し迫ってくるでしょう。我らが今の虎口を脱するには門徒と上杉に理想的な挟撃をさせてはならないわけですから、別働隊、つまり殿軍が西に向かい謙信公に備えて足止めをしなくてはなりません」

「ふむ……」

「幸い、七尾からこの地を結ぶ道は、そんなに広い道ではございません。三万の大軍とて、そう縦横には動けますまい。ですが沿岸に到達されてしまっては三万の軍勢は怒涛のごとく背後から襲ってきます」

「ふむ、つまり少数精鋭の殿軍で上杉の足止めをして、残る大軍で一向宗と対し、できるだけ早く殲滅し、そして引き上げる。そういう事だな?」

「御意」

「よし、隆広の案で行こう。だが上杉の足を止めるのは至難。誰か我こそはと思わぬ者はおらぬか」

「…………」

 誰も名乗りを上げなかった。相手は上杉謙信である。羽柴秀吉の金ヶ崎の撤退戦よりはるかに至難と云うのは誰にも明らかである。

 

「殿、発案者のそれがしがやります」

 隆広の後ろで慶次はニカッと笑った。よく言った、そう心から思ったからである。

「な……ッ!?」

 勝家はならぬと言いたかった。勝家には隆広に死なれたくない理由がある。その才能を惜しんでではない。どうしても失いたくない理由がある。だが今、それはクチには出来ない。

「相手は上杉謙信! 朝倉が相手だった秀吉の金ヶ崎の撤退戦よりはるかに至難だ! それでもやるか!」

「はい、誰かがやらなければならぬ事です。殿軍がいなければ、間違いなく一向宗門徒との戦闘中に上杉軍がこの場に来て、凄惨な挟撃と追撃を受ける事でしょう。ここより西に向かい、上杉軍を何としても止めなくてはなりません」

「隆広……」

「養父を失い、孤児となったそれがしを殿は拾って下さり、侍大将にまでして重く用いて下さっています。士は己を知る者のために死すと言います。それがしのご奉公、受けてくださいませ」

 前田利家と可児才蔵は思わず唸った。そしてこの時ばかりは佐久間盛政、柴田勝豊、佐々成政も『またいい子ぶりやがって』とは思わなかった。

 上杉謙信相手の殿軍。生還不可能と思える役目である。勇猛な将とて引き受けるにためらいがある。だが隆広はそれを志願した。容貌は美男の優男である隆広であるが、『殿軍を受ける』と言った彼の顔は、もはや万の兵を縦横に操る戦国の名将に思えた。それほどの貫禄と雰囲気が出ていた。それは勝家も同じだった。

「……許す」

「ハッ」

「だが、生きて戻れよ! 北ノ庄に! 命令だ!」

「ハッ!」

「我らは急ぎここに魚鱗の陣をはり、門徒どもを迎え撃つ!」

「「オオオオッ!」」

「殿、ご武運を!」

 隆広はペコリと頭を下げて、勝家の元から走り去った。その姿を勝家は見えなくなるまで見つめていた。そして思った。

(市……見せてやりたかったぞ! 今の隆広の姿を。城に戻ったらたっぷりと聞かせてやらぬとな!)

 出陣前に愛妻の市がくれたお守りを勝家は大切に握った。

 

 各陣は陣払いと、および魚鱗への備えを作るため慌しかった。その喧騒を隆広と慶次は走りすぎる。

「魚鱗の陣を張るまでは、もう少し時間がかかりそうだな」

「確かに」

「慶次、我らは西に進軍して謙信公に備えるぞ!」

「おう!」

 

 自分の陣所に戻った隆広は将兵に自軍が上杉への殿軍を務めることを述べた。

 さすがは隆広の下に集った兵たち。不満を述べる者は皆無だったという。それどころか、殿軍と云う戦においての重要な任に士気は上がった。相手は謙信、困難を極める撤退戦であることは予想される。

 だが、この時ばかりは『いくさ人』筋が多い柴田の家風が功を奏した。兵たちは自分たちを尊ぶ主君隆広に心酔してもいる。あの主君と死ねるなら、それもまた良し。みながそう思った。

 助右衛門、佐吉に隆広は申し訳なさそうにポツリともらした。

「いらぬ役目を引き受けてきおって……そう思っているだろうな」

「とんでもない、よくぞ志願したと思っておりますぞ」

 ニコニコして助右衛門は隆広の肩を叩いた。佐吉は少し震えていたが、武者ぶるいと強がった。

「生きて帰りましょう! そして手柄を立てて! 勝家様のみならず、織田の大殿にも認めてもらいましょう! 水沢隆広隊、ここにありと!」

「ありがとう、助右衛門、佐吉!」

 部下の心強い言葉が隆広を感奮させていく。

「よし、舞! すず! 白(はく)!」

「ハッ」「ハッ」「ハッ」

 舞、すず、白は隆広直属の忍者である。舞とすずはくノ一、白は隆広と同年の少年忍者であるが、三名とも凄腕の忍者だった。

 元は隆広の養父である水沢隆家が三人の両親を自分直属の忍者として用いていたのが縁であり、隆家の養子である隆広に、そのまま世襲して仕えている。

 彼らの父母は、隆広を『隆家様に匹敵する将になりうる器』と見込み、我が子を仕えさせたのである。後の世に『隆広三忍』と伝えられている。そして三人も父母と同じく、隆広を大将の器と思い、粉骨砕身に仕えていた。そして今回の殿軍を志願したと聞き、もはやそれは確信ともなった。

「「なんなりと!」」

「その方たち今から上杉軍の動向を探れ。兵数は無論のこと、通る道の先々の地形、鉄砲の数、行軍速度、つぶさに調べてまいれ。我らはここより西に進軍してその方らの報告を待つ!」

「「ハッ!」」

 三人は上杉軍が迫るであろう西方に駆けていった。それとほぼ同時に兵をまとめていた慶次が隆広に報告に来た。

「隆広様! お味方はすでに水島を離れ南に魚鱗の陣で行軍を開始しました! 我らもいつでも七尾方面に進軍できる準備が整いましてございます」

「よし、鼓舞を行おう。佐吉よ、兵たちの前に台座を」

「ハッ」

 隆広の陣に二千の兵が整然と並んでいる。騎馬隊、長槍隊、弓隊、鉄砲隊、工兵隊と、隊別にキチンと並んでいた。そして何より全軍に士気がみなぎっていた。

 佐吉が用意した台座に立ち、兵たちの前に隆広は立った。

「全員、いい顔をしている。軍神謙信公の前に出ても恥ずかしくない」

 そして一つ、深呼吸をし、胸を突き出し声高らかに隆広は言った。

「だが、一つ言っておく。オレはこの殿軍と云う役目を玉砕精神で志願したわけではない! 生きるためだ! お前たちと共に、北ノ庄に生還するためだ! 上杉は三万! こちらは二千! だが負けはせぬぞ! 我に秘策あり! 音に聞こえた戦国最強の上杉軍に一泡吹かせてくれようぞ! 毘沙門天の旗を絶対に通させぬ! 我が軍勢結成のおり、みなに話したな! この隆広が父より受け継いだ旗印『歩の一文字』の意味は『歩の気持ちを忘れぬ』と云う意味と『相手が王将だろうと一歩も退かぬ』と云う意味だ! よいか! 死んでもいいなどと一度たりとも考えてはならぬ! 我と共に生きよ! 我と共に! 北ノ庄に帰るぞ!」

「「「オオオオ――ッッ!!」」」

 兵士は隆広が掲げた拳に応えた。士気はうなぎのぼりであった。羽柴秀吉の金ヶ崎の撤退戦と同じく、戦国史に燦然と輝く『手取川の撤退戦』が始まる。

 

 鼓舞が終わると助右衛門が隆広に尋ねた。

「隆広様、『秘策あり』とは?」

「うん、これから話そうと思っていた。慶次もオレの陣屋に来てくれ。そして佐吉、あれを持ってきてくれないか」

「かしこまりました」

「『あれ』? なんだ助右衛門『あれ』とは?」

「オレに聞くな」

 佐吉が兵に持たせてきたのは、隆広の旗印が記されている大きな木箱数個だった。

「隆広様、なんですそれ? そういえば進軍中にもずいぶん大事にしていた箱のようでしたが」

 その箱を慶次がポンポンと叩く。

「使わずに済めば、と思っていたものなのだが……佐吉、開けよ」

「ハッ」

 大きな箱、三つが開けられた。その中に入っていたものを見て、慶次、助右衛門は驚いた。

「こ、これ!」

「そうだ、二人ともこれを使ってくれ」

「し、しかし……」

 さすがの助右衛門も戸惑う。それほどのものが箱には入っていた。

「これの調達はオレの自腹。使うのにイヤとは言わせないぞ」

「は、はあ……」

 助右衛門は苦笑しているが、慶次は眼をランランと輝かせていた。

「面白い! こういう遊びは大好きですよ、それがしは!」

 慶次はこういう窮地を好む癖があり、かつ遊び心は満載の持ち主でもある。隆広の案にもろ手をあげて喜んだ。

「ははは、これは兵法でも何でもない。一つの心理作戦だ。だが謙信公ほどの武将を相手にするのなら、逆にこういう陳腐な策の方が効果はあるってものだ。さ、急ぎ支度だ!」

 

 そして一方、上杉軍。毘沙門天の旗を靡かせながら進軍していた。

「川を背にするとはな、音に聞こえた鬼柴田は兵法を知らぬわ。今ごろは門徒が襲撃してくると聞いて青くなっているかもしれぬな」

 上杉軍の宿老、斉藤朝信は勝家を笑った。

「確か、勝家は砦を六角勢に包囲された時に、水の瓶をすべて叩き割って将兵の覚悟を決めさせた事もあるとか。今回の背水の陣もそれと様相を類似させておる。背水の陣で我ら上杉と対するわけか。ふん、我らは六角勢と違う」

 同じく宿老の直江景綱も柴田勢を笑った。

「ですが柴田勢は我らより兵数が多うございます。挟撃が上手くいったとて『窮鼠、猫を噛む』の例えもございます。油断は禁物かと」

「そうであったな、与六」

 与六、彼が後に上杉の宰相となる謀将直江兼続である。当時の身分は足軽大将で樋口与六と云う名の若武者であったが、後に名家の直江家の名跡を継いで直江兼続と名乗る事になる。

 その彼は上杉の若殿である上杉景勝おつきの小姓であった。その上杉景勝は総大将の謙信の傍らにいた。

「父上、柴田勢にも七尾の陥落と門徒が迫っているとの報は知られていましょう。もうすでに退陣されているかもしれませぬな」

「確かにな、だが北に逃げれば海で後がない。西に逃げればわしらとぶつかる。東は増水した湊川。勝家は南に向かい、門徒と戦うしかない。よもやなりふりかまわぬ再度の渡河はするまいて。門徒は三万五千、勝家が五万と多いが、我が到着するまでは十分に持ちこたえられる。おごる信長に毘沙門天の鉄槌を下すのだ」

 斥候に出ていた兵士が戻ってきた。

「申し上げます!」

「うむ」

「ここより、東に約五里、陣場がございます。旗は『歩の一文字』にございます」

「『歩の一文字』? 確かそれは美濃斉藤家の水沢隆家の旗ではないか? 柴田勢に水沢にゆかりの者がおるのか? 誰が存知らぬか?」

「それがしが存じています」

 謙信の問いに与六が答えた。

「おう与六、どんな男か?」

「斉藤家の名将、水沢隆家殿の養子にて、竹中半兵衛の薫陶を受けた将で、氏名にあっては水沢隆広。歳はそれがしと同じ十七歳ですが、一昨年に柴田勝家に仕え、階段を駆け上がるがごとくに出世し、現在は侍大将と聞き及んでいます」

「ほう、水沢隆家と竹中半兵衛の薫陶、つまり美濃斉藤家の軍略を受け継ぐ若者か」

「は、若輩とはいえ侮らぬ方がよろしかろうと……」

 老将の本庄繁長が歩み出た。

「お館さま、それがしも水沢隆広の名は聞き及んでおります。我ら上杉の忍者、軒猿衆から要注意人物と報告が届いております。内政の功が目立ち、戦場の猛将という感はないそうですが、今まで参加した合戦にはいずれも勝利の要因となる働きをしたとのこと。油断禁物かと」

「ふむ、しかし上杉軍の進軍が予想される場所に陣場を築くとはな。己の兵法に少し奢ったか? して兵数は?」

「およそ二千。殿軍の役を担ったと思われます」

「ほほう、ずいぶんと勝家もその若者を買っているものだな。上杉への殿軍に十七の若者とはな」

「父上が栃尾の城で長尾俊景殿を討ったのも十七のころでは?」

「そうであったな、若者だとて油断はできぬ。よし、その若者の陣場に備え、我らもこの場で備えて対しよう。朝信、景綱」

「ハッ」「ハッ」

「その方ら、合わせて一万の兵を率い、水沢隆広と対してまいれ」

「心得ました!」

 斉藤朝信、直江景綱の隊は一万の兵を率い、上杉本隊から離れて隆広の陣場へと向かった。

「一万対二千……。竜之介、いかにお前でもどうしようもあるまい。こんなに早くいくさ場で敵味方として出会ってしまうとはな。だがオレも上杉の将。遠慮はせぬ。友なればなおのこと。全力で行く。それが武人としての礼儀。だろう? 隆広……!」

 樋口与六は敵将の隆広がいるであろう東の地を睨み、気合を入れるように馬の手綱をギュッと握った。

 一万対二千、まともに対してとても隆広の勝つ目はない。しかし隆広はこの戦いで上杉謙信、上杉景勝、そして直江兼続にとっても『隆広恐るべし』の思いを強烈なまでに印象付けるのである。



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軍神対戦神

この手取川退却戦、隆広の取った秘策は私と友人でひねり出したアイデアでしたが、よくまあ思いついたと我ながら気に入っております。


一万の軍勢は地響きを立てて、隆広の陣に迫った。

「ふん、わずか二千、ひと揉みにしてくれるわ!」

 七尾城を陥落させて、まだ間もない上杉軍の士気は留まる事を知らない。寄せ手の大将である斉藤朝信、直江景綱も意気盛んで隆広の陣に迫った。時刻は夜半、隆広の陣場にはかがり火が赤々と灯っていた。

「なるほど、あの陣場の広さとかがり火の数、おおよそ二千と云うのは間違いなさそうだな。だが油断なさるな、景綱殿!」

「承知!」

 

 ドドドドッ!

 

 直江景綱、斉藤朝信の軍勢は隆広の陣場に突入した。だが

「な、なんだ!?」

 景綱、朝信の両大将は愕然とした。

「兵などおらぬではないか! 空陣!」

 隆広の陣場は、山間の道に作られたものである。かがり火だけは多数赤々と灯ってはいるが、誰一人そこにはいなかった。

「しまった! 罠だ!」

 朝信が叫ぶ。

「いかん! すぐに引き返せ!」

 景綱があとに続く兵に叫ぶ。しかし一万の軍勢がときの声を上げながら突入しているのである。それは届かない。隆広が作った空陣に上杉一万の兵は大挙して押し寄せた。しかも二千を見込む陣の中に一万である。その兵は一箇所に集まる形となってしまった。

 上杉の斥候兵が来るまで、隆広隊は確かにこの場にいたのである。隆広はあえて上杉の斥候兵が自軍を調査に来るまで待ち続けた。舞、すず、白がその斥候兵を見つけて、それを報告。斥候兵をあえて捕らえずに、自軍の場所と兵数に謙信に報告させた。そして隆広は違う地点にあらかじめ用意していた副陣に全軍を大急ぎで移動させたのである。

 上杉兵が一箇所に集まったその瞬間! 上杉軍の前方正面、山間右斜め前方、山間左斜め前方の地点から一斉に鉄砲が火を噴いた!

「撃て――ッッ!」

 鉄砲隊を率いるは佐吉と白。三方から一斉に一箇所に集まった上杉軍に隆広の鉄砲隊が襲い掛かった!

「ぐああッ!」

「うぎゃあ!」

 鉄砲隊はおよそ二百であるが、それでもひとたまりもなかった。一箇所に集められ、かつ三方向から同時に撃たれているのである。上杉の兵士はバタバタと倒れていった。

 しかも、それぞれの鉄砲隊は織田信長が武田勝頼を打ち破った長篠の合戦で執った戦法。三列の横隊による交互の連続射撃である。

「こ、これは美濃斉藤家の鉄砲術『三方射撃』!」

『美濃斉藤家の軍略を継ぐ若者』、そう聞いていた直江景綱と斉藤朝信。しかしまさかここまで鮮やかにやってのけるとは想像もしていなかった。

 一箇所に敵を集め、三方から襲い掛かる必勝の鉄砲術。鉄砲を集める事では織田信長に大きく遅れを取った斉藤家が少ない鉄砲の数でより相手を壊滅できるように考案されたものである。隆広の養父である隆家が考案し、織田の軍勢を震え上がらせた戦法である。

 その父より伝授された鉄砲術に信長の考案した三段射撃も加わっているのである。一万の上杉軍はひとたまりもなかった。

 敵を一箇所に集めるための空陣計も父から伝授された作戦であった。そして、この攻撃をしている隊に隆広、慶次、助右衛門はいなかった。

 

 時を同じころ、勝家率いる織田軍は湊川沿岸で一向宗門徒と戦端を開いていた。勝家軍は士気がケタ違いにあった。もしこの戦いに時間をかけたら、背後から上杉軍が襲ってくるかもしれないのだ。隆広の軍才は柴田家中誰でも知っているが、相手は軍神謙信、蹴散らされてしまうのではないかと云う危惧はあった。

 だが、その危惧が功を奏した。早く倒さなければやられると云う危機感が兵士を追い込み強くした。まさに背水の陣さながらである。

 

 そして、ここは湊川より西の地、上杉本陣。この鉄砲の轟音は後方に陣を構えた謙信の耳にも届いた。

「鉄砲! しまった! 空陣計か!」

「父上! 急ぎ我らも!」

「よし! 繁長(本庄繁長)! 景親(千坂景親)! 至急援軍に向か……」

「父上?」

 

 ドドドドッッッ!

 

 上杉本陣に怒涛のごとく迫る隊があった。

「敵襲――ッッ!」

 与六が叫んだ。

「味なマネを! 空陣計と呼応し敵陣突入か! 迎撃に……ッ!?」

 謙信は突入してくる隊の旗と、そして先頭を駆ける武者を見て愕然とした。

 

「バカな……ッ!」

 

 ドドドドッッッ!

 

「ふ、風林火山の旗! し、信玄!」

 上杉軍に迫る隊、それは隆広の旗である『歩の一文字』でなかった。それは上杉謙信の宿敵、武田信玄の旗『風林火山』であった。

 そして先頭を馬で駆る武者、それは信玄が頭に頂いていた『諏訪法性兜』。衣は赤い法衣。まとう鎧は『金小実南蛮胴具足』。そして抜いた太刀、それは武田家に伝わる『吉岡一文字』であった! まさに上杉謙信が川中島の戦いで見た武田信玄そのものであった。

「バカな……! 信玄だと!」

 そして信玄の両脇にいる右将は赤備えに旗は『紺地に白の桔梗』、左将は青備えに旗は『白地に黒の山道』、中心の武田信玄を守るように、共に上杉軍に突撃を仕掛ける!

 謙信と共にいた家老の本庄繁長も唖然とした。忘れようはずもない武田の騎馬軍団。

 しかし先年、精鋭を誇るその武田騎馬軍団は織田・徳川連合軍三千丁の鉄砲の前に狙い撃ちにされ惨敗し、山県昌景や馬場信房などの主なる将が戦死してしまい、もはや立ち直れないほどの叩きのめされた。

 武田勝頼の父、武田信玄は天正元年に上洛の途上に五十三歳ですでに亡くなっている。だが目の前に迫るのは紛れもなく武田信玄率いる騎馬軍団である。

「お館さま……! 右は山県昌景! 左は馬場信房! し、信じられませぬ……」

 謙信もまた同じだった。宿敵の信玄が今目の前に現れた。死んだはずの信玄が。

 謙信は信玄が死んだと知り、涙を流した。三日食を断ち、宿敵の死に報いたと云う。それほどに謙信は信玄を認め、そして尊敬もしていた。その信玄が現れた。自軍に迎撃の命令を出さぬまま、あぜんとしていた。だが武田との交戦経験が薄い上杉景勝と樋口与六は違った。

「父上! あれは信玄公ではありませぬ! 敵の水沢勢が化けているのです!」

 景勝の懸命の訴えも謙信に届かない。だが景勝の妻である菊姫は信玄の娘である。彼の動揺も激しかった。

「下策を弄しおって! 義父殿の姿を真似るとは言語道断じゃ!」

 景勝は馬に乗り、兵を鼓舞し迎撃体勢を執ろうと考えた。だが兵士たちの中には武田勢の強さが骨身に染みている者が数え切れないほどにいた。七尾城を陥落させて上がっていた士気が急降下していった。

「くっ 何をしている! 陣列を組まんか!」

 だが兵士は動かなかった。いや動けなかったと云うべきか。

「景勝様! 確かに兵法でも何でもない下策かもしれませぬ! ですが現実我らは水沢勢の術中に!」

「与六! おぬしまで何を申すか! 我らは三万の軍勢ぞ! それが二千の水沢隊に敗れるというのか!」

 赤備えの甲冑を身につけた武人は、主人信玄を守るかのように先頭に踊り出た! それは恐ろしいまでの巨馬に乗る武人だった。

「我こそは山県三郎兵衛昌景なりぃ!」

 まさに鬼神を思わせる咆哮の名乗りであった!

 

 ブォンッ!

 

 山県昌景と名乗った武人は剛槍の朱槍をうなりを上げて振り回した!

 

 ザザザザッッ!

 

 上杉兵が次々と山県昌景の朱槍に倒されていく!

「うおりゃあああッ!」

 

 ザザザザッッ!

 

「バ、バケモノだああ―ッ!」

「退け、退け―ッ!」

 

 真紅の甲冑を纏う武人を乗せる漆黒の巨馬は宙に舞うが如く駆ける! まるで天馬に乗る鬼神のごときに突き進む騎馬武者に上杉兵は圧倒された。

 景勝と与六はその山県昌景をあぜんとして見ていた。いや見とれていたという方が正しいかもしれない。

「なんと恐ろしい……だが与六、あの美しさはなんだ……」

「あの漆黒の巨馬は紛れもなく『松風』! 水沢隆広配下、前田慶次殿と思われます。まさにいくさ人を狂わす武人!」

 

 ドドドドッッ!

 

 先頭の三騎に続けと、他の騎馬武者も怒涛のごとく駆けてくる。まさに戦国最強と言われた武田騎馬軍団そのものである。歩兵の槍隊も一糸乱れぬ槍ぶすまで突進してくる。

 巨馬に乗る山県昌景の朱槍の恐ろしさにはじまり、上杉の兵たちには武田騎馬軍団の恐ろしさが骨身に染みている者も多い。次々と道を開けていった。そして左の猛将も主人信玄を守るように走り出て山県昌景とピタリと並んだ。

「我こそは馬場美濃守信房! 我の槍を受けてみよ!」

 馬場信房の黒槍は風車のように回転し上杉兵をなぎ倒す。山県昌景、馬場信房、二人の騎馬武者は止まらない。

 そしてその二人の後ろを駆ける信玄。実際の信玄よりは小柄であるが、その眼光の鋭さと覇気は少しも川中島の信玄に劣っていない。

 三騎の左右に黒装束の忍者が百人づつの縦列で続いた。人馬に長けた先頭の三人の騎馬武者に少しも遅れぬほどの脚力でどんどん上杉軍に迫った。忍者衆の先頭を走るのは、真紅の忍び装束に美しい肢体を躍らせる二人のくノ一。

「お命ちょうだい! 『花蝶扇』!」

 一人のくノ一が刃のついた二つの鉄扇を怒涛のごとく駆けながら放った!

 

 ズザザザ!

 

 まるで命を吹き込まれてるかような二つの扇子が上杉軍の兵士をなぎ倒した! 

 

「曼珠沙華!」

 さらにもう一人のくノ一は数え切れないほどの苦無を一斉に投げはなった。

 

 ザザザザッッ!

 

「ぐああああッ!」

「退け―ッ! 退け―ッッ!」

 

 そして最後に信玄が吼えた!

「我こそは武田大膳太夫信玄なりィィッッ! 進めェェッッ! 侵略すること火の如しじゃああッッ!!」

「「オオオオオッッ!」」

 

 上杉景勝は信じられない光景を見た。上杉軍の黒備えの兵士たちが恐怖におののき、突入してくる軍勢に道を開けたのだ。まるで黒い海が赤い激流に分断されていくがの如く。

「バカな……!」

「景勝様! お退きを!」

 上杉謙信は少しも慌てていなかった。床机にすわり、静かに武田信玄を待ち、微笑をうかべ軍配を握った。

「ふっ……川中島と逆ではないか」

 もう謙信は目の前。山県昌景、馬場信房の両将が左右にバッと離れた。そしてその真ん中から信玄が躍り出た!

「お館様!」

「お館様を守れ!」

 

 ドカッッ!

 

 謙信の前に立った兵士二人は信玄の愛馬に吹っ飛ばされた。愛馬まで闘志の塊と思える。

 そして信玄、いや水沢隆広は謙信の名前、川中島合戦当時の彼の名前を、刀を振りかざしながら叫んだ。

「うおおおおおおッッ!」

 その太刀を弾き返すべく、謙信は軍配を振り上げた! 隆広の刀が振り下ろされる!

「政虎――ッッ!」

 

 ギィィィィンッ!

 

 隆広の太刀と、謙信の軍配がぶつかった! その時、隆広と謙信の目が合った。謙信は隆広の太刀を受けながら微笑んだ。隆広もそれに答えニコリと笑った。そして一太刀、謙信と合わせると隆広はその刀を空に掲げた。

「駆け抜け――ッッ!」

「「オオオオッッ」」

 そのまま風のように、上杉軍本陣を駆け抜けてしまった。

「父上! すぐに追撃をいたしましょう!」

「よせ」

 謙信は、床机に座ったまま静かに笑っていた。

「しかし! このまま水沢勢を逃がせば我らはいい笑いものでございます!」

「いいからよせ、無粋な」

 隆広の走り去った方向を、謙信は見つめた。

「いい夢を見させてもらった……」

 

 隆広の軍勢は、上杉の背後を迂回して湊川沿岸に辿りついた。

「ふう、辿りついたか。昌景、信房、ケガはないか?」

「はっ 我らは無傷にございます。お館様こそおケガなど……」

 武田信玄、山県昌景、馬場信房はプッと吹きだした。

「おいおい! 二人ともいつまでなりきっているんだよ! いいかげんバチ当たるぞ!」

 赤い兜を外して慶次が笑った。兵たちも笑っていたが、武士である以上、誰もが武田軍団には憧れたものである。その格好をした兵士たちも何か夢がかなって満足そうだった。隆広は馬上から将兵を労った。

「みなの者、大儀であった。あとは別働隊と合流を果たすだけだ。国許に帰ったら、殿に言上し褒美をとらすからな! 楽しみにしておれよ! そなたらは柴田家の誇りであるぞ!」

「ハハッ!」

「ぃやった―ッ! 女房にいいモン食べさせられるぞ―ッ!」

「忍者の皆も大儀だった。足が速いものなんだなァ、忍者って。騎馬にも走り負けしないなんて」

「も~、隆広様もっと違う点で褒めてくれませんか? すごい技をもっているなとか!」

 舞が拗ねて言うとすずや忍者衆も笑った。

「ははは、みんなにも合戦後賞与をとらすからな。すぐ里に帰らず北ノ庄見物でもしてゆっくりしていってくれ」

「「ハハッ!」」

「隆広様――ッッ!」

 佐吉が馬に乗って駆けて来た。

「隆広様、よくぞご無事で」

「ああ、で、殿の方は?」

「はい、見事に勝利を収めました。浅瀬も見つかりましたので、全軍渡河中でございます」

「そうか、よかった……」

「隆広様、殿の見つけた浅瀬と違う場所に浅瀬を見つけました。我らも」

「わかった。佐吉、その方こそ後陣の大将、大儀であった」

「そうなんです隆広様! 私は今回佐吉殿を見直しました。見事に鉄砲隊を指揮しましたよ! 始まる前は足震えていたから大丈夫かなと思ったのだけど」

 佐吉と共に走ってきた忍者の白が佐吉をからかうように言った。

「あ、あれは武者ぶるいと云うのです!」

「ははは、して佐吉、敵にいかほどの損害を?」

「ハッ、ご指示どおり比較的に馬を狙い、なるべく殺さぬように心がけました。数にして敵兵の二百か三百が犠牲かと思います」

「そうか、ならばいい」

 隆広はニコリと笑った。

「よし、合流は成したな。助右衛門と慶次、兵をまとめてくれ。みんな疲れているだろうが、急ぎこの湊川の東側から撤退しなければならない。佐吉が見つけた浅瀬で渡河を開始する。そこを渡りしばらく行ったら野営だ。そこでゆっくり休め。飲酒も許す」

「「ハハッ!」」

 隆広は後陣の佐吉たちに、あえて上杉の両大将の軍勢を殲滅するなと伝えておいたのであるが、それはある意味、この乱世に甘いことをする大将だと考えられる処置である。

 しかしそうではなかったのである。これにも緻密な計算が含まれていた。隆広は前もって言っていたのである。

『窮鼠、猫を噛むの例えもある。戦端を制し、追撃してこないと見越した時点で撃ち方はやめるように。なぶり殺しはしてはならぬ』と。

 後方に残される佐吉、白は大軍の上杉相手に情けなどかけるゆとりがあるはずがないと考えていたが、隆広の作戦は的中し、開始数秒で直江隊、斉藤隊は戦意を喪失した。

 佐吉たちは、隆広の恐ろしいまでの軍才に感嘆しながら、指示通りになぶり殺しはせずに退いたのである。誰一人として追撃はしてこなかった。佐吉が預かった隊には工兵などの非戦闘員もいる。しかもそれを守る兵も二百人しかいない。追撃を受けるわけにはいかなかった。

 

 どうしてあえて上杉軍を半壊以上にできる好機を逃したか、敵方の謀将でそれを見抜いた男がいた。

「申し訳ございません、まんまと計にはまり、三百近い損失を……」

 直江景綱、斉藤朝信は本陣に戻り、謙信に報告した。

「三百か、本来ならば全滅させることも可能だった計だったろうにな。才はあるが少し性格が甘い……」

 だが義将と呼ばれる謙信には、その隆広の性格が嬉しかった。

「いえ、そればかりではないでしょう」

「それはなんだ、与六?」

「水沢殿はあえて後陣を守る将に、二百か三百程度の犠牲に留めるように指示を与えたのだと思います。もし斉藤殿や直江殿の軍勢が全滅していたら、いかに大殿が止めようと、我らは報復に燃えて水沢殿を追撃したに相違ありません。水沢殿は自軍を守る意味でも、最低限の犠牲者に留めたのであろうと思います」

「確かにな、ふっ……与六、そなたの慧眼も鋭くなってきたな」

「恐れ入ります」

「それにしても、おぬしは何で水沢隆広と云う男を知っていたのか?」

「ほんの一時とはいえ、彼とは同門でございました」

「同門?」

「ええ、竜之介、いえ水沢殿は十二から十五歳に至るまで養父の隆家殿と共に、諸国を漫遊しておりました。それがしもちょうど同じころに父と旅をしていまして、厩橋の町にて彼と会ったのです」

「厩橋?」

「はい、その時の水沢殿は上泉信綱先生に剣の手ほどきを受けていました。それがしもその道場に立ち寄りましたので」

「なるほど、どうりでいい太刀さばきをしている」

 謙信はヒゲを撫でて、先刻の隆広の一太刀を思い出した。

「まあ、短い期間の修行で免許皆伝とまではいかなかったようですが、上泉信綱先生は、それがしにこうポツリともらしていました」

「ほう、なんと?」

「『あやつは我が殿と似ておる』と」

「我が殿……。長野業正殿のことか?」

「はい」

 長野業正、上州の虎と呼ばれた名将であり、上泉信綱の主君であった。武田信玄は大軍で長野業正の篭る箕輪城を攻撃したが、業正は老齢の身ながら寡兵を指揮し、ついに武田信玄を敗走させた。また上杉軍とは同盟関係にもあった。謙信自身もまた業正を認め、敵にしたらあんなに恐ろしい武将はいないと思っていた。

「ふむ、上泉信綱ほどの男がそう評したか。しかもまだ元服前の子供にのう。かつて信玄は『業正いるかぎり上州に手は出せぬ』と言ったそうだが、景勝もまた『隆広いるかぎり加賀、越前に手は出せぬ』と言う事になるのかのう?」

 謙信は笑みを浮かべて景勝を見た。

「そんなことはありません! 敵手が名将ならば、むしろ望むところでござる!」

「よう言った。それでこそ上杉を継ぐものよ!」

「は!」

「さて、今回の戦は七尾城を取り、能登を領土に出来ただけでよい。これ以上進めば冬の到来まで越後に帰れぬ。死者を手厚く回収せよ。そして負傷者の手当てをせよ。本日はここに野営し、明日、越後に帰る!」

 

「竜之介……今回はまんまとしてやられたな! だがそなたのいる柴田殿の領地と我が上杉の領地は、門徒の国の加賀を挟んで隣接しているゆえ……また戦うこともあろう。その時まで健勝でな。次はオレがおまえの心胆を寒からす番だ」

 与六は闘志を胸に、野営の準備をはじめた。

 

 門徒を倒して、撤退していた勝家本隊に隆広からの伝令が届いた。勝家は渡河を終えて、自分の領土である越前の国境に到着していた。

「申し上げます!」

「うむ、隆広のところのくノ一じゃったな。戦況はどうじゃ?」

「上杉軍、後退しました!」

「な、なに?」

「隆広様は兵を一人も損なうことなく、現在、当方で見つけました浅瀬にて渡河を完了し兵を休ませるため野営の準備をしております」

 兵を一人も死なせずに上杉を後退させた。勝家も信じられなかったが、佐久間盛政、前田利家、佐々成政、可児才蔵もあぜんとした。そして隆広の伝令に出たくノ一も、あまり汚れてはいなかった。どんな戦い方をしたのか、勝家たちには見当もつかなかった。

「くノ一、隆広はどんな戦い方をしたのじゃ?」

 勝家の問いに、くノ一の舞は誇らしげに答えた。

「ハッハハハハハハハ!」

 舞から隆広の執った作戦を聞いて勝家は驚き、そして笑った。嬉しそうな笑いだった。

「なんと! 武田信玄に化けて突撃か!」

「いや驚きましたな、そんな戦法は聞いた事ございませぬ。しかし、武田軍の装備の用意をしていたという事は、隆広殿は今回の敗戦を予期していたのでしょうか」

 ようやく笑いの虫がおさまった勝家は明智光秀の問いかけに答えた。

「かもしれぬな。たとえそうでなくても、武田の格好をして戦えば上杉に多少なり心理的な動揺を与える事もできる。いずれにせよ上杉に対して隆広なりに考えた隠し玉だったのだろう。末恐ろしいヤツじゃ。先が楽しみでならぬわい」

 

 柴田家中、いや織田家中にとっても比肩なき大手柄を立てた隆広。身分も侍大将から部将へ昇進し、慶次、助右衛門、佐吉は足軽大将に昇進したと云う。

 隆広が兵たちに約束した通り、この時の撤退戦で隆広隊にいた者は、足軽から忍者衆に至るまですべてが恩賞を勝家から受けた。二千で三万を後退させた快挙は勝家を大いに喜ばせたのである。

 この撤退戦の様子は後に信長も知り、名物茶器『乙御前の釜』を勝家に通し褒美として与えたと言われている。隆広はこの撤退戦で織田家中と上杉家にその名を轟かせた。水沢隆広十七歳のことであった。



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父の死

ここから、隆広が柴田家に仕官する話に時間が戻ります。そして、ついに我らがヒロイン、さえが登場です。


 織田信長は琵琶湖の南のほとり、壮大な巨城を作った。その名は安土城。華麗な絵画装飾を施した五層七重の天守、いや天主を頂く安土城。戦国期における最大の城と言っていいだろう。まさに戦国の覇者である信長に相応しい城である。

 その安土の城から北、北近江を越えた越前の国、ここに織田軍最強の軍団長である柴田勝家の居城『北ノ庄城』があった。

 北ノ庄城は先年の天正二年、越前一向一揆を平定した柴田勝家が許されて築きあげた城である。越前八郡五十万石と織田家でも最大の知行を得て、かつ浅井長政の死後に未亡人となっていた主君信長の妹の『お市の方』を妻にもらうなど実力者に相応しい城と城下町に形成されつつあった。

 足羽(あすわ)川を天然の外濠として築城された北ノ庄城は、数年後には九層と云う大天守閣を持ち二の丸、三の丸も配置された巨大城郭ともなるが、今はまだ城も城下町も創造期にあった。

 

「ここが北ノ庄ですか、父上」

「ああ、ようやく着いたな」

 一人の若侍と、僧侶の男が北ノ庄の城下町を歩いていた。若侍は元服を終えたばかりと思える幼さが残るが、城下町を歩く若い娘たちがポッと顔を赤らめるほどの美男であった。もっとも本人はそんなことに全然気づいてはいないが。

 そして一緒に歩く僧侶の男。剃髪して丸坊主であり、体躯は六尺はある大男で法名は長庵と号していた。元は名のある武将である。武人の威厳と貫禄は僧門に入っても衰えず、微笑みながら歩いていても威圧感は十分であった。城下町を歩く博徒やならず者が道を開けるほどである。

 だが子供や女には安心を与えるような、そんな雰囲気を持っていた。鞠で遊んでいた女童が誤って長庵の足元に鞠を転がしてしまったが、彼は女童の視線に腰を落とし、優しく微笑んで鞠を返した。

 

「隆広、おぬし北ノ庄を今見てどう思った?」

「はい、正直に申し上げますと織田家筆頭家老である柴田様のご領地としては、あまり賑わってはいない感じを受けます」

「ふむ、よく見ているな。わしもそう思う。そなたと諸国漫遊して良かったのう」

「はい!」

 若侍の名前は、水沢隆広。この日、彼は養父長庵に連れられ北ノ庄にやってきた。

 

 長庵は、あの斉藤道三と織田信長が会見したと云われている正徳寺の僧侶である。名僧と知られているが、元は斉藤家に仕え、織田家にもその名を轟かせ、そして震え上がらせた名将でもあった。武士名は水沢隆家と云う。

『美濃の蝮』と呼ばれた斉藤道三と竹馬の友であり、あの道三が一介の浪人から下剋上で美濃の当主と成りえたのは水沢隆家の補佐あっての事だった。

 軍略を極めた道三と隆家あって先の美濃の守護大名土岐氏も打ち破り、ついに美濃の国主ともなった斉藤道三。斉藤家は精強を誇り、あの織田信長さえ幾度も敗戦を余儀なくされた。

 梟雄道三と共に下剋上を成し遂げた彼は、美濃領内の内政を道三から任されると、主君の悪名を領民から払拭するのを願うかのように仁政をひいた。

一般にあまり知られていないが、この日本で初めて『税金なしでどこでも自由に露店が開けるようにする法令』つまり『楽市楽座』を実行したのは隆家である。

 これにより美濃の町は商業的に大きく発展していくことになり、美濃当主となって数年で領民が道三に抱く恐れは無くなっていったという。

 梟雄道三の右腕でありながらも、隆家は当時としては馬鹿がつくほどに清廉潔白な人柄で賄賂一つ受け取らなかった人物だった。ゆえに道三や安藤守就、稲葉一鉄らの幹部たちからの信任も厚く、後に今孔明と呼ばれる竹中半兵衛も心酔し、心の師と尊敬していた人物でもあった。

 

 だが道三、次代義龍が死に、三代龍興の時代には斉藤家は徐々に衰退していくが、それでも織田家にとり水沢隆家の軍才は脅威であった。ついには信長に『隆家と戦わずに美濃を落とすしかない』と言わしめ、調略により斉藤家の内部分裂を促し、直接隆家とは戦わずに美濃の稲葉山城を落としたのだった。

 信長は隆家の軍才を惜しみ登用を試みるが隆家はそれを固辞し出家して長庵を名乗り、美濃正徳寺の僧侶となった。

 

 このころ、彼には養子がいた。稲葉山落城の数年前、ある女が生まれたばかりの赤子を連れて隆家の屋敷に訪れ、そして赤子の養育を必死に願った。隆家は心動かし、それを引き受けた。隆家はその男子に自分の幼名『竜之介』の名を与え、厳しくも温かく育てていった。

 長庵は養子の竜之介が十二歳になると、共に諸国漫遊の旅に出た。本当は息子一人に旅をさせたかったのだろうが、十二歳の少年にそれは無理な話である。だから一緒に旅をした。

 彼が息子と諸国漫遊をしようと決めたのは、あの史記の作者である司馬遷の父、司馬談が息子に命じた旅にならっての事である。司馬遷のように一人だけの旅とはいかなかったが親子は時に路銀を稼ぎながら旅をして、関東、東海、畿内を見てまわった。後に名将と呼ばれる水沢隆広の資質の一つにはこの旅で培われたものもあるかもしれない。

 旅を終えて美濃に戻った竜之介は見違えるほどにたくましくなっていた。まだ十五歳になったばかりだが、父の薫陶や旅での経験が、彼の姿をそうさせた。

 そして長庵は竜之介の元服を認めて、自分が武士だったころの名前である『隆家』から一字を与え、かつ広く大きな男となれと云う意味を込めて『隆広』と云う名前を与えた。

 そして、父より『水沢隆広』の名を与えられた数日後、父の長庵は

「越前に行くから一緒に来い」

 と言ってきた。軽い旅装を整えていると、

「お前はもう美濃に戻らぬ。書や茶器も、そして武具も残らず持って来い」

 と言った。長い漫遊の旅から帰って来たと思えば、今度は生まれ故郷に戻らぬ越前への旅。父の意図が分からなかったものの、隆広は黙って旅装を整え、父と共に越前、北ノ庄にやってきた。

 

「ではなぜ、織田家筆頭家老の領地に活気がないのと見るか?」

「はい、おそらくは一向宗門徒の影響かと。この越前の隣国加賀の国は一向宗門徒が守護職の富樫氏から乗っ取った国。城も小松城、尾山城、鳥越城と石山本願寺の支城がございますれば、この地に教徒は多いことは察せられます。柴田殿はその鎮圧に頭を悩ませ、内政にまでチカラが及ばないのでしょう。軍備もかさみますから、領民に高い税を強いるしかないと思います」

「ふむ、あとは?」

「柴田殿の部下の性質もあるやもしれません。前田利家様、佐々成政様、佐久間盛政様、可児才蔵様は戦場の陣頭に立つ猛将としては一流かもしれませぬが、内政に長けていると聞き及んだことはございません。領内の治安と発展を要所高所から見る人材に不足しているのでは?」

「お前ならば、どう解決する?」

「敦賀港が領地内にあるのですから、私なら流通、交易にて富の上昇を考えます。年貢による搾取を減らせば、民は豊かになり、国も富みます。それで軍備を整えれば、一向宗門徒も攻め込むに二の足を踏むかと」

「そうか」

 前を歩く父はそれ以上言わなかった。今の自分の答えが合格なのか隆広には分からない。

「父上ならば?」

「ん? お前と同じだ」

 父は笑ってそう答えた。

「そんなぁ、教えて下さい!」

「本当にお前と同意見だよ。はっははははは」

 隆広が言った事は、別に感嘆するような内容ではない。すでにやっているものがいるのである。織田家の当主の信長がやっていることなのであるから。琵琶湖の水上流通で信長が得た富ははかりしれない。隆広はその信長のやっていることを、そのまま言っただけである。

 北ノ庄城の城下町は、滅ぼした朝倉氏の各城下町の民家や寺院を移転させて始まった町である。まだ新領主勝家に対する拒否反応もあったかもしれない。それも城下の活気の無さの要因の一つだろう。

 後にこの北ノ庄城の城下は道路と橋の整備も行き届き、特定地域の楽市楽座も導入され、治安もよく、北陸屈指の一大商業の町とも発展するのであるが、それに到達するには後に現れる優れた若き行政官の登場を待つしかなかったのである。

 

「おそらくは柴田殿も、安土城と同じように自国の領土を発展させたいと考えているはずだ」

「はい」

「隆広」

「はい」

「我々が向かうのはあそこだ」

「え?」

 それは城下町の向こうに堂々と立つ城だった。

「北ノ庄城?」

「そうだ」

「父上、北ノ庄城に何を?」

「わしじゃない、お前だ」

「それがしが?」

 と、隆広が言ったときである。兵士が数人城下町を駆けてきた。

 

「道を開けよ―ッ!」

「道を開けよ―ッ 殿の出陣じゃあ―ッッ!」

 

「噂をすれば…どうやら一向宗門徒の鎮圧に行くようだな」

「一向宗はあまりに大きくなりすぎました。過激信者の中から『独立して一向宗の国を作ろう』と云う動きが出始め、そしてとうとう加賀の国を乗っ取ってしまった。この上、越前まで」

「越前は、朝倉の時代にも三十万の門徒に攻められている。一向宗に限らず、敵に対して一番の良策は戦わずに味方につけることなのだが、それは永遠に不可能とも思える」

 しばらくして柴田勝家率いる軍勢が北ノ庄の城下町を駆けてきた。領主の出陣である。領民たちは道の端で平伏した。隆広と長庵もまた平伏した。

 自分の前を騎馬隊が堂々と走りすぎていく。そして勝家本隊がやってきた。勝家様だと周りの領民が言っていたので、隆広は顔を上げた。勝家は隆広の視線に気づかず、そのまま通り過ぎていった。

「あれが柴田勝家様か…」

「どうだ?」

「え?」

「柴田勝家をどう見た?」

「そうですね。まさに戦場の猛将と云う印象を受けました。全身から威圧と貫禄を感じます」

「そうか」

 そして柴田勝家隊が、北ノ庄城から出ようとした時だった。

 

 ダーンッ! ダーンッッ!

 

 北ノ庄の城下町に一向宗門徒が潜み、柴田勢の陣列に鉄砲で攻撃を開始したのである!

 

 ダーンッッ! ダーンッッ!

 

「勝家を狙え―ッッ!」

「越前も我ら一向宗のものとするのじゃあ!」

 突如に襲われ、柴田勢は大混乱である。鉄砲を撃つ者は、北ノ庄の領民たちもいた。門徒たちにそそのかされ、敵である門徒を城下町にいれ、そして領主にキバを剥いたのである。

 領内の村で一向一揆が発生したならば、勝家は出陣するしかない。それを狙われたのである。勝家が率いていた軍勢は八千ほどであるが、その伸びた隊列の横腹を衝かれた形となった。このように、一向一揆はどこで起きるか分からない。昨日まで善良だった民が、宗教と云う魔物に魅せられ、そして牙を剥いてくるのである。突如に門徒の襲撃が城下町で発生して大混乱となった。逃げ惑う領民たち。長庵と隆広も身を守っていた。

 しかし、さきほど長庵に鞠を返してもらった女童が人込みに押されて倒れた。幼い体に容赦なく逃げ惑う人々の足が踏みつけられる。

「痛い、痛いよ!」

 と泣き叫ぶ声に長庵は気付いて急ぎ駆け寄り、抱き上げた。

「もう大丈夫だぞ」

「おじちゃん…」

「おう、可愛そうに、こんなめんこい顔が傷だらけだ」

 長庵は手拭で女童の顔を拭った、その時だった。

 

 ダーンッッ!

 

「ぐあッッ!」

「父上!」

「おじちゃん!」

「ぐうう…」

「ち、父上――ッッ!」

「な、流れ弾に当たったか! ワシとしたことが!」

 弾丸は左胸を貫通し、血を噴出させている。

 

「父上! 父上!」

「よ、よいか隆広」

「しゃべってはなりません!」

「いいから聞け! 良いか。この書状を柴田勝家殿に渡すのじゃ」

「柴田様に?」

「そして、もう一つ。いつでもいい、美濃の藤林山に木こりとして暮らす銅蔵と云う男に会い、わしの死を伝えよ。分かったな」

「藤林山の銅蔵殿ですね! 分かりました!」

「隆広…」

「はい…ッ!」

「わしは若くして妻を失い…後添えももらわなかったので子もおらなかったが…お前と云う素晴らしい息子を委ねられて本当に幸せじゃった。辛い修行ばかり課すわしを憎んだ事もあったろう…許せ…」

「憎んだ事などありませぬ! 父上!」

「さらばだ…我が誇り…水沢隆広…む…すこ…よ」

 長庵こと、元美濃斉藤家の名将、水沢隆家は静かに目を閉じた。

「父上――ッッ!」

「おじちゃん、おじちゃん!」

 隆広と女童は長庵に亡骸にすがって泣いた。そこに一人の少女が駆けてきた。

「お気の毒に…」

「…近くに寺はありますか?」

「ええ、ここから西へ行くとすぐに」

「そうですか、すいません。しばらく父の遺骸をお願いできますか?」

「え?」

「おにいちゃん、なにするの…?」

 隆広は長庵が助けた女童の頭を優しく撫でて言った。

「敵討ちさ」

 隆広は刀の鯉口を切った。

「あ、あなたまさか!」

「お頼みします!」

 隆広は疾風のごとく駆けた。

「許さんぞ! 門徒ども!」

 

 諸国を漫遊し、鍛え上げた足腰。そして剣の腕は免許皆伝に至らずとも、剣聖の上泉信綱直伝。かつ旅の途中何度か夜盗にも襲われたこともあり、隆広には人を斬った経験はあった。

 

 ズバズバズバッッ!

 

「ぐあああッッ!」

「なんだこのガキ!」

「仏敵め! 我ら一向宗門徒に歯向かう気か!」

 

「だまれ! 罪なき一僧侶の我が父をキサマらよくも殺してくれたな!」

 今まで身につけた教養すべてが吹き飛んだ。それほどに隆広は激怒していた。しかし…

 

「仏敵―ッッ!」

 と鉄砲を向けられた時であった。隆広は一足飛びで敵に迫り、刀で鉄砲を叩き飛ばした。そして斬ろうとした瞬間、我に返った。そこには隆広に怯える娘が立っていただけだったからだ。

(たとえ敵でも、親の仇ほどに憎くても女子を殺してはならぬ。女子は国の根本。愛しみ、守るのが武士の務めであるのだ)

 父の言葉が脳裏をよぎった。女に対して人一倍不器用だった父が残した言葉ゆえに重みがあった。その父もまた名もない女童を助けて、たった今逝ったばかり。隆広は刀を持ったまま、立ち尽くした。

 娘が隆広から逃げようとした次の瞬間!

 

 ドスッッ!

 

「あぐッ!」

「な…ッ!?」

「…ふん」

 背中から槍で一突きされ、そして娘は絶命した。

「なんてことを! もはや抵抗もせぬ娘を後ろから突き殺すとは!」

「せっかくの新陰流が泣く。甘い男だ」

「なに…?」

「そう、お前の言うとおり、女子は殺すのではなく愛でるもの。だが覚えておくのだな。一向宗門徒に対しては女子供もない。やらなければやられるのだ、ヤツラ自らその信仰を捨てない限り、たとえ戦いに敗れようと国が滅びようと、ヤツラが屈服することは絶対にありえぬのだ! だから駆逐せねばならぬ! 分かったな、新陰流の小僧!」

「小僧じゃない! オレには水沢隆広と云う父からもらった大切な名がある!」

「水沢…隆…?」

 隆広の前に現れた武将は隆広の刀さばきで、上泉信綱より習った『新陰流』と見抜くほどの武に長けた武将。そして隆広の言った『水沢姓』にも覚えがあるようだった。

「そうか、オレは可児才蔵だ」

「あ、あなたが可児才蔵様?」

「『様』なんてガラじゃない。それよりキサマ、いや水沢であったな。何があって一向宗門徒に斬り込んだかは知らぬが、旅の剣客が首を突っ込む事ではない。邪魔だ」

「そうはいきません、父はヤツラに殺されたのだから」

「なに…?」

「父はこいつらの鉄砲の流れ弾で!」

「…そうか、惜しいお方を…」

「…え?」

「…なんでもない。そんなことよりお前、その父上の亡骸を置いて戦っているのか? それこそ子として不孝。誰が鉄砲を撃ったのかも分からない状況で、やみくもに門徒を斬って報復するのは愚の骨頂である。そんなことより弔いのほうが先決であろう」

 才蔵の言葉に少し頭も冷えてきた隆広。刀をサヤに納めた。

「分かりました、ご武運を」

 

 隆広は自分の目の前で殺された娘を抱きかかえて、その場を去った。共に弔うつもりなのだろう。

「何にも分かっておらぬではないか」

 才蔵は苦笑し、再び一向宗門徒たちに槍をもって突撃していく。数刻後に一向宗門徒は北ノ庄より敗走していった。こんな小競り合いを何度続けなければならないのか、才蔵は戦いに勝っても、胸中には虚しさがよぎった。

 

 さきほどに父の遺骸を預けた娘は、隆広を待たずに町の者と協力して長庵の遺骸を寺に運んで行った。

「ありがとうございます。見ず知らずの方にここまでしていただけるとは、お礼の言葉もありません」

「よいのです。困ったときはお互い様ですもの、で、その娘は?」

「門徒でしたが…ゆえあって私の目の前で突き殺されました。野ざらしも哀れと思い…」

「そうですか…あなたはお優しい方なのですね」

 少女は娘の衣服を整え、手を合わせた。隆広も合掌した。少女は片目を開けて隆広をチラと見る。美男の顔立ちであるが、それ以上に隆広の面構えに少女の胸が少しときめいた。

 幼い頃から名将と呼ばれた父の薫陶を叩き込まれ、三年に及ぶ諸国の旅に武道の修行。隆広の顔は美男と言っても年齢以上に雰囲気と貫禄を持った面構えをしていたのだった。

(何と立派な顔立ち…)

 

 長庵に助けられた女童と、その母親が隆広に歩み寄り、隆広に平伏した。

「事情は娘から聞きました。何とお詫びすれば良いのか…」

「いえ、それには及びません。お顔をあげて下さい」

「お武家さま…」

「父は女子を大切にする人でした。ご息女を助けたことを後悔しているはずがございません」

「おにいちゃん…」

「まだ踏まれた傷が残っているね。じっくり治すんだよ」

「うん…」

 

 寺の僧侶の読経を隆広と女童とその母親は合掌しながら静かに聴いた。

「父上、今までお育てして下さり、ありがとうございます。ご恩は一生忘れません」

 亡父を弔う隆広の背を、少女は飽きることなく見つめていた。読経が終わり、僧侶がお堂から出てきた。

「この寺にて、責任をもって埋葬させていただきます」

「ありがとうございます」

「親の死は、何より辛いもの。だがその悲しみを引きずるのは親の本意にあらず。前を向いていきなされ」

「お言葉、ありがたく頂戴します」

 隆広は父の位牌だけ僧侶から受け取った。少女はまだそこにいた。

「立派なお父様だったのですね」

「え?」

「あなたを見れば分かります」

「ありがとう、父も貴方の言葉を聞いて喜んでおります。あ、失礼しました。それがしの名前は水沢隆広と申します。後ほどお礼に伺いたいので、よければお名前を」

「いえお礼なんて」

「いや、そういうわけには」

「私の名前は、さえ。さえと申します。ではこれで!」

「あ、さえ殿!」

 さえは隆広の前から走り去った。

「さえ殿か、いい名前だ。美しいし、何より心が優しい。男と生まれたからには彼女のような女子を妻にしたいものだ…」



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柴田勝家

勝家と隆広、初対面です。


 隆広は、その日北ノ庄城下町から出て、川原の辺の林で野宿した。宿代はあったが城下は門徒の襲撃で混乱していたため客を泊めるゆとりがほとんどの宿に無かったためである。だが隆広には野宿は手馴れたものだった。火を焚いて晩飯の魚の焼け具合を見ている。

 それにしても今日は色々な事があった。初めての北ノ庄、門徒の襲撃、父の死、そして美しい少女。少女の顔を思い浮かべながらも、父を殺した門徒の襲撃に対して顔をしかめる隆広。巻き添えをくい、犠牲になった民もいるだろう。越前一向一揆を殲滅させた織田家の大将が柴田勝家であるがゆえに、門徒が勝家に持つ怨嗟は大きい。

 

 隆広は刀を抱きながら炎を見つめていた。

「城下が突然門徒に襲われるのでは、当主の勝家様は門徒の討伐に頭を悩ませているだろうな。可児様が女子に対してもあれだけ冷酷になるのも今にして思えば理解も出来る…」

 焼けた魚を取り、クチに入れる隆広。

「アツツ…」

 何か問題点を見たら、自分ならどうするか考えよ。父にそう叩き込まれた隆広は北ノ庄を門徒の手から守る手段を考えた。

「もはや越前の内外に数万もいる門徒を殲滅するのは不可能に近い。それに今回北ノ庄が襲われたのも付け入る隙があったからだろう…。ならば国を富ませ軍備を整えて隙をなくせばいい。殲滅はせずとも攻めては来ない。しかしそれには膨大な金がいる。不可能なことを言っても始まらないよな…」

 後に自分がそれを実現させるとは想像もしていなかった隆広だった。晩御飯を終えると、ふと隆広は父から渡された書状を手に取った。少し血痕が残っていた。どんな内容なのか、隆広は知りたかった。だが隆広は読まなかった。何か読んではいけない。そんな感じがしたからである。

「父上…」

 明日、城に行こうと決めて隆広は眠りについた。昼間に会った美少女の顔を思い浮かべながら。

「さえ殿…」

 

 翌日、隆広は北ノ庄城に向かった。領主に会うのである。浪人の自分が会ってもらえるかも分からない。だが父の言葉どおり預かった書状を渡さなければならない。人頼みではなく、自分自身の手で。

「あの、すみません」

「ん? なんだ?」

 隆広は城門の番人に話しかけた。

「ご領主の柴田勝家様にお会いしたいのですが」

「あん? 何を言っている。殿様にお前のような小僧がお会いできると思っているのか?」

 思ったとおりの答えが返ってきた。しかし、そう簡単に引くわけにもいかない。

「お願いします。武器ならお預けいたしますし、書状をお渡しするだけですから」

「書状? なんだお前、どこかの家中の使いか?」

「いえ…浪人ですが」

 浪人と云う肩書きのものが、人々から小馬鹿にされるようになるのは、これより後の世のことであり、室町時代末期の信長の権勢期においては在野の名士としての肩書きともされていた。だから浪人と云う意味で隆広が卑しまれる事はなかったが、あまりに若すぎた。彼はまだ十五歳になったばかりである。

「しつこいヤツだな! お前のような小僧に殿は会わぬ、帰れ!」

「そう言わずにお願いします」

「ええい! いいかげんにしないと…」

 

「何を騒いでいる」

 城門に一人の武将が通りかかった。

「こ、これは前田様!」

「何を騒いでいるかと聞いておる」

(この人が前田利家様…)

 隆広は前田利家をジッと見つめていた。

「…わしの顔に何かついているか?」

「い、いえ!」

 門番は利家の質問に答えた。

「この小僧が殿に会いたいと」

「勝家様に?」

「は、はい! 父の書状を預かっていまして」

「父? そなたの父の名は?」

「正徳寺の長庵和尚です」

「な、なんだと!」

「な、なにか?」

「ちょ、長庵殿? 確かにそう言ったな! そなたの名は!?」

「は、はい。水沢隆広と申します」

 利家は隆広の顔をジッと見つめた。

「よし、ならばついてくるといい。勝家様に合わせてやろう」

「ほ、本当ですか! ありがとうございます!」

 利家と自分を邪険にした門番にも律儀に頭を下げる隆広。彼は前田利家に連れられ、北ノ庄の城内に入っていった。

 

 城内の奥で、妻の市と娘三人と食事をしていた柴田勝家の元に使いが走った。

「申し上げます」

「うむ」

「前田利家様が面会を求めておいでです」

「又佐(利家)が?」

「ハッ」

「朝食を取り終えるまで待てと伝えよ」

「かしこまいりました」

「よろしいのですか?」

 市が心配そうに夫に尋ねた。

「かまわん、この楽しいひと時を邪魔されてはかなわぬ、あ、お江与、かわいいホッペにお弁当がついているぞ」

 娘の頬についた飯粒をとり、口に運ぶ勝家。

「まあ、殿ったら」

 鬼柴田と呼ばれる柴田勝家ではあるが、妻や娘たちに対しては本当に優しい夫、そして父親であった。

 かつて市は近江の浅井長政に嫁ぎ、一男三女に恵まれた。だが、その長政とただ一人の男子は兄の信長に殺された。その後に市は娘三人を連れて、柴田勝家の妻となった。(史実では勝家にお市が嫁ぐのは本能寺の変後、本作では小谷落城後とする)

 三人の娘は、茶々、お初、お江与と云い、世に『浅井三姉妹』と呼ばれ、後に水沢隆広と共に歴史の表舞台に立つこととなる。だがまだ姉妹は幼い。長女の茶々は十三歳になったばかりだが、花もはじらう美しさでもあった。

 だが本日の朝食に茶々はあまり箸が進んでいなかった。

「どうしたの茶々、口にあわないの?」

「え? いえそんな」

 市の言葉をはぐらかす茶々。

「ちがうの母上! 姉上ったら昨日城下で見た…」

「お初!」

 妹の口を押さえる茶々。代わりに三女の江与が答えた。

「城下にすっごい美男子の若侍がいて、それにポーとしちゃって!」

「なぬ? それは本当か?」

 勝家は大口を開けて笑った。

「そうかそうか! 茶々もそんな年頃になったか! あっははははッ!」

「ち、違います! ああもう! クチの軽い妹二人を持った茶々は不幸だわ!」

 顔を真っ赤して拗ねる娘を、市はクスクスと笑って見つめていた。

 

 朝食も済み、勝家は利家の待つ居間へと歩いていった。ドスドスと云う足音が聞こえてきたので、利家は平伏した。隆広も利家と同じく平伏する。利家が小声で言った。

「勝家様は鬼柴田、閻魔と言われるほどに恐ろしいお方だ。粗相のないようにな」

「あ、はい!」

「待たせたな、又佐」

「ハッ」

「ん? なんだ、その若いのは?」

「み、み、み、水沢隆広と申します!」

「水沢…ッ!?」

 上座に座ることも忘れ、柴田勝家は平伏する水沢隆広を見た。利家が

「この者、あの長庵殿の養子。つまり水沢隆家殿の養子と相成ります」

 と言った。父が斉藤家の武将だったことは聞いていた。しかし織田の武将たちにそれほどに名が知られているとまでは思わなかった。

「顔を見せよ! よう見せよ!」

 平伏する隆広を起こして、勝家は隆広の顔をマジマジと見た。

「うむ、顔は似ておらぬが目は父上のごとき意思を宿した目をしておる。中々いい面構えじゃ!」

 隆広の両肩をチカラ強く握る勝家。浪人の隆広にとって柴田勝家は雲の上の存在。それが自分を褒めてくれた。隆広は素直に嬉しかった。

「あ、ありがとうございます!」

 コホンと咳払いして、勝家は上座に座った。

「で、隆家殿はお達者か?」

「いえ…亡くなりました」

「なに!」

 利家も同じく驚いた。

「いつだ?」

「昨日にございます。一向宗門徒の撃った流れ弾に不幸にも…」

「なんということだ…!」

 勝家の目から涙が浮かんでいた。

「お殿様…?」

「そなたの父は偉大だった。ワシにとり、いや織田家の弓矢の師と言ってもいい。強敵だった。隆家殿に勝つために我らは研鑽に励んだものだ。大殿も悲しまれよう…」

 隆家は養子隆広に自分の武功は話さなかった。だから隆広には斉藤家においての養父の働きをほとんど知らないのである。幼少のおり養父の領国内で過ごした自分。しかし甲冑姿などは記憶にない。いつも普段着で養父は幼い自分と遊んでくれた。養父が戦国武将であったと知ったのは寺の坊主になったあたり。でもその活躍のほどは知らなかった。聞かせてくれなかった。織田家最大軍団長である柴田勝家をして、こうまで言わせる養父の偉大さに改めて胸を熱くした。隣に座る前田利家も隆家の死を悲しんでいた。

 自分の目にも浮かんでいた涙を拭い、隆広は懐にしまっていたものを出した。

「それで父がこれをお殿様に」

 父の隆家から渡された書状を出した。利家がそれを会釈しながら受け取り、勝家に渡した。勝家もまた、隆家の書状に深々と頭を下げ、丁重に開いた。

「……」

 勝家はジッと隆広の父、隆家の書状を読んだ。隆広には少し重い雰囲気で思わず呼吸することも忘れてしまいそうである。

「水沢隆広と申したな、そなた美濃から来たと云うのは相違ないな?」

 やっと勝家が口を開いた。

「は、はい!」

「委細承知した。今日よりワシに仕えよ。足軽組頭として登用する」

「え、ええ!?」

 隆広もだが、利家もあぜんとした。まだ十五歳そこそこの少年を足軽組頭から登用するなど異例中の異例である。足軽組頭は織田家中で上限一千の軍勢を率いることが許される将のことなのである。

「足軽組頭では不服か?」

「と、と、とんでもございません! お仕えさせていただきます!」

「うむ、さっそくそなたの家も城下に用意する。後ほどに案内を寄こすから行くがいい」

「は、はい!」

 何が何やら分からないまま、隆広は柴田勝家に仕えることになった。不思議と拒否は出来なかった。勝家の威厳もあるのだろうが、隆広にとって養父の隆家と同じ空気を勝家に感じたからである。

 こうして、後に稀代の名将と呼ばれる水沢隆広は戦国の世に躍り出たのであった。

 

「驚いたな、いきなり召抱えられるなんて」

 城をあとにすると、前田利家が言った。

「ええ、それがしも驚きました」

「それにしても不思議な縁だ。勝家様はお前の父の隆家殿にさんざん痛い目にあったのだぞ。何せとうとう一度も勝てなかったのだから」

「そ、そうなんですか?」

「ああ、現当主の信長様の先代、信秀様の時代から我らは斉藤家と戦ってきたが、斉藤の武将でもっとも恐ろしいのが隆家殿だった。とにかくその用兵ぶりは達人と言っても過言ではない。戦国武将とは奇な生き物よな。狭量な味方武将より、強大な敵将を愛する気質がある。おそらく勝家様は…隆家殿と戦うことを幸せに感じていたのかもしれない。オレもそうだ。あの方は強いが卑怯な手段は一度として使わなかった…。素晴らしい武将だった。そして養子とはいえ、その名跡を継ぐ隆広が柴田家に仕えるのだから、本当に奇縁だ」

「そうだったのですか…」

「何だ? 隆家殿から聞いていなかったのか?」

「はい、父は寡黙な人でした。昔のことはほとんど聞かせてはくれませんでした」

「なるほどな、あの方らしい」

 敵将たちに恐れられ、そして尊敬もされていた父の隆家。改めて養父を誇りに感じる隆広だった。

「とにかく、これからは同じ釜のメシを食う仲間だ。よろしくな。お父上の名を汚してはならぬぞ」

「はい!」

「お、あの家ではないのか? さっきの案内人が言っていた家というのは」

「そのようですね、あんな立派な家を。これは励まないと!」

「ははは、そうだな。炊煙も上がっているから使用人はもう到着しているようだ。使用人とはいえ柴田の大事な人材だ。おろそかにするなよ」

「はい!」

「じゃあな、明日の評定で会おう。柴田陣営はクセのある連中ばかりだ。飲まれるなよ。オレもお前と意見が違うときは容赦しないからな!」

 利家は隆広の肩をポンと叩いて去っていった。

 

「それにしてもいきなり柴田家の足軽組頭か、しかも居宅には使用人までいる。昨日までただの浪人だったオレなのに。世の中何が起こるか分からないものだな…」

 隆広は勝家が用意してくれた屋敷に入っていった。

「ん? 部屋の中が暖かい。そしてこれは焼き魚の…」

 隆広が入ってきたのを見た使用人が玄関先に来て隆広を迎えた。使用人と言っても一人だけであったが。玄関先でその使用人は三つ指をたてて座り、新たな主人に平伏した。

「お待ちしておりました、今日よりこの家でご奉公いたします…」

「あああッ!」

「えッ!?」

「さ、さえ殿!?」

「み、水沢様?」

 新居に来てみれば、与えられた使用人は昨日に隆広と会ったばかりの少女さえだった。恋心を抱いた娘と、いきなり主従関係となってしまった。隆広がポツリともらしたように、世の中は何が起こるか分からないものであった。



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隆広、初主命

「はい、どうぞ」

「ああ、どうも」

 さえは麦飯を丼に盛って隆広に渡した。

「でも良かった」

「なにがです?」

「お仕えする方が隆広様で。乱暴で粗野な方だったらどうしようかなと内心不安だったのです」

「そ、そうですか。アハハハ…」

 恋心を抱いた娘と、いきなり一つ屋根の下で暮らすこととなってしまった。胸が高鳴り、せっかくさえが作った手料理の味が半分も分からない。

「さえ殿は柴田家ゆかりの方だったのですね」

「いいえ、私は朝倉家にゆかりの娘です」

「朝倉家の?」

「主家が滅んで、途方に暮れていたところを勝家様に拾ってもらったのです。今までは奥方様の侍女を務めておりました」

「そうだったのですか…」

「勝家様は素晴らしいお殿様です。聞くと見るとでは大違いでした。鬼や閻魔などと称される方でしたから、私を拾ったのも下心あってと邪推してしまったのですが、とんでもありませんでした。本当にお城で奉公させるためだけで、おかけ下さる言葉も優しさに溢れておいでです。そして奥方のお市様はお美しいだけでなく、身寄りをなくした私を妹のように可愛がって下さいます。柴田家に仕えることができて、私は本当に嬉しいのです」

 楽しそうに物事を話す子だなと隆広は思った。無邪気に笑う顔は本当にかわいらしく、隆広はメシをクチに入れたままポーとしてしまった。

「な、なにか?」

「いえいえいえ! なんでも!」

「では食事をしながら聞いてください。足軽組頭となられた隆広様には月に一度給金が出ます。一月五貫です」

「ご、五貫もですか!?」

「はい、殿様はその給金の管理と、食事に伴う健康管理をさえに命じました。そして手柄を立てられ、殿様から褒美金や品々が出たときも、さえが責任をもって管理いたします。この家の営みはさえにお任せ下さい。お金が必要なときはさえに言ってくだされればお渡ししますが、その理由がさえの納得できないものであるのなら、お渡しできません。そう殿様より命じられております」

「ありがたい、それがしはそれだけ仕事に集中できると云うことですね。私は新参の上に下っ端です。これから色々と苦労をかけるでしょうが、頼みます」

 さえはニコリと笑って頷いた。言ってみればほとんど自由に使える金がないと云うことにもなる。後の考えからすれば窮屈な暮らしと言えるが、勝家には隆広が人一倍金銭に気を使う部下になってもらう必要があったのである。自分の給金だからと言って、博打や女遊びに使うようでは困るのである。隆広の養父、隆家が勝家に当てた手紙にこう書いてあった。

『文武両道に育てましたが、おそらくは内政の方にその才はあると思います。唐土の管仲には及びませんが、それがしの経験と知識をすべて叩き込みました』

 勝家も隆広を一目見てそう感じた。それに隆広の養父の水沢隆家は戦場の猛将であると同時に内政家としても凄腕だった。

 内政家は柴田家中に少ない。『優秀な』というカンムリを乗せるのであれば存在しないと言っていい。ノドから手が出るほどに欲しいと思っていた内政家がきた。成果を見ていき、納得の行くものであるのなら、勝家は隆広に領内の内政を任せるつもりでいる。

 しかし、それは家中の金銀を縦横に使う特権を得る事にもなる。自分の金であろうと好き勝手に使う者に任せるわけにはいかないのである。

「ありがとう、さえ殿。とても美味しかった」

「あの…」

「はい?」

「さえと…呼んで下さい」

「え?」

「あ! すいません、変な事言って!」

 さえは顔を真っ赤にして膳を持って下がった。

 

 翌朝、隆広は北ノ庄城に初出仕した。そして評定の間に着いた。無論、末席に座った。

「緊張するなあ…」

「おい」

「え?」

「お前か? 昨日に仕官してきて足軽組頭に任じられた小僧というのは?」

「はい、そうですが」

「ふん、顔だけは一流だな」

「くっ…」

(なんだ、この人は! 人を見るなり!)

「男色家がいかにも好みそうなツラだが義父上にそれで取り入ろうとしてもムダだぞ」

「…そんなつもりはございません」

「だが大殿には運が良ければ伽を命じられるかもな。そっちの方に励んだらどうだ? あっはははは!」

 拳を握り愚劣な罵倒に耐える隆広。その男は侮蔑を込めた鼻息を出し、自分の席に着いた。

「ほほう、こいつか? 水沢の名を継ぐガキってのは」

 威風堂々の武人が隆広を小馬鹿にして言った。

「ガキではありません。もう元服は済ませて…」

「ガキだよ。いくさ場を経験していねえヤツはそう言うんだ。せいぜい養父の七光りが通じるうちにキバるこったな。ハッハハハハハハッ!」

 また拳を握り、隆広は耐えた。自分は新参者で、まだ十五を過ぎたばかりの子供。まだ何の武勲も手柄も立てていない。言い返したところで何の意味もない。

(落ち着け、ここに来る前にも予想していただろう! 古株に罵倒されるくらい耐えろ!)

 隆広の向かいに座り、腕を組んでいる武人がいる。先日に会った可児才蔵である。以前会ったと云うだけで、よう、とか言ってくるほどに才蔵は気安い男ではない。おそらくは、なんだ、当家に仕えるのか、くらいしか考えていない。

「おいおい、なんだ。こんなひ弱そうな坊やがどうしてここにいる? 母上のお乳を吸いに帰ったらどうだ? アッハハハハ!」

 最後に自分を罵倒したものは知っていた。先日の門徒との戦いで名乗りをあげて暴れていた武将である。

 隆広は同年代の少年に比べれば貫禄はある方で面構えも堂に入ったものであるが、戦慣れしている柴田家の幹部から見ればひ弱な坊やに過ぎない。隆広は見たこともない母を侮辱され憤慨したが、これも耐えた。

(佐々成政だったな、忘れないぞその言葉! 今に見ていろ!)

「よく耐えたな」

「前田様…」

「逆らって波風立てるのを恐れて黙っていたのではない事くらい、眼を見れば分かる。たった今思った『今に見ていろ』を忘れるなよ、隆広」

 なんで分かったのだろう、と隆広は思った。そして利家の言葉が隆広は嬉しかった。

「はい、忘れません」

「そうだ、それを忘れない限り、後に『今に見ていろ』が成った時も、自分を感奮興起させてくれた者たちにも親しみを覚えるはずだ。感奮するのはいい。だが根にもつなよ」

「はい!」

 向かいにいる可児才蔵は耳がいい。他にはボソボソと話しているとしか聞こえない会話も彼には明確に聞こえた。

(利家様もずいぶんと買っているものだな、あの小僧を)

 だが、才蔵も隆広に対して見所があると思った点があった。先日に隆広に一喝したとき、隆広は何ら怯えず、それどころか堂々と眼を逸らさずに名乗った。今まで自分の一喝に尻込みするものばかり見てきたせいか、その向こう気の強さに生意気と思うと同時に感心もしたのである。

 

 同じ席に不破光治と云う武将がいる。信長から勝家の寄騎にと命じられ、府中の龍門寺城の城主でもある。

 彼は隆広の養父の水沢隆家と同じく、元斎藤家臣だったが主家を離れて織田についた。しかし目の前にいる少年の養父は最後まで斉藤家を見捨てなかった。生き方の違いといえばそれまでだが、光治は少しの負い目を感じる。せめて養子の隆広に対しては陰日向とかばっていこうと思っていた。

 前田利家、佐々成政、不破光治は『府中三人衆』と呼ばれているが、合戦において柴田勝家の寄騎として働いている。目付けの役も担っていた様で、それなりに柴田家中でも職責も重かった。三人衆のうち二人が隆広に好意的なのは幸運と言えるだろう。

 隆広が仕官した翌日は、奇遇にも柴田家の週に一度必ず出席が命じられている定例評定である。勝家の治める越前に城を持つ他の将も招集される。府中三人衆の前田、不破、佐々の三将、そして丸岡城を預かる柴田勝豊もやってくる。週に一度の大事な評定である。無論、火急の場合に突然評定が開かれる場合もあるが、隆広が初めて出席した評定は、その定例会議である。

 

「殿のおな―り―」

 大広間上座の襖が開き、勝家が入ってきた。

「みな、揃っているな」

「「ハハーッ!」」

「軍議を始める前に、皆に言い渡すことがある、水沢隆広!」

「ハッ」

「前に出よ」

「ハハッ!」

 静々と隆広は腰を低くしながら、主君勝家の前に歩んだ。

「みなも聞け、本日よりこの者を評定衆に加える。織田家中は新参と古株、そして若いも年寄りも関係ない。能力がすべてだ。みなもそう心得よ。そして、ゆくゆくはこの者をワシの養子とするつもりだ」

「……!?」

 一番驚いたのは隆広本人である。そんな話は聞かされていない。前田利家も可児才蔵もあっけにとられた。

 何より、柴田勝豊はさらに不快を感じる。すでに自分と云う養子がいるのに、どうして新たに迎え入れる必要があるのか。勝豊は勝家の姉の子である。その縁で養子になったのだが、おそらくは後年の勝家との不和も、この『隆広を養子にする』が発端となっているのかもしれない。

「伯父上、なにゆえそんな子供を? その者にそれほどの能力があるとは思えませんが」

『養父の七光りが通じるうちに』と嫌味を言った男だった。

「だったら試してみよ盛政。言っておくがわしは気が短い。この場で済ませられる試し方をせよ」

「承知仕った。では隆広とやら」

「はい」

(この人が佐久間盛政か…なるほどすごい貫禄だ)

「北ノ庄城の現在の軍事力を数字で言ってみせよ」

「はい、およそ兵数二万、軍馬千五百、鉄砲八百です」

「…!!」

 何と隆広は即答したのである。これは勝家も驚いた。

「どこでそれを計上した? 適当に言っているのではあるまいな!」

「実は…」

「実は?」

「はったりです」

「なにぃ?」

「答えが分からない時でも自信ありげに即答すれば通じる時がある。そう養父に教えられました」

 しかし隆広の答えた数字は正解に近いものだった。隆広は先日の門徒討伐の兵数と装備、そして城の規模に適した残存兵力を足した数字を即答したのだ。まるっきり根拠がなくて言ったわけではなかったのだ。勝家は『良いことを教えられているものだ』と静かに微笑んでいた。

「…なるほど、まんまと食わされた。しかし数字は正解の範疇と言えよう。ではもう一つある。先日の門徒の攻撃で北ノ庄東側の城壁が著しく破損している。一刻も早く、かつ安価に補修しなければならない。お前ならばどうする?」

「割普請を実行します。足場作りから石積みに至るまで作業箇所を十箇所に分けて、職人を十班に割り、賞金をかけて競わせます」

「おいおい! それはサル秀吉がやったヤツと同じだろうが!」

「確かに羽柴様が清洲城の補修でやった事と同じです。ですが、これ以上の有効な手段はありません。優れた事を真似するのは何の恥でもありません」

「顔だけでなく、口も達者なようだな」

『顔だけは一流』と嫌味を言った男だった。

「『答えが分からない時でも自信ありげに即答すれば通じる時がある』良いことを聞かせてくれたことに敬意を払い名乗ってやる。オレは丸岡城主の柴田勝豊、オレはクチが達者な男は信じない」

「お言葉を返すようですが、それがしはまだ未熟なるも論が立つのは恥ずべきことではないと思います。唐土の張儀は弁舌をもって楚、斉、趙、燕の各国を自国の秦に従わせることに…」

「だまれ! ああ腹が立つ! オレはお前のように小僧のくせして知ったかぶりして物事をしゃべる男が大嫌いなのだ!」

 勝家はあえて助け舟を出さなかった。隆広がどう動くか見たかった。そして隆広も単なる感情論で言われては仕方がない。相手は聞く耳を持たないからである。例えに出した唐土の張儀なれば、何か手段も考え付くのだろうが、やはり隆広にはまだそこまで及ばない。

「やってみせるしかありませんね…」

 挑発に乗ったと言わぬばかりに勝豊は手を打って喜んだ。

「そうだな、口では何とでも言える、やってみろ!」

 勝豊の方に向いていた隆広は勝家に向きなおした。

「勝家さ…じゃなかった、殿。それがしの初主命はそれでよろしいですか?」

「かまわんぞ、で、いくら金がいる? 三千貫でよいか?」

「いえ、その半額の千五百貫で何とかやってみます」

「せ、千五百貫!? バカを申せ! それでは足場を組み、石を揃えて終わりではないか!」

「ですから半額の金子を浮かせる代わりに、殿に一つだけお頼みがございます」

「なんだ?」

「明日の夜中、それがしが眠っている殿を起こすことを許して下さいませ。そしてしばし夜の散歩をそれがしとしてほしいのです」

「な、なに?」

 評定の間にいた者は、隆広が勝家に要望することの意味が分からなかった。

「別にそれぐらいならかまわんが」

「ありがとうございます。では明日の深夜に寝所に伺いますので。ここはこれにて」

 隆広は評定の間にいた勘定方に、千五百貫を自分の屋敷に運んでおくように伝え出て行った。

「何をするつもりだ? あいつは…?」

 隆広の意図、それは誰にも分からなかった。無論、勝家にも。

 

「隆広」

「不破様」

 城を出て行った隆広を不破光治が追いかけてきた。

「どういうつもりだ、あの城壁を千五百貫で修復するとは」

「確かに…『じゃあ見ていろ』と云う気持ちで受けたのも否めませんが、それがしにはそれなりの目算がありますので大丈夫です」

「…そうか、もし他に金や人手がいるのなら、ワシから出してもいいぞ」

 なんでこんなに親切にしてくれるのか、と云う目で自分を見る隆広。その疑問に光治は答えた。

「そなたの養父とワシは共に斉藤道三公に仕えた仲だ。養子のお前が困っているのなら手助けしたいと思うのが当然だろう」

「…ありがとうございます。しかし、佐久間様や勝豊様、佐々様に認めてもらうにはそれがし一人ですべての段取りをしなくてはいけない気がします。お気持ちだけありがたくちょうだいします」

「ふ…この意地っ張りが。よしやってみろ!」

「はい!」

 隆広は城門に向かって走っていった。

「ふふ…血は繋がらなくとも、言う事はよう似ているわ。いい若武者を育てたな、隆家殿」

 

 隆広は補修する城壁に向かった。まだ全くの手つかずの状態。まず人足から集める必要があった。補修箇所の広さと高さを調べていると、さえが来た。

「隆広様―ッ!」

「あ、さえ殿」

「今、お城から使者が来られて、当家に千五百貫を置いていきました。何があったのです?」

「実は…」

 評定の間での事を簡単にさえに話した。

「ひどい!」

「ああ、ひどい有様でしょう。この城壁」

「そっちではありません! 佐久間様と、勝豊様のことです! きっと出来なければ笑ってやるぞと考えているのです!」

「仕方ありません、新参ですからこんなこともありましょう。ところで、さえ殿にも手伝ってもらいたいことが」

「なんです?」

「五十貫使って酒と料理をできるだけ揃え、ここに持ってきて下さい」

「五十貫もですか?」

「はい、それだけの買い物をすれば市場の者も運ぶのを手伝ってくれるはずです。考えがあってのこと、五十貫を酒と料理で使い切ります。お金だけ見せても人は集まりません。まずは私に協力してもいいと思っていただくところから始めます。だから思い切って買い物をしてきてください。それで職人をもてなします」

「わかりました!」

 

 隆広は城下町の職人長屋に出かけた。隆広にまだ兵はいない。雇うしかないのである。職人たちの長、辰五郎を訪ねた。

「帰りな! お前みたいな小僧に使われてたまるか!」

「そうだそうだ!」

「オレっちのガキよりも、さらにガキのお前に使われるなんてゴメンだね!」

 怒涛のごとく憎まれ口が飛んでくる。しかし隆広は顔色を変えない。

「まあ、そうでありましょうね。しかし困りました。あそこが壊れているとこの城は危ないのですよ」

 そういいながら、隆広は酒場で買ってきた『旨酒』の酒瓶をチラチラと見せていた。辰五郎が酒好きとは調査済みである。こういう職人気質の者は『金は出すから』といっても逆に意固地になるものである。もう辰五郎の目は隆広の手にある旨酒に釘付けである。

 隆広は辰五郎の家の戸は閉めず、あえて自分の後ろに酒樽の一斗樽を二つ荷台に乗せているのも見せ付けた。辰五郎の手下たちも最初は隆広の要望を歯牙にもかけずに憎まれ口を叩いていたが、だんだん静かになった。隆広が持つ旨酒の樽が気になって仕方なかった。最近は城下町も景気が悪く、職人たちも旨い酒から遠ざかっている。それも調査済みである。

「そ、そんなこと知るかよ。だいたいここの殿様はな! 何かといえば工賃を値切ろうとするせこーいヤツなんだよ! そう毎回…」

 酒瓶のフタをポンと開けた。

「そうですか~。せっかく工事前の景気付けと思い辰五郎殿に買ってきたのに無駄になってしまいました。それがしは酒飲めないから捨てることにします」

「なあ!?」

 

 ポタポタ…

 

「だあああああ――ッッ! なんてもったいないことするんだお前!」

「それがしは酒飲めないのです。でもこの酒の入っている瓶は趣きがあって素晴らしいものです。だから空にして持って帰ります」

「わ、わかったよ! オレたちの負けだ! やればいいんだろやれば!」

「そうですかあ! いや~さすが越前の職人です! 現場に来て下さい。敦賀湾で捕れた海の幸がありますよ!」

 補修現場に行くと、城下町の市場からさえが買ってきた魚と酒が所狭しと置いておった。ここ数ヶ月、まとめて品物を買っていくものは少なかったので、市場に働くものたちはさえの指定する場所に品物を運んでくれたのである。

「職人のみなさん! お待ちしていました。たんと食べて飲んで下さい!」

 さえが言うと、職人たちはそれぞれの料理と酒の前に走った。

「やったあ―ッッ!」

「久しぶりの酒とご馳走だぜ~ッ!」

 この場に品物を運んできた市場の者たちも、楽しそうな宴会が始まりそうなのをうらやましそうに見ていた。

「何をしているのです。貴方たちが運んできたものです。遠慮なく宴に入って下さい」

「い、いいんですか?」

「ええ、見たところ職人たちにも食べ切れそうになくば、飲みきれそうにありません。しかし…それがしが見込んでいた以上に食べ物も酒も多いですが、本当にあれが五十貫で足りたのですか?」

 市場の者を代表して、源吾郎と云う者が答えた。

「はい、あれで五十貫と相成っています。助かりました。最近は不景気でまとめて買って行く方も少ないので」

「つまり単価を下げるしかないと?」

「おおせの通りです」

「うむ…いい状況じゃありませんね。やはり出店に伴う関税が問題なのですか?」

「はい、ご領主が一向宗門徒との戦いで軍備がかさむと云う事情は分かっておりますが、やはりその負担は軽視できませぬ」

「いや、良いことを教えてくれました。やはり民からの搾取のみで資金や兵糧を調達する時代はそろそろ終わりにしないとダメだ。このままでは敦賀港が領地内にあっても宝の持ち腐れになってしまう…」

「失礼ですが、あまりお見受けしないお武家様。よければご尊名を」

「柴田家足軽組頭、水沢隆広と申します」

「み、水沢…!?」

「どうしました?」

「いえ、何でも…」

「さ、そんな堅い話はもういいでしょう。市場の商人の方々も飲んで、食べてください!」

 

 その夜、柴田勝家は城の頂上から補修箇所を見ていた。市も側にいる。

「あら、あそこで宴会をしておりますね」

「隆広が、職人と商人を集めて宴会をしているらしい」

「た、隆広が…?」

「あやつ、何を考えているか分からんが…もしかするとワシなど及びもつかぬ、とんでもない大将となるかもしれぬ」



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夜明けの祝杯

 翌日、隆広が雇った職人たちは北ノ庄城東側の補修箇所にやってきた。隆広はまだ到着していなかったが、昨夜の楽しく美味しい酒の義理か、職人たちは率先して取り組みだした。

 また市場の商人で土木工事の経験のある者は、この仕事を手伝いだした。町で店を出すより、こっちに参加したほうが稼ぎになると思ったからである。当の隆広は、遠目から現場を見ていた。さえも横にいる。実は到着していたのである。

「うん、職人と商人さん合わせて、ちょうど百人と云うところだな。これなら割普請ができるぞ」

「では隆広様、参りましょうか」

「ええ、では荷台の後ろを押してください」

「はい」

 本当に隆広が叱咤せずとも、昨日に隆広と酒を酌み交わした職人や商人たちは自発的にやってきた。

 職人の長の辰五郎は面食らった事が一つあった。それは隆広の『酒が飲めない』が見事なまでの大ウソだったことだった。『飲めないから捨てる』と言われて、目の前で大好きな旨酒が捨てられるのに耐え切れず、つい引き受けてしまったこの仕事。してやられたと笑うしかなかった。

 そして隆広は職人や商人からの杯をすべて受け、最後まで酩酊状態にならず、独特の調子を取る語り口調で、この城壁を直す大切さを説いたのである。

 

『蹴散らしても蹴散らしても、雲霞のごとく現れる一向宗門徒!』

 

 タンタンッ!

 

 酒樽のフタに、扇子を叩いて調子を取る。

『隣国の加賀はすでに門徒の手にある!』

 

 タンタンッッ!

 

『次なる目的地はこの越前であるのは明らかである!』

 

 タンタンッッ!

 

(いい声していやがるな…)

 辰五郎はそう感じながら、耳を傾けていた。

 

『かつて越前は一向衆三十万に攻められた! だが! それを一万三千の寡兵で撃破した勇者がいたーッ!』

 

「「オオオオオ―ッ!」」

 巧みな弁に、その場にいた者はだんだん隆広の語りをワクワクしながら聞いていた。

 

『それが! そーれが! あの名将の中の名将! 朝倉宗滴公である!』

 

「「オオオオオオ―ッッ!」」

 

『一乗谷のお城は稀代の堅城! ゆえに! 宗滴公の神算鬼謀の用兵と相まって門徒を退けることができた! しかるに! 今この城の現状はどうか!三十万が来襲したらひとたまりもないではないか!』

 

「「そうだそうだ!」」

「「いいぞーあんちゃん!」」

 

 顔を桜色にして、さえは隆広の弁に聞き入っていた。

(ホントにいい声…。しかも宗滴公の武勇を雄々しく語る織田の武将なんて隆広様くらいね…)

 市場の女が、すっかり酔ったさえに心配して声をかけた。

「ほら若奥さん、大丈夫かい?」

「わ、若奥さん!? いやーん、もーッ! 飲んで飲んで!」

「な、なに? 私ヘンな事言った?」

 

『ゆえに! 再び一向宗門徒を退けるためにも! この城壁をみなの手により直し! 北ノ庄の人々を守るのだ! 子があるものは後にここに来て城壁をさして言え! 独り者はここで愛しい娘に自慢せよ! この城壁はオレが作ったと!』

 

 タンタンタンッッ!

 

『子供は父を尊敬し! 愛しい娘はイチコロだ! そして同時にみなが行う補修工事は歴史に燦然と輝く大仕事なのだ―ッッ!』

 

 タンタンタンタンッッ!

 

「「オオオオオオオ――ッッ!」」

 

 辰五郎、そしてこの地の商人の実情を話した源吾郎も、思わず興奮して隆広の弁に酔った。

 そしてこの光景を終始見つめ、そして柄にもなく隆広の弁に興奮した三人の武将がいた。前田利家、不破光治、可児才蔵である。人は笑い声に惹きこまれるもの。とはいえオレも入れろといえばあの宴の主宰である隆広の顔をつぶすので、遠くから見ていた。そして聞いた。隆広の名調子の語りを。

「たいしたガキだ…。あいつ、北ノ庄の職人と商人を味方につけやがった…」

 めったに人を褒めない才蔵が手放しで褒めちぎった。利家も同じだった。

「越前の民たちには、いまだ朝倉氏への思慕もあろう。その英雄の宗滴公をこれ以上はない形で隆広は賞賛した。朝倉寄りの者たちまで隆広は味方につけよった…すごい小僧だ」

「利家殿…」

「なんだ才蔵?」

「近い将来、我ら二人はあのガキの采配で戦場を駆けることになるかもしれぬな」

「まあ、勝家様がゆくゆくは養子とするつもりと言っていることだしな。それも仕方あるまいて」

「どうでござるか? あやつの弁で飲みたくなってきた。それがしの家で一献?」

「おお、馳走になろう、光治もどうだ?」

「ああ、わしも行く。しかし、本当に隆家殿はいい若武者を育てよったわ。嬉しくてならぬ」

 

 そして翌日、補修の工事をしている作業場に隆広とさえがきた。

「おう! 水沢のダンナおはよう!」

「昨日はご馳走さん!」

 一人一人が隆広に親しみのこもった挨拶をしていた。隆広も笑顔で返す。荷台を後ろで押すさえは

(すごい…五十貫の出費でこれだけの人々の心を掴んでしまった…)

 と、主人隆広の明敏さに感嘆していた。また、飛び入りの形となった商人を宴会の輪に入れたのも、隆広には一つの狙いがあった。城下の商人にツテを持ち、今回の工事に伴う資材の調達に協力してもらうことだった。石垣の礎石や他の石材は破壊された現場そのものに転がっているので再利用できるが、城壁の瓦や木材に、新たな資材を調達しなければならない。その他足場の木材や綱と考えたら、どうしても職人以外に商売に長けた者の助力が必要になる。さえに市場の者が運んでくれると言った点にはこういう狙いもあったのだった。事は何事も一石二鳥にせよ、養父隆家の教えだった。市場の長、源吾郎は隆広への協力を約束し隆広の望むものを揃えてくれた。この際に源吾郎に支払ったのは千二百貫であるが、まだ二百五十貫ある。百人の人足を使うには十分な費用だった。

「辰五郎殿、よろしいか」

「おう、なんでえ。もう『酒は飲めない』のウソにゃだまされねえぞ」

「いえいえ、ここからは仕事のお話です。作業の主なる職長を集めてもらえませんか」

「ん? わかった、ちょっと待っていてくれ」

 一旦、作業を停止し、隆広とさえの前に作業の主なる各分担の職長が集められた。

「みなさん、割普請をご存知か?」

「『わりぶしん』? なんですか、それは?」

 後の世には羽柴秀吉が清洲城で行った痛快な城普請の話は伝わっているが、当時においては一部の武士が知っているだけで、現場の職人は知らない事であった。

 またその作業方法は職人と云う下々の気持ちを汲んでのものである。気位の高い武士は、その方法を毛嫌いしていて、知っていても使わない事が多かった。特に織田家中では『サル秀吉の真似などするか』と云う気持ちもあって、こんなに便利な作業方法なのに、秀吉が清洲城でやって以来、誰も使ってはいなかった。だが隆広は良いものは良いと柔軟に思い、何のためらいもなく真似る。

「つまり、こういうことです」

 隆広は荷台のムシロを剥ぎ取った。そこには銭が山盛りにデンと置かれていた。

「うげ!」

「すげえ大金!」

「これが皆さんへの全報酬です。だけど! すべて平等には分配はいたしません。今からここにいる百人を十人づつの十の班に分けます。そして、どの班が一番早く、かつ十分な仕事が行き届いているかを競争してもらいます。一番早く、そして出来栄えがよければもっとも報酬は多く、最後なら一番少ない、というわけです」

「て、ことは水沢のダンナ! 一番早くて上手なら報酬がドンと多くもらえるってことですかい?」

「そうです。多額の報酬を得て、もう女遊びもお酒もやりたい放題。恋女房にきれいな着物も買って上げられますよ!」

「「うおおおお――ッッ!」」

「「やってやるぜ―ッッ!」」

 今まで味わった事もない気持ちの高揚が辰五郎の全身を駆けた。そして隆広と云うわずか十五歳の少年に彼は『朝倉宗滴』を見た思いだった。若き日、兵として借り出された時に見た名将朝倉宗滴。辰五郎はどんなに憧れた事だろう。そしてその姿と隆広が重なって見えたのだった。

「辰五郎殿」

「あ、はい!」

「十箇所の分配と、班分けをお願いします。能力も均等に。範囲も一律に。みんなが同じ条件で競わないと意味がないですからね」

「かしこまいりました」

 辰五郎は隆広にペコリと頭を下げて、指示通り班分けに当たった。

「なんだ? 辰五郎殿、急にオレに丁寧な言葉を使って」

「うふ、きっと隆広様にホレたのですよ」

「そうかな? あはははは」

 さえの言葉に照れ笑いを浮かべる隆広。そしてその目の前では現場の空気が一変していた。どんどん城壁が直っていくのが、手に取るように分かった。

(この調子ならば、思ったとおりの時間までできるかな。あとは…)

 

 隆広は約束どおり、その日の一番の班に高給を与えた。最後の班は涙を流して悔しがった。辰五郎がその班に叱りつけた。

「バカヤロウ泣くんじゃねえ! 明日がある。その悔しさを忘れるんじゃねえぞ、明日に一番になればいいんだ! 立派な仕事をしてあの若いのの期待に応えてみろ!」

 しかし辰五郎は部下の職人が仕事に負け、悔しくて泣くのを初めて見た。改めて隆広の人の使い方に感嘆する辰五郎。この日も現場に居座ったまま隆広の用意してくれた夕食と酒で疲れを癒す職人たち。夕食といっても各々の班は遅くまで明日の作業の計画を練りに練っていたので、もう日付も変わり深夜だった。疲れもあるのか、昨日と一変して静かな夕食だった。

 そこに隆広がやってきた。

「みんな、お疲れ様」

「これは水沢さ…!」

 と辰五郎が隆広に姿勢を正した時だった。職人たちは眼が飛び出るほどに驚いた。なんと隆広は勝家を連れていたのである。その場にいた職人たちは慌てて平伏した。

「見て下さい、殿。彼らは今この時間に夕食を取っています。城壁を直すために寝る間も食事の時間すら惜しんでくれて、この北ノ庄のために働いてくれています。彼らこそ北ノ庄の、越前の宝と思いませんか」

「うむ」

 平伏しながら、職人たちは隆広の言葉に涙をポロポロと落としていた。武士に比べれば軽視されている自分たち。それを『越前の宝』と隆広は言ったのだ。

「殿、お褒めの言葉を」

「うむ、みなの者。面をあげよ」

 勝家は見た。顔をあげた職人たちが顔を涙と鼻水でグショグショに濡らしているのを。

「嬉しく思うぞ。この仕事が終われば改めて隆広にそなたたちを労わせる。いつ一向宗門徒が攻めてくるか分からぬ。頼りにしているぞ!」

「「ハハ――ッッ!」」

 再び職人たちは勝家に平伏した。肩を涙で震わす辰五郎に隆広が言った。

「辰五郎殿、もう夜も更けた。今日の鋭気を養うため、もう休まれた方がよいですよ」

「ハッ…!」

 もう顔を上げられない。それほどに職人たちは感涙にむせっていた。隆広はそのまま勝家とその場を去った。

 

「ああいうことだったのか、隆広」

「はい、お休み中に申し訳ありませんでした」

「よい、約束だ。しかし秀吉のやった割普請に主君の労いの言葉まで加えるとはな」

「いいえ」

「ん?」

「これも秀吉殿の真似です。あまり一般に知られてはいませんが、秀吉殿も今回と同じく主君、つまり大殿を深夜に起こして職人を労わせたのです」

「本当か? 大殿を深夜に起こした上に使うとはな…。恐れを知らぬというか…」

「これは見習うべき普請法だと父に習いました。今回はそれを実行したのです。秀吉殿は農民出。職人たちのような下々の者たちがどれだけ雲の上にいるお殿様の言葉を欲しているか知っていたのでしょう」

「なるほどな…」

 柴田家と羽柴家はあまり仲がよくない。だから秀吉の真似などしたくはない。すべからく勝家もそう思っている。しかし良いものは良いもの。堂々と真似すべきなのだと云う隆広の考えも理解できた。嫌いな人間の方法だから使わない。それでは国主失格である、勝家は隆広が今回行った仕事で一つ学んだ気がした。

「しかし、本当に今日の朝まで完成しているのか?」

「はい、私もこれから彼らに朝まで付き合うつもりです。もう今ごろは作業に入っているでしょう。何故なら殿は彼らの心を動かしましたから」

「世辞を言うな。だが朝までに出来ていたら何か褒美を取らせないとな。長くかかっていれば千五百貫では済まなかったのだからのう。二日で完成ならば、その浮いた分の金子を割いて報いてやらねば。隆広、完成の暁には、あと二百貫つかわす。職人たちを労ってやれ」

「ハッ!」

 

 そして朝、さえが隆広の部屋に来た。

「隆広様、朝餉のお支度ができました」

 返事がない。障子をあけると隆広はいない。蒲団も乱れていないから帰宅もしていない。

「まあ! 朝帰り?」

 すると市場の女が隆広の屋敷に来た。

「若奥さーん!」

「あ、おはようございます」

(だから若奥さんじゃないって…嬉しいけど)

「城壁に行ってごらんよ!」

「え?」

「いいからいいから!」

 云われるとおり、さえは補修作業の場所に行ってみた。その時にさえが見たものは

「完成だ―ッ!」

「やったぁ―ッ!」

「一向宗門徒め! 今度はてめえらごときに壊せる城壁じゃねえぞ―ッッ!」

 完成を喜び、新たに市場から贈られた酒で祝杯をあげ、職人たちにもみくちゃにされながら喜びを共にしている隆広がいた。隆広も途中で手伝ったのか泥だらけである。だが顔は笑顔で輝いていた。並の普請奉行ならば一ヶ月はかかる普請を隆広は二日で成し遂げたのである。この時の隆広はまだ十五歳。名将の片鱗を始めて歴史に記した瞬間であっただろう。

 この普請に関わった職人たちは、後に辰五郎を長として隆広直属の工兵隊になっている。戦国後期最強の軍団と言われた水沢隆広隊の縁の下のチカラ持ちとなり、文字通りに隆広を支えていくことになる。

 そして、後に大切な部下たちとなる者たちと共に泣いて喜ぶ姿を見て、さえは同い年の主人の快挙に泣いた。

「おめでとうございます! 隆広様!」



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初陣と隆広三百騎

隆広と三百騎との出会いです。


 北ノ庄城、評定の間。隆広が二日で城普請を成し遂げた日の正午に評定が行われた。隆広はここで勝家から職人たちを労うための二百貫を勝家から受け取り、かつ隆広個人にも褒美が与えられた。

「隆広、ようやった。あれほどに破壊しつくされた城壁をわずか二日で修復し終えるなど前例もなく、また出来栄えにおいては見事の一言。勝家嬉しく思うぞ。褒美を取らす」

「ハハッ!」

「『石見銀』である。受け取れい」

「ハッ! ありがたく頂戴いたします」

「しかし、ちゃんとその褒美もさえに渡すのだぞ。分かったな」

「はい!」

 隆広は改めて労いのためと渡された二百貫をすべて職人たちと、手伝いをしてくれた商人たちに報酬として渡した。二日間の賃金は割普請の決まりに沿って成果別であるが、この二百貫はほぼ平等に渡したのである。

 貧しい暮らしをしていた職人と商人たちは感涙し、隆広の家に家族で礼に来るものが絶えなかった。年頃の娘を持つ親などは、『娘を嫁に』とまで言うほどであった。そしてその娘たちも美男の隆広を見てポッと頬を染めた。さえの機嫌が悪い日が数日続いた。

 

 そしてこの時に一つの奇縁があった。同じく隆広の家に訪れ賃金の礼に来た親子。

 男は初日にもっとも成績が悪かった班にいて、仲間たちからケツになったのはお前のせいだと責められた。辰五郎の職人衆の中でも特に不器用な男であったのだった。面白くなく、勝家が来た後にみな自発的に工事をし始めたのに、彼だけ怠け出した。仲間たちに『お前がいるとまたケツになるから帰れ!』と怒鳴られた。売り言葉に買い言葉で現場から立ち去った。

 しかし自分の仕事はこれしかない。すぐに戻ったが中々作業に戻るキッカケがない。現場の外で立っているだけであったが、よく見れば欠員の出た自分の班に隆広が入って作業をしていた。男の仲間が

「どうもすいません。水沢様に手伝ってもらって」

「いえいえ」

「しかし、水沢様は武士にしとくにゃもったいないくらい器用ですな」

 お世辞ではない。元々養父隆家から石積みを含めた築城術は仕込まれていた。そしてこの時、隆広はある職人の見よう見まねで技術を盗んで、職人が惚れ惚れするほどの石積みや石工をしていた。

「いや、さっきまでここにいた人の技術を盗んだだけですよ」

「は?」

「ほら、鳶吉殿の」

 隆広は末端の職人の名前までちゃんと覚えていたのだった。現場の外で立っていた男、鳶吉の耳にそれは届いた。

「鳶吉の? いやあアイツのマネはやめたほうがいいですよ。どんくさいから」

「いや、あの人は的確に必要な石の形を作り、それを積んでいた。だからどうしても遅くなってしまうのです。それがしは一度自分の手先の器用に驕り父に叱られました。『器用な者はすぐに会得するから技術を甘く見る。しかし不器用な者はとことん努力してそれを会得する。世の一流の武芸者、芸術者、技術者はたいてい元不器用者。器用な者は必ず抜かれ、結局二流になる。それを忘れてはならぬ』と。不器用な方は一流になる原石にございます」

 鳶吉は工事の外で隆広の言葉を聞いて涙をポロポロと落とした。ちゃんと分かっていて、しかもそれを認めて、かつ褒めたのである。恥も外聞も捨てて、鳶吉は現場に戻った。

「さ、水沢様、あとはオレがやりますので」

「ありがたい、頼みますよ!」

 立ち去る隆広の後ろ姿を見て鳶吉は思った。

(さすが、あの方の子だ…)

 その鳶吉の妻と子、それは隆広も知っていた。

「あの時の…!」

「はい、お久しぶりにございます水沢様」

「おにいちゃん、傷治ったよ!」

 そう、隆広が初めて北ノ庄に来た日、養父隆家が助けた女童とその母親だったのだ。

「なんとまあ奇縁な…」

「はは、娘をお父上に助けていただいたのに、父親のあっしのお礼が遅れて申し訳ございません」

 妻のみよは、あの工事から夫が見違えるように生き返ったのが手に取るように分かった。職人なのに不器用でバカにされていた鳶吉は時に酒に逃げる事が多かったが、あの日以来は自分の技術向上に余念がない。理由を聞けば、隆広のたった一つの褒め言葉であったのである。

 みよは夫を生き返らせた隆広に心より感謝し、そして女童しづは美男で強くて優しい隆広にいちゃんが心から好きになり、後に…。

 

 隆広は戦国武将の中で屈指の人使いの名人と後世に言われているが、彼は部下を褒める事がとても上手かった。たとえ他の者が無能と言っても、養父隆家から人を大切にすることを叩き込まれた彼は、その者の良いところを見つけて褒めた。しかも絶妙な事に影で褒めた。それはやがて当人の耳に入り生き返ったのである。

 歳若いうちから人を使う立場になった隆広にとり、部下はほとんどが彼より年長者。だがその年長者たちは、若き主人の徳に触れて粉骨砕身仕える事になるのである。

 無能と呼ばれた者を有能に生き返らせた点においては、どの武将も隆広に及ばないかもしれない。この工事は隆広の人使いの妙味も垣間見せた話でもあるだろう。隆広が鳶吉を評した話はその日のうちに工事現場を駆け、職人たちはいっそう感奮して、素晴しい成果を示し、城壁の修復は成ったのである。

 城普請をけしかけた柴田勝豊、佐久間盛政などは面白くない。佐々成政も不快だった。だが現実に驚異的な成果でやり遂げたのだから、何も言うことはできなかった。

 

 この後、城普請の手腕を評価され、隆広と辰五郎の一党は城壁や城郭の拡大や改修に借り出された。そしてこの日、隆広が示す図面に見入る辰五郎と職人たち。

「なるほど、これが有名な出丸、丸馬出(まるうまだし)ですか」

「そうです。武田信玄公特有の築城法です。半月型や三日月型の曲輪を城郭に数箇所備えるという攻防一体の難攻不落の出丸です」

「それをあっしらが?」

「はい、殿に許しも得てあります。城壁のように二日で成す事はございませんが、門徒の攻撃はいつあるか分かりませんから、早いうちに…」

 

 ドン、ドン、ドン

 

 城から陣太鼓が鳴った。

「…ん?」

「水沢様、あれは確か…」

「うん、臨時召集だ」

「あっしが指揮して工事は始めますので、急ぎ登城を」

「お願いします、辰五郎殿!」

 隆広が立ち去った後、改めて図面を見る辰五郎や鳶吉たち。

「まいったねえ…。お侍にこんな図面描かれちゃ本職のオレたちゃ立場ないよ…」

 ドッと職人たちは笑った。

「しかし武田家の築城法なんて水沢様はどこで…」

 と、鳶吉。

「わからねえ、謎の多い若いのだ。何にせよ武田家の築城法を会得できるまたとない機会だ。気合入れていけよ!」

「「オウ!」」

 

「よう集まった。話と云うのは他でもない。門徒連中が加賀の大聖寺城に迫っておる」

 勝家から召集の意図が説明された。

「その数二万、大軍だ。支城の大聖寺城を取られてさすがに頭に来たようだな。大聖寺城は城代に勝照(毛受勝照)を置いているが、兵数はわずか三千、青くなっていよう」

 大聖寺城は加賀領内の西域にあり、もっとも勝家の領土である越前に近い。隆広が勝家に仕官する数ヶ月前に勝家はその大聖寺城を攻め落とし、城代に腹心の毛受勝照を置いて防備に当たらせていた。城下町のようなものはなく、一つの砦のような城である。

 しかし兵力の差がありすぎる。前線の砦とも云うべき大聖寺城を渡すわけにはいかない。勝家はスクッと立ち上がった。

「門徒の加賀拠点、加賀御殿の七里頼周自ら出陣してきよった!」

「「ハッ!」」

「すぐに大聖寺城の救援に赴く! 出陣じゃあ――ッッ!」

「「ハハ――ッッ!!」」

 

 兵のいない自分は、殿の兵として戦おう。隆広がそう勝家に願おうとしたときだった。

「隆広!」

「は!」

「三百の兵を与える。ワシ本隊の寄騎として参陣せよ!」

「は、はい!」

(さ、三百も!?)

 そう言うと勝家は評定の間から出て行った。

「隆広」

「佐久間様」

「城普請の手腕は認めてやる。おそらく内政をやらせれば、お前は柴田家一であろう。だが戦場ではどうか今回でしかと見届けてやる。腰引けて逃げたりしてみろ。伯父上がどうかばおうと即刻叩っ斬る!」

「……」

「伯父上がお前を戦場に連れて行かず、もっぱら内政担当として重用するつもりならば文句は言わぬ。だが戦場の武将としても用いると分かった今、いっさい遠慮はせぬぞ! そう心得ておけ!」

「分かりました」

「ふん!」

「初陣か…。まずオレが用いる兵の士気と力量を確かめないとな」

 隆広は城下の兵士詰め所に行った。

「これは水沢様」

「それがしの用いる隊はどこですか?」

 詰め所の責任者である兵士に尋ねた。

「あ、はあ…」

「どうされました?」

「一応、述べさせていただきますが、あの隊を水沢様に当てよと申したのは勝家様でございます。それがしではありませんぞ」

「どういう意味です?」

「水沢様の兵士は、あの外れにおります連中です」

 北ノ庄城、兵士錬兵場。錬兵の場も兼ねて出陣前に兵士が集まる場でもある。万の兵が一堂に会する場所ゆえに、それは広大な敷地である。その外れにいる三百名ほどの集団。

「なるほど…」 

 それはだいたい隆広より若干に年上の少年兵たちであった。平均十七歳から十九歳の若者たちである。

 だがあまりにも素行が悪く、どの隊からも追い出された連中だった。城下の娘たちに人気が急上昇している隆広とはまったく逆にスケベで乱暴で嫌われている若者たちだった。

 出陣前だというのに酒をくらい博打をやっている。合戦そのものは好きなのだが、どの隊にいっても言う事を聞かない、軍律は守らない。勝家にとっても愉快な存在ではなく軍規によって処罰しようとしたことも数え切れない。各々が親からもサジを投げられている連中ばかりである。

 しかし勝家は寛大とも言っていい心で待ち続けた。その問題児軍団が生き返るのを。

 勝家には一つ教訓があった。若きころ柴田権六と云う名前だった彼は織田信長の弟、織田勘十郎信勝(信行)の家臣であった。素行不良であった兄の信長と比べ礼儀正しい信勝は次期頭首として家中で切望されていた。

 だが蓋を開けてみれば、信長と信勝の器量の差は金と石ほどに違いがあった。信長の素行の悪さばかり見て、その秘めた将器を見出せなかった自分を勝家は恥じていた。

 だから勝家は考えた。彼らを認めて、そして彼らから大将と認められる者がいれば良いのだと。素行不良の悪ガキどもが生まれ変わるかもしれない。そう思ったのである。

 かくして、その候補に選ばれたのは、その悪ガキたちの誰よりも年少の水沢隆広。勝家は、その問題児軍団を隆広に預けたのである。

 

「お、我らの大将のおでましだぜ!」

「おうおう、美男子だこと! オレたちみたいな不細工とは毛並みが違うね!」

 隆広は、その問題児軍団の前に歩いていった。自分たちより年下で足軽組頭の隆広を足軽の彼らが快く思うはずがない。織田か柴田の若君ならば仕方ないが、隆広はつい最近まで牢人だったのであるから。

 自分たちより年下で、かつ柴田家中では後輩。だが階級は一足飛びで組頭。受け入れられるほうがおかしい。また城普請の快挙を妬んでいる者もいる。町娘たちのあこがれの的になっているのも面白くない。

 敵意むきだしで隆広を睨む者、ヘラヘラと笑い隆広を小馬鹿にしている者。とにかくこれから合戦に行くとは思えない連中である。そんな敵意も笑いも隆広は相手にしなかった。

「時間がない。我と思う者はかかってくるがいい」

「なんだと?」

「おいおい、この大将はオレたちとケンカするつもりだとよ!」

 三百の兵士たちは笑った。

「何度も言わせるな、時間がない。もう本隊は出陣準備を終える。我らは本隊勝家様の寄騎三百。遅れたら切腹ものだ。オレだけでなくお前たちもな」

「そんな脅しにのるか!」

「勝家様はどうせオレたちハズレ者を弾除けにするつもりなんだろ!」

「そうだそうだ! 勝家様だけじゃなくお偉い大将たちはみんなそう思っているんだ! お前だってそう思っているに決まっている! お前の弾除けなんてゴメンだ!」

 隆広の目がピクリと動いた。この若者たちが欲しているものが分かったからである。

「言いたい事はそれだけか? お前たち三百人は一人でケンカを売っている年少のガキから言葉で逃げるのか? もう一度だけ言うぞ、我と思う者はかかってこい。殺すつもりでかまわんぞ」

「いいだろう、だがさすがに三百人で一人にかかったらオレたちは何言われるか分からねえ。ウデを自負する三人。三人でやってやる。殺されても文句はねえだろうな?」

「よかろう、かかってくるがいい」

 槍、刀のウデを自負する若者三人が隆広を囲んだ。

「柴田家足軽組頭、水沢隆広」

 隆広は刀を抜き、名乗りを上げた。真剣勝負と云う意味も込めて。三人も名乗りを上げた。

「柴田家足軽、松山矩三郎」

「同じく、小野田幸之助」

「同じく、高橋紀二郎」

 

「いくぞ!」

 

 ザザザザッッ!

 

「「……ッ!?」」

 三人は信じられない思いをした。数に頼り楽勝と油断していたのもあるだろう。また彼らは隆広が初陣とも知っていた。戦場の経験は自分たちの方が上のはず。

 だが、終わってみれば彼らは隆広にアッと云う間に倒されてしまった。見ていた兵たちはあっけに取られた。隆広に対した三人は彼らの中でかなりの腕前をほこり、そこらの武技を自負する将よりよほど腕が立った。だから戦でも悪事でも三百人の中で中心的な存在の三名で、班長的な役割も担っており、素行の悪さで帳消しになってしまっているが、実際に戦場で手柄も立てている。それが一人に倒されてしまった。あんな優男に。

「新陰流、月影と云う。一対多数の戦いに勝つことを極意とする」

「し、しんかげりゅう…? くっ…」

「う、うう…」

「いってぇ…」

「峰打ちだ。急所も外している」

 

 そして残る兵士を隆広はキッと見た。

「チカラは示した。今度はオレの話を聞いていただく。よいかな?」

「……」

 神妙な顔をして、兵士たちは隆広を見る。

「見ての通り、オレは刀をもって三人の武士を倒すことができた。しかし、二度目はこうはいかない。彼らはオレの小柄で華奢な体を見て油断していた。オレはそこに付け入り、始めから全力で行き戦端を制した。だが次は彼らも油断はないゆえ、オレは勝てない。だがオレの剣技や彼らの武勇も戦場では微々たるチカラでしかない。集団戦には集団戦の駆け引きがある。一人の強さなど何になろう」

 倒された三人はようやく起き上がった。その中心人物に隆広は問う。

「松山矩三郎」

「な、なんだよ」

(なんだこいつ、もうオレの名前を覚えやがったのか?)

「『鶏口となるとも、牛後となるなかれ』と云う言葉を知っているか?」

「はあ?」

「ニワトリの頭は小さくとも賢いが、牛の尻は大きくとも卑しいと云う意味だ。平たく言えば少数の精鋭になっても、大集団のどうでもいい存在にはなるなと云うことだ。今のお前たちは柴田二万と云う大集団の中で、どうでもいい存在となっている。二万分の三百ならば仕方ないとも云える。今までぐれん隊として存在していたのだからな。だが今回の戦からお前たちは『水沢隆広隊』となる。オレは初陣で、かつ新参の下っ端だ。お前たちはオレが持つ最初の兵だ。この瞬間から、お前たちは『柴田家の牛後』ではなく、水沢隆広隊の『鶏口』となった。そしてオレを生かすも殺すもお前たち次第と云うことになる。だから一度、オレに騙されたと思い賭けてくれぬか。お前たちが柴田家のどうでもいい存在のまま、本当に弾除けで終わるのか。それとも水沢隆広隊と云う少数精鋭団として馬を駆り戦場の華となり武功を立てていくか。水沢隆広と云う馬に、一度賭けてくれぬか。さきほどにお前たちの話を聞いて、お前たちに足りぬもの、いや望むものは分かっている。それは金や女でもない、『誇り』だ。武士としての『誇り』。オレには金はない。与えられるものはなにもない。だが必ずや! お前たちに『武士の誇り』を与えられる大将となる!」

 隆広の言葉に兵士は黙った。自分たちにこれほど向かい合ってきた大将はいない。しかも、その大将は自分たちより年下である。

 その年下の将は一人で三百人の自分たちに何ら気圧される事もなく、堂々と論を語る。

「オレたちが少数精鋭…?」

「大将を生かすも殺すもオレたち次第…?」

 特に後者の言葉は兵士たちの胸に刺さった。自分たちの働きが、それほどに影響を及ぼすのかと。刀と脇差を隆広は地に置いて頭を下げた。

「頭を下げよというなら下げる。オレにチカラを貸してくれ。そなたたちが必要なのだ」

「およしなされ、大将がそう簡単に兵に頭を下げるものではございませぬぞ」

 それはさきほど隆広に倒された小野田幸之助だった。そして同じく倒された高橋紀二郎は隆広の太刀を拾い、両手で差し出していた。

「幸之助殿、紀二郎殿…」

「幸之助とお呼び下さい。こいつの事も紀二郎、さっきのアイツも矩三郎と呼んでやって下さい。我ら、喜んで水沢隆広様の兵となりましょう!」

 三百人は一斉に隆広に膝を屈し、そして気合の入った眼で隆広を見つめた。

「すまぬ、嬉しく思うぞ!」

「さあ御大将、ご命令を!」

「よし、ならばこれより水沢隆広隊は本隊と合流する!」

「「ハハッ!」」

 もはや、ぐれん隊の顔ではなかった。家中はおろか領民にも蔑まされた若者たちであるが、英主を得て生き返った。戦国後期最強の軍団と呼ばれる『水沢隆広軍』誕生の瞬間であった。

 後に隆広に仕える武将がどれだけ増えても、この三百名だけは他の将の兵になることを拒み、常に隆広本隊の将兵として付き従った。後の世に『隆広三百騎』と云われる由縁である。

 隆広も、そしてこの三百騎もこの時は想像もしていなかっただろう。後に自分たちがあの軍神と呼ばれる上杉謙信の本陣に真っ向から突入する事など。

 

 柴田勝家本隊はすでに北ノ庄城を出発している。そろそろ城下町を出るときであった。この時、勝家の寄騎を担当していたのは隆広と共に可児才蔵である。その才蔵に勝家は尋ねた。

「才蔵、隆広の合流はまだか。もう先陣の盛政、二陣の利家は城を出たというのに」

 勝家は一番後ろの第五陣である。いわば最後尾であるが、隆広はまだ来ていない。

「はあ、さすがに隆広でもあのガキどもを手なずけるのは容易でないかと。しかしなぜ隆広にあの連中を? ご寵愛の様子でしたから御しやすい隊を与えるとばかり思っておりましたが」

「はっははは、ワシはそんなに優しい主君ではないぞ。それにあやつだから、あれを統率しえると思った。あの連中は若いし、そのカシラとなる隆広もまだ十五ゆえな、これから軍団を構築していくのであれば若者同士のほうがよかろう」

「殿―ッ!」

「お、殿! 隆広です」

「うむ」

「水沢隆広隊、合流を完了しました。遅れて申し訳ございません!」

「ん、ご苦労」

 勝家は隆広が連れてきた軍勢を見た。いつもふて腐れていた連中が、それは惚れ惚れするほどの凛々しい顔つきになっていた。

(やりおったわ、こやつ)

「隆広」

「はい、可児様!」

「オレは殿の右翼に入る。お前は左翼に回れ」

「分かりました!」

 行軍中の部隊移動も、見事までに円滑に進める隆広を勝家は満足そうに見つめていた。その勝家を見て才蔵は思った。

(ゆくゆくは養子にと言っていたが…なるほど本気らしいな勝家様は。しかしいかに養子候補とはいえ、あの寵愛は異状だ。まるで頼もしい我が子を見つめる慈父のようにさえ感じる…)



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加賀大聖寺城の戦い

この大聖寺城の戦いは太閤立志伝3特別篇でも隆広の初陣です。


 北ノ庄城より海岸に向かって北上する柴田軍。隆広は初陣である。相手は本願寺の一向宗門徒の僧将である七里頼周。勝家の率いるのは一万二千、対して一向宗は二万。数はこちらの方が八千少ない。

 先陣は佐久間盛政、二陣は前田利家、三陣は不破光治、四陣は金森長近、五陣は柴田勝豊の軍団で、その後詰に勝家本隊がいる。中村文荷斎、拝郷家嘉、徳山則秀などの勝家子飼いの武将たちは北ノ庄城留守居である。大将勝家の左右を守るのは可児才蔵と水沢隆広。初陣で総大将の寄騎と云う位置にいる自分を不思議に思いつつも、隆広は合戦前の空気に緊張していた。

 

「ところで御大将」

「なんだ紀二郎」

 先刻に隆広と三対一で闘い敗れ、兵士となった高橋紀二郎が隆広に尋ねた。

「なして、宗教などが加賀の国を乗っ取れて、今回の戦いのように二万もの兵を動員できるのでしょうか。本来、宗教というのは人を救済するってモンじゃないのですか?」

「バカか! いまそんなノンキな質問してどうするんだよ!」

「これから起こる合戦の事を色々思案している御大将の邪魔すんなよ!」

 紀二郎の戦友たちが叱りつけた。

「まあ、いいじゃないか。戦う相手を再確認するのも悪くない。父からの受け売りだが簡単に説明すると、『宗教』というのは心の拠り所だな。支配と言い換えてもいい。まあ、あらゆる所で戦が起こり、多くの人々が不幸にさらされているこんな時代だ。皮肉な話だけれど、我ら武士にも責任はある。弱い心を持つ人たちが神や仏に救いを求めても不思議はないな」

 紀二郎は隆広の馬のクツワをとっている。馬上から分かりやすい説明をしてくれる隆広の話に聞き入った。

「まあ、そうですね」

 勝家と才蔵も共に隊の先頭にいるので、その話は聞こえている。彼らも耳を傾けていた。

「『一向宗』とは、親鸞が唱えた仏教の『浄土真宗』の事を指している。『南無阿弥陀仏』と唱え仏に身を任せれば、全ての人、例え悪人でも、極楽浄土へと成仏することが出来る、という教えだ」

「ずいぶんと都合がいい教えですね」

「ああ、だから踊らせやすいのさ」

「踊らせる?」

「ああ、熱狂的な信者から、ついに『一向宗による独立国を作ろう』という過激な思想が出てきた。それで国を『仏の治める国』とする事で、さらに多くに人々に仏の教えを広めて救済し、そして国に納める多額の『お布施』をする事で、さらなる仏の加護を得ようという事だ。しかしそれは言い方変えれば、いま国を治めている国主を武力によって追い出し国を乗っ取ろうという事だ。門徒の権力者は信者を踊らせ武器を取らせて挙兵し、やがて加賀は乗っ取られてしまった」

「なるほど」

「そして近年になるけれど、当初、一向宗の総本山の本願寺は大殿、つまり織田信長様に恭順していたんだ。五千貫の徴収にもすぐに応じて渡している。しかし、大殿の要求はそれだけで終わらなかった。石山本願寺の城、そのものを明け渡せと勧告した。大殿はどうしても禍根となり、脅威ともなりうる本願寺を押さえておきたかったのだと思うけど、本願寺の総帥である顕如はそれを拒否。ついに『仏敵、信長を討て』と全国の信者に命令したんだ。その指示に従わなければ、門徒を破門するとまで言った。

 さっき言ったとおり、宗教は心の拠り所。信者はそれを失うわけにはいかない。だから門徒は大殿に仕える殿の越前に攻めてくる。兵となる門徒は権力者にとっていくらでもいる。二万なんて数も動員できる。大殿や殿を倒す事が極楽の道に繋がると本気で信じているからだ。だから始末におえない。とはいえ、黙ってやられるワケにもいかないだろう? 我々はそれを倒して越前と北ノ庄の安寧を守らねばならない。そういうことさ」

「へえ~御大将は物知りですねえ」

「父の受け売りだよ」

 

「いや、そうだとしてもよくもまあ、そんなに詳しく話せるものだ。養父の隆家殿は何度も話して聞かせたのだろう?」

 聞いていた可児才蔵が感心したように笑っていた。

「ええまあ、ははは」

 本当は一度しか教えられていないのだが、記憶力の自慢になってしまうので言わなかった。

「だが隆広、一箇所だけ違うぞ」

 と、勝家。

「え?」

「『倒して』ではなく『滅ぼして』だ。肝に銘じよ」

「はい!」

 

 柴田軍は大聖寺城に入った。これで城代の毛受勢を入れれば一万五千、五千少ないとはいえ、こちらには城もある。

 だがあまりいい事ばかりではない。城の南西数里に峰山と呼ばれる山がある。天嶮の要害で、水も豊富である。ここを占拠されると戦いが困難になってくる。実際に勝家はその峰山に陣取り、前線拠点として、この大聖寺城を落としたのであるから、その利点は知っていた。

 城代の毛受勝照もこの山を敵方に渡すのを危惧して常に警戒していたが、その峰山を数に勝る一向宗門徒に占拠されてしまい、そして本願寺の坊官の七里頼周がそこに陣場を作り、大聖寺城攻略に備えた。

 勝家が城に入り、城代の勝照から最初に報告されたのは、敵が峰山を占拠し、布陣を終えたと云うことであった。

「ふむ、取られてしまった要害を悔いても仕方ない。急ぎ軍議だ」

「「ハハッ」」

 隆広にとり、初めての軍議である。胸が高鳴る。評定とは異なる、まさに生死を論じる軍議。頬を両手でパンパンと叩いて、隆広は大聖寺城の軍議の間へと向かった。

 軍議が始まった。隆広はしばらく諸先輩の意見を聞いてから、自分の考えを言おうと思っていたが自分は新参で、元服を終えたばかりの若輩。自分の意見など入れてもらえるわけがない。まずは軍議の雰囲気だけでも学ぼうと思っていた。

 

『山岳戦なら柴田のお家芸、城から出て戦うべきだ』と佐久間盛政。

『城に篭り、攻城戦で疲れさせてから一気に叩く』と不破光治。

『鉄砲隊は向こうが多い。突出すれば長篠の武田勝頼の愚を繰り返すのみ』の慎重論の前田利家。

 やはり敵の鉄砲隊は脅威であった。柴田家は織田の軍団長でもっとも鉄砲を持っていないのである。勝家をはじめ部下たちも武断派が多い。商売ごとには不向きであり、越前を織田信長から賜り、共に与えられた鉄砲七百しかないのである。

「ふむ…」

 諸将の意見に耳を傾ける勝家。チラと末席に座る隆広を見ると何やら右筆のように、色々と記録を巻物に書いていた。参考にすべき意見を書き留めていたのである。

 

「おい隆広」

「はい!」

「誰がお前に右筆を命じたか。お前は足軽組頭として軍議に参加している大将なのだぞ」

「す、すいません」

 勝家の叱責に隆広は赤面して紙と筆を置いた。

「まあいい、それでお前に何か意見はないのか?」

「は?」

「お前に意見を求めている。まさか初参加の軍議だから今回のところは発言せずに雰囲気にだけ慣れようなんて考えていたのではあるまいな」

「い、いえ! とんでもない!」

(図星か…)

 前田利家は苦笑した。

「隆広、勝家様もそう申している。初参加とて遠慮はいらぬ。何か意見があるのなら言ってみろ。まさか本当に何もないワケではないだろうな」

「い、いえ」

(しかし、新参の足軽組頭のオレが言っていいのかな…)

「何をしている、遠慮はいらん。言ってみろ」

 

 佐久間盛政、柴田勝豊、佐々成政も隆広を見た。城普請の手腕は認めるが、合戦ではまだ初陣も済ませていない小僧。聞くべきのある意見が出てくるはずがない。つまらぬ意見を言ったら笑ってやろうと考えていた。

「では僭越ながら…」

 隆広は一つコホンと咳をした。

「まずは大殿が大軍を率いて援軍に来ると敵陣に流し、敵方の士気を下げます。また、加賀は門徒の国と相成っておりますが、幹部の坊官と一般の門徒とはしっくりいっていないと聞き及んでいます。『離』を図るも手かと存じます」

 聞くべき意見かもしれないと、諸将は耳を傾けた。盛政たちも黙って聞いていた。

「しっくりいっていないとどうして言い切れる?」

「一向宗により陥落した加賀に七里頼周が本願寺から代官と来ましたが、赴任後に間もなく、彼は『権力をほしいままにして好き放題やっている』と一般門徒から本願寺総本山に訴えられております」

「うむ、その話は聞いておる」

「しかしこれは、武士の支配から解放を求めて一揆を起こした門徒達と、彼らを一向宗の門徒として統率する事を目的とした本願寺側との考え方の違いが原因と受け取れます。思想の相違なら溝も深いはず。ましてや今は作物の収穫期。中には今回の出陣に気の進まない門徒もおりましょう」

「なるほど、ではどうやって『離』を図る? いちいち門徒の部隊一つ一つに調略を仕掛ける時間はないぞ」

「あ、それにはこれを使います」

 隆広はさっきまで諸将の意見を書き留めていた巻物にスラスラと絵を描いた。

 

「これを作ります」

 巻物をやぶり、勝家に提出する隆広。勝家は渡された紙を見た。描かれていたのはジョウゴである。

「これはジョウゴか?」

「はい、しかし大きい方の穴の直径は半間(九十センチ)くらい必要です。小さい方は拳大くらい。小さい方に口を当てて叫ぶと声の音量は飛躍的に上がります。それで峰山の門徒たちに『お前たちは自由を求めて加賀の国を仏の国としたのであろう。七里頼周などと云う愚物の盾となって死ぬのは無意味。収穫期の田畑がそなたらを待っている。追撃せぬゆえ退くがいい』とこちらの陣から訴えます。鉄砲の射程外でも十分に届くはずです。

 かの武田信玄公が、三増峠の合戦にて北条氏に組みしていた千葉衆、忍(おし)衆、深谷衆に対して行った策です。三衆は駆りだされての参陣でしたから元々武田に敵愾心はなく、北条氏の威圧により渋々参陣いたしました。そこで信玄公は三衆に北条に組して武田と戦うことの無意味さを訴えました。三衆はこの訴えで戦意を失い、ほとんど戦うことなく退却したと聞き及んでいます。今回の戦にも退却は望めずとも士気の激減と離反を促すには十分に使えるかと」

 隆広の案に勝家は無論のこと、可児才蔵や前田利家も本当にこいつは十五歳なのかと驚愕した。まさに神算鬼謀だった彼の養父、水沢隆家を見るようだった。勝家が何も答えないので隆広は不安になった。

「下策…ですか?」

「い、いや、隆広の策を用いよう。加えて『大殿が大軍を率いて援軍に出た』と七里頼周の軍勢に流言させると云う策も用いる」

「あ、ありがとうございます!」

 

 その後に、隆広がこの策を実行した後についての軍議がなされ、やがて翌日の戦いのために眠りにつくために諸将は評定の間を後にした。一番下っ端の大将である隆広は先輩諸将が出て行くのを出口で頭を垂れて見送っていた。

 その隆広の前で佐久間盛政が立ち止り、冷たい眼で見下ろしている。隆広は顔を上げた。

「…?」

「…お前はサル秀吉に仕えれば良かったのではないか?」

「…は?」

「あの男は猿回しのサルよ。人真似ザルのお前と気が合うのではないか?」

「どういう意味ですか!」

「そういう意味だ、人真似ザル、はっははははは!」

 盛政は去っていった。

「く…ッ!」

 拳をにぎるが、隆広は一つ深呼吸をして気持ちを落ち着けた。

(落ち着け、落ち着け、オレさえ我慢すればいいことだろう…)

 

 そして翌日、大聖寺城に驚愕する報がもたらされた。

「申し上げます! 峰山における門徒の兵が増えております! 物見の報告では四万強!」

 伝令の報告に勝家は愕然とした。

「四万だと! どこからそんなに湧いた!」

「伯父上、やつらは峰山を本陣とした山岳戦ではなく前線の集結地としたのでは!」

「ぬうう…」

 

 さらに次の伝令が来た。

「申し上げます! 七里頼周率いる門徒の軍勢四万! 峰山から出陣して、この大聖寺城に進軍を開始しました!」

「峰山を放棄して、この城に進軍してきたと!? ちぃ! 大軍でこの城を囲んで落とす腹じゃな!」

「義父上、この城は四万で囲まれたら完全に孤立しますぞ!」

「ええい勝豊! そんなこと言われなくても分かっておるわ! この城を包囲される前に出陣し撃破する! 法螺貝を吹け!」

 

 ブオオオ、ブオオオオ

 

 無論、隆広もすぐに兵士三百を率いて出陣した。そして手先が器用な部下と夜なべして作った手製の巨大ジョウゴに紐をつけて背中にぶら下げている。

「水沢隆広隊! 初陣だ!」

 

「「オオオッッ!」」

 

 四万対一万三千、小勢で多勢を倒すのは痛快であるが、やはり小勢は不利であるのは事実である。元々相手より兵が少ないつもりで出陣したが、それでも五千ほどの差である。二万七千の差はいかんともしがたい。だがかつてほぼ同じ条件で一向宗三十万を一万三千で撃破した勇将がいる。越前の名将、朝倉宗滴である。数の差を聞きに士気落ちた手勢に宗滴は『なんの、いかに大軍とはいえ、相手は烏合の衆の百姓。ひるむ事などないわ。要は敵の機先を制すれば良いのじゃ』と鼓舞した。

 その機先を制するための策が隆広の案である。背中にジョウゴをぶら下げている隆広に、同じく勝家の寄騎である可児才蔵が聞いた。

「やるのか? 昨日言っていた信玄公の策とやらを」

「はい、相手が多勢ならばこそ、少しでも敵の士気を下げたいと思います」

「そうか」

 前を進む勝家が隆広の背にあるジョウゴを見ても何も言わないと云うことは策の継続を認めていると云う事である。

 しかし才蔵は不安だった。戦で気が立っている門徒が言葉で退くとは思えなかった。先頭を行く佐久間盛政が自ら伝令でやってきた。

 

「伯父上!」

「うむ、七里頼周率いる門徒集団の様子はどうか」

「はっ 雁行の陣で備えております。もう半里も進軍すれば敵影が確認できるでしょう」

「そうか」

「伯父上、向こうは迎撃を主とする雁行の陣、こちらは数が少ないですから、中央突破を敢行するため蜂矢の陣がよろしかろうと思いますが」

「隆広はどうか?」

 佐久間盛政は不快を感じた。どうして自分の意見を隆広に振るのか。

「それがしも蜂矢の陣でよろしかろうと」

「よし分かった。蜂矢の陣を編成しながら進軍せよ!」

「ハッ」

 盛政はギロリと隆広を睨み、自分の持ち場に走っていった。

(敵将でもないオレをどうしてあんなに憎々しく…佐久間様といつか分かり合える日は来るのかな…。いや唐土の藺相如と廉頗の例もある。いがみあっていても、後に分かりあい、刎頚の友となった者もいるじゃないか。あきらめるな…)

 

「おい隆広」

「なんでしょう、可児様」

 才蔵は勝家に聞こえない程度の小声で隆広に尋ねた。

「本当は陣形に対して、何か考えがあったのではないか?」

「え、いえ、そんなものは」

「あったのだな?」

「…確かに思いついたものはございました。しかし佐久間様のあげた蜂矢とて雁行には有効な陣。それがしが思いついた陣は『偃月の陣』ですが『生兵法はケガの元』と申します。それゆえに黙っていました」

「…隆広、ウソをつくんじゃない。『偃月の陣』はお前の養父隆家殿の得意とした陣。たとえ図上のものであろうと、経験と実戦に裏付けられた隆家殿の用兵をお前は伝授されているはずだ。幾通りの敵の出方も想定された陣法も教えられていよう。お前は養父の教えを実戦で活用できる自信がなかったから逃げたのだ。佐久間様がお前を嫌っているのは知っている。だから波風を立てたくないと思い、さきほどはすんなり佐久間様の意見に頷いたのだろう。しかし、それはとんでもない不忠だ」

「ふ、不忠?」

「陣形は戦の勝敗を大きく左右する。敵方の雁行の陣に対して、お前が有効な陣形を知っていて言わぬのは不忠であり、怠け者だ。年齢は無論、士分の上下、新参古参も織田家では関係ない。能力こそすべてだ。そして聞き入れられる入れられないは別として、策や案があるなら家臣として言わねばならぬ。今回の信玄公の策を再現と云う案も、お前は殿に問われなければ申さなかっただろう。遠慮はいらぬ。お前は柴田隊に一兵士でいるわけではない。足軽組頭、一翼の大将として籍を置く者だ。殿を生かすも殺すも我らの双肩にかかっておるのだと忘れてはならぬ。お前個人の他者との不和など何ほどのものがある」

「可児様…」

「他者との軋轢を恐れるな、嫌がるな。お前の才で何かを成せば賞賛と共に嫉妬がついてくるのは当たり前だ。それから逃げるでない。お前は殿の養子になるやもしれぬのだぞ。明日の柴田を背負う男なのだ。よいか、今度逃げたら言葉ではなくゲンコツでいくからな。心しておけ」

「はい!」

 途中から勝家にも才蔵と隆広の会話が聞こえてきた。勝家は静かに笑った。敵の陣形に対して最も有効な攻撃陣を築けなかったとしても、後に家中を背負って立つ若武者が一つの教訓を学んでくれたことは何よりの収穫であった。

 

 勝家軍の進軍しながらの布陣が終わった。佐久間盛政の具申どおり蜂矢の陣であるが、この時に執った蜂矢とて雁行に対して不利な陣形ではない。勝家もそれを分かっていた。隆広に再度陣形の事は聞かなかった。

「うかつに動けませんな、伯父上」

 「ああ、あちらには鉄砲二千丁ある。突撃すれば利家が昨日申したように長篠の勝頼の愚を繰り返すことになろう。雁行の陣は迎撃陣形、突出してあの陣形の利点は捨てまいな。長対陣になるやもしれぬが敵陣から眼を離すでないぞ、盛政」

「ハッ」

 

 一方、こちらは七里頼周の陣。

「僧正様、勝家は動きませんな」

「ふむ、こちらの鉄砲を危惧してのことだろう」

 戦場は大聖寺城南西数里の北陸平野、野戦にはもってこいの場所である。見通しは良いものの、互いの陣場は対峙していても遠いため、辛うじて陣場の旗が揺れているのが分かる程度である。無論鉄砲も届かない。

「仏敵、信長に仕えし勝家め。ここでヤツを倒して一気に越前に攻め入ってくれる!」

 四万の軍勢と正面から対してしまった勝家。七里頼周は鉄砲の数と、二万七千も敵方より兵が多いことで勝利を確信している。

しかし七里勢には士気がさほどになかった。やはり門徒の大半は渋々の参陣である。また、この時期は農民の彼らにとり収穫の時期。しかし本願寺の代官、七里頼周が出陣せよと命令には逆らえない。逆らったら門徒を破門されてしまう。

 士気が上がっていないことは頼周にも分かっていた。だから彼は陣中で門徒たちに説教をはじめるが、効果はなかった。加賀の本城の大聖寺城にて、彼が領内の若い娘を無理やり徴収し、日ごと酒色に溺れているのは門徒全員が知っていることである。説得力もあったものではない。

 士気が上がらずイラつく頼周。越前をとれば、本願寺の中でも立場は確固としたものとなる。なんとしても勝たなくてはならない。本願寺の僧兵は五千。あとは門徒である。勝つためには何としてでも門徒の士気を上げなくてはならない。しかし、士気は上がらない。

 

 そして、この士気の低さを狙い、声と云う剛槍で七里勢を突き刺す隆広の訴えが始まった。後の世に『万の兵を退かせた声』と言われる事となる。

 

「一向宗門徒たちに告ぐ!」



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城を攻めるは下策、心を攻めるは上策

 隆広は自分の軍勢三百兵を連れ、陣から出た。騎馬武者一人と、三百の歩兵隊がゆっくりと七里勢に歩んだ。そして鉄砲の射程外に十分に余裕があるところに止まり、万一の弾除けのため竹束盾を並べた。

「うまい具合に追い風か。しかもゆるやか。声もよく届くだろう」

「そのようですね。しかし織田家の我々が信玄公の策を使うとは妙な話ですね」

 と、松山矩三郎。

「かもしれないな。信玄公もあの世で苦笑していよう。もし失敗でもしたらあの世に行ったときお叱りを受けるだろうが、成功すればきっとお褒めの言葉もいただける。あの世の信玄公の御名に恥じないよう、この作戦を成功させよう」

「「ハッ!」」

「では、ジョウゴを左右で支えていてくれ。大声を出すには両手も使うんだ。しっかり持っていてくれよ」

「「お任せください!」」

「すう~」

 隆広は思い切り、息を吸い、腹にチカラを込め両手をみぞおちに当てた。そしてノドが張り裂けんばかりに吼えた!

 

「一向衆門徒たちに告ぐ!」

 

「…!?」

「なんだなんだ?」

 突然敵方から大きな声が聞こえてきた。しかも自分たちを呼んでいる。陣場に座っていた門徒たちは声のする方角を向き、立ち上がった。

 

「門徒たちよ! そなたたちが加賀の国を奪ったのは自由を求めてであろう! それがどうだ! 強欲荒淫の坊官、七里頼周の支配を受けて、結局そなたたちの境遇は変わっておらぬではないか! この戦は愚劣卑怯の七里頼周が本願寺への点数稼ぎのために起こしたもので、そなたらには何の実りもない戦である! さあ武器を捨てて逃げよ!」

 

 ジョウゴを当てているとはいえ、隆広の声は七里勢、柴田勢にもよく響いた。強欲荒淫と言われた七里頼周が陣から出てきて側近に尋ねた。

「敵はなんであんな大声を出せるのだ?」

「大きなジョウゴを当てて叫んでおる様子」

「虚言に惑わされるなと全軍に…」

 

「南無阿弥陀仏と唱えているだけでは何も得られぬ! 唱えるだけで極楽に行けるなどと云うのは虚言以外の何物でもない! そなたたちはだまされておるのだ! 仏にだまされておるのではない! そこにいるハゲ頭の愚物に踊らされているのだ! そなたらはそんな能無し僧侶のために命を捨てて戦うのか! げにも無意味で愚か! 死に場所を間違えてはならぬ! 武器を捨てて逃げよ! もう加賀の国境に我らが大殿、織田信長が五万の兵を率いてこちらに向かっている! 戦場の露となるなかれ! 故郷の田畑の土になるを望め! 七里頼周ごときのイヌに成り下がって死にたいのか! さあ武器を捨てて逃げるのだ!」

 

 七里頼周の顔は怒りのあまり、どんどん赤くなっていった。

「言わせておけば…ッ!」

 

「そなたらは、元を辿れば加賀国守護の富樫氏の圧政に苦しみやむをえずに蜂起した民の子孫だ。邪宗を忘れ矛を収めるのならば、そなたたちは後に我ら織田家の愛するべき民になるであろう! しかし! その厚顔無恥の破戒僧の呪詛どおりに我らと戦うとあらば容赦はせぬ! だが武器を捨てて逃げるのならば追いはせぬゆえ、早々に引き返すがいい!」

 

「だまらせろ!」

「僧正様、敵は鉄砲の射程外で言っておりまするゆえ…」

「ならば近づいて狙撃しろ!」

 もはや、七里頼周は怒りにより極度に興奮して周りが見えなくなっている。

 

「よくまあ、あれだけの悪口を思いつくものですな」

 後方で備えている可児才蔵は苦笑し、同じく苦笑している前田利家に言った。

「まったくだ。隆広は門徒の士気を下げると同時に七里頼周を挑発している。今ごろ七里頼周の坊主頭はゆでだこになっているだろう」

 可児才蔵と前田利家は、隆広を認めて評価もしているが、佐久間盛政は違う。忌々しそうに隆広の背を見つめていた。

「下策を用いよって! 武士ならば弓と槍で戦場を駆けるものよ! …まあよいわ、いざ合戦が始まれば誰が柴田家髄一の武将が伯父上もお分かりいただけるはずだわい」

 

「それにそなたたちは今に我々と戦っている場合ではないだろう! この時期は収穫期ではないか。そなたらが丹精込めて作った稲穂や麦が待っているのではないか? もしこの戦に駆り出されたことにより収穫が減ったとしても、暴虐の悪鬼羅刹であるタコ入道が年貢の軽減などを言うと思うか! そなたらはそんな者の盾になって我らと戦うか! 七里頼周ごとき小者の情け容赦ない搾取に甘んじるのか! 今なら生きて帰られる! 収穫に間に合うぞ! 武器を捨てて逃げよ!」

 

 布陣前に隆広が見込んだとおり、大半の門徒は渋々戦いに参加していた。領主というべき七里頼周は民を省みない坊官。他国の門徒たちは顕如の指示どおり『信長憎し』であろうが、皮肉にも一向宗の国となった加賀においては、むしろ信長より領主の七里頼周の方がより怨嗟を受けていたのではないだろうか。

 隆広が発した声に、門徒たちは元から少なかった戦意が、さらになくなってしまった。陣の後方で、一人が武器を捨てて逃げ出した。こうなると、もう歯止めが利かない。

「こら! 逃げるでない!」

 大将の七里頼周の叱咤も届かない。

「逃げると仏の罰が下るぞ! 逃げたものは加賀に帰った後に死罪にするぞ!」

 脅してももはや止まらない。門徒は次から次へと逃げていった。

 

 隆広は最後の仕上げに入った。

「ジョウゴはもうよい、鉄砲をかせ」

「ハッ」

 一丁だけ本隊から借りて持ってきていたのである。そして

 

 ドーンッ!

 

 空に向けて発砲した。これが完全にとどめとなった。門徒たちは武器を捨てて我先に逃げていった。

「御大将! 見てください! 門徒たち逃げていきますよ! 作戦大成功! やったぁ―ッ!」

 隆広の兵、松山矩三郎と高橋紀二郎は子供のように飛び上がって喜んだ。痛快だった。他の兵たちも大喜びである。中には泣いている者さえいた。

「よし、みんな。本隊に戻る。このスキに乗じれば、この戦の勝ちは目前。急ぎ戻るぞ」

「「ハハッ!」」

 兵たちは歓喜の興奮を抑えつつ、隊列を組んだ。この時に隆広は声を発するときに使ったジョウゴもちゃんと拾って持っていた。馬に乗る前、それを共に作った矩三郎に言った。

「矩三郎、そなたと夜なべして作ったこのジョウゴで一向宗の万の兵を追い払えた」

「もったいないお言葉にございます」

「これは味方を鼓舞するのにも使えるな、大事にするよ」

「は、はい!」

 

 柴田勝家も、そして他の諸将もあぜんとしていた。敵方の四分の三の兵が、つまり三万強の一向宗門徒がたった一人の男の言葉で戦意を失い次々と逃げ出してしまった。

 兵法に『城を攻めるは下策、心を攻めるは上策』と記されているが、こんなにそれが分かりやすい展開はなかった。

「殿、戻りました」

「うむ、見事な働きであった。褒めてとらすぞ」

「はい!」

「見よ、門徒どもが逃げ出したおかげで、七里本隊も士気が落ち混乱しておる。全軍で一気に攻める!」

「「ハハッ!」」

「全軍、蜂矢の陣にて突撃じゃ!」

「「ハッ!!」」

「かかれえ――ッッ!!」

 勝家の軍配が七里隊に向けられた。一万二千の柴田隊は一斉にときの声をあげて怒涛のごとく七里本軍に襲い掛かる!

 勝家の寄騎である才蔵と隆広は布陣した場所から動かず、勝家の傍らで待機している。そして誰の目から見ても、柴田勢の優位さは変わらなかった。残る本願寺の僧兵たちも大量に門徒たちが逃げた事から士気は無きに等しく、次々と討ち取られていった。戦況はもはや本隊が動くまでもない。さすがは織田家最強軍団と呼ばれる柴田勝家の軍勢である。この合戦においての隆広の出番はもうなかった。

 

 しばらくすると、七里頼周を討ち取ったと云う報告が入った。柴田軍大勝利である。加えて門徒たちが捨てていった鉄砲の数は千五百丁以上。あまり鉄砲の収集が得意ではない柴田家にはこの上ない戦利品だった。思わぬ置き土産に柴田勝家は歓喜した。

 加賀大聖寺城の戦いは、こうして柴田勝家の大勝利で終わった。水沢隆広と云う戦国武将の名が始めて歴史に登場した合戦でもある。一番手柄は佐久間盛政、二番手柄は前田利家、三番手柄が水沢隆広となっている。隆広は実際には戦場で戦ってはいない上に初陣。控えめにしたのも勝家の気配りとも言える。

 だが、隆広はこの戦の手柄と、先日の城普請の功も合わさり、足軽大将に昇進した。上限千五百の兵を任される将となったのである。陪臣(君主の家臣の家臣)とは云え、隆広はこの時点で織田家の若君たちを除けば織田家最年少の部隊長となったのである。佐久間盛政、柴田勝豊、佐々成政は不満であったが、普請と、この戦での功績は認めざるをえなかった。

 

 しかし、この合戦で前田利家があることに気づいていた。隆広は門徒に訴えている時、五度も『武器を捨てて逃げよ』と言った。つまり隆広はあわよくば門徒たちの持つ鉄砲もいただいてしまおうと考えていたのではないかと利家は見た。翌日に大聖寺城にて戦勝を祝った日、利家は隆広の隣で飲み、それとなく尋ねてみた。

『ただの偶然です』と隆広は笑っていたが、やはりあの鉄砲の放置の多さは、隆広の五度の『武器を捨てて逃げよ』が効いていたとしか思えない。利家はそら恐ろしさすら感じた。

 

 そして利家は誰にもそれは言わなかった。隆広は柴田家幹部数名から激しい妬みも受けている。

 かつて利家は羽柴秀吉の破格の出世を目の辺りにして、秀吉が常に諸将の妬みを一心に受けていたのを見ている。秀吉は生来の豪放磊落の性格をしていたからそれを歯牙にもかけなかったかもしれないが隆広は違う。まだ十五の少年で、しかも性格は繊細に思える。秀吉と同じような嫉妬の念に耐えられるか疑問である。今回の鉄砲の思わぬ収穫の功を一切主君勝家に主張しなかったのも、それから身を守る術だったのかもしれない。

 才蔵が『案や策があるなら言うべき。言わぬは不忠』と隆広に釘を刺したとは聞いた。だが現実、それをバカ正直に毎度実行しては僭越にもなるし、他者には増長とも取られてしまう。秀吉のようにオレがオレがとスキあらば主君信長に自分を売り込むようなマネは、おそらく隆広にはできない。

 

 だから隆広は鉄砲を接収できる策だけを実行して、その手柄は他者に譲ったのだろう。秀吉が聞けば、なんとお人よしと笑うかもしれないが、それも一つの処世術。初陣から隆広は声一つで破格の手柄を立てた。仕官して一ヶ月も経たないうちに足軽大将である。

 明智光秀や滝川一益のように、最初から侍大将や部将として召抱えられた例もあるものの、彼らはそれなりに名が通った武将であった。隆広はまったくの無名で秀吉以上の破格の出世を成した。これから隆広には常に嫉妬の念がついてまわるだろう。そして勝家も立場上、かばうことが出来ないこともあるかもしれない。

 

 幸いな事は、柴田家重臣たちである毛受勝照、拝郷家嘉、中村文荷斎、金森長近、不破光治が隆広に好意的なことである。この面々まで佐久間盛政や柴田勝豊同様に隆広を毛嫌いしていたらどうしようもないが、主なるこれらの将が隆広に好意的ならば自分がかばえば何とかなると利家は思った。

 無論、年若く勝家の寵愛を受ける隆広を快く思っていない者は他に数え切れないほどにいるであろうが、幹部にこれだけ好意的な者の方が多いことが幸運なのは確かである。

「しかし、いかに才がある養子候補だろうと隆広に対する殿の寵愛は異状だ。あのエコヒイキぶりでは逆に隆広はつぶれかねないし、家臣団に不和が生じるのもお分かりになるはず。何か考えがあっての事か…」

 色々と思案した利家だが、最後にこの答えへ達した。

「とにかく、オレが隆広を勝家様に会わせたのも何かの縁だ。あれほどの若者を小者の嫉妬でつぶしとうもない。しばらくはそれとなくオレがかばっていこう。それに君臣に不和が生じる前に何とかするのも家老の務めだ。忙しくなりそうだな」

 その言葉を記し、利家の本日の日記は締めくくられた。

 

 勝家隊は北ノ庄城に凱旋した。味方大勝利の報は城下町にも伝わっていた。領民たちは喝采をあげて勝家を出迎えた。城下町の中央通りを威風堂々に進む柴田軍に拍手は鳴り止まない。

 通りの両脇で人混みに圧倒されながらも、さえは隆広を見つけていた。そして最後尾の本隊。領主勝家の寄騎として堂々と主君の傍らにいる隆広を見つけた。

「隆広様―ッ!」

 さえの声に気付いた隆広は、恋焦がれている少女の歓喜の声に疲れが癒されていくようだった。隊から離れて抱きしめたいくらいだが、そうもいかない。ニコリと笑ってさえの笑顔に答えた。

(ああ、よくぞご無事で!)

 凛々しい隆広の凱旋姿にさえの胸は高鳴った。

 

 城下の娘たちも、さえが発した言葉で隆広を見つけた。彼女たちもずっと探していたのだが、全軍が同じような兜と鎧をつけているため見つけられなかった。見つけたら我先にと黄色い声を上げた。

「「キャ―ッ! 隆広様―ッッ!」」

「「こっちをお向き下さ―い!」」

 あまり女に慣れていない隆広は顔を赤くした。

「ま、まいったな…」

 隆広の後ろを歩く兵たちはすこぶる面白くない。

「ちぇっ 誰もオレたちの名前なんて呼ばねえや」

「グチりなさんな。これから武功を立てていけば物好きな女が一人ぐらいお前を呼ぶよ」

「オレたちは城下の鼻つまみ者だったからな、仕方ねえさ。でもこれからは違うもんな!」

「おうよ! 御大将の元で華々しい戦ばたらきしてやるさ。そうすりゃ向こうから寄ってくるってモンだ!」

 

「隆広」

「はい、殿」

「今、お前に黄色い声をあげた娘たちを泣かせたり憎まれるような将にはなるなよ。あの娘たちや、この北ノ庄の人々の笑顔を守っていくのが我らの仕事だ。ずっと黄色い声を受けられるような、そんな大将となれ。お前の父、隆家殿は女子に不器用ではあったが、斉藤の武将の中で領内の女子供にもっとも慕われていた。それは強くて優しい武将であったからに他ならない。お前も見習うのだぞ」

「そうとも隆広、ガキのころ隆家様の騎馬姿にオレはどんなに憧れたか。子供が憧れるような大将になれよ」

 隆広と同じ、美濃育ちの可児才蔵が背中を叩いた。

「はい!」

 

 無事に合戦を終えて、軍勢の解散が城の錬兵所で勝家から言い渡された。隆広は兵士たちに城下で一杯やりましょうと誘われたが、そこに勝家が来て紹介したい者がいると言われ部下たちに後日の約束をして勝家についていった。

 城内の勝家の私宅に連れて行かれると、そこには勝家の愛妻の市がいた。そして娘三人も。市と三姉妹は勝家を出迎えた。

「殿、お疲れ様でございました。お味方見事な大勝利と聞き及んでいます。謹んでお祝い申し上げます」

「うむ、市も留守ご苦労であった」

「父上、お帰なさ…」

 と、茶々が父の勝家に言おうとしたときだった。茶々は勝家の後ろにいる若武者を見て眼が飛び出るほどに驚いた。

「ああッ!」

「は?」

「あ、姉上! こないだ城下で見た美男子だよ!」

 また、お初が余計な事を言うので茶々は慌ててお初の口を押さえた。茶々は顔を真っ赤にしていた。

「茶々? どうしたの?」

「な、なんでもありません!」

「母上、父上の後ろにいる殿方が」

「だあああッッ! お黙りなさいよ! お江与!」

 

「まさか…?」

 市と勝家は顔を見合わせた。そして勝家は大笑いした。

「あっはははははッ! そうか! 前に言っていた若侍というのはこいつの事か!」

「ち、ちがいます! ちがいますってばあッ!」

「は?」

 隆広には話が見えなかった。しかし、目の前にいるのが市と三人の姫君というのは理解できた。

「市、この男が前に話していた水沢隆家殿の養子、水沢隆広だ」

「まあ、りりしい男児。初めまして、勝家の室の市です」

「お初に御意を得ます、奥方様」

 ひざまずき、眼をふせる隆広。

「顔をおあげなさい。わらわに顔をよう見せてください」

「は、はい」

 市はじっと隆広の顔を見た。隆広も市を見た。市は優しく微笑む。

「隆広殿、そなたの父上は我が織田家を震え上がらせた猛将。夫の勝家、兄の信長さえ恐れ、そして尊敬した武将です。そんな偉大な養父を持ち、誇りと思うと同時に、その名が重荷と感じるかもしれません。ですが隆広殿は隆広殿です。父のように、父のようにと、あまり根をつめてはなりませんよ」

「は、はい! ありがとうございます」

「隆広殿、私と勝家の姫たちです。三人ともおてんばですから、色々と貴方にも苦労をかけるでしょうが、よろしくお願いいたします」

「ハッ」

 隆広は三姉妹にもひざまずいた。

「茶々姫様、初姫様、江与姫様、お初に御意をえます。水沢隆広です」

「初です」

「江与です」

 次女と三女の姫は隆広の丁寧な挨拶に、初々しくも答えた。だが長女の茶々は隆広の顔が見られなかった。胸は高鳴り、恥ずかしくてたまらない。

「ちゃ、ちゃ、茶々です! こ、こちらこそよろしくお願いしますです!」

 と言って屋敷に逃げてしまった。その反応に勝家は笑いをかみ殺していた。小声で市がやんわり叱り付けた。

(殿、笑い事ではございませぬ。茶々と隆広は…)

(ん? まあ、そういうことになるが、まだ十五と十三ではないか。気にすることもなかろう)

(だといいのですが…)

 茶々が自分の前から走って消えてしまったので、隆広は市に尋ねた。

「な、何かそれがしは茶々姫様に変な事でも言いましたでしょうか?」

 お初が代わりに答えた。

「姉上は色々と難しい年頃なのです。隆広殿も女心を理解しないと!」

「は、はあ…」

(マセた事を言う姫だな)

「隆広殿には、もう奥さんいるのですか?」

 と、お江与。

「い、いえ。まだ独り者ですが」

「聞いたお初姉さん! 茶々姉さんにもまだ勝機ありよ!」

「そうねそうね!」

「は?」

「いやいや、隆広、あまり娘たちの言う事は気にするな。今回は市に会わせたかった。柴田家はみな家族じゃ。たまには市と娘たちに顔を見せてやってくれ」

「はい!」

「必ずですよ、隆広殿」

「「浮気しちゃだめです」」

「は?」

「初に江与、マセた事を言ってはなりません! ごめんなさい、隆広殿」

「はあ」

「ははは、さて、さえもお前の帰りを待っていよう。今回はこの辺で帰るが良い」

「はい!」

「では明日な」

 

 隆広は城を出て、城下町の自分の屋敷へと走った。

「腹へったなぁ…」

 自分の屋敷から炊煙が上がっていた。美味しそうな焼き魚の匂いが鼻をくすぐる

「さえ殿! ただいま戻りました!」

「お帰りなさい! 隆広様!」

 優しく迎えてくれるさえの声を、隆広は言いようのない歓喜の中で聞いた。

「いいよなあ…。こういうのが幸せっていうのかな」

 

 隆広の初陣はこうして終わった。十分に勝家を満足させ、他の将兵も一目置かざるを得ない英才を示した。

 また、後日談であるが、門徒数万を一斉に退かせた隆広の言葉を発したジョウゴは後に松山矩久と云う名の武将になった松山矩三郎が大切に預かり、今日に至るまで松山家の家宝として現存し、国宝にも指定され大切に保存されている。万の兵を一斉に退かせた声を発したジョウゴ。後の人はこのジョウゴを見て堂々と口上を言った水沢隆広の勇姿を思い浮かべた。



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藤林一族

忍び登場です。


 加賀大聖寺城の合戦以降、一向宗門徒たちの動きは鈍くなり、越前への国境を脅かす事はなかった。

 戦後処理を終えると、隆広は主君勝家に二日間だけ休みをもらった。養父長庵、水沢隆家が死ぬ間際に残した『美濃藤林山にいる木こりの銅蔵を尋ねよ』と云う言葉。隆家が死ぬ間際に言った事ならば、それは重要な事かもしれぬと勝家も見て、快く二日間の休みを与えた。隆広は部下の松山矩三郎と高橋紀二郎を供にして、一路美濃の藤林山に向かった。

 

 藤林山の木こりと聞いていたので、主従三人は特に何の警戒も持たずに山に入った。そして戦慄した。気がつけば隆広は部下の二人とはぐれていたからである。道中に視線もいくつか感じた。見張られていると気付く隆広。だが部下とはぐれた以上、一人で帰ることもできない。

「うかつだった…。ここは隠れ忍者の里じゃないか!」

 そろそろ夕方に差し掛かったころだった。山奥で呼び子が鳴った。すると隆広の周囲の視線はサッと消え去り、奥へと消えた。

「なんだ…?」

 とにかく部下を残して引き返せない。隆広は笛の音の方向に歩いた。そして見つけた。いや誘導されたと言っていいかもしれない。たどり着いた集落を見て驚いた。田舎の農村のような集落ではない。小規模な城下町を思わせるような集落だった。田畑は広がり、しっかりした家が何件も軒を連ねていた。山奥にこんな緑豊かな集落があったとはと隆広は驚いた。そしてその集落の中央に旗が上がっていた。それは『歩の一文字』の旗だった。

「あれは…父の旗!」

 

「そう、我らが主君。水沢隆家様の旗でございます」

 隆広のすぐ背後にその男はいた。ハッと振り向くと、またその男はいなかった。

「誰だ!」

「ふふふ、あなた、たわむれが過ぎますよ」

 一人の女が隆広の元に歩んできた。

「あ、あなたは?」

「初めまして…ではないですね。赤子の竜之介様に乳を与えた事もございますから」

「え!?」

「覚えていないのも無理はありません。わたしはお清、あなたの養父の水沢隆家様に仕えていたくノ一でございます」

「父上に…?」

「いかにも」

 お清の夫がやっと姿を見せた。

「大きゅうなられましたな、竜之介様、いえ水沢隆広様」

 

「御大将~ッ!」

 矩三郎と紀二郎が隆広に駆け寄ってきた。

「面目ございません。御大将の後ろを歩いていたら、いきなり頭をポカリとやられてここに」

「そうであったか、無事で良かった」

 周りを見ると、腕に覚えのありそうな老若男女がズラリとそろい隆広を見ていた。若いくノ一の中には頬を染めて美男の隆広を見つめる者もいた。

「では貴方が?」

「さよう、藤林銅蔵と申します。お父君の隆家様に忍びとしてお仕えしておりました」

「そうですか…。実はその父なのですが…」

「聞いております。お亡くなりになられたのでしょう」

「ご存知だったのですか」

「情報収集は忍者の特技にございます。立ち話もなんです。私の屋敷にお越しを」

「は、はあ」

 

 隆広は銅蔵の屋敷に入った。かなり広く、さながら堺商人の屋敷のようだった。里の忍者たちも同席した。

「粗茶ですが」

 隆広と同年ほどの少女だった。矩三郎と紀二郎は思わず見とれてしまった。

「こんな山奥にはもったいないほどに美しいな」

「ああ、連れて帰りたい」

「山奥で悪かったわね」

 二人の後ろに、長い髪をたらす気の強そうなくノ一がいた。

「「いっ?」」

「連れて帰られるものなら連れて帰ったら? ナニをチョン斬られても知らないよ」

「舞、よさぬか」

 隣に座る、白髪の老人が孫娘を叱った。

「は―い、お爺さま」

 

 隆広は出された茶を一気に飲んだ。ノドが乾いていたのである。

「毒が入っているとは考えませんでしたか?」

 銅蔵の問いに隆広は笑った。

「なぜです? それがしなど殺しても何の得にもなりますまい」

「ふふふ、それで、本日は何の用で?」

「それが…」

「それが?」

「分からないのです」

「はあ?」

「いえ、父は死ぬ間際に苦悶しながらも『藤林山の木こりの銅蔵に会い、わしの死を伝えよ』と言いました。それがしはそれを伝えに来ました。しかし銅蔵殿は父の死を知っていました。それがしは父の死を伝えに来ただけなのです」

 銅蔵の屋敷にどよめきが起きた。

「『わしの死を伝えよ』、確かにそう言われたか?」

「はい」

「なるほど、分かりました」

「…?」

「隆広殿、この里を見て最初にどう思ったかな?」

「はい、まずみんな強そうだなと、どこの大名を支持している忍者衆なのだろうと…」

「わしらはどの大名にも仕えておりませぬよ。我らにとり主君は隆家様のみ。斉藤家ではなく我らは水沢隆家様にお仕えしていたのです」

「で、ではどうやってみなさんは糧を得ていらっしゃるのです? 田畑や養鶏などもしているようですが、これだけの集落を存続させるには相当なお金が!」

 

 銅蔵は一人の男を指した。

「城壁修築以来ですな、水沢様」

「げ、源吾郎殿! なぜここに!」

 隆広が北ノ庄城の城壁に割普請を行った時に協力をしてくれた北ノ庄城下町の市場の長、源吾郎がそこにいた。彼は商人衣装を解いて忍びの黒装束に瞬時に身なりを変えた。隆家の死と養子の隆広が柴田家に仕えたと里に知らせたのも彼である。

 藤林一族は隆家と養子隆広の事を気にはかけていたものの、自分たちが関わってはすでに僧門に入っている主君の迷惑になると考え、藤林の方からも連絡を取る事はなかった。ゆえに主君と思慕しつつも隆家と隆広の近況はまったく知らなかったのである。だが養子が織田家の柴田勝家に仕えたと知り、再び忍びとして働けるかもしれないと一族は歓喜した。

 今日ここに隆広が来ると云う事も源吾郎が掴み里に知らせた。棟梁の銅蔵は畿内に散っている部下たちを呼び寄せ、新たな主君となるかもしれない若者の器量を一族みなで見分するつもりだった。

「私は柴舟(さいしゅう)と申します。北ノ庄での源吾郎は私の仮の姿でございます」

「驚いたな…」

「隆家様は我ら忍びに課す条件が、それはお厳しい方でした。我らは商人や僧侶に化けて敵勢力の内偵をするのが仕事ですが、付け焼刃の商人や僧侶では必ず敵の忍びに正体が分かってしまうというのが隆家様の持論でした。だから我々は本物の商人や僧侶となったのです。あまり羽振りはよくない北ノ庄市場の主の私ですが、商人としても一角と自負しています。これも隆家様の下された厳しい条件のおかげと我らはみな感謝しているのです」

「なるほど、それが…」

 銅蔵が答えた。

「さよう、この里が飢えずに繁栄している理由でございます。主を失っても主より受けた恩により、我らに今がございます。かく言う私も美濃と尾張周辺の杣工(木材を育成、伐採する木こり)の棟梁でもあります。織田家に材木を卸す生業をしておりますよ。ゆえに美濃の支配が斉藤家から織田家に変わっても織田家にこの山を召し上げられる事はなかったのです。信長公には何度かお会いしていますが、一度も忍びと察せられたことはございませぬ」

「すごいな…」

「いえいえ、隆家様にお会いするまでは我らも夜盗同然でした。我ら元は武田に滅ぼされた信濃平賀家の忍びだったのですが主家を失い、かつ武田の追撃それは厳しく、信濃を越えてこの美濃に逃げ込み、食うに困り夜盗をしていたところを当時領内の治安維持を道三公に任されていた隆家様に捕らえられてしまいました。

 もはやこれまでと観念したところ隆家様は我らを罰するどころか、『小数なれど、その統率の取れた戦いぶり褒めて取らす。さすがは猛将平賀源心入道殿に仕えた忍びよ。今そなたらに主君なくばワシが召抱えたいがいかがか?』と申され、ご自分の領地にあったこの山を我らに与え、直属の忍びとして登用されて下された。感激した我らは、それ以後隆家様にお仕えしたのです。この娘の名付け親にもなって下さいました」

 銅蔵の傍らにいる美少女がペコリと隆広に頭をさげた。

「すずです。生まれたばかりの娘を抱いて『丈夫に育てよ』と言って下さいました。だがその隆家様ももはやおらぬ…」

 忍者たちからすすり泣く声が聞こえた。

 

「すごいなあ…父上は…」

「斉藤家が滅び、隆家様は野に下りました。織田家からも武田や上杉からも家臣にと望まれましたが隆家殿はすべて拒否して僧となりました。それが隆家様のご決断ならと我々は隆家様から暇をいただきました。しかし今でも我らの主君は隆家様お一人。こうして里が裕福に暮らしていけるのも、隆家様が我らを商人としても歩める技量を会得させて下されたからです。米や野菜も自給自足できるよう、農耕の知識も教えてくださいました。主君であり、恩人であるのが貴方のお父上なのです」

「…初めて聞きました。父は昔を語らない人でしたから…」

「ある日、御歳一歳にも満たない隆広殿を連れてきて、しばらく私の家内の乳を吸わせた時期がございましたが、そのおりに隆家様は言いました。『さる方から預かった大事な男児。立派にお育てしてお返しするつもりだ』と」

「そうですか…」

「この藤林山を含め、隆家様は斉藤家より二万五千石ほどのを領地をいただいておりました。隆広殿も稚子の時は隆家様の屋敷で過ごされたのですよ」

「幼いころゆえ、確かな記憶はございません。物心ついた時には、すでに正徳寺の小坊主でした」

 隆家が隆広への本格的な修行を行いだしたのは正徳寺からである。隆広には『武将・水沢隆家』の記憶はほとんどない。

 

「『わしの死を伝えよ』と云う隆家様の言葉の意味は分かっております」

「…え?」

「『せがれがお前たちの目にかなうものならば助けてやって欲しい』と云う意味でございます」

「すごいや御大将! こんな忍者集団が味方についてくれれば!」

「そんな簡単に味方につくわけないだろう!」

 はしゃぐ紀二郎に舞が怒鳴った。

「いやだって…たった今銅蔵さんが」

 舞の迫力に腰が退けている紀二郎。

「確かに隆家様のご遺命ならば、我らはたとえ養子の隆広殿がどんなに暗愚だろうとお助けするのが使命とも言えるでしょう。しかし忍者は権力にではなく人に仕えるもの。隆家様と同じように隆広殿に心からそう忠誠を誓えるものではない。しばらくは隆広殿をじっくり観察させてもらおう。我らは畿内一円に商人としても僧侶としても点在する。私からも他の忍びたちから見ても、隆広殿が父上に匹敵する将器を備えていると見たならば喜んで犬馬の労を取ろう。だがダメ息子と分かった時は我らの主君の名を汚す者として容赦なく殺す!」

 銅蔵は瞬時に隆広へ刀を突きつけた。隆広は眉一つ動かさず、ニコリと笑った。

「分かりました。その時はどうぞお斬り下さい」

「よいお覚悟だ。水沢姓と『隆』の字を受け継ぐものにはそれほどの重みがあると分かっておいでだ」

 銅蔵もニコリと笑い、刀を納めた。

「客人がお帰りだ。舞、藤林山の外までお送りしなさい」

「はっ!」

 

 舞が隆広主従を連れて山の外へ案内していた。

「なるほど、本当に隠れ里だ。何度来ても我々じゃ迷子になるな」

 隆広は周りの木々を見つめて笑った。矩三郎や紀二郎は舞の胸やお尻ばかり見ていたが。

「ふん、そんな部下を持っているようでは、そう遠くない先にお前はお頭に殺されることになりそうだね」

 舞の言葉に二人は小さくなった。

「ははは、二人はこう見えても頼りになる男ですよ。まあ彼らの視線を不快に感じたのなら主のそれがしがお詫びいたします」

「ふん…」

「ところで舞殿は父と会ったことは?」

「…あるよ、一度だけ。もっとも記憶にほとんどない。ちっちゃい子供の時だったから」

「なるほど」

「でも、私を抱き上げてくれた時の温もりは覚えている。お前はあの温もりを一身に受けて育ったんだろうな。うらやましいよ。私は物心ついたときから祖父に辛い修行ばかり課せられていたから、あの一瞬の温もりが支えだったようなものだ」

「そうですか」

「さあ着いたよ! 今度死体でこの山に来ないことを願っておいてやる! ありがたく思え!」

「ありがとう、それでは二人とも北ノ庄に帰るぞ!」

「「ハッ」」

 隆広主従は山の外に繋げておいた馬に乗って藤林山から去っていった。

「ちぃ、いい男だね」

 舞は頬を少し朱に染めていた。美男と云うだけで好意が生じるほど単純な女ではない。隆広の人物に何かを感じたのだろう。また会えるといいなと胸に思いながら、舞は里に走り戻った。

 

「白、隆広殿をどう見た?」

 白は隆広と同じ年の美童で、源吾郎こと柴舟の一人息子で里屈指の忍者である。銅蔵の問いに白が答えた。

「はい、私は父の柴舟と共に北ノ庄の城下で隆広殿のやりました割普請を見ました。いかに割普請が羽柴筑前の真似と言えども、それなりの才覚と統率力がなければ実行不可能です。しかも当時のあの方には兵もおりません。まったく何も持たない状態からわずか千五百貫の資金で、かつ二日で成し遂げました。私は将器を備えていると思いました」

「ふむ、すずは?」

「武田信玄の戦略を用い、万の門徒を退かせ寡兵だった柴田軍に逆転勝利をもたらした軍才は評価に値すると思います。また鉄砲を接収するために打った一手も見事。補佐するに値する将と私は見ました」

「ふむ…柴舟は?」

「隆広殿は以前にこう言いました。『民からの搾取のみで国の資金を調達する時代はそろそろ終わりにしなければならない』と。今までにいない、本当に民の事を考えた大将となるかもしれないと私は見ました。忍者としてはまだ彼を補佐はできないかもしれませんが、商人としての私は彼への支援を惜しまないつもりです」

「ふむ、幻庵は?」

 幻庵は舞の祖父で、銅蔵と共に水沢隆家の両翼として活躍した忍びである。普段は岐阜の町で好々爺として過ごしている。

「お前の抜刀に隆広殿は顔色一つ変えなかった。胆力も申し分ないと思うが」

「みんな乗り気だな。困ったぞお清、これでは話し合いにならぬ」

「あなたとて、もう分かっておいでなのでは? 私の乳を飲んだ男児。そう安物に育つわけがございませぬ」

 自分の両の乳房を誇らしげに叩いてお清は笑った。

「そうだな、しかしもう少し隆広殿を見分させてもらおう。だが我らが再び『歩の一文字』を掲げて戦場に出るのはそう遠くなかろう、皆の者!」

「「ハハッ!」」

「よいか、隆広殿に助勢となれば当然のことながら敵は一向衆門徒、ひいては上杉との戦いもありうる。それをふまえ、これより一層に修行に励め!」

「「ハハ―ッッ!」」

 後に隆広直属の忍びとして、戦国の世に暗躍する藤林一族はこうして隆広と知己を得た。

 少数ではあるが戦国屈指の忍者衆と呼ばれ、戦国後期最強の軍団と呼ばれた水沢隆広軍の黒子として主君隆広を支え、あの手取川の撤退戦では主君水沢隆広と共に、軍神上杉謙信の本陣に突撃する事になる。

 

 藤林山から戻った翌日、隆広は亡き養父の隆家が眠る北ノ庄城下の寺に向かった。父に藤林一族と会ってきた事を報告するためであった。

 隆広は父の墓に月命日も来るし、何か父と語りたいときもやってくる。まだ隆広は父に立派な墓を立てられるほどに裕福ではない。主君勝家や前田利家が遠まわしに負担を申し出たが隆広は断った。自分の稼いだ禄で父に立派な墓を立てたいと思っていたからである。

 しかし、粗末な墓と云っても隆広とさえの手により清潔そのもので、花も絶やさない。隆広が養父を慕うほどが伺える。

 そして、今日も花と水、墓を清掃する道具を持って隆広とさえはやってきた。しかし今日は先客がいた。なんとその人物は柴田勝家であった。

「と、殿…!?」

 隆広とさえは急ぎ平伏した。

「よい、今日は平時である。そんなにかしこまらずともよい」

 墓を見ると、花も新しく、清掃も済んでいた。酒も供え物として置いてある。

「殿が…?」

「なんだ? ワシが墓掃除などおかしいか?」

「い、いいえ!」

「ははは、しかしすまんな。どうやらさえの仕事を奪ってしまったようで」

「そ、そんな」

「花がもったいない。どれ、ワシの献花と一緒に添えるがいい」

「は、はい!」

 

 水沢隆家の墓には隆広とさえの他にも訪れる者は多かった。隆広を嫌う佐久間盛政とて訪れているのである。それほどに織田と柴田の武将たちから尊敬を受けている武将だったのである。その隆家の墓の前で勝家は隆広に訊ねた。

「隆家殿が臨終の際に残した言葉の意味、分かったのか?」

「…はい、それは父が斉藤の武将だったときに用いていた忍者衆の事でした。父は自分の死を伝えさせることで『せがれがお前たちの目にかなうものならば助けてやって欲しい』と忍者衆の棟梁に伝えたのです」

「隆家殿の忍びか…そうとうに鍛え上げられた忍びであろうな…」

「はい、それがしもそう見ました」

「事が忍びの事ゆえ、これ以上ワシはそれについて聞かぬが、その者たちに認めてもらえるよう励むがいい」

「はい!」

「ふむ」

 勝家はニコリと笑い、隆広の肩を握った。

「きっと隆家殿も今のお前の言葉を聞いて喜んでいるだろう」

「…殿はよく父の墓に来て下さるのですか?」

「ん? ああ、たまにな。最初は隆家殿の生前の偉功を思うと、もう少し立派なものをワシの一存で立てようとも思ったが、気が変わった。常に花は絶えず、そして掃除の行き届いたのを見ると、墓は石が豪勢なものが立派ではないと知った。隆広とさえの心づくしに隆家殿も地下で喜んでいるだろう」

 隆広とさえは顔を赤めた。

 

 勝家が立ち去るのを見送り、隆広とさえは改めて養父隆家の墓に墓参した。線香をあげて合掌し、隆広は言った。

「父上…。父上の忍者たちに会ってきました。父上のこと色々聞いてきました。父上はすごい武将だったのですね。誇りに思います」

 隣で隆広の言葉を聞きながら、隆家の墓に合掌するさえ。チラリと隆広の横顔を見て少し頬を染めた。

「そして父上…。オレは勝家様に仕えられた事が本当に嬉しいと思います。これも父上のおかげです。あの世から見守っていて下さい!」



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真っ向勝負

ついにその時が訪れます。


 柴田勝家は隆広に開墾などの主命を与え、隆広は忙しくもそれをこなしていた。彼の兵の三百はこの一連の作業にも大いに働きを見せて、加賀大聖寺城の合戦後からしばらく経つと、城下町の人々の評価も

「いや~あのワルガキたちがなあ~」

「上に立つ人によって、あんなにも働き者になるもんなんだねえ~」

 と、見事なほどに変わっていた。兵農分離が行き届いた織田兵だが、実際は内政的な現場作業にも当たる事は多い。今までこういう作業を怠けていた彼らだが、本当に上司が変わっただけで働き者になってしまった。

 

 内政主命は一つ受けるときに勝家から三千貫の資金を受ける事ができる。

 この資金の使用用途の中には工事資金は無論の事、兵士や人足への賃金も含まれる。どのように割り振るも指揮官の自由であるので隆広はなるべく兵士と人足への賃金に当てるようにやりくりした。当時余った賃金を着服する不心得者が多いなか、隆広は部下と雇った者たちへの賃金に当てる努力をしたのである。それでいて内政の達成成果は抜きん出ていた。

 結局は使う者たちへ正当な評価を下してそれに見合う報酬を与える事が内政主命で成果を上げるに繋がると隆広は理解していたのだろう。

 また隆広は現場指揮官としての能力が傑出していた。指示内容は学問を知らない農民たちにも分かりやすく、適材適所を心がけており、休息や食事も十分に与えた。当たり前の人の使い方であるが、この当たり前ができない指揮官の方が多かった。

 ゆえに隆広の兵士となった三百人の働きはめざましく、日雇いの人足や労働者などの領民たちは隆広に使われることを何より喜んだという。

 

 そして隆広は現在、九頭竜川沿岸の開墾を勝家から命じられており、隆広と兵たちは越前を流れる九頭竜川のほとりに開墾工事の本陣を作り野営していた。

 隆広は、九頭竜川の川原を、兵とその地の領民に命じて開墾させていた。氾濫した歴史のない地点を選び、石と雑草と灌木だらけの川原を農地整備したのである。用水路も作り水も各田畑に通し、その地の領民たちは歓呼した。伐採した潅木も、城内の薪炭に使えるというので、今まで薪炭担当者は捨てていた灌木を隆広は大事に扱った。

 その灌木と、九頭竜川で取れた魚を塩漬けにしたもの、そして主命達成の報告書を兵の半数百五十に持たせて北ノ庄城に帰した。次の評定まで間があるので、隆広は本陣に残り、部下と共に九頭竜川を見て歩き、所々で地形図を描いていた。

 

「ふむう、やはり朝倉氏は一度この川に『霞堤』を作ろうとしているな、見てみろ」

 自分の描いた地形図を部下たちに見せて、その場を指した。

「『霞堤』、聞いたことあります。堤防の一部に流路方向と逆向きの出口をあらかじめ作っておき、洪水時には洪水流の一部をここから逃がし、洪水の勢いを弱め,下流側で再び流路に取り込むといった治水技術ですね?」

 部下の小野田幸之助が言った。

「そうだ。だが朝倉は大殿に攻められてしまい、それどころではなくなったのだろう。途中でやめているな。これを作ろうとしたのは河川沿岸に住む領民を思ってのことだろう。しかし驚いた、この治水工事の必要性を主君義景殿に説き、そして指揮を執ったのが、まさかあの方とはなァ…」

 一乗谷の落城以後、ほとんど九頭竜川に手は加えられていない。朝倉氏滅亡後に越前入りした柴田勝家も一向宗門徒に手が一杯で治水まで手が及ばなかった。

 しかし、この河川の治水はなんとしても早急にやらなければならない。隆広はそう感じていた。氾濫の多い地域に住む領民たちにとっては一向宗門徒より恐ろしい自然の猛威『暴れ川』であった。

 朝倉の時代に治水工事は着手されているが、織田信長の越前攻めのため頓挫せざるをえなかった。地元領民に隆広がその治水工事の時の状況を聞くと、内政をおろそかにしがちの朝倉義景に治水の必要性を説いて、かつ工事の奉行となったのは意外な人物であったのだ。

「御大将、あの方とは?」

「ああ、それがあの…」

 

「御大将―ッ!」

「ん? あれは北ノ庄に帰した矩三郎の声ではないか?」

「そのようですね。行って戻ってきたのかな」

 息を切らせて松山矩三郎が陣屋に入ってきた。

「ハアハア、御大将、勝家様がお呼びです。主命が終わったならすぐに戻れと。次の仕事があるから帰ってこいと」

「え? 九頭竜川の地形を調べたいと云うことは述べたのか?」

「申しました。だがそれはあとにせよ、と」

「そうか…。まあ、おおまかな地形図は描き終えているからかまわないか。よし、陣場をすぐに撤収せよ、北ノ庄に帰るぞ!」

「「ハッ!」」

 

「うそつき…もうしばらくここにいるって昨夜言ったばかりじゃない」

「仕方ないだろう、御大将の命令なんだから…」

 撤収をしている陣場の外で、泣いている農民娘をなだめている小野田幸之助がいた。隆広の兵士たちの中には、この開墾工事中に地元の農民娘と深い仲になってしまった者が何人かいた。隆広と共に、懸命にその地の開墾に励んでいた若者たちの姿は、その地の娘たちの心を掴んだのである。よく周りを見れば、幸之助のように泣いている娘をなだめている兵士が何人もいた。

「ぐすっ 今度はいつ会えるの?」

「すぐだよ。北ノ庄から馬を飛ばせば数刻で来られるからな、オレとてお前のカラダが忘れられない。また来る」

「もう助平」

 

「なにやってんだアイツらは! 撤収作業なまけよって! こら―ッ! 御大将自ら働いているのに部下が女とイチャついていてどうすんだ!」

 地元娘とそういう仲になれなかった松山矩三郎は機嫌が悪かった。

「ははは、まあいいじゃないか。そんな手間のかかる作業じゃない。矩三郎は地元娘と仲良くなれなかったのか?」

「え? ええまあ、ここいらの娘たちにオレ好みの女子がいなかったので。次の開墾地に期待します」

「おいおい、オレの受ける内政主命はお前たちの嫁探しの場ではないぞ」

 カラカラと隆広は笑った。

「わ、分かっております。あくまでもついでです。ついで」

「ついでね。まあそういう事にしておくか」

「そういう御大将はどうなんです?」

「オ、オレ?」

「村娘たちに言い寄られていたの、知っていますぞ」

「『惚れた女子がいる』と断った。それに現場指揮官のオレがそんな真似はできない。主命を受けて開墾をしている以上、オレは殿の代理人だからな。そんな無責任な事はできない」

「律儀ですなぁ」

(惚れた女子とは、さえ殿のことなのだろうな)

 

 隆広と兵たちは、地元領民の見送りを受けて北ノ庄に帰った。隆広は自宅に寄らず、まっすぐに城に向かい、勝家に会い改めて主命達成の報告をした。

「九頭竜川沿岸の一部を、農地整備してまいりました」

「うむ、素晴らしい出来栄えのようだな。嬉しく思う」

「もったいなきお言葉にございます」

 勝家の手には、前もって提出した隆広からの報告書があった。

「各田畑に水を公平に分配できるよう作ったそうだな。そなた、引水や用水の知識も持っていたのか」

「専門家まではいきませんが、父に習った事がございますので」

「なるほど、隆家殿はすぐれた内政家でもあったと云うが、そなたを見ているとそれがよく理解できるのう」

「恐悦至極に存じます」

 

「して、報告書にも記されてあった『九頭竜川治水の必要性』だが…」

「はっ」

「残念だが、現時点で着手する金がない」

「は…」

「あとで詳しい見積もりを提出してもらうとするが、今ここでも聞かせよ、九頭竜川治水に、そなたの見込みではいかほどかかるか?」

「は…六万貫はかかるかと…」

「…工事をしなかった場合、大型台風による被害は?」

「その倍は…。しかしそれより被害を受けた沿岸領民たちの民心が殿より離れる方が深刻かと存じます」

「やらねばならぬ。そういうのだな?」

「は…」

「しかし現実、北ノ庄にそんな金はない。またそなたをその治水ばかりに割くわけにもいかぬ。今は一向宗門徒の殲滅が何よりの悲願。両方同時に行うのは不可能だ」

「殿…」

「だが、その必要性は分かった。門徒どもを駆逐したら真っ先に着手しよう。それでお前を九頭竜川から呼び戻したのはだな」

「はい」

「安土に行ってくれ」

「安土に?」

 

 勝家は文箱から書状を出した。

「この書状を大殿に届けて欲しい。先日の合戦についての報告と、ここ数ヶ月の越前の統治状況などを書いたものだ」

 隆広はそれを両手で受け取った。

「また、大殿から使者はお前にしろと言ってまいった」

「それがしを?」

「ああ、以前に市も言ったと思うが、お前の父上の隆家殿には大殿もさんざん痛い目に遭わされている。その名を継ぐお前を見てみたいのじゃろう」

「はあ」

「また、安土の帰りに越前を一通り回って来い。今回の九頭竜川のようにお前の眼から見て気付くものも多かろう」

 勝家はスッと立ち上がり、隆広の前に座った。

「隆広、ゆくゆくワシは領内の内政をお前に任せるつもりでいる。だからよく見てまいれ」

「はい!」

「うむ、三日以内には安土に発て」

「はい、あ、それと…殿、お許し願いたいことが一つございます…」

「ん? なんだ?」 

「実は…」

 

 隆広は家に帰った。そして勝家に願い出た『許してほしい事』も無事に許可してもらっていた。

「あ、安土に?」

「ええ、三日後に発ちます」

 さえは拗ねた顔になった。やっと帰って来たと思えば、すぐに違う主命を受けて出かける。確かに自分は隆広の使用人と云う立場だけれど、仕事ばかりで自分を一向に省みない隆広に対して不満が出てきた。

 さえは寝る前に必ず湯につかっていた。いつ隆広が自分を求めてもいいように。無論、使用人とはいえ、かつ好意を持っているとは云えど、そう簡単に身を任せる気はない。しかし一つ屋根の下で暮らしているのである。あくまで万一に備えてのことであった。だが朝に目覚めて、隆広が自分の寝室に来なかったことを知るたびに何か切なくなった。

 隆広が主命で家を空けるとき、さえは城に上がり勝家の妻お市と姫たちに奉公しているので屋敷にポツンと一人と云う事ではないが、やはりさえは隆広の留守中は寂しかった。会いたい気持ちで一杯だった。

 だが、その隆広は久しぶりに帰ってきて自分に会っても優しい言葉一つもかけない。相変わらず間に線をひくように常に『殿』をつけて自分を呼び、言葉は丁寧に敬語を使う。自分は彼に取り魅力がない女なのか…。そんなことも感じてしまう。

 私は久しぶりに会えて嬉しいのに、この人の頭の中はもう次の仕事で一杯になっている。また主命で家を空ける。自分は省みてもらえず放っておかれてしまう。当時も今も、女は放っておかれる事を一番にイヤがるものであるが、当時の世で使用人がそんな理由で主君に不満を言っていいものではない。さえは文句を言いたいのをグッと我慢し

「では…旅支度と路銀の用意をしておきますので…」

 と、ぶっきらぼうに言った。

「あ、さえ殿」

「なんですかあ?」

 露骨にふて腐れた顔を見せるさえ。

「お、お話があるのですが」

「忙しいのですけど」

「大事な話なのです。聞いていただけないでしょうか」

「…分かりました」

 

 さえは隆広の部屋に入り、その前に座った。

「お話とは」

 拗ねているさえ。ご機嫌ななめで隆広の顔を見ずツンと横を向いているが、隆広はかまわず続けた。

「さえ殿、いや…」

「は?」

「さえ」

「…!? は、はい」

 初めて呼び捨てにされたので、さえは隆広を見た。

「ゴホッ ゴホッ」

 隆広の顔が真っ赤になってきた。

「さえ、オレは…」

「…?」

「そ、そ、そなたが好きだ。はじめて城下で会ったときからずっと好きだった。心からそなたに惚れているのだ」

「…!」

「つ、妻にしたい! オレと夫婦になってくれ!」

「た、隆広様…」

「ゴホッ ゴホッ」

 隆広は風邪をひいてもいないのに、やたら咳きこみ間をとる。

「なんの縁かは分からなかったけれど、気がついたらさえとは主従関係となっていた。そなたがただの町娘なら、とっくに求愛し妻にと願ったであろうが、どういう巡り合わせか偶然にも主従になってしまった。毎夜そなたの寝所に行きたいのをこらえるのに必死だった。何か立場を利用してそなたを求めているようだったから…だから常にそなたに余所余所しく敬語を使い、自分を戒めていたのだ…」

「…」

「だけど、もう堪えられない。どこに行ってもそなたの事で頭が一杯になってしまう。妻にしたい。一生そなたの笑顔を見ていきたい。そなたの声を聞いていたい」

 さえは驚いた。そして嬉しかった。今まで自分に一線を隔てていたのは私を大事にすればこその事だったのかと知ったからである。何より、自分が好きになった男が自分をこれほどまでに好いていてくれた事が。

 

 だからこそ、さえも自分の事を話さなければならない。

「嬉しゅうございます…。でも私の父の事を知れば、父の事を知ってしまっても隆広様は私を妻にしてくれますか?」

「さえのお父上…?」

「私の父は…朝倉景鏡です」

「な…ッ!?」

「ご存知の通り…主殺しの…裏切り者です!」

「その事を…殿や奥方様は?」

「知っております。勝家様と奥方様だけには話してあります」

 朝倉景鏡(かげあきら)、一乗谷城陥落後に織田信長に寝返り、主君である朝倉義景を殺した男である。

 後に土橋姓を信長から与えられ土橋信鏡を名乗り、旧領を安堵されたが一向宗門徒や朝倉恩顧の領民たちに裏切り者と呼び続けられ、ついに一向宗門徒に攻められて追い詰められ自害に至った。

 信長は自分に味方した景鏡に旧領こそは保証したが、裏切り者の彼を快くは思わなかった。それは他の織田の武将もそうだろう。彼が一向宗門徒に攻められたとき、誰も援軍には来なかった。

 

 さえは、裏切り者よ、主殺しよと言われ続け、ついには発狂した父を見た。優しい父だった面影は微塵もなくなってしまった。

 だが自刃する直前に彼は正気を取り戻し、一人娘のさえを部下に命じて逃がしたのである。その部下も逃走中に受けた矢傷が元で死んだ。

 そして逃げた先の漁村で父の訃報を知った。村の民は彼女の父の死をあざ笑っていた。悔しかった。だが何も出来ない。天涯孤独となってしまったさえ。朝倉家の宿老であった朝倉景鏡。幼いころから父の溺愛を受けて、蝶よ花よのお姫様だったさえ。だがもう何もかも失ってしまった。一文もなく、今日食べる飯も寝床も無い。

 さえは死の誘惑に負け、日本海に面する断崖絶壁の東尋坊で身投げを決意した。だが、たまたま東尋坊の景観を楽しんでいた柴田勝家とお市に見つかり止められてしまった。さえの境遇を哀れんだ勝家とお市は城に連れ帰ったのである。

 その後、さえは北ノ庄城で懸命に働いた。朝倉家宿老の姫などと云う気位は捨てた。一度死を選んだ身、もう行く場所はここしかないと云う気持ちか、さえは必死になって奥方お市への忠勤に励んだのである。よく気がつき、利発なさえを市は可愛がった。

 

 自分の生い立ち、そしてさえは卑怯者と呼ばれる男の娘なのだと隠さずに隆広に述べた。

「父は未来永劫に渡り…裏切り者と呼ばれるでしょう。その娘の私でもよいのですか? もし織田の大殿に、女房が朝倉景鏡の娘とでも知られたら! 隆広様の出世は絶望的です! 私は裏切り者の娘なんです!」

「だけど、さえにとっては立派なお父上だったのだろう?」

「え?」

「さえを見れば分かるよ」

 かつて自分が隆広に言った言葉。それを隆広はニコリと笑って返した。

「隆広様…」

「さえ、景鏡殿の墓は確かなかったな」

「はい…」

「これからも、オレの禄をうまくやりくりして、お金を貯めてくれ。二人で景鏡殿の立派なお墓を作ろう」

「は…い…」

 さえの目から涙がポロポロと落ちた。嬉しかった。求婚してくれた事。父の名を聞いても何の心変わりもしなかった事。そしてお墓を作ろうという隆広の優しさが。

「ところで…」

「え?」

「へ、返事を聞かせてくれないか…?」

 さえの顔がボンと湯気が出るほどに赤くなった。そういえば『はい・いいえ』の明確な返事はしていない。三つ指を立て、静かにかしずくさえ。

「ふつつかものですが、誠心誠意お仕えいたします。よろしくお願いします、お前さま…」

「さえ!」

 隆広はさえを抱きしめた。戦国の世、十五歳同士と云う幼い夫婦が北ノ庄の町で誕生したのである。

 

 隆広の求婚をさえが受けた直後だった。前田利家がやってきて仲人を買って出た。どうやら勝家に命令されたらしい。さえが隆広の求婚を受けないとは考えていなかったようだった。

 隆広が勝家に許しを願ったのは『さえを妻にしたい』と云うことだったのである。勝家はそれを許し、かつ『こればかりは、いらぬ作戦も智恵も使わずに真っ向勝負で行け』と督励したのだった。

 さて利家だが、かつて木下藤吉郎とおねの祝言の媒酌人をしただけあって、さすがに段取りがいい。前田家中の者が利家の指示でパッパと祝言の席を作ってしまった。

「前田様、わざわざ居城の府中城から来て下されたのですか…?」

「あ? そんなことあるわけなかろう。今日は妻のまつと共に北ノ庄に滞在していたんだ。それで勝家様にお前の祝言の面倒を見てやれと言われたんだ」

「ありがとうございます…」

「気にするな。オレは結構こういうのが好きでな。自慢じゃないが仲人や媒酌人を務めた数は勝家様より多い。すごいだろう」

「は、はあ…すごいですね」

 

 別室では利家の妻のまつがさえの花嫁衣裳の着付けを行っていた。

「まつ様…すみません、ご家老の正室様にこんなことを…」

「なに言っているの。私はこういうの大好きなの。ウチの殿は仲人するのが大好きでね。だから私も自然に好きになっちゃって、ははは」

「はあ」

「これから忙しくなるわよ~。殿が言っていたけれど、隆広殿はずいぶんと将来有望な若武者らしいじゃない。家来も増えていくでしょう。ただ隆広殿に尽くすだけじゃダメなのよ。水沢隆広隊の全体を見ていかなくちゃ」

「は、はい! がんばります!」

 

 話を聞きつけ、隆広の兵士たちや、城普請を一緒にやった職人たちも祝いに駆けつけた。さすがに全部入らないので、家の外にも宴席が設けられ、隆広とさえの祝言を祝った。

 楽しい歌や唄う者、その歌にのり踊るもの。それを見て大口を開けてバカ笑いするもの。隆広も恋焦がれた美しい少女と夫婦になれた喜びか、歌や踊りに大笑いしながら手拍子を送っていた。

 さえは最初だけおしとやかに上座に座っていたが、少し酒が入ったら、鼓をたたき出し、歌の調子を取った。楽しい笑い声はいつになっても止まらなかった。だがしばらくすると、家の外でお祭り騒ぎをしていた面々が急に静かになってきた。

「ん? 急に外が静かに…」

 

「殿じゃ! 勝家様じゃ!」

 隆広と利家は飲んでいた酒を吹き出した。急ぎ身支度を整えて、隆広とさえは玄関先に勝家を迎えに行き、勝家に平伏した。

「よい、祝言の贈り物を持ってきただけだ」

「は?」

「隆広、さえ」

「「はい!」」

「誰か見ても、似合いの夫婦じゃ。隆広、さえを大切にするのだぞ」

「はい!」

「うむ」

 勝家は贈り物を隆広に渡した。

「陣羽織…」

「では、わしは帰る。宴を続けよ」

「はい!」

 

 宴は終わった。そして初夜を迎えた。身を清め、純白の着物を着て、蒲団の上で静かに隆広を待つさえ。

 隆広も身を清めると新妻の待つ寝室へ行った。隆広が部屋に入ると、さえは三つ指をたててかしずいた。その隣に座る隆広。お互い緊張して何から話していいか分からない。二人とも性経験はなかった。

「あ、あの、さえ」

「は、はひ」

「オレは…女子は初めてなんだ…。でも、優しくするから…」

「は、はひ」

 二人はやっと向き合い、隆広は緊張で手が震えながらも、優しくさえを寝かせた。その時だった。

 

 バターンッ!

 

 閉めた寝室のふすまが外れた。どうして外れたかというと、隆広の部下数人が主人の記念すべき夜を見届けようと思ったからである。彼らの誤算は覗き込む人数の圧力に思ったほどにふすまが耐え切れなかったと云うことだ。

「な、なんだ! お前らは!」

 顔が真っ赤になっている隆広。さえは恥ずかしさのあまり顔を両手で覆った。

「す、すいません、だからお前が!」

 松山矩三郎が高橋紀二郎のホホを思い切り叩いた。

「お前が覗こうと言ったんじゃねえか!」

 

「出て行け――ッッ!」

「は、はいい!」

 部下たちは一目散に退散した。

「まったく!」

 まだ覗いているヤツがいないか、廊下を確認してふすまを閉める隆広。

「ぷっ…」

 さえは吹き出した。隆広も何か可笑しかった。

「あっははは」

 二人とも緊張が解けた。改めてさえを横にする隆広。やはり触れると少しさえは体を硬くした。

「お前さま…恥ずかしゅうございます。灯を消して下さいませ…」

「う、うん」

 新妻のかわいい要望に答えて、隆広は行灯の火を消した。初めて触れる女の肌。

(柔らかい、こんなにも女の体って柔らかいもんなのか…)

 こうして初夜は更けていった。




ちなみに原作の太閤立志伝3特別篇では、隆広とさえは結婚していないのです。公式ガイドブックに、いかにも後付けで『後に妻となる』と書かれていますけど、私は早いうちに結ばせました。今後のイチャイチャ展開を楽しみにしていて下さい。


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愛馬ト金

 初夜の明けた朝、隆広は庭で木刀を振っていた。いつもより振る回数が多い。こうでもして体力を使わないと、朝起きたと同時に新妻を求めてしまう気がした。

(女とは…あれほどに良いものだったのだな…。女で身を滅ぼす男が後を絶たないのがよく分かる。オレはまだ修行の身。新妻の肌に溺れるなどあってはならん)

 だが、たった今自分に戒めた事も愛妻の顔を見て吹き飛んでしまった。さえが隆広を呼びにきた。

「お前さま、朝餉の支度ができました」

「うん」

(お前さまかあ…いいなァ…)

「どうなさいました? ポーとして?」

「ん? いや昨日の閨を思い出して…」

 カァッとさえの顔が赤くなった。

「は、早く食べて下さい! んもう!」

 

 戦国武将の中で正室を深く愛した男は多くいるが、隆広はその中でも五指に入るほどだった。彼は正室さえを溺愛したと云う。後に隆広も側室を持つようになるが、やはり正室のさえを一番愛した。

その猛烈な愛妻家ぶりは他の大名も知るほどに有名で、隆広は陣中からも妻に恋文を送り、敵方が大事な密書と勘ぐり、その書状を奪った時、あまりの熱烈な文面に敵将が赤面したほどである。

 無論、水沢家中では周知のことであるが、家臣や侍女たちが時に目のやり場に困るほどであった。さらに困ったことに隆広は妻とのノロケ話を家臣や家臣の妻にするのが大好きだった。そのノロケ話に相槌を打ち、かつ聞き流せるようになって初めて隆広の家臣団や家中の女衆では一人前と言われたほどだった。

 

 そして今は新婚ホヤホヤ。食事をしながらウットリと自分を見つめる隆広を見て、嬉しい反面、さえは不安になってきた。

(大丈夫かな…女を知ったとたんに堕落なんてしないでしょうね…)

「さえ、今日の朝餉も美味しいぞ」

「そう言ってもらえると、作りがいもございます。ところでお前さま」

「ん?」

「明日に安土へ発たれるそうですが、今日は何を?」

「外出は明日に乗っていく馬を錬兵所に注文してくるくらいかな。あとは家で報告書を何枚か書くくらいだよ」

「そうですか」

「うん、今日一日、さえと一緒だ」

「んもう、お前さまったら」

 

 その報告書は、主君勝家に述べた九頭竜川の治水工事に伴う費用の見積もりと、実行する場合の治水方法について記したものである。

 開墾作業の寸暇を利用しては、隆広は氾濫の起きた地域を調べて製図にしていた。今それを一枚一枚入念に分析して報告書を書いている。文机に向かい、算盤をはじき、筆もスラスラと進めている隆広の姿を見て、さえは安心した。仕事をしている時は、やはり以前に見たように厳しい顔をしていたからだった。

(そうよね、私が見込んだ隆広様が女を知ったくらいで堕落するワケないわ!)

「お前さま、お茶を」

「うん、ありがとう」

「何をそんな真剣な顔をして書いていたのです?」

「ん? ああ九頭竜川の治水についてさ」

「九頭竜川の?」

「途中まで、『霞堤』と云う治水技法で朝倉氏がやっている。それを上手い具合に継げないものかと思ってな」

「……」

「そう、その『霞堤』の治水工事の現場指揮官は、さえのお父上の朝倉景鏡殿だ」

「し、知っていたのですか?」

「現場に行くまでは知らなかったよ。だって開墾地は景鏡殿の領地だった大野郡じゃないからな。景鏡殿は主君義景殿に九頭竜川の氾濫の脅威を訴え、進んで主家の領土の治水を行った。だが織田の大攻勢でその工事は中止にせざるをえなくなった。景鏡殿は工事を中止することを地元領民に詫びたそうだ。地元領民は武士が初めて自分たちに頭を下げたのを見て大層驚き、そして感動して、その名前を覚えていたんだ」

「……」

「言いにくいが、オレも景鏡殿の事を少なからず良い印象は持っていなかった。だから河川沿岸の領民にそれを聞いたときは正直言うと驚いた。そして、その後にさえに求婚して知ったそなたの父の名前。不思議な偶然もあるものだな…」

「お前さま…」

「景鏡殿は当時、朝倉の重鎮。それが民に頭を下げるなんて、そうできることではないな。さえの云うように…残念ながら景鏡殿は歴史に汚名を残し続けるであろうが、旧朝倉領に景鏡殿の心底を知っている民はいた。素晴らしいことだ」

「お、お前さま…」

「さえ、そなたの父が無念にも途中でやめざるをえなかった九頭竜川の治水。なんとか柴田のチカラで引き継げるよう、がんばるよ。景鏡殿はオレにとっても父上だからな!」

「んもう…女房を泣かせる事ばかり言って」

「さすがはオレの見初めた女子。泣き顔もかわいいなあ」

「んもう、知りませぬ!」

 さえは隆広の部屋を出て行った。嬉し涙を前掛けでぬぐい、ふと空を見上げた。優しかった父の顔が浮かんできた。

「父上、見てくれましたか…。私が好きになった殿方を。父上の仕事を継いで下さると言って下さいましたよ…。きっと父上が今も生きていたら…天下一の婿殿をもらったと私を褒めて下さったでしょう…」

「さえ―ッ」

「は、はい!」

「錬兵所に馬を注文に行く。ちょうどいい小春日和だ。散歩がてら一緒に来ないか?」

「はい、すぐに支度します」

「別にそのまんまのナリでも十分かわいいぞ」

「んもう! 女には色々と準備があるのです!」

 あの世にいる、さえの父、朝倉景鏡も天から娘夫婦を見守るにも、どうにも目のやり場に困ったに違いない。

 

 城下町を歩く隆広とさえ。当時は『女は男の三歩後ろに』が一般的であったが、二人は並んで歩いた。さすがに往来で手は繋げなかったが、ピッタリ寄り添っているので道行く人たちは仲睦まじい若夫婦に微笑んでいた。

 そんな中、商店に活気がないことや、町行く人が沈んでいる事にさえは気付きだした。

「あまり商家に活気がございませんね、人々も何か元気ないですし」

「そろそろ、年貢の時期だからな…。みんな頭を悩ませているのだろう」

「あ、そういえばそんな時期でしたね…」

「一揆が起こる最大の原因は重税だ。だから一向宗門徒に付け入られてしまう。そして、その門徒を倒すために軍備がかさみ、いっそう民に税を強いるしかない。泥沼だな」

「その泥沼を打開する方法はないのですか?」

「ある。大殿のやっている楽市楽座の導入。そして柴田家中に『国費を稼ぐためのみの商人集団』を作ることだ。民からの搾取のみで国費をまかなう時代はもう終わりにしなければならないんだ」

 さえはピタと歩くのを止めた。

「どうした? 何かオレ変な事言ったかな?」

「い、いえ…」

 隆広がポツリと言った一言にさえは驚いた。特に『民からの搾取のみで国費をまかなう時代はもう終わりにしなければならない』と云う言葉。こんなことを言う武士をさえは初めて見た。しかも、それを言ったのはまだ十五歳の少年である。

 夫が柴田家中で重職につけ、私がその内助をできたらどんなにいいだろうと、さえは思っていたのだが、さえはこの時に初めて感じた。柴田勝家、前田利家、可児才蔵が思ったように、もしかすると夫はとんでもない大将になるのではないかと。

 

「ほら、もっとくっついて歩こう」

「は、はい!」

 再びピッタリ夫にくっつき、一緒に歩くさえ。そして聞いてみた。

「お前さま、軍資金を稼ぐためのみの仕事って?」

「つまり柴田家そのものが産業を持つことだよ。敦賀港があるとはいえ、今まで柴田家は敦賀商人から税を取るだけで、自分で交易をしようとまで考えていない。越前の名産は漬物、米、味噌、醤油、塩、蕎麦。そして日本海の恵みだ。大規模な大陸交易をしなくても、利益は望めるし、何より減税が可能となる。越前内にある城の商店すべてに出店に伴う関税もなくせば、色々な商人が領内に来て、国は富むし、名産も新たに生まれる事だってある。つまり交易だけでも、柴田家が直接行う事でこれだけの成果が見込まれるんだよ」

「すごい、夢のようです。とうぜん城下も賑わいますね」

「ああ、文化だって入ってくるし、美味しい食べ物だって入ってくる」

「すごいすごい!」

「その実現のために、オレも働くつもりだよ。越前のため、殿のため…そして…」

「そして?」

「愛しいさえのために」

「んもう!」

 手は繋いでいなくても、ハタから見て十分にイチャイチャして見える二人だった。ある母親などは幼子の目を隠したほどだった。

 

 錬兵所に到着した。錬兵所の兵士が隆広に歩んできた。

「これは水沢様」

「うん、竹作殿、勤めお疲れ様にございます」

「おお、それがしの名前など覚えておいてくれたとは嬉しゅうございます。今日は何用でございますか?」

「ええ、明朝に君命で安土に発ちます。大殿への使者ゆえに急がなくてはなりません。足が速く多少の段差など問題にせぬ馬を借り受けたいのです」

「かしこまいりました。では放牧場にご案内いたします」

 

 竹作と共に、放牧場に行く隆広。しかし到着すると少し顔をしかめた。

「お前さま? どうしたのです?」

「うん…」

「水沢様、お気に召す馬がございませんか?」

「竹作殿、軍馬の仕入れはいつから滞っていますか?」

「恐れ入ります。一年以上は新馬の仕入れがございません」

「そうか…馬がなくては合戦にならない。殿も頭を悩ませているだろうな…」

「お前さま、どうして軍馬の仕入れが滞っていると?」

「負傷している馬と、歳を取った馬が多い。ましてや越前や周辺の地域の馬単価は高く、この近辺に野生馬の生息地はない。かといって安価な馬は一合戦でつぶれてしまう事も多い。他領の馬商人に注文をするも、おそらくは五百貫は先払いしなければ取引には応じないだろう。こいつは厄介な問題だ。でも何とかしなければならないな…」

 竹作は驚いた。他の将兵はここに馬を借りに来ても、『もっといい馬はないのか』と言うだけで『どうすればいいだろう』とまで言った者はいない。こんな若い武将が…と竹作は舌を巻いた。

「しかし、今は安土への使者を無事にやり遂げる事が先決だ。竹作殿、あの馬を借りよう」

「ほう…よくぞ、あの馬に目をつけましたな」

「よい馬なのですか?」

 と、さえ。

「はい、二歳になる牝馬で、この放牧場の厩舎で生まれた馬です。ナリは少し細く、重量を支えるチカラは少し頼りないですが、細身な水沢様ならば、十分に支えられますから足の速さは私が保証しますし、何より頭もいいですよ」

 その牝馬は自分を見る隆広に気付いたのか、寄ってきた。

「まあ、お前さまは馬の女子にも好かれる特技もお持ちなのですね」

 さえの言葉に照れ笑いしながら、隆広は馬の頬に触れた。

「いい馬だ…」

 

 ブルルル…

 

 まるで隆広の言葉が分かったかのように、触れている隆広の手に顔を擦り付けた。

「馬も水沢様が気に入ったご様子。お連れ下さい」

「良いのですか? 明朝取りにこようと思っていたのですが」

「それがし、ここの軍馬を見て『何とかしなければ』と言った大将を見たのは初めてでございます。軍馬の一担当者として、とても嬉しく思いました。そして何よりその馬を見初めた伯楽(中国で有名な馬の目利きに長けた人物の事)さながらの眼も感じ入りました。ここは貸すだけではなく、売るも請け負っておりますゆえ、貸すのではなく、お譲りとしたいと思います。代金は出世払いで結構ですから。もはやその馬も背を水沢様のみにしか預けないでしょうから」

「すまない! 竹作殿、恩にきますぞ」

「さっそく、あちらの馬場で試し乗りをされては?」

「そうしよう」

 

 ドドドッ

 

 その牝馬は、隆広の見越したとおり、いやそれ以上の速さで主人を乗せた。馬場をすごい速さで駆ける。

「まあ、本当に足が速い馬だわ!」

 馬場の外で、馬を駆る夫をウットリとして見つめるさえ。

「いやあ、水沢様の馬術も大したものですよ。かの武田騎馬隊も顔負けですな。ははは」

「すごいぞ、そなたは駿馬だ! さっそく名前をつけないと!」

 少し考えて、隆広は馬に言った。

「我が父、水沢隆家の旗印『歩』! その歩の成り『ト金!』 そうだ、今からお前の名前はト金だ! これから頼むぞ―ッ!」

 隆広の言葉が分かったかのように、美々しいいななきをあげ、ト金は走った。

 この馬こそが水沢隆広の愛馬『ト金』である。隆広が手取川撤退戦のおり、上杉謙信の本陣に突入した時に乗っていた馬は彼女である。竹作の言うとおり、確かに少し馬体は細いが、主人と人馬一体となり、上杉謙信の前に立ちふさがった兵士二人を彼女は吹っ飛ばしているのである

 ちなみに言うと織田信長が御所にて催した『天覧馬揃』。この時、隆広の愛馬を見て諸将はその細い馬体に失笑を浮かべたが、信長は『いい馬だ』と評したと云う。

 隆広の愛馬ト金は後に残る合戦絵巻でも他の将が乗る馬より細い馬体で描かれていることが多い。だが記録では隆広が驚異的な速さで戦場の使者を務めた事実が残っている。また『主人がト金を本気で駆らせた時は松風さえついていくのがやっとだった』と前田慶次の手記にあることから、ト金は現在の競走馬の体躯に近かったと推定されている。馬体が細いというのは、ほぼ全身が走るための筋肉であったのではないかと考えられているのである。

 現在の牝馬の競走馬に『トキン何とか』と云う名が多いのはそれにあやかってだろう。隆広を乗せて走るト金は今日の重賞レースの覇者になるほどの速さだったに違いない。

 

 隆広はト金を自宅に連れて行き、丁寧に洗った。隆広宅には一頭分だけだが厩舎はある。

「ふんふんふ~ん♪」

 厩舎から聞こえる夫の鼻歌に苦笑するさえだった。だが、

(なによなによ、ついさっきまで私の事が一番みたいに言っていたのに、今じゃト金の方ばっかり!)

 その後、カッと顔を赤らめた。

(バ、バカじゃないの私! 馬にヤキモチ焼くなんて! あの馬を得られたからこそ隆広様は戦働きがいっそうできるのじゃない! 喜びなさいよバカ!)

 気持ちを落ち着けて、さえは隆広を呼んだ。

「お前さま~。夕餉の支度ができました」

「ああ、すぐ行くよ」

 

 美味しそうに、さえの作る夕食を食べる隆広。北ノ庄はあまり富める城下ではないゆえ、隆広の家もそんなに裕福ではない。粗末な夕餉でもあるが、愛妻の心のこもった手料理である。本当に隆広は美味しそうに食べた。

 そして、その夜。二人は夫婦の営みをして眠りについた。また灯を消してくれと要望された。明るい部屋で、さえの裸が見たいと隆広は要望し、目を皿のようにして眺めていたら、さえが恥ずかしさのあまり泣きだしたから慌てて消した。まだ初々しい新妻だった。

 

 翌朝、旅支度は終えていたので隆広の安土出発の準備は円滑に進み、屋敷の外でさえの見送りを受けていた。隆広の護衛には、松山矩三郎、小野田幸之助、高橋紀二郎がついた。彼らも前日に錬兵所で馬を借りていたのである。

「では、さえ行ってくるよ。帰りに越前の町を全体的に見てくるから少し遅くなるが、留守の間は奥方様や姫様たちにお仕えし、帰りを待っていてほしい」

「はい」

「じゃ行ってくる」

「では奥様、それがしらも」

「みなさん、夫をよろしくお願いいたします」

(奥様だって。うふ♪)

「はい、お任せを」

 

 馬をひきながら、城下町の出口に向かう隆広たちをさえは見送った。

「はあ、当分一人かあ…。前は一人でも平気と思っていたのに、今は一人がとても寂しいなあ…」

 すると隆広が戻ってきた。

「お、お前さま、忘れ物?」

「離れたくない…」

「はあ?」

「一緒に来ないか?」

「お、お前さま、私は馬に乗れませんし、君命に女連れは許されません…」

「だ、だけど…」

「ほら、別に私は逃げませんから。ちゃんとお帰りを待っています」

「う、うん…」

 トボトボと歩き去る隆広。しばらく歩くとまた戻ってきた。

「さえ、やっぱり一緒に」

「お、お前さま…」

 困り果てるさえに助っ人が来た。

 

「御大将! いいかげんにして下さいよ! 朝っぱらからそんな目のやり場に困るような光景見せられちゃたまったもんじゃない! オレたちゃあ独り者なんですよ! さあ行きましょう!」

 矩三郎と紀二郎が隆広の両腕を掴んで、ズルズルと引きずっていった。

「さ、さえ―ッ!」

「いってらっしゃ―い!」

 ようやく姿が消えた隆広に安堵して、さえは城に上がる準備を始めた。その顔は喜色満面だった。

「隆広様ったら、しょうのない人♪」



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森蘭丸

「夫の留守中、またしばらくの間、奥方様と姫様たちに仕えさせていただきます」

 北ノ庄城、奥にいる柴田勝家の妻、お市の方にさえは平伏した。

「安土への使者、および越前領全体の視察ですから、隆広殿がお帰りになるまで十日ほどになってしまいますね。ごめんなさい、さえ。新婚だと云うのに」

「いいえ! この君命を受けたのはあの人が私に求婚する前でしたから仕方ありません」

「うふふ、それじゃあ求婚後に命じられたら、夫の勝家を恨めしく思ったのかしら?」

「そ、そんなことはありません。奥方様も意地悪な事をおっしゃいます…」

 

 ドスドス

 

 市のいる部屋の外廊下から勢いよく歩いてくる足音が響いた。

「あら、殿かしら?」

 障子がガラッと断りもなく開いた。来たのは勝家ではなく娘の茶々だった。

「…茶々、母のいる部屋に入る前は断りくらい…」

 母の説教など聞こえなかったのように、茶々はさえの前に来て、さえをジロリと睨んだ。

「ひ、姫様、何か?」

「…さえ、あなたと隆広殿が夫婦になったんだって?」

「え、ええそうですが…」

 あとから初がやってきた。

「あ、すいません母上! 止めたんですけど!」

 

 市に昨日の記憶が脳裏に浮かんだ。夕方ごろから茶々がずっと泣いていたのである。困り果てた初と江与は市に救いを求めた。初にどうして茶々が泣いているのかと聞くと…

「姉上、隆広殿にふられたらしくて」

「はあ?」

「今日、城下町で隆広殿が以前母上の侍女をしていたさえと、そりゃもう仲良く歩いていて…それを見て姉上、自分は隆広殿にふられたと勝手に思い込んで…」

「仕方ないじゃない、二人は夫婦になったのだから…」

「ええ!? 隆広殿はさえを妻にしたの!?」

「そうよ。それにしても茶々は隆広殿に自分の気持ちも言っていないだろうに…『ふられた』とはずいぶんと飛躍した発想ねえ…」

「私も姉上があんなに一途なんて知らなかった」

 

 翌日にさえが城に出仕してきたと聞き、茶々は愛しい自分の良人候補を奪った女に何か言ってやろうと思いやってきたのであるが…。

「姫様?」

 茶々はさえをジーと睨んでいた。茶々の着物の裾を初が引っ張る。

「無理だって姉上、勝ち目ないよ。見てよ、さえの乳。大きくて立派じゃない」

 さえは初の言葉に顔を赤くして胸を隠した。

(な、何よ、初姫様は人を牛みたいに!)

「腰もくびれて、お尻も丸い。姉上は真っ平らでずん胴。殿方がどっちを好むか一目で分か…」

「うるっさいわねぇ、お初! 私だってあと二年もしてさえと歳が同じころになったら、もっと胸が大きくなっているに決まっているでしょ! 腰もくびれて、お尻も丸くなるわよ!」

 さえには何の話をしているかさっぱり分からず、市は苦笑しているだけだった。

「ふんだ、二年後に茶々様を妻にしておけば良かったと隆広殿に後悔させてやるもん!」

「はあ?」

 茶々は初の腕を掴んで市の部屋から出て行った。

 

「あ―おかしい」

「奥方様、笑い事ではありませぬ。私には何が何やら…」

「ごめんなさいね、実は茶々、城下で隆広殿を見初めていたのよ」

「あの人を?」

「でも、さえと結ばれてくれて良かった。たとえ茶々がどんなに隆広殿を好きになろうと、そして隆広殿が柴田の姫と結ばれるに遜色ない大将となろうとも…私と勝家は絶対に認めるわけにはいかなかったから…」

「え?」

「あ、いえ…今の言葉は忘れてちょうだい…」

「は、はい…」

(どういう意味だろう…)

 

 隆広主従は安土に到着した。途中の宿場で二泊しただけであるので、かなり早い到着である。隆広以外の三名は全員安土は初めてであった。安土城下の馬屋に馬をあずけ、隆広主従は城下町を歩いた。主従四人は遠くにそびえる安土城を見て言葉をなくした。

「御大将、すごい城ですね…」

 やっと矩三郎が声を発した。

「ああ、あれが大殿の居城か…。オレが以前に父と畿内を旅したときは普請中だったけれど…よくまあ、あんなにすごい建物を作れるものだなあ…」

「確かに。して御大将。これより城へ?」

「そのつもりだ」

「オレたち足軽が入る事は許されるのでしょうか?」

 紀二郎が不安そうに言った。

「同じ織田家中だから問題ないだろう。とにかく宿をとろう。殿の使者として大殿に会うのだから旅支度の今のナリではまずいだろう。すぐに着替えて城へ行くぞ!」

「「はッ」」

 

 紀二郎の不安は的中した。身分を証明する木簡を提出すると、

「恐れながら、城中に入れるのは組頭以上の士分に限られております。水沢殿は良いが、他の三名は外郭に宿泊施設がございますので、そこで待たれるがよろしかろう」

 門番にそっけなく言われてしまった。

「ちょっと待ってください。この者たちは同じ織田家中ですぞ。それがしの部下でございます。城中まで共をさせたいのでございますが」

「御大将、かまいません」

「幸之助…」

「せっかく安土に来たのですから、少し羽を伸ばすとします」

「みんな…すまぬ」

「ふん、お高くとまりよって。足軽は士分じゃないのかよ!」

 腹の立つまま門番を罵る矩三郎。

「なんとでも言って下さい。それが我らの務めでございます」

 鉄面皮な顔で事務的な返答をされて矩三郎の頭に血が上った。

「なんだとこいつ! 足軽がいなきゃ戦にならねえんだぞ!」

「よさんか矩三郎! 御大将が困っておるではないか!」

 幸之助が矩三郎の肩を掴んだ。

「御大将、さきほどの宿屋にてお待ちしております」

「分かった。ああそうだ」

「え?」

「いつまでかかるか分からない。これで酒でも飲んでくれ」

 隆広は一人一人に十文ずつ渡した。三人は首を振って辞退した。

「いけません。御大将だってそんなに高給取りではないでしょう」

 幸之助の言葉に、隆広の顔がフニャと顔を崩して笑った。

「いやなに、さえが上手くやりくりしてくれているからな」

 その言葉を聞くと、三人は凍りついた。一昨日、昨日と宿でさんざんノロケ話を聞かされていたからである。『そんなに高給取りではないでしょう』と云う幸之助の言葉が水を誘ってしまったのである。矩三郎と紀二郎は幸之助を睨んだ。目が明確に『水誘ってどうすんだ、このバカ!』と言っていた。

「いや~美人で気がつき、しかもやりくり上手。オレは日の本一番の花嫁を…」

「「この金子ありがたくちょうだいします! では!」」

「あ、なんだよ。まだ話は終わっていないぞ!」

 三人は隆広から逃げるように走り去った。

「これからいいトコなのに。まあいいか」

 

 再び城の入り口に歩く隆広。門番が言った。

「みな若いが…いい家来衆をお持ちですね」

「ありがとう。さきほどは貴殿の務めの重みも忘れて感情的な事を言ってしまいました。許して下さい」

「よいのです。それが仕事みたいなものですから。では水沢様、入城を」

「ええ」

 

 安土城は城に入ると、さらに圧巻された。天主まで吹き抜けの空間もあり、また襖に描かれた名画の数たるや言葉も失うほどだった。

「あれは狩野永徳、こちらは長谷川等伯かあ…」

「水沢様、この部屋でお待ち下さい。大殿はただいま他の客人と面談中でございます」

 小姓の案内した部屋に通された隆広。

「分かった」

 

 だが、信長から一向に声はかからなかった。もうかなりの時間を待たされている。

(待たせてオレの器を見ようとでもいうのか…? いや、そんなはずはないな。オレは柴田の新参武将。大殿にとっては取るに足らぬ存在のハズだ)

 隆広は部屋の中央で正座し、ジッと待った。その時だった。

 

 チャキ…

 

「……ッ!?」

 

 シュッ!

 

 キイイインッ!

 

 刀と刀が激突した。忍び寄り、背後から刀を抜く音を隆広は聞き逃さなかったのだ。すぐに振り返り、刀を抜いたのである。

「いきなり何をする! 待たせたあげくに斬り捨て…?」

「あはは、正座して足が痺れて立てぬなんて事はなかったな、竜之介」

「オレの幼名を…?」

 斬りかかった武士は刀を笑ってひき、サヤに納めた。

「オレだよ、分からんか?」

「もしや…乱法師か?」

「やっと分かったか。久しぶりだな。あの石投げ合戦以来か」

「そうだな、そうなる。しかし何だよ、今のいきなり後ろからの攻撃は! お前は相変わらず顔だけは女子のごとくきれいだが、性根は昔のままイヤなヤツだな」

「お前が言うなよ。『顔だけ』はお互い様だろう」

 まあ座れ、乱法師と呼ばれた若者は隆広を促した。

「改めて名乗らせてもらおう。オレの今の名前は森蘭丸長定と云う。お前が柴田様に仕えていると知ったのはつい最近だ。水沢姓を継いだのだな」

「ああ」

「隆家様が亡くなられたのは聞いた。惜しい方を亡くしたな…」

「ありがとう。お前の父の可成様も惜しいお方だった…」

 隆広はふと、脇差を鞘ごと腰から外し、それをしみじみと眺めた。

「なんだ、まだ持っていたのか?」

「当たり前だ。お前の父上がオレにくれたものだろう」

「嬉しい事を言ってくれるな、礼を言う。ああ、母上はまだまだ元気だ。お前が柴田様に仕えたと聞き喜んでもいたよ。母上は今、金山城下の可成寺に尼として暮らし、父の菩提を弔っている。今度ついででいいから顔をみせてやってくれないか。よろこぶ」

「…お前の母上は苦手だ」

 水沢隆広と森蘭丸は幼馴染である。隆広の養父の水沢隆家は美濃金山城の城主だった森可成の領地内に庵を持っており、一時期隆広をそこで養育している。隆家は出家して『長庵』と名乗っていた僧侶であった。

 彼は可成や信長の再三に及ぶ『我が部下と』というのを固辞し続けた。信長の気性を考えれば自分の申し出を断る隆家を斬ってもおかしくはないが、信長や可成にとっては尊敬に値する敵手であった隆家を斬るに偲びず、そのまま在野の名士として置いた。

 幼き日の水沢隆広、つまり竜之介が後の森蘭丸である乱法師と出会ったのはその地で父と滞在していた時であった。

 

 乱法師は年が十歳くらいのころ、父と兄の家来衆の子弟を集めて大将を気取っていた時期があった。顔も美男で女子にもモテた彼は金山城下の町民や農民の男子にとり、非常に不愉快な存在であった。

 そしていよいよ、木曽川の河川敷で石投げ合戦で戦う事となったが、いざとなると町民農民の男子側は領主の息子である乱法師とケンカすると後が怖いと、親たちが決戦の場に行かせなかった。乱法師側は二十六人いるのに対して、たった四人での合戦となってしまった。

 だが、勝ったのは四人の方だった。川原の土手に座り、石投げ合戦をただ見物していたと思っていた寺の小僧風体の坊主頭少年が、実はその四人の大将であり、策略と工夫を凝らした道具を持って、乱法師が率いる二十六人を竜之介率いる四名が倒してしまったのだ。乱法師はこの時ほど悔しい思いはしたことなかった。

 

 その日、悔しくて悔しくてグッスングッスン泣いているのに、更に追い討ちをかけて父と母からこってりアブラを絞られた。

 父の可成が『敵はどんな作戦をとってきたか』と尋ねた。乱法師はそのまま竜之介が執った作戦を聞かせた。可成とその妻は、だんだんその少年の方に興味を持ち出した。いや驚かされた。可成でさえ思いもつかない作戦と工夫の道具で多勢を倒したからである。しかも年齢は乱法師と同じ十歳。

 可成はその翌日に領主と云う身分を隠し竜之介と会ってみた。少し話してすぐに分かった。『これは大変な才能を持つ小僧だ』と。少年が隆家の養子と知り、ぜひ当家で養育し、長じて家臣として召抱えたいと懇願したが拒否されてしまった。可成の妻の葉月(後の妙向尼)は懐柔策をも弄して竜之介を森家の家臣にと思ったが、結局竜之介に山のようにメシを食べられたあげくに逃げられてしまった。

 

 可成は乱法師に『どうして負けたか』をよく考えよと問われ、数日後にその答えを出した。その答えを述べたときの乱法師はお山の大将を気取る悪童ではなく、凛々しい若武者さながらの顔をしていたと云う。

 父の可成は息子の成長を喜び、傲慢な息子の鼻っ柱をへし折ってくれた竜之介に感謝して、関の名工が作った一品の脇差を竜之介、後の水沢隆広に与えたのである。隆広は今でもそれを腰に帯びている。

 子供のケンカとはいえ、当時はお互いの誇りを賭けた戦であった。その大将同士が久しぶりに再会を果たした。あの合戦も今ではいい思い出でもある。

「今にして思えば、あの惨めな大敗があって今のオレがあると思う。あの後にすぐお前は隆家様に連れられて金山城下から出たから、勝ち逃げしやがってと思ったものだ。しかし再会したら礼を言いたいと思っていた。感謝しているよ、竜之介」

「なんだよ、ずいぶんと健気にもなったじゃないか」

 少しくすぐったさを感じた隆広だった。

「だが、仕事は仕事、私情は抜きだ。オレは大殿、織田信長様の小姓。面会を求める者がたとえ友であろうと織田家筆頭家老の使者であろうと、オレが大殿に会わせるべきではないと感じたら会わせない」

「まあ、そうだな。それがお前の仕事だ。で、お前から見てオレは大殿に会うべき資格を持っているのか?」

「さっきの一閃がその試験だった」

 蘭丸はニコリと笑った。

「あ、さっきのか」

「ああ、あれでお前が何の反応も出来なかったり、たじろいだりしたら、オレはお前に失望もしたし、無論大殿とも合わせなかった」

「おいおい、中には武の心得のない者だっているだろう? 武の心得がなくたって経理や内政に長けていれば織田家にとり有為な人材だ。そんな乱暴な試験で門前払いなどしたら織田に優秀な人材が集まらないじゃないか!」

「あっははは、もちろん、そういう人の場合は手段を変えるよ」

「本当だろうな?」

「本当だよ。なんだオレの方が試験されているな。とにかく竜之介、いや…」

「ん?」

「水沢隆広殿、大殿のいる広間にお連れいたします。手前のあとについてきて下さい」

 蘭丸はエリを正し、隆広にかしずいた。

「あ、ああ、森殿、お頼みいたします」

「ではこちらに」

 隆広は蘭丸に連れられ、待たされていた部屋を出た。いよいよ織田信長と対面である。



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織田信長

 大殿、織田信長のいる部屋のふすま。そこに二人の小姓が座り、蘭丸と隆広を来るのを待っていた。その小姓も隆広は知っていた。

「坊丸と力丸ではないか。元気そうだな」

 二人は蘭丸の弟たちであり、あの石投げ合戦で隆広にのされた苦い経験を兄と同様に持っている少年である。つまり三兄弟揃ってコテンパンにのされたのである。しかし、それも今ではいい思い出。自分を覚えていてくれたと喜びつつも、坊丸は人差し指を口に立てた。

「シ―ッ! 積もる話は後にいたしましょう。大殿がお待ちですぞ」

「あ、すまん」

 蘭丸、そして坊丸、力丸も感じた。だいたい大殿に初めて対面しようとするものは『第六天魔王』とも称される信長を恐れて部屋の入り口付近に来れば、だいたい斬刑を待つ囚人のごとくであるが、隆広は長じた幼馴染の坊丸と力丸をちゃんと理解できるほどに落ち着いていた。

「大殿、水沢隆広殿、お越しにございます」

 

「とおせ」

 

 ふすまの向こうからも分かるほどに信長の威厳が伝わってきた。坊丸、力丸がふすまを開けた。隆広は部屋に入った瞬間に空気が一変したことに気付く。信長の覇気か、すさまじい裂帛を感じた。ゴクリとつばを飲んで静かに信長の前に歩いていき、そして平伏した。蘭丸はその隆広を横に通り過ぎ、信長の左後ろに座った。

「柴田勝家が家臣、水沢隆広にございます」

「うむ」

「本日は大殿に、主君勝家の書状をお届けに参りました」

「見せよ」

「はっ」

 隆広が書状を差し出すと、蘭丸がそれを受け取り信長に渡した。それを信長は静かに開いて読んだ。隆広は平伏したまま読み終わるのを待つ。だが静かに座しているだけの信長から

(なんて圧迫感だ…)

 と感じ、体が固まった。

「面をあげい。顔をよう見せよ」

「は、はいッ」

 信長は隆広の顔をジッと見た。肘掛に腕をおき、睨むように隆広を見つめる。隆広も目をそらせず信長を見た。

(…何て高貴な顔をしておられるのだ…)

 信長の眼光に気圧されつつも、隆広はそう感じた。第六天魔王と呼ばれる大殿信長、隆広は鬼のごときの形相をしていると思っていたからである。

「…ふむ…中々いい面構えをしているな。養子ゆえ容貌は少しも似ておらんが、その眼は親父を感じさせる」

「あ、ありがたき幸せにございます」

「しかし、まるで女子のごとき顔をしているな。お蘭(蘭丸)といい勝負じゃ。頑是無いネコのごときの面持ち。そうじゃ、これからはお前の事を『ネコ』と呼ぼう」

「ネ、ネコ?」

「これで織田家中にはイヌ(利家)、サル(秀吉)、ネコが揃ったわけじゃ。はっははは」

「は、はあ…」

「隆家の最期は聞いた。惜しい武将であった。ワシに仕えていれば今ごろは城持ち大名であったろうにな」

「…父に、一度だけ大殿の事を聞いたことがございました」

「ほう、なんと申していた?」

「『正徳寺で信長殿と初めて会うた時、道三公とワシは遠からず斉藤はこの若者に討たれるであろうと感じた。だからできるだけ高値で信長殿に美濃をくれてやろうと思った。たとえ殿の『美濃明け渡し状』があろうとも、ワシが立ちはだかり、手に入れるに困難にしたかった。美濃を手に入れるまでの苦労が大きければ大きいほど、信長殿は美濃を良い国にしてくれると思った。そしてその通りとなり、その美濃を橋頭堡として畿内一円を豊かな国々として治めてくれている。信長殿には迷惑であったろうが、ワシは彼と名勝負をしたことを誇りに思う』と…」

「名勝負…そう申したのか…?」

「はっ」

「ふふふ…よく言うわ。ワシなどまるで子供扱いであったではないか」

 第六天魔王と呼ばれる信長が、父に褒められた事を喜んでいる。隆広はここでも父を誇りに感じた。

 

「ネコ」

「はっ」

「権六(勝家)も言ったと思うが、ワシもそなたが隆家の養子とて特別扱いする気はない。親の七光りなど織田家には存在せぬと知れ。武功を立てぬムダ飯くらいは即刻叩ッ斬る。陪臣とてワシのこの方針から逃れられると思わぬことだ」

「はっ」

 一つクギを刺し、信長はフッと笑った。

「だが、すでにお前は織田家最年少の足軽大将。武功や勲功は重ねておるようだな。権六がベタボメしておるぞ」

「は?」

「一向宗門徒を声一つで退かせて、かつ敵から鉄砲を大量入手する一手も打ったそうだな」

「え…っ!」

 勝家は隆広の武功として計上はしなかったが、やはり鉄砲の大量入手は隆広が五度も言った『武器を捨てて逃げよ』が決定打となったことは知っていたのである。

「面白い兵法を使いよるな、これも親父の薫陶か?」

「は、はい。信玄公が三増峠の合戦で使った策。父はたいそうこの策を好まれました。『城を攻めるは下策、心を攻めるは上策、この策はその見本である』と。あの時、敵軍に不和があるのは明白でした。不和がなければなんの意味もない策ですが、不和ならば使えるのではないかと」

 信長は隆広の話を微笑浮かべ聞いていた。傍らの蘭丸はめったに見せない主君の表情に驚き、そして喜んだ。

(やったな、竜之介。おまえ大殿に気に入られたぞ!)

「ネコ、そなたは武人肌の多い柴田家中では唯一の智将と見える。また開墾や治水にも長けた行政官とも書いてある。権六も拾い物をしたと喜んでいよう。権六に仕えるはワシに仕えると同じ。よう励めよ」

「はっ」

「そして一つ、釘を刺しておく」

「は?」

「一向宗門徒には容赦するな。お前が大聖寺城で行った事、今回は相手が多勢だったゆえ認めてもやる。しかし結果を見れば門徒を逃がした事となる。二度は許さん。次に戦う場合は逃がす事など考えず、皆殺しにせよ。門徒相手に限っては『戦わずして勝つ』などと云う考えは捨てよ。『皆殺しにして勝つ』のだ。分かったな」

「え、あ…」

「分かったのか?」

「は、はい!」

「近いうち、小松(加賀小松城)を落とすことを権六に下命するが門徒一人でも取り逃がしてみよ。城を落としても認めぬ。もしお前がいらぬ情けを門徒の女子供にかけて逃がしてみよ、キサマは無論、権六も処断する」

「う、あ…」

 第六天魔王の眼光は厳しく隆広を見据える。信長は隆広を一目見て、隆広が敵勢を駆逐することをためらう性格をしていると見抜いたのだろう。

「返事はどうした?」

「は、はい! 水沢隆広肝に銘じます!」

「権六への返書はすぐにしたためる。明日には渡せよう」

「はっ」

「うむ、下がれ」

「はっ」

 

 信長のいる部屋から出た隆広は大きな息を吐き出した。蘭丸も出て行った。

「ふう」

「初対面であれだけお言葉をいただけた者は珍しいぞ。大殿の覚えはめでたいようだ」

「しかし、いきなりあだ名をつけられるとはな…」

「ははは、大殿は家臣にあだ名をつけるのが好きなんだ。お前の主君の勝家様も『アゴ』と呼んでいるし、光秀殿も『キンカン頭』、仙石殿も『ダンゴ』と呼ばれている。気に入られた証拠だ」

「『ネコ』かぁ」

「それから、門徒に対しての言葉だが、あれを間違っても脅しと思うなよ。門徒相手に手心を加えるような事あったら、大殿は絶対にお前を許さない。大殿は心の底から一向宗門徒を憎んでおるのだ」

「それは伊勢長島攻めや比叡山焼き討ちで分かるさ。心配ない、オレとて越前を蹂躙しようと考える門徒たちは許せない」

「分かっていればいいさ。あと、これはもしかしたら…の主命かもしれないが、一応踏まえておいて欲しい」

「なんだよ?」

 コホンと森蘭丸は一つ咳をした。

「大殿は男色家でもある。お前には未知の世界かもしれないが、オレも伽を命じられ、閨を共にしている」

「…な、何だよいきなり!」

 隆広は顔を赤めた。

「大殿は美童がお好きだ。もし戦場で柴田と陣をともにした場合、お前に伽を命ずるかもしれない」

「オレに衆道(男色)の趣味はないぞ!」

「お前の趣味など大殿には関係ない。オレだってご奉公の一環として割り切って受け入れいる。怨むなら『ネコ』と呼ばれるような頑是無いキレイな顔を怨め」

「そんな事言ったって…イヤなものはイヤだ」

 この当時、男色家は何ら非道徳なことではなかった。特に信長は両刀使いであるが、美童への愛欲も抜きん出ていた。隆広はこの当時十五歳で、かつ美男子、十分信長には射程距離である。

「拒否するのはお前の勝手だ。だが陣が同じになった時はそういう命令がありうる事と一応アタマに入れておけ。いきなり命じられて断り文句を考えているうちに押し倒されてしまうぞ。そうなったらもう拒否などしても無駄だからな」

「わ、分かったよ」

(参ったな…。気に入られるのは嬉しいが、男と色事に及ぶなんて絶対にイヤだ。かと言って邪険に拒めば殿が叱られる。どうしよう…)

「とにかく、お前が城下にとった宿の場所を教えろ。明日に使いを出すから」

「あ、ああ。頼む」

 

 安土城から出た隆広は両手で自分の頬をパンパンと叩いた。

(気持ちを切り替えよう。今のオレの君命は安土城下の繁栄の秘訣を模索し、北ノ庄城下で導入する方法を考える事だ。まずは楽市楽座の研究をするか)

 

 隆広は城下を歩いた。北ノ庄とは比べ物にならない賑わいである。美男の隆広が歩いていると、やはり目立つ。北ノ庄と同じように町娘たちは、隆広を頬染めて見つめていた。本人は全然気付いていないが。

 宿に帰り、武士の正装を脱いで普段の着物に着替えて再び出かけた。部下の三人は今ごろ酒で出来上がっているだろうから、この宿には帰って来ていなかった。

 

 細かく安土城下の町を見て歩く隆広。北ノ庄では物乞いもいて、ゴミなども道にポロポロと落ちているものだが、安土にはそういうのが一切ない。

(ふーむ、こちらは琵琶湖の恵み、北の庄は海の恵みもあるから、資源的には北ノ庄は何の引けもとっていない。なのに何だろう、この差は…)

 まわりの商店を次々と見てまわる隆広。

(これは甲斐の名産の葡萄、伊予の名産の蜜柑…。驚いたな、丸亀の砂糖まである。北ノ庄の市場には越前のものしか並んでいない。だから他国から金が入らない。やはり楽市楽座の導入は不可欠だ。すぐに殿に具申しないと!)

 

「竜之介?」

 ふと隆広は自分の幼名を呼ばれた。

「は?」

「竜之介ではないか?」

「あ!」

 そこには二人の武士を連れた長身の優男が立っていた。

「義兄上!」

「おお、やはり竜之介か! 大きくなったなあ」

「義兄上もお変わりなく!」

 隆広は義兄上と呼んだ男の元に走っていった。およそ五年ぶりの再会である。

「柴田殿に仕えたと聞いたが、こんなに早く会えるとはな」

 長身の武士の背中から小男がポンと出てきた。

「ん? なんだその若いのは?」

「殿、この者はそれがしの義弟竜之介です。現在は水沢隆広と云う柴田家の足軽大将です」

「なに竜之介? その者の幼名は竜之介と云うのか?」

 小男は隆広をジーと見た。

「殿、いかがされました?」

「いや、何でもない。それにしてもそうですか! そなたが水沢隆広殿ですか!」

「殿…? も、もしや…羽柴筑前様?」

「はい、それがし羽柴秀吉でございます」

「こ、こ、これは知らずとはいえご無礼を! それがしは水沢隆広と!」

「いやいや、そう畏まらずに! 我が家臣の弟子ならばワシの弟子と同じでござるよ。のう権兵衛」

「はい、それがしも隆家殿のご養子殿とはお会いしたかった。今日はついています」

「権兵衛…? まさか仙石秀久様ですか?」

「『様』なんてガラではありませんよ、同じ足軽大将の身です。権兵衛と呼んで下され、水沢殿」

「と、とんでもない! 姉川合戦の勇者の仙石秀久様を呼び捨てなど!」

 思わぬ大物武将二人と会ってしまい、隆広は慌てた。

「あ、義兄上も羽柴様と仙石様を連れているのなら一言申して下さいよう!」

「ははは、いやいや二人とも気さくな性格だ。そう恐縮することないぞ」

 

 隆広が義兄上と呼んだ人物、それは今孔明と名高い竹中半兵衛重治である。彼はわずか十七騎で主君斉藤龍興の居城、稲葉山城を落とした英傑である。その後に龍興に城を返して、近江の堀家の家老、樋口家の食客として隠棲して暮らしていた。

 その後に秀吉に仕えた半兵衛であるが、清洲城の半兵衛宅に彼の恩師といっていい水沢隆家からの書状を持った童が来た。森可成の居城を離れて、父の隆家が息子に向かわせたのは、清洲城下の竹中半兵衛の屋敷だったのである。書状の内容は『重治の軍略を少し教えてやってくれ』だった。

 当時は木下藤吉郎秀吉の足軽組頭であった半兵衛は多忙を極めていたが、隆家の頼みでは無下にもできず、半兵衛は十日間だけ休みをもらい清洲から離れて、城下の安宿にて惜しみもなく徹底的に竜之介に軍略を教えた。十日間と云う期限が、より竜之介の集中力を高めたか、八日経ったころにはわずか十歳の子供に教える事がなくなってしまった。それどころか図上の采配では半兵衛さえも舌を巻くほどの作戦を示した。真綿が水を吸収するかのように知識を頭に入れていく教え子に半兵衛も教えがいがあったのか、九日後になるころには共に風呂や寝床も共にするほどに竜之介を可愛がっていたという。

 歳は十六も半兵衛が上であるが、まるで年の離れた弟を愛する慈兄のようだった。期限の十日目は、半兵衛も別れを惜しみ、二人は義兄弟の契りをかわした。後に半兵衛の息子の竹中重門が隆広を叔父上と呼ぶのはこれが理由である。

 義兄弟の契りを交わしたとしても、竜之介は新たな修行を父に課せられ、半兵衛も織田家軍団長羽柴秀吉の右腕として働いていたので、会うゆとりもなかったが、あの充実した十日間は二人には大切な日々。離れていても忘れようはずがない。

 

「いやぁ、それにしても聞いていますぞ! 北ノ庄の城壁を修復した割普請! ワシ以外使う者はいないと思っていたが、見事再現されたとか!」

「は、はい! マネさせていただきました!」

「ははは、別に使用料など取らぬゆえ、そう畏まらず。まあ立ち話もなんです。ほれ、あそこの酒場で一杯やりましょう」

「は、はい! 夢のようです! 義兄上や羽柴様、仙石様と酒が酌み交わせるなんて!」

 隆広の喜びを表す顔は、人たらしと言われる秀吉さえ微笑まずにはいられないものであった。

 この時、隆広は想像もしていなかったであろう。義兄上と思慕する竹中半兵衛の没したわずか数年後に、今から自分と楽しく酒を酌み交わす羽柴秀吉、仙石秀久と血で血を洗う合戦を繰り広げることになろうとは。



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羽柴秀吉と仙石秀久

私は戦国時代を題材にしたマンガでは宮下英樹さんの『センゴク』がダントツに好きです。と、いうわけで天地燃ゆではセンゴクに関係あるエピソードや人物も出てきます。久しぶりに天地燃ゆを読み返してみると、本当にこのころは自重せず小説を書いていたなとつくづく思います。今さら改訂も出来ないので、このまま掲載します。よろしく。


 水沢隆広、羽柴秀吉、仙石秀久、竹中半兵衛が酒を酌み交わして数刻経ったろうか。仙石秀久が昔話をはじめた。

「隆家様は妻の命の恩人でございます。稲葉山城陥落の時でしたが、それがしは今の隆広殿と同じ十五歳でした。当時斉藤家の足軽だったそれがしに目をかけて下されて…ぐすっ」

『権兵衛は泣き上戸なんですよ、最後まで聞いてやってください』と秀吉が小声で隆広に耳打ちした。

「もちろんです。仙石様、父の武勇伝を聞かせて下さい! 父は昔の事をほとんど語ってくれませんでした。父を知る人からいっぱい聞きたいのです!」

 もうその言葉がまたぞろ嬉しくてたまらない秀久は涙が止まらない。隣で半兵衛は苦笑していた。

「ぐすっ それでですな、隆広殿の主君の鬼柴田が先鋒として本丸近くにまで雪崩れ込んできて、殿様の龍興は兵を捨てて女子どもを連れて城から脱出しようとしました。ぐすっ」

「ふんふん」

「それがしは完全に本隊とはぐれてしまい、ヤケクソで柴田勢に一騎で突撃かましていましたが、その時に隆家様は龍興を最後まで見捨てずに城から脱出させる事に成功したのです。女連れの逃避行でした。隆家様は龍興一行を京まで連れて行き、そこでお暇を願い野に下りました…ぐすっ」

「そうだったのですか…」

 秀久の杯に酒を注ぐ隆広。それをグイと飲んで秀久は続けた。

「その逃避行中、それがしの惚れておった女子が足をくじいて一行から離れてしまいまして、夜盗に見つかり、あわや陵辱を受ける寸前に隆家様は戻ってきて助けて下された。ううう…なんという武人の鑑…」

「うんうん!」

「その時の女子、『お蝶』といいまして今のそれがしの女房なのですが、馬上からの隆家様の一喝で夜盗ども数十人が一斉に逃げたとか! その雄々しさから、お蝶のヤツときたらそれがしより隆家様に夢中になってしもうて…いやいや参った。ぐすっ」

「父の一喝で夜盗数十人が!」

「隆家様は女房を馬に乗せて走っているときにこう申したそうです。『権兵衛は生きている。望みを捨てず、あやつがひとかどの武将となりお前を迎えに来るまで待ってやれ。京の龍興様の元にいることはあいつの耳に入るようにしておくゆえな』と。ううう…それがしと蝶が好きおうている事もあの方はご存知でした! 返しきれない恩を我ら夫婦は隆家様に持っておるのです!」

「仙石様…」

 鼻をチンとかんで、涙も拭いて秀久は隆広に言った。

 

「今度ぜひ長浜の我が家をお尋ね下され。隆家様の死を悼み、お蝶は我が家に神棚まで作りましたからな!」

「ホントですか! それは寄らせていただかないと!」

 秀久は隆広の言葉を満足そうに聞き、そしてそのまま寝入ってしまった。秀吉は笑っていた。

「しょうのないヤツだ。だがよほど嬉しかったのだろうな。隆家殿の息子に今の話が出来た事が」

「そうですね。こんなに饒舌な権兵衛は初めて見ました」

 自分の上着を秀久にかぶせてやる半兵衛。

「今度はそれがしの話を聞いてくださるか? 隆広殿」

「はい!」

 羽柴秀吉の杯に酒を注ぐ隆広。

 

「あれは信長様から、美濃四人衆の調略を命じられた時でした。半兵衛を我が陣営に入れることに成功したすぐ後に、それを命じられました。四人衆と云うのは、隆家殿を筆頭に安藤守就、稲葉一鉄、氏家ト全の事でございますが、知っての通り、守就、一鉄、ト全の調略にそれがしは成功しました。だが隆家殿は無理でした…」

「羽柴様…」

「ご存知と思いますが、隆家殿は斉藤家から二万五千石の領地を与えられていました。居城は持たずに信玄の躑躅ヶ崎のように少し城砦の様式を整えた館を持っているだけでした」

 それは隆広も知っている。幼少の時はそこで過ごしていたからだ。しかし幼きころのことなので館のことは記憶の彼方である。

 

 斉藤道三が美濃守護大名の土岐政頼の弟、土岐頼芸に仕え、やがて土岐政頼を追い落とし、主君頼芸を美濃大名にすえた武勲で鷺山城を与えられた時に水沢隆家は、その石高の半分である二万五千石を道三から与えられた。まさに右腕としていかに隆家が道三に信頼されていたか推察できる。ちなみに水沢隆家子飼いの忍びである藤林忍軍の山里もこの領内にある。

 稲葉山、大垣、曽根、岩村などの美濃領内の城をより堅城に作り変えた彼が、織田領にも面していた自分の領地にどうして城を作らなかったのかは現在でも歴史家たちの議論の題材になっている。

 しかしいかに重用しているとはいえ、道三、義龍、龍興の斉藤三代は疑い深い性格をしている。だから領内に堅固な城を作らなかったと云うのが定説ともなっている。

 何より織田は隆家の軍才を恐れ、斉藤本拠地を攻めることはあっても水沢隆家の領地を攻める事はただの一度もしなかったのである。つまり隆家の人物そのものが堅城であるのを雄弁に語っていたのだろう。

 

 その後に道三は土岐頼芸も追い落として美濃大名になり、その際に道三は隆家に加増を申し出たが、隆家は『手前は今の二万五千石で十分にございます。その分の禄を他の将兵に与え労って下さいませ』と断った。

 やがて長良川の合戦(道三と、その息子斉藤義龍が戦った)が勃発した。隆家は早いうちから親子の間に入り、何とか骨肉相争う事態を避けようと奔走した。道三は息子の義龍の才を軽視していたが、隆家は義龍の将才を見抜いていた。義龍もまた父の道三に疑われないように凡夫を装っていたのである。それを隆家は知っていた。道三に『殿は虎を猫と勘違いされている』と必死に諭したが、結局合戦は止められなかった。

 隆家は味方につけと云う義龍の誘いを断り、明らかに劣勢だった道三につき義龍軍を散々に苦しめた。だが衆寡敵せず。勝っているのが隆家の軍勢だけでは仕方がなかった。斉藤道三は息子の義龍に討たれた。父の首を前に義龍は『父と思ったことは一度も無い!』と言い捨て、憎々しげに首を蹴り飛ばした。美濃の蝮と恐れられ、裏切りと謀略に明け暮れた斉藤道三、因果は巡ると云う事か。

 その道三の右腕である水沢隆家は、その因果から逃げようとしなかった。隆家は合戦が終わると、逃げずに義龍の陣に出頭してきたのである。義龍は隆家を斬首しようとしたが、義龍側の武将たち全員がそれを止めた。いかに隆家が同僚たちにも慕われていたか分かる話である。

 だが合戦後に領地を一万五千石に減らされた。龍興の代になると再び二万五千石に戻されたものの、それでも安藤守就、稲葉一鉄、氏家ト全よりは過少の禄高だった。秀吉はその点をついて織田側に隆家を寝返らせようとした。

 

「武功を考えれば安藤守就、稲葉一鉄よりも高禄を受けても不思議ではない隆家殿。その点をとことん突けばいけると思いましたが、それはとんだ思い違いでした」

「はい」

「隆家殿は、禄の増加をずっと固辞していただけだったのです。一度憎き敵となったとしても義龍殿はやはり隆家殿を一番の頼りとし、常に相談役として側に置きました。重用の証として十万石もの加増を義龍殿は申したらしいが隆家殿は拒否しました。『権ある者は禄少なく』と云う事でしょう。世継ぎの龍興殿にも『隆家を父と思い尊敬せよ』と義龍殿は言い残し死んだと云うから、隆家殿は斉藤三代に仕えし家宰で、かつ稀代の名将でござった。今にして冷静に考えてみれば禄の多い少ないをついたくらいで寝返るはずもござらんな。あははははは」

「それで…調略にきた羽柴様に父はなんと?」

「はい、それがしは隆家殿の領地に赴き、お屋敷を訪ねました。隆家殿はわしが信長様の家来、木下藤吉郎と知りながらも訪れた時は邸宅で丁寧にもてなしてくれました。それでいよいよ本題に入りました。『恐れながら龍興殿は祖父の道三殿、父の義龍殿とは比べて凡庸なお方。安藤守就、稲葉一鉄、氏家ト全と言った宿老に見限られたという暗愚さです。失礼ながら貴殿ほどの武将の忠節を受けるに値しないとそれがしは思う。【君君足らず、臣臣足らず】と申すではありませんか』と」

 隆広は身を乗り出して、秀吉の話に聞き入った。

「隆家殿はこう申されました。『主家が傾いているこの時にこそ、忠節を尽くすのが武士の本懐と思っております。木下殿にはご足労かけて申し訳ございませぬが、お引取り願いたい。またそれがしのような者を調略しようと思って下された織田の殿に、この隆家は感謝していたとお伝え下され』と…そう申されました。さすがにそれがしも一言も返せませんでしたよ」

「羽柴様…」

「よい養父をもたれましたな。それに半兵衛の薫陶もあるのならば、きっと隆広殿は織田随一の名将となりましょう。あいにく我ら羽柴家と柴田家はあまり仲がよくありませんが、隆広殿とは友として、これからお付き合いしとうございます。きっと権兵衛も同じ思いでしょう」

「は、はい! こちらこそこれからよろしくお願いいたします!」

 

 秀吉と秀久は、すっかり酔っ払ってしまった。仕方なく半兵衛が秀久を、隆広が秀吉を背負って、安土の羽柴邸まで歩いていた。

「なあ竜之介」

「はい」

「おそらくは大殿も、秀吉様も、権兵衛も、まだお前を『水沢隆家の息子』として見ているだろう。お前と云う人物を見てはおらぬ。お前の後ろにいる隆家殿を見ている。お前も織田家に仕えてみて、養父殿がどれだけの武将であったか、よう分かっただろう」

「…はい」

「あと、隆家殿に仕えていた将兵。ほとんどの者が美濃で帰農していようが主君の名を継ぐ若者が柴田に仕えたと云う事はすでに知っているだろう。影ながら、今じっくりとお前の器量を見ているかもしれない。今ではその者たちも年老い、名跡を継いだお前に仕えることはできなくても、そやつらにも子がいる。養父に劣らぬ武将と見たら、部下にしてくれと望まれるだろう」

「はい、すでに父の忍びには会いました」

「藤林か…。斉藤最強の忍者軍団だった。まだお前を観察しているってトコか」

「ええ、ダメ息子なら即座に斬ると言われました」

「それは野に下っている隆家殿の旧家臣たちも同じ気持ちだ。水沢家臣団は数こそ少なかったが、一人一人が主君隆家殿に心酔していた。だから強かった。その者たちが主君の名跡を継いだ者が愚者と知れば『我らの主君の名を汚す者』として許さぬだろう。だがな竜之介…」

「はい」

「だからといって父の名前につぶされてはならぬぞ。父を越えよう、父を越えようと気ばかり走っても仕方がない。お前はまだ十五才。焦らず腐らず、自分の頭と足で水沢隆広と云う名前を上げていけ。柴田殿はちゃんとそういうところを見ていて下さる主君だ。まずは柴田殿に与えられた仕事に全力を尽くし、評価を受ける成果を示すのだ。そうしていけば誰も自然にお前のことを『隆家の息子』などと呼ばなくなり、隆家殿の旧部下たちもお前を認め、喜んで犬馬の労を取るだろう」

「あ、ありがとうございます! 義兄上!」

 涙が出るほどに隆広は半兵衛の言葉が嬉しかった。

 

「さ、着いたぞ。ここが羽柴邸だ。泊まっていってもらいたいが、確か部下を宿に待たせているのだったな」

 秀吉が帰ってきたと聞き、出迎えに一人の男が出てきた。

「おうおう、兄者がこんなに酔われるとは珍しいですな。半兵衛殿、その若者は?」

「はい、それがしの義弟にて、柴田勝家殿の配下の水沢隆広殿にございます」

「ほう、半兵衛殿と義兄弟の方でござるか。しかも柴田殿の家臣とな?」

「水沢隆広にございます」

「それがし、秀吉の弟の羽柴秀長と申します」

「こ、これは知らぬとはいえご無礼を!」

 秀吉を背負いながらペコリと頭を垂れる隆広。

「あははは、これは兄者が世話をかけました」

 秀長は隆広から秀吉を受け取った。半兵衛の背で眠る仙石秀久を見て苦笑する秀長。

「ほう、権兵衛までがこんなに酔って。ずいぶんと楽しい席だったようですな。ご一緒できなかったのが残念です」

「はい、それがしも秀長殿と酒を酌み交わしたかったです」

「まあ同じ織田の家臣にございます、いずれその機会もございましょう」

「楽しみです!」

 しかし、この二人の再会は戦場だった。しかも敵同士としてである。この時の水沢隆広と羽柴秀長は後に敵味方になることなど想像もしていなかっただろう。

 

「それでは、それがしこれにて」

 隆広は半兵衛と秀長に一礼して立ち去った。しばらくその背中を見ている秀長。

「半兵衛殿」

「はっ」

「あの若いの…ものになる男ですな。当家に仕えてくれたらどれだけ頼りになった事か」

「ええ、私もそう思いまする」

 

「あれが、水沢隆広殿ですか」

「なんだ、知っているのか」

 秀吉と秀久が、半兵衛と柴田家の水沢なる若侍に背負われて帰ってきたと聞き、一人の若者が隆広を見送っている半兵衛と秀長の元に走ってきた。その時には隆広の小さな後ろ姿しか見えなかったが。

「はい、それがしと同じ十五なのに、もう足軽大将と聞いています。どんな男か見ておこうと思ったのです」

「そうか、佐吉とは同じ歳であったな。気も合うかもしれん」

 直接ではないものの、これが水沢隆広と石田佐吉との出会いでもあった。

 

「ずいぶんと遅くなってしまった。矩三郎たちも気にもんでいような…」

 と、急いで宿に帰ったのだが、そんな心配は無用で矩三郎たちは宿でも一杯やり、三人とも爆睡していた。起きているとまた主君の隆広からノロケ話を聞かされると思った彼らの苦肉の策でもあった。

「なんだよ、せっかくさえとの甘い話を聞かせてやろうと思っていたのに…」

 矩三郎たちが眠る部屋の隣室には蒲団が敷かれてあった。さっさと寝ろと云う意味か。隆広は湯に軽く入り、蒲団にもぐった。

「ああ…。さえに会いたいなぁ…」

 本日は蘭丸、信長、秀吉、秀久との出会い。そして義兄との再会も果たした充実した日だった。愛妻の顔を思い浮かべながらも疲れていた隆広は眠りに落ちた。

「さえ…」



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奥村助右衛門永福

 翌日、そろそろ正午にかかるころでもあった。隆広主従は宿で安土城からの使者を待っていた。その間に隆広は昨日の安土城下で見た楽市楽座の賑わいの様子と、一日も早く楽市楽座の導入をする必要性を書面に書いていた。

 使者から信長の返書を受けたらすぐに越前に戻る。勝家に指示された越前領内の視察を行わなければならない。紀二郎は馬の準備をするため城下町の入り口へと向かっており、矩三郎は宿の入り口に立ち、幸之助は部屋の入り口に座り、警護をしつつも主君隆広の事務を邪魔せぬように待機していた。

 

 隆広は文字をスラスラと書きながら、時々小さな箱を時々手にとっては、また机に置くを繰り返していた。何度も繰り返すので、部屋の入り口にいる幸之助が尋ねた。

「御大将、それは?」

「ん? さえへの土産」

(しまった――ッッ!)

 また水を誘ってしまったと思い、幸之助は凍りついたが今度はノロケ話を話し出さなかった。まだ仕事中だからだろう。ホッと胸を撫で下ろす幸之助。

「んふ、むふ♪」

 筆を進めながら変な笑いを上げている隆広。おそらくは土産を渡したときのさえの喜ぶ顔を思い浮かべているのだろう。

 

「御大将」

 宿の入り口で待機していた矩三郎が隆広の部屋に来た。

「うん」

「大殿のご使者がお見えです」

「通してくれ。二人もオレと共に使者を迎えよ」

「「ハッ」」

「失礼いたす」

(蘭丸自ら来たか)

 友とはいえ、大殿信長の使者である蘭丸。隆広と矩三郎、幸之助は上座に立つ蘭丸に鎮座し頭を垂れた。

「それでは水沢殿、これが大殿から勝家様への返書でございます。道中気をつけて持っていかれよ」

「ハッ」

 隆広は蘭丸の手から両手で大事に信長からの書状を受け取った。

「また大殿から水沢殿個人に贈り物があります。口上は『そなたには戦場にて右腕となる武将がおらぬと聞いた。ワシからの贈り物を受け取るがいい』」

「贈り物…?」

 

「奥村殿」

「はっ」

 廊下に控えていた武将がふすまを開けた。

「奥村助右衛門永福でございます」

 凛々しい美丈夫の武将であった。矩三郎と幸之助は驚愕した。

「お、奥村助右衛門様だって!?」

「勝家様が『沈着にして大胆』と賞賛した武将と聞くぞ!」

「本日付をもって水沢殿の配下になられる奥村助右衛門永福殿です。連れて行かれよ」

 蘭丸の言葉を聞きながら助右衛門を見つめる隆広。当年三十三歳の奥村助右衛門。華々しい手柄に恵まれず身分は足軽組頭であるが、戦場の経験は隆広など比較にならない。その顔は美丈夫であるが、同時に熟練した猛将の印象も受ける顔であった。

 前田利家の兄、前田利久に父の永信と仕え、利久を差し置き前田家の家督を継いだ利家に対して不服を申し立て、利久の居城である『荒子城』を友と二人だけで立てこもったと云う武勇伝もある。当時彼はまだ十六歳であったという。荒子城明け渡し後に出奔したが、その数年後の織田家の朝倉討伐で帰参を果たした。

 以後は信長の直臣として安土にいるが、活躍の場に恵まれなかった。何故なら彼はとても扱いづらい人物であったからである。主筋にあたる前田利家も扱いにくい助右衛門を再登用しなかった。

 寡黙で、さながら求道のごとく武将としての道を歩む彼の性格は気難しく、他者に誤解を受けがちでもあった。用兵にも武勇も抜きん出た能力があり、逆にそれが味方に恐れられた。上司にゴマスリなども絶対にせず誤っていれば毅然と意見を言う男であり、しかも歯に衣着せない。どの武将の隊に行っても煙たがれ手柄を立てても黙殺される事も度々あった。

 ゆえに、その器量を認められながらも身分はまだ低かったのである。つまり彼は優秀すぎた。部下の才能を恐れるごときの者は助右衛門を敬遠する。

 隆広は養父隆家から『大将たるもの、怖がるほどの部下がいなければならない。言いなりになる部下ばかり持っているようでは、やがて自分自身に滅ぼされる』と云う言葉を受けていた。隆広は奥村助右衛門を一目見て彼がそれに該当すると読んだ。『オレが怖がる部下になられる方だ』と。

 大殿、織田信長の『この男を使いこなせるか?』と云う言葉が助右衛門の後ろから聞こえてくるようだった。自分の半分も生きていない若武者である隆広に仕えよと信長に命じられたとき、助右衛門はただ『分かりました』と言っただけだと云う。

「なるほど、奥村殿のお話は聞いた事がございます。私とそう歳が変わらぬころ、前田様の手勢五百と二人だけで対したと」

「…そんなこともございました」

「私は貴殿の半分も生きておらず、初陣もつい最近です。さぞや頼りになりそうにない主君と思われるでしょう。しかしそれがしには大殿の云うとおり、配下の兵はいても、配下の将はおりませぬ。チカラを貸していただけませぬか」

「分かりました」

 

「では奥村殿、今日より水沢隆広配下として北ノ庄に赴かれよ」

「はっ」

 蘭丸はそれを最後に、スタスタと隆広の部屋から出て行った。

「奥村殿、いや助右衛門」

「はっ」

「今から越前に戻る。そなたも共にまいれ」

「かしこまいりました」

 奥村助右衛門はこうして隆広の部下となった。隆広十五歳、助右衛門三十三歳のことであった。

「えへへ、それがし御大将の兵で、松山矩三郎と申します」

「同じく、小野田幸之助にございます」

 助右衛門は二人をチラリと見て、プイとそっぽを向いてしまい返事もせず部屋から出て行く隆広の後ろについていった。

「な、なんだよあの態度は!」

「こらえろ矩三郎、あの方にとっては我らなど未熟な小僧にすぎないではないか」

「それを云うなら、御大将はさらに小僧だろ!」

「…それを言うな」

 

 隆広主従は越前に馬を走らせた。しかし、ただ使いをして帰るわけにもいかない。領内の視察と云う任務がある。隆広は最初に金ヶ崎の町に訪れた。

 

 金ヶ崎の町、羽柴秀吉の金ヶ崎の撤退戦で知られる城だが、柴田勝家が越前に入ると城は破却されている。北ノ庄への移民も多かったが、その土地に田畑があり、先祖伝来の土地を離れられない者は多々いた。城は新地になったが城下町は金ヶ崎の町として残ったのである。だが、町には活気がなかった。柴田家に納める税が高いのである。

 隆広はこの町に楽市楽座の導入と、海に面している町だから漁業の強化と塩田を作ることを帳面に記した。

「御大将、塩田て?」

「そんな事も知らないのか矩三郎! 海水から塩を作ることだよ!」

「バカにすんな紀二郎! そこまではオレだって知っているわ! どうやって作るのかって事だよ!」

「そうよな、この辺は風もあるので流下式の塩田がいいかもしれないな」

「流下式とは何ですかな?」

 助右衛門が尋ねた。

「まず海水が地下に染み込まないよう、蒸発層と云う焼いた粘土で防水された緩やかな斜面に流し、水分を蒸発させ、海水濃度を高めるんだ。蒸発層を数回通過した海水を、細い竹枝をまとめてホウキ状にし、いく層にも集めて棚にまとめた枝条架(しじょうか)の上へと散布する。枝条架に付着した海水に風をあてる事で水分を飛ばす。あとは竹枝に付着した塩を収穫するだけだ」

「ほう、隆広様は物知りですな。武将になどならずにそちらで金儲けした方が良かったのでは?」

「オイてめえ!」

 矩三郎が助右衛門の襟首を掴んだ。

「よせ矩三郎」

「だって御大将、こいつ!」

「助右衛門、今さらオレは塩問屋にはなれないさ。だが幸いにして塩田の知識はある。それを民のために使いたいだけだよ。それに…」

「それに?」

「越前が富めば、柴田が儲かる、その武将のオレも儲かる。単なる博愛精神で民のためなんて言っているワケじゃない。ちゃんと先々の儲けを期待しているぞ。それにオレ一人が金持ちになったって妬みを買い誤解を招くだけだ。柴田家と越前の民が徐々に豊かになればいいんだ。そしてオレも禄があがり、恋女房にきれいな着物も買ってやれる」

「なるほど」

(こんな程度の挑発では腹も立てぬか、あっははは)

「とにかく、今すぐに塩田作れと言っても無理だしな。とりあえず殿に報告する事として帳面に記載しておこう。よし、次は府中に行くぞ」

「「ハッ」」

 

 前田利家の居城である府中城に向かった。城主の利家には非公式の訪問である。

「よし、本日は府中の城下町に泊まるが、荷物を置いたら早速出かけるぞ。バラバラに情報を集めるよりも、皆で歩き、一つ一つに知りえた情報を一同で玩味したい。共に来てくれ」

「「ハッ!」」

「…あまり情報が多いと頭の中で処理できませんか?」

 助右衛門がまた皮肉混じりに言った。それを聞いた矩三郎が食ってかかり襟首を掴んだ。

「オイてめえ! オレの事を無視や軽視するのはいいが御大将を侮辱するなら許さねえぞ」

「助右衛門、それは少し違うな」

「と言いますと?」

 矩三郎の手を払い、隆広に尋ねた。

「城下をパッと見ただけで、この城下町の抱える問題はすぐに分かる。だがその一つ一つの問題にも優先順位と云うものがある。この府中城の場合はまず民心の掌握をしなくてはならない。民あっての領国だからな。民心の掌握方法は三段階に分かれる。まず与える事、富ませる事、そして教育する事だ。取るのはそれからでないと民心はすぐに離れていってしまう。そして残念な事に一段階目の『まず与える事』が出来ていない事が、パッと見ただけでわかる。活気がないし、清掃も行き届いていない」

「それは城主の前田利家様の責任でしょう」

 前田利家とは確執のある助右衛門。あの男に行政などできるものかと思っている。

「オレは柴田勝家様の直臣。支城の窮状を見過ごしていいものではない。それに利家様とて度重なる門徒との戦いのため、殿に出兵を幾度も要請されている。財政は火の車のはずだ」

「では玩味というのは…」

「そうだ、城下を見て回り、まず与えられそうなものを一つ一つ玩味して探す。それを本城の殿に報告し、殿の手から利家殿に与え、利家殿が領民に与えると言う寸法だ。そんなに難しい成り立ちではないだろう?」

 助右衛門はあっけにとられた。金ヶ崎での塩田の知識といい、本当にこのお方は十五歳なのかと。助右衛門は武人肌で内政事には疎い。自分にない才能をこの若い主人は備えていると見た。

「助右衛門、オレには部下の将がそなたしかいない。槍働きは無論のこと、内政にも色々とチカラを貸してもらう事になるだろう。よろしく頼む」

「承知しました」

(ふふ…怒らせて器量を見ようとしているオレの考えなどお見通しか)

 信長に『子供とて侮らない方がいいぞ』と釘を刺されたのを助右衛門は思い出した。

「よし、では行くぞ」

 

 隆広主従が城下を歩いていると、山のような反物の束を抱えて歩く女と出会った。

 

 ドン

 

「あ、すいません!」

 女は反物を全部落としてしまった。

「いや、こちらも不注意でした」

 隆広主従は反物一つ一つを拾い、女に渡した。

「これはいい反物ですね…。高く売れるでしょう?」

 隆広の言葉に女は悲しそうに笑った。

「高くなど売れませぬ。買い叩かれてしまいますので」

「ええ? それではご自分の店で出せば…」

「自分のお店を出すと、その税が支払いませぬ…」

「そうですか…」

「ならばこれで…」

 そして続けて町を歩くと、自分の商品を買い叩かれてケンカになっている商人たちが何人もいた。

「隆広様…」

「うん助右衛門、これを何とかしなければダメだ。金ヶ崎の町も似た状況だったが、府中も同じらしい。関税があるうちは他国の商人なんて来ない。それどころか、今いる商人さえ府中を見捨てる。安土で見たように関税を撤去しなければならない」

「しかし現実…利家様にそれを実行できようはずが。金がなければ勝家様の出兵に応じられないのですから」

「だがせめて減らす努力をしなければならない。府中城は何も持っていない。だから元々民たちが持っている金を与えるしかない」

「そうですね…」

 

 そのまま城下を見て回ると、隆広一行は不毛な雑草生い茂る地域を見つけた。近くには九頭竜川の支流も流れている。

「何とももったいない。少し手を加えればここは水を満々とひたした美田となろうに…」

「開墾する金がないのでしょう。これほど広い地域に美田を作るとなると、ゆうに四、五千貫はかかるでしょうから」

「四、五千か、しかし助右衛門、それを渋っていては、この地はいつになっても雑草しか生やさない。時には思い切った先行投資が必要だ。前田家で出せないのなら、柴田で出せばいいが…」

 隆広は一つ思案した。

「よし、領民に出させよう」

「は?」

「最初二千貫程度を柴田で出して、それで開墾をある程度進める。この雑草地帯が美田に移り変わる様子を領民に見せる。そしてその後で民に、ここが美田に変わればいかに自分たちの暮らしが楽になるか教える。前田家の手で作り、やがて出資した民に公平に美田を分け与えると呼びかける。その上で少しずつ銭を集めて、より作り上げられる美田に愛着を持たせる。つまり資金の半額を領民に出させるのだ。領主の前田家におんぶに抱っこではなく、自分たちの町を自分たちで開墾する喜びを教えるんだ」

 助右衛門はポカンとして隆広を見た。

(何て事を考え付くのだ…。一つの開墾で『与え、富ませ、教育を、取る』いっぺんに行うなんて…!)

「よし、宝の土地を見つけたぞ。府中城における『与える物』はこれだ。測量をはじめる」

「「ハハッ」」

 さすがに九頭竜川沿岸を隆広と共に開墾した矩三郎、幸之助、紀二郎、手際よく道具を用意し、段取りよく測量を始めた。

(ほう、堂に入ったものだ)

 単なる生意気な小僧たちじゃないと助右衛門は感心した。広範囲だが馬を使い測量したので一刻(二時間)ほどで測量は終わった。

「いかがでしたか?」

「ああ、助右衛門。この地が美田になれば三万三千石の府中が六万石になるぞ」

「に、二万七千石も上昇するのですか?」

「そうだ、これなら殿も資金を出してくれるだろう。前田家が富めば、殿にも大いに頼りになるのだろうから」

 隆広は嬉々として測量した図面を懐中に入れた。

「どうだい? 大したものだろ我らの御大将は?」

 勝ち誇って矩三郎が云うと、助右衛門は苦笑し

「そうだな」

 と返した。

 

 翌日に隆広主従は不破光治の治める龍門寺城に行ったが、やはり状況は府中と似ていた。

 織田信長は柴田勝家を越前一国の支配者として越前八郡を与えて北ノ庄城に置き、前田利家、佐々成政、不破光治に『府中辺二郡』の十万石をあてがっている。

 こうしたことから前田、佐々、不破の三人は一般に『府中三人衆』と称されており、織田信長は、この越前の国割に際し、府中三人衆は勝家の与力として軍事指揮下に入れ、また、勝家の行動を監視するといった目付としての役割も担わせ、ともに競合して領内の支配に当たることを命じている。

 

 城と城主が違うとはいえ、やはり同じ越前府中であるから、そう変化がないのも無理はない。隆広は龍門寺城でも不毛な雑草地帯を見つけた。そこの測量も済ませて帳面に記録して、次の日に一乗谷に向かった。

 かつて越前朝倉家の本城であった一乗谷城。城は廃却されたが、この地に田畑を持つ民はいまだ多く、かつての城下町は栄えて小京都と呼ばれた姿を誇っており『一乗谷の町』として残っていた。隆広一行が町を訪れると町内を流れる九頭竜川沿いに人が集まっていた。

 

「どうしたのですか?」

「どうもこうもないよ! また橋が流されちまったんだ!」

「大雨のたびにこれでは困るわ…」

「これじゃわしらの商売も上がったりだよ」

「橋か…確かに九頭竜川が通る一乗谷の町では不可欠だな…」

「ですが、橋を作る架橋工事は軍備がかさみます。とうてい今に着手はできますまい」

「確かにな助右衛門。しかし、一日遅れれば一日越前領内一部の流通が止まる。となると逆転の発想で何か考えて、すぐに実行しなければならない」

「逆転の発想?」

「大雨でも流れず、今すぐに着工でき、そして金もかからない橋」

「そんな夢のような橋が…」

「ある」

「え?」

「舟橋だ」

「ふ、ふなはし? 何ですか、それは?」

「重りを載せた船を鉄鎖でつなぎ、その船一つ一つに台と転落防止の欄干を作る。増水時は片岸においておけば激流で流されることもない。使用の時には向こう岸に先端の船をこいで、向こう岸に渡り強固に固定する。和歌にも『いつ見てか、つげずは知らん東路と、聞きこそわたれ佐野の舟橋』とある。大雨で流れず、舟は廃舟を利用すればいいし、安価な工事で済む。何より風流だ。いけるかもしれないぞ!」

 助右衛門は気付いた。隆広が自分に熱を込めて話している事を川沿いにいた町民たちがあっけにとられて聞いていたのである。

「にいちゃん、あんた天才か!?」

「すごくいい智恵よそれ!」

「今すぐにでも作業にかかれるのじゃないか、その橋!」

 隆広は一乗谷の町民に囲まれた。

「まあまあ、みなさん。一応北ノ庄から職人を派遣しますので、彼らの指揮の元に作られるがいいと思います」

「「やったぁ―ッ!」」

「珍しい橋と、旅人も増えそうね! ウチの宿屋も繁盛するかも!」

「矩三郎、幸之助、紀二郎、急ぎ北ノ庄に戻り、辰五郎殿に城郭増築の作業をいったん中断してもらい、こちら一乗谷の九頭竜川架橋を要請してくれ」

「「ハッ!」」

「このまま立ち去るのも無責任だな。職人衆が到着するまで待つとしよう」

「そうですね」

「しかし困った、職人を雇っても給金が出せないぞ。かといって素人の人たちだけでやらせては危険だしなあ…出世払いでやってもらうしかないか…」

「お任せ下さい。それがしが勝家様から給金と工事資金をいただいてきます」

「すまぬ、助右衛門。恩に着る」

「北ノ庄に行くのはそれがし一人で十分ですから、矩三郎たちを使い架橋工事の準備を進めておいで下さい。頼むぞ三人とも!」

「「は、はい!」」

 助右衛門は隆広を自分が全力で補佐するに足る人物と確信した。やっと巡り合えた、我の主人をと、助右衛門は歓喜に震えて町の入り口に繋げてある愛馬まで駆けた。

 

 翌日、奥村助右衛門に連れられて北ノ庄の職人衆の辰五郎一党がやってきた。隆広の指示で北ノ庄城の城郭に出丸を築いていた彼らだが、『舟橋』と云う世にも珍しい架橋工事を始めると聞いて城郭工事を中断し、喜び勇んでやってきた。

「水沢様、お待たせしました」

「辰五郎殿、急な仕事をすみませぬ。道中で助右衛門から工事の内容は聞いておりますね」

「はい! 越前の名物になるかもしれぬと勝家様も大変喜んでおりました。我らも全身全霊で作らせてもらいますよ、舟橋を!」

 これが世に有名な、『水沢隆広の舟橋』である。工事期間わずか三日という驚異的な速さであったが、けして壊れず、大雨の激流も静かに受け流す舟橋は、さながら隆広の軍勢のごとしと賞賛され、後に『隆広舟橋』と命名され、現在の橋は鉄筋コンクリートとなっているものの、名はそのまま受け継がれている。

 

 舟橋の工事が終わった翌日に、隆広主従は佐々成政の治める府中小丸城の視察に赴いた。しかし、この時に農民たちは戦闘の訓練をしていた。柴田勝豊の治める丸岡城でも同じ光景を見た。一向宗門徒の脅威が越前から払拭されるのはまだ遠い先のようだった。隆広は楽市楽座の導入と同時に『刀狩りの実行』と帳面に記し、北ノ庄城へと帰っていった。



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舟橋

太閤立志伝3特別篇の主人公が一乗谷に舟橋を架橋するのは原作通りのお話しです。確か、史実では勝家殿が北ノ庄で行ったと聞いています。その時に舟を結んだ鉄鎖が福井市の柴田神社にありまして、しみじみと眺めたものでござる。


 水沢隆広の領内視察における報告は主君柴田勝家を十分に満足させた。勝家は隣国に一向衆門徒の脅威があるために、関所すら撤去する『楽市楽座』の導入をためらっていたが、今回の隆広の報告で決断した。彼の本拠地、北ノ庄城は無論のこと、府中三人衆の治める府中の三城、柴田勝豊の丸岡城、そして一乗谷の町、金ヶ崎の町と、すべてに導入した。出店に伴う関税もすべてなくしたのである。

 そして一乗谷にて舟橋を作りあげた事を勝家は褒め、金ヶ崎の塩田導入も許可し、丸岡城と小丸城の刀狩りの実行も布告した。そして府中城と龍門寺城の城下にある雑草地帯に美田を作る計画を勝家は快諾し、資金を出すことを了承した。

 また、隆広が連れ帰った奥村助右衛門を見て、勝家は歓喜した。自分が『沈着にして大胆』と評した武将が隆広に仕えてくれることになったのであるから。

 

 越前の視察から帰る日、それは前もってさえに知らされていたので、さえは城から自宅に戻り、夫の帰りを楽しみにしながら夕餉を作っていた。そして…

「さえ―ッ!」

「帰って来た!」

 味噌汁を作っていた鍋を火から放して、さえは玄関に向かおうとしたら、隆広はもう台所に突入していた。

「会いたかった~ッ!」

「さえも!」

 隆広はさえをギュウと抱きしめ、熱い口付けを交わした。すぐにも営みにと行きたいところであろうが、まだ日は暮れていないので、さえに辞退されてしまった。

「さ、もうすぐで夕餉です。湯につかり旅の疲れを癒してください」

「一緒に入ろう」

「んもう、夜までがまんして下さい」

「がまんできないよ~」

 股間を押さえている隆広。

「だーめ、お預けです」

 

 渋々隆広は湯に入り、疲れを癒した。湯から出ると夕餉の支度は終わっていた。

「美味そうだな、いただきます」

 久しぶりの愛妻の手料理をほおばる隆広。それを嬉しそうに見つめるさえ。新婚らしい夕食である。

「お前さま聞きましたよ、一乗谷の町に橋を架けたそうですね、しかも世にも珍しい『舟橋』とか!」

「耳が早いな。本当は『架橋の必要性あり』と殿に報告するだけのつもりだったけど、何か成り行きで架橋工事に入ってしまった」

「早くも北ノ庄から『舟橋』を見に行く人がいるそうです」

「さえも見たいか?」

「はい!」

「うん、じゃあ明日にでも行こうか。ちょうど主命も受けていないから」

「嬉しい! お前さまの仕事が見られるのですね」

「オレが作ったのじゃない。職人たちとその地の領民が作ったんだ。オレは案を出しただけさ」

 おかわり、と丼をさえに渡した。

「でも、その案がなければ一乗谷の人々は困ったままでした。お前さまがそれを救ったと聞いた時は本当に嬉しくて」

「そうか、そういえば一乗谷は朝倉の本城だった。いわばさえの故郷か」

「はい義景様から父が大野城を拝領するまで、さえは一乗谷におりましたから」

 その大野城は廃城になり、城下町も北ノ庄に移動したので、今はただの新地である。さえがお城のお姫様と呼ばれて過ごした場所はもう無い。

 現在は城が破却されて町が残るだけとは云え一乗谷はさえにとり生まれた土地。久しぶりに故郷の土を踏めるのが嬉しかった。

 

 夕食をとりながら、隆広は安土での事や視察で見た事を話した。信長と初めて会った時の感想や、羽柴秀吉や仙石秀久と酒を酌み交わし、義兄の竹中半兵衛と再会をした事。幼馴染の森蘭丸とも再会した事、奥村助右衛門が部下になってくれた事と色々である。さえはそれを楽しそうに聞いていた。

「あ、そうそう。さえに土産があるんだ」

「え?」

「さえの日本一きれいな髪のために」

「まあ…」

 隆広は漆塗りのくしを渡した。赤い光沢の美しい作りで、今まで安価な竹くしを使っていたさえには何よりの贈り物である。渡されたくしを胸に抱くさえ。

「ありがとうございます。私一生大切にします」

「オレはさえを一生大切にするよ」

「んもう、お前さまったら…(ポッ)」

 そして夕餉の後に、隆広待望の閨の時間が訪れた。またさえに灯を消してくれと言われた。最初は贈り物をくれた日だから、夫の望みに応えて明るい部屋での閨に挑戦したが、やっぱりダメだった。別に体に火傷もケガの跡もない真っ白い肌なのであるが、どうやら生来の恥ずかしがりやらしい。

 

 翌朝、隆広は愛馬のト金にさえを乗せて、一乗谷へと駆けた。昼には到着し、さえは懐かしい一乗谷へとやってきた。

 九頭竜川沿岸に行くと人だかりが出来ていたので、一瞬隆広はまた流されたのかと思ったがそうではなかった。人々は九頭竜川の川面を穏やかにゆらゆら揺れる舟橋に見入っていたのである。中には歌人もいて、舟橋を題材に和歌を詠んでいたりもした。

「きれい…」

 さえも見入った。

「あんなに人が渡ってもビクともしていないですね」

「ああ、辰五郎殿がずいぶんと設計にこだわっていたからな。架橋は初めてだと言っていたが、どうしてどうして良い仕事だ」

 

「おや、御大将じゃない」

 川沿い近くの宿屋の女将であった。流された橋を見て『大雨のたびにこれでは困るわ』と言っていた女で、隆広の舟橋案に『すごくいい智恵』と絶賛したのも彼女だ。

 彼女は町の女たちに呼びかけ、職人や工事に携わる男たちに積極的に給仕をしていた。橋が完成すれば町の名物になり、経営する宿屋が繁盛するかもと思い工事中は彼女も懸命に働いていたのである。隆広の部下たちが『御大将、御大将』と隆広を呼んでいたので、自然彼女もそう呼んだ。

「あら、かわいい奥さん、御大将もスミに置けないわねえ」

「そうでしょう、自慢の妻なんです」

「んもう、お前さまったら」

「見てよ御大将、この賑わい! ウチの宿屋なんてお客さんでごった返しているわ」

「そのようですね」

「これも御大将のおかげよ。もう少し私も若かったら床の上でお礼したいくらいね!」

 さえの顔から一瞬笑顔が消えた。

「あら怖い怖い! それじゃ邪魔者は退散しますね! あははは!」

 

「さえ」

「はい」

「オレは舟橋の完成より、こうして一つの名物によりたくさんの旅人が領内に来てくれる事の方が嬉しいよ。あの宿の賑わい。歌人が風流にひたれる町。今は一乗谷のほんの一角だけかもしれないけれど、これを越前全体に及ぼしたいんだ」

「はい、さえも素晴しい事と思います」

「お、さえ、そろそろ渡れそうだぞ! 行こう!」

「はい!」

 舟橋を歩き、川面からの風を気持ちよさそうに受けるさえ。美しい髪を流す姿に隆広は思わず見とれてしまう。水しぶきを避ける仕草さえ愛しくてたまらない。

 何度もさえは橋を横断した。それは自分の故郷の窮状を救った夫の仕事が心から嬉しかったからだった。

 その日のうちに、隆広とさえは北ノ庄の自宅に帰った。前日の夕食は隆広が饒舌になったが、今日はさえの方が饒舌になった。舟橋と、なつかしい一乗谷に行ったことがそうさせたのだろう。閨のあとの寝物語でも、二人はお互いの息がかかるくらいに顔を寄せて語り合ったのだった。

 

 数日後、隆広は勝家から与えられた資金を持ち、府中城の前田利家を訪ねた。

「あの地帯を美田に? そんなの可能なのか?」

「はい、しかし資金はそれがしの見積もりの半分である二千貫しか殿より調達できませんでした」

「四千貫もかかるのか…」

 柴田勝家からの使者である。前田家の重臣一同も揃っていた。残る二千貫の負担はできるかと利家は家臣たちに目で尋ねたが首を振られた。

「ですが前田様、あの地を開墾すれば三万三千石が六万石になるのでございますよ」

「まことか!?」

 家臣たちも顔を見合わせた。

「はい、この測量図を見て下さい!」

 隆広は図面を見せて、その上に用水路をしいた完成予定を描いた薄い紙を重ねた。利家は食い入るように見つめ、家臣たちも詰め寄って見た。

「九頭竜川の支流から水を引き田に入れれば、たちまち美田です。また府中城の九頭竜川支流は氾濫した歴史がない。四千貫の投資は二年もあれば戻るでしょうし、何より美田を与えられた民たちの民心が上がるのは大きいと思います」

「だがな隆広。勝家様にはそなたがおろうが、当家にはあまり土木の指揮に長けた者がおらんのだ。戦場の猛将ならたくさんおるのだが…かといって、新たに召抱えたとしても新参者に多大な国費を与えてそんな事業を任せるのものォ…。またそなたに頼むも、それでは前田家に人なしと笑われるだけじゃ」

「では一人、数日それがしにお預け下さいませんか。現場に赴いて具体的な方法や、資金の割り当てを僭越ながらご教授させていただきまする」

「かまわんぞ、誰にする?」

 隆広はもう決めていたように、その男を指名した。

「利長殿、貴殿だ」

「オ、オレ?」

 前田利長、前田利家の嫡男である。隆広より二つ年下で、現在十三歳。

「隆広、息子はまだ子供だ、荷が重い」

 利家は武勇があまり優れない利長を評価していなかった。

「いえ、大丈夫です。失礼ながら利長殿の事は調べさせてもらいました。利長殿は北ノ庄城の文庫(図書館)から、貞観政要や孔孟の書を借りておられた。武芸が苦手なら智の技でとお考えだったのでしょう。そして爪の間にある墨の跡。書き写して内容を習得しようと思った証にございます。違いますかな利長殿」

「い、いや、そんな…」

 父の前田利家は息子がそんな書を読んでいたと初めて知った。

「また十三歳のお若さなら、知識の吸収も早い。お預け願いたい」

「分かった、息子を頼む」

「では利長殿、ご一緒に参りましょう」

「は、はい!」

 隆広は利長を連れて城主の間から出て行った。

「ふっはははは」

 利家は突然笑い出した。

「どうされた殿?」

 と、前田家臣の村井長頼。

「だって可笑しいだろう、親父のワシが知らぬ息子の得意分野を隆広は見抜いていたのだぞ。参ったのォ、ふっはははは」

 隆広は、現場を歩いて利長につきっきりで開墾の方法を教えた。やはり隆広が見込んだだけあり利長はどんどん新田開発に伴う土木の知識を真綿が水を吸収するかのように学び取った。

 資金の分配から、人の使い方など後に君主としても役立つ知識を隆広より教えられた。この縁からか、利長は隆広を兄のように慕い、この後共に柴田家を支えていくことになるのである。

 そして五日もたてば、隆広が任せられると思うほどに知識を得た。それを利家に披露させた隆広。

「…と云うわけでございまして、当初柴田家から与えられた二千貫を用いて開墾の様子を民たちに見せ、その間に民たちに徹底してこの地に出来る美田がどれだけ自分たちを豊かにするか教えます。そして少しずつ銭を出させるのです。自分たちの投資した銭が美田に変わる。無論、その美田に愛着も湧きます。そして同時に民たちは前田家から農耕や用水の知識を得ますから、強力な味方になるかと!」

 ポカンとして息子利長の意見を聞く利家。重臣たちも頼りない若君と思っていた印象が一変してしまった。

「利長、今まで教えたのは机上のこと、それを現場で生かせるかはそなたの器量次第だ。主家の行政官として期待している」

「お任せください!」

 いつの間にか、隆広は利長を呼び捨てで呼んでいた。親しみの表れである。

「では前田様、それがし龍門寺城の不破様にも同様の用件がございますれば、この辺で」

「あ、ああ…気をつけてな、何なら当家で龍門寺城まで護衛するが…」

「いえ、城下の宿屋に部下を待機させています。大丈夫ですよ!」

「そうか」

 隆広が府中城を出てしばらくすると

「隆広―ッ!」

 利家が追いかけてきた。彼の妻まつも一緒だった。

「前田様?」

「城主の間では家臣たちの手前言えなかったが、礼を言うぞ、利長はまるで別人のように凛々しくなりよったわ!」

 母のまつもわずか数日の隆広の薫陶で息子が凛々しくなったと感じ、利家の前で言った意見を伝え聞いて舌を巻いていた。

「母として本当にお礼を申し上げます。僭越ながら知識だけ与えてもああは変わらないはず、隆広殿は利長に何を言ったのですか?」

「大したことは言っていません。『お前に任せる、頼りにしているぞ』だけです」

「『お前に任せる』…」

「そうですまつ様、利長は叱咤して化ける男じゃない、認めて、褒めて化けさせたのです」

「隆広殿…」

「それではこれにて」

 歩き去る隆広の背を見ている利家とまつ。

「母親失格ですね…。今まで頼りなく書ばかり読んで部屋に閉じこもっている利長を叱ってばかりの母親でしたから…『褒めて化けさせる』なんて考えもしなかった…」

「前田家は隆広に返しつくせない恩義を受けた…。次期当主の利長を一人前にしてくれたのだから。あの地域が美田に変わり石高が上がるよりもオレは嬉しい」

「殿…」

「これから利長を認めて褒めてやればいい。そうでないと利長が隆広に取られてしまうぞ!」

「くすっ…。そうですね」

 

 隆広は龍門寺城の不破光治を尋ねた。だが不破家もまた土木の指揮に長けた者がいなかった。今度は当主の子を指名しなかった。隆広は不破家の家老である不破助之丞の息子の角之丞を責任者に指名した。

 父親の不破助之丞自身が、この子の代で我が家は潰えるとまで言うほどの頼りない息子で、隆広より一つ年下の十四歳。まだ寝小便の悪癖が治らない少年だった。角之丞を指名した時、当然の事ながら光治も助之丞も無理だと言った。

 だが隆広はこの角之丞も化けさせてしまったのである。六日の間隆広に新田開発と引水、資金の分配、人の使い方を教え込まれた。この六日間、彼は一度も寝小便をしなかった。

 六日後に主君光治に堂々と開墾の主旨と実行方法を述べたときは光治と助之丞はポカンとまるでキツネに化かされたような顔をしていた。

 利長の時と同様に、隆広は府中城と龍門寺城に来る前に、北ノ庄の文庫を訪れ、前田と不破の子弟で貞観政要などの政治書を何冊も借りている者をあらかじめ調べておいた。それに該当したのが前田利長と不破角之丞であったのである。

 息子を見事なまでに生まれ変わらせてくれた隆広に不破助之丞は涙を流して感謝し、年頃の娘もいた彼は『側室にどうでござろう』と勧めるほどだった。不破角之丞は後に隆広と義兄弟の契りを交わし、不破光重を名乗り、隆広と共に柴田家を支える武将になる。

 

 隆広は二つの城の開墾を自分の知識を分け与えた若者二人に任せて、あとはたまに主家の行政官として視察に来る程度だった。二人は隆広の期待に十分に応え、見事に不毛な雑草地帯を美田に作り変えたのだった。



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石田佐吉

太閤立志伝3の石田三成の立ち絵グラフィックって、めちゃくちゃ美少年なんですよね。


 ある朝、登城した隆広は主君勝家から辞令を受けた。任務は『穀倉官』であった。つまり兵糧の管理である。武人肌の多い柴田家では閉職と軽んじられている仕事であるが、腹が減っては戦にならない。だから勝家は隆広に命じた。

 柴田家には能吏と云える人材が不足していた。武人肌が家中の上部を占めているため、能吏の徒は少なからず嫌われる風潮があった。となると、その風潮を歯牙にもかけない強い心を持ち、同時にソロバンと帳面に明るい人物が必要とされる。それが水沢隆広であった。

 

 隆広は任命のその日から、どんぶり勘定気味であった兵糧の数を明確にした。穀倉庫を預かる部下の役人たちも、最初はこんな小僧がと侮っていたが寸分の狂いもない管理の手腕に驚かされた。また古くなった米を領民に安価で売り、国庫を潤沢させると共に民心も上げて、主君勝家を大いに喜ばせた。

 だが、少し心配事も出てきた。隆広は仕事に熱中するあまり、帰宅が遅くなることもしばしばあった。妻のさえが奥村助右衛門の妻津禰(つね)に『さびしい』とこぼしていたのを助右衛門は聞かされてもいた。

 

「もうこんな時間か…」

 穀倉庫の机で、隆広は一つあくびをした。その脇にいる助右衛門が言った。

「隆広様、少しよろしゅうございますか」

「なんだ?」

「隆広様は少し根を詰めすぎです。お屋敷に一人で待つ奥様の気持ちも察せられませ。グチ一つ言わぬとて寂しがっているに相違ございませんぞ」

「うん…。だけど…」

「分かっております。それがしも申し訳なく思います。部下にもここの役人にも安心して任せられない。そうお考えなのでしょう」

「それは…」

「よいのです。実際にそれがしは能吏としては隆広様の右腕にもなることはできません。戦場ならば身命を賭して隆広様をお守りする所存ですが、ここでは何の手助けもできません。それがしも口惜しく感じています」

「助右衛門…」

「隆広様は足軽大将、側近三名くらいはもてるはず。一向衆との戦いを考えれば、それがしのような槍働きの将がもう一人くらいいるでしょうが、せめてあと一人は内政家を召抱えてみては? それでずいぶん隆広様の負担も減るはずです」

「簡単にいうが、そう優れた内政家がみつかるとは…」

「隆広様は羽柴様と親密でございましたね」

「そうだが…」

「羽柴様なら人脈豊富、羽柴様に相談してみては?」

 名案だと隆広は思った。最近さえが拗ねて困ってもいた。それに心強い内政家が部下になってくれればこんなに心強い事はない。

「ありがとう助右衛門。明日は休みをとって長浜に行ってみよう」

「それがしもお供します、一日くらいは隆広様がいなくても役人たちが何とかしましょう」

 

 翌日、隆広は助右衛門を伴い、羽柴秀吉の居城の長浜城に向かった。到着した長浜は中々の賑わい。秀吉も楽市楽座を導入していたのである。

 まず隆広は義兄の竹中半兵衛を尋ねたが、半兵衛は秀吉の命令で安土にいるとの事だった。半兵衛と会うことはあきらめて、次は仙石秀久の自宅に向かった。

 秀久も半兵衛同様に留守であったが、彼の妻のお蝶が隆広主従を出迎えた。お蝶は命の恩人である水沢隆家の養子が来てくれたことを事のほか喜び、自分が作った隆家の神棚の場所に案内した。

「こりゃまた立派な…」

「いいえ、私が受けたご恩に比べればまだまだ小そうございます」

 隆広と助右衛門は隆家の祭壇に合掌した。お蝶は想像できたろうか。今、自分の作った神棚に合掌している若者が後に夫秀久と敵味方になり熾烈な戦いをすることになろう事など。

「そうですか、秀吉様にお会いに」

「ええ、できれば権兵衛殿にもお会いしたかったのですが」

「まあ、夫も最近一丁前に『忙しい』なんて言うようになりました。今回に水沢様が来て下された事は伝えておきますゆえ、文でも書かれると思います。字はとてもキタナイですが」

「ははは、ありがとうございます。ならば我らはこれにて」

「また来て下さいね、水沢様」

「はい」

 お蝶との再会はこれより数年後であるが、それはとても悲しい結末となる事を隆広は知る由もない。

 

 そして隆広は長浜城の城主の間で秀吉と会った。

「久しぶりですなあ、隆広殿。そしてそこにいるのは奥村助右衛門殿か。妻の津禰殿は元気かな?」

「はい、羽柴様もお元気のようで」

「ははは、元気だけがわしの取り柄じゃ。で、二人揃って何用かな?」

「はい、実は秀吉様にご相談が」

「相談? 隆広殿がワシに? ほほう聞きましょう」

「はい、実は…」

 隆広は言った。自分には内政に長けた側近がおらず、主命を行うのも一苦労という事を。

「ふむう、なるほど。頼りになる男が欲しいと…」

「はい。羽柴様なら人脈豊富。心当たりがあるのではないかと、それがしが主君隆広に薦めました」

「うん、助右衛門殿はいいとこに目をつけました。心当たりはありますぞ」

 隆広と助右衛門は顔を見合わせた。

「本当ですか!」

「はい。これ! 佐吉をこれに呼んでまいれ!」

 しばらくすると佐吉と云う男がやってきた。それは隆広同様に元服をつい最近に済ませたような少年で、かつ眉目秀麗な優男であった。

「親父様、佐吉にございます」

「おう、これに」

「ハッ」

「隆広殿、石田佐吉にございます。こいつを使ってくだされ」

 

(隆広…? この男が水沢隆広?)

 佐吉は秀吉の傍らに座った。そして秀吉は佐吉を薦める理由を話し出した。

「この佐吉は長浜のさる寺で拾いました。わしがノドを乾かして立ち寄ったところ、こやつ最初はぬるい茶を大きい椀に入れて持ってきて、二杯目を頼むと少し小さな椀にやや濃い目の茶を持ってきて、三杯目を頼むと熱い茶を小さな椀に持ってきた。こんなに気のつく小僧は珍しいと思いましてね。召抱えました」

「なるほど…」

「今は手前の奏者(秘書)見習いをしております。見込んだとおり才能を表し、計数に長けて、土木知識も卓越しており、何より兵站(後方支援)には抜群の才がござるよ」

「それはスゴい!」

「だが一つ問題が」

「と言いますと?」

「手柄と云うものはついつい戦場の武功に目が行きがちでござるが、それも兵站あって成せると云う事をウチの血の気の多い若い連中は分からない。ワシが諭せばヒイキと映る。身内の恥をさらすようで面目ないが佐吉は同僚と上手くいっておらず、イジメを受けているようなのですわ」

「親父様、かような事…」

「いいから黙っとれ、コホン、というわけで隆広殿、そういう場合は思い切った人事異動をして、佐吉が思う存分に働ける場所に出向させるが上司の務め。内政と軍事にも長けた隆広殿の元ならば重用され、かつ佐吉も学ぶこと多い。何しろ本の虫と呼ばれた前田利長と、寝小便の不破角之丞を生まれ変わらせたのですからな」

「い、いや、そんな…」

(知っていたのか…。ホントに油断もスキもない方だ)

「よって、この佐吉をお貸しいたそう」

「親父様…それがしには何が何やら」

「佐吉よ、本日よりこの隆広殿に仕えよ」

「ええ! そんな、それがしは親父様の下で」

「今も言ったであろう。お前は今の環境では十分に能力は発揮できない。しかし隆広殿の下に行けば内政に長けた側近はそなただけになる。重用されるであろう。かつ隆広殿から学ぶ事も多いはずじゃ。見れば歳も同じくらい。気も合うだろう。分かるな? そなたは隆広殿の下で修行をするのじゃ。そして虎(加藤清正)や市松(福島正則)が何一つ文句も言えなくなる男になって戻ってこい」

「親父様…」

(冗談じゃない! 体裁のいい左遷じゃないか! 親父様もオレを疎んじるのか…!)

「佐吉殿、それがしからも頼む。秀吉様に比べれば頼りない主君であろうが、必ずやそなたを重用する。いやさせてほしい」

「……」

「ほら佐吉、新たな主君に挨拶せぬか!」

「…ハ」

 佐吉は隆広に改めて対し、名乗った。

「…石田佐吉です。槍働きは苦手ですが計数と兵站なら誰にも負けませぬ。それがしでよければお仕えいたします」

「おお! ありがとう! 頼りにしますぞ佐吉殿!」

「…は」

 こうして石田佐吉は水沢隆広の配下となった。彼こそが『今蕭何』『名宰相』と後世から賞賛される石田三成である。

 だが今は『左遷された』と云う屈辱感の虜となっていた。会った事もない歳が同じ主君にいきなり仕えろなど、どだい無理である。しかし隆広の才は聞いていた。

 とはいえ佐吉も自分の才能には自信がある。能力を総合的に見て自分より隆広が劣っていたら即座に暇を願い羽柴家に帰るつもりだった。それを見極めるまではそのもとで働いてやろうと思っていた。

 

 北ノ庄に帰り、再び穀倉官としての業務に当たる隆広であるが、佐吉の能吏手腕は隆広の想像を超えて卓越していた。二人でチカラを合わせれば今まで隆広が夜までかかっていた仕事が夕方前には終わっていた。

 秀吉から家臣を借りたと聞き、少し不快を感じた勝家であったが、佐吉の礼儀正しさと勤勉ぶり、そして才能にそんなものは吹き飛んでしまった。気の進まない職場でも手は抜かない。これも彼の性格が出ている。やっと妻さえの機嫌も直り、隆広も安堵していた。

 

 やがて隆広は手腕を認められ、兵糧管理の総責任者に抜擢された。つまり今まで兵糧の管理と点検であったが、今度は領民から兵糧を徴収する役目である。織田家最年少の『兵糧奉行』の誕生である。今日は就任初日、隆広と佐吉は朝早くから役場に出勤し、兵糧役場で各村の収穫高や、毎日記録していた天候帳に目を通していた。

「隆広様、佐吉」

「どうした助右衛門」

「領内の村の長たちが挨拶に来ております」

「分かった、佐吉」

「はい」

 隆広と佐吉は村の長たちの集まっている部屋へと行った。

「それがしが新任の兵糧奉行の水沢隆広です。みなさん、よろしくお願いします」

「ていねいな挨拶痛み入ります。今日は村を代表してご挨拶に参りました」

「それはありがとうございます。それがしは貴方たちの息子ほどの歳ですが、懸命に働くつもりです」

「ありがとうございます。どうぞこれをお納め下さいませ」

 村の長は小さな包みを差し出した。よく見ると他の村長たちも同様に包みを持っている。隆広の顔が険しくなり、言葉遣いも強くなった。

「それはなんですか?」

「お祝いの品でございます」

「…それがしはそんなもの受け取りませぬ」

「す、少のうございますか?」

「多い少ないではございませぬ。それがしはそんなものは受け取らないと言っているのです」

 顔つきも先ほどの温和な顔でなくなり、言葉もきつくなっている隆広の反応に村の長たちは戸惑った。

「あなたたちはいつもそのような付け届けをしているのですか?」

「は、はい、そういうことになっております」

「そうですか、ならば今まで誰と誰に付け届けをしたか、教えてください」

「「ええ!」」

「いいですか。隠し立てすればあなたたちも賄賂を贈った罪で罰しますよ」

「し、しかし賄賂を贈らなければ年貢を増やされてしまいます」

「正直に申して下されれば、あなたたちの罪は水に流します。だが隠せば罰します。佐吉」

「ハッ」

「誰に賄賂を贈ったか聞き出して記帳せよ」

「ハッ」

 村長たちは賄賂の包みを持ったまま戸惑った。バラしたことでどんな報復があるか分からない。

 

 ドンッ!

 

 奥村助右衛門が持っていた槍の石突(基底部)を床に叩いた。その音に村長は腰が引けた。

「これは密告ではない。告発だ。これによりそなたたちが報復を受ける事はありえぬゆえ正直に述べるのだ」

「「……」」

「聞こえないのか!」

「「は、はいい!」」

 村長たちは佐吉に次々と賄賂を送った兵糧役場の役人の名前を述べた。隆広と助右衛門に無言の会話が交わされた。

(すまぬな、助右衛門)

(いえいえ)

 

 その昼、隆広は数人の部下の役人を呼び出した。

「奉行、何の用でしょう」

「呼んだのは他でもない。本日よりそなたたちを追放する」

「「ええ!?」」

「な、なぜでございます!?」

「お前たちはここ数年、農民たちから賄賂をとり私腹を肥やした。賄賂を贈らぬ者には年貢を増やすという非道なこともしてきた。我が柴田家は一向宗門徒との戦いが激しく、何より領民の支持が不可欠なのに、お前たちは殿と領民を裏切った。領民あっての国だ。領民をないがしろにして栄えた国はない。これ以上くどくど言うこともあるまい。よってお前たちを今日より追放する。顔も見とうない! さっさと北ノ庄から出て行くがいい!」

 賄賂を受けた役人たちは隆広に一言の反論もできず、スゴスゴと役場から出て行った。

 これが世に有名な『水沢隆広、韓信裁き』である。漢の高祖に仕えた韓信は、今回の隆広と同じように私腹を肥やす役人を追放した事がある。隆広もその時の韓信と同じくらいの厳しさをもって部下の役人を処断したのであった。

 

 その処断を隣室から見ていた助右衛門と佐吉。

「どうだ佐吉、これで隆広様を主人と認めたか?」

「…え!」

「そなた、隆広様が自分より劣っている主君なら、即座に羽柴家に帰参するつもりだったろう?」

「…ご、ご存知だったのですか?」

「治したほうがいいぞ。毎日の仕事の中でそなたが隆広様を見る時の顔にそう書いてあった。そして今、初めてその文字が顔から消えたのよ」

「と云う事は…隆広様もそれがしがそう思っていた事を…」

「クチにはしとらんが、オレが分かるくらいだ。とうにお気づきであったろうな」

「そ、そうだったのですか…」

(そんなにオレは胸中に思う事が顔に出やすいのか…)

「羽柴家で同僚と上手くいかなかったのも、そんなところだろう。お前は兵卒として隆広様に仕えるわけではない。この越前の行政官水沢隆広の補佐役なのだ。民や兵を土木工事で使うとき、『この無学者たちめ』なんてのが顔に出たら必ず伝わるぞ。人を使う立場にあるのだから、すぐに治せ」

「は、はい!」

「で、今日から隆広様を主人と認める気になったのだな?」

「…はい、確信しました。隆広様は私より何倍も器の大きい方です。本日より佐吉は隆広様のまことの家臣になるつもりです」

「そうか、隆広様も今のお前の言葉を聞いたら喜ぶだろう」

 石田佐吉の顔にはもう『左遷された』のひがみもなかった。秀吉の『修行をしてこい』の意味がこの日やっと分かった。石田佐吉は本心から内政における水沢隆広の右腕となるのであった。そして何か胸に思う事があっても彼は一つ深呼吸をし、けして表に出す事はなかった。

 

「お前さま、兵糧役場の悪徳役人を追放したんですって?」

 帰宅して、おかえりなさいませの後、さえに言われたのがこれだった。

「何で知っているんだ? 今日の昼にあったことなのに」

「もう城下町はその話で持ちきりですよ! 私も妻として鼻が高いです」

 城下の娘たちがキャーキャー言っているのを聞いたさえは

(私のダンナ様なんだから当然!)

 と、誇らしく思った。

 

 柴田勝家の耳にもこれは入った。そして手を打って喜んだ。賄賂をガンとしてはねつけたのが嬉しくて仕方なかった。そして私腹を肥やしていた者を処断した事も。

 勝家の傍らにいた妻のお市も大喜びした。この隆広の不正役人追放を勝家に知らせに来た者は、勝家とお市が家臣の快挙にしては異常なまでに喜ぶのに戸惑った。

「殿…私は嬉しくてなりませぬ…。よくぞそこまでの男子に…」

「ああ、それでこそ…」

 

 隆広が悪徳役人を追放したと云う話は、瞬く間に北ノ庄中に広まった。本当に民の事を考えてくれる方が奉行になったと領民たちは喜んだ。しかし…

「う、ううう…あんな若僧にかような恥を受けようとは…!」

「…オレにどうしろと云うのだ?」

 解雇された役人のうち一人が佐久間盛政に泣きついた。役人政兵衛は盛政の縁者である。

「ご家老、何とかあの若僧に仕返ししたい!」

「…隆広は罪人のそなたの家族まで責任を及ぼしていない。それでも仕返しがしたいのか?」

「当たり前にございます。何が賄賂は許さぬだ、みんなやっていることだ! ご家老とてあの若僧が気に食わないのでございましょう? 何とか役人に戻れるように働きかけて下され! 今度はワシがあの若僧に賄賂の罪を捏造して追放してやる! 無論ご家老にはたんまりとお礼を…」

 

 ズバッ

 

「…え?」

 政兵衛は盛政に問答無用で斬られた。

「たとえ、気に食わない男が行った事でも…正しい仕事ならオレは認める。お前は柴田家に、いや世の中に必要のないクズだ!」

 斬られた政兵衛の断末魔の声に、盛政の家臣たちが駆けつけた。

「片付けろ、こやつは役人を解雇されたことを怨み、当家の兵糧奉行に報復を企てた。よってオレの縁者とはいえ斬り捨てた」

「ハッ」

「フン、追放など生ぬるいことをしているからこうなる。斬刑で良かったのだ。つまらん尻拭いをさせおって、隆広めが!」

 これは他の追放された役人にも伝わり、逃げるように北ノ庄を出て行った。人づてに隆広は盛政の処断を聞き、盛政に礼を述べに行ったが盛政は会おうとしなかった。

 だが玄関先に立つ隆広に聞こえるように『不正役人を追放程度で済ませるような甘い男に会う気はない! 柴田家と越前の民を裏切った者は斬らねばならない!』と言い、隆広に『責任ある立場になったのなら、断固として不正は厳しく処断せよ』と諭したのだった。

 隆広はその言葉を訓戒として、玄関先で声のした方向にペコリと頭を下げた。不仲の二人だが柴田家を思う気持ちは同じだったと言える話だろう。

 

 隆広は、勝家の命令で柴田家の兵糧奉行として領内の不正役人の摘発を行った。支城の府中城、小丸城、龍門寺城、丸岡城と一乗谷の町、金ヶ崎の町でも同じ事を行い、やはり不正を働いていた者が多く見つかったのである。支城での処断は城主に一任されるが、一乗谷の町、金ヶ崎の町の柴田家直轄の町は不正役人は捕らえられ、隆広の前に縛に繋がれた。

 

「柴田家に禄をもらいながら殿と領民を裏切った罪は重い。一同覚悟は出来ていような」

「「……」」

「また、逆恨みでオレを襲おうとした元北ノ庄兵糧役場の役人たち。その方たちとて武士であろう! なぜ闇討ちなど考えた、口惜しければ正々堂々と果し合いを申し込めば良いだろう!」

「「……」」

 隆広は追放した役人の財は没収したが家族には累を及ぼさなかった。だが周囲から不正役人の家族と責められ、結局北ノ庄から逃げ出した。

 そして追放された夫と合流して一乗谷の町、金ヶ崎の町に流れ着いた。その町に住む不正役人たちも、いつ隆広の目が及ぶか怯えたが今までの賄賂を受け取った事実は拭いようもない。

 役人たちは越前から逃げるか、それとも隆広を殺すか考えたが、後者は成功したとしても、もう生きる道はない。柴田家に殺されるのは目に見えている。前者ならば今まで蓄えた金で当面は何とかなる。

 結果、北ノ庄から追放された役人は後者を選んで、一乗谷の町、金ヶ崎の町の役人は前者を選んだ。後者を選んだ役人たちは、もう明日に食べるメシの金もない、家もない。逆恨みと知りながら隆広を殺すことにした。その上で柴田家に殺されようと半ばヤケクソの蜂起である。

 だが、すべて露見してしまった。不正役人の摘発を行うため一乗谷の町に来た隆広を襲うため伏せていたが、逆に隆広の兵に捕らえられた。そして逃げ出そうとしていた者たちもまた捕らえられたのである。

 

『不正役人を追放程度で済ませるような甘い男に会う気はない! 柴田家と越前の民を裏切った者は斬らねばならない!』

 佐久間盛政の叱咤の言葉が隆広の脳裏をかすめる。しかし隆広は養父の水沢隆家から、ある言葉を言われたことがある。それは『金銭関係で悪い事をする者は頭がいい。正しい者が上に立ちさえすれば、その毒も薬になる』と言う事だった。

 斬刑にするのは簡単だった。しかし隆広は何とか目の前にいる連中を正しい方向に頭を使わせるように持っていけないものかと考えた。隆広は以前さえに言ったとおり『柴田家そのものが産業を持つ事、交易を行う事』を考えている。何とかその任務をやらせてみたいと思っていたが、無罪放免と云うわけには行かない。隆広は少し考え…

「そなたらに労役を課す。今まで何の苦労もなく搾取してきた賄賂の額、それを稼ぐにはどれだけの汗水が必要か、身をもって知れ。一人一人が不当に得た金額はすでに知っている。それを民と同じように土に汗を流して稼ぐのだ。オレはずっとそなたたちを観察する。汗水流して働いても何の成長のない者は斬る。だが生まれ変われた者は再び当家に召抱える」

 首を刎ねられることを覚悟していた不正役人たちは、この隆広の温情に感涙した。おそらく当時の武士の中で『奉行』の肩書きを持っている者なら、まず斬刑を下す罪である。それを労役であがなわせようと云うのである。

「府中城と龍門寺城で大掛かりな開墾が行われている。そこで働くのだ、よいな」

「「ハ、ハハーッ!」」

 見事な裁きだ、傍らにいた石田佐吉は思った。『柴田家そのものが産業を持つ事、交易を行う事』と云う隆広の考えを佐吉は何度か相談され、その実現にはどうしたら良いかと二人で考えたが、『金銭の活用に長けた者を集める』と云うのにだいたいの結論が落ち着いている。

 主人隆広は後々にその役目をこの不正役人たちに与えるつもりなのだと裁きを見て察した。また能力だけでなく、こうして命を助けたことでこの者たちが隆広に感謝して、その任に懸命に当たるだろうとも感じていた。人心掌握の技、見事と佐吉は感じた。

 

 府中城で隆広の名代として不正役人の摘発を行ったのは奥村助右衛門である。報告がてら助右衛門は城主の前田利家に謁見を申し出た。利家は快諾して助右衛門に会った。

「久しぶりだな、荒子城の明け渡し以来か」

「そうなります。殿にはご機嫌うるわしゅう」

「ははは、殿はよせ。今では隆広がそなたの主君であろう。妻の津禰は息災か?」

「ハッ」

「しかし…まったく面目ない。こんなに不正を働いている者がいたのか…」

 助右衛門の報告書では、不正役人は十一名に及ぶほど列記されていた。

「裏づけも取れております。最初の時と違い、もしかすると農民が悪意を込めて無実の役人を告発するとも考えられたので、農民から申告された十一名すべての家を調べました。その結果、全員が入手不透明な財を持っておりました」

「そうか」

「その者の刑罰は利家様に一任すると勝家様からのお言葉です。とりあえず今は牢に入れておりますが…」

「隆広は追放で済ませたらしいな」

「はい」

「…府中は北ノ庄よりも貧しい。だから賄賂の搾取はより厳罰に行う。私財没収の上、その家族は追放。当人は斬刑だ」

「…それもやむをえないでしょう。ではその旨を主君隆広を通して勝家様に伝えます」

「うむ、たのむ」

「では」

「まて助右衛門」

「はい」

「ワシはお前の旧主の兄利久を差し置いて前田家を継いだ。色々とワシに思うこともあるだろう。現にお前は荒子城明け渡し後に出奔したほどだからな。ワシが大殿に家督を継がせてくれと直談判したというのも本当だ。兄利久やその息子の慶次、そして家臣だったお前にも申し訳ないことをしたと思っている。しかし…あれから時は流れ、今はお互い柴田家のために尽力するもの。虫のいい話だが、できれば過去のしこりは忘れてほしい」

 助右衛門はニコリと笑った。

「もう忘れておりますよ。いや逆に今は良かったと思っております。何故ならそういう巡り合わせがあったからこそ、利家様より仕えがいのある主君にお会いできたのですから」

「こやつめ…!」

 利家と助右衛門は笑いあった。

「帰る前、あの不毛の雑草地帯がどう変わったか、見て行ってくれ。驚くぞ」

「承知しました」

 助右衛門は前田利長が指揮した開墾の現場に立ち寄った。それは満々の水をひたす美田に変わりつつあった。そして領民たちは嬉々として開墾作業に入っていた。罪を犯した不正役人も汗水流して働いている。

「見事だ…」

 利長の仕事、そしてその利長を見出した隆広の眼力に助右衛門は感心するのだった。

 

 そしてこの頃、隆広は勝家から兵糧奉行の任を解かれた。各村長が水沢様に続けていただきたいと領主勝家に懇願したほどだと云うが、それは叶えられない願いであった。

 隆広には新田開発や城下町の発展の主命で働いてもらわなければならないからである。だが隆広のやり方は次の奉行にも受け継がれ、今後に賄賂が横行する事は二度となかったのである。

 歴史家は隆広を『政治では君主と宰相の、軍事では総大将と参謀の才能を兼備していた』と絶賛しているが、今回の奉行での仕事は、その名宰相ぶりの才能を歴史に記した事となるだろう。そして前田利長、不破角之丞の才能を引き出し、奥村助右衛門、石田佐吉と云う英傑を使いこなす名伯楽としての才能も。



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前田慶次

いよいよ隆広三傑が揃いました。しかし一陪臣の家臣にしては破格の豪華メンバーですよね。


 水沢隆広は兵糧奉行の任務を解かれて再び新田開発の担当となった。隆広指揮の開墾ならば、どんどん越前は石高が上がる。当主柴田勝家からすれば兵糧奉行一つに置いておけない。

 勝家が隆広を兵糧奉行にしたのは、隆広の仕事を兵糧管理の者たちに浸透させるのが狙いだった。それが成され、かつ不正を働いていた者たちを除くという嬉しい副産物もあった。もはや隆広抜きでも兵糧の徴収も管理も問題ない。だから兵糧奉行を解かれ、再び新田開発の担当者となった。本城の北ノ庄にもある不毛な雑草地帯を美田に変えるのが仕事である。利長や角之丞が抜群の成果を上げていると聞く。師匠として負けられない。

 柴田家の開墾は兵たちが中心になって行うが、その地が田畑として実りが期待できるほどになるとすべて民に貸し与えた。柴田家は適切な土地の借用代と一部の収穫品しか取らない。柴田式の兵農分離とも言えるだろう。無論、前田利長、不破角之丞も同じ方法を執った。

 

 また隆広は今回の北ノ庄での仕事と云うのが嬉しかった。毎日家に帰れて、さえと会えるのだから。奥村助右衛門も時にクワを握り汗をかいた。昔では考えられない自分だった。だが田畑を耕していると、カタブツの彼も人はこうあるべきなのかもしれないと思ってもいた。

 そんな隆広たちの開墾の現場に前田利家が陣中見舞いでやってきた。隆広は勝家に呼ばれて現場に留守だったが、側近の助右衛門が出迎え、陣中見舞いの握り飯と水を丁重に受け取った。

「ありがたく頂戴します」

「ああ、遠慮なく受け取ってくれ。しかし、さすがは隆広自らやると違うな。利長の作った美田も見事だがやはりまだ隆広には叶わないな」

「そんな事はございません、若君の作られた水田も我らの田畑に引けはとりませんぞ」

「あっはははは、助右衛門も隆広と云う主君を得て人間的に丸くなったな。野良仕事に汗をかくと同時に近寄りがたいカドが取れたかもしれぬな」

「そ、そうですか?」

「そういえば…そなた慶次には会ったのか?」

「は? あいつ越前にいるのですか?」

「何だ知らなかったのか。府中城下に住んでいるよ。相変わらず変人だが」

「いや、それは存知ませんでした…」

(久しぶりに訪ねてみるか…)

 

 前田慶次、彼こそが『主人利久の明け渡し状がないかぎり城は渡せない』と奥村助右衛門が荒子城に立てこもった時を共にした男である。わずか二人で五百の前田利家勢を相手にしたのである。

 その後に慶次は叔父の前田利家を通して織田家中に籍を置くものの、とにかく変わり者で、どの隊にも敬遠された。主君で叔父の利家、同じく伯父の滝川一益さえ困り果てている。前田利家も若い頃は傾奇者と知られていたが、その範疇さえ凌駕する。

 滝川一益と前田利家が出た戦場によく加わっていたが、気に食わなければ命令も聞かない。

 しかも戦場では『一騎駆け』を好み、三国志の趙雲子龍が主人劉備の子を抱いたまま敵軍の中を一騎で駆け抜けたかのように、慶次も数々の合戦で一騎駆けをやり、しかもほとんど手傷を負っていない。

 彼に憧れる若武者が後をたたず、マネをして討ち取られる事が多々あった。その家族は『前田慶次の責任だ』と言い出したが、慶次本人には怖くて言い出せない。しわ寄せは主人の滝川一益や前田利家に向けられた。

 軍律を乱す事多々にあったが、実際に手柄を立てているので部隊長も何も言えない。眼光だけで敵を射すくめ、素手でも鎧武者を殴り殺すと言われた彼は、非常に上に立つ者に恐れられた。さしもの滝川一益、前田利家も持て余す豪傑。それが前田慶次だった。奥村助右衛門と同じように、優秀すぎて、強すぎて上将に敬遠された武将と言える。

 

 彼は前田利久の実の子ではなく、一説では滝川一益の従兄弟である益氏の子と言われている。益氏の側室に利久が一目惚れして、利久が益氏に頼み込んでもらいうけた。

 だがその時にすでに慶次を宿していたのである。利久はそれを責めることなく、家督も継がせた。だが結局は利家が前田の名跡を継いでいる。周りは『無念の人』なんて言っているが、彼は歯牙にもかけていない。

 今は府中城の利家の下で働いてはいる。風流を愛する教養人ではあるが、政務能力は無きに等しい。だが並外れた胆力と戦闘力を持っている彼は、まさに合戦のためにこの世に生まれてきた武将であった。

 だが、あまりにも利家の言う事を聞かないので、あの加賀大聖寺城の戦いからも外されている。評定にも呼ばれなくなったので、愛馬の松風と共に出奔でもしようかと考えていた。奥村助右衛門が府中城に慶次を訊ねようと訪れたのはそんな時だった。

 

「おお、助右衛門ではないか。久しぶりだな」

「ああ、朝倉攻め以来だな。元気そうで何よりだ」

「元気? まあ体だけは丈夫だからそう見えるかもな」

「なんだ? また利家様とケンカでもしたか?」

 久しぶりの友との再会。二人は酒を酌み交わした。

「ところで、助右衛門は最近、主を見つけたそうだな」

「ああ」

「お前ほどの男が、信長公の直臣と云う身分から陪臣になるのを受け入れた主人とはどんなお方なんだ?」

「正確に言えば陪臣の臣下だ。だから信長公の家来(勝家)の家来(隆広)の、そのまた家来になったわけだ」

「左遷か、そりゃ?」

「とんでもない。あのまま安土城の武家長屋でくすぶっているよりは遥かにマシになった。我が殿には二人しか家来がいないゆえな。毎日忙しい。それに身分は足軽組頭のままだ。別に降格と云うワケでもないぞ」

「なんて主君だ?」

「柴田家足軽大将、水沢隆広様だ。御歳十五になる。いやそろそろ十六かな?」

「じゅっ、十五ォ? お前そんな小僧に? それに水沢って…まさか?」

「そうだ、美濃斉藤家の名将、水沢隆家殿のご養子だ」

「隆家殿の…」

「言っておくが、養父の七光りで足軽大将になったわけではないぞ。武勲も立てているし、何より民を第一に思う行政手腕は素晴らしい。オレはあの方に惚れているのだ」

 慶次はその十五歳の小僧に興味が出てきた。気難しい助右衛門が『惚れた』と言うまでの小僧はどんなものなのだろうかと。

「面白いな、見てみたいぞ。その小僧を」

「小僧と云うな、オレの主だぞ」

「すまんすまん、隆広殿をこの目で見てみたいな」

「隆広様は北ノ庄南東の地域の開墾指導しておいでだ。来てみるか?」

「ああ、どうせヒマだしな」

 

 助右衛門と慶次は隆広が新田開発の指導をしていると云う場所に向かった。だが行き先にだんだん不安を覚えた。城下町をやや外れたその場所は不毛な雑草地帯である。

「おい助右衛門、この先は確か不毛な雑草地帯だぞ。岩もゴロゴロしていたはずだ。そんなヤセ地を開墾しているのか?」

「まあ黙ってついてこい」

 慶次の言う、その不毛な地帯が見えてきた。だがそれは『元』のカンムリをつけるだろう。

「ありゃ?」

 それは整地されて、水を満々と浸した良田が広がる地帯になっていた。

「い、いつのまにこんな…」

「隆広様は本職の農民が舌を巻くほどに農耕の知識があり、用水引水にも長けている。部下たちも働き者だし、なにより働き手の領民たちを使うのが上手でな。この辺の采配はオレも遠く及ばんわ」

「お前にそこまで言わせるとは大したものだな…で、お前の主君はどこに?」

「ん~、お、あそこだ」

 

 隆広は平等な用水配分を主なる農民に指導していた。あまり学問を知らない領民に理解しやすい説明で、傍らにいる石田佐吉も舌を巻いていた。

「いいか、水はみんなのものだ。自分の畑にばかり水をどんどん入れようなんてダメだぞ。そういうずるいことしたヤツにはオレが怒るぞ」

「へい、わかりました」

「ずるいことをするとどんな風に怒られるので」

「怒鳴って怒鳴って怒鳴る。ツバで顔がビッショリになるまで怒鳴る。そして往復ビンタ。以上だ」

「うへえ、そりゃ恐ろしいですね。わかりやした。間違ってもそんなマネはいたしませんし、させません」

「それと先日に行った刀狩りであるが、鉄に戻して鍬や鋤に作り直した。元々はそなたらの持っていたものから作ったものだ。今公平に新品を渡すからな。大事に使ってくれよ」

「おお、そりゃあ助かります!」

 

 農民の娘たちが遠巻きでウットリして隆広を見ている。そして近隣の子供たちなのだろうか、早く隆広にかまってもらいたいのか、彼の用事が済むのを今か今かと待っていた。

「なるほど…女子にも子供にも好かれる特技をお持ちのようだな…それにしてもどこかで見た気が…」

 慶次は隆広の顔に見覚えがあるような気がして、懸命に記憶を辿っていた。

「農民への指示が終わったようだ。行くか慶次」

「いや、どうやら童たちにご主君は取られてしまったようだ。彼が人物と云うのは十分に分かった。ぜひ酒を酌み交わしたいのだが場を取り持ってくれぬか?」

「分かった。今我らは城下の『亀屋』と云う宿に本陣を置いている。今日の夜にでも来てくれ。隆広様に伝えておく」

「北ノ庄でやっている開墾なのに、わざわざ宿屋を陣にしているのか?」

「来てくれれば、その理由が分かるさ」

「あ、ああ分かった…」

(しかし、どこで見たんだ? 覚えがあるぞ…)

 

「おんたいしょー、あっちで戦ごっこしようよ~」

「おんたいしょー」

「おんたいしょー」

「こらこら童ども! 御大将は忙しいのだ。お前らハナタレとの遊びに付き合ってなど」

「うるさいなー、下っ端のりさぶろーには聞いてないよ~」

「な、なんだとぉ! このガキャア!」

 子供たちはサッと隆広の影に隠れた。

 

「ま、まあ矩三郎、子供の言う事だ。怒るなよ」

「そーだそーだ!」

「大人気ないぞ、のりさぶろー」

「だが下っ端はあんまりで…」

「コホン、矩三郎殿の怒りはもっともです。まったく最近の童ときたら下品で」

「うるさいなーイヤミの佐吉~」

「イ、イヤミの佐吉…? 勝手に変な名前をつけるんじゃない!」

「キャー」

「おんたいしょー怖いよ~」

「おいおい二人揃って大人気ないぞ」

 慶次は感じた。あんな風に童が心から慕う将がこの日の本にどれだけいるだろうかと。

「子供の目はごまかせぬ…。本物だな」

(しかし…どこかで見たんだよな~あの隆広殿を)

 

 その夜を慶次は心待ちにしていた。男に会うのにこれだけ胸ときめくのは初めてである。そして夜になり、隆広一行が本陣にしている宿屋に向かった。

 しかし慶次は面食らった。サシで隆広と飲みたいと思っていたのに、亀屋は隆広一行を慕う町民農民でごった返していた。

 開墾当初は本陣を構えたりはしなかったが、隆広の私宅に隆広やその部下たちを慕う者の来客が頻繁に訪れるので、接客だけでさえは目を回してしまう。仕方なく隆広は今回の開墾中は、さびれていた城下の宿屋を本陣にした。赤字続きで頭を抱えていた亀屋の主や女将が歓喜したのは言うまでもない。

(なるほど、こういうことか。よほど人に好かれる特技をお持ちらしい…。しかし困った。落ち着いて隆広殿と飲めぬではないか)

「前田様ですね?」

「あ、ああそうだが」

「手前は水沢隆広配下、石田佐吉です。主君隆広が心待ちにしています。こちらへ」

「あ、ああどうも」

 慶次は佐吉に宿屋の離れに連れて行かれた。

「こちらです。助右衛門様もお待ちですのでごゆるりと」

「かたじけない」

 佐吉は宿の広間に戻っていった。どうやら客の歓待を任されているらしい。

「コホン、前田慶次でございます」

「どうぞ」

 慶次が戸をあけると、隆広が下座で慶次を待っていた。助右衛門はその傍らにいた。

「お待ちしていました。本来ならばそれがしが出迎えに行くべきですが民たちに捕まってしまいますので臣下の佐吉を迎えに出しました。お許し下さい」

 丁寧に礼儀を示して慶次を迎えた隆広。思わず恐縮してしまう慶次。

「い、いえ」

 隆広は下げていた頭を上げた。すると…

「あああッッ!」

 慶次の顔を見るなり隆広は驚きの声をあげた。

「いっ?」

 自分の顔見て驚く隆広に慶次も驚いた。

「うッ?」

 助右衛門は飲んでいた酒を吹き出した。隆広は立ち上がって、慶次の手を両手で握った。

「今日はなんと嬉しい日だ! あなたと再会できるなんて!」

「や、やっぱりお会いした事があるのですな?」

「? やっぱりって事は慶次も会った事があると思っていたのか?」

「ああ、だが申し訳ないことにどこで会ったかと思い出せずにいてな…」

「石投げ合戦です」

「ああ! そうだ!」

 慶次は拳で手を打った。やっと思い出したのだ。

 

 今から五年前、慶次は森可成が治める美濃金山城下で隆広に会っている。あの森蘭丸をヘコませた石投げ合戦の日であった。

 木曽川の川原で二十六対四の戦いが始まろうとしていた。隆広はそれを土手に座り眺めていた。当時十歳の竜之介である。慶次が松風に乗ってそこを通りかかった。

「石投げ合戦か…おい、坊主。おまえどちらが勝つと思う?」

 土手に座る坊主頭の少年に慶次は馬上から聞いた。少年は答えない。

「聞こえないのか? 坊主」

 少年は慶次に静かに振り向いて言った。

「…人にものを尋ねるのなら、まず馬を降りるのが礼儀ではないのですか?」

 慶次は面食らった。六尺五寸(197センチ)はある自分の体躯を見ても、少年は毅然として馬を降りてから聞けと言ってきたからである。

「いや、これはすまなかった。許されよ」

 素直に慶次は松風を降りた。

「それがしは前田慶次と申しますが、ご貴殿は?」

「美濃正徳寺の坊主で、竜之介と言います」

「ほう、勇ましい名前ですな。で、竜之介殿はどちらが勝つと?」

「数の少ない方が勝ちます」

「それは何故でございますか?」

「数が多い方は、数に頼り油断します。少ない方は少ない分だけ一致団結しますし、そして必死になるからです」

 歳からして九歳か十歳くらいの坊主がずいぶんと大人びた見解をするものだと慶次は感心した。

「なるほど、しかしそれだけでは勝つ理由にはなりませんぞ」

「今に分かります」

「面白い、では何か賭けませぬか?」

「いいですよ。では竜之介が勝ったらその馬に乗せて下さい」

「ま、松風に?」

「はい」

「まあいいでしょう、それがしと共に乗れば危険もございませんし」

「いえ、竜之介一人に乗せてください」

「え、ええ?」

 慶次は困った。松風は自分以外の者に背中を委ねるのを極端に嫌う。こんな少年が乗ったら派手に落馬し命すら危ない。いつもなら拒絶する賭けであろうが、慶次はこの少年に興味も出てきたので、賭けを受けた。

「分かりました。ではそれがしは多勢の方に賭けますが、私が勝ったら竜之介殿は何をくれますか?」

「竜之介は何も持っていません。何も差し上げられませんから約束だけします」

「約束?」

「竜之介は後に武士になるため、父に寺にて養育されています。大きくなって武士になり一角の大将になれたなら、あなたを側近として召抱えます」

「は、はあ?」

 この小僧はいったい何を言っているのかと、さすがの慶次もあっけにとられた。

「さ、始まりますよ」

 

 石投げ合戦が始まった。一定の距離を保ち、塹壕に隠れながらお互いに石を投げあう。戦闘不能になるか、お互いの塹壕に掲げてある旗を取られたら負けである。

 多勢の二十六人の少年たちは武家生まれゆえに父親から刀や槍の訓練も受けているので体も大きく、チカラもある。反面小勢の四人の方は町民の子なので、チカラはなく、体も小さい。誰が見ても四人に勝ちはないと思える。

 だが結果を見てみれば、乱法師(後の森蘭丸)率いる二十六人は小勢の四人に負けてしまった。小勢は実質四人ではなく五人だったのである。土手で見物していた竜之介が小勢側の大将であり、竜之介の考えた作戦と道具に翻弄され続けた。前面に集中しすぎた乱法師一党の背後に竜之介は静かに回りこみ、乱法師の旗を取ってしまったのである。乱法師は歯軋りするが後の祭りである。

「きったねえぞ! 一人だけ分かれて見物のふりしているなんて!」

「チカラのないものは智恵で。多勢に小勢で対するときは作戦をもって! それが工夫と云うものですよ、乱法師殿」

 小勢の四人は竜之介に駆け寄った。

「やったやった―ッ! 侍の子に勝ったぞ―ッッ!」

「さすがはオレたちの見込んだ大将だ!」

 

「はっははははッ! まさか竜之介殿が小勢の大将だったとは。この慶次、してやられましたな」

「では、その馬に少し乗せてもらいますが、よろしいですか?」

「どうぞ」

(面白い小僧だ…本当に松風に乗れるかもしれぬ…)

「少し高いな…」

 竜之介は松風の横腹をポンポンと軽く叩いた。すると松風は四本の足を折り曲げた。つまり竜之介が乗りやすいように馬体を低くしたのである。これは慶次もあぜんとした。こんなしおらしい松風を見た事なかったからである。自分と初めて会ったときは手のつけられない暴れ馬だった松風がすすんで背中を委ねたのである。

「よしよし…」

 竜之介は松風に乗った。そして走り出した。慶次が落馬の心配をしたのがバカらしくなるほどに竜之介の馬術は巧みだった。

「あの小僧、面白い!」

 

 そしてそれから五年、竜之介は水沢隆広となり前田慶次との再会を果たした。隆広十五歳、慶次二十五歳であった。

 

「いや~まさかあの時の小坊主殿が水沢隆広殿とは驚きましたな」

「私もあの時にお会いした武人が前田慶次殿とは知りませんでした」

 慶次は隆広が自分の事を覚えていてくれたのが嬉しかった。そして立派な若武者に成長していた事が。

「生意気な坊主だと思ったでしょうね」

「ええ、そりゃあそうです。初めてでしたよ、人にものを尋ねるのなら馬を降りてから聞けと言われたのは。それに…」

「それに?」

「『何も差し上げられないから約束します。一角の大将になったらあなたを召抱える』なんて言われたのも」

「確かに申しました。不愉快に感じたでしょうね、申し訳…」

「とんでもない」

 慶次は手を出して首を振った。

「男はあのくらいハナッぱしらが強くてちょうどいい。しかし嬉しい、もしかするとこの日が来ることをお互いに分かっていたのかもしれませぬな」

「え?」

「隆広殿、一つお聞きしていいかな?」

「はい」

「もし…あなたが天下人となったのなら…この日の本をどうしたいですか?」

「それがしが天下を取ったなら…ですか?」

 傍らで助右衛門も黙って聞いていた。主君がこの質問にどう答えるか彼も興味ある。

「そうですね…とにかく戦のない世の中を作りたいと思います。それがしの養父も戦に巻き込まれて死にましたから…。そして民百姓が笑って暮らせる政治をしたいです。産業も興して海の向こうの国と交易などもできたらと思います。その基盤を作ったなら、さっさと次に席をゆずって妻とのんびり暮らしたいですね」

「そうですか、なら私ですが天下人になったら、と云う話ではなく『夢』を」

「『夢』ですか」

「はい、それがしの夢はこの世で一番の漢になることです」

「一番の漢?」

 志ない者は笑い飛ばすような夢。隆広は笑わなかった。助右衛門も。

「しかし…どうしたらなれるか具体的な方法が分かりませぬな。だけど一つだけ今分かりました。それは仕えがいのある日の本一の大将の元で一番の槍働きをすることがそれがしの夢への道ではないかと悟りました」

「前田殿…」

「あの時の賭けは隆広殿の勝ちでございますが、こうして再会して酒を酌み交わしたのも何かの縁でございます。約束を果たしていただけませぬか?」

「え…それはつまり…」

 慶次は立ち上がり、ヒョイと隆広を軽く持ち上げて上座に座らせた。そして自分は下座に座り、隆広に深々と頭を下げた。

「この前田慶次郎利益、あなたの家臣となりましょう」

「そ、それは本当ですか!? 貴方ほどの武人がそれがしのような若輩者に!?」

「優れた若き主君を盛り立てていく。これは武人として中々やりがいのある事でございます。そして何より…」

 慶次は杯を隆広の前にズイッと出した。

「楽しい酒をずっと隆広殿と飲みたいのです」

 慶次からの杯を受けて一気に飲み干す隆広。隆広もまた慶次に杯を返す。慶次もまた一気に飲み干した。

「今日はなんて素晴らしい日だろう。慶次殿と再会できたばかりか、それがしの家臣になってくれるだなんて。ではさっそく利家様に許しを得ないと」

「それは心配無用です」

 と、助右衛門。

「え?」

「それがしの方で利家様に許しはもらっておきました。利家様も『あの暴れ馬を優男の隆広がどう乗りこなすか見てみたい』と言っていました」

 隆広と慶次はあっけに取られた。

「じゃ助右衛門、オレが隆広殿の家臣になると云う事を…」

「長い付き合いだからな。それよりこれからはオレとお前は隆広様の両翼だ。唐土の劉備に仕えた関羽と張飛のごとき働きを見せようぞ!」

「おう!」

「では慶次殿、いや慶次。そして助右衛門、君臣の杯をかわそう。二人ともこの隆広が間違った事をしそうな時は遠慮なく叱ってくれ。頼むぞ!」

「「ハハッ!」」

 こうして、戦国時代最大の傾奇者、前田慶次は水沢隆広に仕える事になった。奥村助右衛門と前田慶次は後の世に『隆広の関張』と呼ばれ、まさに三国志の関羽と張飛のごとく若き主君を支える忠臣となるのである。




原作ゲームでは利家が隆広に『あいつを使ってやってくれ』で、苦も無く慶次が隆広の家臣となりますが、やはりそれでは面白くないのでご覧のとおりとなっております。連載中は、とにかく慶次をカッコよく書こう!と心がけておりました。


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荒木村重謀反

ゲームでは、サクッと終わるイベントですが、さすがに小説版ではマズいと思い、色々と苦労してこの話を書いたのを覚えています。今でも、ちょっと無理があったかもと思わんでもないです、はい。


 北ノ庄城城下の村々の新田開発、飛躍的に石高を上げた隆広。水田を貸し与えるも貧しい者や子沢山の領民を優先した。兵士や人足に十分な給金と休息食事も与える隆広の工事は『極楽工事』と呼ばれていたほどである。美田を作り上げ、領民にそれを委ねたら新田開発の主命は完了である。完了の日は神主を呼び、その水田地域の豊作を祈願した。

 現場が北ノ庄のすぐ近くだったせいか、隆広の兵士たちの中にはこの地で生涯の伴侶を見つけた者も多かった。松山矩三郎などは村でも評判の美少女を嫁にしていた。当年十二歳の娘だったので『お前そういう趣味か』『あれは反則だろ』とみんなに責められた。

 そんな楽しい副産物も土産に隆広主従は領民に見送られその地を後にした。主君柴田勝家への報告には前田慶次、奥村助右衛門、石田佐吉も同席した。

 

「見事、北ノ庄の石高を上げた。その地の村長連中から感謝状が山のように届いておるぞ。ようやった」

「は、もったいなきお言葉にございます」

「相変わらず見事な手腕じゃ。褒美をとらす、隆広、前に」

「は!」

「『甲州碁石金』である。受け取るがいい」

 両手で勝家からの褒美を受ける隆広。ちゃんと助右衛門と佐吉の分もある。途中からその怪力をもって工事に当たった慶次にも与えられた。

「それにしても慶次よ」

「はっ」

「よもやおぬしが隆広の家臣になるなんてのう」

「はい、中々面白そうな方と見受けましたので」

「そうか、隆広に仕えて戦働きをするは、ワシに仕えるも同じ事。一向宗門徒との戦いも年々に熾烈となっている。活躍を期待しておるぞ」

「はっ」

 

 隆広は自宅に慶次を連れて行った。

「さえ―ッ! ただいま~♪」

「お帰りなさい、お前さま!」

 と、慶次の前なのに二人はギュウと抱き合った。すかさず口づけに移るのがいつもの展開だが、さすがにさえが隆広の後ろに人がいることに気付いた。

「あ、あら! お客様?」

「ははは、話には聞いていましたが隆広様の愛妻家ぶりはすごいですな」

「さえ、紹介するよ。今度オレの家臣になった前田慶次だ」

「ま、前田慶次様…て、あの前田慶次様?」

「ご存知とは光栄です。それにしても隆広様の奥様は実に美しいですな」

「ま、まあ…(ポッ)」

「若々しく、初々しく、さながら伴天連の者たちが云う天使のごとし。いやいや隆広様がうらやましい」

「そ、そんな…(ポッ)、ま、まあ玄関先で立ち話も変ですわ。お茶でも入れましょう。前田様、どうぞこちらに」

「いやあ、悪いですなあ」

 慶次におだてられて頬を染める愛妻に隆広は苦笑した。

「そういえば慶次はまだ独り者なんだっけ?」

「いえ、一応決まった女はいます。しかし叔父御の元で働くのは正直つまらなくて、最近まで出奔する事ばかり考えていたのです。そんな身で妻など娶られないでしょう。ですが今回に隆広様の臣下となり、この北ノ庄に落ち着くので近いうちに妻にします」

「慶次の嫁さんになる人ってどんな人なんだろ」

「隆広様は会った事ありますよ」

「へ?」

「助右衛門の妹の加奈ですから」

「か、加奈殿が?」

「そんなに驚く事ないでしょう。富田流小太刀の使い手のじゃじゃ馬ですが、あれで中々情の濃い女なんですよ。お、茶の用意が終わったようですよ。ではお邪魔します」

 

 その日の夕食に、隆広は奥村助右衛門、前田慶次、石田佐吉を招待した。助右衛門は妻の津禰、慶次も加奈を連れていた。佐吉はまだ独身である。後に『隆広三傑』と呼ばれる三人が一堂に会した。

「さ、みなさんどうぞ」

 さえが居間に一同を通す。ささやかだが宴の準備がされていた。床の間にはきれいな花も活けてある。

「お、風流だな、さえ」

「はい、私が摘んできたものですけれど、きれいでしょう?」

「うん、でもさえほどではないな」

「え、あら…んもう…(ポッ)」

 客の前なのに二人の世界に入る隆広とさえ。助右衛門と佐吉は慣れっこだが、慶次は体がかゆくなった。

 さえが作った料理を食べる隆広の家臣たち。けして裕福ではない隆広のフトコロ事情。だが隆広とさえは丁重にもてなした。この時に慶次はさらに面食らった事があった。さえが隆広の膳にある岩魚を食べやすく骨をとり、そして

「はい、お前さま、アーン」

 箸に切り身をつまんで隆広のクチに運ぶさえ。

「アーン」

 そしてそれを美味しく食べる隆広。

「美味しい?」

「美味い! ほらさえも。アーン」

 慶次は空いたクチが塞がらなかった。佐吉が小声で慶次に言った。

「…これで驚いていては水沢家の家臣は務まりませんよ」

「そ、そうなのか?」

 助右衛門と妻の津禰、妹の加奈、そして佐吉はもう慣れっこになっていた。隆広とさえは客の前でも平気で二人の世界に入ってしまう。

「ん? そんなに変かな慶次」

「そ、そりゃあそうです。初めて見ましたぞ。仲が良いとはとは聞いていましたが…」

(バカッ!)と言わんばかりに助右衛門が慶次を睨んだ。助右衛門の妻の津禰、妹の加奈、そして佐吉は観念した。ああ、また聞かなければならない…と。

(…? 何をそんなに怒る)

「いやぁ、オレは日本一の妻を娶り…」

 

 この後に半刻(一時間)、隆広からノロケ話を聞かされた一同だった。その時間中さえは顔を赤らめて嬉しそうに隆広の話を聞いていた。慶次は全身がかゆくなってきた。助右衛門が睨んできた意味がよく分かった。自分の言葉がこのノロケ話の引き金になってしまったのだから。

 夕餉と酒宴も終わり、隆広の家臣たちもようやくノロケから解放され、隆広の屋敷を後にした。

「参ったな…。半刻ずっとノロケ話ではないか…」

「隆広様は奥方とのノロケ話をするのが大好きなのだ。早く慣れろ」

「いーや! 一度ノロケ話がどんなに人をかゆくさせるかお教えしなければ。加奈、我らも負けておれぬぞ」

「はい、お前さま!」

 独り身の佐吉には、また一組自分にノロケ話を聞かせそうな夫婦ができてゲンナリした。

 

 その夜。営みを終えた蒲団の上。

「ねえ、お前さま」

「ん?」

「奥村助右衛門様、石田佐吉様、そして前田慶次様、お前さまの家臣の方々は個性的な方ばかりですね」

「そうだなァ。しかし、だからこそ頼りになると思う。彼らの忠誠に報いられるような大将にならなくちゃ」

「しっかりね、お前さま」

「うん、だから…」

「だから?」

「さえ、もう一回」

「んもう…明日の仕事に差し支えてしまいますよ」

 

 翌朝、隆広は庭で木刀を降っていた。

「ふう…」

 たらいに水と手ぬぐいを入れて、さえが縁側にやってきた。

「お前さま、そろそろ朝餉ができますので、汗を拭いてお召し物を」

「ああ、ありがとう」

 と、いつもの平穏な朝を迎えた時だった。

 

 ドンドンッ!

 

「ん? 客か?」

「誰かしら、こんなに早く」

 さえが門を開けると、そこには城の伝令兵が立っていた。

「お城の…」

「朝早く申し訳ござりませぬ、水沢様はいずれに!」

「庭に…」

「ごめん!」

 伝令兵は庭に駆けた。

「水沢様! 申し上げます!」

「何事ですか?」

「荒木摂津守! 謀反!」

「なんと!」

「伊丹城に篭り、一族および譜代の諸将を集め独立を宣言! 叛意は明らかにございます!」

「なんてことだ…。石山本願寺攻めの大事な将となろう村重殿が謀反とは…!」

「水沢様、至急に城へ! 殿がお呼びにございます!」

「分かり申した、さえ! 朝餉は握り飯にしてくれ! 評定の合間に食べるから!」

「あ、はい! 急ぎ作ります!」

 

 北ノ庄城、評定の間。

「聞いての通りだ。荒木村重が伊丹城に篭り、謀反を起こしよった。そして大殿から柴田家に討伐命令が出た。みなの意見を聞かせて欲しい。利家はいかがか?」

「はあ、しかしそれ以前にそれがしにはどうして荒木殿が謀反を起こしたかが分かりませぬ。伊丹城を預けられ、石山本願寺攻めの一翼の将ともなり大殿に重用されていた村重殿がどうして謀反を…」

「利家殿、それはそれがしも思わぬでもないが、この軍議はどうやって村重殿の篭る伊丹城を落とすか決める場だ。謀反の真意を詮索しても仕方あるまい」

 と、佐久間盛政。

「いや、それを考えるのもある意味城攻めに役立つかも知れぬ。隆広はどうか?」

 柴田勝家が水沢隆広に聞いた。

「…それがしが思うに、追い込まれての謀反かと」

「追い込まれて? 誰が村重を追い込んだのだ?」

「はばかりながら…大殿にございます。先における石山本願寺攻めにおいて、村重殿の配下の将、中川瀬兵衛殿の部下がこともあろうに包囲作戦中だと云うのに本願寺に兵糧を売りました。その時から荒木殿にあらぬ噂が立ちました。その噂を細川藤孝殿が書状にして安土に届け、大殿の耳に入りました。大殿は疑わしきは罰し、裏切り者は絶対に許さぬお人柄。また荒木家中の重臣には一向宗門徒も多々いると聞いています。大殿への恐れと、家臣からの突き上げ、言い訳の出来ない部下の兵糧の横流し。以上の点で荒木殿が謀反に至ったのではないかと…」

「ふむ…おそらく隆広の今の見解が正解であろうな…で、盛政」

「はっ」

「現在の北ノ庄の兵力は?」

「はっ 兵数二万一千、軍馬二千、鉄砲が千八百にございます」

「ふむ…北ノ庄の防備を考えると、割けられるのは八千と云うところか」

「御意、そのくらいかと」

「利家、府中からどれだけ兵を出せる?」

「二千ほどかと」

「成政、小丸からは?」

「こちらは一千ほどと」

「光治、龍門寺からは?」

「こちらは一千五百ほどかと」

「よし、隆広」

「は!」

「その方、総大将として前田利家、佐久間盛政、佐々成政、可児才蔵、不破光治、金森長近と総数一万二千五百の将兵を率い、伊丹城を落としてまいれ」

「え、えええッッ!!」

 隆広も驚いたが、前田利家ら六将もあぜんとした。

「何をそんなに驚いている。お前は足軽大将。場合によっては万の軍団長になることも許されているのだぞ」

「ちょっ、ちょっと待って下さい伯父上! なぜ家老のそれがしが足軽大将の隆広の下で働かなくてはならないのですか! 隆広に才があるのは認めます。しかしまだ十五の小僧ですぞ! 一万も統率できようはずが!」

 佐久間盛政の意見は当然である。織田の若殿や各軍団長の嫡子でもない十五歳の若者が万の軍勢を率いた事例は織田家にない。

 前田利家と可児才蔵も驚いたが、やがてこう思った。勝家は総大将としての隆広を試してみたいのだろうと。

「まあ盛政、良いではないか。その分わしらがしっかりすれば済む事だ」

「しかし利家殿!」

「いったん勝家様のクチから出た決定事項だ。わしら臣下はそれに従い、武功を立てるだけだ」

「ふん!」

 盛政は忌々しそうに隆広を見た。隆広自身も最近初陣を済ませたばかり。戸惑う事も確かだが、やはり武将になったからには『総大将』と云うものには憧れる。気持ちは高ぶり、転じて『やってみたい』と思った。

(総大将か…。武将となったからには一度は万の軍勢の采配は執ってみたい…。だけど困ったぞ…前田様、可児様、金森様、不破様は何とか指示通り動いてくれそうだけれど、佐久間様と佐々様は絶望的だな…。これじゃどんなに陣立てや作戦を考えてもムダじゃないか…あ、そうだ!)

「殿!」

「なんだ?」

「殿の太刀をそれがしにお貸し願えませんか?」

「いいだろう」

 勝家は後ろに太刀持ちで座る小姓に、隆広にその太刀を渡すように指示した。勝家の太刀を持った隆広は諸将に胸を張って言った。

「作戦と陣立ては伊丹城に着いてから発表しますが、総大将を任じられた以上、諸将にはそれがしの命令に従ってもらいます。功には厚く報い、罪は重く罰します。出陣は明朝、急ぎ備えて下さい」

「ふむ、北ノ庄の留守はワシと毛受勝照、徳山則秀、中村文荷斎、そして柴田勝豊が守る! 他の諸将は隆広の指揮下に入り、明日の出陣に備えよ、以上解散!」

 

 隆広も自分の兵をまとめなくてはならない。急ぎ城を出た。

「まったく…なんでワシともあろうものが隆広のような小僧の指揮下に入らねばならぬのだ!」

 城外に出た佐々成政は後ろを歩く隆広に聞こえるようにグチをこぼす。

「まったくだ! 伯父上はいったい何を考えているのだ!」

 気の収まらない佐久間盛政は地面に怒りをぶつけるかのようにズカズカと歩く。

「佐久間様、佐々様、さきほど利家様が申したようにすでに決まった事です。不平をもらすのはいかがなものかと」

「なんじゃと才蔵! おぬしは何とも思わぬのか!」

「思いませぬな。味方の総大将に対してグチをたれても仕方ございませぬ」

 そのまま可児才蔵はスタスタと錬兵場に歩いていった。

「ふん! すましよって。おい隆広!」

「なんですか佐々様」

「勝家様の命令ゆえに、一度は貴様の采配で戦ってやる。だがあまりに情けない指揮を取ってみろ! 即座に総大将から降りてもらうぞ!」

「分かりました」

「ふん!」

 成政は居城の小丸城に帰っていった。

「隆広」

「はい佐久間様」

「お前はいったい何なのだ? なぜ伯父上はお前をここまで寵愛し重用する? お前何かしたのか?」

「それがしにも分かりません…」

「ふん、案外に伯父上は衆道(男色)を好まれているのかもな。大殿に仕えている森蘭丸のように、その女子のごときの容貌で伯父上に甘えたのか? 寝床を共にし、伽でもして『今度総大将にして下さい』と猫なで声で懇願したのか?」

「な…ッ!?」

「本当についてないわ、色小姓の采配に従わなければならぬとは!」

「…佐久間様、いかに上将とは申せ言って良い事と悪い事がございますぞ」

「ほう、怒ったのか? 男に抱かれるケツの穴小姓が!」

 記録によると、水沢隆広は戦国期において、あの出雲の阿国の夫と云われている名古屋山三郎と匹敵するほどの絶世の美男子であったと言われている。愛妻家で伝えられる彼にも関わらず、後の世に二十人以上の女性と艶事の話が多々生まれたのはこれが理由とも言える。

 そして当時の美男子は衆道を好む男にも愛される存在なのである。衆道は当時ごく自然なものとも言えた。

 だが当然の事ながら、隆広はそういう求めを勝家から受けてはいない。自分と勝家を邪推する盛政の言い草に隆広は激怒した。刀の柄を握った、その瞬間…

 

 ガシッ

 

その腕が掴まれた。

「前田様…」

「よせ隆広」

「しかし…!」

「盛政、一度決まった事だ。つまらぬ言いがかりはせず伊丹城を落とす事だけ考えよ」

「…分かり申した。おい隆広」

「……なんですか」

「言い過ぎた、すまぬ。だがこれだけは言っておく。情けない采配をしてみろ、総大将の交代程度ではすまさぬ。その首を斬ってとる! さよう心得ておけ!」

 盛政も錬兵場に歩いていった。

 

 どうして佐久間様と自分はこうなんだ、隆広は肩を落とした。

「元気を出せ。総大将がそんなにゲンナリしていては士気に関わる」

「前田様…」

「それにな隆広、大将たるもの扱いやすい部下だけを用いているようでは三流の下だ。盛政や成政もお前にとっては扱いずらかろうが、それも大将としての修行だ。二人もいざ合戦が始まればお前の作戦に従うさ。城攻めを個々の隊がバラバラでやったら話にならぬでな。それとも我らでは手勢として不足か?」

「と、とんでもない!」

「ならばデンと構えていろ!」

 隆広の背中を平手でバンと叩いて、利家は居城の府中城に帰っていった。

 

「利家殿の言う通りだ、隆広」

「金森様」

 不破光治と金森長近が歩んできた。

「実はワシも楽しみにしている。どんな采配をするのかな。評定と戦場以外で顔を合わせてはいなかったが、中々の若武者と云うのは聞いている。ワシらを上手く使ってくれよ!」

 金森長近は隆広の肩をポンと叩いて錬兵場に歩いていった。次に不破光治が声をかけてきた。

「隆広、ワシはお前の養父から見れば裏切り者。父親からもそう聞いておろうからワシにいい印象はないであろう。しかしとにもかくにも今度の合戦では味方であり、そなたの采配に従う事となる。ワシの居城の新田開発を申し出てくれた時のように私情を捨ててくれるとありがたい」

「はい! それと父からは不破様の事を悪くなどと聞いていません。勇猛果敢な将と父から聞かされていました」

「ほ、本当か?」

「はい」

「そうか…。そうか…!」

 かつて共に戦場を駆けた同僚が自分をちゃんと見ていてくれたことに光治は思わず涙ぐんだ。

「では明日な。隆家殿仕込みの采配、楽しみにしているぞ」

 不破光治は満足気に居城の龍門寺城に戻っていった。

 

 翌朝、北ノ庄から摂津(現在の大阪府)の国に向けて水沢隆広率いる八千の軍勢が出発した。途中で府中勢四千五百を加え、一万二千五百の軍勢である。それを統率するはまだ幼さが残る少年である。しかも隆広は城攻めは初めてだった。

 これが後年、名将の中の名将と言われる水沢隆広が最初に総大将となった戦いだった。この日、隆広十六歳の誕生日。



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伊丹城の戦い

 水沢隆広率いる柴田軍は伊丹城に到着した。

 だが柴田勝家の隆広の大抜擢は治世の時代には考えられない事である。いやこの乱世でもそうありうる事でもない。まだ十六歳になったばかりの少年が一万以上の大軍の総大将にされたのであるから。妻のさえも知らされた時は容易には信じられなかった。

 これはある意味、織田家だから出来た抜擢と言える。『一人の抜擢が九十九人のヤル気を失せさせる』とある。人間の感情の中でもっともチカラ溢れるのは嫉妬に基づく感情的な衝動である。

 治世ならその点を踏まえて君主も人事をしなければならないだろうが時は戦国乱世、まして織田家でヤル気のなさを上司に察せられたら即座に解雇である。解雇ならまだしも斬刑もありうる。

 どんな合戦にも『戦目付』と云う役職の者がいる。合戦を第三者的に監視し、それを主君に報告する者たちである。それが『大将の歳若さを理由に軍役を怠けた』『大将の命に背いて軍律違反をした』など主君に報告されたらどうなるか。佐久間盛政も佐々成政も渋々ながらも隆広の采配で持てるチカラを発揮して戦場を駆けるしかないのである。

 

 隆広は伊丹城から西に本陣を構えて兵士を休ませ、自分は奥村助右衛門、前田慶次、石田佐吉を連れて伊丹城の見分に入った。

「ふうむ…伊丹段丘の地形をうまく活用して建てられた城だと聞いてはいたが、なるほどな、要所要所に三つも砦を築いているし、城の北側と西側には七間(約十三メートル)の掘か…。本城、寺社町、城下町と町全体を掘と土塁で囲み、北・西・南に砦を配した惣構の城…。うん中々堅固な城だ。チカラ攻めではこちらの損害が増すばかりだ」

 周りの地形も隆広は簡単に図面にしていた。

「伊丹氏を破り、この城に入った村重殿がだいぶ改修したらしいが中々の普請ぶりだ。こりゃあまともに戦ったら一年近い攻城戦になりかねない」

「しかし隆広様、一年も越前を留守にはできますまい。何とか早期に落とさなければ」

「そうだな助右衛門、一向宗門徒の動きも気になるし、なるべく早い方がいい。そのためにももう少し城外の地形を調べて突破口を探るとしよう」

「ハッ」

「ですが足軽大将と云う身分で、かつ御歳十六歳で万の兵の大将となるとは驚きいり申した。任命された時はどんな思いでござった?」

 と、慶次。

「うん…正直言うと驚いた。オレがやっていいのかなと云う思いで一杯だった。いや、今もそう思っている。殿がどういうつもりでオレを総大将に任命したかは分からないけれども、任命されたからにはやるしかないと開き直ったよ」

「ですが、二度目の戦で、しかも総大将としての城攻めなのに中々落ち着いておられまするな」

「慌てたって城は落ちないからな、お、川だ。佐吉、これが猪名川か」

「そのようです」

「そういえば今は雨季だ。水量も満々…。たしか伊丹城は猪名川と武庫川の中州にある上、段丘の狭間にあるな…」

「確かに地形的にはそうです」

「よし助右衛門、この川の水を兵にする」

「は?」

「軍議を始めるから本陣に諸将を集めよ」

「ハッ!」

 

 柴田軍本陣。隆広が作戦を告げた。

「水攻め!?」

「その通りです佐久間様、この地形図をご覧あれ」

 それは先ほどに隆広が描き止めた伊丹城周辺の地形図であった。

「このように、伊丹城は猪名川と武庫川の挟まれた広大な中州に作られた城にございます。かつ二つの川の上流は山間、今は雨季でございますから、数度の雨を待ち上流で川の水を急きとめれば、すぐに溢れんばかりの水量になります。そこで堰を切って落とす。川の水は鉄砲水となって伊丹城を襲いましょう。そして下流にも堰を作れば鉄砲水は逃げ場をなくして伊丹城を水浸しにします。あとはその城を囲んで士気が落ちるのを待ち…」

「ふざけるな!」

 佐久間盛政は軍机を叩いた。

「別にふざけてはおりませぬが…」

「やかましい! なんだその作戦は! 戦わずして水攻めにしてあとは包囲だと! そんな卑怯千万な攻め方があるか! だいいち城に篭った荒木勢の数は我々より少ないのだぞ!」

「凡庸な将が相手でも城攻めは難しいものです。兵糧物資が整っていれば十倍の兵力にも耐えられるもの。十倍どころか我らは敵の二倍強に過ぎませぬ。しかも毛利勢がいつ背後を襲ってくるかも分からない状態。チカラ攻めもせず、かつ短期で勝利するには水攻めしかございませぬ」

「大殿と合流してから落とす気はないのじゃな? あくまで柴田で落とすと」

 と、不破光治。

「『失敗を恐れて何もしないのは悪』、大殿はそう言われました。ただ包囲して待っていたら、大殿はそれがしは無論、皆様も許しますまい…」

「ふむ…」

「隆広、多量の土嚢がいる。この地の領民すべてかき集めて雇わなければならぬだろう。そんな金は我らの陣にはない」

 と、前田利家。隆広は扇子を地形図に差す。

「平野部で行う水攻めならば前田様の申すとおりに相成りましょう。しかし、この伊丹城の場合は伊丹段丘が天然の堤になりもうす。現在我らの連れている兵だけで城に鉄砲水を浴びせる堤防を作ることは十分に可能でございます。我らは一万以上の大軍。一日に一人が十個作るだけで十万の土嚢にござる」

「ふむ…」

「チカラ攻めでは、こちらの被害も甚大なうえ、かつその後に毛利の援軍と荒木勢の前後からの挟撃を受けたら全滅は必至。たとえこちらが荒木殿の兵より三倍四倍の数があろうと、チカラ攻めは避けるべきです。水攻め、承服していただきたい」

「そんな姑息な戦は柴田の合戦ではない。お前はやはり畑水練(畑の中で水泳の練習をするという意味で、理論や方法は立派だが、実地での練習をしていないので実際の役には立たないこと)のヤカラよ! この戦、我らで勝手にやるわ! キサマはのんびりと土木工事でもしとれ!」

 憤然として佐久間盛政が立ち上がったその時。

 

「……!」

 盛政の眼前に刀の切っ先があった。隆広は勝家から借りた太刀を抜いて盛政に突きつけた。

「殿の太刀がオレの手にある。そして今回の戦の総大将はこの水沢隆広である! オレの命令に従わない者は誰であろうと軍規違反者として斬る!」

「面白い! 上泉信綱直伝かは知らぬが、キサマの細腕でオレを斬れるか試してみろ!」

「よさんか盛政! 勝家様の太刀であるぞ! それに刃を向けるは勝家様に逆らうと同じだ! この作戦が上手く行くかお前の目で確かめればよかろう! 下がらぬか!」

「…チッ」

 前田利家の言葉に従い、佐久間盛政は退いた。隆広も刀を収めた。

「虎の威を借りるキツネが…ッ! まあいい、そこまで言うのならば水攻めを受け入れよう。しかし間の抜けた結末になってみろ、その時は斬る!」

「…作戦の説明を続ける。猪名川と武庫川の上流と下流に堤防を作る。荒木殿は毛利と本願寺と通じてもいる。援軍の可能性も思慮し、この作戦は急ぎますので今から作業にかかっていただく。各将は兵に土嚢を作らせ、堤防の建築に当たっていただきたい。作る位置については各隊にそれぞれ図面を配布しますので、それに基づいて作っていただきまする。以上、解散!」

 

 将兵たちはさっそく作業に入った。万の兵が動員したのである。堤防は数日のうちに完成した。

 そして隆広は突如として陣払いを開始した。向かう方向は播磨尼崎城。荒木勢にとっては毛利と本願寺との道を絶たれる可能性があり、何より支城に敵が迫るなら、それを助けるのが本城の務めと責任である。当然村重は軍勢を出した。

 しかし追撃は想定内だった。柴田勢は陣形を整えて荒木勢を待っていた。柴田勢は一万二千の大軍で、荒木勢は七千。さすがは織田軍団最強と言われる柴田軍、偃月の陣をしいていた隆広の采配も相まって荒木勢を打ち破った。追撃の将、荒木元清は命からがら城に戻ってきた。当主村重がそれを迎えた。

「元清! 大丈夫か?」

「殿、申し訳ございませぬ…」

「気にいたすな。それで柴田勢は?」

「は…。どうやら尼崎を目指したのは我らをいぶりだす策だった由、再び元あった西の本陣の地に向かいましてございます」

「そうか…。ならばこちらの思うツボ。これを見い」

「これは…!」

「そうじゃ、毛利輝元殿からの書状! すでに郡山城を出立したとある!」

「おお、ならば今しばらく踏ん張れば!」

「そうじゃ! 柴田勢を蹴散らした後、信長も討ってくれるわ!」

「申し上げます!」

 村重と元清の下へ使い番がきた。それは元清が敵将の素性を調べろと申し渡した部下の使いである。

「ふむ、柴田の総大将が誰か分かったか」

「は! 柴田軍総大将は水沢隆広と申す者、歳は十六!」

「十六?」

 荒木陣にどよめきが湧いた。

「十六の小僧があの偃月の陣を使いこなしたというのか?」

「水沢…。そうかなるほどな」

「殿? ご存知なので?」

「おそらく美濃斉藤家の名将、水沢隆家のせがれだろう。かの御仁は偃月の陣を得意としていた。父親に劣らぬ大将と見た。多勢とはいえ元清を倒したのだからのォ…」

「ううむ…。あの采配が十六の小僧のものとは…」

「だが、だからこそ御しえる」

「は?」

「どんな経緯があったか知らぬが、前田や佐久間を飛び越して総大将となり合戦に勝った。今ごろ有頂天だろう。才能と器量は両輪にはならぬ。まあ見ておれ」

 

 荒木元清が見込んだとおり、柴田勢が尼崎に進行したのは荒木勢のいぶりだしである。退路を絶たれる恐れと支城を助けなければならないと云う本城の鉄則をついた戦法だろう。

 しかし、もう一つ意味があった。それは伊丹城の南と東を流れる二つの川から注意をそらすためでもある。二つの河川は伊丹城から目が届かないが隆広は念を入れたのである。荒木勢の目を伊丹城の西に位置する柴田陣に向けさせて、尼崎への侵攻の意図もあると荒木勢に見せ付ける必要があった。

 そのために隆広は一度荒木勢を叩いておく必要があると考えたのである。一度いぶりだしに成功して、また元の位置に着陣すれば荒木勢は『二度も同じ手を食うか』と思いつつも警戒する。ずっと柴田陣とにらみ合いをしてもらうためだった。

 

 そして、この日の夜も雨となった。二日連続である。ここは隆広の陣屋。隆広は勝家に提出する合戦の報告書を書いていた。傍らには慶次がいる。助右衛門と佐吉は他の陣屋で眠っていたが、慶次は隆広の傍らで雨音を心地よく聞きながら酒を飲んでいた。

「よく降りますな。我らにとってはまさに恵みの雨ですが」

「うん」

「それにしても偃月の陣、見事でござったな。あのクチやかましい佐久間様と佐々様も合戦後に嫌味一つ言わなかったのですから」

 前田慶次も久しぶり合戦で大いに手柄を立てて機嫌もいい。偃月の陣とは、陣形前方の部隊が敵に一撃食らわせた後で、直ちに後退する。そして敵を陣の中央に誘い込み、その結果、前方の部隊を追ってきた敵を包囲分断し、倒す事を妙法としている。

 荒木村重の見たとおり隆広の養父水沢隆家が得意とした陣形で、織田信長も敗戦を余儀なくされている。

 隆広は堤防の完成が近づくと、荒木勢を一度叩いておく必要がある事を述べ、この陣形をもっての作戦を諸将に指示していた。さしもの佐久間盛政、佐々成政もいざ野戦となれば総大将の指示に従うしかない。彼らも隆広との不仲はいったん置いて十分な働きを示してくれたのである。

 かつ隆広の直属兵の若者たちはこの日は母衣衆となり各備えへの連絡将校として働いた。隆広個人の兵は少ないので彼らを用いるしかなかったのが現状のようだが、母衣衆は戦場の花である。『愚連隊と嫌われたオレたちが母衣衆なんて!』と、彼らは嬉々として働き隆広の期待に応えた。隆広は使う以上は疑わず信じて用いたのである。その頼もしい母衣衆の支えもあってか、当日の戦況はほぼ隆広の読みどおりになり、見事戦勝をおさめたのである。

「だが、内心オレの采配を苦々しく思っているはずだ…。難しいよな慶次、勝っても認めてもらえないなんて」

「とんでもない。佐久間様、佐々様も隆広様を認めていなければ采配そのものに従うはずがござらぬ。だがチカラを認めると人の好き嫌いは違うものにござれば、こればかりは仕方ありませぬ」

「そんなもんなのか」

「そんなもんにござる。ホラ一杯、一人で飲むのは寂しい」

「ああ、ご馳走になるよ」

 グイッと飲み干す隆広。

「いつか…こうして佐久間様や佐々様と笑って酒を酌み交わせる日が来るといいのだけど」

「隆広様があきらめない限り、いつかきっと」

「うん」

 

 一方、荒木勢の動きが活発になった。柴田本陣を挑発するかのような行動が目立ち出した。支城への物資輸送をわざわざ柴田本陣の前を通過し、その際に柴田軍を指して笑うような事もした。血の気の多い柴田の諸将は討って出る事を隆広に進言した。しかし隆広はそれを許さなかった。

「お前が笑われるのは一向にかまわんが、柴田軍が笑われるのはガマンならん! オレの手勢だけで行かせてもらう!」

 おまえの許可などいるか、と云う佐久間盛政の態度。

「なりませぬ」

「腰抜けが! 雑兵に笑われて黙っていろと言うのか!」

「隆広、笑われるのはガマンするとしても、輸送部隊を平然と見送るのは少し違うと思うぞ。我らに脆弱な横腹をさらしているのは我が軍を侮っての事だ。ワシも討ってでるべきじゃと思う」

 と、金森長近の意見に諸将が賛同しつつあると、隆広は輸送部隊の列の向こうにある広い森林を指した。

「…? なんだ?」

「あそこに荒木の精鋭が潜んでいます」

 黙って隆広と盛政のやりとりを見ていた諸将がその森林を見た。

「なぜ分かる隆広」

 と、可児才蔵。

「もう夕暮れ時と云うのに、鳥が一羽も帰っていきません」

 ポカンとして隆広を見つめる諸将。そして密偵に調べさせたらまさにその通りだったのである。わずか十六歳の男に寒気すら感じた柴田の諸将。この日以来、盛政も他の諸将も出陣をけしかけなかった。

 

 一方、伊丹城の荒木村重。城の上から柴田陣を見ていた。

「ふむう、こんな挑発には乗らぬか。どうやら本物のようじゃな。柴田殿が十六の小僧を抜擢した理由はこれか…」

 だがまだ村重は気付いていなかった。伊丹城と柴田陣の対峙する中で、隆広が恐るべき秘策を進行させていた事を。

 

 そして三日後、上流で急きとめられた水は溢れんばかりになっていた。また毛利勢が援軍に向かい、すでに備前と播磨の国境まで来ていたことを柴田軍は知っていた。もう時間はない。隆広はかかり火だけ残して夜に陣払いをし、本陣を高台に移動したのである。

 荒木勢が柴田陣を空陣と知ったのは翌朝である。村重の元に柴田軍は城の南西の大間山に布陣したと云う報告が入った。

「ふむう、毛利の援軍を聞き天険の大間山で戦う気か…」

 と村重は受け取った。だが

「これだけあれば十分だ。よし、堤防を切れ!」

 隆広の指示で上流の堰が切られた。水は積み上げられた土嚢を吹っ飛ばして鉄砲水となって一斉に流れた。

 

 ドドドドッッ!

 

 伊丹城城門にいた兵士が地響きに気付いた。

「何の音だ…?」

「地震…、いや違う! 川が氾濫だ!」

 鉄砲水は容赦なく伊丹城を襲った。

「うわあああッ!」

「なんだこれは!」

 下流でも堰が作られているため、伊丹城は湖面に浮かぶ城のようになった。

「殿! 兵糧すべてが水に流されました! 篭城どころではございませぬぞ」

「ううむ、してやられたか! 大間山に布陣したのはこれゆえか! 各門で水が引き始めている箇所はないか!」

「東門ならすでに膝下ほどに!」

「よし、柴田軍は高台に布陣し、かつこの人口湖だ。そう追ってこられまい! 東門より尼崎に移動する!」

「「ハハッ!」」

 

 この鮮やかな水攻めには、さすがの佐久間盛政も声が出なかった。

「これほど上手くいくなんて…!」

「申し上げます!」

 盛政の陣に隆広からの伝令が届いた。

「なんだ」

「敵将の荒木村重、東門より城を脱出して尼崎城を目指しました。佐久間隊と金森隊に追撃命令が出ております!」

「…総大将にあい分かったと伝えよ」

「ハハッ!」

「チッ 忌々しいが今はその命令を受けるしかない」

 盛政は馬に乗った。

「出陣じゃあ! 我が隊に追撃命令が出た! 尼崎に向かう荒木隊を蹴散らすぞ!」

「「オオッッ!」」

 

 時を同じころ、織田信長も荒木討伐に動いており、荒木の支城である高槻城と茨木城を陥落させている。茨木城に至っては陥落と云うより城主の中川清秀が信長の出した摂津半国と末娘の輿入れの条件を入れて鞍替えしたのである。

 彼の部下が本願寺に兵糧の横流しをした事が少なからず村重謀反の要因にもなっているが、弁明をするために安土に向かおうとした村重を諌めて抗戦をもっとも訴えたのは彼である。奇異な事にこの事で彼が世間のひんしゅくを買う事はなかったそうである。そしてもはや、荒木村重の城は尼崎城と花隈城のみである。

 

 隆広は下流の堰を切り、水を引かせた。あとはゆうゆうと無人の城に入ったのである。城の中を兵士に清掃させ終えたころ、佐久間盛政より荒木村重は取り逃がしたが荒木一族数名と将兵の家族たち六百人、そして兵五百を捕らえたと報告が入った。

 荒木本隊や、重臣たちの軍勢は尼崎城まで逃げ切れたが、この兵五百はつい一ヶ月前に荒木家の兵農分離によって集められた新兵で主君の荒木村重から尼崎への移動の指示が伝達されなかった。云わば見捨てられたのである。

 急いで彼らも逃げたが、もはや手遅れだった。足手まといと先日の合戦にも連れて行ってもらえず、大半がまだ初陣さえ済ませていない若者たちだった。荒木家の合戦で戦うことさえなく敵に捕らわれてしまった。全員まだ十六、十七歳の隆広と同世代の若者たちだった。

 

「隆広様」

「なんだ助右衛門」

「まさかここまで鮮やかに成功するとは思いませんでした」

「あっははは、これは唐土の韓信の真似だけれど、たまたま運が良かっただけさ。それより助右衛門、大殿がこちらに向かっているそうだ。お迎えの準備をせねば…」

「隆広様!」

 城中に助右衛門と共にいた隆広の元に佐吉が駆け寄ってきた。

「どうした?」

「城を見回っていたところ、とんでもない御仁がいました!」

「なに、誰だ?」

「親父様(秀吉)の家臣、黒田官兵衛殿です!」

 

 隆広は急ぎ、佐吉の示した場所に行った。慶次もそこに来た。

「これは土牢ですな。こんなところに閉じ込められておいでだったのか」

「慶次、この牢の鍵を壊せるか?」

「お任せを」

 慶次が鍵を破壊すると隆広が牢に入り、横たわる官兵衛の背中に耳をつけた。

「生きている! 佐吉、急ぎ医者だ!」

「はっ!」

「慶次、すまぬが肩を貸してもらえぬか? 官兵衛殿を城内まで運ぶ」

「それがし一人で大丈夫でござる」

 慶次は官兵衛を両手で抱き上げた。

「なんとも軽い…。そうとうひどい仕打ちを受けたようですな。ごらんあれ、左足が変な形でおり曲がっておりもうす」

「官兵衛殿…」

 慶次が官兵衛を抱きかかえて城内に連れてきた。医者もすぐに呼び寄せた。官兵衛は高熱にうなされていた。医者の診断を心配そうに見つめる隆広。

「う、ううう…」

「どうですか? 先生」

「かなり危険な状態ですが、養生すれば何とか…。しかしもう左足は使い物に…」

「そうですか…」

 話を聞いた前田利家も黒田官兵衛の元に来た。

「驚いた…。謀反した荒木殿を説得しにきたが受け入れられずにこの有様か…。だが回復した時に彼が味わうのはさらに辛い絶望だ…」

「前田様、それは?」

「言いにくいが…大殿は伊丹城から帰ってこない官兵衛もまた、自分を裏切ったと思い込み…長浜にいる彼の息子の松寿丸を殺せと秀吉に命令している…」

「な…ッ!」

「そして秀吉はそれを実行してしまった…」

「そんなバカな! こんな状態になっても官兵衛殿は節を通しているのに!」

「そうだな…知らせるのが辛い…」

「なんてことだ…!」

 曲がったまま固くなってしまった足を隆広はさする。

「松寿丸…幸円…」

 高熱にうなされながらも息子と愛妻の名前を呼ぶ官兵衛。

「とにかく…官兵衛の生還を秀吉に知らせなくてはな…。隆広、それはオレの方でやっておく。お前もそろそろ官兵衛の事は医者に任せて大殿の出迎えに備えておいた方がいい。それから念のため言っておくが…間違っても大殿が松寿丸を殺すよう勧告した事を責めてはならぬ。大殿はそういう諫言が一番お嫌いじゃ。勝家様に累が及ぶ。分かったな」

「は…」

「あと、本日に大殿は伊丹に宿泊されるが伽を勤める女は用意できたのか?」

「はい、一応堺の遊郭に使いを出して、太夫(高級娼婦)数名用意しました」

 これは森蘭丸が前もって隆広に書状を出して用意するよう依頼していた。気の利かぬヤツと隆広が信長に思われないよう、幼馴染の粋な援護射撃と言えるだろう。

「そうだ、城代や総大将ともなると大殿へのそういう配慮も大切だ」

「はい」

(まあ、実際は佐吉がやった段取りなんだけど)

 また、蘭丸の書状にはこうも書いてあった。

『伽を務める女子がいなければ、大殿はお前に伽を命じるぞ』

 隆広はそれを読んで血相変えて、石田佐吉に女子の用意を命じたのである。

 

 そして翌日、大殿信長が伊丹城に到着した。隆広主従と柴田家の諸将は信長を出迎えるべく城門に並んだ。出迎えの代表を務めるのもまた総大将の隆広である。




水攻めは思いついたのは良いものの、これを投稿するのは当時かなり冒険だったことを覚えています。絶対に『ありえね~!』と言われると思ったのですが、驚いたことに一件もそういう反応がなく受け入れてもらえました。良かった良かった。


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命がけの意見

 織田信長が伊丹城に到着した。もはや水攻めの跡も残っていないほどに清掃され、城門前で柴田軍は整列して信長を出迎えた。先頭に立っていた隆広が馬上の信長に歩み寄り、ひざまずき頭を垂れた。

「柴田勝家家臣、水沢隆広、お待ちしておりました」

「うむ、水攻めのことは聞いた。ようこの城を落とした。褒めてとらす」

「はっ!」

「村重はどうした?」

「水攻めに伴い、荒木殿は東門より尼崎城に逃走しました。すぐに追撃に向かわせましたが、一歩及ばずに荒木殿は尼崎城に入りました。なお伊丹城が落ちたのを見て、毛利勢は播磨より撤退。荒木殿、孤立の由」

「そうか、で、他に生き残った者はいかがした?」

「現在、佐久間盛政殿がこの城に連行している最中でございます。荒木一族の女と子供、あと負傷兵数百と伺っています」

「ネコ」

「はっ」

「全員殺せ」

「…え?」

「その者、明日に全員殺せ。ワシも立ち会う」

「そ、そんな…! 相手は女と子供…!」

 

 ゴォンッ!

 

 急ぎ可児才蔵と不破光治が隆広の左右で平伏し、才蔵が隆広の頭を押さえつけ、顔面を地に叩きつけた。

「才蔵、ネコは今ワシに何か言ったか?」

「はっ それがしには隆広が大殿の命を『謹んでお受けします』と言ったように聞こえました」

「ならばいい。光治、城内を見分する。案内せよ」

「はは!」

 平伏する才蔵と隆広の横を信長本隊が通り過ぎる。隆広は顔を上げようとするが才蔵のバカチカラに押さえられて上げられない。

「か…可児様…!」

「バカが! さっき利家様が言ったのをもう忘れたか! お前が大殿を怒らせれば勝家様にも累が及ぶと! 城を取った功など何にもならぬぞ!」

 

「可児殿、そうバカチカラで叩きつけられたら額が割れようぞ。大殿は伊丹城に入られた。もう顔を上げて大丈夫でござるぞ」

 一人の武将が馬から降りて隆広と才蔵に歩んできた。

「こ、これは明智様…」

 才蔵はようやく隆広の頭から手を離した。

「ほら水沢殿、額の血を拭われよ。美男が台無しですぞ」

「…ありがとうございます」

 隆広は渡された手拭で額の血を拭った。その時、明智光秀の顔を見て隆広は息を飲んだ。

「いかがされた? それがしの顔に何かついていますかな?」

「い、いえ…」

「ははは、お初にお目にかかる。それがしは明智日向守光秀と申す」

「は、はい。お噂はかねがね」

「ははは、これはお耳よごしを。耳よごしついでに一言だけ申しますが…」

「はい」

「女子供を殺したくない気持ちは分かる。それを正当化する理由などもこの世にはありはしません。ですが今の世はやらなければやられる乱世。今は子でも成長し織田に仇なせば? 女でも槍は握れますし、織田に刃向かう子を産むかもしれませぬ。だから明日の織田家安泰のため殺さなくてはならないのです。

 今回の貴殿の水攻めでも、城内の女子供がいく人も死んでおりましょう。合戦で殺すのはいいが処刑で殺すのはイヤだ。そんな道理は敵味方にも通りませぬ。織田の武将になったなら覚悟を決めなされ。よろしいかな?」

「…明智様」

 光秀は隆広の肩を抱いて立ち上がらせた。

「それにしても水攻め見事。うまく地形を利用しましたな」

「あ、ありがとうございます!」

「ははは、ではここはこれにて」

 明智光秀も伊丹城に入っていった。そして静かに微笑み…

(ふふふ、大きくなったものだな、私も歳を取るわけよ。はっははは)

 何かを懐かしむよう、心の中でつぶやいた。

 

 佐久間盛政が連行してきた荒木一族や負傷兵が到着した。中には隆広の愛妻のさえと歳が同じころの娘もいる。そんな娘を見ていたら視線に気付いたのか、その娘が隆広を見た。そして見せた。悔しそうな顔を。隆広はその視線から目を逸らす事ができなかった。隆広と同じく虜囚の列を見つめる明智光秀。

「ここに娘がおらず良かった…」

 明智光秀の娘、園(その)は荒木村重の嫡男の荒木村次に嫁していた。媒酌は織田信長であったと云う。園は荒木村重謀叛の前に実家に帰されて、明智秀満に嫁いでいた。村次は現在村重が逃げた尼崎城の城主である。

「しかし惨いな…。明日に全員処刑とは…」

 

 この夜、隆広は眠れなかった。悔しそうに自分を見つめた娘。明日、その娘の首を切り落とさなくてはならない。全然寝付けない。さえがいればなと思う。そして自分が千人も処刑したと聞いたら妻はどんなに悲しむだろう。

「さえ…。オレどうしたらいいんだろう…。そなたがここにいればな…」

 その時、隆広の寝所に歩む者があった。隆広は枕もとの刀をサッと握った。

「竜之介、入るぞ」

 森蘭丸が静かに襖を開けた。

「なんだ乱法師か」

「大殿がお呼びだ」

「大殿が…?」

「伽を務めよとの仰せだ」

「な…!」

「前に言っておいたろう。陣場が一緒ならこういう務めがありうると」

「イヤだ! ぜったいにイヤだぞ! 何のために女子を用意したか分からないじゃないか、それじゃ!」

「平時と違い今は合戦時。大殿は気持ちが高ぶっている。女子だけでは足りないのだ」

「全然分からないぞ、その理屈は! とにかくイヤだ! オレは男と閨を過ごす気はない! 今から体調最悪になるからな!」

 と、蒲団にもぐりこんでしまった。蘭丸はフッと笑い

「処女みたいなヤツだな」

 そう言って隆広の部屋から立ち去った。そのまま信長の寝所へ行く蘭丸。

「大殿」

「うむ」

 障子の向こうから女たちの恍惚の声が聞こえる。

「もはやぐっすり眠っておりました。起こすのも気の毒と思い…申し訳ござりませぬ」

「そうか、まあいい…。楽しみはあとにとっておくとする」

 複数の美女に囲まれて、半ば満足をしていたか信長は蘭丸の報告がウソと分かっていたがあっさり引いた。ホッとする蘭丸。だが…。

(いつまでも逃げ切れるものじゃないぞ竜之介…)

 それは隆広も察していた。

(どうしよう、いつまでも逃げ切れるものじゃない。まったく大殿の趣味は理解できない、男なんかのどこがいいんだよ…!)

 まだ蒲団の中で丸まっている隆広。

(やっぱり一度殿に相談してみるかな…。でもそれで『受け入れよ』と言われたらいよいよ腹を括らなければ…いややっぱりイヤだ! さえ、オレどうしよう…)

 蒲団にもぐりこんだまま、隆広は眠りについた。信長突然の伽の要望に驚き、処刑の苦悩が消えてしまったのである。そしていつの間にか眠ってしまった。

 

 そして翌日、荒木一族と負傷兵たちは縄で縛られ刑場に連行された。もう処刑を待つのみである。伊丹城の錬兵場が処刑場となった。織田信長見分の元、およそ千人以上の虐殺が始まる。その指揮を執るのは水沢隆広であり、執行人の中には隆広の兵の三百名もいる。

 昨夜信長の伽の要望で驚き、一度は苦悩から解放された隆広だが、これから女子供の首を斬らなければならないと云う現実から逃れられようはずもない。隆広にも部下たちにも悲壮感が漂った。

 隆広の兵で、隆広に及ばずとも美男を自負する小野田幸之助が斬る者たちには若い娘もいた。色を好む彼には女を殺す事が耐えられなかった。だがやるしかない。

 自分の『始めよ』で千人以上の人命が散るのである。確かに光秀の言うように戦場で命を奪うにためらいがないが、処刑で奪うのはイヤと云う道理は虫が良すぎる。

 だが隆広は『始めよ』が言えなかった。佐久間盛政、佐々成政は焦れてきた。隆広の横に行き、

「何をしている! お前が責任者であろう! 総大将ならばこういう任務もある。処刑を始めろ!」

「盛政殿の言うとおりだ。大殿も焦れてくるころだろう。早くせんか!」

 と、けしかけるように怒鳴る。隆広は言い出せない。進退窮まった隆広は信長の元に走り、床几に座る信長に平伏して言った。

 

「大殿! やはり大殿は間違っています!」

 前田利家、可児才蔵、佐々成政、佐久間盛政、不破光治、金森長近ら伊丹攻めの諸将たちは真っ青になった。この当時の織田家で信長に逆らうどころか、意見する者さえ皆無に等しかった。それをまだ新参で、信長には息子ほどの歳の隆広が言ってきた。急ぎ可児才蔵が駆け寄るが

「どこかだ?」

 信長は才蔵を手で制し、隆広の言葉を待った。

「後の憂いを理由に、もはや抵抗すらできない者たちを虐殺するは武家の棟梁の所業にあらず! たとえ今日まで敵だとしても! 明日は味方になるかもしれないのがこの乱世! 生かして使うことが明日の織田のためと思います!」

「生意気抜かすなあ!」

 信長は平伏する隆広の顔を鞠のように蹴り飛ばした。隆広は吹っ飛んだが、再び信長に平伏して訴えた。

「こうして敵方の生き残った者たちを合戦のたびに処刑していたら、大殿は漢楚の戦いで劉邦に敗れた項羽と同じ末路を辿ります!」

「利いた風な事を抜かすと斬るぞ!」

 また鞠のように隆広の顔面を蹴る信長。だが隆広は黙らない。

「し、秦を打倒するための戦いで劉邦は徳をもって敵と対して抵抗らしい抵抗も受けずに秦の首都咸陽に到着しました! しかし項羽は情け容赦ない武力攻撃をしたために相手の必死の抵抗を生んでしまい味方の犠牲も甚大なものとなりました! そういう戦いの姿勢が後に二人の勝敗を分けたのです!」

「ワシの天下布武を敗北者への道とぬかすか!」

 信長は鞘ごと刀を腰から抜いて、木刀代わりにして隆広を突き叩いた。

「ワシに逆らったものは許さぬ! 村重もキサマも! 覚悟は出来ていような!」

 

 ドカッ ガツッ ガンッ!

 

 平伏したまま隆広は打たれ続けた。信長の後ろにいた家臣たちもやりすぎと思うものの、恐怖の魔王である君主を恐れ、何も言わない。その中には隆広の友の森蘭丸もいる。

(バカが! 大殿はそういう意見が一番きらいとお前も知っているはずだろう! 伊丹城を落とした功もそれで帳消しだぞ!)

「そ、それがしを斬ったとて! 荒木殿を斬ったとて! 結局は何も変わりませぬ! 荒木殿がどうして謀反をしたか少しでも考えたのですか! 大殿を恐れてです! 追い込まれてのやむを得ぬ蜂起! たった一言許すと言えば今後も大殿のために働いて下されたに相違ございませぬ!」

「だまらんか!」

 

 ガンッ ゴキッ!

 

 信長の容赦ない打ち据えに耐える隆広。ついに奥村助右衛門は我慢の限界で信長を止めるべく立ち上がるが、隣に座る前田慶次に腕を掴まれた。

「何をするか慶次!」

「バカヤロウ! おまえ隆広様に恥かかす気か!」

「なんだと!」

「隆広様は命がけで大殿に意見を言っている。おまえどのツラ下げて横ヤリ入れるんだ!」

「しかしこのままでは…!」

「…もし万が一のときは我ら部下は主君の意気に応えるのみだ」

 打たれ倒れても、蹴り飛ばされても、隆広は平伏しなおし信長に訴え続けた。流血もおびただしく、そして血を吐くように、そして大粒の涙をポロポロと落としながら信長を説得する隆広。信長はついに刀を抜いて隆広に振り下ろした。

 

 シュッ!

 

 隆広の部下たちは一瞬目を逸らした。だが信長の振り下ろした刀は隆広のひたい、その寸前にピタリと止まっていた。刀を振り下ろしたまま、かしずきながらも自分を見据える隆広を睨む信長。隆広は信長が刀を振り上げても避けようとしなかった。

 隆広は肩で息をし、出血も著しく、かしずく姿勢さえ執っているのがやっとの状態。目には涙が浮かんでいたが、誰一人として軟弱とは云わない涙だったろう。

「…キサマ、確か新陰流を得手としていたな」

「は、はい…」

「『無刀取り』は上泉信綱から会得しておるはずだな」

「体得しております」

『無刀取り』とは敵の斬撃を両手で受け止める新陰流の高等技術である。『真剣白刃取り』とも言われている。

「ならば何故、今のワシの斬撃を掴もうとしなかった」

「も、元より、死を賭して大殿をお諌め申しているからにございます!」

「ふん…」

 信長は刀を収め、静かに床几に座った。蘭丸にも意外な態度だった。

「で? 続けろ」

「はっ! 大殿…どうか王者の徳を持って天下布武を! このまま残虐な戦を続けていけば大殿の天下布武はもろい作り物になってしまいます! 因果は必ず巡ってきます! どうか慈悲をもって! 今回の謀反にしても荒木殿と、その周りの一向宗門徒である重臣たちのみを罰すれば良いではないですか! 今捕らえた者たちを虐殺したら、それこそ荒木殿は尼崎城や花隈城で必死の抵抗をするはずです! ですが、ここで彼らを許して以前と同じように伊丹城を織田で統治するならば! 荒木殿の印象も違い降伏勧告で城を明け渡すやもしれません!」

「なるほど…お前の養父もいらぬ智恵を養子につけたものよ」

「父の教えではありません! それがしの考えです!」

「そうか…ふっはははははは!」

「大殿…なにとぞ今回捕らえた者たちの助命を…!」

「もういい、興がそがれたわ。伊丹城を落としたのはお前だ。好きなようにするがいい」

「は、はい!」

「ふっははははは…久しぶりにワシの目を見て堂々と自分の我を通すヤツを見たわ。女子のようなツラをしておきながら、中々いい男の顔になっておった。ネコ、今日の勇気を忘れるでないぞ」

「はい!」

「権六(勝家)の将兵たちよ!」

「「はっ!」」

「この小僧、けして死なせるな。そしてこやつに見せてやる。天下を取ったとき、ワシとこやつのどちらが正しかったかをな! ふっははははは!」

「「ははーッ!」」

 

「キンカン(光秀)」

「はっ」

「処刑は中止だ。あと始末を任せる。その方、しばらく伊丹の城代を勤めよ」

「はっ」

「ネコ」

「は!」

「荒木攻めはもう良い。ワシは今日でも尼崎に出陣するがお前は陣払いして越前に帰れ。今の権六にはお前のあずかる兵も貴重であろうからな。早く帰って安心させてやるがいい」

「ははッ!」

「犬千代(利家)」

「はっ!」

「ネコの手当てをしてやれ。あと叱るでないぞ。権六にも黙っておいてやれ。せっかく勝利して帰ったのに、その第一声が褒め言葉でなく叱責では救われまい」

「分かりました!」

 隆広は安心したように、その場で気を失った。気を失う直前、隆広は自分を見つめる明智光秀の目に気付いた。微笑み静かにうなずいていた光秀。そんな光秀の顔が隆広には嬉しかった。

 処刑は回避された。執行人だった隆広の兵たちは涙を流して慶次に抱き上げられた主君を見た。

「矩三郎よ…」

「なんだ幸之助…」

「オレはあの方のためなら死ねるわ…」

「ああ、オレたちにはもったいない…素晴らしい主君だ…」

 連れて行かれる隆広を見て蘭丸は苦笑した。

「あいつ、大殿に勝ちよった。ふふ」

 明智光秀もまた…

「いい若者に育ったものよ。柴田殿でなく、私に仕えていてくれたならな…ははは」

 と、嬉しそうに笑った。

 

 数刻後、隆広は目が覚めた。治療が良かったのか熱も出ていない。そして横たわる自分の横に利家と才蔵がいた。助右衛門、慶次、佐吉もそこにいた。

「ようやく目覚めたか」

「…すいません可児様…どうしても黙っていられなくて…どのようなお叱りも覚悟しています」

「もういい、何も言うな。大殿から『叱るな』と命じられたからな。オレから言う事は何もない」

「ははは、寿命が縮まったぞ、隆広」

 気に病む隆広に利家はニコリと笑って気遣った。

「まったく…たまたま大殿の機嫌が良かったから無事に済んだものを…今度またどうしても大殿に物事を言いたいときは我らにも相談してくれ。身がもたぬ」

「すいません…」

「もう気にするな。勝家様にも内緒にしてやれと大殿から言われている。お前は大殿に正々堂々と意見を言ったのだ。古来『城を落とすより主君を諌める方が難しい』とある。中々できることではない。胸を張れ」

「はい…」

「さあ、あとは任せて眠るがいい」

「…分かりました」

 隆広は再び眠りについた。

「慶次、助右衛門、佐吉あとを頼むぞ」

「「ハッ!」」

 前田利家と可児才蔵は立ち去った。

 

「ふう一時はどうなるかと思ったが…やはりオレたちの選んだ殿はいい器をもっているな、慶次」

「ああ、今の織田家中で大殿に『間違っている』なんて言うヤツなどいない。みんな恐れて顔色を伺ってばかりだからな…」

「う、ううう…」

 包帯だらけで横たわる隆広を見て佐吉は涙ぐむ。

「なんだ佐吉、また泣いているのか?」

「慶次様…。私は嬉しくて…。そして悔しくて。隆広様を打ち据えている大殿を見て、それがしはただ恐れていたのに…隆広様は毅然として諫言した…。こんな方にお仕えできた喜びと、ただ怯えていた自分が悔しい思いで…」

「分かった分かった、さっきから何度同じ事言っている」

 慶次と助右衛門は苦笑した。

 

 前田利家たちが城内から出ると隆広の兵士たちがいた。小野田幸之助が駆けて来た。

「前田様、御大将の様子は?」

「ああ、熱も出ていないし。明後日にはもう動けるだろう」

「そうですか…良かった。よしみんなにも知らせないと! 失礼します!」

 幸之助が他の兵士に知らせると、隆広の負傷がさほどでもなかったことに湧いた。

「ふ、利家様、昨今兵士にもあんなに好かれている大将もめずらしいですな」

「ああ、人を思う心が人の心を動かす。いい大将になるぞ、あいつ」

 

 そして、この時に隆広に助けられた敗残兵は、自分たちとそう歳の変わらない隆広が我が身もかえりみずに魔王と呼ばれる主君信長に対して自分たちの命乞いをしたことに胸を熱くした。

 すぐに釈放されて『荒木陣に帰るがいい』と言われたが、誰一人帰らず、その場で隆広の兵にして欲しいと要望したのである。

 この事から隆広の兵は愚連隊と敗残兵の寄集めと陰口を叩かれたが、その寄集め兵たちを精鋭に変えて、隆広はあの手取川の戦いにおける撤退戦にて上杉謙信の本陣に突入したのである。

 

 また同じく助けられた女たちは隆広の勇気を伝えて、さらにそれは語り継がれ、隆広の没した日に毎年供養祭を行い、現在においても続けられている。隆広は敵地にも愛される武将となったのである。

 水沢隆広は源平の源義経と同じくらいに歌舞伎演目の登場人物として後世に愛されるが、この信長に捕虜の命乞いをした場面は、歌舞伎の中でも屈指の名場面として現在にある。




よくも悪くも、こういう甘さが隆広の欠点なのでしょうなぁ。だが、それがいい


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黒田官兵衛

ホームページ掲載時、本編は色々と章別して書いていましたが、こちらではいたしません。よろしゅうに。



 隆広の伊丹城攻略成功の報は国許の勝家にも届けられ、妻のさえも知るところとなった。特に水攻めという電撃的な作戦を成功させたことを勝家は事のほか喜び、さえも早く夫を誉めてあげたくて帰宅を首長くして待っていた。

 信長が伊丹城から尼崎城に出陣した翌日、水沢隆広と明智光秀の城代交代が正式に行われた。まだ起き上がるに容易ではない隆広に光秀は気遣い、隆広が療養している伊丹城二ノ丸で隆広が蒲団に入ったまま行われた。

「すいません、明智様。横になったままでこんな大事な辞令を…」

「気になされるな。それにしても柴田殿はよき家臣を召抱えられました。光秀、昨日の隆広殿の勇気、感服しました」

「いえ…なんか無我夢中で…」

「はははは、とにかく体がよくなるまで城におとどまりあれ。官兵衛殿の方もこちらでちゃんと対処いたしますから」

「ありがとうございます」

「そうそう、隆広殿は大根はお好きかな?」

「は、はい大好きですが。特に妻の作る煮物が…」

「ははは、この地の名産は大根でしてな。奥方の手料理にはかなわないかもしれませぬが、ふかした大根などが療養中にはちょうどいいでしょう。じきに持ってこさせますゆえ」

「あ、それはぜひ食べてみたいです」

「食欲があるのなら、じきに立って歩けるでしょう。では私はこれにて」

「色々と面倒かけます」

 

 隆広率いる柴田軍は引き上げを開始した。一陣の佐久間盛政、ニ陣の佐々成政、三陣の金森長近、四陣の可児才蔵、五陣の不破光治は伊丹城を出て北ノ庄城に向かったが、隆広と副将であった前田利家はまだ若干の後始末が残っていたのと、隆広の体調を考えてまだ滞在していた。処刑中止から五日後、隆広の容態は良くなり、利家と共に残務を行い出した。翌日に引き上げをするつもりである。

「正直、こうして隆広と平穏に戦後処理の文書を書き上げているのがウソのじゃな。今回の城攻めはずいぶんと苦労するだろうと感じていたからな」

「これも利家様たちのおかげです」

「こやつめ、世辞もだいぶ板についてきたではないか」

 

「申し上げます」

「なんだ佐吉」

「長浜より、稲田大炊殿、早馬にて到着しました。隆広様との面会を求めているとの事」

「稲田大炊殿? 羽柴様配下の猛将の…?」

「そうです」

「隆広、だいぶ家中の者もお前に面会を求めるようになったな。文書処理はもうすぐ終わるからワシとワシの部下たちだけでいい。稲田大炊と会ってくるがいい。おそらく官兵衛生還についてだろう」

「はい」

 伊丹城本丸は光秀に渡しているので、隆広と利家一行は二ノ丸にいる。稲田大炊はそこに通されて隆広を待った。稲田大炊の後ろにはもう一人いる。

「お待たせしました。柴田勝家家臣、水沢隆広です」

 稲田大炊の待つ部屋に隆広は入った。

「お忙しいところに申し訳ございません。羽柴秀吉家臣、稲田大炊助です。そしてこちらにおわすは…」

 稲田大炊の後ろに控えていた細面の武士が隆広に深々と頭を垂れた。

「女…?」

「はい、黒田官兵衛の妻、幸円です」

「貴女が…」

「はい、先日に前田様の早馬が長浜にお越しになり、夫の生存を知りました。それを聞いて私はいてもたってもいられなくて…。また聞けば夫は暗い土牢に閉じ込められて片足を悪くされたとか…! 妻として…長浜でジッとなんてしてられず…秀吉様にお願いして稲田様と共に伊丹に来ることを許していただいたのです」

「そうでしたか…」

(きれいな人だなあ…)

 

「主人秀吉も、官兵衛殿生還を歓喜しておりました。お救い下された水沢殿には羽柴家あげて礼をせねばならぬところですが、今はとにかく官兵衛殿の様子が早く知りたいのです。礼を後回しにして申し訳ござらぬが、ぜひ官兵衛殿に会わせてくだされ」

「お礼なんて…同じ織田の家臣同士ではないですか。当たり前のことをしただけです。官兵衛殿もこの二ノ丸で療養しております。幸い峠を越したそうですし、今はゆっくり眠っています。起こさぬよう注意して下されれば…」

「もちろんです」

「ああ! 水沢様、早く夫に会わせて下さい!」

「分かりました、どうぞこちらに」

 

 そして幸円は見た。やせ細り、シャレ者の夫が無精ヒゲを伸ばし放題で精も根も尽き果てて眠っている様を。

(ああ…! なんて姿に…!)

 官兵衛を看病していた侍女たちは隆広と稲田大炊に頭を垂れて、部屋を出て行った。

「想像以上にひどいですね…」

 稲田大炊は顔をしかめた。

「これでもだいぶ落ち着いたのです。一昨日までは高熱と悪寒と異常な発汗…。ひんぱんに寝巻きを変える必要がありそうでしたから、さきほどの侍女を交代で看病させまして…。本日朝にようやく意識を取り戻し薬湯を飲ませました。薬が効いたか、ご覧の通り今はぐっすり眠っています」

「ありがとうございます…。もう少し伊丹城を落とすのが遅れたり…水沢様の適切な処置がなければ今ごろ夫は…!」

「奥方、顔をあげて下さい。官兵衛殿とそれがしは同じ織田の家臣です。当たり前のことをしただけなのですから」

「何とお礼を申し上げてよいか…」

 

 隆広と稲田大炊は官兵衛と幸円二人だけにしてやろうと思い、部屋を出た。

「大炊殿、官兵衛殿は嫡男松寿丸の死を知りません。今知らせると心痛も大きいと思うので…」

「ああ、それは心配いりませぬ」

「え?」

「確かに大殿より松寿丸を殺せと云う命令はありました。実行せねば羽柴にも叛意ありと受け取ると云う厳命でした。殿も苦悩されましたが殺さないと決断し、そして半兵衛殿が機転を利かせて匿いましてございます」

「義兄上が!」

「はい、領内で病にて死んだ同年の童の死体を届けましてございます。疑い深い大殿ですが松寿丸と面識がないのが幸いでしたよ」

「良かった…」

「それがしは、明智様に官兵衛殿と幸円殿のことを頼み、その後に殿へ報告するため長浜にすぐに帰ります。あわただしくて、ろくに水沢殿とお話もできず残念です」

「それがしも残念です。ぜひ墨俣築城のことなどをお聞きしたかったのに」

「ははは、今度長浜においで下さい。それがしで良ければゆっくりお聞かせいたします」

「ありがとうございます」

 

 稲田大炊は長浜に戻った。そして翌日、隆広本隊の陣払いが始まった。帰国前に隆広は官兵衛と会った。

「もう大丈夫のようですね、官兵衛殿」

「何から何まで…本当になんとお礼を申したらよいか」

「いえ、同じ織田の家臣同士です。当たり前の事です」

 隆広が挨拶に来たので、官兵衛は蒲団の上に座位で対していたが、やはりまだ体力が回復しておらず、眩暈を感じた。

「官兵衛殿、無理せずとも」

「なんの、恩人が帰路に向かうというのに伏せていては…」

「お前さま、無理をしてまた体調を崩したら、それこそ水沢様の本意ではございませんよ」

 幸円がやんわり叱り付けた。

「その通りです。しかし幸円殿と官兵衛殿は仲が良くていいですね。それがしも早く国許の妻に会いたいです」

「水沢様の奥様は、とても美しいと長浜にも伝わっておりますよ」

「そうですか? いやあ自慢の妻なんですよ」

 と、隆広と官兵衛夫婦の楽しい談笑の中、明智光秀がやってきた。

「これは明智様」

「いや、官兵衛殿、無理をなさるな」

「明智様、そろそろ我らも伊丹城から引き上げまする。今までのご厚情、隆広忘れません」

「隆広殿…」

「…? 何か」

「悪い知らせがある」

「え…?」

 官兵衛と幸円は顔を見合わせた。光秀はため息と共に座った。

「何でしょう? 明智様」

「…尼崎城と花隈城が落城しました。荒木村重殿は城を脱走し行方知れず…」

「そうですか…」

「だが…双方の城内の残った荒木殿の妻子や、他の重臣、兵士、他の女子供、合わせて三千数百…。大殿に処刑されました。磔、斬首…さながら屠殺場のようだったそうです」

「……ッ!?」

 

「なんとむごいことを…!」

 幸円は絶句した。

「……」

 黒田官兵衛は顔色を変えなかった。

「バカな…! それでは先日にオレの言ったことは大殿に何も届いていなかったと云うことですか!」

「そうなります…。あの日はたまたま隆広殿の意気に感じ入ったから…この伊丹の捕虜を見逃したのでしょう。しかし昨日と同じ風が今日の大殿の心に吹くとは限らないのです」

「そんな…」

 隆広は拳を畳に叩きつけた。

「満座の前であんなに打ち据えられ…命を賭けて諫言したのに…! 何も聞き遂げては下されなかったなんて…!」

 無念の涙がポツポツと畳の上に落ちた。そして何かを決心したかのように目をカッと開き立ち上がった。

「隆広殿、国許に…?」

「いえ、明智様、播磨の織田本陣に」

「何をするおつもりか!」

「もう一度、いや何度でも同じ事を言ってみます! 武力だけでは天下は取れないと! 何度でも!」

「バカな事はやめなされ! 今度こそお手討ちに!」

 と、光秀の制止も聞かず隆広が部屋を出て行こうとした時だった。隆広の足が掴まれた。

「官兵衛殿…」

 官兵衛は蒲団から体を引きずり出して、隆広の足を掴んだ。

「…『武力だけでは天下は取れない』。確かにそうかもしれません。しかし同時に…優しさだけでは天下は取れません。それでは野心を持つ者に利用されるだけ…。応仁の乱から今に至るまで、ズタズタに寸断された麻の如しの日の本。誰かが強力な針で繋ぎあわさなければならないのです。それには…やはり一罰百戒の断固たる厳しさは必要不可欠。敵にも味方にも! 大殿が血に飢えた悪鬼のように、喜んで殺戮を繰り返していると思われますな! 徹底的にやらなければ、敵に余力を残しておけば同じことを敵は繰り返し、戦はいつまで経ってもなくなりません。だから大殿は敵に容赦しないのです。

 大殿はこうも言っています。行軍中に部下が木陰でのんびり眠っている年寄りを見て『この織田家の危急存亡の時に!』と腹を立てて斬ろうとしたとき、それを止めて『オレの作る理想の国は年寄りがああして木陰で安心して昼寝できるような平和の国だ』と! けっして隆広殿が考えているような殺戮を好む暴虐の君主ではないのです! あの方は誰よりも繊細で、お優しい方なのです! 疑いあるな! 世間に魔王と呼ばれている大殿、我ら家臣が理解せずしてどうするのです!」

 病み上がりの官兵衛が掴む足。振り払うのは簡単だった。だが隆広は振り払えなかった。

「…分からないよ…。人の屍の上に築く平和な国なんて…」

 官兵衛は手を離した。

「…今に分かります。御歳十六歳の隆広殿にはご理解が難しいかもしれませぬが、それが乱世…。優しいだけでは…自分の大切なものさえ守れませぬ。聞けば水沢隆家殿と半兵衛殿の薫陶を受けた軍才の持ち主とのことですが、そんな甘さではその才も宝の持ち腐れです。

 優しさと甘さが仇になり、恩を施した者から逆襲を受けて滅ぼされた例は歴史にいくらでもあります。ご自慢の愛妻が敵の雑兵に陵辱を受ける可能性さえあるのですぞ。織田の武将になったのなら、そんな甘さなど捨てなされ。辛いかもしれませぬが、それが大切なものを守る術なのです」

「お前さま、言い過ぎです!」

「いえ…幸円殿、良いのです」

「水沢様…」

「官兵衛殿、お教えありがとうございました…。それがしは国許に帰ります」

「そうですか…。それでは道中気をつけて」

 官兵衛は蒲団に戻り横になった。光秀と官兵衛、幸円に頭を垂れて、隆広は部屋を出て行った。

 

「…官兵衛殿の言葉、隆広殿の胸を貫いたようですな。さすがは羽柴殿の軍師、言葉に重みがございました」

「いえ…明智殿の前で出すぎたことを」

「しかし…頼もしい若武者に成長したものだ…」

「は?」

「い、いや! 独り言にございますよ。それでは私はこれで」

 光秀も部屋から出て行った。

「なあ…幸円」

「はい」

「松寿丸も隆広殿のように育ってほしいものだ。そう思わぬか?」

「はい、私もそのように思いました」

 黒田官兵衛はこの時には考えもしていなかっただろう。今の若者と後に戦う運命にあろうとは。

 

 水沢隆広は無事に北ノ庄城に到着した。領民の歓呼の声に出迎えられ、隆広は慶次、助右衛門、佐吉を連れて先に到着している盛政、成政、才蔵、そして帰路を共にした利家と登城し、勝家に勝利を報告した。

「殿、隆広ただいま戻りました」

「うむ」

 妻の市も隆広を出迎えるべく、勝家の隣にいた。

「伊丹城を落とし、その後に大殿を出迎え、城代となりました明智殿に申し送り帰路と相成りました。なお、荒木殿の支城であった茨木城、高槻城、尼崎城、花隈城は大殿の手により陥落。荒木殿の反乱、終息いたしましてございます」

「うむ、大儀であった。伊丹城は堅固と聞いていたが、よう落とせたものよ」

「はい、これも前田様や佐久間様、可児様、佐々様、不破様、金森様、そして部下や兵たちのおかげにございます」

「うむ、褒美をとらせる」

「は!」

 勝家は隆広と六将、そして隆広の部下である奥村助右衛門、前田慶次、石田佐吉にも褒美を与えた。市から隆広に労いの言葉がかけられた。

「ご立派ですよ、隆広殿。そのお若さで見事です。これからも夫を助けて下さいね」

「もったいないお言葉にございます、奥方様」

 

「利家様、妙だと思いませぬか?」

「何がだ? 才蔵」

「奥方様が隆広を見る目です。あれは夫の部下を見つめる目ではありません。いかに有望な士と云えども…何か違います」

「…確かにな、オレもそれを感じる。まるで慈母が愛しい我が子を見るような…」

「利家様…」

「ふ、まさかな…」

 勝家はスッと立ち上がった。

「一同、疲れていよう、戦の詳細は後日の評定で聞く。今日は帰って休むがいい」

「「ハハ―ッ!」」

 

 隆広は城を出ると、すぐに自宅に走った。さえに会いたい、もうこれしか考えていない。

「ただいま―ッ!」

「おかえりなさい!」

 いつも隆広の方からさえに抱きつくのに、今日はさえから抱きついた。そのさえをギュウと抱きしめる隆広。

「会いたかった…」

「さえも…」

 まるで十年は離れていたようであるが、実質一月も離れてはいない。

「さえ! メシにしてくれ! ずっとそなたの料理を食べたくて仕方なかったんだ!」

「はい、すぐに準備できますから!」

 

 夫の隆広が無事に帰って来た喜びの熱が少し冷めると、さえは隆広があちらこちらケガをしていることをようやく理解した。美味しそうに自分の作った料理を食べる夫に尋ねた。

「お前さま…。あちらこちらに傷跡が…激しい戦いだったのですね…」

 敵ではなく、信長につけられた傷ではあるが、それを言っても仕方ない。

「ん? ああ少し苦労したよ。でも落とした後の伊丹城で静養したから」

「本日の湯、熱い湯が好きなお前さまのために熱くしたけれども…少し水を埋めた方がいいのかも…それではしみてしまわれます」

「大丈夫だよ、それより一緒に入ろう。いいだろう?」

 恥ずかしそうにさえは首を縦に降ろした。そして、この日の閨に、さえは隆広に違和感を覚えた。灯は消してくれたけれど、いつもより少し隆広の愛撫が乱暴だった。何かを忘れたい。そんな印象も受けた。

 このキズ痕に何か関係があるのだろうか。そう思いながら妻の勤めを果たした。自分を抱く事でイヤな事を夫が忘れられるのなら安いもの。そう感じた夜だった。

 

 翌朝、早朝鍛錬のため庭で木刀を降る隆広。たらいに水と手ぬぐいを入れて縁側に来るさえ。いつもの朝だった。

「お前さま、そろそろ朝餉です。汗を拭いてお召し物を」

「ありがとう」

 縁側に座り、さえの渡す冷たい手ぬぐいで汗を拭く隆広。

「あの…さえ…」

「なんですか?」

「昨日の閨はごめん…少し乱暴だったよな…」

 カアッと顔が赤くなるさえ。

「お、お前さま、朝にそんなこと言わないで下さい!」

「い、いやゴメン。でも詫びさせてほしい。今度から気をつけるよ。仕事で何かあるたびにお前に閨で痛い思いをさせちゃかわいそうだから…」

「痛いなら痛いとちゃんと言います! だから昨日の閨でさえは痛みを感じていません! だって…お前さまの手が触れたところではないですか…」

「え?」

「な、なんでもありません! 早く着替えてください! 風邪をひきますよ!」

「はは、すまない。じゃ朝餉にしようか」

 隆広は官兵衛の(自慢の愛妻が敵の雑兵に陵辱を受ける可能性さえある)と云う言葉が頭をよぎった。繊細なさえがそんなものに耐えられるはずもなく、自分も耐えられない。今の妻の笑顔を守るためにも、そして乱世を終わらせるためにも、自分が生来に持つであろう優しさと甘さを戦時には捨てる決意を固めた隆広だった。



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侍大将隆広

先代隆家の重臣の子弟登場です。今後もチラホラ出てきますよ。


 伊丹城攻めを終えて北ノ庄に帰ってきた翌日、水沢隆広を訪ねてきた二人がいた。玄関に出た若妻さえに二人は丁重に頭を垂れ、身分と氏名を示す木簡を渡した。その時の隆広は文机に向かい伊丹城攻めの報告書を書いていた。さえは障子戸の外に座り、

「お前さま」

「ん?」

「お客様です」

「誰だい」

「この木簡を渡してくれれば分かると」

 障子を開けて、さえから木簡を受け取る隆広。

「…これは」

「どうされました?」

「丁重にお通ししてくれ。お茶も菓子も頼むよ」

「分かりました」

 客は二人だった。

「早速の引見、恐悦に存じます」

 隆広はその客を見て驚いた。知っている顔だった。

「そなたら…!」

 隆広は木簡に記された名前を知っていたが、訪ねて来た二名の名と一致していない。

「そういうことだったのか…」

「はい、試すようなマネをした事をお詫び申し上げます」

「いえいえ、さあ、こちらに」

 隆広は上座を指した。

「いえ、そちらには座れません」

「しかし、皆さんそれがしより年長で…」

「確かにそうですが、我らからすれば水沢様は主筋でございますので」

 二人の男は隆広に上座に座るよう促した。

「そうですか…。では」

 隆広の前に二人の若者が座った。

「手前、高崎太郎のせがれ、高崎次郎」

「同じく星野大介のせがれ、星野鉄介」

「改めて、それがしは水沢隆広と申します。ご貴殿たちは父の水沢隆家に仕えし高崎、星野の子弟でございますね?」

「その通りです」

「幼き日、お二人のお父上には可愛がってもらいました。お父上たちは?」

「達者です。我らの父たちすべて武士を捨てて帰農しましたが、武士の誇りは忘れず、百姓としてではなく武士の養育をされました」

 と、高崎次郎。

「失礼ながら、もはやお察しのとおり柴田家にお仕えしてからの水沢様を我らは父たちの命令によりずっと観察していました。大聖寺城と伊丹の戦も兵に紛れ込んだり、水沢様の内政主命の人足として働いておりました」

 同じく、星野鉄介。彼ら二人はずっと隆広の軍務と政務の働き手として参加していた。名前は違う名であったが、隆広はいつも人足として参加してくれている彼らを知っていたのである。だからすでに隆広の部下たちにも顔が知れていた。

「そして、我らの報告を聞いて父たちは『我らはお前たちを、いずれどこかの大名への仕官の道が開けばと農民なのにずっと武士の養育を施した。稲葉山落城の数年前、殿が引き取りし赤子の竜之介様。立派に成長され武将として世に出るとはまさに天佑。お前たちは若殿に仕えるのだ。もはや我らは老骨で若殿のお役に立てない。お前たちの報告を聞き、若殿は隆家様に匹敵する将器を持つと見た。もはや旧水沢家臣団は兵に至るまで老い、その子らもほとんど農民として生きている。隆家様に仕えし我ら旧家臣たちが若殿へお贈りできるのは、もうそなたたちしかおらぬ。血は隆家様に繋がっていなくても、才気と器量を受け継いでいる。それで十分じゃ。若殿にお仕えせよ』と、述べました」

 と、続けて隆広に述べる星野鉄介。彼らの父、高崎太郎、星野大介は今日では隆家両腕と言われているほどの将で、隆家はこの二将と藤林忍軍を縦横に使いこなし、名将と呼ばれるまでの活躍をしたのである。

 そして水沢の名が隆家から隆広に世代交代したと同じく隆家両腕も世代交代した。幼い頃から貧しくとも父の背中を見て、かつ厳しく育てられたのだろう。隆広は二人の面構えが人足として使っていた時とまるで違う事に気づいていた。召抱えたい、養父隆家が鍛え上げた家臣たちの子、同じく鍛え上げられているのだろう。雄々しい面構えだった。どれだけ頼りになるか。だが

「すまない…。今のオレにはそなたたちを召抱えられるほど裕福じゃない」

 申し訳なさそうに断る隆広。奥村助右衛門、前田慶次、石田佐吉の禄は隆広の禄から支給されている。北ノ庄城に常駐している兵たちの禄は当主である柴田勝家が全般に出すが、組頭ほどの将を召抱える場合、その直接の主人から禄を出すのである。

 勝家自身が寄騎として助右衛門、慶次、佐吉を隆広につけたなら、その禄も勝家から出る。しかし彼らは隆広の寄騎ではなく隆広自身が召抱えた直属の家臣である。禄の範囲で優秀な家臣を召抱えるのは当然のことである。しかし隆広はこの三人を召抱えるだけで精一杯の収入しか得ていない。これ以上の家臣は雇いたくても雇えないのである。

「心配要りません。足軽ならば当主の勝家様から禄が出ます」

「父を支えし高崎と星野の子弟を足軽から登用なんて!」

「お気持ちは嬉しいですが、それでは矩三郎や紀二郎たちが得心いたしますまい。いかに父たちの縁があろうと、我らは最初から下っ端から始めるつもりでした。心配無用、自力で将の椅子を勝ち取る所存。そのころには隆広様も我らの禄を出せるほどの大将になられているはず。いや、ならせてみせます」

「次郎殿…」

 二人は改めて隆広に平伏した。

「我ら、父の命令だから隆広様に仕えたいワケではございません。伊丹城にて信長公に毅然と意見を言い、捕虜たちの命を救った貴方に感服したのです。是非、召抱えていただきたい!」

 お茶を持ってきたさえは、入るには入れない雰囲気だったので障子の向こうで盆を持ったまま座っていた。『信長に意見する』のは当時の織田家では自殺行為に等しい事。それを夫がやったのかとさえはこの時初めて知ったのである。

(では、あの体中にあった傷跡は大殿様に打たれて…)

 夫の勇気に惚れ直すさえ。

「…下っ端から始めると申された以上、父の家臣の子弟とはいえ遠慮はいたしません。それでも良いのですか?」

「「無論!」」

 隆広は立ち上がり、二人と手を握り合った。

「再びこの世に、水沢の名を知らしめようぞ! オレと共に生きてくれ!」

「「承知仕った!」」

 こうして、養父隆家がもっとも頼りにした二将が、世代を越えて隆家の養子の隆広に仕える事になった。隆広十六歳、高崎次郎二十二歳、星野鉄介二十歳の時であった。

 隆広は後に、彼らの父たちも相談役として召抱えた。隆広が部下には言えない弱音やグチも彼らは聞き、よき話し相手となったと云う。まさに養父の隆家が残した忠義の人材と人物たち、それは宝物と言えた。先代の重用した家臣を遠ざける狭量な新当主多い中、隆広は変わらず召抱えて重用したのだった。

 

 翌日、改めて伊丹攻めの論功行賞が行われた。随員していた勝家の戦目付けたちの報告により、各々の軍功が柴田勝家から言い渡された。

 手柄は部下に与えるものと父に教わった隆広は自分の功を軍忠帳に記載させずにいたが、どの戦目付けも隆広の采配を褒めちぎっていた。まず隊別の軍功だが一番手柄は前田利家隊、二番は佐久間盛政隊と金森長近隊と二人。三番は佐々成政隊、四番は可児才蔵隊、五番は不破光治隊となった。

 また個人的な手柄では水攻めの前哨戦ともいえた野戦、武庫川の合戦で荒木家の猛将の柴形勘左衛門、熊倉六平次を討ち取った前田慶次が一番であり、隆広からの禄とは別に勝家から加増された。部下の手柄に禄高で報えない隆広への粋な計らいと言えるだろう。

 総合的な勝利を収めた要因は水沢隆広の考案した水攻めにある。柴田勝家はこの日に隆広を足軽大将から、侍大将に士分を上げた。上限三千を率いることができる部隊長である。無論、今回の伊丹攻めのように場合によっては万の軍団長になることも許される立場で、隆広は陪臣といえ織田家最年少の部隊長とも言えた。それに伴い、隆広の部下たちも勲功が加算され佐吉は足軽から足軽組頭に昇進した。勝家が任命状を渡す。

「石田佐吉よ、本日より足軽組頭に任命する。いっそう励め!」

「ハハッ!」

「水沢隆広よ、本日より侍大将に任命する。いっそう励め!」

「ハッ!」

 仕官わずか一年足らずで侍大将、これは羽柴秀吉の出世の早さより上である。

 ここまで来ると佐久間盛政、柴田勝豊、佐々成政は相変わらずだが、嫉妬の念よりも隆広を認める気風の方が柴田家中に強まってきた。実際に隆広は勲功を立てて、今の士分に成りあがった。その場を勝家から優先的に与えられた感もないが、隆広はすべてそれに勝家が望む以上の成果を上げているのである。もはや柴田家の若き柱石ともなった。加えて柴田勝家がゆくゆく養子にする事も考えているとも言ったことから、取り入ったほうが得策とも考えたのだろう。また信長に毅然として意見を言ったのも効いていたのかもしれない。

 しかしながら侍大将任命の時に隆広は三つの視線を感じていた。佐久間盛政、佐々成政、柴田勝豊は苦々しそうに隆広の背中を睨んでいた。

(どうして…以前ならいざ知らず、今まで二度も同じ陣で戦場を駆けたのに…。味方うちでいがみ合っている場合ではないはずなのに…。なぜオレをそんなに憎々しく睨むのだろう…。いやグチるな、オレに何か悪いところがあるのだ。それが何なのか早く気づけ隆広)

「隆広」

「は、はい!」

「侍大将ともなれば部隊長だ。柴田の軍団長と言っていい。お前の正規兵三百と、伊丹城でお前が召抱えた負傷兵が五百であったな。合わせて八百では軍団として心もとない。先月に行った兵農分離で新兵が千人おるから、それをくれてやる。それでも合わせて千八百。まあ最初はそんなものでいいだろう。明後日に軍団結成を錬兵場で行うがいい。わしも参列しよう」

「殿が! あ、ありがとうございます!」

「あと、こいつもくれてやる。辰五郎!」

「ハッ!」

「た、辰五郎殿…?」

 隆広の城普請、新田開発、舟橋建設において、その右腕として働いた北ノ庄職人衆の辰五郎が評定の間にやってきた。隆広の後ろに座り、勝家に頭を垂れた。

「隆広、こやつを存じておるな?」

「も、もちろんです!」

「正式にこやつと、その部下の職人衆を召抱えた。いや正確に言うのならば辰五郎が願い出てきたと言うほうが正しいな。工兵としてお前の下で働きたいそうだ」

「工兵!」

「そうだ、隆広よ、工兵を用いる局面を言ってみよ」

「は、内政主命においては城普請、町づくりにおいての道路拡張、架橋、掘割、背割下水(建物の立地に沿った下水配備)などがあげられます。戦場においては陣場の構築。地形図の作成、物資の運搬、また城攻めにおいては、土龍攻め(地面に穴を掘って突き進み城門を越える事。武田氏が使った)なども可能かと」

「ふむ…」

「ですが、あくまで支援を主にした部隊。戦場の兵士として用いる事はいたしません」

「なるほど、どうじゃ辰五郎」

「はい、今上げた技術、すべて我ら持っております。隆広様の元でぜひ振るわせていただきとうございます」

「辰五郎殿!」

「辰五郎とお呼びください」

「あ、ありがとう! 頼りにします!」

 隆広は辰五郎の両手をギュッと握った。

「使いこなせよ隆広、辰五郎一党はわし本隊の工兵よりウデが立つ。粗略にすればバチが当たるぞ」

「はい!」

「ふむ、これで本日の評定を終える。隆広よ、お前にはもう少し話がある。軍勢結成の議の準備は部下に任せ、わしの私室にこい」

「は!」

 

 柴田勝豊、佐久間盛政、佐々成政は不機嫌な顔を浮かべながら城を出た。

「分からぬ…。どうして義父上はあそこまで隆広を寵愛する…。新兵千人を与えたばかりか、北ノ庄一の職人集団までくれてやるなんて…」

 と、柴田勝豊。

「きっとあの女子のような顔で勝家様に甘えたのではないか」

 オレと同じ事を言っている。佐久間盛政は佐々成政の言葉に苦笑した。

「それはない。伯父上の愛妻家ぶりは知っているだろう。衆道家とは考えられんな。また隆広にもそんな趣味もない。あいつの愛妻家ぶりも有名であるし、何より主君に抱かれた色小姓が持つ、あの媚びたような独特の忠節ぶりもあいつには見えない。悔しいが伊丹城攻めを見るにあいつの将才は本物と見るしかない。実力で重用を勝ち取ったのだ」

「しかし盛政…あそこまでエコ贔屓がひどければ、家中に不和も」

「勝豊殿、それは今の我らと隆広の事か?」

「それは…」

「オレは…あいつの才は認めている。だが…」

「だが?」

「ツラを見ると腹が立ってくる。反りが合わぬとはこういう事かもしれぬ。いやむしろ…オレは隆広を恐れているのかもしれぬ」

「まさか、鬼玄蕃と呼ばれる盛政が?」

 柴田勝豊は一笑にふしたが、盛政の眼は笑っていなかった。

「正直申して、オレが出撃をけしかけた時、荒木勢の伏兵を見抜いていたヤツの眼力にはゾッとした。そして偃月の陣の用兵…。あの電撃的な水攻め…」

 その場にいなかった柴田勝豊には理解できないことであったが、佐々成政もその気持ちは同じだった。不覚にも『こんな息子がオレにおったら』と思うほどだった。だがそれを認めたら、今まで自分が築き上げてきた戦歴や武将としての誇りが崩れるような気がしてクチには出せなかった。最後に佐久間盛政はこう結んだ。

「『乱暴者ほど知恵者を恐れる』…か。よく言ったものよ」

 この『恐れ』が、後に隆広と盛政の深き溝となり、一つの悲劇に繋がったのかもしれない。

 

 隆広は評定の間から、そのまま勝家の私室に行った。

「殿、隆広まいりました」

「入れ」

「はっ!」

 障子を開けると、勝家と、その傍らに市がいた。

「よう来た、聞きたいことがある。いや、それ以前にその方ワシに一つ隠している事があるだろう」

「ございます」

「正直ですね」

 市は苦笑した。勝家も肩のチカラが抜けた。

「まったくだ。とぼけた場合には怒鳴ってやろうと用意していた言葉がムダになってしまったわ」

「気持ちの整理がついたら報告するつもりでしたので…改めて報告させてもらいます」

「ふむ」

「それがし、大殿の命に背いたあげく、あろうことか意見を申し立てました」

「ふむ…なんて言った?」

「はい、包み隠さず申し上げます」

 隆広は信長に言った言葉を一言一句正確に勝家に話した。

 

「そんなことを言ったのか…」

「はい」

「で、兄はなんと?」

 市が訊ねた。

「『興がそがれた。伊丹城はお前の落とした城。好きなようにするがいい』と」

「ふむ…」

「申し訳ございませぬ。大殿に逆らえば殿に累が及ぶと前田様、可児様にさんざん釘を刺されたにも関わらず…捕虜を殺す事がどうしてもできなくて…それで無我夢中に大殿へ意見を…。どのようなお叱りも覚悟しています」

「分かった。あとでワシから大殿に謝罪を入れておく」

「え?」

「お前は間違った事は言っていない。間違った事さえ言っていないのなら、ワシがどのようにも尻拭いしてやる。それが主君の務めだ。気にするな」

「殿…!」

「隆広よ」

「はい」

「だが、その後に大殿が荒木の支城を落としたとき、荒木殿の一族と将兵を虐殺したのは知っているな?」

「はい」

「それをどう思った?」

 隆広はその時に思ったことを正直に話した。

「満座の前で打ち据えられ、命さえ賭けて申し上げた意見がまったく受け入れて下さらなかった事を知り…正直悔しさで一杯でした」

「ふむ…」

「明智様が止めるのも振り切り、播磨の織田本陣に行こうとしたとき、療養中の黒田官兵衛殿に叱られました」

「官兵衛に叱られたと?」

「はい、官兵衛殿は私にこう叱りました」

 官兵衛の言葉も隆広は一言一句正確に勝家に伝えた。

「なるほど…」

「未熟ゆえ、すべて理解できたわけではございませぬ。ですが、官兵衛殿の言葉はそれがしの思いあがりを砕いてくれました。殿や明智様、羽柴様のような武将が忠誠を誓う武将が暴虐の君主であるわけがない。まだ大殿の深い考えを理解できない自分が未熟なのだと…そう気付いたのは今日の朝でした」

「隆広、官兵衛の言った『織田家危急存亡の時にけしからぬ』と言い、木陰で昼寝をしている年寄りを斬ろうとした部下はな…。ワシの事だ」

「…え!?」

「ゆえに驚いた。大殿がその時に言った理想の国の姿をな。『年寄りが木陰でのんびり昼寝できるような平和な国』と…いきり立つワシに笑って言いよった。それを聞いてワシはますます大殿への忠義を強めていったものだ」

「殿…」

「ふふふ、伊丹城を落としたことより、ワシには隆広が大殿に毅然と意見を言ったと云う方が嬉しい。そして黒田官兵衛の叱責を教訓として、織田の武将として一皮むけたところがな。此度の出兵、隆広には学ぶところ多かったようだな」

「は、はい!」

「ん、それでいい。大殿への謝罪は任せておくがいい。思いのほか時間を取らせたな、さあ、さえに侍大将に出世したと早く教えてやるがいい!」

「はっ!」



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ルイス・フロイス

 勝家と市との面談も終え、隆広は侍大将になれたことを早くさえに知らせたくて城下町を駆けていた。その時、一つの出会いがあった。

「もしもし、アナタは柴田家の方ですか?」

「は…?」

 急いでいるのに、と振り返ればそれは前田慶次と同じくらいの背丈の異人だった。見れば同じような異人をあと一人連れている。異人などいない北ノ庄ではずいぶん目立っていた。町行く人が振り返る。隆広もその異人を見上げた。

「お、あ…」

「オオ、そのオナゴのごとき美しい顔。そなたはタカヒロ・ミズサワにござるか? オオトノに聞いております」

「あ、あの…」

「申し遅れました。ワタシはルイス・フロイスと申します」

「あ、あなたが大殿のキリシタン宣教師ルイス・フロイス殿にございますか!?」

「ギョイにござる。このキタノショウの布教をオオトノから許されて参りました」

「は、はあ…」

(そりゃ難しいな、殿はあまり異人を好まれない…)

 

「タカヒロ、カツイエ殿に会わせてクダサイ」

(いきなり呼び捨てか、まあこれが彼ら異人の文化なのだろうな。しかし…)

 コホンと一つ咳払いをして隆広は言った。

「えー、いきなり来られても殿に合わせられませぬ」

「オオ、まさかタカヒロはワイロをよこせと言うのでござるか?」

「違う違う! この国ではその領内の一番偉い人に会うには色々と段階があってですね!」

「段階とは?」

「と、とにかく立ち話もなんですから我が家に」

「オー! 宿代助かりました! オブリガード!(ありがとう!)」

「お、おんぶにだっこ?」

 

 思わぬ成り行きから隆広は異人二人を自宅に連れ帰った。次に驚いたのはさえである。ポカンとして異人を見た。いつも帰宅と同時に隆広と抱き合うのに、今日はそのゆとりもない。隆広も侍大将になったと教えるのを忘れた。

「な、なにお前さま、このヒトたちわ!」

「いや、北ノ庄にキリシタンの教えを布教に来た大殿の宣教師の方たちだ。なんか成り行きでな…。泊める事にした」

「オオ! これがタカヒロのオクガタにござるか。まるでビーナスのごとき美しさ!」

「び、瓶茄子?」

「ハヒ、ギリシャ神話に出てくるの美の女神にござるヨ!」

「び、美の女神? 私が…?」

「ハヒ!」

「お前さま、この人たち良い人よ! 間違いない!」

「うんうん! よく分かっているよ! さえは世界で一番美しいとさ!」

(さえ…。お前単純だな…)

 宣教師二人は隆広の屋敷へと入っていった。

 

「初めましてオクガタ、私はルイス・フロイスと申します。ポルトガルのリスボンに生まれました。イエズス会員でカトリック教会の司祭、宣教師をしております」

 フロイスは十六歳でイエズス会に入会し、同年、当時のインド経営の中心地であったゴアへ赴き、そこで養成を受ける。同地において日本宣教へ向かう直前のフランシスコ・ザビエルと日本人協力者ヤジロウに出会い、このことがその後の彼の人生を運命づけることになる。

 三十一才で横瀬浦に上陸して念願だった日本での布教活動を開始した。日本語を学んだ後に平戸から京に向かい、京の都入りを果たしたものの保護者と頼んだ将軍足利義輝と幕府権力の脆弱性に失望してしまった。だがフロイスは三好党らによる戦乱などで困難を窮めながらも京においての布教責任者として奮闘する。

 その四年後に入京した新たな覇者織田信長と二条城の建築現場で初めて対面。既存の仏教界のあり方に信長が辟易していたこともあり、フロイスはその信任を獲得して畿内での布教を許可され、多くの信徒を得たのだった。

 

 その後は九州において活躍していたが、後の巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャーノの来日に際しては通訳として視察に同行し、安土城で信長に拝謁している。それからほどなくして、時のイエズス会総長の命令として、日本におけるイエズス会さらなる布教と活動の記録を残すことに専念するよう命じられる。以後、彼はこの事業に精魂を傾け、その傍ら全国をめぐって見聞を広めた。そうして訪れたのが越前北ノ庄と云うわけである。そしてもう一人、

「私はアレッサンドロ・ヴァリニャーノと申す。イエズス会員でカトリック教会の巡察師にございます」

 彼は日本の布教を視察すべく来日した。日本人に対する偏見が強かった布教長フランシスコ・カブラル神父が日本人司祭と修道士の育成を禁止し、まったく行っていないことに驚き、すぐさまこれを改善するよう命令した。ヴァリニャーノにとって日本人の司祭と修道士を育成する事が日本布教の成功の鍵を握ると見ていたのである。

 こうして作られた教育機関がセミナリヨ(初等教育)とコレジオ(高等教育)、およびノビチアート(イエズス会員養成)であった。

 セミナリヨを設置するため、場所選びが始まった。京に建てることも考えたが京では仏教僧などの反対者も多く安全性が危ぶまれた。そこで織田信長に願い、新都市安土に土地を願った。すぐさま城の隣の良い土地が与えられ、信長のお墨付きを得たことで、安全も保障された。こうして完成したのが安土のセミナリヨであった。

 普段はセミナリヨにいる彼であるが、今回はフロイスの布教活動に手を貸すべく、この北ノ庄にやってきた。そして今、水沢隆広と会い、家に入れてもらった。フロも入らせてもらい、すこぶる上機嫌である。

 

「何のもてなしも出来ないですが…」

 さえは二名に膳を出した。

「オオ、美味しそうにござる。いただきます!」

 二人は食事の前に神に祈り、そして箸をつけた。意外に二人とも箸の使い方が堂に入っている。

 最初は戸惑った隆広であるが、異国の文化を知るまたとない機会、フロイスとヴァリニャーノは日本語も流暢に話す。これは色々と聞くべきだと思い、酒を勧めた。

「コホン、ポルトガルって日本から遠いのですか?」

 するとフロイスは懐から羊皮紙を出した。

「ポルトガルは西ヨーロッパのイベリア半島に位置する国でして、ここにあります。そしてここがニホン」

「へえ、遠いのです…え!?」

「ここ日本」

 それは世界地図の東の果て、大陸の横にある小さい島だった。フロイスの人差し指の先端だけで日本の半分が隠れてしまった。

「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっとこれが日本なのですか?」

 さえも地図を見て驚いた。

「これが?」 

「はい、大航海時代を経て、世界の船乗りや地理学者たちが作成した世界地図、間違いござらぬ」

「こ、このイモのヘタみたいのが日本…。越前は…」

「エチゼンはここ、はは、針でもないと指せません」

「驚いたな…。信じられない」

「さえも…。日本が世界から見てこんなに小さい国だったなんて…」

「ではフロイス殿はこの大陸を横断して日本へ…?」

「ハハハ、船ですよ」

「これほど距離を船で? 海の上で迷子にならないのですか?」

「羅針盤、というのがございまする。それで迷わず到着できるのです」

「ラシンバン?」

「今は手元にないのですが、こんな感じのものです」

 フロイスは絵に描いてくれた。

「磁石の作用を用いて方位を知るための道具でござる。軽く作った磁石を針の上に乗せ、自由に回転できるようにしたもので、これにより地磁気に反応して、N極が北(磁北)を、S極が南(磁南)を向くと云うスンポーです」

「…?…?…?」

「ははは、実物があればもっと分かりやすく説明できるのでござるが」

「ねえフロイスさん」

「なんですかオクガタ」

「この地図の果て、この海の向こうに行くとどうなるのですか? 崖みたいに落っこちてしまうのですか?」

「オオ、そのキョトンとした顔がまたビーナスでござるな。説明しましょう。こうなっているのです」

 フロイスは地図の両端を持ち、くっつけて筒状にした。

「…え?」

「この世界は丸いでござるヨ」

「……???」

「世界は海で繋がっているでござるヨ」

「ま、丸い?」

「今度海をよーく見てゴロウジロ、船がだんだん水平線から消えていくでござろ? あれは世界の丸さで見えなくなるでござるヨ」

 隣でヴァリニャーノが苦笑した。こんな饒舌になるフロイスも珍しいと。そして

「ははは、突然のそんな事を聞かされて驚いたでございましょう。しかし今の話はあまり外で言わないほうがヨイ。まだ日本人は受け入れられぬでゴザル。いらぬ風評をまいたと罰せられるのがオチでゴザル」

 と、隆広夫妻に釘を刺した。フロイスも添えた。

「ちなみに、この世界が丸いと最初に理解した日本人はオオトノでした」

「大殿が!」

「イカニモ、長崎に上陸して以来、色んな日本人に会いましたがオオトノほど革新的な視点を持つ王はいませんでした。スゴイ方です。ですが…」

「ですが…?」

「ヴァリニャーノの申したとおり、今日私に聞いた事はあまり言わない方が良いでしょうナ。タカヒロとオクガタはとても聡明な人に見えたのでついついしゃべってしまいましたがネ。今、タカヒロが成すべきはオオトノにこの国を統一させるためがんばる事にござるヨ」

「は、はい!」

「してタカヒロ」

「はい」

「カツイエ・シバタに明日合わせてくれますか?」

「分かりました、私が段取りしておきまする」

「オブリガード!」

 この日、隆広とさえ、フロイスとヴァリニャーノは語り合った。日本がこんなに小さいのであれば、異国に宣教師を派遣してくるほどのポルトガルはさぞや広いと思えば、地図上ではほとんど日本と面積は変わらない。しかも人口は日本の十分の一ほどだと云う。

 転じて日本はこの島国で、同じ日本人同士でわずかな領地を取り合って殺し合いをしている。この差は何だろうと感じた隆広とさえだった。

「今までの歴史を経てきた結果としか言いようがござらんヨ、それは日本とポルトガルも変わらないネ」

「今までの歴史を経てきた結果…ですか」

「同じ歴史を歩む国などござらんタカヒロ。この日本酒も我らと違う歴史があればこそ出来た美酒ではナイカ」

 グイッと旨酒を飲み干すヴァリニャーノ。

「だからこの世は面白いのゴザロ? タカヒロ」

「では…もしかしたらこの日本から合戦がなくなり、貴殿たちポルトガル国と平和に交易が出来る日も来ることも…!」

 フロイスとヴァリニャーノは一瞬驚いたが、すぐにニコリと笑った。

「そうねタカヒロ、お互いの国の歴史書に日本とポルトガルの名を書ける日がいつか来るとフロイスも信じるヨ!」

(この若いの…オオトノと同じ事を言ってきたヨ)

 

 翌日、隆広は柴田勝家に取り成しをして、宣教師二人を勝家に合わせた。だが結果は…

「タカヒロ、すまないね。ダメだったヨ」

 勝家は領内での布教を認めなかった。ほとんど取り付くシマもなかったらしい。フロイスとヴァリニャーノは肩を落として北ノ庄城から出てきた。

「やはり…申し訳ございません、チカラになれなくて」

「何の、布教活動には付きものにござるヨ。次に行きます。しかしカツイエはいいサムライです。我らで言う『騎士道』がある」

「『騎士道』?」

「そなたらの云う『武士道』のようなものでござるヨ。カツイエは根っからの武人、全身から雰囲気を感じたでござるヨ」

 そこまで主君を褒められると隆広も嬉しい。

「お、おぶりがあど!」

 フロイスとヴァリニャーノはたどたどしいポルトガル語で礼を述べた隆広の言葉に驚き、そして微笑んだ。

「タカヒロ、昨日の寝床と食事の礼にござる、これを」

 フロイスは一つの帳面を出した。

「…?」

「これは私が日本に来てからの書き始めた日記。日本語で書いたので読めるはずにござるヨ」

「かような貴重な帳面を!」

「いやいや、心配無用。原本の日記は母国語で書いて持っていますので」

「はあ…」

「これは友情の証でござるヨ」

「ならばそれがしは…」

 隆広は父からもらった刀『日光一文字』をフロイスに渡した。

「良いのでござるか? 大事なカタナなのでしょう?」

「はい、それがしからフロイス殿への友情の証にございます」

「オブリガード、タカヒロ!」

「おぶりがあど、フロイス殿!」

 こうして、フロイスとヴァリニャーノは北ノ庄から立ち去った。わずか一日であった隆広とフロイスの出会いであったが、隆広がフロイスたちから得られた知識は計り知れないものだった。『世界は大きい、日本は小さい』『世界は丸い』、今までの観点が根底から覆されるようなことばかりだった。しかし

(やはり、早く大殿に天下を取っていただかなくてはならない。大殿ならば、この小さい国から戦をなくして…かつ交易をもって大きくしてくれる…。そんな気がする! よおしオレもフロイス殿のようにがんばるぞ!)

 明日は水沢隆広軍結成の儀、奥村助右衛門や石田佐吉がその準備に当たっている。そろそろ自分も行かなければ家臣に叱られてしまう。隆広は錬兵場に駆けた。

 

 ルイス・フロイスは著書の『日本史』で水沢隆広をこう評している。

『織田信長が旧時代を壊す王ならば、水沢隆広は新時代を作る王となりうる人物である』

 隆広がフロイスに渡した“友情の証”の『日光一文字』は現在ポルトガルの国宝となっていて、後のポルトガルと日本の親善と国交の盟約の儀において、このフロイスと隆広の出会いが時のポルトガル首相と日本首相との会話にも出たと云う。



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旗印【歩】

水沢軍の旗印【歩】は言わずもがな、北島三郎さんの歌『歩』を基にしています。好きなんですよねぇ『相手が王将だろうと一歩も引かぬ』と云うところが。


 翌日、北ノ庄城の錬兵場。よく晴れた日であった。錬兵場には隆広が最初に登用した三百の兵。伊丹城で隆広の計らいに心を動かされた五百の兵、養父隆家の旧家臣の子弟八十人。そして勝家が最近に行った兵農分離にて徴兵した新兵の一千。辰五郎の工兵隊の四十名。合わせておよそ千九百名。これが隆広が柴田家の侍大将となり、最初に得た兵である。

 千九百の兵は整然と並び、主人の声を待っていた。新兵の千名も隆広の名前は十分に知っていた。若いがかなりの器量を持った武将と聞いている。貧しい農民の三男や四男たちは勝家の兵農分離の公募に応募したが、できれば水沢隆広の元で働きたいとみなが考えていた。そしてそれは見事に叶ったのである。

 結成の鼓舞をするために隆広が乗る中央の台座の左右には奥村助右衛門と前田慶次が控えていた。

 柴田勝家と妻の市も、結成の儀を見届けるため、床机に座り隆広が現れるのを待っていた。前田利家、可児才蔵、金森長近、不破光治も招かれており、同じく床机に座って待っていた。佐久間盛政、佐々成政、柴田勝豊も招いたか、やはり欠席されてしまった。

 しかし柴田家中でその力量を認められた隆広軍団の結成の儀である。勝家の家臣団である毛受勝照、徳山則秀、中村文荷斎、拝郷家嘉などそうそうたる武将たちも出席した。

「そろそろかな…」

 勝家が隆広のいるであろう陣幕の向こうをチラリと見たと同時だった。

 

 バサリ

 

 隆広が陣幕を払い、そして前田慶次と奥村助右衛門の間にある台座に向かった。いつも結っている髪も下ろし、垂らした長髪の先を白帯でまとめてある。

 着ている鎧は初陣の時に勝家がくれたもので少し古いがさえの繕いで新品同様とまではいかないが、隆広の気品に劣るものではない。

 陣羽織はさえとの祝言の日に勝家がくれたもの。勝家同様に赤い陣羽織で、黒一色の鎧にそれが見事に映えた。

 携える脇差は森可成がくれた関の刀工の一品、大刀は父の隆家が元服の時にくれた二振りのうちの一振り『福岡一文字』。

 小野田幸之助が整然と太刀持ちとしてそれを持ち、水沢家家紋の旗『梅の花』を高崎次郎が掲げ、昇竜の前立ての武者兜を松山矩三郎が恭しく両手で持ち同じく歩む。

「ああ…なんと凛々しい若武者ぶり…」

 市は嬉しそうにつぶやいた。

 

 そして最後を歩く石田佐吉。彼も旗を持っていた。白地に隆広の手で書かれた、それは大きな文字であった。一つだけの文字。それゆえ見た瞬間にそれは分かる。それは『歩』と書かれていたのである。誇らしげにそれを持つ佐吉。これが水沢隆広の軍旗『歩の一文字』である。その旗を見て勝家はニッと笑った。

「あやつ…! やはり『歩』を受け継ぐか!」

「あれが有名な『歩の一文字』なのですね?」

「そうとも市! 我ら織田勢は斉藤陣にあの旗が立っていると震え上がったものだ」

「懐かしいですな利家様、『歩の一文字』…。それがしも美濃斉藤家の出ゆえ、味方としてあの旗を眺めていたものですが、どんなに頼もしい旗に見えたか…。そして隆広と歳が同じころに見た隆家様にどんなに憧れたものか…」

「ああ才蔵、逆に我ら織田の者にとっては戦場で一番見たくなかった旗だ…。まさかあの旗が柴田陣に掲げられる日がくるとはな…」

 実はさえもこの軍団結成の儀に来ていた。錬兵場の隅っこでチョコンと立ち、木陰から見ていたのである。

「お前さま…最初が肝心なんだから…! しっかり!」

 

 隆広は台座の上に立った。

「うん、みんないい顔だ。大将として嬉しく思う。改めて名乗る、オレの名前は水沢隆広、十六になったばかりだ。大将なのに、たぶんこの中で一番の年下だろうな。一部にはこんな子供と思うものもいるだろう。だがしばらくはガマンして仕えてくれ。もうじき大人にもなるだろうから」

 少しの冗談が入った言葉ではあるが、兵士は誰一人笑わない。隆広の眼が笑ってはいないからである。

「まず、これを言っておく。みながオレの兵になる経緯に五通りある。オレが寄騎として戦場に出るために殿からいただいた三百名、先日の伊丹城の戦いで、落城後にオレに仕えると申し出てくれた五百名、養父隆家の旧家臣の子弟たち、殿の兵農分離で新たに北ノ庄に兵士として迎えられた新兵の千名。そして旧知の縁からオレにチカラ添えしてくれることになった工兵四十名。

 以上であるが、よいか、オレは閥を絶対に許さない! 千九百名といっても、大いくさでは小勢の方に入る。しかしこの兵力で最大限のチカラを発揮しなくてはならない! そのためにはまず皆の融和が不可欠なのだ。槍ぶすまで分かるであろう。あれは槍隊が穂先を揃えて一斉に突撃するからこそ人数以上の絶大な攻撃力を生む。閥ができて、味方すら信じられなくなったらその軍勢は終わりだ。閥を作らぬのは、つまりそなたたちのためでもある。戦に勝って、恋しい娘と再び会いたければ、まず隣の者と仲良くするのだ! よいな!」

「「ハハッ!!」」

「そして戦場において、オレの両脇にいる奥村助右衛門と前田慶次の言葉はオレの言葉と同じである。そして内政主命のおりは、旗を持つ石田佐吉と工兵隊長辰五郎の言葉も、オレの言葉と同じである。さよう心得よ!」

「「「ハハッ!」」」

「我らの旗印を見るがいい。見ての通り白地に『歩』。言うまでもなく将棋の駒の『歩』と云う意味である。オレが亡き養父の水沢隆家から水沢の名と共に受け継いだ。父はこう教えてくれた。『歩の気持ちを忘れてはならぬ、人間はチカラを持つと歩の時の気持ちを失う。絶対に歩の心を忘れてはならぬ。ワシは常にそれを戒めるために旗を歩とした』と。

 聞いたのはこれだけだが、オレはさらに二つの意味を加える。集団合戦において、諸兄ら兵士は『歩』である。だが歩のない将棋は必ず負ける。だからオレは諸兄らを大切にする。粗略に使われたと思ったなら、いつでも今持っているヤリをオレに向けよ。士を遇さぬ将には似合いの最期である。つまり将にとり『一番大切にせねばならぬのは戦場の最前線で汗をかき、必死になっている【歩】』、これを自分に常に戒めるための意味だ。そしてもう一つ! これが大事だ、耳の穴かっぽじてよう聞け!」

 勝家さえ、隆広の名調子に引き込まれてしまう。齢十六歳とは思えない口上に隆広の兵士たちもゴクリとツバを飲んだ。

「二つ目の意味は、大将のオレ! 将たち! そして諸兄兵士らが頭に叩き込まねばならぬ意味だ。歩は一歩一歩、前だけに前進する、つまり!『相手が王将だろうと一歩も引かぬ!』さよう心得よ!」

「「「オオオオオオ――ッッ!!」」」

 兵士たちは刀、槍を高々と掲げ、大将隆広の鼓舞に応えた。中には感涙している者さえいた名調子であった。『歩のない将棋は必ず負ける』『相手が王将だろうと一歩も引かぬ』と云う隆広の言葉は自軍の旗である『歩の一文字』を誇りに思わせるに十分な言葉であった。

 特に水沢隆家の旧家臣子弟の面々は幼い頃から父に教えられていた『歩の一文字』の旗の心。もう戦場で見られることはないと思っていた父たちの誇りの旗。涙に歩の文字が揺らぐ。

 隆広の養父、水沢隆家の旧家臣たちの子弟は、高崎次郎や星野鉄介の他にも、その後に仕官者が続出した。隆家両腕と云われた二将の子が再び水沢家に仕える事になったと伝え聞き、帰農していた他の隆家家臣団も『我が息子も若殿に』と思い、隆広の兵となった。

 養父の家臣たちの子とて特別扱いはない。総数八十名集まった隆家家臣団の子弟たちはすべて下っ端からの出発である。だがそれは望むところ。ここからあの若き大将を盛り立て成り上がればいいのだと覇気に溢れていた。そしてその誇りと云うべき軍旗『歩の一文字』はより彼らを感奮させた。

 水沢家滅んでも、彼らの父たちは主君の歩の心を愛し、尊敬していた。そして今からそれは自分たちの誇りの旗となった。

「あの旗の元で生きよう!」

 誰からか、彼らの中で旗を見つめてそう言った。

「「おおッ!」」

 みな同じ気持ちだった。

 

 伊丹城の敗残兵の若者たち。心無い者たちから卑怯者村重の兵と笑われた事もある。だが彼らは確信していた。あの大将についていけば間違いないと。

 単に自分たちの命を救ってくれたからではない。偃月の陣の用兵、水攻めと云う電撃的な戦法、彼らは初陣さえ済ませていなかったので出陣が許されず、隆広と直接に対決はしていない。だが敵として対したのは変わらない。水沢隆広がどれだけ恐ろしい男であるかを彼らは知っていた。

 もう荒木の殿のような部下を平気で見捨てる大将はこりごり。我が身省みず、自分たちの命乞いをしてくれたあの方こそ我らの主。命を助けられたのを働いてお返ししようと誰もが思っていた。

 伊丹城の敗残兵たちは隆広のためなら命も要らぬと云う軍団に変わっていたのだ。我らを敗残兵と笑うなら笑え、だが今に見ていろと彼らもまた覇気に溢れていた。

 彼らが主君水沢隆広と共に軍神上杉謙信に挑むのは、これより一年後である。『勇将の下に弱卒なし』、これが戦国後期最強の軍団と言われる事になる水沢隆広軍の強さであった。

 

「ではさっそく訓練に入る! 戦は各々が勝手に武器を振り回し、馬を走らせているだけでは勝てぬ。作戦を練り、将兵がその作戦通りに動いて、初めて勝利に繋がるものである。聞けば、隆広の軍勢は『愚連隊』『敗残兵』『新兵』の寄集めなどと言われているが、それで結構。これから変われば良いのだ。一糸乱れず規律正しく、戦場を縦横に動き、一個師団として精鋭部隊として生まれ変わる。そのつもりで励んでくれ! オレも偉そうに高いところから指示を与えず、そなたたちと共に汗を流して訓練に励む! 頼むぞ!」

「「「ハハッ!」」

 

「では市、行くか」

 満足そうに勝家は床几から立った。

「え? 隆広や兵たちに何もお言葉をおかけにならないのですか?」

「バカを言え、今偉そうにワシがしゃしゃり出たら、あの士気が下がるだけだ。それにワシがいては隆広が遠慮して訓練の妨げにもなろう」

「そうですね」

「利家、才蔵、そなたたちも帰るのだ。先輩面が偉そうに訓練を見ていると若い連中はイヤがるぞ」

「はっ!」

 各将たちが引き上げる時、勝家は中村文荷斎だけ呼び止めた。合戦時において、ほとんど北ノ庄留守居が多い彼であるが、それゆえに勝家からの信認が厚い老将であり、孫のような歳の隆広へもきちんと礼儀と筋目を通す武人である。

「文荷斎、そちはどう見た?」

「先が楽しみでございますな。最初は兵士の裂帛の前に何も言えぬのではないかと思いましたが…いやいや容貌と異なり猛々しさは一個のもののふでござる」

「そうか、文荷斎に認めてもらえる将ならば安心だ」

 この当時、老臣に認めてもらえない若い将はダメ武将と云う印象があった。特に文荷斎はめったに人を褒めない老臣として柴田家中に知れ渡っている。それが絶賛とも言える形で褒めた。これで隆広はほぼ柴田家中で認められた事になる。無論、一部は除いてではあるが。

 木陰でさえは兵士を鼓舞する夫の姿をウットリとして見ていた。

「あああ…なんと凛々しい…(ポッ)」

 しばらくさえはその余韻に浸っていた。

 

 数日もすると、工兵をのぞく千九百名の兵は隆広の合図ひとつで整然と動き、法螺貝や陣太鼓と合図で右に左に一糸乱れずに縦横に動いた。弓隊(盾、射手、矢の渡し手の三人一組で形成される)は『エイ、エイ、オウ』の呼吸で迅速かつ正確に矢を放つに至った。

 実戦経験のない新兵たちも、隆広の統率力でしばらくすれば屈強の兵に変わった。槍兵の槍ぶすまの横から見ると一直線に見えたほどで、騎馬隊は武田騎馬軍団さながらの機動力を発揮し、陣太鼓の音を合図に、時に陣を魚鱗、鶴翼に変えることができるほどの見事な統率を見せたのである。後に勝家もその軍事教練を見ることになるが、感嘆し『なんと見事な』と、隆広の部隊を絶賛したと云う。

 軍団結成から、わずか数ヵ月後で隆広の部隊は柴田家の精鋭とも言っていい軍勢ともなったのである。

 

 そして同時に行政官も担当している隆広である。訓練の合間に佐吉と辰五郎と共に北ノ庄の町づくりに励んでいた。楽市楽座の導入で町はだいぶ繁栄を見せ始めていたので、隆広は勝家に城下町の水運導入を進言した。つまり『堀割』である。当時の都市で掘割運河による高瀬舟の水運は欠かせないものであった。

 多少工事に金はかかるが、完成した場合その水運から生まれる利益は軽視できないものがある。高瀬舟水運について、隆広は町民に分かりやすく説明した。小型の舟であるが船体が高いので積載量十分な舟を城下町と近隣の村々の年貢米、木炭、薪、塩、海産物、日用品等を水路で流通させる。楽市楽座を導入した今、その水運によりどれだけ町が潤うか察するに容易だった。

 隆広御用商人の源吾郎は惜しみなく資金を提供し、他の楽市楽座商人も水沢様の仕事ならばと、進んで資金を出した。彼らとて掘割が完成したら、その恩恵に与る事は必定である。勝家から許された資金を合わせれば十分に完成に至れる資金となった。

 また、隆広は兵士や工兵、雇った人足に無理をさせなかった。訓練も内政主命の作業も、その日その日夕刻になるとピタリと止めさせていた。当時としてはほとんど異例であるが、その無理をさせない待遇が、より素晴らしい成果を生み出したと後の歴史家も見るところである。

 兵士の松山矩三郎が『我らを夕刻で帰せば、御大将も夕刻に帰られる。つまり御大将はかわいい奥さんと毎日会いたいからでしょう』と冗談で言うと、隆広は胸を張って『そうだ』と言ったと云う笑い話もある。

 

 そして、そんな隆広の姿をずっと観察していた男がいた。北ノ庄城下町の楽市楽座を取り仕切る源吾郎である。掘割資金を提供したように、彼はずっと隆広に商人として接していた。彼の息子である白も同じである。

 藤林一族の上忍でもある源吾郎は伊丹城の合戦、兵士の訓練、図抜けた行政手腕を見て、ついに彼は一つの決断に至った。

「本物だな、まさにお父上を思わせる…。いやそれ以上か。隆広殿は藤林一族が全力で補佐するに足る器だ」

 彼は息子の白に里へ使者として出向かせた。父の源吾郎、忍者名柴舟の書状に目を通す棟梁の銅蔵。

「なるほど、辛口家の柴舟が褒めちぎっておる。里が首を縦に下ろさなければ、自分と息子だけでも隆広殿に仕えるとまで言っておるわ。で、白」

「はい」

「お前は北ノ庄の領民として隆広殿の仕事を手伝った事はないのか?」

「ございます。『掘割』の作業で人手が足らないと云うので隆広様が城下町で人足を公募しましたので応募しました。隆広様は私に気付いたようですが、普通に仕事を割り当てられました」

「ふむ、それで?」

「はい、とにかく人の使い方が上手で驚きました。貧しい者たちにもちゃんと声をかけられ、休息と食事も十分に与え、そして掘割が完成したら、どれだけ暮らしが楽になるかをつぶさに、かつ無学の農民たちにも分かりやすく説明しておりました。怠けるものもなく、皆が生き生きと働いており、そして十分な賃金を支払いました。それも人足一人一人に自分の手で渡されておいででした。あれならば水沢様のためならばと思う民も多いでしょう。若い娘に人気があるのは容貌が美男と云うだけではございませぬ」

「なるほど行政官としては一流と言っていいな。では戦場ではどうか?」

「伊丹城攻めの時には私も兵に紛れ込んでいました。偃月の陣による野戦での勝利、敵の伏兵を見抜く眼力。何よりあの電撃的な水攻め。さしもの佐久間と佐々も認めざるを得ない働き。また遡れば大聖寺城での門徒との戦いでは声一つで敵を退かせ、鉄砲もついでにいただいてしまうと云う働き。この才能は評価に値すると思います」

「そうか、白、お前も隆広殿のために働きたいと考えておるか?」

「無論です」

「さすがは私の乳を吸った男児!」

 銅蔵の妻のお清は、また自分の乳房を誇らしげに叩いた。

「お前さん、すでに太郎さんや大介さんの子らも隆広殿に仕えているし、私らだけもったいぶって動かないのは隆家様に申し訳ないよ!」

「そうだな。よし、腹は決まった! 舞! すず!」

「ハッ」「ハッ!」

「お前たち、白と共に北ノ庄に赴け。そして隆広殿に伝えよ、藤林一族は水沢隆広殿にお仕えすると!」

「「ハッ!」」



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妻への贈り物

 伊丹城の戦いから数ヶ月が経った。毎日忙しい身の隆広であるが、やはり帰宅しても忙しかった。さえとずっとイチャイチャしていたいだろうに、それはできずに勝家に出す報告書や部下への命令書を書くために文机に向かっていた。

 隣の部屋でさえは夫の仕事を邪魔しないように針仕事などをやっていた。そんな静かな夜だった。

「う~ん、今日はこのへんにしてフロにでも入る…」

 と大きいあくびと一緒に体を伸ばした時だった。

「……!」

 

 チャキッ

 

 隆広は傍らに置いてある刀を取り鯉口を切った。

「だれだ!」

 庭の障子を開けた。

「へえ、結構鋭いじゃない。気配を消していたのに」

「女…?」

「薄情だね。もう忘れたのかい?」

「おう、舞殿か。すず殿に白殿も一緒ですか」

 隆広宅の庭に、忍者三名が横一列にひざまずいて並んでいた。

「はい、お久しぶりです。隆広様」

 すずが恭しく頭を垂れた。

「お元気そうですね。銅蔵殿とお清殿はお元気でございますか?」

「はい」

「とにかく、そんなところに座っていないでこちらにどうぞ。お茶でも入れますから」

 

「お前さま、今の音はなに?」

 と、さえが隆広の部屋に入ってきた。

「ああ、さえ紹介するよ。父の元部下の子弟で…」

 妻へ気軽に忍者を忍者と紹介できるはずがない。

「…? 何を言っているのですか、お前さま?」

「え?」

「さえには誰もいないように見えますが…」

「え?」

 舞、すず、白は忽然と姿を消していたのである。

「大したものだな…」

 

「それよりお前さま、そろそろお仕事はやめて湯になさった方が」

「ああ、そうする」

 そして隆広だけに聞こえる声でいずこから舞が囁いてきた。

(…藤林一族、本日をもって水沢隆広様の配下となります。私たち、不知火舞、藤林すず、そして白が隆広様の手足となって働きましょう)

 同じく白も隆広だけに囁いた。

(明日、我が父源吾郎の私宅にお越しくださいますか。お話したきこともございます)

 隆広は軽く首を縦に降ろした。

(それでは本日はご挨拶までに。明日を楽しみにしております)

 すずの声を最後に忍者は消えた。

(すごいものだな忍者とは…)

「お前さま? どうしたの、ボーとして」

「ん? いや何でもない。さ、一緒に入ろう!」

「はい…(ポッ)」

 

 翌日、隆広は掘割工事の指示を与えた後に源吾郎の家に向かった。源吾郎は藤林山で隆広と会って以来、よく隆広と話した。忍者ではなく商人として。

 源吾郎は柴田家ではなく隆広個人の御用商人となっているが、隆広の持つ経済観念は時に本職とも言える源吾郎が舌を巻くほどであった。

 息子の白、彼は普段は『利八』と名乗り父の店で丁稚奉公をしているが隆広の内政主命の人足としてしばしば参加している。隆広の仕事を見届けるよう父に指示されていたからである。しかしその仕事ぶりはまじめで、隆広の兵士たちからも利八と親しみを込めて呼ばれるほどにもなった。彼は隆広と同じく美男の優男であるが、チカラ仕事などは大人顔負けであった。

 そしてこの日、源吾郎の店に看板娘が二人出来ていた。それが舞とすずである。源吾郎こと藤林一族の上忍である柴舟の家が彼女たちの北ノ庄城における根拠地となったようである。舞は『琴』と名乗り、すずは『雪』と名乗っていた。

 源吾郎は北ノ庄市場を取り仕切ると同時に、導入された楽市楽座を実質は隆広を通して柴田勝家から任されているものの、無論のこと自分の店もある。和漢蔵書がかなり充実した本屋と共に、茶器や武具なども売っていた。質屋と米屋も併営しているのでかなり大きい店である。表立ってやってはいないが、隆広から鉄砲の購入も指示されている。その店で『琴』と『雪』は働き出していたのであるが、早くもその看板娘二人は評判となっていた。そこに隆広がやってきた。

「旦那様、水沢様がお越しです」

 下働きの小僧が源吾郎に伝えた。

「丁重にお通ししなさい。あと利八、琴、雪も呼んできなさい」

「はい!」

 

「粗茶ですが」

 雪と名乗っているすずが隆広に茶を出した。

「ありがとう」

「ようこそお越し下さいました、水沢様」

「楽市楽座、だいぶ賑わいを見せてきましたね」

「はい、これも水沢様のおかげ。我々も毎日嬉々として働いております」

「高瀬舟の造船はどうですか?」

「はい、敦賀港の船大工たちに大量に発注しました。掘割が完成したら城下町の流通ですぐにでも使えるでしょう」

 別に腹のさぐりあいではないが、やはり隆広と源吾郎の会話は御用商人と行政官の内容になってしまう。いつになっても自分たち忍びの話が出ないので、舞は思わずあくびをしてしまった。

「これ琴! 水沢様との要談中なのに横であくびをするとは何事か! コホン、教えただろう、忍びとして他国に商人や僧侶での姿で侵入しても付け焼刃の商人と僧侶では必ずその地の忍びに見破られる。藤林の忍びは変装する商人や僧侶としても本物でなくてはならぬのだ。今までの隆広様との会話は商人の交易として色々参考になることも含まれておるのだ。くノ一とて商人として一角になるためには…」

「子供のころから耳にタコが出来るほど聞かされていまーす」

 つまらない会話をしているお前たちが悪いと言わんばかりに琴と名乗る舞はツンと横を向いて答えた。

「こ、これ! なんだその言い方は!」

「ははは、まあいいではないですか。それではそろそろ本題に入りますか、柴舟殿」

「はっ」

「柴舟殿、正直に言うがオレはまだ忍びを用いた事がない。せいぜい忍びに関わる事と云えば、子供のころにやった忍者ごっこくらいなのです」

「正直ですね、ではお教えしましょう。まず一番に行わせる事になるのは情報収集でございましょう。敵勢力の兵力や財力などを調べることを命令します」

「どの程度まで判明しますか?」

「隆広様が召抱えます忍者は、今ここにいる三名のみです。私はこの三名の統括と里との連絡番をしますから、隆広様からの実際の主命はこの三名が受けます。何故三名かと云うと…」

「分かっています。それがしにはまだ多勢の忍び衆を雇うお金はございませぬ」

「その通りです。逆に我らが負担となってしまっては本末転倒でございますから。しかしこの三名は里が誇る優秀な忍びです。三名とはいえ十分な働きはするでしょうし、主命の内容によっては班長の私も動きますのでご安心を。それに一旦支持すると決めた以上は投資と云う意味で隆広様が身を投じるであろう大事な合戦には里の軍勢が参戦いたしますので心配無用です。話が少し逸れましたが、どの程度まで判明するかと云うと、残念ながら詳細に至るまでは無理でございます。兵力を『大中小』で報告するのがせいぜいかと」

 舞はムッとしたが、それが現実である。三名ではどうしても限界はある。

「いや、『大中小』が分かれば十分です。あとは?」

「敵勢力の戦略を調査するのも我らの任務です。指定された拠点を訪れ、当主の戦略を聞き出せるまで潜伏します。隆広様の護衛も中心となる任務でしょう。これは指示がなくても我らで勝手に行います。あと攻撃的な主命となると破壊工作、流言操作、放火などがございます」

「どれも危険そうですね…」

「そりゃあそうです。忍びの仕事とはそういうものですし」

 

「さあ、隆広様。我らに初主命を」

 まるで新たな主君を試すかのような舞の言い方であるが、隆広は気に留めなかった。

「分かった、指示させてもらおう」

 三人の忍びは隆広に頭を垂れた。三人は隣接する小松城の内偵か、加賀の国に侵入し門徒たちの戦略を探らせるのかと読んでいた。だが全然違う主命だった。

「『流行つくり』を命じる」

 柴舟も聞いた事のない主命だった。舞はポカンとクチをあけていた。

「『流行つくり』? …それはなんですか?」

「越前の名物、越前カニ、甘エビ、越前蕎麦を琵琶湖流通で畿内に出して儲けたい。だがいまいち畿内ではこれらの美味しさが伝わっておらず、越前でしか消費されていない。大漁でもさばけない時があると敦賀の漁師がなげいていたのを聞いたことがある。都への流通を確保したいのだ。京の都や堺の商人衆がぜひウチで扱わせてもらいたいと思わせるほどに、先の三品の評判をあげてくるのが仕事だ」

「ちょ、ちょっと待ってよ! 私たちは忍びだよ! 確かに先代隆家様の遺訓で商人としても一角になれるよう指示されたけれど! 何であなた個人のお金儲けに使われなくてはならないの!」

 憤然として舞は怒鳴った。

「オレ個人じゃない。越前の民が豊かになるためだ。民が豊かになれば、それを聞き民も増える。その民もまた富む。それが成れば税を減らした上で国力が富む。残念ながら合戦には金がかかる。国を守るにも金がかかる。この越前カニと甘えび、蕎麦の流通が成れば、敦賀に来る蝦夷地の牡蠣や東北の名産の交易も視野に入れている。これはオレ個人の金儲けなどではない。越前の民のためなのだ。軽視してもらっては困る」

 舞は何も言い返せなかった。そして柴舟が静かに言った。

「舞、隆広様にお詫びせぬか」

「は、はい」

 舞は隆広に頭を下げた。

「考えもなしに口答えして申し訳ございません」

「分かっていただければよいのです」

 隆広はニコリと笑った。

「隆広様、『流行つくり』、確かに拝命しました。具体的な方法の指示はございますか?」

 と、柴舟。

「事はそんなに難しい事ではありません。三品を越前から持っていき、山城、石山、亀山、安土、そして堺でその地の民に食べさせればいい。三人が旅人か、その地の有力な人物に変装して美味しい美味しいとサクラになって行えばさらに効果はあるでしょう」

「かしこまいりました、琵琶湖流通の航路確保などは私に任せて下さい」

「ありがたい、では当面の資金を後ほど届けます。ここはこれにて」

 

 源吾郎と三人は店先まで隆広を送り、隆広の背が見えなくなるまで頭を下げていた。そして柴舟が感嘆していった。

「まさか…初主命があんなものだとはな…。おそらく私が述べた忍びの高い作戦遂行能力を聞いて思いついたのであろう。大したお方だ。あれでまだ齢十六歳…恐ろしさすら感じてくる」

「…しかし父上、『流行つくり』なんて主命、我々はやったことが…」

「今からさっそく修練を始めよう。なに、お前たちなら一日も試行錯誤すれば立派なサクラになれる」

「私も誤解していた…。ずいぶん遠くまで見ていらっしゃるお方なのね」

 してやられたと云う感じの舞であるが、不思議と悔しさは感じなかった。すずはずっと隆広の立ち去った方角を見ていた。

「すず、いや雪、どうしたの?」

 舞の言葉も右から左だった。

「凛々しいお方…」

「はあ?」

「い、いや何でも! さあ、琴、利八! がんばって立派なサクラとなりましょう!」

 

 隆広は城に上がり、主君勝家に『流行つくり』の件を報告した。

「なるほど、都への流通確保か」

「はい」

「しかし…カニや甘エビといえば痛むのが早い。大丈夫か?」

「それも考えてあります。幸か不幸か、越前は雪の国です。朝倉の時代から九頭竜川の上流に清流を引き入れて作った氷池や竪穴式保存小屋(氷室)が、所々に点在しています。当初は民の作りましたこの二つから氷を分けてもらうことと相成りましょうが、今年の冬季から我々の手でもそれを作れば氷の確保は容易です。氷も都では貴重品。海産物と共に越前の名産となるでしょう」

「うむ、見事だ。いかほど入用だ?」

「いえ、それがしの忍びたちも始めて行う主命ですし、氷の件もまだ机上に置いたままの事です。何よりそれがしが殿への許しもなく勝手に進めてしまった事で、加えて成功の可否も分からない状態ですから今回はさえを説得して私の貯金から出します。一度二度成功した上で改めて本格的な資金を頂戴したいと存じます」

「かまわぬ、勝敗は兵家の常と云うであろう。新しい試みをするたびに臣下に自腹切らせては、新しい事を試みる者がいなくなるではないか。金は出す。また現場指揮官がいちいち主君に許しを得ていたら時間がいくらあっても足りぬであろう。そんな事は気にせず、失敗を恐れずにやってみろ」

「は、はい!」

 

 源吾郎の店に勝家から受けた資金を届けた。店の奥の方では舞の『美味しい!』と云う白々しいセリフが聞こえてきた。どうやらサクラの訓練中らしい。店先で源吾郎と隆広が会っていた。

「こんなに…よろしいのですか?」

「うん、殿も事のほか喜んでくれていた」

「そうですか! 氷の件は私にお任せ下さい。そして…これだけの資金があれば里からあと十人は忍びを呼べます。彼らにも『流行つくり』を任命しますので」

「いえ、それはダメです。あくまで担当はあの三名です」

「しかし…それでは逆に資金が余ってしまいますが…」

「その時は次の『流行つくり』に回して下さい。たまたま資金が余裕あるほどに確保できたからとは云え、担当者を増やしては三人も不愉快でしょう。私の忍びがあの三名だけならば、この『流行つくり』で彼らのチカラを見てみたい意味もあります」

「『事は何事も一石二鳥でなくてはならぬ』ですね」

「そう、父隆家の教えです」

「かしこまいりました。あの三人もいっそう気合を入れるでしょう。成果にご期待下さいませ」

「頼みます」

 

 隆広は掘割の現場に一度立ち寄り、工事の経過を見るとそのまま家に帰った。

「ただいま~」

「お帰りなさいませ!」

 玄関で隆広の刀大小を渡されながら、さえが訊ねた。

「珍しいです。お昼に戻られるなんて」

「いや、もう掘割工事も兵士の教練も、オレがいなくても大丈夫だからな、ははは」

 隆広は苦笑しているが、それこそが理想的な人の使い方ではないかとさえは感じた。現場指揮官がいなくても誰も怠けず仕事や訓練に励み、そして成果を出す展開に持っていったのは、まぎれもなく隆広なのであるのだから。

「ところでさえ。昼食を食べたら父の墓地に付き合ってくれないか?」

「分かりました。ではお食事と墓参の準備をいたしますから、しばらくお待ち下さい」

「うん」

 

 昼食後、隆広とさえは父隆家の眠る寺へと向かった。いつものように隆家の墓を掃き清め線香をあげて酒を供えた。合掌を終えると隆広が言った。

「さえ、隣のお墓も掃き清めよう」

「え?」

 それは今までなかった新しい墓だった。その新しい墓にさえは気付いていたが、特に気に留めていなかった。しかし様式は隆家の墓と同じ笠のついた木材の墓標である。

「お前さまに縁のある方のお墓なのですか?」

「墓標の背に書いてある俗名を見てごらん」

「あ、はい…」

 さえは墓標の背を見た。

「……!?」

「さえのお父上、朝倉景鏡殿のお墓だよ」

「お、お前さま…」

「以前に務めていた兵糧奉行の成果の褒美、その一部にこの墓の敷地と墓標をいただいたんだ」

 さえは墓標を愛しそうに触れ、そして泣いた。

「う、ううう…」

「十六歳の誕生日、おめでとう、さえ。妻への贈り物にしては華やかさに欠けるだろうけど、これしか思いつかなかった。今は父隆家の墓と同じく少し貧相だけれど、今にもっと立派なお墓を建ててやるからな」

「…嬉しゅうございます。これで十分です…」

 さえは嬉しくてたまらなかった。父の墓を本当に作ってくれたこと。そして言ってもいなかった自分の誕生日を知っていたこと。後から後から涙が出てきて止まらなかった。

「さえ、寺の和尚に改めて葬儀を頼んである。掃除を終えたら本殿へ行こう」

「は…い…」

 さえはやっと泣き虫をおさめて墓を清めた。嬉々として父の墓を掃除するさえ。だが隆広の贈り物は、まだこれで終わらなかった。

 

 二人は寺に向かった。かつて隆広の養父隆家の葬儀も行った寺である。

「水沢様、お待ちしておりました」

 住職である和尚が出迎えた。

「和尚、あれを妻に見せてあげてください」

「かしこまいりました」

 和尚は奥に向かった。

「…? お前さま、あれとは?」

「今に分かるよ、さ、本殿に入るぞ。ここの和尚のお経は長くて有名だが小用は済んでいるか?」

「んもう! 子供扱いしないで下さい!」

「ははは、じゃ行こうか」

 

 本殿に入ると、簡素だが葬儀の用意がされていた。和尚が隆広に言われていた『あれ』を持ってきた。

「それでは奥方様、お改めを」

「……!!」

 それは焼けた竹の棒の軍配、鞘の焦げた脇差、汚れた鎧兜と陣羽織、破けた小母衣、そして骨壷だった。

「この軍配と脇差…! 陣羽織と鎧兜! 南蛮絹の小母衣! 父上の!」

「そうだ、なんとか見つけたよ」

「…お前さま…!」

 おさめた泣き虫がまだ爆発してしまった。

「言うまでもないが、さえのお父上は越前大野郡の領主だった。最期は…とても気の毒ではあったものの、領内では善政をしいた名君で領民にはとても慕われていた。一部の領民は朝倉を裏切ったと門徒と共に蜂起したが、それでも慕う民の方が多かった。だから考えた。景鏡殿の最期の場所となった平泉寺。この周辺の領民で、もしかしたら騒ぎのあとに同所を訪れ、景鏡殿の遺体や遺品を持ち去り、弔った者がいるのではないかと」

「ぐしゅぐしゅ」

 泣いていて返事は出来ないが、さえは何度もうなずいて答えた。

「オレが大野郡の開墾もやったのは知っているよな。その時に集まった周辺の領民に訴えた。『朝倉景鏡殿の遺体や遺品を平泉寺から持ち帰った者がいるのなら教えて欲しい』と。しばらくすると名乗り出てくれた民がいた。そして差し出されたのがそれだ。正直遺骨まで見つかるとは思わなかった。残念ながら首はなかったそうだが…その遺体を持ち帰り荼毘にふして弔ってくれたそうだ」

「う、ううう…」

 さえは父の陣羽織を胸に抱いた。

「遺骨は改めて本日に埋葬し、遺品すべて修繕して水沢家の宝とする」

 何度も何度もさえはうなずいた。

「ほら、鼻水をふけよ。和尚がお経に入れずに困っているだろう」

「んもう! お前さまがさえを泣かせるからいけないのです!」

「分かった分かった、ほらチーンと」

 隆広の手にあるちり紙へ素直に鼻をかむさえ。そして違うちり紙でさえの涙を拭く隆広。

「…さえのお父上が世間で言われているような悪い武将ならば、この遺骨と遺品は残らなかった。生前の景鏡殿がいかに領内を思いやる領主であったか領民はちゃんと分かっていたんだ。父上を誇りに思えよ、さえ」

 静まりかけた泣き虫がまた爆発してしまった。今度は隆広の胸で泣いた。

「やれやれ、お父上もさぞや目のやり場に困っておろうて…」

 和尚は苦笑した。そして骨壷だけ拝借して神棚に供え、お経に入った。しばらくしてようやくさえは泣き虫がおさまり、改めて神棚に合掌した。

 おおよそ日本の歴史の中でも戦国武将の妻たちほど苛酷な運命に弄ばれた者たちはいない。人質になったり、落城の炎の中で自刃したり、合戦に負けて捕らえられれば敵の雑兵に陵辱を受けたり、時に骨肉相食む運命の岐路に立たされたりと、現代では想像もつかないみじめな目にあっている。

 だが、そういう戦国の女たちの中でも、さえは抜群に幸せな妻だっただろう。当時の武家社会では珍しく好き合った上で夫と結ばれ、そして夫は同じ歳の妻をこれでもかと云うくらいに大切にしたのである。

(父上…さえは今すごく幸せです。こんな素晴らしい人と夫婦になれて…)

 隆広も目をつむり、お経を整然と聞いていた。その時だった。不思議な声が聞こえた。幻聴だったのか、それとも単なる気のせいか、確かに隆広に聞こえたのである。

(…婿殿ありがとう、娘を…さえをよろしく頼みますぞ)

 その声に一瞬ポカンとした隆広。だが心ですぐに返事をした。

(お任せ下さい、義父上)

 隣にいる妻の顔を見て、隆広は冥府の義父に約束するのだった。




この時代、誕生日を祝う習慣など無かったかもしれませんが、それは言いっこなしですぜ、旦那!


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小松城の戦い(前編)

 隆広の自宅、居間の床の間に朝倉景鏡の鎧兜と陣羽織がデンと飾られた。今まで隆広の鎧兜と陣羽織が置いてあったが、それは隆広自室の床の間に置かれた。破れていた父の陣羽織をさえは繕い、鎧兜もせっせと修繕し、今はピカピカに磨かれて床の間に飾られていた。南蛮絹の小母衣がより彩を添えて、堂々とした鎧兜であった。

「しかし何だなあ、こう義父上の鎧が飾られていると、居間でさえとイチャイチャしずらいなあ」

「そんなことはありません。仲良くしているところを見ると父上も喜んでくれます」

 意を得たりと、隆広はニコニコしてさえを見た。

「そうか、ならばイチャイチャしよう」

「そ、そんなずるい! さえからイチャイチャする口実を言わせるなんて!」

「いいじゃないか、ほらヒザ枕をしてくれよ」

「んもう…」

 さえのひざに頭を置く隆広。

「ああ、気持ちいい」

 さえもまんざらでもなく、隆広の髪と額を優しく撫でる。そしてついでにさえのお尻を撫でようとしていた隆広の手をつねった。

「イタタ」

「うふ♪」

 

「ごめん」

 門に客が来た。

「あ、お前さま残念でした。お客様です」

 さえは自分のひざの上にある隆広の頭を退かし、クスクスと笑いながら玄関に駆けていった。

「…ふむう、あの声は源吾郎殿か。まったく間が悪いなあ」

 源吾郎は居間に通された。

「水沢様にあってはご機嫌うるわしゅう」

「源吾郎殿も。さえ、お茶を」

「はい」

「…ほう立派な鎧兜と陣羽織ですね。水沢様のですか?」

 床の間にある景鏡の鎧を源吾郎が見た。

「いや、それがしのではございません。妻ゆかりの人物の鎧なのです」

「左様でございますか。所々を修繕しておいでですが、とても丁寧な仕事。奥方様がその人を思う心が伺えますね」

 源吾郎はそれ以上聞かなかった。鎧の状態から纏っていた者はすでに亡くなっていると察するのは容易であるし、何より陣羽織と鎧兜の様式を見ると、身分の高い武将の物と思えたからである。きっと浅井か朝倉ゆかりの武将と源吾郎は思った。

「粗茶ですが」

 さえが源吾郎に茶を出した。

「恐悦に存じます」

「それでは私は別室に控えていますので、ご用がありましたら」

 さえは二人にかしずき、部屋から出て行った。

「隆広様、『流行つくり』でございますが」

「はい」

「お喜び下さいませ。大成功です。敦賀港と北ノ庄に京や堺から越前カニ、甘エビ、越前蕎麦に注文や問い合わせが殺到しておりますぞ」

「そうですか!」

「しかも、あの三人は京の『茶』と堺の『硫黄』を越前に定期入荷することにも成功しました。いやはや私などより優れた商人に化けてしまいました」

「ははは! それはすごい! 京の『茶』や堺の『硫黄』と言えば、有名ではないですか」

「はい、売るだけではなく仕入れもやってくるとは予想もしていませんでした」

「三人にはたんまりと恩賞で報いなければならないですね」

「とんでもない! 一つの任務のたびに恩賞など渡していたらクセになりますぞ。賃金は定期的に私から」

「いやいや、成果が普通ならそれでいいですが多大な成果なら恩賞で報いなければなりません。先に殿からお預かりした資金の一部を恩賞として渡します」

 と、隆広と源吾郎が用談していると…

 

 ドン、ドン、ドン

 

 北ノ庄城の方から太鼓の音が聞こえた。

「ん?」

「隆広様、あれは臨時の評定の合図では?」

「そのようです。では源吾郎殿、『流行つくり』についての細かい報告は後日それがしから伺い聞きます」

「かしこまいりました」

「さえ、出かけるぞ!」

「はい!」

 隆広は急ぎ、城へ向かった。

「何かあったのかな…」

 評定の間に隆広は到着した。府中三人衆の前田利家、佐々成政、不破光治、丸岡城を預かる柴田勝豊、加賀大聖寺城を預かる毛受(めんじゅ)勝照には柴田勝家からの命令書を持つ使者が出ていた。急な評定だったので柴田家に仕える城持ち武将たちは顔を出していない。

 城の評定の間には北ノ庄に居を持つ家臣団が集まった。佐久間盛政、徳山則秀、拝郷家嘉、中村文荷斎、可児才蔵、金森長近、そして水沢隆広である。彼の側近である前田慶次、奥村助右衛門、石田佐吉は別室で待機していた。

「みな揃ったな」

 柴田勝家が城主の席に座った。

「「ハッ!」」

「ふむ、大殿から小松城攻略の主命を受けた」

「いよいよ加賀攻めでございまするか!」

 いきり立つ佐久間盛政は手に拳を当てた。

「いや本格的な加賀攻めではない。加賀大聖寺城はすでに我らの手にあるし、小松城を落とせば残る加賀の城でめぼしい城は金沢御殿と鳥越城のみとなる。今の我らの兵力では残る二つの城までは落とせない。ならば最初に小松を落とし、そこを加賀攻めの総仕上げの前線拠点とするのだろう。現在、ワシの忍びが小松城を内偵中だがじきには兵力のほどが分かる。

 また小松の西にある加賀御殿、加賀門徒の総本山だが、現在上杉と小競り合いを起こしているゆえ、そちらからの援軍はない。加賀御殿の支城小松を落とし、いずれ鳥越、加賀御殿と落とすつもりである。本格的な加賀攻めに至る大事な合戦だ」

「なるほど」

「隆広」

「はっ」

「小松城で何か知っていることがあったら述べてみよ」

「はっ、では僭越ですが…小松城は南加賀一向衆の豪族、若林長門殿が笹薮を払って、朝倉氏との戦いのために築いた城砦で、小松平地を蛇行する悌川(かけはしがわ)と、前川の合流点西方に位置し、沼地を活用した平城でございます」

「大した勉強家だな。今聞くと伊丹城と似た地形だが、また水攻めでも具申するのか?」

 佐久間盛政が嫌味まじりに言った。

「…梯川は大きい河川ですから水量は問題ありません。しかし伊丹の時は山間の川で水は止められましたが、梯川流域は平地ゆえに堰が作れません。不可能です」

(なんでそんなに嫌味タップリに聞くのですか…!)

 

「ふむ、よう分かった。出陣は明後日の明朝、府中勢と大聖寺城勢も組み入れ、計一万六千で小松城に進発する。先鋒隊は一陣佐久間盛政、二陣佐々成政、三陣前田利家、四陣毛受勝照、五陣不破光治。後方隊の一陣は水沢隆広、二陣可児才蔵、三陣徳山則秀、四陣金森長近、そして総大将のワシだ。柴田勝豊と拝郷家嘉には越前の留守居を命じる。また水沢隆広隊には兵糧奉行を兼務させる。以上だ。各将、出陣に備えよ。」

「「ハハッ!」」

 別室で待機している助右衛門たちの元に行った。

「隆広様、軍議は?」

「ああ、小松城を攻めると決まった。明後日の朝に出陣だ。慶次と助右衛門は準備を頼む。また我が隊は兵糧奉行も兼務する、佐吉、オレより一足先に穀蔵庫へ行って兵糧を確保してくれ。勘定方に三千貫取り付けておいたから頼むぞ」

「「ハッ!」」

 助右衛門、慶次は急いで錬兵場に向かい、佐吉は穀蔵庫に走った。

(出陣か…。今度は寄騎ではなく軍団長で出陣だ)

 

「ふん、偉くなったものだな。部下に出兵の準備を一任か」

「佐久間様…」

「せいぜい『歩』の旗に恥じない戦いをすることだな」

「言われなくても…!」

「ふん」

 盛政は立ち去った。隆広は床をチカラ任せに蹴った。

「人の顔見れば嫌味ばかり!」

「これこれ、殿の居城を蹴るとは何事か」

「あ、文荷斎様! す、すみません、つい」

「まあ見なかったことにしよう。実はいつも留守居であったワシであるが、今回の戦いでは隆広の軍監を務める事と相成った。よろしくな」

「本当ですか! 文荷斎様が!」

「まあ軍監とはいえ、そなたの戦いぶりにアレコレ言う気はないのでな。そう構える事もないぞ」

「はい!」

「さ、そなたも錬兵場に赴くがいい。大将がいるいないでは士気の上がりも違う」

 

 隆広も錬兵場に向かった。各軍団があわただしく合戦の準備をしていた。明後日の出陣とはいえやることはたくさんある。弓隊、鉄砲隊、槍隊等の兵役の分割。軍馬の確認、各装備の点検、その他軍事物資の調達などめまぐるしい。助右衛門はそういった軍務能力に長けていたので、それは円滑に進んでいた。

「おお、御大将だ!」

「いよいよ水沢隊の本格的な初陣でございますね!」

 歩み寄ってきた隆広に兵士が気合を込めて挨拶をしてきた。

「オレにかまわず、助右衛門の命に従い準備をしてくれ」

「「ハッ」」

「隆広様」

「助右衛門、軍馬と鉄砲はどれだけ確保できた?」

「はい、軍馬三百、鉄砲二百にございます」

「そうか、槍による歩兵隊と弓隊が中心になりそうだな」

「御意」

「兵役(槍隊、弓隊、騎馬隊、鉄砲隊と分ける事)は終わったのか?」

「はい、すでに今までの訓練で各兵の長所は分かってございますれば、すぐに終わりました。しかし問題は兵糧の運搬です。我らだけでは全軍の兵糧は運べませんぞ」

「そうだな…問題はそれだよな…」

 

「隆広様―ッ!」

 慶次が走ってきた。

「おい慶次! 人にばかり仕事押し付けてドコ行っていた!」

「そう言うな助右衛門、ああいう軍務はお前の方が長けているではないか」

「まったく…で、どうした?」

「隆広様、さっき助右衛門と兵糧運搬について話したのですが、どう考えても我らだけでは手に余ります。ない袖は振れませんから他の隊から運搬兵だけ借りてまいりました」

「それはありがたい!」

 慶次の手を両手で握る隆広。

「驚いたな、お前がそういう交渉事済ませてくるなんて」

「なんだァ助右衛門、そういう言い方だとオレが槍働きしか出来ない猪武者に聞こえるぞ」

「い、いや、そういう意味ではないのだが。で、どの隊から何人ほどだ?」

「佐久間隊はダメでした。『隆広に兵を貸せるか!』で、終わり」

「まあ…そうだろうな」

 ショボンとする隆広。

「まあまあ、でも金森隊から五百、徳山隊から三百借りる事が出来ました。計八百です。これならば」

「ああ、十分だ」

 

「隆広様―ッッ!」

「お、佐吉だ」

「ハアハア、兵糧五万石、確保してきました」

「お疲れさん、五万と云うと柴田勢一万六千の兵、およそ三月分か。足りるかな」

「しかし、それ以上だと肝心の城の蓄えが」

「確かにな…小松が三月で落ちなければ負けだな」

「隆広様、心配ならば勝家様に一度報告しては?」

「そうだな、よしちょっと行ってくる。慶次と助右衛門は軍務を続けてくれ。佐吉は運搬の荷駄とそれを運ぶ馬の確保を頼む!」

「「ハッ」」

 

 隆広は城へ向かい、勝家に報告した。勝家の傍らには隆広の軍監となった中村文荷斎もいた。

「三月か」

「はい、それ以上は北ノ庄から持っていけません。留守隊にも十分な米を残しておかなければ」

「分かった、何とか三月以内に落とそう。あとワシの忍びから報告が入った。小松の兵力であるが五千だそうだ」

「五千…こちらは一万六千とはいえ城に篭られたら手こずりそうですね…」

「また兵糧は潤っているとある。加えて加賀御殿の門徒が小松を助けるため兵を割いて出向いてくる可能性もなきにしもあらずだ。モタモタした城攻めはできん。三月と言わず短期決戦だな、お前ならどう攻めるか?」

「小松城を直接見ていないので何とも言えませんが、やはり小松を見て城の造りや周りの地形を観察して防御の薄い箇所を見出したうえの総攻めとなるでしょう。しかしそれだとこちらの犠牲も甚大です」

「ふむ…」

 隆広と勝家は腕を組んで考えた。傍らの文荷斎も何とかいい智恵を出そうと思うが中々浮かばない。

「殿、それがしが以前に安土に赴いた時に大殿からいただいた言葉ですが…」

「『女子供一人でも生かしておいたら、城を落としても認めぬ』と云うアレか?」

「御意、こちらがそういう攻め気と云うのは城を守る側にも伝わるはずです。敵も当然必死に抵抗します。城攻めは本来城側が降伏してくれば許して受け入れるのが暗黙の了解となっていますのに、門徒相手ではそれは出来ない事。古来、篭城戦守備側は物資と兵糧の備えあれば十倍の敵とも互角に戦えると云われていますし、いつ加賀御殿の門徒が背後から来るとも限りません。敵に援軍が来る可能性があるうえ、我らは敵の三倍にすぎません。即座に落とす必要がございます。いささか下策ですがこういうのはどうでしょう」

「申してみよ」

「はい、一向宗門徒は上は富んでいますが、下は貧しい。だから加賀の町で米を高値で買い占めます。そして隣の能登や越中では米は安いと噂を流します。そうすると、売った金で越中や能登の米を買い、その差額で利益を得ようとするでしょう。念を押して小松城の台所番にその米ころがしで大金を得たと吹聴すれば、必ずや台所番は米を売るはずです。手に入れた金で隣国から米を買わぬうちに我が軍が包囲。兵糧はカラの状態。士気は激減。空腹で敵兵のチカラ衰えるのを数日待って、それから総攻めいたします。買占めにて失った金も城を落とせば戻りますので兵も財も我が軍は失いませぬ」

 老臣の中村文荷斎は隆広の懸案にあぜんとした。

「…いい考えだが、それは却下だ」

「…やはり下策にすぎますか」

「言いたくはないがそうだ。隆広、勝つにも形がある。相手は篭城とはいえ五千、しかも武士ではない門徒だぞ。こちらは織田の精鋭で数は三倍の一万六千。それなのに何の攻撃もせずに兵糧攻めなどをしたら今後に強敵と戦う時に何とする。他の大名たちは織田北陸部隊の我らを侮り、この越前に押し寄せてこよう」

「は…」

「中々の策であるのは認める。伊丹の時のように、お前が総大将の時は使ってみるがいい。だが今回の戦の指揮官はワシである。今お前の申した策を用いれば小松を落とせるだろうが、ワシはそういう戦は好かぬ。心得ておけ」

「はい!」

「とはいえ、攻める作戦も小松を実際に見ない事にはな。だが我が軍の時間は三月しかない事はよう分かった。何とか短期で落とすよう現地で作戦を練らねばなるまい。もうよいぞ、下がれ」

「は!」

 隆広が勝家の部屋を出ると、中村文荷斎が追いかけてきた。

「隆広よ」

「文荷斎様」

「気を落とすでない。本当に名案であったぞ、ワシが勝家様なら入れていた案じゃ」

「ありがとうございます」

「しかし、勝家様はああいうお人じゃ。だから人がついてくる」

「はい、立場上考えを進言しましたが、それがしもああいう殿が大好きです」

「ん、何とか柴田の戦ぶりで小松を落とそう」

「はい!」

 

 この水沢隆広の兵糧攻めの方法を伝え聞き、実際に使ったのが羽柴秀吉である。隆広は数日の間だけ兵糧攻めにし空腹で相手のチカラを削いだうえで総攻めと考案したが、秀吉のやりようはさらに苛烈で、織田に叛旗を翻した別所長治の三木城、毛利攻めにて鳥取城を攻めた時、敵兵が死肉を食べるまで追い詰めるという残酷なものだった。

『ワシは人を殺すのは好かん』と公言している秀吉であったが、敵側にとってはむしろ鉄砲か弓矢で死んだほうがマシであったろう。『羽柴筑前は鬼みたいなヤツだ』と兵糧攻めの生還者は述懐していると云う。

 しかし柴田勝家はこういう戦法は好まない。合戦前の調略等の根回しも好まない勝家。根っからの武人の勝家には戦場で戦って勝つ事こそが武士道なのである。一部の歴史家が『それが勝家の限界』とも辛らつに述べているが、そんな勝家だからこそ裏表の無い優れた者が惚れてくる。水沢隆広もその一人である。

 しかし、この小松城の戦いは隆広にとってつらい事が待ち受けていたのである。



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小松城の戦い(後編)

 柴田勝家率いる軍勢一万六千の兵は、大聖寺城を橋頭堡に一向宗門徒五千の篭る小松城に攻め寄った。隆広は勝家本隊と共に後詰として位置していた。

 そして小松城に到着した当日、小松城の東に沼地があり、敵方が寄せようのない事から城の東方は警備と防備が手薄と判明した。沼地の水深は比較的浅いので、夜のうちに木板や筏を沼地に並べるように浮かせて侵入経路を作り、そこから攻めてはどうかと云う隆広の意見が通った。

 翌日に佐久間盛政隊、佐々成政隊、前田利家隊、毛受勝照隊、不破光治隊が城に一斉攻撃を仕掛けると勝家が決定した。

 その夜間の作業は隆広が指揮を執る事になり、隆広は本陣をあとにして全軍の工兵を集めた。

「翌朝になって敵に仕掛けがばれては何にもならない。今のうちから木々の伐採にかかってもらい、夜間で沼地の水面を板と丸太で覆いつくす。そして夜が明ける前に夜襲をかける。こたびの合戦、そなたら工兵にかかっているぞ!」

「「ハハッ」」

 

 時を同じころ、柴田勢本陣。

「申し上げます!」

「うむ」

「敵軍勢、二千で討って出てきました!」

「向こうから出てきたか! よし、備えていた先鋒の盛政、成政、利家、勝照、光治の軍勢に当たらせよ!」

「ハッ!」

 

「申し上げます!」

 本陣から離れた隆広の本陣、戦闘状態に入った事が伝令により報告された。

「戦闘状態に入ったと?」

「はっ 小松勢が城から討って出て参りました!」

 状況が変わった。もはや隆広の城攻めの策は使うに適さない。

「そうか…。佐吉、工兵に伐採は中止し各備えに戻れと伝えよ」

「はっ」

「で、討って出てきた敵勢の兵数はいかほどか」

「二千ほどにございます」

「二千…?」

「はい、そして討って出てきたものの柴田の陣容を見てすぐに退きました。すぐに追撃しておりますが、敵勢と共に小松城に雪崩れ込めるのは必定かと」

 隆広はそれを聞くとすぐに本陣の軍机に置いてある地形図、そして勝家の忍びが掴んだ小松城の簡略図を見て軍机に扇子を叩きつけた。

「バカな! すぐに先鋒隊を退かせろ! 罠だ!」

「は…?」

「急ぐのだ! 先鋒隊が全滅する!」

「は、ははッ!」

「慶次、伝令兵一人では止まるまい、そなたも行け。松風の迫力ならばたいていの馬は止まる。大手門をくぐったら最期だと脅してまいれ!」

「ハッ!」

 前田慶次はすぐに陣幕を出て、自分の手勢を率いて先鋒隊に向かった。

 

 隆広はそのまま頭を抱えて軍机にもたれた。

「隆広様…罠とは? しかも全滅とは…」

 奥村助右衛門が尋ねた。

「この小松城の図面を見ろ」

「図面…?」

「大手門を越えると広大な空地がある。オレが城主ならば、ここに落とし穴を掘り、城に引き入れて敵の軍勢を落とし、身動きが取れなくなったところに一斉射撃をして駆逐する」

「隆広様、そんな奇計を考え付くのは隆広様だからでございましょう。敵将の若林長門がそんな高度な策を扱えるとは…」

「…佐吉、合戦は常に最悪の事も考えなくてはならない。オレの危惧がハズレならば、それが一番いい。しかし的中した場合先鋒隊は全滅する。落とし穴に落ちたら鉄砲などいらぬ。弓矢で全軍ハリネズミだ」

 水沢軍の軍監を務める老練の中村文荷斎も小松城の簡略図をしばらく眺め

「おそらく隆広の危惧は当たりじゃろう。隆広、永福(助右衛門)も向かわせて止めたほうが良かろう」

 と、意見を同じくした。

「はい! 助右衛門頼む!」

「承知しました! 奥村隊ついてまいれ!」

「「ハハッ!」」

 

「よし! 敵は引くぞ! このまま小松に雪崩れ込め―ッ!」

 佐久間盛政と佐々成政は有利を確信して、敵勢を追撃しながら小松の大手門をくぐった。

「……ッ!」

 

 ドドドドッッ!

 

「なんだこれは!」

「うわあッ! 落とし穴だ!」

「助けてくれ―ッ!」

 

 佐久間盛政隊、佐々成政隊がそんな状況とは知らず、前田利家、不破光治、毛受勝照隊も大手門に迫りつつあった、その時。

 

 ドンッ

 

 前田慶次が先鋒の前田利家隊の先に回りこんだ。そして松風が脅威の眼光を持って将兵の乗る馬を見た。馬は恐怖で凍りつき、一斉に止まった。急に止まり落馬する者が相次いだが、利家、光治、勝照は馬の首を掴んでこらえた。

「なにをするか慶次!」

「叔父御! そして先鋒を務める各将よ! 我が主君隆広の言葉を伝えます。『大手門をくぐれば最期だ』と!」

「さ、最期? それはどういう意味か」

「さあ、そういう指示でございますので」

「さ、さあとは何だ! キサマそんなあやふやな指示でこの攻撃の好機に横槍入れたのか!」

「利家様!」

「助右衛門…」

「ハアハア、すいません。詳細を伝えます」

 奥村助右衛門は利家、光治、勝照に隆広の意図を説明した。ようやく理解を示した三将。

「確かに…敵にそんな備えがあったら我らは壊滅だ。しかしそれは想像の範疇であろうが! 今ごろ雪崩れ込んだ軍勢は後につづく我らが来ずに苦戦しているかもしれぬのだぞ!」

 と毛受勝照が助右衛門を叱った時だった。大手門から命からがら逃げてきた兵がいた。

 

「お、お引きを! 敵に策がありました! 大手門をくぐった直後に落とし穴にはまり、狙い済ましたように城壁から雨のような矢が! 佐久間隊、佐々隊壊滅にございます!」

「なんだと…!」

 助右衛門を叱っていた毛受勝照は絶句した。

 

 ダーンッ!

 

「ぐあ!」

 利家たちに先手の凄惨を伝えた兵は狙撃により絶命した。

「なんとしたことだ…! こんな二流の策にひっかかるとは!」

「前田様―ッ!」

 隆広が兵をつれてやってきた。

「おお、隆広!」

「前田様、不破様、毛受様! ここは大手門周囲を包囲して鉄砲と弓矢で敵を牽制して佐久間隊と佐々隊の救助をする以外にありません!」

「分かった! よいか! 前田、不破、毛受の各隊は水沢隊の指揮下に入る! 飛び道具を持つ者は大手門周辺に配備! 騎馬隊は馬から降り盾を持ち射手の防備! 歩兵は佐久間隊、佐々隊の救助に入れ!」

「「ハハッ!」」

 

 大手門周辺の激闘が始まった。隆広は鉄砲と弓を交互に撃たせ、城壁の射手を狙撃した。こうなると柴田軍の方が数は多い。城壁の上にある射手はバタバタと倒れていった。

 当然、この様子は本陣の勝家に伝わった。

「佐久間隊と佐々隊が壊滅だと!」

「はっ 辛うじて前田隊、不破隊、毛受隊は水沢隊の制止が間に合い難を逃れましたが佐久間隊と佐々隊はほぼ壊滅!」

「なんということじゃ!」

「現在、大手門周辺で水沢隆広様指揮の元に攻撃中!」

「よし! ワシも討って出る!」

「なりませんぞ殿!」

「ええい止めるな文荷斎! だいたいキサマ、隆広の軍監であろう、ここで何をしているか!」

「隆広は、『状況を知れば殿は出てくるに違いない。それを止めてください』とそれがしに頼みこちらに寄こしました! 今のそれがしの主は隆広にございます。その命令に従わなくてはなりませぬ。絶対に殿をここから出しませんぞ!」

 

 佐久間隊と佐々隊の救助に向かったのは隆広の兵である。城門をくぐると同時に槍が襲ってきたが、隆広は弓隊の盾隊を槍隊と行動させた。盾隊は鉄砲の弾さえ通さない鉄板を張った大盾を渡されている。ふいをついてきたが、それは盾に封じられ、逆に隆広の兵たちの槍に突かれた。

 それを繰り返しているうちに大手門周辺から敵は後退していった。佐久間隊と佐々隊の生存者はわずか全体の六割程度。四割にも及ぶ犠牲者を出してしまった。盛政と成政は辛うじて生き延び、城外に助け出された。自分を肩にかつぐ兵士の旗指しを見て隆広の兵と分かると、盛政は悔しさで一杯になった。一番助けられたくない男に助けられたと思ったからである。生存者すべてが城外に連れ出されたと隆広に伝えられると

「どんな巧妙な罠も成功しなければ裏目に出る。開放済みの大手門から一気に攻め入る。本陣に本隊、可児隊、徳山隊、金森隊の加勢を要請! 一気に本丸に突撃する!」

 と号令した。

「「オオオッッ!!」」

 

 小松城は落ちた。城主の若林長門は金沢御殿に逃げ延びた。大手門で勝家はその報告を受けて追撃を命じたが、早い時期に彼はすでに逃げていたので追いつけなかった。落とし穴に伴う奇計は時間稼ぎであったのだろう。小松勢の犠牲者はまたも名もない門徒である。

 城下の長屋も火に包まれた。それを指示したのは隆広である。もはや抵抗するチカラをなくした門徒たちが捕らわれていく。着物が乱れた女が死んでいた。おそらく柴田の兵士に陵辱されたのであろう。その女の死体の側に二人の童がいた。小さい妹は母の亡骸にすがりついて泣き、その兄と思える童は悔し涙と鼻水を流して隆広を睨んでいた。隆広はその視線から目を逸らさなかった。いや逸らせなかった。

 小松城を占拠し、そして勝どきをあげる柴田軍。だが隆広の顔には笑顔はなかった。

 柴田勝家は小松城に残る者の殄戮(『てんりく』殺し尽くす事)を隆広に命じた。下命の時、

「良いか、大殿の『女子供一人でも生きていた場合は城を落としても認めぬ』と直にそなたは聞いたのだ。わかっておろうな、殄戮せよ!」

 と厳命した。この戦いには信長直属の戦目付けも柴田本陣にいる。ごまかしなど利かないのである。隆広の繊細で優しい気性を知る前田利家や不破光治は『隆広では逃がす可能性がある。あいつの優しい性格では無理』と考え、我々の隊がやると名乗り出たが、『過保護じゃ』と勝家に一喝されてしまった。隆広にとり、ここまで敵を殲滅した合戦は初めてでもあった。そしてその指揮を自分が担当したのも。

 

 隆広と助右衛門が城下の家に入ると、短刀を構えて震えている少女がいた。妻のさえと年ごろが同じで、その娘はさえが好む桃色の着物を着ていた。隆広の後ろに立つ奥村助右衛門が言った。

「どうします? 殺しますか、楽しみますか?」

「楽しむ…? 犯せとでも言うのか?」

「それが敗者の定めです。奥方以外の女は知らぬのでしょう? 楽しんだらどうです? 奥方には遠慮してできない行為も好きなだけできまする」

 助右衛門は隆広が戸惑うほど、日常クチにしない無慈悲な言葉をことさら娘に聞こえるように言う。娘は首に短刀を突きつけた。

「仏敵勝家の下っ端武将にこの身を汚されるくらいなら!」

「よ、よせ!」

「南無阿弥陀仏…! これで御仏の元に行ける…!」

 

 ザシュッ!

 

 娘は自ら首を切り裂いた。吹き出した血が隆広にかかる。

「バカな事を…! あたら花の命を何て粗末に…!」

 隆広はガクリと膝をついた。

「どのみち…陵辱された上の斬刑が娘には待っていた…。当家の雑兵に犯されることなく、自分で命を断てた分だけマシでしょう」

「助右衛門…!」

「『見逃すと云う選択肢があったではないか』と云う目ですな。だがそれはできません。確かに女は殺すものでなく愛でるもの。されど一向宗門徒に限っては別です。殄戮せぬ限り、血に飢えた敵の雑兵に恋女房を献じるのはいずれ我々になります」

「……」

「大殿に、門徒一人でも逃がしたら城を落としても認めぬ。そう言われておられるはずですな?」

「言われている」

「なら、ためらいますな。鬼になられよ」

「…分かった」

「さ、次の家に参りましょう」

 次の家には火の手が上がっていた。だが火の手をあげて、そのすきに逃げ出すと云う方法もありうるので隆広と助右衛門は家に入った。すると、そこでは二十人ほどの家族が集団自決をしていたのである。幼い子も、年寄りもいた。

「う、ううう…」

「生きているのか…!」

 隆広は苦悶の声をあげている者のところへ走った。その者もまた、さえと歳が同じ頃の娘だった。死にきれず、苦悶しながらも娘は自分に歩んでくる者がいることに気付いた。

「あ、あなたはお味方ですか…敵…ですか…」

「…味方だ、安心なさい」

『敵だ』と隆広は言えなかった。娘の苦悶の顔から安堵の表情が出た。

「どうぞ…とどめを…!」

「…分かった、今…ラクにしてさしあげる」

 隆広はうつぶせで横たわる娘の左肩をあげ、そこから心臓めがけて脇差を刺した。脇差を収め合掌し、隆広はその場を立った。

「次にいくぞ」

「…は!」

 隆広の指揮の元、潜んでいた門徒たちは見つけられ、ある者は斬られ、またある者は捕らえられた。味方の家族たちのため、領民のため、隆広は鬼になるしかなかった。

 勝家は『降伏も許さず斬れ』と命じている。それほどに『南無阿弥陀仏と唱えて死ねば極楽に行ける』と盲信している一向宗門徒の狂気を恐れていたのである。義将と呼ばれる上杉謙信でさえ、一向宗門徒との戦いでは殄戮を迷わなかったと言われている。

 

 捕らえられた者たちの処刑が始まる。小松城の錬兵場でそれは行われる。勝家が見分の元、どんどん処刑場に門徒たちが連行されてきた。勝家のすぐ横に隆広は座らされた。兵が報告に来た。

「殿、捕らえました門徒たち。おおよそ数百人と云うところです。他に潜んでいた者たちは水沢様指揮の元に殄戮いたしてございます」

「ふむ、隆広ようやった」

「…はっ」

「あとは捕らえた者たちを見せしめのため処刑するだけじゃ。織田家に矛を向けたらどうなるか門徒も少しは理解しよう」

 連行されてきたのは負傷兵、そして女子供と年寄りたちだった。女の中には全裸の上、大腿部に血を垂らして歩かされている者もいた。おそらく隆広の兵以外の雑兵たちが陵辱したのだろう。心身傷つき、焦点の定まらない目。その女は勝家の前で立ち止まった。

「おのれ…柴田勝家! 人面獣心の悪鬼羅刹! 末代まで織田と柴田に祟ってくれようぞ!」

 憎悪のまなざし、そして血を吐くように恨みを叫ぶ女。勝家は視線を逸らさなかった。

「斬れ」

「地獄の鬼になって! 永遠に柴田に祟り続ける!」

 

 ズバッ

 

「ギャアアアッッ!」

 隆広は目を背けた。連行されてきた女たちは老婆を除けば全員陵辱されていた。

 織田と柴田の軍規では略奪や陵辱が固く禁じられている。だが一向宗門徒相手には別だった。『犯すなり好きにせい』と許されている。だから柴田の兵は容赦なく若い娘を捕まえて集団で犯したのである。隆広の隊だけは相手が一向宗門徒であろうと略奪と陵辱は禁じているが、他の隊は違うのである。

「ひどい…あんなまだ初潮も向かえていないような娘まで…!」

 まだ十歳くらいの娘がボロボロの状態で連行されてきた。誰が犯したのかは知らない。だがそんな者が味方にいると隆広は信じたくなかった。

 処刑場に残る門徒すべてが連れてこられた。勝家はスッと立ち上がり指示した。

「皆殺しにせよ!」

「「ハハッ!」」

 

 さながら屠殺場のような処刑が隆広の眼前で繰り広げられた。始まって間もなく隆広は嘔吐を覚え、勝家の傍らから離れた。だが勝家は厳しかった。隆広の後ろに座っていた前田慶次に命じた。

「…慶次、連れ戻せ」

「はっ」

 

 処刑場の外で隆広は嘔吐していた。

「オエエ…」

「惰弱な!」

「慶次…」

「いかに傑出した軍才と行政能力があったとしても! そんな細い精神で乱世を生き残れるとお思いか!」

「もういい…! たくさんだ…!」

 慶次は隆広の言い分を聞かずに奥襟を掴んで処刑場にズルズルと引きずっていった。

「は、はなせ! 見たくない!」

「いや見なければならない! 見る義務が隆広様にはあるのです!」

 隆広はそのまま慶次に引きずられて、再び勝家の横に連れてこられた。

「見届けよ。これが戦よ」

「…殿」

 小松城攻め。隆広の一つの機転がもたらした勝利だった。だが隆広にはあまりにも辛い勝利だった。

 

 小松城代に徳山則秀が命じられ、柴田軍は北ノ庄に凱旋した。領民の歓呼の声に迎えられる柴田軍。さえは隆広を見つけた。『お前さま』と声をかけようとしたが、できなかった。他の将兵が勝ち戦で沸き返り、領民に手を振っているに関わらず、隆広だけ大敗でもしたかのように憔悴しきっていたからである。

 その隆広の後ろを進む助右衛門、慶次、佐吉も心配そうである。

「勝ったというのに元気がない。隆広様は勝った後の戦後処理で心を痛められたようだ」

「それを云うな助右衛門…。伊丹の時と今回の戦は違う。一向宗門徒が相手だ。根絶やしにしない限り、越前に平和はこない。勝家様とて辛かった決断だろう…」

「しかし慶次様…! 何も隆広様にやらせなくても…!」

「オレが勝家様でも隆広様に命じている。隆広様の最大の欠点は心がお優しすぎること。荒療治も必要だろう…」

「だからといって…! ああ、おいたわしい…!」

「もう泣くな佐吉。凱旋中だぞ」

 

 軍勢は錬兵場で解散し、隆広はトボトボと家路についた。笑顔で夫を迎えるさえ。三つ指を立ててかしずく。

「おかえりなさいませ」

「…ただいま」

「あらあら、そんな汚れて! 湯が沸いていますよ!」

「……」

 愛妻の笑顔を見た瞬間に、隆広はこみ上げる気持ちを抑えきれなくなった。

「さえ…」

「はい?」

「さえ…ッ!」

 隆広はさえを抱きついた。膝枕に顔を埋める。少し肩が震えていた。最初は驚いたさえだが、すぐに隆広を抱きしめた。

「つらいことが…あったのですね…」

「……」

「泣いてください、男だからって我慢する事はないのです。思い切り泣いてください」

 さえは少し嬉しかった。いつも自分を子ども扱いしていた夫が子供のように自分に甘えてくれた事が。弱みを見せてくれた事が。

 

 一方、勝家の妻のお市はと云うと

「隆広にそんなことをさせたのですか!」

「何をそんなに怒っているのだ」

 事を聞くと、市は憤然として勝家に怒鳴った。勝家の持つ杯に注ごうとしていた酒を引っ込めて酒瓶を畳にドンと置いた。

「あの優しい隆広に殄戮を命じるなんて! 今ごろどんなに心を痛めているか!」

「確かに内政においては、あの優しさはいいだろう。だが戦時においては命取りにもなる! ワシが意地悪な気持ちで命じたとでも思っているのか! 一向宗門徒相手には鬼とならねばならぬ。荒療治が必要だった」

「ですが、悪夢にでもうなされて立ち直れなくなったら…!」

「そんな弱い男に隆家殿が養育するものか。しばらくは沈んでいても必ず立ち直るわ」

『酒!』と云わんばかりに杯を市に出す勝家。

「殿…」

「心配いらぬ。さえもおるし、助右衛門たちもついている。何よりあやつはワシらの…」

 少しの微笑を浮かべ、勝家は市に注がれた酒を飲み干した。

 

「もう泣き虫は静まりました…?」

「うん…。少しみっともなかったけれど思い切り泣いてスッとしたよ。ありがとう、さえ」

「ううん、少し嬉しかったです。だってお前さまが子供のように…うふ♪」

「偽善の極地だけれど…加賀も越前も、そして日の本からも戦をなくして平和な世にすることが…オレが手を下した人々への唯一の償いのような気がする。そう信じて働くよ。殿のために、北ノ庄の人々のために、そしてさえのために」

「お前さま…」

「さあ、明日からまた行政官に逆戻りだ。忙しくなるな」

「はい」

「だから、もう一回…」

「んもう…何で、それが『だから』に繋がるのですか? 助平…」




作中にある「あなたはお味方ですか、敵ですか」に対して隆広が「味方だ」と云うシーンは、あの大型時代劇白虎隊から使わせてもらいました。悲しいシーンでござるなぁ。


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路傍の賢者

今さらですが、ニコニコ動画に投稿したアイドルマスター×天地燃ゆ『im@s天地燃ゆ』では主人公の水沢隆広は水沢政勝と云う名でして、通称は『大作』です。大作と云う名前、好きなんですよね。


「お前さま、大丈夫ですか?」

「ああ、もう大丈夫だ」

 ここは北ノ庄城下、佐久間盛政の屋敷である。盛政は小松城の戦いで深手を負ったが、数日経ちかなり容態が良くなっていた。今は家の庭を散歩できるほどになった。だがまだ包帯はとれる状態ではない。盛政の妻である秋鶴が案じた。

「父上―!」

「おお、虎か、こっちにこい!」

 当年十歳の娘の虎を抱き上げた。

「アイチチ……」

「ほら言わぬことではありません、横になって下さい」

「ああ、分かった」

 虎を下ろし頭を撫でた。

「すまんな、虎、もう少ししたらもっとたくさん遊んでやるからな」

 隆広には冷たい盛政も娘や妻には暖かい人物であった。妻の言うとおりにして横になる盛政。

 

「小松でお前さまを助けて下されたのは水沢様、佐久間家として何かお礼をしなければなりません。私ちょっと行ってまいります」

「……必要ない。むしろ余計な事をしたとオレは腹に据えかねている」

「またそれ、どうしてお前さまは水沢様をそう嫌うのですか。水沢様の奥様が見舞いに来た時も眠っていると私にウソつかせてまで会わないし!」

「うるさいな、嫌いなものは嫌いなんだ、仕方ないだろ! アイチチ……」

「分かりました。でも夫の命を助けてくれたのに何も礼をしなければ佐久間家の女は礼儀も知らぬのかと北ノ庄城下で笑われます。そんなの私耐えられません。佐々様も奥様が小丸から出向いて礼を述べたらしいですし、私、勝手にやらせてもらいます」

「勝手にしろ! ったく」

 盛政は蒲団にもぐりこんだ。

「奥方様、水沢様へのお礼の品、揃っております」

 侍女が揃えて持ってきた。あまり高価な品ではかえって迷惑なので、酒三樽と初鰹三匹だけであるが。

「そんないいものあやつにくれてやることない!」

「佐々様の奥様と量的には同じです。ちゃんとつり合いは取れております」

「……隆広は成政の妻からの礼品を受け取ったのか」

「はい、もっともすぐに掘割の人足たちへの労いで消えたらしいですが」

「ほれみろ! 人の謝礼をすぐに他人に与えるのならくれてやる必要なんてない!」

「何を言うのです。そういう使われ方をされてこそ、お渡しする意味があるのではないですか」

「まったく、ああ言えばこう言う! 勝手にしろ!」

 頭から湯気を立てて、盛政は蒲団に入った。

「水沢様に本日伺うと伝えてありますか?」

 秋鶴は侍女に尋ねた。

「はい、そろそろお約束した時間です」

「よろしい、では虎、出かけますよ」

「は―い」

 盛政は飛び起きた。

「何で虎姫まで連れて行く!」

「なんでって……水沢様は北ノ庄で名うての美男。虎が見てみたいと言うので」

「い、いかん! 連れて行っては、イチチチ……!」

「夫の面倒をお願いね」

 侍女に言い渡し、盛政の妻の秋鶴と娘の虎姫は下男に礼品を荷台に引かせて隆広の家に向かった。

 

「ごめんください」

「お待ちしておりました、さ、主人がお待ちです」

 隆広の妻さえが秋鶴を通した。居間にて隆広は盛政の妻と娘に会った。もはや水沢隆広と佐久間盛政が犬猿の仲と言われているのは有名であったが、それゆえに隆広は盛政の妻と娘に会うのを楽しみにしていた。

「はじめまして、水沢隆広です」

「こちらこそ初に御意をえます。佐久間盛政の妻の秋鶴にございます。ここにいるのは娘の虎姫にございます」

「虎姫……ずいぶんと勇ましいご尊名。お父上の勇猛に相応しいですね」

 母の後ろで頭を垂れていた虎姫は隆広の顔を見るなり頬をポッと染めた。美男と聞いてはいたが、それは秋鶴と虎の想像を超える尺度だった。

(あらあら、虎ったら)

「ご主人、盛政殿のご容態はいかがですか?」

「はい、おかげさまでもう庭を散歩できるほどになりました」

「そうですか、良かった」

「これというのも、小松の戦いで水沢様が夫を助けて下されたおかげです。夫は表立って礼はいいませんが、私ども佐久間家の女たちはとても感謝しております」

「いえ、同じ柴田家の者。当然の事をしただけです。周知のとおり、それがしと佐久間様はあまり仲が良くはないですが、それは平時の事です。立場が逆でも佐久間様はそれがしを助けて下されたはずです」

「ありがとうございます。お礼といってなんですが、佐久間家から礼品を用意しました。受け取って下されると幸いでございます」

「分かりました。ありがたく受け取ります。佐久間様の一日も早い快癒を祈っていると申していたと伝えて下さい」

「お言葉、嬉しく頂戴します」

 その後、隆広とさえと秋鶴は楽しく歓談した。子供の虎にはつまらない話であろうが、虎はずっと隆広の顔を飽きることなく見ていたのである。

 

「虎、そろそろ帰りますよ」

「……もう?」

「何を言っているの、大人の話ばかりで退屈しているかと思っていたのに」

「ははは、そうだ。虎殿にはお土産を一つお渡ししましょう。さえ、小瓶のあれを」

「はい」

 隆広は虎に一つの小瓶を渡した。それは透明なビン。虎も秋鶴も初めて見るビンである。

「これはギヤマン、南蛮の技術が作った透明なビンです。そして中にあるのは金平糖と言いまして、同じく南蛮の菓子です。手前のよく知る商人が堺土産にくれたのですよ」

「そんな貴重なものを娘に……」

「いえいえ、今日の縁を大切にしたいですから。私は戦時でも平時でも、佐久間様と共に柴田を支えていきたいのです」

「水沢様……」

 ビンから金平糖を一つだけ取り出し、虎の口に優しく差し出す隆広。虎は恐る恐るそれを口に含んだ。

「あ、あま~い!」

 満面の笑みで口の中の金平糖をなめる虎姫。

「これを虎に?」

「ええ、受け取って下さい」

「ありがとう、水沢様!」

 

 隆広とさえは秋鶴と虎姫の姿が見えなくなるまで家の前で見送っていた。秋鶴と虎姫は家に戻ると盛政に隆広を褒めちぎった。そんな隆広びいきの妻と娘の言葉に盛政の機嫌は悪くなった。

 だが隆広が言った言葉の中で一つだけ嬉しいものがあった。それは『立場が逆でも佐久間様はそれがしを助けてくれたはず』と云う言葉。

 そして思う。自分がその立場なら隆広を見捨てていただろうと。隆広の言葉を嬉しいと思う反面、たまらなく惨めにもなった盛政である。

 そして虎姫は想像できただろうか。今日自分が頬をそめた相手と後に……。

 

 この日、隆広は秋鶴と虎姫との面会を終えると源吾郎に会いに行った。本日に舞、すず、白が『流行つくり』の主命を終えて帰ってくると聞いていたからである。

 三名は見事に越前の名産品の評判をあげて京と堺に販路を確立したのだった。それどころか堺の硫黄や、京の茶を越前敦賀への流通も取り付けたのである。彼らの働きに隆広は無論、当主である柴田勝家も満足させた。

「三名とも、素晴らしい出来栄えで満足している。お疲れ様」

「もったいなきお言葉にございます」

 すずが頭を垂れた。源吾郎が隆広に盆を渡した。上には三つの袋が乗っていた。

「少ないが、オレからの気持ちだ。受け取ってくれ」

「うひょう! 気前のいいご主君て大好きよ! 隆広様!」

「これ舞! はしたない!」

「いいじゃないですか、上忍さまァ」

「まったく、最近のくノ一は慎みがない!」

 すず、白も隆広からの報酬を受けた。本来彼らは上司忍者である源吾郎こと柴舟からの給金のみが収入である。現在で云う臨時賞与と云うところだろう。舞は銭の入った袋に頬擦りした。いまや北ノ庄は楽市楽座などで栄えてきているから、舞やすずにも欲しい物はある。里を出て北ノ庄番になったのが嬉しかった。任務がなければ彼女たちも普通の年頃の娘なのであるから。

「ふんだ、で、隆広様。次も『流行つくり』?」

「そうしたいところだが、もしかしたら近々合戦があるかもしれない。しばらくは待機だな。だがそれが落ち着いたら敦賀に来る蝦夷地の牡蠣を伊勢に広めたい。同時に伊勢海老を越前に入れたい。待機中はその方法を算段していてくれ」

「分かりました。蝦夷地の牡蠣と伊勢海老ですね。で、合戦て?」

「うん、実は先日に織田と畠山が同盟を結んだ」

「畠山ァ? 能登の小大名と大大名の織田がどうしてなのですか?」

「上杉に備えてだろうな。上杉は最近一向宗門徒と和睦し、北条家と同盟も結んでいる。もはや越後を攻めるのは出羽の最上くらいだ。そしてその最上へ対しては国境に防備を強化していると聞く。つまり越軍の大半は今自由が利く」

「能登の南の越中はすでに上杉領……。では能登を?」

「そうだ、だが一向宗と和睦したという事は、東加賀をそのまま妨害なしで通過できてしまう。湊川から西の西加賀は織田領。そこを取られたら……」

「この越前!」

「その通り。残念だが上杉軍は戦国最強の軍隊と云っていい。軍神謙信公率いる軍勢が畿内に乗り込んできたら、安土まで一直線だろう。なんとしても加賀で謙信公の南下は阻止しなくてはならない。それで利害の一致した能登の畠山と織田が同盟を結んだと云うワケだ」

「なるほど!」

「だが……謙信公南下が実際あるかはまだ分からない。謙信公はまだ春日山にいるそうだからな。何より謙信公は合戦の大義名分を大切にする。たんに能登領が欲しいからと進発はすまい」

「いや、ありうると考えた方が良いでしょう」

 と、源吾郎。

「隆広様ならすでに承知でしょう。能登畠山家は分裂していると」

「聞いています」

「家老の遊佐続光を筆頭に親上杉派、同じく家老の長続連の親織田派、君主の畠山殿にはこの分裂をまとめる器量はなく、かつ病弱と聞いています。また上杉には畠山からの人質もございますれば……」

「確かに……オレが謙信公なら君側の奸を除き、人質の畠山某を立てると云う名目で能登を攻める。富山湾流通は謙信公とて欲しかろうしなァ……」

 さきほどの陽気な顔と違い、引き締まった顔で舞は言った。

「では……上杉の動向、我らが内偵しましょう」

「いや、それはダメだ。上杉には軒猿衆と云う強力な忍者軍団がいる。忍者の世界に疎いオレですら軒猿の上忍の飛び加藤こと加藤段蔵の恐ろしさは聞いている。言うには心苦しいが荷が重い」

「な、なんだとお!」

 舞は激怒して立ち上がり、冷静なすずや白も憤慨した。

「聞き捨てなりません!」

「そうです! 我らの忍びとしての力量を試しもしないでそれはあんまりです!」

「よさんか! 教えたであろう。忍びは徹底した現実主義たれと! 己の力量の算定に一切の水増しや過信も入れてはならぬと! 軒猿衆がどんなに恐ろしい忍びか! 知らぬとは言わさんぞ!」

「じゃあ上忍様も我ら三人では上杉内偵は無理だと言うのですか!」

「そうだ! 頭領の銅蔵が『飛び加藤』あるうちは軒猿と事を構えるなと何度もクチをすっぱくして言っていたのを忘れたのか!」

「お言葉ですが父上、飛び加藤はすでに老境にございます! 聞けば武田の軍師だった山本勘助と同年と云うではないですか! もはや八十歳の老人をどうしてそんなに恐れるのですか!」

「白、忍びの力量を年齢で測っている時点でお前は忍び失格だ! よいか、私も隆広様と同意見だ! お前たちでは荷が重い!」

 三人は立ち上がり、部屋を出て行く。

「どこへ行くか!」

「心配しなくても越後なんて行きません! ど―せ私たちは迫りつつある敵国の情勢さえ探れないダメ忍者ですから! せっかく隆広様にお小遣いをもらえたし! 城下で饅頭でも食べてきます! ふんだ」

 三人はふて腐れたまま、部屋を出て行った。

「申し訳ございません……お見苦しいところを見せて。やつらは里の中で優秀な忍びと言われ、『流行つくり』でも成果を示しました。少し天狗になっているのでしょう」

「いえ……少しでもそれがしの役に立とうと云う気持ちは嬉しかったです。それがし直属の忍びが動かずとも、殿や大殿の忍びが動いているはず。上杉の情報はそれらに任せましょう。それで柴舟殿、もし上杉が南下をした場合は忍兵をお貸し願いたいのです。小松の戦では助力得ずとも大丈夫と思いましたが、もしかかる戦が現実になれば相手は軍神謙信公。助力を請いたいのです。そしてその者たちの指揮は舞たちに任せますゆえ」

「承知しました。里に連絡を入れておきます」

「あともう一つ、ある作戦のため用意していただきたいものがあります。出世払いになりそうなので申し訳ないのですが……」

「なんでしょう? 我らが用意できるのであれば」

「はい、それは……」

 

 北ノ庄城下の甘茶屋で舞たちは本当に饅頭を食べていた。

「あ~面白くないなァ。私たちそんなに頼りなく思われているのかな」

 四つ目の饅頭をクチに運ぶ舞。

「いや、外に出て頭を冷やすと少し冷静な判断もできてきた。隆広様は内政主命でも適材適所を心がけておられる。上杉との戦が現実になったとしても、きっと違う局面で用いて下さるよ」

 父の言うとおり、忍びのチカラを年齢で判断してしまった自分に反省しながら白はところ天をクチに運ぶ。

「そうね。でも隆広様の危惧が当たった場合、私たちはあの軍神と呼ばれる謙信公と戦う事になるのだから、心しておかないと」

 ズズズと茶を飲むすず。

「とりあえず今は待機と言われています。その間は上忍様のお店を手伝いながら、隆広様の護衛をしつつ指示を待ちましょう」

 本当は二人が自分の考えに同調してくれて、一緒に不満をガ―ッと言いたかった舞。しかし白とすずは頭の切り替えが早い。もうさっきの憤慨は消えていた。少し残念の舞。

「ねえ、ところで護衛といえばさ。里から出された私たちの任務には『隆広様の護衛』があるけれど、『流行つくり』や他の主命を受けた時はできないよね。隆広様の兵や部下の将たちなんかちゃんとやっているの?」

「何度か助右衛門殿や父の源吾郎も隆広様に屋敷へ番兵を置くことを薦めたらしいが、隆広様は固辞したらしい」

「なんでよ白、確か部屋三つに風呂と庭に厩舎。結構広いのに…………あ、そうか」

「そういうことだ」

「……? 二人ともどうしたの」

「分からない、すず? 我らが主君は奥様との大切な二人の時間と空間を邪魔されたくないの」

 すずの顔が赤くなった。

「なに赤くなってんのよ」

「赤くなってなんかないわよ!」

「かなり好きあっているって話だものねえ。閨もアツアツかも」

「主君のそういう話をするのどうかと思う! 私帰る!」

 すずはスタスタと店を出て行った。

「なに怒ってんのかしら」

 苦笑する舞と白。

「しかし舞、どうせ主命があるまで待機だ。隆広様の士分は今まで低かったから他の大名や門徒の刺客の心配などなかったろうが、今や柴田の侍大将で、かつ隆広様は小松攻めの時に戦後処理を担当したと聞く。門徒の恨みが向けられる事も考えられる。交代で寝ずの番をさせてもらう事を父の源吾郎に許可してもらおう」

「そうね。すいません、お勘定!」

 

 夕刻、隆広は自宅への帰路にあった。足軽組頭以上の士分が住む武家屋敷は北ノ庄城からほど近い。また武家屋敷の一角に入るには兵の守る門をくぐらねばならない。それは寝ずの番で行われているが、やはり足軽大将以上の士分になると、だいたい番兵を屋敷に置いていた。

 だが隆広は置かなかった。それは舞の見越したとおり、さえとの甘い生活を邪魔されたくないからである。後の歴史家もこの点は隆広の無警戒ぶりを指している。

 そしてこの日、自宅に戻る道すがら隆広は道で倒れている老人に出会った。身なりの汚い老人だった。顔もやつれ、何日も食事をしていない、そんな状態だった。

「ううう……」

「もし、ご老体いかがしました?」

「……う、うう……情けあれば……水を……」

「…これはいかん、お飲み下さい」

 竹の水筒を隆広は渡した。

「ありがたや……」

「どうされたのですか? こんなにボロボロになるまで」

「いや……ただの家なしの流れ者にござる。お笑い下され……。これでもそれがし元は越前の野武士……。しかし参加する戦と云う戦すべてが負け戦。名を成せないままに気がつけばこの歳……。せめて死ぬなら故郷へと……そう思いここまで来ました」

 隆広はしばらく老人の顔を見つめた。

「……少しご老体の話を聞かせてくれませんか? 講義料は一食と一日の寝床にございます」

「……は?」

「見ての通り、手前は若輩。お年寄りの体験は何よりの参考となるのです。失礼ながら成功したお話より、失敗されたお話の方が。いかがですか?」

「…………」

「話したくなければ結構です。しかしこのまま通り過ぎるわけにもいきますまい。手前の背に乗って下さい」

「も、もったいない。身なりを見るに相当に身分の高い士分の方。それがしなどを背負うたら臭いますぞ」

 隆広は戸惑う老人を何も言わずに背負い、そのまま家に連れ帰った。最初さえは隆広が汚い年寄りを連れてきて驚いたが、隆広はそのまま風呂に連れて行き、髷を整えて隆広の着物を着せると結構上品な年寄りに見えた。空腹で急に物を詰めては毒と、さえの作ったカユを美味しそうに食べた。

「名乗るのが遅れました。水沢隆広です」

「妻のさえです」

「これは丁寧に……それがしは源蔵と申します。しかし、話を聞かせろと申されても水沢様はあの美濃斉藤家の名将水沢隆家殿のご養子君。それがしがお話できる事などございません」

「手前は出来ることならこの日本の戦国の世を駆けぬけ、現在は隠居している老将たちの話を敵味方関係なく、すべて聞きたいとさえ思っています。ですがとうていそれは無理です。年寄りのシワの中には経験と叡智が隠れております。たとえそれが失敗談でも。あとに続く手前にお伝え下さい」

 おだてるのが上手い、横でさえはそう感じていた。

「分かりました。では……」

 隆広のおだてに気をよくしたか、老人は惜しみなく自分の体験談を話した。昔は甲斐の国にいて武田の信濃攻めに参加した事とか、北条氏の里見攻めにも参加したなどと、とにかく老人は関東甲信越の古い合戦についてよく知っていた。知らず知らず、さえもその話に聞き入ってしまった。

 知り合った年寄りに話を聞く。これは隆広の養父である隆家がよくやっていた事である。これはと見た老人からは徹底して体験談や見聞録を聞かせてもらい、それを記録し研究して、最後には自分の叡智としてしまう。先人の生きた経験を学び、玩味し、さながら自分が見聞きし経験したかのように昇華した智恵にしてしまうのは水沢流の勉強方法であったのだ。

 隆広は最初に源蔵に会った時、彼の言動と顔に見える雰囲気から学ぶに足る知識を持っている老人と養父譲りの『年寄り目利き』で見抜いたのだろう。

 源蔵の話に身を乗り出して聞いていた。年寄りにとり、若い者が自分の話しに夢中になってくれるほどに嬉しい事はない。途中から酒も勧められ、源蔵の話は尽きることなく続いた。さすがにさえは途中で眠ってしまった。

 

「奥様には少し退屈なお話でしたかな」

「そんなことはございません。妻とて武家の娘で、妻なのですから」

「しかし、久しぶりに楽しい一日でした。老い先短いそれがしの話が水沢様の今後に役立ては負け人生だったそれがしも報われると云うものです」

「楽しかったのはそれがしも同じです。まさか山本勘助公、宇佐美定満公の用兵までお聞かせ願えるとは考えてもいませんでした。甲越の名軍師の軌跡、胸が震えました」

「勘助公、定満公の用兵は、鉄砲が主流となりつつ織田の戦ではさほど使い道がないかもしれませんが、騎馬と歩兵を用いる用兵に両名のそれは戦国屈指と、それがしは思います。水沢様の用兵に役立てばお二人も喜ぶでしょう」

「ありがとうございます。隣室に寝所を用意してございます。今日はもうお休み下さい」

「かたじけない」

 隆広はさえを蒲団の上に寝かせ、自分はその横に寝て、妻の寝息を心地よく聞きながら眠りについた。隣室の源蔵の目はまだ開いていた。

(聞いたとおりの男であった……)

 フッと笑い、源蔵もまた眠りに着いた。

 

 時を同じころ、北ノ庄城下の宿。二人の旅の僧侶がいた。

「何人集まった?」

「四人だ」

「そうか、我ら合わせて六名……。まあ十分だろう。いかに上泉信綱直伝の腕前だろうと、寝込みを襲えばひとたまりもないわ」

「しかし、侍大将までの士分になって番兵も置かぬとはな。無用心も甚だしい」

「ヤツは愛妻家で有名と聞く。二人の空間を大事にしているのだろう。ならばヤツの目の前で愛妻を犯してやろう。そのくらいせねば気がおさまらぬわ!」

「ああ、小松城の無念晴らしてくれよう」

「突き詰めれば、諸悪の根源は信長であろうし、ヤツはその部下の勝家の命令をただ受けた実行者にすぎぬかもしれぬが、それを甘受した以上ヤツも仏敵! 今日限りの命日と知れ! 水沢隆広!」




こうして、路傍に倒れている年寄りを拾って自宅に運ぶなんて、いま思うと不用心もいいところでしたね。


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刺客

 その夜は雨となった。北ノ庄の宿屋から六人の刺客が隆広の家に向かった。俊敏な動きにみなぎる殺気。武家屋敷入り口の門番は痛みすら感じる前に斬られて死んだ。次の門番交代まで数刻。それまでに仕事を完遂しなくてはならない。

 彼ら六人は小松城落城時、命からがら脱出に成功した一向宗門徒である。小松城主である若林長門に雇われた流れ忍びで、腕前を見込まれて登用されたものの、彼らは門徒衆を見捨てて自分だけ加賀門徒の根拠地、金沢御殿に逃げた若林をとうに見限っていた。

 小松城に身を置いた期間はそれほどに長くはないが、それぞれ情婦などが城下町にでき居心地の良い小松城下が好きになっていた。それを攻め落としたのが柴田勝家であり、その後の戦後処理で生き残った門徒を殄戮(『てんりく』殺し尽くす事)したのは隆広である。彼らの情婦らも柴田の雑兵に陵辱された挙句に殺された。門徒の城に門徒ではない民は存在しない。殄戮は勝家が隆広に課した厳命である。

 隆広の心も傷つく凄惨な戦後処理となったが、その尺度は敗者である門徒たちの方が大きいのは当然である。逃げて生き残った彼らの憎悪は殄戮の指揮官となった隆広に向けられた。

 これで隆広が殄戮を悔い、自分が殺した門徒たちに対して冥福を祈る意志でも見せていれば印象は違ったかもしれないが、隆広は殄戮の数日後には何事もなかったように行政官の現場指揮官として復帰している。

 それが彼らには許せなかった。戦場の仇は仇としないのが戦国の世のならいではあるが、そんな美辞麗句で片付けられるほど彼らが隆広に抱く憎悪は軽くない。殄戮の心痛のあまり隆広が妻さえにすがって泣いたなんて事も彼らは知らない。知っていたとしても歯牙にもかけないであろうが。

(…同じ思いを味わわせてやるわ! キサマの両手両足切り落とし! そして目の前でキサマの女房を犯し尽くし殺してやる!)

 

 雨の降る音で、彼らの足音もより消されていた。六人は隆広の屋敷に到着した。

(おやおや、織田北陸部隊の侍大将にしてはずいぶんと貧相なお屋敷だな…。ま、妻と二人暮しでは十分であろうが)

(…ふむ、オレも先日に内偵したときは意外に思ったものだ。六名では逆に人数を持て余す。かねて申し合わせたように、中に三人、外に三人で実行しよう。外組は万一の退路を断て)

((分かった))

(では行くぞ!)

 

 ミシ…

 

 ポチョン…

 

 雨に濡れた刺客たちの着物から水滴が廊下に落ちる。

 

 ポチョン…

 

「…!」

 隆広はパチッと目を開けた。

 

 バターンッ!

 

 襖戸が勢いよく開いた!

 

「ちぃッ!」

 隆広は枕元に置いてある刀を握り、横で眠るさえを左腕で抱いて蒲団から飛んだ。刺客の刃は枕を切った。

「何者か!」

「これから死ぬヤツに名乗っても仕方あるまい」

「…しかし、よく我らの気配を察したな。さすがは上泉信綱直伝の腕前と褒めてやるわ」

 残る二人が入ってきた。囲まれた。

「お前さま…!」

 さえはガタガタと震えていた。

「ジッとしていろ…」

 隆広はさえを離したとたんに刺客がさえを人質に取る事は分かりきっている。妻を抱きながら片手で撃破できる相手ではないことは分かった。しかし離したら確実に刺客はさえを人質にとり、結局は武器を捨てる事を迫られる。今の状態で戦うしかない。その時だった。

 

 シュッ!

 

 グサッ!

 

「ぐあッ!」

 刺客の眉間に飛び苦無が刺さった。

「隆広様!」

「白! 来てくれたか!」

「お話は後!」

 父の柴舟に交代で夜間の隆広様を護衛すべきと進言した白。柴舟は快諾し、それを任せた。そして今は白の担当の時間であった。

「忍び笛を使いました。舞とすず、父も応援に駆けつけます!」

「すまぬ!」

 突然の敵の援軍だったが刺客たちは冷静だった。そして白の投げた飛び苦無を受けた刺客。倒れて動かず死んだと思えば、にわかに起き上がり

 

 ズバッ!

 

 白の背中が逆掛けに斬られた!

「うあッ!」

「甘いわ小僧」

「変わり身…!」

 苦無は丸太に刺さっていた。出血が激しい。白はたまらず倒れた。

「ふん、こんな三流の忍びに護衛されてキサマも気の毒だな。さあ、覚悟を決めろ!」

 隆広は刀をにぎる。左腕には恐怖に怯えるさえの体の震えが伝わった。ここで自分が斬られればさえがどんな惨い目にあうか。

(一対多の戦いに勝つことが新陰流の極意とは云え…片手では無理だ…。一瞬さえを離して切りかかるしかない…!)

 

 隆広の表情から刺客は隆広が斬ってかかってくる事を読んだ。

(女房を一度放して斬りかかる気だな…。よし二人で対するから、お前は女を押さえろ)

(分かった!)

「そうはいきませぬな…」

「…源蔵殿!」

 刺客たちは無論、隆広も一切その気配に気づかなかった。それは昨日に隆広に路傍で拾われた老人源蔵だった。源蔵は隆広とさえを守るように刺客の前に立った。

「いかん源蔵殿! 殺されてしまいます!」

「心配ご無用、一向宗の流れ忍び風情が何をできようか」

「え…?」

「ぬかしたな!」

 三人の刺客は、源蔵に刀を振りかざした。

「冥土の土産にお見せしよう…『おぼろ影の術』…」

 

 ブォン

 

 源蔵が三人になった。刺客たちも、隆広もさえも、そして意識がもうろうの白も驚愕した。

「な、なんだこのジジイ!」

「軒猿…加藤段蔵である」

「な…ッ!」

 

 ザザザザ!

 

 三人の刺客は源蔵、いや加藤段蔵が隠し持っていた小太刀でアッと云う間に斬られて死んだ。

「さて、外の連中も片付けてくるか…」

 そして数秒で戻ってきた。

「水沢殿、おケガはござらぬか」

 白が息も絶え絶えに立ち上り、隆広の前にふさがり加藤段蔵に苦無を向けた。

「…加藤段蔵…。キサマ上杉の軒猿が忍び『飛び加藤』だな!」

「いかにも」

「どういうつもりかで主君を助けたか知らぬが! 軒猿の忍びと分かった以上生かして帰さぬ!」

「ほっほっほ…仕方がないのう」

 段蔵の眼がキラリと光ると、白はそのまま倒れた。

「白…! 源蔵殿何をしたのですか!」

「心配ござらん。気を失わせただけにござる。眼力で止血もいたしましたゆえ、手当てを急ぎましょう。幸い傷は浅い、化膿しなければすぐに治る」

 段蔵は慣れた手つきで白の手当てをはじめた。

「奥方殿、包帯と水。あと針と糸を」

「は、はい!」

 その時になってようやく舞たちが到着した。

「隆広様! ご無事で!」

「ああ、なんとか。すず、役人に刺客たちの亡骸の始末をするよう頼んできてくれ」

「分かりました!」

 柴舟は刺客たちの致命傷となった傷を見た。

「すごいウデだ…。しかもこれは隆広様の新陰流による斬撃ではない…」

 息子白の治療をしている老人を柴舟は見た。

「ご老体…あなたが?」

「一食と一夜の寝床、熱い風呂、そして年寄りの話を聞いてくれた恩を返したまででござる」

「……」

 さえの持ってきた包帯で、何とか応急処置は終わった。

「これでよい。幸い刺客の持っていた武器に毒は塗っていなかった。しばらくは傷により熱も出るであろうが、安静にしておれば回復する」

「ありがとうございます、源蔵殿」

 

 武家屋敷の役人が刺客たちを運び出した。隆広宅の居間に白を寝かせ、早くも熱が出始めた彼の看病にあたるさえ。その横で改めて源蔵と隆広主従は対した。

「まず、偽りの名をもって水沢殿に近づいた事をお詫びいたす。改めて、拙者は軒猿の忍び加藤段蔵でござる」

 柴舟、舞、すずは自分の耳を疑うほど驚いた。舞とすずは小太刀を抜刀してすぐに斬りかかろうとするが

「よせ、オレとさえを助けてくれたのは加藤殿だ」

「しかし…軒猿の忍びを帰しては!」

「よさんか、すず。隆広様の命の恩人ならば我らにとっても恩人。刃を向けるなどもってのほかぞ」

 体裁のいい止め方であるが、魔性の忍びと呼ばれる加藤段蔵相手に攻撃を仕掛けても、舞とすずでは相手にもならない。柴舟は二人のくノ一には刀をおさめさせた。

「ですが…どうして上杉の忍びである加藤殿がそれがしを?」

「実は…拙者はある仕事を最後に隠退するつもりでござる。歳もとり、いささか人を殺し、裏の世界で暗躍するのも飽きましての。しかし忍びの世界は、そう簡単に辞める事は許されませぬでな。その仕事で死んだ事にして忍びの世界で会得した医術を生かし、瀬戸内海の無医の孤島で余生を送ろうと思っていたのでござる」

「それと…それがしを助けた理由と何が」

「分かりませぬかな、拙者の仕事は織田北陸部隊で最大の脅威となりうる武将を殺害する事にござる」

「まさか…!」

「藤林の柴舟殿でしたかの? お見込みの通り拙者が軒猿の里で受けた命令は水沢隆広殿の暗殺でござる」

 さえはその言葉に驚いた。急ぎ隆広の横に行き、段蔵の前に塞がった。

「心配いりませぬよ奥方殿。もうかような気はございませぬゆえ」

「ほ、ホントに!?」

「いかにも。しかしこの仕事、拙者の忍びとして最後の仕事であるがゆえ拙者も少し遊び心を入れもうしてな。あえて汚い流れ者の年寄りとして水沢殿が通るであろう道に倒れておったにござる。水沢殿は仁将と伺っておりましたがゆえ、その噂どおりに拙者を見捨てずに助けたら殺さない。そのまま放置したなら殺そう、そう思っていたのでござる」

「そうでしたか…」

「試すようなマネをして申し訳ございませぬ」

 加藤段蔵は隆広に頭を垂れた。

「いえ、加藤殿がいなければ、それがしとさえは殺されておりました。さえなど殺される前にクチにするのもおぞましい陵辱を受けた事でしょう。どんな意図をお持ちであったにせよ、加藤殿はそれがしと妻の命の恩人です」

「では…それに対しての礼と言ってはなんですが、お願いがござる」

「なんでしょうか? それがしにできることならば」

「拙者が…あの一向宗門徒の流れ忍びと水沢隆広と云う獲物を取り合い、そして殺されたと云う事にしていただきたいのでござる。それで拙者は死んだことになり、軒猿の仕返しが水沢殿に及ぶ事もない。また、その刺客も柴舟殿や水沢様が討った事にしてもらいたい」

「それはかまいませんが…良いのですか? お名前に傷が…。それに忍びの仕事は実行するものと、その遂行を見届ける者がいると聞きます。我らがそれを受けたとしても軒猿の里に抜けた事は知られてしまうのでは?」

「はっははは、忍びに名声など入りませぬ。また、その見届ける者も我が幻術で加藤は流れ忍びに討たれたと思い込ませてござる。もう里に帰っているころにござろう。拙者の気持ちはすでに無医村の医者という立場に向けられております。なにとぞ拙者の申し出を受けていただきたい」

「…分かりました。何か手柄を譲られるようで申し訳ないですが、加藤殿がそれでいいと云うのならば。柴舟殿も、舞もすずもよいな」

「「ハッ」」

 コホンと段蔵は一つ咳をして続けた。

「あともう一つ、水沢殿はあまりにも無用心にござる。ありていに申して、この屋敷に来て番兵が一人もいなかったのを見て驚いたと云うより呆れ申した。織田は敵が多いですし、柴田もそれは同様。軒猿から第二第三の刺客が来るとも限りませぬし、織田家に怨みを持つ門徒の逆襲もいつあるか分かりませんぞ。また水沢殿は手柄を立てすぎてござる。妬みをもった同じ織田や柴田家中の者から寝首をかかれる事もありうる。身辺警護にもう少し気を使いなされ。二千近い兵を預かるのならば、もはや水沢殿の命はご自身だけのものではござりませぬぞ」

「金言、ありがたくいただきます」

「よろしい」

 刺客襲撃の緊張からか、隆広もさえも、柴舟とくノ一二人も気持ちが高ぶってしまったか、全然眠気が襲ってこず、その日明け方まで加藤段蔵と語り合った。

 

 そして朝が来た。

「命まで助けて下されたばかりか、色々とお教えくださりありがとうございます。加藤、いえ源蔵殿」

「いえいえ礼には及びませぬ。拙者を道端で放っておいたなら拙者も転じて刺客になっておりましたゆえ。ご自分の命と奥方の命を助けたのは水沢殿ご自身でござる」

「源蔵殿、お弁当と水筒、そして失礼かもしれませんが少しの路銀です」

「おお、これはありがたい。奥方殿、ありがたく頂戴します」

「道中、気をつけて」

 源蔵は隆広とさえ、そして柴舟、すず、舞の見送りを受けて北ノ庄を後にした。

「『死ななければ忍びをやめられない』、考えた事もなかった。上忍様、藤林もそうなの?」

 舞の質問に柴舟は答えた。

「当然だろう。まあくノ一の場合は後に母親になるから忍び自体はやめるだろうが、里から抜けることは許されない」

「厳しいなあ…」

「ま、それが忍びの世界の掟と云うものだ。さあ帰ろう」

 柴舟は白を背負い、隆広にペコリと頭を下げて自分の屋敷へと帰っていった。その途中、白が目覚めた。

「父上…」

「…白、そしてお前たち、これでよく分かったであろう。自分たちの未熟さを」

「「はい」」

「たとえ藤林で優秀でも、上には上がいる」

「はい…」

「しかし軒猿…。早くも隆広様を要注意人物と見ていたか」

 

 一方、隆広とさえ。

「台風一過だったな、さえ」

 と、苦笑しながらさえを見ると、さえは隆広をジーと睨んでいた。

「な、なんだよ」

「なに、あの二人の女忍び」

「え?」

 そういえば隆広は舞とすずの事を一切さえに言っていないのである。舞とすずは隆広に主従の筋は通しているが、それは親しそうに隆広と話していたのをさえは見逃さなかった。

「あ、ああ、彼女たちは父の使っていた忍び衆の子弟でな…」

「なんで女なんですか!」

「し、仕方ないだろう! その忍び衆がオレの元に派遣したのは白を入れた、あの三人だったんだから!」

「二人とも美人だったけれど…妙な事していないでしょうね!」

「してないよ! オレはさえ一筋だよ!」

「…あんな怖い思いをした後なのに、抱きしめてもくだされず、それどころかさえの前でよその女子と親しく話すなんてあんまりです。さえは怒りました。当分閨事お預け!」

「そ、そんなあ…」

「んもう…せっかくそろそろ明るい部屋でしてもいいかなと思っていたのに…お前さまが悪いのです!」

 さえは拗ねた顔で部屋に戻った。

「待ってくれよ! 謝るから! お預けだけは勘弁してくれよ~」

 

 隆広が刺客に襲われたと聞いた柴田勝家は隆広をより大きな屋敷に移り住むよう指示して、隆広の兵が交代で十人づつ警備する事が命令した。隆広の忍び三人も夜間はほぼこの屋敷に常駐する事になった。隆広とさえの二人だけの甘い空間は中々確保できなくなったが、それも命を守るためには仕方ない。

 

 そして、魔性の忍者と恐れられた飛び加藤こと加藤段蔵が歴史に登場することは、これ以降なかった。

 だが瀬戸内のある無医村の小島に一人の名医が現れたのは、これから間もない事だった。八十を越した老人であったが、自身の健康にも気遣い当時としては驚異的な百歳まで生き、そして最後まで医師として現役であった。そして名を源蔵と云うその医師は、その小島の歴史において比肩なき偉人として称えられ、今日も島民が源蔵の命日に祭りを行い遺徳を偲んでいる。彼がいなければ、自分はこの世に生を受けなかったかもしれないと、島民には現在も神仏のように敬われているのであった。

 

 手柄を譲られたのが心苦しかったか、後に隆広は回顧録で門徒の刺客を撃退したのは我々ではなく、その日に我が家に訪れていた老剣客だったと述べている。しかしこの発言が後の歴史家を大きく悩ませる事になる。その老剣客はいったい誰なのか長年に渡り不明だったのである。

 だが近年、源蔵の手記が発見されて歴史家たちの間で大きく問題だった門徒の忍びに襲われた水沢隆広を救った謎の老剣客の正体が明らかになった。

『瀬戸の源蔵』と『加藤段蔵』が同一人物であることが近年ようやく定説になったのである。

 冷酷無比な忍者である飛び加藤が後世に水沢隆広を主人公とした数々の物語に名脇役として登場するのは第二の人生を名医として過ごした点が後世の人々に愛されたからだろう。そしてその源蔵の手記に興味深い事が書いてあった。現代風に書くと

『“水隆(隆広の事)は源蔵と名乗りし身形卑しい自分を背負い、食と湯と床を施され、かつ拙の話を嬉々として聞くにいたる。本来拙は刺客として訪れたのに、水隆の心根に惹かれ、逆に他の刺客よりお助けした。拙がかような気になり刺客から転じて守りに向けさせたのは何であろうか。あの夜、拙が水隆の屋敷にいた事、これすべて何の巡り合わせか。神仏や天佑が水隆を生かそうとしていると拙は感じたのである”』

 飛び加藤は直感的に水沢隆広が歴史に選ばれた人間と感じたのだろう。そしてそれは的中するのか、それとも…。



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石田三成の花嫁

 掘割の作業もそろそろ終盤に達していた。高瀬舟は敦賀の町からすでに北ノ庄城下に運びこまれ、出番を今や遅しと待っていた。人々は完成したらどんな便利になるかと胸をときめかせ、時には無償で工事の手伝いもしていた。

「掘割もそろそろ完成でございますね、水沢様」

「そうですね」

 隆広と源吾郎が堀沿岸を散策しながら歩いていた。

「あとは九頭竜川の治水だな。しかし掘割よりはるかに膨大な資金を必要とする。年貢からこの資金の全額を出したら軍備や他の内政にシワ寄せが行くから無理だし、増税は論外。源吾郎殿、話と云うのはですね」

「伺いましょう」

「柴田家に国営資金を稼ぐ集団を作ろうと思う。しかも民の仕事に支障をきたさずに」

「難しいですね…。人材はどのような者たちを考えておりますか?」

「現在、越前にいる商人衆から作る気はありません。無論、藤林一族からも。つまり振り出しの状態から始めます。算術に明るい者、交渉術に長けた者を集めて一つの集団を作り、九頭竜川治水の資金を稼がせます」

「となると、武士町人農民の垣根なしで集めようと?」

「そうです。条件は算術、交渉術に優れ、かつ胆力のある者となります。三つ兼備した者は一人だけでいい。それを長にすれば大丈夫です。全員がそれだと船頭が多すぎてダメです」

 その人材を見つけてくれと云う指示という事はすぐに分かった。

「分かりました。心当たりを探してみます。して、水沢様の展望では、その資金を稼ぐ方法は?」

「うん、越前領内でこれから新たなに出来そうな産業は会所の設営、酒造り、製鉄、果樹栽培、塩田、牧畜、製紙にございます。そして元々の漁業や林業の充実を図り、荒地もどんどん美田に変える。だがこれには金がいる。だから交易です」

「交易」

「そう父の隆家が楽市楽座を道三公に起草したのは、他国からどんどん金を入れる事を目的としたためです。元は商人の道三公はすぐに理解し養父にそれを許可しました。その結果美濃は日本一豊かな国ともなりました。これを学ばなくてはなりません。

 そして時代は移り変わっています。織田家は兵農分離が進み、半農半士の国より金がいります。父の楽市以上に国の利益になる方法を考えなくてはなりません。酒田、直江津、堺、京、小田原、赤間関、博多、平戸、これらの都市の商人衆から敦賀を認めてもらい交易を行います」

「壮大なお話にございます」

「だがやらなければならない。越前にとって九頭竜川は恵みの川であると同時に、恐ろしい牙を潜める暴れ川。この治水資金はどう見積もっても六万貫は行きます。とうてい民から集められない。柴田家は越前の領主、我らの手で行い、その恩恵を民に与えるくらいでなければダメなのです」

「一文も民から取らないつもりなのですか?」

「治水工事資金だけです。その後に沿岸に作る美田の開発資金は出してもらいます。だからその前に柴田家が民に与えなければダメなのです」

 理想論だと思いつつも、隆広が言うと出来そうな気がする源吾郎だった。

「また、その稼いだ金で民たちへの診療所や学問所を作る事も考えています。薬は高価で貧しい民は病気になったら死ぬしかない。こんなバカな話はありません。また自分の名前すら書けない者がどんなに多い事か。こんな情けない話はありません。何とかしなくちゃ」

「水沢様…」

 ここまで民の事を考える行政官がいるだろうかと源吾郎は胸が熱くなった。忍者と商人の二つの顔を持つ彼であるが、その双方の顔で心から忠誠を誓える若き主人に巡りあえた幸せを無信心な彼でも神仏に感謝したほどである。

 戦国武将の中で水沢隆広が抜きん出て後世の人々に人気があるのは、この民を大切にした内政官と云う一面があるからだろう。ただ合戦が強いだけでは後世の支持はない。

「柴田家が持つ商人集団の仕事は交易です。海路陸路と販路を管理し、安値で買ったものを高価で売ると云う交易の大前提を確立してもらいます。それでかつ国営の仕事で民の雇用を増やせれば最高の展開なのですが…まあ当面はそこまで無理でしょうね」

「そうですね。出来る事から一つずつやっていくべきでしょう。私も及ばずながら尽力いたします。…おや? あの人だかりはなんでしょうか」

 隆広たちが歩く堀沿岸で六、七人の人だかりがあった。

「どれどれ、行ってみよう」

 

「だあ、だあ」

 それは城下の女が抱いている赤子を見ている人だかりであった。毛布にくるまれ、母親の胸に抱かれている赤子は愛らしい笑顔を見せていた。

「かわいいわねえ…」

 と、町民娘。

「こんな可愛い赤子を見ていると、ついつい故郷が恋しくなるなあ」

 と、旅人。

「ぐふふふふ、悪事を重ねている商人のワシでも赤子の顔を見ると心が洗われるわい」

 以前隆広に『天女のように美しい奥様にぜひ』と、石に塗料を塗っただけの『翡翠の首飾り』のニセ物を高値で売ろうとした悪徳商人の岩熊がいた。結構うまくできていたので、危うく隆広も騙されかけたが、たまたま一緒にいた佐吉がニセ物と見破り、隆広にこってりアブラを絞られた男である。

 が、どうやらこの男は三歩歩くと都合の悪い事は忘れるようで、隆広がその集団に歩いてきても平然としていた。そんな岩熊の態度に苦笑しつつも、隆広はその集団の人気者の赤子を見た。

「ほほう、これはめんこい」

「まあ、隆広さん、ありがとう」

 母親は子供を褒めてくれた隆広に礼を言った。

「いやあ、みなさんが見惚れてしまうの分かります。本当に癒されます」

「隆広さんのところはまだ?」

「ん? ああ、こればかりは天の授かり物ですから」

「隆広さんとさえさんの子なら、きっと可愛いのでしょうねぇ」

「ぐふふふ、という事はあの美しいさえ殿と。水沢屋、おぬしもワルよのう」

 と、岩熊。

「誰が水沢屋だ! しかし急に子供が欲しくなったな」

「ならば、善は急げよ! 隆広さん!」

「よ―し! 今日は子作りだ! 源吾郎殿、では!」

「でっかい声でまあ…」

「あれが若いって事ですなァ源吾郎さん、ぐふふふふ」

「悪い事言わぬから『ぐふふふふ』はやめろ…」

 

「さえ―ッ!」

「お前さま、お帰りなさい! ちょうど良かった、家臣の…」

「さえ、子供を作ろう!」

「はあ?」

 さえの言葉を聞いていない。先日に刺客を撃退した夜、隆広が女忍びと親しく話していた事をさえは怒り、しばらく自分に触れさせずお預けにしていたが昨日ようやく許して身を委ねた。

 しばらくお預けをくっていた隆広は昨夜の閨だけでは足りなかったらしい。帰るなり子作りを要望した。さっき源吾郎に見事な算段を説明していた時の顔は空の彼方に飛んでしまっていた。

「今日ものすごくかわいい赤子を見たんだ! オレも欲しい!」

「そ、そんないきなり…しかもお昼で…」

 突然の迫力にさえは隆広から後ずさりしていく。

「いいじゃないか! さあ! いざ尋常に子作りだあ~ッ」

「ちょっ、ちょっと待ってください!」

 隆広はさえを抱きしめた。後ずさりするさえを追いかけてきたので、もう場所は玄関から居間になっている。

「さあ、蒲団を…」

 居間に入ると、奥村助右衛門の妻津禰と前田慶次の妻加奈があっけにとられていた。一緒に助右衛門と慶次もいたが、場の空気を読んでその場から消えていた。残されたのは石田佐吉だけである。逃げ遅れた。

「ああ! 二人ともズルい!」

 

「だあああッ!? なんで津禰殿と加奈殿がおるのだ!」

「だから待ってくれと言ったのに…恥ずかしい…」

 津禰と加奈は一斉に吹き出した。

「あっははははは! 相変わらずの愛妻家ぶりですね! あ―おかしい!」

 涙を流して加奈は大笑いしていた。津禰は笑いをかみ殺すのが精一杯のようだった。

「んもう…家臣の方々が引越しを終えてご挨拶に見えていたのです。それなのにお前さまったら本当に恥ずかしいです。助平なお前さまは、さえ嫌いです」

「そ、そんな、ついなんだよ、つい!」

「理由になっていません。『つい』で済んだら役人いりません」

 プイと隆広から顔を背けるさえ。

「機嫌直してくれよう~。悪かったよう~」

 

「はいはい、もういいですか。ちょうど隆広様も帰ってきたことですし」

 付き合っていられるかと言わんばかりの口調で、助右衛門が居間に再びやってきた。慶次も笑い泣きしたのか、眼が潤んでいた。

「お留守の時にお訪ねして申し訳ござらん。奥方様に引越しを終えたご挨拶に…あっははははは」

「ああもう! 笑いの虫を抑えてから言ってくれ!」

 家臣の話を聞くのである。隆広はあぐらをかいて座り、胸を張った。

「遅いって…」

 加奈の突っ込みは無視した。

 

「そうか、みんな引越しを終えたのか」

 柴田勝家は先日に隆広が刺客に襲われたのを鑑み、隆広をより広い屋敷へ移るように指示し、かつ奥村助右衛門、前田慶次、石田佐吉に隆広の屋敷ほど近くに引っ越すように命令したのである。

 三人はその下命に従い、本日に引越しを終えたので隆広の妻であるさえにその報告を兼ねて挨拶に来ていたのだった。そこに隆広がいきなり『子作りしよう』と帰ってきたと云うわけである。

「はい、そのご挨拶を妻共々奥方様にいたしていた次第ですが、ご相談したき事もございました」

「相談?」

「はい、勝家様は隆広様をこのお屋敷にお移しになり兵十人づつに交代の常駐を義務付けました。忍び三名も夜間は常駐すると伺っています」

「そうだが」

「兵士十人と隆広様ご夫婦、加えて忍び三名、これの食事や雑事や何やらでずいぶん屋敷はあわただしくなります。また内政主命に伴い、時に城下の商人たちや人足たちを大広間などでもてなす機会もあると思います。新たに女中を雇う必要もありましょうが、失礼ながら隆広様はそんなに裕福でもないのでそう多くは雇えない。ならば手前どもの妻の津禰と加奈が奥方様について水沢家の台所を切り盛りしてもらおうと、慶次、佐吉とも話した次第ですが…いかがでしょうか」

「うん! オレは異存ない。家族が増えて楽しそうだ。さえはどうか?」

「うん…」

「どうした?」

「だってあんまり人が多いと…」

「…バカだなァ。寝室では二人きりだよ」

 さえの手を握る隆広。

「うん…(ポッ)」

 完全に二人の世界に入る隆広とさえ。もう勝手にしてくれと言わんばかり、助右衛門は右手で目を覆った。慶次は澄まして煙管に火を着けているが、佐吉は居心地悪そうに頭を掻いた。でも少し微笑んだ。

(もうこのイチャイチャぶりをうらやましく思うこともないぞ)

 

 その時、佐吉の脳裏に一人の少女が浮かんできた。それは掘割工事の陣頭指揮を執っている時、一人の幼馴染と再会していたのである。

 佐吉の父は石田正継といい、浅井長政に仕えていた。今は長浜城と名を変えた今浜の地で暮らしていた時、隣の家には父の同僚の山崎俊永が住んでいた。山崎俊永は姉川の合戦で戦死した浅井軍の勇将山崎俊秀の弟である。兄に似ず、槍働きはまったく出来ない男であるが土木工事に長けており、それを浅井家家老の磯野員昌(かずまさ)に買われ仕えていたのである。

 石田正継は当主の浅井長政直臣であるが、下っ端もいいところの武将で、俊永は家老磯野家の下っ端武将だった。石田家も山崎家も貧しいながらも仲睦まじく隣人の誼を通じていた。

 その俊永には伊呂波と云う娘がいた。佐吉は幼いころから伊呂波に思慕を抱いていた。後年は貞淑女性ともなる伊呂波だが、幼き日は男勝りで隣に住む頭でっかちの軟弱男児の佐吉少年をよく苛めていた。

 そんな佐吉受難の日々、浅井家から山崎俊永の上司武将の磯野員昌が織田につき、俊永も織田についた。姉川の合戦で磯野手強しと見た織田信長が、調略をもって当主長政と筆頭家老の員昌との不和を仕掛けたのである。長政はまんまとこれに乗せられ、人質として預かっていた員昌の老母を殺してしまったのである。

 主君長政に失望した員昌は丹羽長秀の説得に応じて佐和山城ごと降伏した。山崎俊永もこれに従った。そもそも陪臣の俊永にとり主人は磯野員昌であり浅井長政ではない。当然の行動であるが佐吉の父正継はそれを潔しとせず隣人の交わりを断った。

 その後に戦火に巻き込まれた今浜の城は落ちて正継は討ち死に。佐吉は織田と交戦状態になる前に寺へ小僧として出されてしまった。それで後に秀吉に見出されて仕え、その秀吉から薦められて、現在は水沢隆広に仕えている。

 隆広の行う内政主命のすべてに右腕として働き、この掘割工事を共に行っている時、織田信長の家臣となり高島一郡を与えられている磯野員昌に仕える山崎俊永は娘をつれて北ノ庄にやってきた。掘割の作業を見たかったのだ。彼は自分の才を最も生かせるのは土木工事と自負している。だから北ノ庄の掘割をどうしても見たくてやってきたのである。

 

「見ろ伊呂波よ、この工事の責任者は治水をよく知っている。水は恐ろしきものだが、その流れを制すれば、大きな力を得る事が出来る。水は田畑を潤し、大きな実りをもたらす。また、水は川へと流れ、物や人を運ぶ。戦の際には大軍勢を防ぐ堀ともなってくれる。まこと水は偉大よ。その水を御するための技が掘割。ワシはその名人になりたいと思うておる。ワシにとっての大きな夢だ。

 そしてこの北ノ庄の掘割は見事の一字。指導者の水沢殿は伊呂波と歳が同じと云うではないか。まことすでに細君をもたれていることが残念でならぬ。まだ独り者ならば、ぜひに我が娘伊呂波を嫁にと願っていたところだ」

「そんな…父上ったら…(ポッ)」

 水沢隆広が美男と云うことは聞いていたので、伊呂波はポッと頬を染めた。

「ん…?」

「どうさないました?」

「伊呂波…あの若者…見た事ないか?」

「え?」

 それは掘割の作業工程の図面を両手に持ち、円滑に各職長に指示を与えている佐吉だった。

「では西三番の地の作業は終えたのですね?」

「へい!」

 図面に完成の印を記す佐吉。

「分かりました、これから見分に伺います。鳶吉殿の班はその間に休憩と食事を済ませておいて下さい」

「わかりやした!」

 

「あれは…佐吉? いえ、佐吉さん?」

「そうだ、間違いない! 正継の倅だ!」

「どうして佐吉さんが北ノ庄に…しかも掘割の指揮を執っています」

「いや…ワシが聞きたいくらいだ」

「父上、お会いしてみましょう」

「いや…佐吉の父とワシは絶交してしまった。佐吉とてワシを快くは思っておるまい。合わせる顔はない」

「何を言うのです。佐吉さんが掘割の仕事をここでしていると云う事は柴田様の家臣になられたのでございましょう? 今では同じ織田の家臣ではないですか」

「理屈はそうだが…」

(自分が昔に佐吉を苛めていた事を忘れているのではないか…?)

「さあ、まいりましょう」

「あ、ああ…」

 

「佐吉さ―ん!」

「ん?」

 佐吉が声の方を向くと、どこかで見た男女が歩いてきた。

「…! い、伊呂波ちゃんじゃないか! 山崎様も!」

「あ、ああ…久しぶりだな、佐吉」

「はい! お二人ともお元気そうで」

「佐吉さんも」

 佐吉が寺に小僧として出される日に会って以来だから、およそ八、九年ぶりの再会である。男勝りの苛めっ子の女童伊呂波が美しい少女になっていたのを見て佐吉はドギマギしてしまった。

「佐吉、そなた柴田様にお仕えしていたのか」

「いえ、正しく言うのなら客将みたいなものです。それがしは羽柴筑前守秀吉様の家臣ですが、現在は秀吉様の勧めで柴田家侍大将の水沢隆広様に仕えています」

「水沢殿と言えば、この掘割の指揮官。そなたはその水沢殿に仕えておったのか」

「はい、戦働きは苦手ですが、こういう内政主命においては重用される誉れを受けています。今日隆広様は他の仕事で来られないのでそれがしが指揮官となって…」

「お―い! 早く現場を見分して下さいよ―ッ!」

 工夫が佐吉を呼んだ。

「分かった―ッ! すぐ行く―ッ!」

「お仕事中なのに呼び止めてしまい、申し訳ございません」

 伊呂波はペコリと頭を垂れた。

「なんだよ、ずいぶんとしおらしい女子になったな、本物の伊呂波ちゃんだろうね?」

「本物です! 子供のころのこと根にお持ちに?」

「いやいや、今では懐かしい思い出さ。あ、そうだ! よければ夕食をどうでしょうか。懐かしい今浜のお話でもしたいですし」

「よいのか?」

「はい、あまり大したものは用意できませんが、拙宅でいかがでしょう」

「父上、ご馳走になりましょう。いいでしょう?」

「あ、ああ…」

「はい。では夕刻にこの場で!」

 佐吉は現場へ駆けていった。

「驚いたな…十六歳そこそこの佐吉が二百数十名はいようと云う人足や職人、兵士を見事に使いこなしている」

「はい父上、私も驚きました。幼いころは頭でっかちの学問好きの男児で、頼りなさそうと思っていたのに…考えを改めないと」

 

 その夜、山崎俊永親子は佐吉の家に招かれた。佐吉は敦賀湾の海の幸と、九頭竜川の川魚を親子に馳走した。ちなみに佐吉の手料理である。

「佐吉、これお前がさばいたのか?」

 皿に盛られた見事な生け造りと、美味しそうに焼かれた川魚。俊永はゴクリとツバを飲みつつ訊ねた。

「はい、まだ足軽組頭になったばかりで使用人もおりません。全部一人でやらないと」

「美味しそう…。でもこんな高価なお料理、返って悪い事を…」

 申し訳なさそうに伊呂波が言うと、佐吉は笑って首を振った。

「いやあ、主君隆広ご用達の食材屋に行って購ってきたから、そんなに高くはないよ。オレ自身も店の親父とは顔なじみだし。遠慮はいらないよ」

 そういって佐吉は上座に座る俊永に酒を注いだ。

「…ありがとう。ワシはてっきり佐吉はワシを嫌っていると思っておった。そなたの父と袂を別ち、主君員昌と共に浅井を見限り織田についたワシを許すはずがないと…」

「それを云うなら、結果的にそれがしも織田についています。父の正継と兄の正澄も織田との戦で死んだのに息子のそれがしは織田に仕えています。昨日の敵は今日の友。それが戦国の世のならい。こうして父と袂を別つに至った山崎様とも今では同じ織田家臣。許す許さないもございますまい」

「そうか嬉しく思う。それはそうと美味いな、この岩魚」

「そうでしょう。九頭竜川は時に人間にキバを向いてくる恐ろしい川ですが、こんな美味しい魚を人間にもたらしてくれます。主君隆広いわく、『治水は川を押さえ込む技ではなくその恵みを賜る技』と言っていましたが、それがしも同感です」

「水沢様の名前は安土城下でも聞き及んでおりますが、その治水への観点は本当に私も同感です。どのようなお方ですの?」

 伊呂波が訊ねた。

「そうだなあ…歳はオレと同じだけれど、やはり養父隆家様と竹中様の薫陶を受けているだけあって、斉藤家の兵法や内政方法をすべて会得し、かつそれを昇華させていると言っていいすごい方だよ。まあ欠点といえば…」

「欠点といえば?」

「奥方様への盲愛振りかな。家臣の前でも平気でイチャイチャするからたまったモンじゃない」

「まあ」

 クスクスと伊呂波は笑った。

「ところで佐吉」

 と、俊永。

「はい」

「お前に細君は?」

「おりませんよ」

「心を寄せている女子とか…おらんのか?」

「今のところは」

「では…」

 コホンと一つ咳払いをする俊永。

「娘の伊呂波をもらってくれ」

「は…?」

「父上…! 急に何を!」

 さえの父、朝倉景鏡も娘を溺愛していたが、山崎俊永もその尺度ではひけは取らない。その彼が娘を『もらってくれ』と言ったのだから、どれだけ佐吉に婿惚れしたか察するに容易である。だが、いきなり言われて伊呂波も戸惑った。もう顔が真っ赤である。

「今日のそなたの仕事振り。そして今見たそなたの人物。伊呂波の夫に相応しい。もらってくれぬか?」

「い、い…」

 戸惑ったのは佐吉も同じである。ワケの分からない言葉しか出てこなかった。

「ワシも治水家のはしくれ。仕事ぶりや治水に対する考えを聞けばどんな人物か分かるつもりだ。確かにそなたは今でこそ足軽組頭で士分は低く貧しいが、そんなものは関係ない。後に当代の内政家になるとワシは見た。ぜひ婿にしたい!」

「山崎様…」

「それに…伊呂波には早く添い遂げる夫を見つける必要があるのだ」

 伊呂波もそれは初耳だった。

「父上…それは?」

「主の員昌が伊呂波を側室にと…ワシに言ってきた」

「員昌様が!?」

「ワシは断った。だが再三に及ぶ要望。別に殿に不満があるわけではないが、奥方様はとても嫉妬深い方でな。今まで側室をいじめ抜いておられる。言うに心苦しいが、そんな虎口に娘を入らせるなんてワシには耐えられん。だから一つだけ願った。『もし伊呂波に心に決めた男がいたなら諦めて下さい』と。ようやくそれを納得させたが…どうやら伊呂波には心に決めた男もおらぬし…途方にくれた。いっそ妻子を連れて織田家を出奔しようとさえ考えた」

「父上…」

「かといって、どうでもいい男を代役に立ててその場を切り抜けるなんて卑怯な振る舞いはしたくない。伊呂波も傷つく。そして今日、正継の倅で…今や立派な行政官となっているそなたを見た。まさに神仏の計らい! 頼む、佐吉よ、伊呂波をもらってくれ」

「父上…! 私は物ではないのです! 急に言われて『ハイそうですか』なんて言えません!」

 伊呂波は佐吉の家から飛び出してしまった。

「い、伊呂波!」

「山崎様…」

「佐吉」

「…そういう事情があるから言うわけではない事を了承していただきたいのですが…」

「なんだ?」

「幼き日…隣の家に住む同じ年の女童の伊呂波ちゃんをそれがしは思慕しておりました。そして今日、再会して美しくなっていて…男子ならばこんな女を妻にしたい。そう思っておりました」

「そ、そうか! ならば!」

「これから伊呂波ちゃ、いやいや伊呂波殿を追いかけてそれがしから求婚してまいります」

「分かった! 急いでくれ!」

「はい!」

 

「ぐすっ…」

 伊呂波は武家屋敷の通りで涙ぐんで立ち尽くしていた。確かに今日に再会した佐吉を頼もしく思い、その人柄に改めて好意を抱いたのは確かであるが、急に夫婦になれと言われてハイと言えるほど伊呂波は従順な少女ではなかった。

「父上のバカ…」

「そんな事を言うもんじゃない」

「佐吉さん…!」

「さっき…山崎様にも同じ事を言ったけれども、伊呂波殿にも言いたい」

「はい…」

「員昌殿からの、そういう話があったから言うわけではない事を了承して聞いてくれ…」

「はい」

「子供のころ…隣に住む女童の伊呂波殿に…よく頭でっかちと苛められたな。何せ腕相撲しても一度も勝てなかったのだから、さぞや軟弱男と思っていたと思う。今でも槍働きは苦手で…伊呂波殿が常に言っていた『お嫁に行くなら強い人に』には完全に該当しない。

 でもオレも武士。自分の頭と体でこの乱世を生きていくしかない。だからオレは行政官の道を選んだ。戦場を馬で駆け抜ける強さは皆無のオレだけど、主君と共に民を思い良い国を作ろうとする気持ちは誰にも負けない。それを佐吉の『強い人』の分として受け入れてくれないだろうか。

 苛められても、こづかれて泣かされても、腕相撲で負けて笑われても、オレは幸せだった。嬉しかった。何故なら思慕している少女が自分の目の前にいたからだ。山崎様に要望されたからじゃない! 今日再会して美しく成長したそなたを見て妻にしたいと思った心は本当だ。ウソじゃない。苦労ばかりかけるだろうが…この佐吉の妻となってくれないか。伊呂波…」

「佐吉さん…!」

 こうして伊呂波は佐吉、後の石田三成の妻となった。賢夫人伊呂波姫の誕生である。

 

「ふふ…。うふふ…」

 で、これは佐吉にとって昨日の話だった。まだ祝言をあげていないので初夜はまだであるが、訪れるであろう新妻との閨に若い佐吉は胸をときめかせ、隆広の前でデレデレした笑顔を浮かべていた。

 後年、他人にほとんど笑顔を見せないほどに自他に厳しい行政官になる彼であるが、この当時の彼はまだ十六歳、美しい新妻との閨を思い浮かべて破顔するのも無理はない。その惚けた顔に隆広が気付いた。

「どうした佐吉、鼻の下伸ばした間の抜けた顔して」

「え?」

(アンタに言われたくない!)

 

 コホンと佐吉は咳払いをした。

「えっと、実は隆広様、それがし個人で報告がございます」

「なんだ?」

「嫁をもらいました」

「ホントか!」

 助右衛門も慶次も驚いた。その二人の妻も。

「そうかぁ、済ました顔してやる事はやっていたのだな! どこの娘だ?」

 慶次が訊ねた。

「はい、山崎俊永殿の娘、伊呂波です」

「伊呂波殿ォ? 有名な美少女ではないか!」

 と、助右衛門。

「そうなのか?」

 隆広が聞いた。

「はい、嫁にと要望するもの多々おりましたが、父親の俊永殿がまあ娘を盲愛していて、それがしの目にかなう男子でなければやらぬの一点張り。まさに深窓の姫君ですな」

「すごいじゃないですか佐吉殿、そんな難攻不落の美少女を射止めるなんて!」

 さえも祝福した。

「いやあ、奥方様に比べればさほどでも」

 佐吉はデレデレしながら、さえの祝福を受けた。

「よし、では早速佐吉と伊呂波殿の祝言を挙げよう!」

 

 そしてその夜に隆広の屋敷で石田佐吉と伊呂波の祝言は盛大に行われた。隆広は初めての媒酌人であったが無事にやり遂げた。

 三日後には秀吉から引き出物も届き、花嫁の伊呂波には反物五疋、裁縫道具、包丁一式を届け、佐吉には『縹糸下散紅威(ハナダイトゲサンベニオドシ)』と云う名具足。欲しがっていた政治書『貞観政要』、そして二人に黄金三百貫。いたずら好きの秀吉らしく精力剤も贈った。

 また妻を娶ったなら一人前と『三成』の名前をもらった。石田佐吉三成の誕生である。




城下町で見かけた赤子の可愛らしさに惚けて、すぐに嫁に子作りしようと駆け込むシーン、これもまた原本の太閤立志伝3からの引用ですけれど、このシーンは隆広ではなく同ゲームの主人公である秀吉がねねに対して行っています。好きなシーンなんですよね。


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墓前の再会

 石田三成の祝言から数日が経った。今日は隆広の養父水沢隆家の祥月命日。隆広とさえは隆家の墓前にいた。墓参が終わると、その隣のさえの父、朝倉景鏡の墓の番である。

 水沢隆家の墓は他の柴田家中の者も訪れるが、やはり景鏡の墓参をする者はいない。さえにとっては素晴らしい父でも、やはり彼は裏切り者とされているのである。また、この墓が朝倉景鏡のものであると知っている者もあまりいない。

 だが、この日は少し違った。隆広とさえ以外に献花し、線香を上げた者がいたのである。

「誰だろう…」

「どなたでもいいです。父上の墓に墓参して下さった方がいるだけで、さえは満足です」

 と、さえはいつものように墓を清めて花を手向けた。その時だった。

 

「…姫?」

 さえは自分の事だとは思っていなかったので振り向かなかったが、隆広は振り向いた。それは農夫の老人だった。そしてさえに向かって歩いてくる。

「あなたは?」

 隆広の問いが聞こえなかったのか、それほど老人はさえの後ろ姿を凝視していた。

「さえ姫様では?」

(…え?)

 さえはやっと振り向いた。

「お、おお…! 姫!」

(姫? もしやこの御仁…朝倉の?)

 隆広がさえを見ると、さえもまた驚いて老人を見た。

「まさか…監物?」

「はい!」

 監物とさえに呼ばれた老人は涙を流してさえに平伏した。その監物の手を握るさえ。

「生きていたのですね…!」

「はい…!」

「どうしてここに…」

「はい、殿の旧領の大野郡にて帰農して百姓として暮らしておりましたが、こんな話を聞いたのです。北ノ庄の侍が殿の遺骨と遺品を回収し持ち帰ったと…! もしやと思いまして、北ノ庄中の墓地を見てまわったのです…! そしてここに殿の墓が!」

「そうだったの…よく生きていてくれましたね。でも直信は…」

「弟は姫を守れて死ねたのですから本望でございましたでしょう…! ああ、それにしても姫こそよく生きていて下さいました! さぞやあの後はお辛い目に…。う、うう」

 同じく涙を流しているさえに隆広は手拭を渡した。

「さえ、このお方は?」

「はい…父の景鏡に仕えていた老将、吉村監物にございます」

「…この方が吉村監物殿か。聞いた事がある。景鏡殿の家老で、景鏡殿の謀反を頑強に反対したと聞く。土橋信鏡と名を変えた景鏡殿からは疎まれて遠ざけられてしまったというが平泉寺の凶変のおりは命を賭けて主君の景鏡殿を守り戦ったと…。気骨ある老将として父から聞いた」

「もったいない仰せにございます。それでは貴方が…大野郡で殿の遺骨を持ち帰ったという侍ですね」

「はい、貴方が大事に思う姫の夫です。水沢隆広と申します」

「貴方が…! 水沢隆広様でございますか!」

「はい」

「なんと…! 我が殿の地を開墾して下された水沢様の奥方に…! 姫が!」

「さえ、とにかくここではなんだ。屋敷にお招きしよう。さえの知らない景鏡殿のご最期も監物殿ならご存知のはず。ゆっくり聞かせてもらってはどうだ?」

「はい、さあ監物。我が家に来て」

「ありがたき仰せにございます」

「ところで伯母上は?」

「家内なら元気にございます」

「良かった…」

 監物の妻は八重という名で、朝倉景鏡の姉である。だからさえにとっては伯母に当たる。さえの母は、彼女が幼いころに死んでしまったので、伯母の八重が母親代わりに育ててくれた。さえにとっては母親も同じである。

 よる年波と、かつての戦の古傷か、監物の歩き方は見栄えが悪かった。そしてさえはさっきに監物の手を握ったとき、あまりに手荒れがひどいのにも気付いていた。

 

「さあ着いたわ監物。あ、私はもう朝倉家宿老の姫じゃないのだから年長者に呼び捨ては失礼ね。さあ監物殿、こちらに」

「ゴホゴホッ いえいえ、そのお気持ちだけで十分です。そのまま監物とお呼び下さい。主家が滅ぼうと、監物は姫に仕えし老臣ゆえ」

「でも…」

「さえ、風呂の支度と夕餉の準備を」

「あ、はい!」

 さえは屋敷の中に入っていった。

「『わが姫を女中扱いしおって…』とお思いか? 監物殿」

「と、とんでもない!」

「顔に書いてありますよ、監物殿」

「たっははは、かないませぬな」

「さ、まずはお座りください」

 隆広は玄関の上がり場に監物を座らせ、草鞋を脱がせた。

「そ、そんなもったいない。自分でやりまするゆえ」

「『老将を尊ぶべし』、父の教えでございます。それにさえがあれほどに再会を喜んでいた。きっと幼き日のさえに優しくしてくれた方なのでしょう。それがしはさえに惚れぬいておりますので…このくらいさせていただかぬと」

「水沢の名で浮かびましたが、やはり水沢様は斉藤家の水沢隆家殿のご子息に?」

「養子でございます」

「左様でございましたか。ご立派な養父を持たれましたな。朝倉にも隆家殿の名は轟いておりました。かの朝倉宗滴公は斉藤家と共に織田信秀殿を攻めましたが、宗滴公はその際に隆家殿と会い、“楠木正成公を見た思いである”と申された。その後に主家の斉藤家が滅んだ後、朝倉家は何とか隆家殿を家臣にしたく、何度も隆家殿のおられる寺に赴いたと聞いております」

「そうだったのですか…」

「ご存知なかったのですか?」

「はい、父は昔の事はほとんど口にしませんでしたから」

「なるほど…しかし不思議な縁です。水沢様がもう十年早く生まれていたら…それがしは朝倉の将として、水沢様は織田の将として、姉川合戦を敵味方で戦っていたかもしれませぬな…」

「ですが、十年遅く生まれたおかげで、それがしはさえと夫婦になれました」

「姫も十年早く生まれていたらどうなっていた事か…。大殿の朝倉義景様は好色な方でしたから、家臣の娘に美女がいれば必ず召しだして伽を命じていましたからのう…。姫は九歳の時にはじめて大殿に目通りしましたが、『成長したらさぞや美人になるだろう』と言っておった。主君景鏡は憤慨しておりました」

「まさかそれが謀反の…?」

「ええ…ひとつの要因になったのは確かでございましょう…。殿は姫を溺愛しておいででしたから。小少将殿の事はご存知でございまするか?」

「ええ、義景殿最後の妾で当時十四歳、紫式部の千人万首に出てくる小少将のごとき美しさからそう名づけられ、義景殿はその若い肢体に溺れたと聞いています」

「そう小少将殿も元は家臣の娘、しかし大殿は姫にも目をつけておられた。ワシに『さえが十三歳になったらワシに献上するよう景鏡に伝えよ』と申す有様で…今にして思えば朝倉家は滅ぶべきして滅んだのかもしれませぬ」

 しばらくすると、さえがタライに水をはってもってきた。

「さあ監物殿、子供のころの私にしてくれたように、足を洗ってあげるからね!」

「と、と、とんでもござらぬ!」

「監物殿、さえの好きなようにさせて下さりませんか?」

「水沢様…」

 さえは監物の足を洗った。おせじにもキレイとも言えない足を。

 朝倉景鏡は周囲から主殺し、裏切り者、売国奴と罵られ続け、酒に溺れたあげくに発狂してしまった。

 娘のさえにも暴力的な態度をとりだすが、そのたびに監物がかばった。怯えるさえをギュッと抱きしめて、優しい言葉をかけてくれた老臣。それが監物だった。監物にとっては当然の忠節と思っていたのだろうが、幼い日のもっとも悲しい時に常にかばってくれた優しさを、さえが忘れるはずもない。

「さ、きれいになりました。では監物殿、我が家にお上がりください」

「ありがとうございまする…。今日の誉れ、監物生涯忘れませぬ…」

「お、大げさです。さ、湯も沸いていますよ」

 

 隆広夫婦は監物をもてなした。今はただの百姓にすぎない自分をもてなしてくれるのが監物には嬉しくてたまらなかった。そして愛する姫君が素晴らしい男児と夫婦になっていたことも嬉しかった。

 監物も隆広の噂は聞いた事があった。彼の住む越前大野も隆広は開墾したのだから当然でもあるが、村の農民たちが口々に開墾を指揮する若侍の隆広を『民を大切にしてくれるお方』と褒めていたのである。

 そして今日、彼自身がその水沢隆広に会い、噂がウソでない事を知った。二千の兵を従える大将が一農民の草鞋を脱がせてやるなど六十余年生きた彼とて聞いた事がない。姫の男を見る目は間違いなかったと心から思った。

 

 そして、今までさえも知らなかった父朝倉景鏡の最期が明らかになった。一向宗門徒勢の攻撃に彼は平泉寺に立て篭もったが、防ぎきれないと分かっていた。

 彼は愛娘さえを監物の弟である吉村直信に預けて逃がし、その翌日に一向宗門徒勢の猛攻に運命を悟り切腹したと。おおむね、さえが想像していたとおりであったが、見てきたものから聞くのとでは大違いである。景鏡は切腹し、監物が介錯した。平泉寺には火が放たれていたが、幸い景鏡の遺体に燃え移らなかった。後にその景鏡の陣羽織や鎧兜が隆広の私宅に丁重に飾られているのが証拠である。

 監物は首をもって逃げたが、武運つたなく捕らえられた。体ところどころ斬られたあげくに、主君景鏡の首も取られてしまった。

 彼は門徒と共に平泉寺を攻めていた旧朝倉領の一揆衆に命を助けられていた。彼らは景鏡の治めていた大野郡の民ではなく、朝倉本家の一乗谷周辺の民であったが、吉村監物は民に優しい武将だったので本家の領民にも人望があった。一揆衆は門徒たちに監物を討ったと虚偽の報告をして、そのまま手負いの監物を運んで平泉寺から立ち去り、大野郡の集落で匿われていた彼の妻の元に連れて行った。回復した彼は切腹をしようとするが妻に『せめて姫のご無事なところを見るまでは』と止められ、以後は帰農した。

 しかし生活は貧しかった。朝倉氏のあとに越前入りした柴田勝家は一向宗門徒との戦いに追われ、内政に割く資金も時間も、そして全面的に内政を委ねるに足る臣下がいなかった。

 朝倉景鏡の元領地である大野郡もその例外ではなく、加えて凶作も続いたので監物と妻の八重の暮らしは困窮を極めた。彼らには息子もいたが、彼は景鏡ではなく、本家の朝倉義景に仕えており、あの織田の猛攻である『刀禰坂の戦い』で左腕を失い、また左足の指は全部なで斬りにされ、大事な腱を切られてしまい歩行にも支障がある。生活のほとんど父母に頼りきりの自分に嫌気がさして酒に溺れた。監物は妻子と苦しい生活を送っていた。

 そんなある日に優秀な行政官が越前大野の地にやってきた。水沢隆広である。彼の陣頭指揮とその部下の兵たちにより、大野郡の開墾が進められた。

 暮らしが楽になるかもしれぬと、監物も割り当てられた仕事に全力を注いでいた。そしてふと聞いた。開墾の現場に来ていた北ノ庄の侍が、旧領主の景鏡の遺品を捜していたと。無論、監物は何も持っていない。だが他の景鏡を慕う領民が平泉寺から戦の後に持ち去っており、それをその侍に献上したと聞いた。

 監物はいてもたってもいられずに、不自由な体で北ノ庄にやってきた。そして見つけた。主君の墓を。そしてきれいに掃き清められ、献花もされている事とに感激した。誰が…と思い、ずっと墓地で主君の墓を墓参する者を待ち続けた。待つこと二日、彼は見つけたのである。大切な姫を。

「そうだったのですか…」

 監物の長い話が終わった。さえはずっと聞き入っていた。無論、隆広も。

「はい…そして今日、姫が素晴らしい婿殿と巡り合い、幸せに暮らしているのを見ることができて…もはやそれがしごときが心配する必要もございませぬ。景鏡様も喜んでおいででしょう…」

 話し疲れたか、監物はさえと隆広の前でウトウトとし、そのまま眠ってしまった。

「お疲れだったようだ。さえ、寝具の用意はできているか?」

「はい」

「よし、お運びしよう」

 隆広が監物を抱き上げて、別室にしいてあった蒲団に寝かせた。満足そうに眠る旧臣を見つめ、さえは蒲団をかぶせ、灯を消して部屋を出た。

 

「さて、さえ。オレは少し仕事があるから書斎に行く。今日は先に寝ていなさい」

「あ、はい」

「おやすみ…(チュッ)」

 口付けをして、二人は廊下で別れた。

 

 先日に源吾郎に依頼した柴田家軍資金調達係の長の人選。後に『商人司』と云う名称の機関になるが、その長となりうる力量の持ち主数人を源吾郎は候補にあげ、一人一人の能力と経歴を細かく記して隆広に提出した。

 長の候補だけではなくその手足となって働ける者たちの分まで調べて提出したから、相当量での報告書である。隆広は書斎でそれを細かく読み、それに伴う資料に眼を通していた。

「う~ん、源吾郎殿の見込みでは三十人から四十人は必要か…。となると給金は…」

 と、算盤をパチパチと隆広は弾いていた。で、その時。

「お前さま…」

 書斎の外でさえが呼んだ。

「なんだ? 先に寝ていろと…」

「お話があるのです。お仕事中申し訳ありませんが入ってよいですか?」

「…さえに閉じる戸をオレは持っていないよ。お入り」

「はい」

 さえが入ってきた。隆広は算盤と帳面を置いた。

「なんだ?」

「はい…あの…」

「…何も言わなくてもいい。分かっている」

「…え?」

「『監物殿を召抱えて欲しい』だろ?」

「え…!」

 なんで分かったんだろう。さえは驚いた。

「そのかわいい顔に書いてある。分かりやすいなァ、さえは」

「んもう! からかわないで下さい。さえは真剣なのですから!」

「ははは、悪い悪い。だけど監物殿を召抱えるのは、愛しいさえのためだけじゃない。オレのためでもある。言うまでもないがオレはまだ越前に来てから短い。まだこの土地で知らない事が多すぎる。この越前の気候や風土、慣例、風俗、伝承、歴史など知らぬ事だらけだ。監物殿ならばすべて知っていると思うが…どうか?」

「はい、子供のころ、よく越前の昔話を聞かせてもらいましたもの」

「だろう? それに名将である朝倉宗滴公の事もよく存じているようだ。宗滴公の話をぜひ伺いたい」

「お前さま…」

「だが…あのお体と年齢では戦場や開墾や普請の現場には連れて行けない。それは理解してくれるか?」

「はい、我が家の家令(忠実で賢い下僕)として…召抱えて下さいますれば」

「だったら奥さんにも来てもらわないとな」

「い、いいんですか?」

「さえの母上みたいな人だったのだろう? ならばオレにも母上と同じだ」

「お前さま…大好き…!」

 泣き虫がまた爆発してしまった。

「分かっている」

「んもう!」

「それじゃ明日にでも二人でそれを監物殿に言うとしよう」

「はい」

「ところで一つ質問だが…」

「なんです?」

「朝倉本家には名勘定方と言われた吉村直賢(なおまさ)と云う人物がいた。同じ吉村姓、もしや…」

「はい、監物の息子です。しかし…」

「うむ…『刀禰坂の戦い』の戦いで左腕が斬られ、左足の自由もなくなったと言っていたな。織田を恨んでいるだろうな…」

「おそらく…。伯母上は召出しに応じてくれるでしょうが、直賢殿は無理と…」

「ふむ…」

 隆広はさっきまで見ていた源吾郎の報告書をさえに見せた。

「よろしいのですか?」

「うん、読んでみるがいい」

「はい」

 そこには、吉村直賢の人物と能力、そして今の生活の現状が書かれていた。監物の言葉と一致している。

「前に話したな。柴田家中に商人集団を作りたいと。民からの搾取だけで国費を賄う時代は終わらせて、柴田家自らが軍資金を稼がなくてはならないと」

「はい、聞きました」

「オレは…その長に直賢殿を考えている。他の長の候補は越前育ちではない。他国だから雇わぬと云うわけではないが、さっきも言ったようにその土地に明るいものが長になってくれれば頼りになるからな…」

「ですがお前さま…直賢殿は現在ほとんどヤケになっている毎日と…」

「そんなものは働き場所とやりがいを得ればなくなる。思慮に欠けた言い草かもしれないが、オレが必要なのは名勘定方と呼ばれた直賢殿の持つ算術技能だ。左腕がなく、左足が不自由でも任務遂行は可能だ。源吾郎殿の報告では彼は敦賀港流通もやっていたとの事。弁舌に長けているそうだし、かつ主君義景殿の浪費に毅然と諫言を言ったほどに胆力もあると評している。今は時勢に乗り遅れてヤケになっているだけ。よみがえらせれば大化けするかもしれないぞ」

「織田を恨んでいる、と云う点はどうなさいます…?」

「問題はそれだ。だが説得する自信はある。明日に監物殿を大野にお送りして、会ってみるつもりだ。さえも来るか?」

「はい!」

「よし、ではそろそろ寝るか。明日は忙しいぞ。でもその前に」

「その前に?」

「子作りしよう」

「んもう…先に寝てろと言っといて…(ポッ)」

 

 翌日、隆広とさえは大野郡に向かった。無論、監物を連れてである。隆広の愛馬の上で監物は畏まっていた。

「一農民が水沢様の馬に乗り、かつクツワを取らせているなんて…」

「一農民ではありませんよ監物。貴方は我が家の大切な家令ではないですか」

「姫様…う、ううう…」

 監物は水沢家の家令になることを承諾した。最初はとまどったが、やはり主君の側で仕えたいと云う気持ちはあり、そして監物は隆広を若いながらも将器を持つと見込んだ。そんな彼に仕えられるのは老将として誉れでもあった。

「まあ、これからこき使う事になるのだから、そんなに恐縮する事はないよ。案外さえは人使い荒いかもしれないぞ」

「んもう、お前さまったら」

「たっははは、かないませぬな。だが、喜んでこき使われますぞ、殿様、奥方様」

「さえを筆頭の女衆の補佐は無論、ウチの家に番兵として交代で来る連中は、オレと年の変わらない若い兵士ばかりだから彼らの監督も任せるよ。小言口兵衛(口うるさい年長者)となり、せいぜい煙たがれてくれ」

「分かりました。全力を出してイヤなガンコ親父となりましょう。無論、殿様に対しても」

「たっははは、かないませぬな」

「クスッ…お前さま、全然似ていませんよ」

「そうかァ? あははは」

 

「しかし…殿様の使う忍びは相当な情報収集力を持っておいでです。よもや世捨て人同然のセガレにまで手が及ぶなんて…」

「ああ、養父隆家が鍛え上げた忍者衆だからなァ。で…そんなにヤケッパチな日々を?」

「はい。妻にも去られてしまい、加えて不自由な体でございます。ワシも家内も無理はないと…」

「細君はどこの方で?」

「萩原宗俊殿の姫御で、絹と云います」

「萩原宗俊殿といえば、主君宗滴公の話をまとめた『朝倉宗滴話記』を書いた人物…。その娘さんが奥さんだったのか…。現在の居場所は?」

「分かりませぬ…。農民の暮らしになったにも関わらず、グチ一つこぼさずセガレに連れ添ってくれた優しい娘だったのに、ヤケになったセガレは絹を罵倒したり殴ったりしました。ワシと家内が止めても聞く耳もたず…。そしてとうとう堪えきれず家を出て…ぐすっ」

「そうか…」

「辛い話ね…。でもお前さま、昔はそんな方じゃなかった。お前さまのように決してワイロも受け取ろうとしなかった潔白な人物で、煙たがりながらも義景様の信認は厚かったと聞いています。時勢がそうさせたのでしょう…」

「ちがうな、さえ」

「え?」

「そんなものは言い訳に過ぎない。世の中体が不自由でも立派な人物はいくらでもいる。大友家の名将、戸次鑑連(立花道雪)殿など、落雷により下半身不随となったのに、その用兵ぶりは達人で、九州の大名を震え上がらせている。家臣の使い方も上手く戦場で部下たちは嬉々として主君の乗る輿を担ぐという。このように体が不自由でも敵には畏怖を、味方には信頼と尊敬を得る方もいるのだ。直賢殿の所業は卑怯者だ」

「お、お前さま言い過ぎです!」

「いえ姫、殿様の申すとおりです。セガレは卑怯者です」

「監物…」

「だが…」

 隆広はニッと笑った。

「だからこそ、さえ。化けさせがいがあるってものさ」

「ありがとうございます…殿様」

 

 やがて一行は監物の家に到着した。監物の妻の八重が戸口に出てきた。そして夫と共にいる少女を見て驚き、そして泣いた。

「ひ、姫様!」

「ああ! 伯母上! おなつかしゅう!」

 さえと八重は抱き合った。

「よくぞご無事で…!」

「伯母上も…!」

 

 そんな感動の再会の場面に涙ぐむ隆広の耳に、監物の怒号が轟いた。家の奥で怒鳴っているようだ。

「キサマッ! また昼間から酒を飲んでおるな!」

「うるさいな」

 ヤケクソじみた小さい反論も聞こえた。

「ああ、なんと情けない! こんな晴れの日に!」

「晴れェ? 何云っている。曇りじゃねえか。とうとうボケたか?」

 武家の男が父親に対して信じられない言動である。

「天気のことではないわ! 我が主君、景鏡様の姫が婿と共に来て下されたのだぞ!」

「あっははは、そうか、裏切り者の娘が食うに困って旧臣を訪ねてきたのかァ? しかも亭主を連れてとはなァ。あっはははは」

 その言葉はさえにも届いた。

「……」

 感動の対面から、父の悪口で一気に悲しくなったさえ。

「弥吉(直賢の幼名)! 姫になんてこと言うの! あやまりなさい!」

 母の八重は激怒して、息子を叩いた。

「はいはい、ごめんなさい」

 ドンブリに酒を注いで、一気にグイと飲む直賢。

「ああ…! なんて情けない! そんな弱い子に育てた覚えはないわよ!」

 母の叱咤もどこ吹く風でヘラヘラ笑う直賢。

「おぬしはどうやら酒の飲み方を知らぬらしいな」

「なんだおめえは?」

「人に名前を尋ねるなら、まず自分から名乗れ。そんな礼儀を知らぬヤツが金庫番をしていたから朝倉は滅んだんだ」

「ああそうかもな」

 怒りさえ忘れたか…隆広はなかば呆れたが、ますますやる気を出してきた。

「まあいい、オレから名乗ろう。柴田家侍大将、水沢隆広だ」

「ああそう」

「なんだ、てっきり織田の家臣と聞いて噛み付いてくると思ったがな。どうやらそんな気概もなくしたか」

「ふん…」

「用件だけ言おう、お前の父母は今日からオレに仕える。お前ごとき穀潰しの面倒を見るよりはるかに充実した日々を提供する。異存ないな」

「勝手にさらせ」

 

「お前さま、姫の夫に仕えるとは…?」

「ああ、今朝に姫から申し出てくれて…勝手ですまないがお話をお受けした。姫は母も同然だったお前もと望み…今こうして自ら迎えに来て下されたのじゃ…」

「そうでしたか…」

「伯母上…お願いします。私と一緒に…」

「お話は嬉しいのですが…あんな状態の弥吉を…」

「行けばいいだろ。オレはここで飢え死にして死ぬよ」

「弥吉! なにその言い方は!」

「ふん、さすがは裏切り者景鏡の姉夫婦だ。越前を攻め滅ぼした織田に尻尾をふるか。親が親なら娘も娘だな。朝倉家宿老の姫の誇りも捨てて、信長の家来の家来の女房になりやがった。あっはははははッ!」

「ひ、ひどい…!」

 

 ドンッ

 

 その刹那、隆広は直賢のアゴを掴み、そのまま壁に叩き付けた。

「…ぐっ」

「元朝倉の家臣。織田への恨みは骨髄まで至っているだろう。だからオレの事は無論、大殿や殿の悪口を言っても我慢するつもりでいた。だが…!」

 隆広は脇差を抜いた。

「妻を…さえを景鏡殿の名をもって侮辱するヤツは許さない!」

「なら斬れ! こんなオレ生きていたって仕方ねえ!」

「そうか…なら斬る前に伝えておこう。お前の女房だった絹、それは監物殿より先に召抱えた」

 

「…?」

「姫様?」

 八重がさえを見た。さえは知らないと首を振った。

「静かに…! 殿様には何か考えがあるようじゃ」

(そういう事か…)

 隆広は監物に直賢の妻の事を少し詳しく聞いてきた。その理由が今分かった。

「絹を…!?」

「ああ、オレはさえのような同年代の女も好きだが、脂の乗った年上の女も好きなんだ。侍女として雇ったが、中々いい肢体だ。側室にしたぞ」

「…ふ、ふざけるな…!」

「何を怒っている? 追い出したのはお前だろうが? 絹は閨が終わると言っていたぞ。前の亭主は腑抜けだったとな」

「うそだ!」

「ウソじゃない、腑抜けが!」

「キ、キッサマァァ―ッッ!」

 直賢は右手で思い切り隆広を殴った。そして体が自由になると、立てかけてあったクワを持ち隆広にかかっていった。

「ブッ殺す!」

「面白い! かかってこい!」

 隆広は脇差を置き、直賢の振り下ろしたクワの柄を掴んで取り上げた。そして

 

 ゴンッ

 

 直賢の顔面を思い切り殴打した。たまらず直賢は吹っ飛んだが、すぐに立ち上がり隆広に殴りかかった。

「こういう事だったのね…」

 さえは感心したように笑った。

「はい、セガレを怒らせるために…」

「怒る弥吉を見るなんて…何年ぶりか…」

 八重は涙ぐんだ。

 

 だがここ数年の酒びたりがたたり、すぐに直賢は息を切らせた。ふるった拳も弱弱しい。

「ハアハア…」

 ポリポリ、直賢のゲンコツが当たったアゴを隆広はくすぐったそうに掻いていた。

「若僧が…」

「水沢隆広だ」

「ふん…」

 直賢はあぐらをかいて座った。

「吉村直賢である」

 直賢はやっと名乗った。そして何かスッキリしたような顔だった。




今さらですが、我らがヒロインさえが朝倉景鏡の娘と云うのは本作のオリジナル設定です。原作ゲームでは、まったく氏素性不明ですが、我ながら景鏡さんの娘としたのはよい思いつきと思っていたりします。


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商人司誕生

 ひとしきり暴れて、ようやく頭が冷静になってきた直賢は隆広に詫びた。

「…ウソをつかせて済まなかった」

「何の事だ?」

「妻の絹の事さ。アンタはオレの妻を側室なんかにはしていない。それどころか会った事もないだろう」

「なんで分かった」

「カンだ」

「カンか」

「あと、さえ姫様を侮辱した事も済まなかった。さきほどの言葉、お忘れ下さい」

 直賢はさえに平伏した。

「…は、はい」

「父母をよろしくお願いします。それがし一人ならば食っていけます。貴方と殴り合い目が覚めましたゆえ」

「いんや」

「は?」

「正しく言うならば、直賢殿の父母はオレの妻に仕えるのです。それがしが迎えに来たのは」

「…?」

「直賢殿だ」

「は、はあ?」

「確かに絹殿の事は知りませぬ。だが直賢殿の事は調べてあります。さえが恩を受けた夫婦の息子と云うのは、本当に偶然なのです」

「ぐ、偶然?」

 

 隆広は詳細を話した。自分の忍びが直賢を推薦していた事。そして直賢が朝倉家でどのような活躍をしていた事も調べたと云う事も。

「そうでしたか…。しかし、水沢殿はまだ侍大将で、しかも陪臣。失礼ながら自分の家中に勘定方を置くほどに収入があるとは思えませんが」

「水沢家じゃない、柴田家です」

「は?」

 さえ、監物、八重も家に入り、隆広の言葉に耳を傾けた。

「直賢殿、柴田家が朝倉家同様に一向宗門徒たちに悩まされているのは知っておりますね」

「無論です」

「そしてそれはそのまま越前の民の苦しみでもあります。軍備に伴い、どうしても現状の高い税を徴収をするしかなく、楽市楽座を導入していささか緩和しましたが、やはり大幅な減税には踏み切れない有様です」

「でしょうね」

「だからそれがしは考えた。柴田家そのものに軍資金を稼ぐ集団がいればいいのだと。もはや民からの搾取のみで国費を賄う時代は終わらせなければなりませぬ」

「な…今なんと申された?」

 監物と八重も驚かされた言葉だった。こんな事をクチにする武士を見たのは初めてであり、しかもまだ十六歳の若者がである。

「民からの搾取のみで国費を賄う時代は終わらせなければならない。そう言ったのです。かつて直賢殿は朝倉義景殿の浪費を強く戒めたと聞きます。それは君主の贅沢のために民に負担を強いるのが耐えられなかったからではないのですか? 敦賀港流通に貴方が積極的に取り組んだのも、せめて自分で国費を稼いで越前の民を重税から救いたいと思ったからではないのですか?」

「…おっしゃるとおりです」

「朝倉から柴田の統治になっても…まだ税に苦しむ民は多い。この上、越前には治水と云う絶対にやらなければならない事業があります。特に九頭竜川の治水です。これを税で賄ったらどうなるか。どんなに優れた治水家が実行しても六万貫はかかる。放っておけば大型台風が来るたびに、およそ倍以上の損失! 推定五百の人々の犠牲者。それに続く飢饉の死者など考えたらキリがない! また税が増えるという泥沼。

 それがしは治水、開墾に伴う資金を柴田家そのものが稼いで、そして民のために使いたいのです。そのためには朝倉家で名勘定方と言われた直賢殿のチカラが必要なのです」

 直賢は隆広から眼をそむき、拳を握っていた。監物はじれったくなり怒鳴った。

「何をためらう! 男子としてこれ以上の誉れの仕事があるか!」

「水沢殿が…織田の家臣でさえなければ…こちらから地面に顔をこすりつけても仕える事を望みたい。だが…狭量と言われようがオレの左腕を切り落とし、左足の自由をうばい、妻との幸せな暮らしを踏みにじった織田に…どうして仕えられる!」

「弥吉…」

「確かに義景様は評判のいい主君じゃなかった。だが、オレの才能を認めて…合戦じゃ臆病で役立たずの陪臣のセガレを本家の勘定方に抜擢し重用して下された。たとえご自分の贅沢のためとはいえ、オレは嬉しかった。子供のころから武芸が苦手で、百姓の子にも泣かされたオレが唯一長けていたのが算術。父上母上さえ認めてくれなかったオレを義景様は認めてくれた。国士として遇してくれた。それを死に追いやったのは景鏡様じゃない、織田だ! それがどうして仕えられる!」

「お前さま…」

 さえが隆広の着物を掴んだ。説得は無理。そう思ったのだろう。だが隆広はあきらめなかった。

「織田家、柴田家のためじゃない。越前の民のため、と考えられませんか。それとも貴方は私怨を越えられない器なのですか?」

「私怨だと!」

「国の経営に銭金は不可欠。それをまったくの無から生み出すチカラを直賢殿はお持ちだ。聞いていますよ、海水から塩を作り、それを山国に転売して数ヶ月で八千貫稼ぎ、九頭竜川の治水をしようとしていた景鏡殿に渡したと云う事を」

「…どこでそれを!」

 監物と八重も知らなかった事である。

「手前の忍びが調べてくれました。だが誰がやってもできる事ではない。直賢殿だから出来た事。その優れた商才を体が不自由だからと埋もれさせるのは天下の損失。直賢殿は経理と云う特技で人々を救えるのですよ。貴方の働きによっては大幅な減税も夢ではないし、稼いでくれたお金によって九頭竜川の治水がなされ、大型台風にも氾濫せず犠牲者も皆無で築き上げた財を失わない。それどころか永遠に人々の美田の水源となる。後の人は私怨を越えて越前の民のために織田に組し、減税の立役者となり、そして治水資金を見事に稼いだ吉村直賢様と尊敬し賞賛するでしょう」

「水沢殿…」

「失礼ながら、直賢殿がこの近隣の人々に『隻腕を理由に働かぬ怠け者のバカ息子』と呼ばれている事は聞きました。その人々を見返してやり、かつ感謝されるほどの人物になりたいと思われぬか? それにもし、それがしが一度でも直賢殿の稼いだお金を自分の欲望のために使ったら、その時はいつでも斬って下さって結構。いかがか、柴田家に来ては下さらぬか。越前の民のため、そして他ならぬ直賢殿のために」

「水沢殿…!」

 枯れたと思っていた涙が直賢の頬に落ちる。八重と監物も隆広の言葉に泣いた。

「義景殿が貴方を認めて必要としたように、それがしも直賢殿が必要なのです」

「良いのですか…! それがしは見ての通り左腕がなく、歩行もままなりませぬのに!」

「すぐに直属の部下も用意いたします。直賢殿ご自身がアチコチ出て行く必要はございませぬ。帷幄にあり部下を使いこなし人々を救うお金を生み出して下さい。それがしの目の黒いうちは越前に『増税』の二文字はありえませぬ。ご助力を頼みます」

「分かりました! 殿!」

 残る右腕を地に付け、不恰好に隆広へ平伏する直賢。隆広はその右手を両手で握った。

「武人らしからぬウソを言って直賢殿の誇りを傷つけた事をお許し下さい。だが思います、直賢殿が再び生きた眼を取り戻したと聞けば…絹殿も戻ってくるのではないかと」

「ハッ…!」

 監物と八重は心優しい主君の気持ちに感涙し、さえもまた惚れ直した。

(ホントに化けさせたわ…素敵よお前さま♪ 大好き!)

 これが後に石田三成と共に水沢隆広の政治を支えた吉村備中守直賢である。神業の経理、隻腕の商聖とも称され、一度として隆広に国費の心配はさせず、柴田の兵と民を飢えさせなかったと言われている。当時に商人として名をはせていた今井宗久や茶屋四郎次郎も『とうてい及ばぬ』と感嘆したとも云う。水沢隆広十六歳、吉村直賢三十四歳であった。

 

 吉村直賢を召抱えると、隆広はかつて兵糧奉行だった時に摘発した不正役人たちを北ノ庄城下の宿に呼び戻した。労役を課せられ自分たちが不当に搾取した賄賂分の金額を稼ぐように隆広に言い渡されていた。

 あれから二年近く経ち、だいぶ不正役人たちの顔から邪気が取れていた。『金銭関係で悪事をする者は頭がいい。上に立つ者次第でその毒は薬にもなる』と養父に教えられた事のある隆広は、その頭脳を正しい方向に持っていくために労役を課した。

 北ノ庄城、一乗谷の町、金ヶ崎の町の不正役人たちは隆広に呼び戻された。全部で二十四人である。隆広は主君勝家に不正役人二十四名は追放したと報告していたが、今その二十四名は北ノ庄に帰って来ている。

「どうであったか労役は?」

「はい、下々の苦労を知りえる機会を与えて下された水沢様に感謝の気持ちでいっぱいです」

 本来、斬首になってもおかしくない罪を犯したのに、生き延びる道を与えた隆広に対して彼らの感謝は大きい。

「全員、手のひらを見せよ」

 隆広は一人一人の手のひらを見た。きれいな手をしている者などいない。クワを振る事によって出来たタコ、そして手荒れも著しい。

「美しい手だ」

「「ありがたき幸せに」」

「本日より、全員柴田家の帰参を許す」

「ま、まことにございますか!」

 二十四人は感涙した。

「まだ規定額に達していない者は、新たな勤めで稼ぐがいい」

「「ハハーッ!」」

「ただし、新たな仕事は兵糧関係ではない。直賢入れ」

「はっ」

 隣室に控えていた吉村直賢が入ってきた。二十四人は隻腕で左足を引きずるように歩く男を怪訝そうに見た。

「そなたらは、この吉村直賢に仕えるのだ。勤務地は敦賀港」

「「え!」」

「『柴田家商人司』、それがそなたたちの新しい役職名だ。仔細を説明する」

「殿、それはそれがしから」

 直賢は隆広を制して、自分の部下になる男たちに説明した。

「うん、たのむ」

「コホン、よく聞かれよ。我らの務めは『交易により国費を稼ぎ開墾、治水、架橋などの工事資金に当て、越前の民に減税をもたらす事』である。他の大名はどうであろうと、他の織田軍団長はどうであろうと柴田家は自分で金を稼ぐ。かつ民の仕事に迷惑をかけずに、である」

 ポカンとする二十四名。

「つまり、越前の国は『民からの搾取のみで国費を賄う時代を終えさせる』のだ。それが柴田家商人司の我らの任務。それがしが指揮を執る」

「あなたが?」

「申し遅れた。それがしは吉村直賢と申す。元朝倉義景様にお仕えしていた勘定方にござる」

 急な話で戸惑う二十四名に吉村直賢は理路整然と『商人司』の任務と、その大事な役割を説明した。二十四名はだんだん直賢の話に興味を示し、そしてその仕事をしてみたいと思った。

「そなたらの過去は聞いた。だがそれがしはそんなもの興味ござらん。そなたらの能力が欲しいのだ。チカラを貸していただきたい。それがしは穀潰し息子と生まれた村で蔑まれ、そなたは不正役人とこの地で蔑まされた。我らの手でこの国を豊かにして、逆に感謝させてみようではないか!」

「「承知しました!」」

「「お頭!」」

 途中から隆広の出番はなくなってしまった。目の前の二十四名は直賢を大将と心から認めたのである。直賢はこの二十四名を縦横に使いこなし、柴田家を支えていく事になる。

 

 数日後、隆広は主君柴田勝家の前にいた。

「朝倉家の勘定方だった吉村某を召抱えたそうじゃな」

「はい」

「ふむ、侍大将ともなれば配下武将が三人では足らぬと思ってはいたが…聞けばその男は隻腕のようだな。しかも一気に二十四人もの部下を与えたと聞く。もはやお前も柴田の重鎮。禄の範囲で誰を登用するもお前の自由であるが登用した理由を知りたい。詳細を聞かせよ」

「はい、包み隠さずお話しますが、その前にお詫び申し上げたい事ございます」

「なんじゃ?」

「その者に与えた二十四名の部下、前身は北ノ庄城、一乗谷の町、金ヶ崎の町の不正役人たちにございます」

「なにぃ? そなた追放したと報告したではないか!」

「いいえ、実は労役を課し越前領内に留めました」

「虚偽報告をワシにしたか!」

「恐れながらその通りです。支城の不正役人はすべて斬刑となりました。労役を課すと報告しても殿はおそらく許さず斬刑にしたでしょう。しかし不正とはいえフトコロに大金をもたらしたのは、それなりに頭が良いからにございます。それがしは労役によりそれを正しい方向に変え、当時から考えていた役職につけたいと思っていたのです」

「ううむ…。で、労役によりそやつらはマシになったのか?」

「はい、真人間に変わりました」

「そうか…ならば聞かなかった事にしてやろう。しかし時に主君に虚偽報告をせざるをえないのはワシも信長様に仕えているのだから分かる。ゆえに一つ申しておくが、どうしても虚偽を言わざるを得ないときはそれでいい。しかしその後に折を見てワシに面談を申し込み真実を伝えよ」

「はっ」

「では話を最初に戻せ」

「はい、その男は吉村直賢といいまして、仰せの通り朝倉家で勘定方をしていました。残念ながら隻腕であり、また元々武芸には不向きのようで戦働きを望むのは無理です。しかし彼には傑出した特技があります。交易です」

「交易?」

「はい、敦賀港は古くから日本海海輸の拠点。そこを根拠地として交易をさせます。つまり柴田家の中に、軍資金を稼ぐ専門機関を発足させたのです」

「軍資金を稼ぐ…専門機関?」

「はい。これから越前をとりまく情勢は厳しくなります。一向宗門徒、そして上杉、鉄砲や軍馬や兵農分離を行うにも、まず金が必要。無論の事に内政全般にも。よって…」

「バカモノ!」

「……」

「そなた、ワシに恥をかかせるつもりか! いやしくも柴田の家中に商人集団だと! 織田や柴田の名前をもって米転がし交易品転がしなど断じて許せんぞ! すぐに解雇せよ!」

「…お断りします」

「なんじゃと! ええい隆広! ワシがそなたを高禄で召抱えておるのは、そんな事をさせるためではない! 商人の長として召抱えた覚えはないぞ!」

 勝家は床の間に置いてある刀を抜いて隆広に突きつけた。隆広はひるまずに訴えた。

「それがしは殿に領内の内政を任されました。粉骨砕身それに励んでおります。しかし悲しいかな何をするにおいても金は必要! 軍備にも内政にも! そして民を守るためにも! お金がないからできませんでは行政官は失格でございます! また国費の事を主君に心配させるようでも内政家臣は失格です! だからと言って増税すれば民の怨嗟はそれがしでなく殿に降りかかります! 殿に無断でその機関を配下に置いたのはお詫びします! しかし増税なしで満足のいく内政を実行するにはこれしか方法はありませんでした! 越前の民のため、織田家のため、柴田家のため、それがしはそのために高禄で召抱えられているのではないのですか? それが不忠というのならば! 殿の顔に泥を塗ると云うのであれば! お斬り捨て下さい!」

 熱を込めて訴えるあまり、途中から隆広の声は涙声になった。

「ふん」

 勝家は刀を納めた。

「分かった、お前の思うとおりやってみよ」

「はっ」

「ええい! いちいち泣くな!」

「は、はい!」

「隆広」

「は!」

「成果が上々の場合は減税も考える。手柄によってはワシ自ら吉村とやらに褒美も与えよう」

「は、はい!」

「ふ…ワシはよい行政官を拾ったものだ。主君にダメだと言われて『ハイそうですか』では話にならぬのも確かだからな。今後もこういう衝突はお前とはあるだろう。お前には迷惑であろうが、それを楽しみにしている」

「はい!」

「ふむ、下がれ」

 隆広は部屋から出て行った。勝家は嬉しそうに微笑んでいた。

「ふふ…今日の酒は格別美味そうじゃ」

 

 城を出ると源吾郎が隆広へ駆けてきた。

「隆広様―ッ!」

「源吾郎殿、いかがされた」

「ハアハア、絹殿が見つかりました」

「本当ですか! で、どこに?」

「それが…」

「…?」

 

 翌日、隆広は源吾郎と共に敦賀の町に来ていた。吉村直賢が常駐する商人司本陣もここにある。楽市のように自分の店はなく、現在で言う事務所みたいなところである。そこで直賢が部下を使い米相場、馬相場、交易品相場を玩味して転売して利益をもたらす。はては各国の金山から出る金の入手や売買なども行う。

 以前に隆広が忍びを作って確立した越前の海の幸や名産などの都への流通は民の運営する楽市楽座のものであるので、直賢はその交易に接触はできないものの、まったくの無から金を生み出すと言われた彼だけあって、元々敦賀の町に出来上がっていた交易販路は民に任せた。主君の期待に応え、すべて自分から販路を新たに開拓すると決めていたのである。

 隆広が本陣をのぞくと、直賢が生き生きと部下たちに命令を出していた。伸ばし放題だった髪も無精ひげも整えた。今は立派なマゲを結い、口髭も貫禄を示している。糊の効いた裃を着た威風堂々の二本差しの武士である。

「うん、ふて腐れて酒をかっくらっていた時とは別人のようだな」

「ははは、これだけの厚遇をいただければ誰でも生き返りましょう。げにも隆広様は人使いが上手いです」

 源吾郎の褒め言葉に照れ笑いを浮かべつつ、隆広と源吾郎はそのまま直賢には会わずに本陣から立ち去った。

「しかしまさか同じ町にいたなんてなァ…」

「直賢殿はすでに販路をいくつか確立しておりますので、この商人の町に名も広まっておるはず。奥方の耳にも入っているでしょうが…合わす顔がなかったのでしょう」

「うん…オレは直賢を感奮させるためとはいえ、絹殿を側室にし閨を共にしたと虚言を吐いた。武士らしからぬ下策を用いたと恥ずかしく思う。だからその侘びを含めて、何とか再会を取り持ちたい」

「直賢殿は特に何とも思ってはいないかもしれませぬが、そういう配慮が人を惹き付けるものです。さ、着きましたぞ」

 

 そこは遊郭の通りだった。

「キャ―いい男! 私と遊びましょう!」

「あなただったらタダでもいいわよ!」

 美男の隆広に娼婦たちの黄色い声が飛び交った。隆広は赤面しながらも目的の店に入った。

「これはこれは水沢様!」

 敦賀の町の楽市楽座や、その他の商業にも隆広は尽力している。敦賀の夜の顔というべく遊郭のやり手婆たちも一目置いているので、当然隆広の顔は知っていた。

「水沢様に来店いただけるとは当店の誉れ。水沢様と同じ年頃の『蓮の蕾(処女)』を水あげして馳走させていただきまする」

「い、いや指名がある。紅殿を」

「紅を? よ、よいのですか? あの女はそろそろ三十路の安女郎です。失礼ながらお財布にゆとりがないのでしたら後日でもよいのですよ。是非当店の蓮の蕾を堪能していただけたらと…」

「女将、水沢様が紅がよいと言っているのだから…」

 処女を薦められ困る隆広に源吾郎が助け舟を出した。

「分かりました。ではどうぞ。で、そちらの方は?」

「ワシは酒だけでいい」

「かしこまいりました」

 

 部屋に通された。初めての遊郭に少しドギマギする隆広。

「よいですか隆広様、間違っても雰囲気に流されて絹殿を抱いてはなりませんぞ」

 別室に通される源吾郎と離れる際、小声で言われた。

「む、無論です。紅殿は、いや絹殿は家臣の妻。大切にしなくてはならんのですから!」

(そんなに助平と思われているのかなオレ…)

 

 部屋にはいり、窓から敦賀湾を少し眺めていたら…

「紅にございます。ご指名、恐悦に存じます」

 源氏名を紅と名乗る女が入ってきた。

「あ、ああ…」

 紅は顔を上げるとギョッとした。なんでこんな若い美男が遊郭などに来るのかと。いかに敦賀の商人衆に名と顔が知られた隆広でも、その末端にいる安女郎が知るはずもない。

「では、お召し物を」

 紅は隆広の着物を脱がせようとした。

「いや待たれよ」

「え?」

「貴方は萩原宗俊殿の娘御、絹殿ですね?」

「……!?」

 なんでそんな事を知っているのかと驚くと共に、紅は首を振った。

「お人ちがいでしょう」

 認めたら父の名を辱めると思ったのか、紅は当人と言わなかった。

「いや、こちらも名乗らずに失礼。それがし柴田家家臣、水沢隆広。絹殿の夫、吉村直賢の主でございます」

「私は絹と云う女ではありません! 帰って下さい!」

 紅、いや絹は直賢の暴力に耐えかねて家を出たが、すでに彼女の実家の萩原家は滅亡しており行くあてもない。金もない孤独な絹が糧を得るのは女郎しかなかった。

「直賢は知っての通りヤケになり、絹殿にもひどい事をしたとの事。しかし今は働き場所を得て生き返りました。だが彼は左腕もなく、歩行も不自由。日常生活には相変わらず支障が多いでしょう。なのに彼は女中も雇わず後妻も娶ろうとはしません。貴方を待っているからではないですか」

「…今さら、どのツラ下げて会えるのですか。私は女郎になりました。私の体はすでに汚れています。どうして主人に…う、ううう…」

「…直賢の姿は見ましたか?」

「…見ました。柴田家の家臣になり、この敦賀に本陣を与えられて商売に勤しんでいると聞き…いてもたってもいられずにあの人のいる本陣に行きました。そしてそこにはあの人が朝倉家で働いていた当時の輝く顔がありました。嬉しくて嬉しくて…。でも私はすでに女郎。会う事はできません」

「困ったなァ…。どうしても直賢の元に戻る気はないのですか」

「はい。せめてお情けあれば…私がここにいる事を夫には…」

 

「もう遅い」

 襖の向こうから声がした。そして勢いよくパンと開いた。立っていたのは直賢だった。不自由な体で大急ぎに駆けてきたのだろう。汗だくだった。

「お前さま…!」

「絹…!」

 隆広は何も言わずに部屋から出た。廊下には源吾郎がいて片眼を軽くつぶった。

「そうか、源吾郎殿が知らせたのか」

「はい、ある程度隆広様によって直賢殿の事を聞かせた後、本人登場ならば効果大と思ったのですよ」

「なるほど。本当にその通りだ。まだ女心については源吾郎殿には及ばないなァ」

「ははは、単なる年の功ですよ。ならば我ら邪魔者は退散いたしましょう」

「そうですね」

 

「会いたかったぞ絹…すまん、辛い思いをさせてばかりで」

「私は女郎に…とても顔向けできぬと…」

「何を言う、生きていてくれただけで満足だ」

「お前さま…!」

「さあ帰ろう、ここの店主とは話をつけておいた。またオレの妻となってくれ」

「はい…」

「見ただろう、オレは良き主君を得た。もういつかのようにヤケになどならぬ。いやそんなヒマすらない。あの若き主君は人使いが荒いでな。お前も忙しゅうなるぞ」

「はい!」

 元女郎と云う事で、しばらく蔑みの眼を浴びたが絹は負けなかった。それどころか体の不自由な夫への献身や内助振りはまさに良妻の鏡とも思われ、数ヶ月もすれば蔑みの眼は直賢の部下からも水沢の女衆からも消えうせていた。辛苦を味わっただけに人物としても深みがあり、隆広や妻のさえにも信用された。

 直賢もまた、隆広の期待に応え越前の国庫を潤わせた。鉄砲や軍馬を買うに役立ち、隆広は無論、勝家を大いに喜ばせ、直賢は勝家自身から褒美の品と言葉をもらい、かつ部下の増員もしてくれたのだ。

 

 北ノ庄の城下町、水沢隆広の屋敷。

「そうかぁ、殿から直々にお言葉と褒美を!」

「はい、これも殿がそれがしに働き場所を与えてくれたおかげです。なあ絹」

「はい、夫婦共々感謝しております」

「大した事はしていませんよ絹殿。場を預けて後は任せきりなのですから。あははは」

「そういえば、絹殿はご懐妊されたそうですね」

 隆広のかたわらにいたさえが言った。

「はい、本当に幸せな事ばかりです」

 絹は愛しそうに自分の腹を撫でた。もうすぐおじいちゃんとおばあちゃんになる監物と八重もその腹を愛しそうに見ていた。

「いいなあ…早くさえも欲しい」

「さえ姫様は十六歳でございます。これからいくらでも」

「そうともさえ! じゃ早速に子作りを…」

「んもう! なんでそうなるのですか!」

 と、六人の楽しそうな笑い声が湧いた時だった。

 

 ドン、ドン、ドン

 

 北ノ庄城から陣太鼓が轟いた。

「ん…?」

「殿、あれは臨時評定を始めるという合図の太鼓では?」

「そのようだ。いよいよ謙信公が動いたかもしれないな…。直賢、合戦となれば軍費の問題もある。まだ評定衆には加われぬだろうが、殿もそなたがいた方が話の進みも早かろう。参るぞ」

「ハッ!」

「監物、直賢の歩の補助をせよ。いささか急ぎで歩くゆえな」

「承知しました」

「八重、さえを頼むぞ。絹殿には今日泊まっていただくがいい」

「かしこまいりました」

「では、さえ」

「はい」

「行ってくる(チュッ)」

 愛妻との口づけに満足すると隆広は直賢と監物を連れて出て行った。



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軍神西進

 臨時評定の陣太鼓を聞き,隆広と直賢は家を出て城へと向かった。目の前で堂々と口付けをされて絹は赤面した。侍女の八重には日常茶飯事の光景だが。

「さえ姫様、いつも殿様は出かける時に…」

「うん、『男は外に出ると七人の敵がいる』とかどうとかで、外での安全のおまじない♪ 上手い事乗せられてしまって今ではすっかり習慣になっちゃって♪」

「は、はあ…」

「先日なんて、口付けからあの人興奮しちゃって…朝から…恥ずかしい!」

 聞いている絹と八重の方が恥ずかしくなってきた。

「で、でも殿様、さえ姫様と仲睦まじくしてらっしゃる時はとてもお優しい顔をしていらっしゃるのに、陣太鼓を聞いたとたんキッと引き締まりましたね」

「うん、さえに見せて下さる優しい顔も大好きですけど、あの引き締まった凛々しい顔は、さえもっと好き♪」

「あらあら」

 堂々とまあ、絹と八重は苦笑した。

 

 そして北ノ庄常駐の将が召集された。今まで別室だった奥村助右衛門、前田慶次、石田三成も先の小松城の戦いで勲功を上げているので評定衆の仲間入りを果たしている。吉村直賢はまだ家中に名が知られていないため、別室に控えているが議題が軍費になったら呼び出される事となっている。佐久間盛政の傷も癒えて、家老の席次である上座に座っていた。

「いよいよ本格的な加賀攻めの下知かもしれんな! 隣の加賀に門徒の国があると思うと枕を高くして眠れない。早いところ片付けたいものだ」

 小松攻めの時の評定と同じように、盛政はチカラを入れた拳で左の掌を叩いた。

「殿のおなり!」

 柴田勝家が評定の間に入ってきた。

「みな揃っているな」

「「ハハッ!」」

「みな、心して聞け。越後に放っていたワシの密偵から連絡が入った!」

「「ハッ!」」

「上杉謙信が春日山を出陣しよった!」

「なんと…!?」

 各諸将は戦慄した。いよいよ軍神謙信が織田に立ちはだかる時が到来した。

「知ってのとおり、謙信は一向宗門徒と和を講じ、出羽の最上に完璧な防備も配置し北条とは同盟を結んでいる。もはや後顧の憂いは何もない。越軍、京を目指し始めたわ」

(やっぱりそれか…)

 隆広の予想が当たった。

 

「まず、これまでの経緯を簡単に説明する」

 勝家が家臣たちに織田・畠山同盟に至るまでの経緯を話した。能登畠山氏の重臣の長続連が織田方に寝返り、上杉方の熊木城、富木城を奪回し、穴水城に迫るとの報を受けた。謙信は春日山城を出発、能登をめざし天神川原に陣を定めた。長続連は一族の長連竜を信長への援軍要請の使者として向かわせた。

 畠山氏の居城、能登七尾城。その君主である畠山義春には統率力がなく、重臣たちが虚々実々の駆け引きや謀略を繰り広げ畠山家の主導権を争っていた。畠山氏は一向宗への対抗上、越後上杉家と長きにわたり同盟間にあった事から、重臣の遊佐続光は深く上杉謙信と通じていた。しかし城内では反上杉方である長続連、綱連親子は密かに織田信長に通じ、同じく重臣の温井景隆は一向宗門徒と結んでいたため、能登畠山家を取り巻く状況は、もはや修復不能の泥沼状態と言って良かった。

 やがて城主の畠山義春が毒殺され、あとを継いだ義隆も病死してしまい、主君不在の城内には暗雲が漂っていた。この時、上杉謙信は畠山家臣たちの専横を除き、越後に人質として送られていた畠山義則を七尾城に入れて能登畠山家を再興するという大義名分をかかげ、能登へ侵攻を開始したのである。

 上杉謙信の本当の目的は、織田と結ぶ長一族を滅ぼし、上杉領を越後から越中、能登と拡大し、越後から能登に及ぶ富山湾流通圏を掌握する事だった。

 同時に謙信は足利義昭、毛利輝元、石山本願寺と結んで信長包囲網を作り上げていた。加賀と能登を完全に上杉領にされてしまったら、勝家の領土である越前は風前の灯であり、攻め取られるのも時間の問題。もはや謙信の勢いは安土まで止まらない。

「以上だ、何としてでも謙信の南下を加賀で止めなくてはならぬ」

 

「いよいよ…上杉謙信と…」

 隆広はゴクリとツバを飲んだ。つい数年前まで名を知っているだけの存在。まさに雲の上の人物であった上杉謙信。

 川中島合戦で上杉謙信と武田信玄と繰り広げた戦いの様子を父の隆家に聞き、胸をときめかせた自分。隆広少年には憧れであった武将と言っていい上杉謙信。その人物と戦う事になってしまった。軍神謙信と。

「隆広」

「は!」

「とても越前勢だけで謙信の南下は防げぬ。そなた慶次と共に大殿への使者に赴け。上杉謙信、春日山を出発、その数三万二千とな!」

「は! すぐに安土に発ちます! 助右衛門と佐吉は兵をまとめておいてくれ!」

「「ハッ!」」

「行くぞ慶次!」

「ハ!」

「他の者は出陣の準備を整えておけ! 援軍が到着しだい、加賀に出陣じゃ!」

「「ハハ―ッ!」」

 

 勝家は別室で控えていた吉村直賢を呼んだ。

「…と云う運びになった。商人司からいかほど軍費を出せるか」

「五千貫ほどにございます。あと米を三万石と云うところでしょう」

「うむ、助かる。この局面に本当に助かる! 米はそのまま兵糧で使うが、五千貫でできるだけ鉄砲と軍馬の手配を頼む」

「分かりました、できるだけ早く揃えます」

 不恰好な歩き方で去る直賢の後ろ姿を見つめる勝家。

「まこと経理に長けた者は貴重なものよ。隆広の人材登用の妙は、すでにワシなど越えておるな…ふふ」

 

 隆広は愛馬ト金、慶次は松風に乗って昼夜ほとんど休む事なく安土へと駆けた。戦国一の駿馬と呼ばれる松風よりさらに速いト金。後に競走馬の体躯をしていたと語り継がれるだけあって、隆広の馬術の腕も手伝い慶次が舌を巻くほどに速かった。

「隆広様、大殿はどれだけ援軍を派遣してくれるでしょうか」

 馬上から慶次が隆広に訊ねた。

「…徳川殿が信玄公に大敗した三方ヶ原の合戦ほどの援軍ではまず勝ち目はない。少なくとも謙信公の兵の一つ半は倍でないと無理だ。将も羽柴様や明智様が出向いてくれないと、かなりキツい…」

「やはり謙信はそこまで強いでしょうか」

「謙信公の領土には佐渡金山があり、直江津の流通は北陸どころか、東国屈指の利益を生んでいる。商才に長けた家臣や忍びも多い。つまり鉄砲の数は織田より多い可能性があるし、それに加えてあの『車懸りの陣』だ。二倍の兵力があっても互角に戦えるか分からない。そして決定的なのは謙信公の軍才。『神の心に悪魔の軍略』と呼ばれる軍神。一度として負け戦をした事がない常勝武将に当たる事を誰が望む。その名前だけで織田の将兵は震撼する」

「なるほど…」

 二騎の人馬は北近江を駆け抜け、南近江の安土城下へと到着した。

 

「ふう、ついた。腰がガクガクだ」

「このくらいで腰がガタついては奥方様を悦ばせられませんぞ。人馬もナニも腰です腰。自慢じゃないがそれがしの鋼の腰により、妻の加奈は毎晩嬉しい悲鳴をあげていますぞ」

「うん、そうだな、もっと鍛えて鋼の腰にして、さえをもっと気持ちよくさせてあげ…て、何の話をしているんだよ! 早く馬を厩舎に預けてきてくれ!」

「はいはい」

「ったく。しかしついた時間が深夜とは何とも間が悪いが、事情が事情だ。大殿に起きていただくしかないか」

「隆広様、預けてきました。さ、まいりましょう」

 

 安土城の門に隆広主従は到着した。

「誰か!」

 二人の門番がすごんだ。

「柴田勝家配下、水沢隆広に前田慶次にございます。深夜に無礼ですが大殿に火急の用があってまかりこしました! 至急目通り願いたい!」

「ハッ!」

 隆広と慶次は城の中に通され、信長を待った。

 

 ドスドスドス

 

 大きい足音が廊下に響いてきた。

 

 ガラッ

 

 障子か勢いよく開いた。

「ネコ! 慶次! 謙信入道が動いたか!」

「ハッ! 上杉謙信、春日山を出陣! 北陸街道を西進し、はや越中加賀の国境に!」

「とうとう謙信動いたか!」

「ハッ その数三万二千! とうてい越前勢だけで謙信公の南下は防げませぬ! 援軍を!」

「あい分かった! 能登畠山から援軍を請う使者も来ている。いよいよ謙信とは雌雄を決しねばなるまい。権六を総大将にして織田全軍で迎え撃て!」

「ハッ!」

 

「お蘭!」

「ハッ」

「お蘭! その方、当家の諸将に早馬をとばせ! 『謙信上洛の意思あり! 春日山を出陣して北陸街道を西進! 至急北ノ庄に集結せよ』とな!」

「ハハ―ッ!」

「あ、ありがとうございます! 大殿!」

「別にお前のためでも権六のためでもない。何としても加賀領内で謙信を止めなくては大変な事になる。ネコもさよう心得よ!」

「ハハッッ!」

 隆広と慶次は少しの仮眠を安土城内でとり、翌朝に安土へ来ていた畠山の使者である長連竜を伴い北ノ庄へ引き返した。そのころ北ノ庄では…

 

「舞、すず、白」

「「ハハッ!」」

「今回、我ら藤林一族は隆広様の軍勢に合力する。忍兵二百、至急北ノ庄に赴けと里に伝えよ。無論云うまでもないがいかにも軍勢然として来ぬようにと付け加えろ。旅の者、商人風に化けてポツポツとやってこいとな。城の者が混乱する」

「「ハッ!」」

「我らは柴田家にではなく、水沢隆広様に加勢するのである。藤林一族、稲葉山城の落城以来の合戦だ。おぬしらにとって集団合戦は初陣! しかもその二百を率いるはお前たちだ! 気合を入れるのだぞ!」

「「ハハッ!」」

 源吾郎こと、藤林一族の上忍柴舟の命令で三人の忍びは里へと駆けた。今回の合戦に柴舟は出ない。藤林忍者頭領、銅蔵の密命により万一の時は隆広の家族を救出するためであった。

「隆家様…。いよいよ我らご養子君に助力にございます。敵は上杉謙信、腕が鳴りまする」

 

 上杉軍が能登に陣をはったと云う報告が入った。能登の畠山氏の居城、七尾城を落とすためである。上杉軍はその七尾城の支城である石動城の攻撃を開始し始めた。急がねばならない。そして織田の諸将も北ノ庄に向かい、数日後には丹羽勢、滝川勢が到着の見込みである。

「佐吉殿―ッ!」

 北ノ庄の米蔵で兵糧の数を確認していた石田三成の元に、松山矩三郎がやってきた。

「ハアハア、助右衛門様から伝言です」

「何でしょう」

「今回の上杉との戦、また我らが兵糧奉行になったとの事」

「またですか?」

「はい、勝家様から直接に助右衛門様へ下命されたようです。しかも…」

「まだ何か?」

「北ノ庄に集結する織田全軍の兵糧を確保し、運搬せよと…」

「なあ!?」

 石田三成が絶句するのも無理はなかった。目の前の米蔵には、とうていそれほどの量はない。戦において必要なのは資金と糧食である。隆広の尽力でだいぶ北ノ庄の資金や兵糧も充実しているが、織田全軍の胃の腑を長期にわたり満足させるだけはない。

「北ノ庄に集結可能な織田全軍の兵数は…およそ五万てトコかぁ…。どうしよう…」

「助右衛門様も『いかに佐吉でも…』と困り果てておりました」

「確か直賢様から三万石の提供があったと聞いたけれども…ない袖はふれないよ」

「佐吉―ッ!」

「隆広様? 安土から戻られたのですか」

「ああ、まったくさえとイチャつく時間もないな。ところでまた我らが兵糧奉行だって?」

「そうなんです。そして…」

 織田全軍の兵糧を確保し運ぶように勝家から下命されたと話した。

「どうしましょう御大将、商人司の吉村直賢様も勝家様から軍馬と鉄砲の買い付けの直命を受けられたから助力を請えませんよ」

「隆広様、集結する将兵たちは自前で兵糧を用意してはくれないのですか?」

「それが…召集状には『北ノ庄のネコがメシは揃える。当面の兵糧だけ持ち大急ぎで勝家の元に行け』と記されていたそうだ。だから各将は本当に当面の食料しか持ってこないだろう。まあ、そうでもしなければ集結に手間取るからなァ…」

「なんて事です…。大殿は隆広様が無限の兵糧を出す不思議箱でも持っていると? ああ、どうしよう…」

 三成は頭を抱えて座り込んでしまった。さすがの名能吏石田三成も八方塞がりだった。

「まあそう言うな。続きがある。大殿から八千貫引っ張り出した。これで何とかならんか?」

「は、八千貫!?」

 バッと三成は立ち上がった。

「ああ、殿も納得している資金だ」

「八千貫あれば何とか確保できます!」

「頼む、しかし買い占めすぎて米の値段があがり民の生活が困る事なきよう、一箇所から買わずに分割して揃えてくれ!」

「御意!」

「よし、兵糧の確保は任せた。金は城の勘定方に一旦預けて公金にしたから、そこから改めてもらってくれ。百の兵を与えるからそなたが指揮を執り大急ぎで頼む。出陣まで何とか揃えるのだ」

「はっ!」

 石田三成は穀倉庫の役人も連れて、米の買い付けに向かった。

 

「あとはそれを運ぶ人間の確保だな、佐久間隊、可児隊、金森隊、拝郷隊、そして留守居の文荷斎様の手勢を一部づつ借りよう。これで何とかなるだろう。各備えに交渉に行こう」

「あの…」

「なんだ矩三郎」

「さしでがましいようですが、佐久間様には…」

「今は出陣前だ。個人の不仲など関係あるものか」

「それはそうですが…」

 だが、やはり矩三郎の危惧したとおりになった。錬兵場の佐久間隊の備えに向かうと…

「断る、小松での戦いでただでさえ手勢が不足しておる」

 と、隆広の顔さえ見ずに盛政は邪険に返事した。

「…分かりました。失礼いたします」

 あの時の小松の戦いで佐久間隊は壊滅に近い損害を受けた。しかし生き残った将兵たちは隆広の隊に救われている。大将が隆広を嫌おうと、部下たちはそうではない。

「殿、先日の兵農分離の新兵を入れて佐久間隊は四千、合戦時は無理でも行軍中ならば水沢隊に兵を割く事は…」

 と、盛政の側近がとりなしたが、その側近を鬼の形相のごとく睨む盛政。何も言えなくなってしまった。

「佐久間様、無理を言って申し訳ございませんでした」

「分かればいい。さあ、さっさと消えろ。こちらは忙しいんだ」

 犬でも追い払うようにシッシッと手を振る盛政。矩三郎は隆広の後ろで歯軋りしていたが、どうしようもなかった。佐久間隊から立ち去り、他の隊に向かっている時、とうとう矩三郎は我慢しきれずに言った。

「なんてお方だ! 敵は上杉だというのに味方同士でいがみ合ってどうなると!」

 隆広も怒り心頭と思っていた矩三郎だが、隆広は微笑んでいたのである。

「御大将! 悔しくないのですか!」

「そりゃ悔しいさ。でも佐久間様は初めて、ちゃんと理由を言った」

「り、理由?」

「『手勢が不足』『忙しい』。たとえウソでも理由を言ってくれた。相変わらずオレは嫌われているようだけれど…わずかな一歩でも近づけたと思えないか?」

「は、はあ…」

「なあに、まだまだ融和の機会はあるさ! さあ矩三郎、今の事は忘れて可児隊の場所まで競争だ!」

「は、はい!」

 

 隆広は可児隊、金森隊、拝郷隊、中村隊から運搬兵を借り付けた。その他、荷駄車やそれを運ぶ軍馬の手配も円滑に済ませた。他の諸将ではこうすんなり軍務処理は進められない。柴田勝家が水沢隆広に兵糧奉行を任命したのは人事の妙と言える。三成も米やその他の食料、酒も無事に調達し終えた。

 丹羽隊、滝川隊、明智隊、羽柴隊と云う主なる軍団長も到着し、その将兵らの接待には水沢家が当たったから、家中の面々は女衆も駆り出され、目の回るような忙しさだった。しかしそれだけ柴田家中で重用されている証拠でもあると、グチをこぼす者は皆無だった。さえも隆広家臣の妻である津禰、加奈、伊呂波、絹ら女衆の指揮を嬉々として行い、各将兵たちの接待に当たった。

 そして吉村直賢が軍馬三千頭、鉄砲五百挺を献上し、勝家と隆広を大いに喜ばせた。

 

 源吾郎が隆広に面会を求めた。三成も立ち会った。

「隆広様、注文の品にございます。お改めを」

「うん」

 源吾郎が献上した三つの大きな箱。その中身を見て三成も驚いた。

「隆広様…! これは…!」

「うん、最悪の事態にはこれを使う」

「最悪の事態?」

「つまり、敗走の時だ。追撃してくるのは謙信公。振り切れるはずもない。これを使い突撃する」

「心理作戦ですか」

「そうだ。謙信公に生半可な兵法など通じない。逆にこんな二流の陳腐な策のほうが有効というものだ」

「なるほど」

「しかし、源吾郎殿、よくこれだけの数を…」

「長篠付近の農民に当たったら比較的すぐに揃いました」

「長篠…。武田大敗の地ですか」

「はい、近隣の農民が野ざらしの兵から剥がしたのでございましょう。ご丁寧に血糊や肉片に至るまですべて洗われておりました」

「うん…」

 隆広はその品に合掌した。

「無念のままに死んでいった英霊の装備、粗略にはすまい」

 源吾郎が隆広に頼まれて用意したもの。それは武田軍の鎧兜と風林火山の旗印である。隆広は軍神謙信との戦いに少なからず敗戦を予期していた。だからそれに備えて用意したのである。

 上杉謙信の宿敵である武田軍。上杉軍には武田軍の強さが骨身に染みている者も多い。これを装備すればわずかだが動揺を誘える可能性がある。特に上杉謙信が武田信玄に対して思う事は敵味方を越えたものがある。それを利用しようと考えたのだ。

 隆広は武田信玄の兜である『諏訪法性兜』をかぶり、そして複製された『吉岡一文字』を抜いた。

「いい仕事だ」

「はい、それはウチの工忍に作らせました。中々でございましょう」

「隆広様、それで赤い法衣を着れば、ほぼ外観は信玄公ですよ!」

「こいつは我ながら下策だが…軍神謙信公に手段など選んでいられない」

「同感です、さ、隆広様。こちらが山県昌景殿、馬場信房殿の装備です」

「うん」

 三成は考えた。これを使う場合は柴田軍の敗走時である。という事は主君隆広は殿軍を行うと考えた事になる。柴田勝家が総大将である以上、殿軍が必要な場合は府中三人衆か、北ノ庄の勝家直属の将が担当するのが当然である。

 しかし相手は謙信。彼の主君秀吉がやった金ヶ崎の撤退より数倍困難な撤退戦となるのは明白。三成は思うに申し訳ないと感じつつも、府中勢、他の勝家の将では追撃を食い止められず、全滅する気がした。

 となると殿軍の役をまっとうし、かつ生還を果たせるのは主君隆広のみと三成は思った。そしてそれを前もって読んでいる同い年の主君に戦慄さえ感じた。

「どうした佐吉?」

「い、いえ何でも」

「佐吉、運搬の責任者はそなたゆえ、この箱の中身を打ち明けた。しかし口外は断じてならない。敗走のための用意など言えようはずがないからな」

「御意」

「源吾郎殿、調達ありがとう。出世払いと云うムチャな約束だったのに、ここまで見事に」

「何をおっしゃいますか。それがし隆広様が殿軍の段まで考えていると聞いたときは驚愕しました。その用意をさせていただいた事は商人として誉れ。金などいつでも結構にございます」

「ありがとう! 無事に戻るよ!」

 隆広は翌年に源吾郎へ倍額近い金額で返済している。

「お留守中の掘割工事の続きやお家の事はお任せ下さい」

「頼りにしています」

 

 この武田軍の軍装は後に現実に使われる事となる。そして見事に狙いは的中したのであった。上杉謙信は突如現れた武田信玄に驚き、そして山県昌景、馬場信房の姿をした前田慶次と奥村助右衛門の獅子奮迅の戦いで武田軍の恐ろしさが骨身に染みている上杉軍三万は分断され、歴史に名高い川中島合戦とは逆の立場での武田信玄と上杉謙信の一騎打ちが実現された。上杉景勝と直江兼続に『水沢隆広恐るべし』を強烈に印象付ける結果となるのである。

 これは長篠の合戦で無念に死んだ武田将兵の英霊たちが、主君信玄と共に再び軍神謙信へ挑むと云う誉れに感奮し、水沢隆広に人智を越えた何かをもって加勢したのではないかと現実的な観点で戦国時代を見る歴史家たちも評す時がある。何故なら水沢隆広はこの退却戦において、ただの一兵も失う事が無かったのである。

 

 藤林一族の忍者たちも歩兵隊に姿を変えて、自然に隆広の軍勢に潜り込んだ。舞とすずも陣場傘をかぶり、男に変装した。禁欲生活となるこれからの行軍に彼女たちの肢体は悩ましすぎた。そして忍者隊も後に武田軍の装備を身につけた水沢隊と共に上杉本陣に突入する。忍者隊の先頭を駆けたくノ一二人は大将隆広の傍らにピタリとつき従い、華々しい活躍をする事となる。

 

 そして出陣前日、よく武士は出陣の前日は女を抱かないと言われているが、若い夫婦にはガマンできようハズもなく、そして…

「いよいよ上杉との合戦ですね…」

 隆広の胸板に顔をうずめて、さえが言った。

「うん…」

「お話でしか聞いた事がなかった軍神…。さえも怖い」

「勝敗は兵家の常、そして時の運。さえ、もし我らが武運つたなく破れ、上杉が城下に殺到したら、そなたは奥方様、姫様たちと共に最期をまっとうするのだぞ」

「はい…」

「さ、もう寝よう」

「…お前さま」

「ん?」

「も、もう一度…さえを」

「うん!」

 一度出陣すれば生きて帰ってくるか分からないのである。この当時の男女の繋がりは現在では想像もつかないほど太い絆であったかもしれない。隆広とさえは思う存分愛を確かめ合った。

 

 翌日、晴天。総大将柴田勝家の号令と共に、柴田勝家率いる五万の軍勢は北ノ庄を出発した。時に水沢隆広十七歳。戦国の世に彼がその武名を轟かせる手取川の撤退戦まで、あとわずかであった。




これで第1話から第3話の手取川の戦いに戻るわけです。我ながら洒落た書き方が出来たなぁと当時は思ったものです。あの上杉謙信相手に隆広がどう戦ったのか、もう一度読みたい方は再び第1話からどんぞ!
というわけで、次話は手取川以後のお話になります。


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大和凶変

「父上…主人隆広をお守りください…」

 今日もさえは父の朝倉景鏡の鎧兜と陣羽織に手を合わせていた。まだ味方勝利、味方敗北いずれの報も北ノ庄にもたらされてはいない。隆広が主君勝家と共に北ノ庄を出陣してから二ヶ月が過ぎようとしていた。その隣で侍女の八重も祈っていた。

「景鏡殿…。貴方にとっては自慢の婿のはずです! 冥府からしっかり守るのよ!」

 弟の霊を叱咤し、加護を願う八重。ここ数日、さえは心配のあまり食事も喉に通らない時もあった。自分も戦国武将だった吉村監物の妻。主君であり姪のさえの気持ちが痛いほどに分かった。そのさえは父の霊にひたすら願った。

「お前さま…ご無事で…!」

「姫様―ッ!」

「監物?」

「ハアハア…お味方、帰路につかれておるとの事です!」

「本当ですか!」

「く、詳しくは城で中村文荷斎様と共に留守を預かる倅が…」

 よほど早く『帰路についた』と云う事を知らせたかったのだろう。監物は走った疲れでゼエゼエ言っていた。

「さえ姫様!」

 吉村直賢がやってきた。

「直賢殿! お味方勝利なのですね!」

「いえ、肝心の謙信公とは引き分けのようです。今のところ入ってきたお味方の情報を述べさせていただきます」

「お願いします!」

「ハッ まず湊川(手取川)渡河直後に能登七尾城が上杉により陥落したとの報が入り、勝家様は退却を決断。しかしそこに門徒三万五千が攻め込んでくると云う知らせが入ったよし。背後に増水した湊川、西に謙信公、南に門徒、絶体絶命の危機に陥ったそうですが、殿が上杉への殿軍を志願し、水沢軍以外の軍勢が門徒に当たり、殿の隊二千が上杉三万に対したそうです」

「う、上杉三万に、殿様の手勢だけで?」

 監物が驚くのは無理がない。当時の上杉軍は戦国最強と言われていた。それを寡兵で対せるはずがない。

「そ、それで夫は? た、隆広様は?」

「はい、前もって用意してあった武田軍の軍装を身につけて突撃。殿は謙信公と一太刀打ち合い上杉陣を突破! 殿軍の役を見事に成し遂げる大活躍! しかも一兵も失わずに!」

 さえの瞳から涙がドバと出てきた。

「ホ、ホントに!」

「はい! 殿はその後に合流した勝家様にお褒めのお言葉をいただき! 今回の合戦における勲功一位と相成り! 士分も部将に昇格との事!」

「姫様! 聞かれましたか!」

 さえは着物の前掛けで涙を拭きながら八重の言葉に何度もうなずいた。

「さすがは姫の婿じゃあ! よもや謙信公に一太刀とは!」

 監物も涙が止まらなかった。

「弥吉(直賢の幼名)、お味方の着はいつごろに?」

「はい母上、明日にでも!」

「こうしてはいられませんよ姫! すぐにご馳走を仕入れないと!」

「うん!」

 

 翌日に柴田軍は北ノ庄城に到着した。凱旋時には勝家の隊と合流していた水沢軍。

 北ノ庄城の領民にも隆広が武田信玄の軍装で上杉本陣に突撃をして突破したと知れ渡っていた。まさに痛快と云える撤退戦。まして一兵も失う事もなかったと云う快挙は領民をしびれさせた。北ノ庄城下町の領民たちは隆広の部隊を見て歓呼し、若い娘たちなどは隆広の姿を見て気持ちが高ぶったか失神者が続出した。

 何の実りもなかった出兵ゆえに、引き分けと云うより敗北に近い合戦であったが、この快挙で得られた越前の民の支持は何にも変えられなかった。水沢軍は織田の部隊で唯一、軍神謙信と直接対決をした軍団である。しかも一歩も引けを取らなかった。領民が水沢軍を歓呼する声はとうぶんやまなかった。

 

 現在、上杉軍と水沢軍が激突した場所は古戦場として公園になっている。そして『上杉謙信、水沢隆広一騎打ちの地』には武田信玄の鎧姿で隆広が太刀を振りかざし、上杉謙信が軍配を上げている両雄の像があり、今日も戦国時代の映画や大河ドラマでも屈指の名場面として両雄の一騎打ちは人々に愛されている。隆広を演じるのはその当時の若手一番の役者が選ばれるが、この場面の撮影の時は胸が歓喜に震えると云う。

 また上杉謙信。彼が主人公の小説やドラマにおいては、この隆広との一騎打ちで締めくくられている事が多い。信玄との川中島合戦の一騎打ちが謙信の物語中盤のヤマ場とするなら、隆広との一騎打ちは物語の最後を飾る場面である。謙信主人公の小説は『天と地と』が有名であるが、作者の海音寺潮五郎は水沢隆広をそれは雄々しく書いている。

 また武田信玄の本拠地である甲斐の国の人々にも隆広の痛快な撤退戦は愛され、石和温泉駅の前には、信玄の鎧姿の水沢隆広騎馬像があり、上杉謙信本拠地だった越後(新潟県)の直江津駅前にも、両雄の一騎打ち像がある。隆広は敵地の人々にも愛される武将として現在も語り継がれているのである。

 

 隆広は最初に得た三百の兵に約束した。“オレには金がない。与えられるものは何もない。だが必ずやそなたらに武士の誇りを与えられる大将になる”

 それを彼は果たしたのである。隆広の兵は北ノ庄領民にも嫌われた問題児集団。裏切り者村重の敗残兵と笑われた若者たち。それらが核となっている。領民の喝采をあびる“男の花道”を歩む時の気持ちは感無量だったろう。

 城に到着し、錬兵場で勝家から軍団解散が告げられ、ここでようやく隆広の手取川の合戦は終わった。勲功一位、さすがの佐久間盛政、佐々成政、柴田勝豊も認めるしかない大手柄だった。後日に改めて論功行賞はあるが、ここは解散となった。隆広は別れを惜しむ明智光秀や丹羽長秀、滝川一益と握手を交わした後、自宅に駆けた。

「さえ―ッ!」

 さえは玄関先で今か今かと夫の帰宅を待っていた。そして夫が自分を呼ぶ声が聞こえてきた。

「お前さま―ッ」

「さえ―ッ!」

 二人は二ヶ月ぶりの再会、そしてさえは夫の無事の喜びを体で表すかのように、夫の胸に飛び込んでいった。ギュウと抱き合う二人。そして『ぶちゅう』と云う音が聞こえてきそうな熱い口付けをかわす。邪魔しないように監物と八重は隠れていたが、目のやり場に困り果てていた。

「さあ! ご馳走ができています!」

「それはさえの事か?」

「んもう! まださえはお預けです!」

「早くさえを食べたいよ~。二ヶ月もお預けしたんだから~」

「んもう! 助平!」

「聞いているこっちが恥ずかしくなってくるのォ…八重」

「何を言っているのです。私たち夫婦だって新婚当時ああでしたよ」

「そうだったかのォ?」

「直賢が生まれて少し落ち着きましたけれど…姫と殿様は子が生まれても、さらにお熱くなりそうね。さ、お前さま、殿様を出迎えましょう」

 家族たちとの久しぶりの夕餉。隆広の好物ばかり並べてあった。愛妻の手料理を美味しそうに食べる隆広。そしてそれを微笑んで見るさえ。空腹を満足させると共に風呂に入り、やがて閨へ。

 毎日妻とこんな生活ができたらなと隆広は思う。さえもそうだろう。しかし、彼は今や柴田の部将。陪臣とは云え時に万の手勢を持つ事が許される大将である。しかも行政官を兼務している。どう時間をやりくりしても留守の方が多くなってしまう。だからこそ二人の時間はとても熱いのだろう。そして、やはり今回の二人の時間も短かった。

 

 隆広が北ノ庄城に戻ってほどなく、掘割が無事に完成した。隆広の留守中にも工事は進められていたのである。

 掘割の開通式と高瀬舟の着水式は同時に行われる。北ノ庄の財源の要所となる掘割の完成式典のため、柴田勝家と市の夫婦も出席する。その式典の準備を隆広と三成は行っていた。円滑に隆広が人足たちに指示を与えていた。

「ここがいい。ここが一番着水や開通の様子が見る事ができる。殿と奥方様、姫様三人の席はここにする。陣幕じゃ物々しいから、茶の野点のような、のどかで、かつ見晴らしの良い席を作ってくれ」

「ハッ」

「茶々姫様、初姫様、江与姫様は好奇心旺盛の姫様たちだ。高瀬舟に乗せろと言われるだろう。一艘カラの高瀬舟を用意して姫様たちが乗るに相応しい花なども飾っておいてほしい。船頭も一番の腕前の者を頼む」

「かしこまいりました!」

「隆広様―ッ!」

「おう佐吉」

「各水門、いつでも準備できています」

「よし、水量と流れの速さを見分する。南北の水門を開放せよ」

「は!」

 三成は水門に駆けていった。

「お前さま―ッ!」

「んお! さえと伊呂波殿ではないか」

「伊呂波さんから今日、試験的に水門を開けると聞きましたので」

「ははは、佐吉は自分の仕事の成果を伊呂波殿に見せたいらしいな」

「はい、それは昨日嬉しそうに言っていましたから!」

 

「南水門開放―ッ!」

「北水門開放―ッ!」

 

 ザパァン!

 

 引水した九頭竜川の水が一斉に北ノ庄の城下町に流れた。

「「おおお―ッ!」」

 堀の周りにいた領民たちが驚きと歓呼の声をあげた。特に子供たちのはしゃぎようはすごかった。

「お父ちゃん! お魚、お魚! あれなんていうお魚!?」

「ん? あれはサバだ」

「バカだね、お前さん! どうして川から水引いたのにサバがいるんだよ!」

「う、うるさいな! じゃあお前分かるのか!」

「当然! あれはスズキだよう!」

 

「両方とも海の魚じゃないのか?」

「クスクス…だめですよ殿様、家族の楽しい会話なのですから!」

 隆広の小さな突っ込みに笑う伊呂波。

「隆広様―ッ! お、伊呂波も着ていたか!」

「はい! お前さまの仕事を見たくて!」

「そうかそうか!」

「で、お前さま、あのお魚は?」

「ん? おおあれはスズキだ!」

 隆広とさえはドッと笑った。

「あ、お前さま! 鯉もいますよ!」

 掘割の橋の上で二組の夫婦が水面に移る自然の情景に見ほれていた。

「よし、佐吉。水量も流れも申し分ない。一旦水門を閉めて水を抜いてくれ。明日の式典で再開放だ」

「は!」

 隆広は橋の上から領民に言った。

「皆さん! 今のは試験的な水門解放なので一旦閉じます。しかし掘割に流れてきた魚はそのままとなるでしょう。打ち上げられた魚をそのまま日干しにするのは惜しい。数の許す限り持ってかえって下さい」

「「おお!」」

「助かります~。ウチの亭主がバクチでスッて家計火の車だったんです~」

 と、さっき川魚をスズキと言った女。

「余計な事言うな! いや~助かりました! ありがとう隆広さん!」

 

 民を思う夫をさえがウットリして見ていた時だった。

「水沢様―ッ!」

「ん…?」

「お前さま、あれはお城の…」

「水沢様、殿がお呼びにございます」

「分かった、すぐ行く」

「お前さま、いってらっしゃい」

「ああ行ってくる。あ、さえと伊呂波殿は魚取っちゃダメだぞ。こういう偶然の天の恵みは民に譲るものだからな」

「わ、分かっています! んもう」

「伊呂波殿、佐吉には引き続き明日の式典の準備をするよう伝えておいて下さい」

「かしこまいりました」

 隆広は城に向かった。さえは掘割の底に打ち上げられていた魚を見た。

「でも…残念だなァ…。見てよ伊呂波さん、あの岩魚とても美味しそう…」

「…もしかして拾いに行くつもり…だったのですか?」

「と、と、と、とんでもありません! 夫の言うとおり民に譲るのが道です!」

(…行くつもりだったのですね…。実は私もなんですが)

 伊呂波はクスリと笑った。

 

「水沢隆広、お召しと聞きまかりこしました」

「入れ」

「ハッ」

 ここは北ノ庄城の城主の間。勝家は書状を持っていた。

「うむ、呼び出したのは他でもない」

「はい」

「そなた、大和に赴け」

「は?」

「松永弾正を知っているだろう」

「はい」

「ヤツめ…。とうとう大殿にキバを剥いたわ」

「え!」

「もはや三度目の謀反。さすがに大殿も今回は寛大な処置はとらなかった。人質の童二人、斬刑に処した。愚かな男よ、大和一国で叛旗を翻したとて成功するワケがなかろうに」

「…たぶん上杉の動きに呼応するつもりだったのでしょう。上杉が畿内に突入したに合わせて安土へ急襲するはずが謙信公は加賀から撤退。アテが外れたとはいえ今さら矛は収めても大殿が許すはずもありません。もしくは…昨年に多聞山城を大殿に明け渡して信貴山城へ退去したにも関わらず、大殿に大和守護を任じられた筒井順慶様により多聞山城は破却と相成りました。これを恨んだのか…いずれにせよ弾正殿しか知らぬ事です」

「ふむ…」

「松永殿に対するは織田方の将は…」

「ふむ、総大将は若殿の信忠様じゃ。補佐は羽柴、明智、丹羽、佐久間信盛だ。信貴山城の西、破却した多聞山城の跡地に本陣を構え、各諸将はそこで集結し出陣と相成る」

「そうそうたる顔ぶれですね」

「ふむ、そして柴田からは新たに部将になったお前が出ろと大殿からの命令じゃ」

「え…! では明日の掘割完成の式典は…!」

「佐吉、いや今は三成であったな。あやつも今では足軽大将、お前の名代として大丈夫だろう。三成を式典に当たらせよ。無論ワシも市も姫も出席するゆえヤツの顔はつぶさぬ、大丈夫じゃ。そなたは出陣の準備にあたれ」

「はい!」

「ふむ、では才蔵を副将として与えるから二日後には多聞山城に出陣せよ!」

「ハハッ!」

 

 隆広は三成に式典の事を頼み、助右衛門に軍務を任せ一度帰宅した。玄関でワラジを脱ぎながら妻に出陣する事を伝えた。

「また戦にございますか?」

 驚くさえ。上杉からの戦いから帰って来てまだ一週間しか経っていないから無理もない。

「うん、今度は大和の国。謀反を起こした松永弾正殿を倒す」

「そんな…また一ヶ月くらいお留守に? さえは寂しゅうございます…ぐすっ」

「ごめんな、さえ。オレもずっと一緒にいたい。一年中一日中、ずっとお前とイチャイチャできたらどんなにいいだろうと…そればかり思うよ」

「さえも…」

「さえ、オレはさえが思っているよりもずっと…さえに夢中なんだ」

 隆広の言葉に顔を赤らめ、さえも答えた。

「さえも…お前さまが思っているよりもずっと…お前さまに夢中なのです…」

 隆広はさえの手をにぎり、そして抱き寄せ、くちびるを近づけると…

 

「コホン」

 ぴったり寄り添っていた隆広とさえが慌てて離れた。

「け、慶次!」

「まったく玄関先で何をイチャついておるのです」

「い、いや…」

「は、恥ずかしい…!」

 さえは恥ずかしくなって両手で真っ赤になった顔を押さえながら屋敷に入ってしまった。

「いやいや、初々しいですな『は、恥ずかしい…!』とは何とも愛らしい」

「何用か」

「イチャついているトコを邪魔されたからといってそう睨まず。可児様も一緒です」

「え!」

「まったく…目のやり場に困らせてくれるな」

「い、いや…あはははは」

「ところで隆広、そなた軍務を助右衛門に任せて女房とイチャつくために帰ってきたのか?」

「と、とんでもない。地図を取りに帰ってきたのです」

「地図?」

「はい、養父と共に畿内は歩きましたので…その地その地に行くたびに簡単に地形や道は記録したのです。越前からの大和路までの進軍経路もそれで算出しようかと。その地図を持って、助右衛門や慶次と合流して可児様の屋敷を訪ねるつもりだったのですが…あはは、マズいトコを」

 そういえば伊丹城への進軍のとき、隆広がすぐに進軍経路を決定した事を慶次は思い出した。

「なるほど、そういう虎の巻を持っていたのですか」

「うん、これから助右衛門に使いを出してここに来てもらおう。ついでだから我が家で進軍経路や他の軍務について話そう。可児様もそれで良いですか?」

「ああ、かまわない」

「ではお上がりを。さえ―ッ! 四人分の要談の準備を!」

「あ、は―い!」

 

 しばらくすると奥村助右衛門も隆広の屋敷にやってきて、今回の出陣の軍議を開いた。

「と云うわけで…琵琶湖の東側の木之本街道を南下して、小谷、佐和山、日野、伊賀上野、大和郡山を経て多聞山城に到着する。これで宜しいかな?」

 隆広の持つ扇子が地図上を走る。才蔵はアゴを撫でながらフンフンと頷いた。

「異存ない。日程はどれほどを考えている?」

「はい、金ヶ崎、小谷、佐和山、日野、伊賀上野、大和郡山を野営地と考えておりますから、およそ六日間の行軍です。兵糧はすでに十分押さえておりますし、軍費も大殿と殿からのを合わせて三千貫確保してあります」

「うむ。して隆広、我ら可児隊が千五百、その方らは?」

「それがしの兵と、殿と金森様、文荷斎様の兵を借りまして三千五百です。それで可児様の合わせちょうど五千の進軍です。一向宗門徒の動きも微妙ですから府中衆からは出兵できないようですし…」

「佐久間様は相変わらずか…」

「…はい。お願いしてみたのですが…」

「僭越ながら隆広様がお嫌いと云う理由で兵の貸付依頼を断るのならば、それがしが、と思ったのですがやはりそれでもダメでした」

 と、助右衛門。

「困ったものよなァ…佐久間様の隆広嫌いは。明智様や羽柴様は八千から一万と聞いている…。柴田としてもそれくらいの数がないと他の諸将に示しがつかぬのに」

「まあまあ可児様、その足りない兵士の分、我ら柴田家の槍自慢三傑が踏ん張れば良いだけの事です」

「そうだな」

 慶次の楽観的な意見に才蔵は笑って頷いた。

 

「ところで隆広様」

「なんだ助右衛門」

「隆広様が最初に預けられた三百の兵の中で、矩三郎、幸之助、紀二郎は合戦や内政土木でも働きが目覚しゅうございます。それがしや慶次も彼らには安心して指示も出せていますし、兵の統括も最近は堂に入っています。おそらく最初に主君と槍を交えたという誇りがそうさせているのでしょう。兵士の鼓舞も含め、明日の出陣前に役と名を与えてはいかがでしょう。部将ならば部下の昇格の判断も認められておりまする。それがし、慶次、佐吉も足軽大将になった事ですし、他の足軽たちも手柄次第でと感奮するかと!」

「そりゃあいい考えだ助右衛門、隆広様、オレも異存はございませぬ」

「うん! 彼ら三人の働きはもはや組頭に相応しい。明日の出陣に先立ち、彼らを足軽組頭に任命して名も与える。実はもう名前は決めてあるのだ」

「用意がいいな」

 才蔵、助右衛門、慶次は笑った。

「よし、出陣前の大まかな陣容は決まった。あとの陣立てや作戦は大和についてからだ」

「ハッ」

「ではメシにしよう。さえ―ッ! 四人分のメシと酒だ―ッ!」

「は―い!」

 

 兵農分離の最たる効果は出陣が決まったら一日か二日で兵が揃う点にある。隆広の手勢や、借り受けた兵、そして可児隊の兵はすぐに召集に応じ、錬兵場に揃った。

 掘割の完成式典を横に、隆広たちは円滑に隊編成を進め、明朝の出陣準備を終えた。

 石田三成が主宰を務めた北ノ庄城掘割の完成式典は無事成功をおさめ、勝家と市を喜ばせた。三人の姫は舟に乗り、城下町に張り巡らされた水路を舟でスイスイ進むのに大喜びだった。

 また大和遠征であるが、三成は留守居となった。導入間もない水運流通の指揮を執るためである。また隆広と三成は高瀬舟で物資だけではなく人を運ぶ定期舟の導入も考えていた。それを北ノ庄を空ける隆広に代わり実行するためであった。

 

 出陣を明日に控えた夜、隆広とさえの寝所。出陣前に妻は抱かないと云う理はこの夫婦には存在しない。しばらくの別れを惜しむように、抱き合った。

「明日また…出陣ですね」

「うん。ずっとさえとイチャイチャしていたいけれど…これも務めだからな」

「無事のお帰りを待っています。だから…」

「ん?」

「昨日、さえに言ってくれた言葉をもう一度聞かせてください…」

 愛妻の耳元で隆広はつぶやいた。

「オレは…さえが思っているよりもずっと…さえに夢中なんだ」

「さえも…」

 夜月も目のやり場に困るような二人の夜はこうして更けていった。

 

 北ノ庄城錬兵場。水沢・可児連合の柴田軍五千が揃った。例によって忍者の舞とすずは男装して隆広の本隊に紛れ込み、白やその他の忍びたちも歩兵隊に化けて潜り込んでいる。実質五千二百の手勢である。

 台座に乗り兵の前に立つ隆広。その左右には前田慶次、奥村助右衛門、可児才蔵と云う柴田家が誇る豪傑が並び、そして『歩』の旗が靡いていた。

「出陣前にあたり、任命の儀を行う。松山矩三郎、小野田幸之助、高橋紀二郎、前に出よ!」

「「は、はい!」」

 何も聞かされていない三人は何事かと思いつつも、隆広の前に横隊で並んだ。

「本日をもって、その方たち三名を足軽組頭に任命する!」

「「え、ええ!」」

 奥村助右衛門が隆広に半紙三枚を渡した。

「よいか、その方たちはこれから一兵士ではない。水沢軍の一翼の大将であり、軍議の出席も命ずる! オレを生かすも殺すも己の器量次第と心得よ! よってこれからそなたたちに名を与える。松山矩三郎!」

「は、はい!」

「その方、今日より『松山矩久』と名乗れ!」

『矩久』とデカデカと隆広が書いた書を渡した。矩三郎は震える手でそれを大事に両手で受けた。

「小野田幸之助!」

「はっ」

「その方、今日より『小野田幸猛』と名乗れ!」

「ははっ!」

「高橋紀二郎!」

「は、はは!」

「その方、今日より『高橋紀茂』と名乗れ!」

「はは!」

 三人は隆広がくれた新たな名前が記されてある書を大事に握り、そして感涙していた。ぐれん隊、バカ息子軍団と後ろ指を指されて、味方にもバカにされつづけた自分たちが今、足軽組頭となり立派な名前までもらえたのである。

 感動していたのは三人だけじゃない。隆広三百騎の残る二百九十七名も次は自分がと感奮していた。

「えぐッえぐッ」

 特に矩三郎は鼻水まで垂らして泣いていた。十人兄弟の末っ子で、養子に出されてもその家に馴染めず、いつも突っ返され父母にも呆れられ、家の中では厄介者。メシも残り物だけ。ヤケになって戦でも云う事を聞かずに、ただ自分の鬱憤を晴らすために戦場で暴れていただけ。

 その自分を心より認めてくれる若き主君がいた。たとえずっと足軽のままでも満足だった。だが足軽組頭と云う一翼の大将に抜擢され、『矩久』なんて立派な名前ももらえた。

「矩久、幸猛、紀茂!」

「「ハハッ!」」

「頼りにしているぞ!」

「「ハハ―ッッ!」」

 三人はこの時の感動を生涯忘れる事はなかった。

「では水沢・可児の柴田軍! 大和多聞山城に出発するッ!」

「「「おおおおッッ!!」」」



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織田中将信忠

 北ノ庄城を出発した柴田軍五千は水沢隆広を大将に、可児才蔵、奥村助右衛門、前田慶次を将とし、およそ一週間後に大和多聞山城に到着した。

 廃城となっている多聞城であるが、西の信貴山城に備える本陣のため簡易な陣屋が所々に建設されており、織田の桔梗紋の旗が掲げられていた。柴田軍が一番遅い到着であるが、期日より三日も早く、かつ他の将帥より遠い地域からの参陣である。水沢隆広の指揮した行軍だから期日より早く到着したと言っても良いくらいである。隆広が着陣した事を総大将の織田信忠に報告に行こうとしていると…

 

「おお! よう来てくれたな! そなたが水沢隆広か!」

「え?」

「織田中将信忠である」

 信忠は隆広の到着が嬉しかったのか、整えていたマゲをそのままにし、鎧や具足もいい加減な装着な状態で本陣から出て来て隆広を迎えた。

「……」

「上杉三万を二千で退けた手並み! 期待しているぞ」

「…は」

「陣場を築き終えたら、本陣に来い! ははは!」

 信忠は隆広の背中をポンポン叩き、言うだけ言うと本陣に戻っていった。

「可児様、慶次、助右衛門、北ノ庄に帰ろう」

「はあ!?」

 奥村助右衛門はあぜんとした。

「な、何故ですか! 無断で帰陣などしたらどんなお咎めがあるか!」

 助右衛門は必死で止めるが、隆広は落胆のため息でそれに答えた。

「見ただろう、若殿の髪と鎧と具足。着陣した将をあんな姿で出迎える方に大将の器などない。相手は松永弾正殿で、しかも城に篭られて必死の抵抗をしてくるのだぞ。ヘタすれば全滅。たとえ殿や大殿の勘気を被ろうと、見込みのない総大将の元で、かつ手伝い戦で、ただでさえ少ない柴田の兵を死なせるなんてゴメンだ。帰る!」

「し、しかし…」

 助右衛門は慶次と才蔵を見るが二人は特に隆広を止める様子はない。同じ印象を信忠にもったのかもしれない。

 

「あっははははは!」

 本陣に帰っていたと思っていた信忠が再び現れた。今度はマゲもちゃんと結ってあり、鎧も具足もキチンと身につけ、陣羽織も糊の効いた立派なものをまとっていた。どこから見ても由緒ある上品な若武者だった。さきほどの姿とは雲泥の違いである。

「わ、若殿…?」

「さすがは父信長に『間違っている』と言ってのけた北ノ庄のネコよな」

「…?」

「試すようなマネをして済まなかった。だが期待通りの反応をしてくれて嬉しく思う。もはや気づいておろうが、平将門と俵藤太の故事からお前と言う人物を見てみたのだ」

 戦国時代よりはるか昔、時の朝廷への反乱に立ち上がった東国の猛将平将門に、俵藤太が援軍に駆けつけた。将門はその嬉しさのあまり、取るものも取らず、結髪していない頭を露出したまま下着の白衣であわてて出てきた。この時に俵藤太は平将門と云う人物を鋭く見抜いて、“この者の本質は軽率である。とても日本の主とはなれない”と将門を大将の器にあらずと判断して退陣してしまった。

 信忠は自分が将門の立場になり、隆広と云う武将を図ってみたのである。隆広が何も感じずに、そのまま黙って幕下につくようならば大した武将ではないと信忠は見るつもりだった。

 信忠にとっては年が近い隆広。しかも若くして部将。後々には自分の右腕ともなるかもしれない男と見込み、信忠は少し意地悪な試験をしたのであった。何故なら今回の戦に『水沢隆広の参陣を』と父の信長に懇願したのは信忠自身であったからである。

「わ、若殿も人が悪うございます!」

 隆広は赤面した。

「ははは、そう膨れるな。あと若殿はよせ。オレはお前より三つ年上だぞ」

「分かりました。では…信忠様と」

「結構だ。とにかく越前からの遠路大儀であった。疲れていようがちょうど軍議を広く。陣場作りは部下に任せ、そなたは副将を連れ急ぎ本陣に参れ」

「ハッ!」

 奥村助右衛門、前田慶次、可児才蔵は織田の若殿である織田信忠と初めて会ったが、この隆広との初対面で中々の男と見た。

「では、可児様、主君隆広と本陣へお願いいたす」

 と、助右衛門。

「承知した」

 

 本陣の陣屋に行くと、羽柴秀吉、竹中半兵衛、明智光秀、斉藤利三、丹羽長秀、佐久間信盛、細川藤孝、筒井順慶と云ったそうそうたる織田の武将たちが軍机を囲んでいた。

 信忠が陣屋に入ると、各将は立ち上がり頭を垂れ、そして信忠が着座すると座った。隆広と才蔵は末席に座った。いかに織田筆頭家老の柴田家からの参戦だろうと、隆広は勝家ではなく家老でもない。家の順から云えば一番の上座が妥当であるが、まだ部将になりたての隆広が丹羽や明智を越えて上座に座っていいはずがない。

 そしてここには隆広の師で義兄でもある竹中半兵衛もいる。隆広は半兵衛と同じ席で軍議を迎えられた事が嬉しくてたまらなかった。

(義兄上と同じ席で戦を論じ合えるなんて!)

 竹中半兵衛も顔には出さないが、その喜びをかみしめていた。隆広が上杉三万を二千で後退させた策を聞いたとき、『もはや我も及ばぬ』と手を打って喜んだ。その誇りに思う義弟と戦を論じる幸せを半兵衛もまたかみ締めていた。

 

 総大将の信忠が軍議の端を発した。

「さて、この若武者がどこの誰か知らぬ者もおろう。隆広、そなた改めて名乗るがいい」

「はっ」

 居並ぶ諸将が隆広を見た。隆広は立ち、深々と頭を垂れた。

「柴田家部将、水沢隆広です」

「ほう、そなたがそうか」

 腕を組んでいた細川藤孝が腕をほどいて感心したように言った。

「なんとまあ、わが子忠興と同じ年頃ではないか。それですでに部将とは大したものでござるな」

「は、はあ…運が良かったようで」

 隆広は照れた。

「手前は細川藤孝と申す。今後よしなに」

「こ、こちらこそ!」

「手前は筒井順慶である。上杉との戦ぶりは聞いておる。今回の戦でも楽しみにしている」

「は、はい!」

「明智家家老、斉藤利三でござる。それがしも元斉藤家家臣。戦神と言われた隆家殿のご養子君と陣場を同じくするのは嬉しく思います。よろしく願いもうす」

「はい! こちらこそ!」

「佐久間信盛である。そなたとわが一族の盛政はあまり仲がよくないと聞いたがまことか?」

「は、はい…」

「うーむ、あやつも色々と癇癪持ちゆえな…。でも根はいい男なのだ。そんなに嫌わずにの」

「はい!」

 若武者らしい無邪気で元気の良い返事に諸将は微笑んだ。だがまだ一人残っていた。その自己紹介の場を無視して信貴山城の地形図をジーと見ていた。隆広より十五ほど年上の大将で、隆広はその人物を知らない。

「あの…」

「……?」

「手前、水沢隆広と申します」

「…聞こえておりました」

「あ、はあ…」

(ぶっきらぼうな人だな、可児様といい勝負だ)

「ははは、こういう方なのでござる隆広殿、この御仁は山中鹿介幸盛殿だ」

 羽柴秀吉が紹介した。

「こ、このお方が『我に七難八苦与えたまえ』の!?」

「いかにも、ただいま羽柴の客将にございます、山中殿」

「…は」

 秀吉にあいさつを促されては仕方ない。

「山中鹿介にござる」

「い、一度お会いしたいと思っておりました。感激です…!」

 眼をキラキラさせて鹿介を見る隆広。まるで童が桃太郎や牛若丸に憧れるような眼だった。

「い、いや、かように勿体無く思うほどの者ではございませぬよ、参りましたな…」

 毛利元就に滅ぼされた主家の尼子家を再興させるため、彼は中央で勢力拡大の著しい織田信長に頼る事を考えた。そこで隠岐の地で僧侶となっていた尼子勝久を還俗させて招いた鹿介は、織田軍の羽柴秀吉の仲介で謁見をする事になった。鹿介と会った信長は援助を許可し秀吉の支配下に入れる事を命じた。

 そして再び尼子の旧領の因幡に進入し三千の兵で次々と城を攻略。鹿介が去った後に侵入してきた毛利軍の威風を恐れてそちらになびいていた山名氏も再び来た尼子軍の勢いが盛んだと見るとまたも尼子に協力するようになる。これにより因幡の大半が尼子氏の傘下に入った。

 しかしその翌年に尼子軍が鳥取を離れ若桜鬼ヶ城の攻略に向かい留守にしていた時に、毛利軍が再び侵攻してくると山名氏がまたも毛利に寝返ってしまう。これにより尼子軍は苦境に立たされる。しかも毛利の主力である吉川・小早川の両将が因幡に入り状況はますます悪くなった。

 尼子軍は私都城を拠点としていたがここにも毛利軍が来襲。ついに支えきれなくなった鹿介らは京都方面に逃走し、三年に渡る因幡での戦いは幕を閉じる。

 京へ戻った鹿介は、羽柴秀吉に従い織田信長に対して謀反をおこした松永久秀を討つため、今回の陣に参加し、隆広と対面したのであった。

 

 一通り自己紹介も終えたので信忠が切り出した。

「さて、これで松永ダヌキを仕留めるための諸将はそろった。まず改めて状況を確認する。半兵衛」

「ハッ」

 竹中半兵衛が立った。

「弾正殿は上杉の動きにほぼ連動して信貴山城に篭りました。まず信貴山の麓にある支城片岡城を細川藤孝殿、明智光秀殿、筒井順慶殿が攻められて落としました。本城のある信貴山は河内国と大和国を結ぶ要衝の地で、弾正殿はこの山上に東西・南北とも広範囲な放射状連郭の城を築きました。山城としては当代随一と思えます。片岡城のようには参りませぬゆえ、若殿率いる織田本隊の到着の由と相成りました。そして兵数ですが物見によると敵方八千。兵糧と水は豊富との事です」

「若殿、これはチカラ攻めを避けて、包囲して信貴山の城下町をかこみ、城下を焼き払った上で敵の兵糧と水が切れるのを待つべきかと存じますが」

 秀吉が言った。

 

 松永弾正の謀反は色々な要点が重なって起きたと思われる。一つはかつて織田信長が徳川家康に

『これなるが松永禅正でござる。これまで普通は人のしない事を三つしおった。一つは将軍殺害、もう一つが主君である三好への反逆、最後に大仏殿の焼き払い。普通はその一つでも中々できないのに、それらを事ごとくやってのける油断ならない者で物騒千万な老人である』

 と紹介し、家康の前で面目を失わせた事。二つは彼が築城した多聞山城を明け渡したにも関わらずに筒井順慶に与えたうえ廃城にした事。その他も色々と考えられるものの、かつて松永弾正は織田信長が浅井長政に裏切られ朝倉攻めから撤退する折、朽木越えを先導して、信長を無事に京へ逃がした事もある。スキあらば裏切る彼が信長を守り通した。後世の視点から見ても彼は不思議な男である。

 それが今年八月、石山本願寺攻囲に当たっていた松永弾正は紀州雑賀衆の再挙のため佐久間信盛がそちらに向かったスキに、信貴山城に立て篭ってしまった。上杉の動きに呼応しての挙兵とも考えられる。信長の使者が理由を問い合わせたところ回答を拒否したため、信長は怒り二人の人質を殺し、久秀討伐の大将に信長の長子信忠をあてた。これが信貴山城攻めのあらましである。

 

「光秀はどう思うか」

 信忠が光秀に尋ねた。

「はっ、半兵衛殿が言われるとおり信貴山城は山の利点を生かした難攻不落の要害。それがしも包囲策が最善と思われます。人質の童二人を殺した事で松永勢は若君の仇と言わぬばかりに士気も上がっておりましょう。チカラ攻めはそれがしも反対でございます」

「しかし、包囲戦術には時間がかかりすぎる。あまり手間取っていては雑賀衆や門徒がいつ背後を襲うか分からぬ。それと呼応して松永勢が大挙して押し寄せてきたらひとたまりもないぞ」

 ご意見番ともいうべき、佐久間信盛が言った。

「チカラ攻めでは犠牲大きく落とせる可能性はなし。かといって包囲では背後に雑賀衆と門徒がいつ寄せるか分からない。ではどうすれば良いというのか」

 信忠が焦れて言うと

 

「あの…」

「隆広か、何か妙案があるのか?」

「内応者を作ってはいかがでしょう」

 今まで腕を組んで黙っていた鹿介は隆広を見た。信忠が訊ねる。

「ほう、続けよ隆広」

「はい、いかに堅城でも内部から崩壊すれば終わりです。城兵八千、これが主君弾正殿に対して一枚岩であっても、大軍に城を包囲されているのですから、少なからず恐れているものもいるはず。たとえ一兵卒でもいい。米蔵に放火すれば大金を与えると約束すれば」

「竜…いや、隆広殿、中々面白い策だが信貴山城には一兵卒に至るまで頑強に閉じこもっている。どうやって内応を促す?」

 義兄半兵衛が尋ねた。

「軍使として城中に入り、その上でめぼしい者を探します」

「それが出来れば苦労はせんよ。織田の大殿に三度叛旗を翻し、もう絶対に許されないと分かっている。降伏しても殺されるとな。大殿は裏切り者を絶対に許さない。浅井長政殿、荒木村重殿がどうなったかも重々承知のはず。ゆえに城中の者も必死だ。使者として入ったとしても何か妙な事をされないように兵士がピタリとついているだろう」

「ならば…最初は、いかにも大殿が『これならば許す』と云う条件をデッチあげて城内にゆさぶりをかけてみては?」

 各将が一斉に隆広を見た。コホンと一つ咳をして光秀が聞いた。

「隆広殿、具体的には?」

「はい、大殿は弾正殿所有の茶釜『古天明平蜘蛛』を欲していると聞いています。それを渡せば弾正殿は無論、家臣一党すべて許すと」

 信忠は手を叩いた。

「うん、確かに父上ならば言いそうだ。あの茶器は一国に匹敵する価値があるとも言っておられたからな」

「しかし若殿、あの茶釜は弾正殿秘蔵の名器、渡すとは思えませんが」

「恐れながら細川様、それが狙いです」

「な、なに?」

「平蜘蛛がいかに名器であっても所詮は茶器です。それを渡せば城兵の命さえ助けると言っているのに、弾正殿がそれを拒否すれば家臣たちはどう思いますか。茶器一つと八千の命を天秤にかけたと思うでしょう。いわば『離反』を狙う策です」

 羽柴秀吉、竹中半兵衛、明智光秀、丹羽長秀、そして信忠もあぜんとした。

「コホン…。秀吉、光秀、隆広の策をどう思う?」

「は、この上ない名案かと」

(恐ろしい小僧だ…)

 羽柴秀吉は寒気すら感じた。

「しかし隆広殿、もし弾正殿が渡すと言ったらどうする? 我らの判断で弾正殿や城兵の命を助ければ大殿は許さぬぞ」

 かつて光秀は自分が攻めた波多野氏の降伏を認めて、信長の逆鱗に触れた苦い記憶がある。

「その時は正直に事情を話して、大殿に平蜘蛛を献上し、お叱りを受けるしかないです。発案者のそれがしがその叱責を受けます」

「いや、それは総大将のオレの仕事だ。茶器一つで降伏してくれればそれに越した事もない。平蜘蛛を父上が欲しているのも事実であるからな。では…使者であるが、隆広そなた行ってまいれ」

「はっ」

「副使を二人連れて行くがいい。一人はオレの配下の前田玄以を連れて行き、あとはそなたの部下を連れて行くがいい。すぐに使者の正装をしてまいれ。その間にオレから弾正への書状を書き終えておく」

「かしこまいりました」

 隆広と才蔵は軍机を立ち、本陣から立ち去った。

 

「ふう、筑前(羽柴秀吉)、どう見た? あの若武者」

「は、若殿のたのもしき右腕となりうる器かと」

「うむ、オレもそう思う。まさに子房(漢の高祖劉邦に仕えた名軍師、張良の事)を得た思いだ」

「しかし若殿、なにゆえ隆広殿を松永殿への使者に?」

 と、丹羽長秀。

「おそらく、そなたたちでは弾正が会わぬだろう。また名も知れぬヤツでも弾正は会わぬ」

「確かに…」

「弾正にとり、隆広は孫も同然の歳。案外逆に興味が湧くかも知れぬ。それに上杉三万を二千で後退させたと云う武勇伝も伝え聞いていよう。弾正は隆広に会う。まず対面がならねば何にもならぬ」

 

 隆広は出来上がっていた自分の陣場に帰ってきた。

「矩久、至急にオレの素襖を出してくれ」

「正装を? まさか使者に?」

「そうだ、信貴山城に出向く」

「かしこまいりました。すぐに用意いたします」

 奥村助右衛門と前田慶次がやってきた。

「隆広様、信貴山城に使者とは本当ですか?」

「本当だ助右衛門、副使に慶次を連れて行く。護衛を頼む」

「承知しました」

 松山矩久と小野田幸猛が手際よく隆広の鎧を脱がせて正装を整えた。二人に着せ付けをさせながら隆広は指示を出した。

「可児様、今日のところは軍事行動もありませぬ。兵馬に休息と食事を取らせて、ご自身もお休みください」

「分かった」

「助右衛門、我が陣も同じだ。兵馬に休息と食事を取らせよ。飲酒も許可する」

「承知しました」

「オレは少し出かけてくるから留守を頼む」

「は!」

 正装である素襖の着せ付けが終わった。

「矩久と幸猛も助右衛門の指示の下、兵の統括を頼む」

「は、はい!」

「何を緊張している? 大丈夫だ、行軍中の野営においてもお前たちは見事に兵を監督していたではないか。頼むぞ!」

 隆広はニコリと笑い、矩久の腰をポンと叩いた。

「は!」

 慶次も正装を整え終えた。正装はあまりした事がないので窮屈そうであるが、大男の彼であるから、素襖の正装がよく似合っていた。見方によっては隆広が慶次の副使のようである。

「うん、では行くか慶次」

「御意」

 

 隆広が本陣に戻ると、もう一人の副使である前田玄以が正装して待っていた。

「お待ちしておりました。それがし若殿配下、前田玄以にございます」

 僧侶姿の武将だった。腰は低いが威厳は十分に感じさせる。

「水沢隆広です。前田様の噂は伺っております。信忠様の智恵袋の前田殿。お会いできて光栄です」

「こちらこそ。此度の大任を共に当たれて嬉しゅうございます。では水沢様、若殿にもう一度お目通りを」

「はい」

 

 軍机にはまだ各諸将が座っていた。

「おお、正装も中々似合うではないか」

 信忠がからかうように言った。

「は、はあ…あまり慣れていないのですが…」

「ははは、ところで隆広。お前が本陣を出て行き違いに父上からの使者が来た」

「大殿の?」

「使者の持ってきた書状を見て驚いた。『平蜘蛛を差し渡せば弾正とその家族郎党の助命を許し、今までどおり領内の統治を許す』と記してあった。奇遇にもお前の策が現実になってしまったわ」

「なんと…」

「隆広、父上の書状を持って行け、そしてこれがオレの添え状である」

「かしこまいりました」

「うむ、難しい役目だが、そなたが一番適任じゃ。頼むぞ」

「は!」

 

 こうして隆広は前田慶次、前田玄以を連れて敵地の信貴山城に向かった。慶次は隆広と玄以の護衛。玄以は総大将信忠の名代として隆広が何を久秀から問われても答えられるように添えられた智恵者である。使者の作法にのっとり正装で身を整え、『軍使』と書いた旗を前田慶次が持ち、隆広に従った。その道中に玄以が言った。

「しかし水沢様、驚きましたな。あの献策が現実になるなんて」

「ええ、それがしも驚きました。大殿が喉から手が出るほどに欲しがっていたと聞きましたが本当のようですね。茶の湯はたしなむ程度しか知らないそれがしには分からない事ですが」

 信貴山城の見張り台にいる兵士が三人の武者が馬に乗り、『軍使』と旗を立てて向かってくるのを見つけた。

「使者か、よし殿に伝えよ」

「ハッ」

 

 水沢隆広と前田慶次、前田玄以は信貴山城の城門までやってきて馬から下りた。

「止まられよ、織田軍のご使者か」

 門番が槍を突きつけながら言ってきた。

「いかにも、手前、織田中将信忠様の使者、水沢隆広と申す。松永弾正殿に目通り願いたい」

 古式豊かな作法を守り、隆広は門番に礼を示した。門番も礼儀を守り、槍を収めた。

「しばし待たれよ、いま殿に取り次いでいるところにございます。ご使者の名前は水沢隆広殿でございますな?」

「左様でございます。副使の二人は前田慶次に、前田玄以にございます」

 慶次と玄以も礼儀正しく頭を垂れた。

「承知しました。しばらくお待ちください」

 使者の名前を聞いた兵が急ぎ城主の間に駆けていった。

 

「追い返せ」

 城主の間にいた松永弾正久秀はただ一言こう言った。そして使者の名前を告げにきた二人目の兵が久秀に伝えた。

「使者の名前は水沢隆広、副使は前田慶次に前田玄以にございます」

「なに…?」

 信貴山城の平面図をずっと見ていた久秀の顔が兵に向いた。

「水沢隆広、確かにそう申したか?」

「はい」

「どんな容貌だった?」

「は、まだ年若い少年で…さながら女子のごときの優男にございました」

「ふむ、間違いなさそうじゃ。よし会おう。そなたらも使者を迎える位置につけ」

「「ハッ」」

 久秀は城主の席に座り、重臣たちはその左右に並んで座った。一度はむげもなく『追い返せ』と言ったのに、名前を聞いたとたんに会う気になった久秀。信忠の予想通りだった。久秀の息子の松永久通が疑問に思い尋ねた。

「父上、ご使者を知っているのですか?」

「…水沢隆広と言えば、女子のごとき容貌のワラシらしいが、あの上杉三万を二千で退かせた若武者だ。ワシの上杉との挟撃策を頓挫させてくれたワラシ。見てみたいと思ってな」

「なるほど」

「殿、ご使者のお越しにございます」

「お通しせよ」

「ハッ」

 

 水沢隆広は信貴山城の城主の間に入った。松永久秀の側近がズラリと並び、敵意むき出しの目で睨んでくる。並の者ならこれだけで腰が引けてしまうが隆広は平然としていた。床をスッスッと歩き、久秀に寄った。そのすぐ後ろに前田慶次と前田玄以が続いた。

(ほお、美童と聞いてはいたが噂以上だな)

 松永久秀は美男の男が嫌いである。彼自身が美男とほど遠い容貌である事もあるが、彼の経験では美男の男はだいたい使い物にならなかった。部下としては頼りなく、敵としてはモロい。だが目の前の少年はあの上杉の大軍を寡兵で退かせている武将である。美男だけではない『面構え』を久秀は読み取った。

 隆広は使者の作法にのっとった位置取りで座り、松永久秀に頭を垂れた。隆広の後ろで慶次と玄以も座り、頭を垂れた。

「織田中将信忠が使者、柴田家部将、水沢隆広にございます」

「松永久秀である」

 年齢差およそ五十歳。まるで祖父と孫の年齢差である。戦国一の梟雄と呼ばれた松永久秀と、後に戦国時代最たる名将と呼ばれる水沢隆広の最初で最後の対面であった。



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謀将として

「では使者殿、能書きは無用。本題に入られよ」

「はい、それではこの書状を」

 久秀の息子、松永久通が隆広からそれを受け取り、父の久秀に渡した。二通の書状の裏を久秀は見た。

「信長と子セガレのか」

 久秀は嘲笑を浮かべて、その書状を読まずに破った。

「な、なにを!」

 前田玄以が立ち上がりかけた。それを隆広が静かに制した。

「ふん、読む必要などないわ。書かれている事は分かっている」

「左様でございまするか、ならばそれがしが口上で述べましょう」

「聞かずともよい。降伏をすすめるのだろう」

「いいえ、ただの降伏勧告ではございませぬ」

「ほう」

「大殿、織田信長の言を伝えます。『平蜘蛛を渡せば弾正のみならず城兵すべて助け、今後も領内の統治を任せる』以上です」

 ザワザワと城主の間がどよめく。

「『平蜘蛛を渡せ』だと? ふん、信長の言いそうな事よ」

「いかがでございましょうか。茶器一つで御身は無論、家族郎党無事と相成りますが」

「そんな話を信じられると思うのか。浅井長政、荒木村重は一度信長を裏切りどんな目に遭ったか。平蜘蛛を渡しても我らの末路は見えておる。現に当家の人質二人を信長は殺している」

「お言葉ですが、弾正殿は今まで二度大殿を裏切っておられます。かつて弾正殿は大殿にこう申したそうでございますな。『裏切りこそが武将の本懐、恐れながらこの弾正、スキあらば何度でも裏切りまする』と。それでも大殿は弾正殿を用いてまいりました。それは弾正殿の才を惜しめばこそ。いまだ大殿には敵は多く、有能な大将は一人でも欲しいのが実情。確かに三度目の裏切りで大殿は怒り心頭となり、二人の人質を殺してしまいました。それが許せずこのまま徹底抗戦を続けるのも良うござりましょう。

 しかし大殿は『平蜘蛛』によって免罪とすると申しておいでです。弾正殿も織田のチカラを利用して自分の版図を広げなさろうとしていなさる。『二卵をもって干城の将を捨ててはならぬ』と申します。大殿にも色々問題はございましょうが、それは弾正殿とて同じ。悪い箇所ばかり見て判断するのではなく、良い箇所を認めて仕えれば良いのではございませぬか。大殿は弾正殿の才幹を惜しんでおいでにござる」

「ふん…ならば平蜘蛛を渡す代わりに一つ所望しようか」

「何をでございまするか?」

 久秀はゆっくり水沢隆広を指した。前田玄以が憤然として言った。

「水沢殿を家臣にご所望か! いささか図々しいのではなかろうか? 茶器一つで謀反が帳消しとなると云うのに!」

「家臣にではない、閨の玩具として用いる」

「弾正殿!」

 前田慶次が立ち上がりかけた。隆広がそれを制した。

「それがしを閨の玩具に?」

「さよう、聞いておらぬか? ワシは男色家でもあるのを」

「…初耳です。無類の女好きとは聞いていましたが」

「女は女で好きだ。だが美童との閨も甘美でな。見れば見るほどに美男、いや六十過ぎたワシにすれば美童よな。そなた男を知っているか?」

 隆広がもっとも嫌う邪推である。時に自分の容姿が恨めしくなるほどに。

「存じませぬ」

「ほうそうか! それほどの美童でありながら蓮の蕾(処女)か! ますます食らいたくなったのォ! わっはははは!」

 前田慶次の堪忍袋の緒が切れた。

「おのれ弾正! ようも我が主に!」

「よせ!」

 隆広が一喝した。

「しかし…!」

「着座せよ」

 慶次は再び隆広の後ろに座った。

「弾正殿、それがしの伽は高くつきますぞ」

「ほう、いかほどじゃ?」

「松永弾正久秀の首」

 松永久秀の家臣たちが立ち上がり、刀に手をかけた。だが前田慶次が隆広の後ろにピタリと付き周りを睨む。

「ワシの首とな…?」

「弾正殿がそれがしの上で快楽に酔っている時、そのシワ首をヘシ折ります。それでも良いか?」

「ほう、そんな事をすればこの城から生きて出られぬと云うのにか?」

「試してみますか」

「ふん…」

 久秀は口元を緩め、いきり立つ家臣たちを座らせた。

「なるほど、ただ顔が良いだけの男ではないようだ」

「……」

「許せ、戯れじゃ。ワシに衆道の好みはない」

「はっ」

 

「さて、平蜘蛛の件であるが、それは断る。降伏もせぬ。陣中に帰りそなたも城攻めに備えるがいい」

「…茶器一つで家族郎党救われるのにですか?」

「信長はワシを許しておらぬ。それに人質を殺した手前、再びワシを登用する危険性も読めぬほどバカでもあるまい。ここはワシを無罪放免にしても、いずれワシを殺す。ワシの家族郎党もな。『平蜘蛛』欲しさにここは許すと見せかけているだけよ。唐土の韓信のごとく、城に招かれてだまし討ちで死ぬような末路より、ここで城を枕に戦って死んだ方がいい。早いか遅いの違いでしかない」

「それは弾正殿個人のお考えにございましょう」

「確かにそうじゃ。ここにはワシと運命を共にするのも否という者もいるだろう。だが、そういう連中も含めてワシは家中の者として愛し、そして信長に意地を見せる」

「分かり申した。行こう、慶次、玄以殿」

「「ハッ」」

「水沢隆広と申したな」

「はい」

「澄んでおり、かつ意思を宿した良い眼をしておる。けして信長に染まるな。良いな」

 立ち上がりかけた隆広は、この松永久秀の言葉に少し驚いた。しばらく互いを見つめる水沢隆広と松永久秀。隆広は改めて鎮座し、姿勢を正して頭を垂れた。

「お言葉かたじけなく」

「久通、大手門までお送りせよ」

「は!」

 

「いや、父が失礼な事を言いました。許されよ水沢殿」

 親子ほど年が違い、かつ敵将の隆広にも松永久通は礼を示しながら大手門まで歩いた。

「いえ、おそらく弾正殿はそれがしが使者として、降伏を受けないと云う自説を述べるに足る男かどうか、怒らせて試すつもりだったのでしょう。しかし…もっと違う形でお会いしたかった。色々とお教えしてほしい事がございましたに…」

「父に?」

「はい、弾正殿は長期の陣にて味方兵の士気を落とさせない事に関しては天才的と聞きました。どういう方法を執ったのかと…」

「ははは、大した事ではありません。陣近くの村々に父みずから出かけていき、ヒマを持て余している女たちにいい仕事があると陣中に連れてきて、伽を有料で依頼したりと…」

「なるほど、物は言いようですが、それは売春の斡旋ですな」

 慶次は苦笑した。

「ええ、当然怒って帰る女もいましたが、まあ六割は残りましたよ。いい稼ぎになると喜ばせられましたし、兵も退屈しない。一石二鳥でした。あっははは」

「なるほどなるほど」

 隆広はウンウンとうなずいた。

「あとはまあ…陣で饅頭や料理など作らせて他の陣を売り歩かせたりと。美味いものを作れば売れるし、兵たちはよく研究していましたよ」

「そういえば水沢様、聞いた事ありますよ『松永饅頭』と云うのを」

 前田玄以も少し緊張が解けたのか、笑って言った。

「うん、見習う点も多い。さすが弾正殿だ」

 

 松永弾正は悪事の限りを尽くしたが、部下に慕われた珍しい武将である。それは親近感から来るものだろうと後の歴史家は言っている。

 彼は久通の言うとおり、陣が少し長引くといそいそと陣を抜け出して、ヒマを持て余している農民の女房たちが集まっておしゃべりをしている所にズカズカと割り込み

『いい仕事があるぞ。手伝わないか。ワシは織田軍の松永久秀と云う。やる気があるのなら世話をする』

 と述べた。ちょうど農閑期を狙ったため、女房たちはヒマを持て余し、かつ収入も途絶えていたのでその話に乗った。

 で、松永陣に来てみれば売春の斡旋。激怒して帰る者もいたが大半は残り、セッセと励んだという。大将自らがそんな事をしているのである。一様に部下たちは親近感を持ち慕ったのである。

 

「では水沢殿、ここからは父の戦ぶりを学ばれるが良いでしょう」

 大手門に到着すると久通の顔も険しくなった。

「そうさせていただきます」

「では後日、戦場にて」

「はい」

 

 バタン

 

 大手門が閉められた。

「ふう、生きて出られましたね。水沢様」

「しかし…『茶器を惜しんで家臣の命を惜しまない主君』と城主の間の家臣衆に思わせたかったのだけれども…弾正殿の言った『ワシと運命を共にするのも否という者もいるだろう。だが、そういう連中も含めて、ワシは家中の者として愛し、そして信長に意地を見せる』と云う言葉に一同感奮していた。何て事はない、オレは敵を鼓舞しに行ってしまった」

「いやいや、まだ結果は分かりません。八千すべてがそう思うとも限りませぬ」

 そう言うと玄以はニヤと笑った。

「恐ろしいお方でございますな水沢殿は。久通殿と会話をしながら、かつ少しもキョロキョロする事もなく…城の様子を見ておいでだった。それがしが見るに何か探しておいでのようでしたが?」

「そうなのですか? 隆広様」

「うん。兵の待機場所を探した」

「待機場所を?」

「無論…何箇所もあるのだろうが、見つかるのは一箇所だけでいい。そして見つけた」

「そのような場所を見つけていかがなさる?」

 その質問に玄以が答えた。

「前田殿、今回の使者、こちらが『平蜘蛛渡せば、全員助ける』と述べ、弾正殿がそれに否と言えば、それだけで成功とも言えるのです。おいおい兵にまでその話は行き着くでしょう。確かに幹部は水沢殿の申すとおり、より結束が固くなったとも見えます。だが末端の兵士はどう思うでしょう。そこに内応を促す矢文を射ればあるいは!」

「なるほど…」

「さ、若殿も気をもんでいましょう。水沢殿、前田殿、本陣に帰りましょう」

「そういたしましょう」

 

 水沢隆広、前田慶次、前田玄以は本陣に戻り、詳細を信忠に報告した。

「…と云う事にございます。弾正殿は平蜘蛛を渡す事を拒否。かつ降伏も拒否と相成り申した」

「ふむ、だいたい筋書き通りと云う事か。久秀が『否』と言った時、重臣たちの反応はどうであった?」

「はい、弾正殿はこのように申しました。『ワシと運命を共にするのも否という者もいるだろう。だが、そういう連中も含めて、ワシは家中の者として愛し、そして信長に意地を見せる』と。この言葉に感奮した家臣も数人見られました。おおよそ幹部の調略は不可と見込みました」

「ふむう…さすが松永ダヌキ。不和を生じさせるどころか、逆に感奮興起にこぎつけよったか」

 信忠は腕を組んだ。

「御意。むしろ後がない合戦ゆえ家中の結束は固いと見ました。しかし…」

「しかし…?」

「これはあくまで幹部の話。末端の兵卒はこれを聞けばいかが思うでござりましょう」

「ふむ…」

「城の出口から、弾正殿の子息である久通殿と談笑しながら大手門まで歩きました。その間、それがしは探し物をしたのですが運良く見つけられました」

「なにをだ?」

「兵の待機場所です」

「ふむ、大手門付近だからそれはあろうな。で、それを見つけていかがする?」

「城主の間には弾正殿、久通殿合わせて三十人近い幹部がおりました。もうしばらくすれば『平蜘蛛を渡せば将兵すべて助ける』と使者が述べたに対して弾正殿が『否』と言った事も伝わるでしょう。幹部は主君と死ぬのもいい。しかし末端の兵士はそうとは限らない。

 たとえ今は殿様のためにと考えていても、茶器一つに全兵の命と天秤にかけたと伝わればおのずと考え方も変わります。だから時を見計らい、兵の待機場所に矢文を投じます。『茶器とそなたたち兵士とを天秤にかける大将のために死ぬべきではない。織田軍に味方すれば恩賞を与えよう』と」

 諸将はゴクリとつばを飲んだ。竹中半兵衛は微笑みながら二つほど頷いていた。

「しかし隆広、敵の内応がこれまた向こうの策ならばいかがする? 内応したと見せかけて逆用されたら目も当てられんぞ」

「我々は矢文を射掛けたら、そのまま城を包囲していれば良いと思います。向こうが内応に答えるふりをしても、城内に何の動きがなければこちらは動かない。動かなければ内応策を逆用されても実害はありませぬ。矢文を射てもしばらく信貴山城内に異変なくば、その時は改めて戦のやりようを切り替えれば良いかと」

「うむ、諸将はどうか?」

 本陣の各将たちは頷いた。

「隆広殿の策こそ用いるべきと」

 と羽柴秀吉。

「恐れ入った。それでまだ十七とはのォ。ウチの忠興に爪の垢でも飲ませたいわ。あっははは」

 細川藤孝も手放しで賛成した。

「よし、本日はこのまま包囲を続けるだけでよい。明日にでも第一矢を投じてみよう。以上、解散!」

 

 隆広と慶次は本陣を後にして自分の陣場へ歩いた。

「謀略は好かぬ、そういう顔をしているな慶次」

「はい、正直好きになれませぬ。久通殿とあんなに親しく話していた上で、あのような策を巡らしておいでだったとは…」

「凡庸な将が篭っても城攻めは難しいもの。まして弾正殿相手