天地燃ゆ (越路遼介)
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若武者隆広

再連載開始です。無理なく定期的に投稿していけたらと思います。外伝を含めると多くのシリーズがある作品ですが、まずは本編を全うしたいと思います。


 ここは加賀の国。現在の石川県。この国は当時は別名『百姓の持ちうる国』と呼ばれ、一向宗門徒の国であったが、加賀の小松城を織田家北陸方面軍である柴田勢が落とすと、ついに越後の龍、上杉謙信が動いたのである。

 上杉家も一向宗門徒とは交戦状態であったが、加賀・能登の一向宗門徒団と上杉謙信との間に歴史的な和睦が成立する。その領内を通過して織田領の能登に進軍した。今まで同盟関係にあった能登の畠山氏が二つに分裂し、片方の勢力が信長についたからである。

 

 柴田勝家は主君織田信長の命令により上杉謙信に対するため加賀国内に進軍していた。

 参陣していた織田側の武将は安藤守就、稲葉一鉄、氏家ト全、滝川一益、丹羽長秀、羽柴秀吉、そして明智光秀と、そうそうたる一同である。柴田家の武将も居城北ノ庄に老臣中村文荷斎を残して、府中三人衆の前田利家、佐々成政、不破光治を筆頭に佐久間盛政、柴田勝豊、可児才蔵、毛受勝照、拝郷家嘉、徳山則秀と揃って参戦している。そしてこの将帥たちの末席に若干十七歳の若武者がいた。

 

 天下統一目前の織田信長が南近江の地に安土城と云う壮大な城を建てた頃、柴田勝家の家臣となった若武者だった。美童だった面影はあるが、現在は堂々とした美丈夫となっている。少年の名前は水沢隆広と云った。

 

 後の世に『手取川の合戦』と呼ばれる戦いに、隆広は兵糧奉行として参陣していた。この時に柴田勝家が率いていた軍勢はおよそ五万。その軍勢の胃の腑を満足させるほどの兵糧を確保し、それを運ぶ輜重隊(兵糧、物資を運搬する隊)を整然と統率していた若武者、それが隆広である。

 地味な仕事ではあるが、腹が減っては戦ができない。兵糧は軍勢の生命線。それを総大将より任されたのであるから、勝家が隆広に持つ信頼は絶大なものであると言える。

 輜重隊と共にあるので、隆広の軍勢は行軍の最後尾にあった。先頭を行く勝家の本隊はそろそろ陣場を築く予定の地に到着するころである。

「隆広様、急ぎませんと本日の夕餉に間に合いません」

 部下の武将が遅々とした行軍に焦れたように言った。

「殿の本隊は騎馬武者と足軽。こちらは食料という大切な荷をもって行軍している。速さに遅れが出るのは当然。我らの務めは一粒の兵糧も失わずに陣中に運ぶことだ」

「それはそうですか…」

「それに各備えも、本日分の兵糧程度は持っておる。心配する必要はない」

 そう言うと隆広は馬を止めた。

「よし、兵たちに休憩と食事を取らせよ」

 兵たちの間から歓喜の声が上がった。およそ将と呼ばれる武士の中で、これほど兵に気遣いを見せる大将はめずらしい。

「とんでもございません、ただでさえ予定より大幅に遅れているのですよ!」

「佐吉、我々は牛馬を使っているのではない。人だ」

「しかし…」

 隆広は本隊の荷駄と別にある荷を解かせた。味噌と麦飯である。

「給仕を始める。みな腹いっぱい食べろ!」

「は!」

 

 兵は飛び上がって喜んでいるが、佐吉は不安でならない。刻限に遅れることではなく柴田家中には隆広を快く思っていない者も何人かいる。

 隆広は武人肌の多い柴田陣営の中で、智将として存在していた。

 加えて彼が始めて勝家の居城である北ノ庄城の軍議に参加したときに、主君の勝家は後々この若者をわしの養子にするつもりだと公言した。すでに養子の柴田勝豊にとり愉快な話であろうはずもなく、隆広自身もまったく聞かされていない事だった。以来、柴田陣営の一部の者にあまり快く思われていないのが現状である。

 

 しかしながら城普請、治水工事、新田開墾、民心掌握などにおいては十七歳とは思えぬ才幹を発揮し、それがいっそう勝家に仕える将たちの妬みをかった。柴田勝家の甥にあたり、家老でもある佐久間盛政などは、会うたびに嫌味を言うほどであった。

 

 彼の初陣は一向宗門徒の鎮圧であったが、隆広はここで内政のみの将でないことを家中に示した。

 年若く戦の経験もない隆広。その彼が初陣であったのに手柄を立てた。仕官当時は足軽組頭であったのに、戦後にすぐ勝家から足軽大将に任命され、現在は二千の兵を従える侍大将である。まだ二十歳にも満たないという若者であるのに、織田信長に仕えた羽柴秀吉のごとく破格の出世を遂げている隆広。妬みが生じるのは自然といえるだろう。

 そんな妬みを持つ者は、隆広の失敗を今か今かと心待ちにしている。兵糧の運搬の遅れなど、一歩間違えれば軍勢総崩れのきっかけにもなりうる。兵を思いやる隆広を認めながらも佐吉は家中の妬みを一身に受けている主君が心配でならなかった。そしてそれは的中した。

 

「こら―ッ!」

 隆広隊のはるか前を行軍していた佐久間盛政軍から、佐久間盛政自身が馬を駆けて隆広隊に来た。

 後陣の隆広隊が炊事の煙をあげているのを見て、盛政は頭から湯気を出して怒鳴り込んできたのである。馬から下りてツカツカと隆広に歩み寄る盛政。

「これは佐久間さ…」

「どけ!」

「あっ!」

 佐吉は盛政に叩き飛ばされた。そして盛政はものすごい形相で隆広をにらむ。

「どういうつもりか! 行軍中に兵に食事を取らせるとは!」

「我らは輜重隊を兼務してございます。兵たちは重い荷物を運び、疲労しておりました。だから労い体力の回復を図りました」

「本隊の兵糧を食わせたのか!」

「いえ、それがし個人が用意した兵糧を与えました」

 隆広は鬼玄蕃の異名を持つ佐久間盛政の怒れる形相を見ても顔色一つも変えず、そして目も逸らさない。自分の怒気を受け流す隆広にますます盛政の怒りは上がる。

「殿の寵愛をいいことに増長したか小僧!」

「はい、それまで」

 

 隆広の後ろ、朱槍を持った武人が立っていた。

「佐久間様、味方同士で争っても仕方ないと思うが?」

 おだやかに言ってはいるが、これ以上主君に言いがかりをつけるのなら容赦しないと目が示している。

「…ふん、どの隊にも『いらない』と言われたキサマがイッパシに弁慶気取りか。笑わせるわ」

 佐久間盛政は捨て台詞を吐きながら踵を返した。だがさすがにこの捨て台詞だけは温厚な隆広も腹を立てた。自分を侮辱するならまだしも、部下を侮辱されたからだ。歩き去る盛政の肩を掴もうとした。だが

「およしなされ、隆広様」

 隆広の部下が、その手を止めた。

「はなせ、助右衛門! いくら上将とはいえ言っていい事と悪い事がある!」

 盛政は一度立ち止まり、フンと鼻息を出して馬に歩み、そして隆広隊から去っていった。

 

「なぜ止めた! ああまで言われて黙っていろというのか!」

「今、佐久間様とやりあっても得することは何もありませんぞ。敵は上杉です」

「確かにそうだが…」

 朱槍を持った部下が隆広の肩を叩いた。

「それに、まんざら盛政殿の言ったことはワルクチとも言えませぬ。『弁慶気取りか』ってこたぁ隆広様は義経ってことでしょう」

「その楽観的な考えも、今この時は貴重だな、慶次」

 助右衛門は苦笑して言った。

「そうだろそうだろ」

「とにかく隆広様、兵たちは突如の佐久間様の乱入で戸惑っている。安心してメシを食べるよう促してください」

「ああ、すまん助右衛門、そうだった!」

 隆広が安心して食べてくれというと、兵たちは麦飯と味噌汁を美味そうに食べはじめた。タクアンと梅干も用意してあり、行軍中の食事としては至れり尽くせりだった。

「たんと食ってくれ」

 兵たちは口に麦飯をかっ込みながら満面の笑顔で隆広の言葉に応えた。

 

 道を外れ、その横にあった畑まで盛政に吹っ飛ばされた佐吉がやれやれと隆広たちの元に歩み寄ってきた。

「やれやれ、えらい目にあいました」

「情けねえなあ佐吉、ちょっと叩かれた程度で二間近く飛ばされよって。そんなんじゃいくさ場で役に立たないぞ」

「ほっといてください、それがしは内政家として隆広様のお側にいるのですから!」

 慶次の言葉に頬をプクリと膨れさせる佐吉。そんな子供のような拗ね方に慶次と助右衛門は笑った。

 佐吉と呼ばれた男は隆広と年が同じであり、気も合った。内政家として自負するだけあり、その内政力は主君隆広と共に抜きん出ていた。佐吉、彼が後の石田三成である。

 

 隆広の家臣は三人、前田慶次郎利益、奥村助右衛門永福、そして石田佐吉三成である。

 しかし当時の佐吉は羽柴秀吉より借り受けた内政家であった。隆広が内政の主命で絶大な成果をあげたのは石田佐吉三成の補佐が大きい。すでにこの時に『三成』と云う名前は秀吉から与えられていたが、彼の仲間は『佐吉』と呼ぶに慣れており、公式の場以外では『三成』と呼ばなかった。また三成も彼らにそう呼ばれることが好きだった。

 

 そして、その佐吉が、この輜重隊の行軍で隆広から学んだことがあった。隆広隊は主君の勝家が課した刻限までに本陣に到着したのである。

 あの休息のあと、兵たちは隆広の計らいに感奮したか、メシを食べた事により体力が回復したか、とにかく懸命に荷を引いて駆けた。休息せずにやっていたら行軍速度は遅くなる一方で結局は刻限まで本陣までたどり着かなかったかもしれない。

 隆広は麦飯と味噌汁を与え、十分に休息を取らせた。そして労いの言葉をかけていった。隆広が兵たちの感奮興起を狙ってやったのかは分からない。だが結果をみてみれば、隆広が兵たちに休息と食事を取らせたことが兵糧運搬という戦時下における最重要任務を成功させたことは疑いない。

 人心掌握においては、佐吉の本来の主君である秀吉も相当なものであるが、隆広も負けてはいなかった。

 

「おお、隆広よ。兵糧運搬、ご苦労であった」

「はっ」

 本陣の中央にある軍机からはなれ、主命達成の報告をしにきた隆広を労う勝家。鬼柴田と呼ばれる彼とは違う、まるで慈父のように隆広を見つめ、隆広の双肩をチカラ強く両手で握った。

「これから軍議を始めるところだ。席に着くがいい」

「わかりました」

 軍机には先刻にいざこざのあった佐久間盛政もついている。忌々しそうに自分を睨む視線を無視して隆広は盛政の向かいに座った。その隆広の横には、向かいの盛政とはまったく逆の愛想ある顔があった。

「いや~久しぶりだのう隆広殿」

「これは羽柴様」

「ウチの佐吉は役に立っておりますかな?」

「ええ、頼りにさせてもらっています」

「それは何より」

 部下を褒められ、上機嫌に笑う秀吉。

「筑前殿、軍議が始まりまするぞ」

 と、盛政。

「おうおう、失礼」

 

「では軍議をはじめる、我が軍勢は加賀に入り、越中の国境を目指している。能登の畠山氏と連携して挟撃。このために我らは手取川を越えて布陣する。上杉は一向宗との和睦がなり、長年の呪縛から開放された。謙信は能登と越中を領土として版図拡大を狙っている。何としても謙信の南下を加賀で防がねばならない。諸将の忌憚なき意見を伺いたい」

 各諸将が活発に意見を出す中、二人ほど沈黙を守っている将がいた。隆広と秀吉である。

 隆広はずっと軍机の上に広がっている地形図を見ていた。そして空模様を。秀吉はただ黙って諸将の言葉を聞いているだけであった。

「秀吉、お前が黙っているとは珍しいな、何か意見はないのか?」

 勝家が秀吉に意見を求めた。

「良いのです。いったんクチを開くと止まらなくなりそうなので」

「かまわん、申してみよ」

「では……」

 

 座っていた秀吉が立ち、軽く咳をする。武将たちは秀吉を見た。

「この戦、我らに勝ち目はありません」

「な、なに! 秀吉! キサマ何と申した!」

「この戦、我らに勝ち目はないと申したのです」

「藤吉郎!」

 秀吉と親交の厚い前田利家が秀吉を睨み、一喝したが秀吉は黙らない。

「勝家殿、相手は軍神謙信ですぞ。浅井や朝倉と格が違いもうす。野戦ではまず勝ち目はありますまい。狭隘な近江路に上杉軍を引きずり込んで、敵の備えに各個撃破体制を執れば、わずかながらも勝機もありましょうが、野戦で正面から対すれば我らの軍勢など謙信の神算鬼謀のごとき用兵でことごとく駆逐されるは必定と…」

「だまれ!」

「勝家殿は大殿からお預かりした大事な将兵を、むざむざ敵の手柄として献上するおつもりか!」

「だまれだまれ! ええい! キサマの猿ヅラなど見とうない! 立ち去れ!」

「今、『去れ』と申されましたな! それは総大将の命令と受け止めました。羽柴隊は陣払いいたします!」

 

「羽柴様!」

 秀吉は隆広にフッと微笑み、軍机から立ち去ろうとした。

「サル! 勝手に陣払いなどして許されると思っているのか!」

「……ふん」

「総大将のワシの命令は大殿の命でもあるぞ!」

 秀吉は聞く耳もたず、そのまま本陣から立ち去ろうとした。だが

「羽柴様、お待ちを!」

 隆広が追いかけて秀吉の前に立って止めた。

「隆広、止めずともよい! そやつは謙信怖さに適当に理由をつけて帰るつもりなのよ。しょせんは百姓出、臆病者よ!」

 諸将は勝家の言葉に乗り、秀吉を笑った。笑っていないのは前田利家と隆広だけである。秀吉は勝家の嫌味を歯牙にもかけず、そのまま隆広の横を歩き去ろうとしていた、その時である。

 

「おそれながら殿!」

「なんじゃ隆広」

「それがしも羽柴様と同じ意見でございます!」

「なんじゃと!」

「……隆広殿?」

 秀吉は驚いた。見所のある若者とは思ってはいたが、この局面で自分の味方をして主君勝家に意見を言おうとするほどの豪胆さがあるとまで思わなかった。

「クチを慎まんか!」

 盛政が軍机を平手で叩いて隆広を一喝する。その盛政を静かに勝家は制し訊ねた。

 

「それはいかなる理由か」

「ハッ」

 しっかり秀吉の腕を掴みながら軍机に戻る隆広。秀吉は振り払うに振り払えず、軍机に歩んだ。そして同時に隆広の意見を聞いてみたかった。

「まず、布陣する場所が問題です。湊川(手取川)を越えて、この水島の地に布陣いたしますれば、われ等は川を背にして上杉軍と戦わなければなりません。そして今は九月。いつ大雨が降ってもおかしくありません」

「…………」

 立ち上がっていた勝家と盛政、そして秀吉も腰を下ろした。

「そして七尾城。城主不在で求心力はなく、自力で家中をまとめる統率力もなく、家中は『織田派』と『上杉派』と分かれているとの事。それがしが謙信公なら、上杉派の主なる将に書状を送り降伏を勧めるか、畠山領の分配や上杉家での地位をエサに内応を促します。いかに堅城でも内部から崩れたら終わりでございます。我らの作戦は七尾城の畠山勢と我らで上杉勢を挟撃のはず。その七尾城が謙信公の手により落ちてしまったら、我らは絶望的な背水の陣を敷くことと相成ってしまいます。秀吉様の言われる近江路まで誘導したら、勝機は多分にありますが、上杉勢を畿内に入れることを許す事となってしまいます。せめて湊川の西側のこの地ならば地の利はこちらにございます。上杉軍が湊川を渡河している最中か、渡河直後に襲えば勝機はあります!」

(見事じゃ……これがわずか十七の小僧とは末恐ろしいわい……)

 傍らにいる秀吉は隆広の意見に唸った。同じく軍机にいる明智光秀もアゴを撫でながら隆広の意見に感じ入っていた。

(的を射ている意見だ。わしならばその言を入れるが……さてさて勝家殿は……)

 

 手取川合戦の予兆はこうである。能登畠山氏の重臣の長続連が織田方に寝返り、上杉方の熊木城、富木城を奪回し、穴水城に迫るとの報を受けた。謙信は春日山城を出発、能登をめざし天神川原に陣を定めた。長続連は一族の長連竜を信長への援軍要請の使者として向かわせた。七尾城主、畠山義春には統率力がなく、重臣たちが虚々実々の駆け引きや謀略を繰り広げ畠山家の主導権を争っていた。

 畠山氏は一向宗への対抗上、越後上杉家と長きにわたり同盟間にあったことから、重臣の遊佐続光は深く上杉謙信と通じていた。しかし城内では反上杉方である長続連、綱連親子は密かに織田信長に通じ、同じく重臣の温井景隆は一向宗門徒と結んでいたため、能登畠山家を取り巻く状況は、もはや修復不能の泥沼状態と言って良かった。

 やがて、城主の畠山義春が毒殺され、あとを継いだ義隆も病死してしまい、主君不在の城内には暗雲が漂っていた。

 

 この時、謙信は家臣たちの専横を除き、越後に人質として送られていた畠山義則を七尾城に入れて能登畠山家を再興するという大義名分をかかげ、能登へ侵攻を開始したのである。

 謙信の本当の目的は、織田と結ぶ長一族を滅ぼし、上杉領を越後から越中、能登と拡大し、越後から能登に及ぶ富山湾流通圏を掌握することだった。

 同時に謙信は足利義昭、毛利輝元、石山本願寺と結んで信長包囲網を作り上げていた。越中、能登に軍を進める謙信は織田の加賀小松城の領内に乱入する勢いだった。信長は謙信の南下を阻止すべく柴田勝家を総大将として、羽柴秀吉ら有力武将を付属させて加賀に派遣した。これが手取川合戦のはじまりである。

 

「確かに隆広の意見にも聞くべき点はある」

 聞き終えると勝家は静かに言った。各諸将も隆広の言に一理ありと思ったのだろう。特に異論は唱えず、勝家の結論を待った。

「しかし、それはすべて推測の範疇であろう。七尾城は天嶮を利用した堅固な城。謙信とて容易に落とせようはずがない。現に謙信は一度落とせずに退陣したこともあるではないか」

「あの謙信公の退陣は、北条が上杉領に侵攻したと云う報が謙信公の耳に入ったからでございます。現在はその北条とは同盟し、一向宗とは和睦し、何の後顧の憂いもありません。今度は落ちるまで退陣はありえません。それにいつ一向宗門徒が我らの背後をつくか……」

 

「水沢殿!」

 軍机の末席にいた客将が言葉を発した。

「長殿……」

 隆広を呼ぶのは長連竜と云う武将である。彼は織田軍に援軍を要請するために安土城へ使者として赴いた長一族の武将である。

 織田は何としてでも加賀の国で謙信の南下を阻止しなくてはならない。そのためには能登の大名の畠山氏との同盟は不可欠である。織田と畠山の連合軍で上杉を撃破すること。これは織田と畠山双方の目的であり、絶対に叶えなくてはならない事である。

 

 現在の七尾城の防備を指揮しているのは、長一族の続連、綱連親子であり、連竜は綱連の弟である。対謙信に対して、電撃的な挟撃を展開させるには織田にとり長一族との繋がりは軽視できないものなのである。その連竜が隆広に言った。

「そのお若さで見事なまでの慧眼と思わぬでもないが、やはりそれは勝家殿の言われるとおり推測の範疇であるとそれがしも思う。悪いほう悪いほうに考えてばかりいては勝てる戦にも勝てなくなりもうす。また貴公の言われる内部分裂であるが、いったん戦端が開けば一致団結しなくては謙信を追い返すことは至難。軍議にて確かに隆広殿の言うとおり降伏か徹底交戦かはもめた。しかし最後は七尾城にこもり、篭城で上杉軍を迎え撃つことに相成った。降伏論を唱えた遊佐や温井も、一度決まったからには謙信を倒すと息巻いておる。皮肉にも謙信という強大な敵がいて家中はまとまっていったわけでござる」

「……それで、七尾城を襲う謙信公を我ら織田勢が襲い掛かり、理想的な挟撃戦を展開。そうでございましたね」

「さよう、七尾城に十分な兵糧や水もあるが、いかんせん相手は上杉謙信。早く能登に到着するに越したことはありませぬ。数日中に湊川を越えねばなりますまい」

 連竜の言葉に諸将はうなづく。武断派の多い柴田勢。音に聞こえた越後上杉軍との戦いが近く、気持ちが高揚しているせいもあるだろう。隆広の慎重論は一蹴されてしまった。

 隆広は勝家に仕えて、まだ二年しか経っていない事に加え、居並ぶ諸将は信長直臣で、身分も部将、家老、宿老級の重臣ばかり。陪臣の侍大将で、かつ歳若い隆広の言葉がそう受け入れてもらえるはずもない。

「だが聞くべき点はあった。以後も腹蔵なく軍議にて言葉を発せよ。よいな隆広」

「は……」

 

 秀吉はため息を嫌味タップリに吐き出し、軍机を離れた。

「藤吉郎!」

 前田利家が呼び止めるが、秀吉は振り返らず、忌々しそうに陣幕を払い、柴田軍本陣から出て行った。

「捨て置け、又佐!」

「しかし勝家様…ッ!」

「あやつの軍勢など、いてもいなくても変わらぬ! それどころが士気の低下に繋がる。おらんでよいわ!」

 明智光秀は相変わらず沈黙している。

(やはりこうなったか……。やむをえまい、この状況で活路を見出すしかない)

 

 隆広は自分の陣所に戻っていった。自分の意見が一蹴されたのは無念だが、いったん畠山勢との挟撃と云う方向に決まったのなら、その上で勝利する方法を考えなくてはならない。

 隆広は気持ちを切り替えて、部下である慶次、助右衛門、佐吉に本陣での出来事を話し、これから隆広隊の執るべき方策を講じだした。

「そうですか、親父様(秀吉)は陣払いを」

「ああ、だが佐吉。オレにはむしろ秀吉様があえて意見の対立をして陣払いしたとも考えられるのだ」

「なぜそのような?」

「秀吉様が毛利攻めの総大将の座を欲しているのは知っていよう。毛利といえば当主の輝元殿は並みの武将だが、毛利の両川と言われる吉川元春殿、小早川隆景殿は優れた武将。対するに秀吉様は戦力の温存をしたいと思っているのだろう。この加賀の戦いの総大将は我が殿勝家様。どんなに働いても結局は殿の手柄となるだろうからな。あえて意見を対立させ、帰陣するも一つの駆け引き。秀吉様の将としての能力は図抜けている。大殿とて罰して殺すより、こき使ったほうが得と考える。すべて計算の上なら、たいした御仁だよ、あの方は」

 佐吉は感嘆した。今の柴田家中で秀吉のあの行いの真意を看破している者などいようか。『すべて計算の上ならば』を見抜いた隆広もまた大した武将だと三人の部下たちは思った。

 

 秀吉は、本陣から出てすぐに自分の陣所に帰り、長浜に引き上げてしまっている。隆広の見抜いた通りなのである。あえて意見を対立させて陣払いすると秀吉に入れ知恵したのは今孔明と名高い、あの竹中半兵衛である。

 秀吉は長浜に帰ると、謹慎のような態度を執らず、わざと毎日酒宴を開いて騒いだ。これも半兵衛の智恵である。大殿、安土城の信長にいらぬ警戒心を持たせぬ方便であった。

 信長からの使者が来るとピタリと酒宴をやめて、安土城に赴くと、信長から言い渡されたのは無断で退陣したことへの叱責ではなく、若殿である織田中将信忠の副将として、謀反を起こした松永弾正久秀の討伐だった。

 今度は柴田勝家が大将でなく、織田の跡継ぎである信忠の副将であるから、秀吉にとっても戦う意味のあるものであった。

 後に佐吉から、柴田陣営からの無断退陣の真意を隆広が看破していたと秀吉は聞き、高笑いをした。そして同時に恐ろしいとも感じたのだ。

 

 軍机に加賀領内の地図を広げる隆広。

「さて、軍議を始めるぞ。まず明日の進軍の道筋だが……」

 隆広、慶次、助右衛門、佐吉は軍議で語り、そしてその後は軽く酒を酌み交わした。特に慶次はこの時間がお気に入りである。

 夜はふけていく。そして月を厚い雲が覆い隠していった。



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軍神の襲来

隆広三忍登場です。彼らの改名も考えたのですけれど、やっぱりそれなりに愛着もあるのでそのままとします。ちなみに
舞⇒餓狼伝説の不知火舞
すず⇒テイルズオブファンタジアの藤林すず
白⇒NARUTOの白からです。
ホームページ連載当時はいささか悪乗りしすぎていたようで。


「なあ半兵衛」

「なんでしょう」

 柴田陣営で、総大将の柴田勝家と意見を対立させ、無断で帰陣する羽柴秀吉軍。加賀から北近江の秀吉の領地、長浜までの帰路についている時であった。

 馬に乗り、先頭を進む秀吉の傍らに、羽柴秀吉軍の軍師、竹中半兵衛がいた。秀吉はその半兵衛に話しかけたのである。

「オレには隆広殿の言葉が現実になる気がする」

「七尾城が落ち、絶望的な背水の陣で謙信と対する事になる、と云う?」

「そうだ」

「……たぶん、その通りに相成りましょう。最悪の場合は一向宗門徒との挟撃も考えられます」

「やはりか……」

「はい、上杉と門徒に同時に攻められては勝家殿に勝機はございますまい」

「ふむう…。権六(勝家)はどうでもいいが、隆広殿や犬千代に死なれては困るな。半兵衛も隆広殿が心配であろう?」

「いいえ」

「あんがい薄情じゃな」

 半兵衛は苦笑して答えた。

「そういう意味ではありませぬ。それがしは隆広殿にこう教えました。『凄惨な辛勝をするくらいなら被害軽微の負け方をせよ』と。相手が謙信と云うことで、隆広殿は少なからず敗戦も想定しておりましょう。となると撤退の方法も考えているはず。私は先の先を読んで、そしてそれに備えよと教えましたから」

「教えたといっても、その当時の隆広殿はいくつだ?」

「確か九つか十か」

「覚えているかあ?」

「それは心配無用です。私より記憶力がある童でしたから」

「ほほう」

 自分の教え子を自慢する半兵衛は嬉しそうな顔を浮かべた。そして後ろを軽く振り返り加賀の方向を見つめ、心の中でつぶやいた。

(竜之介…。あの上杉謙信からどうやって逃げ切るか、じっくりと手並みをみせてもらうとするが……)

 竜之介、これが隆広の幼名である。

(生きて帰れよ……竜之介……)

 

 柴田軍は湊川の渡河の段階に入っていたが隆広の言った九月の大雨の危惧は見事に的中してしまい、湊川は増水していた。

 しかしここで進軍を止めることはできない。勝家は強引な渡河を決断したのだ。当然に隆広は猛反対した。水が引くまで滞陣するか、浅瀬が見つかるまで待つべきと。だが上杉軍はすでに七尾城に攻撃を開始している。迂回もできず、橋を架ける工事をする時間もない。隆広の意見は再び一蹴されてしまった。

「くそ……」

「隆広様、お気持ちは分かりますが総大将の決断です。我ら部下は従うほかございませんぞ」

「助右衛門……」

 助右衛門は沈む主君を労わった。才はあっても、まだ十七の少年。繊細な面も持っている。

「……分かった。佐吉、筏は?」

「はい、ただいま工兵隊が大急ぎで……あ、来ました!」

「隆広様! 急場でございますが隊の半数は渡河できる筏ができました! 数度の往復で隊と物資は運べましょう!」

「辰五郎、少ない時間で材料も調達するも至難であったろうに。礼を言うぞ」

「もったいないお言葉にございます。さ、お急ぎを!」

「よし、ならば我が隊も渡河に入るぞ。筏に乗り込め!」

「「ハハッ!」」

 

 隆広直属の工兵隊は、本隊の勝家直属の工兵隊より技術力があったと言われている。

 北ノ庄の屈指の職人衆であった辰五郎率いる一団は、ある事がきっかけで隆広に心酔し仕える事になった。長の辰五郎は隆広と親子ほどの年の差であるが、若き主君に心から忠誠を誓っていた。

 今回の筏にもそれは表れていた。他の隊では転覆する筏もあったが、隆広隊の筏はただの一つも転覆しなかった。それどころか、川に落ちた他隊の兵を救助することさえできた堅固さであった。

 強引な渡河作戦ではあるが、各将、そして最後尾にいた隆広と佐吉の指示でそれは円滑に進められていった。

 だが将兵の疲労は著しく、勝家は隆広が『ここに布陣しては上杉軍に対して絶望的な背水の陣を敷く事になる』と言った渡河の渡った先の水島の地に布陣を始めた。時刻はすでに夕暮れ時。その指示を隆広が聞いたのは、彼が自分の手勢を渡河し終えた直後だった。勝家からの伝令が隆広に届いた。

「申し上げます」

「なんだ」

「将兵の疲労著しいため、本日の陣はこの水島に陣を築き野営をすると殿の仰せです。水沢様はご自分の陣所を築かれた後に本陣に来るようにと殿の……」

「この水島に陣場を作れと!?」

 伝令兵の言葉が終わらないうちに隆広は悲痛に叫んだ。

「バカな! こんな場所に陣を築けば夜襲でもされたら柴田勢は壊滅する!」

「で、ですが各々の将たちは殿の命令に従い、すでに陣場を……」

「ご再考を請うてくる!」

 その隆広を助右衛門が慌てて止めた。

「お待ち下さい! 現に将兵の疲労は頂点に達しています! 勝家様にとっても苦渋の決断かと!」

「ならん! せめて湊川より三里は離れないと柴田勢は壊滅する!」

 兵たちの疲労の著しさは隆広も分かってはいた。隆広の隊は二千であるから、全兵士が筏での渡河が可能であったが、他の隊はそうはいかなかった。

 小船と筏、そして馬に乗って渡河したものは全体の半数ほどで、あとはほとんどが徒歩での渡河である。流されてしまった者もいるだろう。対岸に流れ着いた兵たちはすでに歩ける状態ではない。

 しかし、この水島の地に布陣するのはあまりにも危険である。隆広は主君勝家の勘気に触れるのも覚悟で再考を願おうとした。しかし受け入れられるとは思えないと考える助右衛門は隆広を止めた。

「休息も戦時における心得の一つです。本日の行軍はもはや無理かと」

「だが……この地はあまりに危険だ……。見ろ、ここ数日の雨で川は増水している。こんな川を背後にしたまま上杉に夜襲でもされてみろ。ひとたまりもないぞ!」

「隆広様……」

「とにかく、オレは柴田家中に侍大将として籍を置いている。危惧を覚えて進言せぬは不忠になろう。言うだけは言ってくる。助右衛門は再度の行軍に備えるか、陣場を築く用意をしていてくれ」

「かしこまいりました。この場はそれがしと佐吉で足ります。慶次、ご一緒せよ」

「ああ、分かった」

 

 隆広は慶次を連れて、本陣へと向かった。何としても今回の進言は聞き入れてもらわなければならない。この地に布陣する不利さを勝家に述べるため、隆広は頭の中で進言の内容を練っていた。それを察してか、慶次も主君の思案を邪魔しないよう黙って横を歩いた。

 そして本陣に到着した。

「殿! 申したき儀がござい……」

 その隆広の横を血相変えて通った伝令兵がいた。そして彼からもたらされた報は柴田勝家軍を震撼させた。

「申し上げます!」

「なんだ」

 軍机につく勝家が言った。

「七尾城が上杉軍により落とされました!」

「な、なんだと!」

 柴田勝家、佐久間盛政、長連竜、そして前田利家、佐々成政ら諸将は愕然とした。そして隆広も慶次も。

「上杉軍は守将を七尾城に置き、反転してこちらに進軍中!」

「さすが謙信、神速だ」

 明智光秀は唸った。

「感心している場合か明智殿!」

 畠山の客将長連竜は冷静な光秀を怒鳴った後、伝令兵の肩を掴んで尋ねた。

「七尾城を守っていた父と兄は!」

「……全員、討ち死にいたしました。上杉派の遊佐続光殿が上杉軍と内応し、城の中に上杉軍を入れさせ、長一族は必死に戦いましたが多勢に無勢。全員討ち死にいたしました。倉部浜に、長一族の首が晒されていますのを、それがしこの目で見届けました」

 伝令兵の言葉に呆然とし、そして地に拳を叩きつけて悔し涙を流す長連竜。陣に言いようのない静寂が流れた。七尾城のあまりに早い陥落にあぜんとする勝家。さらに追い討ちをかける報告がもたらされた。

「申し上げます!」

「今度はなんだ!」

「一向宗門徒、およそ三万五千! 南よりこちらに大挙して押し寄せています!」

 上杉軍と一向宗門徒の挟み撃ち、しかも背後は増水した川。柴田陣中に絶望感が漂った。その時だった。

「殿! この上はこの場で陣形を整えて一向宗を迎え撃つしか術がございません! 上杉三万、門徒三万五千! 向こうが数が多い上に、湊川の渡河のため疲労困憊し、地形的にも不利な我らではひとたまりもござりませぬ! まず門徒を叩かねば我らは上杉と門徒の挟み撃ちです! 今ならば兵力差はこちらに優位で門徒に立ち向かえます! 急ぎ南下して門徒たちを叩いてから総引き上げすべきです!」

「ならん! こうなれば上杉軍と門徒どもを蹴散らすのみじゃ!」

「柴田殿、隆広殿の言を入れられよ! この場で上杉と一向宗門徒に挟撃されたら全滅は必至ですぞ!」

 と、明智光秀。

「明智様……」

「今の我らはあまりに不利な条件を重ね過ぎておりもうす。畠山勢との挟撃が成らず、背後には増水した湊川、将兵らも浮き足立っております。天の時、地の利、人の和すべてに逆らっている状態でどうして上杉と戦えまする! ここは総引き上げかと!」

「勝家様、それがしも隆広と明智殿の意見に同じです!」

 前田利家、佐々成政、佐久間盛政も同調した。勝家はうなだれて床机に腰掛けた。

「ふう……」

「殿……」

「隆広……」

「ハッ」

「すべて、お前の申すとおりに相成った。愚かな主君と思っておろうな……」

「なるようになった結果です。誰の責任でもありません」

「そうか……」

「今はこの局面を打開する事だけをお考え下さいませ」

「ふむ、隆広……考えがあったら聞かせよ」

「門徒たちの狙いは上杉と呼応して我らを掃討する事。つまり敵の挟撃の態勢が整う前に、こちらも二手に分かれて備えるしかございません」

「具体的には?」

「時間的に考えますと、上杉がこの地に到達するのは夜半。門徒の到達時間もこれまた同じでしょう。だからここで陣場を築いて迎撃に備えるのではなく、一気にこちらから南下して門徒を殲滅します。当然謙信公にもそれは伝わるでしょうから、こちらの背後を衝く好機とばかり差し迫ってくるでしょう。我らが今の虎口を脱するには門徒と上杉に理想的な挟撃をさせてはならないわけですから、別働隊、つまり殿軍が西に向かい謙信公に備えて足止めをしなくてはなりません」

「ふむ……」

「幸い、七尾からこの地を結ぶ道は、そんなに広い道ではございません。三万の大軍とて、そう縦横には動けますまい。ですが沿岸に到達されてしまっては三万の軍勢は怒涛のごとく背後から襲ってきます」

「ふむ、つまり少数精鋭の殿軍で上杉の足止めをして、残る大軍で一向宗と対し、できるだけ早く殲滅し、そして引き上げる。そういう事だな?」

「御意」

「よし、隆広の案で行こう。だが上杉の足を止めるのは至難。誰か我こそはと思わぬ者はおらぬか」

「…………」

 誰も名乗りを上げなかった。相手は上杉謙信である。羽柴秀吉の金ヶ崎の撤退戦よりはるかに至難と云うのは誰にも明らかである。

 

「殿、発案者のそれがしがやります」

 隆広の後ろで慶次はニカッと笑った。よく言った、そう心から思ったからである。

「な……ッ!?」

 勝家はならぬと言いたかった。勝家には隆広に死なれたくない理由がある。その才能を惜しんでではない。どうしても失いたくない理由がある。だが今、それはクチには出来ない。

「相手は上杉謙信! 朝倉が相手だった秀吉の金ヶ崎の撤退戦よりはるかに至難だ! それでもやるか!」

「はい、誰かがやらなければならぬ事です。殿軍がいなければ、間違いなく一向宗門徒との戦闘中に上杉軍がこの場に来て、凄惨な挟撃と追撃を受ける事でしょう。ここより西に向かい、上杉軍を何としても止めなくてはなりません」

「隆広……」

「養父を失い、孤児となったそれがしを殿は拾って下さり、侍大将にまでして重く用いて下さっています。士は己を知る者のために死すと言います。それがしのご奉公、受けてくださいませ」

 前田利家と可児才蔵は思わず唸った。そしてこの時ばかりは佐久間盛政、柴田勝豊、佐々成政も『またいい子ぶりやがって』とは思わなかった。

 上杉謙信相手の殿軍。生還不可能と思える役目である。勇猛な将とて引き受けるにためらいがある。だが隆広はそれを志願した。容貌は美男の優男である隆広であるが、『殿軍を受ける』と言った彼の顔は、もはや万の兵を縦横に操る戦国の名将に思えた。それほどの貫禄と雰囲気が出ていた。それは勝家も同じだった。

「……許す」

「ハッ」

「だが、生きて戻れよ! 北ノ庄に! 命令だ!」

「ハッ!」

「我らは急ぎここに魚鱗の陣をはり、門徒どもを迎え撃つ!」

「「オオオオッ!」」

「殿、ご武運を!」

 隆広はペコリと頭を下げて、勝家の元から走り去った。その姿を勝家は見えなくなるまで見つめていた。そして思った。

(市……見せてやりたかったぞ! 今の隆広の姿を。城に戻ったらたっぷりと聞かせてやらぬとな!)

 出陣前に愛妻の市がくれたお守りを勝家は大切に握った。

 

 各陣は陣払いと、および魚鱗への備えを作るため慌しかった。その喧騒を隆広と慶次は走りすぎる。

「魚鱗の陣を張るまでは、もう少し時間がかかりそうだな」

「確かに」

「慶次、我らは西に進軍して謙信公に備えるぞ!」

「おう!」

 

 自分の陣所に戻った隆広は将兵に自軍が上杉への殿軍を務めることを述べた。

 さすがは隆広の下に集った兵たち。不満を述べる者は皆無だったという。それどころか、殿軍と云う戦においての重要な任に士気は上がった。相手は謙信、困難を極める撤退戦であることは予想される。

 だが、この時ばかりは『いくさ人』筋が多い柴田の家風が功を奏した。兵たちは自分たちを尊ぶ主君隆広に心酔してもいる。あの主君と死ねるなら、それもまた良し。みながそう思った。

 助右衛門、佐吉に隆広は申し訳なさそうにポツリともらした。

「いらぬ役目を引き受けてきおって……そう思っているだろうな」

「とんでもない、よくぞ志願したと思っておりますぞ」

 ニコニコして助右衛門は隆広の肩を叩いた。佐吉は少し震えていたが、武者ぶるいと強がった。

「生きて帰りましょう! そして手柄を立てて! 勝家様のみならず、織田の大殿にも認めてもらいましょう! 水沢隆広隊、ここにありと!」

「ありがとう、助右衛門、佐吉!」

 部下の心強い言葉が隆広を感奮させていく。

「よし、舞! すず! 白(はく)!」

「ハッ」「ハッ」「ハッ」

 舞、すず、白は隆広直属の忍者である。舞とすずはくノ一、白は隆広と同年の少年忍者であるが、三名とも凄腕の忍者だった。

 元は隆広の養父である水沢隆家が三人の両親を自分直属の忍者として用いていたのが縁であり、隆家の養子である隆広に、そのまま世襲して仕えている。

 彼らの父母は、隆広を『隆家様に匹敵する将になりうる器』と見込み、我が子を仕えさせたのである。後の世に『隆広三忍』と伝えられている。そして三人も父母と同じく、隆広を大将の器と思い、粉骨砕身に仕えていた。そして今回の殿軍を志願したと聞き、もはやそれは確信ともなった。

「「なんなりと!」」

「その方たち今から上杉軍の動向を探れ。兵数は無論のこと、通る道の先々の地形、鉄砲の数、行軍速度、つぶさに調べてまいれ。我らはここより西に進軍してその方らの報告を待つ!」

「「ハッ!」」

 三人は上杉軍が迫るであろう西方に駆けていった。それとほぼ同時に兵をまとめていた慶次が隆広に報告に来た。

「隆広様! お味方はすでに水島を離れ南に魚鱗の陣で行軍を開始しました! 我らもいつでも七尾方面に進軍できる準備が整いましてございます」

「よし、鼓舞を行おう。佐吉よ、兵たちの前に台座を」

「ハッ」

 隆広の陣に二千の兵が整然と並んでいる。騎馬隊、長槍隊、弓隊、鉄砲隊、工兵隊と、隊別にキチンと並んでいた。そして何より全軍に士気がみなぎっていた。

 佐吉が用意した台座に立ち、兵たちの前に隆広は立った。

「全員、いい顔をしている。軍神謙信公の前に出ても恥ずかしくない」

 そして一つ、深呼吸をし、胸を突き出し声高らかに隆広は言った。

「だが、一つ言っておく。オレはこの殿軍と云う役目を玉砕精神で志願したわけではない! 生きるためだ! お前たちと共に、北ノ庄に生還するためだ! 上杉は三万! こちらは二千! だが負けはせぬぞ! 我に秘策あり! 音に聞こえた戦国最強の上杉軍に一泡吹かせてくれようぞ! 毘沙門天の旗を絶対に通させぬ! 我が軍勢結成のおり、みなに話したな! この隆広が父より受け継いだ旗印『歩の一文字』の意味は『歩の気持ちを忘れぬ』と云う意味と『相手が王将だろうと一歩も退かぬ』と云う意味だ! よいか! 死んでもいいなどと一度たりとも考えてはならぬ! 我と共に生きよ! 我と共に! 北ノ庄に帰るぞ!」

「「「オオオオ――ッッ!!」」」

 兵士は隆広が掲げた拳に応えた。士気はうなぎのぼりであった。羽柴秀吉の金ヶ崎の撤退戦と同じく、戦国史に燦然と輝く『手取川の撤退戦』が始まる。

 

 鼓舞が終わると助右衛門が隆広に尋ねた。

「隆広様、『秘策あり』とは?」

「うん、これから話そうと思っていた。慶次もオレの陣屋に来てくれ。そして佐吉、あれを持ってきてくれないか」

「かしこまりました」

「『あれ』? なんだ助右衛門『あれ』とは?」

「オレに聞くな」

 佐吉が兵に持たせてきたのは、隆広の旗印が記されている大きな木箱数個だった。

「隆広様、なんですそれ? そういえば進軍中にもずいぶん大事にしていた箱のようでしたが」

 その箱を慶次がポンポンと叩く。

「使わずに済めば、と思っていたものなのだが……佐吉、開けよ」

「ハッ」

 大きな箱、三つが開けられた。その中に入っていたものを見て、慶次、助右衛門は驚いた。

「こ、これ!」

「そうだ、二人ともこれを使ってくれ」

「し、しかし……」

 さすがの助右衛門も戸惑う。それほどのものが箱には入っていた。

「これの調達はオレの自腹。使うのにイヤとは言わせないぞ」

「は、はあ……」

 助右衛門は苦笑しているが、慶次は眼をランランと輝かせていた。

「面白い! こういう遊びは大好きですよ、それがしは!」

 慶次はこういう窮地を好む癖があり、かつ遊び心は満載の持ち主でもある。隆広の案にもろ手をあげて喜んだ。

「ははは、これは兵法でも何でもない。一つの心理作戦だ。だが謙信公ほどの武将を相手にするのなら、逆にこういう陳腐な策の方が効果はあるってものだ。さ、急ぎ支度だ!」

 

 そして一方、上杉軍。毘沙門天の旗を靡かせながら進軍していた。

「川を背にするとはな、音に聞こえた鬼柴田は兵法を知らぬわ。今ごろは門徒が襲撃してくると聞いて青くなっているかもしれぬな」

 上杉軍の宿老、斉藤朝信は勝家を笑った。

「確か、勝家は砦を六角勢に包囲された時に、水の瓶をすべて叩き割って将兵の覚悟を決めさせた事もあるとか。今回の背水の陣もそれと様相を類似させておる。背水の陣で我ら上杉と対するわけか。ふん、我らは六角勢と違う」

 同じく宿老の直江景綱も柴田勢を笑った。

「ですが柴田勢は我らより兵数が多うございます。挟撃が上手くいったとて『窮鼠、猫を噛む』の例えもございます。油断は禁物かと」

「そうであったな、与六」

 与六、彼が後に上杉の宰相となる謀将直江兼続である。当時の身分は足軽大将で樋口与六と云う名の若武者であったが、後に名家の直江家の名跡を継いで直江兼続と名乗る事になる。

 その彼は上杉の若殿である上杉景勝おつきの小姓であった。その上杉景勝は総大将の謙信の傍らにいた。

「父上、柴田勢にも七尾の陥落と門徒が迫っているとの報は知られていましょう。もうすでに退陣されているかもしれませぬな」

「確かにな、だが北に逃げれば海で後がない。西に逃げればわしらとぶつかる。東は増水した湊川。勝家は南に向かい、門徒と戦うしかない。よもやなりふりかまわぬ再度の渡河はするまいて。門徒は三万五千、勝家が五万と多いが、我が到着するまでは十分に持ちこたえられる。おごる信長に毘沙門天の鉄槌を下すのだ」

 斥候に出ていた兵士が戻ってきた。

「申し上げます!」

「うむ」

「ここより、東に約五里、陣場がございます。旗は『歩の一文字』にございます」

「『歩の一文字』? 確かそれは美濃斉藤家の水沢隆家の旗ではないか? 柴田勢に水沢にゆかりの者がおるのか? 誰が存知らぬか?」

「それがしが存じています」

 謙信の問いに与六が答えた。

「おう与六、どんな男か?」

「斉藤家の名将、水沢隆家殿の養子にて、竹中半兵衛の薫陶を受けた将で、氏名にあっては水沢隆広。歳はそれがしと同じ十七歳ですが、一昨年に柴田勝家に仕え、階段を駆け上がるがごとくに出世し、現在は侍大将と聞き及んでいます」

「ほう、水沢隆家と竹中半兵衛の薫陶、つまり美濃斉藤家の軍略を受け継ぐ若者か」

「は、若輩とはいえ侮らぬ方がよろしかろうと……」

 老将の本庄繁長が歩み出た。

「お館さま、それがしも水沢隆広の名は聞き及んでおります。我ら上杉の忍者、軒猿衆から要注意人物と報告が届いております。内政の功が目立ち、戦場の猛将という感はないそうですが、今まで参加した合戦にはいずれも勝利の要因となる働きをしたとのこと。油断禁物かと」

「ふむ、しかし上杉軍の進軍が予想される場所に陣場を築くとはな。己の兵法に少し奢ったか? して兵数は?」

「およそ二千。殿軍の役を担ったと思われます」

「ほほう、ずいぶんと勝家もその若者を買っているものだな。上杉への殿軍に十七の若者とはな」

「父上が栃尾の城で長尾俊景殿を討ったのも十七のころでは?」

「そうであったな、若者だとて油断はできぬ。よし、その若者の陣場に備え、我らもこの場で備えて対しよう。朝信、景綱」

「ハッ」「ハッ」

「その方ら、合わせて一万の兵を率い、水沢隆広と対してまいれ」

「心得ました!」

 斉藤朝信、直江景綱の隊は一万の兵を率い、上杉本隊から離れて隆広の陣場へと向かった。

「一万対二千……。竜之介、いかにお前でもどうしようもあるまい。こんなに早くいくさ場で敵味方として出会ってしまうとはな。だがオレも上杉の将。遠慮はせぬ。友なればなおのこと。全力で行く。それが武人としての礼儀。だろう? 隆広……!」

 樋口与六は敵将の隆広がいるであろう東の地を睨み、気合を入れるように馬の手綱をギュッと握った。

 一万対二千、まともに対してとても隆広の勝つ目はない。しかし隆広はこの戦いで上杉謙信、上杉景勝、そして直江兼続にとっても『隆広恐るべし』の思いを強烈なまでに印象付けるのである。



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軍神対戦神

この手取川退却戦、隆広の取った秘策は私と友人でひねり出したアイデアでしたが、よくまあ思いついたと我ながら気に入っております。


  一万の軍勢は地響きを立てて、隆広の陣に迫った。

「ふん、わずか二千、ひと揉みにしてくれるわ!」

 七尾城を陥落させて、まだ間もない上杉軍の士気は留まる事を知らない。寄せ手の大将である斉藤朝信、直江景綱も意気盛んで隆広の陣に迫った。時刻は夜半、隆広の陣場にはかがり火が赤々と灯っていた。

「なるほど、あの陣場の広さとかがり火の数、おおよそ二千と云うのは間違いなさそうだな。だが油断なさるな、景綱殿!」

「承知!」

 

 ドドドドッ!

 

 直江景綱、斉藤朝信の軍勢は隆広の陣場に突入した。だが

「な、なんだ!?」

 景綱、朝信の両大将は愕然とした。

「兵などおらぬではないか!空陣!」

 隆広の陣場は、山間の道に作られたものである。かがり火だけは多数赤々と灯ってはいるが、誰一人そこにはいなかった。

「しまった!罠だ!」

 朝信が叫ぶ。

「いかん!すぐに引き返せ!」

 景綱があとに続く兵に叫ぶ。しかし一万の軍勢がときの声を上げながら突入しているのである。それは届かない。隆広が作った空陣に上杉一万の兵は大挙して押し寄せた。しかも二千を見込む陣の中に一万である。その兵は一箇所に集まる形となってしまった。

 上杉の斥候兵が来るまで、隆広隊は確かにこの場にいたのである。隆広はあえて上杉の斥候兵が自軍を調査に来るまで待ち続けた。舞、すず、白がその斥候兵を見つけて、それを報告。斥候兵をあえて捕らえずに、自軍の場所と兵数に謙信に報告させた。そして隆広は違う地点にあらかじめ用意していた副陣に全軍を大急ぎで移動させたのである。

 上杉兵が一箇所に集まったその瞬間!上杉軍の前方正面、山間右斜め前方、山間左斜め前方の地点から一斉に鉄砲が火を噴いた!

「撃て――ッッ!」

 鉄砲隊を率いるは佐吉と白。三方から一斉に一箇所に集まった上杉軍に隆広の鉄砲隊が襲い掛かった!

「ぐああッ!」

「うぎゃあ!」

 鉄砲隊はおよそ二百であるが、それでもひとたまりもなかった。一箇所に集められ、かつ三方向から同時に撃たれているのである。上杉の兵士はバタバタと倒れていった。

 しかも、それぞれの鉄砲隊は織田信長が武田勝頼を打ち破った長篠の合戦で執った戦法。三列の横隊による交互の連続射撃である。

「こ、これは美濃斉藤家の鉄砲術『三方射撃』!」

『美濃斉藤家の軍略を継ぐ若者』、そう聞いていた直江景綱と斉藤朝信。しかしまさかここまで鮮やかにやってのけるとは想像もしていなかった。

 一箇所に敵を集め、三方から襲い掛かる必勝の鉄砲術。鉄砲を集める事では織田信長に大きく遅れを取った斉藤家が少ない鉄砲の数でより相手を壊滅できるように考案されたものである。隆広の養父である隆家が考案し、織田の軍勢を震え上がらせた戦法である。

 その父より伝授された鉄砲術に信長の考案した三段射撃も加わっているのである。一万の上杉軍はひとたまりもなかった。

 敵を一箇所に集めるための空陣計も父から伝授された作戦であった。そして、この攻撃をしている隊に隆広、慶次、助右衛門はいなかった。

 

 時を同じころ、勝家率いる織田軍は湊川沿岸で一向宗門徒と戦端を開いていた。勝家軍は士気が桁違いにあった。もしこの戦いに時間をかけたら、背後から上杉軍が襲ってくるかもしれないのだ。隆広の軍才は柴田家中誰でも知っているが、相手は軍神謙信、蹴散らされてしまうのではないかと云う危惧はあった。

 だが、その危惧が功を奏した。早く倒さなければやられると云う危機感が兵士を追い込み強くした。まさに背水の陣さながらである。

 

 そして、ここは湊川より西の地、上杉本陣。この鉄砲の轟音は後方に陣を構えた謙信の耳にも届いた。

「鉄砲!しまった!空陣計か!」

「父上!急ぎ我らも!」

「よし!繁長(本庄繁長)!景親(千坂景親)!至急援軍に向か…」

「父上?」

 

 ドドドドッッッ!

 

 上杉本陣に怒涛のごとく迫る隊があった。

「敵襲――ッッ!」

 与六が叫んだ。

「味な真似を!空陣計と呼応し敵陣突入か!迎撃に…ッ!?」

 謙信は突入してくる隊の旗と、そして先頭を駆ける武者を見て愕然とした。

 

「馬鹿な…ッ!」

 

 ドドドドッッッ!

 

「ふ、風林火山の旗!し、信玄!」

 上杉軍に迫る隊、それは隆広の旗である『歩の一文字』でなかった。それは上杉謙信の宿敵、武田信玄の旗『風林火山』であった。

 そして先頭を馬で駆る武者、それは信玄が頭に頂いていた『諏訪法性兜』。衣は赤い法衣。まとう鎧は『金小実南蛮胴具足』。そして抜いた太刀、それは武田家に伝わる『吉岡一文字』であった!まさに上杉謙信が川中島の戦いで見た武田信玄そのものであった。

「馬鹿な…!信玄だと!」

 そして信玄の両脇にいる右将は赤備えに旗は『紺地に白の桔梗』、左将は青備えに旗は『白地に黒の山道』、中心の武田信玄を守るように、共に上杉軍に突撃を仕掛ける!

 謙信と共にいた家老の本庄繁長も唖然とした。忘れようはずもない武田の騎馬軍団。

 しかし先年、精鋭を誇るその武田騎馬軍団は織田・徳川連合軍三千丁の鉄砲の前に狙い撃ちにされ惨敗し、山県昌景や馬場信房などの主なる将が戦死してしまい、もはや立ち直れないほどの叩きのめされた。

 武田勝頼の父、武田信玄は天正元年に上洛の途上に五十三歳ですでに亡くなっている。だが目の前に迫るのは紛れもなく武田信玄率いる騎馬軍団である。

「お館さま…!右は山県昌景!左は馬場信房!し、信じられませぬ…」

 謙信もまた同じだった。宿敵の信玄が今目の前に現れた。死んだはずの信玄が。

 謙信は信玄が死んだと知り、涙を流した。三日食を断ち、宿敵の死に報いたと云う。それほどに謙信は信玄を認め、そして尊敬もしていた。その信玄が現れた。自軍に迎撃の命令を出さぬまま、あぜんとしていた。だが武田との交戦経験が薄い上杉景勝と樋口与六は違った。

「父上!あれは信玄公ではありませぬ!敵の水沢勢が化けているのです!」

 景勝の懸命の訴えも謙信に届かない。だが景勝の妻である菊姫は信玄の娘である。彼の動揺も激しかった。

「下策を弄しおって!義父殿の姿を真似るとは言語道断じゃ!」

 景勝は馬に乗り、兵を鼓舞し迎撃体勢を執ろうと考えた。だが兵士たちの中には武田勢の強さが骨身に染みている者が数え切れないほどにいた。七尾城を陥落させて上がっていた士気が急降下していった。

「くっ 何をしている!陣列を組まんか!」

 だが兵士は動かなかった。いや動けなかったと云うべきか。

「景勝様!確かに兵法でも何でもない下策かもしれませぬ!ですが現実我らは水沢勢の術中に!」

「与六!おぬしまで何を申すか!我らは三万の軍勢ぞ!それが二千の水沢隊に敗れるというのか!」

 赤備えの甲冑を身につけた武人は、主人信玄を守るかのように先頭に踊り出た!それは恐ろしいまでの巨馬に乗る武人だった。

「我こそは山県三郎兵衛昌景なりぃ!」

 まさに鬼神を思わせる咆哮の名乗りであった!

 

 ブォンッ!

 

 山県昌景と名乗った武人は剛槍の朱槍をうなりを上げて振り回した!

 

 ザザザザッッ!

 

 上杉兵が次々と山県昌景の朱槍に倒されていく!

「うおりゃあああッ!」

 

 ザザザザッッ!

 

「ば、化け物だああ―ッ!」

「退け、退け―ッ!」

 

 真紅の甲冑を纏う武人を乗せる漆黒の巨馬は宙に舞うが如く駆ける!まるで天馬に乗る鬼神のごときに突き進む騎馬武者に上杉兵は圧倒された。

 景勝と与六はその山県昌景をあぜんとして見ていた。いや見とれていたという方が正しいかもしれない。

「なんと恐ろしい…だが与六、あの美しさはなんだ…」

「あの漆黒の巨馬は紛れもなく『松風』!水沢隆広配下、前田慶次殿と思われます。まさにいくさ人を狂わす武人!」

 

 ドドドドッッ!

 

 先頭の三騎に続けと、他の騎馬武者も怒涛のごとく駆けてくる。まさに戦国最強と言われた武田騎馬軍団そのものである。歩兵の槍隊も一糸乱れぬ槍ぶすまで突進してくる。

 巨馬に乗る山県昌景の朱槍の恐ろしさにはじまり、上杉の兵たちには武田騎馬軍団の恐ろしさが骨身に染みている者も多い。次々と道を開けていった。そして左の猛将も主人信玄を守るように走り出て山県昌景とピタリと並んだ。

「我こそは馬場美濃守信房!我の槍を受けてみよ!」

 馬場信房の黒槍は風車のように回転し上杉兵をなぎ倒す。山県昌景、馬場信房、二人の騎馬武者は止まらない。

 そしてその二人の後ろを駆ける信玄。実際の信玄よりは小柄であるが、その眼光の鋭さと覇気は少しも川中島の信玄に劣っていない。

 三騎の左右に黒装束の忍者が百人づつの縦列で続いた。人馬に長けた先頭の三人の騎馬武者に少しも遅れぬほどの脚力でどんどん上杉軍に迫った。忍者衆の先頭を走るのは、真紅の忍び装束に美しい肢体を躍らせる二人のくノ一。

「お命ちょうだい!『花蝶扇』!」

 一人のくノ一が刃のついた二つの鉄扇を怒涛のごとく駆けながら放った!

 

 ズザザザ!

 

 まるで命を吹き込まれてるかような二つの扇子が上杉軍の兵士をなぎ倒した!

 

「曼珠沙華!」

 さらにもう一人のくノ一は数え切れないほどの苦無を一斉に投げはなった。

 

 ザザザザッッ!

 

「ぐああああッ!」

「退け―ッ!退け―ッッ!」

 

 そして最後に信玄が吼えた!

「我こそは武田大膳太夫信玄なりィィッッ!進めェェッッ!侵略すること火の如しじゃああッッ!!」

「「オオオオオッッ!」」

 

 上杉景勝は信じられない光景を見た。上杉軍の黒備えの兵士たちが恐怖におののき、突入してくる軍勢に道を開けたのだ。まるで黒い海が赤い激流に分断されていくがの如く。

「バカな…!」

「景勝様!お退きを!」

 上杉謙信は少しも慌てていなかった。床机にすわり、静かに武田信玄を待ち、微笑をうかべ軍配を握った。

「ふっ…川中島と逆ではないか」

 もう謙信は目の前。山県昌景、馬場信房の両将が左右にバッと離れた。そしてその真ん中から信玄が躍り出た!

「お館様!」

「お館様を守れ!」

 

 ドカッッ!

 

 謙信の前に立った兵士二人は信玄の愛馬に吹っ飛ばされた。愛馬まで闘志の塊と思える。

 そして信玄、いや水沢隆広は謙信の名前、川中島合戦当時の彼の名前を、刀を振りかざしながら叫んだ。

「うおおおおおおッッ!」

 その太刀を弾き返すべく、謙信は軍配を振り上げた!隆広の刀が振り下ろされる!

「政虎――ッッ!」

 

 ギィィィィンッ!

 

 隆広の太刀と、謙信の軍配がぶつかった!その時、隆広と謙信の目が合った。謙信は隆広の太刀を受けながら微笑んだ。隆広もそれに答えニコリと笑った。そして一太刀、謙信と合わせると隆広はその刀を空に掲げた。

「駆け抜け――ッッ!」

「「オオオオッッ」」

 そのまま風のように、上杉軍本陣を駆け抜けてしまった。

「父上!すぐに追撃をいたしましょう!」

「よせ」

 謙信は、床机に座ったまま静かに笑っていた。

「しかし!このまま水沢勢を逃がせば我らはいい笑いものでございます!」

「いいからよせ、無粋な」

 隆広の走り去った方向を、謙信は見つめた。

「いい夢を見させてもらった…」

 

 隆広の軍勢は、上杉の背後を迂回して湊川沿岸に辿りついた。

「ふう、辿りついたか。昌景、信房、怪我はないか?」

「はっ 我らは無傷にございます。お館様こそお怪我など…」

 武田信玄、山県昌景、馬場信房はプッと吹きだした。

「おいおい!二人ともいつまでなりきっているんだよ!いいかげんバチ当たるぞ!」

 赤い兜を外して慶次が笑った。兵たちも笑っていたが、武士である以上、誰もが武田軍団には憧れたものである。その格好をした兵士たちも何か夢がかなって満足そうだった。隆広は馬上から将兵を労った。

「みなの者、大儀であった。あとは別働隊と合流を果たすだけだ。国許に帰ったら、殿に言上し褒美をとらすからな!楽しみにしておれよ!そなたらは柴田家の誇りであるぞ!」

「ハハッ!」

「ぃやった―ッ!女房にいいモン食べさせられるぞ―ッ!」

「忍者の皆も大儀だった。足が速いものなんだなァ、忍者って。騎馬にも走り負けしないなんて」

「も~、隆広様もっと違う点で褒めてくれませんか?すごい技をもっているなとか!」

 舞が拗ねて言うとすずや忍者衆も笑った。

「ははは、みんなにも合戦後賞与をとらすからな。すぐ里に帰らず北ノ庄見物でもしてゆっくりしていってくれ」

「「ハハッ!」」

「隆広様――ッッ!」

 佐吉が馬に乗って駆けて来た。

「隆広様、よくぞご無事で」

「ああ、で、殿の方は?」

「はい、見事に勝利を収めました。浅瀬も見つかりましたので、全軍渡河中でございます」

「そうか、よかった…」

「隆広様、殿の見つけた浅瀬と違う場所に浅瀬を見つけました。我らも」

「わかった。佐吉、その方こそ後陣の大将、大儀であった」

「そうなんです隆広様!私は今回佐吉殿を見直しました。見事に鉄砲隊を指揮しましたよ!始まる前は足震えていたから大丈夫かなと思ったのだけど」

 佐吉と共に走ってきた忍者の白が佐吉をからかうように言った。

「あ、あれは武者ぶるいと云うのです!」

「ははは、して佐吉、敵にいかほどの損害を?」

「ハッ、ご指示どおり比較的に馬を狙い、なるべく殺さぬように心がけました。数にして敵兵の二百か三百が犠牲かと思います」

「そうか、ならばいい」

 隆広はニコリと笑った。

「よし、合流は成したな。助右衛門と慶次、兵をまとめてくれ。みんな疲れているだろうが、急ぎこの湊川の東側から撤退しなければならない。佐吉が見つけた浅瀬で渡河を開始する。そこを渡りしばらく行ったら野営だ。そこでゆっくり休め。飲酒も許す」

「「ハハッ!」」

 隆広は後陣の佐吉たちに、あえて上杉の両大将の軍勢を殲滅するなと伝えておいたのであるが、それはある意味、この乱世に甘いことをする大将だと考えられる処置である。

 しかしそうではなかったのである。これにも緻密な計算が含まれていた。隆広は前もって言っていたのである。

『窮鼠、猫を噛むの例えもある。戦端を制し、追撃してこないと見越した時点で撃ち方はやめるように。なぶり殺しはしてはならぬ』と。

 後方に残される佐吉、白は大軍の上杉相手に情けなどかけるゆとりがあるはずがないと考えていたが、隆広の作戦は的中し、開始数秒で直江隊、斉藤隊は戦意を喪失した。

 佐吉たちは、隆広の恐ろしいまでの軍才に感嘆しながら、指示通りになぶり殺しはせずに退いたのである。誰一人として追撃はしてこなかった。佐吉が預かった隊には工兵などの非戦闘員もいる。しかもそれを守る兵も二百人しかいない。追撃を受けるわけにはいかなかった。

 

 どうしてあえて上杉軍を半壊以上にできる好機を逃したか、敵方の謀将でそれを見抜いた男がいた。

「申し訳ございません、まんまと計にはまり、三百近い損失を…」

 直江景綱、斉藤朝信は本陣に戻り、謙信に報告した。

「三百か、本来ならば全滅させることも可能だった計だったろうにな。才はあるが少し性格が甘い…」

 だが義将と呼ばれる謙信には、その隆広の性格が嬉しかった。

「いえ、そればかりではないでしょう」

「それはなんだ、与六?」

「水沢殿はあえて後陣を守る将に、二百か三百程度の犠牲に留めるように指示を与えたのだと思います。もし斉藤殿や直江殿の軍勢が全滅していたら、いかに大殿が止めようと、我らは報復に燃えて水沢殿を追撃したに相違ありません。水沢殿は自軍を守る意味でも、最低限の犠牲者に留めたのであろうと思います」

「確かにな、ふっ…与六、そなたの慧眼も鋭くなってきたな」

「恐れ入ります」

「それにしても、おぬしは何で水沢隆広と云う男を知っていたのか?」

「ほんの一時とはいえ、彼とは同門でございました」

「同門?」

「ええ、竜之介、いえ水沢殿は十二から十五歳に至るまで養父の隆家殿と共に、諸国を漫遊しておりました。それがしもちょうど同じころに父と旅をしていまして、厩橋の町にて彼と会ったのです」

「厩橋?」

「はい、その時の水沢殿は上泉信綱先生に剣の手ほどきを受けていました。それがしもその道場に立ち寄りましたので」

「なるほど、どうりでいい太刀さばきをしている」

 謙信はヒゲを撫でて、先刻の隆広の一太刀を思い出した。

「まあ、短い期間の修行で免許皆伝とまではいかなかったようですが、上泉信綱先生は、それがしにこうポツリともらしていました」

「ほう、なんと?」

「『あやつは我が殿と似ておる』と」

「我が殿…。長野業正殿のことか?」

「はい」

 長野業正、上州の虎と呼ばれた名将であり、上泉信綱の主君であった。武田信玄は大軍で長野業正の篭る箕輪城を攻撃したが、業正は老齢の身ながら寡兵を指揮し、ついに武田信玄を敗走させた。また上杉軍とは同盟関係にもあった。謙信自身もまた業正を認め、敵にしたらあんなに恐ろしい武将はいないと思っていた。

「ふむ、上泉信綱ほどの男がそう評したか。しかもまだ元服前の子供にのう。かつて信玄は『業正いるかぎり上州に手は出せぬ』と言ったそうだが、景勝もまた『隆広いるかぎり加賀、越前に手は出せぬ』と言う事になるのかのう?」

 謙信は笑みを浮かべて景勝を見た。

「そんなことはありません!敵手が名将ならば、むしろ望むところでござる!」

「よう言った。それでこそ上杉を継ぐものよ!」

「は!」

「さて、今回の戦は七尾城を取り、能登を領土に出来ただけでよい。これ以上進めば冬の到来まで越後に帰れぬ。死者を手厚く回収せよ。そして負傷者の手当てをせよ。本日はここに野営し、明日、越後に帰る!」

 

「竜之介…今回はまんまとしてやられたな!だがそなたのいる柴田殿の領地と我が上杉の領地は、門徒の国の加賀を挟んで隣接しているゆえ…また戦うこともあろう。その時まで健勝でな。次は俺がおまえの心胆を寒からす番だ」

 与六は闘志を胸に、野営の準備をはじめた。

 

 門徒を倒して、撤退していた勝家本隊に隆広からの伝令が届いた。勝家は渡河を終えて、自分の領土である越前の国境に到着していた。

「申し上げます!」

「うむ、隆広のところのくノ一じゃったな。戦況はどうじゃ?」

「上杉軍、後退しました!」

「な、なに?」

「隆広様は兵を一人も損なうことなく、現在、当方で見つけました浅瀬にて渡河を完了し兵を休ませるため野営の準備をしております」

 兵を一人も死なせずに上杉を後退させた。勝家も信じられなかったが、佐久間盛政、前田利家、佐々成政、可児才蔵もあぜんとした。そして隆広の伝令に出たくノ一も、あまり汚れてはいなかった。どんな戦い方をしたのか、勝家たちには見当もつかなかった。

「くノ一、隆広はどんな戦い方をしたのじゃ?」

 勝家の問いに、くノ一の舞は誇らしげに答えた。

「ハッハハハハハハハ!」

 舞から隆広の執った作戦を聞いて勝家は驚き、そして笑った。嬉しそうな笑いだった。

「なんと!武田信玄に化けて突撃か!」

「いや驚きましたな、そんな戦法は聞いた事ございませぬ。しかし、武田軍の装備の用意をしていたという事は、隆広殿は今回の敗戦を予期していたのでしょうか」

 ようやく笑いの虫がおさまった勝家は明智光秀の問いかけに答えた。

「かもしれぬな。たとえそうでなくても、武田の格好をして戦えば上杉に多少なり心理的な動揺を与える事もできる。いずれにせよ上杉に対して隆広なりに考えた隠し玉だったのだろう。末恐ろしいヤツじゃ。先が楽しみでならぬわい」

 

 柴田家中、いや織田家中にとっても比肩なき大手柄を立てた隆広。身分も侍大将から部将へ昇進し、慶次、助右衛門、佐吉は足軽大将に昇進したと云う。

 隆広が兵たちに約束した通り、この時の撤退戦で隆広隊にいた者は、足軽から忍者衆に至るまですべてが恩賞を勝家から受けた。二千で三万を後退させた快挙は勝家を大いに喜ばせたのである。

 この撤退戦の様子は後に信長も知り、名物茶器『乙御前の釜』を勝家に通し褒美として与えたと言われている。隆広はこの撤退戦で織田家中と上杉家にその名を轟かせた。水沢隆広十七歳のことであった。



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父の死

ここから、隆広が柴田家に仕官する話に時間が戻ります。そして、ついに我らがヒロイン、さえが登場です。


 織田信長は琵琶湖の南のほとり、壮大な巨城を作った。その名は安土城。華麗な絵画装飾を施した五層七重の天守、いや天主を頂く安土城。戦国期における最大の城と言っていいだろう。まさに戦国の覇者である信長に相応しい城である。

 その安土の城から北、北近江を越えた越前の国、ここに織田軍最強の軍団長である柴田勝家の居城『北ノ庄城』があった。

 北ノ庄城は先年の天正二年、越前一向一揆を平定した柴田勝家が許されて築きあげた城である。越前八郡五十万石と織田家でも最大の知行を得て、かつ浅井長政の死後に未亡人となっていた主君信長の妹の『お市の方』を妻にもらうなど実力者に相応しい城と城下町に形成されつつあった。

 足羽(あすわ)川を天然の外濠として築城された北ノ庄城は、数年後には九層と云う大天守閣を持ち二の丸、三の丸も配置された巨大城郭ともなるが、今はまだ城も城下町も創造期にあった。

 

「ここが北ノ庄ですか、父上」

「ああ、ようやく着いたな」

 一人の若侍と、僧侶の男が北ノ庄の城下町を歩いていた。若侍は元服を終えたばかりと思える幼さが残るが、城下町を歩く若い娘たちがポッと顔を赤らめるほどの美男であった。もっとも本人はそんなことに全然気づいてはいないが。

 そして一緒に歩く僧侶の男。剃髪して丸坊主であり、体躯は六尺はある大男で法名は長庵と号していた。元は名のある武将である。武人の威厳と貫禄は僧門に入っても衰えず、微笑みながら歩いていても威圧感は十分であった。城下町を歩く博徒やならず者が道を開けるほどである。

 だが子供や女には安心を与えるような、そんな雰囲気を持っていた。鞠で遊んでいた女童が誤って長庵の足元に鞠を転がしてしまったが、彼は女童の視線に腰を落とし、優しく微笑んで鞠を返した。

 

「隆広、おぬし北ノ庄を今見てどう思った?」

「はい、正直に申し上げますと織田家筆頭家老である柴田様のご領地としては、あまり賑わってはいない感じを受けます」

「ふむ、よく見ているな。わしもそう思う。そなたと諸国漫遊して良かったのう」

「はい!」

 若侍の名前は、水沢隆広。この日、彼は養父長庵に連れられ北ノ庄にやってきた。

 

 長庵は、あの斉藤道三と織田信長が会見したと云われている正徳寺の僧侶である。名僧と知られているが、元は斉藤家に仕え、織田家にもその名を轟かせ、そして震え上がらせた名将でもあった。武士名は水沢隆家と云う。

『美濃の蝮』と呼ばれた斉藤道三と竹馬の友であり、あの道三が一介の浪人から下剋上で美濃の当主と成りえたのは水沢隆家の補佐あっての事だった。

 軍略を極めた道三と隆家あって先の美濃の守護大名土岐氏も打ち破り、ついに美濃の国主ともなった斉藤道三。斉藤家は精強を誇り、あの織田信長さえ幾度も敗戦を余儀なくされた。

 梟雄道三と共に下剋上を成し遂げた彼は、美濃領内の内政を道三から任されると、主君の悪名を領民から払拭するのを願うかのように仁政をひいた。

一般にあまり知られていないが、この日本で初めて『税金なしでどこでも自由に露店が開けるようにする法令』つまり『楽市楽座』を実行したのは隆家である。

 これにより美濃の町は商業的に大きく発展していくことになり、美濃当主となって数年で領民が道三に抱く恐れは無くなっていったという。

 梟雄道三の右腕でありながらも、隆家は当時としては馬鹿がつくほどに清廉潔白な人柄で賄賂一つ受け取らなかった人物だった。ゆえに道三や安藤守就、稲葉一鉄らの幹部たちからの信任も厚く、後に今孔明と呼ばれる竹中半兵衛も心酔し、心の師と尊敬していた人物でもあった。

 

 だが道三、次代義龍が死に、三代龍興の時代には斉藤家は徐々に衰退していくが、それでも織田家にとり水沢隆家の軍才は脅威であった。ついには信長に『隆家と戦わずに美濃を落とすしかない』と言わしめ、調略により斉藤家の内部分裂を促し、直接隆家とは戦わずに美濃の稲葉山城を落としたのだった。

 信長は隆家の軍才を惜しみ登用を試みるが隆家はそれを固辞し出家して長庵を名乗り、美濃正徳寺の僧侶となった。

 

 このころ、彼には養子がいた。稲葉山落城の数年前、ある女が生まれたばかりの赤子を連れて隆家の屋敷に訪れ、そして赤子の養育を必死に願った。隆家は心動かし、それを引き受けた。隆家はその男子に自分の幼名『竜之介』の名を与え、厳しくも温かく育てていった。

 長庵は養子の竜之介が十二歳になると、共に諸国漫遊の旅に出た。本当は息子一人に旅をさせたかったのだろうが、十二歳の少年にそれは無理な話である。だから一緒に旅をした。

 彼が息子と諸国漫遊をしようと決めたのは、あの史記の作者である司馬遷の父、司馬談が息子に命じた旅にならっての事である。司馬遷のように一人だけの旅とはいかなかったが親子は時に路銀を稼ぎながら旅をして、関東、東海、畿内を見てまわった。後に名将と呼ばれる水沢隆広の資質の一つにはこの旅で培われたものもあるかもしれない。

 旅を終えて美濃に戻った竜之介は見違えるほどにたくましくなっていた。まだ十五歳になったばかりだが、父の薫陶や旅での経験が、彼の姿をそうさせた。

 そして長庵は竜之介の元服を認めて、自分が武士だったころの名前である『隆家』から一字を与え、かつ広く大きな男となれと云う意味を込めて『隆広』と云う名前を与えた。

 そして、父より『水沢隆広』の名を与えられた数日後、父の長庵は

「越前に行くから一緒に来い」

 と言ってきた。軽い旅装を整えていると、

「お前はもう美濃に戻らぬ。書や茶器も、そして武具も残らず持って来い」

 と言った。長い漫遊の旅から帰って来たと思えば、今度は生まれ故郷に戻らぬ越前への旅。父の意図が分からなかったものの、隆広は黙って旅装を整え、父と共に越前、北ノ庄にやってきた。

 

「ではなぜ、織田家筆頭家老の領地に活気がないのと見るか?」

「はい、おそらくは一向宗門徒の影響かと。この越前の隣国加賀の国は一向宗門徒が守護職の富樫氏から乗っ取った国。城も小松城、尾山城、鳥越城と石山本願寺の支城がございますれば、この地に教徒は多いことは察せられます。柴田殿はその鎮圧に頭を悩ませ、内政にまでチカラが及ばないのでしょう。軍備もかさみますから、領民に高い税を強いるしかないと思います」

「ふむ、あとは?」

「柴田殿の部下の性質もあるやもしれません。前田利家様、佐々成政様、佐久間盛政様、可児才蔵様は戦場の陣頭に立つ猛将としては一流かもしれませぬが、内政に長けていると聞き及んだことはございません。領内の治安と発展を要所高所から見る人材に不足しているのでは?」

「お前ならば、どう解決する?」

「敦賀港が領地内にあるのですから、私なら流通、交易にて富の上昇を考えます。年貢による搾取を減らせば、民は豊かになり、国も富みます。それで軍備を整えれば、一向宗門徒も攻め込むに二の足を踏むかと」

「そうか」

 前を歩く父はそれ以上言わなかった。今の自分の答えが合格なのか隆広には分からない。

「父上ならば?」

「ん? お前と同じだ」

 父は笑ってそう答えた。

「そんなぁ、教えて下さい!」

「本当にお前と同意見だよ。はっははははは」

 隆広が言った事は、別に感嘆するような内容ではない。すでにやっているものがいるのである。織田家の当主の信長がやっていることなのであるから。琵琶湖の水上流通で信長が得た富ははかりしれない。隆広はその信長のやっていることを、そのまま言っただけである。

 北ノ庄城の城下町は、滅ぼした朝倉氏の各城下町の民家や寺院を移転させて始まった町である。まだ新領主勝家に対する拒否反応もあったかもしれない。それも城下の活気の無さの要因の一つだろう。

 後にこの北ノ庄城の城下は道路と橋の整備も行き届き、特定地域の楽市楽座も導入され、治安もよく、北陸屈指の一大商業の町とも発展するのであるが、それに到達するには後に現れる優れた若き行政官の登場を待つしかなかったのである。

 

「おそらくは柴田殿も、安土城と同じように自国の領土を発展させたいと考えているはずだ」

「はい」

「隆広」

「はい」

「我々が向かうのはあそこだ」

「え?」

 それは城下町の向こうに堂々と立つ城だった。

「北ノ庄城?」

「そうだ」

「父上、北ノ庄城に何を?」

「わしじゃない、お前だ」

「それがしが?」

 と、隆広が言ったときである。兵士が数人城下町を駆けてきた。

 

「道を開けよ―ッ!」

「道を開けよ―ッ 殿の出陣じゃあ―ッッ!」

 

「噂をすれば…どうやら一向宗門徒の鎮圧に行くようだな」

「一向宗はあまりに大きくなりすぎました。過激信者の中から『独立して一向宗の国を作ろう』と云う動きが出始め、そしてとうとう加賀の国を乗っ取ってしまった。この上、越前まで」

「越前は、朝倉の時代にも三十万の門徒に攻められている。一向宗に限らず、敵に対して一番の良策は戦わずに味方につけることなのだが、それは永遠に不可能とも思える」

 しばらくして柴田勝家率いる軍勢が北ノ庄の城下町を駆けてきた。領主の出陣である。領民たちは道の端で平伏した。隆広と長庵もまた平伏した。

 自分の前を騎馬隊が堂々と走りすぎていく。そして勝家本隊がやってきた。勝家様だと周りの領民が言っていたので、隆広は顔を上げた。勝家は隆広の視線に気づかず、そのまま通り過ぎていった。

「あれが柴田勝家様か…」

「どうだ?」

「え?」

「柴田勝家をどう見た?」

「そうですね。まさに戦場の猛将と云う印象を受けました。全身から威圧と貫禄を感じます」

「そうか」

 そして柴田勝家隊が、北ノ庄城から出ようとした時だった。

 

 ダーンッ! ダーンッッ!

 

 北ノ庄の城下町に一向宗門徒が潜み、柴田勢の陣列に鉄砲で攻撃を開始したのである!

 

 ダーンッッ! ダーンッッ!

 

「勝家を狙え―ッッ!」

「越前も我ら一向宗のものとするのじゃあ!」

 突如に襲われ、柴田勢は大混乱である。鉄砲を撃つ者は、北ノ庄の領民たちもいた。門徒たちにそそのかされ、敵である門徒を城下町にいれ、そして領主にキバを剥いたのである。

 領内の村で一向一揆が発生したならば、勝家は出陣するしかない。それを狙われたのである。勝家が率いていた軍勢は八千ほどであるが、その伸びた隊列の横腹を衝かれた形となった。このように、一向一揆はどこで起きるか分からない。昨日まで善良だった民が、宗教と云う魔物に魅せられ、そして牙を剥いてくるのである。突如に門徒の襲撃が城下町で発生して大混乱となった。逃げ惑う領民たち。長庵と隆広も身を守っていた。

 しかし、さきほど長庵に鞠を返してもらった女童が人込みに押されて倒れた。幼い体に容赦なく逃げ惑う人々の足が踏みつけられる。

「痛い、痛いよ!」

 と泣き叫ぶ声に長庵は気付いて急ぎ駆け寄り、抱き上げた。

「もう大丈夫だぞ」

「おじちゃん…」

「おう、可愛そうに、こんなめんこい顔が傷だらけだ」

 長庵は手拭で女童の顔を拭った、その時だった。

 

 ダーンッッ!

 

「ぐあッッ!」

「父上!」

「おじちゃん!」

「ぐうう…」

「ち、父上――ッッ!」

「な、流れ弾に当たったか! ワシとしたことが!」

 弾丸は左胸を貫通し、血を噴出させている。

 

「父上! 父上!」

「よ、よいか隆広」

「しゃべってはなりません!」

「いいから聞け! 良いか。この書状を柴田勝家殿に渡すのじゃ」

「柴田様に?」

「そして、もう一つ。いつでもいい、美濃の藤林山に木こりとして暮らす銅蔵と云う男に会い、わしの死を伝えよ。分かったな」

「藤林山の銅蔵殿ですね! 分かりました!」

「隆広…」

「はい…ッ!」

「わしは若くして妻を失い…後添えももらわなかったので子もおらなかったが…お前と云う素晴らしい息子を委ねられて本当に幸せじゃった。辛い修行ばかり課すわしを憎んだ事もあったろう…許せ…」

「憎んだ事などありませぬ! 父上!」

「さらばだ…我が誇り…水沢隆広…む…すこ…よ」

 長庵こと、元美濃斉藤家の名将、水沢隆家は静かに目を閉じた。

「父上――ッッ!」

「おじちゃん、おじちゃん!」

 隆広と女童は長庵に亡骸にすがって泣いた。そこに一人の少女が駆けてきた。

「お気の毒に…」

「…近くに寺はありますか?」

「ええ、ここから西へ行くとすぐに」

「そうですか、すいません。しばらく父の遺骸をお願いできますか?」

「え?」

「おにいちゃん、なにするの…?」

 隆広は長庵が助けた女童の頭を優しく撫でて言った。

「敵討ちさ」

 隆広は刀の鯉口を切った。

「あ、あなたまさか!」

「お頼みします!」

 隆広は疾風のごとく駆けた。

「許さんぞ! 門徒ども!」

 

 諸国を漫遊し、鍛え上げた足腰。そして剣の腕は免許皆伝に至らずとも、剣聖の上泉信綱直伝。かつ旅の途中何度か夜盗にも襲われたこともあり、隆広には人を斬った経験はあった。

 

 ズバズバズバッッ!

 

「ぐあああッッ!」

「なんだこのガキ!」

「仏敵め! 我ら一向宗門徒に歯向かう気か!」

 

「だまれ! 罪なき一僧侶の我が父をキサマらよくも殺してくれたな!」

 今まで身につけた教養すべてが吹き飛んだ。それほどに隆広は激怒していた。しかし…

 

「仏敵―ッッ!」

 と鉄砲を向けられた時であった。隆広は一足飛びで敵に迫り、刀で鉄砲を叩き飛ばした。そして斬ろうとした瞬間、我に返った。そこには隆広に怯える娘が立っていただけだったからだ。

(たとえ敵でも、親の仇ほどに憎くても女子を殺してはならぬ。女子は国の根本。愛しみ、守るのが武士の務めであるのだ)

 父の言葉が脳裏をよぎった。女に対して人一倍不器用だった父が残した言葉ゆえに重みがあった。その父もまた名もない女童を助けて、たった今逝ったばかり。隆広は刀を持ったまま、立ち尽くした。

 娘が隆広から逃げようとした次の瞬間!

 

 ドスッッ!

 

「あぐッ!」

「な…ッ!?」

「…ふん」

 背中から槍で一突きされ、そして娘は絶命した。

「なんてことを! もはや抵抗もせぬ娘を後ろから突き殺すとは!」

「せっかくの新陰流が泣く。甘い男だ」

「なに…?」

「そう、お前の言うとおり、女子は殺すのではなく愛でるもの。だが覚えておくのだな。一向宗門徒に対しては女子供もない。やらなければやられるのだ、ヤツラ自らその信仰を捨てない限り、たとえ戦いに敗れようと国が滅びようと、ヤツラが屈服することは絶対にありえぬのだ! だから駆逐せねばならぬ! 分かったな、新陰流の小僧!」

「小僧じゃない! オレには水沢隆広と云う父からもらった大切な名がある!」

「水沢…隆…?」

 隆広の前に現れた武将は隆広の刀さばきで、上泉信綱より習った『新陰流』と見抜くほどの武に長けた武将。そして隆広の言った『水沢姓』にも覚えがあるようだった。

「そうか、オレは可児才蔵だ」

「あ、あなたが可児才蔵様?」

「『様』なんてガラじゃない。それよりキサマ、いや水沢であったな。何があって一向宗門徒に斬り込んだかは知らぬが、旅の剣客が首を突っ込む事ではない。邪魔だ」

「そうはいきません、父はヤツラに殺されたのだから」

「なに…?」

「父はこいつらの鉄砲の流れ弾で!」

「…そうか、惜しいお方を…」

「…え?」

「…なんでもない。そんなことよりお前、その父上の亡骸を置いて戦っているのか? それこそ子として不孝。誰が鉄砲を撃ったのかも分からない状況で、やみくもに門徒を斬って報復するのは愚の骨頂である。そんなことより弔いのほうが先決であろう」

 才蔵の言葉に少し頭も冷えてきた隆広。刀をサヤに納めた。

「分かりました、ご武運を」

 

 隆広は自分の目の前で殺された娘を抱きかかえて、その場を去った。共に弔うつもりなのだろう。

「何にも分かっておらぬではないか」

 才蔵は苦笑し、再び一向宗門徒たちに槍をもって突撃していく。数刻後に一向宗門徒は北ノ庄より敗走していった。こんな小競り合いを何度続けなければならないのか、才蔵は戦いに勝っても、胸中には虚しさがよぎった。

 

 さきほどに父の遺骸を預けた娘は、隆広を待たずに町の者と協力して長庵の遺骸を寺に運んで行った。

「ありがとうございます。見ず知らずの方にここまでしていただけるとは、お礼の言葉もありません」

「よいのです。困ったときはお互い様ですもの、で、その娘は?」

「門徒でしたが…ゆえあって私の目の前で突き殺されました。野ざらしも哀れと思い…」

「そうですか…あなたはお優しい方なのですね」

 少女は娘の衣服を整え、手を合わせた。隆広も合掌した。少女は片目を開けて隆広をチラと見る。美男の顔立ちであるが、それ以上に隆広の面構えに少女の胸が少しときめいた。

 幼い頃から名将と呼ばれた父の薫陶を叩き込まれ、三年に及ぶ諸国の旅に武道の修行。隆広の顔は美男と言っても年齢以上に雰囲気と貫禄を持った面構えをしていたのだった。

(何と立派な顔立ち…)

 

 長庵に助けられた女童と、その母親が隆広に歩み寄り、隆広に平伏した。

「事情は娘から聞きました。何とお詫びすれば良いのか…」

「いえ、それには及びません。お顔をあげて下さい」

「お武家さま…」

「父は女子を大切にする人でした。ご息女を助けたことを後悔しているはずがございません」

「おにいちゃん…」

「まだ踏まれた傷が残っているね。じっくり治すんだよ」

「うん…」

 

 寺の僧侶の読経を隆広と女童とその母親は合掌しながら静かに聴いた。

「父上、今までお育てして下さり、ありがとうございます。ご恩は一生忘れません」

 亡父を弔う隆広の背を、少女は飽きることなく見つめていた。読経が終わり、僧侶がお堂から出てきた。

「この寺にて、責任をもって埋葬させていただきます」

「ありがとうございます」

「親の死は、何より辛いもの。だがその悲しみを引きずるのは親の本意にあらず。前を向いていきなされ」

「お言葉、ありがたく頂戴します」

 隆広は父の位牌だけ僧侶から受け取った。少女はまだそこにいた。

「立派なお父様だったのですね」

「え?」

「あなたを見れば分かります」

「ありがとう、父も貴方の言葉を聞いて喜んでおります。あ、失礼しました。それがしの名前は水沢隆広と申します。後ほどお礼に伺いたいので、よければお名前を」

「いえお礼なんて」

「いや、そういうわけには」

「私の名前は、さえ。さえと申します。ではこれで!」

「あ、さえ殿!」

 さえは隆広の前から走り去った。

「さえ殿か、いい名前だ。美しいし、何より心が優しい。男と生まれたからには彼女のような女子を妻にしたいものだ…」



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柴田勝家

勝家と隆広、初対面です。


 隆広は、その日北ノ庄城下町から出て、川原の辺の林で野宿した。宿代はあったが城下は門徒の襲撃で混乱していたため客を泊めるゆとりがほとんどの宿に無かったためである。だが隆広には野宿は手馴れたものだった。火を焚いて晩飯の魚の焼け具合を見ている。

 それにしても今日は色々な事があった。初めての北ノ庄、門徒の襲撃、父の死、そして美しい少女。少女の顔を思い浮かべながらも、父を殺した門徒の襲撃に対して顔をしかめる隆広。巻き添えをくい、犠牲になった民もいるだろう。越前一向一揆を殲滅させた織田家の大将が柴田勝家であるがゆえに、門徒が勝家に持つ怨嗟は大きい。

 

 隆広は刀を抱きながら炎を見つめていた。

「城下が突然門徒に襲われるのでは、当主の勝家様は門徒の討伐に頭を悩ませているだろうな。可児様が女子に対してもあれだけ冷酷になるのも今にして思えば理解も出来る…」

 焼けた魚を取り、クチに入れる隆広。

「アツツ…」

 何か問題点を見たら、自分ならどうするか考えよ。父にそう叩き込まれた隆広は北ノ庄を門徒の手から守る手段を考えた。

「もはや越前の内外に数万もいる門徒を殲滅するのは不可能に近い。それに今回北ノ庄が襲われたのも付け入る隙があったからだろう…。ならば国を富ませ軍備を整えて隙をなくせばいい。殲滅はせずとも攻めては来ない。しかしそれには膨大な金がいる。不可能なことを言っても始まらないよな…」

 後に自分がそれを実現させるとは想像もしていなかった隆広だった。晩御飯を終えると、ふと隆広は父から渡された書状を手に取った。少し血痕が残っていた。どんな内容なのか、隆広は知りたかった。だが隆広は読まなかった。何か読んではいけない。そんな感じがしたからである。

「父上…」

 明日、城に行こうと決めて隆広は眠りについた。昼間に会った美少女の顔を思い浮かべながら。

「さえ殿…」

 

 翌日、隆広は北ノ庄城に向かった。領主に会うのである。浪人の自分が会ってもらえるかも分からない。だが父の言葉どおり預かった書状を渡さなければならない。人頼みではなく、自分自身の手で。

「あの、すみません」

「ん? なんだ?」

 隆広は城門の番人に話しかけた。

「ご領主の柴田勝家様にお会いしたいのですが」

「あん? 何を言っている。殿様にお前のような小僧がお会いできると思っているのか?」

 思ったとおりの答えが返ってきた。しかし、そう簡単に引くわけにもいかない。

「お願いします。武器ならお預けいたしますし、書状をお渡しするだけですから」

「書状? なんだお前、どこかの家中の使いか?」

「いえ…浪人ですが」

 浪人と云う肩書きのものが、人々から小馬鹿にされるようになるのは、これより後の世のことであり、室町時代末期の信長の権勢期においては在野の名士としての肩書きともされていた。だから浪人と云う意味で隆広が卑しまれる事はなかったが、あまりに若すぎた。彼はまだ十五歳になったばかりである。

「しつこいヤツだな! お前のような小僧に殿は会わぬ、帰れ!」

「そう言わずにお願いします」

「ええい! いいかげんにしないと…」

 

「何を騒いでいる」

 城門に一人の武将が通りかかった。

「こ、これは前田様!」

「何を騒いでいるかと聞いておる」

(この人が前田利家様…)

 隆広は前田利家をジッと見つめていた。

「…わしの顔に何かついているか?」

「い、いえ!」

 門番は利家の質問に答えた。

「この小僧が殿に会いたいと」

「勝家様に?」

「は、はい! 父の書状を預かっていまして」

「父? そなたの父の名は?」

「正徳寺の長庵和尚です」

「な、なんだと!」

「な、なにか?」

「ちょ、長庵殿? 確かにそう言ったな! そなたの名は!?」

「は、はい。水沢隆広と申します」

 利家は隆広の顔をジッと見つめた。

「よし、ならばついてくるといい。勝家様に合わせてやろう」

「ほ、本当ですか! ありがとうございます!」

 利家と自分を邪険にした門番にも律儀に頭を下げる隆広。彼は前田利家に連れられ、北ノ庄の城内に入っていった。

 

 城内の奥で、妻の市と娘三人と食事をしていた柴田勝家の元に使いが走った。

「申し上げます」

「うむ」

「前田利家様が面会を求めておいでです」

「又佐(利家)が?」

「ハッ」

「朝食を取り終えるまで待てと伝えよ」

「かしこまいりました」

「よろしいのですか?」

 市が心配そうに夫に尋ねた。

「かまわん、この楽しいひと時を邪魔されてはかなわぬ、あ、お江与、かわいいホッペにお弁当がついているぞ」

 娘の頬についた飯粒をとり、口に運ぶ勝家。

「まあ、殿ったら」

 鬼柴田と呼ばれる柴田勝家ではあるが、妻や娘たちに対しては本当に優しい夫、そして父親であった。

 かつて市は近江の浅井長政に嫁ぎ、一男三女に恵まれた。だが、その長政とただ一人の男子は兄の信長に殺された。その後に市は娘三人を連れて、柴田勝家の妻となった。(史実では勝家にお市が嫁ぐのは本能寺の変後、本作では小谷落城後とする)

 三人の娘は、茶々、お初、お江与と云い、世に『浅井三姉妹』と呼ばれ、後に水沢隆広と共に歴史の表舞台に立つこととなる。だがまだ姉妹は幼い。長女の茶々は十三歳になったばかりだが、花もはじらう美しさでもあった。

 だが本日の朝食に茶々はあまり箸が進んでいなかった。

「どうしたの茶々、口にあわないの?」

「え? いえそんな」

 市の言葉をはぐらかす茶々。

「ちがうの母上! 姉上ったら昨日城下で見た…」

「お初!」

 妹の口を押さえる茶々。代わりに三女の江与が答えた。

「城下にすっごい美男子の若侍がいて、それにポーとしちゃって!」

「なぬ? それは本当か?」

 勝家は大口を開けて笑った。

「そうかそうか! 茶々もそんな年頃になったか! あっははははッ!」

「ち、違います! ああもう! クチの軽い妹二人を持った茶々は不幸だわ!」

 顔を真っ赤して拗ねる娘を、市はクスクスと笑って見つめていた。

 

 朝食も済み、勝家は利家の待つ居間へと歩いていった。ドスドスと云う足音が聞こえてきたので、利家は平伏した。隆広も利家と同じく平伏する。利家が小声で言った。

「勝家様は鬼柴田、閻魔と言われるほどに恐ろしいお方だ。粗相のないようにな」

「あ、はい!」

「待たせたな、又佐」

「ハッ」

「ん? なんだ、その若いのは?」

「み、み、み、水沢隆広と申します!」

「水沢…ッ!?」

 上座に座ることも忘れ、柴田勝家は平伏する水沢隆広を見た。利家が

「この者、あの長庵殿の養子。つまり水沢隆家殿の養子と相成ります」

 と言った。父が斉藤家の武将だったことは聞いていた。しかし織田の武将たちにそれほどに名が知られているとまでは思わなかった。

「顔を見せよ! よう見せよ!」

 平伏する隆広を起こして、勝家は隆広の顔をマジマジと見た。

「うむ、顔は似ておらぬが目は父上のごとき意思を宿した目をしておる。中々いい面構えじゃ!」

 隆広の両肩をチカラ強く握る勝家。浪人の隆広にとって柴田勝家は雲の上の存在。それが自分を褒めてくれた。隆広は素直に嬉しかった。

「あ、ありがとうございます!」

 コホンと咳払いして、勝家は上座に座った。

「で、隆家殿はお達者か?」

「いえ…亡くなりました」

「なに!」

 利家も同じく驚いた。

「いつだ?」

「昨日にございます。一向宗門徒の撃った流れ弾に不幸にも…」

「なんということだ…!」

 勝家の目から涙が浮かんでいた。

「お殿様…?」

「そなたの父は偉大だった。ワシにとり、いや織田家の弓矢の師と言ってもいい。強敵だった。隆家殿に勝つために我らは研鑽に励んだものだ。大殿も悲しまれよう…」

 隆家は養子隆広に自分の武功は話さなかった。だから隆広には斉藤家においての養父の働きをほとんど知らないのである。幼少のおり養父の領国内で過ごした自分。しかし甲冑姿などは記憶にない。いつも普段着で養父は幼い自分と遊んでくれた。養父が戦国武将であったと知ったのは寺の坊主になったあたり。でもその活躍のほどは知らなかった。聞かせてくれなかった。織田家最大軍団長である柴田勝家をして、こうまで言わせる養父の偉大さに改めて胸を熱くした。隣に座る前田利家も隆家の死を悲しんでいた。

 自分の目にも浮かんでいた涙を拭い、隆広は懐にしまっていたものを出した。

「それで父がこれをお殿様に」

 父の隆家から渡された書状を出した。利家がそれを会釈しながら受け取り、勝家に渡した。勝家もまた、隆家の書状に深々と頭を下げ、丁重に開いた。

「……」

 勝家はジッと隆広の父、隆家の書状を読んだ。隆広には少し重い雰囲気で思わず呼吸することも忘れてしまいそうである。

「水沢隆広と申したな、そなた美濃から来たと云うのは相違ないな?」

 やっと勝家が口を開いた。

「は、はい!」

「委細承知した。今日よりワシに仕えよ。足軽組頭として登用する」

「え、ええ!?」

 隆広もだが、利家もあぜんとした。まだ十五歳そこそこの少年を足軽組頭から登用するなど異例中の異例である。足軽組頭は織田家中で上限一千の軍勢を率いることが許される将のことなのである。

「足軽組頭では不服か?」

「と、と、とんでもございません! お仕えさせていただきます!」

「うむ、さっそくそなたの家も城下に用意する。後ほどに案内を寄こすから行くがいい」

「は、はい!」

 何が何やら分からないまま、隆広は柴田勝家に仕えることになった。不思議と拒否は出来なかった。勝家の威厳もあるのだろうが、隆広にとって養父の隆家と同じ空気を勝家に感じたからである。

 こうして、後に稀代の名将と呼ばれる水沢隆広は戦国の世に躍り出たのであった。

 

「驚いたな、いきなり召抱えられるなんて」

 城をあとにすると、前田利家が言った。

「ええ、それがしも驚きました」

「それにしても不思議な縁だ。勝家様はお前の父の隆家殿にさんざん痛い目にあったのだぞ。何せとうとう一度も勝てなかったのだから」

「そ、そうなんですか?」

「ああ、現当主の信長様の先代、信秀様の時代から我らは斉藤家と戦ってきたが、斉藤の武将でもっとも恐ろしいのが隆家殿だった。とにかくその用兵ぶりは達人と言っても過言ではない。戦国武将とは奇な生き物よな。狭量な味方武将より、強大な敵将を愛する気質がある。おそらく勝家様は…隆家殿と戦うことを幸せに感じていたのかもしれない。オレもそうだ。あの方は強いが卑怯な手段は一度として使わなかった…。素晴らしい武将だった。そして養子とはいえ、その名跡を継ぐ隆広が柴田家に仕えるのだから、本当に奇縁だ」

「そうだったのですか…」

「何だ? 隆家殿から聞いていなかったのか?」

「はい、父は寡黙な人でした。昔のことはほとんど聞かせてはくれませんでした」

「なるほどな、あの方らしい」

 敵将たちに恐れられ、そして尊敬もされていた父の隆家。改めて養父を誇りに感じる隆広だった。

「とにかく、これからは同じ釜のメシを食う仲間だ。よろしくな。お父上の名を汚してはならぬぞ」

「はい!」

「お、あの家ではないのか? さっきの案内人が言っていた家というのは」

「そのようですね、あんな立派な家を。これは励まないと!」

「ははは、そうだな。炊煙も上がっているから使用人はもう到着しているようだ。使用人とはいえ柴田の大事な人材だ。おろそかにするなよ」

「はい!」

「じゃあな、明日の評定で会おう。柴田陣営はクセのある連中ばかりだ。飲まれるなよ。オレもお前と意見が違うときは容赦しないからな!」

 利家は隆広の肩をポンと叩いて去っていった。

 

「それにしてもいきなり柴田家の足軽組頭か、しかも居宅には使用人までいる。昨日までただの浪人だったオレなのに。世の中何が起こるか分からないものだな…」

 隆広は勝家が用意してくれた屋敷に入っていった。

「ん? 部屋の中が暖かい。そしてこれは焼き魚の…」

 隆広が入ってきたのを見た使用人が玄関先に来て隆広を迎えた。使用人と言っても一人だけであったが。玄関先でその使用人は三つ指をたてて座り、新たな主人に平伏した。

「お待ちしておりました、今日よりこの家でご奉公いたします…」

「あああッ!」

「えッ!?」

「さ、さえ殿!?」

「み、水沢様?」

 新居に来てみれば、与えられた使用人は昨日に隆広と会ったばかりの少女さえだった。恋心を抱いた娘と、いきなり主従関係となってしまった。隆広がポツリともらしたように、世の中は何が起こるか分からないものであった。



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隆広、初主命

「はい、どうぞ」

「ああ、どうも」

 さえは麦飯を丼に盛って隆広に渡した。

「でも良かった」

「なにがです?」

「お仕えする方が隆広様で。乱暴で粗野な方だったらどうしようかなと内心不安だったのです」

「そ、そうですか。アハハハ…」

 恋心を抱いた娘と、いきなり一つ屋根の下で暮らすこととなってしまった。胸が高鳴り、せっかくさえが作った手料理の味が半分も分からない。

「さえ殿は柴田家ゆかりの方だったのですね」

「いいえ、私は朝倉家にゆかりの娘です」

「朝倉家の?」

「主家が滅んで、途方に暮れていたところを勝家様に拾ってもらったのです。今までは奥方様の侍女を務めておりました」

「そうだったのですか…」

「勝家様は素晴らしいお殿様です。聞くと見るとでは大違いでした。鬼や閻魔などと称される方でしたから、私を拾ったのも下心あってと邪推してしまったのですが、とんでもありませんでした。本当にお城で奉公させるためだけで、おかけ下さる言葉も優しさに溢れておいでです。そして奥方のお市様はお美しいだけでなく、身寄りをなくした私を妹のように可愛がって下さいます。柴田家に仕えることができて、私は本当に嬉しいのです」

 楽しそうに物事を話す子だなと隆広は思った。無邪気に笑う顔は本当にかわいらしく、隆広はメシをクチに入れたままポーとしてしまった。

「な、なにか?」

「いえいえいえ! なんでも!」

「では食事をしながら聞いてください。足軽組頭となられた隆広様には月に一度給金が出ます。一月五貫です」

「ご、五貫もですか!?」

「はい、殿様はその給金の管理と、食事に伴う健康管理をさえに命じました。そして手柄を立てられ、殿様から褒美金や品々が出たときも、さえが責任をもって管理いたします。この家の営みはさえにお任せ下さい。お金が必要なときはさえに言ってくだされればお渡ししますが、その理由がさえの納得できないものであるのなら、お渡しできません。そう殿様より命じられております」

「ありがたい、それがしはそれだけ仕事に集中できると云うことですね。私は新参の上に下っ端です。これから色々と苦労をかけるでしょうが、頼みます」

 さえはニコリと笑って頷いた。言ってみればほとんど自由に使える金がないと云うことにもなる。後の考えからすれば窮屈な暮らしと言えるが、勝家には隆広が人一倍金銭に気を使う部下になってもらう必要があったのである。自分の給金だからと言って、博打や女遊びに使うようでは困るのである。隆広の養父、隆家が勝家に当てた手紙にこう書いてあった。

『文武両道に育てましたが、おそらくは内政の方にその才はあると思います。唐土の管仲には及びませんが、それがしの経験と知識をすべて叩き込みました』

 勝家も隆広を一目見てそう感じた。それに隆広の養父の水沢隆家は戦場の猛将であると同時に内政家としても凄腕だった。

 内政家は柴田家中に少ない。『優秀な』というカンムリを乗せるのであれば存在しないと言っていい。ノドから手が出るほどに欲しいと思っていた内政家がきた。成果を見ていき、納得の行くものであるのなら、勝家は隆広に領内の内政を任せるつもりでいる。

 しかし、それは家中の金銀を縦横に使う特権を得る事にもなる。自分の金であろうと好き勝手に使う者に任せるわけにはいかないのである。

「ありがとう、さえ殿。とても美味しかった」

「あの…」

「はい?」

「さえと…呼んで下さい」

「え?」

「あ! すいません、変な事言って!」

 さえは顔を真っ赤にして膳を持って下がった。

 

 翌朝、隆広は北ノ庄城に初出仕した。そして評定の間に着いた。無論、末席に座った。

「緊張するなあ…」

「おい」

「え?」

「お前か? 昨日に仕官してきて足軽組頭に任じられた小僧というのは?」

「はい、そうですが」

「ふん、顔だけは一流だな」

「くっ…」

(なんだ、この人は! 人を見るなり!)

「男色家がいかにも好みそうなツラだが義父上にそれで取り入ろうとしてもムダだぞ」

「…そんなつもりはございません」

「だが大殿には運が良ければ伽を命じられるかもな。そっちの方に励んだらどうだ? あっはははは!」

 拳を握り愚劣な罵倒に耐える隆広。その男は侮蔑を込めた鼻息を出し、自分の席に着いた。

「ほほう、こいつか? 水沢の名を継ぐガキってのは」

 威風堂々の武人が隆広を小馬鹿にして言った。

「ガキではありません。もう元服は済ませて…」

「ガキだよ。いくさ場を経験していねえヤツはそう言うんだ。せいぜい養父の七光りが通じるうちにキバるこったな。ハッハハハハハハッ!」

 また拳を握り、隆広は耐えた。自分は新参者で、まだ十五を過ぎたばかりの子供。まだ何の武勲も手柄も立てていない。言い返したところで何の意味もない。

(落ち着け、ここに来る前にも予想していただろう! 古株に罵倒されるくらい耐えろ!)

 隆広の向かいに座り、腕を組んでいる武人がいる。先日に会った可児才蔵である。以前会ったと云うだけで、よう、とか言ってくるほどに才蔵は気安い男ではない。おそらくは、なんだ、当家に仕えるのか、くらいしか考えていない。

「おいおい、なんだ。こんなひ弱そうな坊やがどうしてここにいる? 母上のお乳を吸いに帰ったらどうだ? アッハハハハ!」

 最後に自分を罵倒したものは知っていた。先日の門徒との戦いで名乗りをあげて暴れていた武将である。

 隆広は同年代の少年に比べれば貫禄はある方で面構えも堂に入ったものであるが、戦慣れしている柴田家の幹部から見ればひ弱な坊やに過ぎない。隆広は見たこともない母を侮辱され憤慨したが、これも耐えた。

(佐々成政だったな、忘れないぞその言葉! 今に見ていろ!)

「よく耐えたな」

「前田様…」

「逆らって波風立てるのを恐れて黙っていたのではない事くらい、眼を見れば分かる。たった今思った『今に見ていろ』を忘れるなよ、隆広」

 なんで分かったのだろう、と隆広は思った。そして利家の言葉が隆広は嬉しかった。

「はい、忘れません」

「そうだ、それを忘れない限り、後に『今に見ていろ』が成った時も、自分を感奮興起させてくれた者たちにも親しみを覚えるはずだ。感奮するのはいい。だが根にもつなよ」

「はい!」

 向かいにいる可児才蔵は耳がいい。他にはボソボソと話しているとしか聞こえない会話も彼には明確に聞こえた。

(利家様もずいぶんと買っているものだな、あの小僧を)

 だが、才蔵も隆広に対して見所があると思った点があった。先日に隆広に一喝したとき、隆広は何ら怯えず、それどころか堂々と眼を逸らさずに名乗った。今まで自分の一喝に尻込みするものばかり見てきたせいか、その向こう気の強さに生意気と思うと同時に感心もしたのである。

 

 同じ席に不破光治と云う武将がいる。信長から勝家の寄騎にと命じられ、府中の龍門寺城の城主でもある。

 彼は隆広の養父の水沢隆家と同じく、元斎藤家臣だったが主家を離れて織田についた。しかし目の前にいる少年の養父は最後まで斉藤家を見捨てなかった。生き方の違いといえばそれまでだが、光治は少しの負い目を感じる。せめて養子の隆広に対しては陰日向とかばっていこうと思っていた。

 前田利家、佐々成政、不破光治は『府中三人衆』と呼ばれているが、合戦において柴田勝家の寄騎として働いている。目付けの役も担っていた様で、それなりに柴田家中でも職責も重かった。三人衆のうち二人が隆広に好意的なのは幸運と言えるだろう。

 隆広が仕官した翌日は、奇遇にも柴田家の週に一度必ず出席が命じられている定例評定である。勝家の治める越前に城を持つ他の将も招集される。府中三人衆の前田、不破、佐々の三将、そして丸岡城を預かる柴田勝豊もやってくる。週に一度の大事な評定である。無論、火急の場合に突然評定が開かれる場合もあるが、隆広が初めて出席した評定は、その定例会議である。

 

「殿のおな―り―」

 大広間上座の襖が開き、勝家が入ってきた。

「みな、揃っているな」

「「ハハーッ!」」

「軍議を始める前に、皆に言い渡すことがある、水沢隆広!」

「ハッ」

「前に出よ」

「ハハッ!」

 静々と隆広は腰を低くしながら、主君勝家の前に歩んだ。

「みなも聞け、本日よりこの者を評定衆に加える。織田家中は新参と古株、そして若いも年寄りも関係ない。能力がすべてだ。みなもそう心得よ。そして、ゆくゆくはこの者をワシの養子とするつもりだ」

「……!?」

 一番驚いたのは隆広本人である。そんな話は聞かされていない。前田利家も可児才蔵もあっけにとられた。

 何より、柴田勝豊はさらに不快を感じる。すでに自分と云う養子がいるのに、どうして新たに迎え入れる必要があるのか。勝豊は勝家の姉の子である。その縁で養子になったのだが、おそらくは後年の勝家との不和も、この『隆広を養子にする』が発端となっているのかもしれない。

「伯父上、なにゆえそんな子供を? その者にそれほどの能力があるとは思えませんが」

『養父の七光りが通じるうちに』と嫌味を言った男だった。

「だったら試してみよ盛政。言っておくがわしは気が短い。この場で済ませられる試し方をせよ」

「承知仕った。では隆広とやら」

「はい」

(この人が佐久間盛政か…なるほどすごい貫禄だ)

「北ノ庄城の現在の軍事力を数字で言ってみせよ」

「はい、およそ兵数二万、軍馬千五百、鉄砲八百です」

「…!!」

 何と隆広は即答したのである。これは勝家も驚いた。

「どこでそれを計上した? 適当に言っているのではあるまいな!」

「実は…」

「実は?」

「はったりです」

「なにぃ?」

「答えが分からない時でも自信ありげに即答すれば通じる時がある。そう養父に教えられました」

 しかし隆広の答えた数字は正解に近いものだった。隆広は先日の門徒討伐の兵数と装備、そして城の規模に適した残存兵力を足した数字を即答したのだ。まるっきり根拠がなくて言ったわけではなかったのだ。勝家は『良いことを教えられているものだ』と静かに微笑んでいた。

「…なるほど、まんまと食わされた。しかし数字は正解の範疇と言えよう。ではもう一つある。先日の門徒の攻撃で北ノ庄東側の城壁が著しく破損している。一刻も早く、かつ安価に補修しなければならない。お前ならばどうする?」

「割普請を実行します。足場作りから石積みに至るまで作業箇所を十箇所に分けて、職人を十班に割り、賞金をかけて競わせます」

「おいおい! それはサル秀吉がやったヤツと同じだろうが!」

「確かに羽柴様が清洲城の補修でやった事と同じです。ですが、これ以上の有効な手段はありません。優れた事を真似するのは何の恥でもありません」

「顔だけでなく、口も達者なようだな」

『顔だけは一流』と嫌味を言った男だった。

「『答えが分からない時でも自信ありげに即答すれば通じる時がある』良いことを聞かせてくれたことに敬意を払い名乗ってやる。オレは丸岡城主の柴田勝豊、オレはクチが達者な男は信じない」

「お言葉を返すようですが、それがしはまだ未熟なるも論が立つのは恥ずべきことではないと思います。唐土の張儀は弁舌をもって楚、斉、趙、燕の各国を自国の秦に従わせることに…」

「だまれ! ああ腹が立つ! オレはお前のように小僧のくせして知ったかぶりして物事をしゃべる男が大嫌いなのだ!」

 勝家はあえて助け舟を出さなかった。隆広がどう動くか見たかった。そして隆広も単なる感情論で言われては仕方がない。相手は聞く耳を持たないからである。例えに出した唐土の張儀なれば、何か手段も考え付くのだろうが、やはり隆広にはまだそこまで及ばない。

「やってみせるしかありませんね…」

 挑発に乗ったと言わぬばかりに勝豊は手を打って喜んだ。

「そうだな、口では何とでも言える、やってみろ!」

 勝豊の方に向いていた隆広は勝家に向きなおした。

「勝家さ…じゃなかった、殿。それがしの初主命はそれでよろしいですか?」

「かまわんぞ、で、いくら金がいる? 三千貫でよいか?」

「いえ、その半額の千五百貫で何とかやってみます」

「せ、千五百貫!? バカを申せ! それでは足場を組み、石を揃えて終わりではないか!」

「ですから半額の金子を浮かせる代わりに、殿に一つだけお頼みがございます」

「なんだ?」

「明日の夜中、それがしが眠っている殿を起こすことを許して下さいませ。そしてしばし夜の散歩をそれがしとしてほしいのです」

「な、なに?」

 評定の間にいた者は、隆広が勝家に要望することの意味が分からなかった。

「別にそれぐらいならかまわんが」

「ありがとうございます。では明日の深夜に寝所に伺いますので。ここはこれにて」

 隆広は評定の間にいた勘定方に、千五百貫を自分の屋敷に運んでおくように伝え出て行った。

「何をするつもりだ? あいつは…?」

 隆広の意図、それは誰にも分からなかった。無論、勝家にも。

 

「隆広」

「不破様」

 城を出て行った隆広を不破光治が追いかけてきた。

「どういうつもりだ、あの城壁を千五百貫で修復するとは」

「確かに…『じゃあ見ていろ』と云う気持ちで受けたのも否めませんが、それがしにはそれなりの目算がありますので大丈夫です」

「…そうか、もし他に金や人手がいるのなら、ワシから出してもいいぞ」

 なんでこんなに親切にしてくれるのか、と云う目で自分を見る隆広。その疑問に光治は答えた。

「そなたの養父とワシは共に斉藤道三公に仕えた仲だ。養子のお前が困っているのなら手助けしたいと思うのが当然だろう」

「…ありがとうございます。しかし、佐久間様や勝豊様、佐々様に認めてもらうにはそれがし一人ですべての段取りをしなくてはいけない気がします。お気持ちだけありがたくちょうだいします」

「ふ…この意地っ張りが。よしやってみろ!」

「はい!」

 隆広は城門に向かって走っていった。

「ふふ…血は繋がらなくとも、言う事はよう似ているわ。いい若武者を育てたな、隆家殿」

 

 隆広は補修する城壁に向かった。まだ全くの手つかずの状態。まず人足から集める必要があった。補修箇所の広さと高さを調べていると、さえが来た。

「隆広様―ッ!」

「あ、さえ殿」

「今、お城から使者が来られて、当家に千五百貫を置いていきました。何があったのです?」

「実は…」

 評定の間での事を簡単にさえに話した。

「ひどい!」

「ああ、ひどい有様でしょう。この城壁」

「そっちではありません! 佐久間様と、勝豊様のことです! きっと出来なければ笑ってやるぞと考えているのです!」

「仕方ありません、新参ですからこんなこともありましょう。ところで、さえ殿にも手伝ってもらいたいことが」

「なんです?」

「五十貫使って酒と料理をできるだけ揃え、ここに持ってきて下さい」

「五十貫もですか?」

「はい、それだけの買い物をすれば市場の者も運ぶのを手伝ってくれるはずです。考えがあってのこと、五十貫を酒と料理で使い切ります。お金だけ見せても人は集まりません。まずは私に協力してもいいと思っていただくところから始めます。だから思い切って買い物をしてきてください。それで職人をもてなします」

「わかりました!」

 

 隆広は城下町の職人長屋に出かけた。隆広にまだ兵はいない。雇うしかないのである。職人たちの長、辰五郎を訪ねた。

「帰りな! お前みたいな小僧に使われてたまるか!」

「そうだそうだ!」

「オレっちのガキよりも、さらにガキのお前に使われるなんてゴメンだね!」

 怒涛のごとく憎まれ口が飛んでくる。しかし隆広は顔色を変えない。

「まあ、そうでありましょうね。しかし困りました。あそこが壊れているとこの城は危ないのですよ」

 そういいながら、隆広は酒場で買ってきた『旨酒』の酒瓶をチラチラと見せていた。辰五郎が酒好きとは調査済みである。こういう職人気質の者は『金は出すから』といっても逆に意固地になるものである。もう辰五郎の目は隆広の手にある旨酒に釘付けである。

 隆広は辰五郎の家の戸は閉めず、あえて自分の後ろに酒樽の一斗樽を二つ荷台に乗せているのも見せ付けた。辰五郎の手下たちも最初は隆広の要望を歯牙にもかけずに憎まれ口を叩いていたが、だんだん静かになった。隆広が持つ旨酒の樽が気になって仕方なかった。最近は城下町も景気が悪く、職人たちも旨い酒から遠ざかっている。それも調査済みである。

「そ、そんなこと知るかよ。だいたいここの殿様はな! 何かといえば工賃を値切ろうとするせこーいヤツなんだよ! そう毎回…」

 酒瓶のフタをポンと開けた。

「そうですか~。せっかく工事前の景気付けと思い辰五郎殿に買ってきたのに無駄になってしまいました。それがしは酒飲めないから捨てることにします」

「なあ!?」

 

 ポタポタ…

 

「だあああああ――ッッ! なんてもったいないことするんだお前!」

「それがしは酒飲めないのです。でもこの酒の入っている瓶は趣きがあって素晴らしいものです。だから空にして持って帰ります」

「わ、わかったよ! オレたちの負けだ! やればいいんだろやれば!」

「そうですかあ! いや~さすが越前の職人です! 現場に来て下さい。敦賀湾で捕れた海の幸がありますよ!」

 補修現場に行くと、城下町の市場からさえが買ってきた魚と酒が所狭しと置いておった。ここ数ヶ月、まとめて品物を買っていくものは少なかったので、市場に働くものたちはさえの指定する場所に品物を運んでくれたのである。

「職人のみなさん! お待ちしていました。たんと食べて飲んで下さい!」

 さえが言うと、職人たちはそれぞれの料理と酒の前に走った。

「やったあ―ッッ!」

「久しぶりの酒とご馳走だぜ~ッ!」

 この場に品物を運んできた市場の者たちも、楽しそうな宴会が始まりそうなのをうらやましそうに見ていた。

「何をしているのです。貴方たちが運んできたものです。遠慮なく宴に入って下さい」

「い、いいんですか?」

「ええ、見たところ職人たちにも食べ切れそうになくば、飲みきれそうにありません。しかし…それがしが見込んでいた以上に食べ物も酒も多いですが、本当にあれが五十貫で足りたのですか?」

 市場の者を代表して、源吾郎と云う者が答えた。

「はい、あれで五十貫と相成っています。助かりました。最近は不景気でまとめて買って行く方も少ないので」

「つまり単価を下げるしかないと?」

「おおせの通りです」

「うむ…いい状況じゃありませんね。やはり出店に伴う関税が問題なのですか?」

「はい、ご領主が一向宗門徒との戦いで軍備がかさむと云う事情は分かっておりますが、やはりその負担は軽視できませぬ」

「いや、良いことを教えてくれました。やはり民からの搾取のみで資金や兵糧を調達する時代はそろそろ終わりにしないとダメだ。このままでは敦賀港が領地内にあっても宝の持ち腐れになってしまう…」

「失礼ですが、あまりお見受けしないお武家様。よければご尊名を」

「柴田家足軽組頭、水沢隆広と申します」

「み、水沢…!?」

「どうしました?」

「いえ、何でも…」

「さ、そんな堅い話はもういいでしょう。市場の商人の方々も飲んで、食べてください!」

 

 その夜、柴田勝家は城の頂上から補修箇所を見ていた。市も側にいる。

「あら、あそこで宴会をしておりますね」

「隆広が、職人と商人を集めて宴会をしているらしい」

「た、隆広が…?」

「あやつ、何を考えているか分からんが…もしかするとワシなど及びもつかぬ、とんでもない大将となるかもしれぬ」



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夜明けの祝杯

 翌日、隆広が雇った職人たちは北ノ庄城東側の補修箇所にやってきた。隆広はまだ到着していなかったが、昨夜の楽しく美味しい酒の義理か、職人たちは率先して取り組みだした。

 また市場の商人で土木工事の経験のある者は、この仕事を手伝いだした。町で店を出すより、こっちに参加したほうが稼ぎになると思ったからである。当の隆広は、遠目から現場を見ていた。さえも横にいる。実は到着していたのである。

「うん、職人と商人さん合わせて、ちょうど百人と云うところだな。これなら割普請ができるぞ」

「では隆広様、参りましょうか」

「ええ、では荷台の後ろを押してください」

「はい」

 本当に隆広が叱咤せずとも、昨日に隆広と酒を酌み交わした職人や商人たちは自発的にやってきた。

 職人の長の辰五郎は面食らった事が一つあった。それは隆広の『酒が飲めない』が見事なまでの大ウソだったことだった。『飲めないから捨てる』と言われて、目の前で大好きな旨酒が捨てられるのに耐え切れず、つい引き受けてしまったこの仕事。してやられたと笑うしかなかった。

 そして隆広は職人や商人からの杯をすべて受け、最後まで酩酊状態にならず、独特の調子を取る語り口調で、この城壁を直す大切さを説いたのである。

 

『蹴散らしても蹴散らしても、雲霞のごとく現れる一向宗門徒!』

 

 タンタンッ!

 

 酒樽のフタに、扇子を叩いて調子を取る。

『隣国の加賀はすでに門徒の手にある!』

 

 タンタンッッ!

 

『次なる目的地はこの越前であるのは明らかである!』

 

 タンタンッッ!

 

(いい声していやがるな…)

 辰五郎はそう感じながら、耳を傾けていた。

 

『かつて越前は一向衆三十万に攻められた! だが! それを一万三千の寡兵で撃破した勇者がいたーッ!』

 

「「オオオオオ―ッ!」」

 巧みな弁に、その場にいた者はだんだん隆広の語りをワクワクしながら聞いていた。

 

『それが! そーれが! あの名将の中の名将! 朝倉宗滴公である!』

 

「「オオオオオオ―ッッ!」」

 

『一乗谷のお城は稀代の堅城! ゆえに! 宗滴公の神算鬼謀の用兵と相まって門徒を退けることができた! しかるに! 今この城の現状はどうか!三十万が来襲したらひとたまりもないではないか!』

 

「「そうだそうだ!」」

「「いいぞーあんちゃん!」」

 

 顔を桜色にして、さえは隆広の弁に聞き入っていた。

(ホントにいい声…。しかも宗滴公の武勇を雄々しく語る織田の武将なんて隆広様くらいね…)

 市場の女が、すっかり酔ったさえに心配して声をかけた。

「ほら若奥さん、大丈夫かい?」

「わ、若奥さん!? いやーん、もーッ! 飲んで飲んで!」

「な、なに? 私ヘンな事言った?」

 

『ゆえに! 再び一向宗門徒を退けるためにも! この城壁をみなの手により直し! 北ノ庄の人々を守るのだ! 子があるものは後にここに来て城壁をさして言え! 独り者はここで愛しい娘に自慢せよ! この城壁はオレが作ったと!』

 

 タンタンタンッッ!

 

『子供は父を尊敬し! 愛しい娘はイチコロだ! そして同時にみなが行う補修工事は歴史に燦然と輝く大仕事なのだ―ッッ!』

 

 タンタンタンタンッッ!

 

「「オオオオオオオ――ッッ!」」

 

 辰五郎、そしてこの地の商人の実情を話した源吾郎も、思わず興奮して隆広の弁に酔った。

 そしてこの光景を終始見つめ、そして柄にもなく隆広の弁に興奮した三人の武将がいた。前田利家、不破光治、可児才蔵である。人は笑い声に惹きこまれるもの。とはいえオレも入れろといえばあの宴の主宰である隆広の顔をつぶすので、遠くから見ていた。そして聞いた。隆広の名調子の語りを。

「たいしたガキだ…。あいつ、北ノ庄の職人と商人を味方につけやがった…」

 めったに人を褒めない才蔵が手放しで褒めちぎった。利家も同じだった。

「越前の民たちには、いまだ朝倉氏への思慕もあろう。その英雄の宗滴公をこれ以上はない形で隆広は賞賛した。朝倉寄りの者たちまで隆広は味方につけよった…すごい小僧だ」

「利家殿…」

「なんだ才蔵?」

「近い将来、我ら二人はあのガキの采配で戦場を駆けることになるかもしれぬな」

「まあ、勝家様がゆくゆくは養子とするつもりと言っていることだしな。それも仕方あるまいて」

「どうでござるか? あやつの弁で飲みたくなってきた。それがしの家で一献?」

「おお、馳走になろう、光治もどうだ?」

「ああ、わしも行く。しかし、本当に隆家殿はいい若武者を育てよったわ。嬉しくてならぬ」

 

 そして翌日、補修の工事をしている作業場に隆広とさえがきた。

「おう! 水沢のダンナおはよう!」

「昨日はご馳走さん!」

 一人一人が隆広に親しみのこもった挨拶をしていた。隆広も笑顔で返す。荷台を後ろで押すさえは

(すごい…五十貫の出費でこれだけの人々の心を掴んでしまった…)

 と、主人隆広の明敏さに感嘆していた。また、飛び入りの形となった商人を宴会の輪に入れたのも、隆広には一つの狙いがあった。城下の商人にツテを持ち、今回の工事に伴う資材の調達に協力してもらうことだった。石垣の礎石や他の石材は破壊された現場そのものに転がっているので再利用できるが、城壁の瓦や木材に、新たな資材を調達しなければならない。その他足場の木材や綱と考えたら、どうしても職人以外に商売に長けた者の助力が必要になる。さえに市場の者が運んでくれると言った点にはこういう狙いもあったのだった。事は何事も一石二鳥にせよ、養父隆家の教えだった。市場の長、源吾郎は隆広への協力を約束し隆広の望むものを揃えてくれた。この際に源吾郎に支払ったのは千二百貫であるが、まだ二百五十貫ある。百人の人足を使うには十分な費用だった。

「辰五郎殿、よろしいか」

「おう、なんでえ。もう『酒は飲めない』のウソにゃだまされねえぞ」

「いえいえ、ここからは仕事のお話です。作業の主なる職長を集めてもらえませんか」

「ん? わかった、ちょっと待っていてくれ」

 一旦、作業を停止し、隆広とさえの前に作業の主なる各分担の職長が集められた。

「みなさん、割普請をご存知か?」

「『わりぶしん』? なんですか、それは?」

 後の世には羽柴秀吉が清洲城で行った痛快な城普請の話は伝わっているが、当時においては一部の武士が知っているだけで、現場の職人は知らない事であった。

 またその作業方法は職人と云う下々の気持ちを汲んでのものである。気位の高い武士は、その方法を毛嫌いしていて、知っていても使わない事が多かった。特に織田家中では『サル秀吉の真似などするか』と云う気持ちもあって、こんなに便利な作業方法なのに、秀吉が清洲城でやって以来、誰も使ってはいなかった。だが隆広は良いものは良いと柔軟に思い、何のためらいもなく真似る。

「つまり、こういうことです」

 隆広は荷台のムシロを剥ぎ取った。そこには銭が山盛りにデンと置かれていた。

「うげ!」

「すげえ大金!」

「これが皆さんへの全報酬です。だけど! すべて平等には分配はいたしません。今からここにいる百人を十人づつの十の班に分けます。そして、どの班が一番早く、かつ十分な仕事が行き届いているかを競争してもらいます。一番早く、そして出来栄えがよければもっとも報酬は多く、最後なら一番少ない、というわけです」

「て、ことは水沢のダンナ! 一番早くて上手なら報酬がドンと多くもらえるってことですかい?」

「そうです。多額の報酬を得て、もう女遊びもお酒もやりたい放題。恋女房にきれいな着物も買って上げられますよ!」

「「うおおおお――ッッ!」」

「「やってやるぜ―ッッ!」」

 今まで味わった事もない気持ちの高揚が辰五郎の全身を駆けた。そして隆広と云うわずか十五歳の少年に彼は『朝倉宗滴』を見た思いだった。若き日、兵として借り出された時に見た名将朝倉宗滴。辰五郎はどんなに憧れた事だろう。そしてその姿と隆広が重なって見えたのだった。

「辰五郎殿」

「あ、はい!」

「十箇所の分配と、班分けをお願いします。能力も均等に。範囲も一律に。みんなが同じ条件で競わないと意味がないですからね」

「かしこまりました」

 辰五郎は隆広にペコリと頭を下げて、指示通り班分けに当たった。

「なんだ? 辰五郎殿、急にオレに丁寧な言葉を使って」

「うふ、きっと隆広様にホレたのですよ」

「そうかな? あはははは」

 さえの言葉に照れ笑いを浮かべる隆広。そしてその目の前では現場の空気が一変していた。どんどん城壁が直っていくのが、手に取るように分かった。

(この調子ならば、思ったとおりの時間までできるかな。あとは…)

 

 隆広は約束どおり、その日の一番の班に高給を与えた。最後の班は涙を流して悔しがった。辰五郎がその班に叱りつけた。

「バカヤロウ泣くんじゃねえ! 明日がある。その悔しさを忘れるんじゃねえぞ、明日に一番になればいいんだ! 立派な仕事をしてあの若いのの期待に応えてみろ!」

 しかし辰五郎は部下の職人が仕事に負け、悔しくて泣くのを初めて見た。改めて隆広の人の使い方に感嘆する辰五郎。この日も現場に居座ったまま隆広の用意してくれた夕食と酒で疲れを癒す職人たち。夕食といっても各々の班は遅くまで明日の作業の計画を練りに練っていたので、もう日付も変わり深夜だった。疲れもあるのか、昨日と一変して静かな夕食だった。

 そこに隆広がやってきた。

「みんな、お疲れ様」

「これは水沢さ…!」

 と辰五郎が隆広に姿勢を正した時だった。職人たちは眼が飛び出るほどに驚いた。なんと隆広は勝家を連れていたのである。その場にいた職人たちは慌てて平伏した。

「見て下さい、殿。彼らは今この時間に夕食を取っています。城壁を直すために寝る間も食事の時間すら惜しんでくれて、この北ノ庄のために働いてくれています。彼らこそ北ノ庄の、越前の宝と思いませんか」

「うむ」

 平伏しながら、職人たちは隆広の言葉に涙をポロポロと落としていた。武士に比べれば軽視されている自分たち。それを『越前の宝』と隆広は言ったのだ。

「殿、お褒めの言葉を」

「うむ、みなの者。面をあげよ」

 勝家は見た。顔をあげた職人たちが顔を涙と鼻水でグショグショに濡らしているのを。

「嬉しく思うぞ。この仕事が終われば改めて隆広にそなたたちを労わせる。いつ一向宗門徒が攻めてくるか分からぬ。頼りにしているぞ!」

「「ハハ――ッッ!」」

 再び職人たちは勝家に平伏した。肩を涙で震わす辰五郎に隆広が言った。

「辰五郎殿、もう夜も更けた。今日の鋭気を養うため、もう休まれた方がよいですよ」

「ハッ…!」

 もう顔を上げられない。それほどに職人たちは感涙にむせっていた。隆広はそのまま勝家とその場を去った。

 

「ああいうことだったのか、隆広」

「はい、お休み中に申し訳ありませんでした」

「よい、約束だ。しかし秀吉のやった割普請に主君の労いの言葉まで加えるとはな」

「いいえ」

「ん?」

「これも秀吉殿の真似です。あまり一般に知られてはいませんが、秀吉殿も今回と同じく主君、つまり大殿を深夜に起こして職人を労わせたのです」

「本当か? 大殿を深夜に起こした上に使うとはな…。恐れを知らぬというか…」

「これは見習うべき普請法だと父に習いました。今回はそれを実行したのです。秀吉殿は農民出。職人たちのような下々の者たちがどれだけ雲の上にいるお殿様の言葉を欲しているか知っていたのでしょう」

「なるほどな…」

 柴田家と羽柴家はあまり仲がよくない。だから秀吉の真似などしたくはない。すべからく勝家もそう思っている。しかし良いものは良いもの。堂々と真似すべきなのだと云う隆広の考えも理解できた。嫌いな人間の方法だから使わない。それでは国主失格である、勝家は隆広が今回行った仕事で一つ学んだ気がした。

「しかし、本当に今日の朝まで完成しているのか?」

「はい、私もこれから彼らに朝まで付き合うつもりです。もう今ごろは作業に入っているでしょう。何故なら殿は彼らの心を動かしましたから」

「世辞を言うな。だが朝までに出来ていたら何か褒美を取らせないとな。長くかかっていれば千五百貫では済まなかったのだからのう。二日で完成ならば、その浮いた分の金子を割いて報いてやらねば。隆広、完成の暁には、あと二百貫つかわす。職人たちを労ってやれ」

「ハッ!」

 

 そして朝、さえが隆広の部屋に来た。

「隆広様、朝餉のお支度ができました」

 返事がない。障子をあけると隆広はいない。蒲団も乱れていないから帰宅もしていない。

「まあ! 朝帰り?」

 すると市場の女が隆広の屋敷に来た。

「若奥さーん!」

「あ、おはようございます」

(だから若奥さんじゃないって…嬉しいけど)

「城壁に行ってごらんよ!」

「え?」

「いいからいいから!」

 云われるとおり、さえは補修作業の場所に行ってみた。その時にさえが見たものは

「完成だ―ッ!」

「やったぁ―ッ!」

「一向宗門徒め! 今度はてめえらごときに壊せる城壁じゃねえぞ―ッッ!」

 完成を喜び、新たに市場から贈られた酒で祝杯をあげ、職人たちにもみくちゃにされながら喜びを共にしている隆広がいた。隆広も途中で手伝ったのか泥だらけである。だが顔は笑顔で輝いていた。並の普請奉行ならば一ヶ月はかかる普請を隆広は二日で成し遂げたのである。この時の隆広はまだ十五歳。名将の片鱗を始めて歴史に記した瞬間であっただろう。

 この普請に関わった職人たちは、後に辰五郎を長として隆広直属の工兵隊になっている。戦国後期最強の軍団と言われた水沢隆広隊の縁の下のチカラ持ちとなり、文字通りに隆広を支えていくことになる。

 そして、後に大切な部下たちとなる者たちと共に泣いて喜ぶ姿を見て、さえは同い年の主人の快挙に泣いた。

「おめでとうございます! 隆広様!」



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初陣と隆広三百騎

隆広と三百騎との出会いです。


 北ノ庄城、評定の間。隆広が二日で城普請を成し遂げた日の正午に評定が行われた。隆広はここで勝家から職人たちを労うための二百貫を勝家から受け取り、かつ隆広個人にも褒美が与えられた。

「隆広、ようやった。あれほどに破壊しつくされた城壁をわずか二日で修復し終えるなど前例もなく、また出来栄えにおいては見事の一言。勝家嬉しく思うぞ。褒美を取らす」

「ハハッ!」

「『石見銀』である。受け取れい」

「ハッ! ありがたく頂戴いたします」

「しかし、ちゃんとその褒美もさえに渡すのだぞ。分かったな」

「はい!」

 隆広は改めて労いのためと渡された二百貫をすべて職人たちと、手伝いをしてくれた商人たちに報酬として渡した。二日間の賃金は割普請の決まりに沿って成果別であるが、この二百貫はほぼ平等に渡したのである。

 貧しい暮らしをしていた職人と商人たちは感涙し、隆広の家に家族で礼に来るものが絶えなかった。年頃の娘を持つ親などは、『娘を嫁に』とまで言うほどであった。そしてその娘たちも美男の隆広を見てポッと頬を染めた。さえの機嫌が悪い日が数日続いた。

 

 そしてこの時に一つの奇縁があった。同じく隆広の家に訪れ賃金の礼に来た親子。

 男は初日にもっとも成績が悪かった班にいて、仲間たちからケツになったのはお前のせいだと責められた。辰五郎の職人衆の中でも特に不器用な男であったのだった。面白くなく、勝家が来た後にみな自発的に工事をし始めたのに、彼だけ怠け出した。仲間たちに『お前がいるとまたケツになるから帰れ!』と怒鳴られた。売り言葉に買い言葉で現場から立ち去った。

 しかし自分の仕事はこれしかない。すぐに戻ったが中々作業に戻るキッカケがない。現場の外で立っているだけであったが、よく見れば欠員の出た自分の班に隆広が入って作業をしていた。男の仲間が

「どうもすいません。水沢様に手伝ってもらって」

「いえいえ」

「しかし、水沢様は武士にしとくにゃもったいないくらい器用ですな」

 お世辞ではない。元々養父隆家から石積みを含めた築城術は仕込まれていた。そしてこの時、隆広はある職人の見よう見まねで技術を盗んで、職人が惚れ惚れするほどの石積みや石工をしていた。

「いや、さっきまでここにいた人の技術を盗んだだけですよ」

「は?」

「ほら、鳶吉殿の」

 隆広は末端の職人の名前までちゃんと覚えていたのだった。現場の外で立っていた男、鳶吉の耳にそれは届いた。

「鳶吉の? いやあアイツのマネはやめたほうがいいですよ。どんくさいから」

「いや、あの人は的確に必要な石の形を作り、それを積んでいた。だからどうしても遅くなってしまうのです。それがしは一度自分の手先の器用に驕り父に叱られました。『器用な者はすぐに会得するから技術を甘く見る。しかし不器用な者はとことん努力してそれを会得する。世の一流の武芸者、芸術者、技術者はたいてい元不器用者。器用な者は必ず抜かれ、結局二流になる。それを忘れてはならぬ』と。不器用な方は一流になる原石にございます」

 鳶吉は工事の外で隆広の言葉を聞いて涙をポロポロと落とした。ちゃんと分かっていて、しかもそれを認めて、かつ褒めたのである。恥も外聞も捨てて、鳶吉は現場に戻った。

「さ、水沢様、あとはオレがやりますので」

「ありがたい、頼みますよ!」

 立ち去る隆広の後ろ姿を見て鳶吉は思った。

(さすが、あの方の子だ…)

 その鳶吉の妻と子、それは隆広も知っていた。

「あの時の…!」

「はい、お久しぶりにございます水沢様」

「おにいちゃん、傷治ったよ!」

 そう、隆広が初めて北ノ庄に来た日、養父隆家が助けた女童とその母親だったのだ。

「なんとまあ奇縁な…」

「はは、娘をお父上に助けていただいたのに、父親のあっしのお礼が遅れて申し訳ございません」

 妻のみよは、あの工事から夫が見違えるように生き返ったのが手に取るように分かった。職人なのに不器用でバカにされていた鳶吉は時に酒に逃げる事が多かったが、あの日以来は自分の技術向上に余念がない。理由を聞けば、隆広のたった一つの褒め言葉であったのである。

 みよは夫を生き返らせた隆広に心より感謝し、そして女童しづは美男で強くて優しい隆広にいちゃんが心から好きになり、後に…。

 

 隆広は戦国武将の中で屈指の人使いの名人と後世に言われているが、彼は部下を褒める事がとても上手かった。たとえ他の者が無能と言っても、養父隆家から人を大切にすることを叩き込まれた彼は、その者の良いところを見つけて褒めた。しかも絶妙な事に影で褒めた。それはやがて当人の耳に入り生き返ったのである。

 歳若いうちから人を使う立場になった隆広にとり、部下はほとんどが彼より年長者。だがその年長者たちは、若き主人の徳に触れて粉骨砕身仕える事になるのである。

 無能と呼ばれた者を有能に生き返らせた点においては、どの武将も隆広に及ばないかもしれない。この工事は隆広の人使いの妙味も垣間見せた話でもあるだろう。隆広が鳶吉を評した話はその日のうちに工事現場を駆け、職人たちはいっそう感奮して、素晴しい成果を示し、城壁の修復は成ったのである。

 城普請をけしかけた柴田勝豊、佐久間盛政などは面白くない。佐々成政も不快だった。だが現実に驚異的な成果でやり遂げたのだから、何も言うことはできなかった。

 

 この後、城普請の手腕を評価され、隆広と辰五郎の一党は城壁や城郭の拡大や改修に借り出された。そしてこの日、隆広が示す図面に見入る辰五郎と職人たち。

「なるほど、これが有名な出丸、丸馬出(まるうまだし)ですか」

「そうです。武田信玄公特有の築城法です。半月型や三日月型の曲輪を城郭に数箇所備えるという攻防一体の難攻不落の出丸です」

「それをあっしらが?」

「はい、殿に許しも得てあります。城壁のように二日で成す事はございませんが、門徒の攻撃はいつあるか分かりませんから、早いうちに…」

 

 ドン、ドン、ドン

 

 城から陣太鼓が鳴った。

「…ん?」

「水沢様、あれは確か…」

「うん、臨時召集だ」

「あっしが指揮して工事は始めますので、急ぎ登城を」

「お願いします、辰五郎殿!」

 隆広が立ち去った後、改めて図面を見る辰五郎や鳶吉たち。

「まいったねえ…。お侍にこんな図面描かれちゃ本職のオレたちゃ立場ないよ…」

 ドッと職人たちは笑った。

「しかし武田家の築城法なんて水沢様はどこで…」

 と、鳶吉。

「わからねえ、謎の多い若いのだ。何にせよ武田家の築城法を会得できるまたとない機会だ。気合入れていけよ!」

「「オウ!」」

 

「よう集まった。話と云うのは他でもない。門徒連中が加賀の大聖寺城に迫っておる」

 勝家から召集の意図が説明された。

「その数二万、大軍だ。支城の大聖寺城を取られてさすがに頭に来たようだな。大聖寺城は城代に勝照(毛受勝照)を置いているが、兵数はわずか三千、青くなっていよう」

 大聖寺城は加賀領内の西域にあり、もっとも勝家の領土である越前に近い。隆広が勝家に仕官する数ヶ月前に勝家はその大聖寺城を攻め落とし、城代に腹心の毛受勝照を置いて防備に当たらせていた。城下町のようなものはなく、一つの砦のような城である。

 しかし兵力の差がありすぎる。前線の砦とも云うべき大聖寺城を渡すわけにはいかない。勝家はスクッと立ち上がった。

「門徒の加賀拠点、加賀御殿の七里頼周自ら出陣してきよった!」

「「ハッ!」」

「すぐに大聖寺城の救援に赴く! 出陣じゃあ――ッッ!」

「「ハハ――ッッ!!」」

 

 兵のいない自分は、殿の兵として戦おう。隆広がそう勝家に願おうとしたときだった。

「隆広!」

「は!」

「三百の兵を与える。ワシ本隊の寄騎として参陣せよ!」

「は、はい!」

(さ、三百も!?)

 そう言うと勝家は評定の間から出て行った。

「隆広」

「佐久間様」

「城普請の手腕は認めてやる。おそらく内政をやらせれば、お前は柴田家一であろう。だが戦場ではどうか今回でしかと見届けてやる。腰引けて逃げたりしてみろ。伯父上がどうかばおうと即刻叩っ斬る!」

「……」

「伯父上がお前を戦場に連れて行かず、もっぱら内政担当として重用するつもりならば文句は言わぬ。だが戦場の武将としても用いると分かった今、いっさい遠慮はせぬぞ! そう心得ておけ!」

「分かりました」

「ふん!」

「初陣か…。まずオレが用いる兵の士気と力量を確かめないとな」

 隆広は城下の兵士詰め所に行った。

「これは水沢様」

「それがしの用いる隊はどこですか?」

 詰め所の責任者である兵士に尋ねた。

「あ、はあ…」

「どうされました?」

「一応、述べさせていただきますが、あの隊を水沢様に当てよと申したのは勝家様でございます。それがしではありませんぞ」

「どういう意味です?」

「水沢様の兵士は、あの外れにおります連中です」

 北ノ庄城、兵士錬兵場。錬兵の場も兼ねて出陣前に兵士が集まる場でもある。万の兵が一堂に会する場所ゆえに、それは広大な敷地である。その外れにいる三百名ほどの集団。

「なるほど…」 

 それはだいたい隆広より若干に年上の少年兵たちであった。平均十七歳から十九歳の若者たちである。

 だがあまりにも素行が悪く、どの隊からも追い出された連中だった。城下の娘たちに人気が急上昇している隆広とはまったく逆にスケベで乱暴で嫌われている若者たちだった。

 出陣前だというのに酒をくらい博打をやっている。合戦そのものは好きなのだが、どの隊にいっても言う事を聞かない、軍律は守らない。勝家にとっても愉快な存在ではなく軍規によって処罰しようとしたことも数え切れない。各々が親からもサジを投げられている連中ばかりである。

 しかし勝家は寛大とも言っていい心で待ち続けた。その問題児軍団が生き返るのを。

 勝家には一つ教訓があった。若きころ柴田権六と云う名前だった彼は織田信長の弟、織田勘十郎信勝(信行)の家臣であった。素行不良であった兄の信長と比べ礼儀正しい信勝は次期頭首として家中で切望されていた。

 だが蓋を開けてみれば、信長と信勝の器量の差は金と石ほどに違いがあった。信長の素行の悪さばかり見て、その秘めた将器を見出せなかった自分を勝家は恥じていた。

 だから勝家は考えた。彼らを認めて、そして彼らから大将と認められる者がいれば良いのだと。素行不良の悪ガキどもが生まれ変わるかもしれない。そう思ったのである。

 かくして、その候補に選ばれたのは、その悪ガキたちの誰よりも年少の水沢隆広。勝家は、その問題児軍団を隆広に預けたのである。

 

「お、我らの大将のおでましだぜ!」

「おうおう、美男子だこと! オレたちみたいな不細工とは毛並みが違うね!」

 隆広は、その問題児軍団の前に歩いていった。自分たちより年下で足軽組頭の隆広を足軽の彼らが快く思うはずがない。織田か柴田の若君ならば仕方ないが、隆広はつい最近まで浪人だったのであるから。

 自分たちより年下で、かつ柴田家中では後輩。だが階級は一足飛びで組頭。受け入れられるほうがおかしい。また城普請の快挙を妬んでいる者もいる。町娘たちのあこがれの的になっているのも面白くない。

 敵意むきだしで隆広を睨む者、ヘラヘラと笑い隆広を小馬鹿にしている者。とにかくこれから合戦に行くとは思えない連中である。そんな敵意も笑いも隆広は相手にしなかった。

「時間がない。我と思う者はかかってくるがいい」

「なんだと?」

「おいおい、この大将はオレたちとケンカするつもりだとよ!」

 三百の兵士たちは笑った。

「何度も言わせるな、時間がない。もう本隊は出陣準備を終える。我らは本隊勝家様の寄騎三百。遅れたら切腹ものだ。オレだけでなくお前たちもな」

「そんな脅しにのるか!」

「勝家様はどうせオレたちハズレ者を弾除けにするつもりなんだろ!」

「そうだそうだ! 勝家様だけじゃなくお偉い大将たちはみんなそう思っているんだ! お前だってそう思っているに決まっている! お前の弾除けなんてゴメンだ!」

 隆広の目がピクリと動いた。この若者たちが欲しているものが分かったからである。

「言いたい事はそれだけか? お前たち三百人は一人でケンカを売っている年少のガキから言葉で逃げるのか? もう一度だけ言うぞ、我と思う者はかかってこい。殺すつもりでかまわんぞ」

「いいだろう、だがさすがに三百人で一人にかかったらオレたちは何言われるか分からねえ。ウデを自負する三人。三人でやってやる。殺されても文句はねえだろうな?」

「よかろう、かかってくるがいい」

 槍、刀のウデを自負する若者三人が隆広を囲んだ。

「柴田家足軽組頭、水沢隆広」

 隆広は刀を抜き、名乗りを上げた。真剣勝負と云う意味も込めて。三人も名乗りを上げた。

「柴田家足軽、松山矩三郎」

「同じく、小野田幸之助」

「同じく、高橋紀二郎」

 

「いくぞ!」

 

 ザザザザッッ!

 

「「……ッ!?」」

 三人は信じられない思いをした。数に頼り楽勝と油断していたのもあるだろう。また彼らは隆広が初陣とも知っていた。戦場の経験は自分たちの方が上のはず。

 だが、終わってみれば彼らは隆広にアッと云う間に倒されてしまった。見ていた兵たちはあっけに取られた。隆広に対した三人は彼らの中でかなりの腕前をほこり、そこらの武技を自負する将よりよほど腕が立った。だから戦でも悪事でも三百人の中で中心的な存在の三名で、班長的な役割も担っており、素行の悪さで帳消しになってしまっているが、実際に戦場で手柄も立てている。それが一人に倒されてしまった。あんな優男に。

「新陰流、月影と云う。一対多数の戦いに勝つことを極意とする」

「し、しんかげりゅう…? くっ…」

「う、うう…」

「いってぇ…」

「峰打ちだ。急所も外している」

 

 そして残る兵士を隆広はキッと見た。

「チカラは示した。今度はオレの話を聞いていただく。よいかな?」

「……」

 神妙な顔をして、兵士たちは隆広を見る。

「見ての通り、オレは刀をもって三人の武士を倒すことができた。しかし、二度目はこうはいかない。彼らはオレの小柄で華奢な体を見て油断していた。オレはそこに付け入り、始めから全力で行き戦端を制した。だが次は彼らも油断はないゆえ、オレは勝てない。だがオレの剣技や彼らの武勇も戦場では微々たるチカラでしかない。集団戦には集団戦の駆け引きがある。一人の強さなど何になろう」

 倒された三人はようやく起き上がった。その中心人物に隆広は問う。

「松山矩三郎」

「な、なんだよ」

(なんだこいつ、もうオレの名前を覚えやがったのか?)

「『鶏口となるとも、牛後となるなかれ』と云う言葉を知っているか?」

「はあ?」

「ニワトリの頭は小さくとも賢いが、牛の尻は大きくとも卑しいと云う意味だ。平たく言えば少数の精鋭になっても、大集団のどうでもいい存在にはなるなと云うことだ。今のお前たちは柴田二万と云う大集団の中で、どうでもいい存在となっている。二万分の三百ならば仕方ないとも云える。今までぐれん隊として存在していたのだからな。だが今回の戦からお前たちは『水沢隆広隊』となる。オレは初陣で、かつ新参の下っ端だ。お前たちはオレが持つ最初の兵だ。この瞬間から、お前たちは『柴田家の牛後』ではなく、水沢隆広隊の『鶏口』となった。そしてオレを生かすも殺すもお前たち次第と云うことになる。だから一度、オレに騙されたと思い賭けてくれぬか。お前たちが柴田家のどうでもいい存在のまま、本当に弾除けで終わるのか。それとも水沢隆広隊と云う少数精鋭団として馬を駆り戦場の華となり武功を立てていくか。水沢隆広と云う馬に、一度賭けてくれぬか。さきほどにお前たちの話を聞いて、お前たちに足りぬもの、いや望むものは分かっている。それは金や女でもない、『誇り』だ。武士としての『誇り』。オレには金はない。与えられるものはなにもない。だが必ずや! お前たちに『武士の誇り』を与えられる大将となる!」

 隆広の言葉に兵士は黙った。自分たちにこれほど向かい合ってきた大将はいない。しかも、その大将は自分たちより年下である。

 その年下の将は一人で三百人の自分たちに何ら気圧される事もなく、堂々と論を語る。

「オレたちが少数精鋭…?」

「大将を生かすも殺すもオレたち次第…?」

 特に後者の言葉は兵士たちの胸に刺さった。自分たちの働きが、それほどに影響を及ぼすのかと。刀と脇差を隆広は地に置いて頭を下げた。

「頭を下げよというなら下げる。オレにチカラを貸してくれ。そなたたちが必要なのだ」

「およしなされ、大将がそう簡単に兵に頭を下げるものではございませぬぞ」

 それはさきほど隆広に倒された小野田幸之助だった。そして同じく倒された高橋紀二郎は隆広の太刀を拾い、両手で差し出していた。

「幸之助殿、紀二郎殿…」

「幸之助とお呼び下さい。こいつの事も紀二郎、さっきのアイツも矩三郎と呼んでやって下さい。我ら、喜んで水沢隆広様の兵となりましょう!」

 三百人は一斉に隆広に膝を屈し、そして気合の入った眼で隆広を見つめた。

「すまぬ、嬉しく思うぞ!」

「さあ御大将、ご命令を!」

「よし、ならばこれより水沢隆広隊は本隊と合流する!」

「「ハハッ!」」

 もはや、ぐれん隊の顔ではなかった。家中はおろか領民にも蔑まされた若者たちであるが、英主を得て生き返った。戦国後期最強の軍団と呼ばれる『水沢隆広軍』誕生の瞬間であった。

 後に隆広に仕える武将がどれだけ増えても、この三百名だけは他の将の兵になることを拒み、常に隆広本隊の将兵として付き従った。後の世に『隆広三百騎』と云われる由縁である。

 隆広も、そしてこの三百騎もこの時は想像もしていなかっただろう。後に自分たちがあの軍神と呼ばれる上杉謙信の本陣に真っ向から突入する事など。

 

 柴田勝家本隊はすでに北ノ庄城を出発している。そろそろ城下町を出るときであった。この時、勝家の寄騎を担当していたのは隆広と共に可児才蔵である。その才蔵に勝家は尋ねた。

「才蔵、隆広の合流はまだか。もう先陣の盛政、二陣の利家は城を出たというのに」

 勝家は一番後ろの第五陣である。いわば最後尾であるが、隆広はまだ来ていない。

「はあ、さすがに隆広でもあのガキどもを手なずけるのは容易でないかと。しかしなぜ隆広にあの連中を? ご寵愛の様子でしたから御しやすい隊を与えるとばかり思っておりましたが」

「はっははは、ワシはそんなに優しい主君ではないぞ。それにあやつだから、あれを統率しえると思った。あの連中は若いし、そのカシラとなる隆広もまだ十五ゆえな、これから軍団を構築していくのであれば若者同士のほうがよかろう」

「殿―ッ!」

「お、殿! 隆広です」

「うむ」

「水沢隆広隊、合流を完了しました。遅れて申し訳ございません!」

「ん、ご苦労」

 勝家は隆広が連れてきた軍勢を見た。いつもふて腐れていた連中が、それは惚れ惚れするほどの凛々しい顔つきになっていた。

(やりおったわ、こやつ)

「隆広」

「はい、可児様!」

「オレは殿の右翼に入る。お前は左翼に回れ」

「分かりました!」

 行軍中の部隊移動も、見事までに円滑に進める隆広を勝家は満足そうに見つめていた。その勝家を見て才蔵は思った。

(ゆくゆくは養子にと言っていたが…なるほど本気らしいな勝家様は。しかしいかに養子候補とはいえ、あの寵愛は異状だ。まるで頼もしい我が子を見つめる慈父のようにさえ感じる…)



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加賀大聖寺城の戦い

この大聖寺城の戦いは太閤立志伝3特別篇でも隆広の初陣です。


 北ノ庄城より海岸に向かって北上する柴田軍。隆広は初陣である。相手は本願寺の一向宗門徒の僧将である七里頼周。勝家の率いるのは一万二千、対して一向宗は二万。数はこちらの方が八千少ない。

 先陣は佐久間盛政、二陣は前田利家、三陣は不破光治、四陣は金森長近、五陣は柴田勝豊の軍団で、その後詰に勝家本隊がいる。中村文荷斎、拝郷家嘉、徳山則秀などの勝家子飼いの武将たちは北ノ庄城留守居である。大将勝家の左右を守るのは可児才蔵と水沢隆広。初陣で総大将の寄騎と云う位置にいる自分を不思議に思いつつも、隆広は合戦前の空気に緊張していた。

 

「ところで御大将」

「なんだ紀二郎」

 先刻に隆広と三対一で闘い敗れ、兵士となった高橋紀二郎が隆広に尋ねた。

「なして、宗教などが加賀の国を乗っ取れて、今回の戦いのように二万もの兵を動員できるのでしょうか。本来、宗教というのは人を救済するってモンじゃないのですか?」

「バカか! いまそんなノンキな質問してどうするんだよ!」

「これから起こる合戦の事を色々思案している御大将の邪魔すんなよ!」

 紀二郎の戦友たちが叱りつけた。

「まあ、いいじゃないか。戦う相手を再確認するのも悪くない。父からの受け売りだが簡単に説明すると、『宗教』というのは心の拠り所だな。支配と言い換えてもいい。まあ、あらゆる所で戦が起こり、多くの人々が不幸にさらされているこんな時代だ。皮肉な話だけれど、我ら武士にも責任はある。弱い心を持つ人たちが神や仏に救いを求めても不思議はないな」

 紀二郎は隆広の馬のクツワをとっている。馬上から分かりやすい説明をしてくれる隆広の話に聞き入った。

「まあ、そうですね」

 勝家と才蔵も共に隊の先頭にいるので、その話は聞こえている。彼らも耳を傾けていた。

「『一向宗』とは、親鸞が唱えた仏教の『浄土真宗』の事を指している。『南無阿弥陀仏』と唱え仏に身を任せれば、全ての人、例え悪人でも、極楽浄土へと成仏することが出来る、という教えだ」

「ずいぶんと都合がいい教えですね」

「ああ、だから踊らせやすいのさ」

「踊らせる?」

「ああ、熱狂的な信者から、ついに『一向宗による独立国を作ろう』という過激な思想が出てきた。それで国を『仏の治める国』とする事で、さらに多くに人々に仏の教えを広めて救済し、そして国に納める多額の『お布施』をする事で、さらなる仏の加護を得ようという事だ。しかしそれは言い方変えれば、いま国を治めている国主を武力によって追い出し国を乗っ取ろうという事だ。門徒の権力者は信者を踊らせ武器を取らせて挙兵し、やがて加賀は乗っ取られてしまった」

「なるほど」

「そして近年になるけれど、当初、一向宗の総本山の本願寺は大殿、つまり織田信長様に恭順していたんだ。五千貫の徴収にもすぐに応じて渡している。しかし、大殿の要求はそれだけで終わらなかった。石山本願寺の城、そのものを明け渡せと勧告した。大殿はどうしても禍根となり、脅威ともなりうる本願寺を押さえておきたかったのだと思うけど、本願寺の総帥である顕如はそれを拒否。ついに『仏敵、信長を討て』と全国の信者に命令したんだ。その指示に従わなければ、門徒を破門するとまで言った。

 さっき言ったとおり、宗教は心の拠り所。信者はそれを失うわけにはいかない。だから門徒は大殿に仕える殿の越前に攻めてくる。兵となる門徒は権力者にとっていくらでもいる。二万なんて数も動員できる。大殿や殿を倒す事が極楽の道に繋がると本気で信じているからだ。だから始末におえない。とはいえ、黙ってやられるワケにもいかないだろう? 我々はそれを倒して越前と北ノ庄の安寧を守らねばならない。そういうことさ」

「へえ~御大将は物知りですねえ」

「父の受け売りだよ」

 

「いや、そうだとしてもよくもまあ、そんなに詳しく話せるものだ。養父の隆家殿は何度も話して聞かせたのだろう?」

 聞いていた可児才蔵が感心したように笑っていた。

「ええまあ、ははは」

 本当は一度しか教えられていないのだが、記憶力の自慢になってしまうので言わなかった。

「だが隆広、一箇所だけ違うぞ」

 と、勝家。

「え?」

「『倒して』ではなく『滅ぼして』だ。肝に銘じよ」

「はい!」

 

 柴田軍は大聖寺城に入った。これで城代の毛受勢を入れれば一万五千、五千少ないとはいえ、こちらには城もある。

 だがあまりいい事ばかりではない。城の南西数里に峰山と呼ばれる山がある。天嶮の要害で、水も豊富である。ここを占拠されると戦いが困難になってくる。実際に勝家はその峰山に陣取り、前線拠点として、この大聖寺城を落としたのであるから、その利点は知っていた。

 城代の毛受勝照もこの山を敵方に渡すのを危惧して常に警戒していたが、その峰山を数に勝る一向宗門徒に占拠されてしまい、そして本願寺の坊官の七里頼周がそこに陣場を作り、大聖寺城攻略に備えた。

 勝家が城に入り、城代の勝照から最初に報告されたのは、敵が峰山を占拠し、布陣を終えたと云うことであった。

「ふむ、取られてしまった要害を悔いても仕方ない。急ぎ軍議だ」

「「ハハッ」」

 隆広にとり、初めての軍議である。胸が高鳴る。評定とは異なる、まさに生死を論じる軍議。頬を両手でパンパンと叩いて、隆広は大聖寺城の軍議の間へと向かった。

 軍議が始まった。隆広はしばらく諸先輩の意見を聞いてから、自分の考えを言おうと思っていたが自分は新参で、元服を終えたばかりの若輩。自分の意見など入れてもらえるわけがない。まずは軍議の雰囲気だけでも学ぼうと思っていた。

 

『山岳戦なら柴田のお家芸、城から出て戦うべきだ』と佐久間盛政。

『城に篭り、攻城戦で疲れさせてから一気に叩く』と不破光治。

『鉄砲隊は向こうが多い。突出すれば長篠の武田勝頼の愚を繰り返すのみ』の慎重論の前田利家。

 やはり敵の鉄砲隊は脅威であった。柴田家は織田の軍団長でもっとも鉄砲を持っていないのである。勝家をはじめ部下たちも武断派が多い。商売ごとには不向きであり、越前を織田信長から賜り、共に与えられた鉄砲七百しかないのである。

「ふむ…」

 諸将の意見に耳を傾ける勝家。チラと末席に座る隆広を見ると何やら右筆のように、色々と記録を巻物に書いていた。参考にすべき意見を書き留めていたのである。

 

「おい隆広」

「はい!」

「誰がお前に右筆を命じたか。お前は足軽組頭として軍議に参加している大将なのだぞ」

「す、すいません」

 勝家の叱責に隆広は赤面して紙と筆を置いた。

「まあいい、それでお前に何か意見はないのか?」

「は?」

「お前に意見を求めている。まさか初参加の軍議だから今回のところは発言せずに雰囲気にだけ慣れようなんて考えていたのではあるまいな」

「い、いえ! とんでもない!」

(図星か…)

 前田利家は苦笑した。

「隆広、勝家様もそう申している。初参加とて遠慮はいらぬ。何か意見があるのなら言ってみろ。まさか本当に何もないワケではないだろうな」

「い、いえ」

(しかし、新参の足軽組頭のオレが言っていいのかな…)

「何をしている、遠慮はいらん。言ってみろ」

 

 佐久間盛政、柴田勝豊、佐々成政も隆広を見た。城普請の手腕は認めるが、合戦ではまだ初陣も済ませていない小僧。聞くべきのある意見が出てくるはずがない。つまらぬ意見を言ったら笑ってやろうと考えていた。

「では僭越ながら…」

 隆広は一つコホンと咳をした。

「まずは大殿が大軍を率いて援軍に来ると敵陣に流し、敵方の士気を下げます。また、加賀は門徒の国と相成っておりますが、幹部の坊官と一般の門徒とはしっくりいっていないと聞き及んでいます。『離』を図るも手かと存じます」

 聞くべき意見かもしれないと、諸将は耳を傾けた。盛政たちも黙って聞いていた。

「しっくりいっていないとどうして言い切れる?」

「一向宗により陥落した加賀に七里頼周が本願寺から代官と来ましたが、赴任後に間もなく、彼は『権力をほしいままにして好き放題やっている』と一般門徒から本願寺総本山に訴えられております」

「うむ、その話は聞いておる」

「しかしこれは、武士の支配から解放を求めて一揆を起こした門徒達と、彼らを一向宗の門徒として統率する事を目的とした本願寺側との考え方の違いが原因と受け取れます。思想の相違なら溝も深いはず。ましてや今は作物の収穫期。中には今回の出陣に気の進まない門徒もおりましょう」

「なるほど、ではどうやって『離』を図る? いちいち門徒の部隊一つ一つに調略を仕掛ける時間はないぞ」

「あ、それにはこれを使います」

 隆広はさっきまで諸将の意見を書き留めていた巻物にスラスラと絵を描いた。

 

「これを作ります」

 巻物をやぶり、勝家に提出する隆広。勝家は渡された紙を見た。描かれていたのはジョウゴである。

「これはジョウゴか?」

「はい、しかし大きい方の穴の直径は半間(九十センチ)くらい必要です。小さい方は拳大くらい。小さい方に口を当てて叫ぶと声の音量は飛躍的に上がります。それで峰山の門徒たちに『お前たちは自由を求めて加賀の国を仏の国としたのであろう。七里頼周などと云う愚物の盾となって死ぬのは無意味。収穫期の田畑がそなたらを待っている。追撃せぬゆえ退くがいい』とこちらの陣から訴えます。鉄砲の射程外でも十分に届くはずです。

 かの武田信玄公が、三増峠の合戦にて北条氏に組みしていた千葉衆、忍(おし)衆、深谷衆に対して行った策です。三衆は駆りだされての参陣でしたから元々武田に敵愾心はなく、北条氏の威圧により渋々参陣いたしました。そこで信玄公は三衆に北条に組して武田と戦うことの無意味さを訴えました。三衆はこの訴えで戦意を失い、ほとんど戦うことなく退却したと聞き及んでいます。今回の戦にも退却は望めずとも士気の激減と離反を促すには十分に使えるかと」

 隆広の案に勝家は無論のこと、可児才蔵や前田利家も本当にこいつは十五歳なのかと驚愕した。まさに神算鬼謀だった彼の養父、水沢隆家を見るようだった。勝家が何も答えないので隆広は不安になった。

「下策…ですか?」

「い、いや、隆広の策を用いよう。加えて『大殿が大軍を率いて援軍に出た』と七里頼周の軍勢に流言させると云う策も用いる」

「あ、ありがとうございます!」

 

 その後に、隆広がこの策を実行した後についての軍議がなされ、やがて翌日の戦いのために眠りにつくために諸将は評定の間を後にした。一番下っ端の大将である隆広は先輩諸将が出て行くのを出口で頭を垂れて見送っていた。

 その隆広の前で佐久間盛政が立ち止り、冷たい眼で見下ろしている。隆広は顔を上げた。

「…?」

「…お前はサル秀吉に仕えれば良かったのではないか?」

「…は?」

「あの男は猿回しのサルよ。人真似ザルのお前と気が合うのではないか?」

「どういう意味ですか!」

「そういう意味だ、人真似ザル、はっははははは!」

 盛政は去っていった。

「く…ッ!」

 拳をにぎるが、隆広は一つ深呼吸をして気持ちを落ち着けた。

(落ち着け、落ち着け、オレさえ我慢すればいいことだろう…)

 

 そして翌日、大聖寺城に驚愕する報がもたらされた。

「申し上げます! 峰山における門徒の兵が増えております! 物見の報告では四万強!」

 伝令の報告に勝家は愕然とした。

「四万だと! どこからそんなに湧いた!」

「伯父上、やつらは峰山を本陣とした山岳戦ではなく前線の集結地としたのでは!」

「ぬうう…」

 

 さらに次の伝令が来た。

「申し上げます! 七里頼周率いる門徒の軍勢四万! 峰山から出陣して、この大聖寺城に進軍を開始しました!」

「峰山を放棄して、この城に進軍してきたと!? ちぃ! 大軍でこの城を囲んで落とす腹じゃな!」

「義父上、この城は四万で囲まれたら完全に孤立しますぞ!」

「ええい勝豊! そんなこと言われなくても分かっておるわ! この城を包囲される前に出陣し撃破する! 法螺貝を吹け!」

 

 ブオオオ、ブオオオオ

 

 無論、隆広もすぐに兵士三百を率いて出陣した。そして手先が器用な部下と夜なべして作った手製の巨大ジョウゴに紐をつけて背中にぶら下げている。

「水沢隆広隊! 初陣だ!」

 

「「オオオッッ!」」

 

 四万対一万三千、小勢で多勢を倒すのは痛快であるが、やはり小勢は不利であるのは事実である。元々相手より兵が少ないつもりで出陣したが、それでも五千ほどの差である。二万七千の差はいかんともしがたい。だがかつてほぼ同じ条件で一向宗三十万を一万三千で撃破した勇将がいる。越前の名将、朝倉宗滴である。数の差を聞きに士気落ちた手勢に宗滴は『なんの、いかに大軍とはいえ、相手は烏合の衆の百姓。ひるむ事などないわ。要は敵の機先を制すれば良いのじゃ』と鼓舞した。

 その機先を制するための策が隆広の案である。背中にジョウゴをぶら下げている隆広に、同じく勝家の寄騎である可児才蔵が聞いた。

「やるのか? 昨日言っていた信玄公の策とやらを」

「はい、相手が多勢ならばこそ、少しでも敵の士気を下げたいと思います」

「そうか」

 前を進む勝家が隆広の背にあるジョウゴを見ても何も言わないと云うことは策の継続を認めていると云う事である。

 しかし才蔵は不安だった。戦で気が立っている門徒が言葉で退くとは思えなかった。先頭を行く佐久間盛政が自ら伝令でやってきた。

 

「伯父上!」

「うむ、七里頼周率いる門徒集団の様子はどうか」

「はっ 雁行の陣で備えております。もう半里も進軍すれば敵影が確認できるでしょう」

「そうか」

「伯父上、向こうは迎撃を主とする雁行の陣、こちらは数が少ないですから、中央突破を敢行するため蜂矢の陣がよろしかろうと思いますが」

「隆広はどうか?」

 佐久間盛政は不快を感じた。どうして自分の意見を隆広に振るのか。

「それがしも蜂矢の陣でよろしかろうと」

「よし分かった。蜂矢の陣を編成しながら進軍せよ!」

「ハッ」

 盛政はギロリと隆広を睨み、自分の持ち場に走っていった。

(敵将でもないオレをどうしてあんなに憎々しく…佐久間様といつか分かり合える日は来るのかな…。いや唐土の藺相如と廉頗の例もある。いがみあっていても、後に分かりあい、刎頚の友となった者もいるじゃないか。あきらめるな…)

 

「おい隆広」

「なんでしょう、可児様」

 才蔵は勝家に聞こえない程度の小声で隆広に尋ねた。

「本当は陣形に対して、何か考えがあったのではないか?」

「え、いえ、そんなものは」

「あったのだな?」

「…確かに思いついたものはございました。しかし佐久間様のあげた蜂矢とて雁行には有効な陣。それがしが思いついた陣は『偃月の陣』ですが『生兵法はケガの元』と申します。それゆえに黙っていました」

「…隆広、ウソをつくんじゃない。『偃月の陣』はお前の養父隆家殿の得意とした陣。たとえ図上のものであろうと、経験と実戦に裏付けられた隆家殿の用兵をお前は伝授されているはずだ。幾通りの敵の出方も想定された陣法も教えられていよう。お前は養父の教えを実戦で活用できる自信がなかったから逃げたのだ。佐久間様がお前を嫌っているのは知っている。だから波風を立てたくないと思い、さきほどはすんなり佐久間様の意見に頷いたのだろう。しかし、それはとんでもない不忠だ」

「ふ、不忠?」

「陣形は戦の勝敗を大きく左右する。敵方の雁行の陣に対して、お前が有効な陣形を知っていて言わぬのは不忠であり、怠け者だ。年齢は無論、士分の上下、新参古参も織田家では関係ない。能力こそすべてだ。そして聞き入れられる入れられないは別として、策や案があるなら家臣として言わねばならぬ。今回の信玄公の策を再現と云う案も、お前は殿に問われなければ申さなかっただろう。遠慮はいらぬ。お前は柴田隊に一兵士でいるわけではない。足軽組頭、一翼の大将として籍を置く者だ。殿を生かすも殺すも我らの双肩にかかっておるのだと忘れてはならぬ。お前個人の他者との不和など何ほどのものがある」

「可児様…」

「他者との軋轢を恐れるな、嫌がるな。お前の才で何かを成せば賞賛と共に嫉妬がついてくるのは当たり前だ。それから逃げるでない。お前は殿の養子になるやもしれぬのだぞ。明日の柴田を背負う男なのだ。よいか、今度逃げたら言葉ではなくゲンコツでいくからな。心しておけ」

「はい!」

 途中から勝家にも才蔵と隆広の会話が聞こえてきた。勝家は静かに笑った。敵の陣形に対して最も有効な攻撃陣を築けなかったとしても、後に家中を背負って立つ若武者が一つの教訓を学んでくれたことは何よりの収穫であった。

 

 勝家軍の進軍しながらの布陣が終わった。佐久間盛政の具申どおり蜂矢の陣であるが、この時に執った蜂矢とて雁行に対して不利な陣形ではない。勝家もそれを分かっていた。隆広に再度陣形の事は聞かなかった。

「うかつに動けませんな、伯父上」

 「ああ、あちらには鉄砲二千丁ある。突撃すれば利家が昨日申したように長篠の勝頼の愚を繰り返すことになろう。雁行の陣は迎撃陣形、突出してあの陣形の利点は捨てまいな。長対陣になるやもしれぬが敵陣から眼を離すでないぞ、盛政」

「ハッ」

 

 一方、こちらは七里頼周の陣。

「僧正様、勝家は動きませんな」

「ふむ、こちらの鉄砲を危惧してのことだろう」

 戦場は大聖寺城南西数里の北陸平野、野戦にはもってこいの場所である。見通しは良いものの、互いの陣場は対峙していても遠いため、辛うじて陣場の旗が揺れているのが分かる程度である。無論鉄砲も届かない。

「仏敵、信長に仕えし勝家め。ここでヤツを倒して一気に越前に攻め入ってくれる!」

 四万の軍勢と正面から対してしまった勝家。七里頼周は鉄砲の数と、二万七千も敵方より兵が多いことで勝利を確信している。

しかし七里勢には士気がさほどになかった。やはり門徒の大半は渋々の参陣である。また、この時期は農民の彼らにとり収穫の時期。しかし本願寺の代官、七里頼周が出陣せよと命令には逆らえない。逆らったら門徒を破門されてしまう。

 士気が上がっていないことは頼周にも分かっていた。だから彼は陣中で門徒たちに説教をはじめるが、効果はなかった。加賀の本城の大聖寺城にて、彼が領内の若い娘を無理やり徴収し、日ごと酒色に溺れているのは門徒全員が知っていることである。説得力もあったものではない。

 士気が上がらずイラつく頼周。越前をとれば、本願寺の中でも立場は確固としたものとなる。なんとしても勝たなくてはならない。本願寺の僧兵は五千。あとは門徒である。勝つためには何としてでも門徒の士気を上げなくてはならない。しかし、士気は上がらない。

 

 そして、この士気の低さを狙い、声と云う剛槍で七里勢を突き刺す隆広の訴えが始まった。後の世に『万の兵を退かせた声』と言われる事となる。

 

「一向宗門徒たちに告ぐ!」



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城を攻めるは下策、心を攻めるは上策

 隆広は自分の軍勢三百兵を連れ、陣から出た。騎馬武者一人と、三百の歩兵隊がゆっくりと七里勢に歩んだ。そして鉄砲の射程外に十分に余裕があるところに止まり、万一の弾除けのため竹束盾を並べた。

「うまい具合に追い風か。しかもゆるやか。声もよく届くだろう」

「そのようですね。しかし織田家の我々が信玄公の策を使うとは妙な話ですね」

 と、松山矩三郎。

「かもしれないな。信玄公もあの世で苦笑していよう。もし失敗でもしたらあの世に行ったときお叱りを受けるだろうが、成功すればきっとお褒めの言葉もいただける。あの世の信玄公の御名に恥じないよう、この作戦を成功させよう」

「「ハッ!」」

「では、ジョウゴを左右で支えていてくれ。大声を出すには両手も使うんだ。しっかり持っていてくれよ」

「「お任せください!」」

「すう~」

 隆広は思い切り、息を吸い、腹にチカラを込め両手をみぞおちに当てた。そしてノドが張り裂けんばかりに吼えた!

 

「一向衆門徒たちに告ぐ!」

 

「…!?」

「なんだなんだ?」

 突然敵方から大きな声が聞こえてきた。しかも自分たちを呼んでいる。陣場に座っていた門徒たちは声のする方角を向き、立ち上がった。

 

「門徒たちよ! そなたたちが加賀の国を奪ったのは自由を求めてであろう! それがどうだ! 強欲荒淫の坊官、七里頼周の支配を受けて、結局そなたたちの境遇は変わっておらぬではないか! この戦は愚劣卑怯の七里頼周が本願寺への点数稼ぎのために起こしたもので、そなたらには何の実りもない戦である! さあ武器を捨てて逃げよ!」

 

 ジョウゴを当てているとはいえ、隆広の声は七里勢、柴田勢にもよく響いた。強欲荒淫と言われた七里頼周が陣から出てきて側近に尋ねた。

「敵はなんであんな大声を出せるのだ?」

「大きなジョウゴを当てて叫んでおる様子」

「虚言に惑わされるなと全軍に…」

 

「南無阿弥陀仏と唱えているだけでは何も得られぬ! 唱えるだけで極楽に行けるなどと云うのは虚言以外の何物でもない! そなたたちはだまされておるのだ! 仏にだまされておるのではない! そこにいるハゲ頭の愚物に踊らされているのだ! そなたらはそんな能無し僧侶のために命を捨てて戦うのか! げにも無意味で愚か! 死に場所を間違えてはならぬ! 武器を捨てて逃げよ! もう加賀の国境に我らが大殿、織田信長が五万の兵を率いてこちらに向かっている! 戦場の露となるなかれ! 故郷の田畑の土になるを望め! 七里頼周ごときのイヌに成り下がって死にたいのか! さあ武器を捨てて逃げるのだ!」

 

 七里頼周の顔は怒りのあまり、どんどん赤くなっていった。

「言わせておけば…ッ!」

 

「そなたらは、元を辿れば加賀国守護の富樫氏の圧政に苦しみやむをえずに蜂起した民の子孫だ。邪宗を忘れ矛を収めるのならば、そなたたちは後に我ら織田家の愛するべき民になるであろう! しかし! その厚顔無恥の破戒僧の呪詛どおりに我らと戦うとあらば容赦はせぬ! だが武器を捨てて逃げるのならば追いはせぬゆえ、早々に引き返すがいい!」

 

「だまらせろ!」

「僧正様、敵は鉄砲の射程外で言っておりまするゆえ…」

「ならば近づいて狙撃しろ!」

 もはや、七里頼周は怒りにより極度に興奮して周りが見えなくなっている。

 

「よくまあ、あれだけの悪口を思いつくものですな」

 後方で備えている可児才蔵は苦笑し、同じく苦笑している前田利家に言った。

「まったくだ。隆広は門徒の士気を下げると同時に七里頼周を挑発している。今ごろ七里頼周の坊主頭はゆでだこになっているだろう」

 可児才蔵と前田利家は、隆広を認めて評価もしているが、佐久間盛政は違う。忌々しそうに隆広の背を見つめていた。

「下策を用いよって! 武士ならば弓と槍で戦場を駆けるものよ! …まあよいわ、いざ合戦が始まれば誰が柴田家髄一の武将が伯父上もお分かりいただけるはずだわい」

 

「それにそなたたちは今に我々と戦っている場合ではないだろう! この時期は収穫期ではないか。そなたらが丹精込めて作った稲穂や麦が待っているのではないか? もしこの戦に駆り出されたことにより収穫が減ったとしても、暴虐の悪鬼羅刹であるタコ入道が年貢の軽減などを言うと思うか! そなたらはそんな者の盾になって我らと戦うか! 七里頼周ごとき小者の情け容赦ない搾取に甘んじるのか! 今なら生きて帰られる! 収穫に間に合うぞ! 武器を捨てて逃げよ!」

 

 布陣前に隆広が見込んだとおり、大半の門徒は渋々戦いに参加していた。領主というべき七里頼周は民を省みない坊官。他国の門徒たちは顕如の指示どおり『信長憎し』であろうが、皮肉にも一向宗の国となった加賀においては、むしろ信長より領主の七里頼周の方がより怨嗟を受けていたのではないだろうか。

 隆広が発した声に、門徒たちは元から少なかった戦意が、さらになくなってしまった。陣の後方で、一人が武器を捨てて逃げ出した。こうなると、もう歯止めが利かない。

「こら! 逃げるでない!」

 大将の七里頼周の叱咤も届かない。

「逃げると仏の罰が下るぞ! 逃げたものは加賀に帰った後に死罪にするぞ!」

 脅してももはや止まらない。門徒は次から次へと逃げていった。

 

 隆広は最後の仕上げに入った。

「ジョウゴはもうよい、鉄砲をかせ」

「ハッ」

 一丁だけ本隊から借りて持ってきていたのである。そして

 

 ドーンッ!

 

 空に向けて発砲した。これが完全にとどめとなった。門徒たちは武器を捨てて我先に逃げていった。

「御大将! 見てください! 門徒たち逃げていきますよ! 作戦大成功! やったぁ―ッ!」

 隆広の兵、松山矩三郎と高橋紀二郎は子供のように飛び上がって喜んだ。痛快だった。他の兵たちも大喜びである。中には泣いている者さえいた。

「よし、みんな。本隊に戻る。このスキに乗じれば、この戦の勝ちは目前。急ぎ戻るぞ」

「「ハハッ!」」

 兵たちは歓喜の興奮を抑えつつ、隊列を組んだ。この時に隆広は声を発するときに使ったジョウゴもちゃんと拾って持っていた。馬に乗る前、それを共に作った矩三郎に言った。

「矩三郎、そなたと夜なべして作ったこのジョウゴで一向宗の万の兵を追い払えた」

「もったいないお言葉にございます」

「これは味方を鼓舞するのにも使えるな、大事にするよ」

「は、はい!」

 

 柴田勝家も、そして他の諸将もあぜんとしていた。敵方の四分の三の兵が、つまり三万強の一向宗門徒がたった一人の男の言葉で戦意を失い次々と逃げ出してしまった。

 兵法に『城を攻めるは下策、心を攻めるは上策』と記されているが、こんなにそれが分かりやすい展開はなかった。

「殿、戻りました」

「うむ、見事な働きであった。褒めてとらすぞ」

「はい!」

「見よ、門徒どもが逃げ出したおかげで、七里本隊も士気が落ち混乱しておる。全軍で一気に攻める!」

「「ハハッ!」」

「全軍、蜂矢の陣にて突撃じゃ!」

「「ハッ!!」」

「かかれえ――ッッ!!」

 勝家の軍配が七里隊に向けられた。一万二千の柴田隊は一斉にときの声をあげて怒涛のごとく七里本軍に襲い掛かる!

 勝家の寄騎である才蔵と隆広は布陣した場所から動かず、勝家の傍らで待機している。そして誰の目から見ても、柴田勢の優位さは変わらなかった。残る本願寺の僧兵たちも大量に門徒たちが逃げた事から士気は無きに等しく、次々と討ち取られていった。戦況はもはや本隊が動くまでもない。さすがは織田家最強軍団と呼ばれる柴田勝家の軍勢である。この合戦においての隆広の出番はもうなかった。

 

 しばらくすると、七里頼周を討ち取ったと云う報告が入った。柴田軍大勝利である。加えて門徒たちが捨てていった鉄砲の数は千五百丁以上。あまり鉄砲の収集が得意ではない柴田家にはこの上ない戦利品だった。思わぬ置き土産に柴田勝家は歓喜した。

 加賀大聖寺城の戦いは、こうして柴田勝家の大勝利で終わった。水沢隆広と云う戦国武将の名が始めて歴史に登場した合戦でもある。一番手柄は佐久間盛政、二番手柄は前田利家、三番手柄が水沢隆広となっている。隆広は実際には戦場で戦ってはいない上に初陣。控えめにしたのも勝家の気配りとも言える。

 だが、隆広はこの戦の手柄と、先日の城普請の功も合わさり、足軽大将に昇進した。上限千五百の兵を任される将となったのである。陪臣(君主の家臣の家臣)とは云え、隆広はこの時点で織田家の若君たちを除けば織田家最年少の部隊長となったのである。佐久間盛政、柴田勝豊、佐々成政は不満であったが、普請と、この戦での功績は認めざるをえなかった。

 

 しかし、この合戦で前田利家があることに気づいていた。隆広は門徒に訴えている時、五度も『武器を捨てて逃げよ』と言った。つまり隆広はあわよくば門徒たちの持つ鉄砲もいただいてしまおうと考えていたのではないかと利家は見た。翌日に大聖寺城にて戦勝を祝った日、利家は隆広の隣で飲み、それとなく尋ねてみた。

『ただの偶然です』と隆広は笑っていたが、やはりあの鉄砲の放置の多さは、隆広の五度の『武器を捨てて逃げよ』が効いていたとしか思えない。利家はそら恐ろしさすら感じた。

 

 そして利家は誰にもそれは言わなかった。隆広は柴田家幹部数名から激しい妬みも受けている。

 かつて利家は羽柴秀吉の破格の出世を目の辺りにして、秀吉が常に諸将の妬みを一心に受けていたのを見ている。秀吉は生来の豪放磊落の性格をしていたからそれを歯牙にもかけなかったかもしれないが隆広は違う。まだ十五の少年で、しかも性格は繊細に思える。秀吉と同じような嫉妬の念に耐えられるか疑問である。今回の鉄砲の思わぬ収穫の功を一切主君勝家に主張しなかったのも、それから身を守る術だったのかもしれない。

 才蔵が『案や策があるなら言うべき。言わぬは不忠』と隆広に釘を刺したとは聞いた。だが現実、それをバカ正直に毎度実行しては僭越にもなるし、他者には増長とも取られてしまう。秀吉のようにオレがオレがとスキあらば主君信長に自分を売り込むようなマネは、おそらく隆広にはできない。

 

 だから隆広は鉄砲を接収できる策だけを実行して、その手柄は他者に譲ったのだろう。秀吉が聞けば、なんとお人よしと笑うかもしれないが、それも一つの処世術。初陣から隆広は声一つで破格の手柄を立てた。仕官して一ヶ月も経たないうちに足軽大将である。

 明智光秀や滝川一益のように、最初から侍大将や部将として召抱えられた例もあるものの、彼らはそれなりに名が通った武将であった。隆広はまったくの無名で秀吉以上の破格の出世を成した。これから隆広には常に嫉妬の念がついてまわるだろう。そして勝家も立場上、かばうことが出来ないこともあるかもしれない。

 

 幸いな事は、柴田家重臣たちである毛受勝照、拝郷家嘉、中村文荷斎、金森長近、不破光治が隆広に好意的なことである。この面々まで佐久間盛政や柴田勝豊同様に隆広を毛嫌いしていたらどうしようもないが、主なるこれらの将が隆広に好意的ならば自分がかばえば何とかなると利家は思った。

 無論、年若く勝家の寵愛を受ける隆広を快く思っていない者は他に数え切れないほどにいるであろうが、幹部にこれだけ好意的な者の方が多いことが幸運なのは確かである。

「しかし、いかに才がある養子候補だろうと隆広に対する殿の寵愛は異状だ。あのエコヒイキぶりでは逆に隆広はつぶれかねないし、家臣団に不和が生じるのもお分かりになるはず。何か考えがあっての事か…」

 色々と思案した利家だが、最後にこの答えへ達した。

「とにかく、オレが隆広を勝家様に会わせたのも何かの縁だ。あれほどの若者を小者の嫉妬でつぶしとうもない。しばらくはそれとなくオレがかばっていこう。それに君臣に不和が生じる前に何とかするのも家老の務めだ。忙しくなりそうだな」

 その言葉を記し、利家の本日の日記は締めくくられた。

 

 勝家隊は北ノ庄城に凱旋した。味方大勝利の報は城下町にも伝わっていた。領民たちは喝采をあげて勝家を出迎えた。城下町の中央通りを威風堂々に進む柴田軍に拍手は鳴り止まない。

 通りの両脇で人混みに圧倒されながらも、さえは隆広を見つけていた。そして最後尾の本隊。領主勝家の寄騎として堂々と主君の傍らにいる隆広を見つけた。

「隆広様―ッ!」

 さえの声に気付いた隆広は、恋焦がれている少女の歓喜の声に疲れが癒されていくようだった。隊から離れて抱きしめたいくらいだが、そうもいかない。ニコリと笑ってさえの笑顔に答えた。

(ああ、よくぞご無事で!)

 凛々しい隆広の凱旋姿にさえの胸は高鳴った。

 

 城下の娘たちも、さえが発した言葉で隆広を見つけた。彼女たちもずっと探していたのだが、全軍が同じような兜と鎧をつけているため見つけられなかった。見つけたら我先にと黄色い声を上げた。

「「キャ―ッ! 隆広様―ッッ!」」

「「こっちをお向き下さ―い!」」

 あまり女に慣れていない隆広は顔を赤くした。

「ま、まいったな…」

 隆広の後ろを歩く兵たちはすこぶる面白くない。

「ちぇっ 誰もオレたちの名前なんて呼ばねえや」

「グチりなさんな。これから武功を立てていけば物好きな女が一人ぐらいお前を呼ぶよ」

「オレたちは城下の鼻つまみ者だったからな、仕方ねえさ。でもこれからは違うもんな!」

「おうよ! 御大将の元で華々しい戦ばたらきしてやるさ。そうすりゃ向こうから寄ってくるってモンだ!」

 

「隆広」

「はい、殿」

「今、お前に黄色い声をあげた娘たちを泣かせたり憎まれるような将にはなるなよ。あの娘たちや、この北ノ庄の人々の笑顔を守っていくのが我らの仕事だ。ずっと黄色い声を受けられるような、そんな大将となれ。お前の父、隆家殿は女子に不器用ではあったが、斉藤の武将の中で領内の女子供にもっとも慕われていた。それは強くて優しい武将であったからに他ならない。お前も見習うのだぞ」

「そうとも隆広、ガキのころ隆家様の騎馬姿にオレはどんなに憧れたか。子供が憧れるような大将になれよ」

 隆広と同じ、美濃育ちの可児才蔵が背中を叩いた。

「はい!」

 

 無事に合戦を終えて、軍勢の解散が城の錬兵所で勝家から言い渡された。隆広は兵士たちに城下で一杯やりましょうと誘われたが、そこに勝家が来て紹介したい者がいると言われ部下たちに後日の約束をして勝家についていった。

 城内の勝家の私宅に連れて行かれると、そこには勝家の愛妻の市がいた。そして娘三人も。市と三姉妹は勝家を出迎えた。

「殿、お疲れ様でございました。お味方見事な大勝利と聞き及んでいます。謹んでお祝い申し上げます」

「うむ、市も留守ご苦労であった」

「父上、お帰なさ…」

 と、茶々が父の勝家に言おうとしたときだった。茶々は勝家の後ろにいる若武者を見て眼が飛び出るほどに驚いた。

「ああッ!」

「は?」

「あ、姉上! こないだ城下で見た美男子だよ!」

 また、お初が余計な事を言うので茶々は慌ててお初の口を押さえた。茶々は顔を真っ赤にしていた。

「茶々? どうしたの?」

「な、なんでもありません!」

「母上、父上の後ろにいる殿方が」

「だあああッッ! お黙りなさいよ! お江与!」

 

「まさか…?」

 市と勝家は顔を見合わせた。そして勝家は大笑いした。

「あっはははははッ! そうか! 前に言っていた若侍というのはこいつの事か!」

「ち、ちがいます! ちがいますってばあッ!」

「は?」

 隆広には話が見えなかった。しかし、目の前にいるのが市と三人の姫君というのは理解できた。

「市、この男が前に話していた水沢隆家殿の養子、水沢隆広だ」

「まあ、りりしい男児。初めまして、勝家の室の市です」

「お初に御意を得ます、奥方様」

 ひざまずき、眼をふせる隆広。

「顔をおあげなさい。わらわに顔をよう見せてください」

「は、はい」

 市はじっと隆広の顔を見た。隆広も市を見た。市は優しく微笑む。

「隆広殿、そなたの父上は我が織田家を震え上がらせた猛将。夫の勝家、兄の信長さえ恐れ、そして尊敬した武将です。そんな偉大な養父を持ち、誇りと思うと同時に、その名が重荷と感じるかもしれません。ですが隆広殿は隆広殿です。父のように、父のようにと、あまり根をつめてはなりませんよ」

「は、はい! ありがとうございます」

「隆広殿、私と勝家の姫たちです。三人ともおてんばですから、色々と貴方にも苦労をかけるでしょうが、よろしくお願いいたします」

「ハッ」

 隆広は三姉妹にもひざまずいた。

「茶々姫様、初姫様、江与姫様、お初に御意をえます。水沢隆広です」

「初です」

「江与です」

 次女と三女の姫は隆広の丁寧な挨拶に、初々しくも答えた。だが長女の茶々は隆広の顔が見られなかった。胸は高鳴り、恥ずかしくてたまらない。

「ちゃ、ちゃ、茶々です! こ、こちらこそよろしくお願いしますです!」

 と言って屋敷に逃げてしまった。その反応に勝家は笑いをかみ殺していた。小声で市がやんわり叱り付けた。

(殿、笑い事ではございませぬ。茶々と隆広は…)

(ん? まあ、そういうことになるが、まだ十五と十三ではないか。気にすることもなかろう)

(だといいのですが…)

 茶々が自分の前から走って消えてしまったので、隆広は市に尋ねた。

「な、何かそれがしは茶々姫様に変な事でも言いましたでしょうか?」

 お初が代わりに答えた。

「姉上は色々と難しい年頃なのです。隆広殿も女心を理解しないと!」

「は、はあ…」

(マセた事を言う姫だな)

「隆広殿には、もう奥さんいるのですか?」

 と、お江与。

「い、いえ。まだ独り者ですが」

「聞いたお初姉さん! 茶々姉さんにもまだ勝機ありよ!」

「そうねそうね!」

「は?」

「いやいや、隆広、あまり娘たちの言う事は気にするな。今回は市に会わせたかった。柴田家はみな家族じゃ。たまには市と娘たちに顔を見せてやってくれ」

「はい!」

「必ずですよ、隆広殿」

「「浮気しちゃだめです」」

「は?」

「初に江与、マセた事を言ってはなりません! ごめんなさい、隆広殿」

「はあ」

「ははは、さて、さえもお前の帰りを待っていよう。今回はこの辺で帰るが良い」

「はい!」

「では明日な」

 

 隆広は城を出て、城下町の自分の屋敷へと走った。

「腹へったなぁ…」

 自分の屋敷から炊煙が上がっていた。美味しそうな焼き魚の匂いが鼻をくすぐる

「さえ殿! ただいま戻りました!」

「お帰りなさい! 隆広様!」

 優しく迎えてくれるさえの声を、隆広は言いようのない歓喜の中で聞いた。

「いいよなあ…。こういうのが幸せっていうのかな」

 

 隆広の初陣はこうして終わった。十分に勝家を満足させ、他の将兵も一目置かざるを得ない英才を示した。

 また、後日談であるが、門徒数万を一斉に退かせた隆広の言葉を発したジョウゴは後に松山矩久と云う名の武将になった松山矩三郎が大切に預かり、今日に至るまで松山家の家宝として現存し、国宝にも指定され大切に保存されている。万の兵を一斉に退かせた声を発したジョウゴ。後の人はこのジョウゴを見て堂々と口上を言った水沢隆広の勇姿を思い浮かべた。



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藤林一族

忍び登場です。


 加賀大聖寺城の合戦以降、一向宗門徒たちの動きは鈍くなり、越前への国境を脅かす事はなかった。

 戦後処理を終えると、隆広は主君勝家に二日間だけ休みをもらった。養父長庵、水沢隆家が死ぬ間際に残した『美濃藤林山にいる木こりの銅蔵を尋ねよ』と云う言葉。隆家が死ぬ間際に言った事ならば、それは重要な事かもしれぬと勝家も見て、快く二日間の休みを与えた。隆広は部下の松山矩三郎と高橋紀二郎を供にして、一路美濃の藤林山に向かった。

 

 藤林山の木こりと聞いていたので、主従三人は特に何の警戒も持たずに山に入った。そして戦慄した。気がつけば隆広は部下の二人とはぐれていたからである。道中に視線もいくつか感じた。見張られていると気付く隆広。だが部下とはぐれた以上、一人で帰ることもできない。

「うかつだった…。ここは隠れ忍者の里じゃないか!」

 そろそろ夕方に差し掛かったころだった。山奥で呼び子が鳴った。すると隆広の周囲の視線はサッと消え去り、奥へと消えた。

「なんだ…?」

 とにかく部下を残して引き返せない。隆広は笛の音の方向に歩いた。そして見つけた。いや誘導されたと言っていいかもしれない。たどり着いた集落を見て驚いた。田舎の農村のような集落ではない。小規模な城下町を思わせるような集落だった。田畑は広がり、しっかりした家が何件も軒を連ねていた。山奥にこんな緑豊かな集落があったとはと隆広は驚いた。そしてその集落の中央に旗が上がっていた。それは『歩の一文字』の旗だった。

「あれは…父の旗!」

 

「そう、我らが主君。水沢隆家様の旗でございます」

 隆広のすぐ背後にその男はいた。ハッと振り向くと、またその男はいなかった。

「誰だ!」

「ふふふ、あなた、たわむれが過ぎますよ」

 一人の女が隆広の元に歩んできた。

「あ、あなたは?」

「初めまして…ではないですね。赤子の竜之介様に乳を与えた事もございますから」

「え!?」

「覚えていないのも無理はありません。わたしはお清、あなたの養父の水沢隆家様に仕えていたくノ一でございます」

「父上に…?」

「いかにも」

 お清の夫がやっと姿を見せた。

「大きゅうなられましたな、竜之介様、いえ水沢隆広様」

 

「御大将~ッ!」

 矩三郎と紀二郎が隆広に駆け寄ってきた。

「面目ございません。御大将の後ろを歩いていたら、いきなり頭をポカリとやられてここに」

「そうであったか、無事で良かった」

 周りを見ると、腕に覚えのありそうな老若男女がズラリとそろい隆広を見ていた。若いくノ一の中には頬を染めて美男の隆広を見つめる者もいた。

「では貴方が?」

「さよう、藤林銅蔵と申します。お父君の隆家様に忍びとしてお仕えしておりました」

「そうですか…。実はその父なのですが…」

「聞いております。お亡くなりになられたのでしょう」

「ご存知だったのですか」

「情報収集は忍者の特技にございます。立ち話もなんです。私の屋敷にお越しを」

「は、はあ」

 

 隆広は銅蔵の屋敷に入った。かなり広く、さながら堺商人の屋敷のようだった。里の忍者たちも同席した。

「粗茶ですが」

 隆広と同年ほどの少女だった。矩三郎と紀二郎は思わず見とれてしまった。

「こんな山奥にはもったいないほどに美しいな」

「ああ、連れて帰りたい」

「山奥で悪かったわね」

 二人の後ろに、長い髪をたらす気の強そうなくノ一がいた。

「「いっ?」」

「連れて帰られるものなら連れて帰ったら? ナニをチョン斬られても知らないよ」

「舞、よさぬか」

 隣に座る、白髪の老人が孫娘を叱った。

「は―い、お爺さま」

 

 隆広は出された茶を一気に飲んだ。ノドが乾いていたのである。

「毒が入っているとは考えませんでしたか?」

 銅蔵の問いに隆広は笑った。

「なぜです? それがしなど殺しても何の得にもなりますまい」

「ふふふ、それで、本日は何の用で?」

「それが…」

「それが?」

「分からないのです」

「はあ?」

「いえ、父は死ぬ間際に苦悶しながらも『藤林山の木こりの銅蔵に会い、わしの死を伝えよ』と言いました。それがしはそれを伝えに来ました。しかし銅蔵殿は父の死を知っていました。それがしは父の死を伝えに来ただけなのです」

 銅蔵の屋敷にどよめきが起きた。

「『わしの死を伝えよ』、確かにそう言われたか?」

「はい」

「なるほど、分かりました」

「…?」

「隆広殿、この里を見て最初にどう思ったかな?」

「はい、まずみんな強そうだなと、どこの大名を支持している忍者衆なのだろうと…」

「わしらはどの大名にも仕えておりませぬよ。我らにとり主君は隆家様のみ。斉藤家ではなく我らは水沢隆家様にお仕えしていたのです」

「で、ではどうやってみなさんは糧を得ていらっしゃるのです? 田畑や養鶏などもしているようですが、これだけの集落を存続させるには相当なお金が!」

 

 銅蔵は一人の男を指した。

「城壁修築以来ですな、水沢様」

「げ、源吾郎殿! なぜここに!」

 隆広が北ノ庄城の城壁に割普請を行った時に協力をしてくれた北ノ庄城下町の市場の長、源吾郎がそこにいた。彼は商人衣装を解いて忍びの黒装束に瞬時に身なりを変えた。隆家の死と養子の隆広が柴田家に仕えたと里に知らせたのも彼である。

 藤林一族は隆家と養子隆広の事を気にはかけていたものの、自分たちが関わってはすでに僧門に入っている主君の迷惑になると考え、藤林の方からも連絡を取る事はなかった。ゆえに主君と思慕しつつも隆家と隆広の近況はまったく知らなかったのである。だが養子が織田家の柴田勝家に仕えたと知り、再び忍びとして働けるかもしれないと一族は歓喜した。

 今日ここに隆広が来ると云う事も源吾郎が掴み里に知らせた。棟梁の銅蔵は畿内に散っている部下たちを呼び寄せ、新たな主君となるかもしれない若者の器量を一族みなで見分するつもりだった。

「私は柴舟(さいしゅう)と申します。北ノ庄での源吾郎は私の仮の姿でございます」

「驚いたな…」

「隆家様は我ら忍びに課す条件が、それはお厳しい方でした。我らは商人や僧侶に化けて敵勢力の内偵をするのが仕事ですが、付け焼刃の商人や僧侶では必ず敵の忍びに正体が分かってしまうというのが隆家様の持論でした。だから我々は本物の商人や僧侶となったのです。あまり羽振りはよくない北ノ庄市場の主の私ですが、商人としても一角と自負しています。これも隆家様の下された厳しい条件のおかげと我らはみな感謝しているのです」

「なるほど、それが…」

 銅蔵が答えた。

「さよう、この里が飢えずに繁栄している理由でございます。主を失っても主より受けた恩により、我らに今がございます。かく言う私も美濃と尾張周辺の杣工(木材を育成、伐採する木こり)の棟梁でもあります。織田家に材木を卸す生業をしておりますよ。ゆえに美濃の支配が斉藤家から織田家に変わっても織田家にこの山を召し上げられる事はなかったのです。信長公には何度かお会いしていますが、一度も忍びと察せられたことはございませぬ」

「すごいな…」

「いえいえ、隆家様にお会いするまでは我らも夜盗同然でした。我ら元は武田に滅ぼされた信濃平賀家の忍びだったのですが主家を失い、かつ武田の追撃それは厳しく、信濃を越えてこの美濃に逃げ込み、食うに困り夜盗をしていたところを当時領内の治安維持を道三公に任されていた隆家様に捕らえられてしまいました。

 もはやこれまでと観念したところ隆家様は我らを罰するどころか、『小数なれど、その統率の取れた戦いぶり褒めて取らす。さすがは猛将平賀源心入道殿に仕えた忍びよ。今そなたらに主君なくばワシが召抱えたいがいかがか?』と申され、ご自分の領地にあったこの山を我らに与え、直属の忍びとして登用されて下された。感激した我らは、それ以後隆家様にお仕えしたのです。この娘の名付け親にもなって下さいました」

 銅蔵の傍らにいる美少女がペコリと隆広に頭をさげた。

「すずです。生まれたばかりの娘を抱いて『丈夫に育てよ』と言って下さいました。だがその隆家様ももはやおらぬ…」

 忍者たちからすすり泣く声が聞こえた。

 

「すごいなあ…父上は…」

「斉藤家が滅び、隆家様は野に下りました。織田家からも武田や上杉からも家臣にと望まれましたが隆家殿はすべて拒否して僧となりました。それが隆家様のご決断ならと我々は隆家様から暇をいただきました。しかし今でも我らの主君は隆家様お一人。こうして里が裕福に暮らしていけるのも、隆家様が我らを商人としても歩める技量を会得させて下されたからです。米や野菜も自給自足できるよう、農耕の知識も教えてくださいました。主君であり、恩人であるのが貴方のお父上なのです」

「…初めて聞きました。父は昔を語らない人でしたから…」

「ある日、御歳一歳にも満たない隆広殿を連れてきて、しばらく私の家内の乳を吸わせた時期がございましたが、そのおりに隆家様は言いました。『さる方から預かった大事な男児。立派にお育てしてお返しするつもりだ』と」

「そうですか…」

「この藤林山を含め、隆家様は斉藤家より二万五千石ほどのを領地をいただいておりました。隆広殿も稚子の時は隆家様の屋敷で過ごされたのですよ」

「幼いころゆえ、確かな記憶はございません。物心ついた時には、すでに正徳寺の小坊主でした」

 隆家が隆広への本格的な修行を行いだしたのは正徳寺からである。隆広には『武将・水沢隆家』の記憶はほとんどない。

 

「『わしの死を伝えよ』と云う隆家様の言葉の意味は分かっております」

「…え?」

「『せがれがお前たちの目にかなうものならば助けてやって欲しい』と云う意味でございます」

「すごいや御大将! こんな忍者集団が味方についてくれれば!」

「そんな簡単に味方につくわけないだろう!」

 はしゃぐ紀二郎に舞が怒鳴った。

「いやだって…たった今銅蔵さんが」

 舞の迫力に腰が退けている紀二郎。

「確かに隆家様のご遺命ならば、我らはたとえ養子の隆広殿がどんなに暗愚だろうとお助けするのが使命とも言えるでしょう。しかし忍者は権力にではなく人に仕えるもの。隆家様と同じように隆広殿に心からそう忠誠を誓えるものではない。しばらくは隆広殿をじっくり観察させてもらおう。我らは畿内一円に商人としても僧侶としても点在する。私からも他の忍びたちから見ても、隆広殿が父上に匹敵する将器を備えていると見たならば喜んで犬馬の労を取ろう。だがダメ息子と分かった時は我らの主君の名を汚す者として容赦なく殺す!」

 銅蔵は瞬時に隆広へ刀を突きつけた。隆広は眉一つ動かさず、ニコリと笑った。

「分かりました。その時はどうぞお斬り下さい」

「よいお覚悟だ。水沢姓と『隆』の字を受け継ぐものにはそれほどの重みがあると分かっておいでだ」

 銅蔵もニコリと笑い、刀を納めた。

「客人がお帰りだ。舞、藤林山の外までお送りしなさい」

「はっ!」

 

 舞が隆広主従を連れて山の外へ案内していた。

「なるほど、本当に隠れ里だ。何度来ても我々じゃ迷子になるな」

 隆広は周りの木々を見つめて笑った。矩三郎や紀二郎は舞の胸やお尻ばかり見ていたが。

「ふん、そんな部下を持っているようでは、そう遠くない先にお前はお頭に殺されることになりそうだね」

 舞の言葉に二人は小さくなった。

「ははは、二人はこう見えても頼りになる男ですよ。まあ彼らの視線を不快に感じたのなら主のそれがしがお詫びいたします」

「ふん…」

「ところで舞殿は父と会ったことは?」

「…あるよ、一度だけ。もっとも記憶にほとんどない。ちっちゃい子供の時だったから」

「なるほど」

「でも、私を抱き上げてくれた時の温もりは覚えている。お前はあの温もりを一身に受けて育ったんだろうな。うらやましいよ。私は物心ついたときから祖父に辛い修行ばかり課せられていたから、あの一瞬の温もりが支えだったようなものだ」

「そうですか」

「さあ着いたよ! 今度死体でこの山に来ないことを願っておいてやる! ありがたく思え!」

「ありがとう、それでは二人とも北ノ庄に帰るぞ!」

「「ハッ」」

 隆広主従は山の外に繋げておいた馬に乗って藤林山から去っていった。

「ちぃ、いい男だね」

 舞は頬を少し朱に染めていた。美男と云うだけで好意が生じるほど単純な女ではない。隆広の人物に何かを感じたのだろう。また会えるといいなと胸に思いながら、舞は里に走り戻った。

 

「白、隆広殿をどう見た?」

 白は隆広と同じ年の美童で、源吾郎こと柴舟の一人息子で里屈指の忍者である。銅蔵の問いに白が答えた。

「はい、私は父の柴舟と共に北ノ庄の城下で隆広殿のやりました割普請を見ました。いかに割普請が羽柴筑前の真似と言えども、それなりの才覚と統率力がなければ実行不可能です。しかも当時のあの方には兵もおりません。まったく何も持たない状態からわずか千五百貫の資金で、かつ二日で成し遂げました。私は将器を備えていると思いました」

「ふむ、すずは?」

「武田信玄の戦略を用い、万の門徒を退かせ寡兵だった柴田軍に逆転勝利をもたらした軍才は評価に値すると思います。また鉄砲を接収するために打った一手も見事。補佐するに値する将と私は見ました」

「ふむ…柴舟は?」

「隆広殿は以前にこう言いました。『民からの搾取のみで国の資金を調達する時代はそろそろ終わりにしなければならない』と。今までにいない、本当に民の事を考えた大将となるかもしれないと私は見ました。忍者としてはまだ彼を補佐はできないかもしれませんが、商人としての私は彼への支援を惜しまないつもりです」

「ふむ、幻庵は?」

 幻庵は舞の祖父で、銅蔵と共に水沢隆家の両翼として活躍した忍びである。普段は岐阜の町で好々爺として過ごしている。

「お前の抜刀に隆広殿は顔色一つ変えなかった。胆力も申し分ないと思うが」

「みんな乗り気だな。困ったぞお清、これでは話し合いにならぬ」

「あなたとて、もう分かっておいでなのでは? 私の乳を飲んだ男児。そう安物に育つわけがございませぬ」

 自分の両の乳房を誇らしげに叩いてお清は笑った。

「そうだな、しかしもう少し隆広殿を見分させてもらおう。だが我らが再び『歩の一文字』を掲げて戦場に出るのはそう遠くなかろう、皆の者!」

「「ハハッ!」」

「よいか、隆広殿に助勢となれば当然のことながら敵は一向衆門徒、ひいては上杉との戦いもありうる。それをふまえ、これより一層に修行に励め!」

「「ハハ―ッッ!」」

 後に隆広直属の忍びとして、戦国の世に暗躍する藤林一族はこうして隆広と知己を得た。

 少数ではあるが戦国屈指の忍者衆と呼ばれ、戦国後期最強の軍団と呼ばれた水沢隆広軍の黒子として主君隆広を支え、あの手取川の撤退戦では主君水沢隆広と共に、軍神上杉謙信の本陣に突撃する事になる。

 

 藤林山から戻った翌日、隆広は亡き養父の隆家が眠る北ノ庄城下の寺に向かった。父に藤林一族と会ってきた事を報告するためであった。

 隆広は父の墓に月命日も来るし、何か父と語りたいときもやってくる。まだ隆広は父に立派な墓を立てられるほどに裕福ではない。主君勝家や前田利家が遠まわしに負担を申し出たが隆広は断った。自分の稼いだ禄で父に立派な墓を立てたいと思っていたからである。

 しかし、粗末な墓と云っても隆広とさえの手により清潔そのもので、花も絶やさない。隆広が養父を慕うほどが伺える。

 そして、今日も花と水、墓を清掃する道具を持って隆広とさえはやってきた。しかし今日は先客がいた。なんとその人物は柴田勝家であった。

「と、殿…!?」

 隆広とさえは急ぎ平伏した。

「よい、今日は平時である。そんなにかしこまらずともよい」

 墓を見ると、花も新しく、清掃も済んでいた。酒も供え物として置いてある。

「殿が…?」

「なんだ? ワシが墓掃除などおかしいか?」

「い、いいえ!」

「ははは、しかしすまんな。どうやらさえの仕事を奪ってしまったようで」

「そ、そんな」

「花がもったいない。どれ、ワシの献花と一緒に添えるがいい」

「は、はい!」

 

 水沢隆家の墓には隆広とさえの他にも訪れる者は多かった。隆広を嫌う佐久間盛政とて訪れているのである。それほどに織田と柴田の武将たちから尊敬を受けている武将だったのである。その隆家の墓の前で勝家は隆広に訊ねた。

「隆家殿が臨終の際に残した言葉の意味、分かったのか?」

「…はい、それは父が斉藤の武将だったときに用いていた忍者衆の事でした。父は自分の死を伝えさせることで『せがれがお前たちの目にかなうものならば助けてやって欲しい』と忍者衆の棟梁に伝えたのです」

「隆家殿の忍びか…そうとうに鍛え上げられた忍びであろうな…」

「はい、それがしもそう見ました」

「事が忍びの事ゆえ、これ以上ワシはそれについて聞かぬが、その者たちに認めてもらえるよう励むがいい」

「はい!」

「ふむ」

 勝家はニコリと笑い、隆広の肩を握った。

「きっと隆家殿も今のお前の言葉を聞いて喜んでいるだろう」

「…殿はよく父の墓に来て下さるのですか?」

「ん? ああ、たまにな。最初は隆家殿の生前の偉功を思うと、もう少し立派なものをワシの一存で立てようとも思ったが、気が変わった。常に花は絶えず、そして掃除の行き届いたのを見ると、墓は石が豪勢なものが立派ではないと知った。隆広とさえの心づくしに隆家殿も地下で喜んでいるだろう」

 隆広とさえは顔を赤めた。

 

 勝家が立ち去るのを見送り、隆広とさえは改めて養父隆家の墓に墓参した。線香をあげて合掌し、隆広は言った。

「父上…。父上の忍者たちに会ってきました。父上のこと色々聞いてきました。父上はすごい武将だったのですね。誇りに思います」

 隣で隆広の言葉を聞きながら、隆家の墓に合掌するさえ。チラリと隆広の横顔を見て少し頬を染めた。

「そして父上…。オレは勝家様に仕えられた事が本当に嬉しいと思います。これも父上のおかげです。あの世から見守っていて下さい!」



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真っ向勝負

ついにその時が訪れます。


 柴田勝家は隆広に開墾などの主命を与え、隆広は忙しくもそれをこなしていた。彼の兵の三百はこの一連の作業にも大いに働きを見せて、加賀大聖寺城の合戦後からしばらく経つと、城下町の人々の評価も

「いや~あのワルガキたちがなあ~」

「上に立つ人によって、あんなにも働き者になるもんなんだねえ~」

 と、見事なほどに変わっていた。兵農分離が行き届いた織田兵だが、実際は内政的な現場作業にも当たる事は多い。今までこういう作業を怠けていた彼らだが、本当に上司が変わっただけで働き者になってしまった。

 

 内政主命は一つ受けるときに勝家から三千貫の資金を受ける事ができる。

 この資金の使用用途の中には工事資金は無論の事、兵士や人足への賃金も含まれる。どのように割り振るも指揮官の自由であるので隆広はなるべく兵士と人足への賃金に当てるようにやりくりした。当時余った賃金を着服する不心得者が多いなか、隆広は部下と雇った者たちへの賃金に当てる努力をしたのである。それでいて内政の達成成果は抜きん出ていた。

 結局は使う者たちへ正当な評価を下してそれに見合う報酬を与える事が内政主命で成果を上げるに繋がると隆広は理解していたのだろう。

 また隆広は現場指揮官としての能力が傑出していた。指示内容は学問を知らない農民たちにも分かりやすく、適材適所を心がけており、休息や食事も十分に与えた。当たり前の人の使い方であるが、この当たり前ができない指揮官の方が多かった。

 ゆえに隆広の兵士となった三百人の働きはめざましく、日雇いの人足や労働者などの領民たちは隆広に使われることを何より喜んだという。

 

 そして隆広は現在、九頭竜川沿岸の開墾を勝家から命じられており、隆広と兵たちは越前を流れる九頭竜川のほとりに開墾工事の本陣を作り野営していた。

 隆広は、九頭竜川の川原を、兵とその地の領民に命じて開墾させていた。氾濫した歴史のない地点を選び、石と雑草と灌木だらけの川原を農地整備したのである。用水路も作り水も各田畑に通し、その地の領民たちは歓呼した。伐採した潅木も、城内の薪炭に使えるというので、今まで薪炭担当者は捨てていた灌木を隆広は大事に扱った。

 その灌木と、九頭竜川で取れた魚を塩漬けにしたもの、そして主命達成の報告書を兵の半数百五十に持たせて北ノ庄城に帰した。次の評定まで間があるので、隆広は本陣に残り、部下と共に九頭竜川を見て歩き、所々で地形図を描いていた。

 

「ふむう、やはり朝倉氏は一度この川に『霞堤』を作ろうとしているな、見てみろ」

 自分の描いた地形図を部下たちに見せて、その場を指した。

「『霞堤』、聞いたことあります。堤防の一部に流路方向と逆向きの出口をあらかじめ作っておき、洪水時には洪水流の一部をここから逃がし、洪水の勢いを弱め,下流側で再び流路に取り込むといった治水技術ですね?」

 部下の小野田幸之助が言った。

「そうだ。だが朝倉は大殿に攻められてしまい、それどころではなくなったのだろう。途中でやめているな。これを作ろうとしたのは河川沿岸に住む領民を思ってのことだろう。しかし驚いた、この治水工事の必要性を主君義景殿に説き、そして指揮を執ったのが、まさかあの方とはなァ…」

 一乗谷の落城以後、ほとんど九頭竜川に手は加えられていない。朝倉氏滅亡後に越前入りした柴田勝家も一向宗門徒に手が一杯で治水まで手が及ばなかった。

 しかし、この河川の治水はなんとしても早急にやらなければならない。隆広はそう感じていた。氾濫の多い地域に住む領民たちにとっては一向宗門徒より恐ろしい自然の猛威『暴れ川』であった。

 朝倉の時代に治水工事は着手されているが、織田信長の越前攻めのため頓挫せざるをえなかった。地元領民に隆広がその治水工事の時の状況を聞くと、内政をおろそかにしがちの朝倉義景に治水の必要性を説いて、かつ工事の奉行となったのは意外な人物であったのだ。

「御大将、あの方とは?」

「ああ、それがあの…」

 

「御大将―ッ!」

「ん? あれは北ノ庄に帰した矩三郎の声ではないか?」

「そのようですね。行って戻ってきたのかな」

 息を切らせて松山矩三郎が陣屋に入ってきた。

「ハアハア、御大将、勝家様がお呼びです。主命が終わったならすぐに戻れと。次の仕事があるから帰ってこいと」

「え? 九頭竜川の地形を調べたいと云うことは述べたのか?」

「申しました。だがそれはあとにせよ、と」

「そうか…。まあ、おおまかな地形図は描き終えているからかまわないか。よし、陣場をすぐに撤収せよ、北ノ庄に帰るぞ!」

「「ハッ!」」

 

「うそつき…もうしばらくここにいるって昨夜言ったばかりじゃない」

「仕方ないだろう、御大将の命令なんだから…」

 撤収をしている陣場の外で、泣いている農民娘をなだめている小野田幸之助がいた。隆広の兵士たちの中には、この開墾工事中に地元の農民娘と深い仲になってしまった者が何人かいた。隆広と共に、懸命にその地の開墾に励んでいた若者たちの姿は、その地の娘たちの心を掴んだのである。よく周りを見れば、幸之助のように泣いている娘をなだめている兵士が何人もいた。

「ぐすっ 今度はいつ会えるの?」

「すぐだよ。北ノ庄から馬を飛ばせば数刻で来られるからな、オレとてお前のカラダが忘れられない。また来る」

「もう助平」

 

「なにやってんだアイツらは! 撤収作業なまけよって! こら―ッ! 御大将自ら働いているのに部下が女とイチャついていてどうすんだ!」

 地元娘とそういう仲になれなかった松山矩三郎は機嫌が悪かった。

「ははは、まあいいじゃないか。そんな手間のかかる作業じゃない。矩三郎は地元娘と仲良くなれなかったのか?」

「え? ええまあ、ここいらの娘たちにオレ好みの女子がいなかったので。次の開墾地に期待します」

「おいおい、オレの受ける内政主命はお前たちの嫁探しの場ではないぞ」

 カラカラと隆広は笑った。

「わ、分かっております。あくまでもついでです。ついで」

「ついでね。まあそういう事にしておくか」

「そういう御大将はどうなんです?」

「オ、オレ?」

「村娘たちに言い寄られていたの、知っていますぞ」

「『惚れた女子がいる』と断った。それに現場指揮官のオレがそんな真似はできない。主命を受けて開墾をしている以上、オレは殿の代理人だからな。そんな無責任な事はできない」

「律儀ですなぁ」

(惚れた女子とは、さえ殿のことなのだろうな)

 

 隆広と兵たちは、地元領民の見送りを受けて北ノ庄に帰った。隆広は自宅に寄らず、まっすぐに城に向かい、勝家に会い改めて主命達成の報告をした。

「九頭竜川沿岸の一部を、農地整備してまいりました」

「うむ、素晴らしい出来栄えのようだな。嬉しく思う」

「もったいなきお言葉にございます」

 勝家の手には、前もって提出した隆広からの報告書があった。

「各田畑に水を公平に分配できるよう作ったそうだな。そなた、引水や用水の知識も持っていたのか」

「専門家まではいきませんが、父に習った事がございますので」

「なるほど、隆家殿はすぐれた内政家でもあったと云うが、そなたを見ているとそれがよく理解できるのう」

「恐悦至極に存じます」

 

「して、報告書にも記されてあった『九頭竜川治水の必要性』だが…」

「はっ」

「残念だが、現時点で着手する金がない」

「は…」

「あとで詳しい見積もりを提出してもらうとするが、今ここでも聞かせよ、九頭竜川治水に、そなたの見込みではいかほどかかるか?」

「は…六万貫はかかるかと…」

「…工事をしなかった場合、大型台風による被害は?」

「その倍は…。しかしそれより被害を受けた沿岸領民たちの民心が殿より離れる方が深刻かと存じます」

「やらねばならぬ。そういうのだな?」

「は…」

「しかし現実、北ノ庄にそんな金はない。またそなたをその治水ばかりに割くわけにもいかぬ。今は一向宗門徒の殲滅が何よりの悲願。両方同時に行うのは不可能だ」

「殿…」

「だが、その必要性は分かった。門徒どもを駆逐したら真っ先に着手しよう。それでお前を九頭竜川から呼び戻したのはだな」

「はい」

「安土に行ってくれ」

「安土に?」

 

 勝家は文箱から書状を出した。

「この書状を大殿に届けて欲しい。先日の合戦についての報告と、ここ数ヶ月の越前の統治状況などを書いたものだ」

 隆広はそれを両手で受け取った。

「また、大殿から使者はお前にしろと言ってまいった」

「それがしを?」

「ああ、以前に市も言ったと思うが、お前の父上の隆家殿には大殿もさんざん痛い目に遭わされている。その名を継ぐお前を見てみたいのじゃろう」

「はあ」

「また、安土の帰りに越前を一通り回って来い。今回の九頭竜川のようにお前の眼から見て気付くものも多かろう」

 勝家はスッと立ち上がり、隆広の前に座った。

「隆広、ゆくゆくワシは領内の内政をお前に任せるつもりでいる。だからよく見てまいれ」

「はい!」

「うむ、三日以内には安土に発て」

「はい、あ、それと…殿、お許し願いたいことが一つございます…」

「ん? なんだ?」 

「実は…」

 

 隆広は家に帰った。そして勝家に願い出た『許してほしい事』も無事に許可してもらっていた。

「あ、安土に?」

「ええ、三日後に発ちます」

 さえは拗ねた顔になった。やっと帰って来たと思えば、すぐに違う主命を受けて出かける。確かに自分は隆広の使用人と云う立場だけれど、仕事ばかりで自分を一向に省みない隆広に対して不満が出てきた。

 さえは寝る前に必ず湯につかっていた。いつ隆広が自分を求めてもいいように。無論、使用人とはいえ、かつ好意を持っているとは云えど、そう簡単に身を任せる気はない。しかし一つ屋根の下で暮らしているのである。あくまで万一に備えてのことであった。だが朝に目覚めて、隆広が自分の寝室に来なかったことを知るたびに何か切なくなった。

 隆広が主命で家を空けるとき、さえは城に上がり勝家の妻お市と姫たちに奉公しているので屋敷にポツンと一人と云う事ではないが、やはりさえは隆広の留守中は寂しかった。会いたい気持ちで一杯だった。

 だが、その隆広は久しぶりに帰ってきて自分に会っても優しい言葉一つもかけない。相変わらず間に線をひくように常に『殿』をつけて自分を呼び、言葉は丁寧に敬語を使う。自分は彼に取り魅力がない女なのか…。そんなことも感じてしまう。

 私は久しぶりに会えて嬉しいのに、この人の頭の中はもう次の仕事で一杯になっている。また主命で家を空ける。自分は省みてもらえず放っておかれてしまう。当時も今も、女は放っておかれる事を一番にイヤがるものであるが、当時の世で使用人がそんな理由で主君に不満を言っていいものではない。さえは文句を言いたいのをグッと我慢し

「では…旅支度と路銀の用意をしておきますので…」

 と、ぶっきらぼうに言った。

「あ、さえ殿」

「なんですかあ?」

 露骨にふて腐れた顔を見せるさえ。

「お、お話があるのですが」

「忙しいのですけど」

「大事な話なのです。聞いていただけないでしょうか」

「…分かりました」

 

 さえは隆広の部屋に入り、その前に座った。

「お話とは」

 拗ねているさえ。ご機嫌ななめで隆広の顔を見ずツンと横を向いているが、隆広はかまわず続けた。

「さえ殿、いや…」

「は?」

「さえ」

「…!? は、はい」

 初めて呼び捨てにされたので、さえは隆広を見た。

「ゴホッ ゴホッ」

 隆広の顔が真っ赤になってきた。

「さえ、オレは…」

「…?」

「そ、そ、そなたが好きだ。はじめて城下で会ったときからずっと好きだった。心からそなたに惚れているのだ」

「…!」

「つ、妻にしたい! オレと夫婦になってくれ!」

「た、隆広様…」

「ゴホッ ゴホッ」

 隆広は風邪をひいてもいないのに、やたら咳きこみ間をとる。

「なんの縁かは分からなかったけれど、気がついたらさえとは主従関係となっていた。そなたがただの町娘なら、とっくに求愛し妻にと願ったであろうが、どういう巡り合わせか偶然にも主従になってしまった。毎夜そなたの寝所に行きたいのをこらえるのに必死だった。何か立場を利用してそなたを求めているようだったから…だから常にそなたに余所余所しく敬語を使い、自分を戒めていたのだ…」

「…」

「だけど、もう堪えられない。どこに行ってもそなたの事で頭が一杯になってしまう。妻にしたい。一生そなたの笑顔を見ていきたい。そなたの声を聞いていたい」

 さえは驚いた。そして嬉しかった。今まで自分に一線を隔てていたのは私を大事にすればこその事だったのかと知ったからである。何より、自分が好きになった男が自分をこれほどまでに好いていてくれた事が。

 

 だからこそ、さえも自分の事を話さなければならない。

「嬉しゅうございます…。でも私の父の事を知れば、父の事を知ってしまっても隆広様は私を妻にしてくれますか?」

「さえのお父上…?」

「私の父は…朝倉景鏡です」

「な…ッ!?」

「ご存知の通り…主殺しの…裏切り者です!」

「その事を…殿や奥方様は?」

「知っております。勝家様と奥方様だけには話してあります」

 朝倉景鏡(かげあきら)、一乗谷城陥落後に織田信長に寝返り、主君である朝倉義景を殺した男である。

 後に土橋姓を信長から与えられ土橋信鏡を名乗り、旧領を安堵されたが一向宗門徒や朝倉恩顧の領民たちに裏切り者と呼び続けられ、ついに一向宗門徒に攻められて追い詰められ自害に至った。

 信長は自分に味方した景鏡に旧領こそは保証したが、裏切り者の彼を快くは思わなかった。それは他の織田の武将もそうだろう。彼が一向宗門徒に攻められたとき、誰も援軍には来なかった。

 

 さえは、裏切り者よ、主殺しよと言われ続け、ついには発狂した父を見た。優しい父だった面影は微塵もなくなってしまった。

 だが自刃する直前に彼は正気を取り戻し、一人娘のさえを部下に命じて逃がしたのである。その部下も逃走中に受けた矢傷が元で死んだ。

 そして逃げた先の漁村で父の訃報を知った。村の民は彼女の父の死をあざ笑っていた。悔しかった。だが何も出来ない。天涯孤独となってしまったさえ。朝倉家の宿老であった朝倉景鏡。幼いころから父の溺愛を受けて、蝶よ花よのお姫様だったさえ。だがもう何もかも失ってしまった。一文もなく、今日食べる飯も寝床も無い。

 さえは死の誘惑に負け、日本海に面する断崖絶壁の東尋坊で身投げを決意した。だが、たまたま東尋坊の景観を楽しんでいた柴田勝家とお市に見つかり止められてしまった。さえの境遇を哀れんだ勝家とお市は城に連れ帰ったのである。

 その後、さえは北ノ庄城で懸命に働いた。朝倉家宿老の姫などと云う気位は捨てた。一度死を選んだ身、もう行く場所はここしかないと云う気持ちか、さえは必死になって奥方お市への忠勤に励んだのである。よく気がつき、利発なさえを市は可愛がった。

 

 自分の生い立ち、そしてさえは卑怯者と呼ばれる男の娘なのだと隠さずに隆広に述べた。

「父は未来永劫に渡り…裏切り者と呼ばれるでしょう。その娘の私でもよいのですか? もし織田の大殿に、女房が朝倉景鏡の娘とでも知られたら! 隆広様の出世は絶望的です! 私は裏切り者の娘なんです!」

「だけど、さえにとっては立派なお父上だったのだろう?」

「え?」

「さえを見れば分かるよ」

 かつて自分が隆広に言った言葉。それを隆広はニコリと笑って返した。

「隆広様…」

「さえ、景鏡殿の墓は確かなかったな」

「はい…」

「これからも、オレの禄をうまくやりくりして、お金を貯めてくれ。二人で景鏡殿の立派なお墓を作ろう」

「は…い…」

 さえの目から涙がポロポロと落ちた。嬉しかった。求婚してくれた事。父の名を聞いても何の心変わりもしなかった事。そしてお墓を作ろうという隆広の優しさが。

「ところで…」

「え?」

「へ、返事を聞かせてくれないか…?」

 さえの顔がボンと湯気が出るほどに赤くなった。そういえば『はい・いいえ』の明確な返事はしていない。三つ指を立て、静かにかしずくさえ。

「ふつつかものですが、誠心誠意お仕えいたします。よろしくお願いします、お前さま…」

「さえ!」

 隆広はさえを抱きしめた。戦国の世、十五歳同士と云う幼い夫婦が北ノ庄の町で誕生したのである。

 

 隆広の求婚をさえが受けた直後だった。前田利家がやってきて仲人を買って出た。どうやら勝家に命令されたらしい。さえが隆広の求婚を受けないとは考えていなかったようだった。

 隆広が勝家に許しを願ったのは『さえを妻にしたい』と云うことだったのである。勝家はそれを許し、かつ『こればかりは、いらぬ作戦も智恵も使わずに真っ向勝負で行け』と督励したのだった。

 さて利家だが、かつて木下藤吉郎とおねの祝言の媒酌人をしただけあって、さすがに段取りがいい。前田家中の者が利家の指示でパッパと祝言の席を作ってしまった。

「前田様、わざわざ居城の府中城から来て下されたのですか…?」

「あ? そんなことあるわけなかろう。今日は妻のまつと共に北ノ庄に滞在していたんだ。それで勝家様にお前の祝言の面倒を見てやれと言われたんだ」

「ありがとうございます…」

「気にするな。オレは結構こういうのが好きでな。自慢じゃないが仲人や媒酌人を務めた数は勝家様より多い。すごいだろう」

「は、はあ…すごいですね」

 

 別室では利家の妻のまつがさえの花嫁衣裳の着付けを行っていた。

「まつ様…すみません、ご家老の正室様にこんなことを…」

「なに言っているの。私はこういうの大好きなの。ウチの殿は仲人するのが大好きでね。だから私も自然に好きになっちゃって、ははは」

「はあ」

「これから忙しくなるわよ~。殿が言っていたけれど、隆広殿はずいぶんと将来有望な若武者らしいじゃない。家来も増えていくでしょう。ただ隆広殿に尽くすだけじゃダメなのよ。水沢隆広隊の全体を見ていかなくちゃ」

「は、はい! がんばります!」

 

 話を聞きつけ、隆広の兵士たちや、城普請を一緒にやった職人たちも祝いに駆けつけた。さすがに全部入らないので、家の外にも宴席が設けられ、隆広とさえの祝言を祝った。

 楽しい歌や唄う者、その歌にのり踊るもの。それを見て大口を開けてバカ笑いするもの。隆広も恋焦がれた美しい少女と夫婦になれた喜びか、歌や踊りに大笑いしながら手拍子を送っていた。

 さえは最初だけおしとやかに上座に座っていたが、少し酒が入ったら、鼓をたたき出し、歌の調子を取った。楽しい笑い声はいつになっても止まらなかった。だがしばらくすると、家の外でお祭り騒ぎをしていた面々が急に静かになってきた。

「ん? 急に外が静かに…」

 

「殿じゃ! 勝家様じゃ!」

 隆広と利家は飲んでいた酒を吹き出した。急ぎ身支度を整えて、隆広とさえは玄関先に勝家を迎えに行き、勝家に平伏した。

「よい、祝言の贈り物を持ってきただけだ」

「は?」

「隆広、さえ」

「「はい!」」

「誰か見ても、似合いの夫婦じゃ。隆広、さえを大切にするのだぞ」

「はい!」

「うむ」

 勝家は贈り物を隆広に渡した。

「陣羽織…」

「では、わしは帰る。宴を続けよ」

「はい!」

 

 宴は終わった。そして初夜を迎えた。身を清め、純白の着物を着て、蒲団の上で静かに隆広を待つさえ。

 隆広も身を清めると新妻の待つ寝室へ行った。隆広が部屋に入ると、さえは三つ指をたててかしずいた。その隣に座る隆広。お互い緊張して何から話していいか分からない。二人とも性経験はなかった。

「あ、あの、さえ」

「は、はひ」

「オレは…女子は初めてなんだ…。でも、優しくするから…」

「は、はひ」

 二人はやっと向き合い、隆広は緊張で手が震えながらも、優しくさえを寝かせた。その時だった。

 

 バターンッ!

 

 閉めた寝室のふすまが外れた。どうして外れたかというと、隆広の部下数人が主人の記念すべき夜を見届けようと思ったからである。彼らの誤算は覗き込む人数の圧力に思ったほどにふすまが耐え切れなかったと云うことだ。

「な、なんだ! お前らは!」

 顔が真っ赤になっている隆広。さえは恥ずかしさのあまり顔を両手で覆った。

「す、すいません、だからお前が!」

 松山矩三郎が高橋紀二郎のホホを思い切り叩いた。

「お前が覗こうと言ったんじゃねえか!」

 

「出て行け――ッッ!」

「は、はいい!」

 部下たちは一目散に退散した。

「まったく!」

 まだ覗いているヤツがいないか、廊下を確認してふすまを閉める隆広。

「ぷっ…」

 さえは吹き出した。隆広も何か可笑しかった。

「あっははは」

 二人とも緊張が解けた。改めてさえを横にする隆広。やはり触れると少しさえは体を硬くした。

「お前さま…恥ずかしゅうございます。灯を消して下さいませ…」

「う、うん」

 新妻のかわいい要望に答えて、隆広は行灯の火を消した。初めて触れる女の肌。

(柔らかい、こんなにも女の体って柔らかいもんなのか…)

 こうして初夜は更けていった。




ちなみに原作の太閤立志伝3特別篇では、隆広とさえは結婚していないのです。公式ガイドブックに、いかにも後付けで『後に妻となる』と書かれていますけど、私は早いうちに結ばせました。今後のイチャイチャ展開を楽しみにしていて下さい。


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愛馬ト金

 初夜の明けた朝、隆広は庭で木刀を振っていた。いつもより振る回数が多い。こうでもして体力を使わないと、朝起きたと同時に新妻を求めてしまう気がした。

(女とは…あれほどに良いものだったのだな…。女で身を滅ぼす男が後を絶たないのがよく分かる。オレはまだ修行の身。新妻の肌に溺れるなどあってはならん)

 だが、たった今自分に戒めた事も愛妻の顔を見て吹き飛んでしまった。さえが隆広を呼びにきた。

「お前さま、朝餉の支度ができました」

「うん」

(お前さまかあ…いいなァ…)

「どうなさいました? ポーとして?」

「ん? いや昨日の閨を思い出して…」

 カァッとさえの顔が赤くなった。

「は、早く食べて下さい! んもう!」

 

 戦国武将の中で正室を深く愛した男は多くいるが、隆広はその中でも五指に入るほどだった。彼は正室さえを溺愛したと云う。後に隆広も側室を持つようになるが、やはり正室のさえを一番愛した。

その猛烈な愛妻家ぶりは他の大名も知るほどに有名で、隆広は陣中からも妻に恋文を送り、敵方が大事な密書と勘ぐり、その書状を奪った時、あまりの熱烈な文面に敵将が赤面したほどである。

 無論、水沢家中では周知のことであるが、家臣や侍女たちが時に目のやり場に困るほどであった。さらに困ったことに隆広は妻とのノロケ話を家臣や家臣の妻にするのが大好きだった。そのノロケ話に相槌を打ち、かつ聞き流せるようになって初めて隆広の家臣団や家中の女衆では一人前と言われたほどだった。

 

 そして今は新婚ホヤホヤ。食事をしながらウットリと自分を見つめる隆広を見て、嬉しい反面、さえは不安になってきた。

(大丈夫かな…女を知ったとたんに堕落なんてしないでしょうね…)

「さえ、今日の朝餉も美味しいぞ」

「そう言ってもらえると、作りがいもございます。ところでお前さま」

「ん?」

「明日に安土へ発たれるそうですが、今日は何を?」

「外出は明日に乗っていく馬を錬兵所に注文してくるくらいかな。あとは家で報告書を何枚か書くくらいだよ」

「そうですか」

「うん、今日一日、さえと一緒だ」

「んもう、お前さまったら」

 

 その報告書は、主君勝家に述べた九頭竜川の治水工事に伴う費用の見積もりと、実行する場合の治水方法について記したものである。

 開墾作業の寸暇を利用しては、隆広は氾濫の起きた地域を調べて製図にしていた。今それを一枚一枚入念に分析して報告書を書いている。文机に向かい、算盤をはじき、筆もスラスラと進めている隆広の姿を見て、さえは安心した。仕事をしている時は、やはり以前に見たように厳しい顔をしていたからだった。

(そうよね、私が見込んだ隆広様が女を知ったくらいで堕落するワケないわ!)

「お前さま、お茶を」

「うん、ありがとう」

「何をそんな真剣な顔をして書いていたのです?」

「ん? ああ九頭竜川の治水についてさ」

「九頭竜川の?」

「途中まで、『霞堤』と云う治水技法で朝倉氏がやっている。それを上手い具合に継げないものかと思ってな」

「……」

「そう、その『霞堤』の治水工事の現場指揮官は、さえのお父上の朝倉景鏡殿だ」

「し、知っていたのですか?」

「現場に行くまでは知らなかったよ。だって開墾地は景鏡殿の領地だった大野郡じゃないからな。景鏡殿は主君義景殿に九頭竜川の氾濫の脅威を訴え、進んで主家の領土の治水を行った。だが織田の大攻勢でその工事は中止にせざるをえなくなった。景鏡殿は工事を中止することを地元領民に詫びたそうだ。地元領民は武士が初めて自分たちに頭を下げたのを見て大層驚き、そして感動して、その名前を覚えていたんだ」

「……」

「言いにくいが、オレも景鏡殿の事を少なからず良い印象は持っていなかった。だから河川沿岸の領民にそれを聞いたときは正直言うと驚いた。そして、その後にさえに求婚して知ったそなたの父の名前。不思議な偶然もあるものだな…」

「お前さま…」

「景鏡殿は当時、朝倉の重鎮。それが民に頭を下げるなんて、そうできることではないな。さえの云うように…残念ながら景鏡殿は歴史に汚名を残し続けるであろうが、旧朝倉領に景鏡殿の心底を知っている民はいた。素晴らしいことだ」

「お、お前さま…」

「さえ、そなたの父が無念にも途中でやめざるをえなかった九頭竜川の治水。なんとか柴田のチカラで引き継げるよう、がんばるよ。景鏡殿はオレにとっても父上だからな!」

「んもう…女房を泣かせる事ばかり言って」

「さすがはオレの見初めた女子。泣き顔もかわいいなあ」

「んもう、知りませぬ!」

 さえは隆広の部屋を出て行った。嬉し涙を前掛けでぬぐい、ふと空を見上げた。優しかった父の顔が浮かんできた。

「父上、見てくれましたか…。私が好きになった殿方を。父上の仕事を継いで下さると言って下さいましたよ…。きっと父上が今も生きていたら…天下一の婿殿をもらったと私を褒めて下さったでしょう…」

「さえ―ッ」

「は、はい!」

「錬兵所に馬を注文に行く。ちょうどいい小春日和だ。散歩がてら一緒に来ないか?」

「はい、すぐに支度します」

「別にそのまんまのナリでも十分かわいいぞ」

「んもう! 女には色々と準備があるのです!」

 あの世にいる、さえの父、朝倉景鏡も天から娘夫婦を見守るにも、どうにも目のやり場に困ったに違いない。

 

 城下町を歩く隆広とさえ。当時は『女は男の三歩後ろに』が一般的であったが、二人は並んで歩いた。さすがに往来で手は繋げなかったが、ピッタリ寄り添っているので道行く人たちは仲睦まじい若夫婦に微笑んでいた。

 そんな中、商店に活気がないことや、町行く人が沈んでいる事にさえは気付きだした。

「あまり商家に活気がございませんね、人々も何か元気ないですし」

「そろそろ、年貢の時期だからな…。みんな頭を悩ませているのだろう」

「あ、そういえばそんな時期でしたね…」

「一揆が起こる最大の原因は重税だ。だから一向宗門徒に付け入られてしまう。そして、その門徒を倒すために軍備がかさみ、いっそう民に税を強いるしかない。泥沼だな」

「その泥沼を打開する方法はないのですか?」

「ある。大殿のやっている楽市楽座の導入。そして柴田家中に『国費を稼ぐためのみの商人集団』を作ることだ。民からの搾取のみで国費をまかなう時代はもう終わりにしなければならないんだ」

 さえはピタと歩くのを止めた。

「どうした? 何かオレ変な事言ったかな?」

「い、いえ…」

 隆広がポツリと言った一言にさえは驚いた。特に『民からの搾取のみで国費をまかなう時代はもう終わりにしなければならない』と云う言葉。こんなことを言う武士をさえは初めて見た。しかも、それを言ったのはまだ十五歳の少年である。

 夫が柴田家中で重職につけ、私がその内助をできたらどんなにいいだろうと、さえは思っていたのだが、さえはこの時に初めて感じた。柴田勝家、前田利家、可児才蔵が思ったように、もしかすると夫はとんでもない大将になるのではないかと。

 

「ほら、もっとくっついて歩こう」

「は、はい!」

 再びピッタリ夫にくっつき、一緒に歩くさえ。そして聞いてみた。

「お前さま、軍資金を稼ぐためのみの仕事って?」

「つまり柴田家そのものが産業を持つことだよ。敦賀港があるとはいえ、今まで柴田家は敦賀商人から税を取るだけで、自分で交易をしようとまで考えていない。越前の名産は漬物、米、味噌、醤油、塩、蕎麦。そして日本海の恵みだ。大規模な大陸交易をしなくても、利益は望めるし、何より減税が可能となる。越前内にある城の商店すべてに出店に伴う関税もなくせば、色々な商人が領内に来て、国は富むし、名産も新たに生まれる事だってある。つまり交易だけでも、柴田家が直接行う事でこれだけの成果が見込まれるんだよ」

「すごい、夢のようです。とうぜん城下も賑わいますね」

「ああ、文化だって入ってくるし、美味しい食べ物だって入ってくる」

「すごいすごい!」

「その実現のために、オレも働くつもりだよ。越前のため、殿のため…そして…」

「そして?」

「愛しいさえのために」

「んもう!」

 手は繋いでいなくても、ハタから見て十分にイチャイチャして見える二人だった。ある母親などは幼子の目を隠したほどだった。

 

 錬兵所に到着した。錬兵所の兵士が隆広に歩んできた。

「これは水沢様」

「うん、竹作殿、勤めお疲れ様にございます」

「おお、それがしの名前など覚えておいてくれたとは嬉しゅうございます。今日は何用でございますか?」

「ええ、明朝に君命で安土に発ちます。大殿への使者ゆえに急がなくてはなりません。足が速く多少の段差など問題にせぬ馬を借り受けたいのです」

「かしこまりました。では放牧場にご案内いたします」

 

 竹作と共に、放牧場に行く隆広。しかし到着すると少し顔をしかめた。

「お前さま? どうしたのです?」

「うん…」

「水沢様、お気に召す馬がございませんか?」

「竹作殿、軍馬の仕入れはいつから滞っていますか?」

「恐れ入ります。一年以上は新馬の仕入れがございません」

「そうか…馬がなくては合戦にならない。殿も頭を悩ませているだろうな…」

「お前さま、どうして軍馬の仕入れが滞っていると?」

「負傷している馬と、歳を取った馬が多い。ましてや越前や周辺の地域の馬単価は高く、この近辺に野生馬の生息地はない。かといって安価な馬は一合戦でつぶれてしまう事も多い。他領の馬商人に注文をするも、おそらくは五百貫は先払いしなければ取引には応じないだろう。こいつは厄介な問題だ。でも何とかしなければならないな…」

 竹作は驚いた。他の将兵はここに馬を借りに来ても、『もっといい馬はないのか』と言うだけで『どうすればいいだろう』とまで言った者はいない。こんな若い武将が…と竹作は舌を巻いた。

「しかし、今は安土への使者を無事にやり遂げる事が先決だ。竹作殿、あの馬を借りよう」

「ほう…よくぞ、あの馬に目をつけましたな」

「よい馬なのですか?」

 と、さえ。

「はい、二歳になる牝馬で、この放牧場の厩舎で生まれた馬です。ナリは少し細く、重量を支えるチカラは少し頼りないですが、細身な水沢様ならば、十分に支えられますから足の速さは私が保証しますし、何より頭もいいですよ」

 その牝馬は自分を見る隆広に気付いたのか、寄ってきた。

「まあ、お前さまは馬の女子にも好かれる特技もお持ちなのですね」

 さえの言葉に照れ笑いしながら、隆広は馬の頬に触れた。

「いい馬だ…」

 

 ブルルル…

 

 まるで隆広の言葉が分かったかのように、触れている隆広の手に顔を擦り付けた。

「馬も水沢様が気に入ったご様子。お連れ下さい」

「良いのですか? 明朝取りにこようと思っていたのですが」

「それがし、ここの軍馬を見て『何とかしなければ』と言った大将を見たのは初めてでございます。軍馬の一担当者として、とても嬉しく思いました。そして何よりその馬を見初めた伯楽(中国で有名な馬の目利きに長けた人物の事)さながらの眼も感じ入りました。ここは貸すだけではなく、売るも請け負っておりますゆえ、貸すのではなく、お譲りとしたいと思います。代金は出世払いで結構ですから。もはやその馬も背を水沢様のみにしか預けないでしょうから」

「すまない! 竹作殿、恩にきますぞ」

「さっそく、あちらの馬場で試し乗りをされては?」

「そうしよう」

 

 ドドドッ

 

 その牝馬は、隆広の見越したとおり、いやそれ以上の速さで主人を乗せた。馬場をすごい速さで駆ける。

「まあ、本当に足が速い馬だわ!」

 馬場の外で、馬を駆る夫をウットリとして見つめるさえ。

「いやあ、水沢様の馬術も大したものですよ。かの武田騎馬隊も顔負けですな。ははは」

「すごいぞ、そなたは駿馬だ! さっそく名前をつけないと!」

 少し考えて、隆広は馬に言った。

「我が父、水沢隆家の旗印『歩』! その歩の成り『ト金!』 そうだ、今からお前の名前はト金だ! これから頼むぞ―ッ!」

 隆広の言葉が分かったかのように、美々しいいななきをあげ、ト金は走った。

 この馬こそが水沢隆広の愛馬『ト金』である。隆広が手取川撤退戦のおり、上杉謙信の本陣に突入した時に乗っていた馬は彼女である。竹作の言うとおり、確かに少し馬体は細いが、主人と人馬一体となり、上杉謙信の前に立ちふさがった兵士二人を彼女は吹っ飛ばしているのである

 ちなみに言うと織田信長が御所にて催した『天覧馬揃』。この時、隆広の愛馬を見て諸将はその細い馬体に失笑を浮かべたが、信長は『いい馬だ』と評したと云う。

 隆広の愛馬ト金は後に残る合戦絵巻でも他の将が乗る馬より細い馬体で描かれていることが多い。だが記録では隆広が驚異的な速さで戦場の使者を務めた事実が残っている。また『主人がト金を本気で駆らせた時は松風さえついていくのがやっとだった』と前田慶次の手記にあることから、ト金は現在の競走馬の体躯に近かったと推定されている。馬体が細いというのは、ほぼ全身が走るための筋肉であったのではないかと考えられているのである。

 現在の牝馬の競走馬に『トキン何とか』と云う名が多いのはそれにあやかってだろう。隆広を乗せて走るト金は今日の重賞レースの覇者になるほどの速さだったに違いない。

 

 隆広はト金を自宅に連れて行き、丁寧に洗った。隆広宅には一頭分だけだが厩舎はある。

「ふんふんふ~ん♪」

 厩舎から聞こえる夫の鼻歌に苦笑するさえだった。だが、

(なによなによ、ついさっきまで私の事が一番みたいに言っていたのに、今じゃト金の方ばっかり!)

 その後、カッと顔を赤らめた。

(バ、バカじゃないの私! 馬にヤキモチ焼くなんて! あの馬を得られたからこそ隆広様は戦働きがいっそうできるのじゃない! 喜びなさいよバカ!)

 気持ちを落ち着けて、さえは隆広を呼んだ。

「お前さま~。夕餉の支度ができました」

「ああ、すぐ行くよ」

 

 美味しそうに、さえの作る夕食を食べる隆広。北ノ庄はあまり富める城下ではないゆえ、隆広の家もそんなに裕福ではない。粗末な夕餉でもあるが、愛妻の心のこもった手料理である。本当に隆広は美味しそうに食べた。

 そして、その夜。二人は夫婦の営みをして眠りについた。また灯を消してくれと要望された。明るい部屋で、さえの裸が見たいと隆広は要望し、目を皿のようにして眺めていたら、さえが恥ずかしさのあまり泣きだしたから慌てて消した。まだ初々しい新妻だった。

 

 翌朝、旅支度は終えていたので隆広の安土出発の準備は円滑に進み、屋敷の外でさえの見送りを受けていた。隆広の護衛には、松山矩三郎、小野田幸之助、高橋紀二郎がついた。彼らも前日に錬兵所で馬を借りていたのである。

「では、さえ行ってくるよ。帰りに越前の町を全体的に見てくるから少し遅くなるが、留守の間は奥方様や姫様たちにお仕えし、帰りを待っていてほしい」

「はい」

「じゃ行ってくる」

「では奥様、それがしらも」

「みなさん、夫をよろしくお願いいたします」

(奥様だって。うふ♪)

「はい、お任せを」

 

 馬をひきながら、城下町の出口に向かう隆広たちをさえは見送った。

「はあ、当分一人かあ…。前は一人でも平気と思っていたのに、今は一人がとても寂しいなあ…」

 すると隆広が戻ってきた。

「お、お前さま、忘れ物?」

「離れたくない…」

「はあ?」

「一緒に来ないか?」

「お、お前さま、私は馬に乗れませんし、君命に女連れは許されません…」

「だ、だけど…」

「ほら、別に私は逃げませんから。ちゃんとお帰りを待っています」

「う、うん…」

 トボトボと歩き去る隆広。しばらく歩くとまた戻ってきた。

「さえ、やっぱり一緒に」

「お、お前さま…」

 困り果てるさえに助っ人が来た。

 

「御大将! いいかげんにして下さいよ! 朝っぱらからそんな目のやり場に困るような光景見せられちゃたまったもんじゃない! オレたちゃあ独り者なんですよ! さあ行きましょう!」

 矩三郎と紀二郎が隆広の両腕を掴んで、ズルズルと引きずっていった。

「さ、さえ―ッ!」

「いってらっしゃ―い!」

 ようやく姿が消えた隆広に安堵して、さえは城に上がる準備を始めた。その顔は喜色満面だった。

「隆広様ったら、しょうのない人♪」



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森蘭丸

「夫の留守中、またしばらくの間、奥方様と姫様たちに仕えさせていただきます」

 北ノ庄城、奥にいる柴田勝家の妻、お市の方にさえは平伏した。

「安土への使者、および越前領全体の視察ですから、隆広殿がお帰りになるまで十日ほどになってしまいますね。ごめんなさい、さえ。新婚だと云うのに」

「いいえ! この君命を受けたのはあの人が私に求婚する前でしたから仕方ありません」

「うふふ、それじゃあ求婚後に命じられたら、夫の勝家を恨めしく思ったのかしら?」

「そ、そんなことはありません。奥方様も意地悪な事をおっしゃいます…」

 

 ドスドス

 

 市のいる部屋の外廊下から勢いよく歩いてくる足音が響いた。

「あら、殿かしら?」

 障子がガラッと断りもなく開いた。来たのは勝家ではなく娘の茶々だった。

「…茶々、母のいる部屋に入る前は断りくらい…」

 母の説教など聞こえなかったのように、茶々はさえの前に来て、さえをジロリと睨んだ。

「ひ、姫様、何か?」

「…さえ、あなたと隆広殿が夫婦になったんだって?」

「え、ええそうですが…」

 あとから初がやってきた。

「あ、すいません母上! 止めたんですけど!」

 

 市に昨日の記憶が脳裏に浮かんだ。夕方ごろから茶々がずっと泣いていたのである。困り果てた初と江与は市に救いを求めた。初にどうして茶々が泣いているのかと聞くと…

「姉上、隆広殿にふられたらしくて」

「はあ?」

「今日、城下町で隆広殿が以前母上の侍女をしていたさえと、そりゃもう仲良く歩いていて…それを見て姉上、自分は隆広殿にふられたと勝手に思い込んで…」

「仕方ないじゃない、二人は夫婦になったのだから…」

「ええ!? 隆広殿はさえを妻にしたの!?」

「そうよ。それにしても茶々は隆広殿に自分の気持ちも言っていないだろうに…『ふられた』とはずいぶんと飛躍した発想ねえ…」

「私も姉上があんなに一途なんて知らなかった」

 

 翌日にさえが城に出仕してきたと聞き、茶々は愛しい自分の良人候補を奪った女に何か言ってやろうと思いやってきたのであるが…。

「姫様?」

 茶々はさえをジーと睨んでいた。茶々の着物の裾を初が引っ張る。

「無理だって姉上、勝ち目ないよ。見てよ、さえの乳。大きくて立派じゃない」

 さえは初の言葉に顔を赤くして胸を隠した。

(な、何よ、初姫様は人を牛みたいに!)

「腰もくびれて、お尻も丸い。姉上は真っ平らでずん胴。殿方がどっちを好むか一目で分か…」

「うるっさいわねぇ、お初! 私だってあと二年もしてさえと歳が同じころになったら、もっと胸が大きくなっているに決まっているでしょ! 腰もくびれて、お尻も丸くなるわよ!」

 さえには何の話をしているかさっぱり分からず、市は苦笑しているだけだった。

「ふんだ、二年後に茶々様を妻にしておけば良かったと隆広殿に後悔させてやるもん!」

「はあ?」

 茶々は初の腕を掴んで市の部屋から出て行った。

 

「あ―おかしい」

「奥方様、笑い事ではありませぬ。私には何が何やら…」

「ごめんなさいね、実は茶々、城下で隆広殿を見初めていたのよ」

「あの人を?」

「でも、さえと結ばれてくれて良かった。たとえ茶々がどんなに隆広殿を好きになろうと、そして隆広殿が柴田の姫と結ばれるに遜色ない大将となろうとも…私と勝家は絶対に認めるわけにはいかなかったから…」

「え?」

「あ、いえ…今の言葉は忘れてちょうだい…」

「は、はい…」

(どういう意味だろう…)

 

 隆広主従は安土に到着した。途中の宿場で二泊しただけであるので、かなり早い到着である。隆広以外の三名は全員安土は初めてであった。安土城下の馬屋に馬をあずけ、隆広主従は城下町を歩いた。主従四人は遠くにそびえる安土城を見て言葉をなくした。

「御大将、すごい城ですね…」

 やっと矩三郎が声を発した。

「ああ、あれが大殿の居城か…。オレが以前に父と畿内を旅したときは普請中だったけれど…よくまあ、あんなにすごい建物を作れるものだなあ…」

「確かに。して御大将。これより城へ?」

「そのつもりだ」

「オレたち足軽が入る事は許されるのでしょうか?」

 紀二郎が不安そうに言った。

「同じ織田家中だから問題ないだろう。とにかく宿をとろう。殿の使者として大殿に会うのだから旅支度の今のナリではまずいだろう。すぐに着替えて城へ行くぞ!」

「「はッ」」

 

 紀二郎の不安は的中した。身分を証明する木簡を提出すると、

「恐れながら、城中に入れるのは組頭以上の士分に限られております。水沢殿は良いが、他の三名は外郭に宿泊施設がございますので、そこで待たれるがよろしかろう」

 門番にそっけなく言われてしまった。

「ちょっと待ってください。この者たちは同じ織田家中ですぞ。それがしの部下でございます。城中まで共をさせたいのでございますが」

「御大将、かまいません」

「幸之助…」

「せっかく安土に来たのですから、少し羽を伸ばすとします」

「みんな…すまぬ」

「ふん、お高くとまりよって。足軽は士分じゃないのかよ!」

 腹の立つまま門番を罵る矩三郎。

「なんとでも言って下さい。それが我らの務めでございます」

 鉄面皮な顔で事務的な返答をされて矩三郎の頭に血が上った。

「なんだとこいつ! 足軽がいなきゃ戦にならねえんだぞ!」

「よさんか矩三郎! 御大将が困っておるではないか!」

 幸之助が矩三郎の肩を掴んだ。

「御大将、さきほどの宿屋にてお待ちしております」

「分かった。ああそうだ」

「え?」

「いつまでかかるか分からない。これで酒でも飲んでくれ」

 隆広は一人一人に十文ずつ渡した。三人は首を振って辞退した。

「いけません。御大将だってそんなに高給取りではないでしょう」

 幸之助の言葉に、隆広の顔がフニャと顔を崩して笑った。

「いやなに、さえが上手くやりくりしてくれているからな」

 その言葉を聞くと、三人は凍りついた。一昨日、昨日と宿でさんざんノロケ話を聞かされていたからである。『そんなに高給取りではないでしょう』と云う幸之助の言葉が水を誘ってしまったのである。矩三郎と紀二郎は幸之助を睨んだ。目が明確に『水誘ってどうすんだ、このバカ!』と言っていた。

「いや~美人で気がつき、しかもやりくり上手。オレは日の本一番の花嫁を…」

「「この金子ありがたくちょうだいします! では!」」

「あ、なんだよ。まだ話は終わっていないぞ!」

 三人は隆広から逃げるように走り去った。

「これからいいトコなのに。まあいいか」

 

 再び城の入り口に歩く隆広。門番が言った。

「みな若いが…いい家来衆をお持ちですね」

「ありがとう。さきほどは貴殿の務めの重みも忘れて感情的な事を言ってしまいました。許して下さい」

「よいのです。それが仕事みたいなものですから。では水沢様、入城を」

「ええ」

 

 安土城は城に入ると、さらに圧巻された。天主まで吹き抜けの空間もあり、また襖に描かれた名画の数たるや言葉も失うほどだった。

「あれは狩野永徳、こちらは長谷川等伯かあ…」

「水沢様、この部屋でお待ち下さい。大殿はただいま他の客人と面談中でございます」

 小姓の案内した部屋に通された隆広。

「分かった」

 

 だが、信長から一向に声はかからなかった。もうかなりの時間を待たされている。

(待たせてオレの器を見ようとでもいうのか…? いや、そんなはずはないな。オレは柴田の新参武将。大殿にとっては取るに足らぬ存在のハズだ)

 隆広は部屋の中央で正座し、ジッと待った。その時だった。

 

 チャキ…

 

「……ッ!?」

 

 シュッ!

 

 キイイインッ!

 

 刀と刀が激突した。忍び寄り、背後から刀を抜く音を隆広は聞き逃さなかったのだ。すぐに振り返り、刀を抜いたのである。

「いきなり何をする! 待たせたあげくに斬り捨て…?」

「あはは、正座して足が痺れて立てぬなんて事はなかったな、竜之介」

「オレの幼名を…?」

 斬りかかった武士は刀を笑ってひき、サヤに納めた。

「オレだよ、分からんか?」

「もしや…乱法師か?」

「やっと分かったか。久しぶりだな。あの石投げ合戦以来か」

「そうだな、そうなる。しかし何だよ、今のいきなり後ろからの攻撃は! お前は相変わらず顔だけは女子のごとくきれいだが、性根は昔のままイヤなヤツだな」

「お前が言うなよ。『顔だけ』はお互い様だろう」

 まあ座れ、乱法師と呼ばれた若者は隆広を促した。

「改めて名乗らせてもらおう。オレの今の名前は森蘭丸長定と云う。お前が柴田様に仕えていると知ったのはつい最近だ。水沢姓を継いだのだな」

「ああ」

「隆家様が亡くなられたのは聞いた。惜しい方を亡くしたな…」

「ありがとう。お前の父の可成様も惜しいお方だった…」

 隆広はふと、脇差を鞘ごと腰から外し、それをしみじみと眺めた。

「なんだ、まだ持っていたのか?」

「当たり前だ。お前の父上がオレにくれたものだろう」

「嬉しい事を言ってくれるな、礼を言う。ああ、母上はまだまだ元気だ。お前が柴田様に仕えたと聞き喜んでもいたよ。母上は今、金山城下の可成寺に尼として暮らし、父の菩提を弔っている。今度ついででいいから顔をみせてやってくれないか。よろこぶ」

「…お前の母上は苦手だ」

 水沢隆広と森蘭丸は幼馴染である。隆広の養父の水沢隆家は美濃金山城の城主だった森可成の領地内に庵を持っており、一時期隆広をそこで養育している。隆家は出家して『長庵』と名乗っていた僧侶であった。

 彼は可成や信長の再三に及ぶ『我が部下と』というのを固辞し続けた。信長の気性を考えれば自分の申し出を断る隆家を斬ってもおかしくはないが、信長や可成にとっては尊敬に値する敵手であった隆家を斬るに偲びず、そのまま在野の名士として置いた。

 幼き日の水沢隆広、つまり竜之介が後の森蘭丸である乱法師と出会ったのはその地で父と滞在していた時であった。

 

 乱法師は年が十歳くらいのころ、父と兄の家来衆の子弟を集めて大将を気取っていた時期があった。顔も美男で女子にもモテた彼は金山城下の町民や農民の男子にとり、非常に不愉快な存在であった。

 そしていよいよ、木曽川の河川敷で石投げ合戦で戦う事となったが、いざとなると町民農民の男子側は領主の息子である乱法師とケンカすると後が怖いと、親たちが決戦の場に行かせなかった。乱法師側は二十六人いるのに対して、たった四人での合戦となってしまった。

 だが、勝ったのは四人の方だった。川原の土手に座り、石投げ合戦をただ見物していたと思っていた寺の小僧風体の坊主頭少年が、実はその四人の大将であり、策略と工夫を凝らした道具を持って、乱法師が率いる二十六人を竜之介率いる四名が倒してしまったのだ。乱法師はこの時ほど悔しい思いはしたことなかった。

 

 その日、悔しくて悔しくてグッスングッスン泣いているのに、更に追い討ちをかけて父と母からこってりアブラを絞られた。

 父の可成が『敵はどんな作戦をとってきたか』と尋ねた。乱法師はそのまま竜之介が執った作戦を聞かせた。可成とその妻は、だんだんその少年の方に興味を持ち出した。いや驚かされた。可成でさえ思いもつかない作戦と工夫の道具で多勢を倒したからである。しかも年齢は乱法師と同じ十歳。

 可成はその翌日に領主と云う身分を隠し竜之介と会ってみた。少し話してすぐに分かった。『これは大変な才能を持つ小僧だ』と。少年が隆家の養子と知り、ぜひ当家で養育し、長じて家臣として召抱えたいと懇願したが拒否されてしまった。可成の妻の葉月(後の妙向尼)は懐柔策をも弄して竜之介を森家の家臣にと思ったが、結局竜之介に山のようにメシを食べられたあげくに逃げられてしまった。

 

 可成は乱法師に『どうして負けたか』をよく考えよと問われ、数日後にその答えを出した。その答えを述べたときの乱法師はお山の大将を気取る悪童ではなく、凛々しい若武者さながらの顔をしていたと云う。

 父の可成は息子の成長を喜び、傲慢な息子の鼻っ柱をへし折ってくれた竜之介に感謝して、関の名工が作った一品の脇差を竜之介、後の水沢隆広に与えたのである。隆広は今でもそれを腰に帯びている。

 子供のケンカとはいえ、当時はお互いの誇りを賭けた戦であった。その大将同士が久しぶりに再会を果たした。あの合戦も今ではいい思い出でもある。

「今にして思えば、あの惨めな大敗があって今のオレがあると思う。あの後にすぐお前は隆家様に連れられて金山城下から出たから、勝ち逃げしやがってと思ったものだ。しかし再会したら礼を言いたいと思っていた。感謝しているよ、竜之介」

「なんだよ、ずいぶんと健気にもなったじゃないか」

 少しくすぐったさを感じた隆広だった。

「だが、仕事は仕事、私情は抜きだ。オレは大殿、織田信長様の小姓。面会を求める者がたとえ友であろうと織田家筆頭家老の使者であろうと、オレが大殿に会わせるべきではないと感じたら会わせない」

「まあ、そうだな。それがお前の仕事だ。で、お前から見てオレは大殿に会うべき資格を持っているのか?」

「さっきの一閃がその試験だった」

 蘭丸はニコリと笑った。

「あ、さっきのか」

「ああ、あれでお前が何の反応も出来なかったり、たじろいだりしたら、オレはお前に失望もしたし、無論大殿とも合わせなかった」

「おいおい、中には武の心得のない者だっているだろう? 武の心得がなくたって経理や内政に長けていれば織田家にとり有為な人材だ。そんな乱暴な試験で門前払いなどしたら織田に優秀な人材が集まらないじゃないか!」

「あっははは、もちろん、そういう人の場合は手段を変えるよ」

「本当だろうな?」

「本当だよ。なんだオレの方が試験されているな。とにかく竜之介、いや…」

「ん?」

「水沢隆広殿、大殿のいる広間にお連れいたします。手前のあとについてきて下さい」

 蘭丸はエリを正し、隆広にかしずいた。

「あ、ああ、森殿、お頼みいたします」

「ではこちらに」

 隆広は蘭丸に連れられ、待たされていた部屋を出た。いよいよ織田信長と対面である。



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織田信長

 大殿、織田信長のいる部屋のふすま。そこに二人の小姓が座り、蘭丸と隆広を来るのを待っていた。その小姓も隆広は知っていた。

「坊丸と力丸ではないか。元気そうだな」

 二人は蘭丸の弟たちであり、あの石投げ合戦で隆広にのされた苦い経験を兄と同様に持っている少年である。つまり三兄弟揃ってコテンパンにのされたのである。しかし、それも今ではいい思い出。自分を覚えていてくれたと喜びつつも、坊丸は人差し指を口に立てた。

「シ―ッ! 積もる話は後にいたしましょう。大殿がお待ちですぞ」

「あ、すまん」

 蘭丸、そして坊丸、力丸も感じた。だいたい大殿に初めて対面しようとするものは『第六天魔王』とも称される信長を恐れて部屋の入り口付近に来れば、だいたい斬刑を待つ囚人のごとくであるが、隆広は長じた幼馴染の坊丸と力丸をちゃんと理解できるほどに落ち着いていた。

「大殿、水沢隆広殿、お越しにございます」

 

「とおせ」

 

 ふすまの向こうからも分かるほどに信長の威厳が伝わってきた。坊丸、力丸がふすまを開けた。隆広は部屋に入った瞬間に空気が一変したことに気付く。信長の覇気か、すさまじい裂帛を感じた。ゴクリとつばを飲んで静かに信長の前に歩いていき、そして平伏した。蘭丸はその隆広を横に通り過ぎ、信長の左後ろに座った。

「柴田勝家が家臣、水沢隆広にございます」

「うむ」

「本日は大殿に、主君勝家の書状をお届けに参りました」

「見せよ」

「はっ」

 隆広が書状を差し出すと、蘭丸がそれを受け取り信長に渡した。それを信長は静かに開いて読んだ。隆広は平伏したまま読み終わるのを待つ。だが静かに座しているだけの信長から

(なんて圧迫感だ…)

 と感じ、体が固まった。

「面をあげい。顔をよう見せよ」

「は、はいッ」

 信長は隆広の顔をジッと見た。肘掛に腕をおき、睨むように隆広を見つめる。隆広も目をそらせず信長を見た。

(…何て高貴な顔をしておられるのだ…)

 信長の眼光に気圧されつつも、隆広はそう感じた。第六天魔王と呼ばれる大殿信長、隆広は鬼のごときの形相をしていると思っていたからである。

「…ふむ…中々いい面構えをしているな。養子ゆえ容貌は少しも似ておらんが、その眼は親父を感じさせる」

「あ、ありがたき幸せにございます」

「しかし、まるで女子のごとき顔をしているな。お蘭(蘭丸)といい勝負じゃ。頑是無いネコのごときの面持ち。そうじゃ、これからはお前の事を『ネコ』と呼ぼう」

「ネ、ネコ?」

「これで織田家中にはイヌ(利家)、サル(秀吉)、ネコが揃ったわけじゃ。はっははは」

「は、はあ…」

「隆家の最期は聞いた。惜しい武将であった。ワシに仕えていれば今ごろは城持ち大名であったろうにな」

「…父に、一度だけ大殿の事を聞いたことがございました」

「ほう、なんと申していた?」

「『正徳寺で信長殿と初めて会うた時、道三公とワシは遠からず斉藤はこの若者に討たれるであろうと感じた。だからできるだけ高値で信長殿に美濃をくれてやろうと思った。たとえ殿の『美濃明け渡し状』があろうとも、ワシが立ちはだかり、手に入れるに困難にしたかった。美濃を手に入れるまでの苦労が大きければ大きいほど、信長殿は美濃を良い国にしてくれると思った。そしてその通りとなり、その美濃を橋頭堡として畿内一円を豊かな国々として治めてくれている。信長殿には迷惑であったろうが、ワシは彼と名勝負をしたことを誇りに思う』と…」

「名勝負…そう申したのか…?」

「はっ」

「ふふふ…よく言うわ。ワシなどまるで子供扱いであったではないか」

 第六天魔王と呼ばれる信長が、父に褒められた事を喜んでいる。隆広はここでも父を誇りに感じた。

 

「ネコ」

「はっ」

「権六(勝家)も言ったと思うが、ワシもそなたが隆家の養子とて特別扱いする気はない。親の七光りなど織田家には存在せぬと知れ。武功を立てぬムダ飯くらいは即刻叩ッ斬る。陪臣とてワシのこの方針から逃れられると思わぬことだ」

「はっ」

 一つクギを刺し、信長はフッと笑った。

「だが、すでにお前は織田家最年少の足軽大将。武功や勲功は重ねておるようだな。権六がベタボメしておるぞ」

「は?」

「一向宗門徒を声一つで退かせて、かつ敵から鉄砲を大量入手する一手も打ったそうだな」

「え…っ!」

 勝家は隆広の武功として計上はしなかったが、やはり鉄砲の大量入手は隆広が五度も言った『武器を捨てて逃げよ』が決定打となったことは知っていたのである。

「面白い兵法を使いよるな、これも親父の薫陶か?」

「は、はい。信玄公が三増峠の合戦で使った策。父はたいそうこの策を好まれました。『城を攻めるは下策、心を攻めるは上策、この策はその見本である』と。あの時、敵軍に不和があるのは明白でした。不和がなければなんの意味もない策ですが、不和ならば使えるのではないかと」

 信長は隆広の話を微笑浮かべ聞いていた。傍らの蘭丸はめったに見せない主君の表情に驚き、そして喜んだ。

(やったな、竜之介。おまえ大殿に気に入られたぞ!)

「ネコ、そなたは武人肌の多い柴田家中では唯一の智将と見える。また開墾や治水にも長けた行政官とも書いてある。権六も拾い物をしたと喜んでいよう。権六に仕えるはワシに仕えると同じ。よう励めよ」

「はっ」

「そして一つ、釘を刺しておく」

「は?」

「一向宗門徒には容赦するな。お前が大聖寺城で行った事、今回は相手が多勢だったゆえ認めてもやる。しかし結果を見れば門徒を逃がした事となる。二度は許さん。次に戦う場合は逃がす事など考えず、皆殺しにせよ。門徒相手に限っては『戦わずして勝つ』などと云う考えは捨てよ。『皆殺しにして勝つ』のだ。分かったな」

「え、あ…」

「分かったのか?」

「は、はい!」

「近いうち、小松(加賀小松城)を落とすことを権六に下命するが門徒一人でも取り逃がしてみよ。城を落としても認めぬ。もしお前がいらぬ情けを門徒の女子供にかけて逃がしてみよ、キサマは無論、権六も処断する」

「う、あ…」

 第六天魔王の眼光は厳しく隆広を見据える。信長は隆広を一目見て、隆広が敵勢を駆逐することをためらう性格をしていると見抜いたのだろう。

「返事はどうした?」

「は、はい! 水沢隆広肝に銘じます!」

「権六への返書はすぐにしたためる。明日には渡せよう」

「はっ」

「うむ、下がれ」

「はっ」

 

 信長のいる部屋から出た隆広は大きな息を吐き出した。蘭丸も出て行った。

「ふう」

「初対面であれだけお言葉をいただけた者は珍しいぞ。大殿の覚えはめでたいようだ」

「しかし、いきなりあだ名をつけられるとはな…」

「ははは、大殿は家臣にあだ名をつけるのが好きなんだ。お前の主君の勝家様も『アゴ』と呼んでいるし、光秀殿も『キンカン頭』、仙石殿も『ダンゴ』と呼ばれている。気に入られた証拠だ」

「『ネコ』かぁ」

「それから、門徒に対しての言葉だが、あれを間違っても脅しと思うなよ。門徒相手に手心を加えるような事あったら、大殿は絶対にお前を許さない。大殿は心の底から一向宗門徒を憎んでおるのだ」

「それは伊勢長島攻めや比叡山焼き討ちで分かるさ。心配ない、オレとて越前を蹂躙しようと考える門徒たちは許せない」

「分かっていればいいさ。あと、これはもしかしたら…の主命かもしれないが、一応踏まえておいて欲しい」

「なんだよ?」

 コホンと森蘭丸は一つ咳をした。

「大殿は男色家でもある。お前には未知の世界かもしれないが、オレも伽を命じられ、閨を共にしている」

「…な、何だよいきなり!」

 隆広は顔を赤めた。

「大殿は美童がお好きだ。もし戦場で柴田と陣をともにした場合、お前に伽を命ずるかもしれない」

「オレに衆道(男色)の趣味はないぞ!」

「お前の趣味など大殿には関係ない。オレだってご奉公の一環として割り切って受け入れいる。怨むなら『ネコ』と呼ばれるような頑是無いキレイな顔を怨め」

「そんな事言ったって…イヤなものはイヤだ」

 この当時、男色家は何ら非道徳なことではなかった。特に信長は両刀使いであるが、美童への愛欲も抜きん出ていた。隆広はこの当時十五歳で、かつ美男子、十分信長には射程距離である。

「拒否するのはお前の勝手だ。だが陣が同じになった時はそういう命令がありうる事と一応アタマに入れておけ。いきなり命じられて断り文句を考えているうちに押し倒されてしまうぞ。そうなったらもう拒否などしても無駄だからな」

「わ、分かったよ」

(参ったな…。気に入られるのは嬉しいが、男と色事に及ぶなんて絶対にイヤだ。かと言って邪険に拒めば殿が叱られる。どうしよう…)

「とにかく、お前が城下にとった宿の場所を教えろ。明日に使いを出すから」

「あ、ああ。頼む」

 

 安土城から出た隆広は両手で自分の頬をパンパンと叩いた。

(気持ちを切り替えよう。今のオレの君命は安土城下の繁栄の秘訣を模索し、北ノ庄城下で導入する方法を考える事だ。まずは楽市楽座の研究をするか)

 

 隆広は城下を歩いた。北ノ庄とは比べ物にならない賑わいである。美男の隆広が歩いていると、やはり目立つ。北ノ庄と同じように町娘たちは、隆広を頬染めて見つめていた。本人は全然気付いていないが。

 宿に帰り、武士の正装を脱いで普段の着物に着替えて再び出かけた。部下の三人は今ごろ酒で出来上がっているだろうから、この宿には帰って来ていなかった。

 

 細かく安土城下の町を見て歩く隆広。北ノ庄では物乞いもいて、ゴミなども道にポロポロと落ちているものだが、安土にはそういうのが一切ない。

(ふーむ、こちらは琵琶湖の恵み、北の庄は海の恵みもあるから、資源的には北ノ庄は何の引けもとっていない。なのに何だろう、この差は…)

 まわりの商店を次々と見てまわる隆広。

(これは甲斐の名産の葡萄、伊予の名産の蜜柑…。驚いたな、丸亀の砂糖まである。北ノ庄の市場には越前のものしか並んでいない。だから他国から金が入らない。やはり楽市楽座の導入は不可欠だ。すぐに殿に具申しないと!)

 

「竜之介?」

 ふと隆広は自分の幼名を呼ばれた。

「は?」

「竜之介ではないか?」

「あ!」

 そこには二人の武士を連れた長身の優男が立っていた。

「義兄上!」

「おお、やはり竜之介か! 大きくなったなあ」

「義兄上もお変わりなく!」

 隆広は義兄上と呼んだ男の元に走っていった。およそ五年ぶりの再会である。

「柴田殿に仕えたと聞いたが、こんなに早く会えるとはな」

 長身の武士の背中から小男がポンと出てきた。

「ん? なんだその若いのは?」

「殿、この者はそれがしの義弟竜之介です。現在は水沢隆広と云う柴田家の足軽大将です」

「なに竜之介? その者の幼名は竜之介と云うのか?」

 小男は隆広をジーと見た。

「殿、いかがされました?」

「いや、何でもない。それにしてもそうですか! そなたが水沢隆広殿ですか!」

「殿…? も、もしや…羽柴筑前様?」

「はい、それがし羽柴秀吉でございます」

「こ、こ、これは知らずとはいえご無礼を! それがしは水沢隆広と!」

「いやいや、そう畏まらずに! 我が家臣の弟子ならばワシの弟子と同じでござるよ。のう権兵衛」

「はい、それがしも隆家殿のご養子殿とはお会いしたかった。今日はついています」

「権兵衛…? まさか仙石秀久様ですか?」

「『様』なんてガラではありませんよ、同じ足軽大将の身です。権兵衛と呼んで下され、水沢殿」

「と、とんでもない! 姉川合戦の勇者の仙石秀久様を呼び捨てなど!」

 思わぬ大物武将二人と会ってしまい、隆広は慌てた。

「あ、義兄上も羽柴様と仙石様を連れているのなら一言申して下さいよう!」

「ははは、いやいや二人とも気さくな性格だ。そう恐縮することないぞ」

 

 隆広が義兄上と呼んだ人物、それは今孔明と名高い竹中半兵衛重治である。彼はわずか十七騎で主君斉藤龍興の居城、稲葉山城を落とした英傑である。その後に龍興に城を返して、近江の堀家の家老、樋口家の食客として隠棲して暮らしていた。

 その後に秀吉に仕えた半兵衛であるが、清洲城の半兵衛宅に彼の恩師といっていい水沢隆家からの書状を持った童が来た。森可成の居城を離れて、父の隆家が息子に向かわせたのは、清洲城下の竹中半兵衛の屋敷だったのである。書状の内容は『重治の軍略を少し教えてやってくれ』だった。

 当時は木下藤吉郎秀吉の足軽組頭であった半兵衛は多忙を極めていたが、隆家の頼みでは無下にもできず、半兵衛は十日間だけ休みをもらい清洲から離れて、城下の安宿にて惜しみもなく徹底的に竜之介に軍略を教えた。十日間と云う期限が、より竜之介の集中力を高めたか、八日経ったころにはわずか十歳の子供に教える事がなくなってしまった。それどころか図上の采配では半兵衛さえも舌を巻くほどの作戦を示した。真綿が水を吸収するかのように知識を頭に入れていく教え子に半兵衛も教えがいがあったのか、九日後になるころには共に風呂や寝床も共にするほどに竜之介を可愛がっていたという。

 歳は十六も半兵衛が上であるが、まるで年の離れた弟を愛する慈兄のようだった。期限の十日目は、半兵衛も別れを惜しみ、二人は義兄弟の契りをかわした。後に半兵衛の息子の竹中重門が隆広を叔父上と呼ぶのはこれが理由である。

 義兄弟の契りを交わしたとしても、竜之介は新たな修行を父に課せられ、半兵衛も織田家軍団長羽柴秀吉の右腕として働いていたので、会うゆとりもなかったが、あの充実した十日間は二人には大切な日々。離れていても忘れようはずがない。

 

「いやぁ、それにしても聞いていますぞ! 北ノ庄の城壁を修復した割普請! ワシ以外使う者はいないと思っていたが、見事再現されたとか!」

「は、はい! マネさせていただきました!」

「ははは、別に使用料など取らぬゆえ、そう畏まらず。まあ立ち話もなんです。ほれ、あそこの酒場で一杯やりましょう」

「は、はい! 夢のようです! 義兄上や羽柴様、仙石様と酒が酌み交わせるなんて!」

 隆広の喜びを表す顔は、人たらしと言われる秀吉さえ微笑まずにはいられないものであった。

 この時、隆広は想像もしていなかったであろう。義兄上と思慕する竹中半兵衛の没したわずか数年後に、今から自分と楽しく酒を酌み交わす羽柴秀吉、仙石秀久と血で血を洗う合戦を繰り広げることになろうとは。



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羽柴秀吉と仙石秀久

私は戦国時代を題材にしたマンガでは宮下英樹さんの『センゴク』がダントツに好きです。と、いうわけで天地燃ゆではセンゴクに関係あるエピソードや人物も出てきます。久しぶりに天地燃ゆを読み返してみると、本当にこのころは自重せず小説を書いていたなとつくづく思います。今さら改訂も出来ないので、このまま掲載します。よろしく。


 水沢隆広、羽柴秀吉、仙石秀久、竹中半兵衛が酒を酌み交わして数刻経ったろうか。仙石秀久が昔話をはじめた。

「隆家様は妻の命の恩人でございます。稲葉山城陥落の時でしたが、それがしは今の隆広殿と同じ十五歳でした。当時斉藤家の足軽だったそれがしに目をかけて下されて…ぐすっ」

『権兵衛は泣き上戸なんですよ、最後まで聞いてやってください』と秀吉が小声で隆広に耳打ちした。

「もちろんです。仙石様、父の武勇伝を聞かせて下さい! 父は昔の事をほとんど語ってくれませんでした。父を知る人からいっぱい聞きたいのです!」

 もうその言葉がまたぞろ嬉しくてたまらない秀久は涙が止まらない。隣で半兵衛は苦笑していた。

「ぐすっ それでですな、隆広殿の主君の鬼柴田が先鋒として本丸近くにまで雪崩れ込んできて、殿様の龍興は兵を捨てて女子どもを連れて城から脱出しようとしました。ぐすっ」

「ふんふん」

「それがしは完全に本隊とはぐれてしまい、ヤケクソで柴田勢に一騎で突撃かましていましたが、その時に隆家様は龍興を最後まで見捨てずに城から脱出させる事に成功したのです。女連れの逃避行でした。隆家様は龍興一行を京まで連れて行き、そこでお暇を願い野に下りました…ぐすっ」

「そうだったのですか…」

 秀久の杯に酒を注ぐ隆広。それをグイと飲んで秀久は続けた。

「その逃避行中、それがしの惚れておった女子が足をくじいて一行から離れてしまいまして、夜盗に見つかり、あわや陵辱を受ける寸前に隆家様は戻ってきて助けて下された。ううう…なんという武人の鑑…」

「うんうん!」

「その時の女子、『お蝶』といいまして今のそれがしの女房なのですが、馬上からの隆家様の一喝で夜盗ども数十人が一斉に逃げたとか! その雄々しさから、お蝶のヤツときたらそれがしより隆家様に夢中になってしもうて…いやいや参った。ぐすっ」

「父の一喝で夜盗数十人が!」

「隆家様は女房を馬に乗せて走っているときにこう申したそうです。『権兵衛は生きている。望みを捨てず、あやつがひとかどの武将となりお前を迎えに来るまで待ってやれ。京の龍興様の元にいることはあいつの耳に入るようにしておくゆえな』と。ううう…それがしと蝶が好きおうている事もあの方はご存知でした! 返しきれない恩を我ら夫婦は隆家様に持っておるのです!」

「仙石様…」

 鼻をチンとかんで、涙も拭いて秀久は隆広に言った。

 

「今度ぜひ長浜の我が家をお尋ね下され。隆家様の死を悼み、お蝶は我が家に神棚まで作りましたからな!」

「ホントですか! それは寄らせていただかないと!」

 秀久は隆広の言葉を満足そうに聞き、そしてそのまま寝入ってしまった。秀吉は笑っていた。

「しょうのないヤツだ。だがよほど嬉しかったのだろうな。隆家殿の息子に今の話が出来た事が」

「そうですね。こんなに饒舌な権兵衛は初めて見ました」

 自分の上着を秀久にかぶせてやる半兵衛。

「今度はそれがしの話を聞いてくださるか? 隆広殿」

「はい!」

 羽柴秀吉の杯に酒を注ぐ隆広。

 

「あれは信長様から、美濃四人衆の調略を命じられた時でした。半兵衛を我が陣営に入れることに成功したすぐ後に、それを命じられました。四人衆と云うのは、隆家殿を筆頭に安藤守就、稲葉一鉄、氏家ト全の事でございますが、知っての通り、守就、一鉄、ト全の調略にそれがしは成功しました。だが隆家殿は無理でした…」

「羽柴様…」

「ご存知と思いますが、隆家殿は斉藤家から二万五千石の領地を与えられていました。居城は持たずに信玄の躑躅ヶ崎のように少し城砦の様式を整えた館を持っているだけでした」

 それは隆広も知っている。幼少の時はそこで過ごしていたからだ。しかし幼きころのことなので館のことは記憶の彼方である。

 

 斉藤道三が美濃守護大名の土岐政頼の弟、土岐頼芸に仕え、やがて土岐政頼を追い落とし、主君頼芸を美濃大名にすえた武勲で鷺山城を与えられた時に水沢隆家は、その石高の半分である二万五千石を道三から与えられた。まさに右腕としていかに隆家が道三に信頼されていたか推察できる。ちなみに水沢隆家子飼いの忍びである藤林忍軍の山里もこの領内にある。

 稲葉山、大垣、曽根、岩村などの美濃領内の城をより堅城に作り変えた彼が、織田領にも面していた自分の領地にどうして城を作らなかったのかは現在でも歴史家たちの議論の題材になっている。

 しかしいかに重用しているとはいえ、道三、義龍、龍興の斉藤三代は疑い深い性格をしている。だから領内に堅固な城を作らなかったと云うのが定説ともなっている。

 何より織田は隆家の軍才を恐れ、斉藤本拠地を攻めることはあっても水沢隆家の領地を攻める事はただの一度もしなかったのである。つまり隆家の人物そのものが堅城であるのを雄弁に語っていたのだろう。

 

 その後に道三は土岐頼芸も追い落として美濃大名になり、その際に道三は隆家に加増を申し出たが、隆家は『手前は今の二万五千石で十分にございます。その分の禄を他の将兵に与え労って下さいませ』と断った。

 やがて長良川の合戦(道三と、その息子斉藤義龍が戦った)が勃発した。隆家は早いうちから親子の間に入り、何とか骨肉相争う事態を避けようと奔走した。道三は息子の義龍の才を軽視していたが、隆家は義龍の将才を見抜いていた。義龍もまた父の道三に疑われないように凡夫を装っていたのである。それを隆家は知っていた。道三に『殿は虎を猫と勘違いされている』と必死に諭したが、結局合戦は止められなかった。

 隆家は味方につけと云う義龍の誘いを断り、明らかに劣勢だった道三につき義龍軍を散々に苦しめた。だが衆寡敵せず。勝っているのが隆家の軍勢だけでは仕方がなかった。斉藤道三は息子の義龍に討たれた。父の首を前に義龍は『父と思ったことは一度も無い!』と言い捨て、憎々しげに首を蹴り飛ばした。美濃の蝮と恐れられ、裏切りと謀略に明け暮れた斉藤道三、因果は巡ると云う事か。

 その道三の右腕である水沢隆家は、その因果から逃げようとしなかった。隆家は合戦が終わると、逃げずに義龍の陣に出頭してきたのである。義龍は隆家を斬首しようとしたが、義龍側の武将たち全員がそれを止めた。いかに隆家が同僚たちにも慕われていたか分かる話である。

 だが合戦後に領地を一万五千石に減らされた。龍興の代になると再び二万五千石に戻されたものの、それでも安藤守就、稲葉一鉄、氏家ト全よりは過少の禄高だった。秀吉はその点をついて織田側に隆家を寝返らせようとした。

 

「武功を考えれば安藤守就、稲葉一鉄よりも高禄を受けても不思議ではない隆家殿。その点をとことん突けばいけると思いましたが、それはとんだ思い違いでした」

「はい」

「隆家殿は、禄の増加をずっと固辞していただけだったのです。一度憎き敵となったとしても義龍殿はやはり隆家殿を一番の頼りとし、常に相談役として側に置きました。重用の証として十万石もの加増を義龍殿は申したらしいが隆家殿は拒否しました。『権ある者は禄少なく』と云う事でしょう。世継ぎの龍興殿にも『隆家を父と思い尊敬せよ』と義龍殿は言い残し死んだと云うから、隆家殿は斉藤三代に仕えし家宰で、かつ稀代の名将でござった。今にして冷静に考えてみれば禄の多い少ないをついたくらいで寝返るはずもござらんな。あははははは」

「それで…調略にきた羽柴様に父はなんと?」

「はい、それがしは隆家殿の領地に赴き、お屋敷を訪ねました。隆家殿はわしが信長様の家来、木下藤吉郎と知りながらも訪れた時は邸宅で丁寧にもてなしてくれました。それでいよいよ本題に入りました。『恐れながら龍興殿は祖父の道三殿、父の義龍殿とは比べて凡庸なお方。安藤守就、稲葉一鉄、氏家ト全と言った宿老に見限られたという暗愚さです。失礼ながら貴殿ほどの武将の忠節を受けるに値しないとそれがしは思う。【君君足らず、臣臣足らず】と申すではありませんか』と」

 隆広は身を乗り出して、秀吉の話に聞き入った。

「隆家殿はこう申されました。『主家が傾いているこの時にこそ、忠節を尽くすのが武士の本懐と思っております。木下殿にはご足労かけて申し訳ございませぬが、お引取り願いたい。またそれがしのような者を調略しようと思って下された織田の殿に、この隆家は感謝していたとお伝え下され』と…そう申されました。さすがにそれがしも一言も返せませんでしたよ」

「羽柴様…」

「よい養父をもたれましたな。それに半兵衛の薫陶もあるのならば、きっと隆広殿は織田随一の名将となりましょう。あいにく我ら羽柴家と柴田家はあまり仲がよくありませんが、隆広殿とは友として、これからお付き合いしとうございます。きっと権兵衛も同じ思いでしょう」

「は、はい! こちらこそこれからよろしくお願いいたします!」

 

 秀吉と秀久は、すっかり酔っ払ってしまった。仕方なく半兵衛が秀久を、隆広が秀吉を背負って、安土の羽柴邸まで歩いていた。

「なあ竜之介」

「はい」

「おそらくは大殿も、秀吉様も、権兵衛も、まだお前を『水沢隆家の息子』として見ているだろう。お前と云う人物を見てはおらぬ。お前の後ろにいる隆家殿を見ている。お前も織田家に仕えてみて、養父殿がどれだけの武将であったか、よう分かっただろう」

「…はい」

「あと、隆家殿に仕えていた将兵。ほとんどの者が美濃で帰農していようが主君の名を継ぐ若者が柴田に仕えたと云う事はすでに知っているだろう。影ながら、今じっくりとお前の器量を見ているかもしれない。今ではその者たちも年老い、名跡を継いだお前に仕えることはできなくても、そやつらにも子がいる。養父に劣らぬ武将と見たら、部下にしてくれと望まれるだろう」

「はい、すでに父の忍びには会いました」

「藤林か…。斉藤最強の忍者軍団だった。まだお前を観察しているってトコか」

「ええ、ダメ息子なら即座に斬ると言われました」

「それは野に下っている隆家殿の旧家臣たちも同じ気持ちだ。水沢家臣団は数こそ少なかったが、一人一人が主君隆家殿に心酔していた。だから強かった。その者たちが主君の名跡を継いだ者が愚者と知れば『我らの主君の名を汚す者』として許さぬだろう。だがな竜之介…」

「はい」

「だからといって父の名前につぶされてはならぬぞ。父を越えよう、父を越えようと気ばかり走っても仕方がない。お前はまだ十五才。焦らず腐らず、自分の頭と足で水沢隆広と云う名前を上げていけ。柴田殿はちゃんとそういうところを見ていて下さる主君だ。まずは柴田殿に与えられた仕事に全力を尽くし、評価を受ける成果を示すのだ。そうしていけば誰も自然にお前のことを『隆家の息子』などと呼ばなくなり、隆家殿の旧部下たちもお前を認め、喜んで犬馬の労を取るだろう」

「あ、ありがとうございます! 義兄上!」

 涙が出るほどに隆広は半兵衛の言葉が嬉しかった。

 

「さ、着いたぞ。ここが羽柴邸だ。泊まっていってもらいたいが、確か部下を宿に待たせているのだったな」

 秀吉が帰ってきたと聞き、出迎えに一人の男が出てきた。

「おうおう、兄者がこんなに酔われるとは珍しいですな。半兵衛殿、その若者は?」

「はい、それがしの義弟にて、柴田勝家殿の配下の水沢隆広殿にございます」

「ほう、半兵衛殿と義兄弟の方でござるか。しかも柴田殿の家臣とな?」

「水沢隆広にございます」

「それがし、秀吉の弟の羽柴秀長と申します」

「こ、これは知らぬとはいえご無礼を!」

 秀吉を背負いながらペコリと頭を垂れる隆広。

「あははは、これは兄者が世話をかけました」

 秀長は隆広から秀吉を受け取った。半兵衛の背で眠る仙石秀久を見て苦笑する秀長。

「ほう、権兵衛までがこんなに酔って。ずいぶんと楽しい席だったようですな。ご一緒できなかったのが残念です」

「はい、それがしも秀長殿と酒を酌み交わしたかったです」

「まあ同じ織田の家臣にございます、いずれその機会もございましょう」

「楽しみです!」

 しかし、この二人の再会は戦場だった。しかも敵同士としてである。この時の水沢隆広と羽柴秀長は後に敵味方になることなど想像もしていなかっただろう。

 

「それでは、それがしこれにて」

 隆広は半兵衛と秀長に一礼して立ち去った。しばらくその背中を見ている秀長。

「半兵衛殿」

「はっ」

「あの若いの…ものになる男ですな。当家に仕えてくれたらどれだけ頼りになった事か」

「ええ、私もそう思いまする」

 

「あれが、水沢隆広殿ですか」

「なんだ、知っているのか」

 秀吉と秀久が、半兵衛と柴田家の水沢なる若侍に背負われて帰ってきたと聞き、一人の若者が隆広を見送っている半兵衛と秀長の元に走ってきた。その時には隆広の小さな後ろ姿しか見えなかったが。

「はい、それがしと同じ十五なのに、もう足軽大将と聞いています。どんな男か見ておこうと思ったのです」

「そうか、佐吉とは同じ歳であったな。気も合うかもしれん」

 直接ではないものの、これが水沢隆広と石田佐吉との出会いでもあった。

 

「ずいぶんと遅くなってしまった。矩三郎たちも気にもんでいような…」

 と、急いで宿に帰ったのだが、そんな心配は無用で矩三郎たちは宿でも一杯やり、三人とも爆睡していた。起きているとまた主君の隆広からノロケ話を聞かされると思った彼らの苦肉の策でもあった。

「なんだよ、せっかくさえとの甘い話を聞かせてやろうと思っていたのに…」

 矩三郎たちが眠る部屋の隣室には蒲団が敷かれてあった。さっさと寝ろと云う意味か。隆広は湯に軽く入り、蒲団にもぐった。

「ああ…。さえに会いたいなぁ…」

 本日は蘭丸、信長、秀吉、秀久との出会い。そして義兄との再会も果たした充実した日だった。愛妻の顔を思い浮かべながらも疲れていた隆広は眠りに落ちた。

「さえ…」



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奥村助右衛門永福

 翌日、そろそろ正午にかかるころでもあった。隆広主従は宿で安土城からの使者を待っていた。その間に隆広は昨日の安土城下で見た楽市楽座の賑わいの様子と、一日も早く楽市楽座の導入をする必要性を書面に書いていた。

 使者から信長の返書を受けたらすぐに越前に戻る。勝家に指示された越前領内の視察を行わなければならない。紀二郎は馬の準備をするため城下町の入り口へと向かっており、矩三郎は宿の入り口に立ち、幸之助は部屋の入り口に座り、警護をしつつも主君隆広の事務を邪魔せぬように待機していた。

 

 隆広は文字をスラスラと書きながら、時々小さな箱を時々手にとっては、また机に置くを繰り返していた。何度も繰り返すので、部屋の入り口にいる幸之助が尋ねた。

「御大将、それは?」

「ん? さえへの土産」

(しまった――ッッ!)

 また水を誘ってしまったと思い、幸之助は凍りついたが今度はノロケ話を話し出さなかった。まだ仕事中だからだろう。ホッと胸を撫で下ろす幸之助。

「んふ、むふ♪」

 筆を進めながら変な笑いを上げている隆広。おそらくは土産を渡したときのさえの喜ぶ顔を思い浮かべているのだろう。

 

「御大将」

 宿の入り口で待機していた矩三郎が隆広の部屋に来た。

「うん」

「大殿のご使者がお見えです」

「通してくれ。二人もオレと共に使者を迎えよ」

「「ハッ」」

「失礼いたす」

(蘭丸自ら来たか)

 友とはいえ、大殿信長の使者である蘭丸。隆広と矩三郎、幸之助は上座に立つ蘭丸に鎮座し頭を垂れた。

「それでは水沢殿、これが大殿から勝家様への返書でございます。道中気をつけて持っていかれよ」

「ハッ」

 隆広は蘭丸の手から両手で大事に信長からの書状を受け取った。

「また大殿から水沢殿個人に贈り物があります。口上は『そなたには戦場にて右腕となる武将がおらぬと聞いた。ワシからの贈り物を受け取るがいい』」

「贈り物…?」

 

「奥村殿」

「はっ」

 廊下に控えていた武将がふすまを開けた。

「奥村助右衛門永福でございます」

 凛々しい美丈夫の武将であった。矩三郎と幸之助は驚愕した。

「お、奥村助右衛門様だって!?」

「勝家様が『沈着にして大胆』と賞賛した武将と聞くぞ!」

「本日付をもって水沢殿の配下になられる奥村助右衛門永福殿です。連れて行かれよ」

 蘭丸の言葉を聞きながら助右衛門を見つめる隆広。当年三十三歳の奥村助右衛門。華々しい手柄に恵まれず身分は足軽組頭であるが、戦場の経験は隆広など比較にならない。その顔は美丈夫であるが、同時に熟練した猛将の印象も受ける顔であった。

 前田利家の兄、前田利久に父の永信と仕え、利久を差し置き前田家の家督を継いだ利家に対して不服を申し立て、利久の居城である『荒子城』を友と二人だけで立てこもったと云う武勇伝もある。当時彼はまだ十六歳であったという。荒子城明け渡し後に出奔したが、その数年後の織田家の朝倉討伐で帰参を果たした。

 以後は信長の直臣として安土にいるが、活躍の場に恵まれなかった。何故なら彼はとても扱いづらい人物であったからである。主筋にあたる前田利家も扱いにくい助右衛門を再登用しなかった。

 寡黙で、さながら求道のごとく武将としての道を歩む彼の性格は気難しく、他者に誤解を受けがちでもあった。用兵にも武勇も抜きん出た能力があり、逆にそれが味方に恐れられた。上司にゴマスリなども絶対にせず誤っていれば毅然と意見を言う男であり、しかも歯に衣着せない。どの武将の隊に行っても煙たがれ手柄を立てても黙殺される事も度々あった。

 ゆえに、その器量を認められながらも身分はまだ低かったのである。つまり彼は優秀すぎた。部下の才能を恐れるごときの者は助右衛門を敬遠する。

 隆広は養父隆家から『大将たるもの、怖がるほどの部下がいなければならない。言いなりになる部下ばかり持っているようでは、やがて自分自身に滅ぼされる』と云う言葉を受けていた。隆広は奥村助右衛門を一目見て彼がそれに該当すると読んだ。『オレが怖がる部下になられる方だ』と。

 大殿、織田信長の『この男を使いこなせるか?』と云う言葉が助右衛門の後ろから聞こえてくるようだった。自分の半分も生きていない若武者である隆広に仕えよと信長に命じられたとき、助右衛門はただ『分かりました』と言っただけだと云う。

「なるほど、奥村殿のお話は聞いた事がございます。私とそう歳が変わらぬころ、前田様の手勢五百と二人だけで対したと」

「…そんなこともございました」

「私は貴殿の半分も生きておらず、初陣もつい最近です。さぞや頼りになりそうにない主君と思われるでしょう。しかしそれがしには大殿の云うとおり、配下の兵はいても、配下の将はおりませぬ。チカラを貸していただけませぬか」

「分かりました」

 

「では奥村殿、今日より水沢隆広配下として北ノ庄に赴かれよ」

「はっ」

 蘭丸はそれを最後に、スタスタと隆広の部屋から出て行った。

「奥村殿、いや助右衛門」

「はっ」

「今から越前に戻る。そなたも共にまいれ」

「かしこまいりました」

 奥村助右衛門はこうして隆広の部下となった。隆広十五歳、助右衛門三十三歳のことであった。

「えへへ、それがし御大将の兵で、松山矩三郎と申します」

「同じく、小野田幸之助にございます」

 助右衛門は二人をチラリと見て、プイとそっぽを向いてしまい返事もせず部屋から出て行く隆広の後ろについていった。

「な、なんだよあの態度は!」

「こらえろ矩三郎、あの方にとっては我らなど未熟な小僧にすぎないではないか」

「それを云うなら、御大将はさらに小僧だろ!」

「…それを言うな」

 

 隆広主従は越前に馬を走らせた。しかし、ただ使いをして帰るわけにもいかない。領内の視察と云う任務がある。隆広は最初に金ヶ崎の町に訪れた。

 

 金ヶ崎の町、羽柴秀吉の金ヶ崎の撤退戦で知られる城だが、柴田勝家が越前に入ると城は破却されている。北ノ庄への移民も多かったが、その土地に田畑があり、先祖伝来の土地を離れられない者は多々いた。城は新地になったが城下町は金ヶ崎の町として残ったのである。だが、町には活気がなかった。柴田家に納める税が高いのである。

 隆広はこの町に楽市楽座の導入と、海に面している町だから漁業の強化と塩田を作ることを帳面に記した。

「御大将、塩田て?」

「そんな事も知らないのか矩三郎! 海水から塩を作ることだよ!」

「バカにすんな紀二郎! そこまではオレだって知っているわ! どうやって作るのかって事だよ!」

「そうよな、この辺は風もあるので流下式の塩田がいいかもしれないな」

「流下式とは何ですかな?」

 助右衛門が尋ねた。

「まず海水が地下に染み込まないよう、蒸発層と云う焼いた粘土で防水された緩やかな斜面に流し、水分を蒸発させ、海水濃度を高めるんだ。蒸発層を数回通過した海水を、細い竹枝をまとめてホウキ状にし、いく層にも集めて棚にまとめた枝条架(しじょうか)の上へと散布する。枝条架に付着した海水に風をあてる事で水分を飛ばす。あとは竹枝に付着した塩を収穫するだけだ」

「ほう、隆広様は物知りですな。武将になどならずにそちらで金儲けした方が良かったのでは?」

「オイてめえ!」

 矩三郎が助右衛門の襟首を掴んだ。

「よせ矩三郎」

「だって御大将、こいつ!」

「助右衛門、今さらオレは塩問屋にはなれないさ。だが幸いにして塩田の知識はある。それを民のために使いたいだけだよ。それに…」

「それに?」

「越前が富めば、柴田が儲かる、その武将のオレも儲かる。単なる博愛精神で民のためなんて言っているワケじゃない。ちゃんと先々の儲けを期待しているぞ。それにオレ一人が金持ちになったって妬みを買い誤解を招くだけだ。柴田家と越前の民が徐々に豊かになればいいんだ。そしてオレも禄があがり、恋女房にきれいな着物も買ってやれる」

「なるほど」

(こんな程度の挑発では腹も立てぬか、あっははは)

「とにかく、今すぐに塩田作れと言っても無理だしな。とりあえず殿に報告する事として帳面に記載しておこう。よし、次は府中に行くぞ」

「「ハッ」」

 

 前田利家の居城である府中城に向かった。城主の利家には非公式の訪問である。

「よし、本日は府中の城下町に泊まるが、荷物を置いたら早速出かけるぞ。バラバラに情報を集めるよりも、皆で歩き、一つ一つに知りえた情報を一同で玩味したい。共に来てくれ」

「「ハッ!」」

「…あまり情報が多いと頭の中で処理できませんか?」

 助右衛門がまた皮肉混じりに言った。それを聞いた矩三郎が食ってかかり襟首を掴んだ。

「オイてめえ! オレの事を無視や軽視するのはいいが御大将を侮辱するなら許さねえぞ」

「助右衛門、それは少し違うな」

「と言いますと?」

 矩三郎の手を払い、隆広に尋ねた。

「城下をパッと見ただけで、この城下町の抱える問題はすぐに分かる。だがその一つ一つの問題にも優先順位と云うものがある。この府中城の場合はまず民心の掌握をしなくてはならない。民あっての領国だからな。民心の掌握方法は三段階に分かれる。まず与える事、富ませる事、そして教育する事だ。取るのはそれからでないと民心はすぐに離れていってしまう。そして残念な事に一段階目の『まず与える事』が出来ていない事が、パッと見ただけでわかる。活気がないし、清掃も行き届いていない」

「それは城主の前田利家様の責任でしょう」

 前田利家とは確執のある助右衛門。あの男に行政などできるものかと思っている。

「オレは柴田勝家様の直臣。支城の窮状を見過ごしていいものではない。それに利家様とて度重なる門徒との戦いのため、殿に出兵を幾度も要請されている。財政は火の車のはずだ」

「では玩味というのは…」

「そうだ、城下を見て回り、まず与えられそうなものを一つ一つ玩味して探す。それを本城の殿に報告し、殿の手から利家殿に与え、利家殿が領民に与えると言う寸法だ。そんなに難しい成り立ちではないだろう?」

 助右衛門はあっけにとられた。金ヶ崎での塩田の知識といい、本当にこのお方は十五歳なのかと。助右衛門は武人肌で内政事には疎い。自分にない才能をこの若い主人は備えていると見た。

「助右衛門、オレには部下の将がそなたしかいない。槍働きは無論のこと、内政にも色々とチカラを貸してもらう事になるだろう。よろしく頼む」

「承知しました」

(ふふ…怒らせて器量を見ようとしているオレの考えなどお見通しか)

 信長に『子供とて侮らない方がいいぞ』と釘を刺されたのを助右衛門は思い出した。

「よし、では行くぞ」

 

 隆広主従が城下を歩いていると、山のような反物の束を抱えて歩く女と出会った。

 

 ドン

 

「あ、すいません!」

 女は反物を全部落としてしまった。

「いや、こちらも不注意でした」

 隆広主従は反物一つ一つを拾い、女に渡した。

「これはいい反物ですね…。高く売れるでしょう?」

 隆広の言葉に女は悲しそうに笑った。

「高くなど売れませぬ。買い叩かれてしまいますので」

「ええ? それではご自分の店で出せば…」

「自分のお店を出すと、その税が支払いませぬ…」

「そうですか…」

「ならばこれで…」

 そして続けて町を歩くと、自分の商品を買い叩かれてケンカになっている商人たちが何人もいた。

「隆広様…」

「うん助右衛門、これを何とかしなければダメだ。金ヶ崎の町も似た状況だったが、府中も同じらしい。関税があるうちは他国の商人なんて来ない。それどころか、今いる商人さえ府中を見捨てる。安土で見たように関税を撤去しなければならない」

「しかし現実…利家様にそれを実行できようはずが。金がなければ勝家様の出兵に応じられないのですから」

「だがせめて減らす努力をしなければならない。府中城は何も持っていない。だから元々民たちが持っている金を与えるしかない」

「そうですね…」

 

 そのまま城下を見て回ると、隆広一行は不毛な雑草生い茂る地域を見つけた。近くには九頭竜川の支流も流れている。

「何とももったいない。少し手を加えればここは水を満々とひたした美田となろうに…」

「開墾する金がないのでしょう。これほど広い地域に美田を作るとなると、ゆうに四、五千貫はかかるでしょうから」

「四、五千か、しかし助右衛門、それを渋っていては、この地はいつになっても雑草しか生やさない。時には思い切った先行投資が必要だ。前田家で出せないのなら、柴田で出せばいいが…」

 隆広は一つ思案した。

「よし、領民に出させよう」

「は?」

「最初二千貫程度を柴田で出して、それで開墾をある程度進める。この雑草地帯が美田に移り変わる様子を領民に見せる。そしてその後で民に、ここが美田に変わればいかに自分たちの暮らしが楽になるか教える。前田家の手で作り、やがて出資した民に公平に美田を分け与えると呼びかける。その上で少しずつ銭を集めて、より作り上げられる美田に愛着を持たせる。つまり資金の半額を領民に出させるのだ。領主の前田家におんぶに抱っこではなく、自分たちの町を自分たちで開墾する喜びを教えるんだ」

 助右衛門はポカンとして隆広を見た。

(何て事を考え付くのだ…。一つの開墾で『与え、富ませ、教育を、取る』いっぺんに行うなんて…!)

「よし、宝の土地を見つけたぞ。府中城における『与える物』はこれだ。測量をはじめる」

「「ハハッ」」

 さすがに九頭竜川沿岸を隆広と共に開墾した矩三郎、幸之助、紀二郎、手際よく道具を用意し、段取りよく測量を始めた。

(ほう、堂に入ったものだ)

 単なる生意気な小僧たちじゃないと助右衛門は感心した。広範囲だが馬を使い測量したので一刻(二時間)ほどで測量は終わった。

「いかがでしたか?」

「ああ、助右衛門。この地が美田になれば三万三千石の府中が六万石になるぞ」

「に、二万七千石も上昇するのですか?」

「そうだ、これなら殿も資金を出してくれるだろう。前田家が富めば、殿にも大いに頼りになるのだろうから」

 隆広は嬉々として測量した図面を懐中に入れた。

「どうだい? 大したものだろ我らの御大将は?」

 勝ち誇って矩三郎が云うと、助右衛門は苦笑し

「そうだな」

 と返した。

 

 翌日に隆広主従は不破光治の治める龍門寺城に行ったが、やはり状況は府中と似ていた。

 織田信長は柴田勝家を越前一国の支配者として越前八郡を与えて北ノ庄城に置き、前田利家、佐々成政、不破光治に『府中辺二郡』の十万石をあてがっている。

 こうしたことから前田、佐々、不破の三人は一般に『府中三人衆』と称されており、織田信長は、この越前の国割に際し、府中三人衆は勝家の与力として軍事指揮下に入れ、また、勝家の行動を監視するといった目付としての役割も担わせ、ともに競合して領内の支配に当たることを命じている。

 

 城と城主が違うとはいえ、やはり同じ越前府中であるから、そう変化がないのも無理はない。隆広は龍門寺城でも不毛な雑草地帯を見つけた。そこの測量も済ませて帳面に記録して、次の日に一乗谷に向かった。

 かつて越前朝倉家の本城であった一乗谷城。城は廃却されたが、この地に田畑を持つ民はいまだ多く、かつての城下町は栄えて小京都と呼ばれた姿を誇っており『一乗谷の町』として残っていた。隆広一行が町を訪れると町内を流れる九頭竜川沿いに人が集まっていた。

 

「どうしたのですか?」

「どうもこうもないよ! また橋が流されちまったんだ!」

「大雨のたびにこれでは困るわ…」

「これじゃわしらの商売も上がったりだよ」

「橋か…確かに九頭竜川が通る一乗谷の町では不可欠だな…」

「ですが、橋を作る架橋工事は軍備がかさみます。とうてい今に着手はできますまい」

「確かにな助右衛門。しかし、一日遅れれば一日越前領内一部の流通が止まる。となると逆転の発想で何か考えて、すぐに実行しなければならない」

「逆転の発想?」

「大雨でも流れず、今すぐに着工でき、そして金もかからない橋」

「そんな夢のような橋が…」

「ある」

「え?」

「舟橋だ」

「ふ、ふなはし? 何ですか、それは?」

「重りを載せた船を鉄鎖でつなぎ、その船一つ一つに台と転落防止の欄干を作る。増水時は片岸においておけば激流で流されることもない。使用の時には向こう岸に先端の船をこいで、向こう岸に渡り強固に固定する。和歌にも『いつ見てか、つげずは知らん東路と、聞きこそわたれ佐野の舟橋』とある。大雨で流れず、舟は廃舟を利用すればいいし、安価な工事で済む。何より風流だ。いけるかもしれないぞ!」

 助右衛門は気付いた。隆広が自分に熱を込めて話している事を川沿いにいた町民たちがあっけにとられて聞いていたのである。

「にいちゃん、あんた天才か!?」

「すごくいい智恵よそれ!」

「今すぐにでも作業にかかれるのじゃないか、その橋!」

 隆広は一乗谷の町民に囲まれた。

「まあまあ、みなさん。一応北ノ庄から職人を派遣しますので、彼らの指揮の元に作られるがいいと思います」

「「やったぁ―ッ!」」

「珍しい橋と、旅人も増えそうね! ウチの宿屋も繁盛するかも!」

「矩三郎、幸之助、紀二郎、急ぎ北ノ庄に戻り、辰五郎殿に城郭増築の作業をいったん中断してもらい、こちら一乗谷の九頭竜川架橋を要請してくれ」

「「ハッ!」」

「このまま立ち去るのも無責任だな。職人衆が到着するまで待つとしよう」

「そうですね」

「しかし困った、職人を雇っても給金が出せないぞ。かといって素人の人たちだけでやらせては危険だしなあ…出世払いでやってもらうしかないか…」

「お任せ下さい。それがしが勝家様から給金と工事資金をいただいてきます」

「すまぬ、助右衛門。恩に着る」

「北ノ庄に行くのはそれがし一人で十分ですから、矩三郎たちを使い架橋工事の準備を進めておいで下さい。頼むぞ三人とも!」

「「は、はい!」」

 助右衛門は隆広を自分が全力で補佐するに足る人物と確信した。やっと巡り合えた、我の主人をと、助右衛門は歓喜に震えて町の入り口に繋げてある愛馬まで駆けた。

 

 翌日、奥村助右衛門に連れられて北ノ庄の職人衆の辰五郎一党がやってきた。隆広の指示で北ノ庄城の城郭に出丸を築いていた彼らだが、『舟橋』と云う世にも珍しい架橋工事を始めると聞いて城郭工事を中断し、喜び勇んでやってきた。

「水沢様、お待たせしました」

「辰五郎殿、急な仕事をすみませぬ。道中で助右衛門から工事の内容は聞いておりますね」

「はい! 越前の名物になるかもしれぬと勝家様も大変喜んでおりました。我らも全身全霊で作らせてもらいますよ、舟橋を!」

 これが世に有名な、『水沢隆広の舟橋』である。工事期間わずか三日という驚異的な速さであったが、けして壊れず、大雨の激流も静かに受け流す舟橋は、さながら隆広の軍勢のごとしと賞賛され、後に『隆広舟橋』と命名され、現在の橋は鉄筋コンクリートとなっているものの、名はそのまま受け継がれている。

 

 舟橋の工事が終わった翌日に、隆広主従は佐々成政の治める府中小丸城の視察に赴いた。しかし、この時に農民たちは戦闘の訓練をしていた。柴田勝豊の治める丸岡城でも同じ光景を見た。一向宗門徒の脅威が越前から払拭されるのはまだ遠い先のようだった。隆広は楽市楽座の導入と同時に『刀狩りの実行』と帳面に記し、北ノ庄城へと帰っていった。



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舟橋

太閤立志伝3特別篇の主人公が一乗谷に舟橋を架橋するのは原作通りのお話しです。確か、史実では勝家殿が北ノ庄で行ったと聞いています。その時に舟を結んだ鉄鎖が福井市の柴田神社にありまして、しみじみと眺めたものでござる。


 水沢隆広の領内視察における報告は主君柴田勝家を十分に満足させた。勝家は隣国に一向衆門徒の脅威があるために、関所すら撤去する『楽市楽座』の導入をためらっていたが、今回の隆広の報告で決断した。彼の本拠地、北ノ庄城は無論のこと、府中三人衆の治める府中の三城、柴田勝豊の丸岡城、そして一乗谷の町、金ヶ崎の町と、すべてに導入した。出店に伴う関税もすべてなくしたのである。

 そして一乗谷にて舟橋を作りあげた事を勝家は褒め、金ヶ崎の塩田導入も許可し、丸岡城と小丸城の刀狩りの実行も布告した。そして府中城と龍門寺城の城下にある雑草地帯に美田を作る計画を勝家は快諾し、資金を出すことを了承した。

 また、隆広が連れ帰った奥村助右衛門を見て、勝家は歓喜した。自分が『沈着にして大胆』と評した武将が隆広に仕えてくれることになったのであるから。

 

 越前の視察から帰る日、それは前もってさえに知らされていたので、さえは城から自宅に戻り、夫の帰りを楽しみにしながら夕餉を作っていた。そして…

「さえ―ッ!」

「帰って来た!」

 味噌汁を作っていた鍋を火から放して、さえは玄関に向かおうとしたら、隆広はもう台所に突入していた。

「会いたかった~ッ!」

「さえも!」

 隆広はさえをギュウと抱きしめ、熱い口付けを交わした。すぐにも営みにと行きたいところであろうが、まだ日は暮れていないので、さえに辞退されてしまった。

「さ、もうすぐで夕餉です。湯につかり旅の疲れを癒してください」

「一緒に入ろう」

「んもう、夜までがまんして下さい」

「がまんできないよ~」

 股間を押さえている隆広。

「だーめ、お預けです」

 

 渋々隆広は湯に入り、疲れを癒した。湯から出ると夕餉の支度は終わっていた。

「美味そうだな、いただきます」

 久しぶりの愛妻の手料理をほおばる隆広。それを嬉しそうに見つめるさえ。新婚らしい夕食である。

「お前さま聞きましたよ、一乗谷の町に橋を架けたそうですね、しかも世にも珍しい『舟橋』とか!」

「耳が早いな。本当は『架橋の必要性あり』と殿に報告するだけのつもりだったけど、何か成り行きで架橋工事に入ってしまった」

「早くも北ノ庄から『舟橋』を見に行く人がいるそうです」

「さえも見たいか?」

「はい!」

「うん、じゃあ明日にでも行こうか。ちょうど主命も受けていないから」

「嬉しい! お前さまの仕事が見られるのですね」

「オレが作ったのじゃない。職人たちとその地の領民が作ったんだ。オレは案を出しただけさ」

 おかわり、と丼をさえに渡した。

「でも、その案がなければ一乗谷の人々は困ったままでした。お前さまがそれを救ったと聞いた時は本当に嬉しくて」

「そうか、そういえば一乗谷は朝倉の本城だった。いわばさえの故郷か」

「はい義景様から父が大野城を拝領するまで、さえは一乗谷におりましたから」

 その大野城は廃城になり、城下町も北ノ庄に移動したので、今はただの新地である。さえがお城のお姫様と呼ばれて過ごした場所はもう無い。

 現在は城が破却されて町が残るだけとは云え一乗谷はさえにとり生まれた土地。久しぶりに故郷の土を踏めるのが嬉しかった。

 

 夕食をとりながら、隆広は安土での事や視察で見た事を話した。信長と初めて会った時の感想や、羽柴秀吉や仙石秀久と酒を酌み交わし、義兄の竹中半兵衛と再会をした事。幼馴染の森蘭丸とも再会した事、奥村助右衛門が部下になってくれた事と色々である。さえはそれを楽しそうに聞いていた。

「あ、そうそう。さえに土産があるんだ」

「え?」

「さえの日本一きれいな髪のために」

「まあ…」

 隆広は漆塗りのくしを渡した。赤い光沢の美しい作りで、今まで安価な竹くしを使っていたさえには何よりの贈り物である。渡されたくしを胸に抱くさえ。

「ありがとうございます。私一生大切にします」

「オレはさえを一生大切にするよ」

「んもう、お前さまったら…(ポッ)」

 そして夕餉の後に、隆広待望の閨の時間が訪れた。またさえに灯を消してくれと言われた。最初は贈り物をくれた日だから、夫の望みに応えて明るい部屋での閨に挑戦したが、やっぱりダメだった。別に体に火傷もケガの跡もない真っ白い肌なのであるが、どうやら生来の恥ずかしがりやらしい。

 

 翌朝、隆広は愛馬のト金にさえを乗せて、一乗谷へと駆けた。昼には到着し、さえは懐かしい一乗谷へとやってきた。

 九頭竜川沿岸に行くと人だかりが出来ていたので、一瞬隆広はまた流されたのかと思ったがそうではなかった。人々は九頭竜川の川面を穏やかにゆらゆら揺れる舟橋に見入っていたのである。中には歌人もいて、舟橋を題材に和歌を詠んでいたりもした。

「きれい…」

 さえも見入った。

「あんなに人が渡ってもビクともしていないですね」

「ああ、辰五郎殿がずいぶんと設計にこだわっていたからな。架橋は初めてだと言っていたが、どうしてどうして良い仕事だ」

 

「おや、御大将じゃない」

 川沿い近くの宿屋の女将であった。流された橋を見て『大雨のたびにこれでは困るわ』と言っていた女で、隆広の舟橋案に『すごくいい智恵』と絶賛したのも彼女だ。

 彼女は町の女たちに呼びかけ、職人や工事に携わる男たちに積極的に給仕をしていた。橋が完成すれば町の名物になり、経営する宿屋が繁盛するかもと思い工事中は彼女も懸命に働いていたのである。隆広の部下たちが『御大将、御大将』と隆広を呼んでいたので、自然彼女もそう呼んだ。

「あら、かわいい奥さん、御大将もスミに置けないわねえ」

「そうでしょう、自慢の妻なんです」

「んもう、お前さまったら」

「見てよ御大将、この賑わい! ウチの宿屋なんてお客さんでごった返しているわ」

「そのようですね」

「これも御大将のおかげよ。もう少し私も若かったら床の上でお礼したいくらいね!」

 さえの顔から一瞬笑顔が消えた。

「あら怖い怖い! それじゃ邪魔者は退散しますね! あははは!」

 

「さえ」

「はい」

「オレは舟橋の完成より、こうして一つの名物によりたくさんの旅人が領内に来てくれる事の方が嬉しいよ。あの宿の賑わい。歌人が風流にひたれる町。今は一乗谷のほんの一角だけかもしれないけれど、これを越前全体に及ぼしたいんだ」

「はい、さえも素晴しい事と思います」

「お、さえ、そろそろ渡れそうだぞ! 行こう!」

「はい!」

 舟橋を歩き、川面からの風を気持ちよさそうに受けるさえ。美しい髪を流す姿に隆広は思わず見とれてしまう。水しぶきを避ける仕草さえ愛しくてたまらない。

 何度もさえは橋を横断した。それは自分の故郷の窮状を救った夫の仕事が心から嬉しかったからだった。

 その日のうちに、隆広とさえは北ノ庄の自宅に帰った。前日の夕食は隆広が饒舌になったが、今日はさえの方が饒舌になった。舟橋と、なつかしい一乗谷に行ったことがそうさせたのだろう。閨のあとの寝物語でも、二人はお互いの息がかかるくらいに顔を寄せて語り合ったのだった。

 

 数日後、隆広は勝家から与えられた資金を持ち、府中城の前田利家を訪ねた。

「あの地帯を美田に? そんなの可能なのか?」

「はい、しかし資金はそれがしの見積もりの半分である二千貫しか殿より調達できませんでした」

「四千貫もかかるのか…」

 柴田勝家からの使者である。前田家の重臣一同も揃っていた。残る二千貫の負担はできるかと利家は家臣たちに目で尋ねたが首を振られた。

「ですが前田様、あの地を開墾すれば三万三千石が六万石になるのでございますよ」

「まことか!?」

 家臣たちも顔を見合わせた。

「はい、この測量図を見て下さい!」

 隆広は図面を見せて、その上に用水路をしいた完成予定を描いた薄い紙を重ねた。利家は食い入るように見つめ、家臣たちも詰め寄って見た。

「九頭竜川の支流から水を引き田に入れれば、たちまち美田です。また府中城の九頭竜川支流は氾濫した歴史がない。四千貫の投資は二年もあれば戻るでしょうし、何より美田を与えられた民たちの民心が上がるのは大きいと思います」

「だがな隆広。勝家様にはそなたがおろうが、当家にはあまり土木の指揮に長けた者がおらんのだ。戦場の猛将ならたくさんおるのだが…かといって、新たに召抱えたとしても新参者に多大な国費を与えてそんな事業を任せるのものォ…。またそなたに頼むも、それでは前田家に人なしと笑われるだけじゃ」

「では一人、数日それがしにお預け下さいませんか。現場に赴いて具体的な方法や、資金の割り当てを僭越ながらご教授させていただきまする」

「かまわんぞ、誰にする?」

 隆広はもう決めていたように、その男を指名した。

「利長殿、貴殿だ」

「オ、オレ?」

 前田利長、前田利家の嫡男である。隆広より二つ年下で、現在十三歳。

「隆広、息子はまだ子供だ、荷が重い」

 利家は武勇があまり優れない利長を評価していなかった。

「いえ、大丈夫です。失礼ながら利長殿の事は調べさせてもらいました。利長殿は北ノ庄城の文庫(図書館)から、貞観政要や孔孟の書を借りておられた。武芸が苦手なら智の技でとお考えだったのでしょう。そして爪の間にある墨の跡。書き写して内容を習得しようと思った証にございます。違いますかな利長殿」

「い、いや、そんな…」

 父の前田利家は息子がそんな書を読んでいたと初めて知った。

「また十三歳のお若さなら、知識の吸収も早い。お預け願いたい」

「分かった、息子を頼む」

「では利長殿、ご一緒に参りましょう」

「は、はい!」

 隆広は利長を連れて城主の間から出て行った。

「ふっはははは」

 利家は突然笑い出した。

「どうされた殿?」

 と、前田家臣の村井長頼。

「だって可笑しいだろう、親父のワシが知らぬ息子の得意分野を隆広は見抜いていたのだぞ。参ったのォ、ふっはははは」

 隆広は、現場を歩いて利長につきっきりで開墾の方法を教えた。やはり隆広が見込んだだけあり利長はどんどん新田開発に伴う土木の知識を真綿が水を吸収するかのように学び取った。

 資金の分配から、人の使い方など後に君主としても役立つ知識を隆広より教えられた。この縁からか、利長は隆広を兄のように慕い、この後共に柴田家を支えていくことになるのである。

 そして五日もたてば、隆広が任せられると思うほどに知識を得た。それを利家に披露させた隆広。

「…と云うわけでございまして、当初柴田家から与えられた二千貫を用いて開墾の様子を民たちに見せ、その間に民たちに徹底してこの地に出来る美田がどれだけ自分たちを豊かにするか教えます。そして少しずつ銭を出させるのです。自分たちの投資した銭が美田に変わる。無論、その美田に愛着も湧きます。そして同時に民たちは前田家から農耕や用水の知識を得ますから、強力な味方になるかと!」

 ポカンとして息子利長の意見を聞く利家。重臣たちも頼りない若君と思っていた印象が一変してしまった。

「利長、今まで教えたのは机上のこと、それを現場で生かせるかはそなたの器量次第だ。主家の行政官として期待している」

「お任せください!」

 いつの間にか、隆広は利長を呼び捨てで呼んでいた。親しみの表れである。

「では前田様、それがし龍門寺城の不破様にも同様の用件がございますれば、この辺で」

「あ、ああ…気をつけてな、何なら当家で龍門寺城まで護衛するが…」

「いえ、城下の宿屋に部下を待機させています。大丈夫ですよ!」

「そうか」

 隆広が府中城を出てしばらくすると

「隆広―ッ!」

 利家が追いかけてきた。彼の妻まつも一緒だった。

「前田様?」

「城主の間では家臣たちの手前言えなかったが、礼を言うぞ、利長はまるで別人のように凛々しくなりよったわ!」

 母のまつもわずか数日の隆広の薫陶で息子が凛々しくなったと感じ、利家の前で言った意見を伝え聞いて舌を巻いていた。

「母として本当にお礼を申し上げます。僭越ながら知識だけ与えてもああは変わらないはず、隆広殿は利長に何を言ったのですか?」

「大したことは言っていません。『お前に任せる、頼りにしているぞ』だけです」

「『お前に任せる』…」

「そうですまつ様、利長は叱咤して化ける男じゃない、認めて、褒めて化けさせたのです」

「隆広殿…」

「それではこれにて」

 歩き去る隆広の背を見ている利家とまつ。

「母親失格ですね…。今まで頼りなく書ばかり読んで部屋に閉じこもっている利長を叱ってばかりの母親でしたから…『褒めて化けさせる』なんて考えもしなかった…」

「前田家は隆広に返しつくせない恩義を受けた…。次期当主の利長を一人前にしてくれたのだから。あの地域が美田に変わり石高が上がるよりもオレは嬉しい」

「殿…」

「これから利長を認めて褒めてやればいい。そうでないと利長が隆広に取られてしまうぞ!」

「くすっ…。そうですね」

 

 隆広は龍門寺城の不破光治を尋ねた。だが不破家もまた土木の指揮に長けた者がいなかった。今度は当主の子を指名しなかった。隆広は不破家の家老である不破助之丞の息子の角之丞を責任者に指名した。

 父親の不破助之丞自身が、この子の代で我が家は潰えるとまで言うほどの頼りない息子で、隆広より一つ年下の十四歳。まだ寝小便の悪癖が治らない少年だった。角之丞を指名した時、当然の事ながら光治も助之丞も無理だと言った。

 だが隆広はこの角之丞も化けさせてしまったのである。六日の間隆広に新田開発と引水、資金の分配、人の使い方を教え込まれた。この六日間、彼は一度も寝小便をしなかった。

 六日後に主君光治に堂々と開墾の主旨と実行方法を述べたときは光治と助之丞はポカンとまるでキツネに化かされたような顔をしていた。

 利長の時と同様に、隆広は府中城と龍門寺城に来る前に、北ノ庄の文庫を訪れ、前田と不破の子弟で貞観政要などの政治書を何冊も借りている者をあらかじめ調べておいた。それに該当したのが前田利長と不破角之丞であったのである。

 息子を見事なまでに生まれ変わらせてくれた隆広に不破助之丞は涙を流して感謝し、年頃の娘もいた彼は『側室にどうでござろう』と勧めるほどだった。不破角之丞は後に隆広と義兄弟の契りを交わし、不破光重を名乗り、隆広と共に柴田家を支える武将になる。

 

 隆広は二つの城の開墾を自分の知識を分け与えた若者二人に任せて、あとはたまに主家の行政官として視察に来る程度だった。二人は隆広の期待に十分に応え、見事に不毛な雑草地帯を美田に作り変えたのだった。



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石田佐吉

太閤立志伝3の石田三成の立ち絵グラフィックって、めちゃくちゃ美少年なんですよね。


 ある朝、登城した隆広は主君勝家から辞令を受けた。任務は『穀倉官』であった。つまり兵糧の管理である。武人肌の多い柴田家では閉職と軽んじられている仕事であるが、腹が減っては戦にならない。だから勝家は隆広に命じた。

 柴田家には能吏と云える人材が不足していた。武人肌が家中の上部を占めているため、能吏の徒は少なからず嫌われる風潮があった。となると、その風潮を歯牙にもかけない強い心を持ち、同時にソロバンと帳面に明るい人物が必要とされる。それが水沢隆広であった。

 

 隆広は任命のその日から、どんぶり勘定気味であった兵糧の数を明確にした。穀倉庫を預かる部下の役人たちも、最初はこんな小僧がと侮っていたが寸分の狂いもない管理の手腕に驚かされた。また古くなった米を領民に安価で売り、国庫を潤沢させると共に民心も上げて、主君勝家を大いに喜ばせた。

 だが、少し心配事も出てきた。隆広は仕事に熱中するあまり、帰宅が遅くなることもしばしばあった。妻のさえが奥村助右衛門の妻津禰(つね)に『さびしい』とこぼしていたのを助右衛門は聞かされてもいた。

 

「もうこんな時間か…」

 穀倉庫の机で、隆広は一つあくびをした。その脇にいる助右衛門が言った。

「隆広様、少しよろしゅうございますか」

「なんだ?」

「隆広様は少し根を詰めすぎです。お屋敷に一人で待つ奥様の気持ちも察せられませ。グチ一つ言わぬとて寂しがっているに相違ございませんぞ」

「うん…。だけど…」

「分かっております。それがしも申し訳なく思います。部下にもここの役人にも安心して任せられない。そうお考えなのでしょう」

「それは…」

「よいのです。実際にそれがしは能吏としては隆広様の右腕にもなることはできません。戦場ならば身命を賭して隆広様をお守りする所存ですが、ここでは何の手助けもできません。それがしも口惜しく感じています」

「助右衛門…」

「隆広様は足軽大将、側近三名くらいはもてるはず。一向衆との戦いを考えれば、それがしのような槍働きの将がもう一人くらいいるでしょうが、せめてあと一人は内政家を召抱えてみては? それでずいぶん隆広様の負担も減るはずです」

「簡単にいうが、そう優れた内政家がみつかるとは…」

「隆広様は羽柴様と親密でございましたね」

「そうだが…」

「羽柴様なら人脈豊富、羽柴様に相談してみては?」

 名案だと隆広は思った。最近さえが拗ねて困ってもいた。それに心強い内政家が部下になってくれればこんなに心強い事はない。

「ありがとう助右衛門。明日は休みをとって長浜に行ってみよう」

「それがしもお供します、一日くらいは隆広様がいなくても役人たちが何とかしましょう」

 

 翌日、隆広は助右衛門を伴い、羽柴秀吉の居城の長浜城に向かった。到着した長浜は中々の賑わい。秀吉も楽市楽座を導入していたのである。

 まず隆広は義兄の竹中半兵衛を尋ねたが、半兵衛は秀吉の命令で安土にいるとの事だった。半兵衛と会うことはあきらめて、次は仙石秀久の自宅に向かった。

 秀久も半兵衛同様に留守であったが、彼の妻のお蝶が隆広主従を出迎えた。お蝶は命の恩人である水沢隆家の養子が来てくれたことを事のほか喜び、自分が作った隆家の神棚の場所に案内した。

「こりゃまた立派な…」

「いいえ、私が受けたご恩に比べればまだまだ小そうございます」

 隆広と助右衛門は隆家の祭壇に合掌した。お蝶は想像できたろうか。今、自分の作った神棚に合掌している若者が後に夫秀久と敵味方になり熾烈な戦いをすることになろう事など。

「そうですか、秀吉様にお会いに」

「ええ、できれば権兵衛殿にもお会いしたかったのですが」

「まあ、夫も最近一丁前に『忙しい』なんて言うようになりました。今回に水沢様が来て下された事は伝えておきますゆえ、文でも書かれると思います。字はとてもキタナイですが」

「ははは、ありがとうございます。ならば我らはこれにて」

「また来て下さいね、水沢様」

「はい」

 お蝶との再会はこれより数年後であるが、それはとても悲しい結末となる事を隆広は知る由もない。

 

 そして隆広は長浜城の城主の間で秀吉と会った。

「久しぶりですなあ、隆広殿。そしてそこにいるのは奥村助右衛門殿か。妻の津禰殿は元気かな?」

「はい、羽柴様もお元気のようで」

「ははは、元気だけがわしの取り柄じゃ。で、二人揃って何用かな?」

「はい、実は秀吉様にご相談が」

「相談? 隆広殿がワシに? ほほう聞きましょう」

「はい、実は…」

 隆広は言った。自分には内政に長けた側近がおらず、主命を行うのも一苦労という事を。

「ふむう、なるほど。頼りになる男が欲しいと…」

「はい。羽柴様なら人脈豊富。心当たりがあるのではないかと、それがしが主君隆広に薦めました」

「うん、助右衛門殿はいいとこに目をつけました。心当たりはありますぞ」

 隆広と助右衛門は顔を見合わせた。

「本当ですか!」

「はい。これ! 佐吉をこれに呼んでまいれ!」

 しばらくすると佐吉と云う男がやってきた。それは隆広同様に元服をつい最近に済ませたような少年で、かつ眉目秀麗な優男であった。

「親父様、佐吉にございます」

「おう、これに」

「ハッ」

「隆広殿、石田佐吉にございます。こいつを使ってくだされ」

 

(隆広…? この男が水沢隆広?)

 佐吉は秀吉の傍らに座った。そして秀吉は佐吉を薦める理由を話し出した。

「この佐吉は長浜のさる寺で拾いました。わしがノドを乾かして立ち寄ったところ、こやつ最初はぬるい茶を大きい椀に入れて持ってきて、二杯目を頼むと少し小さな椀にやや濃い目の茶を持ってきて、三杯目を頼むと熱い茶を小さな椀に持ってきた。こんなに気のつく小僧は珍しいと思いましてね。召抱えました」

「なるほど…」

「今は手前の奏者(秘書)見習いをしております。見込んだとおり才能を表し、計数に長けて、土木知識も卓越しており、何より兵站(後方支援)には抜群の才がござるよ」

「それはスゴい!」

「だが一つ問題が」

「と言いますと?」

「手柄と云うものはついつい戦場の武功に目が行きがちでござるが、それも兵站あって成せると云う事をウチの血の気の多い若い連中は分からない。ワシが諭せばヒイキと映る。身内の恥をさらすようで面目ないが佐吉は同僚と上手くいっておらず、イジメを受けているようなのですわ」

「親父様、かような事…」

「いいから黙っとれ、コホン、というわけで隆広殿、そういう場合は思い切った人事異動をして、佐吉が思う存分に働ける場所に出向させるが上司の務め。内政と軍事にも長けた隆広殿の元ならば重用され、かつ佐吉も学ぶこと多い。何しろ本の虫と呼ばれた前田利長と、寝小便の不破角之丞を生まれ変わらせたのですからな」

「い、いや、そんな…」

(知っていたのか…。ホントに油断もスキもない方だ)

「よって、この佐吉をお貸しいたそう」

「親父様…それがしには何が何やら」

「佐吉よ、本日よりこの隆広殿に仕えよ」

「ええ! そんな、それがしは親父様の下で」

「今も言ったであろう。お前は今の環境では十分に能力は発揮できない。しかし隆広殿の下に行けば内政に長けた側近はそなただけになる。重用されるであろう。かつ隆広殿から学ぶ事も多いはずじゃ。見れば歳も同じくらい。気も合うだろう。分かるな? そなたは隆広殿の下で修行をするのじゃ。そして虎(加藤清正)や市松(福島正則)が何一つ文句も言えなくなる男になって戻ってこい」

「親父様…」

(冗談じゃない! 体裁のいい左遷じゃないか! 親父様もオレを疎んじるのか…!)

「佐吉殿、それがしからも頼む。秀吉様に比べれば頼りない主君であろうが、必ずやそなたを重用する。いやさせてほしい」

「……」

「ほら佐吉、新たな主君に挨拶せぬか!」

「…ハ」

 佐吉は隆広に改めて対し、名乗った。

「…石田佐吉です。槍働きは苦手ですが計数と兵站なら誰にも負けませぬ。それがしでよければお仕えいたします」

「おお! ありがとう! 頼りにしますぞ佐吉殿!」

「…は」

 こうして石田佐吉は水沢隆広の配下となった。彼こそが『今蕭何』『名宰相』と後世から賞賛される石田三成である。

 だが今は『左遷された』と云う屈辱感の虜となっていた。会った事もない歳が同じ主君にいきなり仕えろなど、どだい無理である。しかし隆広の才は聞いていた。

 とはいえ佐吉も自分の才能には自信がある。能力を総合的に見て自分より隆広が劣っていたら即座に暇を願い羽柴家に帰るつもりだった。それを見極めるまではそのもとで働いてやろうと思っていた。

 

 北ノ庄に帰り、再び穀倉官としての業務に当たる隆広であるが、佐吉の能吏手腕は隆広の想像を超えて卓越していた。二人でチカラを合わせれば今まで隆広が夜までかかっていた仕事が夕方前には終わっていた。

 秀吉から家臣を借りたと聞き、少し不快を感じた勝家であったが、佐吉の礼儀正しさと勤勉ぶり、そして才能にそんなものは吹き飛んでしまった。気の進まない職場でも手は抜かない。これも彼の性格が出ている。やっと妻さえの機嫌も直り、隆広も安堵していた。

 

 やがて隆広は手腕を認められ、兵糧管理の総責任者に抜擢された。つまり今まで兵糧の管理と点検であったが、今度は領民から兵糧を徴収する役目である。織田家最年少の『兵糧奉行』の誕生である。今日は就任初日、隆広と佐吉は朝早くから役場に出勤し、兵糧役場で各村の収穫高や、毎日記録していた天候帳に目を通していた。

「隆広様、佐吉」

「どうした助右衛門」

「領内の村の長たちが挨拶に来ております」

「分かった、佐吉」

「はい」

 隆広と佐吉は村の長たちの集まっている部屋へと行った。

「それがしが新任の兵糧奉行の水沢隆広です。みなさん、よろしくお願いします」

「ていねいな挨拶痛み入ります。今日は村を代表してご挨拶に参りました」

「それはありがとうございます。それがしは貴方たちの息子ほどの歳ですが、懸命に働くつもりです」

「ありがとうございます。どうぞこれをお納め下さいませ」

 村の長は小さな包みを差し出した。よく見ると他の村長たちも同様に包みを持っている。隆広の顔が険しくなり、言葉遣いも強くなった。

「それはなんですか?」

「お祝いの品でございます」

「…それがしはそんなもの受け取りませぬ」

「す、少のうございますか?」

「多い少ないではございませぬ。それがしはそんなものは受け取らないと言っているのです」

 顔つきも先ほどの温和な顔でなくなり、言葉もきつくなっている隆広の反応に村の長たちは戸惑った。

「あなたたちはいつもそのような付け届けをしているのですか?」

「は、はい、そういうことになっております」

「そうですか、ならば今まで誰と誰に付け届けをしたか、教えてください」

「「ええ!」」

「いいですか。隠し立てすればあなたたちも賄賂を贈った罪で罰しますよ」

「し、しかし賄賂を贈らなければ年貢を増やされてしまいます」

「正直に申して下されれば、あなたたちの罪は水に流します。だが隠せば罰します。佐吉」

「ハッ」

「誰に賄賂を贈ったか聞き出して記帳せよ」

「ハッ」

 村長たちは賄賂の包みを持ったまま戸惑った。バラしたことでどんな報復があるか分からない。

 

 ドンッ!

 

 奥村助右衛門が持っていた槍の石突(基底部)を床に叩いた。その音に村長は腰が引けた。

「これは密告ではない。告発だ。これによりそなたたちが報復を受ける事はありえぬゆえ正直に述べるのだ」

「「……」」

「聞こえないのか!」

「「は、はいい!」」

 村長たちは佐吉に次々と賄賂を送った兵糧役場の役人の名前を述べた。隆広と助右衛門に無言の会話が交わされた。

(すまぬな、助右衛門)

(いえいえ)

 

 その昼、隆広は数人の部下の役人を呼び出した。

「奉行、何の用でしょう」

「呼んだのは他でもない。本日よりそなたたちを追放する」

「「ええ!?」」

「な、なぜでございます!?」

「お前たちはここ数年、農民たちから賄賂をとり私腹を肥やした。賄賂を贈らぬ者には年貢を増やすという非道なこともしてきた。我が柴田家は一向宗門徒との戦いが激しく、何より領民の支持が不可欠なのに、お前たちは殿と領民を裏切った。領民あっての国だ。領民をないがしろにして栄えた国はない。これ以上くどくど言うこともあるまい。よってお前たちを今日より追放する。顔も見とうない! さっさと北ノ庄から出て行くがいい!」

 賄賂を受けた役人たちは隆広に一言の反論もできず、スゴスゴと役場から出て行った。

 これが世に有名な『水沢隆広、韓信裁き』である。漢の高祖に仕えた韓信は、今回の隆広と同じように私腹を肥やす役人を追放した事がある。隆広もその時の韓信と同じくらいの厳しさをもって部下の役人を処断したのであった。

 

 その処断を隣室から見ていた助右衛門と佐吉。

「どうだ佐吉、これで隆広様を主人と認めたか?」

「…え!」

「そなた、隆広様が自分より劣っている主君なら、即座に羽柴家に帰参するつもりだったろう?」

「…ご、ご存知だったのですか?」

「治したほうがいいぞ。毎日の仕事の中でそなたが隆広様を見る時の顔にそう書いてあった。そして今、初めてその文字が顔から消えたのよ」

「と云う事は…隆広様もそれがしがそう思っていた事を…」

「クチにはしとらんが、オレが分かるくらいだ。とうにお気づきであったろうな」

「そ、そうだったのですか…」

(そんなにオレは胸中に思う事が顔に出やすいのか…)

「羽柴家で同僚と上手くいかなかったのも、そんなところだろう。お前は兵卒として隆広様に仕えるわけではない。この越前の行政官水沢隆広の補佐役なのだ。民や兵を土木工事で使うとき、『この無学者たちめ』なんてのが顔に出たら必ず伝わるぞ。人を使う立場にあるのだから、すぐに治せ」

「は、はい!」

「で、今日から隆広様を主人と認める気になったのだな?」

「…はい、確信しました。隆広様は私より何倍も器の大きい方です。本日より佐吉は隆広様のまことの家臣になるつもりです」

「そうか、隆広様も今のお前の言葉を聞いたら喜ぶだろう」

 石田佐吉の顔にはもう『左遷された』のひがみもなかった。秀吉の『修行をしてこい』の意味がこの日やっと分かった。石田佐吉は本心から内政における水沢隆広の右腕となるのであった。そして何か胸に思う事があっても彼は一つ深呼吸をし、けして表に出す事はなかった。

 

「お前さま、兵糧役場の悪徳役人を追放したんですって?」

 帰宅して、おかえりなさいませの後、さえに言われたのがこれだった。

「何で知っているんだ? 今日の昼にあったことなのに」

「もう城下町はその話で持ちきりですよ! 私も妻として鼻が高いです」

 城下の娘たちがキャーキャー言っているのを聞いたさえは

(私のダンナ様なんだから当然!)

 と、誇らしく思った。

 

 柴田勝家の耳にもこれは入った。そして手を打って喜んだ。賄賂をガンとしてはねつけたのが嬉しくて仕方なかった。そして私腹を肥やしていた者を処断した事も。

 勝家の傍らにいた妻のお市も大喜びした。この隆広の不正役人追放を勝家に知らせに来た者は、勝家とお市が家臣の快挙にしては異常なまでに喜ぶのに戸惑った。

「殿…私は嬉しくてなりませぬ…。よくぞそこまでの男子に…」

「ああ、それでこそ…」

 

 隆広が悪徳役人を追放したと云う話は、瞬く間に北ノ庄中に広まった。本当に民の事を考えてくれる方が奉行になったと領民たちは喜んだ。しかし…

「う、ううう…あんな若僧にかような恥を受けようとは…!」

「…オレにどうしろと云うのだ?」

 解雇された役人のうち一人が佐久間盛政に泣きついた。役人政兵衛は盛政の縁者である。

「ご家老、何とかあの若僧に仕返ししたい!」

「…隆広は罪人のそなたの家族まで責任を及ぼしていない。それでも仕返しがしたいのか?」

「当たり前にございます。何が賄賂は許さぬだ、みんなやっていることだ! ご家老とてあの若僧が気に食わないのでございましょう? 何とか役人に戻れるように働きかけて下され! 今度はワシがあの若僧に賄賂の罪を捏造して追放してやる! 無論ご家老にはたんまりとお礼を…」

 

 ズバッ

 

「…え?」

 政兵衛は盛政に問答無用で斬られた。

「たとえ、気に食わない男が行った事でも…正しい仕事ならオレは認める。お前は柴田家に、いや世の中に必要のないクズだ!」

 斬られた政兵衛の断末魔の声に、盛政の家臣たちが駆けつけた。

「片付けろ、こやつは役人を解雇されたことを怨み、当家の兵糧奉行に報復を企てた。よってオレの縁者とはいえ斬り捨てた」

「ハッ」

「フン、追放など生ぬるいことをしているからこうなる。斬刑で良かったのだ。つまらん尻拭いをさせおって、隆広めが!」

 これは他の追放された役人にも伝わり、逃げるように北ノ庄を出て行った。人づてに隆広は盛政の処断を聞き、盛政に礼を述べに行ったが盛政は会おうとしなかった。

 だが玄関先に立つ隆広に聞こえるように『不正役人を追放程度で済ませるような甘い男に会う気はない! 柴田家と越前の民を裏切った者は斬らねばならない!』と言い、隆広に『責任ある立場になったのなら、断固として不正は厳しく処断せよ』と諭したのだった。

 隆広はその言葉を訓戒として、玄関先で声のした方向にペコリと頭を下げた。不仲の二人だが柴田家を思う気持ちは同じだったと言える話だろう。

 

 隆広は、勝家の命令で柴田家の兵糧奉行として領内の不正役人の摘発を行った。支城の府中城、小丸城、龍門寺城、丸岡城と一乗谷の町、金ヶ崎の町でも同じ事を行い、やはり不正を働いていた者が多く見つかったのである。支城での処断は城主に一任されるが、一乗谷の町、金ヶ崎の町の柴田家直轄の町は不正役人は捕らえられ、隆広の前に縛に繋がれた。

 

「柴田家に禄をもらいながら殿と領民を裏切った罪は重い。一同覚悟は出来ていような」

「「……」」

「また、逆恨みでオレを襲おうとした元北ノ庄兵糧役場の役人たち。その方たちとて武士であろう! なぜ闇討ちなど考えた、口惜しければ正々堂々と果し合いを申し込めば良いだろう!」

「「……」」

 隆広は追放した役人の財は没収したが家族には累を及ぼさなかった。だが周囲から不正役人の家族と責められ、結局北ノ庄から逃げ出した。

 そして追放された夫と合流して一乗谷の町、金ヶ崎の町に流れ着いた。その町に住む不正役人たちも、いつ隆広の目が及ぶか怯えたが今までの賄賂を受け取った事実は拭いようもない。

 役人たちは越前から逃げるか、それとも隆広を殺すか考えたが、後者は成功したとしても、もう生きる道はない。柴田家に殺されるのは目に見えている。前者ならば今まで蓄えた金で当面は何とかなる。

 結果、北ノ庄から追放された役人は後者を選んで、一乗谷の町、金ヶ崎の町の役人は前者を選んだ。後者を選んだ役人たちは、もう明日に食べるメシの金もない、家もない。逆恨みと知りながら隆広を殺すことにした。その上で柴田家に殺されようと半ばヤケクソの蜂起である。

 だが、すべて露見してしまった。不正役人の摘発を行うため一乗谷の町に来た隆広を襲うため伏せていたが、逆に隆広の兵に捕らえられた。そして逃げ出そうとしていた者たちもまた捕らえられたのである。

 

『不正役人を追放程度で済ませるような甘い男に会う気はない! 柴田家と越前の民を裏切った者は斬らねばならない!』

 佐久間盛政の叱咤の言葉が隆広の脳裏をかすめる。しかし隆広は養父の水沢隆家から、ある言葉を言われたことがある。それは『金銭関係で悪い事をする者は頭がいい。正しい者が上に立ちさえすれば、その毒も薬になる』と言う事だった。

 斬刑にするのは簡単だった。しかし隆広は何とか目の前にいる連中を正しい方向に頭を使わせるように持っていけないものかと考えた。隆広は以前さえに言ったとおり『柴田家そのものが産業を持つ事、交易を行う事』を考えている。何とかその任務をやらせてみたいと思っていたが、無罪放免と云うわけには行かない。隆広は少し考え…

「そなたらに労役を課す。今まで何の苦労もなく搾取してきた賄賂の額、それを稼ぐにはどれだけの汗水が必要か、身をもって知れ。一人一人が不当に得た金額はすでに知っている。それを民と同じように土に汗を流して稼ぐのだ。オレはずっとそなたたちを観察する。汗水流して働いても何の成長のない者は斬る。だが生まれ変われた者は再び当家に召抱える」

 首を刎ねられることを覚悟していた不正役人たちは、この隆広の温情に感涙した。おそらく当時の武士の中で『奉行』の肩書きを持っている者なら、まず斬刑を下す罪である。それを労役であがなわせようと云うのである。

「府中城と龍門寺城で大掛かりな開墾が行われている。そこで働くのだ、よいな」

「「ハ、ハハーッ!」」

 見事な裁きだ、傍らにいた石田佐吉は思った。『柴田家そのものが産業を持つ事、交易を行う事』と云う隆広の考えを佐吉は何度か相談され、その実現にはどうしたら良いかと二人で考えたが、『金銭の活用に長けた者を集める』と云うのにだいたいの結論が落ち着いている。

 主人隆広は後々にその役目をこの不正役人たちに与えるつもりなのだと裁きを見て察した。また能力だけでなく、こうして命を助けたことでこの者たちが隆広に感謝して、その任に懸命に当たるだろうとも感じていた。人心掌握の技、見事と佐吉は感じた。

 

 府中城で隆広の名代として不正役人の摘発を行ったのは奥村助右衛門である。報告がてら助右衛門は城主の前田利家に謁見を申し出た。利家は快諾して助右衛門に会った。

「久しぶりだな、荒子城の明け渡し以来か」

「そうなります。殿にはご機嫌うるわしゅう」

「ははは、殿はよせ。今では隆広がそなたの主君であろう。妻の津禰は息災か?」

「ハッ」

「しかし…まったく面目ない。こんなに不正を働いている者がいたのか…」

 助右衛門の報告書では、不正役人は十一名に及ぶほど列記されていた。

「裏づけも取れております。最初の時と違い、もしかすると農民が悪意を込めて無実の役人を告発するとも考えられたので、農民から申告された十一名すべての家を調べました。その結果、全員が入手不透明な財を持っておりました」

「そうか」

「その者の刑罰は利家様に一任すると勝家様からのお言葉です。とりあえず今は牢に入れておりますが…」

「隆広は追放で済ませたらしいな」

「はい」

「…府中は北ノ庄よりも貧しい。だから賄賂の搾取はより厳罰に行う。私財没収の上、その家族は追放。当人は斬刑だ」

「…それもやむをえないでしょう。ではその旨を主君隆広を通して勝家様に伝えます」

「うむ、たのむ」

「では」

「まて助右衛門」

「はい」

「ワシはお前の旧主の兄利久を差し置いて前田家を継いだ。色々とワシに思うこともあるだろう。現にお前は荒子城明け渡し後に出奔したほどだからな。ワシが大殿に家督を継がせてくれと直談判したというのも本当だ。兄利久やその息子の慶次、そして家臣だったお前にも申し訳ないことをしたと思っている。しかし…あれから時は流れ、今はお互い柴田家のために尽力するもの。虫のいい話だが、できれば過去のしこりは忘れてほしい」

 助右衛門はニコリと笑った。

「もう忘れておりますよ。いや逆に今は良かったと思っております。何故ならそういう巡り合わせがあったからこそ、利家様より仕えがいのある主君にお会いできたのですから」

「こやつめ…!」

 利家と助右衛門は笑いあった。

「帰る前、あの不毛の雑草地帯がどう変わったか、見て行ってくれ。驚くぞ」

「承知しました」

 助右衛門は前田利長が指揮した開墾の現場に立ち寄った。それは満々の水をひたす美田に変わりつつあった。そして領民たちは嬉々として開墾作業に入っていた。罪を犯した不正役人も汗水流して働いている。

「見事だ…」

 利長の仕事、そしてその利長を見出した隆広の眼力に助右衛門は感心するのだった。

 

 そしてこの頃、隆広は勝家から兵糧奉行の任を解かれた。各村長が水沢様に続けていただきたいと領主勝家に懇願したほどだと云うが、それは叶えられない願いであった。

 隆広には新田開発や城下町の発展の主命で働いてもらわなければならないからである。だが隆広のやり方は次の奉行にも受け継がれ、今後に賄賂が横行する事は二度となかったのである。

 歴史家は隆広を『政治では君主と宰相の、軍事では総大将と参謀の才能を兼備していた』と絶賛しているが、今回の奉行での仕事は、その名宰相ぶりの才能を歴史に記した事となるだろう。そして前田利長、不破角之丞の才能を引き出し、奥村助右衛門、石田佐吉と云う英傑を使いこなす名伯楽としての才能も。



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前田慶次

いよいよ隆広三傑が揃いました。しかし一陪臣の家臣にしては破格の豪華メンバーですよね。


 水沢隆広は兵糧奉行の任務を解かれて再び新田開発の担当となった。隆広指揮の開墾ならば、どんどん越前は石高が上がる。当主柴田勝家からすれば兵糧奉行一つに置いておけない。

 勝家が隆広を兵糧奉行にしたのは、隆広の仕事を兵糧管理の者たちに浸透させるのが狙いだった。それが成され、かつ不正を働いていた者たちを除くという嬉しい副産物もあった。もはや隆広抜きでも兵糧の徴収も管理も問題ない。だから兵糧奉行を解かれ、再び新田開発の担当者となった。本城の北ノ庄にもある不毛な雑草地帯を美田に変えるのが仕事である。利長や角之丞が抜群の成果を上げていると聞く。師匠として負けられない。

 柴田家の開墾は兵たちが中心になって行うが、その地が田畑として実りが期待できるほどになるとすべて民に貸し与えた。柴田家は適切な土地の借用代と一部の収穫品しか取らない。柴田式の兵農分離とも言えるだろう。無論、前田利長、不破角之丞も同じ方法を執った。

 

 また隆広は今回の北ノ庄での仕事と云うのが嬉しかった。毎日家に帰れて、さえと会えるのだから。奥村助右衛門も時にクワを握り汗をかいた。昔では考えられない自分だった。だが田畑を耕していると、カタブツの彼も人はこうあるべきなのかもしれないと思ってもいた。

 そんな隆広たちの開墾の現場に前田利家が陣中見舞いでやってきた。隆広は勝家に呼ばれて現場に留守だったが、側近の助右衛門が出迎え、陣中見舞いの握り飯と水を丁重に受け取った。

「ありがたく頂戴します」

「ああ、遠慮なく受け取ってくれ。しかし、さすがは隆広自らやると違うな。利長の作った美田も見事だがやはりまだ隆広には叶わないな」

「そんな事はございません、若君の作られた水田も我らの田畑に引けはとりませんぞ」

「あっはははは、助右衛門も隆広と云う主君を得て人間的に丸くなったな。野良仕事に汗をかくと同時に近寄りがたいカドが取れたかもしれぬな」

「そ、そうですか?」

「そういえば…そなた慶次には会ったのか?」

「は? あいつ越前にいるのですか?」

「何だ知らなかったのか。府中城下に住んでいるよ。相変わらず変人だが」

「いや、それは存知ませんでした…」

(久しぶりに訪ねてみるか…)

 

 前田慶次、彼こそが『主人利久の明け渡し状がないかぎり城は渡せない』と奥村助右衛門が荒子城に立てこもった時を共にした男である。わずか二人で五百の前田利家勢を相手にしたのである。

 その後に慶次は叔父の前田利家を通して織田家中に籍を置くものの、とにかく変わり者で、どの隊にも敬遠された。主君で叔父の利家、同じく伯父の滝川一益さえ困り果てている。前田利家も若い頃は傾奇者と知られていたが、その範疇さえ凌駕する。

 滝川一益と前田利家が出た戦場によく加わっていたが、気に食わなければ命令も聞かない。

 しかも戦場では『一騎駆け』を好み、三国志の趙雲子龍が主人劉備の子を抱いたまま敵軍の中を一騎で駆け抜けたかのように、慶次も数々の合戦で一騎駆けをやり、しかもほとんど手傷を負っていない。

 彼に憧れる若武者が後をたたず、マネをして討ち取られる事が多々あった。その家族は『前田慶次の責任だ』と言い出したが、慶次本人には怖くて言い出せない。しわ寄せは主人の滝川一益や前田利家に向けられた。

 軍律を乱す事多々にあったが、実際に手柄を立てているので部隊長も何も言えない。眼光だけで敵を射すくめ、素手でも鎧武者を殴り殺すと言われた彼は、非常に上に立つ者に恐れられた。さしもの滝川一益、前田利家も持て余す豪傑。それが前田慶次だった。奥村助右衛門と同じように、優秀すぎて、強すぎて上将に敬遠された武将と言える。

 

 彼は前田利久の実の子ではなく、一説では滝川一益の従兄弟である益氏の子と言われている。益氏の側室に利久が一目惚れして、利久が益氏に頼み込んでもらいうけた。

 だがその時にすでに慶次を宿していたのである。利久はそれを責めることなく、家督も継がせた。だが結局は利家が前田の名跡を継いでいる。周りは『無念の人』なんて言っているが、彼は歯牙にもかけていない。

 今は府中城の利家の下で働いてはいる。風流を愛する教養人ではあるが、政務能力は無きに等しい。だが並外れた胆力と戦闘力を持っている彼は、まさに合戦のためにこの世に生まれてきた武将であった。

 だが、あまりにも利家の言う事を聞かないので、あの加賀大聖寺城の戦いからも外されている。評定にも呼ばれなくなったので、愛馬の松風と共に出奔でもしようかと考えていた。奥村助右衛門が府中城に慶次を訊ねようと訪れたのはそんな時だった。

 

「おお、助右衛門ではないか。久しぶりだな」

「ああ、朝倉攻め以来だな。元気そうで何よりだ」

「元気? まあ体だけは丈夫だからそう見えるかもな」

「なんだ? また利家様とケンカでもしたか?」

 久しぶりの友との再会。二人は酒を酌み交わした。

「ところで、助右衛門は最近、主を見つけたそうだな」

「ああ」

「お前ほどの男が、信長公の直臣と云う身分から陪臣になるのを受け入れた主人とはどんなお方なんだ?」

「正確に言えば陪臣の臣下だ。だから信長公の家来(勝家)の家来(隆広)の、そのまた家来になったわけだ」

「左遷か、そりゃ?」

「とんでもない。あのまま安土城の武家長屋でくすぶっているよりは遥かにマシになった。我が殿には二人しか家来がいないゆえな。毎日忙しい。それに身分は足軽組頭のままだ。別に降格と云うワケでもないぞ」

「なんて主君だ?」

「柴田家足軽大将、水沢隆広様だ。御歳十五になる。いやそろそろ十六かな?」

「じゅっ、十五ォ? お前そんな小僧に? それに水沢って…まさか?」

「そうだ、美濃斉藤家の名将、水沢隆家殿のご養子だ」

「隆家殿の…」

「言っておくが、養父の七光りで足軽大将になったわけではないぞ。武勲も立てているし、何より民を第一に思う行政手腕は素晴らしい。オレはあの方に惚れているのだ」

 慶次はその十五歳の小僧に興味が出てきた。気難しい助右衛門が『惚れた』と言うまでの小僧はどんなものなのだろうかと。

「面白いな、見てみたいぞ。その小僧を」

「小僧と云うな、オレの主だぞ」

「すまんすまん、隆広殿をこの目で見てみたいな」

「隆広様は北ノ庄南東の地域の開墾指導しておいでだ。来てみるか?」

「ああ、どうせヒマだしな」

 

 助右衛門と慶次は隆広が新田開発の指導をしていると云う場所に向かった。だが行き先にだんだん不安を覚えた。城下町をやや外れたその場所は不毛な雑草地帯である。

「おい助右衛門、この先は確か不毛な雑草地帯だぞ。岩もゴロゴロしていたはずだ。そんなヤセ地を開墾しているのか?」

「まあ黙ってついてこい」

 慶次の言う、その不毛な地帯が見えてきた。だがそれは『元』のカンムリをつけるだろう。

「ありゃ?」

 それは整地されて、水を満々と浸した良田が広がる地帯になっていた。

「い、いつのまにこんな…」

「隆広様は本職の農民が舌を巻くほどに農耕の知識があり、用水引水にも長けている。部下たちも働き者だし、なにより働き手の領民たちを使うのが上手でな。この辺の采配はオレも遠く及ばんわ」

「お前にそこまで言わせるとは大したものだな…で、お前の主君はどこに?」

「ん~、お、あそこだ」

 

 隆広は平等な用水配分を主なる農民に指導していた。あまり学問を知らない領民に理解しやすい説明で、傍らにいる石田佐吉も舌を巻いていた。

「いいか、水はみんなのものだ。自分の畑にばかり水をどんどん入れようなんてダメだぞ。そういうずるいことしたヤツにはオレが怒るぞ」

「へい、わかりました」

「ずるいことをするとどんな風に怒られるので」

「怒鳴って怒鳴って怒鳴る。ツバで顔がビッショリになるまで怒鳴る。そして往復ビンタ。以上だ」

「うへえ、そりゃ恐ろしいですね。わかりやした。間違ってもそんなマネはいたしませんし、させません」

「それと先日に行った刀狩りであるが、鉄に戻して鍬や鋤に作り直した。元々はそなたらの持っていたものから作ったものだ。今公平に新品を渡すからな。大事に使ってくれよ」

「おお、そりゃあ助かります!」

 

 農民の娘たちが遠巻きでウットリして隆広を見ている。そして近隣の子供たちなのだろうか、早く隆広にかまってもらいたいのか、彼の用事が済むのを今か今かと待っていた。

「なるほど…女子にも子供にも好かれる特技をお持ちのようだな…それにしてもどこかで見た気が…」

 慶次は隆広の顔に見覚えがあるような気がして、懸命に記憶を辿っていた。

「農民への指示が終わったようだ。行くか慶次」

「いや、どうやら童たちにご主君は取られてしまったようだ。彼が人物と云うのは十分に分かった。ぜひ酒を酌み交わしたいのだが場を取り持ってくれぬか?」

「分かった。今我らは城下の『亀屋』と云う宿に本陣を置いている。今日の夜にでも来てくれ。隆広様に伝えておく」

「北ノ庄でやっている開墾なのに、わざわざ宿屋を陣にしているのか?」

「来てくれれば、その理由が分かるさ」

「あ、ああ分かった…」

(しかし、どこで見たんだ? 覚えがあるぞ…)

 

「おんたいしょー、あっちで戦ごっこしようよ~」

「おんたいしょー」

「おんたいしょー」

「こらこら童ども! 御大将は忙しいのだ。お前らハナタレとの遊びに付き合ってなど」

「うるさいなー、下っ端のりさぶろーには聞いてないよ~」

「な、なんだとぉ! このガキャア!」

 子供たちはサッと隆広の影に隠れた。

 

「ま、まあ矩三郎、子供の言う事だ。怒るなよ」

「そーだそーだ!」

「大人気ないぞ、のりさぶろー」

「だが下っ端はあんまりで…」

「コホン、矩三郎殿の怒りはもっともです。まったく最近の童ときたら下品で」

「うるさいなーイヤミの佐吉~」

「イ、イヤミの佐吉…? 勝手に変な名前をつけるんじゃない!」

「キャー」

「おんたいしょー怖いよ~」

「おいおい二人揃って大人気ないぞ」

 慶次は感じた。あんな風に童が心から慕う将がこの日の本にどれだけいるだろうかと。

「子供の目はごまかせぬ…。本物だな」

(しかし…どこかで見たんだよな~あの隆広殿を)

 

 その夜を慶次は心待ちにしていた。男に会うのにこれだけ胸ときめくのは初めてである。そして夜になり、隆広一行が本陣にしている宿屋に向かった。

 しかし慶次は面食らった。サシで隆広と飲みたいと思っていたのに、亀屋は隆広一行を慕う町民農民でごった返していた。

 開墾当初は本陣を構えたりはしなかったが、隆広の私宅に隆広やその部下たちを慕う者の来客が頻繁に訪れるので、接客だけでさえは目を回してしまう。仕方なく隆広は今回の開墾中は、さびれていた城下の宿屋を本陣にした。赤字続きで頭を抱えていた亀屋の主や女将が歓喜したのは言うまでもない。

(なるほど、こういうことか。よほど人に好かれる特技をお持ちらしい…。しかし困った。落ち着いて隆広殿と飲めぬではないか)

「前田様ですね?」

「あ、ああそうだが」

「手前は水沢隆広配下、石田佐吉です。主君隆広が心待ちにしています。こちらへ」

「あ、ああどうも」

 慶次は佐吉に宿屋の離れに連れて行かれた。

「こちらです。助右衛門様もお待ちですのでごゆるりと」

「かたじけない」

 佐吉は宿の広間に戻っていった。どうやら客の歓待を任されているらしい。

「コホン、前田慶次でございます」

「どうぞ」

 慶次が戸をあけると、隆広が下座で慶次を待っていた。助右衛門はその傍らにいた。

「お待ちしていました。本来ならばそれがしが出迎えに行くべきですが民たちに捕まってしまいますので臣下の佐吉を迎えに出しました。お許し下さい」

 丁寧に礼儀を示して慶次を迎えた隆広。思わず恐縮してしまう慶次。

「い、いえ」

 隆広は下げていた頭を上げた。すると…

「あああッッ!」

 慶次の顔を見るなり隆広は驚きの声をあげた。

「いっ?」

 自分の顔見て驚く隆広に慶次も驚いた。

「うッ?」

 助右衛門は飲んでいた酒を吹き出した。隆広は立ち上がって、慶次の手を両手で握った。

「今日はなんと嬉しい日だ! あなたと再会できるなんて!」

「や、やっぱりお会いした事があるのですな?」

「? やっぱりって事は慶次も会った事があると思っていたのか?」

「ああ、だが申し訳ないことにどこで会ったかと思い出せずにいてな…」

「石投げ合戦です」

「ああ! そうだ!」

 慶次は拳で手を打った。やっと思い出したのだ。

 

 今から五年前、慶次は森可成が治める美濃金山城下で隆広に会っている。あの森蘭丸をヘコませた石投げ合戦の日であった。

 木曽川の川原で二十六対四の戦いが始まろうとしていた。隆広はそれを土手に座り眺めていた。当時十歳の竜之介である。慶次が松風に乗ってそこを通りかかった。

「石投げ合戦か…おい、坊主。おまえどちらが勝つと思う?」

 土手に座る坊主頭の少年に慶次は馬上から聞いた。少年は答えない。

「聞こえないのか? 坊主」

 少年は慶次に静かに振り向いて言った。

「…人にものを尋ねるのなら、まず馬を降りるのが礼儀ではないのですか?」

 慶次は面食らった。六尺五寸(197センチ)はある自分の体躯を見ても、少年は毅然として馬を降りてから聞けと言ってきたからである。

「いや、これはすまなかった。許されよ」

 素直に慶次は松風を降りた。

「それがしは前田慶次と申しますが、ご貴殿は?」

「美濃正徳寺の坊主で、竜之介と言います」

「ほう、勇ましい名前ですな。で、竜之介殿はどちらが勝つと?」

「数の少ない方が勝ちます」

「それは何故でございますか?」

「数が多い方は、数に頼り油断します。少ない方は少ない分だけ一致団結しますし、そして必死になるからです」

 歳からして九歳か十歳くらいの坊主がずいぶんと大人びた見解をするものだと慶次は感心した。

「なるほど、しかしそれだけでは勝つ理由にはなりませんぞ」

「今に分かります」

「面白い、では何か賭けませぬか?」

「いいですよ。では竜之介が勝ったらその馬に乗せて下さい」

「ま、松風に?」

「はい」

「まあいいでしょう、それがしと共に乗れば危険もございませんし」

「いえ、竜之介一人に乗せてください」

「え、ええ?」

 慶次は困った。松風は自分以外の者に背中を委ねるのを極端に嫌う。こんな少年が乗ったら派手に落馬し命すら危ない。いつもなら拒絶する賭けであろうが、慶次はこの少年に興味も出てきたので、賭けを受けた。

「分かりました。ではそれがしは多勢の方に賭けますが、私が勝ったら竜之介殿は何をくれますか?」

「竜之介は何も持っていません。何も差し上げられませんから約束だけします」

「約束?」

「竜之介は後に武士になるため、父に寺にて養育されています。大きくなって武士になり一角の大将になれたなら、あなたを側近として召抱えます」

「は、はあ?」

 この小僧はいったい何を言っているのかと、さすがの慶次もあっけにとられた。

「さ、始まりますよ」

 

 石投げ合戦が始まった。一定の距離を保ち、塹壕に隠れながらお互いに石を投げあう。戦闘不能になるか、お互いの塹壕に掲げてある旗を取られたら負けである。

 多勢の二十六人の少年たちは武家生まれゆえに父親から刀や槍の訓練も受けているので体も大きく、チカラもある。反面小勢の四人の方は町民の子なので、チカラはなく、体も小さい。誰が見ても四人に勝ちはないと思える。

 だが結果を見てみれば、乱法師(後の森蘭丸)率いる二十六人は小勢の四人に負けてしまった。小勢は実質四人ではなく五人だったのである。土手で見物していた竜之介が小勢側の大将であり、竜之介の考えた作戦と道具に翻弄され続けた。前面に集中しすぎた乱法師一党の背後に竜之介は静かに回りこみ、乱法師の旗を取ってしまったのである。乱法師は歯軋りするが後の祭りである。

「きったねえぞ! 一人だけ分かれて見物のふりしているなんて!」

「チカラのないものは智恵で。多勢に小勢で対するときは作戦をもって! それが工夫と云うものですよ、乱法師殿」

 小勢の四人は竜之介に駆け寄った。

「やったやった―ッ! 侍の子に勝ったぞ―ッッ!」

「さすがはオレたちの見込んだ大将だ!」

 

「はっははははッ! まさか竜之介殿が小勢の大将だったとは。この慶次、してやられましたな」

「では、その馬に少し乗せてもらいますが、よろしいですか?」

「どうぞ」

(面白い小僧だ…本当に松風に乗れるかもしれぬ…)

「少し高いな…」

 竜之介は松風の横腹をポンポンと軽く叩いた。すると松風は四本の足を折り曲げた。つまり竜之介が乗りやすいように馬体を低くしたのである。これは慶次もあぜんとした。こんなしおらしい松風を見た事なかったからである。自分と初めて会ったときは手のつけられない暴れ馬だった松風がすすんで背中を委ねたのである。

「よしよし…」

 竜之介は松風に乗った。そして走り出した。慶次が落馬の心配をしたのがバカらしくなるほどに竜之介の馬術は巧みだった。

「あの小僧、面白い!」

 

 そしてそれから五年、竜之介は水沢隆広となり前田慶次との再会を果たした。隆広十五歳、慶次二十五歳であった。

 

「いや~まさかあの時の小坊主殿が水沢隆広殿とは驚きましたな」

「私もあの時にお会いした武人が前田慶次殿とは知りませんでした」

 慶次は隆広が自分の事を覚えていてくれたのが嬉しかった。そして立派な若武者に成長していた事が。

「生意気な坊主だと思ったでしょうね」

「ええ、そりゃあそうです。初めてでしたよ、人にものを尋ねるのなら馬を降りてから聞けと言われたのは。それに…」

「それに?」

「『何も差し上げられないから約束します。一角の大将になったらあなたを召抱える』なんて言われたのも」

「確かに申しました。不愉快に感じたでしょうね、申し訳…」

「とんでもない」

 慶次は手を出して首を振った。

「男はあのくらいハナッぱしらが強くてちょうどいい。しかし嬉しい、もしかするとこの日が来ることをお互いに分かっていたのかもしれませぬな」

「え?」

「隆広殿、一つお聞きしていいかな?」

「はい」

「もし…あなたが天下人となったのなら…この日の本をどうしたいですか?」

「それがしが天下を取ったなら…ですか?」

 傍らで助右衛門も黙って聞いていた。主君がこの質問にどう答えるか彼も興味ある。

「そうですね…とにかく戦のない世の中を作りたいと思います。それがしの養父も戦に巻き込まれて死にましたから…。そして民百姓が笑って暮らせる政治をしたいです。産業も興して海の向こうの国と交易などもできたらと思います。その基盤を作ったなら、さっさと次に席をゆずって妻とのんびり暮らしたいですね」

「そうですか、なら私ですが天下人になったら、と云う話ではなく『夢』を」

「『夢』ですか」

「はい、それがしの夢はこの世で一番の漢になることです」

「一番の漢?」

 志ない者は笑い飛ばすような夢。隆広は笑わなかった。助右衛門も。

「しかし…どうしたらなれるか具体的な方法が分かりませぬな。だけど一つだけ今分かりました。それは仕えがいのある日の本一の大将の元で一番の槍働きをすることがそれがしの夢への道ではないかと悟りました」

「前田殿…」

「あの時の賭けは隆広殿の勝ちでございますが、こうして再会して酒を酌み交わしたのも何かの縁でございます。約束を果たしていただけませぬか?」

「え…それはつまり…」

 慶次は立ち上がり、ヒョイと隆広を軽く持ち上げて上座に座らせた。そして自分は下座に座り、隆広に深々と頭を下げた。

「この前田慶次郎利益、あなたの家臣となりましょう」

「そ、それは本当ですか!? 貴方ほどの武人がそれがしのような若輩者に!?」

「優れた若き主君を盛り立てていく。これは武人として中々やりがいのある事でございます。そして何より…」

 慶次は杯を隆広の前にズイッと出した。

「楽しい酒をずっと隆広殿と飲みたいのです」

 慶次からの杯を受けて一気に飲み干す隆広。隆広もまた慶次に杯を返す。慶次もまた一気に飲み干した。

「今日はなんて素晴らしい日だろう。慶次殿と再会できたばかりか、それがしの家臣になってくれるだなんて。ではさっそく利家様に許しを得ないと」

「それは心配無用です」

 と、助右衛門。

「え?」

「それがしの方で利家様に許しはもらっておきました。利家様も『あの暴れ馬を優男の隆広がどう乗りこなすか見てみたい』と言っていました」

 隆広と慶次はあっけに取られた。

「じゃ助右衛門、オレが隆広殿の家臣になると云う事を…」

「長い付き合いだからな。それよりこれからはオレとお前は隆広様の両翼だ。唐土の劉備に仕えた関羽と張飛のごとき働きを見せようぞ!」

「おう!」

「では慶次殿、いや慶次。そして助右衛門、君臣の杯をかわそう。二人ともこの隆広が間違った事をしそうな時は遠慮なく叱ってくれ。頼むぞ!」

「「ハハッ!」」

 こうして、戦国時代最大の傾奇者、前田慶次は水沢隆広に仕える事になった。奥村助右衛門と前田慶次は後の世に『隆広の関張』と呼ばれ、まさに三国志の関羽と張飛のごとく若き主君を支える忠臣となるのである。




原作ゲームでは利家が隆広に『あいつを使ってやってくれ』で、苦も無く慶次が隆広の家臣となりますが、やはりそれでは面白くないのでご覧のとおりとなっております。連載中は、とにかく慶次をカッコよく書こう!と心がけておりました。


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荒木村重謀反

ゲームでは、サクッと終わるイベントですが、さすがに小説版ではマズいと思い、色々と苦労してこの話を書いたのを覚えています。今でも、ちょっと無理があったかもと思わんでもないです、はい。


 北ノ庄城城下の村々の新田開発、飛躍的に石高を上げた隆広。水田を貸し与えるも貧しい者や子沢山の領民を優先した。兵士や人足に十分な給金と休息食事も与える隆広の工事は『極楽工事』と呼ばれていたほどである。美田を作り上げ、領民にそれを委ねたら新田開発の主命は完了である。完了の日は神主を呼び、その水田地域の豊作を祈願した。

 現場が北ノ庄のすぐ近くだったせいか、隆広の兵士たちの中にはこの地で生涯の伴侶を見つけた者も多かった。松山矩三郎などは村でも評判の美少女を嫁にしていた。当年十二歳の娘だったので『お前そういう趣味か』『あれは反則だろ』とみんなに責められた。

 そんな楽しい副産物も土産に隆広主従は領民に見送られその地を後にした。主君柴田勝家への報告には前田慶次、奥村助右衛門、石田佐吉も同席した。

 

「見事、北ノ庄の石高を上げた。その地の村長連中から感謝状が山のように届いておるぞ。ようやった」

「は、もったいなきお言葉にございます」

「相変わらず見事な手腕じゃ。褒美をとらす、隆広、前に」

「は!」

「『甲州碁石金』である。受け取るがいい」

 両手で勝家からの褒美を受ける隆広。ちゃんと助右衛門と佐吉の分もある。途中からその怪力をもって工事に当たった慶次にも与えられた。

「それにしても慶次よ」

「はっ」

「よもやおぬしが隆広の家臣になるなんてのう」

「はい、中々面白そうな方と見受けましたので」

「そうか、隆広に仕えて戦働きをするは、ワシに仕えるも同じ事。一向宗門徒との戦いも年々に熾烈となっている。活躍を期待しておるぞ」

「はっ」

 

 隆広は自宅に慶次を連れて行った。

「さえ―ッ! ただいま~♪」

「お帰りなさい、お前さま!」

 と、慶次の前なのに二人はギュウと抱き合った。すかさず口づけに移るのがいつもの展開だが、さすがにさえが隆広の後ろに人がいることに気付いた。

「あ、あら! お客様?」

「ははは、話には聞いていましたが隆広様の愛妻家ぶりはすごいですな」

「さえ、紹介するよ。今度オレの家臣になった前田慶次だ」

「ま、前田慶次様…て、あの前田慶次様?」

「ご存知とは光栄です。それにしても隆広様の奥様は実に美しいですな」

「ま、まあ…(ポッ)」

「若々しく、初々しく、さながら伴天連の者たちが云う天使のごとし。いやいや隆広様がうらやましい」

「そ、そんな…(ポッ)、ま、まあ玄関先で立ち話も変ですわ。お茶でも入れましょう。前田様、どうぞこちらに」

「いやあ、悪いですなあ」

 慶次におだてられて頬を染める愛妻に隆広は苦笑した。

「そういえば慶次はまだ独り者なんだっけ?」

「いえ、一応決まった女はいます。しかし叔父御の元で働くのは正直つまらなくて、最近まで出奔する事ばかり考えていたのです。そんな身で妻など娶られないでしょう。ですが今回に隆広様の臣下となり、この北ノ庄に落ち着くので近いうちに妻にします」

「慶次の嫁さんになる人ってどんな人なんだろ」

「隆広様は会った事ありますよ」

「へ?」

「助右衛門の妹の加奈ですから」

「か、加奈殿が?」

「そんなに驚く事ないでしょう。富田流小太刀の使い手のじゃじゃ馬ですが、あれで中々情の濃い女なんですよ。お、茶の用意が終わったようですよ。ではお邪魔します」

 

 その日の夕食に、隆広は奥村助右衛門、前田慶次、石田佐吉を招待した。助右衛門は妻の津禰、慶次も加奈を連れていた。佐吉はまだ独身である。後に『隆広三傑』と呼ばれる三人が一堂に会した。

「さ、みなさんどうぞ」

 さえが居間に一同を通す。ささやかだが宴の準備がされていた。床の間にはきれいな花も活けてある。

「お、風流だな、さえ」

「はい、私が摘んできたものですけれど、きれいでしょう?」

「うん、でもさえほどではないな」

「え、あら…んもう…(ポッ)」

 客の前なのに二人の世界に入る隆広とさえ。助右衛門と佐吉は慣れっこだが、慶次は体がかゆくなった。

 さえが作った料理を食べる隆広の家臣たち。けして裕福ではない隆広のフトコロ事情。だが隆広とさえは丁重にもてなした。この時に慶次はさらに面食らった事があった。さえが隆広の膳にある岩魚を食べやすく骨をとり、そして

「はい、お前さま、アーン」

 箸に切り身をつまんで隆広のクチに運ぶさえ。

「アーン」

 そしてそれを美味しく食べる隆広。

「美味しい?」

「美味い! ほらさえも。アーン」

 慶次は空いたクチが塞がらなかった。佐吉が小声で慶次に言った。

「…これで驚いていては水沢家の家臣は務まりませんよ」

「そ、そうなのか?」

 助右衛門と妻の津禰、妹の加奈、そして佐吉はもう慣れっこになっていた。隆広とさえは客の前でも平気で二人の世界に入ってしまう。

「ん? そんなに変かな慶次」

「そ、そりゃあそうです。初めて見ましたぞ。仲が良いとはとは聞いていましたが…」

(バカッ!)と言わんばかりに助右衛門が慶次を睨んだ。助右衛門の妻の津禰、妹の加奈、そして佐吉は観念した。ああ、また聞かなければならない…と。

(…? 何をそんなに怒る)

「いやぁ、オレは日本一の妻を娶り…」

 

 この後に半刻(一時間)、隆広からノロケ話を聞かされた一同だった。その時間中さえは顔を赤らめて嬉しそうに隆広の話を聞いていた。慶次は全身がかゆくなってきた。助右衛門が睨んできた意味がよく分かった。自分の言葉がこのノロケ話の引き金になってしまったのだから。

 夕餉と酒宴も終わり、隆広の家臣たちもようやくノロケから解放され、隆広の屋敷を後にした。

「参ったな…。半刻ずっとノロケ話ではないか…」

「隆広様は奥方とのノロケ話をするのが大好きなのだ。早く慣れろ」

「いーや! 一度ノロケ話がどんなに人をかゆくさせるかお教えしなければ。加奈、我らも負けておれぬぞ」

「はい、お前さま!」

 独り身の佐吉には、また一組自分にノロケ話を聞かせそうな夫婦ができてゲンナリした。

 

 その夜。営みを終えた蒲団の上。

「ねえ、お前さま」

「ん?」

「奥村助右衛門様、石田佐吉様、そして前田慶次様、お前さまの家臣の方々は個性的な方ばかりですね」

「そうだなァ。しかし、だからこそ頼りになると思う。彼らの忠誠に報いられるような大将にならなくちゃ」

「しっかりね、お前さま」

「うん、だから…」

「だから?」

「さえ、もう一回」

「んもう…明日の仕事に差し支えてしまいますよ」

 

 翌朝、隆広は庭で木刀を降っていた。

「ふう…」

 たらいに水と手ぬぐいを入れて、さえが縁側にやってきた。

「お前さま、そろそろ朝餉ができますので、汗を拭いてお召し物を」

「ああ、ありがとう」

 と、いつもの平穏な朝を迎えた時だった。

 

 ドンドンッ!

 

「ん? 客か?」

「誰かしら、こんなに早く」

 さえが門を開けると、そこには城の伝令兵が立っていた。

「お城の…」

「朝早く申し訳ござりませぬ、水沢様はいずれに!」

「庭に…」

「ごめん!」

 伝令兵は庭に駆けた。

「水沢様! 申し上げます!」

「何事ですか?」

「荒木摂津守! 謀反!」

「なんと!」

「伊丹城に篭り、一族および譜代の諸将を集め独立を宣言! 叛意は明らかにございます!」

「なんてことだ…。石山本願寺攻めの大事な将となろう村重殿が謀反とは…!」

「水沢様、至急に城へ! 殿がお呼びにございます!」

「分かり申した、さえ! 朝餉は握り飯にしてくれ! 評定の合間に食べるから!」

「あ、はい! 急ぎ作ります!」

 

 北ノ庄城、評定の間。

「聞いての通りだ。荒木村重が伊丹城に篭り、謀反を起こしよった。そして大殿から柴田家に討伐命令が出た。みなの意見を聞かせて欲しい。利家はいかがか?」

「はあ、しかしそれ以前にそれがしにはどうして荒木殿が謀反を起こしたかが分かりませぬ。伊丹城を預けられ、石山本願寺攻めの一翼の将ともなり大殿に重用されていた村重殿がどうして謀反を…」

「利家殿、それはそれがしも思わぬでもないが、この軍議はどうやって村重殿の篭る伊丹城を落とすか決める場だ。謀反の真意を詮索しても仕方あるまい」

 と、佐久間盛政。

「いや、それを考えるのもある意味城攻めに役立つかも知れぬ。隆広はどうか?」

 柴田勝家が水沢隆広に聞いた。

「…それがしが思うに、追い込まれての謀反かと」

「追い込まれて? 誰が村重を追い込んだのだ?」

「はばかりながら…大殿にございます。先における石山本願寺攻めにおいて、村重殿の配下の将、中川瀬兵衛殿の部下がこともあろうに包囲作戦中だと云うのに本願寺に兵糧を売りました。その時から荒木殿にあらぬ噂が立ちました。その噂を細川藤孝殿が書状にして安土に届け、大殿の耳に入りました。大殿は疑わしきは罰し、裏切り者は絶対に許さぬお人柄。また荒木家中の重臣には一向宗門徒も多々いると聞いています。大殿への恐れと、家臣からの突き上げ、言い訳の出来ない部下の兵糧の横流し。以上の点で荒木殿が謀反に至ったのではないかと…」

「ふむ…おそらく隆広の今の見解が正解であろうな…で、盛政」

「はっ」

「現在の北ノ庄の兵力は?」

「はっ 兵数二万一千、軍馬二千、鉄砲が千八百にございます」

「ふむ…北ノ庄の防備を考えると、割けられるのは八千と云うところか」

「御意、そのくらいかと」

「利家、府中からどれだけ兵を出せる?」

「二千ほどかと」

「成政、小丸からは?」

「こちらは一千ほどと」

「光治、龍門寺からは?」

「こちらは一千五百ほどかと」

「よし、隆広」

「は!」

「その方、総大将として前田利家、佐久間盛政、佐々成政、可児才蔵、不破光治、金森長近と総数一万二千五百の将兵を率い、伊丹城を落としてまいれ」

「え、えええッッ!!」

 隆広も驚いたが、前田利家ら六将もあぜんとした。

「何をそんなに驚いている。お前は足軽大将。場合によっては万の軍団長になることも許されているのだぞ」

「ちょっ、ちょっと待って下さい伯父上! なぜ家老のそれがしが足軽大将の隆広の下で働かなくてはならないのですか! 隆広に才があるのは認めます。しかしまだ十五の小僧ですぞ! 一万も統率できようはずが!」

 佐久間盛政の意見は当然である。織田の若殿や各軍団長の嫡子でもない十五歳の若者が万の軍勢を率いた事例は織田家にない。

 前田利家と可児才蔵も驚いたが、やがてこう思った。勝家は総大将としての隆広を試してみたいのだろうと。

「まあ盛政、良いではないか。その分わしらがしっかりすれば済む事だ」

「しかし利家殿!」

「いったん勝家様のクチから出た決定事項だ。わしら臣下はそれに従い、武功を立てるだけだ」

「ふん!」

 盛政は忌々しそうに隆広を見た。隆広自身も最近初陣を済ませたばかり。戸惑う事も確かだが、やはり武将になったからには『総大将』と云うものには憧れる。気持ちは高ぶり、転じて『やってみたい』と思った。

(総大将か…。武将となったからには一度は万の軍勢の采配は執ってみたい…。だけど困ったぞ…前田様、可児様、金森様、不破様は何とか指示通り動いてくれそうだけれど、佐久間様と佐々様は絶望的だな…。これじゃどんなに陣立てや作戦を考えてもムダじゃないか…あ、そうだ!)

「殿!」

「なんだ?」

「殿の太刀をそれがしにお貸し願えませんか?」

「いいだろう」

 勝家は後ろに太刀持ちで座る小姓に、隆広にその太刀を渡すように指示した。勝家の太刀を持った隆広は諸将に胸を張って言った。

「作戦と陣立ては伊丹城に着いてから発表しますが、総大将を任じられた以上、諸将にはそれがしの命令に従ってもらいます。功には厚く報い、罪は重く罰します。出陣は明朝、急ぎ備えて下さい」

「ふむ、北ノ庄の留守はワシと毛受勝照、徳山則秀、中村文荷斎、そして柴田勝豊が守る! 他の諸将は隆広の指揮下に入り、明日の出陣に備えよ、以上解散!」

 

 隆広も自分の兵をまとめなくてはならない。急ぎ城を出た。

「まったく…なんでワシともあろうものが隆広のような小僧の指揮下に入らねばならぬのだ!」

 城外に出た佐々成政は後ろを歩く隆広に聞こえるようにグチをこぼす。

「まったくだ! 伯父上はいったい何を考えているのだ!」

 気の収まらない佐久間盛政は地面に怒りをぶつけるかのようにズカズカと歩く。

「佐久間様、佐々様、さきほど利家様が申したようにすでに決まった事です。不平をもらすのはいかがなものかと」

「なんじゃと才蔵! おぬしは何とも思わぬのか!」

「思いませぬな。味方の総大将に対してグチをたれても仕方ございませぬ」

 そのまま可児才蔵はスタスタと錬兵場に歩いていった。

「ふん! すましよって。おい隆広!」

「なんですか佐々様」

「勝家様の命令ゆえに、一度は貴様の采配で戦ってやる。だがあまりに情けない指揮を取ってみろ! 即座に総大将から降りてもらうぞ!」

「分かりました」

「ふん!」

 成政は居城の小丸城に帰っていった。

「隆広」

「はい佐久間様」

「お前はいったい何なのだ? なぜ伯父上はお前をここまで寵愛し重用する? お前何かしたのか?」

「それがしにも分かりません…」

「ふん、案外に伯父上は衆道(男色)を好まれているのかもな。大殿に仕えている森蘭丸のように、その女子のごときの容貌で伯父上に甘えたのか? 寝床を共にし、伽でもして『今度総大将にして下さい』と猫なで声で懇願したのか?」

「な…ッ!?」

「本当についてないわ、色小姓の采配に従わなければならぬとは!」

「…佐久間様、いかに上将とは申せ言って良い事と悪い事がございますぞ」

「ほう、怒ったのか? 男に抱かれるケツの穴小姓が!」

 記録によると、水沢隆広は戦国期において、あの出雲の阿国の夫と云われている名古屋山三郎と匹敵するほどの絶世の美男子であったと言われている。愛妻家で伝えられる彼にも関わらず、後の世に二十人以上の女性と艶事の話が多々生まれたのはこれが理由とも言える。

 そして当時の美男子は衆道を好む男にも愛される存在なのである。衆道は当時ごく自然なものとも言えた。

 だが当然の事ながら、隆広はそういう求めを勝家から受けてはいない。自分と勝家を邪推する盛政の言い草に隆広は激怒した。刀の柄を握った、その瞬間…

 

 ガシッ

 

その腕が掴まれた。

「前田様…」

「よせ隆広」

「しかし…!」

「盛政、一度決まった事だ。つまらぬ言いがかりはせず伊丹城を落とす事だけ考えよ」

「…分かり申した。おい隆広」

「……なんですか」

「言い過ぎた、すまぬ。だがこれだけは言っておく。情けない采配をしてみろ、総大将の交代程度ではすまさぬ。その首を斬ってとる! さよう心得ておけ!」

 盛政も錬兵場に歩いていった。

 

 どうして佐久間様と自分はこうなんだ、隆広は肩を落とした。

「元気を出せ。総大将がそんなにゲンナリしていては士気に関わる」

「前田様…」

「それにな隆広、大将たるもの扱いやすい部下だけを用いているようでは三流の下だ。盛政や成政もお前にとっては扱いずらかろうが、それも大将としての修行だ。二人もいざ合戦が始まればお前の作戦に従うさ。城攻めを個々の隊がバラバラでやったら話にならぬでな。それとも我らでは手勢として不足か?」

「と、とんでもない!」

「ならばデンと構えていろ!」

 隆広の背中を平手でバンと叩いて、利家は居城の府中城に帰っていった。

 

「利家殿の言う通りだ、隆広」

「金森様」

 不破光治と金森長近が歩んできた。

「実はワシも楽しみにしている。どんな采配をするのかな。評定と戦場以外で顔を合わせてはいなかったが、中々の若武者と云うのは聞いている。ワシらを上手く使ってくれよ!」

 金森長近は隆広の肩をポンと叩いて錬兵場に歩いていった。次に不破光治が声をかけてきた。

「隆広、ワシはお前の養父から見れば裏切り者。父親からもそう聞いておろうからワシにいい印象はないであろう。しかしとにもかくにも今度の合戦では味方であり、そなたの采配に従う事となる。ワシの居城の新田開発を申し出てくれた時のように私情を捨ててくれるとありがたい」

「はい! それと父からは不破様の事を悪くなどと聞いていません。勇猛果敢な将と父から聞かされていました」

「ほ、本当か?」

「はい」

「そうか…。そうか…!」

 かつて共に戦場を駆けた同僚が自分をちゃんと見ていてくれたことに光治は思わず涙ぐんだ。

「では明日な。隆家殿仕込みの采配、楽しみにしているぞ」

 不破光治は満足気に居城の龍門寺城に戻っていった。

 

 翌朝、北ノ庄から摂津(現在の大阪府)の国に向けて水沢隆広率いる八千の軍勢が出発した。途中で府中勢四千五百を加え、一万二千五百の軍勢である。それを統率するはまだ幼さが残る少年である。しかも隆広は城攻めは初めてだった。

 これが後年、名将の中の名将と言われる水沢隆広が最初に総大将となった戦いだった。この日、隆広十六歳の誕生日。



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伊丹城の戦い

 水沢隆広率いる柴田軍は伊丹城に到着した。

 だが柴田勝家の隆広の大抜擢は治世の時代には考えられない事である。いやこの乱世でもそうありうる事でもない。まだ十六歳になったばかりの少年が一万以上の大軍の総大将にされたのであるから。妻のさえも知らされた時は容易には信じられなかった。

 これはある意味、織田家だから出来た抜擢と言える。『一人の抜擢が九十九人のヤル気を失せさせる』とある。人間の感情の中でもっともチカラ溢れるのは嫉妬に基づく感情的な衝動である。

 治世ならその点を踏まえて君主も人事をしなければならないだろうが時は戦国乱世、まして織田家でヤル気のなさを上司に察せられたら即座に解雇である。解雇ならまだしも斬刑もありうる。

 どんな合戦にも『戦目付』と云う役職の者がいる。合戦を第三者的に監視し、それを主君に報告する者たちである。それが『大将の歳若さを理由に軍役を怠けた』『大将の命に背いて軍律違反をした』など主君に報告されたらどうなるか。佐久間盛政も佐々成政も渋々ながらも隆広の采配で持てるチカラを発揮して戦場を駆けるしかないのである。

 

 隆広は伊丹城から西に本陣を構えて兵士を休ませ、自分は奥村助右衛門、前田慶次、石田佐吉を連れて伊丹城の見分に入った。

「ふうむ…伊丹段丘の地形をうまく活用して建てられた城だと聞いてはいたが、なるほどな、要所要所に三つも砦を築いているし、城の北側と西側には七間(約十三メートル)の掘か…。本城、寺社町、城下町と町全体を掘と土塁で囲み、北・西・南に砦を配した惣構の城…。うん中々堅固な城だ。チカラ攻めではこちらの損害が増すばかりだ」

 周りの地形も隆広は簡単に図面にしていた。

「伊丹氏を破り、この城に入った村重殿がだいぶ改修したらしいが中々の普請ぶりだ。こりゃあまともに戦ったら一年近い攻城戦になりかねない」

「しかし隆広様、一年も越前を留守にはできますまい。何とか早期に落とさなければ」

「そうだな助右衛門、一向宗門徒の動きも気になるし、なるべく早い方がいい。そのためにももう少し城外の地形を調べて突破口を探るとしよう」

「ハッ」

「ですが足軽大将と云う身分で、かつ御歳十六歳で万の兵の大将となるとは驚きいり申した。任命された時はどんな思いでござった?」

 と、慶次。

「うん…正直言うと驚いた。オレがやっていいのかなと云う思いで一杯だった。いや、今もそう思っている。殿がどういうつもりでオレを総大将に任命したかは分からないけれども、任命されたからにはやるしかないと開き直ったよ」

「ですが、二度目の戦で、しかも総大将としての城攻めなのに中々落ち着いておられまするな」

「慌てたって城は落ちないからな、お、川だ。佐吉、これが猪名川か」

「そのようです」

「そういえば今は雨季だ。水量も満々…。たしか伊丹城は猪名川と武庫川の中州にある上、段丘の狭間にあるな…」

「確かに地形的にはそうです」

「よし助右衛門、この川の水を兵にする」

「は?」

「軍議を始めるから本陣に諸将を集めよ」

「ハッ!」

 

 柴田軍本陣。隆広が作戦を告げた。

「水攻め!?」

「その通りです佐久間様、この地形図をご覧あれ」

 それは先ほどに隆広が描き止めた伊丹城周辺の地形図であった。

「このように、伊丹城は猪名川と武庫川の挟まれた広大な中州に作られた城にございます。かつ二つの川の上流は山間、今は雨季でございますから、数度の雨を待ち上流で川の水を急きとめれば、すぐに溢れんばかりの水量になります。そこで堰を切って落とす。川の水は鉄砲水となって伊丹城を襲いましょう。そして下流にも堰を作れば鉄砲水は逃げ場をなくして伊丹城を水浸しにします。あとはその城を囲んで士気が落ちるのを待ち…」

「ふざけるな!」

 佐久間盛政は軍机を叩いた。

「別にふざけてはおりませぬが…」

「やかましい! なんだその作戦は! 戦わずして水攻めにしてあとは包囲だと! そんな卑怯千万な攻め方があるか! だいいち城に篭った荒木勢の数は我々より少ないのだぞ!」

「凡庸な将が相手でも城攻めは難しいものです。兵糧物資が整っていれば十倍の兵力にも耐えられるもの。十倍どころか我らは敵の二倍強に過ぎませぬ。しかも毛利勢がいつ背後を襲ってくるかも分からない状態。チカラ攻めもせず、かつ短期で勝利するには水攻めしかございませぬ」

「大殿と合流してから落とす気はないのじゃな? あくまで柴田で落とすと」

 と、不破光治。

「『失敗を恐れて何もしないのは悪』、大殿はそう言われました。ただ包囲して待っていたら、大殿はそれがしは無論、皆様も許しますまい…」

「ふむ…」

「隆広、多量の土嚢がいる。この地の領民すべてかき集めて雇わなければならぬだろう。そんな金は我らの陣にはない」

 と、前田利家。隆広は扇子を地形図に差す。

「平野部で行う水攻めならば前田様の申すとおりに相成りましょう。しかし、この伊丹城の場合は伊丹段丘が天然の堤になりもうす。現在我らの連れている兵だけで城に鉄砲水を浴びせる堤防を作ることは十分に可能でございます。我らは一万以上の大軍。一日に一人が十個作るだけで十万の土嚢にござる」

「ふむ…」

「チカラ攻めでは、こちらの被害も甚大なうえ、かつその後に毛利の援軍と荒木勢の前後からの挟撃を受けたら全滅は必至。たとえこちらが荒木殿の兵より三倍四倍の数があろうと、チカラ攻めは避けるべきです。水攻め、承服していただきたい」

「そんな姑息な戦は柴田の合戦ではない。お前はやはり畑水練(畑の中で水泳の練習をするという意味で、理論や方法は立派だが、実地での練習をしていないので実際の役には立たないこと)のヤカラよ! この戦、我らで勝手にやるわ! キサマはのんびりと土木工事でもしとれ!」

 憤然として佐久間盛政が立ち上がったその時。

 

「……!」

 盛政の眼前に刀の切っ先があった。隆広は勝家から借りた太刀を抜いて盛政に突きつけた。

「殿の太刀がオレの手にある。そして今回の戦の総大将はこの水沢隆広である! オレの命令に従わない者は誰であろうと軍規違反者として斬る!」

「面白い! 上泉信綱直伝かは知らぬが、キサマの細腕でオレを斬れるか試してみろ!」

「よさんか盛政! 勝家様の太刀であるぞ! それに刃を向けるは勝家様に逆らうと同じだ! この作戦が上手く行くかお前の目で確かめればよかろう! 下がらぬか!」

「…チッ」

 前田利家の言葉に従い、佐久間盛政は退いた。隆広も刀を収めた。

「虎の威を借りるキツネが…ッ! まあいい、そこまで言うのならば水攻めを受け入れよう。しかし間の抜けた結末になってみろ、その時は斬る!」

「…作戦の説明を続ける。猪名川と武庫川の上流と下流に堤防を作る。荒木殿は毛利と本願寺と通じてもいる。援軍の可能性も思慮し、この作戦は急ぎますので今から作業にかかっていただく。各将は兵に土嚢を作らせ、堤防の建築に当たっていただきたい。作る位置については各隊にそれぞれ図面を配布しますので、それに基づいて作っていただきまする。以上、解散!」

 

 将兵たちはさっそく作業に入った。万の兵が動員したのである。堤防は数日のうちに完成した。

 そして隆広は突如として陣払いを開始した。向かう方向は播磨尼崎城。荒木勢にとっては毛利と本願寺との道を絶たれる可能性があり、何より支城に敵が迫るなら、それを助けるのが本城の務めと責任である。当然村重は軍勢を出した。

 しかし追撃は想定内だった。柴田勢は陣形を整えて荒木勢を待っていた。柴田勢は一万二千の大軍で、荒木勢は七千。さすがは織田軍団最強と言われる柴田軍、偃月の陣をしいていた隆広の采配も相まって荒木勢を打ち破った。追撃の将、荒木元清は命からがら城に戻ってきた。当主村重がそれを迎えた。

「元清! 大丈夫か?」

「殿、申し訳ございませぬ…」

「気にいたすな。それで柴田勢は?」

「は…。どうやら尼崎を目指したのは我らをいぶりだす策だった由、再び元あった西の本陣の地に向かいましてございます」

「そうか…。ならばこちらの思うツボ。これを見い」

「これは…!」

「そうじゃ、毛利輝元殿からの書状! すでに郡山城を出立したとある!」

「おお、ならば今しばらく踏ん張れば!」

「そうじゃ! 柴田勢を蹴散らした後、信長も討ってくれるわ!」

「申し上げます!」

 村重と元清の下へ使い番がきた。それは元清が敵将の素性を調べろと申し渡した部下の使いである。

「ふむ、柴田の総大将が誰か分かったか」

「は! 柴田軍総大将は水沢隆広と申す者、歳は十六!」

「十六?」

 荒木陣にどよめきが湧いた。

「十六の小僧があの偃月の陣を使いこなしたというのか?」

「水沢…。そうかなるほどな」

「殿? ご存知なので?」

「おそらく美濃斉藤家の名将、水沢隆家のせがれだろう。かの御仁は偃月の陣を得意としていた。父親に劣らぬ大将と見た。多勢とはいえ元清を倒したのだからのォ…」

「ううむ…。あの采配が十六の小僧のものとは…」

「だが、だからこそ御しえる」

「は?」

「どんな経緯があったか知らぬが、前田や佐久間を飛び越して総大将となり合戦に勝った。今ごろ有頂天だろう。才能と器量は両輪にはならぬ。まあ見ておれ」

 

 荒木元清が見込んだとおり、柴田勢が尼崎に進行したのは荒木勢のいぶりだしである。退路を絶たれる恐れと支城を助けなければならないと云う本城の鉄則をついた戦法だろう。

 しかし、もう一つ意味があった。それは伊丹城の南と東を流れる二つの川から注意をそらすためでもある。二つの河川は伊丹城から目が届かないが隆広は念を入れたのである。荒木勢の目を伊丹城の西に位置する柴田陣に向けさせて、尼崎への侵攻の意図もあると荒木勢に見せ付ける必要があった。

 そのために隆広は一度荒木勢を叩いておく必要があると考えたのである。一度いぶりだしに成功して、また元の位置に着陣すれば荒木勢は『二度も同じ手を食うか』と思いつつも警戒する。ずっと柴田陣とにらみ合いをしてもらうためだった。

 

 そして、この日の夜も雨となった。二日連続である。ここは隆広の陣屋。隆広は勝家に提出する合戦の報告書を書いていた。傍らには慶次がいる。助右衛門と佐吉は他の陣屋で眠っていたが、慶次は隆広の傍らで雨音を心地よく聞きながら酒を飲んでいた。

「よく降りますな。我らにとってはまさに恵みの雨ですが」

「うん」

「それにしても偃月の陣、見事でござったな。あのクチやかましい佐久間様と佐々様も合戦後に嫌味一つ言わなかったのですから」

 前田慶次も久しぶり合戦で大いに手柄を立てて機嫌もいい。偃月の陣とは、陣形前方の部隊が敵に一撃食らわせた後で、直ちに後退する。そして敵を陣の中央に誘い込み、その結果、前方の部隊を追ってきた敵を包囲分断し、倒す事を妙法としている。

 荒木村重の見たとおり隆広の養父水沢隆家が得意とした陣形で、織田信長も敗戦を余儀なくされている。

 隆広は堤防の完成が近づくと、荒木勢を一度叩いておく必要がある事を述べ、この陣形をもっての作戦を諸将に指示していた。さしもの佐久間盛政、佐々成政もいざ野戦となれば総大将の指示に従うしかない。彼らも隆広との不仲はいったん置いて十分な働きを示してくれたのである。

 かつ隆広の直属兵の若者たちはこの日は母衣衆となり各備えへの連絡将校として働いた。隆広個人の兵は少ないので彼らを用いるしかなかったのが現状のようだが、母衣衆は戦場の花である。『愚連隊と嫌われたオレたちが母衣衆なんて!』と、彼らは嬉々として働き隆広の期待に応えた。隆広は使う以上は疑わず信じて用いたのである。その頼もしい母衣衆の支えもあってか、当日の戦況はほぼ隆広の読みどおりになり、見事戦勝をおさめたのである。

「だが、内心オレの采配を苦々しく思っているはずだ…。難しいよな慶次、勝っても認めてもらえないなんて」

「とんでもない。佐久間様、佐々様も隆広様を認めていなければ采配そのものに従うはずがござらぬ。だがチカラを認めると人の好き嫌いは違うものにござれば、こればかりは仕方ありませぬ」

「そんなもんなのか」

「そんなもんにござる。ホラ一杯、一人で飲むのは寂しい」

「ああ、ご馳走になるよ」

 グイッと飲み干す隆広。

「いつか…こうして佐久間様や佐々様と笑って酒を酌み交わせる日が来るといいのだけど」

「隆広様があきらめない限り、いつかきっと」

「うん」

 

 一方、荒木勢の動きが活発になった。柴田本陣を挑発するかのような行動が目立ち出した。支城への物資輸送をわざわざ柴田本陣の前を通過し、その際に柴田軍を指して笑うような事もした。血の気の多い柴田の諸将は討って出る事を隆広に進言した。しかし隆広はそれを許さなかった。

「お前が笑われるのは一向にかまわんが、柴田軍が笑われるのはガマンならん! オレの手勢だけで行かせてもらう!」

 おまえの許可などいるか、と云う佐久間盛政の態度。

「なりませぬ」

「腰抜けが! 雑兵に笑われて黙っていろと言うのか!」

「隆広、笑われるのはガマンするとしても、輸送部隊を平然と見送るのは少し違うと思うぞ。我らに脆弱な横腹をさらしているのは我が軍を侮っての事だ。ワシも討ってでるべきじゃと思う」

 と、金森長近の意見に諸将が賛同しつつあると、隆広は輸送部隊の列の向こうにある広い森林を指した。

「…? なんだ?」

「あそこに荒木の精鋭が潜んでいます」

 黙って隆広と盛政のやりとりを見ていた諸将がその森林を見た。

「なぜ分かる隆広」

 と、可児才蔵。

「もう夕暮れ時と云うのに、鳥が一羽も帰っていきません」

 ポカンとして隆広を見つめる諸将。そして密偵に調べさせたらまさにその通りだったのである。わずか十六歳の男に寒気すら感じた柴田の諸将。この日以来、盛政も他の諸将も出陣をけしかけなかった。

 

 一方、伊丹城の荒木村重。城の上から柴田陣を見ていた。

「ふむう、こんな挑発には乗らぬか。どうやら本物のようじゃな。柴田殿が十六の小僧を抜擢した理由はこれか…」

 だがまだ村重は気付いていなかった。伊丹城と柴田陣の対峙する中で、隆広が恐るべき秘策を進行させていた事を。

 

 そして三日後、上流で急きとめられた水は溢れんばかりになっていた。また毛利勢が援軍に向かい、すでに備前と播磨の国境まで来ていたことを柴田軍は知っていた。もう時間はない。隆広はかかり火だけ残して夜に陣払いをし、本陣を高台に移動したのである。

 荒木勢が柴田陣を空陣と知ったのは翌朝である。村重の元に柴田軍は城の南西の大間山に布陣したと云う報告が入った。

「ふむう、毛利の援軍を聞き天険の大間山で戦う気か…」

 と村重は受け取った。だが

「これだけあれば十分だ。よし、堤防を切れ!」

 隆広の指示で上流の堰が切られた。水は積み上げられた土嚢を吹っ飛ばして鉄砲水となって一斉に流れた。

 

 ドドドドッッ!

 

 伊丹城城門にいた兵士が地響きに気付いた。

「何の音だ…?」

「地震…、いや違う! 川が氾濫だ!」

 鉄砲水は容赦なく伊丹城を襲った。

「うわあああッ!」

「なんだこれは!」

 下流でも堰が作られているため、伊丹城は湖面に浮かぶ城のようになった。

「殿! 兵糧すべてが水に流されました! 篭城どころではございませぬぞ」

「ううむ、してやられたか! 大間山に布陣したのはこれゆえか! 各門で水が引き始めている箇所はないか!」

「東門ならすでに膝下ほどに!」

「よし、柴田軍は高台に布陣し、かつこの人口湖だ。そう追ってこられまい! 東門より尼崎に移動する!」

「「ハハッ!」」

 

 この鮮やかな水攻めには、さすがの佐久間盛政も声が出なかった。

「これほど上手くいくなんて…!」

「申し上げます!」

 盛政の陣に隆広からの伝令が届いた。

「なんだ」

「敵将の荒木村重、東門より城を脱出して尼崎城を目指しました。佐久間隊と金森隊に追撃命令が出ております!」

「…総大将にあい分かったと伝えよ」

「ハハッ!」

「チッ 忌々しいが今はその命令を受けるしかない」

 盛政は馬に乗った。

「出陣じゃあ! 我が隊に追撃命令が出た! 尼崎に向かう荒木隊を蹴散らすぞ!」

「「オオッッ!」」

 

 時を同じころ、織田信長も荒木討伐に動いており、荒木の支城である高槻城と茨木城を陥落させている。茨木城に至っては陥落と云うより城主の中川清秀が信長の出した摂津半国と末娘の輿入れの条件を入れて鞍替えしたのである。

 彼の部下が本願寺に兵糧の横流しをした事が少なからず村重謀反の要因にもなっているが、弁明をするために安土に向かおうとした村重を諌めて抗戦をもっとも訴えたのは彼である。奇異な事にこの事で彼が世間のひんしゅくを買う事はなかったそうである。そしてもはや、荒木村重の城は尼崎城と花隈城のみである。

 

 隆広は下流の堰を切り、水を引かせた。あとはゆうゆうと無人の城に入ったのである。城の中を兵士に清掃させ終えたころ、佐久間盛政より荒木村重は取り逃がしたが荒木一族数名と将兵の家族たち六百人、そして兵五百を捕らえたと報告が入った。

 荒木本隊や、重臣たちの軍勢は尼崎城まで逃げ切れたが、この兵五百はつい一ヶ月前に荒木家の兵農分離によって集められた新兵で主君の荒木村重から尼崎への移動の指示が伝達されなかった。云わば見捨てられたのである。

 急いで彼らも逃げたが、もはや手遅れだった。足手まといと先日の合戦にも連れて行ってもらえず、大半がまだ初陣さえ済ませていない若者たちだった。荒木家の合戦で戦うことさえなく敵に捕らわれてしまった。全員まだ十六、十七歳の隆広と同世代の若者たちだった。

 

「隆広様」

「なんだ助右衛門」

「まさかここまで鮮やかに成功するとは思いませんでした」

「あっははは、これは唐土の韓信の真似だけれど、たまたま運が良かっただけさ。それより助右衛門、大殿がこちらに向かっているそうだ。お迎えの準備をせねば…」

「隆広様!」

 城中に助右衛門と共にいた隆広の元に佐吉が駆け寄ってきた。

「どうした?」

「城を見回っていたところ、とんでもない御仁がいました!」

「なに、誰だ?」

「親父様(秀吉)の家臣、黒田官兵衛殿です!」

 

 隆広は急ぎ、佐吉の示した場所に行った。慶次もそこに来た。

「これは土牢ですな。こんなところに閉じ込められておいでだったのか」

「慶次、この牢の鍵を壊せるか?」

「お任せを」

 慶次が鍵を破壊すると隆広が牢に入り、横たわる官兵衛の背中に耳をつけた。

「生きている! 佐吉、急ぎ医者だ!」

「はっ!」

「慶次、すまぬが肩を貸してもらえぬか? 官兵衛殿を城内まで運ぶ」

「それがし一人で大丈夫でござる」

 慶次は官兵衛を両手で抱き上げた。

「なんとも軽い…。そうとうひどい仕打ちを受けたようですな。ごらんあれ、左足が変な形でおり曲がっておりもうす」

「官兵衛殿…」

 慶次が官兵衛を抱きかかえて城内に連れてきた。医者もすぐに呼び寄せた。官兵衛は高熱にうなされていた。医者の診断を心配そうに見つめる隆広。

「う、ううう…」

「どうですか? 先生」

「かなり危険な状態ですが、養生すれば何とか…。しかしもう左足は使い物に…」

「そうですか…」

 話を聞いた前田利家も黒田官兵衛の元に来た。

「驚いた…。謀反した荒木殿を説得しにきたが受け入れられずにこの有様か…。だが回復した時に彼が味わうのはさらに辛い絶望だ…」

「前田様、それは?」

「言いにくいが…大殿は伊丹城から帰ってこない官兵衛もまた、自分を裏切ったと思い込み…長浜にいる彼の息子の松寿丸を殺せと秀吉に命令している…」

「な…ッ!」

「そして秀吉はそれを実行してしまった…」

「そんなバカな! こんな状態になっても官兵衛殿は節を通しているのに!」

「そうだな…知らせるのが辛い…」

「なんてことだ…!」

 曲がったまま固くなってしまった足を隆広はさする。

「松寿丸…幸円…」

 高熱にうなされながらも息子と愛妻の名前を呼ぶ官兵衛。

「とにかく…官兵衛の生還を秀吉に知らせなくてはな…。隆広、それはオレの方でやっておく。お前もそろそろ官兵衛の事は医者に任せて大殿の出迎えに備えておいた方がいい。それから念のため言っておくが…間違っても大殿が松寿丸を殺すよう勧告した事を責めてはならぬ。大殿はそういう諫言が一番お嫌いじゃ。勝家様に累が及ぶ。分かったな」

「は…」

「あと、本日に大殿は伊丹に宿泊されるが伽を勤める女は用意できたのか?」

「はい、一応堺の遊郭に使いを出して、太夫(高級娼婦)数名用意しました」

 これは森蘭丸が前もって隆広に書状を出して用意するよう依頼していた。気の利かぬヤツと隆広が信長に思われないよう、幼馴染の粋な援護射撃と言えるだろう。

「そうだ、城代や総大将ともなると大殿へのそういう配慮も大切だ」

「はい」

(まあ、実際は佐吉がやった段取りなんだけど)

 また、蘭丸の書状にはこうも書いてあった。

『伽を務める女子がいなければ、大殿はお前に伽を命じるぞ』

 隆広はそれを読んで血相変えて、石田佐吉に女子の用意を命じたのである。

 

 そして翌日、大殿信長が伊丹城に到着した。隆広主従と柴田家の諸将は信長を出迎えるべく城門に並んだ。出迎えの代表を務めるのもまた総大将の隆広である。




水攻めは思いついたのは良いものの、これを投稿するのは当時かなり冒険だったことを覚えています。絶対に『ありえね~!』と言われると思ったのですが、驚いたことに一件もそういう反応がなく受け入れてもらえました。良かった良かった。


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命がけの意見

 織田信長が伊丹城に到着した。もはや水攻めの跡も残っていないほどに清掃され、城門前で柴田軍は整列して信長を出迎えた。先頭に立っていた隆広が馬上の信長に歩み寄り、ひざまずき頭を垂れた。

「柴田勝家家臣、水沢隆広、お待ちしておりました」

「うむ、水攻めのことは聞いた。ようこの城を落とした。褒めてとらす」

「はっ!」

「村重はどうした?」

「水攻めに伴い、荒木殿は東門より尼崎城に逃走しました。すぐに追撃に向かわせましたが、一歩及ばずに荒木殿は尼崎城に入りました。なお伊丹城が落ちたのを見て、毛利勢は播磨より撤退。荒木殿、孤立の由」

「そうか、で、他に生き残った者はいかがした?」

「現在、佐久間盛政殿がこの城に連行している最中でございます。荒木一族の女と子供、あと負傷兵数百と伺っています」

「ネコ」

「はっ」

「全員殺せ」

「…え?」

「その者、明日に全員殺せ。ワシも立ち会う」

「そ、そんな…! 相手は女と子供…!」

 

 ゴォンッ!

 

 急ぎ可児才蔵と不破光治が隆広の左右で平伏し、才蔵が隆広の頭を押さえつけ、顔面を地に叩きつけた。

「才蔵、ネコは今ワシに何か言ったか?」

「はっ それがしには隆広が大殿の命を『謹んでお受けします』と言ったように聞こえました」

「ならばいい。光治、城内を見分する。案内せよ」

「はは!」

 平伏する才蔵と隆広の横を信長本隊が通り過ぎる。隆広は顔を上げようとするが才蔵のバカチカラに押さえられて上げられない。

「か…可児様…!」

「バカが! さっき利家様が言ったのをもう忘れたか! お前が大殿を怒らせれば勝家様にも累が及ぶと! 城を取った功など何にもならぬぞ!」

 

「可児殿、そうバカチカラで叩きつけられたら額が割れようぞ。大殿は伊丹城に入られた。もう顔を上げて大丈夫でござるぞ」

 一人の武将が馬から降りて隆広と才蔵に歩んできた。

「こ、これは明智様…」

 才蔵はようやく隆広の頭から手を離した。

「ほら水沢殿、額の血を拭われよ。美男が台無しですぞ」

「…ありがとうございます」

 隆広は渡された手拭で額の血を拭った。その時、明智光秀の顔を見て隆広は息を飲んだ。

「いかがされた? それがしの顔に何かついていますかな?」

「い、いえ…」

「ははは、お初にお目にかかる。それがしは明智日向守光秀と申す」

「は、はい。お噂はかねがね」

「ははは、これはお耳よごしを。耳よごしついでに一言だけ申しますが…」

「はい」

「女子供を殺したくない気持ちは分かる。それを正当化する理由などもこの世にはありはしません。ですが今の世はやらなければやられる乱世。今は子でも成長し織田に仇なせば? 女でも槍は握れますし、織田に刃向かう子を産むかもしれませぬ。だから明日の織田家安泰のため殺さなくてはならないのです。

 今回の貴殿の水攻めでも、城内の女子供がいく人も死んでおりましょう。合戦で殺すのはいいが処刑で殺すのはイヤだ。そんな道理は敵味方にも通りませぬ。織田の武将になったなら覚悟を決めなされ。よろしいかな?」

「…明智様」

 光秀は隆広の肩を抱いて立ち上がらせた。

「それにしても水攻め見事。うまく地形を利用しましたな」

「あ、ありがとうございます!」

「ははは、ではここはこれにて」

 明智光秀も伊丹城に入っていった。そして静かに微笑み…

(ふふふ、大きくなったものだな、私も歳を取るわけよ。はっははは)

 何かを懐かしむよう、心の中でつぶやいた。

 

 佐久間盛政が連行してきた荒木一族や負傷兵が到着した。中には隆広の愛妻のさえと歳が同じころの娘もいる。そんな娘を見ていたら視線に気付いたのか、その娘が隆広を見た。そして見せた。悔しそうな顔を。隆広はその視線から目を逸らす事ができなかった。隆広と同じく虜囚の列を見つめる明智光秀。

「ここに娘がおらず良かった…」

 明智光秀の娘、園(その)は荒木村重の嫡男の荒木村次に嫁していた。媒酌は織田信長であったと云う。園は荒木村重謀叛の前に実家に帰されて、明智秀満に嫁いでいた。村次は現在村重が逃げた尼崎城の城主である。

「しかし惨いな…。明日に全員処刑とは…」

 

 この夜、隆広は眠れなかった。悔しそうに自分を見つめた娘。明日、その娘の首を切り落とさなくてはならない。全然寝付けない。さえがいればなと思う。そして自分が千人も処刑したと聞いたら妻はどんなに悲しむだろう。

「さえ…。オレどうしたらいいんだろう…。そなたがここにいればな…」

 その時、隆広の寝所に歩む者があった。隆広は枕もとの刀をサッと握った。

「竜之介、入るぞ」

 森蘭丸が静かに襖を開けた。

「なんだ乱法師か」

「大殿がお呼びだ」

「大殿が…?」

「伽を務めよとの仰せだ」

「な…!」

「前に言っておいたろう。陣場が一緒ならこういう務めがありうると」

「イヤだ! ぜったいにイヤだぞ! 何のために女子を用意したか分からないじゃないか、それじゃ!」

「平時と違い今は合戦時。大殿は気持ちが高ぶっている。女子だけでは足りないのだ」

「全然分からないぞ、その理屈は! とにかくイヤだ! オレは男と閨を過ごす気はない! 今から体調最悪になるからな!」

 と、蒲団にもぐりこんでしまった。蘭丸はフッと笑い

「処女みたいなヤツだな」

 そう言って隆広の部屋から立ち去った。そのまま信長の寝所へ行く蘭丸。

「大殿」

「うむ」

 障子の向こうから女たちの恍惚の声が聞こえる。

「もはやぐっすり眠っておりました。起こすのも気の毒と思い…申し訳ござりませぬ」

「そうか、まあいい…。楽しみはあとにとっておくとする」

 複数の美女に囲まれて、半ば満足をしていたか信長は蘭丸の報告がウソと分かっていたがあっさり引いた。ホッとする蘭丸。だが…。

(いつまでも逃げ切れるものじゃないぞ竜之介…)

 それは隆広も察していた。

(どうしよう、いつまでも逃げ切れるものじゃない。まったく大殿の趣味は理解できない、男なんかのどこがいいんだよ…!)

 まだ蒲団の中で丸まっている隆広。

(やっぱり一度殿に相談してみるかな…。でもそれで『受け入れよ』と言われたらいよいよ腹を括らなければ…いややっぱりイヤだ! さえ、オレどうしよう…)

 蒲団にもぐりこんだまま、隆広は眠りについた。信長突然の伽の要望に驚き、処刑の苦悩が消えてしまったのである。そしていつの間にか眠ってしまった。

 

 そして翌日、荒木一族と負傷兵たちは縄で縛られ刑場に連行された。もう処刑を待つのみである。伊丹城の錬兵場が処刑場となった。織田信長見分の元、およそ千人以上の虐殺が始まる。その指揮を執るのは水沢隆広であり、執行人の中には隆広の兵の三百名もいる。

 昨夜信長の伽の要望で驚き、一度は苦悩から解放された隆広だが、これから女子供の首を斬らなければならないと云う現実から逃れられようはずもない。隆広にも部下たちにも悲壮感が漂った。

 隆広の兵で、隆広に及ばずとも美男を自負する小野田幸之助が斬る者たちには若い娘もいた。色を好む彼には女を殺す事が耐えられなかった。だがやるしかない。

 自分の『始めよ』で千人以上の人命が散るのである。確かに光秀の言うように戦場で命を奪うにためらいがないが、処刑で奪うのはイヤと云う道理は虫が良すぎる。

 だが隆広は『始めよ』が言えなかった。佐久間盛政、佐々成政は焦れてきた。隆広の横に行き、

「何をしている! お前が責任者であろう! 総大将ならばこういう任務もある。処刑を始めろ!」

「盛政殿の言うとおりだ。大殿も焦れてくるころだろう。早くせんか!」

 と、けしかけるように怒鳴る。隆広は言い出せない。進退窮まった隆広は信長の元に走り、床几に座る信長に平伏して言った。

 

「大殿! やはり大殿は間違っています!」

 前田利家、可児才蔵、佐々成政、佐久間盛政、不破光治、金森長近ら伊丹攻めの諸将たちは真っ青になった。この当時の織田家で信長に逆らうどころか、意見する者さえ皆無に等しかった。それをまだ新参で、信長には息子ほどの歳の隆広が言ってきた。急ぎ可児才蔵が駆け寄るが

「どこかだ?」

 信長は才蔵を手で制し、隆広の言葉を待った。

「後の憂いを理由に、もはや抵抗すらできない者たちを虐殺するは武家の棟梁の所業にあらず! たとえ今日まで敵だとしても! 明日は味方になるかもしれないのがこの乱世! 生かして使うことが明日の織田のためと思います!」

「生意気抜かすなあ!」

 信長は平伏する隆広の顔を鞠のように蹴り飛ばした。隆広は吹っ飛んだが、再び信長に平伏して訴えた。

「こうして敵方の生き残った者たちを合戦のたびに処刑していたら、大殿は漢楚の戦いで劉邦に敗れた項羽と同じ末路を辿ります!」

「利いた風な事を抜かすと斬るぞ!」

 また鞠のように隆広の顔面を蹴る信長。だが隆広は黙らない。

「し、秦を打倒するための戦いで劉邦は徳をもって敵と対して抵抗らしい抵抗も受けずに秦の首都咸陽に到着しました! しかし項羽は情け容赦ない武力攻撃をしたために相手の必死の抵抗を生んでしまい味方の犠牲も甚大なものとなりました! そういう戦いの姿勢が後に二人の勝敗を分けたのです!」

「ワシの天下布武を敗北者への道とぬかすか!」

 信長は鞘ごと刀を腰から抜いて、木刀代わりにして隆広を突き叩いた。

「ワシに逆らったものは許さぬ! 村重もキサマも! 覚悟は出来ていような!」

 

 ドカッ ガツッ ガンッ!

 

 平伏したまま隆広は打たれ続けた。信長の後ろにいた家臣たちもやりすぎと思うものの、恐怖の魔王である君主を恐れ、何も言わない。その中には隆広の友の森蘭丸もいる。

(バカが! 大殿はそういう意見が一番きらいとお前も知っているはずだろう! 伊丹城を落とした功もそれで帳消しだぞ!)

「そ、それがしを斬ったとて! 荒木殿を斬ったとて! 結局は何も変わりませぬ! 荒木殿がどうして謀反をしたか少しでも考えたのですか! 大殿を恐れてです! 追い込まれてのやむを得ぬ蜂起! たった一言許すと言えば今後も大殿のために働いて下されたに相違ございませぬ!」

「だまらんか!」

 

 ガンッ ゴキッ!

 

 信長の容赦ない打ち据えに耐える隆広。ついに奥村助右衛門は我慢の限界で信長を止めるべく立ち上がるが、隣に座る前田慶次に腕を掴まれた。

「何をするか慶次!」

「バカヤロウ! おまえ隆広様に恥かかす気か!」

「なんだと!」

「隆広様は命がけで大殿に意見を言っている。おまえどのツラ下げて横ヤリ入れるんだ!」

「しかしこのままでは…!」

「…もし万が一のときは我ら部下は主君の意気に応えるのみだ」

 打たれ倒れても、蹴り飛ばされても、隆広は平伏しなおし信長に訴え続けた。流血もおびただしく、そして血を吐くように、そして大粒の涙をポロポロと落としながら信長を説得する隆広。信長はついに刀を抜いて隆広に振り下ろした。

 

 シュッ!

 

 隆広の部下たちは一瞬目を逸らした。だが信長の振り下ろした刀は隆広のひたい、その寸前にピタリと止まっていた。刀を振り下ろしたまま、かしずきながらも自分を見据える隆広を睨む信長。隆広は信長が刀を振り上げても避けようとしなかった。

 隆広は肩で息をし、出血も著しく、かしずく姿勢さえ執っているのがやっとの状態。目には涙が浮かんでいたが、誰一人として軟弱とは云わない涙だったろう。

「…キサマ、確か新陰流を得手としていたな」

「は、はい…」

「『無刀取り』は上泉信綱から会得しておるはずだな」

「体得しております」

『無刀取り』とは敵の斬撃を両手で受け止める新陰流の高等技術である。『真剣白刃取り』とも言われている。

「ならば何故、今のワシの斬撃を掴もうとしなかった」

「も、元より、死を賭して大殿をお諌め申しているからにございます!」

「ふん…」

 信長は刀を収め、静かに床几に座った。蘭丸にも意外な態度だった。

「で? 続けろ」

「はっ! 大殿…どうか王者の徳を持って天下布武を! このまま残虐な戦を続けていけば大殿の天下布武はもろい作り物になってしまいます! 因果は必ず巡ってきます! どうか慈悲をもって! 今回の謀反にしても荒木殿と、その周りの一向宗門徒である重臣たちのみを罰すれば良いではないですか! 今捕らえた者たちを虐殺したら、それこそ荒木殿は尼崎城や花隈城で必死の抵抗をするはずです! ですが、ここで彼らを許して以前と同じように伊丹城を織田で統治するならば! 荒木殿の印象も違い降伏勧告で城を明け渡すやもしれません!」

「なるほど…お前の養父もいらぬ智恵を養子につけたものよ」

「父の教えではありません! それがしの考えです!」

「そうか…ふっはははははは!」

「大殿…なにとぞ今回捕らえた者たちの助命を…!」

「もういい、興がそがれたわ。伊丹城を落としたのはお前だ。好きなようにするがいい」

「は、はい!」

「ふっははははは…久しぶりにワシの目を見て堂々と自分の我を通すヤツを見たわ。女子のようなツラをしておきながら、中々いい男の顔になっておった。ネコ、今日の勇気を忘れるでないぞ」

「はい!」

「権六(勝家)の将兵たちよ!」

「「はっ!」」

「この小僧、けして死なせるな。そしてこやつに見せてやる。天下を取ったとき、ワシとこやつのどちらが正しかったかをな! ふっははははは!」

「「ははーッ!」」

 

「キンカン(光秀)」

「はっ」

「処刑は中止だ。あと始末を任せる。その方、しばらく伊丹の城代を勤めよ」

「はっ」

「ネコ」

「は!」

「荒木攻めはもう良い。ワシは今日でも尼崎に出陣するがお前は陣払いして越前に帰れ。今の権六にはお前のあずかる兵も貴重であろうからな。早く帰って安心させてやるがいい」

「ははッ!」

「犬千代(利家)」

「はっ!」

「ネコの手当てをしてやれ。あと叱るでないぞ。権六にも黙っておいてやれ。せっかく勝利して帰ったのに、その第一声が褒め言葉でなく叱責では救われまい」

「分かりました!」

 隆広は安心したように、その場で気を失った。気を失う直前、隆広は自分を見つめる明智光秀の目に気付いた。微笑み静かにうなずいていた光秀。そんな光秀の顔が隆広には嬉しかった。

 処刑は回避された。執行人だった隆広の兵たちは涙を流して慶次に抱き上げられた主君を見た。

「矩三郎よ…」

「なんだ幸之助…」

「オレはあの方のためなら死ねるわ…」

「ああ、オレたちにはもったいない…素晴らしい主君だ…」

 連れて行かれる隆広を見て蘭丸は苦笑した。

「あいつ、大殿に勝ちよった。ふふ」

 明智光秀もまた…

「いい若者に育ったものよ。柴田殿でなく、私に仕えていてくれたならな…ははは」

 と、嬉しそうに笑った。

 

 数刻後、隆広は目が覚めた。治療が良かったのか熱も出ていない。そして横たわる自分の横に利家と才蔵がいた。助右衛門、慶次、佐吉もそこにいた。

「ようやく目覚めたか」

「…すいません可児様…どうしても黙っていられなくて…どのようなお叱りも覚悟しています」

「もういい、何も言うな。大殿から『叱るな』と命じられたからな。オレから言う事は何もない」

「ははは、寿命が縮まったぞ、隆広」

 気に病む隆広に利家はニコリと笑って気遣った。

「まったく…たまたま大殿の機嫌が良かったから無事に済んだものを…今度またどうしても大殿に物事を言いたいときは我らにも相談してくれ。身がもたぬ」

「すいません…」

「もう気にするな。勝家様にも内緒にしてやれと大殿から言われている。お前は大殿に正々堂々と意見を言ったのだ。古来『城を落とすより主君を諌める方が難しい』とある。中々できることではない。胸を張れ」

「はい…」

「さあ、あとは任せて眠るがいい」

「…分かりました」

 隆広は再び眠りについた。

「慶次、助右衛門、佐吉あとを頼むぞ」

「「ハッ!」」

 前田利家と可児才蔵は立ち去った。

 

「ふう一時はどうなるかと思ったが…やはりオレたちの選んだ殿はいい器をもっているな、慶次」

「ああ、今の織田家中で大殿に『間違っている』なんて言うヤツなどいない。みんな恐れて顔色を伺ってばかりだからな…」

「う、ううう…」

 包帯だらけで横たわる隆広を見て佐吉は涙ぐむ。

「なんだ佐吉、また泣いているのか?」

「慶次様…。私は嬉しくて…。そして悔しくて。隆広様を打ち据えている大殿を見て、それがしはただ恐れていたのに…隆広様は毅然として諫言した…。こんな方にお仕えできた喜びと、ただ怯えていた自分が悔しい思いで…」

「分かった分かった、さっきから何度同じ事言っている」

 慶次と助右衛門は苦笑した。

 

 前田利家たちが城内から出ると隆広の兵士たちがいた。小野田幸之助が駆けて来た。

「前田様、御大将の様子は?」

「ああ、熱も出ていないし。明後日にはもう動けるだろう」

「そうですか…良かった。よしみんなにも知らせないと! 失礼します!」

 幸之助が他の兵士に知らせると、隆広の負傷がさほどでもなかったことに湧いた。

「ふ、利家様、昨今兵士にもあんなに好かれている大将もめずらしいですな」

「ああ、人を思う心が人の心を動かす。いい大将になるぞ、あいつ」

 

 そして、この時に隆広に助けられた敗残兵は、自分たちとそう歳の変わらない隆広が我が身もかえりみずに魔王と呼ばれる主君信長に対して自分たちの命乞いをしたことに胸を熱くした。

 すぐに釈放されて『荒木陣に帰るがいい』と言われたが、誰一人帰らず、その場で隆広の兵にして欲しいと要望したのである。

 この事から隆広の兵は愚連隊と敗残兵の寄集めと陰口を叩かれたが、その寄集め兵たちを精鋭に変えて、隆広はあの手取川の戦いにおける撤退戦にて上杉謙信の本陣に突入したのである。

 

 また同じく助けられた女たちは隆広の勇気を伝えて、さらにそれは語り継がれ、隆広の没した日に毎年供養祭を行い、現在においても続けられている。隆広は敵地にも愛される武将となったのである。

 水沢隆広は源平の源義経と同じくらいに歌舞伎演目の登場人物として後世に愛されるが、この信長に捕虜の命乞いをした場面は、歌舞伎の中でも屈指の名場面として現在にある。




よくも悪くも、こういう甘さが隆広の欠点なのでしょうなぁ。だが、それがいい


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黒田官兵衛

ホームページ掲載時、本編は色々と章別して書いていましたが、こちらではいたしません。よろしゅうに。



 隆広の伊丹城攻略成功の報は国許の勝家にも届けられ、妻のさえも知るところとなった。特に水攻めという電撃的な作戦を成功させたことを勝家は事のほか喜び、さえも早く夫を誉めてあげたくて帰宅を首長くして待っていた。

 信長が伊丹城から尼崎城に出陣した翌日、水沢隆広と明智光秀の城代交代が正式に行われた。まだ起き上がるに容易ではない隆広に光秀は気遣い、隆広が療養している伊丹城二ノ丸で隆広が蒲団に入ったまま行われた。

「すいません、明智様。横になったままでこんな大事な辞令を…」

「気になされるな。それにしても柴田殿はよき家臣を召抱えられました。光秀、昨日の隆広殿の勇気、感服しました」

「いえ…なんか無我夢中で…」

「はははは、とにかく体がよくなるまで城におとどまりあれ。官兵衛殿の方もこちらでちゃんと対処いたしますから」

「ありがとうございます」

「そうそう、隆広殿は大根はお好きかな?」

「は、はい大好きですが。特に妻の作る煮物が…」

「ははは、この地の名産は大根でしてな。奥方の手料理にはかなわないかもしれませぬが、ふかした大根などが療養中にはちょうどいいでしょう。じきに持ってこさせますゆえ」

「あ、それはぜひ食べてみたいです」

「食欲があるのなら、じきに立って歩けるでしょう。では私はこれにて」

「色々と面倒かけます」

 

 隆広率いる柴田軍は引き上げを開始した。一陣の佐久間盛政、ニ陣の佐々成政、三陣の金森長近、四陣の可児才蔵、五陣の不破光治は伊丹城を出て北ノ庄城に向かったが、隆広と副将であった前田利家はまだ若干の後始末が残っていたのと、隆広の体調を考えてまだ滞在していた。処刑中止から五日後、隆広の容態は良くなり、利家と共に残務を行い出した。翌日に引き上げをするつもりである。

「正直、こうして隆広と平穏に戦後処理の文書を書き上げているのがウソのじゃな。今回の城攻めはずいぶんと苦労するだろうと感じていたからな」

「これも利家様たちのおかげです」

「こやつめ、世辞もだいぶ板についてきたではないか」

 

「申し上げます」

「なんだ佐吉」

「長浜より、稲田大炊殿、早馬にて到着しました。隆広様との面会を求めているとの事」

「稲田大炊殿? 羽柴様配下の猛将の…?」

「そうです」

「隆広、だいぶ家中の者もお前に面会を求めるようになったな。文書処理はもうすぐ終わるからワシとワシの部下たちだけでいい。稲田大炊と会ってくるがいい。おそらく官兵衛生還についてだろう」

「はい」

 伊丹城本丸は光秀に渡しているので、隆広と利家一行は二ノ丸にいる。稲田大炊はそこに通されて隆広を待った。稲田大炊の後ろにはもう一人いる。

「お待たせしました。柴田勝家家臣、水沢隆広です」

 稲田大炊の待つ部屋に隆広は入った。

「お忙しいところに申し訳ございません。羽柴秀吉家臣、稲田大炊助です。そしてこちらにおわすは…」

 稲田大炊の後ろに控えていた細面の武士が隆広に深々と頭を垂れた。

「女…?」

「はい、黒田官兵衛の妻、幸円です」

「貴女が…」

「はい、先日に前田様の早馬が長浜にお越しになり、夫の生存を知りました。それを聞いて私はいてもたってもいられなくて…。また聞けば夫は暗い土牢に閉じ込められて片足を悪くされたとか…! 妻として…長浜でジッとなんてしてられず…秀吉様にお願いして稲田様と共に伊丹に来ることを許していただいたのです」

「そうでしたか…」

(きれいな人だなあ…)

 

「主人秀吉も、官兵衛殿生還を歓喜しておりました。お救い下された水沢殿には羽柴家あげて礼をせねばならぬところですが、今はとにかく官兵衛殿の様子が早く知りたいのです。礼を後回しにして申し訳ござらぬが、ぜひ官兵衛殿に会わせてくだされ」

「お礼なんて…同じ織田の家臣同士ではないですか。当たり前のことをしただけです。官兵衛殿もこの二ノ丸で療養しております。幸い峠を越したそうですし、今はゆっくり眠っています。起こさぬよう注意して下されれば…」

「もちろんです」

「ああ! 水沢様、早く夫に会わせて下さい!」

「分かりました、どうぞこちらに」

 

 そして幸円は見た。やせ細り、シャレ者の夫が無精ヒゲを伸ばし放題で精も根も尽き果てて眠っている様を。

(ああ…! なんて姿に…!)

 官兵衛を看病していた侍女たちは隆広と稲田大炊に頭を垂れて、部屋を出て行った。

「想像以上にひどいですね…」

 稲田大炊は顔をしかめた。

「これでもだいぶ落ち着いたのです。一昨日までは高熱と悪寒と異常な発汗…。ひんぱんに寝巻きを変える必要がありそうでしたから、さきほどの侍女を交代で看病させまして…。本日朝にようやく意識を取り戻し薬湯を飲ませました。薬が効いたか、ご覧の通り今はぐっすり眠っています」

「ありがとうございます…。もう少し伊丹城を落とすのが遅れたり…水沢様の適切な処置がなければ今ごろ夫は…!」

「奥方、顔をあげて下さい。官兵衛殿とそれがしは同じ織田の家臣です。当たり前のことをしただけなのですから」

「何とお礼を申し上げてよいか…」

 

 隆広と稲田大炊は官兵衛と幸円二人だけにしてやろうと思い、部屋を出た。

「大炊殿、官兵衛殿は嫡男松寿丸の死を知りません。今知らせると心痛も大きいと思うので…」

「ああ、それは心配いりませぬ」

「え?」

「確かに大殿より松寿丸を殺せと云う命令はありました。実行せねば羽柴にも叛意ありと受け取ると云う厳命でした。殿も苦悩されましたが殺さないと決断し、そして半兵衛殿が機転を利かせて匿いましてございます」

「義兄上が!」

「はい、領内で病にて死んだ同年の童の死体を届けましてございます。疑い深い大殿ですが松寿丸と面識がないのが幸いでしたよ」

「良かった…」

「それがしは、明智様に官兵衛殿と幸円殿のことを頼み、その後に殿へ報告するため長浜にすぐに帰ります。あわただしくて、ろくに水沢殿とお話もできず残念です」

「それがしも残念です。ぜひ墨俣築城のことなどをお聞きしたかったのに」

「ははは、今度長浜においで下さい。それがしで良ければゆっくりお聞かせいたします」

「ありがとうございます」

 

 稲田大炊は長浜に戻った。そして翌日、隆広本隊の陣払いが始まった。帰国前に隆広は官兵衛と会った。

「もう大丈夫のようですね、官兵衛殿」

「何から何まで…本当になんとお礼を申したらよいか」

「いえ、同じ織田の家臣同士です。当たり前の事です」

 隆広が挨拶に来たので、官兵衛は蒲団の上に座位で対していたが、やはりまだ体力が回復しておらず、眩暈を感じた。

「官兵衛殿、無理せずとも」

「なんの、恩人が帰路に向かうというのに伏せていては…」

「お前さま、無理をしてまた体調を崩したら、それこそ水沢様の本意ではございませんよ」

 幸円がやんわり叱り付けた。

「その通りです。しかし幸円殿と官兵衛殿は仲が良くていいですね。それがしも早く国許の妻に会いたいです」

「水沢様の奥様は、とても美しいと長浜にも伝わっておりますよ」

「そうですか? いやあ自慢の妻なんですよ」

 と、隆広と官兵衛夫婦の楽しい談笑の中、明智光秀がやってきた。

「これは明智様」

「いや、官兵衛殿、無理をなさるな」

「明智様、そろそろ我らも伊丹城から引き上げまする。今までのご厚情、隆広忘れません」

「隆広殿…」

「…? 何か」

「悪い知らせがある」

「え…?」

 官兵衛と幸円は顔を見合わせた。光秀はため息と共に座った。

「何でしょう? 明智様」

「…尼崎城と花隈城が落城しました。荒木村重殿は城を脱走し行方知れず…」

「そうですか…」

「だが…双方の城内の残った荒木殿の妻子や、他の重臣、兵士、他の女子供、合わせて三千数百…。大殿に処刑されました。磔、斬首…さながら屠殺場のようだったそうです」

「……ッ!?」

 

「なんとむごいことを…!」

 幸円は絶句した。

「……」

 黒田官兵衛は顔色を変えなかった。

「バカな…! それでは先日にオレの言ったことは大殿に何も届いていなかったと云うことですか!」

「そうなります…。あの日はたまたま隆広殿の意気に感じ入ったから…この伊丹の捕虜を見逃したのでしょう。しかし昨日と同じ風が今日の大殿の心に吹くとは限らないのです」

「そんな…」

 隆広は拳を畳に叩きつけた。

「満座の前であんなに打ち据えられ…命を賭けて諫言したのに…! 何も聞き遂げては下されなかったなんて…!」

 無念の涙がポツポツと畳の上に落ちた。そして何かを決心したかのように目をカッと開き立ち上がった。

「隆広殿、国許に…?」

「いえ、明智様、播磨の織田本陣に」

「何をするおつもりか!」

「もう一度、いや何度でも同じ事を言ってみます! 武力だけでは天下は取れないと! 何度でも!」

「バカな事はやめなされ! 今度こそお手討ちに!」

 と、光秀の制止も聞かず隆広が部屋を出て行こうとした時だった。隆広の足が掴まれた。

「官兵衛殿…」

 官兵衛は蒲団から体を引きずり出して、隆広の足を掴んだ。

「…『武力だけでは天下は取れない』。確かにそうかもしれません。しかし同時に…優しさだけでは天下は取れません。それでは野心を持つ者に利用されるだけ…。応仁の乱から今に至るまで、ズタズタに寸断された麻の如しの日の本。誰かが強力な針で繋ぎあわさなければならないのです。それには…やはり一罰百戒の断固たる厳しさは必要不可欠。敵にも味方にも! 大殿が血に飢えた悪鬼のように、喜んで殺戮を繰り返していると思われますな! 徹底的にやらなければ、敵に余力を残しておけば同じことを敵は繰り返し、戦はいつまで経ってもなくなりません。だから大殿は敵に容赦しないのです。

 大殿はこうも言っています。行軍中に部下が木陰でのんびり眠っている年寄りを見て『この織田家の危急存亡の時に!』と腹を立てて斬ろうとしたとき、それを止めて『オレの作る理想の国は年寄りがああして木陰で安心して昼寝できるような平和の国だ』と! けっして隆広殿が考えているような殺戮を好む暴虐の君主ではないのです! あの方は誰よりも繊細で、お優しい方なのです! 疑いあるな! 世間に魔王と呼ばれている大殿、我ら家臣が理解せずしてどうするのです!」

 病み上がりの官兵衛が掴む足。振り払うのは簡単だった。だが隆広は振り払えなかった。

「…分からないよ…。人の屍の上に築く平和な国なんて…」

 官兵衛は手を離した。

「…今に分かります。御歳十六歳の隆広殿にはご理解が難しいかもしれませぬが、それが乱世…。優しいだけでは…自分の大切なものさえ守れませぬ。聞けば水沢隆家殿と半兵衛殿の薫陶を受けた軍才の持ち主とのことですが、そんな甘さではその才も宝の持ち腐れです。

 優しさと甘さが仇になり、恩を施した者から逆襲を受けて滅ぼされた例は歴史にいくらでもあります。ご自慢の愛妻が敵の雑兵に陵辱を受ける可能性さえあるのですぞ。織田の武将になったのなら、そんな甘さなど捨てなされ。辛いかもしれませぬが、それが大切なものを守る術なのです」

「お前さま、言い過ぎです!」

「いえ…幸円殿、良いのです」

「水沢様…」

「官兵衛殿、お教えありがとうございました…。それがしは国許に帰ります」

「そうですか…。それでは道中気をつけて」

 官兵衛は蒲団に戻り横になった。光秀と官兵衛、幸円に頭を垂れて、隆広は部屋を出て行った。

 

「…官兵衛殿の言葉、隆広殿の胸を貫いたようですな。さすがは羽柴殿の軍師、言葉に重みがございました」

「いえ…明智殿の前で出すぎたことを」

「しかし…頼もしい若武者に成長したものだ…」

「は?」

「い、いや! 独り言にございますよ。それでは私はこれで」

 光秀も部屋から出て行った。

「なあ…幸円」

「はい」

「松寿丸も隆広殿のように育ってほしいものだ。そう思わぬか?」

「はい、私もそのように思いました」

 黒田官兵衛はこの時には考えもしていなかっただろう。今の若者と後に戦う運命にあろうとは。

 

 水沢隆広は無事に北ノ庄城に到着した。領民の歓呼の声に出迎えられ、隆広は慶次、助右衛門、佐吉を連れて先に到着している盛政、成政、才蔵、そして帰路を共にした利家と登城し、勝家に勝利を報告した。

「殿、隆広ただいま戻りました」

「うむ」

 妻の市も隆広を出迎えるべく、勝家の隣にいた。

「伊丹城を落とし、その後に大殿を出迎え、城代となりました明智殿に申し送り帰路と相成りました。なお、荒木殿の支城であった茨木城、高槻城、尼崎城、花隈城は大殿の手により陥落。荒木殿の反乱、終息いたしましてございます」

「うむ、大儀であった。伊丹城は堅固と聞いていたが、よう落とせたものよ」

「はい、これも前田様や佐久間様、可児様、佐々様、不破様、金森様、そして部下や兵たちのおかげにございます」

「うむ、褒美をとらせる」

「は!」

 勝家は隆広と六将、そして隆広の部下である奥村助右衛門、前田慶次、石田佐吉にも褒美を与えた。市から隆広に労いの言葉がかけられた。

「ご立派ですよ、隆広殿。そのお若さで見事です。これからも夫を助けて下さいね」

「もったいないお言葉にございます、奥方様」

 

「利家様、妙だと思いませぬか?」

「何がだ? 才蔵」

「奥方様が隆広を見る目です。あれは夫の部下を見つめる目ではありません。いかに有望な士と云えども…何か違います」

「…確かにな、オレもそれを感じる。まるで慈母が愛しい我が子を見るような…」

「利家様…」

「ふ、まさかな…」

 勝家はスッと立ち上がった。

「一同、疲れていよう、戦の詳細は後日の評定で聞く。今日は帰って休むがいい」

「「ハハ―ッ!」」

 

 隆広は城を出ると、すぐに自宅に走った。さえに会いたい、もうこれしか考えていない。

「ただいま―ッ!」

「おかえりなさい!」

 いつも隆広の方からさえに抱きつくのに、今日はさえから抱きついた。そのさえをギュウと抱きしめる隆広。

「会いたかった…」

「さえも…」

 まるで十年は離れていたようであるが、実質一月も離れてはいない。

「さえ! メシにしてくれ! ずっとそなたの料理を食べたくて仕方なかったんだ!」

「はい、すぐに準備できますから!」

 

 夫の隆広が無事に帰って来た喜びの熱が少し冷めると、さえは隆広があちらこちらケガをしていることをようやく理解した。美味しそうに自分の作った料理を食べる夫に尋ねた。

「お前さま…。あちらこちらに傷跡が…激しい戦いだったのですね…」

 敵ではなく、信長につけられた傷ではあるが、それを言っても仕方ない。

「ん? ああ少し苦労したよ。でも落とした後の伊丹城で静養したから」

「本日の湯、熱い湯が好きなお前さまのために熱くしたけれども…少し水を埋めた方がいいのかも…それではしみてしまわれます」

「大丈夫だよ、それより一緒に入ろう。いいだろう?」

 恥ずかしそうにさえは首を縦に降ろした。そして、この日の閨に、さえは隆広に違和感を覚えた。灯は消してくれたけれど、いつもより少し隆広の愛撫が乱暴だった。何かを忘れたい。そんな印象も受けた。

 このキズ痕に何か関係があるのだろうか。そう思いながら妻の勤めを果たした。自分を抱く事でイヤな事を夫が忘れられるのなら安いもの。そう感じた夜だった。

 

 翌朝、早朝鍛錬のため庭で木刀を降る隆広。たらいに水と手ぬぐいを入れて縁側に来るさえ。いつもの朝だった。

「お前さま、そろそろ朝餉です。汗を拭いてお召し物を」

「ありがとう」

 縁側に座り、さえの渡す冷たい手ぬぐいで汗を拭く隆広。

「あの…さえ…」

「なんですか?」

「昨日の閨はごめん…少し乱暴だったよな…」

 カアッと顔が赤くなるさえ。

「お、お前さま、朝にそんなこと言わないで下さい!」

「い、いやゴメン。でも詫びさせてほしい。今度から気をつけるよ。仕事で何かあるたびにお前に閨で痛い思いをさせちゃかわいそうだから…」

「痛いなら痛いとちゃんと言います! だから昨日の閨でさえは痛みを感じていません! だって…お前さまの手が触れたところではないですか…」

「え?」

「な、なんでもありません! 早く着替えてください! 風邪をひきますよ!」

「はは、すまない。じゃ朝餉にしようか」

 隆広は官兵衛の(自慢の愛妻が敵の雑兵に陵辱を受ける可能性さえある)と云う言葉が頭をよぎった。繊細なさえがそんなものに耐えられるはずもなく、自分も耐えられない。今の妻の笑顔を守るためにも、そして乱世を終わらせるためにも、自分が生来に持つであろう優しさと甘さを戦時には捨てる決意を固めた隆広だった。



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侍大将隆広

先代隆家の重臣の子弟登場です。今後もチラホラ出てきますよ。


 伊丹城攻めを終えて北ノ庄に帰ってきた翌日、水沢隆広を訪ねてきた二人がいた。玄関に出た若妻さえに二人は丁重に頭を垂れ、身分と氏名を示す木簡を渡した。その時の隆広は文机に向かい伊丹城攻めの報告書を書いていた。さえは障子戸の外に座り、

「お前さま」

「ん?」

「お客様です」

「誰だい」

「この木簡を渡してくれれば分かると」

 障子を開けて、さえから木簡を受け取る隆広。

「…これは」

「どうされました?」

「丁重にお通ししてくれ。お茶も菓子も頼むよ」

「分かりました」

 客は二人だった。

「早速の引見、恐悦に存じます」

 隆広はその客を見て驚いた。知っている顔だった。

「そなたら…!」

 隆広は木簡に記された名前を知っていたが、訪ねて来た二名の名と一致していない。

「そういうことだったのか…」

「はい、試すようなマネをした事をお詫び申し上げます」

「いえいえ、さあ、こちらに」

 隆広は上座を指した。

「いえ、そちらには座れません」

「しかし、皆さんそれがしより年長で…」

「確かにそうですが、我らからすれば水沢様は主筋でございますので」

 二人の男は隆広に上座に座るよう促した。

「そうですか…。では」

 隆広の前に二人の若者が座った。

「手前、高崎太郎のせがれ、高崎次郎」

「同じく星野大介のせがれ、星野鉄介」

「改めて、それがしは水沢隆広と申します。ご貴殿たちは父の水沢隆家に仕えし高崎、星野の子弟でございますね?」

「その通りです」

「幼き日、お二人のお父上には可愛がってもらいました。お父上たちは?」

「達者です。我らの父たちすべて武士を捨てて帰農しましたが、武士の誇りは忘れず、百姓としてではなく武士の養育をされました」

 と、高崎次郎。

「失礼ながら、もはやお察しのとおり柴田家にお仕えしてからの水沢様を我らは父たちの命令によりずっと観察していました。大聖寺城と伊丹の戦も兵に紛れ込んだり、水沢様の内政主命の人足として働いておりました」

 同じく、星野鉄介。彼ら二人はずっと隆広の軍務と政務の働き手として参加していた。名前は違う名であったが、隆広はいつも人足として参加してくれている彼らを知っていたのである。だからすでに隆広の部下たちにも顔が知れていた。

「そして、我らの報告を聞いて父たちは『我らはお前たちを、いずれどこかの大名への仕官の道が開けばと農民なのにずっと武士の養育を施した。稲葉山落城の数年前、殿が引き取りし赤子の竜之介様。立派に成長され武将として世に出るとはまさに天佑。お前たちは若殿に仕えるのだ。もはや我らは老骨で若殿のお役に立てない。お前たちの報告を聞き、若殿は隆家様に匹敵する将器を持つと見た。もはや旧水沢家臣団は兵に至るまで老い、その子らもほとんど農民として生きている。隆家様に仕えし我ら旧家臣たちが若殿へお贈りできるのは、もうそなたたちしかおらぬ。血は隆家様に繋がっていなくても、才気と器量を受け継いでいる。それで十分じゃ。若殿にお仕えせよ』と、述べました」

 と、続けて隆広に述べる星野鉄介。彼らの父、高崎太郎、星野大介は今日では隆家両腕と言われているほどの将で、隆家はこの二将と藤林忍軍を縦横に使いこなし、名将と呼ばれるまでの活躍をしたのである。

 そして水沢の名が隆家から隆広に世代交代したと同じく隆家両腕も世代交代した。幼い頃から貧しくとも父の背中を見て、かつ厳しく育てられたのだろう。隆広は二人の面構えが人足として使っていた時とまるで違う事に気づいていた。召抱えたい、養父隆家が鍛え上げた家臣たちの子、同じく鍛え上げられているのだろう。雄々しい面構えだった。どれだけ頼りになるか。だが

「すまない…。今のオレにはそなたたちを召抱えられるほど裕福じゃない」

 申し訳なさそうに断る隆広。奥村助右衛門、前田慶次、石田佐吉の禄は隆広の禄から支給されている。北ノ庄城に常駐している兵たちの禄は当主である柴田勝家が全般に出すが、組頭ほどの将を召抱える場合、その直接の主人から禄を出すのである。

 勝家自身が寄騎として助右衛門、慶次、佐吉を隆広につけたなら、その禄も勝家から出る。しかし彼らは隆広の寄騎ではなく隆広自身が召抱えた直属の家臣である。禄の範囲で優秀な家臣を召抱えるのは当然のことである。しかし隆広はこの三人を召抱えるだけで精一杯の収入しか得ていない。これ以上の家臣は雇いたくても雇えないのである。

「心配要りません。足軽ならば当主の勝家様から禄が出ます」

「父を支えし高崎と星野の子弟を足軽から登用なんて!」

「お気持ちは嬉しいですが、それでは矩三郎や紀二郎たちが得心いたしますまい。いかに父たちの縁があろうと、我らは最初から下っ端から始めるつもりでした。心配無用、自力で将の椅子を勝ち取る所存。そのころには隆広様も我らの禄を出せるほどの大将になられているはず。いや、ならせてみせます」

「次郎殿…」

 二人は改めて隆広に平伏した。

「我ら、父の命令だから隆広様に仕えたいワケではございません。伊丹城にて信長公に毅然と意見を言い、捕虜たちの命を救った貴方に感服したのです。是非、召抱えていただきたい!」

 お茶を持ってきたさえは、入るには入れない雰囲気だったので障子の向こうで盆を持ったまま座っていた。『信長に意見する』のは当時の織田家では自殺行為に等しい事。それを夫がやったのかとさえはこの時初めて知ったのである。

(では、あの体中にあった傷跡は大殿様に打たれて…)

 夫の勇気に惚れ直すさえ。

「…下っ端から始めると申された以上、父の家臣の子弟とはいえ遠慮はいたしません。それでも良いのですか?」

「「無論!」」

 隆広は立ち上がり、二人と手を握り合った。

「再びこの世に、水沢の名を知らしめようぞ! オレと共に生きてくれ!」

「「承知仕った!」」

 こうして、養父隆家がもっとも頼りにした二将が、世代を越えて隆家の養子の隆広に仕える事になった。隆広十六歳、高崎次郎二十二歳、星野鉄介二十歳の時であった。

 隆広は後に、彼らの父たちも相談役として召抱えた。隆広が部下には言えない弱音やグチも彼らは聞き、よき話し相手となったと云う。まさに養父の隆家が残した忠義の人材と人物たち、それは宝物と言えた。先代の重用した家臣を遠ざける狭量な新当主多い中、隆広は変わらず召抱えて重用したのだった。

 

 翌日、改めて伊丹攻めの論功行賞が行われた。随員していた勝家の戦目付けたちの報告により、各々の軍功が柴田勝家から言い渡された。

 手柄は部下に与えるものと父に教わった隆広は自分の功を軍忠帳に記載させずにいたが、どの戦目付けも隆広の采配を褒めちぎっていた。まず隊別の軍功だが一番手柄は前田利家隊、二番は佐久間盛政隊と金森長近隊と二人。三番は佐々成政隊、四番は可児才蔵隊、五番は不破光治隊となった。

 また個人的な手柄では水攻めの前哨戦ともいえた野戦、武庫川の合戦で荒木家の猛将の柴形勘左衛門、熊倉六平次を討ち取った前田慶次が一番であり、隆広からの禄とは別に勝家から加増された。部下の手柄に禄高で報えない隆広への粋な計らいと言えるだろう。

 総合的な勝利を収めた要因は水沢隆広の考案した水攻めにある。柴田勝家はこの日に隆広を足軽大将から、侍大将に士分を上げた。上限三千を率いることができる部隊長である。無論、今回の伊丹攻めのように場合によっては万の軍団長になることも許される立場で、隆広は陪臣といえ織田家最年少の部隊長とも言えた。それに伴い、隆広の部下たちも勲功が加算され佐吉は足軽から足軽組頭に昇進した。勝家が任命状を渡す。

「石田佐吉よ、本日より足軽組頭に任命する。いっそう励め!」

「ハハッ!」

「水沢隆広よ、本日より侍大将に任命する。いっそう励め!」

「ハッ!」

 仕官わずか一年足らずで侍大将、これは羽柴秀吉の出世の早さより上である。

 ここまで来ると佐久間盛政、柴田勝豊、佐々成政は相変わらずだが、嫉妬の念よりも隆広を認める気風の方が柴田家中に強まってきた。実際に隆広は勲功を立てて、今の士分に成りあがった。その場を勝家から優先的に与えられた感もないが、隆広はすべてそれに勝家が望む以上の成果を上げているのである。もはや柴田家の若き柱石ともなった。加えて柴田勝家がゆくゆく養子にする事も考えているとも言ったことから、取り入ったほうが得策とも考えたのだろう。また信長に毅然として意見を言ったのも効いていたのかもしれない。

 しかしながら侍大将任命の時に隆広は三つの視線を感じていた。佐久間盛政、佐々成政、柴田勝豊は苦々しそうに隆広の背中を睨んでいた。

(どうして…以前ならいざ知らず、今まで二度も同じ陣で戦場を駆けたのに…。味方うちでいがみ合っている場合ではないはずなのに…。なぜオレをそんなに憎々しく睨むのだろう…。いやグチるな、オレに何か悪いところがあるのだ。それが何なのか早く気づけ隆広)

「隆広」

「は、はい!」

「侍大将ともなれば部隊長だ。柴田の軍団長と言っていい。お前の正規兵三百と、伊丹城でお前が召抱えた負傷兵が五百であったな。合わせて八百では軍団として心もとない。先月に行った兵農分離で新兵が千人おるから、それをくれてやる。それでも合わせて千八百。まあ最初はそんなものでいいだろう。明後日に軍団結成を錬兵場で行うがいい。わしも参列しよう」

「殿が! あ、ありがとうございます!」

「あと、こいつもくれてやる。辰五郎!」

「ハッ!」

「た、辰五郎殿…?」

 隆広の城普請、新田開発、舟橋建設において、その右腕として働いた北ノ庄職人衆の辰五郎が評定の間にやってきた。隆広の後ろに座り、勝家に頭を垂れた。

「隆広、こやつを存じておるな?」

「も、もちろんです!」

「正式にこやつと、その部下の職人衆を召抱えた。いや正確に言うのならば辰五郎が願い出てきたと言うほうが正しいな。工兵としてお前の下で働きたいそうだ」

「工兵!」

「そうだ、隆広よ、工兵を用いる局面を言ってみよ」

「は、内政主命においては城普請、町づくりにおいての道路拡張、架橋、掘割、背割下水(建物の立地に沿った下水配備)などがあげられます。戦場においては陣場の構築。地形図の作成、物資の運搬、また城攻めにおいては、土龍攻め(地面に穴を掘って突き進み城門を越える事。武田氏が使った)なども可能かと」

「ふむ…」

「ですが、あくまで支援を主にした部隊。戦場の兵士として用いる事はいたしません」

「なるほど、どうじゃ辰五郎」

「はい、今上げた技術、すべて我ら持っております。隆広様の元でぜひ振るわせていただきとうございます」

「辰五郎殿!」

「辰五郎とお呼びください」

「あ、ありがとう! 頼りにします!」

 隆広は辰五郎の両手をギュッと握った。

「使いこなせよ隆広、辰五郎一党はわし本隊の工兵よりウデが立つ。粗略にすればバチが当たるぞ」

「はい!」

「ふむ、これで本日の評定を終える。隆広よ、お前にはもう少し話がある。軍勢結成の議の準備は部下に任せ、わしの私室にこい」

「は!」

 

 柴田勝豊、佐久間盛政、佐々成政は不機嫌な顔を浮かべながら城を出た。

「分からぬ…。どうして義父上はあそこまで隆広を寵愛する…。新兵千人を与えたばかりか、北ノ庄一の職人集団までくれてやるなんて…」

 と、柴田勝豊。

「きっとあの女子のような顔で勝家様に甘えたのではないか」

 オレと同じ事を言っている。佐久間盛政は佐々成政の言葉に苦笑した。

「それはない。伯父上の愛妻家ぶりは知っているだろう。衆道家とは考えられんな。また隆広にもそんな趣味もない。あいつの愛妻家ぶりも有名であるし、何より主君に抱かれた色小姓が持つ、あの媚びたような独特の忠節ぶりもあいつには見えない。悔しいが伊丹城攻めを見るにあいつの将才は本物と見るしかない。実力で重用を勝ち取ったのだ」

「しかし盛政…あそこまでエコ贔屓がひどければ、家中に不和も」

「勝豊殿、それは今の我らと隆広の事か?」

「それは…」

「オレは…あいつの才は認めている。だが…」

「だが?」

「ツラを見ると腹が立ってくる。反りが合わぬとはこういう事かもしれぬ。いやむしろ…オレは隆広を恐れているのかもしれぬ」

「まさか、鬼玄蕃と呼ばれる盛政が?」

 柴田勝豊は一笑にふしたが、盛政の眼は笑っていなかった。

「正直申して、オレが出撃をけしかけた時、荒木勢の伏兵を見抜いていたヤツの眼力にはゾッとした。そして偃月の陣の用兵…。あの電撃的な水攻め…」

 その場にいなかった柴田勝豊には理解できないことであったが、佐々成政もその気持ちは同じだった。不覚にも『こんな息子がオレにおったら』と思うほどだった。だがそれを認めたら、今まで自分が築き上げてきた戦歴や武将としての誇りが崩れるような気がしてクチには出せなかった。最後に佐久間盛政はこう結んだ。

「『乱暴者ほど知恵者を恐れる』…か。よく言ったものよ」

 この『恐れ』が、後に隆広と盛政の深き溝となり、一つの悲劇に繋がったのかもしれない。

 

 隆広は評定の間から、そのまま勝家の私室に行った。

「殿、隆広まいりました」

「入れ」

「はっ!」

 障子を開けると、勝家と、その傍らに市がいた。

「よう来た、聞きたいことがある。いや、それ以前にその方ワシに一つ隠している事があるだろう」

「ございます」

「正直ですね」

 市は苦笑した。勝家も肩のチカラが抜けた。

「まったくだ。とぼけた場合には怒鳴ってやろうと用意していた言葉がムダになってしまったわ」

「気持ちの整理がついたら報告するつもりでしたので…改めて報告させてもらいます」

「ふむ」

「それがし、大殿の命に背いたあげく、あろうことか意見を申し立てました」

「ふむ…なんて言った?」

「はい、包み隠さず申し上げます」

 隆広は信長に言った言葉を一言一句正確に勝家に話した。

 

「そんなことを言ったのか…」

「はい」

「で、兄はなんと?」

 市が訊ねた。

「『興がそがれた。伊丹城はお前の落とした城。好きなようにするがいい』と」

「ふむ…」

「申し訳ございませぬ。大殿に逆らえば殿に累が及ぶと前田様、可児様にさんざん釘を刺されたにも関わらず…捕虜を殺す事がどうしてもできなくて…それで無我夢中に大殿へ意見を…。どのようなお叱りも覚悟しています」

「分かった。あとでワシから大殿に謝罪を入れておく」

「え?」

「お前は間違った事は言っていない。間違った事さえ言っていないのなら、ワシがどのようにも尻拭いしてやる。それが主君の務めだ。気にするな」

「殿…!」

「隆広よ」

「はい」

「だが、その後に大殿が荒木の支城を落としたとき、荒木殿の一族と将兵を虐殺したのは知っているな?」

「はい」

「それをどう思った?」

 隆広はその時に思ったことを正直に話した。

「満座の前で打ち据えられ、命さえ賭けて申し上げた意見がまったく受け入れて下さらなかった事を知り…正直悔しさで一杯でした」

「ふむ…」

「明智様が止めるのも振り切り、播磨の織田本陣に行こうとしたとき、療養中の黒田官兵衛殿に叱られました」

「官兵衛に叱られたと?」

「はい、官兵衛殿は私にこう叱りました」

 官兵衛の言葉も隆広は一言一句正確に勝家に伝えた。

「なるほど…」

「未熟ゆえ、すべて理解できたわけではございませぬ。ですが、官兵衛殿の言葉はそれがしの思いあがりを砕いてくれました。殿や明智様、羽柴様のような武将が忠誠を誓う武将が暴虐の君主であるわけがない。まだ大殿の深い考えを理解できない自分が未熟なのだと…そう気付いたのは今日の朝でした」

「隆広、官兵衛の言った『織田家危急存亡の時にけしからぬ』と言い、木陰で昼寝をしている年寄りを斬ろうとした部下はな…。ワシの事だ」

「…え!?」

「ゆえに驚いた。大殿がその時に言った理想の国の姿をな。『年寄りが木陰でのんびり昼寝できるような平和な国』と…いきり立つワシに笑って言いよった。それを聞いてワシはますます大殿への忠義を強めていったものだ」

「殿…」

「ふふふ、伊丹城を落としたことより、ワシには隆広が大殿に毅然と意見を言ったと云う方が嬉しい。そして黒田官兵衛の叱責を教訓として、織田の武将として一皮むけたところがな。此度の出兵、隆広には学ぶところ多かったようだな」

「は、はい!」

「ん、それでいい。大殿への謝罪は任せておくがいい。思いのほか時間を取らせたな、さあ、さえに侍大将に出世したと早く教えてやるがいい!」

「はっ!」



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ルイス・フロイス

 勝家と市との面談も終え、隆広は侍大将になれたことを早くさえに知らせたくて城下町を駆けていた。その時、一つの出会いがあった。

「もしもし、アナタは柴田家の方ですか?」

「は…?」

 急いでいるのに、と振り返ればそれは前田慶次と同じくらいの背丈の異人だった。見れば同じような異人をあと一人連れている。異人などいない北ノ庄ではずいぶん目立っていた。町行く人が振り返る。隆広もその異人を見上げた。

「お、あ…」

「オオ、そのオナゴのごとき美しい顔。そなたはタカヒロ・ミズサワにござるか? オオトノに聞いております」

「あ、あの…」

「申し遅れました。ワタシはルイス・フロイスと申します」

「あ、あなたが大殿のキリシタン宣教師ルイス・フロイス殿にございますか!?」

「ギョイにござる。このキタノショウの布教をオオトノから許されて参りました」

「は、はあ…」

(そりゃ難しいな、殿はあまり異人を好まれない…)

 

「タカヒロ、カツイエ殿に会わせてクダサイ」

(いきなり呼び捨てか、まあこれが彼ら異人の文化なのだろうな。しかし…)

 コホンと一つ咳払いをして隆広は言った。

「えー、いきなり来られても殿に合わせられませぬ」

「オオ、まさかタカヒロはワイロをよこせと言うのでござるか?」

「違う違う! この国ではその領内の一番偉い人に会うには色々と段階があってですね!」

「段階とは?」

「と、とにかく立ち話もなんですから我が家に」

「オー! 宿代助かりました! オブリガード!(ありがとう!)」

「お、おんぶにだっこ?」

 

 思わぬ成り行きから隆広は異人二人を自宅に連れ帰った。次に驚いたのはさえである。ポカンとして異人を見た。いつも帰宅と同時に隆広と抱き合うのに、今日はそのゆとりもない。隆広も侍大将になったと教えるのを忘れた。

「な、なにお前さま、このヒトたちわ!」

「いや、北ノ庄にキリシタンの教えを布教に来た大殿の宣教師の方たちだ。なんか成り行きでな…。泊める事にした」

「オオ! これがタカヒロのオクガタにござるか。まるでビーナスのごとき美しさ!」

「び、瓶茄子?」

「ハヒ、ギリシャ神話に出てくるの美の女神にござるヨ!」

「び、美の女神? 私が…?」

「ハヒ!」

「お前さま、この人たち良い人よ! 間違いない!」

「うんうん! よく分かっているよ! さえは世界で一番美しいとさ!」

(さえ…。お前単純だな…)

 宣教師二人は隆広の屋敷へと入っていった。

 

「初めましてオクガタ、私はルイス・フロイスと申します。ポルトガルのリスボンに生まれました。イエズス会員でカトリック教会の司祭、宣教師をしております」

 フロイスは十六歳でイエズス会に入会し、同年、当時のインド経営の中心地であったゴアへ赴き、そこで養成を受ける。同地において日本宣教へ向かう直前のフランシスコ・ザビエルと日本人協力者ヤジロウに出会い、このことがその後の彼の人生を運命づけることになる。

 三十一才で横瀬浦に上陸して念願だった日本での布教活動を開始した。日本語を学んだ後に平戸から京に向かい、京の都入りを果たしたものの保護者と頼んだ将軍足利義輝と幕府権力の脆弱性に失望してしまった。だがフロイスは三好党らによる戦乱などで困難を窮めながらも京においての布教責任者として奮闘する。

 その四年後に入京した新たな覇者織田信長と二条城の建築現場で初めて対面。既存の仏教界のあり方に信長が辟易していたこともあり、フロイスはその信任を獲得して畿内での布教を許可され、多くの信徒を得たのだった。

 

 その後は九州において活躍していたが、後の巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャーノの来日に際しては通訳として視察に同行し、安土城で信長に拝謁している。それからほどなくして、時のイエズス会総長の命令として、日本におけるイエズス会さらなる布教と活動の記録を残すことに専念するよう命じられる。以後、彼はこの事業に精魂を傾け、その傍ら全国をめぐって見聞を広めた。そうして訪れたのが越前北ノ庄と云うわけである。そしてもう一人、

「私はアレッサンドロ・ヴァリニャーノと申す。イエズス会員でカトリック教会の巡察師にございます」

 彼は日本の布教を視察すべく来日した。日本人に対する偏見が強かった布教長フランシスコ・カブラル神父が日本人司祭と修道士の育成を禁止し、まったく行っていないことに驚き、すぐさまこれを改善するよう命令した。ヴァリニャーノにとって日本人の司祭と修道士を育成する事が日本布教の成功の鍵を握ると見ていたのである。

 こうして作られた教育機関がセミナリヨ(初等教育)とコレジオ(高等教育)、およびノビチアート(イエズス会員養成)であった。

 セミナリヨを設置するため、場所選びが始まった。京に建てることも考えたが京では仏教僧などの反対者も多く安全性が危ぶまれた。そこで織田信長に願い、新都市安土に土地を願った。すぐさま城の隣の良い土地が与えられ、信長のお墨付きを得たことで、安全も保障された。こうして完成したのが安土のセミナリヨであった。

 普段はセミナリヨにいる彼であるが、今回はフロイスの布教活動に手を貸すべく、この北ノ庄にやってきた。そして今、水沢隆広と会い、家に入れてもらった。フロも入らせてもらい、すこぶる上機嫌である。

 

「何のもてなしも出来ないですが…」

 さえは二名に膳を出した。

「オオ、美味しそうにござる。いただきます!」

 二人は食事の前に神に祈り、そして箸をつけた。意外に二人とも箸の使い方が堂に入っている。

 最初は戸惑った隆広であるが、異国の文化を知るまたとない機会、フロイスとヴァリニャーノは日本語も流暢に話す。これは色々と聞くべきだと思い、酒を勧めた。

「コホン、ポルトガルって日本から遠いのですか?」

 するとフロイスは懐から羊皮紙を出した。

「ポルトガルは西ヨーロッパのイベリア半島に位置する国でして、ここにあります。そしてここがニホン」

「へえ、遠いのです…え!?」

「ここ日本」

 それは世界地図の東の果て、大陸の横にある小さい島だった。フロイスの人差し指の先端だけで日本の半分が隠れてしまった。

「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっとこれが日本なのですか?」

 さえも地図を見て驚いた。

「これが?」 

「はい、大航海時代を経て、世界の船乗りや地理学者たちが作成した世界地図、間違いござらぬ」

「こ、このイモのヘタみたいのが日本…。越前は…」

「エチゼンはここ、はは、針でもないと指せません」

「驚いたな…。信じられない」

「さえも…。日本が世界から見てこんなに小さい国だったなんて…」

「ではフロイス殿はこの大陸を横断して日本へ…?」

「ハハハ、船ですよ」

「これほど距離を船で? 海の上で迷子にならないのですか?」

「羅針盤、というのがございまする。それで迷わず到着できるのです」

「ラシンバン?」

「今は手元にないのですが、こんな感じのものです」

 フロイスは絵に描いてくれた。

「磁石の作用を用いて方位を知るための道具でござる。軽く作った磁石を針の上に乗せ、自由に回転できるようにしたもので、これにより地磁気に反応して、N極が北(磁北)を、S極が南(磁南)を向くと云うスンポーです」

「…?…?…?」

「ははは、実物があればもっと分かりやすく説明できるのでござるが」

「ねえフロイスさん」

「なんですかオクガタ」

「この地図の果て、この海の向こうに行くとどうなるのですか? 崖みたいに落っこちてしまうのですか?」

「オオ、そのキョトンとした顔がまたビーナスでござるな。説明しましょう。こうなっているのです」

 フロイスは地図の両端を持ち、くっつけて筒状にした。

「…え?」

「この世界は丸いでござるヨ」

「……???」

「世界は海で繋がっているでござるヨ」

「ま、丸い?」

「今度海をよーく見てゴロウジロ、船がだんだん水平線から消えていくでござろ? あれは世界の丸さで見えなくなるでござるヨ」

 隣でヴァリニャーノが苦笑した。こんな饒舌になるフロイスも珍しいと。そして

「ははは、突然のそんな事を聞かされて驚いたでございましょう。しかし今の話はあまり外で言わないほうがヨイ。まだ日本人は受け入れられぬでゴザル。いらぬ風評をまいたと罰せられるのがオチでゴザル」

 と、隆広夫妻に釘を刺した。フロイスも添えた。

「ちなみに、この世界が丸いと最初に理解した日本人はオオトノでした」

「大殿が!」

「イカニモ、長崎に上陸して以来、色んな日本人に会いましたがオオトノほど革新的な視点を持つ王はいませんでした。スゴイ方です。ですが…」

「ですが…?」

「ヴァリニャーノの申したとおり、今日私に聞いた事はあまり言わない方が良いでしょうナ。タカヒロとオクガタはとても聡明な人に見えたのでついついしゃべってしまいましたがネ。今、タカヒロが成すべきはオオトノにこの国を統一させるためがんばる事にござるヨ」

「は、はい!」

「してタカヒロ」

「はい」

「カツイエ・シバタに明日合わせてくれますか?」

「分かりました、私が段取りしておきまする」

「オブリガード!」

 この日、隆広とさえ、フロイスとヴァリニャーノは語り合った。日本がこんなに小さいのであれば、異国に宣教師を派遣してくるほどのポルトガルはさぞや広いと思えば、地図上ではほとんど日本と面積は変わらない。しかも人口は日本の十分の一ほどだと云う。

 転じて日本はこの島国で、同じ日本人同士でわずかな領地を取り合って殺し合いをしている。この差は何だろうと感じた隆広とさえだった。

「今までの歴史を経てきた結果としか言いようがござらんヨ、それは日本とポルトガルも変わらないネ」

「今までの歴史を経てきた結果…ですか」

「同じ歴史を歩む国などござらんタカヒロ。この日本酒も我らと違う歴史があればこそ出来た美酒ではナイカ」

 グイッと旨酒を飲み干すヴァリニャーノ。

「だからこの世は面白いのゴザロ? タカヒロ」

「では…もしかしたらこの日本から合戦がなくなり、貴殿たちポルトガル国と平和に交易が出来る日も来ることも…!」

 フロイスとヴァリニャーノは一瞬驚いたが、すぐにニコリと笑った。

「そうねタカヒロ、お互いの国の歴史書に日本とポルトガルの名を書ける日がいつか来るとフロイスも信じるヨ!」

(この若いの…オオトノと同じ事を言ってきたヨ)

 

 翌日、隆広は柴田勝家に取り成しをして、宣教師二人を勝家に合わせた。だが結果は…

「タカヒロ、すまないね。ダメだったヨ」

 勝家は領内での布教を認めなかった。ほとんど取り付くシマもなかったらしい。フロイスとヴァリニャーノは肩を落として北ノ庄城から出てきた。

「やはり…申し訳ございません、チカラになれなくて」

「何の、布教活動には付きものにござるヨ。次に行きます。しかしカツイエはいいサムライです。我らで言う『騎士道』がある」

「『騎士道』?」

「そなたらの云う『武士道』のようなものでござるヨ。カツイエは根っからの武人、全身から雰囲気を感じたでござるヨ」

 そこまで主君を褒められると隆広も嬉しい。

「お、おぶりがあど!」

 フロイスとヴァリニャーノはたどたどしいポルトガル語で礼を述べた隆広の言葉に驚き、そして微笑んだ。

「タカヒロ、昨日の寝床と食事の礼にござる、これを」

 フロイスは一つの帳面を出した。

「…?」

「これは私が日本に来てからの書き始めた日記。日本語で書いたので読めるはずにござるヨ」

「かような貴重な帳面を!」

「いやいや、心配無用。原本の日記は母国語で書いて持っていますので」

「はあ…」

「これは友情の証でござるヨ」

「ならばそれがしは…」

 隆広は父からもらった刀『日光一文字』をフロイスに渡した。

「良いのでござるか? 大事なカタナなのでしょう?」

「はい、それがしからフロイス殿への友情の証にございます」

「オブリガード、タカヒロ!」

「おぶりがあど、フロイス殿!」

 こうして、フロイスとヴァリニャーノは北ノ庄から立ち去った。わずか一日であった隆広とフロイスの出会いであったが、隆広がフロイスたちから得られた知識は計り知れないものだった。『世界は大きい、日本は小さい』『世界は丸い』、今までの観点が根底から覆されるようなことばかりだった。しかし

(やはり、早く大殿に天下を取っていただかなくてはならない。大殿ならば、この小さい国から戦をなくして…かつ交易をもって大きくしてくれる…。そんな気がする! よおしオレもフロイス殿のようにがんばるぞ!)

 明日は水沢隆広軍結成の儀、奥村助右衛門や石田佐吉がその準備に当たっている。そろそろ自分も行かなければ家臣に叱られてしまう。隆広は錬兵場に駆けた。

 

 ルイス・フロイスは著書の『日本史』で水沢隆広をこう評している。

『織田信長が旧時代を壊す王ならば、水沢隆広は新時代を作る王となりうる人物である』

 隆広がフロイスに渡した“友情の証”の『日光一文字』は現在ポルトガルの国宝となっていて、後のポルトガルと日本の親善と国交の盟約の儀において、このフロイスと隆広の出会いが時のポルトガル首相と日本首相との会話にも出たと云う。



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旗印【歩】

水沢軍の旗印【歩】は言わずもがな、北島三郎さんの歌『歩』を基にしています。好きなんですよねぇ『相手が王将だろうと一歩も引かぬ』と云うところが。


 翌日、北ノ庄城の錬兵場。よく晴れた日であった。錬兵場には隆広が最初に登用した三百の兵。伊丹城で隆広の計らいに心を動かされた五百の兵、養父隆家の旧家臣の子弟八十人。そして勝家が最近に行った兵農分離にて徴兵した新兵の一千。辰五郎の工兵隊の四十名。合わせておよそ千九百名。これが隆広が柴田家の侍大将となり、最初に得た兵である。

 千九百の兵は整然と並び、主人の声を待っていた。新兵の千名も隆広の名前は十分に知っていた。若いがかなりの器量を持った武将と聞いている。貧しい農民の三男や四男たちは勝家の兵農分離の公募に応募したが、できれば水沢隆広の元で働きたいとみなが考えていた。そしてそれは見事に叶ったのである。

 結成の鼓舞をするために隆広が乗る中央の台座の左右には奥村助右衛門と前田慶次が控えていた。

 柴田勝家と妻の市も、結成の儀を見届けるため、床机に座り隆広が現れるのを待っていた。前田利家、可児才蔵、金森長近、不破光治も招かれており、同じく床机に座って待っていた。佐久間盛政、佐々成政、柴田勝豊も招いたが、やはり欠席されてしまった。

 しかし柴田家中でその力量を認められた隆広軍団の結成の儀である。勝家の家臣団である毛受勝照、徳山則秀、中村文荷斎、拝郷家嘉などそうそうたる武将たちも出席した。

「そろそろかな…」

 勝家が隆広のいるであろう陣幕の向こうをチラリと見たと同時だった。

 

 バサリ

 

 隆広が陣幕を払い、そして前田慶次と奥村助右衛門の間にある台座に向かった。いつも結っている髪も下ろし、垂らした長髪の先を白帯でまとめてある。

 着ている鎧は初陣の時に勝家がくれたもので少し古いがさえの繕いで新品同様とまではいかないが、隆広の気品に劣るものではない。

 陣羽織はさえとの祝言の日に勝家がくれたもの。勝家同様に赤い陣羽織で、黒一色の鎧にそれが見事に映えた。

 携える脇差は森可成がくれた関の刀工の一品、大刀は父の隆家が元服の時にくれた二振りのうちの一振り『福岡一文字』。

 小野田幸之助が整然と太刀持ちとしてそれを持ち、水沢家家紋の旗『梅の花』を高崎次郎が掲げ、昇竜の前立ての武者兜を松山矩三郎が恭しく両手で持ち同じく歩む。

「ああ…なんと凛々しい若武者ぶり…」

 市は嬉しそうにつぶやいた。

 

 そして最後を歩く石田佐吉。彼も旗を持っていた。白地に隆広の手で書かれた、それは大きな文字であった。一つだけの文字。それゆえ見た瞬間にそれは分かる。それは『歩』と書かれていたのである。誇らしげにそれを持つ佐吉。これが水沢隆広の軍旗『歩の一文字』である。その旗を見て勝家はニッと笑った。

「あやつ…! やはり『歩』を受け継ぐか!」

「あれが有名な『歩の一文字』なのですね?」

「そうとも市! 我ら織田勢は斉藤陣にあの旗が立っていると震え上がったものだ」

「懐かしいですな利家様、『歩の一文字』…。それがしも美濃斉藤家の出ゆえ、味方としてあの旗を眺めていたものですが、どんなに頼もしい旗に見えたか…。そして隆広と歳が同じころに見た隆家様にどんなに憧れたものか…」

「ああ才蔵、逆に我ら織田の者にとっては戦場で一番見たくなかった旗だ…。まさかあの旗が柴田陣に掲げられる日がくるとはな…」

 実はさえもこの軍団結成の儀に来ていた。錬兵場の隅っこでチョコンと立ち、木陰から見ていたのである。

「お前さま…最初が肝心なんだから…! しっかり!」

 

 隆広は台座の上に立った。

「うん、みんないい顔だ。大将として嬉しく思う。改めて名乗る、オレの名前は水沢隆広、十六になったばかりだ。大将なのに、たぶんこの中で一番の年下だろうな。一部にはこんな子供と思うものもいるだろう。だがしばらくはガマンして仕えてくれ。もうじき大人にもなるだろうから」

 少しの冗談が入った言葉ではあるが、兵士は誰一人笑わない。隆広の眼が笑ってはいないからである。

「まず、これを言っておく。みながオレの兵になる経緯に五通りある。オレが寄騎として戦場に出るために殿からいただいた三百名、先日の伊丹城の戦いで、落城後にオレに仕えると申し出てくれた五百名、養父隆家の旧家臣の子弟たち、殿の兵農分離で新たに北ノ庄に兵士として迎えられた新兵の千名。そして旧知の縁からオレにチカラ添えしてくれることになった工兵四十名。

 以上であるが、よいか、オレは閥を絶対に許さない! 千九百名といっても、大いくさでは小勢の方に入る。しかしこの兵力で最大限のチカラを発揮しなくてはならない! そのためにはまず皆の融和が不可欠なのだ。槍ぶすまで分かるであろう。あれは槍隊が穂先を揃えて一斉に突撃するからこそ人数以上の絶大な攻撃力を生む。閥ができて、味方すら信じられなくなったらその軍勢は終わりだ。閥を作らぬのは、つまりそなたたちのためでもある。戦に勝って、恋しい娘と再び会いたければ、まず隣の者と仲良くするのだ! よいな!」

「「ハハッ!!」」

「そして戦場において、オレの両脇にいる奥村助右衛門と前田慶次の言葉はオレの言葉と同じである。そして内政主命のおりは、旗を持つ石田佐吉と工兵隊長辰五郎の言葉も、オレの言葉と同じである。さよう心得よ!」

「「「ハハッ!」」」

「我らの旗印を見るがいい。見ての通り白地に『歩』。言うまでもなく将棋の駒の『歩』と云う意味である。オレが亡き養父の水沢隆家から水沢の名と共に受け継いだ。父はこう教えてくれた。『歩の気持ちを忘れてはならぬ、人間はチカラを持つと歩の時の気持ちを失う。絶対に歩の心を忘れてはならぬ。ワシは常にそれを戒めるために旗を歩とした』と。

 聞いたのはこれだけだが、オレはさらに二つの意味を加える。集団合戦において、諸兄ら兵士は『歩』である。だが歩のない将棋は必ず負ける。だからオレは諸兄らを大切にする。粗略に使われたと思ったなら、いつでも今持っているヤリをオレに向けよ。士を遇さぬ将には似合いの最期である。つまり将にとり『一番大切にせねばならぬのは戦場の最前線で汗をかき、必死になっている【歩】』、これを自分に常に戒めるための意味だ。そしてもう一つ! これが大事だ、耳の穴かっぽじてよう聞け!」

 勝家さえ、隆広の名調子に引き込まれてしまう。齢十六歳とは思えない口上に隆広の兵士たちもゴクリとツバを飲んだ。

「二つ目の意味は、大将のオレ! 将たち! そして諸兄兵士らが頭に叩き込まねばならぬ意味だ。歩は一歩一歩、前だけに前進する、つまり!『相手が王将だろうと一歩も引かぬ!』さよう心得よ!」

「「「オオオオオオ――ッッ!!」」」

 兵士たちは刀、槍を高々と掲げ、大将隆広の鼓舞に応えた。中には感涙している者さえいた名調子であった。『歩のない将棋は必ず負ける』『相手が王将だろうと一歩も引かぬ』と云う隆広の言葉は自軍の旗である『歩の一文字』を誇りに思わせるに十分な言葉であった。

 特に水沢隆家の旧家臣子弟の面々は幼い頃から父に教えられていた『歩の一文字』の旗の心。もう戦場で見られることはないと思っていた父たちの誇りの旗。涙に歩の文字が揺らぐ。

 隆広の養父、水沢隆家の旧家臣たちの子弟は、高崎次郎や星野鉄介の他にも、その後に仕官者が続出した。隆家両腕と云われた二将の子が再び水沢家に仕える事になったと伝え聞き、帰農していた他の隆家家臣団も『我が息子も若殿に』と思い、隆広の兵となった。

 養父の家臣たちの子とて特別扱いはない。総数八十名集まった隆家家臣団の子弟たちはすべて下っ端からの出発である。だがそれは望むところ。ここからあの若き大将を盛り立て成り上がればいいのだと覇気に溢れていた。そしてその誇りと云うべき軍旗『歩の一文字』はより彼らを感奮させた。

 水沢家滅んでも、彼らの父たちは主君の歩の心を愛し、尊敬していた。そして今からそれは自分たちの誇りの旗となった。

「あの旗の元で生きよう!」

 誰からか、彼らの中で旗を見つめてそう言った。

「「おおッ!」」

 みな同じ気持ちだった。

 

 伊丹城の敗残兵の若者たち。心無い者たちから卑怯者村重の兵と笑われた事もある。だが彼らは確信していた。あの大将についていけば間違いないと。

 単に自分たちの命を救ってくれたからではない。偃月の陣の用兵、水攻めと云う電撃的な戦法、彼らは初陣さえ済ませていなかったので出陣が許されず、隆広と直接に対決はしていない。だが敵として対したのは変わらない。水沢隆広がどれだけ恐ろしい男であるかを彼らは知っていた。

 もう荒木の殿のような部下を平気で見捨てる大将はこりごり。我が身省みず、自分たちの命乞いをしてくれたあの方こそ我らの主。命を助けられたのを働いてお返ししようと誰もが思っていた。

 伊丹城の敗残兵たちは隆広のためなら命も要らぬと云う軍団に変わっていたのだ。我らを敗残兵と笑うなら笑え、だが今に見ていろと彼らもまた覇気に溢れていた。

 彼らが主君水沢隆広と共に軍神上杉謙信に挑むのは、これより一年後である。『勇将の下に弱卒なし』、これが戦国後期最強の軍団と言われる事になる水沢隆広軍の強さであった。

 

「ではさっそく訓練に入る! 戦は各々が勝手に武器を振り回し、馬を走らせているだけでは勝てぬ。作戦を練り、将兵がその作戦通りに動いて、初めて勝利に繋がるものである。聞けば、隆広の軍勢は『愚連隊』『敗残兵』『新兵』の寄集めなどと言われているが、それで結構。これから変われば良いのだ。一糸乱れず規律正しく、戦場を縦横に動き、一個師団として精鋭部隊として生まれ変わる。そのつもりで励んでくれ! オレも偉そうに高いところから指示を与えず、そなたたちと共に汗を流して訓練に励む! 頼むぞ!」

「「「ハハッ!」」

 

「では市、行くか」

 満足そうに勝家は床几から立った。

「え? 隆広や兵たちに何もお言葉をおかけにならないのですか?」

「バカを言え、今偉そうにワシがしゃしゃり出たら、あの士気が下がるだけだ。それにワシがいては隆広が遠慮して訓練の妨げにもなろう」

「そうですね」

「利家、才蔵、そなたたちも帰るのだ。先輩面が偉そうに訓練を見ていると若い連中はイヤがるぞ」

「はっ!」

 各将たちが引き上げる時、勝家は中村文荷斎だけ呼び止めた。合戦時において、ほとんど北ノ庄留守居が多い彼であるが、それゆえに勝家からの信認が厚い老将であり、孫のような歳の隆広へもきちんと礼儀と筋目を通す武人である。

「文荷斎、そちはどう見た?」

「先が楽しみでございますな。最初は兵士の裂帛の前に何も言えぬのではないかと思いましたが…いやいや容貌と異なり猛々しさは一個のもののふでござる」

「そうか、文荷斎に認めてもらえる将ならば安心だ」

 この当時、老臣に認めてもらえない若い将はダメ武将と云う印象があった。特に文荷斎はめったに人を褒めない老臣として柴田家中に知れ渡っている。それが絶賛とも言える形で褒めた。これで隆広はほぼ柴田家中で認められた事になる。無論、一部は除いてではあるが。

 木陰でさえは兵士を鼓舞する夫の姿をウットリとして見ていた。

「あああ…なんと凛々しい…(ポッ)」

 しばらくさえはその余韻に浸っていた。

 

 数日もすると、工兵をのぞく千九百名の兵は隆広の合図ひとつで整然と動き、法螺貝や陣太鼓と合図で右に左に一糸乱れずに縦横に動いた。弓隊(盾、射手、矢の渡し手の三人一組で形成される)は『エイ、エイ、オウ』の呼吸で迅速かつ正確に矢を放つに至った。

 実戦経験のない新兵たちも、隆広の統率力でしばらくすれば屈強の兵に変わった。槍兵の槍ぶすまの横から見ると一直線に見えたほどで、騎馬隊は武田騎馬軍団さながらの機動力を発揮し、陣太鼓の音を合図に、時に陣を魚鱗、鶴翼に変えることができるほどの見事な統率を見せたのである。後に勝家もその軍事教練を見ることになるが、感嘆し『なんと見事な』と、隆広の部隊を絶賛したと云う。

 軍団結成から、わずか数ヵ月後で隆広の部隊は柴田家の精鋭とも言っていい軍勢ともなったのである。

 

 そして同時に行政官も担当している隆広である。訓練の合間に佐吉と辰五郎と共に北ノ庄の町づくりに励んでいた。楽市楽座の導入で町はだいぶ繁栄を見せ始めていたので、隆広は勝家に城下町の水運導入を進言した。つまり『堀割』である。当時の都市で掘割運河による高瀬舟の水運は欠かせないものであった。

 多少工事に金はかかるが、完成した場合その水運から生まれる利益は軽視できないものがある。高瀬舟水運について、隆広は町民に分かりやすく説明した。小型の舟であるが船体が高いので積載量十分な舟を城下町と近隣の村々の年貢米、木炭、薪、塩、海産物、日用品等を水路で流通させる。楽市楽座を導入した今、その水運によりどれだけ町が潤うか察するに容易だった。

 隆広御用商人の源吾郎は惜しみなく資金を提供し、他の楽市楽座商人も水沢様の仕事ならばと、進んで資金を出した。彼らとて掘割が完成したら、その恩恵に与る事は必定である。勝家から許された資金を合わせれば十分に完成に至れる資金となった。

 また、隆広は兵士や工兵、雇った人足に無理をさせなかった。訓練も内政主命の作業も、その日その日夕刻になるとピタリと止めさせていた。当時としてはほとんど異例であるが、その無理をさせない待遇が、より素晴らしい成果を生み出したと後の歴史家も見るところである。

 兵士の松山矩三郎が『我らを夕刻で帰せば、御大将も夕刻に帰られる。つまり御大将はかわいい奥さんと毎日会いたいからでしょう』と冗談で言うと、隆広は胸を張って『そうだ』と言ったと云う笑い話もある。

 

 そして、そんな隆広の姿をずっと観察していた男がいた。北ノ庄城下町の楽市楽座を取り仕切る源吾郎である。掘割資金を提供したように、彼はずっと隆広に商人として接していた。彼の息子である白も同じである。

 藤林一族の上忍でもある源吾郎は伊丹城の合戦、兵士の訓練、図抜けた行政手腕を見て、ついに彼は一つの決断に至った。

「本物だな、まさにお父上を思わせる…。いやそれ以上か。隆広殿は藤林一族が全力で補佐するに足る器だ」

 彼は息子の白に里へ使者として出向かせた。父の源吾郎、忍者名柴舟の書状に目を通す棟梁の銅蔵。

「なるほど、辛口家の柴舟が褒めちぎっておる。里が首を縦に下ろさなければ、自分と息子だけでも隆広殿に仕えるとまで言っておるわ。で、白」

「はい」

「お前は北ノ庄の領民として隆広殿の仕事を手伝った事はないのか?」

「ございます。『掘割』の作業で人手が足らないと云うので隆広様が城下町で人足を公募しましたので応募しました。隆広様は私に気付いたようですが、普通に仕事を割り当てられました」

「ふむ、それで?」

「はい、とにかく人の使い方が上手で驚きました。貧しい者たちにもちゃんと声をかけられ、休息と食事も十分に与え、そして掘割が完成したら、どれだけ暮らしが楽になるかをつぶさに、かつ無学の農民たちにも分かりやすく説明しておりました。怠けるものもなく、皆が生き生きと働いており、そして十分な賃金を支払いました。それも人足一人一人に自分の手で渡されておいででした。あれならば水沢様のためならばと思う民も多いでしょう。若い娘に人気があるのは容貌が美男と云うだけではございませぬ」

「なるほど行政官としては一流と言っていいな。では戦場ではどうか?」

「伊丹城攻めの時には私も兵に紛れ込んでいました。偃月の陣による野戦での勝利、敵の伏兵を見抜く眼力。何よりあの電撃的な水攻め。さしもの佐久間と佐々も認めざるを得ない働き。また遡れば大聖寺城での門徒との戦いでは声一つで敵を退かせ、鉄砲もついでにいただいてしまうと云う働き。この才能は評価に値すると思います」

「そうか、白、お前も隆広殿のために働きたいと考えておるか?」

「無論です」

「さすがは私の乳を吸った男児!」

 銅蔵の妻のお清は、また自分の乳房を誇らしげに叩いた。

「お前さん、すでに太郎さんや大介さんの子らも隆広殿に仕えているし、私らだけもったいぶって動かないのは隆家様に申し訳ないよ!」

「そうだな。よし、腹は決まった! 舞! すず!」

「ハッ」「ハッ!」

「お前たち、白と共に北ノ庄に赴け。そして隆広殿に伝えよ、藤林一族は水沢隆広殿にお仕えすると!」

「「ハッ!」」



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妻への贈り物

 伊丹城の戦いから数ヶ月が経った。毎日忙しい身の隆広であるが、やはり帰宅しても忙しかった。さえとずっとイチャイチャしていたいだろうに、それはできずに勝家に出す報告書や部下への命令書を書くために文机に向かっていた。

 隣の部屋でさえは夫の仕事を邪魔しないように針仕事などをやっていた。そんな静かな夜だった。

「う~ん、今日はこのへんにしてフロにでも入る…」

 と大きいあくびと一緒に体を伸ばした時だった。

「……!」

 

 チャキッ

 

 隆広は傍らに置いてある刀を取り鯉口を切った。

「だれだ!」

 庭の障子を開けた。

「へえ、結構鋭いじゃない。気配を消していたのに」

「女…?」

「薄情だね。もう忘れたのかい?」

「おう、舞殿か。すず殿に白殿も一緒ですか」

 隆広宅の庭に、忍者三名が横一列にひざまずいて並んでいた。

「はい、お久しぶりです。隆広様」

 すずが恭しく頭を垂れた。

「お元気そうですね。銅蔵殿とお清殿はお元気でございますか?」

「はい」

「とにかく、そんなところに座っていないでこちらにどうぞ。お茶でも入れますから」

 

「お前さま、今の音はなに?」

 と、さえが隆広の部屋に入ってきた。

「ああ、さえ紹介するよ。父の元部下の子弟で…」

 妻へ気軽に忍者を忍者と紹介できるはずがない。

「…? 何を言っているのですか、お前さま?」

「え?」

「さえには誰もいないように見えますが…」

「え?」

 舞、すず、白は忽然と姿を消していたのである。

「大したものだな…」

 

「それよりお前さま、そろそろお仕事はやめて湯になさった方が」

「ああ、そうする」

 そして隆広だけに聞こえる声でいずこから舞が囁いてきた。

(…藤林一族、本日をもって水沢隆広様の配下となります。私たち、不知火舞、藤林すず、そして白が隆広様の手足となって働きましょう)

 同じく白も隆広だけに囁いた。

(明日、我が父源吾郎の私宅にお越しくださいますか。お話したきこともございます)

 隆広は軽く首を縦に降ろした。

(それでは本日はご挨拶までに。明日を楽しみにしております)

 すずの声を最後に忍者は消えた。

(すごいものだな忍者とは…)

「お前さま? どうしたの、ボーとして」

「ん? いや何でもない。さ、一緒に入ろう!」

「はい…(ポッ)」

 

 翌日、隆広は掘割工事の指示を与えた後に源吾郎の家に向かった。源吾郎は藤林山で隆広と会って以来、よく隆広と話した。忍者ではなく商人として。

 源吾郎は柴田家ではなく隆広個人の御用商人となっているが、隆広の持つ経済観念は時に本職とも言える源吾郎が舌を巻くほどであった。

 息子の白、彼は普段は『利八』と名乗り父の店で丁稚奉公をしているが隆広の内政主命の人足としてしばしば参加している。隆広の仕事を見届けるよう父に指示されていたからである。しかしその仕事ぶりはまじめで、隆広の兵士たちからも利八と親しみを込めて呼ばれるほどにもなった。彼は隆広と同じく美男の優男であるが、チカラ仕事などは大人顔負けであった。

 そしてこの日、源吾郎の店に看板娘が二人出来ていた。それが舞とすずである。源吾郎こと藤林一族の上忍である柴舟の家が彼女たちの北ノ庄城における根拠地となったようである。舞は『琴』と名乗り、すずは『雪』と名乗っていた。

 源吾郎は北ノ庄市場を取り仕切ると同時に、導入された楽市楽座を実質は隆広を通して柴田勝家から任されているものの、無論のこと自分の店もある。和漢蔵書がかなり充実した本屋と共に、茶器や武具なども売っていた。質屋と米屋も併営しているのでかなり大きい店である。表立ってやってはいないが、隆広から鉄砲の購入も指示されている。その店で『琴』と『雪』は働き出していたのであるが、早くもその看板娘二人は評判となっていた。そこに隆広がやってきた。

「旦那様、水沢様がお越しです」

 下働きの小僧が源吾郎に伝えた。

「丁重にお通ししなさい。あと利八、琴、雪も呼んできなさい」

「はい!」

 

「粗茶ですが」

 雪と名乗っているすずが隆広に茶を出した。

「ありがとう」

「ようこそお越し下さいました、水沢様」

「楽市楽座、だいぶ賑わいを見せてきましたね」

「はい、これも水沢様のおかげ。我々も毎日嬉々として働いております」

「高瀬舟の造船はどうですか?」

「はい、敦賀港の船大工たちに大量に発注しました。掘割が完成したら城下町の流通ですぐにでも使えるでしょう」

 別に腹のさぐりあいではないが、やはり隆広と源吾郎の会話は御用商人と行政官の内容になってしまう。いつになっても自分たち忍びの話が出ないので、舞は思わずあくびをしてしまった。

「これ琴! 水沢様との要談中なのに横であくびをするとは何事か! コホン、教えただろう、忍びとして他国に商人や僧侶での姿で侵入しても付け焼刃の商人と僧侶では必ずその地の忍びに見破られる。藤林の忍びは変装する商人や僧侶としても本物でなくてはならぬのだ。今までの隆広様との会話は商人の交易として色々参考になることも含まれておるのだ。くノ一とて商人として一角になるためには…」

「子供のころから耳にタコが出来るほど聞かされていまーす」

 つまらない会話をしているお前たちが悪いと言わんばかりに琴と名乗る舞はツンと横を向いて答えた。

「こ、これ! なんだその言い方は!」

「ははは、まあいいではないですか。それではそろそろ本題に入りますか、柴舟殿」

「はっ」

「柴舟殿、正直に言うがオレはまだ忍びを用いた事がない。せいぜい忍びに関わる事と云えば、子供のころにやった忍者ごっこくらいなのです」

「正直ですね、ではお教えしましょう。まず一番に行わせる事になるのは情報収集でございましょう。敵勢力の兵力や財力などを調べることを命令します」

「どの程度まで判明しますか?」

「隆広様が召抱えます忍者は、今ここにいる三名のみです。私はこの三名の統括と里との連絡番をしますから、隆広様からの実際の主命はこの三名が受けます。何故三名かと云うと…」

「分かっています。それがしにはまだ多勢の忍び衆を雇うお金はございませぬ」

「その通りです。逆に我らが負担となってしまっては本末転倒でございますから。しかしこの三名は里が誇る優秀な忍びです。三名とはいえ十分な働きはするでしょうし、主命の内容によっては班長の私も動きますのでご安心を。それに一旦支持すると決めた以上は投資と云う意味で隆広様が身を投じるであろう大事な合戦には里の軍勢が参戦いたしますので心配無用です。話が少し逸れましたが、どの程度まで判明するかと云うと、残念ながら詳細に至るまでは無理でございます。兵力を『大中小』で報告するのがせいぜいかと」

 舞はムッとしたが、それが現実である。三名ではどうしても限界はある。

「いや、『大中小』が分かれば十分です。あとは?」

「敵勢力の戦略を調査するのも我らの任務です。指定された拠点を訪れ、当主の戦略を聞き出せるまで潜伏します。隆広様の護衛も中心となる任務でしょう。これは指示がなくても我らで勝手に行います。あと攻撃的な主命となると破壊工作、流言操作、放火などがございます」

「どれも危険そうですね…」

「そりゃあそうです。忍びの仕事とはそういうものですし」

 

「さあ、隆広様。我らに初主命を」

 まるで新たな主君を試すかのような舞の言い方であるが、隆広は気に留めなかった。

「分かった、指示させてもらおう」

 三人の忍びは隆広に頭を垂れた。三人は隣接する小松城の内偵か、加賀の国に侵入し門徒たちの戦略を探らせるのかと読んでいた。だが全然違う主命だった。

「『流行つくり』を命じる」

 柴舟も聞いた事のない主命だった。舞はポカンとクチをあけていた。

「『流行つくり』? …それはなんですか?」

「越前の名物、越前カニ、甘エビ、越前蕎麦を琵琶湖流通で畿内に出して儲けたい。だがいまいち畿内ではこれらの美味しさが伝わっておらず、越前でしか消費されていない。大漁でもさばけない時があると敦賀の漁師がなげいていたのを聞いたことがある。都への流通を確保したいのだ。京の都や堺の商人衆がぜひウチで扱わせてもらいたいと思わせるほどに、先の三品の評判をあげてくるのが仕事だ」

「ちょ、ちょっと待ってよ! 私たちは忍びだよ! 確かに先代隆家様の遺訓で商人としても一角になれるよう指示されたけれど! 何であなた個人のお金儲けに使われなくてはならないの!」

 憤然として舞は怒鳴った。

「オレ個人じゃない。越前の民が豊かになるためだ。民が豊かになれば、それを聞き民も増える。その民もまた富む。それが成れば税を減らした上で国力が富む。残念ながら合戦には金がかかる。国を守るにも金がかかる。この越前カニと甘えび、蕎麦の流通が成れば、敦賀に来る蝦夷地の牡蠣や東北の名産の交易も視野に入れている。これはオレ個人の金儲けなどではない。越前の民のためなのだ。軽視してもらっては困る」

 舞は何も言い返せなかった。そして柴舟が静かに言った。

「舞、隆広様にお詫びせぬか」

「は、はい」

 舞は隆広に頭を下げた。

「考えもなしに口答えして申し訳ございません」

「分かっていただければよいのです」

 隆広はニコリと笑った。

「隆広様、『流行つくり』、確かに拝命しました。具体的な方法の指示はございますか?」

 と、柴舟。

「事はそんなに難しい事ではありません。三品を越前から持っていき、山城、石山、亀山、安土、そして堺でその地の民に食べさせればいい。三人が旅人か、その地の有力な人物に変装して美味しい美味しいとサクラになって行えばさらに効果はあるでしょう」

「かしこまりました、琵琶湖流通の航路確保などは私に任せて下さい」

「ありがたい、では当面の資金を後ほど届けます。ここはこれにて」

 

 源吾郎と三人は店先まで隆広を送り、隆広の背が見えなくなるまで頭を下げていた。そして柴舟が感嘆していった。

「まさか…初主命があんなものだとはな…。おそらく私が述べた忍びの高い作戦遂行能力を聞いて思いついたのであろう。大したお方だ。あれでまだ齢十六歳…恐ろしさすら感じてくる」

「…しかし父上、『流行つくり』なんて主命、我々はやったことが…」

「今からさっそく修練を始めよう。なに、お前たちなら一日も試行錯誤すれば立派なサクラになれる」

「私も誤解していた…。ずいぶん遠くまで見ていらっしゃるお方なのね」

 してやられたと云う感じの舞であるが、不思議と悔しさは感じなかった。すずはずっと隆広の立ち去った方角を見ていた。

「すず、いや雪、どうしたの?」

 舞の言葉も右から左だった。

「凛々しいお方…」

「はあ?」

「い、いや何でも! さあ、琴、利八! がんばって立派なサクラとなりましょう!」

 

 隆広は城に上がり、主君勝家に『流行つくり』の件を報告した。

「なるほど、都への流通確保か」

「はい」

「しかし…カニや甘エビといえば痛むのが早い。大丈夫か?」

「それも考えてあります。幸か不幸か、越前は雪の国です。朝倉の時代から九頭竜川の上流に清流を引き入れて作った氷池や竪穴式保存小屋(氷室)が、所々に点在しています。当初は民の作りましたこの二つから氷を分けてもらうことと相成りましょうが、今年の冬季から我々の手でもそれを作れば氷の確保は容易です。氷も都では貴重品。海産物と共に越前の名産となるでしょう」

「うむ、見事だ。いかほど入用だ?」

「いえ、それがしの忍びたちも始めて行う主命ですし、氷の件もまだ机上に置いたままの事です。何よりそれがしが殿への許しもなく勝手に進めてしまった事で、加えて成功の可否も分からない状態ですから今回はさえを説得して私の貯金から出します。一度二度成功した上で改めて本格的な資金を頂戴したいと存じます」

「かまわぬ、勝敗は兵家の常と云うであろう。新しい試みをするたびに臣下に自腹切らせては、新しい事を試みる者がいなくなるではないか。金は出す。また現場指揮官がいちいち主君に許しを得ていたら時間がいくらあっても足りぬであろう。そんな事は気にせず、失敗を恐れずにやってみろ」

「は、はい!」

 

 源吾郎の店に勝家から受けた資金を届けた。店の奥の方では舞の『美味しい!』と云う白々しいセリフが聞こえてきた。どうやらサクラの訓練中らしい。店先で源吾郎と隆広が会っていた。

「こんなに…よろしいのですか?」

「うん、殿も事のほか喜んでくれていた」

「そうですか! 氷の件は私にお任せ下さい。そして…これだけの資金があれば里からあと十人は忍びを呼べます。彼らにも『流行つくり』を任命しますので」

「いえ、それはダメです。あくまで担当はあの三名です」

「しかし…それでは逆に資金が余ってしまいますが…」

「その時は次の『流行つくり』に回して下さい。たまたま資金が余裕あるほどに確保できたからとは云え、担当者を増やしては三人も不愉快でしょう。私の忍びがあの三名だけならば、この『流行つくり』で彼らのチカラを見てみたい意味もあります」

「『事は何事も一石二鳥でなくてはならぬ』ですね」

「そう、父隆家の教えです」

「かしこまいりました。あの三人もいっそう気合を入れるでしょう。成果にご期待下さいませ」

「頼みます」

 

 隆広は掘割の現場に一度立ち寄り、工事の経過を見るとそのまま家に帰った。

「ただいま~」

「お帰りなさいませ!」

 玄関で隆広の刀大小を渡されながら、さえが訊ねた。

「珍しいです。お昼に戻られるなんて」

「いや、もう掘割工事も兵士の教練も、オレがいなくても大丈夫だからな、ははは」

 隆広は苦笑しているが、それこそが理想的な人の使い方ではないかとさえは感じた。現場指揮官がいなくても誰も怠けず仕事や訓練に励み、そして成果を出す展開に持っていったのは、まぎれもなく隆広なのであるのだから。

「ところでさえ。昼食を食べたら父の墓地に付き合ってくれないか?」

「分かりました。ではお食事と墓参の準備をいたしますから、しばらくお待ち下さい」

「うん」

 

 昼食後、隆広とさえは父隆家の眠る寺へと向かった。いつものように隆家の墓を掃き清め線香をあげて酒を供えた。合掌を終えると隆広が言った。

「さえ、隣のお墓も掃き清めよう」

「え?」

 それは今までなかった新しい墓だった。その新しい墓にさえは気付いていたが、特に気に留めていなかった。しかし様式は隆家の墓と同じ笠のついた木材の墓標である。

「お前さまに縁のある方のお墓なのですか?」

「墓標の背に書いてある俗名を見てごらん」

「あ、はい…」

 さえは墓標の背を見た。

「……!?」

「さえのお父上、朝倉景鏡殿のお墓だよ」

「お、お前さま…」

「以前に務めていた兵糧奉行の成果の褒美、その一部にこの墓の敷地と墓標をいただいたんだ」

 さえは墓標を愛しそうに触れ、そして泣いた。

「う、ううう…」

「十六歳の誕生日、おめでとう、さえ。妻への贈り物にしては華やかさに欠けるだろうけど、これしか思いつかなかった。今は父隆家の墓と同じく少し貧相だけれど、今にもっと立派なお墓を建ててやるからな」

「…嬉しゅうございます。これで十分です…」

 さえは嬉しくてたまらなかった。父の墓を本当に作ってくれたこと。そして言ってもいなかった自分の誕生日を知っていたこと。後から後から涙が出てきて止まらなかった。

「さえ、寺の和尚に改めて葬儀を頼んである。掃除を終えたら本殿へ行こう」

「は…い…」

 さえはやっと泣き虫をおさめて墓を清めた。嬉々として父の墓を掃除するさえ。だが隆広の贈り物は、まだこれで終わらなかった。

 

 二人は寺に向かった。かつて隆広の養父隆家の葬儀も行った寺である。

「水沢様、お待ちしておりました」

 住職である和尚が出迎えた。

「和尚、あれを妻に見せてあげてください」

「かしこまりました」

 和尚は奥に向かった。

「…? お前さま、あれとは?」

「今に分かるよ、さ、本殿に入るぞ。ここの和尚のお経は長くて有名だが小用は済んでいるか?」

「んもう! 子供扱いしないで下さい!」

「ははは、じゃ行こうか」

 

 本殿に入ると、簡素だが葬儀の用意がされていた。和尚が隆広に言われていた『あれ』を持ってきた。

「それでは奥方様、お改めを」

「……!!」

 それは焼けた竹の棒の軍配、鞘の焦げた脇差、汚れた鎧兜と陣羽織、破けた小母衣、そして骨壷だった。

「この軍配と脇差…! 陣羽織と鎧兜! 南蛮絹の小母衣! 父上の!」

「そうだ、なんとか見つけたよ」

「…お前さま…!」

 おさめた泣き虫がまだ爆発してしまった。

「言うまでもないが、さえのお父上は越前大野郡の領主だった。最期は…とても気の毒ではあったものの、領内では善政をしいた名君で領民にはとても慕われていた。一部の領民は朝倉を裏切ったと門徒と共に蜂起したが、それでも慕う民の方が多かった。だから考えた。景鏡殿の最期の場所となった平泉寺。この周辺の領民で、もしかしたら騒ぎのあとに同所を訪れ、景鏡殿の遺体や遺品を持ち去り、弔った者がいるのではないかと」

「ぐしゅぐしゅ」

 泣いていて返事は出来ないが、さえは何度もうなずいて答えた。

「オレが大野郡の開墾もやったのは知っているよな。その時に集まった周辺の領民に訴えた。『朝倉景鏡殿の遺体や遺品を平泉寺から持ち帰った者がいるのなら教えて欲しい』と。しばらくすると名乗り出てくれた民がいた。そして差し出されたのがそれだ。正直遺骨まで見つかるとは思わなかった。残念ながら首はなかったそうだが…その遺体を持ち帰り荼毘にふして弔ってくれたそうだ」

「う、ううう…」

 さえは父の陣羽織を胸に抱いた。

「遺骨は改めて本日に埋葬し、遺品すべて修繕して水沢家の宝とする」

 何度も何度もさえはうなずいた。

「ほら、鼻水をふけよ。和尚がお経に入れずに困っているだろう」

「んもう! お前さまがさえを泣かせるからいけないのです!」

「分かった分かった、ほらチーンと」

 隆広の手にあるちり紙へ素直に鼻をかむさえ。そして違うちり紙でさえの涙を拭く隆広。

「…さえのお父上が世間で言われているような悪い武将ならば、この遺骨と遺品は残らなかった。生前の景鏡殿がいかに領内を思いやる領主であったか領民はちゃんと分かっていたんだ。父上を誇りに思えよ、さえ」

 静まりかけた泣き虫がまた爆発してしまった。今度は隆広の胸で泣いた。

「やれやれ、お父上もさぞや目のやり場に困っておろうて…」

 和尚は苦笑した。そして骨壷だけ拝借して神棚に供え、お経に入った。しばらくしてようやくさえは泣き虫がおさまり、改めて神棚に合掌した。

 おおよそ日本の歴史の中でも戦国武将の妻たちほど苛酷な運命に弄ばれた者たちはいない。人質になったり、落城の炎の中で自刃したり、合戦に負けて捕らえられれば敵の雑兵に陵辱を受けたり、時に骨肉相食む運命の岐路に立たされたりと、現代では想像もつかないみじめな目にあっている。

 だが、そういう戦国の女たちの中でも、さえは抜群に幸せな妻だっただろう。当時の武家社会では珍しく好き合った上で夫と結ばれ、そして夫は同じ歳の妻をこれでもかと云うくらいに大切にしたのである。

(父上…さえは今すごく幸せです。こんな素晴らしい人と夫婦になれて…)

 隆広も目をつむり、お経を整然と聞いていた。その時だった。不思議な声が聞こえた。幻聴だったのか、それとも単なる気のせいか、確かに隆広に聞こえたのである。

(…婿殿ありがとう、娘を…さえをよろしく頼みますぞ)

 その声に一瞬ポカンとした隆広。だが心ですぐに返事をした。

(お任せ下さい、義父上)

 隣にいる妻の顔を見て、隆広は冥府の義父に約束するのだった。




この時代、誕生日を祝う習慣など無かったかもしれませんが、それは言いっこなしですぜ、旦那!


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小松城の戦い(前編)

 隆広の自宅、居間の床の間に朝倉景鏡の鎧兜と陣羽織がデンと飾られた。今まで隆広の鎧兜と陣羽織が置いてあったが、それは隆広自室の床の間に置かれた。破れていた父の陣羽織をさえは繕い、鎧兜もせっせと修繕し、今はピカピカに磨かれて床の間に飾られていた。南蛮絹の小母衣がより彩を添えて、堂々とした鎧兜であった。

「しかし何だなあ、こう義父上の鎧が飾られていると、居間でさえとイチャイチャしずらいなあ」

「そんなことはありません。仲良くしているところを見ると父上も喜んでくれます」

 意を得たりと、隆広はニコニコしてさえを見た。

「そうか、ならばイチャイチャしよう」

「そ、そんなずるい! さえからイチャイチャする口実を言わせるなんて!」

「いいじゃないか、ほらヒザ枕をしてくれよ」

「んもう…」

 さえのひざに頭を置く隆広。

「ああ、気持ちいい」

 さえもまんざらでもなく、隆広の髪と額を優しく撫でる。そしてついでにさえのお尻を撫でようとしていた隆広の手をつねった。

「イタタ」

「うふ♪」

 

「ごめん」

 門に客が来た。

「あ、お前さま残念でした。お客様です」

 さえは自分のひざの上にある隆広の頭を退かし、クスクスと笑いながら玄関に駆けていった。

「…ふむう、あの声は源吾郎殿か。まったく間が悪いなあ」

 源吾郎は居間に通された。

「水沢様にあってはご機嫌うるわしゅう」

「源吾郎殿も。さえ、お茶を」

「はい」

「…ほう立派な鎧兜と陣羽織ですね。水沢様のですか?」

 床の間にある景鏡の鎧を源吾郎が見た。

「いや、それがしのではございません。妻ゆかりの人物の鎧なのです」

「左様でございますか。所々を修繕しておいでですが、とても丁寧な仕事。奥方様がその人を思う心が伺えますね」

 源吾郎はそれ以上聞かなかった。鎧の状態から纏っていた者はすでに亡くなっていると察するのは容易であるし、何より陣羽織と鎧兜の様式を見ると、身分の高い武将の物と思えたからである。きっと浅井か朝倉ゆかりの武将と源吾郎は思った。

「粗茶ですが」

 さえが源吾郎に茶を出した。

「恐悦に存じます」

「それでは私は別室に控えていますので、ご用がありましたら」

 さえは二人にかしずき、部屋から出て行った。

「隆広様、『流行つくり』でございますが」

「はい」

「お喜び下さいませ。大成功です。敦賀港と北ノ庄に京や堺から越前カニ、甘エビ、越前蕎麦に注文や問い合わせが殺到しておりますぞ」

「そうですか!」

「しかも、あの三人は京の『茶』と堺の『硫黄』を越前に定期入荷することにも成功しました。いやはや私などより優れた商人に化けてしまいました」

「ははは! それはすごい! 京の『茶』や堺の『硫黄』と言えば、有名ではないですか」

「はい、売るだけではなく仕入れもやってくるとは予想もしていませんでした」

「三人にはたんまりと恩賞で報いなければならないですね」

「とんでもない! 一つの任務のたびに恩賞など渡していたらクセになりますぞ。賃金は定期的に私から」

「いやいや、成果が普通ならそれでいいですが多大な成果なら恩賞で報いなければなりません。先に殿からお預かりした資金の一部を恩賞として渡します」

 と、隆広と源吾郎が用談していると…

 

 ドン、ドン、ドン

 

 北ノ庄城の方から太鼓の音が聞こえた。

「ん?」

「隆広様、あれは臨時の評定の合図では?」

「そのようです。では源吾郎殿、『流行つくり』についての細かい報告は後日それがしから伺い聞きます」

「かしこまりました」

「さえ、出かけるぞ!」

「はい!」

 隆広は急ぎ、城へ向かった。

「何かあったのかな…」

 評定の間に隆広は到着した。府中三人衆の前田利家、佐々成政、不破光治、丸岡城を預かる柴田勝豊、加賀大聖寺城を預かる毛受(めんじゅ)勝照には柴田勝家からの命令書を持つ使者が出ていた。急な評定だったので柴田家に仕える城持ち武将たちは顔を出していない。

 城の評定の間には北ノ庄に居を持つ家臣団が集まった。佐久間盛政、徳山則秀、拝郷家嘉、中村文荷斎、可児才蔵、金森長近、そして水沢隆広である。彼の側近である前田慶次、奥村助右衛門、石田佐吉は別室で待機していた。

「みな揃ったな」

 柴田勝家が城主の席に座った。

「「ハッ!」」

「ふむ、大殿から小松城攻略の主命を受けた」

「いよいよ加賀攻めでございまするか!」

 いきり立つ佐久間盛政は手に拳を当てた。

「いや本格的な加賀攻めではない。加賀大聖寺城はすでに我らの手にあるし、小松城を落とせば残る加賀の城でめぼしい城は金沢御殿と鳥越城のみとなる。今の我らの兵力では残る二つの城までは落とせない。ならば最初に小松を落とし、そこを加賀攻めの総仕上げの前線拠点とするのだろう。現在、ワシの忍びが小松城を内偵中だがじきには兵力のほどが分かる。

 また小松の西にある加賀御殿、加賀門徒の総本山だが、現在上杉と小競り合いを起こしているゆえ、そちらからの援軍はない。加賀御殿の支城小松を落とし、いずれ鳥越、加賀御殿と落とすつもりである。本格的な加賀攻めに至る大事な合戦だ」

「なるほど」

「隆広」

「はっ」

「小松城で何か知っていることがあったら述べてみよ」

「はっ、では僭越ですが…小松城は南加賀一向衆の豪族、若林長門殿が笹薮を払って、朝倉氏との戦いのために築いた城砦で、小松平地を蛇行する悌川(かけはしがわ)と、前川の合流点西方に位置し、沼地を活用した平城でございます」

「大した勉強家だな。今聞くと伊丹城と似た地形だが、また水攻めでも具申するのか?」

 佐久間盛政が嫌味まじりに言った。

「…梯川は大きい河川ですから水量は問題ありません。しかし伊丹の時は山間の川で水は止められましたが、梯川流域は平地ゆえに堰が作れません。不可能です」

(なんでそんなに嫌味タップリに聞くのですか…!)

 

「ふむ、よう分かった。出陣は明後日の明朝、府中勢と大聖寺城勢も組み入れ、計一万六千で小松城に進発する。先鋒隊は一陣佐久間盛政、二陣佐々成政、三陣前田利家、四陣毛受勝照、五陣不破光治。後方隊の一陣は水沢隆広、二陣可児才蔵、三陣徳山則秀、四陣金森長近、そして総大将のワシだ。柴田勝豊と拝郷家嘉には越前の留守居を命じる。また水沢隆広隊には兵糧奉行を兼務させる。以上だ。各将、出陣に備えよ。」

「「ハハッ!」」

 別室で待機している助右衛門たちの元に行った。

「隆広様、軍議は?」

「ああ、小松城を攻めると決まった。明後日の朝に出陣だ。慶次と助右衛門は準備を頼む。また我が隊は兵糧奉行も兼務する、佐吉、オレより一足先に穀蔵庫へ行って兵糧を確保してくれ。勘定方に三千貫取り付けておいたから頼むぞ」

「「ハッ!」」

 助右衛門、慶次は急いで錬兵場に向かい、佐吉は穀蔵庫に走った。

(出陣か…。今度は寄騎ではなく軍団長で出陣だ)

 

「ふん、偉くなったものだな。部下に出兵の準備を一任か」

「佐久間様…」

「せいぜい『歩』の旗に恥じない戦いをすることだな」

「言われなくても…!」

「ふん」

 盛政は立ち去った。隆広は床をチカラ任せに蹴った。

「人の顔見れば嫌味ばかり!」

「これこれ、殿の居城を蹴るとは何事か」

「あ、文荷斎様! す、すみません、つい」

「まあ見なかったことにしよう。実はいつも留守居であったワシであるが、今回の戦いでは隆広の軍監を務める事と相成った。よろしくな」

「本当ですか! 文荷斎様が!」

「まあ軍監とはいえ、そなたの戦いぶりにアレコレ言う気はないのでな。そう構える事もないぞ」

「はい!」

「さ、そなたも錬兵場に赴くがいい。大将がいるいないでは士気の上がりも違う」

 

 隆広も錬兵場に向かった。各軍団があわただしく合戦の準備をしていた。明後日の出陣とはいえやることはたくさんある。弓隊、鉄砲隊、槍隊等の兵役の分割。軍馬の確認、各装備の点検、その他軍事物資の調達などめまぐるしい。助右衛門はそういった軍務能力に長けていたので、それは円滑に進んでいた。

「おお、御大将だ!」

「いよいよ水沢隊の本格的な初陣でございますね!」

 歩み寄ってきた隆広に兵士が気合を込めて挨拶をしてきた。

「オレにかまわず、助右衛門の命に従い準備をしてくれ」

「「ハッ」」

「隆広様」

「助右衛門、軍馬と鉄砲はどれだけ確保できた?」

「はい、軍馬三百、鉄砲二百にございます」

「そうか、槍による歩兵隊と弓隊が中心になりそうだな」

「御意」

「兵役(槍隊、弓隊、騎馬隊、鉄砲隊と分ける事)は終わったのか?」

「はい、すでに今までの訓練で各兵の長所は分かってございますれば、すぐに終わりました。しかし問題は兵糧の運搬です。我らだけでは全軍の兵糧は運べませんぞ」

「そうだな…問題はそれだよな…」

 

「隆広様―ッ!」

 慶次が走ってきた。

「おい慶次! 人にばかり仕事押し付けてドコ行っていた!」

「そう言うな助右衛門、ああいう軍務はお前の方が長けているではないか」

「まったく…で、どうした?」

「隆広様、さっき助右衛門と兵糧運搬について話したのですが、どう考えても我らだけでは手に余ります。ない袖は振れませんから他の隊から運搬兵だけ借りてまいりました」

「それはありがたい!」

 慶次の手を両手で握る隆広。

「驚いたな、お前がそういう交渉事済ませてくるなんて」

「なんだァ助右衛門、そういう言い方だとオレが槍働きしか出来ない猪武者に聞こえるぞ」

「い、いや、そういう意味ではないのだが。で、どの隊から何人ほどだ?」

「佐久間隊はダメでした。『隆広に兵を貸せるか!』で、終わり」

「まあ…そうだろうな」

 ショボンとする隆広。

「まあまあ、でも金森隊から五百、徳山隊から三百借りる事が出来ました。計八百です。これならば」

「ああ、十分だ」

 

「隆広様―ッッ!」

「お、佐吉だ」

「ハアハア、兵糧五万石、確保してきました」

「お疲れさん、五万と云うと柴田勢一万六千の兵、およそ三月分か。足りるかな」

「しかし、それ以上だと肝心の城の蓄えが」

「確かにな…小松が三月で落ちなければ負けだな」

「隆広様、心配ならば勝家様に一度報告しては?」

「そうだな、よしちょっと行ってくる。慶次と助右衛門は軍務を続けてくれ。佐吉は運搬の荷駄とそれを運ぶ馬の確保を頼む!」

「「ハッ」」

 

 隆広は城へ向かい、勝家に報告した。勝家の傍らには隆広の軍監となった中村文荷斎もいた。

「三月か」

「はい、それ以上は北ノ庄から持っていけません。留守隊にも十分な米を残しておかなければ」

「分かった、何とか三月以内に落とそう。あとワシの忍びから報告が入った。小松の兵力であるが五千だそうだ」

「五千…こちらは一万六千とはいえ城に篭られたら手こずりそうですね…」

「また兵糧は潤っているとある。加えて加賀御殿の門徒が小松を助けるため兵を割いて出向いてくる可能性もなきにしもあらずだ。モタモタした城攻めはできん。三月と言わず短期決戦だな、お前ならどう攻めるか?」

「小松城を直接見ていないので何とも言えませんが、やはり小松を見て城の造りや周りの地形を観察して防御の薄い箇所を見出したうえの総攻めとなるでしょう。しかしそれだとこちらの犠牲も甚大です」

「ふむ…」

 隆広と勝家は腕を組んで考えた。傍らの文荷斎も何とかいい智恵を出そうと思うが中々浮かばない。

「殿、それがしが以前に安土に赴いた時に大殿からいただいた言葉ですが…」

「『女子供一人でも生かしておいたら、城を落としても認めぬ』と云うアレか?」

「御意、こちらがそういう攻め気と云うのは城を守る側にも伝わるはずです。敵も当然必死に抵抗します。城攻めは本来城側が降伏してくれば許して受け入れるのが暗黙の了解となっていますのに、門徒相手ではそれは出来ない事。古来、篭城戦守備側は物資と兵糧の備えあれば十倍の敵とも互角に戦えると云われていますし、いつ加賀御殿の門徒が背後から来るとも限りません。敵に援軍が来る可能性があるうえ、我らは敵の三倍にすぎません。即座に落とす必要がございます。いささか下策ですがこういうのはどうでしょう」

「申してみよ」

「はい、一向宗門徒は上は富んでいますが、下は貧しい。だから加賀の町で米を高値で買い占めます。そして隣の能登や越中では米は安いと噂を流します。そうすると、売った金で越中や能登の米を買い、その差額で利益を得ようとするでしょう。念を押して小松城の台所番にその米ころがしで大金を得たと吹聴すれば、必ずや台所番は米を売るはずです。手に入れた金で隣国から米を買わぬうちに我が軍が包囲。兵糧はカラの状態。士気は激減。空腹で敵兵のチカラ衰えるのを数日待って、それから総攻めいたします。買占めにて失った金も城を落とせば戻りますので兵も財も我が軍は失いませぬ」

 老臣の中村文荷斎は隆広の懸案にあぜんとした。

「…いい考えだが、それは却下だ」

「…やはり下策にすぎますか」

「言いたくはないがそうだ。隆広、勝つにも形がある。相手は篭城とはいえ五千、しかも武士ではない門徒だぞ。こちらは織田の精鋭で数は三倍の一万六千。それなのに何の攻撃もせずに兵糧攻めなどをしたら今後に強敵と戦う時に何とする。他の大名たちは織田北陸部隊の我らを侮り、この越前に押し寄せてこよう」

「は…」

「中々の策であるのは認める。伊丹の時のように、お前が総大将の時は使ってみるがいい。だが今回の戦の指揮官はワシである。今お前の申した策を用いれば小松を落とせるだろうが、ワシはそういう戦は好かぬ。心得ておけ」

「はい!」

「とはいえ、攻める作戦も小松を実際に見ない事にはな。だが我が軍の時間は三月しかない事はよう分かった。何とか短期で落とすよう現地で作戦を練らねばなるまい。もうよいぞ、下がれ」

「は!」

 隆広が勝家の部屋を出ると、中村文荷斎が追いかけてきた。

「隆広よ」

「文荷斎様」

「気を落とすでない。本当に名案であったぞ、ワシが勝家様なら入れていた案じゃ」

「ありがとうございます」

「しかし、勝家様はああいうお人じゃ。だから人がついてくる」

「はい、立場上考えを進言しましたが、それがしもああいう殿が大好きです」

「ん、何とか柴田の戦ぶりで小松を落とそう」

「はい!」

 

 この水沢隆広の兵糧攻めの方法を伝え聞き、実際に使ったのが羽柴秀吉である。隆広は数日の間だけ兵糧攻めにし空腹で相手のチカラを削いだうえで総攻めと考案したが、秀吉のやりようはさらに苛烈で、織田に叛旗を翻した別所長治の三木城、毛利攻めにて鳥取城を攻めた時、敵兵が死肉を食べるまで追い詰めるという残酷なものだった。

『ワシは人を殺すのは好かん』と公言している秀吉であったが、敵側にとってはむしろ鉄砲か弓矢で死んだほうがマシであったろう。『羽柴筑前は鬼みたいなヤツだ』と兵糧攻めの生還者は述懐していると云う。

 しかし柴田勝家はこういう戦法は好まない。合戦前の調略等の根回しも好まない勝家。根っからの武人の勝家には戦場で戦って勝つ事こそが武士道なのである。一部の歴史家が『それが勝家の限界』とも辛らつに述べているが、そんな勝家だからこそ裏表の無い優れた者が惚れてくる。水沢隆広もその一人である。

 しかし、この小松城の戦いは隆広にとってつらい事が待ち受けていたのである。



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小松城の戦い(後編)

 柴田勝家率いる軍勢一万六千の兵は、大聖寺城を橋頭堡に一向宗門徒五千の篭る小松城に攻め寄った。隆広は勝家本隊と共に後詰として位置していた。

 そして小松城に到着した当日、小松城の東に沼地があり、敵方が寄せようのない事から城の東方は警備と防備が手薄と判明した。沼地の水深は比較的浅いので、夜のうちに木板や筏を沼地に並べるように浮かせて侵入経路を作り、そこから攻めてはどうかと云う隆広の意見が通った。

 翌日に佐久間盛政隊、佐々成政隊、前田利家隊、毛受勝照隊、不破光治隊が城に一斉攻撃を仕掛けると勝家が決定した。

 その夜間の作業は隆広が指揮を執る事になり、隆広は本陣をあとにして全軍の工兵を集めた。

「翌朝になって敵に仕掛けがばれては何にもならない。今のうちから木々の伐採にかかってもらい、夜間で沼地の水面を板と丸太で覆いつくす。そして夜が明ける前に夜襲をかける。こたびの合戦、そなたら工兵にかかっているぞ!」

「「ハハッ」」

 

 時を同じころ、柴田勢本陣。

「申し上げます!」

「うむ」

「敵軍勢、二千で討って出てきました!」

「向こうから出てきたか! よし、備えていた先鋒の盛政、成政、利家、勝照、光治の軍勢に当たらせよ!」

「ハッ!」

 

「申し上げます!」

 本陣から離れた隆広の本陣、戦闘状態に入った事が伝令により報告された。

「戦闘状態に入ったと?」

「はっ 小松勢が城から討って出て参りました!」

 状況が変わった。もはや隆広の城攻めの策は使うに適さない。

「そうか…。佐吉、工兵に伐採は中止し各備えに戻れと伝えよ」

「はっ」

「で、討って出てきた敵勢の兵数はいかほどか」

「二千ほどにございます」

「二千…?」

「はい、そして討って出てきたものの柴田の陣容を見てすぐに退きました。すぐに追撃しておりますが、敵勢と共に小松城に雪崩れ込めるのは必定かと」

 隆広はそれを聞くとすぐに本陣の軍机に置いてある地形図、そして勝家の忍びが掴んだ小松城の簡略図を見て軍机に扇子を叩きつけた。

「バカな! すぐに先鋒隊を退かせろ! 罠だ!」

「は…?」

「急ぐのだ! 先鋒隊が全滅する!」

「は、ははッ!」

「慶次、伝令兵一人では止まるまい、そなたも行け。松風の迫力ならばたいていの馬は止まる。大手門をくぐったら最期だと脅してまいれ!」

「ハッ!」

 前田慶次はすぐに陣幕を出て、自分の手勢を率いて先鋒隊に向かった。

 

 隆広はそのまま頭を抱えて軍机にもたれた。

「隆広様…罠とは? しかも全滅とは…」

 奥村助右衛門が尋ねた。

「この小松城の図面を見ろ」

「図面…?」

「大手門を越えると広大な空地がある。オレが城主ならば、ここに落とし穴を掘り、城に引き入れて敵の軍勢を落とし、身動きが取れなくなったところに一斉射撃をして駆逐する」

「隆広様、そんな奇計を考え付くのは隆広様だからでございましょう。敵将の若林長門がそんな高度な策を扱えるとは…」

「…佐吉、合戦は常に最悪の事も考えなくてはならない。オレの危惧がハズレならば、それが一番いい。しかし的中した場合先鋒隊は全滅する。落とし穴に落ちたら鉄砲などいらぬ。弓矢で全軍ハリネズミだ」

 水沢軍の軍監を務める老練の中村文荷斎も小松城の簡略図をしばらく眺め

「おそらく隆広の危惧は当たりじゃろう。隆広、永福(助右衛門)も向かわせて止めたほうが良かろう」

 と、意見を同じくした。

「はい! 助右衛門頼む!」

「承知しました! 奥村隊ついてまいれ!」

「「ハハッ!」」

 

「よし! 敵は引くぞ! このまま小松に雪崩れ込め―ッ!」

 佐久間盛政と佐々成政は有利を確信して、敵勢を追撃しながら小松の大手門をくぐった。

「……ッ!」

 

 ドドドドッッ!

 

「なんだこれは!」

「うわあッ! 落とし穴だ!」

「助けてくれ―ッ!」

 

 佐久間盛政隊、佐々成政隊がそんな状況とは知らず、前田利家、不破光治、毛受勝照隊も大手門に迫りつつあった、その時。

 

 ドンッ

 

 前田慶次が先鋒の前田利家隊の先に回りこんだ。そして松風が脅威の眼光を持って将兵の乗る馬を見た。馬は恐怖で凍りつき、一斉に止まった。急に止まり落馬する者が相次いだが、利家、光治、勝照は馬の首を掴んでこらえた。

「なにをするか慶次!」

「叔父御! そして先鋒を務める各将よ! 我が主君隆広の言葉を伝えます。『大手門をくぐれば最期だ』と!」

「さ、最期? それはどういう意味か」

「さあ、そういう指示でございますので」

「さ、さあとは何だ! キサマそんなあやふやな指示でこの攻撃の好機に横槍入れたのか!」

「利家様!」

「助右衛門…」

「ハアハア、すいません。詳細を伝えます」

 奥村助右衛門は利家、光治、勝照に隆広の意図を説明した。ようやく理解を示した三将。

「確かに…敵にそんな備えがあったら我らは壊滅だ。しかしそれは想像の範疇であろうが! 今ごろ雪崩れ込んだ軍勢は後につづく我らが来ずに苦戦しているかもしれぬのだぞ!」

 と毛受勝照が助右衛門を叱った時だった。大手門から命からがら逃げてきた兵がいた。

 

「お、お引きを! 敵に策がありました! 大手門をくぐった直後に落とし穴にはまり、狙い済ましたように城壁から雨のような矢が! 佐久間隊、佐々隊壊滅にございます!」

「なんだと…!」

 助右衛門を叱っていた毛受勝照は絶句した。

 

 ダーンッ!

 

「ぐあ!」

 利家たちに先手の凄惨を伝えた兵は狙撃により絶命した。

「なんとしたことだ…! こんな二流の策にひっかかるとは!」

「前田様―ッ!」

 隆広が兵をつれてやってきた。

「おお、隆広!」

「前田様、不破様、毛受様! ここは大手門周囲を包囲して鉄砲と弓矢で敵を牽制して佐久間隊と佐々隊の救助をする以外にありません!」

「分かった! よいか! 前田、不破、毛受の各隊は水沢隊の指揮下に入る! 飛び道具を持つ者は大手門周辺に配備! 騎馬隊は馬から降り盾を持ち射手の防備! 歩兵は佐久間隊、佐々隊の救助に入れ!」

「「ハハッ!」」

 

 大手門周辺の激闘が始まった。隆広は鉄砲と弓を交互に撃たせ、城壁の射手を狙撃した。こうなると柴田軍の方が数は多い。城壁の上にある射手はバタバタと倒れていった。

 当然、この様子は本陣の勝家に伝わった。

「佐久間隊と佐々隊が壊滅だと!」

「はっ 辛うじて前田隊、不破隊、毛受隊は水沢隊の制止が間に合い難を逃れましたが佐久間隊と佐々隊はほぼ壊滅!」

「なんということじゃ!」

「現在、大手門周辺で水沢隆広様指揮の元に攻撃中!」

「よし! ワシも討って出る!」

「なりませんぞ殿!」

「ええい止めるな文荷斎! だいたいキサマ、隆広の軍監であろう、ここで何をしているか!」

「隆広は、『状況を知れば殿は出てくるに違いない。それを止めてください』とそれがしに頼みこちらに寄こしました! 今のそれがしの主は隆広にございます。その命令に従わなくてはなりませぬ。絶対に殿をここから出しませんぞ!」

 

 佐久間隊と佐々隊の救助に向かったのは隆広の兵である。城門をくぐると同時に槍が襲ってきたが、隆広は弓隊の盾隊を槍隊と行動させた。盾隊は鉄砲の弾さえ通さない鉄板を張った大盾を渡されている。ふいをついてきたが、それは盾に封じられ、逆に隆広の兵たちの槍に突かれた。

 それを繰り返しているうちに大手門周辺から敵は後退していった。佐久間隊と佐々隊の生存者はわずか全体の六割程度。四割にも及ぶ犠牲者を出してしまった。盛政と成政は辛うじて生き延び、城外に助け出された。自分を肩にかつぐ兵士の旗指しを見て隆広の兵と分かると、盛政は悔しさで一杯になった。一番助けられたくない男に助けられたと思ったからである。生存者すべてが城外に連れ出されたと隆広に伝えられると

「どんな巧妙な罠も成功しなければ裏目に出る。開放済みの大手門から一気に攻め入る。本陣に本隊、可児隊、徳山隊、金森隊の加勢を要請! 一気に本丸に突撃する!」

 と号令した。

「「オオオッッ!!」」

 

 小松城は落ちた。城主の若林長門は金沢御殿に逃げ延びた。大手門で勝家はその報告を受けて追撃を命じたが、早い時期に彼はすでに逃げていたので追いつけなかった。落とし穴に伴う奇計は時間稼ぎであったのだろう。小松勢の犠牲者はまたも名もない門徒である。

 城下の長屋も火に包まれた。それを指示したのは隆広である。もはや抵抗するチカラをなくした門徒たちが捕らわれていく。着物が乱れた女が死んでいた。おそらく柴田の兵士に陵辱されたのであろう。その女の死体の側に二人の童がいた。小さい妹は母の亡骸にすがりついて泣き、その兄と思える童は悔し涙と鼻水を流して隆広を睨んでいた。隆広はその視線から目を逸らさなかった。いや逸らせなかった。

 小松城を占拠し、そして勝どきをあげる柴田軍。だが隆広の顔には笑顔はなかった。

 柴田勝家は小松城に残る者の殄戮(『てんりく』殺し尽くす事)を隆広に命じた。下命の時、

「良いか、大殿の『女子供一人でも生きていた場合は城を落としても認めぬ』と直にそなたは聞いたのだ。わかっておろうな、殄戮せよ!」

 と厳命した。この戦いには信長直属の戦目付けも柴田本陣にいる。ごまかしなど利かないのである。隆広の繊細で優しい気性を知る前田利家や不破光治は『隆広では逃がす可能性がある。あいつの優しい性格では無理』と考え、我々の隊がやると名乗り出たが、『過保護じゃ』と勝家に一喝されてしまった。隆広にとり、ここまで敵を殲滅した合戦は初めてでもあった。そしてその指揮を自分が担当したのも。

 

 隆広と助右衛門が城下の家に入ると、短刀を構えて震えている少女がいた。妻のさえと年ごろが同じで、その娘はさえが好む桃色の着物を着ていた。隆広の後ろに立つ奥村助右衛門が言った。

「どうします? 殺しますか、楽しみますか?」

「楽しむ…? 犯せとでも言うのか?」

「それが敗者の定めです。奥方以外の女は知らぬのでしょう? 楽しんだらどうです? 奥方には遠慮してできない行為も好きなだけできまする」

 助右衛門は隆広が戸惑うほど、日常クチにしない無慈悲な言葉をことさら娘に聞こえるように言う。娘は首に短刀を突きつけた。

「仏敵勝家の下っ端武将にこの身を汚されるくらいなら!」

「よ、よせ!」

「南無阿弥陀仏…! これで御仏の元に行ける…!」

 

 ザシュッ!

 

 娘は自ら首を切り裂いた。吹き出した血が隆広にかかる。

「バカな事を…! あたら花の命を何て粗末に…!」

 隆広はガクリと膝をついた。

「どのみち…陵辱された上の斬刑が娘には待っていた…。当家の雑兵に犯されることなく、自分で命を断てた分だけマシでしょう」

「助右衛門…!」

「『見逃すと云う選択肢があったではないか』と云う目ですな。だがそれはできません。確かに女は殺すものでなく愛でるもの。されど一向宗門徒に限っては別です。殄戮せぬ限り、血に飢えた敵の雑兵に恋女房を献じるのはいずれ我々になります」

「……」

「大殿に、門徒一人でも逃がしたら城を落としても認めぬ。そう言われておられるはずですな?」

「言われている」

「なら、ためらいますな。鬼になられよ」

「…分かった」

「さ、次の家に参りましょう」

 次の家には火の手が上がっていた。だが火の手をあげて、そのすきに逃げ出すと云う方法もありうるので隆広と助右衛門は家に入った。すると、そこでは二十人ほどの家族が集団自決をしていたのである。幼い子も、年寄りもいた。

「う、ううう…」

「生きているのか…!」

 隆広は苦悶の声をあげている者のところへ走った。その者もまた、さえと歳が同じ頃の娘だった。死にきれず、苦悶しながらも娘は自分に歩んでくる者がいることに気付いた。

「あ、あなたはお味方ですか…敵…ですか…」

「…味方だ、安心なさい」

『敵だ』と隆広は言えなかった。娘の苦悶の顔から安堵の表情が出た。

「どうぞ…とどめを…!」

「…分かった、今…ラクにしてさしあげる」

 隆広はうつぶせで横たわる娘の左肩をあげ、そこから心臓めがけて脇差を刺した。脇差を収め合掌し、隆広はその場を立った。

「次にいくぞ」

「…は!」

 隆広の指揮の元、潜んでいた門徒たちは見つけられ、ある者は斬られ、またある者は捕らえられた。味方の家族たちのため、領民のため、隆広は鬼になるしかなかった。

 勝家は『降伏も許さず斬れ』と命じている。それほどに『南無阿弥陀仏と唱えて死ねば極楽に行ける』と盲信している一向宗門徒の狂気を恐れていたのである。義将と呼ばれる上杉謙信でさえ、一向宗門徒との戦いでは殄戮を迷わなかったと言われている。

 

 捕らえられた者たちの処刑が始まる。小松城の錬兵場でそれは行われる。勝家が見分の元、どんどん処刑場に門徒たちが連行されてきた。勝家のすぐ横に隆広は座らされた。兵が報告に来た。

「殿、捕らえました門徒たち。おおよそ数百人と云うところです。他に潜んでいた者たちは水沢様指揮の元に殄戮いたしてございます」

「ふむ、隆広ようやった」

「…はっ」

「あとは捕らえた者たちを見せしめのため処刑するだけじゃ。織田家に矛を向けたらどうなるか門徒も少しは理解しよう」

 連行されてきたのは負傷兵、そして女子供と年寄りたちだった。女の中には全裸の上、大腿部に血を垂らして歩かされている者もいた。おそらく隆広の兵以外の雑兵たちが陵辱したのだろう。心身傷つき、焦点の定まらない目。その女は勝家の前で立ち止まった。

「おのれ…柴田勝家! 人面獣心の悪鬼羅刹! 末代まで織田と柴田に祟ってくれようぞ!」

 憎悪のまなざし、そして血を吐くように恨みを叫ぶ女。勝家は視線を逸らさなかった。

「斬れ」

「地獄の鬼になって! 永遠に柴田に祟り続ける!」

 

 ズバッ

 

「ギャアアアッッ!」

 隆広は目を背けた。連行されてきた女たちは老婆を除けば全員陵辱されていた。

 織田と柴田の軍規では略奪や陵辱が固く禁じられている。だが一向宗門徒相手には別だった。『犯すなり好きにせい』と許されている。だから柴田の兵は容赦なく若い娘を捕まえて集団で犯したのである。隆広の隊だけは相手が一向宗門徒であろうと略奪と陵辱は禁じているが、他の隊は違うのである。

「ひどい…あんなまだ初潮も向かえていないような娘まで…!」

 まだ十歳くらいの娘がボロボロの状態で連行されてきた。誰が犯したのかは知らない。だがそんな者が味方にいると隆広は信じたくなかった。

 処刑場に残る門徒すべてが連れてこられた。勝家はスッと立ち上がり指示した。

「皆殺しにせよ!」

「「ハハッ!」」

 

 さながら屠殺場のような処刑が隆広の眼前で繰り広げられた。始まって間もなく隆広は嘔吐を覚え、勝家の傍らから離れた。だが勝家は厳しかった。隆広の後ろに座っていた前田慶次に命じた。

「…慶次、連れ戻せ」

「はっ」

 

 処刑場の外で隆広は嘔吐していた。

「オエエ…」

「惰弱な!」

「慶次…」

「いかに傑出した軍才と行政能力があったとしても! そんな細い精神で乱世を生き残れるとお思いか!」

「もういい…! たくさんだ…!」

 慶次は隆広の言い分を聞かずに奥襟を掴んで処刑場にズルズルと引きずっていった。

「は、はなせ! 見たくない!」

「いや見なければならない! 見る義務が隆広様にはあるのです!」

 隆広はそのまま慶次に引きずられて、再び勝家の横に連れてこられた。

「見届けよ。これが戦よ」

「…殿」

 小松城攻め。隆広の一つの機転がもたらした勝利だった。だが隆広にはあまりにも辛い勝利だった。

 

 小松城代に徳山則秀が命じられ、柴田軍は北ノ庄に凱旋した。領民の歓呼の声に迎えられる柴田軍。さえは隆広を見つけた。『お前さま』と声をかけようとしたが、できなかった。他の将兵が勝ち戦で沸き返り、領民に手を振っているに関わらず、隆広だけ大敗でもしたかのように憔悴しきっていたからである。

 その隆広の後ろを進む助右衛門、慶次、佐吉も心配そうである。

「勝ったというのに元気がない。隆広様は勝った後の戦後処理で心を痛められたようだ」

「それを云うな助右衛門…。伊丹の時と今回の戦は違う。一向宗門徒が相手だ。根絶やしにしない限り、越前に平和はこない。勝家様とて辛かった決断だろう…」

「しかし慶次様…! 何も隆広様にやらせなくても…!」

「オレが勝家様でも隆広様に命じている。隆広様の最大の欠点は心がお優しすぎること。荒療治も必要だろう…」

「だからといって…! ああ、おいたわしい…!」

「もう泣くな佐吉。凱旋中だぞ」

 

 軍勢は錬兵場で解散し、隆広はトボトボと家路についた。笑顔で夫を迎えるさえ。三つ指を立ててかしずく。

「おかえりなさいませ」

「…ただいま」

「あらあら、そんな汚れて! 湯が沸いていますよ!」

「……」

 愛妻の笑顔を見た瞬間に、隆広はこみ上げる気持ちを抑えきれなくなった。

「さえ…」

「はい?」

「さえ…ッ!」

 隆広はさえを抱きついた。膝枕に顔を埋める。少し肩が震えていた。最初は驚いたさえだが、すぐに隆広を抱きしめた。

「つらいことが…あったのですね…」

「……」

「泣いてください、男だからって我慢する事はないのです。思い切り泣いてください」

 さえは少し嬉しかった。いつも自分を子ども扱いしていた夫が子供のように自分に甘えてくれた事が。弱みを見せてくれた事が。

 

 一方、勝家の妻のお市はと云うと

「隆広にそんなことをさせたのですか!」

「何をそんなに怒っているのだ」

 事を聞くと、市は憤然として勝家に怒鳴った。勝家の持つ杯に注ごうとしていた酒を引っ込めて酒瓶を畳にドンと置いた。

「あの優しい隆広に殄戮を命じるなんて! 今ごろどんなに心を痛めているか!」

「確かに内政においては、あの優しさはいいだろう。だが戦時においては命取りにもなる! ワシが意地悪な気持ちで命じたとでも思っているのか! 一向宗門徒相手には鬼とならねばならぬ。荒療治が必要だった」

「ですが、悪夢にでもうなされて立ち直れなくなったら…!」

「そんな弱い男に隆家殿が養育するものか。しばらくは沈んでいても必ず立ち直るわ」

『酒!』と云わんばかりに杯を市に出す勝家。

「殿…」

「心配いらぬ。さえもおるし、助右衛門たちもついている。何よりあやつはワシらの…」

 少しの微笑を浮かべ、勝家は市に注がれた酒を飲み干した。

 

「もう泣き虫は静まりました…?」

「うん…。少しみっともなかったけれど思い切り泣いてスッとしたよ。ありがとう、さえ」

「ううん、少し嬉しかったです。だってお前さまが子供のように…うふ♪」

「偽善の極地だけれど…加賀も越前も、そして日の本からも戦をなくして平和な世にすることが…オレが手を下した人々への唯一の償いのような気がする。そう信じて働くよ。殿のために、北ノ庄の人々のために、そしてさえのために」

「お前さま…」

「さあ、明日からまた行政官に逆戻りだ。忙しくなるな」

「はい」

「だから、もう一回…」

「んもう…何で、それが『だから』に繋がるのですか? 助平…」




作中にある「あなたはお味方ですか、敵ですか」に対して隆広が「味方だ」と云うシーンは、あの大型時代劇白虎隊から使わせてもらいました。悲しいシーンでござるなぁ。


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路傍の賢者

今さらですが、ニコニコ動画に投稿したアイドルマスター×天地燃ゆ『im@s天地燃ゆ』では主人公の水沢隆広は水沢政勝と云う名でして、通称は『大作』です。大作と云う名前、好きなんですよね。


「お前さま、大丈夫ですか?」

「ああ、もう大丈夫だ」

 ここは北ノ庄城下、佐久間盛政の屋敷である。盛政は小松城の戦いで深手を負ったが、数日経ちかなり容態が良くなっていた。今は家の庭を散歩できるほどになった。だがまだ包帯はとれる状態ではない。盛政の妻である秋鶴が案じた。

「父上―!」

「おお、虎か、こっちにこい!」

 当年十歳の娘の虎を抱き上げた。

「アイチチ……」

「ほら言わぬことではありません、横になって下さい」

「ああ、分かった」

 虎を下ろし頭を撫でた。

「すまんな、虎、もう少ししたらもっとたくさん遊んでやるからな」

 隆広には冷たい盛政も娘や妻には暖かい人物であった。妻の言うとおりにして横になる盛政。

 

「小松でお前さまを助けて下されたのは水沢様、佐久間家として何かお礼をしなければなりません。私ちょっと行ってまいります」

「……必要ない。むしろ余計な事をしたとオレは腹に据えかねている」

「またそれ、どうしてお前さまは水沢様をそう嫌うのですか。水沢様の奥様が見舞いに来た時も眠っていると私にウソつかせてまで会わないし!」

「うるさいな、嫌いなものは嫌いなんだ、仕方ないだろ! アイチチ……」

「分かりました。でも夫の命を助けてくれたのに何も礼をしなければ佐久間家の女は礼儀も知らぬのかと北ノ庄城下で笑われます。そんなの私耐えられません。佐々様も奥様が小丸から出向いて礼を述べたらしいですし、私、勝手にやらせてもらいます」

「勝手にしろ! ったく」

 盛政は蒲団にもぐりこんだ。

「奥方様、水沢様へのお礼の品、揃っております」

 侍女が揃えて持ってきた。あまり高価な品ではかえって迷惑なので、酒三樽と初鰹三匹だけであるが。

「そんないいものあやつにくれてやることない!」

「佐々様の奥様と量的には同じです。ちゃんとつり合いは取れております」

「……隆広は成政の妻からの礼品を受け取ったのか」

「はい、もっともすぐに掘割の人足たちへの労いで消えたらしいですが」

「ほれみろ! 人の謝礼をすぐに他人に与えるのならくれてやる必要なんてない!」

「何を言うのです。そういう使われ方をされてこそ、お渡しする意味があるのではないですか」

「まったく、ああ言えばこう言う! 勝手にしろ!」

 頭から湯気を立てて、盛政は蒲団に入った。

「水沢様に本日伺うと伝えてありますか?」

 秋鶴は侍女に尋ねた。

「はい、そろそろお約束した時間です」

「よろしい、では虎、出かけますよ」

「は―い」

 盛政は飛び起きた。

「何で虎姫まで連れて行く!」

「なんでって……水沢様は北ノ庄で名うての美男。虎が見てみたいと言うので」

「い、いかん! 連れて行っては、イチチチ……!」

「夫の面倒をお願いね」

 侍女に言い渡し、盛政の妻の秋鶴と娘の虎姫は下男に礼品を荷台に引かせて隆広の家に向かった。

 

「ごめんください」

「お待ちしておりました、さ、主人がお待ちです」

 隆広の妻さえが秋鶴を通した。居間にて隆広は盛政の妻と娘に会った。もはや水沢隆広と佐久間盛政が犬猿の仲と言われているのは有名であったが、それゆえに隆広は盛政の妻と娘に会うのを楽しみにしていた。

「はじめまして、水沢隆広です」

「こちらこそ初に御意をえます。佐久間盛政の妻の秋鶴にございます。ここにいるのは娘の虎姫にございます」

「虎姫……ずいぶんと勇ましいご尊名。お父上の勇猛に相応しいですね」

 母の後ろで頭を垂れていた虎姫は隆広の顔を見るなり頬をポッと染めた。美男と聞いてはいたが、それは秋鶴と虎の想像を超える尺度だった。

(あらあら、虎ったら)

「ご主人、盛政殿のご容態はいかがですか?」

「はい、おかげさまでもう庭を散歩できるほどになりました」

「そうですか、良かった」

「これというのも、小松の戦いで水沢様が夫を助けて下されたおかげです。夫は表立って礼はいいませんが、私ども佐久間家の女たちはとても感謝しております」

「いえ、同じ柴田家の者。当然の事をしただけです。周知のとおり、それがしと佐久間様はあまり仲が良くはないですが、それは平時の事です。立場が逆でも佐久間様はそれがしを助けて下されたはずです」

「ありがとうございます。お礼といってなんですが、佐久間家から礼品を用意しました。受け取って下されると幸いでございます」

「分かりました。ありがたく受け取ります。佐久間様の一日も早い快癒を祈っていると申していたと伝えて下さい」

「お言葉、嬉しく頂戴します」

 その後、隆広とさえと秋鶴は楽しく歓談した。子供の虎にはつまらない話であろうが、虎はずっと隆広の顔を飽きることなく見ていたのである。

 

「虎、そろそろ帰りますよ」

「……もう?」

「何を言っているの、大人の話ばかりで退屈しているかと思っていたのに」

「ははは、そうだ。虎殿にはお土産を一つお渡ししましょう。さえ、小瓶のあれを」

「はい」

 隆広は虎に一つの小瓶を渡した。それは透明なビン。虎も秋鶴も初めて見るビンである。

「これはギヤマン、南蛮の技術が作った透明なビンです。そして中にあるのは金平糖と言いまして、同じく南蛮の菓子です。手前のよく知る商人が堺土産にくれたのですよ」

「そんな貴重なものを娘に……」

「いえいえ、今日の縁を大切にしたいですから。私は戦時でも平時でも、佐久間様と共に柴田を支えていきたいのです」

「水沢様……」

 ビンから金平糖を一つだけ取り出し、虎の口に優しく差し出す隆広。虎は恐る恐るそれを口に含んだ。

「あ、あま~い!」

 満面の笑みで口の中の金平糖をなめる虎姫。

「これを虎に?」

「ええ、受け取って下さい」

「ありがとう、水沢様!」

 

 隆広とさえは秋鶴と虎姫の姿が見えなくなるまで家の前で見送っていた。秋鶴と虎姫は家に戻ると盛政に隆広を褒めちぎった。そんな隆広びいきの妻と娘の言葉に盛政の機嫌は悪くなった。

 だが隆広が言った言葉の中で一つだけ嬉しいものがあった。それは『立場が逆でも佐久間様はそれがしを助けてくれたはず』と云う言葉。

 そして思う。自分がその立場なら隆広を見捨てていただろうと。隆広の言葉を嬉しいと思う反面、たまらなく惨めにもなった盛政である。

 そして虎姫は想像できただろうか。今日自分が頬をそめた相手と後に……。

 

 この日、隆広は秋鶴と虎姫との面会を終えると源吾郎に会いに行った。本日に舞、すず、白が『流行つくり』の主命を終えて帰ってくると聞いていたからである。

 三名は見事に越前の名産品の評判をあげて京と堺に販路を確立したのだった。それどころか堺の硫黄や、京の茶を越前敦賀への流通も取り付けたのである。彼らの働きに隆広は無論、当主である柴田勝家も満足させた。

「三名とも、素晴らしい出来栄えで満足している。お疲れ様」

「もったいなきお言葉にございます」

 すずが頭を垂れた。源吾郎が隆広に盆を渡した。上には三つの袋が乗っていた。

「少ないが、オレからの気持ちだ。受け取ってくれ」

「うひょう! 気前のいいご主君て大好きよ! 隆広様!」

「これ舞! はしたない!」

「いいじゃないですか、上忍さまァ」

「まったく、最近のくノ一は慎みがない!」

 すず、白も隆広からの報酬を受けた。本来彼らは上司忍者である源吾郎こと柴舟からの給金のみが収入である。現在で云う臨時賞与と云うところだろう。舞は銭の入った袋に頬擦りした。いまや北ノ庄は楽市楽座などで栄えてきているから、舞やすずにも欲しい物はある。里を出て北ノ庄番になったのが嬉しかった。任務がなければ彼女たちも普通の年頃の娘なのであるから。

「ふんだ、で、隆広様。次も『流行つくり』?」

「そうしたいところだが、もしかしたら近々合戦があるかもしれない。しばらくは待機だな。だがそれが落ち着いたら敦賀に来る蝦夷地の牡蠣を伊勢に広めたい。同時に伊勢海老を越前に入れたい。待機中はその方法を算段していてくれ」

「分かりました。蝦夷地の牡蠣と伊勢海老ですね。で、合戦て?」

「うん、実は先日に織田と畠山が同盟を結んだ」

「畠山ァ? 能登の小大名と大大名の織田がどうしてなのですか?」

「上杉に備えてだろうな。上杉は最近一向宗門徒と和睦し、北条家と同盟も結んでいる。もはや越後を攻めるのは出羽の最上くらいだ。そしてその最上へ対しては国境に防備を強化していると聞く。つまり越軍の大半は今自由が利く」

「能登の南の越中はすでに上杉領……。では能登を?」

「そうだ、だが一向宗と和睦したという事は、東加賀をそのまま妨害なしで通過できてしまう。湊川から西の西加賀は織田領。そこを取られたら……」

「この越前!」

「その通り。残念だが上杉軍は戦国最強の軍隊と云っていい。軍神謙信公率いる軍勢が畿内に乗り込んできたら、安土まで一直線だろう。なんとしても加賀で謙信公の南下は阻止しなくてはならない。それで利害の一致した能登の畠山と織田が同盟を結んだと云うワケだ」

「なるほど!」

「だが……謙信公南下が実際あるかはまだ分からない。謙信公はまだ春日山にいるそうだからな。何より謙信公は合戦の大義名分を大切にする。たんに能登領が欲しいからと進発はすまい」

「いや、ありうると考えた方が良いでしょう」

 と、源吾郎。

「隆広様ならすでに承知でしょう。能登畠山家は分裂していると」

「聞いています」

「家老の遊佐続光を筆頭に親上杉派、同じく家老の長続連の親織田派、君主の畠山殿にはこの分裂をまとめる器量はなく、かつ病弱と聞いています。また上杉には畠山からの人質もございますれば……」

「確かに……オレが謙信公なら君側の奸を除き、人質の畠山某を立てると云う名目で能登を攻める。富山湾流通は謙信公とて欲しかろうしなァ……」

 さきほどの陽気な顔と違い、引き締まった顔で舞は言った。

「では……上杉の動向、我らが内偵しましょう」

「いや、それはダメだ。上杉には軒猿衆と云う強力な忍者軍団がいる。忍者の世界に疎いオレですら軒猿の上忍の飛び加藤こと加藤段蔵の恐ろしさは聞いている。言うには心苦しいが荷が重い」

「な、なんだとお!」

 舞は激怒して立ち上がり、冷静なすずや白も憤慨した。

「聞き捨てなりません!」

「そうです! 我らの忍びとしての力量を試しもしないでそれはあんまりです!」

「よさんか! 教えたであろう。忍びは徹底した現実主義たれと! 己の力量の算定に一切の水増しや過信も入れてはならぬと! 軒猿衆がどんなに恐ろしい忍びか! 知らぬとは言わさんぞ!」

「じゃあ上忍様も我ら三人では上杉内偵は無理だと言うのですか!」

「そうだ! 頭領の銅蔵が『飛び加藤』あるうちは軒猿と事を構えるなと何度もクチをすっぱくして言っていたのを忘れたのか!」

「お言葉ですが父上、飛び加藤はすでに老境にございます! 聞けば武田の軍師だった山本勘助と同年と云うではないですか! もはや八十歳の老人をどうしてそんなに恐れるのですか!」

「白、忍びの力量を年齢で測っている時点でお前は忍び失格だ! よいか、私も隆広様と同意見だ! お前たちでは荷が重い!」

 三人は立ち上がり、部屋を出て行く。

「どこへ行くか!」

「心配しなくても越後なんて行きません! ど―せ私たちは迫りつつある敵国の情勢さえ探れないダメ忍者ですから! せっかく隆広様にお小遣いをもらえたし! 城下で饅頭でも食べてきます! ふんだ」

 三人はふて腐れたまま、部屋を出て行った。

「申し訳ございません……お見苦しいところを見せて。やつらは里の中で優秀な忍びと言われ、『流行つくり』でも成果を示しました。少し天狗になっているのでしょう」

「いえ……少しでもそれがしの役に立とうと云う気持ちは嬉しかったです。それがし直属の忍びが動かずとも、殿や大殿の忍びが動いているはず。上杉の情報はそれらに任せましょう。それで柴舟殿、もし上杉が南下をした場合は忍兵をお貸し願いたいのです。小松の戦では助力得ずとも大丈夫と思いましたが、もしかかる戦が現実になれば相手は軍神謙信公。助力を請いたいのです。そしてその者たちの指揮は舞たちに任せますゆえ」

「承知しました。里に連絡を入れておきます」

「あともう一つ、ある作戦のため用意していただきたいものがあります。出世払いになりそうなので申し訳ないのですが……」

「なんでしょう? 我らが用意できるのであれば」

「はい、それは……」

 

 北ノ庄城下の甘茶屋で舞たちは本当に饅頭を食べていた。

「あ~面白くないなァ。私たちそんなに頼りなく思われているのかな」

 四つ目の饅頭をクチに運ぶ舞。

「いや、外に出て頭を冷やすと少し冷静な判断もできてきた。隆広様は内政主命でも適材適所を心がけておられる。上杉との戦が現実になったとしても、きっと違う局面で用いて下さるよ」

 父の言うとおり、忍びのチカラを年齢で判断してしまった自分に反省しながら白はところ天をクチに運ぶ。

「そうね。でも隆広様の危惧が当たった場合、私たちはあの軍神と呼ばれる謙信公と戦う事になるのだから、心しておかないと」

 ズズズと茶を飲むすず。

「とりあえず今は待機と言われています。その間は上忍様のお店を手伝いながら、隆広様の護衛をしつつ指示を待ちましょう」

 本当は二人が自分の考えに同調してくれて、一緒に不満をガ―ッと言いたかった舞。しかし白とすずは頭の切り替えが早い。もうさっきの憤慨は消えていた。少し残念の舞。

「ねえ、ところで護衛といえばさ。里から出された私たちの任務には『隆広様の護衛』があるけれど、『流行つくり』や他の主命を受けた時はできないよね。隆広様の兵や部下の将たちなんかちゃんとやっているの?」

「何度か助右衛門殿や父の源吾郎も隆広様に屋敷へ番兵を置くことを薦めたらしいが、隆広様は固辞したらしい」

「なんでよ白、確か部屋三つに風呂と庭に厩舎。結構広いのに…………あ、そうか」

「そういうことだ」

「……? 二人ともどうしたの」

「分からない、すず? 我らが主君は奥様との大切な二人の時間と空間を邪魔されたくないの」

 すずの顔が赤くなった。

「なに赤くなってんのよ」

「赤くなってなんかないわよ!」

「かなり好きあっているって話だものねえ。閨もアツアツかも」

「主君のそういう話をするのどうかと思う! 私帰る!」

 すずはスタスタと店を出て行った。

「なに怒ってんのかしら」

 苦笑する舞と白。

「しかし舞、どうせ主命があるまで待機だ。隆広様の士分は今まで低かったから他の大名や門徒の刺客の心配などなかったろうが、今や柴田の侍大将で、かつ隆広様は小松攻めの時に戦後処理を担当したと聞く。門徒の恨みが向けられる事も考えられる。交代で寝ずの番をさせてもらう事を父の源吾郎に許可してもらおう」

「そうね。すいません、お勘定!」

 

 夕刻、隆広は自宅への帰路にあった。足軽組頭以上の士分が住む武家屋敷は北ノ庄城からほど近い。また武家屋敷の一角に入るには兵の守る門をくぐらねばならない。それは寝ずの番で行われているが、やはり足軽大将以上の士分になると、だいたい番兵を屋敷に置いていた。

 だが隆広は置かなかった。それは舞の見越したとおり、さえとの甘い生活を邪魔されたくないからである。後の歴史家もこの点は隆広の無警戒ぶりを指している。

 そしてこの日、自宅に戻る道すがら隆広は道で倒れている老人に出会った。身なりの汚い老人だった。顔もやつれ、何日も食事をしていない、そんな状態だった。

「ううう……」

「もし、ご老体いかがしました?」

「……う、うう……情けあれば……水を……」

「…これはいかん、お飲み下さい」

 竹の水筒を隆広は渡した。

「ありがたや……」

「どうされたのですか? こんなにボロボロになるまで」

「いや……ただの家なしの流れ者にござる。お笑い下され……。これでもそれがし元は越前の野武士……。しかし参加する戦と云う戦すべてが負け戦。名を成せないままに気がつけばこの歳……。せめて死ぬなら故郷へと……そう思いここまで来ました」

 隆広はしばらく老人の顔を見つめた。

「……少しご老体の話を聞かせてくれませんか? 講義料は一食と一日の寝床にございます」

「……は?」

「見ての通り、手前は若輩。お年寄りの体験は何よりの参考となるのです。失礼ながら成功したお話より、失敗されたお話の方が。いかがですか?」

「…………」

「話したくなければ結構です。しかしこのまま通り過ぎるわけにもいきますまい。手前の背に乗って下さい」

「も、もったいない。身なりを見るに相当に身分の高い士分の方。それがしなどを背負うたら臭いますぞ」

 隆広は戸惑う老人を何も言わずに背負い、そのまま家に連れ帰った。最初さえは隆広が汚い年寄りを連れてきて驚いたが、隆広はそのまま風呂に連れて行き、髷を整えて隆広の着物を着せると結構上品な年寄りに見えた。空腹で急に物を詰めては毒と、さえの作ったカユを美味しそうに食べた。

「名乗るのが遅れました。水沢隆広です」

「妻のさえです」

「これは丁寧に……それがしは源蔵と申します。しかし、話を聞かせろと申されても水沢様はあの美濃斉藤家の名将水沢隆家殿のご養子君。それがしがお話できる事などございません」

「手前は出来ることならこの日本の戦国の世を駆けぬけ、現在は隠居している老将たちの話を敵味方関係なく、すべて聞きたいとさえ思っています。ですがとうていそれは無理です。年寄りのシワの中には経験と叡智が隠れております。たとえそれが失敗談でも。あとに続く手前にお伝え下さい」

 おだてるのが上手い、横でさえはそう感じていた。

「分かりました。では……」

 隆広のおだてに気をよくしたか、老人は惜しみなく自分の体験談を話した。昔は甲斐の国にいて武田の信濃攻めに参加した事とか、北条氏の里見攻めにも参加したなどと、とにかく老人は関東甲信越の古い合戦についてよく知っていた。知らず知らず、さえもその話に聞き入ってしまった。

 知り合った年寄りに話を聞く。これは隆広の養父である隆家がよくやっていた事である。これはと見た老人からは徹底して体験談や見聞録を聞かせてもらい、それを記録し研究して、最後には自分の叡智としてしまう。先人の生きた経験を学び、玩味し、さながら自分が見聞きし経験したかのように昇華した智恵にしてしまうのは水沢流の勉強方法であったのだ。

 隆広は最初に源蔵に会った時、彼の言動と顔に見える雰囲気から学ぶに足る知識を持っている老人と養父譲りの『年寄り目利き』で見抜いたのだろう。

 源蔵の話に身を乗り出して聞いていた。年寄りにとり、若い者が自分の話しに夢中になってくれるほどに嬉しい事はない。途中から酒も勧められ、源蔵の話は尽きることなく続いた。さすがにさえは途中で眠ってしまった。

 

「奥様には少し退屈なお話でしたかな」

「そんなことはございません。妻とて武家の娘で、妻なのですから」

「しかし、久しぶりに楽しい一日でした。老い先短いそれがしの話が水沢様の今後に役立ては負け人生だったそれがしも報われると云うものです」

「楽しかったのはそれがしも同じです。まさか山本勘助公、宇佐美定満公の用兵までお聞かせ願えるとは考えてもいませんでした。甲越の名軍師の軌跡、胸が震えました」

「勘助公、定満公の用兵は、鉄砲が主流となりつつ織田の戦ではさほど使い道がないかもしれませんが、騎馬と歩兵を用いる用兵に両名のそれは戦国屈指と、それがしは思います。水沢様の用兵に役立てばお二人も喜ぶでしょう」

「ありがとうございます。隣室に寝所を用意してございます。今日はもうお休み下さい」

「かたじけない」

 隆広はさえを蒲団の上に寝かせ、自分はその横に寝て、妻の寝息を心地よく聞きながら眠りについた。隣室の源蔵の目はまだ開いていた。

(聞いたとおりの男であった……)

 フッと笑い、源蔵もまた眠りに着いた。

 

 時を同じころ、北ノ庄城下の宿。二人の旅の僧侶がいた。

「何人集まった?」

「四人だ」

「そうか、我ら合わせて六名……。まあ十分だろう。いかに上泉信綱直伝の腕前だろうと、寝込みを襲えばひとたまりもないわ」

「しかし、侍大将までの士分になって番兵も置かぬとはな。無用心も甚だしい」

「ヤツは愛妻家で有名と聞く。二人の空間を大事にしているのだろう。ならばヤツの目の前で愛妻を犯してやろう。そのくらいせねば気がおさまらぬわ!」

「ああ、小松城の無念晴らしてくれよう」

「突き詰めれば、諸悪の根源は信長であろうし、ヤツはその部下の勝家の命令をただ受けた実行者にすぎぬかもしれぬが、それを甘受した以上ヤツも仏敵! 今日限りの命日と知れ! 水沢隆広!」




こうして、路傍に倒れている年寄りを拾って自宅に運ぶなんて、いま思うと不用心もいいところでしたね。


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刺客

 その夜は雨となった。北ノ庄の宿屋から六人の刺客が隆広の家に向かった。俊敏な動きにみなぎる殺気。武家屋敷入り口の門番は痛みすら感じる前に斬られて死んだ。次の門番交代まで数刻。それまでに仕事を完遂しなくてはならない。

 彼ら六人は小松城落城時、命からがら脱出に成功した一向宗門徒である。小松城主である若林長門に雇われた流れ忍びで、腕前を見込まれて登用されたものの、彼らは門徒衆を見捨てて自分だけ加賀門徒の根拠地、金沢御殿に逃げた若林をとうに見限っていた。

 小松城に身を置いた期間はそれほどに長くはないが、それぞれ情婦などが城下町にでき居心地の良い小松城下が好きになっていた。それを攻め落としたのが柴田勝家であり、その後の戦後処理で生き残った門徒を殄戮(『てんりく』殺し尽くす事)したのは隆広である。彼らの情婦らも柴田の雑兵に陵辱された挙句に殺された。門徒の城に門徒ではない民は存在しない。殄戮は勝家が隆広に課した厳命である。

 隆広の心も傷つく凄惨な戦後処理となったが、その尺度は敗者である門徒たちの方が大きいのは当然である。逃げて生き残った彼らの憎悪は殄戮の指揮官となった隆広に向けられた。

 これで隆広が殄戮を悔い、自分が殺した門徒たちに対して冥福を祈る意志でも見せていれば印象は違ったかもしれないが、隆広は殄戮の数日後には何事もなかったように行政官の現場指揮官として復帰している。

 それが彼らには許せなかった。戦場の仇は仇としないのが戦国の世のならいではあるが、そんな美辞麗句で片付けられるほど彼らが隆広に抱く憎悪は軽くない。殄戮の心痛のあまり隆広が妻さえにすがって泣いたなんて事も彼らは知らない。知っていたとしても歯牙にもかけないであろうが。

(…同じ思いを味わわせてやるわ! キサマの両手両足切り落とし! そして目の前でキサマの女房を犯し尽くし殺してやる!)

 

 雨の降る音で、彼らの足音もより消されていた。六人は隆広の屋敷に到着した。

(おやおや、織田北陸部隊の侍大将にしてはずいぶんと貧相なお屋敷だな…。ま、妻と二人暮しでは十分であろうが)

(…ふむ、オレも先日に内偵したときは意外に思ったものだ。六名では逆に人数を持て余す。かねて申し合わせたように、中に三人、外に三人で実行しよう。外組は万一の退路を断て)

((分かった))

(では行くぞ!)

 

 ミシ…

 

 ポチョン…

 

 雨に濡れた刺客たちの着物から水滴が廊下に落ちる。

 

 ポチョン…

 

「…!」

 隆広はパチッと目を開けた。

 

 バターンッ!

 

 襖戸が勢いよく開いた!

 

「ちぃッ!」

 隆広は枕元に置いてある刀を握り、横で眠るさえを左腕で抱いて蒲団から飛んだ。刺客の刃は枕を切った。

「何者か!」

「これから死ぬヤツに名乗っても仕方あるまい」

「…しかし、よく我らの気配を察したな。さすがは上泉信綱直伝の腕前と褒めてやるわ」

 残る二人が入ってきた。囲まれた。

「お前さま…!」

 さえはガタガタと震えていた。

「ジッとしていろ…」

 隆広はさえを離したとたんに刺客がさえを人質に取る事は分かりきっている。妻を抱きながら片手で撃破できる相手ではないことは分かった。しかし離したら確実に刺客はさえを人質にとり、結局は武器を捨てる事を迫られる。今の状態で戦うしかない。その時だった。

 

 シュッ!

 

 グサッ!

 

「ぐあッ!」

 刺客の眉間に飛び苦無が刺さった。

「隆広様!」

「白! 来てくれたか!」

「お話は後!」

 父の柴舟に交代で夜間の隆広様を護衛すべきと進言した白。柴舟は快諾し、それを任せた。そして今は白の担当の時間であった。

「忍び笛を使いました。舞とすず、父も応援に駆けつけます!」

「すまぬ!」

 突然の敵の援軍だったが刺客たちは冷静だった。そして白の投げた飛び苦無を受けた刺客。倒れて動かず死んだと思えば、にわかに起き上がり

 

 ズバッ!

 

 白の背中が逆掛けに斬られた!

「うあッ!」

「甘いわ小僧」

「変わり身…!」

 苦無は丸太に刺さっていた。出血が激しい。白はたまらず倒れた。

「ふん、こんな三流の忍びに護衛されてキサマも気の毒だな。さあ、覚悟を決めろ!」

 隆広は刀をにぎる。左腕には恐怖に怯えるさえの体の震えが伝わった。ここで自分が斬られればさえがどんな惨い目にあうか。

(一対多の戦いに勝つことが新陰流の極意とは云え…片手では無理だ…。一瞬さえを離して切りかかるしかない…!)

 

 隆広の表情から刺客は隆広が斬ってかかってくる事を読んだ。

(女房を一度放して斬りかかる気だな…。よし二人で対するから、お前は女を押さえろ)

(分かった!)

「そうはいきませぬな…」

「…源蔵殿!」

 刺客たちは無論、隆広も一切その気配に気づかなかった。それは昨日に隆広に路傍で拾われた老人源蔵だった。源蔵は隆広とさえを守るように刺客の前に立った。

「いかん源蔵殿! 殺されてしまいます!」

「心配ご無用、一向宗の流れ忍び風情が何をできようか」

「え…?」

「ぬかしたな!」

 三人の刺客は、源蔵に刀を振りかざした。

「冥土の土産にお見せしよう…『おぼろ影の術』…」

 

 ブォン

 

 源蔵が三人になった。刺客たちも、隆広もさえも、そして意識がもうろうの白も驚愕した。

「な、なんだこのジジイ!」

「軒猿…加藤段蔵である」

「な…ッ!」

 

 ザザザザ!

 

 三人の刺客は源蔵、いや加藤段蔵が隠し持っていた小太刀でアッと云う間に斬られて死んだ。

「さて、外の連中も片付けてくるか…」

 そして数秒で戻ってきた。

「水沢殿、おケガはござらぬか」

 白が息も絶え絶えに立ち上り、隆広の前にふさがり加藤段蔵に苦無を向けた。

「…加藤段蔵…。キサマ上杉の軒猿が忍び『飛び加藤』だな!」

「いかにも」

「どういうつもりかで主君を助けたか知らぬが! 軒猿の忍びと分かった以上生かして帰さぬ!」

「ほっほっほ…仕方がないのう」

 段蔵の眼がキラリと光ると、白はそのまま倒れた。

「白…! 源蔵殿何をしたのですか!」

「心配ござらん。気を失わせただけにござる。眼力で止血もいたしましたゆえ、手当てを急ぎましょう。幸い傷は浅い、化膿しなければすぐに治る」

 段蔵は慣れた手つきで白の手当てをはじめた。

「奥方殿、包帯と水。あと針と糸を」

「は、はい!」

 その時になってようやく舞たちが到着した。

「隆広様! ご無事で!」

「ああ、なんとか。すず、役人に刺客たちの亡骸の始末をするよう頼んできてくれ」

「分かりました!」

 柴舟は刺客たちの致命傷となった傷を見た。

「すごいウデだ…。しかもこれは隆広様の新陰流による斬撃ではない…」

 息子白の治療をしている老人を柴舟は見た。

「ご老体…あなたが?」

「一食と一夜の寝床、熱い風呂、そして年寄りの話を聞いてくれた恩を返したまででござる」

「……」

 さえの持ってきた包帯で、何とか応急処置は終わった。

「これでよい。幸い刺客の持っていた武器に毒は塗っていなかった。しばらくは傷により熱も出るであろうが、安静にしておれば回復する」

「ありがとうございます、源蔵殿」

 

 武家屋敷の役人が刺客たちを運び出した。隆広宅の居間に白を寝かせ、早くも熱が出始めた彼の看病にあたるさえ。その横で改めて源蔵と隆広主従は対した。

「まず、偽りの名をもって水沢殿に近づいた事をお詫びいたす。改めて、拙者は軒猿の忍び加藤段蔵でござる」

 柴舟、舞、すずは自分の耳を疑うほど驚いた。舞とすずは小太刀を抜刀してすぐに斬りかかろうとするが

「よせ、オレとさえを助けてくれたのは加藤殿だ」

「しかし…軒猿の忍びを帰しては!」

「よさんか、すず。隆広様の命の恩人ならば我らにとっても恩人。刃を向けるなどもってのほかぞ」

 体裁のいい止め方であるが、魔性の忍びと呼ばれる加藤段蔵相手に攻撃を仕掛けても、舞とすずでは相手にもならない。柴舟は二人のくノ一には刀をおさめさせた。

「ですが…どうして上杉の忍びである加藤殿がそれがしを?」

「実は…拙者はある仕事を最後に隠退するつもりでござる。歳もとり、いささか人を殺し、裏の世界で暗躍するのも飽きましての。しかし忍びの世界は、そう簡単に辞める事は許されませぬでな。その仕事で死んだ事にして忍びの世界で会得した医術を生かし、瀬戸内海の無医の孤島で余生を送ろうと思っていたのでござる」

「それと…それがしを助けた理由と何が」

「分かりませぬかな、拙者の仕事は織田北陸部隊で最大の脅威となりうる武将を殺害する事にござる」

「まさか…!」

「藤林の柴舟殿でしたかの? お見込みの通り拙者が軒猿の里で受けた命令は水沢隆広殿の暗殺でござる」

 さえはその言葉に驚いた。急ぎ隆広の横に行き、段蔵の前に塞がった。

「心配いりませぬよ奥方殿。もうかような気はございませぬゆえ」

「ほ、ホントに!?」

「いかにも。しかしこの仕事、拙者の忍びとして最後の仕事であるがゆえ拙者も少し遊び心を入れもうしてな。あえて汚い流れ者の年寄りとして水沢殿が通るであろう道に倒れておったにござる。水沢殿は仁将と伺っておりましたがゆえ、その噂どおりに拙者を見捨てずに助けたら殺さない。そのまま放置したなら殺そう、そう思っていたのでござる」

「そうでしたか…」

「試すようなマネをして申し訳ございませぬ」

 加藤段蔵は隆広に頭を垂れた。

「いえ、加藤殿がいなければ、それがしとさえは殺されておりました。さえなど殺される前にクチにするのもおぞましい陵辱を受けた事でしょう。どんな意図をお持ちであったにせよ、加藤殿はそれがしと妻の命の恩人です」

「では…それに対しての礼と言ってはなんですが、お願いがござる」

「なんでしょうか? それがしにできることならば」

「拙者が…あの一向宗門徒の流れ忍びと水沢隆広と云う獲物を取り合い、そして殺されたと云う事にしていただきたいのでござる。それで拙者は死んだことになり、軒猿の仕返しが水沢殿に及ぶ事もない。また、その刺客も柴舟殿や水沢様が討った事にしてもらいたい」

「それはかまいませんが…良いのですか? お名前に傷が…。それに忍びの仕事は実行するものと、その遂行を見届ける者がいると聞きます。我らがそれを受けたとしても軒猿の里に抜けた事は知られてしまうのでは?」

「はっははは、忍びに名声など入りませぬ。また、その見届ける者も我が幻術で加藤は流れ忍びに討たれたと思い込ませてござる。もう里に帰っているころにござろう。拙者の気持ちはすでに無医村の医者という立場に向けられております。なにとぞ拙者の申し出を受けていただきたい」

「…分かりました。何か手柄を譲られるようで申し訳ないですが、加藤殿がそれでいいと云うのならば。柴舟殿も、舞もすずもよいな」

「「ハッ」」

 コホンと段蔵は一つ咳をして続けた。

「あともう一つ、水沢殿はあまりにも無用心にござる。ありていに申して、この屋敷に来て番兵が一人もいなかったのを見て驚いたと云うより呆れ申した。織田は敵が多いですし、柴田もそれは同様。軒猿から第二第三の刺客が来るとも限りませぬし、織田家に怨みを持つ門徒の逆襲もいつあるか分かりませんぞ。また水沢殿は手柄を立てすぎてござる。妬みをもった同じ織田や柴田家中の者から寝首をかかれる事もありうる。身辺警護にもう少し気を使いなされ。二千近い兵を預かるのならば、もはや水沢殿の命はご自身だけのものではござりませぬぞ」

「金言、ありがたくいただきます」

「よろしい」

 刺客襲撃の緊張からか、隆広もさえも、柴舟とくノ一二人も気持ちが高ぶってしまったか、全然眠気が襲ってこず、その日明け方まで加藤段蔵と語り合った。

 

 そして朝が来た。

「命まで助けて下されたばかりか、色々とお教えくださりありがとうございます。加藤、いえ源蔵殿」

「いえいえ礼には及びませぬ。拙者を道端で放っておいたなら拙者も転じて刺客になっておりましたゆえ。ご自分の命と奥方の命を助けたのは水沢殿ご自身でござる」

「源蔵殿、お弁当と水筒、そして失礼かもしれませんが少しの路銀です」

「おお、これはありがたい。奥方殿、ありがたく頂戴します」

「道中、気をつけて」

 源蔵は隆広とさえ、そして柴舟、すず、舞の見送りを受けて北ノ庄を後にした。

「『死ななければ忍びをやめられない』、考えた事もなかった。上忍様、藤林もそうなの?」

 舞の質問に柴舟は答えた。

「当然だろう。まあくノ一の場合は後に母親になるから忍び自体はやめるだろうが、里から抜けることは許されない」

「厳しいなあ…」

「ま、それが忍びの世界の掟と云うものだ。さあ帰ろう」

 柴舟は白を背負い、隆広にペコリと頭を下げて自分の屋敷へと帰っていった。その途中、白が目覚めた。

「父上…」

「…白、そしてお前たち、これでよく分かったであろう。自分たちの未熟さを」

「「はい」」

「たとえ藤林で優秀でも、上には上がいる」

「はい…」

「しかし軒猿…。早くも隆広様を要注意人物と見ていたか」

 

 一方、隆広とさえ。

「台風一過だったな、さえ」

 と、苦笑しながらさえを見ると、さえは隆広をジーと睨んでいた。

「な、なんだよ」

「なに、あの二人の女忍び」

「え?」

 そういえば隆広は舞とすずの事を一切さえに言っていないのである。舞とすずは隆広に主従の筋は通しているが、それは親しそうに隆広と話していたのをさえは見逃さなかった。

「あ、ああ、彼女たちは父の使っていた忍び衆の子弟でな…」

「なんで女なんですか!」

「し、仕方ないだろう! その忍び衆がオレの元に派遣したのは白を入れた、あの三人だったんだから!」

「二人とも美人だったけれど…妙な事していないでしょうね!」

「してないよ! オレはさえ一筋だよ!」

「…あんな怖い思いをした後なのに、抱きしめてもくだされず、それどころかさえの前でよその女子と親しく話すなんてあんまりです。さえは怒りました。当分閨事お預け!」

「そ、そんなあ…」

「んもう…せっかくそろそろ明るい部屋でしてもいいかなと思っていたのに…お前さまが悪いのです!」

 さえは拗ねた顔で部屋に戻った。

「待ってくれよ! 謝るから! お預けだけは勘弁してくれよ~」

 

 隆広が刺客に襲われたと聞いた柴田勝家は隆広をより大きな屋敷に移り住むよう指示して、隆広の兵が交代で十人づつ警備する事が命令された。隆広の忍び三人も夜間はほぼこの屋敷に常駐する事になった。隆広とさえの二人だけの甘い空間は中々確保できなくなったが、それも命を守るためには仕方ない。

 

 そして、魔性の忍者と恐れられた飛び加藤こと加藤段蔵が歴史に登場することは、これ以降なかった。

 だが瀬戸内のある無医村の小島に一人の名医が現れたのは、これから間もない事だった。八十を越した老人であったが、自身の健康にも気遣い当時としては驚異的な百歳まで生き、そして最後まで医師として現役であった。そして名を源蔵と云うその医師は、その小島の歴史において比肩なき偉人として称えられ、今日も島民が源蔵の命日に祭りを行い遺徳を偲んでいる。彼がいなければ、自分はこの世に生を受けなかったかもしれないと、島民には現在も神仏のように敬われているのであった。

 

 手柄を譲られたのが心苦しかったか、後に隆広は回顧録で門徒の刺客を撃退したのは我々ではなく、その日に我が家に訪れていた老剣客だったと述べている。しかしこの発言が後の歴史家を大きく悩ませる事になる。その老剣客はいったい誰なのか長年に渡り不明だったのである。

 だが近年、源蔵の手記が発見されて歴史家たちの間で大きく問題だった門徒の忍びに襲われた水沢隆広を救った謎の老剣客の正体が明らかになった。

『瀬戸の源蔵』と『加藤段蔵』が同一人物であることが近年ようやく定説になったのである。

 冷酷無比な忍者である飛び加藤が後世に水沢隆広を主人公とした数々の物語に名脇役として登場するのは第二の人生を名医として過ごした点が後世の人々に愛されたからだろう。そしてその源蔵の手記に興味深い事が書いてあった。現代風に書くと

『“水隆(隆広の事)は源蔵と名乗りし身形卑しい自分を背負い、食と湯と床を施され、かつ拙の話を嬉々として聞くにいたる。本来拙は刺客として訪れたのに、水隆の心根に惹かれ、逆に他の刺客よりお助けした。拙がかような気になり刺客から転じて守りに向けさせたのは何であろうか。あの夜、拙が水隆の屋敷にいた事、これすべて何の巡り合わせか。神仏や天佑が水隆を生かそうとしていると拙は感じたのである”』

 飛び加藤は直感的に水沢隆広が歴史に選ばれた人間と感じたのだろう。そしてそれは的中するのか、それとも…。



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石田三成の花嫁

 掘割の作業もそろそろ終盤に達していた。高瀬舟は敦賀の町からすでに北ノ庄城下に運びこまれ、出番を今や遅しと待っていた。人々は完成したらどんな便利になるかと胸をときめかせ、時には無償で工事の手伝いもしていた。

「掘割もそろそろ完成でございますね、水沢様」

「そうですね」

 隆広と源吾郎が堀沿岸を散策しながら歩いていた。

「あとは九頭竜川の治水だな。しかし掘割よりはるかに膨大な資金を必要とする。年貢からこの資金の全額を出したら軍備や他の内政にシワ寄せが行くから無理だし、増税は論外。源吾郎殿、話と云うのはですね」

「伺いましょう」

「柴田家に国営資金を稼ぐ集団を作ろうと思う。しかも民の仕事に支障をきたさずに」

「難しいですね…。人材はどのような者たちを考えておりますか?」

「現在、越前にいる商人衆から作る気はありません。無論、藤林一族からも。つまり振り出しの状態から始めます。算術に明るい者、交渉術に長けた者を集めて一つの集団を作り、九頭竜川治水の資金を稼がせます」

「となると、武士町人農民の垣根なしで集めようと?」

「そうです。条件は算術、交渉術に優れ、かつ胆力のある者となります。三つ兼備した者は一人だけでいい。それを長にすれば大丈夫です。全員がそれだと船頭が多すぎてダメです」

 その人材を見つけてくれと云う指示という事はすぐに分かった。

「分かりました。心当たりを探してみます。して、水沢様の展望では、その資金を稼ぐ方法は?」

「うん、越前領内でこれから新たなに出来そうな産業は会所の設営、酒造り、製鉄、果樹栽培、塩田、牧畜、製紙にございます。そして元々の漁業や林業の充実を図り、荒地もどんどん美田に変える。だがこれには金がいる。だから交易です」

「交易」

「そう父の隆家が楽市楽座を道三公に起草したのは、他国からどんどん金を入れる事を目的としたためです。元は商人の道三公はすぐに理解し養父にそれを許可しました。その結果美濃は日本一豊かな国ともなりました。これを学ばなくてはなりません。

 そして時代は移り変わっています。織田家は兵農分離が進み、半農半士の国より金がいります。父の楽市以上に国の利益になる方法を考えなくてはなりません。酒田、直江津、堺、京、小田原、赤間関、博多、平戸、これらの都市の商人衆から敦賀を認めてもらい交易を行います」

「壮大なお話にございます」

「だがやらなければならない。越前にとって九頭竜川は恵みの川であると同時に、恐ろしい牙を潜める暴れ川。この治水資金はどう見積もっても六万貫は行きます。とうてい民から集められない。柴田家は越前の領主、我らの手で行い、その恩恵を民に与えるくらいでなければダメなのです」

「一文も民から取らないつもりなのですか?」

「治水工事資金だけです。その後に沿岸に作る美田の開発資金は出してもらいます。だからその前に柴田家が民に与えなければダメなのです」

 理想論だと思いつつも、隆広が言うと出来そうな気がする源吾郎だった。

「また、その稼いだ金で民たちへの診療所や学問所を作る事も考えています。薬は高価で貧しい民は病気になったら死ぬしかない。こんなバカな話はありません。また自分の名前すら書けない者がどんなに多い事か。こんな情けない話はありません。何とかしなくちゃ」

「水沢様…」

 ここまで民の事を考える行政官がいるだろうかと源吾郎は胸が熱くなった。忍者と商人の二つの顔を持つ彼であるが、その双方の顔で心から忠誠を誓える若き主人に巡りあえた幸せを無信心な彼でも神仏に感謝したほどである。

 戦国武将の中で水沢隆広が抜きん出て後世の人々に人気があるのは、この民を大切にした内政官と云う一面があるからだろう。ただ合戦が強いだけでは後世の支持はない。

「柴田家が持つ商人集団の仕事は交易です。海路陸路と販路を管理し、安値で買ったものを高価で売ると云う交易の大前提を確立してもらいます。それでかつ国営の仕事で民の雇用を増やせれば最高の展開なのですが…まあ当面はそこまで無理でしょうね」

「そうですね。出来る事から一つずつやっていくべきでしょう。私も及ばずながら尽力いたします。…おや? あの人だかりはなんでしょうか」

 隆広たちが歩く堀沿岸で六、七人の人だかりがあった。

「どれどれ、行ってみよう」

 

「だあ、だあ」

 それは城下の女が抱いている赤子を見ている人だかりであった。毛布にくるまれ、母親の胸に抱かれている赤子は愛らしい笑顔を見せていた。

「かわいいわねえ…」

 と、町民娘。

「こんな可愛い赤子を見ていると、ついつい故郷が恋しくなるなあ」

 と、旅人。

「ぐふふふふ、悪事を重ねている商人のワシでも赤子の顔を見ると心が洗われるわい」

 以前隆広に『天女のように美しい奥様にぜひ』と、石に塗料を塗っただけの『翡翠の首飾り』のニセ物を高値で売ろうとした悪徳商人の岩熊がいた。結構うまくできていたので、危うく隆広も騙されかけたが、たまたま一緒にいた佐吉がニセ物と見破り、隆広にこってりアブラを絞られた男である。

 が、どうやらこの男は三歩歩くと都合の悪い事は忘れるようで、隆広がその集団に歩いてきても平然としていた。そんな岩熊の態度に苦笑しつつも、隆広はその集団の人気者の赤子を見た。

「ほほう、これはめんこい」

「まあ、隆広さん、ありがとう」

 母親は子供を褒めてくれた隆広に礼を言った。

「いやあ、みなさんが見惚れてしまうの分かります。本当に癒されます」

「隆広さんのところはまだ?」

「ん? ああ、こればかりは天の授かり物ですから」

「隆広さんとさえさんの子なら、きっと可愛いのでしょうねぇ」

「ぐふふふ、という事はあの美しいさえ殿と。水沢屋、おぬしもワルよのう」

 と、岩熊。

「誰が水沢屋だ! しかし急に子供が欲しくなったな」

「ならば、善は急げよ! 隆広さん!」

「よ―し! 今日は子作りだ! 源吾郎殿、では!」

「でっかい声でまあ…」

「あれが若いって事ですなァ源吾郎さん、ぐふふふふ」

「悪い事言わぬから『ぐふふふふ』はやめろ…」

 

「さえ―ッ!」

「お前さま、お帰りなさい! ちょうど良かった、家臣の…」

「さえ、子供を作ろう!」

「はあ?」

 さえの言葉を聞いていない。先日に刺客を撃退した夜、隆広が女忍びと親しく話していた事をさえは怒り、しばらく自分に触れさせずお預けにしていたが昨日ようやく許して身を委ねた。

 しばらくお預けをくっていた隆広は昨夜の閨だけでは足りなかったらしい。帰るなり子作りを要望した。さっき源吾郎に見事な算段を説明していた時の顔は空の彼方に飛んでしまっていた。

「今日ものすごくかわいい赤子を見たんだ! オレも欲しい!」

「そ、そんないきなり…しかもお昼で…」

 突然の迫力にさえは隆広から後ずさりしていく。

「いいじゃないか! さあ! いざ尋常に子作りだあ~ッ」

「ちょっ、ちょっと待ってください!」

 隆広はさえを抱きしめた。後ずさりするさえを追いかけてきたので、もう場所は玄関から居間になっている。

「さあ、蒲団を…」

 居間に入ると、奥村助右衛門の妻津禰と前田慶次の妻加奈があっけにとられていた。一緒に助右衛門と慶次もいたが、場の空気を読んでその場から消えていた。残されたのは石田佐吉だけである。逃げ遅れた。

「ああ! 二人ともズルい!」

 

「だあああッ!? なんで津禰殿と加奈殿がおるのだ!」

「だから待ってくれと言ったのに…恥ずかしい…」

 津禰と加奈は一斉に吹き出した。

「あっははははは! 相変わらずの愛妻家ぶりですね! あ―おかしい!」

 涙を流して加奈は大笑いしていた。津禰は笑いをかみ殺すのが精一杯のようだった。

「んもう…家臣の方々が引越しを終えてご挨拶に見えていたのです。それなのにお前さまったら本当に恥ずかしいです。助平なお前さまは、さえ嫌いです」

「そ、そんな、ついなんだよ、つい!」

「理由になっていません。『つい』で済んだら役人いりません」

 プイと隆広から顔を背けるさえ。

「機嫌直してくれよう~。悪かったよう~」

 

「はいはい、もういいですか。ちょうど隆広様も帰ってきたことですし」

 付き合っていられるかと言わんばかりの口調で、助右衛門が居間に再びやってきた。慶次も笑い泣きしたのか、眼が潤んでいた。

「お留守の時にお訪ねして申し訳ござらん。奥方様に引越しを終えたご挨拶に…あっははははは」

「ああもう! 笑いの虫を抑えてから言ってくれ!」

 家臣の話を聞くのである。隆広はあぐらをかいて座り、胸を張った。

「遅いって…」

 加奈の突っ込みは無視した。

 

「そうか、みんな引越しを終えたのか」

 柴田勝家は先日に隆広が刺客に襲われたのを鑑み、隆広をより広い屋敷へ移るように指示し、かつ奥村助右衛門、前田慶次、石田佐吉に隆広の屋敷ほど近くに引っ越すように命令したのである。

 三人はその下命に従い、本日に引越しを終えたので隆広の妻であるさえにその報告を兼ねて挨拶に来ていたのだった。そこに隆広がいきなり『子作りしよう』と帰ってきたと云うわけである。

「はい、そのご挨拶を妻共々奥方様にいたしていた次第ですが、ご相談したき事もございました」

「相談?」

「はい、勝家様は隆広様をこのお屋敷にお移しになり兵十人づつに交代の常駐を義務付けました。忍び三名も夜間は常駐すると伺っています」

「そうだが」

「兵士十人と隆広様ご夫婦、加えて忍び三名、これの食事や雑事や何やらでずいぶん屋敷はあわただしくなります。また内政主命に伴い、時に城下の商人たちや人足たちを大広間などでもてなす機会もあると思います。新たに女中を雇う必要もありましょうが、失礼ながら隆広様はそんなに裕福でもないのでそう多くは雇えない。ならば手前どもの妻の津禰と加奈が奥方様について水沢家の台所を切り盛りしてもらおうと、慶次、佐吉とも話した次第ですが…いかがでしょうか」

「うん! オレは異存ない。家族が増えて楽しそうだ。さえはどうか?」

「うん…」

「どうした?」

「だってあんまり人が多いと…」

「…バカだなァ。寝室では二人きりだよ」

 さえの手を握る隆広。

「うん…(ポッ)」

 完全に二人の世界に入る隆広とさえ。もう勝手にしてくれと言わんばかり、助右衛門は右手で目を覆った。慶次は澄まして煙管に火を着けているが、佐吉は居心地悪そうに頭を掻いた。でも少し微笑んだ。

(もうこのイチャイチャぶりをうらやましく思うこともないぞ)

 

 その時、佐吉の脳裏に一人の少女が浮かんできた。それは掘割工事の陣頭指揮を執っている時、一人の幼馴染と再会していたのである。

 佐吉の父は石田正継といい、浅井長政に仕えていた。今は長浜城と名を変えた今浜の地で暮らしていた時、隣の家には父の同僚の山崎俊永が住んでいた。山崎俊永は姉川の合戦で戦死した浅井軍の勇将山崎俊秀の弟である。兄に似ず、槍働きはまったく出来ない男であるが土木工事に長けており、それを浅井家家老の磯野員昌(かずまさ)に買われ仕えていたのである。

 石田正継は当主の浅井長政直臣であるが、下っ端もいいところの武将で、俊永は家老磯野家の下っ端武将だった。石田家も山崎家も貧しいながらも仲睦まじく隣人の誼を通じていた。

 その俊永には伊呂波と云う娘がいた。佐吉は幼いころから伊呂波に思慕を抱いていた。後年は貞淑女性ともなる伊呂波だが、幼き日は男勝りで隣に住む頭でっかちの軟弱男児の佐吉少年をよく苛めていた。

 そんな佐吉受難の日々、浅井家から山崎俊永の上司武将の磯野員昌が織田につき、俊永も織田についた。姉川の合戦で磯野手強しと見た織田信長が、調略をもって当主長政と筆頭家老の員昌との不和を仕掛けたのである。長政はまんまとこれに乗せられ、人質として預かっていた員昌の老母を殺してしまったのである。

 主君長政に失望した員昌は丹羽長秀の説得に応じて佐和山城ごと降伏した。山崎俊永もこれに従った。そもそも陪臣の俊永にとり主人は磯野員昌であり浅井長政ではない。当然の行動であるが佐吉の父正継はそれを潔しとせず隣人の交わりを断った。

 その後に戦火に巻き込まれた今浜の城は落ちて正継は討ち死に。佐吉は織田と交戦状態になる前に寺へ小僧として出されてしまった。それで後に秀吉に見出されて仕え、その秀吉から薦められて、現在は水沢隆広に仕えている。

 隆広の行う内政主命のすべてに右腕として働き、この掘割工事を共に行っている時、織田信長の家臣となり高島一郡を与えられている磯野員昌に仕える山崎俊永は娘をつれて北ノ庄にやってきた。掘割の作業を見たかったのだ。彼は自分の才を最も生かせるのは土木工事と自負している。だから北ノ庄の掘割をどうしても見たくてやってきたのである。

 

「見ろ伊呂波よ、この工事の責任者は治水をよく知っている。水は恐ろしきものだが、その流れを制すれば、大きな力を得る事が出来る。水は田畑を潤し、大きな実りをもたらす。また、水は川へと流れ、物や人を運ぶ。戦の際には大軍勢を防ぐ堀ともなってくれる。まこと水は偉大よ。その水を御するための技が掘割。ワシはその名人になりたいと思うておる。ワシにとっての大きな夢だ。

 そしてこの北ノ庄の掘割は見事の一字。指導者の水沢殿は伊呂波と歳が同じと云うではないか。まことすでに細君をもたれていることが残念でならぬ。まだ独り者ならば、ぜひに我が娘伊呂波を嫁にと願っていたところだ」

「そんな…父上ったら…(ポッ)」

 水沢隆広が美男と云うことは聞いていたので、伊呂波はポッと頬を染めた。

「ん…?」

「どうさないました?」

「伊呂波…あの若者…見た事ないか?」

「え?」

 それは掘割の作業工程の図面を両手に持ち、円滑に各職長に指示を与えている佐吉だった。

「では西三番の地の作業は終えたのですね?」

「へい!」

 図面に完成の印を記す佐吉。

「分かりました、これから見分に伺います。鳶吉殿の班はその間に休憩と食事を済ませておいて下さい」

「わかりやした!」

 

「あれは…佐吉? いえ、佐吉さん?」

「そうだ、間違いない! 正継の倅だ!」

「どうして佐吉さんが北ノ庄に…しかも掘割の指揮を執っています」

「いや…ワシが聞きたいくらいだ」

「父上、お会いしてみましょう」

「いや…佐吉の父とワシは絶交してしまった。佐吉とてワシを快くは思っておるまい。合わせる顔はない」

「何を言うのです。佐吉さんが掘割の仕事をここでしていると云う事は柴田様の家臣になられたのでございましょう? 今では同じ織田の家臣ではないですか」

「理屈はそうだが…」

(自分が昔に佐吉を苛めていた事を忘れているのではないか…?)

「さあ、まいりましょう」

「あ、ああ…」

 

「佐吉さ―ん!」

「ん?」

 佐吉が声の方を向くと、どこかで見た男女が歩いてきた。

「…! い、伊呂波ちゃんじゃないか! 山崎様も!」

「あ、ああ…久しぶりだな、佐吉」

「はい! お二人ともお元気そうで」

「佐吉さんも」

 佐吉が寺に小僧として出される日に会って以来だから、およそ八、九年ぶりの再会である。男勝りの苛めっ子の女童伊呂波が美しい少女になっていたのを見て佐吉はドギマギしてしまった。

「佐吉、そなた柴田様にお仕えしていたのか」

「いえ、正しく言うのなら客将みたいなものです。それがしは羽柴筑前守秀吉様の家臣ですが、現在は秀吉様の勧めで柴田家侍大将の水沢隆広様に仕えています」

「水沢殿と言えば、この掘割の指揮官。そなたはその水沢殿に仕えておったのか」

「はい、戦働きは苦手ですが、こういう内政主命においては重用される誉れを受けています。今日隆広様は他の仕事で来られないのでそれがしが指揮官となって…」

「お―い! 早く現場を見分して下さいよ―ッ!」

 工夫が佐吉を呼んだ。

「分かった―ッ! すぐ行く―ッ!」

「お仕事中なのに呼び止めてしまい、申し訳ございません」

 伊呂波はペコリと頭を垂れた。

「なんだよ、ずいぶんとしおらしい女子になったな、本物の伊呂波ちゃんだろうね?」

「本物です! 子供のころのこと根にお持ちに?」

「いやいや、今では懐かしい思い出さ。あ、そうだ! よければ夕食をどうでしょうか。懐かしい今浜のお話でもしたいですし」

「よいのか?」

「はい、あまり大したものは用意できませんが、拙宅でいかがでしょう」

「父上、ご馳走になりましょう。いいでしょう?」

「あ、ああ…」

「はい。では夕刻にこの場で!」

 佐吉は現場へ駆けていった。

「驚いたな…十六歳そこそこの佐吉が二百数十名はいようと云う人足や職人、兵士を見事に使いこなしている」

「はい父上、私も驚きました。幼いころは頭でっかちの学問好きの男児で、頼りなさそうと思っていたのに…考えを改めないと」

 

 その夜、山崎俊永親子は佐吉の家に招かれた。佐吉は敦賀湾の海の幸と、九頭竜川の川魚を親子に馳走した。ちなみに佐吉の手料理である。

「佐吉、これお前がさばいたのか?」

 皿に盛られた見事な生け造りと、美味しそうに焼かれた川魚。俊永はゴクリとツバを飲みつつ訊ねた。

「はい、まだ足軽組頭になったばかりで使用人もおりません。全部一人でやらないと」

「美味しそう…。でもこんな高価なお料理、返って悪い事を…」

 申し訳なさそうに伊呂波が言うと、佐吉は笑って首を振った。

「いやあ、主君隆広ご用達の食材屋に行って購ってきたから、そんなに高くはないよ。オレ自身も店の親父とは顔なじみだし。遠慮はいらないよ」

 そういって佐吉は上座に座る俊永に酒を注いだ。

「…ありがとう。ワシはてっきり佐吉はワシを嫌っていると思っておった。そなたの父と袂を別ち、主君員昌と共に浅井を見限り織田についたワシを許すはずがないと…」

「それを云うなら、結果的にそれがしも織田についています。父の正継と兄の正澄も織田との戦で死んだのに息子のそれがしは織田に仕えています。昨日の敵は今日の友。それが戦国の世のならい。こうして父と袂を別つに至った山崎様とも今では同じ織田家臣。許す許さないもございますまい」

「そうか嬉しく思う。それはそうと美味いな、この岩魚」

「そうでしょう。九頭竜川は時に人間にキバを向いてくる恐ろしい川ですが、こんな美味しい魚を人間にもたらしてくれます。主君隆広いわく、『治水は川を押さえ込む技ではなくその恵みを賜る技』と言っていましたが、それがしも同感です」

「水沢様の名前は安土城下でも聞き及んでおりますが、その治水への観点は本当に私も同感です。どのようなお方ですの?」

 伊呂波が訊ねた。

「そうだなあ…歳はオレと同じだけれど、やはり養父隆家様と竹中様の薫陶を受けているだけあって、斉藤家の兵法や内政方法をすべて会得し、かつそれを昇華させていると言っていいすごい方だよ。まあ欠点といえば…」

「欠点といえば?」

「奥方様への盲愛振りかな。家臣の前でも平気でイチャイチャするからたまったモンじゃない」

「まあ」

 クスクスと伊呂波は笑った。

「ところで佐吉」

 と、俊永。

「はい」

「お前に細君は?」

「おりませんよ」

「心を寄せている女子とか…おらんのか?」

「今のところは」

「では…」

 コホンと一つ咳払いをする俊永。

「娘の伊呂波をもらってくれ」

「は…?」

「父上…! 急に何を!」

 さえの父、朝倉景鏡も娘を溺愛していたが、山崎俊永もその尺度ではひけは取らない。その彼が娘を『もらってくれ』と言ったのだから、どれだけ佐吉に婿惚れしたか察するに容易である。だが、いきなり言われて伊呂波も戸惑った。もう顔が真っ赤である。

「今日のそなたの仕事振り。そして今見たそなたの人物。伊呂波の夫に相応しい。もらってくれぬか?」

「い、い…」

 戸惑ったのは佐吉も同じである。ワケの分からない言葉しか出てこなかった。

「ワシも治水家のはしくれ。仕事ぶりや治水に対する考えを聞けばどんな人物か分かるつもりだ。確かにそなたは今でこそ足軽組頭で士分は低く貧しいが、そんなものは関係ない。後に当代の内政家になるとワシは見た。ぜひ婿にしたい!」

「山崎様…」

「それに…伊呂波には早く添い遂げる夫を見つける必要があるのだ」

 伊呂波もそれは初耳だった。

「父上…それは?」

「主の員昌が伊呂波を側室にと…ワシに言ってきた」

「員昌様が!?」

「ワシは断った。だが再三に及ぶ要望。別に殿に不満があるわけではないが、奥方様はとても嫉妬深い方でな。今まで側室をいじめ抜いておられる。言うに心苦しいが、そんな虎口に娘を入らせるなんてワシには耐えられん。だから一つだけ願った。『もし伊呂波に心に決めた男がいたなら諦めて下さい』と。ようやくそれを納得させたが…どうやら伊呂波には心に決めた男もおらぬし…途方にくれた。いっそ妻子を連れて織田家を出奔しようとさえ考えた」

「父上…」

「かといって、どうでもいい男を代役に立ててその場を切り抜けるなんて卑怯な振る舞いはしたくない。伊呂波も傷つく。そして今日、正継の倅で…今や立派な行政官となっているそなたを見た。まさに神仏の計らい! 頼む、佐吉よ、伊呂波をもらってくれ」

「父上…! 私は物ではないのです! 急に言われて『ハイそうですか』なんて言えません!」

 伊呂波は佐吉の家から飛び出してしまった。

「い、伊呂波!」

「山崎様…」

「佐吉」

「…そういう事情があるから言うわけではない事を了承していただきたいのですが…」

「なんだ?」

「幼き日…隣の家に住む同じ年の女童の伊呂波ちゃんをそれがしは思慕しておりました。そして今日、再会して美しくなっていて…男子ならばこんな女を妻にしたい。そう思っておりました」

「そ、そうか! ならば!」

「これから伊呂波ちゃ、いやいや伊呂波殿を追いかけてそれがしから求婚してまいります」

「分かった! 急いでくれ!」

「はい!」

 

「ぐすっ…」

 伊呂波は武家屋敷の通りで涙ぐんで立ち尽くしていた。確かに今日に再会した佐吉を頼もしく思い、その人柄に改めて好意を抱いたのは確かであるが、急に夫婦になれと言われてハイと言えるほど伊呂波は従順な少女ではなかった。

「父上のバカ…」

「そんな事を言うもんじゃない」

「佐吉さん…!」

「さっき…山崎様にも同じ事を言ったけれども、伊呂波殿にも言いたい」

「はい…」

「員昌殿からの、そういう話があったから言うわけではない事を了承して聞いてくれ…」

「はい」

「子供のころ…隣に住む女童の伊呂波殿に…よく頭でっかちと苛められたな。何せ腕相撲しても一度も勝てなかったのだから、さぞや軟弱男と思っていたと思う。今でも槍働きは苦手で…伊呂波殿が常に言っていた『お嫁に行くなら強い人に』には完全に該当しない。

 でもオレも武士。自分の頭と体でこの乱世を生きていくしかない。だからオレは行政官の道を選んだ。戦場を馬で駆け抜ける強さは皆無のオレだけど、主君と共に民を思い良い国を作ろうとする気持ちは誰にも負けない。それを佐吉の『強い人』の分として受け入れてくれないだろうか。

 苛められても、こづかれて泣かされても、腕相撲で負けて笑われても、オレは幸せだった。嬉しかった。何故なら思慕している少女が自分の目の前にいたからだ。山崎様に要望されたからじゃない! 今日再会して美しく成長したそなたを見て妻にしたいと思った心は本当だ。ウソじゃない。苦労ばかりかけるだろうが…この佐吉の妻となってくれないか。伊呂波…」

「佐吉さん…!」

 こうして伊呂波は佐吉、後の石田三成の妻となった。賢夫人伊呂波姫の誕生である。

 

「ふふ…。うふふ…」

 で、これは佐吉にとって昨日の話だった。まだ祝言をあげていないので初夜はまだであるが、訪れるであろう新妻との閨に若い佐吉は胸をときめかせ、隆広の前でデレデレした笑顔を浮かべていた。

 後年、他人にほとんど笑顔を見せないほどに自他に厳しい行政官になる彼であるが、この当時の彼はまだ十六歳、美しい新妻との閨を思い浮かべて破顔するのも無理はない。その惚けた顔に隆広が気付いた。

「どうした佐吉、鼻の下伸ばした間の抜けた顔して」

「え?」

(アンタに言われたくない!)

 

 コホンと佐吉は咳払いをした。

「えっと、実は隆広様、それがし個人で報告がございます」

「なんだ?」

「嫁をもらいました」

「ホントか!」

 助右衛門も慶次も驚いた。その二人の妻も。

「そうかぁ、済ました顔してやる事はやっていたのだな! どこの娘だ?」

 慶次が訊ねた。

「はい、山崎俊永殿の娘、伊呂波です」

「伊呂波殿ォ? 有名な美少女ではないか!」

 と、助右衛門。

「そうなのか?」

 隆広が聞いた。

「はい、嫁にと要望するもの多々おりましたが、父親の俊永殿がまあ娘を盲愛していて、それがしの目にかなう男子でなければやらぬの一点張り。まさに深窓の姫君ですな」

「すごいじゃないですか佐吉殿、そんな難攻不落の美少女を射止めるなんて!」

 さえも祝福した。

「いやあ、奥方様に比べればさほどでも」

 佐吉はデレデレしながら、さえの祝福を受けた。

「よし、では早速佐吉と伊呂波殿の祝言を挙げよう!」

 

 そしてその夜に隆広の屋敷で石田佐吉と伊呂波の祝言は盛大に行われた。隆広は初めての媒酌人であったが無事にやり遂げた。

 三日後には秀吉から引き出物も届き、花嫁の伊呂波には反物五疋、裁縫道具、包丁一式を届け、佐吉には『縹糸下散紅威(ハナダイトゲサンベニオドシ)』と云う名具足。欲しがっていた政治書『貞観政要』、そして二人に黄金三百貫。いたずら好きの秀吉らしく精力剤も贈った。

 また妻を娶ったなら一人前と『三成』の名前をもらった。石田佐吉三成の誕生である。




城下町で見かけた赤子の可愛らしさに惚けて、すぐに嫁に子作りしようと駆け込むシーン、これもまた原本の太閤立志伝3からの引用ですけれど、このシーンは隆広ではなく同ゲームの主人公である秀吉がねねに対して行っています。好きなシーンなんですよね。


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墓前の再会

 石田三成の祝言から数日が経った。今日は隆広の養父水沢隆家の祥月命日。隆広とさえは隆家の墓前にいた。墓参が終わると、その隣のさえの父、朝倉景鏡の墓の番である。

 水沢隆家の墓は他の柴田家中の者も訪れるが、やはり景鏡の墓参をする者はいない。さえにとっては素晴らしい父でも、やはり彼は裏切り者とされているのである。また、この墓が朝倉景鏡のものであると知っている者もあまりいない。

 だが、この日は少し違った。隆広とさえ以外に献花し、線香を上げた者がいたのである。

「誰だろう…」

「どなたでもいいです。父上の墓に墓参して下さった方がいるだけで、さえは満足です」

 と、さえはいつものように墓を清めて花を手向けた。その時だった。

 

「…姫?」

 さえは自分の事だとは思っていなかったので振り向かなかったが、隆広は振り向いた。それは農夫の老人だった。そしてさえに向かって歩いてくる。

「あなたは?」

 隆広の問いが聞こえなかったのか、それほど老人はさえの後ろ姿を凝視していた。

「さえ姫様では?」

(…え?)

 さえはやっと振り向いた。

「お、おお…! 姫!」

(姫? もしやこの御仁…朝倉の?)

 隆広がさえを見ると、さえもまた驚いて老人を見た。

「まさか…監物?」

「はい!」

 監物とさえに呼ばれた老人は涙を流してさえに平伏した。その監物の手を握るさえ。

「生きていたのですね…!」

「はい…!」

「どうしてここに…」

「はい、殿の旧領の大野郡にて帰農して百姓として暮らしておりましたが、こんな話を聞いたのです。北ノ庄の侍が殿の遺骨と遺品を回収し持ち帰ったと…! もしやと思いまして、北ノ庄中の墓地を見てまわったのです…! そしてここに殿の墓が!」

「そうだったの…よく生きていてくれましたね。でも直信は…」

「弟は姫を守れて死ねたのですから本望でございましたでしょう…! ああ、それにしても姫こそよく生きていて下さいました! さぞやあの後はお辛い目に…。う、うう」

 同じく涙を流しているさえに隆広は手拭を渡した。

「さえ、このお方は?」

「はい…父の景鏡に仕えていた老将、吉村監物にございます」

「…この方が吉村監物殿か。聞いた事がある。景鏡殿の家老で、景鏡殿の謀反を頑強に反対したと聞く。土橋信鏡と名を変えた景鏡殿からは疎まれて遠ざけられてしまったというが平泉寺の凶変のおりは命を賭けて主君の景鏡殿を守り戦ったと…。気骨ある老将として父から聞いた」

「もったいない仰せにございます。それでは貴方が…大野郡で殿の遺骨を持ち帰ったという侍ですね」

「はい、貴方が大事に思う姫の夫です。水沢隆広と申します」

「貴方が…! 水沢隆広様でございますか!」

「はい」

「なんと…! 我が殿の地を開墾して下された水沢様の奥方に…! 姫が!」

「さえ、とにかくここではなんだ。屋敷にお招きしよう。さえの知らない景鏡殿のご最期も監物殿ならご存知のはず。ゆっくり聞かせてもらってはどうだ?」

「はい、さあ監物。我が家に来て」

「ありがたき仰せにございます」

「ところで伯母上は?」

「家内なら元気にございます」

「良かった…」

 監物の妻は八重という名で、朝倉景鏡の姉である。だからさえにとっては伯母に当たる。さえの母は、彼女が幼いころに死んでしまったので、伯母の八重が母親代わりに育ててくれた。さえにとっては母親も同じである。

 よる年波と、かつての戦の古傷か、監物の歩き方は見栄えが悪かった。そしてさえはさっきに監物の手を握ったとき、あまりに手荒れがひどいのにも気付いていた。

 

「さあ着いたわ監物。あ、私はもう朝倉家宿老の姫じゃないのだから年長者に呼び捨ては失礼ね。さあ監物殿、こちらに」

「ゴホゴホッ いえいえ、そのお気持ちだけで十分です。そのまま監物とお呼び下さい。主家が滅ぼうと、監物は姫に仕えし老臣ゆえ」

「でも…」

「さえ、風呂の支度と夕餉の準備を」

「あ、はい!」

 さえは屋敷の中に入っていった。

「『わが姫を女中扱いしおって…』とお思いか? 監物殿」

「と、とんでもない!」

「顔に書いてありますよ、監物殿」

「たっははは、かないませぬな」

「さ、まずはお座りください」

 隆広は玄関の上がり場に監物を座らせ、草鞋を脱がせた。

「そ、そんなもったいない。自分でやりまするゆえ」

「『老将を尊ぶべし』、父の教えでございます。それにさえがあれほどに再会を喜んでいた。きっと幼き日のさえに優しくしてくれた方なのでしょう。それがしはさえに惚れぬいておりますので…このくらいさせていただかぬと」

「水沢の名で浮かびましたが、やはり水沢様は斉藤家の水沢隆家殿のご子息に?」

「養子でございます」

「左様でございましたか。ご立派な養父を持たれましたな。朝倉にも隆家殿の名は轟いておりました。かの朝倉宗滴公は斉藤家と共に織田信秀殿を攻めましたが、宗滴公はその際に隆家殿と会い、“楠木正成公を見た思いである”と申された。その後に主家の斉藤家が滅んだ後、朝倉家は何とか隆家殿を家臣にしたく、何度も隆家殿のおられる寺に赴いたと聞いております」

「そうだったのですか…」

「ご存知なかったのですか?」

「はい、父は昔の事はほとんど口にしませんでしたから」

「なるほど…しかし不思議な縁です。水沢様がもう十年早く生まれていたら…それがしは朝倉の将として、水沢様は織田の将として、姉川合戦を敵味方で戦っていたかもしれませぬな…」

「ですが、十年遅く生まれたおかげで、それがしはさえと夫婦になれました」

「姫も十年早く生まれていたらどうなっていた事か…。大殿の朝倉義景様は好色な方でしたから、家臣の娘に美女がいれば必ず召しだして伽を命じていましたからのう…。姫は九歳の時にはじめて大殿に目通りしましたが、『成長したらさぞや美人になるだろう』と言っておった。主君景鏡は憤慨しておりました」

「まさかそれが謀反の…?」

「ええ…ひとつの要因になったのは確かでございましょう…。殿は姫を溺愛しておいででしたから。小少将殿の事はご存知でございまするか?」

「ええ、義景殿最後の妾で当時十四歳、紫式部の千人万首に出てくる小少将のごとき美しさからそう名づけられ、義景殿はその若い肢体に溺れたと聞いています」

「そう小少将殿も元は家臣の娘、しかし大殿は姫にも目をつけておられた。ワシに『さえが十三歳になったらワシに献上するよう景鏡に伝えよ』と申す有様で…今にして思えば朝倉家は滅ぶべきして滅んだのかもしれませぬ」

 しばらくすると、さえがタライに水をはってもってきた。

「さあ監物殿、子供のころの私にしてくれたように、足を洗ってあげるからね!」

「と、と、とんでもござらぬ!」

「監物殿、さえの好きなようにさせて下さりませんか?」

「水沢様…」

 さえは監物の足を洗った。おせじにもキレイとも言えない足を。

 朝倉景鏡は周囲から主殺し、裏切り者、売国奴と罵られ続け、酒に溺れたあげくに発狂してしまった。

 娘のさえにも暴力的な態度をとりだすが、そのたびに監物がかばった。怯えるさえをギュッと抱きしめて、優しい言葉をかけてくれた老臣。それが監物だった。監物にとっては当然の忠節と思っていたのだろうが、幼い日のもっとも悲しい時に常にかばってくれた優しさを、さえが忘れるはずもない。

「さ、きれいになりました。では監物殿、我が家にお上がりください」

「ありがとうございまする…。今日の誉れ、監物生涯忘れませぬ…」

「お、大げさです。さ、湯も沸いていますよ」

 

 隆広夫婦は監物をもてなした。今はただの百姓にすぎない自分をもてなしてくれるのが監物には嬉しくてたまらなかった。そして愛する姫君が素晴らしい男児と夫婦になっていたことも嬉しかった。

 監物も隆広の噂は聞いた事があった。彼の住む越前大野も隆広は開墾したのだから当然でもあるが、村の農民たちが口々に開墾を指揮する若侍の隆広を『民を大切にしてくれるお方』と褒めていたのである。

 そして今日、彼自身がその水沢隆広に会い、噂がウソでない事を知った。二千の兵を従える大将が一農民の草鞋を脱がせてやるなど六十余年生きた彼とて聞いた事がない。姫の男を見る目は間違いなかったと心から思った。

 

 そして、今までさえも知らなかった父朝倉景鏡の最期が明らかになった。一向宗門徒勢の攻撃に彼は平泉寺に立て篭もったが、防ぎきれないと分かっていた。

 彼は愛娘さえを監物の弟である吉村直信に預けて逃がし、その翌日に一向宗門徒勢の猛攻に運命を悟り切腹したと。おおむね、さえが想像していたとおりであったが、見てきたものから聞くのとでは大違いである。景鏡は切腹し、監物が介錯した。平泉寺には火が放たれていたが、幸い景鏡の遺体に燃え移らなかった。後にその景鏡の陣羽織や鎧兜が隆広の私宅に丁重に飾られているのが証拠である。

 監物は首をもって逃げたが、武運つたなく捕らえられた。体ところどころ斬られたあげくに、主君景鏡の首も取られてしまった。

 彼は門徒と共に平泉寺を攻めていた旧朝倉領の一揆衆に命を助けられていた。彼らは景鏡の治めていた大野郡の民ではなく、朝倉本家の一乗谷周辺の民であったが、吉村監物は民に優しい武将だったので本家の領民にも人望があった。一揆衆は門徒たちに監物を討ったと虚偽の報告をして、そのまま手負いの監物を運んで平泉寺から立ち去り、大野郡の集落で匿われていた彼の妻の元に連れて行った。回復した彼は切腹をしようとするが妻に『せめて姫のご無事なところを見るまでは』と止められ、以後は帰農した。

 しかし生活は貧しかった。朝倉氏のあとに越前入りした柴田勝家は一向宗門徒との戦いに追われ、内政に割く資金も時間も、そして全面的に内政を委ねるに足る臣下がいなかった。

 朝倉景鏡の元領地である大野郡もその例外ではなく、加えて凶作も続いたので監物と妻の八重の暮らしは困窮を極めた。彼らには息子もいたが、彼は景鏡ではなく、本家の朝倉義景に仕えており、あの織田の猛攻である『刀禰坂の戦い』で左腕を失い、また左足の指は全部なで斬りにされ、大事な腱を切られてしまい歩行にも支障がある。生活のほとんど父母に頼りきりの自分に嫌気がさして酒に溺れた。監物は妻子と苦しい生活を送っていた。

 そんなある日に優秀な行政官が越前大野の地にやってきた。水沢隆広である。彼の陣頭指揮とその部下の兵たちにより、大野郡の開墾が進められた。

 暮らしが楽になるかもしれぬと、監物も割り当てられた仕事に全力を注いでいた。そしてふと聞いた。開墾の現場に来ていた北ノ庄の侍が、旧領主の景鏡の遺品を捜していたと。無論、監物は何も持っていない。だが他の景鏡を慕う領民が平泉寺から戦の後に持ち去っており、それをその侍に献上したと聞いた。

 監物はいてもたってもいられずに、不自由な体で北ノ庄にやってきた。そして見つけた。主君の墓を。そしてきれいに掃き清められ、献花もされている事とに感激した。誰が…と思い、ずっと墓地で主君の墓を墓参する者を待ち続けた。待つこと二日、彼は見つけたのである。大切な姫を。

「そうだったのですか…」

 監物の長い話が終わった。さえはずっと聞き入っていた。無論、隆広も。

「はい…そして今日、姫が素晴らしい婿殿と巡り合い、幸せに暮らしているのを見ることができて…もはやそれがしごときが心配する必要もございませぬ。景鏡様も喜んでおいででしょう…」

 話し疲れたか、監物はさえと隆広の前でウトウトとし、そのまま眠ってしまった。

「お疲れだったようだ。さえ、寝具の用意はできているか?」

「はい」

「よし、お運びしよう」

 隆広が監物を抱き上げて、別室にしいてあった蒲団に寝かせた。満足そうに眠る旧臣を見つめ、さえは蒲団をかぶせ、灯を消して部屋を出た。

 

「さて、さえ。オレは少し仕事があるから書斎に行く。今日は先に寝ていなさい」

「あ、はい」

「おやすみ…(チュッ)」

 口付けをして、二人は廊下で別れた。

 

 先日に源吾郎に依頼した柴田家軍資金調達係の長の人選。後に『商人司』と云う名称の機関になるが、その長となりうる力量の持ち主数人を源吾郎は候補にあげ、一人一人の能力と経歴を細かく記して隆広に提出した。

 長の候補だけではなくその手足となって働ける者たちの分まで調べて提出したから、相当量での報告書である。隆広は書斎でそれを細かく読み、それに伴う資料に眼を通していた。

「う~ん、源吾郎殿の見込みでは三十人から四十人は必要か…。となると給金は…」

 と、算盤をパチパチと隆広は弾いていた。で、その時。

「お前さま…」

 書斎の外でさえが呼んだ。

「なんだ? 先に寝ていろと…」

「お話があるのです。お仕事中申し訳ありませんが入ってよいですか?」

「…さえに閉じる戸をオレは持っていないよ。お入り」

「はい」

 さえが入ってきた。隆広は算盤と帳面を置いた。

「なんだ?」

「はい…あの…」

「…何も言わなくてもいい。分かっている」

「…え?」

「『監物殿を召抱えて欲しい』だろ?」

「え…!」

 なんで分かったんだろう。さえは驚いた。

「そのかわいい顔に書いてある。分かりやすいなァ、さえは」

「んもう! からかわないで下さい。さえは真剣なのですから!」

「ははは、悪い悪い。だけど監物殿を召抱えるのは、愛しいさえのためだけじゃない。オレのためでもある。言うまでもないがオレはまだ越前に来てから短い。まだこの土地で知らない事が多すぎる。この越前の気候や風土、慣例、風俗、伝承、歴史など知らぬ事だらけだ。監物殿ならばすべて知っていると思うが…どうか?」

「はい、子供のころ、よく越前の昔話を聞かせてもらいましたもの」

「だろう? それに名将である朝倉宗滴公の事もよく存じているようだ。宗滴公の話をぜひ伺いたい」

「お前さま…」

「だが…あのお体と年齢では戦場や開墾や普請の現場には連れて行けない。それは理解してくれるか?」

「はい、我が家の家令(忠実で賢い下僕)として…召抱えて下さいますれば」

「だったら奥さんにも来てもらわないとな」

「い、いいんですか?」

「さえの母上みたいな人だったのだろう? ならばオレにも母上と同じだ」

「お前さま…大好き…!」

 泣き虫がまた爆発してしまった。

「分かっている」

「んもう!」

「それじゃ明日にでも二人でそれを監物殿に言うとしよう」

「はい」

「ところで一つ質問だが…」

「なんです?」

「朝倉本家には名勘定方と言われた吉村直賢(なおまさ)と云う人物がいた。同じ吉村姓、もしや…」

「はい、監物の息子です。しかし…」

「うむ…『刀禰坂の戦い』の戦いで左腕が斬られ、左足の自由もなくなったと言っていたな。織田を恨んでいるだろうな…」

「おそらく…。伯母上は召出しに応じてくれるでしょうが、直賢殿は無理と…」

「ふむ…」

 隆広はさっきまで見ていた源吾郎の報告書をさえに見せた。

「よろしいのですか?」

「うん、読んでみるがいい」

「はい」

 そこには、吉村直賢の人物と能力、そして今の生活の現状が書かれていた。監物の言葉と一致している。

「前に話したな。柴田家中に商人集団を作りたいと。民からの搾取だけで国費を賄う時代は終わらせて、柴田家自らが軍資金を稼がなくてはならないと」

「はい、聞きました」

「オレは…その長に直賢殿を考えている。他の長の候補は越前育ちではない。他国だから雇わぬと云うわけではないが、さっきも言ったようにその土地に明るいものが長になってくれれば頼りになるからな…」

「ですがお前さま…直賢殿は現在ほとんどヤケになっている毎日と…」

「そんなものは働き場所とやりがいを得ればなくなる。思慮に欠けた言い草かもしれないが、オレが必要なのは名勘定方と呼ばれた直賢殿の持つ算術技能だ。左腕がなく、左足が不自由でも任務遂行は可能だ。源吾郎殿の報告では彼は敦賀港流通もやっていたとの事。弁舌に長けているそうだし、かつ主君義景殿の浪費に毅然と諫言を言ったほどに胆力もあると評している。今は時勢に乗り遅れてヤケになっているだけ。よみがえらせれば大化けするかもしれないぞ」

「織田を恨んでいる、と云う点はどうなさいます…?」

「問題はそれだ。だが説得する自信はある。明日に監物殿を大野にお送りして、会ってみるつもりだ。さえも来るか?」

「はい!」

「よし、ではそろそろ寝るか。明日は忙しいぞ。でもその前に」

「その前に?」

「子作りしよう」

「んもう…先に寝てろと言っといて…(ポッ)」

 

 翌日、隆広とさえは大野郡に向かった。無論、監物を連れてである。隆広の愛馬の上で監物は畏まっていた。

「一農民が水沢様の馬に乗り、かつクツワを取らせているなんて…」

「一農民ではありませんよ監物。貴方は我が家の大切な家令ではないですか」

「姫様…う、ううう…」

 監物は水沢家の家令になることを承諾した。最初はとまどったが、やはり主君の側で仕えたいと云う気持ちはあり、そして監物は隆広を若いながらも将器を持つと見込んだ。そんな彼に仕えられるのは老将として誉れでもあった。

「まあ、これからこき使う事になるのだから、そんなに恐縮する事はないよ。案外さえは人使い荒いかもしれないぞ」

「んもう、お前さまったら」

「たっははは、かないませぬな。だが、喜んでこき使われますぞ、殿様、奥方様」

「さえを筆頭の女衆の補佐は無論、ウチの家に番兵として交代で来る連中は、オレと年の変わらない若い兵士ばかりだから彼らの監督も任せるよ。小言口兵衛(口うるさい年長者)となり、せいぜい煙たがれてくれ」

「分かりました。全力を出してイヤなガンコ親父となりましょう。無論、殿様に対しても」

「たっははは、かないませぬな」

「クスッ…お前さま、全然似ていませんよ」

「そうかァ? あははは」

 

「しかし…殿様の使う忍びは相当な情報収集力を持っておいでです。よもや世捨て人同然のセガレにまで手が及ぶなんて…」

「ああ、養父隆家が鍛え上げた忍者衆だからなァ。で…そんなにヤケッパチな日々を?」

「はい。妻にも去られてしまい、加えて不自由な体でございます。ワシも家内も無理はないと…」

「細君はどこの方で?」

「萩原宗俊殿の姫御で、絹と云います」

「萩原宗俊殿といえば、主君宗滴公の話をまとめた『朝倉宗滴話記』を書いた人物…。その娘さんが奥さんだったのか…。現在の居場所は?」

「分かりませぬ…。農民の暮らしになったにも関わらず、グチ一つこぼさずセガレに連れ添ってくれた優しい娘だったのに、ヤケになったセガレは絹を罵倒したり殴ったりしました。ワシと家内が止めても聞く耳もたず…。そしてとうとう堪えきれず家を出て…ぐすっ」

「そうか…」

「辛い話ね…。でもお前さま、昔はそんな方じゃなかった。お前さまのように決してワイロも受け取ろうとしなかった潔白な人物で、煙たがりながらも義景様の信認は厚かったと聞いています。時勢がそうさせたのでしょう…」

「ちがうな、さえ」

「え?」

「そんなものは言い訳に過ぎない。世の中体が不自由でも立派な人物はいくらでもいる。大友家の名将、戸次鑑連(立花道雪)殿など、落雷により下半身不随となったのに、その用兵ぶりは達人で、九州の大名を震え上がらせている。家臣の使い方も上手く戦場で部下たちは嬉々として主君の乗る輿を担ぐという。このように体が不自由でも敵には畏怖を、味方には信頼と尊敬を得る方もいるのだ。直賢殿の所業は卑怯者だ」

「お、お前さま言い過ぎです!」

「いえ姫、殿様の申すとおりです。セガレは卑怯者です」

「監物…」

「だが…」

 隆広はニッと笑った。

「だからこそ、さえ。化けさせがいがあるってものさ」

「ありがとうございます…殿様」

 

 やがて一行は監物の家に到着した。監物の妻の八重が戸口に出てきた。そして夫と共にいる少女を見て驚き、そして泣いた。

「ひ、姫様!」

「ああ! 伯母上! おなつかしゅう!」

 さえと八重は抱き合った。

「よくぞご無事で…!」

「伯母上も…!」

 

 そんな感動の再会の場面に涙ぐむ隆広の耳に、監物の怒号が轟いた。家の奥で怒鳴っているようだ。

「キサマッ! また昼間から酒を飲んでおるな!」

「うるさいな」

 ヤケクソじみた小さい反論も聞こえた。

「ああ、なんと情けない! こんな晴れの日に!」

「晴れェ? 何云っている。曇りじゃねえか。とうとうボケたか?」

 武家の男が父親に対して信じられない言動である。

「天気のことではないわ! 我が主君、景鏡様の姫が婿と共に来て下されたのだぞ!」

「あっははは、そうか、裏切り者の娘が食うに困って旧臣を訪ねてきたのかァ? しかも亭主を連れてとはなァ。あっはははは」

 その言葉はさえにも届いた。

「……」

 感動の対面から、父の悪口で一気に悲しくなったさえ。

「弥吉(直賢の幼名)! 姫になんてこと言うの! あやまりなさい!」

 母の八重は激怒して、息子を叩いた。

「はいはい、ごめんなさい」

 ドンブリに酒を注いで、一気にグイと飲む直賢。

「ああ…! なんて情けない! そんな弱い子に育てた覚えはないわよ!」

 母の叱咤もどこ吹く風でヘラヘラ笑う直賢。

「おぬしはどうやら酒の飲み方を知らぬらしいな」

「なんだおめえは?」

「人に名前を尋ねるなら、まず自分から名乗れ。そんな礼儀を知らぬヤツが金庫番をしていたから朝倉は滅んだんだ」

「ああそうかもな」

 怒りさえ忘れたか…隆広はなかば呆れたが、ますますやる気を出してきた。

「まあいい、オレから名乗ろう。柴田家侍大将、水沢隆広だ」

「ああそう」

「なんだ、てっきり織田の家臣と聞いて噛み付いてくると思ったがな。どうやらそんな気概もなくしたか」

「ふん…」

「用件だけ言おう、お前の父母は今日からオレに仕える。お前ごとき穀潰しの面倒を見るよりはるかに充実した日々を提供する。異存ないな」

「勝手にさらせ」

 

「お前さま、姫の夫に仕えるとは…?」

「ああ、今朝に姫から申し出てくれて…勝手ですまないがお話をお受けした。姫は母も同然だったお前もと望み…今こうして自ら迎えに来て下されたのじゃ…」

「そうでしたか…」

「伯母上…お願いします。私と一緒に…」

「お話は嬉しいのですが…あんな状態の弥吉を…」

「行けばいいだろ。オレはここで飢え死にして死ぬよ」

「弥吉! なにその言い方は!」

「ふん、さすがは裏切り者景鏡の姉夫婦だ。越前を攻め滅ぼした織田に尻尾をふるか。親が親なら娘も娘だな。朝倉家宿老の姫の誇りも捨てて、信長の家来の家来の女房になりやがった。あっはははははッ!」

「ひ、ひどい…!」

 

 ドンッ

 

 その刹那、隆広は直賢のアゴを掴み、そのまま壁に叩き付けた。

「…ぐっ」

「元朝倉の家臣。織田への恨みは骨髄まで至っているだろう。だからオレの事は無論、大殿や殿の悪口を言っても我慢するつもりでいた。だが…!」

 隆広は脇差を抜いた。

「妻を…さえを景鏡殿の名をもって侮辱するヤツは許さない!」

「なら斬れ! こんなオレ生きていたって仕方ねえ!」

「そうか…なら斬る前に伝えておこう。お前の女房だった絹、それは監物殿より先に召抱えた」

 

「…?」

「姫様?」

 八重がさえを見た。さえは知らないと首を振った。

「静かに…! 殿様には何か考えがあるようじゃ」

(そういう事か…)

 隆広は監物に直賢の妻の事を少し詳しく聞いてきた。その理由が今分かった。

「絹を…!?」

「ああ、オレはさえのような同年代の女も好きだが、脂の乗った年上の女も好きなんだ。侍女として雇ったが、中々いい肢体だ。側室にしたぞ」

「…ふ、ふざけるな…!」

「何を怒っている? 追い出したのはお前だろうが? 絹は閨が終わると言っていたぞ。前の亭主は腑抜けだったとな」

「うそだ!」

「ウソじゃない、腑抜けが!」

「キ、キッサマァァ―ッッ!」

 直賢は右手で思い切り隆広を殴った。そして体が自由になると、立てかけてあったクワを持ち隆広にかかっていった。

「ブッ殺す!」

「面白い! かかってこい!」

 隆広は脇差を置き、直賢の振り下ろしたクワの柄を掴んで取り上げた。そして

 

 ゴンッ

 

 直賢の顔面を思い切り殴打した。たまらず直賢は吹っ飛んだが、すぐに立ち上がり隆広に殴りかかった。

「こういう事だったのね…」

 さえは感心したように笑った。

「はい、セガレを怒らせるために…」

「怒る弥吉を見るなんて…何年ぶりか…」

 八重は涙ぐんだ。

 

 だがここ数年の酒びたりがたたり、すぐに直賢は息を切らせた。ふるった拳も弱弱しい。

「ハアハア…」

 ポリポリ、直賢のゲンコツが当たったアゴを隆広はくすぐったそうに掻いていた。

「若僧が…」

「水沢隆広だ」

「ふん…」

 直賢はあぐらをかいて座った。

「吉村直賢である」

 直賢はやっと名乗った。そして何かスッキリしたような顔だった。




今さらですが、我らがヒロインさえが朝倉景鏡の娘と云うのは本作のオリジナル設定です。原作ゲームでは、まったく氏素性不明ですが、我ながら景鏡さんの娘としたのはよい思いつきと思っていたりします。


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商人司誕生

 ひとしきり暴れて、ようやく頭が冷静になってきた直賢は隆広に詫びた。

「…ウソをつかせて済まなかった」

「何の事だ?」

「妻の絹の事さ。アンタはオレの妻を側室なんかにはしていない。それどころか会った事もないだろう」

「なんで分かった」

「カンだ」

「カンか」

「あと、さえ姫様を侮辱した事も済まなかった。さきほどの言葉、お忘れ下さい」

 直賢はさえに平伏した。

「…は、はい」

「父母をよろしくお願いします。それがし一人ならば食っていけます。貴方と殴り合い目が覚めましたゆえ」

「いんや」

「は?」

「正しく言うならば、直賢殿の父母はオレの妻に仕えるのです。それがしが迎えに来たのは」

「…?」

「直賢殿だ」

「は、はあ?」

「確かに絹殿の事は知りませぬ。だが直賢殿の事は調べてあります。さえが恩を受けた夫婦の息子と云うのは、本当に偶然なのです」

「ぐ、偶然?」

 

 隆広は詳細を話した。自分の忍びが直賢を推薦していた事。そして直賢が朝倉家でどのような活躍をしていた事も調べたと云う事も。

「そうでしたか…。しかし、水沢殿はまだ侍大将で、しかも陪臣。失礼ながら自分の家中に勘定方を置くほどに収入があるとは思えませんが」

「水沢家じゃない、柴田家です」

「は?」

 さえ、監物、八重も家に入り、隆広の言葉に耳を傾けた。

「直賢殿、柴田家が朝倉家同様に一向宗門徒たちに悩まされているのは知っておりますね」

「無論です」

「そしてそれはそのまま越前の民の苦しみでもあります。軍備に伴い、どうしても現状の高い税を徴収をするしかなく、楽市楽座を導入していささか緩和しましたが、やはり大幅な減税には踏み切れない有様です」

「でしょうね」

「だからそれがしは考えた。柴田家そのものに軍資金を稼ぐ集団がいればいいのだと。もはや民からの搾取のみで国費を賄う時代は終わらせなければなりませぬ」

「な…今なんと申された?」

 監物と八重も驚かされた言葉だった。こんな事をクチにする武士を見たのは初めてであり、しかもまだ十六歳の若者がである。

「民からの搾取のみで国費を賄う時代は終わらせなければならない。そう言ったのです。かつて直賢殿は朝倉義景殿の浪費を強く戒めたと聞きます。それは君主の贅沢のために民に負担を強いるのが耐えられなかったからではないのですか? 敦賀港流通に貴方が積極的に取り組んだのも、せめて自分で国費を稼いで越前の民を重税から救いたいと思ったからではないのですか?」

「…おっしゃるとおりです」

「朝倉から柴田の統治になっても…まだ税に苦しむ民は多い。この上、越前には治水と云う絶対にやらなければならない事業があります。特に九頭竜川の治水です。これを税で賄ったらどうなるか。どんなに優れた治水家が実行しても六万貫はかかる。放っておけば大型台風が来るたびに、およそ倍以上の損失! 推定五百の人々の犠牲者。それに続く飢饉の死者など考えたらキリがない! また税が増えるという泥沼。

 それがしは治水、開墾に伴う資金を柴田家そのものが稼いで、そして民のために使いたいのです。そのためには朝倉家で名勘定方と言われた直賢殿のチカラが必要なのです」

 直賢は隆広から眼をそむき、拳を握っていた。監物はじれったくなり怒鳴った。

「何をためらう! 男子としてこれ以上の誉れの仕事があるか!」

「水沢殿が…織田の家臣でさえなければ…こちらから地面に顔をこすりつけても仕える事を望みたい。だが…狭量と言われようがオレの左腕を切り落とし、左足の自由をうばい、妻との幸せな暮らしを踏みにじった織田に…どうして仕えられる!」

「弥吉…」

「確かに義景様は評判のいい主君じゃなかった。だが、オレの才能を認めて…合戦じゃ臆病で役立たずの陪臣のセガレを本家の勘定方に抜擢し重用して下された。たとえご自分の贅沢のためとはいえ、オレは嬉しかった。子供のころから武芸が苦手で、百姓の子にも泣かされたオレが唯一長けていたのが算術。父上母上さえ認めてくれなかったオレを義景様は認めてくれた。国士として遇してくれた。それを死に追いやったのは景鏡様じゃない、織田だ! それがどうして仕えられる!」

「お前さま…」

 さえが隆広の着物を掴んだ。説得は無理。そう思ったのだろう。だが隆広はあきらめなかった。

「織田家、柴田家のためじゃない。越前の民のため、と考えられませんか。それとも貴方は私怨を越えられない器なのですか?」

「私怨だと!」

「国の経営に銭金は不可欠。それをまったくの無から生み出すチカラを直賢殿はお持ちだ。聞いていますよ、海水から塩を作り、それを山国に転売して数ヶ月で八千貫稼ぎ、九頭竜川の治水をしようとしていた景鏡殿に渡したと云う事を」

「…どこでそれを!」

 監物と八重も知らなかった事である。

「手前の忍びが調べてくれました。だが誰がやってもできる事ではない。直賢殿だから出来た事。その優れた商才を体が不自由だからと埋もれさせるのは天下の損失。直賢殿は経理と云う特技で人々を救えるのですよ。貴方の働きによっては大幅な減税も夢ではないし、稼いでくれたお金によって九頭竜川の治水がなされ、大型台風にも氾濫せず犠牲者も皆無で築き上げた財を失わない。それどころか永遠に人々の美田の水源となる。後の人は私怨を越えて越前の民のために織田に組し、減税の立役者となり、そして治水資金を見事に稼いだ吉村直賢様と尊敬し賞賛するでしょう」

「水沢殿…」

「失礼ながら、直賢殿がこの近隣の人々に『隻腕を理由に働かぬ怠け者のバカ息子』と呼ばれている事は聞きました。その人々を見返してやり、かつ感謝されるほどの人物になりたいと思われぬか? それにもし、それがしが一度でも直賢殿の稼いだお金を自分の欲望のために使ったら、その時はいつでも斬って下さって結構。いかがか、柴田家に来ては下さらぬか。越前の民のため、そして他ならぬ直賢殿のために」

「水沢殿…!」

 枯れたと思っていた涙が直賢の頬に落ちる。八重と監物も隆広の言葉に泣いた。

「義景殿が貴方を認めて必要としたように、それがしも直賢殿が必要なのです」

「良いのですか…! それがしは見ての通り左腕がなく、歩行もままなりませぬのに!」

「すぐに直属の部下も用意いたします。直賢殿ご自身がアチコチ出て行く必要はございませぬ。帷幄にあり部下を使いこなし人々を救うお金を生み出して下さい。それがしの目の黒いうちは越前に『増税』の二文字はありえませぬ。ご助力を頼みます」

「分かりました! 殿!」

 残る右腕を地に付け、不恰好に隆広へ平伏する直賢。隆広はその右手を両手で握った。

「武人らしからぬウソを言って直賢殿の誇りを傷つけた事をお許し下さい。だが思います、直賢殿が再び生きた眼を取り戻したと聞けば…絹殿も戻ってくるのではないかと」

「ハッ…!」

 監物と八重は心優しい主君の気持ちに感涙し、さえもまた惚れ直した。

(ホントに化けさせたわ…素敵よお前さま♪ 大好き!)

 これが後に石田三成と共に水沢隆広の政治を支えた吉村備中守直賢である。神業の経理、隻腕の商聖とも称され、一度として隆広に国費の心配はさせず、柴田の兵と民を飢えさせなかったと言われている。当時に商人として名をはせていた今井宗久や茶屋四郎次郎も『とうてい及ばぬ』と感嘆したとも云う。水沢隆広十六歳、吉村直賢三十四歳であった。

 

 吉村直賢を召抱えると、隆広はかつて兵糧奉行だった時に摘発した不正役人たちを北ノ庄城下の宿に呼び戻した。労役を課せられ自分たちが不当に搾取した賄賂分の金額を稼ぐように隆広に言い渡されていた。

 あれから二年近く経ち、だいぶ不正役人たちの顔から邪気が取れていた。『金銭関係で悪事をする者は頭がいい。上に立つ者次第でその毒は薬にもなる』と養父に教えられた事のある隆広は、その頭脳を正しい方向に持っていくために労役を課した。

 北ノ庄城、一乗谷の町、金ヶ崎の町の不正役人たちは隆広に呼び戻された。全部で二十四人である。隆広は主君勝家に不正役人二十四名は追放したと報告していたが、今その二十四名は北ノ庄に帰って来ている。

「どうであったか労役は?」

「はい、下々の苦労を知りえる機会を与えて下された水沢様に感謝の気持ちでいっぱいです」

 本来、斬首になってもおかしくない罪を犯したのに、生き延びる道を与えた隆広に対して彼らの感謝は大きい。

「全員、手のひらを見せよ」

 隆広は一人一人の手のひらを見た。きれいな手をしている者などいない。クワを振る事によって出来たタコ、そして手荒れも著しい。

「美しい手だ」

「「ありがたき幸せに」」

「本日より、全員柴田家の帰参を許す」

「ま、まことにございますか!」

 二十四人は感涙した。

「まだ規定額に達していない者は、新たな勤めで稼ぐがいい」

「「ハハーッ!」」

「ただし、新たな仕事は兵糧関係ではない。直賢入れ」

「はっ」

 隣室に控えていた吉村直賢が入ってきた。二十四人は隻腕で左足を引きずるように歩く男を怪訝そうに見た。

「そなたらは、この吉村直賢に仕えるのだ。勤務地は敦賀港」

「「え!」」

「『柴田家商人司』、それがそなたたちの新しい役職名だ。仔細を説明する」

「殿、それはそれがしから」

 直賢は隆広を制して、自分の部下になる男たちに説明した。

「うん、たのむ」

「コホン、よく聞かれよ。我らの務めは『交易により国費を稼ぎ開墾、治水、架橋などの工事資金に当て、越前の民に減税をもたらす事』である。他の大名はどうであろうと、他の織田軍団長はどうであろうと柴田家は自分で金を稼ぐ。かつ民の仕事に迷惑をかけずに、である」

 ポカンとする二十四名。

「つまり、越前の国は『民からの搾取のみで国費を賄う時代を終えさせる』のだ。それが柴田家商人司の我らの任務。それがしが指揮を執る」

「あなたが?」

「申し遅れた。それがしは吉村直賢と申す。元朝倉義景様にお仕えしていた勘定方にござる」

 急な話で戸惑う二十四名に吉村直賢は理路整然と『商人司』の任務と、その大事な役割を説明した。二十四名はだんだん直賢の話に興味を示し、そしてその仕事をしてみたいと思った。

「そなたらの過去は聞いた。だがそれがしはそんなもの興味ござらん。そなたらの能力が欲しいのだ。チカラを貸していただきたい。それがしは穀潰し息子と生まれた村で蔑まれ、そなたは不正役人とこの地で蔑まされた。我らの手でこの国を豊かにして、逆に感謝させてみようではないか!」

「「承知しました!」」

「「お頭!」」

 途中から隆広の出番はなくなってしまった。目の前の二十四名は直賢を大将と心から認めたのである。直賢はこの二十四名を縦横に使いこなし、柴田家を支えていく事になる。

 

 数日後、隆広は主君柴田勝家の前にいた。

「朝倉家の勘定方だった吉村某を召抱えたそうじゃな」

「はい」

「ふむ、侍大将ともなれば配下武将が三人では足らぬと思ってはいたが…聞けばその男は隻腕のようだな。しかも一気に二十四人もの部下を与えたと聞く。もはやお前も柴田の重鎮。禄の範囲で誰を登用するもお前の自由であるが登用した理由を知りたい。詳細を聞かせよ」

「はい、包み隠さずお話しますが、その前にお詫び申し上げたい事ございます」

「なんじゃ?」

「その者に与えた二十四名の部下、前身は北ノ庄城、一乗谷の町、金ヶ崎の町の不正役人たちにございます」

「なにぃ? そなた追放したと報告したではないか!」

「いいえ、実は労役を課し越前領内に留めました」

「虚偽報告をワシにしたか!」

「恐れながらその通りです。支城の不正役人はすべて斬刑となりました。労役を課すと報告しても殿はおそらく許さず斬刑にしたでしょう。しかし不正とはいえフトコロに大金をもたらしたのは、それなりに頭が良いからにございます。それがしは労役によりそれを正しい方向に変え、当時から考えていた役職につけたいと思っていたのです」

「ううむ…。で、労役によりそやつらはマシになったのか?」

「はい、真人間に変わりました」

「そうか…ならば聞かなかった事にしてやろう。しかし時に主君に虚偽報告をせざるをえないのはワシも信長様に仕えているのだから分かる。ゆえに一つ申しておくが、どうしても虚偽を言わざるを得ないときはそれでいい。しかしその後に折を見てワシに面談を申し込み真実を伝えよ」

「はっ」

「では話を最初に戻せ」

「はい、その男は吉村直賢といいまして、仰せの通り朝倉家で勘定方をしていました。残念ながら隻腕であり、また元々武芸には不向きのようで戦働きを望むのは無理です。しかし彼には傑出した特技があります。交易です」

「交易?」

「はい、敦賀港は古くから日本海海輸の拠点。そこを根拠地として交易をさせます。つまり柴田家の中に、軍資金を稼ぐ専門機関を発足させたのです」

「軍資金を稼ぐ…専門機関?」

「はい。これから越前をとりまく情勢は厳しくなります。一向宗門徒、そして上杉、鉄砲や軍馬や兵農分離を行うにも、まず金が必要。無論の事に内政全般にも。よって…」

「バカモノ!」

「……」

「そなた、ワシに恥をかかせるつもりか! いやしくも柴田の家中に商人集団だと! 織田や柴田の名前をもって米転がし交易品転がしなど断じて許せんぞ! すぐに解雇せよ!」

「…お断りします」

「なんじゃと! ええい隆広! ワシがそなたを高禄で召抱えておるのは、そんな事をさせるためではない! 商人の長として召抱えた覚えはないぞ!」

 勝家は床の間に置いてある刀を抜いて隆広に突きつけた。隆広はひるまずに訴えた。

「それがしは殿に領内の内政を任されました。粉骨砕身それに励んでおります。しかし悲しいかな何をするにおいても金は必要! 軍備にも内政にも! そして民を守るためにも! お金がないからできませんでは行政官は失格でございます! また国費の事を主君に心配させるようでも内政家臣は失格です! だからと言って増税すれば民の怨嗟はそれがしでなく殿に降りかかります! 殿に無断でその機関を配下に置いたのはお詫びします! しかし増税なしで満足のいく内政を実行するにはこれしか方法はありませんでした! 越前の民のため、織田家のため、柴田家のため、それがしはそのために高禄で召抱えられているのではないのですか? それが不忠というのならば! 殿の顔に泥を塗ると云うのであれば! お斬り捨て下さい!」

 熱を込めて訴えるあまり、途中から隆広の声は涙声になった。

「ふん」

 勝家は刀を納めた。

「分かった、お前の思うとおりやってみよ」

「はっ」

「ええい! いちいち泣くな!」

「は、はい!」

「隆広」

「は!」

「成果が上々の場合は減税も考える。手柄によってはワシ自ら吉村とやらに褒美も与えよう」

「は、はい!」

「ふ…ワシはよい行政官を拾ったものだ。主君にダメだと言われて『ハイそうですか』では話にならぬのも確かだからな。今後もこういう衝突はお前とはあるだろう。お前には迷惑であろうが、それを楽しみにしている」

「はい!」

「ふむ、下がれ」

 隆広は部屋から出て行った。勝家は嬉しそうに微笑んでいた。

「ふふ…今日の酒は格別美味そうじゃ」

 

 城を出ると源吾郎が隆広へ駆けてきた。

「隆広様―ッ!」

「源吾郎殿、いかがされた」

「ハアハア、絹殿が見つかりました」

「本当ですか! で、どこに?」

「それが…」

「…?」

 

 翌日、隆広は源吾郎と共に敦賀の町に来ていた。吉村直賢が常駐する商人司本陣もここにある。楽市のように自分の店はなく、現在で言う事務所みたいなところである。そこで直賢が部下を使い米相場、馬相場、交易品相場を玩味して転売して利益をもたらす。はては各国の金山から出る金の入手や売買なども行う。

 以前に隆広が忍びを作って確立した越前の海の幸や名産などの都への流通は民の運営する楽市楽座のものであるので、直賢はその交易に接触はできないものの、まったくの無から金を生み出すと言われた彼だけあって、元々敦賀の町に出来上がっていた交易販路は民に任せた。主君の期待に応え、すべて自分から販路を新たに開拓すると決めていたのである。

 隆広が本陣をのぞくと、直賢が生き生きと部下たちに命令を出していた。伸ばし放題だった髪も無精ひげも整えた。今は立派なマゲを結い、口髭も貫禄を示している。糊の効いた裃を着た威風堂々の二本差しの武士である。

「うん、ふて腐れて酒をかっくらっていた時とは別人のようだな」

「ははは、これだけの厚遇をいただければ誰でも生き返りましょう。げにも隆広様は人使いが上手いです」

 源吾郎の褒め言葉に照れ笑いを浮かべつつ、隆広と源吾郎はそのまま直賢には会わずに本陣から立ち去った。

「しかしまさか同じ町にいたなんてなァ…」

「直賢殿はすでに販路をいくつか確立しておりますので、この商人の町に名も広まっておるはず。奥方の耳にも入っているでしょうが…合わす顔がなかったのでしょう」

「うん…オレは直賢を感奮させるためとはいえ、絹殿を側室にし閨を共にしたと虚言を吐いた。武士らしからぬ下策を用いたと恥ずかしく思う。だからその侘びを含めて、何とか再会を取り持ちたい」

「直賢殿は特に何とも思ってはいないかもしれませぬが、そういう配慮が人を惹き付けるものです。さ、着きましたぞ」

 

 そこは遊郭の通りだった。

「キャ―いい男! 私と遊びましょう!」

「あなただったらタダでもいいわよ!」

 美男の隆広に娼婦たちの黄色い声が飛び交った。隆広は赤面しながらも目的の店に入った。

「これはこれは水沢様!」

 敦賀の町の楽市楽座や、その他の商業にも隆広は尽力している。敦賀の夜の顔というべく遊郭のやり手婆たちも一目置いているので、当然隆広の顔は知っていた。

「水沢様に来店いただけるとは当店の誉れ。水沢様と同じ年頃の『蓮の蕾(処女)』を水あげして馳走させていただきまする」

「い、いや指名がある。紅殿を」

「紅を? よ、よいのですか? あの女はそろそろ三十路の安女郎です。失礼ながらお財布にゆとりがないのでしたら後日でもよいのですよ。是非当店の蓮の蕾を堪能していただけたらと…」

「女将、水沢様が紅がよいと言っているのだから…」

 処女を薦められ困る隆広に源吾郎が助け舟を出した。

「分かりました。ではどうぞ。で、そちらの方は?」

「ワシは酒だけでいい」

「かしこまいりました」

 

 部屋に通された。初めての遊郭に少しドギマギする隆広。

「よいですか隆広様、間違っても雰囲気に流されて絹殿を抱いてはなりませんぞ」

 別室に通される源吾郎と離れる際、小声で言われた。

「む、無論です。紅殿は、いや絹殿は家臣の妻。大切にしなくてはならんのですから!」

(そんなに助平と思われているのかなオレ…)

 

 部屋にはいり、窓から敦賀湾を少し眺めていたら…

「紅にございます。ご指名、恐悦に存じます」

 源氏名を紅と名乗る女が入ってきた。

「あ、ああ…」

 紅は顔を上げるとギョッとした。なんでこんな若い美男が遊郭などに来るのかと。いかに敦賀の商人衆に名と顔が知られた隆広でも、その末端にいる安女郎が知るはずもない。

「では、お召し物を」

 紅は隆広の着物を脱がせようとした。

「いや待たれよ」

「え?」

「貴方は萩原宗俊殿の娘御、絹殿ですね?」

「……!?」

 なんでそんな事を知っているのかと驚くと共に、紅は首を振った。

「お人ちがいでしょう」

 認めたら父の名を辱めると思ったのか、紅は当人と言わなかった。

「いや、こちらも名乗らずに失礼。それがし柴田家家臣、水沢隆広。絹殿の夫、吉村直賢の主でございます」

「私は絹と云う女ではありません! 帰って下さい!」

 紅、いや絹は直賢の暴力に耐えかねて家を出たが、すでに彼女の実家の萩原家は滅亡しており行くあてもない。金もない孤独な絹が糧を得るのは女郎しかなかった。

「直賢は知っての通りヤケになり、絹殿にもひどい事をしたとの事。しかし今は働き場所を得て生き返りました。だが彼は左腕もなく、歩行も不自由。日常生活には相変わらず支障が多いでしょう。なのに彼は女中も雇わず後妻も娶ろうとはしません。貴方を待っているからではないですか」

「…今さら、どのツラ下げて会えるのですか。私は女郎になりました。私の体はすでに汚れています。どうして主人に…う、ううう…」

「…直賢の姿は見ましたか?」

「…見ました。柴田家の家臣になり、この敦賀に本陣を与えられて商売に勤しんでいると聞き…いてもたってもいられずにあの人のいる本陣に行きました。そしてそこにはあの人が朝倉家で働いていた当時の輝く顔がありました。嬉しくて嬉しくて…。でも私はすでに女郎。会う事はできません」

「困ったなァ…。どうしても直賢の元に戻る気はないのですか」

「はい。せめてお情けあれば…私がここにいる事を夫には…」

 

「もう遅い」

 襖の向こうから声がした。そして勢いよくパンと開いた。立っていたのは直賢だった。不自由な体で大急ぎに駆けてきたのだろう。汗だくだった。

「お前さま…!」

「絹…!」

 隆広は何も言わずに部屋から出た。廊下には源吾郎がいて片眼を軽くつぶった。

「そうか、源吾郎殿が知らせたのか」

「はい、ある程度隆広様によって直賢殿の事を聞かせた後、本人登場ならば効果大と思ったのですよ」

「なるほど。本当にその通りだ。まだ女心については源吾郎殿には及ばないなァ」

「ははは、単なる年の功ですよ。ならば我ら邪魔者は退散いたしましょう」

「そうですね」

 

「会いたかったぞ絹…すまん、辛い思いをさせてばかりで」

「私は女郎に…とても顔向けできぬと…」

「何を言う、生きていてくれただけで満足だ」

「お前さま…!」

「さあ帰ろう、ここの店主とは話をつけておいた。またオレの妻となってくれ」

「はい…」

「見ただろう、オレは良き主君を得た。もういつかのようにヤケになどならぬ。いやそんなヒマすらない。あの若き主君は人使いが荒いでな。お前も忙しゅうなるぞ」

「はい!」

 元女郎と云う事で、しばらく蔑みの眼を浴びたが絹は負けなかった。それどころか体の不自由な夫への献身や内助振りはまさに良妻の鏡とも思われ、数ヶ月もすれば蔑みの眼は直賢の部下からも水沢の女衆からも消えうせていた。辛苦を味わっただけに人物としても深みがあり、隆広や妻のさえにも信用された。

 直賢もまた、隆広の期待に応え越前の国庫を潤わせた。鉄砲や軍馬を買うに役立ち、隆広は無論、勝家を大いに喜ばせ、直賢は勝家自身から褒美の品と言葉をもらい、かつ部下の増員もしてくれたのだ。

 

 北ノ庄の城下町、水沢隆広の屋敷。

「そうかぁ、殿から直々にお言葉と褒美を!」

「はい、これも殿がそれがしに働き場所を与えてくれたおかげです。なあ絹」

「はい、夫婦共々感謝しております」

「大した事はしていませんよ絹殿。場を預けて後は任せきりなのですから。あははは」

「そういえば、絹殿はご懐妊されたそうですね」

 隆広のかたわらにいたさえが言った。

「はい、本当に幸せな事ばかりです」

 絹は愛しそうに自分の腹を撫でた。もうすぐおじいちゃんとおばあちゃんになる監物と八重もその腹を愛しそうに見ていた。

「いいなあ…早くさえも欲しい」

「さえ姫様は十六歳でございます。これからいくらでも」

「そうともさえ! じゃ早速に子作りを…」

「んもう! なんでそうなるのですか!」

 と、六人の楽しそうな笑い声が湧いた時だった。

 

 ドン、ドン、ドン

 

 北ノ庄城から陣太鼓が轟いた。

「ん…?」

「殿、あれは臨時評定を始めるという合図の太鼓では?」

「そのようだ。いよいよ謙信公が動いたかもしれないな…。直賢、合戦となれば軍費の問題もある。まだ評定衆には加われぬだろうが、殿もそなたがいた方が話の進みも早かろう。参るぞ」

「ハッ!」

「監物、直賢の歩の補助をせよ。いささか急ぎで歩くゆえな」

「承知しました」

「八重、さえを頼むぞ。絹殿には今日泊まっていただくがいい」

「かしこまいりました」

「では、さえ」

「はい」

「行ってくる(チュッ)」

 愛妻との口づけに満足すると隆広は直賢と監物を連れて出て行った。



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軍神西進

 臨時評定の陣太鼓を聞き,隆広と直賢は家を出て城へと向かった。目の前で堂々と口付けをされて絹は赤面した。侍女の八重には日常茶飯事の光景だが。

「さえ姫様、いつも殿様は出かける時に…」

「うん、『男は外に出ると七人の敵がいる』とかどうとかで、外での安全のおまじない♪ 上手い事乗せられてしまって今ではすっかり習慣になっちゃって♪」

「は、はあ…」

「先日なんて、口付けからあの人興奮しちゃって…朝から…恥ずかしい!」

 聞いている絹と八重の方が恥ずかしくなってきた。

「で、でも殿様、さえ姫様と仲睦まじくしてらっしゃる時はとてもお優しい顔をしていらっしゃるのに、陣太鼓を聞いたとたんキッと引き締まりましたね」

「うん、さえに見せて下さる優しい顔も大好きですけど、あの引き締まった凛々しい顔は、さえもっと好き♪」

「あらあら」

 堂々とまあ、絹と八重は苦笑した。

 

 そして北ノ庄常駐の将が召集された。今まで別室だった奥村助右衛門、前田慶次、石田三成も先の小松城の戦いで勲功を上げているので評定衆の仲間入りを果たしている。吉村直賢はまだ家中に名が知られていないため、別室に控えているが議題が軍費になったら呼び出される事となっている。佐久間盛政の傷も癒えて、家老の席次である上座に座っていた。

「いよいよ本格的な加賀攻めの下知かもしれんな! 隣の加賀に門徒の国があると思うと枕を高くして眠れない。早いところ片付けたいものだ」

 小松攻めの時の評定と同じように、盛政はチカラを入れた拳で左の掌を叩いた。

「殿のおなり!」

 柴田勝家が評定の間に入ってきた。

「みな揃っているな」

「「ハハッ!」」

「みな、心して聞け。越後に放っていたワシの密偵から連絡が入った!」

「「ハッ!」」

「上杉謙信が春日山を出陣しよった!」

「なんと…!?」

 各諸将は戦慄した。いよいよ軍神謙信が織田に立ちはだかる時が到来した。

「知ってのとおり、謙信は一向宗門徒と和を講じ、出羽の最上に完璧な防備も配置し北条とは同盟を結んでいる。もはや後顧の憂いは何もない。越軍、京を目指し始めたわ」

(やっぱりそれか…)

 隆広の予想が当たった。

 

「まず、これまでの経緯を簡単に説明する」

 勝家が家臣たちに織田・畠山同盟に至るまでの経緯を話した。能登畠山氏の重臣の長続連が織田方に寝返り、上杉方の熊木城、富木城を奪回し、穴水城に迫るとの報を受けた。謙信は春日山城を出発、能登をめざし天神川原に陣を定めた。長続連は一族の長連竜を信長への援軍要請の使者として向かわせた。

 畠山氏の居城、能登七尾城。その君主である畠山義春には統率力がなく、重臣たちが虚々実々の駆け引きや謀略を繰り広げ畠山家の主導権を争っていた。畠山氏は一向宗への対抗上、越後上杉家と長きにわたり同盟間にあった事から、重臣の遊佐続光は深く上杉謙信と通じていた。しかし城内では反上杉方である長続連、綱連親子は密かに織田信長に通じ、同じく重臣の温井景隆は一向宗門徒と結んでいたため、能登畠山家を取り巻く状況は、もはや修復不能の泥沼状態と言って良かった。

 やがて城主の畠山義春が毒殺され、あとを継いだ義隆も病死してしまい、主君不在の城内には暗雲が漂っていた。この時、上杉謙信は畠山家臣たちの専横を除き、越後に人質として送られていた畠山義則を七尾城に入れて能登畠山家を再興するという大義名分をかかげ、能登へ侵攻を開始したのである。

 上杉謙信の本当の目的は、織田と結ぶ長一族を滅ぼし、上杉領を越後から越中、能登と拡大し、越後から能登に及ぶ富山湾流通圏を掌握する事だった。

 同時に謙信は足利義昭、毛利輝元、石山本願寺と結んで信長包囲網を作り上げていた。加賀と能登を完全に上杉領にされてしまったら、勝家の領土である越前は風前の灯であり、攻め取られるのも時間の問題。もはや謙信の勢いは安土まで止まらない。

「以上だ、何としてでも謙信の南下を加賀で止めなくてはならぬ」

 

「いよいよ…上杉謙信と…」

 隆広はゴクリとツバを飲んだ。つい数年前まで名を知っているだけの存在。まさに雲の上の人物であった上杉謙信。

 川中島合戦で上杉謙信と武田信玄と繰り広げた戦いの様子を父の隆家に聞き、胸をときめかせた自分。隆広少年には憧れであった武将と言っていい上杉謙信。その人物と戦う事になってしまった。軍神謙信と。

「隆広」

「は!」

「とても越前勢だけで謙信の南下は防げぬ。そなた慶次と共に大殿への使者に赴け。上杉謙信、春日山を出発、その数三万二千とな!」

「は! すぐに安土に発ちます! 助右衛門と佐吉は兵をまとめておいてくれ!」

「「ハッ!」」

「行くぞ慶次!」

「ハ!」

「他の者は出陣の準備を整えておけ! 援軍が到着しだい、加賀に出陣じゃ!」

「「ハハ―ッ!」」

 

 勝家は別室で控えていた吉村直賢を呼んだ。

「…と云う運びになった。商人司からいかほど軍費を出せるか」

「五千貫ほどにございます。あと米を三万石と云うところでしょう」

「うむ、助かる。この局面に本当に助かる! 米はそのまま兵糧で使うが、五千貫でできるだけ鉄砲と軍馬の手配を頼む」

「分かりました、できるだけ早く揃えます」

 不恰好な歩き方で去る直賢の後ろ姿を見つめる勝家。

「まこと経理に長けた者は貴重なものよ。隆広の人材登用の妙は、すでにワシなど越えておるな…ふふ」

 

 隆広は愛馬ト金、慶次は松風に乗って昼夜ほとんど休む事なく安土へと駆けた。戦国一の駿馬と呼ばれる松風よりさらに速いト金。後に競走馬の体躯をしていたと語り継がれるだけあって、隆広の馬術の腕も手伝い慶次が舌を巻くほどに速かった。

「隆広様、大殿はどれだけ援軍を派遣してくれるでしょうか」

 馬上から慶次が隆広に訊ねた。

「…徳川殿が信玄公に大敗した三方ヶ原の合戦ほどの援軍ではまず勝ち目はない。少なくとも謙信公の兵の一つ半は倍でないと無理だ。将も羽柴様や明智様が出向いてくれないと、かなりキツい…」

「やはり謙信はそこまで強いでしょうか」

「謙信公の領土には佐渡金山があり、直江津の流通は北陸どころか、東国屈指の利益を生んでいる。商才に長けた家臣や忍びも多い。つまり鉄砲の数は織田より多い可能性があるし、それに加えてあの『車懸りの陣』だ。二倍の兵力があっても互角に戦えるか分からない。そして決定的なのは謙信公の軍才。『神の心に悪魔の軍略』と呼ばれる軍神。一度として負け戦をした事がない常勝武将に当たる事を誰が望む。その名前だけで織田の将兵は震撼する」

「なるほど…」

 二騎の人馬は北近江を駆け抜け、南近江の安土城下へと到着した。

 

「ふう、ついた。腰がガクガクだ」

「このくらいで腰がガタついては奥方様を悦ばせられませんぞ。人馬もナニも腰です腰。自慢じゃないがそれがしの鋼の腰により、妻の加奈は毎晩嬉しい悲鳴をあげていますぞ」

「うん、そうだな、もっと鍛えて鋼の腰にして、さえをもっと気持ちよくさせてあげ…て、何の話をしているんだよ! 早く馬を厩舎に預けてきてくれ!」

「はいはい」

「ったく。しかしついた時間が深夜とは何とも間が悪いが、事情が事情だ。大殿に起きていただくしかないか」

「隆広様、預けてきました。さ、まいりましょう」

 

 安土城の門に隆広主従は到着した。

「誰か!」

 二人の門番がすごんだ。

「柴田勝家配下、水沢隆広に前田慶次にございます。深夜に無礼ですが大殿に火急の用があってまかりこしました! 至急目通り願いたい!」

「ハッ!」

 隆広と慶次は城の中に通され、信長を待った。

 

 ドスドスドス

 

 大きい足音が廊下に響いてきた。

 

 ガラッ

 

 障子か勢いよく開いた。

「ネコ! 慶次! 謙信入道が動いたか!」

「ハッ! 上杉謙信、春日山を出陣! 北陸街道を西進し、はや越中加賀の国境に!」

「とうとう謙信動いたか!」

「ハッ その数三万二千! とうてい越前勢だけで謙信公の南下は防げませぬ! 援軍を!」

「あい分かった! 能登畠山から援軍を請う使者も来ている。いよいよ謙信とは雌雄を決しねばなるまい。権六を総大将にして織田全軍で迎え撃て!」

「ハッ!」

 

「お蘭!」

「ハッ」

「お蘭! その方、当家の諸将に早馬をとばせ! 『謙信上洛の意思あり! 春日山を出陣して北陸街道を西進! 至急北ノ庄に集結せよ』とな!」

「ハハ―ッ!」

「あ、ありがとうございます! 大殿!」

「別にお前のためでも権六のためでもない。何としても加賀領内で謙信を止めなくては大変な事になる。ネコもさよう心得よ!」

「ハハッッ!」

 隆広と慶次は少しの仮眠を安土城内でとり、翌朝に安土へ来ていた畠山の使者である長連竜を伴い北ノ庄へ引き返した。そのころ北ノ庄では…

 

「舞、すず、白」

「「ハハッ!」」

「今回、我ら藤林一族は隆広様の軍勢に合力する。忍兵二百、至急北ノ庄に赴けと里に伝えよ。無論云うまでもないがいかにも軍勢然として来ぬようにと付け加えろ。旅の者、商人風に化けてポツポツとやってこいとな。城の者が混乱する」

「「ハッ!」」

「我らは柴田家にではなく、水沢隆広様に加勢するのである。藤林一族、稲葉山城の落城以来の合戦だ。おぬしらにとって集団合戦は初陣! しかもその二百を率いるはお前たちだ! 気合を入れるのだぞ!」

「「ハハッ!」」

 源吾郎こと、藤林一族の上忍柴舟の命令で三人の忍びは里へと駆けた。今回の合戦に柴舟は出ない。藤林忍者頭領、銅蔵の密命により万一の時は隆広の家族を救出するためであった。

「隆家様…。いよいよ我らご養子君に助力にございます。敵は上杉謙信、腕が鳴りまする」

 

 上杉軍が能登に陣をはったと云う報告が入った。能登の畠山氏の居城、七尾城を落とすためである。上杉軍はその七尾城の支城である石動城の攻撃を開始し始めた。急がねばならない。そして織田の諸将も北ノ庄に向かい、数日後には丹羽勢、滝川勢が到着の見込みである。

「佐吉殿―ッ!」

 北ノ庄の米蔵で兵糧の数を確認していた石田三成の元に、松山矩三郎がやってきた。

「ハアハア、助右衛門様から伝言です」

「何でしょう」

「今回の上杉との戦、また我らが兵糧奉行になったとの事」

「またですか?」

「はい、勝家様から直接に助右衛門様へ下命されたようです。しかも…」

「まだ何か?」

「北ノ庄に集結する織田全軍の兵糧を確保し、運搬せよと…」

「なあ!?」

 石田三成が絶句するのも無理はなかった。目の前の米蔵には、とうていそれほどの量はない。戦において必要なのは資金と糧食である。隆広の尽力でだいぶ北ノ庄の資金や兵糧も充実しているが、織田全軍の胃の腑を長期にわたり満足させるだけはない。

「北ノ庄に集結可能な織田全軍の兵数は…およそ五万てトコかぁ…。どうしよう…」

「助右衛門様も『いかに佐吉でも…』と困り果てておりました」

「確か直賢様から三万石の提供があったと聞いたけれども…ない袖はふれないよ」

「佐吉―ッ!」

「隆広様? 安土から戻られたのですか」

「ああ、まったくさえとイチャつく時間もないな。ところでまた我らが兵糧奉行だって?」

「そうなんです。そして…」

 織田全軍の兵糧を確保し運ぶように勝家から下命されたと話した。

「どうしましょう御大将、商人司の吉村直賢様も勝家様から軍馬と鉄砲の買い付けの直命を受けられたから助力を請えませんよ」

「隆広様、集結する将兵たちは自前で兵糧を用意してはくれないのですか?」

「それが…召集状には『北ノ庄のネコがメシは揃える。当面の兵糧だけ持ち大急ぎで勝家の元に行け』と記されていたそうだ。だから各将は本当に当面の食料しか持ってこないだろう。まあ、そうでもしなければ集結に手間取るからなァ…」

「なんて事です…。大殿は隆広様が無限の兵糧を出す不思議箱でも持っていると? ああ、どうしよう…」

 三成は頭を抱えて座り込んでしまった。さすがの名能吏石田三成も八方塞がりだった。

「まあそう言うな。続きがある。大殿から八千貫引っ張り出した。これで何とかならんか?」

「は、八千貫!?」

 バッと三成は立ち上がった。

「ああ、殿も納得している資金だ」

「八千貫あれば何とか確保できます!」

「頼む、しかし買い占めすぎて米の値段があがり民の生活が困る事なきよう、一箇所から買わずに分割して揃えてくれ!」

「御意!」

「よし、兵糧の確保は任せた。金は城の勘定方に一旦預けて公金にしたから、そこから改めてもらってくれ。百の兵を与えるからそなたが指揮を執り大急ぎで頼む。出陣まで何とか揃えるのだ」

「はっ!」

 石田三成は穀倉庫の役人も連れて、米の買い付けに向かった。

 

「あとはそれを運ぶ人間の確保だな、佐久間隊、可児隊、金森隊、拝郷隊、そして留守居の文荷斎様の手勢を一部づつ借りよう。これで何とかなるだろう。各備えに交渉に行こう」

「あの…」

「なんだ矩三郎」

「さしでがましいようですが、佐久間様には…」

「今は出陣前だ。個人の不仲など関係あるものか」

「それはそうですが…」

 だが、やはり矩三郎の危惧したとおりになった。錬兵場の佐久間隊の備えに向かうと…

「断る、小松での戦いでただでさえ手勢が不足しておる」

 と、隆広の顔さえ見ずに盛政は邪険に返事した。

「…分かりました。失礼いたします」

 あの時の小松の戦いで佐久間隊は壊滅に近い損害を受けた。しかし生き残った将兵たちは隆広の隊に救われている。大将が隆広を嫌おうと、部下たちはそうではない。

「殿、先日の兵農分離の新兵を入れて佐久間隊は四千、合戦時は無理でも行軍中ならば水沢隊に兵を割く事は…」

 と、盛政の側近がとりなしたが、その側近を鬼の形相のごとく睨む盛政。何も言えなくなってしまった。

「佐久間様、無理を言って申し訳ございませんでした」

「分かればいい。さあ、さっさと消えろ。こちらは忙しいんだ」

 犬でも追い払うようにシッシッと手を振る盛政。矩三郎は隆広の後ろで歯軋りしていたが、どうしようもなかった。佐久間隊から立ち去り、他の隊に向かっている時、とうとう矩三郎は我慢しきれずに言った。

「なんてお方だ! 敵は上杉だというのに味方同士でいがみ合ってどうなると!」

 隆広も怒り心頭と思っていた矩三郎だが、隆広は微笑んでいたのである。

「御大将! 悔しくないのですか!」

「そりゃ悔しいさ。でも佐久間様は初めて、ちゃんと理由を言った」

「り、理由?」

「『手勢が不足』『忙しい』。たとえウソでも理由を言ってくれた。相変わらずオレは嫌われているようだけれど…わずかな一歩でも近づけたと思えないか?」

「は、はあ…」

「なあに、まだまだ融和の機会はあるさ! さあ矩三郎、今の事は忘れて可児隊の場所まで競争だ!」

「は、はい!」

 

 隆広は可児隊、金森隊、拝郷隊、中村隊から運搬兵を借り付けた。その他、荷駄車やそれを運ぶ軍馬の手配も円滑に済ませた。他の諸将ではこうすんなり軍務処理は進められない。柴田勝家が水沢隆広に兵糧奉行を任命したのは人事の妙と言える。三成も米やその他の食料、酒も無事に調達し終えた。

 丹羽隊、滝川隊、明智隊、羽柴隊と云う主なる軍団長も到着し、その将兵らの接待には水沢家が当たったから、家中の面々は女衆も駆り出され、目の回るような忙しさだった。しかしそれだけ柴田家中で重用されている証拠でもあると、グチをこぼす者は皆無だった。さえも隆広家臣の妻である津禰、加奈、伊呂波、絹ら女衆の指揮を嬉々として行い、各将兵たちの接待に当たった。

 そして吉村直賢が軍馬三千頭、鉄砲五百挺を献上し、勝家と隆広を大いに喜ばせた。

 

 源吾郎が隆広に面会を求めた。三成も立ち会った。

「隆広様、注文の品にございます。お改めを」

「うん」

 源吾郎が献上した三つの大きな箱。その中身を見て三成も驚いた。

「隆広様…! これは…!」

「うん、最悪の事態にはこれを使う」

「最悪の事態?」

「つまり、敗走の時だ。追撃してくるのは謙信公。振り切れるはずもない。これを使い突撃する」

「心理作戦ですか」

「そうだ。謙信公に生半可な兵法など通じない。逆にこんな二流の陳腐な策のほうが有効というものだ」

「なるほど」

「しかし、源吾郎殿、よくこれだけの数を…」

「長篠付近の農民に当たったら比較的すぐに揃いました」

「長篠…。武田大敗の地ですか」

「はい、近隣の農民が野ざらしの兵から剥がしたのでございましょう。ご丁寧に血糊や肉片に至るまですべて洗われておりました」

「うん…」

 隆広はその品に合掌した。

「無念のままに死んでいった英霊の装備、粗略にはすまい」

 源吾郎が隆広に頼まれて用意したもの。それは武田軍の鎧兜と風林火山の旗印である。隆広は軍神謙信との戦いに少なからず敗戦を予期していた。だからそれに備えて用意したのである。

 上杉謙信の宿敵である武田軍。上杉軍には武田軍の強さが骨身に染みている者も多い。これを装備すればわずかだが動揺を誘える可能性がある。特に上杉謙信が武田信玄に対して思う事は敵味方を越えたものがある。それを利用しようと考えたのだ。

 隆広は武田信玄の兜である『諏訪法性兜』をかぶり、そして複製された『吉岡一文字』を抜いた。

「いい仕事だ」

「はい、それはウチの工忍に作らせました。中々でございましょう」

「隆広様、それで赤い法衣を着れば、ほぼ外観は信玄公ですよ!」

「こいつは我ながら下策だが…軍神謙信公に手段など選んでいられない」

「同感です、さ、隆広様。こちらが山県昌景殿、馬場信房殿の装備です」

「うん」

 三成は考えた。これを使う場合は柴田軍の敗走時である。という事は主君隆広は殿軍を行うと考えた事になる。柴田勝家が総大将である以上、殿軍が必要な場合は府中三人衆か、北ノ庄の勝家直属の将が担当するのが当然である。

 しかし相手は謙信。彼の主君秀吉がやった金ヶ崎の撤退より数倍困難な撤退戦となるのは明白。三成は思うに申し訳ないと感じつつも、府中勢、他の勝家の将では追撃を食い止められず、全滅する気がした。

 となると殿軍の役をまっとうし、かつ生還を果たせるのは主君隆広のみと三成は思った。そしてそれを前もって読んでいる同い年の主君に戦慄さえ感じた。

「どうした佐吉?」

「い、いえ何でも」

「佐吉、運搬の責任者はそなたゆえ、この箱の中身を打ち明けた。しかし口外は断じてならない。敗走のための用意など言えようはずがないからな」

「御意」

「源吾郎殿、調達ありがとう。出世払いと云うムチャな約束だったのに、ここまで見事に」

「何をおっしゃいますか。それがし隆広様が殿軍の段まで考えていると聞いたときは驚愕しました。その用意をさせていただいた事は商人として誉れ。金などいつでも結構にございます」

「ありがとう! 無事に戻るよ!」

 隆広は翌年に源吾郎へ倍額近い金額で返済している。

「お留守中の掘割工事の続きやお家の事はお任せ下さい」

「頼りにしています」

 

 この武田軍の軍装は後に現実に使われる事となる。そして見事に狙いは的中したのであった。上杉謙信は突如現れた武田信玄に驚き、そして山県昌景、馬場信房の姿をした前田慶次と奥村助右衛門の獅子奮迅の戦いで武田軍の恐ろしさが骨身に染みている上杉軍三万は分断され、歴史に名高い川中島合戦とは逆の立場での武田信玄と上杉謙信の一騎打ちが実現された。上杉景勝と直江兼続に『水沢隆広恐るべし』を強烈に印象付ける結果となるのである。

 これは長篠の合戦で無念に死んだ武田将兵の英霊たちが、主君信玄と共に再び軍神謙信へ挑むと云う誉れに感奮し、水沢隆広に人智を越えた何かをもって加勢したのではないかと現実的な観点で戦国時代を見る歴史家たちも評す時がある。何故なら水沢隆広はこの退却戦において、ただの一兵も失う事が無かったのである。

 

 藤林一族の忍者たちも歩兵隊に姿を変えて、自然に隆広の軍勢に潜り込んだ。舞とすずも陣場傘をかぶり、男に変装した。禁欲生活となるこれからの行軍に彼女たちの肢体は悩ましすぎた。そして忍者隊も後に武田軍の装備を身につけた水沢隊と共に上杉本陣に突入する。忍者隊の先頭を駆けたくノ一二人は大将隆広の傍らにピタリとつき従い、華々しい活躍をする事となる。

 

 そして出陣前日、よく武士は出陣の前日は女を抱かないと言われているが、若い夫婦にはガマンできようハズもなく、そして…

「いよいよ上杉との合戦ですね…」

 隆広の胸板に顔をうずめて、さえが言った。

「うん…」

「お話でしか聞いた事がなかった軍神…。さえも怖い」

「勝敗は兵家の常、そして時の運。さえ、もし我らが武運つたなく破れ、上杉が城下に殺到したら、そなたは奥方様、姫様たちと共に最期をまっとうするのだぞ」

「はい…」

「さ、もう寝よう」

「…お前さま」

「ん?」

「も、もう一度…さえを」

「うん!」

 一度出陣すれば生きて帰ってくるか分からないのである。この当時の男女の繋がりは現在では想像もつかないほど太い絆であったかもしれない。隆広とさえは思う存分愛を確かめ合った。

 

 翌日、晴天。総大将柴田勝家の号令と共に、柴田勝家率いる五万の軍勢は北ノ庄を出発した。時に水沢隆広十七歳。戦国の世に彼がその武名を轟かせる手取川の撤退戦まで、あとわずかであった。




これで第1話から第3話の手取川の戦いに戻るわけです。我ながら洒落た書き方が出来たなぁと当時は思ったものです。あの上杉謙信相手に隆広がどう戦ったのか、もう一度読みたい方は再び第1話からどんぞ!
というわけで、次話は手取川以後のお話になります。


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大和凶変

「父上…主人隆広をお守りください…」

 今日もさえは父の朝倉景鏡の鎧兜と陣羽織に手を合わせていた。まだ味方勝利、味方敗北いずれの報も北ノ庄にもたらされてはいない。隆広が主君勝家と共に北ノ庄を出陣してから二ヶ月が過ぎようとしていた。その隣で侍女の八重も祈っていた。

「景鏡殿…。貴方にとっては自慢の婿のはずです! 冥府からしっかり守るのよ!」

 弟の霊を叱咤し、加護を願う八重。ここ数日、さえは心配のあまり食事も喉に通らない時もあった。自分も戦国武将だった吉村監物の妻。主君であり姪のさえの気持ちが痛いほどに分かった。そのさえは父の霊にひたすら願った。

「お前さま…ご無事で…!」

「姫様―ッ!」

「監物?」

「ハアハア…お味方、帰路につかれておるとの事です!」

「本当ですか!」

「く、詳しくは城で中村文荷斎様と共に留守を預かる倅が…」

 よほど早く『帰路についた』と云う事を知らせたかったのだろう。監物は走った疲れでゼエゼエ言っていた。

「さえ姫様!」

 吉村直賢がやってきた。

「直賢殿! お味方勝利なのですね!」

「いえ、肝心の謙信公とは引き分けのようです。今のところ入ってきたお味方の情報を述べさせていただきます」

「お願いします!」

「ハッ まず湊川(手取川)渡河直後に能登七尾城が上杉により陥落したとの報が入り、勝家様は退却を決断。しかしそこに門徒三万五千が攻め込んでくると云う知らせが入ったよし。背後に増水した湊川、西に謙信公、南に門徒、絶体絶命の危機に陥ったそうですが、殿が上杉への殿軍を志願し、水沢軍以外の軍勢が門徒に当たり、殿の隊二千が上杉三万に対したそうです」

「う、上杉三万に、殿様の手勢だけで?」

 監物が驚くのは無理がない。当時の上杉軍は戦国最強と言われていた。それを寡兵で対せるはずがない。

「そ、それで夫は? た、隆広様は?」

「はい、前もって用意してあった武田軍の軍装を身につけて突撃。殿は謙信公と一太刀打ち合い上杉陣を突破! 殿軍の役を見事に成し遂げる大活躍! しかも一兵も失わずに!」

 さえの瞳から涙がドバと出てきた。

「ホ、ホントに!」

「はい! 殿はその後に合流した勝家様にお褒めのお言葉をいただき! 今回の合戦における勲功一位と相成り! 士分も部将に昇格との事!」

「姫様! 聞かれましたか!」

 さえは着物の前掛けで涙を拭きながら八重の言葉に何度もうなずいた。

「さすがは姫の婿じゃあ! よもや謙信公に一太刀とは!」

 監物も涙が止まらなかった。

「弥吉(直賢の幼名)、お味方の着はいつごろに?」

「はい母上、明日にでも!」

「こうしてはいられませんよ姫! すぐにご馳走を仕入れないと!」

「うん!」

 

 翌日に柴田軍は北ノ庄城に到着した。凱旋時には勝家の隊と合流していた水沢軍。

 北ノ庄城の領民にも隆広が武田信玄の軍装で上杉本陣に突撃をして突破したと知れ渡っていた。まさに痛快と云える撤退戦。まして一兵も失う事もなかったと云う快挙は領民をしびれさせた。北ノ庄城下町の領民たちは隆広の部隊を見て歓呼し、若い娘たちなどは隆広の姿を見て気持ちが高ぶったか失神者が続出した。

 何の実りもなかった出兵ゆえに、引き分けと云うより敗北に近い合戦であったが、この快挙で得られた越前の民の支持は何にも変えられなかった。水沢軍は織田の部隊で唯一、軍神謙信と直接対決をした軍団である。しかも一歩も引けを取らなかった。領民が水沢軍を歓呼する声はとうぶんやまなかった。

 

 現在、上杉軍と水沢軍が激突した場所は古戦場として公園になっている。そして『上杉謙信、水沢隆広一騎打ちの地』には武田信玄の鎧姿で隆広が太刀を振りかざし、上杉謙信が軍配を上げている両雄の像があり、今日も戦国時代の映画や大河ドラマでも屈指の名場面として両雄の一騎打ちは人々に愛されている。隆広を演じるのはその当時の若手一番の役者が選ばれるが、この場面の撮影の時は胸が歓喜に震えると云う。

 また上杉謙信。彼が主人公の小説やドラマにおいては、この隆広との一騎打ちで締めくくられている事が多い。信玄との川中島合戦の一騎打ちが謙信の物語中盤のヤマ場とするなら、隆広との一騎打ちは物語の最後を飾る場面である。謙信主人公の小説は『天と地と』が有名であるが、作者の海音寺潮五郎は水沢隆広をそれは雄々しく書いている。

 また武田信玄の本拠地である甲斐の国の人々にも隆広の痛快な撤退戦は愛され、石和温泉駅の前には、信玄の鎧姿の水沢隆広騎馬像があり、上杉謙信本拠地だった越後(新潟県)の直江津駅前にも、両雄の一騎打ち像がある。隆広は敵地の人々にも愛される武将として現在も語り継がれているのである。

 

 隆広は最初に得た三百の兵に約束した。“オレには金がない。与えられるものは何もない。だが必ずやそなたらに武士の誇りを与えられる大将になる”

 それを彼は果たしたのである。隆広の兵は北ノ庄領民にも嫌われた問題児集団。裏切り者村重の敗残兵と笑われた若者たち。それらが核となっている。領民の喝采をあびる“男の花道”を歩む時の気持ちは感無量だったろう。

 城に到着し、錬兵場で勝家から軍団解散が告げられ、ここでようやく隆広の手取川の合戦は終わった。勲功一位、さすがの佐久間盛政、佐々成政、柴田勝豊も認めるしかない大手柄だった。後日に改めて論功行賞はあるが、ここは解散となった。隆広は別れを惜しむ明智光秀や丹羽長秀、滝川一益と握手を交わした後、自宅に駆けた。

「さえ―ッ!」

 さえは玄関先で今か今かと夫の帰宅を待っていた。そして夫が自分を呼ぶ声が聞こえてきた。

「お前さま―ッ」

「さえ―ッ!」

 二人は二ヶ月ぶりの再会、そしてさえは夫の無事の喜びを体で表すかのように、夫の胸に飛び込んでいった。ギュウと抱き合う二人。そして『ぶちゅう』と云う音が聞こえてきそうな熱い口付けをかわす。邪魔しないように監物と八重は隠れていたが、目のやり場に困り果てていた。

「さあ! ご馳走ができています!」

「それはさえの事か?」

「んもう! まださえはお預けです!」

「早くさえを食べたいよ~。二ヶ月もお預けしたんだから~」

「んもう! 助平!」

「聞いているこっちが恥ずかしくなってくるのォ…八重」

「何を言っているのです。私たち夫婦だって新婚当時ああでしたよ」

「そうだったかのォ?」

「直賢が生まれて少し落ち着きましたけれど…姫と殿様は子が生まれても、さらにお熱くなりそうね。さ、お前さま、殿様を出迎えましょう」

 家族たちとの久しぶりの夕餉。隆広の好物ばかり並べてあった。愛妻の手料理を美味しそうに食べる隆広。そしてそれを微笑んで見るさえ。空腹を満足させると共に風呂に入り、やがて閨へ。

 毎日妻とこんな生活ができたらなと隆広は思う。さえもそうだろう。しかし、彼は今や柴田の部将。陪臣とは云え時に万の手勢を持つ事が許される大将である。しかも行政官を兼務している。どう時間をやりくりしても留守の方が多くなってしまう。だからこそ二人の時間はとても熱いのだろう。そして、やはり今回の二人の時間も短かった。

 

 隆広が北ノ庄城に戻ってほどなく、掘割が無事に完成した。隆広の留守中にも工事は進められていたのである。

 掘割の開通式と高瀬舟の着水式は同時に行われる。北ノ庄の財源の要所となる掘割の完成式典のため、柴田勝家と市の夫婦も出席する。その式典の準備を隆広と三成は行っていた。円滑に隆広が人足たちに指示を与えていた。

「ここがいい。ここが一番着水や開通の様子が見る事ができる。殿と奥方様、姫様三人の席はここにする。陣幕じゃ物々しいから、茶の野点のような、のどかで、かつ見晴らしの良い席を作ってくれ」

「ハッ」

「茶々姫様、初姫様、江与姫様は好奇心旺盛の姫様たちだ。高瀬舟に乗せろと言われるだろう。一艘カラの高瀬舟を用意して姫様たちが乗るに相応しい花なども飾っておいてほしい。船頭も一番の腕前の者を頼む」

「かしこまいりました!」

「隆広様―ッ!」

「おう佐吉」

「各水門、いつでも準備できています」

「よし、水量と流れの速さを見分する。南北の水門を開放せよ」

「は!」

 三成は水門に駆けていった。

「お前さま―ッ!」

「んお! さえと伊呂波殿ではないか」

「伊呂波さんから今日、試験的に水門を開けると聞きましたので」

「ははは、佐吉は自分の仕事の成果を伊呂波殿に見せたいらしいな」

「はい、それは昨日嬉しそうに言っていましたから!」

 

「南水門開放―ッ!」

「北水門開放―ッ!」

 

 ザパァン!

 

 引水した九頭竜川の水が一斉に北ノ庄の城下町に流れた。

「「おおお―ッ!」」

 堀の周りにいた領民たちが驚きと歓呼の声をあげた。特に子供たちのはしゃぎようはすごかった。

「お父ちゃん! お魚、お魚! あれなんていうお魚!?」

「ん? あれはサバだ」

「バカだね、お前さん! どうして川から水引いたのにサバがいるんだよ!」

「う、うるさいな! じゃあお前分かるのか!」

「当然! あれはスズキだよう!」

 

「両方とも海の魚じゃないのか?」

「クスクス…だめですよ殿様、家族の楽しい会話なのですから!」

 隆広の小さな突っ込みに笑う伊呂波。

「隆広様―ッ! お、伊呂波も着ていたか!」

「はい! お前さまの仕事を見たくて!」

「そうかそうか!」

「で、お前さま、あのお魚は?」

「ん? おおあれはスズキだ!」

 隆広とさえはドッと笑った。

「あ、お前さま! 鯉もいますよ!」

 掘割の橋の上で二組の夫婦が水面に移る自然の情景に見ほれていた。

「よし、佐吉。水量も流れも申し分ない。一旦水門を閉めて水を抜いてくれ。明日の式典で再開放だ」

「は!」

 隆広は橋の上から領民に言った。

「皆さん! 今のは試験的な水門解放なので一旦閉じます。しかし掘割に流れてきた魚はそのままとなるでしょう。打ち上げられた魚をそのまま日干しにするのは惜しい。数の許す限り持ってかえって下さい」

「「おお!」」

「助かります~。ウチの亭主がバクチでスッて家計火の車だったんです~」

 と、さっき川魚をスズキと言った女。

「余計な事言うな! いや~助かりました! ありがとう隆広さん!」

 

 民を思う夫をさえがウットリして見ていた時だった。

「水沢様―ッ!」

「ん…?」

「お前さま、あれはお城の…」

「水沢様、殿がお呼びにございます」

「分かった、すぐ行く」

「お前さま、いってらっしゃい」

「ああ行ってくる。あ、さえと伊呂波殿は魚取っちゃダメだぞ。こういう偶然の天の恵みは民に譲るものだからな」

「わ、分かっています! んもう」

「伊呂波殿、佐吉には引き続き明日の式典の準備をするよう伝えておいて下さい」

「かしこまいりました」

 隆広は城に向かった。さえは掘割の底に打ち上げられていた魚を見た。

「でも…残念だなァ…。見てよ伊呂波さん、あの岩魚とても美味しそう…」

「…もしかして拾いに行くつもり…だったのですか?」

「と、と、と、とんでもありません! 夫の言うとおり民に譲るのが道です!」

(…行くつもりだったのですね…。実は私もなんですが)

 伊呂波はクスリと笑った。

 

「水沢隆広、お召しと聞きまかりこしました」

「入れ」

「ハッ」

 ここは北ノ庄城の城主の間。勝家は書状を持っていた。

「うむ、呼び出したのは他でもない」

「はい」

「そなた、大和に赴け」

「は?」

「松永弾正を知っているだろう」

「はい」

「ヤツめ…。とうとう大殿にキバを剥いたわ」

「え!」

「もはや三度目の謀反。さすがに大殿も今回は寛大な処置はとらなかった。人質の童二人、斬刑に処した。愚かな男よ、大和一国で叛旗を翻したとて成功するワケがなかろうに」

「…たぶん上杉の動きに呼応するつもりだったのでしょう。上杉が畿内に突入したに合わせて安土へ急襲するはずが謙信公は加賀から撤退。アテが外れたとはいえ今さら矛は収めても大殿が許すはずもありません。もしくは…昨年に多聞山城を大殿に明け渡して信貴山城へ退去したにも関わらず、大殿に大和守護を任じられた筒井順慶様により多聞山城は破却と相成りました。これを恨んだのか…いずれにせよ弾正殿しか知らぬ事です」

「ふむ…」

「松永殿に対するは織田方の将は…」

「ふむ、総大将は若殿の信忠様じゃ。補佐は羽柴、明智、丹羽、佐久間信盛だ。信貴山城の西、破却した多聞山城の跡地に本陣を構え、各諸将はそこで集結し出陣と相成る」

「そうそうたる顔ぶれですね」

「ふむ、そして柴田からは新たに部将になったお前が出ろと大殿からの命令じゃ」

「え…! では明日の掘割完成の式典は…!」

「佐吉、いや今は三成であったな。あやつも今では足軽大将、お前の名代として大丈夫だろう。三成を式典に当たらせよ。無論ワシも市も姫も出席するゆえヤツの顔はつぶさぬ、大丈夫じゃ。そなたは出陣の準備にあたれ」

「はい!」

「ふむ、では才蔵を副将として与えるから二日後には多聞山城に出陣せよ!」

「ハハッ!」

 

 隆広は三成に式典の事を頼み、助右衛門に軍務を任せ一度帰宅した。玄関でワラジを脱ぎながら妻に出陣する事を伝えた。

「また戦にございますか?」

 驚くさえ。上杉からの戦いから帰って来てまだ一週間しか経っていないから無理もない。

「うん、今度は大和の国。謀反を起こした松永弾正殿を倒す」

「そんな…また一ヶ月くらいお留守に? さえは寂しゅうございます…ぐすっ」

「ごめんな、さえ。オレもずっと一緒にいたい。一年中一日中、ずっとお前とイチャイチャできたらどんなにいいだろうと…そればかり思うよ」

「さえも…」

「さえ、オレはさえが思っているよりもずっと…さえに夢中なんだ」

 隆広の言葉に顔を赤らめ、さえも答えた。

「さえも…お前さまが思っているよりもずっと…お前さまに夢中なのです…」

 隆広はさえの手をにぎり、そして抱き寄せ、くちびるを近づけると…

 

「コホン」

 ぴったり寄り添っていた隆広とさえが慌てて離れた。

「け、慶次!」

「まったく玄関先で何をイチャついておるのです」

「い、いや…」

「は、恥ずかしい…!」

 さえは恥ずかしくなって両手で真っ赤になった顔を押さえながら屋敷に入ってしまった。

「いやいや、初々しいですな『は、恥ずかしい…!』とは何とも愛らしい」

「何用か」

「イチャついているトコを邪魔されたからといってそう睨まず。可児様も一緒です」

「え!」

「まったく…目のやり場に困らせてくれるな」

「い、いや…あはははは」

「ところで隆広、そなた軍務を助右衛門に任せて女房とイチャつくために帰ってきたのか?」

「と、とんでもない。地図を取りに帰ってきたのです」

「地図?」

「はい、養父と共に畿内は歩きましたので…その地その地に行くたびに簡単に地形や道は記録したのです。越前からの大和路までの進軍経路もそれで算出しようかと。その地図を持って、助右衛門や慶次と合流して可児様の屋敷を訪ねるつもりだったのですが…あはは、マズいトコを」

 そういえば伊丹城への進軍のとき、隆広がすぐに進軍経路を決定した事を慶次は思い出した。

「なるほど、そういう虎の巻を持っていたのですか」

「うん、これから助右衛門に使いを出してここに来てもらおう。ついでだから我が家で進軍経路や他の軍務について話そう。可児様もそれで良いですか?」

「ああ、かまわない」

「ではお上がりを。さえ―ッ! 四人分の要談の準備を!」

「あ、は―い!」

 

 しばらくすると奥村助右衛門も隆広の屋敷にやってきて、今回の出陣の軍議を開いた。

「と云うわけで…琵琶湖の東側の木之本街道を南下して、小谷、佐和山、日野、伊賀上野、大和郡山を経て多聞山城に到着する。これで宜しいかな?」

 隆広の持つ扇子が地図上を走る。才蔵はアゴを撫でながらフンフンと頷いた。

「異存ない。日程はどれほどを考えている?」

「はい、金ヶ崎、小谷、佐和山、日野、伊賀上野、大和郡山を野営地と考えておりますから、およそ六日間の行軍です。兵糧はすでに十分押さえておりますし、軍費も大殿と殿からのを合わせて三千貫確保してあります」

「うむ。して隆広、我ら可児隊が千五百、その方らは?」

「それがしの兵と、殿と金森様、文荷斎様の兵を借りまして三千五百です。それで可児様の合わせちょうど五千の進軍です。一向宗門徒の動きも微妙ですから府中衆からは出兵できないようですし…」

「佐久間様は相変わらずか…」

「…はい。お願いしてみたのですが…」

「僭越ながら隆広様がお嫌いと云う理由で兵の貸付依頼を断るのならば、それがしが、と思ったのですがやはりそれでもダメでした」

 と、助右衛門。

「困ったものよなァ…佐久間様の隆広嫌いは。明智様や羽柴様は八千から一万と聞いている…。柴田としてもそれくらいの数がないと他の諸将に示しがつかぬのに」

「まあまあ可児様、その足りない兵士の分、我ら柴田家の槍自慢三傑が踏ん張れば良いだけの事です」

「そうだな」

 慶次の楽観的な意見に才蔵は笑って頷いた。

 

「ところで隆広様」

「なんだ助右衛門」

「隆広様が最初に預けられた三百の兵の中で、矩三郎、幸之助、紀二郎は合戦や内政土木でも働きが目覚しゅうございます。それがしや慶次も彼らには安心して指示も出せていますし、兵の統括も最近は堂に入っています。おそらく最初に主君と槍を交えたという誇りがそうさせているのでしょう。兵士の鼓舞も含め、明日の出陣前に役と名を与えてはいかがでしょう。部将ならば部下の昇格の判断も認められておりまする。それがし、慶次、佐吉も足軽大将になった事ですし、他の足軽たちも手柄次第でと感奮するかと!」

「そりゃあいい考えだ助右衛門、隆広様、オレも異存はございませぬ」

「うん! 彼ら三人の働きはもはや組頭に相応しい。明日の出陣に先立ち、彼らを足軽組頭に任命して名も与える。実はもう名前は決めてあるのだ」

「用意がいいな」

 才蔵、助右衛門、慶次は笑った。

「よし、出陣前の大まかな陣容は決まった。あとの陣立てや作戦は大和についてからだ」

「ハッ」

「ではメシにしよう。さえ―ッ! 四人分のメシと酒だ―ッ!」

「は―い!」

 

 兵農分離の最たる効果は出陣が決まったら一日か二日で兵が揃う点にある。隆広の手勢や、借り受けた兵、そして可児隊の兵はすぐに召集に応じ、錬兵場に揃った。

 掘割の完成式典を横に、隆広たちは円滑に隊編成を進め、明朝の出陣準備を終えた。

 石田三成が主宰を務めた北ノ庄城掘割の完成式典は無事成功をおさめ、勝家と市を喜ばせた。三人の姫は舟に乗り、城下町に張り巡らされた水路を舟でスイスイ進むのに大喜びだった。

 また大和遠征であるが、三成は留守居となった。導入間もない水運流通の指揮を執るためである。また隆広と三成は高瀬舟で物資だけではなく人を運ぶ定期舟の導入も考えていた。それを北ノ庄を空ける隆広に代わり実行するためであった。

 

 出陣を明日に控えた夜、隆広とさえの寝所。出陣前に妻は抱かないと云う理はこの夫婦には存在しない。しばらくの別れを惜しむように、抱き合った。

「明日また…出陣ですね」

「うん。ずっとさえとイチャイチャしていたいけれど…これも務めだからな」

「無事のお帰りを待っています。だから…」

「ん?」

「昨日、さえに言ってくれた言葉をもう一度聞かせてください…」

 愛妻の耳元で隆広はつぶやいた。

「オレは…さえが思っているよりもずっと…さえに夢中なんだ」

「さえも…」

 夜月も目のやり場に困るような二人の夜はこうして更けていった。

 

 北ノ庄城錬兵場。水沢・可児連合の柴田軍五千が揃った。例によって忍者の舞とすずは男装して隆広の本隊に紛れ込み、白やその他の忍びたちも歩兵隊に化けて潜り込んでいる。実質五千二百の手勢である。

 台座に乗り兵の前に立つ隆広。その左右には前田慶次、奥村助右衛門、可児才蔵と云う柴田家が誇る豪傑が並び、そして『歩』の旗が靡いていた。

「出陣前にあたり、任命の儀を行う。松山矩三郎、小野田幸之助、高橋紀二郎、前に出よ!」

「「は、はい!」」

 何も聞かされていない三人は何事かと思いつつも、隆広の前に横隊で並んだ。

「本日をもって、その方たち三名を足軽組頭に任命する!」

「「え、ええ!」」

 奥村助右衛門が隆広に半紙三枚を渡した。

「よいか、その方たちはこれから一兵士ではない。水沢軍の一翼の大将であり、軍議の出席も命ずる! オレを生かすも殺すも己の器量次第と心得よ! よってこれからそなたたちに名を与える。松山矩三郎!」

「は、はい!」

「その方、今日より『松山矩久』と名乗れ!」

『矩久』とデカデカと隆広が書いた書を渡した。矩三郎は震える手でそれを大事に両手で受けた。

「小野田幸之助!」

「はっ」

「その方、今日より『小野田幸猛』と名乗れ!」

「ははっ!」

「高橋紀二郎!」

「は、はは!」

「その方、今日より『高橋紀茂』と名乗れ!」

「はは!」

 三人は隆広がくれた新たな名前が記されてある書を大事に握り、そして感涙していた。ぐれん隊、バカ息子軍団と後ろ指を指されて、味方にもバカにされつづけた自分たちが今、足軽組頭となり立派な名前までもらえたのである。

 感動していたのは三人だけじゃない。隆広三百騎の残る二百九十七名も次は自分がと感奮していた。

「えぐッえぐッ」

 特に矩三郎は鼻水まで垂らして泣いていた。十人兄弟の末っ子で、養子に出されてもその家に馴染めず、いつも突っ返され父母にも呆れられ、家の中では厄介者。メシも残り物だけ。ヤケになって戦でも云う事を聞かずに、ただ自分の鬱憤を晴らすために戦場で暴れていただけ。

 その自分を心より認めてくれる若き主君がいた。たとえずっと足軽のままでも満足だった。だが足軽組頭と云う一翼の大将に抜擢され、『矩久』なんて立派な名前ももらえた。

「矩久、幸猛、紀茂!」

「「ハハッ!」」

「頼りにしているぞ!」

「「ハハ―ッッ!」」

 三人はこの時の感動を生涯忘れる事はなかった。

「では水沢・可児の柴田軍! 大和多聞山城に出発するッ!」

「「「おおおおッッ!!」」」



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織田中将信忠

 北ノ庄城を出発した柴田軍五千は水沢隆広を大将に、可児才蔵、奥村助右衛門、前田慶次を将とし、およそ一週間後に大和多聞山城に到着した。

 廃城となっている多聞城であるが、西の信貴山城に備える本陣のため簡易な陣屋が所々に建設されており、織田の桔梗紋の旗が掲げられていた。柴田軍が一番遅い到着であるが、期日より三日も早く、かつ他の将帥より遠い地域からの参陣である。水沢隆広の指揮した行軍だから期日より早く到着したと言っても良いくらいである。隆広が着陣した事を総大将の織田信忠に報告に行こうとしていると…

 

「おお! よう来てくれたな! そなたが水沢隆広か!」

「え?」

「織田中将信忠である」

 信忠は隆広の到着が嬉しかったのか、整えていたマゲをそのままにし、鎧や具足もいい加減な装着な状態で本陣から出て来て隆広を迎えた。

「……」

「上杉三万を二千で退けた手並み! 期待しているぞ」

「…は」

「陣場を築き終えたら、本陣に来い! ははは!」

 信忠は隆広の背中をポンポン叩き、言うだけ言うと本陣に戻っていった。

「可児様、慶次、助右衛門、北ノ庄に帰ろう」

「はあ!?」

 奥村助右衛門はあぜんとした。

「な、何故ですか! 無断で帰陣などしたらどんなお咎めがあるか!」

 助右衛門は必死で止めるが、隆広は落胆のため息でそれに答えた。

「見ただろう、若殿の髪と鎧と具足。着陣した将をあんな姿で出迎える方に大将の器などない。相手は松永弾正殿で、しかも城に篭られて必死の抵抗をしてくるのだぞ。ヘタすれば全滅。たとえ殿や大殿の勘気を被ろうと、見込みのない総大将の元で、かつ手伝い戦で、ただでさえ少ない柴田の兵を死なせるなんてゴメンだ。帰る!」

「し、しかし…」

 助右衛門は慶次と才蔵を見るが二人は特に隆広を止める様子はない。同じ印象を信忠にもったのかもしれない。

 

「あっははははは!」

 本陣に帰っていたと思っていた信忠が再び現れた。今度はマゲもちゃんと結ってあり、鎧も具足もキチンと身につけ、陣羽織も糊の効いた立派なものをまとっていた。どこから見ても由緒ある上品な若武者だった。さきほどの姿とは雲泥の違いである。

「わ、若殿…?」

「さすがは父信長に『間違っている』と言ってのけた北ノ庄のネコよな」

「…?」

「試すようなマネをして済まなかった。だが期待通りの反応をしてくれて嬉しく思う。もはや気づいておろうが、平将門と俵藤太の故事からお前と言う人物を見てみたのだ」

 戦国時代よりはるか昔、時の朝廷への反乱に立ち上がった東国の猛将平将門に、俵藤太が援軍に駆けつけた。将門はその嬉しさのあまり、取るものも取らず、結髪していない頭を露出したまま下着の白衣であわてて出てきた。この時に俵藤太は平将門と云う人物を鋭く見抜いて、“この者の本質は軽率である。とても日本の主とはなれない”と将門を大将の器にあらずと判断して退陣してしまった。

 信忠は自分が将門の立場になり、隆広と云う武将を図ってみたのである。隆広が何も感じずに、そのまま黙って幕下につくようならば大した武将ではないと信忠は見るつもりだった。

 信忠にとっては年が近い隆広。しかも若くして部将。後々には自分の右腕ともなるかもしれない男と見込み、信忠は少し意地悪な試験をしたのであった。何故なら今回の戦に『水沢隆広の参陣を』と父の信長に懇願したのは信忠自身であったからである。

「わ、若殿も人が悪うございます!」

 隆広は赤面した。

「ははは、そう膨れるな。あと若殿はよせ。オレはお前より三つ年上だぞ」

「分かりました。では…信忠様と」

「結構だ。とにかく越前からの遠路大儀であった。疲れていようがちょうど軍議を広く。陣場作りは部下に任せ、そなたは副将を連れ急ぎ本陣に参れ」

「ハッ!」

 奥村助右衛門、前田慶次、可児才蔵は織田の若殿である織田信忠と初めて会ったが、この隆広との初対面で中々の男と見た。

「では、可児様、主君隆広と本陣へお願いいたす」

 と、助右衛門。

「承知した」

 

 本陣の陣屋に行くと、羽柴秀吉、竹中半兵衛、明智光秀、斉藤利三、丹羽長秀、佐久間信盛、細川藤孝、筒井順慶と云ったそうそうたる織田の武将たちが軍机を囲んでいた。

 信忠が陣屋に入ると、各将は立ち上がり頭を垂れ、そして信忠が着座すると座った。隆広と才蔵は末席に座った。いかに織田筆頭家老の柴田家からの参戦だろうと、隆広は勝家ではなく家老でもない。家の順から云えば一番の上座が妥当であるが、まだ部将になりたての隆広が丹羽や明智を越えて上座に座っていいはずがない。

 そしてここには隆広の師で義兄でもある竹中半兵衛もいる。隆広は半兵衛と同じ席で軍議を迎えられた事が嬉しくてたまらなかった。

(義兄上と同じ席で戦を論じ合えるなんて!)

 竹中半兵衛も顔には出さないが、その喜びをかみしめていた。隆広が上杉三万を二千で後退させた策を聞いたとき、『もはや我も及ばぬ』と手を打って喜んだ。その誇りに思う義弟と戦を論じる幸せを半兵衛もまたかみ締めていた。

 

 総大将の信忠が軍議の端を発した。

「さて、この若武者がどこの誰か知らぬ者もおろう。隆広、そなた改めて名乗るがいい」

「はっ」

 居並ぶ諸将が隆広を見た。隆広は立ち、深々と頭を垂れた。

「柴田家部将、水沢隆広です」

「ほう、そなたがそうか」

 腕を組んでいた細川藤孝が腕をほどいて感心したように言った。

「なんとまあ、わが子忠興と同じ年頃ではないか。それですでに部将とは大したものでござるな」

「は、はあ…運が良かったようで」

 隆広は照れた。

「手前は細川藤孝と申す。今後よしなに」

「こ、こちらこそ!」

「手前は筒井順慶である。上杉との戦ぶりは聞いておる。今回の戦でも楽しみにしている」

「は、はい!」

「明智家家老、斉藤利三でござる。それがしも元斉藤家家臣。戦神と言われた隆家殿のご養子君と陣場を同じくするのは嬉しく思います。よろしく願いもうす」

「はい! こちらこそ!」

「佐久間信盛である。そなたとわが一族の盛政はあまり仲がよくないと聞いたがまことか?」

「は、はい…」

「うーむ、あやつも色々と癇癪持ちゆえな…。でも根はいい男なのだ。そんなに嫌わずにの」

「はい!」

 若武者らしい無邪気で元気の良い返事に諸将は微笑んだ。だがまだ一人残っていた。その自己紹介の場を無視して信貴山城の地形図をジーと見ていた。隆広より十五ほど年上の大将で、隆広はその人物を知らない。

「あの…」

「……?」

「手前、水沢隆広と申します」

「…聞こえておりました」

「あ、はあ…」

(ぶっきらぼうな人だな、可児様といい勝負だ)

「ははは、こういう方なのでござる隆広殿、この御仁は山中鹿介幸盛殿だ」

 羽柴秀吉が紹介した。

「こ、このお方が『我に七難八苦与えたまえ』の!?」

「いかにも、ただいま羽柴の客将にございます、山中殿」

「…は」

 秀吉にあいさつを促されては仕方ない。

「山中鹿介にござる」

「い、一度お会いしたいと思っておりました。感激です…!」

 眼をキラキラさせて鹿介を見る隆広。まるで童が桃太郎や牛若丸に憧れるような眼だった。

「い、いや、かように勿体無く思うほどの者ではございませぬよ、参りましたな…」

 毛利元就に滅ぼされた主家の尼子家を再興させるため、彼は中央で勢力拡大の著しい織田信長に頼る事を考えた。そこで隠岐の地で僧侶となっていた尼子勝久を還俗させて招いた鹿介は、織田軍の羽柴秀吉の仲介で謁見をする事になった。鹿介と会った信長は援助を許可し秀吉の支配下に入れる事を命じた。

 そして再び尼子の旧領の因幡に進入し三千の兵で次々と城を攻略。鹿介が去った後に侵入してきた毛利軍の威風を恐れてそちらになびいていた山名氏も再び来た尼子軍の勢いが盛んだと見るとまたも尼子に協力するようになる。これにより因幡の大半が尼子氏の傘下に入った。

 しかしその翌年に尼子軍が鳥取を離れ若桜鬼ヶ城の攻略に向かい留守にしていた時に、毛利軍が再び侵攻してくると山名氏がまたも毛利に寝返ってしまう。これにより尼子軍は苦境に立たされる。しかも毛利の主力である吉川・小早川の両将が因幡に入り状況はますます悪くなった。

 尼子軍は私都城を拠点としていたがここにも毛利軍が来襲。ついに支えきれなくなった鹿介らは京都方面に逃走し、三年に渡る因幡での戦いは幕を閉じる。

 京へ戻った鹿介は、羽柴秀吉に従い織田信長に対して謀反をおこした松永久秀を討つため、今回の陣に参加し、隆広と対面したのであった。

 

 一通り自己紹介も終えたので信忠が切り出した。

「さて、これで松永ダヌキを仕留めるための諸将はそろった。まず改めて状況を確認する。半兵衛」

「ハッ」

 竹中半兵衛が立った。

「弾正殿は上杉の動きにほぼ連動して信貴山城に篭りました。まず信貴山の麓にある支城片岡城を細川藤孝殿、明智光秀殿、筒井順慶殿が攻められて落としました。本城のある信貴山は河内国と大和国を結ぶ要衝の地で、弾正殿はこの山上に東西・南北とも広範囲な放射状連郭の城を築きました。山城としては当代随一と思えます。片岡城のようには参りませぬゆえ、若殿率いる織田本隊の到着の由と相成りました。そして兵数ですが物見によると敵方八千。兵糧と水は豊富との事です」

「若殿、これはチカラ攻めを避けて、包囲して信貴山の城下町をかこみ、城下を焼き払った上で敵の兵糧と水が切れるのを待つべきかと存じますが」

 秀吉が言った。

 

 松永弾正の謀反は色々な要点が重なって起きたと思われる。一つはかつて織田信長が徳川家康に

『これなるが松永禅正でござる。これまで普通は人のしない事を三つしおった。一つは将軍殺害、もう一つが主君である三好への反逆、最後に大仏殿の焼き払い。普通はその一つでも中々できないのに、それらを事ごとくやってのける油断ならない者で物騒千万な老人である』

 と紹介し、家康の前で面目を失わせた事。二つは彼が築城した多聞山城を明け渡したにも関わらずに筒井順慶に与えたうえ廃城にした事。その他も色々と考えられるものの、かつて松永弾正は織田信長が浅井長政に裏切られ朝倉攻めから撤退する折、朽木越えを先導して、信長を無事に京へ逃がした事もある。スキあらば裏切る彼が信長を守り通した。後世の視点から見ても彼は不思議な男である。

 それが今年八月、石山本願寺攻囲に当たっていた松永弾正は紀州雑賀衆の再挙のため佐久間信盛がそちらに向かったスキに、信貴山城に立て篭ってしまった。上杉の動きに呼応しての挙兵とも考えられる。信長の使者が理由を問い合わせたところ回答を拒否したため、信長は怒り二人の人質を殺し、久秀討伐の大将に信長の長子信忠をあてた。これが信貴山城攻めのあらましである。

 

「光秀はどう思うか」

 信忠が光秀に尋ねた。

「はっ、半兵衛殿が言われるとおり信貴山城は山の利点を生かした難攻不落の要害。それがしも包囲策が最善と思われます。人質の童二人を殺した事で松永勢は若君の仇と言わぬばかりに士気も上がっておりましょう。チカラ攻めはそれがしも反対でございます」

「しかし、包囲戦術には時間がかかりすぎる。あまり手間取っていては雑賀衆や門徒がいつ背後を襲うか分からぬ。それと呼応して松永勢が大挙して押し寄せてきたらひとたまりもないぞ」

 ご意見番ともいうべき、佐久間信盛が言った。

「チカラ攻めでは犠牲大きく落とせる可能性はなし。かといって包囲では背後に雑賀衆と門徒がいつ寄せるか分からない。ではどうすれば良いというのか」

 信忠が焦れて言うと

 

「あの…」

「隆広か、何か妙案があるのか?」

「内応者を作ってはいかがでしょう」

 今まで腕を組んで黙っていた鹿介は隆広を見た。信忠が訊ねる。

「ほう、続けよ隆広」

「はい、いかに堅城でも内部から崩壊すれば終わりです。城兵八千、これが主君弾正殿に対して一枚岩であっても、大軍に城を包囲されているのですから、少なからず恐れているものもいるはず。たとえ一兵卒でもいい。米蔵に放火すれば大金を与えると約束すれば」

「竜…いや、隆広殿、中々面白い策だが信貴山城には一兵卒に至るまで頑強に閉じこもっている。どうやって内応を促す?」

 義兄半兵衛が尋ねた。

「軍使として城中に入り、その上でめぼしい者を探します」

「それが出来れば苦労はせんよ。織田の大殿に三度叛旗を翻し、もう絶対に許されないと分かっている。降伏しても殺されるとな。大殿は裏切り者を絶対に許さない。浅井長政殿、荒木村重殿がどうなったかも重々承知のはず。ゆえに城中の者も必死だ。使者として入ったとしても何か妙な事をされないように兵士がピタリとついているだろう」

「ならば…最初は、いかにも大殿が『これならば許す』と云う条件をデッチあげて城内にゆさぶりをかけてみては?」

 各将が一斉に隆広を見た。コホンと一つ咳をして光秀が聞いた。

「隆広殿、具体的には?」

「はい、大殿は弾正殿所有の茶釜『古天明平蜘蛛』を欲していると聞いています。それを渡せば弾正殿は無論、家臣一党すべて許すと」

 信忠は手を叩いた。

「うん、確かに父上ならば言いそうだ。あの茶器は一国に匹敵する価値があるとも言っておられたからな」

「しかし若殿、あの茶釜は弾正殿秘蔵の名器、渡すとは思えませんが」

「恐れながら細川様、それが狙いです」

「な、なに?」

「平蜘蛛がいかに名器であっても所詮は茶器です。それを渡せば城兵の命さえ助けると言っているのに、弾正殿がそれを拒否すれば家臣たちはどう思いますか。茶器一つと八千の命を天秤にかけたと思うでしょう。いわば『離反』を狙う策です」

 羽柴秀吉、竹中半兵衛、明智光秀、丹羽長秀、そして信忠もあぜんとした。

「コホン…。秀吉、光秀、隆広の策をどう思う?」

「は、この上ない名案かと」

(恐ろしい小僧だ…)

 羽柴秀吉は寒気すら感じた。

「しかし隆広殿、もし弾正殿が渡すと言ったらどうする? 我らの判断で弾正殿や城兵の命を助ければ大殿は許さぬぞ」

 かつて光秀は自分が攻めた波多野氏の降伏を認めて、信長の逆鱗に触れた苦い記憶がある。

「その時は正直に事情を話して、大殿に平蜘蛛を献上し、お叱りを受けるしかないです。発案者のそれがしがその叱責を受けます」

「いや、それは総大将のオレの仕事だ。茶器一つで降伏してくれればそれに越した事もない。平蜘蛛を父上が欲しているのも事実であるからな。では…使者であるが、隆広そなた行ってまいれ」

「はっ」

「副使を二人連れて行くがいい。一人はオレの配下の前田玄以を連れて行き、あとはそなたの部下を連れて行くがいい。すぐに使者の正装をしてまいれ。その間にオレから弾正への書状を書き終えておく」

「かしこまりました」

 隆広と才蔵は軍机を立ち、本陣から立ち去った。

 

「ふう、筑前(羽柴秀吉)、どう見た? あの若武者」

「は、若殿のたのもしき右腕となりうる器かと」

「うむ、オレもそう思う。まさに子房(漢の高祖劉邦に仕えた名軍師、張良の事)を得た思いだ」

「しかし若殿、なにゆえ隆広殿を松永殿への使者に?」

 と、丹羽長秀。

「おそらく、そなたたちでは弾正が会わぬだろう。また名も知れぬヤツでも弾正は会わぬ」

「確かに…」

「弾正にとり、隆広は孫も同然の歳。案外逆に興味が湧くかも知れぬ。それに上杉三万を二千で後退させたと云う武勇伝も伝え聞いていよう。弾正は隆広に会う。まず対面がならねば何にもならぬ」

 

 隆広は出来上がっていた自分の陣場に帰ってきた。

「矩久、至急にオレの素襖を出してくれ」

「正装を? まさか使者に?」

「そうだ、信貴山城に出向く」

「かしこまいりました。すぐに用意いたします」

 奥村助右衛門と前田慶次がやってきた。

「隆広様、信貴山城に使者とは本当ですか?」

「本当だ助右衛門、副使に慶次を連れて行く。護衛を頼む」

「承知しました」

 松山矩久と小野田幸猛が手際よく隆広の鎧を脱がせて正装を整えた。二人に着せ付けをさせながら隆広は指示を出した。

「可児様、今日のところは軍事行動もありませぬ。兵馬に休息と食事を取らせて、ご自身もお休みください」

「分かった」

「助右衛門、我が陣も同じだ。兵馬に休息と食事を取らせよ。飲酒も許可する」

「承知しました」

「オレは少し出かけてくるから留守を頼む」

「は!」

 正装である素襖の着せ付けが終わった。

「矩久と幸猛も助右衛門の指示の下、兵の統括を頼む」

「は、はい!」

「何を緊張している? 大丈夫だ、行軍中の野営においてもお前たちは見事に兵を監督していたではないか。頼むぞ!」

 隆広はニコリと笑い、矩久の腰をポンと叩いた。

「は!」

 慶次も正装を整え終えた。正装はあまりした事がないので窮屈そうであるが、大男の彼であるから、素襖の正装がよく似合っていた。見方によっては隆広が慶次の副使のようである。

「うん、では行くか慶次」

「御意」

 

 隆広が本陣に戻ると、もう一人の副使である前田玄以が正装して待っていた。

「お待ちしておりました。それがし若殿配下、前田玄以にございます」

 僧侶姿の武将だった。腰は低いが威厳は十分に感じさせる。

「水沢隆広です。前田様の噂は伺っております。信忠様の智恵袋の前田殿。お会いできて光栄です」

「こちらこそ。此度の大任を共に当たれて嬉しゅうございます。では水沢様、若殿にもう一度お目通りを」

「はい」

 

 軍机にはまだ各諸将が座っていた。

「おお、正装も中々似合うではないか」

 信忠がからかうように言った。

「は、はあ…あまり慣れていないのですが…」

「ははは、ところで隆広。お前が本陣を出て行き違いに父上からの使者が来た」

「大殿の?」

「使者の持ってきた書状を見て驚いた。『平蜘蛛を差し渡せば弾正とその家族郎党の助命を許し、今までどおり領内の統治を許す』と記してあった。奇遇にもお前の策が現実になってしまったわ」

「なんと…」

「隆広、父上の書状を持って行け、そしてこれがオレの添え状である」

「かしこまりました」

「うむ、難しい役目だが、そなたが一番適任じゃ。頼むぞ」

「は!」

 

 こうして隆広は前田慶次、前田玄以を連れて敵地の信貴山城に向かった。慶次は隆広と玄以の護衛。玄以は総大将信忠の名代として隆広が何を久秀から問われても答えられるように添えられた智恵者である。使者の作法にのっとり正装で身を整え、『軍使』と書いた旗を前田慶次が持ち、隆広に従った。その道中に玄以が言った。

「しかし水沢様、驚きましたな。あの献策が現実になるなんて」

「ええ、それがしも驚きました。大殿が喉から手が出るほどに欲しがっていたと聞きましたが本当のようですね。茶の湯はたしなむ程度しか知らないそれがしには分からない事ですが」

 信貴山城の見張り台にいる兵士が三人の武者が馬に乗り、『軍使』と旗を立てて向かってくるのを見つけた。

「使者か、よし殿に伝えよ」

「ハッ」

 

 水沢隆広と前田慶次、前田玄以は信貴山城の城門までやってきて馬から下りた。

「止まられよ、織田軍のご使者か」

 門番が槍を突きつけながら言ってきた。

「いかにも、手前、織田中将信忠様の使者、水沢隆広と申す。松永弾正殿に目通り願いたい」

 古式豊かな作法を守り、隆広は門番に礼を示した。門番も礼儀を守り、槍を収めた。

「しばし待たれよ、いま殿に取り次いでいるところにございます。ご使者の名前は水沢隆広殿でございますな?」

「左様でございます。副使の二人は前田慶次に、前田玄以にございます」

 慶次と玄以も礼儀正しく頭を垂れた。

「承知しました。しばらくお待ちください」

 使者の名前を聞いた兵が急ぎ城主の間に駆けていった。

 

「追い返せ」

 城主の間にいた松永弾正久秀はただ一言こう言った。そして使者の名前を告げにきた二人目の兵が久秀に伝えた。

「使者の名前は水沢隆広、副使は前田慶次に前田玄以にございます」

「なに…?」

 信貴山城の平面図をずっと見ていた久秀の顔が兵に向いた。

「水沢隆広、確かにそう申したか?」

「はい」

「どんな容貌だった?」

「は、まだ年若い少年で…さながら女子のごときの優男にございました」

「ふむ、間違いなさそうじゃ。よし会おう。そなたらも使者を迎える位置につけ」

「「ハッ」」

 久秀は城主の席に座り、重臣たちはその左右に並んで座った。一度はむげもなく『追い返せ』と言ったのに、名前を聞いたとたんに会う気になった久秀。信忠の予想通りだった。久秀の息子の松永久通が疑問に思い尋ねた。

「父上、ご使者を知っているのですか?」

「…水沢隆広と言えば、女子のごとき容貌のワラシらしいが、あの上杉三万を二千で退かせた若武者だ。ワシの上杉との挟撃策を頓挫させてくれたワラシ。見てみたいと思ってな」

「なるほど」

「殿、ご使者のお越しにございます」

「お通しせよ」

「ハッ」

 

 水沢隆広は信貴山城の城主の間に入った。松永久秀の側近がズラリと並び、敵意むき出しの目で睨んでくる。並の者ならこれだけで腰が引けてしまうが隆広は平然としていた。床をスッスッと歩き、久秀に寄った。そのすぐ後ろに前田慶次と前田玄以が続いた。

(ほお、美童と聞いてはいたが噂以上だな)

 松永久秀は美男の男が嫌いである。彼自身が美男とほど遠い容貌である事もあるが、彼の経験では美男の男はだいたい使い物にならなかった。部下としては頼りなく、敵としてはモロい。だが目の前の少年はあの上杉の大軍を寡兵で退かせている武将である。美男だけではない『面構え』を久秀は読み取った。

 隆広は使者の作法にのっとった位置取りで座り、松永久秀に頭を垂れた。隆広の後ろで慶次と玄以も座り、頭を垂れた。

「織田中将信忠が使者、柴田家部将、水沢隆広にございます」

「松永久秀である」

 年齢差およそ五十歳。まるで祖父と孫の年齢差である。戦国一の梟雄と呼ばれた松永久秀と、後に戦国時代最たる名将と呼ばれる水沢隆広の最初で最後の対面であった。



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謀将として

「では使者殿、能書きは無用。本題に入られよ」

「はい、それではこの書状を」

 久秀の息子、松永久通が隆広からそれを受け取り、父の久秀に渡した。二通の書状の裏を久秀は見た。

「信長と子セガレのか」

 久秀は嘲笑を浮かべて、その書状を読まずに破った。

「な、なにを!」

 前田玄以が立ち上がりかけた。それを隆広が静かに制した。

「ふん、読む必要などないわ。書かれている事は分かっている」

「左様でございまするか、ならばそれがしが口上で述べましょう」

「聞かずともよい。降伏をすすめるのだろう」

「いいえ、ただの降伏勧告ではございませぬ」

「ほう」

「大殿、織田信長の言を伝えます。『平蜘蛛を渡せば弾正のみならず城兵すべて助け、今後も領内の統治を任せる』以上です」

 ザワザワと城主の間がどよめく。

「『平蜘蛛を渡せ』だと? ふん、信長の言いそうな事よ」

「いかがでございましょうか。茶器一つで御身は無論、家族郎党無事と相成りますが」

「そんな話を信じられると思うのか。浅井長政、荒木村重は一度信長を裏切りどんな目に遭ったか。平蜘蛛を渡しても我らの末路は見えておる。現に当家の人質二人を信長は殺している」

「お言葉ですが、弾正殿は今まで二度大殿を裏切っておられます。かつて弾正殿は大殿にこう申したそうでございますな。『裏切りこそが武将の本懐、恐れながらこの弾正、スキあらば何度でも裏切りまする』と。それでも大殿は弾正殿を用いてまいりました。それは弾正殿の才を惜しめばこそ。いまだ大殿には敵は多く、有能な大将は一人でも欲しいのが実情。確かに三度目の裏切りで大殿は怒り心頭となり、二人の人質を殺してしまいました。それが許せずこのまま徹底抗戦を続けるのも良うござりましょう。

 しかし大殿は『平蜘蛛』によって免罪とすると申しておいでです。弾正殿も織田のチカラを利用して自分の版図を広げなさろうとしていなさる。『二卵をもって干城の将を捨ててはならぬ』と申します。大殿にも色々問題はございましょうが、それは弾正殿とて同じ。悪い箇所ばかり見て判断するのではなく、良い箇所を認めて仕えれば良いのではございませぬか。大殿は弾正殿の才幹を惜しんでおいでにござる」

「ふん…ならば平蜘蛛を渡す代わりに一つ所望しようか」

「何をでございまするか?」

 久秀はゆっくり水沢隆広を指した。前田玄以が憤然として言った。

「水沢殿を家臣にご所望か! いささか図々しいのではなかろうか? 茶器一つで謀反が帳消しとなると云うのに!」

「家臣にではない、閨の玩具として用いる」

「弾正殿!」

 前田慶次が立ち上がりかけた。隆広がそれを制した。

「それがしを閨の玩具に?」

「さよう、聞いておらぬか? ワシは男色家でもあるのを」

「…初耳です。無類の女好きとは聞いていましたが」

「女は女で好きだ。だが美童との閨も甘美でな。見れば見るほどに美男、いや六十過ぎたワシにすれば美童よな。そなた男を知っているか?」

 隆広がもっとも嫌う邪推である。時に自分の容姿が恨めしくなるほどに。

「存じませぬ」

「ほうそうか! それほどの美童でありながら蓮の蕾(処女)か! ますます食らいたくなったのォ! わっはははは!」

 前田慶次の堪忍袋の緒が切れた。

「おのれ弾正! ようも我が主に!」

「よせ!」

 隆広が一喝した。

「しかし…!」

「着座せよ」

 慶次は再び隆広の後ろに座った。

「弾正殿、それがしの伽は高くつきますぞ」

「ほう、いかほどじゃ?」

「松永弾正久秀の首」

 松永久秀の家臣たちが立ち上がり、刀に手をかけた。だが前田慶次が隆広の後ろにピタリと付き周りを睨む。

「ワシの首とな…?」

「弾正殿がそれがしの上で快楽に酔っている時、そのシワ首をヘシ折ります。それでも良いか?」

「ほう、そんな事をすればこの城から生きて出られぬと云うのにか?」

「試してみますか」

「ふん…」

 久秀は口元を緩め、いきり立つ家臣たちを座らせた。

「なるほど、ただ顔が良いだけの男ではないようだ」

「……」

「許せ、戯れじゃ。ワシに衆道の好みはない」

「はっ」

 

「さて、平蜘蛛の件であるが、それは断る。降伏もせぬ。陣中に帰りそなたも城攻めに備えるがいい」

「…茶器一つで家族郎党救われるのにですか?」

「信長はワシを許しておらぬ。それに人質を殺した手前、再びワシを登用する危険性も読めぬほどバカでもあるまい。ここはワシを無罪放免にしても、いずれワシを殺す。ワシの家族郎党もな。『平蜘蛛』欲しさにここは許すと見せかけているだけよ。唐土の韓信のごとく、城に招かれてだまし討ちで死ぬような末路より、ここで城を枕に戦って死んだ方がいい。早いか遅いの違いでしかない」

「それは弾正殿個人のお考えにございましょう」

「確かにそうじゃ。ここにはワシと運命を共にするのも否という者もいるだろう。だが、そういう連中も含めてワシは家中の者として愛し、そして信長に意地を見せる」

「分かり申した。行こう、慶次、玄以殿」

「「ハッ」」

「水沢隆広と申したな」

「はい」

「澄んでおり、かつ意思を宿した良い眼をしておる。けして信長に染まるな。良いな」

 立ち上がりかけた隆広は、この松永久秀の言葉に少し驚いた。しばらく互いを見つめる水沢隆広と松永久秀。隆広は改めて鎮座し、姿勢を正して頭を垂れた。

「お言葉かたじけなく」

「久通、大手門までお送りせよ」

「は!」

 

「いや、父が失礼な事を言いました。許されよ水沢殿」

 親子ほど年が違い、かつ敵将の隆広にも松永久通は礼を示しながら大手門まで歩いた。

「いえ、おそらく弾正殿はそれがしが使者として、降伏を受けないと云う自説を述べるに足る男かどうか、怒らせて試すつもりだったのでしょう。しかし…もっと違う形でお会いしたかった。色々とお教えしてほしい事がございましたに…」

「父に?」

「はい、弾正殿は長期の陣にて味方兵の士気を落とさせない事に関しては天才的と聞きました。どういう方法を執ったのかと…」

「ははは、大した事ではありません。陣近くの村々に父みずから出かけていき、ヒマを持て余している女たちにいい仕事があると陣中に連れてきて、伽を有料で依頼したりと…」

「なるほど、物は言いようですが、それは売春の斡旋ですな」

 慶次は苦笑した。

「ええ、当然怒って帰る女もいましたが、まあ六割は残りましたよ。いい稼ぎになると喜ばせられましたし、兵も退屈しない。一石二鳥でした。あっははは」

「なるほどなるほど」

 隆広はウンウンとうなずいた。

「あとはまあ…陣で饅頭や料理など作らせて他の陣を売り歩かせたりと。美味いものを作れば売れるし、兵たちはよく研究していましたよ」

「そういえば水沢様、聞いた事ありますよ『松永饅頭』と云うのを」

 前田玄以も少し緊張が解けたのか、笑って言った。

「うん、見習う点も多い。さすが弾正殿だ」

 

 松永弾正は悪事の限りを尽くしたが、部下に慕われた珍しい武将である。それは親近感から来るものだろうと後の歴史家は言っている。

 彼は久通の言うとおり、陣が少し長引くといそいそと陣を抜け出して、ヒマを持て余している農民の女房たちが集まっておしゃべりをしている所にズカズカと割り込み

『いい仕事があるぞ。手伝わないか。ワシは織田軍の松永久秀と云う。やる気があるのなら世話をする』

 と述べた。ちょうど農閑期を狙ったため、女房たちはヒマを持て余し、かつ収入も途絶えていたのでその話に乗った。

 で、松永陣に来てみれば売春の斡旋。激怒して帰る者もいたが大半は残り、セッセと励んだという。大将自らがそんな事をしているのである。一様に部下たちは親近感を持ち慕ったのである。

 

「では水沢殿、ここからは父の戦ぶりを学ばれるが良いでしょう」

 大手門に到着すると久通の顔も険しくなった。

「そうさせていただきます」

「では後日、戦場にて」

「はい」

 

 バタン

 

 大手門が閉められた。

「ふう、生きて出られましたね。水沢様」

「しかし…『茶器を惜しんで家臣の命を惜しまない主君』と城主の間の家臣衆に思わせたかったのだけれども…弾正殿の言った『ワシと運命を共にするのも否という者もいるだろう。だが、そういう連中も含めて、ワシは家中の者として愛し、そして信長に意地を見せる』と云う言葉に一同感奮していた。何て事はない、オレは敵を鼓舞しに行ってしまった」

「いやいや、まだ結果は分かりません。八千すべてがそう思うとも限りませぬ」

 そう言うと玄以はニヤと笑った。

「恐ろしいお方でございますな水沢殿は。久通殿と会話をしながら、かつ少しもキョロキョロする事もなく…城の様子を見ておいでだった。それがしが見るに何か探しておいでのようでしたが?」

「そうなのですか? 隆広様」

「うん。兵の待機場所を探した」

「待機場所を?」

「無論…何箇所もあるのだろうが、見つかるのは一箇所だけでいい。そして見つけた」

「そのような場所を見つけていかがなさる?」

 その質問に玄以が答えた。

「前田殿、今回の使者、こちらが『平蜘蛛渡せば、全員助ける』と述べ、弾正殿がそれに否と言えば、それだけで成功とも言えるのです。おいおい兵にまでその話は行き着くでしょう。確かに幹部は水沢殿の申すとおり、より結束が固くなったとも見えます。だが末端の兵士はどう思うでしょう。そこに内応を促す矢文を射ればあるいは!」

「なるほど…」

「さ、若殿も気をもんでいましょう。水沢殿、前田殿、本陣に帰りましょう」

「そういたしましょう」

 

 水沢隆広、前田慶次、前田玄以は本陣に戻り、詳細を信忠に報告した。

「…と云う事にございます。弾正殿は平蜘蛛を渡す事を拒否。かつ降伏も拒否と相成り申した」

「ふむ、だいたい筋書き通りと云う事か。久秀が『否』と言った時、重臣たちの反応はどうであった?」

「はい、弾正殿はこのように申しました。『ワシと運命を共にするのも否という者もいるだろう。だが、そういう連中も含めて、ワシは家中の者として愛し、そして信長に意地を見せる』と。この言葉に感奮した家臣も数人見られました。おおよそ幹部の調略は不可と見込みました」

「ふむう…さすが松永ダヌキ。不和を生じさせるどころか、逆に感奮興起にこぎつけよったか」

 信忠は腕を組んだ。

「御意。むしろ後がない合戦ゆえ家中の結束は固いと見ました。しかし…」

「しかし…?」

「これはあくまで幹部の話。末端の兵卒はこれを聞けばいかが思うでござりましょう」

「ふむ…」

「城の出口から、弾正殿の子息である久通殿と談笑しながら大手門まで歩きました。その間、それがしは探し物をしたのですが運良く見つけられました」

「なにをだ?」

「兵の待機場所です」

「ふむ、大手門付近だからそれはあろうな。で、それを見つけていかがする?」

「城主の間には弾正殿、久通殿合わせて三十人近い幹部がおりました。もうしばらくすれば『平蜘蛛を渡せば将兵すべて助ける』と使者が述べたに対して弾正殿が『否』と言った事も伝わるでしょう。幹部は主君と死ぬのもいい。しかし末端の兵士はそうとは限らない。

 たとえ今は殿様のためにと考えていても、茶器一つに全兵の命と天秤にかけたと伝わればおのずと考え方も変わります。だから時を見計らい、兵の待機場所に矢文を投じます。『茶器とそなたたち兵士とを天秤にかける大将のために死ぬべきではない。織田軍に味方すれば恩賞を与えよう』と」

 諸将はゴクリとつばを飲んだ。竹中半兵衛は微笑みながら二つほど頷いていた。

「しかし隆広、敵の内応がこれまた向こうの策ならばいかがする? 内応したと見せかけて逆用されたら目も当てられんぞ」

「我々は矢文を射掛けたら、そのまま城を包囲していれば良いと思います。向こうが内応に答えるふりをしても、城内に何の動きがなければこちらは動かない。動かなければ内応策を逆用されても実害はありませぬ。矢文を射てもしばらく信貴山城内に異変なくば、その時は改めて戦のやりようを切り替えれば良いかと」

「うむ、諸将はどうか?」

 本陣の各将たちは頷いた。

「隆広殿の策こそ用いるべきと」

 と羽柴秀吉。

「恐れ入った。それでまだ十七とはのォ。ウチの忠興に爪の垢でも飲ませたいわ。あっははは」

 細川藤孝も手放しで賛成した。

「よし、本日はこのまま包囲を続けるだけでよい。明日にでも第一矢を投じてみよう。以上、解散!」

 

 隆広と慶次は本陣を後にして自分の陣場へ歩いた。

「謀略は好かぬ、そういう顔をしているな慶次」

「はい、正直好きになれませぬ。久通殿とあんなに親しく話していた上で、あのような策を巡らしておいでだったとは…」

「凡庸な将が篭っても城攻めは難しいもの。まして弾正殿相手ならなおの事に謀略や計略は必要と思う。チカラ攻めをしたらあの堅城、負けは必至で、かつどれだけ犠牲が出るか分かったものではない。外部から落とせないのなら、内部から落とすしかない。

 毛利元就殿が寡兵を持って戦上手と言われていた陶晴賢殿を厳島で倒したのも二重三重の謀略あればこそ。だからオレは今回の策を巡らした事は恥と思わない。敵は堅城に篭り、攻めるほうが圧倒的に不利。戦略的な不利を戦術で補い、やっと五分になれるのであるから」

「しかし謀略に頼るものは謀略で身を滅ぼしますぞ。策士、策に溺れると云いますからな」

「確かにそうだ。だからオレのような男はそのサジ加減を見極めなければならないのも不可欠な事だと思う。しかし『計なきは敗れる』のも確かだ。戦は勝たなければならない。負けてオレたちが戦場の露になるのはいい。しかし負ければ民百姓が泣く。

 今回の戦にしてもそうだ。松永勢の兵たちは将軍足利義輝様を殺すために京へ攻めたとき、公家の女たちを犯しに犯しつくしたと聞く。もし今回の戦に負けて、弾正殿が勢いづき、伊勢、京の山城、はては安土にまで攻めてみろ。織田領内の娘たちが犯される。さえとそう歳も変わらぬ娘たちがな。オレはそういう悪逆非道は許せない。また敵国を攻める時に火を放つのは基本。民は何の予告もされず、それまで積み上げたものが理不尽に奪われる。民や女子こそが国の根本。その幸せを守るためなら、オレは悪辣な謀将と呼ばれようが一向にかまわない。それだけは覚えておいてくれ」

 隆広の一つの覚悟を見て慶次はニコリと笑った。

「心得ました。その時は大将のサジ加減を信じて、それがしも共に汚名も悪名も被ります」

「ははは、でもよく言ってくれた。『策士、策に溺れる』は常に頭と心に置き止めておくよ」

「ではついでにもう一ついいですかな?」

「え?」

 慶次はコホンと一つ咳をした。

「隆広様は智将かつ謀将でありますが、あまり他者に気を使いになっておられぬ。並ぶ諸将は織田の重鎮で、その中には隆広様が生まれる前から織田に仕えておられる方もいらっしゃいます。それがポッと出てきた若者に軍師気取りで策を言われたらどう思いますか。少なからず不愉快にもなります。今はまだ諸将は隆広様を子ども扱いしているから献策も受けられましたが、過ぎれば逆に恐れられ生意気だと煙たがれます。佐久間様や佐々様のような“隆広嫌い”をこれ以上増やさぬためにも時に他者へ上手い策を出させるような誘導的な弁舌も使いなされ。

 妬む者を小人と思い度外視してはなりませぬ。この世は天才の世ではなく、愚者の世。唐土の韓信、そして源義経や太田道灌の例もございますぞ。今日の味方が明日は敵なんて事もあります。才気ばかり先に出して味方の中に敵を作れば本末転倒。和を図る事を忘れてはなりませぬぞ」

 隆広はポカンとした。慶次の方こそが他者の事などどこ吹く風で世の中を歩いているからである。しかし、だからこそ見えてくる人の面があるのも確かである。隆広は立ち止まり、慶次に頭を垂れた。

「ありがとう慶次…。今の言葉、オレの一生の教訓とする!」

「分かれば良いのです」

「今ならまだ間に合うかな。今回の戦ではもう無理だろうけど」

「そうですな、まだまだ織田の軍団長が連合して敵に当たる事は山ほどあるでしょうし、北陸部隊独自の合戦もあります。今までは『まだ若いから』で済ませられるやもしれませんが、今の事を胸において軍議や評定に望めば、今後は他の諸将の覚えも違いますし、無用な恐れを抱かせずに済みます」

「分かった。またオレがそれを忘れそうになったら叱ってくれ」

「無論です」

 政務能力は皆無の前田慶次であるが、同時に風雅の嗜み尋常ならずと言われるほどの教養人の面も持っている。茶の湯や詩歌、古典の文章の解読においては隆広も遠く及ばない技量を持っている人物なのである。この隆広への諫言は慶次のそういう面が出た話と言えるだろう。

 

 一方、こっちは羽柴秀吉と竹中半兵衛。陣屋で酒を酌み交わしていた。

「のう半兵衛、ワシは隆広殿が恐ろしく感じてきた」

「殿に恐れられるのであるのなら、竜之介はもう立派な武将でございますな。かく云うそれがしも、あのカミソリのごとき切れ味の智謀が恐ろしく感じたものです」

「ありていに申せば、隆広殿がもし羽柴家に仕えていたら、ワシは兵すら与えず、もっぱら行政官として使うだけじゃろうな。それほどに恐ろしい。おぬしのごとく、わずか十数騎でも城を落とせるほどの智謀の持ち主じゃ」

「確かに…。あの智謀が返って他者の警戒を生まなければ良いがと不安も感じました。後ろにいた前田慶次殿が苦々しい顔をしていましたから、おそらく今ごろ竜之介は彼に説教でもされているでしょう」

「しかし解せん、あの小心者の勝家がよくまあ隆広殿を重用する。あやつの肝では有能すぎる部下は遠ざけても不思議ではないのだが…」

「確かにそれがしもその事は奇異に感じていました。手取川の戦いのときは、ことごとく竜之介の献策を退けたのに、結局はすべて竜之介の言うとおりになってしまいました。勝家殿からすれば、とても扱いづらい部下のはず。それが部将にまで取り立て、ほぼ領内の内政をすべて任せています。重用どころか、他者を無視したエコ贔屓にすら感じます」

「そうよなァ…」

「まるで…頼もしい息子を盲愛するかの…」

 ハッとして秀吉と半兵衛は顔を見合わせた。

「ははは、まさか、戯言です殿」

「いや半兵衛ありうる。ワシもまだ実子がおらぬから分かる。ある日突然に実の息子がいたと分かり…しかもその息子が自分に従順な性格で、かつあれほどに頼りになる智将であったら…ワシとて周りの事など何も見えぬ。盲愛する…」

「殿…」

「もしもそうなら…ワシは勝家がうらやましいのう」

 秀吉は苦笑いをして酒をあおった。

 

 翌日の夜、信忠の書状が矢文として、隆広が城を出る前に見つけた大手門近くの兵の待機所めがけて放たれた。

 水沢隆広が見込んだとおり、兵士たちには主君久秀が自分たち兵士を助けられる好機を得ながら茶器一つのために、その好条件を一蹴した、と云う噂が走っていた。そこに信忠からの矢文である。またも隆広は『心を攻めた』のであった。



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松永久秀の最期

「城内の兵士から内応に答える返書が矢文で届いた。今日にでも兵糧庫を焼くと言っている」

「「おおお~」」

 織田信忠の手元には、松永方の兵士から密書が届いていた。内容は先日に射た矢文の返事だった。兵士たちも最初は久秀様のために戦おうと考えていた。久秀は裏切りも平気でやるし、他に悪逆の限りも尽くしている。だが部下はついていった。

 しかし今回織田方が投じた一石、『味方の将兵より茶器の方を惜しんだ』と云う話は末端の兵士たちを深刻なまでに落胆させた。

 さらに一つ追い討ちをかける事があった。松永弾正久秀は若年の頃から心がけている事がある。それは『夜に女を抱かない』事だった。いつ刺客に襲われるか分からない時勢であり、かつ自分が多くの人間に恨まれている事を知っていた久秀は、刺客が人を襲う時間帯とも云える夜に女を抱かなかったのである。だから彼は常に真っ昼間に女を抱いていた。しかしそんな熟慮を末端の兵まで知るよしもない。

 そしてここに水沢隆広の恐るべき謀略が出た。隆広は兵にあてた文面に“ウソだと思うならば昼間に殿様を訪ねてみるが良い”と記しておいたのである。弾正が昼に女を抱く習慣を隆広は前もって知っていたのである。

 兵の代表たちは、その昼に茶器をどうしてそこまで惜しむのか聞きに来た事がある。だが尋ねた兵たちが見た光景は女の上に乗っている久秀だった。

 自分たち兵は禁欲生活も同然なのに、肝心の大将が女と戯れている。こういう間の悪い事も重なり、兵の心は久秀から離れていった。

 

「と、云う具合で兵たちの心はすっかり弾正から離れてしまったようだな。愚かな事だ、城を包囲されている時に、しかも真っ昼間から女を抱いているなんてな」

 信忠は笑いながら、松永方の兵の返書を軍机に放った。

「動きが近いうちにありそうだ。諸将の意見を聞きたい」

「されば話はそんなに難しい事ではございますまい。もう我々はただ包囲していれば良いかと」

「ふむ隆広、発案者のお前としては今の光秀の意見はどうか」

「はい、それがしも明智様の意見に賛成です」

「そうだな、ならば各諸将は兵士の士気を下げぬままの包囲陣を継続せよ」

「「ハッ!」」

 

 その夜、隆広は本陣の陣屋で横になっていた。

「うう、さえに会いたいよう…」

 隆広が合戦において、もっとも苦痛だったのは妻のさえと会えない事だった。包囲陣とはいえ隆広や将兵にも色々と軍務はあるので、みな疲れて寝ているものの、隆広は文机に座り筆を動かす軍務が多いので肉体的にあまり疲れがない。だから妻の肌が恋しくなる。頭からさえの美しい肢体が離れない。体が熱くなってきてたまらない。

「自分でしちゃおうかな…」

 と、思った時だった。

「た・か・ひ・ろ様」

「…?」

「私」

「舞?」

「陣屋に入っていいですか?」

「だ、だめだ! 主従のケジメというものがあるだろ!」

「そんな事言って…。だいぶ溜まっているのでしょ?」

 ボッと隆広の顔が赤くなった。舞は隆広の許可をもらわぬまま、スッと隆広の枕元に立った。

「さすがくノ一…」

「ほら、隆広様のきれいな顔にちょっとニキビが。そんな悶々としていてはいい采配は執れませんよ」

「そ、そんな事言ったって…」

「大丈夫、これも主取りしたくノ一の一つの務めですから」

(まあ、好みの問題もあるのだけれどね)

 かつて武田信玄の側室に『あかね』なるスゴ腕のくノ一がいたと云う話がある。その他、姫武将や女武者とか色々と武将に仕えた女衆も歴史に見えるが、だいたい上司である大将の愛人や側室であった。織田信長も女小姓を作り、陣中や行軍中には伽を命じていたと云う。ゆえにくノ一もその例外ではない。舞もすずも、上司の柴舟には無論、頭領の銅蔵にも求められたら応じよと暗に命じられている。

 だが隆広は求めない。バカ正直に『主従のケジメ』と考えているからである。ましてさえにバレたらどんな事になるか分からない。となると女の方から歩んでいくしかない。世話がやけると思いつつも、舞はまんざらでもない。隆広は美男でもあるし、体躯も筋肉質で整っている。何より武将としての資質も申し分ない。非処女である舞自身、男との閨を楽しむ術も知っている。

 舞が鮮やかな裸体を見せると、若い隆広はもうたまらない。ままよ…ッ! と隆広は舞を抱いた。藤林のくノ一はある程度の年齢になると閨房の技も先輩くノ一から教わる。つまり、舞はさえが持っていない『男を悦ばせる技』を心得ているのである。舞にとっても久しぶりの閨事だったので、彼女自身も楽しんだようだった。

 

「ふう、ありがとう舞、何か今日はよく眠れそうだよ」

「それは私も同じ。ずっと男に化けていますから、ずいぶん欲求不満だったのです」

「そうか」

「でも…毎夜は応じられませんよ。他の将兵も女日照りで陣にいるのですから」

「分かっている。オレだけこんないい思いを…」

 

 タタタタタッ

 

 隆広の陣屋に人の駆けてくる音が聞こえた。

「不粋ね!」

 舞は苦笑して、スッと姿を消した。隆広も急ぎ寝巻きを着た。

「申し上げます!」

「入れ!」

「ハッ」

 男装しているすずが報告に来た。

「何事か」

「は! 信貴山城に火の手が上がりました!」

「動いたか! よし、すぐに参る!」

「は!」

 すずは一旦戸を閉めた。

 

「もういいぞ舞」

 スッと舞は天井から降りてきた。もう服も着て、いつもの男装に戻っていた。

「さすがくノ一だな…」

「うふ♪」

「松永弾正殿の兵が動いた。水沢隊も備える」

「は!」

「ありがとう、甘美な時間だった。だがそれに溺れて失望させないよう務めるよ」

「その言葉、しかと承ります。さ、早く鎧と具足を!」

「うん」

 

 隆広はすぐに武装を整えて陣屋を出た。すずが待っていた。

「奥村様、前田様、可児様もすでに兵を整えてお待ち…」

「どうした?」

 すずの鼻がヒクヒク動いている。

「…女の匂い」

「え!?」

「…舞と?」

「な、何をいきなり!?」

「…隆広様は奥方一筋と思っていたのに…すずは失望しました」

 プイと拗ねるようにすずは隆広から顔を背けた。

「…いや、あの…」

「心配無用です。奥方様の耳に入れるようなマネはいたしませんから」

 丁寧すぎるすずの言葉が隆広の耳に痛かった。

「さあ、お早く! みなさん大将を待っているのですから!」

「は、はい!」

 隆広は将兵が集まっている場所へ駆けた。

 

 陣屋の中をすずが振り返ると、たった今に閨を過ごした蒲団を舞が畳んでいた。

「……」

「そんなに睨む事ないでしょう? 主君への伽だってアタシたちの任務にあるんだから」

「そんな事で舞は殿方と寝られるの?」

「はあ?」

「『任務』だから! そんな理由で妻もいる殿方と簡単に寝ちゃうのアンタ!」

「どうしたのよお? アンタらしくもなくそんな感情的になって。『任務』すなわちアタシたち忍びの掟でしょう? 掟はアタシたち忍びの基盤、アンタの口癖じゃない。アンタだって隆広様から求められたら断れないのよ」

「隆広様から求めたの!?」

「いいえ、アタシから迫ったわ。最近溜まっていて辛そうだったし。それにしても顔に似合わずご立派な…しかもすごい精力。あれじゃ奥方様も大変でしょうね。うふふ♪」

「最低…! 舞なんて大っきらい!」

「なにを怒っているのよ」

「私は任務や掟であの方に抱かれたくない…! もっと…ちゃんとした…」

「『ちゃんとした』って何よ?」

「うるさい! 舞の顔なんて見たくない!」

 すずはうっすら涙も浮かべて走り去っていった。

「難しい年頃なのね…」

 舞は頭を掻いて苦笑した。

 

 隆広は将兵の待っている場所に来た。

「可児様!」

「遅いぞ!」

「申し訳ございません。で、状況は!」

「見ての通りだ。最初は城の西から火の手が上がり、延焼が拡大している」

「こちらはどう動くのか…。よし、本陣に行ってみよう」

 隆広は奥村助右衛門と前田慶次を連れて本陣に赴いた。

「信忠様!」

「おう来たか」

 羽柴秀吉や明智光秀、細川藤孝も本陣に来ていた。

「今、竹中半兵衛と斉藤利三の隊が大手門に向かっている。攻撃命令は出していないがな」

「なるほど」

「さて、松永ダヌキ、どう動く事やら」

「これで信貴山城の焼け跡から平蜘蛛が見つかれば万々歳なのじゃがのォ」

 と、秀吉。

「羽柴様、大殿はそんなに平蜘蛛を欲しているのですか? それがしは話しに聞いただけぐらいなのですが」

 隆広が分かりきった事をあえて聞いてきた。

「ええ、あれは天下に二つとない茶器でしてな。差し出せば許すと云う大殿の気持ちにウソはないと思いますぞ」

「うーん、城に火が迫った今ならば…弾正殿も少し気が変わってくれるかもしれませんねえ…」

「そうじゃ若殿! もう一度使者を送り今からでも遅くはないから平蜘蛛を差し出し降伏せよと申してみては? そうすれば弾正も城兵も助命すると!」

「そうだな、あんがい今なら弱気になり降伏を受けるかもしれぬ。父上の平蜘蛛への執着も軽視できまい」

 隆広は微笑を浮かべた。あえて自分から使者を送ろうと言わずに、秀吉から言わせた。先日の慶次の諫言が効いているようだ。慶次も隆広の後ろでフッと笑った。

 今回は隆広が使者でなく、大手門で待機していた斎藤利三が使者で向かった。だが…

「追い返せ」

 城主の間で久秀は冷徹に言った。

「しかし殿、悪い条件ではないですぞ」

「いいから追い返せ!」

 部下の忠言も退けて久秀は怒鳴った。斉藤利三は門前払いとなってしまった。

「やれやれ…茶器ごときがそんなに大事か、弾正は」

 利三は呆れたようにため息をついた。

「仕方ない、本陣に交渉決裂と伝えよ」

「ハッ」

 利三の部下は本陣に駆けて行った。そしてこのあと織田勢が城の中に突入を開始した。

 

「のう久通」

「なんですか父上」

「してやられたのお、あの美童に」

「水沢殿に?」

「ふむ、あやつはワシに平蜘蛛譲渡を『否』と言わせたかったのじゃ。それが兵に伝わるのを待ち、矢文を入れた」

 久秀は笑ってその矢文を放った。息子の松永久通は読んだ。

「なるほど…『茶器と兵の命を天秤にかけた』ですか…。当たっているだけにキツいですな」

 久通は笑った。

「しかも“昼間に殿様を訪ねてみろ”との念の入れようじゃ。で、その矢文を真に受けて反乱を企てようとした兵は殺した。だがそれがより兵の離反を生んだ。ワシが丹精込めて作ったこの城も…内部から攻められては終わりじゃ。もはやこれまでじゃな」

「父上は、信長が平蜘蛛を差し出せといった時点で敵方の執る作戦を看破したのではないですか?」

「ん?」

「“兵の命と茶器を天秤に図った”と織田方が矢文を射るのを…」

 松永久秀は息子の顔を見てフッと笑った。

「よう見た久通、その通りよ。だがな」

「はい」

「信長は“平蜘蛛をよこせ”としか言ってはいまい。それを城攻めの策に利用しようと考えたのはあの美童よ」

「防ぎようはなかったのでござろうか…」

「ワシが兵の叛意を防げば防ぐほどに内部分裂は加速する。打つ手なしだったわ」

「いつぞやの高札…。父上覚えておいでですか?」

「ああ、覚えておる。やはり現実になったな」

 久通の述べた高札とは久秀が多聞山城を築城して、ありとあらゆる財物を城に豊富に蓄えた後に立てた高札である。久秀はこう書いた。

“松永弾正はこの城のために才覚の限りを尽くした。この城に不足なものがあると思う者は誰でも申し出るか添え札を立てるが良い。褒美を与えよう”

 するとすぐに領民の代表が次のような添え札を立てた。

“長年にわたって民からむさぼり取ったので、財物には何も不足がないように見える。ただし松永家に事欠くものが一つある。それは『運命』である。運命の不足はいったい誰からむさぼり取るのか。よくよく思案されよ松永弾正殿”

 これを読んだ久秀は激怒して領民を虐げたと云う。だがこの予言は的中した。

「図星を指されたから激怒したのだろうのォ。そして見事にそれは当たったわ」

 久秀は傍らに置いてある平蜘蛛を取った。

「後の人は何と云うかの…。梟雄久秀、茶器一つを惜しんで自滅したと」

「何とでも言わせれば良いではないですか。よしんば平蜘蛛を渡していても…我ら松永家はそのまま織田の走狗となり、天下と云う狡兎を捕らえたら粛清される運命にあったと思います。まだ反乱者として散ったほうが、我らの子孫も喜びましょう」

「すまぬな、久通。今回の蜂起で織田に預けたそなたの子を死なせてしまった…。恨んでいような…」

「それも戦国の世の運命でしょう。もし生まれ変わる事などありましたら、今度は孫を愛しむ優しいジジイとおなり下さい」

「フッ…。そうしよう」

「父上、腹を召すならそろそろかと…」

「いや、その前に日課を済ませんと」

「日課?」

「灸じゃ。中風の治療じゃ」

「ああ、そういえばそんな時間でございましたね。どれ、いつもやってくれている侍女はもう逃がしてしまいましたから、それがしが据えましょう」

 久秀は頭頂部の百会と云うツボに灸を据えた。

「う~ん、効くのォ…」

 これから間もなく死ぬ運命にある松永久秀が灸とは変な話であるが、久秀は持病の中風の症状が自決の時に出て、自決ができなくなる恥を恐れ頭の中央に灸をしたのだという。『その名を惜しむ勇士は、かく有るべき』と松永久秀の態度に『備前老人物語』は伝えている。

 

 父の灸を据え終えると、松永久通は

「では父上…。お先に」

「ふむ」

 久通は切腹した。享年三十九歳であった。

「見事じゃ。ワシをいい息子を持った」

 主なる家臣たちも消火活動をしているため、城主の間にはもう久秀しかいない。そして火の手はどんどん迫ってきていた。久秀はゆっくりと立ちあがり、天守閣に歩いた。そこは火薬庫も兼ねている。

「信長…信貴山城を渡しても、この平蜘蛛は渡さぬぞ…!」

 天守閣の床にドカリと座り、平蜘蛛の茶器に火薬を詰めていく久秀。そして火薬をこれでもかと詰めた平蜘蛛を体に結びつけた。

「ワシも悪党であったが、信長そなたも悪党ぞ。じゃがそなたの悪はしょせん『醜』じゃ。ワシの悪は『美』よ! ふっははははッッ!!」

 火のついた松明を掲げる松永弾正久秀。

「信長…一足先に行って待っているぞ!」

 

 ドゴォォォォンッッ!

 

 松永久秀は名茶器『古天明平蜘蛛』と共に爆死して果てた。享年六十七歳と言われている。

 

 報告を聞いて織田信忠はただ一言だけ言った。

「そうか、平蜘蛛ごと爆死とはな。梟雄の松永ダヌキらしい最期だ」

 水沢隆広と前田慶次も炎上する信貴山城を陣地から見つめていた。

「なあ慶次…」

「はっ」

「弾正殿は知っていたよ。矢文を使っての内部不和の策」

「は?」

「立ち去る直前、オレと弾正殿がしばらく見合っただろう。あの時、それが分かった…」

「ではもはや避けられぬ死と…受け入れられたのですな」

「“良い眼をしている”と…おっしゃってくれた。オレ…殿に褒められるぐらい嬉しかった」

「認めてもらえたと云う事にござりましょう。誇りに思ってよろしいと」

「うん。弾正殿…。ご貴殿と会い、言葉を交わした事。隆広一生の誇りにございます」

「ところで隆広様、上杉謙信殿が亡くなったそうにござる」

「なに…!?」

「卒中と云う話です。謙信公は酒好きで、肴はいつも梅干、塩、味噌だったとか。それが祟ったのでございましょう…」

「そうか…謙信公、弾正殿、そして信玄公や毛利元就殿といった戦国の世を駆けた将星たちが次々と死んでいくな」

「これからは若い我々の時代でございます。先人たちに笑われぬ戦、政事をしていきましょう。隆広様」

「そうだな!」

 

 翌日、軽い論功行賞が行われた。勲功一位は平蜘蛛に伴う献策を出した隆広となった。各将たちも息子ほどの年齢の武者に嫉妬心は湧かなかったのか、手放しで褒め称えた。隆広は年長者に好かれる特技を持っているのかもしれない。無論、ごく一部は蛇蝎のごとく嫌ってはいるが。

 そして、ここで織田軍は解散となった。各諸将は国許、もしくは任地に引き返しだした。

 

「水沢殿、こたびの勲功一位、おめでとうございまする」

「いえ、運が良かっただけにございます山中様」

「謙遜あるな、あの城をほとんど味方の血を流さずに取るなど中々できませんぞ。さながら謀聖と称された尼子経久様を見るような思いであった」

「ほ、褒めすぎです」

「今しばらく水沢殿と語り合いたいところでございますが、それがし羽柴殿と播磨攻略に行かなければなりませぬ。お別れでございますな」

 松永久秀謀反には黒田官兵衛の元主君である小寺政職も呼応していたため、信長に討伐され死んでいる。政職が領有していた播磨の置塩城と御着(姫路)城は秀吉に預けられ、秀吉はそのまま大和の地から長浜に戻らず御着城を本拠地として、残る播磨の領地を占領し、さらにその播磨を根拠地にして、宇喜多と毛利の討伐に向かう事を任命されていた。その攻略戦に鹿介も共に行く事になった。

「また、お会いできるでしょうか」

「尼子は織田の庇護を受けし大名、柴田家に属する水沢殿と、これからいかようにも会える機会はございましょう」

 水沢隆広と山中鹿介は手を握り合った。

「尼子家の再興、心より願っております」

「かたじけない!」

 

 晴れて隆広は松永攻め一番手柄を土産に北ノ庄城に凱旋した。信忠からもらった褒美は碁石金と銭三千貫であった。織田家から戦目付けから柴田軍の軍忠も勝家に報告され、褒美も届いている。水沢隆広と可児才蔵は柴田勝家より信忠からの褒美を賜った。

「弾正の最期の様子は聞いた。爆死とは壮烈であったな」

「はい」

「あと…大殿が『平蜘蛛』を差し出せば許すと云う使者が到着する前に、そなたがそれを若殿に具申したと聞くが…まことか?」

「本当にございます。今は出すぎた事を申したと反省しています。よもや大殿の名を無断で使う策を起草してしまうなんて」

「ふむ…まあその策を入れたのは若殿ご自身じゃから良いが…」

 隆広は主君勝家から前田慶次より受けた戒めと似た事を諭された。

「ワシかお前が総大将の時の合戦。つまり北陸部隊のみの合戦ならば軍議にてどんどん意見を言ってよい。だが軍団長が連合して若殿や大殿の指揮で戦う場合は一歩二歩退いて軍議に臨め。優れた意見がいつも歓迎されるとは思わぬ事だ」

「はっ、水沢隆広、肝に銘じておきます」

「それと才蔵」

「はっ」

「残りし松永勢の掃討に明智の斉藤、羽柴の仙石らと共に見事な働きだったと聞いておる」

「恐れ入ります」

 可児才蔵は勝家から感状と褒美を受けた。

「だが才蔵言いにくいが」

「はっ」

「しばらく、娶った妻の仔細については公表するな。隆広も心得ておけ。肩身の狭い思いをさせてすまんが、そなたの新妻の身を守るためでもある。よいな」

「才蔵、心得ました」

「ふむ、両名松永攻め大儀であった! 下がって休むがいい」

 水沢隆広と可児才蔵は北ノ庄城を出た。

「良うございましたね可児様、最初報告を聞いたとき殿は激怒したというから気をもんでおりました」

「実はオレもだ」

「で、祝言はいつに?」

「そんなもんいらん」

「ダ、ダメですよそんな! 柴田家部将の可児家当主が嫁もらったのに祝言なしなんて!」

「ほう、じゃお前に媒酌人頼もうか。こたびの縁はオレがお前の副将にすえられたが縁だからな」

「ええ? だってそれがし可児様より六つも若輩に…」

「年など関係ない。前そう教えたろうが」

「は、はあ…」

 可児才蔵が娶った妻は、なんと松永弾正の娘(史実では落城時に自決)である。美貌で知られていたが、梟雄久秀の娘だけあって気が強く、豪傑の可児才蔵が唯一頭の上がらない存在となる。

 なりそめであるが、城に侵入した才蔵は自決しようとしていた娘を発見し、小刀を取り上げた。そしてその娘を見た時、“我が士道に女は不要”と口癖のように言っていた彼の理念が吹っ飛んでしまった。今まで勝家や同僚が嫁を世話しようとしても見向きもしなかった彼が一目惚れをして、半ば有無を言わさず連れ帰ったのである。当時二十歳であったが、美貌であっても誰もが“梟雄久秀の娘では”と物騒がり嫁にしようとは思わなかったと言われている。

 心ならずも生き延びた娘、名は皐月姫。余計な真似して自分を助けた男が嫁になれと言ってきたので、これもなるようになった結果かと開き直り、その日のうちに求婚を受けたと伝えられる。

「では引き受けたからには段取り任せていただきます」

「頼む、さあ今日はこの辺でよかろう。お前も家に帰って愛しい嫁さんに早く会いに行け」

「はい!」

 

 隆広は才蔵と別れると、すぐに自宅へと駆けた。さえに会いたい、さえに会いたい、たとえくノ一の舞と一線を越えても、やはり愛妻が一番恋しい。

 自宅から炊煙が上がっている。そして玄関には愛妻さえが立っていた。

「さえ―ッ!」

「お前さま―ッッ!」

 そしてギュウと抱き合う二人。『ぶちゅう』と聞こえてきそうな熱い口づけをして、それを満足させるとやっと家に入っていく。侍女の八重や、家令の監物も、さすがにもう間の取り方も分かってきて、口づけが終わるころ、玄関先に迎えに来た。

「お帰りなさいませ、殿様」

「うん、ただいま!」

「殿様、大和からの帰路、お疲れ様でした。湯が沸いておりますよ!」

「よし、さえ一緒に入ろう!」

「んもう…。夜まで待てないのですか?」

 と、言いながらさえもまんざらではない。

「待てないよ!」

 と、八重と監物が苦笑する中、隆広は両手でさえを抱きかかえて風呂場に駆けていった。



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海賊

 信貴山城攻めが終えてから、しばらく隆広には平穏な日々が続いた。時にはのんびり釣りなどもできる日もあり、取り組みたかった仕事と余暇を交互に行える、彼にとっては恵まれた日々であった。妻さえとイチャイチャできる充実した毎日だから、仕事も身が入る。

 くノ一の舞と一線を越えてしまったものの、幸いクチの固いのがくノ一。さえにバレずに済んでいた。しかし隆広は平時に舞を求めようとはしなかった。舞も迫らない。隆広と舞との間に “戦場でのみ肌を合わせる”と云うのが暗黙の了解となっていた。大胆かつ陽気な舞であるが、わきまえる所はわきまえていた。隆広の言う“主従のケジメ”を舞もちゃんと心得ていたのである。

 

 この時期に隆広は勝家の命令で北ノ庄城の増築を手がけていた。一向宗門徒に備えてである。完成すれば北陸最大の平城となるだろう。隆広は石田三成を右腕に城作りの指揮を執る毎日だった。

「よーし! 今日はこれまで! 佐吉、終了の太鼓を叩け」

「ハッ」

 

 ドーンッ! ドーンッ!

 

 その太鼓の音が響くと、本日の仕事が終わりの合図である。そして隆広から日当をもらうのである。

「みんな、お疲れ様。明日も頼むぞ」

「「へい!」」

 工事の人手は工兵隊を含む、隆広の兵。そして職人や人足などの領民たちである。隆広が効率よい工事の指揮を行うのは有名であり、無論『割普請』で、この城の増築も行われている。その日の工事が終わると三成と辰五郎から隆広に班ごとの成績が報告され、それに沿って全員給料を隆広から手渡しで直接もらっている。

 隆広は雇った人足の名前すべて覚えていたと云うが、彼は給金を手渡すと同時に名を呼び、労いの言葉を送っている事が当時の作業日誌に記されている。雇われた領民たちの感激たるや察するに容易である。

 もはや『割普請』の本家である羽柴秀吉よりも堂に入った割普請を使う隆広。工事現場は毎日戦場のようであった。各班が作業をよく研究し、かつ段取りが良い。総奉行の隆広や三成がほとんどクチを挟む必要もない。

 休息も食事も十分に与えるので怠ける者もいない。しかも夕刻でキッチリ終わらせてしまう。領民を奴隷のように酷使する領主が多い中、当時としては信じられないほどの暖かい用い方で、人の気持ちを理解した絶妙な人使いである。後に築城の名手とも呼ばれる隆広であるが、それも多くの人々に支えられてこそ。彼はそれを分かっていたから自分の元で働く者を手厚く遇したのであろう。彼が名内政家と呼ばれるのもこんな所以と云える。

「三ヶ月を見込んでいたが…二ヶ月で終わりそうだな、佐吉」

「そのようでございますね。さ、後始末はそれがしと辰五郎殿で済ませておきますので、勝家様に本日の報告を」

「うん、頼む」

 

 隆広は主君勝家に会いに北ノ庄城城主の間にやってきた。だが先客がいた。隆広の家臣の吉村直賢であった。

「おお、隆広。ちょうどよかった。今呼びに行かせようと思っていた。座るがいい」

「はい」

 隆広が座ると、直賢は座る場所を移して隆広の後ろに座った。

「本日の普請を終えたのだな?」

「はい、本日に西の丸の外郭増築はおおよそメドがつきました」

「ん! 早い! さすがだ」

「恐悦に存じます」

「資金は足りておるか?」

「はい、人手も資材も現状で十分ですし、完成後に改めて人足や兵たちを労うための給金をいただければと」

「分かった。で、直賢を呼んでいた理由であるが…直賢、述べるが良い」

「はっ」

 隆広は後ろの直賢の方に向いた。

 

「殿、今まで海路交易の守りに勝家様本隊の兵を貸していただいておりましたが、先日に丹後沖で大陸の賊に襲われましてございます」

「聞いている」

「日本の賊徒は織田と柴田の旗が船に掲げてあればたいてい襲ってきませんが、大陸の賊は織田も柴田も知りませぬゆえ襲ってまいりました。向こうは船戦に慣れており、あわやせっかく作った安宅船(大型船)も積荷も奪われかけましたが…」

「うん」

「ある水軍が助けてくれたのです」

「ある水軍?」

「はい、若狭を根拠地にしている水軍です。彼らも船戦に長けていまして、大陸の賊徒を見事追い払ってくれました」

「そうか…。しかし若狭水軍といえば、山名氏や尼子氏を支持していたと聞くが、どうして織田家に?」

「水軍、まあ平たく言えば海賊ですが略奪だけで食っていけるほど甘いものではないらしいです。堺や博多の商人衆も今や大名の御用商人となり、その後ろ盾に合わせて強力な用心棒を雇っておりますし、ニセの交易情報を流したりしていますから、略奪目的で水軍砦を出ても何の成果もない事もしばしばのようです。

 また航路の縄張り争いは陸の大名の領土争いと同じく海賊間で熾烈なようです。先代の頭領はおっしゃる通り中国地方の大名である山名と尼子を支持していましたが、もはや両家の没落は明らか。現頭領である松浪庄三なる男が、他の水夫衆を味方につけて時勢を読めない先代を追い落としたと聞いています」

「なんだ、北畠氏を捨てて織田家についた九鬼水軍とまったく同じじゃないか」

「そのとおりです」

「しかしなるほど、それで柴田家に恩義を売りつけて近づき、支持大名にしようと」

「はい、大殿にはすでに九鬼水軍がおりますので、それで家臣とはいえ大名である北陸部隊総帥の勝家様に」

「なるほど…」

「隆広、その水軍の頭領が北ノ庄の城下町に来ているそうだ」

 と、勝家。

「ここに?」

「『ぜひ柴田家を当水軍の支持大名としたく、若狭水軍の代表として勝家殿と話したい』と言ってまいった。小なりとはいえ、あちらも一個の勢力。会わねば非礼になるゆえ明日に会う事にはした。しかしその前に柴田の交易船を助けてくれた礼を済ませておきたい。明日の会談でそれをいちいち恩に着せられてはかなわぬでな。そなたワシの名代として礼品を渡してまいれ。そして若狭水軍の頭領の器量を見極めてこい」

「かしこまりました」

 

 その頭目の男は、吉村直賢が北ノ庄城下で預かる本陣にいた。商売の力量が柴田勝家にも認められた直賢は敦賀の町と共に、柴田家本拠地の北ノ庄にも本陣が与えられていた。

「殿、礼品揃いましてございます。銭五百貫、糧食五千石用意しました」

「ありがとう直賢。では行こうか」

「御意」

 頭領の男は松浪庄三と云う名前だった。彼は柴田勝家との仲介を水沢隆広家臣の吉村直賢に要望した。助けたのは直賢直属の部下たちと勝家本隊の兵であるし、何より庄三は直賢と知己であった。敦賀の町にある吉村直賢の本陣に松浪庄三はやってきた。庄三の顔を見た瞬間、直賢は眼が飛び出るほどに驚いた。

「貴公…!」

「久しぶりですな」

「生きておいで…」

 庄三は口に人差し指を立てた。それは言わないでくれとの要望である。そしてそのまま庄三は頼んだ。柴田勝家との対面を仲介してほしいと。勝家にとっては家臣の家臣である吉村直賢であるが、その商才をもって国庫に銭を入れる直賢を重く見ている事は、すでに庄三は調査済みだった。

 直賢はそれを引き受けた。直属の水軍にするもしないも勝家が判断する事。会わせる事ぐらいは直賢の権限でも足りた。そして勝家もそれを受け入れた。

 だが要談の前に船を助けてくれた礼を済ませるために直賢の直属上司である水沢隆広がやってきた。そして松浪庄三は間接的ではあるが、水沢隆広と云う男を知っていたのである。

 北ノ庄城城下町、吉村直賢の本陣で水沢隆広と松浪庄三は会った。

 

「若狭水軍頭領、松浪庄三にございます」

「柴田家部将水沢隆広です。こたびは当家の交易船をお助けくださり感謝しています」

「さしもの鬼柴田の軍勢も海の上では役立たずでございましたな」

 隆広の頬がピクリと揺れた。

「庄三殿!」

 直賢が青くなって叱った。

「いやいや、これは失礼。ところで水沢様は、あの美濃斉藤家の名将である水沢隆家殿のご養子君とか?」

「いかにもそうです」

「いや~名将と呼ばれる方も存外目が見えぬものなのですな。ご養子君の方は仕えるべき主君を知っておりましたが養父殿は盲目のようですな。あんな暗君龍興に仕えるとは」

 直賢は絶句してしまった。これは完全に隆広にケンカを売っている言い草である。

「あっはははは、どうやら庄三殿はそれがしを怒らせたいらしいですね。怒らせて器量を見るのならば我が殿勝家様に対して行えばよろしい。それがしの器量など値踏みしても仕方ありますまい」

 しかし隆広はそんな挑発には乗らずに流した。庄三はかまわず続けた。

「そんな深い考えはございませぬよ。ただそれがしにはどうして隆家殿ほどの武将が暗愚な龍興に仕えたか、それが前々から不思議でございましてな」

「それは簡単です」

「は?」

「斉藤龍興様が英主だからです」

 庄三は吹き出した。

「冗談はおやめ下さい! 竹中半兵衛率いる十六騎に城を落とされ、安藤守就、稲葉一鉄、氏家ト全ら重臣にも見捨てられ、あげく墨俣に一夜城を作られて稲葉山を落とされてしまった。落ちる時も城を枕に討ち死にを選ばず女だけを率いて逃げた。どうヒイキ目に見ても暗愚ですが?」

「龍興様の父の義龍様が亡くなられたのは、龍興様がまだ十四のころ。残念ながら重臣たちは主君が若く頼りないと云うだけで、後に迫る大殿の脅威に負けて寝返った。養父隆家が言うには、龍興様は才あったが運がなかったと。当時尾張美濃で最たる天才三人、大殿、羽柴様、そして我が義兄竹中半兵衛が敵に回ったのです。だれが城と国を守れると云うのですか。一度の敗戦で人格すべてを否定するのは軽率と云うものです」

「それは…養父殿を思うばかりに水沢様が龍興を偶像化しているのでござろう」

「龍興様は城から出る際に、大殿に兵の命を保証させる約束を取り付けていますし、女衆を連れて城を出たのは血に飢えた織田の雑兵に自分に仕えてくれた女たちを陵辱されるのが哀れであったからにございます。龍興様は兵を見捨てて女と逃げたと云う汚名をあえて受けなされた」

「……」

「それに考えてみて下さい。龍興様は堺、三好三人衆、長島一向宗、朝倉に受け入れられ、そして大殿に立ち向かった。それらの勢力が世間で言われているような愚鈍な将にチカラを貸すとお思いか? いずれの勢力も大殿が手を焼くほどのもの。甘いはずがない。それが龍興様の味方についたのです」

「……」

 庄三は黙ってしまった。

「かのルイス・フロイス殿は京の町で龍興様と出会いこう評しています。『非常に有能で思慮深い』と。『彼はキリシタンになる事を望み、世界の創造やその他の事も聴聞して書きとめ、翌日には流暢に暗唱していたので人々は驚嘆した』と。これが無能者にできますか。龍興様は才能も器量もあったが、ただ一つ運がなかっただけ。

 歴史は勝者のみがつむぐ金糸。それゆえに勝者となった織田側から無能扱いされて龍興様は語られているのです。そんな有能な士が時節に恵まれず二十七と云う若さで逝ってしまった。これは天下の損失と見るべきなのです」

「……」

「得心していただけましたか」

「…軽率に隆家殿の主君を論じ、申し訳ありませんでした。いかにも…水沢様の申すとおりです」

「分かっていただければ良いのです。では本題ですが…」

 

 庄三は隆広から改めて謝礼の品を受け取った。

「ありがたく頂戴いたします」

「して庄三殿」

「なんでござろうか」

「若狭水軍の兵力は?」

「関船(中世の海賊衆が海上の要所に関所を設け、通行する船から通行税を取っていた事からこの名がついた)百二十で、小早(小型の関船)二百、兵力は二千です」

「ふむ…」

「ははは、正直に『少ないな』と申して下さってかまいません。日本海最弱の水軍ですから」

「確かに…九鬼水軍や村上水軍の四分の一以下ですね…。大型船を作る技術は?」

「技術も造船資金もございません。鉄砲も少ないのが現状です。しかし柴田家を当水軍の支持大名とすれば敦賀の船大工の協力も得られますし、柴田の海路交易には護衛につきますので報酬も得られます。すべてはそれからです」

「なるほど…」

「頼りないとお思いか?」

「いや、実際に大陸の海賊を蹴散らしているのですから、そうは思いません。主人がどう判断するかは分かりませんが、それがし個人の見解で言うのならば最初から大勢力の水軍衆と手を組むより、共に発達繁栄していくのが理想と思えます。現に九鬼水軍がそうでしたから」

「同感です。しかしそれはそれがしと水沢様の見解。柴田勝家様が数をもって不足と申されたなら、違う大名を探すつもりです」

「いや、水軍は主人も欲しているはず。それがしからも取り成すつもりです」

「それはありがたい!」

「では明日、城主の間でお待ち申し上げます」

 隆広は直賢の本陣を立ち去った。

 

「ふう…あまり驚かせないでもらいたい。主君隆広を挑発するような事を申されるとは」

 吉村直賢は苦笑して額ににじんだ汗を拭いた。

「いや申し訳ない」

 松浪庄三の目に少しの涙があった。

「まさか…あれほどに知っていたとはな…」

「え?」

「斉藤龍興のことを」

「…きっと養父殿に聞かされていたのでしょうな」

 隆広の養父長庵は自分の武功は息子にほとんど語らなかったが、斉藤道三、義龍、龍興三代のことはよく話してくれた。この時ばかりは寡黙な養父も饒舌になったものだった。だから隆広は斉藤龍興の事を誰よりも知っていたのである。

「士は己を知る者のために死す…と云う。だがそれは臣下が主人に抱くだけの心ではない。逆もありうると今日知ったわ。隆家はオレを知っていた。その息子も…!」

「…庄三殿、いや…」

「よい若武者を育てたものよ…隆家は」

「龍興殿…」

「いや、その名で呼ばれますな。もはや斉藤龍興は死んだ名前。今のそれがしは松浪庄三にございますよ」

 若狭水軍頭領、松浪庄三の正体。それは美濃斉藤家最後の君主である斉藤龍興当人であった。

 

 松浪庄三こと斉藤龍興はふと昔を思い出した。織田信長に稲葉山城と美濃を取られて、龍興一行はやっとの思いで京の町まで逃げのびた。それもこれも龍興がもっとも信用する将の水沢隆家の働きによるものだった。

 龍興は京の町郊外に廃寺を修復した屋敷を譲られ、そこで共に落ち延びた家臣や女衆と住んだ。引越しも片付き、明日から龍興は美濃国主返り咲きのために京を中心として畿内を動く。その夜に老臣の水沢隆家を呼んだ。

「隆家、斉藤家再起のために投資してくれる京と堺の豪商数人を確保できた。また山城(京)の地に屋敷も何とか得られた。長かったな…伊勢長島に落ち延び、そしてこの京の都に流れ着いたが、やっと本拠地を得られた。オレは美濃国主に返り咲くのをあきらめない」

「龍興様…」

「だが隆家、そなたはオレとここでお別れだ。約束していたものな、オレが本拠地を得たら、武士をやめて僧侶になると」

「は…歳のせいか、いささか鎧も重くなりました。もう龍興様はご自分の才覚で縦横に動けるはずでございます。ワシは残る余生を今まで殺してきた敵将兵の供養に費やしたいと思います」

「養子をもらっていると聞いたが、もしオレが大名となれたならば重く用いよう」

「それには及びません。息子が元服したら、さる方にお返しする約束ゆえ」

「ほう、誰か?」

「申し訳ございません。固く口止めされております」

「そうか、ならば聞くまい」

 隆家は数年前、ある女から子を託されている。妻に先立たれ、後添いももらわず子もいなかった彼は、その男子の父親となれたのは天の導きと思い、優しくも厳しく育てている。隆家はこの養子を無上に愛した。この男児が後の水沢隆広である。当時は竜之介と云う名前だった。これからは美濃正徳寺で本格的な修行をさせるつもりだ。

「正徳寺、確か祖父と信長の対面の寺であったな」

「はい、そこで息子をひとかどの武将にすべく養育いたします」

「名前は確か…」

 

 

「水沢竜之介にございます」

「いつか会えると良いな。そなたのすべてを継承した若武者に」

「はい」

「隆家」

「はっ」

「いたらぬ主君であったが…今までよう尽くしてくれた。礼を申すぞ」

「龍興様、これを」

「ん?」

「金にございます。それがしは僧侶になりますゆえ、もう金はいりませぬ。先代、先々代に仕えて得られました禄と、褒美に頂いた品すべてを金に替えました。お受け取り下さい。龍興様にこれから金は必要でございましょう」

 差し出された箱は五つ。すべてに銭が詰まっていた。

「すごいな、三万貫はある」

「はい」

「だが受け取れぬ」

「いえ龍興様。龍興様がいらなくても部下や女衆を食べさせていくのに必要でございましょう」

 事実だった。龍興にとってもノドから手が出るほどに欲しい金である。

「では二万いただく。あとの一万、そなたが持っていけ。僧侶とてメシを食べるし、子の養育にも金は必要だ」

「龍興様…」

「さ、この話はもう良いだろう。明日の朝が今生の別れ。飲み明かそう隆家!」

「はは!」

 次の朝、斉藤龍興と水沢隆家は別れた。今生の別れだった。その後に美濃に戻った隆家は正徳寺の僧侶となり、号を『長庵』とした。

 

 一方龍興は、三好三人衆(三好長逸・三好政康・岩成友通の三人を指す)らと織田信長の上洛に抵抗するも果たせず、越前朝倉氏の元へ逃れた。そこで当時朝倉家で勘定方をしていた吉村直賢と知己を得た。もはや美濃から連れてきた家臣や女衆とも離れ離れになってしまっていた。

 そして最期は越前刀禰坂における織田軍との戦いにて戦死する。享年二十七歳と言われている。だが龍興は生き延びていた。その後に丹後に行き、名を欺き若狭水軍に潜り込んだ。必死に海の技と戦い方を学び、徐々に頭角を出し、やがて頭領よりも人望を得て、取って代わった。

 だがすでに龍興には美濃国主に返り咲くと云う野望はなかった。彼は水軍の仲間たちが好きになった。そして娘も生まれた。もはや畿内を制圧している織田に勝ち目はない。ならばいっそ協力し、水軍衆として重用されればいい。そうすれば自分たち水軍の暮らしも楽になる。

 そして目をつけたのは柴田家であった。北陸部隊で、かつ織田家中筆頭家老だからではない。柴田勝家の部下に、龍興はもっとも信頼した部下の名を継ぐ若者を知ったからだった。主従逆転となる結果であるが、もはや動乱を生き延びた彼にそんな気負いはない。水沢隆家の名を継ぎ、そして資質も養父に劣らぬものであるのなら、龍興は本心から犬馬の労を取ろうとした。松浪庄三として。

 

 そして翌日、柴田勝家は松浪庄三と会った。勝家は稲葉山城の戦いに参加しているが龍興と面識はない。龍興と知らぬまま勝家は庄三と語らい、中々の人物と見込み、柴田の水軍にする事を了承した。無論、隆広の取り計らいもあったのだが。

 庄三は柴田家の足軽大将の身分として登用された。破格の登用である。いかに柴田勝家が庄三を見込んだか知れるものである。

 

 隆広が目通りを終えた庄三を送った。

「これからはお仲間ですね、庄三殿」

「隆広殿の方が上将でございます。庄三と呼んでいただいてかまいませぬぞ」

「いえいえ、庄三殿はそれがし同様に主君勝家の直臣で、それがしより年長。呼び捨てするほどそれがしは礼儀知らずではありません」

「ははは、しかし当分我々は合戦では出番がなさそうですね」

「そうなります。しかし交易ではもう明日から働いていただかぬと」

「は?」

「明日にあらためて指示書が届くでしょう。蝦夷(北海道)の宇須岸(函館の旧名)にメノウと云う玉石が産出されるようになったとか。直賢はそれに目をつけて畿内では敦賀が最初に輸入するつもりにございます。玉石が交易品ならば運搬する金も多大になります。その護衛が初仕事です」

「蝦夷ですか…!」

「行ったことは?」

「一度ございますが宇須岸には立ち寄っていないですな」

「直賢は牡蠣の販路取り付けのため一度行っていて、その時にメノウの輸入の話はつけてあるそうにございます。越前にとって蝦夷の宇須岸との交易は多大な利益をもたらす大事なもの。よろしく頼みますよ!」

「承知しました」

「ではそれがしはこれで」

 庄三は隆広に頭を垂れた。隆広も頭を垂れてその場を立ち去った。

「いきなり蝦夷か…。忙しくなりそうだ、早く砦に戻り準備しなければ!」

「父上―ッ!」

「おお、那美か」

 那美は庄三、つまり斉藤龍興の娘である。当年十三歳。美濃斉藤家が滅んでいなければ斉藤家のお姫様だったかもしれない少女である。北ノ庄城の外で待たされていたが庄三が出てきたので駆け寄ってきた。

「ねえねえねえねえねえねえ父上! 今のが水沢隆広様?」

「そうだ」

「美男子~ッ! ウチの砦にいる塩辛い男たちとは世界が違う!」

 那美は隆広の立ち去った方向を見てウットリしていた。そんな娘の横顔を見て庄三は困った笑いを浮かべた。

 

 そして隆広。彼は庄三と別れた後に源吾郎の家に向かっていた。舞に会うためではない。源吾郎は北ノ庄城の城下町に設けられた楽市の責任者であるので、週に一度ほど収支の報告を彼から受けるのである。そのために向かった。

「ごめん」

 すると奥から源吾郎が血相を変えて出てきた。

「おお! やっとおいで下さりましたか! お探しするより待っていた方が良いと思いましたが気をもみました!」

「は?」

「大変にございます水沢様! 奥方様が倒れられたそうです!」

「え、えええッッ!!」

 隆広は血相を変えて自宅へと走っていった。



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大手柄

「さ、さ、さ、さ、さえ―ッ!」

 駆けた。隆広は源吾郎の店からひたすら駆けた。『奥方様が倒れた』と云う悪夢のような源吾郎の知らせに隆広は慌てた。

「今朝は何ともなかったのに!」

 ビュンと云う効果音が聞こえてきそうなほどに隆広は北ノ庄の城下町を駆けた。そしてやっと屋敷に到着した。

「殿!」

「八重! さえは!」

「こちらです!」

 部屋に行くとさえはグッタリして横になっていた。顔色も悪い。苦悶して呼吸も荒い。

「さ…」

「今眠っておりますから!」

 八重が隆広の肩を押さえた。そしてさえの額にある玉のような汗を拭いて、冷たい手拭を乗せた。

「医者は!」

「夫が呼びに行っています。しばしお待ちを」

 隆広はさえの眠る蒲団の横に座り、小声で訊ねた。

「八重、仔細を申せ」

「はい、殿を朝にお送りしてからほどなく嘔気を訴え…そして朝食すべて嘔吐してしまいました。その後も嘔気は消えず、眩暈を起こして倒れてしまいました…」

「なんて事だ…さえ…!」

(そなたはオレの宝、そして命だ! 治ってくれ…!)

 

 水沢家家令の吉村監物が医者を連れてきた。

「ホラ急いで下され!」

「分かった分かった落ち着きなさい」

 医者はワラジを脱ぎながら答えた。

「ええい! 土足でもいいから上がってすぐに姫様を診察してくだされ!」

「そうもいかんでしょうが」

 やれやれと医者は薬箱と医療具の入った箱を持ち、さえの眠る部屋に来た。

「どれどれ…」

 蒲団をめくり、さえを触診する医師。自分以外で愛妻へ触れる者を許さない隆広だが、この際仕方ない。不安そうに医師の診断を見守った。

「ふむ…ところで倒れる前にどんな症状を見せたのかな?」

 八重はさえが倒れる前の症状を医師に説明した。

「なるほどのう…」

 医師はさえの着物を調え、蒲団をかぶせた。

「ど、どうなんでしょうか先生!」

 すがるように医師を見る隆広。

「ああ…殿、姫をお守り下さい…」

 家令の監物は一心に亡き主君でさえの父でもある朝倉景鏡に願った。

「どうしたもこうも…」

 医師は苦笑していた。

「おめでたです」

「…へ?」

「奥方様はご懐妊しております」

「「……」」

 隆広、八重、監物はしばらく固まり、そしてようやく医師の言葉を理解した。

「本当ですか! さえが懐妊!?」

「覚えはあるのでしょう?」

「む、無論です! 聞いたか八重、監物! さえに子が宿ったぞ!」

「お、おめでとうございます殿!」

「ああ…ありがたやありがたや! 生きているうちに姫の子を見ることができようとは!」

 

 喜びのあまり、眠るさえの枕元で大騒ぎをする隆広たち。さえが起きてしまった。

「う、ううん…」

「をを! さえ起きたか!」

「…そうか私…倒れちゃったんだ…」

「聞いて驚けよ、さえ!」

「…?」

 さえは隆広と医師から聞かされた。

「え…!?」

 思わず自分の下腹部に触れるさえ。

「私のお腹に…赤ちゃんが?」

「その通りです、奥方様。これから私の診療所で産婆を務めています女を呼んでまいりますので、改めて彼女から診断を受けるがよろしい」

「は、はひ」

 医師は自分の診療所に戻っていた。

「さえ、大手柄だぞ!」

「そんな、まだ男子と決まったワケでは…」

「何を言っている。男だ女だ関係ない。オレとさえの子供じゃないか」

「お前さま…」

 二人の世界に入ってしまったので、八重と監物はいそいそと部屋を出て行った。

「さあ、今日からさえの体は、さえ一人のものじゃない。ゆっくり休んでくれ」

「はい」

 再びさえは横になった。

「ありがとう、さえ。大好きだ」

「私も…」

 しばらくして、さきほどの医師の診療所から産婆がやってきて、さえを改めて診断した。まぎれもなく懐妊しており、その日の夜は水沢家でささやかながら宴が催された。家臣や兵も祝いに訪れ、眠るさえに気遣いながらも、それは楽しい宴となった。

 

「わっははは、さえが懐妊したらしいのォ。隆広」

「はい」

 翌日に城に登城し、主君勝家から最初に言われたのがこれだった。勝家は喜色満面だった。傍らにいたお市の方もまた同じである。

「お手柄ですね隆広殿。さえをいっそう慈しみ大切にしなければなりませんよ」

「は、はい!」

 目をキラキラと輝かせながらお市の言葉に答える隆広。そんな隆広を見てお市はたまらなくなってきた。

「た、隆広…」

「…? はい」

 初めてお市が隆広を呼び捨てした。

「あの…実はね」

「お市!」

 そのお市を勝家は叱り付けた。

「…申し訳ございません」

「…よい」

「…?」

 隆広にはお市と勝家のやりとりの意味がまったく分からなかった。

「隆広、今日も城増築の指揮であろう。下がってよいぞ」

「はい!」

 隆広は城主の間から出て行った。隆広の姿が消えると、市の眼から涙が落ち、嗚咽をあげた。

「う、うう…」

「お市…」

 

 さえは身重ながらも体調良く、家事に精を出しながらも出産に備えた。隆広の方は部下と職人、領民を縦横に使いこなし、みごとに外郭を広げながらも防備に長けた北ノ庄城の増築を完成させた。

 今では柴田家の若き柱石とも言える水沢隆広であった。また隆広は吉村直賢を陣頭に軍資金を稼ぐ事にも余念はなく、ついに勝家から減税を取り付けたのである。北ノ庄はかつて小京都とも言われた朝倉氏の一乗谷城を凌ぐほどに見事な繁栄を遂げつつあった。減税もなり国も潤ってきたゆえに、民心は柴田家の善政により一向宗へすがるものも少なくなり、国内の小競り合いはほとんど起きなくなった。

 柴田家直属の水軍となった若狭水軍は、吉村直賢陣頭指揮の蝦夷宇須岸や九州博多等との交易に強力な護衛となり、各地の商人たちも柴田家や越前敦賀との交易に積極的になっていった。そしてその報酬をもとに、若狭水軍は大型船の建造にも着手していた。

 交易により成した財により、石田三成と吉村直賢が鉄砲などの軍備の充実を図り、そして隆広の内政指揮により石高も上がる。越前全体に導入された楽市楽座により、北ノ庄の城下町は無論、府中、龍門寺、小丸、丸岡などの支城も潤ってきた。

 そしてこの頃、越前には『七箇条の掟書』が発布された。これは柴田勝家と水沢隆広の合作で、この条文の主旨は農民に兵役を免除して兵農分離の推進。城普請などの諸役もまた免除し、雇う場合は正当な賃金を払うと云う事が上げられ、軍事に伴う農民の負担をほぼ解消し田畑に励めるように定めた。また唐人座や軽者座の特権を安堵すると云った商業政策についてだった。柴田勝家といえば鬼や閻魔と称される猛将。その猛将の意外な善政に領民は大喜びしている。そして越前の人々は水沢隆広と云う若き行政官を称えた。

 後世において隆広の評価が高い点は、彼が安易な徳政令(税の免除、民の借金を棒引きする事を商家に指示する事)を断行しなかった点だろう。無理なく、そして進んで払ってもらえるような税収の仕様を組み立てていったのであるから、当時二十歳に満たない彼の年齢を考えると、やはり傑出した人物として疑いないと辛口の歴史家も認めるところである。

 

 そして、さえの懐妊と共にもう一つ、隆広が歓喜する報告がもたらされた。この日、吉村直賢が隆広の屋敷を訪ねた。

「なに! 治水資金が!」

「はい殿、それがしを召抱える時にご注文のありました九頭竜川の治水資金、調達完了いたしました。総額八万貫にございます」

「そ、それだけあれば九頭竜川に今後『氾濫』の二字はない! き、聞いたか、さえ!」

「はい、しかと聞きました!」

「喜べ! 義父殿の意思が継げる!」

「はい!」

 隆広は隣に座るさえのお腹に頬擦りする。

「良い事は重なるものだな~」

「んもう、お前さま直賢殿の前ですよ」

 そう言いながら、さえも嬉しい。かつてさえの父の朝倉景鏡は織田家の越前侵攻により九頭竜川の治水を途中で中止せざるをえなかった。それを夫が継いで叶えてくれた。こんな嬉しい事はない。

「よくやった弥吉(直賢)! 父として誇りに思うぞ! 大手柄じゃ!」

「あああ…。幼き日のそなたに武士が算術に長けても意味がないと叱った思慮のない母を許しておくれ。そなたは越前の守り神とも…!」

「お、大げさでござるよ母上」

 息子の快挙に八重と監物は感涙した。隆広はさえのお腹から顔をやっと離して直賢を称える。

「大げさなもんか! 直賢は越前の守り神だぞ。じゃあ早速殿に報告して…」

「殿お待ちを、一つ難題が残っています」

「難題?」

「工事を委ねられる人材にございます」

「あっ…」

「殿も治水技術はお持ちですが、殿は今城下町拡大の主命を受けておいでです。兼務などできますまい」

「確かに…。オレが指揮を執りたいのは山々だが…」

 柴田の人材事情から、隆広を長期にわたり治水にだけ当たらせるわけにはいかない。城郭拡張を終えた隆広は、すぐに城下町の拡大の主命を受けている。とても兼任などできない。

「それがしの知る限り、織田の家中で治水にもっとも長けているのは三成の舅の山崎俊永殿。お借りできませんか?」

「無理だ…。山崎俊永殿は磯野家の家臣だぞ。しかもこんな大事業、たとえ同じ織田家でも他家の臣にやらせる事なんて殿が許すはずがない」

「確かに…」

「大殿の直臣の中で治水に長けた者がいたとしても、大殿が治水ごとき自分の裁量で出来ないのかと殿を判断するのは明白だ。借りられない。柴田で見つけて登用するしかない」

「お前さま、佐吉さんは?」

「いや、佐吉もオレと共に城下町の拡張を行わなければならない。ちょっとな…」

「困りましたな…」

「いや、すまん直賢、治水資金の調達を要望しておいて、いざ揃えてくれたら人がいないとは面目ない」

「いえ殿のせいではございませぬよ。そう簡単にあの川を治水できる者など見つからなくて当然にございます。何にせよ、一度この件を勝家様に報告しては?」

「そうしよう。今日殿はいるはずだ。一緒に来てくれるか?」

「承知しました」

「よし、出かけるぞ、さえ」

「はい!」

 

 柴田勝家は、隆広と直賢の報告に歓喜した。

「そうか! 資金ができたか!」

「はい、ですが…」

「ん?」

「現場指揮官がおりません」

 歓喜の顔が、困った顔に変わった勝家。

「そうであったな…」

「殿、磯野家の山崎俊永殿なら治水関係に人脈も豊富でございましょう。しかるべき人物を紹介してもらうべく、それがし磯野様の居城の小川城に赴こうと思いますが」

「そうか、隆広はまだ知らぬか…」

「は?」

「先月、その山崎俊永の主君、磯野員昌が突如に追放されたらしい」

「追放?」

「当然、家臣である山崎俊永も連座して追放された」

 磯野員昌(かずまさ)は近江小川城主であった。元々磯野員昌は近江の大名である浅井長政に仕えていたが、その浅井長政を倒した織田信長に仕え、かつ浅井の旧領近江に領地が与えられている。

 主家の浅井家が滅亡し落ちぶれる近江武士の多い中、磯野員昌は城持ち大名、当然の事ながら妬みを買い、その者たちは一揆を先導し磯野員昌の追い落としにかかろうとした。だが員昌は事前にそれを察知し、一揆が発生する前に討ち取った。だが、これでも旧浅井の残党はあきらめなかった。そんなある日、磯野員昌は領内視察中に見初めた美しい娘を召しだし伽を命じた。

 これが命取りになった。旧浅井の残党は農民に化けて領主の磯野員昌は領内の若い娘を有無も言わさず召しだす暴君と信長に直訴したのである。実際に娘を召しだしたのは確かであり、磯野員昌は言い訳もできなかった。彼は命だけは助けられたが、城と領地も召し上げられて追放された。

 信長は、かつて自分を狙撃し失敗した杉谷善十坊なる忍びを捕らえ、それを地中に埋めて顔だけ出して、首を竹鋸で通行人に切らせて殺した。その残酷さを磯野員昌が激しく非難していたと信長は伝え聞いていたので、この経緯も今回の追放という処分に至らせた所以だろう。

「な、ならば殿! 山崎殿を柴田家に召抱えれば!」

「それができたら、こんなに悩む事はないわい」

 磯野員昌は追放を言い渡しに来た使者に『小者の流言に踊らされて家臣を追放するような大将に見込みはない。長政といい信長といい、つくづくオレは主君に恵まれない』と言い放ち、それを伝え聞いた信長は激怒し捕縛を命じたがすでに員昌は姿を消しており、家臣たちも信長の責めを恐れて離散しており、小川城はもぬけの空だった。

「それで腹の収まらない大殿は、員昌は無論のこと磯野家の旧家臣さえ召抱える事を禁じたのだ」

「そんな無体な!」

「仕方あるまい。織田家はそういう気風だ。隆広、九頭竜川治水の総奉行には石田三成を当たらせる。災害は待ってくれぬ。資金ができたなら即急に行う必要がある。三成に三千の兵を与えるゆえすぐに取り掛からせる。期限は半年で十分じゃろう。それにあやつとていつまでもお前の後にくっついているだけでは仕方あるまい。三成を総奉行として当たらせる」

「佐吉を…ですか?」

「そう恋人でも取られたような顔をするな。城下町拡大の主命期限は延期してやるし、資金も上乗せする」

「はい、分かりました」

「直賢」

「はっ」

「よう九頭竜川治水の資金を揃えてくれた。そなたは柴田家だけではなく、越前を救いし男よ。たとえこの先に越前の支配者が誰になろうとも、そして何百年の時が流れて越前の民がワシの名前を忘れたとしても、この国の民はお前の名前だけは忘れまい」

「勝家様! もったいのう…!!」

「何か望みはあるか?」

「さ、されば…」

「隆広の手前とて遠慮はいらん。申してみよ」

「で、ではそれがしの嫡男の幾弥を、手前と同じ商将ではなく武将として歩ませとうございます。童のころから非力なそれがしはこの道を選びましたが、息子には戦場を駆ける武将として生きてほしいのでございます。なにとぞ長じたらお取立てを」

「よかろう、良き文武の師をつけて、そなたの子が長じて一角の男と成長したならば! 必ずやワシの家臣として取立て重く用いよう!」

「あ、ありがたき幸せに!」

「墨付きを取らせる。隆広祐筆をせよ」

「はっ」

 隆広は勝家の今の言行を書面に書いて、勝家に渡した。内容を確認すると勝家は花押と印判を押下した。今の言葉が口約束でなく、まことに約束した証となる書面である。立ち会っていた隆広の花押も付記されている。それを勝家から受け取る直賢。

「隆広、よき師を選び、直賢の息子につけてやれ」

「承知しました」

 

 北ノ庄城をあとにする隆広と直賢。

「いいのか、あんな事を言って。そなたの後をついで商将となれば合戦で命を落とす危うさもないのだぞ。知らんぞ絹殿に怒られても」

「息子に望みを託す父親の勝手かもしれませぬが、息子の幾弥には戦場の将となってもらいたいのです」

 童のころから痩せぎすで非力な彼は、結果算術家の道を歩む事を選んだが、それゆえ戦場の将に強い憧憬があった。息子が叶えてくれたなら…。妻の絹が生んだ男の子を抱いた時、そう思わずにはいられなかった。

「甘い師はつけないぞ。それでも良いのだな」

「はっ」

 二人は笑いあいながら城下を歩く。そしてふと不安そうに隆広がもらした。

「それにしても…佐吉この九頭竜川治水大丈夫だろうか」

 柴田勝家から石田三成への九頭竜川治水総奉行任命状を見つめる隆広。

「確かに初めての総指揮を執る治水工事としては相手が悪すぎますな…。九頭竜川は北陸一の暴れ川にござれば」

「いや知識や経験、そして技術的にも問題ないんだ。だが佐吉にはイマイチ貫禄と云うか…威厳がない。兵たちがおとなしく佐吉の指示に従うかどうか…」

「貫禄に威厳? 殿とてそんなもん無いですぞ」

 プクリと頬を膨らませる隆広。

「ハッキリ言う男だな…」

 同年の若者たちと比べれば、それ相応に貫禄も威厳もある隆広と三成だが、猛将揃いの柴田家の者たちと比べれば無も同じである。隆広は痛いところを突かれた。

「はっははは、貫禄も威厳もない殿にも今まで十二分にできたのです。知識と経験、それに技術に問題なければ三成も大丈夫にござろう」

「そうだな、殿の言われる通り、災害は待ってはくれない。佐吉にもハラを括ってやってもらわないと!」

「ならば信じて任せるしかございませぬ。殿に言うはシャカに説法でしょうが“疑うなら使うな、使うなら疑うな”にございますよ」

「うん、ではこれから佐吉に任命に行く!」

「では、それがしは商人司本陣へ戻ります」

「直賢、ありがとう。そなたの母上が申したとおり、そなたは越前の守り神だ」

 別れ際、隆広は直賢の手を握った。二人の姿の影が夕日で伸びる。

「では殿は守り神の守り神にございます」

「そんな神様いるわけないだろ」

「はっはははは、それではこれにて」

 

 急ぎ隆広は石田三成の屋敷へと向かった。向かったと行っても隆広の屋敷から数刻のところであるが。

「粗茶ですが」

 隆広に茶を出す三成の妻伊呂波。

「いや伊呂波殿、おかまいなく」

「伊呂波、そなたは下がっていなさい」

「はい」

 ペコと頭を垂れて、伊呂波は客間を出た。

「隆広様、何用でございますか」

「実は…」

 三成の顔は見る見るこわばっていった。

「…そ、それがしが九頭竜川の治水の総奉行ですか!?」

「そうだ」

 石田三成に勝家からの総奉行任命状を渡す隆広。それを丁重に広げると、確かに勝家から九頭竜川治水総奉行への任官が下命されていた。

「こ、こんな大仕事を…。しかも半年でやり遂げよなんて…」

「総資金は八万貫、当家の吉村直賢が越前のために稼いでくれた。また城の図籍庫には九頭竜川全域の図面もある。資金もあり資料も豊富、半年でやってやれない事はないはずだ」

「隆広様…」

 柴田家で治水に長けている将は水沢隆広と石田三成である。隆広の治水術は斉藤家の美濃流と武田家の甲州流の技術を合わせたもので、三成は幼い頃からの独学で近江流の治水術を身につけている。二人は美濃流、甲州流、近江流を上手く合わせた治水術を行い、九頭竜川のような大きい河川は資金不足で着手していなかったが、その支流の河川はよく治めていた。

 三成は隆広から美濃流、甲州流の治水技術も盗んでいる。独自に研究もしているため、こと治水では隆広より上の技術を身につけていた。最初はあまりの大役に腰が引けた三成だが、生来の行政官の血が騒ぎ出し、高揚感を覚えた。

(そうだ、いつまでも隆広様の後ろについているだけじゃダメなんだ! むしろ好機じゃないか!)

 三成は勝家からの任命状を丁寧に折り畳み、そしてそれに会釈して懐に入れた。

「隆広様、慎んでその下命承ります」

「ありがたい! 殿の兵三千、オレの兵の一千を与える。辰五郎たちも連れて行くがいい!」

「ハッ!」

 今まで水沢隆広の補佐として内政主命に当たっていた石田三成であるが、今回は自分が指揮官である。初挑戦で相手は名だたる暴れ川『九頭竜川』。三成は緊張を持ちながらも大役を拝命した喜びの中にいた。




めでたいことは重なる。私の実生活もそうであってほしいものです。


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九頭竜川の治水

閉鎖した我がホームページ『ねこきゅう』には私の旅行記も多く載せておりましたが、私が旅好きとなったのは何を隠そう、このお話を書くため九頭竜川に取材しに行ったことが始まりであったりします。


 その夜、三成は北ノ庄城の図籍庫から九頭竜川の地形図を自宅に持ち帰り、それを元に人員配置や必要資器材の調達の金額を割り出すためにそろばんを弾いていた。

「お前さま」

「ん?」

「夕餉のお支度ができました」

「ああ、すぐいく」

 妻の伊呂波が用意した夕餉の膳。美味しそうな匂いだった。

「お、今日も美味しそうだ」

「そう言っていただくとがんばり甲斐がございます。さ、冷めないうちに」

「うん」

 美味しそうに愛妻料理を食べる三成。

「ねえ、お前さま」

「ん?」

「ずいぶん熱心に、何をお調べに?」

「うん、夕餉の席で言おうと思っていた。実はな伊呂波」

「はい」

「大仕事をもらったぞ!」

「え?」

「九頭竜川の治水工事! オレが総奉行だ!」

「え、ええ!」

「当分戻れないが…許してくれ。だが成し遂げれば大手柄だ。お前にきれいな着物も買ってやるからな」

「……」

 伊呂波は夕餉の乗る膳を退けて夫に対した。

「…? どうした?」

「お前さま、伊呂波一生のお願いです」

 真剣な妻の面持ち。三成も椀と箸を置いて膳を退けた。

「この願いを叶えて下されたら、伊呂波はきれいな着物なんて一生いりません。だから真剣に聞いてください!」

「言ってみなさい」

「私の父を、その工事に加えてください!」

(やはりそれか…)

「ご存知の通り父は今、今浜(長浜)で名前を変えて浪人となり、母と共に細々と暮らしています。聞けばお酒にも逃げているようで…」

「そうか…」

 伊呂波の両親である山崎俊永夫婦は現在、婿の石田三成の仕送りで生活している。俊永の主君である磯野員昌(かずまさ)追放の知らせは妻を通して三成は知っていたのであった。当然、織田信長から仕官溝(家臣として取り立てる事を禁じる事)が出ている事も。三成は“それがしの屋敷に来られよ”と述べたが、俊永夫妻は“それでは婿殿に迷惑がかかる”と応じなかった。

「磯野家の家臣であっても、治水技術を買われて近江に限らず大殿直轄領の治水も担当して大殿の信頼も厚かったのに、その功も帳消しにされてしまい今は浪人。娘としてこんな悔しい事ありません…!」

「うん…」

「だから、再び治水の現場に立たせてあげたい! しかも相手は名だたる暴れ川の九頭竜川! きっとまた覇気溢れる父に戻ってくれる! だからお前さまお願い!」

 泣いて伊呂波は夫に頼んだ。平伏する妻の肩を抱き上げ涙を拭う三成。

「…大至急、義父上に北ノ庄に来ていただくように文を出しなさい。ただし名は変えたままになっていただくが」

「お前さま!」

「オレにはもう父母はいない。そなたの父母はオレにとっても父母。孝行もしたいさ」

「あ、ありがとう…! お前さま!」

 天才能吏、石田三成も妻の涙には弱かった。

 

 長浜で落ちぶれていた山崎俊永は娘の手紙を読んで感涙し、大急ぎで妻と共に北ノ庄の三成の屋敷にやってきた。

「父上!」

「おお伊呂波! 婿殿は?」

「もう現場に行っています。この地に本陣を構えるそうです。父上が到着次第ここに来ていただくようにとの事です」

 伊呂波が差し出した地図を取ると、俊永は休息も取らずに九頭竜川に向かった。

「あらあら、あの人。今は娘の伊呂波より婿の三成殿に会いたいようね」

「母上…」

「でも私は少し疲れたわ。何せ手紙受け取ってから休む事なく馬でやってきたのだから」

 腰を押さえて苦笑する伊呂波の母の竹子。

「すぐに湯と蒲団を用意します」

「伊呂波…」

「え?」

「素晴しい夫とめぐり合えたわね」

「はい!」

 

 九頭竜川治水総奉行、石田三成。当時まだ十八歳だったと云う。それが国家予算とも云うべき八万貫を用いて、大事業とも云うべき一大治水工事を行う。

 後の世に名宰相と呼ばれる彼だが、三成にとり補佐役としてではなく自ら陣頭に立ってこれほどの工事を行うのは初めてで、いかに彼とは云え緊張の色は隠せない。九頭竜川沿岸に立ち、

「こりゃちょっとした合戦だ…」

 と暴れ川九頭竜川を見つめる三成。頼りになる補佐役がほしいと、根っからの補佐役性分の彼自身が思っていると、それは案外近くにいた。舅の山崎俊永である。

 彼の仕えていた磯野員昌は織田家から追放され、彼も浪人となってしまった。しかも信長は旧磯野家の者の登用さえ禁じていた。だが三成にとり俊永は愛妻の父親である。しかも同時に織田家一の治水家であった。石田三成はあえて水沢隆広、柴田勝家、織田信長にも背く人材登用を行ったのである。後に『妻の機嫌を取りたかっただけ』と彼は笑い飛ばしているが、一歩間違えれば、あの信長の事。即座に首を斬られる可能性さえあったのである。

 

「義父上、お久しぶりにございます」

「婿殿」

 九頭竜川治水工事本陣、ここで石田三成と山崎俊永は会った。

「本当のお名をお呼びできないのが残念でございますが…」

「いや、お気遣いあるな。ここでは…そうですな熊蔵と名乗りましょう」

「では熊蔵殿」

「はい」

「それがしの治水術は熊蔵殿に比べれば浅学。ですがこの治水で熊蔵殿からすべての術を盗む所存。それがし総奉行とはいえ熊蔵殿の弟子と同じ。誤っていたら遠慮なく叱ってくだされ」

 石田三成は熊蔵こと舅の山崎俊永に平伏した。

「承知仕った。遠慮はいたしませんぞ。婿ど…いやご奉行殿」

「はい!」

 九頭竜川、その名前が示すとおり北陸一の暴れ川である。台風の時はまさに竜の如く暴れ出す川だった。

 また台風は来なくても越前は雪の国。その雪解け水が九頭竜川に流れ竜の逆鱗に触れたごとく荒れ狂う。しかも水は中々引かないと云う厄介さだった。

 今まで水沢隆広と石田三成が手を尽くしていくつかの支流は治める事はできたが、本流へは手がつけられない状態だった。だから九頭竜川が暴れ出す予兆を感じた場合は迅速な避難を領民に指導する防災計画しか立てられなかったのが現状で、柴田家の前に越前を治めていた朝倉氏は治水しても治水しても徒労に終わる九頭竜川への完全治水は半ばあきらめていた。

 しかし水沢隆広の妻さえの父、朝倉景鏡は何とか成し遂げたく工事に着工したが織田家の越前侵攻のため頓挫せざるを得なかった。その後に越前入りした柴田勝家も一向宗門徒との戦いに追われ、ほとんど手をつけていないのが実情であったが、あきらめなかった者が三人いた。それが水沢隆広、石田三成、吉村直賢である。

 ちなみに言うと九頭竜川沿岸の全域地形図を製図したのは朝倉景鏡と水沢隆広である。景鏡の元居城である越前大野城を柴田家が破却するため同城を訪れた時、城内の図籍庫から発見されたのである。

 だが未完の状態で、それを継承したのが奇遇にも水沢隆広である。一度も会った事のない舅と婿が作り上げた地形図である。今日の製図技術をもってしてもほとんど狂いはなく、謀反人である朝倉景鏡の意外な一面として伝えられている。

 この地形図は隆広と景鏡の名を合わせ通称“広鏡図”とも呼ばれ、さえは父と夫の共同作業の地形図を大切にしたと言われている。

 

 九頭竜川の治水は今まで越前を治めた領主すべてが放棄したと述べても過言ではない一大工事。領民もあてにしていなかった。しかし毎年のように暴れる九頭竜川。死者も出れば今まで作り上げた田畑の実りは根こそぎ奪われる。領主がこれを解決してくれるのを望まぬ者がおろうか。かくして石田三成率いる四千の兵士が現地入りした。

 領民は“こんな若僧が…!?”と落胆した。こんな一大工事を行うのだから領民は“水沢様が指揮を執られるはずだ”と思っていたが、やってきたのはその部下である。

“柴田家は本腰じゃない。あくまで我々に治水をやっているぞと見せかけているだけだ”と最初は思っていた領民たち。だがその考えは数日で変わる事になる。

 石田三成は羽柴秀吉と水沢隆広が得意とする『割普請』をここで実行した。工事区域を数箇所に分けて班ごとに競わせる方法である。

 そして長期の工事で兵を飽きさせないために、敦賀と金ヶ崎の町から娼婦や酌婦を大量に雇い、工事の本陣を拡大して妻を呼び寄せる事や交代で休日を取らせて北ノ庄に戻る事も許可していた。

 

 工事の進行状況だが、さすがに舅と婿の間か、総奉行三成と、その右腕を務める熊蔵こと山崎俊永の息はピッタリであった。熊蔵の治水術は工兵の辰五郎一党さえ感嘆させ、三成に熊蔵をウチの一党にくれとも言った。まさに熟練した匠の技とも言える熊蔵の治水術。辰五郎もその一党も熊蔵から技術を盗もうと思い、新参者とも言える彼を下にも置かぬほどに敬った。

 熊蔵の仕立てた治水の図面がどんどん具現化していく。吉村直賢の調達した大金を使い、人員、資器材は惜しみなく使える。この工事作業中に三成、熊蔵、辰五郎が鼻歌で歌っていた音頭が現在にも残っている。『石積み音頭』『杭打ち音頭』と呼ばれているが、今日も九頭竜川沿岸に住む地元の民たちは、この柴田家の治水工事に感謝して夏祭りなどで『石積み音頭』『杭打ち音頭』を歌い踊り、先人の偉業に感謝と尊敬の念を込めているのである。

 九頭竜川沿岸に今日ある『九頭竜川公園』には石田三成像、吉村直賢像もある。現地の人々がどれだけこの治水工事に感謝したか伺い知れる。“三成さん”“直賢さん”と親しみを持って人々に呼ばれ、彼らの命日には現在でも供養祭が行われている。

 

 即急に成さねばならないと云う勝家の命令。近くの近隣農民も三成は積極的に雇い、賃金も厚くし、飯は腹いっぱい食べさせた。これは水沢隆広流の人の使い方とも云える。柴田勝家の兵三千、水沢隆広の兵一千、そして近隣の民たちが一丸となって暴れ川『九頭竜川』に挑んだのである。大雨が降った時は、全員で作りかけの堤防を守り逃げ出す者はいなかったと伝えられる。

 この工事において犠牲者は皆無だったと云うから、三成と俊永の指揮がどれだけ優れていたものか推察は容易である。現地の女たちは現場で煮炊きをして給仕を懸命に勤めた。ここで生涯の伴侶を見つけた兵たちも少なくなかった。

 後世の創造の話であるが、三成に対して叶わぬ恋と泣く娘の物語がこの地には伝えられている。これは三成が己を厳しく律して現地において女に見向きもしなかった事から作られた物語と云われている。

 

 時を同じして、北ノ庄城下町の拡大工事を行っていた水沢隆広。日本各地で合戦が行われていた時代である。住処を武士の合戦で無くした下々の者たちは当然に次に住むなら強い殿様のところと思う。そうなると日本最大勢力の織田家の統治する地と最有力の軍団長柴田勝家の領内に移民を望む。

 柴田勝家と水沢隆広の仁政により、豊かかつ治安もよい越前北ノ庄は移民も増えて、今までの城下町では手狭となり、隆広が城下町の拡大工事を行い、そしてメドがついた。

 この工事には奥村助右衛門が隆広の補佐についているが、前田慶次は三成の現場の方に赴いていた。暴れ川に挑む方が性に合っている、と云うのが理由であるが、実はイマイチ威厳に欠ける三成が年長の兵や民たちに指揮官として軽視されるのではないかと隆広が危惧し付けた補佐役である。いわば慶次は柴田、水沢の兵士たちに睨みを効かせるためにつけたのである。だが、

『~と、云うわけでそれがしの睨みなど必要ありませんでした。佐吉はうまく人を使い工事を進めておりますぞ』

 と、慶次が三成の思わぬ手腕を褒める手紙を主君隆広に届けていた。城下町拡大工事の本陣、ここで慶次の手紙を読む隆広。

「嬉しい内容のようですな。ニコニコして」

「うん」

 助右衛門に慶次の手紙を渡す隆広。彼も満足そうに読む。

「ほう佐吉が」

「やっぱり佐吉はすごいヤツだ」

 その通りである。一日平均三千から四千の動員数である。それを長期にわたり統率したのだから、やはり石田三成と云う男もただ者ではない。

「城下町拡大と同時進行していた九頭竜川の治水もそろそろメドが立つころでしょう」

「ところで助右衛門知っているか?」

「何を?」

「あいつ時々、現場を抜け出して北ノ庄に帰ってきていたんだ」

「隆広様に何か報告を?」

「いや伊呂波殿に会いに帰ってきていたんだヨ」

「ほう」

「伊呂波殿に半刻(一時間)会うために、片道一刻半(三時間)馬に乗ってきてそうだ」

「ははは、どっかの誰かに負けないくらいの愛妻家ですな」

「うん、明日に殿と視察に行く。久しぶりに佐吉と慶次にも会える。抜き打ちで申し訳ないが成果を見たいからな」

「それがしもまいりましょう」

 

 翌日、柴田勝家、中村文荷斎、水沢隆広、奥村助右衛門は九頭竜川に向かった。そして勝家は九頭竜川に到着するなり感嘆した。

「見事じゃ…!」

 霞堤、雁行堤、河川分流の治水術の『将棋頭』、そして水沢隆広もっとも得意な堤防『信玄堤』も随所に築かれていた。不毛の地に引水も完了しており、すでに良田の灌漑にも着手していたのである。期限の半年にまだ一ヶ月も余裕があった。

 柴田勝家が来た、と云う知らせを聞いて三成がやってきた。

「勝家様、お越しいただき恐悦に存じます」

「うむ、見事じゃぞ三成!」

「は!」

 視察を終えて、成果に十分満足した柴田勝家は中村文荷斎、水沢隆広、奥村助右衛門、そして石田三成と前田慶次も共に本陣にて昼食をとった。その後に三成は

「勝家様、お引き合わせしたい人物がございます。この工事、それがしの右腕として働いて下された治水名人にございます」

「うむ、ワシも会いたい。通せ」

 三成はその男を呼びに行った。

「隆広、楽しみじゃのう。どんな男じゃろう」

「はい、それがしも会うのを楽しみに…」

 その男が三成に連れられてやってきた。

「熊蔵にございます」

「な…!」

 隆広は唖然とした。

「どうした隆広、知り合いか?」

 勝家の問いに答えが詰まる。隆広と山崎俊永は三成と伊呂波の祝言の時に会っているので面識がある。勝家は俊永とは面識はない。何とか茶を濁そうと思う隆広。だが、

「水沢殿、遠慮なくそれがしの名をお呼びあれ」

「…殿、このお方は元磯野家家臣、山崎俊永殿にございます」

「なんじゃと!」

 勝家は持っていた茶碗を落としかけた。

「そなたが磯野の土木屋と言われた山崎俊永か!」

「はい、柴田勝家殿と対面かない、それがし恐悦至極にぞんじます」

「どういう事じゃ三成! 大殿が旧磯野家の者は登用するなと発布したのを知らんとは言わさんぞ!」

「存じておりました」

「ならばどうして召抱えた! そなた一人の責任では済まないのだぞ! ワシも隆広も大殿に罰を受ける!」

「恐れながら、二卵をもって干城の将を捨てるは愚直と考えます」

『二卵をもって干城の将を捨てる』とは、はるか昔の唐土(中国)にて、大将の才能ありながらも若く貧しい頃に一時の空腹に負けて民家に盗みに入り、二つの卵を奪って逃げたと云う過去を持つ男がいた。

 ある賢相がその男の将器を認め、君主に推挙したが、その君主は男の盗みの過去をあげて、『そんな男は召抱えられない』と一蹴した。

 賢相は『それは了見がせまいと云うもの。今は一人でも有能な将が欲しいのに、わずか二つの卵ごときで、あたら干城の名将を捨てるのは愚かにございます』と諌めた。だが君主は聞き入れず、やがてその国は、その狭量な君主のおかげで滅びるに至った。

 干城とは干(たて『盾』)と城、共に外に防ぎ内を守るもので、干城の将とは国にとり大切な名将と云う意味である。『二卵をもって干城の将を捨てる』とは小罪の事で大功を忘れる、小さな過失のことで大人物をかえりみない、と云う事である。三成はそれを勝家に述べたのである。

 完成間近の治水工事の様子を見れば、どれだけ山崎俊永が優れた手腕を発揮したか子供でも分かる事だった。勝家は三成の言葉に一言の反論もできず、

「名はもうしばらく熊蔵でいよ。今にワシが山崎俊永と名乗られるよういたす」

 興奮を鎮めて、三成と俊永を罪に問わなかった。

「勝家様!」

「やれやれ、例え話で返すとは三成も隆広に似てきたものよな。はっはははは!」

「勝家殿…」

「三成、熊蔵はこの治水工事が終わったらどうなる?」

「いえ、まだ決めては…」

「しようのないヤツだな、で、熊蔵とやら」

「はっ」

「そなた架橋はできるか?」

「はい、心得ています」

「よし三成、こやつワシが召抱える」

「え!」

「心配いらぬ。完全に工事が終わってからじゃ。お前や隆広は仕事は出来るが要領はあまりよくない。熊蔵を大殿の目から隠しとおせるとは思えん。ワシが隠し、そして使う。異存あるか?」

「い、異存ございません!」

「勝家殿!」

「熊蔵、『殿』と呼ぶように」

「は!」

「ようございましたなあ! 義父上!」

「ああ! ああ…!」

 山崎俊永は平伏しながら涙を落としていた。織田信長に内密であったせいか、熊蔵と山崎俊永が同一人物であったと云う確実な資料は今日に無い。

 だが熊蔵の行った治水は、ほとんどが山崎俊永の治水術と一致し、総奉行の石田三成の舅でもある事から、今日では同一人物説が定説となっている。

 

 そして九頭竜川の治水がいよいよ完了した。工事に携わった兵と領民には勝家から酒と肴も贈られ、完了の日は工事に関わった人々すべてが喜びの宴に酔いしれた。隆広もさえと監物夫婦を連れてやってきていた。

「見ろよさえ、さえの父上のやり残した仕事を見事に佐吉が継いでやってくれた」

「はい…!」

 重いお腹をゆすりながら、さえは整然と美しい流れを見せる九頭竜川に見入った。

「ワシも景鏡様と治水工事に加わりましたが、途中で断念するのを悔しがっておられた。景鏡様の家臣として殿様にはどう感謝してよいか…」

「ははは監物、オレじゃなくて佐吉に感謝してくれ。そして直賢を思い切り褒めてやってくれ。オレは何もしていない」

「そんな事はございません。佐吉さんも直賢殿もお前さまが見出した方にございます。この九頭竜川の治水を成し遂げられたのはお前さまのチカラあってです。ねえ伯母上」

「その通りです。弟もあの世で婿を自慢しているでしょう…」

 隆広は褒められて赤面した。

「しかしオレの指揮ではこう見事には行かない。これから佐吉はオレの治水の師だ。教えを請いたいな」

 隆広の偉い点は、この治水工事成功で三成に針先ほどの嫉妬も抱かなかった事だろう。隆広は心から三成の大手柄を褒め称えた。

 

 夜空に宴の炎の灯が映える。三成は妻の伊呂波もこの日招いた。川沿いを二人で歩く。

「あの日、伊呂波がオレに義父上の登用を申し出てくれなかったら、今日の完成は無かった。感謝しているよ」

「そんな、私はただ父に生き返って欲しくて。しかも父の柴田家仕官も取り成して下されて…どう感謝して良いか」

「そなたの喜ぶ顔が見たかったからだよ。それに舅殿がいれば柴田家の土木技術は飛躍して上がる。一石二鳥だ」

「お前さま…」

「今回の治水で色々な事を学んだよ。苦労した時もあったが終わってみると名残惜しい気がするな」

 静かな川のせせらぎが二人を包んだ。

「伊呂波」

「はい」

「あの時、そなたは“願いを聞いてくれたら伊呂波はきれいな着物など一生いらない”そう申したな」

「申しました。それでいいんです。着物くらい自分で布切れを集めて作れますし」

「それはそれでいいが…。きれいな着物はオレに買わせてほしい。美しいそなたをずっと見ていたいからな」

 ポッと頬を染める伊呂波。

「ま、まあ…。ご主君様(隆広)が奥方様を口説く時みたいなお言葉を」

「おいおい、今の言葉は今日言おうと思っていたオレのとっておきだぞ。隆広様のマネじゃないぞ」

「うふ♪ 嬉しゅうございます」

(ありがとうお前さま、お前さまの妻になれた事は伊呂波の誇りでございます)

 

 石田三成は、この勲功で多大な褒美を得て、禄も大幅に上昇した。三成だけでなく、この工事に携わった柴田兵はみな恩賞を得て、働きを評価されたのだった。

 これ以降、九頭竜川は現在に至るまで氾濫を一度も起こさず、越前に恵みをもたらす川となっていったのである。三成が途中より平行して行った新田開発で作られた美田一帯は“三成たんぼ”と呼ばれて、現在も越前に実りを与えている。

 後に政治家として活躍する彼は、当然の事ながら時に恨みを買う時もあった。しかし九頭竜川沿岸の村や町では皆無だったと言われている。

“石田の三成さんの悪口言っちゃいけないよ。九つの頭を持った竜神様に食べられちゃうよ”

 こんな庶民の狂歌が残るほどに三成は慕われていたのである。

 

 また、めでたい事は重なった。石田三成の妻の伊呂波が懐妊したのである。山崎俊永夫妻は飛び上がって喜び、水沢家では盛大に宴が開かれた。

 三成の主君、羽柴秀吉もこの知らせを聞いて喜び、赤子の服やオムツを大量に贈りつけてきたと云う。自分にまだ子がないのに、家臣の妻が懐妊したと知り喜んでくれる秀吉の優しさが三成は嬉しかった。

 

 この九頭竜川の治水はその後の日本でも手本とされ、後年には海外からも学びに来た地理学者や治水学者もいた。そして工事の陣頭指揮を執ったのか当時十八歳の若者だったと聞き、その学者たちは感嘆したと伝えられる。石田三成が治水工事中に述べた言葉が残っている。

“志があり、忍耐があり、勇気があり、失敗があり、そのあとに成就があるのです”

 

 北ノ庄城下町の拡大工事、九頭竜川の治水。越前は水沢隆広と石田三成と云う稀有な行政官の手腕により、いっそう発展していく。この時、水沢隆広と石田三成まだ十九歳の若者であった。



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信長の誘い

 北ノ庄城下町拡大工事、そして九頭竜川治水工事が終わった頃には、さえ自慢のくびれた腰まわりもプクリと膨れていた。隆広はさえに膝枕をしてもらいつつ、二人の愛の結晶が宿る妻のお腹に頬擦りしている。ヒマさえあればこうしている。

「時々お腹を蹴ってきます」

「そうかぁ、元気な子が中にいる証拠かなぁ」

「お前さま、名前の方は考えているのですか?」

「男だったら、そのままオレの幼名の『竜之介』と名づけるけれども、女の子の場合はまだなんだ。監物と八重が結構考えているらしい。女の子だったら二人を名付け親にしよう」

「そうですね、二人とも喜びます」

「ところで、さえ」

「はい」

 隆広はやっとさえのお腹から頬を離した。

「すまないが正月は一緒に過ごせそうにない」

「え?」

「殿と前田様と共に安土へ行く事になったんだ。来年から始まるようになったらしく織田の各軍団長が安土城の評定の間に集まり、今年の成果を大殿に報告する。なんでも『大評定』と言うらしい。ここで今年一年の働きを評価され、かつ翌年の織田家の方針が決まるんだ」

「そんな大変な席にお前さまが?」

「うん、殿が『お前も来い』と」

「名誉な事ではないですか。そりゃあ正月を一緒に過ごせないのは寂しいですが…」

「ああ、オレもそう思うよ」

「奥村様たちもお連れに?」

「いや、助右衛門たちには休みを取らせた。今は何の主命も受けていないし、正月は家族でゆっくり過ごすように伝えてあるよ」

「で、いつ発たれます? 安土へ行くのなら色々と用意しておかないと」

「八重にやらせるからいいよ。そなたは大事な身なのだから」

「大げさです! 少し重いけれども十分に動けます。身重を理由に夫の旅支度を億劫がるようでは武家の妻は務まりませんもの!」

 さえは自分の仕事を取られたくなかった。

「あはは、では頼むとしよう。出発は明々後日の朝。少しの軍勢も連れて行くので安土まで三日ほどで、逗留は一泊程度らしいから都合七日か八日分の準備を頼む」

「はい!」

 

 そして三日後。柴田勝家は五百の兵と共に、前田利家と水沢隆広を連れて北ノ庄城を出発し、そして大晦日に到着した。安土城下の民たちは年越しの準備に追われ慌しかった。

 安土城には軍団長それぞれに屋敷もある。勝家は利家と隆広を連れて屋敷に向かった。やがて城下町を歩いていると、行列があった。それは安土の町から城の入り口までの長蛇であった。

「なんの行列だ?」

「かなり長いですね。殿、ちょっと調べてみます」

 隆広が並ぶ者数人に聞いてみた。

「勝家様、見れば並んでいる者一人一人が何やら貢物らしきものを持っておりますな。安土や畿内の者たちが歳末の進物を大殿に届けているのでは?」

 と、前田利家。

「ふむう、そうかもしれぬな。お、隆広どうであった?」

「殿、この行列は羽柴様が大殿へお届けする進物の列だそうです」

「なにぃ?」

 勝家もだが、利家も驚いた。

「この長蛇の列、すべて藤吉郎が大殿に進物を贈る行列というのか?」

「そうらしいです」

 忌々しそうに勝家は地を蹴った。

「ちっ! またしてもあの猿が! 行くぞ! 又佐、隆広!」

「は!」

 この羽柴秀吉が織田信長へ届けた進物の行列は安土城の入り口から、城下町の外にまで至り、信長を大いに喜ばせたという。

『筑前は大氣者よ』

『かくも武将は筑前のごとくあるべき』

 と、めったに家臣を褒めない信長が秀吉のこの振る舞いを手放しで賞賛したのである。隆広はその行列を見て思った。

(殿に…こういう演出じみた真似は無理だろうな)

 だが、そんな主人勝家が好きな隆広だった。

 

 勝家と共に柴田屋敷へ到着すると、明日の登城まで自由に過ごすがいいと許可されたので、隆広は手荷物を置くと城下町へと出て行った。以前に勝家からの使者で訪れた時より更に発展している安土の町を見たかったのだ。

 この大評定のため安土へ赴く際、隆広は忍びたちにも休みを取らせた。正月をまたぐ遠出であったため、里でのんびり家族と過ごせと云う事であったが、すずだけ同行していた。いかなる時であろうと隆広に護衛をつけなくてはならないのが彼らの仕事である。そのすずを呼んだ。

「明日の登城まで自由だ。一緒に安土見物でもしよう」

 と隆広はいい、すずは武家の小間使い風体の女に化けて、隆広と城下を歩いた。すずは安土城を見るのは初めてで、絢爛豪華な安土城の天主閣にただ驚いた。

「すごい…」

「どうだすず? あそこまで忍び込めるか?」

「無理です。実は私…高いところ苦手で…」

「そうなのか? あははは、実はオレもだ」

 そんな会話をしながら歩いていると、武士たちがあわただしく駆けて行く様子が見えた。

「何でしょう」

「ちょっと行ってみるか!」

 隆広とすずが武士たちに続いて走ってみると、その先には馬市が開かれていた。馬は当時の武将たちには大切な武具。特に名馬となると垂涎の的である。

 安土大評定には軍団長の家臣たちも多く安土を訪れる。それを各地の馬商人は狙って市を開いたのである。奥羽や甲信越の名馬が多く売り出されていた。織田の若侍たちは目を輝かせて馬に見入っていた。

「隆広様、そんなに眼を輝かせて馬に見入るとト金が妬きますよ。牝馬は主人に他の牝馬の匂いがついていたら機嫌を損ねますから」

「そ、そうなのか?」

「馬も人間も、女心はそういうものです」

「うん…。では牡馬中心に見て周ろう」

 元々、馬は牡馬の方がチカラはある。市では自然牡馬の方が多いものである。そして数頭見て周っていると隆広の眼に止まった馬があった。

「こいつはスゴい…」

「おや、お兄ちゃん。この馬の価値が分かるかい?」

「無論です。これは唐土の烏騅(項羽の愛馬)、赤兎(関羽の愛馬)に匹敵します!」

「よく分かっているねえ。ダンナじゃなくこの若いのに売ってしまおうかな」

「ま、待ってくれ! ワシが買う! 買うが…」

 その駿馬をウットリして見ている武士がいた。隆広には知らない男だった。

「そんな事言ったって…ダンナ金あるのかい?」

「う…」

「いかほどなんですか?」

 隆広が馬商人に訊ねた。

「黄金十枚!」

「じゅ…ッ!?」

 貫目にすると、二百貫以上に相当する。隆広はそれ以上の額の金銭を縦横に操っているし、彼個人の収入もそれ以上はある。しかし家臣を雇っているため、そんな蓄えはない。

「はあ…。かような馬が欲しいと言ったらさえに怒鳴られる…」

 隆広はすでにト金と云う駿馬を愛馬としていたからあきらめた。しかし同じくそこにいた男はどうしてもあきらめきれない。

「何だよ二人ともオケラかい! 駿馬を持ち、日ごろから合戦への備えをしておくのが武士の心得じゃないのかい!」

 痛い事を馬商人に言われたが無い袖は振れない。男はトボトボと馬市をあとにした。

「隆広様、そう未練たらしく馬に張り付いていても買えないものは買えないのですから…。ト金で十分ではないですか」

「うん…」

 隆広は仕方なくその馬をあきらめて、馬市をウロウロしているとさっき駿馬の横にいた男がまた走ってやってきた。

「あの殿方…。どうしてもあきらめきれないのですね」

 と、すず。

「いや待て様子が変だ。何と云うか歓喜の気持ちを抑えられないと云うか…」

「オヤジ! 黄金十枚! 持ってきたぞ!」

「おおダンナ! いい買い物されました!」

 男は代金を馬商人に渡すと駿馬に抱きついた。

「おお…! これがワシの馬だ! ワシの…!」

 隆広とすずがポカンとして見ているのに気付いた。

「お! 悪いがこの駿馬はワシがもろたぞ!」

「と、当然です。それがしは金を出せなかったのでございますから!」

 男は聞かれもしないのに

「あの金はの! 妻が出してくれたのだ…! 嫁ぐ時に実家から婿の大事に出せと言われておったとか! ワシは果報者…! 天下一の妻と駿馬を! う、うう…」

 と律儀に隆広に説明して、しまいには感極まって泣き出した。天下一の妻は自分の妻だと言いたかった隆広だが、そこは堪えた。

「いや、それはご馳走様にございます」

「申し遅れた、それがし羽柴家の部将、山内一豊と申す」

「こ、これは! それがし柴田家部将、水沢隆広と申します!」

「ほう! ご貴殿がそうでござるか!」

「はい!」

「いやぁ…。お互い士分は中堅以上なのに、家臣を召抱えて駿馬一頭も即金で買えないと云うフトコロ事情は柴田と羽柴も同じようにございますな」

「仰せの通りにございます」

 一豊の言葉に隆広は苦笑する。山内一豊と云えば羽柴秀吉に仕える古参武将で、愛妻家でも知られている。

「それでは明日の大評定で。今はこの馬を妻の千代に見せたくて仕方がござらぬ。ここはこれにて」

「はい」

 山内一豊は嬉々として今さっき買った駿馬を連れて帰った。この駿馬が彼の愛馬『太田黒』である。

「さてすず、馬もあきらめた事だし食事でもしようか」

「はい」

 

 安土城の城下町を二人で歩く隆広とすず。すずは胸が高鳴る。“隆広様と二人だけで歩けるなんて…”と嬉しくてたまらない。

「時にすず」

「は、はい!」

「そなた、カステーラ食べた事あるか」

「か、かすていら?」

「南蛮の菓子だ。実はオレも食べた事ないのだが安土城下の娘たちに人気らしい」

「は、はあ…」

「で、ここがそのカステーラを食べられる店だ」

 すずが見た事のない作りの建物。洋館である。忍び込み方さえ見当つかない。

「南蛮の建築物らしい。大殿は新しい物を好むからな。こういうのが城下にいくつかある。しかし男一人で入るには抵抗がある」

 店の中を見てみると、城下の娘たちがカステラを美味しそうに食べている。男はいない。こんな雰囲気の店があるのは当時の日本の中で安土だけである。

「と云うわけで一緒に入ってほしい」

「はあ…」

 隆広が店に入ると若い娘たちはポッと頬を染めた。だが隆広はそんなのに気付かず席に座り

「カステーラとお茶二つずつ」

 と注文した。

「た、隆広様、私こういう所は初めてで…」

「オレもだよ」

 しばらくしてカステラが来た。隆広が大口開けて食べようとすると

「隆広様! 毒見も無しで!」

 すずが真顔で言うと、店内はドッと笑いに包まれた。

「どこの田舎娘よあれは!」

「ど、毒見だって! あっははは!」

 すずは顔を赤めて小さくなった。隆広がすずを笑う娘たちを少し厳しい顔で睨むと娘たちは静かになった。美男子の効果と云うところか。

「じゃあすず、先に食べてごらん」

「は、はい…」

 すずは恐る恐るカステラをクチに入れた。

「……」

「どうだ?」

「お、美味しい!」

「そうか! じゃオレも…モグモグ」

 初めて味わう南蛮の菓子の味。

「美味いな!」

「はい!」

 すずにとっては隆広と一緒に食べられた事の方が嬉しかったかもしれない。カステラの美味に満足して店を出て、二人はそのまま南蛮商館に向かった。珍しい物が所狭しと置いてある。

「お、この南蛮絹のこれ、すずに合うのじゃないか?」

「この細長い小さな布切れは何に用いるのですか?」

「これは南蛮で“リボン”というものだ。すずがいつも頭に結っている紐の南蛮式だな」

「これが?」

「よし、思ったより高くない。日ごろの忠勤に感謝の気持ちでそなたに贈ろう」

「そ、そんな! さっきのカステーラもご馳走になったのに」

 収入のほとんどを家臣の禄と柴田家のために使ってしまうので、隆広のフトコロ事情が厳しい事はすずも知っている。

「いいからいいから、いつもの良き働きに感謝しての事だ。このくらいさせてくれ」

 

「マイドアリ~」

 南蛮人の店主に銭を払い、店を出ると

「さっそく着けてみよう」

 と、リボンを手に取った隆広。

「付け方が分かりません」

「南蛮の付け方は知らないが、日本式の髪結いで大丈夫だろう。髪紐を解いてごらん」

「はい」

 紐を解くと、すずの長い髪がパサリと落ちた。隆広の動きが止まった。

「…」

「…隆広様?」

「い、いや…そなたの髪をほどいた姿は初めて見たが…すごくきれいだ」

 ボッと顔から火が出るほどに赤くなったすず。

「そ、そんな事…」

「コホン、ではつけるぞリボン」

 それは南蛮絹の上質なリボンで、模様もすずらしく控えめなものであった。

「うん、似合う」

 すずはどうしても自分の姿が見たくて、南蛮商館に逆戻りして鏡を見た。自分の髪を彩るリボンの美々しさに思わずウットリしてしまうすず。満足して隆広の元へ戻ると、すずは

「一生の宝物にします。ありがとうございます隆広様!」

「喜んでくれて何よりだ。さ、そろそろ帰ろう」

「はい!」

 隆広の後ろを歩きながら嬉々としてそのリボンに触れるすずだった。

 

 さて翌朝。正月である。安土城の柴田屋敷。隆広は早起きして城下町を出て琵琶湖に馬を駆けた。早朝なので別室で眠っているすずを起こすまいとこっそりと屋敷を出た隆広だが、くノ一にそれは通じない。いつの間にか隆広の後ろに付いて走ってきていた。そして髪には昨日隆広に贈られたリボンが気持ちよさそうになびいていた。

 二人が琵琶湖のほとりに着くと、ちょうど日が昇りだした。隆広は初日の出に手を合わせた。手を叩き、合掌して朝日に願った。すずはその横で片膝をついて控える。

 

 パンパン!

 

(どうか、母子健康で生まれますように!)

 願い事は人に聞かれると叶わないと云う。隆広は黙って願う。隆広の今一番に願う事。それは愛妻さえが無事に出産を終えて、かつ健康な子を産んでくれる事であった。あとは…。

(どうか、舞と出来てしまった事をさえにバレないように!)

 ちゃっかりこれも願った。またすずも

(隆広様と…いやダメ、こんな事を願っては)

 と、自らの願い事を振り払った。

「さてすず、城下に戻ろうか。そろそろ朝餉だし新年の挨拶を殿にしなければ」

「はい」

 二人は安土城下に戻った。

 

「殿、明けましておめでとうございます」

「ふむ隆広、今年も働きに期待しているぞ」

「は!」

「利家、そなたら府中三人衆、今年も頼りにしているぞ」

「お任せ下さい」

「さて、そろそろ城から陣太鼓が聞こえてくるだろう。登城の用意をせよ」

「「は!」」

 隆広と利家は裃に着替え、正装に身を整えると

 

 ドンドンドン

 

 安土城から陣太鼓が聞こえた。隆広は急ぎ柴田屋敷の門に向かい、勝家と利家が出てくるのを待った。

「うむ、では行くぞ」

「はい!」

 勝家も裃を着て正装していた。少し緊張もしているようだ。

「隆広、陪臣かつ新米部将のお前は発言する機会もなかろうが、いつ大殿から言葉をかけられるかわからん。くれぐれも聞き逃しのないようにな」

「はい!」

(う~少し緊張してきたな)

 

 安土城評定の間、ここに織田の重鎮たちがズラリと並んだ。勝家は筆頭家老なのでもっとも上座で、君主の席のすぐ傍らである。利家がその後ろ、隆広はさらにその後ろである。

 隆広と面識のない織田の将たちは勝家の後ろにいる若者をジロジロ見た。なんでこの席にこんな若僧が、という視線だ。隆広はその場にいた将の中では最年少の十九歳であった。昨日会った山内一豊と目が合った。一豊はニコリと笑い隆広に軽く頭を垂れた。隆広も一豊に返した。しかしまだ緊張は解けない。

「ほら隆広、デンと構えていろ。お前は柴田の列に座っている部将だぞ」

 前田利家が苦笑して言った。

「は、はい!」

 

「大殿のおな~り~」

 評定の間、君主の壇上、その入り口の襖がガラリと開いた。眼光鋭い織田信長が立っている。一瞬で評定の間の空気がピンと引き締まる。評定の間にいた者たちすべてが平伏した。

 信長は壇上に座った。

「表を上げい」

「「「ハッ!」」」

 信長の最初の言葉はありふれた新年の挨拶ではなかった。

「みなに申し渡す事がある」

「「ハッ!」」

「安藤守就、林佐渡、佐久間信盛、以上三名を追放した」

「つ、追放?」

 と、丹羽長秀。

「そうじゃ。ヤツらは高禄を食みながら、ここ数年手柄の一つも立てよらなかった! 織田家に無能者はいらぬ! おぬしらも左様心得ておけ!」

「「ハ、ハハ―ッッ!」」

(厳しいなあ…)

 そう思わずにはいられない隆広。先の磯野員昌に続いて、今度は宿老級の重臣までも追放した信長。

 安藤守就は元美濃斉藤家からの降将で、竹中半兵衛の妻の父でもある。彼は甲斐国の武田家に内通したという疑いで領地などを没収された上に追放された。

 林佐渡守秀貞、佐久間信盛は信長の父信秀の時代から織田家に仕えていた宿老である。過去に林佐渡は、織田家の後継者に信長ではなく、その弟の織田信勝(信行)を擁立しようと画策した事がある。その罪を問われて追放されたとも言われ、佐久間信盛は信長から十九ヶ条にわたる譴責状(けんせきじょう)を突きつけられ、嫡男の佐久間信栄と共に高野山に追放された。

 譴責状の内容は、新付の知行を与えても物惜しみのあまり新たに家臣団を雇用しない事、主君信長にたびたび口答えした事、石山包囲が思うに進まなかった事は信盛の怠慢であった事などがあげられている。また三方ヶ原の戦いでは、徳川家康の援軍に赴くも武田軍に惨敗し、同僚の平手汎秀を戦死させている。

 とはいえ、彼にも言い分はある。“退き佐久間”と言われるだけあり、味方兵の犠牲を最小限度に留めて見事戦場から離脱して浜松城に帰る事に成功している。平手汎秀は佐久間勢と異なり岐阜方面に退路を執ったため、武田の追撃に遭い殺されたのだ。ゆえに三方ヶ原の戦いの中で佐久間信盛に落ち度らしい落ち度はない。だが信長は結果が全てである。

 佐久間信盛の追放は信長の非情さを象徴し、かつ合理主義、実力主義の風土に馴染めなかった信盛の能力的限界とも言えるだろう。追放された後の佐久間信盛は哀れであったと云う。後に柴田勝家を頼り北ノ庄城も訪れるが、かつて織田家に自分の派閥を持っていたとは思えないほどに落ちぶれた姿だった。

 家臣を道具として扱う織田信長。無論、これは柴田勝家や丹羽長秀なども論外ではない。信長に無能と判断されればすぐに処断される。まして柴田勝家は林佐渡と同じく、かつて織田信勝を擁立しようとしていたのであるから。大殿に主君勝家を追放させる理由を与えるわけにはいかないと隆広はギュッと拳を握り、一層の働きをする事を胸に刻んだ。

 

「では大評定を始める。各軍団長の昨年の成果を確認する。お蘭、読み上げよ」

「は!」

 森蘭丸が信長の横に立ち、書簡を広げた。各大将についている戦目付けから信長に提出された軍忠帳を読み上げ用に編さんした書簡である。

「織田中将信忠様! 松永氏を滅ぼし大和を平定!」

 このように、各軍団長の昨年の手柄と勲功が次々と読み上げられた。柴田勝家はこの年には他領に侵攻はしていない。昨年は加賀一向宗門徒を根絶する武力を蓄え、かつ内政に励んでいたからである。

「ふむ権六(勝家)、先日に提出された越前の戦力報告は読んだ。ようあそこまで整えた。今年いよいよ加賀の門徒どもを皆殺しじゃ! 加賀攻めの総大将はそちじゃ! 準備をいっそう怠るでない!」

「はは!」

 一石の地も攻め取っていない大将の中で勝家だけ、賛辞の言葉を受けられた。

「五郎佐(丹羽長秀)と三七(神戸信孝、信長の三男)も四国討伐の準備を早く整え、出陣せよ」

「「ハハッ!」」

「サル! 毛利はいかが相成っている!」

「はい、支城いくつか落とし、備前の宇喜多氏を味方に取り込み、そろそろ備中に攻め入らんと」

「ふむ、上々だな」

 その後、明智光秀、滝川一益、九鬼嘉隆、稲葉一鉄、細川藤孝、川尻秀隆、池田恒興、森長可ら諸将の報告を上機嫌で受ける信長。すべての将が領土を新たに切り従えたワケではないが、いずれも各々の領地をよく治めていたからである。各諸将の報告が終わり、ひと段落すると…

「ネコ」

「は、はい!」

 この席で声をかけられると思っていなかった隆広。信長は隆広を呼びつけた。

「近う寄れ」

「は?」

「同じ事を言わせるな」

「は、はい!」

 隆広は利家と同じ位置まで寄った。利家がかまわないから自分の前まで進むようにと目で合図した。勝家と同じ位置で座ろうとするが…

「そこではない。ワシの前に来いと言っている」

 勝家は浅くうなずき、いいから大殿の前へ歩めと示した。織田の諸将の居並ぶ中、隆広は信長の前に座り平伏した。

「ふむ、その方いくつに相成った?」

「十九にございます」

「ネコ、ワシはそなたの行政手腕を高く評価しておる」

「恐悦に存じます」

「城下町の掘割と拡大、軍用道路の整備、北ノ庄城の増築と改修、新田開発、どれも素晴らしい出来栄えと報告が届いている」

「それがし一人の功ではございません。民や兵が尽力してくれたからにございます」

「家中に軍資金調達機関を作り、敦賀港交易で稼ぎ、軍費も、そして九頭竜川治水工事の資金さえ、ほとんど民からの税で賄わなかったそうじゃな。今では織田本家に次ぐ鉄砲の所有量。しかも減税を発布できるほどに至ったと聞き及んだ」

 織田信長がこれほど家臣、しかも陪臣(家臣の家臣)を褒めるのは異例である。柴田勝家、前田利家は不吉な前兆を感じた。そしてそれは的中した。

「いや、たまたま部下たちに恵まれただけで」

「ネコ」

「は、はい」

「ワシの直臣になれ」

「は?」

 柴田勝家の背中がピクリと動いたのを前田利家は見逃さなかった。

「大殿の直臣に…?」

「うむ、内政は無論の事、軍才もあるそなたをゆくゆくは信忠の右腕としたい。陪臣としてではなく、織田家の軍団長として新たに水沢家を立ち上げよ。すぐに今まで林佐渡に与えていた尾張那古野城(愛知県名古屋市)をくれてやる」

「ほう! こりゃめでたい! 水沢家再興と相成りますな!」

 羽柴秀吉が隆広を祝福するように言った。尾張那古野城、当時はまだ簡素な砦ていどのものであるが、信長は早い時期からこの地の利便を分かっていた。林佐渡はそれが分からなかった。しかし隆広ならばその利便を大いに活用し肥沃な地にする事を見込み、すぐに与えると言ってきた。柴田家の部将で織田本家には陪臣にすぎない隆広を直臣に取り立てて大名にすると信長は言ったのだ。

 隆広は勝家に領地ではなく高額な金銭で召抱えられている武将で城も領地もない。これは織田家の各軍団長の政務もしくは軍務を司る将の召抱えられ方で、他の大名にはない特殊な遇し方である。明智家では斉藤利三、羽柴家では竹中半兵衛が同様な召抱えられ方をされている。

 しかし信長は隆広の才幹を重く見て、本家の軍団長に抜擢しようと考えたのである。これは異例の大抜擢と言えるだろう。当時の那古野の石高は八万石であるが、信長は隆広なら実入り五十万石以上の地に出来ると見込んでいた。つまり柴田勝家、羽柴秀吉、明智光秀、滝川一益に継ぐ軍団長の誕生である。同盟者徳川家康の万一の叛意に備える意味と、ゆくゆくは隆広を奥羽か九州方面の大将とするつもりだった。こんな抜擢をすれば古株たちの嫉妬の念がうずまく。君主もそれを考えて人材登用を行うものであるが、信長はそんなもの眼中にない。

「那古野は東海道の要所にて、豊かな河川もあり開墾も容易じゃ。また海もある。佐渡のタワケは最後までこの地の秘めた富に気付かなんだが、そなたなら小田原や駿府、浜松に比肩する肥沃かつ交易の地とできよう。砦ていどの那古野城は破却して新たな城を作る事も許してもやる。筑前の申す通り、水沢家が大名として再興が成り養父の隆家も喜ぶであろう。またお前を登用した権六にも悪いようにはせぬ。どうか?」

「…そ、それは」

 主君勝家を見る隆広。その勝家は隆広を見ず、信長に対して頭を垂れたままだった。目は下を向いている。

(殿…どうして何も言ってくれないのですか…)

 急な信長の申し出に戸惑う隆広は勝家の額ににじむ汗に気付かなかった。

「水沢殿、柴田様に遠慮されているのですかな?」

「めっそうもない!」

「ならば水沢殿、はよう返事をされよ」

 森蘭丸は冷徹に返事を急かせる。

(何をためらう! 大殿は天下人だぞ! その大殿から直々に臣下になれと言われる栄誉を何と思うか! しかも那古野は大殿誕生の地! それを拝領できると云う事はお前がどれだけ大殿に重く見られているかの証だろう! お前は自分の将才が北陸の一陪臣ごときの物とでも思っているのか!)

 蘭丸は目で強く隆広に訴える。幼馴染同士ゆえ、それは隆広にも伝わる。そして隆広はまだ答えない。焦れた蘭丸は

「柴田様! 柴田様からも水沢殿に何か言って下され! 大殿に仕え…」

「恐れながら!」

 やっと隆広が声を出した。

「その儀は…! その儀はひらにご容赦を!」

「なんだと?」

 信長の顔つきが変わった。




やっぱり藤林すずとくればポニーテールですよね。


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一杯の酒

「その儀はひらにご容赦を!」

 突如に信長から発せられた直臣への誘い。しかもすぐに那古野城を与えると言う破格の申し出である。しかし隆広は断った。信長の顔つきが変わった。

「ネコ、今なんと言った?」

 ものすごい威圧感、圧迫感である。新陰流の使い手である隆広が恐れのあまりにツバをゴクリと飲むほどに。平伏する隆広の額から汗がにじみ、畳に落ちた。

「お、大殿の直臣にはなれませぬ…。それがしは柴田勝家様の家臣にございます!」

「ワシが権六(勝家)に劣るとでも言うのか!」

「人物の優劣ではありませぬ! 殿は! 勝家様は養父を亡くして孤児となり、途方にくれていたそれがしを拾って下さり! そればかりか士として無上なほどに遇して下さっております! 先の内政の功を上げられたのも勝家様がそれがしを認めて信任して下されたからにございます! 士は己を知る者のために死す! 勝家様に褒めてもらえる事を何よりの喜びとして今まで仕えてきています。それはこれからも同じでございます!」

「……」

 柴田勝家の背中が小刻みに震えているのが後ろにいる前田利家には分かった。

(親父殿…嬉しかろうな…)

「勝家様に粉骨砕身仕える事が、結果大殿に仕えるも同じとネコは信じております! もし柴田家でいらぬと仰せあるのなら! ネコは自分の無能を恥じ! 腹かっさばくまで!」

 

 ダンッ!

 

 信長は立ち上がり、魔王のごとき形相で隆広を睨み、そして隆広もその視線をそらさない。小姓の坊丸に持たせてあった太刀を奪い、ドスドスと隆広に歩んだ。

 斬られる…! その場にいた諸将すべて思った事だった。隆広は逃げもせず、そのまま座っていた。すると…

「なんじゃ権六」

 柴田勝家が信長の前に立ち、そして膝を屈し、両手を広げて隆広の前に塞がった。

「殿…!」

「…我が家臣のご無礼、主君のそれがしがお詫びいたします。それゆえ! 一命だけは!」

「勘違いいたすな権六」

「…は?」

 信長は勝家の横を通り、座る隆広の前に立った。

「お、大殿…」

 信長はニッと笑い、持っていた太刀をズイッと隆広に差し出した。名刀『大般若長光』だった。信長と足利義昭しか所持していないと伝わる名刀の中の名刀である。

「ネコ、その気持ち、いつまでも忘れるなよ」

 隆広の顔がパッと明るくなった。

「は、はい!」

 隆広は両手でそれを受け取った。

「はっははははは! 見事にふられたわ! 権六よ、そなたは本当によい拾いものをしたものよ! はーははははは!」

「はっ! それがしもそのように思っております」

「言うわアゴめ! ネコもう良いぞ、下がれ」

「は!」

 与えられた刀を大事に抱き、隆広は利家の後ろに戻った。諸将は今の隆広と信長のやりとりを感慨深く眺めていた。隆広の若いながらも主君を思う心に隆広の父親世代が多い織田の将たちは素直に感動したものだった。

 また直臣になる事を視線で訴えた森蘭丸も、何かホッとした様子だった。立場上、信長の願いどおりに隆広が直臣になる事を勧めはしたが、結果的には一番いい展開とも思えた。

(大殿の直臣にならずとも、竜之介のヤツは織田家中で男を上げたな。大したモンだ)

「お蘭」

「あ、はい!」

「閉会だ」

「はい! コホン…」

 蘭丸は一つ息を吸った。

「これにて安土大評定は終わりますが、今宵は宴がございます。琵琶湖の珍味と京料理の数々と銘酒を用意しましたので各諸将もお楽しみそうらえ! では夕刻まで自由にされるがよろしかろう。以上解散!」

 

 各諸将は評定の間を出て行った。勝家もまた利家と隆広を連れて、城下町の柴田屋敷へと歩いた。

「…バカなヤツだ。むざむざ城持ち大名になれる好機を捨てるとは」

 信長の誘いを断った隆広。その隆広に勝家は呆れたように言った。

「親父殿も素直じゃありませんな」

「又佐(利家)うるさいぞ!」

 隆広は信長からもらった太刀を抱いたまま、だまって勝家の後ろを歩いた。

「隆広よ…」

「はい」

「だがワシは…嬉しかった…。本当に嬉しかった!」

「それがしも…殿が大殿の前に立ちそれがしをかばってくれた時も…嬉しゅう思いました。本当に…」

「そうか、いやまあ…何か成り行きでな」

「はい」

 勝家は隆広が城持ち大名の道も捨てて、自分の家臣であろうとする姿勢が嬉しく、隆広には勝家が身を捨てて自分をかばってくれたのが嬉しくてたまらなかった。この親子ほど歳の離れた主従の絆は、よりいっそう深まっていったのであった。

 後日談になるが、隆広の幻となった那古野入府を一番残念がったのは他ならぬ那古野の民たちであったと言われている。隆広の名行政官ぶりは日本海に面した越前から、その反対側の太平洋に面した尾張にも伝えられていた。“水沢様が我らのお殿様ならどんなに暮らしが楽になっただろうか”と口々に言った。

 この時、水沢隆広が那古野入りをしていたら戦国史はどうなったか。それは今日の歴史小説家たちの良き題材となっている。ある歴史家などは、あの時点に水沢隆広が那古野入りしていたら今日の日本の首都は変わっていたかもしれないとまで述べている。

 

 話は安土城下に戻る。隆広は柴田屋敷に行くと、信長から賜った『大般若長光』を勝家に献上した。勝家以外から褒美をもらうワケにはいかないからである。そして隆広は前田利家立会いのもと、改めて勝家から『大般若長光』を賜った。

「ありがたく拝領します」

「刀とはいえ、これも褒美であるからな。ちゃんとさえに渡す事を忘れるな」

「はい」

「まあ、他のものならば銭に代えて水沢家の資金にするに止めはせぬが、さすがにこの名刀を金に換えるのはマズい。さえにそれだけはするなとクギを刺しておけ」

「分かりました!」

「さて、親父殿、夕刻とはいえさほどに時間がござりませぬ。正装を解いて一息入れたらもう城に戻りませぬと」

 利家の言葉を聞いて、陽の落ち具合を見る勝家。

「ふむ、もうそんな時間か。では二人とも再度城へ戻る準備じゃ。宴とはいえ大殿の前じゃ。粗相をいたすなよ」

「「は!」」

 

 自分の部屋に戻る隆広に前田利家が声をかけた。

「はははは、隆広よ!」

「なんでしょう?」

「大殿の誘いをはね付けたそなたの態度、立派だったぞ。もしあのまま大殿の誘いを受けていたらワシはお前に失望していたじゃろう」

「過ぎた要望でございましたが、それがしも殿と北ノ庄の地が好きなので」

「それとさえに『恩知らず』と怒られるのが怖くて、か?」

「そ、それもあります。怒られるならまだしも、嫌われたくないもので…」

「あははは! どうやらそれが一番の理由じゃな! お互い女房殿に嫌われるのは鬼権六の一喝より怖いからな! あははははは!」

 利家は親しみを込めて隆広の背を叩いた。

 

 勝家、利家、隆広は安土城に戻った。評定の間で盛大な宴が催される。信長が祝杯を挙げた。

「今年は毛利と武田を攻め! 加賀の一向宗門徒も根絶やしにいたす。その意気をあげるための宴じゃ!」

「「はは!」」

「みなの者、今宵は無礼講である。心置きなく飲むが良い!」

「「はは―ッッ!」」

 

 歳若い隆広は、先輩諸将へ酒を注ぎに回った。利家に若い者はそうするものだと宴の前に言い聞かされていた。無論、隆広もそれをわきまえていた。新米幹部らしく先輩武将に礼を尽くした。

「丹羽様、一献」

「うむ、ありがたくいただく」

 丹羽長秀の杯に並々と酒を注ぐ隆広。

「隆広、先刻のふるまい、見事であったぞ」

「恐悦に存じます」

 こうして隆広は滝川一益、九鬼嘉隆、池田恒興、川尻秀隆、細川藤孝、筒井順慶、稲葉一鉄ら諸将から褒められた。みな隆広と同年ほどの息子を持っているから、その姿が重なったかもしれない。羽柴家の席にいた山内一豊に隆広は酒を注いだ。

「聞くと隆広殿は軍事内政何でも出来る器用な方と伺いましたが…存外不器用にござるな」

「は?」

 山内一豊も不器用な事では人後に落ちないが、その一豊に隆広は言われてしまった。

「立身出世を望む者なら、先の大殿の誘いを受けていたでござろう。立身出世は望んでおられないのですかな?」

「かような事はございません。だけどそれは柴田勝家様の下で遂げたいのでございます」

「なるほど不器用だ。柴田殿もよき若者を見出したものですな」

「恐悦に存じます。さ、山内殿もう一献」

 

 この席の最年少者は隆広である。彼は酒瓶を替えては替えては先輩武将たちに酒を注いで歩いた。柴田の若き柱石であろうと、ここではまだ青二才。当然の立ち振舞いである。自分はまだ一滴も飲んでいない。

「官兵衛殿、一献」

 羽柴秀吉の家臣、黒田官兵衛も隆広の杯を受けた。

「かたじけない、ありがたく受けまする」

 官兵衛は隆広から受けた酒をグイと飲み干した。

「ところで隆広殿」

「はい」

「先刻の大殿の要望、あれは大殿の願望も含まれていようが、隆広殿を直臣にと願ったのは他ならぬ若殿でしょう」

「信忠様が?」

「断られて肩を落としているやもしれませぬ。『柴田家の家臣で織田家には陪臣と云う形であっても、信忠様の御下知ならばいつでも従う』と、ご寵愛が解けぬうちに機嫌を取っておきなされ。それも組織の中での立ち振る舞いでございますぞ」

「はい! お教えありがとうございます」

「いえいえ、ならばそれがしからも一献」

「ところで義兄上は…」

「ん? ああ半兵衛殿は所用がございましてな」

「そうですか…。一緒に酒を酌み交わしたかったのに残念です」

 この時、官兵衛が少し顔を曇らせた事に隆広は気付かなかった。竹中半兵衛はこの時、病で伏せていたのである。

 

 官兵衛の酒を受けたあと、隆広は信忠の元に行った。

「信忠様、一献」

「ああ、すまん」

 まるで恋焦がれた娘に振られたかのように、信忠は隆広を見た。

「惜しいのォ隆広。そなたになら尾張一国与えても良かったのに…」

「そんな、それがしには手に余りまする」

「そう謙遜するな」

「それに…たとえ柴田の家臣とは云え、それがしは織田に仕えし者。信忠様の御下知あれば戦場でも内政でも懸命に働く所存です」

「まことか…!」

「はい!」

「ようございましたな若殿!」

 前田玄以が信忠の気持ちを察して言った。

「そうか、嬉しく思う。さあ飲め!」

「はい!」

 

 明智光秀、羽柴秀吉、柴田勝家らは信長と飲んでいたため、さすがに割り込んで酒を注げにいけなかった。他の諸将に酒を注げ終わり、隆広はようやく自分の席に戻り、前田利家と飲み出した。

「うーむ、どうも鮒鮨は匂いがキツいのォ」

「確か、まつ様が大好物と?」

「そうなんじゃ。持っていってやりたいがナマ物じゃからな」

「それがしもこの『鯉のあらい』をさえに持っていってやりたいです。身重ゆえ滋養をつけ…」

 

「キンカン! そなたワシの酒が飲めぬと言うか!」

 いきなり信長の怒号が響いた。

「それがしは下戸ゆえ…」

 申し訳なさそうに明智光秀が述べるが信長は聞かない。

「やかましい! 正月の宴であるぞ! 下戸が通るか! さあ飲まぬか!」

「大殿…」

「飲まぬか!」

 信忠がその場に駆け寄った。

「父上、言葉が過ぎます! 酔われたのですか!」

「黙れ!」

「いやいや大殿! さっき光秀殿は『こんな銘酒、我が部下は飲んだ事がないであろう』と言っておいででしてな! この上は下戸の光秀殿を美酒で労わずに、斎藤利三殿や明智秀満殿に美酒を与えて明智家中の幹部を労うてはいかがですかな! それが結果、大殿への忠勤となりますぞ!」

 すかさず秀吉がとりなした。

「…羽柴殿」

「ふん、まあよかろう。だが一杯は飲まねば許さぬ。大杯をもて!」

 それはゆうに一升は入る大杯だった。

「さあ飲め!」

 光秀は拳をギュッと握り、そして意を決して飲んだ。だが…

「ゲホッ」

 二合も飲まぬうちに、大杯の中に酒を戻してしまった。

「なんたるヤツ! キサマそれでも織田の軍団長か!」

「ハアハア…」

 信長に言い返す気力も湧かない光秀。下戸の彼には二合の酒量さえ猛毒に近い。信長はまだ引かない。再び他の大杯になみなみと酒を注いだ。

「さあ飲め!」

「父上、光秀は下戸でございます。無理強いはなりませぬ」

「黙れ! 主人の酒を飲めぬとは何事か!」

 嫡子信忠の諌めも聞かない信長。だがその時…。

「いや~こんな美酒は初めてにございます。またまだ飲み足りないなぁ」

 隆広が酔ったふりをして信長と光秀の間に入り、その大杯を一気に飲み干してしまった。隆広は体躯こそ華奢だが酒は強い。そんな大杯を飲んでしまった隆広を信長、信忠、秀吉、勝家、そして光秀もあぜんとして見た。

「あれ? 何かマズかったですか? あははは!」

 そのまま酔ったふりをして自分の席に戻り、何事もなかったかのように膳の料理を美味しそうに頬張る。

 

「ふん、毒気を抜かれたわ! ワシは寝る! そなたらは宴を続けよ!」

 信長は退室した。信長の顔は少し苦笑していた。取りとめもない事から引っ込みがつかなくなってしまった光秀への酒の強要。それを酔っ払ったふりをして横から飲んでしまった隆広。

「ネコめ…あの一杯の酒で明智を味方につけよったわ。ふっはははは!」

 夜も暮れた安土城の廊下に信長の笑い声が響いた。その通りだった。信長が退室すると明智家の幹部である斎藤利三、溝尾庄兵衛、明智秀満が隆広に駆けて平伏した。

「水沢殿! かたじけない!」

 と、息子ほどの歳の隆広に深々と頭を垂れる斉藤利三。

「ん? 何の事です?」

「もう芝居はよいですよ、隆広殿」

 二合の酒でもフラフラとなっている光秀が歩んできた。

「大丈夫ですか? 明智様」

「ははは、それがしのセリフでございますぞ、それは」

 即妙に信長と光秀の間に入り、場を収めてしまった隆広。その振る舞いに明智家の家臣たちは感涙した。無論当人の光秀も胸が熱くなる。まさに隆広は一杯の酒で精強を誇る明智軍を味方につけたと同じである。

「もはやそれがし…隆広殿を『隆家殿の息子』などとは呼べませぬな。…と、失礼!」

 光秀は評定の間を飛び出した。嘔気はまったく止んでいなかった。溝尾庄兵衛が水を入れた小瓶を持って追いかけ、斉藤利三と明智秀満も心配してついていった。

「大丈夫でござろうか明智様は…」

「横になれば大丈夫だろう。お、隆広よ次の料理が来たぞ!」

 利家と隆広の前に料理が配膳された。

「鶏の塩焼きですね! これもさえは大好きなんです。持っていってあげたいなァ」

 明智家臣たちが戻ってきた。

「水沢殿、主君に代わり礼を…」

「いやいや利三殿、礼には及びません。それより新しい料理も来た事ですし、飲みませぬか?」

「ほう、鶏の塩焼きでござるか、これは嬉しい。利三殿お言葉に甘えよう」

 と、明智秀満。

「そうよな! 我らの膳もここに持ってこよう!」

 明智秀満と斉藤利三は隆広と飲みだした。前田利家も加わり、後に四人は敵味方となるとも知らずに楽しい酒を飲んだ。

「おう楽しそうじゃな」

 少し遅れて溝尾庄兵衛が戻ってきた。

「庄兵衛様、殿は?」

 明智秀満が尋ねた。

「ああ、水を飲んで別室で休まれた。隆広殿に礼を言っておいてほしいと」

「そんな礼など。昔の恩を少しお返ししただけで…」

「昔?」

「え? ああ、いや何でも! さあ溝尾様も一献!」

「頂戴いたしまする」

 明智光秀の老臣、溝尾庄兵衛は隆広の酒を受けた。庄兵衛は想像できたろうか。たった今、美々しい笑顔を向けて自分の杯に酒を注いだ若者と後に戦う事になろうとは。

 

 信長の威圧から解かれ、勝家もまた丹羽長秀や滝川一益と飲みだした。

「柴田殿、まこと良い若者を召抱えましたな。大殿も思わずポカンとしていましたぞ」

 べんちゃらではない丹羽長秀の言葉が勝家には嬉しい。

「五郎佐(丹羽長秀)に言ってもらえると嬉しいわい。あっははは!」

 

「さて官兵衛、一豊。大殿も退室された事だし、我らも帰ろう」

「御意」

 羽柴秀吉はさっさと退室してしまった。安土城下の羽柴屋敷に戻る道中、秀吉は黒田官兵衛と山内一豊に語りだした。

「のう官兵衛、一豊…」

「「はい」」

「あれは…まだ織田家が美濃尾張しか領有しておらず、ワシが木下藤吉郎と云う名前であったころじゃ」

「は?」

「墨俣築城などで大殿に認められ、小者から成りあがったワシは、あのころ家中の妬み嫉みを一身に受けていた。それでとうとう家中で起きた盗難騒動の犯人にされた。織田家の前にも仕えた松下家でもそんな事はあったが、いいかげん周囲の妬み嫉みに嫌気がさしてきた。そのウサ晴らしに岐阜の町で一人ヤケ酒を飲んでいてな。ワシは酔った勢いでこう叫んだのじゃ『くそったれ! 今に一国一城の主になってやる!』とな」

「はあ…」

 急に秀吉が昔話を始めたので官兵衛と一豊は顔を見合わせた。

「だが…その場にいた者すべてがワシを笑ったわ。無理もないのう、どう見てもワシはうだつの上がらぬ小男の風体じゃからな。酌婦に至るまで腹抱えて笑っておった。だが一人だけ違う者がいた」

「違う者?」

 と、一豊。秀吉は夜月を見て微笑み、しみじみと語る。

「父親の酒を買いに酒場に来ていた寺の坊主だった。歳は七つくらいの坊主頭のワラベがワシの言葉に目を輝かせて拍手しておった」

「ワラベが?」

「ああ、そしてこう言ってきた。『すごいや、おじちゃん! その時は家来にしてよ!』とな」

(そのワラベとはもしや…)

 官兵衛と一豊は直感的にある人物が浮かんできた。

「そのワラベが気に入ったワシは自分の席に座らせた。寺の修行で腹でも空いていたかワシのフトコロ事情など眼中なしでメシをバクバク食いよってな…」

 秀吉は懐かしそうに思い出を語る。こんな優しい顔をする秀吉を官兵衛と一豊は初めて見た思いだった。

「で、ワシは酔っていたので普通は五歳ほどのワラベに聞かせるような事ではないグチも言った。情けない話よな。酔ってグチ言える相手が初対面のワラベとは。だがワラベはイヤがらずに聞いてくれた」

 

 十数年前、岐阜の町の酒場。

「というワケでな、オレは周りの無能者たちに妬まれて、信長様秘蔵の脇差を盗んだ犯人にされてしまったんだ! ああ悔しい…!」

「おじちゃん、その脇差ってお金になるの?」

 頬に麦飯の粒一杯につけながら童子が訊ねた。

「ん? そうだな、売れば五十貫にはなるかもしれんな」

「だったらさ! この町の武器屋さんにその脇差を売りに来たヤツがいたらオレに教えてくれと頼んでみればいいじゃないか! それでおじちゃんに悪い事を押し付けたヤツが捕まえられるよ!」

 藤吉郎は持っていたお猪口をカランと落とした。

「お、お前天才か?」

「やったあ褒められた! 岩魚注文していい?」

「ああ、どんどん食え! あっはははは!」

 

 そして安土城下を歩く秀吉と官兵衛、一豊。

「とうてい五歳かそこらのワラベの発想ではなかった。ワラベの予想は当たり、数日後に武器屋に脇差を売りに来た男をワシは捕まえる事ができて潔白を証明できた」

 その当時はすでに秀吉に仕えていた一豊。あの知恵をそんな童子が出したのかと驚いた。

「殿、その童子はもしや…」

「ん? ははは、さてな」

 そして秀吉の顔は険しいものへと変わった。言葉には出さずも心の中でつぶやいた。

(恐ろしい男に成長したものよ…。大殿の誘いをはねつけ、勝家への忠義を貫き諸将を感嘆させ、またあの一杯の酒で明智を味方につけよった。あやつの軍事内政の才は無論、もっとも恐るべきは、あの人を惹きつける徳。“人たらし”などと言われるワシだからこそよく分かる。羽柴と柴田の軍団長同士の出世と功名の争いに勝家より恐ろしいのはむしろあやつ。もはやこの秀吉、あの時のワラベとは思わぬ。ワシの前に立ちはだかるのなら容赦はせぬぞ水沢隆広!)



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義兄弟

 大評定の翌朝、主君勝家と共に安土城を去るとき、隆広は少し時間をもらい明智光秀の屋敷を訪ねた。光秀はそれを喜び、居間に通した。

「いや隆広殿、昨日は見苦しきところをお見せした」

「いえ」

 さすがに朝になったら光秀の容態も回復していた。

「大殿はふだん寛大なのじゃが…どうも酒が入るとな」

「はあ」

「まったく下戸には大殿との酒席は厳しいものです。隆広殿は酒豪のようでうらやましいですぞ」

「いやあんまり飲むと妻が怒るので…でも昨日は思わず痛飲を」

「あははは、ところでもう越前の方に?」

「はい」

「あ、そういえば隆広殿は竹中半兵衛殿と義兄弟でしたな」

「ええ、そうですが」

「何でも、竹中殿は倒られたと…」

「ええ!」

「秀吉殿は今、毛利への押さえとして長浜から姫路へと拠点を変えたのですが…姫路に入城してほどなく倒れたと聞いています」

「義兄上が…でも姫路ではそう簡単にお見舞いにも…」

「いえ、竹中殿は安土におります。前線の姫路より安土のほうが良い医者もおりますし、安全ですからな」

「では羽柴様のお屋敷に?」

「ええ、羽柴殿は今朝早く姫路に発たれたそうですが、竹中殿は残っていると聞いています。北ノ庄に帰る前に顔を見せてあげてはいかがですかな? 義弟が同じ城下町にいるのに会いに来てくれぬのは寂しかろうし」

「そうですね、では早速に!」

 

 隆広はすぐに羽柴屋敷に向かった。すでに秀吉は姫路に発っているので屋敷の中は半兵衛を世話する侍女数人ほどしかいなかった。

「ごめん」

「はい」

 侍女らしき女が出てきた。

「それがし水沢隆広と申します。竹中半兵衛重治様にお目通り願いたいのですが」

「申し訳ございませんが…主人より何人もいれるなと…」

 病が重いのか…? と隆広は感じたが、この機会を逃せばいつ会えるか分からない。

「そこを何とかお願いします。それがし竹中半兵衛殿と義兄弟の契りを交わした者。義兄上の病と聞き、いてもたってもいられずに…」

「そう申されましても…」

 と、侍女が困っていると…

「かまいません、お通ししなさい」

「奥方様…」

「これは義姉上…」

 隆広に義姉上と呼ばれた女は隆広に丁重に頭を垂れた。竹中半兵衛の妻、千歳である。夫の半兵衛が清洲城下の宿屋で竜之介、後の水沢隆広に軍学を教えた時、彼女も同じ宿屋に寝泊りして師弟の世話をした。その後に半兵衛と竜之介は義兄弟の契りを交わした。だから自然と千歳も竜之介と義理の姉弟となったのである。頭を垂れる千歳に隆広もかしずいた。

「清洲のご城下以来にございますね。夫から活躍のほどを伺っています。ご立派になられて…」

「義姉上もお元気そうで何よりにございます」

「さ、主人半兵衛も喜びます、こちらに」

「はい」

 千歳は織田信長に追放された安藤守就の娘である。父の守就はこの時は行方知れず。生家は実質滅亡し、かつ夫の半兵衛は病床。気丈に振舞っているが、千歳の顔はやつれていた。

「義兄上の容態は…どうなのです?」

「労咳との事です」

「ろ…ッ!?」

 肺結核である。この当時は不治の病であり、武田信玄も同じ病で病没している。

「そんな…!」

「もう夫は長くないのです…」

「義兄上や羽柴様はその事を!?」

「はい、存じております」

「なんて事だ…義兄上はまだ四十にもなっていないのに!」

「さ、この部屋でございます」

 部屋の向こうにいる夫を千歳が呼んだ。

「お前さま」

「ゴホッ なんだ?」

 半兵衛の痛々しい咳が聞こえた。

「水沢様がお越しです」

「そうか、通せ」

「はい」

 千歳が襖を開けると、隆広の目に病に伏せる半兵衛の姿があった。隆広を見て半兵衛は

「これ、私を起こせ」

 と、侍女に言った。

「義兄上、そのまま!」

「なに、大丈夫だ」

「義兄上(あにうえ)…」

「会いたかったぞ…義弟(おとうと)よ…」

 

 本来なら人払いして義兄弟水入らずで語るのであろうが、半兵衛の容態はいつ急変するか分からないので、妻の千歳はそのまま半兵衛の傍らにいた。

「大殿の直臣への誘いを断ったそうだな」

「義兄上の耳にも届きましたか」

「昨夜に殿(秀吉)が退屈そうに病に伏せる私に話してくれた。よく勇気を出して断ったな。直臣になれば、お前は実を手に入れ名を失っていただろう」

「はい」

「その後、光秀殿を助けたのも聞いた」

 本当に羽柴様はクチが軽いなと隆広は苦笑した。

「これでお前は明智家を味方につけたも同じだ。だが気をつけろ、味方につくものもあれば敵につくものもいる」

「…え?」

「たとえて言うならば、お前は九郎判官義経と同じだ」

 褒めて言っているのではない事は隆広に分かった。

「義経は、軍才もあり人望もあり…部下たちも猛者ばかりだった。そして手柄も立て続けた。時に命令違反などの独走もあったが、結果義経の軍事の天才振りが平家を倒した。だがそれが鎌倉の恐れと妬みとなり、討伐の憂き目となってしまった。昨日までの味方が敵に回る結果となった」

「義兄上…少しそれは…」

「考えすぎと思うな。今は息子ほどの歳のお前だから先輩上将も態度を甘くしているだけだ。だがもう少しお前が成長し、次代の信忠様の側近にでもなり重用されてみろ。転じてお前は古株たちの嫉妬、羨望、そして憎悪の対象となる。現にお前はすでに柴田家でも佐久間、佐々、そして柴田勝豊殿とも上手く行っていないのであろう」

「……」

「竜之介よ教えたな。軍に閥はならぬと。たとえお前が何もせずとも、何の悪意がなくても、お前は織田家中の不和の火種になりかねない危険な男なのだ」

「ならばどうせよと…」

「…一発逆転の対策などない。そんなものがあるのなら唐土の韓信、太田道灌、そして今にあげた義経は主君に殺されてはいない。ただ一つ言えるのは三名とも小人の憎悪に注意を払わなかった。飛べない鶏が空を雄々しく飛ぶ鷹にどれだけ嫉妬するか、それを理解しなかった。だから自分の最大の敵が味方に潜んでいると悟る事ができなかった。この私も主君秀吉に三顧の礼で迎えられたが、その時に言われた事に『おぬしほどの天才には誰もが用心深くなり警戒する。大名になるにはそこそこの愚かさが必要なのだ』とある」

 ゴホッ 半兵衛は一つ咳をした。

「一つの困難に皆で一丸に立ち向かえば容易に打開できると頭では分かっていても、その困難を打開した時に賞賛されて褒美を受ける者いるとなれば、困難そっちのけでその者の足を集団で引っ張り始めるのが人間と云うものだ。これはもうどうしようもない人間の性だ。“味方で争っている場合ではない”と、どんなに上位の者が言い聞かせてもムダだ。この人間の嫉妬心、無くなる事がないのなら、上手く付き合い、利用するしかない。ゴホッ!」

「義兄上…」

「竜之介、今さら凡夫の芝居をしろとは言わぬ。しかし時が来るまで今の士分でありつづけよ。お前は柴田様に寵愛されており、大殿、若殿にも一目も二目も置かれている。十九歳の若者には過ぎたる栄誉だ。だからせめて時が来るまでこれ以上は偉くなるな。

 かの唐土の司馬仲達は魏の総司令官に着任する事を何度も辞退した。本人は最初から引き受けるつもりだったが断り続けた。それは魏の諸将の妬みを避ける慎重さゆえの算段。この仲達の思慮から学べ。たとえ柴田様から禄や知行の増加を申し渡されても拒否をしろ。部将から家老にすると言われても三度は断れ。『権ある者は禄少なく』、これを覚えておけ。時が来るまではな」

「義兄上…!」

 半兵衛の教えに隆広の胸は熱くなった。

「…ゴホッ! ゴホッ!」

「お前さま…!」

 寝かせようとする妻の手を半兵衛は軽く振り解いた。

「竜之介、もはや会う事もあるまいが…お前の師となり、義兄となれた事、死しても半兵衛、誇りに思う。これからの私の言葉、遺言として聞くがよい」

「義兄上…!」

 

「よいか…大殿は確かに強い。だがあまりに人の恨みの恐ろしさを知らぬ。今のままでは立ち行かぬ。先は長くない」

「めったな事を申されては…!」

 とんでもない事を半兵衛は言い出した。

「大殿は不世出の武将であるが、同時に日本史まれに見る大量殺戮者でもある。比叡山焼き討ち、さらに長島一向一揆で二万、越前の一向宗攻めで三万、朝倉の落ち武者を執拗に追い連日百人二百人と捕らえて数珠繋ぎにして斬り殺した。そして伊賀の忍者里にも攻め入り老若男女皆殺し…。

 いかに戦国の世と言え、こんな残酷な武将はいない。いつかお前が大殿を諌めた通り、あの方の天下布武は漢楚の項羽の道と同じ。いずれ人心を掴むに長けた劉邦に滅ぼされる! それが先に三度も言った『時が来るまで』だ」

 

 あとで分かった話であるが、竹中半兵衛は妻の父である安藤守就の追放を知り、病床の身でありながらも信長に抗議しようと羽柴屋敷を飛び出した。

 かつて斉藤家で才能を疎まれて孤立した時も、隆広の養父である水沢隆家と共に味方になってくれた安藤守就、自分を男と見込み愛娘も妻にくれた恩人。もはや婿と舅の間ではない。その舅の守就を信長が追放したと知り半兵衛は激怒した。

 病気で先が長くないと知っていた半兵衛は信長に斬られる覚悟さえ持って安土城へと向かった。それを追いかけてきて泣いて止めたのは、他ならぬ安藤守就の娘で半兵衛の妻の千歳だった。

 父の守就が追放され、千歳はその日のうちから心無い者たちから『無能者の娘』と陰口を叩かれた。彼女自身どんなに悔しい思いをしているだろう。そして夫の半兵衛が信長の仕打ちに怒り、死をも覚悟して抗議しようとした時、どんなに彼女は嬉しかっただろう。

 だからこそ彼女は夫を止めた。たとえ余命が残り少なかろうと、自分の父のために死なせてはいけない。残りわずかな時間を妻の自分と共に安らかに過ごしてくれる事を願う一心だった。

 

「竜之介、お前もうすうすは感ずいているであろうが、大殿は柴田様を重用し、戦場の猛将として信頼もしている。だが内心は柴田様の誠実な武人肌を疎んじてもいる」

「……」

「お前も知っているだろう。安土の後宮騒動を」

「存じています。大殿の酒池肉林の場となるはずだったとか」

「そうだ。大殿は古代唐土の後宮のごとく、数千人の美女を集めた女の園を作ろうとした。この戦国の世に女で失敗した者は多々いる。朝倉義景などはその典型で、色に狂い家臣の信頼を失い滅んだ。だが大殿の女狩りは織田家臣すべて大殿を恐れて見て見ぬ振りをした。だがただ一人だけ妨害した者がいる。それが柴田様だ」

「はい…」

 安土の後宮騒動。これはあまり知られていないが、信長は朝廷に自分の権威を見せ付けるために古代中国の後宮のようなものを安土城に作ろうとしたのである。丹羽長秀に安土城の普請を命じると信長は目先の利く老女を集め、自分の女の好みをつぶさに聞かせた上、自分の勢力内の地で美女集めをしてこいと命じたのである。(史実です)

 信長の気に入る美女を連れ帰れば、当然の事ながら褒美も多い。老女たちはその密命を喜んで受けて、さながら隠密のように織田領に散った。自分の領内で若い娘の誘拐が多発していると聞いても、実はそれは信長の女集めと知っていた各々の領主は手出しできない。だが柴田勝家は違ったのである。

 勝家は自分の領内越前で若い娘を物色して、誘拐していると云う老女を捕らえさせた。そして理由を聞くと『信長様の密命じゃ』と悪ぶれる様子も無く言い放った。しかも『一家臣の分際で信長様の直命を受けたワシの仕事を邪魔するとは何事じゃ』と逆に居直り勝家を責めたのである。激怒した勝家は

「大殿がそんな無慈悲をなさるはずがない。お前は大殿の名をかたったばかりか、我が領内の宝というべき娘たちを食い物にする鬼ババアじゃ!」

 と、即座に斬り捨てた。そして前田利家に命じて、領内の廃寺で軟禁されていた娘たちを助け出したのである。

 だが勝家は信長なら、こういう無慈悲な美女狩りをやりかねないと分かっていた。だから信長がこれを聞き激怒する前に信長を訪れ、先に老女を処罰した経緯を報告して、こう述べた。

「大殿の御名を汚す老女は許せませぬので、それがしが斬り捨てましたが、改めて老女の処分の指示を伺いたく参上しました」

 指示と云っても、もはや老女は斬られた後で信長にはどうしようもない。今さら老女を許せと言っても何にもならない。やむなく信長は

「その仕置き神妙である、大儀」

 と勝家を労った。水沢隆広が柴田勝家に仕える四ヶ月ほど前の話である。後に、当時お市の侍女だった隆広の妻さえも老女に目をつけられていたと判明している。柴田勝家の断固たる処断がなければ、さえは今ごろ信長の酒池肉林の中に連れられていたと云う事になる。

 隆広は勝家のこの処断は正しく、そして妻と会わせてもくれる事に繋がった行動であり感謝していた。この勝家の処断により、信長は越前の国だけ美女集めが出来なかったのである。

 やがて、この後宮計画は瓦解した。信長の妻の帰蝶(濃姫)と、妹のお市が頑強に反対したと伝えられている。娘たちは織田家から金を与えられ故郷に送り返された。その段取りをしたのも勝家である。信長には妻のお市と共に正室帰蝶を抱き込み、勝家が後宮作りを頓挫させたと映った。勝家の武将としての才能は信頼していても、自分の望みを妨害したとして信長は勝家の生真面目さを疎んじていた。

 

「柴田様の執った行動は正しい。だが、それが是と受け入れられるとは限らない。この経緯と、そして林佐渡殿と同じようにかつて勘十郎信勝様を擁立しようとした事もある以上、大殿は柴田様のわずかな失敗も許しはすまい」

「…その通りにございましょう」

「このままでは柴田様は立ち行かぬかも知れぬ。だが柴田様にはお前がいる」

「はい…!」

「お前さま…もう横に…」

 心配する千歳に優しく微笑んで返す半兵衛。

「もう少し、もう少しだ…」

「義兄上…」

「竜之介…『劉邦』は誰と思う?」

「……」

 そう簡単に答えられる質問ではない。だけど流していい質問ではない。隆広は答えた。

「我が殿勝家、羽柴秀吉様、もしくは徳川家康様かと…」

「いい答えだ。だがもう一人いるぞ」

「え?」

「お前だ」

「……!」

 義兄半兵衛が世辞を言う人間ではない事は分かりきっている。目も冗談を言っていない。驚く隆広の顔に半兵衛は、ニコリと笑い、溜めていた息を吐いた。

「ゴホッ」

「義兄上、もう横に…」

「ああ…」

 横になった夫の額に湿った手拭を乗せる千歳。

 

「なあ竜之介…」

「はい」

「清洲の安宿でお前を教えていた時、一つだけ私がお前の質問に答えられなかった事を覚えているか?」

「…“斉藤龍興様をどうして見捨てたか”とそれがしが訊ねた時にございますね」

「そうだ…。そなたの養父隆家殿は最後まで見捨てなかった。傾きかけた時だからこそ主家を支えるのが武士の道。隆家殿は私にもそう言っていた。だが私には出来なかった」

「龍興様を暗愚と見たからにございますか」

「そうだ。何が名軍師竹中半兵衛…。恥ずかしい限りだが若き日の龍興様を見て私はその才幹を見抜けなかったのだ…」

「若年のおりの龍興様は酒色に溺れていたと養父も申していました。やむを得ぬかと…」

「いや…あの方は斉藤家滅亡後も織田に戦いを挑み続けた。一介の素浪人とも言って良いあの方が多々の勢力を味方にしていった。才なくして到底できない事だ。隆家殿は龍興様の才を見抜いていた。私も義父(安藤守就)も…どうしてそれが分からなかったかと恥ずかしく思ったものだった」

「義兄上…」

「道三公が婿の大殿に美濃を渡す気であった事は知っていよう」

「はい」

「長良川の合戦(道三と息子義龍が戦った)の前、私と安藤、稲葉、氏家の三将はそれに同意したのだ。元々私たちは道三公に惚れて仕えた者。それを害そうとする義龍様に心から仕える気はなかった。だが隆家殿はその美濃明け渡しを断固拒否した。理由は『それは婿殿(信長)のためにならない。美濃は高値で売りつけなければならない。安易に手に入れば婿殿は美濃の地と人間を軽視する。それがしはあくまで斉藤家の武将として婿殿と戦う』と連名を一蹴した」

「それでは…」

「そう、隆家殿は道三様個人ではなく、斉藤家のために生きる道を選び、我々は道三様の遺命に従う事を選んだ」

 その後に水沢隆家は長良川の合戦では劣勢の道三側について、密命を帯びて義龍についた竹中、安藤、稲葉、氏家の軍勢も蹴散らしている。

 敗戦後に隆家は義龍の陣に出頭してきて、義龍は斬刑にしようとしたが家臣の反対に合い、結果その才を惜しんでいた義龍は減俸のみで許した。道三との密命を知る隆家に当然安藤たちは危惧したが、隆家は密告をするような男ではない。だが隆家は四人にこう言った。

「道三様の遺命に従うのもそなたらの忠義、好きなようにされよ。だが戦場で会った時は容赦しない」

 斉藤義龍は自分の取り巻きである旧土岐氏の家臣を重用し始め、竹中半兵衛や安藤守就を遠ざけた。しかしそんな義龍でも水沢隆家だけは深く信頼して用いた。性格穏やかで野心の欠片も見られない。若い自分を軽視せず立てる。義龍は隆家を頼り何かと相談した。道三の密命を受けた四人は動きようがなかった。しかし義龍が死ぬといよいよ動き出した。

 竹中半兵衛は“何とぞ我らと行動を共に”と懇願するが隆家は拒否。亡き主君の遺命に従う者と傾きかける主家を建て直そうとするもの。共に忠義の心は同じなのに袂を分けた。

 斉藤龍興の才幹が世に出るのは皮肉な事だが斉藤家滅亡後と言っていい。少年期に美濃国主となり絶大な権力を得た彼は、まだ自制が利かず酒と女に溺れた。隆家は何度か諌めたが聞き入れられない。安藤守就は最後の説得として隆家に

「あれで君主の器であるか。なぜ隆家殿はこうまで斉藤家に義理立てするのか!」

 との問いかけに隆家は笑ってこう答えた。

「それがしはマムシの道三たった一人の友である」

 つまり斉藤道三のたった一人の友であるから、彼の残したものは最後まで守りたいと述べたのである。しかし隆家は見抜いていたのである。斉藤龍興には秘めた才覚があると。

 しかし、この時点でそれに気づいていたのは水沢隆家だけである。友の残したものを守ると云う言葉に安藤守就も一言もなく、やがて竹中半兵衛は十六騎で稲葉山城を落として斉藤の脆弱と家中分裂を内外に示した。無論、若くて酒と女に溺れていた龍興を諌める気持ちもあったのであろうが、半兵衛は隆家の留守中に狙って行っている。隆家がいたらこんな失態はない。

 だがさすがに半兵衛も自責の念が出たか、道三の遺命に従うのはここまでとして、野に下り、その後に秀吉の数度の召し出しに心動かし、結果織田家についた。その後に安藤守就、稲葉一鉄、氏家ト全も織田についた。やがて道三の遺命どおり、美濃は織田信長のものとなるのである。

 

「では道三公の遺命のために…」

「そうだ。しかしお前は隆家殿から『主家が傾きかけた時こそ支えるのが武士の道』と教えられている。幼いお前に私のこんな処世術など聞けば害にしかならん。だから答えなかった。遺命なんて云うものは都合の良い言い訳だ。私は城で龍興様の家臣から小便をかけられた。悔しかった。単なる私怨であった事も否めないし、自分の才幹で城を取れるか試してみたかったと云う気持ちも否定できない」

「義兄上…」

「良いか竜之介、隆家殿は正しい。『主家が傾きかけた時こそ支えるのが武士の道』それが武士の、本当の男の道だ。それが出来なかった私だから心からそう思う。お前は何でも出来る器用な若者だ。だが性根は不器用たれ。結局人はそういう男についてくる」

「はい…義兄上!」

「少ししゃべりすぎたな…。もう眠るとしよう」

 半兵衛の掛け蒲団を整える妻の千歳。

 

「義兄上…龍興様は…」

「ん?」

「い、いえ、そんな才ある方が時節に恵まれず若くして亡くなった事…。養父も悲しんでおりました」

「そうか…。私もあの世で龍興様にお詫びしよう…」

「義兄上、病は気からと申します。快癒すると信ずればきっと…!」

「無理を言うな…。ゴホッ」

「義兄上…」

「さらばだ…竜之介。大将の中の大将となれ…」

「竜之介…。竹中半兵衛の義弟である事を…一生の誇りといたします!」

「ありがとう…。弟よ…」

 隆広は半兵衛の部屋を後にした。まさにこれが、この義兄弟の今生の別れとなったのである。玄関を出て、門をあとにすると半兵衛の妻が追いかけてきた。

 

「ハアハア、水沢様」

「義姉上、なにか?」

「夫がこれを水沢様にと」

 それは数冊の書であった。

「これは『孫子の秘奥義』…!『論語』『史記』『六韜三略』まで!」

 中を見てみると…

「義兄上の筆跡…!」

「はい、元々主人が読んでいたものはすでにボロボロで、余白に様々な添え書きがあり、紙面は大変読みづらく…それで主人が書き写して…」

「すごい…これは義兄上の『孫子注釈』じゃないですか! 他書もまた義兄上の注釈つきで編纂されて…」

「役立てて欲しいと…」

「あ、ありがとうございます! 隆広終生の宝にすると!」

「伝えます」

 まさにその通りで、隆広はこの書を終生大切に扱い家宝にした。ただの兵法書、歴史書ではない。竹中半兵衛が書き写し、そして注釈を入れた書である。半兵衛は息子の竹中重門ではなく、義弟の水沢隆広に自分の兵法と軍略を記した書を託したのだった。

 

 北ノ庄への帰路中、隆広はこの書を食い入るほうに読むと、付箋が指してある項目を見つけた。それは秦王、政(始皇帝)に仕えた王翦(おうせん)の話だった。貪財将軍と呼ばれた老将だった。疑り深い事では人後に落ちぬ秦王が一点の疑念も持たずに六十万の兵権すら与えた。それは何故か。

 王翦は日頃から宮廷の残り料理などを持ち帰り、将軍の身でありながら何と卑しいと下っ端役人にさえ軽蔑された。後輩将軍の別荘さえ安く売れとねだったと云う。秦の版図拡大に大いに貢献してきた彼であったが、もはや年老いた麒麟、駄馬として蔑まれやがて将軍の職責から外された。

 だがいよいよ秦が天下統一をする大国の楚との戦いで秦王が見込んでいた若い将軍の李信はその戦いに敗れてしまい、もはや秦王は王翦の出陣を請うしかなく、それを要請した。王翦はその際に都にある良田美宅を要望したのである。六十万の兵を率いて、大国の楚を倒す大将軍が望む褒美としてはあまりにも小さきものだった。秦王はそれを快諾。そして王翦は出兵した。そして事あるごとに戦場から良田美宅をくれますようにと云う手紙を秦王に出して念を押した。小ざかしい奸臣が

「貪欲な王翦が反逆を起こしませんよう注意を」

 と秦王に言った。だが疑り深い事では中国の歴代皇帝随一とも言える秦王が、

「それはお前の考えすぎだ。小利を貪る様な者は、秦国を得ようなんて野心は持たぬ」

 と、一笑に付して全く王翦を疑わず、勝利して帰った彼に約束どおり良田美宅を与えたのである。そして王翦は、その良田美宅を惜しげもなく、先に楚へ攻め込んで敗れ、その責任を取らされて平民に落とされていた李信に与えている。

 

『つまり、王翦が良田美宅を欲しがり、かつ貪財を装っていたのは疑りぶかい主君、政の心を知り尽くし、かつ信任を得て任務を全うするためであったのである』

 竹中半兵衛はこの王翦の話の最後にこう注釈している。傑出した能力を持つ者が、敵ではなく味方に滅ぼされる末路を歩むのは歴史にいくらでも事例はある。主君秀吉が隆広を警戒しだしているのも気づいている半兵衛は王翦の話に付箋を指して、より注意を促したのだろう。

「義兄上…。竜之介、とくと肝に銘じます」




竹中半兵衛の注釈入りの孫子とか本当にあったら、なんでも鑑定団でいくらになるんでしょうね。


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父となった日

 安土大評定も終えて、勝家主従は北ノ庄城に到着した。途中、府中城に戻る前田利家と別れる時、

「隆広、初めての子が生まれる日だけは家にいてやれ。仕事だ何だであろうとも、やっと生んだのに亭主がいないと女はガッカリするもんだ。女房の出産に亭主など何の役にも立たないが、せめて家にいるようにはしろよ。その日に留守だと女は一生忘れんぞ」

 と、暖かい忠告を受けた。利家も妻のまつの初産(まつ何と当時十三歳)の時、陣地を抜け出して幼な妻の元に戻っていったと云う話がある。

「はい! さえに嫌われるのは首を刎ねられるよりイヤですので」

「ようヌケヌケと言うわ、あっはははは!」

 前田利家とも別れ、柴田勝家と水沢隆広は北ノ庄城に帰ってきた。出迎える家臣団たち。

「さて、隆広」

「はい」

「供、大儀であった」

「はっ!」

「ふむ、ワシの家もそなたの家も今日が正月と云うものだ。さえも寂しがっていよう。下がってよいぞ」

「はい!」

 

 身重の愛妻の元に、隆広は急いで駆けた。

「ただいま―ッ!」

 いつも隆広が帰城すると、帰宅の時間を見計らい門まで出迎えに来てくれるさえの姿がなかった。変わりにさえの侍女の八重が出迎えた。

「殿様、安土からの旅路、お疲れ様でした」

「八重も留守をありがとう。さえの容態は?」

「それが…ここのところ食欲もなく…」

「なんだって?」

「おそらく…殿様が側にいてくれなくて寂しいのかと」

 務めだから仕方ない…。さえはそう思い留守がちの夫を責めないが、本心はやはり寂しがっているのである。八重が代弁してくれた事を隆広は感謝した。

「すまん」

「さ、お早く姫の元に!」

「うん」

 廊下の足音でさえは目覚めた。

「あの人が…」

「おお、姫様、寝ておらぬと…」

「監物、あの人が帰ってきたのね?」

「左様です!」

「ああ…早くここに…」

「さえ!」

 さえが横になっている部屋の襖が開いた。

「お前さま…!」

「さえ…会いたかった!」

「私も…!」

 まるで何年も離れていたような夫婦再会の言葉だが、実際は十日ほどしか離れ離れになっていない。二人がお互いを恋しがる気持ちがうかがい知れる。監物や他の侍女たちも気を利かせて部屋から出た。

 すでに出産間近なので、さすがに抱く事はできないが、さえは夫の口付けと優しい愛撫に満足すると横になった。

「お前さまの顔を見たら安心して…お腹が空いてきました」

「そうかそうか!」

 時間を見計らい、八重が葱を入れた粥を持ってきた。美味しそうな匂いにさえは起き上がった。

「美味しそうな匂い…」

「これは美味そうだな、どれ」

 隆広が熱い粥を小さじですくい、フーフーと息を吹きかけて少し冷まし、さえのクチに運んだ。

「ほら、アーン」

「アーン」

 スルリと粥はさえのクチに入った。

「アツツ!」

「あはは、ほらゆっくり食べろよ」

「うん」

 

 粥を食べ終わると、洗濯したての手拭でさえの口を拭った。

「ごめんな、さえ。身重で…しかも初めての出産で不安も大きいだろうに…ロクに側にいてやれなくて」

「そんな…」

 さえは隆広の顔を見て、この時は理解ある妻をやめた。少し責められた方が夫はらくになると思ったからだった。

「…まったくです。あなたの子を産むのですよ。そんな妻を放っておいたらバチ当たります」

「そうだなァ…」

 さえのお腹を愛しく撫でる隆広。でも現実、隆広はこれから忙しくなる事はあっても、ヒマになる事はない。

「でも…ごめん、ごめんな。働かなくちゃオレ」

 申し訳なさそうにさえに詫びる隆広。

「うん、今ので気が済んだから、もうワガママ言いません。お前さまはさえ一人のものではないですもの」

「だから、こうして二人になれた時は離さない…。このお腹にいる子にだって、邪魔はさせないぞ」

「んもう、お前さまったら」

「さえ、今日は安土から帰って来て少し疲れたよ。このままここで眠っていいかな?」

「うん、一緒に寝ましょう、お前さま」

「……」

 隆広はそのままさえの横に体をくずし、すぐに眠ってしまった。

「疲れておいでだったのね…。それなのに私にお粥を…」

 隆広を起こさないよう、さえは静かに甲冑を脱がせた。頑是無い子猫のような寝顔を見て信長が夫をネコと呼ぶのが少し分かる気がしたさえ。夫が帰って来てさえも安心したのか、そのまま彼女も眠りについた。

 

 そして数日後、いよいよその日がやってきた。朝から城へ出仕していた隆広だが気持ちがソワソワしていて仕事にならない。

「…隆広様、花押(サイン)を二度書いておりますよ」

「…え?」

 城下の産業、養蚕や紅花の栽培の業者へ出す指示書、それに二度花押を書いてしまった。

「あ、ああスマン佐吉」

「今日はもう早退されては…? 勝家様も本日の出仕は良いと言われていたので…」

「いや、ダメだ。いかに妻の出産が間近であろうとオレは城下産業の責任者なんだから。せっかく軌道に乗りつつある養蚕と紅花作り。指示書の一日の後れとて…あ!」

 次の書類にも花押を二度書いてしまった。

「隆広様、祐筆たちが迷惑しますので…」

 二度花押を書かれてしまっては勝家から決裁はもらえず、その書類は最初から書き直しである。近くにいた柴田家の祐筆たちはうらめしい顔で隆広を見つめていた。

「も、申し訳ない…」

 と、隆広が小さくなっていた時だった。使い番が来た。

 

「水沢様、ご自宅から使いの方がお越しにございます」

「なに!」

「奥方が産気づかれたとの事です!」

「わ、わ、分かった!」

「さ、隆広様。ここはそれがしが済ませておくので」

「すまん佐吉、花押はそなたのものでいいから後は…」

「心得ております、さあ早くご自宅に! 奥方様の合戦に主人が近くにおらぬでは士気に関わりますぞ!」

「ありがとう! じゃ帰る!」

 大急ぎで隆広は部屋から出て行った。祐筆の一人が

「やれやれ、柴田家の若き知恵袋も奥方の事になると形無しでございますな三成殿」

 と苦笑して述べた。

「ははは、しかし明日は我が身にござる。手前の妻の腹も膨れてきましたからな。それがしはもっと足が地につかんかもしれませぬ」

「三成殿は花押を名の通り三度くらい書いてしまいそうですな」

 ドッと笑う三成と祐筆たち。

「ははは、さて仕事を片付けてしまいましょう」

「はっ!」

「あっと、その前に…」

 

 全速力で家に駆け戻った隆広。離れの部屋からはさえの苦悶の叫びが聞こえてきた。

「殿!」

「監物、さえのいくさが始まったのだな!」

「御意に!」

 家に戻ってきたのはいいが、特にする事は何も無い事に気づいた隆広。家令の監物と共に居間にいて愛妻が無事に大いくさをやり遂げるのを待つしかない。居間で落ち着いて座る事もできずウロウロしている隆広。

「殿、落ち着いて…」

 監物の言葉も右から左。

「オレには何にもできないのか、さえは苦しんでいると云うのに…」

「男と云う物はこういう時は何の役にも立たぬ物にございますよ」

「だけど…。ああさえ…」

 そして、待望の第一声が水沢邸に轟いた。

 

「おぎゃあ、おぎゃあ」

 

 祈るようにこの声を待っていた隆広と監物。この泣き声を聞いた瞬間、思わず抱き合った。監物は床の間に飾られている主君朝倉景鏡の鎧兜と陣羽織に平伏して報告した。

「殿! お孫さまの誕生でござるぞ!」

「やった…」

 隆広は全身のチカラが抜けたように、ペタンと座り込んで柱にもたれた。急ぎ八重が廊下を駆けてきた。

「殿様! 母子共に、ご健やかにございます!」

「そうか!」

「若君にございますよ!」

「男子か!」

「はい! お手柄にございます!」

「うん! 行こう監物!」

「は!」

 父の水沢隆広と共に、激動の乱世を行きぬく運命を背負う武将の誕生だった。

 

「さえ―ッ!」

 隆広はさえがいる部屋へと駆けた。そして、愛妻の横でスヤスヤと眠る赤子を見つけた。

「お前さま…」

「さえ…お疲れ様。もうそなたを褒める言葉も見つからないよ…。大手柄だ」

「はい…」

「これが…オレたちの子か」

「はい…」

「男子だが…顔はそなたに似ているな。さぞや美男になるだろうな」

「どんなに美男に成長しても…この日の本では二番目の美男子です」

「一番は誰なんだ?」

「んもう…分かっているくせにぃ…」

 赤子を取り上げた産婆も、場の空気を持て余し、いそいそと部屋から出て行った。監物も一目赤子を見て、部屋の外で八重と共に待った。

「今頃…殿も冥府で喜んでいよう…。初孫じゃ」

「そうですね…。弟景鏡の分まで可愛がってあげなきゃ…」

「しかし、女の子なら名付け親になれたワシらなのにのォ。少し残念じゃ」

「何を申しますか、さえ姫様はまだ十九歳です。いくらでも子は出来ます」

「そうじゃな、あははは」

 

「け、監物殿―ッ!」

 侍女が慌しく廊下を駆けてきた。

「これこれ! 静かにせねば若君が起きて…」

「か、か、か!」

「『か』では分からんだろうが」

「勝家様がお越しです!」

「な、なぬ! 八重、急ぎ出向かえじゃ!」

 隆広の元にもそれが知らされた。

「殿様!」

「どうした八重?」

「ご主君、勝家様がお越しにございます!」

「え!」

「お前さま、早くお出迎えを」

「分かった、さえは寝ているがいい」

「はい」

 

 勝家は石田三成から、さえが産気づいたと聞き仕事を大急ぎで片付けてやってきた。隆広とさえの子を少しでも早く見たかったのか…

「かまわんかまわん! 出迎えなどいらん!」

 と、隆広がさえの元から玄関へ行く前に、隆広たちの元にやってきてしまった。

「おお!」

「と、殿?」

 さえは産後のだるさがあったが、勝家の前で寝ているわけにもいかず起き上がろうとするが

「よいよい! 寝ておれ!」

 生まれた赤子の元に嬉々として走る勝家。スヤスヤと眠る赤子を見て閻魔勝家の顔が優しく笑った。

「おおッ! 大手柄じゃぞ、さえ!」

「は、はい」

「本当に大手柄ですよ、さえ!」

「お、奥方様!?」

 なんと、お市まで隆広の屋敷にやってきていた。またさえは起き上がろうとするが、お市に静かに制された。

「おお、どう抱いたら良いのじゃ、お市よ教えてくれ!」

「こうですよ」

 赤子はお市に抱かれた。

「ああ…なんとかわいらしい」

 監物と八重、いや隆広とさえもポカンとしていた。家臣の子の誕生に城から大急ぎでやってきて、しかも勝家だけならまだしも、お市まで来て嬉々として赤子を抱いている。明らかに家臣の子の誕生にしては異常な喜びようである。

「どうなっとるのじゃ…八重?」

「いや…私も…」

「まるで初孫の誕生を喜ぶかのようじゃ…」

 

「隆広、名は決めてあるのか?」

「は、はい。それがしと養父の幼名である『竜之介』と…」

「竜之介か! よい名じゃ!」

 お市は隆広と勝家の会話など聞こえないかのように、愛しく竜之介の頬に頬擦りしていた。

「奥方様…」

「あ、ごめんね、さえ。母親から取り上げちゃうなんて」

 お市はさえの横に竜之介を優しく寝かせた。

「隆広」

「はい」

「丈夫に育てよ」

「はい!」

「守り刀を与える」

 勝家は自分の腰に差していた刀を隆広に与えた。かつて伊丹城の戦いで隆広が勝家に借りた刀である。

「『貞宗』…! これを竜之介に!?」

「うむ」

「あ、ありがとうございます!」

「こらこら、お前にやるのではない。竜之介にやるのだぞ」

「はい! 必ず丈夫に育て! 元服の折に授けます!」

「うむ」

 勝家はさえの横に眠る竜之介をもう一度ゆっくり見つめた。鬼と呼ばれる勝家と思えない優しい横顔だった。市も微笑み、勝家と一緒に竜之介を見つめる。まるで祖父と祖母である。

「体を厭えよさえ、隆広に思い切り甘えるが良い」

「はい…!」

「ん、では帰るぞお市」

「はい」

 勝家とお市は隆広の家を後にした。

「ふうビックリした。まさか殿があそこまでオレたちの子の誕生を喜んでくれるなんて」

「ほんとです」

「しかし…オレも今日から父親か」

 改めて竜之介の顔をしみじみ眺める隆広。

「私も今日から母親です」

「そうだな。オレたち、いい父上と母上になろうな」

「はい、お前さま」

「さ、疲れただろう。今日のところはゆっくり眠るがいいよ」

「うん…」

 さえは隆広の言葉に安心すると静かに眠りについた。そのさえの横でスヤスヤと眠る我が子竜之介。その日は一日中、産後の疲れでぐっすり眠る愛妻の寝顔と、眠る我が子の顔を飽きる事なく見ていた隆広。

「この寝顔を…オレは一生守る…!」

 

 翌日、まだ産後の疲れが残るさえに気遣いながらも水沢家では宴が開かれた。途中からほとんど隆広の女房自慢とノロケになってしまったが、もう家臣たちやその妻たち、忍びたちも慣れっこだったか、適当にノロケ話を流しつつ主君の若君誕生を喜び、その美酒に酔った。

 水沢隆広に男子が生まれたと聞いた織田信忠、明智光秀は赤子のオシメや着物などを祝いで届けた。高価な祝いの品では隆広が返礼に困る。心得た祝いの品であった。

 他にも黒田官兵衛、仙石秀久、山内一豊、斉藤利三、明智秀満、溝尾庄兵衛らからもオシメと着物が届いた。前田利家、不破光治からも同様の品々が届いたので、水沢家は若君竜之介のためにオシメと着物を買う必要がなかったそうな。

 隆広を警戒し出している羽柴秀吉もめでたい事はめでたいと、松の木の苗木を隆広へ贈った。隆広はそれを庭に植えて秀吉に感謝の気持ちを込めると共に我が子の成長を願った。この松の木は現在も北ノ庄城址公園にあり、福井県の重要文化財となっている。

 

 さえも産後に体調を崩す事も無く、乳の出もいい。それを幸せそうに見つめる隆広に苦笑しつつさえは訊ねた。

「さえの乳を見ているのですか、それとも竜之介?」

「ん? 両方」

 笑いあう二人。この仲の良い夫婦の愛情を受けし嫡子竜之介。彼にはどんな人生が待っているのだろうか。

 

 主君隆広に若君が生まれた事を、吉村直賢は宇須岸(函館)への交易中に聞いた。それを記した書を嬉しそうに読んだ。

「これはめでたい。男子とはな!」

 その直賢の傍らにいた若狭水軍頭領の松浪庄三。柴田交易船の護衛をしていたので彼の耳にも隆広に男子が生まれたと云う事は知らされた。

「隆家も冥府で喜んでいような。水沢の名を継ぐ孫の誕生だ」

「確かに。殿の奥方へのノロケが倍増しそうなのが家臣としては頭痛の種にございますが」

 苦笑して直賢は若君誕生が記されている書をフトコロにしまった。

「それと…庄三殿」

「なんでござろう」

「竹中半兵衛殿が病に倒れたそうにございます」

「…? 何故それをそれがしに聞かせまするか?」

「ご貴殿の元家臣にござろう?」

「…半兵衛はそう思ってはおるまい」

 庄三はフッと笑って海を見つめた。

「どうでしょうかな。ご貴殿が斉藤家滅亡後に畿内中心に反織田勢力を味方につけて大殿へ立ち向かった事は半兵衛殿なら聞いているでしょう」

「……」

「そんなマネは才なくして出来ない事。なぜ自分は斉藤家にいたころにそれを見抜けなかったかと…結構悔やんでいるかもしれませんな」

「直賢殿…。半兵衛は間違ってはおらぬ。あの当時のオレは確かに愚かだった。楽毅を使いこなせなかった恵王と同じよ」

 楽毅とは中国春秋時代の燕国の名将である。先君昭王に重用されて縦横無尽の活躍をしたか次代の恵王と不仲になり、ついに恵王は楽毅を戦場から呼び戻し殺害を謀るが楽毅はそれを察し他国へ亡命してしまった。

 楽毅は国を捨てたが人々に非難はされず、名将楽毅を使いこなせなかった恵王の方が小人とあざ笑われた。庄三は自分がその恵王であると述べたのだった。

 

 やがて直賢の交易船は敦賀に帰港して、若狭水軍も自分の砦に戻って行った。そして直賢は改めて隆広の屋敷へ祝辞を述べに訪れた。用件は祝辞だけではなかったのだが。

「殿、若君の誕生、おめでとうございまする」

「ありがとう直賢! 見てくれ竜之介を!」

 さえの腕の中に抱かれる若君竜之介。

「おお、丸々太って! 丈夫な証拠にござるな!」

「うん!」

 しかし竜之介は空腹のためぐずり出した。

「あらあら! お前さま、直賢殿、申し訳ございません。そろそろお乳の時間なので」

「いえいえ、それがしにおかまいなく」

 さえは竜之介を連れて部屋から出て行った。

「いや殿、本当におめでとうございます。二十歳で嫡子を得るとはまことにめでたい。水沢家は安泰にございまするな」

「うん、夫婦になり四年とちょっとか。やっと授かった。まだまださえには生んでもらいたいな」

「さえ姫様は十九、まだまだにございます。手前の妻の絹など三十二でまた身篭りましたからな。あははは」

「あははは、ところで直賢、宇須岸交易の成果はスゴいな。蝦夷の物産がどんどん入ってきていて殿は大喜びだ。この調子なら来年にまた減税が可能かもしれないな」

「お褒め恐悦に存じます。して…殿、本日まかり越しましたるは一つの販路開拓に殿の助勢を願いたく、それをお頼みにまいりました」

「んー、殿に城下産業の推進の主命を受けているから、そんなに時間は取れないのだが…」

「いえいえ、かように時間は取らせませぬ。一日ほど手前にお付き合いして下されれば」

「それぐらいなら何とか時間を作れるな。で、どこに販路を開拓する?」

「長浜にございます」

「長浜? しかし長浜は…」

「はい、琵琶湖流通において敦賀と長浜は勝家様と羽柴様の不仲さゆえ、今まで実現はしておりませんでした。しかしながら殿、こたび長浜城の城主に山内一豊殿が拝命されたとの事にござる」

「一豊殿が!?」(史実では一豊が最初に拝領する城は若狭高浜城二万石で、かつ小牧の役の後。長浜城二万石になるのは秀吉関白就任後であるが、本作ではこの時点とする)

 つい先日まで馬一つ買えなかった山内一豊であるが、長年の働きを認められて二万石で長浜城に入った。

 吉村直賢が宇須岸から帰ると、部下からの報告書の一つに山内一豊が長浜城主になった事が記されていた。秀吉は現在、播磨の姫路城を本拠としているので、後方に置いたかつての居城を信頼おける部下に預けたかったのだろう。

「はい、羽柴様が本拠地を播磨に移したため、長浜城は今まで羽柴家の代官が居座っていただけでしたが、正式に城主が入ったそうにございます」

「しかし…一豊殿も今は毛利攻めに出陣して留守であろう」

「ところが毛利攻めは包囲戦術中心のため戦の機会はなく、一豊殿は一時羽柴様より長浜に帰されたそうです」

「包囲中で戦の機会がないとは申せ帰城を?」

「部下の報告によりますと、一豊殿に城主を委ねると同時に長浜で兵農分離をさせて、来る毛利本隊との戦いに備え、兵と物資の補充をさせるつもりのご様子」

 さすがは情報が飯のタネ、かつ勝利の源とも云える商将。忍びとは違う商人を経ての情報源という物を直賢は持っている。そしてこのように知りえた事は隆広に口頭か書状ですべて報告している。だから直賢は隆広に深く信頼されている。

「ふむ…。そういう主命を帯びているとはいえ、一豊殿は城にいると云う事か」

「はい、長浜は肥沃な地、名産も多うございます。さすがに宇須岸ほどの利は望めませんが近距離で危険も少なく、よき販路となる見込みにございます。今までは無理でしたが山内殿が城主になった今、販路を結ぶ事は可能かと存じます。二万石とはいえ山内殿は大名、他の商人と異なりそれがしでは目通りかないますまい。ぜひ殿の助力を請いたいと存じます」

「よし分かった、長浜へ行こう。近日中に訊ねし事を一豊殿に書状で伝えてくれ」

「恐悦に存じます!」



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千代と与禰姫

 長浜城主の山内一豊の元に一通の書状が届いた。それは柴田家商人司の吉村直賢からの書だった。

「ふむ、一豊相分かったとお伝えあれ」

「はっ」

 直賢の使いは一豊から色よい返事を持ち、敦賀の町に帰っていった。

「さて、千代、千代はおらんかー」

「はーい」

 山内一豊の妻、千代がやってきた。

「何でございましょう」

「ふむ、明後日に柴田家の水沢隆広殿と吉村直賢殿がやってくる。料理番へ明後日には良い魚と肉を仕入れておくよう伝えよ」

「まあ水沢様が?」

「知っておるのか?」

「はい、伊丹の戦で黒田官兵衛様をお救い下された方にございましょう? また竹中様の義弟とも伺っています」

「そうだ。殿は以前に官兵衛様をお救い下された隆広殿を長浜に招いてもてなしたいと言っておられた。今までお互い多忙で今日まで至ってしまったが、公人で来られるとは申せ良い機会だ。羽柴家の恩義は当家の恩でもある。十分におもてなししなくてはならん」

「承知いたしました。琵琶湖の幸と近江の肉を仕入れてさせておきます」

「ん、頼むぞ」

 一豊は隆広の来訪を知ると、以前に秀吉が言った稚児の話をしてみようと思った。だがすぐに首を振り“それは僭越”と思いやめた。秀吉もそれは望まないだろう。

 しばらくすると台所の方から黄色い声が聞こえてきた。水沢隆広と云えば絶世の美男子としても有名である。それがやってくると言うのだから山内家の女たちの期待が高まった。

(ふん、どーせオレは美男とほど遠いわい)

 むくれた自分自身に苦笑した一豊だった。そして二日後、水沢隆広と吉村直賢がわずかな供を連れて琵琶湖を下り長浜城にやってきた。長浜城の城下町は琵琶湖と隣接している。かつて羽柴秀吉の本拠地として栄えた城下町は一豊の手に渡っても衰えは見せていない。山内家は一豊をはじめ、長浜に到着した隆広一行を丁重に出迎えた。

 

 一豊の予想通り、隆広が長浜城に入るや山内家の女たちは色めきたち頬を染めた。もっとも隆広はまったく気付いていないが。

 隆広と直賢の用向きは、越前敦賀と近江長浜の琵琶湖交易である。敦賀港は今や柴田家の大事な財源として栄えに栄えて日本海屈指の貿易港に変貌している。

 敦賀の地から南下してすぐに琵琶湖はある。羽柴家の城下町として栄えだした長浜との交易は柴田と羽柴双方にも悪い話ではない。しかし柴田勝家と羽柴秀吉は不仲である。今までその利を知りながらも歩み寄ろうとはしなかった。今回の話についても正直勝家は良い顔はしなかった。しかし“柴田家と越前の利になりますれば”と隆広に懇願されて勝家は許した。秀吉もまた、一豊から報告を受けたが秀吉は『城主の良きように』と返事を出している。彼自身が警戒しだしている水沢隆広が柴田の窓口ではあるが、隆広であるがゆえ長浜に多大な利があるだろうと秀吉は見た。案外、敦賀との交易をもっとも望んでいたのは秀吉であったかもしれない。敦賀との交易で得た利益の四分の一を羽柴家に収める事を条件に、秀吉は一豊に敦賀との交易を許した。

 

 長浜城ですぐに水沢隆広、吉村直賢と山内一豊、弟の康豊、山内家家臣の五藤為浄(吉兵衛)、祖父江勘時(新右衛門)と一秀(新一郎)親子、そして長浜城下の主なる商人たちが要談に入った。およそ一刻半(三時間)の要談の結果、ほぼ五分の条件における越前敦賀と近江長浜の琵琶湖交易が成立した。

「お殿様、これで長浜の楽市はいっそう栄えますぞ! 我ら以前から敦賀と販路を結びたいと思っておりました。ようやく念願かないました!」

「そ、そうか」

 商人たちはニコニコして一豊に礼を述べて、要談の間から出て行った。

「殿、城下の商人たちは殿を認めたようにござるぞ」

 と、五藤為浄。

「そ、そうか」

 領主として、城下の商人に認められる認められないでは大変な違いである。敦賀との交易を取り付けた一豊は思わぬ副産物が嬉しかった。

(城持ちとは結構大変だ)

 と思っていると

「一豊殿、先日は手前の嫡子が生まれた祝いの品、かたじけのうございました」

 公の話は終わったので、隆広は私に戻り一豊に礼を述べた。

「いえいえ、大した物もお贈りできず」

「竜之介の産着、あの色とりどりの着物はそれがし惚れ惚れいたしました。竜之介が長じても寸法を直して着物にしていきとうございます」

「家内の作りましたものにございます。手前の女房は日の本一の裁縫上手にございましてな」

 日の本一番の裁縫上手はオレの妻だと反論したかった隆広だがそこは堪えた。

「つきましては、返礼をと思いまして」

「返礼など」

「いえ、大したものにございません。一豊殿は蕎麦好きと聞いていたので…」

 包みと瓢箪を一豊に差し出す隆広。

「越前蕎麦にございます。で、この瓢箪に入っているのが蕎麦つゆにございます」

「これはありがたい! 手前は蕎麦に目がないのでございますよ」

 

 しばらく歓談していたが、吉村直賢が小声で言った。

「殿、そろそろ時間が…」

「あ、そうだったな。では一豊殿、それがしらはこれにて」

 隆広と直賢は一豊に一礼して立ちあがり帰ろうとするが

「ちょ、ちょっと待たれよ!」

「は?」

「それではあまりにつれないではござらぬか。当羽柴家はかつて隆広殿に黒田官兵衛殿を救われた恩義がござる。主君秀吉に代わり本日要談を変えたら歓待するつもりでござったのに用が済んだらさっさと帰るとは!」

「い、いや…別に他意はないのですが…」

「急ぎの用がないのなら、ぜひ本日は長浜にお泊りあれ。当家の女たちも織田家一の美男子に料理を食べてもらおうと励んでおられるゆえ!」

(殿、それがし明日はチト用事が…)

 吉村直賢が隆広に耳打ちするが

(それはオレだって同じだ。でも観念してくれ。せっかく商談が上手くいったのだから!)

(はあ、では北ノ庄に使いを出しておきます)

「何をブツブツ言っておられる?」

「い、いや! こちらの話にございます一豊殿! でもそうですか! それがしらのためにかような準備を! ありがたく馳走になりまする!」

「そうと決まれば、さっそく宴にございます。康豊、千代に宴を始めると伝えよ!」

「ハッ!」

 

 その夜、長浜城では水沢隆広を歓待する宴が開かれた。無論その家臣の吉村直賢や供に来ていた隆広と直賢の部下たちも歓迎を受けた。

 一豊の妻の千代が台所を指揮して料理と酒を運ばせる。城持ちになったとはいえ山内家のフトコロはまだまだ苦しい。だが千代は夫一豊に恥を欠かせまいと家計をやりくりして宴では琵琶湖の幸と近江の鶏肉を用意した。千代の料理は美味だった。愛妻さえ以上の名料理人はいないと思っていた隆広であるが、それが揺らぐほどである。

「美味しゅうございます。一豊殿の奥方は料理自慢にございますな!」

「そうでござろう。千代は日の本一番の料理上手な女房にござる」

 日の本一番の料理上手はオレの妻だと反論したかった隆広だがそこは堪えた。しかしこうまで妻を自慢する人も珍しいなと自分の事を棚にあげて思う隆広だった。

「いや、かえって恐縮してしまいます。商談に来たのにこんなに歓迎されて」

「なんの、官兵衛殿を救出していただいたのですから羽柴家として当たり前の事にござるよ」

 やがて料理を出すのも落ち着き、千代がやってきた。改めて隆広に礼を示した。

「山内一豊の室、千代にございます」

「水沢隆広にございます。数々の美味、隆広満足いたしております」

「それはようござりました」

 顔をあげて隆広にニコリと微笑む千代。良妻の鏡と伝えられる山内一豊の妻千代は一豊の母親である法秀尼に見込まれて一豊に輿入れした。

 法秀尼は息子の一豊が仕官先を求めて放浪の旅をしていた時、近江宇賀野の土豪長野家に身を寄せていた。その時に近所の娘たちに裁縫を教えていたのだが、その教え子に千代がいたのである。千代は近江飯村の武士である若宮喜助友興の長女として生まれ、長野家のあった宇賀野には女童の足でもすぐに辿り着いた。それで一豊の母の法秀尼に裁縫の手ほどきを受ける事になり、法秀尼は利発で聡明な千代を気に入り“一豊の妻に”と熱望し、やがてそれは実現に至ったのである。

 母親の勧めと云う縁であるが、一豊は幼な妻の千代を大切にし、惚れぬいている。そんな夫の愛情を一身に受けているゆえか、千代の笑顔は眩いばかりに美しいものだった。隆広は

(何て素敵な笑顔をしておられるのだろう)

 そう思わずにはいられなかった。だがすぐに

(まあ、さえには及ばないが)

 と考え直した。そして宴の時、山内一豊の一人娘である与禰姫が舞いを披露した。当年七歳であったが、父母の愛を一身に受け、それは美しい女童だった。

 その舞いのとき、与禰姫は隆広の顔をチラチラと見ていた。七歳の女童でも絶世の美男子と呼ばれる隆広に胸をときめかせていたのであった。舞いが終わると

「なんと見事な」

 拍手する隆広に与禰姫は

「あ、ありがとうございましゅ」

 顔を真っ赤にしてかしずいた。その顔を見て千代は

「あらあら、姫ったら顔を真っ赤にしちゃって。織田家二番目の美男子にかかっては姫もイチコロね」

 と、カラカラと笑った。

「は、母上!」

 母の言葉にますます顔を赤らめる与禰姫。

「千代、隆広殿以上の美男子とは誰なのだ?」

「うふ♪ 一豊様」

「ば、ばか者!」

 ドッと宴の席が笑いの渦に包まれた。最初は緊張していた与禰姫も母の言葉で落ち着き、ちゃっかり隆広の横に座っていた。

 

「あ、そうだ。今の舞いのお礼に…」

 隆広は持ってきていた巾着袋から長方形の包みを取り出した。

「ほら、与禰姫殿。南蛮のお菓子『カステーラ』です」

「南蛮のお菓子?」

「はい、ほら、アーン」

「アーン」

 与禰姫のクチにカステラを入れた。

「……」

「どうですか?」

「お、美味しい! 甘くてふっくら!」

 残りのカステラを包んで

「ほら、あとで母上と一緒に食べるといいでしょう」

「ううん! ぜんぶ姫が食べちゃう!」

「まあまあ、よっぽど気に入ったのですね。そのお菓子が」

 カステラの包みに頬擦りする娘の姿に千代は微笑んだ。

「姫、水沢様大好き!」

 と云う具合で与禰姫はとても隆広になついてしまったのである。隆広自身が子供好きであるからだろうが、とにかく彼は子供に慕われる男だった。特に女童に。

 与禰姫はその夜は水沢様と一緒に寝るとダダをこね出した。当然隆広は遠慮を申し出たし、いかに七歳と云えども自分以外の男の横に蒲団を並べる事を一豊も不愉快だったが与禰はどうしても水沢様と一緒に寝たいとダダをこねる。千代も苦笑し隆広に娘の願いを聞いてくれるよう頼み、不快を顔一杯に出している一豊をうまくなだめた。だが、これが一つの運命との巡り合わせであった。その夜…。

 

 ズズズ…ゴゴゴ…

 

「…?」

 一豊は地から響くような音を感じて、パチと目を開けた。

「…地震か? おい千代、起き…」

 かたわらに眠っている千代を起こそうとした、その瞬間!

 

 ドドドッッッ!

 

「うあッ!?」

「か、一豊様!」

「い、いかん! こんな激震では城はもたぬ! 急ぎ外に出るのだ!」

「は、はい!」

 この日、長浜はすさまじいほどの地震に襲われた。世に言う『江北大地震』である。城下の建物は倒壊しだし、そして築城の名手羽柴秀吉が建てたこの長浜城も城壁にヒビが入り、屋根の瓦がどんどん落ち出した。

 一豊と千代が起き上がりかけた瞬間だった。天井の梁が真っ逆さまに落ちてきた。

 

 ドドンッ!

 

 辛うじて二人は避けたが、その梁が落ちてきた場所はいつも与禰姫が寝ていた場所だった。戦慄する千代。もし今日ここで与禰姫が寝ていたのなら、確実に圧死していた。畳に深くめり込む梁を見て、しばらく呆然とする千代に一豊は敷き蒲団をかぶせて抱いた。

「外に出た瞬間に瓦が落ちてくるかもしれぬ! 頭を出すでないぞ!」

「は、はい!」

「急ぐぞ!」

「はい!」

 しかし、廊下に出たとたんに天井の柱が落ちてきた。何とか深手を負うような打撲を避けられた一豊と千代だが、気を失ってしまった。

 

 やがて地震はおさまったが、長浜城と城下は全壊状態だった。さきほどの悲鳴がウソのように止み、静寂に包まれていた。

 半刻ほど経ったろうか、ようやく気が付いた一豊と千代。二人はすぐに客間へと駆けた。長浜城の西の丸にある客間。そこが隆広と吉村直賢の寝所である。与禰姫も隆広と一緒にいる。千代は裸足のまま駆けた。

「ハァハァッ!」

「お方様! ご無事でしたか!」

「新右衛門、吉兵衛! 与禰姫は!」

「我々も客間へと走っていたところにございます! さあ!」

 吉兵衛が千代に草履をはかせた。一豊も追いかけてきた。

「与禰は、与禰姫は!」

 一行はたいまつを持ち、客間へと駆けた。そして客間に到着したとき、千代は失神しそうになった。客間は完全に潰れていたのである。一階平屋の西の丸客間。見るかげもなく潰れている。

「さ、さがせ! 与禰を! 与禰姫を探し出すのだ!」

 山内家臣は大急ぎで客間に崩落した倒壊物と落下物を除去しだした。

「ひ、姫―ッ!」

「姫様―ッ!」

「与禰! 与禰ェッ!」

 千代は泣きながら、指先を血で真っ赤にしながらも角材や壁土をどけて娘を捜し求めた。一豊も血相を変えて捜している。

「与禰! 与禰!」

 千代は涙も鼻水も流すに任せて、髪の毛も振り乱して娘を捜した。

(与禰! 与禰ェ!)

 その時だった。騒然とした現場でひときわノンキな言葉が聞こえてきた。

 

「よいしょっと!」

 落下した天井板が勢いよく宙を飛び、下から腕がニョキっと出ていた。

「ふう…やっと軽くなった」

 そこには隆広がやれやれと立っていた。そして腕には

「与禰!」

「千代殿、与禰姫は無事です。ほらこうしてスウスウと眠っています」

 与禰姫は地震があった事など知らなかったかのように、グッスリと眠っていた。

「ああああ…ッ!!」

 千代は感涙して与禰を隆広から取り抱きしめた。

「ああ、せっかく寝ていたのに…」

「与禰…与禰…ッ!!」

「母上、そんなに抱きしめちゃ痛いよ…」

「良かった…良かった…!」

 一豊は娘の無事に体のチカラが抜けたか、ペタと座り込んだ。

「無事だったか…」

「あの一豊殿」

「な、何でござる」

「隣室に部屋を貸していただいた手前の家臣の吉村はまだ埋まっております。助けてはいただけないでしょうか」

「は…?」

 吉村直賢の寝ていた部屋も倒壊していたが、まったく視界に入っていなかった一豊と山内家臣たち。真っ青になった一豊。

「こ、これは申し訳ござらぬ! 急ぎ吉村殿を救助せよ!」

「「ハハッ!」」

「すぐにお助けいたすゆえ! しばしお待ちを!」

「いや、声は聞こえていたので大丈夫に…」

 

 ドサッ

 

「隆広殿?」

 隆広は倒れた。一豊が隆広を見ると背中からおびただしい出血をしていた。

「こ、これはいかん! すぐに医者だ!」

 隆広と与禰姫はさすがに同じ蒲団ではないが、隣り合わせた蒲団で部屋の中にいた。眠る前に与禰姫は隆広にお話をしてほしいと要望されたので、かぐや姫や鶴の恩返しなどの話を聞かせていたが、やがてスウスウと眠ってしまった。隆広もそれを見て眠ったが突如の大地震に襲われた。

「いかん、この城郭は持たない!」

 さっきまでスヤスヤ幸せそうに眠っていた与禰姫も起きて

「み、水沢様、姫怖い!」

「大丈夫です。さ、外へと…」

 

 ドドッ

 

 屋根が倒壊してきた。

「ちっ!」

 隆広は与禰を抱きかかえて倒壊物に背を向けた。

 

 ドドッ

 

「ぐあっ!」

 天井の重みを隆広は一身で受けた。

「ぐぐ…」

「水沢様!」

「だ、大丈夫ですよ。必ず外に連れ出して差し上げますから…」

 隣室の客間に寝ている吉村直賢を呼んだ。

「な、直賢! 無事か!?」

「はい、上手い具合に倒壊した壁と天井の隙間にございます」

「そうか。すまんが今そちらを助けにはいけぬ。オレも天井の板と梁の下敷きになっている」

「殿、大丈夫にございますか?」

「ああ、幸いに頭には何もぶつからなかった。打った衝撃は背にあるが手足も無事だ」

「良かった…」

「一豊殿と千代殿は無事だろうか…」

「分かりませぬ。ここは城の中心から外れた城郭の客間ゆえ一階平屋ですが、もし城が崩れていたら…」

「朝を待って徐々に抜け出しを図ろう。夜ゆえ何も見えない。朝の光をたよりに障害物をどけながら何とか脱出するんだ。今は動かず朝を待て」

「承知しました」

 暗闇に目が慣れてきた隆広が与禰を見ると、与禰はガタガタと恐怖で震えていた。

「そうだ、さきほどはかぐや姫と鶴の恩返しのお話をしましたね。これから金太郎と牛若丸のお話をお聞かせいたしましょう」

「水沢様…」

「昔、昔…ある村にそれは相撲の強い男の子がいました。その子の名は…」

 と、怯える与禰にずっと童話を聞かせた。するとだんだん与禰から恐怖は消えうせ、隆広の腕の中でスウスウと眠り出した。

「ホ…」

 隣にいる吉村直賢が

「はっははは、相変わらず殿は子供に好かれる名人ですな」

 と、女童をかばう主君に気遣い述べた。

「ありがとう、しかし重いな。…ん?」

「殿、助けが来たようにございますぞ」

『与禰―ッ! 与禰姫―ッ!』

『与禰! 与禰ェッ!』

「一豊殿と千代殿の声だ。無事だったか…」

 そして与禰、隆広、直賢は無事に救助された。他の部屋に通されていた隆広や直賢の部下たちもケガ人は出たが、何とか全員無事だった。隆広は被害のなかった城郭へ運ばれ、丁重な治療を受けた。そして朝に目覚めた。

 

「う、う…」

「お目覚めですか、水沢様」

「千代殿」

 千代は娘の命の恩人に何かあってはと、その後は一睡もせず隆広についていた。

「アイタタ」

「まだ起きては…」

「…それがしの負傷はいかがなものでした? 下敷きになっている時にはさほど感じなかったのですが…」

「はい、骨や臓器には異状なしとの事ですが、裂傷しておりまして出血がおびただしかったのです。倒れたのは貧血が原因と医師が…」

「そうですか…」

「血肉になる鶏肉を調理させておりますので、しばらくお待ちを」

「申し訳ございません、ご迷惑を」

「とんでもない」

 千代は隆広へ丁重に頭を垂れた。

「千代殿?」

「娘の無事、すべて水沢様のおかげです。何かの運命だったのでしょう、いつもあの子が寝ている場所には大きな梁が落ちてきまして、昨夜水沢様と一緒でなければ娘は死んでいました。また崩れた建物の中で娘を守って下されたばかりか不安から解放するために色々なお話を聞かせてくだされたとか。おかげであの子には昨日の地震による心の傷はなく元気そのもの。山内家は水沢様にお礼の言葉すらございません」

「ははは、童を守るのは大人の仕事にございます。礼には及びませんよ。顔をお上げ下さい」

「水沢様…」

 

 隆広が気付いたと聞き、一豊と与禰姫、そして吉村直賢もやってきた。

「直賢、無事だったか」

「はい、殿も大事にいたらずホッとしております。国許に使いを出してしばらく長浜に留まり快癒を図る事は知らせてありますので」

「そうか」

「隆広殿」

「はい」

 一豊もまた隆広へ丁重に頭を垂れた。

「一豊殿…」

「ありがとう、山内家にとり隆広殿は最大の恩人だ…」

「いや、そんな…」

「水沢様、またお話を聞かせて下さいね。とっても面白かった!」

「ええ、それがしのお話で良ければ!」

「姫、水沢様大好き!」

 無邪気に隆広へ抱きつく与禰姫。そんな娘を見て微笑む一豊と千代。しかし水沢隆広と山内一豊、千代、与禰の運命は残酷だった。千代と与禰はこの時に想像もしていないだろう。後に夫が、父が、水沢隆広と戦う事になろうとは。

 隆広が長浜で養生中に山内一豊は羽柴秀吉の出陣命令を受け、手勢を連れ西に向かった。隆広はその数日後に快癒して北ノ庄に帰っている。千代と与禰に見送られ元気に帰っていった。これが水沢隆広と山内家が味方として会った最後の時である。

 

 さて、このころの織田の情勢であるが、羽柴秀吉は毛利に対するため中国へ出陣していて、明智光秀は丹波の平定を完了し亀山城を信長に与えられ、丹波の統治を任されていた。

 織田信長の命令を受けた羽柴秀吉は毛利家を討伐するための西国侵攻作戦を畿内に接する播磨の平定から着手した。同国の黒田官兵衛の姫路城を修築して西征の本拠地に定めると、別所長治の三木城を兵糧攻めで落とし、これを攻略して播磨の大部分と但馬一国の平定が成るや因幡と伯耆に兵を進め、吉川経家の守る鳥取城を攻めてこれを干殺しで攻略した。

 秀吉は『兵糧攻め』を得意としていた。敵兵には刀か槍で殺された方がマシの攻城方法であるが、味方の兵を死なせない点においてはこれほど有効な手段もない。しかし兵糧攻めは金のかかる城攻めであるが、秀吉は織田の軍団長の中で一番の金持ちであったと言われている。柴田家も水沢隆広や吉村直賢の才幹で国庫は潤っているが使用用途が異なった。柴田は領内の政事に、羽柴は軍事にと云うわけである。秀吉は“人たらし”と言われるだけあり、家臣にも優秀なのが多い。

 羽柴秀長、蜂須賀正勝、前野長康、竹中半兵衛、山内一豊、仙石秀久、福島正則、加藤清正、加藤嘉明、黒田官兵衛、大谷吉継と綺羅星のごとくである。

 また秀吉軍は堺や播磨の商人を味方につけて、小西行長などの商才に長けた者も配下に置いた。人も揃い、金もある。また織田信長の四男である於次丸を養子に迎え信長の信頼も厚い。

 そんな秀吉が西の地で縦横に活躍しているころ、柴田家、そして水沢隆広にも再び出陣命令が下命されるのであった。いよいよ石山本願寺の拠点加賀の国。この地の一向宗門徒掃討作戦が実行される時が来たのだった。日本史の中で屈指の大量虐殺と言える加賀攻め。石山本願寺総本山の息の根を止めるには加賀を制圧する必要がある。信長は柴田勝家を総大将として加賀攻めを決断したのであった。




与禰姫は『【アイドルマスター×天地燃ゆ】社長 水沢政勝』で、結構重要なヒロインであったりします。


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血涙、岩村城

ついに武田攻めが始まります。


 近江長浜で遭遇した江北地震の負傷を癒した水沢隆広が北ノ庄城に戻ったころ、織田信長から柴田勝家へ使者が訪れた。村井貞勝と云う男であり、内政官と言う面と同時に信長から軍団長への使者としても多々用いられている。村井貞勝は勝家に信長の命令を伝えに来ていた。

「…という事でございます。柴田様にはいよいよ加賀を攻められたしと大殿の仰せです」

「心得た。もう準備は整っておる。加賀の門徒どもめ、根絶やしにしてくれるわ!」

「なお、池田恒興様、蜂屋頼隆様、堀秀政様、蒲生氏郷様、筒井順慶様、氏家行広様、高山右近様の軍勢が応援部隊に組み込まれます」

「おお、これは心強いのう。織田の加賀併呑も時間の問題じゃ」

「ただし」

「ん?」

「水沢隆広殿を武田攻めに借用したいと若殿からの仰せです」

「隆広を武田攻めに?」

「はい、武田攻めの総大将は若殿。その若殿たってのご要望ですが…」

「若殿の…」

(ふむ…隆広を己の右腕にしたい気持ちはまだ失せておらぬか。若殿に深く信認される事は隆広にも柴田家にも悪い事ではない…。断りたいところだが、ここは飲もう)

「あい分かった。隆広を若殿にお貸しいたす」

「そのむね、大殿と若殿に伝えておきます」

「ふむ、ワシも隆広にすぐ出陣の準備をさせる。信忠様が総大将と云う事は岐阜城に赴かせれば良いのだな?」

「御意にございます」

「うむ、すぐに出立させる」

 

 勝家はこの命令に少し安心もした。これから加賀で繰り広げられる戦いは凄惨を極める事になると勝家は予見していた。そしてそれは現実となり日本内戦史上、もっとも多くの死者を出す事となる。

 加賀一向一揆の門徒たちを根絶やしにするため、老若男女皆殺しである。性格が優しい隆広には少し荷が重い合戦となる。小松城での戦いでは、あえて合戦のむごさを教えるために隆広に試練を課した勝家だが、別に人を殺す事に対して平気になってもらいたいからではない。『戦に負ければ、自分たちの国がこうなる。だから戦には勝たなくてはならない』と云う事を鮮烈なまでに教えたかったからである。

 そのためには、敵に対しては時にとことん残酷にならなければならない事もある。特に今回のような宗教に狂った者たちにはそうしなければならない。殲滅しなければ殲滅させられてしまうのだ。隆広もそれは分かっているだろう。

 しかし勝家から見て、隆広がその冷酷に徹しきれるとは思えない。聞けば養父隆家に隆広は『女を殺すな』と教えられている。幼いころに父親に叩き込まれた理念というものは、そう簡単には変えられるものではない。

 加賀攻めに隆広が出陣した場合、自分の出来る範囲で女子供を逃がす事も考えられる。それは軍律違反を犯す事になる。勝家としても看過できない。だからいっそ加賀攻めから外れて、武田攻めに配置換えを余儀なくされて、むしろ勝家はホッとしたのである。村井貞勝が去り勝家は隆広を呼び出した。

 

「お召しによりまいりました」

「ん、近う」

「はっ」

「今さっき、大殿から使者が来て、我ら越前柴田家の悲願、加賀の総攻めが決定した」

「いよいよ加賀を柴田の手で!」

「うむ、だが隆広、そなたは加賀攻めより外す」

「は!?」

 一瞬言っている意味が分からなかった隆広であるが、意味を把握すると一気に悲しくなった。

「そ、そんな! 柴田家の悲願である加賀討伐にそれがしをお外しに? ワ、ワケを聞かせて下さい!」

「ああ、すまんすまん。言い方が悪かったな。そなたは違う戦陣に赴いてもらう」

「違う戦陣に?」

「若殿が総大将になる武田攻めだ。そなたを用いたいと若殿たっての依頼だそうじゃ」

「武田攻め!」

「そうじゃ。加賀の地と武田軍、今回織田は二面作戦を執る。加賀はワシが総大将、武田は若殿信忠様が総大将と云うわけじゃ。大殿も軍勢を率いて若殿の後詰をするらしく、安土で隊を編成中じゃ。そして若殿はすでに岐阜城で軍備を整え、此度のいくさで寄騎武将となる滝川一益とそなたの到着を待っているらしい」

「では柴田家からはそれがしだけが?」

「ふむ、加賀はワシが総大将となり門徒たちを殲滅する。そなたは岐阜城に赴き、若殿の采配に従え」

「しかし殿、それがしは柴田の臣。さきの松永攻めのようにそう何度も一部隊だけ離れて織田本隊の戦陣に赴いて良いものでしょうか…」

「確かに本来はあまりない用いられ方だな。普通の主君は家臣が自分より上位の者に連結する事は好まない。隆広とてそうじゃろう。助右衛門がそなたを飛び越してワシと連結したら不愉快であろう」

「はい」

「おぬしが信忠様に用いられると云うのはそういう事だ。しかし信忠様はすでに自分が織田家当主になった後の展望があるのだろう。大殿の天下布武を継承するには、そなたの補佐が欲しいと考えている。大殿に仕えている武将たちは曲者ぞろい。彼らの忠誠を得られるかが心配でもある。よって年下で将才もあり、かつ自分に従順な性格のそなたをどうしても今のうちから右腕にしたいと考えている」

「しかしそれではそれがしは殿の家臣ではなく、信忠様の家臣と相成ってしまいます」

「なに、そなたが大名の道さえかなぐり捨ててワシの家臣であろうとしたのを信忠様も見ているのじゃ。完全に当家から引き抜く事は無理と知っているだろう。じゃが陪臣の身とて主家の若殿の信頼は大事にせねばならん。そなたには無論、当家にも大切な事である。今は信忠様の采配の元、武田を倒す事だけ念頭に置け。他陣に赴こうと、そなたは柴田の忠臣である事は誰もが分かっておる」

「承知しました。それがし岐阜に赴きます」

「うむ、なお今回は才蔵のような副将はつけてやれぬが、五千の兵をつけてやる。そなたの正規兵合わせれば七千、柴田家としても面目の立つ兵力だろう」

「はっ!」

「隆広、いかにかつての勢いはなくても相手は武田! けして油断するでないぞ。若殿を勝たせ、かつ手柄を立てて帰って来い。加賀の戦の事は考えず、武田を倒す事だけ考えるのじゃ。良いな!」

「ハハッ!」

 

 織田信長の武田攻めの予兆はこうである。長篠合戦以後、武田勝頼は商人を家臣に取り立てると云う画期的な人事で一度は財政の建て直しに成功する。

 そして信長を討つべく北条氏政の妹である相模姫を妻に迎え、北条家と同盟を結ぶが、これが裏目に出てしまった。上杉謙信亡き後に上杉景勝と上杉景虎の間に勃発した御館の乱。

 勝頼は北条氏政の実弟である景虎を助けるべく出陣するが、その隙を突いて徳川家康が武田家の勢力下であった駿河に侵攻を開始した。やむをえず勝頼は兵を引き上げる事になるが、この際に景勝の謀将直江兼続が勝頼に多大な金も送ったとも云われている。武田の援軍がなくなった景虎は敗れ、景勝勢に殺された。これに激怒した北条氏政は武田との同盟を破棄。逆に徳川と結んでしまった。武田は織田、徳川、北条と包囲されてしまったのである。

 

 そして徳川家康は武田の高天神城を包囲した。支城が攻撃を受けたら援軍を出すのが本城の務めであるが勝頼にはすでに援軍を出すほどに兵の分散は出来なかった。

 そしてこの高天神城を見捨てた事が武田崩壊に繋がるのである。信長は包囲していた徳川家康に高天神城の降伏を受けてはならないと厳命していた。当時、城側が降伏を申し出てきたら受け入れるのが当然であったが、信長は勝頼が高天神城を見捨てて、武田君臣の結束が瓦解する事を図ったのである。

 高天神城は武田の勇将、岡部元信が守っていた。家康は元信の将才を鑑み、チカラ攻めはせず兵糧攻めにした。兵糧尽き餓死者も出た高天神城は最後の突撃を徳川軍に敢行して全滅したのである。

 理由はどうあれ武田勝頼は家臣を見捨てた形となり、武田の家臣たちは勝頼を見限りだした。

 

 勝頼は窮地を打開するために、武田家の本拠である甲斐に新府城を築城して防備を固めるとともに、武田軍団の再編成を目指した。

 しかしそのために膨大な軍資金を系列の国人衆に要求する事になり、逆に国人衆の造反を招く結果となった。翌年には武田信玄の娘婿である木曾義昌が織田・徳川側に寝返るという結果を招く事になり、織田家に弟の上松義豊を人質として差し出し寝返ったのである。

 勝頼は一族の重鎮である義昌の反逆に激怒し、人質にしていた義昌の側室と子を処刑して、義昌討伐の出陣令を出した。総数一万五千の大軍である。

 木曽義昌の反逆。機の熟したのを見た織田信長はついに武田征伐を決定し動員令を発した。息子の織田信忠を総大将に岐阜城を進発し、信長はその後詰にまわった。さらに同盟者の徳川家康が駿河から、すでに武田とは疎遠状態になっていた北条氏政(妹は勝頼の夫人)を相模から進軍させる事も決定した。

 織田信忠に付けられた有力武将は二人。滝川一益、水沢隆広である。彼ら二名は信長から『信忠を補佐せよ』と厳命された。一陪臣である隆広が織田本隊の大事な合戦に軍団長として抜擢されたのである。信長と信忠親子がいかに水沢隆広と云う武将を高く評価していたか、これで容易に察する事ができる。

 

 急ぎ奥村助右衛門、前田慶次、石田三成が隆広に呼ばれ、出陣の用意にかかった。松山矩久、小野田幸猛、高橋紀茂ら新米幹部たちも慌しく準備に追われ、相手が武田家という事で、隆広貴下の忍びである藤林忍軍も召集された。隆広が自宅に戻ったのはもう深夜にかかったころである。

 

 ガチャガチャ

 

 甲冑の音を鳴らして、さえの待つ部屋に行った。

「起きていたのか」

「はい、出陣前夜の夫を寝姿でお送りはできませんから」

 とはいえ無理に起きていたのかずいぶん眠そうである。その傍らでは嫡男の竜之介がスヤスヤと眠っていた。

「武田家を攻めるそうですね」

「ああ」

 さえの前に隆広はゆっくりと腰を下ろした。

「油断する気はないが、長篠合戦以降から武田の没落は明らかだ。勝てる見込みは十分あるが正直気の進まない合戦だ」

「お前さまは武田家の兵法を学んでいましたものね…。手取川の合戦では信玄公に化けてまで謙信公に突撃をして…」

「それもあるが…高遠の仁科盛信殿に仕える将の中に、オレに槍術を教えてくれた方がいる」

「お前さま、剣術だけでなく槍術も?」

「養父隆家と諸国漫遊をしている時、甲斐にも立ち寄った。その時、数ヶ月手ほどきを受けたんだ。槍の基本的な使い方を教えてくれた」

「そうだったのですか…。槍の先生が敵に…」

「うん…できれば高遠城を攻めたくないが、そうもいかないだろう。理想論かもしれないが…オレが大殿なら勝頼殿を降伏させ、改めて甲信を与えて統治させる。今後の合戦で大いに活躍してくれるだろうに残念だ。また恵林寺の快川和尚は…」

「……」

「…ん?」

 さえは眠ってしまっていた。寝姿で明日出陣の夫の帰りを待つわけにもいかない。無理して起きていた。

 起こさない様に抱き上げて、隆広は愛妻を蒲団に入れた。竜之介もすぐ横に置いた。スウスウと眠る愛妻と我が子の寝顔を隆広は飽きる事なく、しばらく見つめていた。

 ようやくそれに満足して、甲冑を脱いで風呂に入った。風呂場の窓から月を眺める隆広。

(松姫様…)

 ふと一人の少女を思い出した。

(信忠様もつらかろうな…。しかし織田家の家臣となりいつかは…とは思っていたけれども、とうとう武田家と…。恩知らずと呼ばれるであろうな…)

 松姫とは、武田信玄の六女で、かつて織田と武田が和議を結んだ時に信忠と婚約関係になった姫の事である。歳は信忠より三つ年下で隆広とは同年である。しかしその婚約関係はあの三方ヶ原の戦いで崩壊する。武田が徳川家康を攻めた時に織田が援軍でやってきたからである。

 信忠はその後に違う妻を父の信長から娶わされ今日にある。しかし幼い頃から婚約関係にあった松姫を信忠はずっと思慕していた。そしてそれは松姫も同じだったのである。その松姫のいる武田家に信忠は総大将として攻めなくてはならないのである。

 

 風呂から出て寝所に向かい、横になる隆広。彼も疲れていたのですぐに眠りに陥ろうとすると…。

「オギャア、オギャア」

 竜之介が夜泣きしだした。隆広の方が先に起きた。

「おお、どうした竜之介。よしよし」

 下半身を触れてみると湿っている。

「小便か、よしよし」

 枕元に置いてあるオシメを取る隆広。さえが起きると、夫が鼻歌交じりに竜之介のオシメを交換していた。手際もいい。

「済んだぞ。湿った手拭で尿も拭き取ったから大事無い」

 ポカンとしているさえ。一軍の将帥の夫が息子のオシメを交換している。現代では不思議のない光景だが、当時では考えられない事だった。

「そなたは一日中竜之介と戦をしているのだから、いる時くらいはオレがやるよ」

 さえは表にこそ出さなかったが、隆広の気持ちは涙が出そうなほど嬉しかった。

「ずいぶんオシメを替える手際が良いです」

「寺の坊主をしていた時、近隣の子らの子守も修行の一つだった。つくづく養父が課して下された修行は何一つ無駄がなく実用向きだと思う。あははは」

 そう言いながら隆広は寝巻きのはだけたさえの胸元と足をチラチラ見ている。

「コホン、竜之介もまた眠りだしたし、我らも寝よう」

「…目が覚めてしまいました」

「ん?」

「出陣前の血のたぎり。鎮めて差し上げとうございます」

「疲れていないか…?」

「大丈夫です。お前様、さえを…」

「うん、たっぷり堪能させていただく」

「んもう…助平な言い方しないで下さい」

 

 朝、勝家から兵を増強された水沢軍は七千で北ノ庄城を出発し、数日後に岐阜城へ到着した。

 まず織田信忠軍が落とすのは、信濃との国境にある美濃岩村城である。岩村城は源頼朝の家臣、遠山氏が築城したもので、戦国時代には斉藤氏に付いた。水沢隆広の養父隆家の妻は遠山家の出である。現城主、秋山信友の妻お艶の方、その前夫の遠山景任の妹が水沢隆家の妻である。隆広は養父の妻と会った事はない。隆広が隆家の養子になった頃には亡くなっていたのである。養父隆家が隆広に妻を語った事は一度もない。しかしながら養父の妻ならば母も同じ。隆広にはつらい戦いであった。

 岩村城は秋山家と遠山家の者が和を成し、武田信玄が生きている間には平和に暮らしていた。しかし信玄の脅威が失せた今、織田信長がその平和を打ち壊す。城主秋山信友の妻のお艶は織田信長の年下の叔母にあたり、信忠にとっては大叔母とも云える。そして秋山信友は信忠と信玄の娘の松姫との婚約の時には信玄の名代として信長に会ってもいる。敵将夫妻は信忠にとり縁がある人物であったのだ。

 

 なぜ織田信長の叔母であるお艶が武田家の勇将秋山信友の妻になったか。それはこういう経緯である。一度は和議となった武田と織田であるが、武田は事実上それを無視して西進の途についた。徳川との合戦により織田家が徳川の援軍に来て和議は破棄され交戦状態となった。

 その三方ヶ原の合戦時に美濃攻略を信玄に任されていたのが秋山信友である。信濃と美濃のほぼ国境に位置する岩村城。すでに病没していた岩村城主遠山景任に代わり、篭城の指揮を執っていたお艶。しかし信長の援軍が来られない事を知ると、自分の命と引き換えに兵の命をと信友に懇願。信友はそれを受け入れ、そして美貌のお艶を妻にして無血開城となった。

 信長はこれを聞いて激怒したが、まだ信玄存命中の武田軍は強大で放っておくしかなかった。だが今や信玄は没しており、武田の家中は四分五裂。ついに信長はかつて妹のように愛しんでいたお艶のいる城へと攻撃の手を向けた。

 

 また岩村城は武田氏と織田氏の侵攻に備えて水沢隆広の養父である水沢隆家が大幅に改修した城である。皮肉にも隆広は養父が改修した城に攻める事となった。

 養父隆家の城普請の達者を知る隆広はチカラ攻めを断固否定し、最初から持久戦に持ち込んだ。周囲を信忠軍が包囲し、兵糧の運搬を不可能にしたのである。岩村城は霧ヶ城と呼ばれるほどに水が豊富であるが、食糧はおのずと限界がある。武田勝頼の援軍は来られないと知っている秋山信友は降伏を決断した。こんな話がある。

 

 忍びから、岩村城内が飢餓状態に入った知らせを聞いた隆広は信忠に『兵糧を送るべし』と具申した。驚いた信忠と滝川一益は意図を尋ねた。

「かつて武田と織田の和議の使者に立ったのは秋山殿であり、またその妻は信忠様の大叔母にござる。敵とは云え、相手は縁ある者。送りし兵糧は、降伏をせよと呼びかける何よりの重き言葉になりましょう」

 羽柴秀吉と同じく水沢隆広も城攻めは兵糧攻めを得意としたが、秀吉と隆広の兵糧攻めで似ているところは、こうした心理作戦を多々駆使して城方の降伏を早める工夫があった点である。しかし一つ違う点は、隆広は城方が極端な飢餓状態に陥る前に実行しているところである。

“敵が餓死に至るところまで兵糧攻めをするのは武士の所業にあらず。水沢の兵糧攻めは敵の士気を落とす事を狙いとしている。士気が落ちたところで敵に兵糧を送るのだ。さすれば敵はおのずと降る”

 この隆広の論は弱肉強食の戦国時代では甘いとも受け取れる。しかし隆広の城取りの結果を見てみれば、すべて隆広の言葉どおりになっているのである。

“心を攻めし柴田のネコ”徳川家康の隆広評と伝えられている。

 

 岩村勢は信忠が送った兵糧を見て、武人の情けを知り、やがて信友は降伏を決めたのだった。自分一人の切腹で城兵やその家族は助命して欲しいとの事だった。信忠は了承した。

 織田信忠指揮の岩村城攻め。城主秋山信友が降伏して自分が切腹する代わりに兵とその家族の助命を信忠に願い、信忠はそれを受けた。後詰で岐阜城にいた織田信長はこれを聞いてすぐに信忠本陣へと駆けた。織田信忠、滝川一益、水沢隆広が出迎えた。本陣の床几に座り岩村城を見る信長。

 

「ふむ、秋山信友と云えば武田の猛将。よう落とした。褒めて取らすぞ信忠」

「はっ」

「今ごろ秋山信友、艶は城明け渡しの準備をしているころか」

「はっ、腹を召すのは城主の秋山信友のみと云う事で降伏を受けました」

「…ネコ」

「はっ」

「逆さの磔台を二つ用意せよ」

「…は?」

「同じ事を言わせるな。信友と艶の分の逆さ磔台、至急用意せよ」

 隆広もだが、信忠もあぜんとした。

「ち、父上、大叔母上まで何故!?」

「あの女は織田を裏切り、武田にマタを開いた。もはや織田一門にあらず」

「お、お待ちください! 一度降伏を受け入れた者をかように処刑したら!」

「…またワシが唐土の項羽と同じ道を辿るとでも言いたいのか…? ネコ」

「叔母とは申せ、大殿とお艶の方様はご兄妹のように仲睦まじかったとネコは聞き及んでいます! かような女子を何故大殿は!」

「分からなければ分からんでいい。キサマとはこの点においては百年討論しようと理解しえぬわ。さあ磔台を用意せよ!」

「解せませぬ、それがし大殿が以前に山中(美濃と近江の国境にある集落)の宿にて物乞いの男に救いの手を差し伸べた話を聞き及びました! かような面もお持ちと云うのに、どうして実の叔母に対してそんな冷酷無比になれるのでございまするか!」

「簡単な事だ、余を裏切った者は許さん」

 

 織田信長と云えば冷酷非情で残忍な武将と知られているが、こんな話も伝わっている。美濃と近江の国境に山中と云う集落があり、そこに体の不自由な者が雨に打たれ乞食をしていた。信長は京都への往還の道中でたびたびこの乞食を目にしており、常々その様子を哀れと思っていた。ある時この乞食について

「乞食という者は住所も定まらず流れ歩くものである。しかるにこの者だけはいつ見ても変わらずこの場にいる。これはいかなる仔細によるものか」

 と不審に思い村の者に尋ねた。すると村人は

「この者は山中の猿と申しまして、こやつの祖先はこの山中で常磐御前を殺しました。その報いで子孫は代々障害を持って生まれ、あのように乞食をしております」

 と答えた。そのまま信長は上洛の途に着いたが、その乞食猿の事が頭から離れず信長は供の荷物の中から木綿二十反を持ち、山中の宿に戻り

「当宿の者は男女を問わず集まれ。申し付けたき事がある」

 と呼び出した。土地の者たちは何事を申し付けられるのかと緊張の面持ちで集まってきた。信長は集まった者たちを前に手にした木綿二十反を土地の者に受け取らせ、

「この反物のうち半分をもって近くの家に小屋をこしらえ、この者が飢え死せぬよう、よく情をかけて入れ置いてやれ」

 と言葉を添えた。重ねて信長は

「近郷の者たちは、毎年麦ができれば麦を一度、また秋には米を一度、あわせて年二度ずつこの者に施しを与えてやってくれれば、余にとってこれほど祝着な事はない」

 とも述べた。あまりの慈悲深さに当の乞食猿は言うに及ばず、山中宿中の者たちも落涙し、信長の供をしていた者たちもみな感涙にむせんだと云う。(史実です)

 

 しかし、目の前にいる織田信長はそんな慈悲深い事をした者と同一人物と思えないほどの冷酷さである。民には仏、敵には魔王。それが織田信長なのであろうか。しかし若い隆広には、その信長の冷酷さが理解できなかった。

「何をしている。磔台を二つ作ってここへ持ってこい!」

 拳を握り、怒りに震える隆広。

「隆広様、言うとおりになされよ!」

 傍らの奥村助右衛門が諭した。

(くそッ…!)

 隆広は陣を出た。

「父上…。それがしも隆広と同じ意見で」

「だまれ」

「……」

「ワシを裏切り、武田の将にマタを開き…そればかりかこの城を無血でくれてやったあの女…! 八つ裂きにしても足らぬわ!」

 

 隆広は部下たちに磔台を作れと言わず、そのまま自分の陣屋に入ってしまったので奥村助右衛門が変わりに磔台を作らせた。そして岩村城主の秋山信友、その妻であるお艶が城から出てきた。

「久しぶりじゃのう、お艶」

「信長様…」

「秋山信友にござる。手前の命で部下たちの助命かないたるや…」

「何の話だ?」

「なに…!?」

 信長が手をあげると陣幕が開いた。そこには逆さ磔台が二つあった。

「……!」

「切腹だと? そんな上等な死をこの信長がくれてやると思っておるか!」

「の、信長様…! それはあまりに!」

「敵将にマタを広げた売女が! 死ぬがいいわ!」

 信友とお艶は兵士に取り押さえられた。

「おのれ信長ァァッ!!」

 秋山信友の無念の叫びか響く。

「我れ…! 女の弱さのためにかくなりしも…! 自らの叔母をかかる非道の処置をなす信長…! かならずや因果の報いを受けん!」

 お艶は髪を振り乱して呪詛を叫んだ。信友、お艶夫婦は逆さ磔にされた。そして…

 

 ドスドスドスドスッッ!

 

「ぐあああッ」

「の、信友さまーッ! アグッ!」

 

 ドスドスッ!

 

「む、無念…ッ! 信長…! 祟ってくれよう…ぞ!」

 秋山信友とお艶は全身を槍で貫かれ息絶えた。その光景から信忠は眼を背けた。隆広は陣屋に篭ったまま出てこなかった。お艶の断末魔の叫びは隆広の陣屋にも届くほどに怨嗟と無念に満ちていた。隆広は両手で耳を塞いだ。

「ふっはははははッッ! 余に逆らう者はこうなるのだ! ふっはははははッッ!」

 

 信長から信忠の軍はそのまま信濃に向かうべく指示され、織田信忠は滝川一益、水沢隆広を引き連れて信濃に入った。向かう城は高遠城。そして行軍中に岩村城でその後に信友の将兵は無論、女子供に至るまで信長に虐殺されたと云う報告を聞いた。

「なあ隆広…」

「はい」

 信忠が語りかけた。

「オレには最近…父が分からなくなった…」

「信忠様…」

「いや、よそうこんな話は。それより敵地信濃に入った。戦はまだまだこれからだ。頼りにしているぞ一益、隆広!」

「「ははっ!」」

 

 信忠の横で馬を進める隆広。進軍の後ろから走ってきて、隆広の愛馬ト金のくつわを取った若者がいた。

(白か)

(御意)

 二人は小声で話した。

(首尾は?)

(成功にございます。遠山景任が孫の遠山千寿丸、無事に美濃正徳寺に逃がしました)

(分かった、下がって休むがいい)

(ハッ)

 白はくつわを離して去っていった。隆広は信忠勢が信濃に進発した後に、信長が岩村城の者を皆殺しにする事を読んでいた。もはや止められないのなら、せめて養父隆家の妻の一族から嫡流の者を助けたかったのである。それを忍びに指示して信濃に出発した隆広。

 この遠山千寿丸は後に遠山景輝を名乗り、水沢隆広に召抱えられて源頼朝の時代からの名門遠山家は再興される。この血族から後年に遠山金四郎景元が誕生するが、それはまた別の話。

 

 つらい結末に終わった岩村城攻め。隆広の耳にはお艶の無念の叫びが耳から離れなかった。だが進軍は止まらない。そして武田家の滅亡ももはや秒読み段階に入っていた。




岩村城は史跡巡りで行ったことありますが『女城主』と云う言葉を町のアチコチで見かけた覚えがあります。やはり現地の人たちには誇りにされているのでしょうね。通説通り本作でも死なせちゃって、すみません。


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武田の姫

 岩村城でのつらい戦いを終えて、織田信忠軍三万は信濃を進軍した。信濃の国の城や砦は戦わずして落ちた。織田軍の武威の前に降伏や城を捨てての逃走が相次ぎ、はては道案内まで勤めた武田家臣もいた。抵抗らしい抵抗も受けず織田信忠の軍勢は進む。めざすは高遠城。

 織田の軍勢の先頭には織田信忠、滝川一益、そして水沢隆広が騎馬を進めていた。総大将の信忠が隆広に訊ねた。

「隆広、抜け目のないそちの事、高遠について知っている事を言ってみよ」

「では僭越ながら…」

 信忠自身もすでに高遠城の情報を詳しく押さえてはいるだろう。だが改めて情報を聞く事によって、現地についてから作戦を立てるにも円滑に進む。

「高遠城は、別名兜山城ともいい、武田信玄公が天文十六年に大改修し、その縄張りは山本勘介殿が行いました。月誉山の西丘陵を利用して築かれた平山城で、本の丸を中心に二の丸・南曲輪・勘介曲輪・法幢院曲輪・笹曲輪などの曲輪が段階的に配置されており、虎口の城門部分にわずかに石垣を築いておりますが、大部分が芝土居となっていて、空堀は結構深いと伺っています」

 流暢に信忠の質問に答えた隆広に滝川一益は舌を巻いた。

「ほほう、さすがは柴田家秘蔵の智恵袋よな。ではついでにワシからも訊ねるが城主の仁科盛信とはどんな男か」

「歳は二十六歳、当主勝頼殿の異母弟で、信玄公の死後は自領を守る事ばかりを考え、頼りにならない親類衆が多い中で勝頼殿が一番頼りにしている将でしょう。かつて勝頼殿が住んでいた高遠城の守りを任されている事から、いかに勝頼殿の信頼が厚いかが分かります」

「うむ…よう分かった」

 と、信忠。しかし彼はここ数日眠れないのか、眼が赤かった。

 

「信忠様…。僭越ながら申し上げますが…」

「ん?」

 隆広は信忠に近づき、滝川一益に聞こえないように言った。

「仁科盛信殿と同腹の妹である松姫様はもしかしたら高遠城に…」

 信忠は隆広をあぜんとして見た。だが振り払うように怒鳴る。

「出過ぎた事を申すな!」

「いえ申し上げさせて下さい。松姫様が高遠城にいる可能性はかなり高いと思われます。お救いしたいのではないのですか!」

「……進軍を止める。一益、兵に食事を取らせよ」

「ハハッ」

「隆広、まいれ」

「はっ」

 信忠と隆広は休息させている兵馬から離れて、二人で話した。

「そなた、お松殿と会った事があるのか?」

「はい、まだ竜之介と云う名前のころ、養父と共に甲斐にしばらくいた事がございます。その時に」

「そうか…。美人であったろうな」

「はい、信玄公の息女は美女揃いと有名でございますが、松姫様はその中でも白眉との事。その噂は本当にございます」

「そうか…。そうか!」

「松殿は信忠様の絵姿を、それは大事にしておられました。そして信忠様から送られた折鶴も…」

「…隆広」

「はい」

「そなたを信じて本心を話す」

「はい」

「オレはお松殿を救いたい。妻にしたい。だがそれをやれば織田家に戻れない。だからオレはお松殿を助けたならばいずこへと姿を消す」

「信忠様…!」

 信忠も松の絵姿を後生大事にしている。送られた彼女のクシもそれは大切に持っているのである。織田信忠と松姫、二人の愛は戦国時代における悲恋と言っていいだろう。信長が息子へ新たに娶わせた幸姫(後の徳寿院)との間に子(三法師)も成したが、信忠の気持ちはいつも松姫にあったのである。

 心ならずも愛している女がいる城へ攻めなければならなくなった織田信忠。隆広はそれをくみとり信忠に“助けたいのではないか”と述べたのである。

「手を貸してくれるか隆広。首尾よくお松殿を助け出せても…その時にはもうオレは織田の若殿ではない。何の褒美もやれぬ。それどころかオレの出奔の助力をしたと父の信長の怒りを買う事さえありうる…! それでもオレとお松殿を助けてくれるか…?」

「この世、広しと云えど、信忠様と松姫様双方の知遇と信を得ているのはそれがしのみ。及ばずながら」

「すまぬ…!」

 かしずく隆広の手を感涙して握る信忠。そして二人は休息中の兵馬に戻り食事を済ませ、再び高遠城に進軍した。信忠の傍らで騎馬を進める隆広は思った。

(…思えば、惚れた娘と結ばれたオレは幸せなのだな。だが信忠様はその惚れた娘のいる城に攻めなくてはならない…。オレで例えるならさえがいる城に攻めるようなものだ。オレなら気が狂いかねない城攻めだ…)

 

 さらに信忠軍に森長可が合流し、三万五千の軍勢となった。これに後詰の織田信長軍本隊を合わせれば六万の大軍である。

 やがて織田方についた木曽義昌と合流し、武田勝頼と対陣した。鳥居峠の合戦である。この時の織田軍は長篠の戦いとは違い、馬防柵も鉄砲三段構えの陣も執っていない。しかし織田軍は三万五千。それに対して勝頼は一万五千である。

 だが数に頼って信忠は油断しなかった。相手は武田である。隆広が立案した挟撃策を用いて武田勝頼軍を挟撃し撃破した。別働隊の指揮を執ったのは水沢隆広と森長可だった。勝頼は何とか戦場を離脱して新府城に引き上げた。もはや武田は立ち直れないほどに叩きのめされたのである。この合戦後にこんな話が残っている。

 強力な援軍を得て武田勝頼を撃破した木曽義昌は織田本陣を訪れ、挟撃策の見事さを称え、それを立案した隆広に

「さすがは斉藤家の戦神、水沢隆家殿のご養子君だ。勝頼も戦う相手を間違えましたな」

 と述べた。この言葉に隆広は激怒し

「貴殿ごときが勝頼殿を侮辱する資格などない! 信玄公の息女(真理姫)を娶りながら主家に裏切りを打つような者などそれがしは信じませぬ。とても旭将軍木曽義仲公の末裔とは思えませぬ! 顔も見とうござらん! 立ち去られよ!」

 と、一喝した。他の織田諸将も取り成しはせず、義昌を睨んだままだったと云う。小領主としてやむを得なかったとは云え、保身のために主家を裏切った木曽義昌。以後彼が戦国の歴史の表舞台に立つ事はない。

 隆広自身、この木曽義昌への怒りは矛盾を感じていた。何故なら彼の妻さえの父は義昌と同じく主人を裏切った朝倉景鏡。その彼を義父として自分は敬っている。だが隆広には勝頼を裏切った義昌がどうしても許せなかった。それは勝頼に対しての彼個人の思いがあったからだろう。たとえ敵として戦った相手だとしても。

 

 織田信忠は鳥居峠合戦の翌日には平谷の地に陣を進め、さらに翌日には飯田まで侵攻した。同日、飯田城城主、保科正直は城を捨てて逃亡。飯田城放棄を聞いた武田信廉(信玄の弟)らは抗戦を不可能と判断し大島城から逃亡した。まさに滅亡への連鎖としか言いようがない。

 余談だが、保科正直はこの後に徳川家に仕える事になる。しかし彼の息子の保科正光は早々に城を放棄した父と袂を別ち野に下り、その後に隆広に仕える事となる。彼は隆広の孫である幸松丸の養育を務め、やがて養嗣子として迎える事になるのだが、それが治世の名君として名高い保科正之である。

 

 高遠城。城主の仁科盛信の元には信濃の武田の支城ことごとく織田軍に降伏したという知らせが入っていた。そして鳥居峠の合戦で武田勝頼本隊が敗れた事も。

「これが…戦国最強と呼ばれた武田の姿なのか…」

「殿…」

「だが勝右衛門…。高遠は違うぞ。オレの眼の黒いうちは断じて織田に屈するものか!」

「それがしも身命を賭して戦う所存」

「うむ…。兵糧と武器弾薬の残数を再確認し、報告してくれ」

「承知いたしました」

 仁科盛信の側近、諏訪勝右衛門は城主の間を後にした。廊下を歩き、ふと窓から外を眺めた。

「竜之介…。よもやこんな事になろうとはの…」

“勝右衛門先生―ッ!”

 昔、無邪気に自分を師と呼んだ少年の声を思い出した。

「戦場のならい、遠慮はせんぞ竜之介、いや水沢隆広よ!」

 

 その勝右衛門と入れ替わりに、盛信の部屋に二人の女が入っていった。

「殿」

「百合、それに松か。どうした二人して」

 仁科盛信の正室、百合の方と実妹松姫であった。

「殿、徹底抗戦と決断されたそうですね」

「そうだ…。だが皮肉だな松…。敵の総大将は信忠殿だ」

「伺っております…」

「今でも好いているか」

「はい…」

「松殿!」

「よせ百合、良いのだ。オレとて木石にあらず。妹の恋心…。よう分かる」

「ですが兄上、松は武田の娘。たとえ思慕する信忠様でも戦うつもりです」

 

「申し上げます!」

 使い番が来た。

「なにか」

「織田軍より使者にございます!」

「誰か?」

「信忠寄騎、水沢隆広殿にございます」

「なに? 水沢隆広自ら来たと言うのか?」

「はっ」

「会おう。通せ」

「はっ」

 使い番が去った。

「松」

「は、はい…」

「水沢隆広とは…いつか兄上(勝頼)が言っていた竜之介の事だな」

「おそらく…。水沢の姓と『隆』の字を継がれている方は竜之介殿以外には…」

「オレは初めて会う。だが興味がある男だ。父信玄のいでたちをして…謙信の本陣に突撃をした男だからな」

 

 高遠城に水沢隆広は信忠の使者として訪れた。供には奥村助右衛門と石田三成が随行していた。正装し、信忠の書状を預かっていた。

「殿が会われる。ついてこられよ」

「…!」

 隆広一行を出迎えたのは諏訪勝右衛門だった。

「せ…」

 隆広は『先生』と云う言葉を飲み込んだ。

「かたじけない」

「なお、供の方は遠慮していただく」

「何を言われる! 主君を単身で敵城に入らせるなど承服できもうさん!」

 奥村助右衛門はゆずらないが、諏訪勝右衛門もゆずらない。

「おイヤなら帰られよ」

「ご貴殿も家臣の身ならお分かりになるはず! 主君をそんな虎口に一人向かわせるわけには…!」

「言うとおりにせよ、助右衛門、佐吉」

「しかし…!」

 かつ隆広は刀の大小を助右衛門に渡した。

「バカな! せめて刀はお持ちに!」

「必要ない。では諏訪殿、先導を願います」

「承知いたした。こちらに」

 こうして隆広は単身高遠城に入った。丸腰だった。

「大きくなったな…」

 先を歩く勝右衛門が静かに言った。

「はい、先生もお元気そうで」

「うむ…。一つ言っておく」

「はい」

「殿は気性の激しいお方だ。言葉に気をつけて説くがいい」

「承知しました」

 

「殿、織田中将殿が使者、水沢隆広殿がお越しにございまする」

「通せ」

 城主の間に隆広は入った。盛信の家臣団が敵意を込めて隆広を見る。隆広は静かに盛信の前に歩み、そして平伏した。

「織田中将信忠が使者、柴田家部将、水沢隆広にございます」

「仁科五郎盛信である。顔を上げられよ」

「はっ」

 隆広の鎮座する姿を見る盛信。歳は自分より若いが堂々としたもの。何より丸腰である事に胆力を感じた。なるほど不敗の上杉謙信に唯一土をつけただけの事はあると盛信は見た。

 織田の武威をカサにきて高慢な態度を執るようなら殺すつもりであった盛信。しかしその気持ちは失せた。武人の礼節を持って使者に対した。

「信忠殿からの書状、拝見いたそう」

「はっ」

 隆広は諏訪勝右衛門に書状を渡し、勝右衛門が盛信に渡した。書状の内容は、織田家に降伏すれば、これまでどおり高遠城を任せ南信濃も与え、織田家での地位も約束する旨が記されていた。

「ほう…破格の条件を出してきたな。この手で我らの支城を調略して落としたか」

「いえ、他の城はそんな小細工をする前に落ちました」

「はっははは、ハッキリ云うヤツだな。だが我らは他の連中と違う」

「もう一つ、信忠様より言伝がございます」

「なにか」

「『それがしと盛信殿は縁があらば義兄弟にもなられた間柄。時勢からその縁は破却され敵味方になったとはいえ戦う事は本意にあらず。織田一門に加わり、仁科家の安泰をお考えあれ。そして…』」

「そして…?」

「『妹御のお松殿を妻に迎えたい』」

 隣室にいた松姫はその言葉に身を震わせた。

(信忠様…)

「異な事を申される。中将殿にはご正室がおられるではないか。男子もいると聞くぞ」

「大殿の命で仕方なく添い遂げたのでございます。仲睦まじいご夫妻ではございますが、しかし今だ信忠様の心はいまだ松姫様にあります」

「ならば中将殿に伝えよ」

「はっ」

「妹の松が欲しくばチカラで奪い取れと! この盛信、身の安全のために妹を敵将にくれてやるほど腰が抜けておらぬわ!」

「それは…降伏を受けないと云う答えでござろうか」

「いかにも、さっさと帰って戦支度を整えよ!」

 隆広はチラと松のいる隣室の襖を見た。襖の向こうに松がいる事を察していた。そして武家の娘である松も襖越しに隆広の視線を感じ、襖を開けた。

「竜之介殿…」

「松姫様」

「お久しぶりですね…」

「はい」

「こんな形で再会しようとは残念です…」

「は…」

「信忠様にお伝え下さい。松は武田の娘。信忠様とは戦うさだめにあると」

「どうあっても…信忠様と戦うと」

「はい、信忠様の婚約者として恥ずかしくない戦をする所存」

「…承知しました」

「使者がお帰りだ! 勝右衛門、城外までお送りいたせ!」

「はっ」

 再び、城内を勝右衛門と歩く隆広。

「先生」

「なんだ?」

「奥様はお元気にござろうか」

「花か? ああ元気だぞ」

「そうですか…」

「会いたいのか?」

「いえ…未練です」

 

 城門で隆広の安否をやきもきしていた奥村助右衛門と石田三成の前に隆広が姿を現した。

「隆広様! ご無事で!」

「当たり前だろう。たとえ戦時でも使者は丁重に遇するのが作法と云うものだ。さ、帰ろう」

「「ハハッ」」

 隆広はト金に乗る前、送り出してきた勝右衛門を見て、深々と頭を下げた。勝右衛門も応えて頭を垂れた。次に会う時は敵同士。もはや師弟として会う事はないとお互いが分かっていた。

 

 織田本陣に引き返した隆広、降伏の使者不履行の知らせを信忠に届けた。信忠は人払いして隆広に会った。

「そうか…」

「申し訳ございません」

「そなたの責任ではない。オレの考えが甘かったのだ」

「松姫様に会いました」

「どうだった?」

「『私は武田の娘、信忠様と戦うさだめ』と」

「さすが…お松殿だ」

「はい、変わっておりません…」

「隆広」

「はい」

「お松殿とそなたはどんな縁があるのだ?」

「は…あれはそれがしが十二歳、松姫様も十二歳の時でございました」

「そなたが十二歳…。では信玄が死んだ年だな?」

「左様にございます。つまり信忠様と松姫様の婚約が破棄された年でもあります。それがしはその年、父と共に甲斐におりました」

「その時にお松殿と?」

「はい、ご承知のとおり次の当主となった勝頼様は織田との断絶を述べ、信忠様と松姫様の婚儀も破棄しました。しかし松姫様は…」

 

 時は遡り、ここは武田信玄の館、躑躅ヶ崎館。戦国の巨獣と呼ばれた武田信玄は上洛途中に病に倒れた。家臣たちは上洛を中止し甲斐への帰途に着き、そして駒場の地で信玄は息絶えた。享年五十一歳。

 今その亡骸は躑躅ヶ崎館に戻ってきた。信玄の六女の松姫は父の顔にある白布を取った。

「父上…」

「松」

「勝頼兄様」

「織田家との婚儀は手切れとする」

「え…!」

「上洛の途中、徳川家康と戦いが起こり、信長は徳川に援軍を送った。以上から手切れと」

「そんな! 松は信忠様と!」

「松!」

「盛信兄様…」

 同腹の兄、仁科盛信をすがるように見つめる松。

「わがままを言うな」

「イヤです! 松は信忠様の妻になる事を夢見て今まで…!」

「忘れろ松、今にオレと兄上(勝頼)で信忠殿より良き婿を」

「兄様たちなんて大きらい!」

 松は泣きながら部屋を出た。松の走る音と泣き声が勝頼と盛信の耳に残る。

「…武田はそれどころではないわ」

 勝頼は父の亡骸を見つめ、そうつぶやいた。だが信忠をあきらめきれない松はその日の夜に館を飛び出した。

「松がおらぬだと!」

 武田の侍女が勝頼に松の置手紙を渡した。

“信忠様のいる岐阜にまいります”

「バカな! 女童の足で岐阜にたどり着くか! しかも夜盗野伏りが溢れる夜道と云うに! すぐに連れ戻せ!」

 勝頼の指示で松姫の捜索が始まった。しかし中々見つからなかった。それもそのはず、松はすぐに夜道で人買いに捕らえられてしまったのである。暗い夜道を走っていると、夜盗風の男に見つかり捕らえられた。抵抗するが一つ二つ叩かれて気を失い、縛られた。

「こりゃ上玉だ、高く売れるぜ」

(うー! うーっ!)

 猿ぐつわをされて声も発せない松。

(信忠様…助けて…!)

 と、松を担いで自分の隠れ家に帰ろうとした時だった。

 

「何をしているか」

 その夜道を通りかかった二人の者。一人は僧侶の男だった。身の丈六尺(百八十㌢)はある丈夫。傍らに松と同年ほどの少年がいた。

「父上、こいつ人さらいだ」

「そのようだな」

「チッ」

 夜盗は僧侶の男の強さを読み取り、逃げ去ろうとした。だが少年が追いかけて、持っていた竹やりで足をかけた。

「うあッ」

 放られた松を抱きとめる少年。そして倒れた夜盗に僧侶の一撃が入った。

「ぐほっ」

 夜盗はあっけなく気を失った。少年は松を縛る綱をほどき、猿ぐつわを取った。

「ぷはっ」

「大丈夫?」

「は、はい。ありがとうございます」

「ん…?」

 僧侶は松が持っていた守り刀を見た。その鞘にある家紋。

「武田菱…。かような物を持っていると云う事はそなた武田の姫か?」

「……」

 松は警戒して身分を明かさない。

「何にせよ、ほってはおけぬ。ワシは旅の僧侶長庵、心配いらぬ」

「オレは竜之介! 女子が一人で夜道は危ないよ」

「でも私…どうしても岐阜に行かなければならないのです…」

「岐阜?」

「は、はい…」

 長庵と竜之介は顔を見合わせた。

「道筋は誤っておらぬが、そなたここから岐阜までいかほどあるか知っておるのか?」

「……」

「女子の一人旅では無理だよ。家に帰ったほうがいいよ」

 竜之介が諭すが松は聞かない。

「でも私どうしても岐阜のお城に行きたいのです!」

「どういう理由で岐阜に赴きたいかは知らぬが、せがれの言うとおり女童の足では無理じゃ。今のような男は街道筋にいくらでもいる。このまま行かせるわけにもいかぬ。我らは恵林寺に向かっている旅の者だ。とにかくそこへお連れしよう」

 

 パチパチ…

 

 織田信忠の本陣。かがり火の音が響く、心地よい静けさの中で信忠は隆広の言葉に耳を傾けていた。

「それで…あとで事情を聞けばその方は武田の松姫で、岐阜城にいる織田信忠様に会いに行くつもりだったとの事…」

「そうか…オレに会うために…単身で甲斐を出ようとしたのか」

「はい」

「どうして…そんな娘と敵味方となり戦わねばならないのだ!」

 軍机に拳を叩きつける信忠。

「このうえは攻城中に侵入し、松姫様を連れ去るしか方法がございませぬ。ですが…」

「ですが…なんだ?」

「武田の姫として戦うと申された以上、信忠様は松姫様にとりもはや敵!」

「……」

「信忠様と共に生きる事を今さら望むでしょうか」

「…ならば一度でいい」

「え?」

「会いたいのだ…!」

「信忠様…」

「分かってくれ。総大将失格の言とは分かっている。だが会いたいのだ! 一度でいい。目の前にいてオレの名を呼んでもらいたい。彼女の名を呼びたいのだ! たとえその次の瞬間にお松殿に刺し殺されようともオレはかまわぬ!」

「……」

「そなたにしか頼めぬ。隆広よ…!」

「承知いたしました」




松姫様の存在を初めて知ったのは、あのTVドラマの『おんな風林火山』でございます。好きだったんですよね、あのドラマ。


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高遠城落城

 高遠城の軍勢は三千、織田信忠率いる織田勢は四万強である。いかに高遠城が名築城家と言われている山本勘助の手による築城とは云え結果は見えていた。

 織田軍は城周辺に陣を構えた。高遠城は囲まれた。すでに逃げ場もなければ補給路もない。そして岩村城と同じく勝頼の本城である新府城から援軍が来る事はありえない。篭城は古来援軍を頼りとしての戦法である。城主の仁科盛信は意地の戦いを見せるつもりであった。

 

 織田信忠は総攻めを敢行した。信長本隊にあった明智光秀の軍勢も信忠の戦陣に赴き、一斉に高遠城攻めが開始された。高遠城の城兵は善戦した。しかし十三倍以上の兵力が相手ではどうにもならない。瞬く間に大手門は落ち、攻め込まれた。

 

 水沢隊も高遠城西門を突破して、城内に侵入した。滝川隊が東門、明智の斉藤利三隊が北門から、信忠軍の川尻秀隆が南門から怒涛の如く攻めていった。高遠勢は城将の仁科盛信を先頭に、大将の小山田備中守(岩殿小山田氏とは別系統)、飯島民部少輔が城兵を指揮して、攻め入る織田勢と戦った。しかし衆寡敵せず、次第に外郭より打ち破られ、城兵は織田勢に討ち倒され、盛信は側近の屈強の士三十余人とともに敵を迎かえ撃った。

 本丸に突入したのは斉藤利三勢であるが、斉藤利三は仁科勢のすさまじい抵抗に恐怖さえ感じた。だがしょせんは多勢に無勢。次々と盛信の家臣たちは討ち取られた。

 

 しかし城攻めを受ける側は劣勢になると、今まで味方だった者が突如として敵になる。敵に寝返るのではない。助かる見込み無しと思った者が城内の女に襲い掛かるのである。“死ぬ前に女を抱きたい”と云う事である。その相手の対象はお姫様だろうと殿様の正室であろうと関係ない。

 仁科盛信の正室の百合。妹の松も男のそんな狂気から逃れられない。だが一人、落城間近となっても武人の節義を失わず、主君盛信の大切な二人の女を守る者がいた。水沢隆広の槍術の師にて、仁科盛信のもっとも信頼する武将、諏訪勝右衛門であった。

「どけーッ 死ぬ前に女とやるんだ!」

「邪魔するならぶった斬るぞ!」

「おろか者が!」

 

 ズザザザッッ!

 

「ぐぎゃあッ!」

「おぐぅッッ!」

 穂先の血糊を暴徒の着物でぬぐう諏訪勝右衛門。

「昨日までは節度ある兵であったのに…まさに戦は狂気、狂気が狂気を生む…」

「かたじけのうございます。勝右衛門殿のお助けなくば今ごろ私と松殿は」

 鉢がねを頭に巻き、薙刀で奮戦していた百合と松。さすがは武田の女であるが、もはや肩で息をしていた。

「はい、ですがお方様、そろそろご自害のお覚……!」

 百合にかしずく諏訪勝右衛門。その背後に

「勝右衛門殿!」

 百合も敵に気付いた。すかさず振り向いて槍を突く諏訪勝右衛門。しかし今度は相手が多すぎた。織田勢ではなかった。またも仁科家の雑兵たちである。一人は突き殺した。だが、

 

 ダーンッッ!

 

「グアッ!」

「よっしゃ、ええ格好しいの邪魔者は死んだぜ、犯せ犯せ!」

 暴徒は十人以上いた。彼らは鉄砲で味方の将を撃ったのである。まさに地獄絵図である。百合と松の薙刀は弾き飛ばされ、二人は織田勢ではなく味方の仁科の雑兵に犯されだした。

「恥知らず! いかに死が迫ろうとかような事をして恥ずかしいと!」

 

 バシッ

 

「あうっ!」

 百合の頬に容赦ない平手が飛ぶ。

「やかましいやい! この期に及んでお高く留まっているんじゃねえ!」

 百合の着物が破かれ剥ぎ取られた。

「ゆ、百合殿! は、放しなさい!」

 松の髪を引っ張り、そして暴徒は着物に手をかけた。多量の出血に諏訪勝右衛門は意識もうろうとなりながらも何とか主君盛信の大事な二人の女を助けようとするが、もう体が動かない。

「きさまら…! それでも武田の兵か…!」

 百合は全裸にされ、組み敷かれた。そして夫盛信に操を立てるため舌を噛もうとした瞬間だった。

 

 ザスッ

 

「…え」

 暴徒は自分の喉から刀の切っ先が飛び出ているのを見た。そして刺した者はその刀を抜くや、暴徒の奥襟を掴んで、百合から退かせて放り投げた。暴徒はそのまま絶命した。そして彼は百合に自分の陣羽織をかぶせたのである。

「かたじけのう…。そなたは…」

「りゅ、竜之介か…」

「はい」

「お方様を助けてくれ…かたじけない」

 百合を間一髪のところで助けたのは西門の寄せ手の大将水沢隆広だった。他の暴徒も隆広の部下たちに斬り殺された。死の恐怖に負けて女を手篭めにするなど彼らのもっとも嫌う事である。

 松も助けられた。着物を破かれ、肌もあらわになったが助けた者はそれから目を背けながら松に優しく自分の陣羽織を着せたのだった。その松姫を助けたのは

「大事無いか、お松殿」

「……!?」

「やっと…会えた」

「の、信忠様…?」

「いかにも」

 松の目から涙が溢れた。

「ああ…! 信忠様…!」

 松は信忠の胸に飛び込んで泣いた。子供の頃から想像していた婚約者の姿。凛々しく、そして優しい殿御に違いないと子供心に想像していた。そしてあわや暴徒に陵辱されるところで助け出してくれた凛々しく優しい若武者。それがかつての婚約者信忠だった。

 水沢隆広と織田信忠は松との対面を果たすために賭けに出た。それは本陣に影武者の信忠を置いて、総大将自らが敵の城に乗り込む事だった。第三者が松を救出して本陣にいる信忠の元に連れて行っても意味が無い。自ら出向いて救出しなくては信忠と戦う姿勢を示した松は信忠に心は開かないと隆広は見たからである。女心に小細工は無用。誠の心で危険を顧みずぶつかっていくしかない。智将隆広、策なしの策を信忠に持ちかけ、そして信忠はこの危険な賭けに乗った。

 

「ゴホッ そうか、あれが中将殿か…」

「はい」

 諏訪勝右衛門の止血をしようとする隆広。だが勝右衛門はそれを固辞するように隆広の手を弾いた。

「そんな情けは相手を余計にみじめにする…。そう教えたはずだ。ゴホッ」

 銃弾は勝右衛門の右胸を貫いていた。肺に穴が開いているのだろう。呼吸もままならない。

「先生…」

「槍をとれ竜之介、そしてワシと戦え…」

「そ、そんな重傷で何を…!」

「隆広様!」

 前田慶次が怒鳴る。目が『そんな情けは相手を余計にみじめにする。今さっき教えられた事がまるで分かっていないではないか』と示していた。

「さあ、槍を取れ…。ワシにはもう時間がない…」

「…分かりました」

 隆広は刀をおさめ、助右衛門から槍を借りた。勝右衛門は微笑を浮かべ、呼吸を整えながら何とか立ち上がった。二人は静かに構えた。まったく同じ構えである。真剣勝負、一瞬で決まる。前田慶次、奥村助右衛門も静かに見届けた。

「仁科家部将、諏訪勝右衛門頼清」

「柴田家部将、水沢隆広」

「「参る!」」

 

 シュバッ

 

 勝右衛門の剛槍が隆広の頬をわずか掠めた。そして

 

 ドスッ

 

「見事だ…!」

「勝右衛門先生…!」

 隆広の槍は勝右衛門の胸を貫いた。そして勝右衛門は静かに倒れた。

「勝右衛門先生…。不孝をお許しください…!」

「詫びる事などない…。同士討ちの鉄砲の弾ではなく、敵将との一騎打ちで散れる。ワシの望んでいた死に様よ」

 そう言うと勝右衛門は愛槍を隆広に渡した。

「無銘だが…今までワシと共に苦難を払いのけた我が愛槍…。受け取ってくれ…」

 助右衛門の槍を置いて、勝右衛門から槍を受ける隆広。

「本日よりこの槍を我が愛槍といたします」

「さらばだ…。一足先に失礼いたす…」

 諏訪勝右衛門は息を引き取った。肩を震わせて合掌する隆広。そして勝右衛門の死とほぼ同時に

 

“仁科盛信殿ご自害! 御首、ちょうだいつかまつった!”

 と城の上から勝どきがあがった。この時の仁科盛信の最期は明智勢を感嘆させたものだった。

 仁科盛信は城主の間でとうとう一人となり囲まれた。思う存分明智勢を斬った彼は、囲む明智勢に『待て』と制した。そして明智勢に囲まれる中で、静かに辞世の句を書いた。書き終えると『お待たせした』と述べ、腹を切った。介錯は斉藤利三自ら行ったと云う。仁科盛信には息子が二人、娘が一人いたが盛信は前もって子を桂泉院と云う寺院へと落ちさせていた。息子二人は水沢隆広に仕え、娘の督姫(家康の娘と同名だが別人)は隆広の養女となるが、それは後の話…。

 

 師を自ら討った隆広。目にうっすら浮かんでいた涙を拭き信忠にかしずいた。

「信忠様、城に火を放つ手はずになっています。松姫様を連れてそろそろ退避を」

「そうだな、さあお松殿。一緒に岐阜に参ろう」

「……できません」

「な…」

「お願いがございます。私を勝頼兄様のいる新府の城にお連れ下さい」

「なぜ…」

「私はやはり武田の娘。このまま信忠様と共に岐阜に行き、妻となったなら…私は父の信玄と兄の盛信にあの世で会わせる顔がございません。このうえは新府にいる兄勝頼のもとで武田の運命を共にする所存にございます」

「やっと会えたと云うのに…もう別れなければならぬと…!」

「松は…今日の思い出だけで生きていけます。信忠様の胸の温もり、一生忘れませぬ」

「お松殿…! もうオレはそなたを離しとうない…! オレは織田を捨てる。お松殿も武田を捨てられよ…! 貧しくとも二人で共に暮らそう!」

 松は自分を抱きしめる信忠から振り払うように離れた。目から涙がポロポロと流れ落ちる。

“私だってそうしたい。でもできない。私は武田信玄の娘なのだから…!”

「お許し下さい…!」

「お松殿…!」

「信忠様…!」

 無念に拳を握る信忠。そして静かに言った。

「……分かり申した。隆広、お松殿を新府に無事送り届けよ」

「承知しました」

 信忠は松に背を向けた。

「さよならは言わぬ。また会おうぞ。お松殿」

「はい…!」

 信忠は松への想いを振り切るかのように松のそばから離れ、隆広の兵に守られ高遠城の脱出口へと走っていく。去り行く信忠の背を見て涙にくれる松。運命は残酷だった。この一度だけの出会いが同時に信忠と松の今生の別れとなるのである。

 

「松姫様…。後悔なさりませぬか」

 と、隆広。

「…分かりませぬ。しかし私にはこうするしか…!」

「変わりませぬな…。一途で、不器用で要領が悪い…」

「竜之介殿…」

「ですが竜之介はそんな松姫様が好きです。さ、まずは城を退避しましょう。新府にはそれがしが責任もってお送りいたします」

「お願いいたします…」

 隆広は百合も連れて行こうとして彼女を見たが、百合は隆広の意図を察し首を振った。

「いいえ、私は行きません。城主の妻が…夫死してなぜ逃げられます」

 そして盛信から自刃用にと渡されていた小刀を抜いた。

「水沢隆広殿と申されましたね」

「はい」

「あなたのような若武者が武田におれば…武田はこうも脆く敗れなかったであろうに…」

「……」

「私が肌を見せるは盛信様のみ。肌をさらして死ぬは恥辱。この陣羽織、あの世までお借りいたします」

「承知いたしました」

 百合は整然と首に小刀を突き刺し、夫の元へと旅立った。仁科盛信正室百合の方、享年二十歳。名の通り、百合の如く美しく、そして散った。

 

 やがて高遠城に火が放たれた。隆広の将兵たちは松を連れて脱出を開始した。そして出口に差し掛かったあたりだった。

「……!」

 隆広と共に駆けていたくノ一藤林すずの鼻がヒクヒクと動いた。

「火縄の匂い…!」

 すぐに周りを見渡したすず。そして見つけた。隆広に銃口を向けている一つの鉄砲を。

「隆広様あぶない!」

「なに…!?」

 

 ダーンッ

 

「ああうッ!」

 すずが隆広をかばい、背中に銃弾を受けてしまった。

「すず―ッ!」

「う、ううう…」

 

「くッ!」

 鉄砲を撃った者、それは何と女だった。すぐに刀を抜いて隆広に向かってきた。だが奥村助右衛門に斬られてしまった。

「あぐッ…!」

 隆広はその女を知っていた。

「お花様…!?」

 それは諏訪勝右衛門の妻の花だった。隆広は勝右衛門の元で槍を習っていた時、彼女の世話にもなっている。厳しい修練で負傷した時も彼女に手当てを受けたものだった。悲しい目で隆広を見る花。

「よくも夫を! 武田家を!」

 鉄砲で狙い撃ちするほどである。夫を討たれた花の怒りは並大抵のものではなかった。隆広は返す言葉もない。望まれた立ち合いとはいえ、諏訪勝右衛門は戦える状態ではなかった。それを突き殺したのはまぎれもなく隆広である。

「師と云えば父も同じ…! あなたは父を殺した…! 必ず報いを受けましょうぞ!」

「……」

 花は刀を拾い、そして口に刀の切っ先を突っ込んだ。

「…! や、やめろおおおおおッッ!!」

  隆広の制止は間に合わず、花はそのまま勢いに任せて倒れて刀は体を貫いた。即死である。

「お、お花様…」

 悲痛に目を閉じる隆広だった。しかし今は戦時、かつ炎上する敵城から退却中。立ち止まるわけにはいかない。隆広は花から刀を抜いて、着物を整えて寝かせ合掌した。偽善の極みだが今の彼にはこれしか術がなかった。

 

「すず!」

 白が悲痛に叫ぶ。師も、その妻も死に追いやった自責にさいなまれていた隆広はハッとしてすずを見た。すずの背中から出血がおびただしい。

「すず、すず!」

「背骨に当たったようで、弾は体内に至っておりません。だけど…その背骨が砕け…」

 応急手当をしながら白が言った。

「なんて事だ…!」

「大丈夫です。生きています。ですが私はもう歩けません…。置いて逃げ…」

「バカな事を言うな!」

 隆広はすずを背負った。

「引くぞ! まだどこに刺客が隠れているか分からん、注意せよ!」

「「ハッ!」」

 

 数に勝る織田勢の前に仁科盛信らは防戦むなしく、ついに敗れて高遠城は落城炎上した。

 本陣から炎上する高遠城を見つめる信忠と隆広。すでに松は隆広の部下たちに護衛されながら新府城に向かっていた。

「最後まで造作をかけるな隆広」

「かような事は…」

「ところで…討ち取りし諏訪某は、そなたの師か」

「はい」

 ためいきをつき、静かに床机に座る信忠。隆広はそのまま地に片膝付いてかしずく。

「そうか、そなたにとってはつらい城攻めであったのだな。それなのにオレがお松殿と会うためにチカラを尽くしてくれた。信忠忘れんぞ」

 さらにまた大きいため息を吐く信忠。

「しかし、そなたがそうまでしてくれたのに…結局お松殿と離れ離れにならなければならなくなった」

「信忠様あれで…」

「言うな、ああするしかなかった…」

「は…」

「隆広、そなたは好いた娘と結ばれたそうだな…」

「はい」

「大事にするのだぞ…。水沢家よりも、そして己の命よりも」

「はい…!」

 

 隆広は自分の陣に戻った。そしてすぐにすずの元へ行った。

「白、すずの容態はどうか?」

「我ら藤林忍軍の薬師が懸命に治療しております。何とか一命は取り留めそうですが…」

「ですが…なんだ?」

「もう走れませぬ。すずは…立つのがやっとの人間になると…」

「……」

「だいたい隆広様がモタモタしているから! 武将のくせして火縄のにおいも気付かないなんて!」

 親友すずの手負いに泣く舞は隆広に怒鳴った。平時なら火縄の匂いを睡眠中でも気付く隆広だが、あの時の城内は硝煙のにおいだらけである。その中で気付いたすずをさすがと云うほかない。

「よせ舞!」

「だって白…!」

「そうか…。もうすずは走れないのか…」

「隆広様の責任ではございません。我らは隆広様の護衛も任務。盾になる事は我ら覚悟のうえにございます」

「いいや…」

「え…」

「オレの責任…。オレの責任だよ」

「隆広様…」

「すずが許してくれるなら…オレはこれからのすずの一生すべてに責任を取る」

 

 松を新府城へと連れて行く一行を前田慶次が先導していた。吐く息が白い。

「ふう、さすが山国の甲斐…。峠越えたら一面雪だな。松姫殿、寒くはござらんか」

「平気です、慣れていますから」

「ははは、そろそろ新府にございまする。お支度を」

「はい」

 そしてもうしばらく進み、女の足でも城まで一寸のところに輿を降ろした。慶次は松風をおり、輿の中の松にかしずいて述べた。

「松姫殿、新府城に到着しました。手前たちは織田方ゆえ、ここまでが限度にござる」

「ありがとうございます」

 と、松姫が輿を降りた時だった。

「前田様!」

 共にいた隆広の忍びたちが身構えた。武田兵が慶次の一行を囲んでいたのである。殺気立ち槍を向ける。

「ひぃ、ふぅ、みぃ…。鉄砲はないようだし何とかなるか」

 特に慶次は慌てず、朱槍を身構えた。藤林の忍びたちも構える。松は慌てた。

「武田将兵よ、我は信玄六女の松! この者たちに危害を加えてはなりませぬ。彼らは…」

「待て!」

 武田兵を率いていた武将が前田慶次に歩み出た。黒い兜に金色の六文銭の紋様が映えていた。

「よく見よ、織田方とは申せ、彼らは松姫様を新府までお送りして下された一行。交戦中でも節義は守れ」

 武田兵は槍を収めた。

「部下たちが失礼した。手前は真田昌幸」

 慶次は心の中でうなった。大変な男が出てきた。真田昌幸、名将と呼ばれる真田幸隆の息子で、父をも凌駕する智将となり『信玄の眼』と云う異名で畏怖されていた。

「その朱槍、その巨躯。お手前は前田慶次殿か」

「いかにも」

「松姫様を高遠からお連れして下された事、主君勝頼に代わり礼を申す」

 小男とも言って良い昌幸。しかしその武将としての貫目は慶次さえ圧倒させる。軽く頭を下げている姿さえ威厳に溢れていた。

「いえ、君命でござれば」

「ここより松姫様は真田が守ります。お引取り下され」

「承知いたした。引き上げるぞ!」

「「ハハッ」」

「昌幸殿…」

「松姫様、ようご無事で」

 松姫にかしずく昌幸。

「高遠は…」

「存じております。さ、お館様がお待ちにござる。矢沢頼康」

「はっ」

「松姫様をお館様のもとへお連れせよ」

「承知いたしました」

 そして立ち去っていく慶次一行を見る真田昌幸。

「あれが手取川の豪傑の前田慶次か…。ワシが止めねばここの警備兵は全滅していたな…」

 

 前田慶次もまた

(あれが真田昌幸殿か。オレ自身智謀に無縁な人間だからあの御仁の恐ろしさが余計に分かる…。勝頼殿にはまだ大した軍師がおられる。織田は油断大敵だ)

 と、昌幸に畏怖した。真田昌幸は鳥居峠の合戦の際に“交戦状態に入らず後退すべき、木曾殿に織田の加勢あらば勝ち目なし”と止めたが勝頼は止まらなかった。結果は予想どおり大敗。

 だが昌幸は隆広の挟撃策を看破しており、寸でのところで退路を見出し勝頼を戦場から離脱させる事に成功していた。この後に真田昌幸は挟撃の別働隊の指揮を執っていたのが二十歳の若者だったと聞き呆然としたと言われている。何故ならその別働隊の大将はあえて退路を残しておいたと分かったからである。ただの情けではない。武田兵を窮鼠たらしめ手痛い反撃を食らわないためである。二十歳そこそこの若僧の戦ぶりではない。昌幸はそう感じた。

「かような者が武田におれば…」

 昌幸は百合と同じ事をボソリとつぶやき、新府城内の自分の部屋へ歩いていった。




本作で亡くなってしまう、花さんの墓所は高遠の五郎山、その山中にありまして見つけるの結構難しかったです。地元のタクシーの運転手さんが親切な方で一緒に探したのを覚えています。
花さんの最期は『im@s天地燃ゆ』でも書きましたが、視聴者さんコメントに『原作屈指の鬱展開』とあり、上手いことを言うなぁと思いました。


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武田家と竜之介

隆広と武田家との邂逅のお話です。つまり過去話でござるよ。


 高遠城攻めの論功行賞が信長本陣で行われた。戦目付けが各将の手柄を本人立会いのもとに信長へ報告していた。

「次」

「はっ」

 水沢隆広が信長の前にかしずいた。続けて戦目付けが隆広の手柄を読み上げる。

「水沢隆広殿、高遠城西門と三の丸を攻略。仁科家部将、諏訪勝右衛門を討ち取りましてございます」

「ほう、諏訪は槍名人と聞くが、よう討ち取った」

「はっ」

「加えて、武田の駿馬を得りし手柄も忘れおらぬ」

 隆広が攻めた西門、これは偶然であったが門を抜けてしばらくすると高遠城の将兵たちの馬を預ける厩舎があった。本来なら無視してそのまま城攻めであるが、隆広は城と連結していた建物である厩舎が落城と共に炎上すると悟り、すべての馬を厩舎から出して、部下に命じ、すべて城外に連れ出させている。

 馬を愛する隆広らしい行いであるが、その馬たちは城主仁科盛信の愛馬も含め、駿馬ばかりであった。これが金銀財宝の持ち出しだったら武士にあるまじき盗人行為と謗りを受けるが、生ある馬ならば事情が違う。総数百二十頭に及び、隆広自身が名馬と見たのは三十頭以上に及んだ。隆広はこの思わぬ戦利品すべて信忠を通して信長に献上した。信長も馬好きである。この献上品を見たとき“ネコは国一つ落としたに比肩する手柄を立てよった”と大喜びしたのである。

「権六(勝家)に手柄を記載した軍忠帳と褒美三千貫届けておく。励め!」

「は!」

 信長の直臣ならこの場で恩賞金を得られるが、陪臣の隆広はそれが許されない。いったん信長から柴田家に渡り、勝家から渡されるのである。

 隆広は岩村城攻め、鳥居峠の合戦の勲功も合わさり、すでに八千貫を得ていた。加えて信忠からも褒美を与えられていた。

 織田家は功臣への手柄においてめったに領地や城と云うものは与えない。信長は茶の湯をうまく活用し、名物茶器を与えたり茶会の開催を許可制にする事などで部下への恩賞を図った。今回も滝川一益などは名物茶器を与えられ歓喜していた。

 しかし誰にでも茶器と云うわけではない。隆広と同じく金銭を与えられる事もあるし、また今回のように思わぬ戦利品に名馬を得た場合は、その馬が与えられる。明智光秀の部下の斉藤利三などは、今回隆広が連れ出した名馬を与えられ飛び上がって喜んだ。

 隆広は柴田家の部将であるが城はおろか領地も持っていない。勝家からの高額の給金で召抱えられている。これは織田家各軍団長側近中の側近の遇され方で、常に大将と共にいなければならないと云う理由であった。

 ゆえにその隆広に召抱えられている者たちにも領地はない。隆広からの給金が禄である。奥村助右衛門や石田三成もそれをふまえて仕えている。褒美を与える信長と信忠もそれを承知しているから、隆広への恩賞はすべて金銭や宝物である。

 今回の高遠攻めにおける隆広が受けた恩賞は破格だった。本来なら飛び上がって喜びそうではあるが、隆広は師の勝右衛門を討った事で恩賞を得たのに気が重かった。

 

 本陣をあとにしたら、今度は水沢軍の論功行賞である。織田本隊は一つの合戦ごとに論功行賞をしていたが、武田攻めは進軍が連日続いたので水沢軍は今回が初めての論功行賞だった。隆広は金銭にあまり固執しない性格をしているので、気前も良かった。

「次」

「はっ」

 水沢軍の戦目付けが功を読み上げた。

「松山矩久殿、鳥居峠にて百々嘉門ノ介、今回の高遠で湯原権佐を討ち取りましてございます」

「百々嘉門と湯原権佐といえば剛勇で知られている。すごいな矩久」

「は、こちらも少し傷つきました」

「うん、五十貫を与える。傷を癒せ」

「ハハッ!」

 五十貫のお墨付きを両手で受け取る矩久。

(ひゃっほーッ! 五十貫なんて大金見た事ないよ! なんて気前のいい御大将だ。仕えがいがあるってものだ! 女房も喜ぶぞう!)

「こら矩久、あとが支えている。喜ぶなら向こうで喜べ」

 と、助右衛門に注意され矩久は肩を歓喜に揺らしながら立ち去った。隆広に仕える兵や、今回隆広に付属された兵たちも隆広が石高を禄としていない事は知っている。すべて金銭の恩賞であるが、ある意味これほど分かりやすい褒美もない。

 お墨付きなので現時点では恩賞金はもらえない。北ノ庄に帰国した後に開かれる最後の論功行賞で拝領できる。この恩賞金惜しさに合戦の場で逃げるような事あらば、帳消しもありうる厳しいものだった。しかしそれは隆広も同じ。後でもらえる恩賞欲しさに命惜しみ合戦で及び腰になれば、即座に信長から褒美取り消しである。失敗しても、それまでに約束した褒美を与えるほど織田家は甘くない。与えるに惜しまないが、取り上げるのも容赦ない。これが織田家の厳しさだった。ゆえに織田の武将の中には完全に遠征が終わり帰国してからやっと論功行賞を行う者も少なくない。途中で部下に約束してしまっては、もし信長から恩賞をもらえない失敗をした時に部下に与えられなくなるからである。

 だが隆広は途中でやってしまっている。部下は自分の働きをすぐに評価して欲しいと分かっているからである。そして部下たちも隆広が信長から受ける恩賞を帳消しにさせてはならないとがんばる。隆広が得る恩賞のほとんどを部下に与える事は知っている。だから隆広を勝たせる事はそのまま自分の収入に繋がるのだから部下たちのやる気が他隊と違う。自分たちの恩賞を増やそうと躍起になって働く。水沢軍強しの要因の一つだろう。

 鳥居峠の戦いや高遠攻め、命賭けて戦った結果が褒美に出て喜ぶ面々。今回の合戦の恩賞で女房に何を買ってやるかとか、馬と武器を買うとか、他所で作った女へ渡すとか色々と使い道を楽しく論じていた。

 

 論功行賞は終わり、一息つく隆広。石田三成が側小姓に指示した。

「殿に茶をお持ちせよ」

「はっ!」

 しばらくして小姓が持ってきた茶を飲み、

「ふう」

 安堵の溜息を出す隆広。今の高遠は寒い。息は真っ白だった。

「気前の良い論功行賞でございましたな。しかしあれでは隆広様が戦後に得る金はわずかしかございませんが…よろしいので?」

 と、奥村助右衛門。

「いいんだ。ただでさえ高禄な手当てを毎月殿にいただいているからそれで十分。今回の戦の恩賞で得られるオレの実入りは、さえとすずにキレイな着物を買ってやれるくらいあればいい」

「すず殿に?」

「うん」

 三成、助右衛門、慶次は顔を見合わせ微笑んだ。そして三成が

「きっと喜ぶでしょう」

 と言うと、慶次は意地悪く笑い

「奥方がどんな顔するかが見ものですがな、あっははは」

「確かに。奥方の方が少し高値の着物の方が丸く収まりますぞ」

 珍しく助右衛門も慶次の冗談に乗った。

「そ、そうかな」

 隆広の家臣三人は、自分をかばって重傷を負い歩行困難になったすずを隆広がどう遇するのかを悟ったが、それに伴い、正室のさえがどんな反応を示すか少し意地の悪い楽しみも出てきた。

 

「ところで隆広様」

「なんだ佐吉」

「隆広様は武田家とどのような縁が?」

「え?」

「いえ、前から思っておりました。隆広様の開墾や治水術には甲州流がよく使われているし、城普請に至っても美濃流と甲州流を合わせて使っておられます。信玄公の用兵にも詳しいし、何故かと考えておりました」

「うん…。いい機会だから三人には話しておくか」

「お! 面白そうな話にございますな。おい酒と肴!」

 と、側小姓に命じる慶次。

「こら慶次、主人の話を聞くに酒を飲みながらとは」

「まあいいじゃないか助右衛門!」

「うん、飲みながら話すよ。すまんが酒と肴を頼む」

「はっ!」

 

 そして隆広は語り出した。

「オレがそろそろ十二歳になろうとした時だった。養父が旅に出る事を告げた。行き先は甲信、東海、関東、そして畿内。まず目指したのは甲斐だった。美濃から信濃に入り、甲斐を目指した」

「今回の進軍経路とほとんど同じですな」

 と慶次。

「うん、通った道もほとんど同じだ。で、やがて甲斐に入った。養父が連れて行きたかったのは恵林寺。快川和尚を訊ねて教えを受けるためだった」

「快川と云えば、信玄公も傾倒した名僧…!」

「そうだ助右衛門。快川和尚は元々美濃土岐氏の方で、稲葉山近くの崇福寺の住職だった。養父とはかなり親密な付き合いをしておられた方で、和歌においては養父の師とも云える方だ。斉藤家が滅んでもそのまま崇福寺の僧であったが、大殿(信長)を嫌い寺から出て行ってしまった。それで信玄公に誘いを受け、彼の禅の師となった。そしてその快川和尚を訊ねるべく、甲斐の夜道を歩いていた時だった」

 

「ん…?」

「どうしました父上」

「こい竜之介」

「は、はい!」

 長庵は道の先に異変を感じたようだ。夜道を一緒に歩いていた父の長庵が突如走り出した。竜之介はあわてて追いかけた。

「何をしているか」

 夜盗風体の男が少女を肩に担いでいた。長庵は少女の悲鳴を聞き逃さなかったのである。

「父上、こいつ人さらいだ」

「そのようじゃな」

 担がれている娘は猿ぐつわをされている。眼で必死に助けを求めていた。

「チッ!」

 夜盗の男は身丈六尺近い偉丈夫である長庵に勝てないと察して、少女を担いだまま逃げ出した。だが竜之介がすばやく追いつき、持っていた手製の竹やりで足をかけた。

「うあっ」

 男が転んだ拍子に放ってしまった少女を竜之介が抱きとめた。

「このガキャア!」

 夜盗は竜之介に殴りかかろうとしたが、長庵の持っていた六角棒に腹部を突かれ、悶絶して気を失った。

 

「ぷはっ」

 竜之介は少女の口につけられていた猿ぐつわを取った。

「大丈夫?」

「は、はい…。助けていただきありがとうございます」

「ん…?」

 長庵は少女の持っていた守り刀の鞘にある紋様を見た。

「武田菱…。かような物を持っていると云う事はそなた武田の姫か?」

「……」

 少女は警戒して自分の身分を言わない。

「何にせよ、ほってはおけぬ。ワシは旅の僧侶長庵、心配いらぬ」

「オレは竜之介! 女子が一人で夜道は危ないよ」

(かわいい子だなあ…)

 長庵と竜之介は少女を連れて行こうとしたが

「岐阜に行きたいのです」

 と、同行を断ってきた。

「ぎ、岐阜に? これから一人で?」

「私…どうしても岐阜に行かなければならないのです…」

 長庵と竜之介は顔を見合わせた。

「道筋は誤っておらぬが、そなたここから岐阜までいかほどあるか知っておるのか?」

「……」

「女子の一人旅では無理だよ。家に帰ったほうがいいよ」

 竜之介が諭すが少女は聞かない。

「でも私どうしても岐阜のお城に行きたいのです!」

「どういう理由で岐阜に赴きたいかは知らぬが、せがれの言うとおり女童の足では無理じゃ。今のような男は街道筋にいくらでもいる。このまま行かせるわけにもいかぬ。我らは恵林寺に向かっている旅の者だ。とにかくそこへお連れしよう。腹も減っていよう」

 少女の腹が先ほどから二度グウと鳴っていた。少女は顔を赤めて、やがて観念し小さくうなずいた。

 かくして長庵と竜之介は少女を連れて恵林寺へと向かった。恵林寺の僧たちにも躑躅ヶ崎館を飛び出した松姫の捜索命令が出ていた。そして恵林寺に近づくと

「ま、松姫様!」

 恵林寺の僧が寄ってきた。

「良かったご無事で…!」

「ホ、ホントに武田のお姫様ァ!?」

 竜之介は慌てて松姫に平伏した。

「や、やめて下さい…」

 困った顔で竜之介を立たせようとする松姫。

「すいません、助けてもらったのに名前も言わず…」

「良いのですよ、この時勢そう簡単には氏素性は名乗れない事は承知しています」

 長庵がニコリと笑って言った。

「ありがとうございます長庵殿」

「長庵殿…?」

 恵林寺の僧がその名を聞いて長庵を見た。

「おおッ! 貴方が正徳寺の長庵殿でございますか! 快川様よりお越しの事は聞いております!」

 

 その僧に連れられて、恵林寺に到着すると…

「勝頼兄様…!」

 境内に松の兄の武田勝頼がいた。彼自身も家臣を連れて恵林寺を拠点にして松を捜索していたのである。その勝頼は頭から湯気を出して松に歩み寄った。松はサッと長庵の後ろに隠れてしまった。

「松ッ!」

「は、はい!」

「勝手な真似をしおって! こっちに来い!」

「いやです! 勝頼兄様は松を絶対叩くから!」

「叩かれるようなマネをしたお前が悪い! さあ隠れてないでこっちに来い!」

「いや!」

「松!」

 その間にいる長庵が

「まあまあ」

 と、勝頼をなだめた。

「なんだその方は」

「愚僧は長庵と申す。旅路で偶然に松殿とお会いし、恵林寺への案内を頼んだのにございます」

「ちょ、長庵…? 確かにそう申したな…?」

「はい」

 勝頼は長庵の面構えと貫禄を敏感に感じ取った。

(これが…水沢隆家か…!?)

 勝頼の頭からはもう松の事など飛んでいってしまった。

「勝頼兄様…」

「…もうよい、さあ躑躅ヶ崎に帰るぞ」

 勝頼は松の腕を持ち、寺の用意した輿に入れた。そして長庵に振り向いた。

「いや、お見苦しいところをお見せした。手前は武田四郎勝頼と申す。正徳寺の名僧、長庵殿の名は、甲斐にも聞き及んでございます」

「それはお耳汚しを」

 長庵は勝頼に深々と頭を垂れた。

「しばらく恵林寺には滞在にござるかな」

「はい」

「色々とお話を伺いたい。よろしいですかな」

「愚僧の話などでよければ」

「ありがたい、それではここはこれにて」

 勝頼も長庵に深々と頭を垂れた。

「父上、あれが武田勝頼様?」

「そのようだ。どう見た」

「強そうです。陣頭に立ち、敵を瞬く間に蹴散らしていくような…」

 

「強いのと、敵を蹴散らす、と云うのは同じ事ではございませぬぞ」

 長庵親子に歩み寄ってきた僧。

「これは快川殿…」

「久しぶりにございます隆家…いや長庵殿」

 その長庵の横にいた竜之介はポカンとして快川を見ていた。

「はっはっは、どこが違うのかと云う顔ですな」

「ははは…。まだセガレには快川殿の申された事は分かりますまい」

「よう来られた。ロクなもてなしはできませぬが、歓迎いたしまする」

「しばらくお世話になります」

 竜之介も父に習い

「お世話になります」

 と元気に快川に挨拶をした。しかしまだ快川の言葉の意味が分からない。

「あの…」

「ご自分でお考えあれ。さ、こちらにどうぞ。離れの庫裏にお二人の部屋を用意いたしましたので」

 快川はそれ以上答えずに長庵と共にスタスタと歩き出してしまった。竜之介はプクと頬を膨らませて二人についていった。

 

 そしてその日からさっそく竜之介の修行が始まった。快川は論語や孟子、戦国策、菜根譚、管子、韓非子、老子、貞観政要などの中国古典を教材にして竜之介に教え出した。無論、今まで中国古典は養父長庵から教えられているが、さらに快川より教えを受ける事で昇華させ、熟知に至らせる事が目的だった。今までは古典の内容を記憶していただけ。それをどう活かすかを快川から教わるのだ。

 快川の教え方はとても分かりやすく、竜之介は引き込まれる。だが厳しい側面もある。帳面に記載する事は一切許されない。すべて暗記せよと云う快川の指導だった。予習と復習も徹底的に課せられ、居眠り一つしたらその場で修行は終わりである。現在では考えられない厳しさであるが、それに十分耐えうる知力と精神力を備え付けた養父長庵の指導もさすがと云うところだろう。そしてこの時に快川から受けた知識が後の智将水沢隆広の礎になったのは間違いない。

 

 長庵親子が恵林寺に逗留して五日後、武田勝頼が恵林寺を訪れた。そして長庵に面会を求めた。

「ご貴殿は水沢隆家殿にございますな?」

「その名は捨て申した」

「父信玄からの召し抱えにも応じなかったと伺っています」

「ご無礼の段、冥府の信玄公にお詫びしております。過分な待遇を約束されて下されましたが、水沢隆家の主家は斉藤家のみにございますのでお断りさせていただきました」

「隆家…。いや長庵殿、お教え願いたい」

「何でござろう」

 武田勝頼は頭を垂れて教えを願った。

「父の信玄が亡くなり、それがしが後を継ぎ申した。“三年我が死を隠せ”と父は述べましたが、それは徒労に終わり瞬く間に広まりました。父の遺言にはそれがしを竹丸(信勝)が成人するまでの間の後見と云う事にございましたので、重臣たちはそれがしを当主と認めようとしませぬ。いかがいたしたら宜しいとお思いでしょうか…」

「信玄公はどのような遺言をされたのですかな」

 勝頼は信玄の遺言を一言一句長庵に話した。長庵はそれを聞きしばらく考え

「ご遺言の通り、上杉謙信殿を頼られてはいかがか」

 と、答えた。

「やはりそうお思いか…」

「すでに妹君を喜平次(上杉景勝)殿に嫁がせたとの事にござるが、謙信殿にはさらに貢物をし、礼節をもってあたり、そしてとことん甘えられて良いと思いまする。かつて信濃勢が信玄公に領地を奪われ、謙信殿に泣きつき申した。それを受けて謙信殿は何の見返りも求めずに信玄公と戦う事になり申したが、このように謙信殿は礼節示せば必ず味方になって下さります。織田と徳川は“勝頼に謙信がついている”と思えば手も出せますまい。これで領地は保てるにございましょう」

「…なるほど、ではさらなる領土拡大はどうすればよいかと」

「それはやめなされ」

「は?」

「勝頼殿、せっかく駿河を得ているのでございますから海から得られる利にもっと着目しなされ。信濃、甲斐、駿河。この三国の経営をうまく行えば今いる家臣たちを食わせていく事は十分にできまする」

「し、しかし実際合戦で勝ち、領土を拡大して恩賞に当てなければ家臣たちはそれがしを当主と認めませぬ」

「領土をもって家臣の忠を求めるのはおのずと限界があり申す。ゆえに信玄公は碁石金なども褒賞に当てられた。金銭も立派な褒美。甲州にはまだ金山もございますし、駿河の金山もまだまだ金は出ます。そして駿河の港からの交易を商人の才ある家臣に任せれば他国から金も入ってまいりましょう。土地だけ与えていれば領主はいずれ破綻してしまう。金を恩賞に当てし信玄公に学ばれよ」

「長庵殿…」

「それに…勝頼殿は中々重臣に認めてもらえないのを焦っておいでのようでござるが、かようなものは先代の遺言がなくとも新たな当主はみんな背負うものなのにございまする。当主は孤独にござる」

「孤独…」

「ゆえに新当主は今まで自分に仕えてきて気心の知れた者を重用しがちで、先代の重臣を疎んじる。これは断じて行ってはなりませぬ。閥が生じ家中は内部崩壊いたしまする。家臣を分け隔てなく用い信頼し、最後は自分が責任を取る。その姿勢を見せていけばうるさ型の重臣たちもだんだん勝頼殿を認めていくようになりましょう」

 武田勝頼は食い入るように長庵の言葉を聞く。自分の指針が照らされていくような高揚感があった。

「織田と徳川…。虎視眈々と武田を狙うと思われます。どのような対応が望ましいと思われますか」

「さきの通り、謙信殿を後ろ盾として、そして動かぬ事と」

「動かない?」

「はい、風林火山の旗印にもありましょう。“動かざること山の如し”と。甲斐は四方が山に囲まれた要害の地。ここに篭られたら手出しできぬが必定。愚僧が織田信長なら遠江か美濃の城の一つ二つ犠牲にして、あえて勝頼殿にその城を取らせ、守りの人ではなく攻撃の人にさせるでしょう。その城の取り合いを繰り返し、武田が軍費で疲弊していくのを待ち、大軍で甲斐に攻めまする」

 目からウロコが落ちた思いの勝頼。

「かつ、岩村城は破却されるがよろしいかと」

「美濃にある武田家唯一の城を?」

「そのとおり、信長殿は叔母の無血開城に激怒したとの事。必ず攻めます。岩村は水も豊富な堅城ですが、いかんせん条件が悪うございます。美濃に一つしかない武田の城。それがしが寄せ手の大将なら、信濃との国境に武田の援軍を牽制する軍勢を配置して、岩村を取り囲み兵糧攻めにいたします。岩村は戦わずして落ちましょう。秋山殿には違う城を与えて破却し美濃と信濃の国境の防備を固くすれば良いと思います。岩村を残したままで、もし取られたら信濃攻略の橋頭堡になってしまいます。信濃は高遠まで堅城はござらぬゆえ、甲斐の喉元までの進軍をあっさり許す結果になりまする」

「なるほど…」

 勝頼は長庵に平伏した。

「かたじけのうござった! 今いただいた言葉すべてそれがしにとり金言にございまする!」

「いえ」

「なんぞお礼がしとうございます。何か所望はござらぬか」

「いや、かような事は」

「いえ、それではそれがしの気が済み申さぬゆえ」

「では…お言葉に甘えましてよろしいか」

「何なりと」

「弟君、仁科盛信殿に仕える諏訪勝右衛門殿」

「勝右衛門が何か」

「甲州流槍術の達人と伺っております。せがれの槍の師となっていただきたいのでございまするが」

「お安い御用にございます。盛信に命じ、勝右衛門を恵林寺に来させましょう」

 

「恵林寺に行けと?」

 ここは高遠城。武田勝頼の弟、仁科盛信の居城である。そして諏訪勝右衛門は城主の盛信に直命を受けていた。

「ああ、兄上のご命令だ」

「それがしは恵林寺で何をすれば…」

「いま、恵林寺に旅の僧侶がいて、その息子に槍を教えろと云うのだ」

「た、武田家中でもない者になぜ甲州流の槍術を教えねばならぬのですか!」

「オレもそう言った。しかし兄上はその僧侶にずいぶん教えを受けたらしい。返礼をせねばと云う事で、その僧侶が望んだのが“諏訪勝右衛門殿にせがれの槍の師となってもらいたい”との事だった。兄上はその場で引き受けた。というわけでオレも強くは拒否できなかったスマン!」

 盛信は勝右衛門に頭を垂れた。

「仕方ありませんな…。分かり申した、その主命お受けいたします。ただ一つだけ認めてもらいたいのですが」

「なんだ?」

「妻も一緒に恵林寺へ連れて行きます。新婚なもので」

 勝右衛門は先年に妻をなくし、つい三日前に後妻の花を妻にしたばかりである。名の通り花のごとき美しい女だった。

「かまわんぞ。いや~引き受けてくれて良かった!」

「断る余地などなかったではないですか」

 かくして諏訪勝右衛門は妻の花を連れて恵林寺へと向かった。今は春、恵林寺の桜が美しかった。

 

「きれい…」

「花には負けるがな」

「おだてても何もあげませんからね」

「ははは、さて、我が弟子殿はどんな…」

 と、恵林寺の門をくぐろうとしたとき、一人の少年が勝右衛門に向かって走ってきた。

「…? なんだ」

「諏訪! 勝右衛門様ですか!」

「ああ、いかにもそれがし諏訪勝右衛門であるが…」

 少年は勝右衛門に平伏した。

「それがし、竜之介と申します! 本日から諏訪勝右衛門様に槍の手ほどきを受けさせていただきます! よろしくお願いします!」

「お、おぬしが?」

 勝右衛門は槍を教えろと云うのだから、もっと年長の若者とばかり思っていた。だがまるで少女にみまごうような頼りない少年。それが弟子だった。だが平伏していた顔を上げた時に見た確かな面構え。これを勝右衛門は見逃さなかった。

“これはものになる…”

「竜之介殿か」

「はい!」

「いかにお館様(勝頼)肝煎りとはいえ容赦はいたしませぬ。覚悟されてそれがしの指導を受けられよ。よろしいな」

「はい!」

 少年らしい元気ある返事に勝右衛門夫婦は微笑んだ。この時、目の前にいる少年にやがて討たれる事になろうとは想像もしていなかったであろう。



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武田勝頼と竜之介

 諏訪勝右衛門の槍の指導は厳しかった。槍術の基本は『受け』『払い』『突く』であるが、その三点を徹底的に教え込まれた。“基本こそが最強の技”勝右衛門はそう教えた。

 昼は槍術、夜は快川からの学問。それに加えて恵林寺の小僧たちと同じく、本堂の掃除と云った雑務もしなければならない。成人でも根をあげそうな修行であるが、幼い頃から養父長庵の課す修行を受けてきた竜之介にとっては耐えられないほどではない。むしろ自己に身についていく武技と知識が嬉しくてたまらない竜之介だった。

 また、この頃になるとすでに竜之介は僧体から武士に風体を変えており、伸ばしていた髪もようやくマゲを結えるまでとなっていた。竜之介のマゲを結う紐は勝右衛門の妻のお花が打った紐である。

「アイタタ」

 恵林寺離れの庫裏。そこの縁側で竜之介はそのお花から傷の手当てを受けていた。本日の槍術の修行も厳しかった。

「最近は生傷もだいぶ減ってきましたね」

「はい」

「初日は血だらけでしたから、夫に思わず“やりすぎだ!”と怒鳴ってしまいましたが…今では夫にも生傷作らせるほどになって。竜之介殿は上達が早いですわ」

「先生の教え方がいいのです」

 

 そんな光景を少し離れて見つめる長庵と勝右衛門。

「妻の言葉ではございませんが、ご子息は本当に覚えが早いです」

「いやいや勝右衛門殿。覚えが早いのは二流への道ともなりかねぬもの。せがれはもっと不器用であっても良いほどです」

「二流への道でござるか?」

「いかにも。覚えの早い器用さならば、その技術を甘く見る。不器用な者は徹底してその技術を学びまする。ゆえに最後は器用な者は不器用な者に抜かれて結果二流になる。世の一流の武芸者や職人はたいてい元不器用者にござる。勝右衛門殿もそうでござろう? 昔は甲州流一門で一番槍下手だったと伺っていますからな」

「こ、これは恐縮にござる」

 二人は庫裏から離れて、恵林寺境内を歩き出した。

「しかし御坊も元は美濃の猛将、なにゆえご自分で槍を教えようとなさりませなんだ?」

「確かに主君道三と同じく槍には多少の自負がございますが、すべて自己流でございましてな。型も基本もあったものではございません。幼いせがれにはそんな槍術は害にしかなりませぬ。それにそれがし…お恥ずかしい事に戦場で槍を持って戦った事は数えるほどしかござりませぬでな」

「は、はあ?」

「愚僧はいつも帷幄にあり策をめぐらせておりましたゆえ」

「しかし御坊の勇猛はこの甲斐まで伝えられておりますが」

「それは愚僧の部下達の働きにすぎませぬ。愚僧は戦場で道三公の軍師を務めてございました。采配は執りましたが、自分で陣頭に立ち戦った事はほとんどないのでございます」

 それは陣頭の槍働きで一人の敵に対するのではなく、智の技で数千数万を撃破する技。やはりこの方は戦神よと諏訪勝右衛門は思った。

「せがれにもそんな武将になってもらいたいと思い、幼い頃から指導しております。しかし槍にせよ刀にせよ、武の技の鍛錬で得られる精神力は宝にございます。ゆえにご貴殿に指導を願ったのにございます」

「そうでございましたか」

「甲州流の槍術は天下無双、勝右衛門殿、引き続きせがれを厳しく仕込んで下され」

「承知いたしました」

 諏訪勝右衛門もこのように長庵と語り合い得るものが多かった。彼は根っからの戦場の猛将であったが、長庵との出会いから思慮深い人物となり、仁科盛信に重用されていく事になるのである。そんな教えをくれる長庵に答えるべく、諏訪勝右衛門は厳しくも暖かく竜之介に惜しみなく自分の技を教えていったのだった。

 

 そんなある日である。長庵と竜之介は勝右衛門の勧めで武田の居城である躑躅ヶ崎館に出稽古に向かった。城の一角では武田の少年たちが甲州流の槍術を学んでいる。武田勝頼は長庵の来訪を喜び、城門まで出迎えたと云う。また武田の重臣たちも“あの水沢隆家が来た!”と驚き、勝頼と共に出迎えたと伝えられている。まさに信玄の帰城ほどの出迎えだった。

 城門で長庵と竜之介は分かれ、長庵は重臣たちも集う広間に、竜之介は城の一角にある甲州流の道場へと向かった。道場といっても庭であるが、竜之介が勝右衛門に伴われてやってくると武田の少年たちは奇異に思いジロリと睨んだ。勝右衛門は少年たちが憧れる槍の名手。その人物が見た事のない少年を連れていたからだ。少年と云うより少女と間違えてしまいそうな風体であるが。

「おう、みながんばっているな!」

「「はいっ!」」

「紹介しよう、この少年は恵林寺の食客である長庵殿のご養子の竜之介。ワシの弟子だ。今日は出稽古に来た。みな稽古をつけてやってくれ」

「竜之介です」

 ペコリと頭を下げる竜之介。武田の少年たちは憧れの勝右衛門に弟子と認められている竜之介が気に入らない。

「先生、なんですかコイツ。まるで女子のようなヤツじゃないですか。顔といい体つきといい。こんなヤツに槍が使えるのですか」

「ほう、それでは源三郎、対してみるがいい」

「望むところ! おい女! ケガしても泣くなよ!」

「…弱い犬ほどよく吼えまする」

「なんだと!」

「こらこら、ちゃんと仕合の作法を執れ」

 源三郎は頭から湯気が出るほどにカッカして作法をとり、そして仕合に入った。

「だあッ!」

 

 ガツッ

 

「…え?」

 向かってすぐに源三郎の手から槍がなくなっていた。受け止められ、そして払われたのである。

「くそっ!」

 竜之介へのあなどりを捨てた源三郎。槍を拾い再び竜之介に向かうが、あしらわれてしまった。そして最後には腹部に突きを入れられた。自分を“女”と呼んだ源三郎に少し灸を据えた。

「ち、ちくしょう…!」

 苦悶してうずくまる源三郎に弟が駆け寄った。

「兄上! オレに任せてくれ!」

「ば、ばか、オレが勝てなかったのに…」

「オレは源次郎! おい竜之介! よくもやってくれたな!」

「仕合でございますゆえ」

「ああもうその落ち着き払ったツラが腹の立つ! 泣きっ面かかせてやる!」

 しかし源次郎も同じ結果だった。額に一撃をくらい、膝を地に付けた。

「イタタタ…」

 竜之介はその源次郎に手を差し伸べた。すると源次郎は激怒しその手を叩き払った。

「お前、武士じゃないな! 武士ならそんな事するもんか!」

 と悔し涙を浮かべて立ち上がり、槍を拾い竜之介に向かってきた。今度は源次郎の鬼気迫るものがあったが、結果は同じだった。

「ちくしょう、ちくしょう…! 兄上悔しいよ!」

「オレも悔しい…!」

 二人を見つめる竜之介の肩に勝右衛門が手を置いた。

「竜之介、あんなマネは武士の情けと言わぬ。余計に相手をみじめにするだけだ。よう覚えておくのだ」

「はい…」

 

「よし次はオレだ!」

「いいやオレが相手だ!」

「勝ち逃げは絶対させないからな! 覚悟しておけ!」

 と、次々と武田の少年たちは竜之介の相手にと向かっていった。源三郎と源次郎の兄弟も悔し涙を拭い、再び仕合を望んだ。時を忘れるほどに少年たちは技を競い合った。やがて夕暮れ時になった。

「アイタタタ…」

 竜之介は生傷だらけであった。武田の少年たちは竜之介を手強しと見ても複数でかかる事はただの一度もしなかった。そんな清廉さが竜之介は好きになった。

「竜之介、いや竜之介殿。恵林寺にはしばらくおられるのですか」

 と源三郎。

「はい、あと二月ほどでございますが」

「今度は我々から恵林寺に出向いて手合わせを願って宜しいですか」

「オレもオレも!」

 すかさず源次郎も名乗り出た。

「ええ、いつでもお相手いたします」

「今日は負けっぱなしでしたが、勝ったまま甲斐から出しませぬので」

「オレもオレも!」

 同じ調子で源次郎も続いた。

「お待ちしています。源三郎殿、源次郎殿」

 二人と固い握手をかわす竜之介。源三郎と源次郎の兄弟、これが後の真田信幸と真田幸村である。

 

「さあ竜之介、そろそろ恵林寺に」

 と、勝右衛門が帰途を述べると

「お待ちを」

 館の縁側に松が訪れた。武田の少年たちは無論、勝右衛門もひざまずいた。無論竜之介もそれにならう。

「まだ長庵殿と兄様たちのお話が続いていますので、竜之介殿と勝右衛門殿には湯と食事を用意させました。こちらへ」

「竜之介殿、松姫様と知り合いなのですか?」

 ひざまずきながら竜之介に問う源三郎。

「え、ええ…一度だけお会いした事が」

「いいなあ…。松姫様に名前を覚えてもらっているなんて…」

「情けないグチたれるな源次郎!」

 話がよほどためになるのか、長庵は勝頼と重臣たちに中々解放してもらえない。仕方なく竜之介と勝右衛門は松が用意してくれた湯と食事をもらい、長庵を待とうとした。食事を終えたのを見計らい、松が二人のいる居間へ訪れた。

「申し訳ございません。長庵殿は何度か席を立とうとしたようですが、中々…」

「いやそんな、松姫様が謝る事はございません」

 勝右衛門の言葉に微笑をうかべ、松はそのまま座り、勝右衛門を見た。勝右衛門は人払いと察し、

「竜之介」

 と退室を促した。

「違います。失礼ながら…」

 退室を命じられたのは勝右衛門の方だった。

「これは失礼いたした。では」

 勝右衛門は退室した。

「松姫様?」

「竜之介殿は美濃生まれだそうですね」

「はい」

「諸国を旅されるとの事ですが…美濃に戻るのはいつごろなのですか?」

「父から三年後と伺っています」

「三年後ですか…」

 松は肩を落とした。

「な、何か?」

「美濃の岐阜城にいる織田信忠様に文を届けてもらおうと思っていたのです…」

「も、申し訳ございません。三年先じゃあ…仕方ないですよね」

 松は傍らに置いていた巾着袋から大事そうに巻物を取り出した。そしてそれを広げる。絵姿だった。

「『織田奇妙丸元服図』…織田信忠殿の絵ですね」

「はい、それとこの折鶴。私に贈って下さいました。松の宝です。前は松の部屋に絵を飾り大事にしていたのですが…勝頼兄様に破かれそうになって…ぐすっ」

「もう織田との関係は修復不可能。ゆえに勝頼様は松姫様に信忠殿をあきらめさせようと」

「あきらめる事など…できません! もし違う殿御と添い遂げよと言われたら松は死にます!」

「松姫様…」

「ごめんなさい…。竜之介殿に申しても仕方ない事なのに。でも家中の者にこんな事は言えないし…」

「どうして…会った事もない信忠殿をそんなに慕えるのですか?」

「なんででしょう…。松にも分からない。でも松の心は信忠様の事で一杯なのです」

「信忠殿がうらやましい。それがしもいつか女子にそんな事を言われたいものです」

「竜之介殿なら、きっと望む数だけ…」

 松は笑って言った。竜之介は思わず顔が真っ赤になった。

 

 その後、松は今まで信忠から届いた手紙の内容や、信忠に送った手紙の内容を嬉々として話した。そして何度も何度も、どれだけ自分が信忠を思慕しているのかを竜之介に話した。

 竜之介は松を見つめ、ちゃんと聞いた。どうやら竜之介は聞き上手らしい。長じて水沢隆広と云う名になってからも彼は聞き上手であった。松は自分の話を聞いてくれるのが嬉しかったか、今までないほどに饒舌だった。だが竜之介はニコニコ笑い、その話を聞いた。

「ありがとう竜之介殿、松の話を聞いてくれて」

「いえ、実に楽しかったです。特に信忠殿の事を話す松姫様は嬉しそうで楽しそうで、そんな松姫様の顔を見ているのは竜之介も何か心を満たされた思いです。織田の若殿より先に、松姫様のそんなかわいらしい顔を見られた竜之介は果報者にございます」

「まあ、竜之介殿は世辞が上手です」

「いやァ本当にございます、あっははは」

 誰にも言えない信忠への想いを思い切り話せた松は、少し晴々とした顔をしていた。やがて松は竜之介に一つ頭を垂れて部屋から出て行った。

 

「それにしても織田の若殿も情けない! あんなに想われているのだから奪いに来るくらいの気概がほしいもんだまったく!」

 後にそれの助力をするとは想像もしていない竜之介だった。そしてしばらくすると竜之介は長庵に呼ばれた。いや正確には武田勝頼に呼ばれた。快川から学び、甲州流の槍術も中々のウデ前と聞き興味が出たのだ。すでに重臣たちは退室していたが、勝頼の前には長庵と諏訪勝右衛門が座っていた。

「竜之介、こちらに」

 勝右衛門が勝頼の前に座るよう促した。

「はっ」

 竜之介は勝頼の前に鎮座し、平伏した。

「長庵が養子、竜之介にございます」

「ふむ、顔をあげよ」

「はっ」

 勝頼はジーと竜之介の顔を見た。そして思った。

(…これはものになる男だ。思えば水沢隆家の智謀軍略と行政の技を一身に学んでいる身…。将来どれだけ化けるか見当もつかん)

「いくつになる?」

「十二にございます」

「いい面構えをしている。父の信玄、いや…どちらかというと叔父の典厩(武田信繁)の面影が見える」

「そ、そんな…」

 竜之介は赤面した。

「どうだ竜之介、オレに仕えぬか」

「え…!?」

「ははは、お館様、まだせがれは修行中ゆえに」

「いや、オレには分かる。御坊のせがれは将来武田にとり救いの神になるか。それとも最大の脅威になるかいずれかだ」

 長庵の顔から笑みが消えた。

「買いかぶりにございます」

「ならば問うが、御坊は竜之介を誰に仕えさせるために仕込んでいる?」

「それは申せません。お預かりする時、元服するまで明かさない約束をしてございます」

「十分な答えだ。少なくとも武田でない事は分かった」

 勝頼はスッと立ち上がり刀を抜いて竜之介に突きつけた。

「お館さま!」

「お前は引っ込んでおれ勝右衛門! この小僧が後に織田か徳川にでも仕えたら厄介極まりない男となるだろう! 今のうちに討っておく」

「し、しかし、竜之介はまだ十二の少年でございますぞ」

「だから危険な芽は摘んでおくのだ」

 

「……」

 竜之介の養父長庵は黙っていた。この局面を息子がどう乗り切るか見てみたかったのである。それにしても勝頼の眼力の凄まじさである。彼の予言は的中するのであるから。長庵に教えを受けた時とは異なる勝頼の側面である。

「竜之介よ」

「は、はい」

「一つ問おう、父の信玄をどう思うか?」

「え…!」

「遠慮はいらぬから思った通りを言ってみよ。返答によっては刀を引き、このまま恵林寺での修行を許し、かつ快川に学問だけではなく、武田の兵法、築城術、開墾術、治水術まで教えて良いと伝えよう。しかし落第なら斬る。申せ!」

「は、はい。では僭越ながら…」

 竜之介は鎮座し、勝頼を見つめ言った。

「尊敬はしています。しかし信玄公のような武将にはなるまいと思っております!」

「ほう…」

 これは勝右衛門も驚いた答えだった。

「ずいぶん矛盾した言い草だな。理由を聞かせよ」

「はい、父の信虎様を追放したのは別として、信玄公は妹を嫁がせた同盟中の諏訪家にもだまし討ち同然で攻め入り! かつ生け捕った敵の将兵を甲州金山でどれい同然に酷使し、その妻と娘を自軍の将兵の慰み者として与えました!

 志賀城攻めでは前哨戦の野戦で捕らえし三千の敵兵すべての首を切り志賀城の前に並べる残酷な行為! そして鉱山の人足にあてがった娼婦たちを鉱山の秘密を知る者として皆殺しにした事! 信玄公は鬼にございます! 絶対そんな武将にはなりたくございません!」

「ならどうして尊敬していると申す?」

「領内の河川の治水事業や、勝たずとも負けなければ良いと云う考え、三増峠の合戦による敵の心を攻めた作戦が好きだからにございます。

 それに『人は城、人は石垣、人は堀。情けは味方、仇は敵なり』と云う言葉も、『およそ軍勝五分をもって上となし、七分をもって中となし、十分をもって下と為す。その故は五分は励を生じ七分は怠を生じ十分は驕を生じるが故。たとえ戦に十分の勝ちを得るとも、驕を生じれば次には必ず敗るるものなり。すべて戦に限らず世の中の事この心掛け肝要なり』と云う勝者の驕りを戒めた言葉が大好きだからです。

 信玄公の良いところは心から尊敬し、非道な行いは断固軽蔑いたしております! それが答えです!」

 ポカンとして竜之介の答えを聞いた諏訪勝右衛門。そして勝頼は

「ふっははははは! あの世で父も苦笑いしていような! あっははははは!」

 刀を収め、席に戻った。そして長庵に頭を垂れた。

「ご無礼許されよ長庵殿」

「いえ、今の局面でせがれはまた学びました。礼を申し上げます」

「竜之介!」

「は、はい!」

「オレの前で“信玄を軽蔑する”と言い切った度胸気に入った! オレに仕えてくれぬのは残念だが約束は約束だ。快川から武田の知識と技、ありったけ持っていけ!」

「は、はい! ありがとうございます!」

 

 武田勝頼は竜之介を一目見て非凡な器を感じた。後世凡将と云われる勝頼であるが、それが誤りである事が竜之介の才幹を一目で見抜いた事で分かる。本来なら極秘とも言える自家の兵法や武術を流浪の小坊主に教える事なんてありえない。だが勝頼はそれを惜しまずに提供する事を申し出てくれたのだ。有能な者を愛するのは父の信玄ゆずりであった。

 余談だがこんな話も伝わっている。竜之介は武田勝頼の計らいにより、恵林寺へ滞在中に諏訪勝右衛門から槍術、恵林寺の快川和尚から信玄の兵法と、甲州流の治水、築城術、開墾術を教わった。しかし恐ろしいほどの早さで知識を吸収する竜之介を見て、快川と同門の僧である策彦周良が

「もし彼が上杉、北条、織田、徳川などに仕えたら武田にとり大変な脅威になる。これ以上の指導は災いになるかと」

 と、快川に忠言した。策彦周良も名僧として信玄に認められた僧である。勝頼同様に竜之介の才幹を見抜き、そして恐れた。だが快川はこう答えた。

「たとえそうでも、武田の技が一人の天才に受け継がれるのなら無駄にならない。あの少年ならば武田の智と技をより昇華させ、民たちに役立ててくれよう。その民が何も武田の領民でなければならないと云う事もあるまい。たとえ敵同士になったとてこの日の本の民が一部幸せになるのは明らかなのだ。ワシは続ける」

 と言ってのけた。そして快川がもっとも竜之介に重点的に教えたのは治水術である。治水を通じて竜之介に武将としての教育を施した。信玄が国造りに対しての言葉に

『領地をよく治めるには、国々の様子を知り、人々の智慧をはかり、やたらに人を使うのではなく技を使うべきである』

 とある。後年の水沢隆広はこの理念をもって民政に当たった。肝腎の治水術においても竜之介には惜しみなく与えられた。

 聖牛と呼ばれる治水装置、聖牛とは牛の形に似ている事から付けられた名前で、木材を三角錐に組み合わせ底に重石が入れてある。聖牛は川の水かさが増すと水中に沈み、水流をかき回して穏やかにする。

 これは現在も日本で、いや世界でも使われている技術である。後年に水沢隆広家臣、石田三成が九頭竜川の治水でもこの聖牛を用いている事から、快川を通して信玄の技術が水沢隆広と石田三成にも継承されたと云う事になるだろう。

 武田信玄の治水術は単なる堤防工事ではなく水をもって水の勢いを削ぎ、自然のチカラを利用して洪水の被害を防ぐ水難防備工事だった。水沢隆広は無理に堤防で水を押さえ込まないこの甲州流治水を好んだ。そしてこの治水術は水沢隆広の手によってさらに昇華するのである。

 

 いよいよ恵林寺での修行最後の日だった。諏訪勝右衛門も高遠城に帰るが、勝右衛門夫妻と竜之介は別れを惜しみ、中々離れられない。

「勝右衛門先生、ご指導ありがとうございました!」

「ああ、お前も元気でな。忘れぬぞ」

「はい…!」

「旅先で生水飲んじゃダメよ。体に気をつけてね」

 母親代わりのように竜之介の面倒を見てくれたお花。彼女も別れが惜しかった。

「はい、お花様もお元気で…」

「それから竜之介殿の髪を結う紐、何本か作っておいたので」

 竜之介は小さい木箱に入った結い紐をお花から受け取った。

「大事に使います。竜之介の髪を整えし紐には、ずっとお花様からいただいた紐を使わせてもらいます」

「ぐすっ…。それじゃ元気でね」

 竜之介は二人の姿が見えなくなるまで見送っていた。竜之介と勝右衛門夫妻の再会はこれより八年後。勝右衛門夫妻の前に竜之介は水沢隆広と云う名で、そして敵として現れるのである。

 諏訪勝右衛門は水沢隆広と一騎打ちで戦い散り、そしてお花は武田に弓引き、夫を討った隆広を“恩知らず”と罵るかのように隆広の眼前で自決する。そんな悲しい結末を三人は想像も出来なかっただろう。

 

 見送りに松がやってきた。

「長庵殿、竜之介殿、これ勝頼兄様が路銀の足しにと」

「とんでもござらん! 受け取れませぬよ」

 長庵は固辞するが、

「受け取ってくださらなければ松が叱られます」

「仕方ございませんな…」

 やむをえず長庵は勝頼からの贈り物を受け取った。そして松は竜之介に向いた。

「竜之介殿」

「はい」

「いつかは松の話を聞いてくれてありがとう」

「いえ」

「お元気で」

「松姫様も」

 松に随行してきた兵の中には源三郎と源次郎もいた。兄弟は竜之介に手を振っていた。竜之介も二人に手を振って応える。真田兄弟と竜之介はこれより八年後、敵同士として会う事になる。そんな運命を竜之介、源三郎、源次郎は知る由もない。

 

 松が立ち去り、長庵と竜之介は快川に別れを告げた。

「快川和尚様、今までのご教授、竜之介終生忘れません。ご指導ありがとうございました」

「うむ、達者でのう」

 快川も名残惜しそうだった。別れにあたり色々言おうと思ったが、さしもの智者の快川にも言葉が中々出てこなかった。竜之介の肩を抱いて、微笑んだ。それだけで十分だった。

「和尚様、『強さと敵を蹴散らすは違う』の意味、まだそれがしには分かりません。でももっともっと勉強して、色んな事を経験して、必ず正解を持ってまいります!」

「楽しみにしております」

「はい!」

「では参るぞ竜之介!」

「はい父上!」

 こうして竜之介と長庵は恵林寺を去った。だが快川と竜之介の再会はあまりにも悲劇であった。

 

 隆広の少し長い話も終わった。

「そうでしたか…。あの時に討たれた諏訪殿とそれほど深き師弟の絆が…」

 少し涙ぐんでいる奥村助右衛門。

「その奥方ともそれほどの縁…。こたびの戦、つらかったでございましょうな…」

 慶次は壮烈な最期で死んだ花の姿を思い出した。そして

「斬ったのはそれがし…。申し訳ござらん」

 奥村助右衛門は隆広に詫びた。

「オレを守ろうとして行った事だ。そなたに責任などない」

 隆広は自分の髪を結っている紐を解いた。隆広は今でもお花のくれた紐で髪を結っていたのだった。隆広の長い髪がパサリと落ちる。そしてその紐を両の手で持ち

「オレを見つめたあの悲しい目、忘れない。“師と云えば父も同じ、あなたはその父を殺した、必ず報いを受けましょうぞ”と云う言葉も忘れない。だがオレは逃げないよ。その報いを受ける日まで…」

「その報い…。我ら三名も受けましょうぞ」

 助右衛門が微笑み、言った。

「ありがとう」

 隆広はニコリと笑い、再び髪を結った。

「しかし…快川和尚から直々に武田の技を教えられたなんて…どうりで甲州流の治水や築城に詳しいはずですね」

 と、石田三成。

「快川和尚様の教え方が良かっただけさ。そしてそれを教えても良いと許して下された勝頼様のおかげだ。そして佐吉もそれをオレを通して学び九頭竜川治水に役立ててくれた。オレはもっともっと治水と開墾で武田の智と技を人々に教えたい。越前だけでなく、他の洪水や凶作に悩む国々に。武田はこのまま滅ぶかもしれないが、その叡智は永遠にこの国に生きる」

「それを成そうとするのならば、お花殿の述べた『報い』もどこかへ行ってしまうかもしれませぬぞ」

「上手い事を言うな佐吉、あっははは!」

 豪快に笑う慶次。

「まこと佐吉の申すとおりです。今思いし大望、お忘れあるな!」

「ありがとう助右衛門、みんな…」

 少し涙ぐんでしまう隆広。

 

「あともう一つ」

「なんだ慶次」

「今までどうして戦場で槍を武器にしなかったのですか?」

「大した理由じゃない。オレには膂力がない。そなたの朱槍を持つのがやっとの非力さだ。槍と刀剣の技を身につけてオレ個人の武芸は刀剣に向いていると思っただけだよ。また助右衛門や慶次のような豪傑が左右にいるんだ。使う必要もなかったと云うのが一番の理由かな。だけど…」

「だけど?」

「槍術を通じて色んな事を学んだ。『受け』『払う』『突く』の基本は、あらゆる兵法にも通じるものであり、そして槍術の鍛錬は肉体と精神の研鑽に繋がった。実際に槍を戦場で使わずとも、勝右衛門先生から得た槍の技はオレの一生の宝だ」

 隆広本陣の陣屋、その奥に丁重に置かれている勝右衛門から贈られた槍を見る隆広と慶次たち。

「あの槍、無銘だそうだからオレが『諏訪頼清』と名づけた。今後の戦場にはあの槍を愛槍として用いる。いつも師と一緒だ」

「ま、それがしと助右衛門が使う機会などそうは与えませぬがな」

「確かに、あっははは」

「うん、頼りにしているぞ二人とも!」

「「お任せあれ!」」

「さ、明日は早朝から新府へ進軍だ。そろそろ休もう」

「「ハッ」」

 

 水沢隆広は後年に諏訪勝右衛門が領地としていた高遠城南西の橋本郡八百石の地に、師とその妻お花の廟を建立した。

 諏訪勝右衛門とお花の肖像画を高名な画家に命じて描かせ奉納し、お花が好きだった桜の樹を敷地一杯に植えさせ、隆広はその廟に勝右衛門とお花の名前を合わせて『清花院』と命名した。隆広は没するまで毎年の墓参を欠かさなかったと云われ、隆広の没した後には地元の民たちが毎年の供養を欠かさず、そしてそれは現在に至るまで続けられている。



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四面楚歌

 新府城の勝頼の部屋。ここで勝頼は松に会っていた。

「そうか、竜之介と会ったか」

「はい…」

「オレも会った。鳥居峠でな」

「勝頼兄様」

「一万二千の軍勢を…縦横に使いこなしておった…。良い予想ははずれ、悪い予想は当たるが世の皮肉。竜之介は最大の脅威となって甲斐に戻ってきたわ。ふふふ」

「でも…竜之介殿は武田への気持ちを忘れているわけではありません。勝右衛門殿を討たれた後、泣いておられました…」

「分かっている。なあ松」

「はい」

「躑躅ヶ崎で竜之介を見て、その才を知った時、一瞬お前を竜之介にくれてやろうと思った」

「え…!」

「信忠が忘れられないお前を竜之介と強引に娶わせ、そして竜之介もわが家臣。これは妙案だと考えた。お前も竜之介には好意的だったしな」

「勝頼兄様ったら…」

 松は顔を赤めた。

「だが…すべて夢だな」

 

「父上」

「おう信勝か」

 信勝とは武田勝頼の嫡子である。当年十六歳。

「諸将が軍議を求めておいでです」

「そうか。分かったすぐ行く」

「はっ」

 信勝は下がった。

「松」

「はい」

「相模の体調が悪い。連れ添ってやっていてくれ」

 相模とは北条夫人と呼ばれる勝頼の妻である。ここ数日は風邪をこじらせ熱が出ていた。松より一歳若い勝頼の幼な妻だった。北条氏政の妹で政略結婚ではあったが勝頼はこの幼な妻を溺愛していた。

「分かりました。私が相模殿についています」

「頼むぞ」

 勝頼は松にニコリと微笑み、部屋を出て行き評定の間へと向かった。

 

「待たせたな」

「「はっ」」

「今まで重臣たちの間で協議された事を聞かせよ」

「お館様、恐れながらこの城は未完成。とうてい織田勢は食い止められませぬ」

 と、真田昌幸。

「ふむ…」

 しばらく軍議を重ねていると、そこに衝撃的な報告が届いた。

「も、申し上げます!」

「なんだ」

「あ、穴山信君様! 徳川に内通! 徳川軍と共に甲斐に侵攻!」

「な、なんだと!」

 絶句する勝頼。真田昌幸もあぜんとした。

「穴山殿は信玄公の甥! 妻の咲殿(後の見性院)はお館様の姉! それが裏切ったと申すのか!」

 声も出ない勝頼。不仲ではあったが一族の中でもっとも信玄に繋がりの深い穴山信君。それが織田に寝返った。

「そんな事が…!」

 恵林寺で自分の指針を長庵に照らしてもらった勝頼。だが実際勝頼は不本意ながらそれが実行に至らせなかった。何故かといえば、やはり重臣たちとの軋轢である。勝頼とて人間。自分を軽視して、いつまでも“お館様(信玄)ならば”と述べる重臣たちより、自分の子飼いで忠実に活躍してくれる家臣を重用するのが自然である。

 秋山信友は岩村城の破却を頑強に拒否し、それから勝頼とは不和だった。駿河の海の利権においては穴山信君が介入を拒んだ。上杉へ積極的に和を講じるのも重臣に反対された。

 勝頼は長庵の言うとおり、とことん礼儀を尽くして助力を得て織田と徳川に備えようとしたのであるが、重臣たちの“姫(菊姫)を嫁がせて和を講じ、上杉と不戦状態になっただけで十分。お館様は謙信の家臣になれとまで申してはいない”と云う頑強な反対が生じ、実現できなかった。

 長庵の忠言を実行しようとしても重臣たちの事ごとくの反対で実現不可だったのである。君臣の融和を図っても、何かといえば父信玄の名を出して勝頼のやる事なす事に反対する重臣たちに勝頼もついに焦れて

“オレは武田家を思ってやろうとしている。オレが発した言葉も父が発したのならお前らは受け入れるのであろう。そんなに父が良いのなら、今の武田から出て行くがいい”

 と、ついに先代からの重臣たちと決裂。いつまで経っても当代を認めようとしない重臣たちにも非はあるだろうが、勝頼ももう少し根気強く重臣たちに当たるべきだったのかもしれない。武田勝頼の悲劇はまさに父の信玄が偉大すぎた点だろう。

 信玄は早いうちから勝頼を世継ぎに指名して、君主として帝王学を仕込むべきであった。

 それどころか養嗣子とした孫の信勝を世継ぎに指名して、勝頼を信勝成人までの後見と位置づけた事は病の床につき冷静な判断ができなかったとは云え、信玄の失策と言えるのではなかろうか。家臣たちがそれでは勝頼に従えないと主張するのも無理らしからぬ事だろう。

 

 やがて信長の罠である高天神城の攻防戦が繰り広げられ、長篠では大敗。北条との同盟も亀裂し敵に回してしまった。上杉も景勝に世代交代してもはや助力は願えない。

 だからと言って織田信長は武田勝頼を軽視していたわけではない。“勝頼は表裏をわきまえた武将ある。油断は出来ない”と認めている。だからこそ討つに備えて徹底した。長庵の予言どおり高天神城を矢面に出し、取られたら取り返しを繰り返した。軍費の消耗を待ち、そして最後は見捨てざるを得ない状況を信長は作った。もはや滅亡への連鎖反応。家臣は次々と寝返り、逃亡した。

 

「お館様、しっかりなされい!」

「昌幸…」

「今は、どこで織田を迎え撃つかにございまする! 寝返った者は放っておきなされ!」

「すまん…」

「事は急がねばなりますまい。新府城では織田勢は防げませぬ。手前の岩櫃城(群馬県吾妻郡東吾妻町)にお越しあれ! お館様と若君、奥方様をお守りいたす!」

「昌幸よ…」

「あいやしばらく!」

 一族の小山田信茂だった。

「信茂、何か」

「いくらなんでも新府から岩櫃城は遠すぎる。手前の岩殿城(山梨県大月市)にされよ。それがし先導つかまつる」

「お館様…!」

「昌幸、やはり岩櫃城は遠すぎる。雪もあるし女の足も考慮せねばならん。信茂の岩殿城にいたす」

「はっ…」

「せっかくの申し出だったのにすまぬな」

「お館様…。まだ武田は負けておりませぬ。必ずや再起を!」

「すまぬ…!」

「小山田殿、頼んだぞ!」

「承知した」

「すぐに発つ。昌幸、新府に火をかけよ!」

「ハハッ」

 

 武田勝頼は妻の相模も連れて、岩殿城へと向かった。この時の相模は高熱を発していたと伝えられている。勝頼は息子の信勝に妻を背負わせて小山田信茂の先導で岩殿城を目指した。

 

 織田信忠の進軍中、信忠に伝令が走った。

「申し上げます!」

「何か」

「新府城、炎上しておりまする!」

「なんだと?」

「信忠様! あの煙!」

 隆広が指す方向に噴煙が上がっている。

「まさか…集団で自決でもしたのか!?」

「いや、新府城は未完成の城ゆえ織田を迎撃できないと悟り、おそらくは有力家臣の持つ城へと退避したと思われます」

「なるほど、どこの城に行くと思うか?」

「真田の岩櫃城か、小山田の岩殿城かと」

「ふむ…」

「岩殿に入れば、あの天嶮の要害に、あの精強を誇る投石部隊、容易ではございませぬ。かつ真田の岩櫃城は上野(群馬)にございます。隊列が伸びてしまう上に、真田昌幸殿の用兵は“信玄の眼”と呼ばれたほどにございます。いずれにせよ…」

「城に入る前に捕捉する事、と言うのだな?」

「御意」

 

 しかし、隆広の懸念は意外な人物が払拭してしまう。

「お館様―ッ!」

 隊の後ろを歩く勝頼に衝撃的な報が届いた。

「お、お逃げを! 退却を!」

「どうした?」

「小山田信茂! 突如に我らの入城を拒否! 先行の兵は笹子峠より攻撃を受けてほぼ壊滅!」

「なに…」

 勝頼は呆然とした。

「信茂が…織田に…寝返った…?」

「父上…」

 

ビュウウウウ

 

 雪の甲斐の寒風が勝頼の心身を吹きぬける。まさに悪夢である。父信玄の作り上げた武田家を懸命に守ろうとした。重臣たちとの融和にも心砕いた。だが結果はこれである。私心を捨て、ただ武田家のために寝食忘れ働いてきたのに、家臣たちはとうとう自分を認めなかった。何が悪かったのか、何が足らなかったのか、それは誰にも分からない。

「もはや…これまでか…」

 放心状態で立ち尽くす武田勝頼。あの威容を誇った武田軍が内部から崩壊していく。

「勝頼兄様…」

「松…」

「かつて竜之介殿は…父信玄の良いところは尊敬するが、非道な事は断固軽蔑すると申したそうですね…。確かに父は罪もない人に酷い事をしてまいりました。因果は…子の私たちに回ってきたようです」

「……」

「我ら武田家は織田家に滅ぼされるのではなく…天に滅ぼされるのです」

「これが武田の避けられないさだめと云うか…」

 残る将兵、女たちも嗚咽をあげた。

「…もはや武田の命運もこれまで。せめて武田の祖先の眠る天目山で生涯を閉じよう」

 

 武田勝頼一行は天目山を目指した。天目山は中国の名山天目山に似ている事から名づけられた山で、武田家十代信満の菩提寺栖雲寺がある。

 小山田隊は追撃をせずにそのまま行かせた。当主の信茂にとり勝頼が自分の居城に入城しなければ良いのだ。新府城で勝頼を受け入れる事を述べたのは本心だった。しかし岩殿への道中、信茂は家族、家臣、領民、そして自分の領地の事を思い、考えを変えたのである。

 勝頼の家臣団は小山田の突如の裏切りに怒り狂い、地獄の鬼のごとく反撃に出たか衆寡敵せず。今、勝頼に付き従っているのは五百人を切った。

 

「小山田信茂が裏切った?」

 すでに焼け落ちた新府城に到着した織田信忠軍。そこへ使い番が信忠に報告した。

「ハッ」

「して…勝頼はいずれに向かった?」

「天目山にございます。すでに大殿の下命にて滝川勢が追撃に出ています」

「天目山…。おい隆広知っているか?」

「天目山は武田家十代信満公の菩提寺栖雲寺がある山にございます」

「先祖の菩提寺? ならばそこで…」

「自決を」

「自決くらい静かにさせてやれば良いものを…! 隆広、滝川勢では皆殺しだ。すぐに追いかけろ」

「承知しました」

 松を助けろと信忠は言わなかった。しかし自分を派遣する事そのものが松の救出を願う事であるのは分かっていた。隆広自身も松を助けたかった。

 

 時を少し遡るが、小山田叛旗の知らせを聞いた真田昌幸。すでに彼は兵を連れて岩櫃城へ向かっていたが大急ぎで戻った。

 彼は主君勝頼が自決するなら天目山と読み取り向かったが、その道中で徳川勢と遭遇してしまった。徳川勢はこの時七千の軍勢だった。真田勢は二千の兵しかなかったが徳川の軍勢の中に見た穴山梅雪の旗、許すわけには行かない。昌幸は徳川に攻撃を開始した。

 昌幸の神算鬼謀というべき用兵で徳川軍を後退させた。穴山を取り逃がした事に悔しがる昌幸だったが、その昌幸の下に一報が入った。

 

“ここより南西二里ほどに軍勢が通っている。旗は『歩の一文字』、水沢隆広の軍です”

 追い払った徳川の陣にあった兵糧で腹を満たし終えていた真田軍。昌幸はすぐに水沢軍を追った。それは隆広にも伝わった。

 

“真田二千! 我らを追走しております!”

「隆広様、相手は真田昌幸! しかも北東方面から我らを追尾と云う事は徳川七千を蹴散らした事となりまする!」

 と、奥村助右衛門。

「いかに隆広様が智将であっても真田昌幸相手では経験が違いすぎまする。兵も精強! 徳川に勝ち勢いが乗っておりまする。しかも我らは勝頼殿追尾のため織田陣を出てきたゆえ、兵は千五百しか連れてきておりませぬ!」

 と、前田慶次。隆広は少し考え、そして命令した。

「梯子を作れ。四間(7メートル)ほどのだ」

「は?」

 奥村助右衛門と前田慶次は顔を見合わせた。

「説明している暇はない。大急ぎで四間の梯子を作るのだ!」

「しょ、承知しました。大急ぎで四間の梯子を作れ!」

「「ハハッ」」

 助右衛門の下命で兵が急いで梯子を作った。

「おい助右衛門、隆広様は何を考えておられるのだ?」

「分からん…」

 隆広は馬上から辺りの地形を見ている。雪の甲斐の山々を。

「梯子が出来ました!」

「よし」

 隆広は馬から降りた。

「ここに立てよ、オレが登る。みなで梯子が倒れぬよう押さえてくれ」

「「承知しました!」」

 兵が梯子を立て、そしてみなで押さえて安定させた。隆広はその梯子に登る。そしてもう一度山々を見渡した。

「雪がずっと続いている甲斐…。必ずあるはずだ…」

 高所にあがり周囲の地形を注意深く見る隆広。彼はある条件を満たしている山を探していた。そして見つけた。

「よし、あった! 良いか!」

「「ハハッ!」」

 梯子の上から隆広は全軍に指示を出した。

「全軍、かの山のふもとに偃月の陣をもって布陣する。真田勢はすぐそこまで来ている。急げ!」

「「オオオッ!」」

 武田攻めのさなかに発生した小競り合い程度だが、大将が面白い。真田昌幸と水沢隆広である。まさに当代の智将同士の激突だが、この合戦は意外な形で終わっている。

 

「申し上げます! 水沢勢は津笠山のふもとに陣を張りました!」

 馬を駆る真田勢に物見の報告が入った。

「陣形は!」

「偃月の陣と思慮されます!」

「信幸!」

「はっ!」

「偃月の陣に有効な陣を述べい!」

「はっ、鋒矢の陣にございます!」

「うむ! 全軍鋒矢の陣を構えいッ! このまま水沢陣に突撃するぞ!」

「「「オオオオッッ!!」」」

「兄者、水沢隆広とはやはり…」

「竜之介殿だろう」

「彼と戦うのか…」

「雑念は捨てろ幸村、誰であろうとお館様に仇なすヤカラよ!」

 

 隆広は敵影を確認した。真田六文銭の旗が迫り来る。雪やまぬ甲斐、隆広の息は白い。だが隆広が考えた策はまさにその雪を兵にする事だった!

 隆広の軍配が津笠山の山肌を指した。一斉に鉄砲が轟く。

 

 ダダダダダーンッッ!!

 

 真田昌幸もさすがである。この鉄砲発射ですべて悟った。

「しまった、雪崩か!」

 そう、隆広は少しの過重がかかったら、すぐに表層雪崩を起こせそうな山肌を梯子の上から探したのである。そしてあるだけの鉄砲の轟音をもって、それを誘発した。大気が震え、地鳴りが響く。

「ちぃッ!」

 真田昌幸は馬を止めた。そして先に見える若い男。馬上で静かに真田昌幸を見つめている水沢隆広。

「あの小僧! やりよったわ!」

 

 ズズズ…ッッ! ドドド…ッッ!

 

「全軍とまれーッ 雪崩だ!」

 津笠山の斜面から一斉に雪崩が襲ってきた。昌幸の判断がわずかに遅れたら真田軍は生き埋めとなっていただろう。真田の軍勢手前をかすめただけで済んだ。真田と水沢の軍の間に大きい雪山が出来てしまい、もう水沢軍を追う事が出来ない。水沢軍はすでに戦場を離脱して勝頼を追い始めた。

「何たる不覚じゃ!」

 忌々しそうに雪を蹴飛ばす昌幸。水沢勢が去っていった方角を見て呆然とする幸村。

「まさか雪を使ってくるなんて…」

「智将と呼ばれているとは聞いていたが…してやられたな」

 と、真田信幸。息子たちの会話を外に昌幸は眼前に広がる雪山を見て

「やはり、この雪山を軍勢で迂回していては間に合わぬ。お江!」

「はっ」

 お江とは真田家に仕えるくノ一である。

「佐助を連れて、水沢勢を追い、大将の水沢隆広を殺せ」

「承知し…」

「父上、お待ちを」

 昌幸に命に従い、水沢軍に向かおうとしたお江の肩を掴んだ真田信幸。

「何じゃ信幸」

「父上、お館様(勝頼)を追尾する水沢隆広、手前と源次郎(幸村)存じうる者でござる」

「なに?」

「以前にお話した事もあるはず。恵林寺の快川和尚に指導を受けし竜之介殿の事を」

「…それが長じたのが水沢隆広と?」

「御意、竜之介殿の養父はあの斉藤家の戦神と呼ばれる水沢隆家殿。その名を継ぎし者は竜之介殿おいてござりませぬ」

 真田昌幸も躑躅ヶ崎館で長庵こと水沢隆家を見た。我も及ばぬと見た人物だった。

「あのお方の養子か…」

「竜之介殿はお館様の肝煎りで武田の技を学びました。それがしと源次郎も木槍を交えた御仁です。高潔なお人柄でした。たとえ敵味方になったとはいえ、お館様に無体なマネはいたしますまい」

「…」

 昌幸は信幸を見つめる。

「そなたと源次郎が、その竜之介と会いしはもう八年前であろう。その高潔も変わっておるやもしれぬぞ」

「いえ、それはありえません」

 と、真田幸村。

「なぜ、そう言いきれる」

「事実、水沢は松姫様を新府城まで丁重にお連れして下されたではございませんか。落城の中にいた敵方の姫など、どうにでもできたはず。しかし水沢は松姫様を最上の礼をもって新府までお届けして下された。そんな御仁がどうしてお館様をなぶり殺す真似などしましょうか」

「…分かった、お江」

「はっ」

「我らは岩櫃城に引き上げるが、そなたは佐助を連れて水沢軍に紛れ込み、もし水沢隆広がお館様を討とうとしたならば殺せ。だが信幸や幸村の申すとおり、水沢隆広が武士の節義をもってお館様の最期の地と時を守るのであれば手出しは無用、そのまま帰ってまいれ」

「ハッ!」

 真田昌幸はもはや勝頼を救出する事が不可能である事を分かっていた。小山田の叛意を知った時点で軍勢を返しても、勝頼にたどり着くまでの道は敵で満ちている。もし徳川と水沢を蹴散らしても、その後には滝川勢がいる。

 そして徳川と水沢が蹴散らされたと織田方が知れば、織田の大軍勢が真田の横腹をついて、結局全滅したうえ勝頼の救出はおぼつかない。水沢軍との接触で進路を断たれた真田勢は引き上げるしかない。そして勝頼は助けられない。

 ならばせめて忍びを水沢軍に向けて、水沢軍が勝頼を殺す気ならば水沢隆広を討ち、水沢隆広が武士の節義をもって勝頼の最期の時と地を守るのなら、息子二人が“竜之介”を信じるように自分も敵将水沢隆広を信じ、主人勝頼の死出を委ねよう。それが真田昌幸の出来る勝頼への最後の事だった。

「お江、水沢には藤林の忍びが付いている。気取られるなよ」

「承知しました、若殿様(信幸)」

 信幸はお江に賃金を渡した。

「佐助、お江の足を引っ張るなよ」

「ちぇ、殿(幸村)は相変わらずオイラを子ども扱いだ。任せとけって!」

 お江、佐助は真田勢から水沢勢に駆けて行った。

「さて、徳川が退路を断たないうちに岩櫃城に帰るぞ」

「「はっ」」

 真田信幸は水沢軍が去った方角を見た。

(この雪崩作戦といい、鳥居峠での戦ぶりといい…とんでもない武将となって甲斐に帰って来たな…。だが次に会う時はこうはいかんぞ)

 同じく真田幸村は

(あれから八年か、竜之介殿が成長したように、オレとて八年前の男ではない。今度会う時が楽しみだ。その時は敵か味方か分からんが)

 と、微笑を浮かべて馬を返した。そして真田昌幸は天目山に向かい平伏し馬に乗った。もう振り向かなかった。

「信幸、幸村」

「「ハハッ」」

「武田は滅ぶ。だが真田は滅ばぬ。我らこれからが正念場ぞ、二人とも心しておけ」

「「ハハッ!」」

 真田勢は上野国岩櫃城に引き返した。水沢隆広と真田が直接対決をしたのはこれのみである。徳川勢七千を二千で倒した真田。その真田を戦わずして後退させた水沢隆広。派手な合戦は繰り広げなかったが、天候と地形を味方につけた隆広の頭脳勝ちとも云えるだろう。

 負ける事を知らない百戦練磨の真田昌幸の敗戦らしい敗戦は、この水沢勢との対決のみである。

 

 そして水沢勢を追尾する二人の真田の忍び、くノ一お江、そして猿飛佐助が水沢軍に向かった。二人は雪原を駆ける。真冬の甲斐は雪深い。お江と佐助は白い息を吐きながら、水沢軍を追いかけていった。



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気高き老兵

「隆広様、見事にございました。よもや雪崩を使うとは」

 真田との小競り合いから離脱し天目山に向かう水沢軍。先頭を進む水沢隆広に奥村助右衛門が真田への策を誉めた。

「ははは、実は冷静に構えていたけれども本音は真田昌幸殿と戦いたくなかっただけなんだよ。こちらの方が兵も少なく、昌幸殿と俺とでは慶次の申すとおり実力も経験も違いすぎる。あの場で戦っていたら負けていただろう」

「正直にございますな、しかしそれがしも同感にござる」

 苦笑する前田慶次。

「いやいや、逃げるのも兵法。しかし、よく雪崩を誘発できると分かりましたな」

 と、助右衛門。

「うん、鉄砲がなければ不可能な策だった。奥州の戦でも唐土の戦でも雪崩を活用した記録はあるが、手段は雪崩を誘発させる別働隊を作り、地を大人数で踏み続けて地響きをもって雪崩を起こすと云うもの。しかし今は鉄砲がある。弾は雪原に小さな穴を穿つだけだが、その発射の時の轟音は大気をゆらす。連日雪のこの国だ。俺は傾斜のある山肌を探して、それに積もる大雪を崩そうとしたんだ」

「いや恐れ入りましてございます。梯子を使ったのもそれを探すためでございますか」

「そうだ。かつ間違っても自分達が巻き添えにならない位置が取れる場所を見つけるためだ。うまく行って良かった」

 水沢隆広はどう策を練り工夫を持っても勝機はないと思えば戦う前に逃げた。だから彼の生涯には敗戦らしい敗戦はないし、犠牲多大な勝ち戦もない。これは武田信玄の『勝たずとも負けなければいい』と云う理念が隆広にもあったからだろう。逃げ上手であったと云われているが、真田昌幸から一兵も失わずに逃げたのは賞賛に値する。

 彼は勝って敵の首の多さを誇るより、部下を生きて帰らせ、それを喜ぶ家族たちの笑顔こそ誇りにする大将だった。だから彼には優れた部下たちが集まった。

 

 隆広の痛快な逃げの一手に沸く水沢軍とは反対に勝頼の武田軍はみじめだった。決して武田勝頼は凡庸な将ではない。武田勝頼は『甲陽軍鑑』においては

『常に短気なる事なく、喧狂におわしまさず、如何にも静かで奥深く見え奉る』

 と評されており、武田氏の滅亡の原因は、後の世の歴史家をずいぶん悩ませる事になる。とどのつまり、いくら当主や家臣団が優秀でも、時代の流れには逆らえなかったのだろうか。しかし時の流れは、歴史はあまりに彼に残酷だった。

 はじめは五百人ほどいたという勝頼一行も、いつしか一人減り、二人減りして、とうとう百人ほどになってしまった。そんな勝頼一行を追って織田方の滝川勢が迫り、ついに天目山の手前、田野の地において滝川勢に捕捉されてしまった。

 武田勝頼、武田信勝、および最後まで付き従っていた土屋昌恒、小宮山内膳、小原忠継らの武将は滝川勢に向かって討って出た。しかし多勢に無勢、勝算などあるはずもなく、死に場所を求めての特攻だった。

 

 三人の武将たちはまだ勝頼と信勝を逃がそうとした。敵の雑兵に首を取られるよりも、自決による最期であってほしいと思ったからである。

 勝頼は信勝と妻を連れて、戦場を離脱。十数人がそれに従った。あまりに勝頼の姿が哀れに思えたか、滝川一益は追撃を禁じた。

「天目山は武田十代信満の眠る地、そこで生涯を終えるようだ。断じて追撃はならん。静かに逝かせてやれ」

 と、一益は軍勢を退いた。しかし滝川軍の一部雑兵が手柄である勝頼の首と美女の相模と松を欲しがり追撃をした。真田勢と小競り合いをした後、滝川軍とは別の道で天目山を目指していた水沢軍。隆広は忍びからその知らせを聞いて大急ぎで駆けた。

「醜態な…!主君の命に背いてまで手柄が欲しいか…!」

 

「すすめ―ッ!勝頼の首は目前ぞ!」

「女は殺すな!生け捕りだ生け捕りだ!」

 織田の滝川一益の雑兵たちが敗走する武田一行を追い詰めていく。天候は武田勝頼の無念を示すかのように吹雪だった。

「相模…大丈夫か」

「はい…」

 相模とは北条氏政の妹で、武田勝頼の正室である。歳は十九歳で甲斐でも評判の美人で武田家中の若侍の憧れだった。そして勝頼と同じく、その相模を心配し、高熱で苦しむ彼女を背負う若武者がいた。

「母上…」

「…そんなに心配しなくても平気です。若様」

 若様と呼ばれたのは十六歳になったばかりの武田信勝である。勝頼と先妻の子であり、その母は信長の養女である。皮肉にも信勝は義理の祖父に追い詰められているのである。

 もう勝頼の周りにいる人数は二十名を切っている。女もいる。もはや戦うどころではない。勝頼一行は自刃の場を求めて天目山を歩いているようなものだ。

 だが勝頼、信勝の首は織田の雑兵からすれば出世首。見逃すはずがない。また美人と評判の相模と松を犯す順番さえ追撃中に決めていた。もはや疲労困憊の勝頼一行、追いつかれるのも時間の問題だった。

「ハアハア…」

「相模…!」

「殿…私はここまででございます。お斬り下さい」

「馬鹿を言うでない!死ぬ時は一緒じゃ!」

「父上、もう少し歩けば天目山の中腹で、やや広い台地に出られます。そこで」

「そうじゃな…」

 滝川軍の雑兵たちは怒涛のごとく武田勝頼一行に迫る。だがその雑兵たちをさらに追う一行。

 

 ドドドドッッ!

 

 騎馬の一隊のそれは、歩兵である雑兵たちを追い抜き立ちはだかった。

「追うのはならぬ!」

「何を言っていやがる!手柄首を逃しちまうじゃねえか!」

「手柄首だと!負けてすでに敗走している敵の首が手柄になると言うか!」

「オメエみたいに、そげな若さでぬくぬく大将やっている奴に俺たちの手柄に対する気持ちなど分かるもんじゃねえ!そこどけ若僧!」

「ふざけるな!」

 前田慶次が雑兵に一喝した。

「雑兵であろうが大将であろうが武人の誇りに違いがあるか!勝ち戦で手柄首を取りに行くなど恥を知れ!」

 迫力においては隆広を凌駕する慶次である。雑兵たちは何も言い返せず、そのままスゴスゴと引き下がった。

「すまぬ慶次」

「いえ」

「しかし間に合って良かった。矩久、紀茂、天目山の地形図をこれに」

「はっ」

 隆広の部下である松山矩久と高橋紀茂は主命により、土地の木こりに天目山の地形図を描いてもらうべく動いていた。敵地の領民がこちらに地形図を描いてもらえるかどうかと不安であった二人だったが、二人が肩透かしをくらうほどにあっさりと木こりはわずかな報酬で敵方の織田勢に地形図を提供してくれた。

 隆広は馬から降り、雪に地形図を濡らさないように広げつつ、寂しそうに言った。

「そうか、もはやそれほどに勝頼殿から民心は離れているという事だな」

「そのようです。聞けば勝頼殿は無理な税収を民に強いていたようでございます。新府城の築城にもかなりの労役を強いたとの事。やむを得ぬ事とは云え民は勝頼殿から離れておいでです」

 と、矩久。

「部下にも民にも裏切られ…かつての武田の威風が嘘のように思えますな。滅ぶ時はこんなものなのかもしれませぬ」

 慶次も地形図を覗き込みながらつぶやいた。

「ああ、だからこそ最期は静かに逝かせてあげたい…」

 隆広の指先が地形図で止まった。

「ここだな」

 慶次、助右衛門、矩久、紀茂が地形図に目を凝らす。

「今の勝頼殿の位置がだいたいここだとすると…しばらく進めばこの小広い台地に出る。ここで自決するだろう。信忠様は自決くらい静かにさせてやれば良いものを、と述べておられた。我が隊は勝頼殿の最期の時と地を守るのが務めだ。よいか、勝頼殿の最期を邪魔する者は誰であろうと斬れ」

「「ははッ!」」

「では我らも勝頼殿の後に続こう。追撃と勘違いさせないよう、静かに進むぞ」

「「ははっ!」」

 

 その水沢軍に兵として紛れ込んでいた真田の忍び、お江と佐助。

「姐さん(お江)、信幸様の申すとおりの大将だね」

「そうね…。ともなれば問題は水沢勢より…」

「水沢勢より…?」

「行くわよ佐助、この先に武田の恥がいるかもしれない…!」

 

 織田信長本陣に水沢隊が武田勝頼を追尾していると報告が入った。

「ふむ、信忠の差配か」

「御意にございます」

 と、信忠の使い番。

「あの武田が滅ぶか。ネコに使いを出せ。けして勝頼の最期に手出ししてはならぬ。させてもならぬとな」

 傍らにいた森蘭丸も驚いた言葉だった。

「そんなに意外か?お蘭」

「い、いえ!」

「ふははは、顔に書いてあるわ」

「は、はあ…」

「勝頼がまだ抵抗するのなら容赦はせん。だが先祖の菩提寺の山で自決しようと云うのならば、そうさせてやろうと思ったまで。それに…」

「それに…?」

「武田を倒すには苦労させられた。出来れば終わりもそれなりの形にしたいのよ。落ち武者狩りで勝頼らが皆殺しにされるより、勝頼の自決で締め括りたいと考えただけよ。織田と武田の戦の終わりに花を添えるが勝頼の出来る最後の仕事よ。ふっはははは!」

「ならばそのように水沢殿へ使者を」

 使い番がそれを受け、信忠の陣に戻ろうとした時、

「いや待て」

 使い番を止めて苦笑する信長。

「やはり良い、ネコに使者を出すに及ばん。お蘭あやつはおそらく…」

「御意、その大殿の下命を聞かずとも勝頼の最後の時と地を守るでございましょう」

「だろうな」

 

 水沢軍は先を行く勝頼を刺激しないように静かに後を追った。地形図から勝頼が自刃する場所は分かっている。先祖の武田信満が自刃した天目山棲雲寺までたどり着くのは無理であろうが、集団が自決するに足る台地が勝頼一行の先にある。そこで生涯を終えるつもりと隆広は読んだ。これはお江も読んだ。しかしその地に勝頼一行がたどり着けるかどうか、これがお江の抱いた危惧であった。

「落ち武者狩り…?」

 と、佐助。

「そうよ、勝頼様と信勝様の首を織田陣に持っていけば金になると思い、狙っている者がいるかもしれない」

「馬鹿な…!信長はそんなおめでたい男じゃないぜ。勝頼様たちの首を持っていけば不敬不遜の者と信長に斬られるぞ!」

「それが分からないのが落ち武者狩りをする人間なのよ!」

 お江と佐助は木々の上を枝伝いに走った。方向は天目山の棲雲寺。勝頼一行が落ちていく間道脇の森林に潜み、勝頼と信勝の首、美人と呼ばれる相模と松を欲し待ち伏せする卑怯者。それがお江の云う『武田の恥』だった。そしてそれは的中した。

「いた…!」

 勝頼一行がもう一寸もすれば到達する間道脇に落ち武者狩りはいた。お江と佐助は茂みと雪に隠れ、それを見た。

「駄目だ、姐さん。百人以上はいるぞ、二人じゃどうにもならないぜ!」

「しかも…土民に混じり甲陽流と忍甲流の忍びまで…!何たる恥さらし、武田の忍びは未来永劫笑いものになるわ!」

 竹やりを持った土民と共に甲陽流と忍甲流の忍びもいた。それは武田の忍びである。しかし、

「何を考えているんだ!俺たちは武田の忍びだろ!お館様を討とうなんて俺たちは甲斐の人々に永遠に恥知らずと罵られるぞ!」

 その落ち武者狩りの中でただ一人、勝頼一行を討つ事を止めている若者がいた。

「あれは…」

「姐さん、あれは忍甲流の下忍、六郎だよ」

「まだ忍びの誇りを持つ者が忍甲流にいたのね…。だけど一人じゃ…」

 お江の懸念どおりになった。六郎は必死に仲間を止めようとしたが、結局袋叩きに遭い、木に吊るされた。六郎はお江と佐助から見ても下忍とは思えぬ強さだったが多勢に無勢であった。

「や、やめろ…。俺たちは武田の忍びだろ…」

「滅ぶ主家に用はねえ!この上は俺たちの食い扶持と女をくれてもらうとするぜ!」

「「そうだそうだ!」」

「馬鹿な…。信長にお館様の首を持って行っても殺されるだけだぞ!ましてや奥方様と松姫様を陵辱など貴様らそれでも武田の忍び、武田の民か!恥を知れ恥を!」

「やかましい!」

「ぐはっ!」

 六郎の腹に強烈な一撃が入った。お江は悔しさのあまり飛び出しそうになった。

「駄目だよ姐さん!二人じゃ無理だよ!」

 佐助が止めるが

「だからと言って、このまま見過ごせないわ!土民は烏合の衆、忍びの頭目を殺せば何とかな……!!」

 いつのまにか、お江と佐助は囲まれていた。すさまじい殺気の中に囲まれている。お江と佐助は動く事が出来なかった。そして囲む者たちは二人だけに聞こえる声で語りかけてきた。

(お前らも勝頼殿の首を狙う落ち武者狩りの奴ばらか…?)

「まさか…!あんな奴らと一緒にしないで!」

(あなたたち、真田との小競り合いからずっと我々のあとを付けてきたわね。真田の忍びね?)

「……」

(ま、忍びは名乗れないわね…。しかし、この場は我らに任せていただくわ)

「え…?」

(我らは藤林忍軍…。御大将水沢隆広の下命により、落ち武者狩りを駆逐する…!)

 お江と佐助を囲んでいた者たちが一斉に姿を現し、落ち武者狩りの土民と忍びに襲い掛かった。

「なんだ、こいつら!」

「織田の忍びか!」

「落ち武者狩りをする奴ばらになど名乗る名はない!」

 隆広三忍の一人、白が先頭を切って躍り出た。そして同じく三忍の一人、舞の鉄扇が炸裂する。

「運が悪いわねアンタら!うちの大将は落ち武者狩りをする外道が大っ嫌いなのよ!」

 藤林忍軍は二百人いた。相手の数に倍し、かつ落ち武者狩りをしようなどと云う者と腕が違う。瞬く間に落ち武者狩りの土民と忍びは掃討された。

 藤林忍軍の物見により、落ち武者狩りが勝頼一行の先にいる事を知った隆広は即座にその掃討を忍軍に指示した。舞の云うとおり隆広は落ち武者狩りをする者が大嫌いなのである。

「ふん、情けない」

 血糊のついた鉄扇を振り払い、血糊を飛ばす舞。落ち武者狩りをもくろむ者など彼らの敵ではなかった。

「ん…?」

 白は木に吊るされている若者を見つけた。

「死んでいるのか…?」

「…勝手に殺すな、生きている」

「お前も落ち武者狩りに来た奴ばらか?」

「そうだ、とっとと殺せ」

「待って!」

 お江が急いで走ってきた。

「彼は落ち武者狩りを止めようとしてこんな目に遭わされたのです!」

「そんなの見れば分かるわよ」

 舞が六郎を吊るしていた綱を鉄扇で切った。

「止められなかった事も責に感じ、言い訳をしなかった事は褒めてあげるわ」

「確かにな、さて引き上げるぞ。もう落ち武者狩りはいない。我らも隆広様に合流しよう」

「「ハハッ」」

 藤林忍軍は、そのまま風のように去っていった。お江は六郎に訊ねた。

「歩けるかい?」

「ああ、何とか…」

「私たちは水沢勢にまた紛れ込まなくてはならない。悪いけど置いていくよ」

「分かった…」

「これ使いなよ」

 佐助が六郎の前に小さい袋を投げた。

「薬だ、打ち身に効く」

「…すまない」

「じゃ姐さん、我らも」

「そうね」

 お江と佐助も水沢勢を追った。六郎は藤林忍軍に討たれた仲間たちを見つめた。

「言わん事じゃない…。卑怯者の末路はこんなものだ…。ペッ」

 折れた歯を忌々しそうに吐き出した六郎だった。この若者が後に忍びをやめたすずの後に隆広の三忍の一人となる『甲斐の六郎』である。

 

「隆広様、落ち武者狩り駆逐いたしました」

 白が名前の通り白い息を吐きつつ報告した。

「お疲れ様、こちらの被害は?」

「こちらは向こうの倍だよ、ましてや落ち武者狩りしようなんてケチな連中に私達が手傷を負うとでも?」

 強気の舞、乳房を揺らしながら自軍の無事を報告した。微笑む隆広。

「そうだな、では隊列に戻ってくれ。また勝頼殿に気付かれないよう、数名が勝頼殿一行の近くまで斥候に出てくれ」

「承知しました」

 そう隆広に返答すると同時に、お江と佐助が再び水沢勢に紛れ込んだのを見た白。

「隆広さ…」

 白の言葉を前田慶次が制した。

「かまわん、放っておけ」

「しかし真田の刺客でございますぞ」

 慶次は首を振った。

「殺すつもりなら、とっくに隆広様に襲い掛かっている。我ら水沢軍が主君勝頼殿の最期の時と地を委ねるに足る者たちであるか見届けるつもりなのだろう」

 隆広もそれにうなずいた。

「慶次の言う通りにせよ」

「はっ」

「では前進する」

 

 お江と佐助は水沢軍に紛れ込みながら歩いた。少し腹が空いてきた。

(金はあるのに食糧はない、うかつだったな…)

 と、腹の虫をなだめながら歩いていると

「ほら」

 お江と佐助に焼いた握り飯が渡された。渡したのは舞だった。大き目の焼き握り飯、お江と佐助の分を合わせて四つあった。

「『そろそろ腹が減っただろう』って、うちの大将からよ」

「は…?」

「心配しなくても毒なんか入ってないわよ」

 と、頬に飯粒つけて笑う舞だった。水沢軍は進軍しながら食事をしていた。

「ありがたい!姐さんいただこう」

 腹が減っていたのか、佐助はすでにパクパク食べていた。

「無用心ね全く…」

 お江も焼き握り飯を食べた。先頭を行く馬上の隆広の背を見て

「参ったわね…」

 お江は苦笑した。

 

 水沢軍は静かに勝頼一行を追った。雪の甲斐山中、さすがに冷える。隆広は高遠攻めで陣羽織を百合に渡していたため、甲冑の上には何も着ていない。

「隆広様、それがしに予備の外套がありますが着ますかな?」

 と、珍しく慶次が気を利かせた。

「いや、それは他の者に貸してやるといい。俺はいいよ。勝頼殿もこの凍てつく寒さで歩いているんだから。それに妻の相模殿は風邪をこじらせて高熱を発していると聞く。何とかしてやりたいが…」

 慶次はフッと笑い外套を引っ込めようとしたが

「あ!それ私に貸して!」

 と、くノ一の舞が横取りしてしまった。

「う~ん、暖かい。でもこれ汗くさい」

「悪かったな!…ん?」

 先頭を進む隆広と慶次の馬が止まった。彼らの前に一人の兵が立ちはだかった。槍をにぎり、大将の隆広を睨む。その男は老兵だった。傷を負いながらも武田の兵らしく眼には闘志で溢れていた。

「こっから先は行かせねぇ…!だああ!」

 雪が積もっている上に、老兵は負傷している。だが槍の穂先は隆広を捉えていた。

 

 キンッ

 

 その槍は慶次の朱槍に弾き飛ばされてしまった。

「くそったれ!まだじゃ!」

 老兵は刀を抜いた。

「隆広様、同情はかえってこの老兵を辱める事になります。手前が討ち取ります」

 と、慶次が松風を降りようとした時だった。出血も著しい老兵。放っておいても死ぬが慶次は戦って老兵に死に花を咲かせてやりたかった。

「待て」

「隆広様」

「討ってはならん」

 隆広は愛馬ト金から降りた。

「手前は織田家の柴田勝家に仕える水沢隆広と申す。貴殿は武田の兵か?」

「そうじゃ」

 

 ビュウウウウ

 

 雪は強風にあおられて、もはや吹雪となっている。老兵の体力は限界に近づいている。いやもはや生きているのが不思議なくらいである。何が老兵をここまで突き動かすのか。

「勝頼殿を見捨てていく将が多い中、貴殿のような誠の武士もいたのだな…」

「…違うわい、オラの思い…勝頼にじゃねえ」

「え?」

「信勝に…織田に邪魔されずに…見事に腹を切ってほしいんじゃ!」

 老兵は世継ぎである信勝を呼び捨てした。

 

「姐さん…。あの年寄り確か…」

「ええ、間違いない。長篠の合戦で亡くなられたと聞いていたけれど生きておられたのね…」

 お江と佐助には心当たりがある者だったらしい。だが負傷重い老人は、やがて倒れた。

「ご老体!」

 隆広は老兵に寄った。

「オメェが追っ手の大将か…?」

「いかにも」

「武士じゃねぇオラが言うのも変じゃけどよ。武士の情けにすがりてぇ。信勝の最期を邪魔しねえでくれ…」

「ご老体、ご貴殿は?」

「オラは…かつて信玄公の影武者じゃった。盗賊くずれのオラは信玄公にツラァ似ていると云う事で武田に拾われて影武者となった。信勝はオラを本当の信玄公と思い、御爺と呼んで慕ってくれてよお…」

「信玄公の影武者…!」

「親も知らず、妻も子もねえオラにとり『御爺』と慕ってくれる信勝はかわいくてたまらなかった…。勝頼が陣代とやらになり武田家を追い出されてしもたが…信勝を忘れられず…雑兵として武田家にもぐりこみ、信勝の成長をずっと見ていたんじゃ…」

「そうでしたか…」

「…お願いだ、信勝に無事最期をまっとうさせてやってくれよ!もはや武田に抵抗する力はねえ。オメエも武士なら情けかけてやってくれ!」

「分かり申した。信勝殿の最期を、けして邪魔はしませぬ。させもしません」

 老兵は隆広の目に嘘がない事が分かった。

「おお…ありがてえ…」

「ご老体、貴殿の最期を看取るも何かの縁、ご尊名を」

「長兵衛と…」

「長兵衛殿、信勝殿に会ったら言葉を伝えますが」

「『先に行き、待っている』と…」

「承知いたしました。伝えましょう」

「竹丸(信勝の幼名)…もう一度…『御爺』と呼んでほしかっ…た…」

 老兵の長兵衛は静かに息を引き取った。隆広は合掌した。

「…丁重に弔え」

「「ハッ」」

 松山矩久と高橋紀茂が長兵衛の遺体に合掌し、部下と共に隆広の元から運んで行こうとした時、

「お待ちを」

 お江と佐助が隆広の前に折り膝を立てて頭を垂れた。

「我ら二人、真田の忍び、私はお江」

「同じく、佐助にございます」

「水沢隆広でござる。何用ですか」

「その見事な老兵、真田家で丁重に弔わせていただきとうございます」

 見つめ合うお江と隆広。

「ではお願いいたしまする。丁重に願います」

「承知いたしました」

 お江は佐助に長兵衛の亡骸を背負わせた。そして二人は隆広に浅く頭を垂れ、去っていった。つまり言葉に出さずとも、お江と佐助は隆広を勝頼の最期の時と地を託すに足る人物と見た事になる。佐助の背にある長兵衛を感慨深く見つめる慶次。

「見事な死に様でございましたな…」

 感慨深く慶次が言った。

「ああ、こんな愛の形もあるのだな…」

 隆広は愛馬にまたがり、再び勝頼一行を追った。

 

 しばらく行くとお江と佐助は長兵衛を荼毘に付した。燃える炎を見つめ、そして天目山の方角を見るお江と佐助。

「本当に…信幸様と幸村様の言ったとおりの方だった」

「まったくだ」

「水沢様ならば勝頼様と信勝様の最期の時と地を委ねられる」

「本当だ」

「そして長兵衛殿…。ご貴殿は武田の誇りです。真田の庄にて安らかにお眠り下さいませ」

 合掌するお江と佐助。長兵衛はこの後に真田家で丁重に弔われた。後世にもその気高き老兵の生き様は語り続けられ、長兵衛を主人公にした黒澤明監督の大作映画『影武者』は名作中の名作と呼ばれている。



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勝頼の最期

『古くより武田家の守り神であられる八幡様。ここに思いもよらぬ謀反が起こり、我が夫勝頼殿は運を天に任せて出陣なさいました。しかし、それは不利の戦いなのです。このために家臣の心は離れ始め、恩を重ねてきた輩たちもそむく有様です。勝頼殿が、どんなに悔しい思いをなさっている事か。私もまた涙にくれるばかりです。どうか神様、この国に攻め入る者どもを追い払い、勝頼殿をお守りくださいませ。お願い申し上げます。 天正十年二月九日 源勝頼うち』

 これは武田勝頼夫人である相模が夫の戦勝を願い、甲斐の武田八幡宮に奉納した祈願状(願文)である。原文はほとんど平仮名で書かれている。相模の必死の願いである。勝頼の妻の相模は、武将夫人の中で水沢隆広の妻さえと比肩するほどに夫想いの女性だった。

 しかし戦いは利あらず、武田家最後の時を迎えた。勝頼は相模に実家の小田原に帰るように言った。戦国のならいで相模は実家に帰る事ができたのだが彼女は首を振った。北条家とはすでに交戦状態。だが相模は勝頼から離れようとはしなかった。兄の北条氏政と袂を別ち、夫と共に死ぬ事を決めたのであった。一人の女にここまで想われる勝頼がどうして凡庸な男であろうか。だが運命はあまりにも残酷だった。

 

「ハァハァ…」

 相模は勝頼の息子である信勝に背負われていた。この時、相模は不運にも高熱を出していたのである。しかも天候は雪、激しい悪寒にも相模は襲われていた。

「う、うう…」

「母上!」

 もはや意識も薄れ始めた。勝頼は苦悶する妻を見ていられず、刀を抜いた。

「相模…今ラクにしてやるぞ」

「殿…」

「相模殿、松もすぐにまいります」

 松は相模の手を握り言った。

 

 その時、一体の騎馬武者が駆けてきた。突こうとしていた勝頼の刀が止まった。

「追いつかれたか…! ならば斬り死にするまで!」

「待たれよ」

 騎馬武者は下馬し、武田勝頼に頭を垂れた。

「それがし、水沢隆広家臣、前田慶次郎利益と申す」

「そなたが…! 確か長篠の戦いで当家の氷室信成を討った…」

「いかにも、今は役目で勝頼殿一行を追尾する水沢隊に籍を置いております」

「そうか…。剛勇でなるそなたじゃ。一騎だけでも我らを駆逐できよう。この勝頼を討ち手柄とするがいい」

「勘違いなさるな」

 慶次は松風に繋げてあった袋から蓑を取り出し、武田信勝の前に立った。

「な、なんだよ!」

「夫人を下ろされよ」

「ふざけるな!」

「信勝、言うとおりにせよ」

「父上!」

「良いのだ」

「かたじけない」

 信勝から相模を渡された慶次は、雪に濡れた蓑を取り、乾いている蓑と笠を頭にかぶせた。そして焼けた小石を布でくるんだ即席の行火(あんか)を腹と背中と両足につけた。

「あたたかい…」

「しばらくは持つでしょう。あとは…」

 慶次は散薬を相模のクチにいれて竹筒にいれてあった清水を飲ませた。

「もっと飲まれよ。熱を出した時には水分をいっぱい取らねばなりませぬぞ」

「はい…」

「ありがとうございます前田殿。私を新府に送り届けて下されたうえ、かような計らいを…」

 深々と前田慶次に頭を垂れる松。

「これが人の道でござる。礼には及びませぬ」

 

「前田慶次…礼を申す」

「我が主の命でござれば」

「そうか…」

 慶次は相模を再び信勝に背負わせた。背負うに楽なように、信勝と相模を結んで繋げた。

「勝頼殿、我が主の言葉を伝えます」

「ふむ」

「『我が水沢隊はけして勝頼殿の最期を妨害いたしませぬ。させもいたしませぬ。心置きなくご最期を』」

「あい分かったと伝えてくれ」

「これはそれがし個人の気持ちですが、勝頼殿、何か言い残す事があれば…」

「では…そなたがもし真田昌幸に会う事があったら伝えてほしい」

「なんなりと」

「『すまなかった』と」

「承知しました」

 真田昌幸は主君の武田勝頼と共に織田軍と最後まで戦うつもりでいた。自分の城に来るように必死に勝頼を説得した昌幸であったが、勝頼は裏切りの待つ小山田信茂の居城へと行ってしまったのだ。昌幸の忠誠をないがしろにしてしまったと勝頼は悔やんだ。だから最後に詫びの言葉を慶次に託したのである。

 小山田か真田か、これが最後の勝頼再起の分岐点ではなかっただろうか。真田昌幸の居城の岩櫃城は要害であり、かつ防戦の指揮を執るのは真田昌幸。上野にある岩櫃城まで軍を進めば、当然織田軍の軍列は伸びる。信長も信忠も途中で総大将を辞して引き上げるしかない。織田の軍団長に武田討伐をそのまま下命しても、真田昌幸の篭る岩櫃城を落とせるかどうか疑問である。しかし勝頼は最後の好機も逃し、今は滅亡の時を待つ身である。

 

「ではそれがしはこれで。隊に戻り、勝頼殿を再び追い、そして我らは勝頼殿一行の死出の場所と時をお守りいたす」

「すまぬ」

 前田慶次は去っていった。

「父上…」

「皮肉なものよな。味方に裏切られ続けたワシに…最後でチカラになってくれたのが敵将とは…」

「父上、母上がスウスウと眠っています」

「そうか、前田…いや水沢殿のくれた薬と行火が効いたな。美しい寝顔だ」

「さあ父上、まいりましょう。死出の場所に」

「うむ」

 

「そうか…。昌幸殿と勝頼様の間にどんなやりとりがあったかは知らないが…必ず伝えなければならないな」

「はっ」

 慶次は勝頼の言葉を隆広に伝えた。そして

「隆広様」

「え?」

「勝頼殿とお別れをしてきなされ。勝頼殿は隆広様に武田の技能と智慧をくれた恩人。このまま何の言葉も交わさねば一生後悔いたしますぞ」

「……」

「お会いしたいのでございましょう?」

 慶次は将の立場ゆえ隆広がクチに出来ない事を代わって述べた。

「…うん」

「バカな事を言うな慶次! 敗走しているとはいえ敵陣だぞ」

「ヤボを言うな助右衛門。オレも一緒に行くから」

「まったく」

「助右衛門すまん、本音を言えばオレは勝頼様に会いたい」

「分かりました。しかし手ぶらではなんですから…」

 助右衛門は愛馬に結んであった瓢箪をとった。

「これを」

「酒か! 気が利くな助右衛門!」

「こら慶次、お前にやるんじゃないぞ。勝頼殿と信勝殿にだ! お前じゃ一気に飲み干しかねないからな、お前は飲むなよ!」

「へいへい、ならば参りますか!」

「ああ!」

 

 勝頼一行は目指していた台地に到着した。

「ではここで滅ぶとするか…」

「母上はまだ眠ったままです」

「苦痛を味わわないよう、今のままで刺すとしよう」

「はい」

 

「殿!」

 兵が勝頼のもとに駆けてきた。

「なんだ?」

「先ほどの敵将がまた来ました。今度は二人で」

「なに?」

 二つの騎馬が雪を踏みながら勝頼親子に歩み寄った。

「そなた…」

「お懐かしゅうございます。勝頼様」

「竜之介か…!」

「はい」

 隆広は愛馬から降り、頭を垂れた。

「聞いているぞ、その方が父の姿に化けて謙信に突撃をしたというのは。また鳥居峠での戦ぶり、見事であった」

「はい」

「大きくなったな。そしてよりいっそう、いい面構えになりよった。前田慶次ほどの男が臣下になるのも頷ける」

「お褒めにあずかり、嬉しゅうございます」

「しかし、よりによって敵同士となるとはな。しかも…オレはもう滅ぶ」

「勝頼様…」

「後の人は何と言うだろう。偉大な信玄の後を継ぎながら、すべてを滅ぼしたバカ息子と言うであろうな。だがこれも天命だろう…」

『勝頼様に落ち度はない』と隆広は勝頼を弁護したかった。だがそれは勝頼を余計に惨めにするだけである。ただ黙ったまま助右衛門から渡された瓢箪を見せた。

「酒か、これはありがたい」

 盃もない。瓢箪のクチの栓を外して勝頼は飲む。まったく無防備に飲む。もはや毒酒も恐れないし、また隆広と慶次の持ってきた酒にそんな不粋なものが入っているわけがない。

「美味い、信勝もいただくといい」

「はい父上」

 信勝は十六歳、これが初めての酒であった。冷え切った体に熱いものが走る。

「これが酒か…初めて飲みますが美味いものですね」

 信勝は隆広に瓢箪を返し、そして飲み、慶次もまたグイと飲んだ。

「水沢殿、美味い酒であった。また先刻は妻への暖かい計らい感謝する」

「勝頼様」

「味方に裏切られたワシが…最後に敵将に恵まれた」

 

「竜之介殿、色々ありがとう。信忠様とはこの世で結ばれませなんだが、もし生まれ変われたのなら今度こそ妻にしていただきとうござります。そうお伝え願えませんか」

「松姫様…」

「私にもお酒をいただけますか」

「はい…」

 松は一口だけ酒を飲んだ。

「美味しい…」

「松姫様、今ならまだ…」

 首を振りながら松は瓢箪を返した。

「八年前…。オレが松姫様と信忠様の橋渡しができればと何度思ったか! 今、松姫様さえ受け入れられるなら、それが叶うのです! 信忠様の妻となれるのです! 男ゆえ女の気持ちは分からない…。分からないから申しますが、女子なら武田の家名でなく愛を選ばれよ! その方が幸せなのに…何故そちらを選ばず死を選ばれる!」

「…それは私が武田信玄の娘だからです」

「松姫様…」

「ありがとう…。もし信忠様を知る前に竜之介殿と会っていたなら…私は八年前に貴方の妻になる事を望んだでしょう」

 

 吹雪が止み、空は晴れてきた。雲間から日差しの光が照らされ、台地の岩場の上で休んでいた相模の顔を照らした。

「う、ううん…」

「母上、起きてしまわれましたか」

 信勝が歩み寄った。姉弟ほどの年齢差の親子であるが、信勝は三歳年上の義母を大切にしていた。

「若様…」

「熱は?」

「だいぶ楽になりました。さきほどの薬が効いたようです」

 相模は信勝に支えられながら、夫の勝頼の元に歩いた。

「…殿、どうやらここが私たちの最期の地なのですね」

「…いや、やはり相模そなたは小田原へ帰るがいい」

「…え!」

「竜之介、妻を小田原へ送ってくれないだろうか」

「奥方を…?」

「いやです!」

「相模…」

「もはや私は小田原には帰らぬと、そう申したではないですか。殿と最期までいとうございます!」

 隆広は相模の横顔に妻のさえが重なった。きっと自分が勝頼と同じ運命を辿ったとしても…さえは最期まで自分の側にいてくれる。そう感じた。

「すまぬ相模…。そなたのような素晴しい妻と添い遂げられた事、勝頼一生の誇りだ」

 勝頼は相模を抱きしめた。残りし勝頼の部下たち、相模の侍女たちはその姿を見て涙を落とす。

 

「水沢殿…でしたね」

「はい」

「もし…兄に会う事があったら伝えて下さいませんか」

「北条氏政殿にですか?」

「はい、『相模は幸せだった』と」

「承知しました。必ず伝えましょう」

「ありがとうございます」

 ニコリと微笑む相模。隆広もニコリと笑い瓢箪を差し出した。

「いかがですか?」

「まあ、いただきます」

 相模は酒をグイと飲む。顔がほんのり桜色になる。風邪ではない紅潮だった。彼女自身が祈った武田八幡の神が武田の滅亡を止められないのなら、せめてと思い相模の高熱を治したのかもしれない。もう数刻後に死ぬ運命が待つ相模。さながら菩薩のような笑顔を隆広に向けた。

「美味しゅうございました」

 丁寧に瓢箪を返す相模。隆広もまた丁寧に受け取った。そして

「水沢殿」

 と、武田信勝。隆広より年少だが面魂は隆広にも劣らない。

「何でござろう」

「これを真田昌幸の子の源次郎(真田幸村)に渡してくれないだろうか。源次郎はそれがしと主従を越えた友なのです」

 信勝は脇差を隆広に差し出した。

「承知仕った。必ずお渡しします」

「無銘の脇差なれど…源次郎の腰にあれば良き輝きを放つだろうと…」

「確かにお伝えいたします。源次郎殿は、それがしにとっても友でござりますから」

「かたじけない」

「それと、ある方から信勝殿に伝言がございます」

「何でござろう」

「『竹丸、一足先に待っている』と」

「…立派でございましたか。オジジは…」

「はい、武田武士として…それは見事なご最期にございました。あの覇気、それがし信玄公を見た思いでございました」

「ありがとう…!」

 気丈に父母を励まし続けた武田信勝の目に初めて涙が浮かんだ。

 

「隆広様、そろそろ」

「うん」

「竜之介、待て」

 勝頼が呼び止めた。

「陵辱されかけていた百合を助け、全裸にされていた百合に陣羽織を着せて与えたと聞いた。オレの陣羽織では縁起が悪いかもしれぬが…」

 勝頼は陣羽織を脱ぎ、隆広に差し出した。勝頼の陣羽織は隆広が今まで愛用していた陣羽織と同じく赤一色で、毛織物の上質な陣羽織である。背中には不動明王の姿が刺繍されており武将の意気を感じさせる。隆広はそれを両手で受け取り、すぐに着た。

「縁起が悪いなどとんでもございません。竜之介の一生の宝にします!」

「うん、中々似合うぞ」

 今までさえとの婚礼の日に勝家から与えられた陣羽織を着ていた隆広であるが、この日より武田勝頼から譲られた陣羽織を愛用する事になる。

 

 そして隆広は勝頼、信勝、相模、松に言った。

「勝頼様、信勝殿、松姫様、相模殿…」

「…」

「さらばでございます」

「さらばだ、竜之介」

 隆広と慶次は踵を返して愛馬に乗り、勝頼一行の元を去った。そしてその直後…。

 

「父上、さらばにございます!」

 信勝は腹を切った。長兵衛の望んだとおり堂々と切った。他の従者や侍女たちも次々と自決して行った。勝頼は相模を抱き寄せ、そして…

「至らぬ夫であったが…今までよく尽くしてくれた。ワシには過ぎた妻であった」

「相模こそ…。今度また生まれ来るときも…殿の妻に生まれとうございます」

「相模…!」

「殿…! 愛しております…!」

 

 ザスッ!

 

 愛妻の左胸に刀を突き刺した。そのまま相模は雪の上に鮮血を散らし、そして死んでいった。頬には涙に濡れた跡があったが、相模の顔は優しい笑みを浮かべていたと云う。

 辞世『黒髪の 乱れたる世ぞ はてしなき 思ひに消ゆる 露の玉の緒』享年十九歳だった。

 

 松も自決用の小刀を抜いた。

「信忠様…。お先に参ります…!」

 

 ドスッ

 

 松はそのまま雪上に倒れた。二十歳だった。

 

 愛妻を貫いた刀でそのまま腹を切る勝頼。彼の胸に去来するものは何だったろう。無念だったろう。長篠合戦の大敗、そして次々と自分を見限り裏切っていく親族衆や譜代の家臣たち。最後まで一緒にいてくれたのは息子と妻。また皮肉にも最後に勝頼へ武将の礼を示したのは敵将であった。腹を切り、薄れていく意識の中、気丈に振る舞い堪えていた無念の涙がこぼれた。

「無念…!」

 武田勝頼、享年三十七歳であった。

 

 隆広と慶次は水沢隊と合流し、改めて勝頼自刃の地へと入った。死屍累々、勝頼に最後まで付き従った老若男女数十人の亡骸がそこにあった。奥村助右衛門が言った。

「…隆広様、気は進まぬでしょうが勝頼殿と信勝殿の首は大殿と若殿に見ていただく必要がございます。首を切り落としましょう」

「…ああ、首実検のあと、改めて丁重に弔わせていただこう。その他の亡骸はここに弔おう」

「相模殿の亡骸は小田原に帰しますか?」

「いや…。それは相模殿も望むまい。勝頼殿の隣に埋めてやろうじゃないか…」

「御意」

 隆広、慶次、助右衛門は武田勝頼と武田信勝の亡骸を見つけ手を合わせ、そして勝頼と信勝の首を隆広自ら切り落とした。丁重に白布で包み、台座に置いた。その直後だった。

「隆広様!」

「どうした白」

「松姫様は…生きています!」

「なんだと?」

 急ぎ、松の元へ行く隆広。すると持っていた小刀には血がついていない。刀をついた形跡もない。松は気を失っていただけなのである。左胸に耳を当てると確かに心臓の鼓動が聞こえた。

「どういう事でしょう…」

 隆広は勝頼の首を見た。

「おそらく勝頼様は…自決しようとする松姫様に当て身を食らわせて気を失わせたのだ…。生きよと…!」

 松の持っていた小刀を取り上げた隆広。

「武田勝頼様からの遺命である。松姫様は水沢家が庇護する」

「「ハハッ」」

「しかし大殿に知られれば武田の姫である松姫様の命が危うい。慶次」

「はっ」

「武蔵恩方(東京都八王子市)には武田の旧臣の村がある。信玄公から勝頼様への世代交代の混乱で下野したと聞くが、武田家の姫に対しての忠節は消えてはおるまい。その方、庇護を要請し、恩方まで送り届けよ」

 隆広は恩方の武田旧臣の中心人物とも云える三井弥一郎宛に書状をその場で書いた。三井弥一郎は、隆広が恵林寺にいた時に長庵から教えを受けたいと何度か訊ねてきた武田家臣であり、その養子の竜之介と槍術の相手をして親しくしていた。その後にしばらくして部下の公金使い込みの責任を取って下野し、恩方に住んでいる。それを隆広は知っていたのである。

「弥一郎殿なら、必ず責任もって庇護してくれるはずだ」

 その書状と、そして松の当面の生活費と世話を頼む三井弥一郎への礼金も慶次に持たせた。

「承知いたしました。よし、オレの手勢は松姫様の乗る輿を大急ぎで作れ。恩方まで参るぞ」

「「ハハッ」」

「頼む」

「お任せを」

「あとの者は、除雪したうえ、武田の亡骸を埋葬する作業に入れ。丁重に扱うのだぞ」

「「はっ」」

 

 後日談になるが、このあとすぐに前田慶次は恩方の三井弥一郎まで早馬を飛ばした。そして弥一郎は隆広の申し出を快諾し、甲斐と武蔵の国境まで松姫を出迎えに出てきたと言われている。旧武田遺臣を伴い、三井弥一郎は松姫を丁重に出迎え、隆広宛に“すべて任されよ”と返書も送っている。松姫は生き残ったのである。

 

 また、隆広、慶次、勝頼、信勝、松、相模が飲んだ酒を入れていた瓢箪は現在にも奥村家に残り、国宝に指定されている。後世の人々は敵味方を越えて、最後の酒を酌み交わした四人の男と二人の女の姿を感慨深く思い浮かべるのだった。




相模姫(紗代姫)は、天地燃ゆの作中の中で、一番死なせたくないヒロインでした。この方は隆広とほぼ同年ですので、側室になる展開を書けたらと考えたことあります。実現不可でしたけど。


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強さとは

松姫はかなり美女だったようです。彼女の眠る信松院にある彼女の肖像画はホントに美しいので。


 松は前田慶次の隊が運ぶ輿の中で目が覚めた。自分が生きている事に驚いた。小刀を首に突きつけた直後に意識が遠くなった。これが死なのだと思っていた。だが自分は生きている。首に触れてもかすり傷一つない。そして見た事もない輿の中にいた。だがその輿を運ぶ隊の将の事は知っていた。

 なぜ助けたと泣いて松は前田慶次を罵った。慶次は何の反論もせず一通の書状を松に渡した。差出人は水沢隆広だった。松は憤りを抑えつつ、静かに輿の中で隆広の書状を広げた。

 

『松姫様、これを読み出したあたりは竜之介への怒りに心が煮えくり返っているでしょう。ですがお読みいただきたい。

 松姫様、貴方は天目山で死んでいなかった。あのあとにそれがしが勝頼様自刃の地に入った時、勝頼様、信勝殿、相模殿は亡くなっておられた。しかし貴方は小刀を握ったまま、気を失っていただけなのです。おそらくは勝頼様が松姫様自刃寸前に当て身を打ち、気を失わせたのでございましょう。自刃の地へ我々がすぐにやってくる事は分かっていた事。勝頼様は大事な妹君をそれがしに託されました。その遺命、恩を受けし竜之介何としても果たしたいのでございます。

 松姫様、貴方は天目山で一度死んだのです。武田信玄公の娘として死んだのです。もう良いではないですか。おりを見てそれがしが信忠様に松姫様存命を報告します。きっと改めて妻に迎えたいと思うに相違ございません。今こうして生まれ変わったのなら、女の幸せを選んでいただきたい。それが勝頼様の願いであると竜之介は信じております。

 今、松姫様が向かっているのは武州恩方。知っての通り武田旧臣の集落がございます。その長である三井弥一郎殿とは養父長庵を通してそれがし知己でございます。庇護を要請いたしました。

 松姫様、しばらくは恩方で過ごされませ。ですが必ずや信忠様から使者が来るはずにございます。もう二度と死のうとは考えず信忠様との幸せな暮らしを思い、その時をお待ち下さい』

 

 書状に、涙が一粒二粒落ちた。

「う、うう…」

 その書状を抱く松。

「竜之介殿…!」

 

 水沢軍は勝頼自刃の地を除雪した上で土を掘り、勝頼一行を埋葬した。そして隆広は丁重に勝頼、信勝親子の首を運び、甲斐の浪合に敷いた織田本陣に持っていった。織田本陣で水沢軍の軍務処理を任されていた石田三成が一行を出迎えた。

「隆広様」

「軍務お疲れさん」

「いえ、行軍していた隆広様たちから比べれば。ところでその二つが?」

「そうだ。勝頼殿と信勝殿の首だ」

 三成は二つの首に手を合わせた。

「佐吉、すずの具合はどうか?」

「はい、背骨が破損したものの、臓器に鉄砲の弾が至らなかったのは救いだったと医者が述べていました。辛い修練になるであろうが、努力すれば歩行は可能になるのではないかとも」

「ホントか!」

「傷も膿まず、熱も引いています。今は静養が一番と」

「良かった…。どんな形でも生きておれば…」

 その言葉を聞き逃さなかった舞は憤然として怒鳴った。

「どんな形でもと云うのは聞き捨てなりません! すずはもう忍びとして働けないのですよ!」

「責任は取るさ、舞」

「…は?」

「オレがすずの足になるよ。一生な」

「隆広様…」

 

 コホンと一つ咳をする奥村助右衛門。

「隆広様、まずは勝頼殿と信勝殿の首を大殿と若殿に」

「そうだったな。では行くか」

 水沢隆広と奥村助右衛門が武田親子の首を丁重に持ち、織田本陣にやってきた。本陣にいたのは信長と森蘭丸。そして明智光秀と隆広の知らない武将だった。隆広は信忠がいない事に気付いた。その表情から隆広の疑問を読んだ森蘭丸が答えた。

「若殿様は、武田の残党掃討に出陣されている」

「そうでござるか」

 そして見た事のない一人の武将が床几に座りながら隆広に頭を垂れた。

「徳川家康にござる」

「こ、これは!」

 急ぎ家康に姿勢を正そうとする隆広だが、家康は静かにそれを制した。

「かような気遣いは無用。さ、織田殿に武田親子の首を」

「はい」

 隆広と助右衛門は信長の前に台座に乗せた二つの首を差し出した。

「白布を取れ」

「ハッ」

 武田勝頼と信勝の首であった。

「…梅雪とやら、間違いないか」

 徳川家康の後ろ。そこに座っていた男が首まで歩み寄り

「間違いござらん」

 と、少しの笑みさえ浮かべてそう言った。

(梅雪…? 穴山信君か!?)

 目の前にいる男の裏切りが武田滅亡の起因と言っても良い。隆広は信長に頭を垂れながらも激流のごとく湧く怒りを抑えるのがやっとだった。横にいる助右衛門がそれを察し、隆広の腿に手を添えた。

(隆広様なりませぬ。どんなに許せぬ男でも、こやつは徳川様についた者。口惜しいですが今は味方にございます。何一つ罵りを言ってはなりません)

(…分かった。でも見たか。勝頼様の首を見たあと…アイツ笑ったぞ! 穴山はクズだ!)

(…同感にござる)

 穴山信君は武田勝頼、信勝の首を確認すると再び家康の後ろに戻った。そして信長は床几からゆっくり立ち上がり武田親子の首へと歩み、そして

「ふん」

 

 ガッ

 

「な…!?」

 信長は勝頼の首を足蹴にしたうえに、転がる首にツバを吐いた。同じ事を信勝にもした。

「何と云う事を! 敵とはいえ同じ戦場を駆けた相手にござ…ッ!」

 

 ゴォンッ!

 

 信長の鉄拳が隆広の顔面に容赦なく叩き込まれた。たまらず隆広は吹っ飛んだ。

「隆広様!」

「大丈夫だ助右衛門…」

 倒れつつも信長をキッと見据える隆広。信長は自分に逆らった隆広を特に叱る様子もなく静かに言った。

「笛吹川の河原に、このバカ親子の首をさらせ」

「なぜ敵将をそこまで辱める必要があるのですか…!」

「聞こえないのか!」

「隆広様…!」

 主君隆広の悔しさを助右衛門は痛いほどに分かった。しかし信長には逆らえない。逆らってはいけない。自分とて目の前で主人を殴打されたのである。助右衛門も怒りを抑えるのに懸命だった。明智光秀が床几を立ち、倒れる隆広に歩み腰を下ろして言った。

「隆広殿、転がった二つの首が哀れにございます。ここはお引きなされ」

「明智様…」

 光秀の後ろに座っていた斉藤利三や明智秀満も眼で隆広に光秀と同じ事を述べていた。

「分かり申した…」

 改めて信長に鎮座し頭を垂れる隆広。

「つつしんで拝命いたします」

 と、勝頼と信勝の首を拾い出した隆広に

「ネコ」

「は…」

「その陣羽織は何じゃ?」

 朱色の、背中に不動明王が描かれている武田勝頼から拝領の陣羽織。

「この陣羽織は武…」

「まあよい、さっさと首を持ち下がれ」

「は、はい!」

 勝頼と信勝の首を拾い、持っていた手拭で信長のツバを拭き取り隆広と助右衛門は本陣から立ち去った。光秀もホッとして床几に再び腰掛けた。その時…

 

「若いですなァ」

 と、穴山信君が笑って言うと

「穴山」

 信長は阿修羅さながらの形相をしていた。徳川家康、明智光秀も背筋が凍りついた。

「お前ごときに、あの若者を笑う資格などないわ!」

 穴山信君は震え上がり、床几から降りて平伏した。

「も、申し訳ございませぬ!」

「三河殿(家康)」

「は、ははッ!」

「いかようにこの外道を使うもお手前の自由であるが、二度と余の前に連れてくるな!」

「しょ、承知いたしました!」

(ワシとて怒れる織田殿にはこうして怯えるばかりだと云うのに、あの若者の胆力たるや見事なものじゃ。あれでまだ二十か。将来どれほどのものになるかのォ)

 さすがは家康。信長に気圧されながらも水沢隆広と云う人物をちゃんと見ていた。これが水沢隆広と徳川家康の初の対面と言われている。

(多勢のワシらが撤退を余儀なくされた真田を寡兵で後退させた若者。勝家殿が重用するのもうなずける)

 家康はこの時には想像もしていないだろう。水沢隆広は将来、徳川家康にとり最大の脅威となると云う事を。

 

 隆広は信長の命令である『さらし首』を実行しなかった。武田家十代信満の菩提寺栖雲寺の住職宛てに弔いを丁重に行っていただくよう懇願する書状とその代価。勝頼、信勝、相模の亡骸を埋葬した場所を示す地図。そして丁寧に包んだ勝頼と信勝の首を藤林忍軍に持たせた。

 栖雲寺の住職にて高僧の立尚は隆広の要望を快諾して、“万事任されよ”と隆広の陣に返書を届けた。その書状を見つめ、静かに微笑む隆広。

「宜しいのですか、大殿が知れば、いや確実に知る事となりましょう。どう言い訳するので」

 と、石田三成。

「行った事の事実そのものを報告するしかないな」

 苦笑する隆広。

「余所事みたいに言うな佐吉。我らとて少しも反対しなかったのだ。我らも同罪だぞ」

「そうですね助右衛門様、しかし佐吉には隆広様が今回行った武田への武人の情けが後に大きく生きてくるように思えてならないのです」

「そんな先の事は分からないが、勝頼様が許してくれたおかげでオレは武田の技を学ぶ事ができた。結果それが越前を富ませる事に繋がった。皮肉にも敵同士となってしまったが、オレにはこのくらいのご恩返ししかできない」

 石田三成の予言は当たる事になる。後に武田の旧臣たちは隆広のこの行為に深く感謝し、多くの遺臣たちが隆広の味方に付く事になる。今日においても長野県と山梨県で武田信玄と武田勝頼に比肩するほどに水沢隆広の人気が高いのはこの所以だろう。

 

「御大将―ッ!」

 高橋紀茂が隆広本陣に駆けてきた。

「どうした」

「本陣から水沢隊に出陣命令です。再び若殿様の指揮下に入られたしと」

「分かった。ならば参ろう。馬引け!」

「「ハハッ」」

「紀茂、信忠様は今どこを攻めていると申した?」

「恵林寺だそうです」

「な、何と申した今!?」

 助右衛門と三成は顔を見合わせた。

「塩山にございます恵林寺です。武田の残党を大量に匿っているそうにございます。そこを若殿様は包囲中との事です。それが何か?」

「何と云う事だ! 急ぐぞ!」

 

 恵林寺。隆広に武田の技を教えた高僧である快川和尚のいる寺である。この恵林寺には武田の残党が逃げ込んだ。現在のような恵林寺と異なり、外周に堀もあれば高い塀もあり、さながら一つの砦のようだったと言われている。

 織田信忠は幾度も快川和尚に残党を差し出すようにと命じた。この時には武田の残党だけではなく、信長と戦って敗れ、捕縛を逃れた佐々木(六角)承偵もこの寺へと逃れていたのである。信忠は武田残党と共に佐々木(六角)承偵も差し出すように厳命したが快川は拒否。

 信忠は困った。快川は信忠の本拠地である美濃の出身。今でも高僧と尊敬されている。殺せば美濃の人心は離れる。殺す事は出来ないと思った。だが

「若殿、ご本陣の大殿から書状です」

「父上から?」

 信忠は父の信長の命令に愕然とした。

“恵林寺を坊主と武田残党、佐々木承偵もろとも焼け”

「バカな! 快川といえば京にも名の知れた高僧ぞ! ご再考願わねば!」

 だが信長は信忠の意見に耳も貸さない。“皆殺しにせよ”と譲らない。

“武田の残党かくまいし事は、この信長に逆らうと云う事。ましてや快川は余が斉藤家のあとに美濃に入りし時、余を嫌って武田に走った者。遠慮はいらぬ。殺せ!”

 信長の書状を握る信忠。

「前田玄以」

「はっ」

 腹心の前田玄以を呼ぶ信忠。

「そなた最後の使者に行ってまいれ。“これが最終通告、武田残党を渡さなければ寺を焼く”とな」

「承知しました」

 玄以の後ろ姿を見つつ、溜息をつく信忠。

「快川の覚悟は覆るまい…」

 信忠の予想通り、恵林寺の者は前田玄以の口上は一切聞く耳持たなかった。しかしこの最終勧告を退けたと云う事は、つまり滅ぶ覚悟を示している事になる。信忠の腹は決まった。

「恵林寺に焼き討ちをかける!」

「「ハハッ」」

 

 水沢軍は大急ぎで浪合の織田本陣から恵林寺へと駆けた。だが間に合わなかった。前方に黒煙が上がっていた。

「遅かったか…!」

 隆広の横で悲痛に叫ぶ助右衛門。

「まだだ…。せめて快川和尚様だけでも助けなければオレは冥府の父に合わす顔がない!」

 愛馬ト金を全速力で走らせる隆広。織田家一番の俊足と言われるト金の足には誰も追いつけない。

「隆広様! みな急げ!」

「「ハッ!」」

 快川和尚や他の僧侶は信忠の兵に三門(仏殿前にある門。空門・無相聞・無願門に例えられてそう命名された)の上の堂に押し込まれ、火を放たれた。

 信忠本陣に隆広は到着した。馬を降りた隆広はあぜんとして炎上する恵林寺を見た。

「何と云う事を…!」

 少年時代の自分が過ごした恵林寺が燃える。そして隆広は恵林寺に向けて走り出した。

「ん…?」

 信忠は自陣から一人の男が飛び出し、炎上する恵林寺に向かっているのが見えた。それが隆広と分かると信忠は驚いた。

「バカな! アイツを止めろ! 焼け死ぬぞ!」

 近くにいた前田玄以、そして急いで追いかけてきた奥村助右衛門に止められた。

「何をなさるか! 焼け死んでしまいますぞ!」

「離して下され玄以殿! 快川和尚様はわが師! 助けたいのです!」

「隆広様! もう無理にございます!」

 しかしこの時の隆広は無我夢中だった。膂力を誇る助右衛門の羽交い絞めさえ振り切り、恵林寺に入っていってしまった。

「隆広様!」

「奥村殿、敷地内にある堂や社殿にさえ入らなければ何とか大丈夫のはず。手前の部下に連れ戻させますので!」

「かたじけない玄以殿! それがしも参る!」

 

「和尚様、和尚様…!」

 敷地内を必死に探す隆広。どこもかしこの建物も炎上している。

「ゴホッゴホッ」

 煙にむせる隆広。その時だった。三門の上の堂から読経が聞こえた。

「あそこか…!」

 隆広は三門をよじ登り、堂の扉を開けた。すでに息絶えている僧が何人も倒れていた。そして堂の中央で座禅を組み、経を唱える快川がいた。すでに法衣に引火してしまっていた。

「和尚様!」

 ゆっくりと目を開けた快川。そして優しく笑った。

「大きゅうなられましたな」

「逃げましょう! 今なら間に合う!」

「入られるな! この堂はもう落ちる。絶対に入ってはなりませんぞ!」

「そんな事を言っている場合では!」

 

「喝!」

 

 快川の一喝の気合に動けない隆広。そして再び穏やかに笑った。

「もはやこれまでにございます。仲間の僧たちが旅立ちました。愚僧も長庵殿のところへ参ります」

「和尚様!」

 法衣全体に着火している。だが快川は座禅の姿勢のまま動かない。

「心頭滅却すれば火自ずから涼し…」

「『心頭滅却すれば火自ずから涼し…』」

 隆広は快川から最後の教えを受けたのだった。

 

 堂が崩れ出した。

「和尚様! 強さとは!」

 少年時代の隆広に“強いのと、敵を蹴散らす、と云うのは同じ事ではない”と諭した快川。だが隆広はその答えが分からないままだった。だが隆広はこの時に答えを知った。

「強さとは! 和尚様のように何者にも屈しない勇気、そしてその気高き誇りの事にございます!」

 快川は静かに隆広へ微笑み、首を縦に下ろした。

 

 ガラガラガラッッ

 

 三門の堂が崩れた。

「隆広様! こちらに飛び降りられよ!」

「和尚様…! さらばです…!」

 隆広は助右衛門と玄以の部下たちが四方を抑える陣幕の上に飛び降りた。無事に着地し

「すまない…」

 勝手な真似をしてすまないと意味だろう。

「お話はあと! さあ引き上げましょう!」

 

 隆広の思い出が詰まった恵林寺は見るも無残に焼け落ちた。恵林寺の僧侶、佐々木承偵、そして武田の一部残党とその家族は焼け死んだ。隆広は焼けた恵林寺をしばらく見つめた後、信忠本陣に赴いた。

「…そうか。快川は幼少の折の師か」

 と、織田信忠。

「はい」

「…オレが憎いか」

「…憎うはござりませぬ。それがしとて織田の覇道に組するもの。信忠様をお恨みするのは筋が違います」

「“覇道”か…。確かに“王道”ではないな…」

 信忠は家臣たちをその場から立ち去らせた。

「隆広、近う」

「はい」

「今聞いて良いものかは分からんが訊ねる。お松殿はいかがした」

「……」

 隆広は懐中にいれてあった折鶴を信忠に差し出した。古い折鶴、かつて信忠が松に贈ったものだった。強く握られていたのか半ば折鶴はつぶれていた。松は自刃の時、この折鶴を握りしめていたのである。それを隆広が持っている。

「…そうか」

 松に贈ったものを隆広が持っている。信忠は松の死を悟った。信忠はその折鶴を破かないように静かに広げた。

「お松殿…」

「鶴を逃がしました」

「なに?」

「それがし、武蔵の地に、鶴を逃がしてしまいました」

 隆広はそれ以上言わなかった。だが“鶴を逃がした”ですべて察した信忠。

「よくやってくれた、ようやってくれた!」

 信忠は嬉しさと申し訳ない気持ちでいっぱいだった。自分は隆広の師を殺したのに隆広は自分の愛しい女を命令違反覚悟で助けてくれた。

「何と詫びて…何とそなたに報いれば良いのか…」

「鶴を幸せにしていただければ…十分にございます」

 隆広は本心から信忠を恨んではいなかった。幾度も信忠が降伏勧告をしていると聞いていたし、そして武田の遺臣たちをかくまい織田に意地を通した快川と僧侶たちも乱世の士。自分の意志で死についたのである。それを信忠に恨むのは筋が違い快川の死を辱める事になる。

「無論だ。改めて妻へと迎えようと思う。“側室として”を受け入れてくだされればの話だがな」

「信忠様」

「なんだ?」

「本当に…あの方を妻に迎えたら織田を去る気にござりますか…?」

「…そちらの方がラクであろうな。だが此度の戦でオレはずいぶんと武田の将兵も僧侶も…女子供も死に追いやった。そんなオレが責任ある立場を放棄して安穏な日々を手にするにはいささか虫が良すぎると云うものだ。父の大業を継いで、この国から戦をなくす事。それがオレの務めと思う」

「信忠様…」

「そのためにはお前の補佐が必要だ。頼りにしているぞ」

「ハッ!」

「だが…」

「はい」

「その方、勝頼と信勝の首をさらせと云う父の下命に背き、栖雲寺の高僧の立尚に丁重に弔ってくれるよう懇願する使者を出したそうだな。首も立尚に届けてしまったと聞く」

 もう信忠の耳に入っていた。するともう信長の耳にも入っているだろう。

「相違ございません」

「正直な男だな。まあ父やオレに露見するのも承知でやった事だろうがな」

「はい」

「一応、理由を聞いておこう。なぜ父の下命に背いた」

「たとえ敵とは申せ、同じ戦場を駆けた相手にございます。どうしてもそれがし…勝頼殿や信勝殿の首をみじめにさらす事に耐えられませんでした」

「…よく分かった。今回のそなたの働きに応える意味で、オレが何とかお咎めなしを取り付けよう。しかし隆広」

「は…」

「そなたが勝頼と信勝にした武人の情け、オレにはよく分かるのだ。正しいとも思う。しかし父の跡を継いだら、おそらくオレはこういう事をクチにする事も許されまい。父は敗走する勝頼一行の駆逐を下命しなかったが、届けられた勝頼と信勝の首を足蹴にした。これは天下布武の厳しさと恐ろしさを敵味方に示す事であるからだろう。だから言っておく。今はまだオレが“若殿”だから許してやるし、かばいもしてやる。しかしオレが“大殿”になった時はこんなに甘くはできぬ。二度は許さん。よいな」

「承知しました。隆広、しかと肝に銘じます」

「うむ」

 

「申し上げます!」

 使い番が来た。

「なんだ」

「大殿より、岩殿城を落とせとの命にございます」

「なにィ? 岩殿の小山田信茂は織田についた武将であろうが」

「はばかりながら…小山田信茂はすでに大殿に捕らえられてございます」

「何だと!?」

 それは隆広と助右衛門が織田本陣を去った後の出来事だった。小山田信茂は信長の呼び出しに応じて織田本陣へとやってきた。信茂は武田勝頼を追い返した後に信長に降伏の使者を送り、そして降伏が許されていた。

「我が領地の安堵、恐悦に存じます」

「…ダメだな。気が変わった」

「は…?」

「一度裏切ったものは二度裏切る」

 信長は床几から立ち、信茂を指して命じた。

「小山田信茂を捕らえよ!!」

「「ハッ」」

 信長の側近である馬廻りの兵士が信茂と一党を囲んだ。

「信長! キサマ!」

 

 ザスザスッッ!

 

「ぐあああッッ!」

 小山田信茂は縛り上げられ、信茂についてきた家臣たちは数十本の槍に貫かれた。

「信長キサマ!」

「勝頼を裏切るなど不届き至極! ただで死ねると思うな!」

「卑怯なり! 一度降伏を受けし者を!」

「他の大名ならいざ知らず、織田家に裏切り者を遇する法はないわ! 今からキサマの家族を捕らえて皆殺しにしてくれる!!」

 同時に陣にいた穴山信君を睨む信長。信君が内通を申し出たのが家康ではなく信長だったら間違いなく殺されていただろう。

 

「見せしめの処刑のため、小山田の家族は生け捕りにせよとの事にございます」

「小山田信茂の目の前で殺すためにか…?」

「御意」

「…父上に相分かったと伝えよ」

「はっ」

 軍机にもたれ、頭を抱える信忠。先刻、隆広に厳しい事を述べた信忠であるが、彼が父親と違い無益な殺生を好まない事を隆広は知っている。しかし信長の出陣命令には逆らえない。

「…信忠様、お気が進まないのは分かり申す。しかし…」

「分かっておる。出陣だ!」

「ははっ!」

 織田信忠と水沢隆広の軍勢は小山田信茂の居城である岩殿城に向かった。隆広は信忠に進言した。

「岩殿城は天然の要害の堅固な山城。それに小山田隊の投石部隊は精強で知られております。正面から戦っては犠牲も甚大。よって多少下策にございますが…」

 まだ小山田信茂が信長に捕らえられたと云う報は岩殿城にもたらされていない。友好的な書状を数通送り届け、隆広はそれを確認した。主君は織田についたと思っている事を隆広は利用したのである。

“我らは上野の真田を討つために行軍中である。岩殿で一泊させていただきたい”と使いを出して、岩殿の城代はそれを受け入れた。

 そして何の抵抗も無く城門をくぐる事ができた。ここで城兵虐殺すれば隆広はまさに悪辣な謀将としても後世に名を残しただろう。しかし信忠の名代として隆広は城代家老の川口主水に包み隠さずに話したのである。あぜんとする小山田一族と家臣団。

「申し訳ござらぬが、ご当主をお救いするのは不可能にござる。しかしながらお手前たちはまだ助かる。降伏していただきたい。そして信茂殿の家族は自決したと云う事にして逃げていただきたい」

「「ふざけるな!」」

「待て!」

 いきりたつ他の家臣たちを抑える川口主水。

「寸鉄も帯びておらず、しかも単身で口上を述べし水沢殿に危害を加えしは武人にあらず! 退かぬか!」

 家臣たちは再び着座した。すすり泣く声も聞こえてきた。

「う、ううう…。殿」

「水沢殿、城門を無抵抗で入りし事に成功したお手前たち。何より今の我らより十五倍はあろう兵力。そのまま我らを皆殺しにする方が簡単であったろう。その真実を単身で包み隠さず申し上げて下された事。感服いたした」

「役目ゆえ」

 短く答える隆広。その隆広に並々ならぬ将器を感じる川口主水。コホンと一つ咳払いをして一同に告げた。

「皆聞け。我ら理由はどうあれ裏切り者じゃ。このまま織田勢に戦いを挑んで滅んでも甲斐の領民に我らの滅亡悲しむ者は皆無じゃろう。それどころか自業自得と嘲笑を受けよう。我らは裏切りの代償に主君を失う事になる。しかしまだ姫がおる。小山田の血は絶えぬ。ここは恥を忍んで降伏し、後に汚名を晴らそうではないか」

「「ご家老…!」」

「う、ううう…」

「川口殿…。英断感謝いたします」

「しかし水沢殿、降伏しても信長は我らを許しますまい。我らは姫と奥方様を連れて城を捨て、野に下ります」

「承知しました。さしあたり必要なものはござらんか」

「それではお言葉に甘え、城は無論、軍馬と鉄砲をお渡しするかわりに当面の食糧と資金を頂戴したい」

「分かりました。こちらの物資の一部を譲渡いたします」

「水沢殿…」

「はい」

「我らは、貴殿の計らいに感服いたした。小山田に貴殿のような若武者がおればと思わずにはおられませぬ」

「光栄にございまする」

 

 こうして岩殿城はほぼ無血開城となった。城兵を殺さずに退去させると云う案は隆広が出した。すでに織田の甲信併呑は明らか。甲信の領民が新たな領主を忌み嫌わないような戦をしなければなりませんと進言し、信忠はそれを入れたのである。

 信忠は隆広が約束したとおり、野に下る小山田一族に十分な食糧と資金を与えた。城の明け渡しと云うものは静かに終わった事がほとんどない。だがこの城の明け渡しは針の先ほどの騒動もなかったと言われ、隆広の使者としての技量と胆力がいかに優れたものだったかと容易に推察できるが、明確に言えばほんのわずかな不測の事態が発生した。

 一人の少女が肩を落として歩いていた。輿に乗るのを拒否した。自分の足で出て行きたいと少女は歩いた。だが城門の縁につまずいて転んでしまった。近くにいた隆広が手を差し伸べると少女はその手を叩き払ったのである。目には悔し涙が溢れていた。

 少女の名前は月姫。小山田信茂の一人娘で当年十四歳。父の信茂が『かぐや姫のように美しくなれ』と、かぐや姫の帰った『月』を名前とした。だが今その父は敵に捕らえられ首を刎ねられる運命にあり、そして城を奪われてしまった哀れな姫にすぎない。悔しかった。自分の知らないところで城の明渡しが決まり、父が捕らえられている織田本陣に切り込みをかけて救出したいと述べても、どうしようもなかった。織田勢は小山田勢の十五倍の兵力で城をすでに囲み、すでに本丸に至るところまで進入されてしまっている。今から織田本陣になど行けるはずがない。悔し涙が止まらなかった。大好きな父は裏切り者として殺される。城は何の抵抗も許されずに奪われた。月姫は自分に手を差し伸べた隆広の手を叩き、怒りと悔しさを精一杯ぶつけた。そんな少女の気持ちを察し

「雪で顔が濡れてございます」

 と、手ぬぐいを渡して、その場から立ち去った。月姫はその手ぬぐいで鼻を噛み、忌々しそうに雪の大地に叩きつけた。あわてて川口主水が月姫を連れて出た。月姫はまだ隆広を睨んでいる。その目から隆広は顔を背けず、そして思った。

(裏切り者と呼ばれる父を持つ少女か…。さえもあんな悔し涙を流したのだろうな…)

 

「ふん…」

 信長は本陣で信忠からの書状を読んだ。

「いかがなさいました織田殿」

 徳川家康が訊ねた。

「岩殿城全滅、小山田の家族自決、だそうだ」

「…戦目付けの話とずいぶん違いますな」

 戦目付けを通して信長には岩殿攻めの真実が伝わっているのである。信忠もそんな事は知っている。だがあえて大嘘の報告を送った。

「信忠め、ネコを庇いおって!」

「ネコ?」

「隆広の事よ。頑是無い子猫みたいなツラしておろうが」

「あっはははは、確かに」

「ふん、確かに一向宗門徒相手では皆殺しを厳命していたが、武士相手にはそれを申し付けておらぬ。ネコめ、敵味方の血一滴も流さず城を取りおったわ。だが…」

「だが…」

「小山田の投石部隊が野に下ったのは危険の他ならない。三河殿、皆殺しにしてまいれ」

「ネコ殿の尻拭いにございますか。まあ良いでしょう。ではこれにて」

 徳川家康は織田本陣を出て行った。

「光秀」

「はっ」

「小山田信茂を殺せ」

「承知いたしました」

 こうして小山田信茂は斬首され、裏切り者として首を晒された。首から下の亡骸も磔台に繋げられて、腐って落ちるまで晒された。

 信長にしてみれば、戦局が決まった後に降伏してくる者をいちいち迎えていたのでは論功行賞で部下に与える土地が不足する。土壇場で武田勝頼を裏切った者を不忠者として成敗してしまった方が面倒はない。小山田信茂も家族家臣のためとやむを得ない事情がある。だが信長に裏切り者として処刑され、そのまま汚名は今日まで続いているのである。

 

「ネコめ…。わしの武田掃討の意図を知りながら見逃しよった。どう罰をくれてやるか…」

 信長はしばらく考えフッと笑い、

「ふん、使える者はとことんこき使った方が得よな」

 そして戦目付けの送って来た方の書状をかがり火の中に放った。もう一つ、信忠からの書状がある。それには“勝頼と信勝の首をさらさずに丁重に弔えと隆広に指示したのはそれがしです”と書かれてあった。苦笑する信長。

(信忠めが、まるで恋人を庇うかのようじゃ)

 次代の信忠を補佐するに、たとえ陪臣であろうと織田家に必要な男であろう事は信長も知っている。

(なら、そういう事にしておいてやろう。思えばワシも桶狭間の後に義元が首を今川家に送り届けた事もあった。首となった勝頼と信勝、たとえ丁重に弔おうと、カラスのエサになろうとワシに何の影響もあるまい)

 結果、隆広が行った武田への武人の情けに信長から何の咎めもなかった。ホッとした信忠だった。

 

 そして家康であるが、彼は三方ヶ原で武田信玄と戦い、小山田信茂の投石部隊の恐ろしさを知っていた。だから家康は信長の命を鵜呑みにせず召抱えようと思った。そして小山田一族と家臣団が流れた集落に使者を出し、その使者が小山田遺臣の長である川口主水に会うと、彼から驚くべき言葉が返ってきた。

「我らがもう一度人にお仕えするのなら、それは水沢隆広様以外にございません」

 これを聞いた徳川家康は水沢隆広に恐れを抱いた。そしてそれは後年現実となるのである。




岩殿山は登るのしんどかったですね。


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終わりの始まり

 武田家は滅んだ。あの戦国の巨獣武田信玄が作り上げた国があっけないほどに。武田の領土であった甲斐と信濃の国は、滝川一益、河尻秀隆、森長可、毛利長秀らに与えられ、駿河の地は徳川家康が拝領した。

 隆広に“そなたなど信じぬ”と言われた木曽義昌は旧領こそ安堵されたが正室である真理姫(信玄の娘)に去られ、領民には裏切り者と罵られ、その後に戦国の歴史の表舞台に立つ事はなかった。

 穴山梅雪は本領安堵のうえ、嫡子の勝千代に武田氏の名跡を継がせ、武田氏当主とする事が家康を経て信長に認められた。渋々ではあったが、家康の顔を立てての事だった。

 

 織田家の重臣たちが甲信に領主として入った。武田の残党はまだ領内にいたが、真田家のように独立を宣言したり、帰農する者もいた。信長は北条や上杉といった近隣の大名に武田の残党を新規に召抱えないようにと釘を刺した。

 だが、その信長の同盟者である徳川家康が武田の残党を秘密裏に召抱えた。彼は三方ヶ原の合戦で武田信玄に完膚なきまでに叩きのめされている。しかし、その信玄が亡くなったときは喜ぶどころか、『弓矢の師を亡くしてしまった』と嘆いたと云う。つまり家康は武田信玄をそれほど尊敬していたのである。同盟者の信長の言葉があろうと、その武田の生き残りを召抱えたいと思うのは自然であっただろう。

 しかし一つの一族がそれを断ってきた。小山田信茂の遺臣たちである。小山田の投石部隊に痛い目を見ていた家康は何とか自軍の勢力下にあの部隊を置きたかったが断られた。“再び人に仕えるのなら水沢隆広殿に仕えたい”と断ってきた。

 断られたとはいえ、それで小山田遺臣たちを殺してはせっかく召抱えた武田遺臣たちの心が離れる。家康は小山田一族を掃討したと信長に虚偽の報告をして、小山田遺臣の住む集落を襲わなかった。

 また、すべての武田遺臣が徳川家へ仕官を望んだのではなかった。一部の遺臣たち、いやすべての遺臣たちは水沢隆広が勝頼、信勝、北条夫人を信長の命令に背いてでも丁重に弔った事に感動し、いつかその若者の元で働いてみたいと感じていた。水沢隆広が武田信玄のいでたちで上杉謙信の本陣に突撃した武名も彼らは心酔した。

 だが隆広は織田の一陪臣に過ぎない。とうてい武田遺臣を召抱えられるものではない。だから武田遺臣は自然二つに分裂した。現時点で大名の徳川に仕える者と、武田の技を持つ大器な若者のその後に賭ける者たちだった。前者で有名な武田遺臣は小幡景憲、大久保長安であり、後者で有名なのは小山田一族、板垣信助、柳沢吉満、保科正光などがいる。

 後者の武田遺臣は今徳川に仕えたら、もし後に水沢隆広が大身になった時に仕えられないと思い帰農したのである。後の世の観点から見れば英断であるが、当時の水沢隆広は織田の陪臣にすぎない。たとえ大身になっても召抱えてくれるかも分からない。だが彼らは水沢隆広と云う若武者の将来に賭けたのだった。

 

 徳川家康は召抱えたいと思う武田遺臣の半数が後に水沢隆広に仕えるのを望み帰農したと聞き、隆広に恐怖を感じた。徳川家康が城も領地も無い織田の一陪臣、かつ二十歳そこそこの若者に恐れを抱いたのだった。そしてその恐れは後年に現実となる。

 

 その徳川家康と水沢隆広が会ったのは武田勝頼と信勝親子の首実験の時であったが、軽い挨拶程度で何も話してはいない。

 徳川家康は小山田の生き残りにあそこまで慕われている水沢隆広に恐れを抱いたが、同時に興味も出てきた。武田征伐を終えて、織田軍は帰途につきだした。その道中、夜営の隆広の陣に徳川家康が本多忠勝を伴い訪ねてきたのである。

 驚いたのは隆広とその部下たちである。徳川家康は織田信長と対等な同盟関係にある。いわば陪臣の隆広からすれば信長に比肩するほどの主筋である。酒と料理はと、三成が陣中を右往左往したが無い物は無い。

「陣中ゆえ、何のもてなしもできませぬが…」

 と、隆広が茶席の準備を始めたところ。

「いやいや、急に訪ねてきたワシが悪い。気にせんでくれ」

 後に敵味方になるとは想像もしていない二人であるが、お互いにその名前を知っている。一度会って話したいと思ってはいた。

 嗜む程度だが、隆広もその当時の武将らしく茶道にそれなりの心得があった。徳川家康と本多忠勝に丁寧に茶を差し出す隆広。

「どうぞ」

「頂戴いたす」

 家康と忠勝は隆広の出した茶を飲んだ。

「ほう、茶の香気もよく、中々の美味だ」

「恐悦に存じます」

 ニコリと笑って家康は茶器を返した。

「ところで水沢殿」

「なんでございましょう」

「武田勝頼殿の最期を教えていただけないかな」

「勝頼様の?」

「知っての通り、ワシは三方ヶ原の戦いで勝頼殿の父上である信玄公に散々に打ち倒された。ゆえに…今回に武田が滅んだ事には思う事がある」

「徳川様…」

「ワシが信長殿ならば、勝頼殿に甲信を与えて従属させたであろうな…。素晴らしい戦力になったに違いないし、また従属する事によって織田の脅威が解消すれば勝頼殿は見事に甲信を治めたであろう。勝頼殿は世間で言われているような愚将ではない。ただ運が悪かった」

『自分が信長ならば武田を従属させる』。かつて隆広が思った事でもある。家康も同じ事を考えていたのだった。

「信玄公は名将だが、世代交代に失敗してしまった。また勝頼殿は諏訪氏の出。元々譜代の家臣に受けが悪かった。信玄公は早くから勝頼殿を世継ぎに指名して、家臣や親族に長い時間をかけて次代の当主を認めさせなければならなかった。それが謙信との合戦にかかりきりで出来なかった。あの世で信玄公も歯軋りしていような…」

 

 本多忠勝はいつになく饒舌な主君家康に驚いた。隆広が家康の言葉に目を輝かせて聞いている事もあるだろうが、これほどに饒舌になる事は少ない。家康の話は隆広にとり興味深く面白いのだろう。隆広は身を乗り出して家康の言葉を聞く。そう身を乗り出して楽しそうに聞くその姿。忠勝はハッとした。

(…信康様)

 隆広は知ってか知らずか、家康がもっとも愛した息子の長男信康。彼が父の家康の言葉を聞く時の姿にそっくりであったのだ。家康の目を見つめて、楽しそうに身を乗り出して話を聞くその姿。徳川信康と隆広の年齢差はわずか一歳信康が上なだけ。家康も知らずに息子に語るように饒舌になったのかもしれない。

 家康の長男、徳川信康は将来を嘱望される大器だった。だが母親の瀬名と共に武田家に内通した嫌疑がかけられ、信長が家康に処刑するように命令した。これは信康の器を恐れた信長の謀略とも言われているが、家康に信長に対するチカラはなく、泣く泣く長男の信康を処刑したと云う。

 

「いや、ワシも少ししゃべりすぎたな。最初に戻り、勝頼殿の最期を聞かせてくれぬか?」

「はい」

 隆広は勝頼の最期を話して聞かせた。ハキハキとして理路整然とし、実に分かりやすく、かつ年長者への敬語も完璧な弁。これもまた徳川信康に似ていた。本多忠勝も時に、かつて若殿と呼んだ少年が目の前にいる錯覚さえ感じた。自分が感じるのであるのだから、父親の家康も…と家康を見ると、やはり少し涙ぐんでいた。勝頼の最期を哀れんでか、それとも隆広に息子信康を重ねたのか。

「そうか…。やはり惜しい男であった」

「それがしもそう思います」

「ふむ、それにしても楽しい時間を過ごせた。また水沢殿とはゆっくり語り合いたいものじゃ」

「はい! それがしもとても楽しかったです。徳川様のお話は実に勉強になります!」

「はっはははは、それがしごときの話でよければいつでも聞かそう。では忠勝帰るか」

「はっ」

 隆広は陣場の入り口まで送った。入り口には家康の兵が待機していた。

「待たせたな、帰るぞ」

「「はっ」」

 兵が馬二頭を引いてきた。家康と忠勝がそれに乗った。

「では徳川様、本多様」

「うむ、ではいずれまた」

「はい」

 

 すっかり夜は更けていた。隆広の陣と家康の陣は少し離れているが、熱のこもった隆広との話であったから、寒風が頭に心地よかった。

「殿、いつになく饒舌でしたな。水沢殿がたいそう気に入ったようで」

 と、本多忠勝。

「信康を見た思いだった…」

「やはり殿もそう感じられましたか。柴田ではなく当家に仕えてくれたら良うござったのに」

「いや、家臣にはしたくない」

「は?」

「家臣にしたら、あの男ほど恐ろしい男はいない」

 家康ほどになれば、少し話せば相手の器量がだいたい分かる。隆広は普段あまり自分の才気を表に出す事はない。必要な時だけ出す事を心がけているが家康の目はごまかせなかった。

「恐ろしい…?」

「家臣にならぬかと小山田一族に持ちかけたら断られた。何と言ったと思う?」

「さて…」

「“再び人に仕えるのであれば、水沢隆広殿以外にない”と言いおった」

「…なんと!」

「そして今、話して分かった。彼は織田殿と性質は異なるが、それに匹敵せし天才だ」

「殿にそこまで言わせまするか」

 実を言うと本多忠勝も、家康ほどではないが隆広に大器を見た。それは隆広の陣場。陣の作りは法にかない、軍事物資の管理も完璧であり、兵士たちは待機中であっても武具の手入れを怠らない。まだ二十歳そこそこの若武者にこれほどの兵の統率ができるのかと驚いたのである。

 そして奥村助右衛門や前田慶次と云うクセの強い荒武者の忠誠を得ている事も。七千の自分たちを蹴散らした真田二千を戦わずして後退させた事も聞いている。今まで隆広が戦場や内政で行った事は伝え聞いていたが、絶対に尾ひれがついていると思っていた。しかし徳川家康も本多忠勝も確信した。伝え聞いていた隆広の戦場での活躍、卓越した行政手腕の話はすべて本当であると。

 パッと見た感じでは隆広は美童の優男。戦国武将としては頼りない外見と言っていい。だがそこにこそ、水沢隆広と云う武将の恐ろしさがあるのだろうと家康は感じた。

「げにも勝家殿が水沢殿を重用するのが分からん。あれほど天才的で、かつ、つい最近まで敵だった武田遺臣が惚れこむ仁。あんな器を持った家臣は君主にとって敵より恐ろしい。なぜ勝家殿は盲信に近いほどに重用するのか。しかも陪臣なのに織田本隊の戦であれほどの活躍もしていれば勝家殿も不愉快のはずであろうが逆に大喜びしていると聞く。何故か…」

「利用する価値があるからと存じますが…」

「それもあろうが、勝家殿の水沢殿への寵愛振りと盲信ぶりは度を越えている。だがな忠勝、さきほどの“恐れ”はな。今の通り“家臣にしたら”の話だ。敵に回せば恐ろしくない」

「何故にございます」

「あの甘い性格よ。敵にとことん冷酷になれない武将など怖くはない。戦えば勝てる。この乱世、歴史に残る大悪党になる事を本気で目指した者が最後に勝つ。人に憎まれる事に耐えられない性格のようでは勝ち残れぬ」

「勝てると申しても…水沢殿は味方ではござらんか」

「そうかな? この戦国の世、いつ誰が敵になるかは分からんぞ。だが…彼とは敵同士になりたくないものだ。ワシに信康の面影を見せた若者とは戦いたくない」

 だが家康が述べた“敵同士になりたくない”は叶わないのである。後に水沢隆広と徳川家康はこの国の覇権を賭けて戦う事になる。家康は一つ思い違いをしていたと後に気づく。水沢隆広は冷酷になる事が出来ないのではなく、冷酷になる必要がなかったと云う事を。

 

 翌日、その日は晴れだった。隆広の隊も信長本隊と共に安土への帰途についていた。そして…。

「見ろ佐吉! 富士山だ!」

「あれが…」

 慶次も愛馬松風に乗ったまま富士山に見とれていた。彼は富士山を見るのは初めてであり、助右衛門もまた初めて見る富士山の美しさに言葉をなくした。

「ううん、しばらく富士山を見ていたいなァ」

 富士山の景勝を横切るように行軍する織田軍。隆広は名残惜しむように馬を進める。

「まったくですな。大殿もこの美景を見て、『ここで酒宴を開く』とでも言ってくれませんかね」

 前田慶次も富士から目を背けるのが惜しく、願望をポロリとクチにした。珍しく奥村助右衛門も慶次と同意見を言った。

「めったに見られない日の本一の景勝。それがしも名残惜しいにござる」

「せめて目に焼き付けて、妻への土産話にしなくては」

 三成は目を皿のようにして富士山を見つめた。隆広についてきている藤林忍軍もその美景に見とれた。白は富士から吹く風を思い切り吸い込む。

「空気も美味しく感じるな。しかし藤林山とはエラい違いだ。なんか仙人でも住んでいるようだ」

「いや~ホントに隆広様についてきて良かったわ。ずっと里に篭っていたらこんな美景一生見られなかったよ。ね、すず」

 今のすずは自力で歩く事ができない。荷台の上に蒲団がひかれ、そこに横になっていた。

「ホント…」

「すず!」

「隆広様…?」

「荷台に横になっていちゃ、せっかくの富士山がよく見えないだろ?」

「え、いえそんな…」

 すずを背負った隆広。

「お、降ろしてください! 恥ずかしい…!」

「いいから、いいから」

 見晴らしのいいところまですずを背負って歩く隆広。

「なあ、すず」

「はい」

「オレに責任を取らせてほしい」

「…忍びが任務にて手傷を負う事くらい覚悟の上です。隆広様が責任を感じる事はありません」

「くノ一としてでも、部下としてでもない。すずを一人の女の子として…責任が取りたいんだ…」

「…隆広様」

「オレ、すずの足になるよ。そうさせてほしい」

「かような事…。私が父や上忍様(柴舟)に叱られてしまいます」

「だから…オレの側室になってくれないか」

「そ、側室?」

「正室でなくて申し訳ないけど」

「……」

「オレが男としてイヤなら仕方ないけれども…。オレ、さえと同じくらいにすずを愛する。一生オレがこうしておんぶしてあげたい。今度はオレがすずを守る番だから」

「隆広様…!」

 すずは隆広の背中で泣いた。走れなくなった忍びなど捨てられて当然の世。だが隆広は今まで粉骨砕身に自分に仕え、そして自分を庇って身障者になってしまったすずを見捨てる事などできなかった。

 今はまだ責任感から言葉を発しているかもしれない隆広。しかしそれはやがて本物の愛情となり、彼はどんな大身になっても自らすずをおんぶしたと云う。

 

 水沢隊の面々は隆広とすずの空気を察したか、誰も側には歩み寄らなかった。舞は何か面白そうな顔をしている。

「どうした舞、ニヤニヤして」

 と、白。

「いや、これから隆広様がどうやって奥方様にすずを認めさせるのかと思うとワクワクしてさ」

「確かに、ははは」

(『任務や命令などで私はあの方に抱かれたくない、もっとちゃんとした…』だったけか。すず良かったね、アンタ初めて藤林山で隆広様に会った時からホの字だったでしょ。私も隆広様の戦場妻もこのあたりが潮時かもね。しかしアンタ驚くわよ、隆広様はきれいな顔に似合わずご立派な…をお持ちだから。絶倫だしね。私が音を上げそうになったんだから覚悟しておいた方がいいわよ。でも今は大願成就おめでとう!)

 だが行軍は止まらない。このままでは隆広とすずを置いていってしまうので、石田三成が

「隆広様、すず殿、そろそろお戻りを」

 と言った時だった。

「ん? 佐吉、行軍が止まったぞ」

「そのようですね慶次様、何かあったのかな」

 前方から騎馬が駆けて、長蛇に伸びている全軍に叫んで聞かせた。

「織田家と徳川家が武田家を倒した事を祝い! 富士山の美を肴に酒宴を開くとの大殿のお言葉にございまする! 各諸将は大殿の元に集まられよ―ッ!」

「おい聞いたか慶次!」

 柄にもなく助右衛門は手を打って喜んだ。

「聞いた聞いた! いや言ってみるものだな! オレの願いが大殿に届いたか! あははははッ!」

 

 隆広は兵と忍者衆を松山矩久、小野田幸猛に任せて慶次、助右衛門、三成を連れて本陣へと向かった。

すでに宴席は始まっていたが、隆広一行の席もちゃんと用意されていた。信忠が手招きした。

「おう隆広! ここだ、ここ!」

「ご相伴させていただきます」

 行軍中の陣中ゆえに出される料理も質素なものであったが、富士の美観だけで十分に酒は美味い。信長と信忠親子も上機嫌だった。

「しかし噂には聞いていたが美しいものだな富士とは。父上と畿内を転戦してまわったが、あんな美しい山はなかった」

 ウットリと富士を見つめる信忠。

「それがしも同じ気持ちです。我らの祖先も同じ思いで富士を眺め、そして子孫たちも同じ思いを抱くのでしょう」

「子孫か。さすがに子が出来ると言う事が違うな隆広」

「いつか三法師(信忠の嫡男)様にも見せてあげたいですね」

「うむ、そしてその方の息子にもな」

「はい」

 信忠は小声で話しだした。

「ところで今回の戦、お松殿の事ではずいぶんそなたに世話になったな」

「いえ、それがしもあの方をお助けしたかったのですから」

「改めて側室として迎えたいと恩方に使者を出した」

「きっと良い返事をされて下さると思います」

「すべてそなたのおかげだ。慶次、助右衛門、三成、その方らも色々と手を尽くしてくれたな。礼を銭で済ませて申し訳ないが、そなたらへの恩賞も北ノ庄に届けさせておくゆえな。受け取ってくれ」

「「ありがとうございまする」」

 

 信長はここでも少し悪い癖を出した。また酒の飲めない光秀に飲む事を強要したのである。

「飲め光秀!」

「それがしは下戸でござれば…」

「ええい! またそれか! 織田と徳川が武田を倒した宴ぞ! 下戸が通るか!」

 こうなると手がつけられないのが信長である。秀吉や家康なら飲まずとも要領よくかわすのであるが光秀はそれができない。信長の隣にいる家康が取り成そうとするが効果がない。

「また父上は…」

 信忠が助け舟を出した。

「光秀! ちょっと良いか?」

 と、自分の席に呼び出したのである。ホッとして光秀は

「大殿、若殿が呼んでおりますので失礼いたします」

「ふん!」

 光秀に突きつけていた杯を戻して飲み干した。

 

「助かりました若殿」

「なんの、しかしどうして父上はそう光秀を嫌うのだ? 下戸と云う事はそなたが仕官した当時から知っていように」

「…理由などありませぬ。大殿はそれがしが嫌いなだけでございます」

 気丈な光秀がグチめいた事を言った。場が暗くなってきたので慶次が気を利かせた。

「どれ、それがしがひとさし舞を見せましょう。よろしいかな明智様」

「それはありがたい」

 慶次はポンと大きい扇子を広げて足拍子を取った。

「この鹿毛と申すは! 赤いちょっかい革袴!」

 巨漢な慶次のこっけいな踊り調子に信忠の席が湧いた。

「あっははは!」

「いいぞ~前田の甥!」

「茨の甲冑、鶏のさっさか立烏帽子! 前田慶次の馬にて候!」

「あははは、前田殿、それは舞ではなくて幸若ですな」

 沈んでいた光秀の顔に笑顔が戻った。

「いやいやお恥ずかしい」

 照れ笑いを浮かべて慶次は再び座った。豪放磊落な彼であるが、時にこういう気配りをするのが慶次である。隆広は心の中で慶次に拍手していた。

 ようやく光秀の機嫌も直ったので、信忠を中心に隆広一行と光秀は戦話に花を咲かせた。そして再び話題が富士の美観になり、信忠が

「そういえば光秀は諸国を旅してきたと云うが、富士ほどの美観は他にあるのか?」

 と訊ねた。

「左様でございますな、同じ山なら上州の赤城山、あと下野の華厳の滝なども実に美しい景勝です」

「いずれも関東じゃな。見てみたいものだ」

「もはや織田が関東を手に入れるも時間の問題でございます。また奥州にまで至れば安達太良山、磐梯山、さらに北上すれば松島も見る事ができましょう。それらはそれがしも見ておらぬゆえ、是非見ておきたいと存じます」

「そうじゃな、オレも見てみたい。しかし富士は本当に美しい」

「御意、我らも苦労したかいがあったと云うもの」

 と、光秀が答えた時だった。

 

「光秀!」

 信長が信忠の席まで歩いてきていた。そして光秀に怒鳴ったのである。

「こ、これは大殿」

「その方! 今なんと申した!」

「は?」

「『我らも苦労した』だと!」

「な、何かお気に触りましたか?」

「その方が何をしてきたというのだ!」

「も、申し訳ございません!」

 何がそれほどに気に触ったのか、信長の顔は真っ赤になった怒りの形相だった。

「父上、言葉が過ぎます! 酔っておられるのか!」

「ええいうるさい!」

 

 ガツ!

 

「あぐ!」

 信長は平伏する光秀の頭を蹴った。思わず痛さで顔を上げると、今度は顔面を蹴ったのである。

 

 ドカッ!

 

「うあっ!」

「明智様!」

 蹴り飛ばされた光秀を抱きとめる隆広。さらに光秀を打とうとする信長を信忠が押さえた。

「父上! 何と云う事を!」

「離せ信忠! 常日頃からのこやつの増上慢に腹を据えかねておったのじゃ!」

「何を言われます! 光秀の今までの働きをお忘れになったのですか!」

「アツツ…」

 光秀は拳を握っていた。蹴られた痛みより悔しさと無念が先に立つ。

「大殿! 明智様に謝って下さいませ!」

「なんじゃとネコ!」

「士を大切にしない将帥に、どうして命を預けられますか! この事を斉藤利三様や秀満様が知ったらどう思いますか! 彼ら明智の忠臣は主君を辱めたと大殿を憎むのは必定ですぞ! 今ならまだ間に合います。明智様に謝って下さい!」

「キサマ、信忠の寵愛におごったか!」

 信長が刀の柄を握った。驚いた信忠はその柄を掴んで抜かせない。

「落ち着いて下され父上! 光秀ばかりか隆広にまで理不尽な仕打ちをされるのですか!」

 万一の時に隆広を守るために、前田慶次と奥村助右衛門が隆広の前についた。

「父上、何とぞご堪忍を!」

「…ふん」

 信長は刀から手を離した。

「不愉快じゃ。宴はヤメじゃ! 安土に戻るぞ!」

 立ち去りかけた信長に

「お…ッ!?」

『大殿』と叫ぼうとした隆広のクチを手で塞いだ光秀。隆広が『まだ謝っていない』と言うのが分かったからである。信長は振り返らずそのまま立ち去った。

「良いのです、これ以上大殿に逆らってはなりませぬ!」

「しかし明智様!」

「良いのです…!」

 そして光秀は折れた歯を吹いて出した。

「佐吉、血止めの散薬を」

「あ、はい!」

「いや、大丈夫でござる」

 光秀は衣服についた泥を落として立ち上がった。顔は悔しさと無念さで一杯だった。

「光秀、父を許してやってくれ。頼む」

「若殿…」

 光秀はそれに答えず、隆広を見た。

「すまん、それがしのせいで、隆広殿も大殿に睨まれてしまった」

「何を言うのです明智様」

「すまん…」

 光秀は自分の陣に帰っていった。

 

「隆広様、我らもそろそろ戻らねば…」

 と、助右衛門。

「ああ、分かった」

「隆広よ、父を許してやってくれ」

「信忠様…」

「父は天下人も同然となった。支配者と云う者は必ずあの病にかかる。疑心暗鬼と云うヤツにな。昔はあんな父じゃなかった。秀吉の妻おねに…夫婦ゲンカを仲裁するような温情溢れる手紙を出した事もある優しい父だった。オレはならぬぞ、その病に。だから…父を許してやってくれ。頼む」

「はい」

「すまぬな…」

 

 武田攻めは大勝利で終わった。だが何とも後味の悪いものとなってしまった。そしてこれが、あの大事件のきっかけとなったのでしまったのであろうか…。



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美童の意地

 後味の悪い富士の宴が終わったその夜、森蘭丸が隆広の陣を訪れた。

「伊丹、岩村、甲斐での本陣、そして本日の宴、どうしてお前は大殿に楯突く」

「…大殿だって、時に間違った事をする」

「変わらないな…お前は」

「お怒りになっていると知らせに来たのだろう。だが後悔はしていない」

「いや、それより少しタチが悪い。オレは大殿の命令でお前を呼びに来た」

「大殿がオレを?」

「覚えているか、安土で初めてお前が大殿とお会いした後、オレが言ったのを」

「まさか…」

「そう、今宵の伽を務めよ、との命令だ」

「……」

「竜之介、仏の顔も何とやらだ。お前はもう四度も大殿に逆らっている。悪いこと言わぬから、ここで機嫌を取っておけ。今のままではお前のみならず、主君の修理亮様(勝家)も疎まれるぞ」

 

 だが、その場の隆広と蘭丸との会談に立ち会っていた前田慶次と奥村助右衛門がガマンできない。

「バカな! 隆広様は色小姓ではない! 柴田家の部将で織田の一翼の大将でござる! それを伽に用いるなど我らが許さん!」

 いつも冷静な助右衛門も激怒する。

「何を考えているのだ大殿は!」

 吐き捨てるように慶次も言った。

「よせ二人とも、森殿は大殿の言葉を伝えに来ただけだ」

「しかし…!」

「分かった乱法師(蘭丸)、大殿の陣屋に行こう。富士川で身を清めるから、しばらく待て」

 隆広は悔しそうに陣羽織と甲冑を脱ぎ、富士川に向かった。

「隆広様!」

 助右衛門が追いかけた。慶次は不愉快そうに腕を組み、荒々しい鼻息を出す。

「森殿」

「何でござろう」

「主人の心を傷つけた者を許すほど前田慶次は人が出来ており申さん。ご貴殿は元々そういう務めで大殿に仕えたのであろうが、我が主は違う。主人の心を傷つけた者はたとえ何様でもオレが斬る」

 織田信長に忠節一途の蘭丸は慶次を睨んだ。

「それは謀反を示唆した言い草に聞こえますが?」

「たとえそれがしや奥村が我慢しても、主人の兵たちが我慢いたしますまい。主人の兵の中には北ノ庄で札付きだった連中がおりますし、伊丹城で主人に命を助けられた連中や、隆家殿旧家臣の子弟たちもおりもうす。全員が主君隆広のためなら命もいらぬと云う猛者ばかり。我らの大将が大殿に傷つけられたと知れば、それがしと奥村でも止められるかどうか保証できかねますな」

「…聞かなかった事にしておきましょう」

 

 隆広は川に入り体を清める。そして忌々しそうに水面を叩いた。

「くそ…!」

「隆広様、かようにおイヤならば何故受け入れました…」

「童の頃から女子と間違えられる容貌だ。父の正徳寺で修行をしていたころから先輩坊主に組み敷かれる事が多々あった。時に父に助けられ、時に激しく抵抗し、幸いに今まで恥辱は受ける事は無かった。だが今回はそうもいかない! オレが陪臣で拒否できない事を知ったうえで伽を強要するなんて卑怯な!」

「隆広様…」

「だがオレにだって意地がある。大殿は数度逆らったオレを組み敷き優越感を味わいたいのだろう。だが断じて受け入れない。二人きりになれるのならむしろ幸い。思う事すべて言ってやる!」

 

 隆広は蘭丸に連れられ、信長の陣屋に向かった。

「大殿、蘭にございます。水沢隆広殿をお連れしました」

「通せ」

「はっ」

 陣屋の戸が開けられ、蒲団の上に座る信長がいた。

「水沢隆広にございます」

「よう来たネコ、近う」

「はっ」

「お蘭、そなたは外せ」

「承知しました」

 

 パタン

 

 陣屋の戸口が閉められた。

「裸になり、ここに横になれ、可愛がってやろう」

「…イヤにございます」

「なら何でここに来た」

「大殿と二人きりになれる機会にございますれば」

「ほう、何か言いたいのかワシに?」

「はい、手篭めの恥辱を受けるより大殿に言いたい事を言って斬られた方がマシにござれば」

「なら、さっさと言え。そのあとに可愛がってやるわ」

「ならば…」

 隆広は真一文字に信長を見て言った。

「大殿は天下統一が近づくにつれ、常人から見て『狂気』としか映らない異常な人間になられています」

「ほう」

「浅井長政殿、浅井久政殿、朝倉義景殿の頭蓋骨を金箔に塗り固め、正月の宴の杯にし、あまつさえ長政殿のドクロの杯をかつて長政殿の妻であった妹御(お市)にすすめる。まともな人間に出来る事ではございません」

「それで?」

「尼崎城にて捕らえた荒木一族の女子供を全員虐殺し、盟友の徳川様を支える伊賀の忍びたちの里にも攻め入り、そこでも女子供に至るまで虐殺。岩村城では部下の助命を条件に降伏してきた秋山信友殿、その妻(信長の叔母)を逆さ磔にして惨殺したうえ城兵とその家族たちを皆殺し。今回の戦いでも武田勝頼殿、武田信勝殿の首を足蹴にし、恵林寺の僧侶虐殺を信忠様に下命なされました。大殿は武人の心を知らず、かつ血に飢えた魔王にございます」

「ふふふ…」

 信長は扇子を頭にトントンと叩き苦笑した。

「何より衆目の前で、家臣を足蹴にする。そして家臣たちに自分を神として崇めよと強制する。これを狂気と言わず何と言います」

「ふっはははは」

「大殿の戦いぶりは唐土の項羽のごときの冷酷さでございますが、天下をお取りになりつつ今、その項羽の敵手だった漢の高祖の劉邦とも同じ事をしておいでです。彼は天下を取った途端に人が変わり、天下を取るために尽くしてくれた忠臣の韓信、鯨布、彭越を殺し、その家臣と家族も虐殺。旗揚げからの仲間たちさえ信じようとせず讒言に踊らされ殺す有様。疑心暗鬼の虜となり、かつ己の権力を自分のチカラのみで得たと勘違いして人を大切にしない魔王と化す。まさにそれこそ、今の織田信長の姿です」

「そうか」

「真の君主ならば下々の者に至るまで大切にし、その声に耳を傾けるもの。それをしない者はただの暴君にございます。大殿は度重なる虐殺と返り血で心を蝕まれてしまいました。そんな狂気の魔王の支配など誰が望みます」

「あっはははは!」

「それがしの言いたい事は以上です。さあお斬り下さい」

「ふん」

 信長は隆広に詰め寄り、胸倉を掴み立たせた。

「バカが、ガキの青臭い空論にイチイチ腹を立てるか。お前はここにワシの欲望を満たすだけにやってきた色小姓よ」

 隆広を蒲団に投げ飛ばす信長。

「くっ!」

 そしてすぐに隆広に組み敷き着物を剥ぎ取った。

「くっくくくく、やはりいい体をしておる。げにも美しく男に抱かれるために生まれてきたような美童よな。ワシは美しいものが大好きだ。安土で初めて会うた時からいつかこうしてやろうと思っていた。キサマの養父の水沢隆家にはさんざん痛い目に遭わされたが、こうしてワシの前に良い玩具をもたらしてもくれた。感謝せねばならぬな」

「父を侮辱なさるのですか!」

「悔しいか? ならばワシをぶん殴ってでも今この虎口を逃れてみよ」

「大殿はウソつきです!」

「なにい?」

「主君勝家に、大殿は『ワシが望む天下は、ああして年寄りがのんびりと木陰で昼寝できる世なのだ』と申したはず! それは権力と暴力に誰も虐げられない世と云う事! それなのに大殿は陪臣として逆らう事が許されないそれがしを権力で組み敷かれている! 大殿は大嘘つきにございます!」

「こしゃくな事を…」

「この後におよび、もはや悪あがきはいたしません。万一も考え富士川で身も清めてございますれば、お好きなようになされませ! だがそれがし一生大殿を軽蔑いたします!」

 隆広は信長の下で抵抗をやめた。

「軽蔑か、いかようにもするが良い。ワシには痛くも痒くもないわ」

 信長が隆広の越中を剥ぎ取ろうとした時だった。

 

「大殿―ッ!」

 陣屋の外で蘭丸が叫んだ。

「…チッ いいところを。なんじゃ!」

「武田の残党の夜襲です! 軍勢後尾の水沢隊と、その手前の滝川隊が現在応戦中にございます!」

「なにぃ?」

「オレの陣に敵襲!?」

「分かった。ネコ、水沢陣に急ぎ戻るがいい」

「は、はい!」

 隆広は急いで着物を着て、陣地に駆けた。慌てていたので蘭丸を一瞥するゆとりもない。信長は走り去る隆広の背を見てフッと笑った。

「…ワシに虚偽の報告をしたらどうなるか知らぬそなたでもあるまい」

「申し訳ございません、蘭め嫉妬に狂いました」

「嫉妬じゃと?」

「惚れた男が、蘭以外にと」

 かしずく蘭丸の前に腰を下ろし、信長は蘭丸をギロリと睨んだ。蘭丸は眼を逸らさない。

 

「ハァハァ…」

 走りながら器用に着物を着て行く隆広。急いで自分の陣に走る隆広だが、他の陣地に何の騒ぎも起こっていない事に気付く。

「あれ?」

「隆広様―ッ!」

 自分の陣に近づくと奥村助右衛門が駆け寄ってきた。

「よかった、どうやら大殿に手篭めにされずに済んだようでございますな」

「それどころじゃない! 夜襲を受けていると聞いて飛んで帰ってきたんだ!」

「や、夜襲? いえ、そんな事実はございませんぞ」

「え? しかし確かに乱法師が…」

 ハッと隆広は気付いた。蘭丸が虚偽の報告をして、自分を虎口から脱出させてくれたのだと。

「乱法師…」

 

 信長は蘭丸のアゴ先をつまみ、さらに自分に向かせた。

「惚れた男…? どっちだ?」

「無論、大殿にございます」

 アゴ先を離す信長。

「フッ…ハッハハハハ! 蘭! 伽をいたせ」

「承知しました」

(借しておくぞ、竜之介)

 フッと蘭丸は笑った。

 

「間一髪だった…。乱法師がああしてくれなかったらオレは今ごろ大殿に…」

 ペロと舌を出して苦笑する隆広。

「しかし! 一度は組み敷き、大殿は隆広様を手篭めにしようと…!」

 前田慶次は怒りが収まらない。

「もういい、大殿に言うだけは言ってきたのだから。オレも今日の事は忘れる。そなたらも忘れてくれ」

「それで宜しいので?」

 鼻息の荒い慶次。

「ああ、いいさ」

「大殿を軽蔑いたしますか?」

「助右衛門…。オレは絶対…家臣の弱みに付け込み、何事を強要するような大将にはならない。その悔しさを今日身をもって知った。それだけさ」

「隆広様…」

「ああ、でもすごく疲れた。オレもう寝るよ」

 隆広は自分の陣屋へ歩いた。眠そうにあくびもしていた。

 

「何とか助かったが後味の悪い結果だ…」

 腕を組む助右衛門。

「この事を勝家様に報告すべきか…」

「ふうむ、それが思案のしどころだ」

 慶次も腕を組んで考える。

「ふああ、慶次様、助右衛門様、見張りの交代でございます」

 陣中深夜の見張りのため、蘭丸が来た時には仮眠を取っていた三成が来た。

「何も知らんでまあ…」

「は? 何がです慶次様」

「何でもない! オレたちも眠らせてもらうぞ!」

 

 翌朝、織田軍は浜松の地で徳川軍と別れ、帰途に向かった。そして信長は安土に、信忠は岐阜、隆広の軍は信忠の寄騎なので岐阜へと向かった。岐阜城に到着すると、松姫から信忠と隆広宛に手紙が届いていた。

『竜之介殿、お見込みの通り最初は私の命を助けた貴方をお怨みしました。しかし生きると云う事が兄の意志ならば、妹としてそれを受け入れようと思います。そして信忠様、あの方は武田の姫としてでなく、松を一人の女として側室に迎えたいと申して下さいました。私は喜んで信忠様の側室になろうと思います。一度死を選んだ私、望外にも女として、妻としての喜びが得られると歓喜に身を震わせております。これも竜之介殿のおかげにございます。後に信忠様の内儀として竜之介殿と再会できる事を楽しみにしております。それではくれぐれもお体には気をつけて下さいませ。松』

「良かった…」

 ここは岐阜城城主の間。隆広と信忠が揃って松の書を読んでいた。

「嬉しい内容のようだな隆広」

 ニコニコして松の書を読む隆広を見て苦笑する信忠。

「は、はい! …信忠様のご内儀になられる方の書、一応ご覧になられます?」

「あははは、そなた宛の書であろうが。オレもつまらん邪推するほどに了見は狭くない」

 信忠は嬉しそうに松姫の書を箱にしまった。

「お松殿はそなたが庇護を要請した三宅某に護衛され、もうしばらくしたら岐阜に向かうとの事だった。側室とはいえ祝言は行う。そなたもその席には出席して欲しい」

「喜んで!」

「うん、招待状はおって北ノ庄に届ける。隆広、こたびの武田攻め大儀であった!」

「はっ!」

 翌日、水沢隆広は岐阜城をあとにした。これが織田信忠と水沢隆広、今生の別れと知らずに。

 

 岐阜城をあとにして北ノ庄城に向かう水沢勢は近江に入り、佐和山城付近で野営の陣を張った。すでに柴田勝家率いる織田軍は加賀を殲滅したと云う事は隆広の耳に入っていた。

 門徒の犠牲者総数七万強、日本史における最大の虐殺である。近年、門徒たちの織田将兵を呪詛する言葉を記した瓦が大量に見つかり、柴田勢の徹底した門徒掃討が推察できる。

 隆広は武田に攻めるのもつらい事ではあったのだろうが、この虐殺に立ち会っていなかった事は幸いだったのではないだろうか。性格が荒んでしまう事もあり得ただろう。

 勝家の軍はすでに越前北ノ庄に帰還していた。領民はやっと一向宗門徒の脅威から救われ、領主勝家の勇猛を称えた。一向宗には残酷な結末となったが、殺さなければ殺されるのが戦国時代である。隆広もそれはもう理解していた。

 

 そして一つ、悲しい知らせが入っていた。それは義兄の竹中半兵衛が陣没したと云う事だった。余命いくばくもないと悟った竹中半兵衛は、畳の上では死ねないと、秀吉の播磨の陣に赴いて、そこで陣没した。享年三十七歳だった。

 武田攻めの陣中にも持っていき、時間が空いた時は読みふけていた半兵衛から託された書。その内の一つの書に書かれていた半兵衛の言葉。

『チカラで得た物はチカラで取られる。だが智で手に入れたものは智でさらに発展する。それを忘れるな竜之介』

 論語の巻末の余白に書かれてあった言葉だった。隆広は義兄半兵衛の死を知った日は誰も陣に近づけさせず、一人泣いていた。

 

 秀吉は病身を押して陣中に来た半兵衛を労った。最初は城内の方が体に良いと思い姫路に帰そうとしたが、半兵衛は陣中にいさせてほしいと秀吉に懇願し、秀吉は許した。

 妻の千歳は姫路城の竹中屋敷に残して、半兵衛はわずかな供だけを連れて秀吉の本陣にやってきた。秀吉はこの時、別所長治の三木城を攻めていた。兵糧攻めである。

 半兵衛は最後に秀吉にこう進言した。『兵糧を届けなされ』と。これで別所勢は降伏するはずであると。秀吉はその進言を入れた。

 さすがは今孔明と名高い竹中半兵衛、その進言どおりに別所勢は降伏したのである。隆広も岩村城の兵糧攻めにおいて最後に進言した敵方への兵糧送り。これは半兵衛が清洲城下で幼き日の隆広に兵糧攻めの方法を教えている時、

『相手は意地になって餓死者が出ても降伏しない。敵が全員餓死するのを待っているのでは勝利しても、それは武人の勝ち方ではない。そなたならどうするか』

 竜之介、後の水沢隆広はこう答えた。

『敵に兵糧を送ります』

 半兵衛はニコリと笑ったと云う。そしてかつて弟子に伝えた方法を秀吉に進言したのである。

 

 長い包囲戦も終わった秀吉の陣。そこへ一人の男がフラリとやってきた。傘をかぶる旅装姿の男で、背には大きい箱を背負っていた。

「薬師?」

 応対に出た兵に身分を明かす木簡を見せた。

「へえ、唐土の薬や越中の万金丹などを購っております」

 背負っている箱の中にある薬も見せ、丸腰である事も示す薬売り。長い陣に病人もいたため、陣地の警護責任者である羽柴秀長は陣中で商売をする事を許し墨付きを発行して渡させた。

 そして薬師は数人に薬を売ると、一つ隔てた陣屋の中から痛々しい咳をする病人の元へ歩いていった。その場を守る者が

「誰か!」

 と凄むが

「へえ、陣中で薬を売る事を許されております者です」

 秀長より発行された墨付きを見せる薬師。

「ふむ、しかし竹中様の病は労咳、今さらどんな妙薬も」

「へえ、せめて苦痛を和らげる物をお持ちいたしました」

「そうか、ならば入れ。竹中様、薬師にございます」

「ゴホッ 今さらそんな者に用はない。帰って…ゴホッ!」

 薬師は構わず半兵衛の横になる蒲団へと詰め寄った。

「さすがに治す事は無理にございますが、この唐土より手に入れし漢方の妙薬は気道と鼻腔を開いて咳を止めて呼吸を楽にさせるものにございます。さ、どうぞ」

「今のワシにそんな高そうな薬を購う金はない、ゴホッッゴホゴホッッ!」

「…相変わらず強情よな、半兵衛」

「……ッッ!?」

 薬師は傘を取った。

「な…!」

 薬師はすぐに人差し指を口に立てた。大声を出すなと云う事だ。

「久しぶりだな、半兵衛」

「た、龍興様…!」

「ずいぶん痩せたな」

 半兵衛は龍興に平伏しようと不自由な体を起き上がらせようとするが無理だった。

「無理をするな、別に今さらオレを見捨てた事に対して怨み言を言いに来たわけじゃない」

「た、龍興様…生きておいでだったのですね」

「ああ、何とかな。今は水軍のお頭をやっている。若狭水軍、柴田家の一翼だ」

「し、柴田家の水軍!」

「ああ、だから唐土の薬などが手に入る。こら無理をせず寝ておれと言うに」

 また起き上がろうとした半兵衛を横にさせる龍興。

「いい弟子を育てたな半兵衛。隆家もあの世でお前に感謝していよう」

「では竜之介にお会いなされたのですか…!」

「うむ…。ま、オレが斉藤龍興とは知らないだろうがな」

「そうですか…」

 再び薬を差し出す龍興。

「さきほどの効用は本当の事だ、さあ飲め半兵衛、オレと縁は無かったがお前は我が斉藤家家臣、斉藤家最後の君主としてこれぐらいさせてくれ」

「も、もったいのうございます」

 半兵衛は両手で薬を受け取り、大事に飲んだ。

「ありがとうございまする。最期に龍興様とお会いできた事、あの世の隆家様にいい土産話が出来ました」

 本当に咳がピタと止まった半兵衛。

「のお半兵衛」

「はい」

「お前は間違ってはいない」

「え…」

 龍興はそれ以上言わずにニコと笑い、半兵衛を横にさせて、さっき半兵衛に飲ませた薬を入れた袋を枕元に置いた。

「では帰る。もはや会う事はあるまいが…体を厭え」

「はっ…!」

 龍興は再び傘をかぶり、半兵衛と両の手で握手し、そして一礼して半兵衛の陣屋を去った。竹中半兵衛が亡くなったのは、この日より五日後である。微笑を浮かべた安らかな死に顔であったと云う。




ちなみに言いますと、隆広が美男子と云うのは一応公式設定でもあります。原作ゲームの隆広はかなりイケメンで、体躯も華奢です。男色が当時あたりまえだった世では、今回のような展開もあり得たのではないかと思います。
蘭丸が機転を利かさなかったら隆広の貞操は奪われていたのでしょうが…もし、そうなった場合はどういう展開が待ち受けていたのやら。


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側室騒動

 武田攻めを終えて水沢勢は無事に北ノ庄城に到着した。論功行賞を翌日ここ錬兵場で行う事を述べ、そして隊を解散させた。隆広は奥村助右衛門、前田慶次、石田三成を伴い柴田勝家に報告すべく登城した。

「殿、水沢隆広戻りましてございます」

「ん、近う」

「は!」

 勝家の前に平伏し隆広は

「殿、加賀攻めの大勝利、祝着に存じます」

 と、加賀攻め勝利の祝辞を述べた。

「ふむ、そなたも武田攻めご苦労であった。勝頼の最期を看取ったのはそなたらしいな」

「はい」

「ワシもそういう武人としての礼節を好むところじゃ。ようやった」

「恐悦に存じます」

「軍忠帳も大殿と若殿からの褒美も届いている。つかわす」

「「ハハッ!」」

 隆広と助右衛門、慶次、三成にも勝家から褒美が渡された。若殿の織田信忠をよく補佐した点が評価され、それは多額の恩賞金だった。勝家の小姓が重そうに隆広の前に銭箱を積む。そして山積みの銭箱と共に金銭以外の褒賞もある。その褒賞の目録を勝家から大事に受け取る隆広。目録を懐にしまい、改めて平伏して隆広は述べた。

「殿にお詫びしなければならない事ございます」

「なんじゃ?」

「それがしとさえが婚礼の日に頂戴しました陣羽織。戦場にて紛失しました」

 高遠城の城攻めの時、味方雑兵に陵辱されかけていた仁科盛信の妻の百合を救い、肌をさらせてしまっている彼女に陣羽織を着せた。亡骸になっても肌はさらしたくない女心を汲み、隆広は自害して息を引き取った百合から陣羽織を剥がそうとはしなかったのである。

「ふむ…。ま、命が無事なら良い。してその新しい陣羽織じゃがずいぶん派手じゃな。慶次の傾いた陣羽織顔負けじゃ」

 背中に不動明王の姿が刺繍されている陣羽織。しかも高級な布地で赤一色。たしかに派手だった。

「これは…勝頼様が自刃される直前にそれがしに賜り下さいました」

「ほう、大殿は何も申さなかったのか?」

「はい、大殿はこれが勝頼様のものと気付いたようにございますが、特には」

「なるほどな、では報告書をこれに」

 勝家は隆広の出す報告書を受け取った。

「岩村、鳥居峠、高遠、津笠山、岩殿か…。ずいぶんと戦ったものだ」

「はい」

「勝頼は優れた将であるが…運がなかったのォ」

「それがしもそう思いまする」

「ふむ、軍忠帳とそなたの報告書を読み、後日あらためてワシからの褒美も与える。楽しみにしておれ」

「ハッ!」

「さて…褒めるのはこのへんにしておく。隆広」

 勝家の顔が険しくなった。

「…また大殿に口答えしたらしいな。しかも三度」

「はい」

「一度目と二度目は良い。一度降伏を受け入れた者、しかもお艶様をあんな残酷な手段で処刑しようと云うのは、ワシがその場にいても同じくお諌めしていたじゃろう。また二度目の大殿が勝頼と信勝の首を蹴りツバを吐きかけた事はワシも聞いた。憤怒するそなたの気持ちは分かるゆえこれも咎めぬ。その後に大殿の下命に背き、勝頼と信勝の首を丁重に弔ったのも咎めぬ。だが大殿に殴打された光秀を庇った事については申し渡す事がある」

「はい」

「隆広よ、いい機会だから言っておく。お前のそういう優しさは長所であり短所である。光秀はお前に庇われて嬉しいと感じると思うか?」

「え…?」

「光秀の歳は五十四、お前は二十。光秀はお前が生まれる前から武将として生きていた。光秀から見ればお前などクチバシの黄色いヒナ鳥同然。そんな者から庇われて嬉しい道理があるか?」

 隆広は反論できなかった。自分の不用意な同情が返って明智光秀をみじめにしたのかと。

「時に見ないふり、聞こえぬふりもまた情けと知れ。常に相手を自分に置き換えて判断せよ。分かったな」

「はい、隆広一生の教訓といたします」

 奥村助右衛門は不思議だった。『大殿に口答えした』と云う事を叱らず、不心得な情けで光秀を辱めた方を叱った。信長に一陪臣が口答えすれば、当然上司の勝家が叱責される。主君隆広、そして側にいた自分もどれだけ強烈な叱りを受けるかと助右衛門は覚悟していた。しかし勝家は叱らず、教訓を言い渡したのである。

(ご寵愛しているのは分かっていたが…勝家様の隆広様への接し方は、まるで慈父のごときだ…)

 信長に伽を命じられたと云う事を隆広は伏せた。主家織田家と柴田家にいらぬ亀裂を入れたくはないと考える隆広の配慮だった。助右衛門と慶次もそれに同意した。もし隆広が信長に手篭めにされたとしたら、おそらく勝家は激怒し織田家に叛意を抱きかねない。あえて主君勝家に波風立てるような報告はすまいと考えたのである。だが…

「隆広、まだ報告し忘れている事があるだろう」

「…え? いえ、以上で終わりですが」

「…大殿に伽を命じられたと云うのがあるだろう」

「い…!」

「こんな事を隠し通せるワケなかろう。とっくに耳に入ってきておる」

 武田攻めに出た水沢軍には勝家の戦目付けが同行し、大将の隆広の動向や言動は無論、兵卒に至るまで監視される。いかに隆広とて彼らに対して口止めを求める事は許されない。それゆえ公平で水沢軍が手柄を立てれば正確に報告もする。

「た、確かに伽を命じられました。ですが森蘭丸殿が機転を利かせてそれがしを虎口から脱してくれました。断じてそれがし恥辱を受けるに至っておりません。本当です!」

「そうか。もしそなたが手篭めにされておったら柴田は織田に叛旗を翻したかもしれん。部下にかような仕打ちをされて下向いているほどワシはお人よしではない」

「殿…」

 あとで分かった話であるが、この知らせを聞いた時に勝家は激怒し、“もし隆広を手篭めにしていたら大殿とて斬る!”と言ったと伝えられている。

 しかしその隆広は無事に帰って来て、本人が言うように恥辱を受けるまでは至っていない。もし帰還した隆広が心身傷ついていたのなら、勝家は本気で織田家に叛旗を翻したかもしれないのである。

「まあ無事で何よりじゃ、早く帰ってさえを安心させてやれ」

「と、殿が聞いていると云う事は…さえも…?」

「心配いたすな。お前の家族には伝わらぬよう差配したゆえな」

「あ、ありがとうございます!」

「礼には及ばん、はっははは」

 

 加賀の一向宗門徒は全滅に近いほどに掃討され、武田家も滅亡した。そしてとうとう織田家と本願寺が和睦に至る。頼みにしていた毛利の村上水軍が九鬼水軍に蹴散らされ、もはや毛利の援軍が望めなくなってしまった。さらに信長は本願寺を支持する勢力を駆逐。雑賀鉄砲衆も信長に敗れ、かの雑賀孫市も斬刑に処せられた。

 備前の宇喜多家を寝返らせ、播磨の別所も潰して反信長派を圧倒していったが、その一方では朝廷に働きかけ、勅命の形で本願寺に講和を説得させる工作も行っている。

 こうした情勢を見た本願寺の法主本願寺光佐は、これ以上の抵抗を続けるのは難しいと考え、実質は降伏と変わらない講和に応ずる事とした。本願寺がこうした形で屈伏したのは、諸国の反信長派が次々と滅んでしまい、最後の望みである毛利家の来援も期待できなくなったので降伏したのである。ついに一向宗門徒は織田信長に屈した。石山本願寺から光佐が退去する時は、信長は光佐の乗る輿を馬上から見下ろし、光佐は輿の戸を開けて信長を睨んだと云われている。

 本願寺光佐は石山を去ったが、その息子の教如は、開城に反対して父と衝突し、そのまま居座っていた。これは父子で共謀しての事だったという説もあるが、真相は明らかではない。その教如も四ヵ月後には退城せざるをえなくなり、およそ十年におよんだ信長の対本願寺作戦も信長の勝利で終了した。もはや信長の天下布武は留まるところを知らない。

 

 武田攻めから無事に帰還した翌日の早朝。水沢隊の論功行賞が行われた。城では手狭だから錬兵場で行われた。隆広の手元には銭一万八千貫、新米五万石、駿馬十二頭、名物茶器十点、名刀十振りと云う褒美が織田家から届いていた。隆広はそれを惜しげもなく部下に与えた。彼の手元に残ったのは言っていた通りさえとすずに綺麗な着物を一着二着買ってあげられる程度の金額だった。

「以上で論功行賞を終わる。みなご苦労であった」

「「ハハッ!」」

「殿より我らに配属された将兵たちもよくやってくれた。いつかまた同じ陣場で戦う時は頼むぞ!」

「「ハハーッ!」」

「さあ水沢隊は明日からまた土木屋だ。殿から加賀の検地に民心掌握、それに開墾と治水、鳥越城の改修を下命されたからな! 水沢隊は準備出来次第に本陣とする鳥越城に出発するが今日は休みとする。明日から水沢隊は鳥越行きの準備を始めるが今日はゆっくりと休んでくれ。女房子供とゆっくり過ごすがいい」

「「ハハッ!」」

「だから今日オレの家に来てさえとの時間を邪魔するなよ!」

「誰がイチャイチャしてんの見せ付けられると分かっていて行くかー」

 と、声が上がると錬兵場は笑いに包まれた。

「ははは、みんなも恋女房と楽しい休日を過ごしてくれ。以上解散!」

「「ハッ!」」

 手厚い恩賞を得られた隆広の部下たちは嬉々として帰っていった。石田三成も妻の伊呂波と出かける約束があるのでいそいそと帰っていくが

「佐吉」

 隆広に呼び止められた。用件は分かっていた。だからいそいそと帰ろうとしたが捕まってしまった。

「何か名案は浮かんだか?」

 それはさえをまったく傷つけずに、というよりさえを怒らせる事なくすずを側室として迎える事を認めてもらう事であった。

「だから何度も申し上げているではないですか。奥方を傷つけず怒らせず…。そんな虫のいい事が出来るのなら、それがしの方こそお教え願いたいくらいです」

「助右衛門も慶次も同じ事を言う…。佐吉、そなたは水沢家が誇る天才能吏ではないか…」

「正直に申し上げるしかございません。真実を話す事が一番説得力あるのでござるから」

(武田攻めの陣中で舞殿を何度も抱いているくせに…ようまあこんな図々しい事言える)

「でもなぁ…」

「ならば、侍女頭の八重殿と家令の監物殿を抱きこんでみては? 将を射るなら何とやらでしょう」

「そりゃ名案だ! いやぁさすがは佐吉! 礼を言うぞ!」

 そう言うと隆広は錬兵場から走って出て行った。

「それでも結果は変わらないと思いますよ隆広様」

 三成は苦笑して自宅へと歩いていった。そう、隆広には一つ難問があった。さえに側室を持つ事を許してもらう事だった。

 

 三成の言葉どおり将を射よとするならば何とやらで、隆広は八重と監物を味方につけた。二人は最初難色を示したが、事情を聞いて得心した。

 そして三人でどうやってさえを納得させるか思案したが、さっぱり名案は浮かばず、隆広自身が正直に話すと云う結果に落ち着いた。だが隆広はさえが怖くて言い出せなかった。

 すずは今のところ源吾郎の屋敷で養生のかたわら、歩行訓練に励んでいた。あの方の側室になれる。その思いだけがすずを辛い訓練に駆り立てていた。水沢隊が加賀鳥越城に向かうのは数日後、水沢隊は大将隆広が大掛かりな内政主命を受けて遠征する時には兵は無論、その家族に至るまで現地に赴く体勢を執っている。当然側室となるすずも赴く事を指示されていた。それまで何とか杖があれば歩けるほどになりたいすずだった。

 隆広も、八重も監物も源吾郎の屋敷に出向き、修練に付き合ったりしていたが、そんな生活をしていてさえにバレないワケがない。後の歴史家も“智将の水沢隆広が何を根拠にバレないと思えたのか不思議でならない”とまで言っている。そしてそんなある日のことだった。

「お前さま、伯母上、監物」

 朝食中に静かに三人を呼ぶさえ。

「なんださえ」

 と、隆広が飯をほお張りながらさえを見ると不気味な静けさの笑みを浮かべていた。

「ブホッ」

 監物は白湯を思わず吹きだした。『バレている』直感で思った。

「三人とも私に隠している事あるわね?」

 

 ポトッ

 

 箸を落とした隆広。どんなに夫に言いたい事があっても朝に出仕する時は笑顔で見送らなくてはならないのが武士の妻。だからさえは今まで様子がおかしいと思いつつも黙っていた。しかし本日の隆広は休みである。ゆっくり事情を聞こうと思っていた。

「三人して、源吾郎殿の屋敷に何しに行っているの?」

「あ、いや、あらあら! 若君が何かグズッていますよ! 姫、そろそろお乳の時間…」

 ジーと八重を見るさえ。ごまかしきれないと八重は悟った。

「殿、もう正直に申されては…」

「う、うん」

 椀を膳に置く隆広。

「じ、実はなさえ」

「はい」

「怒らずに聞いてくれ」

「保証できません」

「…や、やっぱり後日に」

「お前さま!」

「は、はい!」

「何を隠しているのです?」

「実は…側室を持つ事にした」

 蚊の鳴くような声で述べる隆広。

「はい?」

「いやだから側室を持つ事に…」

「ちゃんと私の目を見て! 大きい声で申してください!」

「だから側室を持つ事にした!」

 言ってしまった。監物と八重は竜之介を連れて、その場から逃げだしてしまった。

(は、薄情者…!)

「お前さま、今なんと?」

「だから! 側室を持つ事にしたんだ!」

 

 ギュッ

 

 両の手で隆広の頬をつねるさえ。顔で笑って心は激怒の京女ならぬ越前女さえ。

「なんですって…?」

「ひゃ、ひゃから、ひょくひふほほふほほひ(だ、だから側室を持つ事に)…」

「側室ですって!」

 顔も激怒に変わった。

「ひゃひ(はい)」

「なんで! さえに飽きたのですか!」

 つねったまま隆広の顔を振り回すさえ。隆広は痛くて涙が出てきた。

「ひょんにゃんにゃにゃい! ひゃえほはひふほひんへんやよお!(そんなんじゃない! さえとはいつも新鮮だよお!)」

「さえは! さえはお前さまだけはどんなに偉くなってもさえだけ見てくれると信じていました! ひどい!」

 つねる手を離して両手で顔をおおって泣き出すさえ。痛む頬を撫でながら弱り果てる隆広。

「泣かないでくれよう、そなたに泣かれるのが一番つらい…」

「泣かせているのは誰ですか!」

「いやそうだけど…」

 キッと隆広を睨んで

「その女は源吾郎殿の屋敷にいるのですね?」

 と、すごむさえ。

「あ、ああまあ…」

 

 ダンッ

 

 さえは怒気をたっぷり含んだ足を畳に叩きつけて立ち上がり部屋を飛び出した。

「ど、どこ行くんだよ! 竜之介に乳をやってから出かけ…!」

 

 バコォッ!

 

 さえが部屋を飛び出すとき、戸を勢いよく閉めたために追いかけようとした隆広の顔面がその戸に直撃した。

「アイタタタ…」

 顔を押さえ、ヨロヨロとしながら廊下に出るが、すでにさえは屋敷から飛び出していた。

「さえ~」

 弱弱しく妻を呼ぶ隆広の声が屋敷に虚しく響いた。

 

 さえは一目散に源吾郎の屋敷へと駆けた。店先にいた源吾郎は駆けてくるさえを見て(ああ、とうとうバレたか)と悟った。

「こ、これは奥方様、何か入用で?」

「ウチの主人に色目使った女はどこ!」

「は、はあ?」

「ここにいるのでしょ! 会わせて下さい!」

 すると店の後方で

「ほら、すず、もうちょっとよ!」

「う、うん…」

 と、女二人の声が聞こえた。

「失礼します!」

 さえが声のほうに走った。

「あ、奥方様!」

 奥の戸を開けて、さえが見たものは…

「よいしょ、よいしょ!」

 それは不自由な体を叱咤して、歩行訓練しているすずの姿だった。

「え…?」

 汗だくで、舞のいる方へ歩き、白がそれを補助している。庭にすずの歩行訓練用に作った手すり、それに掴まりすずは一歩一歩懸命に歩いた。舞と白はさえが来た事に気付いたが、すずは気付かない。それほど集中していた。

「こ、これは奥方様」

 舞と白がかしずいた。

「まさか…」

 やっとすずが気付いた。

「奥方様…あっ」

 すずはそのまま尻餅をついた。そして自力で起き上がれない。

「すず!」

 舞が補助をして、すずをさえの前に来させた。

「すずさん…」

「源蔵殿の時以来に、お久しぶりです」

「え、ええ…」

 呼吸荒く汗だくのすずを見かねたさえは、すずの額の汗を拭った。

「ありがとうございます」

「まさか…すずさんが?」

「え?」

「主人の側室に…?」

「…はい、もったいなくも…そう望まれて下さいました」

 さえはすずの体の事情を知らなかった。白が説明した。

「では、主人を鉄砲の弾から庇って?」

「はい、それで隆広様は責任を感じられ…」

「そうだったのですか…。あの人もこういう事情なら隠す事もないのに…」

「そりゃあ奥方様が怖くて…イタッ!」

 余計な事を言う白の尻を舞がつねっていた。

「申し訳ございません、奥方様」

「何を謝るのですか? 私こそすずさんにどれだけ感謝してよいか…!」

「奥方様…」

「古来、正室と側室は仲が悪いものですが、私とすずさんならそんな風習が打破できると思います。主人の側室としてだけではなく、私と友となって下さいますか?」

「は、はい!」

 以後、すずの歩行訓練に付き合うさえの姿も見えたと云う。その後にすずの父母の銅蔵とお清も娘が隆広の側室になる事を喜んで受け入れ、すずは正式に側室として迎えられた。

 隆広の屋敷にはすずの部屋も増築し、すべての場所に歩行を助ける手すりもつけた。忍び衣装ではない美々しい武家の着物に身を包み、八重の補助で歩いて輿入れしたとき、隆広の部下たちは、すずのその美しさに惚けたと伝えられている。

 その輿入れのとき、源吾郎は無論、父母の銅蔵とお清もお忍びでそれを見ていた。

「なんともまあ、すずがあんなに美しいとは知らなかった。のう清」

「ホントです、歩けなくなったと聞いた時は隆広殿をお恨みしたものですが…」

「あはははは、今では感謝しようではないか。しかしすずが隆広殿の側室になったのでは、肝心のお側三忍が欠けるな」

 一つの任務は班長一人、班員三名で行われるのが藤林忍びの鉄則だった。当然隆広へ常に付き従う忍びもそれで務めなくてはならない。

「おおせの通りです。今まですずが、いやいやお方様の担当していた責務を誰かに継いでもらわないと」

「ふむ柴舟、誰が適任と思う?」

「六郎がよろしかろうと」

「あやつを? つい先日まで武田の忍びであったのに?」

 武田の忍びの中に武田勝頼一行を落ち武者狩りで殺そうとしている者たちがいたが、それは藤林忍軍に瞬殺されてしまった。だがその落ち武者狩りの陣中に最後まで主君勝頼を討つ事に反対して仲間の忍びを一人で止めに来た男がいた。それが六郎である。だが一人では説得は無理で、逆に私刑を受けて木につるされていた。

 その有様で事情を悟った藤林忍軍が彼を助けていた。六郎は敵将の水沢隆広が勝頼親子と妻と酒を酌み交わし、自刃後は丁重に弔ったと聞き、回復後は隆広のために働きたいと切望し藤林の食客となっていた。

「そういう経緯があればこそ、六郎は懸命に働くかと」

「ふむ、一理ある。よし六郎を明日にでも北ノ庄に派遣する。使ってやるがいい」

「はっ!」

 

 しばらくして、北ノ庄城下の源吾郎の屋敷に一人の若者がやってきた。行商人の姿をしている六郎であった。

 藤林の忍びは化ける商人としても本物でなくてはならない。商人としてはこれから修行であるが忍びの腕前はすでに里で一目置かれていた。

「上忍様、六郎にございます」

「ふむ、城下では今後金次郎と名乗るがいい」

「はっ」

「さっそく任務がおぬしに与えられた。これが隆広様からの命令書である」

「はい」

 六郎は上忍柴舟から封書を渡された。

「ご主君はいま加賀の国、鳥越城にて加賀の内政をしておられる。その主命の報告は鳥越城に届けるように」

「承知しました。ではさっそく」

 六郎はすぐに任地へと向かった。源吾郎の屋敷の奥から舞が出てきた。現在隆広は内政主命中なので、舞は北ノ庄の源吾郎の元で待機していた。

「上忍様、あのヒトが今度我々と隆広様つきの忍びに?」

「そうだ、お前は天目山であやつを見ておろうが」

「そうだけれど…。あの時は仲間から私刑を受けてズタボロだったから」

「うむ、ゆえに私も大した忍びではないと思っていたのだが、中々の腕前と聞いている」

「いい男じゃない…」

「なにぃ?」

「い、いえ何でも! さーて店の明日の仕入れはと!」

 いそいそと舞は奥に戻っていった。

「まったく最近のくノ一は…」

 源吾郎は苦笑していた。



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疑惑の光秀

  武田攻め、加賀攻めも終わり、柴田家中は少しの平穏を取り戻した。水沢隆広は柴田勝家からの主命で柴田の新たな領地である加賀の国の検地、治水、新田開発を行うため、加賀の国に入った。

 加賀の国、かつて百姓の持ちたる国と呼ばれ、一向宗門徒の国であった加賀。朝倉の時代から越前の民たちは門徒たちに苦しめられてきた。だが加賀一向宗門徒は滅び、脅威から払拭された。ついに加賀は柴田勝家の領地となった。

 柴田勝家は加賀の国にあった門徒たちの本殿『金沢御殿』を『金沢城』と改名し、それを甥の佐久間盛政に与えた。さすがに加賀一国と云うわけではないが、晴れて一国一城の主である。

 しかし佐久間家には武断派は多いが政治の実務能力に長けた行政官がいない。だから勝家は新領地の内政を水沢隆広に下命した。かつての敵地を占領して領地にしたのなら、新領主はすぐに内政に取り掛かり民心を掌握しなければならない。それに成果を出せるものが佐久間家にはいなかったのである。それを知る盛政は不愉快ながらも隆広が内政を実施するのを認めるしかなかった。

 

 長期、かつ大変な作業となるため、直轄城としていた加賀鳥越城が一時期隆広に与えられ、それが本陣となった。水沢隊は隆広が大掛かりな内政主命を受けると将兵は無論、その家族も現地に移動する。こんな方法を執っていたのは当時の武将で水沢隆広だけである。なぜ隆広はこんな方法をわざわざ用いたかと云うと答えは簡単、自分を含めた水沢家の若者たちに妻子と離れさせたくなかったからである。

 無論、戦場ではそうはいかないが水沢隊は大将隆広が二十歳の若者ゆえに、兵も若者が多い。新婚が多いし、何より妻と離れた任地での労働。性欲などの問題も生じてくる。ゆえに隆広は、妻は無論、妾にいたるまで呼んでも良いぞとまで言っている。隆広は長期の内政主命を円滑かつ効率良く成し遂げるために、出費もかさむであろう妻子連れの現地移動をあえて行ったと後世の歴史家は賞賛しているが、実際は隆広自身が妻二人と息子と離れたくなかったからと云うのが現実で、戦場ならともかく土木工事で離れたくないと云うのが本当のところだったらしい。大将の自分だけ妻子を連れては示しがつかない。だからみんな一緒にと考えたのだろう。

 しかし理由はどうあれ、これは将兵とその家族は大喜びだった。無論さえとすず、竜之介も。

 

 新たに得た新領地、加賀の国の検地、治水、新田開発と云った民心掌握を兼ねての内政主命は水沢隆広の兵や現地領民、越前からの出稼ぎの人足総動員の作業であるが、隆広と三成の指揮で並の者なら二年はかかる作業が半年強でメドがつきはじめた。柴田家商人司の吉村直賢の稼いだ金銀を給金にあてて、兵や領民たちも労働にあった賃金を得ている。みなが嬉々として働いていた。

 加賀の鳥越城は柴田家が落とす前はただの砦であったが、今は簡素な平城に改修されて城下には隆広家臣団とその家族が生活を営み、ちょっとした町になっており商売をする者も出てきたほどだ。鳥越城はすっかり水沢隊の家となってしまった。そして隆広の内政主命の任期満了を待たずに加賀の検地、新田開発、治水工事が完了した。

 

 カーン、カーン

 

 鳥越城から夕刻の作業止めの鐘が鳴った。その鐘の音は伝達され、方々で作業に当たっている者たちにも音は届く。手ぬぐいで汗を拭き、田植えで曲げていた腰をやれやれと直す者。田縁によっこいしょと腰を下ろすもの、いずれの者たちも一つの仕事をやり遂げたと云う良い笑顔だった。

 夕陽が落ちる中、鳥越城の櫓から妻子と共にそれを見る隆広。嫡子の竜之介を肩車していた。その隆広にさえとすずが寄り添う。竜之介もそろそろ二歳、片言の言葉は話せた。最初に覚えた言葉は『母上』、次に覚えたのが

「ちちうえ~」

 と、父の隆広の肩で無邪気に二番目に覚えた言葉を発する竜之介。その竜之介に母のさえが言った。

「竜之介、父上の仕事をよく見ておくのですよ。今にあなただってやる仕事なのだから!」

「おいおい、まだ二歳にもならない子に言うなよ」

「いいえ、お前さま。この子は水沢家の世継ぎです。このくらいからもう心得ておかないと!」

「ははは、結構さえはしつけに厳しい母上となりそうだな」

 そして鳥越城の台所を任されていた八重が櫓に走ってきた。

「殿様! あと半刻ほどで酒宴準備整います」

「よし、みんな引き上げてきているし我らも城へ入ろう。二人ともこの半年の遠征中、家中の女たちをうまくまとめてくれた。感謝している」

「「はい!」」

「さあ、オレたちもメシにしようか」

「「はい」」

 竜之介をさえに渡して

「さ、すず」

 腰をおろして、すずを背負う姿勢を執った。櫓から降りるのは杖で歩行を支えるすずには困難であるからだ。

「申し訳ございません」

「ほらまた! おんぶのたびに詫びるなと言ったろ!」

「あ、申し訳ございません。…あ!」

 また謝ってしまった。クスッとさえも微笑んだ。四人が櫓を降りると工兵隊の辰五郎が歩いてきた。

「殿、本日にてすべての工程が終了いたしました」

「お疲れさん。すべて辰五郎のチカラあってこそだ。礼を申すぞ」

 すずを背負いながらペコリと頭を下げる隆広。隆広の内政指示も職人に恵まれなければ話にならない。図上の隆広の指示を実際の形に出せる辰五郎の働きは、今回の内政主命では勲功一番である。

「もったいのうございます」

「さ、辰五郎さんもおフロに入って汗を流したら宴です。辰五郎さんの好きな旨酒を越前から運ばせましたから」

「これは嬉しいですな奥方様!」

 辰五郎のノドが歓喜に震えた。

 加賀の民は一向宗七万を虐殺した柴田勝家の幕僚である佐久間盛政と水沢隆広を鬼や獣のように恐れていたが、盛政は民を大切にし、隆広は加賀の国を豊かにした。いつしか恐れから思慕となっていった。加賀の国は柴田家の統治になって生まれ変わったのだった。

 

 その日、鳥越城では盛大な宴が催された。加賀の国は佐久間盛政が入ったが、その土地の生産の基盤を作ったのは水沢隆広である。さすがの盛政も気が進まないものの、使者を出して酒と料理を届けさせた。その使者と云うのは盛政の妻の秋鶴であり、領主の妻として隆広に感謝の意を示した。使者の口上を終えると、秋鶴は連れてきた佐久間家の者たちと宴に交じった。彼女はお祭り好きなのである。しかし隆広に酒を注ぎながら秋鶴は詫びた。

「申し訳ございませぬ。本来ならば佐久間が来て水沢様を労うべきですのに」

「いや、気になさらないで下さい。届けて下された酒と料理は一級のもの。会って話さずとも佐久間様がそれがしを褒めて下されている事は分かります」

 と、隆広は言っているが続々と盛政の耳に寄せられる隆広による内政の高い成果。盛政の幕僚や妻は喜んだが、それを聞くたびに盛政は不機嫌になった。

 妻の秋鶴は『せめて領主として労いの品と感状くらいは出すべきです』と述べたが盛政は聞く耳を持たなかった。『そんなものは伯父上から出るから必要ない』と返すが、道義上佐久間家が水沢家に何もしなければ、佐久間家は礼儀も知らないのかと笑われるだけである。だから妻の秋鶴がやってきたのである。他の事では柔軟な考えも示し、かつ民も慈しむ盛政なのだが、隆広の事となると意固地になる。何度か秋鶴が『水沢家に労いと褒賞の使者を』と述べて、やっと盛政はそれを調達する金銭だけ出し『先輩ヅラのオレが行ってもヤツにとっちゃ迷惑なだけだろう! お前が行ってこい!』と取り付くシマもなかった。

「どうされた秋鶴殿?」

「い、いえ何でも。しかし水沢様にそう言っていただくと佐久間家としても助かります。まったく殿の部下たちは水沢様に好意的なのに、どうして殿はああなのか…。妻としても理解に苦しみます」

「あははは、昔に仲が悪くて、後に刎頚の友となった例もあります。まだこれからいくらでも佐久間様と融和の機会はあります。それより秋鶴殿も一献」

「いただきます」

 

 と、隆広と秋鶴が会話をしていると隆広の座る場に白い布が飾られた針が天井から降りて刺さった。

「と、失礼」

 立つと同時に一つ咳払いをした。同じく宴席にいた奥村助右衛門、前田慶次、石田三成への合図だった。隆広はさえに佐久間家の接待を任せ、助右衛門たちと別室に歩いた。そこには一人の忍びが待っていた。

「お待ちしておりました」

「六郎、役目お疲れ様」

 それは身障者になってしまったすずに代わり、隆広付きの忍びとなった六郎だった。元は武田家の忍びであるが、仲間に私刑を受けて木に吊るされていたのを藤林忍軍に助けられていた。私刑を受けていたのだから大した技量もない忍びと思われていたが、回復後意外にも智勇備えた忍びと分かり、彼自身が主君勝頼に武人の情けを示してくれた隆広に仕える事を切望していた事も手伝い、隆広付きの忍びに抜擢されたのである。歳は隆広より二つ年長であるが、年下の主君に心より忠義をもって仕えていた。

 

 隆広はその六郎に密命を与えていたのである。それはこういう理由だった。今年の安土大評定。隆広は加賀内政を一旦石田三成に任せて昨年同様に主君勝家と共に安土へと向かった。

 昨年に加賀攻め、武田攻めを成し遂げていた信長は上機嫌であり、昨年の安土大評定とは違い滞りなく終わった。隆広が少しの疑惑を感じたのは、大評定の後に彼が明智邸にて催される茶会に招待された時だった。

 明智光秀は茶会の席で度々上の空となったのである。隆広や配下の斉藤利三、明智秀満もいる席だったが、茶会後の食事の時には箸を落としても気付かないほどに上の空となった。いや上の空と云うよりも何かを考えていると云う感じであった。

『何か重大な事を考えているのでは…』と隆広は直感で思ったのである。

 

 なぜ、この考えに至ったか。それは水沢家の家令である吉村監物から、たまたま聞いていた話があったのだ。彼は朝倉景鏡の筆頭家老を務めていた。

景鏡が主君朝倉義景に反旗を翻す前、家臣や愛娘のさえが話しかけてもそれに気付かず押し黙って考え込んでいたと云う。監物は

『いま思うと、あの時の殿はすでに義景様を討つことを考えていたのでござろう。重大事を考えている時、人は周りのことなど気付かず黙っているものでござれば』

 茶会の時に見た光秀がまさにそれであったのだ。隆広は考えすぎ、そう思おうとしたが、どうにも気になって仕方がなかった。

 また以前に安土城内で食事をしていた光秀を森蘭丸がふと見かけた事がある。その時も光秀はたまに箸を置いて何かを考えていた。蘭丸も隆広と同じように、光秀が何か重大な事を考えていると読み取り、それを信長に報告したが信長は蘭丸の報告を『考えすぎだ』と笑い取り合わなかった。

 その後に、もし森蘭丸と水沢隆広がこのわずかに抱いた疑惑について話し合えば、歴史は違った展開を見せたかもしれない。しかし軍団長級の武将に対しての疑惑を、いかに親友とはいえそう簡単に話せるものではない。もし光秀が潔白ならばとんだ讒言になる。森蘭丸と水沢隆広は光秀に疑惑を抱きながらも、その解決へ共に動く事は出来なかったのである。

 以降森蘭丸が信長へこの疑惑を述べる事はなかったが隆広は動いていた。“因果な性格、恩人に疑惑を抱くなんて”と隆広は考えすぎだと願いつつも自分の忍びに明智光秀を内偵させたのである。白と六郎がその任に当たった。

 

 “考えすぎだ”と一笑に付した織田信長は果たして忘れていたのだろうか。かつて丹波攻略において光秀は当時の丹波領主である波多野氏に和議のため母親を人質として差し出した。それにより波多野秀治、秀尚兄弟は光秀を信じ、その後に安土城に織田信長との和議交渉へ赴いた。だが信長は問答無用で波多野兄弟を斬った。光秀が波多野氏に母親を人質に出していると知った上である。光秀の母は磔に縛られ、怒り狂った波多野家の兵たちに惨殺されてしまった。

 また信長は四国土佐の長宗我部氏と和を図り、光秀を使者にした。当主元親の妻が光秀の筆頭家臣斉藤利三の妹である事を見てみると、明智と長宗我部の縁は浅くないと思えるが、信長はその和議を破棄して三男の織田信孝と丹羽長秀らに四国討伐を命じている。これでは光秀の面目は丸つぶれである。

 以上の事を考えても、光秀が自分を憎んでいると推察するのは難しくないが信長は光秀に容赦はなかった。五つ年上の彼を満座の前で辱める事も少なくはなかったのである。

 

 しばらくして、光秀は主家の同盟者である徳川家康の饗応を命じられた。安土城下に家康一行の宿泊所を作り、その日の料理や能などの出し物についても豪華絢爛に趣向を凝らさなくてはならない。しかもすべて出費は明智家が出すのである。

 だが家康のために作った宿泊所は信長に不合格を出され、一から作り直された。ようやく二度目に合格をもらえ、その宿泊所に家康を招く事になった。

 そして家康から今回の接待のお礼にと、信長宛に進物が贈られたが、その目録を見て信長は受け取った光秀に激怒した。家康とて財政は火の車。それなのに信長に対して黄金や宝刀などの豪勢な進物を贈ったからである。それを率直に受け取った光秀に対して、気の利かないヤツと信長は怒鳴り散らした。

 

 六郎はその様子を細かく隆広に報告した。

「それではもはやイジメではないか…」

「はい、私と白は明智様に使われる小者として潜り込みましたが…明智家中の方々も、もはや堪忍袋の緒が切れる寸前にございました…」

「隆広様、どうして大殿は明智様を嫌うのでしょうか。あれほど織田家に貢献されている方であるのに」

 と三成。

「明智様は羽柴様と違い、大殿の機嫌を取るようなマネはしない…。正しい事を常に大殿に述べる明智様。それが気に入らないのかもしれぬ」

 かつて織田信長は森蘭丸だけにこう漏らした事がある。

「正しい事を言う光秀が憎くなり、ずる賢いと分かっている秀吉が可愛く思える。人間とは分からぬわ」

 この言葉から信長は内心光秀を高く評価し認めている事も分かる。そうでなければ丹波五十万石など与えない。だがこんな信長の心中など光秀やその家臣たちに伝わるはずもない。

 

 六郎が報告を続ける。

「そして家康殿を安土天主の間に通しての能楽が始まり、その時に出されたご馳走でまた…」

 信長は出された魚を見て激怒した。においのきつい鮮魚料理を腐っていると信長は激怒して家康やその家臣、同じ織田家臣のいる満座の前で光秀を打擲したのである。家康が『やりすぎですぞ』と述べると『こやつは最近調子に乗っておるのだ』と聞く耳を持たなかった。そしてこの場で家康の饗応役を解かれてしまった。

 接待のための出費も、この役目を成功させて家康に対して信長の面目を保ち、そして明智家の覚えも良くしてもらおうと云う気持ちがあればこそ出せた。しかしすべて無駄になった。同じく能楽の席にいた斉藤利三、明智秀満、溝尾庄兵衛は悔しさに涙を流したが、光秀に静かに制されどうしようもなく、歯軋りしながら天主の間を去ったのである。

 

「そうか…」

 隆広はため息を出した。同じく助右衛門も。

「それでは明智様がガマンしても家臣たちの腹が収まるまい」

「そうだな…。オレとて殿が目の前でかような仕打ちを受けたら…」

「受けたら…?」

 慶次が続きを促す。

「大殿を斬るかもしれない…」

 少しの静寂が流れた。

「六郎」

「ハッ」

「引き続き、白と共に明智様の小者として潜り込んでいてくれ」

「承知しました。それと隆広様」

「なんだ」

「明日にでも、北ノ庄から使いが来るかと」

「使い?」

「はい、勝家様は上杉との戦いを決断されました。隆広様はこのまま鳥越城に留まり、兵をまとめて合戦の準備をされるようにと」

「いよいよか」

「上杉と戦か! ウデが鳴るな!」

 左手をコブシで叩いて意気をあげる慶次。それをよそに三成が不安そうに隆広に訊ねた。

「しかし隆広様、明智様の事は…」

「殿が上杉との戦いを決断されたなら、もはや我々はそれに集中するしかない。だが…」

「だが?」

「近う」

 隆広は助右衛門、慶次、三成、そして六郎に耳を貸すように言い、そして話す。

「…というわけだ。上杉への戦陣に向かうのはオレと助右衛門、慶次、そして矩久たちでいい。また北ノ庄で待機している柴舟と舞もこの際動いてもらう。佐吉と柴舟、舞、白、六郎は…」

「…承知しました」

 密命を受けた三成はゴクリとツバを飲む。

「徒労に終わってくれると良いのだが…」

 隆広は本心からそれを願った。

「ではそのように」

 と、六郎が去ろうとしたとき

「あ、六郎」

 隆広が呼び止めた。

「はい」

「まこと、そなたの諜報見事。柴舟が抜擢しただけはある。さすがは武田に仕えし硬骨の忍び。頼りにしている。今後も頼むぞ」

「はっ!」

「それと…」

「は?」

「途中、藤林山に寄り、銅蔵殿にすずが懐妊したと知らせてやってくれ」

「承知しました!」

 

 六郎の言うとおり、翌日に勝家から隆広に使者が来た。使者は勝家の老臣の中村文荷斎だった。

「まさか文荷斎様自らが…」

「ははは、さすがにこの歳になると長い時間馬に乗っていると疲れるわい」

 隆広の妻のさえが文荷斎に冷たい水を出した。

「どうぞ」

「おお、ありがたい」

 文荷斎は水を飲むと同時に、隆広の居室やその前に広がる庭を見た。

「ここに通される前に、ざっと城を見渡したが見事に破壊された鳥越城を改修したのォ。ホントに隆広は城作りの名人じゃ」

「兵や領民たち、人足たちが働き者ばかりでしたので」

 褒め言葉に照れ笑いを浮かべる隆広。

「すでに目付けからそなたの働きは殿に届いておる。たいそう喜んでおった。これが手柄と褒美の目録を記した感状じゃ」

 勝家からの書、隆広とさえは平伏し、両手で感状を丁寧に受け取った。

 

「ところで本題に入るが…」

 さえは会釈して居室から立ち去った。

「御館の乱、知っておるな?」

「上杉景勝殿、景虎殿が戦った跡目争いでございますね」

「そうだ。兄の景勝が勝ったそうであるが今だ上杉の家中は不安定な状態である。今こそ好機と殿は判断された」

「それがしもそう考えます。春日山まで至る事は無理でも能登と越中は取れると思います」

「うむ、殿は今日より三日後に北ノ庄を進発して上杉領を目指す。そなたも合流せよとの事じゃ」

「承知しました!」

 

 いよいよ手取川合戦以来の柴田対上杉と合戦が始まる。隆広は急ぎ合戦の準備を始め、石田三成に命じて鳥越城にいた水沢家の女子供と出稼ぎに来ていた越前の民たちを帰還させた。

 翌日に北陸街道を東進する柴田勢に合流する事を決めて、その軍議が終わると隆広は鳥越城の櫓に登り、一人考えた。見つめている先は丹波亀山城、明智光秀の居城の方角だった。

「見つめている方向が違いますぞ隆広様」

「慶次…」

 前田慶次も櫓に上がってきた。

「上杉との戦いに集中されよ。雑念あって勝てる相手ではございませぬ」

「そうだな」

「今宵は満月にござるな。どうでござろう」

 酒の瓶を二つの杯が慶次の手にあった。

「いただこう」

「月見酒とまいりましょう」

 

 丹波亀山城の庭、池に映る満月を見つめる明智光秀。水面の揺れが静まり、映る満月が徐々に丸くなろうとしたとき、一匹の大きい鯉が跳ねて、また水面の満月は四散した。それを見てフッと笑う光秀。

「織田信長の天下布武…。しょせんは水面に映る満月のようなもの…」



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敵は本能寺にあり

 水沢隆広率いる二千の軍勢は鳥越城を出発し、北陸街道を東に進む柴田勝家本隊と合流した。当主が変わっても相手は上杉。勝家にも油断は無い。前田利家、佐々成政、不破光治の府中三人衆、そして佐久間盛政、水沢隆広、金森長近、可児才蔵、柴田勝豊、拝郷家嘉、徳山則秀、毛受勝照、山崎俊永といった織田家北陸軍の総力をあげた軍勢だった。

 前田慶次に諌められた通り、隆広は光秀の疑惑については頭の片隅に置き、上杉との戦に集中した。隆広は参謀としての才幹をいかんなく発揮する事になる。越中に入り最初に発生した野戦である『荒川の合戦』は上杉方の奇襲を読み取り、それを逆用して敵を壊滅させた。その後に願海寺城、木舟城といった砦も落としていった。越中の北、能登の上杉軍も南下して柴田勢と対したが、隆広の作戦の下、府中三人衆に蹴散らされ、能登の城は七尾城を残してすべて落とされ、もはや再度の出陣はできないほどに叩きのめされ、降伏に応じている。能登一国を柴田家は併呑したのである。

 隆広は鳥越城で加賀の内政をしている頃から上杉家との合戦はあるだろうと想定していた。よって彼は鳥越にいた時から藤林忍軍に越中能登の地形や気候、そして主なる城と砦の備えも調べさせていたのである。

 すでに軍師的な存在として勝家の傍らにいる事を命じられている隆広。卑怯な策略を勝家は好まない。秀吉がよく使っていた兵糧攻めや、城への援軍に化けて入城と同時に攻撃開始と云う様な策は受け入れられないのである。とどのつまり城を見て欠点を見つけてそこを徹底的に狙う城攻め。これが柴田の城取りの方法であった。そして彼自身が築城の名人であるゆえか、隆広は敵城の防備の薄いところを看破するのが得意だった。

 名城と名高い富山城も落としたが、一度その富山城は織田方に属していた小島職鎮によって突如奪われてしまう。柴田勝家は水沢隆広を大将に、可児才蔵、毛受勝照、金森長近の一万の軍勢で攻めさせて奪い返した。小島職鎮は討ち死にし、柴田勝家率いる織田北陸軍は、いよいよ越後国境の魚津城に迫った。

 魚津城攻めの軍議も終わり、隆広は奥村助右衛門を連れて自分の本陣に歩いていた。

 

「魚津を落とせば、あとは越後ですな隆広様」

「いや、そろそろ雪の問題がある。魚津を落としたら一旦越前に帰った方がいい」

「それでは魚津はまた上杉に取られてしまうのでは?」

「おそらく能登と越中は前田様と佐々様が拝領するだろう。そう簡単には奪い返せるものではないさ」

「確かに」

「それより忍びからの報告はまだないのか?」

「ええまだ」

「うーむ…やはりオレの抱いた明智様への危惧は考えすぎかな」

「だと良いのですが…ん?」

 隆広の陣中に炊煙が上がっている。

「お、気が利くな。さっそくメシにありつけそうだぞ助右衛門」

「ははは、そのようですね」

 

 隆広と助右衛門が本陣の陣幕をくぐると、小野田幸猛が駆けて来た。

「御大将、お客です」

「客?」

「はい、御大将の御用商人の源吾郎殿が。御大将からもお礼言っておいて下さい。陣中見舞いに米と酒を」

 源吾郎、つまり明智家に潜り込ませていた柴舟の事である。

「分かった。助右衛門、そなたも一緒に礼を言おう」

「はっ」

 柴舟が息子の白と隆広の本陣に来ていた。慶次が茶席で彼らをもてなしていた。

「これは源吾郎殿、陣中見舞いありがたく受け取ります」

「いやいや、これも御用商人の務めです。まずは魚津に至るまでの勝利、おめでとうございます」

 そう云いながら源吾郎は茶を慶次に返した。

「結構なお手前で」

「お粗末に存ずる」

 源吾郎が通されていたのは隆広本陣の本営、つまり隆広の常駐場所である。太刀持ちや小間使いの少年が何人かいたが、

「そなたたちは席を外せ」

 隆広は人払いを命じた。

「はい」

 少年たちは本営から出た。残るは源吾郎親子と隆広主従三名だけである。

「源吾…いや柴舟、今日来たと云う事は…」

「はい、隆広様のご指示どおり、六郎と合流して明智家の動向を探っていました。六郎はまだ潜入しておりますが、我ら親子が一度離脱し、その報告に参りました次第です」

「うん、聞こう」

 

 あれからしばらく経ち、信長からの主命がないまま光秀は領内の内政を行っていた。南近江の坂本城、そして丹波国主として光秀は領内の内政を滞りなくやっていた。そんな日々を過ごす光秀に信長から使者が来た。

 それは数日前の安土城。毛利の備中高松城を攻めている羽柴秀吉から信長へ使者が来た。

「なに、毛利勢が高松城の清水宗治を救援するために郡山城を出たと?」

「はい、筑前守秀吉様は高松城を水攻めにし、落城まであと一歩と云うところまで追い詰めました。それを見て毛利勢が救援に動いたのです」

「そうか。で、救援に向かった大将は?」

「当主の輝元をはじめ、一族の吉川元春、小早川隆景の三将、その兵力およそ三万」

「三万!」

「はい」

「ふむう…毛利、吉川、小早川と総力をあげて出てきたか。それでは秀吉も慌てていような」

「はい、一刻も早く大殿の救援を望んでいます」

「分かった。ワシは家康の接待を終えてから出向くが、将兵には先に出陣させる」

「恐悦に存じます」

 秀吉の使者は信長の部屋を後にした。そして信長の使者の青山与総が丹波亀山城の明智光秀の元へ向かった。

 

「備中に出陣?」

「さよう、ただちに備中におもむき、羽柴筑前殿の後詰をするようにとの事でござる」

 青山与総は信長の書状を読み上げた。

(この度、備中の国後詰のため至急かの国に出陣すべきものなり。先手の面々我より先にかの地にいたり羽柴筑前の采配に従うものなり。池田勝三郎殿、同三左衛門殿、堀久太郎殿、明智日向守殿、細川藤孝殿、中川瀬兵衛殿、高山右近殿、以上信長)

「ではよろしくお願いいたしまする」

「…はっ」

 青山与総は亀山城を後にした。

「……」

 光秀は悔しさのあまり握り拳をワナワナと震わせていた。光秀の部屋に斉藤利三、溝尾庄兵衛が入ってきた。

「殿、今の使者の言上聞きました! これはあまりにも明智家を踏みつけにしております!」

「クチを慎め利三…」

「成り上がり者の秀吉の指揮下に入れと言われて腹が立たないのですか! しかも先ほどの書状には殿の名は無官小身の池田や堀より下位に書かれておりました! 重臣一同もはやガマンなりませぬ! どうしてここまで殿はガマンされるのか!」

「庄兵衛、利三、何事も堪忍じゃ…。とにかく出陣の用意をいたせ」

 無念のあまり斉藤利三の目から涙がポロポロ落ちた。光秀の拳はまだ悔しさで震えていた。

 

 パチパチ…

 

 本陣のかがり火が火の粉を散らす。隆広、助右衛門、慶次は光秀の苦悩を思うと胸が痛んだ。柴舟は続けた。

「さらに…明智様は今回国替えに相成りました」

「国替え? いずれに?」

「出雲と石見にございます」

「いず…ッ!?」

「隆広様、それはまだ毛利の領土ですぞ!」

 助右衛門に言われずとも隆広はそれを聞いて驚いた。この時点で光秀は領地を持たない大名となってしまった。

「それで明智様は…?」

「現在、出兵の準備を整えていると言う事です」

「…大殿の京での滞在場所は?」

「京の本能寺にございます」

「……」

 隆広は少し考え…

「白、遠路報告してきたのに申し訳ないが、すぐに明智の陣に潜入せよ」

 傍らの助右衛門に目で合図する隆広。助右衛門は陣の金蔵から小金の入った巾着袋を取り出して隆広に渡した。それを白に渡す隆広。臨時の給金と云うことである。

「疲れているのに済まないが、事は急を要する。明智様が向かうのは中国路でないかもしれない」

「承知しました」

 白は給金を受け取り、すぐに隆広本陣から出た。

「隆広様…」

「助右衛門、柴舟、今の京で大軍を持っているのは明智様だけだ。イヤな予感がする」

「勝家様にこの事を報告しては?」

「一歩間違えれば、明智様を陥れる讒言にもなりかねないから今までは控えてきたが…事ここにいたってはそれしかないな…」

「はい」

「よし、殿の陣屋に行ってくる。だがあくまで我らの基本方針は上杉との合戦。助右衛門と慶次は兵と共に明日の魚津攻めの準備を整えておいてくれ」

「「ハハッ」」

 

 隆広は陣を離れて勝家の陣屋に向かった。陣屋の室内で文机に向かっている勝家。

「殿」

 勝家の小姓が陣屋の外に来た。

「いかがした?」

「水沢隆広様、面談を求めておいでです」

「通せ」

「はっ」

「殿、お話がございます」

「ん、ちょうど面倒な報告書作りも終えたところだ。入れ」

「はっ!」

 陣屋内は勝家と隆広二人のみであった。

「話とは?」

「はい、実は明智様について報告したき事が」

「光秀の事だと?」

「はい」

 隆広は今まで掴んだ情報を勝家に話した。一通り聞くと勝家は驚いた。

「…なぜ、もっと早く報告しなかった!」

「申し訳ございません、もし明智様が潔白であるのならとんだ讒言になると思い、今まで言うに言えませんでした。しかしここにいたっては…」

「ううむ…」

「とにかく、魚津から北ノ庄に至るまでの北陸街道、京か安土に異変生じたら、それがし佐吉に兵糧と水と塩、砂糖の配給所を一定間隔に設置しておくよう命じておきました。夜間の撤退の場合はかがり火を道の両脇に置き照らしておくようにも伝えてあります」

「忍びたちには何と指示した?」

「引き続き、明智家に潜入し、明智軍の進路を見張るよう指示しました。もし進軍経路が中国路でなく京に向かったのなら、大急ぎで我が陣に知らせるようにと」

 勝家は少し考え指示を出した。

「隆広」

「はい」

「前田利家、佐々成政、不破光治の府中勢を今夜中にも陣払いさせ、越前に引き上げさせよ。理由は一向宗の残党に不穏な動きありとでもデッチあげればいい。そして北ノ庄に到着したらすべて知らせて、大殿を守るべく本能寺に赴けと伝えよ」

「魚津の方は…」

「ワシとお前と盛政で落とす。能登はすでに当家の領地で背後の心配もないし、府中勢を帰らせても我らは一万六千の大軍。上杉景勝の本拠地越後には甲斐と信濃から川尻、森、滝川の軍勢が迫っており、領内には新当主である景勝に不満を持つ家臣もおる。こちらに割ける軍勢は二千がいいところだろう。魚津城の兵士は千五百ほど、何とかなろう」

「はい、それではただちに府中勢に撤退を」

「ふむ、隆広祐筆をせよ」

「御意」

 勝家は府中三人衆が越前に引き上げる理由を述べ、隆広がそれを記録した。勝家は内容を確認して花押を記載した。

「確か、お前の忍びに思慮深い男がいたな」

「柴舟ですか?」

「今、陣におるか?」

「はい、彼の息子だけ明智様の元へ行かせました」

(うん、やはり柴舟を陣に残したのは正解だったようだな)

「よし、そやつにこの書状を持たせて利家たちと共に越前に戻らせよ。そして到着したら利家たちに手渡すよう指示いたせ」

「承知しました!」

 隆広は勝家の陣屋を去った。しばらく腕を組んで考える勝家。

(隆広の危惧…。あながち虚妄とも思えん。だが徒労に終わってくれることを願わずにはおれぬ…)

 

 前田利家を筆頭の府中三人衆はなぜ一向宗の残党狩りにこれだけの大軍で帰らなければならないのかと思いつつも、命令では仕方ないので越前に引き返した。勝家と隆広の密命を受けた柴舟も兵士に紛れて越前に向かった。この府中勢を先に帰した事が後になって生きてくるとは、さしもの勝家も想像できなかったろう。

 

 ここは春日山城。城主の間で上杉景勝と側近の直江兼続が魚津城主の中条景泰から届いた救援依頼の書状に頭を悩ませていた。

「くそ…! 能登はほぼ制圧され、願海寺城、木舟城はともかく富山城まで落とされるなんて! 兼続、やはり救援に行かねば魚津は落ちるぞ。兵はどれだけ集まる?」

「それが…。先のお家騒動の影響か、旧景虎派の者たちは北条方に身を寄せ兵力は半減。かつ新発田城主の新発田重家は織田に内応の動きあり、甲斐と信濃といった旧武田領に滝川一益、川尻秀隆、森長可らが入り、春日山を手薄にしたらいつ襲ってくるか…」

 さしもの直江兼続もなすすべがない。いかに兼続に隆広と比肩する才があろうとも、兼続は前線を遠くはなれた春日山におり、何より御館の乱の余波で上杉家には不協和音が漂っている。これでは兼続がいかに作戦を考えてもムダである。しかも虎視眈々と越後を狙う北信濃の織田勢もこれまた多勢。いかに謀将直江兼続でも状況が悪すぎた。

「実に巧妙な時に柴田は侵攻を開始しました。こっち家中の内乱があり、上杉はまだ一つではございません。それを狙われました」

「感心している場合ではない! それではまったく動けないではないか!」

「は…。さしあたり春日山から斉藤朝信、上条政繁らを先発隊として派遣すべきかと」

「…いや、やはりワシが行くべきだ。新たな当主として武威を示さなければならん! 兼続、そなたも一緒に来るのだ。春日山は今あげた二将に留守居させよ! 出陣の支度じゃ!」

「ははっ!」

 

 明智光秀は全軍に中国路に向かい、羽柴秀吉の援軍に向かう事を伝えた。家臣たちがその準備にかかっているころ、光秀は愛宕山の西の坊、威徳院で連歌会を催した。この時に招かれたのは連歌の第一人者里村紹巴と院主の西坊行祐。そして光秀はこう歌った。

 

「時は今…天(あめ)が下しる五月かな…」

 

 西坊行祐は、詠んだ光秀を見つめて

「なるほど、毛利との戦に臨む気概の表れですかな?」

「いや、お恥ずかしい。そんなところでございます」

 続けて西坊行祐が

「水上まさる 庭の夏山…」

「花落つる 池の流れを せきとめて」

  さらに里村紹巴と続いた。この時、隆広の忍び六郎と白は威徳院に潜伏していたが、残念ながら六郎と白には和歌の知識が無く、共に会で出た連歌を聞いて書きとめるくらいしか出来なかった。やがて連歌会は終わり六郎と白は愛宕山を離れて、互いに書きとめた歌を見せあい確認した。

 

「日向殿は十七句詠んだ。間違いないな?」

 六郎の言葉に頷く白。白は自分の書いた書を見つめつつ

「一応、他の参加者の歌も発した順に書きとめておいたが…これは報告する必要がないのではないか?」

 白の言葉ももっともだと思う六郎。しかし両名とも和歌の知識がないので判断が難しい。もしや…と云う情報が潜んでいるのではないかと云う可能性も捨てきれないのだ。

「情けないが、我らでは判断がつかぬ。一度北ノ庄に戻り、これを三成殿に見てもらった方がいい。かの仁は和歌もたしなむ」

「そうだな。ならば俺が越前に戻る。六郎は引き続き日向殿を張っていてくれ」

「承知した」

 

 光秀は威徳院の自分の部屋へ行き、気持ちを落ち着けていた。文机に向かい冥想するかのように目をつぶり静かに時を過ごしていた。

 彼はもう決断していたのであった。裏切り者と呼ばれるのも覚悟のうえで、ついに“打倒信長”を決心した。数々の理不尽な行いへの憎しみ。そして今日は親友、明日は他人の冷酷、残忍の性格。自己の存在も危うい。そしてそれは出雲と石見の国替えで現実になってしまった。もはや迷いはなかった。

「……」

「殿」

「利三か、入れ」

「はい」

「殿、先ほどの歌ですが…」

「…何の事だ?」

「…殿、この後に及んで家老のそれがしにまで内密はやめていただきたい」

「…そなたには隠せぬか」

 文机から離れて利三と対する光秀。

「敵は中国路にはおらぬ」

「はっ」

「敵は本能寺におる」

「はっ」

「上杉と毛利に使いを出して柴田と羽柴を押さえ、北条と長宗我部にも使いを出して滝川と丹羽を押さえる。あくまで中国路への出陣と思わせるのじゃ」

「承知しました」

「また徳川は堺で遊興中と聞く。信長に怨みを持つ伊賀忍者の残党を金で雇い殺させよ」

「では、ただちに!」

 斉藤利三は光秀の部屋を出た。再び光秀は目をつぶり精神を集中した。今年の安土大評定のあと、信長は光秀を呼び出し大評定の時には述べなかった織田家の岐路を語った。それは光秀が愕然とする内容だった。

「昨年は武田と一向宗の者どもを片付けた。毛利も筑前がそろそろ詰むであろう。それが成れば次は朝廷じゃ。天皇を討つ」

 無論、光秀は止めた。朝廷は叡山や足利幕府と重みが比較にならないと。しかし信長は我こそが王。従わぬ者は殺し、従う者だけが我が王国の民よと光秀に言ったのである。光秀は懸命に諌めたが信長は聞く耳持たなかった。それどころが朝廷に攻め入る先陣はそちじゃとも添えた。愕然とした光秀。

 信長はこの展望を実のところ光秀だけに話したわけではない。羽柴秀吉にも話している。秀吉は針の先も反対せず『大殿こそ日本国の王の器、新たな王の君臨のため粉骨砕身働く所存』と答えて信長を満足させている。べんちゃらもあるが、下賎の身の上である自分を軍団長にまで抜擢し、城も与えてくれたのは天皇ではなく信長である。秀吉にとっては天皇などよりも神に等しき主君である。それが天皇を討つと言っても反対する理由にはならない。しかし、秀吉とは違う光秀は考えた。

 一説では光秀は比叡山焼き討ちに反対しており、それが後の大事件の引き金ともなったと言われているが、光秀は比叡山の焼き討ちに反対どころか、鉄砲などの武器調達に尽力し、積極的に行った事が近年明らかになっている。

 光秀もすでに破戒僧の集団となっており、武器を持ち織田へ抵抗する比叡山の僧侶たちを駆逐するのは織田の天下統一に障害と思い、その焼き討ちをためらわなかったと云う事だろう。しかし相手が朝廷であり、この国の象徴とも言える天皇では事情が違う。いよいよ光秀は決断したのだった。

(末代までの笑い者になるか、天下人になるか…)

 

 斉藤利三と同じく光秀の真意を読んでいた者がもう一人いた。光秀の娘婿、明智秀満である。中国出陣前夜、主君光秀を訪ねた。

「殿」

「秀満か、いかがした」

「殿…。ご謀反はなりません」

「…なに?」

「必ず失敗いたします」

「……」

「なるほど大殿は討てましょう! ですが、その後の展開はいかがなさるおつもりか! 主君の仇討ちとばかりに織田諸将が一斉に襲ってくるのは明白! 堺には丹羽、中国には秀吉、そして北陸には柴田! いずれ駆逐されますぞ。殿は史上最悪の謀反人として汚名を残すのみ!」

「…もう後には退けぬ」

「何故にございますか!」

「無論、個人的な怨嗟もある。だがそれだけではない。大殿は朝廷さえ排除し王となろうとしている。天下人にとり天皇ほど厄介な者はない。自分が天下を取った後、誰かが天皇を味方につけて“織田家を討て”と詔勅を受けたら、その場で織田家は逆賊となる。ならば天皇を倒してしまえばいい。無論、他の諸大名は激怒しようが大殿には勝てぬ。結局皆殺しにあうだろう。日本人が天皇を敬う事は神の如し。神殺しに誰が従う。しかし従わなければ殺すのが大殿。天皇を殺した後に、大殿が王朝を開く頃には日本の人口の半分、いやそれ以上は減った後だろう。大殿の天皇を害する存念を知った今、それを見過ごす事はできぬ」

「ならば、それを全国諸大名に訴えて味方につけた後でも!」

「それを見過ごす大殿と思うか?」

「しかし大殿を害せば、殿はどんな理由をつけても主殺しにございます!」

「大殿を討った後、各軍団長が対している敵勢力と結び、朝廷と足利幕府とも結ぶ。心配いらん」

「どうあっても…!」

「たとえ各軍団長の軍勢が来ても、その頃には我らは王師(天皇の軍隊)、ひともみにしてくれる」

「……」

 秀満には主君光秀の見込む展望が、予想ではなく願望である事に気付いていた。そしてもう何の説得も無理である事を悟った。

「ではそれがしも出陣に備えます」

「うむ、手柄を期待しているぞ!」

「はっ」

 亀山城を去り、自分の屋敷へと歩く秀満。

「殿は謀反人と呼ばれるだろう…。だがもう引き返せぬ。この上は殿に最後まで付き従うのみ…!」

 

 北ノ庄城、石田三成の屋敷。三成は鳥越城から隆広や将兵たちの家族たちを引き連れて越前に戻り、留守居をしつつ隆広の密命を水面下で実行していた。

(ホントにこんな事が必要なのであろうか、何も起きなければ水沢家のみが損する事に)

 と、その密命も半信半疑で遂行していた。三成が受けた密命は京か安土に異変生じたら北陸街道近隣の領民に指示し、食糧と水、塩、砂糖の配給所を一定間隔に配置しておく事だった。

 三成は鳥越城からの帰途中、北陸街道にある村々に狼煙台を築き、北ノ庄城から狼煙があがるのを見たら予め指示しておいた通り食糧と水、塩、砂糖の配給所を一定間隔に配置しておく事を領民に依頼していた。手間賃と糧食代は高値を約束すると云う書面も出した。勝家にも相談できなかったため、水沢家の財源で全負担する事になる。三成は思わぬ出費に頭を悩ませ文机の前で算盤を弾いていたが

(いやいや、無駄な浪費になれば一番良い展開じゃないか。ケチな事を考えるな)

 と、自分の頭を軽くこづく三成。外からは夕暮れ時の鐘の音が聞こえてきた。

「おっと、時間だ。伊呂波、用意していた食材を」

「はーい」

 三成は隆広の屋敷にいるすずに滋養のつく食材を届けに来て八重に渡し、その足で妊娠中のすずを見舞った。

「いつもありがとう、佐吉さん」

「いえ、すず殿の生む子は隆広様の子、我らとしても細心の注意を払わなければ」

「そうよ、すず。たんと食べないと」

 そういうさえも、先日に二人目の妊娠が判明した。正室と側室とも幸せの只中だった。

「もうしばらくしたら奥方様にもお持ちしなければ、食べたいものはございますか?」

「いえ、毎日ちゃんと食べられたらそれで十分です。太ったらあの人に嫌われちゃうでしょ?」

「ははは、それでは新鮮な野菜でも…」

 天井から三成の背に塵ほどの小石が当たった。

「ちょっと失礼」

 三成は屋敷内の別室に行った。そこには白が待っていた。

「白殿、お務めお疲れ様です」

「いえ、三成殿も密命を無事遂行中との由」

「ええ、しかし隆広様の言うとおり、徒労に終わる事を願っておりますが…」

「それなんですが…」

「はい」

 すでに光秀が羽柴軍の援軍に向かう事は報告で聞いていた。白はその後の状況を三成に知らせに来た。

「連歌会を?」

「はい、その時に詠まれた歌を書きとめてまいりました。しかし我らには和歌の知識はなく、詠まれた歌に何か情報が潜んでいても分からぬゆえ、三成殿に見ていただきたいと思い参った次第」

 白は歌を記した書面を三成に渡した。

「『時は今 天が下しる 五月かな』」

  三成の顔が険しくなった。

「…三成殿?」

「この歌、巻頭に書かれてありますが発句、最初に詠んだ句なのですか?」

「その通りです」

「…これを発句で」

「三成殿?」

「この歌の前に歌があるのならまだしも…これを発句で詠んだのなら…」

 ゴクリと喉を鳴らす白。三成の狼狽からただ事じゃないと分かる。

「ここまで露骨に詠むとは…明智様は本気か!」

「ど、どういう意味でございますか?」

「『時』とは『土岐』を示しています。明智殿が土岐氏の出であるから明智様ご自身を指しているのと思われます。そして『天(あめ)が下しる』は天下を治めると云う事。つまり“土岐氏の光秀が信長に代わり今こそ天下をとるのだ”と詠んでいるのです!」

「……ッ!」

「隆広様の最悪の予想が当たってしまった! 大殿が今いるのは本能寺! 手勢はわずか! 織田信長は討たれる!」

 信長は秀吉の後詰をすべく中国へと向かうが、その道中に京都本能寺の書院で茶会を催していた。将兵はすべて先行させていたので、信長はわずかな近臣を連れていただけであった。信長の妻の帰蝶(濃姫)も同席しており、茶会が終わったあとは嫡子の信忠、五男の勝長と家族水入らずで酒宴を楽しんでいた。

「ははは、たまにはこういう家族水入らずも良いのう。どれ、ひとさし舞うとするか」

「殿、また『敦盛』でございますか。その『人間五十年』にそろそろなろうと云うのに」

「こら帰蝶(濃姫)、余計な事を申すな。これが信長の平素の心がけよ」

 妻の帰蝶が鼓を鳴らす。

『人間~五十年~、下天のうちをくらぶれば~、夢まぼろしの如くなり~♪』

 

 その後に嫡男の信忠は宿泊所の妙覚寺に戻っていった。信忠は武州恩方にいる松に岐阜へ来るように言っていた。正式に側室として迎えるというのである。松は喜んでこの申し入れを受けて、すでに恩方から出発したと云う知らせも信忠の元に届いていた。

「もうすぐ、松を妻として迎えられる…」

 美しい新妻と岐阜で再会できる日を望み、信忠は眠りについた。

 

 そして丹波亀山城を進発している明智軍。この時点で光秀の決意を知る者は斉藤利三、明智秀満、溝尾庄兵衛だけであった。彼らは光秀の決意を知り、共に行く事を決めた。謀反にそのまま協力するのだから、光秀の家臣団の結束がうかがい知れる。

 行軍の中盤で兵の指揮を執っていた明智秀満が、先頭の光秀に走りよった。

「殿、中国路にしては道が違うと兵たちが騒ぎ出しました」

「ふむ、京に入った事であるし、この辺で良かろう。秀満、ここで全軍に食事を取らせろ。その後に決起を兵士に告げる」

「ハッ!」

 休憩と食事を取り終えた明智軍は再び行軍に備えて陣列を組み整列した。光秀は将兵の前に立ち、号令一喝した。

「皆のもの、よく聞け! 我らが向かうのは中国路にあらず!」

 拳を掲げて光秀は吼えた!

「敵は本能寺にあり!」




本能寺の変は書くに敷居が高く、このお話を書くのはずいぶんと苦労させられたことを覚えています。今回の投稿に際しても、少し手直ししました。


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本能寺の変

ここから歴史が変わっていきます。念のため言いますが、水沢隆広は実在の武将ではありませんよ~。架空武将でございますよ~。


 天正十年六月二日午前六時。

 信長は昨夜の酒宴のためか、まだグッスリ眠っていた。しかし騒がしい音がするので目が覚めた。最初は家臣同士の些細なケンカと思った。だが間もなく鬨(とき)の声があがり鉄砲を撃つ音が聞こえてきた。何者かが襲撃してきた事に気づいた。

「大殿―ッ!」

 森蘭丸が駆けてきた。そして信長の寝所の襖を開けた。

「何事か!」

「明智日向守! 謀反にございます!」

  一瞬、驚いた表情を見せるも、そのあと信長は目を閉じて静かに微笑んだ。

「…そうか、やりおったか光秀」

「大殿! 我らが囮になりますのでお逃げに!」

「光秀を甘く見るな。ひとたび決起した以上蟻の這い出る隙間もないはず。弓を持て!」

「はっ!」

 

 この時の明智軍は一万三千人、信長の周りには百人しかいなかった。最初から戦いにならない奇襲であった。

「信長を討て―ッ!」

 光秀の号令のもと、容赦なく明智軍は信長のわずかな近臣を殺していく。信長は傍らにいる森蘭丸と共に、雲霞の如く襲い来る明智の兵を弓で射殺す。

「殿!」

 信長の正室、帰蝶は薙刀を構えて夫の前に来た。

「帰蝶! そなた何をしている! 早く逃げよ! そなたと光秀は従兄弟同士、よもや殺す事はあるまい!」

「いいえ! 私も殿と共に戦います!」

 その帰蝶に明智の兵が襲い掛かる。帰蝶の薙刀はその兵を切り裂いた。

「さあ一緒に参りましょう殿!」

「むう! 勝手にせい!」

 次々と襲い掛かる明智勢、帰蝶は夫を守るため懸命に薙刀を振るう。そして

「殿、一つ隠していた事がございました」

「なんじゃ、手短に頼むぞ」

 信長は弓を射ながら問う。

「実は…」

「…なに?」

「…と、云う事です」

「ふっはははははッ! で、あるか! お市め、やりおる!」

「万一、生き残る事でもできたら」

「うむ、お市に胸張って名乗らせてくれる! ふっはははは!」

 

 ダーンッ

 

 バシュッ

 

「……ッ!」

「帰蝶!」

 帰蝶の体を銃弾が貫く。

 

 ダーンッ! ダダーンッッ!

 

 帰蝶は全身に弾を浴び、そして信長に静かに微笑み、崩れ落ちた。愛妻の最期を見る信長。森蘭丸の弟の坊丸と力丸も信長をかばい銃弾に浴びて死んだ。

 

 ダーンッッ!

 

 信長の肩を掠めた銃弾。それと同時にビンッと言う音を放ち弓の弦が切れた。

「是非もない。これまでじゃ…!」

「殿!」

「お蘭! ワシが首、光秀にくれてやるな!」

「ハハッ!」

 本能寺の奥に歩み出す信長。

 

 この知らせは妙覚寺にいる織田信忠にも届いた。

「光秀が謀反だと!?」

「一万三千の明智軍が本能寺を包囲しております!」

「やりおったか光秀ッ! 馬をひけい!」

「何をするおつもりでございますか! 若殿のもとにある兵はわずか五百にございますぞ!」

「たとえそうでも! 父が攻撃を受けているのに放っておく事などできようはずがない!」

 信忠は五百の兵を率いて本能寺に向かった。

(一万三千対五百か…。隆広、そなたでもこれはひっくり返せまいな)

 

 信長は本能寺の中に戻り、火を放った。

「大殿…」

 無念に涙する蘭丸がいた。

「泣くな、人間五十年…。是非におよばん。死のうは一定よ」

「う、うう…」

「『ワシとお前、どちらが正しいかはワシが天下を取れば分かる』…そうネコに言ったが、ふっはははは、間違えていたのはどうやらワシの方らしいわ」

(しかもあやつ…。帰蝶め、最後でとんでもない事実を明かしよった。あやつは我が…ふっははははッ!)

「大殿…!」

「ネコの予言は当たったわ。『漢楚の項羽と同じ末路を歩む事となる』か…。ふっはははははは!」

 信長は炎燃え盛る中、敦盛を舞った。

『人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢まぼろしの如くなり、ひとたび生を受け…』

 そして握っていた刀を腹に突き刺した。

『滅せぬ者の…あるべきや』

 第六天魔王と呼ばれ、戦国の覇王と呼ばれた風雲児織田信長は波乱に満ちた生涯を閉じた。享年四十八歳。いつも彼が口癖のように言っていた『人間五十年』に、あと二年残して彼は逝った。

 

(明智殿は何か重大な事を考えているのでは…?)

 信長に『考えすぎだ』と一蹴されたものの蘭丸は不安を感じていた。しかし蘭丸には持つべき軍勢がない。何のチカラもない。不安に思っていたのに、結局何の手も打てなかった。炎の中、自分の不甲斐なさを泣く蘭丸。

「竜之介…! あとは頼んだぞ!」

 森蘭丸は主君信長と共に腹を斬った。そして妙覚寺にいた織田信忠も、この急報を聞き五百の手勢を引き連れて駆けつけたが兵力の差がありすぎて本能寺には入れない。すぐに二条城に向かい皇族たちを逃がしたあと、そのまま二条城に立て籠もった。ここで明智軍を迎え撃って応戦したが所詮は多勢に無勢で惨敗。

 炎上する二条城。すでに信忠の周りに兵はいない。迫り来る明智軍の怒号だけである。

「うおおおおッッ!!」

 明智家の記録には、この時の織田信忠は鬼気迫るものがあったと云う。彼は単身で光秀の兵を次々と斬って行った。血脂で切れ味が悪くなった太刀を捨てて敵兵から抜き取り斬って行った。松と再び会いたい。この一念が信忠に鬼神の強さを出させていたのかもしれない。しかし衆寡敵せず。手傷を負った信忠は奥へと退き城に火を放ったのだった。

「無念…! しかしこの光秀の謀反を呼んだのは父信長自身。父上…人の怨みを軽視されましたな…」

 水沢隆広を右腕として天下泰平の世を作る事を夢見ていた信忠。

「隆広…。お前は父の轍を踏むなよ…!」

“信忠様”

 愛する松の声が聞こえたような気がする信忠。

「すまない松…。もう一度だけでいい…。そなたと会いたかった…」

 二条城の中で織田信忠は切腹した。

“松…”

 このころ浜松の宿に泊まっていた松に信忠の声が聞こえた。

「ん…?」

 松は起き上がった。

「…信忠様の声が聞こえたような…」

 

 紅蓮の炎を上げて炎上する本能寺。明智光秀はその光景を見て涙ぐんだ。

「大殿、それがしは不世出の天才、織田信長に巡り合えた事を誇りに思っております。今もその思いは変わりませぬ。だがそれがし…こうするより他にございませんでした…」

『天才』、光秀は信長を心からそう思っていた。そしてその千年に一度出るか出ないかの天才に巡り合えて仕えられた事が嬉しかった。その才に魅せられて身命を尽くした。光秀にとって、天才信長に会えたのは千載一隅の好機であった。それが幸運をもたらすか、不幸をもたらすかは神のみぞ知る。

 また、光秀は信長が脳裏に描き、造ろうとしていた日本の未来図を知っていた。信長が天下統一後に何をしたいか気づいていた。信長はキリシタン宣教師などから欧州諸国の政治の有り様を聞き、その利点に注目していた。応仁の乱以後に乱れに乱れた戦国の世に泰平をもたらすには、今ある既得権をすべて破壊する事である。

 その構想の中には織田家の家臣を含む戦国大名も含まれていた。信長は天皇を討った後に地方行政を私する大名制度を破壊し、中央政府を置いた統一国家を作ろうとしていたのだ。光秀は『出雲と石見を取り新領にせよ』と命じられた時、それを確信した。今までの丹波の国は『与えられていた』のではなく『預けられていたのだ』と。どんなに手柄を立てても、主君信長は天下を統一した時に自分を捨てると悟った。いや捨てるならまだしも、『走狗煮られる』の運命が待つ事を悟った。

 信長ならば成し遂げた中央政府の樹立かもしれない。しかし人間と云う者は急激な変化を嫌う。反対する者が絶えないのは明白だが信長はそれを全部滅ぼしてでも断行するだろう。中央政府樹立による統一国家、日本の大いなる成長ともなりえた信長の構想。しかし光秀にとり、その成長は『悪』だった。

 明智光秀は、織田の重臣を務め、家族と家臣たちと共にあれば満足だった。しかしその生活も砂上の楼閣の運命にある。個人的な怨嗟も手伝い、明智光秀はついに信長に叛旗を翻して討ち果たした。

 

 また、信長の遺体はとうとう見つからなかった。ルイス・フロイスがイエスズ会に宛てた手紙には『諸人がその声だけでなく、その名を聞いただけで戦慄した人が、毛髪も残らず塵と灰に帰した』とある。信長は、まさに現世に何も残さず紅蓮の炎の中で灰燼に帰したのだろう。

 

 そしてすぐに光秀は細川家と筒井家に送り味方するように伝えた。また当初の予定通り上杉、毛利、長宗我部、北条氏らに書状を出して和を図り現在対峙している織田の軍団長らを牽制して押さえてくれるよう要望した。

 本能寺の変が安土城に伝えられたのは、六月二日の巳の刻(午前十時頃)であったと云う。

 その時は流言だと思ってそれほど、騒ぎが大きくなく、しばらくして下男達が逃げ帰って来て事実を知らされた。安土に残っていた武将達は武具、食糧をそのままにして、妻子だけを連れて尾張や美濃などに退去していった。当時、安土城の留守居役として二の丸に入っていた蒲生賢秀(かたひで)は、翌三日の午後二時頃、城内の女子供を引き連れて日野城に退去していった。

 主君織田信長を倒した光秀は、直ちに安土城に入らんと京都を発したが、瀬田の橋を守備していた山岡景隆が、橋を焼き落としたために進軍できず、坂本城に入り待機した。三日後の六月五日、修復された瀬田の橋を渡り、安土城に入った光秀は、天守に残されていた金品を没収し、部下の武将達に分け与え、すぐに朝廷に多額の金子を献じて洛中市民の税も免じた。この間三日間、明智光秀は天下人であった。

 

 柴田勢に先んじて越前北ノ庄に引き返してきた府中三人衆は、到着と同時に勝家の書状を、隆広の忍びである柴舟から手渡された。魚津攻めをしている柴田本隊の混乱を避けるため、府中三人衆にも北ノ庄に到着するまで秘事とされたのだが、前田利家は勝家からの書状に書かれていた光秀の疑惑に愕然とした。

「バカな! なぜもっと早く我らに! 知っていれば全速力で越前に戻ったと云うのに!」

「又佐(利家)そんな事を今言っているゆとりはない! 光秀が潔白であり、勝家様の危惧が徒労ならそれに越した事はないが、万一と云う事もある! 我らはすぐに大殿のいる本能寺に向かおう! 京で軍勢を持っているのは光秀だけぞ!」

「そうだな内蔵助(成政)。よしただちに京都本能寺に向かい大殿の護衛に入る。光治もよいな!」

「当たり前だ、全速力で…」

「前田様―ッ!」

 隆広の忍びの六郎が北ノ庄城に戻り、そして府中三人衆の元へ走ってきた。

「そなたは?」

「拙者、水沢隆広が手の者にて六郎、府中三人衆の方々に申し上げます!」

「なんじゃ?」

「大殿が京の本能寺において…!」

 前田利家、佐々成政、不破光治の背筋に戦慄が走った。

「惟任日向(明智光秀)に討たれました!」

 不破光治はガクリと膝を落として手を地に付けた。

「遅かったか…!」

 前田利家は天を仰いだ。

「なんて事だ…!」

「大殿…!」

 悔し涙を浮かべる佐々成政。前田利家と佐々成政は若き日に信長の母衣衆だった。彼らの信長崇拝は根強い。突如の信長の訃報を嘆き悲しんだ。ひと呼吸おき、気持ちを静めた利家は忍びに訊ねた。

「そなた、隆広の手の者と申したな」

「はっ、六郎と申します」

「拙者も水沢隆広に仕えし、柴舟と申します」

「その方ら…大殿の凶変を知りえ、我らに伝えられたと云う事は…そなたたちは隆広の指示で光秀を監視していたのだな?」

「その通りです。主君隆広の命により拙者と柴舟はここ数ヶ月、光秀殿を観察しました」

「蜂起を知った時、大殿をお助けする術はなかったのか!」

「拙者一人では一万三千の明智勢を相手に出来ませぬ」

「むう…それもそうよな、すまぬ」

 だが、まだ気が済まない佐々成政。

「数ヶ月前から内偵していたと! なぜ隆広は我らに相談しなかった!」

 柴舟が答えた。

「それは明智様が潔白であったら、ただの讒言になると思われたからです。佐々様、このような大事を確たる証拠もなしに主君や上将に相談も報告も出来ようはずがございますまい。我らの報告から、隆広様が本格的に明智様へ疑惑を抱いたのは魚津城攻め前日にございました。せめて勝家様に報告する事くらいしか出来なかったのでございます」

 柴舟の正論に反論できず、忌々しそうに息を吐く成政。

「内蔵助…」

「なんじゃ又佐」

「光秀の動きは早かった。たとえ隆広が光秀の疑惑を察した直後に大急ぎで越中から戻ったとしても結果は同じだった。勝家様と隆広を責めるのはよそう…」

「…分かった」

「問題はむしろこれからじゃ、いかがする利家」

 と、不破光治。

「この上は怨敵光秀を討つまでじゃ。勝家様の下にもじきに知らせが入るだろう。我ら府中勢は勝家様到着後すぐに光秀のいる京に出陣できるよう準備を終えておくのじゃ!」

「「おうッ!」」

 

 一方、時間をさかのぼり、北陸では上杉勢が五月十九日、魚津城の東側にあたる天神山に着陣する。しかし魚津城を包囲する柴田勝家を総大将とする織田勢は大軍であり、景勝は千五百の城兵を救う事ができず、両軍は対峙する事になった。

 しかも、景勝が春日山城を留守にして越中国に滞陣している事を知った信濃国海津城の森長可、および上野国厩橋城にいた滝川一益が呼応して春日山城を衝く気配を見せたため、天神山にそれ以上布陣している事が困難になったのである。五月二十七日に至って結局、魚津城の城兵を救出する事ができないままに上杉景勝と直江兼続は歯軋りしながらも春日山城に退かなければならなくなってしまったのである。

 いわば景勝から見捨てられる形となった魚津籠城軍は、自力で戦わなければならないという絶望的な状況に陥り、落城はもはや時間の問題であった。

 包囲されて、救援も食糧もないままに落城が近い事を悟った中条景泰、竹俣慶綱らの城将は一斉に自刃して果てたのである。城将の切腹、すなわち魚津城の落城は六月三日の事であった。本能寺の変、翌日の事である。

 

 本能寺における凶変。それは水沢隆広の知るところとなった。変事に備えての用意が徒労に終わってくれと云う彼の願いは叶わなかった。三成、柴舟、白、舞、六郎の報告が一致し、そして藤林忍軍が北陸街道の間道で捕らえた明智の忍び。彼が持っていた書状が決定的な証拠となった。その書状を持ち、奥村助右衛門と前田慶次を伴い柴田本陣に走る隆広。

「殿!」

「隆広遅いぞ、早く軍議の席に」

「それどころではありません!」

 いつも冷静な隆広が血相を変えている。勝家と共にいた諸将も隆広を見た。可児才蔵が訊ねた。

「どうしたそんなに慌てて」

「大殿が…!」

「大殿がどうした?」

「討たれました…!」

 唖然とする柴田諸将たち。可児才蔵や佐久間盛政は一瞬隆広の言っている意味が分からなかった。勝家は悲痛に目を閉じた。半信半疑に思っていた隆広の危惧が現実になってしまった。この光秀の疑惑を知っていたのは隆広と勝家のみ。他の将は青天の霹靂である。

「なに? 今なんと申した隆広?」

 可児才蔵が問い直した。

「大殿が討たれました。京の本能寺において明智光秀殿の謀反により討たれました!」

 諸将もやっと隆広の言葉を理解しだした。佐久間盛政が軍机を平手で叩いた。

「隆広! 戯言が過ぎるぞ!」

「陣中に戯言はありません、殿、これを!」

 明智光秀が上杉景勝と直江兼続に宛てた書状を本陣軍机に広げた隆広。

「手前の忍びが北陸街道の間道を走る明智殿の忍びを捕らえて、持っていたのがその書状!」

 諸将は光秀が上杉に宛てた手紙を見た。

「まぎれもなく…光秀の花押と印判!」

 さしもの勝家も信じざるをえない現実が目の前にあった。そして文面は上杉に柴田勢を押さえて欲しいと言う事と、明智と上杉の講和の条件が書かれていた。

 

 そして、やはり勝家の落胆ぶりは特に目を覆うものがあった。隆広の危惧が外れてほしい、そう願っていたが現実になってしまった。床几に座り肩を落とす勝家。本陣に静寂が漂う。佐久間盛政がそれを破った。

「隆広」

「はい」

「光秀の忍びは一人だけと思うか?」

「それがしの手の者が押さえたのは一人。しかし、こんな大事を一人だけの任にするとは明智様の性格から言ってありえません。飛騨路、信濃路からも上杉陣に向かっているかと」

「では上杉が大殿の死を知るのも時間の問題なのだな?」

「おそらく」

「伯父上!」

 勝家は放心状態で答えない。

「伯父上しっかりなされよ! 上杉がこの事実を知ればすさまじい逆襲に転じますぞ! 急ぎ陣払いして越前に戻らねば!」

「殿、それがしも佐久間様と同意見です。すぐに戦線を離脱して京にいる明智様、いや怨敵日向を討つのです!大殿の仇を殿が取るのです!」

 めずらしく隆広と盛政の意見が合った。

「し、しかし一万五千以上の我が軍、引き上げるのも至難だ。魚津を落としたとて、まだここは敵地も同然ぞ。たとえ上杉が大殿の死を知らぬとて引き上げ出したなら追撃に出るは必定だ…」

 と、毛受勝照。

「それに…」

 落胆し呆然とする勝家を見る勝照。

「肝心の勝家様がこれでは…」

 覇気が完全に無くなっている勝家。それに隆広が歩み寄った。床几に座る勝家の前にひざまずき訴える。

「殿! 大殿にもっとも重用された殿こそが大殿の仇を討ち、そして意志を継ぐべきにございます。大殿が長い年月を重ねて、やっと麻のごとく乱れた日の本を繋ぎ合わせたと云うのに、振り出しに戻しては大殿に対して不忠にございます! 殿が意志を継ぐのです!」

「隆広…」

「ご決断を! 丹羽様、羽柴様、滝川様も明智殿を討とうとするに違いありません! 時を与えては他の諸将に先を越され、かつ明智殿も基盤を固めてしまいます。一刻を争いますぞ!」

「…よう申した」

 勝家は立ち上がった。

「皆の者、ワシらは反転して越前にもどり、すぐに京に向かい光秀を討つ!」

「「ハッ!」」

「隆広、問題は上杉の追撃じゃ。考えがあるのなら申してみよ」

「無念ですが…魚津と富山を捨てて時を稼ぐしかありません。空城をあえて置く事で時間を稼げるかと。そのスキに大急ぎで越前に帰ります。我らは能登と越中から総引き上げして全軍で越前、そして京に向かわなければなりませんから越中と能登も取り返されましょう。しかしそれにより時間も稼げます。加えて雪の問題も考えれば上杉軍は長い遠征が出来ず越後に帰らなければなりませぬ。柴田が加賀まで至れば上杉も追撃は断念せざるをえません」

「ふむう…。それしかないか」

「はい、今の柴田に必要なのは新たな城や領地ではなく時間かと」

「よし、そなたの策を用いる、隆広、空城計はそなたが行え」

「ハッ!」

「他の将は急ぎ陣払いだ!」

「「ハハッ」」

 柴田軍は陣払いを開始した。合戦に勝ち、二ヶ国をも手中にした柴田だが、何の未練も残さずにその新たな領地を放棄して撤退した。この決断が後に功を奏する事になる。

「助右衛門、慶次、計を置いた後、我らもすぐに後退する。魚津に柴田とオレの旗を掲げて、城内を清掃し、東西南北の城門をすべて開放しておく! 急げ!」

「「ハハッ」」

 奥村助右衛門と前田慶次は水沢の陣に駆けて行った。隆広はふと西の空を見上げた。

(…明智様、今回のご謀反、おそらくは政治的根回しはしておられますまい…。明智様には明智様の理由もあるでしょう。だがどんな理由はあれど主殺しは天下の大罪! 風は吹かない。昔の恩を思えば、このまま貴方に天下を取らせてあげたい。だが…オレは柴田勝家の家臣、戦わなければならなくなりました。せめて貴方に笑われないような戦いぶりをお見せいたします。光秀様…!)

 かつて光秀が信長に強要された酒を酔ったふりして飲んだ隆広。光秀を蹴った信長に対して毅然と謝れと言ってのけた隆広。明智家が隆広に感じる恩義は大きい。信長自身が“ネコはあの酒で明智を味方につけた”と思っていた。大将同士も親密であった水沢家と明智家。信長の言った“味方につけた”が実現すればどんな事が可能であったろうか。

 歴史家は明智光秀に水沢隆広が仕えたらどうだったろう、と無意味な仮定を時にする。だが後世がそう思いたいほどの組み合わせなのである。

 秀吉も述べた“あの一杯の酒で隆広殿は精強を誇る明智家を味方につけた”はついに実現しなかった。歴史は水沢隆広と明智光秀を敵同士としたのである。

 

 世に有名な、柴田勝家の『北陸大返し』が今、はじまる。前もって府中三人衆の軍勢を先に帰した事がここで生きてきた。軍勢は身軽になり、北ノ庄にいる利家たちにも光秀を討つ事を知らせ、その準備に当たらせる事が出来たからである。

 

 その翌日、柴田の陣を内偵していた上杉の忍びが、越中越後の国境に布陣する上杉本陣へとやってきた。

「申し上げます、柴田勢突如に魚津から反転して加賀に向かいました!」

「なんだと? どういう事だ、ヤツらは勝っていたではないか。魚津城の様子はどうか?」

「柴田勝家の旗と、水沢隆広の旗が立てられております。しかし妙な事に…」

「妙な事に?」

「東西南北すべての城門が開放されたままで…」

 直江兼続はそれを聞くと軍机から立ち上がった。

「柴田勢は総引き上げをしたか!」

「総引き上げだと?」

「はい、『空城計』です。追撃を食い止め、時間を稼ぐためにあえて空城を置き、かつ計があるように見せかけての全方面の城門開放! かの諸葛孔明が司馬仲達に行った計!」

「しかしどうしてせっかく手に入れた城を放棄して国許に帰る?」

「おそらく、京か安土に異変が…」

 

「申し上げます!」

 伝令兵が景勝と兼続の元に走ってきた。

「なにか」

「明智日向守殿から早馬の使者が参っております」

 上杉景勝と直江兼続は顔を見合わせた。

「よかろう、通せ」

 明智光秀の使者が上杉本陣へとやってきた。よほど急いで来たのか息を切らせていた。

「ハァハァ…」

「使者に水をお出ししろ」

 兼続に言われて兵士が使者に水を差し出した。

「さあご使者殿」

「かたじけない」

「で、明智殿のご使者、手前が上杉景勝であるが何用か?」

「それがし、明智日向守の母衣衆、藤田伝伍と申す。主君の書状にございます」

 書状を差し出す藤田の手から直江兼続が受け取り景勝に渡した。

「拝見いたす」

 書状を広げて文面に見入る景勝。

「…こ、これはまことの話か!」

 愕然として藤田に問う景勝。

「はい」

「殿、いかがされたのです? そのように狼狽するとは」

 兼続の問いに景勝は静かに答えた。

「織田信長が…京の本能寺において明智光秀に討たれた」

「な…ッ!?」

 上杉本陣は騒然となった。書面には嫡男の信忠も討った事も記されている。

「そして…明智と上杉の講和、背後から柴田勢を押さえてくれるように要望されている」

「……」

「兼続、そなたどう思う?」

 小声で景勝に述べた。

「即答は避けるべきです。織田には柴田や丹羽、羽柴と云った強力な軍団長がおりますし、次男信雄や三男信孝は健在! 誰が織田の威勢を継ぐか分かりません。しかし、すぐにやる事は決まっております」

「それは?」

「柴田勢の追撃です。何が空城計! 柴田も上杉をなめきったもの! そんな三国志から引用しただけの作戦が上杉に通用すると思っているのかと!」

「うむ…」

「これに乗じて越中能登を取り戻す事が先決かと。明智殿との講和、もしくは助力もその後の展開で判断すべきと思います」

「殿、ワシも兼続の意見に賛成にござる」

「それがしも」

 同じく上杉の臣、色部勝長と千坂景親らも同意した。

「そうじゃな、しからば我らは明智殿の挙兵は知らぬ存ぜぬを通す。兼続」

「はっ」

 兼続は使者の藤田に歩み寄った。

「藤田殿でしたな。急な事ゆえ我らも考える時間がほしい。しばらく我らの陣で休息を取られよ」

「承知いたし…」

 

 ザシュッ!

 

 兼続は藤田を斬った。さすがは隆広と同じく上泉信綱に教えを受けただけあって藤田は叫ぶ間もなく兼続に斬られた。

「気の毒だがやむを得なかった」

 藤田の死を見ると、景勝は全軍に指令した。

「柴田勝家に追撃をかける!」

「「ハハ―ッ!!」」

 毘沙門天の旗は勝家の軍勢に向かい出発した。馬上の景勝は傍らにいる兼続に訊ねた。

「兼続、殿軍は誰と見るか」

「水沢隆広かと存じます」

「ワシもそう思う、父の謙信さえ認めた男。ただの空城計ではないかもしれぬ。油断するな」

「ははっ」

 兼続は思う。

(竜之介、手取川で空陣計を用いて上手くいったのに味をしめたと見えるが、上杉に二度も同じ手が通じると思うな。そちらは一万以上の大軍だが隊列は縦に伸びきっているはず! そのケツに上杉の刃を馳走してやる! 覚悟いたせ!)

 今回の柴田の上杉攻めにおいて、合戦の策をすべて水沢隆広が立案した事は兼続には分かっていた。謙信亡き後とはいえ、上杉軍を手玉に取るような采配を執れる大将は柴田で水沢隆広しかいないと云う事を知っていたからである。

 絶対有利とも云える追撃戦の追撃側となったからには、水沢隆広こそ真っ先に討たなければならない武将。直江兼続にとって、もはや水沢隆広は幼馴染ではない。敵である。

 

 そして馬を駆る事を半日、上杉勢は魚津城に到着した。先頭にいた景勝はまず魚津の外観を見て驚いた。

「見よ兼続、落ちて間もない魚津が…修復されている」

「とはいえ、中は無人のはず。城門は開いているのです。遠慮なく入りましょう」

 前もって軒猿衆により魚津城が無人である事は知らされていた。確かに柴田と水沢の旗が数多くなびき、かがり火も焚かれている。だが魚津城は無人なのである。

 上杉勢は魚津城に入った。するとどうだろうか、外観の修復は無論の事、城内の隅々にいたるまで綺麗に清掃されていた。

「立つ鳥あとを濁さず…か。敵ながら見事よな兼続」

「はい」

(柴田家も味なマネをする…)

 

「殿―ッ!」

 上杉の忍び、軒猿衆の忍びが景勝に駆けてきた。

「いかがした?」

「城の西の空地に…」

「敵が潜んでいたのか?」

「違います、とにかくお越しを!」

 忍びの案内で景勝と兼続と主なる諸将は城の西にある空地に行った。そしてそこには…

『上杉烈士墓』

 と、誠意ある筆で書かれた墓標があり埋葬が行われていた。献花もされ、墓前には線香の跡があった。そして各々が着ていたであろう鎧兜も綺麗に磨かれて整然と並べてあった。あぜんとする景勝。敵将兵の亡骸は野ざらしが当たり前である。

「…これは魚津城の将兵たちの墓か? まさか水沢隆広が敵である上杉の将兵を弔ったと云うのか?」

 また墓前には隆広が魚津城の将兵たちにあてた追悼文が置いてあった。兼続がそれを読みあげた。追悼文は魚津の将兵たちの戦いぶりを褒め称えてあった。そして最後の文に景勝と兼続は胸を熱くした。

『さすがは越後の精兵たちよ』

 景勝が『上杉烈士墓』にひざまずくと、他の将兵も墓前に頭を垂れた。景勝はやむをえず魚津を見捨てざるを得なかったから、死んだ者たちに対して思うものはひとしおである。上杉の追撃がいつ来るか分からない状況の中、しかも一刻を争う撤退の中、殿軍の隆広は敵である上杉に礼を示した。隆広の行ったのは『空城計』であるが、返す以上は礼を示して返したかったのである。

 

 そして城主の間、ここに隆広から景勝宛に書状が置いてあった。

『苦労して手に入れた魚津城でございますが、慎んで上杉にお返しいたします。景勝殿がここに来られたと云う事は、我らが突如に戦線を離脱した理由もご存知でしょう。もしご存知なければ隠していてもいずれ分かる事なので、ここに書き記します。我らが大殿の織田信長様が明智光秀殿に討たれました。我ら柴田家として大恩ある大殿を討った明智殿を許すわけにはまいりません。我ら、義によって怨敵明智光秀を討ち取ります』

「むう…」

 景勝はその書状を読み終えると兼続に渡した。そして兼続も読み終えた。

「殿、確かに竜之…いや水沢殿の処置は見事と言えます。ですが…」

「分かっておる。ヤツの武士(もののふ)の心は天晴れだ。だが追撃とは話が別だ。上杉と柴田は現在交戦中であり、そして我が領土を蹂躙したのは変わらない。追撃を続けるぞ。ヤツの武士(もののふ)の心には、いずれ別の形で報いよう。だが今は戦あるのみじゃ!」

「はっ」

 

 そして追撃を続ける上杉勢。だが柴田勢の動きは思いのほか早かった。しばらくすると富山城に到着したが、ここもまた魚津城と同じように清められ、戦死者は弔われていた。城の改修もなされており、まさに築城の名手と呼ばれた隆広と、隆広の下で数多くの土木と築城の工事をしてきた兵たちだからこそできた撤退である。そしてここまで敵に礼を示されると上杉の将兵にもさすがにためらいが出てきた。兼続は修復された城壁に触れて苦笑した。

「『城を攻めるは下策、心を攻めるを上策』か…。やってくれたな竜之介…!」

「兼続」

「はっ」

「そなた申したな、『織田には柴田、羽柴、丹羽など強力な軍団長がいる。誰が織田の威勢を継ぐか分からない』と」

「申しました」

「ワシは…もしかしたらその誰でもないのではないかと思い始めてきた」

「は?」

「…いや、何でもない。追撃を続ける」

「しかし、もう夜です。とりあえず今日は富山城で…」

「そうだな。ご丁寧に兵糧や酒まで残してある。まったく水沢隆広とやら、ワシの仕事がしにくいよう、しにくいよう事を運ぶわ!」

 景勝は城主の間へと歩いていった。兼続には主君景勝が立場上、追撃を主張しているのは分かっていた。本当ならば魚津城における隆広の計らいで追撃をやめたかったのかもしれない。彼の養父の上杉謙信は義将と呼ばれ、養子の景勝もその理念が絶対精神となっている。義のために光秀を討とうとする柴田勢を追撃するに迷いがあった。

「竜之介の狙いはこれなのか…。いや、そんな下心があれば魚津や富山で見た仕事に自然と見えてくるものだ。だがオレの目にもそれは見えなかった。しかしだからと言って、我が地を蹂躙した者を逃がすわけにはいかん…」

 兼続もまた迷いを払うように自分の頬を両の手で叩いた。水沢隆広、上杉景勝、直江兼続。彼ら三人が敵味方を越えての友になるのには、もう少し時が必要だった。



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北陸大返し

 水沢隆広隊は加賀と越中の国境に到着していた。自隊の前に引き上げていた可児才蔵隊がそのまま陣場を残し、兵糧も残してある。殿軍の前の退く隊は殿軍隊にこうした配慮を置くのが不可欠である。そして隆広は上杉攻めから外れて密命に動いていた石田三成と合流して彼から報告を受けていた。

「そうか、殿が越前に戻ったか。では明日には北ノ庄に戻れるな」

「そのようです。また上杉勢が富山城に入ったとの事」

「よし十分にふりきれそうだ。佐吉もよくやってくれたな」

「もったいないお言葉にございます。しかし…正直本当に実行する事になるとは…」

「それを言うな、オレとて徒労に終わればと願っていたのだから」

 上杉攻めへ随伴させなかった三成に対して隆広が与えた指示は、柴田軍が退却で通る北陸街道の道沿いに食料や水、塩と砂糖の支給所を一定間隔に配置しておく事だった。地域領民にあらかじめ働きかけておき、北ノ庄城からの狼煙を合図に、各所に設けた狼煙台で情報を伝えて即に用意をしておくようにと云う指示であった。

 実際命令を受けた三成も半信半疑であったが隆広の危惧は現実となり、彼は狼煙を上げた後に仕入れておいた砂糖などの物資を持ち、大急ぎで北ノ庄から加賀に向かい隆広からの密命を実行するに至った。三成は隆広の先見に寒気すら感じた。隆広と三成の働きによって柴田軍は迅速に魚津から北ノ庄にまで帰還する事ができた。

 隆広は柴舟を筆頭に忍びにも指示を与えている。明智家の潜入内偵は無論、北陸街道の間道に明智の忍びや使者が通るのを見張らせた。そして光秀の謀反が現実になると白、舞、六郎だけではなく忍軍二百が総動員され、やがて決定的証拠を掴むに至ったのである。隆広が明智光秀謀反を知ったのは変事の翌日、遠征中の武将の中で最速であった。

 

「それで明智の動向は? まだ安土に?」

  立場上、もう光秀に対し“様”はもう付けられない。

「娘婿の左馬助秀満殿を残して現在は上洛して朝廷工作をしていると聞き及んでいます」

「そうか、そうしてくれれば我らも助かる」

「しかし、天皇が明智を王師(天皇の軍隊)と認めれば手出しできなくなるのでは?」

「たとえ王師と認められても、それは名前だけ。それ以前に我らは『主君の仇を討つ』と云う大義名分がある。朝廷や禁裏、公家衆の戦力は全くの無。役には立たない」

「なるほど…」

「オレが明智の立場なら、安土で得た金銀を近隣の大名にまいて味方につける。まずは茨木城の中川清秀殿や高槻城の高山右近殿を味方につけ、それから上杉や北条などの大名に連絡を取る。朝廷工作などは一番あとでもいい」

 事実、斉藤利三や明智秀満は今の隆広の構想を光秀に進言していたが聞き入れられなかったと云う。光秀はまず朝廷を味方につけて、謀反を義挙と位置づけようとした。そうすれば近隣の大名も味方につくと考えていたのである。

「それで細川は?」

「細川藤孝殿は剃髪して大殿の喪に服していると聞いております。おそらくは明智につかないかと」

「孤立無援か…。やはり主殺しに風は吹かないか。で、京の周辺で明智が手に入れた城は?」

「勝龍寺城に溝尾庄兵衛殿を入れたそうにございます」

「なるほど、どうやら戦場は京の周辺になるな。しかしそうか…。今回の戦で乱法師や信忠様も…」

 織田家中で隆広が心許せる友二人が逝った。森蘭丸は幼い頃からのケンカ友達、『竜之介』『乱法師』と幼名を呼び合う仲で、信長に組み敷かれて手篭めにされそうになった時は救いの手を差し伸べてくれた。

 織田信忠は自分を認め、三歳年下の自分を弟のように可愛がってくれた。信忠が自分の代になったら隆広を側近に取り立てたいと勝家に要望していたと云う事も伝え聞いていた。柴田の臣のままで良いからと勝家に頼み込んでいたと云う。そこまで自分を見込んでくれた信忠の気持ちが嬉しかった。

(乱法師、信忠様、きっとカタキは取ります…)

 思わず涙が出てきそうな隆広だが、今は退却戦の中である。その殿軍部隊を率いる自分が涙など見せられない。

「隆広様、聞くところによりますと松姫様は信忠様より岐阜に来られたしとの要望を受けて岐阜に向かっていたそうにございます。しかし尾張と三河の国境あたりで信忠様の死を知り、恩方に引き返したとの事にございます」

「松姫様の悲しみいかばかりか。やっと夢にまで見た信忠様と夫婦になれるところだったのに…おいたわしや…」

 松は信忠の死を知った時、呆然として涙も出てこなかったという。武田遺臣たちに護衛され、輿に乗っていた松であったが、しばらくして信忠の死の現実に耐え切れなくなり、大声で泣き出したと伝えられている。

 

「申し上げます」

 伝令兵が隆広の元に来た。

「なにか」

「御用商人の源吾郎殿、至急の目通りを願っております」

「通せ、それと軍勢再編中の助右衛門と慶次もオレの元に来るように伝えよ」

「はっ」

 旅商人の装束で、源吾郎こと柴舟は息子の白と共に隆広の陣に来た。

「隆広様!」

「お疲れさん、佐吉、二人に水を」

「はっ」

 しばらくして前田慶次と奥村助右衛門もやってきた。柴舟と白をはじめ藤林忍軍が調べていたのは他の諸将の内偵である。

「まず、舞が担当している厩橋城の滝川一益殿ですが、報告では一益殿の重臣たちが信長公の死を秘して京に上る事を促したものの、一益殿は関東諸将の人質を返したうえで事実を打ち明け、ともに力をあわせて反勢力である北条氏と戦う事を決めた由。しかし関東管領となってから、まだ三ヶ月も経っておらず、その上さすがに信長公の死による部下の動揺も去り難く、旗色は悪いとの事です。この戦いに勝ったとしても負けたとしても、滝川殿が京に上る時期を逸したものかと思います」

「なるほど…」

「我が旧主一益…。戦機を見誤ったか…」

 前田慶次がポツリとつぶやく。彼は滝川一益の従兄弟、滝川益氏の次男である。前田利久に養子に出されたか家督は弟の利家が継いだため、しばらくは滝川の陣で関東の戦場を駆けていた。慶次が戦機を誤ったと見たとおり、一益は関東で足止めを食った上に北条氏に大敗をしてしまう結果となる。

「六郎が担当しています織田信孝様と丹羽長秀様ですが、四国征伐の総司令官に任ぜられていた三男の織田信孝様は、宿老丹羽長秀様や津田信澄様を従えて、堺にて渡海の準備をしている最中に謀反が発生。そして何を思ったか津田信澄様を殺してしまいました」

「なんと…?」

「津田信澄様は日向(光秀)の娘婿、そして信長公に殺害された勘十郎信勝殿の息子です。信澄様は日向の関係と過去の因縁からか信孝殿に疑われたのでございましょう。大坂千貫櫓にいたところを丹羽勢に襲撃に遭い討たれ、首は堺でさらしものとなったとの事です。信孝様、丹羽様は日向に対抗の気勢を示したかと思われます」

「なんて事だ…。だが謀反後に明智勢のいる京や安土にもっとも近いのは彼らだろう。なぜ動かない?」

「謀反の報が届くと、信孝様と丹羽様の四国討伐軍の兵は、過半が逃亡してしまったそうです。おそらく現在彼らの手勢は三千ほどかと」

「そうか」

「よって彼らは現在尼崎まで陣場を移して、備中高松城から引き返してくる羽柴様を待ち合流するつもりかと」

「親父様と?」

 と、石田三成。

「はい、羽柴様は高松城を水攻めにして大殿の援軍の到着を待っていましたが、変事を知るや高松城城将の清水宗治の切腹を条件に兵と民を助け、すぐに毛利と和睦いたしました。明日には姫路に入城かと」

「さすがに早いな…。どうした佐吉?」

「い、いえ何でも」

 三成は柴舟の報告を聞くや、急にソワソワしだした。

「…羽柴家に帰参したい…か?」

「……」

「大殿と信忠様亡き今…織田家は間違いなく分裂するだろう。ここまで織田の版図を広げてしまったのなら、残念ながら信雄様や信孝様に次代の当主が務まるとは思えない。まして殿と羽柴様との不仲は有名…」

「隆広様…」

「オレ個人は羽柴様が好きだ。尊敬しているし、目標にしているお方だ。家臣の黒田官兵衛殿、山内一豊殿、稲田大炊殿、仙石秀久殿とも友誼がある。まして…死んだ羽柴様の軍師竹中半兵衛とオレは義兄弟。だが…個人のチカラではどうしようもない」

「……」

「佐吉、オレはお前を手放したくない。お前と戦いたくはない。オレの元にいてくれないだろうか…」

「……」

 三成はすぐに首を縦に下ろせなかった。あの三杯の茶で自分を認めてくれて、そして息子のように可愛がってくれた秀吉。そして下にも置かぬ厚遇をしてくれて親友や兄弟のように思ってくれている隆広。彼はいま岐路に立たされている。

「すいません、中座させていただきます」

「ああ、だが数刻後には越前に向かう。そのつもりでいてくれ」

「…はい」

 

 三成の苦悩の背中を見る助右衛門。

「辛かろうにな…。たとえ日向を討つのが柴田であろうと羽柴であろうと、間違いなく合戦になるだろう…。だが隆広様、それはあくまで日向を討ち取ればこその話。今は怨敵日向を討つ事のみ集中すべきと」

「そうだな。よし、全軍に食事を取らせよ。その後ただちに越前に向かう。柴舟は摂津にいる六郎と合流して引き続き明智勢の動向を探れ。忍軍はすべてオレの元に呼び戻し、白と舞に忍軍を統率させる。急げ!」

「「ハハッ!」」

 

 水沢隊は上杉を振り切り、そして加賀を越えて越前北ノ庄城に到着した。上杉は振り切られたと云うより、途中より追撃をやめたと云う方が正しいだろう。上杉景勝と直江兼続の予想以上に柴田の撤退が早かった事と、あの隆広の空城計で戦意が縮小してしまった事が追撃をやめた理由と言える。ついに殿軍の水沢隆広は上杉軍の姿を見る事もなく無事に帰還した。

「おお、隆広。無事に戻ったか」

 帰城の報告のためにやってきた隆広を労う勝家。

「はい、殿もご無事で何よりにございます」

「ふむ、今日一日はゆっくり休め。明日には京に向けて進軍じゃ」

「はい」

「すでに諸将で進軍経路と陣立ては評議して決まっておる。申し渡しておく」

「はっ」

 勝家は京への進軍経路と陣立てを隆広に説明した。

「以上だ。何か付け足したい事があるのなら述べよ」

「されば日野におります蒲生氏郷殿と、鳥羽の九鬼嘉隆殿に味方につくよう使者をお出し願いたいと存じます」

「ふむ、ワシもそれを考えておった。すぐに手配しよう。あとは?」

「はい、今宵のうちに先行者をお出しください」

「先行者?」

「はい『北陸の雄、柴田勝家が大兵を率いて怨敵明智光秀を討つため京に向かう。見ておけや見ておけや』と派手な噂をばらまいてもらいます」

「そんな事をして何の効果がある?」

「続きがございます。『柴田勝家は北ノ庄城の金銀財宝と兵糧をすべて家臣に与えた。もはや主君の仇を取らねば生きて帰る気はない証し。そして留守居の将に、もし勝家敗れて討ち死にしたら妻子を殺して城も焼けと下命した』つまり柴田勝家はこれほどの覚悟で出陣したと流布させるのでございます。進軍の先々にいます地元領民たちは殿を大忠臣として支持をいたすでしょう。進軍中に水と食糧の提供も快くしてくれましょうし、何より明智殿を討ち取った後の喝采は倍増します」

 勝家も、そして勝家の傍らにいた前田利家、中村文荷斎は呆然とした。

「…なるほど! 民心に柴田がこれから臨む戦は義戦である事を示し、かつ味方につけると云うわけだな!」

 と、前田利家。

「はい」

「うむ! 利家すぐに噂を流布する先行者を出せ!」

「承知しました!」

「付け加えたいのは以上にございます」

「相分かった。見事な進言であったぞ隆広」

「恐悦に存じます」

「さ、これ以上そなたをここに留めてはワシがさえとすずに恨まれよう。大義、下がってよいぞ」

「ハハッ!」

 満足げに隆広の背を見送る勝家。

「智将の言は、万の軍勢に勝る。たのもしい若者にございますな」

「ああ文荷斎、もはや隆広はワシなど越えているわ」

「殿、大殿亡き今、もはや秘事にしていても仕方ありますまい。お方様(お市)も早く名乗りたいはず。殿とてそうでございましょう」

「確かにな、だが今あやつに出生の事を教えても戸惑うだけじゃ。すべて終わってからよ。お市にはもうしばらく辛抱してもらうしかあるまい」

 

 隆広は久しぶりに帰宅した。

「お前さま―ッ!」

「さえ―ッ!」

 さえは帰ってくる隆広を見つけると走りより、胸に飛び込んでいった。そして熱烈な口づけをして家に入った。玄関に八重と監物、すず、そして嫡子の竜之介が出迎えた。

「「殿様、お帰りなさいませ」」

「うん、監物、八重、留守よう務めてくれた!」

「隆広様、おかえりなさいませ」

「うん、すずの腹も少し膨れてきたな。滋養のつくものは食べているか?」

「はい」

「体を厭ってくれ、もうそなた一人の体ではないのだから」

「ありがとうございます」

「ちちうえ~」

「おお竜之介、帰ったぞ。どれどれ」

 隆広は竜之介を抱き上げ頬ずりした。

「おお、重たくなったな。いい子にしているか? 母上を困らせてはいないか?」

「はひ!」

「よしよし、ではオレと一緒にフロでも入るか」

 

 その後に久しぶりの家族水入らずの食事となり、風呂を済ませて愛妻との閨に入り眠りに着く隆広とさえ。若い隆広はさえがヘトヘトになるほどに求め続けたので、情事の後さえはぐっすり眠っていたが、夜中にふと目が覚めた。隣にいるはずの夫がいない。厠でも行ったのかと思えば、中々戻ってこない。すずの寝所に? とも思ったが、すずはもう腹が膨れてきたので、閨事は控えなければならない。どこへ行ったのかと思い、家を探してみると隆広はさえの父、朝倉景鏡の鎧兜の前に静かに座り、何かを語っていた。

「…? 何を」

 襖の合間からそれを見るさえ。

 

 隆広はすずの寝所を訪れ、抱く事はできなくても口づけをして、しばらく添い寝をして子の宿るお腹とすずの不自由な足を愛撫しながら色々な話をした。やがてすずが眠ると景鏡の鎧の前に座り、気持ちを落ち着けたのだった。そして語り出した。

「…義父殿、あなたは主君義景殿を討つ時、何を思っていたのでしょうか。家のため、越前のため、もしくは娘の事なのでしょうか…。いずれにせよ、ご自分の大切なものを守るために、止むに止まれぬ行為だったのでしょう。きっと…明智様も同じ…」

(…お前さま)

 隆広はそのまましばらく義父の鎧兜の前に座り心を落ち着けていた。さえも襖越しにそれに付き合っていた。

(父上…。夫は悩んでいます。夫は明智様が好きなんです。尊敬しているのです。でも戦わなくてはならない事に…苦悩しています)

 隆広は悩むと、それが閨に出る。それを振り払うために夢中で妻を求める。結婚して五年。さえも肌を合わせればそれはすぐに分かった事である。スッと襖が静に開いた。

「眠れないのですか?」

「うん、ちょっとな…」

「…何をお考えに?」

「…さえ、大殿と信忠様が死に…織田家は分裂するだろう」

「はい」

「これからオレは明智様と戦わなくてはならない…。いずれ羽柴様とも…」

「……」

「オレは明智様も羽柴様も好きだ。戦いたくないし、お二人に死んで欲しくない…」

「…お前さまのなさりたいようになさりませ」

「え…?」

「さえは…そんな優しいお気持ちを持つお前さまが大好きです。たとえ余人が『甘い』と言おうとも…さえは大好きです。ううん、さえだけじゃない。すずも、奥村様も前田様も佐吉さんも、そして勝家様も、そんなお前さまが好きなのだと思います」

「さえ…」

「これから、お前さまにとり辛い戦ばかりとなるでしょう。いっぱい悩まれ苦しむでしょう。でも最後は自分が思う事を信じて貫いて下さい。辛くて苦しくて泣きたくなった時には…いつでもさえがいます」

「ありがとう、さえ」

 少し頬をそめてニコリと笑うさえ。隆広も笑顔で返す。隆広は寝床に戻り、さえと寄り添いながら眠りについた。

 そして朝、いつものように庭で木刀と木槍を振り鍛錬に励み、そして家族と共に朝餉を食べ、そして、さえとすずが手馴れた手つきで隆広の軍装を着せ付ける。装備を終えると隆広はさえに

「さえ、貸してほしいものがある」

「なんです?」

 義父景鏡の甲冑を指す隆広。

「あの小母衣だ」

「分かりました」

 さえは父の甲冑にかけられている南蛮絹の小母衣(マント)をとり、隆広に手渡した。景鏡の小母衣は黒一色の単調さで縁は金糸で統一されていると云う豪奢で洒落たもの。さえの父の朝倉景鏡が特に気に入っていた一品だった。それを隆広は身につけた。

「似合うか?」

「はい♪ 惚れ直しました」

 隆広は『黒』を好んだと云われているが、黒一色の甲冑に、不動明王を背負う武田勝頼から受け継いだ朱色の陣羽織、そしてこの黒母衣は隆広の男ぶりを上げた。

「では行ってくる!」

「「いってらっしゃいませ!」」

 隆広は妻のさえ、側室すず、八重と監物や他の使用人、そして嫡子の竜之介に見送られて家を出た。

 

 殿軍から帰還し、翌日には出陣という強行であるが、今の柴田軍にのんびりしている時間が無い事は全軍が知っている。北ノ庄城主の間に柴田の将兵たちが集合した。府中三人衆の前田利家、佐々成政、不破光治の三将、勝家の養子の柴田勝豊、加賀の城将である佐久間盛政、徳山則秀、毛受勝照、そして本城北ノ庄の大将である金森長近、拝郷家嘉、中村文荷斎、可児才蔵、山崎俊永そして水沢隆広である。隆広の家臣である奥村助右衛門、前田慶次、石田三成も列席している。

 隆広の配下の将も含め、家中一同少し表情が硬い。明智光秀を討つこの合戦を誰もが重く見ているからだろう。耳が痛くなるほどの沈黙が流れる。そして上座の陣太鼓を小姓が叩く。

 

 ドン、ドン、ドン

 

「殿のおな~り~」

 柴田勝家が評定の間にやってきた。家臣一同平伏する。

「皆のもの、おもてを上げい」

「「ハハッ」」

「殿軍部隊であった水沢隊が昨日帰還した。全軍が北ノ庄に無事に戻れたと云うワケじゃ。だがこれに喜んでいるゆとりはない。皆も疲れていようが、本日ただちに出陣する」

「「ハハッ」」

「その前に隆広よ」

「はっ」

「そなたに聞いておきたい事がある。越中からの帰路、北陸街道にはかがり火と糧食が用意されていた。それはお前の差配であるな?」

「はい」

「それではそなたは、光秀の謀反を前もって察していたのか?」

「……」

 家臣たちの視線が隆広に集まる。謀反を察していたのに、隆広の起こした行動のうちに大殿である信長を救出するための動きは一切ない。この事について勝家は特に隆広を問いただすつもりはないし、それ以前に隆広は勝家に光秀の疑惑を訴え出ている。その報告内容から信長の救出にいたるまで手が及ばない事も勝家には分かっていた。

 だが他の信長に恩を受けた将たちは疑問に感じたのである。勝家にとりこの疑問を無くすには、すでに自分が承知している事を改めて衆目の前で隆広に問いただすしかない。

「されば申し上げます。日向守殿を不審に思ったのは今年の安土大評定の時です。それがしは大評定のあとに城下の明智邸で催される正月の茶会に招かれたのですが、その茶会の時に…」

 隆広は語った。光秀が茶会中に茶器を持ったまま、眉間にしわ寄せて考え事をし、食事中には箸を落としても気付かないほどに何かを思案して自分が呼びかけても気付かないほどだった事を。

「あくまで勘ですが…何か重大な事を考えていると感じました。加えて日向守殿は大殿にご母堂を見殺しにされておりますし、長宗我部氏との折衝もすべて反故にされ面目を失いました。そして富士の宴にて罵られ、殴打され、あげく徳川様の接待役も理不尽に罷免されています。これでは日向守殿が大殿に恨みを抱いていない方がおかしいと思いました」

「ふむ…」

「また今まで丹精込めて国づくりに励んだ坂本や丹波の地を召し上げられ、代わりにまだ毛利領である出雲と石見の国を自力で切り取り次第与えると云う理不尽な下命。いかに明智勢が精強とはいえ毛利とて石見銀山を死守しましょうから、よしんば勝っても甚大な損害は明らか。もはや日向守殿がガマンしても家臣たちが収まらないと思い、心ならずもそれがしの忍びを明智家の小者に潜り込ませました」

「ふむ…お前から密かに相談を受けたとき、ワシは正直『考えすぎ』とも思った。だが現実こうなってしまったのォ」

「評定の席で家中の先輩諸将に報告しなかったのは…もし日向守殿に叛意がなく潔白であったら報告ではなく、単に日向守殿を陥れるための讒言になってしまうと思ったからです。こんな秘事を確信無しに述べる事できず…ゆえに殿に密かに相談するしかできませんでした。それがしが本格的に日向守殿へ疑惑を抱き出しましたのは魚津城攻め前日。上杉相手に二方面作戦など取れようはずもなく大殿への救助の策まで及ばず、せめて柴田軍が凶変後すぐに越前に戻れる段取りを整えておくしかできなかった次第です。徒労に終わってくれればと考えていたのですが…」

「そうか、よう分かった…。皆も得心したか」

「「ハッ!」」

「ようそこまで配慮したぞ隆広、結果を見ればそなたの働きで光秀を討てる準備もできた。すべて終えたら褒美を取らせよう」

 他の柴田諸将は隆広の先見に恐ろしさすら感じた。

 

「では改めて軍議に入る。利家、配置と進軍経路を述べよ」

「ハッ」

 前田利家が陣立てを記載した書面を持ち、勝家の側面に立ち読み上げた。

「我らは京に向かい、そして光秀を討つ。経路は敦賀、小谷を経て琵琶湖東側の木之本街道を南下する。秀吉の城である長浜城の前を通過する事と相成るが、かの城を預かる山内一豊は秀吉と共に中国路に出陣していて、我らに横槍も入れようなし。そのまま無視して南下する。その後に佐和山、安土を経て京に入る。経路は以上だ。琵琶湖西側が京へ近いのは分かるが、光秀の本拠地を通らねばならず、長期の苦戦が想定される。よって東側へ迂回して京に向かい、光秀を誘い出し京の地で野戦をもって叩く。光秀は京を取られるのを絶対に阻止しなければならない。必ず出てくる。そこを全軍で叩く」

「「ハハッ」」

「次に陣立てを申す。第一陣、一の備え佐久間盛政」

「ハッ」

「二の備え、それがし前田利家、三の備え金森長近」

「ハッ」

 こうして軍議によって決められた陣立てが発表されていった。第一陣の陣立てが終わると第二陣の発表がされた。

「第二陣、一の備え、かつ二陣大将、水沢隆広!」

「ハッ!」

 胸の高鳴りを感じる隆広。武者震いさえ感じる。やがて陣立ての発表は終わり、前田利家も着席した。勝家が言葉を発す。

「謀反人、明智光秀を討つ! 今こそ柴田の軍勢のチカラを示すときぞ! 出陣じゃあ!」

「「オオオッ!」」

 

 軍議は終わり、柴田軍は北ノ庄を出発した。勝家は隆広に命じて京にいたるまでの道に握り飯、水、塩を用意するように命じていた。一日進軍して野営が常の部隊移動の概念を無視して大急ぎで全軍が京に向けて駆けた。怨敵明智光秀を討つと云う大義の元に柴田軍は木之本街道を南下した。

 また、隆広の進言にて先行者に噂を流布させたが、それは予想以上の効果があった。行く先々の民は柴田勝家を『大忠臣』と称え、水と食糧の提供を惜しまなかった。織田信長は魔王とも称される男ではあるが行っていた政事はけして暴政ではなく、領民を大切にした君主であった。ゆえに敵には魔王と恐れられていたが領民は慕っていたのである。その仇を討つ柴田勝家を『天晴れな方、大忠臣だ』と褒め称えたのである。

 光秀を討伐した後、誰が織田の武威を継ごうとも勝家の立場は今よりはるかに重くなる。今後の織田領内の政治の中枢になる人物になる。隆広は今後の事を考え、光秀を討つ合戦を使い主君勝家の名声を畿内で大きく上げる事を考えたのである。柴田家の将兵で光秀を討った後の事まで考えていたのは水沢隆広だけだろう。

 街道の両脇で柴田軍に歓声を送る民たちを見て隆広“してやったり”と言うところだろう。

 

 途中、長浜城の前を通過した。ここは山内一豊の居城である。二万石の大名として一豊はかつて秀吉の居城だった長浜城を与えられていた。

 しかし城主の一豊は主人秀吉に従い城にはいない。すでに長浜城には明智光秀の謀反と、織田信長の死は伝えられていた。

 長浜城の最上階より琵琶湖東岸、木之本街道を南下する柴田勢を見つめる山内一豊の妻千代。

「柴田様が京に向かっている…」

 千代には備中にいる夫の様子が何も伝わってきていない。

「秀吉様は柴田軍より先に明智家を討てるだろうか…」

 やがて軍勢の中に見えた『歩の一文字』の旗。

「あれは隆広殿の旗…。柴田家と羽柴家は犬猿の仲…。どちらが明智を倒してもいずれは戦う事に。ああ…よもや山内家最大の恩人と戦わなくてはならないなんて…」

 水沢隆広は山内一豊と千代の一人娘、与禰姫の命の恩人である。聡い千代は、たとえどちらが明智を倒そうとも、柴田と羽柴の衝突は避けられないと分かっていた。そうなれば水沢隆広とも敵同士になってしまうのである。

「まさかこんな事になるなんて…殿!」

 

 夜になっても柴田軍は駆ける。騎馬も歩兵も。勝家が激を飛ばす。

「メシは走ったまま食え! 大小便も走ったまませよ! 怨敵日向を討った後、たっぷり眠らせてやる! 吐くほどに酒も飲ませてやる! メシも腹いっぱい食べさせてやる! 飽きるほど女を抱かせてやる! だが今は走るのじゃあ!」

「「オオオオオオッッッ!!」」

 越中の陣から府中三人衆を先に帰し、せっかく得た能登と越中に未練を残さず全軍退陣。そして越中から北ノ庄城までの道には水と食糧が用意してあった。柴田軍はこれで越前まで一気に駆け戻る事ができた。すべて隆広の進言と働きによるところが大きい。

 隆広も勝家の激に応え馬を駆る。そして、ただ前だけを向いている。後年、戦国時代最たる名将と呼ばれる水沢隆広。

“北陸大返し”

 戦国時代の主役に躍り出る道を走り出した水沢隆広。この時、水沢隆広二十一歳。



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光秀の最期

 ここは姫路城、山内一豊は銭三百貫の入った麻袋を持っていた。

「見よ吉兵衛、秀吉様は姫路城の金蔵と兵糧庫を空にして我ら将兵に分け与えたもうた。もう姫路には戻らぬ気概ぞ」

「殿、これは我らも秀吉様の意気に応え、かつ功名を立てる時にございますぞ。殿は長浜二万石程度で終わる器でござらん!」

「吉兵衛は相変わらず褒めるのが上手い」

 備中にいた羽柴秀吉にも明智光秀の謀反と信長の死は伝えられていた。秀吉は大急ぎで対峙していた毛利と和睦し、驚異的な早さで姫路城へ引き返した。山内一豊も秀吉の家臣としてそこにいる。

「殿、これを大殿の仇討ちの合戦と考えられるな。天下分け目の大いくさにござる」

「そうよな、武士としてかような戦に身を投じられようとは武門の誉れだ。やはりワシは良き主君を得た。千代に感謝せねばな」

「なぜ奥方に? 秀吉様に仕えるよう辞令を出したのは大殿に」

「ヤボを云うな吉兵衛! とにかくワシの千代のおかげなのだ!」

 笑いあう二人。やがて秀吉軍は姫路を出陣して京に向かった。このころになると堀秀政、中川清秀、高山右近らも秀吉に合流し、伊丹城にいた池田恒興、元助、照政(輝政)親子も秀吉についた。やはり変事のあと、すぐに毛利と結び迅速に姫路に引き返してきた事が支持につながっていた。

 主君信長の仇を討つのだと羽柴勢の士気は天を衝かんばかりである。越前から北陸の熊がすさまじい勢いで出てきているとも知らずに。

 

 一方、北陸から怒涛のごとく南下する柴田軍。主君の仇を討つと云う大義名分を掲げるのはやはり強みがあった。味方に付くように要請された蒲生氏郷や九鬼嘉隆は柴田に呼応して挙兵。氏郷も嘉隆も明智に対抗を示しており、かつ柴田の迅速な動きを見て加勢を決めた。

 佐和山城に到着すると、蒲生氏郷と九鬼嘉隆が街道で柴田軍を待っており、丁重に迎えた。休憩所も柴田軍のために作ってあった。強行軍で疲れていた柴田軍には何よりの出迎えだった。気を良くした勝家に両名は加勢を申し出、かつ柴田の信を得ようと人質を出した。二人とも目に入れても痛くない愛娘を人質に出したのだった。しかし“鬼権六”と呼ばれている勝家が二人の姫に優しく微笑み

「おう、めんこい姫じゃ。父上が戦から帰ってくるまで母上と一緒に待っているのじゃぞ」

 そして

「人質はいらぬゆえ、引っ込められよ。両名とワシは共に大殿の下で働いてきた者同士ではないか。水臭い事をいたすでない」

 いかに両名の出迎えで機嫌を良くしていたとは云え、これは破格の事であった。この勝家の計らいに蒲生家と九鬼家は感激し、以後は柴田と陣場を共にする事になる。

 

 一方、明智光秀。彼は安土城で朝廷の勅使を待っていたが、いっこうに来る気配がないので安土城はいったん娘婿の明智秀満に任せて坂本城に帰還し、斉藤利三の報告を受けていた。

「殿、細川親子は我らへの助力を公式に拒否いたしました」

「そうか…」

「大和の筒井順慶殿も居城に篭もり、動こうといたしません」

「…ふむ」

「何故でございましょう。何故我らに誰も味方をいたさぬのでしょう! あの恐怖の魔王を討ったと云うのに…!」

「よせ利三、今の戦力で戦うしかない。羽柴と柴田がこちらに向かっていると云うが二人の不仲を思えば連合して我が軍に向かってくるとは思えん。たとえこちらの方が兵数少なくとも各個撃破すれば勝機は十分にある。羽柴秀吉と柴田勝家を倒しさえすれば世間の我らを見る目も変わろう。歴史は勝者のみが紡ぐ金糸。勝たねばならぬ。今負ければ我らはただの笑い者よ」

「殿…」

「して、羽柴と柴田。どっちが早いか?」

「とは申せ、今しばらくは時がございましょう」

「そうだな…。兵の徴収を急がせよ」

「はっ」

「申し上げます!」

 伝令兵が駆けて来た。

「どうした」

「柴田勝家軍、安土に迫っております!」

 斉藤利三は絶句した。

「なんだと!」

 さすがの明智光秀も呆然とする。

「バカな…早すぎる! 上杉は何をしていた!」

「それが…柴田軍を追撃するも、上杉軍は越中と加賀の国境で進軍をやめてしまい…」

「なんて事だ!」

 その時、明智光秀の脳裏に一人の若武者の顔が浮かんだ。

「その方、上杉への殿軍は誰が務めたと聞いておるか?」

「水沢隆広と伺っています」

「やはりな…」

 フッと光秀は笑った。

「勝家は安土に攻め入るつもりか?」

「城代の秀満様が探らせたところ、柴田勢は安土近くに迫るも攻める意志なく通過の様子。秀満様は出陣の準備をしておりますが…」

「うむ、柴田勢が安土城前を通過したら追撃に出るよう秀満に指示を出せ。我が隊もすぐに出陣する!」

「ハッ」

 

 安土城を直接攻めず前を通過すると云う策を柴田勝家に進言したのは水沢隆広である。

 柴田勢の向かう先は京、朝廷を味方につけようと動いている光秀は京を取られるのを絶対に阻止しなくてはならない。安土城を預かる秀満にすればこのまま柴田勢を行かせるわけにはいかない。

 いっそ安土城を攻めてくれればと思う秀満であったが、柴田軍は安土城を無視した。安土城を攻めたら、たとえ落とせても時間がかかる。あえて城攻めを放棄したのである。だが隆広には狙いがあった。

 柴田の第一陣が安土を通過しつつある。第二陣もそれに続く。双方とも大軍である。蒲生氏郷や九鬼嘉隆軍も加わり、いまや柴田勢は三万二千の大軍である。そして秀満の預かる軍勢は三千ほどである。しかし柴田勢は長蛇の陣で隊列は伸びきり、弱い横腹を秀満にさらしている。討って出るしかない。秀満は決断した。通過したのを見て軍勢後備に追撃をかける。たとえ勝家や名のある大将を討てずとも時間を稼がなくてはならない。

 

 第二陣大将である水沢隆広。彼の元に伝令が来た。

「申し上げます!」

「うむ」

「第一陣最後尾の隊である、徳山則秀隊が安土を通過し終えました!」

「よし」

 安土城を見上げる馬上の隆広。

(安土の城下ですずとカステラを食べたのが、つい最近のように思えてくる…。敵城として安土城を見る事になるとはな…)

 その安土の城下町はひどい有様だった。信長は安土築城の時、畿内の裕福な領民に城下への移住を下命した。だが、その信長が死に、その領民たちは安土を捨てて元々いた地に急ぎ戻ったのである。城主が死ねば城下町はどうなるか分かったものではない。日本で一番に賑わっていた城下町が数日で捨てられた町と化した。

 光秀が安土城を手に入れて、領民に留まるよう呼びかけたが、誰が領主を殺した謀反人に従うであろうか。光秀は安土の民にも見捨てられたのだ。隆広とすずが仲良くカステラを食べた茶店も、今では誰もいない空き家となっていた。

 

 第二陣も完全に安土城前の通過を終えようとしていた頃、隆広の母衣衆が第二陣を慌しく行き来していた。やがて第二陣最後尾からも安土城が見えなくなった。その時、母衣衆の松山矩久が来た。

「申し上げます!」

「うん」

「安土城代、明智秀満! 討って出てきました!」

「来たか! よし第二陣全軍! 手はずどおり取って返し明智秀満を迎撃する!」

「「オオオッッ!」」

 明智秀満は安土城を出て全軍で柴田軍への追撃に出た。そして隆広率いる柴田軍第二陣は、すぐに陣列を編成して安土城に向きなおし魚鱗の陣を構えた。

 隆広は秀満が追撃に出てくる事を読んでいた。そうせざるを得ないからである。だから隆広は昨夜の軍議で二陣諸将にその作戦を述べ、進軍中には母衣衆を使い、実際に周囲の地形を見たうえで各将兵に指示を伝達していたのである。

 第二陣は水沢隆広を大将に、可児才蔵、毛受勝照、初陣の前田利長(利家嫡男)、中村文荷斎、そして援軍に加わった蒲生氏郷と九鬼嘉隆の軍勢である。

 隆広の指示で安土城に背を向けていた柴田軍は百八十度向きを変え、かつ陣形を整え秀満軍の迎撃に備えた。隆広とほぼ同年の武将である蒲生氏郷はその手腕に舌を巻いた。

「なるほど…城を通過すると見せかけて横腹をさらして敵を誘い殲滅か…。武田が三方ヶ原で徳川を討った戦法と同じ。武田の兵法に通じていると聞いてはいたが…これほどに見事にやってのけるとはな…。そして一瞬で陣形を整える統率も見事だ」

 九鬼嘉隆も同じ思いである。

「歳はせがれの守隆と同じくらいかのォ。あの若さで大したものじゃ。伊達に柴田の智嚢と呼ばれておらんな」

 明智秀満軍が水沢軍に迫る。その敵影を見る隆広。

「秀満殿の事ゆえ、柴田の打った手が信玄公が三方ヶ原でやった事と同じ事と分かっているはず。それでも討って出るしかないはず。また追撃に出てこず秀満殿が安土をずっと押さえていたとしても、この先で光秀殿が負ければ明智にとって安土城は存在意義がなくなってしまう。秀満殿は坂本か亀山の城に戻らざるを得ない。安土城は労せず柴田の手に落ちる」

 奇襲とも云える追撃だったのに、秀満が駆けてきた時には隆広率いる第二陣は陣形を整え終えていた。第二陣と云うものは単に本隊の後詰ではない。追撃に出てくる敵を食い止めて本隊を守るのも仕事である。

 ちなみに隆広はこの合戦でも例のごとく兵糧奉行を兼務していた。運搬を迅速かつ円滑に行い、かつ二陣の勤めも遂行できる。勝家が隆広を第二陣の大将としたのは良き登用と言えるだろう。

 

 そして秀満の眼前に広がる敵の姿。完全に迎撃態勢をとっていた。

「クッ…!」

 歯軋りする秀満。秀満は三千、隆広は一万二千、もはや結果は見えているが隆広は容赦なく軍配を下ろした。

「蹴散らせ―ッ!」

「「オオオッッ!」」

 四倍の兵力が、戦場に到着したばかりで何の陣形も取っていない秀満軍に襲い掛かった。もはやひとたまりもない。ここで時間を取られるわけにはいかない。隆広にとり個人的には友である明智秀満。本音を言えば隆広とて戦いたくはない。しかしここは戦場である。

「この采配は隆広殿か…。いくさ場で敵味方として会ってしまったか…」

 フッと明智秀満は笑う。

「友なればこそ容赦はしない! それが武人の心、戦場のならい! お覚悟を秀満殿!」

 この戦いは隆広の圧勝に終わった。命からがら明智秀満は安土城に退却した。

「追わずとも良い! 時間がない、すぐに第一陣に追いつくぞ!」

「「ハハッ」」

 

 水沢隆広の仕掛けにはもう一つ狙いがあった。後詰の計である。光秀は秀満の援軍に向かわなければならない。城代とはいえ一つの城を預けて、そこを攻められたら本隊は援軍に向かわなければならないのである。

 だが勝負は一瞬で終わった。光秀はまだ秀満の軍勢が殲滅された事を知らない。柴田の密偵たちが『柴田軍は安土城を包囲して兵糧攻めを始めた』と噂を流したので、光秀には秀満が城外に誘い出されて壊滅したと伝わっていない。

 戦上手の光秀に、かつ堅城の坂本城に篭もられては時間がかかり、戦場が柴田軍だけでなく、羽柴軍にも介入されてしまう恐れがある。だから光秀とは野戦で戦い、短期決戦で討ち取る必要があるのだ。

 

 明智光秀は娘婿の明智秀満を救う事と、柴田軍を京の地に入れないために軍勢を進めた。彼の頭にはもう柴田と戦う計算もされていただろう。秀満と柴田軍が交戦中に新手として柴田軍に突撃したかったが、そう上手くは運ばない。

 いよいよ柴田軍に明智軍が捕捉された。安土城と京の中間に位置する瀬田(滋賀県大津市)の地で両軍は対峙した。両軍中央には瀬田川が流れる。瀬田は天武元年(六七二年)に壬申の乱における最大の合戦があった地で、寿永三年(一一八四年)には木曽義仲が源義経と源範頼軍に敗れた地である。

 

 明智軍と柴田軍は瀬田の地、瀬田川を挟んで対峙した。隆広率いる第二陣も布陣を終えている。この合戦では隆広は本陣の勝家の傍らではなく、第二陣の大将として前衛部隊の後ろに控えていた。愛槍『諏訪頼清』を握り、馬上で勝家の号令一喝を待つ隆広。

「静かだ…。行軍中はあんなにやかましかったのに、対峙した途端に耳が痛くなるような沈黙だ」

「それがしはこの雰囲気が好きですな。嵐の前の静けさと言うか、とても心地よい」

 と、同じく馬上の前田慶次。朱槍をかつぎキセルを吸って心底その雰囲気を楽しんでいた。

 

「兵力差、およそ二倍だが柴田は越前からの強行軍で疲れていよう、勝機はある。戦は数ではないわ」

 負ける事を知らない明智軍。その強さの要因は光秀の軍才と統率力、そして各部隊長からの指揮系統能力の高さにある。何より主人が謀反を起こすというのに離脱したものは皆無だったと言われる事から、いかに明智主従の君臣の契りが堅いか察せられる。

 しかし光秀の見た“柴田軍の疲れ”は予想を大きく外れている。柴田軍が南近江の佐和山城周辺に入ったころには自軍の忍びや、蒲生と九鬼の忍びの働きで続々と明智の情報が入ってきていた。柴田軍は安土での合戦に入る頃には、すでに無理な行軍はしておらず、野営地でたっぷり睡眠と食事を取っていた。

 この合戦においても、前日は十分に睡眠を取り、一刻前に食事をしたばかりである。後詰の計を仕掛けた水沢隆広は、安土城で明智秀満と戦う前すでに明智軍との衝突地域を

“瀬田で接触の見込み”

 と断言していた。そして、瀬田に入る前に十分睡眠と食事を取るべきと勝家に進言していた。勝家はその意見を入れて、合戦に急く気持ちを抑えて休息を取った。

 その逆が光秀である。織田信長を葬って以来、ロクに睡眠を取っておらず、かつ前日の雨中での行軍で火薬が濡れて鉄砲が使い物になっていない。家老の斉藤利三は、これでは戦にならないと何度も坂本城に引き上げる事を進言したが光秀は決戦を決断した。疲れが勝敗を分けた戦いである。

 先に動いたのは明智軍だった。まず柴田軍左翼、佐久間盛政の部隊に松田政近、並河掃部の部隊が戦闘を仕掛けてきたのだ。その衝突を合図に柴田勝家は全軍に総攻撃開始を命じた。

 

 この時、天正十年六月十三日午後二時。『柴田勝家対明智光秀』日本史三度目となる瀬田の戦いの火蓋は切って落とされた!

 

「かかれぇ―ッッ!」

 さすがに多少の疲れはあっても戦上手の明智光秀、多少の兵力の少なさを補い、一進一退を繰り返す。だが水沢隆広率いる柴田軍第二陣が瀬田川を渡り、蜂矢の陣で明智軍の側面を急襲したのである。

「蹴散らせ―ッッ!」

 水沢隆広の号令一喝、前田慶次の朱槍、奥村助右衛門と可児才蔵の剛槍がうなりをあげて明智軍に迫る。こうなると数の少ない明智軍は形勢不利である。柴田軍は明智軍の二倍の兵力である。地形的にも結果的に不利な場所で戦わざるをえなくなった。

 河川が間にあるとはいえ、ほぼ平野部での戦いでは数の大小がものを言う。いかに精強を誇る明智軍でも、柴田軍は織田家最強と呼ばれた軍勢である。それに蒲生氏郷、九鬼嘉隆の軍勢が加わっているので極めて優勢だった。

 兵数は柴田三万二千、明智一万六千、二倍である。柴田の入京を阻止するため、そして水沢隆広の後詰計により、まんまと光秀は野戦に誘われた。

 織田家一の名将と呼ばれた彼が何故こうもあっけなく柴田の術中に陥ったのか。柴田に神算鬼謀の若者がいたからであろうか? いや、後の歴史小説ではこの時の水沢隆広を唐土の諸葛孔明、張子房のように表現している作品もあるが、それは後世の歴史小説家のひいき目にすぎない。光秀のこのあっけなさは隆広の智略だけではない。光秀自身が極限までに疲れ切っており、信長が『智慧の詰まりしキンカン頭』と評した時の彼とほど遠い状態であったからではなかろうか。おおよそ疲労ほど人の判断を鈍らせるものはない。

 また、変事の前には斉藤利三と明智秀満の忠言はよく耳を傾け、聞き入れていた彼なのに変事後はすべて自分の考えで物事に当たった。主君信長を殺したあと、光秀の精神状態に何らかの変化、いや異常が生じたのではないか。そうでなければ光秀ほどの将が死地に来るであろうか。二十一歳の若者の術中になど陥るであろうか。この明智光秀のあまりのあっけなさは後の歴史家をずいぶん悩ませる事になり、そしてどうして謀反に及んだ事は今もって謎とされている。

 

 圧倒的な劣勢により、末端の部隊はどんどん戦線離脱していった。明智軍は午後四時頃には総崩れとなり総大将の光秀も勝竜寺城に退却した。わずか二時間の攻防戦となったのである。

 瀬田の合戦後、柴田勢は三隊に分かれた。柴田勝家が勝竜寺城、光秀のもう一つの居城である亀山城に前田利家、そして光秀の本来の居城である坂本城に水沢隆広が総大将で向かった。

 隆広の軍勢から蒲生隊と九鬼隊が抜けたが、柴田本隊から不破光治隊が補充され、隆広は可児才蔵、毛受勝照、前田利長、中村文荷斎、そして不破光治を備大将にして瀬田から坂本へと向かった。ふと隆広は勝竜寺城の方角に向いた。

(光秀様…。恩を仇で返し竜之介…。冥府でいかようにもお詫びいたします…)

 明智討伐は水沢隆広にとって武田攻めに比肩するほど気の重い合戦だった。これからの坂本城攻めも同様である。しかし自分は主君より任命された坂本城攻めの大将。戸惑いを見せるわけには行かない。すうっと一つ深呼吸をした隆広。

「では水沢軍、坂本城に向けて出陣いたす!」

「「オオッ!」」

 

 ちょうど同じ頃、播磨(兵庫県)と摂津(大阪府)の国境付近。尼崎にいた丹羽長秀と織田信孝の軍勢と合流して光秀の元を目指す羽柴軍。驚異的な速さで備中高松城から引き上げてきて、姫路城の兵糧黄金もすべて部下たちに与えて士気をあげて進軍した羽柴秀吉の元に戦慄の報告が来た。

「申し上げます!」

「なんじゃ」

「明智光秀と柴田勝家が瀬田の地で激突!」

「なんじゃと!」

「殿…」

 黒田官兵衛の声も届かない。愕然とする秀吉。驚きのあまり馬から落ちた。そしてフラフラと立ち、

「バカな、早すぎる! 権六(勝家)がこうも手際よく越中から戦陣を離脱して、これほど迅速に瀬田になぞ来られるはずが!」

 勝家の性格なら、まずは取った領地を無事に治めてから出陣してくると秀吉は見ていた。しかし勝家は取った領地すべて放棄して越前に引き返した。ハッと秀吉の脳裏に一人の若武者の姿が映った。

「そうか…! あやつか…! 権六にはあの小僧がおった! 不覚じゃ、無念じゃ! あやつの智謀を知っていながらワシの何たる油断! 口惜しや水沢隆広!」

 地団太を踏む秀吉。そしてしばらくすると瀬田の戦いで明智軍が柴田軍に倒された報を受けた。

「すべて終わったわ…。権六の得意顔が浮かぶわ!」

 それを伝え聞いた山内一豊、仙石秀久もあぜんとした。そして誰が柴田勝家を勝たせたのかも悟った。

「何たる事だ…。山内家最高の友が、山内家最大の敵になってしもうた…」

 無念に膝を地に付ける山内一豊。すぐ隣にいた仙石秀久も呆然として立ち尽くした。

「お蝶…。そなたの恩人の子と…戦う事になりそうだ…」

 

 瀬田から坂本城まで進軍する水沢軍。翌日の昼には坂本城に到着できる見込みである。このまま進軍して一気に攻め入ろうと云う意見も出たが、隆広は将兵に無理をさせず野営を命じて休ませた。そして自分の寝所に向かっていると…。

「隆広様」

 陣幕がヒラリと揺れた。

「白か」

「はっ」

「勝竜寺城が落ちたのか?」

「御意、ですが…」

「ですが?」

「日向守の姿はなく、逃げおおせたかと」

「逃げたと?」

「隆広様」

 続いて柴舟が現れた。

「いかがした」

「日向守を見つけたと報告が入りました。坂本城を目指してわずかな手勢で間道を伝い落ち延びているそうにございます。討ち取りますか?」

「……」

「隆広様」

「そうだな、日向守殿に坂本城に入られては城攻めが数倍困難になる」

「ならば藤林の手で討ち取り、首をお持ちします」

 と、柴舟が去ろうとした時だった。

「待て」

「は?」

「オレも行く」

「隆広様…」

「頼む」

「…分かりました。白、陣中に隆広様不在が知れると面倒だ。隆広様の陣屋で影武者として留守をしていよ」

「承知しました」

「すまん白…」

「いえ、日向守殿と今生の別れを済ませてきて下さい。悔いのなきよう…」

「分かった」

 急ぎ隆広は馬に乗り、水沢の陣から柴舟と共に光秀の元へと向かって走った。間道で待機していた六郎と舞、そして他の藤林忍軍も合流し、明智光秀に迫った。

 

「無念だ…」

 光秀は疲労の極地にあった。髪は幽鬼のようにほつれ、目の下はクマ。辛うじて馬に乗っていられる状態である。クツワを取る斉藤利三も瀬田の合戦で受けた負傷で足を引きずっていた。続く兵も一人逃げ二人逃げ、ついに光秀の周りには斉藤利三、溝尾庄兵衛だけになってしまった。そして山科の小栗栖に差し掛かった。

「殿、まだ負けたわけではございませんぞ。坂本に戻れば秀満もおりまする。まだ再起の道も」

 と、斉藤利三。

「三国志の曹操は赤壁の戦いで惨敗しましたが見事に再起を果たしました。殿もその故事にならいませ。坂本にはまだ兵もおりますし、秀満も安土を捨てて我らの城に戻っているはずです」

「利三の申すとおりです。殿しっかりされよ。一度の敗北など次の勝利で晴らせば良いのです」

「すまぬ…利三、庄兵衛…」

 と、家臣の言葉に励まされ光秀が少しの笑顔を浮かべたときだった。

 

 ドスッ

 

「ぐあっ!」

 溝尾庄兵衛の背中に竹やりが刺さっていた。

「ぐああッッ!」

「庄兵衛!」

「殿…! お逃げに…! 落ち武者狩り…に」

「庄兵衛殿! クソ…! こいつら…!」

 斉藤利三と明智光秀の周りには竹やりを持った土民たちが囲んでいた。

「こいつらだ。こいつら殺せば柴田のお殿様からゼニたっぷりもらえるぞ」

「殺せ、殺せ!」

「もはや…これまで…」

 落ち武者狩りに殺されるくらいならと、光秀は脇差を抜いて首に当てた。

「殿…!」

「利三、至らぬ主君であったが今までよく尽くしてくれた。礼を申すぞ…」

「と、殿…!」

 利三の目から無念の涙が浮かぶ。だがその時だった。

 

 ダーン!

 

 鉄砲の音が竹やぶに響いた。

「退け! 退かねば今度は空に向けずそなたらに撃つ!」

「隆広殿…」

 まさに光秀の自決直前に隆広と忍者たちはたどり着いた。土民たちを今度は藤林忍軍が囲んだ。藤林の忍者は隆広と同じで落ち武者狩りをする者が大嫌いである。殺気を込めて土民たちを睨む。

「ひ、ひぇぇぇッ!」

 土民たちは竹やりを放り投げて我先にと逃げ出した。鉄砲を柴舟に渡し、隆広は光秀と利三の元に歩んだ。

「明智様…」

「ふ、とうとう見つかってしまいましたか」

「明智様…どうして…」

「…もう何も聞かれますな」

 悲しく笑う光秀。

「それがしはもう…疲れました」

「明智様…!」

「さあ、お斬りなされ」

「…お逃げを」

「…なに?」

「ですが坂本城に向かってももはや無駄にございます。野に下り名を変えて僧になられよ。それがしの忍びが安全な場所までお連れいたすゆえ…」

「…それがしにこれ以上の生き恥をさらせと言われるか…?」

「生き恥が何でござるか! 生きてさえいれば!」

「生きてさえいれば…何でござる?」

「恥を雪ぐ事もできましょう!」

 光秀は黙って首を振った。

「死すべき時に死なぬは恥さらしなだけ。是非に及ばず」

 奇しくも光秀は自ら討ち取った織田信長と同じ事を言った。

「最後の願いにござる。介錯を…」

「明智様…!」

 

 ドスッ

 

  明智光秀は甲冑を脱ぐや、脇差を腹に突き刺し、横一文字に切った。

「明智様!」

 切腹する光秀に駆け寄る隆広。その隆広に微笑む光秀。

「夢は終わり申した…。だが楽しい夢でござった…。ほんの数日だがワシは天下人だった…」

「明智様…!」

「立派な男となったな…竜之介…」

「……ッ!」

 光秀はこの時はじめて、隆広に『忘れてはいなかったぞ』と明かした。最期の最期で。

「そなたに討たれるのも…運命であったのかもしれぬな…」

「不孝を…お許しください…ッ!」

「何が不孝か…。竜之介よ…」

「はい!」

「ワシの屍を越え…肥やしとし…さらに大きな男となれ。織田信長よりも大きな男となれ…!」

「光秀様…!」

「さあ、斬れ…」

 刀の柄を握る隆広。眼からは涙がポロポロ出てきている。光秀は脇差を腹から抜き、再び刺して縦に切り裂く。十文字に腹を切った。

「さらばじゃ竜之介…!」

「はい…!」

(さらばじゃ…熙子…)

 薄れる意識の中で、光秀は最愛の妻の名を呼び、別れを告げた。そして隆広の白刃が光秀の首に降り下ろされた。

 

 ズバッ

 

 明智光秀の首が地に落ちた。隆広はそれを拾い抱いて泣いた。斉藤利三もまた光秀の亡骸に平伏し号泣した。明智光秀、享年五十五歳。

 辞世『心知らぬ人は何とも言わば謂え 身をも惜しまじ名をも惜しまじ』

 

 坂本城の留守を預かる明智光秀の妻の熙子(ひろこ)は何かを察したか、城の中庭の縁側に座り月を眺め、頬に涙を垂らしていた。夫の死が離れていても彼女に伝わったのだろう。

 熙子はこの縁側で夫と静かに月を見るのが好きだった。月明かりに見る夫の優しい笑顔が大好きだった。しかし、その夫はもうこの世にいない。熙子の涙が止まる事はなかった。

「殿…。熙子もじきに参ります」



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月さびよ明智が妻の話せん

 明智光秀は逝った。本能寺にて織田信長を討って、わずか十一日後の事である。そしてその光秀の最期を看取る水沢隆広。大将首を上げた大手柄であるのに彼の顔には笑顔などなかった。悲しみのまま泣き、そして自らが切り落とした光秀の首を抱く。斉藤利三は主君の亡骸に平伏し、言った。

「れ、礼を申しますぞ隆広殿。殿は落ち武者狩りではなく…切腹によって果てられた…」

「利三殿…」

「殿より聞いておりました…。美濃で幼き日の隆広殿と出会いし事を…」

 

 十数年前、美濃山中の庵。

「熙子(ひろこ)! すぐに蒲団を!」

 光秀がずぶ濡れの小坊主を抱きかかえて帰ってきた。

「お前さま、その童は?」

「山の中に倒れていた。ひどい熱だ、早く蒲団をひけ」

「はい!」

 童、その名は竜之介。後年の水沢隆広は養父である正徳寺の高僧長庵の課す厳しい修行に耐えかねて寺を飛び出した。しかし一文もなく、また美濃の山は険しい。すぐに長庵は寺の坊主たちに探させたが見つからなかった。竜之介はやみくもに山中を歩き、迷い、気がついたら川に落ちた。季節は冬、何とか川から這い上がるが体は冷え切り、そして空腹。やがて高熱を発し出し倒れてしまった。

 その竜之介をたまたま見つけたのは美濃山中に庵を構えていた当時浪人だった明智光秀だった。光秀の妻の熙子は徹夜で竜之介を看病した。濡れた衣服を脱がせて乾かし、粗末であるが清潔な着物を着せて寝かせ、額に濡れた手拭を置く熙子。

「疲れたであろう熙子。私が変わろう」

「とはいえ…悪寒で震える童が気になり眠れそうに…。あ、そうだ!」

「ん?」

「私が添い寝をしてあげれば寒くないかも」

「そうだな。温めてやるがいい」

「はい」

 熙子はそのまま竜之介の眠る蒲団に入った。

「さ、これで寒くない」

 そう言いつつ、竜之介を抱き寄せる熙子。

「ああ、いいなあ、私も母上と一緒に寝たいです」

「こらこら、わがまま言うな玉子」

「だって~」

「ははは、玉子は父上と一緒に寝よう」

 熙子と竜之介の蒲団の横に、光秀と玉子は横になった。熙子の体温が伝わり出したか、竜之介の悪寒による震えがなくなった。そして…

「う、うん…?」

「気がつきました?」

「こ、ここは…?」

「ここは美濃山中の、明智の庵。さ、まだ熱は下がっていませんよ。おやすみ…」

「は、はい」

 安心すると同時に竜之介の眠気が訪れた。そして熙子の胸の中に知るはずもない母を見る竜之介。無意識のうちに熙子にしがみつき、

「母上…」

 と、小さい声を出し、静かに眠りに入る。

 

 翌朝、竜之介は元気を取り戻した。熙子の出してくれた朝餉を美味しく食べる竜之介。一菜一汁の粗末なものであるが寺のものに比べれば豪勢である。めったに食べられない麦飯と大根の味噌汁を食べる竜之介。

「さすがは寺で厳しい修行をしているだけはある。一晩寝て回復するとはな」

 竜之介の旺盛な食欲に苦笑する光秀。竜之介はこの時に光秀、熙子、玉子が何も食べておらずに白湯だけ飲んでいたのに気付かなかった。当人たちさえめったに食べる事の出来ない麦飯を竜之介に与えていたのである。

「はい、ありがとうございます」

「ふむ、しかしどうしてあんなところに倒れていた?」

「はい、実は…」

 竜之介は父の長庵の課す修行に耐えかねて逃げ出した事を包み隠さず話した。

「なるほど」

 光秀は包み隠さず自分の恥を話す坊主に好感を抱くのであった。

「ふん、弱虫坊主」

 昨日に母を取られた嫉妬のせいか、玉子は隆広を小馬鹿にするように言った。生まれて初めて見る自分と同世代の美少女に竜之介はドギマギしながら言った。

「そんな事言ったって…父上の修行は厳しい事ばかりで…」

「どんな修行をしておるのかな?」

 と光秀が問う。竜之介は再び包み隠さず述べた。そして驚く。およそ僧侶の修行ではなく武将としての修行内容だったからだ。

「そなたの養父の名前は?」

「長庵です」

「…なるほど」

(合点がいった。どうりでいいツラ構えをしている)

 竜之介の養父の水沢隆家と明智光秀は共に斉藤道三の下にいた時期がある。道三亡き後に光秀は斉藤家を去ったが、光秀はどれだけ名将水沢隆家に憧れたか。目の前の童はその男の養子なのである。

「あ、今まで名前を申さず失礼しました。竜之介と申します。よろしければご尊名を」

「名乗るほどの者ではない」

 光秀は名乗ろうとしなかった。自分の名前を知れば、竜之介を通じて長庵も知る事になる。長庵にいまだ自分が牢人暮らしと知られたくなかったのもあるが、恩を押し付けたくなかった気持ちもある。

「でも…それでは父に竜之介が叱られます」

「修行から逃げ出したのだ。当たり前であろう」

「そ、そうですけど…」

「でも竜之介殿、お父上がそんな厳しい修行を課すのも竜之介殿を愛すればこそですよ。もう逃げてはいけませんよ」

 優しく熙子が笑う。生まれて初めて母親の温もりをくれた女性である。そしてこの言葉もまだ見ぬ母に言われているようだった。竜之介は椀を置いて改めて熙子に深々と頭をさげて

「はい、二度と逃げません!」

「よろしい」

 光秀夫婦、玉子、そして竜之介の笑い声が庵を包む。そして光秀は竜之介を正徳寺の近くまで送り届けたのである。玉子も一緒についていった。玉子もめったに同じ年頃の男子と会う事はない。楽しい道のりで寺に向かい、着く頃には『竜之介』『玉子』と呼び捨てで互いを呼んでいた。だがとうとう光秀と熙子の名前は知らないままであった。

 竜之介は熙子に約束したように、この日より修行から逃げ出す事はなかった。立派な武士になって、あの夫婦にお礼を言いたい。そうすれば、あの生意気な少女も自分を認めてくれるのではないかと思った。竜之介、つまり隆広の初恋とも言える少女は明智光秀の娘の玉子であったのだから。

 だが父の長庵から元服を許され、水沢隆広と名乗った時すでに明智一家はその庵にいなかった。そしてあの伊丹城の戦いの時に再会を果たすのであった。だが二人は昔の事をクチにしなかった。

 光秀は柴田勝家に水沢隆広と云う若者が仕えたと聞き、すぐにあの時の小坊主だと悟った。しかし彼は伊丹城で隆広に会った時に『お初にお目にかかる』と述べた。光秀は隆広が立派に成長した姿を見ただけで満足だった。今さら命を助けた事など恩に着せたくなかった。

 光秀が初対面と最初に言ったのでは、隆広も『あのおりの小坊主です』とも言えず、以後は歳の離れた戦友として陣場を同じくした。だが隆広は光秀と熙子に命を助けられた恩を今でも忘れていない。よもや自分が明智光秀を討つ事になるとはと…隆広の涙は止まらなかった。

「殿は喜んでおりましたぞ、いつかこの利三に楽しそうに言っておりました。『あの時の坊主がよもやあれほどの武将になるなんて』と! それは嬉しそうに申しておられましたぞ…!」

「光秀様…!」

 光秀の首を抱き号泣する隆広。舞と六郎も一緒に泣き、そして藤林忍軍の忍びたちの中からもすすりなく声が聞こえた。

「もはやこれまで。それがしも殿の後を追いまする」

「利三殿…」

「隆広殿、一つだけ貴殿の武士の情けにすがりたい」

「…はい」

「坂本には…それがしの娘がおります。七つになったばかりの娘が…」

「はい」

「未練であるが…一人前の女子になるまで見守って下さらぬか…」

「承知しました。その子の名は?」

「福」(史実における後の春日局)

「それがしの娘として育てます」

「かたじけない…」

 斉藤利三は腹を切り、そして隆広が介錯した。隆広は明智光秀と斉藤利三の首に合掌し、そして丁重に包み、忍びに持たせて柴田本陣へと持たせた。気は進まないものの隆広は立場上光秀と幹部の二将の首を勝家に届けなくてはならない。だからすでに息絶えていた溝尾庄兵衛の首も切った。だが首より下はその必要はない。隆広は棺を用意させて光秀、利三、庄兵衛の亡骸を坂本城に送り届けた。

 藤林忍軍の手により柴田本陣に明智光秀、斉藤利三、溝尾庄兵衛の首が届けられた。柴田勝家にとり主君を滅ぼした憎き敵であるが、首を見て勝家は笑み一つ浮かべず黙して合掌した。勝家はこの三名の首をさらす事はせず、坂本城へ送り届けた。勝家ならではの武士の情けと言えるだろう。

 

「どうして! どうして父の援軍に行ってくれなかったのですか!」

 丹後宮津城、細川藤孝の居城。舅の藤孝と夫の忠興を責める光秀の娘の玉姫。すでに瀬田の戦いに敗れ、勝竜寺城が落とされた事も玉の耳に届いていた。

「せめて、坂本城に落ちる父に援軍を! 父は孤立無援です!」

 城主の間に座る夫と舅に涙ながらに哀願する玉。藤孝と忠興は何も言わずに玉の哀願を聞いていた。

「その必要はもうございません」

 細川家家臣、松井康之が城主の間に入ってきた。

「松井殿! その必要がないとは何事ですか!」

 烈火のごとく怒る玉を制しながら、松井は静かに座り、主君忠興に報告した。

「明智日向守殿、討ち取られましてございます」

「……ッ!?」

 玉は絶句した。

「坂本を目指し、山科の小栗栖に差し掛かったところ、水沢隆広の待ち伏せに遭い斉藤利三、溝尾庄兵衛と共に日向守、討ち取られたとの事」

「そうか…」

 細川藤孝は静かにそう答えた。今は『細川幽斎』と名を変えた彼は剃髪した頭を一度二度撫で、深いため息をついた。

「御首は柴田本陣に運び込まれ、柴田勝家が確認したとの事です」

「う、ううう…!」

 玉は泣き崩れた。

「玉…」

 忠興は城主の席から降り、妻の肩に触れた。その手を振り払い憎悪のまなざしを夫に向ける玉。

「お恨みいたします! 玉は一生忠興殿と義父殿を許しません!」

「何とでも言うがいい…。細川は微な勢力、味方につく将を誤れば即座に滅亡じゃ」

 玉の悔しさを察するかのように舅の幽斎は言った。夫と舅、顔も見たくないと思った玉は城主の間を飛び出した。自分の部屋に駆け込み肩を怒らせて立つ玉。拳を握り爪が手のひらに食い込み血が滴り落ちる。無念のあまり唇を噛んで血が滴る。憎悪の瞳に悔し涙が溢れる。

「許さぬ…ようも父を…! 恩知らずの腐れ坊主め! 断じて玉が許さぬぞ竜之介! 必ずキサマを殺してやるッ!!」

 玉は父の光秀の手紙から柴田家に仕えている水沢隆広が、あの時の小坊主である事は知らされていたのである。玉も懐かしさゆえか、今度安土で織田の諸将が集まる事があったなら連れて行ってもらい、久しぶりの再会をしたいと思っていた。美男の呼び声高い隆広に会いたいと思っていた。

 父光秀はかつての邂逅の事を隆広に言っていないとの事だったが彼女には関係なかった。何故なら玉にとり、隆広は初恋の少年であったからである。だが運命は残酷であった。玉は初恋の少年を父の仇と憎悪し、隆広は初恋の少女に父の仇と憎悪される結果となった。

 

 そして水沢隆広は坂本城に到着して布陣した。対して城を守るのは安土城を放棄して坂本城へ引き返してきた光秀の娘婿の明智秀満だった。

「殿…。利三殿、庄兵衛殿…」

 隆広の陣から、光秀、利三、庄兵衛の亡骸。勝家本陣から同じく三つの首が坂本へ丁重に届けられていた。首と胴は糸で繋ぎ合わされ、三つの骸は城主の間で無言に横たわる。

 光秀の遺体に寄り添う熙子。涙はもう枯れるほど流した彼女の目に涙はない。しかし明智家臣たちとその家族たちのすすり泣く声は止む事はない。

「いつまでもこうしても仕方がございません。殿と利三、庄兵衛の亡骸、荼毘に付しましょう」

「「ハハッ」」

 坂本城の庭で三名が静かに荼毘に付された。熙子は黙って夫の焼かれる炎を見つめていた。

「お方さま」

 熙子の侍女が来た。

「何か」

「敵将の水沢隆広から書状が届いております」

「私あてにですか?」

「はい」

「……」

 彼女も夫光秀から水沢隆広と、美濃山中で助けた小坊主竜之介が同一人物である事は聞かされていた。一度会い、立派になった姿を見たいと思っていたが、それは叶わず敵味方として会う事となってしまった。

 熙子は隆広からの書状を手に取り読んだ。そこには“あの折の小坊主はそれがしです”と述べ熙子を助けたい事を望む書面だった。隆広からの書だと聞き秀満もその内容を熙子に訊ねた。熙子はそのまま秀満に書を渡した。

「そうですか…。寄せ手の大将は竜之介殿ですか。皮肉なものですね。殿と幼いあの方をお救いした時、風邪をひいていた竜之介殿の体を温めるため私が添い寝をいたしました。当時のあの方は母の愛を知らなかったのでしょう。私にしがみついて離れませんでした。私も愛しく思ったものです。その愛しい童が後に我ら夫婦を滅ぼすなんて…誰が想像できたでしょう。でも少しも恨みに感じません。せめて一日の母として恥ずかしくないよう…堂々と水沢隆広殿の前で滅んでみせましょう」

 熙子の悲痛な決意であった。坂本城から煙が上がっているのを見た隆広。馬上にあった隆広は荼毘の煙と察し、鐙(あぶみ)を外して頭を垂れた。馬具の足を置く部位である鐙、それから足を退かせて頭を垂れるのは馬上にある時の最敬礼である。しばらくすると熙子から返書が届いた。返事は拒否である。

『たとえ過去にどんな縁があろうとも、今の私と水沢殿は敵にございます。この期に及んで敵の情けにすがる気はございません』

 なかば予想はしていた返書の内容だった。隆広は一つため息をつき、心の中で悲痛に叫んだ。

(オレは…一日の母も…討たねばならないのか…!)

 

 水沢隆広率いる柴田軍が坂本城を包囲して数日が経った。隆広は城主を務める明智秀満に降伏勧告を数度出したが秀満は拒否。斉藤利三の妻子を引き取りたいと使者を出したがこれも拒否。また熙子救出を隆広はどうしてもあきらめきれず、熙子当人には無論、秀満に取り成しを頼む使者を出したが、これも秀満は拒否した。

 なぜこうも頑なに隆広の降伏勧告や要望を拒否するのか。それは坂本城に篭る明智勢には主君光秀と、斉藤利三を斬ったのは水沢隆広と伝わっているからである。確かに間違ってはいない。隆広は両人の介錯をしたのであるから。

 使者が多勢に無勢で囲んで斬り殺したのではなく、両名切腹をして、主君隆広はその介錯をしただけと述べたが明智の将兵は耳を貸さなかった。

 いや、本当はそれが真実と知っていたのである。そんな事は光秀と利三の遺体を見れば子供でも分かる事だった。しかしその事実を受け入れなかった。

 明智将兵たちは主君光秀と斉藤利三が水沢隆広と親しかった事は知っているし、安土での信長の酒の強要からも助け舟を出し、富士の宴では信長が光秀を足蹴にした時、信長に『明智様に謝って下さい!』と毅然と意見した事は明智家中の者なら誰でも知っている事である。

 ゆえに今回敵味方になった事に運命の皮肉を感じた。幾度も降伏勧告をしてきているのは隆広が本心から明智の家名を何らかの形で残したいと考えているからだろうとは痛いほどに分かっていたのである。

 しかし受け入れられない勧告であった。もはや主君光秀は謀反人の汚名を残して逝った。このうえ家臣の自分たちが敵将の情けにすがって生き延びては光秀の名にさらに泥を塗る事になる。もはや華々しく戦って散り、主君の元に旅立つ事こそが残された明智勢の望みだった。

 明智家臣団には、あの北条早雲の家臣たちと似た伝承がある。それは九人の仲間たちと

『この中で一番早く大名になった者へ皆で仕えよう』

 と誓い合った。そして光秀が織田信長に取り立てられ大名となった。仲間たちは約束どおり光秀の家臣となり光秀を支えた。九人のうち、すでに五人が病死、三人が瀬田の戦いで討ち死に、残る一人は光秀のあとを追って腹を切った。この九人の他に斉藤利三、明智秀満を初めとする五宿老と呼ばれる忠臣がいる。後世に謀反人と呼ばれる明智光秀であるが家臣団の優れは羽柴や柴田にも劣るものではない。

 

「もはや…オレ自身が使者に行くしかないのか…」

 奥村助右衛門と前田利長がそれを止める。

「とんでもない! 総大将自らが使者に行き殺されたら終わりですぞ。軽はずみな行動をおとりになるな!」

「奥村殿の申すとおりです。いかなる縁が水沢殿と明智家にあったかは存じませんが備大将として断じて水沢殿を敵城に行かせるわけにはまいりません!」

「しかし…総攻めにかかれば福殿を助けられない。どうすればいいのだ…」

「ならば福殿とその母上を渡すよう、もう一度使者を出されては…。総攻めする意を伝えれば秀満殿もあるいは…」

「それしかないか…」

「は、ですがご正室様の救出はお諦めになられて下さい。熙子殿もこの後に及んで生を選ぶ方ではございません。熙子殿は光秀殿の糟糠の妻。疱瘡にかかり、あばた顔になった自分を妻に迎え、かつ光秀殿は大名になっても側室も持たずに熙子殿だけを愛し続けました。そんな夫が亡くなった今、どうして敵将の情けにすがり生きる事を選びますか」

「助右衛門…」

「一日の母をお助けしたい気持ち、痛いほどに助右衛門分かります。しかし、なればこそ、いらぬ情けをかけてお母上に恥をかかせてはなりませぬ」

 ギュッと拳を握る隆広。助右衛門の言葉が胸に刺さる。

「分かった…。だが福殿の事は利三殿との約束だ。何としても助け、オレの娘として育てる」

「分かりました。それがしが使者に…」

 と、助右衛門が述べた時だった。

「申し上げます」

 隆広の元に、部下の高橋紀茂が来た。

「どうした紀茂」

「坂本城主、明智秀満殿が軍使としてこちらに向かっているとの事」

「なに?」

「いかがなさいますか?」

「丁重に出迎えろ!」

「ハッ!」

 

 隆広は陣の前に立ち、秀満を待った。秀満は大きい荷車を三つ引かせ、かつ幼い女童を連れていた。

「秀満殿…」

「息災でござるか、隆広殿」

「はい」

「こたびの用向きは、受け取っていただきたいものがあるからでございます」

「は?」

 秀満は荷車に載せた品々の目録を渡した。

「これは…」

「明智の家宝にございます。我らの元に置いていては灰になりますからな…」

「灰に…」

 光秀は倹約家であったが、一流の文化人でもあったので城内には名物茶器や、名のある絵や書物、刀剣なども多々あったのである。それを秀満は敵将の隆広に届けたのであった。

「いずれ劣らぬ明智の家宝、そして日本の宝にございます。これを隆広殿に託します」

「秀満殿…」

「そして…」

 女童の背中を押して隆広の前に立たせた。

「この子が福にございます」

「この子が…」

「利三殿の妻の安(あん)殿は城と共に運命を共にすると決めてございます。ですが福はまだ七つ、死なせるには哀れ。奥方は隆広殿の要望を受け夫の利三殿の意を尊重し、掌中の珠の福を託すと申しておりました」

「そうでしたか…」

「さ、福。今日からこの方がそちの父ぞ」

「いや!」

 福はさっきから隆広を憎しみ込めて見ていた。

「こいつは父上を殺した憎い敵です。どうして福がこいつに!」

「そうか…。オレが憎いか…」

 隆広は福の視線に腰を下ろした。

「そなたの父上は、それは立派な武人だった。そしてそなたはその血を継いでいる。オレが仇と憎いのならチカラを持て。オレを殺しに来い。それが出来るまで、オレはお前を実の娘と思い、大事に育てるから」

 そして福を抱きしめた。

「は、はなせ! お前なんか嫌いだ!」

 幼い握り拳が隆広の背中をポンポンと叩く。そして『嫌いだ』と云う声は徐々に涙声にもなっていった。

「隆広殿、それがしも貴殿の武士の情けにすがりたいと思う」

「それがしの出来ることならば」

 荷車には赤子も乗っていた。スヤスヤと眠っている。

「手前の倅、左馬介にござる」(史実では秀満の子は後の三宅藤兵衛重利であるが本作では秀満の通称左馬介を幼名とした別人とする)

「ならば…明智様の孫に…?」

「いかにも。利三殿が隆広殿に遺児を託す気持ち、よう分かりもうす。それがしも隆広殿に倅を託したい。我らは殿に殉じて城と運命を共にいたしますが、倅には生きてもらいたい」

「承知しました」

 そして秀満は両腕の篭手を外して

「これは殿より拝領の『鬼篭手』、左馬介元服のおり、お渡し願いたい」

 荷台に乗る息子の横に篭手を置く秀満。

「しかと、承りました」

 後日談になるが、この赤子は明智家の嫡流でないとしても光秀の孫の男子にあたるため、いかに隆広でも勝家の手前しばらくは養子に出来ず、藤林家に預け、これより五年後に正式に養子と迎え秀満と同じ明智左馬介を名乗らせた。左馬介は隆広嫡子の竜之介の小姓となり、やがて名補佐役として成長する事になる。

 

「それでは、明日の戦場で」

 秀満は隆広の陣から去っていった。明日の戦場、そう秀満は残して言った。つまり坂本城の兵糧はもう底をついていると隆広が察するに時間はかからなかった。

 明日に総攻めでかかってこられよ、兵糧がなくなり、あとは飢え死にするしかない我ら。せめて戦って散らせて欲しい。そう察した隆広はもう一度秀満を呼び止めた。

「秀満殿」

「なにか?」

「明日、総攻めをいたし申す。その前に、城内の女子供を逃がされよ。丹波では今だ明智様の仁政を慕う民は多うございますゆえ、明智家臣の女子供といえば無体な扱いもされますまい。本日いただきました明智、いや日本の宝のせめてもの返礼として丹波の豪族や豪農にそれらを礼遇するよう柴田から一筆送りつけ、かつ当方の物資の一部をお譲りいたします。いかがか」

 あぜんとする明智秀満。敵の将兵は無論、女子供まで掃討と云うのが戦国時代の城取りと云うものである。まして明智は主家に謀反した家である。それを考えても隆広の申し出は異例な事である。隆広は落城前に明智の家宝、そして福と左馬介を自分に託した秀満に至誠で応えた。

「かたじけない…! お頼み申す!」

 隆広に深々と頭を垂れる秀満。『甘すぎる大将』隆広はよくこう言われる。しかしこの計らいが生き残った明智遺臣の心を掴み、後に山崎長徳と云った明智の将が隆広に仕え、その他にも多くの明智遺臣が後に隆広を支える事となる。

『精強の明智を味方につけた水沢隆広』は皮肉にも光秀死後に実現されるのだった。その場は甘いと周りが感じても、結果を見れば味方を増やして戦力にしている隆広。

 また明智の女子供を逃がした隆広の計らいに丹波の民たちは感動して、豪農や豪族たちは明智の女子供を礼遇する事を約束している。すべて計算してやっている事ではない。だから水沢隆広には人がついてくるだろう。

 

 翌日の城攻めの前、坂本城内の女子供を丹波に落ちさせる事を取り決め、明智秀満は城に戻って行った。

「甘いかな慶次」

 苦笑している隆広。

「さあて、それは結果を見てみなくては分かりませんな。その女子供の中から後に隆広様を苦しめる者がいれば甘かった。良き味方になれば英断だった。それだけにござる」

「確かに。隆広様は今、大殿とまったく逆の事をしました。そして大殿は討たれた。さりとて今の仕儀が正しいのかは誰も分からない。どんなに善行したとて、恨まれる時は恨まれ、殺される時は殺されまする」

「そうだな助右衛門。正しいと思った事がすべて最良の事ならば世の中に苦労はない。さて…」

 隆広は全軍に指令を出した。

「明朝、坂本城を総攻めだ!」

「「ハハッ!」」

 

 明朝、坂本城から明智家の女子供が出て、石田三成と隆広の手勢が護衛して丹波へと向かった。一行が完全に戦火から影響のない地まで行くのを見届けると、隆広の軍配が上がった。法螺貝が吹かれ陣太鼓が轟いた。その響きは坂本城の将兵に届いた。明智秀満が将兵を鼓舞した。

「来るぞ! 水沢隆広何するものぞ! ここが我らの死に場所じゃあ!」

「「オオオ―ッッ!」」

 隆広もただ坂本の城を囲んでいたわけではない。坂本の城は穴太衆(あのうしゅう)という石垣積みの名人集団も築城に関わっているので堅城であるが、隆広も築城の名手と呼ばれている。攻めるに向く箇所はすでに見極めており、かつ城の防御も藤林忍軍を用いて下げておいた。

 そして一万の大軍が一挙に攻め入った。坂本の城の将兵は六百。城門が破壊されたら勝負にはならなかった。坂本の城は炎上し出した。

「秀満殿、もはやこれまでです」

「義母上様…」

 熙子は静かに目を閉じて合掌した。

(殿…今度また生まれてくる時も熙子を見つけて下さい。そして私はまた殿の妻となります…)

 走馬灯のように熙子の脳裏に去来する夫との思い出。光秀への輿入れ直前に疱瘡にかかり、女の命と云うべき顔があばた顔になってしまった。もはや自分を愛してくれる殿方など現れないと泣いた。熙子の父は熙子と顔がそっくりの妹娘を替え玉にして光秀に嫁がせた。だが光秀はそれをあっさり見破り、

「容貌など歳月や病気でどうにでも変わるもの、ただ変わらぬものは心の美しさよ」

 と妹娘を訓戒して送り帰し、約束どおり熙子を妻として迎えた。こんなに嬉しい事はなかった。だからどんな貧乏でも耐えられた。仲間との会を主宰する光秀が、その資金がなく頭を抱えるのを見かねて女の命とも云える髪を売るのにもためらわなかった。

 織田信長の軍団長となり、五十万石の大名の大身になっても光秀は側室を持とうとせずに自分だけを愛してくれた。その愛する夫はもういない。そんな世に彼女は未練などなかった。

 

 この坂本城攻防戦の最初の軍議も、光秀の娘婿明智秀満を中心に篭城か出撃か、城を放棄し再起を図るか、結果の出ない評定が繰り返されていた。長々と続く軍議に熈子が終止符を打った。

「当家の時運も、もはやこれまで。我ら一族がこの城で果てる事は、かねてより覚悟の上の事。各々方、早々にご決意下されよ」

 毅然と言い切る熙子に感奮し、敵将の水沢隆広に意地の決戦を挑む決意を固めたのである。

 

 炎に包まれる坂本城の城主の間、隆広はそれを見続けていた。

「熙子様…!」

 隆広の手には熙子からの書があった。福と左馬介を引き取ってくれた事と明智の女子供を落ちさせる隆広の計らいに礼を述べている書である。美濃山中での邂逅については一切触れていなかった。

 だが一緒に熙子が大事に使っていた櫛が同封されていた。熙子が隆広に贈れる物はもはやそれしかなかったのだろう。その櫛を握り、胸に抱く隆広。生まれて初めて自分に母の温もりをくれた人を死に至らせざるを得なかった自分への怒り、そして戦国の世を呪った。総大将が涙を見せられない。ただ無念に握るその拳だけが泣いていた。

 

 秀満は刀を振りかざした。

「義母上、秀満もすぐに参ります」

 合掌して死を待つ熙子。

(殿…。熙子が参ります)

 明智光秀の妻、熙子。享年五十三歳。秀満もそのまま自刃して果てた。後年、ある歌人がこの坂本の地を訪れ、明智光秀の妻の最期を聞いてこう詠んだと云う。

『月さびよ明智が妻の話せん…』



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柴田と上杉

 紅蓮の炎に包まれる坂本城、そして崩れ落ちる。将兵はすべて討ち死に、もしくは自刃して果てた。女子供は逃がすと告げた隆広ではあるが、斉藤利三の妻のように城と共に死す事を選ぶ女も多かった。壮烈な明智家の滅亡だった。崩れて炎に包まれている坂本城。水沢陣から涙を流してそれを見る福。

「お城が…。福のお城が…燃えてる」

 本陣の床几に座り、同じく坂本城の炎上を見つめる水沢隆広をキッと睨む福。

(許すもんか!)

 

 一方、安土城。安土城は明智秀満が退去して間もなく信長の次男である織田信雄が入城していた。資金も兵糧も明智の手に渡ってしまい何も残っていないが、安土の城そのものはまだ無事であった。

 変事の際、信雄は伊勢松島の居城にいた。変報を受け、すぐに出陣したが天正伊賀の乱で伊賀攻めの総大将だった信雄に対して、伊賀の国衆が不穏な動きを見せたため、うかつに京方面に軍を進ませる事ができなかった。その信雄に柴田勝家から書状が来た。書面には安土城を押さえておくように要望されていた。

 勝家は織田家に忠誠心はあったが正直次男信雄を評価していなかった。だが信雄には軍勢がある。いかに信雄が暗愚でも軍勢は軍勢である。それに信長次男の存在を家臣として無視するわけにもいかない。近江佐和山で合流を信雄に伝えるべく使者を出そうとしたが、それに待ったをかけたのが水沢隆広だった。

 越前から京に向かう進軍中、北陸軍は小谷山ふもとで野営をしたが、そのおり部下の諸将に『織田の世継ぎは三男の信孝様を押そうと考えている』と漏らしていた。信孝は羽柴秀吉と陣場を共にしていたが、地理的に近かった事と利害の一致ゆえで共闘となった。秀吉にとっては光秀を討つ良い御輿であるが、信孝は秀吉の傀儡となったワケではない。事が済めば秀吉はあくまで家臣なのだ。

 柴田勝家は織田信孝が元服の際に加冠の役を務めたと云う経緯があり、また信孝は後世の評価は低いが、父の信長が四国討伐の総大将を任命している点と、またルイス・フロイスが『思慮あり、諸人に対して礼儀正しく、また大なる勇士である』と評している点から、勝家も信孝を評価しており、家臣一同が支えれば織田の版図は保てると考えたのだろう。隆広個人が信孝では頼りないと思いつつも主君勝家の意向ならば仕方ない。だから隆広は

『信孝様を織田の次代当主に据えるつもりであるのでしたら、この戦で信雄様に活躍させてはなりませぬ。信孝様は今、羽柴軍と陣場を同じゅうしてございますゆえ、我らが明智殿を打てば信孝様に活躍の場はございませぬ。ここで信雄様に手柄を立てさせては信雄様にお世継ぎが決まってしまいます』

 と勝家に進言した。すでに柴田軍は信雄の軍勢なくても三万以上となっていた。明智軍の二倍の兵力である事は分かっていた。信雄の軍勢は欲しいが合流してしまうと北陸軍は信雄の指揮下に入るしかない。

 勝家は隆広の進言を入れて安土城を押さえる事だけを要望する使者を信雄に送った。『光秀の始末は我らにお任せし、信雄様は安土のお城を取り戻されて下さいませ。安土の次の城主は信雄様にございます』と記してあり気を良くした信雄は柴田軍に合流せず、安土城に入った。

 

 しかし織田信雄が入城してほどなく、安土城は謎の大火により焼失してしまったのである。

 信雄や部下の将兵たちは避難するので精一杯だったと云う。この大火の原因は今もって理由が明らかになっていないが、放火とするなら犯人は水沢隆広だと云う説もある。信雄を殺すか、それとも安土城を大火で焼失と云う体たらくをしでかした信長の息子と云う烙印を押すつもりであったのか。この時点の水沢隆広には主君勝家の構想のため、立派に動機があったと云うのが理由であるが、それは後世の創作で真実ではないだろう。この時点の隆広にそこまでの所為が可能とは思えず、現在では略奪による放火が定説となっている。

 信雄はすでに安土城の焼け跡にはおらず、そのまま軍勢をまとめて伊勢に引き返してしまった。三隊に分かれていた柴田軍は城攻めを終えたら安土城で合流と取り決めてあり、亀山城を落とした前田利家軍、坂本城を落とした水沢隆広軍、そして勝家本隊が再び安土城へとやってきたころには、ただの焼け野原だった。勝家と隆広も見るも無残な安土の城に唖然とした。勝家は作った陣営でくつろかず、陣の前に立って、焼けた安土城をしみじみ眺めていた。隆広も横にいる。

「国敗れて山河あり、城春にして草木深し…。大殿の作られた絢爛豪華な安土城も哀れなものよ…」

「御意」

「まるで大殿の死に、そのまま安土城もついて行ったかのようじゃのォ…」

「殿…」

「しかし…ワシとていつ光秀になっていたか分からぬ。ワシは武将としてのチカラは大殿に認めてもらえていたが、ワシの愚直で武骨な性格を大殿は内心嫌っていた。一つでも失政や敗戦でもしでかせば越前は取り上げられていただろう。そして追い詰められたワシは大殿に叛旗を翻すしかない。たまたま光秀が先にやっただけかもしれぬな…」

「……」

「隆広、そなたは光秀や利三、秀満と仲が良かったな。こたびの戦、つらかったであろう」

「…はい」

「だが、そのつらさを越えてワシを勝たせてくれた。嬉しく思うぞ」

「もったいなき仰せにございます」

「そして…秀満のふるまい見事じゃ。落城前に家宝を敵将に委ねるとはな。光秀の謀反は後世に悪しく罵られるであろうが、かような器量を持つ家臣がいた事も世に伝えねばならぬ」

「はい」

 隆広は秀満より贈られた明智の家宝に指一本触れず勝家に献上した。勝家は秀満の行いを賞賛し、合戦の様子を記録していた祐筆にそれを書きとめておくよう命令した。これが今日でも謀反人の家臣でありながら明智秀満の評価が高い事に繋がるのである。

「あと…子を二人養子にしたと聞くが…」

「はい」

「誰の子であるかは聞かなかった事にいたす。しかし女子は良いが、男子はしばらくどこか遠くに預けよ。よいな」

「…承知しました」

「もろうた娘…すこやかに育てるがよい」

「はい!」

「さて、本日はここで夜営して、明日は越前への帰途じゃ。そなたももう休め」

「ハッ!」

 柴田勝家の明智討伐は畿内の領民に喝采を受けた。隆広が進軍中に撒いた噂により、それはより倍増していた。一方、光秀の領地丹波では勝家賞賛の声などは出ていないが、隆広の明智の女子供を逃がした計らいで、柴田勝家憎しの声はさほど上がらなかったと云われている。

 

 だが本拠地越前に戻る帰路中、驚愕すべく報告がもたらされた。越前に進む柴田軍に伝令兵が慌てて馬を駆けてきた。

「も、申し上げます!」

「何じゃ?」

「越前! 上杉景勝の軍勢が占領!」

「な…!」

 柴田軍に戦慄が走った。各将兵の士気は明智軍との戦いの勝利で上がっていたのに、それが急降下してきた。一向宗門徒の生き残りが先の加賀攻めの報復で勝家の留守を狙う可能性もあった。それゆえ勝家は留守部隊を残しておいたが、相手が上杉家ならその留守部隊では勝負にならない。

 加賀に入れば完全に柴田領。それを縦断して上杉は勝家の本拠地である越前にまでなだれ込んできていたのである。これは勝家にも予想外だった。上杉の本拠地である越後は越前より冬入りが早い。そろそろ越後は雪が降り出す時期に入るため、ここまでの行軍をしてくるとは思わなかったのである。実際に先代の謙信はこの時期に合戦へ赴く事はなかった。何故なら他領を取ったとて肝心の本拠地に帰れなくなるからだった。

「なんとした事じゃ…! 皆のもの、すぐに越前に戻り上杉から越前を奪取する!」

 伝令兵に隆広が問う。

「上杉軍は北ノ庄に入城したのですか?」

「いえ、北近江と越前の国境に本陣を構えているだけでございます。北ノ庄は元より、府中らの支城、加えて直轄の金ヶ崎、一乗谷の町も押さえていません。北ノ庄に残しておいた留守部隊とも交戦状態には至っていません」

「やはり…」

「どういう事じゃ隆広」

「殿、上杉はこちらと戦うつもりはないようです」

「何故そう言い切れる」

「上杉景勝殿が謙信公の薫陶を受けたお方であり…かつ、そろそろ越後は雪が降ります。急いで帰る必要があるはず。我らと戦う時間などないでしょう」

「じゃあ何故国境に陣を構えているのじゃ」

「我らに何か言いたいのではないでしょうか。それで我らの帰りを待っているかと。攻め込むつもりならば、とうに越前と加賀は上杉のものとなっていたのですから」

「ふむ…」

「『落ちている城などいらぬ』、謙信公のお言葉です。明智との戦いのため根拠地をカラ同然にして義戦に挑んだ我らの所領を奪う事を潔しとしなかったのでしょう」

「ふむ…」

「我らと戦うどころか…上杉はカラ同然の越前が一向宗門徒の残党に襲われない様に目を光らせてくれたやもしれません」

「なるほどのう」

「ともあれ、国境に向かいましょう」

「ふむ…しかし、もしそなたの申すとおりだったら…」

「御意、先日の合戦で得た能登と越中は正式に返さねばならないでしょう」

「そうよな、仕方あるまい」

 

 柴田軍は北近江と越前の国境に到着した。上杉の毘沙門天の旗が風に揺られていた。さっそく上杉陣から使者が来た。

「柴田勝家様であらせられるな。それがし上杉家家老、千坂景親と申す」

「柴田勝家でござる」

「主君、上杉景勝の言上を述べます。『謀反人明智日向を討ち取った事、祝着に存ずる。上杉は謙信公が信玄亡き後の甲斐信濃に侵略しなかったように、敵の弱みに付け込む事を潔しとしておらぬ。よってここまでそなたたちを追撃してきたが、追わぬ事を決め、かつ暇つぶしに越前にまだくすぶっていた門徒の残党から治安を維持いたしもうした。落ちている領地などいらぬゆえ、我らは越後に戻る。以上』」

“敵の弱味につけこまぬ”上杉景勝と景虎義兄弟のお家騒動後の混乱を見て上杉領に攻め入った勝家には耳が痛かった。

「では、千坂殿、ワシの言上を景勝殿に伝えてくだされ。『もはや越中と能登を取れと命じた主君はおりませぬゆえ、越中と能登は上杉に謹んでお返しいたす』と」

「承知いたしました。それと水沢殿…」

「は?」

「魚津、富山の両城でそなたの行われた事。上杉一門感服いたしてございます。いつか上杉と柴田が敵同士でなくなったのなら、是非春日山で越後の酒を馳走したいと主君景勝以下、家臣一同願っております」

「承知いたした。それがしも楽しみにしております!」

「ははは、それでは柴田殿、それがしはこれにて失礼いたします」

 千坂景親は柴田軍から去っていった。

 

 越前に到着しても、柴田の城に一切入ろうとせず、かつ領内にまだ潜伏していた一向宗門徒残党に睨みを効かせ、時には蹴散らした上杉軍。これは直江兼続が進言したものである。

『こちらが水沢殿の礼に打たれて追撃をやめたのなら、こちらも礼をもって主君の仇を奉ずため本拠地をガラ空きにした柴田軍の領内を守るのです。柴田は新領の能登越中を放棄して京に向かいましたゆえ、いわば空白地である能登越中はたやすく奪い返せますが、それでは上杉は落ちている国を拾った形と相成ります。

 上杉が元へ能登と越中を戻すには勝家殿へ公式に『返す』と言わせる必要がございます。これから織田の内規を引き締めなければならない勝家殿にとり、つい先日まで上杉領だった新領地は逆に足枷になるものです。こちらが武人の礼示せば勝家殿の性格なら返すと申すでしょう。戦わずして失った二国が戻りまする』

 景勝は兼続のこの進言をいれて追撃を越中と加賀の国境付近で留め、柴田の領内を逆に守ったのである。かくして勝家は上杉勢の心意気に感じ、越中と能登を公式に返したのである。

 上杉の武人の礼を見せ景勝を謙信の後継者に恥じない男と内外に認めさせたうえに、逸した領地も取り戻したと云う直江兼続の智恵の勝利といえるだろう。直江兼続は遠くに見える『歩』の旗を見て微笑み、馬を返した。

(数多くの上杉の将兵が死んだが…それは我らが弱かっただけの事、怨みはすまい。だが、それでも我らはお前たちから領土を奪い返したぞ。しかも戦わずにな。またこの戦いで分裂しかけた上杉が再び一つになった。悪い事ばかりでもない。とにかく今は主君信長の仇を討てた事を祝福しよう。おめでとう竜之介)

 

 その後、柴田勝家と上杉景勝が北近江と越前の国境で会い、領地返還の儀式を交わした。そして上杉軍は越後に引き返していった。その後に勝家は隆広に訊ねた。

「おい隆広、空城計の時、何をしたのだ?」

「はい、計が含まれているとはいえ城をお返しするわけですから城の破損を改修して、かつ清掃して戦没者を弔ってから城を後にしたのです」

「…そうか、敵兵の亡骸は野晒しが常。それをお前は丁重に弔ったのか。それはワシからも礼を言うぞ」

「もったいなき仰せに」

「さ、それでは北ノ庄に帰るぞ!」

 柴田軍は上杉軍を見送り、そして居城の北ノ庄に帰っていった。謀反人を見事討ち果たしたとあって、柴田軍は歓呼の声で領民に迎えられた。すでに蒲生、九鬼の軍勢も居城に戻ったが、やはり同様に領民から喝采を受けたと云う。隆広が事前にやった柴田賛美の噂の効果も相まって、柴田への民心は大いに上がったのだ。越前に入り、府中三人衆も居城に帰っていったが、やはり同様であった。謀反人を討ちし大忠臣の軍団と領民は柴田軍を褒め称えたのであった。

 全軍は城の連兵場へと行き、そして勝家から明日に論功行賞を行う事が述べられた後、軍団は解散となった。ここで隆広の明智討伐は終わった。いつもなら妻さえにすぐに会いたく連兵場をとっとと出て行く隆広だが今日は違った。

「福、帰るぞ」

「…」

 まだ隆広を見ようとしない福。養女にしてすでに十数日、福は隆広を警戒し許してもいない。しかし隆広は優しく微笑み、福の視線に合わせて腰を下ろした。

「なあ福、オレはお前より十四しか年長でしかない。妻もそうだ。だから利三殿や安(利三正室)殿に比べて頼りないかもしれない。だけど我ら夫婦、一生懸命に福の良き父と母になるよう努力する。だってオレはもう福がとても愛しいから」

「…」

 父の利三がくれた鞠なのだろうか、福はそれを大事に両手で持っている。

「ずっと大切に持っていたな。その鞠…父上がくれた鞠か」

「…はい」

 やっとしゃべった福。

「さ、帰ろう。お腹すいているだろう」

「…はい」

 隆広は福の手を握った。

「はな…ッ!」

 離して、と福は言いたかったのだが優しく握る隆広の手は暖かかった。

「…」

 福は隆広に手を繋がれ、そしてこれから自分の家になる水沢家へと向かっていった。

 

 隆広の妻さえは前もって夫からの書状で養女をもらったと聞いていた。いきなり養女をもらったと言ってきた夫に驚いた。しかし書状には福を養女にするまでの詳しい経緯が書かれてあり、それを一読すると得心し、さえも福の母親になる事を決めたのだった。

 さえ自身も朝倉景鏡の娘で、父を『裏切り者』『主殺し』『卑怯者』と、さんざんに罵られたつらい少女期があった。斉藤利三もまた心無い者たちから『謀反人の家来』と早や言われだしている。そして家族も住む家を無くしてしまったのも同じ。さえには福と自分が重なったのだろう。実の子の竜之介と分け隔てなく育てる事を誓うのだった。そして福を伴い帰ってきた隆広。玄関先で出迎えたさえとすずと竜之介、そして監物と八重ら侍女や使用人たち。

「「おかえりなさいませ」」

「うん、帰った」

 本当は今すぐ抱き合いたい隆広とさえだが、さすがにこの場は堪えた。隆広と手を繋いでいる少女は不安そうに隆広の家族たちを見る。それを察したさえは福に歩み、腰を落として福の視線に合わせニコリと笑い

「私が今日から福の母となるさえです」

「…は、はい」

「さあ疲れたでしょう。湯が用意してあるから入りなさい」

 そう言うと、さえは福をつれて屋敷に入っていった。その様子を見てホッとする隆広。子供を安心させ、そして癒すに男は女に遠く及ぶものではない。すぐにさえの手を握った福に安心した。そして隆広は竜之介を抱き上げながら侍女と使用人たちに要望した。

「みな、あの女童は斉藤利三殿の一人娘福。遺児を託された以上、一人前の女に育て、しかるべき男に嫁がせなければならない。それまでは当家で厳しくも暖かく育てる。みなも協力してくれ」

「「ハハッ」」

 屋敷に入ってしまったさえに代わり隆広を丁重に迎えるすず。

「さ、隆広様、本日はご馳走を用意してあります」

「うん、すずのお腹も大きくなってきたな。滋養のつくものは食べているか?」

「はい」

「良かった。大事にしてくれ。生まれ来る子も大事だが、そなたの身もオレには大切なんだから」

「はい…(ポッ)」

 福は坂本から北ノ庄までの旅が疲れたか、風呂に入り、メシをたらふく食べるとすぐに寝てしまった。さえや侍女たちが暖かく福に対し、福も安心したようだった。坂本から北ノ庄までの夜営中には見られなかった安らかな寝顔だった。その寝顔を見て、隆広はさえとようやく二人の時間に入った。

「かわいい子です」

 と、さえ。

「うん、だが福はオレを許してはいない」

「お前さま…」

「福は幼いが、さすがは利三殿の一人娘だけあり気の強い子だ。さえも手を焼くであろうが…」

「気長に対し、いっぱい愛し、福の心が開くのを待つつもりです」

 隆広の言葉は、逆にさえの母性本能に火を着けたようだった。

「ありがとう、それと…柴田の名声が高まる一方で明智の名前は畿内でひどい言われようとなっている。人のクチに戸板は立てられない。利三殿の悪評は福にも届く事があろう。父の悪評を聞くつらさを誰よりもさえは分かっているはずだ。支えてやってくれ」

「分かりました」

 唐土の故事に『遺児を託す』と云う言葉がある。それは託す者から深い信頼を得ている他ならない。斉藤利三は敵将の水沢隆広を信頼し遺児を託した。それに応えるのは武士の本懐であり人の道。その気持ちは妻のさえにも十分伝わるものだった。

「さえ、腹に触れてよいか?」

「はい」

 さえもすずと同じく隆広の子をお腹に宿している。嫡子竜之介が生まれる前のように、隆広は愛妻の膝を枕として、妻のお腹に耳をつけた。

「…さすがにまだ何も聞こえないな」

「まだ膨れていませんから…」

「ははは、そうだな」

「だからまだ伽は務められます」

 珍しく大胆な事を述べるさえ。顔は真っ赤であるが。

「今日は明るい部屋が良いな」

「いやです。恥ずかしいですから」

 

 翌日、明智討伐の論功行賞が行われた。勲功一位は水沢隆広であった。そして齢二十一歳で家老に昇格し多額の報奨金を与えられ、禄の加増が申し渡された。隆広は家老職に就くのを今まで三度固辞したが、さすがにもうその辞令を断れず拝命した。

 しかし相変わらず住む屋敷も武家屋敷の一角である。多額の金銭で勝家に召抱えられている隆広は家老であっても領地も城もない。君主の右腕として北ノ庄城にあり勝家の側にいなくてはならない。織田信長没しても、この特殊な遇し方は継続された。ちなみに隆広はこのおりに朝廷から官位を拝命している。

『従五位下美濃守』

 この時から水沢隆広は水沢美濃守隆広と云う名になった。奇しくも生まれ故郷の地名である美濃の名を拝命したのである。この時代、一般的には本名より通称や官位名で呼ぶ事が多い。奥村助右衛門の『助右衛門』も通称で、山内一豊は『伊右衛門』、前田利家は『又佐』、佐久間盛政は『玄蕃』と、これも通称であるが隆広には通称らしきものが今までなかった。幼名と本名だけであったがこの日より『美濃』『濃州』『美濃殿』『濃州殿』と呼ばれ、かつ『仏の美濃』『智慧美濃』と呼ばれる事になるのである。

 

 論功行賞後の評定で、勝家は清洲城にて信長の次男の信雄、三男信孝立会いの元、主なる諸将と今後の織田家の行く末を会議する事を決めた。その会議の段取りは前田利家が当たる事になった。それと同時に

「美濃(隆広)」

「はっ」

「そなた上杉との和議の使者になれ」

「承知しました」

「上杉将兵に『敵ながら見事』と言わしめた、そなたにこそ適任じゃ。頼むぞ」

「はっ!」

 翌日に隆広は前田慶次と少しの手勢を伴い、上杉景勝の居城である春日山城に向かった。

「ははは、『いつか上杉と柴田が敵同士でなくなったのなら、是非春日山で越後の酒を馳走したい』と景勝殿が千坂景親殿を使者に立てて述べていましたが、よもやこうも早く訪れるとは」

「そうだな。あんまり飲みすぎるなよ慶次」

「そりゃあ酒次第でございますよ。あははは」

 護衛の兵と上杉への和議のための進物を持つ人足、総五十名の隆広主従は雪の越後を目指した。北陸街道はすでに上杉行軍のあとだったからすでに除雪はされていた。加えて、今回の上杉との和睦は隆広が勝家に進言した事であった。

『この織田の混乱の中、外敵がいる中で乗り切るのは難しいと考えます。羽柴様は毛利と和睦し、北条は現時点では徳川様が押さえ、長宗我部氏とは停戦状態。残るは上杉ですが先日の縁もある事ですし、同盟とまではいかなくても和睦をすべきでしょう』

 勝家は最初難色を示したが、少し考えてその進言を入れたのであった。そしてその使者に選ばれたのが隆広と云うわけである。

 

 北ノ庄を出て五日、隆広主従は春日山に到着した。隆広と慶次は馬に乗ったまま、しばらく春日山城を見ていた。

「なんと美しい城だ…。雪に映えるその姿は芸術とさえ思えてくるぞ」

「まこと、さすが軍神謙信公の居城だった事はありまするな…!」

 隆広と慶次は感嘆して城の美に見とれた。

「ははは、我が殿の城を褒めていただき嬉しゅうござる」

 隆広と慶次に歩み寄る一人の武士がいた。隆広はその男を知っていた。

「な…! 与六じゃないか!」

「久しぶりだな竜之介」

「知っている御仁でござるか殿」

 隆広が官位を得てから、慶次たち隆広三傑と呼ばれる者たちは『隆広様』から『殿』へと呼び方を変えていた。

「ああ! 短い間だったが共に上泉信綱先生の下で剣術を習った同門の友だ!」

 馬から下りて与六に歩み手を取った。

「久しぶりだなあ! 与六お前上杉に仕えていたのか!」

「ああ、今は直江兼続と云う」

 隆広は驚いた。

「お、お前が直江兼続殿だったのか!?」

「そうだ。なんだそんなに意外か?」

「直江兼続殿といえば景勝殿の軍師じゃないか! あのヨゴレのお前が…」

「お前も当時はハナタレ坊主のヨゴレだったろうが! ったく会うなりヨゴレはないだろう。しかし薄情なヤツだな。オレは手取川合戦当時にはお前が柴田殿に仕えていたのは知っていたのに」

「あ、いや…スマン」

「ははは、とにかくお前も前田殿も城に来てくれ。景勝様も首を長くしてお待ちだ」

 

 隆広と慶次は兼続に案内され、景勝の待つ城主の間へと歩いた。

「殿、水沢美濃守殿、前田慶次殿がお越しにございます」

「そうか、通せ!」

「はっ」

 城主の間には、上杉のそうそうたる家臣たちがズラリと並んでいた。隆広と慶次は景勝の前に歩み、平伏した。

「柴田家家老、水沢隆広にございます」

「同じく足軽大将前田慶次にございます」

「ふむ、余が上杉景勝だ。遠路ご苦労であった。面を上げられよ」

「はっ」

「前口上は良い、柴田殿の用件を述べられよ」

「はい、我が主勝家は、上杉との和議を望んでおられます。先日の上杉勢の越前での義に溢れた行為に主人は感嘆いたしておりまする。大殿亡き今、すでに柴田には上杉と戦う理由がなく、二度矛を交えたとはいえ先代謙信公と当代景勝殿に敬意こそあれど敵意はございませぬ。過去の経緯は水に流し、ぜひ当家と和議と思し召したい」

「和議の条件は?」

「献上金三千貫、領地の国境は越中加賀。そして直江津と敦賀の流通の開始にございます」

「ふむ…」

 これは上杉にも悪くない話でもあった。景勝は謙信の後を継いで間もなく、領内にまだ混乱が生じていた。今外敵に侵略されたくないのは上杉側にも同じだったのである。それに今では日本海屈指の貿易港となっている敦賀との流通も魅力的である。後にこの和議は強固な同盟にも発展するが、それは柴田家当主が勝家の時代には実現せず、次代当主になってから実現に至っている。

「あい分かった、勝家殿の申し入れを受けよう」

「恐悦に存じます」

「殿、ようございましたな」

「ああ、大役を果たせた!」

 景勝と隆広の間に白紙と筆を乗せた盆が置かれた。

「かたじけない」

 隆広は改めて和議の約定を書き、花押(サイン)を付記して間に座っていた直江兼続に渡した。

「ほう、字ィ上手くなったな。ガキの頃は激痛に悶えるミミズみたいな字だったのに」

「大きなお世話だ」

 景勝は隆広と兼続の会話を聞き苦笑し、そして盆を受け取り、書に花押を書いた。同じものをもう一枚作り、一方は景勝。もう一方は隆広が受け取った。

「確かに。主君勝家の喜ぶ顔が浮かぶようにございます」

「ははは、では堅苦しい話はこのくらいでいいだろう。これ!」

「はっ」

「歓待の宴じゃ」

 上杉景勝は隆広主従をもてなした。戦国武将とは時に奇異な面を持っている。狭量凡庸な味方の者より、強大かつ優れた敵将を愛する性格を持っている。隆広が手取川合戦で上杉謙信率いる三万の大軍をわずか二千で退けたのは上杉家の人間なら誰でも知っている。

 そして越中荒川の合戦では上杉の奇襲を看破して蹴散らしたのも隆広である。また富山城と魚津城を空城計で明け渡すときも、隆広は壊れた箇所を修復して戦死者を手厚く弔ってから撤退している。この行為は上杉将兵の心を動かした。

 上杉家は言わば隆広に一度も勝っていないのであるが、隆広は上杉将兵から敬意を受けていた。この時の歓待は心より隆広と慶次をもてなす酒宴であった。

 そしてこの日、一つ出会いもあった。一人の女が宴の場へやってきて、隆広に平伏した。

「上杉景勝が室、菊にございます」

「水沢隆広です。お初に御意を得ます」

「この日が来るのを待っていました。是非お礼を申し上げたく」

「礼ですと?」

「はい、兄の勝頼、義妹相模、甥の信勝を丁重に弔ってくださり、妹の松をお助けいただいた事を」

「その事ですか…」

 菊姫は武田信玄の五女であり、側室油川夫人との間に生まれた松姫の同腹の姉である。

「武田一門の女として言葉に尽くせぬほどに感謝しております」

「いえ、それがし勝頼様の肝煎りで快川和尚様より惜しみなく武田の技能を学べました。その御恩を少しお返ししただけにございます。で、松姫様は…?」

「妹は武州恩方(東京都八王子市)にて信松尼と名乗り、中将(信忠)殿を弔っている由…」

「そうですか…」

「畿内に中将殿の墓は?」

「これから京か安土に作らせていただく予定にございます」

「いつか、そこに妹をお連れ下さいませぬか」

「しかと、お約束いたします」

 柴田勝家は勝竜寺城から安土へと引き上げる途中に、信長の最期の地である本能寺と信忠最期の地である二条城に立ち寄り、信長と信忠の遺品を回収している。その中に信忠の焼け焦げた脇差があった。勝家はそれを隆広に与えていたが、後にそれは隆広から松姫の手に渡されたと云う。

 

 上杉と柴田の和議は成った。隆広と慶次は景勝が春日山に泊まっていってはどうかと薦めたが隆広と慶次は丁重に断り春日山を後にした。日帰りだったと伝えられている。宴の後に景勝は側近の直江兼続を呼んだ。

「与六(兼続)」

「はい」

「気づいていたか。美濃殿と前田殿、二人が一滴も酒を飲まなかったのを」

「はい、おそらくは着物の中に皮袋でも仕込んであったのでしょう。着物の裾で上手く隠し飲むふりをして酒をその袋へと入れていました」

「随員してきた小者や従者までもそうしておった。何と云う用心深さよ。なるほどここは敵陣も同じ。たとえワシやそなたに毒酒を盛る気はなくても、越中能登で美濃殿の采配で我らは苦しめられた。怨みに持つ者もおろうからな」

「はい」

「日帰りで帰ったのも、城内で就寝中に襲われる事を危惧してか。武将たるもの、それほどの用心深さ、我らも見習うべきであるな」

 

「あーあ、もったいない。毒酒の危険性ありとはいえ、無害ならば越後の美酒、そうオレたちが飲めるものじゃないのに~」

 隆広と慶次についてきた水沢家臣たちは泣く泣く懐の皮袋に入っている酒を捨てた。

「ははは、まあそう言うな、命には替えられないだろう」

「そうですが殿様~」

「心配いたすな。春日山城下で柴田と悟られないように越後の美酒は買っておいた。今日の宿で好きなだけ飲むがいい」

「「やったあ!」」

「「さすが殿だ!」」

「しかし殿、景勝殿と兼続殿はいい男にございますな。いつか共に美酒を心行くまで飲みたいものにござる」

「そうよな慶次、きっと美味い酒になるぞ」

 後年、直江兼続は隆広の家臣たちとも親密な間柄となり、前田慶次と石田三成とは肝胆相照らす仲となる。

 

 時を同じ頃、前田利家も清洲城で催す会議のために奔走していた。世に云う『清洲会議』まで、あと数日。



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清洲会議、そして隆広の出生

ついに隆広の出生が明らかになります。


 上杉への使者を終えて隆広一行は春日山城を後にした。行きは街道を馬で進んだが、帰りは船で直江津から敦賀に戻るため、彼らは直江津で宿を取った。その夜の事だった。隆広は不思議な夢を見た。

 見た事もない美女が隆広の前に現れた。自分が名乗り、その女に名を訊ねて言葉が話せないのか優しく笑うだけで声を発しない。そして着物を脱いで隆広の愛を求めた。夢の中で隆広はその女を愛しく抱いた。そして満足した女はそのまま風のように消えていった。

「ハッ」

 隆広は目覚めた。

「なんだ今の…」

 越中が夢精で汚れていたので、いそいそと変えていると

「やれやれ、少し奥方と会えないだけで夢精でござるか」

 護衛がてら隣で寝ていた慶次が突っ込んだ。

「う、うるさいな! こういう時は気づいても寝たふりしているのが思いやりってモンだろ!」

「へえへえ」

「でもオレもどうかしている。さえやすずと会えないのはいくさ場に出れば当たり前なのに何で今日に限って夢の中で知らない女と…」

「若い若い、まあそのくらいの歳では毎日でも女を抱きたいモンでござる」

「まあそうだけど…。何か気になって…!」

 隆広はハッとして部屋を飛び出した。

「?」

 慶次もすぐに追いかけた。隆広が向かったのは宿にある厩舎だった。慶次が着くと隆広が呆然と立ち尽くしていた。

「どうされ…!?」

 その厩舎で隆広の愛馬ト金が死んでいた。彼女はまだ老境に至っておらず、まだ十分に戦場で走れるのだが、競走馬に体躯が近いと云われた彼女は並外れた脚力と引き換えに寿命を縮めたのであろうか。

「さ、さっきの女は…そなただったのか…」

 ト金の食事は必ず隆広自ら運び、彼女に水浴びさせるのも人任せにしなかった隆広。今日も寝る前に頬擦りして一日の走りを労ったばかりである。時に愛妻さえが妬くほどに隆広が愛情を注いだ愛馬が逝った。慶次はト金の亡骸に一礼してその場から去っていった。自分がいては主人は泣けない。

 隆広は悔やむ。時に違う馬に乗り換えていれば彼女はもっと長生きできたのではないかと。だがそれは違うだろう。そうでなければ主人の夢の中で抱かれるだろうか。ずっと今まで愛して乗ってくれた事は彼女にとって無上の幸せだったはずである。横たわる愛馬にすがり泣く隆広。

 今までの思い出が浮かぶ。最初に会ったとき、自分から寄って来て隆広の頬に自らの頬をつけたト金。手取川の撤退戦では隆広を乗せて上杉謙信の本陣に突撃し、あの北陸大返しでは休憩も取らせる事もできなかったのに彼女は走った。

 柴田の下っ端武将のころから自分を乗せて走ってくれた最高の恋人が逝ってしまった。隆広の涙は朝まで止まる事はなかった。

 

 朝があけると隆広は無理して笑っていた。馬を愛する事では隆広に劣らない慶次は見て痛々しくてならない。だから提案した。『帰りも陸で帰りましょう』と。いぶかしげに自分を見る隆広に更に言った。

「ト金殿を弔うのはかの地しかございませぬ」

 一行は慶次の案に乗り、北陸街道を西に進んだ。愛馬ト金は荷台に乗せて隆広自身が引いていた。

「ここか慶次」

「ええ、手取川の殿軍のおり、殿が謙信公に一太刀浴びせた場所にございます」

「うん…。ここしかない。あの時のト金は上杉本陣突入と同時に謙信公の前に立ちふさがった兵二人を吹っ飛ばした。主人の敵と分かっていたんだよな、やっぱり…」

「たてがみは剃って持ち帰り、北ノ庄でもお墓を作りましょう。しかしト金殿はこちらで」

「うん」

 隆広は愛馬を埋める穴を掘った。慶次も手伝うと述べたが『オレ一人にやらせてほしい』と断った。そしてト金を埋めた。墓石は誰かが見つけてきた丸い石を置き、そして花を添えた。

「ト金…。今までありがとう。そして夢の中のそなたは最高の女だった。また出てきて抱かせてほしいな…」

 隆広はこの後、ここに彼女を祭る廟を建立し毎年の墓参を欠かさなかった。後年、この地には謙信・隆広一騎打ち像が建てられるが、その横にあるト金を祀る廟は現在『馬神神社』と呼ばれ、近年にはト金像が建立された。寄進者は水沢家と上杉家の末裔である。競走馬に体躯が近かったと言われていたト金は競馬関係者に馬神と崇められ、馬の安全を祈願する神となっている。

 

 北ノ庄城に戻った隆広。ト金の後釜はすでに決まっていた。ト金の娘である。現在二歳になったばかり。父は慶次の愛馬松風である。今まで乗った事はあるが、ト金は隆広に他の馬のにおいがついているとヘソを曲げた。見られた日には拗ねて一歩も足を動かさないと云うほどのヤキモチ妬きで、娘に乗ってもそうだった。だから隆広は乗るに乗れず今まで水沢家の厩舎で大事にされていたが、人間で言えばお姫様育ちも同様な馬だった。

 彼女の父親松風に乗る前田慶次でさえ『かような姫育ちの馬に殿の愛馬が務まるとは…』と首を傾げたが隆広は決めていた。

 しかし母親が死んだ事を悟ったか、彼女はお姫様などではなかった。足の速さは母親に一歩ゆずるが父の松風譲りの馬力が彼女にはあったのだ。お姫様の顔は母親を立てての事だったのか、とんだじゃじゃ馬であった。『二代目ト金』の誕生である。隆広が母親顔負けのヤキモチ妬きと知るのは、もうちょっと後である。

 

 二代目ト金の馬力を北ノ庄城の馬場で堪能している隆広に城から使いが来た。

「ご家老様(隆広)、殿がお呼びにございます」

「分かった、今参る」

 隆広は馬場にト金を預けて、急ぎ登城した。

「殿、美濃にございます」

「入れ」

「ハハッ」

「上杉の和議を整えて戻り、さっそくでスマンが佐和山に行ってくれ」

「丹羽様の元へ?」

「ふむ、光秀を討つに秀吉と歩を同じゅうした五郎佐(丹羽長秀)であるが、今は羽柴から離れ居城に帰っておる。清洲会議の趨勢を決めるには五郎佐の賛同も得たいゆえな、前もって味方につける。口説き落としてまいれ」

「承知しました」

 かくして隆広は新しい愛馬二代目ト金に乗り、石田三成と護衛に手勢五十を率いて北ノ庄城から佐和山城に向かった。途中琵琶湖から船を使い南下したので二日で到着した。長秀は柴田からの使者である隆広と快諾して会い、城主の間に通した。

「ほう、では権六殿は三七様(信孝)を跡目に考えておられるのか」

「はい」

「それでワシにどうせよと?」

「宿老の丹羽様に、殿の意見に賛同していただきたく思いまする」

「それは権六殿の意志かな?」

「御意」

「なるほど…」

(ふむ…。勢いに乗る権六に味方したほうが当家のためか)

「承知した、大殿の仇を討ったのは権六殿。しかも跡取りが三七様と云うのも筋が通っておるの、丹羽家は柴田家につこう」

「恐悦に存じます」

 

 丹羽長秀の取り込みに成功した水沢隆広は佐和山城を出た。そこには随伴してきた石田三成が待っていた。

「丹羽様の取り込みの首尾は?」

「ああ、丹羽様は殿に…」

 同じく佐和山城の入り口に歩んでくる一行がいた。

「羽柴様、お久しぶりに…」

 と隆広は笑顔で久々の再会を喜んだが秀吉は笑顔一つ見せず隆広を睨んだ。笑って対せるはずなどない。隆広は自分の中国大返しを無にした男なのである。

「美濃」

「は、はい」

 いつも隆広に笑顔を向けてくれた秀吉。だがこの時の秀吉は敵のように隆広を見つめるのだった。

「五郎佐に何を申した…?」

「は…?」

「質問に答えよ」

「…申せません」

 秀吉の後ろにいる山内一豊、仙石秀久もすでに隆広を敵のように見た。

「策を弄したか、美濃殿」

「一豊殿…」

「よせ一豊、ワシも五郎佐を取り込もうとしていたのじゃからお互い様よ」

「羽柴様…」

「…五郎佐が勝家の篭絡に落ちたのなら佐和山に用はない。帰ろう」

 秀吉はくるりと隆広に背を向けて歩き去った。

「お、親父様!」

「なんだ佐吉?」

「い、いえ…」

「用がないのなら呼ぶな、たわけ」

「申し訳ございません…」

 一豊、秀久も去っていった。あんなに自分と親しくしてくれた秀吉とその臣下たち。だが今や権謀術策がうずまく敵も同然なのである。

「佐吉…」

「……」

「行くのか…?」

「……」

 三成は答えられなかった。そして神経が擦り切れるほどの選択を心の中でしている三成に対して隆広は何も言えなかった。

「帰ろう、今のお前の家は北ノ庄。家族も待っているだろう」

「…は」

 

 そして数日後、世に云う清洲会議が催された。会議と云うより、ほぼ勝家からの伝達の場と言って良かった。勝家恩顧の府中三人衆は無論、織田の重臣である丹羽長秀、滝川一益、そして池田恒興も勝家についた。無論、隆広も勝家と意見を同じくしている。清洲会議の議事録は今に残るが、書かれている文はほとんど勝家の言葉である。

「以上である、織田の頭領は本日より信孝様じゃ!」

「待たれよ!」

 秀吉が発した。

「承服いたしかねる。信孝様は事もあろうに大殿の甥御である津田信澄様を殺害し、あまつさえ京の日向(光秀)に一番近い位置にいながら何ら動かず、あげく兵に逃亡されるという体たらく! とても新たな当主として、この筑前認められぬ! 修理亮殿(勝家)が信孝様を推すのは、信孝様元服のおり、加冠の役を務めたからでござろう!」

「バカを申せ、そんなつまらん了見で大事な世継ぎを推薦するものか」

 隆広は以前に“信孝様でなく殿が継いではいかがか”と遠まわしに進言したが、それは勝家に一蹴された。臣下としてそれは出来ないと云うのである。

「では筑前、誰が新たな当主ならば納得するのか」

「その前に!」

「その前に何じゃ?」

「この筑前、修理亮殿にお聞きしたい事がござる!」

「ワシに?」

「北陸からの大返し、誰がどう見ても早すぎもうす! まるで中央に狂乱ある事を存じていたとも思える!」

「何が言いたい?」

「修理亮殿は日向が謀反! 存じておったに相違ない!」

「なんじゃと?」

「修理亮殿はおそらく日向と共に大殿を討つ算段をして、日向が事を成した後に天下が欲しくなり、まだ謀反人の状態である日向を討ち、まんまと天下餅をかっさらったのじゃろう! そうとしかあの大返しは説明つかん!」

「筑前キサマ! ワシが大殿を討つ絵図を描いたとほざくか!」

「そうでござる! 五郎佐殿、恒興殿、一益殿、権六(勝家)にだまされまいぞ!」

 丹羽長秀、池田恒興、滝川一益も顔を見合わせた。確かにあの電撃的な大返しは前もっての備えがなくばおぼつかないと考えるのも無理はない。

「しばらく」

「おぬしは引っ込んでおれ美濃!」

 怒鳴る秀吉。

「いいえ、修理亮が家臣として黙っておられませぬ。筑前殿、明智日向守殿の謀反、柴田は存じていたわけではござらぬが、危惧してはいました」

「なにぃ?」

「安土大評定ののち明智家で催された茶会にて、日向殿がそれがしを始め、重臣の秀満殿と利三殿が話しかけても気付かず黙り込んだままで、何かを深く考え込んでおりましたのを、この目で見てございます。これは重大事を考えているとそれがし読み取った次第で、その後に思案いたしました。日向殿が重臣が話しかけても気付かないほど考え込む事案は何かと。家中のこと、ご家族のこと、戦、政治、と頭の中で列挙していきましたが、最後に残ったのは叛意にございました」

「……」

「日向殿が亡き大殿より受けし数々の理不尽を思えば、叛意を抱いても無理らしからぬこと。それに大殿は筑前殿の援軍に赴くため西に向かいましたが、軍勢を連れて出たわけではなく、身の回りの世話を焼く小姓たちや番兵だけ連れて、ゆっくりと京に入り、しかも宿泊する場所は城でも何でもない本能寺。その本能寺を織田の京本陣にすべく改修したのは他ならぬ日向殿。この機会を逃すだろうかと、それがしは主人修理亮に相談した次第にございます。

 そして主人はそれを入れ、府中勢を先に北ノ庄に帰したのです。それがしも万一に備え退却を円滑に進めるべく家臣に北陸街道一定間隔に兵糧と水を用意させました。別に裏も何もありはしません。柴田は明智が怪しいと思ったから備えただけ。そしてそれが功を奏しただけにございます」

「美濃、もうよい」

「はっ…」

「筑前、美濃の申したとおりだ。しょせん間に合わず播磨で愚図ついていたキサマの負け犬の遠吠え。痛くも痒くもないわ。今の戯言は忘れてやるゆえ感謝するのだな。はっははは!」

「……」

(ふん、智慧美濃なくば今のワシの言に反論もできなかったのによく言うわ猪が!)

「で、筑前。誰ならば新君主と認めるのじゃ」

「三法師君にござる」

「異な事を…! 三法師君は御歳三歳じゃぞ!」

 三法師は中将信忠の長男である。

「織田家は代々嫡流が継ぐものにござる! 大殿は信忠様以外の子に織田姓を名乗らせなかった。ゆえに信忠様亡き後は中将信忠様の忘れ形見を家臣一同で盛り立て…」

 

「だまりゃ!」

「お、お市様…」

 秀吉は無論、丹羽長秀、滝川一益、池田恒興、そして隆広も平伏した。お市は大殿である織田信長の妹なのであるから当然である。そして怒気を含み、秀吉を見据えるお市。

 お市は秀吉を憎悪している。彼女と浅井長政との間に生まれた男子の万福丸を殺したのは秀吉当人なのであるから。温和な笑みを浮かべるお市の顔しか知らない隆広は額に青筋立てて激怒しているお市に圧倒された。

「お市、別室で控えおれと…」

「いいえ殿! この猿めの企みを思うと市は黙っておられません!」

「た、企みとは心外にござい…」

「だまれ! その方三法師を主と立て、己の傀儡とするつもりであろう! 会議の前に三法師に玩具を与えて手なづけておったろうが!」

「玩具を献上したのは三法師君を主と思えばで…」

「見苦しい言い訳はするな! 我が子万福丸を殺したその方、市は断じて許しておらぬ!」

 確かに当時木下藤吉郎と名乗っていた秀吉が万福丸を殺したのは事実だった。小谷落城後に万福丸を殺せと信長に厳命されていた秀吉は心ならずも、その幼い命を奪ったのである。

 秀吉は万福丸助命も条件にお市と茶々、初、江与の三姉妹を小谷城から連れ出した。しかし信長の命令には逆らえなかった。自分をだまして、我が子を殺されたお市の怒りは並大抵のものではない。夫の勝家が秀吉を嫌う尺度さえ越える憎悪だった。

 一方秀吉は小者の時代からお市に憧憬の念を抱いていた。だがその憧れたお姫様に憎悪を受ける事になった自分。そして、その恨みが一気に自分へ爆発した。

「それにその方、兄の信長が光秀に討たれたあと、何しておった! 備中で女でも漁っていたか!」

「それは…」

 ほんの、わずかな日数で秀吉は勝家に先を越されてしまった。結局何も働けてはいなかったのである。

「そのサル耳の穴を開いてよう聞け! 怨敵明智光秀を討ったのは、我が夫の柴田勝家!そして…!」

 お市は万感の思いを込めて言った。

 

「勝家と私の愛する息子、水沢隆広じゃ!」

 

「……え?」

 勝家ももう市がこの言葉を言うのを止めなかった。お市の言葉は城主の間にいた者すべてがあぜんとした。隆広もポカンとするだけだった。

「猿、三法師の跡目は認めぬ。夫の押す信孝じゃ。それが不満なら姫路に戻り攻めてくるがいい! その方ごときサル智恵で、夫勝家の武勇と息子隆広の智謀に勝てるものなら、やってみるがいい!」

 言うだけ言うと、お市は城主の間から去っていった。

「そういう事だ、筑前。異存あるまいな…」

「は…」

 勝家の言葉に秀吉は静かにそう答えた。

「では、領地わけを始める。まず信孝様は二条城に入り畿内の政治にチカラを注いでいただきたいと存ずる。すでに京中の宮大工に突貫工事で新たな二条の城の築城を命じておりますれば、じきに入城はかないましょう」

「承知した」

「ちょっと待て勝家!」

「信雄様、何か?」

「何かではない! どうして三男の信孝が後継者になる! 次男はオレ…」

「だまらっしゃい!」

 勝家の鬼の一喝に信雄は黙った。

「先年勝手に伊賀に侵攻し、忍びどもに翻弄されて大敗の失態! 大殿が大激怒され、『親子の縁を切る』とまで言われたのをお忘れか! そんな信雄様にここまで版図を広げた織田一門の命運を委ねられまするか!」

「くっ…!」

「また、明智秀満が退去した後にそれがしが信雄様に安土城に入っていただくのを要望したのは何のためか! 安土城の防備にございまする! それなのに火災を起こす不始末振りは呆れるばかり! 信雄様は冥府の大殿に何とお詫びする所存か!」

「……」

「信孝様は大殿に四国方面の総大将を任された。これを考えても大殿が信孝様の実力を買っていたのは確かでござる。信雄様は今までどおり伊賀と南伊勢を治められよ」

「……」

「さて、秀吉。そなたは今までどおり姫路を中心の播磨を治めよ。北近江にある長浜城は柴田がもらう」

「な…!?」

「急ぎ城主の山内一豊を退去させよ」

「……」

「どうした? 播磨から遠く離れた北近江に城を持っていても仕方あるまい? それとも女好きのそなたゆえ、おね(秀吉の妻)の知らない女でも長浜に住まわせておるのか?」

「かような事は…」

「ならば良かろう」

「一つ条件がござる」

「なんじゃ?」

「長浜はご養子の柴田勝豊殿に与えてくだされ」

「ワシに譲るも勝豊に譲るも同じであろうが、あっはははは!」

 秀吉は悔しさで一杯だった。だが

(ふん、勝豊に譲れと云うワシの深慮が分からぬか。猪めが)

 と内心あざ笑っていた。

 

 丹羽長秀、滝川一益、池田恒興らの所領も発表された。明智討伐に功のあった将は隆広をのぞいて大幅に領地が加増され、信長存命の頃から勝家寄りだった将にも加増が果たされた。光秀の旧領と信長直轄領を絶妙に分配した。これで勝家支持はより上がった。

 この論功行賞の知行分けを記した文書は今日に残るが、無論花押と印判は勝家のものである。しかしその差配は水沢隆広の知恵だろうと言われている。この論功行賞に不備があれば、それに伴い不平を漏らす者を味方に付けようと思っていた秀吉の構想はここで頓挫した。秀吉はこの巧妙な人事が隆広の知恵である事を察していた。

(かような人事、猪の権六にできようはずがない。げにも忌々しきは美濃よ…!)

「なお、ワシは安土城の跡地をいただき、城を築き居城とする。以上解散!」

「「ハハ―ッ」」

 

 各諸将は隆広をチラと見て、複雑な面持ちで出ていったが、隆広はまだ呆然としていた。

「奥方様が…オレの母上…? 殿がオレの父上…?」

「美濃」

「は、はっ!」

「すべて話そう、来るがいい…」

 勝家と隆広はお市の待つ部屋に行った。

「隆広…!」

「お、奥方様…」

「ああ、やっと名乗る事ができた。私があなたの母です。たくましく育ったそなたを見て…母はどんなに嬉しかったか…」

 そう言うとお市は隆広を抱きしめた。

「私の…愛しい息子…」

「…は、母上…?」

「もう一度言ってちょうだい…」

「母上…」

 お市がやっと抱擁から満足すると、勝家は語り出した。

「隆広、ワシとお市は君臣の間ながら好きあっていた。親子ほど歳は離れていたがの」

「はい」

「お市が浅井長政殿に嫁ぐ前、ワシとお市は一夜だけ結ばれたのだ。その時にお市の胎内で生を宿したのがお前だ」

「で、では…さきほど奥方さ…じゃなく母上が言ったとおりに!」

「そうだ。ワシがお前の本当の父だ」

「…殿が…それがしの父上…?」

「ですが、婚姻前に家臣と契り子を宿したと兄が聞けば、殿も私も兄の逆鱗に触れて、そなたもろとも切り捨てられたでしょう。ですから私は兄と殿が戦で家を留守にしたとき、思い切って兄の奥方の帰蝶様に相談しました。そして帰蝶様が亡き父の道三殿と等しく慕っていた斉藤家の名将、水沢隆家殿に預けることを申し出て下さいました。織田家の者に預ければ、いずれ兄の耳に入るのは避けられません。ならばいっそ織田と交戦状態にある斉藤家の水沢隆家殿に預けよう。隆家殿には子がおらず、かつ織田家の者で、その器量と人物を知らない者はおりません。すべてを分かってくれて赤子を預かってくれるはず。そしてきっと強い男子に育ててくれる。そう思った私は産んだそなたを帰蝶様と共に隆家殿に預けに行きました。そして隆家殿は快くすべて承知し引き受けて下されたのです…」

「そんな事が…」

「ワシも知らなかったのだ。その後に浅井殿は大殿に討たれ、ワシはお市を正室に迎えたが実は子がいると云うことをお市は話さなかった。いつか隆家殿が返しに来るまで話すつもりはなかったらしい。お前が初めて北ノ庄に訪れた時に持ってきた書状、それにすべて書かれてあった。驚きを隠すのが大変じゃったわ」

「そうだったのですか…」

「ワシは嬉しかった。愛してやまぬお市との間に息子がいたことを初めて知り、かつお前は頼りになる武将として成長していた。時に父の盲愛のためのエコヒイキが負担になった事もあるだろう。すまなく思う」

「そんな…」

「事が片付いたら、改めて養子に、いや正式に息子として迎える。だがその時が来るまで、お前はあくまで柴田家家老だ。若殿ではない」

「は、はい!」

 そういうと、勝家もまた隆広を抱きしめた。

「たくましく成長したな…! お前はもはやワシなど足元にも及ばぬ大将になった…! 父としてこんなに嬉しいことはないぞ…!」

「ち、父上…」

「もう一度言ってくれ…」

「父上…!」

「息子よ…!」

 お市もまた感涙に咽ぶ。夢にまで見た光景が今目の前にあるのだ。

 

 これよりほどなく、織田信長の葬儀が京都紫野の大徳寺で正式に行われた。喪主は織田信孝で主催は柴田家だった。多くの織田家臣が参列したが、羽柴家と織田信雄は参列しなかった。

 葬儀がされている夜、羽柴秀吉は姫路城評定の間でしばらく目をつむり考え込み、やがて目を開け月を見た。何かを決心した顔であった。

「夫勝家の武勇、息子隆広の智謀に勝てるものならやってみよ、か。お市様、そこまで言われたのなら武門として黙っておられませぬ。勝ってみせましょう。そしてその時こそ、あなたを我がものにしてみせます。ふっはははは!」



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小山田投石部隊

 清洲会議から数日経った。隆広は自分が柴田勝家とお市の息子だと妻のさえにも言わなかった。自分は柴田勝家の家臣。それ以上でもそれ以下でもないとわきまえていたのである。

 しかし、奥村助右衛門、前田慶次、石田三成はそれを伝え聞いていた。驚きのあまり声も出なかったが隆広はそれをクチにしなかったので三人も知らぬふりをしていた。

 それと隆広は家老になっているので、助右衛門ら隆広三傑が『隆広様』ではなく『殿』と隆広への呼び方を変えたように、さえやすずも『お前さま』『隆広様』から『殿』へと呼び方を変えた。最初にさえが甘く『殿』と呼ぶと隆広は身悶えして喜び『もう一度言ってくれ』と要望し、さえが十回繰り返して述べてようやく満足したと云う話が残っている。

 

 さて、水沢隆広が新しい安土城の普請を命じられた。清洲会議の後にすぐ命じられたため、隆広は北ノ庄城にほんの数日しかおられず、『柴田勝家の実子だった』と云う波紋がさほど起きなかった。隆広の妻さえとて知らなかったのだから、当時はホンの一部だけしか知らない事だったのだろう。勝家も無用の他言は禁じたかもしれない。

 ところで水沢家は主君隆広が大掛かりな内政主命を受けると直属の将兵とその家族が全員現地に移動すると云う当時としては珍しい事をしていたが、この時は妻子を当初残して安土へと行った。安土は焼け野原。兵は野営で良いが妻子はそうもいかない。ある程度の建物は作らないと呼べない。

 

 明智討伐の勲功で大幅に禄が加増された隆広。隆広の今までの勲功を考えると普通なら城を与えられていて、大名になっていても不思議ではない。

 しかし隆広は他の武将と異なる仕組みで召抱えられている。軍団長の補佐と云う事で国主の側にいなければならない。城も領地もないかわりに高額な金銭で遇すると云うものだ。隆広はこの時点で現在額にすれば億以上の年俸があったと云われている。だが城や領地と云うのが武士にとって誇りであり、自己の象徴である。たとえ高額の年俸があっても隆広の遇され方をうらやましいと思う者はいなかった。むしろ気の毒にさえ感じていたらしい。どんなに働いても城も領地ももらえないのであるから。

 それゆえ隆広は佐久間盛政、佐々成政、柴田勝豊に忌み嫌われていても他の柴田将士に過剰な妬みを買う事もなかった理由だろう。隆広はこの遇され方を好んだ。自分が城を持ち本城から離れれば柴田家の政治をそれまでのように見られなくなるからである。“権ある者は禄少なく”先輩諸将の妬みを買いかねない領地は必要のないもの。彼はそう思っていた。

 勝家は隆広家老就任と同時に給金を今までの倍にした。信長亡き今、どんな事が起こるか分からない。勝家には息子隆広の軍団にはもっと充実してもらう必要がある。

「美濃(隆広)、ワシからおまえに預けたい者がいる」

「誰にございましょう」

「うむ、貫一郎」

「はい」

 それは勝家のすぐ右後ろにいた太刀持ちの小姓だった。

「この男を仕込め」

「貫一郎を?」

「うむ、こいつの母親の小袖(浅井時代からの茶々姫の乳母。史実における後年の大蔵卿)がそなたに倅を仕込んでもらいたいと頼んできおってな。またお前なら貫一郎に中々見所があるトコも分かっていよう」

「はい、若いながら賢き者と見ておりました」

「この貫一郎くれてやる。一緒に安土へ連れて行け」

「はっ!」

 そして隆広は貫一郎を見た。

「殿の肝煎りとはいえ容赦しないぞ。懸命にオレについてこい。オレも色々と忙しい身だから手取り足取り教えられない。盗め、分かったな貫一郎!」

「ハハッ!」

 貫一郎。後の大野治長である。後年に石田三成と共に隆広の政治を支える事になる少年だった。当年十四歳。

(史実では奸臣説多々ある彼ですが、筆者はそれを否とする治長支持者のため、本作では水沢名臣と書く。また史実では幼名弥一郎)

 

 新たな安土築城の普請中に家臣を召し抱え、水沢軍をより強固にせよと厳命し息子を安土へと向かわせた。物資を山と持ち安土へと向かう水沢軍、隆広の馬のくつわは大野貫一郎が取っている。その道中で奥村助右衛門が

「殿、こたびの一連の戦で浪人した優秀な将も多いはず。それらを数名召抱えては?」

 馬上から進言した。

「うん、考えている者はいる」

「して、誰を?」

「将ではなく部隊を召抱えようと思うんだ」

「は?」

「小山田信茂殿の投石部隊を召抱えようと思うが…みなの意見を聞かせて欲しい」

 奥村助右衛門と前田慶次、石田三成は顔を見合わせた。隆広は武将を召抱えるのでなく、精鋭部隊を召抱えると云うのである。

 小山田の投石部隊は精強を誇り、小山田信茂が鍛え上げ、敵勢を震撼させた部隊である。当主の小山田信茂は織田信長に『土壇場で主君勝頼を裏切った卑怯者』として処刑されたが、家臣一党は隆広により逃がされた。その後に徳川家康が召抱えようとしても、隆広の人柄に打たれた小山田遺臣たちは“もし再び人に仕えるのなら、その方は水沢隆広殿おいてない”と家康の召し出しも断ったと云う。その話を隆広は知らない。

 ならば何故、隆広が彼らを召抱えようとしたか。それは投石部隊の凄さを知っているからである。養父の水沢隆家から“現地で調達できる武器で、しかも代価は要らない。しかしながらその破壊力は鉄砲隊をしのぐ”と教えられ、隆家が知る限りの小山田投石部隊の戦術を叩き込まれた。

 かつて少年期の水沢隆広と森蘭丸が対決した木曽川の石投げ合戦。隆広が二十六対四と云う圧倒的な不利にも関わらず乱法師(森蘭丸)率いる多勢を蹴散らせたのは、竜之介(隆広)が仲間に小山田投石部隊の作戦を指示して、道具を与えたからである。たとえ幼き日のお遊び程度の合戦でも、隆広はその投石部隊の精強さをその身で知っているのである。

「そんな遊びの戦ゴッコで何が分かると言われそうだが、戦を知らぬ非力な少年たちが多勢の武士の子弟を小山田の投石部隊の作戦と道具を用いたら倒せたのだ。今、甲斐にいる小山田遺臣たちは、その達者。その部隊を召抱えたいと思うのだ」

「そりゃあいい!」

 と、前田慶次。

「オレも実際にその石投げ合戦は見ているから分かりまする。あれは大した攻撃でございましたからな。その達者が我らの仲間になれば心強い!」

「しかし、いかに勝家様に禄を倍にしてもらったとは云え、殿の収入つまり水沢家の財源、部隊丸ごと召抱えるほどでは…」

「確かにな助右衛門。岩殿城退去時には確か四百名ほどいたが、全部は無理だ。特に実力のあるものを三十人召抱えて、当家の兵に指導してもらうしかない。そして水沢家に投石部隊を作るのだ!」

 

 すぐに藤林忍びの六郎が小山田遺臣の住む集落に訪れた。六郎は元武田勝頼の忍び。彼らとは気心も知れている。遺臣たちの長、元小山田家家老の川口主水は隆広の召し出しに涙を流して嬉しがった。小山田投石部隊は今三百名ほどだった。元々半農半士の武田家なので帰農するには抵抗ないが、やはり城とは違う貧しい暮らしで病になり、また近隣の民から『お館様(武田勝頼)を裏切った連中』と罵られ、耐えかねて村を出て行くものがいた。

 しかし残った者たちは今も投石の技の研鑽に余念がない。もう一度戦場の華となりたい。それだけが願いだった。

「ワシが行く!」

「いいやオレが行く!」

 と小山田遺臣たちは隆広の指定した三十の席を取り合う。織田家の配下大名とは云え、今や飛ぶ鳥落とす勢いの大名ともなった柴田家。その家老から、かつ自分たちの恩人である隆広からの召し出し。我も我もと言い出すのも無理はない。

 川口主水は元小山田家家老であり投石部隊の隊長でもあるので彼はすぐに決まった。残る二十九の席を取り合って一晩中主水の家で議論して結局一人も決まらなかった。

  夜が明けた。

「半刻(一時間)ほど休憩する。みな顔を洗ってまいれ」

「「ハッ…」」

 若者たちは疲れ切った様子で主水の家を出た。だが目だけは“誰にも安土行きは譲らない”と示している。正直彼らにとって給金などどうでも良いのである。再び投石部隊として戦場を駆けたい。それだけなのである。

「あの…」

「もう一晩待て六郎…」

「はあ…」

 六郎に白湯を渡す川口主水。

「いやぁ、小山田遺臣たちに殿がこれだけ慕われているとは知りませんでした。しかし、主人の給金では全員を召抱えるのが無理にござる。主水様、ふるいにかけていただきたいと」

「分かっておる。しかし給金か、ワシらにとっちゃ二の次三の次な事だが召抱える美濃殿の立場からすれば無理もないな。しかし六郎、藤林忍軍は二百と聞く。かような精鋭も召抱えておっては美濃殿のフトコロは火の車であろう」

「いえ、二百人のうち主君美濃から直接給金を得ているのは私を含めて三名だけです」

「なぬ?」

「残りし者は、里からの給金です」

「じゃあ九割以上の忍びが無償で美濃殿に仕えていると?」

「とんでもない。詳しくは申せませんが頭領の表向きの顔は商人でございます。そしてその表の顔で内政に長けた主君美濃と密接な関係がございます。里はそれで利を得て、里の運営にあて、忍びたちの給金を出しています。だから間接的に主君美濃から得ているも同じにございます」

 藤林忍軍頭領銅蔵の表向きの職は美濃国の杣工(木材を育成、伐採する木こり)の元締めであるが、隆広の計らいで柴田家商人司と繋がり交易で利を得ていたのである。まさに藤林は表と裏の顔でも隆広と深い繋がりがあった。

「なるほど…。しかし我らにそんな器用な事もできぬしなあ…」

「いえ、今の状態に至れたのもつい最近の事と聞いております。それまでは本当に無償だったらしいです」

「無償とな?」

「はい、藤林の忍びは主君の養父隆家様より仕えていた忍び。主君美濃が先代隆家にも劣らぬ大器と見た彼らは支持すると一度決めたからには『出世払いで良い』と云う事で、その配下についたと云います」

 

「それよ…!」

「姫?」

 それは小山田信茂の一人娘月姫だった。岩殿城明け渡しの時、悔し涙を浮かべて隆広を睨んだ少女である。しかし彼女はその後に水沢隆広の計らいがなければ全員が討ち死にしていたと云う事を聞かされた。単身で寸鉄も帯びずに敵の只中に使者として訪れ『逃げよ』と織田信長の命令に背いてまで小山田遺臣たちを説得した隆広の事を知り、月姫から憎悪の気持ちは失せた。それどころか泣く自分に『雪で顔が濡れている』と手拭を渡してくれた優しさが胸に去来し、憎悪から転じて思慕へと変わっていたのだった。

「主水、みんな給金の事など一切言わなかった。みんな再び投石部隊として戦場の華となりたいだけなのよ。全員召抱えていただきましょう。我らへの給金は精鋭三十名分で結構。聞けば柴田の土木担当でもある美濃殿。半農半士だった我らにはその技もある。給金以外に荒地でも譲り受け我らで開墾して自らの食い扶持くらいは自分たちで稼ぐ」

「姫様…!」

「我らは大恩あり、かつ武田の技を継承する若き名将水沢隆広に賭けましょう! 与えられるのではなく自分たちで掴み取るくらいの気概がなくて、お役に立てるはずもなし」

 若者たちは主水の屋敷に戻り、主君の姫の言葉を聞いた。

「そうだ! オレたちが美濃殿を勝たせればいいんだ。給金もらうのはそれからでも遅くはない。テメエの食い扶持くらいテメエで稼げばいいんだ!」

「「異議なし!」」

「「姫! 参りましょう!」」

 かくして小山田遺臣たちは月姫と川口主水を先頭に部隊百二十名が安土に向かった。部隊の面々はあと二百名いるが、彼らとて最近まで安土城が焼け野原だったとは知っている。安土に到着しても住む家が無ければ仕方ない。最初に総領娘の月姫と隊長の主水が百二十名と行き、改めて水沢隆広が主君として足る人物か見定めるつもりである。

 そして間違いでなければ忠誠を誓い、安土に小山田家の場所をいただき、後の者を呼ぶつもりである。後から来る二百名が先に行った者たちの家族も連れて安土へ行く事にしたのだった。

 すでに新しい安土城の縄張り作業にかかっていた水沢軍。その元に小山田の投石部隊がやってきた。驚いたのは隆広である。三十人と言っていたのに百人以上いたからである。

「どういう事だ六郎! 三十名と申し渡したではないか!」

 六郎は仔細を説明した。

「…そうか。とにかく会おう」

 川口主水と月姫が隆広と会った。

「久しぶりですな川口殿」

「はい、そしてここにおわすは…」

「小山田信茂が娘、月にございます。お久しゅうございます」

「お元気そうで」

 あの悔し涙を流して自分を睨んでいた少女。泣き顔も美しいと思ったが、温和な笑みを浮かべている今の顔も美しいものだと隆広は思った。

「小山田殿の奥方は?」

「…父の死に絶望し、あの後間もなく」

「そうですか…。すまない事をお訊ねしてしまいました」

「三十名と云う通達を守れなかったのはお詫びいたします。しかし皆、もう一度武士として働きたいのです。禄を出す立場の美濃様のお立場も分かるのですが我らにとって禄は二の次にございます。ですから先に申して下さいました精鋭三十名分の給金で一族を召抱えていただきたいのです」

「部隊は三百二十名でございましたね」

「その通りにございます」

「家族を入れれば千は越えましょう。とうてい精鋭三十名分の額では無理に…」

「まだ手付かずの荒地がございましたら、それを賜りたいと存じます。土木の技も我らございますのでそこに美田を興して食い扶持は稼ぎます。今までもそうしてきたのですから」

「そういうわけには…」

「いえ、私たちが再び人に仕えるのであれば、主君は美濃殿おいてないと決めていました。私たちは美濃殿に賭けました。座して美濃殿から与えられるのではなく、自分たちで掴み取ると」

「月姫殿…」

「ですが、一つだけ月に教えて下さい」

「何でしょう」

「父の信茂をどう思いますか」

 武田氏の領地であった甲斐(山梨)と信濃(長野)の人々に、“信玄公と勝頼公を裏切った”と穴山信君と共に軽蔑されている小山田信茂。彼らが落ちた集落にも風当たりは厳しかった。

「裏切り者、そう歴史に汚名が残りましょう」

「世間の評判ではなく、美濃様個人のお考えです」

「ご存知と思いますが、それがしは木曽義昌殿を“裏切り者”と罵り、穴山信君殿は今でも軽蔑しております。それがし個人が勝頼様に恩義があるからにございます。そんなそれがしが小山田殿に対して思った事はやはり“裏切り者”にございました」

「……」

「…しかし頭を冷やし考えてみれば小山田殿にも言い分はございます。一度は勝頼様に自分の城に入る事を薦めたものの…家族と家臣、領民の事を考えると新府からの道中で苦悩したと思います。岩殿の領主としてはやむをえなかったとも受け取れます。あのまま勝頼様が岩殿城に入っていれば、織田五万の軍勢に攻め込まれていたのですから。それがしとて攻めるしかなかったでしょう。ゆえに裏切り者の汚名を残す覚悟で寸前に勝頼様の入城を拒み追い返した。

 むしろ小山田殿は滅び行く武田に真田と共に最後までつき従った人物と云えるのかもしれない。だが悲しいかな、勝頼様の入城寸前で主君への義ではなく家族と家臣を取った。その行いが甲斐と信濃の人々に『悪辣な罠で、大変な裏切り』と見られたのでしょう。それ以前に武田家を裏切った武将はたくさんいるのに、袂を分けし時期が悪すぎた。ゆえに大殿は小山田殿を裏切り者として処刑してしまいました」

「では…美濃様は父を裏切り者と見てはいないと?」

「正直、その事実を知った時は裏切り者と思いました。しかし、事情は当人でしか分からないもの。小山田殿のやむにやまれぬ、家族、家臣、領民を守るための行為。それがしはそう思います。結果、小山田殿は領地の郡内を守っているのでございますから。この乱世、『義』は無論のこと大事にございますが、それ以上に『家』は大事にございます。裏切りではなく“選択”であったと。その選択が正しかったのか誤っていたのかは、おそらく小山田殿当人にも分からない事。しかしながら家族と家臣は生き残っております。小山田殿の選択を正しきものにするか誤っていたものにするのか、それはこれからの貴殿たちにかかっております」

「美濃様…!」

「よう参られた小山田遺臣たちよ。水沢家胸襟を開いて迎えましょう。それがしを主君に選んでくれた事に応えるために『正しかった』への助力、美濃惜しみませぬ」

「はい! 小山田遺臣。粉骨砕身に美濃様、いえ殿へ忠義を誓いまする」

 月姫と川口主水は隆広に平伏し忠義を誓った。『百発百中』『稲光のごとき石飛礫』『一石剛槍』と甲信近隣の武将たちを震え上がらせた小山田投石部隊はこうして水沢隆広に仕える事となった。

 

 晴れて召抱えられた小山田遺臣、集落から持ってきた父の位牌を与えられた陣屋の神棚に置く月姫。

「父上、家康の召し出しに応じなくて本当に良かった。殿様は父上の心中、理解して下されていました。いかに優れた方としても父上を悪く思う人に仕えられません。やはり我らが賭けた御方です。我らは良き英主に巡り合えました。このうえは懸命に働く所存、冥府より見守っていて下さい」

 小山田遺臣たちもさっそくその日から城普請と開墾作業に入った。隆広は小山田遺臣たちに安土山の琵琶湖側にある雑草だらけの湖畔を委ねた。

 主君を得た彼らは嬉々として働き、後の話となるが、見事美田に作り変えている。勝家も大変喜び、その美田をそのまま小山田遺臣たちに与えた。今も稲穂を実らせる美田は月姫たんぼと呼ばれ、彼らが投石と云う戦場の技だけではなく、高い新田開発能力も持っていたと云う証しでもある。

 

 城より先に各々の住居を建築し、ようやく越前から妻子を呼び寄せる運びとなった水沢軍。護衛に前田慶次率いる五百が北ノ庄に水沢軍の妻子を迎えに行き、琵琶湖から吉村直賢の用意した大型船で移動した。さえとすずとの再会に喜ぶ隆広。そして水沢軍妻子が来てほどなく

「オギャア、オギャア」

 側室すずが隆広の第二子を生んだのだ。男の子だった。安土に居を移して二週間後にすずは産気づき、見事いくさをやり遂げた。

 知らせを聞いた隆広は普請現場から大急ぎですずのいる家へと走り、そして待望の次男を見た。

「よくやったぞすず!」

「はい…」

 横たわり、疲れきってはいたが顔は満足感に満ちていたすず。安土へは藤林山からすずの父母も駆けつけており、待望の孫の誕生に飛び上がって喜んだ。

「ホントに大手柄じゃ! ようやったすず!」

「父上…」

「立派な藤林当主としなければなりませんなあ義父殿」

「ホンにホンに! ホンに女房と娘そろって殿に乳を吸わせたかいがありました」

「ヤですよ、お前さんそんな事を言って!」

 赤子の隆広に乳を吸わせた事のある銅蔵の妻お清が笑った。閨で隆広に乳を吸われた事もあろうすずも顔を赤くした。母娘で隆広に乳を吸われた事となるのだ。

 鉄面皮の銅蔵が孫の誕生で破顔している。柴舟でさえ見た事ない威厳の欠片もない顔だった。この赤子は鈴之介と名づけられ、後に柴舟が守役となり次代藤林家当主となり、兄である隆広嫡子竜之介を支える弟となる。

 孫の誕生に喜ぶ銅蔵とお清は孫を抱いて感涙していた。その様子を微笑み見るすずに隆広は小さく声をかけた。

「お疲れ様、大手柄だ。今はゆっくり休むがいい」

「はい…」

「はやく産後の状態から回復してくれ。早くすずを抱きたい」

「知りません、もう!」

 顔を真っ赤にして蒲団に潜り込んだすずだった。



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明智の姫と退き佐久間

 焼けた安土城であったが、城の土台である石垣、周囲を囲む城壁は焦げ付いてはいるもののほとんど無傷であった。

 当時の安土城は城の外周南西部から真東にかけて琵琶湖に面しており、真北には港を置いてあった。真東から南西部には二重の城壁を築き、その外には堀を敷いてある。水は今でも満々にひたしてあった。要は城壁内の将兵の住居と城そのものが焼け落ちたのみで、石垣、城壁、堀は信長の築城当時のままであった。焼けたとはいえ城の基礎はしっかりと残っている。隆広はそれを元に美濃流、甲州流、そして近代築城の織田流の技術も組み入れて強固な城作りに励んでいた。

 安土城の築城費は勝家と吉村直賢から多額に支給されたので隆広は木材や石材も存分に調達し、そして現地の民を積極的に雇い、かつ越前と加賀からの出稼ぎも多いに奨励した。

 隆広はまず城壁から内側に将兵や人足の家を作った。家が出来ると城壁と石垣、堀縁の補修、その後に城作りに入ったのである。兵と現地領民、越前加賀からの出稼ぎ、一日およそ五千人以上の男たちが水沢隆広指揮の元、新たな安土城の築城に励んだ。休息、食事も十分に取らせ、手当ても厚い。嬉々として男たちは働き、女たちも給仕に励んだ。

「はい、御代わりです。たんと食べてくださいませ」

 さえやすずも現場に出て人足たちに飯と味噌汁を給仕した。

「へい、いやあ奥方様のナメコの味噌汁は絶品にございますな!」

「ホントに? じゃあもっと入れて上げます」

「いやあ悪いですなあ」

「皆さーん、琵琶湖の幸も焼きあがっています。どんどん食べてください!」

 すずが炭火で大量の魚を一気に焼いている。

「こりゃあ美味そうだ、奥方様、こりゃなんて魚です?」

「サバです」

 人足たちは笑顔のまま顔を引きつらせた。魚は明らかにサバではなく、また琵琶湖にサバがいるわけないのに笑顔一杯に、かつ自信たっぷりにすずが言うので突っ込むに突っ込めなかったが、空気を読めなかった一人の職人が

「あっははは、奥方様、琵琶湖にサバが…いたっ!」

 まわりにいた人足たちが一斉にその男の足を踏んだ。いらんこと言うなと。そして人足たちはすずに調子を合わせ

「いやあサバでございますか! あはははは! ご馳走になります!」

 

「こりゃ美味いですな」

 隆広も食事をしていたが、月姫が小山田家秘伝の大根の漬物を持ってきた。

「はい、母から習いました秘伝です」

「飯が進みます。今度それがしの家内にも教えて…」

「殿―ッ!」

「ん?」

 門番を務める兵が隆広のいる普請現場まで走ってきた。

「どうした?」

「はい、息も絶え絶えの男が殿に会いたいと」

 隆広は家臣たちに『自分を訪ねて来る者はどんな身形の者でも丁重に持て成すように』と伝えている。たいていの門番なら息も絶え絶えのような者は即座に追い出すが水沢家は別である。

「そしてこの木簡を」

 男の身分を証明する木簡を出した。それを見る隆広。

「…殿、知り人で?」

 訊ねる門番。

「丁重にお連れせよ」

「はっ」

 隆広は急ぎ昼食を済ませ、最後にまた大根の漬物を二切れ食べた。

「美味しゅうございました」

「お粗末さまです」

 月姫は去っていった。隆広は食事をしていた陣屋から出た。しばらくすると男が門番に支えられてやってきた。疲れきっていた様子だった。

「貫一郎、この方に塩と砂糖を入れた白湯とぬるめの粥をお出しせよ」

「はっ」

 男は白湯を入れた椀を渡されると一口ずつ口に含みながら飲み、粥もゆっくりゆっくりと食べた。

「い、生き返り申した…かたじけない…」

「お久しぶりにございます。佐久間信盛様」

「なっ…」

 なんと隆広の前に現れたのは、かつて織田信長に織田家を追放された佐久間信盛だった。隆広の後ろにいた大野貫一郎は彼が…?と驚きの声をあげた。目の前にいる男は白髪を乱し、疲れきった哀れな男でしかない。

(佐久間信盛は史実において本能寺の変の前に死去しており、彼の嫡子である甚九郎が織田家に帰参が許されている。しかし本作では現時点でも存命とする)

 

 佐久間信盛は追放後に一時甥の盛政のツテを頼り、柴田家の仕官を望むがかなわず、わびしく去っていった事がある。その際、隆広も盛政と同じ席ではないものの信盛の仕官を勝家に取り成した事があった。

『養父隆家の受け売りでございますが、三方ヶ原における佐久間勢の退却は誤りではないと思います。一人も死者を出していないことを大殿は折檻状で責めているとのことですが、信玄公相手の退却戦で一兵も死者を出していない、その退却の妙こそ評価されるべきかと思います』

 佐久間信盛は後世の評価は低いが、隆広の養父の水沢隆家は何度か信盛率いる軍勢とも戦っていて信盛の才幹を分かっていた。信盛は一度も隆家に勝ってはいないが、『退き佐久間』と呼ばれる犠牲少なく巧妙に撤退する信盛の用兵を水沢隆家は高く評価していた。

「『進むより退く方が難しい、右衛門尉殿の退き方は手本とすべきだ』と養父隆家に教わりました。勇猛の柴田に右衛門尉殿の用兵加われば鬼に金棒かと」

 しかし勝家は隆広の意見をもっともと思いつつも黙殺した。信盛を召抱えて信長の不興を買いたくなかったのである。

 だがその席にいた信盛は隆広の言葉が嬉しかった。涙が出るほどに嬉しかった。息子甚九郎より若い隆広の言葉が、若き日に何度挑んでも勝てなかった水沢隆家の言葉に聞こえた。斉藤の戦神と呼ばれた男が自分をそれほど評価してくれていた事に胸が震えた。その教えを信じ『誤りではない』と言った隆広の気持ちが嬉しかった。しかし隆広の取りなしは通じず信盛は北ノ庄から去っていった。

「あれから三年近く経ちます。ご無事で良かった…」

「あの後、名前を変えて津田信澄様にお仕えしました」

「信澄様に?」

「はっ、しかし上手くいかぬもの。ようやく親子共々働き場所を得たと思えば五郎佐と信孝めに城を取られ…! う、ううう…」

「……」

「乞食も同然のところを信澄様に拾っていただきました。信長と勘十郎信勝様(信澄の父)が争った時、信長についたそれがしなのに…。その恩義を返すべく信澄様の居城の大溝城を守っていましたがそれも虚しく…」

「さようでございましたか…。今宵はごゆるりと休まれるが良いでしょう。城はなく陣屋だけの仮城でございますが、風呂もござりますゆえ。それがしはまだ普請の指揮がござればここはこれにて、今宵ゆるりと話を…」

「お、お待ちを!」

「え?」

「手前、我が身の庇護を頼みに来たのではございませぬ。主君の奥方と残りし明智の遺臣の庇護をお頼みするため参りました」

「明智…。英殿が生きておられるのでございますか!?」

 英とは明智光秀の四女で、津田信澄の正室で、玉の妹でもある。明智遺臣とは英の津田家輿入れの時に明智家から同行してきた者たちを指す。

「はっ、何とか…」

「津田の生き残りはどうされました?」

「光秀が謀反を怒り、落ち延び先への同行も拒否…。若殿とも引き離され申した。しかし、それがしは倅と共に主君信澄がもっとも大切にしていたお方様の一行と行動を共にいたしました…。親の罪は子には関係ないと言うに…光秀が罪をお方様と遺臣に責める津田の家臣たちがどうしても許せず…」

「今…英殿はどこにおられるのですか」

「もう近くまで…」

「…驚きましたな、それがしが庇護を断ったらどうする気だったのでございますか」

「お方様は…美濃殿なら必ず助けてくれると…」

 そして信盛は英の書を隆広に渡した。そこには父の光秀を落ち武者狩りから救い、武人として介錯をしてくれた事と母の熙子を何度も助けようとしてくれた事に礼を述べる言葉と、そして自分たち一行を庇護してくれるよう哀願する内容だった。

 明智家からは津田家に英が嫁ぐ時に百二十人以上の家臣と侍女が英に随行している。その生き残り七十名を庇護して下さいと英は述べていた。大半が女と子供である。隆広が庇護を断れば生き残る術なし。全員自決して果てる決意だった。信盛の様子から英一行がどれだけ疲弊しきっているか察するのは容易だった。隆広としては放ってはおけない。

「相分かり申した、庇護いたし厚遇を約束いたすと伝え、連れて参られよ」

「は、ははーッ!」

 信盛は嬉々として去って行こうとする。

「待たれよ。もはや歩く事も容易でない一行と察しまする。貫一郎」

「はっ!」

「矩久に信盛殿と同行させ、丁重に英殿一行をお連れするよう伝えよ」

「承知しました!」

 しばらくすると、英一行が息も絶え絶えにやってきた。彼らは本能寺の変の後に丹羽長秀と織田信孝に居城の大溝城を攻められ、命からがら脱出したが、それからはみじめだった。

 津田の生き残りには光秀の謀反を責められ同行を断られ、英は息子とも引き離された。津田家も追い出された英一行はあてもなく廃寺に住み着き、田畑より作物を盗み、時には物乞いもした。もう明智遺臣が行けるところはなかった。

 英の姉たちの嫁ぎ先である細川家と筒井家も庇護を拒否するのは明白。光秀の子の光慶も亀山城で自害した。全員で自決しようと英が考えた時、水沢隆広が安土築城のため、安土城跡地に入った事を知った。英は父の光秀から隆広の慈悲深い人となりを聞いた事があり、かつ明智家に対する武人の情けも伝え聞いていた。頼るべきは水沢隆広しかないと思い、一行を連れて安土へと向かった。彼らの落ちた廃寺から安土城がそんなに離れた場所でなかったのは幸いだったろう。また隆広が越前にいたままだったら庇護は望めず死を選ぶしかなかった。隆広は普請現場に通された英一行に会った。

「美濃守様…にございますか」

「いかにも美濃にございます」

 一行はやっとの思いで平伏した。総七十名ほどで全員やせ細っていた。

「よう参られた。後は任せられよ。英殿たち一行の身の安全と生活は美濃が保証いたします」

(ああ…)

 英はその言葉を聞くと同時に全身のチカラが抜けて気を失いその場に倒れた。

「お方様!」

 隆広が地に這う英を抱き上げた。

「何とも軽い…。つらい目に遭われたのですな…」

 

 それから英一行は水沢軍の手厚い看護で回復した。しかし佐久間信盛は

「父上…!」

「甚九郎…。美濃殿に忠誠を誓え。美濃殿は名将の中の名将となりうる方ぞ。粉骨砕身仕えよ。美濃殿のために命を惜しんではならぬ。良いな…」

(隆家殿…。貴殿の子息のお役に立ちたかったが叶わずお許し下され…)

 戦場で一度だけ水沢隆家と佐久間信盛が言葉を交わした事がある。隆家の攻撃を上手く退けて足並み乱す事なく整然と退く佐久間隊。その殿軍にいた信盛に対して

『憎き働きをしよる! その退きよう、敵ながら見事じゃ!』

 と隆家が言った。まだ若かった信盛は敵将の思わぬ称賛に驚いた。

『その“退き”の妙、さらに磨きをかけよ! さすればおぬしは稀代の名将となろう。佐久間信盛と云う名、隆家忘れぬぞ!』

 敵将から受ける称賛ほど嬉しいものは無い。ましてや発した人物は戦神と呼ばれる水沢隆家である。若き信盛は感激した。

『そのお言葉! 右衛門尉一生の誇りにいたしまする!』

 水沢隆家はその言葉に微笑み、兵を退いたのだった。“水沢隆家に褒められた。認められた”それは彼の一生の誇りであった。松永攻めの時、養子隆広を初めて見た時、その軍略にさすがはあの方の養子と思ったものだった。

 織田家を追放されてからと大溝城落城からの放浪生活はやはり彼の体を蝕んでいた。英と息子甚九郎の回復を見て緊張が解けたか、息子と英に看取られ佐久間信盛は静かに息を引き取った。

 織田家の重臣たちを評した唄に『木綿藤吉、米五郎佐、かかれ柴田に退き佐久間』そう称えられるほどに佐久間信盛は退却戦を得意とした。これは信盛が隆家の言葉に感激し、“退き”の妙を研鑽し続けたゆえかもしれない。信盛は隆家の養子隆広に一度でいいからそれを披露したかったに違いない。しかしそれは叶わなかった。

 知らせを聞いて急ぎ信盛の陣屋に訪れた隆広。だがすでに遅し、信盛の顔には白布が乗っていた。

「なんて事だ…! これからと云う時に身罷れるとは…!」

 隆広は信盛の顔に乗る白布を取る隆広。信盛は笑って死んでいた。

「北ノ庄で召抱えられてさえいれば…かように早く天に召される事もなかったろうに…。“退き”の妙、伝授していただきたかった…」

 甚九郎は隆広が泣くのを見た。父の死に泣いてくれている…。佐久間甚九郎はこの時、父の遺命に従い、この若い主君に命をも投げ打ち仕える覚悟を決めた。

(甚九郎、史実の佐久間信栄である。史実では父信盛の死後に織田家に帰参が許され、織田信忠、豊臣秀吉、徳川秀忠に仕えた。本作では信栄と云う名前ではなく通称の甚九郎と云う名を主に使って登場させます)

「父ほどではございませぬが、この甚九郎も身近でそれを学んでおります。いざと云う時は迷わずそれがしを殿軍に使って下さいませ。当家のお家芸を披露いたしますゆえに」

「甚九郎殿…」

「父の分まで粉骨砕身、殿にお仕えいたします」

 

 さて明智遺臣もすっかり回復し、隆広の行っている安土の城普請を積極的に手伝い始めた。英も現場で給仕などをしている。英は隆広より二歳年下で美しい。

 英は自分を慕い付いてきた明智遺臣を召抱える事を約束してくれた隆広に

「私が差し上げられるものはこの身しかございません。お好きになさって下さいませ」

 と伽を務める事を申し出てきた。しかし隆広は

「かような理由で英殿を抱いたら、それがし冥府の光秀様と熙子様に合わす顔がございません」

 と断った。加えて

「召抱えると云っても高禄でもない。それでこき使っているそれがし、礼を述べなきゃならないのはこちらでございますよ」

 と、女の命と云うべき体を差し出そうとしている英を気遣った。実際、英に連れてこられた明智遺臣は禄などどうでも良かった。働き場所にメシと寝る場所、家族といられる場所があれば満足だった。

 しかし、主君としては無禄というわけにはいかない。勝家から倍増された禄も小山田遺臣たちを召抱えて終わりである。しかもそれさえ不足している。それに加えて明智遺臣たち。どうしたものかと悩む隆広を見て奥村助右衛門が商人司の吉村直賢に知らせて『殿がすべて自分の禄で召抱えられる日まで商人司で給金を工面してくれないか』と要望した。

 直賢は快諾。直賢は柴田家商人司だが隆広の直臣でもある。主人のただの小遣いならビタ一文出す気はないが、水沢家の充実のためなら金を惜しむ気はない。不足なら出すのが自分の当然の務めと元から思っていて隆広宛に大金を届けたうえ『なぜ真っ先にそれがしに相談しないのですか。小山田、明智遺臣たちの禄はお任せあれ』と書も合わせて送ったのだ。

 直賢のいる敦賀へ手を合わせて感謝する隆広。ふと目の前には琵琶湖。この時に隆広に妙案が浮かんだ。

 

 ある日、隆広は将兵すべて集めた。閥を認めぬ隆広は今まで自分に仕えてくれている将兵、そして小山田遺臣、明智遺臣たちと自軍の融和を図るために画期的な事を行った。安土山のふもと琵琶湖のほとりに全員集まってきた。

「いいか、今からオレと同じ事を琵琶湖に言え」

「「はあ?」」

 隆広は琵琶湖に手を合わせてこう述べた。

「琵琶湖に伝わる龍神様」

「「?…?…?」」

「ほら一緒に!」

「「は、はい!」」

 水沢将兵たちは仕方なく隆広と同じ事をした。手を合わせて隆広の言葉に続く。

「「琵琶湖に伝わる龍神様」」

(助右衛門、琵琶湖に龍神伝説なんてあったか?)

 と、小声の前田慶次。彼も律儀に琵琶湖に手を合わせている。

(そんなもんはない)

(そうだよなァ。大なまずの話ならよく聞くが…)

(まあ見ていろ。何か考えのあっての事だろう)

 同じく律儀に琵琶湖に手を合わせている奥村助右衛門。石田三成や大野貫一郎もまた同じ事をしている。貫一郎は

(何をする気だろう…)

 と、手を合わせながら隆広を見ていた。

 

「我ら慎んで龍神様に誓います」

「「我ら慎んで龍神様に誓います」」

 さえとすず、そして月姫や英も調子を合わせるが意図する事が分からなかった。

「これから我らは家中の融和を図るため討論会を行います」

「「…!? こ、これから我らは家中の融和を図るため討論会を行います」」

「この討論会には男女、新参古参、年齢の上下、士分の上下もございません。無論それがしも同じにございます」

「「この討論会には男女、新参古参、年齢の上下、士分の上下もございません。無論それがしも同じにございます」」

「我らは腹蔵なく意見を述べる事を誓い、そして絶対に腹を立てない事を誓います」

「「我らは腹蔵なく意見を述べる事を誓い、そして絶対に腹を立てない事を誓います」」

「また多勢で個人をつるし上げる事をいたさない事を誓います」

「「また多勢で個人をつるし上げる事をいたさない事を誓います」」

「以上」

「「以上」」

 誓いの言葉を終えると、隆広は将兵に向いた。

「良いか、当家に小山田家の投石部隊、そして明智遺臣が加わった。今まで二千の我らに四百名近い将兵が加わる。オレが閥を許さない人間である事は存じておろうが人間だからどうしても好き嫌いはある。それを解消するために討論会を開く事にした。内容は今龍神様に誓ったとおりだ」

「「は、はあ…」」

「先の誓いを武士の誇りにかけても守る事だけが条件だ。遠慮なく日ごろの腹に溜めている意見を戦わせるのだ。ただしダラダラと行っても仕方ない。一刻(二時間)で終了の太鼓をならす」

 だんだん将兵も隆広の意図が分かってきた。遠慮なく討論しあう事で融和を図り、かつその意見の中で水沢家に役立つ事もあるかもしれない。

 一人二人三人と、討論を開始するとそれは壮大な討論会となっていきだした。新参の小山田、明智の遺臣たちも古参の水沢将兵と意見を戦わせた。水沢将兵には小山田、明智遺臣を少なからず『裏切り者の遺臣たち』と思うところもある。そういう気持ちを吹っ飛ばして、新たに『水沢軍』として生まれ変わるには腹蔵なく意見を戦わせるしかない。まさに画期的な試みだったと言えるだろう。

 当然隆広にも意見する者はいた。耳の痛い事もたくさん聞かされた。しかし隆広はけして腹をたてずその意見を受けた。下っ端の若者の意見を聞く大将などいない。何でも話せと家臣に云うくせに諫言を聞くや遠ざける呆れた君主もいた時世である。最初は遠慮していた将兵も隆広の“誓い”が本物である事を確信し意見を述べた。

 水沢家のためにと意見を隆広に述べた小山田の若者もいるが、大した内容ではない。それでも隆広はウンウンと耳をかたむけ真剣に聞いた。奥村助右衛門、前田慶次、石田三成幹部も兵たちに意見を言われた。だが彼らも隆広の誓いを尊重し腹は立てずに真剣に聞いた。

「ああもう、殿にここぞとばかり言いたい事あるのに~!」

 さえは隆広の近くでやきもきするが、夫は兵たちに取られてしまっている。

「何を言いたいのですか、さえ様」

 いつも言いたい事言っているじゃないかと思っていたすず。

「そりゃもう、“もっとさえといる時間を増やして欲しい”です」

「奇遇ですね。私も同じ事言おうとしていました…」

 

「いいですか姫様、我らの仕官も成った事ですし、そろそろ然るべき婿殿を迎えてお世継ぎを」

 そらきた! と月姫は思った。いつもこの言葉を聞かされると逃げていた月姫であるが今回はそうもいかない。家老の川口主水の言葉に根気強く付き合うしかない。

 その言葉に付き合いながら、月姫は小山田遺臣たちが徐々に水沢将兵と解けこんでいる事が分かった。投石の仕方を偉そうに講釈する小山田の年寄り。それに目を輝かせて聞き入る水沢の若者。遠くにいる水沢隆広を見て月姫は

「すごい…。我らや明智殿の遺臣たち新参をアッと云う間に解けこませてしまった…」

「姫! 聞いているのでござるか!」

「主水…」

「は?」

「殿の側室になれないかしら…」

「は…?」

「あの方の子を生み、小山田の次期当主にする事ができれば…」

「い、いやあの、殿のご主君である勝家様が側室を持たれていないのに、家老の殿が側室二人と云うのは色々まずかろうと…」

「ならば子種をいただくだけでも…」

「とんでもない! 姫は小山田家の総領娘にござるぞ! いかに殿とはいえ姫を一夜の慰み者にされてはたまりませぬ!」

「そうよねやっぱり…」

「そうにござる!」

 

 英も見た。明智遺臣が『水沢軍』へと変わっていく事を。無論、英に付き従っていた明智遺臣は明智全軍の一割にも満たないが、もしかすると父の光秀に仕えていた遺臣たちすべてにこれができるのではないかとも感じた英。父の光秀が『隆広殿は次代の織田を背負って立つ男となろう』と言っていたのが事実である事を悟った英。

「父上の申すとおりの方だった…。今は無理でも明智の…父上の家臣たちをあの『歩』の旗の元に集めてみせる」

 そして思う。

「玉姉さん…。美濃殿を憎悪しているらしいけれども、それは大変な間違いです。私たち明智の娘は美濃殿に感謝こそすれ怨むのは絶対に違います。私が何とかしなければ…」

 

 ドンドン

 

 終了の太鼓が鳴った。白熱した討論会は終了した。

「みな、良い顔をしているな。ただの思いつきでやったのが実際のところなんだが、上手くいったようだ」

「「ハハッ!」」

「またオレへの意見も参考になる事が多々あった。つまりオレは味をしめた」

「「…?」」

「今後水沢家では、月に一度、この討論会は実施する。良いか!」

「「ハハッ!」」

 この討論会は隆広が没した後も続けられていったと云う。そして隆広がデッチあげた龍神伝説は後世に本物の伝説であると信じられてしまい、現在の琵琶湖に龍神を祭った大社があるのだから世の中単なる思い付きがどうなっていくか分からないものである。

 また隆広はこの討論会だけではなく、城の骨組みが完成したのを祝して祭りを開いた。同じく琵琶湖のほとりにかがり火を何箇所も焚き、中央に祭壇を築き、前田慶次が越中一丁のいなせな姿で大太鼓を叩く。締太鼓と笛が調子を取りそれは見事な祭囃子であった。人々はその祭壇を囲んで踊り、子供たちには無料で菓子が与えられ、美酒も振舞われた。これは地元領民との親睦をふかめ、かつ小山田、明智の女子供と水沢の女子供の融和を図る狙いがあった。隆広は奥村助右衛門にこんな事を言っている。

「頼りになる家臣を召抱えるのは大切かもしれないが、大将たるものは召抱えた後に家中にどんな事が生じるかも考えなくてはならない。家全体を見て人材は登用しなければならない」

 隆広も最初に考えていた三十名だけの登用ならば、討論会も祭りも行わなかったろう。しかし兵やその家族を含めれば、新たに水沢家に千名以上の者が加入するのである。大将の隆広としては最初に融和を図るのが当然といえよう。

 

 討論会と祭りがよいきっかけとなった。新旧に軋轢はほとんど生じず、チカラを合わせて城作りに励んだ。思えば新たに水沢家に加わった小山田信茂と明智光秀の遺臣たち。すべて戦国時代で裏切り者と呼ばれている者の一族である。たいていの将ならば裏切りをうった一族など召抱えない。父親や主君の汚名はそのまま子孫や家臣に継承されていくものなのである。

 しかしそんなもの眼中にない隆広は召し抱え厚遇し、そしてそれを自分に強固な忠誠心を持つ精鋭に変えてしまう。戦国時代、最大の人たらしは羽柴秀吉ではなく水沢隆広なのかもしれない。隆広ほど人材再生の達者はいなかった。

 

 隆広は勝家宛に書状を送り、工事の進み具合を報告し、そして明智遺臣を召抱えた事は一応伏せたものの、小山田信茂の投石部隊を召抱えたと書に添えた。勝家はこれを読み大いに喜んだと云う。

 そして新たに召抱えた面々が主家滅亡の日から再び戦国の檜舞台に立つのは、これよりそう遠くはなかったのである。



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三成の決断

 ここは丹波宮津城。細川家の居城である。細川家は清洲会議で現状維持を申し渡された。これまで通り丹後の宮津城にあり、次代信孝の直参大名となる事を下命された。細川幽斎はそれを受け入れた後に隠居し、以後は息子の忠興が織田信孝を主君として与えられた地を統治していた。その宮津城の城主の間で細川幽斎は考え事をしていた。

「……」

「父上、お呼びにございますか」

「ふむ…忠興」

「はい」

 幽斎嫡子、細川忠興は父の前に座った。

「玉を斬れ」

「ええッ!」

「玉がいるだけで、細川は日向殿(光秀)の謀反に加担していたと思われるわ。信孝様は疑り深い方よ、何の証拠も無いのに津田信澄を殺した事がそれを証明している。玉がいる限り細川は信孝様の元で栄える事はない」

「…なら、独立いたしましょう! 信孝ごときにどうして名門の細川が組せねばならぬのでございますか! 我らは織田信長公だから織田に付き明智殿の寄騎大名となったのです。信孝ごとき何のチカラがございますか。丹後から東進して若狭丹波と取ってくれましょう!」

「バカげた事を言うな! 確かに信長様と比べようもない主君だが織田家は織田家じゃ! それに信孝様とて柴田殿や他の重臣の補佐があらば大過なく織田の版図を治めるほどの器量は持っておる。何より柴田が信孝様を立てる以上、妙なマネもできぬ。東進してすぐに木っ端微塵よ!」

「父上は修理亮(勝家)を武だけの猪と言っておられたではないですか。どうしてそんなに恐れるのですか」

 “そんな事も分からんか”と言わんばかりに、はあ、と幽斎は落胆の溜息を出した。

「その武が、細川のなまじの小細工など粉砕する。詰め将棋のごとき智謀知略を尽くしても修理亮はその将棋盤ごとひっくり返すわ。それに…」

「それに?」

「その無双に武勇に、唐土の諸葛孔明に比肩する男がついているわ。手には負えん。細川はこの宮津の城で良き政治をしておれば良い。だが玉がいてはそれすらかなわん! すぐに斬れ!」

「戦う事を忘れた武家は死に体にございます! 恐れながら細川の当主はこの忠興にございます! 玉を殺して信孝ずれに媚を売るくらいなら独立して四面からの敵を向かいうちまする! ごめん!」

「忠興!」

 息子の歩き去る音が虚しく響く。

「バカ者が…。同じ愛妻家でも美濃と器が比べ物にならんわ!」

 

 一方の玉、彼女の元には妹の英からの書が届いていた。内容は自分と津田家輿入れの時についてきた明智家の生き残り七十名は現在安土の普請場で丁重な庇護を受けていると云う事。そして姉が抱く水沢隆広への憎悪への諌めであった。

『姉上様、美濃殿が小栗栖に待ち伏せて父を討ったと云うのは誤った知らせにございます。津田家の大溝城は宮津より京に近いため、真実が伝わっていますのでそれをお伝えします。小栗栖に差し掛かった父上一行を襲ったのは落ち武者狩り。美濃殿はそれから父上たちを助けて、そして切腹された父上を美濃殿ご自身が介錯されたのです。美濃殿は亡骸を坂本の城に届け、それから坂本の城を攻めましたが美濃殿は何度も我らの母熙子を助けるべく城に書を送っているのです。

 そして父上の信任厚かった斉藤利三殿と明智秀満殿は遺児を美濃殿に託されました。利三殿と秀満殿が何で姉上様が思うような方に大切な遺児を託すでしょう。我ら明智の娘が美濃殿を恨むのは間違いにございます。感謝せよ、とまでは申しません。ですがせめて美濃殿への憎悪を解いて下さいませ。お願いにございます』

「……」

 玉はゆっくりと妹の手紙を折りたたんだ。

(英…。私はね、竜之介が大好きだった…。少女のころ恋をしたの竜之介に。一日だけの出会いだったけれども、ずっとずっと大好きで目を閉じれば坊主頭で私を『玉子』と呼ぶ竜之介の笑顔が浮かんでくるわ。今でもね…)

 目を閉じている玉。だがカッと目を開けた。

「だから!」

 英の書を握りつぶした。

「だから竜之介が許せないのよ!」

 英からの書を丸めて畳に投げつける玉。

(どんな理由があろうとも…父上を殺したのは事実でしょ! 母上を死に追いやったのも竜之介でしょ! それなのに英! それでもアナタ日向守の娘なの! 悟りきった事を言うんじゃないわ、ヘドが出る!)

 恋した男が父母を討った。この結果だけは玉にとって変わらない。

「玉、入るぞ」

 部屋の向こうに夫の忠興が来た。

「…何か」

「…日向殿が亡くなり、塞ぎこむのも分かるが部屋に閉じこもっていては侍女たちも心配する」

「……」

「オレを恨んでいるのは分かる。しかしそなたは細川の正室。家中の奥の束ねじゃ。そろそろ閉ざした心を開いてほしい」

「…心得ています。私こそ大名の妻として自覚が足りませんでした」

「玉…」

「はい」

「他人がどう言おうと、そなたはオレの最愛の妻じゃ。たとえそなた自身がオレを嫌おうとも…」

「……」

「すぐにとは言わぬ。また…あの優しい笑みを見せてくれるまでオレは待つ。しかしそれは私の事、公の家中においてはウソでもいいから笑顔を見せてくれ。オレとそなたが不和であらば家中の雰囲気が悪うなる一方だからな…」

「承知しました」

「うん、心労をかけるが…頼む」

 忠興はそう言って去っていった。だが玉の胸の中には父を見殺しにした夫や舅への憎悪の気持ちはくすぶっていた。

 しかし…父の光秀はそんな孤立無援の状態さえ覚悟で蜂起したはず。自分が夫と舅を恨むのは間違っていると頭では分かっている玉。だから優しい夫の言葉が苦しかった。その反動が隆広への憎悪である。玉はフウと溜息をつき

(忠興様の言う通り、私は細川の正室。その私が家中の雰囲気を悪くしてはいけない。織田は君主が代わり細川も大変な時なのだから…)

 丸めて放った妹の書を見る玉。

(だけど英…。私は竜之介だけは許さない!)

 

 さて、新たなチカラも組み入れた水沢家。安土城の普請も進んでいく。しかし石田三成は病気を理由にずっと出仕していなかった。そして今朝、隆広が改修作業の指示を兵と人足に与えた後、大野貫一郎が今日も三成は病で来られないと報告した。

「そうか、もう六日になるな…」

「はい、病と理由を述べる奥方が気の毒にさえ思えてきます」

「貫一郎…」

「はっ」

「今まで我々はずいぶん佐吉に助けられてきた」

「はい、石田殿のご活躍は我ら年少の者も聞き、胸躍らせたものです」

「そうなのか?」

「はい、九頭竜川の治水を石田殿が貫一郎より四つしか変わらぬ時に成したと伺っています」

「そうだ…。柴田は佐吉に本当に助けてもらった」

「はい!」

「柴田と羽柴が一触即発状態とは聞いているだろう。佐吉は元々羽柴の臣、今ごろ胃が痛くなるほどに悩んでいような」

「殿…」

「佐吉が羽柴様の元へ戻るとしても…止める事はすまい。笑って見送り、戦場で堂々とまみえよう」

「それで…」

「ああ、いいんだ」

 

 その夜、石田三成の安土仮屋敷。三成は文机にずっと向き合い、考え事をしていた。

「お前さま、お茶を…」

 ロクに食事も取らずに考え事をしている夫を気遣う妻の伊呂波。

「佐吉(三成長男、後の重家)は寝たのか?」

「はい、お乳もたっぷり飲みましたし…」

「そうか…」

「お前さま…明日は出仕を? 予算の決算等、事務処理が山積しているはず。殿はお前さまのチカラを借りたいと思っておられるはずです」

「…そうだろうな」

「お前さま…」

「じゃあそれだけは、済ませてさしあげよう」

「は?」

「伊呂波…」

 三成は一つの封書を妻に渡した。

「…?」

「離縁状だ」

「な…!」

「…すまんな」

「な、何故です、私に何か落ち度が?」

「そうではない。オレには勿体無いほどの妻だ」

「ならば…何故!」

「伊呂波…。オレは羽柴家に帰参する」

「……ッ!」

 伊呂波は絶句した。無論のこと夫が元々羽柴秀吉に仕えていたのは知っている。今はまだ同じ織田一門に属しているとはいえ羽柴と柴田がもはや敵同士であるのは明らかであった。

「は、羽柴家に帰参…」

「秀吉様、親父様に厚恩がある。もちろん殿にもだが…オレは親父様を選ぶ」

「お前さま…」

「伊呂波、そなたは水沢家で親しい友達がたくさんできたな。奥方様や加奈殿、津禰殿といつも楽しそうに話していた。オレもその顔を見て癒されたものだ。オレはお前から今の幸せを取り上げたくない。オレ一人で姫路に行く。そなたは水沢家に残り…」

「イヤです!」

「わがままを言うな。たとえ出戻りで子がいようと、お父上俊永殿が良い婿を見つけてくださるだろうし、殿も何かと面倒見てくれ…」

「冗談じゃありません! 伊呂波の夫は石田三成のみです!」

「伊呂波…」

「どうして一緒に来いと言ってくれないのですか!」

「…羽柴の情勢は厳しい。生き残れるか分からない。親父様が死す時はオレも生きているつもりはない。だがオレが滅んでもまだ佐吉がいる。お前に生きてほしいから、佐吉の母として生きてほしいから…そう思ったんだ」

「決心は変わらないのですね?」

「うむ」

「ならば私も姫路に行きます」

「バカな事を言うな!」

「行きます!」

「……」

「一緒に行きます!」

「分かっているのか!? 水沢家と敵味方になるのだぞ!」

「あなたと敵同士になるよりはるかにマシでございます!」

 伊呂波は三成の胸に飛び込んだ。それを抱きしめる三成。

「すまん…。伊呂波…」

 

「ご主人様」

 抱き合っていた三成と伊呂波が離れた。仮屋敷の外に三成の使用人が報告にやってきた。

「なにか?」

「山崎俊永様お越しにございます」

「舅殿が?」

 伊呂波は首を振る。ここに来るなんて彼女も聞いていない。山崎俊永は信長亡き後、熊蔵と云う名から本名を名乗る事を許されていた。現在、彼は架橋奉行として柴田勝家の直臣として仕えている。

 また、彼自身に槍働きはできないが浅井家で名将と呼ばれた兄の山崎俊秀に常に付き従い、その用兵も学んでいたので戦場の将としても申し分なく奉行と同時に侍大将としても取り立てられていた。

「なぜ安土に…舅殿は今確か、越前大野の地で九頭竜川の上に架橋しているはずだ。現場を離れられないだろうに…」

「ええ、私も父上から『猫の手も借りたい』とつい最近文をいただいたばかりです」

「とにかく会おう、通せ」

「はい」

 

 三成の妻、伊呂波の父山崎俊永がやってきた。

「夫婦水入らずのところスマンな」

「いえ」

「孫を見てきた。丸々と太って…丈夫な証拠じゃ」

「…義父殿…」

「…無論、大野の現場を離れて安土に来たのは孫の顔を見るためだけじゃない」

「父上、私は外しましょうか…?」

「いや、いてくれ」

「は、はあ…」

「婿殿、単刀直入に聞く」

「はい」

「羽柴家に帰参する気か?」

「はい、帰参します」

「…そうか、そう言うと思った。伊呂波の目を見ると、さっきまで泣いていたように見えるが、その事を今話していたのかね?」

「そうです」

「で、伊呂波を…」

「姫路に連れて行きます。佐吉も」

 山崎俊永は小さく二つ頷いた。

「やはりな…」

「最初は離縁して義父殿のところへ行かせようと思いました。しかし…やはり妻を置いていくのはイヤです。連れて行きます」

「お前さま…」

「婿殿、ワシはのう、主人磯野員昌と連座して織田家を追放されたが、婿殿のおかげで柴田勝家様に仕える事ができた。武人の恩として、舅として、ワシは婿殿と共に羽柴に付くことが筋であろう。しかしワシは今、場所を得た。勝家様は架橋や新田開発の奉行としてのワシを認め、兄より学んだ用兵も認めていただき侍大将としても取り立てられ、重用して下されている。ワシは行けぬ。柴田につく」

「父上…」

「分かりました」

「婿殿…。ワシも戦時になれば奉行の笠を兜に変え、柴田軍の一翼として戦わなければならない」

 伊呂波は再び泣き出した。

「そんな…主人と父上が敵同士になるなんて」

「…悲しいが、それが乱世だ伊呂波」

「ああ、その通りじゃ。だが婿殿…」

「はい」

「戦場のならい、遠慮はいたしませぬ」

「こちらも遠慮する気はありません」

 いたたまれなくなり、伊呂波は部屋を飛び出した。

「…義父殿、申し訳ござらぬ。ここのところ、それがしはご息女を泣かせてばかりです」

「そのようじゃな…。羽柴と柴田、どちらが残るかは知らぬが、もし羽柴が生き残ったなら、今まで泣かせた分かわいがって下されればいい」

「はい…!」

「さ、越前の酒を持ってきたぞ。付き合ってくれぬか婿殿」

「喜んで」

 

 病と称していた三成が七日目にようやく出仕した。三成の妻の伊呂波が見越したとおり、隆広の文机には文書が山積していた。

「おお佐吉! 待っていたぞ!」

 救いの神が現れたごとく、隆広の顔は笑顔に輝いた。その隆広に平伏する三成。

「出仕を滞らせ、申し訳ございません。それらの文書決済すべてそれがし済ませておきますれば、殿は現場にて指揮にお当たり下さい」

「ありがたい! 頼んだぞ!」

「はっ」

 三成は苦悩のあまり食事も喉に通らなかったか、以前に見たより痩せていた。しかし隆広はそんな事は一言も述べず、いつも通り出仕した三成を迎え、そして仕事を任せた。文書の中には柴田家の機密事項の書類とてある。明日には羽柴家に立ち去るかもしれない三成なのに隆広は全幅の信頼を置いて決済を任せた。

 隆広は小山田家の作る田、そして琵琶湖側に作らせている防柵の視察に赴き、そして帰ってきた。さすがは天下随一と言われた名能吏の石田三成、隆広が溜めていた事務処理をすべて片付けていた。

「さすがだな佐吉」

「手前の取り柄でございますれば」

「お前はオレの蕭何だよ…」

 漢の高祖の劉邦を支えた名宰相蕭何に隆広は三成を例えた。

「もったいない仰せにございます」

 隆広は三成の前に座り、三成を見つめた。三成もまた隆広を見つめる。主従とはいえ年齢は同じ。血よりも濃い友の絆もある。今まで共に成し遂げた仕事が二人の頭に浮かんでくる。その隆広と三成がいる部屋に

「殿、南近江の商人衆が挨拶に見えて…」

 と小野田幸猛が使いで来るが

「シッ」

「奥方様」

 さえは隆広と三成の暗黙の会話を邪魔しないよう、襖を隔てて座っていた。茶を入れたと夫と三成に言いに来たのだが、とても二人に入る余地がなかった。妻であるさえが三成に妬けるほどに。

「いいわね、男の友情って…」

「そうですね、特に殿と三成殿との絆は美しいと思います…」

 やがてさえと幸猛も去り、隆広と三成の暗黙の会話も終わった。

「殿、お体には気をつけてください」

「お前もな」

「これにて石田佐吉は水沢家より暇をいただき、羽柴家に帰参させていただきます」

「分かった。今までよく尽くしてくれた。礼を言うぞ」

「この次にお会いするのは戦場かもしれませぬ」

「戦場のならい、遠慮は無用」

「はい」

 

 翌朝、三成は隆広、助右衛門、慶次ら水沢家幹部とその妻たちに見送られて安土を出た。愛妻の伊呂波と我が子を連れての姫路行きである。護衛に松山矩久と兵士三十名がついての旅だった。今までの水沢家の政務の功績から、最後に隆広は佐吉に二百貫もの路銀を出した。三成は受け取れないと拒んだが、

「昨日、山積みの仕事を終わらせてくれた給金だ」

 と、笑って差し出した。

「伊呂波殿、佐吉を頼みますぞ」

「はい」

 石田三成は安土城を出て、姫路に向かった。この時点で水沢隆広と石田三成は敵同士となってしまったのである。さえは少し涙ぐんでいた。

「佐吉さんと敵味方になってしまうかもしれないなんて…」

「避けたい合戦ではあるが…そうもいくまいな。だけどまたアイツと共に仕事に励める日が来る事を願わずにはいられないよ」

「そうですね…」

「さあ、今日も忙しいぞ!」

 

 姫路城、秀吉は城主の間で弟の秀長と参謀の黒田官兵衛と謀議をしていた。そこへ一人の若者が友を連れてやってきた。

「親父様」

「なんじゃ平馬」

「お喜びを! 石田佐吉が帰参しました!」

「なに?」

 秀長、官兵衛が顔を見合わせた。石田三成は姫路に到着し、すぐに秀吉に会いたいと思ったが、最初に親友である平馬の家へと向かった。

 石田三成が羽柴家にいたのはもう六年も前である。しかも柴田勝家の北陸大返しにおおいに貢献した男である。それは秀吉の耳にも入っていた。三成自身、受け入れてくれるか心配だった。いや受け入れてくれなくても何度でも帰参を懇願するつもりだった。そしてどうしてもかなわなければ自決する覚悟であった。その時には心許せる親友平馬に妻子を安土か北ノ庄に送り返してくれるよう頼みに来た。平馬はそれを引き受けた。だがそんな最悪な結末は見たくない。自分が取り成しをして帰参を叶うべく三成と一緒に姫路城に登城した。

「通せ」

 秀吉の前に三成は歩んだ。

「親父様、佐吉、帰参いたしました」

「…なぜ帰ってきた」

「それがしは元々羽柴秀吉が家臣、親父様の命令で美濃殿の元へ出向していたに過ぎません」

「…光秀が謀反の時、ワシの大返しを予想し勝家の大返しを妨害せんとは思わなんだか?」

「思いませんでした」

「何故じゃ」

「その時のそれがしの主人は水沢隆広にございます。その命に全霊を注ぐ事に、なぜためらいましょう」

「ふっははは、そのクソマジメさは変わらんな佐吉」

「親父様は美濃殿の元で修行せよと申されました。美濃殿はそれがしと同年なれど名将であり学ぶ事多々ございました。それを親父様の下で発揮しとうございます」

「バカなヤツだ。羽柴と柴田、天下の趨勢は柴田が優位ぞ」

「ですが…あのまま柴田にいて親父様と戦う事に耐えられませんでした」

「美濃と戦う事になってもか」

「はい…。正直申さば親父様と美濃殿、どちらを取るか悩みに悩みました。いっそどちらも取らず妻子を連れて出奔し農民になろうとさえ思いました。しかし…それは卑怯。どちらかを選び、そして勝たせるが務め。そしてそれがしは親父様の下へ戻る事を決めました」

 秀長は三成が痩せているのを見た。おそらくは食べ物を受け付けなくなるほどに悩みぬいたゆえと察するに時間は要さなかった。

「…よかろう、帰参を許す」

 平伏していた三成は秀吉の言葉に顔を上げた。

「北陸大返しを成させたその手腕、我が元で発揮せい!」

「ハハッ!」

「よかったな佐吉!」

「ああ、ああ…! 良かった!」

 嬉しくて涙が出てきた三成。

「殿…」

 黒田官兵衛は秀吉に視線で

(三成は美濃の密命を受けて羽柴に侵入しにきたのではないか)

 と語る。しかし秀吉は首を振り

(そういう任務を与えるのならば美濃は佐吉を選ばず違う者にやらせよう)

 適材適所が隆広の人材登用。三成が密偵に向かない事は秀吉も知っている。そして痩せ細るまで悩んだ末に自分を選んだ三成。裏切らぬと確信した。

 

「ところで佐吉、今まで安土にいたのじゃ。情報は提供してもらうぞ」

「は!」

「美濃は羽柴との交戦をどう見込んでいた?」

「それは直接それがしには申しませんでした。ですが清洲会議の後に修理亮殿が美濃殿に『安土を完成させたら、それを橋頭堡に信孝様と姫路に進攻する』と述べたところ、『その前に筑前殿の方が先に動くかもしれませぬ』と返したと聞きます」

 秀吉はフッと微笑んだ。

「安土城の完成はいつの見込みか」

「いかに築城の名手の美濃殿とは云え、あと半年はかかりましょう」

「つまり…権六の横に美濃はあと半年はおらん、と云う事じゃな?」

「御意」

「分かった、また何か訊ねたい事があったら呼ぶゆえ下がれ、平馬」

「はっ」

「佐吉の家を用意してやれ。そして共に徴兵と物資調達にあたれ」

「承知しました!」

 嬉々として三成と平馬は城主の間から出ていった。

「ふっはははは!」

「どうされた兄者」

「小一郎(秀長)、これが喜ばずにおられるか! 権六め、智慧美濃に安土の築城を委ねたが命取りじゃ! ふっははははッ!」

「まさに…自らの参謀を遠方に出してしまわれた。美濃殿が安土築城を担当しているのは存じていましたが、少なくとも羽柴にあと半年時間があると云う事も明らかになりましたな!」

「そうよ官兵衛、ワシが権六なら安土の築城は他の者にやらせて、参謀は常に横に置いておくわ。美濃の築城術を買うあまり、自らの智嚢を切り離しおった。先に羽柴が動くと見た美濃はさすがじゃが、ワシらが討つのは美濃ではなく権六なのじゃ。安土がどんな堅城に生まれ変わろうが話の外よ。智慧美濃が横におらなければ権六など猪。狩って喰らってやるわ! 美濃はそれからゆっくり降伏させるか討てば良い。ふっははははッッ!」

「まこと! あとは軍容を整え半年のうちに出陣するだけですな!」

「うむ小一郎、良い事は重なりワシが見込んだ兵站と計数の巧者が帰ってきた。佐吉が必要とする資金、惜しまずくれてやれ!」

「ハハッ!」

 

 姫路城下を歩く平馬と三成。

「良かったな佐吉、正直ヒヤヒヤものだったわ」

「ありがとう平馬、そなたのおかげだ」

「これからお前にはつらい戦いになるだろうが、お前自身が望んだ事だ。尻込みするなよ」

「ああ、覚悟の上さ」

 平馬、彼は石田三成の推挙で秀吉に仕えた人物である。三成、そして隆広とも歳が同じであり三成はいつか平馬と隆広を合わせたいとも思っていたが、その席が実現する前に敵同士となってしまった。平馬は通称で、彼の名前は大谷吉継と云う。

 

 それから数ヶ月が過ぎ安土城は完成した。石垣、城壁、堀がほぼ再利用できたとはいえ並の築城家なら数年はかかったであろう安土城築城だが、隆広は一年で成し遂げてしまった。まだ織田家は混乱期にあるから大急ぎで行う必要があったのは確かだが、それでも驚異的な成果である。そろそろ勝家を迎えて大丈夫だと隆広は見込み、北ノ庄の勝家に書状を書いていた。

「『安土築城、ようやくメドがつきました。城下町はまだ手付かずですが、殿の入城をもってかかりたいと存じます。つきましては吉日に殿に入城していただきたく…』と…」

「ようやく勝家様を迎えられまするな」

 と助右衛門。

「ああ、でもあの派手な安土の天主は再築しなかったからなァ。往年の安土城を知る殿から見れば、ずいぶん地味な仕上がりだ。喜んで下さるといいが」

「喜んでくれますとも」

 隆広が行った築城の中で特筆すべくは本丸近くに巨大な井戸を作った点だろう。直径四間(七メートル)、深さ五間(九メートル)の井戸で現在も満々の水を出している。まさに実用的な平山城に作り変えたのである。

「殿も早く新しい安土城に入りたくて気をもんでいよう。柴田家もいよいよ中央に進出だ」

「では早速北ノ庄に使者を…」

 と、助右衛門が言った時…。

「と、殿―ッ!」

 忍びの白が血相変えて隆広の執務室に入ってきた。

「どうした血相変えて」

「二条城の織田信孝様が羽柴勢に討ち取られました!」

 いよいよ羽柴秀吉が反撃の狼煙をあげた!



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秀吉立つ

「二条城の織田信孝様が羽柴勢に討ち取られました!」

「な…!」

 織田信孝も頑強に抵抗したが、城は落とされ自刃に追い詰められた。辞世の句は

『昔より 主を討つ身の 京なれば 報いを待てや 羽柴筑前』

 京の町は松永弾正や明智光秀が主人を討った場所であるが、またも京でそんな事が繰り返された。信孝の秀吉への憎悪がうかがい知れる辞世である。皮肉にも信孝は兄の信忠と同じ城で最期を迎えたのだった。父の信長と兄の信忠と同じく首を取られる事を恥として城に火を放ったが、それも虚しく首を取られたと云う。

 

「羽柴勢は二条城を占拠し、安土に進軍中との事! 兵数六万!」

「ろ、六万だと! バカなちゃんと調べたのか!」

 さすがに冷静な奥村助右衛門もにわかには信じられない兵数だった。

「京に行くには摂津を通る。摂津の大名や丹後の細川は何をしていたのだ?」

 白に訊ねる隆広。

「細川は羽柴につきました」

「…やはりな」

 そう、細川家は羽柴家についた。そして隆広はそれを予想できた。こういう経緯があったのだ。今から二ヶ月前、細川親子が二条城の信孝に謁見し丹後の統治状況を報告に来た時、信孝は痛恨の失言をする。目の前に来た細川親子に

『裏切り者日向のご同輩か』

 と述べたのである。幽斎は堪えたが忠興はもうガマンできなかった。その場は肩を怒らせただけで黙って帰ったが、信孝はたった一言で細川家の離反を生んだ。

 これを伝え聞いた秀吉は歓喜して味方につくよう要望した。相変わらずの人たらしで、秀吉は供数名で宮津城に訪れ忠興を口説き落とし細川家を味方につけたのだった。しかし父の幽斎は病と称して合わなかった。息子忠興が『羽柴につく』と述べた時、隠居していた先代の幽斎は『好きにせよ』とだけ返したと云う。

「そうか、細川は敵となったか…」

「殿、どうされた?」

「私事ゆえ言わなかったが…忠興殿の妻の玉殿…」

「確か日向殿の息女…。その玉殿が何か?」

「いや、何でもない。で、池田家は?」

「羽柴の大軍の前に降伏しました。信孝様と恒興殿はあまりうまくいっていませんでしたので…そこを付け込まれ調略された由」

 清洲会議では柴田に付いた池田恒興。恒興はそのまま伊丹城を任され石高も増やされた。それは隣接する播磨の秀吉に備えてである。一度秀吉についたのだから家のため勝家に信頼回復へ務めるつもりだった。

 しかし中国大返しのおり恒興は秀吉に付き、かつ信孝でなく秀吉を総大将に、と述べた事から信孝には嫌われていたのである。信孝に嫌われている、と云うだけで去就を決める恒興ではないが、長男興元(史実の之助)と次男照政(後の輝政)がすでに秀吉寄りとなっており、かつ秀吉は大軍であり、伊丹城がいかに堅城でもどうしようもなかった。やむなく恒興は家の存続を保つため降伏に至ったのである。

「摂津の中川清秀殿と高山右近殿は?」

「同じく明智討伐の頓挫後は羽柴から離れて信孝様の配下大名とはなりましたが、羽柴勢の大軍の前にあえなく降伏の由。池田、中川、高山の三将は二条攻めの先陣を勤めたと聞いています」

 戦国時代、『義』は無論大事だが、それ以上に家の存続、家族と家臣の安寧は大事である。高山右近と中川清秀は一度秀吉についた自分たちを勝家が快く思っていない事も知っている。信孝も自分を無視して秀吉を総大将とした二人を快くは思っていない。

 隆広は清洲会議での論功行賞で『中川と高山にここで加増し、織田家ではなく柴田家の寄騎大名とするのが良策と』と述べたが、勝家はそれに同意しなかった。中川と高山は現状維持で十分と隆広の懸案を退けたのである。

 しかし現状維持でも中川と高山は勝家に感謝していた。信長死んだ後、実質織田は羽柴と柴田に分かれた。地理的条件があったとはいえ勝家と不仲の秀吉に付いたのだから。このうえは織田信孝の配下大名として家に繁栄をと思っていたが、突如西から秀吉が大軍で攻めてきた。秀吉の合戦上手を知る彼らは抵抗らしい抵抗もできず降伏を余儀なくされた。

 信孝を討つと言われても選択の余地はない。たとえ主殺しとなろうとも、秀吉の味方をしなければ、その場で家は滅亡なのだ。秀吉は中国大返しの時と同じ三将を武威で味方につけて安土に迫った。

 隆広と勝家が清洲会議にて行った論功行賞は今でも評価が高い絶妙な人事ではあったものの、誤算は秀吉のあまりの大軍だった。五万六万の軍勢の前には多少の武士の節義など吹っ飛んでしまう。誰だって自分の家は大事なのである。

「そうか…。いよいよ羽柴様は立ったか…」

「しかし六万とは…」

「最初は五万にちょい欠ける数の出陣であったかもしれないが、細川と先の三将の軍を入れてその数になったのであろう。しかし、にわかには信じがたいが羽柴様なら動員可能だ。清洲会議から丸一年、沈黙を守ってきたのはそれか…! 羽柴様には小西行長殿や増田長盛殿のような当家の吉村に比肩する商才と計数に長けた将がいるので、うなるほどに金がある。それで伊賀の乱や、浅井、朝倉、六角、松永、波多野の残党を雇ったのだろう。また越前の雪は溶け出しているが越後はまだ雪の中、上杉の援軍が無理なのも分かっているだろう。とにかく柴田を討てば何とかなるからな」

「確かに…」

「しかし…オレの忍びも殿の忍びは姫路を張らせていた。それさえも欺くとは…」

「佐吉でしょうか」

「だろうな、すでに侵入済みと云うのも知っていたはずだ。兵の徴用、おそらく播磨の国内ではやってはいまい…」

 隆広の見た通りである。石田三成と大谷吉継は兵の徴用を播磨国内では一切やっていない。かつ三成は秀吉に表では兵の徴用を他の武将に担当させる事を願い出て、その徴兵があまりはかどっていない事を内外に示させていた。

 羽柴家の真の徴兵は石田三成と大谷吉継が増田長盛や小西行長らの助力も得て実行していたのである。丹波、摂津、和泉で実施した。かつ余りある金を使い織田家に滅ぼされた雑賀党の残党や大名の浪人に使いを出して集めた。主君秀吉も人たらしと呼ばれ、何より三成が徴兵の際に言った言葉が効いた。

『羽柴筑前守様は元百姓である。だから民の苦しみを知っている! 一年の田畑への汗が戦一つで台無しになる悲しみを知っている! だから羽柴筑前守様が天下を取らなければならない! 誰よりも民の苦しみを知る者が天下様にならなければならない! ともに織田の天下を乗っ取った柴田を討つべし! そして戦のない太平の世を共に築くのだ!』

 この言葉で続々と羽柴軍に身を投じる者は数え切れなかった。秀吉は絶対に勝家を討たなくてはならない。そのためにまずは軍勢である。それにしても石田三成さすがである。秀吉に付いたからには徹底している。そして兵の集合場所にしたのは淡路島。播磨国内では軍事的な動きはほとんどなく、三成はまんまと旧主隆広を出し抜いた。

「指揮する将は黒田官兵衛殿や蜂須賀正勝殿や一流揃い。寄集めとは云え強力な軍団に化けような。しかも六万…」

「敵に回したら、これほど恐ろしい男だったのか佐吉は」

「しかも当家にもたらされた第一報が信孝様の討ち死にだ。恐ろしいほどの神速で攻め入っている。だが参ったな…。安土の兵はオレの直属兵のみだから二千四百…。まともにやったら到底勝ち目はない。すぐに軍議を始める。白、舞と六郎と共に羽柴勢の動向をさぐれ。そして柴舟に北ノ庄に赴かせ、羽柴軍安土に迫ると殿に知らせて援軍を請うよう伝えよ」

「はっ」

 白は姿を消した。

「助右衛門」

「はっ」

「当家の女子供すべて城に入れ、この普請のために雇った人足や領民に賃金を渡して大至急この城から退去させよ」

「ははっ」

 城代と云うより隆広はこの安土の普請を勝家から任されていた。羽柴に備えるための重要な拠点となると見越し、かつ本城とするために勝家が隆広を総奉行にして命じた。

 だから隆広の直属兵とその家族たちは、合戦を想定した兵としてではなく、隆広と共に普請作業をするために安土に入城したのである。主君信長を討った光秀を討ち、柴田家は錦旗を手に入れたも同じ。

 しかし突如の激震は播磨からやってきた。当主となった織田信孝は本能寺の変の余波で撤退を余儀なくされた甲斐と信濃の奪回は放棄し、軍事行動せず信長が死んで混乱期にある濃尾、畿内、北陸と云った織田領の統治を重視せよと命令を出した。間違っていない指示だろう。しかしその指示が完全に裏目になったとしか言いようがない。

 隆広にはある程度は想定内の事でもあった。秀吉は主人勝家よりも先に動くと。信孝と勝家の連合軍が到来するまで座して待っているはずがない。だから安土城を出来うる限りの堅城に作り変えた。ただ一つの誤算は六万と云う大軍である。

「さすがだな、佐吉」

 今は敵となった友の手腕を隆広はフッと笑い称えた。その三成は秀吉の本陣にいた。

 

「親父様、どうやら安土にも羽柴挙兵の知らせが届いたようです。にわかに慌しくなってきたとの事」

「うむ」

「安土には美濃殿直属兵二千四百のみですが鉄砲弾薬も十分で、新規に召抱えた投石部隊は精強。かつ兵糧と水も豊富で、琵琶湖側の山肌や湖畔には多くの田も作り、城の一階の一部は琵琶湖に浮き、魚の調達も容易にして孤立無援でも自給自足が可能な安土の城。チカラ攻めは論外、そして兵糧攻めも相当の時間を要するでございましょう」

 隆広は城代として入城すると共に、豊富な兵糧と武器を城内に入れていた。秀吉を迎え撃つ事をある程度予想していたからである。

「そうか、いかにも美濃らしい実用的な築城だな」

 羽柴勢の数万に及ぶ大軍の動員を実現させるに、もっとも働いたのが三成であった。三成はあまりある羽柴の金を使い、滅亡した諸大名の生き残りを大量に自軍に引き入れる事に成功していた。また商人のほとんどが柴田に靡くなか、羽柴に味方する役得を説いて鉄砲を買い揃えたのも三成であった。そして進軍中の兵糧においても十分に確保したのも彼である。味方にいればこんなに頼もしい能吏はいないが、敵にすればもっとも恐ろしい男でもある。

「ふん、今まで仕えた主君を殺すと云うのに熱心な事だな。まあどうせキサマは後ろでゼニを数えているだけだからな」

「……」

 本陣の軍机に座る福島正則が三成に嫌味を言った。

「水沢家で会得した交渉能力で鉄砲を多く揃えた事は認めてやるが、算盤しか能のないお前は荷駄隊だけ指示してりゃいい。引っ込んでいろ」

 次は加藤清正が言ってきた。元々三成は隆広に仕える前からこの二人とは仲が悪かった。

「よさ…」

 秀吉が『よさんか』と言おうとした時だった。

 

 バァンッッ!

 

 大谷吉継が軍机を思い切り叩いた。

「虎(清正)、市松(正則)、軍勢にはそれぞれ役割を担う者がいる。お前たちは槍働き、佐吉は兵站(後方支援)。オレもその担い手だ。お前らはオレが誇りに思っている仕事を軽んじた。お前ら腹が減って戦が出来るのか?」

「い、いや…別に我々は平馬(吉継)の仕事を軽んじているわけでは…なあ市松」

「兵站が大事だと云う事は分かっている…。すまなかった」

「それに、今まで主君だった美濃殿と戦う事に一番苦悩しているのは佐吉だ。今度つまらん事を言ってみろ。オレがタダじゃおかん」

「わ、分かったよ。オレたちが悪かったよ」

 と、素直に謝る加藤清正。普段は温和な吉継だが目の前で親友を侮辱され激怒した。さすがの猛将加藤清正、福島正則も圧倒されてしまった。秀吉はフッと笑った。

「ははは、さしもの虎と市松も怒る平馬にタジタジじゃな」

 大谷吉継は石田三成と共にこの合戦では兵站を担っていた。彼は戦場の猛将であると同時に奉行としての才能もあったのである。今回の合戦にも三成と軍備を整える事に当たっている。

「では作戦を説明する」

 軍机に広がる琶湖周辺の地形図に扇子を指す秀吉。黒田官兵衛、仙石秀久、羽柴秀長、羽柴秀次、蜂須賀小六、大谷吉継、加藤清正、福島正則、山内一豊ら、そうそうたる将帥が軍机を囲んでいた。

 

 安土城でも軍議が開かれていた。しかし二千四百対六万である。しかも相手は城取りの名手と呼ばれる秀吉で、また隆広は篭城戦の守備側の指揮は初めてであった。

「殿」

 投石部隊の将、川口主水がやってきた。

「さっそくお役に立てる機会にございます」

「無論だ。用いる石と道具の点検を怠るな。それと念のため聞いておくが」

「何でござろう」

「夜間でも的に当てる事は可能か」

「できない者は一人もおりませぬ」

「よし、いつでも出陣できる用意をしておけ」

「承知!」

 佐久間甚九郎がやってきた。

「殿」

「おう甚九郎」

「ご紹介したき者が」

「誰か」

「それがし、明智日向守家臣で堀辺半助と申します」

「おお確か、安土に来た時は半死人だった…。で、堀辺とはもしや堀辺兵太殿の…」

「はい、孫にございます」

 堀辺兵太とは、まだ光秀が十万石の大将であったころに一千石で召抱えた豪傑で、その後も光秀の期待に大きく応え武功を立てた。

 しかし丹波攻めのおり、波多野氏の裏切りで明智勢が敗走した時に殿軍に立ち光秀を逃がして討ち死にした。光秀はその兵太の嫡子辰巳を父と同じ禄で厚遇した。その辰巳の嫡子が半助である。父の辰巳は教養人ではあったが祖父と違い病弱であったので、半助はわずか九歳で家督を継ぐ事になった。光秀自身が彼の堀辺家家督相続の儀に立ち会っていたが、わずか九歳の半助を見て彼の父の辰巳に

『そなたには悪いが、兵太の血は孫の半助に継がれたようだな。あれはものになる』

 と述べ、辰巳は苦笑しながらも感涙していたと云う。そして十五歳の時に主家の四女英について津田家に随行した。その後に本能寺の変が起こり、半助の父の辰巳は光秀を追い自害して果てた。半助は大溝城落城の時は命がけで英を守り重傷を負っていたが、今はすっかり回復している。当年十八歳。

「敵味方となったとはいえ美濃守様は主君光秀の戦友にございます。巷では逆臣の汚名を被る明智が家臣を丁重に庇護されて下された美濃守様に、今こそ報いる時と我ら感奮しております。何とぞ陣場の末席に加えて下さりませ」

「ありがたい! 頼むぞ甚九郎、半助!」

「「は!」」

「とはいえ、明智勢は二十六人…。備えとしては無理だ。前田慶次隊につけるゆえオレの出撃命令を待て。当分先だが士気を落とすでないぞ!」

「「はっ」」

「ちょうどいい。主水、甚九郎、半助、このまま評定に加われ」

 この隆広の言葉に驚いた三人。

「あの、新参の我らが…よろしいので?」

「なに言っている主水、新参も古参もあるものか。ともに作戦を練りオレを助けてくれ」

「「しょ、承知しました!」」

 甚九郎と半助はすそで涙を拭いた。人は『頼られている』『必要とされている』と思った時ほど感奮する時はない。裏切り者の家臣と呼ばれた主水と半助、無能者の子と揶揄された甚九郎、篭城戦とは云え再び戦国の世に立つ事ができた事が嬉しくてならない。

 

「すでに北ノ庄城と他の柴田寄りの畿内諸将に援軍を請う使者を出した。援軍到着まで水沢隊は突出せずに、この城に篭る。幸いに水と食料の心配はない。だが相手は秀吉殿である。何をしてくるか分からない。みな心しておけ」

「「ハッ」」

「基本方針は戦わずに羽柴勢の出方を見て、臨機応変に対応を取り、越前からの援軍を待つ」

「「ハッ」」

 水沢軍に幸いだったのは、まだ城下町の再興にまで工事を着手していなかった点だろう。町づくりを始めていて領民が住み始めていたら今回の羽柴の攻撃でアッと云う間に蹂躙されてしまう。

 信長権勢時の安土城は数万の領民がいた城下町であったが、本能寺の変後に城は全焼し、城下町はその飛び火で大火に襲われた。今はただ町の痕跡の残る新地である。勝家入城後に城下町を作ろうと思っていた隆広。虫の知らせだったか、城下町を作っていなかった事はいらぬ犠牲を払わずに済んだと云う事である。あるのは隆広の工夫が随所に仕込まれた中世最大の城塞『安土城』だけである。

「申し上げます」

 使い番が来た。

「人足たちが目通り願っております」

「なに? 助右衛門、退去させよと申し渡したではないか」

「その通りにございます。今までの労に報い手当も渡したというに何故」

「とにかく通せ」

「は!」

「「殿様!」」

 人足たちを代表する職人がやってきた。

「何をしている。ここからはオレたちの仕事だ。急ぎ城から離れよ」

「そうはまいりやせん。今から城を攻められると云うに! オイラたちが丹精込めて作った城が攻められると云うに! それで逃げ出しちゃあ男がすたるってモンです!」

「え?」

「戦わせてくれ殿様! 百姓だってやる時はやるだ! みんな同じ気持ちずらよ!」

「お前たち…。分かっているのか? 相手は六万の大軍なんだぞ」

 一瞬腰が引けた人足たち。しかし

「それを聞いたら、なおの事この城から逃げ出せねえずら!」

 闘志を奮い立たせる人足たち。自分たちで作ったものを壊されたくない気持ちに武士も一領民も変わらない。

「お前たち…。手先はあれだけ器用なのに頭の中は不器用モンだな」

「「殿様に言われたくねえだ!」」

「ちがいねえ」

 慶次が豪快に笑うと安土の評定の間は笑いに包まれた。

「徳兵衛!」

「へい!」

「竹八!」

「へい!」

 隆広は評定の間に来た人足の名前すべて呼び上げた。隆広は人足全員の名前を覚えていたのである。

「オレと一緒に戦おうぞ!」

「「へい!」」

 この時に安土築城に加わった人足のほとんどが隆広への加勢を希望したが、人足たちは自分たちで話し合い、実戦経験のない者、独り身で家に親がいる者などは帰した。二千五百人以上いた人足だが、残ったのは八百人である。

 この八百人の人足たちは思えば妙な縁だった。近江の領民たちは織田家がそこを治めるまでは浅井、六角などの合戦によくかり出された。越前の出稼ぎたち人足たちも柴田家が越前入りする前は朝倉家の戦いにかり出された。この八百人の中の近江人は観音寺城の戦い、野良田合戦、姉川合戦を潜り抜けた猛者たちで、越前からの出稼ぎ人足たちは、あの刀禰坂の戦いを潜り抜けた猛者たちである。かつて織田や柴田とも敵として戦った兵たちが隆広についたのだ。

「助右衛門、この者たちに鎧と陣笠、槍を与えよ」

「承知しました!」

(この人望…。まさに天賦のものよ…!)

 隆広の正規兵二千四百、これに八百の人足がついた。これで三千二百となった。

 

 篭城戦の準備に追われる水沢軍。そしていよいよその日がやってきた。羽柴対水沢の日が。評定の間に白がやってきた。

「羽柴勢の姿が見えました」

「来たか。みな六万の軍勢などそう見られない。この城からじっくり見てやろうじゃないか」

 家臣たちの緊張を払うかのように、隆広は気楽な事を言った。隆広は窓に歩み寄った。

「六万か、どれどれそれがしも」

 慶次も隆広の隣で羽柴勢の姿を追った。

「お、見えてきたぞ慶次。羽柴勢の馬印の千成瓢箪」

 松山矩久、小野田幸猛、高橋紀茂らの若い幹部たちはゴクリとツバを飲んだ。こんなに高い安土山に築かれた安土城から眺めていても行軍の終わりが見えない。

「どうした、臆しておるのか!」

 工兵隊長の辰五郎が矩久の尻を叩いた。

「お、臆してなんぞいるかよ!」

 隆広の横で羽柴勢を見る大野貫一郎。ゴクリとツバを飲む。彼はまだ戦場に出た事がない。

「怖いか貫一郎」

 と、隆広。

「こ、怖くなど!」

「怖くて良いんだ貫一郎。怖さを知っている者が戦場で生き残れる」

「殿…」

「戦場が怖くない、などと云う人間は退く事を知らず、猪のように前に進み、そして結局死ぬ事になる。まあ慶次のような例外もいるがな。あっははは!」

「あっははは、それがしもさすがに初陣は臆しましたぞ。だがな貫一郎、いくさ場では怯えて腰が退けている者が真っ先に討たれる。そうならないためには、まず臆している自分と戦わなくてはならない。これが中々に厄介な敵でな」

「臆している自分を倒すにはどうすれば…」

「強くなるしかない。しかし、その細腕では無理だ。殿のように智で万を相手にする術をどんどん学べ。それがお前の強さとなり、やがて臆病も消えよう」

「あ、ありがとうございます前田様!」

「えらそうにまあ…」

 と、奥村助右衛門が慶次に突っ込むと評定の間は笑いに包まれた。

 

「見よ官兵衛、あれが新たな安土の城のようじゃ」

「御意」

 進軍する羽柴勢、先頭を行く秀吉とその参謀黒田官兵衛が隆広の築城した安土城を見る。

「どう見る」

「とても二十歳そこそこの若者が築いたものとは思えぬ城にござる。三成の申すとおり、とうていチカラ攻めでは落とせますまい」

「ワシもそう見る」

 竹棒の采配を安土城に指す官兵衛。

「大殿が築いた時は五箇所あった入り口が今は一箇所、しかも城郭に築かれた二つの出丸は甲州流の丸馬出し、一箇所のみの入り口に銃眼の照準が合わされております。石垣、城壁、堀も往時の姿が見えますがより堅固に改修してしまったようです。琵琶湖と云う天然な堀、安土山の天嶮、大殿は天下の政庁として安土を築きましたが美濃殿は山の利点を生かした極めて厄介な城塞に作り変えてしまいましたな」

「ふむ、当初の予定通り安土攻めは放棄する。進軍を続ける。後尾の秀長に伝えよ」

「はっ」

 

「妙だな…」

「それがしもそう思います」

 羽柴勢はとうに安土城の前に来ているのに進軍が止まる様子がない。隆広と助右衛門は妙と感じた。

「まさか、我々が秀満殿をおびき寄せた手口を使うのでは?」

「いや違う、オレがそんな誘いに乗らない事は分かっているはずだ」

 小一時間が経ち、進軍はまだ止まらない。さすがに行軍の尻が見えてきた。

「そういう事か…」

「殿?」

「羽柴軍は安土を攻めない。越前にいる殿の首と岐阜城にいる三法師様を真っ先に狙う気だ。なるほど今回の挙兵の大義名分は織田正当継承者である三法師様の君側の奸排除と云う事だ。岐阜を取り三法師様を旗印とし、北上して越前加賀に入るつもりだ!」

「我らを無視する気にござるか!」

「助右衛門、越前にいる兵数は?」

「およそ四万五千かと。しかしその兵も府中や丸岡、そして加賀にも分散しておりますれば…」

「殿ならすぐに集められるだろう。しかしそれでも羽柴勢が多勢だ。先に北ノ庄へ出した安土への援軍を請う旨を取り消す使者を出せ! こっちに援軍を出したら手薄の越前加賀が取られるぞ!」

「ほ、本城の援軍無しで戦うつもりにございますか!」

 真っ青になる助右衛門。篭城戦は古来援軍をアテにしての戦法である。しかし隆広は本国へ援軍は求められない事を悟った。

「北でなく南に請うた畿内諸将の援軍に賭けるしかない。とにかく殿へ援軍は頼めない」

「では急ぎ長浜の勝豊様と連絡を取り」

 と助右衛門が言った時だった。隆広の顔から血の気が引いた。

「殿?」

(そうか、そういう事か!)

 総大将が少しでも慌てた言動を言えば全軍の士気に影響する。ゆえに隆広はクチに出さないが助右衛門と慶次はその隆広の変化に気づいた。

「どうされた殿?」

「いや何でもない…」

(何と言う事だ…。清洲会議で羽柴様が勝豊様に長浜をと言った理由はこれか! 勝豊様は…すでに羽柴に寝返っている!)

 

 その通りだった。柴田勝豊は長浜城を勝家から与えられた。その時から秀吉の調略は始まり、勝家を倒した後には近江一国与えると誘われて勝豊は羽柴に寝返った。

 隆広びいきの勝家に勝豊は嫌気が指していた。実際最近勝家と勝豊はうまくいっていなかった。そして知った事実。実は隆広は勝家の実子という事。跡継ぎはもはや隆広に決定しているようなもの。また隆広とずっと冷戦状態だった自分が隆広に冷遇されるのは分かりきっている。

 羽柴につかずに柴田家に属していれば冷や飯を食べさせられるとしても長浜十五万石の大名でいる事ができる。しかしそれは勝家が存命であるうち。何かと冷たく当たった自分を当主となった隆広は許さないだろう。領内の失政などと理由をつけて長浜を召し上げたうえ自分は殺される。戦ったとしても間違いなく隆広には勝てない事も勝豊は分かっていた。謀反人明智光秀を討ったと云う錦旗を思えば柴田家の方が有利である事も分かっている。

 だが長浜においては全く別の事情がある。つい最近まで長浜の地は羽柴領だった。今でも羽柴を慕う領民は多く、いざ羽柴勢と合戦になっても領民はまず柴田の味方はしない。

 考えに考えた勝豊は決断した。養父勝家と、その子の隆広を殺し、柴田家を乗っ取ってやると。柴田勝豊はついに水沢隆広と云う人物を最後まで理解できなかった。立場が逆転したとしても報復など考える男ではないと云う事が分からなかった。いや分かりたくなかったのかもしれない。

「筑前は安土に到着したか…。ならばそろそろ支度せねばな」

 

「殿、いくらなんでも城の前を黙って通過させては示しがつきませんぞ。討って出るべきかと存ずる」

 と、前田慶次。

「だめだ、三方ヶ原の徳川軍、先の秀満軍はどうなった?」

「それは分かっておりますが、目の前を通過されて指をくわえて見ていたら末代までの恥にございますぞ」

「笑いたい者は笑わせておけばいい。面子より味方将兵の家族の笑顔こそ誇れ」

「はっ…」

  納得していない慶次に隆広は微笑み

「心配無用だ。敵さんはオレにそんなラクをさせてくれないようだ。見よ慶次」

 軍勢残り二万ほどが安土に差し掛かったとき、その二万は行軍速度を落とした。

「やはりやる気でございますな羽柴は殿と」

「そのようだ。見てみろ、およそ二万と云うところか」

 羽柴軍二万は進軍から外れて安土城に進路を変えた。そして

「安土城を包囲せよ!」

 二万の大軍が安土城を囲んだ。先頭に四騎の騎馬武者が進み出て安土を見上げた。

「あれから六年か…。よもやこんな形で会おうとはな…」

 その言葉が聞こえるはずがない隆広であるが、どこの誰かを悟った。

「酒を酌み交わす前に…敵同士で会ってしまいましたな…」

 窓から離れる隆広。

「白」

「はい」

「越前方面軍の総大将は羽柴様ご自身だろうが、こっちの方の主なる大将は誰か探ってまいれ」

「はい!」

 白はただちに羽柴陣に向かった。

「助右衛門、羽柴様の魂胆は読めた。今オレたちの目の前にいる軍勢は包囲はするが攻めては来ない。この巨大な山城に篭られてはオレがどんなに凡庸な将でも十倍の兵力さえにも対する事はできる。そしてチカラ攻めしたらどんなに被害を受けるかも知っている。今の羽柴様は時間が勝負。時間のかかる安土城攻めは当初放棄し、オレをここで足止めして岐阜を落として三法師様を得て越前に向かい、殿を討った後に降伏を迫るか、引き返してきた全軍で落とすつもりだ」

「確かに…」

「こちらには羽柴様得意の持久戦、殿には中国から電撃的に引き返してきた神速を持って対する気だ」

「しかしこちらに二万と云う事は、越前に攻め入る兵は四万、五分の兵数の勝負ならば勝家様に…」

「いや」

「は?」

「長浜勢が味方につく。まだ軍勢は膨れ上がるぞ」

「な、長浜は伊賀殿(柴田勝豊)が城ですぞ!」

「残念だが、勝豊様はすでに寝返っている」

「まさか! 勝家様の甥御でご養子でございますぞ!」

「今になって清洲会議で羽柴様が長浜譲渡の条件に勝豊様を指名した理由が分かった。最近勝豊様と殿の間がうまくいっていないと知っていたのだろう。味方につけば越前一国くれてやるとでも言い寝返らせたんだ。調略は羽柴様の十八番だ。また四万もの大軍じゃ長浜の手前の佐和山城も防ぎきれない。丹羽様もたぶん羽柴につくだろう。加えて信雄様も清洲会議で殿に恨みを感じていようから信雄様も羽柴につく。越前に着く頃には途方もない大軍となっているだろうな」

「なんと云う事だ…」

 隆広の危惧は当たり、長浜勢が羽柴に合流した。そして佐和山城の丹羽長秀は戦わずに降伏。羽柴の尖兵となり、また織田信雄も秀吉に付いた。その数安土城包囲軍を差し引いても七万の軍勢となった。

 

 白が報告に戻ってきた。

「申し上げます。敵の備えの将が分かりました」

「ご苦労であった。して誰か?」

「総大将は羽柴秀長殿、備大将に羽柴秀次殿、加えて中村一氏殿、浅野長政殿にございます」

「佐吉はいないのか?」

「はっ、探りましたところ羽柴本隊にあるとの事」

 すでに石田三成は秀吉本隊と秀長の部隊いずれにも十分な兵糧を確保しており、事実上攻め落とした摂津と山城の地にも兵糧庫と輸送の部隊を置き、輸送の経路も確保していた。三成自身が前線に行ったと云う事は彼自身が右往左往する必要もないほど兵糧の量と輸送が確立されている事の証である。まさに羽柴軍にもう一人の水沢隆広がいるかのごとくの働きだった。

「佐吉、やるわ」

 フッと隆広は笑った。

「分かった。これからそなたと六郎、舞に話があるゆえ、三人ともここに控えよ」

 

 さて、隆広篭る安土城を攻める総大将の羽柴秀長。この安土城で隆広と親しく話したのは今から六年前になろうか。まさか秀長は城攻めの総大将として隆広と対するとはあの頃に想像もしていなかった。備大将の秀次は秀吉の姉の子で甥にあたる。他の備大将は二名、中村一氏と浅野長政である。いかに秀吉が水沢隆広と云う男を恐れていたか分かる。柴田勝家と戦う事が分かっていて、この場にこれだけの将を配置したのである。

「秀長殿に中村一氏、浅野長政か…。すべて一筋縄ではいかぬ将ばかりにございますな」

 と助右衛門。

「城を囲むだけの任務にそれだけの将を配置するとは…。大した用心深さにございますな」

 と慶次も添えた。助右衛門が続ける。

「殿、越前の方も気にはなりますが、我らもこの困難を打開せねばなりますまい。羽柴四万、いや丹羽と伊賀殿、信雄様の軍勢合わせればまた六万以上にもなりましょう。越前は領内に四万五千。数の上では劣勢でございますが、勝家様とて鬼権六と呼ばれる猛将。信ずるほかございませぬ。殿はこのいくさのみ集中下され」

 と、助右衛門は言うが隆広は胸騒ぎがしてならない。隆広の考える理想的な展開は、今城を囲んでいる二万の大軍を撃破して、畿内の諸将に味方を呼びかけ、大軍を率いて大急ぎに北上して羽柴勢の後背か横腹を突く事である。主君勝家も戦上手であるが、それは秀吉も同じである。勝家が死に、越前と加賀が落とされた後に安土城だけが無事でも意味がない。

「殿、藤林の忍び、参りました」

「よし、作戦を説明する」

 奥村助右衛門、前田慶次、川口主水、堀辺半助、佐久間甚九郎、そして忍び三名が隆広に寄った。

「いいか…」

 

 羽柴勢来襲の報は勝家の耳にも届いた。

「信孝様をサルめが討っただと!」

 まさか秀吉が光秀と同じ事をしてくるとは想像もしていなかった勝家。秀吉は信長の子らにも献身的に尽くしてきた男なのである。三七こと信孝にも貢物などをしていたが、秀吉はあっさりその信孝を殺してしまった。そして安土城が包囲された報も届けられた。

「おのれサルめが…! 急ぎ安土に向かわねばならぬ。軍議じゃ!」

 大急ぎで前田利家、佐々成政、不破光治、佐久間盛政らが招集された。柴田軍には一つ難題があった。雪である。秀吉もそれを狙っていたのだろう。柴田は和議をした上杉の援軍も望めない。

「伯父上、雪解けまでは待ってはおれませぬ! 急ぎ南下して長浜の伊賀、安土の美濃と合流してサルめを叩きましょう!」

 と、佐久間盛政。

「その通りじゃ、美濃に安土の築城を任せていたこの一年、サルとの戦いを考えて軍備を整えていた柴田、雪があるとは云え、むしろこれは好機よ。琵琶湖を羽柴勢の血で染めてくれるわ!」

「申し上げます!」

 北ノ庄城評定の間に使い番が来た。

「なんじゃ」

「美濃守様より使いにございます!」

「通せ」

 柴舟が来た。

「ふむ、美濃の忍びであったな。安土はどうか」

「はっ、主君美濃は安土に篭城の構えにございます。羽柴は安土に羽柴秀長を大将に二万、岐阜城に蜂須賀正勝を大将に同じく二万を向けました」

「岐阜?」

「あくまで主人のカンにございますが、三法師君を奪うつもりであるかと」

「なにィ!?」

 岐阜城を守るのは織田信包である。織田信秀の四男(六男とも)で、織田信長の弟である。三法師の養育と後見を勝家から要望されたうえ岐阜城を預けられた。(史実では秀吉につき、信孝や勝家とは敵対)

「主人は岐阜城を落とし、三法師君と云う神輿を持ち越前に攻め入るつもりであろうと申しております」

「おのれサルめが!」

「また、柴田勝豊様が羽柴勢に降伏! 長浜の城ごと羽柴の手に落ちました!」

「な、なんじゃとォッ!?」

「羽柴の兵力は安土に二万、岐阜に二万を残したとは云え、摂津勢、丹羽勢と信雄様の軍勢、ご養子の勝豊様の軍勢も合わさり、越前に北上する羽柴勢は五万!」

「か、勝豊がサルに寝返っただと! 確かなのか!」

「拙者、この目でしかと勝豊様ご自身と同家臣である木下半右衛門、大鐘藤八郎の旗印を確認いたしてございます!」

「何たる事…!」

 北ノ庄城主の間は騒然となった。

「よって主人は安土への援軍は無用との事! 大殿は羽柴本隊と戦う事に全力を尽くされたしとの言伝です。安土は必ず守り通すとの仰せでした!」

 勝家は立ち上がり、将兵に号令した。

「サルめを向かい討つ! 全軍出陣じゃ―ッ!!」

「「オオオッッ!!」」



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侵攻羽柴軍

 清洲会議の後、表面上は織田信孝の配下武将として落ち着いた柴田勝家と羽柴秀吉であったが、これが建前の協和である事は分かりきっていた。

 勝家と信孝は、秀吉を討とうと考えていたが、それは秀吉も同じ事。水面下で織田信雄と結び柴田勝豊も調略していた。勝家は水沢隆広に安土城を新たな居城を築城させて、ここを橋頭堡にし信孝との連合軍をもって姫路に攻め入るつもりであった。

 また秀吉は軍備を悟らせないよう、兵農分離や滅亡した大名の牢人を集めるにも本拠地の播磨では行わず、瀬戸内海に浮かぶ淡路島で秘密裏に行っていたのである。これは石田三成を始め、秀吉の誇る家臣たちの智慧と工夫であった。いざ挙兵の瞬間まで淡路島に待機させていたのである。あくまで勝家や信孝の目には羽柴秀吉は領内の内政に励んでいるように見せかけた。そして一年と云う驚異的な速さで信孝と勝家を打倒する軍備を整えて挙兵したのであった。

 

 播磨にも留守部隊は置き、隣国備前の宇喜多家とも和議を結び味方につけている。当主の秀家は九歳でまだ幼いが百戦錬磨の家老たちが補佐している。毛利とは小早川隆景と和議交渉に臨み、共に東進は無理でも後背を衝く事はない。

 信孝との交戦を見込んでいた長宗我部氏は秀吉と結んだ。やがて秀吉は挙兵して信孝を討った。これを見て当主の元親は四国全土を掌握すべく動き出し、現在は十河存保と交戦中である。秀吉に後顧の憂いはない。

 また徳川であるが、本能寺の変の後、事実上甲斐と信濃が空白地となったので、その地を領有すべく出陣した。しかし、その地を欲するのは北条家も同じである。東海の徳川と関東の北条が甲斐と信濃を取るべく動き出していた。

 柴田から徳川に対して援軍の要請する使者を幾度か出したものの、家康はこちらも甲信を取る戦で忙しいと会わなかった。織田の版図を継ぐのが羽柴にしろ柴田にしろ、家康はこの戦いに介入する危険性を読み傍観を決め込み、今は自分の勢力を拡大するのが先と思ったのだった。

 

 羽柴勢の大軍の前に、池田、中川、高山が降伏し、丹羽長秀も大軍に戦意を失い降伏した。そして柴田家に痛恨であったのは当主勝家の甥で養子である柴田勝豊の寝返りである。元々勝家と不仲であったし、次期柴田家当主となる可能性が大な水沢隆広とは更に不仲である。しかも長浜はつい最近まで羽柴の城である。羽柴と戦ったところで領民の支持が得られるはずもない。

 秀吉の調略は更に続く。南伊勢の織田信雄を上手く持ち上げて味方につけた。『三法師君を神輿とするのは権六を滅ぼすまで。その後は信雄様が織田の当主でございますぞ』と持ちかけた。信長から付けられた家老たちは反対した。今は柴田につくべしと説得した。しかし柴田のイヌとなったと見た信雄はその家老三人を殺してしまった。元々信孝とは仲の悪かった信雄。秀吉を兄弟の仇と見るどころか、よくやったと思っていたのだ。信雄は秀吉の出兵要請に応じ、佐和山城で合流した。

 

 秀吉は明智討伐で柴田についた蒲生家と九鬼家にも従軍を要請。しかしこの時に両家は実に思い切った行動を取る。独立を宣言したのである。蒲生は柴田とも袂を別ち畿内の一豪族に戻ると述べ、九鬼も柴田と羽柴には関せず海賊に戻ると秀吉の要請を一蹴したのである。

『ならば勝家を滅ぼした後はそなたらを討つぞ』と秀吉は脅したが蒲生氏郷と九鬼嘉隆は黙殺した。『主殺しに加勢をするなどお断り』と毅然として出兵要請を拒絶した。秀吉は『やれるものならやってみろ』と言わんばかりの返事に激怒。討伐を考えたが、ここで時間を取られるわけにはいかない。権六を討った後に吠え面かかせてやると決めて、そのまま進軍した。

 岐阜城を目指したのは蜂須賀正勝。後世に山賊あがりの野卑な男と言われているが、それは事実ではない。秀吉の信頼厚い智勇備えた名将である。

 

 その蜂須賀正勝率いる二万が岐阜城の手前にある大垣城を攻めた。大垣城を守る氏家行広は戦ったが、多勢に無勢で降伏を余儀なくされた。行広は城を明け渡すのと引き換えに家臣たちの命の保証を正勝に取り付けた。蜂須賀正勝は行広の才を惜しみ羽柴家への登用を薦めたが行広は拒否して野に下った。氏家と云えば先代氏家ト全が美濃四人衆と呼ばれ、水沢隆広の養父隆家と共に戦場を駆けた猛将である。その息子の行広もその才幹を受け継いでいる。しかし武運は彼に味方しなかった。

 

 清洲会議で、その清洲城を与えられたのが滝川一益である。滝川勢は動かなかった。

 一益は『大殿亡き後に甲斐と信濃を手中にと画策する家康が尾張に攻めてくるかもしれぬので動けない』と返事を出した。

 しかしこの時の家康は、その甲斐と信濃を取るために遠征しており、とうてい尾張に侵攻は出来ない状態であった。一益の言葉を言い逃れと見た秀吉は、さらに加勢を要請し使者を出したが、一益は病と称して出なかった。仮病と見るのは当然である。秀吉は『家康への備えと称し、なおこの権六を討つこのいくさに加わらぬと云うのならば、羽柴への味方の証しに、三男の一時(かずとき)を人質として出せ』と言ったが一益は拒否した。秀吉は激怒したが、この時本当に一益は病気であると秀吉の陣に密偵が知らせた。そして滝川家は長男と次男で跡目争いが起きて出陣どころではないと。秀吉の信頼厚い蜂須賀党の乱破からの報告である。

 この織田家の大事に? と思った秀吉は念を押して滝川家を調べさせたが、一益は重病人となっており床に伏せ、長男次男は父を見舞う事もせず、跡目を継ぎたいがため小競り合いを起こしていると云う報が入ってきた。すべての乱破の報告が一致している。“攻めるも滝川、守るも滝川”も地に落ちたと冷笑した秀吉。それを聞いて秀吉は滝川の取り込みは勝家を討った後でも間に合うと見込み、そのまま蜂須賀正勝を岐阜に向かわせたのだ。

 

 無人の野を行くごとく岐阜城に迫る蜂須賀正勝率いる羽柴軍。岐阜城を守る織田信包(のぶかね)、手勢は三千、信長の弟に当たる信包、秀吉には主筋であるがもう彼にはそんなもの眼中にない。

 信包に三法師君を渡せと迫る羽柴軍の蜂須賀小六正勝。信包の三法師に対して血縁の愛情は薄い。しかし、ここであっさり三法師を渡せばどうなるか。結局羽柴は自分を殺すだろう。三法師を渡したら殺されると見た信包は秀吉の要請を拒否した。それが城を攻める格好の名分になってしまったのだ。

 

 秀吉は三法師跡継ぎを大義名分とした。三法師を織田の世継ぎにして自分はその後見につき、つまり三法師を傀儡にする事を目的としていた。『三法師君の君側の奸を排除する』と云う事。これが主家の信孝を討つ大義名分でもあったのである。覇道の戦では勝ったとしても他の大名や朝廷は認めない。

 『織田の領土を掠め取る逆臣柴田勝家を討ち、正当な血筋から世継ぎの座を簒奪した不孝不義不忠の三男信孝を討ち、三法師様を織田の世継ぎにする』

 これが秀吉の大義名分。勝利すれば秀吉の勢力背景もあり正当化される。勝てばこの挙兵も正義となる。だから三法師は必要であったのである。

 秀吉は対柴田勝家に備え越前に向かい、途中かつての居城長浜に立ち寄った。城主の勝豊は秀吉を迎え

「筑前殿、お味方させていただきまする」

 と城主の席に秀吉を座らせて、腰を低くし秀吉の持つ杯に酒を注いだ。

「これは頼もしい。重用いたしますぞ」

 そう返す秀吉に平伏する柴田勝豊。勝豊の家臣一同もそうした。今も勝豊の評価が低い要因となっている柴田家への裏切り。

 しかし長浜城は秀吉が築き、かつ江北地震後は山内一豊が改修したため、羽柴軍には城の造りが手に取るように分かる。また羽柴家が長年に治めていたため、戦になった時には領民が羽柴勢に加勢する恐れもあり、本国の越前加賀から外れて孤立した城のために援軍も求められない。以上の点から勝豊が将兵の犠牲を考えれば降伏したとしても仕方ない。養父勝家との不仲などは二の次の事情であったかもしれない。

「ゴホッゴホッ」

 勝豊はここ数日咳き込みがひどかった。

「どうされた伊賀(勝豊)殿?」

「いえ別に。それで進軍はいつに?」

「本日にでも北に向かいまする」

「ぜひ我らに先陣を! 出陣の準備は出来ていますゆえ!」

「承知した。すぐに準備にかかって下され」

「ハハッ」

 降伏した敵将を、すぐにその敵方への先陣にするのは当時の常識だった。勝豊は秀吉に下命される前に願い出た。そして勝豊勢も入れた羽柴勢は五万の大軍で北上した。

 

 柴田勝家は北ノ庄を進発した。雪を押しての強行軍である。池田恒興、中川清秀、高山右近、丹羽長秀は降伏、滝川一益は病で息子たちはお家騒動、氏家行広は敗退、勝家の耳に入ってくるのは悪い知らせばかりであった。

 何より養子勝豊の裏切りは衝撃であった。考え直せと書状を送ったが勝豊は黙殺した。柴田軍は南下する。そしていよいよ羽柴勢の敵影を補足した。近江柳瀬に到着し内中尾山を本陣としてその南に砦を築き将兵を配置した勝家。

 第一線、別所山に前田利家、橡谷山に徳山則秀と金森長近、林谷山に佐々成政。第二線、行市山に佐久間盛政だった。

 

 羽柴軍総大将である羽柴秀吉も柳瀬に到着した。文室山に登り敵情を視察して決戦が近いのを悟り将兵を配置した。

 第一線、左福山に堀秀政、北国街道に小川祐忠、堂木山に山路正国、神明山に木村重茲。左福山と堂木山の間には壕を掘り、堤を築き、棚を設けて各備えの連絡を密にし、第二線は田神山に稲田大炊、岩崎山に高山右近、大岩山に中川清秀、賤ヶ岳に桑山重晴を備えた。丹羽長秀は琵琶湖北方の防備にあたり、その子の長重は敦賀方面の監視をし、細川忠興は一度国許に戻り水軍をもって出陣し越前の海岸をおびやかす。

 

「そうか、海上の封鎖は細川か」

  若狭水軍頭領の松浪庄三は部下の報告を受けていた。

「へい、そのうえ柴田支持の若狭水軍は商人司の護衛で現在博多にいる、と云うニセ情報が効いたようで、こちらへの警戒はザルにございます」

 ここは日本海にある若狭水軍の砦。秀吉の挙兵を知った水軍頭領の松浪庄三は羽柴に向けて、いや柴田にもニセ情報を流した。水軍は博多にいると。しかし実際は水軍すべてが本拠地の砦にいたのである。

「お頭、吉村様がお見えです」

「丁重に通せ」

「へい!」

「庄三殿!」

「お待ちしておりました、直賢殿」

 庄三の娘の那美が直賢に茶を出した。

「粗茶ですが」

「頂戴します」

 柴田家商人司の吉村直賢は庄三個人の友であり、水軍の仕事の協力者であるので水軍内部に一目二目も置かれていた。特に一度は女郎に落ちた妻も大切にして側室も持たない事から水軍の女たちからは絶大な人気も持っていた。那美は直賢の顔を見て少し頬を染めて部屋を出た。

「やれやれ、とうぶん砦の中の女たちが賑やかになりそうだ」

「ん? 何の話だ庄三殿」

「いやいや、こっちの話でございます」

「ところで…」

「はい」

「かの地に注文の品、しかと用立てました」

「そうですか!」

「あと金銀五千貫、兵糧七万石にございます」

「これは過分な! 部下たちも喜びましょう!」

「いえいえ、金銀と兵糧は貴殿たちが受け取る正当な報酬にございます。庄三殿たちの護衛があるからこそ、我ら柴田の商人司は海の交易ができるのでございますから」

「いやいや、相変わらず直賢殿は持ち上げるのが上手い」

「商人は舌がメシの種ですからな」

「ははは、しかし無茶な注文によう答えて下さいましたな」

「なんの、これは我らにとっても生死を賭けた戦いにございますからな」

「ふむ、して安土の水沢殿はいかがか?」

「幸いにして羽柴の襲来は安土の築城にメドがついたあたり。防御の高さは大殿がいたころより上こそあれ、低い事はないでしょう。篭城そのものに負けはないと思います。しかし問題は近江柳瀬の…賤ヶ岳における戦いにございます。羽柴に機先を制されましたからな。明らかに柴田の旗色が悪い。安土を守りきっても越前が先に滅ぶ事もありえます」

「ふむ…」

「とはいえ…今の殿にできる事は安土を守る事が任務でござろうから…」

「いや…」

「え?」

「あの若いのは隆家の養子であり、そして我が斉藤家の兵法を継ぐもの。ただ座して城を守っているはずがない」

「龍興殿…」

「しかし安土城か…」

「安土の地が何か?」

「…隆家ならば…こう読み…そして…」

 独り言をブツブツ言いながら龍興は考える。

「龍興殿?」

「よし!」

 龍興は膝を叩いた。

「誰ぞあるか!」

「お呼びでお頭!」

「おう、水軍を南に出撃させる!」

「細川と戦うので!」

「いや、事は秘密裏を要する。細川とは接触せず若狭に上陸して南下し琵琶湖を経て安土を目指す」

「安土に? 何をなさるつもりか!?」

「直賢殿、貴殿は朝倉の時代から堅田衆と懇意でありましたな」

「え? ええまあ、琵琶湖流通には堅田の衆の協力は不可欠ゆえ」

 堅田衆とは琵琶湖の湖賊である。信長包囲網の中では朝倉氏に加担して信長に対抗するが、やがて屈服した。信長はそのまま彼らを琵琶湖流通で使うと同時に経済的な特権もほぼ認めていたのである。本能寺の変後はその支配から離脱していた。

 吉村直賢は元朝倉家の勘定方であったので堅田衆と知己を得ており、柴田の琵琶湖流通でも大いに彼らの助力を得ていたのである。

「彼らを説いていただきたい」

「柴田に助力せよと?」

「いや水沢隆広の助力をせよと」

「殿に?」

「織田政権の中では明智の支配下にあった堅田であるから、明智を討った水沢への助力は難色を示すかもしれませぬ。しかし連中の耳にも斉藤利三の娘が水沢家の養女となり、光秀の四女が丁重に庇護されている事くらい届いておりましょう。何より坂本攻めにおける水沢隆広の明智家への至誠も。明智遺臣、今こそ立つ時ではないか」

「確かに…」

「現当主、堅田十郎にお伝えあれ。『賭け時を誤ってはならぬ』と」

「承知いたしました」

「あっははは! 思えば戦国の負け犬である、斉藤家、朝倉家、明智家の生き残りが一人の若者を勝たせるために再び立ち上がる! 痛快ではないか! あっははははは!」

 

 羽柴軍は安土城を包囲している。自分の城の外周すべてが敵兵に埋め尽くされると普通は城内の士気は激減する。糧道絶たれ、水源も絶たれるからである。

 それを見越してか、羽柴軍からは城内の水沢勢に容赦ない心理的圧迫をかける。絶え間なく陣鐘と陣太鼓が轟き、あざ笑うように鬨の声をあげる。城攻めの寄せ手側が取る手段の月並みな戦略であるが効果は絶大である。

 だがこの城攻めの場合、相手方の事情が違っていた。城の普請、生活用品の仕入れ、本拠地からの物資輸送も直接自分たちでやっていたのだから城内の女たちや年寄りたちも水や塩、食料の備蓄が豊富なのは知っている。

 また広大な城の敷地内には田畑と漁場もあり、三千二百の兵数とその家族たちだけならば、ゆうに二年は持ちこたえられる。城下町は無くても安土城は一つの小規模な城下町さながらの自給力があった砦なのである。また琵琶湖側には強固な防備柵を幾重も設置してあり、湖上からの侵入も無理であった。

 隆広は非戦闘員である女子供年寄りに『この城ならば十倍の兵力以上でも大丈夫だ』と城の防備力と備えについて隠さず説明して安心させた。それは兵にも伝えられ、城内一人一人に城攻めを受けている悲壮さがなかった。

 

「石田の佐吉の申す通りでござった。草(密偵)に安土を探らせたところ、食糧の確保は万全、城の一部が浮き城で、かつての天主近くには巨大な井戸、水が尽きることはない。小一郎(秀長)殿、包囲しても士気の削減はさほど望めますまい」

 と、浅野長政。

「鬨の声を浴びせ続ければ効果はありましょう」

 と、中村一氏。

「あまり効果は上がっていないと草から報告が来ている。こちらの睡眠事情もあるゆえ一日中に鬨の声を続けるのは無理なのは明白。交代して睡眠を取り、日中は普通に野良仕事をし、軍馬の世話や鉄砲の整備をしてくさるとの事じゃ」

 一氏の問いに答える長政。

「ふーむ、そこまでの安心を城中の者に植えつけた美濃を褒めるべきであろうな」

「感心している場合ではございませんぞ小一郎殿! あれだけの堅城、とうていチカラ攻めは無理。とすればいぶり出すしかないが篭る利点を知る美濃は出てはくるまい! 今の安土には支城もないゆえ、支城を襲って引きずり出す後詰の計もダメ、城下町もないから町を焼いて引きずり出す事も出来ない。琵琶湖の広い堀と城壁の高さで火矢も届かないから安土山の木々を燃やしていぶり出す事もできない。八方塞がりではないか!」

 いかに包囲だけしていれば良いと云う戦術でも、士気への影響を思うと軍事行動を何一つ起こさないと云うわけにもいかない。水沢勢が城外に出てきて叩ければ、その後に隆広が城に戻ったとしても降伏を呼びかけるか、防備の兵がいなくなった箇所を見つけて攻撃できる。

「そうだ!」

 手のひらをコブシでポンと叩く中村一氏。

「鬨の声ではなくて、美濃への悪口雑言をずっとヤジらせれば良いのでは? 特に美濃は愛妻家で有名、その悪口を言えば出てくるのでは?」

「そんな事で出てくるかのう…」

「やってみなくては分からないではないですか弾正少(長政)殿! どうでしょう秀長様」

「よし、やってみよう。孫平次(一氏)頼む」

「承知!」

 

 中村隊はすぐにヤジ攻撃に入った。最初はさすがに女の悪口を言うのに気が引けたか隆広個人の悪口しか言わなかった。

『おい勝家の色小姓出て来い!』

『尻の穴でお城をもらったか腰抜け美濃!』

 隆広は平然としていたが部下たちは激怒。

「あの悪口雑言許せませぬ! 出陣のお許しを!」

 出陣を隆広に願い出る奥村助右衛門。評定の間で軍務の指示書を書いていた隆広は筆を止めた。助右衛門の後ろには出陣を願う他の将兵もいた。

「奥村助右衛門永福」

「は、はい…」

「そなたは当家の家臣筆頭ぞ。逆にいきり立つ兵らを抑えねばならぬのに、かような短慮を見せてどうするのか」

「しかし、ああまで言われて!」

「羽柴はああして我らをいぶり出すしか勝機はないと知っているからだ。言わせとけ、無視をせよ」

「確かにそうでございますが! ああまで言われて何もせぬは士気に関わりまするぞ!」

「…? どうした慶次、妙にデカい声で」

「それがしの声のデカさは元からにござる! 殿、出丸からの鉄砲射撃でも良いからここは」

「…普通の声で言ってみよ」

「…い?」

「だーッ! それがしも前田様と同意見にございます! ここは討って出ずともせめて我らの投石か鉄砲で!」

「いいから普通の声で言ってみよと申している主水!」

『嫁さんオカメ~ッ!』

「……」

『ヘチャムクレの女房~ッ!』

「……」

 

 家臣たちは思った。“ああ…終わった…”と。

「ブッ殺す羽柴め!」

 文机の筆を窓の外にブン投げる隆広。そして脱兎の如く評定の間から出て行った。隆広の傍らにいた奏者(秘書)番の大野貫一郎は止める間もなかった。

「行っちゃった…」

「アッタ~。気づいていたよ羽柴め、奥方のワルクチ言えば一発だって事」

「そ、そんな事より殿を止めるぞ慶次! あんな頭に血が上っていてはやられに行くようなモンだぞ!」

 一転して今度は家臣たちが隆広を止める立場となった。鎧もつけずに城門に走る隆広を助右衛門と慶次が慌てて止めた。

「な、なりませぬ! 羽柴の術中に!」

「離せ! あやつらさえを侮辱した! オレのワルクチなら笑って聞いてやるがさえのワルクチは許さん!」

「殿!」

「さえ…」

「堪えて下さいませ。むざむざ殺されに行くようなもの」

「だがさえの事をあいつら…」

「殿がご自分を悪く言われても堪えるように、さえも自分のワルクチは堪えます。だから…」

 さえは泣いていた。

「羽柴が殿のワルクチを言っている時、さえは悔しくて涙が止まりませんでした…。そして今、さえのワルクチを聞いて我を忘れるほどにお怒りになられた殿が…さえは嬉しゅうございます」

「さえ…」

 手を繋いで見つめ合う二人。完全に二人の世界に入ってしまった。

「うん、二人で堪えよう」

「はい…」

「身重のそなたなのに…苦労をかけるな」

「苦労などと思っておりませぬ」

 そして抱き合う二人。家臣たちは完全にカヤの外。必死に諌めにきた自分たちがアホらしくなってきた。赤面し苦虫を噛み潰したような顔で『もう勝手にやってくれ』とその場を後にしようとした。だがその時、

 

「アイツツ…」

「さえ?」

「あ…。と、殿、赤ちゃんが…!」

「と、ちゃ、ぴ! おい皆! 羽柴なぞどうでもいい! さえが産気づいたぞ!」

「た、大変! 急ぎ奥方様を城内に!」

 さえに付いて来た八重が男たちに指示してさえを城内に運ばせた。

「さえ…!」

「大丈夫、二度目ですから…アイタタ!」

「さあ、殿方は出て行ってください! これからお産です!」

 八重は腕をまくって出産にかかった。さっきと異なり評定の間は静まりかえった。相変わらず城の外からヤジが聞こえるが隆広の耳には入っていない。そして…。

 

「オギャア、オギャア」

 

「やったあーッ!」

 評定の間で飛び上がって喜ぶ隆広。一緒にいた家令の監物と手を取り踊り出した。三人目の子である。

「おめでとうございまする殿!」

 監物が云うと

「「おめでとうございます殿!」」

 家臣たちも揃って言った。

「ありがとうみんな! もう羽柴が何を言ってこようと腹も立たないや。あっははは!」

 祝福を受けたあとに隆広と監物はさえの待つ部屋へと駆けた。

「さえ!」

「殿…」

「ようやった! どちらだ!?」

「姫にございます!」

 八重が答えた。

「女の子か! これで当家は男女二人ずつ、座りがいいな!」

 八重の手で産湯につかり、そして生まれた子を抱くさえ。

「私も今度は女の子がいいなと思っていたのです…」

「うんうん! きっと美女になるぞ! おう、もう名前は決まっているんだ」

「え?」

「ほら、竜之介を生む時、女の子なら監物と八重に名づけを委ねようと言っていたろ? それでオレと三人で一度遊びだが姫の名前を申し合わせないで手に書いて見せ合った事があった。そしたら三人とも同じ名前を考えていたんだ。すごいだろ」

「そんな話…。私聞いた事が…」

「そりゃそうだ。女の子が生まれるまで控えていたとっておきの話だ。監物、八重」

「「はっ」」

「もう一度再現するぞ。筆を取れ」

「「はい」」

 そして三人は手のひらに生まれた姫の名前を書いた。

「いいか」

「「はい」」

「せーの!」

 三人の手のひらには『鏡』と記してあった。

「鏡…?」

「そうだ、そなたの父の景鏡殿から一字もらった。考える事はみんな同じだ。あっははは!」

「と、殿…。私嬉しい…」

「オレも嬉しい! さあ姫、本日からそなたの名は鏡姫だ!」

 

 もうスウスウと眠り出している鏡姫。部屋の外でずっとその様を見ていた福。実の姫が生まれてしまったので養女である福は不安になった。もう自分は放っておかれてしまうのではないかと。

「何している福、ここへ参れ」

「は、はい…」

 隆広の横に座る福。

「ほら福、妹だぞ。抱っこしてみるか?」

「い、良いのですか?」

「何を言っている。お前は当家の長女だぞ。この子のお姉ちゃんだ」

「ほら福、妹よ。抱っこしてごらん」

「は、はい!」

 福は鏡を抱いた。

「あったかい…」

 鏡を抱く福を優しく見つめる隆広とさえ。福の目にだんだん涙が浮かんできた。

“お前は当家の長女だぞ”

 その言葉がたまらなく嬉しかった。

「福、いいお姉ちゃんになる…」

 この時、初めて福は隆広への警戒心を解き、そして何故父の斉藤利三が自分を敵将であった水沢隆広に託したのかが分かった。父の利三は水沢隆広が自分を大事にすると云う事が分かっていたのだろう。父上の仇なんかじゃない。父上が認めた方なんだ。実の娘が生まれて不安に思った自分が恥ずかしい。鏡を抱く福を寄せて抱く隆広。

「今に福と鏡は柴田家、いや畿内、いやいや日の本でも評判の美人姉妹になるぞ」

「ホントに?」

 もう隆広と福の間に溝は無い。隆広とさえはそんな福の変化に気づく。鏡が生まれた事も嬉しいが、福が心を開いてくれたのも嬉しい。

「そうとも絶対だ! しかしなあ…」

「え?」

「いずれどこぞの男に嫁にやると思うと…」

「あははは、もう二人の将来の心配にございますか」

「気が早いですなあ殿」

 少し嬉し涙も浮かべている八重と監物。

「福も鏡も水沢隆広様のような殿方に嫁げると良いのですが」

「うう~! さえ、嬉しい事を言ってくれるなあ」

「うん! 福も父上のような方の妻になりたいです!」

 福の言葉に歓喜する隆広。部屋には家族の笑い声が心地よく響く。羽柴との戦いのさなか、しばしの幸せを味わう水沢家だった。



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騙し騙され

 中村一氏のヤジ作戦も結局実りはなかった。

「うーん、女房のワルクチ言えば一発と思ったのだがなあ。伊右衛門(山内一豊)も普段温和だが千代殿を少し悪く言われると激怒する。愛妻家の心情を掴んだ巧妙な策と思ったに」

「ならばもう攻めずとも良いわ。羽柴は動かず包囲するだけで良い。岐阜で三法師君を得て、越前にて修理亮(勝家)殿を討てば美濃も気持ちが変わろう。この二万にさらに五万六万増えて包囲され、かつ父の修理亮殿なくば玉砕か降伏しかない。前者を選ぶ可能性もあるが部下を大事にする性格ゆえ、結局は後者を選ぼう。我らは美濃をここで足止めすれば良い。親父の修理亮殿の元に行かせないのが我らの務めだ」

 秀長の言葉に中村一氏は軍机を叩く。

「忌々しいのう! 二万の我らが二十歳ちょいの小僧に手出しできぬとは!」

「それだけの小僧と認めようではないか。親父も名将だが息子はその上を行く名将と来ている。武の親父に智の息子、あの親子を合流させてはならぬ。さて…」

 秀長は床几を立った。

「兄者と柴田勢との戦い、しばらくはかかろう。我ら安土包囲軍の将は兵に抜け駆けを禁じ、かつ万一の時はいつでも戦えるように士気を下げずに備えておく事じゃ。念を押して言うが、相手は上杉謙信さえ寡兵で退けた水沢隆広と云う事を肝に銘じよ。交戦に至らずと分かっていても油断はするな」

「「ハハッ」」

「特に秀次!」

「は、はい!」

「功を焦るでないぞ」

「はっ!」

 

 一方、安土城の評定の間。

「さて、ヤジ攻撃も通じぬと分かり羽柴も長囲策としたようだな」

「そのようにございます。しかし殿、奥方のワルクチを言われたら、ああすぐ頭に血が上るようでは困りまする」

「そういう助右衛門だって、津禰殿のワルクチ言われたらどうするんだよ」

「そ、それがしもそりゃあ怒るでしょうが、殿はこの安土の城を預かる身! 軽挙は困りまする!」

「うん、以後は気をつけよう。しかし助右衛門は芝居がヘタだな」

「武人にかような特技はいりませぬ」

 あの羽柴の悪口雑言作戦。隆広はいずれやってくるだろうと見込んでいた。だから奥村助右衛門に時を見計らい出陣を請うよう指示していた。そしてそれを否と自分が述べて憤る家臣たちを押さえる算段だった。だがついつい、さえのワルクチを言われて隆広はキレてしまった。

「しかし、また芝居を頼む事になる」

「ええ! もうご容赦下さいませ。そうだ、慶次お前…」

「おっと! これから兵の訓練時間だ。失敬!」

 さっさと部屋から出て行ってしまった。

「あいつ、面倒くさそうなのはみんなオレに押し付けおって!」

「ははは、それが筆頭家臣の勤めだ。観念してオレの芝居に付き合ってほしい」

「はあ…」

「いいか、もうすぐ羽柴陣に…」

 

 さて、こちらは羽柴の陣。二万もの人間が集まると、自然そこで商売をしようとする者が現れる。安土を包囲している羽柴陣に呼びもしないのに、遊び女や商人、芸人が続々とやってきた。

「どこから参った?」

 と芸人や商人に訊ねる秀長。

「いやでんなぁ総大将様、ワテらは羽柴様の領地のモンです。羽柴家の方たちはワテらの大事なお客やのに、みぃんな東へと向かって行ってしもた。これじゃワテら商売あがったりにございやす。さすがに近江の北まで行くのは無理やけど、安土までなら摂津と山城も羽柴領となったわけですし通過はできるっちゅうモンです。ワテら、はるばる播磨からやってきたのですわ!」

「ずいぶんといるな…」

「へい、途中の摂津や山城でも同業者に声をかけやしてね。みんな次の天下様かもしれない羽柴家の方たちにお覚えを目出度くしてもらおと思っておるのですわ」

 長対陣になる事は秀長も分かっていた。人間する事がないとロクな事をしない。そろそろ将兵を長対陣に飽きさせない方法を執ろうとしていた秀長には渡りに船だった。

「芸人、遊び女は仕方ないとしても、商人らは当家や織田家から発行されている商人手形があるだろう。見せよ」

「へい、おいみんなァ!」

 商人たちは秀長に身分を証明する商人手形の木簡を見せた。

「ふむ、間違いない。よし当陣にて商いを許す」

「「おおきに!」」

 羽柴の若い将兵たちは陣の外にたくさんいる遊び女を見てはしゃいでいた。酒も荷台に積まれて山とある。同僚に頼み込んでゼニを借りている者もいた。

(いかに安土の堅を示して城内の者を安心させたとて、敵勢が眼前にいて緊張がないはずがない。敵陣のこちらの楽しい陣中を見ればどうなるか…。兵士も長対陣で飽きない。一石二鳥だ)

 

 この知らせは安土城内の隆広にも届いた。

「そうか、敵は長対陣の構えだな。遊び女とドンチャン騒ぎとはうらやましい」

「かようなノンキな事を言っている場合ではございませんぞ。敵陣の楽しい宴を見れば城内の士気の激減は必至でございます」

「心配しなくていい主水。敵陣にそういう動きがあったら皆に言おうと思っていた事がある。幹部を招集せよ」

「しょ、承知しました!」

 

 羽柴陣は連日連夜宴をしていたが、羽柴秀長は一滴の酒も飲まずに遊び女も近づけさせなかった。だがある日、安土に忍ばせていた密偵から

「なに? 噂は本当であったと?」

 と、知らせが入った。その密偵蝉丸は秀長直属の忍びで報告はいつも正確だった。

「は、昼間から女を抱き酒を飲んでおりまする」

「確かか?」

「はい、拙者この眼で見ました」

「信じられん…。包囲の圧迫を酒色に逃げるような男ではないはずなのに…」

 羽柴の陣には、十数日前から城代の隆広が酒色に溺れていると云う情報が入ってきていた。秀長は無論、浅野長政や中村一氏も、それは水沢の密偵が流した噂と聞き流していたが、確認のために秀長は信頼おける密偵蝉丸を安土に忍び込ませた。そして噂の真偽を確かめさせたのだが、意外にもそれは事実であった。隆広は城内で女と遊んでいた。

「こう言っておりました。『羽柴は攻めてこない。越前での戦が終わるのを待ち、柴田を討ったらオレに降伏を迫るつもりだ。オレはすぐに降伏して、この安土城を手土産に羽柴様の家臣にしてもらう。今は疎遠となったけれども、オレと羽柴様は元々親しい。悪いようにはされないはずだ』と…」

 確かにそれは正しい考えだった。秀吉は隆広を欲しがっていた。“忌々しきは美濃”と言ってはいても秀吉は隆広を高く評価している。『あの軍才、行政能力! ぜひ欲しい』と言っていた。

「それで交戦状態に入らぬと読んで遊んでいるというのか…?」

「御意」

「ふむ…。主人を変える事は別段恥ではないが…美濃殿は父の修理亮殿に対して何か言っていたか?」

「はい、やはりご実父とは云え鬼権六と呼ばれる御仁に仕えるのは色々と鬱憤が溜まるようで、ついには六年も前の事のグチまで言っていました。『手取川の戦でオレの云う事を聞いていれば謙信の首は取れた。オレの進言を入れない無能な主君なんてゴメンだ。今さら親子と言われても実感もない。羽柴様は家臣の言葉に耳を貸すお方、これからオレは羽柴様を父と呼び天下を取らせるぞ』と」

 確かに秀吉は『手取川で権六が隆広の意見を入れていれば謙信は越後に帰る事はできなかったろう』と言っていたのである。酒が入り本音が出たか。

 隆広には羽柴陣営の幹部に親しい者がいる。石田三成とは無二の友、そして黒田官兵衛、仙石秀久、山内一豊、稲田大炊とも友誼を結び、秀長自身とも、何より当主の秀吉と親しかった。羽柴家の武将になっても明るい未来は約束されていると言っても過言ではない。

「知恵者らしく打算を選んだか…。まあ美濃殿にも家族家臣があろうからな…。とにかく交戦状態に入らないと確信しているのはさすがだ。その通りなのだからな」

 

 そして備将の羽柴秀次、毎晩遊び女と戯れていた。部下と酒宴の毎日、みなが『極楽陣中』と呼んでいた。

「いや~こんな城攻めなら毎日したいものですな殿」

「まったくだ、しかし叔父上も慎重な事よ。敵将の水沢隆広は女と遊んでいると云うではないか。今なら攻めれば落とせるぞ」

「秀吉様は世継ぎに於次丸秀勝様(信長四男)を考えているそうな。しかしここで大手柄を立てれば秀次様が…」

「逆だ。たとえ手柄を立てても抜け駆けを叔父上は嫌う。忌々しいが秀長叔父の言うとおりにするしかない。何よりこんな極楽陣中、もっと楽しみたいではないか」

「はっははは、確かに!」

 一方、別陣の浅野長政の陣では

「岐阜ではそろそろ信包が落ちそうだ。家中が羽柴派と柴田派で分裂しているらしい」

 と、浅野長政。中村一氏が訊ねてきており酒を酌み交わしていた。

「賤ヶ岳では殿がうまく長期戦に持ち込んだとか。大軍とはいえ兵を三つに分けて大丈夫かと思ったが、さすがは殿だ。あとは三法師君を手に入れて越前に攻めるだけですな」

「うむ」

 浅野長政の杯に酒を注ぐ一氏。

「しかし孫平次(一氏)…。我らこんな事をしていて良いのやら。確かに長対陣に酒も女もなければ皆イラつくであろうが、これでは厭戦気分が蔓延してしまう」

「確かに…。この辺で一度美濃殿に降伏の使者を出してはどうかと思うのでござるが…」

「ムダよ。越前が落ちぬ限り降伏はない。美濃も羽柴がそう思っているのは分かっていよう。城の内部を探られるだけと見られ使者は門前払いされよう」

「ふう、岐阜と賤ヶ岳の動きを待つしかないか…」

 

 で、一方の安土城はと云うと

「ははは、戦などしていられるか。せっかくこんな大きな城も手に入れたんだ。もう柴田の一家臣ではない。オレは天下人だ! あっはははは!」

「きゃあ、隆広様ステキ!」

「うんうん、お前たちにもいい思いをさせてやるぞ」

 水沢隆広も女に囲まれて上機嫌だった。

「殿!」

「あ、なんだ助右衛門」

「なんと情けない! 敵に囲まれた圧迫を女色で忘れる所存か!」

「忘れてねえよ、この城があれば羽柴のクソ猿の手下ごときハナクソよ!」

「殿…!」

 天井裏でその有様を見る秀長の密偵蝉丸。

(今日もこんな有様か。やはり六倍以上の軍勢の重圧は城代には負担なのだろう。現実から目を背けて女に溺れるか。天才と聞いてはいたが挫折を知らぬ分モロい。窮地に陥ればこんなものかもしれぬ…。今なら美濃守を討てるかも…)

 しかし、討てば退路は閉ざされ殺される。いかに城代はあの有様でも警護するのは藤林。それを知る秀長も蝉丸に隆広暗殺を下命していない。

(ふん、こんな男と刺し違えるのもつまらぬわ…。帰るか)

 蝉丸の気配が消えた。

 

「…去ったな」

「そのようね」

 助右衛門の後ろ、そこに水沢隆広は立っていた。

「お疲れさん、白」

「はい」

「くノ一たち、早く服を整えてくれ、刺激が強い」

「「はーい!」」

 くノ一たちは瞬時に忍び装束に姿を変えた。密偵が見たのは白が影武者として化けていた隆広である。

 他人が隆広の容貌を論ずるとき、真っ先にあげられるのが『美男の優男』と云う事だった。白も隆広に劣らぬ美男の優男なので影武者にはうってつけだった。

 また、女の色香で骨抜きになってしまう者には、この任は無理である。白はつい先月に葉桜と云う里の娘と結婚したばかり。その娘もくノ一で、影武者隆広を囲む女の一人にいる。本心からデレッとしたら後で何をされるか分かったものではない。

 

 水沢側が羽柴陣に侵入するのはさほど困難ではなかったが、堅固な城塞安土城、ここに侵入するのは秀長の信頼厚い蝉丸も容易ではなかった。そう何度も侵入は出来ない。隆広の使う藤林の忍びの力量は秀長も知っている。だから露見されやすい火付けや流言などの命令は与えず、隆広の身辺だけ探り戻る事を蝉丸に命じていた。

 城内の警備を担当する藤林は影武者の白が演ずる隆広の体たらくをあえて見せるようにしていた。羽柴の密偵の侵入をすぐに見破り白に知らせ、酒色の場を作り、そして密偵をその部屋へと気づかぬように誘導させ、体たらくを見せる。これが隆広から藤林に与えられた下命である。

「ホントに…殿も酷な任を下命される」

「そんな事言ったって仕方ないでしょ。大将を敵の密偵の前に立たせるわけにもいかないし」

 と、白の妻の葉桜。そして奥村助右衛門は足を崩して頭を掻いた。

「ふう…。殿ホントにこんな事の繰り返しで良いのですか?」

 数日間ヘタな芝居を強いられている助右衛門は少しゲンナリしていた。慶次に代わってくれと何度か頼んだらしいが『オレに芝居は無理』とかわされてしまっている。

「しかしあの密偵、スキがあるよう見せかけているのに影武者の白を殺そうとする動きはないわ。さすがに殺した後は退路がなく殺されるとは見ているようね」

 と、舞。

「ああ、今のところ羽柴は優勢、密偵とはいえ勝ち戦の美酒に酔いたいものよ。死んでも城代と刺し違える、なんて事は思うまい」

 と、奥村助右衛門。隆広は白の横に座った。

「もう一押しするぞ」

「え? 今度は何を」

「君臣の仲が上手くいっていない事を見せよう。ここで助右衛門と慶次がオレを強諌し、激怒したオレが二人を幽閉させる展開に持っていく。水沢隆広は自分の両翼を自分で切った大マヌケと思わせる。そして同時に敵陣にオレの自堕落ぶりをさらに喧伝する。秀長殿は慎重な方よ。油断させるにはオレがバカ大将になるしかない。そしてバカ大将になればなるほど油断を誘える。『三人、之を疑えば慈母すら信ずる能わず(あたわず)』だ。続けるぞ」

『三人、之を疑えば慈母すら信ずる能わず』とは唐土(中国)の故事である。孔子の高弟である曹参(そうしん)と同姓同名の男がいて、その男が人殺しをしたのだが、それを聞いた者が孔門の曹参と早合点して曹参の母に知らせた。母は信用しなかったが次から次へと同じ知らせが入ってくるので、慈母と近隣に尊敬されていた曹参の母でさえ、ついに疑念を抱き、息子が人殺しをしてしまったと思い込んでしまったのである。

 隆広は自分の才幹や徳行が、とうてい古の大賢人曹参の比ではないと思っているし、いかに秀長が自分を認めていても、その信は曹参の母が曹参を信じる度合いに及ぶものではないと分かっている。初めは単なる噂や中傷と思って相手にしなくても、何回も、そして多くの者たちから言われれば信じるにいたる。隆広は、この中傷の恐ろしさを逆用したのである。

「では早速、先の密偵が敵陣に帰ると同じして噂流せば効果もあると」

 と、舞。

「うん、遠慮はいらないからオレのワルクチをどんどんバラまいてきてくれ」

「「承知しました!」」

 舞、くノ一たち、そして六郎や他の忍軍もすぐに羽柴兵に化けて城から出た。

「さて、白、助右衛門」

「「はっ」」

「慶次も呼んで芝居の稽古だ」

「はあ…やっぱりやるのですか」

 ゲンナリする奥村助右衛門。

「当たり前! 白も上将の二人が相手とて遠慮せずやるんだぞ!」

「は、はい」

(凝りだすと止まらないんだからもう…)

「なんか言ったか白!」

「い、いえ何でも! あははは! …はあ」

 

 密偵蝉丸は数日後に見た。水沢隆広が自分の両翼とも言える奥村助右衛門と前田慶次の強諌に激怒して幽閉したのを。

「敵も色々大変だの…。まあ六倍以上の兵に囲まれれば城内には悲喜こもごもあろうが」

 報告を聞いた秀長は苦笑した。

「それでそのまままだ遊びは続いているのか?」

「はい、ですが最近では女たちにも呆れられている有様です。正室と側室にはその遊びで夫に愛想を尽かし、周りにいる女たちも命令で渋々の様子にございます」

「美男子の神通力もそう続かんか」

 

 白の隆広の影武者ぶりはだんだん堂に入ってきた。秀長の密偵が見たように、自堕落な隆広を演じ続けた。ハタから見て涙ぐましい努力であった。これは大将の妻として私も協力しなければならないと、さえとすずも白の芝居に付き合おうとしたが、密偵の前に大将の正室と側室を立たせるわけにも行かない。英と月姫がさえとすずを演じた。

「もうさえは殿に愛想が尽きました!」

 と、さえを演じる英。白は両腕に着物がはだけた舞と葉桜を抱いている。

「おう怖い怖い、最近抱いてないからと言ってスネるなよ~」

「あの凛々しい殿はどこへ行かれたのです! 毎日朝からお酒を飲んで! すずは殿に失望しました!」

 同じくすずを演じる月姫。天井裏の蝉丸は英と月をさえとすずと疑わず、思わず苦笑し見た光景を秀長に報告したのである。

「ふう」

 密偵の気配がなくなると白は額ににじんだ汗を拭いた。それを見計らって六郎が部屋に入ってきた。

「最近のお前の芝居は鬼気迫るものがあるな」

 六郎が水を茶碗に入れて渡した。

「代わってくれよ…」

「今さら無理を言うな。殿のような美男の優男である自分を恨め。あっははは」

「ねえねえ白殿! 次はどんなお芝居しましょうか!」

「英殿…。遊びじゃないのですよ」

「わ、分かっています。でも何だか楽しくて。ねえ月殿」

「はい、それにしても白殿のだらしない顔が何とも可笑しく、吹き出すのを堪えるのが大変です。うふふ」

「月殿の芝居はヘタですが…」

「何か申しました?」

「いや別に…」

「ちょっと白! さっき私の乳房に少し触れたでしょ!」

 と、白の左腕に抱かれていた舞。着物を正しながら叱り付けた。

「なに! ホントか白!」

 怒る六郎、実は舞といい仲になっていた。

「私も見た! 女房の私の乳には触んないで何で舞のに触んのよ!」

 妻の葉桜に頬を抓られる白。

「イテテッ! そんな事してないだろ~ッ! なんでこんな損な役目しているのに怒られなきゃならないんだよ~ッ!」

 

 再び羽柴秀長の陣。

「そうか、正室と側室にも愛想を尽かれるとはな。天才的な男と思っていたが、天才な分だけ、窮地に立つとモロいやもしれぬな」

「殿、このまま安土へ攻めるか幹部に内応を促してみては?」

「ふむ、奥村と前田の両将が幽閉された場所は掴んでいるか?」

「無論です」

「幽閉から放つ事はできるか?」

「何とかなりましょう」

「よし、二人を調略しよう。明日まで密書を書いておくので、明日にまた侵入してくれ」

「承知しました。して殿、岐阜と賤ヶ岳の方はいかが相成っておりますか」

「賤ヶ岳は相変わらず睨みあいだ。柴田勢はお家芸でもある山岳戦に持ち込もうとし、兄者は平野部での合戦に誘い込もうとしている。まだ当分動かぬな」

「で、岐阜は?」

「そろそろ落ちそうだ。三法師君を得れば玉はこちらのもの。さすがに柴田勢に『弓は引けない』と思わせる事は無理だろうが、三法師君あらば信孝と修理亮殿を討つ事も正当化されよう。このまま上手く行けば安土を落としたうえ、長浜で小六殿と合流し賤ヶ岳に向かえるかもしれぬ」

「秀吉様が美濃殿を欲しがっている…と云うのはどういたします?」

「才は認めるが、窮地に立てば酒色に溺れるようなモロい天才に用はない。兄者には『見込み違い』とワシから述べておく。次に侵入して美濃殿を暗殺できる機会あらば遠慮せず討て」

「はっ!」

 

 そしてこの日、初めて秀長が遊び女の酌で酒を飲み、そのまま女を抱いた。隆広はこれを待っていたのである。羽柴陣に潜り込ませていた藤林忍びからその知らせが入った時、隆広は『我、勝てり』と立ち上がったと云う。

 陣中で酒を飲むのも女を抱くのも珍しい事でも何でもない。しかし秀長は時々晩酌程度に酒をチビチビと飲んでいたものの、女は抱いていなかった。遊び女の酌で飲み、かつその女を抱いたところに用心深い羽柴秀長が敵との対峙中に油断を見せたと云う事になる。

 人一倍用心深く慎重な羽柴秀長、かつ敵城を包囲作戦中の総大将なのだから、その用心深さと慎重も、さらに倍増しているはず。だが秀長は女の酌で酒を飲み、女を抱いた後は痛飲した。つまり秀長は隆広にとって羽柴勢の油断を推し量る絶好の人物であったのである。

 秀長がいよいよそうなった。もはや羽柴全軍に厭戦気分が蔓延している証拠である。相手の水沢も戦わないと分かっているから攻撃もないと思っている秀長。ついに隆広は秀長をだましたのである。浅野長政と中村一氏なる猛将も戦場で戦ってこそ活躍の場がある。隆広は両名の存在の意味を無くさせた。

 さすがの両名も厭戦気分にひたり、泥酔とまではいかないが最近はほろ酔いとなるまで痛飲していた。隆広は時に『無能』と思わせる事が最大の叡智である事を知っていた。

 六郎が琵琶湖をもぐり、羽柴の包囲陣を横に南に走った。羽柴陣から南に三里の平山『帯山』、そこに『向かい立ち鶴』の軍旗と『巴』の家紋の旗をなびかす陣があった。蒲生氏郷の軍勢である。わずか三里しか離れていないところに敵陣があるのに、羽柴は気づかなかったのである。

「おう、六郎であったな」

「飛騨守(氏郷)殿にもご機嫌うるわしゅう」

 

 羽柴秀吉が二条城の織田信孝を討ったと聞いた隆広は羽柴勢が安土に攻めてくる事を予想し、明智討伐で陣を同じくした蒲生氏郷と九鬼嘉隆に援軍を要請した。さすがに羽柴六万と云う大軍に驚きはしたが、両将は最初から羽柴ではなく柴田に付くつもりだった。だから秀吉の加勢要請も突っぱねた。独立を宣言したのは見せかけである。

 これは明智討伐において両名が隆広の采配で戦った事が起因となっている。若いながらも明智勢相手に絶妙な采配を執った隆広を両将は評価していた。

 そして築城中の安土にも陣中見舞いにも訪れ、建てられる城が信長の築城した安土よりも堅固に生まれ変わる事も理解し、そして物資の豊富さも見た。つまり隆広が城に篭れば絶対に羽柴は落とせないと分かっていたのである。後ろから衝けば挟撃がなり勝てると思っていた。清洲会議の論功行賞でも領地を与えられた両家、隆広がすでに勝家の実子とも知っていた彼らは、この羽柴対柴田の合戦で家を一層拡大するまたとない好機と思ったのだった。

 信孝が討たれた直後、隆広は迅速に畿内の柴田寄りの将に援軍要請をした。羽柴軍が安土に来るまでの時間を無駄にしなかった。九鬼家には松山矩久が使者として向かったが、この蒲生家には六郎が使者として当たっていた。六郎が蒲生氏郷の居城に日野城に行った時だった。まず隆広が書いた木簡を差し出した。援軍要請の内容だった。だが六郎が持ってきた二千貫の使用用途については記されていなかった。

「美濃殿はこの大金どうせよと?」

「はい、口頭で述べます」

「ふむ」

 六郎は隆広からの言伝を述べた。たった一言だった。

「分かった。さすがは美濃殿よ、ワシも同じ事を考えていたわ」

 氏郷は羽柴の安土城包囲軍を殲滅させる作戦全容をそのたった一言ですべてを理解した。

「すぐに準備いたす。して作戦実行の時は…」

「拙者が再び使者として飛騨守様の元へ訪れます」

「ふむ…」

「また…」

「陣を帯山に構えろと言うのであろう?」

「そ、その通りにございます!」

「あっははは! 秀吉は怒らせても良いが、美濃殿だけは怒らせたくないものだ。あっははは!」

 後に隆広も“飛騨殿だけは怒らせたくない”と述べている。名将、名将を知ると云う事か。

「六郎」

「はっ」

「飛騨守、委細承知したと美濃殿に伝えてくれ」

「ははっ!」

 

 蒲生家は本能寺の変直後には柴田家への味方を約束していた。そして氏郷は秀吉が織田家に叛旗を翻す事は予想していた。誤算は思いのほかそれが早かったと云う事と、羽柴の大軍である。しかしまだ対処はできると思っていた。

 蒲生氏郷は明智攻めでも隆広と陣を同じにしていて、四歳年下の隆広の才能を高く評価していた。また氏郷の妻の冬姫は織田信長の娘であるが、冬姫は好色な秀吉を嫌い、夫に『筑前(秀吉)は女の敵、筑前だけには味方してほしくない』と言った事もあった。無論、妻のそんな言葉で去就を決めるはずもないが、氏郷はたとえ水沢隆広が五倍や十倍の兵に囲まれていたとしても、最初から柴田家に助勢すると決めていた。家老の蒲生郷成が

「すぐに柴田に味方にすると決めるのはどうかと、秀吉の軍勢は破竹の勢いにございますぞ」

 と言うが氏郷は首を振り

「秀吉は勝てない」

 そう言い切った。

「無論、柴田を勝たせるためには我らの加勢が必要だ。また羽柴に参じても柴田への尖兵を命じられ、単なる手伝いいくさで終わるがオチよ。それに今でこそ羽柴がやや優勢とはいえ羽柴は播磨一国に対して柴田は越前若狭と近江、濃尾を押さえているし、上杉とも和睦した。

 そして何より光秀を討った事は大きい。それに秀吉は光秀と同じく主殺し、つまり信孝様を殺した。風は秀吉には吹かない。今は武威で恐れさせて臣従させているだけ。少しでも劣勢になったらアッと云う間に離散するのは必定だ。蒲生は柴田家への味方を貫く。それに柴田がやや劣勢なら、この戦は蒲生の家を大きくするまたとない好機。あと、清洲城でお市様が言ったのを聞いただろう」

「美濃殿が柴田勝家殿とお市様の実子と云う…アレですか」

「そうだ、今回の戦、柴田の若殿にも恩を売っておく好機だ。急ぎ羽柴陣を探り、工作に入る。忍びをかき集めろ!」

「「ハハッ!」」

 

 そして居城の日野城から羽柴勢に悟られないように、少しずつの兵数で出陣し、そして安土より南に三里の平山『帯山』に集合布陣し、隆広の動きを待った。そして…。

「で、六郎よ。いよいよ実行する時と?」

「その通りにございます」

「相分かった」

 六郎は氏郷から返事をもらうと、すぐに安土城に引き返した。そして氏郷は部下たちに命じた。

「全軍、仮眠を執れ。長い夜になる」

「「ハハッ!」」

 氏郷は賤ヶ岳の方角を見た。

「筑前、つまらぬ野心さえ持たねば長生きもできたろうにな…」

 帯山は名の通り、東西に広く連なる平山。ここに安土援軍部隊は集結していた。ここに布陣した蒲生勢と九鬼勢は隆広の作戦敢行の指示を待っていたのである。そして蒲生と九鬼と共に羽柴勢の後背を衝くもう一つの軍勢が蒲生陣の西に陣を張っている。

「やはり恐ろしき美濃、あの男も動かしたか」



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安土夜戦

 翌日の夜になった。羽柴の陣地は各将兵寝入りだしたが羽柴秀長は起きていた。

「誰かある」

「はっ」

「蝉丸、今宵に夜襲がある」

「な…!」

「今日は亡き大殿の祥月命日ゆえ酒も女も禁止させたであろう。だがそれは建前、夜襲を見込んでの事よ」

「なぜ今日と分かったのでございますか?」

「今日、そなたは城に侵入できなかったであろう」

「はい、やはり漏れていたのでございますか」

「そうだ、暗殺の命を帯びた忍びを入れさせるわけにもいくまい。昨夜にそなたにああ言ったのは陣中に潜り込んでいよう藤林の忍びに聞かせるためよ。藤林はワシの美濃暗殺の下命を知っていた事となる。それと同時に話していた『美濃を見込み違い』と言ったのも聞いている」

「では…!」

「美濃の体たらくは見せかけよ。藤林がそう何度も城の侵入を許すわけがなかろう。また昨夜ワシが美濃に対して完全に油断したように見せかけるため遊び女を抱いた。飲んだのは水だったがな。それで美濃は『羽柴秀長は完全に油断した』と見る。動くなら今宵であろうと思った。間違いなくこれから夜襲がある」

「お、恐れ入りましてございます!」

「美濃は酒色ではなく策に溺れたわ。まあ二万の我らに勝とうとするのだから、美濃にとっても苦肉の策であったのだろうがな。愚策を用いたと罵る事はすまい」

 秀長は自陣に藤林忍者の侵入を防ぐのは不可能と見ていた。だから彼は隆広の策に乗った振りをした。蝉丸との会話に耳を傾けていよう藤林に羽柴の楽観を聞かせ続けた。

「策士、策に溺れたと云うわけでございますな」

「ふむ、至急、長政殿と孫平次を呼べ」

「はっ」

 甲冑を小姓たちに装着させる秀長。

(策に溺れたな美濃殿! 今までの栄光の足跡がアダになったわ。誰がどう言おうとおぬしが窮地の圧迫を酒色で逃げる男ではない事くらい承知にござるわ! 大殿に楯突く事も辞さず、謙信さえ退けた男がどうして堕落などするか! 父親を助けたいばかりに気持ちが焦り申したな。父を、主人を思う心が裏目になったのは哀れ。だが友なればこそ遠慮せず討たせてもらう!)

 

 秀長の陣屋に安土包囲軍の将が集まった。

「これから美濃が攻めてくる。我らが泥酔して寝入っていると油断して攻めてきたところを一斉に襲い掛かる」

「「ハハッ」」

「それから…今にして思うと商人や遊び女たちを用意したのは美濃。羽柴を酒と女で骨抜きにしようと云う策だ。商人が持っていた手形もニセ物であったのだろう。あれだけ精妙なニセ手形を作れ、かつあんな多くの芸人と遊び女を用意できたと云う事は城の外に味方がいる。挟撃してくるハラだろう」

「あの商人たちは敵の間者と?」

 驚く中村一氏。

「殺しまするか」

「長政殿、ただ雇われた者たちを殺しても仕方なかろう。間者なら我らに毒酒でも飲ませれば事は簡単に済んだはずなのだからな。今さら締め上げて情報を引きずり出そうとしても連中が戦局を変える様な事を知っているとは思えん。殺しても状況は変わらん。ただ退去させるわけにはいかん。松明の灯で美濃に『羽柴が夜襲看破』を気取られる。拘束して陣屋に押し込めろ。騒ぎが終わったら解き放つ」

「承知しました。で…援軍はどのくらいの数と見まするか」

 と、浅野長政。

「援軍はおそらく蒲生と九鬼であろう。美濃とは明智討伐で陣を同じくしている。独立宣言は見せかけよ。場所はさすがに分からんが、もう近くに布陣していると見ていい」

 羽柴本陣から援軍部隊が布陣した帯山まで南に三里(十二㌔)である。気付かないのも仕方ないだろう。蒲生と九鬼とて城から動いていないと云う情報も自ら発していたのだから。しかしここに至っては疑う余地も無い。

「九鬼も蒲生も清洲会議の論功行賞で領地が増えた。かなりの兵数では?」

 と、中村一氏。

「我らが泥酔していると思っているはず。油断している敵であるし、美濃に対しても話が違うと怒り出し、離脱するかもしれぬ。だがやはり敵城を背にしているわけだから油断もできん。踏ん張るしか…秀次は遅いがどうしたのだ?」

「お、叔父上、遅れて申し訳ございませぬ!」

 酒のにおいを漂わせる秀次。秀長は激怒して殴った。

「バカ者!」

「あぐっ!」

「今日は飲むなと申したであろう!」

「も、申し訳ございません! オ、オエエ…」

 平伏して叔父秀長に謝る秀次。しかも酩酊であったため嘔吐してしまった。あまりの甥の体たらくに激怒する秀長。刀に手を取る。

「な、なりませぬ秀長様! ここで秀次様を殺せば彼の部下たちが!」

 必死に止める中村一氏。

「その方の家臣もそんな有様か!?」

「い、いえ家臣には飲ませておりませんが…」

「もうよい敵の攻撃前じゃ、一兵でも惜しい。この上はその失態を手柄で返せ!」

「は、はい!」

 

「しかし…商人らが敵の雇った者であったなら、秀長殿の言われる通り我らの飲む酒に毒でも入れておけば話は簡単であったろうに…何故美濃はそれをせなんだか」

 と、浅野長政。

「それは柴田の尚武の気風に反する。それだけではござらんかな」

 中村一氏が答え、秀長も添える。

「敵が死ねば何でもありと云うわけではあるまい…さて」

 作戦を述べる秀長。

「蒲生と九鬼の石高と領内の守備を考えると連合して七千ほどと見る。よって援軍との戦いに重きを置く。長政殿とワシ、秀次は援軍部隊、孫平次は突出してきた美濃に当たる。同士討ちを防ぐため、この笠印(小さい軍旗のようなもの)を各々袖に付けて、かつ合言葉を『姫路』に『千成瓢箪』とする。敵は我らが泥酔して寝入っていると見ているうえ、多勢で敵に当たれる。敵城を背にしているとは云え勝利できよう」

「「ハッ」」

「すぐに備えに入る、ただ音を立てさせないように徹底せよ。甲冑の音、馬のいななき、安土に届けば羽柴が夜襲を看破したと気付こう。商人らを拘束する時も沈黙を命じよ。騒げば斬ると言い聞かせよ」

「「ハハッ!!」」

 こうして羽柴勢二万、羽柴秀長と浅野長政、羽柴秀次は援軍部隊に備え、中村一氏は隆広の突出に備えた。無音行動が徹底された羽柴陣は不気味な静けさであった。

 

 安土城から羽柴陣を見る隆広。安土山は高い、その上に更に築かれた城の上、羽柴陣の様子はかがり火がホタル程度の灯にしか見えない。そして今日は月明かりもそれほどではない。眼下はホタルが点在するほどの暗闇である。しかし…。

「気取られたな…」

「なぜ分かります」

 と、奥村助右衛門。

「妙に敵陣が静かだ…」

「静か?」

「それに…先ほど安土山の木々に住む鳥たちが飛び立った。ヒトの殺気を気取った証拠だ」

「確かに…」

「オレの体たらくを盲信し、このまま泥酔状態で寝入っている羽柴勢に夜討ちをかけられれば理想だったが…さすがは秀長殿、見抜いたようだ」

「秀長殿とて、今まで修羅場をくぐられている方です。やむを得ませんな」

「あまりにも上手く行くので不気味だったが、秀長殿もあえて水沢の密偵に油断を見せたか」

「勝てますかな」

 と、慶次。

「『我、勝てり』は変わらない」

「と言いますと?」

「耳を貸せ」

 奥村助右衛門、前田慶次は隆広に耳を寄せた。そして隆広の話を聞くや助右衛門は

「なるほど!!」

 と、扇子を腿に叩いた。

「そういう意味があったのでございますか、あの体たらく芝居は」

 慶次の言葉にニコリと隆広は笑った。

「さて…六郎を南に派遣し、援軍部隊に『羽柴気取る、泥酔状態で寝入るに至らず』を伝えさせよ」

「ハハッ!」

「将兵らはたっぷり睡眠を取ったな」

「御意」

「よし全軍に食事を取らせよ。ただし酒は厳禁とする」

「「ハッ!」」

 何と隆広には想定内だったのである。自分の堕落を信じてもらい羽柴がすっかり油断するのが理想な展開であったが、やはり相手は羽柴秀長、そうはいかなかった。

 しかし秀長は気付いているだろうか。彼は今、水沢隆広が策に溺れたと思ってしまっている。つまり隆広はもう一つ『策に溺れた水沢隆広』と云う油断をさせる事に成功しているのだ。

 相手が酩酊状態と油断して夜襲をするのと、そうでないのは天と地の差がある。さしもの秀長も水沢勢がすでに『羽柴が夜襲を見抜いている』をさらに見抜いているとは思わなかったのだ。

 

 進軍する安土援軍部隊の元に六郎が到着した。

「申し上げます」

「ふむ六郎、いかがした」

「はっ、羽柴勢、今宵の夜襲を悟りましてございます。泥酔状態にはあらず」

「相分かった」

 と、蒲生氏郷には別段驚く様子もない。相手は羽柴秀長、そう事がうまく運ぶものでもない。第二陣九鬼嘉隆も顔色一つ変えなかった。

「安堵いたせ、元々相手が気取っていると云う心構えで今まで夜襲の訓練は積んでおいたゆえな。我ら三家もそれをふまえて連携を取るべく協議を重ねておいたわ」

「はっ」

 そして六郎は第三陣の将の元へと駆けた。

「申し上げます」

「おう、六郎であったな」

「はっ、筒井順慶様に申し上げます」

「ふむ」

 援軍もう一人の武将は大和(奈良)の筒井順慶であった。そして六郎は羽柴気取るを伝えた。

「承知した」

 さすがはかつて松永久秀にも勝利した男。顔色一つ変えない。

「飛騨(氏郷)殿、大隅(嘉隆)殿にも伝達は終えておるな?」

「はっ」

「よし左近、六郎に替え馬を与えよ」

「承知しました」

「ついでじゃ六郎、このまま共に参れ」

「かたじけなき申し出、そうさせていただきまする」

 そして六郎は馬に乗り順慶の後ろについた。筒井家家老の島左近が六郎をジロジロと見る。

「…な、何か?」

「いや、いい面構えをしていると前々から思っていてな。ふはははは」

 こうして援軍部隊全軍は羽柴勢が夜襲察知と承知し、さらに進軍する。

 

 筒井順慶、彼は松永攻めのおりに水沢隆広と陣場を同じくした事もある。彼は元明智光秀の寄騎大名であった。順慶は明智光秀の謀反の後、加勢要望に応じなかった。周囲には日和見と失笑されていたのである。家臣たちも数名去っていった。

 本能寺の変のあと、中国大返しをしていた秀吉、そして光秀からも援軍の要請を受けたが筒井順慶は動かなかった。『洞ヶ峠の日和見』と言われる所以である。

(史実では筒井の加勢を待っていた光秀がいた場所が洞ヶ峠であり、順慶がそこで日和見を決め込んでいたと云うのは誤りである)

 順慶は柴田と明智の戦いに結果出陣はしていない。『日和見』と揶揄されても仕方のない事だった。秀吉も今回の出兵に伴い順慶に加勢を命じた。しかし順慶は断った。『羽柴は筒井の主君ではない。命じられる覚えはない』と拒否した。

 だがそう言って送り返した使者をもう一度追わせて戻らせ『羽柴殿に付いたとして、勝利の時には筒井はいかがなるか』と尋ねた。使者からその言葉を聞いて呆れる秀吉。『またも日和見を決め込むか』と唾棄し、『もう良い。そんな者がいたら羽柴全軍の士気に関わる。権六を討った後に大和を召し上げてくれるわ』と、そのまま筒井の存在を無視した。

 しかし、これは『日和見』と揶揄されている立場を逆に利用した順慶の智慧である。この時すでに六郎を使者に隆広からの援軍要請が筒井には来ていた。蒲生と九鬼が独立を装い、動かないと見せたように筒井も日和見を決め込んだふりをして動かなかった。すでに水沢への加勢を決めていた順慶にとって、秀吉を欺くためならもう一度や二度の日和見の汚名など眼中にない。

 秀吉が安土に包囲軍を残し近江の北に向かったころ、順慶も帯山に出陣し布陣。隆広の作戦敢行の指示を待った。

「左近、今夜に敢行と決まった。そなたもたっぷり寝ておくのだ」

「はっ」

「しかし…。このいくさもそなたがいなければ危ういモンだったろう。多くの家臣がワシを見限る中、よう残ってくれたな」

 本陣の床几に座る筒井順慶。そしてその家老の島左近。

「いえ、実を申さば…そうしようと思ったのでございます。しかしながら…」

 島左近の出奔を思い留まらせたもの、そして筒井順慶へ明らかに劣勢な水沢への援軍を決めさせたもの、それはかつて水沢隆広の発した言葉だった。明智討伐後の柴田陣中で柴田と水沢の将兵も筒井順慶の日和見を笑っていたが、隆広だけは笑わずこう言ったのである。

「いいや、筒井殿の領民愛と郷土愛は見習わなくてはならない」

 この言葉に将兵たちは目を丸くした。なぜ日和見から領民愛と郷土愛に話が続くのか。隆広は説明した。

「順慶殿は自国の大和の国を深く愛している。それが示すように大和の小領主や豪族、豪農、豪商は彼を大変慕っているではないか。仁政厚く下々の民も慕っている。この下剋上の世の中なのに順慶殿は京に近い位置に勢力を構えながら野心は抱かず、ただひたすら大和の国と筒井家の安寧に尽くし、領内や京の寺社の治安に当たっている。それに日和見なら、瀬田の合戦が始まる前に柴田は明智の倍の軍勢を持っていたのだから柴田へ付く事を実行したはずだ。しかし、それは光秀殿との友誼を思えば潔しとしなかったのだ。日和見などとんでもないぞ。順慶殿は国と家の安寧を願い、日和見の汚名を甘んじて受けたのだ」

 思わず黙る柴田と水沢将兵。

「しかし…筒井に人は無きか。順慶殿は家臣の命のためにも日和見の汚名を受けたと云うに…主人のそんな気持ちも知らずに出奔する者が多いと聞く。己が主人の器量も分からないとは気の毒な連中だ」

 筒井順慶はこれを伝え聞いた時に嬉しさのあまり涙を流した。そして島左近は出奔の荷造りをしている時にそれを伝え聞き、大いに恥じた。『筒井に人は無きか』と言われても一言も隆広に言い返せない。そして左近は出奔を留まった。『筒井に人は無きか』と言われたままでは武人の大恥である。いつか『筒井に左近あり』と水沢隆広に示してくれると決めた。

 そしてその機会は案外早く来た。安土城を預かる水沢隆広から援軍要請である。

 また清洲会議において、柴田勝家は順慶の領地を大幅に削減する事を考えたが、それに待ったをかけたのが隆広と言われている。

『順慶殿の仕儀は断じて日和見にございません。大和の国と家臣と民を思えばこそ。今領地を取り上げても大和の民は絶対に新領主を認めないのは必定。ここは現状維持で筒井を良き味方にするのが上策と存じます』

 勝家はこれを入れた。勝家とて大和の辰市合戦で松永久秀に順慶二十二歳の若さで、かつ松永勢より兵が少ないにも関わらず勝利した事は知っており、順慶の武将としての資質は認めていたのである。

 織田信忠の松永攻めで隆広の軍才も知る順慶。自分があんなに苦労して戦った松永久秀を当時十七歳の若者が智慧一つで倒してしまった。すでに勝家の実子と云うのも伝え聞いている。

 後の歴史小説では『自分を知る水沢隆広のため、あえて劣勢にも関わらず援軍に出た順慶』と武人の鑑のように描写される事が多いが、順慶とて松永久秀と大和の国を賭けて戦い続けた武将。ただの信義や綺麗事で隆広に付くはずがない。劣勢だからこそ、そして蒲生や九鬼、我らが付けば勝利できると見たからこそ、順慶は大和の国をより拡大できて、筒井をより大きくする好機と見たのではないか。その逆転勝利を隆広が御輿だからこそ出来ると考えたと見るのが妥当だろう。

 隆広への信義は二の次であったかもしれないが、順慶にとっては『第一』と比肩する重き『二の次』であったには違いない。順慶は隆広が勝家の実子でなくても援軍に駆け付けたかもしれない。領地の現状維持を勝家に取り成し、そして『士は己を知る者のために死す』の気概。戦国武将は心意気で生きている。筒井家に取り『第一』が成り、順慶の心を動かした『己を知る隆広』。ゆえに筒井順慶は援軍に参ずる事をすぐに応じたのではないか。

 こんな展開を期待して述べたわけではない。本心から隆広は順慶に対してそう思っていたのだろう。だから順慶もそれに応えたのである。

 

 筒井勢は帯山で蒲生勢と九鬼勢と合流し、隆広の作戦実行の号令を待った。何度か軍議を共に開いた三家。蒲生氏郷と九鬼嘉隆は当初順慶と陣場を同じくするのが不快であったが、一番軍勢を多く持つのが順慶であったので、渋々ながらも最初の軍議についた。

 しかし氏郷と嘉隆には順慶がとても日和見の人物とは思えぬほどに覇気あふれる武将になっていた事に驚いた。そして家老の島左近にそれとなく訊ねたら、隆広の言葉で人が変わったように気概を持たれた、と答えた。風評ごときで一人の武人を過小評価した事を恥じる二人。

 以来、氏郷と嘉隆は順慶を日和見と見なかった。今や頼もしい味方であるのだ。そしていよいよ今夜作戦決行。三家は攻撃の段取りや折り合いをつけるため話し合い、それから仮眠を取った。血がたぎり中々寝付けなかった筒井順慶。

「思えば明智の寄騎大名であった筒井が、その明智を討った張本人とも云える美濃殿に加勢するとは妙な話よ。昨日の友が今日は敵、昨日の敵が今日は友、まこと戦国の世は面白い…」

 出陣の刻限となった。第一陣蒲生氏郷五千五百、第二陣九鬼嘉隆四千、第三陣筒井順慶七千五百で帯山を出陣。これは当時の彼ら最大の動員数と云われており、これに水沢勢を加えれば兵数は羽柴と同じ二万である。この兵数は明らかに三将が安土包囲軍だけでなく、その先の秀吉との戦いを見込んでいた証拠であり、いかに援軍部隊の三将がこの合戦を重く見ていたか分かる。柴田と羽柴、天下分け目と言っていい。

 

 そして筒井の軍勢の中に柳生厳勝と云う男がいる。剣豪と名高い柳生宗厳(石舟斎)の嫡男である。(史実では宗厳の嫡男厳勝は辰市合戦で銃弾を浴び下半身不随となっているが、本作では健常とする)

 柳生は辰市合戦では松永方に組するが、現在はその合戦に勝利した筒井家に仕えている。厳勝は父親に劣らぬ剣豪と知られる若者である。上泉信綱を祖とする新陰流を会得している事から、隆広と柳生厳勝は新陰流の同門と云える。

 父の石舟斎はすでに隠居しているが、日和見の主人順慶に嫌気がさしていた厳勝は筒井家に暇乞いしようと考えていた。しかし石舟斎は

『順慶殿は大和の国のために、あえてその汚名を受けたのが分からんか。よう考えよ、順慶殿は辰市合戦にて二十二の若さで我ら柳生が助勢した松永を過少の兵力で倒したのだぞ。断じて日和見などの腑抜けではない。それが分からぬお前は未熟者だ』

 父に一言の反論も出来ない。自分の愚かさを痛感した厳勝は、他の武芸自慢の同僚が筒井家を去っていく中、残ったのである。それを喜ぶ順慶。今は母衣衆の筆頭となり、柳生の軍勢を連れて、この安土夜戦に参戦する。

 

 時を同じころ羽柴軍。南から軍勢が来る気配はない。

「本当に美濃に援軍がくるのでござろうか秀長殿。軍勢が半里も近づけば徐々に兵らの甲冑が鳴る音が響いてくるはず…」

「いや長政殿、さっきから斥候に出た者が戻ってこん…。援軍部隊に討たれたやもしれぬ」

「確かに…」

 羽柴軍が無音行動を心掛けたように援軍部隊もそれを心掛けた。松明もない。羽柴の兵は槍を構え暗闇を凝視する。

 だが蒲生氏郷、彼は夜襲としては鉄則と云える無音進軍を安土城より南に半里(二キロ)の地点で解禁する。安土援軍部隊一万七千の軍勢、その一人一人が必要以上に甲冑のこすれる音を鳴らして走ったのである。

 突如大轟音として南から押し寄せる援軍部隊の脅威。羽柴勢は浮き足立った。安土城に向いていた中村一氏も驚いて南に振り向いた。南から聞こえる大軍の甲冑を鳴らす音。地が響き、大気が震える大轟音。包囲軍の将は南を見つめツバを飲む。

「…秀長殿、これは六千七千の音じゃない! 一万数千…いや二万以上はいる軍勢ですぞ!」

 浅野長政に言われるまでもなく、秀長は音から軍勢の数を計っていた。はじめて秀長は背筋に寒さを感じた。兵たちはさらに戸惑う。敵城を背にしているのである。たとえ兵数が同じでもそんな大軍勢に夜襲されたら一たまりもない。

「なぜ…たった三千の兵しかいない敗色濃い城にこれだけの大軍が援軍に来る! 蒲生と九鬼は領内をカラにしているのか!?」

「秀長殿!」

「かような援軍を仕立てられるとは…我らがここに配置する前に根回ししていたか…!」

 そして何かをハッと気付く秀長。その様子に気づいた長政。

「どうされた秀長殿」

「やられた…! 美濃は我らが夜襲を読んだ事をとうに見抜いておった!」

「な…!」

「美濃が狙いは泥酔状態で寝入っている我らを援軍と容易く討つ事であったには違いないが、それが羽柴に察せられる事も半ば想定内! 美濃の真の目的は我らをここから動かさない事! 援軍を察し南下させず城と援軍で挟撃する事が狙いだったのだ! 羽柴は泥酔し寝入っていると見込み、水沢勢が油断して押し寄せたところを討つと狙わせ、動かず備えさせて留め置く事が美濃の策だ! してやられたわ!」

 その通りである。先刻に隆広が奥村助右衛門と前田慶次に聞かせたのもこの策だった。

『策に溺れし水沢隆広』秀長の執る作戦は羽柴軍が泥酔状態と油断し夜襲する水沢軍を逆に蹴散らし、城門開く安土に雪崩れ込んで占拠する事である。

 援軍の来襲を読み取ったのはさすがだが、秀長は蒲生と九鬼の連合軍でも彼らの石高と領内の守備を考えれば総数七千ほどと見ていた。計算としては間違ってはいない。しかし予想に反して蒲生と九鬼は全軍を繰り出し、かつ筒井順慶も参戦しているとは想像もしていない。

 しかも氏郷の執った大音響作戦、夜襲の鉄則を無視するこの奇計が見事に功を奏し羽柴兵から士気を奪う。しかも安土城にいる水沢勢に“もうじき到着”を示す事になる。水沢勢の士気は上がる。六郎の伝令がなければ、そのまま無音進軍で羽柴勢に突撃していただろう。この大音響作戦は隆広も知らず蒲生氏郷の計略である。効果は絶大だった。羽柴陣には逃げ出す兵が続出していた。

 敵城を背にしている羽柴軍。しかも夜、いかに笠印と合言葉で防ごうとしても混乱すれば同士討ちをする可能性は高い。敵勢は夜襲が最初から画策された戦法。すでに闇夜でも敵味方の判別は徹底してあり、夜間の戦闘訓練もしているだろう。

『羽柴が夜襲される事に気付いた』と水沢隆広が見抜いていると知っていれば、安土の兵に備え五千程度を残し、南に進軍して鉄砲なり弓矢で迎え撃ち対しただろう。しかし時すでに遅く羽柴勢は安土城の前から動いていない。敵に理想的な挟撃をさせてしまう。

「策に溺れてなどはおらなんだわ! 美濃が計はワシに『美濃策に溺れた』と思わせるためか!」

「叔父上!」

「智慧美濃の恐ろしさを知っていながら…何たる不覚…!」

「秀長殿…!」

「長政殿、急ぎ西に撤退! 摂津なり山城に戻り体制を整える! 戦闘状態に入ったら我らは終わりだ!」

「しょ、承知つかまった! 全軍、西へ撤退! 引き揚げるぞ!」

 

 さすがは不利と見れば秀長の判断は早い。急ぎ西に引き揚げようとしたその時!

「申し上げます! 水沢勢出撃してまいりました!」

「なにっ!」

 水沢勢は城を背にしている羽柴勢に突撃を開始した。西に後退し始め、隊列が横に伸びたところを隆広は逃さなかった。総数二千五百、総大将隆広を陣頭に立ち攻めかかってきた。

「羽柴秀次隊に真一文字に突き進んでおります!」

 秀次はこの時、開く安土の城門を見た。

「しめた! 全軍水沢勢にかかれえーッ!」

 秀次隊は西向きから急ぎ北に向きを変えた。だが突撃してくる水沢勢から稲妻のごとき石礫が横殴りの雨のように飛んできて、一直線に秀次の兵の顔面を捕らえた。

「ぐああッッ!」

「うがあ!」

 一瞬で百人以上が戦闘不能に陥った秀次隊。あまりの攻撃の凄まじさに動きが止まった。続けて第二波が襲い掛かる。

「くそっ! 石など武士の用いる得物と…グアアッッ!」

「ぐぎゃああッ!!」

 石投げなど子供のケンカと思うのは大間違いである。小山田投石部隊の投石は人殺しの投石である。しかも夜だと云うのに的は外さない。ついには恐ろしさのあまり逃げ出す秀次の兵。士気はもうない。そこに織田家最強と云われる柴田軍、その柴田軍でもっとも強いと云われた水沢勢が襲い掛かった。

「かかれええーッ!!」

「「オオオッッ」」

 前田慶次の朱槍、奥村助右衛門の黒槍がうなりをあげる。彼らが秀次隊を分断していく。それに続く藤林忍軍、そして鍛え抜かれた精鋭たちが怒涛のごとく攻め入る。堀辺半助と佐久間甚九郎を先頭に明智の遺臣たちも少数ながら獅子奮迅の働きを示す。

 大野貫一郎はこの戦いが初陣だった。だが後に本人が苦笑して述懐しているように、目をつぶって、ただ槍を持ち大声上げて突っ走っていただけだった。

「いかん! 孫平次へ増援に向かわせ急ぎ秀次の軍を退かせろ! 秀次では水沢軍の敵ではない!」

 秀長に云われるまでもなく、中村一氏が水沢勢の横を衝くべく動いた。それを見た佐久間甚九郎は大将隆広に進言する。

「殿、退け時にございます」

「承知! 退くぞ!」

「ははッ!」

「甚九郎! 殿軍に立て!」

「承知しました! 全軍疾く退かれい!」

 すると水沢勢はすぐに秀次隊から離脱して全速力で安土城に退いた。佐久間甚九郎は最後尾に立ち二千五百の兵を迅速にまとめ、隆広と共に後退させた。父の佐久間信盛の異名『退き佐久間』を見事にしてのける佐久間甚九郎。それを見る中村一氏は驚く。

「何たる退きの早さ…!」

 そして佐久間甚九郎と一緒にいた若者。彼は小山田投石部隊の九一と云う若者である。

「頼む、九一殿」

「承知!」

 彼が投げた投石は羽柴秀次の顔面を直撃した。

「ぐあああッッ!」

 たまらず落馬した。

「ははは、死なない程度にしてやった感謝しろよ、バカ大将、ははは!」

 急ぎ甚九郎の乗る馬に飛び移り去っていく九一。秀次は鼻血が止まらない。そして痛くてかなわない。

(おのれ…おのれ…!)

 悔しくてたまらない秀次。

(ちくしょう! すべて美濃の謀略と云う事か! このまま何も出来ずに姫路に帰れば秀長叔父からオレの醜態が伝わり…オレは叔父上(秀吉)に殺される! こうなったら…!)

 馬に乗る秀次。

「安土城を攻める! 続けえッッ!!」



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変わらぬ朝

「安土を攻める! 続けえッッ!!」

 秀次の軍勢は秀長の西へ後退の指示を無視して安土城に攻めるため突撃を開始した。

「バカな秀次!」

 馬上で愕然とする秀長。今まで安土城を攻めなかったのは何だったのか。五倍十倍の兵力で攻めても落とせないと分かっていたからではなかったのか。だが羽柴秀次はもう頭に血が上り、そんな事はどこかへ飛んでしまった。もう水沢勢は安土へと引き返しを終えており、城門は閉じられている。

「愚かな秀次…!」

「秀長殿!」

「長政殿、もはや後退の機は逸した。鉄砲隊を援軍部隊に向けよ」

「はっ!」

「蝉丸」

「ははっ!」

「孫平次に秀次の軍勢を後退させるように伝えよ」

「…殿、申し訳ございませぬ。美濃の体たらくを盲信するとは…!」

「ワシはそれを聞き、美濃の策を察した。しかしさすがは美濃よ、それでワシに『策に溺れた』と悟らせよった。二重仕掛けだったとはな…。ワシより美濃の方が一枚も二枚も上であったわ。これ以上はグチ、もう申すまい。さあ急ぎ伝令を孫平次に伝えよ」

「はは!」

 

 援軍部隊の大軍勢が押し寄せる音はもう間近。羽柴陣は陣の周囲に防柵を築いてある。鉄砲隊が備えて待つ。織田信長の三段射撃の構えである。しかし、あの時の戦いと違い、いくら何でも三千挺はない。八百挺である。三百、三百、二百と三列に並び備えた。

 だが敵勢とて、その同じ長篠の合戦における信長の戦術は知っているのである。あの時の武田勢と同じように、ただ突撃してくるはずがない。援軍部隊の進軍は、その馬防柵の手前で止まった。鉄砲の射程外である。

「敵襲―ッ! 敵襲―ッ!」

「良いか! 敵勢が突撃してきたら撃つのだ!」

「「ハハッ!」」

 鉄砲隊長は援軍部隊を睨む。やはり万を越える軍勢である。

(来てみろ…蜂の巣にしてやるわ)

 九鬼嘉隆の采配が振られると、三十人ほどの兵が部隊の前に出た。

「海の戦いのスゴさ、教えてやれ」

「「ハッ!」」

 三十人は横に広範囲に広がった。そして綱をつけた丸い物体。その綱を持ちブンブンと丸い物体を振り回す。そして一斉に羽柴勢に放った。焙烙玉である。それは羽柴勢で爆発炸裂。すさまじい威力。水軍戦の多人数殺傷用の強力な武器である。九鬼軍は水軍である。それを陸の合戦に使ったのだ。

 あの石山合戦における木津川口海戦。織田軍の敵である毛利水軍と村上水軍が使用した焙烙玉。九鬼水軍は二度目では鉄甲船で勝利したものの、初戦で惨敗した後に敵の水軍が使った武器を調べて、自軍の武器ともしていたのである。

「どんどん放て!」

 二波三波と焙烙玉が襲いかかる。たまらず羽柴鉄砲隊は離散、防柵もすでに用を成していない。そして蒲生氏郷の采配が振り下ろされた。

「かかれええッッ!!」

 蒲生、九鬼、筒井の連合軍が一斉に羽柴勢に襲い掛かった。

 

 一方、安土城。羽柴秀次隊が真正面から攻める。一箇所しかない入り口。その入り口に照準を合わせる二つの出丸。そこにもう鉄砲隊が配備されているのは明白である。

「秀次様、お引きを! この城にチカラ攻めは無理にございます!」

「不落城など存在するものか! いいか皆よく聞け!」

 秀次は自軍の兵、そして一氏の兵にも叫んだ。

「美濃はこの城の築城をするためにこの地に入った! 美濃自身の妻子、そして部下の妻子もすべてこの中にいる! つまり女がたくさんいるのだ! 小金もしこたま貯めていると云う武士のくせして商売上手の美濃! 黄金も山ほどあるぞ! 鉄砲も軍馬も! 奪え! 犯せ!」

 確かに婦女子は山といるが黄金は何の根拠もない。だが秀次のこの激に秀次と一氏の部隊に補充されていた新兵たちは乗せられてしまった。

 今回の秀吉の挙兵に伴い、播磨を出陣する時には五万近い大軍であった羽柴軍。織田信孝を皮切りに、柴田勝家と水沢隆広を討つために徴兵された兵。

 しかし悲しいかな、所詮は寄集めなのである。元々秀次や一氏に忠義をもっていたワケではない。秀次の激で元からの直属兵は動かなかったが、その寄集め兵たちは一斉に安土城に攻め込みだした。

「ようし行け行け!」

「秀次様…!」

「孫平次…オレには安土を落とすしか生き残る事はできないんだ! それに…こうまでコケにされて黙っていられるか!」

 忌々しそうに口内に溜まった血を吐き出す秀次。

 

「来たか…」

 出丸から敵兵が押し寄せるのを見る隆広。なぜ彼が放っておいても西へ後退する羽柴勢に対して挑発と云える攻撃を仕掛けて城に攻め入らせたか。

 城の防備と立てた戦術に絶対の自信があったから、城を包囲されて黙って帰しては水沢の沽券に関わるから、と歴史家は述べるが実はもっと切実な考えがあった。無傷の状態で西へ返しては、山城や摂津、もしくは本拠の播磨で体制を整えて再びやってくる。越前の情勢によっては、毛利や宇喜多の兵も加わっている事さえありうる。つまり隆広が安土を動けない事に変わりはないのである。

 だから、ここで安土城包囲軍が二度と立ち直れないほどに叩き潰しておく必要があった。後顧の憂いを無くして北上するために隆広は鬼となったのだ。

 

 話は少しさかのぼる。隆広から水沢将兵にいよいよ今宵、安土包囲軍と戦う事が告げられた。そして隆広は

「長い夜になる。各々交代で睡眠をとっておくように」

 と命じ、隆広は城内の奥へと行った。

「監物、八重!」

 家令の監物と侍女頭の八重を呼んだ。八重が答える。

「はい殿!」

「今日の夜に戦闘開始だ。だがこの城ならば六倍以上の兵にも持ちこたえられるし、蒲生氏郷殿、九鬼嘉隆殿、筒井順慶殿が援軍として来てくれる。心配いらん」

「今日の夜に?」

「長期戦にはならんから監物と八重はかねて申し渡していた通り、戦闘中は当家の子供たちを城内に集めて守り、そして不安がらせないように務めよ。銃声が幾度も響くので眠っているわけにもいかんだろうが、けして城の外に出すな」

「承知つかまったですじゃ! 殿様もご武運を!」

「ああ! ところでさえとすずは?」

「この奥に」

「分かった」

 

「さえ様、お味方兵の甲冑の音が激しくなってまいりました。いよいよ今宵に戦闘が始まるかと」

 すずの言葉にゴクリとツバを飲むさえ。安土城の奥の部屋、ここに隆広の正室さえと側室すず、子の竜之介、鈴之介、福、鏡がいた。

「すず…私、怖い…」

「出来る事をすれば良いのです。今回の戦において私たち女がする事は、戦闘中における給仕。いったん戦端が開けば落ち着いて食事も水も取れません。また防戦で気が立つ男たちを後方で励ませば落ち着き、腰の据わった戦いができましょう」

「給仕と…殿たちへの励まし…」

「はい、殿方は信じて待っていてくれる女がいると踏ん張れるものです」

 さすがは側室になる前は隆広と共に戦場を駆けていたすず。心得たものだった。

「それに…たとえ敵兵雪崩れ込んできても、私がさえ様に指一本触れさせません」

「ありがとう、すず」

「竜之介が母上とすず、んで姉上と鈴之介と鏡を守りましゅ!」

 三歳の竜之介、状況は分かっていないだろうがここに男は自分だけと感じたか。鈴之介と鏡は外の喧騒など知らぬようにカゴの中でスヤスヤ眠っている。

「ありがとう若様、頼りにしていますよ」

「うん!」

 落城を経験した事のある福は少し震えていた。

「福、怖い事を我慢する事ないのよ、こっちにいらっしゃい」

「母上…」

 福はさえの傍らにいき座ると、さえはそれを抱き寄せた。

「信じましょう、きっと父上は勝つから」

「母上…」

(かあさまと同じ匂い…)

「やーい姉上の甘えんぼ」

「んベーだ!」

 弟の竜之介の言葉に顔を赤くしながらアッカンベをする福。隆広は何か部屋に入るに入れず、外でそれを見ていた。すずはそれに気付いていたが何も言わなかった。

 

「姫様たちとは…?」

「会わなかったよ八重。考えてみれば戦闘前のこの時、いかに同じ城中にいようと家臣たちは妻子に会うゆとりもないはず。大将のオレだけ会うわけいかんよな」

「殿様…」

「勝ったら、さえもすずも、竜之介も福も鏡も鈴之介も! 思いっきり抱きしめてやるんだ。だから今は会わない。あとは頼むぞ監物、八重!」

「「はっ」」

 奥から隆広は去っていった。

「大したものじゃ。あれがこれから六倍強の兵に対する大将か」

「そうね。さ、お前さま、私たちは私たちの仕事をしましょう!」

「そうじゃな!」

 

 開戦が近くなると竜之介と福も他の水沢家の子らと共に監物と八重の指示に従い、城郭や奥から城内に集められた。敵の押し寄せる声が聞こえても、銃声が轟いてもけして外に出ない事を諭す監物。年長の子供らは家中の幼い子供たちの兄と姉ともなり、面倒を見るよう八重に指示された。

 

 そしてさえ、すずも鉢巻を締めて水沢家の女衆総動員で働き、兵糧と水を出丸、城門、城壁に運ぶ。

 水沢隆広の家臣団は主君の内政主命に伴い、すべて現地に赴く体制を執っている。そのせいか、兵たちが妻にしたのは現地において深い仲になってしまった農民の娘ばかりである。その妻たちも今回に隆広が与えられた主命である安土築城に夫と共についてきている。

 松山矩久や小野田幸猛の妻たちは夫の上司の妻、さえを主君として給仕の準備に励んだ。こういう時は野良仕事で培った体力がモノを云う。

 小山田の月姫も明智の英姫も前掛けをつけてハチマキを締め、さえの指示で動いて給仕の準備を務めた。

 

 水沢軍は羽柴秀次への突撃から帰城すると、すぐに申し合わせていた持ち場へと着いた。

 羽柴陣に向かい合う出丸二つ。隆広は東の出丸の指揮を執り、西の出丸は奥村助右衛門が指揮を執った。東の出丸には松山矩久、小野田幸猛、高橋紀茂と隆広子飼いの大将たち。西の出丸には高崎次郎、星野鉄介と云った養父隆家の旧臣の子弟たち。藤林忍軍も均等に出丸に配置した。二つの出丸は甲州流と美濃流の良い箇所ばかり抽出した、いわば隆広流とも云うべき工夫を凝らしたもので、攻めるに固く守るに易い出丸。しかも各出丸に十分な鉄砲と弾薬、食糧も水も配備されている。

 城門には前田慶次、城壁には佐久間甚九郎と堀辺半助が配置しそれぞれ弓隊を指揮、安土山の木々には投石部隊が潜んだ。安土城を普請した人足たち八百と辰五郎たち工兵隊は城壁を受け持ち、弓を構える。

 出丸、城門、城壁の後方では城内の女たちが給仕と男たちへの鼓舞を担う。隆広の妻のさえとすずとて、東の出丸の奥で腕をまくりハチマキをしめて戦闘に備えた。

 水沢軍は大将隆広がまだ二十二歳の若者ゆえ、兵も若者が多い。新婚もたくさんいる。何より愛しい妻たちからの声援が嬉しいものである。イイトコ見せようと張り切る。士気は落ちない。これも隆広の計算にあった女房衆の鼓舞作戦だった。この安土城攻防戦で水沢軍で前線に出なかったのは子供だけだと云われている。まさに水沢家一丸となって二万の羽柴勢に立ち向かう気概である。

 

 そして羽柴の兵たちが安土城に突撃を開始した。

「撃てーッ!!」

 

 ダダダダーンッッ!!

 

 城の二つの出丸から容赦ない銃撃が発射される。しかも夜間、城門に続く道の両端にはかがり火が焚かれ、高所に配置されている出丸からは羽柴兵が一目瞭然。だが羽柴勢からは、ほとんど狙撃手は確認できない。城守備側は出丸と云う要塞からの狙撃なので羽柴の鉄砲はまったく当たらない。

 隆広は安土築城のため、この地に入ると同時に武器も多量に運び込んでいた。そして整備も怠っていない。出丸の様式は隆広の工夫が仕込まれ守るに易く落とすに難い。外周は幾重の柵と、琵琶湖と云う天然の堀で防備されている。羽柴秀長が安土城包囲軍として着陣し、隆広の改修した安土城を一目見て絶対にチカラ攻めでは落とせない城と判断したほどである。羽柴秀吉、黒田官兵衛も通過の際に隆広の改修した安土城を見て『落とせない』と悟り、秀長に交戦に及ばず、岐阜と近江のいくさの結果を待ち、安土城は包囲に留めよ、と下命した。

 だが結果は羽柴軍が隆広の術中に陥り、大失策を招いた。羽柴勢に鉄砲が容赦なく火を噴いた。

 

「退くな! 鉄砲の弾込めには時間がかかる!」

 なおも秀次は兵を叱咤する。しかし城門の二階と三階には前田慶次率いる弓隊が控えていた。慶次自らが使う大弓は海戦用の弓で本来数名がかりで引く弓。しかし慶次は一人で軽々と引く。そして放たれた弓矢は海を裂かんばかりの剛槍。一度に何人もの敵兵を葬る。城壁からも雨のように矢が降りかかり、安土山の木々には投石部隊が潜み、容赦なく投石してくる。

 そして何より中村一氏が唖然としたのは、出丸からの驚異的な鉄砲連射である。

「考えられぬ…! なんだあの連射は!?」

 

 ダダダダーンッ! ダダダダーンッッ!

 

 後方から聞こえる凄まじいまでの鉄砲の間断なき轟音。秀長は安土の東西の出丸から驚異的な連射で羽柴勢を駆逐する鉄砲の技を見た。

「どういう事だ!? 水沢勢は我らが見た事もないような新しい鉄砲でも持っていると!?」

 水沢勢が持っている鉄砲も羽柴勢と変わらぬ火縄銃である。しかし隆広が考案した鉄砲術は欲に目がくらんだ羽柴の雇われ兵をアッと云う間に粉砕した。

 味方である蒲生氏郷、九鬼嘉隆、筒井順慶さえも出丸から発砲される鉄砲の連射に驚いていた。

 出丸の銃眼(鉄砲狭間)から間断なく弾丸が出る。二つの出丸から鉄砲がほぼ連続で発射されているのである。何より安土へ入る道は一箇所しかない。信長の築城当時は五箇所あったが、隆広は一箇所だけにしてあとは全部破却してしまっている。琵琶湖と云う天然の堀の前に、羽柴勢はその入り口への道を使うしかない。その道に各出丸は照準を合わせられている。二箇所の出丸から百挺の鉄砲が常に銃身を突き出し火を吹く。

 一斉に、しかも神がかりのような連射。正面からは前田慶次率いる弓隊。城壁からは弓矢、安土山からは稲妻のような石礫。羽柴勢もひとたまりも無い。

 出丸からの連射を魔術でも見ているかのように蒲生氏郷は驚く。

「何たる連射だ…!」

「いかなる仕組みでかような連射を…」

 同じく唖然とする蒲生郷成。

「げにも敵に回したくない男だ美濃殿は…」

 水沢軍の鉄砲連射は織田信長が武田勝頼を撃ち破った長篠の合戦の三段射撃をはるかに凌駕する速度であった。しかも命中精度は比較にならないほどに正確である。呆然とする秀次。

「なぜ…なぜあんな事ができるのだ! 水沢隆広は神か魔か!」

 神でも魔でもない。隆広の一つの工夫である。隆広はこの戦いで織田信長の鉄砲術さえ凌駕する連射攻撃を考案していたのである。今まで籠城の中で、隆広は将兵たちにその訓練に当たらせていた。世に言う『水沢の鉄砲車輪』である。

 

 火薬や硫黄と云う鉄砲に必要なものは堺や京から手に入れるのが畿内では一般である。そしてすでに羽柴は摂津、和泉、河内と押さえ、京も押さえていた。秀吉の占拠後はその地からの入手は不可能であるが、すでに隆広は安土の城普請着手と同時にそれを北ノ庄から持って来ていた。無論、火薬も硫黄も不備怠りない。数は全部で八百挺である。羽柴軍と同数だったと云うのは奇妙な偶然と云えるだろう。だが城塞に篭り、精妙に作られた出丸からの射撃、そして隆広の考案した『鉄砲車輪』。同じ数でも破壊力はケタ違いであった。

 

 隆広は鉄砲隊を四人一組に分けた。射手はたった一人である。射撃の達者があたり、銃眼に接して立つ。他の弾込め役が三名。射手の左横、真後ろ、右横に背中合わせで円陣を作って立つ。

 左横の者は銃口から盒薬を込めるだけ、真後ろの者は火皿に口薬を盛り火蓋をふさぐだけ、右横の者は点火した火縄をつけるだけ、受け取った射手は火蓋を開き引き金を落とすだけ。四挺の鉄砲が左に左にと休む事なく移動するだけで四人は動かないため疲労もせず、一発の弾込めと発射の所要時間は四秒。驚異的な早さである。

 織田信長の三段射撃の欠点、それは弾丸の装填時間が長くかかり、敵前で動揺して装填順序を誤りやすく、移動による疲労も甚だしく、命中精度が極端に低下し、不発銃が生じた場合の危険は計り知れない。

 普通の弾込めは十五秒から二十秒かかり、以上の三段射撃の欠点を隆広は取り除いたのである。正確で疲れず安全、しかも装填時間を四分、五分の一に縮めた鉄砲術。分業三人組み弾込め法である。

 上杉謙信の車懸りの陣にも似た、この回転式の鉄砲術は『水沢の鉄砲車輪』として今日にも残る。呆然としてそれを見る九鬼嘉隆と守隆の親子。

「父上、どんな方法を使えばあんな連射を…」

「見当もつかぬ…。大殿の三段射撃をも凌駕する連射じゃ…」

「父上、こたびの援軍の功に、あの鉄砲術を伝授していただきましょう! 我らは水軍、あれを習得すれば敵なしにございますぞ!」

「そうじゃな」

「しかし…やはり九鬼は柴田について正解でございました。それがし美濃殿だけは敵に回したくないと思いまする」

 

 筒井勢の島左近率いる部隊の働きは目覚しかった。左近の声は戦場でもよく通り、兵の肺腑に響いたと言われる。彼の『かかれ』の声は兵と味方将兵の士気を上げる。鬼左近と呼ばれる所以である。

「かかれえーッ!」

 左近と部隊を共にしていた六郎も腹に響く左近の咆哮に勇気と闘志が湧いてくる。その六郎の働きを見た左近は

「やっぱり剛の者よな。どうだ、美濃殿の忍びを辞めてオレの家臣にならんか六郎!」

「あっははは! 島様ご冗談を!」

「…いや冗談ではないのだが」

 苦笑する左近。剛勇の二人、戦場のただなかでも豪快なものであった。それにしても筒井勢は援軍の中でもっとも多くの兵数を持っていたからでもあっただろうが、今まで日和見と揶揄されていた事をいっぺんに蹴散らすほどの活躍だった。浅野長政の軍勢を見事に撃ち破った。

 南には蒲生、九鬼、筒井の連合軍、北には神がかりのような鉄砲術を使う水沢軍が篭る安土城。寄集めは不利となったら一斉に離散する。逃げ遅れた者は容赦なく討たれた。羽柴陣に来ていた商人、芸人、遊び女も蒲生勢に救出されている。彼らは氏郷が雇った者たちだったのだ。

 羽柴勢は同士討ちも多く発生した。蒲生、九鬼、筒井は敵味方の判別を笠印と合言葉などで徹底していた。羽柴勢にも同様な判別があったが、大混乱に陥ったため用を成さなかった。

 羽柴勢は総崩れとなり、羽柴秀長は戦場を離脱、浅野長政、中村一氏、羽柴秀次も何とか離脱した。続いていた兵は三百にも満たなかったと云う。

「見よ右近、羽柴が逃げていくわ」

 傍らにいる側近の松蔵右近に述べる順慶。

「はっ、追撃なさいますか」

「無論じゃ、厳勝にあたらせよ。筑前(秀吉)の舎弟を播磨に帰すな」

「ははっ!」

 

 安土夜戦はこうして水沢軍の圧勝で終わった。安土包囲軍は完膚なき叩きのめされた。勝敗が決してほどなく夜が明けた。両軍にとって長い夜であった。眩いほどの朝日がのぼる。

「勝ったぞお!」

 隆広は両の腕を上げて吼えた。

「「やったあーッ!」」

「「勝った勝った!」」

 安土城が沸いた。

「「殿、お見事にございました!」」

 東の出丸の将兵たちが隆広を讃えた。普段あまり隆広に世辞を言わない松山矩久もこの時は

「この鉄砲車輪、自分たちで使っておいて驚くほどの攻撃力。殿は戦術の鬼才にございます!」

 と、手放しで褒め称えた。

「あっははは! 追い込まれると人間色々と智慧が出てくるもので、そんな大した事じゃない。そなたらの日々の研鑽の結果ゆえだ。机上のオレの作戦を実現してくれるそなたらあればこそ羽柴を倒せたのだ。礼を申すぞ!」

「「ハハッ!」」

「殿、羽柴の追撃はどうなさいますか?」

 と、小野田幸猛。

「飛騨(氏郷)殿らに任せよう。今は休め」

「「ハハッ!」」

 

 隆広は女たちのいるところへ歩んだ。

「殿! おめでとうございます!」

「「おめでとうございます!」」

 さえが言うと、女たちは揃えて勝利を祝福した。

「そなたらも鼓舞と兵糧と水の給仕、よく務めてくれた。礼を言うぞ!」

「「はい!」」

「さ、亭主を労ってやるがいい」

「「はい!」」

「月姫」

「は、はい!」

「小山田投石部隊、見事だ! さすが甲斐国中で随一の勇将小山田信茂の精鋭たちよ!」

「あ、あ、ありがとうございます!」

 涙が出るほどに嬉しかった隆広の言葉。“甲斐国中で随一の勇将小山田信茂”とは武田信玄から直接に小山田信茂が賜った言葉である。隆広はそれをちゃんと知っていたのである。この方の愛を受けたい…! 隆広に平伏しながら月姫は心からそう思った。

「英殿」

「はい!」

「少数だが強い…。さすがは明智、助かり申した」

「あ、ありがとうございまする! 父の日向もその言葉を冥府で聞きどんなに喜んでいるか…!」

 感涙する英だった。

 

「さえ…」

「殿…」

 衆目の中で、隆広はさえを抱きしめて口づけした。それに満足するとすずとは頬をつけあった。

「二人ともありがとう。後ろにそなたたちがいるから踏ん張れた!」

「勝利を信じておりましたから、ね、すず」

「はい!」

 

 東から照らす光が西に敗走する秀長一行の背中を照らす。彼らは羽柴の領地となっている山城の地へ懸命に駆けた。

「お許し下され兄者…! 小一郎は敗れ申した…」

「秀長殿、そう馬を駆っては兵が追いつきませぬ。ここまで来れば」

「いやならん長政殿、もう少しもすれば京。そこで休息し、それから摂津の芥川城に入り体制を整え、宇喜多に援軍を請えば再び東進は可能だ。あのまま美濃が蒲生、九鬼、筒井を率い北上すれば兄者はやられる。美濃を北上させてはならぬのだ。今は駆けよ!」

「はっ!」

 長政に下命した時に後ろを向いた秀長。のぼる朝日を見て苦笑を浮かべた。

「ふ…。負けても勝っても…朝日は変わらんな…」

「叔父上…申し訳ございませぬ…」

 叔父秀長に何度も謝る秀次。

「敗北の責任は総大将にある…。何も申すな」

 

「エイ、エイ、オウーッ!」

「「エイ、エイ、オウーッ!」」

 水沢隆広が城門の上から勝どきをあげた。水沢軍、安土援軍部隊がそれに応える。城の中では女たちが大勝利に歓喜の声を上げる。もし敵勢が雪崩れ込んできたら陵辱の憂き目を見る女たちは気丈に振舞ってはいても不安だった。それが見事に大勝利である。

「ああ、なんて素晴しい朝なんでしょう。負けたら見る事はできなかった朝日…」

 城から朝日を見るさえ。そして夫の後ろ姿を見る。

「殿…見事に私たちをお守り下さいましたね…。素敵ですよ! 大好き!」

 

 隆広は援軍諸将に礼を述べた。

「飛騨(氏郷)殿、大隅(嘉隆)殿、順慶殿! 美濃感謝にたえませぬ! かたじけのうございます!」

「いやいや、我らは勝つ方に味方しただけにございまする」

 と、氏郷。

「あの大音響作戦、感服仕りました。上から見ていましたがあの音でだいぶ羽柴兵は逃げていったようで」

「恐れ入りまする」

「大隅殿も、あの焙烙玉。九鬼は陸でも強うございますな!」

「これは恐縮にございまする」

「順慶殿ありがとう! さすが寡兵で松永弾正殿を倒した戦上手にございます!」

「いえいえ」

 体いっぱいで感謝を示す隆広に微笑む三将。

「お疲れと存じます。暖かい飯と味噌汁を用意させておりますので城へどうぞ」

「その前に美濃殿にお願いがあり申す」

「何でござろう大隅殿」

「あの鉄砲術を当家にも伝授願いたい」

「おう! 蒲生家もそう願おうと思っており申した」

「筒井家にもお願いしたい。あれを会得すれば当家のチカラがどれだけ上がるか!」

「お安い御用です。でも今はあまり時間がございませぬので…」

「何の、これからの陣中でお教え願えれば」

「一緒に来て下さるのですか飛騨殿!」

「当然でござろう。この夜襲、我ら前哨戦程度としか思っておりませんぞ」

「ありがたい!」

「筒井家も参りますぞ」

「順慶殿!」

「九鬼家もお供仕る。主殺しの秀吉、生かしてはおけん!」

「助かり申す! 明朝には出陣したいと存ずる。今日は合戦の疲れを癒し、腹いっぱい食べて下さいませ!」

「「承知した」」

 

 この水沢隆広、蒲生氏郷、九鬼嘉隆、筒井順慶の電撃的な夜襲は、彼らの戦歴に燦然と輝くのだった。隆広が六郎を蒲生氏郷の元に派遣した時、木簡での書状の他、口頭で述べた依頼事があった。六郎が蒲生家に持ってきた銭二千貫。それの使用用途についてである。たった一言だった。六郎は氏郷にこう伝えた。

「河越城」

 氏郷はそれを聞いてすべて理解し

「相分かった」

 と答えた。九鬼嘉隆、筒井順慶もまた『河越城』と云う言葉だけですべて理解したと云う。

『河越城』の意味、これは北条氏康が八千で八万の山内上杉・扇谷上杉連合軍を破った武蔵(埼玉)の国の『河越夜戦』を意味している。

 北条一族の勇将、北条綱茂の篭る河越城に八万の山内上杉・扇谷上杉連合軍が押し寄せた。氏康の持つ兵もそんなに多くない。綱茂の持つ兵と合わせても八千がやっとだった。氏康は策を講じた。それは商人、遊び女、芸人を多く集めて両上杉家の陣に送り込んだ。

 北条綱成の粘りもあって、両上杉陣は長対陣に及び、睨み合いが続いていた。そこに商人、遊び女、芸人を送り込み、厭戦気分の構築を図った。そしてそれは功を奏した。すっかり油断したところに河越城の北条綱成と援軍の氏康が夜襲をかけて、山内上杉の総大将も討ち取るほどの大勝利をしたのである。

 つまり隆広は、この故事にならったのである。氏郷に頼んだ事は二千貫を使い、商人、遊び女、芸人を集めて羽柴陣に派遣してもらう事だった。商人の身分手形など氏郷の忍びが容易に精巧なニセモノを作ったのだった。『河越城』だけで隆広の意図すべて読み取った蒲生氏郷、九鬼嘉隆、筒井順慶もさすがと云えよう。

 結果、泥酔状態で寝入っているところを襲撃と云う目論みは頓挫したが、城と援軍の挟撃は成った。大成功である。

 合戦後、すぐに隆広は援軍三将に褒賞を渡した。それぞれに安土備蓄の米から五千石ずつ、築城のための資金として金蔵にあった二万貫のうち三千貫ずつを三将に贈ったのだった。それに加えて、自ら考案した鉄砲術の伝授を約束した隆広。三将がますます隆広に味方する気持ちを強めたのは言うまでもない。

 

 また隆広は近隣の領民を大量に雇い、羽柴勢の死者の荼毘に付す事を指示した。武人の情けとも言えるが、城の前に死体がゴロゴロしていては死臭が漂い、伝染病の原因ともなる。破格の賃金と米で領民を雇い、迅速に羽柴勢の死体を焼いて埋葬する事を命じたのだった。現在もそれは安土の地に『羽柴塚』として残る。

 そして戦場で生き残っていた羽柴兵には手当てをしたと云う。『抵抗できない者はもはや敵にあらず』と同じく近隣領民に命じた。

 それからやっと隆広は風呂に入り、眠りについた。愛妻さえと熱烈で激しい一仕事してからだったらしいが、ようやく睡魔を満足させ、起きて家族と食事を取っていた。そして大野貫一郎が来た。

「殿、伝令が来ました」

「うん」

「羽柴勢を追撃しておりました柳生厳勝殿より伝令、羽柴秀長殿、討ち取りましてございます」

「…そうか」

 飯をクチに運ぶ箸をピタと止め、隆広は短くそう答えた。敵将を討ったのに隆広の顔に笑みはない。

 

 筒井家の柳生厳勝が順慶の指示で逃走する羽柴勢の追撃に出た。朝になって空が明るくなったのが秀長にとって不運だったと云えるだろう。芥川城に入り宇喜多勢を待ち再び東進を画策していた秀長であったが近江と山城の国境付近の川で喉の渇きを癒していたところを厳勝の部隊に捕捉された。柳生の軍団は剣客集団である。矢尽き刀折れた羽柴勢にはどうする事もできなかった。ここで浅野長政、中村一氏、羽柴秀次は討ち取られた。秀長の忍び蝉丸は命をも捨てて厳勝率いる柳生勢と戦ったが、厳勝に一刀両断された。

「筒井家母衣衆筆頭、柳生厳勝と申す。羽柴秀長殿と推察いたす」

「…いかにも」

「もはやどうする事もできますまい。腹を召されるなら介錯いたす」

「かたじけない…」

 秀長は河原に座り、切腹の姿勢を執った。

「何か言い残す事はございませぬか」

「…美濃守殿にお伝えあれ…」

「はっ」

「『一度…酒を酌み交わしたかった』と…」

「お伝えいたす」

 そして羽柴秀長は腹を切り、柳生厳勝が介錯した。辞世はなかった。包囲軍四将の首はすぐに隆広の元へ届けられ水沢家幹部と援軍三将立ち会いで首実検が行われた。隆広はジッと秀長の首を見つめていた。

『一度…酒を酌み交わしたかった』

 かつてこの安土の城で隆広と秀長は『飲もう』と云う約束を交わしていた。しかしそれはかなわず、面と向かっての再会、それは秀長が首となった時だった。

「それがしも同じ思いにございます…秀長殿…」

「殿…」

「助右衛門、彼らの首をさらす必要はない。各々の家族に返してやってくれ」

「承知しました」

「あと…しばらく秀長殿と二人にしてくれ」

「ははっ」

 水沢家臣は長政、一氏、秀次の首を丁重に持ち去り、援軍三将も評定の間から出ていった。隆広は酒を持ち、秀長の首に対した。杯を秀長の前に置き、酒を注ぐ。そして隆広はグイッと酒を飲んだ。

「…同情はいたしませぬ秀長殿、一歩間違えれば我らの立場は逆だった…」

 それ以上の言葉は発さず、しばらく秀長と向かい会う隆広だったが、そこへ

「殿…。お人払いの時に申し訳ございませぬが…」

 高橋紀茂が来た。

「かまわん、何だ?」

「賤ヶ岳で大殿様(勝家)の陣にいる柴舟殿より文が」

「見せよ。それと紀茂」

「はっ」

「秀長殿の首、姫路にいるお藤(秀長正室。史実の智雲院)殿に届くよう差配いたせ」

「承知しました」

「丁重にだぞ」

「はっ」

 紀茂は柴舟の文を隆広に渡し、そして秀長の首を丁重に持ち去った。柴舟の文には最近の賤ヶ岳の戦況報告が記してあった。一通り読む隆広。そして

「誰かある」

「はっ」

 大野貫一郎が来た。

「軍儀を開くと諸将に伝えよ」

「はっ!」

 水沢隆広はゆっくりと立ち、北を見据えた。戦場となる賤ヶ岳を。



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琵琶湖大返し

 羽柴の包囲が解けた水沢軍には新たな情報が入ってきた。羽柴秀長敗走と同時に水沢隆広は岐阜と賤ヶ岳の情報収集を大急ぎで藤林忍軍全員に命じたのだ。秀長への追撃は援軍部隊に任せ、もう視線は賤ヶ岳に向いていたのであった。そして入ってきた知らせ。実は岐阜城はもう何日も前に落ちていたと云うのである。秀長はつい先日に『そろそろ落ちそうだ』と陣中で密偵の蝉丸に述べていたが、安土から岐阜は距離があるので、その時にはまだ正確な情報が秀長に伝わっていなかったのだろう。

 隆広は岐阜がまだ無事ならば攻める蜂須賀勢の後背を衝いて、先に三法師を奪還する事を考えていたが、それは頓挫した。三法師生母の徳寿院はそのまま岐阜城で丁重な庇護を受けているものの三法師自身は蜂須賀の手で、すでに賤ヶ岳に連れ出されていたのであった。

 最悪だ…。そう隆広が思うのも無理ないが朗報が続いた。滝川一益が立ったのである。病もお家騒動もすべて狂言であった滝川家。一益は信長亡き今に甲斐と信濃に侵攻を開始した家康を警戒し、清洲を動くに動けなかった。羽柴秀長率いる安土包囲軍が安土を落として尾張に侵攻してくるかもしれない。秀吉に付く事などは論外だった。だから一益は恥を忍び仮病を装い周囲が呆れるようなお家騒動を仕立て油断させた。秀長が尾張に攻めてきたら迎え撃つためである。

 だが安土の包囲軍は動かない。一益から見て安土城の水沢勢は劣勢、そして賤ヶ岳の柴田と羽柴の戦いも長期戦となっているが、どうにも柴田は機先を制されたゆえか旗色が悪いと云う。このままでは柴田勝家は滅び、安土は落ちる。そうなったらもう秀吉にはかなわない。秀長が安土から動かない事を見た一益はついに立ったのである。

 徳川は甲信を手に入れるべく動き、尾張には兵は向けられない。何より織田家と戦う大義名分がない。後顧の憂いはないと見た一益は清洲城を出陣した。岐阜城を奪回して、秀吉の後背を衝く構えを執る気だった。そしてその滝川勢に森長可が合流した。

 長可は当時、新領の信濃を捨てて東美濃にある金山城に戻り、近隣の城を奪い東美濃を平定したばかりであった。しかし彼の義父の池田恒興は羽柴についている。池田恒興から味方せよと望まれたが、結果長可は一益についた。何故なら彼の弟の仙千代(後の忠政)は織田信孝を経て柴田家に人質となっていたのである。重臣たちは旗色から羽柴へと進言したが、長可は

「もうオレの弟は仙しか残っておらぬ。見捨てられぬ」

 と返し、滝川勢に味方を表明した。滝川・森連合軍はすぐに岐阜城を奪還。すぐに秀吉の背後を衝くべく備えた。

 

 ここまでが現時点で水沢軍が掴んだ情報である。それに伴い、柴田陣にいる柴舟から書が届いた。

『両軍睨み合いのまま、動かない状態が続いております。柴田勢は賤ヶ岳の内中尾山を本陣としてその南に砦を築き将兵を配置いたしております。第一線、別所山に前田利家様、橡谷山に徳山則秀様と金森長近様、林谷山に佐々成政様、第二線、行市山に佐久間盛政が配備しています。

 一方羽柴勢の留守部隊は蜂須賀正勝を大将として、第一線、左福山に堀秀政、北国街道に小川祐忠、堂木山に山路正国、神明山に木村重茲。左福山と堂木山の間には壕を掘り、堤を築き、棚を設けて各備えの連絡を密にし、第二線は田上山に稲田大炊、岩崎山に高山右近、大岩山に中川清秀、賤ヶ岳に桑山重晴を備えております。

 降伏した丹羽長秀を琵琶湖北方の防備に当たらせ、塩津から海津方面に七千人を率いて駐屯させております。そして嫡子の長重に三千人を率らせ敦賀方面の監視を命じております。海には細川忠興に命じて水軍をもって越前の海岸に配置しております。

 また水面下では柴田から調略がはいり、山路正国が柴田に寝返りました。そして彼のクチから『羽柴筑前は岐阜城の滝川と森を討つべく本隊を率いて南下』『大岩山を奇襲攻撃すれば落ちる』の情報が入り、佐久間盛政様が大岩山を攻撃。中川清秀殿は討ち死にし佐久間殿は砦を占拠いたし、着陣の由』

 軍議にいる諸将すべてが柴舟の書に目を通した。目の前には賤ヶ岳の布陣図。以前に柴舟が届けてくれたものだ。

「中入か…」

 頭を掻く隆広。中入、それは対陣中に兵の一部を分けて敵の後方をかく乱する戦法である。島左近が布陣図の行市山を指す。佐久間盛政が本来守っている砦だ。

「美濃殿、この行市山を守ってこそ柴田陣は機能いたしまする。玄蕃(盛政)殿が大岩山から戻らないままでは、柴田陣は蓋が開いたままの瓶も同じにございますぞ」

「仰せの通りにございます。うーん…」

 腕を組んで天井を見る隆広。この場でどんな名案が浮かぼうとも前線には何ら影響のない事。安土から賤ヶ岳の距離が悔しい。

 

「申し上げます!」

 白が来た。

「なんだ?」

「羽柴筑前! 岐阜城に寄せるも大雨で氾濫した揖斐川に阻まれ大垣城に陣を張っているとの事!」

「大垣だと!?」

 思わず隆広は立ち上がった。安土から大垣は東に一直線である。距離も賤ヶ岳より近い。

「殿! 大垣はさほどの防備が固い城ではございませぬ! 大垣にいる羽柴を!」

「慌てるな助右衛門。白、大垣から賤ヶ岳までの距離は?」

「およそ十三里(五十二㌔)にございます」

 ふう、と隆広は溜息をついて座った。

「殿! 急ぎ大垣を! 羽柴本隊は二万、我らは一万七千にございますが、岐阜の滝川と森がくれば勝てまする!」

「だめだ間に合わん」

「ま、間に合わ…?」

 道は一直線であるが、その間には羽柴に付いた丹羽長秀の居城である佐和山城がある。無視して通過するのは容易いが、大垣の羽柴勢と挟撃されたらたまったものではない。大垣に至るまでは佐和山城を落とす必要はある。慎重な性格の丹羽長秀、留守部隊もそれなりの数を配置しているだろう。

「今から我らが大垣に向かったとして途中の佐和山を落とす事を考慮すると、とうてい間に合わん。羽柴勢は賤ヶ岳に向かった後だ。明日の子の刻(0時)には着いているぞ」

「まさか…!?」

「いや奥村殿、それがしも美濃殿と同意見だ。本能寺の後、羽柴は柴田に一歩遅れたが、備中高松から摂津富田まで七日で大返ししている。それほどの神速さを羽柴勢は持っている。この中入の隙を逃すはずがない。今一度大返しと云わんばかり、怒涛の進軍で賤ヶ岳に向かっているだろう」

 と、蒲生氏郷。

「では殿、我らが賤ヶ岳に着く頃には戦は羽柴勝利で終わっていますぞ」

 前田慶次が言った。静まる軍議。

「…北ノ庄で討つしかない。北ノ庄は堅城、たとえ城の兵が千を切っていてもしばらくは守りきれる。北ノ庄を囲む羽柴勢を討つ」

「それしかないようですな。今度は秀吉本隊が敵城を背にして戦う番となりましょう」

 筒井順慶が言うと、九鬼嘉隆もうなずいた。この状況になっても蒲生、九鬼、筒井は隆広と行動を共にするつもりである。

「助右衛門、岐阜城に使者を出せ。『すでに筑前は岐阜攻めを放棄、賤ヶ岳に帰った。水沢軍は北上し、敵地に侵入せし羽柴勢を北ノ庄にて後背を衝く。合流を請う』と」

「承知しました」

「では全員、少しの仮眠をとった後、食事を取り北上する」

「「ハハッ!」」

「申し上げます!」

 今度は六郎が来た。

「なんだ?」

「若狭水軍! 到着にございます!」

 今さら水軍が来て何になるかと思う諸将。しかし隆広は

「やった!」

 と叫んだのである。

 

 安土城に到着した若狭水軍。頭首の松浪庄三が船から降りてきた。

「美濃殿! 若狭水軍到着しました!」

「庄三殿!」

 しかし海の水軍である若狭水軍なのに、やけに船の数が多い。

「美濃殿、かの者たちが加勢を約束してくれ申した」

 続いて船を下りてきた男。庄三の横に立ち、軽く会釈した。

「私は堅田衆の頭領、堅田十郎と申す」

「か、堅田衆!」

 堅田衆とは琵琶湖の湖賊である。信長包囲網では朝倉につき、織田政権下では明智についていた。松浪庄三から堅田衆の説得を要望された吉村直賢は、堅田の砦に行き頭領の十郎と会った。

「水沢につけと?」

「いかにも」

 人は親切ではチカラを貸さない。直賢は貢ぎ金三千貫を持ち堅田の砦に訪れた。

「勘違いされては困る。我らは商売の利から吉村殿と手を結び、琵琶湖交易をしているのではないか。柴田と水沢は商売相手であり、家来になったつもりはない」

「…それは困りましたな。この三千貫では堅田の報酬に不足でございますか」

「そうではござらぬ。この時世味方に付くものを間違えたら滅ぶ。羽柴が勝ったら堅田は滅ぶ」

「このまま堅田が動かなければ柴田は負け、逆に堅田が柴田に付けば当方の勝ちにございます」

「なぜそう言い切れる!」

「この局面、畿内の反秀吉の織田諸将が主人美濃に加勢してましょう。安土で殿の一団を拾い北上いたしまする。まさか琵琶湖から援軍に来るとは秀吉も考えてはおりますまい」

 反秀吉の織田諸将が水沢隆広に加勢、これは直賢のハッタリだった。

「畿内の反秀吉の織田諸将が主人美濃に加勢…と申しましたな。もしそうでなかったらどうする。三千の兵そこらで羽柴五万の後背を衝いたとて勝てぬぞ」

「すでにそれがしが琵琶湖の漁師や商人衆から船をかき集めてございます。それがし敦賀の船大工に命じて最新の大型安宅船を建造し湖西に停泊させてあり申す。以上で五千から七千の兵は運べましょう。

 しかし他の援軍の兵までは乗せられない。ゆえに堅田の助勢が必要なのでございます。主人が自分の兵しか持っておらず、安土包囲軍に手を焼いており、かつ味方する諸将がいなければ、そのまま帰られればよろしい。しかしいた場合は堅田の船が必要なのでございます」

「…あい分かり申した。水沢隆広が本当に畿内の諸将を味方につけていたのならば喜んで助勢つかまつろう。しかしそうでない場合は勝機なしと見込み帰らせていただく。それで宜しいな」

「ありがたい十郎殿!」

「礼なら助勢を決めた後にしなされ。オイ!」

 十郎は部下を呼んだ。

「ヘイ!」

「安土に全船で向かう! 支度だ!」

「ヘイッ!」

「賭け時を誤られますな、十郎殿」

 と、直賢。十郎も水沢隆広と云う男は知っている。彼自身も傑物と見ている武将である。見込みがなければ最初から直賢の申し出に聞く耳は持たない。“賭け時”直賢から聞くとフッと笑った。

「殿(光秀)を討った男が三流のはずがない。賭け時、しかと見極めてくれるわ」

 そして安土に向かっている途中に知らせが入った。水沢隆広は蒲生氏郷、九鬼嘉隆、筒井順慶を味方につけて、見事に安土城包囲軍を壊滅させたと。十郎は直賢に言った。

「直賢殿、貴殿の勝ちだ。堅田は水沢隆広と云う駿馬に賭ける!」

「十郎殿!」

「さあ忙しゅうなるな! みな、久しぶりに陸(おか)で戦う事になりそうだ。気合入れろ!」

「「ヘイッ!」」

 

 そして隆広と対面した堅田十郎。隆広とは初めて会う。十郎は膝を屈した。

「我ら、美濃守殿に加勢いたしまする」

「ありがたい! すぐに船は出せまするか」

「無論です」

 船団の到着が嬉しくてたまらない隆広。何故ならすぐに出陣できる。軍議も休息も、そして食事も船上でできるからである。

「日向守(光秀)殿を討ったそれがしに…よくぞ…」

「殿を討ちし美濃殿、一度見とうございました。利三様と秀満様の遺児をお引き取りあそばされ、また英姫様を庇護して下された美濃殿、明智遺臣の一団の長としてお礼申し上げます。この上は美濃守様を新たな主君と見て、誠心誠意お尽くしいたす所存!」

「十郎殿!」

「十郎とお呼び下さいませ」

「うん、十郎頼む!」

「はっ!」

「助右衛門」

「はっ」

「先の滝川と森の加勢要請は内容を変える。『我らは若狭水軍、堅田衆の助勢を得て琵琶湖を船で北上する。琵琶湖北側に接岸の予定。合流は無理ゆえ、留守部隊しかいない大垣、長浜、佐和山を落としていただきたい』と」

「承知しました」

「美濃殿、船が来て戦場に向かえる事には相成ったが、滝川と森は間に合わぬ。敵は我らの倍以上、やはり北ノ庄城で挟撃が良いのではないか。そして滝川と森の合流を待って討って出る」

 と、九鬼嘉隆。

「まだ賤ヶ岳の戦況をこの目で見ておりませぬゆえ何とも申せませぬが…状況を見て北ノ庄での戦いに持ち込めば有利と見ればそうしましょう。しかし…戦場に到着しながら羽柴の好きなように柴田将兵が殺されるのを黙って見ているワケにはいきませぬ」

「ふむ…」

「相手は我らの倍以上、平野部で野戦が不利なのは承知です。ですが羽柴は柴田との戦いや岐阜からの大返しで疲れております。そこに奇襲する我ら。十分に戦いようはあり申す」

「ほう、具体的には?」

「それは船内にてお話いたします。今は時が惜しい、全軍乗船の準備だ」

「「ハッ」」

 

「それにしても庄三殿、よくそれがしの心中読み取って下さいました。陸路から北上するしかないと思っていましたが、到着時には合戦は終わっている。北ノ庄を囲む羽柴と戦うつもりでしたが、これで十分賤ヶ岳に間に合います」

 庄三率いる若狭水軍は越前を牽制する細川水軍との衝突は避けて若狭の地に上陸。そして急ぎ琵琶湖に向かった。琵琶湖の北側は丹羽勢が張っているため、西側から琵琶湖に入り直賢に注文して建造してもらっていた安宅船に乗り込んだ。直賢が琵琶湖中からかき集めた漁船も商船も共に安土に向かい、そして堅田衆と合流。そして急ぎ水沢軍の援軍に駆けつけたのである。庄三は柴田勝家ではなく、水沢隆広の援軍に来た。それにはちゃんと狙いがあった。

「ありがたき仰せに。美濃殿ならきっと包囲軍を殲滅させた後に賤ヶ岳に向かうと思っておりました」

「まったく…最初にそれを庄三殿に聞かされた時は半信半疑でしたが…」

「直賢もよくやってくれた! この多くの漁船と商船を調達し、そして堅田衆を味方につけられたのは、そなたの日頃の交易や商売が清廉で信望厚いに他ならない。礼を申すぞ!」

「もったいなき仰せに!」

 そう、庄三は隆広と共に柴田の援軍に向かうつもりであったのだ。いかに柴田家を支持する若狭水軍とはいえ、千にも満たない自分たちが柴田の援軍に行っても知れている。隆広と安土で合流して、そして北上するのが庄三の狙いだった。公式発表はないものの、畿内の将たち大半は隆広が勝家の実の息子と伝え聞いている。彼なら近隣大名の援軍も望める。まさに先の先を読んで隆広の元に船を運んだのだった。頭を垂れる庄三の元に歩み、隆広は腰を下ろして静かにつぶやいた。

「ありがとうございまする…。龍興様」

「……ッ!」

 隣にいた吉村直賢もあぜんとした。庄三の正体は直賢しか知らない事であるのだから。

「家臣の子にここまで尽力して下されて…礼の言葉もございませぬ」

「な、何の話でございまするか? 私にはとんと…」

「それがしの独り言…聞き流して下されてかまいませぬ。だがこれだけは言わせて下さい。それがしにここまでして下さると云う事は、いかに龍興様が父の隆家を重く見て信任なさっていたかがよく分かります。たとえ血の繋がらない子のそれがしとは言え、感謝にたえませぬ。ありがとうございます」

「……」

「父に聞いたとおり、龍興様は稀有な軍才を持つ武将でございます。父が存命ならばこう申したでしょう」

「……」

「『殿、お見事にございます』と」

「ワシを褒めるか…!」

 龍興は肩を震わせて感涙にむせていた。そして水沢隆広の顔に水沢隆家の顔が重なって見えた。

 しかしこの天佑とも思える隆広の運気は何なのだろうか。わずか三千の兵しか持っていない柴田の一武将の元へ百戦練磨の将三名と隆広の機知を読み取り琵琶湖に水軍衆が集結した。

 かつて隆広を刺客の手から救った源蔵こと加藤段蔵の手記に、

『“水隆(隆広の事)は源蔵と名乗りし身形卑しい自分を背負い、食と湯と床を施され、かつ拙の話を嬉々として聞くにいたる。本来拙は刺客として訪れたのに、水隆の心根に惹かれ、逆に他の刺客よりお助けした。拙がかような気になり刺客から転じて守りに向けさせたのは何であろうか。あの夜、拙が水隆の屋敷にいた事、これすべて何の巡り合わせか。神仏や天佑が水隆を生かそうとしていると拙は感じたのである”』

 と、あるように運以上の何かが隆広を生かそうとしているとしか思えないほどの『安土集結』である。戦国の世を見かねた神仏が、それを治める者として選んだ人物、それが水沢隆広なのだろうか。

 

 静かに龍興から離れた隆広は、全兵士に鼓舞を始めた。

「では全軍琵琶湖を北上する! よいか! 羽柴勢は賤ヶ岳に明日の子の刻に到着している。おそらく大岩山の佐久間勢から殿の陣形は崩れ、殿のいる内中尾山にも雪崩れ込もう。羽柴の出撃には間に合わぬが、柴田勢と戦っている真っ最中の羽柴勢の後背は衝ける! 一同腹を括るのだ! 柴田の命運、この一戦にあり! これぞ我らが桶狭間ぞおッ!!」

「「オオッ!」」

「羽柴筑前の後背を衝く! 出陣だ――ッッ!」

「「オオオオッッ!」」

 世に有名な水沢隆広の『琵琶湖大返し』である。

 

 話は少し遡る。水沢隆広が安土城で羽柴二万と対峙しているころ、勝家の陣の方では

「山路正国殿がこちらの味方につきました」

 と佐久間盛政から朗報が入っていた。秀吉軍第一線の堂木山の砦を守っていた山路正国に勝家は丸岡十二万石を与える約束をしたのである。

 元々彼は長浜城主の柴田勝豊の部下で勝豊降伏と共に羽柴軍にいた柴田家の武将であった。彼は手土産に木村重茲を陣に招き殺して、その首をもって柴田軍に帰参するつもりであったが、それは木村重茲に露見していた。やむなく正国は重茲の首をあきらめて柴田陣へと出奔した。この一連の動きがこう着状態の戦場を動かす事となる。

 

「秀吉がおらぬ!?」

 内中尾山、柴田勝家本陣。柴田軍に戻ってきた山路正国からの敵情報告を受けた佐久間盛政は勝家のもとへやってきた。

「いかにも、滝川一益と森長可が岐阜城を奪い取り申した。背後を憂いた筑前はその攻略に向かい申した。さらにそれがしの放ち草(密偵)からも逐次同じ報告が届いており申す。また三法師様は蜂須賀の陣に置かれているとの事」

 静まり返る柴田本陣。

「伯父上!」

「動いてはならん」

「確かにかようなこう着状態なら先に動いたが負けは必定! しかし先に動いたのは筑前にござろう! この機に乗じて一気に攻め入りましょうぞ!」

「玄蕃、ワナであったら何とするか。秀吉は我らに一歩後れはしたが中国より電撃的な早さで大返ししている。あいつをナメてはならん」

 と、前田利家。

「じれったき事を! あれが危ない、これが危ないで戦になるか! 筑前が動いたは確実なのだ! 今こそ三法師様を奪回し、決戦を挑む時ぞ!」

 柴田勢にとって、秀吉が信長の嫡孫の三法師を擁した事は痛手であったが、秀吉が傀儡としようとしていたのは明白であったため、『弓を引く事はできない』と思うほどに深刻ではなかった。今回の合戦は秀吉を倒すのは無論、三法師の奪回も必要不可欠のものであった。

「申し上げます!」

 使い番が来た。

「岐阜城に羽柴勢侵攻中! 明日にも岐阜城に到着の見込み! 総勢二万、羽柴秀吉率いる本隊にございます!」

 ついに秀吉の岐阜後退が本物である事を掴んだ柴田軍。そうと分かれば勝家の決断は早い。

「盛政!」

「はっ!」

「その方、橡谷山の徳山則秀、材谷山の不破光治、中谷山の原彦次郎を連れて敵の先陣の中川清秀を叩け。そなたの軍勢は一万五千ほどになろう。中川は千三百ほど必ず勝てる」

「無論にございます」

「じゃが問題はその後、これは『中入』じゃ。戦果を上げたらすぐに戻るが妙法。筑前は岐阜にいるとは云え、備中から姫路に七日で帰って来たほどの神速さを持っているゆえ油断はできぬ。勝ったらすぐに行市山の己が陣地に戻り守りを固めよ」

「承知つかまつった」

「そなたが元の陣に戻り、開いた大岩山に対して秀吉のいない羽柴勢がどう動くか見て、三法師様の奪回と決戦を考える。良いか、中川を蹴散らしたら必ず戻るのだぞ。目的は大岩山の占拠にあらずと心得よ」

「はっ!」

「よし、では早速戻って支度にかかれ」

 

 一方、秀吉。目の前には豪雨により氾濫した揖斐川がある。雨の中で秀吉は

「何をしているかあッ! 岐阜城は目の前だぞ、渡河を敢行する! イカダを組め!」

「ここで無理に渡河をすれば兵の半数は失いますぞ親父様!」

「だまれ佐吉! 時間がないのじゃ! 岐阜城の一益と長可をすぐに蹴散らし賤ヶ岳に戻らなくてはならぬ! イカダを組まんか!」

「どうしても渡河をするなら! この佐吉を斬ってからになされよ!」

「ええいッ!」

 秀吉は忌々しそうに地を蹴った。

「もうよい! 大垣に行き陣を張るぞ!」

「「ハハッ!」」

「ほ…」

 馬に乗り大垣城に向かう秀吉の背を見て安堵する石田三成。その肩をポンと叩く大谷吉継。

「思い切ったな、オレを斬ってから行け、か。佐吉」

「平馬…。いや無我夢中だったからついクチから出た」

「かつて美濃殿も手取川の合戦の時に、強引に氾濫した湊川(手取川)を渡ろうとした主君修理亮殿(勝家)殿に同じ事を言ったと聞く」

「ああ、オレもその場にいたが…結局修理亮様は渡河して窮地に陥る事になったからな。あの教訓を生かさなければならぬ」

「その教訓を与えた者が今は敵とは皮肉だがな」

「それを言うな。さ、大垣に向かおう」

「ああ」

 

 秀吉は大垣城に入城し、城主の間で座った。

「ふう…伊右衛門(山内一豊)」

「はっ」

「賤ヶ岳への草をもっと増やせ。そして権六に動きあらばすぐに知らせよ、とな」

「承知しました」

「それと権兵衛(仙石秀久)」

「はっ」

「安土城の戦局を調べさせよ」

「承知しました」

「ワシは寝る」

 濡れた甲冑と着物を脱ぎ、乾いた着物を着ると横になり、すぐにイビキをかきだす秀吉。苦笑する黒田官兵衛。

「やはり相当お疲れだ…」

 官兵衛は蒲団をかぶせた。そして起こさぬように部屋を出て安土城の方向を見る官兵衛。官兵衛も割り切ってはいるが隆広と戦う事は避けたかった。彼にとって隆広は命の恩人である。

(短慮を起こされるなよ美濃殿、貴殿なら羽柴の武将になっても活躍の場は十分にある…。一緒に秀吉様の元で、戦のない世を作っていこうではないか…)

 

 しばらくして睡魔を満足させた秀吉は食事を取っていた。そこに仙石秀久が報告に来た。

「殿、安土城の様子が入りました」

「ふむ」

「いまだ包囲戦中にございます。ですが妙な話を聞きました」

「なんじゃ?」

「美濃殿が酒色に溺れていると云うのです」

「なに?」

 同じく部屋にいた石田三成、黒田官兵衛、山内一豊はギョッとして秀久を見た。

「酒色に溺れている? 美濃がか?」

「はい、羽柴陣にその噂が流布しておるとの事」

 秀吉は箸を床に叩き付けた。

「バカな! よもや小一郎(秀長)はそれを鵜呑みにしていまいな! 絶対にありえんぞ! 美濃は信長様にも楯突き、上杉謙信を寡兵で退けた男! 窮地を酒色で逃げる腑抜けのはずがないわ!」

「無論、小一郎様も信じておらぬとの事。このまま包囲して越前で修理亮殿を討った兄者を待つ、と申されたとの由」

「そうか、なら安心じゃ。しかしさしもの美濃も焦っておるの。こちらが苦しければ敵も苦しい…」

 

 大岩山の中川清秀は左に賤ヶ岳、右に岩崎山、前方は神明山と、味方の砦に囲まれている中で、よもや奇襲を受けるとは思わず、急いで迎撃態勢をとって佐久間隊に対した。賤ヶ岳の守将の桑山重晴と、岩崎山の高山右近の備えには勝家軍の睨みが利いて持ち場を空けるわけにもいかず、退却せよと便を送ったが中川清秀はこれを入れず孤軍奮闘で戦った。もはや救援も得られず、全滅を悟った清秀の家臣は

「陣屋に行き、腹を召されよ!」

 と言った。しかし清秀は首を縦に降ろさなかった。だが結局多勢に無勢、中川清秀は壮絶な討ち死にを遂げた。

 ここで盛政が勝家の指示通りに行市山に引き返せば何の憂いもなかった。しかし盛政は大岩山に陣場を築いてしまい後退しなかった。共に中川勢を攻撃した徳山則秀、不破光治、原彦次郎と大岩山に留まり、かつ賤ヶ岳を守る桑山重晴に使者を出し降伏を勧告した。

『大岩山、岩崎山の砦はすでに落ち、賤ヶ岳の砦はもはや包囲の中にある。無用の戦いをやめてすぐに降伏いたされよ』

 桑山重晴は丹羽長秀の寄騎をしていたが、この合戦には秀吉の配下にあった。彼にはすでに戦意はなく、

『抵抗はせぬが、武士の面目もあり日没まで待っていただきたい。必ず賤ヶ岳の砦を明け渡し申す』

 と返した。その返事に安心した佐久間盛政だった。賤ヶ岳はもはや手中にある。無理して攻めて犠牲を出すより、休息をとって夜を待つが得策と考えたのであった。

 盛政をこうして油断させたもの、それは秀吉の本隊が岐阜にあるという事であった。今ごろは岐阜城の滝川一益と森長可を攻め始めたので、そう容易くこちらに戻っては来られないと考えていたのである。勝家は引き上げてくるように指示を出したが盛政は聞かなかった。

 

「盛政はまだ大岩山に居座っているのか!」

「は、はい! 今宵はそこで夜営をすると!」

 使い番の言葉に激怒する勝家。

「バカな! あれほど出陣前に言い聞かせたのに何を聞いておったか! 早く引き返せと伝えろ!」

 柴田勝家の布陣は秀吉が攻めようにも攻められない布陣である。無論のこと盛政もその布陣に組み込まれた一隊である。小手調べ程度の奇襲の勝利におごり、その布陣にほころびを生じさせれば大敗に繋がる恐れがあった。

 大岩山が落ちると岩崎山の高山右近は木之本で布陣をしている蜂須賀正勝の陣に向かい合流した。盛政は大岩山に留まり、行市山に戻って陣を固めよと云う勝家の指示に従わなかったのである。

「やれやれ、伯父上もモウロクされたもの。筑前がまだ布陣しないうちに手に入れたこの要地を何で手放せるか」

 勝家の使い番は

「しかし木之本には蜂須賀正勝や稲田大炊、前野将右衛門が布陣しています。まだ動くべきではないと殿は」

 と反論するが

 「ここをむざむざ敵に渡したら、鬼玄蕃の武門が立たぬ。伯父上の言葉は聞けぬ」

「ですが、秀吉本隊がこの場に到着してしまったら、味方の行き場がなくなります!」

「だまれ! 筑前は岐阜にいるのだ! 考えてみよ、今日ヤツの耳に報告が届いたとて、ヤツの本隊は二万だぞ。どう考えてもここに来るまで三日はかかるわ! なぜ我らがそれまで手をこまねいてなければならぬ!」

「佐久間様…」

「オレはその間に木之本の蜂須賀と稲田、前野を蹴散らし長浜城を手に入れて、それ以北の地を厳重に固める所存じゃ。伯父上にオレは断じて引き上げぬと伝えい!」

「はっ」

 それを聞くや勝家は床几を蹴飛ばして激怒した。

「何と云う愚かな…! 盛政…ワシにシワ腹を切らせる気か!」

 

 その知らせは大垣城の秀吉に届いた。

「申し上げます!」

「うむ」

「柴田勢、ついに動きました! 大岩山の中川清秀様を討ち取り! そのまま敵将の佐久間玄蕃、不破光治、徳山則秀、原彦次郎が居座っております!」

 秀吉はそれを聞くや立ち上がり

「われ勝てり! 柴田権六が命わが掌中にあり!!」

「やりましたな殿!」

「うむ官兵衛、堀尾茂助と集めておいた健脚自慢の者たちを城門に呼べい!」

「ハハッ!」

 秀吉が城門に駆ける。そして着いた時には羽柴軍の健脚自慢が並んでいた。

「その方たち、大垣から賤ヶ岳の間の道に住む領民たちに兵糧と馬糧と灯を用意させよ。金に糸目をつけるな」

「はっ」

「堀尾茂助」

「はっ」

「そなたは五千の兵でこの大垣城に残り、いまだ羽柴勢二万がここにいると言いふらせ。わしが木之本に向かったと知れば、追撃してくるなりしてこよう」

「はっ」

「よし、では茶とするか」

 秀吉は夕方まで大垣城でのんびりしていた。敵の密偵に動かないと思わせるためであった。そして夕方、秀吉は動いた。

「では参るぞ! 賤ヶ岳まで大返しじゃ!」

「「オオオッ!!」」

 羽柴軍は賤ヶ岳に向かって走り出した。到着時間は今から約二刻半(五時間)後を目安としていた。一万五千の大軍を二刻半で十三里(約五十二㌔)移動させようと云うのだから、もはや当時の常識では考えられない事であった。

 その先にあるのは栄光か、それとも破滅か…。この時の秀吉には想像もしていなかったろう。安土包囲軍は全滅し、そして一人の天才が自分を討つべくすでに動いていようとは。



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決戦、賤ヶ岳(前編)

 話は少し遡る。佐久間盛政は大岩山の陣で横になっていた。そして先日に聞いた話を思い出した。水沢隆広は柴田勝家の実の息子だと云う事を。勝家が正式に公表しなくても清洲会議でお市が満座で言ったのだから、当然に盛政の耳にも入る。

「そういう事だったのか…。それなら伯父上の隆広びいきも頷ける。離れて育った我が子があれだけの智将になって帰参いたさば、さしもの鬼権六も盲愛しような…。もはや隆広が次期柴田家の当主であるのは明らかじゃ…。勝豊が筑前に付いたのもそんな理由じゃろう。俺と成政、勝豊は隆広と仲が悪い。隆広は何度も我らと融和を図っていたが…俺たちは受け入れられなかった。とはいえ俺の生きる場所は柴田家を置いてない。隆広の性格なら過去の経緯を忘れてそのままオレや成政を重用するかもしれぬが…それが辛い」

 叔父の佐久間信盛を看取った隆広、以前に叔父信盛が柴田家への仕官を望んだ時、自分とは別に信盛の仕官を勝家に取り成していたのも知っている。そして信盛の遺児甚九郎を召抱えたのも聞いた。盛政は隆広に内心感謝しても礼は言わなかった。すべて知らぬふりをした。今さら前田利家や可児才蔵のように隆広と親しい同僚になどなれない。何て意地っ張りで不器用なのかと自分で可笑しくなる。

「伯父上はもはや六十二の高齢、この合戦後に隆広へ家督を譲ろうな…。隆広は柴田をどう動かしていくのであろうか…。織田から独立して天下の覇権を狙うか…それとも三法師様を立て、あくまで柴田は織田政権の中で生きていくか…」

 そう考え事をしている時だった。ザワザワと兵士の騒ぐ声が聞こえてきた。

「…? なんだ?」

 

 盛政は寝床を離れて兵の様子を見に行った。すると眼下の木之本街道におびただしい松明が見えたのだ。それに兵は戸惑い出したのだ。

「ふん、あれは留守居の蜂須賀のいたずらじゃ。松明の数など近くの領民を動員すればいくらでも増やせるわ。その方たちは眠れ」

 そう言って佐久間盛政は陣屋に戻り、眠りに入った。それからほどなく

「殿!」

「う~ん、なんじゃ」

「賤ヶ岳が動き出しました!」

「それは桑山隊が我らに下るために山を降りたのじゃ。いいからそなたらも眠れ」

「そ、それが…蜂須賀と丹羽の旗が…」

「なに?」

 盛政は飛び起き、陣中の見張り台に走った。

「ふん、面白い。蜂須賀めが持ち場を離れ本陣を移し、我らとの決戦に踏み切りおったか!」

 見張り台から賤ヶ岳を見る佐久間盛政。

「ようし、敵は秀吉の執った布陣を崩し、秀吉本隊抜きで決戦に出てきおったわ! この中入と俺の滞陣、こうも上手く行くとはのう! 蜂須賀がここに出張ってきたと云う事は木之本の羽柴本陣は手薄じゃ、一気に南下して長浜を取ってやる! 使い番!」

「はっ!」

「この戦、もらったわ!ただちに伯父上に全軍出撃の伝令に向かえ!」

 

「も、申し上げます!」

 賤ヶ岳への斥候兵が来た。

「なんじゃ」

「し、賤ヶ岳に陣する大軍は蜂須賀正勝なるも!木之本には敵の主力である秀吉自ら率いる本隊が布陣してございます!」

「なんじゃと!」

「馬鹿な!ちゃんと敵勢を確認したのか!」

 と、不破光治。

「木之本あたりに人馬多く、物見を入れて探らせたところ、確かに秀吉の着陣を確認いたしました!」

「そんな馬鹿な…!天魔にせよ鳥にせよ!まだこの場に来られるはずがない!」

 佐久間盛政はこの時になって初めて背筋に寒さを感じた。

「し、しかしどうやってこの時間に岐阜からたどり着く…。羽柴は空でも飛んできたとでも言うのか!」

 困惑する徳山則秀。

 

「盛政の馬鹿者があッ!あれほど強く引き返せと申したに!」

 秀吉本隊到着を聞いた勝家。

「ただちに撤退せいと伝えい!勝家の厳命じゃあッ!」

「ハッ!」

 大岩山の佐久間盛政軍を見つめる秀吉。

「ふっははは、あの揖斐川の洪水は天佑じゃったのぉ。佐吉、ようあん時に儂を身を挺して止めたの。褒めてとらす」

「ありがたき仰せに」

「揖斐川を渡り、一益と長可と交戦状態に至っていれば、こう早くは引き返せなんだわ」

「殿」

「おお、官兵衛、各備えへの伝令を終えたか」

「御意」

「ふむ、では佐久間盛政が動いたと同時に攻撃を開始する」

 石田三成も騎馬にまたがり佐久間陣を見る。

(ふん…。あんなに殿(隆広)を忌み嫌っていたくせに、いなければそのザマでございますか佐久間殿。何が鬼玄蕃、笑わせる)

 秀吉、いや軍師の黒田官兵衛が立案した総攻撃の作戦はこうである。攻め手は三つ、右翼は堀秀政、中央は秀吉本隊、そして左翼は蜂須賀正勝。右翼の堀秀政に柴田本陣を牽制させて中央は内尾中山から狐塚の地に布陣している柴田本陣に前進、左翼は撤退する佐久間勢を撃破。そしてそのまま敵主力を包み込む。

 行市山に佐久間隊が布陣していなければ、その攻勢を防ぐ事はできない。それどころか佐久間隊が総崩れする事により、そのまま他の砦も済崩しに崩壊していく。そして作戦開始は佐久間勢の突出か後退をもってである。まさに軍師官兵衛の鬼謀である。突出してきても、佐久間勢は孤立無援で戦う事になる。昨日の中川清秀と同じ立場になってしまい、勝家がそれに痺れを切らして狐塚の陣から出れば、もうしめたもの。柴田本隊は得意とする山岳戦ではなく平野部で備えを固めている羽柴全軍と衝突する。つまり盛政は動けない。補給路も断たれているため、大岩山で日干しになるしかない。選択の余地はない。後退である。急ぎ行市山に戻るしかない。

 

 一方、大岩山。

「佐久間殿! このままここにおりますと我が軍は羽柴に包囲殲滅に遭いますぞ!」

 と、原彦次郎。

「そんな事言われなくても分かっているわ!引き上げだ!」

 ようやく盛政は引き上げを開始した。だが遅かった。一斉に羽柴勢が攻撃を開始した。加藤清正、福島正則らの秀吉子飼いの将校たちに今まで抜け駆けを禁じていた秀吉だったが、この時は功名手柄は勝手次第と言われていたので、その士気たるやすさまじいものがあった。

 丹羽長秀も好機と見て軍勢を繰り出した。兄の佐久間盛政を助けようと茂山から降りた柴田勝政も丹羽勢から側面攻撃を受けて壊滅となった。大混乱に陥り、一方的に敗れたのであった。命からがら佐久間盛政は権現坂近くに落ち、前田利家の援軍を待った。もはや周りにいるのはわずかな兵である。

「も、申し上げます」

「なんだ…」

「前田隊、戦線離脱いたしました」

「な、なんだと!」

 前田利家は青年時代に秀吉と無二の親友で『藤吉郎』『犬千代』と呼び合った仲である。織田家から利家が追放された時も、秀吉は付き合いを変えず生活費の面倒を見て利家の帰参を叶えるべく奔走した。勝家も同じく利家の織田家帰参に尽力をしてくれた。だが利家は秀吉との友情を思うと今回の戦いに、勝家の寄騎として参加していても秀吉と戦いたくなかったのである。

 この時、利家の嫡子の前田利長は兄とも慕う水沢隆広を裏切るにしのびず、懸命に父の利家に戦場に留まり戦うように進言したが受け入れられず、しまいには単騎でも残ろうとしたが家臣たちに無理やり連れ帰られされたと云う。利家とて息子の気持ちは痛いほどに分かる。若き日は親父様と慕っていた勝家を見捨てるのであるのだから。しかし前田家のため利家は苦渋の決断をしたのだった。悪夢であるかのように、呆然と前田勢の戦場離脱を見る盛政。

「ついに利家殿が我ら柴田を見捨てたか…」

 フッと笑う盛政。

「これじゃあ本陣の備えもメチャメチャになるのう…。すべて終わった…」

「も、申し上げます…!」

「……」

「金森長近隊…。戦場を離脱…!」

 金森隊はまだ無傷の軍勢であった。それが離脱した。長近は秀吉からの調略を受けていたのだった。

「負ける時はみじめなものじゃな…」

 佐久間盛政は死を覚悟した。部下たちに

「この失態、俺が伯父上の言葉に従わなかったためだ。俺はここまでだ。潔く羽柴陣に突撃して斬り死にする。お前たちはもう自由にするがいい」

 と言い残し、羽柴勢に突撃をかけるべく馬に乗った。数名の部下がそれに従った。柴田軍はほぼ総崩れとなった。勝家の宿将の徳山則秀は討ち死にし、佐々成政はさすがに奮戦したが、四方から攻められ撤退を余儀なくされた。拝郷家嘉は加藤清正に、山路正国は福島正則に討ち取られた。不破光治は必死に戦ったが重傷を負った。家老の不破助之丞は討ち死にし、重傷の光治を助之丞の子で隆広の義弟不破角之丞光重が背負い敗走した。

 

 柴田勝家本陣。自軍の敗走を見る勝家。各砦はすべて羽柴軍に奪われてしまった。

「盛政め、勝てる戦を勝てなくしてしまったわ…」

「勝家様…」

「ふふ、今にそんな事を言ってもグチになろう」

「まだ隆広が安土におられます!」

「ふふ…。一部隊が生き延び、本隊が先に滅ぶとは皮肉よな。才蔵、今ここにいる兵はいかほどか」

「千五百にございます」

 およそ四万で布陣した柴田軍。しかし前田利家と金森長近の戦線離脱、不破軍、佐々軍の敗退。徳山則秀、拝郷家嘉ら将たちの討ち死にも相次ぎ、逃亡者が続出、各要所においた砦は空となり、もはや勝家は陣形さえ維持できなくなった。敗北を悟った勝家は『戦う気のない者、命の惜しい者は落ちよ』と下命した。そして最後まで落ちずに残ったのが千五百の兵である。ここに残った者はみな死ぬ気の覚悟を持っている。

「千五百か、よし、それだけいれば十分じゃ。鬼権六の最後見せてくれる」

「なりませぬ!まだ隆広の安否もわからぬままですぞ。ここは生きて北ノ庄にお戻りあれ!」

「才蔵、それは未練と云うものじゃ。儂はいい、あやつさえ生き延びれば柴田に再起もある」

「殿―ッ!」

 毛受勝照と山崎俊永が来た。

「早くお引きを、ここはそれがしが殿軍に立ちますゆえ!」

「ならん、儂も鬼権六と呼ばれた者、サルに背を向けるか!」

「どうしても戦うと云うのであれば、この毛受勝照をお斬りくだされ!」

「なんじゃと!」

「ここで戦って殿が討ち死にしたら、筑前はこう言うでしょう。『甥も思慮のないタワケであったが、伯父もこれまたタワケ』と!若き日の怨嗟も手伝い、筑前は殿の首を足蹴にして愉快そうに言うでしょう! その仕儀、臣下として我慢なりませぬ。どうせ死ぬのなら北ノ庄に戻り、城と共に自決して果てられよ!それが大身柴田勝家の最期と云うもの!」

 血を吐くようにして勝家に訴える毛受勝照。生死を賭けて諌める家臣の言葉に勝家は一言もなく黙った。

「何よりまだ安土の隆広が無事にございます!北ノ庄にて踏ん張れば援軍に来る事もありえまする!最後までおあきらめなさいますな!」

「勝照…」

「新参者とはいえ、この山崎俊永も同じ考えにございます!」

「殿、北ノ庄までの道のり、この才蔵が護衛いたし、その後に殿と共に果てまする!」

「殿を頼むぞ才蔵!」

「承知した勝照殿!」

「少し時間を稼ぎたく思います。殿の甲冑と旗をお貸し下さい!」

「何をする気か勝照」

「それがし、柴田勝家となり筑前の陣に突撃します!」

「馬鹿な! 死ぬ気か!」

「そうです!」

「勝照…!」

「俊永殿、才蔵、時間がない!」

「「承知!」」

 俊永と才蔵は急ぎ勝家の甲冑を脱がせた。

「何をするか!この勝家、家臣を身代わりに殺させて生きながらえようとは思わん!」

「早いか遅いかの違いしかござらぬ。殿、勝照先に参ります」

 毛受勝照は柴田勝家の甲冑を身につけ、馬に乗った。

「勝照!」

「勝照殿、それがし山崎俊永も付き合いますぞ」

「おう、心強い!」

「俊永!」

「殿、織田家に追放された身を重用されて下された恩、今お返し申す!」

「馬鹿者が…!」

「さあ、殿!ここで我らグズグズしていては勝照殿、俊永殿の気持ちが無駄になります!」

「すまぬ才蔵…!」

 

 毛受勝照は残る兵を集めた。毛受勝照隊五百、山崎俊永隊四百、そして柴田本隊の残存兵千五百。柴田勝家の甲冑を着た毛受勝照を見て兵士たちは勝照の覚悟を見た。そして勝照は兵士を鼓舞した。

「皆の者、ここで殿の首級を筑前にくれてやるわけにはいかぬ。戦場で主君の首をあげられたら我ら家臣団は末代までの笑い者じゃ! 殿には北ノ庄へ戻っていただく。殿は丹精込めて造られた北ノ庄の城と共に自決して果てられるおつもりじゃ。我らは先んじてここで華々しく死に、殿の死出への道の先導しようではないか!」

「「オオオオオッッ!」」

「筑前に、柴田の軍勢の恐ろしさを見せ付けて死のうぞ!」

「「オオオオオッッ!」」

 毛受勝照、山崎俊永の柴田殿軍が突撃してきた。だが羽柴勢の攻勢は止まらない。秀吉も自ら走り将兵に激を飛ばして攻撃を展開させている。だがさすがに疲れだし、

「ふう、もう勝ったであろう。佐吉ここに床几場を作れ」

「はっ」

 昨日まで勝家の陣場であった狐塚の地で床几場を構えた。敗走する柴田勢を見る秀吉。

「ふははは、光秀の首を取りそこない、清洲の会議ではいいようにしてやられたが、智慧美濃がついていなければ権六などこんなものよ。あんな玉砕の突撃などすぐに粉砕してくれる」

 羽柴本陣から、突入してくる敵勢を見る石田三成。義父山崎俊永の旗があった。

「舅殿…」

「あとの問題は美濃じゃが、何とか戦わずに我が家臣にしたいものじゃ。佐吉口説き落とせるか?」

「殿、美濃殿は修理亮(勝家)殿の嫡男です。それでも召抱えると!?」

「官兵衛、軍師と云う立場上とは云え心にもない事を申すな。美濃はそなたの命の恩人。儂が処刑すると申しても、そなたこたびの戦の武勲すべて返上して助命を願う気であったろう」

「ご推察の通りに…。しかし肝腎の美濃殿が羽柴に投降しましょうか」

「権六亡き後に自刃する可能性もあるが、部下思いのあやつの事、一時の恥をしのぼう。あやつは切れ者じゃが根はマジメな人間。一度降伏させ、とことん礼遇すれば叛意など抱かずワシのために働くわ。この戦に勝ったとて、まだ羽柴の情勢は苦しい。ぜひ半兵衛譲りの将才を持つ美濃を家臣にしたいのじゃ」

「さすがにございます殿! 美濃殿は殺すに惜しい男にございます」

「ふむ、どうじゃ佐吉、口説き落とせるか」

「ご母堂のお市様と妹御三人の身の安全、無論美濃殿の妻子の安全、これをお許し願えれば佐吉身命賭して美濃殿を口説きまする」

「ふーむ…。お市様には一度あんな事こんな事をしたいのじゃが…」

「親父様、己が母を陵辱した者に美濃殿が頭を下げるとお思いですか!」

「分かった分かった、むう…まあそのくらいは仕方ないかの。半兵衛が帰って来てくれると思えば」

「御意」

「よし、八千石をどこかの地に与えたうえ、母親と妹たちの安全、妻子の安全の条件許す」

「ハハッ!」

 

 話は少し遡る。越前府中城の帰途についていた前田利家に驚くべき報が入った。

「殿―ッ!」

 先頭の利家に使い番が来た。

「どうした?」

「わ、わ、若殿がご自分の兵を連れて賤ヶ岳に返しました!」

「なんじゃとォ!そなたら何故止めなかった!」

「も、申し訳ございませぬ。利長は『孝』より『忠』を取ると!」

「……」

「殿…」

 側近の村井長頼に利家は言った。

「…捨て置け」

「殿!」

「父の儂への孝より柴田への忠を取るなら、それも良かろう。捨て置け」

「若殿を見捨てる所存にございますか!」

「利長一人の命と!ここにいる前田家の者すべての命とどちらが大事か!」

 村井長頼は黙った。そして死地に向かう息子を悲しまない父親がどこにいる。だが利家は内心嬉しかったのではないか。息子の成長が誇らしかったのではないだろうか。一瞬だが静かな微笑を浮かべた利家の顔を村井長頼は見逃さなかった。

(見事な振舞いぞ利長…。父の誇りぞ)

 

 その利長は前田勢が布陣していた別所山へと戻った。

「見ろ光重、大殿様(勝家)自らが最後の突撃に出ているぞ」

 利長の横には水沢隆広と義兄弟の契りを交わしている不破光重がいた。寝小便の悪癖が治らず臆病な少年だった光重は父親の不破助之丞にもサジを投げられていたほどの頼りない少年だったが隆広に内政の才ありと見込まれ、その才を開花し、いつしか寝小便も治り凛とした若武者と成長し、不破光治と助之丞立会いの元で隆広と義兄弟の契りを交わしたのだった。

 この戦いで不破勢は総崩れとなり、光重の父の助之丞は討ち死に。光治も深手を負った。光重が光治を背負い戦場を離脱して主君光治を前田陣まで連れて行った。不破勢はもう軍勢として形を成していないので光重はそのまま前田勢と行動を共にしていたのだ。また大岩山を占拠した佐久間勢の中でただ一人光重だけは羽柴の大返しを予言し、主君光治に元にいた陣に帰るべきと進言していたと云う。

「いや孫四郎(利長)殿、馬の乗り方が大殿様と違います。おそらく影と存じます」

「ほほう、さすが美濃殿の義弟、慧眼も義兄ゆずりよな」

「ははは、ならば参りましょう」

「おう!」

 双方、父親に認めてもらえなかったと云うツラい少年期を持つが、隆広に見出され才を開花させた。それゆえ、二人は敗北必至の戦場に戻り隆広に全力で答えたと云える。利長は槍を高々と掲げた。

「良いか! この一戦、府中勢の恐ろしさを羽柴に示す戦いぞ! 続けえッ!」

「「オオオオッッ!!」」

 前田利長と不破光重は別所山から逆落としで羽柴勢に突撃を開始した!

 

 羽柴本陣にもそれが伝わった。

「申し上げます! 別所山より前田利長の軍勢千二百が逆落としで突撃してまいりました!」

「なにぃ?チッさすがは又佐(利家)のセガレと云うところか。かまわん容赦なく討ち果たせ!」

 さらにこの時、羽柴軍本陣に驚愕的な報が伝わった。

「申し上げます!」

「なんだ」

「安土城包囲軍、全滅!」

「な、なんじゃとォ!」

 秀吉は驚きのあまり床几から立ち上がった。黒田官兵衛と石田三成も愕然とした。

「安土勢に蒲生、九鬼、筒井が加勢し秀長様の軍勢は援軍と城兵の挟撃に遭い壊滅! 総大将秀長様、そして浅野長政様、中村一氏様、羽柴秀次様は筒井勢の追撃振り切れず、近江山城の国境で討ち死になさいました!」

「こ、こ、小一郎が討ち死にじゃと!?」

「はっ…!」

「小一郎が…」

 農民出の秀吉にとって最初の家臣であった木下小一郎こと羽柴秀長。弟でありもっとも頼りにしていた家臣。

 多くの家臣を召し抱え、グチも悩みも言えなくなった秀吉だが秀長には腹蔵なく話せた。兄弟だから話せた。そして何よりその才能に秀吉は惚れこんでいた。羽柴の君臣の間に立ち、羽柴家臣の人望も厚かった弟の小一郎。秀長であればこそ、智慧美濃を御しえると思った。しかし結果は全滅。そして秀長自身は討ち死にした。この事実は秀吉を打ちのめした。

「み、美濃は…水沢隆広は…神か魔か…!?」

 秀吉はガクリと膝をついた。分かっていたはずだった。あの若僧がどれだけ恐ろしい男かを。勝家よりも何倍も恐ろしい男と分かっていたはずだった。しかし秀長を総大将に、浅野長政、中村一氏もいた安土城包囲軍。軍勢の数は六倍強の二万。隆広とてどうにもならないと秀吉が思うのも無理はない。

「殿!」

 呆然とする秀吉を叱咤する官兵衛。

「官兵衛…。どうすれば良い…。蒲生らが美濃についたとならば軍勢は二万近い。これを知れば武田攻めで美濃と陣場を共にした滝川と森も付こう! すぐにあやつが木之本街道を北上するは明白じゃ。退路が断たれる…!」

「殿、ここで我らが南に進路を取れば柴田勢は息を吹き返し反撃に出るのは必定にございまする。何とか美濃殿が賤ヶ岳に来る前に北ノ庄で修理亮殿が首をあげ、そして…下策でござるがお市様、姫三人の命をもって停戦に持ち込むしか術がござらん!」

「儂に人質をとり停戦を請えと!? 美濃は小一郎を討った仇ぞ!」

「無念でございますが、美濃殿に蒲生、九鬼、筒井、滝川、森がついたら我らに勝機はございませぬ! 我らは半数以上がこの戦のために集めた寄集め、しかし敵勢は全軍が正規兵にございますぞ! それが美濃殿の采配で動けばどうなるかお考えあれ! たとえ五万の我らより半数以下でも戦闘状態に入ってはなりませぬ。たとえ美濃殿に卑怯者と謗られようと敵勢に嘲笑を受けようとも母御と妹御三人を人質に取り、無事に領内に帰還する事が肝要と存ずる!」

 忌々しそうに秀吉は地を蹴った。

「…あい分かった。急ぎ権六を追い、そして屠る。城内に密偵を放ち、お市様と姫三人を何としてでも連れ出さねば!」

 朝が明けた。周りには柴田兵の倒れ、もはやこの合戦の秀吉の勝利は揺るがないかと思える。

「柴田勝家、わずかな兵と戦場を離脱しました!」

 使い番から知らせが来た。

「あい分かった、特攻してきた隊を適当にあしらった後、全軍越前に侵攻する準備をいたすよう指示を出せ」

「はっ!」

「ふう…」

「親父様…」

「佐吉、小六に『三法師君を輿に乗せて進軍せよ』と伝えよ。もはや敗北明らかの柴田、織田の遺児を擁する我らに味方する越前の者も出てこよう」

「承知しました」

「儂は急ぎ又佐の居城に赴き、味方に引き入れてくる」

「はっ!」

「…佐吉」

「はい」

「やはり親父より息子の方が恐ろしいの柴田は…。美濃を召抱えるなど…取らぬ狸の何とやらであったわ」

 琵琶湖の濃い霧が賤ヶ岳を包む。寒風に流れる霧風が秀吉に心地よい。

「さて…。一刻を争う。北ノ庄へ…どうした佐吉?」

 石田三成は南を見て呆然としていた。振り向く秀吉。そして我が目を疑った。濃霧の隙間に見える軍勢の影。軍旗『歩』を靡かせて怒涛の如く迫り来る水沢軍の姿だった。



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決戦、賤ヶ岳(中編)

 琵琶湖を北上する水沢軍。朝が近づくにつれ濃霧が著しかった。しかし琵琶湖を知り尽くす堅田衆の先導により迷う事なく目的の琵琶湖の北岸に向かう。柴舟の寄こした布陣図ではこの位置に丹羽勢が布陣していたが、すでに戦局は柴田本陣近くまで羽柴の攻勢が至っていて空陣である事は隆広に報告されていた。しかし一つの軍勢が琵琶湖の湖畔に見えた。霧で中々旗が見えない。

「まだ旗は確認できないか!」

 堅田十郎が遠メガネでようやく確認した。

「殿、『折敷に三文字』の旗にございます!」

「『折敷に三文字』…稲葉勢!?」

「稲葉…稲葉良通(一鉄)殿でございますか!?」

 と、奥村助右衛門。

「稲葉は本能寺の変の後に独立を宣言したと聞くが…厄介な事になった。養父隆家と道三公の武の両輪であった稲葉殿とは…」

「味方として参じたのでは…」

 松山矩久が言った。

「そうは思えん、水沢家は良通殿の娘、安殿の仇だぞ」

「そうだ助右衛門…。オレは坂本攻めで良通殿の娘を死に追いやっている。だが上陸を妨害するならやむを得ない。投石部隊、稲葉勢の鉄砲隊を…」

「殿! 稲葉勢より小船が来ます」

「え?」

 十郎の報告に驚く隆広。しかも小船に乗っていたのは稲葉良通当人である。

「どうなさいますか殿…」

「よし助右衛門、迎えよ」

 小船が水沢隆広の乗っている船に到着し、稲葉良通は船に上がった。

「稲葉様…」

「久しぶりじゃな美濃。武田攻め以来か」

「はい」

「時間がないので簡単に述べさせていただく。羽柴攻めに稲葉は加勢いたす」

「え…!?」

「なんじゃ、そんなに意外か?」

「し、しかしそれがしは稲葉様のご息女の安殿を…」

「ああ、それか。美濃よ、娘と申せ、もはや一人前の女。安は自分の意志で夫(斉藤利三)に殉ずる事を決めたのじゃ。それでワシが寄せ手のお前を恨むのは娘の死を辱める事になろう」

「稲葉様…」

「孫のお福を養女としたのは聞いた。ようやってくれたな、織田の支配から脱して独立した当家であるが柴田と羽柴の天下分け目のいくさに参じたくもなった。加勢するのはそれが理由よ。それに…」

「それに?」

「隆家仕込みの用兵、もう一度見たくてな」

「そ、それでは…!」

「うむ、稲葉勢もそなたの采配で動く。時間がない。ある程度作戦は決めてあろう。聞かせよ」

「はい!」

 

 稲葉良通、または稲葉一鉄と云い、かつて隆広の養父である水沢隆家と共に美濃四人衆(水沢隆家・安藤守就・氏家ト全、稲葉良通)の一人と呼ばれた猛将である。当年六十代の坂を越した歳であるが意気盛んで老黄忠(老いてますます盛んの老人の事)を地で行く武将である。

 彼は本能寺の変の後に美濃の国で独立を画策するが、かつて織田信長に追放されていた安藤守就が、稲葉領である本田城や北方城を攻撃したため守就と戦い、これを討ち果たした。その間に清洲会議は終わっており、信孝が当主になった織田家とは講和をしていても独立した大名として美濃の北を支配したのである。

 羽柴秀吉の挙兵でも秀吉から加勢を要望されていたが、一鉄は西保城を攻めるなど勢力拡大に乗り出していた。秀吉の使者が西保城を攻める一鉄の陣に向かい、是非加勢を、との要請に

『それどころではないわ!』

 と、一喝して追い返した。とはいえ、この時点では柴田からの接触も一切ない。その時点の一鉄は領土拡大のみを考えていたと見るのが正解だろう。

 ならばなぜ一鉄は隆広に加勢を決めたか。それは彼の年齢かもしれない。独立を宣言したのはいいが、羽柴と柴田どちらが勝つとしても戦後に北美濃と云う肥沃な地を持つ稲葉をそのままにしておくはずがない。

 一鉄は隆広が援軍と共に秀長二万を蹴散らしたと聞き、勝つのは柴田と見た。そして自分の息子の貞通では柴田の若殿と云える水沢隆広にとうてい敵わないと見た。ならば今のうちに柴田に恩を売り従属大名となった方が利口と考えたのだ。

 後年の歴史小説では、婿の斉藤利三が遺児お福を託し、朋友隆家の養子である隆広に対して娘の仇と云う私怨を捨て、損得抜きで加勢したと書かれる事も多いが、事実は一鉄に利害の計算があったのである。

 名将水沢隆家と斉藤家の武の両輪と云われた彼にはこんな逸話がある。姉川合戦の時、織田信長は援軍に来た徳川家康に『我が軍の中から好きな者を連れて行きなされ』と言ったのだが、そこで家康は兵を一千しか持たない『稲葉良通殿を』と迷いもなく信長に要望したと言われている。

 そして一鉄は徳川軍への加勢を命じられた。戦況は浅井・朝倉連合軍の攻勢すさまじく、緒田軍は大劣勢ともなったが徳川軍の奮戦によって織田軍は危ないところを救われた。そしてその徳川軍を助けていたのが一鉄の軍勢だった。合戦後に信長から勲功第一と賞されたが、一鉄はあの織田信長に臆する事無くこう言い放ったのだ。

『大殿は事の道理が分からぬ御大将にござるか。このたびの勝利はひとえに三河殿(家康)の助力によるものである事は全軍が知っている事。その三河殿をさしおき、それがしごときの武功が第一とは笑止千万なり』

 ガンとして褒賞を受けない一鉄に、信長も苦笑するほかなかったと云う。それから彼の通称である一鉄が『ガンコ者』の代名詞になったと今日に伝わる。つまりそれほどの老黄忠が水沢軍に加わったのである。地理的にも恵まれていた。彼の居城の曽根城から北近江の戦場まで、西に数里である。水沢勢が水軍を用いて琵琶湖を北上すると聞いてからも間に合うほどの距離だった。

 

 隆広は簡潔であるが、戦場の絵図を一鉄に見せながら決めていた作戦を説明した。

「あい分かった。おっとそろそろ上陸じゃな」

「はい」

「天の時も味方しておるわ。この濃霧は我らにとってこのうえない援軍に…」

「どうされた?」

 一鉄は一人の男を見て唖然とした。松浪庄三である。

「た、た、龍興さ…」

 人差し指を口の前に立てフッと笑う松浪庄三こと斉藤龍興。小声で一鉄に話す隆広。

「稲葉様、龍興様は今、松浪庄三と名乗っており柴田を支持する若狭水軍を率いています」

「そうでござったか…。いや庄三殿、何ともご立派になられて」

(よう生きておられた…。ホンに立派になられて…良通は嬉しゅうございますぞ龍興様)

「あっははは、良通殿もますます壮健のようで何よりだ」

(涙もろいのは相変わらずだな…。一鉄よ)

 斉藤家の主従が再会した。一鉄にはさらにこの戦いに賭ける気概が加わったと言っていいだろう。頼りなく酒色に溺れ見限った主君龍興が戦国の風雪にもまれ、たくましい海の男となっていた。

 斉藤龍興が助勢と云う事は斉藤家が隆広に助勢すると云う事。一鉄の血がたぎる。織田家ではない。斉藤家の猛将に戻れたのだ。

 

 水沢勢は上陸を果たした。

「美濃、いや総大将、贈り物がある」

「何でしょう」

 船を下りながら一鉄が指差したところ、そこには大量の軍馬が待機していたのである。

「軍馬!」

「船ではさすがに馬は乗せられんと思ってな」

 その通りである。歩兵部隊の突撃しかないと思っていた隆広。

「軍馬が加わっても、さきの作戦には支障あるまい。使ってくれ」

「ありがとうございまする!」

「礼は勝ってからにせよ。あっははは!」

 新たに稲葉勢が加わり、水沢軍は二万以上の軍勢となった。まだ羽柴の半分以下である。この時の隆広に勝算があったかは分からない。しかし避けられない戦いである。

 濃霧の中、水沢隆広を先頭に蒲生、九鬼、筒井、稲葉、そして水軍衆の軍勢が整然と進軍する。無音進軍、馬のクチにはいななきを防止するため紐がくくられた。走っていないので甲冑の音は響かない。隆広の前方では柴田と羽柴の戦いが繰り広げられている。激しい鬨の声が聞こえる。馬のいななく声、柴田と羽柴将兵の雄たけび、甲冑の音に鉄砲の音、無音進軍を心がけなくても柴田と羽柴両軍は水沢勢が迫るのを気付かなかったのではないだろうか。

 斥候に出た白が隆広の馬前に来た。

「申し上げます」

「うん」

「柴田勢、壊滅」

「殿は?」

「すでに北ノ庄に敗走中との事」

「そうか、ご無事なら良い。まだ挽回は出来る。柴舟は?」

「父もどうやら大殿様(勝家)に従い、北ノ庄へ向かったと思えます」

「そうか柴舟も無事か」

 もう一人の斥候、六郎が来た。

「前田利家隊、金森長近隊は戦場離脱。佐々、不破の軍勢は敗走、柴田勝政様、徳山則秀様、原彦次郎様、討ち死に」

「想像以上に戦局は悪いな…」

「現在、毛受勝照様と山崎俊永様が殿軍を務め、また前田利長様と不破光重様が別所山より逆落としで羽柴軍に突撃し奮戦中にございます」

「利長と光重が…!」

 親友利長と義弟光重が最後まで残って戦っている。隆広の闘志が高まる。最後の斥候の舞が来た。

「佐久間盛政殿、孤立しながらも奮戦中、また羽柴秀吉、つい先刻まで自ら走り兵を鼓舞し、すでに柴田本陣のございました狐塚まで前進に至りました。その場で床几場を作り戦局を見ております!」

「よし…」

 水沢隆広の采配が振り下ろされ、馬のクチを結ぶ紐が一斉に千切られた。

「行くぞおおッッ!!」

「「オオオオオッッ!!」」

 天正十一年四月二十一日午前六時、水沢隆広が琵琶湖を大返し、羽柴秀吉軍に襲い掛かった。世に云う『賤ヶ岳の合戦』の第二幕が開いたのだった!

 

 ドドドド…。

 

 後方で聞こえる軍勢の音、秀吉は振り向いた。そして共にいた石田三成、黒田官兵衛は絶句した。歩の一文字の軍旗を靡かせる大軍が背後から襲いかかってきたのである!

「なんじゃと…!」

 呆然と立ち尽くす秀吉。

「どうやってこの場に! 美濃は空でも飛んできたのか!」

「殿! 大急ぎで味方を取って返さねば!」

「分かっておる官兵衛! 大急ぎで全軍を南に返せ!」

「ハハッ!」

「親父様! この床几場は放棄し急ぎ後方へ!」

「分かっておる!」

 秀吉はチカラ任せに床几を蹴った。

「なんと云う恐ろしい男よ美濃は…!」

 

「後方より敵襲―ッ!!」

「後方より敵襲―ッ!!」

「後方より敵襲! 旗は『歩の一文字』! 水沢軍の攻撃じゃあーッ!!」

 羽柴全軍が、いや残る柴田軍さえ耳を疑った言葉である。

「美濃殿が!?」

 山内一豊も確かに見た。後方より物凄い勢いで迫る『歩』の軍旗を。

「ここに来たと云う事は…秀長様を…孫平次(中村一氏)も討ったと云う事か…!?」

「殿!」

「吉兵衛! 大急ぎで返すぞ!」

「ハハッ!」

 愛馬の太田黒をくるりと返す一豊。

「もはや娘の命の恩人とは思わぬ! 美濃は山内最大の敵じゃ!!」

 

 急ぎ秀吉は後方に下がった。つい昨日まで柴田勝家が陣取っていた狐塚の地。勝家が構築しただけあり、なるほど堅固な陣だった。しかし陣を囲む防柵は羽柴勢そのものが破壊してしまっていた。しかし選択の余地はもうない。秀吉はここで返してきた将兵に迎撃体勢を執らせた。知らせを聞いた堀秀政と蜂須賀正勝も大急ぎで山を降りはじめた。

 

「隆広…」

 囲まれ討ち死に寸前だった佐久間盛政。彼を囲んでいた羽柴兵たちは盛政から離れ南に向かった。馬から崩れるように落ち、槍を杖に何とか立ち上がる。

「最後に来て…良いとこ持って行きやがって…。だからオレはお前が嫌いなんだ!」

 ペッと血の混じったツバを忌々しそうに吐き出す盛政。

「ちくしょう…! 敵ももうオレの相手なんかしちゃくれぬわ…!」

 

「勝照殿…! 美濃殿じゃ! 援軍ですぞ!」

 息も絶え絶えの山崎俊永。勝家の甲冑と旗を身に付けていた毛受勝照も手傷を負っていたがまだ無事だった。

「ああ…。何とか助かりましたな俊永殿、これで挟撃ができる」

 しかし勝照と俊永の元にすぐ隆広の忍び白がやってきて合流するよう指示を出した。

“挟撃としても一方が寡兵に過ぎる。我に考えがございますゆえ合流を”

 と隆広の言葉を伝えた。

「勝照殿、美濃殿は我ら柴田の軍師、作戦に従いましょう」

 俊永の意見に頷き、勝照は勝家の旗を掲げた。

「全軍、水沢勢と合流する!」

「「オオオッ!」」

 不破光重も水沢軍の来援に気付いた。

「義兄上(隆広)…! 孫四郎(利長)殿! 義兄上が来た! 援軍にございますぞ!」

「見えてござる…! 見ろやあの羽柴勢の慌てぶりを! わっははは!」

 利長の軍は獅子奮迅の戦いぶりを見せていたが、所詮は多勢に無勢で劣勢に陥っていた。しかしそこへ駆け付けて来たのが水沢軍である。

「まったく義兄上はいつも美味しいところを持っていく!」

「まったくだ。さあグチは後、羽柴を挟み撃ちにしてくれようぞ」

 しかし利長と光重の元にも隆広の忍びの六郎が来て合流する事を下命した。利長と光重に異論は無い。利長は槍を掲げた。

「府中勢、水沢軍に合流だ!」

「「オオオッ!!」」

 羽柴勢もさるもの、急ぎ南に向けて布陣した。そして鉄砲隊が構える。

 

「放てーッ!!」

 隆広の号令と同時、一斉に石礫が羽柴鉄砲隊に叩きつけられ、弓矢が放たれる。水沢軍には幸運にも追い風でもあったのだ。弓の達者でもある奥村助右衛門が隆広の横で弓を射る。前田慶次の強弓が射られる。その間、水沢隆広はずっと羽柴陣の中を凝視していた。そして見つけた。千成瓢箪の馬印を。しっかと指を差す隆広。

「慶次、かの方角に放て!」

「承知!」

 慶次は背から鏑矢を取り、その方角の空に射放った。

 

 ピュウウウウッ!

 

 鏑矢から『秀吉はあそこにいる!』を示す音が響く。羽柴勢は凍りつく。“秀吉様が見つかった!”

「真北! 子の方角に羽柴本陣ありィ! 続けえ!!」

「「オオオオッッ!!」」

 そして水沢軍に向かってくる二つの軍勢、毛受勝照・山崎俊永の軍勢と前田利長・不破光重の軍勢だった。

「生きていたか…! よし! 進軍しつつ合流だ! 両隊はこの美濃の本隊とする。他隊は手はずどおり参るぞ!」

「「オオオオオッッッ!!」」」

 

「落ち着け! 我が軍の方が多勢ぞ! 丹羽隊に衝かせよ!」

「ハハッ!」

 秀吉の下命で丹羽勢が突出した。その時、黒田官兵衛は水沢軍が徐々に陣形を整えながら突き進んで来るのが分かった。

「信じられん…! 水沢軍とて援軍を組み入れた急ごしらえの軍勢のはず…! なぜあんなマネが出来る!?」

 先ほどの鏑矢が同時に陣形構築の合図だった。隆広は采配を振り後方に続く部隊に指図を送っていた。そして羽柴勢眼前で陣形の構築が完了した。軍師の黒田官兵衛は水沢勢が執った陣形を見て驚愕した。

「く、車懸りの陣!」

「あれが!」

 石田三成はかつての主君の執った陣形を見た。そんな陣形を隆広が体得していると知らなかった。

 間髪いれず、車懸りの陣は回転した。総七陣、車懸りの陣は特殊な備え名称がある。先陣蒲生氏郷、左陣九鬼嘉隆、前陣筒井順慶、後陣島左近、右陣稲葉良通、弐陣若狭水軍、堅田連合軍、本陣水沢隆広である。

 丹羽勢が先陣の蒲生勢との激突に備えた瞬間だった。大声では人後に落ちない島左近が隆広愛用の巨大ジョウゴを使い丹羽勢に言い放った。

「何故我らがここに来られたと思う! そなたらの佐和山を落としたゆえ来られたのだ! あーっははははッ!!」

 ハッタリである。この時点で佐和山は落ちていないどころか攻撃さえ受けていない。しかし効果は抜群であった。丹羽勢は左近の言葉を聞いて動きが止まった。本拠地が取られた。妻子は? 父母は? みんな殺されたのか? と動揺著しく呆然とする。敵勢との衝突間近に許されないスキである。

「それ行けやあ!」

「「オオオッッ!!」」

 蒲生氏郷はそれを見逃さない。一気に丹羽勢は総崩れとなった。丹羽勢が蹴散らされると同時に左陣の九鬼勢が突出してきた。そして九鬼勢から筒井順慶に、そして島左近に、まさに上杉謙信さながらの車懸りの陣であった。羽柴勢は午前0時から戦い続けている。睡眠は無論、ロクに食事をとっていない。体力的にも疲れが出てきた。しかも勝ち戦の直後の大奇襲攻撃、士気はどんどん下がっていく。さすがの黒田官兵衛も良策が出ない。

「いかん…我らは疲れすぎている! 付け入るスキがござらぬ…!」

「…佐吉、あやつが上杉謙信と戦った時、謙信はあの陣形を用いていたのか?」

「いえ親父様、あの時は謙信公も狭隘かつ山間の北陸街道に陣取ったので、ただの横陣でした。謙信公からあの陣形を盗みようがないはずなのです」

「ではなぜじゃ…」

「…半兵衛殿でしょう、半兵衛殿が教えていたと!」

 と、黒田官兵衛。

「なんたる皮肉じゃ…! 半兵衛の技が羽柴を追い詰めるとは!」

 

 しかし隆広は竹中半兵衛からも、養父隆家からも『車懸りの陣』を学んでいない。正真正銘、上杉謙信から盗んだのである。しかし実際対峙した時に謙信は車懸りを用いていない。では誰から会得したのか。それはかつて隆広の命を救った上杉の忍者『飛び加藤』つまり源蔵こと加藤段蔵である。

 あの日、源蔵と語り合った時、隆広は彼から上杉謙信とその軍師とも言える宇佐美定行(定満とも)の用兵を教えられた。車懸りの陣においては図上に表して学んだ。上杉の忍び軒猿衆上忍である加藤段蔵は謙信が長尾景虎と名乗っていた時から戦場に共に出ている。隆広は加藤段蔵を経て謙信から『車懸りの陣』を盗んだ。まさに実戦に裏づけされた兵法を教えてもらい、かつそれを理論だけでなく、実戦に用いられるほどに昇華させたのだった。

 そして船上で、各将兵にわかりやすく、かつ升目を埋めるがごとく要所要所を押さえて説明した。そして将兵たちに『これなら寡兵でも勝てる』と云う絶対の自信を持たせるにまで至った。そして何より不敗の上杉謙信に唯一土をつけた男、それが自分たちの大将であり、その男が謙信の『車懸りの陣』を使うのである。

 

 水沢勢は戦場を離れた琵琶湖北岸に上陸し、稲葉勢と合流。濃霧を利用し巧妙に羽柴の背後に迫り、羽柴勢の眼前に至るまで何の妨害も受けずに布陣する事に成功した。

「勝機は我らにあり! 水沢車懸り! 回転し羽柴勢をなぎ倒せ! かかれーッ!」

「「「オオオオオオオーッッ!!」」」

 陣の中心で将兵を鼓舞する隆広。丹羽勢の次は織田信雄、隆広はもう容赦しない。一気になぎ倒された。備えと云うものは大将の統率がモノを云う。この時に隆広の元に集まった将は百戦錬磨の猛将揃い。信雄はなすすべもなく敗走。

 そして寄集めである羽柴のモロさが浮き彫りになってきた。戦場を逃走する兵が続出してきた。羽柴本隊を助けに向かっている蜂須賀と堀の兵も本隊の劣勢を見て逃亡者が出始めた。

 

 この車懸りの陣と呼ばれる戦法は、大将のいる本隊は直接戦闘に参加せず、幾組かに分かれた配下の兵が本陣の周囲を旋回して戦う戦法で、前面の敵には次々と新手が現れるかのように見えるのが妙法。これを繰り返す事によって敵は常に応戦しないといけないが、自軍は休憩を挟む部隊が出来る分有利になる。

 ところが上杉謙信の車懸りは周囲の兵を整然と六軍団『先陣』『左陣』『前陣』『後陣』『右陣』『弐陣』に組織したうえ、『本陣』もまた戦闘に加わる隊形となっているのだ。

 この陣形を考案した謙信は軍神とまで言われた戦国の雄である。配下の軍勢は統率が取れている事にかけては天下一と言っていいであろう。この時の水沢軍はそれに一歩も引けを取っていない。単に模倣で謙信の強さを再現できるはずがない。この陣形の利点を深く理解し、それを具現化できる将帥が隆広の味方に付いたから、こういう戦法が可能であったのである。

 さらに謙信は、常に敵の数を下回る軍勢で戦いながら不敗であった。しかも敵は武田信玄や北条氏康といった名将相手にである。それだけ上杉謙信は強かった。そして、その軍神謙信に唯一土をつけた男。それが水沢隆広である。

 隆広の養父水沢隆家は『戦神』と言われる名将であったが、隆広もその異名を世襲して遜色ない。戦神が軍神の作戦を使ったのである。この車懸りを後の歴史家は『連携が困難極まり、かなり危険な大ばくちだったのでは』と評することもあるが、隆広には車懸りを使った根拠がある。余呉湖に面した盆地平野と云う車懸りを使うに適した地形で、羽柴軍将兵の疲労、氏郷を始めとする用兵に通じた熟練の将たち。兵数は羽柴勢の半分であるが戦局を逆転させたうえ、羽柴勢に大きな痛手を負わせる好機である。隆広は迷わず、己の知る陣形の中で、もっとも攻撃力のある車懸りで一気に羽柴勢を打ち破ることを決めた。

  影の立役者もいる。隆広三百騎である。連携は至難の技の車懸りの陣であるが隆広の誇る、彼ら精鋭たちが大小の各備えに就いて連携の役を担っていた。隆広の初陣から付き従う三百騎は己が大将の戦の呼吸を分かっていた。ぶっつけ本番で車懸りの陣が最大の攻撃力を発揮できたのは、かつて『北ノ庄のぐれん隊』と呼ばれていた不良少年たちが一級の武人となった証と言えよう。

 

  羽柴勢はなすすべなく、次々と突破された。軍勢は羽柴の方が多い。しかし疲労と空腹がたたり、そして寄集めである事が致命的となった。勝っている間は寄集めの兵も精鋭と化す。しかし敗色が濃くなれば逃走し、最悪敵に回る。

 

「退け、退けーッ!!」

「逃げろーッ!」

 回転しながらも、その進軍は速い。この謙信流の車懸りの陣は総大将にも順番が回ってくると言う他の陣形にはない点がある。だから川中島の合戦で上杉謙信と武田信玄の一騎打ちが実現されたと言うべきだろう。総大将が前線に出ると出ないでは士気がまるで違う。そして水沢軍本隊手前の弐陣を務める水軍衆が戦っている部隊は山内一豊の部隊だった。斉藤龍興の軍才が昇華する。海と陸の合戦の技をうまく使いこなし山内軍を翻弄する。そして山内勢から風のように去っていく。だがその後には水沢勢が山内勢に突撃を開始する。

「次が敵の本隊ぞ! 水沢美濃守が首を上げ、功名を立てよーッ!」

 山内一豊、兵を鼓舞するも、もはや兵たちの疲労や空腹は極限だった。水分すらロクに補給していない。それに対して本日初めて戦闘に入る水沢本隊が突撃するのである。もはや勝敗は明らかだった。

 水沢軍本隊が前面に出ると同時に、投石部隊の石礫と藤林忍軍の苦無が山内勢を襲った。すさまじい破壊力に肝を冷やす山内勢。敵の士気が落ちた。投石部隊の面々は投石だけが武技ではない。各々が元武田武者である。甲州流の槍術や介者剣法も体得している。そして鍛え抜かれた槍襖隊が突進する。水沢勢は安土の留守部隊もいるため、ここには二千しかいないが、柴田家最強と言われたのは伊達ではなく、まさに少数精鋭である。それに加えて敗戦必至の戦場で死を覚悟して戦っていた毛受勝照、山崎俊永、前田利長、不破光重の隊が本隊に組み込まれている。『戦国後期最強の軍団』と呼ばれた水沢勢の強さはこの賤ヶ岳の戦いで発揮された。

 

 水沢軍と山内軍が激突した。山内勢は疲労困憊しているうえに水沢勢と遭遇と同時に強烈な石礫と苦無をくらって士気は激減している。

「丸に三つ葉柏…一豊殿!」

「歩の旗…美濃殿…!」

 隆広にとって、羽柴の大将で一番戦いたくない人物だった。それは一豊も同じだろう。

「「戦いたくない…! だが是非に及ばず!」」

 圧倒的に山内勢は不利な展開。しかし一豊には退けない戦いである。

「一豊殿―ッ!」

「美濃殿―ッ!」

 

 ギィィンッ

 

 隆広の槍と一豊の槍がぶつかった。馬上で槍を交える両雄。槍の名手と言われる一豊であるが、隆広も甲州流の槍術を会得している。負けていない。二合、三合打ち合い、そして一豊の槍の一閃を隆広は掴み取り叫んだ。

「…お退きを!」

「聞けぬ!」

「一豊殿!」

「問答無用! 今の美濃殿は娘の命の恩人ではない! 敵じゃ!」

「どうあっても…!」

「未練ぞ美濃殿! これも戦場のならい、戦場で槍を交えた以上、決着は死以外にない!」

「一豊殿!」

「もはや言葉は不要でござる!」

 槍を隆広の手から取る一豊。しかし、もう息は絶え絶えである。本調子ならば隆広に後れを取るような一豊ではない。しかし六時間以上も戦い続けているのである。しかもその前は岐阜からの大返しのため眠っておらず食事も取っていない。反して隆広は安土でたっぷり眠っており、船のうえで仮眠と食事も取っている。この戦いも瀬田の合戦同様に疲れが勝敗を決めたと云える。

 倒せる、討てる…! 隆広は思った。だが隆広の脳裏には一豊の妻千代と娘の与禰姫の笑顔が浮かぶ。友ならばこそ遠慮してはならない。普段は分かっている隆広だが千代と与禰姫が泣く顔を見たくなかった。しかし握る愛槍『諏訪頼清』を自分にくれた槍術の師である諏訪勝右衛門は言った。

“そんなマネは武士の情けではない。相手を余計にみじめにするだけなのだ”

 愛槍から再びそれを教えられた思いの隆広、もう彼は迷わなかった。山内一豊は敵なのだ。千代と与禰姫の憎悪を受けて生き続けようと。

「うおおおッ!!」

 愛槍『諏訪頼清』は山内一豊を貫いた。

「み…見事なり…!」

「…一豊殿…!」

「与禰を…頼む…」

「…承知いたしました」

 崩れるように落馬した一豊。隆広は一豊に一礼し、そして走り去った。

 愛妻千代の秘蔵していた黄金十枚で買った愛馬太田黒。一豊の元を離れない。寂しそうな声で鳴き、顔を主人一豊に近づける。その愛馬の顔に触れる一豊。

「今まで…ようワシを乗せて駆けてくれた…。礼を申す…」

 そして薄れて行く意識の中で思った事、それは愛しい妻と娘だった。

(一豊様♪)

(父上~)

 妻と娘も一緒に抱きしめるのが大好きだった一豊。

(与禰…千代…)

“お命の持ち帰りこそ、功名の種にございます!”

  無事に凱旋すると、いつも愛妻が満面の笑みで言ってくれた言葉。

(持ち帰れなんだな…許せ…千代…)

 山内一豊、壮絶な討ち死にであった。



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決戦、賤ヶ岳(後編)

 羽柴本陣に凶報がもたらされた。

「も、申し上げます! 山内伊右衛門(一豊)様、討ち死に!!」

「か、一豊が討ち死にじゃと…!」

「水沢美濃守に討ち取られました!」

「何たる事じゃ…!」

 山内勢を蹴散らした水沢軍に続いて蒲生勢が車懸りで突撃を開始した。稲田大炊助、前野将右衛門の軍勢も車懸りの連続した突撃になす術がなかった。岐阜からの大返しと長時間の戦いによる疲労、それに加えて食事も取っておらず、かつ車懸りの陣は次々と新手を繰り出してくるかのような戦術。兵の逃亡は相次ぎ、いよいよ兵の多寡は水沢勢の方が逆転してしまった。いや、今まで敵として戦った羽柴兵も戦局を見て水沢勢に組したのも多かったのである。

 

 一方このころ、

「殿―ッ」

 戦場を離れ、北ノ庄に向かっていた勝家一行に山崎俊永が追いついた。彼は隆広の指示を受けて戦場を離脱して北ノ庄城に向かう勝家を大急ぎで追ったのだ。そして追いついた。わずかな供しか連れてこずに自分を追いかけてきた俊永を見て勝家は馬をとめた。

「ハァハァ…」

「どうした俊永?」

「お、お、お喜びを!」

「なに?」

「美濃殿、援軍に駆けつけてございます!」

「なんじゃと!」

「蒲生氏郷軍、九鬼嘉隆軍、筒井順慶軍、稲葉良通軍、若狭水軍、堅田衆を引き連れ羽柴勢を急襲!! さらに車懸りの陣を布陣し羽柴勢に回転し突撃! 羽柴勢は敗走相次ぎ、総崩れも間近! 戦局一転にございます!」

「なんと…」

 勝家と一緒にいた柴舟は嬉しさのあまり、手を打って喜んだ。俊永が続ける。

「殿! 急ぎお戻りを! 毛受殿も、前田の若殿も美濃殿と合流して奮戦中にございます!」

「なんと云う男じゃ…! 隆広、そなたを褒める言葉すら見当たらぬ!」

「殿! 急ぎ戦場に戻りましょう!」

「あい分かった才蔵! 戻るぞ!」

 勝家はすぐに戦場に引き返した。柴舟も共に戻る。

(隆家様! もはやご養子殿は貴方様を越えましてございます!)

 

 右翼と左翼の掘隊と蜂須賀隊も駆けつけた。しかしそれでも戦局を有利に持っていく事は出来なかった。

 疲労は羽柴本隊に比べれば岐阜城からの大返しがないだけマシな状態ではあるが、子の刻(午前0時)から戦い続けていたのである。相手は倒したとは云え柴田勢。そう弱卒はいない。負傷者も多かった。しかも大勝利を味わい損ねた羽柴勢の士気は低い。

 そして一隊二隊三隊と崩れれば、あと何段の備えがあってもムダである。士気は激減して軍勢は離散する。

「た、助けてくれーッ!」

「とても敵わねえーッ!」

「逃げるな! 智慧美濃とて人間ぞ! 智慧美濃さえ討てば敵勢は崩壊する! 踏みとどまって戦え!」

 兵を叱咤する堀秀政。だが一旦こうなってしまってはどんな名将も軍を立て直す事はできない。蜂須賀勢を見るとどうやら似た状況らしい。歯軋りをして悔しがる堀秀政。かつて主君信長から聞いた事があった。

『久太郎(秀政)、大将たる者はのう。戦においては敵が出てくるだろう思うところには決して出ずに敵に骨を折らせ、敵がよもやそこには出ないだろうと云うところに出て勝利を得る。このように敵にも味方にも本意を見透かされぬようにして意表を突く事こそ真の大将の心掛けぞ』

「大殿…。羽柴は…久太郎は見事にそれをしてやられましたぞ…」

 

 そして柴田勝家が再び戦場に戻ってきた。

「あれが隆広の車懸りか…。見事じゃ、もはやワシらの入り込む余地がないわい」

 と、一分のスキもない息子の陣形を褒めた。

「ここは狐塚の前に布陣しました内中尾山。床几場を構えるがよろしかろうと。それがしは隆広と合流いたします」

「うむ、頼むぞ才蔵」

「はっ、俊永殿、殿とここに」

「承知いたした」

「才蔵、隆広にこれを渡せ」

「はっ」

 可児才蔵は隆広の陣に向かった。無論、柴舟も。内中尾山に柴田勝家の『金の御幣の馬標』が高々と上がる。勝家帰陣で水沢勢は湧きたった。

「隆広!」

「可児様!」

 可児才蔵が隆広本陣に来た。

「おおッ! 毛受様もご無事とは!」

「ははは、危機一髪のところを隆広に助けてもらったわ」

「それにしてもよく間に合ってくれた! そなたの援軍なくば柴田は負けていたぞ。殿も大喜びしとった!」

「はい!」

「それにしても車懸りか、武人として一度その陣で戦ってみたかったのだ。血が滾ってならぬ」

「それがしも初めて使いましたが、何とか謙信公に合格点はもらえるかなと」

「ははは、ああそれと…もはや合戦の指揮はそなたが執れとの事だ」

 勝家の軍配を隆広に渡す才蔵。

「殿の軍配、それがしが殿をさしおいて…」

「何を恐縮しとる! 頼りにしておるぞ総大将!」

 隆広の背をドンと叩いて才蔵は水沢本陣に組み入った。

「柴舟、今までの働き感謝している」

「お褒め恐縮、ですが続きはあと、殿いざ参りましょう!」

「オレに後れをとるなよ!」

「お任せあれ!」

 そして車懸りは再び総大将の隆広が前面に立った。可児才蔵は今まで劣勢の鬱憤を晴らすかのように暴れまくった。戦場には才蔵が討ち取った目印となる笹の葉を加えた羽柴将兵の死体がいくつもあった。豪傑『笹の才蔵』さすがであろう。柴舟も息子の白と一緒に八面六臂の活躍を示す。隆広は柴舟が傍らについてから一度も槍を使う必要がなかったほどだ。

「権六めが内尾中山に戻ったと?」

 勝家帰陣の知らせは秀吉にも届いた。しかしもう羽柴勢には後方の内尾中山を急襲するだけの余力がない。

「猪(勝家)の得意そうな顔が浮かぶわ! 智慧美濃なくば…隆広がおらずば権六ごときに!」

 車懸りによって、すでに加藤清正、福島正則、加藤嘉明、脇坂安治の軍勢も事ごとく蹴散らされた。だが意地の一戦か、敢然と挑んだ武将がいた。一度は九鬼勢に蹴散らされたが残存兵を組織し、車懸りの前に回りこんだ。仙石秀久だった。胸には戦場に行く前に妻の蝶がくれたお守りがある。それを握る秀久。

「蝶…! オレを男にしてくれ!」

 愛槍『諏訪頼清』を持ち駆けてくる馬上の水沢隆広。子供の頃の仙石秀久が憧れた水沢隆家を見る思いだった。

「皮肉だ…。隆家様に憧れて斉藤家の武士になったオレが…今その隆家様のご養子と戦おうとはな! だが退けない!」

 弓矢を持った秀久、これで隆広を射ろうと矢を引いた途端に弦が切れた。今までの乱戦で弦が破損していたのだろう。

「ふはは、飛び道具は不粋と云う事か!」

 弓を捨て槍を構え、水沢隆広に挑む秀久。だが主人隆広に弓矢を引こうとした武将を前田慶次が見逃さなかった。隆広の前に立ち塞がり、そして秀久に向かい鬼神を思わせる形相で迫る。それに気付いた秀久。羽柴軍の先駆けとして多くの戦場の修羅場を越えてきた秀久も本調子ならば慶次と五分に戦える男である。しかし彼はあまりに疲れすぎていた。負傷もしている。気合ではどうにもならない。だが自らを感奮興起させる秀久。

「我こそは仙石権兵衛秀久! 羽柴の先駆けなりい!」

 かつて稲葉山城落城の時、柴田勝家の軍勢の中を一騎駆けした猛将である仙石秀久。柴田勝家も評価し認める武人である。“これは良き敵”と慶次は朱槍をしごいた。

「我は前田慶次郎利益! 相手にとって不足なし!」

 双方巨漢で知られた豪傑、二合三合と槍でせめぎ合う。慶次の頬が秀久の槍がかすめた。だがそこまでだった。慶次の一閃が秀久の腹部を切り裂いた。

「ぐああッッ!!」

 落馬し、秀久の身は敵の水沢勢に踏まれた。慶次も、そして隆広も振り向かなかった。

(蝶…。やっとお前がオレの子を生んでくれるのに…)

 

「大丈夫か平馬…」

「ああ、何とかな…」

 羽柴本陣で大谷吉継は石田三成から手当てを受けていた。重傷ではないが痛みは著しい。

「強い…」

「え?」

「水沢本隊と戦った…。水沢本隊と柴田残存兵がまるで一つの巨大な生き物のように襲いかかってきた…。オレも清正も正則も…なす術がなかった」

「そうか…」

 

 羽柴勢は逃走相次ぎ、かつ将兵の討ち死に相次ぎ、敗北は必至だった。さしもの名軍師黒田官兵衛とて一発逆転の作戦などありようがない。

「無秩序に後退するな! バラバラに戦って勝てる相手ではない! 陣列を組んで食い止めよ!」

 しかし、そんな官兵衛の叱咤も届かない。無念のあまり采配を地に叩き付ける官兵衛。

「何が美濃を助けようだ官兵衛! とんだ思い上がりをしくさり恥を知れ!」

 自らを怒鳴りつけた官兵衛だった。そして秀吉も無念のあまり足を何度も地に叩き付けた。

「何たる事じゃ…! 九分九厘勝っていた戦をひっくり返されるとは!」

「親父様! もう持ち堪えられませぬ! 姫路にお引きを!」

「どうやって退くと言うのじゃ佐吉! 後方には権六があるわ!」

「細川にも我らの敗戦が耳に届くはず、海での帰途は無理にございます。西に向かい敦賀街道に入って若狭に抜け丹波、摂津を経て播磨に入るしかございません。越前と若狭の道ならば佐吉存じております! ここは退いて再起を図るしかございませぬ!」

「いいや、ワシも戦う。この後におよんで逃げては再起など夢物語じゃ!」

「親父様! 佐吉の言うとおりにして下され!」

 と、加藤清正。はじめて清正が三成の述べた事に同調した。

「清正殿…」

「か、勘違いするなよ! お前にしては名案だと思ったから賛同したんだ!」

「親父様、この市松も同感でございます。ここは一旦退かれませ! 我らがここに留まり撤退の時間稼ぎをいたしますゆえ!」

 考えている余裕はない。もう秀吉本陣の目前に水沢勢は迫っている。

「官兵衛様、佐吉。親父様を頼む!」

「正則殿…!」

「佐吉、再起にはお前の能吏としての手腕が必要だ。オレや虎(清正)にはそういう才能はない。だから頼むんだ。さあ行け!」

「清正殿…正則殿…!」

「よし、虎と市松、オレも戦うぞ」

「平馬、お前も親父様と行け」

 と、加藤清正。

「なに?」

「お前は兵站(後方支援)が佐吉同様に達者だし、戦もオレたちには劣るが中々のものだ。お前は羽柴の再起に必要な男だ」

「それを言うならお前らとて!」

「オレたちは今ここで戦い、親父様の撤退の時間を稼ぐのが務めだ。悪いがお前一人いたとしてもそう変わるものでもない」

「虎…」

「さあ時間がない! 行け!」

 最後に清正は秀吉を見た。

「親父様、虎之助(清正)は…生まれ変わってもまた、親父様の下で働きとうございます」

「虎、市松!」

「これにて御免、さあ参るぞ市松!」

「おう!」

 こうして秀吉は涙ぐみながら苦渋の撤退を開始した。石田三成、黒田官兵衛、大谷吉継が共に行った。その後、加藤清正と福島正則は懸命に戦った。しかし衆寡敵せず、討ち死にして果てた。蜂須賀正勝、稲田大炊、前野将右衛門も討ち死にして果てた。まさに羽柴勢は二度と立ち直れないほどに叩きのめされた。

 

 一方、海上にいる細川の水軍。当主の忠興に報が入った。

「安土城にいた水沢軍が琵琶湖を返して羽柴軍に急襲! 水沢軍には蒲生、九鬼、筒井、稲葉が加勢し、ほぼ総崩れにございます!」

「なにぃ…!」

「さらに!」

「さらに何じゃ!」

「岐阜城の滝川一益、森長可が美濃守の要請に応じて大垣を攻め、落城も時間の問題との報告が入ってきております」

「…」

 忠興は無念に目をつぶる。

「かような天下分け目の大合戦に、何の働きも出来なんだ事。悔やまれてならぬ」

 しかし海にいて何もしなかったから、生き残れたと云えるだろう。

「…わずか一日で戦局がひっくり返ったか」

「忠興様!」

「丹後に引き上げじゃ」

「はっ!」

 細川忠興は家臣に退却を命じた。

「宮津に帰る!」

「「ハハッ」」

 

 蜂須賀の軍と共にいた織田信忠の子である三法師。すでに輿に乗せるゆとりもない羽柴兵は歩いて付いて来させた。しかし幼児には無理である。

「もう歩けない」

「じゃ勝手に野良犬にでも食われろ」

 と、兵に見捨てられた。

「待て、待って~。三法師を城に帰して~ッ!」

 泣きながら訴えるが、敗走する羽柴兵は耳を貸さない。日中だが山の間道を伝っての敗走。道も分からない三法師は迷い、やがて倒れた。

(母上…)

 身勝手な大人に利用された挙句に捨てられた哀れな稚児三法師だった。

 

 羽柴勢は壊滅、敗走した。柴田軍大勝利である。隆広は馬から降りて腰を伸ばした。

「何とか勝ったか…。ふう」

「殿、見事にございます」

「ありがとう助右衛門、そなたが前野将右衛門殿、慶次が蜂須賀正勝殿を討ったらしいな」

「御意に、手強い御仁でしたが何とか」

「隆広~ッ!」

 勝家が来た。隆広はひざまずいた。それを立たせて手を握り肩を抱いた。九分九厘、いや完敗して死をも決断した勝家。それを救ってくれたのが息子である。父親としてこんなに嬉しい事はない。

「でかした! でかしたぞ! そなたのおかげじゃ。礼を申すぞ」

「もったいない仰せにございます」

「褒める言葉すら見あたらぬわ…。そなたは柴田の守護神よ!」

 援軍諸将も集まってきた。

「おお…! 氏郷殿、嘉隆殿! それに順慶殿に一鉄殿までもが!」

 四将も勝家にひざまずいた。氏郷が

「修理亮(勝家)殿、ご無事で何より」

 と述べた。勝家は

「貴殿らのおかげじゃ。よう二千ちょいの手勢しか持たぬ美濃に加勢してくれたな」

「いや、ただ筑前がきらいなだけでござる」

 と、筒井順慶。ドッと笑う援軍諸将たち。

「それにしても美濃、見事な采配であった。親父(隆家)も今ごろあの世で養子の自慢でもしていよう」

「ありがとうございます稲葉様、ですが勝てたのは皆さんが車懸りを使いこなして下されたゆえにございます。感謝しております」

「そうじゃな! 厚き褒賞をもって報いたい! 後日安土へと来ていただきたい!」

「「承知しました!」」

 勝家の言葉に四将が答えた。大勝利である。五万の羽柴勢に半分以下の軍勢で奇襲をかけて見事に勝った。

 

「ところで隆広、その方、追撃を下命しておらんらしいな」

「はい、だいたい逃走経路は分かっております。追われる羽柴は必死にござれば、今逃げている道は山々の間道、追尾してくる者を待ち伏せして討つでありましょう。しばらく見送り、柴田の追撃がないと安心させ、それから行く方が思わぬ反撃も食らわずに済みます。しかし、三法師様を探させる事だけは下命してございます」

「左様か」

「申し上げます!」

 使い番が来た。」

「この戦場から少し離れた砦に羽柴の一隊がございます」

 隆広と勝家は顔を見合った。

「逃げ遅れたのか」

 と、勝家。

「そのようにございます。今、敵勢を確認させておりますが…お、参りました」

「申し上げます。あれなる石焼山の砦、柴田勝豊様の軍勢にございます」

「なに?」

 勝家の顔が険しくなった。

「勝豊か!」

「どうなさいましょう…。元は同じ柴田の…」

「どうもこうもないわ美濃、才蔵ワシと参れ。裏切り者は養子と云えど許しおかん!」

「はっ!」

「ワシ自ら討ち取ってくれるわ!」

 だが勝家の出陣の前に勝豊から降伏の使者が来た。勝家は呆れ、そして激怒した。

「どこまで腑抜けじゃ! 裏切った家に降伏など武人のする事ではないわ!」

 しかし、どうであり降伏を望んだ者は受け入れるのが当時としては暗黙の了解となっていた。時に見せしめのために受け入れず皆殺しにした事例もあるが、さすがに元養子にそれは出来ないか、勝家、そして隆広も降伏を受けた。石焼山から勝豊の軍勢は降りだし、そして一隊が勝家と隆広の元へと歩いてきた。

「ワシは会わんぞ勝豊に!」

「い、いや、そうも参らないでしょう」

「いーや会わん! だがどういう言い訳をお前にするか兵にまぎれて聞いてやる」

「はあ…」

「美濃殿」

「どうされた貞通殿」

 稲葉一鉄の嫡男の貞通、隆広に訊ねた。

「伊介(勝豊の通称)殿の妻はワシの娘…。安否は分からぬか?」

「滝川と森勢が大垣に攻め込んだ事は報告で聞きましたが、長浜と佐和山にはまだ手付かず。しかし羽柴敗退を知れば二つの城も降伏しましょう」

「確かにのォ」

「ですが…婿の勝豊殿の助命は難しいかと存ずる。おそらく殿は腹を切らせるでしょうし…」

「…それも仕方あるまいの…。敵に寝返ったのは確かなのであるから。お、来たようにござるぞ」

 隆広の床几場に近づく勝豊一行に一つの大きな輿があった。

「輿…?」

 その輿の中に誰がいるかを見た隆広。勝豊である。しかしかつて見た勝豊と違う。痩せ細っていた。勝豊は病魔に侵されていたのだ。勝家もそれをこの時はじめて知ったのだ。

「それがし、柴田勝豊家臣、大鐘藤八郎と申す」

「水沢隆広にございます」

「主人は見ての通り…病に侵されております。手前が代わって降伏の口上を」

「そうでしたか…。病はいつから?」

「秀吉に降伏する前から咳き込みが激しく…。この戦場に陣を構えてから悪くなる一方で…」

「……」

「筑前は殿に将兵だけ置いて長浜に帰れと申しましたが…殿は入れず今までここに…」

「こ、降伏じゃと…」

 輿からか細い声でそう聞こえた。

「だ、誰が降伏などするか…」

 満足に動けない勝豊は蓑虫のように体をくねらせ輿から出た。地に這いつくばりながらも目は隆広を睨んでいた。

「殿、さきほど降伏すると仰せになられ…」

「うるさい!」

 大鐘藤八郎に怒鳴る勝豊。そして刀を杖にやっとの思いで立ち上がった。

「ふ…隆広。見事な逆転勝利よな。だがまだオレがいるぞ…」

「……」

「なんだその目は、オレを哀れんでいるのか? ふざけるな! キサマに哀れみを受けるほど柴田勝豊落ちてはおらんぞ!」

「殿、もうおやめ下さい!」

「寄るな!」

 肩で息をする勝豊。鎧も付けられないので肌着しか着ていない。しかし真っ白な肌着はそのまま勝豊の死に装束とも取れる。

「オレは病などで死なぬ…隆広…」

「はい」

「勝負だ」

「お相手つかまつる」

 柴田勝豊は刀を抜き、鞘を捨てた。隆広の部下たちが止めようと動こうとした時、

「よせ」

 勝家が小さな声でそれを制した。

(そうか…。お前はもう自力で自害もできぬほどに…)

 息も絶え絶えに、やっとの思いで立ち刀を構える柴田勝豊。そんな姿を見て養父勝家は裏切られた気持ちなど飛んでしまった。

(お前は…隆広に斬られに来たのだな…)

 水沢隆広も刀を抜いた。賤ヶ岳の合戦、その後に起きた果し合い。静かに将たちは見届けた。

「元柴田家家老、柴田勝豊」

「柴田家家老、水沢隆広」

「「いざ!」」

 勝負は一瞬でついた。隆広の放つ胴薙ぎの横一閃が勝豊に入った。

「見事なウデよ…。痛みすら感じぬわ…」

 勝豊はそのまま倒れた。隆広は勝豊を抱き上げた。

「ふ…。よりによって…お前の腕の中で死ぬとはな…」

 たまらず隆広は言った。

「あ…兄上…!」

「ふふ…。オレを…兄と呼んでくれるのか…」

「我らは共に柴田勝家の息子ではないですか!」

「…許してくれ…。オレはお前に冷たく当たってばかりで…兄らしい事はおろか…先輩らしい事も何一つしてやれなかった…。オレはお前が怖かった恐ろしかった…。そして羨ましかった…」

「兄上…!」

「心残りは…父上をお助けするどころか秀吉に寝返った事…! 願わくばオレの手で…! 秀吉の首を取って父上に届けたかった…!」

 涙ながらに心の慟哭を叫ぶ勝豊。隆広は勝家に向いた。勝家は勝豊に寄り

「勝豊…!」

 隆広は勝家に勝豊を抱かせた。

「ち、父上…!?」

「許す…」

「あ、ありがたき…幸せに…!」

 柴田勝豊は静かに息を引き取った。勝家も隆広も、そして居合わせた将兵たちも手を合わせた。不仲と言われた親子の勝家と勝豊。そして同じく不仲だった隆広と勝豊、お互いが分かり合えた時は勝豊の最期の時だった。

「愚かな父を許せ…」

 

 後日談となるが、勝豊の妻の志摩、彼女は稲葉貞通の娘であるため、実家の稲葉家に戻り勝豊の菩提を弔い、余生を送った。また息子二人。当時長男伊介六歳、次男権介四歳、彼らは柴田家で大切に育てられ、後年に水沢隆広の嫡子竜之介に仕える事となる。年下の主君を兄弟で盛り立て、竜之介の父である水沢隆広にも信頼されたのだった。




勝豊の最期は我ながら好きなシーンなんですよ。


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逃げる秀吉、追う隆広

 賤ヶ岳の合戦、柴田軍は勝利した。総大将の柴田勝家が勝どきをあげる。

「エイエイ、オー!」

「「エイエイ、オーッ!」」

 一度は完全に敗北した柴田軍。それをひっくり返した隆広の武勲は大きい。柴田陣ではすぐに首実検の場が作られた。各々の武功が軍忠帳に記されていく。

 柴田勝家は隆広と共に援軍に来てくれた将たちに丁重に礼を述べた。援軍諸将は後日に安土で行われる論功行賞を楽しみにしながら帰途へと着く準備を始めた。船で安土まで送ると述べられたが、少し船は窮屈だったようで、時間的制限のない帰途については拒否されてしまった。自分の軍勢をまとめ、負傷兵の治療と休息を取っていた隆広。そこに時間差を置いて援軍諸将が訪ねてきた。

「美濃殿、『鉄砲車輪』の伝授、かたじけのうございました」

 と、蒲生氏郷。

「いえ、ですが野戦で使うには中々難しいと存じますが」

「確かに」

 苦笑する氏郷。

「ですが篭城戦では無敵の破壊力を持つ事はこの目で見ておりますゆえ」

「はい」

「それゆえ、蒲生が『鉄砲車輪』を使う時がなきよう祈るだけですな。あっははは!」

 隆広と握手を交わし、蒲生氏郷は居城の日野城へと帰っていった。

 

「美濃、安土に行った時には是非お福に会わせてもらいたいのじゃが…」

 軍勢をまとめ、同じく居城の曽根城に帰る準備をしている稲葉勢、その準備の中、稲葉良通が隆広を訪ね要望してきた。

「無論です一鉄様、貴殿の孫娘にございませんか」

「左様か、お福は美濃になついておるか?」

「はい、最初は中々心を開いてくれませんでしたが今は」

「そうかそうか、お福の母の安もそりゃあ幼い頃は美少女であった。会うのが楽しみじゃ」

 そう笑って、隆広の肩をポンと叩き良通は帰途へとついた。

 

「今度は海の戦で当家に援軍を請うてもらいたいですな美濃殿」

「とはいえ…そう海戦があるとは…」

 九鬼嘉隆の要望に困る隆広。

「はっははは、冗談にござる。ところで美濃殿は商売にも長けてらっしゃるそうな」

「浅学ですが」

「今後、柴田は日本海と琵琶湖だけでなく太平洋の方にも交易の手を伸ばす事もできましょう。是非当家を用いていただきたい」

「本当ですか!」

「本当ですとも、柴田の交易船に指一本触れさせない事をお約束いたしまする」

「ありがたい!」

 嘉隆の手を握る隆広。

「いやいや、この世は持ちつ持たれつにござる。あっははは!」

 

 最後、筒井順慶主従と会った隆広。

「順慶殿、安土城といい賤ヶ岳といい、助かり申した」

 床几に座りながら深々と頭を下げる隆広。

「いや、以前に飛騨(氏郷)殿の申したとおり、勝つ方に味方しただけにござる。のォ左近」

「御意に。ところで美濃殿…」

「はい」

「筒井に人はいましたかな?」

 以前に隆広が『筒井に人は無き』と言った事をチクリと刺す左近。隆広は笑みを浮かべ首を振り

「手前の失言にございました。筒井殿には左近殿、柳生厳勝殿と良き人材、いえ良き人物がついております。また左近殿の働きは安土でも賤ヶ岳でも目覚しいもの。先の言は取り消させていただきまする」

 そう素直に謝った。

「美濃殿、我らへの使者に立っていた六郎でござるが」

 と、順慶。

「六郎が何か?」

「あれは良き男でございますな。腕も立ち、思慮深い」

「これは…六郎が聞けば喜びましょう」

「今度また、筒井に使者立つ時は彼にして下され。手前も左近も実に気に入り申した」

「承知しました」

 

 そして筒井勢も賤ヶ岳を後にした。同じ頃、柴田本陣も少し落ち着いてきたので隆広は勝家に呼ばれた。そしてこの時に隆広は改めて安土の築城が完了した事と、安土城の攻防戦について報告した。

「ふむ、分かった。ワシは一度北ノ庄に戻り妻子を連れて安土に入城する。今、安土は誰が預かっている?」

「当家の兵一千ちょいと、援軍諸兵から五百づつ出してもらい、おおよそ二千五百弱の兵、大将はみんな連れてきたので工兵隊の辰五郎とそれがしの家内が…」

「そりゃ急がないといかんな」

 苦笑する勝家。

「分かった、可児才蔵と山崎俊永は北ノ庄に戻らせず、このまま安土に向かわせる。ワシもなるべく早く安土入りしよう。美濃そちは…」

「申し上げます!」

 白が来た。

「おお、美濃が忍びであったな。なんじゃ?」

「三法師様、発見いたしました!」

 勝家と隆広は顔を見合った。

「そうか! 見つけたか!」

「はい、多少擦り傷はあるものの無事との事でした」

「良かった…」

 ホッとする二人。

「ただいま、六郎が連れてこちらに向かっております」

「よし美濃、岐阜城にいるご生母の徳寿院様に知らせよ」

「ははっ」

「信雄様には弓引きし柴田だが…三法師様には何の罪も無い。織田の嫡流は守れて本当に良かった。もう我らの事情で振り回さず、健やかにお育てしなければならぬ」

「御意、ところで殿…」

「ん?」

「前田様と金森様の離脱ですが…」

「…お前ならどうする?」

「え?」

「お前がワシの立場ならどうするかと聞いておる」

「前田様は息子利長の活躍をもって…と出来ますが、金森様は…」

「そうじゃの、又佐(利家)は元々秀吉と親友であるし戦いたくなかったと云うのも分かる。加えて利長の活躍で何とか庇いようはある。しかし長近は筑前と事前に絵図が出来ていた。許すわけにはいかんな」

「はい…」

「長近は本能寺の変で息子の長則を失い…表には出さぬが少し精神的に参っていたやも知れぬ。大切な一人息子じゃからのォ。冷静な判断も出来なかった…と云う事もありうる。しかし敵に通じていた者を許すわけにもいかん。断固処罰する」

「はい」

「おお、さきの話の途中じゃ。美濃、そなた筑前が逃げる道を見込んでいると申したな」

「はい」

「時を置いて追った方が良いと申していたが…追いつける根拠があって申したのだろうな」

「追いつけると云うより先回りにございます。羽柴は敦賀街道に抜けて、若狭、丹波、摂津と入り播磨に入るかと。我らは琵琶湖の水路を用いて湖西に降り、山陽道を目指し摂津と播磨の国境で待ち伏せまする」

「よし、中村文荷斎の倅の武利を目付けにつけるゆえ、すぐに向かえ」

「承知しました」

 隆広は柴田本陣から立ち去り、追撃の準備にかかり、そして出発した。

 

 賤ヶ岳の戦場。柴田勝家は北ノ庄に帰る前、可児才蔵を伴い改めて戦場を見て回っていた。

「両軍ずいぶん死んだな。いずれ廟でも作るとするか…」

「羽柴兵の鎮魂も含めてでござるか?」

「無論だ。仏になれば敵も味方もないわ」

「確かに…」

 その勝家と才蔵がまだ息のある羽柴兵を見つけた。その兵は羽柴本陣のあった方に向かい、腹ばいで進んでいた。もう合戦の勝敗がついたのも分かってはいなかった。

「才蔵」

「はっ」

 介錯をしようと才蔵がその羽柴兵に近づくと

「ん?」

 才蔵には知っている顔だった。

「権兵衛?」

「なに?」

 勝家も歩み寄った。

「おお、仙石権兵衛ではないか」

「お、おお、閻魔様か…アンタは?」

「ワシじゃ権六勝家じゃ」

 美濃稲葉山城落城の時も、仙石秀久はこうして倒れていたところを柴田勝家に拾われた。たった一騎で織田軍に突撃してきた当時十五歳の仙石権兵衛を勝家は気に入り、助けたのだった。

「また同じ場面で会ったのォ権兵衛…」

 可児才蔵もまた織田家の兵士教練で秀久とは何度か木槍を交えている。羽柴秀吉の金ヶ崎の撤退、そして小谷城攻城戦の時、何故か可児才蔵は羽柴勢に加勢して、仙石秀久とは生死を分かち合った。羽柴と柴田の敵味方に別れても才蔵と権兵衛は朋友であった。

「こんな形で再会したくはなかったな、権兵衛」

「可児か…。それはお互い様だ」

 秀久の姿を見ると、もう助かる負傷ではない。勝家は秀久を抱き上げた。

「権兵衛、何か言い残す事はないか…?」

「つ、妻の蝶に…」

「奥方に?」

「『丈夫に育てよ』と…」

「分かった。必ず伝えよう」

 仙石秀久はそのまま息を引き取った。才蔵は手を合わせた。

「見事なり権兵衛、そなた負傷した体を引きずってでも、羽柴の本陣に向かっておった。何とか主君秀吉を守ろうとしたのだな。柴田の将兵も手本とせねばならぬ…誠の武士よ…」

「真じゃ才蔵、筑前にはもったいない男よ」

 丁重に弔おうと思い、勝家は秀久の亡骸を腕に抱いて持ち上げ、本陣へと歩いていった。木陰にもたれ身を休めていた佐久間盛政、仙石秀久を看取る伯父の勝家を見ていた。

「…ゴンベエ、お前も逝ったか…」

 佐久間盛政と仙石秀久は三方ヶ原の合戦で共に戦った事があった。二人で鬼美濃と呼ばれる武田の馬場信房の軍勢に佐久間信盛勢の先駆けとして突撃した。

「鬼美濃は何とか凌げたが…智慧美濃にはお互いやられたな…。フッ我らにゃ『美濃』と云う名は鬼門だな。ふっははは」

 よいしょ、と盛政は槍を杖に立ち上がった。

「ゴンベエ…。楽しかったよなあ…三方ヶ原。負け戦だったが、あれほど命が燃えた戦は無かったわ…。オレたちのような武辺だけの者が働けるのは場所は、もう無いのかもしれん。これからは美濃のような小賢しい男が台頭する世になるやもな…。お前がうらやましい。オレは死に損ねた…」

 

 このころ安土では

「お味方! 大勝利にございます!」

 母衣衆が使いに訪れ、隆広の妻さえの元に勝利の知らせが届いた。

「殿は? 殿はご無事ですか!?」

「は!」

「良かった…」

 安堵の涙を流すさえ。相手より兵が少ない状態で戦うのである。さえの不安は大きかった。

「おめでとうございます奥方様!」

「「おめでとうございます!」」

「ありがとうみんな!」

 侍女が言うと、他の女衆も声を揃えた。

「母上、父上ってスゴい!」

 と、お福。

「うん! 帰ってきたら一緒に抱っこしてもらいましょうね!」

「うん!」

「なお、殿は羽柴の追撃を大殿様(勝家)に下命され西に向かいました。ただいま安土には可児才蔵様と山崎俊永様が向かっている由。大殿様もその後にご家族を連れて入城なさいます」

「分かりました。みんな、可児様と山崎様の部隊の方たちもお腹を空かせてくるでしょう。出迎えの準備とお食事の準備を進めて下さい。大殿様入城に備えて清掃を怠ってはなりませんよ」

「「ハハッ」」

(殿、おめでとう! 早く帰って来てさえに無事な姿を見せて下さい!)

 

 また城外では近隣の領民を大量に雇い、戦死した羽柴将兵を埋葬し、また負傷兵は手当てを受けていた。残っていた羽柴秀長軍の陣屋、それが野戦病院と化していた。明智光秀四女の英は一人の少年兵の手当てをしていた。

「敵の我らを…」

「『抵抗できなくなった者は敵ではない』我らが将の言葉です。礼には及びません」

「ありがとう…」

 包帯を巻いている英の手を握り、その少年兵は

「おっかぁ…」

 そう最期に言い逝った。

「……」

 英は静かに合掌した。もう何人こうして送っただろう。

「英殿、少し休まれてはいかがかな。ロクに休息をとらず手当てに当たっているではないか」

 工兵隊の辰五郎が気遣った。

「いえ、このままやらせて下さい。助からない方を看取り、最期に人の手の温もりを差し上げたいのです」

「左様か、ああそれと…」

「はい」

「賤ヶ岳、柴田の勝利だそうじゃ」

「ま、まことに!」

「うむ、今しがた城に知らせが来た。奥方様も大喜びじゃ。じゃがここでは伏せた方が良かろう」

「そうですね…」

 しかし、治療を受け終え、陣屋の壁にもたれていた男に辰五郎が静かに話した言葉が聞こえた。だがその男は騒がず黙っていた。

(負けたか…。次の主人を探さねばならんな…)

 

 柴田勝家は北ノ庄城へと帰っていった。その道中の事だ。一人の武人が柴田勝家の前に平伏して待っていた。

「…よう、ツラが出せたものよな」

「…手前の生きるところは柴田家しかございませぬゆえ」

 佐久間盛政だった。勝家は馬から降りず、そのまま馬上から甥を睨んだ。

「なぜ、ワシの後退命令を聞かなかった」

「…恐れながら、勝てると思ったからにござる」

「…秀吉は我ら柴田に一歩後れたとは申せ、光秀を討つ時に備中高松から姫路へ信じられんほどの神速で戻っている。この事実、そなたは忘れていたか。なぜ秀吉が岐阜から大返しをしてくると読めなかった」

「忘れてはおりませぬ。しかしながら岐阜で滝川と森と戦うために戻ったと云う情報も入っていたあの時…」

「もうよい。結果がすべてだ」

「……」

「死に逃げず、出奔もせず、ワシの前に現れた事に免じ、本来は打ち首ものの失態であるが戦勝の今、味方の将の首を取るのは士気を落とす。金沢の城に戻り、謹慎しておれ。沙汰はおってする」

「伯父上…!」

「そこを退け、通れぬであろう」

「はっ…」

 佐久間盛政は道脇に下がり、勝家が通るのを見送り、そして後に続いた。しかし負傷している彼なのに、誰も馬を貸そうとはしなかった。全滅の端となりえた彼の独断専横を同僚たちは許していなかった。

「よくもヌケヌケとツラが出せたものよ。恥を知れ!」

 毛受勝照が盛政に聞こえるように言葉を発す。

「……」

 佐久間盛政は何も言い返さず、勝照の罵倒を受けた。賤ヶ岳の合戦、彼にとってはまぎれもなく『大惨敗』であった。

 

 そして水沢隆広は中村武利(中村文荷斎次男)を追撃隊の見届け役として同行させて羽柴追撃に出た。水沢軍二千とそれに伴う軍馬も乗せて湖西に向かう。隆広は甲板で壁にもたれ、うたた寝をしていた。松浪庄三は気の毒と思いつつも起こした。

「美濃殿、そろそろ湖西に到着ですぞ」

「え、ああそうですか…」

 立ち上がり体を伸ばす隆広。

「しかし、見事な車懸りでしたな」

「モノマネは得意なんです。あははは」

「あれをモノマネで済ませますか。あはははは」

「若狭水軍も堅田衆も見事な戦ぶりでした。やはり船の戦に慣れているだけ、足腰が違うのかな」

「左様、戦もナニも腰ですぞ」

 笑いあう隆広と庄三。

「殿―ッ、そろそろ到着です」

 先導していた堅田の船から十郎が報告してきた。

「分かった」

 置いてあった兜を拾い、アゴ紐を結う隆広。

「助右衛門」

「はっ」

「もう夕暮れ時だ。本日は近江と丹波の国境まで進軍して夜営する。将兵に左様伝達せよ」

「ははっ」

「しばし、お別れですな美濃殿」

 若狭水軍と堅田衆は、この追撃隊を搬送するのが今回の合戦で最後の仕事である。彼らも各々の本拠地に帰り、後の勝家の論功行賞を待つ。

「はい、色々とありがとうございました」

「久しぶりに胸が躍った。あの采配、隆家を見るようだったわ」

 松浪庄三から斉藤龍興となった。

「ありがたき仰せに」

「はっははは、では後日、安土で会おう」

「はい!」

 船は琵琶湖の湖西に到着し、そこから西進を開始した水沢軍。賤ヶ岳で戦った疲れも取れていなかったので、隆広は無理をせず一刻(二時間)ほど進軍してすぐに夜営をした。たっぷり睡眠と食事を取り翌日に西進を始めた。

 清洲会議の論功行賞で、柴田は越前、加賀、若狭、近江を拝領していた。近江の一部が丹羽氏であったが、すでに丹羽は賤ヶ岳で敗北し柴田に降伏していた。完全に四ヶ国は柴田の物となった。

 かつ織田信孝は丹波、山城、摂津を領地としていたが、山城と摂津は今度の合戦で一度羽柴の領地となってしまった。しかしすでに秀吉の敗戦は畿内に広まっており、山城と摂津の豪族や豪農たちは柴田に恭順を表明していた。摂津の将である高山右近、中川清秀、池田恒興も討ち死にしていたのであるから無理もないだろう。

 丹波はかつて隆広が坂本攻めの時に女子供を逃がした事が幸いし、同じく豪族や豪農たちは柴田に恭順を表明していた。それが証拠に水沢隆広率いる追撃隊は何の妨害も受けないどころか、街道筋で兵糧も提供されたのである。

 反して秀吉の隊は追撃と落ち武者狩りに怯えながらの敗走。勝者と敗者、天と地の身の上であった。謀反人である明智光秀を討ち取り、同じく主殺しをした羽柴秀吉を倒した柴田軍。名声はうなぎ上りであった。

 特にこの時点で山城の地、つまり京都を手中にしていたのは大きい。すでに抵抗する勢力もない。

 しばらくすると、水沢勢は同じ方向を敗走する羽柴勢を追い抜いた。負傷者多く、疲労困憊な羽柴軍。水と食糧の補給もままならない状態である。水路を使った水沢勢に先回りされても仕方ないだろう。

「つらいな、もはや相手は戦うチカラをなくしているのに…」

「同感ですが、こればかりは秀吉殿も覚悟の上の事。いらざる情けは捨てて下さりませ」

 厳しく隆広を諭す奥村助右衛門。

「ああ、分かっている」

 水沢勢は秀吉の進む道と、現在自分たちが進む道が合流する摂津と播磨国境の山陽道に向かった。まだ羽柴が播磨に入ったと云う報告はない。先回りできる見込みは大である。

「ん、雨だ」

「これは降りそうだ。殿、急ぎましょう!」

「よし!」

 この雨は敗走し、落ち武者狩りと追撃に怯える秀吉軍には堪えた。体力がなくなりバタバタと倒れていく者も多く、いつの間にか秀吉の周りには五十人しかいなかった。石田三成は杖を持ちやっとの思いで歩いていた。

「親父様、大丈夫ですか…」

「ああ、何とかな…」

 秀吉は聞いた。加藤清正と福島正則は討ち死にし、若き日の自分を支えてくれた蜂須賀正勝、前野将右衛門、稲田大炊も壮絶な討ち死にをしたと。

「このままでは終わらぬ…。再起を果たして今度こそ…」

「その意気です、親父様…」

 と、大谷吉継。彼もフラフラの状態である。

 

 雨が上がった。雲間から太陽の光が差した。

「播磨までもう少しだ、みんながんばれ…」

 意識もうろうな黒田官兵衛が隊を叱咤したその時だった。一本の弓矢が放物線を描き、羽柴勢の前に突き刺さった。

「う…?」

 それは水沢隆広の部隊であった。先回りして待っていたのだった。

「美濃…!」

「殿…」

 石田三成はヘナヘナと座り込んでしまった。もはやこれまで。馬上の水沢隆広は弓を奥村助右衛門に渡して羽柴秀吉に歩み寄った。

「羽柴様、もはやこれまでにございます。抵抗をやめて首を差し出されたもう」

「みな、こうなれば一合戦じゃ!」

「無理にございます殿、もはや我らに抵抗するチカラはございません…」

 黒田官兵衛が息も絶え絶えに云い、大谷吉継も疲労の極みにあり、満足に戦う事もできない。増田長盛がフラフラと歩み、馬上の秀吉に言った。

「と、殿。美濃殿は唐土の関雲長のごとき、義を重んじる情け深い武将でございます…」

「知っておる…」

「これと同じ場面で関雲長は敵将曹操を見逃しました。我らの命、後日の戦いに預けてもらうべく頼んでみては…ここで抵抗できないまま殺されてはあまりに無念…!」

「…よし、話してみよう」

 秀吉は馬を進めた。

 

「美濃…」

「羽柴様…」

「できれば違う形で会いたかったのォ…」

「はい…」

「…見苦しいと思うだろうが…佐吉を貸した恩と、今までの友誼にすがりたい…」

「……」

「そなたと敵味方になり、まことに無念であるが、これも人の縁で戦国の世の皮肉じゃろう。だがせめてもう一度ワシがそなたと堂々と戦えるまでこの命預けてくれぬか…!」

「卑怯未練な言い草! とても筑前殿の言葉とは思えん! 潔くされよ!」

 奥村助右衛門が一喝する。

「その通りじゃ、じゃが恥をしのんで頼む…」

 秀吉一行は隆広に平伏した。秀吉も馬を降りて平伏する。みじめな秀吉の姿、三成も平伏し地に顔をつけて懇願している。

 安土の城下で酒を酌み交わした秀吉と隆広、秀吉と飲む酒は美味だった。寵愛の石田佐吉を快く自分に預けた秀吉。竜之介が生まれた時、立派な松も贈ってくれた秀吉。

 そして小さな背を震わせて隆広に許しを乞う石田三成。自分の命を惜しんでではない。秀吉だけは我が身に変えても見逃して欲しい、そう全身で訴えていた。三成の姿がそのまま自分に見える隆広。立場が逆なら、オレもああして土下座して主人勝家を見逃してもらう事を懇願しただろう…そう思った。ここに来る前、たとえ抵抗できない羽柴勢でも討ち果たすと決めていた隆広だが、実際に見る羽柴勢はあまりにも哀れだった。隆広は目をつぶり、一つ大きな息を吐いた。

(申し訳ございません殿…。美濃はかの者たちを討てません)

「…ここは足場が悪い。退け」

 隆広は馬を返し、秀吉の前から退いた。慶次はフッと笑った。

「殿!」

 奥村助右衛門も隆広の気持ちは痛いほどに分かる。だが立場上止めなくてはならない。羽柴秀吉を今こそ討たなければならない。

「さっさと退かないか!」

 水沢勢は秀吉一行に道を開けた。隆広は背を向けている。

「今のうちに行けと言う事か…」

 秀吉は馬に乗り、進み出した。秀吉と隆広がすれちがう。小さく秀吉が言った。

「…すまぬ」

 三成もフラフラと歩く。そして背を向けている隆広に一礼して去ろうとした時。

「佐吉」

「はっ」

「孝行を尽くせ」

「…はっ!」

 元々歩行が不自由な黒田官兵衛はついに倒れこんでしまった。雨上がりの道の泥水へ官兵衛は倒れ、立ち上がろうとするが立てない。何度も泥水の中に倒れた。見て入られなくなった松山矩久が手を貸そうとすると

「手を貸すな!」

 隆広が怒鳴った。

「殿…」

「自分で立って歩かせろ!」

 その言葉に官兵衛の胸が熱くなった。

「かたじけない…。美濃殿こそ、まことに武士の情けを知る方よ…!」

 黒田官兵衛は自分の体を叱咤して立ち上がり歩いた。大谷吉継も隆広の後を通る。隆広の背を見る吉継。悔しくてたまらない。敵に見逃してもらうなど。拳を握り悔し涙と鼻水が止まらない吉継だった。

(この悔しさ…生涯忘れぬ…!)

 

 背を敵勢に向けている隆広の馬のくつわを取っていたのは大野貫一郎であるが、彼は後にこう言っている。

“おそらくあの時、我ら全員が援軍の大功取り消しを悟っただろう。殿に恩賞も加増も無い事を皆が悟っただろう。つまり我らが得られる褒美もなくなると云う事だ。他はどうか知らんが私は不思議と不服を覚えなかった。それどころか不思議な高揚感が湧き出て止まらなかった。この方に仕えられて本当に良かったと思ったのだ”

 後年の大野治長、この時は十五歳。名将水沢隆広への憧憬を強めた日であった。

 

 秀吉一行は姫路城へ向かっていった。助右衛門も内心ではホッとしていたが

「殿、大殿様になんと申すのです」

 と問うた。

「オレが全責任を取る。武利殿」

「はっ」

「見たままを殿に報告してください」

「し、しばらく! 見つからなかったと言えば御身に咎めはございますまい。敵の総大将の首をあえて見逃したなど、先の援軍の功さえ帳消しになられてしまいますぞ! それがし役目とはいえ木石にあらず、見なかった事にいたす所存に…」

 この追撃隊の目付けとして同行していた中村武利、奉行筋の彼も隆広の行為に胸を打たれていた。見なかった事にしようと決めていた。

「中村殿、主君を気遣う気持ちは嬉しいが、その必要はない。見たまま報告されよ」

「前田殿…」

 

「負けて知る、人の情けか…」

 秀吉はそうつぶやいた。後年において水沢隆広が題目となった芝居は多いが、この秀吉を見逃す場面は屈指の名場面とされている。抵抗する力を無くした敵将をどうしても討つ事ができなかった隆広の武人の情けは、後世にも美談として語られている。



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柴田明家

「目付けの中村武利から報告は聞いた。どういうつもりか!」

「…手前には、もはや刀を握る事さえできない羽柴勢を討つ事がどうしてもできませんでした」

 安土に帰ってきた水沢隆広一行。すでに勝家は入城をはたし、名実ともに安土城は柴田家の居城となっていた。

 もはや壊滅寸前だった柴田軍の援軍に間に合い戦局を逆転させた隆広は今回の賤ヶ岳の戦いにおいて勲功第一位。褒める言葉さえ見つからないほどの大手柄である。だが隆広が秀吉をあえて見逃した行為はその武勲すべて帳消しにしてしまうほどの事だった。

「今まで何度もクチをすっぱくして言ったはずだ! その甘さが命取りになると! 秀吉が息を吹き返して再び合戦に及べばまた何人も人が死ぬ! その甘さのおかげでまた柴田の有為な人材が死ぬ! そうなった時キサマどう許しを請うつもりか!」

「……」

 返す言葉もない隆広。

「今回の戦…。徳山則秀、拝郷家嘉、柴田勝政、原彦次郎、不破助之丞は討ち死に! 他にも多くの柴田の将士があの世に行った! キサマこの英霊たちにどのツラ下げて詫びるのか!」

 水沢隆広の後ろで奥村助右衛門と前田慶次も平伏している。

「助右衛門に慶次! キサマたちもついていながら何てザマだ!」

「「はっ…」」

「なぜ美濃を殴ってでも筑前を討たせなかった!」

「この慶次、主人美濃が誤っているとは思えませなんだ」

「なんじゃと?」

「我ら追撃隊は二千で、羽柴は五十人以下、しかも負傷重く、立つ事さえままならぬ者たちのみ。これを一方的に嬲り殺すはいくさ人の、いや人の道にあらず。たとえ大殿の申すとおり、再び羽柴と戦に相成っても、抵抗もできない者たちを殺すより何倍も武人の道にかなっていると存じます」

「利いた風なクチを叩くな! 助右衛門おぬしもそうか!」

「確かにそれがし、その場で主人をお諌めはしました。大殿の申すとおり主人を張り倒してでも筑前を討つべき時でございました。ですがそれがし…それを主人に申す事ができませんでした。主人が見逃す決断をされたとき嬉しく思いましたのも…まぎれも無く、それがしの本心にございます」

 歴史家は『この時に勝家が水沢隆広を追撃に下命したのは誤りではないか。彼の性格ならば矢尽き刀折れた羽柴を討たない可能性は多分にあった。側近の奥村と前田にも武人の節義を重んじる性質があるゆえ、それは十分に考えられたはずである。他に可児、山崎、毛受と云う将もいたのだから彼らに下命すれば秀吉は討ち取れたはずである』と述べる。

 しかし、あの時点では隆広に下命するのが自然である。山崎俊永、毛受勝照は負傷しており、前田利長と不破光重は経験も浅い。強いて言えば可児才蔵であろうが、その時の才蔵は勝家本隊の寄騎を務めており、合戦後は勝家に兵をまとめておくよう下命され、それが済んだ後は安土城に向かわなくてはならない。九鬼、蒲生、筒井、若狭水軍、堅田衆は友軍であるし、つまりこの戦の詰めを委ねるには隆広しかいなかったのである。

 だから勝家は隆広に下命した事は誤りとは思っていない。だが許すわけには行かない。ここで何事もなく許せば家中に示しがつかない。

「その方ら、おのが手柄に驕ったか! 完敗していた柴田に逆転勝利をもたらした我らだから、羽柴を殺すも見逃すも勝手次第と!」

 すさまじい形相で隆広を睨む勝家。

「と、殿、それは少し言い過ぎかと…」

 と、毛受勝照。

「勝照よ…。確かに一方的に虐殺するは柴田の尚武の気風に反するのは分かる。しかし今回の賤ヶ岳の合戦はどうか。数え切れぬほどの柴田将士が死んでおるのだぞ。この英霊たちに筑前を討てる事が出来ながら見逃したなどどうして報告できようか!」

「はっ…」

「美濃が行いは柴田の犠牲軽微なら許される事じゃ! 犠牲甚大であった合戦の後で許される事ではない! 死んでいった者たちに申し訳が立たぬ! さらに敵の総大将は羽柴筑前、柴田におるものならワシと筑前の仲は知っていようが!」

「殿…」

「共に天を抱けぬほどの間柄じゃ! それをおめおめと見逃すなど断じて許せぬ。覚悟は出来ていような美濃!」

「は…願わくば、それがしに…」

「甘ったれるな! 腹を切って済む問題か!」

 勝家は立ち上がり隆広へ詰め寄り足蹴にした。隆広は吹っ飛んだ。そして勝家は刀を鞘ごと抜き

「腑抜けが! お前が死して責任を取れるのは筑前を討ち取った後じゃ!」

 刀を木刀代わりにして殴り続ける。止めようとした奥村助右衛門を前田慶次が制し、首を振る。勝家の打擲を受ける隆広。

「と、殿…申し訳ございません…」

 息子を怒りに任せて殴打する勝家。たまらず毛受勝照と中村文荷斎が止めに入った。

「殿、もうそのあたりで!」

「美濃ももう分かったと思いまするゆえ…ここは我ら家臣団に免じ…」

「ふん…」

 刀を腰に戻した勝家。隆広を睨み据える勝家。怒りに震え呼吸も荒い。隆広は顔を上げられない。顔面と頭部からの出血も著しい。

「美濃、家老職を剥奪する。部将からやりなおせ。助右衛門に慶次! その方らも足軽大将に降格じゃ! 次にかほどの失態を犯さば首が飛ぶと心得よ!」

「は、ははっ!」

「しょ、承知しました…」

「良いか、確かに柴田の気風は尚武! じゃがそれをはき違えるのは愚者じゃ! 肝に銘じておけ!」

「は、はっ!」

 気を失い倒れた隆広。

「ふん…。このくらいの打擲で情けない男よ」

 そして再び鬼の怒号が奥村助右衛門、前田慶次に飛ぶ。

「助右衛門、水沢家は減俸じゃ! 賤ヶ岳の功も帳消しに処す。安土築城の褒賞も、筑前の舎弟から城を守りきった功も無しじゃ! 以後に目覚しき手柄を立てて挽回せよとその腑抜けに伝えい!」

「は、はは!」

 怒気を示す足取りで城主の間を後にする勝家。そしてしばらく行くと…。

「殿…」

「お市…」

 妻のお市が待っていた。

「……」

「許せ…。ああせなんだら隆広は責任を取り…自害しておったろう…」

「はい…」

「見ていたのなら…そなたも辛かったであろう。よう止めなんだ」

「殿もつろうござりましたでしょう。泣いて隆広を打ちました…」

 勝家の目から涙が落ちていた。鬼と呼ばれる勝家の目に涙が浮かぶ。安宅の関にて泣いて義経を打ち据えた弁慶のように。

「腑抜けと思うと同時にの…。何か嬉しかった。唐土の関羽のごとき義の心…。ワシは嬉しかった」

「父親に似て不器用なのですわ。あの子も…」

「ふふ…。ワシがごとき武骨、似なくとも良いものを…」

 勝家に涙を拭う手拭をそっと差し出すお市だった。隆広は屋敷に連れられ、さえとすずの手厚い看護を受けた。

 

「すまん…」

「何を謝るのです?」

「…減俸になってしまった…。こたびの戦の褒賞も…安土築城と、秀長殿から城を守った戦の功も帳消しになってしまった」

「イヤですよ殿、こうして無事に帰ってきた事が私たちにとって一番のご褒美です。ねえすず」

「はい」

「思えば殿は今までが順調に過ぎました。この辺でそのくらいの大失態をやらかした方が後々の肥やしとなります。前向きに考えなくちゃ」

「ありがとう、さえ」

「さあ、そんな事は気にせずお休み下さい」

「ああ」

 さえは隆広が眠ると別室に行き、訪ねてきていた吉村直賢に会った。

「聞き申した。あえて羽柴筑前を見逃し、その責で大殿様に打擲されたと」

「はい、大殿の打擲、医師の話によると派手な負傷に見えて熱は発するものの急所には一撃も入れていないとの事。さすがは大殿、数日の療養で快癒する程度に打ち据えたと見えます」

 武人の勝家らしい心得た打擲と云える。とはいえ、血だらけで慶次に背負われて帰ってきた隆広を見た時、さえとすずは失神しそうになったらしいが。

「して…直賢殿、ご用向きは?」

「はい、殿は減俸との事ですが、それは仕方ないでしょう。しかし安土城の築城や、その攻防戦、そして賤ヶ岳の褒賞がなくなったのでは殿や奥村殿、前田殿はともかく命がけで戦った水沢家の兵が気の毒。我ら商人司がそれを補いまするので、それを殿にご報告願いたいのです」

「しかし直賢殿が交易でお稼ぎになった資金は柴田の公金、大殿様がそれをお許しに…」

「確かに商人司の銭金は柴田の公金、しかし蛇の道は蛇、手前は水沢家臣ですので、こういう時のために用意はしてあります。内々に大殿様へ報告は致しますので大丈夫です」

「ありがとう直賢殿…! 水沢家の奥としてお礼申し上げます」

「殿はいつ床を出られまするか?」

「はい、まだ自力での用便も出来ない状態ですが、急所に怪我を負われてないので数日療養すれば歩くらいは出来るかと」

「実はそれがし大殿様に呼ばれまして、出陣の資金の提出を下命されましてございます。おそらくは十日のうちには播磨へと出陣かと存じます」

「もう出陣にございますか?」

「はい、筑前が息を吹き返さぬうちに、との事です」

 勝家は軍議で言った。数日中に播磨に進攻すると。羽柴の犠牲甚大であるが柴田もそれは同じ。だからと言って柴田が完全に勢力を回復した時には秀吉も少なからず息を吹き返している。そればかりか毛利、宇喜多、長宗我部などが肥沃な播磨の地を狙い進攻する事もありうる。何としてでも秀吉の首は柴田で取らなくてはならない。そして播磨の地も手に入れる事も不可欠な事である。

 安土に居城を構えて中央に進出した柴田。当時の信頼できる資料から、この当時の柴田家の領地は近江、越前、加賀、丹波、山城、摂津と言われている。織田信孝の領地をそのまま併呑した形となっていたのだった。堺の町と京の都を事実上押さえていた。

 しかし兵農分離を急務としても、この版図を維持できるものではない。真っ先にやった事は賤ヶ岳で離散した柴田の兵、戻って来たい者は歓迎すると公布した。これには難色を示す家臣も多かった。しかし老臣の中村文荷斎が

『富貴の身ならば追随する者多く、貧しいならば交友も乏しいのは当然の道理。市場で考えてみよ、朝は我先にと市場に来るが夕暮れ時ならば人もまばらになる。人々は市場に好き嫌いがあるのではない。市場に求める品がなくなるからじゃ。劣勢で兵が当家を見限り逃げたのも理由は同じ。柴田市場に求めるものが無くなったからじゃ。離散した兵を恨むのは誤りである』

 さすがは老臣の一言は的を射ていた。柴田家は帰参してきた者には今までどおりの職務と禄を与えると畿内一円に公布した。すると元いた兵の数より多くなってしまった。どさくさに紛れて大大名となった柴田家に仕えようと思った者が続出したのだ。賤ヶ岳で大きく兵力を失った柴田家だが、それはほぼ解消された。

 その兵を使う将たちであるが、賤ヶ岳の戦いで戦場離脱した前田利家は息子の利長に救われた。敗戦必至、討ち死に必至とも云える戦場に返して柴田に忠を尽くした前田利長。羽柴の名のある将も数人討ち取る大活躍もした。もっとも前田利家の甥である前田慶次がそれとなく手助けしていた故だが。

 利長の忠義と武勲を持って、勝家はその父の利家を免罪にした。引き換えに利長に加増は無かったが父の免罪は何よりの褒美でもあった。その代わりに勝家は利長に記録に残らない非公式な褒美として、駿馬と名槍を与えたと云われている。何より勝家にはあのまま秀吉に敗れたとしても利家を恨む気はなかったのだ。秀吉と利家の友誼は承知している。

 しかし金森長近に対しては厳しかった。お家断絶である。一切の申し開きも許されなかった。勝家に前田利家の戦線離脱の理由は理解できる。だが金森長近は前もって羽柴秀吉と話が出来ていた。それを勝家が許すはずがない。

 所領も召し上げ、金森一族は追放された。長近は本能寺の変で嫡男の長則を失っており、そしてこの追放。悲運と不運が重なった。亡き信長なら族滅としていたほどの罪で、まだ一命を拾えただけ温情ある処罰と云えるが間もなく金森長近は病で死んだ。身を寄せた小さな寺で一人わびしく死んでいったと云う。

 あの水沢隆広の電撃的な援軍。柴田家全ての者が良い結果となったわけではないと云うのも皮肉と云えるだろう。伊丹城攻め、小松城攻めで金森長近と陣場を共にした水沢隆広は長近の最期を哀れみ、後日談となるが長近の末の娘を養女としたと云う。

 

 佐久間盛政は金沢城で閉門蟄居の罰を受けた。沙汰あるまで本城への登城ならずと云う厳罰だった。賤ヶ岳の合戦は今日の歴史学者でも色々と議論されているが、最近では水沢隆広の電撃的奇襲だけではなく、佐久間盛政の羽柴陣への中入りと大岩山への滞陣についても議論されている。

 柴田勝家のとった陣立ては確かに山岳戦を心得た鉄壁な布陣であった。盛政はその一翼から出て中入りによって羽柴陣に一つのクサビを打った形となる。もしこの時、柴田勝家が羽柴軍の神速を考慮に入れていたとしても、佐久間盛政の後詰に入っていたらどうなっただろう、と云うものだ。

 相手には本隊が不在のままだった。秀吉の到着前に羽柴陣の砦の占拠が可能だったのではないか、と云う意見がある。しかしやはり持久戦に持ち込み、山岳戦に誘い込んで秀吉を討つと云う主君勝家の作戦の構想を理解できなかった盛政に落ち度はあるだろう、と云うのがおおよその結論だった。

“大岩山占拠と同時に本隊の後詰があれば…”

 勝家に『ようツラが出せたもの』と言われた時、佐久間盛政の頭にこんな言葉がよぎったのではないだろうか。しかし今はもう遅い。柴田軍は結果佐久間盛政の働きの外で勝利した。佐久間盛政は北ノ庄城に自分を迎えに来ていた留守居の者と金沢城に帰っていった。

 

 その佐久間盛政と立場が天と地なのが可児才蔵、山崎俊永、毛受勝照だった。賤ヶ岳の武勲と最後まで勝家に付き従おうとする姿勢が評価され加増された。山崎俊永は部将、可児才蔵は家老に昇進し、毛受勝照には城も与えられたのだった。

 しかし訃報もある。合戦中に受けた傷が元で府中三人衆の一人、不破光治が死んだ。光治の息子たちも討ち死にしていたので不破家は断絶の憂き目となったが、光治の働きに報いるため勝家は一族にて同じく討ち死にした不破一族で家老の不破助之丞の嫡男、そして水沢隆広の義弟不破角之丞光重に光治の娘を娶らせて不破家を継がせ当主としたのだった。

 

 そして一人、柴田家に新たな者が仕えた。奥村助右衛門に仕官を要望した男だった。助右衛門は彼を主人隆広に紹介した。

「藤堂高虎にございます」

「ほう貴殿がそうか」

 高虎を見る隆広。

「今まで羽柴秀長様に仕えておりました。あの戦いでそれがし負傷するも、美濃殿の『抵抗できない者は敵にあらず』と手当てを命じて下さいました。恐れながらその武人の情けに高虎感服いたしましてございます」

 安土城攻防戦のあとに生き残った彼は敵の柴田から手当てを受けた。そして聞いた『羽柴敗戦』、新たな主君を見つけなければと思っていた彼が、次の主人として選んだのが水沢家臣の奥村助右衛門永福であった。柴田勝家や水沢隆広ではなく、奥村助右衛門に仕えた点が彼の処世術を物語っている。一番の者ではなく二番目の者に仕える。補佐役の補佐役となるのが彼の真骨頂だった。

「しかし大きい、当家の慶次と同じくらいで…かつチカラもありそうだ。オレは見ての通り優男、助右衛門の家臣とはいえ戦場でそなたの武勇に頼る事も多かろう。頼むぞ」

「承知いたしました」

「助右衛門、大事にしてやるといい。この男、武勇だけの男ではない。そなたの良き補佐役となろう」

 隆広は高虎を見抜いた。後に築城術では隆広さえ凌駕する男である。

「はっ」

 水沢屋敷を出た助右衛門と高虎主従。高虎は少し困った顔をしていた。

「どうした?」

「美濃守殿…いやご主君は、それがしを武勇だけでないと云うお言葉ですが困りました。それがし槍働きのみの無学者でござれば…知恵者に望むようなものを求められても…」

「はっははは、ならばこれから身につけられると見たのだろう。『呉下の阿蒙』の例えもある。猪武者では限界がある。部下の統率や政治が出来なければ軍勢も与えられないし、領地も与えられない。そうはならない男だと殿は一目で見抜いたのだろう。かくいうオレもな」

「殿も?」

「そうだ、オレの屋敷には和漢蔵書もあるし安土の文庫(図書館)にも様々な書はある。一念発起して学べ。頼りにしているぞ」

「は、はっ!」

『呉下の阿蒙』とは中国の三国志の時代に呉の孫権に仕えた将軍呂蒙の事を指している。

 呉の将軍となったものの、呂蒙は無学なところがあった。君主の孫権がそれではダメだと学問をするように命じ、一念発起して兵法を学んだ。しばらくすると呉の宰相魯粛さえ舌を巻く賢者となっていた。魯粛は“もはや呉下の阿蒙にあらず”と感嘆し、呂蒙は“男子三日会わざれば括目して見るべきだ”と述べた。奥村助右衛門は藤堂高虎にそれを述べたのである。

 

 まだ戦力が回復していない状態なのに播磨に進行すると明言した勝家に反対する意見も出た。

『急に領地が広がったうえ、先の合戦で死んだ人材の穴は三分の一も埋められていない状態。ここは己が領内にクサビを打ち基盤を固めてから西進するが良かろうと。それにまだ賤ヶ岳の論功行賞も手付かずですぞ』

 と、老臣の中村文荷斎。この意見に山崎俊永、毛受勝照も賛同した。しかし

『論功行賞などすべて終わってからでいい。時を置けば当家も戦力回復するであろうが、それは筑前も同じ事。美濃が尻拭いと今更言うのはグチ。少なくとも兵は再び集まり戦える。反して筑前は外敵と戦える状態ではないはず。今は多少の自軍の不備には目もくれず、神速をもって西進すべきぞ』

 と佐々成政が主張すると、前田利家、利長親子、不破光重、可児才蔵が賛同。

「よう言うた成政!」

 勝家は刀を抜き、姫路の方向に切っ先を指した。

「羽柴筑前が首を取りに参る!」

「「ハハッ!」」

「全軍出陣の準備をいたせ!」

「「ハハッ」」

 人材の不足は顕著であるが、それは羽柴も同じ事。勝家は成政の主張通り、賤ヶ岳の論功行賞は羽柴討伐後に行うと友好大名に使者を出し、自軍の多少の不備は無視して羽柴攻めを決断した。素早い迅速な行動は、どんな搦め手の謀略より功を奏す時がある。勝家は兵力が整うと迷わなかった。播磨進攻を全軍に下命したのである。

「ふむ、そして出陣の前にそなたらに申し渡す事がある」

 

 そして隆広の負傷が回復した。隆広は同時に謹慎処分にもなっていたので先の西進決定の軍議には出席が許されていない。すでに出陣準備も整っていた柴田軍。明日に西進開始である。最後の羽柴攻めの軍議に隆広はやっと出席が出来た。前田利家が隆広を迎えた。

「合わす顔がないと思っていたが…再び同じ旗の下で戦う事になった」

「前田様…」

「ワシの首が繋がったのは利長がそなたを兄のように慕い、その『忠』に報いようとしたがため。その縁に感謝している」

「いえ」

「藤吉郎(秀吉)をあえて見逃したと聞く」

「はい」

「大きい声では言えぬが感謝しておる。いや内心、親父様もその義心を嬉しく思っていたと思う。戦国武将と云う者は心意気で生きておるからな。愚かと思う者もいようがワシはそうは思わん」

「お言葉、かたじけなく」

「うむ、お、そろそろ始まるぞ、席につけ」

「はっ!」

 隆広が軍議の席にいた面々を見ると佐久間盛政がいない。

(やはりこの軍議に呼応されなかったか…)

 部将に降格された隆広、家老の佐々成政の横に席が用意されていた。

「しばらくです、佐々様」

「ふむ…」

 そのまま席に座る隆広。着物と姿勢を正し、一つの咳払いをして主君勝家が評定の間に来るのを待つ。

「美濃」

 佐々成政が声をかけた。

「はい」

「もう…味方同士でいがみあっている時ではないかもしれぬな…」

「え?」

「今まで…悪かった」

「佐々様…」

「多くの柴田将兵が死んだ。生きている我らが不仲のままでは死んでいった者たちに申し訳が立たぬ。手を取り、協力して…この難局に立ち向かわなくてはならぬ」

「はっ!」

「うん、お、勝家様のお越しじゃ」

 評定の間の陣太鼓が鳴り、勝家の小姓が

「大殿の、おなーりー」

 と家臣一同に述べた。平伏する家臣たち。柴田勝家が君主の席に座った。

「みな、表をあげい」

「「ハハッ」」

「かねてから申し渡していた通り、播磨へと出陣する」

「「ハハッ!」」

「隆広」

「はい」

「そなたが死して責任を取れるのは羽柴筑前を討った時、そう申したのを忘れておらんな」

「はい」

「だがその命、ワシが預かり置く」

「え?」

「皆聞け、すでにワシの奥のお市が清洲会議にて発したため、すでに周知であろうが改めてここで発表する」

「「はっ」」

「水沢隆広はワシ、柴田勝家の実の息子である。つまり柴田の嫡男である」

「「はっ!」」

「ワシはここで、水沢隆広を柴田の世継ぎにいたす」

 いきなりの話で隆広は驚いたが、と同時に

「「はっ!」」

 満場一致で次代当主の水沢隆広が認められた。先日の軍議で西進を決定した後、勝家は諸将に話した。

「皆もすでに知っていようが隆広はワシが嫡子。柴田の後継者はあやつにしようと思うがいかに?」

「美濃の才は認めます。しかし伊丹の戦では捕虜も斬れず、小松の戦では敵兵殲滅をためらい、先の山陽道では敵の総大将を見逃す心の弱さ、あれで尚武の柴田の当主となりえましょうか」

 と、佐々成政。もはや『隆広嫌い』で述べている言葉ではなかった。

「その足りぬところは我らが補えば良かろう」

 前田利家が言った。

「足りぬところ?」

「心が甘く、そして才がないのなら救えぬが、美濃の才幹と器量は申し分ない。冷酷非情になれないのが美濃の欠点なら我らが泥をかぶれば良い事だ。完全無欠の君主に仕えても面白くなかろう」

「確かにの、美濃には我らを使いこなす器量があれば良い。あとは後ろでボンヤリしていても差し支えもない」

 可児才蔵が添えた。やはり最初から『若殿』ではなく下っ端武将から叩き上げてきた隆広自身の足跡がこの時に効果が出た。成政はフンと笑い

「まあワシ自身もそう思わんでもなかったが、誰かが慎重論を唱えんとな」

 と、彼も次代当主水沢隆広を認めた。家中全体に公表する前に幹部たちにすでに認めさせていた勝家だった。柴田勝家の実子の水沢隆広。彼とていつかはと内心は思っていただろう。そしてそれは羽柴秀吉を攻める合戦前に言い渡された。ゴクリとツバを飲む隆広。自分に柴田将士の視線が集まる。

「隆広、養父よりもらった大切な名前『水沢隆広』であるが、今日よりそなたは柴田の若殿。柴田姓を名乗ってもらう」

「柴田姓を…それがしに!」

「名も決めた。又佐!」

「ははっ」

 前田利家は勝家が自らしたためた書を評定の間で掲げた。

 

『柴田明家』

 

「柴田…明家…」

「そうじゃ、柴田は代々『勝』の名を受け継ぐ。だがワシはお前に与えし名に『勝』は付けぬ。『明』は孔子の言うところの人間最高の境地。その文字と、ワシと隆家殿双方に共通する『家』の文字を与え『柴田明家』とする!」

「はい!」

「疲れ果て負傷著しい羽柴を見逃しその方、しかしすでに筑前も城に帰り、メシも食えばたっぷり眠っただろう。もう遠慮はいらぬ。討て」

「は!」

「みなも賤ヶ岳での借りを存分に返すがいい」

「「ハハッ」」

「殿」

「なんじゃ明家」

「佐久間様は?」

「…あやつは使わぬ。また全軍崩壊の端になられたのではかなわぬ」

「…恐れながら、柴田明家として用いたいと存じます」

「ならん!」

「殿…」

「ワシはあやつを許さん。結果勝ったとはいえ、あやつのおかげで柴田は滅亡の寸前に至った!」

「…あえて申し上げます。佐久間様とて家臣たちへの手前がありましょう! このまま閉門蟄居を続けていればたとえ自身に落ち度があったとは云え主家の柴田に不満を抱くは必定にございます!」

「ならば、そなたの代になったらいかようにも使ってやれ。ワシは玄蕃のツラも見たくないわ」

「羽柴との最後の戦いは天下分け目、こんな大事な合戦から外されれば佐久間様の怨嗟は決定的になります! 佐久間様が第二の…」

「明家!」

「…!」

「その先は言うな」

“第二の明智光秀となる”と隆広が発しようとしたのは明らかだった。

「話はここまでじゃ。明家よ、先の通りお前が柴田当主となったら、いかようにも玄蕃を使ってやるがいい。じゃがこの戦はまだワシが総大将。命令には従ってもらう」

「はっ」

「この戦い、柴田明家が先陣を務め、ワシは後詰にまわる。全軍! 播磨に出陣じゃ!」

「「オオオオッ!!」」

 

 一方、姫路城。秀吉の元に使い番が来た。

「申し上げます! 柴田軍、柴田明家なる将が先陣で播磨に進攻を開始しました!」

「柴田明家…? 誰だそれは?」

「殿、おそらくは美濃殿かと」

 と、黒田官兵衛。

「ふむ…。柴田姓に名を変え、世継ぎと相成ったか」

 この柴田勢の播磨進攻開始、それは水沢隆広が山陽道で羽柴秀吉を見逃した、わずか十五日後の事である。

「兵数は?」

「およそ二万五千かと」

「ほう、権六めよく集めたな。あの戦の勝利が効いたな」

「殿…」

「言うな官兵衛、もはや我らに二万五千の柴田軍に立ち向かえるチカラはない…。あと一年あればのう…」

「はっ…」

「支城もことごとく柴田に降ろう…。官兵衛、命惜しい者は城から出るように伝えよ」

「それでは…」

「うむ…。美濃に山陽道で見逃してもろうたおかげで、親孝行も女房孝行もできた。それで十分よ」

 

 柴田軍は安土を出陣し、山城と摂津を越え播磨に到着。羽柴の支城を硬軟両面の作戦で落としていく柴田明家。チカラ攻めでは新たに奥村助右衛門に仕えた藤堂高虎が古巣相手に奮戦。見事支城の置塩城を落とした。そしてとうとう姫路城に到着した。すでに藤林の忍びから姫路城の兵数は報告されている。四百名だと云う。明家は姫路城を完全に包囲した。

「どう落とす?」

 と、勝家。

「この堅城、たとえ四百名でも激しい抵抗を受ければ被害甚大。筑前殿一人が腹を斬れば家臣を助けると使者を出そうと思いまするが」

「ふむ…」

「城内には黒田官兵衛殿もおります。どんな手を打ってくるか…」

「分かった、思うとおりやってみよ」

「はっ」

 石田三成はもう覚悟していた。柴田家から羽柴家に帰参した事は後悔していない。しかし自分の帰参に付き合い、この城で共に死ぬ事になろう妻の伊呂波を思うと胸が張り裂けんばかりであった。

 柴田軍が大挙して姫路を占拠したら、いかに柴田軍が婦女子への陵辱を堅く禁じているといっても美貌の伊呂波が敵兵に陵辱されるのは明らかである。城が落ちる時になったら、妻を斬って自分も腹を切ろう、三成はそう考えていた。

「三成様、殿がお呼びにございます」

「分かった、すぐに参る」

 秀吉に呼ばれて、三成は城主の間に走った。

「親父様、佐吉にございます」

「近う」

「はっ」

 秀吉と三成、二人だけであった。

「そちに頼みがある」

「何なりと」

「明智左馬介と同じ事をしてほしい」

「敵陣に当家の宝を渡しに行く…と云うアレですか?」

「そうじゃ。ワシも日向ほどではないが、それなりの茶器や名刀、書画は持っておる。ここに置いてあっては灰になるからな。美濃に届けてほしい」

「承知しました」

「それとな」

「はい」

「美濃個人からワシに書が届いた。『城内にいる石田三成の室である伊呂波は柴田家家臣山崎俊永の娘。嫡子佐吉と共に引き取りたい』とな」

「殿が…!」

「ああ、今では『柴田明家』と云う名前らしい。権六が正式に世継ぎに指名したのであろうな」

「『柴田明家』様、ですか」

「で、どうする?」

「は?」

「ワシはこの返書をまだ書いていない。だがこの好意に甘えワシは城内の女子供すべて美濃に託すつもりじゃ」

「すべての女子供を?」

「まあ、ワシの妻と母は別じゃがな」

「……」

「佐吉、お前も賛同してくれるな」

「…はい、それがしの妻子も殿に託そうと思います。殿ならきっと伊呂波を大事にしてくれますし息子の養育も任せられます」

「ふむ、今ここに又佐が使者として向かっていると聞く。又佐、いや前田利家殿に話はつけておくから、そなたは当家の宝と女子供を連れていつでも美濃の陣に赴けるよう準備しておけ」

「はい!」

 

 かくして前田利家が使者となり姫路城に入った。

「しばらくだな又佐」

「ああ、藤吉郎も元気そうで何よりじゃ」

「降伏を勧めに来たか?」

「そうだ」

「ふふふ、権六がワシを生かしておくはずがなかろう」

「…残念ながらそうだ。お前が備中高松城、鳥取城を攻めた時と同じよ。大将のお前が腹を切れば家臣の命は助ける」

「それは美濃の申し出か?」

「そうだ。だがこの意見は親父さ…いや大殿も了承している」

「分かった。それでいい、ワシが腹を切る」

「藤吉郎…」

「ん?」

「残念だ。お前とは共に…戦のない世の中を作って行きたかった」

「ワシもじゃ又佐、じゃがワシはここまでよ。それまでの男だったと云う事に過ぎぬ。賤ヶ岳で一時は天下様の夢も見られた。美濃の情けで最後に親孝行、女房孝行もできた。悔いはないわ」

 秀吉は覚悟の笑みを利家に向けた。

「人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻のごとくなり…か。ワシの命も露と落ちる。この世の事は夢のまた夢よな」

 秀吉はフッと笑った。すでに覚悟は出来ていた。




原作ゲームでは、最後秀吉が姫路で意地を見せますが、このお話ではとても柴田相手に戦えるはずもなく、ご覧の通りとなっています。


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鬼玄蕃の挽歌

「人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻のごとくなり…か。ワシの命も露と落ちる。この世の事は夢のまた夢よな」

 秀吉はフッと笑った。すでに覚悟は出来ている。

「又佐、昔馴染みのそなたに最後の頼みがある」

「なんだ?」

 前田利家が姫路城から戻ってきた。

「若殿、羽柴秀吉は城と共に自害して果てるつもりとの事」

「分かりました」

 明家の使者、前田利家が去った後に秀吉は石田三成を呼んだ。

「親父様、柴田陣に当家の宝、女子供と共に向かう準備整っております」

「ふむ、佐吉近う」

「はっ」

 そして秀吉は三成に

「茶を点ててくれぬか」

 と要望した。

「承知しました」

 前田利家との要談の後で、季節はそろそろ初夏、そして死を覚悟している秀吉、少なからず喉が渇いていると思った三成は大き目の茶器にぬる目の茶を出した。かつて長浜城下で秀吉と初めて会った時にそうしたように。

「うむ、うまい。もう一杯じゃ」

 二度目の『石田三成、三杯の茶』だった。二杯目は先の茶器より少し小さく、そして少し熱めの茶、三杯目は小さな茶器に熱く濃い茶を点てた。それを美味しそうに飲む秀吉。

「馳走になった。そなたはワシにとって…最高の茶人じゃったわ」

「親父様…!」

「さ、行け」

「はっ」

 

 姫路城から『軍使』の旗を立てて石田三成が出てきた。羽柴家の女子供を連れてきており荷車も引いていた。そこには羽柴家の家宝が載せてあった。明家本陣に訪れた石田三成は柴田明家に平伏した。

「羽柴家奉行、石田三成にございます」

「佐吉…」

「…これなるは羽柴家の将兵らの妻子、そして当家の宝にございます。主君秀吉は当家の妻子たちを美濃殿に託し、そして秘蔵の宝を後々の世に残して欲しいと…」

 三成は秀吉が明家に宛てた手紙も渡した。秀吉からの手紙に一礼して明家は読み出した。そこには宝物の目録と、先に見逃してくれた礼の言葉、家臣たちの妻子を託す言葉が書かれていた。

 石田三成と共に連れられてきた羽柴家の女子供が柴田陣に整然と並んで座っており、彼女たちは敵将柴田明家に平伏。そして一番前で平伏した女が面を上げて明家を見つめる。

「お久しぶりですな、義姉上…」

「…はい」

 竹中半兵衛の妻、千歳だった。今は亡き夫の菩提を弔い剃髪し月瑛院と云う名前である。傍らには半兵衛の息子である八歳の吉助(後の重門)がいる。

「こんな形で再び会おうとは…」

「…お願いです。私はどうなろうとかまいません。息子の吉助には寛大な計らいを…」

「吉助殿は我が甥にございます。お任せ下さい」

 夫の半兵衛は亡くなり、実家の安藤家は滅ぼされ、そして今は主家の羽柴家も。今は息子だけが全ての彼女だった。明家は吉助の視線まで腰を下ろした。

「よく顔を見せてくれ」

「はい」

「…義兄上に似て賢そうな顔だ」

 ニコリと笑い、竹中吉助の肩を抱く明家。

「我が甥として大切にいたす」

「叔父上と呼んで良いのですか」

「もちろんだ。おりを見てオレがお父上から学んだ兵法も伝授いたそう。そのおりは父上の教えと同じく小便を漏らしても中座するでないぞ」

 

 腰をあげると荷車の上に蒲団が敷かれ横になっている女もいた。顔が見えない。

「佐吉、いや三成殿、あの方は病んでいるようだがどなたの細君か?」

「仙石秀久殿の細君、お蝶殿にございます。病んでおられるのではなく今日か明日にでもお子がお生まれに」

「なんと…しかしこちらの陣場に産婆はおらぬ。連れてきたか?」

「ご心配におよびませぬ。我々女衆が取り上げますれば」

 と、月瑛院。

「そうですか、良かった…」

 その時だった。

「父上を返せーッ!」

 平伏している女たちの中で、一人明家が近づいてくるのを待ち、懐に忍び込ませていた小刀を握り、そして襲い掛かった女童、山内一豊の娘与禰姫だった。あれほど明家を慕っていた与禰姫が復讐の刃を向けてきた。

 しかし、その殺気を明家は読み取っていた。襲い掛かってくる瞬間も分かったのか与禰姫の身長に合わせて腰を下ろし、腕で与禰姫の憎悪が込められた小刀を受け止めた。出来たのはかすり傷であるが、女童が渾身のチカラを込めて父の仇を取ろうとした一撃である。柴田本陣は騒然となった。

「母親は誰か!」

 与禰の行動に激怒した兵が女たちに怒鳴った。一人の女が小さな声で答えた。

「あ、あの荷車に寝ている女が…」

 憤然としてその荷車に詰め寄る兵。それを止めた明家。そして静かにその荷車に近づく。与禰は荷車の前で通せんぼし泣きながら

「母上に近寄るな!」

 と怒鳴った。しかし明家は見た。横になっていたのは千代だった。

「千代殿か…」

「……」

 千代は痩せ細っていた。夫、山内一豊の死から立ち直れず、ずっと伏せていた。ロクに食事も受け付けられず、骨と皮だった。

「なんてお姿に…」

「お怨みいたします…」

 痛々しいほど細くて小さな声だった。

「……」

 戦場で死ぬは武士の誉れ。しかも一豊は鉄砲の弾や弓矢ではなく、敵の総大将とも云える水沢隆広と堂々の一騎打ちで死んだのだ。千代とて武士の妻、戦場に夫を送り出す時に覚悟はしていたものだ。だが今まで自分の横で微笑んでいた最愛の夫が死んだのだ。武士の妻なのだから嘆き悲しんではいけない、などと云う美辞麗句で片付けられるものではない。悲しみに明け暮れ、ついに床に伏せる有様だった。

「人殺し…! 一豊様を返して…!」

 その言葉につられるように、羽柴の女たちからすすり泣く声が聞こえた。

「怨むなら…チカラを持ち我を討たれよ。山内家を再興し、我を討たれよ」

「……」

「夫の死に耐え切れずその有様、一豊殿が見たら嘆かれよう。それでもこの一豊の妻かと!」

「……」

 悔し涙を浮かべて明家を睨む千代。

「体を厭われよ。生きてさえいれば…夫の無念も返せまする」

 そして与禰を見る明家。悔し涙を小さい瞳いっぱいに浮かべる与禰姫。明家は与禰姫の視線に合わせて腰を下した。

「与禰姫殿、お父上は強いお方でした。だからそれがしも全力で戦いました。それがしが勝てたのはたまたま武運があっただけの事」

「……」

「与禰姫殿のお父上と堂々の一騎打ちをした事、それはそれがし一生の誇りにございます」

(美濃殿…)

 明家の言葉が心に突き刺さる千代。

「一豊殿は死の直前に『与禰を頼む』とそれがしに申された。そしてそれがしは承知してございます。これからはそれがしが与禰姫殿の父にござる。ですが父上を討った男が駄目な男と見た時には、いつでもそれがしをこの小刀で突き殺しなさい」

 小刀を与禰姫に返した明家。

「ホントにいいんだね。父上をいくさで討った男が駄目男と知ったら、姫は水沢様を刺し殺しちゃいます」

「いいとも」

 明家はニコリと笑った。この羽柴家子弟の中から、竹中重門、加藤貞泰、蜂須賀至鎮、浅野幸長と云った武将が育ち、明家の子、柴田勝明を支える事になるのである。

 

 羽柴家の女子供と、そして宝物が明家陣に無事に渡されたのを三成は見届けた。女たちの中には彼の妻である伊呂波もいる。『殿なら伊呂波を大事にしてくれる、きっと良い婿を見つけてくれる』と安堵した。伊呂波は三成と離れるのをイヤがり、涙を浮かべながら三成を見つめていたが他の女たちに松山矩久の案内する柴田陣の別陣に連れて行かれた。

「お前さま―ッ!」

 三成はそれを見ず答えず、黙って見送った。無事に戻ってきた娘を見て涙を浮かべる舅の山崎俊永。三成は舅に一礼し、明家に向いた。

「それでは美濃殿、それがしはこれにて」

「…? どこへ行く?」

「それがしは姫路に戻り、主君秀吉と最期を共にする所存」

 その言葉に明家と前田利家は顔を見合わせた。

「…三成、そなた藤吉郎から何も聞かされていないのか?」

「は…? どういう意味ですか前田様」

「そなた…羽柴家から暇を出されているのだぞ」

「な…!」

 明家は秀吉からの手紙に添えられていた三成宛の手紙を渡した。それを取り、急ぎ読む三成。

『佐吉よ、だました形で済まないがそなたは柴田家に再度帰参し美濃に仕えよ。ワシはここまでだが、若いそなたが付き合う事はない。美濃は天下人になれる資質を持っているが、あまりにも優しい性格をしている。人としてはそれでいいが武将として、それが時に大きな枷となることもあろう。山陽道でワシらを見逃した事でそなたもそれが分かる。あの性格では徳川家康に対するのは難しい。

  だから佐吉、そなたは生きて美濃に仕えよ。そして汚れ役と憎まれ役を買って出よ。たとえどんなに美濃に忌み嫌われようと、卑劣漢と罵られようと美濃を勝たせるために。天下を取らせるために。良いな佐吉』

 

「お、親父様…! 佐吉に卑怯者になれと! 一度離れた柴田家にどうして戻れましょう! 佐吉は親父様と共に死にまする!」

 手紙をにぎり、脱兎のごとく姫路城に駆け戻ろうとする三成。

「よせ三成! 藤吉郎は三成が帰って来ても城には入れぬと言っていた! 主人の最後の命令、いや願いを聞きわけよ!」

 前田利家の言葉に立ち尽くす三成。

「藤吉郎、犬千代と呼び合った仲のワシからも頼む…。あいつの最後の願いを聞いてやってくれ。藤吉郎は自分にできなかった夢をお前と若殿に託したのだ!」

 三成は膝を屈し、手をつき姫路城に平伏し泣いた。

「親父様…!」

 泣き伏せる三成に歩み寄る明家。明家は秀吉が書いた羽柴家家宝の目録、その最初の名を見せた。

「見ろ佐吉…」

「…?」

 羽柴家の宝物、その筆頭には『石田三成』と書かれてあったのである。

「親父様…! それがしごときを家中で一番の宝と申してくれるのですか…!」

 三成は目録を握り締めて泣いた。

 

 だが同時に、柴田の陣に驚愕的な報告が届けられた。早馬で来た使者は血相を変えて明家本陣に来た。すぐに会った明家。

「も、申し上げます!」

「どうした?」

 

「佐久間玄蕃允! 謀反にございます!」

 

「なんだと!」

 柴田陣に戦慄が走った。

「金沢城より挙兵! すでに越前、北近江を突破し、安土に向かっております!」

 北ノ庄城主、毛受勝照は使者の肩を掴んで問い詰めた。

「越前が突破されたと? 留守を任せた弟の家照は何しておった!」

(史実では毛受勝照と家照は同一人物。史実の勝照は毛受家の次男であり賤ヶ岳の合戦にて兄の茂左衛門と共に殿軍を務めて討ち死にする。だが本作では勝照を長男として、勝照の旧名家照を彼の弟として書く)

「ほぼ、素通りにございます! 玄蕃允は今回の羽柴攻めの後詰を受けたと偽りの大殿の文書を作り、それで越前は素通りに! ご舎弟の家照様はしばらくして偽の文書と気付き追撃し、府中の前田利長様、利政様ご兄弟、龍門寺城の不破光重様と挟撃作戦を立てましたが蹴散らされたとの事!」

「百戦錬磨の玄蕃! 倅たちには荷が重かったか…!」

「感心している場合か又佐殿! まったく何たる事だ! 北ノ庄は!」

「佐久間勢は城取りには目もくれず、安土に向かっています! 長浜、佐和山は城代あずかりの直轄城! ほぼ無人の野で安土に到達できてしまいます! おそらくは大殿と若殿の家族を人質に取るつもりかと!」

「バカな! そんな事をしても殿とオレの双方の首を取らない限り謀反の成功はおぼつかない! いかに安土を押さえたとて畿内中の勢力が一斉に襲ってくれば勝機は無い! そんな事佐久間様とて分かっているはず! なぜだ!」

「それを覚悟の上で、叛旗を翻したかと」

「どういう事か助右衛門」

「柴田家当主に殿がなれば、殿に色々と辛く当たった自分に未来はないと。賤ヶ岳でも失態を犯して大殿に見限られた自分に柴田家での居場所はないと、ならばいっその事と…」

「なんたる事だ…! 助右衛門…オレは佐久間様を厚遇するつもりだった! 確かに色々と言われなき仕打ちは受けたが、逆に『今に見ていろ』と感奮して仕事に当たり手柄も立てられた! 恨みになど持つものか!!」

「それは勝者の弁ですな殿」

「慶次…」

「勝って、玄蕃殿より上の立場になったからこそ、そんな気持ちにもなれる。だが玄蕃殿は敗者となった。ゆえに一か八かの勝負に出て天下を狙うのも男の生き様にございます。勝ち負けではなく立たざるを得なかったのです。今、柴田の主力は播磨にあり畿内は手薄。まさに絶妙の間合に叛旗を翻しましたな」

 直後、明家は勝家に呼ばれた。急ぎ駆ける明家。

「聞いたか玄蕃の謀反を!」

「はい!」

「ワシは反転して安土に向かい、玄蕃と対する。そなたはこのまま筑前と対していよ。良いな!」

「はっ!」

 柴田勝家は手勢を連れて大急ぎで安土へ返す準備を始めた。

  そしてこのころ佐久間盛政謀反の知らせは安土にも届いていた。しかし明家の屋敷には届いていなかった。さえは父の景鏡の位牌に夫が柴田勝家の実の息子であり、そして後継者に指名された事を報告していた。

「父上、あの人が次の柴田家の当主と選ばれました。何だかウソのようです」

「奥方様―ッ!」

 八重が血相変えてやってきた。

「どうしました伯母上」

「さ、佐久間様がご謀反!」

「え、ええ!?」

「真っ直ぐに安土に向かっているとの知らせです! 知らせに来たお城の兵の話によると御台様(お市)と奥方様を人質に取ろうと云う魂胆だと!」

「御台様と私を!?」

「大至急、城に入れと御台様が!」

「しょ、承知しました! 伯母上はすずを連れて出て下さい! 監物は竜之介と福、私は鏡と鈴之介を!」

「はい!」

 さえは夫明家のいる西方を見つめた。

「殿…。万が一にも私が佐久間様に捕らえられても言うとおりになどなってはなりません。私とて武士の妻…。虜囚の辱めは受けませぬ」

 さえは自決用の小刀を懐にしまい、安土城へと向かった。

 

 佐久間盛政謀反の原因は諸説色々とあるが、やはり明智光秀と同様に怨恨説が有力である。

 彼が加賀領主として国入りした時、内政と民心掌握の基盤を作ったのは柴田明家であった。盛政にはそういう能力が欠落していたため、その後の政務はとうてい明家に及ばず、領内の民百姓が『水沢様が領主なら』と話しているのを噂で幾度も聞いている。

 賤ヶ岳の戦いでは主家を滅亡寸前まで追いやった失策。それを逆転まで持っていったのも明家で、そしてその後の羽柴攻め出陣前に自分の参陣を勝家に懇願したのも明家。みじめだった。たまらなくみじめだった。

 柴田明家自身には悪意はないだろう。いやむしろ悪意がないからこそ始末に負えないのかもしれない。柴田明家の欠点はこういう優しさがどれだけ人をみじめにするか分からないと云う点がある。父の勝家が何度も戒めた事でもあるのに明家の持つ生来の温和な気質がまんまと裏目に出た。

 佐久間盛政が謀反に及ぶと家中に述べた時、反対意見がかなり出た。主君盛政に謀反後の展望があまりになかったからであるが、あの智将明智光秀でさえ謀反成功後の処理には政治的な根回しがなく穴が目立つ。

 とどのつまり怨恨による謀反はこういう事なのかもしれない。一時の感情に流されて自分に仇なすものを駆逐し、その後に滅亡の道を歩んだものは枚挙に暇がなく、逆に一時の感情を胸に留めて自分を仇なす者にも徳と礼を持ってあたり、それが幸いして栄光を掴んだ者もいる。盛政は前者で明家は後者かもしれない。だが、たかが一時の感情、されど一時の感情である。それが時に歴史も動かす。

 同じく柴田家中で『隆広嫌い』と目されていた佐々成政は佐久間盛政の蜂起を聞いてどう思っただろう。

「やりおったか玄蕃…」

 盛政居城の金沢城の方角を見る成政。佐々成政は長きにわたり水沢隆広と不仲であった。しかし隆広が柴田勝家の子と聞き、彼の中で何かが変わった。

 成政は織田信長の命令で柴田勝家に組したが、武辺の者同士、勝家と成政はウマが合った。このまま権六殿に付き従うのも悪くないと心より思っていた。

 また自分を黒母衣衆筆頭に取り立ててくれた信長への忠誠心はかなりのものであり、その妹である勝家の妻お市。成政は主人の妹姫として大切に敬った。隆広はそのお市の息子で、勝家の子でもある。まぎれもなく成政の主筋である。実子がおらず、そして勝家の高齢から柴田家の行く末はどうなるのかと案じていた成政だが、実は柴田家には優れた若殿がいたのだ。

 成政は思った。このままつまらん反目を続けていても始まらない。それ以前に隆広を頭から嫌う自分を苦々しく思っている水沢家臣団が許さない。佐々家は次代の柴田家に取り潰される危険もありうる。佐々家の安泰のため、やはり隆広に頭を下げる時が来るだろうと悟った。

 しかし臣従しているフリでは見抜かれる。何よりそんな心構えでは良い働きも出来ない。やはり誠忠をもって仕えなければダメだと思った。性格の甘さは気にかかるが才覚に文句は無い。伊丹城攻め、小松城攻めで隆広の軍才は見ている。不覚にも『こんな息子がオレにおったら…』と思った成政。

 そして賤ヶ岳での電撃的な援軍を見て、その誠忠は本当のものとなった。山陽道で羽柴秀吉を見逃したと聞いた時、成政は豪快に笑い

『何ともありがたい、あやつ賤ヶ岳でいいように筑前にやられたワシらに筑前の首を残しておいてくれたわ』

 と言った。武人肌の成政、勝家や利家と同じように、この秀吉をあえて見逃した行動に何かを感じたかもしれない。そしてこの日より数日後、安土城評定の間で成政と隆広の和解が成った。

 

 佐々成政はこのまま柴田家で重きを成すが、佐久間盛政にそれは能わなかった。

 しかし佐久間盛政の謀反は当の佐久間家にも反対意見が多かった。柴田勝家、明家親子が本拠地を留守にしている好機を逃したくなかった盛政は時間のかかる反対派の懐柔をあきらめて幽閉し挙兵した。

 柴田勝家と明家の親子は外見が全く似ていないが共通点が一つある。それは猛烈なまでの愛妻家と云う事である。双方の正室のお市とさえ、そして子供たちを人質に取れば攻める事はできない。その上で要塞の安土城をとれば、たいていの大軍は撃破できる。

 だが、安土へあともう一歩と云うところで、この計画は頓挫する事になる。この佐久間盛政謀反は意外な結末を迎えたのだった。

 安土に戻りかけた柴田勝家はその準備を取り止め柴田明家の本陣、姫路城包囲陣までやってきた。勝家を出迎える明家。

「殿…」

「参れ、始めるぞ」

「承知しました」

 

「大殿、若殿の、おなり!」

 柴田勝家、明家の主なる将兵がズラリと並び、陣幕をはらい入ってくる二人の主君に頭を垂れた。勝家と明家が並んで床机に座った。そして勝家、

「面を上げよ」

「「はっ」」

「もはや秀吉は抵抗せず姫路の城と共に炎と果てるとも言ったと云う。ワシと秀吉は仲が悪いが、この期に及んであやつの最期を邪魔する気はない。柴田軍一同、羽柴筑前の最期を見届けてやろうではないか」

「「ははーッ!」」

「だが、その前にする事がある。反逆者の佐久間盛政をこれに」

 

 佐久間盛政は体中をがんじがらめに縛られ、柴田本陣に連行されてきた。佐久間盛政は安土のある南近江に突入する寸前、部下の裏切りにあった。盛政の謀反は当然、畿内と濃尾に勢力を構える柴田の友好大名の耳にも入った。すぐに蒲生氏郷、筒井順慶、滝川一益が安土に向かう戦支度を始めた。

 これは盛政にも意外だった。柴田家はまだ賤ヶ岳の論功行賞を行っておらず、援軍大名に何の恩賞も与えていなかった。先の大戦の恩賞がなければ動くはずもないと考えていたが、ここで柴田の本拠地を謀反人に取らせて勝家と明家を陸(おか)の上の河童にしたら、その恩賞をくれる相手がいなくなる。

 佐久間盛政はこの三将と戦うつもりだった。しかし部下たちは反対した。安土に到着する前に無駄な野戦はせずに安土でお市とさえの身柄を確保すれば、蒲生、筒井、滝川の三将とて何もできない。まず安土に向かい、柴田親子の正室と子供たちを押さえる事が第一と言ったのだ。しかし盛政は戦う決断をした。

 この決断が部下の離反を呼び、盛政はスキを伺っていた部下たちに取り押さえられてしまった。自分たちで首を取ってはいらぬ誤解を招くので、柴田親子に降伏を告げ、その上で盛政に処断を受けさせようと思ったのだった。

 檻車に乗せられ、姫路本陣まで連れられて行く盛政のこの時の気持ちはどんなものだったのだろう。

 姫路本陣に到着し、がんじがらめに縛られた佐久間盛政。怒り心頭の柴田勝家が待つ場に静かに歩いた。そして勝家と明家の前に盛政は座らされた。両脇に並ぶ将兵も盛政を見る。盛政は静かに勝家と明家を見据える。

「殿の御前だぞ、平伏せんか!」

 毛受勝照が怒鳴る。

「なぜ頭を垂れる必要がある。その男はもう伯父でもなければ主君でもない」

「鬼玄蕃とも言われたあなたが、なぜこんな目に遭う前に自害しなかったのか」

 可児才蔵が訊ねた。

「源頼朝は大庭景親に敗れた時、木の洞に隠れて逃げ延び、後に大事を成したではないか。再起をあきらめなかっただけよ」

 才蔵は一言もなく、そして他の柴田諸将は心の中でうなった。そして勝家が静かに訊ねた。

「…理由を聞かせよ、盛政」

「今さら言う事は何もござらぬ。ただ一つ言うのならば…」

「言うのならば?」

「オレとてこの乱世に生を受けた武将、天下を狙って何が悪うござるか」

「愚かな…! 明智光秀がどんな最期を遂げたか見ていなかったとでも? 結局裏切り者は無残な末路を歩むと!」

「歴史は勝者のみが紡ぐ金糸、勝ちさえすれば裏切りも正当化される。隆広の論法で言えば『唐土の劉邦は和議直後に項羽を追撃したが、勝ったからそれは正当化された』とでも言いましょうか。だがオレや光秀には劉邦と同じ風が吹かなかった。ただ運がなかった。それだけでござる」

「…盛政!」

「さあ、もはやこの上の答弁は無意味にござろう。首を刎ねられるがよろしかろう」

 透き通った目だった。もはや覚悟を決めている盛政の目だった。勝家ももはや問答はいらぬと思ったか厳しく処断した。

「謀反人、佐久間盛政の首を刎ねい!」

 兵が盛政を立たせた。そして連行され刑場に歩いた。我慢しきれなくなった明家が

「佐久間様!」

 と叫んだ。静かに盛政は振り向いた。盛政は初めてこの時、明家に対して笑顔を見せた。

「なんだ隆広、嬉し泣きか? うっとうしい先輩が消えて」

「そんなんじゃありません! 上手く言えないけど、何か悲しくて…!」

「悲しむ事などない、こちらに運があったら、オレはお前の恋女房を人質に取っていた。あざ笑え、今のオレを」

「佐久間様…」

「だが不思議だな、オレはこの人質作戦が失敗して何故かホッとした。ふふ…」

「……」

「隆広、オレはお前が大嫌いだ。だが才は認めている。天下の才だ」

 初めて佐久間盛政は柴田明家を褒めた。汚れも何もない、澄んだ笑顔で心から褒めた。

「さ、佐久間様…」

「隆広、立派な柴田家当主になれ。そして天下を取れ」

「て、天下…!」

 フッと盛政は微笑み、刑場に向かった。佐久間盛政は刑場の露と消えた。盛政は死の直前、硯を乞い辞世を書いた。

『世の中の廻りも果てぬ小車は 火宅の門を出づるなりけり』

 そして最期、

「しょせん、夢である」

 と述べ、平然と首を打たれたのである。天下人になる事だったのか、それとも柴田明家のよき家臣になる事だったのか。盛政の言った“夢”とは佐久間盛政にしか分からない事であった。

 

「ワシは秀吉と、お前は盛政と…。味方でありながら敵も同然の間柄。それが分かり合えるのが一方の死ぬ時とは…因果な生き物よな武将とは…」

 佐久間盛政の首に手を合わせる柴田勝家と柴田明家、他の柴田将兵も合掌した。

「ワシが責任じゃ…。明家の申すとおり玄蕃をこの戦いに加えてさえいれば…かような仕儀には至らなかったろう。一つの過失で玄蕃のすべてを否定したワシ、君主失格じゃ…」

「殿…」

「ワシのような狭量な当主になるなよ明家…」

「……」

 無念の涙を落とす柴田勝家。

「殿…佐久間様は初めて…オレを褒めてくれました」

「嬉しかったか?」

「はい、とても」

「そうか」

 佐久間盛政には意外な話も残っている。盛政の機嫌を取ろうとした小賢しい家臣が水沢隆広を罵った。その家臣は盛政が喜ぶと思って話し出したが盛政は隆広の悪口を聞いて喜ぶどころか激怒したのだった。

「オレと隆広は不仲だが、オレはアイツの才は認めている。小賢しくも主人と不仲な者を罵り機嫌を取ろうなんて小者は鬼玄蕃の家臣にはいらぬ! 出て行け!」

 認めながらも素直になれない武骨な彼らしい話と云えるだろう。

 

 柴田勝家はこの後に、佐久間盛政を裏切った家臣に容赦しなかった。『主君を敵に売るなど恥を知れ』と問答無用で斬ったのである。主君の身柄を敵に売り渡しながら、恩賞を欲しがった姿勢に勝家は激怒したのである。

 断固たる厳しさをもって、家中の風紀を引き締めた勝家だった。当の相手である姫路城内の羽柴勢にも佐久間盛政の謀反の情報は入っていた。黒田官兵衛の密偵が柴田陣中に潜んでいたからである。しかし四百の兵数では柴田の大軍相手に佐久間勢と共謀して挟撃もできなかったろう。

「そうか、せめてあと五千の兵が…いや、それはもう言うまい、のう官兵衛」

「そうですな、しかし敵陣が妙に騒がしいと思えばそういう事でしたか。ですが解せぬ謀反にござりますな。とうてい成功などおぼつかぬ挙兵に」

「玄蕃は最初から自分の謀反が失敗する事は分かっておったろう。滅びたかったのかもしれぬ。権六には賤ヶ岳の失態で冷遇され、美濃に世代が変わっても過去の経緯から冷遇され…いや玄蕃は美濃が過去のしこりを忘れて自分を重用すると云う事は分かっていたのかもしれない。

 だがむしろそれが…自分には耐えられないと思ったのだろう。過去を忘れ、自分を重用せんとする、かつてひどい仕打ちをした小僧の笑顔。自分がその笑顔に対する資格なしと考えたかもしれぬ。そんな状況の中で生き続けるより戦って滅ぶと云う事。滅びの美学か、以前のワシなら分からん事でもあったが、今は何となくだが分かるわ」

「殿…」

「さ、権六の陣も降って湧いた騒動が落ち着いたころじゃろう。せっかくこの城を炎に包むのだから、ちゃんと注目してもらわないとな。あはははは!」

「はっ、さぞや美しく夜空を照らすにございましょう」




im@s天地燃ゆでは明家と盛政の和解が成るのですけどね。私も柴田明家の重臣として八面六臂の活躍をする鬼玄蕃殿を見たかったです。


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夢のまた夢

 姫路城城主の間。秀吉はつぶやいた。

「こんなに早くあの世に行って…ワシに『再起を』と願って死んだ虎(清正)と市松(正則)には合わせる顔がないのォ」

「合戦で大将首を取られては武士の恥であり…そして我が子同然に育ててくれた殿にみじめな最期を遂げて欲しくないと思い、逃がしたのでしょう。再起が叶わぬ事も分かっていたと存じます。柴田がそんな時間を与えるはずがございませぬ」

「ふむ…」

「“どうせ果てるなら城と共に”再起をと叫びながら二人はそう言っていたかもしれません」

 黒田官兵衛の考えは当たっているかもしれない。再起を果たせるほどに羽柴が受けた打撃は浅いものではなかった。長篠の戦いにおける武田家以上の修復不能な大打撃である。

 また秀吉は播州人ではない。織田家からの侵略者である。川に落ちて溺れかけている犬も同然の羽柴に誰が味方に付くであろうか。秀吉の財はまだ十分な蓄えがあったが兵力の補充はほとんど成されていない。あまりに時間がなかった。秀吉に必要なのは財ではなく、何事も起きない時間だった。しかし柴田勝家はそれを与えなかった。

 黒田官兵衛が言った清正や正則に“どうせ果てるなら城と共に”と云う意図があったのかは分からない。しかし賤ヶ岳の戦いにおいて、一度は羽柴軍に敗れた柴田勝家が毛受勝照から同様な言葉を受けて北ノ庄城に引き返したのも何か不思議な巡り会わせであった。主君を思う心に柴田も羽柴もないと云う事か。

「子供と思っていたが…見事なもののふになっていたな」

「あの世で会われたら、お褒めあそばすよう願いまする」

「そうしよう、ふははは」

 そこへ大谷吉継が呼ばれてやってきた。

「お呼びでしょうか」

「ふむ、そこへ座れ」

「はっ」

「さて、官兵衛と平馬が揃ったところで申し渡す事がある」

「「はっ」」

「その方ら、城を出て美濃に仕えよ。美濃には書状でその旨を伝えてある」

「な…!」

「親父様!」

「まあ聞け、そなたらは『命惜しければ城を出て柴田に降れ』と云うワシの下命も聞かず、城に留まった。筑前嬉しく思う。ワシのような至らぬ主人に今まで仕えてくれたばかりか、最期も共にしてくれると云う気持ち、涙が出るほどに嬉しい。じゃがの、そなたらの才はこの城と共に燃やすのは惜しい。そう思ったから佐吉には暇を取らせ城から出した。

 賤ヶ岳で柴田は多くの人材を失った。権六は無論、美濃も頭を抱えていよう。兵は揃えられても将はそう揃えられるものではない。柴田の次代当主は美濃。美濃とワシは敵同士になったとはいえ因縁浅からぬ間柄。ワシはそなたらを美濃に預けたいのじゃ」

「殿、美濃殿の智謀知略はこの官兵衛を凌駕しております。それがしなど役には立ちますまい…」

「それは違うぞ官兵衛」

「は?」

「才の優劣ではない。美濃は合戦では大将と参謀、政治では君主と宰相の才能を兼備しておるが当主が優秀すぎるのも考えものなのじゃ。合戦も政事も美濃が陣頭指揮を取れば良い成果は出よう。しかしそれでは家臣たちは当主に頼りきりとなろう。三国志の英雄、諸葛孔明がよい例よ。かの者は優れ過ぎたゆえ、いつしか周りには孔明の命令なくば動けない者ばかりとなってしまった。優秀すぎる美濃は遠からず指示待ち家臣ばかり増やすことになろう。そして美濃亡き後、この国は蜀と同じ運命を辿る。それでは天下を取る意味がないわ。美濃はこれからナマケモノにならなければならぬのじゃ」

「ナマケモノ…」

 と、吉継。

「そうじゃ、ボケる事を覚えなくてはならぬ。家臣たちに任せ、その家臣たちを使いこなし、最終的責任だけは取る。家臣の失敗も自分の責任として、自分で功を取ってはならぬ」

「殿…」

「じゃが武ならともかく、智においては美濃が安心してボケられる家臣が今の柴田におらん。だから佐吉やそなたらを美濃にくれてやるのじゃ」

「一つ聞いて宜しいですか」

「なんじゃ平馬」

「どうして…敵将の美濃守にそこまで…」

「…官兵衛にはいつか話したな。岐阜の城下での酒場の話を」

「はっ、やはりお話に出てきた小坊主殿は美濃殿にございましたか」

「そうじゃ」

 秀吉は再び語った。幼き日の柴田明家との出会いを。

 

 織田家で頭角を出してきた木下藤吉郎。しかしその働きは古参の不快を招き、ついには信長秘蔵の脇差が紛失した時、それを盗んだのは藤吉郎と讒言された。

 墨俣の築城などで信長の評価高く、階段を駆け上がるが如く出世していた彼には周囲の妬みが渦巻き、藤吉郎はいいかげん嫌気が差していた。そんな時に盗人呼ばわりである。藤吉郎はヤケになり岐阜城の城下町で酒をあおった。そして酔って発した言葉が

『くそったれ! 今に一国一城の主になってやる!』

 酒場はドッと笑いに包まれた。藤吉郎はうだつの上がらぬ小男の風体。サルかネズミのような変な顔。酌婦に至るまで腹抱えて爆笑していた。さらにみじめになった藤吉郎。

(ちくしょう、今に見ておれ!)

 と、大杯で酒をあおる藤吉郎。だが一つの視線に気付いた。父親の酒を買いにきたのだろうか、四歳か五歳くらいの坊主頭の小さな僧侶が目を輝かせて自分を見ていた。

『…?』

 その小坊主は藤吉郎に駆けてきて、目をランランと輝かせて言った。

『すごいや、おじちゃん! その時は家来にしてよ!』

 本気で言っている顔だった。逆に面食らった藤吉郎。そして嬉しくなった。

『おお! 家来にしてやるぞ!』

『やったあーッ!』

 小坊主が気に入った藤吉郎は自分の卓に座らせた。腹が空いていたのか小坊主は藤吉郎のフトコロ具合など無視してメシをバクバク食べる。

(いい食いっぷりだ…。賢そうだし、オレにこんな息子がおればなあ…)

 しばらくして藤吉郎はその小坊主にグチを垂れだした。我ながら少し情けない。酔ってグチ言える相手が初対面の小坊主とは。だが小坊主はイヤがらずに聞いた。

『というワケでな、オレは周りの無能者たちに妬まれて、信長様秘蔵の脇差を盗んだ犯人にされてしまったんだ! ああ悔しい…!』

『おじちゃん、その脇差ってお金になるの?』

 頬に麦飯の粒一杯につけながら小坊主が訊ねた。

『ん? そうだな、売れば五十貫にはなるかもしれんな』

『だったらさ! この町の武器屋さんにその脇差を売りに来たヤツがいたらオレに教えてくれと頼んでみればいいじゃないか! それでおじちゃんに悪い事を押し付けたヤツが捕まえられるよ!』

 藤吉郎は持っていたお猪口をカランと落とした。

『お、お前天才か?』

『やったあ褒められた! 岩魚注文していい?』

『ああ、どんどん食え! あっはははは! おっとまだ名前を聞いてなかったな。オレは木下藤吉郎だ』

『オレは竜之介!』

『ほう、勇ましい名前だな! あっははは!』

 秀吉の話が終わった。聞き入っていた吉継は無念に目を閉じた。

「よもやその小坊主が…家来どころか親父様最大の敵となるとは…!」

「ワシも想像もしていなかったわ。ふっははは」

「殿…」

「官兵衛、ワシはあの幼い家来に主人として何もしてやる事ができなかった。何より山陽道で我らを討てながら見逃してくれた。権六にはずいぶんと叱られたであろう。羽柴家当主としてあの義には報いねばならぬ。佐吉と共に竜之介を助けてやってくれぬか。あやつはそなたの命の恩人でもある。頼まれてくれぬか」

 黒田官兵衛は姿勢を正し、そしてゆっくりと頭を垂れ

「承知いたしました」

 そう短く答えた。

「平馬はどうか?」

「親父様を討った男が三流の君主にならぬよう…しかと目を光らせます」

「うん! ようワシのワガママを聞いてくれた! 礼を申すぞ!」

「「ハハッ」」

「ふむ、では官兵衛、平馬」

「「ハハッ」」

「これまでの働き、大義であった」

「「ハハッ!」」

 平伏しながら黒田官兵衛と大谷吉継の目には涙がこぼれていた。

 

 簡素であるが佐久間盛政の葬儀をしていた柴田陣。羽柴家から暇を出された石田三成はしばらく放心状態であったが、柴田明家に仕える事が主君秀吉の下命であり、そして明家も自分を必要としてくれるならと気を取り戻し、再び『歩の一文字』の旗の元に参ずる事を明家に約束した。佐久間盛政の御霊に手を合わせ、三成は明家に訊ねた。

「殿」

「なんだ?」

「佐久間様のご謀反の理由は何と思われますか」

「分からん…。怨恨、野望、そんな事で片付けたくはない。オレが一生を賭けて考えなければならぬ事なのだ」

「親父様が信孝様を討った事も…そのように考えていただければ嬉しゅうございます」

「そうだな」

「申し上げます」

 使い番が来た。

「どうした」

「姫路城より、黒田官兵衛殿と大谷吉継殿が投降してまいりました」

「分かった、会おう」

 柴田明家が黒田官兵衛、大谷吉継の待つ陣所に来た。官兵衛と吉継は深々と頭を垂れた。ゆっくりと明家は二人の前に腰を下した。石田三成も訪れ、官兵衛と吉継の後に腰を下した。

「体調はもう良いようですな官兵衛殿」

「はっ」

「それと…貴殿が大谷平馬殿か」

「はい」

 山陽道では背中越しにすれちがっただけ。初対面と云えるだろう。柴田明家はしばらく吉継を見つめていた。

「なるほど、以前に佐吉がそなたを自分の自慢のように話していたが…間違いなかったようだ」

「恐縮にござる」

「我ら両名、羽柴筑前守の遺命により美濃守殿にお仕え申す」

 と、黒田官兵衛。

「ありがたい、まだ修行中の身で筑前殿に比べれば頼りないところもあろうが、長い目で見ていただきたいと思う。官兵衛殿、平馬殿」

「「はっ」」

「そして佐吉」

「はっ」

「最初は羽柴様の遺命だから仕える、と云う理由でいい。もっと自己の研鑽に励み、柴田家の当主として相応しい男になり、そなたらより本当の誠忠を得られる君主となろうと思う。しかしその過程段階でもそなたらの協力は必要だ。頼りにしているぞ」

「「ハハッ」」

 

 この頃、柴田の陣では仙石秀久の妻の蝶が出産の時にあった。出産が近づきつつある最近、蝶は体調を崩していた。夫の秀久が戻らない寂しさも手伝っているのだろう。だから蝶の周りの女たちは彼女にウソをついた。

 仙石秀久は重傷を負ったが柴田軍に保護されて安土にいると。秀久個人には当主柴田勝家をはじめ、若殿柴田明家、重臣可児才蔵と云う柴田軍幹部に友誼のある知己もいるため、敵将とはいえ手厚く保護され治療を受けていると。蝶はそれを信じていた。蝶はこの時三十二歳、当時としては遅い初産である。夫秀久の喜ぶ顔を頭に浮かべ、地獄の苦痛の中で夫が死んでいると知らぬまま、新しい生命を生むために戦っていた。ただ夫の『よくやった』が聞きたくて。喜ぶ顔が見たくて。

 

 夜になった。秀吉が城に火を放つと明言した刻限も近い。後詰の柴田勝家は先陣の明家の陣に訪れ床几場を構えた。共に羽柴の滅亡を見届けるためだ。

「オギャア、オギャア」

「ん…?」

「殿、どうやら仙石権兵衛殿の子が生まれたようです」

「ほう、そうか権兵衛の! 『丈夫に育てよ』と言い残した権兵衛の言葉を伝えなければならぬ」

 生まれたばかりの子を抱き、竹中半兵衛の妻、月瑛院が勝家と明家の元に来た。

「義姉上、お疲れ様でございました。赤子は…」

「姫にございます」

「おうそうか! 権兵衛のダンゴっ鼻が似なければ良いがの! どれどれ」

 月瑛院から赤子を渡され、丁寧に抱く勝家。

「おう、めんこい姫じゃ。お父上のような強き子となられい」

 よほど勝家は仙石秀久を買っていたらしく、まるで孫娘を抱くようだった。

「蝶殿は大丈夫でございますか?」

 と明家が訊ねると月瑛院は涙を落とした。

「亡くなりました…! 遅い初産でありましたし出産前から体調も悪く…!」

「なんじゃと!?」

「夫の権兵衛殿の死を知らぬままに…!」

「なんて事じゃ…」

「恐れながら」

「なんじゃ才蔵」

「その姫、可児家にて育てたいと思います」

 可児才蔵と仙石秀久は柴田と羽柴に別れていても、敵味方を越えた友である。友の子が孤児となったのなら、自分が父親となろうと思っても彼の性格なら不思議ではない。彼と妻の間にはまだ子がいなかったのでちょうどいい。

「あい分かった、ただワシを名付け親にしてくれ」

「はっ」

 赤子を月瑛院に渡す。

「明家、筆と半紙を」

「はっ」

 勝家は半紙にスラスラと姫の名を書いた。

「これじゃ、命名『姫蝶』とする。『姫路』と母親の『蝶』の名を合わせた」

「よき名前にございます。可児才蔵、本日より姫蝶の父となりその名に恥じない姫に育てる所存」

 月瑛院から赤子を渡される才蔵。

「姫蝶、父の可児才蔵だ」

 戦場の猛将、可児才蔵が娘を得て破顔した。

「そんな顔もするんだ…新発見だ…」

「何か申されたかな若殿」

「い、いえ! あははは!」

 この赤子こそが、後に柴田明家の嫡男、柴田勝明の正室となる姫蝶姫である。仙石秀久の血を引き、可児才蔵の養育を受けただけあって気が強い娘に育つが、それが勝明に愛され父母の明家とさえの夫婦と同じくらい仲睦まじい夫婦となる。

 

 羽柴秀吉は姫路城の天守に上がった。妻のおねが死に装束で待っていた。

「さて、おね我らも行こう」

「はい…」

 秀吉は天守に置いてあるものに気付いた。

「ん? これは…」

「私が作らせました。殿の最期に相応しいと思いまして」

「はっはははは、礼を申すぞ、おね」

 羽柴の兵は涙を流して姫路城に火を放った。火の手が上がったのを見て柴田勝家と柴田明家の親子は羽柴家の滅亡を見届けるため、並んで着座し整然と炎を見つめた。

 逆の立場なら同じように降伏を潔しとせず、北ノ庄の城と共に滅ぶだろうと勝家は思った。織田の家中でその間柄が有名なほどに不仲であった柴田勝家と羽柴秀吉。だがここに至っては勝家も秀吉に親しみを感じていた。

 

 秀吉は姫路城天守閣から眼下の柴田陣を見た。特に先陣の明家の備え。

「見事なものじゃ。一分の隙もない」

 そして先頭に勝家と座る黒一色の甲冑に赤い陣羽織、昇竜の前立てと炎の後立ての兜、凛々しい若武者を見た。

「…想像だにしていなかったのォ。あの小坊主と戦う事になろうなど…そして滅ぼされる事など…」

 秀吉はフッと笑い、天守閣の戸を開け柴田軍に言った。

「寄せ手の柴田軍よ! 遠路ご苦労であった! 武運つたなく敗れるがこれも天命! あの世で信長様にお会いし、再び仕えん!」

「筑前…」

 炎上する姫路城の頂上に立ち、堂々と死出への口上を叫ぶ秀吉。

「あの世でも一国一城の主になってやるわ!」

「……!!」

 勝家の隣に座る明家がにわかに立ち上がった。

「どうした?」

「そうか…。そうだったのか…!」

 まだ柴田明家が水沢隆広と云う名で柴田の下っ端武将だったころ、何かと隆広に親切にしてくれた秀吉。秘蔵の石田佐吉も預けてくれた秀吉。その優しい笑顔についつい甘えてきた。

 そして今、ようやく柴田明家は思い出した。そして分かった。なぜ秀吉が自分に親身になってくれたか。それは秀吉自身があの時の『家来にしてやる』の約束を忘れていなかったからである。明家は当時五歳の事だったゆえ、忘れてしまったのである。だが秀吉の魂の叫びがその記憶を蘇らせた。

「何て事だ…!」

 地に膝をついて手をつく明家。

「いかがした…明家?」

 明家は勝家に、幼き頃の自分と秀吉との出会いを話した。

「そうであったか…」

 ようやく落ち着いた明家は再び床机に座った。

「秀吉殿がどうして不仲の柴田家の下っ端武将であったそれがしにあれだけ親切にしてくれたか…今分かり申した。知らぬ事とはいえ、幼き頃の記憶の彼方とはいえ…」

「…お前はその筑前に応えたではないか」

「え…?」

「もはや戦うチカラをなくした羽柴勢をお前は見逃した。この武士の情け…お前は十分に筑前に応えた」

「父上…」

 初めて勝家を父と呼んだ明家。その言葉にフッと笑い勝家は言った。

「おじちゃんの最期、しかと見届けてやれ!」

「はっ!」

 

 秀吉とおねは最後の時を待っていた。

「おね、苦労をかけたのォ」

「苦労などと思っておりませぬ」

「楽しい日々であった。そなたのおかげじゃ、愛しておるぞ」

「おねも、殿を愛しております」

 秀吉は刀を抜いて、おねを抱き寄せた。

「今度生まれ来るときも、おねを妻に…!」

「当たり前じゃ、そなた以外の妻など考えられぬ!」

 秀吉は愛妻おねを自ら突き殺し、そして腹を切った。姫路城内に残っていた将兵は自決した。そして天守が炎に包まれると同時に

 

 ドーン! ドーン! ドドーンッ!

 

 火薬玉が何発も爆発した。花のように美しい。秀吉の妻おねが、もはや城に火薬はいらぬと云う事で事前に鉄砲職人に作らせていた。夫の死に花を添えるために。それを見た明家が言った。

「花火…」

 これが日本の歴史において『花火』と云う言葉が生まれた瞬間だった。暗い夜空を華やかに彩る花火が突如打ち上げられた。何発も何発も。

「羽柴様…いや…」

 万感の思い、そして親しみを込めて明家は言った。

「おじちゃん…」

 戦国の英雄、羽柴秀吉の最期だった。柴田勝家が感慨深くつぶやいた。

「あの男らしい…。華やかな最期ではないか…」

 そして姫路城が音を立てて倒壊していく。

「同情はすまい秀吉…。ワシがその運命を辿っていたのかもしれぬのだから」

 織田の家中で修復できないほどの不仲であった柴田勝家と羽柴秀吉。だが勝家の目には涙が浮かんでいた。どんなに仲が悪かろうと織田信長の旗の下、共に戦場を駆けた者同士。そして勝家にとって最大の敵でもあったのだから。

「おじちゃん…。オレ、絶対におじちゃんの事…忘れないよ」

 柴田明家は静かに合掌した。

「明家」

「はい」

「ワシはこの戦の後始末を終えたら隠居する」

「え…!」

「もうワシの出番は終わりじゃ。あとはお前に譲る。ワシはもう顔も出さぬしクチも出さん。あとはお前の好きなようにやるがいい」

「父上…」

「はっはははは! トンビがタカを生んだわ。だが息子よ、これから忙しいぞ。大大名となった当家。だからこそ、その舵取りは慎重になさねばならぬ。民のため一日も早く戦のない世を作らなければならぬ。二代目にしっかりしてもらわねば困るぞ」

「はっ!」

「おじちゃんのためにもな!」

「はい!」

 こうして柴田明家はこの後に父の柴田勝家から家督を継ぎ、日本最大勢力の武家棟梁となり、天下人へ一歩抜き出た存在となるのである。

 

 姫路城の戦いから数ヶ月経った。安土の城下町はどんどん作られ、行き届いた内政により民心もあがり安土は日本最大都市となっていった。後に柴田明家は大坂の地に根拠地を移すが、それはまた別の話。安土城下の桜並木の下に一組の夫婦がいた。手を繋いで歩いている。

「さえ」

「はい」

「何だかまだ信じられないが…オレが日の本一の大名になってしまった」

「はい」

「でもオレは変わらないよ。さえと北ノ庄城下の小さな屋敷で二人で暮らしていた頃と」

「お前さま…」

「オレの最大の快挙は日の本一の大名になった事じゃない。日の本一の女を妻にした事だ。さえもこれから御台として忙しくなるだろうが…よろしく頼む。さえはオレよりも長生きしてくれよ。そなたが側にいない人生など考えられない」

「殿こそ私より長生きしてください。殿のいない人生なんて…さえは毎日泣いて暮らす事になります」

「あっはははは。さ、着いたぞ」

 それは二つの墓だった。

「これが父上の…」

「ああ、義父殿の新しいお墓だ。約束しただろう、もっと立派なお墓を立てると」

「殿…」

「オレの養父、隆家の墓も同じく北ノ庄から移して隣に作った。あの世で二人して碁でも打っているかな」

「うふ、だったら父の景鏡は一度も義父上様に勝てていないかも。碁はヘタの横好きでしたから」

「あははは、そりゃ義父殿が気の毒だな」

 一通り墓を清掃すると夫婦は二つの墓に合掌した。

「さえ、ちょうどいい具合に桜が満開だ。義父殿も養父も武将ゆえ辛気臭い事は好まないだろう。実は今日ここで花見の宴を催す事を助右衛門たちに言っておいた。かまわないよな?」

「はい!」

 しばらくすると明家の家臣や家族、側室すず、同胞の前田利家、可児才蔵、そして父の勝家、母のお市、妹となった茶々、初、江与もやってきた。御用商人の源吾郎や、夫婦となった舞と六郎、白と葉桜ら明家の忍びも町人姿で訪れた。

 前田慶次が幸若を舞い、勝家が能を披露し、茶々、初、江与の三姉妹が美しい舞を踊る。それは楽しい宴だった。ふと酔った明家が空を見ると、明智光秀、羽柴秀吉、織田信長、友であっても戦わざるをえなくなった山内一豊、仙石秀久、明智秀満、斉藤利三の笑顔が浮かんで見えた。不仲でも最後は心を通わせる事ができた柴田勝豊、佐久間盛政、そして師の竹中半兵衛、諏訪勝右衛門、快川和尚、養父水沢隆家の姿が空に見えた。明家の目に一筋の涙が落ち、彼もまた、その英霊たちに微笑んだ。

「殿!」

「ん? なんだ辰五郎」

「いつぞや北ノ庄東の城壁を直した時に朝倉宗滴公の活躍を立派な講談で語ったでしょう! また聞きたいですのお!」

「「おおお~」」

「明家、面白そうだな、やってみろ!」

「はい! でも以前と同じ宗滴公を語るのは芸がないから…そうだ! 亡き上様の桶狭間の合戦を講談させていただきます!」

「「オオオオ~」」

 一斗樽を自分の前に置いて

「コホン…」

 そして扇子で蓋の板を叩いて調子を取る。

 

 タンタンタン!

 

「時は永禄三年五月一日! 駿遠三の覇者今川義元! 精鋭三万の大軍を率いて駿府城を出発! 対する尾張の大うつけ殿様織田信長の手勢わずか三千!」

「はっはははは!」

 自分が参戦した合戦ゆえか、柴田勝家と前田利家は楽しそうに聞いた。そして全員いつのまにか明家の名調子に惹きこまれ夢中で『桶狭間合戦』を聞いていた。美酒に面白い講談。宴は盛り上がり、桜吹雪がそれに添えた。まるで柴田明家の門出を祝うがごとく…。

 

 しかし柴田明家にまだ安息な日々は到来しない。甲信駿遠三と云う広大な地と、三河三万騎と云う戦国一の精鋭を従える徳川家康と尾張の地で激突するのは、これよりわずか二年後の事であった。

『智慧美濃か…。大層な通り名だが、その智謀がワシに通じるかな…』

『家康殿と戦い、勝つのは難しい。オレは無理をしない。だが負けない』




ねこきゅうでは、このお話を本編最終回としました。何故なら、原作ゲームがここで終わっているからです。原作も秀吉を姫路で討って終わりなのですが、やはりここで終わりと云うわけにも行かず、完結編を書きました。
完結編、新小説投稿にしようかとも考えましたがハーメルン版では完結編も本編としてこのまま投稿を続けるつもりです。


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完結編
柴田家当主明家


ここからは原作ゲームにはない、私の完全オリジナルですのでホームページ掲載時には完結編と銘打ち始めました。ハーメルンでも章別にしました。完結編もまた本編同様にお楽しみください。


 いよいよ柴田家の当主となる柴田明家。今日は家督相続の儀である。これを遡る事、姫路落城の翌日。柴田明家は父の勝家の陣に呼び出されていた。

「昨夜に申したとおり、ワシはお前に家督を譲る。で、お前に一つ訊ねたい」

「はい」

「お前、どちらを取る?」

「どちら?」

「柴田家が織田家より独立して天下を狙うか、それとも三法師様を立てて織田家の武将であり続けるかだ。お前を後継者に指名してより時間はくれてやった。自分が柴田当主となった後の絵図も頭に描いたろう」

「はい」

「では聞かせよ」

「独立しようと思います」

「ふむ…理由を聞かせよ」

「確かに…これは唐土の陳勝の誤りを繰り返す可能性もあり危険。しかし織田の家臣として柴田は大きくなりすぎました。これは『尾大の弊』となりうる事もございます。よって独立するも織田を丁重に遇すると云う形を執ろうと思うのでございますが」

 陳勝とは中国の秦楚の戦いで勢力を持った反乱軍の大将である。元は農民であったが秦の暴政に蜂起し、アッと云う間に勢力を拡大した。そして陳勝は陳の国を取った時、その国で王位についた。これには疑問を持った将が多くいたのである。私利私欲のために戦ってきたと見られたからだった。やがてその陳勝は部下の裏切りによって殺される事となった。

 反してそれを教訓として亡国の王子を探し出して君主としたのが楚の項梁である。この効果は絶大で楚軍は一気に大勢力となったのだ。

 そして『尾大の弊』は中国の故事で正しくは『末、大ならば必ず折れ、尾、大ならば揮(ふる)わず』と云う。上が弱く下が強大ならば、上が制しにくくなる、と云う意味で国を滅ぼす要因となる事である。

「柴田がまた北陸の一大名に戻れば、今まで我ら柴田に加勢してくれた諸将に対して遇する事もかないません。ここは独立し、そのうえで三法師様を厚遇すれば簒奪の汚名を柴田が被るのも防げるかと存じます」

「分かった。思うようにやってみよ」

「父上は…」

「ん?」

「父上ならばどちらを選んだのでございますか」

「ワシなら三法師様を立てたじゃろう。しかしそれがワシの限界と云える」

「父上…」

「だが、『いくさの無い世』を作るには…この戦国乱世に終止符を打つならば…お前の考えの方が正しいと分かった。何とも頼もしい二代目じゃ。しっかり頼むぞ」

「はい!」

 

 そして本日、安土城で柴田明家の家督相続の儀が行われた。柴田家臣、友好大名がズラリと揃う安土城評定の間で勝家は君主の印判を息子に手渡した。

「ありがたく拝領します!」

「ふむ」

 印判を手渡すと、勝家は君主の席から退き、明家にそこに座るよう示した。緊張しつつも明家は君主の席に座り、父の勝家は傍らに座った。

「皆のもの、面をあげよ」

「「ハハッ」」

 平伏していた家臣たちが勝家の声で顔を上げた。

「今日より、そなたたちの主君は、この勝家が嫡男、柴田明家となった」

「「ハハッ!」」

「明家を生かすも殺すも、その方らの才覚次第と心得よ」

「「ハハッ」」

「明家」

「はい」

(コホン)

 凛々しい正装で臣下の前に君臨する明家。つい七、八年前まで浪人だった自分が信じられない。威厳を示そうとしているが内心は緊張のただなかであった。

「みな、最初に申し渡す。我が柴田家は織田家から独立をいたす」

「「ハハッ!」」

「ただし、三法師様と信雄様には敵意無き事を示し、友好大名として共存したいと考えている」

「「ハッ!」」

「我ら柴田家は畿内、濃尾、越前、加賀、播磨、但馬を押さえ、そのうえで織田からの独立を宣言した。当家が明智と羽柴を討ちしは私利私欲のためと内外に思われよう。魚津でオレが父の勝家に『殿が大殿の意思を継ぐのです』とけしかけておいて何だが…それは柴田が天下を取ると云う事にも受け取れる。

 しかしもう一つの意味もあった。それは『合戦の無い世を作る』と云う事だ。それが亡き上様、中将信忠様の願いであり、そして明智光秀殿、羽柴秀吉殿の願いでもある。織田から柴田と名前は変わっても目的は変わらない。それは民衆の安寧と平和のため、柴田家が天下を統一し、応仁の乱から続いた戦国乱世に終止符を打つためである!」

「「ハハッーッ!!」」

 満場一致で明家の指針が受け入れられた。友好大名はすでに領地が増えている。この家督相続の儀の前に織田三法師の家老の前田玄以と勝家、明家ですでに領土分配は終えていたのである。そして方針も述べてある。理解を得られてから公式の場で述べた明家。巧妙な根回しと云えるだろう。

 

◆  ◆  ◆

 

「良いですか、ちゃんと行儀よくするのですよ」

「分かっています母上! 茶々ももう子供ではないのですから!」

 柴田家の家督を継いだ日、明家は母のお市のいる奥を訪ねた。

「母上! ご機嫌うるわしゅう」

「明家殿、柴田家当主の拝命、おめでとうにございます」

「「兄上様、おめでとうございます」」

 茶々、初、江与が恭しく兄に祝辞を述べた。

「…ぷっ」

「な、何が可笑しいのですか兄上!」

 頬をプクリと膨らませる茶々姫。

「だ、だって、似合いませぬぞ姫様たち」

 水沢隆広と云う名前だった当時には散々に手こずらせてくれた茶々、初、江与の三姉妹。三姉妹は北ノ庄城にいた時に学問の師は隆広を指名してきた。それなのにいざ講義を始めれば聞かない。もう二度と姫様たちの師なんかゴメンだと隆広が思っていても、また指名してくる。お姫様と云っても窮屈な生活。三姉妹にとって美男子で優しい隆広は何か願い事を叶えてくれそうな存在であった。講義を聞かないのも好意から来るイタズラ心だったのだろう。

 次は馬術の教師に指名された。この時ばかりは隆広の馬術の指導を熱心に聞いた三姉妹。だがちょっと乗れるようになると隆広の許しなく馬を厩舎から連れ出し三人で乗ったが、突如それが暴れ馬となり城下町を暴走した。それを怯えるどころか三姉妹は大はしゃぎして馬に乗っていたらしい。それを聞いて大急ぎで駆けつけて止めたのは隆広だが、城下町を暴走したのに『あー面白かった』と述べた三姉妹を容赦なくひっぱたいた。母のお市にも叩かれた事のなかった三姉妹は頬に手を当て呆然とした。そして隆広は言った。

『落馬して…ケガで済まなかったらどうするのか!』

 すごい形相で怒鳴る隆広。本気で怒っていた。叩かれたうえ怒鳴られて泣き出す三姉妹。城下町の民たちは勝家の姫と知っていたので隆広が叩いたのを見て驚いた。

『ご覧なさいませ、暴れ馬が駆け抜けたおかげで八百屋や魚屋の店先が壊れております。姫様たちは民の暮らしを踏みにじったのでございますぞ。亡き備中守様(浅井長政)が見たらどんなに嘆き、お怒りになるか! それがしの平手はお父上の手と知りなされ!』

 そう言って隆広は一軒一軒に詫びて、自分の少ない持ち金から弁済していった。その様子を見て三姉妹たちは

「「ごめんなさい、ごめんなさい」」

 と泣いて隆広に、そして民たちに謝った。隆広はそこでやっと三姉妹に優しく微笑み

『わかれば良いのです』

 そう優しく悟ったのである。そしてそれから三年、三姉妹は美しく成長していた。いずれも母のお市さながらの美貌である。しかし、そんな手を焼かされたのも今では懐かしい思い出であった。明家は変わらず三姉妹に優しかった。急に呼び捨てもできないので言葉も相変わらず丁寧だった。

「もう安土での暮らしは慣れましたか?」

「はい兄上、城下にはおいしいお団子屋がありますし!」

 と、初。

「先日、城下の南蛮商店でカステーラ食べたのです! 美味しかった~!」

 と、江与。

「あ! 茶々も昨日はじめて果物茶屋で葡萄を食べたのです! すっぱくて甘くて!」

 そして茶々。

(食べる話ばかりだな…)

 苦笑する明家。世代交代も円滑に進み、民も家臣も名将と呼ばれる明家の新体制に期待している。明家自身、かわいい妹が三人もできた。しかし領内に火種はまだ残っていた。佐久間家である。

 

◆  ◆  ◆

 

 金沢城、佐久間盛政の居城。当主の佐久間盛政は主家の柴田家に謀反を起こしたが、あえなく失敗に終わり、盛政は首を刎ねられた。

 佐久間盛政は謀反の際に反対派は幽閉して挙兵に及んだ。これは結果を見てみると盛政が“この家臣たちは謀反に反対した”と云う立場を証明させるためとも云えよう。その幽閉させた部屋の鍵は盛政の妻の秋鶴が所持しており、盛政出陣後しばらくして開錠した。そして間もなく知った。佐久間盛政の謀反は失敗し、主君盛政は姫路城を包囲する柴田陣に連行され、そして処刑されたと。

 幽閉された時は主君盛政を怨んだ家臣たち。しかし部下の裏切りに遭い、あえなく最期を遂げたと知るや、玄蕃様のカタキをと思い、柴田家の金沢城明渡しの勧告に拒否の意思を示した。

 盛政の一人娘の虎姫は“ここでこのままあっさり城を渡せば佐久間家は未来永劫笑い者”と次代柴田当主の明家に合戦も辞さない構えを見せた。その虎姫を御輿に佐久間遺臣たちは徹底抗戦を決めた。

 佐久間盛政の謀反に加勢した兵も今は金沢城に戻っている。頭のいなくなった軍勢は安土にも行けず本拠地に帰るしかない。謀反に賛成の者も反対の者も、今では主君盛政の無念を晴らすと一丸になった。当然、怨嗟の対象は謀反の土壇場で盛政を裏切り束縛して柴田親子に売った連中であるが、彼らは勝家にすべて処刑されており、振り上げた拳の行き場がなくなった彼らは柴田家に拳を振り下げる事としたのだ。

 

 甥の佐久間盛政を謀反に追い詰めたのは自分の責任と感じている父の勝家の気持ち、そして自身の佐久間盛政への思い。討伐は避けたかった柴田明家。

 兵数はもはや少なく、当主と幹部はすでにあの世に行っている。城にいるのは大半が中堅以下の士分の者。それと女子供である。金沢城を落とす事は簡単だった。しかしそれだけはしたくない。安土城の自室に篭り、悩み頭を抱える明家。黒田官兵衛を呼んで相談した。官兵衛は答える。

「かの謙信公や信玄公、そして徳川家康も叛旗を翻した者を一度は許し再び家臣に加えました。許された者は感涙して、より誠忠を誓うに至りました。佐久間に今こそ将はおりませぬが今後に生まれるかもしれませぬ。明日の柴田のために討伐は避けて恭順させるが肝要と存じます」

「官兵衛殿、佐久間勢は玉砕覚悟です。恭順させるに良き知恵がおありか?」

「それがしが使者となりましょう」

「し、しかしまた伊丹の時のような仕儀になれば…」

「その時は、息子の松寿丸(後の黒田長政)に当家を継がせ、お取り立てのほどを」

「承知しました。頼まれてくれますか」

「御意」

 黒田官兵衛は供を連れて安土を発ち、琵琶湖と北ノ庄を経て金沢城に到着した。何としてもこの交渉は成功させるつもりだった。

 柴田は日本最大勢力の大名だが黒田家は羽柴からの降将で新参者。ここで当主明家の望むとおり佐久間を恭順させられれば明家の信頼を勝ち得る。官兵衛は明家との昔の邂逅にあぐらをかく気はなかった。柴田家に仕えるからには明家の参謀として場所を得たいと思っていた。

 確かに当主明家の智謀知略は自分を凌駕している。しかし自分には若い明家にはない経験と云うものがある。当主にはできない事も参謀なら出来る事もある。自分以上の智者の参謀になるに官兵衛が見出した意義はこれであった。官兵衛は金沢城の門番に言った。

「柴田美濃守が使者、黒田官兵衛にござる。虎姫殿にお取次ぎ願いたい」

 門番は驚いた。黒田官兵衛と云えば賤ヶ岳の合戦で佐久間盛政を蹴散らす策を巡らせた謀将である。いつもなら追い返す門番だが、慌てふためいて評定の間にいる虎姫の元へ駆けた。

「姫、安土から使者にございます」

「会いませぬ、追い返して下さい」

 評定の間で甲冑を着けて鎮座する虎姫。

「そ、それが使者は黒田官兵衛にございます!」

「黒田官兵衛ですって!?」

「姫! 黒田官兵衛と云えばお父上を賤ヶ岳で蹴散らす絵図を描いた男にございますぞ!」

 部下たちがいきり立った。

「待ちなさい、黒田殿はどれだけ軍を?」

「そ、それが」

「どうしました?」

「たった一人です。しかも丸腰…」

「単身で丸腰とは佐久間に人なしと侮っての事ですか!」

 虎姫は声を荒げる。しかし一呼吸置いて心を落ち着け言った。

「良いでしょう。お通ししなさい」

 こうして黒田官兵衛は虎姫の待つ評定の間へと歩いた。官兵衛は城に入ってみると外で聞くより金沢城内の士気が案外乏しい事に気づく。篭城とは援軍をアテにしての戦法。金沢に来る援軍は誰もいない。玉砕の気概もそれをぶつける敵勢が目の前にいないので鼓舞のしようもない。

「黒田官兵衛孝高にございます」

「佐久間盛政が娘、虎にございます」

 虎の周囲を見ると佐久間家の家臣はいるが母の秋鶴がいない。それを察した虎が答えた。

「母は伏せております。父の死が堪えたようです」

「左様でございますか」

「黒田殿は大岩山に陣を張った父の軍勢を蹴散らしたそうですね」

「正確に言えば、それがしはその策を亡き旧主筑前守に申し上げたに過ぎません。実際に父君や叔父上殿(柴田勝政)の軍勢を蹴散らしたのは加藤や福島、片桐や糟屋の若い将校たちでございます」

「そうですか、とはいえ黒田殿は当家にとり仇敵。生きてこの城から出られるとでも?」

「仇敵とは困りましたな。我らとて結果は美濃守様の援軍に粉みじんにされ申した」

「…ならば何故、その美濃守様の走狗となりました?」

「それがし筑前守様に美濃守様に仕え、天下を統一し戦のない世を作れと命じられました。旧主の遺命もございますが、それがしは美濃守様ならそれが叶うと見たからにございます」

「…」

「亡き大殿、そして旧主筑前も願ったのは戦の無い世の到来にございまする。それはそれがしの大望でもございます。ゆえに私怨は捨て、それがしは美濃守様の家臣となったのでございます」

 虎姫は何も言い返さず、官兵衛の言葉を聞いた。

「お父上、佐久間玄蕃殿が刑場に向かう前に美濃守様に言った言葉を伝え聞いておりましょう。『よき柴田家当主となれ、天下を取れ』でございます。そのご息女である虎殿がお父上の最期の言葉を軽んじて主家に合戦を仕掛けて柴田家を割ろうとしている。とんでもない不孝にございますぞ」

「だったら何だと言うのですか! このまま城を明け渡して美濃守様に頭を下げれば、父の玄蕃は未来永劫裏切り者として語り継がれ嘲りを受け続けましょう! このうえは私と遺臣たちが玉砕して鬼玄蕃の武勇これありと示すしか我ら佐久間家の面目を保つ術はないのです! 黒田殿は安土に帰り、美濃守様に金沢に攻めてこられよと伝えあれ!」

「恐れながら、かような玉砕をしても賤ヶ岳の失態に加え、無計画なご謀反で罪なき家臣を巻き添えにした玄蕃殿の汚名返上は不可能でございまする。むしろ余計に親も親なら娘も娘と罵られるだけ。評価するのはせいぜい物知らぬ判官ビイキのヤカラにござろう」

「なんですって!」

「しかし、生きてさえいればできる。私怨を捨てて柴田家の天下統一に尽力して、この世に安寧と秩序をもたらす事。もう合戦で家族を失い、弱き者が涙を落とさぬ世を作る事へ懸命に働く事が亡き父君の汚名を返す術にござる」

「…」

「一時の恥を耐えられよ。柴田に降伏し、そして協力し、共に繁栄していく事が佐久間家百年の大計にござらぬか」

 この言葉に評定の間にいた佐久間遺臣たちは涙を流し、虎姫も肩を震わせた。

「虎…。ご使者殿の申すとおりです」

「母上…」

 虎の母、佐久間盛政の妻の秋鶴が侍女に支えられてやってきた。

「佐久間の室、秋鶴にございます」

 病躯を叱咤して秋鶴は官兵衛に頭を垂れた。

「黒田官兵衛孝高にございます」

「ご使者殿のお言葉に従います。なにとぞ美濃守様にお取り成しを願います」

「承知いたしました」

 

 金沢城降伏、この知らせに明家は歓喜して帰城してきた黒田官兵衛を出迎えた。

「よくやって下された官兵衛殿!」

 城主の間で労いを受ける官兵衛。

「恐悦にございます」

「して、佐久間家は何と?」

「金沢城を明け渡す代わりに、安土に屋敷、そして畿内に今いる家臣たちを養っていけるだけの領地が望みにございます」

「ふむ、なるほど」

 これはいささか望みすぎと言って良い要望であるが、斬刑直前、勝家や明家に盛政は悪びれず、堂々とした態度を取った。それが尚武の柴田諸将の心を動かし、盛政の妻子の助命と厚遇を願う声は明家に届いており受け入れられる要望であった。明家は快諾した。

「それと…」

「それと?」

「殿が虎姫殿を側室に迎える事が条件にございます」

「え?」

「ご母堂の秋鶴殿が言うには…」

 

「黒田殿、当家の望む物質的条件は以上です。しかし今後に柴田家へ誠忠を尽くすには美濃守様に是非聞いていただきたい願いがございます」

「なんでござろう」

「当家には佐久間の血を継ぐ男子がおりません」

「確かに」

「それゆえ、娘の虎を美濃守様の側室として迎えていただきたいのです」

「は?」

「母上!」

 顔が真っ赤になる虎姫。

「いきなりそんな…!」

「亡き佐久間は安土へ出陣する前『虎が女童の頃から美濃を好いているのは知っている。オレのせいで虎は好いた男と敵味方になってしまう。さぞや怨まれるだろう。だが仕方がないのだ。もはや立たざるを得ないのだ。虎にはすまなく思う』そう申していました」

 下をうつむく虎姫。父の盛政はすべて知っていた。少し涙が浮かぶ。虎姫は柴田明家と十歳の頃に会っている。小松城攻めで父の盛政を救出した水沢隆広に母の秋鶴と共に礼を言いに行った。その時に見た隆広。以来ほのかな恋心を抱き現在に至る。あの日に隆広から贈られた金平糖。金平糖そのものはすぐに食べてしまったが、それを入れていたギヤマン(ガラス)の瓶を虎姫は今でも大切に持っているのである。ピカピカに磨いて自分の文机の上に置いてある。そしてそれをいつも嬉しそうに眺めている。その瓶の贈り主を妻から聞いていた盛政。色事に疎い彼でも娘が誰を想っているか分かる。その娘の想い人に叛旗を翻す彼の気持ちは今となっては知る由もない。

 父の盛政の死を知った虎姫。さすがは鬼玄蕃の娘。その恋心を封印し、大切にしていたギヤマンの瓶を金槌で叩き割った。父の無念を晴らすため思慕する柴田明家と戦うつもりであった。だが虎姫は黒田官兵衛の説得により、生きて父の汚名を返上すると決めた。そのために不可欠と母の秋鶴が考えた事。それは

「佐久間の室として願う事は鬼玄蕃と智慧美濃の血を引く子を佐久間の当主とする事にございます。何とぞ黒田殿、この儀を美濃守様に」

 佐久間家の総領娘の虎姫が柴田明家の側室となる事だった。官兵衛は虎姫をチラと見た。視線で『あなたは了承なのか』と訊ねている。

「黒田殿、私は美濃守様が暴君になったら、いつでも寝首を掻きます」

 つまり了承と云う事である。最後に思わぬ難題を被ったが乗りかけた船だからやるしかない。

 

「と、云う次第でして…」

「困った事を受けてきましたな…」

 頭を抱える明家。

「ですが殿、亡き玄蕃殿の血を引く男子がおらぬ佐久間家では無理らしからぬ要望と存ずる。加えて、ただでさえ謀反を起こした家、当主の側室となり、その子を得る事で信頼も得たいと玄蕃殿の奥方は思っているのでしょう」

 と、奥村助右衛門。

「助右衛門…」

「佐久間の兵は亡き玄蕃殿の薫陶で精強、筆頭家老として虎殿の側室輿入れは賛成にございます。殿も大大名、どんどん子を成すのは一つの務めでございます。大殿、大御台様(お市)も色狂いとは受け取りますまい」

「しかし御台(さえ)が何と言うか…」

「そりゃあ怒りましょう。しかし御台様にも大人になってもらわねば我ら家臣一同困ります」

「そなた…御台の恐ろしさを知らぬからそんな事を…」

 プッと吹き出す同じく愛妻家で有名な前田利家。

「すべて丸く収まる方法を何とか思案あれ。智慧美濃の異名が泣きますぞ」

「そんな事言ったって…」

「コホン、殿、それがしも奥村殿と同じく、玄蕃殿の血を引く男子がおらぬ佐久間家では先の要望も致し方なしと存じます。徳川殿は側室十指、殿はすず様お一人、お家の中はともかく世間は何とも思いますまい」

 そのお家の中が問題なんだ、と官兵衛に言いたかったが言えない。

「で、虎殿ご自身は何と言っていたのですか」

「『美濃守様が暴君となった時はいつでも寝首を掻く』と申されました」

「ほう…ずいぶん気の強い娘に育ったのですな。それがしは十歳ごろの虎殿の記憶しかないので」

「あの鬼玄蕃の娘にございますぞ」

「そうだよな…」

「先の返事は虎殿自身が殿の側室になる事を了承している証拠、恥をかかせますか」

「分かった。側室として迎え、大切にいたす」

 ホッとする黒田官兵衛、役目を無事に遂行できた。

(さあ…問題はさえだが…)

 

 しかし、この『玄蕃殿の血を引く男子のおらぬ佐久間家ではその要望も致し方なし』と云う道理を明家が認めた事が思わぬ副作用をもたらす。ほぼ同じ条件である小山田家もそれを要望してきたのである。

“殿と姫の子を小山田家の世継ぎにしたい”

 小山田家家老の川口主水をカシラに投石部隊の面々すべてがそれを懇願してきた。抜け目なく事前に筆頭家老の奥村助右衛門に取り成しを頼んでもいた。安土の奥村屋敷を訪ねた投石部隊隊長の川口主水。

「いや急に訪ねてきて申し訳ござらぬ」

 ちなみに小山田家は安土城と賤ヶ岳の戦いが認められ、五千貫と三万石の兵糧を得ていた。そして琵琶湖の湖畔に作った美田も正式に勝家から与えられていたのだ。

「殿に仕え、過分に遇され我らの暮らしも楽になり、いっそう殿のために働く気持ちを強めた我らにござるが…困った事が起こりまして」

「何でござろうか」

「いや、あの…」

 顔が赤面してきた主水。

「…?」

「いや申してしまおう、ご家老、当家の月姫様を殿の側室にできまいか?」

「は?」

「安土の篭城戦の後からでござる。姫様は殿に恋をしたようで…」

「い、いや、かような事をそれがしに申されても…」

「殿が羽柴を見逃した後に大殿に打擲され傷を負い、床に伏せる殿を手当てしたいと思いお屋敷に行っても御台様とすず様に遠慮してそれもできず…毎晩かなわぬ恋に泣く姫様を見て我らもほとほと困り果てた次第でして…」

「とは申せ…殿は先に佐久間家の虎姫殿を側室にしたばかり。殿も御台様への説得は困難を極めたようで…」

「ですが…小山田家の総領娘である姫様には何としても若君を生んでいただかなくてはなりませぬ。これは我らにとってお家再興に繋がる悲願。しかし姫様は殿以外に身を委ねますまい…」

 これは助右衛門も困った。側室になる事そのものが小山田家悲願のお家再興に繋がる。小山田投石部隊の戦闘力、そして高い新田開発能力。これを思うと柴田家の筆頭家老として無視するワケにもいかない。

「…分かり申した、何とかそれがしなりに取り成しをいたしましょう」

「おお、ありがたい!」

 虎姫を側室にして間もなかった明家は、とんでもないと固辞したが、小山田家一同の懇願に根負けして月姫を側室として迎えると約束したのである。

 正室のさえはこれを伝え聞いて激怒。しかし筆頭家老の奥村助右衛門に小山田家の再興の悲願を叶わせ、いっそうの働きを望むために、と言われては柴田家の御台として飲まざるを得なかったのだ。奥村助右衛門の説得に折れた日、息子の竜之介と養女のお福は母のさえに近づけなかったと云う。

 側室を迎える事は当時何ら不道徳ではない。明家に比肩する愛妻家である前田利家とて何人もの側室がいるのである。

 だが他の武将の側室たちと大きく異なる事がある。すずもそうだったが、虎姫と月姫も明家を好いているうえで側室となった。他の武将の場合はお家の事情や政略的な事で側室を迎えるのが大方で、男女の情などは後からついてきたものだ。

 しかし虎姫と月姫はのっけから明家を思慕したうえで側室となったのだ。正室さえの胸中は煮えくり返っていたに違いない。ある夜だった。安土城で政務を終えた明家が自室に戻り、そしてその後にさえを求めた。さえは固辞した。

「昨夜、虎殿を抱かれたのでしょう。触れられたくございません」

「え…?」

「殿はずるい…。柴田家の御台として私が飲まざるを得ない事で虎殿と月殿を側室にいたしました」

「……」

「殿は…私が自分以外の殿方に入れ替わり身を委ねたら愉快ですか?」

「さえ…」

「すずはいい。殿の命の恩人ですし、今では私とも良き友。でも虎殿と月殿はけして認めません。どんな事情があったとしても殿は私を裏切ったのです」

「……」

「おやすみなさいませ」

 夫の顔を見ようともせず自分の寝室に入ってしまったさえ。明家は頭を掻いてため息をついた。明家とさえ、夫婦喧嘩は今までもたまにあったが、今回は根が深そうだった。



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大名の正室として

「……」

「……」

「…すず」

「……」

「言いたい事があるのなら…ハッキリ言ったらどうだ?」

 ここは安土城内、側室すず御前の部屋。さえに閨を拒否された後、明家はすずの部屋に来ていた。隆広三忍、今は明家三忍だが、白、六郎、舞の三人は安土城内に待機している。六郎の妻の舞、白の妻の葉桜は仮の姿として、すずの侍女として城の中にいたが…。

「ああもう、重い雰囲気でイヤになります。殿、御台様に拒否されたから自分を抱きにきたと云う事にすずは怒っているのではないですか?」

 と、舞。

「そんなつもりはない、たださえがあんなに怒っていたから…すずはどうかなと…」

「そしたら案の定だったと?」

 小さく頷く明家。部屋に入ってきた明家を見ようともせず、息子の着物を縫っているすず。確かに怒っている。一言も発しようとしない。舞が自慢の乳房を誇示するように胸元を開けて明家に寄り

「でもまあ、数日中に殿はご出陣。しばらく禁欲になるのですから、久しぶりに私が伽を務めましょうか?」

「舞!」

 すずが怒鳴った。

「あ、やっとしゃべった。本当に分かりやすいわねェすずって」

「ホントホント、見た今の? 般若みたいな形相で舞のこと見たわよ」

 舞と葉桜のツッコミに顔が赤くなったすず。

「もう! 舞も葉桜も面白がっているでしょ! 出てって!」

「はいはい」

 舞と葉桜は部屋から出て行った。すずは一呼吸置いて静かに言った。

「殿…。私は殿が側室をお増やしになっても、とやかく言う気はございません。そして御台様が閨を拒否されるなら私が伽を務めますが…一言だけ言わせて下さい。御台様にあんまりだと思いませんか?」

「…うん」

「大名になった途端、側室を二人も作れば怒るのが当たり前ではないですか」

「…うん」

 どうしても断りきれなかったと云うのは理由にならないし、明家はそれを言い訳としなかった。頭を掻きながらフウと息を吐く明家。

「だが今すぐにその怒りを解く術はない。そろそろ出陣も近いゆえ、それに集中しなければならない。さえの怒りを解くのはその戦が終わってから腰据えてやるつもりだよ」

「それがよろしいと思います。すずで出来る事があれば協力しますので」

「ありがとう、じゃ寝る」

 明家は立ち上がった。

「…?」

 夜伽は良いのですか? と云うすずの顔。ニコリと笑い答える明家。

「火に油は注がない。さえの怒りが解けるまでは女を絶つ」

 すずの部屋を立ち去った。正直少し残念に思うすずだった。

 

◆  ◆  ◆

 

 さて翌日。ここは安土城の一角にある勝家とお市の隠居館『庄養園』琵琶湖の湖畔に建築された優美な浮き城である。ここにさえはお市を訪ねていた。さえはお市の侍女出身である。嫁と姑であると同時に元は主従。きっと味方についてくれると思えば…。

「簡単な事、お認めなさい」

 大名になった途端に側室を二人も作った夫を母親から叱ってほしいと頼みに来たが、返す刀で逆に諭されている。

「ですが奥方さ、いえ義母上様…」

「亡き先夫、浅井長政にも側室はおりました。柴田は側室を持ちませなんだが、それは大身の大名としては珍しき事なのです。明家殿も今では大大名、側室を持ち、子をたくさん成すのは当主の務めです。正室は側室たちと和を成して夫を支え、側室が生んだ子らも当主の子として養育するのが仕事。そなたも生まれは朝倉宿老の娘、そのくらい心得ておりましょう」

「そ、それはそうですが…大名になったとたんに側室二人、とてもがまんなりませぬ」

「やれやれ…。私はそなたの持つ利発さを見て、竜之介の妻になってもらいたいと思い勝家に推挙しましたが…嫉妬心はその利発さも曇らせますか」

「義母上様は私が子供と?」

「まあ、ホッペを膨らませて。ホントに子供のようですよ、さえ」

 クスクスと笑うお市。

「頭では分かっていても…どうしても許せないのです」

「ならば、一つだけお頼みしましょう」

「え?」

「明家殿が上杉の援軍に向かう事は知っていますね?」

「はい」

「良いですか、どんなに腹に一物あっても出陣だけは笑顔で見送りなさい。怒ったまま送り出し、もしも明家が生きて帰ってこなかったら一生後悔するのはあなたです。いいですね」

「わ、分かりました。出陣の時はそういたします」

 それはさえとて明家との新婚当時から心得ていた事であるが、お市もそれを分かったうえで念を押してきた。やはりお市の目は鋭い。今度ばかりは出来ないのではないかと見たのだろう。

「よろしい」

 

「ふう…」

「十四回目…」

「ん?」

「殿の溜息の数です」

「いや貫一郎、十五回目だ」

 ここは安土城の明家政務の間、政治において明家の側近を務める石田三成、そして奏者番(秘書)大野貫一郎が主君の溜息の数を言った。ちなみに貫一郎は先日に元服し『治長』の名前を主君明家から与えられており、大野治長と名乗っていた。『長き治世を作る男となれるように』と云う意図らしいが通称で呼ばれる事が多い。

「い、いちいち数えるなよ二人とも」

「あはは、御台様(さえ)とケンカでも?」

 神をも恐れぬ治長の言葉。それに

「ケ、ケンカなぞするか!」

 ムキになって否定する明家。

(図星か…)

 苦笑する三成。しかし顔を引き締めて諌める。

「殿、明日は越後へ出陣の日、総大将がそう溜息を連発しては士気に影響いたします!」

「…ああ、分かっているよ!」

 その日の夜、さえは笑顔で明家と子供たちと夕餉を共にした。柴田明家と云う人物は戦国時代屈指の智将でありながら、妻のさえに対しては本当に単純な思考の持ち主だった。

 明日は出陣なのだからと、一旦は腹の中に怒りを静めているさえを『良かった機嫌が直った』と疑わず、風呂に入った後は妻を求めようとしたが『月のものゆえご容赦を』と辞退された。ウソだった。まだ許すに遠く至らないのに身を委ねたくない。明家も昼間の軍務で疲れていたか、すぐに引き下がり眠ってしまった。

そして翌日、柴田軍は越後へと出陣した。

「ふう…」

 城門に立ち、出陣する柴田軍を見送ったさえは夫の明家と似たような溜息をついた。

「御台様、夫の三成の話によれば今回の合戦は、そう熾烈な戦いにはならないとの事でしたから心配無用かと」

 城門から城内に歩き出したさえを気遣う石田三成の室の伊呂波。

「違います。こんな作り笑顔で夫を戦場に見送る私が悲しいのです」

「え?」

 自分の作り笑顔を見て、機嫌を直してくれたと疑わない夫の笑顔を見るのがつらかった。

(…さえのバカ、大名の正室以前に武士の妻としても私は失格じゃない! どんなに腹に一物があっても出陣の前は無事を祈り、本当の笑顔で送り出すのが武士の妻だと云うのに!)

 夫が向かう先に振り向くさえ。

(でも殿…。私にそうさせたのは殿なのです…!)

 

 三成が妻に言っていたように、今回の柴田軍は上杉軍の後詰となり出羽の最上義光に大軍を示すのが役目だった。上杉と柴田連合軍、最上氏にとっては途方もない大軍である。

 最上義光は隣国の越後に上杉謙信が健在の頃は一度として越後に侵攻しなかったが、次代の景勝を侮り、何度か国境を脅かしていた。一度完膚なき叩きのめしたいと思った景勝は友好関係にある柴田家に援軍を要請したのだ。明家はその要請に応じ出陣。役目は後詰であるが、最上にとって畿内の王者である柴田家の援軍は脅威だった。国境で対峙する両軍。そんな上杉と柴田の陣中。

「これは美味いものにございますな美濃殿」

 柴田明家はある陣中食を上杉将兵にふるまっていた。評判がいい。景勝は夢中で食べている。

「そうでございましょう。これが『ほうとう』にございます」

「これが信玄公の考案した陣中食の『ほうとう』!」

「ええ、握り飯ばかりでは『脚気』を起こしますからな。こうして多くの野菜を取れる陣中食を考案したのでございますよ。少年のおりに甲斐にいた時、調理法を習いましてございます」

「うーむ、さすがは父謙信の宿敵! もう一杯ようござるかな」

「ははは、しかし笑わぬ大将と言われる弾正少殿(景勝)も『ほうとう』には笑みを浮かべるしかないとは馳走したかいがございました。ところで直江殿、伊達勢が最上の援軍に来たらしいが、当主の左京大夫殿(輝宗)自ら来たのでございますか?」

「モグモグ 左様、しかし当主義光の妹を妻にしている手前、その義理を果たしに来たに過ぎませぬ。この戦はそう乗り気ではないでしょうな」

「そうか…。弾正少殿、柴田は伊達勢と対しようと存ずるが」

「伊達勢と?」

「ええ、今まで仮想敵国だった伊達、みちのくの武者は腰が据わり精強と聞く。少し手並みを見たいと思う」

「願ってもない事、お頼み申す」

 しかし、最上勢は伊達の援軍を得ても、上杉と柴田の連合軍の軍勢と鉄砲の多さを鑑み敵わぬと判断して撤退を開始。追撃は上杉が出たので結局この合戦では柴田の出番がなかった。

 しかし陣を引く伊達勢を見ていた明家は一つの視線に気付いた。伊達勢の中、馬上に漆黒の甲冑をつけて敵陣の総大将を見つめる少年。

「治長、あれは誰だ」

「隻眼ゆえ、あれが当主伊達輝宗の嫡男、政宗かと」

 伊達政宗、この時はまだ少年のあどけなさが残る若者だった。河川を挟んでの伊達と柴田、双方援軍同士ゆえ、もう戦う理由がない。直江兼続の見ていた通り、当主の輝宗も乗り気ではなかった合戦。柴田に対し何の行動も見せなかった。不気味な沈黙の中で伊達政宗と柴田明家は見つめ合った。

「『歩の一文字』の軍旗…。あれが畿内の王者柴田か…」

 そして一つしかない目でも総大将が誰か分かる。いたずら心旺盛な政宗は柴田明家に対して目じりを押さえ、ペロと舌を出した。

「アッカンベーだ。あっははは!」

 くるりと馬を返し立ち去った。明家は苦笑した。

「面白そうな男よな、次に会うのが楽しみだ。あっははは!」

 彼も馬を返した。これが伊達政宗と柴田明家の最初の出会いだった。

「助右衛門、柴田の退陣を弾正少殿に伝えよ」

「はっ」

「さあ、我らは安土に引き上げるぞ!」

「「ハハッ」」

 

◆  ◆  ◆

 

 柴田軍は何の仕事もなかったが、その武威で敵を退けて上杉に追撃の好機をもたらせた事は確か。明家は景勝の厚い報奨を受けて近江へと引き返した。

 そして越前に到着し、北ノ庄城主の毛受勝照に歓待を受けていた時だった。安土から早馬が来た。

「殿―ッ!」

 それは母のお市からの使者だった。

「どうした?」

「御台様、ご危篤!」

「なに…?」

「四日前から高熱と激しい下痢に嘔吐! 安土城下の医師も手に負えぬありさまにございます!」

 それを聞くや明家は取るものも取らず、馬に乗って大急ぎで安土へと駆けた。一睡もせず駆けた。

(さえ…! さえーッ!)

 

 安土城に着いた明家。甲冑をつけたまま妻の待つ部屋へと駆けた。

「さえーッ!」

「父上! こっちです!」

 お福が廊下を駆ける明家を呼んだ。やっと妻と会えた。呼吸荒く、発汗も著しいさえ。

「さえ…!」

「と、殿…」

“無事に帰って来てくれた。間に合った、真っ先に私のところへ駆けつけてくれた”

 顔は笑って、心は激怒で夫を戦場に送り出した事を深く後悔していたさえは、夫が無事に帰ってくるまで死ねないと気力を振り絞り病と闘っていたのだ。図らずも夫に怒りを抱いていた事がさえに夫への申し訳なさを持たせ、気力を出させるに至ったのだ。世の中何が幸いするか分からない。夫が帰って来て緊張が解け、気力が失せだした時、大粒の涙を流す明家がさえの手を取った。

「寂しがらせたな、もう大丈夫だ。オレがいるぞ!」

「殿…」

 気力が再び盛り返してきた。

「はい…」

「監物」

「は、はい」

「直賢に京の曲直瀬道三殿にお越しいただくよう差配いたせ」

「あいや殿、すでに大殿の命により、曲直瀬殿を迎えに上がっております!」

「そうか…! 早く来てくれ…」

 さえの手をギュウと握る明家。

「殿…会いたかった…」

「オレもだ。ごめんな、ずっとほっておいて」

「殿…ごめんなさい…。私は越後にご出陣の時に…作った笑顔で殿を見送り…」

 涙をポロポロと落とすさえ。

「そなたを傷つけたのはオレなんだ。そして…それを気に病ませたオレが悪い。謝るからよくなってくれ。女房孝行をさせてくれ! そなたはオレの宝、そして命だ…! 治ってくれ!」

 

 翌日、名医と名高い曲直瀬道三が京から来た。そしてさえを診断し、明家にこう告げた。

「お覚悟なさっておくように。もはや私の手にもおえませぬ」

 それを聞くや監物と八重は泣き崩れた。明家は深々と道三に頭を垂れて

「かたじけのうございました」

 と丁重に礼を述べ、診察代を渡した。痛み止めと解熱剤を置いていき道三は安土を後にした。だが明家はあきらめなかった。その日のうちから明家は妻につきっきりに看病にあたったのだ。『オレがついているぞ』『ずっと一緒だ』と言葉をかけ続けた。日本最大勢力の大大名である柴田明家が妻の下の世話までして看病した。

 だがさえは下の世話を受けるのが恥ずかしく、夫にそんな真似をさせるのがつらくてたまらなかった。

「やめて下さい…。殿にこんな姿見られたくない…」

 一緒にさえの蒲団の横にいたすずがさえの気持ちを汲み取り言った。

「殿…。妻として夫に見せたくはない姿です。御台様の気持ちもお察しして下さい。私や八重殿、お福殿がいたしますゆえに」

「それは違うぞすず、病める時も寄り添うが夫婦なんだ。何がみっともない姿と云うのか。オレにとっては最愛の妻であるに変わりはない」

 すずは一言も返せなかった。そして思った。自分がさえと同じ立場になっても同じ事を明家はしてくれると。理屈ではなく明家の眼でそれが分かった。しかしさえが嫌がっているのは確か。羞恥に泣いている。自分の頭をこづく明家。

「い、いやスマン、すずの言うとおりだ。さえの女心も考えずオレの気持ちを押し付けてしまった。さえゴメン…」

「殿…」

「全部オレがしてあげたかっただけなんだ。本当にゴメン…」

 部下への気配りに長けた明家も妻に対してはまったく目が見えない。そんな不器用さが逆にさえは嬉しい。

「八重、すず、そしてお福、ご不浄(下の世話)を頼む。それ以外はオレがやるから」

「「はい」」

 改めてご不浄の処理がされた。明家は見ないよう外に出た。そして済むと戻り、

「さえ、悪かったな。さあ一緒に病と闘おう」

 と元気付けた。

「殿…さえは幸せです…」

「オレもだ」

 

 だが数日してあまりの苦痛に耐えかね、ついにさえは

「も、もう殺して楽にして下さい…。これ以上の苦しみに耐えられません…」

 と蚊のなくような涙声で明家に訴えたが、それだけはいくら最愛の妻に頼まれようと聞くことは出来ない。明家はあきらめなかったのである。水ごりもした。寒がるさえを抱きしめた。手足の冷感を訴えた時はずっと温めるように一日中その手足を愛撫した。さえを看病している時は側室に一瞥もくれなかったと云う。さえが自力で嘔吐物を吐けない時はクチで吸って排出した。いつもさえを励ます優しい言葉を耳元で

『今日もきれいだ』

『そなたの寝顔を見ているのが好きだ』

『治ったら子作りしような。早くそなたを抱きたいよ』

 と、いつも語り続けた。そして侍女に女の化粧の仕方を教わり、毎朝さえの顔に化粧もして、髪もとかした。発汗著しいため、一日に何度も体を拭いて寝巻きと蒲団を変える。これも人任せにせず自分でやった。食事も明家が食べさせ、水も飲ませた。時には口移しで飲ませもした。八重が少し温度を冷ました粥を持ってきた。それを受け取り明家が食べさせる。

「お、ネギ入りの粥だ。これは美味しそうだ。ほらさえ、アーン」

 食べてもすぐに嘔吐してしまう状態。でも何も食べなければ死んでしまう。明家は根気よく食べさせた。

 

 しかし柴田家の軍政は完全に放棄。あれほど律儀な性格の明家が軍務と政務を省みなかった。この時ばかりは仕方なく父の勝家が一時当主に復帰している。そして家臣に

「腑抜けと思うであろうが…せがれの思うようにさせてやってほしい。気持ちは分かる。ワシとてお市がああなったらと思うと…せがれを叱る事ができん。許してくれ」

 と頭を下げて願った。

「今の明家に…柴田家と妻一人の命どちらが大事かと問えば迷わず『妻の命だ』と言うであろう。さえが病になって分かった。智将だ名将だなんて言われても、あやつはさえがいなければ何もできん」

「いや大殿、我らはそんな殿が好きでございますよ」

 前田慶次が答えた。そして奥村助右衛門が眉間にシワ寄せ、勝家に言った。

「…大殿、このような話をするのは大変気が引けますが…」

「さえが死んだらどうするか…か?」

「御意」

「今の明家の立場で正室不在の事態は避けたい。利家と成政に年頃の娘もおるし、もしくは織田家から娶るのも良かろう。お市ももしもの場合は仕方ないと…涙ながらに納得した」

「殿が受けましょうか…。それ以前に御台様が身罷ったら殿は抜け殻となる事もありえます」

「ワシもそう思う。しかし立ち直ってもらわねばならぬのが柴田の実情じゃ。側室のすずたちに何とか明家に喝を入れてもらうしかあるまい」

「はっ」

「明家が後添えをどうしても受け付けないと述べても、それは立場的に許されないとワシが何としても言い聞かせ、新たな正室を娶らせる。その方ら家臣団は心配せず柴田の軍政に当たれ。良いな」

「「ハハッ」」

 

 苦悶はするが、意識は失わない。自分をずっと看病してくれる夫の明家の姿にさえはどんなに嬉しかっただろうか。『私に構わず柴田の軍政を』と何度か言ったが明家はさえの側から離れようとしなかった。改めて(ああ、この人には私がそばについていないとダメなんだ)と思うさえ。立場上、柴田の軍政をと言ったものの、さえは嬉しかった。夫明家は大大名になっても、側室を持っても自分への愛情に何ら陰りもなかった。疑った自分の頭を『バカバカ』とこづきたくなるほどだった。この人の妻になって本当に良かったと心から思った。

 さえの病は記録から見ると食中毒か破傷風とも云われているが正確には分かっていない。言える事は当時最高の名医である曲直瀬道三がサジを投げた重病と云う事である。だが奇跡が起きた。さえの高熱は徐々に下がりだし、食事を嘔吐する事もなくなった。再度曲直瀬道三を安土城に召した明家。診断して道三は

「信じられない…。奥方は快方に向かっておいでです」

「まことに!」

「どのような事をされたのですか?」

「いや別に大した事はしておりません。夫として当然の事をしただけです」

 明家は本心からそう言っている。妻が重病なら夫が看病するのは当たり前と。明家とさえの仲睦まじさは京にいる道三の元にも届いている。

「愛情に勝る薬はございませんな。はっははは」

 道三の言葉に顔を赤くする明家とさえ。

「ですが病は治りかけが肝腎、とくと養生せねばなりませんぞ奥方様」

「分かりました」

 その後も明家はさえに付きっ切りだった。さえの蒲団の横でうたた寝をする明家。

「お福、今日は底冷えがするから父上に上着をかぶせて」

「はい」

 眠る夫の顔を愛しそうに見つめるさえ。父に上着をかぶせながらお福が言った。

「ねえ母上」

「ん?」

「お福は…大きくなったら父上のような殿方の妻になりたい」

「…そうね、私もお福が父上のような人と一緒になってくれたら嬉しいわ」

「そういるかなあ…」

「お福が好きになった人が、きっとそういう殿方よ」

「竜之介は母上と結婚したいです」

「まあ、ありがとう竜之介」

 

 さえが快癒に向かっていると聞き、ホッとする柴田家臣団。明家の元気の源は妻のさえ。もし身罷ったらどうなっていた事か。最悪、後を追いかねないとも思った。

「良かった…。さえが峠を越した」

 そう安堵の溜息を出して妻のお市に述べる勝家。

「本当に良かった。さえは幸せな女房です。そしてそこまで深く愛せる妻を持つ明家も…」

 安土城内の広間、ここで柴田家臣たちが話していた。

「御台様の容態も良くなってきたらしい。最悪の事態は回避できそうだな慶次」

 と、奥村助右衛門。

「そうだな、しかし奥方が倒れるたびにこれでは困るな正直」

「オレもそう思わんでもないが…津禰がああなったらと思うと殿に強くも言えぬよ。慶次は出来るのか?」

「どうかな、加奈がああなったらオレも同じかもしれん。佐吉もそうだろ?」

「そうでしょうね。それがしも“奥方が倒れたくらいで当主の仕事を放棄するようでは困ります”と言えた義理ではございません。伊呂波がああなったらと思うと」

「はっははは、我ら愛妻家ぶりも主君ゆずりか」

 柴田明家直臣の幹部にはまだ黒田官兵衛や大谷吉継などがいるが、いずれも愛妻家で知られている。似た者同士なのであろうか。

「しかし…殿と我らでは責任の重さが違います。やはり我らが同じ立場に立ったらどうなるかは一旦置いてお諌めしなくてはならないでしょう。それがしが後日に述べさせていただきます」

「いや佐吉。それは筆頭家老のオレの役目だ。オレから申し上げる」

「しかし助右衛門、それで殿が『じゃあ津禰殿が病に倒れたら助右衛門はどうするんだよ!』と言ってきたらどうする」

  慶次の問いに少し困った助右衛門だが、膝をパンと叩いて

「『それはそれ! これはこれ!』と開き直ってお諌めをする」

「なんだそりゃ? 説得力の欠片もないではないか」

 慶次たちは笑い合った。

 

 やがてさえは快癒した。特筆すべき事がある。この時代の人間、特に女は大病を患うと、たとえ快癒しても体の衰えは著しいものがあった。例えるなら極度の冷え性になる事や、冬の寒気には関節がひどく痛み、酒を飲むしか痛みを和らげる術がないと云う事があった。

 しかしさえは先の症状と無縁であり、加えてこの後の人生で柴田明家の子を四人も生んでいる。まさにこの時に患った大病は夫の愛情により全快したと言えるだろう。

 さえが全快すると明家は伸ばすに任せていた不精ひげを剃ろうとしたが、さえが貫禄を水増しするため口ひげは残しては? と提案した。明家はそれに首を振りこう答えた。

「ひげを伸ばしたらそなたがチクチクして痛いだろ」

「んもう殿ったら知らない!」

 顔を真っ赤にして恥ずかしがるさえであったが、実に嬉しそうだったらしい。その場にいたさえの侍女たちは全身が痒くなったが、こうまで愛されているさえをうらやましいと思った。

 

 今まで、ただでさえ周囲が目のやり場に困るほどにイチャイチャしていた夫婦だったが、さらに磨きがかかり、往来で手を繋いで男女が歩くなど信じられなかった時代だと云うのに明家とさえはそれを堂々とやっている。

 他家の明家の顔を知らない武将たちが安土城下の往来でそれを見て『なんだあの若い男は。人前で女と手を繋いで歩き恥ずかしくないのか』と思ったが、その後に城で会った柴田家当主がその若い男であり驚いたと云う話も残っている。

 

 そして、快癒後に明家がさえを抱いた後。

「また殿に抱いていただける時が来るなんて…」

「オレは信じていたさ。さえが元気になる事を」

「ねえ殿…」

「ん?」

「ごめんなさい…。側室を持った事につまらない嫉妬を見せて」

「いや確かに…妻として拒絶したくても…柴田家正室としてそなたが拒絶できない事を半ば分かって虎と月を側室にしたオレが悪い。でもなさえ、正室と側室は違う。オレはさえの前でしか泣けないし…グチも言えない」

「私は殿の母上ではないですよ」

「母上以上の存在だ。オレの命そのものなのだから」

 その言葉がウソ偽りでない事は病の時によく分かっているさえだった。

「オレも男だから…きれいな女を見れば抱きたいとは思う。でもさえ、オレが抱きしめられたいと思うのは…さえだけだよ」

「殿…」

「さえ」

「はい」

「オレは閥を許さない男だ。それは家の中でもそうだ。オレに言いたい事もあるだろうが、虎と月と仲良くしてくれないだろうか。虎には佐久間家、月には小山田家の者たち。正室派と側室派に分かれてのお家騒動などもこの乱世いくらでもある。オレが火種を着けていて何だが…たとえ見せかけでも仲良くしてほしい。」

「いいえ」

「ワガママ言わないでくれ。見せかけだけでもいいから」

「そっちの意味の『いいえ』ではありません。すずと同じように友となりたいと思います。だって殿が認めた人たちでしょう? 同じ殿方を好きになった者同士。それに虎殿と月殿は私と同じ…世に裏切り者と罵られている方の娘同士でもあります。何か縁を感じます」

「さえ…」

「心配なさらずとも、我が家の中は私が円満に治めます。殿は柴田家の事を第一にお考え下さい」

「そなたは…最高の妻だ」

「おだてても何も差し上げませんよ」

「ついさっきたっぷりいただいたじゃないか」

「んもう助平」

 

 さえの看病中は側室に触れるどころか一瞥もくれなかったと云う明家。やはり正室のさえには敵わないと切に感じた。自分の入り込む余地などない。むしろあれほどに一人の女を愛している明家を見て、気持ちが良かったくらいではなかろうか。

 虎姫は『殿と御台様の愛、私たち側室は尻尾を巻いて逃げるしかなかった』と微笑ましく述べたと云う。そして正室さえが夫の側室たちと和を成そうとしたように、側室たちもさえを立てた。

 自分を『命』と言った夫の言葉がうそ偽りない事は、あの病にかかった時で十分すぎるほどに分かったさえ。だから彼女は明家がこの後にまた側室を増やしても一言の文句も言わなかった。

  しかし明家もそれにアグラをかかない。よく明家は『釣った魚にエサをやりつづける美濃殿』と言われていたが、彼はさえや側室たちを粗略に扱う事は一度もない。誕生日や各々と祝言を挙げた日も覚えており、その日は贈り物を渡し、各々が生んだ子には分け隔てない愛情を注いだ。

 そして明家は正室さえを一番愛した。一番多く明家の子を生んだのがさえである事がそれを物語っている。やはり一番に明家を癒したのはさえであったのだ。

 

 安土城内を侍女と共に大大名の正室らしく華やかな着物を着て歩くさえ。北ノ庄城下の小さな屋敷の台所で、火を熾すためにすすで顔を真っ黒にしていた自分が何か懐かしい。

 しかし明家は『オレは変わらない、北ノ庄城下の小さな屋敷でさえと二人で暮らしていた時と』と言った。自分もそれを心掛けようと思うさえ。安土城の中庭の廊下からふと見上げた秋晴れの空、立ち止まり気持ち良さそうに息を吸う。

(私も殿と同じく変わらない。今の私たちがあるのも死んでいった柴田と水沢の英霊たちのおかげ。殿はその英霊たちとチカラなき民たちのために戦のない世を作ろうとしている。私が患った病など比較にならないほどに重く病んでいる今の世、殿はそれを治そうとしている。

 柴田家の御台所として、私がそれにどれだけ助力できるかは分からない。でも私は殿と一緒にどんなつらい事にも逃げずに立ち向かう。すずや、虎殿、月殿とも一緒に。さえ、奥方様、御台様などと呼ばれ優越感にひたるまいぞ、富貴に溺れるなどあってはならぬぞ、私は柴田明家の妻さえ。それ以上でもそれ以下でもないのだから)



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紀州攻め

 上杉家への援軍出征も終え、また明家にとっては正室さえの重病と云う予期せぬ事態もあったものの、柴田家は落ち着きを取り戻す。

 柴田家は急速に勢力が拡大していった。それゆえ人事は慎重になさねばならない。先代勝家も『クチも出さず顔も出さない』と言ったものの、『こたびの戦の後始末を終えたら隠居する』とも言った手前、楽隠居は中々できない状態である。

 ここで話は前後するが、柴田家が畿内の王者となった直後の周囲大名の動きを簡単に述べておきたい。

 

 丹羽長秀は柴田家に降伏した。だが清洲会議では勝家につき、賤ヶ岳の戦いでは秀吉についた丹羽長秀の無節操さを勝家は怒り罵った。明家も取り成しをしなかった。勝家に『もう顔も見とうない』と強制的に隠居させられ、嫡子の長重に家督を継がせ息子明家の配下に置くよう命じた。かつての同胞の勝家に見限られた長秀は自分の所業を恥じた。悪い事は重なり、しばらくして現在で云う胃がんを発病。病に対する気力も失せていた彼は間もなく息を引き取った。

 

 細川は織田信孝の失言が元で柴田ではなく羽柴に付いた。海路を防備していた細川は合戦をしなかったので被害はない。だが勝利者となった柴田は羽柴に付いた細川を敵とみなす。

 だが忠興の父の幽斎は羽柴の敗戦を予想していた。なるほど最初は強い羽柴は連戦連勝となろう。だが、どんな理由をつけても主殺しは逆賊。最終的な勝利者にはなりえない。勝つのは明智光秀を討った柴田であるとほぼ確信していた。信孝の悪口雑言により血気にはやり羽柴についた息子。止めてもムダであろうと考えた彼は、すでに羽柴と柴田の交戦時から動いていた。

 細川幽斎と云う武人は、智勇兼備の名将であると同時に一流の文化人である。古今伝授と云うものがある。それは『古今集』の解釈を中心に、歌学や関連分野のいろいろな学説を口伝、切紙、抄物によって師から弟子へ秘説相承の形で伝授する事を指す。当時それが出来るのは幽斎しかいなかった。

 その幽斎が朝廷に持っていたツテを使い柴田への恭順を明らかにした。時の帝の正親町天皇も幽斎の技量と教養を惜しみ、勅使を派遣して柴田家との仲介をしたのである。勝家は個人的には不満ではあったが細川軍の精強を知っているので、それを受け入れ、そのまま丹後の統治を命じた。

 しかしタダではお咎めなしとしなかった。この機会を逃してはならないと明家はこれ幸いと『お構いなし』の条件として隠居していた幽斎に自分の相談役として安土への出仕を要望。『師として丁重にお迎えしたい』と申し出た。

 家臣ではなく『師として』と言われては、さしもの幽斎も悪い気はせず、しばらくして了承の返事を出した。幽斎とて自分が明家の師となれば細川は安泰と云う目論みもあっただろうが、天下統一に一番近い柴田明家の相談役と云う役目は男冥利につきる仕事。宮津から安土に向かう時は結構嬉しそうだったらしい。その細川幽斎、最初の献策が

「『明智、羽柴を倒し、織田から独立して畿内の覇者となった』と云う事を記した書を近隣の各大名にお送りなされ」

 と云うものであった。これは柴田明家が織田信長の後継者である事を大々的に示す目的である。加えて

「遠方の大名には『徳川と北条も柴田の配下についた』と云う旨をお届けあるように」

 勝者が戦勝報告の書状を出すと云う事はあった事であるが、それは同盟や和議関係ある大名相手。しかし幽斎はまったく見ず知らずの大名にも届けなさいと進言したのである。まさに幽斎、水を得た魚。明家は興味深く幽斎の進言を聞いた。とはいえ、徳川も北条も敵対とは言わなくても友好関係に至っていない。さすがに気が引けた明家だが、

「まあ騙されたと思ってやってみなされ」

 幽斎の進言どおりに行ってみた明家。しかしこの書、実際の状況をよく知らない遠方の大名は、その書状の内容を真に受けてしまった。

『柴田明家に逆らってもムダだ』

 と、九州の大友、そして沖田畷の敗戦で痛手を負っていた龍造寺からも友好の使者が届き、羽後の秋田氏も同じく貢物を柴田家に届けたのだ。あとでまんまと騙されたと知る遠方大名たちであるが、すでに友好の約を済ませてしまったので後の祭り。むしろ、その『戦わずして勝つ』の戦略に感心し、そのまま友好大名であり続けた。

 

 織田信雄はいつ柴田が領国である伊賀と北伊勢に攻めてくるか気が気でなかった。賤ヶ岳で味わった恐怖。まるで虎の群れに立ち向かう羊のごとき。命からがら戦場から離脱した。

 そんな時に『友好大名として共にありたい』と明家と勝家連名の書が届いた。信雄は胸を撫で下ろした。命が助かったのだ。そして自分の領国も安泰。すぐに快諾の使者を出した。無論、その胸中は穏やかではなかっただろう。家来筋の柴田家が自分を差し置いて織田家の事実上の後継者となったのだから。しかし拒否して柴田を敵に回したくはない。ここは柴田家の申し入れを受けて我が身の安泰を図った。

 

 そして賤ヶ岳援軍諸将の大名たちは対等の盟約ではなく従属を申し出た。飛騨の国主である姉小路頼綱も降伏。幽斎提案の書状作戦が効いたのかもしれない。

 柴田家と領地を隣接する上杉家にも大谷吉継が使者として向かい、友好から同盟に両家の絆を太いものにしたいと述べた。遠まわしであるが、これは従属の勧告である。越後・越中・能登の領有しかない上杉家では同盟相手として釣り合いが取れない。

 上杉家居城の春日山城、ここに大谷吉継は来ていた。そして景勝に明家からの書を渡す。

「ふーむ、友好の段階から同盟にまで至りたいか…」

「柴田と上杉は隣国、共に戦のない世の中を作りたいと主人美濃は願っております」

「…いくさの無い世の中か」

「もはや民は戦に疲れておりましょう。また越後は内乱の絶えなかった国、父が子を、子が父を殺すようなこんな世を、早く秩序ある平和な世にしたいと主人美濃は願っております。そのためには上杉と友好の約定をするだけではなく、共に乱世に終止符を打つために同盟して協力しあいたいとの仰せです」

「分かり申した。家臣たちと協議いたすゆえ、今宵は春日山にお留まりあれ」

「はっ」

 その後の協議では、おおむね家臣たちは柴田との同盟に乗り気であった。協議の後、景勝は直江兼続だけを召して二人で要談した。

「戦国の世は地方の合戦に勝ち進んだ者がいよいよ代表戦に至る佳境に入っているかと存じます。そして全国一の版図にて、かつ京を押さえ朝廷との繋がりも深くしている様相を示しているのが柴田にございます。何より当主がどれだけ恐ろしい男か我ら上杉が一番存じているはず」

「ふむ…」

 上杉家は越中、能登、越後の三ヶ国を支配しているが、柴田家と勢力版図は比較にならない。景勝も柴田の天下統一に加勢して、共存繁栄していく事が上杉家百年の大計と見ている。

「同盟と申しても、勢力の違いから従属的な立場は明らか。対等の同盟だと意地を張るのは災いとなりましょう。柴田明家と共にまこと乱世を平定する戦いに身を投じるのなら最初から従属と申す事が肝要と存じます」

「よし、柴田の従属となろう。御実城様(謙信)も認めた男だ。分かってくれよう。明日に家臣を全員集めてそれを伝え、三日後には安土に向かう。兼続」

「はっ」

「貢ぎ金の銭三千貫を用意しておけ。無論、そなたも参れ」

「承知しました」

 そして三日後、上杉景勝と直江兼続は安土へと向かった。無論、前もって訪ねる事は安土へ伝えられている。景勝の荷駄を見ると酒が三斗あった。

「殿、この酒は?」

「ああ、妻が明家殿に届けて欲しいと」

「菊姫様が?」

 菊姫とは武田信玄の五女である。

「うむ、武田の娘である妻にとって美濃殿は恩義があるゆえな。こちらの迷惑も考えず美酒を持たせよったわ」

 柴田明家が初めて春日山城に訪れた時、何度も菊姫が明家に礼を言っていた事を思い出した兼続。

「戦国の世、いや人の縁と云うのは面白いものにございます。父の代の上杉は武田とも柴田とも戦ったのに、子の代の今では味方となるなんて」

「そうよな。戦国の世もそろそろ終わりに向かっている証やもしれぬな兼続」

「御意に」

 数日後に上杉一行は安土城に到着した。一行は柴田家に歓迎された。従属願いを一度明家は拒否したが、両家の繁栄と共存を願う景勝主従に請われ、やがて申し出を受けて人質として差し出された重臣の子ら数名を丁重に遇する事を約束した。

 柴田家に上杉家が従属した。明家は戦わずして精強の上杉家を味方につけて、北陸全土をこの時に掌握した事になる。

 

 そして話は元に戻る。柴田明家は父の勝家、老臣の中村文荷斎、そして重臣たちと協議して明家新体制の人事を行い、安土城攻防戦、賤ヶ岳の合戦の論功行賞。および家臣団の刷新を図った。また明家嫡子の竜之介を正式に明家の後継者とこの時点で指名している。

(文章化が困難のため箇条書きとします)

 

柴田家当主 柴田美濃守明家(安土城)

柴田家先代 柴田修理亮勝家(安土城)

次代世継ぎ 柴田竜之介(安土城)

 

譜代衆筆頭 前田利家(越前南部全域 府中城 竜之介守役)

譜代衆次席 佐々成政(加賀東部全域 金沢城)

譜代衆長老 中村文荷斎(領地なし 高禄辞退 明家相談役 竜之介守役)

譜代衆 可児才蔵(近江長浜城 竜之介槍術の師)

譜代衆 毛受勝照(越前北部全域 北ノ庄城)

譜代衆 山崎俊永(丹波八上城 竜之介土木の師)

譜代衆 不破光重(丹波黒井城 安土城土木奉行)

譜代衆 前田利長(安土城城下町治安奉行)

譜代衆 中村武利(寺社奉行 五千貫待遇 安土城)

 

明家直臣衆

首席家老 奥村助右衛門永福(播磨国主 姫路城)

次席家老 前田慶次郎利益(高禄辞退 先駆け大将 安土城)

首席奉行 石田三成(領地なし 銭八千貫待遇 安土城)

参謀筆頭 黒田官兵衛(領地なし 銭八千貫待遇 安土城)

参謀次席 大谷吉継(領地なし 銭六千貫待遇 安土城)

奏者番筆頭 大野治長(領地なし 銭五千貫待遇 安土城)

黒母衣衆筆頭 松山矩久(丹波柏原城)

赤母衣衆筆頭 小野田幸猛(丹波篠山城)

京都奉行 高橋紀茂(山城二条城城代 銭五千貫待遇)

琵琶湖水軍棟梁 堅田十郎(近江坂本城)

商人司棟梁 吉村直賢(領地なし 銭二万貫待遇 堺・敦賀・安土に本陣)

旗本衆筆頭 高崎吉兼(近江唐国七千石)

旗本衆次席 星野重鉄(摂津天王寺七千石)

部将 堀辺半助(近江大津五千石)

部将 佐久間甚九郎(近江日野五千石)

工兵隊棟梁 辰五郎(高禄辞退 安土城)

 これに水沢隆広の時代から付き従ってきた二千の兵が旗本衆と言われ、工兵隊には年間三万貫の給金がある。水沢隆家旧家臣団子弟の高崎と星野両名も領地を持つに至る。

(なお、若狭水軍と藤林忍軍は物語の都合上、ここでは述べません)

 

柴田譜代、明家直臣家で当主空席家

佐久間家(摂津伊丹城)現時点では虎姫が名目上の当主。

小山田家(丹波亀山城)現時点では月姫が名目上の当主。

徳山家(安土城)

柴田勝豊家(安土城)

柴田勝政家(安土城)

拝郷家(安土城)

原家(安土城)

 徳山、柴田両家、拝郷家、原家の子弟は譜代衆に取り立てられる約束がされる。優れた少年は若殿竜之介の小姓と近習に配属された。なお、この時点では賤ヶ岳で討ち死にした将の遺臣は明家直臣衆と譜代衆の家臣に異動となっている。

 

友好・従属大名

蒲生氏郷(但馬国主 出石城)従属

九鬼嘉隆(伊勢南部全域 鳥羽城)従属

筒井順慶(大和国主 大和郡山城)従属

稲葉貞通(美濃東部全域 美濃岩村城)従属

森長可(尾張北部全域 大木山城[旧小木城]新城築城)従属

滝川一益(尾張南部全域 清洲城)従属

姉小路頼綱(飛騨国主)従属

丹羽長重(近江佐和山城)従属

細川忠興(丹後国主 宮津城)従属

上杉景勝(越中・能登・越後国主 春日山城)従属

大友宗麟(豊後府内城)友好

竜造寺政家(肥前国主)友好

秋田愛季(羽後檜山城)友好

織田信雄(伊勢北部全域・伊賀国主 伊勢長島城)友好

織田三法師(美濃西部全域 岐阜城)友好

 

柴田明家相談役(すべて安土屋敷と銭一千貫待遇)

細川幽斎

稲葉一鉄

 

 また、主なる家臣と配下大名には安土に屋敷も与えられており、配下大名は重臣を安土屋敷に常駐させる事が課せられている。かつ無用な城はどんどん破却されていった。守る人数が割かれ、維持費がムダであるからだ。跡地はどんどん新田開発により水田とされる。これを柴田の城割りと云う。

 

 京を中心の機内を支配下にした柴田明家は名実共に織田信長の版図を受け継いだ事になる。友好大名の領地も入れれば、畿内、濃尾、越前、加賀、播磨、丹後、但馬、飛騨と支配下に置いた事になるが、正しく言うと紀州(和歌山県)は手に入れてはいなかった。

 紀州は長年に渡り、鉄砲集団の雑賀衆と根来寺が支配していた。大名と呼べる者は存在せず傭兵集団と寺社が支配していた。石山本願寺が織田家と講和すると根来衆も講和の形となった。

 雑賀衆の鉄砲部隊は信長との戦いで、棟梁的な存在である雑賀孫市が討ち死にしており、鉄砲部隊と云う側面はあったとしても今は紀州の一領民として暮らしだしていた。しかし羽柴秀吉の挙兵のおりに莫大な恩賞を得て、その挙兵に応え柴田家と敵対したが往時の半分のチカラも発揮できず敗れてしまった。残ったのは柴田家に敵対したと云う結果だけである。

 先代の雑賀孫市の名を継いだ当代の孫市(孫市の名は世襲制)。彼には先代ほどの器量はなく、一族を統率するチカラに欠けていた。元々雑賀衆は多種多様な共同体が集って一団となっていた部隊。先代孫市なら統率できたが、息子には無理な相談であり、長老たちの傀儡に過ぎなかった。信長存命時でも織田方、本願寺側と分かれて戦った雑賀衆。さらにその雑賀を敵視する根来衆は結束の乱れた雑賀衆を倒す好機と見て、紀州の国内は小競り合いが頻発していた。

 紀州はここ数年は凶作が続き、深刻な食糧難に陥っていた。根来が雑賀を、雑賀が根来を攻めたのは相手の持つ食糧を奪うためでもあっただろう。

 

 両者の争いは紀州の民の苦しみ。国を捨てて隣国に逃げ込む者が後を絶たず、それらが紀州の実情を訴え、そしてそれは明家の耳に入った。そういう状態なら討つのは容易い。

 しかし最初に明家は両者のいさかいの仲介をするために使者を出したが、両者は聞く耳持たず。これは救いの手ではなく大義名分を手に入れるためである。畿内の王者として一度は手を差し伸べた。だが断ってきた。もう遠慮はいらない。柴田明家が当主になり最初の合戦。これが『紀州攻め』である。

『自分勝手に小競り合いを続け、民を省みない連中に話し合いの余地はなし。彼らにはその席に付く資格すらない。内乱に疲弊した紀州の民のため出陣する』

 と云う名目を掲げて紀州に進攻。そして明家は戦うより先に飢えた紀州の民に食糧を施した。先に紀州の民を味方につけたのだ。

 もはや民心は雑賀と根来より柴田に完全に向かれ、もはや戦う前に勝敗は決した。両者は自国紀州で完全に孤立した形となる。明家は独立国の様相を示していた紀州を本拠とする雑賀と根来に『柴田家の検地を受けよ、そして臣下の礼を取るのだ』と両者に下命。

 両者は固辞。雑賀衆にも意地がある。当時は独立国と云えた紀州。国の運営も自分たちでやってきたのだ。強いやつが現れたからハイそうですかと国を明け渡せば先祖に合わす顔がない。だが意地をはるのが飾り物の当主の当代孫市と他の一部の者だけではいかんともしがたく、次々と砦と城を奪われていく。それを聞いて他の砦と城の主たちも寝返って行く。

 ついに本城の雑賀城だけとなってしまった。彼らの利益の中心である雑賀の鍛冶屋町も港町もみんな柴田に奪われてしまった。明家は再度降伏を勧告。民衆の支持もなく、食糧難に陥っていたうえ、敵に回った雑賀衆が前線で攻撃してきて、その後には柴田の大軍勢。海は九鬼水軍が封鎖しており逃げようもない。ついに当代孫市はそれを受け入れて降伏開城した。孫市は自刃して果て、残った一族は赦免されたのである。

 だが依然、根来衆は拒否。彼らの本拠の根来寺は紀州だけではなく河内や和泉の一部にも勢力を及ぼしていた。その利権を奪われるのは耐え難い事だった。明家はすべての領内を一定した検地制度で行っていた。特別扱いを認めるわけにはいかないのである。根来衆は宗教勢力、一向宗と戦った経験のある明家は建て前で降伏を勧めるが、それはムダと云う事は分かっていた。迷わず攻撃を開始。

 雑賀衆と同じく抵抗むなしく次々と砦も城も落とされ、ついに根来寺だけになった。宗教勢力である根来がこの後に及んで恭順するはずもない。降伏勧告も出さず焼き討ちを敢行。根来寺は炎上して根来衆は全員自決して果てた。

 紀州の民百姓には生き仏のように映った明家であろうが、根来衆には鬼のように思えた明家だったろう。明家はもう勝家の下にいる一武将ではない柴田家当主。その自覚がこの戦いに出たのではなかろうか。何より柴田家当主になって最初の合戦、明家には負けられない合戦でもあった。根来衆にも言い分はあるだろう。しかし時流に逆らい、柴田に滅ぼされたと云うより自滅に近い形で滅んだ。明家は『民百姓を飢えさせる者に統治者の資格なし』と思っている。容赦ない采配を取り、根来を滅ぼした。前田利家や佐々成政、可児才蔵は苦笑し『やればできるじゃないか』と思ったらしい。

 ところで紀州の民は、鉄砲を作る事のできる技術者がたくさんいた。また瀬戸内海と太平洋を結ぶ海運に適した土地でもあったため、古くから漁業や貿易業が盛んなところであった。

 鉄砲製造の鍛冶職人が多く、商業の要地。建て直しには時間を要するであろうが宝の土地である。柴田の天領(直轄地)と定めた。新たな土地では庶民の暮らしこそ最優先。それをすでに交戦時にやっていた柴田家。年貢は今までの半分程度であり、そして柴田家の行き届いた政治が行われる事となるのである。

 雑賀一族も当初は腹に思う事があったが、先代孫市の娘蛍姫に柴田家筆頭家老奥村永福の次男が婿養子に入ると心境は一転。この時点ですでに奥村助右衛門、前田慶次、石田三成は『明家三傑』と呼ばれていた。その筆頭の助右衛門次男である奥村静馬易英が婿入りすると云うことは柴田家で認められている証拠である。何より易英は父親に似て武略に長け思慮深い男で、娘しかいない家では婿養子として争奪戦となっていた若者だった。

 雑賀一族はそのまま雑賀易英を名乗られよと薦めたが、婿養子に入ったからにはと易英は次代雑賀孫市を名乗った。彼の妻となった蛍姫は気が強く、中々夫に心を開かなかったが、次第に打ち解けて仲の良い夫婦となったと云う。新たな雑賀孫市を当主に据えて、雑賀一族は雑賀家となり、鉄砲部隊、そして鍛冶衆として活躍していく事となる。

 これで織田信雄の北伊勢と伊賀を除けば、柴田家は完全に畿内を併呑した事になる。総石高は当時まだ不明なるも、柴田の実入りが土地だけでないのは周知の事実。京の地も確保し、織田の後継者ともなりえた柴田へ販路を築きたい商人はいくらでもいた。吉村直賢の陣頭指揮により、すでに朝鮮や明、ポルトガルの商人とも交易が行われていた。

 

 論功行賞や国替えが終わると、柴田勝家は本格的に隠居した。隠居館『庄養園』琵琶湖湖畔に建てられた辰五郎一党の技術が集約した優美な浮き城。そこで愛妻お市とのんびり暮らしだした。温泉に出かけ、長年の戦場の疲れを癒し、趣味の茶の湯、書画や絵画を楽しむ日々。そして敷地内に建てた廟に柴田の英霊を祀り弔う。血なまぐさい人生を送って来た柴田勝家がやっと手に入れた平穏な時間である。これにお市と云う美しい妻がいるとあれば言う事なし。誰もがうらやむ老後だろう。

 しばらくして明家の子ら、つまり孫たちの教育もする勝家であるが、それはもうちょっと先の話である。

 

 羽柴秀吉が黒田官兵衛と大谷吉継に述べた『美濃はナマケモノにならなければならない』と云う言葉。働き者になれならともかくナマケモノになれ、とは妙な考えと思ったが官兵衛は亡き旧主秀吉の眼力に驚く。

 明家はガムシャラに働いているワケではないが、口頭で祐筆に指示を書かせ、それを部下に渡して主命を遂行させている。官兵衛が新田開発の指示書を盗み見た時、それは初心者にも分かりやすく、そしてその指示通りやれば成果は出ると云うものだった。家臣を甘やかしすぎだ、これでは殿の家臣はみな指示待ち人間になる。大谷吉継も同様な危惧を抱いていた。諸葛孔明に頼りきった蜀と同じ運命を辿る、秀吉の眼力はやはり鋭かった。とうとう二人は諫言に出た。と云うより実力行使だ。

 いつものように城主の間で家臣への指示を口頭で述べ、それを祐筆が書き記していた。そこへ黒田官兵衛と大谷吉継がズカズカと入ってきた。

「どうした二人とも…!?」

 官兵衛は祐筆が書いていた治水の指示書を取り上げて破いてしまった。

「何をするか!」

「殿、お人払いを」

 真剣な面持ちの官兵衛と吉継。

「…みな下がれ」

「「ハッ」」

 祐筆たちは出て行った。奏者番の大野治長にも出て行くよう指示した。気持ちを落ち着けて明家は官兵衛に訊ねた。

「官兵衛殿、今の仕儀の意図を説明あれ」

「殿、今後詳細な指示書はお慎み下され。ただ一言『治水を行え』『新田開発を実施せよ』など、項目だけでお済ませあれ」

「なに?」

「殿は家臣を甘やかしすぎにございます。あのような指示書があれば、自分で考えもしないのに成果が出せてしまう。つまり指示待ち人間ばかりになってしまうのです。殿とて寿命がある身。殿の死後、次世代の柴田家には自分一人では何もできない無能者ばかりと相成りますぞ!」

「……」

 続けて大谷吉継。

「確かにまだ、柴田の治世は創造期、内政や軍務もそれなりの数字を出さなければなりませぬし、予算もムダに出来ないのは分かり申す。しかし長期的展望を思えば大間違いにございます。今は家臣たちにどんどん失敗させ学ばせ、人材を育てる事が大事にございます。何とぞ手取り足取りの指示を出す事は慎み下さいませ!」

 気迫を込めて明家を諌める官兵衛と吉継。二人をしばらく見つめていた明家は一つ溜息をついた。

「…そうか、良かれと思っていた事が…後の柴田の堕落に繋がるワケか」

「はばかりながら、亡き主君、筑前守の言葉を述べます。こう申されました」

 大谷吉継は秀吉が言った“美濃はナマケモノにならなければならぬ、ボケる事を覚えねばならぬ”を一言一句伝えた。明家は黙った。

 元々彼は水沢隆広と名乗っていた頃も、部下には詳細な指示を与える傾向があった。ただの『治水せよ』『開墾せよ』と項目で指示を与えていたのは石田三成だけである。武断派の多い柴田、内政方面を苦手とする部下は多かった。だからこういう姿勢が身についてしまったのだろう。それに警鐘を鳴らした羽柴秀吉。

 今までは勝家の下にいたから何の実害もなかったが、これからはそれが許されないのだ。吉継のクチから秀吉の言葉を伝え聞いた明家。秀吉から叱責を受けているようだった。

「分かった…」

「殿!」

 ニコリと吉継に微笑む明家。

「よく言ってくれた官兵衛殿、平馬、礼を申す。そして亡き羽柴様にも感謝する」

「お聞き入れ、嬉しゅう思いまする!」

 主君を諌めるのは一番槍より難しい、とよく言われる。特に明家のように優れた者には尚更である。しかし明家はこの諫言に感謝した。指示書を破った官兵衛の思い切った諌めに感謝した。素直に過ちを認める事は難しいが、明家は納得したら素直に理解した。官兵衛の誠忠の気持ちが上がったのは云うまでもない。

 ここから明家の人の使い方は大きく変化した。おおまかな指示しか与えず、そして手も貸さず助言もしなかった。今まで詳細な指示に慣れていた家臣たちは最初戸惑うが、明家は“すでにお前たちに詳細な指示などいらぬと見たからだ。これからはすべて自分の判断で仕事に当たれ。失敗を恐れず思い切りやれ”と言い渡した。

 しかし案の定失敗の報告の連続。明家にとって『なぜこんな事ができない』『なぜそんな事も分からない』『これほどの巨費を使いながら、どうしてこの程度の成果しか得られない』と云う思いが腹の中に溜まるが、明家は顔に出さず家臣に失敗を理由に叱らずに、どうして失敗したかを分析させ、それを報告させて明家が納得できたなら再度同じ主命を与えた。そして最終責任は自分で取る事を家臣たちに明言していたのである。

 ただし失敗を隠した者には厳罰が待っていた。追放、そして時には斬刑もあった。優しいだけでは主君は務まらない事は承知している。君主は家臣に信頼される事は無論、恐れられなければならない。

 この時点ではまだまだではあったものの、後にこの家臣の使い方が生きてきて、柴田明家家臣団は優れた者が育っていく事となる。

 ちなみに明家は織田信長の良いところはどんどん真似たが、最たる手本となったのが道路行政である。この時代、道路が狭隘な事が戦略の一つと言ってよいが、信長は曲がった道を真っ直ぐにし、狭隘道路は拡張して広い道路を作った。かつ架橋もどんどん行った。そして広げた道路の脇には松や柳を植えるように指示をしたのだ。

 これは軍用道路も兼ねているが、流通経路の確保でもあった。信長の資金の多さはこういう政策の産物でもあった。明家はそれを真似て天領にはどんどん広い道路を作らせて架橋した。それを手本として家臣や従属大名も真似ていった。

 

 ある日、大谷吉継が明家に召された。主命だった。

「平馬、信州の上田へ行ってくれ」

「真田にございますか?」

「ああ、頼む。真田は次代当主とその弟がオレ個人の友なんだ」

「確か…信幸殿と幸村殿で?」

「うん、今のうちに味方にしたい。何より…」

「何より?」

「真田昌幸殿とは戦いたくない。あの方ほど恐ろしい武将はいない」

 しかし明家はその真田昌幸に鳥居峠の戦いと津笠山の遭遇戦、合わせて二度も勝利している。殿は真田昌幸に勝っているのでは?と云う顔で明家を見る吉継。

「三度目はない」

 ニコリと笑う明家。

「何とか味方にしてきてくれ、上杉を口説き落としたそなたこそ適任だ。頼むぞ平馬」

「承知いたしました」

 

 時を同じ頃、

『もはや徳川家についていても仕方なし。天下を取るのは柴田だ』

 そう決断した一つの大名がいた。真田昌幸である。彼はまだ水沢隆広と名乗っていた柴田明家と戦った事がある。鳥居峠の合戦と、そして甲斐津笠山ふもとでの遭遇戦。

 鳥居峠では見事な挟撃作戦を執り、津笠山ふもとでの遭遇戦では雪崩を用いると云う神算鬼謀を見せた水沢隆広。真田昌幸は柴田明家を高く評価していた。何より柴田明家が主君勝頼、信勝、北条夫人にしてくれた事は武田遺臣で知らぬ者はいない。

 しかも世間と云うものは案外狭く彼の長男の信幸と次男幸村は柴田明家と旧知の仲だった。竜之介と云う名前だった頃の柴田明家が養父長庵に連れられて恵林寺で修行をしていた時に友誼を結んだと云う。これは縁であろうと昌幸は思った。だが気に食わない事が一つだけある。柴田家家臣団に小山田一族がいる事である。昌幸は今でも主人勝頼を裏切った小山田信茂を許していない。小山田一族と再び同じ旗の元に集うなんて冗談じゃないと思っていた。それが今まで柴田家に接触しなかった理由だった。

 しかし事ここにいたっては仕方がない。真田家は十万石の大名。もはや天下の趨勢は柴田にあり、息子二人も柴田につくべきだと前々から述べている。そんな思案を巡らせていたころ、柴田家から大谷吉継が使者に訪れた。柴田明家からの書を当主の昌幸に渡す吉継。

「ふむ…。美濃守殿は当家と同盟を?」

「その通りにござる」

 またとない使者、渡りに船である。しかし弱みを見せるわけにはいかない。

「釣り合いがとれぬ。当家は十万石、美濃殿は交易による収入も入れれば石高は図りしれん。それがしには同盟ではなく降伏して従属せよと受け取れるが?」

「そこまでの意図があるか否かは臣めは分かりかねますが、我が主は真田と戦う事は避けたいと願っております」

「ほう…。それがしの倅どもと友だからか?」

「それもありましょうが、信玄の眼と呼ばれた安房(昌幸)殿と戦う事は得策ではないと思っております。老練で百戦錬磨の安房殿を恐れ、戦いたくはないのだと」

「よく言うわ、ワシはその美濃殿に二度も敗れているのだぞ」

「三度目はないと主人は申しておりました」

「殿…。悪い話ではないですぞ」

 と、真田家家老の矢沢頼康。

「大谷殿は羽柴筑前殿に仕えていたそうよな」

「いかにも」

「敵として美濃殿と戦ってどうであった?」

「恐ろしいと感じました」

「…あい分かった、家臣たちと協議いたすゆえ今宵は我が城でおくつろぎあれ、これ!」

「はっ」

「柴田殿のご使者を客間に通し丁重におもてなしせよ」

「ははっ」

「それでは良い返事を期待しております」

「ふむ」

 大谷吉継は真田家臣に案内され、客間へと行った。

「父上、柴田につけば武力だけではなく…」

「分かっておる信幸、すぐに了承すれば軽く見られるからあんな態度を執ったまで」

 真田昌幸は静かに微笑んだ。

「戦いたくないのはお互い様よ。雪崩を使われた時は観念しかけたわ」

 フッと笑う真田昌幸だった。



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茶々・初、嫁入り

 武田家の滅亡後、真田昌幸は織田信長の家臣となって岩櫃城を含めた本領を安堵され、織田家の重臣である滝川一益の寄騎武将となった。しかしその後、本能寺の変で織田信長が死ぬと甲信の織田家武将たちは武田遺臣の蜂起を恐れて旧領に戻ってしまい、武田遺領は空白地となった。その甲斐と信濃をめぐって徳川、北条、上杉らが進攻してきたのである。

 昌幸は滝川一益が神流川の戦いに敗れると北条に臣従し、北条家の信濃侵攻の先手を務めた。その働きは信濃の北条支配を実現するかのような目覚しいものであったが、一転して家康の懐柔に乗り北条を裏切った。これによって徳川と北条は和睦を選択する事になる。その和睦条件として徳川傘下となっていた真田の上野沼田領と北条氏の信濃国佐久郡を交換する事とした。

 上野沼田の北条への譲渡を求めるが、昌幸は徳川から与えられた領地ではない事を理由にして拒否、徳川家康は真田の造反を知ると真田攻めを起こし、鳥居元忠を総大将に大久保忠世、平岩親吉ら七千の兵を真田の本拠である上田城に向かわせた。

 しかし織田信長の武田攻めで、真田勢は二千で徳川の同兵力を蹴散らしているだけあり、この上田城攻めにおいて徳川勢は真田に大惨敗を喫した。

 

 だが昌幸は家康が本腰を入れて攻めてくれば勝ち目なしと思っていた。とはいえ一度叛旗を翻したのだから、徳川に再びつくわけにもいかない。何より真田昌幸は天下を取るのは徳川ではなく柴田と見た。もはや徳川より柴田である。

 そうこう考えているうちに都合よく柴田から使者が来てくれた。昌幸は使者の大谷吉継に色よい返事を書いた書を持たせ、後日に自ら安土へと向かったのである。事実上の従属を決断して次男幸村を人質に出すつもりで共に安土へと赴いた。通り道である信濃の大半は徳川領。昌幸は柴田に従属している上杉領の越後から北陸街道を通り、そして安土に到着した。

 すでに武田家の遺臣たちの多くが柴田家に召抱えられている。武田家滅亡後にその時点で大名だった徳川に仕えた者もいたが、一部の遺臣たちは水沢隆広の将器を見て、かつ主君武田勝頼を丁重に弔った事を伝え聞き、後の水沢隆広の大身を信じ、あえて徳川からの誘いを固辞して在野に身を置いた。彼らは明家が柴田家当主になると家臣になる事を願い出て召抱えられている。真田昌幸もまた、天下を取るのは柴田と見て徳川から鞍替えを決めたのだ。

 

 真田が来た、と云う報告を聞くと明家は歓喜した。城門まで出迎えるとまで述べたが、前田利家と奥村助右衛門が『それでは軽く見られる』と慌てて止めたと云う話が残っている。

 すぐに真田親子は柴田明家と対面した。昌幸はまず元武田家の重臣として武田遺臣を多く召抱えてくれている明家に礼を述べた。しかし小山田一族を召抱えた点については述べなかった。また主君勝頼、信勝、北条夫人を丁重に弔ってくれた事に対しても礼を述べた。小山田一族の中では投石部隊の隊長川口主水が立ち会っていたが、昌幸を正面から見る事は出来なかった。

「実は武田勝頼殿から安房殿(昌幸)へ言伝を頼まれております」

「まことにござるか!」

「はい、『すまなかった』と」

「…左様にござるか。いや詫びるのはむしろそれがし。あのおり小山田の裏切りを予想出来なかっ…いや、それはもう申しますまい。過ぎた事ゆえ」

 明家はチラと川口主水を見たが、かまわず続けた。昌幸の横にいる若武者に声をかけた。

「源次郎(幸村)殿」

「はっ」

「お久しぶりにございますな。津笠山の遭遇戦では敵味方として会いましたが、遠くて姿が確認できませなんだ。こうして直に会うのはそれがしが恵林寺を発った日以来ですか」

「そうなります」

「師の諏訪勝右衛門様を我が手で討ち…恵林寺を焼いた中将(信忠)様にそれがしは付き従っており申した。さぞや恩知らずと思われたでしょうな」

「思いました」

 一瞬静まった安土城の城主の間。

「しかし、それが乱世と云うものです。それがしも美濃殿の立場なら同じ事をしていたと存ずる」

「かたじけない…」

 明家は席を立ち幸村に歩む。そして幸村の前に膝を下ろし

「源次郎殿、武田信勝殿より預かりし物がございます」

「信勝様から…!」

 自分の腰に帯びていた脇差を取り、幸村に差し出した。

「天目山にて自決される直前に『無銘であるが源次郎の腰にあれば輝きを放つだろう』とそれがしに託し申した。やっとお渡しできる」

 幸村は両手で大事そうに受け取った。

「終生の宝といたします!」

 両手でしっかりと握る幸村を見て微笑み、明家は席に戻った。

「では安房殿、同盟の儀と参りましょう」

 と、明家。

「お待ちを」

「は?」

「対等の同盟を望まれるのは当家にとって嬉しゅうございますが、何事にもつり合いと云うものがございます。真田家は柴田家に従属する所存」

「従属…」

「然り、すでに蒲生、九鬼、筒井、稲葉、滝川、森の賤ヶ岳援軍諸将、そして上杉もその立場を取っているのに、我らだけが対等と云うのは不都合にございましょう。従属と云う形を取らせていただきたい」

「それは柴田にとって願ってもないこと。本当にそれで」

「それでよろしゅうございます」

「ありがたきこと!柴田家は胸襟を開いて真田家を迎え、重用いたしましょう!」

「では誓書の儀に」

 柴田明家と真田昌幸が誓書を書き、血判を押した。それを奥村助右衛門と真田家家老の矢沢頼康が受け取り、誓書を交換した。

「これで柴田と真田の盟約が成りました。安房殿、手前は信幸殿や幸村殿とそう歳の変わらぬ若輩者。よろしくお願いいたします」

「こちらこそ」

 誓書を丁寧に包み、ふところに入れた昌幸。

「さっそくで何でございますが…ぜひ手を貸していただきたい事がございます」

「何でございましょう」

「甘藷の栽培技術を当家にご指導願いたい」

 甘藷とはサツマイモの事である。(史実では江戸時代初めに長崎に伝わった)

 柴田家は琉球王国と交易をしていたため、すでにその栽培技術を会得していたのである。しかし東国では『甘藷』の名前すら知らず、一部知っていても『人体に害を及ばす危険な作物』と見られていたのである。

 当時の日本は米中心の経済であり、国の収入や武士の録は米の石高で計上されていた。しかし柴田明家は天候の左右一発で凶作になる米に頼りきるのは危険と考え、家臣に命じて新田開発を実施しながらも他の食物を産業や交易により多く確保する事に心砕いた。こういう発想が出来たのは、彼が父の勝家に領地ではなく、金銭で召抱えられていたからだろうと後の歴史家も指すところである。

 そして甘藷もその中で得た食糧確保の一つである。畿内では柴田家が最初に伝えたと言われている。当時甘藷ほど飢饉に対して有効な作物はないと知っているのは少なかった。

「当家の領地の上田、ここ数年は徳川と北条との戦で兵糧も底が見えております。加えて悪天候による不作で民も飢えております。何とぞご協力願いたい!」

「いいでしょう。栽培指示書と当家の農耕巧者を上田に派遣いたしましょう」

「恐悦に存ずる!」

「では主水、近日中に数名の部下を連れて上田に赴け」

「そ、それがしが!?」

「何を驚いている。そなたは当家の誇る甘藷栽培の名人であろう」

 半農半士であった武田家。小山田家もそうであったので元々農耕には明るく、信玄が認めるほどに新田開発や治水の技術を持っていた。それを知る明家は交易で仕入れた甘藷の種芋を小山田家に預けて柴田での栽培を命じた。その期待に小山田家は応え柴田家での自力栽培に成功。家老の川口主水は甘藷栽培の手本書を後世に残せるほどに、その技術を会得していた。

「し、しかし…我ら小山田が真田領である上田に赴けば…」

「赴けば…何だ?」

「……」

「ふむ…どうやら小山田家と真田家の溝を埋めるため対決を行う必要がありそうだ」

「美濃殿、対決など…」

「安房殿、合戦ではございませぬ。当家が毎月行っている討論会にございます。今月はすでに実施してしまったので家臣全員は無理でございますが、小山田家と真田家だけで行い、わだかまりを取っていただきます。よろしいですか」

「承知いたしました」

(そう簡単に払拭できるとは思えぬが…真田が小山田を憎悪する尺度を美濃殿は知らぬと見える…)

「主水、真田家からは安房殿と源次郎殿、護衛兵合わせて八十名、小山田家もその数を用意し、今から一刻後に討論会を行うのだ。オレも立ち会う」

「しょ、承知しました!」

 

 かくして、真田家と小山田家が柴田明家の立会いのもとに討論する事になった。他の武田遺臣らも立ち会う事になり、知らせを聞いた小山田信茂の娘の月姫は自分も立ち会わせて欲しいと希望した。明家は『間違いなく真田はそなたの父上を罵る。やめておいた方がいい』と言うが、それでもいいから参加させて欲しいと要望したので参加を許した。

 大広間の広い窓から望む琵琶湖に向かい、一同が討論会の誓いを立てた。真田家もそれに倣った。

『身分、男女、年齢も関係ない』『きたんなく意見を述べる』『けして腹は立てない』『けして後に残さない』『個人を攻撃しない』

 柴田明家が家中融和のために作った討論会。明家の立会いのもと、真田家と小山田家の討論が始まった。

“なぜ勝頼様を裏切ったのか”“なぜ小山田信茂の裏切りを止めなかったのか”

 と云う真田家の糾弾にも小山田家臣団は腹を立てずに丁寧に説明し、そして詫びたのである。明家も助け舟は出さない。黙って討論の行方を見守っていた。

“あの時の我らの主君はあくまで信茂様だった。主君が苦渋のすえに決断した事なら我らは従うしかなかった”

 そう答えるしかない。それが真実なのだから。しかし真田は納得しない。勝頼を居城に入れて、最後まで織田信長と戦うと言っておきながら小山田信茂は土壇場で裏切り勝頼一行を攻撃した。武田家臣として許せる事ではないと主張。小山田信茂の娘の月姫は父の汚名を一身に背負い、真田に詫びつくした。

「今、こうして柴田家の女となり、やがては殿の子を生み小山田家の再興を願うは父信茂の汚名返上のためだけにあらず。小山田家が柴田家の天下統一のため、この乱世を終わらせ日の本より戦をなくし、そしてよりよい国づくりをする事に粉骨砕身働く事が亡き御本城様(勝頼)へのせめてものお詫びと償いと信じているからにございます」

 と涙ながらにとうとうと語った。

“よりよい国づくりをする事に粉骨砕身働く事が亡き御本城様へのせめてものお詫びと償いと信じているからにございます”

 と言われては真田家もそれ以上言えず、そして昌幸が

「相分かり申した。今後、我ら真田家が亡き信茂殿を悪し様に罵る事は琵琶湖の龍神に誓い二度とありもうさん。羽柴筑前の挙兵からずっと美濃殿に付き従う小山田家に当家は礼を取らねばならぬ立場であるのに、この会での数々のご無礼許していただきたい。以後、我らも柴田の天下統一のために助力し、小山田家と共によりよい国づくりに懸命に励む所存」

 と述べて、改めて真田昌幸、真田幸村は丁重に月姫に頭を垂れた。感涙した月姫は真田親子の手を握り、何度も何度も礼を述べた。

「川口殿」

「は…」

「改めてお願いいたしまする。甘藷で真田の民を救ってくだされ」

「喜んでご助力させていただきまする」

 幸村はふと明家を見た。融和が成り微笑む明家を見て

(なんちゅうデカい男になったんだ…。まさに天下人の大器!)

 そう強く感じた。

「美濃殿」

「何でござろう安房殿」

「では川口殿をお借りいたします。最上の礼を持って遇しさせていただきます。また、このまま源次郎を置いていきますので、いかようにもこき使って下され」

 つまり人質と云う事になる。

「相分かり申した。こちらも源次郎殿に最上の礼をもって遇する所存にございます」

 

 こうして真田家の柴田家従属は成った。川口主水とその部下たちは上田に赴き、現地の真田家の者とも討論会をし、見事に融和している。当主昌幸の気配りがあったのは言うまでもない。

 そして川口主水は上田の地に甘藷を根付かせる事に成功したのである。現地の人々は、最初は『武田家を裏切った小山田の家臣』と白い目を向けたが、現金なもので主水が米に変わる奇跡の作物である甘藷をもたらす人物と知るや、尊敬のまなざしを向け、上田の地では『甘藷主水様』と呼ばれ、上田の一つの名産を作らせるに至る。上田の地には彼の作ったサツマイモの畑が今も残っている。

 投石部隊を率いる彼は鬼主水とも恐れられているが、鬼も民の前では仏であったと云う事だろう。

 一方、柴田家の人質になった真田幸村であるが、彼もまた柴田家のため懸命に働いた。当主明家と幼馴染である事にアグラをかかなかった。やがて才能と人物を明家と柴田家家臣たち、そして勝家とお市にも認められた。

 

 柴田家にいるうち、幸村と茶々姫は時々逢瀬を重ねるようになった。明家と比肩する美男子である幸村。そして顔だけの男ではない智勇兼ねた武人。性根も筋の通った人物。父の浅井長政の面影を感じた茶々姫は幸村に惹かれていった。時折見せるひょうきんな一面も愛しい。幸村も美貌の茶々に惹かれた。長女らしく妹思いで優しい茶々を愛しく思った。逢瀬では一緒に馬に乗り琵琶湖湖畔などを走った。茶々お手製の弁当に舌鼓を打つ楽しい逢瀬。二人は惹かれていった。そんなある日、茶々姫は明家に呼ばれた。

「いくつになった?」

「二十にございます」

「いや、オレも父上も色々と仕事に追われて今までそなたの嫁入りまで思案が回らず申し訳ない」

「いえ、兄上のせいではございません」

「と、云うわけで家中の者や友好大名から『茶々姫様を当家の嫁に』と云う要望が多く来ている」

「え?」

「いっぱい来ているぞ、モテるな茶々」

「…私がモテるのではなく、柴田明家の一の妹と云う私の立場が欲しいのでは?」

「何を拗ねている?」

「べ、別に拗ねてなどいません」

「だが悪いな、全部オレが断ってしまった」

「はあ?」

「真田幸村に嫁げ」

「え…!」

「念のため聞くが秘密にしているつもりだったのか? 幸村との逢瀬を」

「…はい」

「そうは見えなかったがな、父上と母上、初と江与も知っていたぞ。あっははは!」

「あ、兄上…! いじわる…」

「いつ幸村が『茶々姫をくれ』と言うかと、ずっと父上と母上、そしてオレは待っていた。で、まあ昨日申し込んできた。無論、父上と母上、オレも異存ない。どうか、幸村に嫁ぐか?」

「はい!」

 かくして真田幸村に茶々姫は嫁いだ。明家に政略的な意図は一切ない。とはいえこれで明家は真田家を完全に味方につけたと云える。

 茶々は城を出て、城下の幸村の屋敷へと嫁いで行った。城に比べれば貧しい暮らしだが、茶々はむしろ新鮮で喜んだ。大大名の妹姫から、人質の武将の妻である。幸村の家臣や使用人たちに最初は『しょせん姫育ち』と思われたが、食事も風呂焚きも自分で率先して、しかも楽しそうにやっている姿を見て、いつしかその気持ちも失せて奥方様と呼ばれるに至る。無論、幸村とは仲睦まじく、さながら明家とさえのようであったらしい。

 

 そしてこのころ、明家生母のお市の元に一人の女が訪れていた。浅井長政の姉の養福院である。彼女は京極家の出である。京極家は近江の名族佐々木源氏の末裔で、北近江を本領とし室町の足利幕府開設の功績で赤松・山名・一色氏らと共に四職に数えられる名家である。

 だが京極氏は浅井長政の祖父亮政の下剋上によって江北の守護の座から転落してしまった。以後当主の高吉は足利義昭に仕えていたが義昭と織田信長が敵対すると出家し息子の高次は織田家に人質となる。

 武勲を立てて北近江に五千石を得るが、その後に本能寺の変が起きた。高次は妹婿の武田元明と共に明智に属するが明智は柴田に大敗。武田元明は討ち死に。高次の領地は柴田に取られてしまい、若狭の地に逃れていた。

 高次は妹と母と潜んでいたが賤ヶ岳の合戦で返り咲きを狙うも兵もなく、生活に困窮する高次一行。高次の母の養福院は亡き弟の浅井長政の妻であったお市に救いを求めたのである。何とか柴田家の家臣の末席に加えて欲しいと云う要望だった。

「娘の竜子を美濃殿の側室として差し上げてもよろしく…」

「残念ですが息子はそういう振る舞いを嫌います。高次殿ご自身が売り込まなければ」

「しかし高次は瀬田の合戦で直接美濃殿と戦いましてございます。そのおりに…」

「そのおりに?」

 京極勢は水沢勢に圧倒され総崩れとなった。しかし隆広は逃げる京極勢を必要以上の追撃をせず、他の軍勢に矛先を転じた。その時、高次は鉄砲で隆広を狙い撃ちにした。

 しかしそれに気付いた隆広の兵が盾となり隆広は無事だった。その部下は伊丹城で織田信長に斬刑にされるところを隆広に助けられた者で名を村田作太郎と云った。

『作太郎!』

『御大将、無事で何より…』

 そう言い残し、作太郎は息絶えた。馬上で隆広は狙撃手をキッと睨み

『忘れぬぞ京極高次! キサマの顔と名を!』

 と激怒しながら言ったのだ。お市はそれを聞いて頭を抱えた。

「それならば何故柴田に仕官を? いかに温厚な息子でも高次殿を見たら斬りかねません」

「我らにとり、この近江は先祖伝来の地です。それに他の大名に行ったとしても柴田当主を怒らせた者を誰が召抱えます? もう逃げ隠れするのにも親子共々疲れました。罰を受けて死ぬか、それとも許されて柴田に仕えるか、二つに一つです」

「…分かりました。とにかく高次殿を息子に目通りさせる根回しは私がしておきますゆえ…あとは高次殿次第です」

「はい」

 そして数日後、京極高次が安土城に入った。その廊下での出来事。すれ違った者が高次の顔を知っていた。

「キサマ…! 瀬田の戦で作太郎を撃った者だな!」

 作太郎と同じく明家の直属兵で、かつては『伊丹衆』と呼ばれていたが、今は『旗本衆』と呼ばれている。高次を呼び止めた者は作太郎と同郷の若者で大石清之助と云った。

「両軍入り乱れての戦にござれば、かような事もございましょう」

 高次は静かに答えた。

「だまれ! 我らはすでに京極勢を追撃していなかったのに、キサマは卑怯にも鉄砲で殿を殺そうとした! それをかばってオレの親友は死んだのだ! ここで会ったが百年目! 作太郎が無念晴らす!」

 刀を握る清之助。彼と一緒にいた者が慌てて止めた。同じ元伊丹衆の若者だが作太郎とは知己程度ゆえ、戦場のならいと思っているのだろう。刀を取った手を押さえた。

「よせ! 城内で刃傷沙汰はご法度だぞ!」

「はなせ! この卑怯者を生かして返せば作太郎に会わす顔がないわ!」

「やめんか!」

 奥村助右衛門が騒ぎを聞いて駆けつけ一喝して止めた。

「ごっ、ご家老様…」

 旗本衆の二人は膝を屈し控えた。

「大御台様肝煎りの客人に対して何たる振る舞い、下がれ!」

「は、はは!」

 清之助は高次をジロリと睨み、場から立ち去った。

「お見苦しいところをお見せいたした。手前は奥村永福と申す」

「京極高次にございます」

「主人が待っております。こちらに」

「はっ」

 広間に通された。明家一人だけだった。高次はゴクリとツバを飲む。斬る気なのかと。

「柴田明家にござる。そこへ」

 明家の前に京極高次は座った。助右衛門は明家の傍らに座った。

「久しぶりにござるな」

「はい」

「心配せずとも斬ったりしない。戦場のならい、我らとて京極勢を壊滅させている。むしろ怨みはそちらにあろう。それに…作太郎を死に至らしめたのは我が油断である」

「……」

「何ができる?」

「は?」

「ご貴殿の得意分野を聞いている。母お市の肝煎りとはいえ無能者を雇うほど柴田は酔狂ではない」

「さあて…よく分かりませんが、まずは柴田家の事を知らなければ何とも…」

 それを聞くと明家は最後まで言わせず、

「分かった。二百貫で召抱える」

 そう言ったのである。奥村助右衛門は驚いた。破格の待遇である。

「ありがたき幸せ、励みます」

「うん、頼りにしているぞ」

「はっ」

 こうして京極高次は柴田家に仕える事になった。高次が立ち去った後に奥村助右衛門が訊ねた。

「なぜ、のっけから『分かりません』などと述べる男を?」

「あっははは、その『分かりません』だ」

「は?」

「今まで仕官してきた者に『何が出来るか』と訊ねると若くて見かけに威厳のないオレを侮り、自分の専門分野の事を得意げにペラペラとまくし立てるものが大半だった。そういうのに限って現場を知らぬ理屈ばかりの畑水練の者であった。しかし『分かりません』と云う言葉は、こっちの優越感を刺激し、かつ自分の謙虚さを示す二重の効果がある。つまりオレのような立場な人間には『この者は自分を脅かさない者』と云う安心感を持たせる。つまり…」

「つまり?」

「その者には分別があると云う事だ。どんなに優秀でも分別のない者に用はない。人材登用はその者を登用した後に家中でどういう事が発するかも考えなければならない。分別のない者は役に立たないどころか柴田家と云う千丈の堤の蟻の一穴にもなりかねない」

「なるほど…」

「尚武の柴田家であるが、瀬田での彼の戦いぶりを見るに戦場の猛将としての活躍は望めまい。しかしその猛将たちを支える『縁の下の力持ち』と云う役割で活躍してくれよう」

 

 ここから少し後日談となる。名将か凡将か評価が分かれる京極高次であるが、信頼のおける資料から見ると、高次の才覚は並より少し優れている程度だったと思われる。抜群の成果はないが、大失敗も同時にしなかった。明家と同じく温和な性格で、しかも裏表がなく実直な男だった。やがて清之助とも和解し、徐々にだが柴田家で人脈を広げていった。

 政治も軍務も地味な仕事ばかり回ってきたが、グチ一つこぼさずに丁寧に行い、かつその働きは明家を十分に満足させた。名家の出と驕らずに同僚との付き合いもよく学問に励み、そして老いた母に孝行していると云う。

 その人柄を見た明家は高次を事のほか信頼し、二の妹の初姫を彼に嫁がせた。その後は明家の義弟として、君臣の間に立ち家中の融和に配慮し地味ながらも堅実な働きを示していく事になる。彼の妹の竜子(史実の松の丸殿)も柴田の優秀な家臣に嫁ぎ幸せとなった。

 高次は生涯側室を娶らず、妻の初だけを愛し続けた。当主の実妹を娶り側室を持てば立場が危うくなるから、と云う説もあるが彼の妻への愛情ぶりは明家とさえの夫婦にも匹敵するほどで、初姫は夫の人物を見抜いた兄の明家に一生感謝したとさえ言われている。『分かりません』と云うたった一つの言葉が生んだ高次の立身出世であった。

 

 そして話は戻る。徐々に柴田の地盤を固めていく明家だが同時進行で同じく自分の勢力の拡大と地盤作りを固めていた男がいる。徳川家康である。居城の浜松城、その城主の間で家康一人座り、目をつむり黙していた。武田攻めの帰途中、心行くまで語り合ったあの若者と敵として対さなければならない事を悟る家康。

(避けては通れぬ相手よな…)



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家康動く

 畿内、濃尾、飛騨、越前、加賀、播磨、但馬を勢力化に置き、京も手中にした柴田家。それと同じころ徳川家康も甲信駿遠三の五ヶ国を手中にした。特に徳川軍の本隊と云える三河武士団は戦国最強と呼ばれていた。それに武田や今川の遺臣が加わり、将も一流揃いである。

 柴田家と徳川家の縁はありそうでない。織田と徳川の同盟のおり、徳川に使者に立ったのは柴田勝家であるが、別に徳川家と柴田家が直接友誼や同盟を結んだワケではない。織田の行った合戦の多くに陣場を共にしてはいるものの、家康と勝家はお互いを認めつつも、そんなに親しかったワケではない。現当主の柴田明家と武田攻めの後に親しく話してはいるものの、柴田と徳川には何の盟約もあるワケでもない。

「弥八郎(本多正信)」

「はい」

 徳川家康の居城の浜松城。家康とその腹心本多正信が話していた。

「ワシが甲信を取り、ようやく五ヶ国の大大名となったと思えばあの若僧、日の本一の大大名となりおったわ」

「左様でござるな、やらせてみたら面白いでしょうなァ。三河武士団と美濃の精鋭との激突は」

「面白いでは済まんわ。ヘタをすれば共倒れじゃ」

 苦笑する家康。

「しかし分からん。美濃はつい最近まで織田の一陪臣、なぜあれほどに勢力を拡大できたか。一揆の一つも起きていないと云う。ワシが一歩進むのに、美濃は十歩進むようじゃ」

「かような早い足取りでは、足元の小石に気づかずつまずく事もあろうかと。天才とも言われていますが、それゆえに一度つまずけばモロいもの」

 と、石川数正。

「美濃はそんな土くれの天才ではない。その小石を事前に退かして進む男だ」

 数正の言葉に返す本多忠勝。

「ずいぶんと褒めますな平八(忠勝)殿」

「会った事があるゆえな。しかし殿、美濃がかつて殿も認めた男とはいえこのまま見過ごしておけば中国と四国も彼奴が手のものとなり、手に負えぬ存在になるのは明らか。いずれ我らが領土にも目を向けてくるでしょう。今、指をくわえて見ている訳にも参りますまい」

「平八の申すとおりです殿、柴田明家は今のところ失政も負け戦もないようにござるが、まだ家を継いで間もなく付け入る隙はあると存じます。ここらで出鼻をくじくが肝要と存ずる」

 本多正信も添えた。

「ふむ…しかし彼奴の動員数は十万を越える。我らは全部かき集めても二万五千、どう戦う?」

「毛利、長宗我部、宇喜多を焚きつけて背後から突いてもらうと云うのは?」

 本多忠勝が言った。家康は首を振り

「難しいの、毛利は先代元就の遺訓で天下を望まず守成に務めよとあり、それが大方針。秀吉をむざむざ備中高松から退かせたのを見れば一目瞭然。長宗我部は四国統一で手一杯、宇喜多は直家すでに亡く世継ぎの八郎は幼君。外征どころではないわ。また毛利と宇喜多は賤ヶ岳の情勢によっては秀吉に付きかねない動きをしていた。今や畿内の覇者である柴田のネコの機嫌を取るためにマタタビは届けても、ケンカを売る事はいたすまいよ」

「平八の具申、すべて捨てるべきではないかと。噂を流すのはいかがでござろう。毛利、長宗我部、宇喜多が西から畿内に侵攻と」

「弥八郎、美濃は智将だ。ひっかかると思うか?」

「柴田と先の三家にまだ何の盟約もない今、絶対にありえないとは言えないはず。徳川の流した噂と知りつつも、兵を割いて西に配備しなければなりますまい」

「ふむ…」

「とにかくやれる手はすべて打ち、美濃の軍勢の兵力分散をいたさねば」

「よし弥八郎、半蔵に命じ、徹底して草を仕込んで流言せよと伝えよ」

「ははっ」

「殿」

「なんだ平八」

「同様な手を美濃も打ちましょう。上杉と真田に命じて我らの兵力分散を講じるはず。毛利らが寄せるは流言に過ぎませぬが、上杉と真田は実際に動くかと。それはいかがなさいます」

「それには手があり申す」

「申せ弥八郎」

「上杉には新発田重家をそそのかしましょう。織田信長に代わり徳川が後ろ盾になってやると」

「ふむ、面白い」

 新発田重家、彼は御館の乱では景勝に付くが、その後の論功行賞で不満を抱き織田信長を後ろ盾に反乱する。この重家の反乱のおかげで景勝は魚津城を見捨てざるを得なかったとも言える。

 重家の反乱勢力は本能寺の変の後に急速に力は衰えるものの、いまだ景勝に叛意を抱き居城の新発田城に篭っていた。新発田城は現在の新発田川が加治川の本流であり、阿賀野川、信濃川が織り成す広大な水郷地帯に面していた。新発田城はこれらの大水郷地帯と深い沼田に囲まれた、難攻不落の平城であった。

 新発田家当主の兄の長敦と共に御館の乱において功績があったものの加増は長敦の病死と共に事実上反故にされた。新発田の名跡と旧領安堵だけが重家の恩賞であったのだ。景勝にどんな思慮があったかは不明だが、これは論功行賞における不備による反乱と言われても仕方ない。(史実ではおよそ六年もかけて鎮圧に至っている)

「上杉はこれで動けますまい」

「よし、どうせけしかけるなら上杉領三ヶ国くれてやるとでも申せ。真田の方はいかがするか?」

「そう上杉のように我が方へ都合のいい男はおりませんが、北条氏政に上田を脅かしてもらえば真田は出ては来れぬでしょう」

「よし我が方の兵力分散はそれで防げる。あとは美濃との決戦に…」

「殿、お待ちを」

「なんじゃ数正」

「その大義名分は?」

 アッと、家康は苦笑し扇子を額にポンと当てた。肝心なことを忘れていた。

「それは何とかなりましょう。二つありまする」

「ふむ、申せ弥八郎」

「一つは秀吉と同じく三法師を立てる事」

「…それはダメだ。柴田は織田から独立したとはいえ、美濃は三法師に岐阜城を含め肥沃な領地を与えて厚遇しておる。美濃の娘と三法師の婚姻も決まり、先代信忠と親しかったゆえ家臣団にも美濃と親密な者が多い。ましてや美濃は賤ヶ岳で三法師が羽柴陣にいると知っていても容赦なく攻撃したではないか。擁立してもムダであろう」

「ではもう一つ、織田信雄を焚きつけまする」

「信雄? あの阿呆をか?」

「確かに阿呆でございますが、信雄には軍勢がございまする」

「ふむ…」

「清洲会議では柴田権六に満座の前で怒鳴られ、賤ヶ岳では美濃に粉みじんにされた信雄。徳川が付くと言えば諸手をあげて大喜びしましょう」

「なるほど」

「柴田と友好大名でいると申しても、心中は穏やかではないはず。凡庸とはいえ信長公の次男、本来なら柴田権六や美濃の上に立っているはずなのに、今では家臣あつかい、かなり憤っていましょう」

「よし、それでいこう。信雄を煽って焚きつけて、織田家再興を大義名分とする」

「「ハハッ」」

「智慧美濃か、ふん、大層な通り名だがワシにその智謀が通じるかな。直接の合戦なら負けはせぬぞ」

 

 徳川家康はついに立った。織田信雄を焚きつけ織田家再興を名分として柴田明家と戦うために浜松城を出陣した。

 慎重居士と呼ばれる彼がどうして大国を領有し、京さえ押さえている柴田に挑んだか。やはりそれは立たざるを得なかったからだと思われる。徳川にとって今がギリギリ柴田と五分の戦いに持ち込める時局であったからだろう。もとより柴田明家の首が取れるとは思ってはいない。戦って、たとえ局地戦でも良いから勝利する事によって徳川が東にありと誇示し、たとえ大軍でも徳川には勝てない事を悟らせる事が目的ではなかったか。勝たずとも負けなければ良いのだ。

 この知らせはすぐに柴田明家の耳に入った。遠からず徳川は動くと思っていた明家。急ぎ城の陣太鼓を鳴らして家臣たちを招集した。続々駆けつける柴田家臣、そして従属大名に与えられた安土屋敷に出向している各家老たちがやってきた。譜代、直臣、従属大名幹部が集まり軍議が開かれた。

「みなに告ぐ、徳川家康殿がいよいよ立った」

「「はっ」」

「大義名分は織田信雄様を担ぎ、柴田が簒奪した織田の天下を取り戻すと云うものだ。その数、信雄勢と合わせ四万の大軍だ」

「信雄様が…」

 と、前田利家。

「いかにも、信雄様は柴田との友好の盟約を破棄された。亡き大殿のご次男と戦われる事に利家殿や成政殿には思う事もございましょう。しかし信雄様御自らが柴田との友好を破棄され申した。三法師様を当主とする織田本家とはこれまでと同じく親密とする。しかし信雄様の家とは完全に手切れとし、徳川殿同様に敵と見なします」

「「はっ」」

 前田利家や佐々成政は信雄が徳川家康に踊らされている事を悟る。だが柴田との手切れを決心したのは信雄自身、かつての主家織田家を大切に思う前田利家や佐々成政とて、もう信雄を庇いようがない。愚かなり…。二人は心の中でそうつぶやいた。明家が続ける。

「信雄様の軍勢は伊勢湾を渡り徳川勢と合流、北上しすでに鳴海の城が取られたと滝川殿より報告が入った。四万の軍勢、かつ徳川殿の采配では尾州の滝川と森は防ぎきれまい。また尾張より美濃に入る道の領主は三法師様で戦にならない。何としても徳川・信雄連合軍を尾張で止める。全軍出陣の支度を急げ!」

「「ははっ!」」

「小山田、真田、そして武田遺臣たちよ」

「「ははっ」」

「徳川にも武田遺臣は多いと聞く。そなたたちにとっては風林火山の旗に集いし元同胞と戦う事になる。あちらの武田遺臣も複雑な思いであろうが今は敵と味方である。遠慮するな!」

「「ははっ!」」

「申し上げます!」

「うん」

「毛利が山陽道から! また長宗我部が軍勢を堺に向ける動きありとの事!」

 評定の間に激震が走った。明家は苦笑した。

「服部半蔵…いや本多正信の仕業か」

「流言と?」

 と、黒田官兵衛。

「兵力分散をさせる腹でしょう。ま、オレが徳川殿でもそういたします」

「殿には想定内でございましたか?」

「毛利、宇喜多、長宗我部と我が柴田には今のところ何の盟約もないゆえ、オレはその噂を敵の流言策と知りながらも無視するワケにもいかない。毛利は守成を尊ぶけれども、宇喜多や長宗我部は尾張での合戦の趨勢でどう動くか分からない。とにかく西の国境に兵は配備しなければならないな」

「御意」

「山陽道と堺に兵を向けよう。山陽道は播磨国主の奥村助右衛門と但馬国主の蒲生氏郷殿に任せる」

「承知しました」

「堺には前田利家殿を大将に二万、残る六万は東に進み徳川・信雄連合軍と対峙する」

「「ハハッ!」」

「助右衛門、利家殿」

「「ハッ」」

「敵影を見る事もない合戦に行かせるは申し訳なく思うが、これも万一に備えての事。軽く思われるなかれ」

「「ハハッ」」

「各従属大名には十分な軍用金を与えるゆえ、出向している各重臣たちはそれを持ち急ぎ国許に戻り、出陣を要請せよ」

「「ハハッ!」」

「では全軍、出陣の準備にかかれ」

「「「ハハッ!!」」」

「三成、幽斎殿」

「「はっ」」

「ここに」

 石田三成と細川幽斎は明家に寄った。手招きして耳を貸せと云う仕草だ。

「思いの他、徳川殿の動きは早かったが対応できるな」

「はい、工作はそれがしと幽斎殿、直賢殿ですでに」

「よし、すぐに行ってくれ」

「「承知しました」」

 石田三成はすぐに立ち去った。そして

「幸村、兼続殿」

「「はっ」」

「単刀直入に訊ねる。上杉と真田は助勢に来られるか?」

「上杉は新発田重家が動き、難しい状況かと…」

 上杉家家宰、直江兼続が実情を報告した。明家にもその新発田重家の反乱は耳に入っている。数日前まで安土に上杉景勝も滞在していたが、新発田重家に不穏な動きありと知り、すでに越後に引き返している。兼続はまだ仕事が残っていたので安土にいたが、交代の家老もやってきたので国許に帰るつもりであった。しかしその矢先に徳川挙兵であり兼続は帰るに帰られなくなった。

「やはりか…」

「申し訳ございませぬ。しかし当直江家の軍勢はおりますれば、寡兵とは申せ働く所存にございます」

「いやしかし…国許の新発田重家の反乱も重く見なければならぬだろう」

「さにあらず、新発田重家の反乱、織田信長殿が死んで今までナリを潜めていたのに急に盛り返したるは徳川に何ぞ美味しい褒美でも約束でもされたのでございましょう。重家は短慮者なれど阿呆にあらず、徳川と柴田の趨勢を見て本格的に行動しましょう。今の挙兵は牽制程度であるのは必定、それよりもこの徳川との戦、直江勢だけでも参戦し従属の約を果たしたく存ずる」

「ありがたい。謙信公ゆずりの采配、楽しみにしている」

「お任せを」

「幸村、真田は?」

「北条氏政が上田に迫っているとの事で…当家もやはり」

「ふむ…。噂には聞いていたが本多正信と云う仁は、そうとう切れ者だな」

 柴田には兵力分散を余儀なくさせ、徳川にはそれを一切やらせない。さしもの明家も知恵者と本多正信を認めるしかない。

「しかし安土にはそれがしの直属兵が出向していますゆえ、小勢でも存分な働きをお見せいたしまする」

「よし幸村、そして直江殿、オレの寄騎として参じよ」

「「ハハッ」」

 直江兼続と真田幸村は自分の兵をまとめるべく評定の間を立ち去った。

「さて…」

 柴田明家はゆっくり立ち上がり浜松の方向を見た。

「信雄様と徳川殿四万か…。当方は二万ほど多いが徳川殿相手に勝利は難しい。オレは無理をしない。だが負けない」

 

 こうして奥村、蒲生、前田勢は西の国境に向かい、毛利、宇喜多、長宗我部の万一の出兵に備えた。柴田明家率いる六万の軍勢も徳川に対するべく東に進んでいた。そして尾張の地で対峙。柴田勢は犬山に布陣し、徳川勢は小牧山に布陣した。

 着陣した明家に滝川一益が清洲から突出して敗退したと云う報告が入ってきた。明家は出るなと下命していたが、支城を落とされて黙っていては面目丸つぶれ。滝川一益は討って出た。そして敗退した。

「面目ござらん…!」

「……」

 明家は黙って一益の報告を受けた。

「それで…清洲は?」

「倅どもが死守しておりましたが…柴田勢犬山に着陣と聞き家康は兵を清洲から呼び返し申した。追撃に出るも粉砕されたとの事…。以後は死守に務めております」

「相分かり申した。勝敗は兵家の常、傷を癒し次の戦いで挽回されよ」

「ははっ!」

 

「ふうむ…犬山に布陣したか。中々に堅固な備えじゃな」

 同じく小牧山に布陣した徳川軍。これが世に云う柴田明家対徳川家康の『尾張犬山の戦い』である。

「まこと、法にかのうた布陣にございますな。殿、この戦は長引きますぞ」

「そうよな弥八郎。で、西には?」

「奥村助右衛門、前田又佐、蒲生が備えたとの事。美濃はそれがしの仕業と見抜いたでしょうが、無視するわけにもいかぬ立場。何とか最初の思惑通り兵力分散は成せましたな」

「亡き信長公なら流言と確信するなら全兵力をこちらに向けたであろうな。ふふ、彼奴め、そういう慎重さが妙にワシと似ておるわ」

「とはいえ美濃の軍勢は六万、大軍ですな」

「そうよな、まあ動員十二万以上が可能と云う美濃に半分ほどしか連れてこさせなかっただけで良いわ。この戦いは柴田のネコに一泡吹かせられれば良い」

「討って出ませんので?」

「軍勢こそはあるが、信雄の軍勢はハリコの虎よ。賤ヶ岳で美濃の攻撃に寸刻も持ちこたえられなかったと云うではないか。笑えるほどにアテにはならんわ。事実上頼りになるのは我が軍勢のみ。六万の柴田の半数以下じゃ。討っては出られぬ。勇みすぎずじっくり構えておれば必ず向こうから手を出してくる。そこを叩けば良い」

「なるほど」

「この戦、勝たずとも負けなければ良い。さあどうする柴田のネコ。そなたは今まで勝ち戦しか知らぬ。忍耐力ならワシの方が上じゃ」

 

 一方の犬山、柴田陣。

「なるほど睨み合いか。双方とも後は自分の領内、輸送経路も確保済み。狸親父らしいやりようだ。平馬」

「はっ」

「犬山の後方に町を作れ、そして商人と遊び女もどんどん雇え。長対陣に備えるぞ」

「承知しました」

 大谷吉継の差配で柴田陣の後方では町が作られた。長対陣で将兵の鬱憤を溜めないためである。

 二ヵ月、三ヶ月が流れた。柴田も徳川も動かない。睨み合いである。西の情勢も同じだった。奥村助右衛門も前田利家も兵の鬱憤を溜めない様に町を陣の後方に作ったと云う。これはかつて松永久秀や羽柴秀吉の取っていた方法で、柴田明家はそれをより大きく形にしただけである。彼は柴田当主になると、この方法を柴田戦術に取り入れている。敵に学ぶ明家。普段は倹約を推進するが、こういう時は金を惜しんではいけないと知っている。

「町を作っている?」

 これは家康の耳にも入った。

「陣の後に町を作り、将兵を慰撫しているとの事」

「…なるほど、敵もさるものじゃな。じゃがそろそろ痺れを切らす者が出てきよう。特に我らに敗北した滝川一益などはな」

 その通りだった。

「お願いにございます。我らに浜松を落とさせて下さいませ!」

 中入を発言してきた滝川一益。普段は冷静な彼だが、常勝の柴田明家軍の中で一つ敗戦をしてしまい、その汚名返上に必死なのである。

「中入はなりませぬ。賤ヶ岳で佐久間玄蕃殿の中入で父勝家の軍勢はどうなりましたか」

「しかし…!」

「良いですか伊予殿(一益)、伊予殿の敗戦は局地戦です。戦いは最後の一勝をすれば勝ちなのです。動いてはなりません」

「……」

「…聞けば伊予殿は裏の町にも遊びに行っていないと云う事。少し空気を換えてきたらいかがですかな」

「はっ…」

 肩を落として柴田本陣を去る一益。

「殿、あれは抜け駆けをしてしまいますぞ」

 と、黒田官兵衛。

「オレもそう思う」

「殿、こうしてはいかがでしょう」

 官兵衛は明家の耳元で考えを説明した。

「よし、それでいこう。取り計らって下さい」

「承知しました」

 翌日、陣の中で戦いたい気持ちを抑える滝川一益の陣に黒田官兵衛が訪れた。

「伊予殿」

「なんじゃ」

(虫の居所が悪そうだな…)

「官兵衛、あ、いや今は美濃殿の直臣の貴殿に失礼した。コホン、官兵衛殿」

 軍机に着座する一益は自分の横の床几に官兵衛を座るよう促す。

「のう、何とか美濃殿を説得してくださらぬか。何とか我らに汚名返上の機会を。こう睨み合いの毎日ではいいかげんイヤになる」

「それなんですが…」

「むう」

「実はこの長対陣で将兵も裏町だけでは足りず、不平不満を述べる者が出てきております」

 これはウソだった。極楽陣中と云うわけではないが、十分なメシに女、不平を述べる者は皆無と云うわけではないが非常に少ないのが実情である。

「ほう、そうであったか」

「伊予殿は亡き大殿にも腕前を認められた茶人でございましたな」

「ん? ああ、まあな」

「して伊予殿、その茶の湯で殿を助けてはもらえませんか。兵の不平で殿は頭を悩ませておりまして」

「なんと?」

「それがし見かねて…それで伊予殿にお願いする事を思いついた次第にございます」

「かような事でござるか。よろしい、茶会を開いて将兵の心を和ませるよう美濃殿に進言つかまつろう。それがしが茶頭となって差配いたすゆえ心配せずと」

「おお、ありがたい!」

 心の中でニヤと笑う官兵衛だった。こうして困っているから助けてくれと云う方が効果はある。数日後、滝川一益が音頭をとって柴田陣にて茶会が催された。

「なに茶会を開いている?」

 徳川方にも物見からその報告は入った。

「はい、滝川一益が茶頭となり催しております」

「……」

「徳川殿、これは美濃、完全に油断していますぞ」

 と、織田信雄。

「この機に乗じて一気に犬山に攻めかかりましょうぞ!」

「なりませぬ」

 家康はそれ以上言わずに自分の陣屋へと歩いた。

(何を考えている美濃…。町を作り、今度は茶会…。ワシを誘い出す腹か)

「半蔵!」

「はっ」

「柴田陣への草を増やせ、その方も直接見てまいれ」

「ははっ」

 こうして徳川の忍びである服部半蔵が夜陰に乗じて柴田陣の裏町に侵入した。半蔵は驚いた。完全に遊郭街である。

「半蔵様、美濃は何を考えているのでしょうか。合戦の陣場とは思えませぬ」

 部下の一人が言った。

「うむ…。いかに柴田の財力がすごいか分かるな…」

 半蔵はこの裏町と柴田陣に出入りしている商人を見たので、商人風体に変装して裏町と柴田陣の内偵をした。

 しばらく調べると、柴田の将兵は交代で非番制を取り、陣に留まり酒も女も断って合戦の備えるものが常時四万おり、非番の二万が裏町で遊んでいる。二万の将兵を慰撫するのであるのだから、それは広範囲である。もはや町だ。こういう楽しみがあるから四万の将兵は緊張を緩めずに徳川陣を睨んでいられる。軍律も守る。しかも遊んでいる二万も陣太鼓一つで駆けつける手はずとなっている。

「徳川にはこんなマネが出来るほどに金はない…。あっても倹約家の殿はせぬであろうが…戦場では将兵の性欲は平時より余計に高まるもの。これは敵といえ見習うべきかもしれぬな」

 半蔵は明家の取る裏町の仕組みに感心してしまった。

「半蔵様!」

「なんだ」

 部下の一人が知らせた。

「柴田陣から西へ早馬が!」

「よし、捕らえるぞ。美濃が忍びは藤林、一人で三十人の兵に匹敵すると云われる剛の者。油断するな!」

「「ははっ」」



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ネコとタヌキ

 服部半蔵は部下数名を連れて、柴田陣から出た早馬を追った。一人で三十人の兵に匹敵すると云われる藤林の忍者。追跡にも緊張が走る。だが、いざ追いついてみると馬に乗っていた男は半蔵たちに驚いて、攻撃をする前に勝手に落馬してしまった。

「いて! お前ら何すんだ!」

 半蔵は拍子抜けしたが、そのまま組み敷いて男のフトコロから書を抜き取った。

「ああ! 何すんだソレ返せ!」

「敵の密書を掴んでハイそうですかと返せるか」

「そんなモン読んだって徳川に何の得もねえぞ!」

「密書を運ぶ者はみんなそう言うのだ」

 早馬の男は泣き出した。

「ああ…オラはクビになっちまう…」

「お前…忍びでもなければ武士でもないな?」

「んだヨ、オラはお殿様が大殿様に仕えていた頃からこのお役目を与えられている越前の百姓で二毛作と云うモンだ。オラの特技は馬っこを早く走らせる事だけだ。だから戦場で書を預かり、お城までの早馬のお役目をお殿様にもらっているだ。今まで書を取られた事なかったのに…クビになったら、このお役目のお手当てがもらえねえ。ウチの田畑だけじゃおっ母とカカアとガキ六人を食わせられねえ、だから返せ」

「とぼけた事を申すな。敵の密使とは申せ百姓なら命は取らない。それだけでもありがたいと思え」

「じゃあせめて読み終わったら返してくれよ! お願いだ!」

「そんな事はオレの一存では決められぬ」

「クビになって飢え死にしたらオメエを呪い殺すだ」

「…オイそのうるさいの捕らえて連れて来い」

「「ははっ」」

 半蔵は明家の書を持ち、

(しかしずいぶんと厚い書だな…)

 と思いながら、徳川陣に戻り封を開けないまま家康に差し出した。

「殿、柴田美濃の密書が手に入りました!」

「でかした半蔵! 見せよ!」

 手に取る家康。

「何じゃずいぶんと分厚いのう」

「はあ…」

「どれどれ、どんな悪巧みをしておる美濃め」

 家臣たちが見守る中、家康は明家の書を読んだ。家臣たちは家康の顔を見つめる。家康の顔がどんどん赤くなってきた。よほど腹の立つ事が書かれているのかと思う。

「なんとまあ…」

「どうされた殿」

 と、本多正信。

「半蔵…」

「はい」

「これは美濃が女房たちに宛てた恋文じゃ」

「はあ?」

 恋文は四通あった。さえ宛て、すず宛て、月姫宛て、虎姫宛てである。やはり正室さえへの文章量が一番多い。側室たちの三倍近い。会いたい、抱きたい、お前の乳房が恋しい、太ももが恋しい、口を吸いあいたいとか恥ずかしげもなく書いている。他の徳川諸将も読んでいて恥ずかしくなり、とても最後まで読めなかった。

「何を考えているのだ美濃は」

 と、言いつつ笑いを堪えている本多正信。

「美濃はまだ若いゆえなぁ。“したい”盛りなんだろう。正室も側室も美女揃いと聞く。抱きたくてたまらんのだな、あっははは!」

「わ、笑い事ではございませぬ平八(忠勝)殿、これが国許への何かの暗号文ならいかに」

 そう言いながら、目から涙流して笑っている石川数正。

「いや数正、それはあるまい。暗号文にしては読むのに耐えぬほどの恥ずかしさじゃ」

 家康は苦笑しながら元通りに書を折り畳んだ。

「しかしまれに見る達筆じゃな。筆不精のワシとはえらい違いじゃ、半蔵」

「はっ」

「恋文に用はない。その早馬の男に書を返し、そしてこの路銀を渡して解き放ってやれ」

「はっ…」

  半蔵に明家の書と少しの金が入った袋を持たせた家康。

(人騒がせな美濃め! 大手柄と思えばとんだ赤っ恥だ)

 半蔵は二毛作に文を元通りにして返した。二毛作は文を無事に安土へと送り届け、妻たちは明家からの文を大喜びで受け取り、胸ときめかせながら読み、そして夫を思慕する気持ちをこれでもかと書いた返書を二毛作に渡す。妻たちからの返事を持って柴田陣に戻り、二毛作は首を長くして待っている明家に返事を渡す。妻たちからの文を至福の表情で読む明家。さえからの文に至っては頬擦りまでしている。一緒にいる小姓たちは笑いを堪えるのが大変だ。

 しばらくして二毛作が徳川に一度捕まった事を正直に報告した。

「申し訳ねえだす」

「参ったな…。徳川殿にオレが妻たちに発した恋文読まれちゃったか…」

「へえ、元通りにして返してくれましたが…」

「なるほど、恋文には用はないよな、あっははは」

「お殿様、クビだけは勘弁して下せえ!」

「隠していたのなら罰したかもしれないが、正直に報告したのだからいい。また妻たちに文を書くので呼ぶまで下がっていよ」

「へい!」

 二毛作が去った後、徳川陣をチラと見た明家。

(普通の将なら、陣中から妻たちに恋文を出しているオレに油断して何らかの手を講じるはず。しかし何もしてこない。三方ヶ原の合戦以後は慎重居士と言われるほどに石橋を叩いて渡る用心深さと聞いたが、なるほどその通りらしい。今ごろ『こういう戦は先に動いたら負け、動かざること山の如しだ』とでも申しているのかもしれませんな。しかし、それがそれがしの付け目にございますよ徳川殿、柴田はこの戦、勝つ必要はないのでござるゆえ。ただ負けなければ良いのです)

 

「今日も睨み合い、睨み合いの毎日じゃ」

 織田信雄が陣に作った砦で柴田陣を見つめグチる。

「信雄殿、戦に勝つには忍耐にござる」

 家康が諭す。

「美濃は今まで負け戦を知らぬ武将、油断してはなりませんぞ」

「そんなもの運が良かっただけよ! ワシはあやつが気に入らん」

「向こうもそう思っておりましょう」

「家康殿、今何か?」

「いや別に…」

(美濃が不敗を運が良いで済ませるか…。やはりこやつは阿呆よ。美濃がこやつくらい阿呆なら苦労はせんのにのォ。うまくいかんわ)

 

 越後春日山城、当主景勝の元に直江兼続からの書が届いていた。

「依然睨み合いか…。これは先に動いたら負けるな…」

 書を畳む景勝。そこへ使い番が来た。

「申し上げます」

「うむ」

「新発田重家、春日山が支城の笹岡城に迫るとの事」

「城主の山浦国清に伝えよ」

「はっ」

「挑発に乗らず、守備を固めよ、とな」

「ははっ」

「重家めが…美濃殿勝利の後に一挙に滅ぼしてくれるわ!」

 

 信濃上田城、真田昌幸は北条勢の侵攻に備えて動けなかった。

「ワシらを足止めするためとは申せ…北条も手抜かりはないの。上田を動けん」

 城主の間で息子の信幸と碁を打つ昌幸。

「幸村にはワシらの分まで犬山で手柄を立ててもらいたいものじゃのォ」

「あいつには真田の精鋭がついておりますし、佐助とお江も共におります。新婚早々手柄なしでは屋敷に帰られませぬゆえ、きっと踏ん張り我らの分まで功名を立てましょう」

「信幸、犬山の戦が柴田勝利で終わり、北条が引き返したら追撃するぞ」

「父上」

「ワシらを足止めしてくれた礼は返さぬといかんからな。少しばかり北条の領地かすめとってくれようぞ」

「はっ」

 

 柴田本陣、ここで柴田明家は直江兼続と将棋を指していた。

「徳川殿、動きませんな」

 と、直江兼続。

「動くはずがないさ。しかし信雄様がもういいかげん痺れを切らしているらしい」

「あっははは、おそらくは徳川殿を『待ってばかりのつまらぬ男め』とか考えているかもしれないですな」

「だがそれもそろそろ終わる」

「ではいよいよ…?」

「うん…。幽斎殿から成功の報が昨日届いたゆえな。後方の備えは?」

「手はずどおり整えておきました。それにしても…ふふ…」

「何だよ?」

「悪くなったものだな竜之介」

「お互い様だろ」

「あはは、はい王手」

「あっ!」

「これで手前の四十六勝無敗三引き分けですな」

「くう~ッ! く、悔しい!」

 

 一方、真田幸村。裏町に作られた遊郭で女を抱いた後に風呂で汗を流し、その後に自陣に戻っていた。

「ああ…。茶々に会いたいなあ…」

 遊郭で女を抱いた後なのによく言えるものだと、幸村についているお江と佐助は思った。

「奥方様に密告しようかな」

「冗談じゃないぞ佐助! だいたいお前だって昨日に裏町で女を抱いたくせに!」

「オイラは独り者だからいいの」

「…とにかく密告したら承知しないからな!」

「ところで若殿」

「なんだお江」

「さっきから何を書いているのです?」

「ん? 茶々への手紙」

 陣中から妻への恋文に書く幸村。

「ああもう、上手く書けないな」

 失敗作を丸めて捨てる。

「あーあー、こんな散らかして紙もタダじゃないのですよ若殿」

「うるさいなお江…あ!」

 失敗作の恋文を広げて笑っているお江。

「こら人の恋文を読むなよ!」

「『安土の方角に毎日口づけをしている』だって! あーははははッ!」

「うるさいあっち行け!」

 顔を真っ赤にしている幸村。

「ああもう早くいくさにならんかな!」

 

 そして数日、まだ睨み合いを続ける徳川軍と柴田軍。そこへ…。

「も、も、申し上げます!」

 徳川家康の元に血相を変えた使い番が来た。

「どうした?」

「み、み、み…!」

「『み』じゃ分からん」

「帝の! て、天皇陛下のご使者! 勅使にございます!」

「な…!」

 それを聞いて家康は柴田陣を見た。

「やられた! 美濃はこれを待っていたのか!」

 時を同じくして柴田陣にも勅使が訪れた。

「勅命である」

「「ハハーッ」」

 柴田全軍の将兵が勅使に平伏した。

「この国の民はいくさに飽いている。双方、矛を収めて国許へ帰還せよ」

「「ハハーッ」」

 平伏しながら微笑を浮かべる柴田明家。反して家康は…

「よろしいな、これは勅命である」

「ハ、ハハーッ!」

 歯軋りをして拳を握った。

(こういう事か美濃が…! 余裕が分かったわ、キサマは時間稼ぎだけしていれば良かったのだからな!)

 天皇自ら書いた和議の勅書を家康に向けて見せる勅使。これが柴田明家の首を取れる寸前での事なら家康は無視していただろう。しかし長期にわたる睨み合いが続いている状態では無視のしようもない。しかも見方によっては徳川家が二度と柴田家に合戦を仕掛けてはいけないと云う事とも取れる。

 そして分かった。柴田明家は自分より十八歳年上の我が身の死を待っているのだと。明家は今二十四歳、家康は四十二歳。人間五十年と言われた時代。謙信は四十八歳、信玄は五十一歳で没しているように、いかに健康に気をつけていても明日の運命は分からない。それは柴田明家も同じだが十八歳の年齢差では明家より先に家康が死ぬのが自然だ。自分が死んだ後に徳川は柴田に食われる。その最悪の予想図が脳裏に浮かぶ。

 家康は明家を警戒しているが明家はそれ以上の尺度で家康を恐れていた。何より三河武士団の強さを恐れていた。三方ヶ原の合戦のあと、武田信玄が三河武士団をこう評している。

『徳川軍の屍を見たか。武田軍に向かった者は皆うつぶせに、浜松城に向いて倒れている者は家康を逃がすために盾となり皆仰向けで倒れている。いずれも討ち死に…。さすが三河武士は剛の者揃いじゃ』

 この武田信玄の三河武士評を明家は少年時代に甲斐にいた時、快川和尚から伝え聞いている。いかに多勢でも家康率いる三河武士団とは戦いたくなかったのである。戦ったら両虎相打つのように勝っても無事では済まないと知っていた。だから戦いを避けて朝廷工作を石田三成、細川幽斎、吉村直賢に下命したのだ。家康相手では大軍でも勝利は難しい。ならば戦わなければ良い。徳川と戦うとしても家康死後ならば勝てる。今は恐ろしい三河武士団も家康あればこそ求心力もあり強い。しかし死後はそれを失い求心力は半減する。

 姉川の合戦では織田軍勝利の立役者となり、武田信玄にも逃げずに立ち向かい、倒されても立ち上がった家康。そしてそれを支える三河武士団。家康にとってはこの栄光が逆に仇となったとしか言えない。明家は徹底的に戦闘状態に入る事を避けた。今まで情けない経歴しかなければ、迷う事無く明家は小牧山を攻めただろう。

 本多正信は無念に目を閉じた。いかに敵の総大将が智慧美濃と呼ばれる男で、その参謀に黒田官兵衛がついていても、徳川に負けない戦をさせる謀り事はできると自負していた。しかし本多正信がどんな緻密な将棋を指して明家と云う王将を追い詰めても、柴田明家はその将棋盤ごとひっくり返してしまった。さしもの正信も策の巡りようがない。

(殿…)

 勅使に平伏しながら悔しさを顔いっぱいに見せる家康。家康には柴田明家の高笑いが聞こえてきそうだった。

(おのれ美濃があッ!)

 歯軋りしてもあとの祭り、天皇には逆らえないのである。この後、勅使二名立会いのもとに柴田明家と徳川家康が対面。武田攻めの帰途以来であった。明家は終始ニコニコしていた。家康も腹に一物あれども仕方ない。笑顔を見せて互いの領地に侵攻しないと云う約定を交わした。これは和睦である。陣に戻り家康は全軍に陣払いを下知。だが織田信雄は反対した。

「このまま手打ちで良いのでござるか! あの勅使は柴田の朝廷工作によるもの明白ですぞ!」

「たとえそうでも…一天万乗の帝のお言葉には逆らえぬ…。撤退にございます」

「徳川殿…!」

 悔しさのあまり地団駄を踏む信雄。柴田との友好の盟約を一方的に破棄したのは信雄。徳川にそそのかされたなんて言い訳が通じるほど柴田明家はおめでたい男ではない。このまま領地に引き返しては、いつ柴田に攻めこまれるか。

 しかしどうする事もできない。徳川軍は浜松に引き揚げだした。信雄もあきらめて帰途の準備を始めた。その時だった。信雄の陣に驚くべき報告が入ってきた。

「柴田美濃守、軍勢の最後尾で撤退!」

 この知らせに手を打って喜んだ信雄。

「バカが! 手打ちと見て油断したか! 柴田美濃守を追撃じゃあ!」

 帝の仲裁を無視する信雄に当然反対する家臣はいたが信雄は聞く耳持たない。

「これが千載一遇の好機! 天下人になるか謀反人になるかじゃ! ここで柴田美濃守を討てば、みな大名にしてやるぞ!」

 これでも反対した者を信雄は斬った。

「ワシの天下取りを邪魔するヤツはこうじゃ! 今美濃守は軍勢の最後尾にいる! 誰でも討てる! 柴田に盗まれた織田の天下を取り戻すのだ!」

 その言葉を聞き、ニヤリと笑う者。明家の最後尾撤退を知らせた信雄の使い番に化けた六郎だった。

 

「申し上げます! 織田信雄様、我が軍勢を追撃!」

 知らせを聞くと柴田明家はクルリと軍勢を返した。すでに柴田軍は美濃の国に入っていた。不可侵の盟約を信雄は反故にしたのである。

「返せ!」

 その指示が出ると柴田勢はすぐにとって返した。平野部、柴田勢は六万、信雄の軍勢は二万、信雄は柴田軍がすでに陣形を整えているのを見て愕然とした。

「謀ったか…! 美濃め!」

「信雄様、投了にございます」

 直江兼続が事前に戦場を想定し、各々の配置も戦場に標しを置いていたのだ。よってすぐに六万の柴田軍が布陣された。柴田明家が軍配を掲げ、降ろした。

「かかれェーッ!!」

 柴田軍は一斉に織田信雄軍に襲い掛かった。その知らせは家康の耳に届いた。

「バカな…! いかに阿呆とはいえ…そんな見え見えの罠にはまるとは!」

 そしてハッと気付く。

「しまった…! 美濃が狙いは最初から信雄じゃ! 畿内の伊賀と北伊勢を完全に柴田に併呑するために…! 主筋の信雄を公然と討ち取れる大義名分を得るために…! あの小僧ワシが仕掛けたいくさを逆用しよった!」

 賤ヶ岳で一瞬に柴田勢に蹴散らされた信雄の軍勢はやはりこの合戦でもモロかった。明家は信雄追撃を聞き、すぐに軍勢を返し魚鱗の陣を構えた。信雄追撃は計算通りだった。直江と真田が先行して突撃し、柴田軍の軍勢が第二陣として突撃。奇襲のつもりが待ち構えられていた信雄勢はひとたまりもない。アッと云う間に粉砕され、そして織田信雄は捕らえられた。

「捕らえたか…」

 本陣で報告を聞いた柴田明家。

「うまくいったようですな官兵衛殿」

「御意」

 この明家最後尾作戦の立案者は黒田官兵衛である。

「しかし正直、この案を入れて下された時は驚きました。主筋を謀略にはめて討つ事にございますれば、拒絶されるとばかり」

「以前に比べて甘さがないと?」

「はっ」

「以前は…柴田家家臣の水沢隆広だったからでござる」

「え?」

「今のオレは柴田家当主の柴田明家です」

「なるほど、覚悟が違うという事ですな」

「だが…」

「だが?」

「亡き大殿のように…無抵抗の女子供を殺すような事はそれがしには出来ない」

「大殿は大殿、殿は殿のやりようで戦をなされよ。そして無抵抗な女子供が殺されるような悲劇を繰り返さなくするために殿は働かなくてはなりませぬ。戦をない世を作るために」

「ありがとう、それに励むつもりです。ところで官兵衛殿、この戦いがそこもとの嫡男長政の初陣でありましたが…」

「長政が何か?」

「先頭を駆けて兜首を四つも上げ、かつ兵も薙ぎ倒したと云う報告が入りました」

「……」

「黒田家臣は大喜びで若殿長政を讃えたと聞き及んでいます」

「は…」

「今回の働きを当主の執るべき事と思われては困ります。誤った事を是として褒められては後々に命取りとなる。長政は亡き義兄竹中半兵衛が大殿の命令を無視してまで助けた者。義弟のそれがしは長政が誤った道に進むのを黙って見ているわけにはいきませぬ。それがしも手取川と安土、賤ヶ岳で同じ事をしているゆえ言える立場ではないですが忠告はできる。改めさせて下さい」

「承知しました。必ずや」

「お、信雄様が来たようです」

 兵に捕らわれ、腕は縛られ、そして柴田明家の前に座らされた。

「おのれ美濃…!」

「……」

「謀反人めが!」

「謀反人は信雄様にございましょう。帝の勅命に背きましてございます」

「あの勅使はまぎれもなく勅使であろうが裏で絵図を描いたのはキサマであろうが! 帝を利用したキサマこそ大謀反人!!」

「たとえそうでも帝の勅命を無視した信雄様は朝敵、かつて織田家に仕えたそれがしのせめてもの手向け」

 明家は信雄に歩み白扇を差し出した。『腹を切れ』と云う意味だ。

「ふん…。父の信長に手篭めにされかけたのをよほど怨んでいるようだな美濃。織田家がそんなに憎いか」

「慮外者!」

 大野治長が刀を抜いた。明家はそれを静かに制した。

「…信雄様、今のあなたが敗者としての立場に至ったのは、その分別の無さゆえです」

 明家は信雄の前に脇差を置き床几に戻った。

「綱を解け」

「はっ」

 兵が綱を切った。

「さあ、織田信長の息子ならば潔く腹を召しませ!」

 脇差を握る信雄。悔し涙を浮かべて明家を睨む。

「キサマには分かるまい…。父の信長には勘当とさえ言われ、家臣たちには無能者、阿呆と呼ばれ…智慧美濃などと言われているキサマになぞオレが今まで味わった屈辱など分かるまい…!」

「……」

「この戦こそ…無能よ阿呆と呼ばれ続けたオレが運に助けられて成りあがった貴様を討つ好機だった…! 無念…! 無念だ!」

 織田信雄は腹を切った。

「あの世から見ているぞ…! キサマがどんな世を作るのか…! どんな国を作るのか! この目で見てやるぞ…!」

 信雄の首は介錯されて地に落ちた。

「…信雄様、貴方の悲劇は貴方が無能でも阿呆だったからでもない。織田信長の息子として生まれた事が…悲劇であったのでございます。官兵衛殿」

「はっ」

「首はさらさずとも良い。遺体と共に家族に届けてやるがいい。丁重にお頼み申す」

「承知いたしました」

「安土に引き揚げるぞ!」

「「ハハッ!」」

 朝廷を介しての和睦の知らせを聞いた奥村、前田、蒲生の軍勢も軍を退いた。やはり毛利、宇喜多、長宗我部は何の軍事行動も示さなかった。敵影を見る事もなく終わった戦だった。

 織田信雄との戦いが初陣だった黒田長政は兜首四つも取る大活躍であったが、その後に父の黒田官兵衛に激しく叱責された。

「タワケが! 大将たる者のする事ではない! 大将がやられたら兵はどうする! はては一人息子のお前が死ねば黒田家はどうなるのだ。お前の所業は匹夫の勇と云うものだ。二度とするな!」

 と、こってりアブラを絞られた。長政も聡明な人物、父の愛情を知り二度と分別なきふるまいはしないと父に約束した。

 

 浜松までの道中、織田信雄敗れ斬首されるの報は家康の耳に届いた。

「さもあろうの…」

 家康が信雄の敗北と死について発したのはこれだけだった。あとは無言で馬を進めた。

「殿…。我らは美濃に対する事ができなくなり申した…。戦う事さえ許されぬとは!」

 悔しさを顔一杯に表す本多正信。

「陣中から女房に恋文を送るような軟弱者に屈する事などできませぬ!」

「そうがなるな、戦う事も許されないと言うのは早計ぞ弥八郎」

「は?」

「まあワシとて一時、柴田と戦う事さえ許されないのかと狼狽したが、少し頭を冷やすと必ずしもそうではない。朝廷と云うものは次から次へと立場を変える。源平の後白河法皇が良い例よ。平氏、木曽義仲、義経、頼朝とコロコロ立場を変えていよう。今の正親町天皇も似たようなもんであろう。

 まあ今の朝廷は織田殿のおかげで権威を回復できたと云う経緯があり、それを継承して朝廷を尊重し、威信の回復に尽力してくれる美濃の要望を了承したのであろうが先の勅使による和議、あれはこの戦に限ったものよ。美濃とて今回の勅命で徳川が完全に柴田と対する事をあきらめたと思うほどめでたくはあるまいが、隙あらばワシは再び美濃に挑むつもりじゃ。

 北条を今以上に手なづけ、他の関東諸将、奥州勢さえも味方に組み入れ、信濃を経て美濃の国に入る。この日本、東西に分かれての天下分け目の戦を仕掛ける。京に至るのは無理でも柴田のネコを再び野戦に引きずり込む事は可能じゃ。美濃はいずれ中国、四国、九州も支配に至るであろう。それに伴い動員兵数が二十万三十万になろうが、すぐに整えられる軍勢は五万か六万であろう。十分に戦いようはあるわ。ワシの寿命を待つ腹であろうが、そうはいかん。必ず同じ土俵に引きずり出してやるわ!」

「殿…」

「じゃがまだその西進をするには徳川はチカラ不足じゃ。弥八郎、北条の手なづけや関東諸将と奥州勢を味方につける方策はそちに任せる。ワシは領地の経営に専念し国力を高め、水面下で兵馬を整える。美濃との再戦のためにな」

「御意」

 家康は気持ちを切り替えた。目には闘志が宿る。勝ち戦しか知らず、しかも若い。必ず焦れて先に動くかと思えば、見事に六万の軍勢を統率し最後まで動かなかった。徳川家康は柴田明家こそ生涯最大の敵とこの瞬間に認めたのである。西の化け猫と東の古狸、両雄並び立たず。勝つのはどちらか。

 

 一方、柴田明家は織田信雄の家臣たちに無体な仕打ちはせず、このまま柴田家に尽くすなら今までどおりの役職を与えると伝えた。しかし帝の勅命に背いたのはやはり厳罰とし、織田信雄の家は断絶としたのだ。信雄の家臣たちは離散のうえ異動され、各々の柴田武将の配下へと配属されたのだった。元々信雄は家臣たちの信頼も薄かったので、幸か不幸か、内乱は発生しなかった。お家断絶とはしたが、信雄の幼い子らは柴田家が引き取り、男子は長じて仏門へと入れられ、女子は柴田家臣へと嫁ぐ事となる。

 信州の上田から北条勢は後退、すかさず真田勢は追撃を開始。昌幸の軍略と精強の真田兵に北条は追い払われたあげく、勢いに乗じた真田に千石単位の領地をむざむざ献上するはめとなってしまった。

 越後で内乱を起こしていた新発田重家も徳川の後ろ盾がなくなり、やがて上杉軍に攻め込まれた。兼続不在とはいえ、さすがは上杉景勝。士気の衰えた新発田勢をまたたく間に駆逐し、新発田重家を自刃に追いやったのだ。

 信雄の旧領である伊賀と北伊勢も功臣に分け与え統治を命じた。可児才蔵が長浜城主から伊賀国主となり、当主不在の佐久間家と丹羽長重を北伊勢に異動。この時点で近江、摂津、和泉、河内、そして紀州が柴田明家の天領となっている。明家が大坂に城を作ると下命したのはこの時期と言われている。

 

「いよいよ畿内を支配下に置いたか」

「はい」

 ここは琵琶湖の浮き城の庄養館、柴田勝家とお市の隠居館である。ここに明家は訪れ茶室で父勝家の点てた茶を飲んでいた。

「信雄様は…哀れであったの」

「……」

 勝家はそれ以上は言わなかった。柴田との友誼を自ら断ち切り挑んできたのは信雄自身。勝家が明家の立場なら、やはり討つしかなかったであろう。

「大坂に城を作ると聞いたが何故じゃ」

「交通の要所にして、海の交易がしやすくなりまする。亡き大殿(信長)も石山本願寺の跡地に壮大な城を作ろうとしていたとの事。安土は元々天下の政庁と云う意味もございましたが、軍事的には地理を見ますに上杉謙信公の上洛に備えてのものと考えられます。今はその上杉も当家に従属しておりますれば、軍事的には用を成してはいません。毛利、長宗我部、島津との戦いも視野に置きますと、やはり大坂の地に城が欲しいと考えた次第です」

「なるほどのう、まず西か」

「はい、それゆえ徳川との戦いで将兵を損ないたくなかった次第です」

「宇喜多はどうか?」

「宇喜多には調略を向けております。重臣の花房職秀がすでにこちらに味方についております」

「当主の八郎は確かまだ十二歳であったな」

「はい、若君を厚遇してくれるなら、と云う事で宇喜多は味方に付きつつあります」

「それが終えたら長宗我部か」

「いえ大坂の築城もございますし、何かと金がかさみます。領地も人口も増えて目が行き届かない事も多いので、しばらくは内政に励もうと思います」

「そうか、己が領内に楔を打ち、初めて外征は出来るもの。しっかり務めよ」

「はい!」



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忍びの持ちたる国

 ここは若狭の国、現在の福井県の西部である。若狭の民たちは自国が柴田明家の領地となった事を喜んだ。理由はこうである。

 織田信長の権勢当時、若狭の地は織田信長から丹羽長秀に与えられたが、その統治のおりに大変な凶作に陥った事があった。越前と若狭はほぼ同じ気候風土、だが越前では凶作どころか豊作だった。若狭丹羽氏と越前柴田氏の農業指導者の違いと言えるだろう。

 しかし当主の長秀は安土城における務めが多く、近江の佐和山城にいる事の方が多かった。嫡男の鍋丸(後の丹羽長重)はまだ齢十を数えたばかりだったので家臣たちが何とか現状を打開しようとするも、事は思うように運ばなかった。ついに長秀の家臣たちは小さな村五つほど見捨てたのである。

 それを聞きつけた水沢隆広は主君勝家に救済を申し出て、北ノ庄城にある備蓄米の一部を割いて若狭に向かった。それを聞いた留守を預かる長束正家は越前と若狭の国境まで出向いて

『同じ織田と申せ、施しは受けられぬ、帰られよ』

 と水沢隆広に抗議したが、

『お家の面目と民の命どちらが大事か!』

 と逆に怒鳴られて、渋々ながらも柴田家の救済を受ける事となった。その後に隆広は凶作になった田畑を調査して、地元の民に“武士に頼らず、自分たちで美田を切り開け”と、正しい治水方法と開墾の仕方を教えたのである。その後、その村々が飢饉になる事はなかった。

 時代は織田から柴田と変わり、若狭の地は柴田の直轄地となっている。柴田家から改めて検地を受けた若狭の国。総石高は八万五千石と算出された。丹羽氏はそれ以上の石高を織田家に報告していたが、柴田はそう計上した。領民に無理な年貢を強いる事がないようにである。

 

 柴田明家は安土からこの若狭の国に久しぶりにやってきた。前から見てみたかった若狭三方五湖を訪れたかったのだ。山に登り、それが一望できる場所に立った。現在のレインボーライン山頂公園の場所と思われる。若狭湾と山々と三方五湖とがいっぺんに目に飛び込んできて明家はしばし時間を忘れた。

「きれい…」

 明家に背負われているすずはウットリとした。

「すずほどじゃないぞ」

「殿ったら…!(ポッ)」

 今日の供は藤林の忍軍たちだった。忍びたちは体がかゆくなった。

「ここの美しさはすでに万葉集に歌われているんだ。『若狭なる三方の海の浜清みい往き還らひ見れど飽かぬかも』とな」

「詠みたくなる気持ち、私にも分かります」

「すずを見たら古の万葉人もその美しさを詠みたくなると思うぞ」

「もう、やめて下さい恥ずかしい…!」

「ははは、殿はどんな時でもすかさず妻を褒めますな」

 と柴舟。

「本当の事を言っているつもりだぞ。さて今日はここで銅蔵殿とお清と会うはずだが場所分かるかな」

「心配無用にございます。迎えが出ていますから」

 その柴舟の肩には明家とすずの息子の鈴之介が肩車されている。舞、白、六郎もここにいる。

「して…殿、どうして我ら忍軍をこの地に召したので?」

 柴舟が訊ねた。

「ん? ここに城を作る。若狭領主の城だ」

「若狭領主のお城?」

「そうだ。若狭に今まであった城はみんな山城で、越前や丹後、丹波の敵の侵入に対して備えていたもの。しかしもう若狭を攻める国はない。統治には平城が良い。それでどの地が良いかと家臣たちに調べさせたところ、三方五湖周辺が良いと云う報告だ。他の山城は存在しても人員が割かれるだけなので、破却してここに平城を作る。北に若狭湾、南に三方五湖を望む平城。敦賀と舞鶴にも近いゆえ、いい貿易港も作れるだろう。その城と若狭の国を藤林家に任せる」

「左様でございますか…………は?」

 すずは明家の背で素っ頓狂な声を上げた。

「殿、今なんと…?」

「おい、柴舟あぶない! 鈴之介が落ちる!」

 肩に乗せている鈴之介が落ちかけていた。

「あ! こ、これは申し訳ございませぬ若君」

「若狭の国を藤林家に任せるつもりでいる、そう言ったんだ。あ、すずはオレと一緒に安土にいなきゃダメだぞ」

「と、殿…。本気で申されているのですか?」

「当たり前だろ、すずはオレのそばにいて…」

「そっちじゃなくて! まこと当家に若狭の国を?」

「ああ、銅蔵殿にはもう伝えてある。ずっとオレのために尽くしてくれた藤林。ロクに恩賞も与えられなくて感状ばかりで申し訳ないと思っていた。もしいつか大名になれたら城を与えたかったんだ」

 

 ここは美濃の国の藤林山、藤林忍軍の里。頭領の銅蔵は最初、亡き先代隆家様から拝領した山から去れません、と拒否した。しかし明家は苦しい実情を包み隠さず話した。

 柴田家は織田家から独立はしたが、三法師を礼遇するのは建て前と云っては何だが絶対条件。配下大名ではなく友好大名と云う形で厚遇するのが明家の方針でもあるし、父の勝家もそれを厳命して隠居した。

 その三法師が当主の織田領の中に藤林山がある。三法師家老の前田玄以は柴田明家に申し訳ないと思いつつも、家中から『柴田明家の最強忍び集団の里が領内にあるのは恐怖だ』と云う話が出ていると報告した。信忠の正室で、三法師生母の徳寿院が『美濃守殿は当家を監視させているのではないですか』と勘ぐり、玄以もそうではないと云う根拠もないので困り果て明家に相談するしかなかった。同じく困り果てた明家。『当家を監視させているのではないですか』と云う邪推を『かようなことはしていない』と言っても水掛け論となるだけである。

 織田信雄を容赦なく討った明家。三法師の母である徳寿院が“当家を討つ機会や大義名分を得ようと画策し忍びに見張らせているのでは”と考えてしまうのは無理ないだろう。三法師を健やかに育て、織田家は厚遇しなければならない。勝家は信長に、明家は信忠に義理がある。少なからず柴田を脅威と思う織田に誤解を受けるような事は避けなければならない。

 答えは一つ、藤林一族が藤林山から退去するしかない。理由を聞いた銅蔵もこれまた困る。しかし彼にも責任はある。藤林山が忍びの里と云う事を領主に隠しきれなかった責任である。これは忍びの頭領としてはうかつと指摘されても文句は言えない。

 まだ君主が幼い織田家。いかに友好大名とはいえ斉藤家でも柴田家でも精強と言われた藤林の忍び里が領内にあるなんて受け入れられるものではない。ずっと正体を隠していたが、その働きの目覚しさゆえ、とうとう三法師の家臣団にバレてしまったのである。

「それでは仕方ありません、殿の落ち度ではございません。我らは申される通り、若狭の国に行きましょう」

「そうね…。存在を隠しきれなかった我々が悪いわ。参りましょう」

 肩を落とす銅蔵の妻のお清。

「して、殿。その若狭の国の国主殿は? 国内に里を立てさせてもらうゆえ、今のうちに挨拶をしておかんと」

「殿、無論その国主殿は忍びに理解ある方なのですよね?」

 念を押して訊ねるお清。

「は? 何を言っているのです。国主は銅蔵殿ですよ」

「………は?」

「だから銅蔵殿が若狭国主ですよ」

 目が点になっている銅蔵とお清。

「殿、何と申された?」

「だから! 藤林銅蔵殿が若狭の国主だと言っているのです!」

 ポカンとしている銅蔵とお清、だがしばらくしてやっと明家の言う事を理解して

「と、と、殿! 手前を国主にして下さるのですか!」

 鉄面皮の銅蔵が嬉しさのあまり泣き出した。お清も感涙して

「母娘揃って殿にお乳をあげて良かった…!」

 と、ワケの分からない言葉を発していた。

「はい、今まで多くそれがしを助けてくれた藤林家、左馬介(明智秀満嫡男)の養育も申し分ないですし、感状ばかりで実のある褒賞で報いる事ができず申し訳なく思っていました。もし幸運にも大名になれたら高禄で報いたいと思っていたのです」

「殿! 我々藤林は先代だけでなく当代にも厚恩を受けました! この感激忘れませんぞ!」

「ははは、大げさですよ」

「大げさなもんですか、藤林の悲願だったのですよ! 国を持つのは!」

 大泣きしているお清。

「良かったのォお清!」

「はい、お前さん!」

 

 再び三方五湖の明家とすず。

「…と、まあすごい喜びようだった。オレは今までの藤林の功績に当然の形で報いただけなんだけどな」

「殿…」

「それに…若狭一国と云っても八万五千石の小国だ。だけど若狭は要所で、秘めた肥沃もある。オレならばこの国を十三万石ほどの地に変えられるし、かつ若狭湾に面し、この三方五湖の恵み、実質の実入りはさらに見込めるな。受け取ってくれるか? すず」

「嬉しい…!」

 柴舟は視線で部下の忍びたちに明家とすずに背を向けろと命じた。すずは明家の背を降りて胸に飛び込む。この当時の女にとって嫁ぎ先は無論、それ以上に実家は大事であった。藤林家はかつて仕えた信濃平賀家を武田家に滅ぼされ、一時は夜盗まで身を落とした。明家の養父の隆家に拾われるまで、忍びの誇りさえ失われていく日々だった。隆家、そしてその養子の明家に仕え、やっと大願が成就した。実家が国持ち大名である。すずの喜びようは大変なものだった。

「殿、今宵は私の部屋にお渡りして下さいませ。この喜び、この身を捧げてお伝えしとうございます」

 デレと笑う明家。

「寝かせないぞ♪」

「寝かせませぬ♪」

“もっと小さい声で言ってくれ”忍びたちは思った。

「もういいよ柴舟」

 また元通りにすずをおんぶしていた明家。顔中に口づけされた跡が残っていた。

「ところで柴舟」

「は!」

「そなた、鈴之介の守役となれ。銅蔵殿も了解している」

「わ、私が若君の!?」

「白を見ればそなたの養育がいかなものか分かる。頼まれてもらいたい」

「上忍様、母親の私からも願います」

「しょ、承知しました!」

「でも…」

「なんだすず?」

「あと二年は私が育てたいのですが…」

「だそうだが…」

「いえ、残念ながらそれは…」

「上忍様…」

「すず様、鈴之介様は次の藤林当主、お父上様と私でそれに相応しき男にお育てしなければなりませぬ。もう鈴之介様は三歳、五歳からでは遅うございます」

「ぐすっ…」

「あーあ、泣かせちゃった!」

 と、舞。

「こ、困りましたな。しかしながら、すず様。女子が生まれた時に我らは取り上げる気はございませぬ。ご安心を」

「柴舟、銅蔵殿に築城の経験は?」

「ございます。先代隆家様の築城には頭領や我らも協力してまいりましたし、無論、殿の元でも我らは土木をしてまいった経験がございます」

「銅蔵殿は父上仕込みの築城術持っていたのかあ、たのもしいな。どんな城が出来るか楽しみだ。なあすず」

「はい!」

「殿―ッ!」

「お、殿、頭領と奥様にござる」

「ふう、遅れて申し訳ござらぬ。しかし大した美観ですなここは」

「気に入ってもらえましたか」

「無論にございます」

「建設予定地は、おおむねあそこです」

 明家が山頂から差した場所、そこは先に明家が言ったように北に若狭湾、南に三方五湖を望む平野で、平城を作るにはもってこいの場所である。

「おお、これは絶好の…!」

「必要なだけの資金を与えます。自由に作って下さい」

「承知いたしました」

 そして明家はすずをいったん背中から下ろして、柴舟に肩車されていた鈴之介を抱き上げた。

「鈴之介! ここがお前の国だ!」

「はい父上!」

「よーしよし! あははは!」

  すず、そして銅蔵とお清、柴舟、忍びたちは微笑んで見つめるのであった。

 

 かくして藤林一族総出の築城工事が始まった。明家とすずは安土に帰ったが、全員夢にまで見た城持ち大名である。どんなに激しい労働も苦にならなかった。白と葉桜、六郎と舞の夫婦も毎日クタクタになるまで城作りと城下町作りに励んだ。こんな楽しい労働はない。

 銅蔵は早いうちから城の名前も決めていた。『美浜城』と命名。今日の北陸屈指の都市である福井県美浜市の祖となるのである。

 そして一年後、城は完成した。明家とすずは無論、他の柴田家の幹部も城の落成の儀に招待され美浜城の美観を楽しんだ。若狭美浜城藤林家の誕生である。忍びの持ちたる国と後世に名を残す事になる。

 美浜城は一般的な平城であるが、明家をして『これは難攻不落だ』と言わしめた。外観は法にかなった様式美を誇り、白梅城とも呼ばれるほどであるが、さすがは水沢隆家仕込みの築城術を持っている藤林家。

「攻め口が見つからない、これはスゴい!」

「お褒め恐縮にございます」

 と、銅蔵。城下町も整備して、港も作り、今日の美浜市繁栄の礎を築いた。若き日は冷酷無比な忍びだった銅蔵が名君に化けたのだった。商才にも長けた忍軍たちを用いて善政をしき、領民は『さすがは美濃様の見出したお殿様』と褒め称え、そして同時に次代当主である孫の鈴之介を柴舟と共に厳しくも暖かく育てていくのである。

 銅蔵の前半生は明家の養父の水沢隆家にささげ、後半生は養子の明家にささげた人生だった。負傷して歩くこと叶わなくなったくノ一の娘を側室として愛してくれ、かつ愛しい孫も、そして国も任せてくれた明家への恩を終生忘れず、家訓にも『柴田家への忠勤に励むべし』と言い残している。

 美浜城の城下は当時としては極めて奇異であった。忍びと一般人が共存しているのである。一般の移民も多かった。美浜の美観に加え、忍者が統治している国なら、こんな安全な国はない。忍びも普段は町人姿の風体なので、何も知らない無頼漢が来て無法でもしようものなら生きては帰れない。治安の良さも抜群であったのだ。他国の忍びたちは

『主取りしたうえに国持ち大名か、藤林の忍びはきっと腑抜けだぞ』

 と揶揄したが、それは単なる妬みである。不敗の柴田明家を支えたのはまぎれもなく彼らである。

 

 後日談であるが、柴田明家と藤林忍軍にはこんな話が伝わっている。明家は常時百名の忍びを安土城に常駐させておく事を藤林家に課していた。

 その命に従い、銅蔵から選ばれた忍び百名は美浜城ではなく安土城の城下の屋敷に住む事となっていた。明家は『家族も連れてくるように』と命じていたが、その百名は独身生活を楽しみたいと思い、妻子は連れてこなかった。今で云う単身赴任と云うところだろう。だがやがてその百名の忍びの妻たちから明家宛に苦情が届いた。

『子作りができません』『父親がいなくて息子たちが母親の私たちの言う事を聞きません』『きっと亭主は浮気をしています』と云う内容だった。国許の柴舟がその忍びたちに『殿の下命に従い、妻子を呼び寄せよ』と勧告したが、安土城の城下町は栄えていて遊びに事欠かない。若い忍びたちは中々言う事を聞かなかった。任務のない日は遊んでいたのである。

 それを知った明家は白と数名の家臣を伴い、忍びたちに与えている屋敷の一帯に向かった。時刻はもう夜。だが誰も遊びに出かけて屋敷にいない。白たちに各々の屋敷にある金や忍び道具を運び出させた明家はなんと忍びたちの屋敷を片っ端から壊してしまった。

 忍びたちは遊びから帰って来て呆然とした。自分たちの家が崩れて無くなってしまっている。家財道具や忍び道具、金は一箇所に集めて置いてあったが、自分の家が一瞬で消えてしまった現実に呆然とした。で、調べてみると殿様の柴田明家がぶっ壊したと分かった。忍びたちは激怒した。

『家臣の屋敷をぶち壊す殿様がどこにあるか!』

 と安土城の明家に怒鳴り込んだ。だが

「やかましい!」

 明家は逆に怒鳴った。

「お前らの家をぶち壊したのは確かにオレだ! だが誰かがいれば、オレのこんな暴挙は止められただろうが! オレがお前たちに安土常駐を下命してどれだけ経っている! いいか! オレは何度もクチすっぱくして妻子を呼べと言ったはずだ! オレがどうして父の勝家に仕えていた時代から大掛かりで長期になる内政主命で現場に赴くとき、家臣たちに家族も連れて来させたと思う! 家族を離れ離れにしないためだ! 妻と子に寂しい思いをさせないためだ! お前らまったくその事が分かっていない! お前たちは独身気分を楽しみたいため妻子を呼ばず放っておいている! 言語道断だ! いいか! お前たちが家族を呼ばない限りオレは何度でも家をぶち壊すぞ!」

 忍びたちは怒鳴りこんできて、逆に怒鳴られてしまった。一人で三十人の兵に匹敵すると言われている藤林の忍びたちも明家の剣幕に圧倒され首を縮め、やがて妻子を呼び寄せた。忍びたちは自分たち部下の家族も大切に思ってくれる主君の優しさに感動したのだった。

 

 藤林家は大名となったが、柴田家の忍びと云う姿勢は変えなかった。諜報の世界で暗躍し、戦場では常に明家の側にあった。

“大名になり、忍びとしての技量が縮小する事もありえた。かなり危険な登用である”と後の歴史家は言っているが、それで縮小する忍びの技ならば、しょせん本物ではなかったと云う事である。藤林忍びの力量が何ら衰えなかったのは、この後の柴田明家の活躍で分かる事なのだ。

 藤林の忍びは水沢隆家の時代から敵地の内情を探る事や破壊工作をするに長け、明家が主君となっても諜報活動に秀でて明家を助けた。近年に発見された資料では、藤林の忍びが身体能力に優れた諜報集団と戦闘集団という面の他に、優れた動植物知識や化学知識を持つ技術者集団としての一面も持つ事が判明している。今日的な言い方をすれば、まさに明家を支えたプロ集団と言えるだろう。

 明家が藤林家を大名にしたのは、その活躍の褒美と同時に、ある程度のチカラを持ってもらう必要があったからかもしれない。忍びのチカラを恐れる君主には出来ない人事だが、それほどに若き日から自分を支えて助けてくれた藤林忍びを信頼し重く見ていたのだろう。そして初代とも云える銅蔵はそれに応え、大名となっても陰日向に明家を支え続けたのである。銅蔵を見出した明家の養父隆家も冥府から藤林と明家の絆を見て微笑んでいるだろう。

 

◆  ◆  ◆

 

 若狭水軍は佐久間家が退去後の加賀西部に入り、海沿いに大掛かりな水塞を作る事が許された。軍港も整備し、造船所も建設。かつて日本海最弱の若狭水軍が最強の水軍となった。本拠地が加賀に移ったため、若狭水軍と云う名を捨てて、正式に頭領の名字を取り松浪水軍と名前も変えた。城は小松城をいったん居城としたが、小松城は当主明家が勝家の指示で泣く泣く敵兵を皆殺しにした地で、明家があまり思い出したくない城である。

 頭領の庄三は、そのおりの犠牲者に対して明家に代わり葬儀を行い、慰霊碑を作り、そのうえで小松城を破却した。明家への配慮もあるが小松からでは海に遠いのだ。新たに建てた城の名は安宅城。あの源義経と武蔵坊弁慶の勧進帳の舞台、安宅の関所の跡地である。日本海に面し、水塞と軍港にも連結した、まさに海の城である。

 君主明家が視察のために安宅の地に訪れたのはそんな時だった。敦賀から船でやってきた。庄三は明家一行を出迎えた。そして松波家の造船所に案内された。その道中の軍港と水塞には松波家の家臣たちが膝を屈し、明家に控えて整然と並ぶ。統率の取れた証である。明家はそういうところも見逃さない。さすがは龍興様と思いながら松浪家臣団の前を歩いた。そして造船所に到着した。

「見事だ庄三殿」

「恐悦に存ずる」

「鉄甲船も作れそうですね」

「はい、殿より注文がござればお造りいたそう」

「軍港と水塞の作りもとくと見させていただきました。よき仕事にございます」

「ありがたき幸せに存ずる」

「ここはそのまま柴田の日本海の要所となりまする。頼りにしております。これからは海の世ですから」

「その通りにございます。我ら身なりは柴田家臣として立派になりましたが、気持ちは変わっておりませぬ。我らは海の男にございます。高禄を食んだから脆弱になったと思われてはかないませぬゆえ、日々海の技の研鑽を怠りませぬ。殿の作られる新時代は海の時代でもございます。日本海は安心してお任せを」

「うむ」

 しばらくして港を二人で歩く明家と庄三。

「太平洋の方は九鬼殿が上手く務めているようでございますな」

「はい、日本海は松浪、琵琶湖は堅田、太平洋は九鬼、柴田の交易船は安心して海を渡れ、商人司の者たちは仕事に集中できています」

「いえ、それに伴い利を得られるのはこちらも同じにございます」

「ははは、ところで庄三殿、ご息女の那美殿が稲葉家から婿を迎えたそうにございますね」

「いかにも、一人娘ゆえ婿養子を取るしかなかったので」

「それを聞いた時、養父もあの世で喜んでいるだろうと思いました。斉藤と稲葉が再び一緒になったのでございますから」

「それがしも殿のご養父君に報告いたしました」

「婿はどのような若者なのですか?」

「稲葉貞通殿の三男の和通殿でございます」

「失礼だが聞かぬ名です」

「貞通殿が下女にお手つきして生まれた子にございまして、かなり野放図に育ったようにございます。賤ヶ岳では初陣にも関わらず武勲を立て、それにより貞通殿の嫡子の典通殿と和通殿が上手くいっていないと云う事を聞きましてな。ならば当家の婿にくれと要望した次第です」

「なるほど」

「まだ若いゆえ、海の大将としての知識の吸収も早い。それがしが安心して陸(おか)に上がり隠居するのも遠くはございますまい」

「まだ隠居してもらっては困りますよ庄三殿」

「ははは、そういえば吉村直賢殿のご嫡男の幾弥殿、父上と違い商将の道を歩まないとか」

「はい、元々そういう約束でした。直賢は幼年のおりから肉体的にそうだったのか体を鍛えても武人としての体が作れなかったそうで、分をふまえて算術を磨き、今日に至る才覚を得ています。それゆえに戦場の武将に憧憬が強く、九頭竜川の資金調達の褒美と望んだのが嫡子幾弥の武将取立てだったのです」

「さようにございましたか」

「父の勝家が約束し、それがしが幾弥に厳しい師をつけて養育させました。それでまあ一角の武将に長じまして、先日に元服しそれがしの旧名から一字を与え直隆と名乗らせ、直賢の要望で初代吉村家を立ち上げさせ召し抱えました」

「初代?」

「はい、直賢は商人司を世襲と考えておらず、次代は部下から選び、それがしに薦めるつもりのようです」

「なるほど、老後は息子に従い、奥方と悠々自適に…でござるか。直賢殿らしい処世にござるな」

「そういう事を言ってくると云う事は直賢がもうそろそろ隠居するつもりでいる事。まだ五十前なので本来なら止めるのでしょうが、直賢は体に障害ある身。言葉にせずとも体がつらき事が多々あったのでございましょう。ゆえに止める事はいたしませなんだ。彼は今まで本当によくやってくれたと思います。隠居後も手厚く遇するつもりです」

「殿」

「はい」

「老臣と功臣が一線を退いてからの厚遇は、何よりの君臣融和に繋がると存じます。天下を取ったはいいが、漢の劉邦や明の朱元璋のように天下統一後に人格が変わり、功臣や老臣を粛正するような君主に家臣はむろん、民もついてはまいりません。斉藤龍興として言わせていただくのなら、そなたが滅する時まで、隠居後の直賢殿を丁重に遇しようと思われた事をけして忘れてはならぬ、と云う事を申し上げさせてもらいます」

 ニコリと明家は笑った。

「変わりませんよ龍興様、変わったら最愛の妻に嫌われますので」

「あっははは! それもよろしかろうと」

 加賀の軍港の空をカモメが気持ち良さそうに飛んでいく。二人は微笑を浮かべそれを見つめるのであった。



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細川ガラシャ

 徳川家康に事実上勝利し、畿内の王者と呼ばれる柴田明家。家臣団も充実し、大坂城の築城が開始された。しかし一つ、明家には悲しい別れがあった。前田慶次が柴田家から去っていった。犬山の合戦後、ほどなくであった。

 犬山での合戦における明家の采配。いくさ人である彼にはどう見えたであろうか。負け戦や窮地を好むと云う不思議な男である前田慶次。しかし彼の仕える柴田明家は不敗の男。今まではその不敗を支えてきた自負があった。だが犬山での戦いではもう己が時代は終わったと悟った。

 生まれてくるのが遅すぎたと思う。武田信玄や上杉謙信、毛利元就が全盛の時に生まれたかった。生きがいである合戦が毎日のようにあった時代に生まれたかった。立身出世や栄達などどうでもいい。とにかく合戦が出来れば良かった。

 しかし彼の主君、柴田明家はその戦を世から無くそうとしている。それは正しい事だと慶次も思う。自分の最大の生きがいである合戦、これが一度ある事に民百姓がどれだけ嘆いているのか。これが無くなるのなら喜ばしい事。自分の楽しみや生きがいなど民の安泰に比べて取るに足らない。朱槍を置くべき時がそろそろ訪れたのだ、そう感じた。

 だけど慶次は毎日が退屈だった。大大名の家老としての自分。安泰に過ぎるこの身が歯がゆい。平穏無事がつまらなくてたまらない。慶次は数日思案して、ある事を決断した。

 その意を胸に、慶次は主君明家に一対一での要談を求めた。明家は快諾し会った。真剣な面持ちの慶次。もう長いつきあい、明家は慶次の意図を感じ出した。無言で向き合い、そして明家が沈黙を破り言った。

「行くのか」

 慶次は小さく頷いた。

「……」

「…それがしの役目は賤ヶ岳で殿を勝たせるまでだったようにござる。殿のこれからの合戦は外交と調略、そして資金力と大軍勢にものを言わせての戦になりましょう。不満を覚えたものの…実際に殿はそれであの徳川家康に勝った。間違ってはおらぬのです。それがしが…もう殿についていけなくなっただけなのでござる」

「そなたがオレの家臣になる時…夢を聞かせてくれたな、『この世で一番の漢になる事』と」

「はい」

「そして…『もし天下人になったらどうしたいか』と俺に訊ねたな。『とにかく戦のない世の中を作りたい…。そして民百姓が笑って暮らせる政治をしたい。産業も興して海の向こうの国と交易などもできたらと思う』こう俺は答えた。あの時に申した事と今も変わっていない。図らずも、それに手が届きそうなところに来ている。もしなれたのなら逃げずに…時には鬼と呼ばれようが、そういう世の中を作ろうと思う」

「それで良いのです。ただそれがしは…負け戦を好み、窮地を好み…そして安泰と平穏が大嫌いにございます。殿の元ではその安泰と平穏に過ぎまする。『この世で一番の漢になる』にもっとも害ありき事。お暇を頂戴いたしまする」

 再び沈黙の中、見つめ合う明家と慶次。

「これからどうする?」

「さあて…。生きるだけ生きたら死にまする。それだけにございます」

「加奈殿と子らはどうする?」

「加奈とは離別し、他の女たちにも手切れ金を渡しましてございます」

「そうか…」

「虫の良い話にございますが、加奈をこのまま奥方様の侍女として使ってくれませぬか。娘たちにはよき嫁ぎ先、倅どもはものになれば使ってくだされ。凡夫に育てば遠慮なく放逐されよ」

「分かった」

「では最後に一献、よろしゅうございますか」

「ああ」

 慶次は持ってきた酒と二つの杯を出した。そして一杯だけのみ慶次は浅く頭を垂れて部屋を去った。

「慶次…。今までありがとう」

 前田慶次は翌朝、愛馬松風のみ伴い安土城から出て行った。これを伝え聞いた前田利家と奥村助右衛門は静かに微笑み『あの男らしい』と言った。これが柴田明家との今生の別れとなるのか、それとも…。

 

 安土城の一角、石田三成と直江兼続が将棋を指していた。

「前田殿は今ごろ松風のうえで、煙管を吸いながら青空でも見ていましょうな」

 と、兼続。

「まことあの方らしい…。大大名の次席家老の地位より自由を選ばれた…。とうていそれがしには真似ができませぬ」

 答える三成。三成は慶次と長年の付き合いで親しいが、兼続も上杉家が柴田家に従属してから前田慶次と親しくしていた。数少ない酒を酌み交わせる友がいなくなってしまった。

「またいつかお会いし、酒を酌み交わしたいものだ…」

「旅の土産話を肴に、美味い酒となりましょう。はい王手」

「あッ!」

 王手を指された兼続。

「これで手前の二十八勝五敗ですかな」

「こ、この一手は待っていただけませぬか」

「駄目にござる。戦に待ったは無しにございます」

「むぐぐ、主君の美濃殿はヘボ将棋なのに、家臣たちはやたら将棋が強い。前田殿には一度も勝てなかった」

「では勝ち逃げされたのですか」

「いかにも、だが三成殿にはそれをさせませんぞ。もう一局!」

「お相手しましょう」

 

 柴田明家は武州恩方(東京都八王子市)に尼僧として暮らす武田信玄の六女松姫に迎えを出して京に招いた。天目山以来の再会だった。

 婚約者織田信忠の墓に手を合わせる松。信忠から正式に妻として迎えたいと云う言葉を受け、松は岐阜に向かっていた。その道中に織田信忠は本能寺の変において父の織田信長と共に果てたのである。本能寺の変の後に信松尼と名を変えた松は京の二条御所に来ていた。秀吉が織田信孝を攻めた時に全焼したが、今は再築され信忠と信孝の墓もここに建立された。

「ここで信忠様は自刃されたのでございますか…」

「そうです」

 自刃の地に松は合掌した。

「あとこれをお渡ししたかった」

「それは…」

「信忠様、お肉通し(切腹の時に使った刀)の刀と云われているものです」

「それを私に?」

「はい信忠様は松姫様に持っていただきたいと思うはずですから」

 松姫は両手で大事に受け取った。

「ありがとう…竜之介殿…」

「いかがでございましょう。京に信忠様を祀る寺を建立いたしましたので、その寺に庵を構えませぬか。信忠様も松姫様が近くにいると嬉しいでしょう」

「お言葉に甘えさせていただきまする。恩方の武田遺臣すべて柴田に召抱えて下されて、もう恩方にいる必要が無くなりましたから」

「あはは、珍しく松姫様がそれがしの言った事に一度で応じてくれましたね」

「今までは竜之介殿が無理を言うからです」

 二人は笑いあった。そして京都御所の庭園を静かに歩き出した。仲良く笑みを浮かべながら歩く姿は恋人同士のよう。

「その寺の名前ですが…それがしの方で考えさせていただきました」

「なんと申すのです?」

「『信松院』あっははは、今の松姫様のお名前のまんまです」

「まあ」

「気に入っていただけたでしょうか」

「はい、ありがとう…竜之介殿」

 二条御所の出口、松を乗せる輿の一行が待っていた。

「竜之介殿、お会わせしたい者たちがいるのですが」

「どなたでしょう」

「これ」

「「はい!」」

 それは松姫の一行に加わっていた若者二人と一人の少女だった。

「竜之介殿、この三名は兄仁科盛信の子らにございます」

「薩摩殿(盛信)の!?」

「三人とも、この方は柴田美濃守様です。ご挨拶なさい」

「「はっ」」

 三人の若者は明家にかしずいた。

「仁科盛信嫡男、信基と申します」

「仁科盛信次男、信貞と申します」

「仁科盛信長女、督にございます」

「顔を上げられよ、よう顔を見せて下され」

「「はい!」」

 明家はかしずく三人の目線に合わせ腰をおろし、それぞれの顔を見た。

「うん、ご嫡男も次男も、お父上と同じく凛々しい顔をしている。叔母上の薫陶が良かったのだな」

 明家に褒められ、顔を赤らめる信基と信貞。

「督姫殿は百合殿そっくりだ」

 美男子の明家に頬を染める督姫。(徳川家康の次女と同名だが別人)

「そなたらの父上と俺は戦った。薩摩殿の最期、それは見事だったと介錯せしめた斉藤利三殿より伺っている。城を攻める前にそれがしは中将信忠様の使者として薩摩殿と会い、降伏を勧めたが薩摩殿は毅然と拒否し、武田の最期の意地を見せた。そしてその戦いぶりは寄せ手の織田勢全軍感服いたした」

 かつての敵将が亡き父を称えた。信基と信貞は前々から武田家以外の者から父の事を聞きたかった。そしてそれが父への無上の賞賛であり嬉しかった。

「百合殿の最期に俺は立ち会った。俺は松姫様と同じく落ちる高遠城からお救いしようと思ったが、『城主の妻が夫死して、城落ちて逃げられませぬ』と毅然と自決なされた。そなたらの父母はまことの武田武士だ」

「あ、ありがとうございまする! 泉下の父母もどれだけ喜ぶか!」

 恭しく明家に礼を述べる督姫。

「竜之介殿、この者たちをお預かり願えませぬか」

「え?」

「今、この世で武田の技能をもっとも色濃く継承し用いているのは竜之介殿。兄の勝頼の計らいで快川和尚様からすべて学べたのです。武田の子弟にそれを教えてくださらないのはずるうございます」

「それはまあ…言われてみれば」

「信基と信貞には恩方よりここに来る前に言いつけてございます。私は竜之介殿のお力添えはできませぬが、甥をお預けいたします。きっとお役に立ちましょう」

「それはありがたい、二人ともいい面構えをしています。それがしの良き家臣となってくれましょう」

「また…督には良き婿を」

「承知いたしました、三名とも立たれよ」

「「は!」」

「信基、信貞を家臣として取立てる。主君として俺は甘くないぞ。心しておくのだぞ!」

「「はっ!」」

「督姫殿はそれがしの養女として丁重に遇しましょう。必ずや満足いただける婿殿と娶わせまする」

「はい」

 兄の盛信の遺児たちが柴田明家に仕える事ができた。明家がただの権力者でない、心よりもった名将と知る松姫の感動はひとしおだった。

「ありがとうございます竜之介殿、兄盛信の墓前に良い報告ができます」

「子らをしかと預かったとお伝え下され」

「承知しました」

 松は輿に歩んだ。

「三人とも、竜之…いえ美濃守様の言う事をよく聞いて、父上は無論、伯父上(勝頼)、祖父様(信玄)の名を辱めてはなりませぬぞ」

「「はい叔母上!」」

 その言葉に満足した松は輿に乗った。

「竜之介殿、大大名になられたにも関らず私の事を気にかけて下された事、とても嬉しゅうございます。季節の変わり目にございますゆえ、お体にお気をつけ下さいませ」

「松姫様、いや信松尼殿も」

 お互いに頭を垂れる二人。

「丁重に信松院までお送りせよ」

「「ハハッ」」

 このように明家は今ではただの尼僧に過ぎない松をさながら主家の姫君のように大切にした。信松院には明家もよく訪ねたと云われ、松姫に仕えていた侍女は

“お二人にはあまり会話もなく、縁側に座り静かに庭や月を見ているだけでした。しかしお二人を見ていると我らは心が和んだものです”

 と述懐している。沈黙を共に出来て、その男女は完成されたと言われるが明家と松姫がまさにその通りだった。二人が男女の関係であったのかは現在でも明らかではないが、なまじの夫婦より互いに愛情があったのは事実と言えるだろう。今日『松姫は柴田明家の愛人だった』と云う説もあるが、織田信忠に生涯、女の操を立てたと言われる松姫であるゆえ、それは後世の創作だろう。しかし彼女もまた、時に疲れ果てた柴田明家を優しく癒した女性であった。

 

◆  ◆  ◆

 

 場所は変わり、ここは比叡山西教寺。明智光秀の四女である英の庵がある寺である。また明智光秀、その妻熙子が眠っている菩提寺である。

 京からほど近い場所にあるため、明家は京に滞在している時は西教寺にはよく訪れていた。今日は供に堀辺半助、佐久間甚九郎ら明智遺臣を連れていた。光秀と熙子の墓に合掌する明家。半助と甚九郎もかつての主君の御霊に合掌する。

「明智様が亡くなり、はや数年。なんかアッと云う間だった」

 と、墓前の明家。

「あの世では戦もないだろう。今頃は熙子様と仲良く暮らしているかな」

「それは生前からですよ美濃様」

「ははは、確かにそうでした」

 明家の墓参に立ち会っていた英が微笑み言った。彼女は亡夫と父母を弔うため尼僧となり日璋院と名乗っていた。月姫が側室になった後、柴田家では“次は英殿ではないか? 英殿も殿に惚れているようだし”と云う話が出た。英が明家に好意を持っていたのは確かであろう。今もそうかもしれないが、彼女が尼僧になった決定的な理由は離れ離れになった幼い息子が流行り病により亡くなったと云う報告を聞いた時であったと云えるだろう。葬式にも出席が許されなかった英は泣くに泣き、そして髪をおろした。“殿の側室になる前にオレが…!”と思っていた柴田の若い武将たちの求愛も丁重に断って尼僧となり、この西教寺に明家から庵を贈られ亡夫と父母、そして亡き息子を弔い続け、今に至る。

 

 墓参を終えて、いつもの客間に通されると思えば

「美濃守様、お合わせしたき人がおります」

 と、日璋院が言ってきた。

「誰でしょう?」

「手前の姉、玉にございます」

 明家の顔色が変わった。

「ここに…来ているのですか?」

「はい、美濃守様はよく西教寺に来られると文で述べたら、ぜひ場を取り持ってほしいとの仰せで」

「……」

「今、姉が境内に野点の席を用意しています。こちらに」

「……」

「どうされた殿」

 少し緊張した顔を見せる明家の顔に堀辺半助が気付いた。

「いや、何でもない。さ、茶を馳走となろう」

 

 玉は細川忠興の正室、明智光秀の三女である。幼き日に美濃国の山中で会った事のある明家と玉。何年ぶりか。二人は初恋同士なのだ。しかし相手が自分を初恋としている事をお互い知らない。

 光秀と熙子の墓前から離れて境内に行くと野点の場があり、赤い桟敷の上に座るのはまぎれもなく玉だった。笑顔で明家一行を見つめている。

(玉子…)

 妹の英からの書で、柴田明家が西教寺に訪れると聞いた玉は夫に父の御霊を慰めたいと述べて細川の臣たちに護衛されてこの比叡山の西教寺へとやってきたのである。

「細川忠興が室、玉にございます」

 桟敷のうえで明家に平伏する玉。

「柴田美濃守明家にござる」

「さ、どうぞ」

「そなたらはここで控えよ」

「「ハッ」」

 家臣たちは桟敷の外で控えた。細川家臣も玉の向こうに数名いる。桟敷の上は玉、明家、日璋院が座ったが日璋院は桟敷の脇に控えた。穏やかな笑みを浮かべて、明家へのもてなしの茶を点てる玉。数日前に玉は西教寺にいる妹の日璋院に

“父母に武人の情けを示した美濃守様に茶を点てたい。その場を設けてほしい”

 と文を送ってきた。やっと姉の玉が明家に対して憎悪を払拭したと胸を撫で下ろした日璋院は快く了承し、明家が西教寺に来る日取りを教えていたのである。

(なんと…玉子、そなた美しくなったな…)

 十数年前の玉子の記憶しかないから無理もない。思わず玉の美貌に惚ける明家。やがて点てた茶を差し出す玉。

「どうぞ」

「頂戴いたす」

 

 そして明家が茶を飲み終わり、茶器を置こうとした時だった。

「な…!」

 玉は隠し持っていた短刀で柴田明家の左胸を刺していた。玉の顔は笑顔のままだった。飲み終わった明家に一瞬で詰め寄り、茶碗を置くために前かがみになる時を逃さずに刺したのである。

「姉上!」

 突然の凶事に同じ席にいた日璋院はあぜんとした。

「父…明智日向の仇! 三女玉が討ち取った!」

 自分の左胸に短刀が突き刺さる柴田明家。そして明家は

「ペッ!」

 口内に含んでいた茶を吐き出した。

「やはり飲んでいなかったわね。大した用心深さ。そう、それを飲んでいたら竜之介、お前は死んでいたわ」

 明家は前々から玉が自分を憎んでいると藤林の忍びから情報を掴んでいた。本当なら幼馴染の点てた茶を飲まず吐き捨てるなどしたくはない。しかし柴田家当主としては仕方がなかった。

「玉子…。お前…!」

「気安く幼名を呼ばないでほしいわ。お前のような忘恩の輩に!」

「殿!」

 慌てて佐久間甚九郎と堀辺半助が駆け寄る。

「玉姫様! 何と云う事を!」

「半助…その方いつから美濃のイヌになったのじゃ、波多野との戦で殿を務め討ち死にした祖父兵太に合わす顔があるのか!恥を知れ!」

「手前がイヌなら玉姫様は女狐でござる! ご自分が何をしたか分かっておられるのですか!?」

「娘が父の仇をが討ったにすぎぬ」

「そんな簡単な問題ではござらん! 細川家がどうなるか考えたのでございますか!」

「父を見捨てた家。知ったことではございません」

 舅の幽斎は父の仇明家の相談役となり、夫の忠興は本能寺の変以来、不仲となった妻にだんだん嫌気がさし、側室を数名持った。

 何より今、細川は柴田の配下大名。当主の忠興は賤ヶ岳で敵にまわった以上、柴田の信頼回復に必死だった。父の仇に対して機嫌を取るのに懸命な夫に彼女も嫌気がさし、もうどうでもなれと思い、明家の刺殺を決意したのではなかろうか。

 玉に随伴してきた細川の家臣たちも真っ青である。もう細川は終わりだ…。全員がそんな顔をしている。

「何たる事を! やっと殿の手で天下が定まろうとしているのに…! 玉姫様の軽挙でまた戦の世に逆戻りにございますぞ!」

 佐久間甚九郎が怒鳴る。

「知らぬ顔だが、そなたも明智の臣か。そなたら明智遺臣が主君の恩義を忘れず美濃を討っていれば私がこんな事をせずに済んだのです」

「姉上…! 英は姉上を軽蔑いたしまする! 美濃守様が今まで明智にどれほどの御厚情を!」

「英…。そなた美濃に抱かれたか? 口ばかり達者で顔が良いだけの男に身も心も蕩けたか」

「か、かような事!」

「亡き信澄殿も浮かばれませんね」

「ひ、ひどい姉上!」

 

「首や…腹を狙えば良かったな玉子…」

「え?」

「いや『顔が良いだけ』と俺を罵るのなら顔面に突き刺せば良かったのだ…」

「何を言っているのです? 訪れる死を静かに待ったらいかがですか竜之介殿」

 明家は短刀を胸から抜いた。短刀は柴田明家の胸を突き刺さっていなかった。

「な…!」

「これが俺を守ってくれた」

 一つの小さな袋を取り出し、中身を見せた明家。

「そ、それは!」

「そう…熙子様の形見だ」

 それは坂本城落城の直前に、明智光秀の妻の熙子が寄せ手の大将である水沢隆広に贈った櫛だった。貧しかった光秀のために髪を売った熙子。その熙子の髪が伸びた時光秀が

“もう二度とそなたが美しい髪を売る事などなきようにワシはがんばるぞ”

 と述べて熙子に贈った櫛。熙子が命の次に大事にしていた櫛である。玉の髪を熙子が梳かすとき、いつも口癖のように“父上が私に下された大切な櫛よ”と嬉しそうに言っていた。

「どうしてそれをお前が持っているのよ!」

「坂本落城の直前に熙子様がオレに届けて下された」

「嘘よ! 母はあんなに父を愛していた! その父を殺したお前にどうして母がその櫛を贈るものですか!」

 明家を睨む玉。その目をそらさず玉を見つめる明家。

「皮肉だな。父母の仇を討とうとしたお前の凶刃から俺を助けたのは…その母から俺に贈られていた櫛だとは…」

 明家は熙子からこの櫛を贈られて以来、小さな袋に入れて首からぶら下げてお守りとしていたのだった。そして今、玉の凶刃から明家の身を守ったのはこの熙子から贈られた櫛だったのである。

(母上…私が誤っていると…!)

「姉上…」

「寄らないで!」

 再び短刀を取り、明家に襲い掛かる玉。だが握る短刀は明家の扇子に叩き落された。激痛に手を押さえる玉。それを静かに見つめる明家。

「ちくしょう!」

 玉は日璋院を退かせて明家に詰め寄り力任せに頬を平手で叩いた。何度も何度も、悔し涙を流して玉は明家を叩き続けた。明家は黙って叩かれていた。止めようとした堀辺半助と佐久間甚九郎、明家は叩かれながらそれを制した。

「殿…」

「ハァハァ…」

「どうした。もう終わりか?」

「ちくしょう! お前なんかに分かってたまるか! 父上がどんな思いで信長に叛旗を翻したか! 死んだ後は未来永劫…! 裏切り者、謀反者と蔑まされ続ける! そんな父上の無念がお前に分かってたまるか!」

 あまりの玉の迫力に細川家臣も止められなかった。復讐に狂い、煮えたぎる怒りを明家にぶつける玉。何度も何度も明家を叩く。それを黙って受ける明家。

「お前は何だよ! 父上と母上を殺し手柄にして出世し、そのうえ大大名になった! 父上に助けられなければ…! 父上に助けられなければ…! お前なんか美濃の山奥で鳥獣の餌になっていたってのに!」

 実家は滅亡、嫁ぎ先では謀反人の娘と白い目で見られ、夫とも不和が続く今、玉には自分の気持ちをぶつける相手がいなかった。ひたすら忍従の日々。その玉が怒りをぶつけられるたった一人の者、それは今、天下人に一番近い男、柴田美濃守明家だった。

 女の力とはいえ数えきれないほど叩かれている明家。だが玉の心の痛みはこんなものではないと知る明家は黙って受け入れた。

「…今でもその恩義は忘れていない」

「口では何とでも言える! ちくしょう!」

 最後、渾身の力を込めて明家を叩いた玉。

「ちくしょう、ちくしょう…!」

 玉は膝をついて泣き崩れた。

「玉子…。これだけは言わせてもらう。明智様は強かった。柴田が勝てたのはたまたま武運があっただけの事。そして明智様は堂々と腹を切った。立派な最期だった」

「……」

「坂本城を攻めた時。敵将水沢隆広は、あのおりの童だと名乗り、熙子様を保護したいと書状を送ったが、それは丁重に断られた。降伏勧告もはねつけ、あの方は最期まで夫に殉じて戦い、死んでいった。」

「……」

「今でも俺は明智様を尊敬しているし、熙子様を一日の母と思っている。そしてあの時に会った生意気な少女が俺の…いや申すまい」

「……」

「細川の臣たちよ」

「「は、はは!」」

「越中(忠興)には黙っておいてやれ。俺も幽斎殿に言わぬ。幼馴染とただの喧嘩をしたにすぎぬ」

 明家はそのまま茶席から立ち去った。玉はまだ憎しみを込めて明家の背を見つめていた。

 

「姉上…」

「帰る」

「……」

「英、美濃を好いている貴女とはもう姉でもなければ妹でもない…」

「どうして…」

「私が初めて恋をした人は竜之介だった。今もその想いは変わらない…。だから…許せないの」

 玉も丹後へと帰っていった。しかしこんな大事件を隠しておく方が無理である。玉に随行していた細川の家臣から西教寺の一連の話を伝え聞いた細川幽斎は愕然とした。

 彼は蒲生氏郷と同じく柴田と羽柴の戦いで秀吉の敗北をある程度予想していた。ゆえに早いうちから朝廷工作をして、朝廷を介して柴田への恭順を述べ細川の安泰を図ったのである。以降は明家の相談役ともなり、柴田家への信頼回復に懸命に務めていたのに、すべて台無しとなった。安土城に戻った明家に平伏して許しを請う幽斎。明家は細川の臣たちに述べたように

“幼馴染とただの喧嘩をしただけで、細川家は関係ない”

 と笑って済ませたが、柴田家の家臣たちが許すはずがない。随員していた佐久間甚九郎と堀辺半助も明家は

“俺の不注意、半助と甚九郎に罪はない”

 と取り成すが一歩間違えれば明家は死んでいたのだ。筆頭家老の奥村助右衛門は激怒し

“女子にかような真似をさせて何が供か!”

 と明家の取り成しなど聞く耳持たず、半助と甚九郎は厳罰に処せられた。明家の顔を立てて切腹こそ命じなかったが減俸と云う厳しい罰を下したのだ。譜代衆筆頭の前田利家も激怒し、細川家当主の忠興に申し開きをしに参れと安土城に呼び出した。

 細川幽斎も息子の妻とて許すわけには行かない。国許の忠興に厳命した。“玉を斬れ”と。

 丹後宮津城、事の顛末をすべて伝え聞いた細川忠興は玉に怒鳴る。

「何て事をしてくれたのだ!」

「……」

「お前は細川を潰す気なのか!」

「…そんなに柴田明家が恐ろしいのですか」

「なに?」

「柴田を倒して天下を狙うくらいの気概を持った男の妻になりとうございました」

「天下を狙うだと…。それはお前の父と同じく謀反でもせよと云う事か!」

 その言葉に玉はキッと忠興を睨んだ。

「なんじゃその目は!」

 玉を容赦なく叩く忠興。口元に血を滴らせ、侮蔑の目で夫を見つめる玉。明智光秀の謀反の前には考えられなかった忠興と玉の様相。かつては明家とさえに同じくらいに仲睦まじい夫婦であった。仲が良かったからこそ、一度こじれたら修復は不可能に近い。妻の侮蔑の眼差しに激怒する忠興は刀を握る。

 しかし、それでも忠興は玉が愛しくてならないのである。斬れない。だから忠興は問答無用で玉を犯した。玉は抵抗もしなかった。

 事が済むと、忠興は部屋の襖が外れるくらいの勢いで締めた。一糸まとわぬ姿で横たわり、乱れた髪のまま焦点の定まらない目をしている玉。復讐は返り討ちにされ、夫に犯された哀れな玉であった。

 

 翌日、玉は忠興から城を追い出された。父の命令の“斬れ”は、やはり出来なかった。しかしまだ玉を愛している忠興は昨日妻を強姦した事を悔いたか、行き着く先は侍女に指定し、十分な金も持たせたのである。

 

 ここからは後日談となるが、丹後味土野の地で玉の幽閉生活が始まった。ここで彼女は二年の生活を送る事となる。孤独、幽閉による鬱憤、そして失せぬ憎悪。見かねた侍女の清原マリアが玉にキリスト教を薦めた。心の平安を求めていた玉はそのまま引き込まれるようにキリスト教に傾倒し、ついに洗礼に至る。洗礼名ガラシャ。ラテン語で『神の慈悲』と云う意味である。

 二年後に柴田家が細川家に『内儀を許す』と述べ、ようやく細川家に戻る事ができたガラシャ。しかし、もう夫との夫婦関係は絶望的だった。お飾りの正室でしかない。だがキリスト教徒となっていたガラシャはそれに挫けず、教徒として生きていく。合戦で親を亡くした子供を引き取り、大名の奥方の彼女が親代わりとなり育てる。彼女の新しい生き甲斐だった。復讐と怨嗟の虜であった頃と比べものにならないくらい、心が満たされていくのが分かる。

 柴田明家と後に和解するのか、それともそのままなのか。柴田明家と玉が会ったと云う史書は西教寺の記録にあるが、柴田明家と細川ガラシャが会ったと云う事はどこの史書にも記録はない。しかし明家はガラシャがそんな行いをしていると聞き、

「やはりオレが最初に恋をした人は素晴しい女だ」

 と、ニコリと笑い言ったと云う。また一つの謎があった。このガラシャの慈善活動には細川から援助金は出ていない。だがガラシャにはある協力者がいて、その惜しみない支援によって活動を行い、彼女は多くの孤児を助ける事ができた。すでに実家は滅び、姉妹とも疎遠になったガラシャに誰が支援したのか。しかし当主正室への支援を細川家が気付かないわけがない。だがそれを黙認せざるを得ない者が支援者ならばどうか。

 支援者が明家としたら、ガラシャと明家は和解し、そして明家はガラシャの一番の理解者となったのではなかろうか。お互いが初恋同士と知らない二人だが、もしこれが事実ならこれも戦国の世に花添える恋物語と云えるだろう。しかしそれを証明する歴史的資料は今日に一つもない。




im@s天地燃ゆではガラシャ役は美希だったのですよね。でもお話の展開上、小説版のように明家を叩きまくるシーンはありませんでした。ちょっと見たかった気もします。


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仁術の祖

 大坂城の築城は石田三成が総奉行で開始された。柴田の兵、そして雇われた人足、おおよそ三万から五万の人間が動員されたと云われている。

 柴田明家の大坂築城は、たんに城作りに留まらず城下の市街地造成も伴っており、川が開削され、多くの橋が架設されていった。そしてこの頃、柴田明家をはじめ、主なる柴田家臣には朝廷から官位が授与された。隠居の勝家にも拝命があった。

柴田勝家『従二位内大臣』

柴田明家『正三位大納言』

前田利家『正五位上中務大輔』

佐々成政『従四位下左京太夫』

可児才蔵『正五位下兵部大輔』

奥村助右衛門『正五位下弾正少弼』

中村文荷斎『従五位上少納言』

吉村直賢『従五位下備中守』

黒田官兵衛『従五位下出羽守』

山崎俊永『従五位下信濃守』

毛受勝照『従五位下伯耆守』

川口主水『従五位下越中守』

京極高次『従五位下但馬守』

松浪庄三『従五位下出雲守』

不破光重『従五位下因幡守』

前田利長『従五位下民部少輔』

大野治長『従五位下修理亮』

松山矩久『従五位下阿波守』

小野田幸猛『従五位下美作守』

高橋紀茂『従五位下右衛門少尉』

大谷吉継『従五位下刑部少輔』

石田三成『従五位下治部少輔』

高崎吉兼『従五位上主計頭』

星野重鉄『従五位下内匠頭』

 と相成った。また直江兼続は上杉景勝を経て『従五位下山城守』、真田幸村は父の昌幸を経て『従五位上左衛門佐』と拝命した。ちなみに細川幽斎は『剃髪した身に官位は必要ない』とやんわり断り、稲葉一鉄もまた『隠居した相談役には必要なし』と辞退したと云う。

 

 さて、ここで柴田明家が柴田当主になってから行った様々な政策について述べたい。まず『殉死の禁止令』を発布した。自分の直臣には無論、陪臣にもそれは伝えられた。反対する意見も多く出た。明家は根気よく説いた。

「いいか、例えば今俺が死に、息子の竜之介が継いだとする。その時に奥村助右衛門、石田三成、前田利家殿らが物好きにも俺を追いかけて腹を切ってみろ。柴田家はどうなる? 残される者のために生きる事が死んだ者への供養と知れ」

 殉死禁止令は柴田家で可決された。しばらくすると柴田家だけではなく、上杉家や蒲生家などの友好大名にも広がり取り入れられていった。

 柴田明家は中国の政治書を愛読していたが、朱子(朱熹)が実施した『社倉制』を柴田家の領内に取り入れている。社倉とは凶作やその他で農民町民が困った時に救済できるよう米や金を蓄えておき、凶作や病気で年貢を納められず、苦しい生活にある民百姓のために米や金銭を低利で貸し付ける制度だった。

 中国の宋の時代に朱子が行い、日本では柴田明家が最初に行っている。朱子と違う事は、『返せなければ柴田家の築城や治水、開墾の働き手となり返せば良い』とまで言っている事である。同時に常平法を制定し米価が下がったら柴田家が買い支え、高い時に売り米価の変動を抑える事にした。柴田明家と吉村直賢、黒田官兵衛の定めた方法で、黒田官兵衛の指揮で執り行われた。

 柴田家と敵勢力の大名は『あんなに民百姓を甘やかしたら、柴田家の財源は破綻するぞ』と笑っていたが、柴田家はむしろ年貢より独自に行っていた交易の方が収入率は高かった。家を一つの大商家として産業を生みだし交易も行っていた柴田家。日本国内は無論、琉球や朝鮮、明とも交易を行っていた。産業もどんどん興し、かつての織田信長よりも巨大な経済国家を作り上げていく事になるのである。柴田家への借金が返せなければ柴田家に属して働く。兵になる者もいれば、人足として働く。『百姓は生かさず殺さず、搾り取るだけ取る』と云う概念を完全に撤去。『民の勢い、潮の如く盛ん』と今日に云われる明家治世だった。柴田明家は後にこんな事を述べている。

『他の大名は民を“民草”と呼んでいるがとんでもない事だ。民が草ならば、その民から年貢をもらって合戦なんぞしている我ら武士は草にたかる寄生虫ではないか。民に養われている我ら武士は日ごろから倹約に勤めなければならない。だが商人、町人、農民には倹約を押し付けてはならない』

 明家は領内の六十歳以上の民に一人扶持を与えている。これは現在の年金である。また子供は国の宝として赤子一人が生まれて五歳にいたるまでは同じく一人扶持を与えている。つまり経済的な理由で間引きする事を防いだのである。

 年寄りと女子供は大切にせよ、これは小さい頃から明家が養父水沢隆家に叩き込まれた理念である。確かに美徳であるが、他の大名はやりたくともできないフトコロ事情であった。しかし明家は理想論で終わらせず、それができる経済力を作り上げた。だが、その経済基盤を作り上げても養父の教えがなかったら実行していたか分からない。ゆえに明家の養父の水沢隆家も柴田家や柴田領の民たちに尊敬され『ご養父様』として讃えられている。

 また明家が勝家の配下時代のおりに家臣に実施させていた仕組みのいくつかも導入している。定期的に君臣身分関係ない討論会を開くこと。長期になる主命は現地に妻子も連れていくこと。まさに明家ならではの、と言えるが注目すべき仕組みも導入している。

 柴田明家の内政能力が高いことはよく知られているが、彼は土木工事における犠牲者をめったに出さなかった人物とも言われている。合戦で命を落とすのはありうることであるが、土木工事において死者が出ることは指導者の管理能力の欠落と捉えていたのだ。

 それゆえ明家は工兵は無論、土木工事に係わる者に対し、作業に伴い生じる危険要素を事前に列挙し、人員を五人から十人の班に分け、各々の班長に議長を務めさせ、どうすれば安全かつ効率的に作業を行えるか話し合いをさせたと云われている。

 当初は家臣たちも渋ったが、それまで現場で偶発していた土木作業中の事故が導入後は目を見張るほどに激減し、かつ仕事も円滑迅速に進んだ。柴田兵は改めて『智慧美濃と云う異名は伊達じゃない』と感嘆した。

 目立たない功績ではあるが、労役と戦役に駆り出して農民を酷使していた大名が多いなかで、これほど暖かくて、かつ作業成果も得られる仕組みを作り上げた武将は他に存在せず、明家はこうすることで、ただ酷使するより数倍も出来栄えの良い仕事になることを分かっていたのだ。

 これは現在にも存在する『危険予知訓練』の先駆けとも云え、戦国時代にそれに着目して家臣に行わせていたのは驚きと云うほかはなく、明家の内政能力の高さを雄弁に示している。

 

 柴田明家の治世でもっとも有名なのが医療制度の充実だった。しかし最初からうまくいったワケではない。すでに医師を生業としている者は自分の住む町の患者を治す事を誇りとしている。いかに最大勢力の大名である柴田家からの誘いでも応じる者はほとんどいなかった。安土城の城下町に診療所をいくつか建設する予定ではあったが、そこで患者を治す医師がいなければ仏作って魂入れずである。医師を集めるのは京都奉行の高橋紀茂が担当したが、成果は散々たるものだった。

「一人も応じずだと?」

「は、はっ!」

 なんと医師一人も安土に呼ぶ事が出来なかった。無論、現時点で柴田家領内に医師はいる。しかしまったく足らない状態である。移民も増えて、当時日本最大の都と呼ばれていた安土の地は深刻な医師不足状態だった。まさに急務とも言える医師の招致。高橋紀茂は家臣を総動員して明家からの主命に当たったが、結果は成果なしだった。

「も、申し訳ございません! もう一度機会をお与えください!」

「いや待て、そなたが目星つけた医師たちがどのように断ってきたか聞かせよ」

「はあ…。自分の故郷の者を救うため医師になったと異口同音。村や町を離れて大都市安土へ行く気はないと…」

「それでは、もう一度そなたに事を当たらせても結果は同じではないか」

「は、はっ…!」

「ふうむ…観点を変えよう右衛門少(紀茂)。余所ですでに出来上がった医師を連れてこようとしたのが誤りであったかもしれぬ」

「では当家で医師の育成を!」

「うむ、曲直瀬道三殿を大名待遇で講師に招こう」

「そ、それが…」

「ん?」

「実はそれがしも途中でそれに気づき申して、当家の医学教授にと懇願しました」

「で、返事は」

「それを聞きつけた京の民にそれがしあやうく袋だたきに遭うところでございました。“京とて柴田の領内! 柴田の殿様は京の民に病になったら死ねと云うのか”と」

「八方塞がりだな…」

「また曲直瀬殿も京を離れる気はないようで…」

「曲直瀬殿には高名な弟子たちもいよう。それにも断られたのか?」

「その通りにございます。弟子たちも京の医師、もしくは自分の故郷で医師になると…」

「それでは仕方ない、当領内にいる医師に交代で教授を担当させよ。禄ははずむからと申し渡せ。曲直瀬殿やその高弟たちも臨時教授なら何とか引き受けて下さるだろう」

「はっ、ではそのように」

 と、高橋紀茂が退室しようとした時である。使い番が来た。

「申し上げます」

「何か」

「若者五名が殿に面会を申し込んでございます」

「これ、仕官希望ならば家老の中務(前田利家)様や弾正(助右衛門)様が面談する事を聞いておろう」

 と、高橋紀茂。

「はい、弾正様も面談し許可したそうです。ご一緒に参ります」

「ほう、助右衛門が許したか。何と云う一行だ?」

「はい、“瀬戸の源蔵の使いと言えば分かる”と」

「せ、瀬戸の源蔵!? 確かにそう申したか?」

「は、はい」

「丁重にお通しせよ!」

「しょ、承知しました!」

 使い番は急いで戻った。

「殿、瀬戸の源蔵とは?」

「昔、世話になってな。今は瀬戸の海にある島で医師をしている聞く」

 

 奥村助右衛門に連れられ、その牢人五人は明家の前にやってきた。武士ではないが学識豊かな在野の士と思える風貌だった。

「殿、いつぞや伺いました源蔵殿の使いと聞きましてございます」

「うむ」

 北ノ庄にいた時、明家は助右衛門に自分の命を助けてくれた加藤段蔵、つまり源蔵の事を話していた事があった。ゆえに助右衛門はすぐに会い、そして五名の人となりを見て主君明家に会わせる事にしたのだ。

「さっそくのお目通り、恐悦に存じます。我ら瀬戸の源蔵の弟子五名にございます、私はこの源門五子の長兄仁六と申します」

 堂々とした名乗りだった。

「それがしが柴田明家にございます。源蔵殿は達者でござるか?」

「はい、老黄忠を地で行き、八十五歳の身でありながら二十歳の嫁をもらうほどに」

「それはすごい…」

 長兄仁六のあとに他の源門四子が名乗り出た。

「同じく弟子の弥八です」

「次郎です」

「辰弥です」

「三太です」

 長兄の仁六が明家と歳が同じ頃で、あとの四名は十七歳か十六歳ころだった。

「ほう、それほどお若いのに源蔵殿のお弟子さんでございますか。で、それがしに何用で」

「師の源蔵より書状を預かりました」

「拝見いたそう。右衛門少」

「はっ」

 紀茂は仁六から書状を預かり、明家に渡した。明家は書状に一礼して読み出した。

『いや~若い娘はいいのう、何よりの良薬、若返りますぞ大納言殿』

(いきなりこれか、前口上もない)

 明家は苦笑して読み続けた。

『さて大納言殿、結果から言うが儂の弟子五人を安土の医師として召抱えてほしい。みな、儂が治療して命を助けた童たちじゃ。それゆえ儂から医術を学びたいと述べ、そりゃもう懸命に医術を学び、今では儂も及ばぬ腕前の医師となっておる。

 また仁六には指導の仕方まで叩き込んだから、良き指導者となると思うし、他の若い連中もそんじょそこらの医師もかなわぬと思う。だがこの瀬戸の小島では医師は儂と妻と、あと二・三人の医師がおれば足りるし、何より仁六たちには都でしか見られない医療書、薬学書なども学ばせ、いっそうの才能を昇華させたい。頼まれてくれないだろうか』

「源蔵殿…」

『追伸』

「ん?」

『儂の妻はさえ殿より美しいぞ』

「参ったな…。ははは」

 源蔵の書状を見て微笑む明家。そして書状をたたみ、助右衛門に渡した。それを一通り読むと

「殿…!」

 助右衛門も明家が領内の医師不足に頭を抱えていたのは知っている。まさに渡りに船だ。

「うむ、おそらく源蔵殿は当家の医師不足を知っておられたのだな。本当に礼の言葉もない」

「御意」

「委細承知した。五人とも本日より当家の医師として召抱えよう」

「「ハハッ!」」

「右衛門少」

「はっ」

「いかに優秀でも五名ではまだ安土の医療不足は解消しない。先の曲直瀬殿とその高弟たちを臨時教授として招く事も同時に行い、領内の医師たちに後進の育成も徹底させよ。領民の命がかかっている事。金を惜しまず事に当たれ」

「ははっ」

 

 源蔵から派遣された医師五名は、当時最高峰ともいえる名医五名だった。源蔵が忍びのときに体得した医療術すべて習得し、瀬戸に渡った後に源蔵が得た知識や技術もすべて体得していたのだった。五名のウデが本物であると知った明家は仁六に医療学校の教授を任せた。

 源門長兄の仁六は後に仁斎と名乗り医療の腕のみならず指導者としても長けていた。彼の師である源蔵こと加藤段蔵は魔性の忍びと伝えられているが、軒猿の忍び衆の記録では彼は忍術もさる事ながら、医師としても当時の最高の腕前だったと記されている。鍼灸に長けて外科手術さえ彼はできたと言われている。彼は軒猿の里を抜けて瀬戸の孤島で医師となり島民を救い、そしてその中から弟子になる事を懇願してきた者には惜しげもなく知恵と技術を教えた。まさに加藤段蔵が忍びの任務と云う生死を賭けた緊張下の中で会得した机上ではなく現場の医術。これを体得した五名がやってきた。あの日、源蔵と名乗っていた加藤段蔵と会い友誼を結んだ事は明家にとり天佑と言えるだろう。

 当時の医療と云えば患者の状態を観察して、それに適した薬を服用する事であるが加藤段蔵はその知識は無論の事、外科手術の技術を体得しており、それを弟子に伝えた。加藤段蔵がどうして外科手術の技術を持っていたかは不明であるが、近年の歴史家は“誰よりも人を殺した彼だからこそ人体について精通しえたのかもしれない”と述べている。これが正解なのかは疑問であるが、とにかく源蔵の弟子五人が畿内にやってきた事により、日本の医療技術は大きく発展する。この後、しばらくして柴田家はポルトガルとも交易を行うので、西洋の外科医術も導入するが源蔵の弟子たちもそれを学び、さらに技術を昇華する事になる。

 現時点で薬の処方以外に外科手術と云う技術で病に立ち向かえたのは、源蔵と、その弟子五人のみである。外科手術と云うものは、あの三国志に登場する医師の華蛇が関羽をはじめ、外科手術で多数の患者を治した事はまぎれもない史実である。“しびれ薬を飲ませて執刀する”と陳寿作の三国志正史にも記されている事から、驚く事に西暦二百年ごろ中国では麻酔と外科手術がすでに存在していたと云う事になる。三国時代からおよそ千四百年を経ている戦国時代の日本、一人か二人外科手術が出来た者がいたとて不思議ではないだろう。

 その一人か二人の加藤段蔵より直接指導を受けた若き五人。その長兄の仁斎は医師の現場ではなく、もっぱら医師の育成にはげみ、そして他の源門四人が安土城下に作られた柴田家運営の診療所『源蔵館』に勤めた。彼らは柴田家の家臣としてではなく、明家に招かれた客将と云う立場であり高禄で厚遇された。柴田領の医療技術は当時の日本、いや世界一の水準とも言えると、当時日本にいた宣教師が記録で残している。

 明家家臣、高橋紀茂も明家の主命に従い、やっと曲直瀬道三とその高弟たちを臨時教授として雇う事に成功し、領内の医師たちの禄を増やし後進の指導に当たらせる事を徹底させた。そのかいあって柴田領内の医師不足は徐々に解消していく事となる。

 

 治療は貧しい者も平等に診療を受けられるようにと、医療費の過半数は柴田家が負担したのである。これは後の医療保険制度とも言えるが、日本では柴田明家が最初に行った。

 さらに特筆すべきは、柴田明家は仁斎に女医の育成を急務として要望した事だ。特に産科医である。お産は産婆と呼ばれる年配女性が担当するのが常だったが、その産婆に専門的な医療技術があったかと云えば、それはないと言っていい。産婆はしょせん出産の時の土壇場しか出番がない。

 本来出産は妊娠した当時から本格的な診断を受けさせて母体の安全に気を配らなければならない。そうかと云って医療技術を持つ男の医師が行えば“夫以外に肌を見せるくらいなら死ぬ”と云う理念があった時代である。明家はその女の恥じらいにより生まれる命が生まれない事を払拭したのだった。武家町人に至るまで優れた女子に産科の技術を教えるようにと要望された仁斎は正規の医療講義のあとに女医候補生を集めて女医を育成した。育成に伴う資金は全額柴田家が負担し、仁斎には十分な報酬を支払った。

 時に性器さえ見せて男の医師の治療を受け羞恥に泣いていた女たちは、この明家の女医育成に歓喜した。加えて当時の社会に蔓延していた『血の儀式』として出産を忌み嫌う風習を撤去した。あの聖徳太子でさえ馬小屋で生まれたのだから、昔の日本が生まれた子宝を大切にしても、出産の女の業をどれだけ忌み嫌っていたか分かる。

 柴田明家は『出産は清潔な環境で行わなければならない』と明言した。これは愛妻さえが竜之介出産の時『血の儀式だから馬小屋で産みます』と言った事に激怒した事が発端と言われている。女であるさえ自身がそういう認識であったのに明家は驚き、屋敷内で生む事を厳命した。侍女頭の八重はそれに反対したが明家は聞く耳持たず『そんな悪しき慣習、今に俺が根こそぎ無くしてやる』と譲らなかった。

 そして明家はその言葉どおり、日本全国は無理でも柴田の勢力圏内では見事それを成し遂げている。そしてそれは徐々に日本全土に行き渡っていく。生まれた子は無論、母体の死亡率も高かった当時、この柴田明家の女たちへの配慮は今日でも評価が高い。女性の歴史家で柴田明家を悪く評する者が皆無なのはこういう経緯もあるからだろう。

 当時まであった『産褥』と云う文字。お産そのものや、その前後を指す意味であるが、二文字目に『屈辱』『恥辱』の文字にある『辱』の文字があるのは適切ではないと柴田明家はこの『産褥』と云う文字を廃止し『産美』と変えてしまった。

 為政者の中で、柴田明家ほど女の支持を得た殿様はいないだろう。たとえ明家が醜男であったとしても、その支持は揺るがなかったのではないかと歴史家は評する。これは養父水沢隆家に幼き頃より『女は国の根本、たとえ親の仇ほどに憎くても殺してはならない。傷つけてもならない。慈しみ守るのが男の務めなのだ』と教えられたからではなかろうか。明家の家臣の妻たちや娘たちにも絶大な人気を誇り、家臣たちは『うっかり妻を殿に会わせたらどうなる事やら』と苦笑してもらしたと云う話も伝わっている。

 後年、『日本史上ただ一人、民と女に奉仕せし殿様』と呼ばれる柴田明家。そして同時に彼は『仁術の祖』と言われて現在に語り継がれていくのである。

 

 話は戻り、源門高弟たちが勤める源蔵館。多くの民が診療を受けていた。そこに一人の急患がやってきた。山内一豊の娘、与禰姫である。急な激しい腹痛だった。嘔吐と下痢も伴い、高熱に苦悶する。ただの風邪と侮っていた母の見性院(千代)は、ただ事ではないと慌て、娘を背負って診療所に駆けてきた。

「ここは痛いかな?」

「は、はい痛いです」

「ここは?」

「イタタ!」

「ふうむ…」

 医師は母の見性院を別室に呼び出した。その医師は安土に来たころは三太と云う名であったが、現在は仁久と名乗っている。源門五子はそれぞれ名に“仁”と云う字を明家から贈られている。

  再び話は戻る。

「先生、娘は…」

「お腹の右下を中心に膿が溜まっています」

「ええ!?」

 山内一豊の娘、与禰姫は十二歳になっていた。仁久の診断記録から、与禰姫は当時は不治の病とも言えた虫垂炎と思える。

「そんな…夫に先立たれ、娘まで失ったら…」

 母の見性院は泣き崩れた。

「大丈夫です。変な話ですが病が発したのが安土で良かった」

「は?」

「大納言様はここ安土に最高の漢方薬と医療具、そして人員を置かれています。しびれ薬で眠らせ、その間に外科手術して病巣を取り除きます。今日にでも執刀できますが…」

 外科手術が日本で浸透するのはもうしばらくの時を必要とするが、源蔵こと加藤段蔵直伝の忍び治療術を心得ている仁久には外科手術は自分の技術の範疇であった。

 見性院はポカンとした。死病にかかったとも言える娘を事も無げに治せると云う若き医師の言葉に。

「よ、よろしくお願いします。ですが、当家にさほどに高い治療代は…」

「ああ、わずかな額しかいりません。患者の治療代の八割は柴田家から出ますので」

「あ、ありがとうございます!」

 医師仁久を生き仏の様に拝む見性院。

「お礼なら大納言様に。ではさっそく始めますが、娘さんは味わった事のない腹痛に戸惑っておられます。お母上から落ち着かせていただきませんか」

「分かりました」

 無事に手術は終わった。女の体ゆえ仁久は細心の注意をはらい、ほとんど傷跡が残らないようにしたのである。腹痛から解放され、スウスウと眠る与禰。手術成功の証である放屁もあった。娘の寝顔を感涙して見る見性院。

「一豊様…。与禰は二度までもあの方に命を救われました…」

 山内一豊の妻の千代は夫の菩提を弔い剃髪して見性院と名乗っていた。姫路落城から安土へと住居を移し、柴田家に礼遇されている。見性院は苦しい葛藤にいつも苛まれていた。

“一豊様を討った柴田明家が憎い、しかしそれは堂々の一騎打ちによるもの、怨むのは一豊様の御霊を辱める事になるのではないか。怨んではいけない”

 しかし一人になると無性に悲しくなってくる。夫が恋しい。何も手に付かない。涙が出てくる。いっそ夫の後を追おうと何度も思った。しかし娘の悲しみを思うとできない。結果彼女は明家を怨むしかないのである。間違っていると知りながらもそれしかないのだ。しかしその明家の礼遇によって自分と娘の暮らしは成り立ち、平穏な日々を送れている。今は娘の成長だけが生き甲斐。

“お礼なら大納言様に”医師仁久がそう述べたので見性院は安土城に赴き、柴田明家に面会を申し出た。明家は快諾して会った。礼を言おう、礼を言おうと会う前は決めていた見性院。だが明家を前にするとやはり…。

「これで、当家が矛を収めるとお思いですか」

 当家といっても、山内家はもう見性院と与禰しかいない。

「いいえ」

「ですが、大納言様の取られた医療制度と仕組みのおかげで娘は助かりました。これだけはお礼を述べさせていただきます」

「そうですか」

「執念深い、蛇みたいな女だと思われるでしょう…! でも、でも…!」

「……」

「う、ううう…」

 泣き出した見性院。彼女は思う。柴田明家が取るに足らない男なら、どんなに楽かと。そういう男なら軽蔑し憎みきれる。しかし明家は残念ながらそういう人物ではない。

「見性院殿」

「え…?」

「聞けば屋敷の中に閉じ篭っている事が多いとか。もしお時間があるのでしたら安土城下の診療所を手伝っていただけないでしょうか。女手が不足していると要望が来ています」

「いきなり何を…私に医術は何も分かりません」

「医術の専門知識がある者だけが患者の病を治すものではございませぬ。中には心に傷を負う者もいます。戦で家族を亡くした者、心ない男に陵辱を受けて心身傷ついている少女、これにはどんな特効薬もない。心のうちを聞いてくれる、親身になって聞いてくれる者が傷負う者を救うすべにございます。ご父母を戦で亡くされ、そして最愛の夫は討ち死に。見性院殿はこの乱世の女たちの痛みを誰よりもご存知のはず。だから同じ傷を負いながら自力で立ち直れぬ者を助けてあげて欲しい」

「自力で立ち直れぬ者を…」

「人は誰でも痛みを持っています。特にこの乱世ではなおの事。しかしその痛みを知らない事は本当にその者を知った事になりません。自分の痛みと人の痛みを知り、そして聞く事は、ただそれだけで人の命を救う事にもなるのです」

「……」

「多くの人を殺してきたそれがしが言えた事ではない。だからこそ自国の民は救いたい。力を貸して下さいませんか」

 一瞬、ほんの一瞬だが明家の姿と夫の一豊の姿が重なって見えた見性院。

(一豊様…。それはあなたのご意志なのですね。あなたが大納言様の口を借りて今私に言って下さったのですね…。『痛みを持つ者を救え』と)

 見性院は涙を落としながら明家に平伏した。

「しかと承りました。微力ながらその務めを粉骨砕身に当たる所存にございます」

 この日より見性院の心に明家を憎む心は失せた。そして思う。“一豊様はあの方と堂々の一騎打ちをしたのだ”と。城下の診療所に見性院の相談室が出来たのはそれから間もない事だった。男に言えなくても同性の女になら言える事はある。見性院の笑顔は人を癒す。彼女に心の傷を癒してもらった女が同じく見性院と同じ務めをする事を望む。見性院と同じ境遇で、家に閉じこもっていた未亡人たちも明家に見性院殿と同じ仕事をさせて下さいと要望。明家は快く了承し、診療所の一角では手狭なので改めて女専用の相談所を建設したのだ。

 思いの他、この相談所は好評だった。実のところ明家は深い考えで見性院に相談員をやらないかと薦めたのではない。単なるその場の思いつきであることを後に本人が言っている。相談所に人が多く訪れると云う事はそれだけ心に傷を負う者が多い証拠。明家の責任ではない。当時は戦国時代なのである。だからこそ領内にいる民、そして家臣やその家族の心の傷をどうにかしたいと思う。

 今度は戦に疲れた男が相談できる場を設けようと考える明家。当時の事情だから仕方ないと言えばそれまでだが、合戦から戻り、その凄惨な光景や体験で日常生活に支障をきたす者が多かった。今日で云う惨事ストレスである。明家自身、小松城の戦いで敵兵皆殺しを父の勝家に厳命されて泣く泣く執行したが、小松から家に戻るまでの間、明らかに体の異常を感じた。眠れず、食えず、何もする気になれなかった。しかし家に帰り、愛妻さえに泣きついたらウソのようにそれが解消した。明家はこの体験を踏まえ、男が弱みを見せて、泣ける場を作ったのだ。

 建設前、相談を受けるのは誰がいいかと思案した明家は老婆が良いと判断。男が受けると『男が涙を見せるな』と云う説教に至る可能性がある。しかし老婆ならウンウンと頷くだけであろうが、弱みも見せられ、グチも云える。男は母親の優しさには童子になるものである。明家はすぐに家中で暇を持て余している老婆を集めて相談した。その中には奥村助右衛門の母の里美もいる。

「やれやれ、この隠居の婆たちに何用ですか」

 と明家に訊ねた。

「ご母堂、そして柴田将兵の母上と祖母たち、聞いていただきたい願いがございます」

 老婆たちに根気よく説明する明家。そして最後に

「傷ついた我らをお救いして下さるのは、母親の愛しかないのです」

 と、頭を下げて救いを求めた。老若男女問わず、人は必要とされている事に喜びを感じるもの。美男子の殿様の願いにしなびた乳房をときめかせる老婆たち、助右衛門の母の里美が言った。

「まこと、殿様は女を口説く名人でございますのう」

 ドッと笑う老婆たち。

「分かりました、柴田の男たちの母親となりましょう」

 里美が城に呼ばれた日、安土の奥村屋敷に戻った助右衛門、妻に刀の大小を渡し着替えていると

「ん? 母上はどうされた?」

 いつも助右衛門が帰ってくると出迎えてくれる母の里美の姿がない事に気付いた。

「お城の殿に呼ばれておいでです」

 妻の津禰が答えた。

「殿に?」

 ちょうどその時に里美が帰ってきた。

「帰りましたよ」

 助右衛門夫婦が出迎える前に里美は屋敷の中に入ってきていた。足腰が少し弱っていた母の里美が軽快に廊下を歩いている。何か機嫌がいい。

「母上どうされたのです? 何やらずいぶん上機嫌で」

「夜叉丸(助右衛門幼名)」

「は、はい」

「お前よりお殿様の方がずっと年寄りを大事にいたします!」

「は、はあ?」

 とんだトバッチリを受ける奥村助右衛門だった。

 

 日本初となる心の病を治す施設は『心療館』と名づけられた。最初は訪れるに抵抗があったが、秘密は守られ、誰が相談しに行ったか分からないように建設されていると知り、一人二人と徐々に訪れ出した。前例のない試みであったが、この『心療館』の建設は大成功。合戦により心に深い傷を負っていた男は多かった。甘える事も許されない。心に傷を負いながらも家族と家臣のために戦わなくてはならない。中には焼き切れる寸前の者もいたかもしれない。それが母親や祖母のような優しさに触れて、その傷が癒えた。

 そして老婆たちも暇を持て余し毎日を家の中で過ごすしかなかったのに、こうしてお家の役に立ち、若い者を立ち直らせたと云う満足感を味わえる。“事は何事も一石二鳥にせよ”柴田明家の真骨頂と云える政策である。

 柴田明家はこの時代にはまったく無視されていた『心の傷』と云うものにも目を背けず、その治療に当たったのだ。これも小松城攻めで心に傷を負った明家を優しく癒したさえがいたればこその発想。

 また、さえは明家が女子供、年寄りを労わる政策を立てると大変喜び、そして明家を褒めて褒めて褒めちぎったと云われている。

『私は殿の妻になれた事が一生の誇り』

『民に優しい殿が大好き』

 と、傍で聞いていて恥ずかしくなるほどに明家を褒めて、抱きついてイチャイチャしていた。つまり明家はこれに味をしめて領民第一、そしてその中でも弱い立場にある女子供、年寄りを労わる政治をしたのではないかとも言われている。妻の喜ぶ顔が見たくて、そして褒められたいから。

 さえにそういう政策を夫に取ってほしいからと云う意図があったかは分からない。だがさえがいなければ、今日にも名高い明家の仁政は半分も成されていなかったのかもしれない。柴田明家の愛妻さえも、まぎれもなく『仁術の祖』であろう。



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忠臣の死

 大坂城が完成した。安土城を凌ぐ巨大な城である。同時に城下町の整備も行い、現代でも大都市である大坂の礎を作った石田三成。その石田三成は安土城を預けられ、柴田明家本拠地の大坂の地と共に畿内二大都市を運営して行く。柴田明家は大坂に本拠地を移した。まさに天下の政庁と云える居城である。

 同じく大都市となっていた安土は石田三成が治めるようになるのだが、三成は領主として入府しようとはしなかった。城代として入った。安土城と城下町は柴田の天領としたのである。『権ある者は禄少なく』と云う事だろう。彼は柴田勝家に仕えていた水沢隆広のように高額な金銭で召抱えられている柴田の重臣。三成はその金銭で十分に石田の家は運営できると明家に安土拝領を拒否した。

「安土は確かに殿の言われるように軍事的には亡き信長公が謙信公の上洛に備えて築城した城なのかもしれませぬ。しかし経緯はどうあれ安土は今や大坂と堺に次ぐ都市であり、殿が秀長様の攻撃から命がけで守った柴田にとって大事な城。それがしごときに与えてはなりませぬ」

 その言葉に明家は

「そう言うが適任者がおらん。その大都市になったからこそ、優れた政治能力を持つ者を入れる必要がある。受けよ」

 と返す。三成はさらに

「適任者がおらぬのでは当面それがしが城代として入り安土を預かりましょう。ですが後に殿のご子息に拝領する事をそれがしにお約束して下さいませ」

 そう答えた。城代と云う事はその地で得られる利益もすべて主家に献上しなければならない。まさに預かっていると云う形式である。三成は明家と同じくまだ二十代の青年。それなのに大大名柴田の重臣。一度羽柴に戻り明家と敵対した事も鑑み、年長者の妬みをこれ以上買いたくはなかった。明家もそれを察するが、すでに大都市となっている安土には信頼できて行政に長けた者を置きたかった。石田三成に白羽の矢が向けられるのも仕方ない。

「世継ぎの竜之介にはそのまま大坂を任せるつもりだ。そなたの言いようでは安土ほどの地は正室の子を入れなくてはならない。生まれるにしても当分先で、安土を任せるほどに育てるのもさらに時間を要す。その間ずっと城代で良いと云うのか?」

「はい、それでようございます」

「無欲なヤツだな…」

「いえいえ、殿が大殿様にお仕えしている時にしておられた事を学んでいるだけでございます」

「え?」

「『権ある者は禄少なく』殿の近くで思う存分に働くには、これが一番なのでございます。戦のない世を作るため、殿の元で手腕を心置きなく振るう事、それがそれがしの『大欲』にございます」

「とはいえ、そなた年俸も柴田家のためと部下への恩賞に使い、ほとんど手元に残るまい。その足袋も擦り切れているではないか」

「なんの、愛しい妻がいつもせっせと修繕してくれるゆえ、暖かくてなりません」

「俺に女房とのノロケを言うか」

「それがしが独り身の当時、殿と御台様にさんざん見せ付けられたお返しにございます」

「こいつ…」

 明家と三成は笑いあった。

「それと殿、水沢姓を大事になされませ」

「え?」

「殿の出自は水沢氏、柴田姓を名乗ったとはいえ、殿の母体とも言える大事な姓。一門あるいは譜代家臣の姓として、柴田家臣が授けるに足る名誉な称号としての役割を持たせる事ができます」

「それは…徳川殿が松平と云う旧姓を大事にし、譜代家臣や一族に与える名誉な姓にしていると云う…アレか?」

「御意、せっかく名誉な旧姓があるのに使わない手はございませぬ。徳川殿は敵手にございますが、学ぶべきところは学ばねばなりません」

「水沢の名前か…」

「はい」

 柴田の者で水沢姓を賜るのは、この後に無上の名誉となる。この時に三成が言った事は、まさに柴田家百年の大計を成す名策であったのだ。

「分かった、そなたの懸案、万の軍勢を撃破したに値する。その功と今までの働きに報いるため、石田治部少輔、安土の城代を命ずる」

「ははっ」

「ただし収益の献上は半額で良い。あとは自由にせよ」

「殿…」

「このくらいは受けよ。全部俺にくれてしまったら恋女房やかわいい娘たちにきれいな着物も買ってやれぬだろう?」

「はあ」

 照れ笑いを浮かべる三成。

「そういえば次男の佐介、山崎家に養嗣子として出すらしいな」

「はい、舅の俊永たっての願いでして」

「俊永殿も孫が家を継いでくれて嬉しかろう」

「はい、喜んでおりました」

「…ところでその方、子は何人になる?」

「はあ…今年生まれた娘の美郷を入れて五人目です」

「側室をもらっていないよな確か」

「無論、それがしは伊呂波一人で十分ですから」

「しかし伊呂波殿は見かけ華奢なのに大した安産型よな。十八で初産以来、まあポンポンと」

「それがしと相性が良いのでしょうなあ」

「ははは、ぬけぬけとよくもまあ言うな」

「それに加えて、殿が女たちに安心して子を生める政治をしてくれているからです。それがしもその担い手として誇りに思います」

「そなたの補佐あればこそだ。まだまだこき使うゆえな、覚悟しておいてくれよ」

「は!」

 こうして安土の城代になったものの、石田三成は安土の運営は政治に優れた家臣に任せて自分は大坂に留まった。あくまで彼は明家から離れようとしなかったのである。

 

◆  ◆  ◆

 

 柴田家が本拠地を安土城から大坂城に移して一年が過ぎた頃、家令の吉村監物が病に倒れ、そして没した。七十二歳の大往生だった。

 監物は艱難辛苦を経ただけあり思慮深い人物だった。朝倉宗滴の合戦や言行などもほとんど記憶しており、それを柴田明家に伝えた男である。柴田明家の強さの秘密は『斉藤道三と武田信玄に学びしゆえ』と言われているが、監物を通じて朝倉宗滴の兵法も明家は学んでいた。宗滴の兵法を伝える事の出来る監物、老いておらず身体に障害もなければ明家の老臣として戦場で活躍していただろう。しかし彼はそんな事を愚痴らず、主君朝倉景鏡の一粒種さえを姫として敬い尽くしてきた。その彼が最期の時を迎える時だった。明家に

「良い事をなされましたな」

 と言った。明家はニコリと笑い

「そなたの忠告あればこそだ」

 と返した。その言葉の意味はこういう事である。柴田明家が柴田家を継いでしばらく経った頃だった。私室で明家は監物と碁を打っていた。

「ありません」

 投了した明家。

「はっははは、殿は相変わらず碁と将棋はヘタにござるな」

「そう言うなよ、これでも努力はしているんだ」

「ははは…」

 監物は碁盤から立ち夕暮れ映える庭へと歩み、縁側に立ち木々にとまる小鳥を見た。そして小鳥の鳴く声をチチチ…と真似た。

「…?」

 急にワケの分からない行動をしだした監物の後ろ姿を見る明家。

「それがしのような役立たずの年寄りを殿と姫様は過分に遇してくれ、妻と共々幸せに暮らしております」

「…?」

 急に何を言い出す。ポカンとして監物の背を見る明家。

「しかし、我ら夫婦に比べ軍律に厳しい当家で違反を犯した者たち、当家の法度に背いた者たち、本人はともかく家族たちは気の毒ですな。糧を得る術がないのでございますから生きて行くのも大変でしょう」

 不思議そうに自分を見つめる明家に監物は何も言わず、再び小鳥の鳴き真似を続けた。

「今日もまた日が暮れます。年寄りの貴重な時間が減りました」

 

 翌日に明家は領内の治安奉行を務めている前田利長を城主の間に呼んだ。

「民部(利長)、何ぞ罪を犯した者の家族はどうなっているか」

 唐突な明家の言葉に利長は戸惑い

「恐れながらお訊ねの意味が分かりかねますが…」

「つまり罪を犯して罰を受けた者の家族はどうなっているのか、と聞いている」

「そ、それは罪の軽重によって異なります。死刑、入牢、追放などと色々にございます」

「咎人の方ではなくて、それらの家族はどうなっているのかと聞いている!」

「…困っておりましょうな。禄の支給は止められますゆえ」

「うむ…」

 前田利長はだんだん危うさを感じてきた。背中を伸ばし、明家に詰め寄った。

「殿、よけいな仏心はなりませぬ。罪を犯した者は本人だけでなく、家族も暮らしに困り“あれは罪人の家族よ”と後ろ指を指されてこそ本当の罪の重さを知るのでございます。罪人当人と家族はそれだけの繋がりがございます。罪を犯す事を止められなかった罪にございます」

 毅然と言い切る利長の顔を明家しばらく見つめ

「そうかな…」

 とつぶやき、利長は

「そうですとも」

 と自信を持って言った。かつて柴田家で兵糧奉行を務めていた柴田明家。そのおりに彼は毅然と不正役人を罰している。しかし役人には労役を課し、後に帰参を許し当人と家族の罪を許した。俺もこうしたのだから、お前もやれ、と云うのは君主の驕りである。いったん利長に治安奉行を委ねたのだから任せるべきなのである。明家は強権を駆使したいのを堪え、改めて訊ねた。

「では…そういう家族はどうやって生活の糧を得ているのか?」

「内職が主でございましょう。中には娘が身を売る場合もあるかと」

「娘が身を売る!?」

 明家は驚いた。その夜、明家はしばらく考え込み、そして翌日再び城主の間に前田利長を呼んだ。もう強権を駆使するのをためらわなかった。

「昨日、話に出た家族のうち娘がいる者は、その娘を当家の奉公人として召抱える。すでに女郎になっている者も調べあげて身請けせよ。その者も同じく当家で用いる」

「え、ええッ!」

 利長は驚いた。

「反対にございます! それでは示しがつきませぬ。罪と云うのはそれほどに重いものにございますぞ!」

 剥きになって反対する利長。

「いや」

 明家は首を振り、利長を見つめ言った。

「罪は罪、犯した当人は罰するのは無論だ。だが家族には関係ない。古代中国で五族、九族、族滅の刑などがあったが結果どうなった? ますます罪人が増えていったではないか! 罪を罰すること苛酷なら柴田家は古代中国の過ちを何ら教訓としていないと云う事になる。罪は家族に関わりはないのだ。罰してはならない」

「しかし…」

「頼む、俺の言う通りにしてくれ。そなたの職務に強権を用いるのはこれが最初で最後だ。民部頼む!」

 咎人の罪は家族も被る連座制が当時の裁きの常識だった。しかし明家はそれを廃止したのである。明家自身気付いていなかったが、これは日本で最初に行われた事である。

 

 やがて城中に採用された娘たちを見て、柴田家の人間は色々な事を噂したが、その悪しき噂を跳ね飛ばしたのは誰からぬ当の娘たちだった。娘たちは懸命に働いた。

“怠けたらお殿様に申し訳がない”

 と思い働いた。これが評判になり次第に罵りの声は消えうせた。明家は頃合を見て娘たちに縁談を世話して、話がまとまると仲人を買って出たのである。こうなると現金なもので柴田家の若者たちは次々と娘たちに言い寄った。

 やがて罪を許された咎人たちは明家を逆恨みする事は皆無であり、その温情に感涙して以降は柴田家に忠勤を尽くす事を誓った。前田利長はその様子を見て

“まだまだ殿には及ばないな”

 と苦笑し、これ以後は裁き事が巧みな名奉行として歴史に名を残す事になる。

 

 余談だが明家が『罪を許す』と云う有名な話は他にもある。城に出入りの車引きが、城下町に立てた高札を誤って倒してしまった。高札は柴田家が城下町に発布する、いわば柴田明家の言葉。車引きは不敬罪ですぐに捕らえられた。これは当時の柴田の法で死罪に値するほどのものだった。車引きは死を覚悟した。死刑一つでも自分の耳に入れよと厳命していた明家の元にその知らせが入った。

「高札を倒すは不届き、厳罰に処しなければならない。しかし、もしその高札の根っこが腐っていたら風で折れるかもしれない」

 そのうえで明家は知らせに来た者に告げた。

「いいか、もしかしたら高札の根っこが腐っていたのかもしれない。とくと見てまいれ。いいか、しかと見てくるのだぞ」

 二度もよく見て来いと言われた使い番は明家の意図を察し、しばらくしてこう報告した。

「お見込みの通りでした。高札の根は確かに腐っておりました」

「そうか、ならば車引きの男に罪はない。解き放ってやれ」

 車引きの男がその許しの言葉を聞いて感涙したのは言うまでもない。

 

 明家は部下を褒めるのも上手だったが、人を許す名人でもあったと云われている。家臣に対してはこんな許し方をした話がある。明家の小姓を務めていた蜂須賀千松丸(後の至鎮)はある日、明家が来客用にと大切にしていた唐土渡りの名皿一組十枚のうち、一枚を誤って割ってしまった。千松丸は青くなった。我が身は無論死罪、蜂須賀家の再興も絶望的と思った。覚悟を決めて明家に正直に報告した。震えて報告をする千松丸をしばらく見つめていた明家は

「残りの九皿を持って来い」

 と命じた。千松丸は言われるままに九皿を持ってきた。それを取った明家は皿を持ち庭の石に叩きつけて割りだした。明家の怒りが並大抵のものではないと思った千松丸は死を覚悟した。九皿全部割った明家は千松丸に向きニコリと笑い、

「残りの九皿があれば、お前はいつになっても仲間から不調法をしたと言われよう」

「え…っ!」

「よう正直に報告した。褒めてとらす。さすが蜂須賀正勝殿の孫、蜂須賀家政殿の子だ」

 千松丸は大粒の涙を流して平伏した。彼は一生この感動を忘れず、明家の息子の勝明には誠忠を持って仕え、子の忠英に家督を譲った後は僧となり、一生明家の墓守を務めたと云われている。

 罪は罪と重く罰した君主ではあったが、型にはまった処罰はせず、時にこのような粋な許し方をした。敵には恐れに恐れられた彼ではあるが彼の家臣や民は殿様明家を心より敬愛していた。

 

 そして話は吉村監物の最期の時に戻る。看取る明家とさえに監物はポツリと訊ねた。

「…あの娘はどうしました? 働き者だが売れ残っていた…」

 明家は監物の手を握り答えた。

「安堵いたせ。今日縁談がまとまった」

「良かった…」

 監物も明家の手を握り返した。そして

「良い事をなさりましたな」

 そう言い

「そなたの忠言のおかげだ」

 明家もニコリと笑い答えた。

「姫様」

「監物…!」

「お先にまいります。殿とお健やかに」

「はい…!」

「八重、直賢、絹…。そして孫たちよ」

「「ハイッ!」」

「柴田家への忠勤に励め、良いな」

「「ハイッ!!」」

 それが最期の言葉だった。吉村監物は静かに息を引き取った。そして悪い事は重なった。監物の妻、八重も病に倒れた。八重は一切の治療と薬の服用を拒絶した。夫に先立たれたのだから、彼女自身自然な死を迎えようとする姿勢は考えられなくもないが、違う理由があった。今日も源門五子が処方してくれた薬をさえは飲ませようとするが八重は頑なに拒否した。その理由が皆目分からないさえ。彼女は堺に本陣を置く吉村直賢を大坂城に召した。

「備中殿、伯母上は薬を飲んでくれませぬ」

「……」

「自然な死を望むとの仰せですが、伯母上は六十。薬を飲めば治ると思うのです」

「母は飲みますまい…」

「ど、どういう意味です?」

「あれは…姫が六歳のころでございました。流行り病により重篤な高熱が数日続いたのです」

「…覚えております。伯母上がずっと看病して下さいました」

 さえの実母は彼女が生まれて間もなく死んでおり、父景鏡の姉である八重がさえの母親代わりとなっていた。そして弟の景鏡が出陣中、さえが流行り病に倒れ、高熱を発して生死をさまよった。薬を飲ませても吐き出し、食べ物も受け付けない。医者も覚悟されたほうが良いと匙を投げた。だが八重はあきらめなかった。しかしなす術はもうない。人の手で出来る事は全部やったが効果はなかった。万策尽きた八重は水ごりをして神仏にこう願った。

“姫を快癒させて下されたら、私はこの先どんな大病を患っても薬は口にいたしません”

 やがてその願いが神仏に通じたか、さえは快癒に至った。

 

「それから後に朝倉が滅び、母と姫は離れ離れになりましたが…その間に病に倒れた時さえも母は薬を飲もうとはしませんでした。姫の安否も分からなかったと云うのに…」

 さえはこれを聞くと泣き崩れた。実母に勝る伯母の愛情に。何としてでも助かってもらいたい。さえはどうか薬を飲んで欲しいと哀願したが八重は飲まなかった。八重の発病前から城を留守にしていた明家が帰城すると妻が憔悴しきっていたのに驚いた。理由を聞き明家は一計を案じた。

『医食同源』とあるように、八重が毎日少しずつ食べている粥の中に薬を入れたのである。一時、それで病状は良くなったが、やはり六十数歳が彼女の寿命だったのだろう。八重は明家とさえ、息子の直賢と嫁の絹の看取る中、静かに息を引き取った。

 監物と八重の遺骨は分骨され、大坂の地と二人の故郷である越前一乗谷の地に埋葬され、明家とさえは二人で大坂の地に立てた監物と八重の墓参に訪れた。合掌するさえ。

「父が義景様に叛旗を翻した後…。旧領は安堵されましたが、父は領民に裏切り者と罵られ、家臣たちはどんどん去って行き…やがて父は気が狂い私にも暴力をふるいました…」

「…」

「でも、監物と伯母上はいつもそれから庇ってくれました。そして『負けてはなりませぬ』と私を元気付けて下さいました」

「そうか…」

「殿、私は殿のおかげで二人に親孝行が出来ました」

「大した事はしていない。俺とて二人にどれだけ助けられたか分からない。この仲睦まじい夫婦に巡り合わせてくれた事を感謝している」

「殿…」

「監物と八重の夫婦のように…ずっとずっと仲良くいような、さえ」

「はい…」

 

◆  ◆  ◆

 

 監物と八重が旅立ち、しばらく経った大坂城。明家は城内で石田三成、大野治長と共に政務をしていた。

「殿、この辺で休息いたしましょうか」

 と、治長。

「そうだな、茶でも飲むか」

「ではただちに」

 治長が部屋を出て行こうとした時だった。使い番が来た。

「殿、工兵隊の鳶吉殿が目通り願っております」

「鳶吉が?」

 顔を合わせる明家と三成。

「珍しいですね。堅苦しい城の中は嫌だと口癖のように言っている鳶吉殿が」

「そうよな、とにかく会おう。通せ」

 鳶吉とは明家の初主命、水沢隆広の北ノ庄城壁の改修から仕事を共にしている工兵隊の一人である。

「殿…!」

「今、茶を運ばせている。入るが…?」

 鳶吉は廊下で明家に平伏したまま泣いている。

「…? いかがしたのだ」

 場を察した三成は部屋を出て行き、治長にも部屋に戻るなと告げた。明家はさらに訊ねた。

「…何かあったのか?」

「娘が…」

「しづが?」

 しづは、明家が養父長庵と共に北ノ庄城に初めて訪れた時、突如に城下に雪崩れ込んだ門徒たちの攻撃で人込みの下敷きになったのを長庵こと水沢隆家が助けた女童である。そのさいに長庵は凶弾に倒れたが、その恩はしづも忘れず、また父の鳶吉も母のみよも忘れていない。

「しづがどうした? 療養中であろう?」

 しづは大坂城完成と同時に城へ奉公に出たが、半年後に突如血を吐いて倒れた。柴田家の名医たち、源門五子もしづの治療を試みたか、さしもの彼らの手にも負えなかった。

 主人として責任を感じた明家とさえは良い漢方の薬も南蛮の薬も自ら見舞いに行き届けた。だがどんなに効能ある薬や滋養をつける食べ物を届けてもしづは痩せる一方だった。養父が助けた女童しづ。病ごときで死なせては養父隆家に合わせる顔なしと、明家は寸暇を利用してしづに会いに行っていたが、ある日、母のみよが『もう来ないでほしい』と泣いて頼んだ。元気だった頃のしづの姿だけ覚えていてほしいと願う死を悟った娘を代弁しての事だった。明家の妻さえのような奇跡は、そう何度も起きない。

「しづはもう…死を免れません」

「そんな…」

 鳶吉は平伏したまま明家に詰め寄り、

「殿! 一生のお願いにございます!」

 そう涙を流して明家に哀願する鳶吉。

「お願いです。娘を抱いてやって下さいまし! あの子は幼い頃から殿に恋をしておりました! もはや骨と皮のあの子ですが、せめて愛した男の温もりを与えてあげたいのです!」

「…鳶吉」

「お願いします! あの子を…!」

「分かった…」

 その頃、夫が明家に頼む内容を察してか、妻のみよはしづの体を手拭で拭いて清めた。

「どうしたの母さん…。今日に限って…」

「ん…。だってお前は女の子なんだからきれいにしておかないと」

「…ありがとう」

 そして明家が鳶吉の家にやってきた。しづも母親の態度に何か察したか、横になっておらず、白い着物を着て蒲団の上に座っていた。障子があき、明家が立っているとしづは静かに微笑み、三つ指立ててかしずいた。

「元気そうだな、しづ」

「はい」

「いつ見ても美しい」

「お兄ちゃんも相変わらず美男子よ」

 明家は着物を脱ぎ、そのまましづに口づけをして蒲団に寝かせた。着物を脱がせると恥ずかしそうにしづは身を固まらせた。処女だった。もはやしづは骨と皮、明家を抱き寄せるチカラもやっとの思いで振り絞っている。

「うれしゅうございます…」

「きれいだ」

「うれしい…」

 残りの全生命を使うように、しづは明家の愛を得た。明家と一つになったとき、しづは満面の笑みを浮かべ、そのまま眠るように息をひきとった。体温が残るうち明家はずっとしづを抱きしめていたのである。しづ享年十六歳だった。

 しづの葬式には工兵隊は無論、明家とさえも参列した。明家の手には遺髪がある。無念だった。父の隆家がしづを助けて命を落としたと云うのに、自分は何もしてやれなかった。助けられなかった。せめて良い墓を立ててやる事しかできない自分が悔しかった。

「殿…。殿は神仏ではないのです」

「え?」

「私も悔しい…。当家にあの子が奉公に来てくれたのはたった半年だったけれども…失敗ばかりのおっちょこちょいな子でも何か憎めなくて…私をお姉さんのように慕ってくれて…。それなのに私も何もして上げられなかった。悔しい…」

「……」

「でも…こうして安らかに眠ってくれる事を祈る事しかできないじゃないですか」

「うん…」

「殿…」

「ん?」

「しづは…女子が生涯で一番大切にしているものを殿に捧げて逝ったのです。その重み、一生お忘れなきよう…」

「さえ…」

 さえはすべて知っていた。しかし明家を責めなかった。いや、骨と皮となったしづを抱いた夫の優しい心が嬉しくもあったのではないだろうか。

「ああ…忘れるものか」

 

 その日は悲しみに暮れた明家だが、翌日には柴田家当主として曇った顔など見せず働かなくてはならない。大坂の城下町の建設現場に赴いた。三成が築城していた当時も、明家が入城後の大坂の町づくりにおいて活躍したのも、やはり辰五郎率いる柴田明家の工兵隊たちである。柴田明家は城下町に学問所を作り出した。学問所は柴田家の子供たちに文武を指導する大事な施設。かなり大きな建物である。その建築の指揮を執るのはもちろん辰五郎である。

「これは殿」

「辰五郎、俺に気にせず続けてくれ」

「はい」

 城と云ってもいいくらいの大きな学問所だった。工兵隊の辰五郎が指揮を執り建設していた。しづの父の鳶吉ももう働きに出ていた。

「…鳶吉、もう良いのか仕事に出て」

「へい、仕事していた方が気ィ紛れるってもんでさ」

「そうか」

「女房も休んでいられないって城の調理場で勤めております。負けられませんよ」

「……」

「殿…」

「ん?」

「しづを抱いてやってくれて…ありがとうございます。娘は満面の笑みで逝けました」

「そうか…」

「またね、カカァと子作りしようと思いましてね。南蛮の神様が言うには人は死ぬと、もっとも愛した人の子に生まれ変わるって云うんですよ。それを女房信じましてね。しづは私たちの子として再び生まれてくれるって云うんですよ。今日から励むつもりですわ」

「なるほど、それならしづは鳶吉とみよの子として再びこの世に生まれるな。楽しみだ」

「あっしもですわ。あっははは!」

 鳶吉の仕事を止めては悪いので、明家は建設奉行の中村武利のところへと歩いた。

「武利殿、図書の収集と学僧の要請の方は?」

 中村武利は中村文荷斎の息子で、水沢隆広が賤ヶ岳の合戦で敗れた羽柴秀吉を追撃した時に目付けとして共に随行していた男だ。父の中村文荷斎同様に思慮深い人物で、早くから明家の才に気付き、父の文荷斎と共に明家が水沢隆広と名乗っていたころから重く見ていた。十歳以上年下の明家を立て、表に出ず黒子に徹していた。その彼の才と性格を知る明家は柴田家の子を養育する学問所の建設から館長に至るまで一任していたのだった。

「順調に進んでいます。和漢蔵書や他の文具の調達も滞りなく、また名のある学僧数名も無事登用がなりました」

「和漢蔵書も良いですが、年齢別に優しい教科書も作らなければ。それはいかがいたします?」

「はい、平仮名から教える本を作らせてございます。算術も簡単な足し算と引き算の書を製作中にございます」

「うむ、順調で何より。ここで明日の柴田の人材を養育いたします」

 明家は柴田の子らの養育にも余念はない。

「今は一箇所だけですが、どんどん学校は作ろう思う。子の教育は国の大事。今に女子や民も学べるようにしたい」

「ゴホッ! ゴホッ!」

「どうした辰五郎?」

「あ、すいません別に…」

 小声で中村武利が言った。

「殿、ここ数日辰五郎殿は体調が…」

「え?」

「辰五郎殿も、もう還暦の坂を越えますれば…」

「…」

 そして翌日、明家はある事を決めて学校の建築現場に来た。辰五郎の横に座り、しばらく工事を見つめ、そして明家が言った。

「辰五郎」

「はい」

「今まで、よう尽くしてくれた…」

「は?」

「北ノ庄城壁工事の時は…柴田の新参で、かつ当時十五の俺の頼みを聞いてくれて…。手取川の戦では渡河する筏を大急ぎで作ってくれた。まさに縁の下のチカラ持ちで俺を支えてくれた」

「殿…」

「そなたのウデの良さに頼るあまり、あの城この城、次はあっちの城下町と用い、ろくに休息も取らせてやれなかった事を申し訳なく思う」

「それは違います。儂がそうしたかったのでございます。職人は腕を認められるのが名誉、頼られ仕事を任されるのが誇り。どこに殿の落ち度がありましょう」

「辰五郎…」

「それに…ろくに休息を取らなかったのは殿も同じにございます。臣の儂がどうして休めましょうか」

 辰五郎はフッと笑った。

「…隠居せよと仰せか」

「…そ、そうだ」

 労いの言葉を続け、そのまま自然に『隠居せよ』と言いたかった明家だが、さすがは明家直臣の最古参とも云うべき辰五郎には見抜かれ、先に言われてしまった。

「それはご命令にございますか?」

「そうではない、ただこれからは奥方と静かな日々を送ってもらいたくてだな」

「ご命令でないのなら、お断りにございます」

「分からぬ事を言うな。そなたには久作と云う立派な息子が跡継ぎになっているではないか! もはや現場の冬の風が骨身に凍みよう。温泉にでも行き長年の疲れを癒せ!」

「大きなお世話にございます」

「な、なんだとォ!」

「ならば言わせてもらいます。儂は殿がまだ十五の小僧で、柴田の使い走りのころから共に働いてきた自負がございます。それを歳とったからと隠居せよではあんまりじゃ! 朝倉宗滴公は七十五歳まで戦場におった! 越前生まれの年寄りを甘く見られるな!」

「老黄忠よな、しかし現実痩せてきているではないか!」

「死ぬなら現場で死にたい。武士が戦場で死ぬ事を本望とするように、職人は最期の瞬間まで、この世に何かを残す物を作っていたいのです」

「分かった。好きにしろ、この頑固爺が! どうなっても知らんぞ!」

「ええ、好きにさせてもらいます」

 頭に湯気を立てて立ち去る明家の背に辰五郎は静かに頭を垂れた。

(お気遣い…嬉しゅうございます殿。しかしこの学問所の建設はおそらく儂の最後の仕事。何とぞ完成までやらせて下され…)

 明家にもそんな辰五郎の気持ちは伝わっていたか、立ち去った後に静かな微笑を浮かべていた。

 

 学問所の完成の日、それと同時に明家の耳に届いたのは辰五郎の訃報だった。現場監督の椅子に座り、そのまま眠るように死んでいたと云う。顔は満ち足りた笑顔だった。

 明家は現場にかけつけ、そして自分をずっと支えてくれた老臣の死に涙した。辰五郎七十歳だった。明家は完成した学校に『辰匠館』と名づけ、辰五郎の遺徳に報いたのだった。




しづは史実編では…


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大納言様の妻たち

 月姫、彼女は小山田信茂の一人娘である。小山田信茂は最後の最後で主人武田勝頼を裏切ったので今も甲斐と信濃で評判が悪い。小山田信茂は織田信長に処刑されたが、彼の居城である岩殿城に残っていた家臣たちは水沢隆広によって逃がされた。しかも当面の生活費や兵糧も織田軍の物資から割いて与えたのだった。

 織田信忠率いる織田勢は岩殿城に寄せる時、奇計を用いて無血に入城する事に成功している。この時の水沢隆広は織田信忠の寄騎を務めていた。信忠は三万以上の大軍を連れていた。それが隆広の奇計で戦う事なく入城を許してしまった。小山田信茂の主な家臣は当主信茂と共に信長に殺されてしまい、岩殿にいたのは投石部隊と、それを指揮する川口主水だけだった。武田の衰退を見て小山田家でも逃亡相次ぎ、もはや戦闘員は四百を切っており、あとは女子供と年寄りだった。それを織田信忠三万が囲み、かつ隆広の奇計にまんまと一杯食わされて開城してしまった。いかに投石部隊が精強とはいえ、もはや勝ち目はない。

 そこへ水沢隆広が丸腰で小山田家臣団と会い、すべての事情を説明した。主君信茂はすでに鬼籍に入るのを免れず、また武田家も滅亡したと。最初は激怒した小山田家臣団だが寸鉄も帯びず、しかも単身で来た隆広に武人の信義を見た小山田遺臣たちはやがて隆広の勧告に従い、城を明け渡し落人となった。雪の中、城から出て行く時、月姫は城門の縁につまずいて転んだ。隆広が駆け寄り、起こすのに手を貸そうとした時、月姫はその手を叩き払った。目は悔し涙で溢れていた。だから視界を見失いつまずいて転んだのだ。悔しさを顔一杯に表して隆広を睨む月姫。悔しかった。父の死も、そして自分の知らない間に城の明け渡しが決まり、家臣たちの決めた事に少女の自分がどう抗戦を主張しても覆せない事が。そんな悔しい思いが顔一杯に出た顔で、かつ悔し涙を溢れさせ隆広を睨む月姫。隆広は

「大変失礼をいたしました」

 と述べ、手拭を渡し

「雪で顔がぬれてございます」

 そう言って月姫を起こさずにその場から去った。月姫がその男こそが小山田一族を滅亡から救ってくれた人物と知るのは、それより四日後の事だった。小山田遺臣たちはその後に荒地を開拓し帰農した。その間に徳川家康が小山田投石部隊を登用したく使者を出したが小山田家臣団は、“我らが再び人に仕えるのなら、それは水沢隆広殿おいてない”と断った。

 その話を隆広は知らない。だが養父隆家から小山田投石部隊の強さを教えられていた隆広は柴田家の家老になると旧小山田家臣団へ登用を申し出た。小山田家臣団たちは歓喜して要請に応じ、水沢家の家臣団に名を連ねたのだ。

 やがて水沢隆広は柴田明家と名を変え、柴田勝家の後を継ぎ日本一の大大名となった。『我々は水沢隆広と云う駿馬に賭けましょう』この月姫の一言で薄給承知に水沢家へ参じた小山田家の賭けは大当たり。高禄のうえ、安土に小山田家が新田開発した水田はそのまま与えられた。望外の厚遇に感涙する小山田遺臣たち。“裏切り者”の汚名があり、甲斐の国内でも肩身の狭かった自分たちを心より認めて重用してくれる殿様がいた。

 月姫は岩殿城より落ちる時は十四歳だった。信茂の妻、つまり彼女の母は夫を亡くした心痛のあまり、落ちた先の里で病におかされ、あっけなく息を引き取った。もう小山田家に男子はおらず、彼女が総領娘である。

 彼女の悲願は小山田家の再興だった。今さら父信茂の武田勝頼への裏切りの汚名は消えない。だから柴田家で新たな小山田家を誕生させ、柴田家の天下統一の大事業に助力し、よりよい国づくりをして小山田家と父の名誉を少しでも回復する事が悲願である。強い男子を生まなくてはならない。月姫が我が良人にと願ったのは、主君の柴田明家である。小山田家にも、武田家にとっても明家には恩義があり、また武田の技を誰よりも会得しているのは明家。婿としてこれ以上の人物はいない。あの安土城攻防戦が終わった時、柴田明家が言った

『小山田投石部隊、見事だ! さすが甲斐国中で随一の勇将小山田信茂の精鋭たちよ!』

 涙が出るほどに嬉しかった明家の言葉。“甲斐国中で随一の勇将小山田信茂”とは武田信玄から直接に小山田信茂が賜った言葉である。明家はそれをちゃんと知っていたのである。この方の愛を受けたい…! 隆広に平伏しながら月姫は心からそう思った。

 しかし柴田明家には正室は無論、側室もいる。しかも正室さえと側室すずへの熱愛振りは柴田家で知らぬ者はいない。羽柴秀吉を見逃した罪で勝家に打擲され重傷を負ったと聞き、月姫はいてもたってもいられずに明家の手当てがしたく屋敷に行ったが、さえとすずに遠慮してそれもできない。かなわぬ恋と知りながらあきらめられない。年ごろだった月姫には縁談も来たが、もう明家しか見えない月姫は断った。

 弱り果てた小山田家の家老の川口主水は柴田家筆頭家老の奥村助右衛門に助力を請い、月姫の明家側室を成就させた。これは月姫個人の大願成就でもあるが、小山田家の居場所を柴田家に確固たるものにするには最大の良策でもあった。人身御供さながらの事だが、戦国時代では珍しい事ではなかった。その姫にとっては生き地獄の他ならないが、この明家への月姫側室輿入れは事情が違っていた。喜んで月姫は柴田明家の側室となった。それから数年の時が流れていた。小山田家は丹波亀山十二万石の大名ともなっていた。

 そして今日、明家は大坂の小山田屋敷に来ていた。小山田家の面々がお見せしたき物ありと云うのだ。城に住んでいる月姫を伴い小山田家の大坂屋敷へとやってきた。

 

「これは殿、わざわざのお越し、家臣一同歓迎いたしまする」

「うん」

「姫様もお元気な用で、主水は嬉しゅうございます」

「ありがとう、藤乙丸は元気ですか?」

 藤乙丸とは明家と月姫の間に生まれた男子である。代々小山田家当主の幼名の藤乙丸と名づけられ、川口主水ら小山田家臣たちに養育が委ねられている。

「はい、丸々と太り、乳母たちの乳を毎日美味しそうに飲んでおります」

「今日は私もお乳をあげたいと思います」

「ははは、若君も喜ぶでしょう。ではこちらに」

 家臣たちに与えられた屋敷には、各々に主君明家を招くための特別な部屋がある。そこへ通された。

「して主水、俺に見せたいものとは?」

「はい、これお持ちしろ!」

「「ハハッ」」

 それは瓶だった。

「瓶…?」

「いやその中身にございます」

 椀を渡され、瓶の中身を注がれた。匂いをかく明家。

「これは…もしや酒か?」

「はい」

「し、信じられない! こんな透明な酒があるのか?」

 月姫にも見せた明家。目を丸くして椀の中を見る。

「透明な酒、つまり『清酒』は、商家に転身した山中鹿介殿のご嫡男が偶然に開発された、との事ですが、それは米を原料としておらず、甘藷(サツマイモ)を原料にして作りましてございます」

「甘藷を…? あれ酒にする事ができるのか!?」

「はい、ちょっと試みてみました。さあ殿、一献」

「う、うん…」

 飲んでみた。結構辛口、だが美味い。

「辛いが美味いな!」

「はい、この芋酒を柴田家の新たな産業としたく思うのですが…」

「よくやってくれた! さすがは甘藷栽培では当家に並ぶもの無しの主水だ! これは売れるぞ! 小山田家は城と大名首をとったほどの大手柄だ!」

「もったいなき仰せにございます!」

 これが日本史における芋焼酎誕生の時と言われている。小山田家は投石部隊としての戦闘力の他に、農耕技術の巧みさも明家やその父勝家に認められていた。それゆえ小山田家の本拠地亀山と別に安土にも広大な水田が与えられているのである。

 甘藷を琉球から大量に仕入れた明家はその栽培を小山田家に下命した。小山田家はその期待に応え、柴田での甘藷自力栽培を成功させている。そして今、小山田家は甘藷をさらに研究し、酒まで作ってしまったのだ。その第一号の酒の瓶を受け取る明家。

「月、この美酒を城の信茂殿の位牌に供えよ。そして今日のこと、詳しく報告するのだぞ」

「はい殿!」

「主水」

「はっ」

「奉行たちに、そなたらの手柄を伝える。おって加増の沙汰があろう。楽しみにしていてくれ」

「ははっ!」

「新しい産業が生まれた時ほど為政者として幸せな事はない。本当にようやってくれた!」

「嬉しゅうございます殿!」

「さあ藤乙丸の顔でも見てくるか!」

 と、明家は立ち上がり小山田家臣に案内され藤乙丸のいる部屋へと向かっていった。月姫も行こうとしたが、その前に

「主水、ありがとう。亡き父上もどれだけ喜ぶ事か」

 そう忠臣を労った。芋酒の入った瓶を愛しく抱く月姫。

「信茂様にも飲ませて差し上げたかったですな…」

「そうね…」

「しかし姫、あの時に申された『小山田家は水沢隆広と云う駿馬に賭ける』と云う姫の言葉。大正解でござった。薄給覚悟でお仕えしましたが、今では亀山を与えられ、安土にも土地が与えられ、そのうえお世継ぎまでも授かりました。岩殿を退去する時は、この先どうなるやらと不安で仕方なかったのですがなァ」

「私も不安でした。でも今はすごく幸せです。主水には殿の側室になりたいと我が儘を言って困らせましたが、その我が儘を言って良かったと思っています。殿は私も藤乙丸も、そして家臣たちも大事にしてくれているうえ…いまだ甲斐と信濃では裏切り者と罵られている父さえも大切に思って下さっています。このお酒を位牌に供えよと申してくれた時…すごく嬉しかった」

「それがしも同じ思いにございます」

「うふ♪ 今日の閨でたっぷりお礼しなくちゃ」

 赤面する主水だった。この芋酒はおおいに広まり、小山田家は芋焼酎の祖としても名前を残す。小山田家本拠地である亀山の名産となり、それは現在も続いている。一番の売れ行き銘柄は『月姫』であるらしい。

 小山田家の甘藷栽培と、甘藷の多種な食し方も柴田家と小山田家は秘密としなかったが、東国では危険な食べ物と云う見方は中々払拭されなかった。しかしこの後の世に起こる奥州の飢饉を救ったのは、この甘藷である。裏切り者と言われる小山田信茂の家臣たちが後の世で何千何万の命を飢饉から救う事になるのである。

 

◆  ◆  ◆

 

 ここは大坂城下、女の心療館。その一室にある見性院の相談室。亡き山内一豊の正室の千代こと見性院の相談室である。今日も色々な悩みを持つ女たちが来て相談を受けている。そして終わると晴れ晴れした顔で帰っていった。今日風に言えば見性院はプロ級のカウンセラーと言えるだろう。

 そして当人にも悩みはある。娘の与禰姫である。今さら山内家を再興して柴田家を討つ、なんて気持ちはさらさらないが、男子のいた蜂須賀家や竹中家、浅野家、加藤家(加藤光泰家)は再興が許されて柴田家に仕えている。山内家は一豊の血を引く男子がいない。与禰だけである。夫のために家名再興して、柴田家の天下統一に協力したいと思う見性院。柴田明家が天下人になれば、その男と堂々の一騎討ちをした一豊の名前も天下に広まる。しかし家名再興の必須条件である男子がいない。

 ある者から九州の立花道雪殿は七つの娘に家督を譲ったらしいと聞かされたが、それは城もあれば父の道雪と云う後ろ盾があればこそ。山内家は見性院と与禰姫しかいないのだ。与禰は十四歳になっていた。そろそろ嫁に行くころである。娘しかいないのだから婿をもらうしかない。しかし与禰は母の見性院からその話題を振られるといつも逃げ出し埒があかない。山内家がこのまま終わるのは柴田明家も本意ではないはず。見性院は明家に相談した。

「逃げ出す?」

「はい、婿を取ろう、嫁に行くの話を振ると逃げるのです」

「その前に…婿の候補は?」

「亡き夫の名前が生き、色々とお話は来ています。中には山内家にはもったいないような家からも縁談は来ているのに与禰はいつも逃げ出してしまい、私は母親として先方にも申し訳なくて…」

 賤ヶ岳の合戦で堂々と明家と槍を交えた山内一豊。結果明家に討たれたとしても、その一豊の武名は相当な畏敬の念を持たれていた。柴田幹部の家からや友好大名からも縁談が来ていたのである。いずれも山内家再興に尽力したいと見性院に申し出ている。

 だが与禰はいつもその話から逃げた。業を煮やした見性院が『では好きな方がいるの?』と問い詰めても答えず逃げる。弱り果てた見性院は明家に相談しにきたと云うわけである。

「実はそれがしにも『山内の与禰姫殿に当家の息子を婿養子として出したい』と話が来ています」

「まことに?」

「どうでござろう、明日に改めて与禰姫と城に上がってみては。それがしも与禰姫に姫路で『今日からそれがしが姫の父』と言った手前、良い婿殿と娶わせるのは一豊殿への当然の義理。それがしからも説得してみます」

「ありがとうございます! では明日改めて与禰と城へ上がります!」

 かくして見性院は与禰と登城した。最初は渋ったが柴田明家に会うと聞くや大喜びして行くと言った与禰だった。

「なんと…しばらく見ない間にすっかり美しくなって!」

「はい…」

 顔を真っ赤にしている与禰姫。横にいる見性院は内心『まさか…』と思いだしていた。

「ところで姫、そなたに縁談が来ておりましてな」

「え…」

「多くの家が婿として名乗りだしています。見性院殿に申し込んだ家、そしてそれがしに要望してきた家、双方合わせて結構な数となりましてな。それがしの方で少しふるいにかけた。その者を婿として山内家を再興されるがよろしかろう。婿殿がそれなりに働きを示せば一豊殿の旧領である長浜を与えます」

「本当ですか!」

 歓喜する見性院。

「本当ですとも。だから兵部殿(可児才蔵)が長浜城主から伊賀国主になったあとは長浜を柴田直轄として城代しか置いていないのです。いずれ山内家に与えるつもりなのですから」

「何とお礼を! ほら与禰、あなたからも大納言様にお礼を申し上げなさい!」

「は、はい…」

「えーと、婿として名乗り出た家の中で、一豊殿の名跡に継ぐに相応しいとそれがしが見たのは、奥村弾正が三男の奥村冬馬栄頼、前田利家殿の次男の利政、仁科信基の弟の信貞でございます」

 いずれも娘しかいない家では婿養子として欲しいと争奪戦となっている優秀な若者である。無論見性院もそれを知っている。

「なんと、かような優れた若者たちが娘の花婿候補に! 娘はなんと果報な…」

「……」

「どうしたの与禰、嬉しくないの?」

「与禰…いやだ」

「え?」

 明家も驚いた。

「いや…とな?」

「も、申し訳ございません、与禰! 大納言様の申し出に何と云う事を!」

「どうして山内家再興のために好きでもない人の妻にならなければならないの?」

「な、何を言っているの与禰、武家の娘はそういうものなのよ。私だって祝言の日まで父上の事を何も知らなかったのよ」

「いやと言ったらいや!」

「与禰! 我が儘を言うのではありません!」

「待たれよ見性院殿。姫、もしや姫には心に想う人がいるのかな?」

 顔を真っ赤にして小さく頷く与禰。

「なあんだ、それを先に言ってくれ。で、差し支えなくば誰か教えてくれ。取り計らおう」

 与禰はそっと明家を指した。自分とは思わなかった明家は後に控える小姓と思い、

「なんと千松丸(後の蜂須賀至鎮)か」

 驚いたのは千松丸だ。誰が見ても明家を指していたのに。

「殿、違います! 姫は殿を指していました!」

「え?」

 明家は自分を指し、与禰を見た。

「俺?」

 与禰は小さく頷く。

「ちょ、ちょっと待たれよ、それがしには正室は無論、側室も三人いる」

「知っています…」

「ならば…あきらめて下され。気持ちは嬉しいが…」

「……」

 与禰は泣き出した。傍らにいる見性院もどうすれば良いやら。そういえば与禰は最初に会った時に明家からもらったカステラの包装紙を折りたたんでお守り袋に入れて持っている事を思い出した。意を決した見性院は言った。

「恐れながら、大納言様ほどの大身ならば側室四人はけして多くないと存じます。そのくらいなら誰も女狂いとは映りません。むしろ少ないのでは?」

「ま、待たれよ見性院殿まで何を! だいたい姫は十四になったばかりであろう。それがしの養女のお福と同年齢でございます」

「承知しています。ですが武将で娘より若い側室を持った方はたくさんおります」

「……」

「ならば私が御台様を口説き落とせたら娘を側室にして下さいますか?」

「母上…」

「いいのよ、私に任せなさい。きっと大納言様の側室にしてあげるから。さあ大納言様どうですか?」

「しかし一豊殿の御霊に何と言えば…」

「夫にも私が言って聞かせます」

「…分かり申した。見性院殿が御台を説得できたなら、姫をそれがしの側室に迎えましょう」

「母上!」

「うん! 後は母に任せなさい!」

 その後、見性院はさえに色とりどりの見事な小袖を献上。さえは大喜び。作った見性院が目通り願いたいと云うので、さえは喜んで会った。女たちの相談相手となっていた見性院の話術は巧みで、すぐにさえの気に入りの話し相手となった。そしてまた新たに作った見事な小袖を献上しながら切り出した。

「実は私の娘の与禰を大納言様の側室にしたいのですが」

「ええ、どうぞ」

 見事な出来栄えの小袖を贈られ喜色満面だったさえは、そのまま流れで“どうぞ”と言ってしまった。ハッと気付いたさえはすぐに口を手で閉じた。しかし後の祭り。さえは夫から

『そなたの言葉は家中全部が聞いていると思いなさい。ゆえに一度言った事は撤回してはならない』

 と言い聞かされていた。まんまとしてやられたと思うさえ。しかし後に残さない。

「最初からそれで…」

「はい、娘のためには手段を選んではおられませんので」

 ニコリと笑う見性院。同じくニコリと笑うさえ。

「私の負けです。ご息女の側室、認めます」

「ありがとうございます」

「見性院殿が男なら、我が夫より優れた智将となったでしょうね」

「恐れながら私は生まれ変わっても山内一豊の妻となりますので、次に生まれ変わる時も女として生まれます」

「あはは、今度それを主人に言って喜ばせてあげようと思います」

 こうして与禰姫は柴田明家の側室となった。後日談となるが、翌年十五歳で見事男子を出産。見性院の喜びようは大変なものであった。この男子が後に山内家を再興する事になる。

 

◆  ◆  ◆

 

 柴田家には佐久間家が二つある。佐久間甚九郎を当主とする家、そして虎姫と佐久間盛政の遺臣たちが運営する家である。甚九郎当主の佐久間家は近江日野五千石、盛政遺臣たちは摂津伊丹城を本拠としていたので日野佐久間家と伊丹佐久間家と呼ばれていた。

 甚九郎と虎姫の父の佐久間盛政は従兄弟同士なので一時は一家に併合と云う動きもあったが、やはり別家となってより時が経過しており、旧盛政配下は甚九郎に従えず、逆もまた然り。合戦の仕方も異なる。甚九郎の合戦は退きを妙法とするが、盛政の旧家臣団は勇猛果敢な先駆けである。まったく正反対であった。柴田明家は別々に用いる事とした。

 その旧盛政家臣団の希望、それは主家の姫の虎姫が生んだ理助であった。理助とは佐久間盛政の幼名である。柴田明家は佐久間盛政の孫であり、自分の子である理助を事のほか愛した。しかし理助はわずか二歳でこの世を去る。初めての我が子の死。明家は激しく落胆した。そして虎姫の嘆き悲しみようは筆舌しがたいもので食事も受け付けなくなり、みるみるうちに痩せていった。大坂城内の虎姫の部屋、そこへ訪れ伏せる虎姫を見舞う明家。

「虎…」

「……」

「気持ちは分かるが…食わねば死ぬぞ…」

「…死なせて下さい。理助の元に行きたいのです…。う、ううう…」

「そうはいかない。そなたは佐久間様の娘であり、俺の愛しい女だ…」

「……」

「母上の草紺院(盛政の妻の秋鶴)殿も嘆き悲しんでいる。孫の死だけで堪えているのに、娘のそなたまでが死の誘惑に負けている。お父上も理助もまだこちらに来るなと願っているはずだ…」

「殿…」

「南蛮の神様の言葉らしいが…人は生まれ変わる時、もっとも愛した人の子として生まれ変わると云う。俺もそなたもまだ若い。もう一度、子を作ろう。だから食べろ」

「な、ならば理助はもう一度、私のお腹に宿ってくれるのですね?」

「そうとも、いかに南蛮の神様の話とはいえ、日の本は別と云う事もないだろう。早く元気になり子作りをしよう」

 明家は虎姫の頬を撫でる。

「殿…。虎嬉しい…」

 そしてようやく虎姫は食事を受け付け、やがて元気になり、せっせと子作りに励む事になる。正室優先、他の側室も公平に愛さなければならない明家の立場は分かる虎。自分の日を指折り数え、心待ちにした。

 そして一年と数ヶ月、励んだかいがあって懐妊。見事男子を生んでいる。名前も理助とした。この赤子が後に佐久間家の当主となり、明家の子である勝明の側近ともなる佐久間盛経である。

 

 後日談となるが、柴田明家はとても子沢山であったと言われている。正室側室会わせれば生まれた子はかなりの数となっている。明家は生涯側室を五人娶るが、正室のさえを含めて六人。それで生まれた子は二十五人。一人の女が四人は生んでいる計算となる。

 また外に愛人なども何人かいたようで、記録により分かっているだけで五人。戦場妻なども合わせればもっといただろう。ご落胤も相当数いたと思われるが、それは先の二十五人の中に入っていない。一人も柴田家には出仕していないのだ。愛人たちが分をわきまえたからであろう。

 しかし明家自身、ちゃんと援助はしていたようでご落胤の中には高僧になった者、学者になった者、医者になった者がいた。技術者、芸術家、料理人で名を残した者もいる。父の明家はすべて認知したうえで、ご落胤たちの養育費や学費も援助していた。愛人との間に出来た娘の結婚もきちんと責任を果たしたと云う。こんな珍事があった。家臣の妻や母親たちが

『殿様が外に愛人を三人も作られるので、我らが夫、そして息子たちも真似ようとしています。当主として部下の悪い見本となるような事は慎んで下さい』

 と集団で直談判しに来た事がある。すると明家はこう返した。

『三人じゃない、俺が外で作った愛人は五人だ。男女の仲であるのはもう二人だけだが、満足な暮らしが出来るよう、援助は今も続けている』

 これを聞くと家臣の妻や母親たちは逆に明家に感心して帰っていったと云う。『英雄、色を好む』と云うが、それは精力余りあると云う事である。元気の無い者に戦国乱世の将にはなれない。

 正室さえは夫を心から信頼し愛している。あの大病の時にさらにそれは深まっている。だから夫が外で女を作ろうが何も言わなかった。がまんしていたワケではない。外で女の一人二人作れない男に大業が成せるはずがないと思っていたし、何より明家はさえを一番大事にしていたのであるから。そしてそれをさえは身をもって知っている。

 

 ところで、そのさえであるが母親としてはどうであったのだろうか。明家とさえの長男の竜之介は八歳になっていた。父親と同じく美童で賢かった。竜之介は柴田の学校の辰匠館には行かず、守役の前田利家と中村文荷斎から武士の心得を学び、可児才蔵からは宝蔵院流槍術、山崎俊永からは土木術、そして学問の師匠から厳しく知恵を叩き込まれた。特に学問の師は祖父勝家の薦めで越前永平寺の高僧の宗闇と云う人物で厳しい事で有名だった。越前の童は『宗闇和尚が来るぞ』と聞けば震え上がったと言われるほどに厳しい高僧だった。明家に『若君とて手加減はいたしませぬ』とのっけに言うほどだ。

 しかし竜之介は宗闇の厳しい学問の指導をむしろ喜んだ。知識がどんどん頭に入っていくのが実感できて嬉しいのだ。この点は父の明家が快川の指導を喜んだ事に似ている。教えがいがあって嬉しい宗闇。

 だが一つ心配事があった。母親のさえが竜之介に甘いのだ。よく褒めるし、抱きしめる。だから竜之介も母のさえに甘える。まだ幼いとはいえ竜之介は柴田家の世継ぎ。次代君主の母として自覚がなさすぎると宗闇は業を煮やし、守役の前田利家と中村文荷斎に協力を請い『御台様がかように若君に甘いと守役殿や師の愚僧がいかに厳しく指導しても意味がございません』と何度か抗議したが、やはり我が子はかわいいようでどうしても改まらない。ならば父親の明家にと思うが『まあ妻の思うようにさせてくれ』と埒があかない。自分がもっと若君を厳しく教えるしかないと思う宗闇だった。

 そんな竜之介だが、辰匠館に通わずともそこには同年代の少年たちがたくさんいるので、よく遊びに行った。辰匠館の授業を終えたあと、竜之介は仲間たちを集めて『戦ごっこ』しようと提案。さすがは尚武の柴田の少年たち。すぐに決まった。

 竜之介が辰匠館の少年たちと戦ごっこをして遊んだと聞いたさえ。いつもは息子の遊びに口出ししないさえであるが『戦ごっこ』と聞き、知らせに来た侍女に詳しく調べさせた。報告を聞いたさえは奥から城に行き、息子の帰宅を待った。しばらくして戦ごっこに勝って意気揚々と帰って来た竜之介がさえに

「母上、今日俺戦ごっこして勝ったんだ!」

 と言った。褒めてもらえると思ったのだろう。満面の笑顔だった。だがさえは竜之介を思い切り平手で叩いた。初めて叩いた。頬を押さえて唖然とする竜之介に

「戦ごっこをするのはいい。だけど自分の軍を柴田として、相手の軍を徳川としたのは何故ですか! そなたは柴田軍の大将として気持ちがいいでしょうが、徳川軍にさせられた仲間たちがどんな思いでいるか分からないのですか!」

 この言葉に竜之介は返す言葉もなかった。普段温和で優しい母親が鬼のような形相で怒鳴りつける。

「仲間たちに謝ってきなさい! そなたが柴田の若君と奢るのは十年早い! 許しを請えるまで城には入れません!」

 初めて母親に叩かれた竜之介は驚き、そして仲間達の家に行きひたすら謝った。それを伝え聞いた宗闇は

「驚いた、御台様はとんだ叱り上手だ。甘いだけの母親と思った儂の目は節穴じゃった」

 と丸い禿げ頭を撫でて苦笑したのだ。明家もこれを聞いて喜んだ。

「的確な叱責であったな、褒めていたら誤った男になったであろう」

「はい」

 明家は以前、子の養育について妻のさえに教訓を述べた事がある。

『厳しいのは良い。だが時に目に見えて分かりやすい優しい愛情を注ぐように心がけよ。厳しい小言ばかりで、心の中では誉めているなんて事は子に通じない。北条政子はそれで息子頼家の養育に失敗している。厳しい母親であると同時に認めて、待って、信じて、誉める事を心しておくように。厳しさと優しさは車の両輪である』

 さえは夫のこの言葉を紙に書きとめ、事あれば読んで自分を戒めた。そして普段から厳しいよりも息子の竜之介は褒められて良き成長をすると云う事が分かった。

 何より守役は前田利家と中村文荷斎、武の師は可児才蔵、土木の師は山崎俊永と竜之介を指導する者たちはそうそうたる柴田家重臣たちで、学問の師は越前生まれのさえが少女期の頃より怖い坊主の代名詞のように伝え聞いてきた宗闇である。その教育は年端も行かない竜之介には苦難である。ゆえにさえは優しい母親であろうとした。褒めて、抱きしめて甘えさせたのであろう。だから竜之介は並みの少年なら逃げ出す修行の日々に耐えられたのではないか。それを知る明家も妻の思うようにさせた。それが傍から見て歯がゆいほどに甘い母親に見えたのだろう。

 良妻賢母の鏡として今日に伝わるさえ。夫が一流の将帥であるのなら、さえもまた一流の妻であり母であったのだ。



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江与の結婚

 大坂城の一角に築かれた優美な屋敷、ここに柴田勝家とその愛妻お市の隠居館がある。名を『庄養館』。安土の同名の隠居館と同じく辰五郎一党の建築技術が結集した豪奢な屋敷。平城さながらの大邸宅に一流の庭師が仕立てた風光明媚な庭。お市はその庭にいた。日本最大勢力の大名の母。孝行息子に、無上に自分を大切に愛してくれる夫。かわいい娘たち。誰が見ても幸せの絶頂と言えるだろう。

 しかしこんな平穏無事の優雅な暮らしをしていても、かつて愛する息子を兄の信長に殺されたと云う心の傷が癒えるわけではない。お市が時々隠れて泣いている事は勝家と明家も知っていた。

 遺体さえ兄の信長に返してもらえなかったお市。この庄養館の庭の片隅に供養塔を建てて念仏を唱えている事ぐらいしか愛する息子に出来ない。そして今日も息子の御霊に祈りを捧げていた。

「万福丸…。貴方が死んで十数年。生きていれば明家殿の良き側近として活躍していたでしょうね。賢くて勇敢な子だったもの…」

 万福丸は言葉を覚えるのが非常に遅く、幼少のころは喘息で丈夫な体質ではなかった。跡継ぎとして将器の才も家臣たちは心配していたと云う。しかし後には喘息も治り、丈夫な少年に育っていった。父の長政は、よく枕元で『論語』『孟子』などを読み聞かせた。万福丸はそれが大好きで目を輝かせて聴いていた。

 ある時、父の長政が風邪をひき寝込んでいると万福丸が手に『論語』を持ってやってきて“子、いわく…”と音読し始めた。長政が“風邪が移るから向こうに行っていろ”と叱っても離れようとせず、長政はハッと気づき“そなた、父に呼んで聞かせ病魔を退散させようとしたのか?”と問いかけると、万福丸は照れくさそうに頷いた。長政は、“バカ者が…”と言いながら、あとは涙で言葉が出なかった。

 これを長政よろこび、妻のお市に息子自慢をする始末。何度も同じ事を言って息子自慢。そんな夫に苦笑しながら、夫と息子の仲の良さを嬉しがるお市。それゆえ、後に兄の信長に殺されたと知ったお市の悲しみと怒りは並大抵のものではなかった。直接手を下した秀吉への怒りはさらにすさまじく、清洲会議での態度がそれを物語っている。

 

 一方、大坂城の明家にある日、義兄の竹中半兵衛の妻である月瑛院が訊ねてきた。

「吉助(後の重門)はそれがしの小姓の中でも有望です。先行きが楽しみです」

「はい、これも大納言様の薫陶にございます」

「元服も近い。その加冠の儀には義姉上殿も立ち会っていただきたい」

「もちろんです。一人息子の晴れ姿ですもの」

「ははは、それで今日の用向きは?」

「はい、この手紙を大納言様に渡すよう命じられていました」

 封を切っていない書状だった。送り主の名を見て明家は驚いた。

「羽柴様の!?」

 なぜ今頃になって、と云う顔で月瑛院を見る明家。

「亡き筑前守様は『吉助の元服のころに美濃に渡せ』と」

「は?」

「私にもその意図は分かりません。とにかくお読みください」

「承知しました。ではさっそく」

 明家は秀吉の書状に一礼して読み出した。内容はさしもの明家が驚愕する事だった。

「こ、これは事実にございますか!?」

「大納言様、内容を知らぬ私がそれにお答えできるわけが…」

「そ、それもそうですね…。しかし事実なら大変な事だ…」

 書状をふところにしまった明家。

「急ぎ、この書状の内容を確認しなければなりません。せっかくお訪ねしていただいたのに、失礼します!」

「はい、私にはおかまいなく」

 書状には一人の僧侶の名前が書かれてあった。そして明家はその名前を知っていた。柴田家の学問所辰匠館。そこへ勤める教授の中にその名を持つ者がいるのである。教え方は厳しいが身につく学問を教えて、家臣たちにも評判がいいので明家は会った事はないものの、その名は伝え聞いていたのである。

「誰かある」

「はっ」

 使い番が来た。

「うん、今すぐ辰匠館に行き…」

「辰匠館に行き…?」

「いやすまん、俺自身が辰匠館に行こう。そなたは下がるが良い」

「は、はい」

(犬猫を呼ぶわけではないのだ。俺自ら行かなくては)

 明家はすぐに辰匠館へと向かった。そして館長を勤める中村武利に

「素読所の教授、沢栄殿を呼んでくれ」

 すぐに武利が呼びに行ったが沢栄は素っ気無く

「授業中にございます」

 と殿様の呼び出しを歯牙にもかけなかった。それを聞いた明家は

「それはもっともだ。待たせてもらおう」

 素直に辰匠館の客間で待った。辰匠館の創設にあたり中村武利が教授を勤める高僧と在野の学者を集めた。沢栄は近江の志重寺にて名僧の誉れ高く、最初は柴田家の要請に応じず寺を離れようとしなかったが、数度にわたる武利の懇願に根負けして教授になる事を了承した人物である。沢栄が勤める素読所とは論語を始めとする和漢蔵書を学ぶところであり、特に沢栄の教え方は厳しいと有名だった。

「殿、そろそろ授業が終わりますが、沢栄殿に何か?」

 明家は月瑛院から渡された秀吉の書を武利に見せた。

「こ、これは!」

「ああ、俺も驚いた。…と、来たようだ」

「沢栄にございます」

 授業を終えて沢栄が辰匠館の客間へとやってきた。そして明家の前に座り平伏する。明家も頭を垂れた。

「と、殿?」

 一僧侶に平伏する明家の姿に驚く中村武利。沢栄も驚いた。

「突然呼び出して申し訳ござらぬ。それがしが柴田明家にございます。沢栄殿は当家が辰匠館にお招きした教授であり、それがしの家臣ではないのですから、どうぞもっと楽になさって下さい」

「これは勿体無きお言葉にございます」

 明家は武利を見た。“二人だけにせよ”と言う意図である。武利は客間を出た。

「早速ですが単刀直入にお伺いいたします」

「はい」

「御坊は近江志重寺の僧、沢栄殿に相違ございませんね?」

「左様にございます」

「では…出家される前の名前をお伺いしたい」

「…お答えできませぬ」

「もはや、御坊を害する者はおりませぬ」

「……」

「御坊は、浅井長政殿とお市様の子、万福丸殿にございますな」

「……」

「沢栄殿」

「…その通りにございます」

「やはり!」

「…しかしながら、その名前はもう捨て申した。私は沢栄、ただの僧侶にございます。それ以上でもそれ以下でもございませぬ」

 しばらく沈黙の中で見つめあう明家と沢栄。明家が切り出した。

「沢栄殿、一度だけ、頼まれては下されまいか」

「何をでございましょう」

「母のお市に会ってもらえぬでしょうか」

 沢栄は首を振った。

「母はもう浅井の人ではなく柴田の人、今さら私が姿を現しても戸惑うだけでしょう」

「かような事があるはずない! 母お市は今でもそなたの死を悼み…泣いているのです」

「……」

「卑怯な言い方でしょうが…兄の頼みを聞いてくれないでしょうか」

 柴田明家と浅井万福丸は共にお市が腹を痛めた実子である。となると、二人は同腹の兄弟と云う事になる。

「生きていたと知れば、しかもかような名僧として長じていたと知ればどんなに喜ぶ事か」

「…私の生存をどうしてお知りになりましたのでしょうか」

「羽柴秀吉殿の書状にすべて書かれてあり申した」

「そうですか…」

「どうでございましょう、母と会っては下さらぬか沢栄殿!」

「…私自身が母の愛にほだされてしまいそうで、今まで名乗りはあげませんでした。しかし母がいまだに私の死に泣いているのであれば、名乗らぬは不孝と相成りましょう。お会いさせていただきます」

「ありがたい!」

 明家は沢栄の手を握り感謝した。明家も嬉しい。弟がいたのだ。

 

「大御台様」

 庄養館の庭で愛息万福丸の供養塔に祈りを捧げていたお市の所に侍女が来た。お市は浮かんでいた涙をぬぐいながら振り向いた。

「何か」

「お殿様がお見えにございます。大御台様にお会いしたいと」

「明家殿が?」

「はい」

「分かりました。すぐに参ります」

(万福丸、明日にまた…)

 お市は庄養館の客間へと向かった。

「母です、入りますよ」

「はい」

 沢栄は胸を高鳴らせた。十数年ぶりに聞く母の声。お市は静かに明家と沢栄の前に座った。

「明家殿よくお越しに…。その方は?」

「はい、当家の学び舎、辰匠館の教授を勤めていただいています沢栄殿にございます。沢栄殿、顔を上げられよ」

 だが沢栄は平伏したまま、顔を上げられなかった。畳に涙がポトポトと落ちる。

「どうされたのですか…? 明家殿のお客なら母の私にも客人。遠慮はせずに…」

 沢栄は涙あふれる顔でやっと顔を上げた。

「………!」

 お市は沢栄の顔を見た瞬間、絶句した。立ち上がりかけたが、うまく立てずにつんのめった。

「ま、万福丸?」

 幼き日の顔しか知らないのに、お市は一目で息子と分かった。

「はい…!」

「万福丸なの!?」

「はい母上!」

「あああ…!」

 お市は沢栄を抱きしめた。

「生きて…生きていたのね…!」

「はい…!」

 息子を抱いて号泣するお市。傍らにいた明家ももらい泣きをしてしまう。しばらくしてやっと抱擁に満足した市。明家が手拭を渡した。それで涙を拭うお市。

「しかし…どうやって生きて…」

 秀吉の書状をお市に見せる明家。そこには万福丸をひそかに助けて寺に匿った事が記されていた。秀吉は配下の山内一豊に命じ、領内で病死した子の遺体を高額で買い取らせ磔の刑を実施し、その遺体に万福丸の服を着せて信長に届けた。秀吉は信長と万福丸に面識がない事をあらかじめ知っていたのである。一説では信長は替え玉と知りつつも秀吉の行為に目をつぶったと言われているが、その真偽は今では調べようもない。

「…秀吉があなたを」

 お市は“猿”と呼ばなかった。

「秀吉殿は私を志重寺へ連れて行き、銭を寺に渡して成人するまで面倒を見て欲しいと和尚に頼み込みました。私は武士を捨てて僧として修行に邁進し、長じて世間から名僧と評されるまでに至れました。そして柴田家の辰匠館に招かれたのです」

「そうだったのですか…。そうと知っていれば私も清洲会議で秀吉をああまで罵る事もなかったのに…。なんとお詫びすれば…」

「母上、羽柴様の墓は再築した姫路城の城下町に作りましてございます。いつか沢栄殿と赴かれては…」

 と、明家。

「許してくれるとは思えませぬが…せめて一度礼を申さねばなりませんね。万福丸、今度一緒に姫路に参りましょう」

「はい、お供させていただきます」

「明家殿…」

 お市が明家に万福丸を柴田家に召抱えてほしいと目で訴える。それを察した沢栄は言った。

「母上、私は柴田家の学び舎の辰匠館にて教授を勤めております。明日の柴田の人材を育てているのですから、直接兄上に仕えなくても柴田のお役に立っていると自負しています。何より…武士になるのはイヤにございます」

「沢栄殿はとても厳しい教授ですが、子らに慕われ、それがしの家臣たちも褒めちぎっているほどの優れた師。それがしも将として召抱えるより、時に外から柴田家を見て、兄であるそれがしの相談役になってくれたらと考えております」

「そうね…。万福…いえ沢栄殿、明家殿の良き友となって下さいね」

「はい母上」

「あああ…。今日は最高に嬉しい日。万福丸が生きていたなんて…母は嬉しゅうてなりませぬ。もう一度抱きしめていいですか?」

「はい…母上…!」

 再び母と息子が熱く抱擁する。まさにお市にとってこれ以上はない嬉しい日であったろう。それを見ている明家は拳をポンと叩いた。

「こうしてはおれん、茶々、初、江与も連れてこよう! 兄上が生きていたと大喜びするぞ!」

 知らせを聞くと、茶々、初、江与はすっ飛んでやってきた。そして生きていた兄を見るや感涙して抱き合った。江与にはさすがに兄の顔は記憶の彼方であったが、茶々と初はお市同様に一目で兄と分かり、兄と妹たちは泣いて抱き合った。

「バカバカ! 生きているのなら、ましてや大坂にいるのだったらどうして名乗り出てくれなかったのよ兄上!」

「すまん茶々…」

「良かった…兄上様が生きていて…」

「ありがとう初」

 そして江与を見て

「江与…大きくなったなあ…。そして美しい」

 感慨深く言った。

「兄上様…」

 沢栄がお市の子であり、明家の弟、茶々たち三姉妹の兄である事は秘事とされた。殿様の弟が辰匠館にいると知られれば沢栄もやりずらい。

 しかし沢栄の知識と見解は、時に明家や黒田官兵衛も舌を巻くほどであり、良き相談役として兄の柴田明家を支えていく事となる。

 そしてこの日は、明家とさえ、そして勝家も加わり万福丸が生きていた事を心より祝う宴を開いた。勝家は秀吉を改めて見直し秀吉の眠る姫路の方向に手を合わせた。そしてお市はこの日より隠れて泣く事はなくなった。夫の勝家と供に温泉や名勝見物に行き、琴や踊り、連歌などの楽しい趣味を謳歌する女となる。今まで少し影があり覇気がなかったのは、やはり息子万福丸の死による心の傷だった。しかし万福丸は生きており、すでに自分から離れて指導者の道に進んでいる。もう心の傷はない。時に家族で冗談を言い合い大笑いするほどの明るい女となっていったのだ。

 

 羽柴秀吉がどうして竹中吉助の元服の頃合まで万福丸生存を秘そうとした理由は今も分かってはいない。当の秀吉には深い意図はなく、吉助が元服するあたりまで時を経れば、万福丸の生存が明らかになっても柴田に混乱は生じまいと考えたからではないか、と云うのが歴史家たちの結論に落ち着いている。『竹中吉助の元服の頃合』と言っても吉助には何の関与もなく、あくまで時間的な目安としていたに過ぎないだろう。

 明家が家督相続した直後あたりでは、なまじ自ら育てた次男万福丸に愛情が向き、お市とて誤った判断をしかねない。秀吉はそれを未然に防いだと云う事になる。秀吉と犬猿の仲であった柴田勝家もそれを悟ったか後に高名な僧を召しだし、卑賤の農民の身から織田家の軍団長にまで成り上がった秀吉の伝記を書くように命じたと云われている。天下分け目の合戦の敗者となった秀吉だが、織田家における痛快な立身出世ぶりは今日の日本人に愛される。歴史は勝者のみがつむぐ金の糸。しかし勝家は敗者の秀吉をありのままに書くように命じた。秀吉にとって鬱陶しいことこの上なかっただろう勝家のことも脚色する事なく憎々しく書くように命じたと云う。秀吉が今日も日本人に愛されるゆえんは、犬猿の仲であった柴田勝家が正確に後世に秀吉を伝えたからである。

 

◆  ◆  ◆

 

 さて、柴田明家の一の妹である茶々は真田幸村に嫁ぎ、二の妹の初は京極高次に嫁いだわけであるが、三の妹江与の婚姻はまだだった。もう嫁に行っていい年ごろである。母のお市、姉二人に劣らぬ美貌で柴田家の若武者憧れの的だった。

「困ったものだ…」

 大坂城にある柴田勝家の隠居館『庄養園』ここの居間で勝家は頭を悩ませていた。

「また江与は縁談を拒否したのですか?」

 勝家の前にあるのは“江与姫様を当家の嫁に”と勝家に申し出た書が山となっていた。勝家はその中から見所のある婿を選び大坂城内の江与の元へ行き婚儀を薦めたが江与は嫌がった。

「それでなお市、“ではそなたには想う人がおるのか?”と訊ねても返答せんのじゃ」

「茶々と初も、殿の持ち込んだ婚儀は全部拒否しましたが兄の明家が持ってきた婚儀にはすぐに同意しています。その儀も明家に任せては?」

「うーむ、末娘くらいは父の儂で、と思ったのじゃがそれも仕方ないか」

 しかし、明家の元にも“江与姫様を当家の嫁に”と申し込む書がたくさん届いていた。中には勝家と明家両方に出してきた家もある。

「困った…」

「江与姫様はまた拒否されましたか…」

「そうなんださえ」

 姉二人と違い、江与は明家の持ってきた縁談も断ってきた。夫婦の部屋で悩む明家。

「『では好いた男がいるのか?』と訊ねても答えない。末妹なのにどうしてああ気が強いのか…」

「好いている殿方がいるのですよ、きっと!」

「なら何で俺に言わない。いかようにも取り成すのに」

「年ごろの娘は好きな殿方の名前をそう簡単に身内へ言えるものではないですよ」

 さえの見込みどおりだった。実は江与には好いた男がいた。大坂城内のその男の私室に江与は来ていた。

「カンイチ、今日も兄上と父上から縁談が来た」

「はあ」

「はあ、ではない。カンイチは私がよその男と結婚していいの?」

「あの…そろそろ『カンイチ』はやめて…」

「いいの、カンイチは私にとってずっとカンイチなの」

「はい…」

 カンイチ、と江与に呼ばれている若者。それは大野治長であった。(史実による一説によると治長は北ノ庄落城の時に幼い江与を抱いて城を脱出したと言われている)

 大野治長の母は茶々、初、江与の浅井時代からの乳母小袖(史実の大蔵卿)で、三姉妹とは兄妹同然に育った。浅井時代は茶々と『茶々』『カンイチ』と呼び合う仲でもあった。姉の茶々が治長の幼名貫一郎を愛称しカンイチと呼んでいたので、自然に初と江与も治長をカンイチと呼んでいた。

 現在、大野治長は十九歳になっていた。元服前から柴田明家に仕え、今日では石田三成と共に明家政権の中枢を担う若き行政官となっており、明家の奏者番筆頭を務めている。

 槍働きはてんでダメで安土城攻防戦では目をつぶって突撃していたのをしっかり主君明家に見られており“お前に武勇は期待しない。それ以外で俺の役に立て”と言い渡されていた。悔しいが事実なので貫一郎は必死に明家の行政手腕から知識とその応用と運用を学び、能吏として徐々に頭角を現して明家の信頼も得ている。母の小袖も“若殿に息子を預けて良かった。『治長』なんて立派な名前ももらって”と満足していたが、いつになっても治長は妻を娶らない。これだけは不満だ。日本最大勢力大名の柴田明家の側近で十九歳独身。ひっきりなしに縁談は来たが、治長は固辞した。好きな娘がいたからだ。

「もう断りきれないよカンイチ、カンイチから兄上に私を嫁に、と言って」

 断りきれないつつあるのは治長も同じ。母の小袖から『孫の顔が見たい』『長男のお前が妻を娶らぬから弟二人も妻を娶れぬではないか』と小言を言われている。

 しかし十九歳で主君の側近で重用されている。何かと風当たりの強さを感じるこのごろ。このうえで主君の妹を妻にしたら…と、これが今まで好きな娘の江与に求婚できず、そして江与の気持ちを受けられなかった理由だ。しかし、江与が他の男と一緒になるのもイヤだ。治長は決めた。風当たりの強さなどに負けず、江与姫様の笑顔を独り占めする幸せを取ろう。

「姫様、カンイチは江与姫様を愛しく思っております。妻となってくれますか」

「カンイチ!」

「妻となったら『カンイチ』は禁止です」

「いいよ!」

 その足で治長は明家の部屋へと行った。明家は黒田官兵衛と西進について話をしていた。

「なるほど、宇喜多の家老たちは完全に柴田寄りと相成りましたか」

「はい、宇喜多とは戦わずして…」

「殿!」

「なんだ修理(治長)」

「お話がございます」

「後にせよ、今は出羽守と要談中で…」

「嫁をもらいたく存ずる!」

 明家と官兵衛は顔を見合った。

「かような事をいちいち主人に許可…」

 その治長の後に江与が座った。

「まさか…江与と?」

「は、はい! ぜひ江与姫様をそれがしに下さい!」

「ちょ、ちょっと待て、父上と母上はこの件を承知しているのか?」

「いえ、殿に真っ先にと!」

「兄上お願い! 江与をカンイチ、いや治長様の妻にして!」

 真剣な二人の面持ち。官兵衛が

「殿、妻を娶れば修理もさらに腰が据わるかと」

 と、取り成した。

「ふむ…」

 明家は膝を軽く叩いた。

「分かった。妹を頼むぞ修理。父母には俺から述べておく」

「は、はい!」

「治長様!」

 明家と官兵衛の前で抱き合う二人。

「殿、西進の前に吉兆ですな」

「うん、仲の良い夫婦となりそうだ。俺も頼りになる義弟が出来て嬉しい」

 数日後、沢栄も出席して大野治長と江与の祝言は盛大に行われた。お市も浅井時代から我が子のように可愛がった大野治長が娘の夫になって嬉しい。こののち大野治長は柴田明家の側近として、さらに活躍していく事となる。

 明家が何を訊ねてもすぐに答えられた彼は『大野修理は当意即妙の才あり者』と主君明家から賞賛されている。無論、妻の江与とも仲睦まじく、子にも恵まれ大野家は柴田家と共に繁栄していくのだった。



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四国上陸

 西国大名では柴田家と隣接する備前を本拠地とする宇喜多家が柴田に従属。宇喜多の家老の花房職秀と羽柴時代から親しかった黒田官兵衛が折衝にあたり成功させた。

「宇喜多八郎にございます」

「柴田明家にござる」

 宇喜多八郎、後の秀家と対面した明家。八郎は幼年から羽柴家に人質となり秀吉の養育を受けていた時期があった。秀吉にはずいぶんと大切に育てられ、教育も一流の師をつけていた。実父の直家も八郎への期待は大きく、厳格な守役をつけていたので胆力もある男子に育っている。なるほど聡明な少年だと明家は見た。現在八郎は凛々しい少年となっていた。今日から柴田家に身を置くことになる。かつ柴田家との縁を深めるため、柴田家家老前田利家の娘の豪姫が彼に嫁ぐ事が決まっている。

「柴田と宇喜多の盟約が一刻も早い乱世の終息のための良縁にならん事を祈らずにはおられません。これより共に参りましょう八郎殿」

「はい!」

 ウンウンと明家の横でうなずく官兵衛。柴田と宇喜多の架け橋となり大役を果たせて胸をなで下ろしていた。

「大納言殿」

 と、先代直家の弟の宇喜多忠家。

「何でござるか」

「瀬戸内海はいつ渡りまするか」

 つまり長宗我部攻めはいつかと云う事である。

「当分予定はございませぬ。今のところは情報収集中です」

 そんな悠長な、と宇喜多家家老の戸川秀安が意見を言おうとしたところ、花房職秀が秀安の膝を押さえた。武人肌の宇喜多忠家もそれ以上言わず、

「左様でございますか、ぜひそのおりは当家に先陣を承りたい」

「頼りにしています」

 そう明家も返した。大坂城城主の間を後にした宇喜多の重臣戸川秀安は

「長宗我部は四国を統一したばかりで、まさに日の出の勢い。その勢いで畿内に攻めてくるのも時間の問題であろうに…ホントに智慧美濃と呼ばれた御仁か?」

 と不満そうにもらした。その言葉に宇喜多忠家は苦笑し秀安に言った。

「いやあれでいいのよ。我らが長宗我部と繋がっていない証がどこにある? むべなるかな、あの用心深さよ」

 花房職秀も添えた。

「確かに。虫も殺さぬような美男と聞いてはいましたが、なるほど見かけはその通り。しかし伊達に秀吉を木っ端微塵にはしとらんわ。あっははは!」

 宇喜多の重臣たちは去ったが、人質の八郎はまだ明家の前にいる。宇喜多家から人質になる幼い主君に家臣が一人ついていた。

「さきの三人は戦場の猛将と取れますが、貴殿は智で身を立ててきたように思えますな。宜しければご尊名を」

 その男に明家が名を訊ねた。

「はい、明石掃部と申します」

「ほう…貴殿がそうか。一度会いたいと思っていた」

 明家より五つ六つ若いが、二十歳ほどの彼が若君に付けられたのである。先代直家が晩年近くになって召し抱え、そして目をかけていた智将である。直家が羽柴に八郎を預ける時に『掃部を側につけるように』と重臣に命じている。

「手前ごときをご存知とは恐悦にございます」

「八郎殿の初陣は近い。よろしいな」

「承知しました」

 すでに四国攻めを決めていた柴田明家だった。

 

 柴田明家は、父の勝家から家督を譲られてより柴田の方針を『天下統一』としている。統一政権の樹立である。また『大納言』拝命の時に帝の詔勅には『一刻も早く天下を統一し、この乱れた日の本に秩序と安寧を取り戻されよ』とあった。つまり天下を取る事はもはや明家一人の大望ではなくなっている。柴田家、そして天皇が望む事である。明家はこれを大義名分として長宗我部に和を求めた。『長宗我部家も当家が作らんとする統一政権に協力されたし』と要望。これは事実上の降伏勧告と云える。

 しかし長宗我部元親は『誰があんな若僧に膝を屈するものか』と黙殺。それも無理はない。彼は十河存保を中富川の戦いで撃破して讃岐と阿波を平定。ついには伊予の河野氏を滅ぼし、四国全土を統一に至る。まさに日の出の勢い。土佐の出来人と呼ばれるのは伊達ではなく、二十二歳の初陣から武功を立て続けた。

 しかし家臣の中にも帝を味方につけている柴田家と戦うのは得策ではない。大納言は並大抵の武将ではない、と開戦を危惧する声はあった。しかし元親はこう答えた。

「なるほど大納言は軍事内政にも優れ、個人的武勇も剣聖上泉信綱直伝で、甲斐武田の槍術を会得した才人、しかしこれは多芸を欲張りすぎだ。人は一芸を熟達すればいいのだ。多芸は必ず巧みにはならぬわ」

 元親は相手が多勢であるがゆえに勝機はあると思っていた。かつ敵の総大将は今まで負けを知らない。若く名将と呼ばれる男。元親も天賦の才があると認めざるをえないが、明家が天才であるがゆえにモロいと思った。

「戦は数ではない。大納言は兵力の多さと自分の才覚に絶対の自信を持っている。これぞ我ら長宗我部の桶狭間、『土佐のいごっそう』がチカラ、絶世の美男子とやらに見せてくれようぞ!」

 

 彼は柴田と明智が戦った瀬田の合戦と時を同じ頃、織田信長の死に乗じて畿内進出を考え、その前線拠点として淡路洲本城を淡路水軍の頭領である菅平衛門に洲本城を占領させている。

 だが新たに畿内の王者となった柴田明家はそれ以上の侵攻は許さなかった。紀州攻めと同時に部下の高崎次郎と星野鉄介に命じて淡路洲本城を奪回させ、高崎次郎を城主にして城の修築と水軍の強化を命じ洲本の守備固めをさせている。淡路島は柴田の領地となっているのだ。

 これを見ても柴田明家に四国攻めの意図があったのは明白である。そのうえで明家は長宗我部に柴田に属する事を勧告した。長宗我部元親は拒否。しかし降伏を拒否するにしても明確に否と言わず、四国全土の基盤固めをする時間を稼ぐため元親は返事を延ばすなり、和議なら受けると云うような外交戦術に出るべきであった。すぐに拒否の姿勢を示した事が柴田に四国へ攻め入る口実を与えてしまったのだ。

 

 一方の柴田明家、敵将の長宗我部元親が姫若子と家臣に揶揄されていたが初陣の時いらい鬼若子とも言われるほどの武将となり現在に至っている事は知っている。油断はできないと思った。よって明家は毛利に対する備えを残し、上杉と真田も含めた大軍勢で四国に上陸する事を決定した。

 兵站を担うのは石田治部少輔三成と大谷刑部少輔吉継、それに助力する九鬼水軍、その資金を用立てる吉村直賢。連携は円滑に進み出陣に備える。大坂の柴田家軍港に駐屯して軍務をしている石田治部と大谷刑部。

「平馬(吉継)、丹波から送られる兵糧はいかがなっている?」

 と、石田三成。

「明日にもこちらの軍港に付く手はずだ。堅田衆が輸送に大活躍してくれた。殿の定めた納期には間に合うさ」

 九鬼水軍と柴田の軍船が軍港にズラリと並んでいる。大船団である。

「殿は四国の戦でも裏町を作る気だろうか」

 裏町とは、陣場の後ろに町を作り、将兵の慰問を図る仕組みで柴田家の陣法の一つである。

「いや佐吉、犬山の戦いと違い、海を渡って敵地の只中に入るのだからそうもいくまいよ。殿は大軍勢でもって短期間で攻め落とす気でいよう」

「なるほど。平馬、ちょっと一服するか」

「そうだな」

 一つの軍船に上がり、甲板の椅子に座った二人。冷たい水を吉継に渡す三成。

「しかし十二万の軍勢か。お互い親父様(秀吉)に兵站の腕前を見込まれたが、まさかこんな大軍の兵站をやる時が来るとは思わなかった」

「できる事なら羽柴の軍でやりたかったが…」

「おい平馬!」

「い、いやスマン、別に殿や柴田家に不満があるわけじゃないんだ。だけど俺はお前の推挙を経て親父様に見出されたからな」

「そうよな」

「でもな佐吉、俺はあの時の悔しさは忘れていないぞ」

「悔しさ?」

「山陽道で水沢隆広殿にお情けで見逃してもらった悔しさだ」

「そういえば、悔し涙を流していたっけな」

「俺はもうその水沢隆広、今の柴田明家の家臣となったから戦場で勝つ事でその悔しさは晴らせない。だから俺は柴田明家に必要な男となり天下を取らせる事で、その悔しさを晴らそうと思う。そう腹を括ったよ」

「『怨みに報いるに徳を以てす、怨みに報いるに直を以てす』と云うわけか…」

「なんだ? そんな洒落た格言あるのか?」

「知らないのか、孔子の言葉だぞ」

「ほう、佐吉は相変わらず物知り…」

 突然、大谷吉継はめまいを起こして倒れた。

「平馬!」

「だ、大丈夫だ…」

「おい、すごい冷汗じゃないか!」

「最近ちょっと多いんだ。だが少し横になれば治る」

「最近多い…!? バカ野郎! なら何で十二万の兵站なんて激務の命令を受けた! 急ぎ城に帰り源蔵館で診てもらえ!」

「四国攻めが終わった後にそうする。今はダメだ」

「平馬…」

「俺の女房は病身でな…。今、源蔵館で治療を受けている。よく効く薬を仁斎殿に調合してもらっているが唐土より手に入れる高額な漢方薬を必要とするので、定期服用には金がいる。いかに柴田家から治療代が八割出ようが部下への禄を差っぴくと俺の禄では足らないのだ。

 仁斎殿は柴田家参謀である刑部殿の内儀なのだから、大納言様に全額工面してもらう事もできると言ったが、それは断った。ちゃんと決められた額を支払っている領民に申し訳ないしな。だから、この四国攻めの兵站の手柄で恩賞を得て、妻にもっと本格的な治療を受けさせたい」

「なぜ俺に一言…」

「ふっ、お前とて貧乏城代だろうが」

「そうだが、少しくらい工面は出来るぞ」

「お前や殿と同じだよ」

「ん?」

「女房のためなら何でもしてやりたい」

 明智光秀、毛利家の吉川元春、大友家の高橋紹雲、そして大谷吉継。いずれも名将であるが彼らには共通点がある。それは醜女を妻とした事だ。吉川元春は妻の父である熊谷信直を味方につけるためでもあったが、その妻を愛し続け生涯側室は迎えなかった。

 明智光秀、高橋紹雲、大谷吉継の妻たちには、さらに共通事項がある。元来は醜女でなかった事だ。婚約後に病にかかり、顔に痘痕や瘤が出来てしまったのだ。光秀、紹雲、そして吉継はそれでも約束を違えずに妻とした。

 吉継の正室は恵と云い、浅井氏ゆかりの娘である。実家は浅井家滅亡後に落ちぶれた。恵は秀吉居城の長浜城に下女として働いたが、その時に吉継に見初められた。羽柴家の有望な若手将校となっていた吉継に見初められ、恵の実家は大喜び。話はトントン拍子に決まり、吉継が合戦から帰ってきたら祝言と云う運びになった。しかし恵は疱瘡にかかり、吉継が見初めた美貌が崩れてしまった。帰ってきた吉継は恵の家に訪れ事情を聞いた。そして父母は

『とても娘を大谷殿に嫁がせられない。他の娘を見つけて下さい』

 と、婚約解消を申し出た。しかし吉継は

『確かに俺は恵殿の美しさに惹かれた。しかし妻とする女子を容貌だけで選ぶほど俺は浮付いた男ではない。恵殿を妻にしたい気持ちは変わらない』

 と返した。ある日突然に醜女になり、心も傷ついていた恵は吉継の言葉を聞き号泣。生涯の夫と決めて嫁いだ。

 以来、仲睦まじく、この戦国乱世を二人で生きてきた。子供にも恵まれ、柴田家でも重用され、さあこれからと云う時に恵は病に倒れた。

「治らぬとでも思ったのか…。『今度は丈夫な、若くて美しい妻を娶って下さい』と言ってきた。冗談じゃない。治ってもらい、また子作りするんだ」

「……」

「今日倒れたの見たの、幸いお前だけだったな。いいか女房には言うなよ。殿にもだ」

「わ、分かったよ。でも約束しろ。この四国攻めが終わったら、お前も源蔵館で治療を受けるのだぞ!」

「ああ…。ありがとう佐吉」

 大谷吉継と石田三成は十二万の軍勢を運ぶ軍船と、その将兵の胃の腑を満足させるだけの兵糧を確保し、前線の淡路洲本城を預かる高崎家と連携をとり、大坂→淡路島→讃岐の輸送経路を確固たるものとした。瀬戸内海の通行料を収入としていた村上水軍だが、柴田の武威の前では沈黙している他なかった。主筋の毛利家にも柴田家を刺激しないように通達されている。

 しかし大谷吉継は商人司の吉村直賢と話し合い、事前に村上水軍に多大な通行料を渡し、頭領の村上武吉から通行手形を手渡されていたと云う。柴田家は村上水軍を無視する事も出来たが、吉継は彼らの面目を保つべく計らったのである。

 だが、それは単なる情けではない。通行料をちゃんと支払ったのであれば村上水軍は面子にかけて柴田の渡海を守らなければならないのである。金で強力な水軍の護衛がつけば安いものである。

 合戦の三要素は戦略、戦術、兵站である。三成と同様にその兵站の技量を羽柴秀吉に高く評価されていた大谷吉継は朋友三成と共に見事柴田十二万の後方支援の責務を果たすのである。

 

 四国に出陣する前夜の大坂城。明家の出陣前夜、明家は愛妻さえの横にいた。膝枕をしてもらい、お腹に耳をつけている。さえは三人目の子を身ごもっていたのである。ついでにさえのお尻も撫でていた明家。

「病が治って最初の子だな」

「はい、また殿の子が生めるなんて思いませんでした。正直あのおり、死を悟っておりましたゆえ」

「女医たちは何と言っている?」

「経過は良好との事です」

「それは何より」

「うふ♪」

「なんだよ?」

「でも診断してくれるのが女医さんで嬉しい。殿以外に肌は見せたくないですから」

「俺も見せさせたくはない。だから女医を育成させたんじゃないか」

「まあ私のために女医育成政策を?」

「そうだ。でもさえだけの、てワケにもいかないだろ」

「嬉しい殿、大好き♪」

 明家の額を愛しそうに撫でるさえ。

「なあ、さえ」

「はい」

「もし、今度生まれてくる子が男の子なら朝倉家を継がせようと思うんだ」

「えっ…!」

「男子が二人生まれたら長男は水沢、次男は朝倉と決めていた。だから子が長じるまで、別家を立ち上げさせる事ができるほどの大身になっていようと励んできた」

「殿…」

「ん?」

「あ、朝倉家を再興してくれるのですか?」

「あれ? 言った事なかったか?」

「初耳ですよ! 他の女子に言ったことと勘違いしていません?」

「おいおい朝倉再興をさえ以外に言って何の意味があるんだよ」

 そりゃそうだ、と思うさえ。それと同時に嬉しさがこみ上げて来た。

「嬉しい…! 朝倉を再興して下さるのですね?」

「朝倉宗家ではなく、そなたの家だな。しかしまあ義父上は朝倉親族衆筆頭だ。その娘の子ならば新たな朝倉家を立ち上げるに遜色なかろう」

「殿…ありがとう!」

「しかし、監物と八重が存命中にできなかったのは残念だな…」

「はい…」

「でも二人には生前に言ってある。そして吉村家の者を柴田と朝倉両家で重用する事もな」

「本当に!?」

「うん、喜んでいた。特に八重にとっちゃ実家だからな」

「殿…。ぐすっ、さえは嬉しくてたまりません。でも…」

「ん?」

「殿、お気持ちは嬉しいですが、もし生まれ来る子が男子なら水沢家をお継がせ下さい」

 長男は水沢、と明家は言ったが今の彼は柴田家の当主。となれば次男は朝倉ではなく水沢が適切とさえは考えたのだ。

「…さえ、そなたが三人も四人も男子を生めるとは限らないのだぞ」

「ですが、義父上様の名跡をここで途絶えさせるわけには…」

「途絶えさせやしないさ。佐吉にも言われたからな。『水沢姓を大事にされよ』とな。徳川殿は自分の旧名である『松平』と云う姓を、名誉な姓にして家臣に与えているらしい。これは使えると思ってな。養父隆家の姓を、柴田家で名誉な姓とするんだ。父の名跡は途絶えず、かつ家臣の名誉ともなる。一石二鳥だろ?」

「すごい名案!」

「だろ?だろ? 敵も同然の徳川家といえども、学ぶべきところは学ばねばならない」

(ホントは佐吉の提案なんだけどな)

「と、云うわけで水沢家を再興させるとしても、それは朝倉家の次でいい。よって生まれる子が男子なら朝倉家の新たな当主とする」

「ありがとう…殿」

「生まれ来る子が女の子なら、今ごろさえのお腹の中で怒っているかもな」

「うふ、そうかもしれません」

 明家はさえのお腹を愛しく撫でた。

「男だ女だ、かような事はどうでもいい。愛するさえと俺の子、元気に生まれてくれれば十分だ」

 そんな美辞を言いながらも、しっかりと手は愛妻のお尻を撫で続けている明家だった。

「んもう、そんなに撫でたら磨り減ってしまいます」

 明家の手の甲をギュッとつねるさえ。

「イタタ」

「うふ♪」

 

 翌朝、出陣式。広大な大坂城の錬兵場。十万以上の軍勢ゆえ主なる部隊長でも三千はいる。その三千の部隊長たちが並ぶ前にある台座、軍師の黒田官兵衛が行軍中の諸注意について話している。明家も昨夜に愛妻に見せていた顔ではなく、凛々しい顔である。いよいよ天下統一のための合戦に乗り出す時。

(良い天気で何よりだ)

 主なる武将の妻たちも出席し、桟敷に座り出陣式を見守る。身重のさえも出席している。

(良い天気、これなら瀬戸の海も荒れていないでしょうね…)

 凛々しい顔の夫を見つめ、そしてウットリするさえ。

(ああ、やっぱりその顔が一番好き)

 やがて黒田官兵衛の諸注意が終わった。変わって明家が台座に進む。官兵衛が台座の脇に控え

「殿、鼓舞を!」

「よし!」

 台座に立つ明家。

「では海を渡る! 四国全土に『歩の一文字』の軍旗を掲げようぞ! 出陣だあーッ!」

「「オオオオッッ!!」」

 柴田軍十二万が四国へと向かった。柴田の軍船の指揮を執るのは松浪庄三。そして九鬼水軍が共にある。長宗我部の水軍も迎撃に出て、まず瀬戸内海の讃岐沖で遭遇した。旗船の明家に使い番が報告。

「殿! 長宗我部水軍の迎撃です」

「すでに戦端は開いている。海戦は庄三殿に一任してある。すべて任すと伝えよ」

「ははっ!」

 長宗我部水軍の旗船には阿波一ノ宮城主である谷忠澄が大将として乗っていた。水平線を埋める柴田の水軍。長宗我部水軍が見た事もない巨大な安宅船ばかり。黒い津波のように迫り来る柴田の水軍。まして柴田軍には木津川沖海戦で村上水軍を蹴散らした九鬼水軍も加わっており、その村上水軍も柴田が正規の通行料を支払った以上、柴田の渡海は面子にかけて守らなければならない。松浪、九鬼、村上の軍船が柴田本隊を守りながら大海原を突き進む。対する谷忠澄は

「退け! 戦闘状態に入ってはならん!」

 自らの水軍に下命した。忠澄は一目で勝機なしと悟った。

「一戦も交えずに逃げるのでございますか!」

 反対する忠澄の部下たち。

「それではお屋形様(元親)に何と申し開きを!」

「儂が全責任を取る! とにかく退け!」

「「……」」

「聞こえないのか!」

「「は、はは!」」

 ようやく撤退に入った長宗我部水軍。忠澄はホッと溜息を出し、そして柴田の大水軍を見た。見ると聞くとでは大違い。信じられないような大兵力だった。谷忠澄は痛感せざるを得なかった。

「駄目じゃ…。もうどうにもならん!」

 

「十二万だと!?」

 居城である土佐の岡豊城でそれを聞いた長宗我部元親は想像を越えた大軍に驚き、かつ柴田軍の襲来を方角から讃岐と予測していたが、柴田軍は二手に分かれて阿波にも向かった。讃岐には柴田明家総大将で、阿波から前田利家率いる軍勢が上陸を目指す。双方六万。明家の軍勢には宇喜多軍も加わり、黒田官兵衛が参謀を務めた。

 前田軍には真田と上杉が加わり、佐々、可児の軍勢もあった。一方だけで六万、元親の軍勢は残らずかき集めて四万だった。しかも柴田軍と違い半農半士の一領具足。それに四国を統一したばかりで、元親に敗れた四国の大小の勢力は長宗我部をまだ怨んでもいる。ただでさえ柴田の半数以下なのに統率が取れていない。

 

 だが明家は油断しなかった。半農半士とはいえ、土佐独特の仕組みである一領具足。一領具足とは平時には田畑を耕し農民として生活をしているが、領主からの動員がかかると一揃いの具足を装備して召集に応じる事を課せられていた。突然の召集に素早く応じられるように農作業をしている時も常に槍と鎧を田畑のかたわらに置いていたので、一領具足と呼ばれていた。農作業にあたっているため、身体的に剛健な者も多く、生半可な武士より強い。

 柴田明家は黒田官兵衛、前田利家、佐々成政と話し合い、あえて長宗我部元親が四国を統一するまで待った。元親の勢いから時間の問題と見ていたからである。なぜあえて元親の勢力拡大を黙って見ていたか。それは戦場での調略が容易となるからである。つい最近まで長宗我部と敵対していた讃岐、阿波、伊予の豪族や土豪が長宗我部のために命を賭けて戦うはずがない。讃岐と阿波の国主だった十河氏と伊予の河野氏の生き残りたちも然りである。

 四国の統一が成っておらず、讃岐と阿波がまだ十河氏のものなら、伊予が河野氏のものなら、逆に彼らは長宗我部と連合して四国に侵略に来た柴田勢に立ち向かう事もある。だからあえて長宗我部に十河と河野の両大名を討たせ、その生き残りや讃岐、阿波、伊予の豪族や土豪たちが長宗我部氏に憎しみを抱くのを待った。その間に柴田は領内の地盤固めをすると云う算段。事は何事も一石二鳥にせよ、柴田明家の真骨頂である。

 

 中富川の戦いで十河一保は討ち死にしており、アッと云う間に讃岐と阿波は長宗我部に併呑された。伊予湯築城の河野通直は長宗我部に善戦したが、武運つたなく敗れ降伏。土佐に通直は移され、元親に与えられた屋敷内で病死して果てたと言われている。

 しかしながら河野通直は仁将と呼ばれる大名で、父の代から合わせて二度も叛旗を翻した大野直之を許して大事な砦を任せている。直之は若き主君の仁に感激し、湯築城の支城ことごとく落ちても、彼だけは最後まで抗戦し討ち死にした。

 土佐に移り、通直が病死したのは元親の毒殺説が噂された。元親は否定したが河野の遺臣たちは聞く耳持たない。遺臣たちは野に下っていても『いつか通直様のご無念を晴らすのだ』と復讐の牙を土佐に向けている。裏切りが当然のようにあった戦国の世で、ここまで家臣に慕われた君主も珍しい。

 

 すでに四国には柴田の調略が及んでいた。かつて織田信長が大軍勢で攻め寄せようと云う時、長宗我部氏の領内の豪族や土豪は続々と織田方についたと云う経緯がある。しかし織田勢の瀬戸内海の渡海は本能寺の変で頓挫した。

 長宗我部元親は織田についた豪族と土豪、そして織田方に寝返ろうとした家臣たちを処刑した。これは結果を見てみると愚策だったとしか言えない。上杉謙信、武田信玄、徳川家康などは一度叛いた者でも許して厚遇し、それを戦力とした。裏切り者は許さないと云う姿勢も分かるが、元親の行動は自分の足を食う蛸のような仕儀で余計な怨嗟を被る事となる。

 そしてそれを柴田につけこまれる。柴田明家と黒田官兵衛は伊予、讃岐、阿波の豪族と土豪、十河と河野の遺臣たちに加えて、元親に処刑された者たちの縁者たちにも目をつけたのである。柴田勢が攻め入ると同時に旗を揚げよ。そして暴君元親を討つ事に助力せよ、そう言ったのである。

 信長の四国攻めの部隊は二万であったと言われているが、今回はその六倍の十二万である。しかも帝から『天下を統一せよ』と勅命を受けた柴田明家が総大将である。柴田側の調略がなくとも長宗我部側には裏切り者や離反者が続出すると見込めたが、明家は念を入れて攻め入る前から長宗我部の足元を崩したのである。

 

 その調略の任を担当したのが、明家子飼いの将、高崎吉兼と星野重鉄である。二人は明家養父の水沢隆家に仕えた将の子であり、智勇の将であった。以前は高崎次郎、星野鉄介と云う名であったが、この頃は両名とも立派な名と正六位の官位も受けている。彼らは父親たちが藤林家と共に先代隆家に仕えた縁から親しい。よって調略などの任を得意とする。元親に家族郎党を殺された者を味方につけ、各地の豪族や土豪、十河や河野の遺臣たちも口説き落としていた。

 高崎と星野両名は事前に四国入りしていて、調略と合わせて軍港を占拠し、上陸する柴田軍を迎える事も任務である。そして讃岐や阿波の地理なども事前に把握して、味方につけた土地の者たちと共に柴田勢の案内役を勤める。またとない大役だった。すでに高崎吉兼は手勢と味方につけた豪族たちに命じ、讃岐の軍港を占拠する事に成功していた。柴田の大船団が到着。旗船からゆっくり降りてくる柴田明家。いよいよ四国の地に立った。

「殿、お待ちしていました」

「うむ、主計頭(吉兼)、長きの四国赴任、ご苦労であった」

「はっ」

 吉兼の後ろには彼が味方につけた豪族や土豪が整然と膝を屈し並んでいた。

「最大の良策は戦わぬ事、味方につける事、であるが見事だな主計頭」

「恐悦にございます」

「内匠頭(重鉄)は前田勢の出迎えか」

「はい、匠之頭も阿波の軍港を占拠して前田様の出迎えに」

「まず上陸は無事に成した。では行くか、鬼若子の待つ土佐へ」

「ははっ!」

 柴田勢は四国に上陸し進軍を開始した。



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土佐のいごっそう

 長宗我部氏の事を少し語ろう。長宗我部元親が治めた土佐と云う国は元々流刑地でもあった。平氏の落人やら政争で敗れた公家などが流れてきた。四国と云う本州から離れた島で、土佐の目の前はもう外海、北は四国山脈。古代から中世にかけて土佐は隔離されていた別世界とも言えた。南北朝の時代に細川氏が土佐を治め、中央政権との繋がりもできるが、応仁の乱により細川氏は失脚。土佐も戦国時代に突入した。

 一度は本山氏に領地を奪われた長宗我部氏であるが、元親の父である国親が臥薪嘗胆の時を経て本山氏から旧領を奪取した。その後も長宗我部氏と本山氏の終わりなき戦いは続くが、齢が五十の坂を越えた国親は隠居できなかった。二十にもなっていた長男の元親が家臣たちから『姫若子』と呼ばれるほどの頼りない長男であったからである。しかし二十二の歳にようやく初陣となる。本山氏と対する土佐長浜城の戦いである。その進軍中に元親は家老の秦泉寺豊後守に『で、槍はどう使えばいいのだ?』と訊ねたと云う。

 しかし、これが素であったのか、振りであったのか分からない。この直後、元親は味方の陣から進み出て、『我が初陣に一騎打ちの勝負を挑む猛者はありや』と名乗りを上げた。これに応えたのは本山氏にその人ありと言われた武人の国見五郎太であるが、元親は彼を槍一閃で討ち取ってしまったのである。元親の想像もしていなかった武勇に長宗我部氏の士気はうなぎのぼりに上がり、合戦は勝利。家臣たちから『姫若子』から『鬼若子』と称され、また武勇だけでなく知略にも長け、土佐の出来人とも讃えられた。

 父の国親は隠居し家督を継いだ元親は土佐を統一し、そして四国を統一したのである。

 

 しかし、ここで柴田明家の登場である。元親は降伏勧告とも云える『柴田の作る統一政権に組されよ』の申し出を完全に拒否。それどころか四国の基盤を固めたら畿内に攻め込むつもりでいた。それが柴田明家に渡海の大義名分を与えてしまった。統一政権の樹立は柴田家の願いではない。すでに天皇の意図である。

 柴田明家は一領具足の仕組みや、長宗我部氏が今まで行ってきた合戦の情報を調べた。元親とその家臣団、そして一領具足たちの精強さ、手強しと見た明家は合戦前から容赦ない調略を行っていたのである。武田信玄の言う『戦う前に勝利を決めよ。合戦は最後の詰めに過ぎぬ』を実行していたと言える。

 

 実際に柴田対長宗我部の合戦が始まると、調略が効き元親に服従したばかりである讃岐と阿波の諸豪族は我も我もと柴田軍に降り始めた。しかし讃岐植田城だけは元親が柴田軍に備えて新たに築城したものだったので戦う構えであった。

 明家はこの讃岐植田城の城攻めを黒田官兵衛に任せた。この植田城篭城は元親の策が仕込まれていた。柴田軍が攻撃を開始したら長宗我部の大軍で寄せ手の柴田軍を殲滅する手はずを整えていたのだ。しかし相手が悪かった。黒田官兵衛である。彼はその策をあっさり見抜き植田城を攻めずに、主君明家に阿波へ進軍する事を提言。官兵衛は

『こんな浅知恵で四国を切り取ったとは驚くばかり』

 と、辛らつに評した。この言葉を伝え聞いた元親は大変悔しがり、

『寄せ手の大将が宇喜多や佐々なら突撃してきたろうが、黒田官兵衛のような歴戦の智将に当たったが我が不運なり』

 と嘆いた。黙って通過させるわけにもいかない。植田城の城主である戸波親武は追撃に出たが、多勢に無勢で蹴散らされ、からくも敗走。城と云うより砦であった植田城は長宗我部敗走の直後、柴田によって焼却されて廃城となる。

 

 長宗我部家の家老の谷忠澄は主君元親を説得した。瀬戸内海で見た軍船の数と装備。とても勝ち目はないと判断し、柴田軍との戦いが無益な事と何度も主君元親に進言したが受け入れられず、やむなく最前線である阿波一宮城に立て篭もり籠城戦を展開した。相手は前田利家六万の大軍である。忠澄は善戦し、よく持ちこたえた。

 利家も焦れてきて『こんな小城に何を手間取っているか!』と将兵を叱咤する。側近の村井長頼が

「殿、責任を転嫁しちゃまずいですよ」

 と、小声でやんわり叱り付けた。大軍と過信し小城と侮った利家にも責任はある。

「すまん…」

 素直に落ち度を認めた利家を苦笑して見る上杉景勝。

「しかし、これ以上この城に時間は割けませんな。山城、何か妙案はないか?」

 知恵者の直江兼続に振る景勝。

「されば…」

 直江兼続が利家に進言した。

「中務(利家)殿、聞けば城主の谷忠澄は主君元親に柴田との開戦を止めたと伺っております。一度城攻めをやめて忠澄殿を味方に引き入れ、引き続き元親への降伏説得に動いてもらうが得策と存ずるが」

 共に軍机にいた真田昌幸は感心したように兼続を見た。そして同意。

「中務殿、山城守殿の意見、この安房(昌幸)も同感にございまする」

「よし、よかろう山城殿の意見を入れよう」

 利家は兼続の意見を入れ、一宮城に軍使を派遣し、忠澄に柴田軍と戦う事の無意味さを訴えた。彼もその事はよく理解していたので、主君元親のもとに再度説得に向かった。その知らせは明家の元に届いた。

「官兵衛殿、聞いての通りだ」

「はい」

「しばらく待ってみようかと思うが…」

「よろしいかと存ずる。土佐に攻め込めば、その谷某の説得も途中で断念せざるを得ませんし、長宗我部を窮鼠たらしめる事ともなりまする。敵にかような動きがあるのなら夜襲と奇襲に備え、休息を取るのも肝要と存じます」

「うん、よし今日はこの地で夜営だ。全軍に現地の領民への略奪を禁じさせよ。特に婦女子への暴行は問答無用で処刑いたすと」

「承知しました」

 

 しかし翌日、足軽の一人が土地の娘を陵辱した事が判明した。明家はこういう行いが大嫌いである。一昔の合戦ではどの大将も大目に見ていた事であるが、織田信長の登場によって次第に現地の民、特に婦女子への暴行は固く軍律で禁じられる事が多くなった。

「即刻、その足軽の首を刎ねよ! 直属の上司は監督不行き届きの罪で腹を切れ。またその婦女子と家族には多大な金銭と兵糧を与えよ」

 と厳しく処断。大野治長が

「殿、兵とその上司は宇喜多家の者、助命を願う書が来ており…」

 と伝えた。しかし

「破り捨てろ」

 書に見向きもしない。

「現地の民への略奪行為、特に婦女子への暴行は許さんと厳命したはずだ。宇喜多は聞いていなかったとでも言うのか!」

「は、ははっ!」

 兵は斬刑、その上司は監督不行き届きで切腹となった。助命書に見向きもしなかったと聞き、宇喜多の重臣戸川秀安は激怒した。

「大納言は宇喜多を軽んじている!」

 それを静かな目で見ている明石全登。

(バカが…。その軍律の厳しさの徹底を見て大納言の将器を読めぬか。これだから古い時代の猪武者は困る。ましてや助命を願う書を送るなど愚の骨頂、宇喜多の家名に恥の上塗りをするばかり。八郎様の晴れの初陣が台無しともなろうに、そんな事も分からんのか…)

 無論、宇喜多の重臣すべてが戸川と同じ判断をしたワケではない。宇喜多忠家がそうだ。

「そういきり立つな。十二万もの軍勢を率いているのだ。そのくらいの一罰百戒は必要だ」

「しかし…」

「先代直家もそのくらい軍律は厳しい方だった。知らぬそちたちではあるまい?」

「ま、まあ確かに…」

 大きな溜息をついて秀安は床几に腰掛けた。花房職秀は柴田家からの指示で陵辱された娘の家を訪れ、慰問金と兵糧を置いてきた。

「おお帰ったか」

 と、宇喜多忠家。

「何とか受け取ってくれましたわい。やれやれ武士の儂が百姓に頭を下げねばならぬとはのォ」

「ま、そう愚痴るな。兵のそんな行為を止める監督と教育が出来ていなかった我ら重臣たちも悪い。郷に入らば郷に従え、軍律は軍律よ、以後また同じ事があったら宇喜多の印象が悪くなる。各々敵は無論、味方の行いにも目を光らせよ」

「「御意」」

 

 この柴田明家の『現地の民に無体な仕打ちは許さない』の軍律の厳しさは現地の民にも伝わった。

『何だよ、柴田の若い殿様は長宗我部や十河の殿様より分別があるぞ。長宗我部や十河は滞陣中に村の娘たちを無理やり連れて行ったからな』

『そうだ、食い物が無くなれば平気で略奪した阿呆な大将よ。柴田の殿様の方がいい統治をしてくれるのじゃねえか』

 こんな具合で人から人へと噂が流れる。明家が遠征中当たり前に行っている事、これを柴田の密偵たちがさらに吹聴して回っているのだ。

 

 家老の谷忠澄は雲霞のごとく押し寄せてくる柴田の軍勢を見て、もうどうにもならないと痛感し、再度の説得を主君元親に試みた。

「殿、見ると聞くとでは大違いにございます! 鉄砲の数も比較にならず、我らは半農半士に引き換え、柴田勢はすべて武士にございます! 加えて柴田に寝返る豪族、土豪、野武士たちは数知れず、我らは内側からも崩れつつあります! 戦うどころではありませぬ! 限りある四国の兵数で、軍勢の終わりも見えぬ柴田大納言の大軍勢と合戦するなど我らに勝ち目があるはずがございません! 長宗我部の家を殿の代で潰すおつもりか!」

 実際に自分が柴田軍と戦った感想も伝え、今すぐ降伏するよう強く訴えた。しかし忠澄の言葉に激怒した元親は、

「西国にこの名を轟かすこの元親が降伏なぞできるものか! 今までの我らの戦があんな若僧に四国丸ごとくれてやるためだったと言うのか! 貴様がそこまでの腑抜けとは知らず、一宮を預けたのは我が不明! 貴様は一宮城にとっとと帰り、柴田の軍勢と刺し違えて死ぬか腹を切れ!」

 と、聞く耳持たない。

「殿! まだ間に合いまする! 大納言の養女は奥方様の姪! また奥方の兄上である斉藤利三殿に武人の節義を示した者! この縁を大切にし…」

「くどい! 斬るぞ!」

 長宗我部元親の妻の白樫は明智光秀の家老、斉藤利三の妹である。明家のもとで大切に育てられている養女お福は姪となる。その縁は元親も知っている。お福をかすがいに柴田と長宗我部は縁戚であったのだ。

 何より柴田明家は兄の利三が切腹した時に介錯をし、丁重に亡骸を坂本城に届けた事も白樫の耳には届いていた。そんな男が総大将の柴田と矛を交えるに至った事に白樫も悲しんだ。

『大納言殿は兄からお福を託されました。兄ほどの武人が遺児を託したと云う事は大納言殿が間違った仁ではない証にございます。そのお福は大名の建前の養女ではなく、大納言殿やその奥方に大切に育てられているとか。白樫はそんな方と殿が戦う事に耐えられません…』

 元親は『さきに吹っかけてきたのは大納言だ、大納言に文句を言え!』と怒鳴るしかなかった。確かにこの合戦は明家が長宗我部に明らかに喧嘩を売った形である。しかし喧嘩を売られて黙っていて戦国大名は務まらない。その喧嘩を買い、返り討ちにして敵の領地を併呑するのが戦国大名と云うものである。長宗我部とて今までそういう戦いを経て四国を統一したのである。だが現実、柴田と長宗我部では装備が大人と子供である。戦況はきわめて悪い。入ってくる報告は敗戦の知らせばかり。はては重臣の谷忠澄の降伏論。

「頭を下げられるものか…。あんな若僧に!」

「父上」

「おお、弥三郎(元親長男の信親)」

 元親嫡男の信親が城主の間に来た。元親が並々ならぬ愛情を注ぐ息子である。元親が『我が息子ながら』と常々自慢している息子。信親への溺愛振りが伺える。

「出陣のご命令を下さい」

「なに?」

「勝ちに驕る柴田に、土佐のいごっそうがチカラ、示したく存じます!」

「…ダメじゃ」

「父上、忠澄の説く降伏論を突っぱねる以上は戦うつもりなのでございましょう? 前線に嫡子のそれがしが行けば士気も上がります! もう讃岐と阿波は柴田に持っていかれました! 伊予も時間の問題でございましょう! 土佐の国境に留まるは忠澄の説得の結果を待っているからにすぎません! 父上が否と言ったと知れば柴田は岡豊城まで一直線にやってきます! 阿波との国境にいる今、夜襲をかけたいと存じます!」

「弥三郎、お前は勇気がありすぎる。勇猛果敢と無鉄砲は違うぞ。すでに柴田本隊と前田隊も合流していると聞く。途方もない大軍じゃ」

「大納言の陣は先の通り降伏説得の結果を待ち、戦闘にしばらく入らないと見込んでいましょう。単なる手柄欲しさで父上に夜襲を提言しているのではありません。油断している今が好機、二千の兵で十分です。出陣のお許しを!」

「…ふむ」

「父上、よしんば降伏をするとしても、かような無様な敗戦のあとでの降伏では大納言に長宗我部は腰抜けと思われ軽んじられます! せめて一矢だけでも報いなければ!」

「せめて一矢のみか…」

「はい!」

「よし、行ってまいれ!」

「はっ!」

 

 信親は勇んで出陣した。しかし敗戦への連鎖と云うものは敗者へ残酷である。信親の夜襲計画は密告者により柴田陣に報告されたのである。土佐と阿波の国境に陣取る柴田勢に信親率いる二千の精鋭が夜襲をかけた。しかし陣はカラだった。すぐに罠と悟った信親は大急ぎで退いたが、松山隊と小野田隊が退路を塞いだ。

 追撃には黒田長政隊が出た。包囲される信親の軍勢。しかしこの時、包囲されている側の方が強かった。信親は中富川の戦いの前哨戦で十河氏の城二つを落としている若き猛将で父親には無論、家臣たちにも信頼が厚い。二千の兵が一丸となって松山隊と小野田隊に突撃していった。松山矩久や小野田幸猛も柴田の赤と黒の母衣衆筆頭を務める勇猛な将であるが圧倒される。加えて信親の『信』の字はかつて元親が織田信長と誼を通じた時、信長がまだ少年の信親を見て自分の『信』の字と左文字と云う名刀を与え、かつあの織田信長をして『我が養子にしたいほどだ』と言わしめた若者。信親は織田信長が認めた男なのである。若者とは云え松山矩久と小野田幸猛では役者が違った。

「おいおい何だよ! 冷や汗かいて損したじゃねえか! やはり都で茶の湯などに興じている柴田の将は弱腰! 何が尚武の柴田よ、笑わせるな!」

「言わせておけば小僧!」

 激怒した松山矩久が槍を突く。ヒョイとよける信親。

「甘い甘い、お前のような端武者が母衣衆になれるほど柴田にゃ人材おらんのか! 大納言に同情したくなってきたわ!」

 槍を握り、引っ張ると矩久は落馬。

「くそっ!」

「あーははは! これでも食らえ!」

 去り際に信親は尻を二度ペンペンと叩いた。豪快な放屁つきである。追撃に出た黒田隊も信親の軍勢に逆襲され、小野田幸猛など負傷もしてしまった。信親は三倍近い兵力に包囲されても瞬く間に蹴散らしてしまった。信親の武勇と統率力もあるが、その部下たちと一領具足の兵も精強だった。その精鋭を縦横に使いこなす若武者信親。負傷した小野田幸猛に歩む矩久。

「大丈夫か美作(幸猛)」

「ああ、何とかな。しかしまるで殿と戦ったかのようだ…。何ちゅう用兵だよ…」

「それに兵も強い…。殺気の塊だ。一人一人が武将級の強さじゃないか…」

 猛省して柴田本陣にやってきた松山、小野田、そして黒田。戦目付けから明家に信親が豪快な放屁つきで柴田の攻撃を振り切ったと云う報告が届いていた。

「あっははは、冷や汗かいて損したか、言ってくれるな」

「も、申し訳ございません! 殿の常勝に泥を!」

 と、松山矩久。

「俺の事などどうでもよい。しかしこれで分かっただろう。長宗我部も必死なのだ。我らは数に頼り油断していた。そなたらもだが俺も戒めなければならん」

「「ははっ」」

「しかし長宗我部信親か…。さすがは亡き信長公が認めた若武者だな。矩久を討てただろうに討たなかったのは、夜襲が失敗した今、一人でも無事に帰還させる事を大事としたのだろう。勇猛だけでなく思慮深い。元親殿が息子自慢するのも分かるな」

「確かに…」

 と、黒田官兵衛。明家の前でシュンと小さくなっている息子の長政を見る。同年ほどの信親に散々な目に遭ったのが悔しいようだ。官兵衛は『かえって良き薬になったわ』と苦笑していた。

「もうよい、勝敗は兵家の常。手柄で挽回せよ」

「「ははっ!」」

 松山矩久、小野田幸猛、黒田長政は立ち去った。

「六郎」

 静かに明家は忍びの六郎を呼んだ。スッと姿を現す六郎。

「お呼びで」

「夜襲を密告してきた長宗我部の者がいたな」

「はっ」

「斬れ」

「承知しました」

 

 夜襲は失敗したが、信親は土佐のいごっそうのチカラを十分に柴田に見せ付けた。岡豊城に帰還した信親を城主の間で労う元親。

「よう戻った。夜襲は看破されたが、包囲した柴田を蹴散らした事は聞いた。よくやった弥三郎!」

「はい」

 長宗我部家臣たちは事実上勝利した若殿信親を讃えた。悪い知らせしか届いていなかった岡豊城が湧いた。元親は信親の働きも嬉しかったが居城の士気の上昇も嬉しい。

「しかしながら父上」

「なんじゃ?」

「それがしが蹴散らしたるは、松山、小野田、黒田のせがれ…。柴田では二線級の将でした。武勇の可児や奥村の軍勢と対決していたら、こうはいかなかったと思います」

「ふむ…」

「やはり柴田が本気で攻めかかってきたのなら当家は勝てませぬ…。それでも戦いますか」

「無論じゃ」

「分かりました。弥三郎も父上と最後まで戦いまする!」

「よう申した!」

 嬉しくてたまらない元親。たくましく成長し、そして鬼若子と呼ばれる自分も及ばない将器。何と頼もしい息子よと誇らしい。

「さあ今日はもう良い、疲れたであろう。風呂でも入り休むがいい」

「はっ」

 信親は城主の間を去っていった。時を同じして、元親の忍びが報告に来た。

「殿…」

「うむ、柴田陣はどうか?」

「夜襲の後にも動きはありません。あくまで谷様の報告を待つようにございます」

「そうか…」

「それと…こたびの夜襲が見破られしは密告によるものにございます」

「な、なんじゃと! 誰が密告した!」

「……」

「申さんか!」

「殿の使い番の七兵衛にございます」

「七兵衛じゃと!?」

 元親が信頼していた使い番の一人である。

「何たる事…!」

「…殿」

「…ではもう七兵衛は生きてはいまいの。大納言はそういう輩が大嫌いな性格をしていると聞く」

「仰せの通りです。七兵衛は斬られましてございます」

「愚かな七兵衛…。密告を喜ぶような者が畿内の王者になれるわけがなかろう! なぜそんな事も分からん!」

「……」

「もう良い、下がれ」

「はっ」

 

 元親は城主の間の縁台に出て、海を見つめた。

(夜襲に怒り、押し寄せてくるような猪武者ならどんなに楽か…)

 腕を組み、一つ溜息をついた。

「ふう…。日向殿(光秀)、内蔵助殿(利三)、まさかこのような仕儀に相成るとは思いもよらなんだ」

 長宗我部氏と明智氏は親密であった。元々信長に近づいたのは領土を保証してもらうためである。その折衝役となったのが明智光秀とその重臣の斉藤利三である。利三の妹を正室にしている事でも、どれだけ親密であったか分かる。信親が信長に『信』の字と名刀を与えられたのもこの時期である。

 しかし信長は一転して長宗我部氏から三好氏に庇護を転じる。三好氏を先鋒にして四国攻めを決定した。信長は長宗我部に阿波の国を返すよう勧告。当然長宗我部氏は拒否。信長はそれを待っていた。長宗我部氏は織田に叛意ありとして四国攻めの大義名分を得た。

 自分を頼ってきた長宗我部氏を討つ事は義理堅い光秀にとうてい受け入れられるものではなかった。これもまた本能寺の変の一つの要因と思われる。

 信長が本能寺の変で討たれると、長宗我部氏はすぐに畿内出征に乗り出す。一般にこれは長宗我部氏の領土拡大の意図とも言われているが、長宗我部氏は明智光秀に助勢しようとしていたのではないかと云う見方もある。だがその意図があったとしても時すでに遅く明智光秀と斉藤利三は瀬田の地で敗れ、その後に自害して果てた。

「儂は…天下人となられた日向殿に改めて領地の保障を願い、そして強固な軍事同盟を結びたいと思い、瀬戸内海を渡ろうとしたが時すでに遅かった。柴田によって全て水の泡じゃ…。明智と親密であった当家…。日向殿存命なら今ごろ四国はおろか、畿内にも領地を得る大大名となっていたかもしれぬ。しかしそうはならず、儂の展望すべて打ち砕いた柴田大納言が…今度は土佐にまで牙を剥いてきた。ここで退いたら、儂の人生は何なのか、まるで分からなくなる…」

「殿…」

「白樫…」

「潮風は冷えます。中に…」

「うむ…」

 城主の間に戻った元親。白樫は酒の膳を用意していた。酒を注ぐ白樫。

「のう白樫」

「はい」

「内蔵助殿は遺児を大納言に託した。内蔵助殿が立派な武人である事は知っている。彼が取るに足らない男に遺児を託すはずがない。その理屈は分かる」

「殿…」

「だが…戦わなくてはならない」

「……」

 だが翌日、そんな元親の決意が根底から覆される出来事があった。重臣の谷忠澄が他の長宗我部の重臣たちを説き伏せ、家臣の総意を降伏論に変えてしまったのだ。

 一度は突っぱねられた忠澄の降伏論。自分一人では駄目だと見た忠澄は長宗我部家の重臣一人一人を説得し、やがて意見を一致させた。そして重臣総意として岡豊城の主人元親に柴田への降伏を訴えたのだ。これにはさすがの元親も飲まざるをえず、重臣一人一人の顔を見て溜息をつき

「儂がいくら戦おうと思っても、重臣どもがこれほどに腰を抜かしている以上どうにもならん。もはや、そなたらの進言を聞き入れるより他に道はあるまい…」

 と、無念に言った。

「時の勢いとは…こうも恐ろしいものなのか…。姫若子と揶揄され、二十二の遅き初陣から戦い続けて二十数年…。息子ほどの歳の男に膝を屈せねばならぬとは…!」

 城主の座で肩を落とし、自嘲する様に笑った。

「天魔信長の侵攻に怯え…彼奴が四国攻め直前に本能寺の変で死んだとき、天は我を見放していないと思った…。だが、そんな都合の良い事は二度もあるものではないな…。ふっははは…」

 信親は憤然として立ち上がった。

「お前らそれでも、土佐のいごっそうか!」

「若殿…」

 信親の剣幕に押される谷忠澄。

「お家の安泰、我が身の命を惜しんで戦を避けるのは武士ではない!!」

 無念に拳を握る信親。悔し涙が溢れている。

「お前らの股についているものは飾りかよ…!」

「「……」」

 重臣たちは黙った。若い信親には耐えられない屈辱である事は分かる。

「弥三郎もうよい」

「父上!」

「重臣たちとて苦渋の決断なのじゃ。父の国親も領地を本山氏に奪われ、臥薪嘗胆の日々を送ったが、ついには旧領を取り返した。またそれをやれば良い事だ!」

 

 ついに土佐岡豊城の城門が柴田家に開かれた。開戦わずか二ヶ月、圧倒的な力を見せつけた柴田明家の四国攻めは終わりを告げた。

 長宗我部元親、息子信親、そして長宗我部重臣が城外に出て、柴田本陣にやってきた。

「長宗我部元親にござる」

「柴田明家にござる」

「降伏の誓書をお持ちしました」

「これへ」

「はっ」

 元親自らが明家に寄り、膝を屈し誓書を差し出した。渡した後、改めて平伏する。四国の覇者である長宗我部元親には初めて味わうであろう屈辱。息子信親も平伏しているが、悔しさに拳を握り落涙する。重臣たちも降伏を説得したとはいえ、やはり目の前にある光景は無念極まりなかった。床几に座る明家に主君元親が平伏しているのである。誓書を読む明家に元親が言った。

「城の明け渡しに備え、ただいま城中の者が清掃中にござれば、暫時お待ちを」

「それには及びませぬ」

「は?」

「土佐と伊予は今までどおり長宗我部氏が統治されよ。柴田は阿波と讃岐をいただきまする」

「な、なんと!?」

「柴田に長宗我部が従ってくれるのならばそれで良いのです」

「ふざけるな!」

 元親嫡男、信親が立ち上がって怒鳴った。

「弥三郎控えい!」

「父上、これが黙っておられますか! いずれの国も我らが命がけで手に入れた土地! 何が悲しゅうて柴田に裁量されねばならないのですか!」

 敵陣の真っ只中で何と云う事を。長宗我部重臣たちは真っ青になった。伊予と土佐が残るだけでありがたいと思わなければならないのに。しかし明家は怒らず、静かに信親を見る。

「ほう、ではいらぬと言うのですかな?」

「高いところから見下ろしやがって! さぞかし敵に情けをかける自分が気持ちいいだろう!」

 その言葉に激怒した柴田家臣たちが刀に手をかけた。明家はそれを静かに制した。

「あっははは、良い息子を持たれましたな元親殿」

「は、はは!」

「信親殿、勇ましい限りだが、いささか短慮であるな。その一言で長宗我部の一族郎党が路頭に迷えばいかように責任を取られる?」

「……」

「お父上、元親殿の方が何倍も悔しいと思っているのです。それを分からず、思うがままに言いたい事を言うのは主君への忠、父上への孝にも反するとは思われぬのかな?」

 信親は反論できず、への字口で再び座った。そして

「申し訳ございませんでした父上」

 と、素直に謝った。

「儂ではなく大納言殿にお詫びをせぬか」

「……」

「聞こえないのか弥三郎!」

「いやいや良いのです元親殿」

「は…。申し訳ございませぬ」

 しかし何が幸いするか分からないもので、信親は先の夜襲における武勇と今の豪胆さで明家に大変気に入られる事となる。柴田軍は大坂へと引き返した。長宗我部元親も重臣と共に大坂城に向かい、改めて城主の間で柴田明家に降伏する事を述べ、明家は讃岐、阿波を長宗我部家から召し上げた。伊予と土佐の領有は認められたのだ。四国を制覇した元親の快進撃は終わり、今後は柴田家配下の一大名としての生き方が始まるのである。

 

 大坂に逗留し数日、元親と信親は大坂の地に与えられた長宗我部屋敷の建築予定地へと向かった。広いがまだ何の手付かず。雑草地帯であった。

「こんな不毛地帯を!」

「不平を言うでない弥三郎。上杉も蒲生も似たり寄ったりの土地を拝領したと聞くが…」

 遠めに見える大坂上杉屋敷を指した。

「ほれ、あんな立派な屋敷を建てているではないか」

「はあ…」

「我ら長曾我部も四国の田舎者と侮られぬ屋敷にせねばならん」

「はっ!」

 そして数日後に、元親と信親は大坂城の明家に召された。

「大坂屋敷の建築状況はいかがですか」

「はい、順調にございます」

「ところで信親殿」

「はい」

「御身の歳はいくつか?」

「はあ…十七になります」

「ふむ、ちょうど良かろう」

「は?」

「入るがいい」

「はい」

 城主の間に一人の美少女が入ってきた。思わず信親は見惚れる。少女は明家の傍らに座った。

「元親殿、手前の養女のお福にございます」

「そなたが」

「はい、お初にお目にかかります。義叔父上様」

 お福の父の斉藤利三と長宗我部元親の妻の白樫は兄妹である。お福にとって元親は義理の叔父と云う事になる。

「何とも見目麗しい…。亡き内蔵助殿にお見せしたきものよ」

 隣の信親はクチをポカンとあけて見惚れている。

「どうでござろう。手前の養女のお福、信親殿の妻にしていただけまいか?」

「そ、そ、それはまことにございますか!」

 お福と信親は従兄妹同士となるが、当時は珍しい事ではなかった。

「はい、亡き信長公同様に、それがしも信親殿を大変気に入りまして、思わず婿惚れいたしました。ぜひ娘の婿としたい」

「望外の計らい! 嬉しゅうございます!」

 お福はただの名目の養女ではなく、明家とさえに実の娘のように大切に育てられた。明家にとって目に入れても痛くない愛娘。それを妻に迎え入れられるのならば柴田政権での確固たる居場所を得たと同じである。

「ほれ弥三郎、そなたも礼を言わんか!」

 それどころではない。一目惚れした美少女が妻になってくれるその喜びに震えていた信親。

「生きていて良かった…。う、うう…」

「大げさなヤツじゃな…」

 感涙している息子に苦笑する元親。

「信親様…」

「は、はい!」

「お福を妻にしていただけますか?」

「も、もちろんにござる! 一生大切にいたしますぞ!」

 ニコリと笑う明家。明家には政略的な意図はなかった。信親の器を見ての事だった。四国から帰り、すぐにさえとお福に信親を婿にしたいと相談した。およそ人物の目利きでは戦国時代屈指と言われた明家。さえとお福は明家の慧眼を信じて了承した。

 後日談となるが、信親は気性の荒いところはあったが、父の元親同様に将器を備える武将だった。家臣や領民を慈しむ心を持ち、柴田の頼もしき味方となる。お福を妻にした事で長宗我部はこの後に外様の扱いは受けず、譜代同様に遇された。信親はお福を大切にし、側室も持たなかったと云う。単にお福が怖かったからと云う説もあるが…。

 

 居城の岡豊城に戻った元親は谷忠澄を呼んだ。忠澄はずっと主君に遠ざけられていた。結果二ヶ国の大名として生き残れたが、やはり頑強に降伏を主張したのが気に入らなかったのか、禄は大幅に削減され、大坂に同行及ばずと云う厳罰を受けていた。忠澄の家臣は『殿こそお家存続の功臣であるのに!』と怒ったが、忠澄はそれをなだめ、元親の仕打ちに耐えた。

 だが、大坂から帰った元親は忠澄を召した。忠澄は半ば斬られる覚悟を持っていたと云う。城主の間に入り、いつも元親がいる座を見ると元親がいない。

「…?」

「ここだ」

 元親は部屋から出て縁側に立っていた。

「桂浜の夕陽は見事だ。共に見ぬか?」

「はっ」

 忠澄も縁側に来た。桂浜の夕陽は美しい。

「のう…忠澄」

「はい」

「結果を見れば、そなたに感謝せねばならんな…」

「殿…」

「土佐と伊予だけとなったが、長宗我部家は生き残れた。柴田に滅ぼされずに済んだのだからな…」

「は…」

「倅の嫁に大納言殿の養女をもらう事ができた。大坂屋敷でもう仲良く暮らしておるわ」

「それは上々に」

「ふむ…。のう忠澄」

「はっ」

「天下はすでに定まった…。このうえは柴田の『歩の一文字』のもとで働き、武功を立てて行こう。そのためには忠澄、そなたの力が必要だ」

「身命賭して、お仕えいたします」

「フッ…。大納言には優れた将が綺羅星のごとくだが、儂にもそなたがいる。息子の信親もいる。長宗我部はまだ終わらぬ。戦のない世を作るため、土佐のいごっそうが力を見せるのはこれからじゃ!」

「はっ!」



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毛利従属

 四国攻めの論功行賞が実施された。高崎家が一時的に預かっていた淡路島は柴田家の天領となり、柴田家の新たな領地となった讃岐と阿波には功臣たちに武功に応じて分配された。四国上陸の際、大いに働いた高崎吉兼と星野重鉄も領地を与えられた。特に二人は重要な地を与えられた。その拝領の時だ。

「高崎主計頭吉兼」

「はっ」

「阿波徳島の地五万石を与える。また築城も許可する」

「は!」

 感涙咽ぶ吉兼。一時は農民にまでなった家が城持ち大名となった。淡路島は四国攻めのための布石であり、彼は城代として預かっていたに過ぎない。しかし重要な前線拠点。そこを守り、かつ柴田本隊を無事に讃岐に上陸させた手柄は大きい。続いて阿波で前田勢を無事に上陸させた星野重鉄も加増の沙汰が伝えられた。

「星野匠之頭重鉄」

「ははっ」

「讃岐亀山砦の地五万石を与える。砦は破却し、新たな平城(後の丸亀城)を築城せよ」

「は、ははーッ!」

「四国攻めで当家に味方についた讃岐と阿波の者たちを優遇するようにな。五万石ずつ与えたのはそのためだ」

「「ははっ!」」

 ちなみにこの頃、彼らの父親も明家の相談役として召抱えられていた。養父隆家の両腕だった高崎太郎と星野大介。老境であるが、そのシワとシワの間には養父と苦楽を共にしただけの智慧と経験があった。それを明家に伝えるために相談役となったが…。

「なお、そなたらの父だが相談役の任を解いた」

「「え、ええ!」」

 高崎吉兼は明家に詰め寄る。

「父に何か落ち度でも!?」

「違う違う、太郎と大介双方の要望だ。これからは息子に仕えたいと言うのだ」

「父上が…」

「そうだ匠之頭、しかし父親顔する気はないらしいぞ。あくまで息子の補佐をしたいと言っておられた」

「そうですか…」

「主計頭、匠之頭」

「「ははっ」」

「そなたらの父は我が師でもある。孝行してくれ」

「「承知しました」」

 

 長宗我部氏を完全に制圧した柴田軍。いよいよ次は毛利だと士気が高まる。しかし明家は動かなかった。すでに毛利家の外交僧である安国寺恵瓊が柴田明家と家臣団と接触しており、毛利は敵対するつもりはないと言ってきている。織田信長や羽柴秀吉とも毛利の外交僧として弁舌を振るっただけあり、恵瓊の知識の豊富さ、弁舌の冴えは明家も恐縮するほどで、そして羽柴時代から恵瓊と繋がりのあった黒田官兵衛が柴田側の代表として従属についての折り合いなどを話していた。

「実は殿の叔父御の吉川元春殿が柴田との和睦を拒絶しておりましてな…」

「あの御仁か…」

 元の主家、播磨小寺家を織田に付かせるか毛利につかせるかで、当時小寺姓を名乗っていた黒田官兵衛は織田家の内実は無論、毛利家の内実も詳しく調べていた。吉川元春の勇猛さは知っている。智勇備えた一級の将帥である。

「しかし輝元殿や隆景殿は…」

 官兵衛の言葉に頷く恵瓊。

「いかにも、柴田と和を結びたいとお考えでございます」

「待ちますゆえ、安国寺殿に引き続き尽力していただきとうございます。毛利従属のあかつきには主君大納言に申し上げ、安国寺殿に手厚き褒賞を要望いたしますゆえ」

「任されたし出羽守(官兵衛)殿」

 

 このように、毛利より従属を申し出る使者は来ているが騙まし討ちが当然の乱世。明家は毛利両川の吉川元春と小早川隆景の内偵をさせている。いつでも毛利と戦える準備は進めていた。すでに毛利氏領国の地形図などもだいぶ出来てきた。

 長宗我部と違い、領国に長く君臨している毛利氏。戦闘状態に入った場合、支城や砦の調略は無理だろう。四国では統一したての脆さを突いて調略が進み、地侍などの協力も得られたが今度はそれがない。何より地理の把握は大切である。この時点で明家は重臣たちに交渉決裂に備え、すでに進軍経路や各将の配置なども指示済みであったと言われている。時間が経てば経つほどに柴田家には毛利を討つ準備が整う。決裂であろうが従属であろうが、答えは早く出さなければならない。

 

 毛利氏は現当主輝元の祖父、元就の時代に勢力を拡大し、宿敵の大内氏と尼子氏を破り中国地方の覇者となった。元就は『人智を超えた謀将』と名高く、厳島の合戦では三万の陶晴賢の軍勢をわずか四千で討ち破った。

 その元就の子が『三本の矢』の故事で有名な長男隆元、次男元春、三男隆景である。現当主輝元は、すでに亡くなっている長男隆元の子である。

 その毛利家。当主輝元の前で毛利両川の吉川元春と小早川隆景が激しく意見をぶつける。

「隆景、そなた羽柴だけでなく柴田にまで尻尾をふると云うのか!」

「では兄者は我ら毛利が柴田に勝てる妙案でもおありか?」

 あの羽柴秀吉の備中高松城の水攻め。毛利軍は当主輝元をはじめ、元春も隆景も高松城主の清水宗治を助けるべく援軍に向かった。しかし秀吉の水攻めによって積極的な援軍行動に出る事ができず、また秀吉も毛利援軍と戦う事で被害が拡大する事を恐れたために戦線は双方動けない睨み合いとなる。

 そんな状態が続いている中、織田信長が明智光秀の謀反で死んだ。その知らせを聞いた秀吉は毛利の外交僧である安国寺恵瓊を通じて毛利家と和睦し、本能寺の変を毛利側に知らせずに備中から撤退を開始。中国大返しである。羽柴勢の撤退後に信長の死を知った毛利軍は『筑前に騙された』と激怒。吉川元春とその息子元長は“大至急に羽柴軍を追撃して討ち破るべきだ”と主張。しかし弟の小早川隆景が“盟約を交わした誓紙の血が乾かぬうちに追撃するのは不義であり、信長の死に乗ずるのは不祥である”と反対し、毛利が秀吉を追撃する事はなかった。

 ここで秀吉が明智光秀を討ち、織田の版図の継承者になれば毛利氏、そして小早川家も秀吉に丁重に遇されただろう。しかしそうはならなかった。北陸にとんでもない男がいた。水沢隆広である。彼は主君勝家を説得し、せっかく上杉との戦いで得た越中と能登二ヶ国を放棄して大返しをし、瀬田の地で明智勢を撃破。そしてその後の賤ヶ岳の戦いでは羽柴勢を木っ端微塵にした。あれほど自分たちが手を焼いた羽柴秀吉を完膚なきに討ち破った男。その男がいよいよ毛利に目を向けてきた。

 兵力差、軍事物資の豊富さは比較にならない。しかも総大将は上杉謙信すら寡兵で退け、明智光秀、羽柴秀吉を倒した男。柴田明家は日本最大勢力の大名となり天下に手が差し掛かっている今も、自分を厳しく律し、ぜいたくはせず酒色にも溺れない。武技の修行も欠かさず、学問の研鑽に余念がないと云う。王者の驕りがある者なら手の打ちようがあるが、柴田当主はそんな三流の男ではなかった。これに羽柴秀吉の軍師の黒田官兵衛がついている。宇喜多も長宗我部も柴田に従属した以上は敵として来襲する。もうこの戦局では毛利はどうしようもないと思う隆景。それに真っ向から反対する吉川元春。

「父の元就は、四面を大内や尼子と云った巨大勢力に囲まれながら、それを倒して中国を統一した! その子の我らが柴田と一戦も交えずに軍門に降れば、我らは父の元就にどのツラ下げてあの世でまみえると言うのか!」

「さにあらず。父の元就は東を望まずに守成に務めよと我らに言い残された。もはや畿内全土を掌握し、宇喜多も長宗我部も臣従させ、朝廷さえも味方につけている大納言。当家は朝廷より朝臣の称号も得ている家。このうえは大納言に組して毛利の安泰を図る事こそ父の遺言に叶う事にございます」

「組するだと! それでは父の元就が堪忍に堪忍を重ねて勝ち取った地をあんな若僧にくれてやれと云うのか!」

「領地を渡すなど申しておりませぬ。毛利は現状のままで柴田に組するのでございます」

「腑抜けが! たとえ一反の領地が減らずとも膝を屈し頭を下げる事に変わりは無いわ。この吉川元春が戦わずして頭を下げるか!」

「ならば勝手になされよ。それがしは三原(隆景居城)にいて、兄者が敗れた後、和に奔走いたします」

 もはや何を言ってもムダ。そう思った隆景は席を立った。

「叔父上!」

「捨て置け輝元!」

「し、しかし叔父上…。隆景叔父は毛利の軍師に…」

「何が軍師じゃ! 毛利を滅ぼすための軍師じゃあやつは!」

「……」

 

 その夜、輝元は安国寺恵瓊を呼んだ。

「困りましたな…元春様と隆景様の不仲は…」

 頭を抱えながら輝元は答える。

「…柴田と戦うどころではない。毛利が割れる」

「断じてそれは避けなければ…お二人は毛利家の両川…」

「大納言は若いが…あの智謀は祖父の元就に匹敵する。それに黒田官兵衛がついているのでは手におえぬ。今ごろ毛利両川をますます分断させる調略を水面下で進めているやもしれぬ。毛利同士で潰しあいをさせて、弱ったところを食う算段でもしているかと思うと夜も眠れぬのじゃ恵瓊…」

「吉川元春様は瞬敏かつ剛毅にて果断、武人になるために生まれてきた方、一方、小早川隆景様は温和で思慮分別に富み、軽々しく兵を動かさない智将でございますれば…反りが合わぬ事も…」

「ふむ…」

「それに瀬戸内の海に面した領国の小早川は商人などの人の出入りが頻繁で天下の情勢も細かく知りえる事も多いでしょうが、吉川の領国は安芸の山の中…。よって天下の情勢はあまり入っては来ますまい。やはりそんなところからも…お二人の意見に違いが出るのでございましょう」

「その通りじゃ。叔父二人が毛利を思う心に深浅はないのだが、どうもいかん。そこで恵瓊、そちに頼みがある」

「はっ」

「祖父元就、三本の矢の戒め、それを束ねる事のできぬ我が身の不徳じゃ。恵瓊頼む。両叔父の仲を何とか取り持ってくれ」

「承知しました。その前に殿…」

「ん?」

「柴田と戦うつもりにございますか?」

「いや…。その気はない。儂が願うのはお家と領地の安泰、大納言は敵対するに強大すぎる。残念じゃが毛利は大納言に勝てぬ。いかに隆景叔父の智、元春叔父の武があろうとも…毛利は勝てん」

「では…従属と?」

「そうじゃ。領地一反も渡さずにそれを成したい。柴田は四国への渡海のおり、村上水軍に正規の通行料を支払っている。大納言としても毛利と死力を尽くして戦うのは得策ではないと考えているのやもしれん。祖父元就は守成を尊べと申した。柴田明家が天下人となり、この世から戦をなくし、そしてこの毛利の領地が安泰ならば、それでいいのじゃ」

 毛利家は元就の遺言の意向により、天下統一を目指さない方針になっていたのである。

「承知いたしました。それがしもそのつもりで動きましょう」

「頼むぞ恵瓊」

 当主輝元には外敵の柴田家より、叔父二人の不仲の方が頭痛の種だった。父の元就の存命中は仲の良い兄弟であったのに、今では柴田勝家と羽柴秀吉のごとくの不仲である。輝元が元春を立てれば隆景が立たず、逆も然り。輝元には祖父元就の遺訓『三本の矢』を果たせず頭を抱える日々である。智将の隆景も兄との不和は毛利家にとって災いにしかならぬと知っていても、こればかりは人の感情の業ゆえどうしようもない。

 今回、叔父二人と自分だけで用談をしたのも、輝元が『叔父御たちの不仲を知れば、柴田は必ずそれにつけ込みますぞ』と、どうにか私情を捨てて昔のように手を取り合って毛利を支えてほしいと要望するためであった。しかし結果は決裂。柴田とどう対するかと用談を始め、元春と隆景の意見が衝突し元の木阿弥となった。

“東を望むな、守成に努めよ”

 毛利元就が子と孫に残した言葉だった。以来輝元はそれを守り、叔父二人の補佐を得て今日にある。しかしその方針は勇猛である吉川元春には不服であったのかもしれない。父の元就と共に小国から身を興し近隣諸国に攻め入った元春。領国でただ政務だけしているのは彼の体に流れる武の血潮が耐えられなかったのかもしれない。徐々に甥と弟と意見の食い違いが生じ、羽柴勢の侵攻に伴い弟の隆景と決裂し今に至る。安国寺恵瓊は

“これでは柴田と戦うどころではない…。毛利は内乱となってしまう…”

 と危惧した。兄弟だからこそ始末に終えない不仲。輝元の頭痛もよく分かる。恵瓊は何とかその懸念を払拭したく吉川元春と小早川隆景の居城に訪れた。

 

 安国寺恵瓊、大内義隆に滅ぼされた安芸守護の武田光広の遺児と伝えられる。安芸武田氏滅亡により同国安国寺に逃れ、竺雲恵心の弟子となり後に安芸安国寺の住職となった。師事した恵心が外交僧であった事から毛利輝元と深い交わりを結び、毛利氏に属する外交僧となったのだった。

 将軍の足利義昭の命令で、毛利輝元が足利義昭と織田信長との和睦を斡旋した時に恵瓊は上京して織田信長と羽柴秀吉と対面したが、この後に彼は信長と秀吉両名のその後の運命を予言したと云う。

『織田信長の勢力は五年か三年は続きましょう。来年あたりは朝廷の要職にも就くのではないでしょうか。そしてその後、高転びに仰向けにひっくり返ってしまうように見えます。羽柴筑前殿は中々の人物であります』

 このように織田信長の最期を予言していた。羽柴秀吉への評価もさすがの眼力と云うところであるが羽柴秀吉はすでに死に、予想だにしていなかった男、柴田明家が畿内の覇者となった。

 

 主君輝元は柴田家と戦うつもりはない。そして何より家中の融和を求めている。たとえ柴田と交戦に至らずとも毛利両川が不仲のままでは毛利は外敵と戦うより内側から滅ぶ。その輝元の意思を述べに恵瓊は吉川元春居城の日野山城を訪れた。元春は恵瓊と会った。しかし元春は頑なだった。

「兄の隆元に合わせる顔がないわ。戦わずして従属など」

「しかし戦い、厳島の陶、賎ヶ岳の羽柴のような立ち直れぬほどの大敗をすれば中国すべて柴田に取られてしまいますぞ。ここは従属して毛利家の安泰を図る事こそが肝要と存じます」

「ただ家の安泰のみを考え、弓矢に出ぬのは武士にあらず。こんな事を申してもそなたには無駄であろうがの」

「元春殿…」

「儂は戦う。長宗我部は柴田と戦った。毛利は長宗我部以上の勢力を持つ大名と云うに何の抵抗もせずに降伏してみよ。柴田は毛利を軽く見る。勝ち負けではなく、戦うしかないのだ。長宗我部は結果敗れたが二ヶ国は安堵され、家は存続した。柴田でなく羽柴であったなら秀吉は毛利と何度も戦っているゆえ従属しても毛利を重く見ようし、厚遇もしただろう。

 しかし柴田と我らは戦っておらん。それであっさり従属したらどうなる? 大納言は逆に毛利の腰抜けぶりに驚くのではないか? 大納言が毛利を侮るのは必定だ。まず力を見せてもらう。こちらも見せる。毛利武士道を見せねばならぬのだ。従属うんぬんはその後でも遅くない」

「さりとて秀吉のように木っ端微塵にされれば元も子も…。元春殿が引き合いに出した長宗我部元親とて百戦錬磨の猛将。それが讃岐と阿波を一月も持たずに奪われたのですぞ。徐々に領地が侵食されていく事は明白にございます」

「そんな大敗をしないために毛利両川がいる。儂と隆景の不仲を輝元が危惧するのは分かる。公私は分けるゆえ心配するなと伝えよ」

 吉川元春はそれ以上を語らなかった。次に恵瓊は小早川隆景の居城三原城を訪れた。隆景は恵瓊と会った。元々恵瓊と隆景は親密であるからだ。そして元春の言葉を伝えた。

「…まあ中座した儂も大人気なかったと反省はしている。兄者の言うように公私の筋目は通すつもりではいる」

「はっ」

「しかしそうか…。兄者はかような事を」

「はっ、従属するとしても一度は戦って毛利武士道を見せねばならぬと。柴田明家は毛利と戦った事がない。それで従属すれば柴田は毛利を侮るは必定と」

「一理ある。だが毛利がどれほどの艱難辛苦と戦を経て今にあるのか。そんな事は大納言ほどの者なら承知のはず」

「そのとおり、柴田の武威に恐れをなしての従属ではなく、あくまでこの世から戦を無くすための仕儀。大納言と戦ったとしても長宗我部と同じく、どんどん領地は削り取られ、果ては一国か二国を安堵されるがせいぜいでござろう」

「孫子いわく、最上の策は戦わぬ事、味方につける事。兄者の道理も分からぬでもないが毛利は大納言と戦わぬ」

「御意」

「恵瓊殿」

「はっ」

「輝元に伝えよ。近日中に儂と大坂へ向かうようにと」

「承知しました。元春様は…」

「当主が柴田に従属を申し出るのに出陣太鼓もあるまい。おそらくは輝元や儂、そして大納言とも会おうとせず隠居しよう。気の毒じゃが毛利のためじゃ」

「仰せのままに」

 

 恵瓊は輝元に隆景の意思を伝えた。輝元は了承。ついに毛利の柴田従属がここに決まった。吉川元春はこの決定に甚だ不満であったが

“それが毛利当主の決定なら仕方あるまい。儂は隠居する”

 と述べて、嫡男の元長に家督を継がせて隠居してしまった。新たな吉川家当主となった元長は輝元と隆景の決定に不満を覚えつつも、父の元春が述べたように、これは毛利当主の決定。従わなくてはならない。輝元の大坂行きには小早川隆景、吉川元長、その弟の吉川広家、そして安国寺恵瓊が随伴。

 輝元一行は大坂に到着して、まず大坂城の壮大さに驚き、そして城下町の繁栄に息を飲んだ。

「これはすごい…。叔父上あれは…」

「あれが噂に聞く辰匠館であろう。柴田の子弟を一流の指導者の元に教育していると聞いている」

「ううむ…。毛利も導入したい仕組みにござる。人材の育成は国家百年の大計じゃ」

 唸る毛利輝元。吉川元長が違う建物に気付いた。

「源蔵館…これが診療所? 平城のような大きさではないか」

 隆景が答える。

「おそらく医療制度が一番進んでいるのは、この大坂と安土であろうな。南蛮の宣教師さえも世界一の医術と褒め称えたと言うぞ」

「南蛮の宣教師さえもが…」

 安国寺恵瓊が添えた。

「そして隣の建物が『心療館』。柴田の家臣や家族、そして領民の心の病を受け付ける相談所にございます」

「そんな施設聞いた事がないぞ」

 驚く吉川広家。

「愚僧もございませぬ。戦続きだと人の心は病んで行きまする。生還しても戦場の悲惨さが忘れられず心身に支障をきたし、やがては自害する者は毛利の将兵にも多々おりました。毛利も含め今までどこの大名もそんな者は腰抜けと決めて救いの手を差し伸ばしませなんだが、大納言は救おうとしております。心の病に陥った家臣と家族、そして領民も蘇らせ、かつ一層の誠忠を得られる。見事な政策にございます」

 良いものは良い。安国寺恵瓊は明家の政策を認めて讃えた。隆景も頷き、

「輝元、元長、そして広家、柴田のしている事とは云え、良いところを真似るのは恥ではない。学ぶべきところは学ぶべきだ。覚えておくのだぞ」

 と、若い者たちに諭した。

「「ははっ!」」

「見よ、診療所にいる者たち。百姓や町人もいる。柴田家は貧しい者にも平等に診療を受けられる仕組みを作った。診療代の八割は柴田家が負担するらしいからな」

「そ、そんな事をして国が破綻しないのですか?」

 と、吉川元長。

「しないのであろうな…。そしてそんな仕組みを作れば民の支持は計りしれん。いざとなれば民も殿様のためにと立ち上がろうと思うだろう。やはり柴田明家は恐ろしい」

(これが…柴田明家の力。港にあるあの軍船の多さはどうか。当家の水軍と村上水軍の軍船を足してもかなわぬ)

 城下町は活気にあふれ、老若男女が笑顔で歩いている。

(乞食も見当たらず…城下町は清潔そのもの。それにしてもこの人の多さと活気はどうじゃ。かよわい女たちが笑って歩いているのは治安の良い証し。吉田郡山城(毛利輝元居城)など比較にならん)

「そこのお侍さん!」

 商家の店頭にいる娘に呼び止められた。

「儂らの事か?」

 吉川広家が自分に指差し娘に聞いた。

「はい、旅の方でしょ?」

「いや、我らは…」

 広家の肩を掴んで隆景が娘に答えた。

「そのとおり、いやあ大きな町なので驚いておりました。それで我らに何か」

「はい、さっき焼きあがったばかりのカステーラです。お一つどうですか?」

「それがカステーラか…」

 隆景は一つ口に入れた。供の者が『毒見も無しで!』と云うより早かった。

「これは美味い!」

「でしょ? 故郷の奥方やお子さんにどうですか? 物持ちも良いですから痛みませんよ!」

「もらおう。おう、そこの箱ごといただこう!」

「毎度ありぃ!」

 たくさんのカステーラを満足げに持つ隆景。

「殿、軽率ですぞ大納言の膝元で毒見もなしに食べ物をクチに入れるなど!」

 家臣に諌められた隆景。

「あっははは、まあ良いではないか。あんまり美味かったからな」

 このカステーラ一つ見ても、柴田明家が日本一の商業都市を掌握している事が分かる。

(この文化、商業の発展、それはそのまま大納言の財、そして力。城下町一つ見ても圧倒される。大したものじゃ…)

「では殿(輝元)、そろそろ大坂城に参りましょう」

「よし、では参るぞ」

「「ははっ」」

 

 明家は大坂城の天守閣で海を見ていた。奏者番の大野治長が駆けて来た。

「殿、毛利一行が参られた由」

「うむ、丁重にお通し申せ」

「いよいよですな殿」

「そうですな出羽守(官兵衛)。毛利が味方につく」

 ゆっくりと明家は城主の座に腰を下ろした。毛利輝元一行が本日来る事はすでに柴田重臣知っている。その場には奥村助右衛門、石田三成、大谷吉継、前田利家、佐々成政、可児才蔵らが列席し、義弟の真田幸村、京極高次、不破光重、友好大名から大坂に出向していた島左近、蒲生郷成が同席していた。

「こんな日が来るとは…。子供の頃に養父隆家に聞いた『毛利元就、三本の矢』の話。胸をときめかせて聞いたものだ」

「御意」

「そういえば出羽守の息子長政の幼名は松寿丸、かの元就公の幼名と同じ。あやかったのですか?」

「仰せの通りです。元就公は幼少のみぎり、家臣と共に厳島神社に参拝し、帰る時に家臣に『そなたはどんな願い事をしたか』と訊ね、家臣が『若殿が安芸の立派な殿様になれるようにお祈りしました』と答えました。元就公はそれを聞き『なぜ天下の殿様になれと願わぬ。人の一生は短い。棒ほど願って針ほどしか叶わぬものを、安芸の殿様だけを願っていて叶うと思うのか』と家臣を怒鳴りちらしたそうにございます」

「それは…初めて聞きましたな。それで?」

「はい、家臣は慌てて『願いなおしてきます』と境内に戻ったとか。当時の元就公の所領は安芸の猿掛城一つで毛利の分家。安芸の殿様だけでも家臣の願い事は壮大と言えるものでした。しかし元就公は幼少のうちすでに大身になる事を目指していたようにございます。それをあやかるために長政に元就公と同じ幼名をつけましてございます」

「なるほど…。俺も生まれる子は『松寿丸』にしようかなあ。あっははは」

 と、真田幸村。妻の茶々が先日に懐妊していた。

「しかしさすがは播磨の出の黒田殿、元就公の幼少の話などよく存じてますな」

 島左近が顎鬚を撫でながら言った。

「色々と元就公から勉強いたしましたゆえ、おのずと」

 そうこう話しているうちに…。

 

「毛利輝元殿、お越しにございます!」

「お通しせよ!」

 毛利輝元、小早川隆景、吉川元長、吉川広家、安国寺恵瓊が大坂城城主の間にやってきた。

「毛利輝元にございます」

「柴田明家にございます」

 輝元は明家を見た。なるほど聞いたとおり美男。虫も殺さぬ男に見える。背はここにいる毛利の者すべてより小さく細い。とても上杉謙信を寡兵で退け、羽柴秀吉を木っ端微塵にした男とは思えない。だがそこにこそ柴田明家の恐ろしさがあるのだろうと輝元は感じた。

 一通り、従属についての条件を評議していく。事前に安国寺恵瓊を経て取り決められていたので、円滑に進んだ。小早川隆景と安国寺恵瓊のたくみな外交手腕によって、毛利は一反の譲渡もなく柴田への従属が決まった。

「輝元殿、もう耳に入っていましょうが肥前の竜造寺、豊後の大友家が柴田への従属を条件に、島津との戦いに援軍を当家に要請しております」

「伺っております」

「当家はそれを九州遠征の大義名分とします。毛利にも参戦を要請したいのですが」

「承知しました」

「大納言殿」

「はい」

「吉川広家にございます」

「柴田明家にございます」

「後学のため、お伺いしてよろしいか?」

「これ広家!」

 輝元が叱責するが、

「かまいません輝元殿、広家殿なんでござろう」

 と、明家が制したので広家は続けた。

「大納言殿の兵は精強、その強さの秘訣は何でございましょう?」

「それは当家の兵を統括する奥村弾正と前田中務、そして軍師の黒田出羽にお聞き下さい」

「大納言殿が畿内を統治してから一揆が一度も起きていないとか。その民心掌握の秘訣は何でございましょう?」

「それは当家の政務を担当している石田治部や大野修理にお聞き下さい」

「城下町の繁栄は見事につきます。あそこまでの繁栄、そして治安維持の秘訣は?」

「それは当家の商人司の吉村備中、そして治安奉行の前田民部にお聞き下さい」

「朝廷の繋がりが密接な柴田家、どうしてそこまでの信頼関係を築けたのでしょうか?」

「それはそれがしの相談役の細川幽斎か京都奉行の高橋右衛門少にお聞き下さい」

 広家はだんだん腹が立ってきた。馬鹿にされているのかと思ったからだ。

「では大納言殿は何をしていなさるのですか?」

 不快そうに広家を見た柴田家臣たち。だが明家は笑ってこう答えた。

「その彼らを使っております。それがしは彼らの才を見て場所を与え、存分に力を発揮できるように取り計らっています」

 この答えに吉川広家も一言もなかった。小早川隆景は苦笑した。そしてこの広家との問答から悟った。柴田大納言明家は『将の将たる器』と。そして毛利から一人の童子が人質に出された。輝元の養嗣子である宮松丸(後の毛利秀元)である。

 

 こんな話が残っている。他家からの人質は大切に遇し、一流の教育を受けさせるのが柴田の方針。宮松丸は毛利家中でも神童と云われていたが、柴田の学問所の辰匠館でも飛び級するほどの天才だった。明家嫡子の竜之介は遠く及ばない。知識だけではなく武士としての物腰態度、そして武芸の腕前も大人顔負けである。何もかも竜之介は宮松丸に及ばない。宮松丸についている家臣が小早川隆景に危惧を相談した。

『かつて織田信長は同盟相手の徳川家康嫡子信康の器量を恐れ、父の家康に武田との密約の疑いありと疑いをかけて、ついには死に至らしめました。宮松丸様と柴田の若君は同年。信康と同じ運命が宮松丸様に振りかかっては毛利の一大事。人質を変えるべきと存ずる』

 すると隆景は笑い出し、

『そんな事をするヤツならば大した事はないわ。我ら毛利の敵ではない。即座に滅ぼしてくれる』

 と、退けた。事実、明家は宮松丸の才能を褒め、さらに昇華させるべく一流の師をつけた。やがて秀元は立派な毛利の大将と成長し、後に明家の娘を妻に娶る事となる。

 

 毛利が恭順した事から、その庇護を受けていた室町幕府最後の将軍、足利義昭が大坂城で柴田明家と謁見した。初対面である。最初明家は下座に位置したが、義昭は上座に座りなされと促す。固辞する明家に

「もはや私は一人の民に過ぎませぬ」

 と上座を譲った。巧みな書状作戦で信長包囲網を築いて織田信長に立ち向かった義昭だが齢を重ねて虚栄の心が失せたか。柴田明家は信長と義昭の戦い以後に柴田家に仕えた者。義昭個人に明家への怨みもなかったのだろう。

「歴史の可能性かくのごとし…。よもや織田の陪臣であった大納言殿が天下人になろうとはの」

「まだ天下人ではございませぬ」

「いやいや、毛利と長宗我部が降った今、あの魔王信長よりも版図をお持ちになられた貴公。もはや時間の問題にございましょう」

「義昭様に会ったら一度お訊ねしたかったのですが…」

「何ですかな?」

「信長公を討った日向(光秀)殿を影で糸引いていたのは…」

 微笑を浮かべ義昭は首を振った。

「あの頃の光秀は私の言う事を聞いてくれる男ではなくなっておりました。聞けば朝廷が黒幕などと云う説が跋扈しているようですが、それも違いまする。光秀は自分で考え決断し、信長を討ったのでございましょう」

「そうですか…」

「大納言殿は今まで倒した武田、羽柴、明智の遺臣や家族を大切にし、そしてお味方にしたと伺っています」

「はい」

「僭越ながら、そのお気持ち、たとえ天下の覇者となってもお持ち続けられるが良いと存ずる。私は信長が怖かった。恐ろしい鬼と思った。だから殺そうと思った。叛旗を翻した荒木、松永、そして光秀も同じでござろう。だから敵を作りすぎた挙句味方に殺された。信長の良いところは真似、悪いところは教訓とし、大納言殿がよき君主となりこの国から戦を無くしてくれる事だけが、せめて先の時代の武家棟梁が望み」

「上様…」

 明家の横にいた細川幽斎。かつての主君の言葉を感慨深く聞いた。そして明家も。

「藤孝、いや今は幽斎であったな。今後も大納言殿を支えてやれ。旧足利家臣のそなたに私が望むのはそれだけだ」

「お言葉、しかと!」

「うむ…。では私はこれで」

「はい、お体にお気をつけて」

 義昭は明家に頭を垂れて城主の間から出て行った。

「元々…あのように温和な方だったのです。しかし信長公を恐れるあまり義昭様は狡猾な謀をせざるを得なかった…。ご自分の代で足利幕府が潰れる事にがまんならなかった。だから信長公と戦うしかなかった。人は相手の出方でどうとでも変わるものにございますな…」

 と、細川幽斎。

「幽斎殿」

「はっ」

「義昭様へ良いお屋敷を用意してあげて下され。侍女も家臣もつけて、生活に不自由なきよう取り計らってほしい」

「承知いたしました」

 足利義昭はしばらくして柴田明家の相談役ともなっている。かつて信長は『阿呆公方』と義昭を評したが、それは誤りである事を明家は感じた。出家して道休と名乗り、かつての家臣の細川幽斎と共に明家の良き相談相手となったと云う。

 息子の義在に足利家を継がせて再興しては、と明家は提案したが道休は拒否している。もう過去の栄華はいらないと丁重に断った。息子の義在は足利姓を捨てて永山姓を名乗り、柴田勝明に仕える事となる。

 道休もまた、相談役と云う務めで明家を支え天寿をまっとうした。前半生は信長に翻弄された、まさに『阿呆公方』と語られる彼であるが、後半生は柴田明家を支えた一人の名僧として語られていくのである。



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九州遠征

 大友家と長年争っていた中国の雄、大内義隆が家臣の陶晴賢の謀反で自害し、この陶晴賢の要請で大友宗麟の弟の晴英が大内氏を継いだため、宗麟は大内の旧領である豊前と筑前の国を取り込み制圧する事に成功した。

 同年にはイエズス会のザビエルを府内城に招き、布教を許可した。翌年には毛利元就が旧大内領奪取を目論み、豊前に進出。北九州は大友と毛利両軍争奪の地となった。

 陶晴賢を厳島で破り、勢いを得た毛利元就であったが、それに立ちはだかった大友軍も高橋紹雲や立花道雪ら名将がおり、博多の地で毛利と決戦におよび、そして退けた。毛利家は九州から撤退。大友宗麟は豊後、豊前、筑後、筑前、肥後、肥前、日向を領する強大な戦国大名となった。この時期が大友氏最盛期と云える。また海外貿易の拠点、博多を支配した事は大きい。朝鮮貿易を行い巨万の富を得ている。

 

 一方、九州の南では島津家と伊東家が合戦を繰り広げていたが、島津義久に敗れた伊東義祐は縁戚である大友宗麟の元に身を寄せた。大友宗麟はこれを大義名分として、島津氏との決戦に挑むが、四万五千の大軍を率いて南下したものの、耳川の合戦にて大友軍の半数の兵力しか擁していなかった島津軍に大敗した。

 大友宗麟はこの年、キリシタンに帰依していた。領内にキリシタンの理想郷を建設する計画に没頭し、戦場のはるか後方でイエスに祈りを捧げている有様だった。これではいかに名将である高橋紹雲、立花道雪でもどうしようもなかった。将兵の士気は無きも同じであったからである。

 国を追われた敗者への大義の戦を起こしながら、理想や宗教に熱中しすぎ、肝心要の家臣たちへの恩賞を渋る宗麟。思いやりのない乱暴な性格で、家臣の諫言には耳を貸さない男と伝えられており、あげく美貌で知られた家臣の一万田親実の妻に横恋慕し、親実を殺したうえ妻を略奪するなど暴挙も行っている。宗教をめぐり正室を追い出し、酒色に溺れるなど暗愚な君主と云う面もあり、それが家臣や一族の反乱を引き起こした。

 徐々に衰運の一途を辿る大友家、宗麟の身から出たサビにより家臣団の結束は弱く、離反者と反乱が続出。この隙に乗じた島津氏が薩摩を出陣。一気に北上を開始した。島津の進攻は、もう止めようがなかった。本国豊後を奪われ、ついに上洛して柴田明家に従属を条件に援軍を求めた。これが柴田明家の九州遠征の大義名分となったのである。

 

 話は柴田明家が父の勝家より家督を譲られたころに戻る。細川幽斎の進言により、遠方の大名には『徳川と北条も柴田家に組した』と云う誇張極まりない文を送った。奥州では秋田家、九州では大友家と竜造寺家がまんまと騙されてしまった。大友家は立花道雪、竜造寺家では鍋島直茂が大急ぎで使者として大坂に向かい、友好の約となった。その後にまんまと騙されたと知るが、日本最大勢力大名である事は変わらないので、そのまま友好大名となった。

 それからしばらくして、柴田明家は紀州を攻めて勝利。尾張犬山の戦いで徳川家康・織田信雄を倒し、畿内を完全に柴田統治とし、基盤を固め、そして宇喜多氏と長宗我部氏と従属させた。さあ毛利と云うとき、大友家から使者が来た。大友宗麟自らやってきたのである。島津の北上に、もう手が負えない。友好ではなく完全に従属するから助けて欲しいと云うのである。

 

 だが最初明家は快諾しなかった。大友家と友好の約を果たしていても明家自身は内心宗麟を軽蔑していたからである。宗麟は民に無慈悲な君主であった。民にキリスト教への改宗を無理強いし、かつ神社仏閣まで破壊してしまった。家臣も大事にしない。あげく家臣の妻に横恋慕し、その家臣を殺して略奪する経緯を持つような男と会いたくないと、明家は宗麟と会おうとしなかった。友好大名は無論、日本全国の主なる大名の情報は調べさせていた明家。宗麟の人となりを聞き、明家は不愉快極まる顔を浮かべ

『材木には使える箇所、使えない箇所があり、名工は使える箇所だけ用いて良き仕事をする。しかし大友宗麟と云う材木には使える箇所が一点たりともない』

 これは報告の仕方が悪かったのか、それとも明家が感情的になったのかは不明であるが、いずれにしても彼にしては珍しく感情が先立った宗麟評である。

 宗麟は再起が困難となる大敗を二度もしているため戦略家としては柴田明家の足元にも及ばないかもしれないが外交手腕では、その明家顔負けの手腕を示している。もはや名ばかりの室町幕府の権威を利用し、膨大な上納金を差し出し、守護職および九州探題職と云う名義を得て大友家が九州を支配する正当性を内外に示している。さらには時の天下人である織田信長と友誼を結び、それを強力な後ろ盾として一時ではあるが島津家と和睦するなど外交手腕は優れていたのだ。

 また明家に先立ち、南蛮の医療技術を取り入れた病院も建立していた。けして暴虐の君主と云う顔だけではなかったのである。

 

 しかしながら養父隆家より『女子は国の根本、慈しみ大切にし、守るのが武士の道』と幼いころから教えられていた明家。今でもその理念は強い。もはや彼の信条ともなっている。

 色狂いとも云われる宗麟は、女漁りのため京都にまで出向き京美女を見つけ、そして気に入った女がいれば、たとえ人妻でも平気で略奪する事を繰り返していた。加えて家臣を殺したうえ、その妻を略奪した男は軽蔑してあまりあるものだった。しかも一度や二度じゃない。一万田親実の妻を略奪した時はさすがに内乱に至ったが、その前にも何度も家臣から美貌の妻を強奪している。たいていの者は泣き寝入りするしかなかった。今そのツケが宗麟に降りかかる。家臣は去っていき、敵に回る。

 宗麟が大坂城に来た時、明家はぶっきらぼうに『会わぬ』と述べて対面を拒否。明家とて人である。時に先入観で嫌悪を抱くこともあるだろう。随伴してきた高橋紹雲と息子の立花統虎(立花宗茂)は案の定だと思っていた。

「ふーむ、困った…」

 腕を組んで溜息を出す高橋紹雲。

「養父道雪の申す通りとなりました父上」

 

 出立前の立花城。立花統虎は養父の立花道雪と話していた。

「ご実父と殿に随伴し、大坂に行くと聞いた」

「はい」

「たぶん、大納言殿は殿と会おうとすまい」

「何故ですか?」

「友好の約のおり、儂は安土に出向き大納言殿と会った」

 安土城、城主の間。

「遠きところから痛み入ります。柴田明家です」

「立花道雪と申す」

 しばらくの歓談の後、友好の約を交わした両家。道雪の書いた友好の誓書、血判が押されてある。それを見て明家。

「お詫びせねばならぬ事があります」

「何でござろう」

「実はまだ徳川と北条は当家に組しておりません。敵対関係です」

 あぜんとした道雪。

「謀りましたのか!」

「はい、遠方の大名はこうして味方につけよと知恵者の家臣から教わりました」

 道雪は豪快に笑った。

「あっははは、何とも正直な事だ。誓書を交わした後にそれを言うとはしたたかな事でござる」

「恐縮にございます」

「さりながら、柴田家がこの国の最大の大名である事は事実。この友好は大友家には良縁。きっかけはどうでも良き事にございます」

「それがしもこの良縁、大変嬉しく思います。最初はこんな嘘を言って大丈夫かと思いましたが、いやいや、やってみるものです。鬼道雪、雷神とも呼ばれた方とこうしてお会いできるなんて」

 道雪はしばらく安土に逗留し、明家と心行くまで語り合った。よって道雪は明家の性格を知っている。

「大納言殿は女子供を大切にする仁君。女にはさながら南蛮の騎士道のごとく尽くす」

「それは…是非統虎殿も見習ってもらいたいものです」

 横から統虎の妻の誾千代が突っ込む。

「控えよ誾千代」

「はーい父上」

「コホン、儂個人とは友誼を持ち、大友家とも友好の約を結ばれて下されたものの…内心では民には暴政をしき、家臣の妻も略奪した殿を軽蔑しきっていよう」

「しかし、個人の好き嫌いで会う会わないを決めるなどと云う度量の狭い事で天下を統一する事など」

「統虎、大納言殿とて人だ。感情に走ることもあるわ」

「はあ」

「まして柴田と大友は友好関係でしかない。同盟間ならば大納言殿は援軍にも応じようが、ただの友好では援軍に出るか出ないかの判断材料は『味方する事によって柴田に利があるか』に尽きる」

「仰せの通りです。しかし大友にはもう柴田に差し上げられるものなど…」

「ある。儂と紹雲、そしてお前の柴田への義である」

「父上…」

「大納言殿は当時友好間に過ぎなかった上杉の援軍にも出ている。欲しかったものは多大な銭金や兵糧の謝礼ではない。上杉景勝と直江山城の柴田への信が欲しかったのだ。儂とてまだ将として大納言殿には負けぬ。紹雲も、そしてお前もな。この三将の柴田への義心を差し上げられるものとし、そして従属と云う同盟間に話を進めよ」

「承知しました」

「話を戻すぞ、殿と大納言殿の対面を成させるためであるが、儂が一筆書いておくので、その文が大納言殿の手に渡るようにせよ」

「どうやって?」

「そのくらい自分の裁量で何とかしたらどうなんですか?」

 夫に嫌味を言う誾千代。

「なんだと!」

「よせと言うに! コホン、それも考えてある。儂も自慢ではないが、武田信玄殿に会ってみたいと思わせた武士。大納言殿の配下には武田遺臣も多い。安土にいる時には真田昌幸殿と会い、語り合ったものじゃ。真田殿にも文を書き、どうにか殿と大納言殿との対面を取り成してもらいたいと頼んでみる。真田殿は今、大坂に出向しているらしいので城下の真田屋敷にいるはず。真田殿に儂の文を渡せ。一肌ぬいでくれよう。しかし問題は対面後じゃ」

「はい」

「殿は今、外見で損をされよう。目の下には睡眠不足によるクマ。顔は酒で脂ぎっている。見ようによっては酒色に溺れていると受け取れる。まず大納言殿は殿の経歴からそう見る」

「確かに…」

「そしてそこから統虎、そなたの出番じゃ」

「なんと申せば…」

「先の通り、一時の感情で物事を決めるなど武家の棟梁の資格なし、人を外見と過去の過ちで判断するとは何が智慧美濃と叱ってやれ。さしもの大納言殿もグウの音も出まい」

「大丈夫なのですか、そんな事を言って」

「情けない、そう歳も変わらない男にそんなにビビッて」

「いちいちうるさいぞ誾千代!」

「よせバカもん!」

 呆れる道雪。

「ふう、統虎。大納言殿はかつて織田信長にも毅然と意見を述べた男。こういう強気の諫言の方が逆に上手く行く。特に最初から殿に悪印象を持っているのならな」

「分かりました、やってみます!」

「父上、統虎殿では荷が重いのでは?」

「黙っとれ誾千代!」

「すぐ怒鳴るのだから…。大納言殿の騎士道を学んできて下さい」

「大きなお世話だ! お前こそ貞淑女性の鏡と言われるご母堂に学ばれたらどうなんだ!」

「丁重にお断りいたします」

「なんだと!」

「いいかげんにせんか二人とも!」

 統虎は養父道雪にペコリと頭を垂れ、妻の誾千代を睨みながら出て行った。

「誾千代…。統虎の何が不満なのじゃ。幼き頃はあんなに統虎と仲が良かったではないか」

「昔は昔、今は今、統虎殿は私より弱い男なので不満なのです」

「はっきり言う娘よ。だが今にそれが間違いである事が分かろう」

「だと良いのですけど」

 

 話は戻り大坂城。客間でもう数刻待たされっぱなしである。

「のう紹雲、大納言殿はやはり儂を嫌っておるようじゃ…」

 気弱に語る大友宗麟。

「それは来る前にそれがしと道雪殿で何度も申し上げたはず。しかしそれでも我らは大納言殿に援軍を出してもらわねばならないのですぞ」

「『若気の至り』で済まない事をしてきた事は後悔しておる。儂はもう良い、倅の義統さえ厚遇してくれれば…」

 もはや老いた宗麟、もはや領土欲よりも自分の安らぎと、息子義統が大友家を維持してくれる事だけが願い。

 

 ちょうどこのころ、大坂に出向していた真田昌幸。その手元に立花道雪から文が届いていた。

「ふむ…さすがは道雪殿。大納言殿が宗麟殿を嫌い、会おうとしない事を読んでおったか…」

 丁寧に文を折りたたみ、一つ息を吐く昌幸。

「思えば大納言殿は武人として裏切りをした日向殿や小山田殿とて、領内では民を思う仁政をしいた者として認めている。しかし反面、たとえ合戦は強くとも民を省みない者は軽蔑し、忌み嫌い、統治者の資格なしと述べている。紀州攻めの大義名分がそれであったしな…。大納言殿と語り合ったと云う道雪殿、そういう大納言殿の性格も知っておったか」

 しかし、せっかくの九州攻めの大義名分が失われる。大友はいずれ島津に降伏し、敵となる。昌幸は大友宗麟の援軍要請を了承すべきだと思った。

 同じく柴田と友好間である竜造寺家は島津に組している。しかしながら家老の鍋島直茂は同時に柴田に九州への遠征を促している。すでに秋月氏も島津に組しており、九州の地は島津対大友の様相を示し大友は旗色が悪い。

 このまま大友が島津に敗れ降れば、柴田に九州へ攻め入る大義名分がなくなり、島津はさらに強大な存在となる。九州が島津を覇者とする独立国になる。統一政権樹立のためには九州も柴田の勢力下に置かなければならないのである。大友が島津に倒されたら後の祭りである。

 しかし現時点なら大友も竜造寺も味方に付き、かつ地理的に不慣れな柴田勢の案内役にもなってくれる。竜造寺も大友も島津には苦杯を飲まされ続けた。畿内の覇者柴田明家の助力を得て、何とか倒したい。この両家の島津に対して闘志を利用しない手は無い。

 真田昌幸は明家の説得にかかった。道雪が養子統虎に持たせた文を見せた。主人宗麟とぜひ会ってほしいと願う文であった。

「……」

「亡き信玄公も会いたいと言った道雪殿、武田家に仕えた者として是非その願いを聞き遂げいただきたいと存ずる。何より大友への加勢は悪い話ではござらぬぞ」

 明家とて、それは分かっていた。

「宗麟と云う材木には使える所がない、そう申したと聞きまする」

「申しました」

「あるではござらんか」

「え?」

「鬼道雪と、そして今回訪れています高橋紹雲殿、そして両名の子である立花統虎殿、この三人の名臣にござる」

 昌幸のこの言葉に明家は一言も返せず、苦笑して頷いた。

「分かりました。しかし、援軍に出る出ないは今の宗麟殿を見てからにございます」

 真田昌幸が大友家一行の待たされている部屋へと行った。

「お待たせいたした。手前がお連れいたす」

「かたじけない」

 軽く頭を垂れる紹雲。そして昌幸を見ると…。

「失礼、それがし高橋紹雲と申す。貴殿のご尊名を伺いたい」

 紹雲は一目で真田昌幸をただものではない男と見た。

「これは申し遅れた。手前は真田昌幸と申す」

「貴殿が『信玄の眼』と呼ばれた安房殿にございますか!」

「ははは、懐かしき異名にござる。今は柴田の寄騎大名に過ぎませぬ。さ、こちらへ」

 立花統虎は胸がときめいた。いきなりとんでもない大物と会う事が出来た。

「さ、殿、参りましょう!」

 統虎が宗麟を促し立たせ、そして城主の間へと歩いた。

「大納言殿。大友宗麟殿、その家老高橋紹雲殿と立花統虎殿をお連れしました」

「入られよ」

「はっ」

 城主の間に入った大友家一行。部屋には前田利家、佐々成政、奥村助右衛門、吉村直賢がいて、明家と宗麟の対面に立ち会っていた。

「大友宗麟にございます」

「柴田明家にござる」

 宗麟が顔を上げた。明家の顔にすぐ不快の気が浮かんだ。目の下には明らかに過ぎたる荒淫の証と思われる隈があり、顔は酒で脂ぎっていた。宗麟から顔を背けて失望の溜息を出した明家。

「ご用件は?」

「と、当家に援軍を! このままでは島津に滅ぼされます!」

「なんでそうなったのですか?」

「島津は勇猛、とうてい今の我らの戦力では太刀打ちできませぬ」

「自業自得にござろう」

 明家は早くも席を立ってしまった。

「しばらく!」

 高橋紹雲が呼び止めた。

「何か」

「何かではない! それが遠方から来た客の遇し方か!」

「何?」

「我が主君の過去ばかり見て、話を聞こうともしない! それがこれから天下を取ろうとする男のなさりようか!」

「過去ですと? では目の下のクマは何ですか。過ぎたる荒淫の証、かつ顔は酒で脂ぎっております。この御仁は今も怠惰を重ねておられる。これを自業自得と言わず何であるぞ!」

「麒麟も老いたら駄馬に劣ると我が主を笑われるなら笑われよ! 確かに我らは柴田に援軍を求めし立場であるが、大友への支援は柴田家に取って九州に寄せる大義名分となるはず! このままでは勢いに乗る島津が九州をすべて切り取ろう! そうなったら大納言殿の天下統一は数倍困難となるのは必至にございますぞ!」

 養父道雪に大納言を叱ってやれと言われた立花統虎、まったく出番なし。実父紹雲に全部言われてしまった。しかし自分ではこうはいかない。さすが父上と後から背を見ていた。

「一つ伺いたい」

「なんじゃ」

「傾きかけた大友家になぜ尽くす?」

 高橋紹雲は胸を張って答えた。

「聞くもおろかな事、傾きかけた主家を支える事こそ武人であろう!」

 顔が赤面した明家。部屋から出て行ってしまった。

「くっ…」

 紹雲は床を叩いた。

「やはり…畿内の王者のおごりがあるか…!」

「はっははは」

 前田利家が笑った。

「何を笑われる!」

「いや失敬、ですが一寸待たれよ。じきもう一度来る」

「え?」

 真田昌幸を含め、柴田家臣たちを見渡せば、特に動じている様子がない。そして利家の言葉どおり明家は戻ってきた。顔が上気している。

「いや申し訳ございません、ちょっと外で水をかぶってきました」

「は?」

 この寒いのに? と統虎は思った。そして明家は君主の席ではなく、宗麟の前に座り、

「手前は武士にあるまじき振る舞いをしました。許されよ」

 と、素直に詫びた。

「紹雲殿、ご貴殿の言葉、身に染みました」

「い、いや…。お分かりいただければ…」

「『主家が傾きかけた時にこそ支えるのが武人』亡き養父、水沢隆家から同じ事を教わりました。手前もそれを心掛けていたはずなのに…」

 さっきまで自分が座っていた席を振り返って見つめた。

「あんな偉そうな席に座るようになって忘れてしまった。歩の旗に恥じ入るばかりです」

「で、では大納言殿!」

「宗麟殿、当家は大友家の援軍に参りましょう」

「お、おお! ありがたい! 当家は柴田に従属いたします!」

「決まりにより、人質を一人、出していただきますが」

「手前の息子、義統をお預けいたします!」

 宗麟と手を取り合う明家。まさに紹雲の命がけの諌めが功を奏したと云える。胸を撫で下ろす紹雲だった。寒空の中、冷水を浴びて戻ってきた明家。自分を叱り付けるためであろう。柴田家臣たちが動じていなかったところを見ると、どうやら明家は時に自分へこうして喝を入れる習性があると知っていたのだろう。君臣、信頼関係も強いと紹雲は見た。

 しかし、内心明家も宗麟を『麒麟も老いたら駄馬に劣る』と見ていた。覇気が無いのだ。明家が大友家を助けようと思ったのは、まぎれもなく紹雲の武人の心に動かされた事に加え、大友に味方して九州に攻め入る利点を知っていたからである。

「申し上げる」

 と、立花統虎。

「何でしょう」

「当家の領地はもう九州の切れ端。援軍に出ていただいても差し上げられるものは何もござらぬが、主君宗麟、若殿義統、養父道雪、実父紹雲、それがし、そして大友家臣団の誠忠を差し上げたいと存じます」

「これは良きいただきもの、大納言ありがたく頂戴つかまつる」

「はっ!」

「宗麟殿」

「はっ」

「毛利家の当家への従属がそろそろ成ります。後始末が済み次第、すぐに門司に向かい、九州に上陸しましょう」

「承知いたした!」

 そして紹雲、自分の強諌に腹を立てず、素直に詫びた明家に好感を持った。道雪と同じく紹雲とも語り合った明家。共にいた統虎とも親しく話す。歳が近いので気もあった。

 統虎は明家の私宅にも招待された。越前美人の奥方さえを見て惚けてしまう。美しいだけではなく、夫を立てる貞淑ぶり。大大名の正室、世継ぎの生母などの驕りもない。それに引き換え俺の悪妻ときたら何なのだ。さえから注がれた酒に統虎の一滴の涙が落ちた。

(う、うらやましい…! こんな嫁なら俺も騎士道を貫けるってもんだ! 誾千代じゃ無理だって!)

「はっくしょん!」

 立花城の台所でくしゃみをする誾千代。

「ふん、統虎殿め、大坂で私の悪口を肴に酒でも飲んでいるのかしらね」

 

 ここで高橋紹雲、立花統虎について少し語ろう。

 高橋紹雲、元は吉弘鎮種と云う名前であった。大友宗麟の重臣である吉弘鑑理の次男で、宗麟の命令により高橋家の名跡を継ぎ、岩屋城と宝満城と云う二つの城を与えられた。立花道雪と並ぶ大友家の武の両輪で、歴戦の勇将である。

 耳川の合戦で島津家に大敗すると、大友家は急激に衰退し始めた。それを狙って龍造寺隆信や秋月種実らが大友氏の領への侵攻を開始。この時に主家の大友宗麟は島津氏と戦っていたために紹雲へ援軍を送れなかった。紹雲の守る筑前は敵地の中に孤立していた。しかし彼は立花道雪と協力し、敵勢を撃退。紹雲はその武勇を敵味方に誇示した。

 

 ある日、紹雲は実の息子がいない立花道雪から嫡子の高橋統虎を養嗣子として立花家にくれるように請われる。

 こんな逸話がある。紹雲と道雪が互いの子を連れながら府内城の城下町を歩いていた時、大きな犬が極度に興奮し、よだれを垂らしながら紹雲と道雪のいるところへ走ってきた。道雪の娘の誾千代は怖がって父の後にサッと隠れたが、統虎は動ぜず、襲い掛かる犬の前足を掴み、足裏に刺さっていた小さな木片を抜いてやった。犬はすぐに大人しくなり、その場を去った。道雪はこれを見て『我が娘の婿はこの者おいてない』と決めた。

 何度も紹雲に断られてもあきらめなかった。ぜひ養嗣子として当家にほしいと道雪は紹雲に懇願した。紹雲は、嫡子統虎は高橋家の大事な跡継ぎであり、その優れた器量も分かっていた事から最初は拒絶していた。しかし父親のように慕う道雪の度重なる要請をとうとう拒否できなくなり、養嗣子として統虎を立花氏に出した。統虎と誾千代は幼馴染でもあったが、あまり仲は良くないようだ。

 統虎が立花家へ養子に行く時、紹雲は統虎に『道雪殿を実の父と思って尊敬し、慕うように』と言い、また一振りの太刀を与え『この乱世、今日の味方が明日は敵となる時代だ。もし道雪殿と父が戦う事におよべば、この太刀で父の俺を討て』と訓戒し送り出したと云われている。

 

 そして話は今に至る。島津軍の北上はすさまじい。柴田と友好関係にある竜造寺も現在は島津に組し、さらに秋月氏も同様。もう島津は九州では大友以外に敵はいない。全戦力を大友に向けられるのである。

 何より大友家に痛恨であったのは大黒柱である立花道雪が陣没してしまった事である。享年七十三歳。落雷により下半身が不随であったにも関わらず、九州は無論、中国の毛利も震え上がらせた雷神道雪が逝った。これを好機と見た島津義久はさらに北上を加速させた。

 島津軍の進攻は日を増す事に増大し、ついにその矛先が紹雲の居城である筑前岩屋城へと向けられた。周囲は島津軍に包囲され、蟻の這い出る隙間もない。島津軍の総数約五万。これに対して紹雲はなんと七百四十と云う寡兵をもって迎えたのである。

 紹雲の家臣たちは援軍を求めるよう進言したが、紹雲はその忠言を突っぱねた。少々の援軍など焼け石に水、大軍の島津の餌食になるだけである。ましてや島津軍は勇猛果敢。この時に紹雲はすでに玉砕を覚悟していたのだ。毛利輝元はすでに柴田に従属した。柴田明家はすでに九州遠征の準備を整えている。中国の毛利、土佐の長宗我部も出陣準備を整え西進の構えを見せていると云う知らせが入っている。何とかして時間を稼ぎ、島津の九州完全制覇を阻止しなくてはならないのである。

 開戦前に家臣たちに命の惜しい者は逃げよと述べた紹雲であるが、一人も逃げなかったと云う。それほど紹雲は部下に慕われていたのである。紹雲は単なる一兵卒の名前すら知っている。これほどいくさ人に惚れられた大将はいない。

 

 岩屋城を包囲している島津軍は焦っていた。すでに毛利は柴田に従属。大友の後ろ盾である柴田の大軍が九州にやってくる。時間がないのだ。島津義久本隊の先鋒を務める島津忠長は頭を抱えた。

「何と云う事じゃ…。ここまで順調に北上してきたものを。こんな小城一つ落とせぬとはのォ…。近く義弘殿、家久殿が大友宗麟の臼杵城に駒を進める手はず、なのに我らがここで足止めを食らっては…」

 まだ後方には宝満山城、立花城と云う堅城がある。しかもそれらを守るのは紹雲の息子たちである。手間取るのは目に見えている。その間に柴田軍が九州に上陸する。そうなる前に大友を討ち、全九州を制圧しておく。そうすれば柴田軍と有利な条件で和睦できる。

 島津忠長は自ら使者に立ち、紹雲を説得する事を決断。忠長と名乗らず、部下の新納忠元の名を用いて使者となった。軍使として岩屋城に入った忠長。城内の士気が高い事に驚く。これが玉砕目前の城内なのか。高橋家の将兵たちは使者に来た忠長に『お役目お疲れ様にござる』と労う。味方の城に来た気持ちにさえなった忠長。城内に入り、高橋紹雲と会った忠長。

「高橋紹雲にござる、して新納殿、御用の向きとは?」

「主君忠長の口上を申し上げる。これ以上の戦は無用。高橋方から一名人質を出していただき、ご開城願いたい。さすれば紹雲殿は無論、城兵のお命および本領も安堵も約束いたす…と」

「かようなお話ならば、もう何度もお断り申し上げたはず。城兵すべて城を枕に討ち死にの覚悟を決めてござる。お引取りを」

 紹雲は席を立った。

「紹雲殿! 失礼ながら大友宗麟殿は貴殿ほどの将がお命を賭けるに値する君主ではない! 我が主、島津義久に仕える事こそ貴殿には相応しい!」

「新納殿」

「え?」

「真の武人とは、主家が傾きかけている時こそ真価が問われると思われぬか」

「紹雲殿…」

「姑息に生き延びても人間五十年…。だが名は永遠。潔く死ねば名は未来永劫に残る。それがしは名のみ惜しむ」

「それは違いまするぞ! 貴殿一人の美学のために犠牲となるは我が島津将士と貴殿の部下でありますぞ! それをいかように考えているのか!」

「……」

「合戦に犠牲はつきもの、しかしながら出さずに済む犠牲なら出さぬ事に尽力するのも将の務めと思われぬのか! たとえ…敵味方にどれだけ恥知らずと罵られようとも…!」

 床に一滴の涙が落ちた。

「我が家臣たちの命か…。言われるとおり、それのみがそれがしの痛み…」

「……」

 石のような沈黙の中で見詰め合う高橋紹雲と島津忠長。

「…不本意じゃが紹雲殿、戦場にて再会いたそう」

「城門までお送りいたそう忠長殿」

「…!?」

 紹雲はフッと笑った。露見していた事に驚く忠長。今この場で人質に取る事もできるのにそれをしない。同じ九州人でありながら九州男児の気概を紹雲の笑顔から見た忠長。

「違う形でお会いしたかった紹雲殿」

「こちらこそ」

 岩屋城の城門で別れた高橋紹雲と島津忠長。

 

 島津忠長を送った後に城内に戻った紹雲。一人の客将が酒膳を整えて待っていた。

「おお、これはありがたい」

「まずは一献」

 紹雲と客将の男は酒を酌み交わした。客将はいかにも貴殿と飲む酒は美味いとばかり飲み干す。

「美味い」

「ははは、しかし貴殿も酔狂な方だ。落ちると分かっている城にわざわざやってくるとは」

「なに、愛馬の気の向くままに旅をしてきたら、ここへたどり着いただけでござる」

「翌日から島津の大攻勢が始まろう、思う存分大暴れしていただきたい」

「この前田慶次、久しぶりに血がたぎり申す」



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九州上陸

 翌日、島津軍五万は岩屋城に総攻撃を開始した。守る高橋軍は七百四十名。七十倍の兵力差である。岩屋城は四王寺山の中腹にある防備に長けた山城。中々攻め崩せない。高橋軍は頑強に抵抗した。そして眼下の島津軍を見下ろす前田慶次。

「さすがに五万となると壮観だな」

 慶次は柴田家から出てより、自由奔放に生きていた。西へ西へとのんびり旅をした。風流と酒、女を楽しみながら気ままの一人旅。

 しかし当たり前だが路銀が乏しくなった。どこかで陣を借りて路銀を稼ぐかと思うものの、宇喜多、毛利、長宗我部につけば主君明家に背く事になるので出来ない。よって慶次はいまだ動乱の続く九州へと行ったのである。そして島津に痛めつけられている大友軍の陣場を借りた。

 前田慶次の名は遠く九州にも至っていたので、元柴田明家の側近と思われてはやりにくくて仕方ない。よって慶次は九州に来てから『穀蔵院ひょっとこ斎』と名乗った。しかし朱槍、漆黒の巨馬松風、稀代の豪傑を思わせる体躯。見る者が見ればすぐに分かる。慶次は最初、秋月氏と対していた立花道雪の陣地に赴き陣借りを要望した。道雪は一目で、あの前田慶次と分かった。傍らにいた養子統虎も前田慶次と分かったが、本人がそう名乗らなかったので、知らぬふりして陣を貸した。

 

 大局を見れば島津に組した秋月氏との戦いは大友に劣勢。士気の衰え著しい大友勢を感奮させたのは慶次のマントであった。赤地に金の文字で『大ふへん者』と書かれてあった。道雪と統虎は彼らしいと笑っていたが、剛勇揃いの道雪配下の武将たちは面白くない。立花双璧と呼ばれる由布雪下と小野鎮幸は

『大武辺者とは何事か、立花家にも人はいる。陣借りの雇われ者のくせに立花をなめるな』

 と怒った。これを聞いた慶次は大笑いして返した。

『田舎者はこれだから困る。清濁を間違えてはいけない。俺は濃尾地方の生まれのため土地勘も無ければ素牢人なので助けてくれる家臣も癒してくれる女房もいない。大いに不便をしている。どうして“大不便者”と読まずに“大武辺者”と読むのか』

 この人を喰った返答に立花陣は大爆笑。士気は上がり、道雪の采配もあり今までの大友の劣勢を跳ね返す勢いで攻めるも、さしもの道雪も老齢には勝てず、陣場で没した。立花陣が道雪の死により退却する時、対していた秋月種実は棺の中が道雪と知るや、一切の追撃を許さなかったと云う。後にこの行為が秋月種実を救う事になる。

 つい昨日まで戦い続けた敵将にも敬意を受ける道雪。その道雪の死は大友家には衝撃であった。七十を越した道雪に、いかに頼りきりであったか分かる大友家の事情である。

 その道雪亡き後、大友家を支えるのは高橋紹雲と立花統虎のみである。慶次は立花城で統虎と立花家の面々と別れたあと、岩屋城へと向かった。つねづね道雪が自分の自慢のように語っていた紹雲。男見物をしに向かった。

 

 岩屋城に着いた慶次。何とも山の地形を利用した堅固な城だと思い、城門を叩いた。

「手前、穀蔵院ひょっとこ斎と申す。城主の高橋紹雲殿に目通り願いたい」

 つい先日まで立花の陣を借りて大暴れしていた穀蔵院ひょっとこ斎の名は岩屋城にも届いていた。

「旅の者だが路銀が不足している。陣を借りまするので武功あらば働きに見合った手当を下され。高橋家に仕えるためではないので禄は結構にござる」

 と、紹雲に願い出た。紹雲も道雪同様、一目で前田慶次と分かった。容貌が伝え聞いたままであるのも確かだが、誰が玉砕目前の城に陣を借りに来る。『負け戦こそ面白い』と豪語する、あの男以外ない。紹雲は人払いをしてひょっとこ斎に訊ねた。

「貴殿は前田慶次殿か?」

 道雪も同じ対応をしたものだ。慶次はそう聞かれれば嘘は言わない。

「いかにも」

「柴田大納言殿の側近中の側近であったと聞き及ぶが…」

「それは賤ヶ岳の合戦までの話、今はただの素牢人にござる」

「なぜ、あんな名将を見限り牢人になった?」

「ほう、紹雲殿は我が主人に会った事がおありか?」

「いかにも、将の将たる器と見た」

「それは恐縮、さりながら、それがしは主人明家を見限ったわけではござらぬ。ですが主人の元にいるのは安泰に過ぎましてな。いささか退屈になったのでござる。それだけでござる」

「安泰が退屈か…。なるほど聞いていた通りの仁にござるな。しかし当方は玉砕覚悟。武功に見合う手当を差し上げられるか分からぬ。それでも岩屋に陣を借りると?」

「いかにも、勝つ方に味方するのは面白くござらぬゆえ」

「かぶくものよ、よかろう。当家でしばらく働いてもらおう」

「承知!」

 

◆  ◆  ◆

 

 島津の総攻撃の前に岩屋城は懸命に戦う。島津勢は七百四十名の高橋勢に四千もの犠牲を強いられたと云う。それほどの激しい抵抗である。『勇将の下に弱卒無し』と云う言葉は高橋紹雲の軍勢のためにある。

 そして前田慶次は愛馬松風に乗った。そして目の前には島津の大軍。慶次は朱槍をしごき、鬼神のごとく駆け出した。

「我らこれより修羅に参る!」

『大ふへん者』の赤いマントが松風の疾駆で風に流れる。これに紹雲の誇る豪傑たちが続いた。

 まさに『勇将の下に弱卒無し』人馬一体の豪傑たちが修羅となり岩屋城の天王寺山から逆落としをかけた! さしもの勇猛な島津軍も死を覚悟している者には圧倒される。どんどん押されていった。

「うおりゃああッッ!」

 慶次の朱槍が島津兵を薙ぎ倒す! 他の豪傑たちも負けていない。道雪の陰に隠れてはいたが高橋紹雲軍とて大友最強と、いや九州最強とも言えた軍勢。精強を誇る島津勢が圧倒された。漆黒の巨馬松風の足は鬼神の鉄槌の破壊力を見せる。

「見事! さすがは儂の誇る高橋の豪傑たち、前田慶次よ!」

 高櫓に立つ紹雲は島津勢に寄せる慶次と豪傑たちの突撃を讃えた。勝利を確信している島津兵たちは命を惜しむ。そんな彼らが慶次たちを阻止できるはずがない。慶次はまた弓の名手、朱槍を馬具に留め置き、剛弓を構える。海戦用の剛弓で本来は数人がかりで引く弓だが慶次は一人で軽々と引く。放たれる弓矢は海をも切り裂く剛槍と化す。しかも一度に三本まとめて放つ。鉄砲で迎撃しようとしてもその弓矢で駆逐される。手取川の撤退戦、賤ヶ岳の戦いで水沢隆広を守りぬいた男と言われるのは伊達ではない。まさに人馬一体の魔獣の慶次と松風である。島津の誇る薩摩隼人の兵たちが鬼を恐れるかのように次々と後退した。

「なんだあの男は!」

 驚く島津忠長。側近の新納忠元が言った。

「まさか…。あの漆黒の巨馬、赤い南蛮小母衣、朱槍、ま、前田慶次では!?」

「ま、前田慶次だと!? 柴田明家に仕えし稀代の豪傑ではないか! なぜ彼奴が高橋の陣にいるのだ!」

 だが島津も負けていない。逆に『これは良き敵』と感奮する。この時はまだ一兵卒に過ぎなかった一人の若者が敢然と慶次に挑んだ。

「チェストォォッッ!!」

 何とその若者は慶次の振り下ろした朱槍を切った。

「ほう…!」

 若者は乗り捨てられていた馬に乗り、大剣を上段に構えて慶次に迫る。

「手前は前田慶次郎利益、名を聞こう」

「東郷藤兵衛と申す!」

「そなたのような者が一兵卒とは島津侮りがたし、さあ参られよ!」

「いざ参る! チェストォッッ!」

 目にも止まらぬ雷のような上段の一閃、慶次はかわさず藤兵衛が刀を握る両腕を片手で掴み、そのまま力任せに放り投げた。今まで負けを知らない藤兵衛は戦いの次元が違う慶次の強さに驚く。

「まだまだ修行が足らんな! あっはははは!」

 慶次は太刀を抜いて、再び突撃を開始した。身震いする藤兵衛。

(俺を子ども扱いか、やはり戦国の世は広い! あんな男がいたなんて!)

 東郷藤兵衛、後の東郷重位。あの薩摩示現流の開祖となる男である。

 

 九州戦国史に残る、この前田慶次の突撃であったが、岩屋城はすでに落城寸前。秋月砦は落とされ、紹雲側近の福田民部も討ち死にした。本丸以外はすでに落ちた。

「もはやここまでか…」

「紹雲様、辞世は」

 家臣の問いに、笑ってこう答えた。

『屍をば 岩屋の苔に 埋めてぞ 雲井の空に 名を留むべき』

「それがしらも、すぐに後を追いまする」

「儂は道雪殿のような師父にめぐり合え、統虎、統増のような頼もしき息子にも恵まれた。そして最高の妻とも、誇るべき家臣たちとも…。よき人生であった。悔いはない」

 最後の降伏勧告を迫る島津忠長。薩摩武士は敵であろうと立派に戦った者は愛する。だから死なせたくなかった。城門に駆け、島津忠長は紹雲に訴えた。

「島津忠長である! 高橋紹雲殿に申し上げる! これ以上お互い血を流すのは無意味! すみやかに開城を! 貴殿のような真のもののふを死なせたくはない! 紹雲殿―ッ!!」

 城門前の高櫓に上がり、紹雲は割腹の姿勢を執った。

「忠長殿―ッ! この紹雲最後に良き敵と巡り合えし事、まこと果報にござる!」

「紹雲殿…!」

「九州武士の死に様、とくとご覧あれ!」

 高橋紹雲は割腹して果てた。享年三十八歳。島津軍は敵ながら見事と粛々と頭を垂れた。大将である忠長は『たぐい稀なる勇将を殺してしまった。友であったなら、どれほど良かったか』と涙した。生き残っていた将兵五十名も切腹して主君に殉じた。

「ふう…」

 慶次は生き残っていた。

「まだ死すべき時ではないと云う事か…」

 松風を降りた慶次は、一緒に戦った豪傑たちに祈り、彼らの亡骸に花を手向けた。戦の前、紹雲は慶次に今までの働き、そして今日の働きに報いるために慶次に報奨金を渡した。もう戦費は底をついていたので、少ない額である。しかし重みのある金である。慶次は銭袋を両手で持ち、岩屋城に頭を垂れた。

「ありがたくちょうだいいたす。紹雲殿…!」

 慶次は再び旅に出た。東へ松風は歩き出した。

 

◆  ◆  ◆

 

 岩屋城を落とした島津軍は北上を続ける。岩屋城より北に位置する宝満城。ここは高橋紹雲次男、そして立花統虎の弟である高橋統増の城。紹雲の妻である宋雲尼もこの城にいる。

 統増の妻は加弥姫と云い、元は大友家と凌ぎを削った筑紫氏の娘である。『筑紫の押しかけお姫様』と有名である。何故なら、婚儀の寸前まで筑紫と大友は敵対関係であった。大友の衰退を見計らい筑紫氏は手薄の宝満城を奪っていた。このまま一気に大友へと思っていた。

 大友宗麟は畿内の覇者の柴田明家に泣きついたと話があったが、川に落ちて溺れかけている犬も同じの大友に柴田大納言が手を貸すはずがないと思えば、意外にも柴田は大友の後ろ盾についた。

 それを聞くや筑紫氏は顔色が変わった。筑紫と同じく大友と戦ってきた秋月氏も真っ青になった。九州が総連合したとて勝ち目があると思えない相手であるのに、それが大友についた。

 筑紫氏と長年に渡り盟友であった秋月氏が高橋紹雲の次男統増に当家の姫を嫁がせようと云う動きが出た。秋月と高橋が連合したら筑紫の滅亡は明らか。当主の筑紫広門は先手を打った。それは岩屋城にいる統増の父の紹雲にいきなり縁談を持ち掛ける事である。

 紹雲の城である宝満城を落として時も経ておらず、いまだ敵対関係だが情勢は急ぐ。筑紫の重臣と共に死地とも云うべき岩屋城に向かった筑紫の加弥姫。

 驚いたのは紹雲である。敵対関係の筑紫家からいきなり次男統増の女房になると押しかけてきたのである。しかしさすが紹雲。

『お話の内容は承知致しました。貴女の家を思う孝にそれがしも心を動かされました。元々、筑紫家と高橋家は縁戚の間柄です。戦国の世の習いとして敵味方として戦ってまいりましたが、この上は貴家と御縁を結び、両家の平和を計らいましょう』

 かくして統増と加弥姫は夫婦となり、筑紫氏の城となっていた宝満城も両家の城とした。

 

 しかしそんな幸せも一時の事であった。秋月種実、竜造寺政家も組み入れた島津の北上は留まる事を知らない。すでに統増の舅の筑紫広門は島津に捕らえられ、統虎と統増兄弟の父、高橋紹雲は討ち死にしていた。

 島津勢は四万五千の大軍、宝満城を完全に包囲した。高橋統増は宝満城にわずかな高橋と筑紫の両家の兵、そして女子供、年寄りと共に篭もっていた。父の紹雲討ち死にの後、統増には不運にも、つい最近まで敵対していた高橋と筑紫の両家臣団に溝が生じていた。結束力に欠け戦意は低い。特に筑紫家の家臣たちは主君の筑紫広門が島津に捕らわれていたため動揺も激しく、城主統増を殺して島津へ投降するのではないか、と高橋家の家臣たちは疑心暗鬼に陥っていた。それを見計らったように島津軍の使者がやってきて

『岩屋城すでに落城し、大将の紹雲殿もまた自害なされた。この上は速やかに当城を明け渡して降伏されよ。さすれば和議を行い、城主統増殿、ならびに城兵一同の一命はお助けいたそう。それがいやなら一気に攻め落とすまで』

 と開城を迫ってきた。統増を中心に高橋と筑紫の臣で協議を行った。高橋家重臣の北原進士兵衛は

『主君紹雲を始め、岩屋で討ち死に遂げた者たちに対して、なんで己だけおめおめ生きておれようか、どうかここで戦って死なせてほしい』

 と訴えた。しかし筑紫家重臣の伊藤源右衛門は、

『昔、源頼朝公は流人の身から挙兵して、遂に平家を滅亡させられた。こたび統増様には耐えがたきを耐えていただき、時運を待っていただくのが肝要。なにより統増様の先行きを見届ける事こそ、我ら残された者の務めではないか』

 と言った。この意見が決め手となった。統増は開城する事を決断した。源右衛門は使者に対して、

『統増様、そのご正室、ご母堂を立花城へお帰ししていただけるのなら、和議をいたし開城いたす。もしそれが受け入れられないのであれば、我ら城を枕に討ち死にするまで』

 と返答した。島津軍大将の島津忠長はこれを了承し、誓紙まで書いて約束した。翌日、統増以下家中の者は宝満城を下城した。

 しかしここで島津は一転して約束を反故にした。統増一行を取り囲み、捕らえてしまった。当然立花城へは送らず、統増夫妻、そして紹雲の妻の宋雲尼まで捕らえられてしまった。

『約束が違う!』と激怒して島津軍に抗議する高橋家臣。島津は平然とこう返した。

『弓矢の前では空誓紙もあり得る』

 島津の卑怯な遣り口と、自らの甘さに高橋家中の者は悔しさに泣いた。特に紹雲の妻の宋雲尼の無念さは計り知れない。死んだ夫に合わす顔がない。捕らえられ島津忠長の本陣に連行された時、忠長を激しく罵った。

「卑怯者! 恥知らず! 我が夫が仇の図書(忠長)、私はけして許さない!」

 醜女で有名であった宋雲尼、島津兵の中に

「美貌の女に言われれば恐れ入るが、そこもとのような醜女に言われても誰も聞く耳を持たんわ」

 と、嘲笑った。だが次の瞬間

「無礼者!」

 その兵は忠長に斬り捨てられた。

「…部下が愚かな事を申した。申し訳ござらぬ」

「愚かとは図書、貴方でしょう! あんな卑怯な振る舞いが勇猛果敢と呼ばれた島津のやりようなのですか!」

「我らには時間がない…。ああするしかなかったのだ。許せとは云わぬ。これ!」

「はっ」

「宋雲尼殿と、統増夫妻を幽閉せよ、ただし丁重にな」

「はっ」

 連れられていく宋雲尼、あまりに無念なのだろう。再び忠長をそしる。

「島津は『大友は九州を大納言に売った』と申しているそうであるが、お前は九州武士の、いやさ九州男児の誇りを捨てたではないか! 必ずこの報いを受けようぞ!」

「……」

 

 宝満城落ちる、その知らせは立花城に篭もる統虎にも届いた。それとほぼ同時に島津忠長から立花城に文が届いた。主家の大友家の居城である臼杵城は島津義弘と家久の兄弟に攻められており、援軍は望めない。孤立無援である。柴田明家の援軍到着前に滅ぼされんとしていた。忠長は『即刻降伏開城せよ』と勧告していた。

 立花城に篭り、島津勢と対峙する立花統虎。島津忠長は立花城に篭る統虎に人質の無事をもって開城せよと通告した。島津は柴田の介入前に九州全土の統一を図り、今まで以上に怒涛の進軍を続けていた。柴田本隊が上陸するのは立花城のある筑前からである。何とか柴田の上陸を阻止したい島津にとって立花城はどうしても欲しい戦略的要所であった。

 統虎の実父紹雲の戦いぶりを見た島津忠長は“あの紹雲殿の子で、鬼道雪の養子ならば…”と統虎の将才を侮らず正面からの城攻めは避けて包囲戦術に出た。そして幾度も降伏を勧告している。統虎はそれを無視。業を煮やした忠長は最終通告を出した。

『明日まで待つ、開城なくば総攻撃を開始する』

 それが記された書を忌々しそうに破り、床に叩き付けた統虎の妻誾千代。

「立花をなめるな! ならばこっちから討って出てやる!」

 気の強さでは戦国の女屈指の誾千代。甲冑をまとい、夫の統虎と同じく城主の席に座っている。

「落ち着け誾千代、さすれば人質の命がない」

「しかし他に手があるの統虎殿! まさか降伏する気ではないでしょうね!?」

「大納言殿の援軍が来るまで篭城を続ける」

「何を気の弱い事を! だいたい寄せ手の大将は島津図書頭忠長! 統虎殿のご実父紹雲殿の仇でしょ!」

「その通りじゃ!」

 老臣の内田壱岐が言った。

「とても紹雲殿のご子息とは思えんわ。亡き道雪様は婿殿の何が気に入って姫様の夫としたのやらのう!」

「壱岐殿言葉が過ぎようぞ!」

 立花家家老の由布雪下が諌めるが、壱岐は聞かない。

「島津に降るなど冗談ではない。華々しく戦って散る事が道雪様への忠義。婿殿の弱腰には付き合い切れんわ」

「しかし壱岐、大軍に囲まれた我々が執る方法はそれしかないではないか」

「ああ歯がゆい! 婿殿が道雪様の世継ぎと思うと悔しゅうて涙が出るわ!」

 内田壱岐は城主の間を出て行ってしまった。

「不甲斐なき男! それでも立花か!」

 誾千代も出て行ってしまった。

「……」

 

 そして翌日、立花城から内田壱岐がいなくなっていた。

「これほど探してもいない事から…。壱岐殿は島津へ投降されたと思われます」

 家老の十時摂津が統虎に報告した。誾千代は憤然として壱岐を責めるのではなく夫の統虎を責める。

「父道雪の信頼厚かった壱岐が信じられぬ! みな統虎殿が腑抜けだから!」

「面目ない…」

「もういい! これから私が指揮を取る!」

「……」

「お前にもう立花は任せられない!」

 

 一方、内田壱岐。島津忠長に目通りしていた。

「さて、立花家重臣の内田殿が供も連れずに我が陣にやってくるとはな。ただならぬ用件と見たが…」

 と、忠長。

「その前に言いたい事がござる」

「申されよ」

「先の宝満城攻め、統増殿に『開城すれば立花城に届ける』と誓紙まで書いて約定したにも関わらず、統増殿が開城されるや約定を反故! 統増夫妻とそのご母堂を人質に取る」

「……」

「あまりにも卑怯なやりようと思われぬのか、それが勇猛を馳せた島津軍の遣り口か!」

「…そもそも、貴様らの主家、大友が柴田大納言に泣きつきさえしなければ、当方とてかような恥知らずな所業をせずに済んだのだ! いかに劣勢に陥ったからと申せ中央の覇者にすがるなど九州人の恥だ! 宗麟は九州を大納言に売った男ぞ!」

「……」

「大友は柴田が助けてくれて、はい終わりと引き揚げるとでも思っているのか? 大納言に九州全土を奪い取られるぞ。だから我ら島津は柴田の上陸を阻止しなくてはならぬ。それには時間がなかった。ゆえに心ならずも紹雲殿を死に至らせ、統増殿を謀にかけるしかなかったのだ! 卑怯な手段を使わざるを得なかった我らの痛みが貴様らに分かるか!」

「殿、落ち着かれよ…」

 家臣の諌めに一呼吸して気持ちを落ち着かせた。

「ふん、今さらこれは愚痴だな」

「……」

 忠長は一つ溜息をついた。

「先に戦いし高橋紹雲殿、敵とは申せ惜しい御仁であった。その次に戦いし統増殿、そして今対峙している統虎殿も紹雲殿のご実子。正直、中央の脅威が九州に直面しようと云うこの時、同じ九州人で戦うは愚かと思う。さりとて島津が九州を統一せねば、九州の多くの地が柴田に横取りされよう!」

「……」

「ここに至らば、敵味方の犠牲少なくし九州を統一する! そのためなら俺はどんな卑怯な手も使う!」

「相分かり申した。では」

 内田壱岐は忠長に統虎からの書を渡した。読んだ忠長は驚く。

「統虎殿が単独降伏と?」

「左様、統虎殿のご母堂への孝行ぶりや、弟統増殿との仲の良さも知っていましょう。統虎殿とて人の子、肉親が愛しく、そして気になっているのでござろう」

「ふむ…」

「しかしながら、奥方の誾千代姫がご存知の通り猛女でございまして、女城主さながらに君臨しております。かつ家臣団はみな道雪様に忠節を誓いし者たち。婿養子の統虎殿に従えぬと云う者も多い次第でして、みな紹雲殿のように総員玉砕の覚悟。降伏など口にしようものなら即座に斬られそうな雰囲気にござる」

「確かに城内に放った密偵によれば、徹底抗戦の雰囲気の中で統虎殿は煮えきらぬ態度と聞いておりまする」

 と、部下の新納忠元。

「壱岐殿は統虎殿と同意なのであるか?」

「左様、統虎殿はこう申された。『父の紹雲が岩屋城にて徹底抗戦いたしは、柴田の援軍到着の時間稼ぎ。後に残りし我らのために自らを犠牲にされた。今ここで我らが死ねば父の死が無駄死になる』それがしも同感にて、統虎殿とはかり、こうして愛想を尽かしたと見せかけ、こちらに伺った次第でござる。おりを見て統虎殿を拙者が手引きして、お連れいたすゆえ、何とぞ島津にて庇護をお願いしたく」

「承知いたした。総攻めはしばらく見合わせよう」

「ありがとうございまする! では統虎殿へ合図の狼煙をあげていただきとう!」

 島津陣から狼煙が上がった。立花城の誾千代の目にも入る。

「あれは何の合図の狼煙であろう」

「さあ…」

 気のない返事をする統虎を般若のような形相で睨み、高櫓から降りる誾千代。

「由布、十時、島津の総攻撃の狼煙やもしれぬ。防備を固めよ」

「「ははっ」」

 頼りない後ろ姿を見せ、島津陣を眺める夫を見つめる誾千代。

「あんな男に私の純潔をくれてやったのかと思うと涙も出ない!」

 そんな誾千代の歯軋りを他所に統虎。

(ふむ、壱岐め、うまく行ったと見えるな)

 

 数日後、立花城と島津軍双方まったく動く様子なし。誾千代は焦れ出した。

「あの狼煙は何の合図であったのか…。まったく動く様子がない」

「姫、ここは藪を突付くも良いかと!」

 と、家老の由布雪下。

「よし、討って出るか!」

「ならん」

「え?」

「あくまで大納言殿到着まで篭城だ」

 城主は統虎、誾千代が指揮を執ると言っても、家臣は彼女の指示で出陣しない。

「…ふん!」

 拗ねて高櫓から降りる誾千代。

 

 同じく島津陣、立花城に何の動きもない。焦れる島津忠長。

「遅い! あれから五日だぞ!」

「確かに遅うござるな」

 と、家臣の新納忠元。

「もはや謀られたかあの爺に…」

「申し上げます!」

 使い番が来た。

「なんだ?」

「立花城より狼煙か上がっております!」

「噂をすれば! ようやく来たか統虎め! 壱岐殿、手はずどおり手引きされよ。統虎を陣に入れた後に総攻撃だ!」

「さにあらず」

「なに?」

「あの狼煙は援軍の柴田軍が門司に到着した知らせにござる」

「な…ッ!?」

 

「も、申し上げます!」

 血相を変えた使い番が来た。

「柴田軍、門司に到着! 毛利軍を先鋒にして柴田本隊上陸、その数およそ二十万!」

「に、二十万だと…!」

「申し上げます!」

「今度は何だ!」

「竜造寺軍、離脱!」

 床几を蹴り飛ばす忠長。その床几は内田壱岐に当たった。

「覚悟は出来ていような」

「無論」

「…なぜ逃げなかった。狼煙を見て城に帰る事もできたであろう」

「かような卑怯未練な真似をいたせば、冥府の道雪様に合わす顔がござらぬ」

「…もういい、行け」

「何と?」

「お前ごとき殺しても何も変わらん。刀の汚れとなるだけじゃ! 顔も見たくない、とっとと失せろ!」

「…これが宝満城で行った卑怯な振る舞いのツケにござるよ図書殿…」

「なに?」

「時を焦り、いかなる理由があろうとも卑怯な手段を用いる事を潔しとしない島津の誇りを捨てた報い。因果は巡るもの」

「だから偽降と云う卑怯な手段も立花も用いたわけか。ふっははは! 良かろう、開戦を前に人質は返す。必ず送り届けよう」

「信じましょう」

 内田壱岐は立花城に帰っていった。

「忠元、全軍に退却を下命せよ」

「ははっ!」

「それと忠棟、人質を返す手配を整えておけ」

「良いのですか! 我らが卑怯ならあちらも卑怯、返す必要はないと思われますが!」

「良い、これ以上俺に恥をかかすな」

 

 そして立花城、帰ってきた内田壱岐を労う統虎。

「よう無事に帰ってきた!」

「はっ」

「しかし殿、せめて我々にはお話願いたかったですな」

 少し不満の家老たち。

「ははは、まあ許せ。敵を欺くには味方からと申すではないか」

 昨日までの頼りない顔でない統虎の顔に気付く誾千代。

(それで私の罵詈雑言も甘んじて受けていたのね…。壱岐と二人で負けが必至のこの戦をひっくり返してしまわれた)

「申し上げます! 島津軍が退却いたしました!」

「よし、追撃いたすぞ!」

 家老の由布雪下、十時摂津は止めた。

「お待ちを! 島津は退却しているとはいえ大軍、こちらは千五百程度、小勢の追撃では蹴散らされるのみでございますぞ!」

 腰を引かせている家臣たちに統虎は一喝した。

「父紹雲の仇を報ぜず、母と弟の恥もそそがず、どこに生を甘んじる意味があろう。お前たちに無理強いはしない。俺は一人でも島津を追い心ゆくまで戦う。もし斬死したとしても泉下の父へのよき挨拶となろう!」

(統虎殿…!)

 誾千代、頬を染めた。こういう女傑は自分より強い男には弱い。誾千代だけではない。今まで婿養子と軽んじていた立花家臣たちは、さすがは道雪様が見込まれた婿殿よと感奮した。

「我が父の仇! せめて一矢のみ!」

「同道いたそう!」

 内田壱岐が応えた。

「誾千代!」

「は、はい!」

「一緒に参れ」

「承知! 誾も参る! 立花の誇り、戦場に示さん!」

 島津は小勢しかない立花の追撃をまったく予想していなかった。当たり前である。統虎の弟とその妻、そして実母も島津の人質となっているのだから常識で考えて追撃などするはずがない。

 だが統虎はやった。立花軍が婿の統虎を『我が主君』と認めた最初の合戦。わずか千五百とは云え鬼道雪の将兵たちだったもの。並大抵の強さではない。島津軍は気圧された。

 総大将統虎の横に大剣を使う美丈夫がいたが、それが誾千代である。誾千代が女と気付いた島津軍将兵はいなかったのではないか。誾千代は父道雪の愛刀『雷切』を武器に巴御前のごとく暴れまくった。

「父上より譲られし雷切が島津を斬る!」

 追撃は大成功。数十倍以上の兵力を有する島津忠長勢を見事に撃退したのである。統虎は父の仇を報じたと言えるだろう。統虎は深追いせず、頃合を見て追撃をやめた。島津勢はほとんど総崩れであった。

「やりましたな殿」

 と、内田壱岐。

「うん、壱岐やみなのおかげだ。誾千代も見事な働きであったぞ」

「立花なればこれしき当然です」

 愛刀『雷切』を担ぎ、ニコリと微笑む誾千代。

「はっははは、やっと笑顔を俺に向けてくれたな」

「統虎殿…」

「ん?」

「父の目は間違っていなかった。今に統虎が分かる時が来る、そう言っておられた。統虎殿は我が良人として、立花の当主に相応しい」

「そうか」

 

 一方、島津忠長もさるもの。追撃に怒る部下は“国許に帰ったら統虎の人質を殺してやる”と言ったが忠長は“統虎は父親の仇に一矢報いたに過ぎぬ。いっぱい食わされた腹いせに人質を殺すなど薩摩隼人のする事ではない。人質を殺してはならぬ”と家臣を戒めた。

 

 門司の軍港に下りた柴田明家。

「思えば遠くへ来たものだな…」




誾千代さんは当然『戦国無双』のノリで書きました。女ではない、立花だ!が好きなんですよね。


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南進柴田軍

 ここは大坂城、明家の家族の私室。

「おぎゃあおぎゃあ」

「おお、よしよし、あ、おしめが湿っている」

 赤子が元気に泣いている。正室さえが生んだ男の子である。幼名を吉之介と云う。信長の幼名の吉法師、秀吉の幼名の日吉丸から『吉』をもらい、そう名づけた。この男児が後年柴田家によって再興される『後朝倉家』の当主、朝倉教景となる。朝倉家の名将である朝倉宗滴の入道前の名を与えられる。朝倉家再興の祖となる運命を持つ赤子である。

 その赤子を明家とさえの嫡子竜之介と次女鏡姫が懸命に面倒を見ている。当然乳母もつけられるが、弟の面倒は兄と姉が見るのは当たり前と、明家とさえは竜之介、お福、鏡をそう養育している。だから言われなくても竜之介と鏡は弟の面倒を見ていた。

「ああ鏡、何度言わせるんだよ。おしめの変え方はこうやってこうだよ」

「こう、こう、じゃ分かんないよ兄上!」

「仕方ないな、貸してみろ」

「鏡がやる、やり方をもう一度教えてよ」

「九回も教えている身にもなれよ、吉之介が風邪ひくぞ」

「いいから鏡にやらせて!」

 そんな兄妹の様子を遠目から見ている明家とさえ。

「竜之介も大きくなったな」

「はい」

「つい昨日生まれたと思っていたが、早いものだな。あと三年もすれば元服だ」

「大殿様、大御台様も楽しみになさっているようです」

「そりゃそうだ、俺だって楽しみだ」

「早く初陣の姿を見とうございます…」

「はっははは、さえ、竜之介に初陣はないぞ」

「え?」

「竜之介の初陣の頃には、俺が合戦の世を終わらせている」

「殿…」

「俺が竜之介に望むのは乱世の英雄ではなく、治世の賢君なのだ」

「治世の賢君…」

「うん」

「わーん母上!!」

「ど、どうしたの鏡?」

「吉之介に小便かけられた!」

 兄の竜之介は薄情にも腹を抱えて大爆笑していた。さえも笑いをこらえながら鏡に歩み寄った。

「まあまあ、赤ちゃんの小水はお乳しか飲んでいないからきれいよ、大丈夫」

「目に少し入っちゃったよ~ッ!」

 父の明家も苦笑しながら、そんな光景を眺めていた。九州出陣前、明家の心も安らいだ。

 

◆  ◆  ◆

 

 勇猛果敢な島津勢との合戦。明家は大友と竜造寺に命じ九州の地形図を提出させ、また島津の戦術など細かく調べた。特に明家が注目したのは沖田畷の戦いである。九州の桶狭間と呼ばれる合戦。竜造寺家を離反して主君隆信に叛旗を翻した有馬晴信、赤星統家に島津家久とその従兄弟の忠長が加勢し、三万の竜造寺勢に有馬、赤星、島津の五千が大勝した合戦。この戦いの采配を執ったのは島津家久。現当主義久の弟であるが、相手の総大将の竜造寺隆信も討ち取る大勝利だった。島津の用兵を記した竜造寺家老の鍋島直茂からの文を読み、これは難しい合戦だと思った明家。

 しかし島津は柴田の介入を危惧し、九州の統一を急ぎすぎた。それを明家に付け込まれる事になる。軍師の黒田官兵衛を呼んでこう伝えた。

「出羽守(官兵衛)、九州遠征に先立ち、火のないところに煙を立たせてほしい」

「承知つかまつった」

 黒田官兵衛が九州出陣前に島津の武威の前に屈服した九州の大小名、豪族や土豪に使者を送り調略を行った。長宗我部を攻めた時と同じく、明家は島津に敗北し、島津に怨みを持つ者を味方につけるべく黒田官兵衛に下命したのだ。官兵衛は『大納言様に味方すれば本領の安堵を約束する』と九州の大小名、豪族や土豪に使者を送り届けた。そのうえで『貴殿が柴田に降伏したと島津に気取られたら、貴殿が攻められる恐れあり。よって大納言様が九州に到着するまで互いに秘事とするべし』と念を押した。

 狙い通り九州大小名は疑心暗鬼に陥ってしまった。寝返りの噂が飛び交い、誰が敵であり味方であるか分からなくなってしまった。九州攻めの準備は整った。その軍儀での事。重臣たちは毛利や長宗我部と云った柴田に属したばかりの大名を先鋒に行かせてはどうかと具申したが、

「いや、最初から俺自ら行く」

「殿…」

 止めようとした官兵衛を制した明家。

「島津相手に軍勢を小出しにしていては各個撃破されるのが目に見えている。はじめから全軍を投入して一気に勝負をつける。島津は九州にだいぶ版図を広げてはいるが、軍事征服が成ったばかりの地が大半。調略し味方につけ、道案内をさせて南下する。そして…」

「そして?」

 明家の扇子が島津の本拠薩摩を指す。

「島津当主、島津義久殿に同時進行で降伏を勧める」

「前線の島津勢と対峙しながら、本拠の君主を外交で落とすのですか」

「そうだ出羽守、島津は精強と聞く。島津の四兄弟は祖父の島津忠良殿に『義久は三州の総大将たるの材徳自ら備わり、義弘は雄武英略をもって傑出し、歳久は始終の利害を察するの智計並びなく、家久は軍法戦術に妙を得たり』と評している。祖父の身びいきでない事は四兄弟の今までの戦ぶりで分かる。まして我らは遠い敵地に遠征だ。長期戦も避けたい」

「「ははっ」」

「それでは各将、九州遠征のため軍勢を整えよ」

「「ははっ」」

 

 軍議が終わると、白と六郎がやってきた。

「殿、徳川殿は北条とより強固な同盟を結び、他の関東勢や奥州勢にも使者を送っておりまする。吝嗇の徳川殿がかなりの金子と宝物をばらましているとの事」

 と、白。

「そうか」

「家臣の美貌の娘を養女とし、嫁がせております。徳川殿が東国の連合軍を作ろうとしているのは明白です」

「…確か奥州の地は伊達政宗が頭角を現してきたな。会津の芦名氏を滅ぼし、東北一の暴れん坊と呼ばれているそうな」

「父の輝宗より家督を継いでより、怒涛の勢いで領地を広げていきました」

「ふむ…」

 白は続ける。

「奥州の地はいまだ群雄割拠の様相ですが、各々の大名が少なからず縁戚にございます。戦になったとしても、敵を殲滅せしめない事が暗黙の了解となっていましたが政宗はやりました。叛旗を翻した大内定綱なる者の小出森城を攻めた時、女子供に至るまで撫で斬りにしたそうです」

「賭けに出たのであろうな、滅ぶか、奥州の覇者となるか。伊達に逆らうとこうなるぞ、と内外に示したと見える」

「それに伴い母親に悪鬼羅刹と嫌われ、父の輝宗殿は政宗に追い詰められた畠山某に殺されたと聞き及びます。しかし、ほぼ奥州全土を敵に回しました四面楚歌の様相ながらも政宗はそれを噛み破り、ついには会津の芦名を滅ぼしました。代償は大きゅうございましたが伊達政宗は南奥州の覇者となりました」

「ふむ…しかし政宗と云う男、案外面白い。会津の芦名を滅ぼす時は、もっとも険しい入路である母成峠から押し寄せ、また先の大内定綱は叛旗を翻したのは二度目、それでも政宗は定綱なる男の才幹を重く見て再登用したと聞く。今度は使いこなす自信があったと見える。油断ならざる男だ」

「御意」

「当然、徳川殿はその日の出の勢いの政宗にも手を伸ばしたであろうな」

「その通りです。そして意外にも味方に付く事を政宗は了承したとの事」

「…俺が政宗のような性格で、かつ同じような立場なら徳川殿に天下を取らせ、その政権下で勢力を拡大し人脈も広げ、徳川殿亡き後に天下を狙う。政宗と俺は七つしか変わらない。俺がいては天下を望めないが徳川殿なら寿命待ちと云う作戦が取れる。まあ徳川殿ほどの人物ならば、政宗のそんな魂胆も理解しながら当面利用するつもりなのだろうが」

「しかし、当面において伊達が敵となったのは明らかにございましょう」

 と、六郎。さらに続ける。

「伊達は徳川に付いたとはいえ、奥州はまだ群雄割拠にございます。他の奥州勢は徳川に付きましょうか」

「付く」

「なにゆえ」

「柴田大納言を討つ、そう徳川殿が檄文を発したら大名は嫌でも二択を迫られる。俺に付くか徳川に付くか。統一政権の樹立のため、俺は源頼朝、足利尊氏と同じく『征夷大将軍』となる必要がある。『征夷』そして『大将軍』つまり『東方の蛮族を誅する軍の総大将』となる。徳川と北条が柴田に併呑されたら最後、奥州まで柴田は攻め入り蹂躙すると思っている。だから利害の関係で奥州勢は徳川に付くしかない。中立は通らない。柴田と徳川、その勝者に潰される。

 当家と友好関係にある秋田氏からも今は連絡がない。無理ないな、柴田に付くなどと言えば袋叩きにされようからな。それに関東勢は徳川と北条が味方につけと云えば断れまいな」

「なるほど…。では殿、徳川殿は九州攻めに出ている我らの後背を衝く腹ではないでしょうか」

「だろうな」

「だろうな…。とは察しておられたのですか殿」

「しかしながら二方面作戦は取れない。よって留守部隊はそれなりに残す」

「ですが、殿の留守を狙い、安土、京、大坂と一気に西進してきてはいかがなさいます?」

「そうしてくれれば助かる。上洛するほどの軍勢ならば中山道を通り西進するしかない。長蛇に延びた徳川軍を畿内に残る留守部隊が南北から襲い掛かる。間道を通るも地理に明るくなく、そこいらじゅうに柴田の忍びが伏せている。その差配のため奥村弾正、信濃守(山崎俊永)、そして佐吉や高次、筒井殿を残し、濃尾の軍勢も上杉と真田にも出陣要請はしない。無理に押し通ろうとすれば犠牲甚大となる事くらい徳川殿にも分かろう」

「濃尾の軍勢を残すと言う事は…殿は徳川が濃尾まで押し寄せるかもしれぬと?」

「柴田明家を野戦に引きずり出し、首を取るためにな。徳川殿が柴田に勝つ方法は一つしかない。戦場で俺を討つ事だ」

「では島津攻めは徳川殿を誘い出す意味も?」

「いや、そんな思惑はない。相変わらず徳川殿の寿命を待ち、戦うにしても徳川家康の死後に対するつもりである。しかし、島津との連戦を考えると、たとえ九州に二十万の軍勢で赴こうが、徳川に対応できる兵は八万がいいところだ。ほぼ五分と五分。あの狸がこの機会を逃すとは思えない」

「島津と徳川、討つ順番は変えられないのですか殿?」

 白が訊ねた。

「無理だ、徳川殿を討てても、そこまで島津に時間を与えたら大友は島津に降伏し九州は島津を盟主とする独立王国の様相になる。先に島津と云うのは変えられない」

「そうですな…」

「とにかく、今は島津に集中だ。徳川との前哨戦程度と考えて勝てる相手ではない。島津を柴田総力挙げて討つ」

「「ははっ」」

「六郎はこれまで通り、徳川の動向を逐一俺に報告してくれ。白は俺と随員して影武者を頼む」

「「承知しました」」

「あ、六郎」

「はっ」

「子が生まれたらしいな」

「はい」

「名前も聞いた。『七郎』だって?」

「親父より一歩優れた男になってもらいたいと云う願いから舞がそう名づけました」

「ずっと棚上げとしていた人事であったが、舞は本日を持って『三忍』の任を解く。以後は妻として母親として生きるように伝えよ。九州から帰ってきたら、舞と会い俺自身から改めて退任を言い渡し、功労金も渡すつもりだ」

「心遣い、かたじけのうございます」

「うむ」

「三忍も二人となってしまいましたな殿、父の柴舟はすでに商人から引き、鈴之介様の守役と城下町の運営に専念。昔のように殿をお助けしたいと愚痴っておりましたが…」

「ははは、白、『鈴之介の守役と美浜の城下町の運営に専念』それが俺をすでに助けているじゃないか」

「殿…」

「亡き養父隆家は銅蔵殿と幻庵殿を両忍として使っていた。俺もそれに習おう。これからも頼むぞ二人とも」

「「ははっ!」」

 

 かくして柴田明家は留守に奥村助右衛門、山崎俊永らを残し九州に向けて出陣した。未曾有の大軍勢、大海原を数え切れない軍船が西に進む。それらの後方支援を勤めたのは石田三成と京極高次、九鬼水軍と村上水軍とも示し合わせ、大量の物資が瀬戸内海を渡った。船上の総大将明家は前田利家、毛受勝照と話していた。

「殿、島津義久は九州討伐中ももっぱら居城にこもり、前線は弟たちと家臣たちに任せていると云う事。これをどう思いますか」

 と、前田利家。

「それがしとは違う観点を持つ大将と見えます。それがしは将兵の鼓舞を促すため総大将自らが戦場に赴く事は誤っていないと思っています。これはこれで一つの大将のやりようと自負はしていますが、義久殿は大将自ら動く事なく、弟たちや家臣らを上手く使いこなす優れた采配を持っていると思われます。けして愚兄賢弟ではないでしょう」

「同感にございます。今さら義久と同じ事をせよとは申しませぬが学ぶ事も多かろうと存じますぞ」

「はい」

「それにしても惜しい方を亡くしました。立花道雪殿と高橋紹雲殿。それがしもお会いしましたが、彼らはまことの武人」

「まさに」

 うなずく毛受勝照。続けて言った。

「武田信玄が対面を熱望したと云うのが、道雪殿を見てよう分かった。あの御仁はすべての武将が目標とするべきお方よ。殿に頭を垂れている時でさえ、我ら尚武の柴田家臣も気圧された。あの才蔵が“道雪殿に比べれば俺など稚児にすぎない”と言いよったからな」

「兵部(才蔵)殿が稚児では、それがしは赤子にござるな。あっははは」

「彼らが柴田が戦で戦うのを見たかったのう」

  と、利家。

「道雪殿と紹雲殿は養父隆家に似ている」

 利家と勝照は静かに頷いた。

「まだ色々とお話を聞きたかったのですが残念です。しかし語らずとも両将の生き様は尚武の柴田も学ぶところが多大にございます。お二人を知っている大友将兵から伺いたいと存ずる。また娘婿の立花統虎殿が島津の大軍相手に立花城で踏ん張っているらしい。間に合えば良いが」

 

 それから二日後、毛利勢を先鋒として柴田の大軍勢が筑前国門司に到着した。

「思えば遠くへ来たものだな…」

 九州の地を踏み、体を伸ばす明家。そして赤と黒の母衣衆を召して下命した。

「少しの休息の後、南進を開始する。各々十分に飯を食べておくように、なお酒は禁じる」

「「ははっ」」

「殿、先鋒の毛利から使い番が来ております」

「会おう」

「それがし、小早川が母衣衆にござる。柴田大納言殿に申し上げまする」

「聞こう」

「島津軍は後退、立花城は何とか持ちこたえた由」

「分かった。本日は立花城にて陣を作るゆえ、城主の統虎殿へ城外に柴田陣を作る事を伝えておくように」

「ははっ」

「それではしばしの休息の後、立花城に向かう」

「「ははっ」」

 一刻半後(三時間後)、柴田軍は立花城に向かった。先鋒の毛利軍、そして立花軍が柴田の陣場をすでに作り出していた。その指揮を執っていた統虎、柴田明家が来たと聞くと出迎えに向かった。誾千代も一緒である。

「大納言殿」

「おお統虎殿、お久しぶりにござる」

「援軍、かたじけなし。ささやかながら城内に馳走を用意しましたゆえ、こちらに」

「これはありがたい。…ん?」

 統虎の後ろに一人の美女がいるのに気づく。

「立花統虎が室、誾千代にございます」

 明家の左右にいた前田利家と可児才蔵は惚けた。甲冑姿の誾千代であるが、何ともそれが彼女の美しさを引き出している。

(何と見目麗しい…)

 我が妻のまつ以上の美女はいないと豪語する利家であるが、それがちょっと揺らぐ。

(かように甲冑が似合う女は見た事がない…)

 さしもの笹の才蔵も見惚れてしまった。

「貴女が道雪殿のご息女の誾千代殿にござるか?」

「はい、大納言殿の事は亡き父より伺っております」

 誾千代を見た明家。

(さえには及ばぬが、なんと美しい…。さえを見て統虎殿が泣いて羨ましがっておったから、道雪殿の面相さながらの鬼瓦みたいな女房かと想像していた)

 そして城に入り、しばしの休息と歓待を受けている時だった。

「誾千代殿のお話は聞いた事がございます。六歳で立花の家督を譲られ、この城に女城主として就いたとか」

「恐れながら大納言殿」

「は?」

「女にあらず、立花です」

「ほう…」

「お、おい誾千代! 失礼ではないか」

「あっははは、いや統虎殿、礼を失していたのはそれがし。『女城主』と言った事が誾千代殿の癪に触ったのかもしれませんな。父祖の名を尊ぶ事、生まれ故郷を守りたいと思い戦う心に女も男もない。上坂されたおりには是非それがしの妻の友となってもらいたい」

「喜んで」

 

 そして翌日、毛利と立花を先陣とする柴田勢は出陣した。誾千代も統虎について出陣した。同じく前田利家が大軍を率いて日向方向へと進軍した。前田には宇喜多や細川の軍勢が付き南進。途中島津勢に攻められている臼杵城を救い、大友本隊と合流予定である。明家には毛利、長宗我部、立花が付き、統虎が案内を務め南進する。

 

 ところで九州における、もう一方の柴田家友好大名、竜造寺家について語ろう。

 肥前の熊と称された竜造寺隆信、大友宗麟が耳川の戦いで島津義久に大敗すると大友氏の混乱に乗じて自領の拡大に乗り出し、やがて筑前や筑後、肥後、豊前などを勢力下に置く事に成功した。

 しかし彼もまた大友宗麟と同じく、暴虐な側面もあった。君主として家臣や国人の造反を恐れたのか、疑心暗鬼に陥りやすく、かつ報恩の義を欠片も持ち合わせていない男である。隆信は二度も流浪の将となったが、その際に庇護してくれた筑後の蒲池家、そんな大恩ある蒲池家を長じた隆信は騙し討ちにして皆殺しにしている。いくら戦国の世とて行き過ぎである。さらに人質として預かっていた赤星統家の子二人を殺している。 そして、ついに有力な国人である有馬晴信が竜造寺氏から離反した。これを機に島原半島における龍造寺寄りの諸豪族が動揺し始めた。先の赤星統家も有馬晴信の元に参じた。子二人を殺された怒りは凄まじいものであった。この有馬晴信を中心とする反竜造寺軍に島津家久軍が助勢した。これが世に云う九州の桶狭間『沖田畷の戦い』である。

 島津側の援軍の将は島津家久、島津忠長と云う名将であり、竜造寺隆信は自ら大軍を率いて島津有馬連合軍との決戦を仕掛ける。竜造寺は島津と有馬の連合軍の陣に密偵を放つが、このおり島津家久は援軍に来てやったと言わんばかりに傲慢極まりない態度をとり、赤星統家と激しい口論に及んでいた。

 しかし、これは家久が密偵のいる事をいち早く悟り、そのような態度を執った芝居であった。味方の赤星統家とて騙されたのである。竜造寺方には合戦を楽観視する家久の言葉を鵜呑みにした密偵の報告がそのまま伝わった。それにまんまと乗せられてしまった。

 だが家老の鍋島直茂(当時は信生)が島津家久はそんな底の浅い大将ではないと隆信を諌めたが、この時に竜造寺軍は二万五千の大軍。竜造寺方は六万と流布したが、実際は二万五千であった。しかしそれでも有馬の五倍と云う大軍であった事から隆信はその諫言を入れずに出陣。家久の術中に陥り、絶対に不利な地形におびき寄せられてしまい、大敗を喫し多くの将兵を失い、隆信自身も島津軍の川上忠堅に討ち取られてあっけなく戦死してしまった。

 

 竜造寺家の家老である鍋島直茂。こういう話が残っている。沖田畷の戦いは竜造寺の惨敗。しかも君主である隆信の首が奪われると云う数多ある戦国時代の合戦史でもそう例のない屈辱的大敗だった。沖田畷の戦いの後、直茂は敗残兵を収拾して佐嘉城に撤退した。

 竜造寺隆信の首を取った島津家は首実検を終わらせるとその首級を使者に持たせて竜造寺家の居城である佐嘉城に届けた。無論、これは降伏勧告である。直茂は変わり果てた主君を見て、静かに隆信の首に語りだした。

『殿…。このたびの負け戦は家老のそれがしの諌めをお聞き入れなく、不用意なご出陣をなされたゆえにございますが、古来より武士が戦場で散るは天命。それがしも殿と共に討ち死にすべきところでござるが、こうしておめおめと生き延び、恥を晒すは…』

 島津の使者を鋭き眼光で見据え、

『殿の仇を討たんがためにござります!』

 獅子の一喝とも云える直茂の裂帛。直茂は首台の筒蓋をとり、

『いま、かたじけのうと首級をもらい受け、おめおめと島津の軍門に降るわけにはいきもうさん。長くはお待たせしませぬ。我らが薩摩に討ち入る時まで、今しばらく敵地にてご辛抱して下され』

 そして蓋をして、直茂は一喝。

『首の受け取り、お断りいたす!』

 と、島津の使者を追い返してしまったのである。これを伝え聞いた島津義弘は『肥えた豚には過ぎた家臣よ』と直茂を讃えた。そして当主が討たれ弱腰になっていた竜造寺の家臣団は直茂に傾倒していった。隆信の遺児の政家は凡庸な将であったので、これも自然の流れであろう。

 島津家に徹底抗戦の姿勢を見せる直茂率いる竜造寺家。島津は直茂の器量を認めるも変わらず攻撃の手は緩めない。隆信の跡を継いだ政家は凡庸な男であり、またこういう節目は狙い時である。竜造寺勢力の肥後に対する支配力は急速に衰え、筑前と筑後では大友氏の反撃が始まった。もはや四面楚歌となった竜造寺政家は秋月家の調停で島津家に降伏同然の和睦する事となり、島津家の配下大名に成り下がってしまった。家老の鍋島直茂は佐嘉に呼び戻され、竜造寺一門と先代隆信の母親である慶誾尼に

『病弱な政家に代わって国を統治して欲しい』

 と要望された。政家も同意して直茂に

『そなたが和戦両面を指導せよ。もし反対する者があっても思うように指図して良い』

 これにより直茂は実質上の龍造寺家の実権を握ったのである。それより直茂は心血注いで主家竜造寺家のために働いた。そんなある日、畿内の王者柴田家から“徳川と北条も我が配下なり”と書が来た。中央の情勢を正確に掴んでいなかった直茂はこれを真に受けてしまった。大急ぎで直茂は安土へと向かった。そして

「当竜造寺家は現在島津に組しております。それでも友好の約を結んでくれまするか」

 と柴田明家に述べた。ちなみに言うと島津は明家が出した“徳川と北条も我が配下なり”の文を偽りと見抜いたため、使者どころか返書も出していない。

 柴田明家は鍋島直茂を見て、ただものではないと見抜き、かつ政家が凡夫と聞いていたので竜造寺家ではなく、鍋島家と友好の約を果たしたいが、と述べた。直茂は我の主君は竜造寺と明家に述べたうえで、それを受諾している。後に完全に竜造寺と鍋島は主従逆転するが、それはまだ先の話…。

 ところで友好の約を果たし終えた後、明家は“徳川と北条も我が配下なり”と云うのは嘘だ。と直茂に告げた。直茂は心の中では『騙しやがったな、このガキャアッ!』と憤ったが、顔は至って平静を取り繕い『存じておりました』と返した。どうであれ、柴田が日本最大大名である事は変わらないのであるから、きっかけはどうでも良いのである。

 以後、島津に組するも柴田とも通じ、九州遠征を促し九州の情勢は細かく報告していた。大友家が完全に柴田へ従属すると聞いた。柴田が大友の援軍として近日大軍勢でやってくる。直茂は主家の恥を雪ぐため、虎視眈々と時期を待ち、島津の言いなりとなっていた。そして、いよいよ柴田明家の率いる二十万の軍勢が門司に上陸した。直茂率いる竜造寺勢はそれを聞くや、さっさと島津陣から離反し柴田への味方を表明した。

 それと逆であるのが、九州の名族秋月氏である。当主の秋月種実もまた動乱の九州を戦い抜いた古強者である。柴田の大軍勢来襲、この報が秋月種実の居城に届いた時、種実は『我らは今まで島津に組して戦っていた。中央の覇者が未曾有の軍勢を連れてきたからと申せ、ハイそうですかと鞍替えしたら九州人の恥、先祖に合わせる顔がない』

 と徹底抗戦を主張。家老の恵利暢堯は時代の流れを読んで柴田に従うように諫言したが受け入れられず、それどころか種実は暢堯を弱腰と罵倒し追放して切腹に追い込んだ。これが痛恨であった。『柴田につくべし』と内心思っていた家臣たちは大勢いた。家老の恵利の死を見て、柴田との不戦派は柴田軍上陸と同時に総じて主家の秋月氏に叛旗を翻した。種実は『秋月同士で争っている場合ではなかろうに!』と激怒したが後の祭りである。

 

 島津義久居城の内城。

「申し上げます!」

 当主義久の元に使い番が来た。

「なんだ」

「大納言柴田明家、二十万の軍勢で立花城を出陣!」

「二十万…!?」

「兄上、この後に及んで臆しましたか。ゴホッゴホッ」

 止まらない咳を続ける島津歳久。

「臆してなどおらぬ」

「フッ、ここには弟のそれがししかおりませぬ」

「…かなわんな、確かに兵力を聞き、少し驚いた」

 島津義久の弟の歳久は、島津四兄弟の中でただ一人、柴田との交戦を反対した人物であった。

『苦戦の見込みあらば迷わず逃走し、勝利しても犠牲多大と悟れば徹底して戦を避ける大納言。今までただの一度も負け戦を知らぬのは大納言が勝つための合戦ではなく負けぬための戦を心がけているゆえ。かと思えば手取川と賤ヶ岳では敗戦必至の劣勢をひっくり返してもいる。並みの大将ではない。若僧と侮ると大変なことになる』

 しかし、結果は済崩しに交戦となった。歳久は毛利と同じく柴田の従属大名となり、それから交渉をもって島津の領地を保証してもらうべきと主張した。だが次兄の義弘に『かような姑息な手段は島津の軍法にない。島津が命がけで切り取った九州の地、なぜ大納言の裁量に委ねばならぬ』と一喝されてしまった。交戦と決まったからには島津の三男として戦場に出るべきであるが、歳久は病に冒されていた。

「ゴホッ、ゴホッゴホッ! ハァハァ…」

「大丈夫か、又六郎」

「何とか…。兄上、おっつけ柴田から降伏の使者がやってきましょう…」

「ふむ…」

「前線でも島津と対峙し、九州の大小名や豪族を調略し、なお水面下でそういう交渉を持ち込んでくるのが大納言、腹は立つでしょうが、その使者には礼を尽くし、とことん話し合うが肝要かと存じます」

「分かった、もう休め」

「はっ」

「誰ぞある。歳久を寝所へ連れて行け」

「ははっ」

 

 柴田軍は進攻を開始した。毛利と立花の後詰に柴田本隊が入り、宝満山城、そして紹雲最期の地である岩屋城も奪還。そして前田利家率いる別働隊が大友宗麟の居城である臼杵城に迫る。別働隊とはいえ途方もない大軍。さしもの島津義弘と家久も退却してしまった。その後に大友本隊と合流して前田利家率いる大軍が南下。

 一方、柴田明家。岩屋城に柴田本陣を築き、紹雲と岩屋将兵に柴田全軍が合掌した。穀蔵院ひょっとこ斎と云う流れ者の豪傑がいたと云う話は明家の耳には入ったが、慶次と同一人物とまでは知る由もない。岩屋城に陣を構えている時、鍋島直茂率いる竜造寺勢が合流。ここから明家が本格的に全軍の采配を取る。明家は秋月氏に進攻を開始。豊前の国に入り秋月氏の砦の岩石城を半日で落としてしまった。益富城にいた秋月種実はこれを知り愕然。わずか半日で落とされた事実にただ呆然とした。

 九州では想像もつかない未曾有の大軍勢で押し寄せる柴田軍。秋月種実は益富城を破却して、後方の古処山城に退去してしまった。明家は益富城の跡地に本陣を構えて古処山城と対峙。だが翌日、種実は信じられない光景を古処山城から目の当たりにする。自軍が破壊した益富城が立派に作り直されてしまったのである。築城術では人後に落ちない明家。地形的に前線拠点としてちょうど良いと考え、自ら地形に沿った縄張り図をすぐに描き上げ、人海戦術を駆使し秋月種実に柴田の力を誇示するため、たった一日で築城を完了させたのである。古処山城からそれを見た種実は戦意を喪失した。

「柴田大納言は天魔なりけり…!」

「父上…」

「三郎(種実嫡子の種長)…。もうどうにもならん…!」

 

 益富城を再築し前線拠点としたうえ、古処山城を完全に包囲した柴田軍。明家は使者を出した。

『種実殿は立花勢と対峙していた時、退却する立花勢の中にあった棺の中が立花道雪と知るや、一切の追撃を許さなかったとの事。九州の武人の心意気、柴田大納言感服いたした。はからずも敵味方となってしまったのは残念至極なるが、できる事ならば味方としたい。そして柴田の作る統一政権の樹立に協力願いたい。柴田は名門秋月氏を厚遇しましょうぞ』

 戦意を失っていた秋月種実は降伏を決意し、柴田陣にやってきた。まさに立花の退却を黙って行かせた事が彼自身を救った。あのおりに道雪の死に乗じて追撃をしていたら、柴田の助勢を得た立花勢は怒り狂いながら古処山城を落とし、種実を討っていただろう。

 降伏の英断を示した種実を労った。種実は剃髪し、僧侶姿となっていた。家宝の『楢柴肩衝』『国俊の刀』を献上し、そして嫡子三郎と長女の春姫を人質に差し出した。

「秋月殿も柴田の南進に列していただくが、ご承知か?」

「…恐れながら、つい昨日までお味方していた島津に弓引くのは九州人として出来ませぬ」

 種実は、その『つい昨日まで味方していた島津に弓を引く』を平然としてのけている竜造寺家家老の鍋島直茂を睨む。島津と竜造寺の仲を取り持ったのは秋月。直茂は秋月に後ろ足で砂をかけたと同じであるが直茂は意に介さない。元々島津に味方する気など最初から無かったのであるから。そして明家は南進に加わらないと示す種実をしばらく見据え、言った。

「お気持ちは察するが、敵か味方か分からない者を後方に残したまま進軍は出来ぬ。嫡子の三郎殿に秋月の兵を任せられよ。それを伴いまする。種実殿が出なければ島津への義理も立とう」

「…承知いたした」

 種実の後で明家に平伏し、震えている少女がいた。種実の娘の春姫。彼女は明家が怖かった。織田信長がネコと呼んでいたせいか、柴田明家はこの当時『化け猫』と敵方の女子供に恐れられていたと云う。種実の娘の春姫は『化け猫に食われたくない』と泣いて嫌がったが、秋月家のために父の種実も苦渋の決断であった。迷信深かった当時である。武将たちはともかく、女子供は『人間に化けられる、恐ろしき猫の大妖』と本気で明家を恐怖していたのではなかろうか。美男子とも伝えられていたろうが、それが余計に情け容赦ない残酷な男と云う印象が先走っていたかもしれない。

 その夜、春姫は明家の寝室に来るよう命じられた。いよいよ来る時が来た。当年十四の生娘であった彼女は化け猫に凌辱される恐怖に怯えながら明家の寝室に行った。

「春にございます」

「入られよ」

「は、はい…」

 明家は文机に向かい書き物をしていた。筆を置いて春姫を見た。

「怖がらずとも良い、こちらに」

 震えて、そして顔を伏せながら明家に歩み寄る春姫。

「それでは話せない、面を上げられよ」

「は、はい」

 春姫は顔を上げた。

「……!」

「どうされた? それがしの顔に何か付いていますかな?」

「い、いえ…!」

(なんて、ええ男!!)

「呼びだしたのは他でもない。『楢柴肩衝』『国俊の刀』を持ち、父上の元に帰られよ」

「は?」

「人質は嫡子の三郎殿だけでいい。宝物など贈られても困る。あの場は種実殿の顔を立てて受け取ったが、我ら柴田が九州にある宝目当てに攻め込んだと思われては迷惑なのだ」

「は、はあ…」

「また、女は好きだが嫌がる娘を抱く趣味はない。これに貴女と宝物を返す旨を記したから父上に渡されよ」

 さっきまで書いていた文を春姫に渡した。

「わ、分かりました」

「用件はそれだけだ。戻る手はずは済ませておいたゆえ行くが良い」

「……」

「行きなさい、俺はもう寝るのでな」

「は、はい…」

 春姫は父種実の元へ帰っていった。種実は明家の計らいに涙して感謝した。目に入れても痛くない娘に手を触れずに返し、先祖伝来の宝物を返してくれた事に。これで秋月は柴田に完全に味方に付く事になる。しかし種実は島津との戦いに自分が出る事は拒絶した。せめてもの筋目というところだろう。秋月勢は彼の息子である三郎種長が率い柴田に組した。

 こうして大友、竜造寺に続き秋月氏も柴田に屈した。残るは薩摩の島津のみ。余談であるが、春姫は隠居後の明家の趣味友達となり、美男の爺様と楽しく老後を過ごしたとある。また、この秋月氏の血から後に上杉鷹山が誕生する事となる。それははるか後の話…。



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柴田軍布陣

 島津兄弟、そして島津忠長、そして重臣たちは島津義久居城の内城に戻り、軍勢を立て直し柴田軍への迎撃に備えるべく出陣した。総大将は島津義弘、副将に島津家久と島津忠長、島津の全軍を率いて北上する。

 柴田二十万に大友と竜造寺、秋月が加わり、すでに二十二万に軍勢は膨れ上がっていた。一方の島津の軍勢は三万まで減っていた。これが島津の全軍だった。最高六万から七万の軍兵を誇った島津であるが、柴田に寝返る者や逃亡者が後を絶たなかった。島津から去り、どんどん柴田へと付いてしまう。しかしそれでも戦わなくてはならない。柴田勢を迎え撃つために北上していた。先頭で馬を進める義弘が言った。

「何の、戦は数でするものではないわ。大軍がゆえに油断が生じる。そこをつくのだ。良いな家久、忠長」

「「ははっ」」

「しかし二十二万か…。恐るべきは兵数より、それを支える柴田の財じゃな。大坂から九州までかような大軍を連れてくる事そのものが柴田の恐ろしさじゃ。島津はこの点は勝負にならぬわ。しかし戦なら別じゃ」

「大軍ゆえの油断もありまする。大納言が油断せずとも将兵のすべてはそう参りますまい」

 と、島津家久。

「うむ、地形も我らは熟知している。かつて智慧美濃と大納言は言われていたらしいが、さてさてどんな手並みか」

 

 大軍による油断、明家もそれを考えていた。しかも柴田は勝ち続けている。武田信玄の『十の勝ちは下となす』とはよく言ったものと心から思う。大軍とはいえあの島津をなめてかかったら必ず負ける。島津は勇猛果敢。予想もつかない損害を被る。

 自分が島津軍の総大将ならばどうするか、どう考えても奇襲しかない。敵軍の十分の一の兵力でも自軍を二手に分けて戦い勝利した事がある総大将の島津義弘。明家には毛ほどの油断はなかった。各将兵にも『油断こそが百万の軍勢に値する大敵と知れ』と徹底させている。

 ちなみに水面下の戦闘は柴田軍の圧倒的な勝利となっている。これによって島津よりの諸大名は完全に疑心暗鬼に陥り、島津は苦労して手に入れた九州の地をことごとく柴田に奪われた。

 後年の歴史小説では、島津家に柴田明家や黒田官兵衛と互角に渡り合える知恵者がいなかったからこうもいいように水面下でやられたと書かれる事も多いが、それは誤りだろう。次男義弘や四男家久の智謀の冴えは彼らの戦歴を見れば明らかな事。

 ならばどうしてこうなったか。これは明家が天下人に一番近しい武将であったからではなかろうか。敵に回るより味方に付いた方が得と考える。武家の棟梁となるに、もっとも近い男。絶大な勢力に権力、逆らえばどうなるか。事実四国の覇者の長宗我部はアッと云う間に粉砕されたではないか。我も我もと降って行く。

 元々島津の武威に屈服した小名や豪族たち。島津に何の恩恵も受けていない。今回の柴田の来襲にしても『全軍で島津に参ずるべし』と通達しているだけである。一方、明家は本領安堵に加えて、柴田に味方するならと軍費として五百貫を与えている。これでは島津に加担するわけがない。

 島津将士は柴田のやり方を『卑怯だ』と罵る。勇猛果敢に戦い、敵を蹴散らす事が武士であると信じる島津勢には柴田の行いは卑怯に見えたかもしれないが、これが合戦と云うものである。

 しかし、まだ島津につく九州の国人はいた。赤星統家である。戦局は島津に不利だと云う事は分かっている。だからと言ってすぐに中央の覇者に尻尾を振る事など彼には耐えられなかった。島津家久本陣、ここに統家はやってきた。兵は八百ほどしかいないが、島津に入ってくる報は柴田に寝返りの報ばかり。そんな劣勢の中に赤星統家は島津軍に駆けつけた。家久の喜びは大変なものであった。

「家久殿!」

「赤星殿!よう来てくれた!」

「なんの、我が子の無念を晴らさせてくれた家久殿にどうして槍を向けられようか!」

「九州男児の手並み、中央の覇者に見せ付けてくれようぞ!」

「承知!」

 

 沖田畷の戦い、赤星統家と有馬晴信の離反に怒った竜造寺隆信はその追討に出た。当然二人の軍勢だけではとうてい竜造寺軍に叶わない。二人は島津家に救援を求めた。しかし当主の義久は援軍を渋った。

『戦場は遠く、敵は強大。有馬晴信と赤星統家とは特に付き合いもない。救援に行く義理はない』

 と述べた。当然と言えよう。しかし島津四兄弟の四男家久が

『我ら島津を頼ってきた以上、助ける事が武士の正義にござる。それがしが身命を賭けて向かいまする!』

 と訴え、家久は副将に一族の島津忠長をつけ、精鋭三千の軍勢で救援に向かった。家久は海路から島原半島入りし、上陸するや船を焼き捨てて全軍に言った。

『生きて帰れると、もはや思うな!薩摩隼人の名誉を賭けてここで討ち死にせよ!』

 家久は泥田を見下ろす丘の上に布陣。有馬と赤星勢を加えても約五千。竜造寺軍は二万五千、しかし大軍の有利をいかせぬ地形に家久の奇計で誘導され、アッ云う間に倒され、かつ隆信も討ち取られた。これを九州の桶狭間『沖田畷の戦い』と云うが、桶狭間の合戦は奇襲。しかしこの戦いは五千と二万五千が正面から戦い、そして五千が勝った。

 家久と赤星統家は、この戦いの前に何度か衝突していた。有馬晴信に先陣を要望する統家に『統家殿は竜造寺に人質として出していた子供二人を隆信に殺されたそうであるが、子を殺された事など私怨であり、合戦には無用のもの。かような事で独走されても迷惑千万。そんな男に大事な先陣は任せられない』と無下に統家へ言い放った。援軍の大将である家久とはいえ許せる言葉ではなく統家は激怒、有馬晴信が何とか仲裁して収めると云う事もあった。しかしこれは家久の狂言であった。陣中に竜造寺の密偵がいると知っていたのである。

 そして合戦当日、策にかかった竜造寺軍を見て家久は改めて統家に敵を欺く方便とはいえ大変無礼な事を言ったと丁重に詫び、改めて先陣を下命。その出撃を下命する時

『お子達の無念、存分に晴らしてまいられよ!』

 と、言った。統家はこれに感奮し竜造寺軍を蹴散らすに至る。

 

 そして今、中央の覇者柴田明家が九州に進攻してきた。島津寄りの大小名や豪族は次々と寝返る。武力制圧したばかりと云うモロさを柴田明家と黒田官兵衛が徹底して突いたゆえである。しかし赤星統家はそれを潔しとせず、島津に付くべく家久の陣にやってきた。そして同じく沖田畷の戦いを戦った島津忠長も家久の陣にいた。その軍議。

「秋月が柴田に降ったらしい」

 と、家久に述べる島津忠長。

「ふむ…。粋な事をしたとも聞いている」

「粋なこと?」

「秋月は嫡子と娘、家宝を差し出した。しかし大納言は嫡子だけで良いと娘と宝物を返してしまったそうだ…。当主種実は娘を溺愛していた。それが返されたのだから秋月はこれで完全に柴田につくな…」

「心を攻めまするか、敵もさるものですな」

 と、赤星統家。

「確かにな、だが我らとて負けるわけにはいかん」

「「ははっ」」

「申し上げます」

「なんだ?」

 家久の元に使い番が来た。

「国許の殿より文が届いております」

「兄上から?」

 

 島津家当主の島津義久は考える。“最上の策は戦わぬ事、味方につける事”孫子の兵法である。自分の取るべき事は戦わず、柴田と和を結ぶ事ではないのか。おそらく柴田もそう思っているはずだ。現に柴田明家はほとんど合戦らしい合戦をせず、九州の大名を味方につけて南下している。

 今さら対等の和睦は無理、島津は薩摩・大隅・日向の三ヶ国の領有で手を打ち和睦すべきではないかと考えたのだ。つまりは従属である。いかに歴戦の猛者である弟たちでも、相手は未曾有の大軍勢。かつ柴田明家は数を頼って油断するような三流の将帥ではない。竜造寺隆信や大友宗麟と戦ったようにはいかない。

 よって義久は、おそらくは柴田が突きつけてくるであろう条件を想定し弟たちに和議を考えている旨を記した文を送ったのである。家久は落胆した。

「国許の兄上がこんな弱気では勝てる戦も勝てないではないか!」

 乱暴に兄からの文を島津忠長に突きつける家久。手にとって読む忠長。

「無理もござらん…。未曾有の大軍勢でござるゆえ、島津の安泰を考えれば殿がこう考えるのも…」

「ふむ…」

「我らがあれだけ急いて九州統一を急いだのは、九州の合戦に柴田を介入させず、かつ有利な条件で柴田と和睦に至る事。それが潰えた今、柴田と戦うしかございませぬが、国許の殿の元には大小名、豪族、土豪ことごとく柴田についたと云う知らせが届いていましょう。柴田と和睦を考えても致し方なき事と存ずる」

「兄上には歳久兄さぁがついている。歳久兄さぁも同じ気持ちなのだろうか…」

「歳久殿は中央との戦を反対していた。おそらくは…」

 島津義久居城の内城。病に伏せる弟の歳久を見舞う義久。

「ゴホッ…。そうでござるか、制海権を奪われましたか…」

「ふむ…」

 そう、島津家を支持大名とする坊津水軍は松浪庄三を総督とする松浪、九鬼、村上の連合艦隊に蹴散らされ、島津は制海権を奪い取られていた。明家に水軍総督を任されていた庄三の采配と装備の違いの前に坊津水軍は手も足も出なかったと云われている。まだ軍港の占拠にまでは至っていないが、島津は海を奪われた。

「どうして港を占拠しないと思う?」

「占拠するに至っても、上陸すれば松浪の水軍らは陸の上のカッパ…。島津の留守部隊と柴田本隊より先に戦い消耗するより、海上にあり心理的圧迫をかけた方が損害もなく効果も大きゅうございまする…。いつ海から攻めかかってくるか、領内の女子供も怯えていましょう…」

「坊津水軍が小船で近づき夜襲をかけたらしいが…あえなく返り討ちに遭ったと報告が入った…」

「総督の松浪庄三は身一つで若狭水軍を乗っ取り、そして今の大身、並みの海大将ではございますまい…。坊津水軍に今後は軍事活動に出るのは差し控えるよう通達すべきと…ゴホッ!」

「分かった…」

「みな、化け猫に怯えておりまする…。薩摩は辺境ゆえ…柴田明家が本物の大妖と信じ込んでいる者も民には多い。捕らえられたら最後、何をされるかと…」

「力で攻めずとも…心理的にジワジワと攻めているのだな…」

「義弘兄さぁは…退きますまいな…」

 

 島津義弘の陣、家久の考えていた通り義久の文が義弘にも届いていた。読み終えて憤然とする義弘。

「なんという情けない物言いじゃ!」

「兄さぁ!」

「おう又七郎(家久幼名)」

 義弘の陣に家久が来た。

「兄さぁ、兄上(義久)が柴田への恭順を考えている事を知りましたか?」

「お前のところに兄上の文が届いたか。やれやれ、兄上は柴田の軍勢の数に腰が引けておられる」

 床几に座りながらそれに答える家久。

「無理もございますまい。こちらは全軍で三万、柴田は二十二万ですからな。笑えるほどの兵力差にござる」

「ま、一度勝てば兄上の気持ちも変わろうて。我らは押し寄せてくる柴田を倒すのみじゃ」

「兄さぁは戦うつもりなのですな!」

「無論じゃ。薩摩隼人が戦わずに屈するなどできようか!」

「病の歳久兄さぁの分まで俺が働きまする!」

「うむ、やはりこちらに向かってきておるか柴田は」

「はい」

 地形図を見る義弘。

「家久、我らが柴田に勝つには『釣り野伏せ』しかない」

「それがしもそう思います」

『釣り野伏せ』とは後退すると見せかけて、伏兵を置く有利の地に誘い込み倒す、と云う兵法としては当たり前の事とも言える作戦であるが、島津勢はその作戦をとことん研磨させ、芸術とも言える計と昇華させた。無論、敵もそれを知っているから用心してかかるものの、結局はその術中に陥り大敗しているのである。

「二十二万の柴田を誘導する地はここ、天津原じゃ」

 地形図を指す義弘。

「なるほど、そこなら沖田畷と同じく沼地、大軍の利が無くなり、我らが伏せるに易い」

「儂は天津原の北方に布陣して柴田を待ちうけ、この地に誘導する。家久は天津原で待て」

「ははっ」

 家久は義弘の陣から出て行った。義弘は国許の兄義久に返書を書いた。先々代の日新斎(島津忠良)の教えを引用し

『兄上は祖父日新斎の教えをお忘れか。“戦場では家臣たちの心を掴む事が最も大切だ。家臣たちと心を一つにしなければ勝利はない”との教えを。我らは家臣たちの心を掴み、今まで常勝。反して柴田は長宗我部、毛利、宇喜多と傘下に組み入れ、今また九州の寝返り大名を傘下に入れた急ごしらえの大軍。柴田明家はまだ三十前の若僧。そう統率できるものではない。心を掴む事なんて出来ているはずもない。軍勢の数に惑わされてはなりませぬ』

 と返した。しかし島津の内を束ねる義久の苦労を鑑みるに、これはいささか思いやりのない言葉とも取れる。島津の家臣や豪族の中には柴田につくのも良しと云う者もいれば、その逆もいる。それらの突き上げに苦慮している義久には義弘の意見は腹立たしかった。

「お前が柴田恭順に反対する者を抑えてくれれば、儂がこんな苦労もせず柴田との和平交渉に腰据えてかかれると云うに!」

 義弘の書を忌々しそうに丸めて畳に叩き付けた。病を押して兄の傍らに座っていた歳久がその丸められた文を広げて読んだ。

「兄上、義弘兄さぁは見たいのでは…」

「何をだ?」

 陣の中で義弘は目をつぶり考えていた。

「兄上…。相手は帝が認め、『天下を統一せよ』と下命された男。すでに畿内とその近隣に一大勢力を築き、動員兵力は二十万以上。朝廷への貢献度も他の大名と比較にならず天下はすでに定まったと見る兄上の考えは誤ってはいないと儂も思う。しかし一度は鉾を交える必要がある。儂は見たいのでござる兄上。柴田明家が兵の将ではなく、将の将たる器であるかを」

 

 進軍する柴田軍、すでに別働隊の前田勢と合流。二十二万の未曾有の軍勢が南下していた。明家は物見の報告から、このまま南下すれば三日で島津勢と接触と云う事を掴んだ。そして全軍の進軍を止め、案内を務めている立花統虎に訊ねた。

「統虎殿、この地は何と云うところですかな」

「はい、神楽ヶ原と云うところでございますが」

「ふうむ…ここが戦場になったと云う歴史は?」

 同じく案内を務めていた鍋島直茂が答えた。

「いえ、この地が戦場になったと云う歴史はございませぬが…」

 そこは南が平野、北が丘の連なる丘陵地帯であった。周囲を見渡した明家は使い番に指示を出した。

「久作を呼べ」

「はっ」

 久作とは亡き辰五郎の息子で、現在の明家工兵隊の隊長である。

「殿、久作まいりました」

「うん、この神楽ヶ原を測量し、詳細な地形図と立面図を作成せよ」

「承知しました」

「後の者は陣場を作れ。ここで今日は夜営する」

「「ハハッ」」

 さすがは名匠揃いの明家の工兵隊。一刻半(三時間)後には詳細な地形図と立面図が完成し、明家に提出された。明家は本営に各諸将を集めて作戦を説明した。

「作戦を説明する」

 軍師の黒田官兵衛もフンフンと頷いて耳を傾けていた。いつもは作戦の立案などは参謀に任せていたが相手は島津義弘、明家も血がたぎるのであろう。父の勝家の元で軍師であった頃に戻り戦いたいのかもしれない。そして作戦は官兵衛も十分賛成できるものであった。と云うより改めて、さすがだと思える作戦であった。

「刑部、近う」

 大谷吉継を呼んだ。

「はっ」

「刑部、そなたは俺の書を持ち内城に向かい島津義久殿を口説き落とせ」

「はっ」

「ここから陸路で行くのは無理だ。ご足労だが豊後の府内に戻り、海路から島津領に入れ。村上水軍に護衛させる手はずとなっている。軍使の旗を立て錦江湾に入れ」

「承知しました。条件は?」

「薩摩、大隅の二国だ」

「しかと承りました。家臣をつれ至急内城に向かいます」

 大谷吉継は陣を去った。自陣に戻り、家臣の湯浅五助を呼んだ。

「五助、俺の正装を用意せよ」

「承知しました」

「一度府内に戻るゆえ…」

「殿!?」

 吉継は倒れた。

「「殿!」」

 家臣たちが吉継へ駆けた。

「殿、すごい熱に!」

「良い五助、出立の準備を整えよ…」

「無理にございます!かような体で島津への使者など!」

「言う事を聞かないか!」

「殿…」

「かような大役、体調の悪さごときで辞してなるものか!」

 大谷吉継は島津義久居城の内城に向かった。そして島津義弘のいる南を見る柴田明家。

(九州勢を震え上がらせた『釣り野伏せ』しかし…動かぬ敵にどう仕掛ける。柴田はこの戦、せいぜい六分勝ちでいい。負けなければいい)

 竜造寺、大友、秋月の将兵から細かく島津の『釣り野伏せ』を聞き、そして分析し官兵衛ら参謀たちと話し合った結果、一番の対抗方法は『動かない』ことだった。それが分かっていても引きずり出されるのが『釣り野伏せ』。

 しかしその島津の誘いを封じる手もある。先に島津を動かせばよいのだ。と言うより動かざるを得ない段階に持っていく事である。その手はすでに打ってある明家。島津陣のあろう南を見つめフッと笑った。

 

 そして島津陣。使い番が義弘に報告した。

「なに?柴田勢は神楽ヶ原で止まったじゃと?」

「どういう事でしょう義弘殿」

 と、島津忠長。

「…解せんの、二十二万も擁しながら三万の島津相手に腰が退けるとも思えんが…」

「その二十二万が逆に枷となっているのではないでしょうか。かような大軍だと逆に統制ができないとも考えられます。兵糧の問題も考えられますぞ」

「いや、大納言は四国攻めのおり、十万の大軍を用いて長宗我部を撃破している。統率が出来ないとは考えられぬ…。また柴田の兵站(後方支援)は天下一と聞く。それもありえん。何を企んでおる」

「兄さぁ!」

「どうした又七郎」

「困った事が発生いたしました。兵糧が送られてきません」

「なに?」

「昨日が期日だと云うのに、荷駄の一つも来ない有様です」

「兄上、どうして兵糧を送ってくれぬ!我らは敵と戦う前に飢え死にござるぞ」

 兄の義久は前線の義弘に兵糧を送りたくても送られない状態であった。事前に柴田明家が黒田官兵衛に命じて博多の商人を味方につけさせ島津領内の兵糧を高値で買い占めていたのである。

 

 柴田明家は島津陣を藤林忍軍に内偵させていた。そして数日、空腹でイラだつ島津軍の様子が明家に届けられていた。同時に明家は地元の農民を呼び、天候について詳しく聞いていた。

「と、言うワケでして…この季節に少し生温かい強風が吹いたりすると、翌日が豪雨になる事がしばしばございます」

「そうか、これこの者に五升の米を与えよ」

「ははっ!」

「こりゃありがてえ!こんな農民に慈悲深い大将は初めてずらよ!」

 農民は嬉々として帰っていった。最初は敵方の大将に貴重な天候情報などやるもんか、むしろ嘘を教えてやると思っていた地元農民たちであるが、こういう破格のご褒美に気を良くし、さすがに嘘は言えなくなり、だんだん確かな天候情報が明家にもたらされた。農民の言う天候情報は現在の気象学から見れば根拠は何もない。しかし先祖より受け継がれた天気の知識。現代の気象学も及ばない事もある。そして明家は翌日に豪雨になると確信した日。

「翌日に陣城を築く!」

 と、全軍に下命。陣城の築城を前々から言い渡されていた工兵隊たちは事前に資材の調達は終えており、明家と官兵衛の差配により仮縄張りも終えていた。神楽ヶ原を見下ろす郷川山の山中。雨の中で工兵隊長の久作の指揮で陣城が築かれていた。

「山の斜面を切り崩し、急な崖にしろ。山を切り崩した土と掘り起こした乾堀の土を使って土居を築け。馬防柵は三重構えに作れ」

 その工事を視察している明家。共に長宗我部信親と立花統虎がいた。

「これが陣城…!」

「そうだ婿殿、亡き織田信長公が武田勝頼殿を討ち破った設楽原の合戦、その策を使っている」

「で、ですがあの戦いは織田信長の鉄砲三段射撃が勝因と伺いましたが…」

「それは戦の一局面の作戦でしかない。無論、それも勝因の一つでもあろうが、真の勝因はこの陣城にある」

「そ、それは存じませんでした…」

「我らは二十二万、島津は三万、奇襲か十八番の釣り野伏せか、いずれにせよ野戦。それに備えて我らは陣城を準備しているわけだ」

「確かに…陣城なら守る側は寡兵でも十分に戦えます。そこへきて我が方の兵数の方が多いとくればこの戦は勝てまする!」

「油断は禁物ぞ婿殿」

「は、はい!」

 舅と婿と云っても明家と信親の年齢差は九つほどである。義兄弟のようなものだ。一緒にいる統虎もずいぶんと若い義父もいるものだと苦笑している。

「この分では馬防柵や土塁、空掘も含め、明日には築けそうだ。…ん?」

「雨が強くなってまいりましたな」

「陣屋に参るか、婿殿、統虎殿」

「「はい」」

 この陣城構築について島津に情報が漏れないように徹底された。島津の偵察隊はことごとく討ち取られたと云う。何よりこの雨、だんだん降りが激しくなり遠目からは何も確認できない。

 明家がなぜ雨を待ったか。これは設楽原の合戦における織田信長の陣城築城、対していた武田勝頼軍は織田・徳川連合軍が陣城を築いた弾正山にわずか三百メートルしか離れていなかった。それなのに武田勝頼は織田の陣城築城を見破れなかった。信長が天佑の豪雨を利用し、かつ一日で陣城を築いたゆえと言えるだろう。島津もまた、武田と同じく柴田の陣城構築にまったく気付かなかったのである。豪雨では五十メートル先も視界は利かない。ましてやこの時の柴田と島津の陣地の距離は行軍にして二日の距離があった。

 

 そして明家の陣屋。信親と統虎と語り合っていた。

「義父殿、なぜ一気に島津陣へと向かわなかったのですか?」

「こう島津陣に噂を流した。大納言は島津を恐れている、とな」

「は?」

「七倍以上の兵力を有する柴田が島津勢の待ち構える地に行かず、この神楽ヶ原に留まった事で、さぞかし俺が島津を恐れていると見る。勇猛果敢の島津を恐れて柴田勢は来られないと見る。そしてこう考える。『二十二万の大軍を擁しながら気後れしている柴田明家など恐れるに足らず。ならばこちらから出向いて一気に叩き潰してやる』とな」

「島津義弘と家久は勇猛だけでなく、智慧もまたございます。そう乗ってくるとは思えませんが…」

 と、立花統虎。

「島津義弘殿と家久殿が引っかかるとは最初から考えていない。だが将兵がそう思う。それにもうすぐ出てこざるを得ない状況にもなる」

「それは?」

「島津領内にはもう米が無い」

「米が無い…?」

「博多に手を回し、島津の兵糧は買い占めた。海路も封鎖済みだ」

 あぜんとする長宗我部信親と立花統虎。

「しかし義父殿、むしろそれは危険では?相手は島津、しかも窮鼠たらしめれば、どんな逆襲があるか!」

「その窮鼠にネコの俺が噛まれない様に防ぐのがあの陣城だ」

「そこまで…」

「ん?」

「そこまで島津を恐れる理由は何でございましょう?」

 立花統虎が明家に訊ねた。

「織田の兵は弱い」

「は?」

「その織田から柴田に名前が変わっても、兵一人一人の力はとうてい西国の精強な兵には敵わない。婿殿と戦った時、我が隊は痛い目に遭っているしな」

「それは恐縮」

「織田の兵が弱い事は根拠がある。畿内を中心とした商業都市の武士たちだからだ。そして土地が肥沃であるのが理由だ。日ごろ痩せた土地に実りをもたらすべく農作業に従事して体を鍛えている九州の男たちより弱いのが当たり前だ。だから最西端の島津は怖い。島津の本拠の薩摩は桜島の火山灰に悩まされ、かつ台風の通り道で収穫は不安定。そこに根付いてきた者たち。俺が恐れるのはそういう薩摩隼人の地力なんだ」

「薩摩隼人の地力…」

 その地力に散々な目に遭った統虎にはよく分かる事であった。

「統虎殿『チェストーッ!』でござったかな?薩摩隼人の気合の言葉は」

「はい」

「そんな言葉は他国にはない。最後の一兵まで戦い抜くぞと云うような、そんな意味合いが含まれているように思えてならない。いわば三万の死兵。二十二万の軍勢の多さなど大した有利にはならんのだ。

 当家領地の東、徳川家康殿に不穏な動きがあるにも関わらず俺が二十万も動員したのは九州勢に軍勢を見せて戦意を失わせるため。一地方を攻めるにはそのくらいいる。短期、かつなるべく合戦に及ばずに恭順させるには、この方法が一番早くて正確だ。しかしながら唐土の項羽は三万で劉邦五十万を討ち破った事がある。島津義弘殿は三百で三千を撃破し、島津家久殿は五千で二万五千を討ち破り大名首まであげている。島津に万単位の兵力があらば二十二万の大軍など、利点になる事はさほどにない。逆に味方将兵に油断を生じさせる諸刃の剣だ。柴田勢は数を頼りにしている。俺が油断するなと述べても枝葉の先までの徹底は無理。

 繰り返すが、俺は島津が恐ろしい。だから調略や根回しも徹底してやった。戦う前にできるだけ野戦を有利に運べるようにしている。鬼島津の武か、俺の智か、勝負だ!」



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神楽ヶ原の戦い

 数日が経った。島津陣の士気は低い。ずっと少食を強いられていたが、そう長続きするものではない。家久が総大将の義弘に報告した。

「兄さぁ…兵糧の底が尽きました」

「…そうか」

 義弘は兄の義久からの書を読んでいた。

『領内から米をかき集めても三万の島津兵の胃の腑を満足させる兵糧は確保できない。領民も飢えだしている。大納言は島津の領国丸ごと兵糧攻めにしてきた。海上の輸送も柴田の水軍に封じられ、先日我が坊津水軍もあえなく敗退した。ここに至っては和議の他なし。ここでの判断の遅れは二倍三倍の犠牲を出すばかり。陣払いして帰城いたせ』

 義弘の耳にも柴田に制海権を奪われた事は伝わっている。そして今、兄義久の『柴田とは和議をするから帰って来い』の書。それを怒りに震えて破り捨てる義弘。

「情けなし!儂に尻尾を巻いて逃げよと言うか!」

「義弘殿、薩摩に帰っても兵糧はない。飢え死にするだけでございます!もう迷っている場合ではございませぬ!柴田に討って出ましょう!」

 島津忠長が訴える。家久は反対。

「バカな!我らの領国を兵糧攻めにしているのは大納言だぞ!我らが痺れを切らして神楽ヶ原に来るのを今か今かと待っているわ!」

「しかし家久殿、我らが陸に上げられた魚も同様と知れば、明日にでも一気にこの地に柴田は攻めかかってきましょうぞ!さすれば迎撃はできず、そのまま柴田は内城まで一直線!忠長殿の申すように討って出るしかござらぬ!」

 と、赤星統家。

「『大納言は島津を恐れている』の流言、たとえ我らがそれに踊らされずとも、空腹に苛立つ兵たちが踊る!なぜ大将は島津に怯える大納言を攻めないと云う声は日増しに高まっている!大納言は我々が出てくるしかない策を打ってきた!ならば出てやりましょう。飢え死にする前に一兵でも柴田を討ちましょう!」

「義弘殿、統家殿の申す通りにござる!二十二万も擁しながら、三万相手に正面から戦わない!かように姑息な手段を用いる大納言など恐れるに足りませぬ!戦いましょう!」

「ならぬ忠長!今まで柴田に出した密偵が一人も帰ってこない!神楽ヶ原に行けば島津は皆殺しぞ!」

 家久は頑強に反対する。家久に傾倒している赤星統家もここは譲らない。

「家久殿!ここに留まっていても飢え死に!いずれこちらの飢えと士気の激減を察しられ、柴田は津波となって押し寄せよう!ならばこちらから討って出るしかない!」

「薩摩に退き体勢を整えてからでなければ無理だ!」

「それこそ愚かではないか!我が薩摩には砦の様式の屋敷はあっても、防備に長けた城はない!いったん薩摩に柴田を入れたら終わりぞ!」

「家久、忠長やめいッ!」

 軍机を叩き、黙らせた義弘。

「城どころか…島津領国丸ごと兵糧攻めを仕掛けてきよった大納言…。気に入らぬ、あまりある力を見せ付けるような戦ぶり!」

 義弘は立ち上がった。

「我ら島津を…窮鼠たらしめた事を骨の髄まで後悔させてくれるわ。出陣じゃ!」

「「ハハッ!」」

 島津忠長と赤星統家、そして他の重臣たちは同意、しかし

「兄さぁ!」

「止めるな又七郎!」

 弟の家久は出陣を止めた。

「分かっているのでございますか!これは我らがあえて選んだ背水の陣ではない!大納言が仕掛けた作戦にしてやられ、やむを得ずをもっての出陣!天の時に逆らってはなりませぬ!相手は我らの七倍の兵力で、かつ神楽ヶ原の北は丘陵地帯で南は平野!益富城を一日で築城した大納言!柴田がその丘陵の利を見逃すはずもなく堅固な砦に作り変えている事も考えられまする!我らが窮鼠となり攻めかかってくる事も想定内にございましょう!天の時、地の利に逆らい戦に勝てましょうや!」

「勝ち戦の三要素『天の時』『地の利』そして『人の和』我らには最後の『人の和』があるわ。孟子いわく『天の時は地の利に如かず。地の利は人の和に如かず』の言を知らぬか。我ら七分の一の兵力差があろうと今まで島津の戦いを経てきた『人の和』がある!」

「兄さぁ…」

「敵に後ろを見せるは島津の名折れじゃ!」

 義弘は全軍に下命した!

「よそに目もくれるな、目指すは柴田大納言が首一つじゃあ!」

「「オオオオッッ!!」」

「…」

「家久殿、総大将の決断にござる。我らは従うのみでござるぞ。お気持ちを切替えられよ」

「統家殿…」

「副将が出陣を渋っていては士気に関わりまする」

「その通りだ家久殿」

「忠長…」

「逃げて手元に残るものはあれど、得る物はない。しかしながら戦えば、あるいは得る物があるかもしれない。身を捨ててこそ浮かぶ背もある」

「もうよい、俺も腹を括った。このうえは大納言に薩摩隼人の手並みを見せるのみ!」

 

 島津義久居城の内城、ここに島津三万全軍出陣と云う報告が入った。すでに義久の元には大谷吉継が降伏の使者として訪れている。すでに熱は下がり、平静を保てる状態のようだ。

「我が弟たちが儂の制止を聞かずに神楽ヶ原に出陣したようにござる刑部殿」

「左様にございますか」

「戦の結果によっては、貴殿を生かして帰すわけには参らぬが承知か?」

「その覚悟がなくて使者など出来ようはずがございませぬ」

 義久は笑った。若いが中々の胆力。

「柴田明家殿は強いですな。なぜでしょうか」

「守りたいものがある強さかと存じます」

「それは我が島津とて同じ。柴田と島津とどう違う?」

「人は捨て身になった方が強いとも言いまするが、我が主はその逆。家族と家臣、そして領民たちの命を守りたいと云う事は島津と変わりますまい。しかし主人はこの日本と云う国を守りたいとお考えです」

「日本を?」

「応仁の乱より戦乱続き百三十年、図らずも自分がそれを終息させられるかもしれない立場についた。ならば逃げずに自分の仕事をはたし、日本から合戦をなくし、この国を守ると云う事。日本を人間の体で云うのであれば体中に病が発していると同様。我が主はそれを治したいと思っているのです。人を治すは小医、国を治すは大医と申します」

「なるほど、島津と志の大きさが違うと云うのか」

「はい」

「儂とて、戦乱が続くのは日本のためには良くない事と思う。この薩摩には色々と諸外国の話も届くでな。このままあと二十年三十年と戦の世が続けば、欧州列強や明国が攻めてくる事もありうる。しかしの刑部殿…」

「はい」

「頭では分かっていても、人はそう簡単に割り切れるものではない。特に島津はな…」

「我が主人以上の大医となれるのであれば、柴田大納言を倒すが宜しかろう」

「さて、それはこれからの合戦次第である…」

 

「申し上げます」

 柴田陣に報告が入った。

「島津勢三万、神楽ヶ原に北上!」

「来たか」

 柴田本陣にいた諸将が一斉に立ち上がった。柴田明家は本陣の諸将に下命した。

「陣太鼓を叩け!法螺貝を吹け!全軍、合戦の準備だ!」

「「オオオオッ!」」

 神楽ヶ原に陣太鼓と法螺貝の音が轟く。明家は本陣から南を見つめる。使い番が来た。

「敵影捕捉!丸に十字の旗印、島津勢にございます!」

「よし」

 明家は特大ジョウゴを持ち叫んだ。

「よいか!相手は空腹であろうが、それゆえ死に物狂いでやってくる!絶対に油断するな!歩となれ、よいか歩となるのだ!こちらの方が兵は少ないくらいの気持ちで戦え!その覚悟を持ち、手はずどおりに戦えば必ず勝機はこちらに訪れる!名将島津義弘を討ち功名を立てよ!」

「「「オオオオオオッッ!!」」」

 

 神楽ヶ原の南、地平線が島津勢で埋まる。そしてそれはさながら津波のように怒涛の如く寄せる。地響き、そして甲冑が鳴る音、それが南方より黒い津波となって押し寄せる。

「「チェストォォーッッ!!」」

 馬防柵には柴田勢の鉄砲隊が並んだ。それを指揮するのは雑賀孫市(奥村助右衛門次男)。

「撃てーッ!!」

 千挺以上の鉄砲が一斉に火を吹いた。そして間断なく撃つ。鉄砲車輪である。安土城攻防戦の時と比べ、長い鉄砲攻撃となるため、四人一組ではなく五人一組となっていた。一人が銃身冷却の任に当たったのだ。さしもの島津勢も突撃がひるみ

「退け、一旦退くのだ!」

 すると柴田勢は討って出た。柴田本隊の先駆け可児勢と伊丹佐久間勢を先頭に陣から出陣。立花隊、鍋島隊が両翼を務める。後退した島津勢に追撃をかける柴田勢、立花と鍋島、今まで島津にさんざん煮え湯を飲まされたので士気も高い。立花統虎の妻の誾千代、騎乗からはるか左方に見える鍋島の旗を見て苦笑した。

「まさか立花をあんなに苦しめた直茂と共に戦う事になるなんて」

「誾千代!何をよそ見している!柴田と鍋島に後れを取らば立花の名折れぞ!」

 統虎に怒鳴られた誾千代、浅く頷き夫に答え、愛刀『雷切』をしっかと握った。

「戦場に華は要らぬ、勝利のみでよい!立花が参る!」

 

「殿、立花勢が突出していきます」

「見えておる」

 立花勢の戦ぶりを見る鍋島直茂。

「あれが道雪殿のご息女誾千代か…。戦場についてくるだけはある。大した強さだ」

「感心している場合ではございませぬ。我らも!」

「ふむ、全軍、島津を生きて帰すな!」

「「オオオッ!!」」

 

 追撃に出た柴田勢、丘の上に床几場を構えていた明家は島津の体勢立て直しを見て

「よし、後退の陣太鼓を」

 後退を下命した。

「は!」

 陣太鼓を聞き、追撃隊の大将である可児才蔵が

「甚九郎!」

「はっ」

 自軍に組み入れていた佐久間甚九郎を呼んだ。

「どうやら島津が体制を整え終えたらしい。退くぞ、殿軍をせよ」

「承知仕った」

 佐久間甚九郎は部下を連れて急ぎ先方の立花勢の切っ先まで駆け、

「全軍疾く退かれよ!」

 と、退却を指示。大優勢であったが、これも当初の作戦通り。未練を残さずに統虎と誾千代も馬を返した。島津が勢いを盛り返す。

「次の第二波で気付くであろう。それで島津は退くか寄せるか…」

 甚九郎は立花勢と鍋島勢も上手くまとめて本陣へと退却させた。さすがは『退き佐久間』である。そして再び押し寄せてきた島津勢に鉄砲車輪が火を吹く。それを見た島津義弘。

「攻め込むと退き鉄砲を浴びせ、こちらが退けば追い討ちをかけてくる…」

「義弘殿…!これは野戦ではございませぬ。我らが城攻めをさせられておりますぞ!」

 と、島津忠長。島津家久は拳を握る。

「やはり、神楽ヶ原の丘陵を砦としたか…!我らが竜造寺隆信の首を上げた沖田畷の戦い…。我らがいつの間にか竜造寺と同じ轍を踏んでいる!形こそ違え、柴田の戦法はまさに釣り野伏せではないか!」

「おのれ大納言…!こちらより多勢であるのに陣城とは卑怯なり!」

「兄さぁ…!このままでは我ら島津はことごとく討たれます!」

 悔しさに拳を握る義弘。

 

 一方、柴田本陣。

「釣り野伏せは島津だけの戦法にあらず。作戦名はないが亡き信長公もこういう戦法を駆使したもの。さあどうする義弘殿、退くか、それとも寄せるか」

「殿、別働隊を作り島津の退路を断たれてはいかがですか」

 と、黒田官兵衛。

「いや出羽守、このうえ島津を窮鼠たらしめるは得策ではない。島津には『捨てがまり』と云う退却方法がある。決死隊が立ちはだかり、鉄砲で迎え撃つと云うすさまじき戦法。手痛い逆襲を受けるのは必定。深追いは禁物。勝利はこの一度だけでいい。これ以上は憎悪を生む。退却するなら黙って見送るようお伝えあれ」

「承知しました」

 

「銃声が止んだ…」

「兄さぁ…。大納言は退けと言っているのでしょう…。これ以上は九州を支配した後に怨みを生むと…」

「賢しらな!敵が撃ち方を止めたのなら、今のうちに本陣へ!」

「駄目だ兄さぁ!まだ火縄に火が着いているままにござる!」

「何たる屈辱…!!島津三万が柴田に一矢も報いられぬと云うのか!しかも敵に情けをかけられるとは…!大納言は武人の心を知らぬ!」

「義弘殿、こうなれば追撃に来た柴田に一矢報いるまで!」

 拳を握り、歯軋りをする義弘。しかしもう勝ち目はない。

「退却せよ…!追撃に来た敵兵を皆殺しにしてくれる!」

 やがて島津勢は総撤退した。追撃に備えたが柴田勢からただ一人も追撃には来襲しなかった。

「家久殿、柴田から追撃の動きは一切ござらぬ」

「忠長…。おそらく島津の『捨てがまり』を知っているのであろう。だから追撃してこぬのだ…。なんちゅう用心深さよ」

「武田信玄いわく、おおよそ勝ちは六をもって良しとする…か」

「兄さぁ」

「十の勝ちを掴む事も出来たであろうに…これが勝つための戦ではなく負けないための戦か…。儂の負けじゃ…」

 

 そして柴田陣。使い番が報告に来た。

「殿、島津は退却いたしました」

「そうか、それでいい」

「あとは刑部の交渉がうまく行くのを願うだけでございますな」

 と、黒田官兵衛。

「そうですな、義久殿の英断を願う」

 蜂の巣になった島津兵を見つめる明家。

「これで…俺を怨む未亡人や孤児がまた増えたな…」

「こうせなんだら、島津と我らの立場は逆でござった。負けぬ作戦を立てて実行しただけの事。恥じ入る事は何もございませぬ」

「早くこんな時代を終わらせ、この英霊たちに報いよう…」

 明家は全軍に下命した。

「島津の戦死者を丁重に弔う。荼毘にふし、遺骨と遺品を薩摩に送り届けよ!断じて鳥獣の餌にしてはならん!また負傷して抵抗できない者は敵にあらず。手当てをせよ」

「「ハハッ」」

 

 柴田勢は島津の死者を弔った後に陣をたたんで再び南下を始めた。島津義久の居城の内城には戦死した将兵の遺骨と遺品が届けられた。甲冑の血糊は洗われており、遺骨と遺品が一つ一つの木箱に入れられていた。この行いに島津方は驚いた。九州では敵勢の亡骸は野ざらしが常、地元農民の略奪なども黙認している有様であった。しかし柴田は弔い、送り届けたのである。しかも負傷兵の手当までしていると云う。

「これは柴田のやりようか?」

 と、使者の大谷吉継に問う島津義弘。

「主君明家が当主になってから、柴田での陣法になったと聞き及んでいます。かの武田家の高坂昌信殿が川中島の合戦の犠牲者を弔った時、彼は上杉方の亡骸も丁重に弔い、それを聞いた謙信公は高坂殿に大変感謝し、そして後に塩留めに遭った武田家に対して塩を送りました。主人はこの話を愛されています。よって自分が当主になった時、こういう陣法を作られたのでしょう」

「ふむ…」

「お見込みの通り、これには多くの軍費を要します。反対する者も多かったようです。しかし『かような事に金を惜しむ事は金の使い方を知らぬ愚者だ』と申しています。こんな乱世とは申せ、武士が慈愛や優しさを忘れたら修羅の世。余人は柴田明家の最大の欠点は性格の優しさ、甘さと申します。しかしそれがしはそう思わない。武将として十分すぎるほどの将器を持ち、そして性格に優しさがあるからこそ、主人は将の将たる器があると見ています。冷酷非情になる方が、よほど簡単なのでござるのだから」

「負傷兵の手当も柴田の陣法でござるか?」

「さきの羽柴勢との安土城攻防戦のあと、当時は水沢隆広と云う名であった主君は『抵抗できない者は敵にあらず』と手当を施しました。その計らいに感激し柴田軍に参じた兵も多いと聞き及びます。

 楠木正成公のご嫡子、正行公が足利勢と戦ったおりに足利勢は正行勢の攻勢に退却を余儀なくされましたが、大軍であり道は山の斜面、転落して川に落ちた足利兵が多かった。甲冑の重さで溺れる足利兵を見て正行公は即座に部下たちへ『救え』と命じました。部下たちは『どうして足利勢を?』と反論しましたが正行公は『抵抗できない者が何故敵なのか』と一喝し、すぐに救出に向かわせました。救出された足利兵は感激し、楠木が情勢不利と知っていても、その後は楠木勢として戦いました。主人はこの故事にならったのでございましょう。織田信長は敵を殲滅する事をもっぱらとしましたが、主人は敵を味方につけようとしているのです」

「…」

「義久殿、義弘殿」

「「…」」

「どうか、戦のない世を作ろうとする我が主を助けて下され」

「承知し…」

 と義久が言い出した時、義弘が

「刑部殿、そうしたいのは山々なれど、薩摩と大隅だけでは島津は暮らしていけぬ!せめて日向はいただきたい!」

 と反論。

「それを柴田が了承すれば島津は柴田に従属願えますか?」

 義久と義弘は目で語り、そして頷いた。

「そういたす。薩摩隼人に二言はない」

「では、日向の領有も認めまする」

 吉継は懐からもう一通の書を出した。そこには明家の『薩摩、大隅、日向の領有を認める』と記されてあった。

「では最初から!?」

 してやられたと思う義久。

「いかにも、当初主人は口頭で『薩摩と大隅』と言っていました。しかし使者のそれがしにも開封が許されていたこの書には『薩摩、大隅、日向の領有を認める』とありました。主人は最初に二国だけで交渉し、激しく求めたら、もしくは薩摩と大隅だけで島津家が降った時に日向の領有を認めるつもりだったのでしょう」

「大した外交ですな」

 と、島津義久。

「恐悦に存ずる」

「皮肉を言っているのでござる。あっははは!」

 

 大谷吉継が柴田陣に帰って来た。

「殿、島津義久殿、降伏いたしましてございます」

「よし、でかしたぞ刑部!」

「はっ」

 島津兄弟と島津忠長が柴田陣に訪れた。降伏の意図を記した書を持ち、柴田陣に座る島津義久、義弘、家久の兄弟と忠長。そこへ大谷吉継がやってきた。

「島津殿、柴田大納言明家様のお越しにござる」

「はっ」

 明家が陣幕を払い入ってきた。島津兄弟は平伏した。

「面を上げられよ」

「「はっ」」

 顔をあげた島津義弘は驚いた。

(こ、こんな優男に島津は敗れたのか…!?)

 その義弘の顔を見る明家。

「あっははは、卑怯な作戦を用いよって、そう顔に書いてありますぞ義弘殿」

「い、いや…。戦に卑怯も正々堂々もございませぬゆえに」

「お許しあれ、万全の状態の島津三万と戦いたくはなかったのでございます」

「は…」

「買い占めた兵糧はお返しいたす。島津の罪なき民まで巻き添えにしたことを申し訳なく思います。おわびのため買い占めた分より上乗せしてお贈りさせていただきまする」

「その儀は無用、いかに敗者になったとは申せ、勝者からのほどこしは屈辱にございます」

 と、ほどこしを突っぱねる島津義弘。

「義弘、たわけた事を申すな!」

「兄上…」

「まず、民の食べる米が第一じゃ!島津の面子が何ほどのものか!」

「こ、これは思慮が足りませなんだ。申し訳ござらん」

「大納言殿、ありがたくちょうだい仕る」

“民の食べる米が第一、島津の面子が何ほどのもの”その義久の言葉に好感を持つ明家。

「さて義久殿、条件は薩摩、大隅、日向の領有でございますがそれでよろしいな」

「はっ」

「また…柴田の検地を受けてもらいます」

「承知しました」

「大坂には島津の屋敷も用意いたしますゆえに、ご兄弟のいずれか大坂に常駐していただきます」

「心得ました。義弘が参りますゆえに」

「これはありがたい」

「大納言殿」

「はい」

 その島津義弘が明家に言った。

「使者の大谷殿が申しましたが、大納言殿は合戦の世を終わらせたい。弱き女子供が泣く世を終わらせて平和な世としたい。この戦国乱世に終止符を打ちたいと願っておいでとの事」

「いかにも」

「この乱世に終止符を打ち、天下万民のために平和な世を作ろうとするお気持ちに我ら島津は助力する事を決めたもう。それを大納言殿が忘れた時は再び島津は柴田の敵になりまする。それでもよろしいか」

「結構、もしそれがしがただの暴君になったのなら、遠慮はいらぬゆえいつでも討たれよ」

「その言葉、お忘れあるな。それともう一つ」

「はい」

「弟の歳久を源蔵館で診療していただきたい」

「ほう、歳久殿はご病気でございますか」

「いかにも」

「承知いたしました。この戦陣に源蔵館の医師数十名が随伴しているので、本日にでもさっそく診断させましょう。まずは大坂までの船旅に耐えていただくほどに回復してもらわねばなりませんから」

「ご配慮かたじけのうござる!」

「大納言殿にお訊ねしたい」

「何ですかな?えーと…」

「ああ失敬、手前は島津家久と申します。で、お聞きしたいと云うのは大納言殿が作ろうとされる『平和な世』とは具体的にどういうものなのでございましょうや」

「それがしにも分かりませぬ。『平和な世』を見た事がないのですから」

「え?」

「応仁の乱から百三十年、我らはお互い生まれた時から戦の毎日を見てまいりました。それが我らにはもはや自然であり、大地や水のようなもの。鎌倉幕府や室町幕府の権勢時さえ、どこかで合戦は起きていました。武士がせずとも百姓同士の争いもこれまたある。では合戦の無い世はどういうものなのだろうか。それはそれがしにも分からないのです。ただ言える事は年寄りが木陰でのんびりと昼寝をして、若い娘が心無い男どもの陵辱におびえず外を歩けるような、そんな世ではなかろうかと存ずる」

『年寄りが木陰でのんびりと昼寝をできるような世』信長の受け売り、それを明家に教えた官兵衛は苦笑した。

「そんな世を作るにはどうすれば良いのか、日々思案中にございます。それにはまず、統一政権を作らせなければならないと云う事です。天皇の権威と幕府の政治の元で民が戦に巻き込まれて死ぬ事のない世を作らなければなりませぬ。このままズルズルと内乱が続けば、明や欧州列強がこの国を奪いに参りましょう。そうなったらもう後の祭りです。我ら武士はこの国の民たちにどう許しを請えば良いのやら。ゆえに麻のごとく乱れた日本を一つの国とする事が『年寄りが木陰でのんびりと昼寝をできるような世』の第一歩であるとそれがしは確信しております」

 当時、国といえば薩摩、大隅と云ったもので、日本全土の事を指すものではなかった。その国境を越えれば、もはや外国である。しかし柴田明家は統一政権を樹立して、日本を一つにと述べた。

「義久殿」

「はっ」

「貴殿の奥方は種子島時尭殿のご息女でしたね」

「いかにも」

「種子島時尭殿がこの日本に鉄砲を伝えましたが…どうして彼は鉄砲を日の本一に早く知った身であるのに、そして家中の技術者の八板金兵衛殿がその複製を見事成し遂げたと云うのに、なぜ鉄砲を独り占めして島津を討ち、九州、はては天下を望まなかったのでござろうか」

「それは…舅の時尭自身から聞いております。義父は応仁の乱から続く乱世に、この鉄砲をうまく活用できた者が天下を統一してこの国に平和をもたらす、と云う事を伝来と同時に見抜いたのでございます。そしてその望みから惜しげもなく他国者にも技術を広めました」

「それを成したのは織田信長にございました。そして図らずも…それがしがその織田の勢力を継ぐ事になりました」

「…」

「義久殿、それがしは九州で『化け猫』と呼ばれているそうですね」

「はい」

「けっこう気に入っております、その異名。しかしそれがしはれっきとした人。妖怪ではないので助けてもらわねば大業は成せません。今は亡き種子島時尭殿が望んだ鉄砲を用いて戦のやりようを変えて天下を取った織田信長のあとを継いだそれがし。こうして一度鉾を交えた者同士、同じく天下統一のためにチカラを貸して下さらぬか?」

「及ばずながら」

「ありがたい!」

 床几を離れ、島津義久の手を握る柴田明家。ここに島津家が柴田に恭順。ついに九州の統一を成したのである。西日本の統一がここに成った。

 

◆  ◆  ◆

 

 九州遠征は終わった。しかし一つの事件が発生した。大坂に帰る明家は豊後の府内から船に乗るため、豊後の軍港にやってきた。そこには欧州の軍艦が数隻停泊していた。伴天連の宣教師たちが九州に訪れるために乗ってきた船である。軍港でそれをしみじみ眺める明家。

「これが南蛮船か庄三殿」

「欲しいですか殿?」

「そんな事を言ったら当家の船大工たちが臍を曲げる。そうだな、工兵隊たちに様式を学ばせて南蛮船の良いところは真似ようか」

「当家の船大工たちにも学ばせたいですな」

「うんうん、九州を発つ前に何とか伴天連の技術者に協力を得よう。取り計らってくれませんか宗麟殿」

「承知しました。何とかいたしましょう」

 その時だった。大友と柴田の武士たちがたくさんいるその場に現地の農民娘が泣きながら駆けて来た。

「し、柴田のお殿様にお願いが!」

 宗麟はその娘が自分に都合の悪い事を明家に言うと悟り、家臣に取り押さえろと命じた。しかしそれをそのまま見逃す明家ではない。

「待たれよ!その娘さんを離されよ」

 宗麟の家臣は娘を離さない。庄三が一喝した。

「聞こえないのか!!」

 娘は解放された。明家は娘に歩み寄った。

「手前が柴田明家でござる。さ、娘さん、遠慮せずに申してみなさい」

「姉と妹が伴天連に連れて行かれました!」

「なに?」

「農民でキリシタンになった者は伴天連に連れて行かれてしまうのです!」

「連れて行かれる?どこへ?」

「異国に奴隷として売られてしまうのです!!」

「なんだと…!?」

 宗麟をキッと睨む明家。

「事実なのですか!?」

「…」

 答えられない宗麟。

「…庄三殿、この娘の保護を」

「はっ」

「柴田水軍で伴天連の船を囲んで下さい。俺自ら全船を調べる」

「承知しました」

 庄三は水軍衆に命じて伴天連船を囲んだ。激しく抗議する宣教師たち。明家は相手にせず、家臣を伴い船の査察を始めた。そして二隻目の船蔵で発見した。鎖で繋がれている哀れな農民娘たちを。

 最悪なものを見られたと、その伴天連船の船長は頭を抱えた。明家は刀を抜きかけたが庄三が押さえた。

「殿、ここで斬らば欧州列強に日本に攻め入る口実を与えまするぞ!」

 何とか自制して刀から手を離した明家。だが即座に

「すぐに娘たちを解放し、貴様たちは日本から出て行け!!」

 と一喝した。

「武士の娘ではなく、農民の娘ですから…」

「ここはダイナゴン殿の領地ではないですし…」

 と、船長と宣教師は理由にもならない言い訳を言う。

「ふざけるな!九州であろうが大坂であろうが、日本の大切な民だ!農民の娘も武家の娘も国の宝である!それを奪うなら容赦せぬぞ!」

 農民娘たちはすぐに解放され、九州からの退去に一日だけ猶予をもらった。退去を決めた伴天連たち。モタついていたら本当に柴田に殲滅させられそうな雰囲気だった。明家は宗麟を呼び、訊ねた。

「いつから行っているのですか」

 異国に日本の娘を売る事を、と云う事である。

「それを聞いていかがされる?奴隷商人など許せないと?」

「許せるはずがない!民を異国に売り渡し利益を得るなど君主たる者のする事か!」

「農民の娘たち、略奪してきたのは大友でも伴天連ではない。親や親類に連れてこられたのでございます」

「なんだと?」

「いかなる名君がどれだけ行き届いた仁政をしいたとしても腐った者はいる。この娘たちを預かっていた者は豪農であるのに若い娘を三人も売れば金になると云うので、死んだ兄夫婦の娘三人を何のためらいもなく売り飛ばした。今ごろその腐った叔父は美酒を飲み、若い娘でも妾にしているでしょうな」

「何が言いたいのですか」

「大納言殿は娘たちを救い、さぞや英雄気分で気持ち良かろう。そして儂は後の天下人に心底から軽蔑された愚将として名を残そう。しかし愚将だからこそ見えるものもある。大納言殿のなさりようは清潔に過ぎる。『水清ければ魚棲まず』大魚は隠れ場所がなく棲めない。政治も軍事もかように厳しく重箱の隅を突付く様では天下統一など臨めますまい。この世は天才の世ではない、愚者の世にござる」

 かつて前田慶次が明家を諌めた言葉である。

「それが奴隷商人をしていた事への正当性の主張にござるか?馬鹿馬鹿しい!奴隷商人は最低最悪、人間の屑のやる事だ!」

「ではその娘たちはこの先にどうなりますかな。親にも親類にも捨てられ、異国で奴隷となり住むところがあるだけマシかもしれませんぞ。この国にいたら飢え死にするだけでござる。よもやすべて助けて大坂に連れ帰るなどと申しますまいな。そんな事をしたら大納言殿はこの乱世で身寄りを亡くした女子供全部助けなければなりますまい。よしんば大坂に連れ帰ったとしても下女として雇うところでしょうが、それとて結局は奴隷なのでは?」

「なんだと!」

「清濁合わせて受け入れる事が出来なくて何が天下人にございまするか。あれもこれも窮状を見かねて助け出していては、いくら金と領地があっても足りぬ。ご自分がいい格好するためだけに家臣に労苦を強いる。それこそ屑ではござらんか。それで国が、天下の政道が成されるとお思いか」

 明家は反論できなかった。

「…ふう、まあ言いたい事は言いました。今までのそれがしの言、引かれ者の小唄と取るか、それとも一つの意見として聞くのも大納言殿次第にございます。それがしは本日より隠居いたしまする」

「…」

「最初の質問だけ答えますが、人の売買は九州ではよく行われていた事。たまたまそれがしがキリシタンになったので、伴天連がそれに介入してきただけの事。それだけの事にございまする」

「…キリシタンは禁じる事にいたす」

「ほう、まだ清濁合わせて受け入れませぬか」

「キリシタンにも良い者と悪しき者はいる。伴天連もまた同じ。しかし、その境界を敷く事は不可能だ…。だから全部禁じるしかござらん」

「…」

「隠居の事、聞き遂げ申した。以後は義統殿を当主とされよ」

「承知いたした」

「なお、立花家は独立させまする」

「お好きにされよ。大友は命脈を繋げた。それだけで満足にございます。大友が大納言殿に差し上げられるものは立花の家だけでござればな」

 

 柴田軍は九州を発つ準備を続けていた。港で腕を組んで考えている明家。

「そうでござるか、宗麟殿がかような事を…」

 と、松浪庄三。

「見苦しき弁明と思う一方で、その言葉に反論出来なかった。清濁合わせて受け入れる事が出来ず何が天下人か、と云う言葉にも道理はある」

「確かに…」

「庄三殿、俺は潔癖すぎるのでしょうか…」

「…孔子の言葉に『水、至って清ければ則ち魚なし。人、至って察ならば則ち徒なし』とありまする。度を過ぎた潔癖、厳粛、清廉は駄目と云う事ですな。正しい事をしようとして清廉に過ぎ、却って事がうまくいかないどころか、和が崩壊する事もある。殿も人、相手も人、弱いところ悪いところも受け入れる事が、そして殿もそれを見せる事が、柴田家にも殿にとっても良き事と存ずる」

「はい」

「無論、かつてのそれがし…斎藤龍興のような清濁の『濁』ばかりでも駄目でござる。清濁の匙加減を巧みに出来て、名君ではないのですかな?」

「そうですね、しかと肝に銘じます」

 二人の会話が落ち着いた頃、早馬が来た。

「も、申し上げます!」

「うむ」

「徳川家康、挙兵!」

「なに?」

「北条、佐竹、結城、里見、そして奥州勢も徳川に加担!総勢八万の大軍にございまする!信州松本城にて集結し西進を始め、美濃岩村城の稲葉貞通様は敗走!岐阜城の織田信明(三法師、史実では秀信)様に迫り、上杉と真田、そして尾張の滝川様と森様が援軍に向かい迎撃に備えている由!」

「いよいよ来たか…」

「殿、ついに徳川が立ちましたな」

「そのようです。庄三殿、ただちに東に参る!」

「はっ!」

 徳川家康挙兵は全軍に伝えられた。大急ぎで東進の準備が進む。柴田明家は東の方角を見つめる。

(清濁の匙加減を巧みに出来る名君を目指す前に、徳川殿と全力で戦わなくてはならない!宗麟殿に叱りつけられて悩んでいた気持ちなど、徳川殿が吹っ飛ばしてくれたわ!)



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東の古狸、立つ

 徳川家康は挙兵した。しかも八万以上の大軍を擁して立った。北条、里見、結城、佐竹らなどの関東諸将。そして最上や伊達の奥州勢もこの挙兵に応じた。

 家康は東国の大名が連合して、柴田が九州に出陣するのを見て、柴田に公言はばからないような宣戦布告で東国諸大名に檄を飛ばした。つまりこの時点で日本の大名は柴田に付くか徳川に付くかイヤでも迫られるのである。関せず、中立を保ち勝った方に取り入る。そんな中途半端な出処進退が許されるはずがない。勝った方に潰されるのは明白である。

 犬山の戦い以後に家康は懸命の書状作戦に出た。最初に後北条氏と盟約を深め、家康の娘の督姫が北条氏直に嫁ぎ、北条氏政の末娘が徳川秀忠に嫁ぐと云う二重に両家の絆を固め、かつ有力関東大名や奥州大名には譜代や一門衆の娘を自分の養女として嫁がせた。時には兵糧や金銀も届けた。そして言ったのだ。

『我が徳川は近日に柴田明家と決戦におよぶ所存、お味方していただきたい。畿内にある柴田明家の直轄領は広大かつ肥沃、戦勝のあかつきには切り取り次第に差し上げましょう』

 同じく、その北条氏と同盟していたのが奥州の伊達である。当主の政宗、まだ二十歳を過ぎたばかりの若者なるも破竹の勢いで奥州の地にて領土を拡大し、会津の芦名を滅ぼしている。政宗が北条氏と同盟を結んだのは、いずれ来るであろう柴田との決戦に備えてである。政宗は柴田明家に従う気はなかった。徳川の檄に応じたのも、徳川のチカラを利用するために過ぎない。家康に明家を討たせ、そして家康の下で勢力を広げる。家康より二十五歳も若い政宗。じっくりと家康の死を待ち、その後にその天下を奪い取る算段である。柴田明家は政宗より七つしか年上でしかない。寿命待ちはできない。徳川と北条が柴田に飲み込まれたら、もはや降伏して家名存続を図るしかないのだ。ずっと柴田の配下大名となってしまう。政宗は天下を取りたい。だからまず家康に天下を取らせるのである。

 政宗の伯父である最上義光、彼の妹が政宗の母親義姫であるが、政宗と義光はあまり仲が良くはない。しかしこの時点、最上と伊達は和睦している状態であった。よって両家とも後顧の憂いなく出陣できたのであろう。

 義光は甥の政宗と違い、天下を取ると云う野心はすでになかった。すでに畿内と西日本を統一した者もいれば、東国の大連合を作り上げた者もいる。自分にはそんな才覚はない。天下をあきらめたうえは東西どちらかに味方して、その下で生き残って行く事が大事となる。義光は内心柴田に付きたかった。しかし地理的に無理があり、かつ明家とは何の音信も取っていない。こんな事なら明家が出してきた『徳川と北条も我が配下』と云う嘘書状、嘘と知ったうえで安土に出向き友好大名になっておけば良かったと悔やむが後の祭りである。戦場で寝返る事も考えたが、そんな真似をすれば日本中の諸大名に笑われよう。このうえは徳川に勝たせて、その下で生き残るのが肝要。徳川が敗れた時は敗れた時で考えよう。そう思った。

 

 柴田明家が日本最大勢力の大名と云う事は奥州武士とて分かっている事。しかし京に近い畿内の領地は喉から手が出るほどに欲しい。勢力差から徳川に分が悪いとも言える。しかし逆を言えば家の拡大を狙う好機である。分が悪いからこそ御輿の家康を勝たせて領土拡大を図る。このまま連合せずにいたら、柴田明家は徳川も北条も飲み込み、やがて奥州までやってくる。その時にはもはや勝負にならない。天下に王手をかけた段階で降伏しても領地は大幅に削減される。連合は徳川家康の申し出ではあるが、東海、関東、奥州の武将たちはそうせざるを得なかったとも言える。

 

 徳川家康は尾張犬山の戦いのおり、気付いた事がある。なぜ柴田明家は朝廷に仲立ちを願ってまで徳川との決戦を避けたか。自惚れる気はないが家康は柴田明家が自分を恐れていると考えた。しかしこれは『光栄だ』などと云う美辞麗句で済まない。大変な事だ。もし徳川が柴田に従属しても明家はけして自分に気を許さない。武田攻めの後に親しく懇談したなんて邂逅は何の役にも立たない。間違いなく明家は自分と三河武士団を酷使したうえ、我が身が身罷れば次代当主の秀忠に謀反の疑いありなどと吹っかけて徳川を滅ぼすだろう。戦国の艱難辛苦を経てきた家康には手に取るように明家の考えが分かった。

『もう勅使が来ても聞く耳持たず斬り捨てる。儂の人生、最大の賭けじゃ!』

 家康は明家が西日本に勢力を拡大していくのを黙って見ていたが、彼もまたじっくりと味方を東国に増やしていったのである。いくら柴田明家に二十万三十万の動員数があれど、戦は数ではない。武田信玄三万に一万でケンカを売った男である家康。

 今回の戦にしても柴田は大軍勢であろう。しかし徳川も八万から九万に届く軍勢を整えている。十分に戦いようはある。柴田明家を生涯最大の敵と認めている家康だった。

 

 そしてついに家康は東国連合軍を結成、東軍が挙兵した。味方を約束した関東と奥州の武将たちは家康の檄に応じて信州松本に集結。美濃国に進軍を開始した。東美濃を統治している稲葉貞通。事前に明家は貞通に“徳川が挙兵したら、信州から美濃路に来る可能性が高い。稲葉勢だけでは防ぎきれぬゆえ、無理をせずに後退して上杉と真田、他の濃尾勢と連合して迎撃されよ、そして時間を稼ぎ、我らの到着を待って欲しい”と指示していた。とはいえ、敵の通過を許しては美濃武士の名折れ。大坂で留守を務める父の一鉄に

『大納言殿は立場上ああは言ったが、よもやその通りにするでない。徳川との国境に稲葉を置いたは、大納言殿が稲葉の強さを認めているからこそ。断じて易々と通すでない』

 と、釘を刺されていた。無論、貞通も易々と通す気はない。岩村城で徹底抗戦した。岩村城は明家の養父の水沢隆家が改修し、遠山氏、秋山氏を経て稲葉氏が堅固な城に作り変えた。徳川軍、いや東軍は手を焼いたが、結局は多勢に無勢である。防ぎきれないと悟った貞通は岩村城を焼却したうえ、あらかじめ用意してあった隠し道で敗走した。

 東軍は西に進む。稲葉の砦も次々と落とされ、そして岐阜城に迫る。岐阜城を守るのは織田信明、三法師である。つい最近に元服したばかりの少年だ。明家の次女の鏡姫との婚礼を今か今かと待っていた彼だったが、突如の激震が東からやってきた。稲葉勢も岐阜城に入り、防備に備えた。

 そして滝川一益と森長可が岐阜城に援軍に駆けつけた。上杉と真田は四面敵国も同じ。自領の守備を考えると三分の一ほど軍勢しか出せない。上杉家は当主景勝が防備にあたり、直江兼続が四千の兵を率いて出陣、真田家はすでに幸村の軍勢が九州にあり、かつ徳川軍の集結地のすぐ間近に領地がある。それでも昌幸は盟約を遵守して軍勢を出した。真田信幸が精鋭五百を率いて出陣。領地は父の昌幸が死守する覚悟である。しかしながら相手は九万近い大軍勢、柴田留守部隊は岐阜城に集結して滝川一益を大将とし東軍と激突。世に云う『岐阜城の戦い』である。

 上杉、真田、滝川、森、稲葉の連合軍は滝川一益を総大将にして凌ぎ続けた。さすがは信長をして『攻めるも滝川、退くも滝川』と言われた名将である。岐阜城には直江兼続が入り、山城の利点を生かして東軍を翻弄。しかし負ければすべてを失う東軍は必死であり士気も高い。猛反撃に転じた。その猛勢に名将の直江兼続も持ちこたえられず岐阜城は炎上落城、直江勢は信明を連れ脱出するのが精一杯であり、前田玄以は岐阜城を守りきれなかった責任を取り、城と運命を共にした。

 

 留守部隊は美濃と近江の国境に近い大垣城に向かい東軍を迎え撃つ構えに入った。

「おお、三法師様、いや信明様ご無事で」

「伊予(一益)殿…それがしは岐阜城を守れなかった…」

「何の、まだ盛り返しは出来まする。今は傷を癒しなされ」

「かたじけない…」

 滝川一益に迎えられた信明を見て安心したか、直江兼続は倒れた。疲労しきっていた。

「大丈夫か山城殿!」

「だ、大丈夫にございます伊予殿…」

「よう三法師様をお守りして下された…。元織田家の家老として礼を申す…」

「何の…信幸殿や長可殿、貞通殿は?」

「無事にござる」

「良かった…」

「大坂から早馬が来た。大納言殿はまだ厳島におられるらしいが大急ぎで戻っているとの事。しかしその前に兵糧が足らぬ事を察し、ご隠居殿(勝家)が援軍と兵糧を持ち、こちらに向かっているとの事だ」

「大和の筒井殿は?」

「無論、もう大和を出てこちらに向かっている。とにかく貴殿は少し休まれるが良い」

「かたじけない…」

 直江兼続は兵に支えられ、用意されている部屋へと向かった。

「ふう…厳島か。明後日に大坂に着いたとして大垣に至れるまではまだ七日はかかろう。何とか大垣で踏ん張らねば」

「伊予殿!」

「おお武州(長可)」

「水は井戸が何箇所もあるので問題ないが、兵糧はもって四日にござる」

「そうか」

「ご隠居の部隊はいつに?」

「大坂から京極但馬が、そして安土の石田治部がご隠居を補佐して大急ぎで運ばれているので三日以内には来よう。兵糧と水の心配がないのだけは救いじゃな」

「しかし大垣は岐阜や岩村と比べ物にならんほどに防備が薄い平城、しかも兵の士気は乏しゅうござる。岩村と岐阜が落ち、美濃は東軍に取られたも同じ。それゆえ大軍の東軍に怖気ついておりまする」

「分かっておる。直江山城が目覚めたら軍議じゃ」

「…こんな事になるのなら犬山で決戦をしていた方が良かったと大納言殿も船上で悔いているやもしれませぬな」

「よせ武州、それは今さら愚痴じゃ」

「は…」

「犬山で決戦していたら決戦していたで惨敗をしていた結果もありえた。西進を考えれば朝廷を介して徳川と和議をした大納言殿の考えは誤っておらぬ。過ぎた事は悔やまず、我らは大納言殿の軍勢到着まで何とか踏ん張らねばならん」

「此度も大納言殿は朝廷工作でしのぐつもりでござろうか…」

 一益は首を振った。

「今度は徳川家康、勅使も斬る覚悟でいよう。朝敵になるか天下を取るかじゃ」

「ううむ…」

「また…たとえ帝から仲介を申し出ても大納言殿は受けてはならん。二度もやれば柴田は敵味方にも笑いものぞ。『そうまでして徳川が怖いのか』とな」

「確かに」

「家康は…武田三万に一万一千で戦を挑み、姉川では多勢の朝倉勢に突撃もした男だ。慎重居士などと呼ばれているが元来あの男の気性は激しい」

「その通りにございますな」

「天下を取ったのが筑前(秀吉)ならば、家康は臣下となったかもしれぬ。筑前は創造が出来ても守成の出来る男ではなかった。家康より年長であるし、子もいなかった。筑前の元で我慢を続けて、亡き後に牙を剥いたであろう。しかし大納言殿は創造も守成もできる。何より若く、子もいる。我慢を続けているうちに大納言殿より先に死んでしまう。その後、掴み取った甲信駿遠三の五ヶ国はアッと云う間に柴田に飲まれる。甘受できようはずもない。家康が勝つには、戦場で大納言殿を討つ事しかない。柴田明家の大名首を取るしかないのだ。家康が己の人生の中で最たる大博打に出た。我らも死ぬ覚悟で対するのみ」

 

 瀬戸内海の厳島、ここに柴田明家は着いていた。すでに岐阜城は落ち、濃尾勢や上杉と真田は大垣に後退している事は伝わっていた。

「大垣に迫ったか…」

「殿が以前にお考えの通り、徳川の、いや東軍の西進は大垣で一度止まると存じますが、あまり遅ければ大垣や佐和山も落とし、安土は通らず琵琶湖を迂回して京に入る可能性がありまする。急ぐ必要がございまするぞ」

「そうでございますな…」

「まだ恩賞を与えてはおりませぬで、西国大名は連戦を渋りましょう。我らは論功行賞もやる時間もなければ、島津と一枚岩になれるよう心砕く余裕はございませぬ。九州、四国、中国の武将らは帰すべきかと」

「この東西合戦にずいぶん戦気を高めていると聞いている。その命令を受けて帰るであろうか?」

「もし大垣の戦で当方劣勢になったら、島津や毛利がどんな動きをしてくるか分かりませぬ。劣勢時に敵に寝返られたら我ら西軍は総崩れ。いかに貴重な兵力とは申せ帰すべきにございます。畿内と濃尾の軍勢だけで十分東軍には対する事は出来ます」

「分かった、出羽守に陣立てを任せまする」

「承知しました」

 

 だが国許に帰れと申し渡された大名たちは激怒。島津義弘ら九州の武将たちは上坂し改めて明家に降伏の意図を示さなければならないので大坂城に行くが、それでも『軍勢は無用ゆえ、適度な護衛兵と主なる家臣だけ残し帰せ』と通達された。

 毛利、長宗我部、宇喜多らはそのまま国許に引き返せと言われていた。これに納得できない大名たちは柴田本陣に怒鳴り込んだ。島津義弘は頭から湯気を立てて怒鳴る。

「どういう事か!新参の島津は信用できないと云う事か!」

「落ち着かれよ義弘殿」

「これが落ち着いていられるか軍師殿、大納言殿はどこにおられるか」

「明日の出航に備え、すでに横になっておられます。お話ならそれがし出羽が伺いますが」

「大納言殿に直接伺いたいのである」

 

 陣屋で横になっていた明家に大野治長が使いで来た。

「殿」

 目を開けた明家、静かに訊ねた。

「何だ」

「大垣の戦に外された諸大名たちが軍師殿に猛抗議です」

「分かった、すぐに行く。着替えを手伝え」

「はっ!」

 明家は甲冑と陣羽織を身に付け、髪も整え本陣へと向かった。大騒ぎの本陣、誰もが、もう大きな合戦はない。武功を立てられる最後の機会かもしれないと思っていた。何よりこの東西の戦いの結果が明家の作ろうとする統一政権樹立の是非を占う大事な合戦と見ていたのである。全国の大名が一つの戦場に結集し東西に分かれて戦う。それぞれ自分の家名を轟かせようと思っていた。外されるわけにはいかないのであった。

「ご一同控えられよ!大納言様のお越しでござる」

 治長の言葉に場は静まり、明家が陣幕をはらい入ってきた。諸大名は膝を屈し控えた。

「取り繕いは皆に失礼、ありのままを話すゆえ聞いて下さい。ここにいる西国大名の皆は矛をおさめ、当家に恭順してくれました。しかし時を経ておりませぬ。当家が成そうとする統一政権の樹立に伴い、政治にせよ軍務にせよ協力し合っている日数が浅く、深い信頼関係がまだ築けておりませぬ。不愉快に思うかもしれませんが、徳川との戦局によっては、その矛先を当家に向けてくるのではないかとそれがしは恐れたのです。だから出羽守に命じて外させました。他意はございませぬ、ただそれがしの臆病さゆえにございます」

「…では、西軍劣勢に陥ったら島津は東軍につき、大納言殿を攻撃すると思われたのか?」

「その通り、思いました」

 義弘の目を見て、正直に答える明家。義弘は苦笑した。

「正直なお方ですな」

「大納言殿」

 と、毛利家家老の小早川隆景。

「何でしょうか」

「その危惧、なるほど言われてみれば分からんでもござりませぬが、それでは天下分け目の戦と云うに我ら毛利は何の武功も立てられませぬ。恐れながら大納言殿が勝利の後に我ら従属大名に恩賞を惜しんでの吝嗇の気ありと見る者も出てきましょうぞ」

「こ、小早川殿、お言葉が!」

 大野治長が言うが隆景は退かない。

「義父上」

「婿殿」

「いったん柴田に組したからには『柴田は勝てるか』ではなく『柴田を勝たせる』のが我らの務めにござる。そして統一政権の樹立に尽力し、共に栄えるが望み。こたびの戦から外されればそれも叶いませぬ。何とぞ参戦をお許し願いたい」

 長宗我部信親が言うと、他の大名も賛同。立ち上がり改めて参戦を要望してきた。

「徳川は強いですぞ。一緒に来ていただけますか!」

「「オオオッ」」

「弱い敵なら逆に御免蒙りますがのぉ」

 島津義弘が言うと陣がドッと湧いた。参謀の黒田官兵衛は

(まことの事を申すのが一番説得力のある事とは云え『みなに背かれるのが怖いから連れて行けない』と言うのは、もはや馬鹿正直。しかしそれが逆に諸大名の心を掴みよった。『勝ち馬に乗る』ではなく『勝たせなければ』と思わせよった。なんと云う大器。やはりこのお方が天下人とならなければならない!)

 と、惚けて明家の顔を見つめた。

「ん?出羽守、それがしの顔に何か付いていますか?」

「い、いや、あははは!」

 明家は一つ咳払いをして背筋を伸ばした。

「ではこのまま全軍、美濃の国に向かう」

「「オオオオッ!!」」

「兵糧はすべて柴田家で工面する。また功労者には手厚く遇し、戦死した場合は子を取り立てる。子がなくば兄弟、兄弟なくば縁者を取り立てる」

「「ははっ!」」

「また主戦場は大垣にあらず」

「え?」

 黒田官兵衛は目を丸くした。

「大軍を配置できる場所を特定し、そこに徳川を誘導し叩く」

「して、その戦場は?」

「関ヶ原だ」

「関ヶ原…大海人皇子と大友皇子が合戦の火蓋を切った場所!」

「その通りだ出羽守。まさにこの戦国乱世に終止符を打つに相応しい場所だ。さあ軍議を始めるぞ!」

「「オオオッ!!」」

 

 数日後。美濃の国、岡山の赤坂、東軍の本陣。

「申し上げます」

「なんじゃ半蔵」

「柴田明家、大坂に戻った由にございます」

「来おったか…」

「到着した当日、大坂城で改めて九州勢が降伏の意図を示したと聞いております」

「ふん、とうとう九州まで手中にしたか化け猫め、まあ良いわ、あとでまとめて儂がいただく。引き続き情報収集にあたれ」

「はっ」

 服部半蔵は引き返した。

「弥八郎(本多正信)、いよいよこの時が来たのう…」

「御意、よもや大納言も今度は朝廷に仲介を頼む事もございますまい」

「しかし、よもやあの時、有意義に語り合った若者とこの国の覇権を賭けて戦おうとはのう…。世の中は何が起こるか分からんわ」

「ですが殿、殿はあのおり『隆広殿は家臣にすれば恐ろしいが、敵にすれば恐ろしくない』と申したではございませんか」

 と、本多忠勝。

「あのころの美濃ならな。今は事情が変わったわ。よもやここまで大化けすると思わんかったからな」

 苦笑して答えた家康。一つ記憶に残る出来事があった。家康が織田信長から安土城に招待された時であった。徳川家を歓待する宴、そこには柴田家の面々はいなかった。隣に座る家康に信長が尋ねた。

『三河殿(家康)は武田攻めのあと、ネコの陣に訪れたらしいの』

『いかにも』

『あの小僧をどう見た?』

『才と器は、あの若さで大したものだと思うてございます。さりながら、いささか性格が甘いと思いましたが』

『確かにの』

 信長は笑った。

『だが三河殿、もしかするとネコは冷酷非情になる必要がないのかもしれぬ。そして彼奴にはそういう性格に沿うた才と器を持っている。戦に勝つのも、国を統治するのにも方法が一つではないように、上に立つ者が必ずしも冷酷非情な絶対君主でなければならないと云う法もない。その性格の甘さ、優しさゆえに、勝利者となる時もあろう。儂は今さら優しい君主にはなれぬがな』

『その勝利者となった時の敗者は誰でござろうか』

 信長は豪快に笑い、答えた。

『儂か、三河殿であろう。ふっはははは!!』

 信長のこの言葉がつとに気になる家康。性格が甘い、優しい。しかし柴田明家は結局それで勝っているのである。味方も増やしている。

(…大納言を戦国乱世の最後の勝者とするため歴史に選ばれた敗者が儂とでも云うのか…。いや、大納言が勝利者たれたのは、ここまでにせねばならない。本当の戦いはこの戦に勝ってからの治世の創造期にある。大納言の性格では大名に徹底した支配などはできまい。統一政権と云っても柴田を盟主とした同盟諸国の幕府。大納言の死後に再び乱世が始まり、結局はにわか天下じゃ。しかし儂ならば天魔外道と謗られようと大名を支配していく覚悟がある。泰平の邪魔になる者は容赦なく排除する鬼となれる。大納言は鬼になれぬ。鬼になる事が泰平の世に繋がる事を分からぬ男じゃ。大納言にこの戦を勝たせてはならぬ…!)

「殿」

「ん?」

「どうされた、怖い顔して考え事を」

「いや弥八郎、何でもない」

 

「殿、大納言は美濃の生まれ、大軍を擁したのならここに陣取りましょう」

「関ヶ原…。確か大昔に大海人皇子と大友皇子が合戦の火蓋を切った場所であるな」

「いかにも」

「ふむ…」

 本多正信は描かせてあった関ヶ原の地形図を広げた。

「殿がこの南宮山に陣取れば、大納言はこの松尾山か、この笹尾山に陣取りましょう」

「なるほど」

「その前に殿」

「なんじゃ平八」

「大垣を一挙に落とし、京に旗を立てられてはいかがでござろうか」

「そうじゃ、正親町天皇から帝の地位を譲られた後陽成天皇に拝謁し、こちらが玉を握る。そのうえで柴田征伐の勅許を拝領できれば柴田は賊軍にございますぞ!」

 本多忠勝の意見に榊原康政も同調。

「弥八郎」

「はっ、では話すが…無論、そのような構想もあった。しかし、それでも現在大納言についている将兵がすべて我らに味方する事は絶対にありえん。よう考えてみよ、武士は元々公家の圧政に対抗するために生まれた。ゆえに幕府と天皇が戦ったとしても武士は幕府に付くのが正道である。大納言は帝より統一政権を立てよと下命されている。つまり幕府じゃ。西日本の統一を成した今、悔しいが大納言はその幕府を開くのに、もっとも近い人物じゃ。

 何より大納言到着前に京に至れると考えるはとんでもない誤りじゃ。大垣に篭る滝川も徹底抗戦しようし、その後には日の本最大と言える城塞安土がある。城代の石田治部は合戦に向かぬ将であるゆえ、隠居の勝家が出て来て防戦の指揮を執ろう。老いたりとはいえ織田家最強と言われた武将。さすれば我々は下手すれば安土を攻めて背後から襲われ挟撃を受けた羽柴秀長と同じ目に遭う」

「安土に向かわずに琵琶湖を迂回すればいかがか?」

「平八、それでは柴田の領地の近江と丹波を通らねばならぬ。安土を落とすと同格の犠牲が強いられるであろう」

「むう…」

「分かるの、我々は西進をここで止めて大納言を待つ。我らは柴田明家を野戦に誘い込み、そして戦場で討つ事に全力を傾けねばならぬのじゃ」

「そうじゃ、性格は大きく違うが大納言は織田信長に並ぶ器よ。それゆえに大納言さえ討てば徳川の勝ちじゃ。嫡子竜之介は幼く、鳶の父親(勝家)に鷹の息子(明家)と同じ事は今さらできぬ。ほっておいても柴田は内部から崩壊する。我ら徳川を中心とする武家社会が起こせるのじゃ!」

「殿!」

「得心したようじゃな、弥八郎、関ヶ原での陣立てを続けよ」

「はっ」

 

◆  ◆  ◆

 

「殿、ここは徳川の陣を出て、京に向かい伊達の旗を立てるのも一興ですぞ!」

「成実、それでは木曽義仲と同じで、瞬く間に東西両軍に駆逐されるぞ」

 頬を膨らませる伊達成実。ここは伊達陣。伊達政宗、伊達成実、そして政宗の智嚢である片倉小十郎がいた。

「ははは、しかし殿、徳川は動きませんな」

「動くはずがないわ小十郎、今のところ家康は京に上洛して天下に号令するのが目的ではない」

 自らの首に扇子をトントンと叩く伊達政宗。

「柴田大納言が首よ」

「さもあらん」

「ああもう、この成実には話が見えん!なぜ柴田明家の首を狙う事が大垣の手前から動かない理由なのでござるか殿!」

「大納言の到着前に大垣を攻めて兵の消耗を避けたいのだろう。岩村から岐阜に至るまでの城は大納言をこちらに出向かせるために必要であったが、徳川は大垣より以西は必要ないと見たのだろうよ」

「なぜ?」

「これ以上進めば畿内。柴田の留守部隊が南北から襲い掛かって参るでしょう。下手をすれば桶狭間の今川義元のように予想もつかない奇襲を受けるかもしれない。徳川殿は美濃の国を奪い取り、大納言に宣戦布告した。大納言が大垣にやってくるのを待つつもりにございましょう」

「それじゃ小十郎、どうせなら大納言が島津と戦っている最中に挙兵すれば良かったではないか」

「徳川殿もそうしたかったでございましょう。兵力分散ができまするからな。しかし我ら東軍もここまでの陣容を整えるのに同様の時間を必要としたゆえに、それは仕方ござらぬ」

「ふむ、見たところ大垣は平城で大軍の拠点としては心もとない。大納言は大垣より後方にある関ヶ原で迎え撃つつもりと見た。あそこなら西軍の大軍が山地に陣取る事が可能ゆえな。まあ東軍も可能だが」

「関ヶ原に?」

「俺が大納言ならそこを戦場に選ぶ。それにしても」

「それにしても?」

「化け猫対古狸か、ふっははは、怪談だな」

 

 ここは北条の陣。

「解せぬ。大垣を突破してしまえば、あとは手薄の畿内。大坂まで一直線であろうに!」

 焦れる北条氏政。

「手薄と申しても父上、近江と大和にいる留守部隊が南北から襲ってきましょう。特に避けて通過は出来ない安土城は大納言が築城した屈強の城塞。守る石田勢も中々精強と聞いています。無視して通過するのも危険でござれば…」

 と、北条氏直。

「ううむ…」

「ここはそれがしも大納言が美濃に出てくるのを待ち叩くのが上策と存じます」

 

 大垣城に一足先に向かっていた勝家の元にも明家が大坂に着いたと云う知らせが入った。

「よし、儂が当面食い止めるゆえ、急ぎ軍を編成し東に向かえと伝えよ」

「ははっ」

 勝家の軍には筒井順慶も合流していた。

「ご隠居様、てっきり東軍は大垣を一気呵成で攻めると思いましたが、止まりましたな」

「ふむ、やはり倅を戦場に引きずり出す事が狙いのようじゃ。大垣は防備こそ薄いが伊予が死守する。大事の前、兵の消耗は避けたと見える。何にせよ、あの家康がいよいよ勝負に出てきた。正念場じゃ」

 

 大坂城に帰城した明家、一通りの用事を終えて帰宅した。

「殿、お帰りなさいませ」

 と、さえ。それに側室たちが

「「殿、お帰りなさいませ」」

 と続いた。

「ただいま、みなも元気そうだな」

「「はい」」

「父上、お帰りなさいませ!」

「うむ、竜之介。出迎え嬉しいぞ。俺の留守中に母上にちゃんと孝行はしたか?」

「たぶん」

「はっははは、たぶんか。まあいい」

「父上、お帰りなさい!」

 鏡姫が出迎えた。娘の出迎えは嬉しい。鏡姫を抱き上げて喜ぶ明家。

「会いたかったぞ~!鏡!」

「鏡もです!」

 

 やっと部屋に入り、甲冑と陣羽織を脱いだ明家。さえが刀の大小を受け取った。

「明日にはまた出陣だ。さすがに疲れるな」

「今日、さえがたっぷり癒してあげます」

「うん、それを楽しみにしてきた」

「殿、その前に子供たちに」

「そうだな」

「はい」

 さえの言う子供たち、とは養子と養女の事であった。明家の家で大切に養育されている二人。

「「父上、お帰りなさいませ」」

「うん、二人とも面をあげよ、父に顔をよう見せてくれ」

「「はい」」

 養子と養女は一人づついた。養子は明智秀満の嫡男左馬介、養女は金森長近の娘の桂姫である。

「左馬介は学問、桂は家の手伝い、それぞれ励んでいるか?」

「「はい」」

 優しく微笑む明家。左馬介は父の秀満同様、凛とした良き面構えをしている。つい最近まで藤林家で養育されていたが、明智秀満との約束どおり、明家は左馬介を養子とした。明家期待の養子である。桂姫は長近が本能寺の変の翌年に授かった姫である。しかし賤ヶ岳の合戦にて離反の罪で断絶させられた金森家。当主長近は追放され、ほどなく死去。

 金森家は離散したが、長近の妻はお市の侍女を務めていた時期があり、柴田家に拾われたばかりのさえに侍女として仕事を教えてくれた女であった。金森家の追放を知ったさえは何とか夫の明家に取り成しを願うが、明家でも庇いようのない裏切りを長近はしてしまったのだからどうしようもない。柴田家に仕官したての自分に温かく接してくれ、伊丹城攻めでは若い総大将の自分を盛り立ててくれた長近。何とか助けたいと思ったが、明家が柴田の家督を継いだころ、長近の訃報が届いた。

 それから消息はぷっつり途絶えたが、桂がある日、城に訪れた。汚い身なりであったので門前払いさせられそうになったが、そこへ前田利長が通りかかり事情を聞くと金森長近の娘と分かり、明家は不在であったのでさえに目通りさせた。

 長近の妻の香は貧乏暮らしが堪えたか重病を患っていた。娘の桂は源蔵館で母を治して欲しいと頼みに来たのである。さえはすぐに迎えを出し源蔵館で治療を受けさせた。しかし時すでに遅く、香は息を引き取った。残された桂をさえが養女として引き取ったのである。明家も長近の娘と聞き、自分の娘として育てる事を決めたのだった。柴田は父を追放し、母を死に追いやったと桂はお福と同じく最初は中々明家とさえに心を開かなかったが、今は心を閉ざしておらず、元気な少女となっている。

「父は、明日にまた出陣であるが、この戦が終われば少しは落ち着く。そのおりには海にでも行くか」

「本当ですか!うわぁ桂は楽しみにしています!」

 

 その夜、明家とさえの寝室。情事を終え、抱き合い語り合う二人。

「さえ、ごめんな…ゆっくりできなくて」

「殿…」

「でも、もう少しの辛抱だ…」

「はい…」

 明家はそのまま眠った。ぐっすり気持ち良さそうに眠っている。さえはそんな夫を抱き寄せ、そして眠りについた。

(おやすみなさい、殿)



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関ヶ原の戦い-壱-

 柴田勝家、筒井順慶、京極高次、石田三成が大垣城に到着した。途中に安土を経て、そして筒井順慶と合流。十分な兵糧と軍勢と共に勝家はやってきた。驚いた事がある。勝家は大垣入城のため東軍と戦う気でいた。しかし東軍は大垣を包囲していなかったのだ。大垣より離れた岡山なる丘陵に陣を構えているだけである。

「ふうむ、包囲もせぬとは何を考えているのか」

 岡山を見つめながら、勝家は馬を降りた。出迎えた滝川一益。

「ご隠居殿、援軍恐悦にございまする」

「なんの伊予(滝川一益)、まだまだ若い者には負けぬでな。ところで東軍はずっとああなのか?」

「いかにも、防柵、空堀も周囲に作り備えましたが、東軍には動く気配がございませぬ」

「そうか、とにかく今は腹いっぱい飯を将兵に食べさせてやるがいい。山と持ってきたゆえな」

「ありがたくちょうだいいたしまする」

 勝家と一緒に来た石田三成。大垣城をしみじみと眺める。

(賤ヶ岳の戦で親父様とここに来たのが昨日のようだな…)

「治部少殿(三成)」

「おお山城殿(直江兼続)」

「大納言殿は大坂を発たれたのか?」

「今日、大坂より出陣したと思われます」

「そうか、ならもう数日ですな」

「遠征で疲れていように、続けてかような大戦、臣としてはもう少し休ませて差し上げたかったのですがな」

「ははは、御台様の癒しがあれば大丈夫ではないのですかな」

 

 さて、数刻後。勝家が総大将となり軍議が開かれた。滝川一益が発する。

「兵糧が届いて飢えの心配はなくなり申したが、いかんとも士気が低うございます。東美濃の城はすべて奪われ、岐阜城も陥落し、その後に起きた小競り合いもすべて敗退いたしました…。我らの将兵は徳川家康と聞くだけで震え上がっておりまする。何とかこれを打破せねばなるまいと存じます」

「ふむ」

「来るべき天下分け目の戦、我らがそれに参ずるのは当然でございますが、東軍にこっぴどくやられ士気が落ちた滝川、上杉、稲葉、真田、そして我が森家の兵にどれだけの働きが出来ましょうか。ヘタすれば敵前逃亡を繰り返し敵味方に笑われよう」

 と、森長可。うなずく一益。

「その通りじゃ。我らの将兵から東軍への怖気を払拭せねばならん」

「大垣に来て、東軍が城を包囲していない事に驚いたが家康はもうわずかな兵も失いたくないのであろう。かつ敵城が前方にあらば味方の士気の下降も防げる。皮肉な事にこの城の存在が東軍に役立っている。反して、ここにいる西軍の先鋒は今までの戦で東軍に怖気づいている。この先鋒の崩れが西軍崩壊にも繋がりかねない」

「されば」

 勝家の意見に兼続が答える。

「直江山城か、申せ」

「はい、御味方の怖気を払い士気と戦意を高めるには、一戦するにしかず」

 どよめきが起こる評定の間。森長可が

「それは道理であるが…確実に勝たねば逆効果になるぞ」

 と述べる。

「何も家康の首を取るとまでは申してはおりませぬ。敵の一角を切り崩して後退すれば良いだけの事」

「しかし、それは危険ではないか?戦端が開き、東軍が一挙大垣城に攻めかかってくる事もありえる」

 反対する京極高次。

「いや、むしろそうしてくれた方が良いぞ。大垣に寄せる東軍に大納言殿率いる西軍が一気に攻めかかれる!いや、家康はそんな阿呆ではないな…」

 と、真田信幸。

「だろうな、多少小競り合いが起きても戦局が拡大しないうちに退かせよう。しかし敵の総大将がその気ならば、一局面の勝ちは拾えそうだ。山城殿の言うように、一戦に及んだ方が良い。たとえ一局面でもこちらの士気を上げて、怖気を取るために勝ちは欲しい」

 稲葉貞通が言うと意見が落ち着いた。

「よし山城、討って出よ」

 勝家が下命した。

「手前が二千の兵を率い、敵の一角切り崩して参りましょう」

 

 かくして直江兼続、大軍勢の東軍にわずか二千で合戦を仕掛けんとする。

「いくさだ!東軍の鼻っ先に拳骨を入れに参る!」

「おう!」

『愛』という文字を前立にした兜をいただき、闘志あふれる目。出陣前に姉さん女房のお船がくれたお守りを握る。

 

 さて、兼続の出陣に応えし精鋭たち。上泉泰綱、宇佐美弥五左衛門、藤田森右衛門、韮塚理右衛門、水野藤兵衛、山上道及、車丹波守、いずれも剛勇揃いである。

 特に上泉泰綱は直江兼続と柴田明家の剣術の師である上泉信綱の孫であり兼続や明家と同門の幼馴染でもある。兼続、明家と同年であるが剣はさすが上泉信綱の孫だけあり兼続、明家も遠く及ばない遣い手である。剣の腕だけではなく、明家の養父長庵に学び、とても思慮深い少年であった。

 やがて直江兼続と柴田明家、当時は樋口与六と水沢隆広であったが二人に家臣にと望まれた。上泉泰綱はどちらかと云えば隆広の方が好きで親しかった。しかしそれゆえ甘えになると思い上泉泰綱は与六を主君と選び、そして現在に至る。

「殿、いつでも出陣準備整っております」

「ふむ泰綱、俺に後れを取るな」

「承知!」

 城門近くに兵を進めると、一人の武将が手勢を連れてやってきた。

「山城殿」

「おお、左近殿」

 筒井家の家老である島左近だった。

「主君順慶より、直江勢の後詰をせよと下命され申した」

「これは頼もしい。しかしこれは直江がいくさ、いかに左近殿なれど、それがしの采配に従ってもらいますぞ」

「承知仕った」

「結構、では方々、いざ参ろうか」

「「オオオ!」」

 大垣城の城門が開かれた。

「なぜ俺も一緒に行くのですか左近殿」

「ははは、そういうな六郎。安土城攻防戦以来から儂はそなたに惚れているのだ。どうだ、大納言殿の忍びなどやめて儂に仕えぬか」

 ずっと東国を内偵し明家に報告していた六郎、彼は岐阜城の戦いでも直江兼続と共に織田信明を守り続けて戦っていた。そして今は大垣勢の総大将となっている勝家の元にいる。勝家が筒井順慶に一隊を直江の後詰につけよと下命し、順慶が左近に下命した。ここぞとばかり左近は順慶を通して勝家に頼み、六郎を借りたと云うわけである。

 大垣に入城してからも何かとつけて六郎を部下にしようと誘ってくる。まるで恋焦がれた娘を口説いているかのようだ。左近ではむげにもできず六郎も困り果てていた。

「それは何度もお断りしたはずですよ」

「ふははは、儂はあきらめんぞ」

 

 大垣城の北東にある東軍陣地の赤坂。ここは佐竹義重の陣地である。義重の元に報告が入った。

「殿、我が陣の眼前で西軍兵が刈田をしております」

「兵数は?」

「二百ほどかと」

「二百か、ほっておけ。別に目の前の稲穂は我らのものではない。好きに刈らせろ」

「父上、眼前で刈田されて見過ごしていては佐竹の名折れでございますぞ!」

 息子の佐竹義宜。家督はすでに譲ってあるが実権はまだ父の義重が握っていた。

「いいからやらせておけ、誰の差配か知らぬが二百は囮だ。追い払い、追撃したところに伏兵があるって絵図だろう。何もせんでいいから大納言到着までおとなしくしとれ」

「は、はあ…」

 佐竹陣の様子を遠目で見ている直江兼続。

「ふむう…さすがは謙信公にも認められた坂東太郎(佐竹義重)、こんな挑発乗らぬか」

「そのようですな、しかしこれ以上東軍の陣に近づけば危険ですぞ山城殿」

 と、島左近。東軍の先鋒にある部隊を挑発したい兼続であるが、さすがは佐竹義重、相手にしなかった。兼続は刈田している兵を引かせた。

「よし秋田の陣にやってみようぞ」

「そんな行き当たりばったりでどうする。しかも秋田は東軍と申せ柴田の友好大名、それでも挑発を仕掛けると?」

「いや左近殿、山城殿のお考えは上手い。秋田は柴田と友好の約を交わしているゆえ東軍でも寝返りを懸念されていましょう。信を得ようと乗ってきます。友好の約定を結んだのは先代愛季(ちかすえ)でありますし、何より現当主の実季は若年で血気盛ん。十五であるが安東通季の反乱を鎮圧し武将として自信も持っていましょう!」

 と、六郎。

「ほう…」

 いっそう六郎に惚れた左近だった。

「いや、そう聞くと納得できる。山城殿さすがだ」

「いやいや何の、あっははは!」

(実はたまたま秋田の陣が目に付いたからだったのだが…)

 

 西軍の旗を持つ二百の兵士が荷駄を持ち秋田実季の陣の前を通る。鉄砲の射程距離ギリギリの位置であった。

「殿、西軍の輸送兵が当陣の前を通っています」

「輸送兵?いかほどだ?」

「二百にございます」

「大方場所と道を間違えたのだろ。大垣は向こうだと教えてやれ」

 と、返したが

「殿!」

「な、なんだよ」

 老臣が怒鳴った。

「かような呑気な事でどうなさるのです。東軍の陣を探りに来た者ならどうなさいます。秋田はむざむざ西軍の密偵を逃したと徳川殿に思われましょうぞ!」

「ふむ、一理あるな」

「当秋田家はご先代が柴田と友好の約を結んでいるゆえ、徳川殿も内心疑っていましょう!ここで不手際はできませんぞ」

「よし鉄砲で追い払え!」

 秋田勢が陣を出て、西軍兵に銃撃を開始した。輸送兵は後退。それを見た直江兼続。

「撃ち返せ!」

「あの軍旗は直江か、チッ、二百ばかりの小勢で何ができる。左衛門尉!(浅利左衛門尉義正)」

「はっ」

「手勢を率い、討ってでよ!」

「西軍の弱腰二百、全兵討ち取って参りましょう!」

 浅利義正率いる秋田勢が陣地を出た。

(史実ではこれより以前に浅利義正は実季に反乱、その後に謀殺されていますが、本作では存命で実季の武将として書く)

「殿!東軍押し寄せてまいりました!」

「よし、弓を放て。後退する」

 兼続は采配を秋田勢に向けた。

“放てーッ!”

 直江勢は秋田勢に一斉に弓を射る。そして

「全軍、後退だ!」

「左衛門尉様、西軍が退却!」

「よし、追撃に出るぞ!追えい!」

「「オオオッ!!」」

 退却する直江兼続に伝令が報告した。

「追ってまいります!敵将は浅利左衛門尉義正!」

「かかったか。浅利は勇猛果敢と聞いている。容易く兵は返すまい。このまま杭瀬川を渡るぞ」

 直江勢は杭瀬川を渡った。同じころ岡山の徳川家康本陣に伝令が来た。

「申し上げます」

「ふむ」

「西軍の輸送兵が秋田陣の前を通過いたしたところ、秋田勢が一蹴したとの事です」

「ご苦労、下がれ」

「はっ」

「ふむ…。遠眼鏡を」

「はっ」

 井伊直政が家康に遠眼鏡を渡した。直江と秋田の小競り合いを見つめる家康。

「深追いしすぎじゃ…。まあ良い、秋田の手並みを拝見しよう」

 

 直江兼続に伝令が走る。

「申し上げます!秋田勢が杭瀬川を渡りましてございます!」

「よし、この辺りで良かろう。泰綱、合図を放て」

「ははっ」

 上泉泰綱が上空に鏑矢を放った。それと同時に二百の直江勢が反転。

「槍衾を構えよ!」

 それを見る浅利義正。

「何を今さら、二百の小勢で何が出来る。押し潰せ!」

 直江勢の槍衾が突撃を開始すると、浅利勢の後方から銃声が鳴り響いた。

 

 ダダーンッッ!ダダダーンッ!

 

「後方より鉄砲隊!西軍の伏兵にございます!」

 忌々しそうに後方を見つめる浅利義正。

「ちっ、味なマネを!」

 浅利勢の進軍を止めると兼続は鉄砲隊を下がらせた。そして采配を振り下ろした。

「かかれェェッ!!」

「「オオオオッ!!」」

 直江勢は突撃を開始、一糸乱れぬ槍衾が秋田勢に迫る。兼続はめったに大声を出さない男であるが、ひとたび吼えれば人の肺腑に徹するほどの一喝となる。あの前田慶次に『大した胆力よ』と言わしめた男である。

 その兼続の号令一喝、将兵の肺腑に響き、そして怖気が失せていく。兵たちは槍をチカラ強く握り、槍衾は一直線に秋田勢に突き進む。直江の先駆け宇佐美弥五左衛門と山上道及が先駆ける!

「我こそは直江山城が先駆け宇佐美弥五左衛門!腕に覚えあらば出られませい!」

「起きやがれ弥五左衛門!この山上道及こそが先駆けよ!」

「ならば道及、功名勝手次第と殿のお許しが出たこのいくさ!手柄首を競うてみるか!」

「望むところ、儂に勝てたら美酒一斗くれてやるわ!」

「そっくりその言葉をお返しするわ!ならば参るぞ!」

「おおっ!」

 直江兼続の誇る豪傑二人が先駆け、秋田勢に突入した!

「両名に遅れを取るな!かかれ!」

 

「落ち着かんか!伏兵をいれてもまだ我らが多勢じゃ!押し返せ!」

 浅利義正の叱咤も効果が薄い。多勢と油断したところに鉄砲隊による伏兵、士気が落ちたところに直江勢の全軍突撃である。浅利勢は押され出した。さらに上泉泰綱の手勢が浅利勢の一角を切り崩す。一族や家臣が新陰流の遣い手である。次々と薙ぎ倒されていく。戦局を見ている島左近。

「出番がないな…」

 苦笑する左近。

「申し上げます!佐竹勢が東軍の陣より押し出てまいりました!」

「それはありがたい、みな聞け、我らは佐竹勢に当たるぞ!直江勢の働きに負けてはならんぞ!」

 

 先頭に立って駆ける佐竹義重。

「まったく世話のやける田舎坊主だ。敵の誘いも見抜けんか!」

 当初は出陣を渋った義重。功をあせり敵の術中に陥ったものなど助ける必要は無い。そう言って動かない事を命令したが、嫡子義宣が

「道理ですが、この小競り合いを完勝させては西軍の士気が上がります。せめて秋田勢を退かせる事はしておくべきでは」

 と進言。家臣たちもそれを支持した。義重は重い腰を上げて出陣した。戦うからには自ら出るのが彼である。

「良いか、秋田に兵を退かせて、我らも速やかに後退するぞ。大事の前に兵を損なうは…」

「かかれえッッ!!」

「ん?」

 ずいぶん轟く声だと思い、声の発された方向を見た。その男の号令一喝で自分たちに攻め寄せて来ているではないか。

「なんだあの髭面の鬼瓦みたいな男は」

「父上、あの旗は筒井。その髭の武将は島左近かと」

 と、佐竹義宜。

「ほう、あれが鬼左近か。面白い、儂も鬼義重と言われた男、手並みを見てくれる!秋田を退かせるだけでは済まなくなったわ。佐竹も参るぞ!」

「「ははっ!」」

 島左近と佐竹義重の軍勢も激突。参戦を懇願してきた島方の柳生厳勝、目覚しい活躍である。左近もまた人の肺腑に徹する大音声の持ち主。兵の士気も高くなる。

 しかし佐竹義重も坂東太郎と呼ばれた名将、一歩も譲らない。柳生厳勝率いる部隊に集中攻撃をかけ、厳勝は退却を余儀なくされ、左近の大音声に対して

「あのヒゲの鬼瓦は『かかれ』と云う言葉しか知らんのか」

 と笑い飛ばした。佐竹勢も強い。しかし左近に迫る敵兵は六郎が倒した。六郎は手柄を望まず、終始左近の側について左近を守った。何だかんだと言いながら左近の事は好きのようだ。

 勝負は互角であったが、これ以上は消耗戦になると考え、義重は柳生勢の空いた穴に猛勢を仕掛けると見せ、左近がそれに備えた瞬間に撤退を下命。攻めると見せかけて退却したのだ。乱戦の様相となっていたが、義重の下命一つで速やかに退いていく佐竹勢の様子は左近も舌を巻く。そして左近もさるもの、深追いさせず兵を退かせ、退却している義重に

「『退け』と云う言葉も知っているぞ!」

 大笑いして返した。声だけでなく地獄耳か、義重は苦笑した。

 

 遠眼鏡で一部始終を見ていた家康。

「ええい!大事の前に貴重な兵を損なうな!万千代(井伊直政)、秋田と佐竹に退けと命じよ!」

「はっ」

 やがて徳川の旗本衆が出陣し、撤退を下命。秋田勢と佐竹勢は撤退していく。小競り合い程度の合戦であるが、見事直江兼続と島左近は勝利をおさめた。

「殿、秋田と佐竹が後退して行きます。追撃いたしますか」

「無用だ泰綱、深追いは無用、我らも退くぞ」

「はっ」

 

 直江勢と島勢が帰還すると大垣城は湧いた。一度植えられた東軍の恐怖を払拭に至った。城から愛染明王の前立ての兜をかぶる兼続の勇姿を見る石田三成。

「見事にござる山城殿、岐阜城で敗走余儀なくされたご自身の無念も晴らし、西軍から怖気も払拭された。殿もお喜びになりましょう」

 

 摂津と京の国境に差し掛かっていた明家の元に大垣勢勝利の報告が届いた。

「そうか、さすが与六(兼続)に左近殿だ」

「ただの小競り合いでしょうが、大いくさ前に勝利を得られたのは上々ですな」

「うん弾正(助右衛門)、油断する気はないが、この勝ちは大きいぞ」

「まさに」

 二日後、柴田明家から大垣城に早馬が来た。

「ご注進ずらよ―ッ!!」

 いつも陣中から居城に明家と妻たちの恋文を届ける二毛作が使者だった。

「なんじゃ二毛作、我らはセガレの女房たちではないぞ」

 勝家の言葉にドッと笑う西軍諸将。

「いや、たまたまオラが近くにいたから命じられただよ、大殿様、殿様の書状ですだ」

 明家の文を勝家に渡す二毛作。

「ご苦労、下がって休め」

「んにゃ、すぐに大殿様の返事を聞いて帰らなきゃならんでよ」

「分かった分かった、しばらく待て」

 文を広げて読む勝家。

「ふむ…」

「ご隠居、大納言殿は何と?」

 と、筒井順慶。

「二日後の朝、大垣には留守部隊を残して関ヶ原に来るように書かれてある」

「「関ヶ原?」」

「布陣図も同封してある。見よ」

 諸将の中央に布陣図を広げた一益。しばらく見つめた直江兼続が言った。

「これは鶴翼の陣だ…」

「そのようじゃな。セガレは笹尾山、筒井勢は天満山の北側、上杉勢は南側、滝川、森、真田、稲葉は松尾山か…」

「松尾山は確か陣城では?」

 京極高次が言うと勝家が答えた。

「そうじゃ、織田家に叛旗を翻した浅井長政殿が織田軍の進攻に備えて築城した。今も土塁や空掘は残っているはずじゃ。よし、治部少、但馬(京極高次)、そして信幸」

「「はっ」」

「主戦場が明らかになったのなら、我らもジッとはしておれぬ。三千の兵をつけるゆえ布陣図に沿って陣場を構築せよ」

「「承知いたしました」」

「順慶、山城守、貞通、そして武蔵(森長可)、ヌシらは二日後の未明に留守部隊を残して大垣を出よ。関ヶ原に向かうと云う事を東軍の陣に流布させよ」

「「ははっ」」

「伊予、その方が松尾山陣の総大将となれ。儂はセガレと合流し笹尾山に行く」

「はっ」

「二毛作、明家の命の通り我らは動く。先んじて関ヶ原に陣場を作り、東軍に関ヶ原に西軍布陣と流布させた、と伝えよ」

「へい!」

 二毛作は大垣城を出た。勝家は東軍の陣である岡山を見つめる。

「いよいよ天下分け目の大いくさ、儂の人生最後の戦じゃ!」

「ご隠居は姫路で『儂はもう顔も口も出さん』と大納言殿に仰せではなかったですかな?」

「ふははは伊予、その通りじゃ。しかしこんな天下分け目の大戦、ジッとしてなどいられぬわ。それに」

「それに?」

「もう一度倅の戦が見たいのでな」

「親馬鹿ですな」

「何とでも言え、わっははは!」

 勝家だけでなく一益も人生最後の合戦になると思った。

(人生最後のいくさが、天下を決める大合戦、しかも大納言殿のような英邁な総大将の下で出来ようとはな。儂は果報者よ)

 今でこそ、そう考える一益であるが最初は水沢隆広、つまり今日の柴田明家を好まなかった。あれは武田攻めの時である。主君信長の下命により若殿信忠の寄騎武将を務める事となった。若殿の寄騎は良い。しかし自分と共に信忠の両翼を担うのが、まだ十九歳の若者で、かつ陪臣の身である水沢隆広と云う事が気に入らなかった。

 美濃岩村城を陥落させた後、信濃の大小の砦や城を落としつつ進軍していたが、隆広は何やら信忠の軍師のよう。気に入らない。ある小城を攻める時であった。信忠は城攻めの陣構えを隆広に任せた。とうとう臍を曲げた一益は『あんな小僧の差配に従えるか』と好きなように陣を構えた。

 そこにいそいそと一益の気に入らない水沢隆広がやってきた。上将の一益に慇懃に、しかもニコニコしながら歩み

『さすがは伊予様、備えの場所、旗の立て方、兵の配置など、それがし大変勉強になります。中将(信忠)様も感服しておりました』

 と、大絶賛した。意固地になっていた一益も気をよくして

『ははは、明日の織田を担う若い二人の手本となれれば幸いじゃ。うわははははは』

 そう上機嫌で返した。そして水沢隆広はさりげなく、

『あの一隊をもう少し右方、そして、あちらの三隊をもう少し後方に下がらせれば、なお一層見事な陣立てになるのではないか、と中将様は述べていましたが…』

 と呟いた。一益にはそれが隆広の考えと分かったが、先に褒められていた手前もあって文句もつけられず、承知してその通りに陣替えの指示を出した。隆広が去った後に一益は家老に

『あの小僧、中々やるものだ。あれでは反対もできぬわ』

 と言って苦笑した。褒めながら従ってもらうと云うこの方法は彼の師である竹中半兵衛が妙手で巧みであった。水沢隆広はその人使いの芸を半兵衛から学んでいて発揮したのだ。

「あれから、ずいぶん経つが…まさかその若僧を神輿に担ぐとは思わなかったのォ…」

 あの日、水沢隆広、今日の柴田明家にしてやられた時と同じ苦笑を浮かべ、一益は出陣に備えた。

 

 一方、徳川陣。伝令が来た。

「申し上げます!」

「ふむ」

「柴田大納言の軍勢、近江に入りましてございます!」

「来たか!待たせおって!」

 拳を左手に叩き付けた本多忠勝。

「もう朝廷の仲介など聞く耳持たんぞ化け猫め!」

 いよいよ決着をつける時が来た。徳川家康の気持ちが高まる。

「この戦いに勝った方が間違いなく天下を取る。正念場じゃ」

 続いて伝令が来た。

「申し上げます!石田治部少、京極但馬、および真田勢が大垣を出ましてございます。密偵の報告によると、三将は関ヶ原に向かったとの事!」

「分かった下がれ」

「はっ」

「弥八郎(本多正信)、そなたの見込んだとおり化け猫は関ヶ原を主戦場にする気のようじゃ」

「御意、治部少らは大納言の命を受けて陣場構築に向かったと思われますな」

「ふむ…。近江に化け猫の軍勢が入ったならば、大垣勢は二日の未明には関ヶ原に移動しよう。そろそろ我ら東軍の陣場に西軍の草どもが『関ヶ原に向かう』と流布しような」

「我らは東山道(中山道)を西へ向かい関ヶ原に布陣いたしましょう」

「ふむ、諸将を集めよ、軍議じゃ!」

「はっ」

 家康の使い番たちが一斉に各諸将の陣地へと駆けていった。本多正信は岡山の陣に立ち、大垣城のはるか向こうにある関ヶ原を見つめた。

「出てきおったか大納言…。我が殿と違う時代に生まれておれば天下人となれた男であっただろう事は認めてやる。しかし同じ時代に徳川家康がいたのは不運であったな。不敗の男であるのもあと数日限りじゃ。最初で最後の負け戦で貴様は死ぬのだ!今のうちにせいぜい生ある身を楽しむが良い!」

 

 嵐の前の静けさ、盆地平野の関ヶ原に緩やかな風が吹き、草が風に揺られる。そしてその平野に西と東から馬のいななきと甲冑の音が徐々に響き出す。

 関ヶ原の東西の丘陵、ここに西軍と東軍が各々に陣を築き布陣を開始。明家本隊は笹尾山に本陣を置き、西軍は鶴翼に陣をひいた。筒井順慶と上杉景勝名代の直江兼続は天満山、滝川一益、森長可、真田信幸、稲葉貞通の軍勢は松尾山に布陣した。西軍は事前に陣場を構築していたが、東軍も同様である。本多正信の指示で東の丘陵、小高い峰が連なる地形を利用し、陣を作り上げていたのだ。そして東軍も布陣を完了。徳川家康は桃配山に本陣を置き、魚鱗の構えで陣を築いた。

 ついに柴田明家と徳川家康が関ヶ原で対峙したのである。双方大軍勢、日本の内戦史上最大の動員数と言われている。西の化け猫と東の古狸、いよいよ対決の時が来た。



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関ヶ原の戦い-弐-

 ここで関ヶ原の戦いに参加した東西主要の武将たちを列記しよう。

【西軍】

(柴田本隊)

柴田明家 柴田勝家 奥村助右衛門 石田三成 前田利家 佐々成政 可児才蔵 毛受勝照 山崎俊永 黒田官兵衛 大谷吉継 不破光重 松浪庄三 藤林銅蔵 雑賀孫市 小山田投石部隊

 

(従属大名)

直江兼続(上杉景勝名代) 真田信幸(真田昌幸名代) 滝川一益 森長可 稲葉貞通 蒲生氏郷 筒井順慶 九鬼嘉隆 細川忠興 丹羽長重 毛利輝元 宇喜多秀家 長宗我部元親 鍋島直茂(竜造寺政家名代) 大友義統 立花統虎 秋月種実 島津義弘(島津義久名代)

 

 

【東軍】

(徳川本隊)

徳川家康 徳川秀康 本多正信 鳥居元忠 本多忠勝 井伊直政 酒井忠次 榊原康政 石川数正 奥平貞昌 安藤直次 本多重次 大久保忠世 大久保忠佐 平岩親吉 高力清長 大須賀康高 天野康景 渡辺守綱 服部半蔵

 

(東軍大名)

伊達政宗 最上義光 相馬義胤 南部信直 秋田実季 津軽為信 大崎義隆 佐竹義重 里見義康 結城晴朝 宇都宮国綱 北条氏政

 

 

 勢力図を見てみると、西軍に組した上杉と真田を除けば、ほぼ日本が東西に真っ二つに分かれての大合戦と分かる。柴田明家が遠眼鏡で徳川陣を見る。

「ふむ…」

 隣にいた白に遠眼鏡を渡した。白は影武者として明家の横にいる。体格もほぼ同じで、明家に比肩する美男の優男風体の彼は影武者に適任であり、安土城の篭城戦以降の戦は常に明家の傍らにいる。同じ兜、甲冑、陣羽織を身に付けていると傍目にはどっちがどっちだが分からない。

「魚鱗の陣でございますね」

「そうだ。こちらの鶴翼の陣を見てそう構えたと見えるな」

「長引きそうな様相…。また睨み合いに相成りそうで」

「いや白殿、そうはなりますまい」

「軍師殿」

 黒田官兵衛が明家と白のところへ歩んできた。

「軍師殿、そうはならぬとは?」

「徳川殿は関東と奥州の諸大名に書状と共に金銀を贈り、時には養女を嫁がせ味方を集めましてございます。軍勢はまず見せなければならぬものにございますからな。ゆえに東軍は結束が西軍に比べてもろい。徳川殿もそれを知っていましょう。長対陣は結束の瓦解を招く。犬山の合戦のように先に動けば負けると云うような膠着状態に陥る前に攻めてまいりましょう」

「なるほど…」

 そこへ一人の少年が来た。この関ヶ原が初陣の若者である。

「申し上げます」

「なんだ」

「父の矩久、一昨日早朝に亡くなりましてございます」

「…!」

 明家は悲痛に目を閉じた。

「そうか…。手当てのかいもなかったか…」

「はい…」

「阿波(矩久)は俺の最初の家臣…。半身が持っていかれた思いだ…」

 隆広三百騎の筆頭、松山矩久は九州攻めから体調を崩し、居城の丹波柏原城に送り返された。源蔵館の医師が往診に赴き、つきっきりで治療したが及ばず没した。矩久嫡子の矩孝、幼名は貞吉、当年十四、彼が父に代わって松山勢を率いて関ヶ原に参戦した。

 柴田明家、当時十五歳の水沢隆広の初陣である加賀大聖寺城の戦いのおり、隆広の兵となった三百名の筆頭である松山矩久。最初は反発してきた彼であるが、隆広の実力を認めて軍事内政共に隆広には欠かせない部下となった。四つ年下の隆広を立て数多の戦いで隆広を守り、そして母衣衆として活躍してきた。

 北ノ庄の問題児軍団、札付き、ぐれん隊と呼ばれた三百名は今日に隆広三百騎と呼ばれ、現在は各々が部隊長や将校となっている。その筆頭の矩久の死は明家には堪えた。

「父は関ヶ原に行けぬは無念と述べたそうです…」

「矩孝」

「はい」

「亡き父上に褒められる戦いをせよ、良いな」

「はっ!」

「ただし」

「は?」

「父上は若い頃こそ危険を顧みずに敵勢に突っ込む事をした。そしてそれを反省し、良き大将となった。ゆえに松山の軍旗には呉子の『可なるを見て進み、難きを知りて退く』とある。これは柴田全軍が見習うべき兵法。その軍旗を継承する事を誇りに思うのだぞ」

「はい!」

 ニコリと笑う明家、良き少年を育てたとあの世の家臣を褒めた。

 

 桃配山から柴田の布陣を見る家康。

「ふふ、ついに化け猫を野戦に引きずり込んでやったわ」

「まさに未曾有の大合戦にございますな殿」

「そうよ数正、まさに乗るか反るかじゃ」

「敵に一切の調略が出来なかったのは残念でございましたが…」

「調略など出来ても出来なくとも、戦局により調略相手がどうなるかも分からん」

「確かに…」

「それよりも我が東軍の結束こそが大事じゃ。数正、戦勝のあかつきには手厚い恩賞を与えると再度諸将に申し渡せ。まずこの戦いに勝たねばどうにもならんからな」

「はっ」

「弥八郎(本多正信)」

「ははっ」

「手はずはどうなっている?」

「御意、榊原康政、大須賀康高に命じて、すでに整い終えてございます」

「ふむ」

 

「東西なんちゅう大軍だ…。まさに天下分け目だな」

 声の主は前田慶次である。彼は九州の岩屋城の戦い以後、再び流浪の日々を送っていた。この美濃の地に至るまで合戦など、どこにも起こってはいなかった。平和になったものだと思う。そんなある日、いよいよ柴田明家と徳川家康が対決をすると聞いた。

 どちらに加勢しようか迷った。いささか分の悪い徳川に加勢するのは武人として面白い。しかし徳川に付くのは明家に叛旗を翻すと同じ。出奔はしても彼は明家を主君としていたのである。面白いを取るか、主君への忠を取るか、悩みどころではあるが、やはり明家への忠に決まっている。しかし出番は西軍劣勢の時と決めていた。西軍が押し捲っているところに加勢など恥。劣勢になるまでは高みの見物としゃれ込もうと合戦を見物するため見晴らしの良い場所を愛馬松風に乗って探していた。

「やはり殿の陣取る、笹尾山の北の伊吹山がよう見えそうだ」

 新しい朱槍は手にある。主君明家が危険にさらされたら駆けつけて思う存分に振り回すつもりだ。だが歩いていた松風が急に止まった。

「どうした松…!」

 それは前田慶次が笹尾山の北西、およそ一里(三キロ)に差し掛かった時だ。山中に軍勢が伏せていたのである。旗指物もなく、東西の軍どちらか判別できない。しかし慶次は直感で東軍と悟った。戦場を関ヶ原と見ていたのは明家だけではない。東軍の本多正信もそう見ていた。話は少し遡る。東軍、岡山の陣場。本多正信が家康に進言した。

「啄木鳥戦法?」

「御意」

「あの川中島の合戦で山本勘助が立案したと云うあれか?」

「いかにも」

「しかし、あれは謙信に看破されてしまったではないか」

「然り、ですがそれは妻女山奇襲部隊の兵糧を作るため、海津城に上がった炊煙を謙信が見たがゆえ。もし炊煙がなければ、さしもの麒麟の謙信も武田の夜襲を読めなかったはず」

「確かに…」

 関ヶ原の地形図を扇子で指す本多正信。

「殿、このあたりで大軍が陣取れる場所は関ヶ原のみ。大納言が陣取るのは笹尾山か松尾山、そのいずれかにございましょうが、全軍の指揮を取るのであれば関ヶ原に山肌が突出している笹尾山が適しております。その北西一里にございます、この九段山」

 地形図から外れた机上に茶碗を置く正信。

「ここにあらかじめ兵を今のうちに伏せておくのです。五千でようございましょう。そして後方の伊吹山を経て笹尾山に夜襲をかけ、関ヶ原の平野に降りてきた柴田本隊を東軍全軍で叩く。化け猫が樹の幹からポンと顔を出したところを我らが食らいまする」

「よし、その策で行こう。犬山の戦と違い、時をかけては駄目じゃ。これで一気に短気決戦に持ち込める!」

「今の関ヶ原の朝方は濃霧。天候も味方しましょう」

「ふむ、まさに川中島の様相じゃな。しかし武田の役となる我らが勝つ」

 

 その九段山、家康の誇る精強の三河勢が伏せていた。慶次がそれを発見した。

「なるほど…東西両軍の大軍勢が布陣できるのはこの近隣では関ヶ原だけだ…。おそらくは殿も徳川も早いうちから関ヶ原が主戦場になる事は読んでいただろう…」

 夜襲部隊の将らしき者が兵に告げた。

「良いか、今のうちに英気を養うておけ!今宵に決行ぞ!」

「ふむ…。西軍より先に戦場近くの岡山に布陣していた東軍、一石を投ずる時間的余裕があったと見える。海津城の炊煙と云う看破の材料を置かぬ啄木鳥戦法と云うわけだな…」

 その時…!一本の棒手裏剣が慶次目掛けて飛んできた。とっさに慶次はそれを掴む。

「ちっ!」

 慶次は急ぎ松風に乗り、九段山から離れようとした。しかし黒装束の忍びたちが執拗に追いかけた。

(逃がすな…)

((ハハッ))

 まるで松風、そう呼ばれた松風の速さに人が追いつく。慶次の朱槍が黒装束の男に振り下ろされる!黒装束の男は朱槍をかわし、その柄に乗った。

「なんだと…!」

「服部半蔵推参…」

 朱槍が何かに縛られたように動かない。半蔵は慶次に飛び掛った。さしもの慶次も落馬。倒れる慶次の顎を掴み、苦無を振り下ろす。

「死ね」

「断る!」

 慶次の鉄拳が半蔵の顔面を捕らえた。しかし殴ったのは木偶人形。

「変わり身か…!」

 半蔵は刺殺のため歯の一本くらいくれてやるつもりだったが、慶次の鉄拳は組み敷かれていても忍びを一撃で殴り殺せるほどの威力を秘めていた。それを読んだ半蔵はすぐに変わり身で避けた。

 すぐに立ち上がった慶次、朱槍を拾おうとしたが槍に近づいたその瞬間に半蔵が槍の石突(基底部)を勢い良く踏むと、朱槍の矛先が慶次に向いた。

「おっと!」

 冷静に慶次は槍の柄を握った。

「囲まれたか…」

 服部半蔵率いる忍軍が慶次を囲んだ。フッと笑う慶次。久しぶりに血がたぎる。

「その巨躯、巨馬、朱槍、貴様…前田慶次だな」

「いかにも」

「柴田を出奔したと聞いている。なぜこんなところにいる?」

「ただの戦見物だ」

「場所を間違えたばかりに高い見物料になったな。見てはいかんものを見れば、その代価は貴様の命そのものとなる」

「そっくりその言葉をお返しする」

「ふん、『前田慶次は負け戦を好む』か。ならば我らで馳走して差し上げよう」

「できるかな?」

「我らは敵を殺すためなら手段を選ばん」

「なに?」

「貴様のような怪物に正面から戦うと思うか」

 そういうと半蔵は言葉と逆に慶次へ正面から突っ込んでいった。慶次の槍の一閃をかわした半蔵はすぐに慶次の背後に回った。そして後から組み付いた。そして慶次が首を半蔵に向けたその時、慶次の口内に丸薬を突っ込んだ。

「な…!」

 とっさのことでさしもの慶次も飲み込んでしまった。

「ふっふふふ…。伊賀の忍びに伝わり秘伝の毒だ…」

「なんだと?」

「筋骨隆々の貴様でも体の中は鍛えられまい。信長に飲ませてやりたかったが、まあお前で良いわ」

 すぐに喉に激しい痛みと、焼け付くような胸の痛みが襲ってきた。

「ぐっ…ッ!」

 念を押す半蔵、一瞬の隙を逃さず慶次の足の腱(アキレス腱)を斬った。

「ちい…ッ!」

 その時、松風が怒れる馬魔のように襲い掛かってきた。半蔵めがけて突進する。

「ふん…。漆黒の魔獣と呼ばれし松風…。だが老いたな、遅いわ」

 半蔵は口内に溜めた唾液を松風の両眼に吹き放った。視界が奪われ突進がゆるむ。そして慶次の朱槍を拾い、

「主人より先に逝き、あの世の案内をするがいいわ」

 松風の胸に朱槍を突き刺す半蔵。急所を一突き、さしもの魔獣松風も倒れた。

「松風…!」

「すぐに貴様も愛馬の元に送ってやる」

「ふ…」

「やれ!」

 忍軍は慶次に一斉に弓矢を向けた。足の腱を切られた慶次にはもうなすすべがない。非情にも万箭の矢に全身を貫かれた。

「ぐああッッ!」

 大木が倒れるように慶次は崩れ落ちた。

「首を取れ。開戦前に武神に差し出す血首としてくれる」

「「ははっ」」

 そして倒れる慶次の首を切ろうとした時、慶次の鉄拳が半蔵の部下を殴り飛ばした。

「…ふ、ちょっと待ってくれんかね。あいにくと俺はまだ死んでおらん…」

「しぶとい奴め!全員でかかれ!」

「「ははっ!」」

「ふはははッッ!!」

 慶次は倒れる松風から朱槍を抜き、立ち上がった。

「馬鹿な!毒を飲んだうえ両足の腱を切ったのにどうして立てる!」

「悪いな、俺の体はなかなか死んでくれんのだ!」

「ほざけ、柴田の家老のままでいれば畳の上で死ねたものをな!ここで貴様は犬死だ!」

「ふははは!“生きるまで生きたら死ぬるであろうと思う”これが我が辞世の句よ!もしここで死んだとてそれはもう生きるまで生きたと云う事!ここが俺の死ぬべき場所、今が死ぬべきと云うだけの事よ!」

 両足の腱を切られ、万箭の矢に貫かれ、毒薬も飲まされた慶次、だが立ち上がり朱槍を構えた。

「うおおおおおッッ!!」

 鬼神の咆哮をあげて服部忍軍にかかる慶次。戦人・前田慶次、晴れ姿である!

 

 ここは柴田明家本陣、柴田軍幹部と軍議を合わせた食事をしていた明家。

「ん…?」

「どうした明家」

「いや父上、今…慶次の声が聞こえたような…」

 そしてしばらくして…。

「殿―ッ!」

 前田利長が来た。

「どうした?」

「お、義叔父御が当陣に参りましてございます!」

「慶次が!?」

 本来なら喜ばしい事なのに利長は血相を変えている。急ぎ明家、助右衛門、三成が慶次の元へと駆けた。そして見た慶次は松風に倒れこむように乗っていた。おびただしい出血。慶次は重傷だった。血の気が失せる明家。

「慶次!」

「おお…。と、殿…」

 明家の顔を見て、慶次は松風から崩れるように落ちた。

「何をしている医者だ!軍医を大至急で呼べ!」

「殿、すでに先に本陣に来た利長殿が軍医を連れてくる手はずとなっております!」

 と、三成。

「早く来てくれ…!慶次が慶次が…!」

「と、殿…お伝えしたき事が…」

「話をしてはならぬ!熱湯と包帯、消毒の酒を!」

 自分を抱きかかえる明家の胸倉を掴んだ慶次。

「聞かれい!仮にも西軍総大将がかように狼狽えて何とする!」

「慶次…!」

「ゴホッ 殿、ここより北西に一里の九段山、東軍がおよそ五千で伏せておりまする…!」

「なんだと!?」

「東軍が狙いは川中島の合戦にて武田が用いし『啄木鳥戦法』!夜陰に乗じて九段山を抜け、伊吹山を経て、殿の本陣である笹尾山を衝くつもりにございまする!」

 軍医が到着した。治療しようとするが、

「必要なし」

 と拒否。

「慶次!」

「け、決行は今夜!夜襲により殿が笹尾山を降りると同時に、東軍が一斉にかかる仕組みとなっております…!あとはお分かりですな!謙信公と同じく夜襲の前に山を降り、西軍全軍で虚を衝かれた東軍に突撃あるのみ!」

「分かった!」

「ふ…。これだけお伝えしたかった…」

「け、慶次!」

「では…お先に失礼いたしまする」

「慶次…!」

「またお会いしましょう」

「また会おう!」

 微笑を浮かべ、最期に慶次が言った。

「加奈…」

 前田慶次は柴田明家の腕の中で静かに息を引き取った。そして松風も立ったまま絶命していた。慶次の最期の言葉は離縁した妻の加奈の名であった。それを聞いた加奈の兄助右衛門。

「伝えようぞ慶次、そなたの最期を加奈に…。見事な最期であったと…!」

 共にいた前田利家も頷いた。

「ああ、前田家の誇りだ…!」

「義叔父上…」

 賤ヶ岳の合戦の時、前田利長は華々しい手柄を立てた。羽柴の侍大将の首三つを討ち取った屈指の大手柄。しかしそれは義叔父の慶次の隠れた手助けゆえだった。慶次は前田利家の敵前逃亡を払拭させるには嫡子利長に華々しい手柄を立てさせるしかないと考え、主君隆広を守りながらも、利長に手柄を立てさせた。慶次は利長に一言の恩も着せなかった。合戦後、利長が慶次に礼を述べた時『何の話だ、俺は知らん』と笑い飛ばした。前田の柴田家帰参も叶えてくれた慶次。利長は慶次の亡骸に伏して泣いた。

「泣くな利長、見ろ、笑って死んでいる」

「殿…」

「俺もこんな顔で死にたいな…」

 泣くなと利長に言った明家自身が泣いている。

「前田慶次郎利益…。まぎれもなく、この世で一番の漢!そなたは俺の…柴田の守護神である!」

 

 一方、九段山。服部半蔵は息も絶え絶えに夜襲部隊本陣へと歩いていた。

「ハア…ハア…」

 服部忍軍は五十名以上いたが手負いの慶次に全部討たれた。慶次もさらに重傷を負うが、まだ息絶えていなかった松風が慶次を拾い、そしてその場を立ち去った。行く方向は笹尾山だった。松風は少年時代の明家をその背に許し駆った事がある。明家がいる方向が本能的に分かったのだろう。

 半蔵は止められなかった。半蔵も重傷を負い、立つのもやっとの状態だった。伏兵が西軍に露見する。その報告をするために九段山本陣に向かうが力尽き倒れた。

「なんと恐ろしい男よ…。前田慶次…俺の負けだ…」

 服部半蔵は夜襲が露見すると云う事を報告できないまま死んだ。

 

 そして、夜を迎え、明け方となった。関ヶ原は濃霧に包まれていた。東軍はすでに平野部に魚鱗の陣で布陣し、柴田本隊が夜襲部隊に突付かれて山からで下山してくるのを待った。徳川本陣、床几に座り西方を見つめる家康。

「予想以上に霧が濃いな…」

 と、徳川家康。

「盆地平野ですからな…。昨日の夜半に降った小雨の影響にございましょう」

 返す本多忠勝。

「ふむ…」

 家康は首にぶら下げているお守り袋を握った。亡き長男信康の遺骨と遺髪が入っている。

(信康…。そなたとこの戦を戦いたかったわ…)

 静かに息子の御霊に願う家康。

(そなたがおれば…)

 三方ヶ原の戦いで家康の戦場離脱の好機を作ったのは息子信康だった。武田勢に対して一歩も引けを取らない采配を執り、徳川家臣団にも期待の若君であった。しかしその器量が裏目に出て信長に警戒され、あらぬ嫌疑をかけられ家康は信康を自害に追いやるしかなかった。いっそ自分が身代わりになれたらと断腸の思いだった。

(見ておるか、この天下分け目の戦を…!信康よ、父を勝たせてくれ…!)

 

 武田信玄が川中島の合戦で用いた啄木鳥戦法、相手が上杉謙信だからこそ通用しなかった作戦である。謙信以外なら、まず討たれていただろう。

 柴田明家と徳川家康、後年に上杉謙信と武田信玄に比肩するほどの宿敵と評される。上杉謙信を退けた柴田明家、武田信玄から逃げなかった徳川家康。西の化け猫と東の古狸がいよいよ雌雄を決する。

「遅い…」

 焦れる正信。

「もうとっくに突付き出されている頃であるのに遅すぎる!」

「焦れるな弥八郎」

「は…」

(どうしたと云うのだ榊原に大須賀!乾坤一擲の大勝負であるのに間違いは許されんぞ!)

 

 徐々に霧が晴れだした。山間からの強い風が一つ吹いた。石のような沈黙が続く関ヶ原。そして家康の眼前に関ヶ原西の連山のふもとを埋める黒い軍団が姿を見せだした。目を開き、一つ唾を飲む家康。さらに霧が晴れる。家康は床几から立ち上がった。唖然とする。

「な…!?」

 東軍のすぐ目の前に、西軍が整然と布陣していた!

「なんだと!?」

 目を疑う本多忠勝。

「馬鹿な…!」

 呆然とする本多正信。

「なぜ…!なぜ徳川の啄木鳥を看破したのじゃ!」

 ガクリと膝を付く本多正信。

「大納言は…神か魔か!」

 拳を握る家康。

「裏をかかれたと云うのか…!ぬぐぐ…化け猫!」

 

 西軍本陣、柴田明家。床几に腰掛け、静かに東軍を見つめる。陣太鼓が轟き、法螺貝が響く。そして柴田明家が軍配を上げ、東軍に向けた。

「蹴散らせええッッ!」

「「オオオオオオッ!!」」

 後年、『天下分け目の関ヶ原』と呼ばれる日本史史上最大の合戦が幕を開けた!



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関ヶ原の戦い-参-

 西軍は一斉に突撃を開始した!虚を衝かれ浮き足出す東軍。

「取り乱すな!隊列を崩すでないぞ!」

 すかさず家康は号令一喝。

「落ち着くのだ!啄木鳥は看破されたが化け猫を東軍が眼前に引きずり出した事には変わらぬ!完璧な策など存在せぬ、時は動き、人も動く!向かってきたのなら蹴散らすまでだ!押し返せ!」

「「オオオオッ!!」

「殿、それがし前線にて指揮を執りまする!」

「平八(本多忠勝)、頼むぞ!」

「ははっ!」

 本多忠勝は本多正信をキッと睨んだ。

「佐渡(正信)…!策に溺れたのォ!」

「平八…」

「この痴れ者があ!!」

 本多正信を一喝し、馬へと駆ける忠勝。

「……」

 正信にはどうしても分からなかった。どうして西軍に啄木鳥戦法が露見したのか。

「殿…。申し訳ございませぬ」

「是非におよばず。完璧な策などないと申したであろう。迎え撃つまでじゃ」

「殿…」

「戦は生き物、予期せぬ事も起こる」

「……」

「もはや別働隊の榊原、大須賀も生きてはいまい。半蔵も討ち取られたであろうな。背後に敵がいると知りながら討って出るほど大納言はアホウではあるまいからの」

「…お見込みの通りかと存ずる」

 そのとおりであった。九段山の夜襲部隊は西軍に待ち構えられ、前田利家を大将とする別働隊が一斉に襲い掛かり蹴散らされた。榊原康政と大須賀康高は討ち死に、東軍の陣に知らせに行く者はことごとく討ち取られたと云う。

「それがしも討って出ます」

「待て弥八郎!川中島の山本勘助のように責任を感じて死ぬ気か!そなたの啄木鳥戦法を用いたのは儂じゃ!そなたが責任を感じる必要はない!」

「ふ、殿。それがしは三河武士ですぞ…。強情者にござればお許しを」

 本多正信は本陣を出る。息子の本多正純が駆け寄ってきた。

「父上…」

「正純、この関ヶ原が我ら親子の死に場所ぞ」

「最後までご一緒します」

「ふむ…」

 正信は柴田陣を見つめた。

「大した男よ柴田明家…。確か信康様の面影があると平八が言っておったな。殿の話を聞く姿勢や話し方がそっくりだと…。一度ゆっくりと政治や戦について語り合いたかったわ」

 そして伝え聞いた噂。柴田明家はヘボ将棋、ヘボ碁で有名であると。正信は将棋も碁も達人の領域だった。フッと静かに笑う正信。

「いつかあの世で会うた時、とくと指南してやろうかの」

「父上、出陣の用意が整いました」

「ふむ」

 馬に乗る正信。

「ふっふふふ、若い頃を思い出すの。三河一向宗を率い殿と戦い続けた日々を」

 本多正信は一向宗門徒であり、若き日には一向宗の社殿に焼き討ちをかけて門徒を討伐した家康に暇を願い敵に回った事がある。正信は一向宗を率い、伊勢長島を攻めた織田勢を翻弄したと言われる。後年、謀将と伝えられる彼であるが、家康の元を離れていた時は門徒の先頭に立ち戦っていた猛者である。彼の徳川家帰参は本能寺の変後における家康の伊賀越えの時と言われている。およそ二十年ぶりの帰参であったが家康は暖かく迎えた。

 その家康を天下人にしたい。その思いで懸命に働いてきた。時に味方に忌み嫌われても主君のためなら苦痛ではない。しかし今回は自分の失策で主君を窮地に陥れてしまった。もはやこれまで。正信は若き日に戻り、武器を取った。

「正純、当家の兵はどれほどじゃったかの」

「二百にございます」

「左様か、ならば参ろう」

“権ある者は禄少なく”正信は家康が五ヶ国の大大名になっても加増を拒否し続けた。ゆえに領地も小さく、二百の兵を養うだけの実入りしかなかった。将と云っても息子の正純くらいしかいない。

 

 話は少し時間を戻る。笹尾山柴田明家本陣に西軍諸将が集められた。家康の啄木鳥戦法の事を告げた。

「…以上だ。これより全軍粛々と山を降りる」

「「ははっ」」

「それと一つ言っておく。東軍には後がないと云う事を念頭に置くように」

「後がない?」

 と、長宗我部信親。

「そうだ婿殿。我々はたとえこの戦いに敗れても後方に難攻不落の安土と大坂がある。建て直しはできるかもしれない。我々の心の底には『負けても後がある』と云う気持ちがどこかにある。しかし東軍は敗れれば後はない。奪い取った美濃国はすぐに取り返され、徳川家康居城の浜松城も西軍全軍で襲えばすぐに落ちる。関東や奥州にも西軍は雪崩れ込む。徳川殿は無論、関東と奥州諸将もそれを知っている。だから彼らは利害が一致して結託したのだ。つまり相手は背水の陣さながらと云う事だ。『負けても後がある』と『負けたら後がない』が戦えばどうなるか説明は必要なかろう」

「確かに…」

 静かに頷く蒲生氏郷。

「しかし、後がないのは我々も同じだ。日本史始まって以来の、天下分け目の大合戦。さしずめ源平の壇ノ浦の合戦とでも云うところか。この美濃関ヶ原に全国の大名が東西に分かれて戦う。まさに応仁の大乱から続いた乱世を締め括る大合戦。その合戦に敗れれば挽回など不可能である。どんな堅城も豊富な財も役には立たない。天下の覇権を賭けて争う戦い。それに敗れれば統一政権の樹立など夢物語。我々は勝たなくてはならない。家臣、領民、恋女房や子ら、それらの安寧のため、我らとて東軍同様に後がない。負ければ全部奪われる。これを肝に銘じよ」

「明家…」

 よう言った。勝家はしみじみ息子を見た。

「柴田は、篭城の時に水の入った大事な瓶を叩き壊して敵勢に突撃したと云う事もある。俺はその覚悟で徳川家康に挑む。みなもその覚悟を決めよ。柴田家の天下統一のためではない。負ければ全部徳川に奪われると云う事を念頭に置いて戦え!その覚悟あれば『啄木鳥戦法』を看破した今、我ら西軍の勝利は疑いない!」

「「オオオオッッ!!」」

「では西軍、関ヶ原に布陣せよ!」

 

 そして今、西軍も『負ければ後がない』気迫で東軍に迫る!先を駆けるは柴田家の誇る豪傑、可児才蔵。対するは前線の指揮を執る本多忠勝。鉄砲隊が構えようとしたその時、

「たわけ!もう間に合わんわ!全軍で可児勢と対する!」

「「はっ!」」

 一方、可児才蔵。

「殿、後にお下がりを!伊賀の国主ともあろう方が最前線に立たれるなんて!」

 才蔵の家臣が諌めた。

「頭が分かっていても体が言う事を聞かんのだ!さあ俺に後れを取った奴は城の便所掃除をさせるぞ!」

 それはたまらない、可児勢はさらに加速し、そして士気が高まる。才蔵は伊賀国主であるが残念ながら政治能力は皆無。しかも気難しい男であるが何か人を惹きつける不思議な魅力ともいえるものがあった。だから内政巧者の優れた家臣が彼の元に集まった。

 彼が築城した伊賀上野城は現在国宝であり、また天正伊賀の乱で織田家に怨みを持つ伊賀忍者の残党たち、徳川家康に仕える服部半蔵が率いる忍軍とは別系統の彼らを自分の忍軍や兵として再登用させる事に成功している。これは才蔵でなければできなかった事だと歴史家は言う。だから才蔵を伊賀国主とした柴田明家の人事の妙と云う。

 実際、才蔵の前に伊賀を統治していた織田信雄は乱発する反乱に頭を悩ませていたのだから。戦国時代屈指の豪傑である彼であるが、彼の墓所のある才蔵寺、その敷地内にある彼の功績を讃える碑には才蔵を知将として表現している一文がある。(広島県の才蔵寺にて筆者が確認)

 知将と云っても才蔵は主君明家や同僚の黒田官兵衛とは違う智将であろう。自身は知恵をさほど使わず部下に使わせた将である。何より伊賀忍者の残党を自分の部下に組み入れられた器量は知恵ではなく至誠であったに違いない。

 織田信長に敗れたとはいえ伊賀忍軍は精強。だから信長は恐れた。その生き残りが多くいる才蔵の軍勢。この時点では柴田家最強は可児軍であったろう。

「俺に続けぇ!」

「「オオオッ!!」」

 そして本多勢と激突、東西の豪傑、可児才蔵と本多忠勝が槍を交えた。

「その蜻蛉切の槍、本多平八か!」

「いかにも、その笹の旗印、笹の才蔵か!」

「相手にとって不足なし!」

「望むところ!」

 激しい槍のせめぎ合い、両雄一歩も譲らない。

「伊賀の国主が軽率な!」

「ふっははは!男は現場第一よ!」

「同感でござるな!」

 しかし前線の指揮をとるべきの忠勝は一騎打ちにこだわっていられない。

「どうやら右翼が崩れだした。あちらの指揮を執りたい」

「逃げるか!」

「さにあらず、右翼が完全に崩れれば主君が危うい!」

「左様か、なら行かれよ。追撃はせぬ」

「かたじけない!」

 本多忠勝は右翼へと転戦した。

「さて、次に我が可児勢と戦う東軍の猛者はおらんか!」

 

 関ヶ原に降りた明家がとった布陣も東軍と同じ魚鱗の陣である。右翼から突撃するは長宗我部と毛利。

 関ヶ原が騎馬の突撃で地響きを立てる。長宗我部と毛利も柴田の統一政権での確固たる居場所を確保するために必死である。長宗我部の先陣を切るのは谷忠澄。かつて柴田の攻撃の前に降伏を主張した将。だがこの戦では当主元親に先陣を許された。その誉れに戦意が高まる。

「土佐のいごっそうが恐ろしさ、東軍の弱腰に見せてくれようぞ!」

「「オオオオッッ!」」

 毛利の先陣は吉川広家、父の元春さながら戦上手といわれる将だ。

「厳島にて陶晴賢を討った時のごとく進め!毛利武士道を天下に示す時じゃ!」

「「オオオオッッッ!!」」

 後詰兵力として関ヶ原に布陣していなかった松尾山の滝川、森、稲葉、真田も逆落としで出陣。

「攻めるも滝川の手並み、東軍に見せよ!!」

「「オオオオッ!!」

「鬼武蔵が誇りし精鋭たちよ!武功を立てるのは今ぞ!我に続けえ!」

「「オオオオッ!!」」

 森長可はこの関ヶ原の戦いに望む前、遺言状を書いている。それによれば『家宝は大納言に献上、家督は仙(実弟、後の忠政)に継がせ、娘たちは武士ではなく医者のような地道な職のような者に嫁がせよ』と書き残している。長可の覚悟が知れる。

「森が出たな…」

 と、明家。

「そのようです」

 短く答える影武者の白。

「白、偉くなると云うのは時に寂しいものだ」

「は?」

「長可殿に仕える将兵の中には、乱法師(森蘭丸)と石投げ合戦で喧嘩した仲間たちがいる。俺についた者、乱法師についた者、敵味方みんな幼馴染の喧嘩仲間だ。しかしもうそんな付き合いは出来ない。その仲間たちに森家の家臣として平伏された時、何か悲しかったよ」

「殿、今はそんな感傷に浸っている場合では!」

「そ、そうだった、すまん」

(みな、西軍のためなんて考えなくて良い…。森家のため、各々の恋女房と子供たちのためにも生き残れよ!)

 明家の言うとおり、長可の部下の中には、幼き日に竜之介(柴田明家)と木曽川で石投げ合戦をした者がいる。竜之介について勝利した者、乱法師についてこっぴどく負けた者、今ではそれも良き思い出。まさかあの竜之介が天下人に手が届くほどの男となろうとは誰も予想していなかったろう。それゆえ竜之介対乱法師の『木曽川の石投げ合戦』は柴田明家と前田慶次との出会いも含め、歴史上もっとも有名な『子供の喧嘩』となっている。

「大丈夫なんだろうな鮎助、絶対勝てるなんて言っていたが?」

 鮎助は竜之介につき勝った少年だった。竜之介陣営は四人だったが、いずれも石投げ合戦当時は武士ではなく農民だったが、その勇気を買われて乱法師の父の可成に足軽に取り立てられ、可成亡き後は長可に仕えていた。

 その鮎助に声をかけた者は耕太と云い乱法師陣営の二十六人、哀れにも竜之介の計略に引っかかり大将の乱法師と共にボロ負けした少年だった。額には今もその時の傷が残り、彼はそれを『男の勲章』と誇りに思っている。彼ら二人も、そして他の石投げ合戦参加者の勝者と敗者も現在は立派な森家の武将となっている。鮎助と耕太は幼名で呼び合うほど親しい。

「大丈夫だ耕太、あいつについたおかげで俺たち四人は二十六人もいたお前らに勝てたんだからよ!」

「まあ楽して勝たせてはくれんだろうがな東軍も!さあ参るぞ!」

「おう!」

 

「兄上、こうして一緒に戦うのは徳川が上田に攻めてきた時以来ですな」

 と、真田幸村。

「ああ、上方にいて美人のカミさんに鼻毛を抜かれていないか、とくと今日見てくれるぞ」

「はっははは!ヒデぇ言い草ですな。しかし心配無用にござる!」

「我ら兄弟、留守番の父上の分まで戦おうぞ!」

「はっ!」

 

「岩村を落とされた無念、ここで晴らす!稲葉の力東軍に示せーッ!」

「「オオオオッッ!」」

 松尾山勢、東軍に迫る。前哨戦と云える東美濃での戦いでは東軍にさんざんにやられた軍勢だけあり士気は高い。それを迎え撃つは佐竹義重の軍勢である。

「滝川、森、真田に稲葉か…。四つまとめて来たか」

「父上、秋田勢が加勢に入るとの事」

「よし、なら兵力はほぼ五分、迎え撃つぞ!」

「はい!」

「弓隊構えーッ!!」

 佐竹の弓隊が射手の体制に入った。

「放てーッ!!」

 弓隊の体制を見て滝川一益の采配が右手に振られた。すると一益の軍勢は佐竹勢の眼前を横に通過するような進軍形態を執った。各々が木盾を持っている。その木盾に弓矢は刺さる。

「ほう…!さすが『攻めるも滝川』だな」

 義重はニヤと笑った。

「盾隊が通過すると同時に二陣の森が突っ込んでくるぞ!槍衾!」

「「オオッッ!!」」

「迎え撃てッ!」

 佐竹勢と森勢が激突、続けて真田と稲葉も突撃。さすがは関東の雄の佐竹、押せば退き、退かば押した。秋田実季の軍も杭瀬川の戦いの雪辱とばかり寄せてきた。

「西軍の木っ端武者どもに奥州武士の気概を見せい!」

「「オオオッ!!」」

 

「松尾山勢の旗色が悪いな…」

 本陣から戦いを見つめる明家。答える黒田官兵衛。

「そのようです。敵は佐竹勢、苦戦もやむなしと存ずる」

「啄木鳥を看破したとはいえ、東軍は敗れたら後がない。我らもそうだが、やはりその尺度が違うな」

「御意、とにかくお焦りにならず、戦局をご覧あれ」

「そうしよう」

 

 佐竹と秋田勢は松尾山の連合軍を圧倒しはじめた。そこへ筒井の島左近が合流を開始。

「坂東太郎(義重)先の合戦の続きじゃ!」

「おう、今ごろ来たか髭の鬼瓦めが!」

 左近率いる筒井勢が佐竹と秋田勢に突撃、一益は下命。

「一旦下がり、体勢を整えよ!」

「「ははっ!」」

 松尾山勢は離脱、後退した。

「伊予(一益)殿!」

「おお武蔵、無事であったか」

「再度突撃いたしましょう!」

「無論じゃ、真田も稲葉も良いな!」

「「おう!」」

「しかし、さすが坂東太郎、鬼義重と呼ばれている男ですな」

「まさに、だからこそ戦いがいがあるでないか!」

 再び一益率いる松尾山勢が突撃、筒井も加わってはさすがに佐竹と秋田連合軍も劣勢となる。

「義宜、こちらにはもう加勢はこないか」

 と、佐竹義重。

「父上、東軍いずれも目の前の敵に手一杯にございます」

「ふう、なら帰るか」

「か、帰る?」

「ここまでやれば徳川に義理も果たしただろう」

 徳川家康は佐竹家に黄金と食糧を送り、伊達との和睦も仲介したのである。

「しかし、こんな乱戦でどうやって帰るのですか」

「稲葉が手薄だ」

「確かに…」

「実季殿に伝えよ、両軍稲葉に集中攻撃、そして突破し、戦場を離脱する」

「は!」

 佐竹と秋田は稲葉勢を標的と定め集中攻撃、左近と一益が中央突破を図るつもりと悟った時はすでに遅く、稲葉勢は蹴散らされ、佐竹と秋田は一直線に駆け抜けた。

 真田が追撃に出たが、義重はどうやら地形もある程度は調べていたようで上手く狭隘な道に味方を誘導する事に成功。こうなれば追われる側が有利となる。道の入り口に鉄砲隊や弓隊を配備しておけば追う側はそれの餌食になる。信幸は退却を下命。義重は戦場離脱に成功した。松尾山勢と筒井勢は義重一人にやられたようなものだ。勝負に勝ち喧嘩で負けたと云う事だ。明家に報告が入った。

「申し上げます、佐竹勢と秋田勢、戦場を離脱するも、西軍への損害も軽からず、滝川、森、稲葉、真田、そして筒井はしばらく体勢を整えるべく待機したきと」

「承知した」

 使い番は帰っていった。

「佐竹義重か…。出羽守(官兵衛)」

「はい」

「佐竹と二度は戦いたくはないな。戦後に佐竹を調略してくれ。調略が困難なら、ある程度譲歩した和議でもいい」

「承知しました」

 柴田本陣の床几場に明家は座る。藤林忍軍が明家と白を守り囲み、周囲は潜んで鉄砲による狙撃も出来ない平野。しかし敵は最後の手段として明家の暗殺を謀るかもしれない。徹底した護衛がされる。明家自身、矢玉を通さない西洋の甲冑を装備していた。同じく床几場にあり戦況を見つめる父の勝家。

「あと十も若ければ戦場を駆けたいものだがな…」

「それがしも父上の下で働いていたころに戻り、陣頭に立ち戦いたいものです」

「ははは、おそらくはこれが戦国最後の合戦になろうからな。最後の機会を逸するのは悔しいものだ」

 そんな親子を静かに見つめる黒田官兵衛。

(最後の合戦か…。そうなるであろうな)

「のう出羽」

 と、勝家。

「はっ」

「筑前(秀吉)も見ているかのう、この戦」

「おそらく。いや秀吉様だけではなく、信長公や明智殿も」

「ははは、みんな儂より若いのに先に逝ってしもうた。織田の老骨生き残ったからにはこの乱世、倅と共に締め括りたいものよ」

 

 立花統虎、鍋島直茂の軍勢は北条に突撃。部隊がたまたま隣に居合わせた立花と鍋島、直茂が合戦前『立花の鬼姫に注意せよ、どさくさに紛れ九州の戦の仕返しに我らに雷切を向けるかもしれんぞ』と家臣たちに冗談交じりに言ったが、伝え聞いた鬼姫呼ばわりの誾千代は激怒して直茂の陣に出向き、

「立花をなめるな!立花がそんな卑怯な真似をするものか!取り消せ!」

 と直茂に詰め寄った。冗談で言ったのに…と思ったが誾千代の誇りを傷つけたのは確か。直茂は素直に謝った。帰っていく誾千代の背を見て

「統虎は果報者よな…」

 と苦笑した。そして今、立花勢と鍋島勢が北条に突撃。特に立花統虎の横で戦う美丈夫は北条を震え上がらせる戦いぶりである。女である事を気付いた者はいないだろう。しかし人間疲れが出るもの。息が上がったところ北条勢に討たれかけた。

「誾!」

 夫の統虎が辛うじて助けた。だがもう一人、誾千代に致命的な攻撃を仕掛けようとした者がいたが、

「鍋島…」

 鍋島直茂が間一髪のところで北条の兵を斬った。

「ふははは『鍋島に助けられた、立花の恥辱だ』ですかな?あっははは!」

「ふ、ふん!私が言おうとしていた事を先に言わないでいただきたい!」

「ははは、統虎殿、北条は崩れた。これ以上追い詰めれば思わぬ逆襲を食う。ほっておいても退却する者は追わず、他の隊に転戦しようと思うがいかに」

「承知しました」

「直茂殿」

「何だ誾殿」

「…かたじけない、助かりました」

「なんの、そこもとのお父上は我が武略の師ゆえな!礼には及ばん」

 誾千代の父、立花道雪は敵将である鍋島直茂の事を『智・勇・仁を兼ね備えた、当節には珍しき名将』と絶賛していたが、なるほどその通りと思う誾千代だった。直茂はさっさと前線に馬を駆った。後れてなるかと急ぎ馬に乗った誾千代。

「殿、鍋島に後れを取っては立花の名折れ、参りましょう!」

「よし!立花勢は俺に続け!」

「「オオオッ!!」」

 直茂の言葉どおり、啄木鳥戦法が看破され浮き足立っていた北条勢は立花と鍋島の攻撃で崩れ、この関ヶ原の陣中で家康とあまり上手くいっていなかった事も手伝い、北条氏政はすぐに退却を指示した。

 

「も、申し上げます!佐竹、秋田に続き、北条勢も戦場を離脱!」

 東軍にて二番目の兵力を要する北条勢が戦場を離脱。当主の北条氏政は正信の起草した『啄木鳥戦法』に反対したと言われている。そして結果は彼の懸念通り露見してしまった。氏政は前々から大納言到着前に大垣を落とし、安土、京、大坂と攻め入るべきと主張したのである。

 しかしすべて受け入れられず、憤然としていた。そして戦端を開けば西軍に機先を制された。氏政は『それ見た事か』と自軍の劣勢もあり徳川家康を見限り撤退してしまったのだ。徳川家康本陣に使い番が来て、それを報告した。内容が衝撃的だった事も手伝い、

「貴様馬上から報告とは何事か!」

 家康は抜刀して使い番に切りかかった。急ぎ身をかわした使い番。そして立ち去った。

「待たんか!」

 気の収まらない家康は地団太を踏む。

「殿、落ち着いて下さいませ!」

「数正…」

 フウと一呼吸置いて家康は床几に座った。

「北条が離脱しよった…」

「はい」

「ふふ…。儂は三方ヶ原の過ちをまたやってしまったのか…!」

 徳川勢に次ぐ兵力を持っていた北条家の離脱は痛恨であった。これは連鎖が続くと思えば案の定である。東軍将兵の戦場離脱が続出した。そして伊達陣。

「殿、東軍はもはや…」

 と、片倉小十郎。

「ふむ」

「離脱の下知を」

「いやダメだ」

 首を振る伊達政宗。

「は?」

「ここで逃げれば、西軍に伊達は永遠に腰抜けと笑われるぞ。伊達勢ここにありと見せねばならぬ。いや大いにこの機会を利用せねばならん」

「殿…」

「まあ見ておれ、考えがあっての事だ」

 

 離脱した北条勢では

「父上、返しましょう!これでは北条の離脱は東軍の敗因となり、後世に嘲りを受けましょうぞ!」

 と北条氏直が父の氏政に訴えた。氏直は家康の次女督姫を妻にしているので尚更である。家康を見捨てて帰ってきたと知れば妻は一生氏直を許さない。

「敗因は徳川の啄木鳥戦法ゆえよ。成功すれば見事じゃが、所詮は川中島で看破された笊戦法。儂は反対したんじゃ!武田の兵法を学び、寡兵で謙信を退けた大納言にそんな手が通じるものかと!」

「父上…」

 しかし、然るべき代案を示さなければ他者の案を反対する資格はない。氏政は啄木鳥戦法以上の作戦は示せなかった。ただ危ういと見ただけで反対するだけなら誰でも出来る。

「だから儂は大納言到着前に安土、京、大坂と落とすべきと言ったのじゃ!わざわざ敵の総帥が出てくるのを待つなんて家康は兵法を知らん大馬鹿じゃ!」

 一理あるが、その手段を執った場合、東軍で大坂はおろか京へもたどり着く者は一人もいなかっただろう。大垣を守る滝川一益が容易く通すはずもない。

 そしてその後にある安土城は大坂に比肩する堅城、東軍が安土に迫れば城代の石田三成ではなく、柴田勝家が篭城の指揮を執っただろう。老練な戦上手の勝家が要塞安土の防戦の指揮を執れば被害甚大。たとえ安土攻めを避けて琵琶湖を迂回し京と大坂に進軍しても琵琶湖の湖族の堅田は柴田家に組しており、通過する近江と丹波は柴田領、両国は無論、越前や若狭の留守部隊も襲い掛かってくる。進軍で延びた縦列の横腹に畿内中の留守部隊が襲い掛かってくる。

 何より柴田の治世。一揆が一度たりとも起きておらず、『民の勢い潮の如く』と呼ばれる仁政。民百姓は柴田治世を喜んでいる。武士だけではなく畿内の民すべてが東軍を敵とみなし何をしてくるか分からない。

 北条氏政の進言を家康が入れていたら、東軍は明家到着前に瓦解していただろう。家康が大垣の手前で止まり、明家を待つ事は作戦上間違ってはいないのである。東軍は戦場で柴田明家を討つ事が最大の狙いなのであるから。

 明家はすでに性質は違えども信長と並ぶ君主の器。まだ後継者が育っておらず、先代はもう息子に及ばない。だから明家が死ねば信長亡き後の織田家同様に柴田家は崩れていく。戦場で柴田明家を討つ事、家康の大望のすべてはそこから始まるのである。

 しかし北条氏政には歯がゆくてならなかった。だから啄木鳥戦法が裏目に出て浮き足立ったところを九州勢に攻め込まれた時、撤退を迷わなかった。

「大納言め、徳川を片付けてもまだ北条がおる。我が小田原城は武田信玄と上杉謙信の攻撃さえ退けた金城!来るなら来い」

「父上…。先に返すべきと申しておいで何ですが大納言は叔母上(武田勝頼正室の相模)を丁重に弔って下された者。戦わず和を講じるわけにはいかないのですか。関ヶ原から撤退し、戦場で大納言を討つ事をあきらめた今、家の存続のため模索するが肝要かと」

「和だと?」

 そう、柴田明家、当時水沢隆広は天目山で夫の武田勝頼と共に自刃して果てた北条氏政の妹、相模姫を丁重に弔った人物である。しかも相模が地に書いた辞世を記した文と遺髪を小田原に届けた。このように北条家は柴田明家に恩義こそあれ怨みはない。

 ゆえに当初、北条は柴田につくべきと云う意見も出た。しかしすでに徳川との同盟は締結されていた。柴田と組んで徳川を討つ、これもすでに時機を逸してしまっている。かつ北条が柴田につけば徳川は北条を攻める。それを誰が一番喜ぶか。徳川と北条が戦い潰し合ったところに柴田明家がまたぞろ『帝より勅命を受けた』などと云う大義名分を掲げ攻め寄せて東海と関東が一気に食われてしまう。北条は徳川と手を組むより他なかったとも言えるだろう。何より『五代続いた北条家が、あんな成り上がりの若僧に膝を屈せるか』と氏政は柴田と戦う事を決断したのだ。

 しかし結果、北条は関ヶ原で徳川を見限り帰途についた。氏政は北条全軍で柴田に挑む気概だ。だが息子の氏直は煮え切らない。

「今回に敵に回った事を忘れてもらうため、関八州のうち二つほど差し出し、人質を送ればあるいは」

「戦を恐れ、安泰を図るは武士の所業にあらず。貴様には坂東武者の誇りがないのか」

「父上…」

「さ、小田原に帰り軍備を整えるぞ」

 西軍陣地を見る北条氏政。

(これで天下を取ったなどと思うな大納言、徳川が敗れてもまだ北条がおる。たとえ貴様が儂の愛する妹の相模を丁重に弔った男であれ、それは儂個人の縁に過ぎぬ。戦は別だ。儂は負けぬ、負けんぞ!)



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関ヶ原の戦い-肆-

 東軍において徳川勢の次に軍勢を有していた北条勢の離脱は痛恨である。内側から崩れだす。

「殿、東軍は劣勢にございます。引き返しましょう」

 最上義光の家老、氏家守棟が義光に進言した。

「最上は退かん」

「な、なぜでございますか!浜松に人質となっている若君(義康)を救出して、退くべきにございます!」

「それでどうする?」

「奥州勢は徳川の檄に応じて南下しましたゆえ、伊達や葛西、他の領地も取れますぞ。今のうちにどんどん領地を広げる事が肝要かと存ずる!」

 義光はフッと笑った。

「無駄よ」

「む、無駄?」

「たとえ領地を増やしても、結局は大納言にまとめて攻め取られる」

「…」

「良いか守棟、儂が父や弟を討ってまで最上の当主となったは天下人への大望があったからじゃ。その一念で今まで戦ってきた。しかし時すでに遅し。天下の趨勢は大納言となっている。あきらめたからには生き残るために知恵を絞らねばならん。本心では柴田につきたかったが、すでにその機は逸してしまい無理じゃった。ゆえに徳川についた。合戦は何が起こるか分からん。あるいは家康が天下人となるかもしれぬとも思った。しかし、もう駄目じゃ。東軍は負ける」

「ならば何故、退かれぬのか?もしや西軍に寝返り徳川本陣を衝くおつもりで?」

「大納言がそういう行為を是とする男ならそうした。しかし大納言は敵味方どちらでも裏切り者を嫌う男だ。四国攻めでは長宗我部の密告者を問答無用で斬ったらしい。見てみよ、東軍の旗色が悪いと云うのに西軍に寝返る大名はおらん。大納言が裏切り者を嫌う事を知っているからだ。損な男だな、勝つためには敵方が自軍へ寝返る事を大歓迎する気持ちがないからこうなる。まあ、裏切りを認めるような男では先は長くないであろうからそれで良いがな」

「それでは殿、最上の取るべき道やいかに」

「寝返らぬ。ここでは東軍としてまっとうする。これからは、どう生き残るかが大名にとっては思案のしどころじゃ。儂らのここからの戦いようが当家の行く末を決める。ここで後ろを見せて逃げてみろ。上方の者は最上を腰抜け、義光は木っ端大将と言われよう。そうなったら後の祭りじゃ。後に恭順しても大納言は最上など眼中におくまい。だからここで戦い、最上の力を見せねばならぬ」

「ご英断にございます殿」

「ふむ、我が領地を取られるわけにはいかん。治水事業が棚上げされたままよ。あれを終わらせ我が民たちが喜ぶ顔を見るまで、負けるわけにはいかんのだ」

 武勇に優れ、かつ謀将でもある最上義光だが、彼は明家さながらの民政家でもある。城下町の整備や庄内平野の治水灌漑に意を注いだ。北楯大学堰は義光の時代に建設され、現代に至っても庄内地方を潤しているのだ。甥である政宗の引き立て役のように陰湿に描かれる事も多い彼であるが、それは誤りである。彼は名将なのだ。

 

 徳川本隊、勇猛果敢な三河武士たち。武田や今川の遺臣も加え厚みも増している。さすがに旗色が悪くとも、物怖じする事は無い。西軍全軍を我らで粉砕してやるくらいの覚悟はある。その一翼の井伊直政の部隊。甲冑が朱色に統一された赤備えの部隊である。

 その井伊勢に徐々に迫る一隊。それは柴田家に召抱えられた武田遺臣たちの軍勢である。大将は仁科盛信の息子たちである信基と信貞の兄弟。長男の信基が正式に武田家を継ぎ、弟の信貞が仁科家の当主となっている。柴田家で再興された武田家を一般的には後武田家と呼ぶ。

 新たな武田家当主である武田信基に付き従う武田名臣たち。兄の補佐を務める仁科信貞。四国と九州の戦でも武田の名に恥じない戦いを明家に見せた。そして関ヶ原は天下分け目の大戦。再興した新たな武田の武名高めるのは今と士気も高い。

「肥後守」

 と、信基。彼が呼んだのは保科肥後守正光。彼自身も柴田家と後武田家で名を馳せた名臣である。保科正光の父の正直は織田家の武田攻めで早々に城を明け渡して逃走し、その後に徳川家に仕えた。父の弱腰に失望し、彼は父の正直と袂を別ち織田勢と戦った。しかし重傷を負い、その療養中に主君勝頼は自決し武田家は滅亡した。正光は妻とも離れ離れになった。織田の手に落ちた城。妻は血に飢えた織田の雑兵に陵辱されたに違いない。正光の妻は美貌で有名だった。無念極まる正光。

 しかしその城の戦後処理を担当した水沢隆広は城兵の武装解除を命じ、その武器弾薬の没収をしただけで、城内の女子供に無体な仕打ちをしなかった。他の城はこうはいかなかった。信長の命令で撫で斬りが行われた城もあった。しかし隆広は実行しなかった。怨みはまた新たな合戦を生むと知る隆広は密かに逃がしたのである。露見すれば、あの織田信長の事。死は免れないこと必至であったのに。

 正光はその計らいに感動し『天がかような男をいつまでも一陪臣にしておくはずがない。かならずや一国の大将になる』と後の隆広の大身を信じ野に下った。狙いは見事に的中。晴れて柴田家に召抱えられ、再興された武田家の幹部に任命された。

 ちなみに言うと正光は明家より一歳年下なだけである。かつて明家が竜之介と云う名前であったころ、槍術の師である諏訪勝右衛門に武田の躑躅ヶ崎館へ連れて行ってもらった時、武田の少年たちと槍の修練をしている。もしかしたら明家と正光はその時に会っていたかもしれない。

 正光が当時織田の一陪臣でしかなかった明家の大身を信じて徳川の仕官の話さえ断ったのは口伝ではなく彼自身が明家と会った事があるとしか思えないからである。もし明家と正光が個人的に幼馴染で明家も正光の人物を知っていたならば、仕官を要望した正光がすぐに召抱えられたのも筋が通り、後に明家の孫の養育を委ねられるのも合点が行く。正光は後年に柴田明家の孫である幸松丸の養育を委ねられるが、それが治世の名君と名高い保科正之である。知名度では一歩譲るが、人物はけして正之に劣るものでない。

 

 話は戻る。側近の保科正光に訊ねる信基。

「徳川は武田遺臣たちを多く召抱えたと聞く」

「いかにも、武田滅亡後に遺臣たちは三つに分かれ申した。その時点で大名であり厚遇を約束してくれた徳川殿に仕えた者。武州恩方(東京都八王子市)にて帰農した者。そして水沢隆広殿の後の大身を信じ野に下った者」

「二番と三番が今の我ら…」

「御意」

「聞けば徳川殿は特に武芸に秀でた遺臣たちを井伊家に預けたと聞く。大将の直政は論外として、彼の部下で武田の遺臣であった者を味方につけられないであろうか」

「…殿、この期に及んでそれは無理にございます。敵味方に分かれても堂々と戦うが武田武士、遠慮は無用。小山田家もその覚悟でございますぞ!」

「小山田家も…!」

 小山田投石部隊は志願して後武田家と軍勢を共にしていた。その投石部隊、沢瀉の旗を見つめる信基。

「そう、かつての同胞と戦う。何たる皮肉か。しかしそれが戦国にございます。かく申す、それがしも父と戦います」

 正光の父の正直は徳川家康の寄騎としてこの戦いに参じていた。織田の猛攻を受けて武田勝頼と仁科盛信兄弟を見限り逃げ出した父の保科正直、俺は父と違う。この一念で今まで戦ってきた。その父の正直も後武田家の姿を見る。

「無念でござる。若殿は殿を軽蔑したまま…こうして親子で敵味方となってしまいました…」

 正直の老臣が言った。

「良いではないか、武田を見捨てて徳川についたのは事実。どのような経緯があったとしても倅は儂を許すまい…」

「殿…」

「いや、これで良いのかもしれぬ。たとえ徳川と柴田、どちらが滅んでも保科の家は残る。再起を図り甲斐から逃げた我ら、結果上手く行ったではないか。このうえは堂々と合い間見えるのみ」

 そして武田信基。

「敵味方に別れても堂々と戦うが武田か…!」

「兄上!参りましょう!」

「ふむ…」

 突撃する敵勢を井伊勢と定めた信基。武田信玄の孫、仁科盛信の嫡男だけあり、凛々しい若武者である。武田再興の祝いに主君明家は信基に自身が上杉謙信と戦った時に身につけていた武田信玄のいでたちの兜『諏訪法性兜』を与えたのである。ただの複製品ではない。正真正銘、上杉謙信との戦いを知っている兜である。

 弟の信貞には謙信に浴びせた太刀である吉岡一文字を与えた明家。その席には松姫も立ち会っていたが、我が子同様に育てた甥の二人の晴れ姿に感涙していた。ちなみに盛信の娘の督姫は島左近の息子信勝に嫁いでいる。左近が勇将薩摩守殿(盛信)のご息女をぜひ当家にと懇願したのだ。

 信基と信貞も明家正室さえの見立てた娘を妻とし、柴田重臣の武田家として兄弟は歩き出していた。四国と九州の戦場でも武勲を立て、そして関ヶ原。天下分け目の戦いに風林火山の旗が立つ。

「軍旗を立てい!」

「「オオオッッ!!」」

 風林火山の旗が関ヶ原に立った!信基の見込みどおり井伊の軍勢には武田遺臣が多くいた。だが風林火山の旗と見てもひるまない。織田勢のしつような追撃から救い、重用してくれている徳川家康。そして井伊直政。敵味方に分かれても堂々と戦うのみ。井伊直政の采配が振られた。徳川本隊の井伊勢と後武田家が激突。信基、すぐさま下命。

「小山田投石部隊!」

「「オオオッ!!」」

「放てェェ!!」

 投石部隊隊長の川口主水が軍配を井伊勢に向けた。鉄砲の射程外であるが投石なら届く。縦に長い布具に硬い石を包み振り回し、加速がついたところを放る。簡単そうで実に難しい。小山田投石部隊の凄さを知る他勢力の大名いずれも模倣できなかった。

「まずは上からじゃ!石雨の攻め!」

「「オオッ!」」

 井伊勢から後武田家の備えを見る小幡景憲、彼も武田遺臣である。父の昌盛から投石部隊の恐ろしさを聞かされていた景憲は

「殿!石が降ってまいります!全軍に盾を上に構えよと!」

「よう気づいた。三方ヶ原、童であったゆえ参戦しておらんが投石部隊の恐ろしさは聞いている。全軍、弓隊の盾を上に構えい!」

 次々と武田勢から拳大の石が飛んできた。すさまじき威力の投石、木の盾は叩き割れ、盾で防御していると見た主水は水平投げに転換、鎧が砕け、顔面に当たれば即死となる。

「ぎゃあッッ!!」

「ぐああッ!」

「石つぶてと侮るな!小山田の投石は人殺しの投石ぞ!」

 冷や汗が出る小幡景憲。

(これほどの威力とは…!)

 井伊直政の兜を投石が掠めた。ヒビが入る。

「おのれ!討って出るぞ!」

「「オオオオッ!!」」

 井伊勢の突出を見た武田信基。

「機先は制した!武田騎馬軍団、かかれえ!」

 信基の弟、仁科信貞を先頭に武田騎馬軍団が突撃。井伊直政も負けていない。

「笑わせるな若僧が!武田が相手なら三方ヶ原の雪辱戦と参ろうか!赤備突撃を馳走せよ!」

「「オオオオッ!!」」

 

 いよいよ徳川本隊が直接戦わざるを得ない戦局となった。奥州の雄、南部信直の軍勢も引き返しだした。しかしそれを止める武将がいた。南部家家老の九戸左近将監政実である。

「殿!他が退くから当家もでは中央に南部は腑抜け腰抜けと喧伝するようなもの!」

「しかし見よ、もう残るのは徳川勢と伊達、最上、そして我らだけじゃ。今ならまだ徳川勢を盾に後退できるではないか!」

「中央はいにしえより我らみちのくを東夷と呼び蔑んでまいりました。だが今、この戦場はどうか!我らみちのく武士の力を見せ付けられる絶好の好機にございますぞ!未来永劫、この国の天下人に『征夷大将軍』などと云うみちのくの者を夷狄と決め付けたふざけた称号を名乗らせぬため、ここは退いてはなりませぬ。東軍のためでも徳川のためではない。みちのく武士の意地を見せる合戦にございます!犬猿の仲と云われる伊達と最上が共に残っているのも、みちのく武士の意地を見せんがためと!」

 南部の武士たちはこの言葉に奮い立った。当主の信直も。

「よう申した将監!」

「はっ」

「そなたの忠言なくば我ら南部一門、またぞろ中央の笑い者となるところであった。覚悟は良いか、儂の誇るみちのくの漢たちよ!」

「「オオオオッ!」」

「いにしえの奥州が勇者、アテルイのごとく戦おうぞ!」

 南部勢は突撃を開始、先頭を切るのは主君信直の退陣を諌めた家老の九戸政実である。

「夷狄とぬかすなら、その夷狄の手並み、とくと見せ付けてくれる!」

 まだ群雄割拠だった奥州。その北部の雄である南部勢が突撃した。優勢だった西軍は、その統率の取れた軍勢の突撃に驚く。南部勢は島津勢に突撃を開始。日本北端と南端の武将が激突。そして政実の用兵たるや、さしもの島津義弘も感嘆し

「敵ながら見事、誰だあれは?」

 答える家臣の伊集院忠棟。

「旗は南部、先頭を駆けるは南部の猛将の九戸政実と思われます」

「まるで高橋紹雲がごときの男よ。奥州の武士侮れぬ。参るぞ!」

「「オオオッ!!」」

 島津勢と南部勢は一進一退。そして南部勢の突撃を見て最上勢も突撃を開始。因縁ある上杉勢に向かった。

「殿!最上勢が我らに向かってまいります!」

 上泉泰綱が直江兼続に報告。

「北の戦を関ヶ原でか。望むところだ!」

 最上義光は先頭を切って駆ける。

「上杉が家宰、直江山城の首を取る好機じゃ!かかれえ!」

「「オオオッッ!!」」

 

 大谷吉継の軍勢は安藤直次の軍勢と戦っていた。安藤勢が劣勢のため、平岩親吉が安藤に加勢。そうなると吉継の方が軍勢少ないが、吉継は慌てず采配を取る。自身が貧乏暮らしをしても、多くの家臣を召し抱え、大切に遇してきた吉継。兵は精強である。しかし大将である吉継は、もう馬にも乗れないほど体が弱っていた。輿に乗り采配を取っている。

 九州から大坂に帰った時、源蔵館の筆頭医師である仁斎が大坂城内の吉継の私室で待っており、源蔵館で本格的な治療を受ける事を強く薦めた。朋友石田三成の手配だった。

 断る吉継、しかし彼の妻恵の主治医である仁斎は、断るのならば大納言様と奥方に貴殿の病を明かすと述べた。他の医者なら吉継に斬られかねない言葉。しかし仁斎は妻の主治医。吉継は仁斎を斬れない。頭を下げて頼むしかなかった。

『この合戦が最後でございます。それがし自身は輿に乗り采配をするのみでござるゆえ体は使いませぬ。どうか関ヶ原の合戦に外されるような事を主君に言わないで欲しい。この合戦が終わったら、幼いが息子に家督を譲り隠居し、源蔵館で治療を受けさせてもらいまする。何とぞ今一度だけ、目をつぶって下され。お頼みいたす』

『目をつぶれ、でございますか。刑部殿の目はどうなのですか?』

 ギクリとする吉継。彼の病は目も侵食し始めていた。

『戦のさなかに、目が見えなくなる事もありえるのですぞ。どう采配を取るのでござるか!』

『耳と体で戦を読み、采配を取りまする』

『刑部殿!』

『どうか、関ヶ原をそれがしから奪わないで下され仁斎殿!』

 戦人の業、天下分け目の大戦から外されることは死よりも辛きもの。結局仁斎は折れた。関ヶ原の戦が終えたら、必ず治療しに来るのですぞ、と吉継に述べて去っていった。そして今、仁斎の最悪の予言が当たる時が来た。吉継はもう目が見えなかった。だが彼の言葉どおり、耳と体で合戦を読み采配を取ったのだ。大谷勢で吉継が合戦中に失明したと気づいた者は誰もいなかった。

「五助、左翼の平岩勢の横腹が手薄ぞ、かかれ!」

「はっ!」

「甚兵衛、安藤勢は平岩の加勢で士気を戻した。退くと見せかけ、追ってきた安藤勢の横に槍衾を浴びせい!」

「ははっ!」

(ハアハア…)

 体が熱い、甲冑が重い。異常な発汗である。輿の担ぎ手である若者が吉継の異変に気付いた。

「殿…?お体が…」

「何でもない、それより担ぎ手のお前たちは我らの士気を上げよ。儂に続き『エイトウ、エイトウ』と繰り返し叫ぶのじゃ」

「「ははっ!」」

 吉継は采配を安藤隊と平岩隊に向け

「エイトウ!エイトウ!!」

 と吼えた。担ぎ手の若者たちが続いた。

「「エイトウ!エイトウ!!」」

 大谷隊の士気が上がる。そしてついに

「安藤直次、討ち取ったりぃーッ!!」

 平岩隊はそれで後退していった。安藤直次を討ち取った若者喜三太は嬉々として吉継に報告。

「殿!安藤直次の首にございます!」

「…ふむ、ようやったぞ喜三太」

 そそっかしく、落ち着きがない若者であるが吉継は目をかけていた。そして大手柄を立てた彼を吉継は褒めた。

「お前のような若者がおれば、大谷家も柴田家も栄えよう…」

「殿…!?」

 吉継は輿から崩れ落ちた。

「殿!」

 家老の湯浅五助は知らせを聞き、慌てて吉継の元に駆けていった。

「殿!」

「おお、五助か、その声は」

「その声…?殿、まさかもう目が!」

「すまんな、前々からそなたは俺に治療を勧めていたのに、従わなかったからこの有様だ…」

「目が見えぬままで…あれほど見事なご采配を!」

「そなたらの働きが目覚しかったからよ…。儂の誇りだ…」

「「殿!」」

 泣き出す大谷隊、家老の五助は落涙し

「なぜ、なぜ、それがしより若い殿が…!天よ、殿ではなく我が身の命を奪いたまえ!」

 と叫ぶ。

「五助、仁斎殿に伝えてくれ、妻の病のこと、よろしくお頼み申すと。そして生きて帰れずすまなかったと…」

「殿…!」

「親父様、今…参ります…」

「「殿―ッ!!」」

「恵…」

 大谷吉継は息を引き取った。兵站巧者、卓越した外交手腕、何より戦場の名将の大谷吉継。あまりにも早すぎる死であった。

 

 徳川軍の一翼、いや一部隊と言って良いだろう。本多正信の軍。正信は作戦の失敗の責任から、もはや死ぬ気で戦っていた。かの川中島の戦いで戦死した山本勘助のごとく。しかしそれゆえ本多勢の勢いは凄まじいものであった。何より正信は死ぬ気で戦っていても無謀な突撃などしない。小勢を縦横に指揮し獅子奮迅の戦いを示す。一時は何倍もの兵力を有する蒲生氏郷の軍勢さえ圧倒した。だが、やはり多勢に無勢であった。

「父上…!」

 槍に貫かれ、本多正純は討ち死にした。

「正純、父もすぐ行く!」

 わずかな兵も次々と討たれ、正信はすでに馬から引き摺り下ろされ、槍一本で戦っていた。そして…。

「ぐっ…!」

 蒲生郷成の槍が正信を貫いた。同時に八方から一斉に槍が突かれた。

「と、殿…。一足先に…」

 本多正信は討ち死にした。

 

 本多忠勝、さすがは信長に『花実兼備の武士』と称された猛将。戦い続けているが、まだかすり傷一つ負っていない。そして再び可児才蔵と対峙した。

「お待たせした」

「もう用はお済かな?」

「いかにも」

「ならば仕合おう」

「承知!」

 東西の豪傑が激突。少しの隙も許されない。剛槍が火花を散らす。両者一歩も譲らず。まさに龍虎の激突だった。才蔵の槍が弧を描き、逆掛けの一閃が忠勝を襲う。かろうじて避けた忠勝だが、それで兜が吹っ飛んだ。忠勝の頬がスパッと切れる。不敗不傷の忠勝が初めて負傷した。

 織田、柴田と槍一本で叩き上げてきただけはあり才蔵は強い。しかし忠勝も負けてはいない。武田との一言坂の戦いでは、たった一人で殿軍を務めて家康を無事に退却させたほどの豪傑である。どちらが勝っても不思議ではない一騎打ち。前線で可児才蔵と本多忠勝が一騎打ちをしていると知った明家と勝家。激怒して床几から立つ勝家。

「国主たるもの何たる軽率な!又佐(前田利家)!」

「はっ!」

「才蔵を引かせよ、伊賀は彼奴でなければ治まりがつかん。個の勝利より全軍の勝利を尊べと叱りつけて参れ!」

「承知しました」

 座った勝家に

「兵部(才蔵)殿らしい」

 そう述べる明家、苦笑した勝家。

「まったくじゃな」

 前田勢が突出し、可児勢の前線へと駆けた。

「兵部!ご隠居様のお怒りじゃ!個の勝ちより全軍の勝利を重んじよ!」

 才蔵も他の武将なら無視しただろうが、利家が出てきては仕方ない。

「ちっ、いいところを。しかし君命では逆らえぬ」

「命拾いなさいましたな」

「ふふ、さあて、それはどちらかな」

 先刻、才蔵も家康の元に行きたいと言う忠勝を見逃した。これで貸し借りはなし。黙って忠勝も退いたのである。

 

「申し上げます!」

 宇喜多秀家本陣に使い番が来た。

「なんだ」

「宇喜多勢、鳥居元忠の軍勢と戦闘に及ぶも劣勢!増援を!」

「分かった、全登(てるずみ)!」

「はっ!」

「聞いての通りだ、行ってくれるか」

「殿、そういう場合は『行け』にございますぞ」

 四国攻めが初陣であった秀家、まだ合戦の経験が少ない。西軍の一翼を務めるには荷が重いのは仕方ない。明石全登はそんな若い主君を気遣う。

「そ、そうだった。コホン、全登」

「はっ!」

「鳥居勢に突撃せよ!」

「承知しました!明石隊参るぞ!」

「「オオオオッッ!」」

 鳥居元忠は家康の側近で合戦上手、中々突き崩せない。そこへ明石全登隊が宇喜多軍に加わり、突撃を開始した。しかしさすがは老練の鳥居元忠、新手が来ても一歩も退かない。

「退くでない!我らが崩れれば徳川本陣は西軍に晒されるぞ!」

「「オオオッ!!」

 精強の三河武士団、それを率いる元忠は典型的な三河武士、元忠は家康に特に忠誠心がある人物である。家康の今川人質時代から共にある。彼は家康から一切の感状を受け取らなかった。感状は他家に仕官する時に役立つものであるが、元忠は家康以外に主君はないと受け取らなかった。今回の出陣前、幼な妻がくれたお守りを握る元忠。

「すまんなぁ緑…。生きて帰れそうにないわ」

 彼の妻は娘ほど歳の離れた幼な妻、武田の名将である馬場美濃守信房の娘である。緑と云う名前だった。武田家の滅亡後、馬場信房の娘が生きて隠棲していると云う事を家康が聞き『あの馬場美濃殿の娘ならば才媛に違いない。ぜひ側室にしたい』と側近の元忠に捜索を命じた。

 しかし元忠は『娘は見つからなかった』と家康に報告した。捜索はそれで打ち切られたわけだが、よほど馬場美濃の娘が恋しかったか、家康は後日家臣に『惜しいのう、馬場美濃殿の娘…』と愚痴をこぼした。それを聞いた家臣は驚き『その娘ならば鳥居様の正室になっています』と述べた。家康はそれを聞き大笑いして『あの男は、若い頃から何事にも抜かりのない奴じゃわい』と許した。

 武骨な鳥居元忠が一目惚れし、自分の妻にしてしまったのだ。その愛してやまない幼な妻の笑顔を思い出し、そして宇喜多勢をキッと睨み、

「我に続け!押し返せぇ!」

 元忠自ら先頭に立ち、宇喜多勢に突撃。さしもの合戦上手の明石全登も圧倒された。明石全登も名将であるが、相手が鳥居元忠では経験が違う。

「鳥居め、やる!」

「明石様、左翼総崩れにございます!」

 使い番が知らせた。そして右翼も見てみれば鳥居勢に押し捲られていた。

「やむをえんか…!」

「明石様!」

「分かっている!退け、宇喜多全軍退くのだ!!」

 全登は後退を下命、宇喜多勢は鳥居勢に押し返された。しかし

「殿!」

 元忠は仁王のように立ち、西軍本陣を睨んでいた。いやもう目は見えなかったのではないか。槍に突かれ、矢は幾本も受けていた。戸板に乗せて東軍本陣に運ばれた元忠。家康に知らされた。

「殿!鳥居殿が!」

「なに!」

 急ぎ元忠のところへ駆ける家康。

「彦右衛門(元忠)…!」

「お、おお…殿…」

 横たわる元忠の手を握る家康。

「す、すまぬ…!」

「ふ…これにてお別れに存ずる…」

「彦右衛門!」

 元忠は家康の言葉を満足そうに聞き、そして逝った。

「三河武士の鑑よ…!」



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関ヶ原の戦い-伍-

「殿、なぜ東軍に攻め込みませぬ!」

 ここは細川忠興の陣。忠興は開戦しても動かなかった。家臣の松井康之は何度も出陣を訴えるが忠興は軍を出さなかった。

「西軍の勝利は確実の様相ですが、細川は何もしなかったと大納言様に咎めを…」

「だまれ」

「殿!」

 忠興は明家に邪推していた。自分の妻の玉(細川ガラシャ)と明家が男女の仲ではないかと云う事を。あの西教寺での玉の明家刺殺未遂騒動。本来なら細川は取り潰しされても不思議ではない。しかし明家は『幼馴染同士の喧嘩にすぎない』と一笑に付して細川を咎めなかった。無論、明家の家臣たちは許さず、忠興は前田利家や奥村助右衛門に激しく叱責されたがそれで済むのなら安いものだった。

 父の幽斎は玉を許さず『斬れ』とも言ったが、忠興は斬る事は出来ず丹後の味土野に庵を建てて、そこへ幽閉した。その孤独な日々で玉はキリスト教に救いを求めて切支丹になったわけであるが、それからしばらくして柴田家から『内儀を許せ』と通告があった。明家の直接命令だった。

 元々忠興は妻に対して異常なほどの独占欲があった。玉と談笑した庭師さえ問答無用で斬っている。いかに君主とした男でも妻に干渉するのなら許さない。その結果、忠興は居城に戻ってきた玉を人目につかせぬために幽閉していた。

 玉がキリスト教徒となり、侍女と共に孤児の面倒を見ている事は知っている。気晴らしになるのならと、その慈善活動は好きなようにさせていた忠興。しかしその活動に対して細川家は資金は出していない。民の血税を内儀の気まぐれに使えない。そういう理由である。だが玉は資金的に困っていない。どういう事かと思えば玉には一人の支援者がいたのだ。柴田家の御用商人の駿河屋籐兵衛と云う大坂豪商であった。大坂屋敷にいる時に忠興はその豪商を召した。どうして玉に資金援助をするかと。籐兵衛は

『私も切支丹にございます。ですが個人的に信仰しているだけで細川様のご内儀のように救済の活動は多忙の身で出来ませぬ。ご内儀とはお会いした事もございませぬが、大名のご正室でありながら孤児を育てようと云うお気持ちに籐兵衛深く感じ入りましてございます。だからご内儀の援助をさせていただいている次第です』

 と答えた。忠興は重ねて訊ねた。

『玉は甘んじてそれを受けているのか』

『最初はご辞退を受けましてございます。しかしながら孤児を育てるには金は必要。私が文で“同じ切支丹として当然の事をしているだけ、お受け取りを”とお頼みし、やっと受けて下されたのです』

『そうか…』

 忠興は本音を言うと籐兵衛の資金援助をやめさせたかったが、柴田家の御用商人を怒らせる事は得策ではなく、また籐兵衛は『細川様もご融資の希望がございましたら応じます』と言った。忠興はそのまま籐兵衛の玉への援助を見逃す事にした。

 しかし忠興は妻の事となると疑り深い。人は親切で力を貸さない。資金援助ならなおの事だ。たとえ切支丹であろうが無宗教であろうがそれは同じ。籐兵衛の資金援助はどう考えてもおかしいと思った。玉へ送った金は世に貢献しているかもしれないが籐兵衛にとってまったく無駄な投資である。つまり利益を考えず、玉個人に救いの手を差し伸べている。誰がそんな事をするか。忠興は籐兵衛の後ろには柴田明家がいると思った。

 なるほど籐兵衛は豪商で玉と同じ切支丹、だが玉への援助と云う柴田明家の密命を受けているのではないか。明家から定期的に援助金を受け取り、籐兵衛が自分の名前で玉へ送金している。それに伴い柴田家から報酬と明家の信頼を得ていると云うわけだ。しかし証拠は何もない。忠興の疑惑に過ぎない。疑惑は膨らむ。どうして自分を刺殺しようとした女にあれほど寛大なのか。幼馴染と云うが、もしかして将来を誓い合うほどの間ではなかったのか。

 今の玉は城の一角での慈善活動くらいしか出来ないので明家に会う事は不可能である。刺殺未遂騒動のあとに幽閉した味土野の地にいる時にそういう仲になったのではないか。孤独に過ごす玉のもとに明家がお忍びで訪れて抱いたのではないか。そして玉が支援を頼み、明家が了承したのではないか。完全に疑心暗鬼に陥った忠興は玉に直接問いただそうと思った。しかし誤解であるのなら、ただでさえ傷ついている妻をさらに傷つける。聞けなかった。その結果、密通の相手かもしれない明家に憎悪が向けられたのだった。

(ちっ…。東軍が優勢なら良かったのに)

 東軍が優勢となったら柴田本陣に突撃するつもりであった。しかし西軍の優勢は動かない。

(くそ…。今後も化け猫を『大納言様』と呼んで頭を下げなきゃならんのか)

 忠興の疑惑どおり、明家と玉はそういう仲に至っていたのか。事実ならそういう噂が立ってもおかしくはないのに、それは流れていない。また、明家も妻を寝取れば自分がどれだけ怨まれるか分からない男ではない。明家は家臣の妻や娘を大切にする君主だった。忠興の疑惑は誤解であろう。しかし一旦そう思いこんでしまうと中々それは払拭できないものである。

「殿!ご出陣を!」

「ああ、分かった」

 忠興は重い腰を上げた。

(冷静になれ忠興、ただの誤解かもしれん。もし化け猫と玉が本当に密通していたのなら両名を斬れば良い。だが今は西軍として戦うしかない)

「酒井忠次隊に突撃している長宗我部軍が押されている。加勢するぞ」

「「オオオッッ!!」」

 

「ひるむな!化け猫に尻尾を振った長宗我部ごときに後れを取るのは三河武士の恥ぞ!」

「「オオオッッ!!」」

 酒井忠次の軍勢は長宗我部の猛攻をしのいだ。そして押し始めている。

「尻尾を振ったとは言ってくれるな、あの爺!!」

 長宗我部信親が吼えた。

「その『ごとき』が手並み、見せてやれ!」

「「オオオッッ!!」」

 信親も猛将であるが、忠次は老練。押さば引き、引けば押す。しかしその均衡が崩れた。細川忠興が加勢したのである。防ぎきれず酒井軍は後退していった。

「かたじけない細川殿」

 礼を述べる信親。だが細川忠興は無視して他の東軍の備えに向かっていった。

「なんだあの野郎!無視をするなんて無礼じゃないか!」

「およしなされ若殿、細川殿も戦で気が高ぶっているのでございましょう」

 諌める谷忠澄。

「分かったよ!」

 

 家康の耳には最上と南部勢も撤退した報告が入っていた。西軍諸将に思う存分に奥州武士の気概を見せた最上と南部。南部勢を率いる九戸政実の武名はこの関ヶ原で鳴り響いた。九州最強とも言われている島津勢に一歩も退かず、島津義弘の心胆寒からしめるに至る。島津忠長や島津家久の備えを蹴散らし、義弘をして『アテルイがごとき武将じゃ』と言わしめた。

 しかし島津に秋月勢が加わると劣勢に陥り、南部勢は撤退。九戸政実は義弘の首を狙えるに至れるところまであと一歩であったが未練を残さずに撤退。その退きようもまた見事、義弘が部下に『手本にいたせ』とまで言ったほどである。

 最上勢もまた奥州武士の気概を見せた。統率の取れた槍衾に騎馬隊、しかし直江兼続率いる上杉勢も負けていない。最上の猛攻をしのぎ続け、そして転じて攻勢に移る兼続の見事な用兵であった。この上杉勢に丹羽長重の軍勢が加勢、潮時と見た義光は退却を下命し、最上は追撃も振り切り戦場を離脱した。南部と最上の奮戦振りは明家も見た。特に九戸政実、彼は後に明家にとって忘れる事のできない敵将となる。東軍で残るのは徳川と伊達勢だけとなった。

 

「殿、もはや勝敗は決まり申した」

 伊達政宗家臣、片倉小十郎が言った。

「そのようだな」

 伊達勢はまだ本日一度も戦っていない。徳川から矢のような催促が来ても無視した。政宗は一つしかない目で戦局を見極めていた。東軍を勝たせるためではなく伊達勢ここにありと西軍に見せ付けるためである。

「じゃあ帰るか小十郎」

「では退却に」

「だが敵に背を向けての敗走は伊達の名折れだ」

「しかし…」

「天下に伊達の武名を示すのはこの時、そしてこの道しかない」

「殿、何をなさる気か」

「ふむ、成実」

「はっ」

「敵はいずれが猛勢だ?」

「はっ、西かと」

 政宗は床几から立ち上がり、軍配を西に差した。

「その猛勢の中に相かけよ!」

 前代未聞の退却戦が始まった。世界の合戦史でも例がない、敵の真正面に向かって突破すると云う伊達政宗の突撃。世に云う『伊達の退き口』である。伊達政宗が吼える!

「敵に後を見せるなあああッッ!!」

「「「オオオオオオオオオオッッッ!!」」」

 伊達勢が一斉に突撃を敢行。しかも敵中突破と云う背水の陣さながらの戦法。勝利が目前で命を惜しみ出した西軍には止めようがなかった。まるで暴れ馬の疾駆である。

 柴田陣のほぼ正面まで来た。しかし柴田本陣の前には雑賀孫市率いる鉄砲隊が並んでいる。まともに攻めかかれば蜂の巣である。

「あれが鉄砲車輪か、中央の覇者と云うのは案外のんびりしたものだ。いつまでもそれが必勝の鉄砲術と思っているのか。何が智慧美濃だ。馬鹿美濃よ!」

 伊達勢の先頭を駆ける騎馬隊、全員が鉄砲を構えた。

「鉄砲車輪の五人一組の射手を狙え!伊達の騎射突撃を柴田に馳走したれ!!」

 伊達の騎馬隊は横陣に広がり、鉄砲を撃ちながら突き進んできた!

「なんだと!?」

 明家も驚いた。騎馬鉄砲である。彼もこの攻撃方法を考案しながらも実現不可能であった。鉄砲の轟音に馬は驚き、何より不安定な馬上で手綱を放して鉄砲を撃つ。実現は不可能とも云える。明家自身試してみた事があるが、発射の衝撃で落馬し、愛馬は驚き止まってしまっていた。だが伊達勢は実際にそれをしてのけた。しかも退却戦の最中に伊達政宗はやってきた。

「ふっははは!東西両軍が放棄していった鉄砲、ありがたくいただいたわ。敗戦しても伊達は戦場に落ちた鉄砲をたらふく頂戴する目論見であったから、徳川が勝とうが負けようが伊達はただでは転ばんわ!」

 そう、政宗が関ヶ原の合戦に参戦する理由は二つあった。家康を当面勝たせて、家康死後に天下を狙う事、それともう一つ、鉄砲の確保である。奥州の地では鉄砲は少ない。だから政宗は最後まで残り、東西勢力が戦場に捨てていった鉄砲をせっせと拾い集めさせていたのだ。自国で火薬の製造を成功させていた政宗。あとは鉄砲本体が必要だった。

 伊達勢の騎馬鉄砲は凄まじかった。騎馬鉄砲の前に雑賀鉄砲衆も沈黙、鉄砲車輪は政宗によって破られた。

「殿!このまま柴田本陣に!」

「欲をかいたらやられるぞ成実、勝ちはこの一つで十分だ。帰るぞ!」

 伊達勢はそのまま柴田陣の眼前を通過して退却していった。柴田本陣を見つめ政宗、目じりを押さえて舌を突き出した。

「アッカンベーだ、あっはははは!」

 馬を駆り、柴田陣の前から姿を消した。鉄砲車輪が破られ、そして迎撃に向かった柴田軍だが、そのころには伊達勢は姿を消していた。

「明家、あれが政宗か」

 と、本陣にいる柴田勝家。

「はい」

「ふっははは、昔のお前を見るようじゃな」

「父上、それがしはアッカンベなどいたしませんでしたよ」

「ははは、しかし馬上から鉄砲攻撃をしてくるとはな」

「はい、驚きましたが訓練次第で可能と云う事が分かりました。柴田でも取り入れたいです」

「変わらんな、良いものは迷わず真似る。それで良い」

「はい」

 

 伊達勢には数隊が追撃に向かった。しばらくしてその一隊である松山勢の大将の松山矩孝が報告に来た。

「殿!」

「おお、矩孝」

「伊達に振り切られました」

「そうか。さすがみちのく武者、馬の扱いは見事なものだ」

「松山勢は殿軍に立ちました片倉小十郎に稚児扱いされ申した!追撃は有利と云うのに手玉に取られ無念にございます!次に伊達と戦う時はそれがしをぜひ先陣に!」

「片倉小十郎とそなたではまさに大人と子供だ。仕方があるまい」

「ですが悔しくて!」

「矩孝」

「は、はい…」

「我らは勝ちすぎていた」

「は?」

「十の勝ちは次の大敗に繋がる。武田信玄公のお言葉だ。四国、九州、そして関ヶ原、勝ち続け、慢心したところを伊達に衝かれた。俺もそなたも、これを次の教訓にしなければならない」

「殿…」

「初陣で痛い思いをした事は次に繋がる。今日の負けを明日に生かせば良いのだ。敗因のない敗北はない。今回の事をよくよく研究して次に生かせ。亡き父上はそそっかしいところもあったが、同じ過ちは繰り返さなかった。良いな」

「は、はい!」

 晴れ晴れとした顔で松山矩孝は本陣から去っていった。

「あれが矩久のせがれか」

 と、勝家。

「はい」

「片倉小十郎と云えば伊達の知恵袋と聞く。初陣の身でその男と戦い、負けて悔しがるか。矩久も良い息子を持ったものよ」

「それがしもそう思います」

「そなたにも竜之介にも良き家臣となろうな、先が楽しみじゃ」

 

 伊達軍は戦場から離脱した。残るのは徳川勢のみ。集中攻撃を受けだしている。明家は使い番に指示。

「前線に伝えよ、退路を残して適度に逃がせとな」

「ははっ!」

「殿、ここで徳川家康を討ち取る事もできましょう」

 と、奥村助右衛門。

「それは少々欲張りすぎだ」

「欲張りと?」

「相手は三河武士たちだ。窮鼠たらしめるのは危険、退路を示して適度に逃がせば手ひどい逆襲は食わない」

「しかし敵軍の総帥を目の前にして、西軍諸将がその下命を受けるとは思えませぬ。『将が前線にて兵を率いる時は君命でも受けられぬ』と孫子にありまするが…」

「今のうちはそうかもしれないが、じき分かる。頃合を見てもう一度退路を残して逃がせと前線に伝えよ」

「はっ!」

 徳川本隊は敵に囲まれ攻撃を受けている。保科正直の軍は必死に防戦にあたる。

「父上!」

「甚四郎(正光)か…」

 父と子が戦場で敵味方として会った。

「なぜ武田を裏切った!」

 保科正光は小山田家と和解していたが、正直の裏切りは父だからこそ許せなかった。

「裏切ったのではない、袂を分けただけよ。そなたが儂と袂を分けたようにな」

「屁理屈を!」

「もう何も言う事はない。槍の腕前がどんなに上がったか見てくれる。かかってこい!」

「手加減はせぬ!」

「誰に向かって…」

 鬼の一閃とも云える剛槍!

「言っておるか小僧!!」

 正光の槍が吹っ飛んだ。槍弾正と呼ばれる保科正俊の息子である正直、すさまじき一閃であった。穂先を正光の首元に突きつける正直。

「我が首を欲しくば、もう一度基礎からやり直せ。槍の基本は『受け』『突き』『払う』と教えたな。まるでなっておらんわ、うつけが!」

「父上…」

「袂を分けたのなら何故儂を父と呼ぶか。そんな腑抜けゆえ槍一つ扱えぬのだ。儂は父の屍も乗り越えられぬ惰弱な倅を育てた覚えはないわ!出直してまいれ!」

 正直は馬を返し、戦場へと消えた。馬から降りて槍を拾った正光。鉄杖が仕込んである柄がグニャリと曲がっている。父の一閃のすごさを知る正光。

「父上…!完敗にございます…!」

 

 明家の予言が当たりだした。三河武士団のすさまじいまでの抵抗。毛利、大友、細川、丹羽の軍は逆に蹴散らされ、宇喜多、島津、立花、鍋島は押されだしている。

「この精強さ、立花も及ばぬ!」

 さしもの誾千代も気圧される。そしてついに包囲を突破!三河武士のすごさを知り、前線はやっと明家の命令の意図が分かり退路を残した。しかし徳川、敵の用意した退路などに用はないと言わんばかりに自力で突破したのである。徳川家康、最後の勝負に出た!

「化け猫が陣に進めええッッ!!」

「「「オオオオオオオッッ!!」」」

 柴田明家、床几を立ち柴田全軍に号令。

「迎え撃つぞ!」

「「「オオオオオッッ!!」」」

 柴田軍が出陣!もはや死兵の徳川軍。死兵相手では正面衝突は得策ではない。

「陣形を車懸りに改めよ!」

 徹底した訓練がされている柴田軍、アッと云う間に車懸りの陣が構築された。先陣の可児勢突撃!包囲を突破された西軍諸将も追撃し徳川の背後を衝いた。前方は柴田の車懸り、背後からは西軍全軍。

「殿、もはやこれまで!殿だけでもご退却を!」

 と、本多忠勝。

「今さらどうやって逃げると言うか!こうなれば化け猫と刺し違えるまでじゃ!」

「なりませぬ、浜松に戻り再起を!佐渡や彦右衛門の死を無駄にしてはなりませんぞ!」

「平八…!」

「生まれ変わっても次郎三郎の兄貴にお仕えいたします!これにてお別れにござる!」

「また会おうぞ平八…!」

 ついに徳川家康は戦場を離脱した。残るは本多忠勝率いる三河勢、しかしこの時の三河武士団は人並外れた強さであった。西軍の将兵はこの三河武士団のすさまじさが脳裏に焼きつき、戦後に何十年経っても夢に出てきて飛び起きたと云う。

「車懸りに正面から付き合うな!儂に続けえ!」

「「オオオオッッ!!」」

 本多忠勝の率いる三河武士団が車懸りの回転のわずかな隙をついて陣中に突入!明家本隊に一直線で突撃!

「「しまった!」」

 その隙は前田利家と毛受勝照の備えの間。徳川最強と呼ばれる本多忠勝の軍勢の突破を許してしまった。羽柴秀吉を倒した水沢車懸りより回転も速く攻撃力はあった関ヶ原での柴田車懸り。だが本多忠勝には通用しなかった。回転は止まった。そして忠勝の前に佐々陸奥守成政の軍勢が立ちはだかる。

「これ以上は通さぬぞ!」

「どけどけどけ!我が蜻蛉切が剛槍!化け猫に馳走するまで止まらんぞおおッッ!!」

 本多忠勝、鬼の咆哮!佐々成政の軍勢は必死に食い止める。誰もが思った。この本多忠勝を通せば主君明家は討たれると。それほどの本多忠勝の突撃である。死兵となっている本多忠勝と三河武士団。佐々勢は力及ばず。

「佐々成政!討ち取ったああーッ!!」

「なんじゃと!?」

 驚く柴田勝家。本多忠勝は佐々勢を突破、忠勝は前方に見える明家の備えを見た。

「備えは槍衾か、今の勢いならば蹴散らせる!もらったぞ化け猫!」

 突進してくる本多忠勝と三河武士団、しかし明家も成政が命がけで作った時間を無駄にしていなかった。佐々成政のほんのわずかな時間稼ぎが功を奏す。明家が軍配を空にかざすと、槍衾の後方から一斉に鉄砲隊が出た。明家の備えだけではない。忠勝から見て前方の明家の備え、そして右斜め前と左斜め前の備えが同様に鉄砲を構えた。先に蹴散らされた佐々勢を巻き添えにせず、かつ鉄砲の威力を発揮する地点に至るまで鉄砲隊は姿を見せさせず、槍衾で迎撃すると見せかけて忠勝を引き付ける。忠勝がその地点に至ると明家は軍配を空に向け、そして一直線に突き進んでくる忠勝と三河武士団に容赦なく軍配を下ろした。

「撃てええーッッ!!」

 明家養父、水沢隆家考案の三方射撃!三河武士団は皮肉な事に統率が取れていた事が仇になった。一つにまとまり突撃してくるところを三方向から集中射撃されたのだ。本多忠勝の体に銃弾がいくつも撃たれた。

「兄貴…。殿…!」

 大木が倒れるように本多忠勝は馬から崩れ落ちた。

「稲…」

 最後に頭に浮かんだのは愛娘の稲の笑顔だった。本多忠勝は息を引き取った。家康は敗走、東軍一の猛将である本多忠勝討ち死に。東軍の敗北がここに決定した。可児才蔵はゆっくりと忠勝の亡骸に歩いていった。そして一輪の花を忠勝の胸に置いた。

「敵ながら見事であった。貴殿になら討たれても本望だった…」

 後方から忠勝の突撃を見ていた誾千代。

「…亡き父の姿を思い出した。立花が手本にすべきお方である」

 

「殿―ッ!」

 明家のもとに佐々成政が戸板に乗せられて運ばれてきた。血だるまである。まだかろうじて息があった。急ぎ明家と勝家は成政が乗せられている戸板へ走り

「陸奥守殿!」

「内蔵助!(成政)」

「せ、西軍の勝ちで…ござるか」

「その通りにござる陸奥守殿!貴方が命がけで好機を作ってくれたからですぞ!」

 明家が成政に叫ぶ。

「そうか…」

「内蔵助!見事じゃったぞ…!」

「ありがたき仰せ…」

「陸奥守殿…!」

「と、殿…」

「はっ!」

 フッと笑い明家を見る成政。手をあげ明家の頬に触れた。

「フ…。儂に殿のような倅がおったらの…」

「え…」

 隆広嫌いであった佐々成政。しかし、あの伊丹城攻めの時に隆広の大器を見て、子が娘しかいない彼は内心『あれほどの若者が儂の倅であったら』と以来思っていた。とうとう彼は息子を授からなかった。彼自身、絶対に言うまいと思っていた事を言った。すると勝家は

「何を言うか内蔵助!儂もおぬしも又佐も才蔵も、みな明家の親父じゃ!儂らが柴田明家を育てたんじゃぞ!」

「ご、ご隠居…!かたじけのう…!」

「その通りにございます!それがしは柴田勝家とその怖い重臣たちに育てられたのです!陸奥守殿…佐々成政様も我が親父様にございます!」

「そうか…。玄蕃や勝豊に…自慢できる…」

「親父様!」

 自分を父と呼んでくれた若き主君に成政は微笑み応えた。

「隆広、見事じゃ…」

「あ、ありがとうございまする…!」

 佐々成政は微笑を浮かべ息を引き取った。最後の最後、成政は明家を殿と呼ばず隆広と呼び、見事と讃えた。隆広嫌いの三人、佐久間盛政、柴田勝豊、そして佐々成政。三人の中で最後まで生き残った彼の死に様はその水沢隆広を命がけで守っての討ち死にであった。その水沢隆広である柴田明家は自分の頬に触れる成政の手を握り、涙するのであった。



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家康の最期

「明家、総大将が涙を見せてはいかん。勝って兜の緒を締めよと云う。全軍に勝ち誇った顔を見せよ。そして勝どきをあげるのだ」

 佐々成政の討ち死にに落涙する息子を叱る勝家。

「はっ…」

 成政に手を合わせる明家。

(佐々家はこの天下分け目の合戦で主家を庇い当主が討ち死にした家。親父様、柴田家は佐々家に報い続ける事を誓いまする!)

 後日談となるが、佐々家は成政正室がしばらく治めていく事となる。成政の娘は五人いたが、上の三人はすでに嫁いでおり、四女には婚約者がいたため五女の梢姫に明家と虎姫の間に生まれた男子である大助が婿養子と入る。明家の子であり佐久間盛政の孫が佐々家を継ぐ事となる。

「修理(大野治長)、我が馬を!」

「はっ!」

 天下分け目の関ヶ原の戦い、それは柴田明家率いる西軍の大勝利である。西軍諸将も柴田本陣に集結し出す。そして

「勝どきだ!」

 明家は軍扇を空に掲げた。

「エイ・エイ・オーッ!」

「「エイ・エイ・オー!」」

 西軍の凱歌があがる。西軍勝利の雄叫びの中、明家は天に召された家臣に言った。

(勝った…!勝ったぞ慶次…!)

 

 笹尾山本陣に戻った明家、そこにくノ一が来た。

「申し上げます、敗走する徳川家康を捕捉しました」

 真田家くノ一のお江が明家に報告。

「何騎ほどか」

「三十ほどです」

「信幸と幸村に伝えよ。今は見失わないよう心掛け、捕らえるに及ばないと」

「は…?」

「そう言えば分かる」

 その命令が真田信幸と幸村に届いた。信幸が答えた。

「承知した、とお伝えせよ」

「ははっ!」

 明家と信幸の思慮が分からない猿飛佐助が幸村に問うた。

「なぜすぐに捕らえないのですか?」

「今ここで捕らえ、西軍本陣に家康の身柄を連れて行けば、残る徳川の敗残兵が決死隊を結成して奪還せしめようと考えるかもしれない。そういう隊は怖い。だから適度に逃がして東軍が完全に離散してから捕らえた方が良いのだ」

 と、真田幸村。得心した佐助。

「ほええ、智慧美濃とはよく言ったものだなあ…」

「おいおい、その智慧美濃の意図を説明なくても理解した兄上と俺も褒めろよ」

 

 笹尾山本陣、西軍諸将から戦勝を祝福される明家。

「大納言殿、おめでとうございまする」

 と、蒲生氏郷。

「東軍も手強かったですが、何とか退けましたな」

 上機嫌の島津義弘。続いて多くの祝辞を受ける明家。一人むくれている者がいる。細川忠興である。

「どうした越中(忠興)具合でも悪いのか?」

「い、いえ…。コホン、戦勝祝着に存じます」

「うむ」

(ちっ、今後もこんなベンチャラ言い続けなければならないのか、ヘドが出る。もし玉とデキていやがったらブッ殺してやるからな!)

「みなもよう働いてくれた。大納言は本日の喜びを忘れぬ。厚く報いたいが、まずは食事と水をとり、御身と将兵たちを休めよ。引き上げの指示はおって沙汰いたす」

「「ははっ!」」

 諸将は一度自陣に戻っていった。すぐに戦後処理が始まった。本陣で明家が首実検をしている時、大野治長が伝えた。

「殿、大谷家の家老の湯浅五助殿が目通り願っていますが」

「五助が?通せ」

 大谷家の湯浅五助がやってきた。

「大谷家家老、湯浅五助にございます」

「ふむ、平馬(吉継)はどうした?大谷勢は安藤直次を討ち取ったと聞くが…」

 五助は肩を震わせていた。首実検の補佐をしていた石田三成が訊ねた。

「どうされた五助殿、平馬がどうしたのです?」

「主人吉継…。陣没いたしましてございます」

「なんだと!?」

「そんな…!」

 明家は床几から立ち上がり、石田三成は持っていた帳面と筆を落としてしまった。柴田の合戦の兵站にその力を発揮してきた吉継。それと同時に、いざ合戦と云う時は一翼の大将として八面六臂の活躍を見せる。かつて羽柴秀吉は『平馬に百万の軍勢の采配を取らせてみたい』と言った事があるが、その吉継を用いている明家は秀吉の評をさすがと思う。吉継はこの関ヶ原で徳川の安藤直次を討ち取り、平岩親吉を敗走させる大活躍だった。

 しかし病は重く、輿に乗っての采配。輿を担ぐ部下たちは大谷隊でも怪力を認められた者たち。嬉々として主君吉継を担いだ。

「主人は前々から体調が悪く、合戦前も倒れました。我ら家臣、何度もお休みあるよう述べましたが、主人は『こんな大事な合戦を休めるものか』と…!そして安藤隊と平岩隊と戦い、かつ戦闘中にお目を失明せしも見事な采配を執り両隊退けました!そしてその直後、眠るように息を引き取りましてございます」

「何て事だ…」

 明家は激しく落胆した。三成は悔しさに落涙する。源蔵館筆頭医師の仁斎に大坂に帰ってきた吉継に治療を強く勧めて欲しいと要望した三成。それに伴い吉継が関ヶ原の合戦から外され、結果吉継が自分を一生許さなくてもかまわないとも思っていた三成。

 しかし吉継は武人。床のうえで病にて死ぬより、戦場で死にたかったのだろう。九州から大坂に帰った時点、すでに吉継は死期を悟っていた。だから朋友三成の配慮に感謝しても、それに応える事はできなかった。三成は悔しい。

(平馬…!余計なお世話だったかもしれないが、俺はお前に生きて欲しかった…。馬鹿野郎…!)

「慶次、成政殿、吉継…。こたびの戦、柴田が失いしものも大きい…」

「殿…」

「五助」

「はっ」

「吉継の子にそのまま大谷家を継がせよ。変わらず遇する。良いな」

「ははっ」

 

 五助と交代して織田信明(三法師)が家老を連れてやってきた。信明は大垣城の留守を任されていて合戦に参加していなかった。また信明は明家の次女の鏡との婚儀が決まっていた。

「舅殿、お呼びと聞き大垣から参りました」

「婿殿、この関ヶ原は婿殿の領地内ですが、柴田と徳川の天下分け目の戦が行われた地としてこれから大切にして欲しい」

「はい!」

「それと東西両軍の死者、これを今から丁重に弔わなくてはなりません。負傷者は東西問わず治療します。それがし自らやりたいところでございますが、戦後処理がありますのでそちらを優先しなければなりません。人員と資金は出しますので、それを婿殿にやってもらいたい」

「分かりました。敵味方問わず行います」

「頼みましたぞ」

 信明は大量の僧と民を雇い、敵味方問わず弔った。戦死者の亡骸は遺品と遺骨をその大名の元へ送り届け、慰霊の廟の建立も行った。

 美濃国はすぐに奪還し、稲葉氏も旧領を戻された。落ち武者狩りは固く禁じられ、すでに石田三成考案の五人組の連帯責任制度が柴田領内に敷かれているため、一人でも落ち武者狩りに参加したら五人全員打ち首である。柴田家は自国の民でも敵軍の将兵を辱める事は許さなかった。その代わり、負傷兵の治療や戦死者の埋葬や火葬などの人手として働けば十分な手当ては支払った。その働きもちゃんと公正に評価し、賃金も上乗せされる。柴田の陣法を無理に民に押し付けず、守られるよう心砕いたのだ。

 

 兵は神速を尊ぶ。家康の居城の浜松城にもすでに軍勢が向かった。前田利家を総大将に西軍は徳川領に進攻を開始した。徳川が息を回復しないうちに甲信駿遠三を一気に飲み込むつもりである。

 柴田勝家、柴田明家は大坂に引き返した。九州に関ヶ原と、あまりにも当主の本拠地不在が長かったからである。明家は重臣たちの『大坂は当主不在がずいぶん続いています。殿は大坂に帰られ、無事な姿を我らの家族たちや領民たちにお見せして安心させて下さい』と云う意見を退け『自分だけ城に帰り、のうのうとしているわけにはいかない』と主張したが前田利家と奥村助右衛門が『殿が本拠地にいて領内を統治してくれるからこそ我らは安心して戦えるのですぞ』と諌め、帰途につく事にした。京都での柴田本陣である二条城に到着。そこにはさえが待っていた。戦勝と聞き、そして関ヶ原から夫が帰途についたと知らされ大坂でジッとしていられなかった。

「殿…!」

 さえの顔を見るや明家は馬から降りて走っていく。さえも明家に走る。

「さえ…!」

「関ヶ原の戦勝、おめでとうございます!」

「さえも留守をありがとう!」

 二条城の城門で抱き合う二人。すぐに熱い口づけをする。

「会いたかったぞ…。よくここまで迎えに来てくれたな…!」

「一日も早く殿の顔が見たくて…」

「ありがとう、ああ…さえの顔を見ると疲れなんか飛んでしまうよ」

「嬉しい殿…!」

 父の勝家、咳払い。共に入城して来た家臣団は『こっちが恥ずかしくて見てられない』と言いたげな顔をしていた。

「おい、後がつかえておる」

「あ、も、申し訳ございませぬ!」

「まったくお前ら変わらんな、城の中までがまんできんのか。はっははは!」

 二条城に入る柴田親子、この後しばらくして朝廷から勅使が来て帝が関ヶ原での戦勝を祝福している旨を明家に伝えた。とかくこういう答礼は格式ばり時間がかかる。ようやくそれから解放されると、さえのいる部屋へと駆けて行った。

「済まないな待たせて」

「いえ、殿も疲れたでしょう。お風呂が沸いていますよ」

「一緒に入ろう!」

「はい(ポッ)」

 風呂のあと食事をして閨に入る。久しぶりの妻との情事をたんのうし、明家は久しぶりにぐっすり眠った。そして翌日、朝食をさえの給仕でとっていた明家の元に大野治長が来た。

「殿、御台様、おはようございまする」

「うん」

「おはよう修理殿」

「はっ、殿」

「かまわん。報告いたせ」

「はっ、浜松城と岡崎城、落城いたしました」

 箸を止めた明家。

「そうか」

「それと徳川家康殿を捕らえましてございます」

「捕らえたか…」

「徳川殿の周囲にはすでに石川数正、酒井忠次、保科正直のみしかいなかったとの事」

「ふむ…。それで?」

「はっ、石川、酒井、保科、いずれも真田勢に突貫し玉砕したとの事です」

「そうか…。敵ながら見事だな。その首はどうした?」

「いずれも徳川の主要な将、塩漬けにして大坂に運ぶとの事」

「保科正直殿の首は遠征中の正光の元に届け弔わせよ。大坂まで持ってくる事はない」

「承知いたしました」

 椀と箸を膳に置いて治長に命じた。

「信幸と幸村に伝えよ。仮にも五ヶ国の国主。丁重に大坂までお連れするようにと」

「承知いたしました」

 大野治長は去っていった。

「……」

「どうしたさえ?」

「気のせいか…。殿はお顔が荒まれたような…」

 苦笑する明家。

「…俺もそう思う。鏡を見ると何か自分の形相が険しくなっているような…そんな感じがする」

「ごめんなさい、変な事を言って」

「でも、心の中は北ノ庄の小さな屋敷でさえと二人だけで住んでいた頃と変わっていないつもりさ」

「殿…」

「ん?」

「私の前でしか泣けない、抱きたい女はいても抱きしめられたいと思う女は私だけ…。そう申しましたね」

「言った」

「たとえどんなに大身になっても、歳を重ねても、それはご遠慮なく私にして下さい。泣かせて差し上げますから。抱きしめてあげますから」

「さえ…」

「私は…殿が亡き大殿のように戦で浴びた返り血で常軌を逸した人間になっていくのは嫌にございます。だから我慢しないで私に泣きついて下さい」

 涙が出るほどに嬉しい愛妻の言葉。

「ありがとう…。ならば関ヶ原の後始末が済んだら泣かせてもらうよ。今まで俺は勝つためではなく負けないための戦を心掛けてきた。イチかバチかは手取川、安土攻防、賤ヶ岳だけ。しかしそれにしたって今回ほどの犠牲はなかった。今回の関ヶ原のような消耗戦は初めてだった。避けられなかった合戦とは申せ多くの家臣たちが死んだ…。つらい」

「殿…」

「でも、つらい時はさえにいっぱい甘えて泣いていいと云う事を改めて分かった。今はもう少し我慢する。でもじきに…さえに抱きしめてもらうよ」

 ニコリと笑うさえに空になっている椀を差し出す。

「おかわり」

「はい」

 飯をお椀に入れて渡す。

「相変わらず、さえの作る料理は美味い」

 美味しそうに食べる明家。知らない間にさっきさえが見た明家の顔の『荒み』が取れていた。国を動かす明家、その明家を動かすさえ、見事な夫婦である。

 

 大坂城に明家は帰城した。領民たちの拍手喝采の中に入城。見事天下分け目の戦いを制したのである。堂々とした帰城だった。明家の無事な姿は何より領民を安心させる。明家の後ろで輿に乗っているさえも領民に笑顔で手を振って応えた。

 入城後、簡単な後始末を終え、提出されていた明家への報告書に目を通し、決裁の花押を記入する。城に帰れば戦場の大将ではない。君主なのである。その仕事も早や一段落した。

「あとは治部少(三成)の仕事だな。もう報告書はお終いか修理?」

「はい、あとは我ら奏者番(秘書)が済ませておきます」

「そうか、ならば修理、使いを出してくれ」

「はい、いずれに」

 使いは出したものの、それは今から明家が訪ねると知らせたもので、在宅を確認したら明家はその屋敷に向かった。藤林家の大坂屋敷である。藤林家は前田利家を総大将とする徳川領進攻軍に共にあるので大坂屋敷は女子供と番兵だけであった。柴田明家が来ると大慌てとなったが

「そんなに恐縮する事はないよ。私に野暮用のようだから」

 と、かつて隆広三忍と呼ばれた舞が言った。そして舞が明家を出迎えた。

「関ヶ原での戦勝、おめでとうございます」

「「おめでとうございます」」

 続けて藤林家の者たちが言った。

「ありがとう、藤林家の戦振りも見事だった」

「「はっ」」

「まあそんなに大仰にしないでくれ。舞と話があるだけだ」

 久しぶりに明家は舞と会った。六郎が大坂常駐の忍びのため、舞も若狭美浜ではなく大坂にいる。子が生まれる前は大坂城ですずの侍女を務め三忍として常駐していたが、出産後は藤林の大坂屋敷に住んでいる。その屋敷の居間で明家は舞と二人で話した。

「夫の六郎から聞きました。私の三忍の任を解かれたとか」

「不満か?」

 静かに笑い、首を振った舞。

「いえ…正直ホッとしたのが本音です。くノ一として私は肉体的に下り坂…。もう手取川の戦のような真似は出来ません。子供が生まれ母となった私は死ぬのが怖い…。殿が申さずとも退任を要求していたと思います」

「そうか」

「それで本日は?」

「その退任を正式に伝えに来た。俺が駆け出しのころから一緒にあったそなた。言伝で済ませるなんて出来ないよ」

「殿…」

「今までよく働いてくれた、礼を言う。謙信公の本陣に突撃した時、上杉勢に最初に攻撃を仕掛けたのがそなたであったな、あの重そうな鉄扇を二つブン投げて、あの精強の上杉勢の腰を引かせた。今でも覚えている」

「私も殿が信玄公のいでたちをして謙信公に一太刀浴びせたお姿、今でも覚えています」

 しばらく思い出話に花を咲かせる。二人には肉体関係もあったが、それはすでに過去の話だった。

「舞」

「はい」

「三忍の任を解く、これからは妻として母として生きよ」

「かしこまりました」

「最後にあれ見せてくれないか?」

「え?」

「あれだよ」

「…殿、私はもう殿の戦場妻ではないのですから肌を見せられません」

「違う違う、戦に勝つとよくやっていたじゃないか、あれだよ」

「あれ…ですか?」

「そうそう」

「夫の六郎にも見せていなかったのに…」

「何で」

「だって子持ちの身で恥ずかしいじゃないですか」

「いいじゃないか、頼む一回だけ」

 手を合わせて頼む明家。だんだん乗り気になってきた舞、今は忍び装束ではなく武家の着物を着ている舞、だがちゃんと鉄扇はいまだ肌身離さず所持していた。恭しく閉じていた足をドンと広げて明家の前に立ち、左手を腰に置き胸を張る。

「コホン、では一回きりですよ」

 明家は拍手して舞を見つめる。舞は自慢の乳房を揺らしながら鉄扇を右手でパンと景気よく広げた。

「いよッ!日本一~ッ!」

 明家は大喜び、舞は赤面してペロと舌を出した。柴田の下っ端部隊だった頃をふと懐かしがる明家と舞だった。

 

 三日後の朝、明家は庭で槍の鍛錬をしていた。竜之介も一緒にやっている。父の明家と一緒に槍を振るう竜之介。

「えいっ!」

「声が小さい!腹から声を出せ!」

「はい父上!」

 さえも二人の鍛錬を微笑み見つめる。そこへ侍女が来た。

「お殿様、大野様がお越しです」

「ここへ通せ」

「はい」

 大野治長が来た。

「おはようございまする、殿、御台様、若君」

「うん」

 明家は槍を置いた。

「竜之介は素振りを続けよ」

「はい父上」

 縁側に座った明家に治長は報告した。

「真田に連行されし徳川家康殿、大坂城下に到着したとの事です」

「分かった、各諸大名に登城させよ」

「はっ」

 治長は帰っていった。

「殿」

 さえがいつものようにたらいに水をひたして持ってきた。

「ありがとう」

 手ぬぐいで汗を拭く明家。しかし心ここにあらず。

「こんな形で会いたくなかった…」

「殿?」

「い、いや何でもない。さえ着物を」

「はい」

 各諸大名は登城の知らせを聞き、急ぎ城内へと駆けた。そして城主の間。

「徳川殿が間もなくこれに参ろう」

「「はっ」」

 徳川領に進攻中の武将は不在であるが柴田明家をはじめ、島津義弘、長宗我部元親、毛利輝元、小早川隆景、筒井順慶は大坂にいた。柴田家中では毛受勝照、前田利長、不破光重、高橋紀茂、星野重鉄、大野治長なども列席している。そして…。

「こんな形で徳川殿と会おうとはな…」

 明家の父、柴田勝家も立ち会っていた。

「織田と徳川同盟のおりの三河への使者は父上であったと聞いておりますが」

「そうだ…。何が起こるか分からんな世の中は…」

 

「徳川家康殿、お越しにございます」

 真田信幸、幸村兄弟に連れられて家康はやってきた。綱に縛られていた。憔悴しきった顔である。そして明家の前に座らされた。

「綱を解け」

「はっ」

 真田信幸が家康を縛る綱を切った。しばらくぶりに自由になった体に安堵の溜息を出した家康。

「お久しぶりですな…。徳川殿」

「そうですな…」

 フッと笑う家康。明家は大野治長に目で合図した。治長は立ち上がり書を広げた。

「徳川殿、岡崎城と浜松城における戦いを報告いたします。まず側室の西郡殿、お万の方、茶阿の方、お亀の方は自刃、そしてご子息の秀忠殿ですが…」

「……」

「当方で仏門に入るよう差配しました。ご安心あれ、仏門にある者に危害を加える気はござらぬゆえ」

「過分な配慮痛み入りまする…。一つ伺いたい」

「何でござろう」

「次男秀康がどうなったか知りませぬか…」

 明家を見る治長、明家は浅く頷き言った。

「それがしが答えましょう。重傷を負っており戦場にて倒れておりました。合戦の決着がついた後は敵兵でも手当てをするのが柴田の陣法。しかし秀康殿は受け入れず、自ら喉を突いて果てましてございます」

「左様にござるか…」

「修理続けよ」

「はっ、先に主君が申した柴田の陣法により、関ヶ原の東西両軍戦死者、西美濃ご領主の織田信明様が弔うべく懸命に対応中にございます。落ち武者狩りを禁じ、負傷者の手当ても現在西美濃と近江で実施中でございます。戦死者は東西問わず荼毘に付し、遺骨と遺品を木箱に入れ、身元の確認が取れた順から遺族へお送りいたす予定。以上にございます」

 治長は書をふところにしまって脇に控えた。

「しかし…徳川殿とそれがしにこんな運命が待っているとは思いませんでした」

「……」

「覚えておいでか。それがしが徳川殿に初めて会ったのは武田攻めの時でした。あの時のそれがしは柴田家部将で中将信忠様の寄騎、徳川殿は信長公に援軍に来ておられた。武田攻めが終わり…それがしの陣で我ら時を忘れて語り合いましたな…」

「……」

「もう一度、とくと語り合いたかったが…もうそれは無理。徳川殿がつまらぬ野心さえ持たなければ、血を流さずとも済んだはずなのに…」

「つまらぬ野心だと…?」

「はい、つまらぬ野心でござる」

「『目的が同じだから手を取り合って仲良く協力しましょう』そんな道理があるのならば戦国の世はとうに終わっている。天下をとるにしても!貴様と儂とでは描くものが違う!だから挙兵したのじゃ!」

「……」

「貴様は確かに亡き信長公に匹敵する、いやそれ以上の天才であろう。しかし心が甘い!合戦が終われば敵兵でも手当てじゃと?笑わせるでないわ!かつ家臣も従属大名も甘やかせ、領民にはこれでもかと云うほどに尽くす!そんな良い子ちゃんでは貴様の取る天下も信長公同様にわか天下じゃ!だが儂ならば作れた!敵に情けなどかけぬ!家臣も従属大名も厳しく監督し、士農工商の身分を定め領民は生かさず殺さず!そうでなければこの乱世は治まらぬ!貴様のような甘い男にこれからの世が治められるか!」

「それがしの死んだ後、再び乱世に戻ると?」

「火を見るより明らかよ、貴様の愛しい息子は、おおよそ武田勝頼と同じ道を歩む!」

「……」

「儂の挙兵をつまらぬ野心だと?貴様のように…幼い頃から名将であった養父の英才教育を受け、長じて実父の元で重用され…そんなヌクヌクとした武将人生を送ってきた貴様に何が分かる!」

「黙って聞いておれば我が主に言いたい放題!もう我慢できぬ!」

 前田利長が激怒し刀を握る。しかし

「控えよ利長!」

「しかしご隠居様、あまりの暴言!」

「暴言にあらず、座して最後までお聞きせぬか!」

 勝家が一喝。利長は座った。

「幼い頃から人質としての生活を余儀なくされ…!大名に返り咲いても西に織田、東に武田!そんな強国に囲まれた国の領主の圧迫など!世襲で大国を領有した貴様に分かるものか!妻子を殺さねばならなかった男のつらさなど!愛妻家などと呼ばれている貴様には分かるまい!」

「……」

「儂が天下を望んだのは、無論貴様と同じ『戦のない世の構築』もある。しかし根本は怨みじゃ!妻子を殺さなければならなかった儂自身へとこの世への怨みからじゃ!儂の手で日本を統一し戦をなくし!そしてもう誰も…妻と子を殺すなどと云う悲しみを味わわぬために…!」

 血を吐くように自説を叫ぶ家康。城主の間は静寂に包まれた。

「…分かり申した。その国、きっと作ってみせましょう」

「…どう作る?どんな世を作るのだ」

「弱い者が泣かぬ世を」

「あっははははは!」

 家康は笑った。

「ふっはは…。大納言、そんな世はない。貴様が一番それを分かっているはずだ…」

「…」

「大納言…」

「はい」

「亡き信長公はこう言っておられた。『ネコは冷酷非情にならずとも勝利者になれるかもしれぬ。そしてその時の敗者は自分か家康であろう』とな」

「かような事を…」

「確かに貴様は冷酷非情になれないのではなく、なる必要がなかった。そういう性格に適した才覚を持っている。だがの、その才覚が通じるのは儂を倒した、この瞬間までと心得よ。国を治めるに一番効果的なのは敵がある事、儂がいなくなればもう柴田に敵はおらん。敵がいなくなった時、柴田明家の為政者としての力が問われる。今までのような優しい殿様ではこれからの世には通じぬ。天下人は一人、ゆえに孤独じゃ。本気で弱い者が泣かぬ世を作るのならば、貴様は誰よりも涙を流さねばならん。その覚悟はできておろうな!」

「徳川殿…」

「理解してもらえぬ事を、嫌われる事を、憎まれる事を恐れてはならぬ。嫌がってもならぬ。それを己に課せ。さもなくば儂は安心して逝けぬ…」

 明家は深々と頭を下げた。

「千金に値する至言…。大納言しかとお約束いたす」

 フッと家康は笑った。

(頭の下げ方まで信康に似ておるわ…)

 安心して逝けぬ、さながら父が子に言うがごとく。家康にとって明家は天下人として危なっかしく見えたのかもしれない。親と子ほど歳が違う家康と明家、最後に家康は息子信康の面影を持つ明家に父親の気持ちになって諭したのではないだろうか。勝家にもそれは伝わり

(よう申して下された…)

 と胸中で礼を述べた。

「…言いたい事は言った。もう首を刎ねよ」

「徳川殿」

「……」

「数十年後、それがしも参ります。お先に待っていて下され」

「よき国を作って下され…」

「承知仕った」

 

『つまらぬ野心』たとえ相手が敗軍の将であろうと酷な言い方である。しかしああでも言わなければ『敗軍の将、兵を語らず』の家康は何も言わずに死を望んだだろう。明家はあえて家康の誇りを踏みにじる言葉を述べ、怒らせて思いのたけを発させたのではないか。たとえ勝者と敗者に別れても、明家は家康ともう一度話したかった。そして家康に教えを受けたかったのである。

 家康も途中でそれに気づいたに違いない。ゆえに『天下人は一人、ゆえに孤独じゃ。本気で弱い者が泣かぬ世を作るのならば、お前は誰よりも涙を流さねばならん。理解してもらえぬ事を、嫌われる事を、憎まれる事を恐れてはならぬ、嫌がってもならぬ』と戒めを残したのであろう。明家はこの言葉を生涯の教訓としている。

 

 徳川家康は斬刑に処せられた。家康は最期にこんな事を述べている。

『人の一生は重き荷を背負い、坂道を歩く如し…。儂には荷が重かったようじゃが、大納言ならその重き荷も背負い、坂を歩き続けよう…』



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天下統一

 徳川領に進攻中の保科正光の元に父正直の首が届けられた。父の首に対面した保科正光、父の正直は最期まで徳川家康に付き従い、そして真田勢と戦い討ち死にした。関ヶ原で槍を交え、かつ父の死に様、正光は父を誤解していたと気付く。命を惜しんで武田を見限ったのなら敗走する家康に最後まで付き従うわけが無い。父は保科家の存続のため、武田と袂を分けたのだ。息子の正光が後武田家の家老になっているのを見届けた正直は保科家の存続と安泰を確信し、最後は己の武士道を貫いて討ち死にした。

 正光は父の首に平伏し一晩中泣いた。恥ずかしい、ずっと父を腰抜けと呼んでいた自分が。家の存続のため故郷を捨て、息子にも軽蔑される道。こちらの方が死よりもつらき道。戦って潔く死ぬと云う美徳に逃げずに父は生き抜く事を選び、そして最期は家康を守るため戦って死んだ。

「正光は父上を誇りに思います…」

 その後、正光は浜松城にいた母と妹たちを引き取り、父にできなかった分の孝行を母にしたと云う。

 

 徳川家康の死からしばらく経ち、甲斐、信濃、駿河、遠江、三河が完全に柴田に併呑された。もはや抵抗する力は残っていなかったのかもしれない。信じられないほどのあっけなさである。

 総大将の前田利家は降伏すれば許し、現地の民への略奪暴行は固く禁じ、しかも石田三成が同時進行で民心掌握を行っていた。飢えている民には施し、夜盗などの悪漢、狼藉者は捕らえ治安の向上を図ったのである。武田、北条、徳川としのぎを削った地である甲斐、信濃、駿河、遠江、三河の五ヶ国。結果は歴史に選ばれた一人の天才にすべて飲み込まれた形となった。

 論功行賞が行われた。九州攻め、関ヶ原、そして徳川領進攻戦の三つの合戦同時に行われた。今まで論功行賞と云うものは土地を与える事が第一と言われていたが織田信長の出現により大きく異なり出している。茶器や書画などの名物を欲する大名も多く、なまじの土地より金銀がモノを云う時代になっていた。信長の言っていた『これからは銭の時代だ』を継承した明家、領地だけ与えていっては限界がある。論功行賞は金銀や宝物を織り交ぜ、そして領地も武功に応じて与えていき、戦死者の家族には手厚い報奨が贈られた。領地と財が増えて喜ぶ諸大名や部下たち。しかし明家もしたたか。柴田の天領もこれまた増やし中央の覇者の武威を確固たるものとしたのである。

 

 論功行賞も終え、関ヶ原の後始末も一通り落ち着けたある日、黒田官兵衛が明家と話していた。

「殿、論功行賞や関ヶ原の後始末も終えたゆえ、ご命令どおり九州に行き、新たな柴田天領の内政の指揮を執ろうと思いまする。半年ほど大坂を留守になりそうでございます」

「うむ、任せる。奥方や吉兵衛(長政)も連れて行くと良い」

「かたじけなく存ずる。それと一つ報告がございます」

「何か」

「殿に下命されておりました九州の人身売買の件ですが…」

「…ふむ」

「再び大友はやりました」

「……」

「幸い、坊津水軍への指示が間に合い、海上で奴隷の娘たちを救出できました」

「そうか…」

「殿、これも殿が宗麟殿の詭弁に迷ったからにございます。確かに『清濁合わせ飲む』は天下人に必須。しかしながら、その論を吐くからには発する者が正しくなくては、ただの取り繕い、詭弁、言い訳に過ぎませぬ。何故迷われた。何故その場で宗麟殿を斬り、奴隷を買う伴天連たちを撫で斬りにせなんだのか」

「あの場で宗麟殿や伴天連を斬る事は得策ではなかっ…いや、これは言い訳だな。なぜ迷ったのか、それは己が理想とする政治体制は、そして行っている政治や軍務も客観的に見れば清き水に過ぎるのかもしれない。大名になってからそんな事ばかり考えていた。確かに宗麟殿の言った事は言い訳に過ぎず、若い娘を異国に売り飛ばす正当性にもならぬ。だが『大納言のやる政治や軍務は清廉に過ぎる』と言われギクリとした。誰も今まで言わなかった。父勝家も弾正(助右衛門)も治部も、だから迷った」

「言わなかったのではなく、言う必要がなかったからにございます」

「なに…?」

「弾正殿と治部、そしてそれがし、殿が誤っていても何も言わぬ不忠の腑抜けと言われるか」

「そんな事を言ってはおらぬ」

「ご隠居様にしても、いかに老いては子に従えでも殿が誤った君主になろうとすれば鉄拳を浴びせるお父上。今まで何も言わないのも殿が間違った事をしていないと見ているからです。無論、それがしもです」

「出羽守…」

「正しいと思った事をなされませ。そして誤っている時は誰も黙ってはおりませぬ」

「…よう言うてくれた。嬉しく思う」

「それでは改めて宗麟殿の裁きをお伺いしたいと存じますが」

「一度は見逃した。しかし二度は無理だ」

「御意」

「大友宗麟は斬首、大友義統は父の愚行を止められなかった咎で関ヶ原の武功は帳消しのうえ領地没収、大坂で閉門蟄居。九州にいるキリシタン宣教師は国外退去、なお今まで奴隷を買う役目をしていた伴天連を召し取り、首を刎ねよ」

「はは!」

「九州では水面下で行われてきた悪しき慣習らしいが、俺の目の黒いうちは断じて許さない。今後行った者はどんな些細な関わりでも極刑であると発布せよ」

「承知しました。しかし伴天連を斬らば、当然欧州列強も黙っていないと思いますが…」

「それで欧州列強が攻めてくるというのであれば戦うのみだ。女子たちは国の宝にて根本、それを拉致られ奴隷として弄ばれるのを黙って見ていて何が天下人か。義はこちらにある。返り討ちにしてくれよう」

「はっ!」

 

 官兵衛は城主の間から去った。しばらくして吉村直賢が入ってきた。

「殿に申し上げます」

「うむ」

「北条攻めの軍事物資、すべて整いましてございます」

「よし早い、相変わらず見事だな」

「恐悦に存ずる。つきましては…お願いの儀がございます」

「何か」

「このお勤めを最後に、この備中(直賢)は隠居したく存じます」

「相談役として大坂にいてほしい…。と言うのは俺の我が儘か」

「申し訳ございませぬが…それがしは見ての通り体に故障ある者、加えてそろそろ五十路にて体がよう利きませぬ。この辺でご容赦を…」

「そうか…。それでこれから?」

「商人司はそれがしの配下である与太之助に預けとうございますが…」

 与太之助はあの北ノ庄の元不正役人、かつて明家に追放処分を受けたが帰参を許され、以後は直賢の手足となり働いてきた人物であり、今や老獪な堺や博多の商人らも一目置く商将となっている。

 直賢は男子三人に恵まれていたが自分の後を継がせて商将にしようとはしなかった。交易の世界は実力のある者が陣頭指揮を執らなければならない。柴田家にあって唯一世襲でない組織『商人司』。この先代が後継者を指名と云う仕組みは以後も続けられていく。

「与太之助か、そなたが押すのなら間違いあるまい。認めよう。そなたはどうする?」

「倅が居城掛川にそれがしと家内の隠居館を作ってくれました。そこへ移り住みます。本日を持ちまして柴田の禄を辞退し、夫婦で温泉にでも行き、趣味と風流を楽しみ余生を過ごそうかと」

 直賢の嫡子の直隆は父と同じ商将にはならず、直賢がかねてから望んでいた武将となり、初代吉村家を旗揚げした。四国と九州でも武功を立て、関ヶ原では可児才蔵の寄騎となり活躍した。その功績により遠州掛川城を与えられていたのである。

「分かった。しかし禄は今までの額面とはいかないが直隆を通して与える。今までただの一度も俺に資金の心配をさせなかったそなた。商才に長けた多くの人材を育てたそなた、このぐらい報いさせてほしい」

「殿…」

「隠居に際し、今までの慰労金も渡す」

「ありがたき幸せに」

「覚えているか備中、初めて会った時、そなたと俺は殴りあったな」

「そうでしたな。効きましたぞ、殿の鉄拳は…。何とも、つい昨日のようにございます」

 直賢は明家三傑の次に水沢隆広の直臣になった人物。しかも隆広が自ら出向いて家臣にと要望した人物だけあり、柴田家は無論、諸大名にも一目置かれていたが当人はけして驕らず、巨万の金銀を生み出す才覚を持ちながら生活は質素で、側室も持たず正室の絹を大事にした。そんな性格が明家やその父の勝家にも信頼された。

 しかし彼の言う通り、左腕がなく、左足の自由は利かない。もう彼は肉体的に限界であった。だが満足だった。天下人柴田明家を支え続けてきた自負がある。しばらく明家と思い出話を語る直賢。それが落ち着き出した頃、

「おっとそうだ殿、ご報告しようと思っていた事がございましてな」

「ん?」

 一つ咳払いして直賢は明家に言った。

「殿は本多忠勝殿のご息女を殺さぬように命じていたそうな」

「その通りだ」

「その意図は?」

「厚遇して徳川遺臣たちの怨嗟を少しでも緩和したいと思っていた。家康殿のご息女はみな嫁いでいるし、正信殿に娘はいない。ならば忠勝殿のご息女をと思ったのだが、それが?」

「なるほど、それを皮切りに徳川遺臣や三河武士団を味方につけようと」

「それと旧徳川領の領民たちもだ。家康殿の仁政行き届き、まだ民は柴田に非協力的と聞く。忠勝殿のご息女を厚遇するのは些細な事かもしれないけれど、柴田が暴虐な侵略者ではなく新たな統治者と云う事を分かってもらえる第一歩となるかもしれないと思ったのだ」

「側室になさるつもりだったので?」

「いや、そんな気はない」

「いやいや、殿が思わずとて、そう判断されましょう」

「側室にしたら元も子もない。俺の色狂いと見られてしまう」

「で、真田殿に忠勝殿ご息女を見つけて大坂に召すように下命したのでしたな」

「そうだ、だけど信幸から見つからなかったと報告が届いたばかりだ」

 直賢は笑い出した。

「どうした?」

「ははは、智慧美濃もいっぱい食わされましたな」

「なに?」

「本多忠勝殿のご息女である稲姫、先日めでたく信幸殿の正室となりました」

 あっけにとられた明家。しかし手を打って大笑いした。

「おいおい、それじゃ鳥居元忠殿と馬場美濃殿が娘の緑姫と同じじゃないか!俺も家康殿と同じくいっぱい食わされたのか。こりゃいい!あっはははは!!」

 一緒になって大笑いする明家と直賢。信幸は先年に正室を病で失い、側室だけで正室空席だった。それでめでたく東軍最強の武将である本多忠勝の娘を妻にした。

 稲姫は弓の名手で、ひっそりと住んでいるなんて生易しい娘ではなく徳川領に進攻する西軍に立ち向かった。本多忠勝の旧領に攻め入るのが真田であったため信幸に稲姫を大坂に召すよう下命されたわけであるが、稲姫は父の家臣たちを率い必死に抵抗してきた。その正確無比な弓の腕に寄せていた真田勢は『那須与一の生まれ変わり』と評した。

 しかし多勢に無勢で稲姫は敗走し、やがて捕らえられ真田信幸の前に膝を屈する事になる。これで柴田からの主命が果たせると胸をなでおろしていた信幸の前で悔しさに泣く稲姫。この世で一番重い液体は『女の涙』と云うが、悔し涙を浮かべて己を睨む稲姫に心奪われ、明家からの主命など空の彼方に飛んでしまった。

「信幸殿はその場で我が妻となってほしいと頼み込んだとか。稲姫も驚いたでしょうが、その場にいたご舎弟の幸村殿も唖然としたそうです」

「そりゃそうだろうな、あっははは。で、稲姫がそれを受けたのか」

「最初は『冗談じゃない』と拒否したそうですが、信幸殿はあまり女子に器用でござらぬゆえ、そのあまりの真剣で猛烈な求愛振りについついほだされたのではないかと。やがて了承したそうな」

「ほう」

 狭量な君主ならば、信幸と稲姫も罰せられる事になったろうが明家はむしろ喜び

「ならば仕方ない。稲姫に代わる人物を探そう。別に女子でなくても良いのだし」

 と、笑って許したのだった。そんな主君の清々しい態度に微笑む直賢だった。

 

 さて、北条攻めの準備は完了した。柴田明家は北条家に降伏を勧告。柴田が築く統一政権に加わり、当家に恭順の意を示せと申し出た。当主氏直は受諾する気であったが、先代の氏政は拒否。これが今までの北条との経緯である。もう説得は無理と思った明家は旧徳川領で内政を行っている石田三成に密計を授けて実行させた。

 それは北条との国境近くにある城のいくつかを手薄にして、北条の前線拠点の城主たちに柴田の来襲近しと噂を流させる事だった。これに北条氏邦の配下である猪俣邦憲がまんまと引っかかってしまう。真田の名胡桃城を奪ってしまうのである。城に攻めたはいいが、名胡桃城は無人だった。猪俣邦憲はこの時に柴田家の仕組んだ罠と悟っただろう。しかし後の祭りである。

 北条氏政と氏直親子に城を返したうえ猪俣邦憲の首、その上将の北条氏邦を上坂させ侘びを入れさせろと要求。そうすれば水に流すと明家は通達。言うまでもなく、これは本心ではない。北条氏政が了承するはずがない事を知ったうえで通達しているのだ。氏直はこれに同意したが先代の氏政が

『一度取ったうえは北条の城、それに家臣の命が大事なのは北条も同じ。城と首が欲しくば弓矢で来られよ』

 と返書を送ってしまった。現当主の北条氏直は開戦に煮え切らない態度であるが、先代の氏政、いまだ北条の実権を握る北条氏政は柴田明家に従う気はなかった。たとえ妹の相模姫を丁重に弔った男であろうと関係ない。断じて頭は下げぬと文面から伝わってくるようである。

 ついに柴田明家の術中に陥った北条。攻め寄せる大義名分をこれで得たのである。できれば戦う事なく降伏して欲しい明家だが、相手も関八州を領有し、五代続いた名家である北条家。そうもいかない。

 過去に上杉謙信と武田信玄による攻めを退けた自信と、五代に渡って関東を支配してきた自負、これが柴田明家にも従わないと云う姿勢となったのではないか。後北条氏には関東独立国の王としての意地があった。また後北条氏の権力を『公儀』と称していた。つまり関東独立国は私的な国家ではなく公的なものと後北条氏は自負していた。それなりの意地があるのは当然である。

 明家も分からない話ではないが、それをいちいち認めていてはいつになっても統一政権は作れず、合戦の無い世は到来しない。四国や九州を攻めたのも『日本は一つ』の統一政権樹立のためによるものである。関東の後北条氏の独立王国を認めるわけにはいかない。柴田明家はついに北条攻めを決定した。

 

◆  ◆  ◆

 

「申し上げます!」

 ここは小田原城。北条氏政と氏直親子に知らせが入った。

「柴田大納言の軍勢、およそ二十四万!関東に進軍を開始しました!」

「二十四万…?」

 あぜんとする北条氏直。

「何と云う数だ…」

「うろたえるな氏直、我らの篭る小田原城は金城鉄壁、かの上杉謙信十二万も退けた天下無双の城じゃ」

「父上…」

「あの時の上杉勢は兵糧がすぐになくなり、一ヶ月で撤退したわ。あの篭城戦の経験を生かせば良い」

 そして家臣に命じた。

「領内の兵糧すべてを城内に入れよ。篭城戦に備える」

「「はっ!」」

「加えて小田原周辺の田畑をすべて焼き払え」

「父上それは!」

「北条の食糧を労せずくれてやるほど儂はお人よしではないわ。焼き払え!」

 この知らせは進軍中の柴田明家の耳に届いた。

「氏政殿はいつぞや、農民が稲刈りをするのを見て『あの取れたての新鮮な稲で昼飯が食べたい』と申し、それを伝え聞いた武田信玄公から失笑を買った事があるらしい。『苦労知らずの北条の若殿は稲がその場で米になるとお思いか。稲刈りした後は数日かかりに天日で乾燥させ脱穀し、その後に籾すりして、ようやく飯を炊ける段階に入る事ができる。そんな事も知らぬのか』と」

「確かにそれでは嘲笑を受けましょうな」

「弾正、北条氏政殿は信玄公、謙信公、信長公、家康殿と渡り合いながら、領国を拡大している。島津義久殿と同様に弟(氏照、氏邦、氏規)たちを巧妙に使いこなしている事から将器は立派にある方と思っていた。だから稲の件を聞いてもそれは単なる知識不足にすぎないと考えた。しかし見込み違いだったらしい。自国の、しかも居城周囲の田畑を焼くなど自分の足を食う蛸と同じだ。民百姓が稲を育てるまでどれだけの苦労をしているのか知らないのであろうか?一年の間の過半数を鳥、虫、雑草と格闘し、やっと収穫できる稲を焼くとは君主の資格などない」

 明家は焦土戦術をもっとも嫌い、柴田の軍法では絶対に行ってはならない事と定められている。氏政の立場ではせざるを得なかった戦術とも言えるが民百姓を大事に思う明家には、たとえ敵が篭城戦のために行った行動とはいえ腹立たしい事だった。

「家祖、早雲殿は民百姓を大事にした方、曾孫は違うらしい」

 

 一方、再び小田原城。北条氏政は自室で一つの位牌に手を合わせていた。そこへ息子の氏直が訪れた。

「父上」

「なんだ?」

「兵糧の運搬が終わりましたゆえ、その確認を願いたいと家臣が…」

「かようなものはそなたが済ませておけ。儂のこの時間を邪魔するでない」

「は、はっ!」

 氏直は去った。氏政が祈りを捧げている者、それは彼の妹の相模である。武田勝頼に嫁ぎ、そして十九歳と云う若い命を散らした妹。天目山で夫の勝頼と共に死んだ。死に追いやったのは織田信長、徳川家康、勝頼を裏切った武田家臣たち、そして北条だ。氏政は妹婿の勝頼を攻め滅ぼす一翼を担ったのだ。武田から送り返されてくる事を願っていた氏政。しかし戻ってはこなかった。小田原に届いたのは相模が地面に書いた辞世を書きとめた水沢隆広からの書と相模の遺髪だけだった。

『黒髪の乱れたる世ぞ果てしなき 思いに消ゆる露の玉の緒』

 二十歳以上年下の妹を娘のように愛しんだ。相模もまた兄の氏政を慕い、氏政は目の中に入れても痛くないほどの溺愛ぶりだった。だが結果、自分がその最愛の妹を死に追いやった。今でも勝頼に嫁がせた事を悔いる。今でも死に追いやった事を悔いる。位牌に手を合わせ、そして遺髪に語る。

「相模よ…。人の世の縁とは分からぬものよ…。お前を丁重に弔ってくれた男と戦う事になろうとはな…」

 幼き日の妹の姿を思い出す氏政。

『相模はどんな男の嫁になりたい?』

『兄上のお嫁さんになります!』

『あっははは、兄と妹は結婚できんぞ』

『じゃあ、兄上のように強い方のお嫁さんになりたい』

『ようし、きっと兄が俺以上に強い婿殿を見つけてやるからな!』

『約束だよ!』

 そんな無邪気な妹を死に追いやった我が身を呪い自嘲の笑みを浮かべる。

「そなたを勝頼ではなく…水沢隆広へ嫁がせられたら…そなたも死なず、柴田と北条が戦う事もなかったであろうな…」

 

 柴田明家は山中城に到着、柴田軍来襲に備えて改修を急いでいたが、間に合わず未完の状態で柴田勢を迎え撃つ事になった。明家は城主の松田康長に数度の降伏勧告するが康長は受け付けなかった。明家は最近築城の知識が並々ならぬ奥村助右衛門配下、藤堂高虎を召して山中城をつぶさに内偵させた。

「どうだ高虎、突破口はあったか?」

 城兵は四千、たとえ未完の城でも激しい抵抗をされれば犠牲甚大。力攻めはするが、まずは蟻の一穴を高虎に探させたのだ。

「ございました。城の南東の防備が手薄です。その分城兵がその場に置かれておりますが真東と真南を少し突付けば南東にいる部隊は散りましょう。そこを一気に落とします」

 ニッと笑う明家。明家自身も城作りの名人、その場に同席していた奥村助右衛門は高虎の意見と明家自身の考えが一致したのだなと明家の笑みから読んだ。

「助右衛門」

「ハッ、高虎、その攻めそなたに任せる。落としてまいれ」

「承知しました」

 藤堂高虎の采配によって城が落ちたのは、それから半日後の事だった。松田以下城兵はほとんど討死した。明家は城の破却を下命、山中城は炎上した。しみじみとその炎を見つめる藤堂高虎。

「人の世は運だ。仕えるべき者を間違えるとこうなる…」

 同時に明家は小田原に偽情報を流した。

“柴田軍は兵糧に困り芋を掘っている。陣では薄い雑炊が高値で売られ、遠からず撤退するであろう”

 山中城城主の松田康長の名前で出した書状、小田原の北条家臣たちは思惑通りと喜ぶ。その柴田軍は進軍を続け、ついに小田原城に到着。二十四万の軍勢で小田原城を取り囲んだ。

 支城はことごとく落とされ、城ごと寝返る者も続出。包囲中にはまたまた例によって陣の後に裏町が作られ、兵の慰撫も抜かりなく、また士気の衰え著しい北条兵にわざとこちらの宴会を見せつけ、さらに士気を萎えさせた。海上にある船の上には支城を落として捕らえた北条将兵の妻や娘を乗せ、小田原城内の将兵に見せつけた。

「妻じゃ!」

「あれは儂の娘じゃ!」

 と北条将兵は敵の手に自分の妻子がいると知り気が気でない。脱走も続出し、柴田陣へと逃げ込んだ。明家の策であり、この一連の心理作戦は北条家に堪えた。それ以前に北条親子が驚いたのは柴田の豊富な兵糧である。なぜ二十四万も擁しながら兵糧が尽きないと不思議でならない。

 柴田には大軍の兵糧を確保できる吉村直賢がいる。彼自身が最後の仕事と決めていた合戦準備ゆえ針の先ほども手抜かりはない。それを前線に送り届ける石田三成などの兵站達者がいる。そして強力な水軍の力もある。まさに天下人の合戦、桁違いの大軍と資金力にものを言わせての城攻めである。

 

 事は何事も一石二鳥にせよ。明家は関ヶ原では敵に回った関東勢と奥州勢にもこの合戦に参戦するように命じた。二十四万の軍勢。未曾有の大軍勢である。大納言明家が小田原を二十四万で包囲したと知るだけでよいのだ。この合戦を関東勢と奥州勢を降伏させる判断材料にも使ったのである。関ヶ原で戦った奥州の雄である最上義光、秋田実季、南部信直も降伏を表明し参戦し、関東の佐竹義重も降伏した。それはそうであろう。降伏しなければ蹴散らされるだけなのであるから。

 明家は関ヶ原で勇猛果敢に戦っていた最上、南部、秋田、佐竹には一目置き、免罪符として領地の石高に沿った金銀と兵糧を要求し領地を取ろうとしなかった。金や米で済むのなら安いものである。四家は応じ小田原でそれを明家に献上した。

 しかし明家は東軍の誰にでも寛大だったわけではない。関ヶ原で戦わずにさっさと退散した宇都宮、結城、里見、津軽、相馬などは改易処分となり、前述の南部家も後にある事情で同様となる。

「殿、あとは伊達でございますな」

 と、奥村助右衛門。

「そうだな」

「しかし、あの伊達政宗、若いながら中々の傑物、関ヶ原ではせっせと鉄砲を集めていたとか」

「聞いている」

「また当家の鉄砲車輪を関ヶ原で破っていますゆえ大納言恐れるに足らずと見ているかもしれませんな。今に至るまで参陣しないのは当家と戦うつもりなのでございましょうか」

「鉄砲が伊達に何千何万あろうとも、あの騎射突撃も、ここに至ってはあまり関係ない。政宗には片倉小十郎がついている。片倉小十郎はそれが分かるはずだ。何とか伊達の知恵袋が暴れ者の君主を説き伏せて欲しいものだ」

「もし北条が落ちるまで伊達が来なければ?」

「討つしかあるまいな」

 

◆  ◆  ◆

 

 会津黒川城、その伊達政宗が片倉小十郎をはじめ重臣たちと話し合っていた。小田原に行くか、それとも柴田明家と戦うか。伊達成実は抗戦を主張し片倉小十郎は恭順を主張した。

「もはや小田原に参戦する時期は逸した!このうえは戦うしかない!」

「戦い我らが戦場の屍になるのはいい。しかし我が領民たちはどうなるのでございますか。女は略奪され、家や田畑も焼かれます」

「なら何で、先の退き口に賛同したのか!そんなに恭順と抜かすなら、退き口をやる前に言うべきではなかったのか!柴田に鉄砲をぶっ放した我らはもはや戦うしかないであろう!」

「あの退き口、あれで柴田は伊達を侮れないと見ました。伊達の気概を大納言に見せるにはあれ以上の退却戦はございません。だから賛同しました。我らはあの鉄砲車輪を撃破した事で柴田に一泡吹かせましてございます。恭順しても伊達は侮られますまい。成実殿の言うように戦場で恭順を示していたら、伊達に人なきと大納言は見ます。いずれ取り潰されるは必定」

「臆したか小十郎!」

「臆病、おおいに結構にございます。勇敢と無謀は違うと言っているのです。戦って伊達が滅ぶよりは」

「言わせておけば!我らには関ヶ原で大量に仕入れた鉄砲がある!」

「大納言はその何十倍も保有していましょう」

「女々しいぞ小十郎!」

「やめい!両名評定を何と心得る!」

 成実と小十郎を一喝する政宗。

「殿、鉄砲など何千何万あっても、もはや大納言には敵いませぬ。騎射突撃とてほんの一瞬大納言を驚かせたに過ぎません。ご自身が大納言なら伊達をどう攻めるか、一度でも考えたのでございますか」

「……」

「僭越ながら、それがしが柴田明家ならこう攻めます。我ら伊達はこの会津では侵略者、芦名や畠山の残党を調略し一揆を乱発させ兵力分散を余儀なくさせ、そのうえで最上や南部と云った近隣大名たちに伊達を攻めさせまする。みちのく大名同士で潰し合いをさせ、柴田に何ら痛手もなく独眼竜を討てます」

「…評定は終わりだ」

「殿、まだ終わっておりません!」

「もうよい!」

 部屋から出て行く政宗。肩を落とす片倉小十郎。

(もう腹を切ってお諌めするしかない…!)

「殿…」

「愛か…」

 廊下に出ると妻の愛(めご)姫がいた。

「少しおやつれに…」

 政宗はフッと笑って部屋に戻った。入った瞬間、政宗は伏して急に泣き出した。

「と、殿?」

「愛…」

「は、はい」

「俺は生まれるのが遅すぎた…!あと二十年、いや十年早く生まれておれば…!化け猫ごときに好きなようにさせなかった…!ちきしょう…!ちきしょう!」

「殿…」

 片倉小十郎は帰宅して、かげ腹の決意をしていた。腹を切って諌めるしかない。その小十郎の屋敷に政宗が訪ねてきた。泣いた事が小十郎にはすぐに分かった。

「殿…」

「夜分すまんな、話がある」

 居間に通され、小十郎と話す政宗。

「率直に聞く。政宗は小田原に行くべきか、それとも柴田明家と戦うべきか」

「…柴田の先発隊くらいならば伊達の力で倒せましょう。しかし大納言の軍勢は未曾有の数、さながら夏のハエの如く、振り払っても振り払っても追いつかないのが自明の理」

「夏のハエか…」

 政宗は笑った。

「あっははははは!そうかそうか、柴田明家は夏のハエか!あっはははははは!」

「殿…」

「あい分かった。俺は小田原に行く!」

 政宗は小田原に出陣した。かなり遅れての参陣である。そして小田原に到着した翌日、明家との目通りが許された。その時の伊達政宗、何と死に装束であった。

(ほう…)

 静かに微笑む柴田明家。陣の奥の床几に座り政宗を見る。そして同じく明家を見つめる政宗。

(俺より小男なのにやたらデカく見える…)

 腰を落としてゆっくり歩み寄る政宗。明家の傍らにいた奥村助右衛門が扇子を脇差にトントンと叩く。その意図に気付いた政宗。三歩下がり、脇差を地に置き、再び明家に歩み眼前で平伏した。

「伊達藤次郎政宗にございます。遅参の段、ひらに御容赦のほどを」

「会うのは三度目か」

「はっ…!」

「関ヶ原での退き口、見事であった。あの騎射突撃、一瞬肝をつぶしたぞ。何より、その一撃だけで未練残さず退却した判断、大納言感じ入った」

「ありがたき仰せに」

「そなたの父、輝宗殿はそなたの隻眼を神仏から与えられた心眼と申したらしいな」

「御意」

(そんな事まで知っているのか…)

「その心眼で俺がこの国の天下人に足らずと見たら、いつでも討て。我が子竜之介も同様にな」

「お戯れを」

「本心だ」

「……」

「ただし、そなたがこの国一番の権力者になり、威張りちらしたいだけであるのなら、俺も遠慮なくそなたを討たせてもらう」

「大納言殿…」

 静かに床几から立ち、政宗に歩む明家。平伏する政宗の肩に手を置く。

「その姿を見て覚悟のほどが知れた」

「はっ」

「これで奥州に無駄な血が流さずに済む、よく恭順を決意してくれた」

「は…!」

「顔をあげよ」

「は?」

「いいから顔を上げてみろ」

「はっ…!?」

「アッカンベーだ」

 明家は左眼の目じりを押さえてペロと舌を出していた。

「あっははは!二度もやられたからな!一度お返ししたかった。あっはははは!」

 

 北条方に、すでに同盟者の伊達も柴田に恭順し、奥州勢ことごとく柴田に降伏の知らせが入った。次々に城内に裏切りが発生、もはや戦うどころではない。柴田勢の数々の心理作戦により北条氏は戦わずして内部崩壊。

「もはやこれまでか…」

「父上…」

「家祖…早雲より五代の北条が…こんなにあっけなく…」

 悔し涙にくれる北条の家臣団。

「卑怯千万なやり口ばかり用いよって一度も攻めてこぬではないか!こんな負け方をするくらいなら討ち死にした方がマシじゃったわ!」

「まったくじゃ!何が智慧美濃じゃ!」

 北条氏忠、北条氏照、垪和康忠は悔し涙を落とす。

「戦に…きれいも汚いもない…」

「「氏直様…!」」

「我らは…城ではなく人を作るべきだったのだ…!」

 ついに小田原城は降伏開城したのである。北条氏政と氏直親子は明家本陣へとやってきた。開戦前に氏政に柴田恭順を薦めていた氏直は高野山へと流罪とし、徹底抗戦の意思を示した氏政は切腹と決まった。切腹の場に向かう氏政を明家は呼び止めた。

「妹の相模殿から伝言を預かっております」

「……」

「『相模は幸せでした』にござる」

「左様にござるか…」

 柴田明家は天目山で自決した武田勝頼の妻、そして北条氏政の妹でもある北条夫人相模の方を丁重に弔った男である。相模と最期の酒をかわし、そして死後はその辞世を書きとめ、遺髪を北条家に届けさせた。氏直はそれを父の氏政に説き、叔母上の恩人と戦うべきではないと訴えたが、武人の氏政はたとえそういう経緯があっても戦わず降伏は北条武士の名折れと認めなかったのだ。

「天目山では妹を見捨てたばかりか妹婿の勝頼殿を攻め、そしてこの小田原の戦ではその妹を丁重に弔って下された御仁と戦う。さぞ冷酷で愚かな男に思えたでしょう。しかしそれがしにはそういう生き方しかできませなんだ。家祖早雲、祖父氏綱、父の氏康は優秀で四代は豚児と家臣や領民に思われるのが悔しくてならず懸命にやってきた。しかし結果はこんな有様にござる…」

「勝負は時の運、たまたま我らに武運があっただけの事」

「かたじけない…」

「氏直殿には悪いようにはいたさぬゆえ、安心して腹を召されよ」

 そして北条氏政は切腹して果てた。氏直はその後に許され、僧として生きていく事になる。これにより戦国大名としての北条氏は滅亡した。

 

◆  ◆  ◆

 

 柴田明家は領内統治のためここで大坂に引き返したが柴田の進軍は続く。前田利家が総大将となり奥州平定に進軍を開始した。会津黒川城に入城し、ここで前田利家は柴田明家の名代として関ヶ原と小田原にも参陣しなかった奥州諸大名に改易処分を通達した。なぜその対象となった奥州大小名はこれを受け入れたか、これはすでに柴田軍が帝に認められていた王師(天皇の軍隊)とも云える武家であり、戦っても勝ち目はない。もはや戦意を喪失していた。

 

 これで柴田明家の天下統一かと思えばそうはいかなかった。一人、それに否とし兵をあげた男がいた。南部家の家老である九戸政実である。関ヶ原で主君信直に退陣せずに戦えと主張した気骨の武将。柴田の奥州平定に納得できず挙兵したのだ。

『金子と兵糧の献上で許されたのに、どうして主家を追い込むような真似をするか!』

 と当主信直は政実を説得するが政実は耳を貸さない。それどころか

『あんな腰抜けを主君としたのは我が不明。ああも柴田にこの奥州の地を蹂躙されて黙っていたらみちのく武士の、いやみちのく男児の恥じゃ!南部の殿は羞恥心を関ヶ原に置いてきたようじゃ』

 とまで言ってのけた。激怒した信直は鎮圧に向かったが、九戸勢は南部の精鋭、信直は鎮圧どころか敗退。信直は奥州平定の柴田軍に九戸勢の討伐を要請。前田利家はすぐに九戸城に出陣。

 いかに九戸政実が戦上手でも柴田の物量と大軍の前にはどうしようもなく、野戦を挑もうとしたが諦めて城へ後退。九戸城は包囲された。しかもその柴田勢の前線を務めるのは主家の南部家を始めとする奥州勢。政実は城から見下ろした敵勢の旗を見てどう思っただろうか。奥州武士の意地を柴田に見せてくれると思えば、その敵は奥州勢なのだ。特に南部勢は自家の混乱も収拾できないのかと評価された手前、何とかして城を落としたいと必死である。

 

 兵糧が乏しくなっていると云う報告も届いている。士気が下がっている。降伏勧告はした。政実は首を縦におろさない。南部信直は総攻めを幾度も利家に進言したが、それは退けた。高橋紹雲が篭る岩屋城を攻めた島津と同じ結果になる。政実にどれだけの将兵が道連れとされるか。前田利家は力攻めはせず兵糧攻めとしたのだ。政実は雪を待つ。極寒である九戸城の地(岩手県二戸市)、雪さえ降れば中央や西国将兵は凍える。それが好機。

しかし現実、城内に米はない。もはや根比べである。雪の到来に怯える柴田と空腹の九戸。しかし政実に不運だった。雪は降らず、餓死者が出た。ついに政実は降伏を受け入れた。政実が腹を斬れば妻子と郎党は助けると云う条件で九戸城は開城した。

奥州武士の最後の意地を見せた政実。前田利家は丁重な切腹の儀式を設け、そして自ら政実の切腹に立ち会った。

「柴田家家老、前田中務卿利家にござる」

「九戸政実にございます」

「見事な戦いぶりにござった。できれば生きて我が主にお仕えしてほしいが、それも叶いますまい。妻子と郎党は丁重に遇するゆえ、安心して腹を召されよ」

「かたじけのうござる。前田殿、大納言殿にお伝え願いたい事がござる」

「何でござろう」

「この戦が終われば、柴田に敵対する者はいなくなり申す。戦のない世が到来いたします。柴田は源氏と聞きまするゆえ帝から源頼朝や足利尊氏が賜れた『征夷大将軍』の官職が贈られ、大坂に幕府を開く事となりましょう」(柴田は源氏、福井県西光寺にある柴田勝家資料館にて勝家直筆の書に『源勝家』の文字を筆者が確認)

「左様、そのために我らは戦ってまいりました」

「その『征夷』は東北の蝦夷を討つと云う意味。叶うならば、その『征夷』を官職名からお外し『大将軍』とのみ名乗られよと。さすれば、みちのくの者は柴田の統治を喜んで受けるであろうと」

「九戸殿…」

「みちのくは緑豊かな山々と海の恵みがある素晴しい国でございます。見目麗しき女子もたくさんおります。一度来て、美しい奥州をご覧あれと何とぞ大納言殿にお伝えあれ」

「前田中務卿利家、必ずやお伝えいたす」

 九戸政実は腹を切った。取り乱さず、介錯も断り腹を切った政実の姿に柴田勢からも『敵ながら見事』と賞賛の声が上がった。利家の報告により明家は南部家に処分を下した。喧嘩両成敗、鎌倉幕府からの武家の定法にのっとり南部家も厳しく処断。改易としたのだ。

 

 前田利家からの報告書には九戸政実との戦いの様子も記されており、政実からの言葉も書き込まれていた。それを読んだ明家は政実と直接会えなかった事をたいそう残念がったと云う。明家は政実の言葉に深く感謝した。

 明家は政実が切腹の際に使った太刀を大坂に届けるよう利家に通達。しばらくして利家からその太刀が送られてきた。明家はその太刀を持ち嫡子竜之介を伴い、京の清水寺に向かった。

「父上、清水寺に何かあるのですか」

「竜之介、坂上田村麻呂は敵将のアテルイを悼む石碑を清水寺に建立されたのだ」

「アテルイ…。宗闇和尚からお話された事があります。あの東北の猛将と云う?」

「そうだ、坂上田村麻呂は降伏したアテルイを助けようと朝廷に助命を願った。しかしそれは叶わずアテルイは処刑された。坂上田村麻呂は敵ながら見事であったアテルイの死を悼み…」

 その碑の前にやってきた明家と竜之介。

「この碑を建てたのだ」

 合掌する明家と竜之介。

「そしてな、今の世にアテルイに比肩する男が東北にいた。九戸政実殿と云う」

「くのへまさざね殿…」

「政実殿はな…」

 竜之介に政実の死に様と言葉を伝える明家。

「すごい大将です」

「父もそう思う。そして今日はここに政実殿と約束に来た」

「約束に?」

 明家はアテルイの碑に向かって折り膝で座り、政実切腹の太刀を垂直に持ち、鍔を鳴らした。約束をたがえぬ事を証明するため武士が刀の鍔を鳴らす金打である。竜之介も同じ太刀で金打を行った。アテルイの御霊を通し、明家親子は九戸政実に『征夷』を名乗らぬ事を誓ったのである。そして息子に言った。

「今後、柴田家当主はこの太刀を腰に帯びるものとする」

「はい父上!」

 九戸政実は最後の最後に柴田と戦をした武将であるが、それゆえに尊敬され、政実の子孫は重く用いられた。まさに奥州武士の意地を貫いた政実に柴田は報い続けたと云う事になる。政実、もって瞑すべし。

 

 そして九戸政実の乱から一ヶ月後、柴田明家は時の帝である後陽成天皇から『征夷大将軍』の官職を与えられた。しかし明家はその場で帝に願い出て受けた官職名の『征夷大将軍』から『征夷』を外す事を許してもらった。この日より『大将軍明家』と呼ばれ、大坂の地に柴田幕府を開いた。ついに柴田明家は天下を統一したのである。




次回、最終回です。


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愛しき妻よ

 柴田明家は天下統一を成し遂げた。ついに応仁の乱から続いていた戦国時代に終止符を打ち、大坂幕府初代将軍となった。その後も積極的に働いた。蝦夷との交易で現地人であるアイヌの人々が蠣崎氏に不当な弾圧を受けていると知っていた明家は蠣崎氏を本州に移動させて、蝦夷には幕府の代官所だけおき蝦夷地すべてをアイヌ人に返却したのである。

 二代将軍の時代に完全に蝦夷は統治の都合上日本に併合されるが、弾圧は二度と行われず蝦夷は農業と漁業の盛んな国となり幕府と交易をして、現在の北海道の礎となっていく。アイヌの人々は蠣崎氏の理不尽極まりない弾圧から開放してくれたうえに土地も返してくれた柴田明家に深く感謝し、北海道には明家が御神体の神社仏閣が多く建立され、現在も尊敬と思慕を受けている。

 

 そして明家の天下統一後、キリスト教が禁止され、宣教師たちは残らず追放され、奴隷商人に関わっていた場合は処刑された。これに激怒した欧州列強が連合艦隊で日本に攻めてきた。世に云う『日欧の役』である。帝より日本軍元帥に任命された柴田明家、全国の大名を率いて迎え撃ち見事に撃退した。

 皮肉な事に捕虜交換を含めた戦後処理の際に明家への全権大使となったのはルイス・フロイスで副使はアレッサンドロ・ヴァリニャーノであった。戦勝した明家は賠償金請求と羅針盤や大砲などの文化の導入、交易の開始を条件に和睦。もう昔に戻れない明家、フロイス、ヴァリニャーノであるが和議の握手の時、再会の喜びも同時に噛み締めていたのではないか。三人の笑顔に嘘はなかった。

 

 だが一難去ってまた一難、今度は大陸の明を滅ぼした清が攻めてきた。皇帝ヌルハチ率いる大軍が攻めてきた。『日清の役』である。元帥明家は九州の名護屋に巨大な城を築城し、迎え撃った。九州勢は故郷を守るため必死である。

 しかしこの合戦で毛利輝元が功を焦り明家と黒田官兵衛の作戦を台無しにしてしまうと云う大失態を犯す。吉川元春と小早川隆景の毛利両川がすでに故人であったのが輝元には不運であった。一歩間違えれば清に日本が蹂躙されていたほどの失態であった。結果日本軍は清を撃退するが明家は毛利の領地を五分の一に減らしたうえ、輝元養子の秀元を当主にして輝元に切腹させると云う苛酷な処分を断行したのである。秀元の妻は明家の娘、娘の事を思うと断腸の思いであったが明家は決断したのだった。

 

 しかし、この日本の戦国史を締め括る二つの大戦も悪い事ばかりではなかった。清とは和睦し大戦から五年後に交易が開始され、そして二度の日本軍としての戦いは明家を盟主とした国家を作る礎となった。日本中の大名が明家のもと一致団結して戦ったと云う事は、まさに戦争なれど貴重であった。欧州連合軍、そして明を倒して勢いがあった清を討ち破った事は世界中を驚かせ、東の果ての国ジパングは侮れないと思わせるに至る。

 平和となった日本。明家は元帥の称号を帝に返還し、再び将軍に戻った。そして大坂幕府の長き天下泰平の礎を築く。

 

 柴田竜之介は『日欧の役』が初陣だった。明家は妻のさえに『竜之介に初陣はない』と言ったが、国内の合戦が終わった後、よもや外国が攻めてくるとは当時に思いもよらなかったろうから無理もない。

 名は柴田勝明、才覚は父には及ばず、彼の息子の三代勝隆が弟の保科正之の補佐を得て、祖父さながらの名君になったためいまいち影の薄い二代将軍であるが父に信頼され、息子には尊敬されており、治世の賢君として現在に伝えられている。幕府創始者の柴田明家は息子の勝明と孫の勝隆や正之に

『統治者こそが民の下僕なのである』

 と云う言葉を徹底して聞かせた。父の勝家の元で民心掌握などの仕事をしていた明家には民の支持が何より不可欠と云う事を骨身で知っていた。何より柴田の軍旗『歩』の心はそれであった。幕府と云っても単位が大きくなったに過ぎない。明家は子と孫に“民に仕えよ”と云う事を教えた。そして勝明、勝隆、正之もそれを子孫に教えた。

 

 大将軍柴田明家、激務に追われ父の勝家、母のお市の臨終にも間に合わなかった。二人とも病で伏せているのを将軍に知らせてはならないと家臣たちに述べていたからだった。自分を見舞うよりも、そして看取るよりも民のために働いて欲しい。そういう願いからだった。勝家は臨終のさい、嫁のさえに

「今後も息子を頼みましたぞ、あれは妻のそなたがいなければ何にもできぬ男よ。支えてやって下されよ」

 と頼んだ。勝家はさえの命の恩人、父の景鏡の死と朝倉家の滅亡で死の誘惑に負けたさえが東尋坊で身投げしようとした時、それを止めて城に連れ帰ってくれた。あの時に勝家の優しい計らいがなければ今の自分はない。さえにとってはもう一人の父も同じ。そして最愛の夫の父でもある。さえはその勝家の手を握り泣いて何度も頷いた。勝家は家族に看取られ、安らかに逝った。勝家の死を遠い江戸の地で知った明家はその夜一人で泣き明かした。母のお市もそれから数ヶ月後に天に召された。息子の沢栄と嫁のさえ、娘三人に看取られ、

「さえ…明家殿を頼みますよ。天下人だなんて言ってもあの子は貴女がいて踏ん張れる。たとえ一日でもいい。あの子より長生きしてね…」

「はい義母上様、絶対にあの人より長生きします」

「万福丸…。先に参ります」

「母上、手前もあと何十年後に参ります。ろくに孝行もできず申し訳ございません」

「あなたの元気な姿こそが何よりの孝行です…」

「「母上!」」

「茶々、初、江与、兄上と義姉上、そして夫の言う事をよく聞くのですよ…」

 そしてお市は逝った。満足そうな笑顔だった。とうとう両親の臨終に立ち会えなかった明家。この時も江戸にいて関東の土地を視察していた時だった。江戸の千代田、開発予定地を歩く明家と息子勝明。

「偉い身分になぞなるものではないな…」

「父上…」

「勝明」

「はい」

「お前も俺や母上の臨終に立ち会えると思うな。そういう者なのだ将軍とは」

「お言葉、肝に銘じます」

「ふむ、なあ勝明」

「はい」

「この江戸だが、冬は空気が乾燥し火災の危険が大と云う負の条件はあるが北国と違い雪害もなく、気候も南に比べ過ごしやすい。また河川も多く水運が容易だ。俺はここに大坂に続く大都市を作ろうと思う」

「東の政庁ですか」

「そうだ、当代は大坂、先代は江戸を統治する。そうすれば日本は東西で協力し統治できる」

「どうして最初から江戸に目をつけたのでございますか?湿地帯で使える土地がないと家臣たちは反対したと云いますが」

「地質はそうだが場所がいい。交通の便も良いし江戸湾は交易の港に適している。湿地帯などは埋めれば何とでもなるゆえな」

「なるほど」

「お前やってみろ」

「え?」

「城と町、作ってみろ」

「ほ、本当に!父上俺がやっていいのですか!?」

「ああ、すべて任せる。やってみよ」

「は、はい!父上俺がんばります!」

「よし」

 息子の肩を抱く明家。よく彼自身が勝家にしてもらった事だった。

「殿~ッ!お義父上様~ッ!お茶が入りましたよ~ッ!」

 勝明の妻の姫蝶が遠くで呼ぶ。

「父上、一服しましょう」

「そうだな」

 勝明の妻の姫蝶は仙石秀久の娘で可児才蔵の養女である。仲のいい夫婦であり、もう子供も生まれた。明家も今では爺さんである。姫蝶は優しい性格をしているが同時に気の強い娘だった。仙石秀久の血を引き、可児才蔵に育てられたのだから当たり前であろうが。

 このころ勝明には側室がいなかったが、外に女を作った。父の柴田明家は、あの『ややこ踊り』で有名な出雲の阿国の支援者だった。愛人説もあるが確実な資料はない。阿国は蒲生氏郷家臣の名古屋山三郎と男女の仲であったと言われている。他人の女に言い寄る事はしなかったと云われる明家ゆえ、愛人説はほぼ否定されている。なぜ天下人の明家が阿国を支援したかと云えば、明家は今日風に云えば踊り子としての阿国のファンであったのではないかと云われている。阿国の舞台があると聞き、政務をほっぽり出して観に行き家老の奥村弾正に怒鳴り飛ばされたと云う記録があるから、もはや『おっかけ』に近かったのではないか。

 阿国はすでに他界しているが彼女には娘がいた。母親と比肩する踊り子で、かつ美しい娘で名は八雲と云った。明家は母親に与えていた『ややこ踊り』の興行権利をそのまま八雲に継がせて領地内で好きなように興行をさせていた。で、その『おっかけ』を継承したのが勝明であり、ついには八雲とデキてしまった。

 姫蝶は良人が踊り子と不貞をしたと知り激怒。可児家の名槍を持って良人の勝明を城中追い掛け回した。しかも着物の帯に笹の枝を差していた。つまり『必殺する』と云う意味である。勝明は血相変えて逃げ回ったと云う。薄情にも明家とさえはその騒動を横に平然と食事をしていたらしい。これが一ヶ月前の話である。明家に入れたお茶にはお菓子がついていたが勝明には白湯だけだった。あまりの差。

「こっちがお義父上様、こっちが殿の」

 肩を落とす息子勝明。

「ではお仕事がんばってね殿!じゃ私はこれで、茶屋でおしゃべりの約束があるから」

 去っていく姫蝶。

「まだ許してもらえてないのか?」

 苦笑する明家。

「はい…」

「一度ヘソを曲げると長い。さえと同じだ」

「そういう時、父上はどうやって母上の怒りを解いたのですか」

「愛だよ、愛」

「ただ平謝りしていただけじゃないですか」

「そうだったか?覚えていないな、あっははは!」

 その姫蝶姫が生んだ子が三代将軍の柴田勝隆となり、八雲が生んだ子が保科正之となる。

 

◆  ◆  ◆

 

 月日は瞬く間に流れた。前田利家、毛受勝照、可児才蔵、山崎俊永、吉村直賢が逝った。

 明家五十歳、石田三成が今日逝った。天下統一し『日欧の役』『日清の役』を経て日本に戦はなくなったが、世が平和になったとまったく逆に柴田明家と石田三成は毎日喧嘩だった。天下泰平を迎えてより明家と三成は笑顔で会話をした事がないと言われている。三成の旧主秀吉は『美濃に天下を取らせるために汚れ役を買って出よ』と三成に遺命として残した。

 しかし天下統一し、その後に起きた『日欧の役』『日清の役』の以前には三成に別段そういう事もする必要はなかった。あったのはそれ以後だった。政治改革や交易や人事、とにかく政治全般において明家と三成は激しく衝突する事が多くなった。だがすでに政治手腕において柴田明家は石田三成に遠く及ぶものではなく、渋々ながらも三成の意見に従う事がほとんどだった。

 こんな話もある。三成との討論で疲れ痩せてきた明家を見かねて、『治部を排斥しては』と述べた。明家はそれを讒言とし、言って来た者を厳しく処断したうえ

『私の宝は妻のさえであるが、公での余の宝は石田治部なり。余が痩せても天下は肥える。二度と治部を排斥せよなど申すでない』

 と、述べた。三成の耳にもそれは入ったが柴田の宰相として三成が君主への態度は緩めず、憎まれ役を続けた。同僚にも多く憎まれた。しかしそれ本来は明家に向けられるべき憎しみであった。それを全部自分に向けさせた。

  家康は『人に憎まれる事を恐れるな』と明家に教訓したが、人の怨みは馬鹿にできない。明家が優れているだけに戦時には必要が無かった汚れ役憎まれ役、三成は泰平と云う怪物に立ち向かう明家の盾になったのである。三成は自分の功績は明家に譲り、明家の過失は自分の過失とした。天下の名宰相と今日に讃えられる三成だが、どれほどの覚悟で柴田明家の盾を務めていたことか。『治部を憎むも、将軍憎む者なし』と言われる所以だ。

 明家との討論で三成も気付く事も多く、それを政治に取り入れていった。大野治長はこの二人の間に立ち、よく案をまとめていった。

  生涯側室は持たず、正室の伊呂波だけを愛し続けた石田三成。九頭竜川沿岸に住む民たちには現在でも尊敬され、豊作の神ともなっている。その一生は柴田明家にすべて捧げた人生だった。最期の時、明家と三成は勝家の元で働いていた時のように穏やかな顔で話し、

「さきに参ります、隆広様…」

 三成の手を握り明家は言った。

「ありがとう佐吉、戦友よ」

 最高の賛辞である。三成は大粒の涙を流して、静かに逝った。明家は三成の手を握り、人目はばからず号泣したと云う。

 

 さらに明家を悲しみの底に落としたのは、側近中の側近である奥村助右衛門永福の死である。石田三成が柴田家の外の宰相ならば、奥村助右衛門は内の宰相と云える。急激に拡大した柴田将軍家の家中融和のために睨みを利かせ、柴田家臣や配下大名は明家より、むしろ助右衛門を恐れた。

 明家は生来温和な性格、人として良いが天下人としては負の要素となる方が大半である。前田利家が言った『冷酷非情になれなければ、家臣の我らが泥をかぶれば良い』をまさに実践していたのが助右衛門だ。明家は人を許す達者と言われているが、それは許しても柴田家に何の実害もない事ばかりであり、それに対しては助右衛門も何も言わなかった。しかし無益ならともかく有害なら明家がどんなに取り成そうとしてもけして許さず罰した。無益なら是、有害なら否、奥村助右衛門のこの厳しさのおかげで大坂幕府は内乱が起きる事もなく、明家が五十歳になるころは一枚岩となっていったのだ。

 それを見届けた助右衛門はようやく隠居し、愛妻の津禰と穏やかな生活に入ったが、やはり長年の武将生活と柴田家家宰としての激務は彼を蝕んでいたのだろう。ほどなく倒れた。知らせを聞いた明家は奥村助右衛門の大坂屋敷に大急ぎで駆けつけた。臨終へ間に合った。

「助右衛門!」

「おお…殿…」

「何故…佐吉が先月逝ったばかりと云うに、そなたまでが儂を置いてあの世に行くのか!」

「ははは…。それがしは殿より十八ばかり年長…自然ではござらぬか」

「助右衛門!」

「殿…ありがとうございまする。織田家のどの隊に行っても嫌われ、どんな武勲を立てても握り潰されたそれがし…。それが殿のような若く聡明な主君にめぐり合えて運が開け申した…。手取川、安土、賤ヶ岳、関ヶ原に日欧と日清の役…戦人冥利につきる戦場…幕府家宰などと云う大役も任せて下された…。この身は土となっても魂はいつまでも殿の側におりますぞ…。慶次と佐吉と共に…」

 助右衛門の手を握る明家。

「この手だ…。この手が…儂をここまでにしてくれた…」

「も、もったいなき…お言葉にございます…!」

 奥村助右衛門はそれから間もなく息を引き取った。明家の嘆き悲しみは並大抵ではなく、しばらく自室に閉じこもり三日食を絶った。

 

 食を断った四日後、やっと軽い食事を取った明家はその夜、縁側で月を見ていた。さえが寄り添っていた。

「さえ」

「はい」

「儂は江戸城に行く」

 つまり将軍を辞す、と云う事だ。今、江戸城は築城者の勝明がそのまま入っている。息子の勝明に大坂城を渡し、そして明家が江戸に入る。

「もう若い者の時代だ、儂は退く」

「そうですか…」

「みんな逝ってしまった。父上母上…。利家殿たち…。そして佐吉や助右衛門まで儂を置いて逝きおった」

 柴舟、六郎、白、そして小野田幸猛、高橋紀茂も明家に先立ち旅立った。

「各々の女房衆は私によく愚痴ります。好きなだけ生き、そして私たちを置いて逝ってしまった。男たちはズルいと」

「そりゃそうだ、儂だって愚痴りたい」

「そんなに塞ぎこむのなら、若い側室でも作ったらいかがです?」

「そうだなァ…。そういえば与禰を側室にしていらい娶っていなかったな」

 明家は当年五十だが健康体の見本みたいな男で、今も筋骨たくましい美丈夫だ。人一倍健康に気遣っているからだろうが、さえの食事管理も効いている。さえは明家の使用人になる時、勝家とお市から食事に伴う明家の健康管理も下命されていた。ゆえに御台様などと呼ばれようが現在に至るまで明家の食事はさえが作ったのだ。また明家は刀槍の鍛錬を一日も休まず朝夕に思い切り汗をかいている。医療の進んだ現代に生きる我々とてうらやましく思うであろう明家の五十歳である。

「もう私たちでは殿の子を生んであげられません。遠慮はいりませんよ」

「江戸に行ったら考えるよ」

 苦笑しながら笑いあう明家とさえ。

「でもさえ、よく俺の子を六人も生んでくれたな、ありがとう」

 さえは三男三女明家の子を生んだ。次女鏡姫は織田信明(三法師)に嫁ぎ、今も織田と柴田は親密である。三女は上杉家、四女は毛利家に嫁いでいた。養女である長女お福は今も元気に長宗我部信親と仲睦まじい。

「さえも殿にありがとうを言いたいです。朝倉家を再興してくれたのですから」

 長男勝明は柴田、次男教景は朝倉家、三男隆明は水沢を継いだ。柴田、朝倉、水沢は御三家と呼ばれ、側室の家の藤林、佐久間、小山田、山内は御親家と呼ばれる。

「三人ともいい若者に育ち、娘たちも母となった。すずたちが生んだ子らも独り立ちした。もうここいらが退け時だな。勝明に委ねよう」

「殿」

「ん?」

「今までお疲れ様でした」

 三つ指立ててかしずくさえ。

「そなたもな」

 手を取り、さえを抱きしめる明家。勝明が大坂城に来て、全国の諸大名が集められ初代将軍から二代将軍に引継ぎが行われた。最後に明家が言った。

「みな、息子を頼む」

「「ハハッ」」

「将軍よ」

「はっ、大御所様」

「後は任せる。儂は江戸の町づくりと新田開発、治水とやらせてもらうが、この国の政治は将軍に委ねた。儂はもう口も出さぬし顔も出さぬ。頼むぞ」

「はっ!」

「うむ」

 勝明は将軍の席に立ち言った。

「余が二代将軍柴田勝明である。みなに言っておく。大御所明家はみなの助力を得て天下を取った。しかし余は違う。そなたらに何の恩恵も受けておらん。余は生まれながら将軍である。諸大名も弟たちも家臣としか見ないからそう思え。不満があるのなら国許に戻り大坂に攻めてまいれ。いつでも一戦をまじえる。さよう心得よ!」

「「ハハッ!!」」

 明家は微笑んで頷いた。足元に若干見えた震えは見て見ぬ振りをしてやった父親だった。

 

◆  ◆  ◆

 

 明家が江戸に下る前日、一人の尼僧が大坂の明家私邸を訊ねてきた。細川ガラシャである。

「久しぶりだな…。玉子」

「お久しぶりです」

 夫の忠興はすでに没しており、ガラシャは細川家を追い出されていた。今は京の西教寺で妹の英と静かに暮らしていた。西教寺では孤児を引き取り育てている。細川家を追い出されていてもガラシャはこの活動を続けていたのだ。時を経てガラシャには明家への憎悪は消えていた。ガラシャと明家は縁側に座り語り合った。月の美しい夜だった。

「あとで知ったのだが、越中(忠興)は儂と玉子を邪推していたそうだな」

「はい、ご最期のとき『正直に答えよ、上様(明家)はそなたを抱いたのか?』と問われましてございます」

「どう返した」

「『そんな事もございました』と答えました」

「なんでそんな嘘を」

「少し夫を懲らしめたのです。誤解だと述べても夫は信じなかったでしょう。だから認めました」

「越中はなんと?」

「『細川家から出て行け』そう仰せでした。だからこうして西教寺の尼僧になっています」

「そうか…。越中にあの世で会ったら斬られるかな」

「あの世では死ねませんよ上様」

「はは…。そりゃそうか」

「上様」

「ん?」

「江戸に行かれるのであれば、京に住む私とは今生の別れと相成りましょう。だから本当の事を教えて下さい」

「なんだ改まって」

「私が行っている孤児の救済、駿河屋籐兵衛殿を通して資金を送って下されているのは上様ですね?」

「…ん?何の話だ」

「上様、お願いですから本当の事を言って下さい」

「儂じゃない。柴田の民の血税と商人司たちが稼いでくれた金銀。何でそんな大事な金を私用で毎月送れるんだ」

「…あ、あの、私は毎月と言っていませんが…」

 突っ込むのが非常に申し訳なさそうにガラシャが言った。顔が真っ赤になった明家。

「ひ、卑怯だぞ玉子、誘導尋問だなんて!」

「人聞きの悪い!いつ誘導尋問しました?」

 気まずそうに頭を掻く明家。

「やっぱり上様が送ってくれたのですね」

 観念したように明家は言った。

「…そうだ」

「どうして…上様を刺殺しようとした私にそんなご援助を?」

「いいじゃないか、そんな事。そうしたかったからだよ」

「そんな稚児のようなご返事、智慧美濃の異名が泣きますよ」

「そうそう、光秀様と熙子様へのご恩をだな」

「今それを思いつきましたね」

「いちいちうるさいな」

「と云うより、何でばれないって思えるのですか?」

「そ、そりゃあ、二重三重の経路を用いて送金していたから」

「今日から智慧美濃ではなく笊美濃と名乗られたらいかがです?」

「ざ、笊美濃ォ?」

「そりゃあ私も一年二年こそ分かりませんでしたが、二十年近く手口が変わらなければ私だって分かります」

「…迷惑だったのか」

「いえ、それで助かった命もいっぱいおります」

「だったらいいじゃないか」

「また稚児のように拗ねて。私はどうして送ってくれたのか聞きたいのです」

「笑わないか?」

「はい」

「儂にとって…玉子は初めて恋をした女子なんだ。美濃の山中、明智様に助けられたあの日からな…」

「え…?」

「玉子が大好きだから…役に立ちたかった。それだけだよ」

「竜之介…」

「え?」

「私も…貴方が初めて好きになった人だったの」

「は?」

「だから許せなかった…。初めて恋をした人が父母を殺したと云う事が…」

「そうだったのか…」

「でも…もう怨んでいない…。だって竜之介は私を一番に分かってくれた人だったのだから…」

「ありがとう、玉子との不仲だけは心残りだった。これで光秀様と熙子様に顔向けできるよ」

「竜之介…」

「ん?」

「手を握っていいかしら…」

「ああ」

 明家とガラシャは手を握り合った。明家とガラシャは互いの手の温もりを感じ取り、次第に寄り添い、いつまでも静かな時の中で月を見ていた。

 

◆  ◆  ◆

 

 そして柴田明家は大御所として江戸へ下った。江戸に来てみると、まだ開発がそんなに進んでいない。

「なんだ仕方ないな勝明は。楽隠居をさせてくれんのか」

 と、言いながら嬉しそうだった。勝明は要所要所の新田開発、治水、町割りは見事な手腕で完了させていたが城下町の郊外などはまだ未開発だった。父親に仕事をあえて残したのだろう。ブツブツいいながら開発予定地を見てまわる明家。一緒に歩くさえは苦笑していた。ずっと城下を見てまわっていて、大御所明家を迎える手はずを整えていた江戸の柴田家臣はいつになっても城に来ないので探しに出たほどだ。

「いや心配かけてすまんな。倅が仕事を残していたので見てまわっていたのだ」

 やっと城に入った明家。江戸の柴田家臣筆頭を務める京極高次と妻の初が出迎えた。

「義兄上、いえ大御所様、お元気そうで何より」

「高次も壮健そうで何よりだ。初も元気そうだな」

「はい兄上」

「夫婦仲はうまく行っているか…てのは野暮か」

「まったくです。殿と毎日仲良くしています」

「お、おい初」

「あっははは、今日はさえも一緒に四人で一杯やるか」

「はい、江戸湾の美味しい魚を用意させますわ兄上」

「あはは、楽しみだな」

 

 城主の席に座る明家。平伏する家臣たち。

「面(おもて)を上げよ」

「「ハハッ」」

「勝明上坂から俺の江戸入府までの留守大義であった」

「「ハハッ!」」

「この江戸は東の都だ。ここから東国の統治をせねばならん。みなの力を貸してくれ、良いな」

 明家はここからまた働いた。かつて柴田勝家の元で越前の新田開発、治水工事、町づくりをしていた時のように、それはもう生き生きと働いた。明家は隠居して再び現場監督に戻れたのだ。第二の人生と言えるかもしれない。

 江戸入府してほどなく、明家は一人側室を迎えた。太田新六郎康資の娘のおかち(後にお梶)太田道灌の玄孫にあたる娘である。明家入府の時は十三歳だった。

 父の康資の悲願は曽祖父道灌の居城であった江戸城主に返り咲く事。しかし北条氏の後に柴田家の天領となった関東。やがて柴田勝明が入府して道灌築城時の江戸城を完全に破却し、現在の江戸城を建てた。父の康資は江戸城の破却を見て大望を失い、そのまま失意のうちに死んだ。

 おかちは新たな江戸城の下働きの女として奉公に務めた。城主勝明を篭絡し、やがては側室となり子を生み江戸城の主に、と思ったが勝明には歯牙にもかけられなかった。ならばその父親と思い、それなりに色仕掛けなどしてみたが数々の美女と褥を共にしてきた明家には、幼いおかちの肢体など背景と同じであり色仕掛けそのものに気付いてもらえなかった。

 下女で上様(勝明)と大御所様に盛んに色目使っている少女がいる、と云う報告を受けたさえはおかちを召した。

「…と云う報告を受けましたが事実ですか?」

「…はい」

「なぜ息子と夫に色仕掛けなどを?」

「…気付いてもらえなければ色仕掛けになっていません。幼いこの身が悔しゅうございます」

「ま、まあ…それは同じ女として気の毒と思いますが、何が望みなのです?」

「私は太田氏の娘です」

「太田って…あの太田道灌殿の家?」

 おかちは大事に持っているお守りから系図と父の名が書かれている書をさえに見せた。まぎれもなくおかちは太田道灌の玄孫である。

「はい、そして私の父は…」

 おかちはさえに隠さず述べた。父のために私が江戸城を取り戻したいと思った。でも女の身では無理。だから江戸城を治める柴田明家と勝明の親子どちらかの側室にしてもらい、その子を生んで江戸城の主にしてもらおうと。

「そうでしたか…。ですが貴女は当家の取っている仕組みを知らないようですね」

「え?」

「江戸は今や東の都です。その城の主は幕府の将軍になった者にしかなることが許されないのです」

「そ、そんなあ!じゃあ父の大望を果たせないです!」

 失意のうちに死んだ父の無念を晴らしたい、泣き出すおかち。さえはこういう境遇の娘にどうしようもなく弱い。幼き日の自分と重なるからである。

「続けてこの城で務めなさい、悪いようにはしませんから」

 

「太田氏の娘がこの城の下女に?」

「はい」

 さえは明家に相談した。

「ならば厚遇せねばならんな…。太田氏は関東の名家、厚遇すれば関東の民の印象も違う」

「殿、側女にされてはいかがですか?」

「え?」

「私たちも歳を取り、若い娘だった時のようにまいりません。もう殿に閨で満足してもらう事ができません。女は灰になるまでと申しますが、今まで十分に愛はいただきました。子を生み母としての幸せも得られました。滅亡した実家も再興して下さいました。戦国に生まれた女としては最高に幸せな人生を柴田明家の妻たちは送っています。これからはたまに抱きしめて寝床を共にしていただけるだけで私たちは十分です。遠慮はいりませんよ」

「さえ…」

「私たちもこの江戸の町で趣味を謳歌して楽しんでいます。すべて殿のおかげです。今さら若い娘に夫を取られたと申しませんので」

「…ありがとうさえ、ではそのおかちとやらだけにする。若い娘は魅力的だが同時に過ぎれば毒にもなるからな」

「殿」

「“若い女は美しい。しかし老いた女はもっと美しい”とどこかで聞いた事がある。そなたを見ていると…確かにその通りだと思うな。さえは十五歳の時より今の方が美しい」

「まあ…おだてても何も差し上げませんよ」

「今まで十分過ぎるほどもらっているさ。そしてこれからもな」

 そういう経緯でおかちは明家の側室となったのだが、いかんせん幼く、明家と夜閨を共にしたのはこれより二年も後の事だったらしい。お梶と名乗ったのもその頃だろう。

 お梶との間に子は二人出来たが、いずれも女であった。歳をとってからの娘であるから明家はその姉妹をことのほか可愛がった。太田家はこの姉妹から後に再興されるが、それはもう明家もお梶も死後の事である。

 

 話は戻る。それからさらに月日が経った。月姫と虎姫、与禰姫が亡くなり、不破光重、前田利長、黒田官兵衛が世を去った。そして今日、すずが逝った。明家の手を握り、ニコリと笑って天に召された。舞も先年に亡くなったと云う知らせを聞いた明家。肌を合わせた愛しい女たち、そして松姫、英姫、ガラシャと云う明家が大切に思う女たちも亡くなり、愛する茶々、初、江与の妹たちも兄の明家より先に逝った。

 それでも明家は現場に出た。仕事だけが生き残った者の悲しみを埋められる。明家は七十七歳となっていた。二代将軍の勝明もすでに江戸城に入り、大坂幕府は三代勝隆の時代となっていた。

 

 いつもの朝、明家は庭で日課の鍛錬をしていた。そしてさえがいつものようにたらいに水をひたして縁側に持って来た。

「殿、そろそろ朝餉です。汗を拭いて下さいませ」

「ああ、ありがとう。ふう、いい汗をかいたわい」

 そして親子で朝食を取る。

「父上、それがしは本日から領内の治水工事の指揮を取りますゆえ、当分帰れませんがお体に気をつけて」

「うむ、勝明も気をつけての」

「はっ」

 勝明は朝食を取ると出かけていった。

「さえ」

「はい」

「食後に庭の散歩をせんかの」

「はい、行きましょう」

 明家とさえは江戸城の庭を歩いた。手を繋いで歩いている。ちょうど桜の満開の時期。散る桜を愛でる明家。そして散歩から戻り、二人は屋敷の縁側から桜を見つめた。

「さえ、ちょっと眠くなってきたな、膝枕をしてくれないか」

「殿はおじいさんになっても甘えん坊です」

「ははは」

 さえの膝枕に頭を置く明家。

「ああ、やわらかい、気持ちいいわい…」

 そんな夫の頭と額を愛しそうに撫でるさえ。

「さえ…」

「はい」

「愛しておる…」

「愛しております…」

 明家はそのまま眠るように死んでいった。そして驚く事にさえも同時に天に召されたのである。夫より長生きしよう、前から決めていたさえ。夫の明家が安らかに天に召されたのを見てさえも安心したのか、夫を膝枕で抱いたまま眠るようにさえも死んだのである。明家とさえ、享年七十七歳。

 

 お梶が治水工事に赴く準備を進めていた勝明を大急ぎで呼び戻した。勝明は父母が同時に老衰で天に召されたのを見て

「儂はこれほど仲睦まじい夫婦の子ぞ!」

 と感涙して父母の亡骸を抱いた。二人の亡骸は荼毘に付され生前の希望で二人の思い出の地、越前北ノ庄に丁重に埋葬された。江戸から夫妻の遺骨が運ばれる行列には越前の民たちが北近江の地まで出向き沿道に平伏し越前柴田家の若き内政家、水沢隆広の葬列を出迎えたと言われている。明家が越前の地で内政を行っていたのは五十年以上も前である。しかし越前の人々はそれを語り続け、郷土の偉人を最上の礼をもって出迎えたのだ。

 

 柴田明家は死の直前に不思議な夢を見た。真っ暗なところに立っている。不安げに周囲を見渡すと前方から徐々に明るくなってきた。そして同時に三人の人影が見えたのだ。

『大殿、羽柴様、徳川殿!?』

『元気そうじゃのうネコ』

 明家は水沢隆広と名乗っていた若き日の姿に戻っていた。そして明家の前に立っていたのは織田信長、羽柴秀吉、徳川家康だった。

『相変わらず奥方と仲が良いのう美濃』

『羽柴様』

『重き荷を背負いながら、とうとう坂を登りきったようじゃな大納言』

『徳川殿…』

『ネコよ、面白いものを見せてやろうと思ってな』

『面白いもの?』

『いかにも、美濃がこの世に生まれていなかったら、この戦国の世はどうなっていたか、と云うものを』

『それがしがこの世に生まれていなかったら、ですか?』

『いかにも、さあ大納言、見てみるがいい』

 眼前には合戦のもようが映る。賤ヶ岳で実父勝家が羽柴秀吉に大敗しており、北ノ庄城にて妻お市と共に自刃。小牧長久手の戦いで家康が秀吉に勝利。その後に天下を取った秀吉の無謀な朝鮮出兵。秀吉亡き後に徳川家康が台頭し、石田三成が挙兵し関ヶ原で激突、石田方大敗し三成斬首。茶々姫が秀吉との間に生んだ豊臣秀頼を討つべく家康が大坂を攻める。真田幸村が決死の覚悟で家康本陣を突く突撃。その後に生まれる徳川の幕藩体制。明家の目にもう一つの戦国史とその後が見えた。

『……』

『ふっははは、儂が光秀に討たれるまでは同じじゃが、そなたの出現でずいぶんと違う世ができたようじゃな』

『で、では大殿はそれがしが作った世はまがい物とでも!?』

 秀吉が答えた。

『さあ、どうかな、儂には家康殿と美濃の作る世のどちらが正しいのかは分からん。しかし少なくとも儂以上の天下様である事は認めよう。徳川殿はどうじゃ?』

『さあて筑前殿、それは結果を見てみなくは分かりませぬ。ところで大納言、こちらでは我らが天下を取るが、こう言われておってな。信長公は『鳴かぬなら殺してしまえ不如帰』筑前殿は『鳴かぬなら鳴かせてみよう不如帰』儂は『鳴かぬなら鳴くまで待とう不如帰』さて柴田明家殿は『鳴かぬなら…』

『“はなしてあげよう不如帰”』

 明家は自然に発した。

『『あっはははははッ!!』』

 もう一つの歴史の戦国三英傑は笑った。

『なるほどそれで天下を取ったかネコ』

『いやいや美濃らしい』

『裏切りと騙しあいの乱世でそれを貫き通したのは見事じゃのう』

『それがしの作った世が正しいのかは分かりません。ですが後はもう未来の者に任せるしかございません』

『そうよなネコ、良き世ができたのなら儂らの死も無駄ではなかったと云う事よ』

『大殿…』

『ネコ、ご苦労であったな。ようやったぞ、もう眠れ、勝家とお市、お前の仲間たち、そして女たちも待っていようからな』

『はい伯父上…』

 信長は最後の伯父上と云う言葉にフッに笑みを浮かべ消えた。そして秀吉と家康も去っていった。長い夢のように思えたが、さえの膝枕に頭をうずめて死に至るまでのほんの一寸の間の事であった。

 

 息子である柴田勝明は後にこう述べている。

『あんな安らかな父母の顔は見た事がない。子の身びいきではない、父母は日本の歴史上もっとも幸せな死に方をした夫婦だろう』

 最後まで寄り添い、そして同時に老衰で死んだと云う柴田明家とさえは、後に縁結びの夫婦神となり日本に多くのそれを祀る寺社が建立され総称を桜明神社と云う。全国の桜明神社で共通している事がある。それは碑が明家とさえのものしかないと云う事だ。二人の邪魔をしてはいけないと云う事で現在に至るまで全国各地の桜明神社は明家とさえしか祀っていないのだ。

 二人の出会いの地である福井県福井市の桜明神社境内には明家とさえ最期の姿の像もあり、その像に永遠の愛を誓う男女は途切れる事はない。

 

 

天地燃ゆ 完




最終回でした。史実編も近日中に投稿を開始したいと思います。


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史実編
賤ヶ岳の戦い


史実編スタートです。


 中世最大の天才にして、第六天魔王と称された織田信長は本能寺にて明智光秀の謀反によって討たれ、その明智光秀は山崎の地で羽柴秀吉に討たれた。

 その後、信長と信忠親子亡き後の家督相続を巡り、織田家重臣たちが清洲城に集まり会議が行われた。重臣筆頭の柴田勝家は三男信孝を推したが結果は羽柴秀吉の一人勝ちである。織田の世継ぎは信忠の息子である三法師となり、かつ秀吉の領地は大幅に拡大した。勝家にはわずかな知行が振り分けられただけである。これで羽柴秀吉と柴田勝家の戦いは避けられないものとなった。

 柴田勝家に仕える水沢隆広。この時に若干二十二歳。十五歳で柴田勝家に仕え内政に合戦と目覚しい勲功をあげ仕官七年で部将に昇進していた。秀吉の城の一つである長浜城は清洲会議の結果、柴田勝家の養子である柴田勝豊に与えられ、今まで勝豊が居城としていた丸岡城は水沢隆広に与えられた。晴れて五万石の大名、一国一城の大将となったわけであるが、その幸せは長く続かない。

 また、清洲会議からほどなく北ノ庄城に柴田将士すべて集められ告知があった。水沢隆広は柴田勝家と妻お市との実子であると。勝家は秀吉との争いがすべて終わったら話すつもりであったが、信長が死んで秘密にしておく必要が無くなったため妻のお市が『もう待てません』と泣く泣く勝家に懇願して親子の名乗りとなった。親子の証と云える長庵こと水沢隆家から勝家に送られた文が公開された。この時点で隆広は柴田家世継ぎにも指名され、織田の諸将にもそれは通達された。

 世継ぎがなく、しかも老齢の勝家が当主の柴田家。少なからず将来に不安を感じていた柴田将士の不安は一気に解消された。隆広は佐久間盛政、柴田勝豊、佐々成政には嫌われていたが、他の柴田将士には認められ親しまれていた。勝家は隆広に『柴田明家』の名前を与えた。隆広はその新たな名前『柴田明家』で賤ヶ岳の戦いに挑む。

 

 羽柴秀吉と柴田勝家が戦った賤ヶ岳の戦い。結果は佐久間盛政の独断専行により柴田軍は崩壊してしまった。

 岐阜城の織田信孝が挙兵し、秀吉は勝家と対峙していたが岐阜に駆けた。先に動いたら負けと云う状態で秀吉が先に動いたのだ。それを好機と盛政が『中川清秀の大岩山の砦を落す』と進言した。勝家はそれを許した。これは中入。勝家は盛政に砦を占拠したら元の持ち場に戻るように伝えた。しかし明家は

『動くべきではございません。羽柴の中国大返しを見れば、かの軍勢がいかに神速か分かるはず。中川討てば必ず信じられない早さで岐阜から転進してくるに相違ない』

 と具申した。一理あると見た勝家は厳重に中川を討ったら戻れと伝えた。しかし盛政は戻らなかった。明家はこの盛政の浅慮を見て後悔した。やはり何としてでも中入を止めるべきだった。自分と不仲であった盛政は手柄を焦っている。盛政と明家は清洲会議の前に和解していた。柴田は大変な状況、味方で争っている場合ではないと盛政は明家に今まで自分がしてきた仕打ちを詫びた。この後日に水沢隆広は柴田勝家の実子と分かったわけであるが盛政の胸中は大変なものであったろう。和解したとは云え明家が今までの経緯から自分を快く思っていないのは明白である。明家自身は何とも思っていなかった。むしろ和解できたと大喜びしていた。だが盛政はそう考えが至らなかった。この戦いで目覚しい手柄を立てるしかないと判断した。中川の陣を橋頭堡にして羽柴に睨みを利かせ、あわよくば羽柴に寝返った柴田勝豊の長浜城も奪い、若殿明家が何も言えないような手柄を立てる。そう思った。それを読み取った明家は勝家に何度も中川の陣である大岩山から撤退させるように進言した。盛政の愚は勝家にも分かっていた。何度も撤退するように言った。しまいには明家当人を使者に出した。急ぎ馬で盛政の元へ走る明家。しかし遅かった。明家が到着する前に秀吉は岐阜からの大返しを終えて木之本に戻っていた。

「遅かったか…!」

 馬上で無念に拳を握る明家。ふと月を見上げた。

「御大将…」

「矩久」

「はっ」

「月も今日が見納めかもしれない。このうえは最後まで戦いぬくまでだ」

「最後までお供いたします」

「本陣に戻るぞ」

「はっ!」

 そして夜明け近くになり羽柴勢は総攻撃を開始。退却戦を余儀なくなれた盛政は必死の抵抗をした。一度は退けて秀吉をして『敵ながら見事な退却戦をしよる』と感嘆させるが、そこまでだった。弟の柴田勝政と共にやがて総崩れとなった。それに端を発して柴田軍も崩れた。

 前田利家と金森長近は撤退した。もはや柴田軍は陣形すら保てず、勝家は全軍に逃げたい者は逃げよと言った。重臣達は秀吉の大軍を相手に戦ってもまず勝ち目はない。ひとまず北ノ庄に退き、軍勢を立て直して戦うべきと勧める。勝家は城に帰ったとしても勝つ見込みはない。この柴田勝家が秀吉に背を向けられない。武士の面目が立たない。ここで残る兵を率いて秀吉と戦い、討ち死にして果てると言って退こうとはしなかった。勝家の覚悟を見た小姓頭の毛受勝照は勝家の馬に駆けてその手綱を握った。

「早くお引きを、ここはそれがしが殿軍に立ちますゆえ!」

「ならん、儂も鬼権六と呼ばれた者、猿に背を向けるか!」

「どうしても戦うと云うのであれば、この毛受勝照をお斬りくだされ!」

「なんじゃと!」

「ここで戦って殿が討ち死にしたら、筑前はこう言うでしょう。『甥も思慮のないタワケであったが、伯父もこれまたタワケ』と!筑前は殿の首を見て愉快そうに言うでしょう!その仕儀、臣下として我慢なりませぬ。どうせ死ぬのなら北ノ庄に戻り、城と共に自決して果てられよ!それが大身柴田勝家の最期と云うもの!」

 血を吐くようにして勝家に訴える毛受勝照。生死を賭けて諌める家臣の言葉に勝家は一言もなく黙った。共にいた山崎俊永も

「新参者とはいえ、この山崎俊永も同じ考えにございます!」

 勝照と同調。彼の娘婿は石田三成。婿と共に九頭竜川の治水を成し遂げた土木の達者である。婿の三成と敵味方になって戦っていた。土木に長じているとはいえ、彼は長年に浅井家の磯野家でその名を轟かせていた兄の山崎俊秀に従い多くの戦を経験してきた猛者でもある。賤ヶ岳では劣勢ながらも寡兵を指揮して羽柴の部隊を退けていたが、今や他隊の連携もなく、柴田の備えは歯がところどころ抜け落ちた様相、次々と味方は離脱。山崎勢も敗走し、本陣へとやってきた。織田信長に追放された身を重用してくれた勝家に報いるため、最後の戦いを羽柴に挑むつもりである。

「その方ら…」

「殿、ただちにお退き下さい。家臣たちの気持ち、無駄にしてはなりません」

「明家…」

「それがしもここに残り殿が退かれるまで殿軍を務めます」

「なりませぬ!隆広、いや若殿も殿と共に退かれよ!」

「それがしのいた砦は攻め手がなく、まだ無傷。これでノコノコと北ノ庄に帰れましょうか。それがしの働けない間に勝敗が決まったなど養父、そして殿にも顔向けできませぬ」

「無傷ならば、そのまま丸岡に戻れ!」

「すいません殿、いや父上、今のそれがしはその命令だけは聞けませぬ」

「殿軍をするのならば、それは儂の役目じゃ!儂はもう六十を越して十分に生きた。若い息子を捨石にして生き延びる気はないわ!お前さえ生き残れば良いのだ!」

「手取川の時も、そして今も、それがしは玉砕精神で志願しているわけではございません。それがしは生きて帰ります」

「若殿!」

 勝照は気付く。いつも冷静で温和な明家の目が父の勝家に劣らぬ戦人の目をしている事を。まさに尚武の柴田家当主に相応しき凛々しき姿だった。

「それがしの軍と毛受殿、山崎殿の軍、そして残りし柴田の兵、十分な数でございますな。では参りましょう」

「承知した」

「明家!」

「北ノ庄にてお会いしましょう父上、ここはこれにて!」

 前線に駆け出す明家。

「助右衛門と慶次!息子を頼んだぞ!」

「承知しました。大殿はすぐにご退却を!」

 と、助右衛門。その助右衛門に慶次が言った。

「血が滾る!殿軍こそ武士の誉れよ!」

「まさに!手取川以来だな、こんな気持ちは!」

 

 柴田明家軍が急ぎ再編成された。総大将柴田明家、付き従いし大将は奥村助右衛門永福、前田慶次郎利益、毛受勝照、山崎俊永、その他、勝家に逃げろと言われても逃げなかった柴田の兵である。羽柴勢は『勇将の下に弱卒なし』を骨身で知る事となる。

 そして毛受勝照の兄の毛受茂左衛門がいた。勝家が逃げろと言われても逃げなかった。弟が踏ん張っているのにどうして逃げられる。勝照は『兄弟揃って死しては母への不孝』と止めたが茂左衛門は『ここで弟を見捨てて帰れば母に不孝』と譲らなかった。

 この当時、柴田明家は丸岡五万石の大名であった。彼が城持ち大名になると武田攻めにおいて武田勝頼、信勝、北条夫人に対して水沢隆広の示した武人の情けに深く感じ入っていた武田遺臣が家臣ともなっている。

 その中でも特筆すべきは小山田信茂が率いていた投石部隊であろう。信茂の居城の岩殿城を織田信忠の寄騎として向かい、信長に黙って彼らを逃がした。これが彼らをして『我らが再び人に仕えるのなら水沢隆広様以外ない』と言わしめ、隆広が五万石の大名になると仕官を要望。水沢隆広が柴田明家と名を改め、そして大名になった頃はすでに秀吉の権勢著しく、柴田の旗色は悪い。それでも彼らは明家に仕官を要望したのである。こういう損得抜きで参じた者たちは強い。精強を誇った小山田投石部隊がそのまま部下となるのである。明家は大喜びで召抱えた。小山田家家老で投石部隊の隊長の川口主水、柴田明家配下として小山田投石部隊の初陣であるこの賤ヶ岳の撤退戦に気合を入れる。信茂の一人娘の月姫も丸岡にやってきて、今は柴田明家の正室さえと共に城を守っている。

 雲霞のごとく押し寄せる羽柴勢。先頭に立つ明家をチラと見た慶次。落ち着いて静かな目をしている。こういう胆力は教えて身に付くものではない。そしてこういう窮地の時にこそ本質が出るものである。明家は少しも慌てず敵勢を見つめている。いい度胸だ、そう慶次が思った時、明家の下命が発せられた。

「投石部隊、前へ!」

「「ははっ!!」」

「放てーッッ!!」

 隊長の主水が命令。

「石雨の攻め、放てーッッ!!」

 投石部隊は投石器を使い、羽柴勢へ放物線で石を放らせた。拳大の石が柴田軍からどんどん放たれる。石の雨が羽柴勢を襲った。鉄砲も届かない距離だが投石なら届く。かつ威力甚大。小山田の投石は必殺と呼ばれる所以だ。

「ぐわあッ!」

「ぎゃあッ!」

 進軍は止まった。

「どんどん放つのだ!!」

 明家は石の雨を受ける羽柴勢を冷静に見つめ探した。そして

「見つけた」

 明家が言った。

「は?」

「慶次、敵勢の弱いところを見つけたぞ。そこを一直線に衝く!」

「承知仕った」

「勝ちにある者は命を惜しむ、そこが狙い目だ。主水!」

「はっ!」

「ようやった!突撃に入る。投石部隊は後方より我らの援護をいたせ!」

「ははっ!」

 明家の愛槍『諏訪頼清』が天を衝いた。陣太鼓が轟き、ほら貝が鳴る。

「我に続けえッッ!!」

「「「オオオオオオオオッッ!!」」

 明家の軍は敵勢右翼に一斉に突撃した。狙った敵勢は柴田勝豊の軍勢だった。何の迷いもなく自軍に突撃してくる柴田勢を見てたじろぐ勝豊の軍。しかも勝豊は病に倒れており、この時は家老が名代として指揮していた。勝ち戦となる見込みに安堵していたか、その油断を柴田明家にまんまと看破されたと云うわけである。

「て、鉄砲隊、前へ!」

 家老の指示も遅い。もう眼前まで明家軍は来ていた。先頭に踊り出た前田慶次!愛馬松風に乗り攻めかかってくる姿はまさに人馬一体の魔獣である!

「前田慶次参上ッッ!!」

 愛馬松風の前足が雷神の鉄槌の如く羽柴勢に叩きつけられた!慶次の咆哮が戦場に轟く!

「無法、天に通ず!!うおりゃあああッッ!!」

 慶次の朱槍は勝豊軍の将兵をアッと云う間に薙ぎ倒す!慶次に続けと言わんばかりに攻め寄せてくる明家軍は勝豊軍を鎧袖一触!勝豊軍はなすすべもなく木っ端微塵にされた。明家は攻めかかりながら冷静に弱い備えを見つけた。明家の采配で一つの巨大な生き物のように殿軍部隊は縦横無尽に動いてくる。勝ち戦に油断しつつあった羽柴勢は次々と討たれていく。投石部隊は水平に投法を変換し、羽柴勢へ正確に投石した。一つ一つの投石が剛槍のような威力であった。それを見つめる羽柴秀吉。

「官兵衛、あれは?」

「武田の亡き小山田信茂が誇った投石隊ですな…」

「なぜ明家の軍におるのだ?」

「明家殿は武田攻めで小山田遺臣を匿い、逃がしたと聞きます」

「なるほどな…。明家のヤツ、良いものを拾ったもんじゃのう。うらやましいわ」

 ここまで好きなようにされては武門の名折れと山内一豊が攻めかかった。いざ対峙し、明家の形相に驚いた。娘の命を助けてくれた男とはまるで別人。眼光鋭く、発する咆哮は猛獣のごとし。明家の兜は前立てが昇竜、後立てが紅蓮の炎と云う派手なもの。纏いしものは武田勝頼から譲られた朱色の陣羽織、背中には不動明王の姿が刺繍され描かれている。まさに炎の中から怒れる龍が襲い掛かってくるがごとし。一豊と明家は一合二合打ち合った。押される一豊。

「かような細い体のどこにこんな力が…!」

 しかも主君と戦っている者を投石部隊が見逃さない。隆広との一騎打ちに気を取られ、それに気付かなかった一豊。左顔面に投石が直撃。馬上で体勢を崩した一豊の腹部に隆広の横薙ぎの一閃が叩きつけられ、一豊は馬上から吹っ飛ばされた。

「ぐはあッッ!」

 血反吐を吐き、そして吹っ飛ばされた一豊に襲い掛かる明家軍の兵。その時、彼の側近中の側近である五藤吉兵衛が槍面に立った。幾本の槍に貫かれた五藤吉兵衛。

「吉兵衛!」

「殿…!」

 山内勢は蹴散らされた。いいかげん焦りだした秀吉。たとえ大軍と云えども一段二段三段と備えが破られたら将兵たちは恐れだす。その浮き足立った備えを明家は徹底的に狙ったのである。

「ええい!かような寡兵にいつまで手こずっているか!」

 同じく軍師の官兵衛も焦りだした。相手は死兵、勝ちを確信し勝利を味わいたい者たちが敵うはずがない。元々兵の個々の武力は柴田軍の方が強いとも言え、かつそれを柴田明家が指揮しているのだから手に負えない。その官兵衛の元に

「黒田勢、蹴散らされました!」

 の知らせが届いた。若い黒田長政では明家の敵ではなかった。

「母里太兵衛様、後藤又兵衛殿、いずれも負傷いたしました!」

「柴田明家、恐るべしじゃ…!」

 明家が突撃するまで縦横に活躍していた秀吉自慢の若手将校たちも逃げるしかなかった。柴田家から羽柴家に帰参していた石田三成も戦慄するほどの明家の強さだった。

「すごい…。我が旧主は何と恐ろしい男だったのか!」

 しかし人間は疲れが生じる。明家は突撃しつつも歩兵の疲れを見ていた。そしてそれらの兵たちが『まだまだ戦える』と主張するほどの疲労でも退却を下命した。明家は欲張らなかった。要は勝家が北ノ庄にまで退却できるよう時間を稼ぐのが任務である。

 敵勢の弱い備えを見抜き、それを討ち破り、それで浮き足立った弱い備えを見つけ出して次々と蹴散らし、そして未練を残さずに退却を命じた。勝ちにある時に退却する事こそ妙法。突撃がピタリと止まり、明家は全軍を越前方面へと進路を取った。

 柴田の息を止めるべく勝家本陣に突撃していた羽柴勢は完全に動きが止まった。秀吉は

「柴田明家を逃がしてはならん!」

 と下命。しかし混乱した羽柴勢が追撃に出られる頃にはもう明家の軍には追いつけない距離であった。

「最後にやられたな官兵衛」

「御意、あれがまだ二十二の若者の采配とは信じられませぬ」

「欲しいものよ」

「は?」

「柴田明家が欲しい」

「し、しかし柴田勝家の嫡男でござれば武家の定法に沿い、殺すのが…」

「儂は百姓出だからな。関係ないわ。さあ北ノ庄に向かうぞ!」

 

 明家の活躍は確かに目覚しいものであったが戦局を変えるには遠く及ばない。局地戦の一勝利に過ぎない。この撤退戦はまさに戦人としての晴れ姿とも云えたが犠牲も大きかった。無人の野を行くように済むはずがない。毛受茂左衛門と勝照の兄弟は討ち死にした。山崎俊永は生き延びたが、この日に負った傷で数日後に他界する。そして明家に痛恨であったのは…。

「舞…!」

 くノ一の舞は重傷を負っていた。すずが高遠城で水沢隆広を庇い被弾したように、舞もまた、突撃中に柴田明家を庇い重傷を負った。美しい彼女の肢体が深い傷に覆われている。夫婦になる事を約束していた六郎がここまで背負って連れてきた。血だるまの舞が戸板の上に横たわる。明家を旧名の隆広で呼ぶ舞。

「た、隆広様…」

 羽柴の追撃を振り切り、安全圏に到達したと同時に明家の耳に入ってきたのは舞の危篤の知らせである。

「見ないで下さい…。きれいな私だけを覚えていて欲しい…」

「何を言う!その傷は逃げて出来た傷か?俺を庇って負った傷…!醜いはずがあるか!!」

「殿…!」

 明家の言葉に落涙する六郎。

「しっかりしろ舞!六郎と夫婦になる約束があろうが!」

「そうよ、夫婦二組で明家様のお役に立とうと約束したじゃない!」

 同胞の白とその妻の葉桜は涙で濡らして舞に言った。

「ごめん…。私…もうここまでのよう…」

「舞!!」

「た、たか…ひろ…様」

 舞の手を握る明家。舞は最期の力を振り絞って鉄扇を握り、そして勢いよく広げた。

「…ぃよッ…!にっ…ぽん…いちッ!!」

 満面の笑みでそれを言い、そして鉄扇が地に落ちた。舞は静かに息を引き取った。泣き崩れる葉桜。三忍として苦楽を共にしてきた白と六郎も落涙する。明家の嘆き悲しみも並大抵ではなかった。

「舞…俺が不甲斐ないばかりに…!」

 水沢軍旗揚げの頃から一緒に戦ってきた部下の死に涙を抑えきれない明家。

「…ここに踏みとどまっては、いつ追撃が来るか。殿、お早く」

「前田様、貴方と云う方は!!」

 涙一つ流していない慶次を罵る葉桜。

「よせ葉桜」

「殿…!」

「慶次の言うとおりだ。ここに長くはいられない…」

 六郎は涙を落としながら死んだ婚約者を背負った。

「すまん慶次、言いたくもない事を言わせた」

「いえ…」

「北ノ庄に引き揚げるぞ!」

「「ははっ!」」

 北ノ庄に戻った明家。もうすぐ羽柴全軍がやってくる直前に勝家は明家に丸岡に帰れと命じた。『父上と共に死ぬ』そう言いたかった明家。しかしそれでは舞の死が無駄になる。断腸の思いでその下命を受けた。父母と今生の別れと知りながら。

「お前さえ生きておれば柴田の命脈は尽きぬ。生きよ!」

「父上…」

「明家殿」

「母上」

「娘たちを頼みます。貴方のかわいい妹たちを」

「「母上―ッ!」」

 茶々、初、江与はお市に抱きつき泣いた。

「お市、そなたも明家と共に行け」

「いいえ、私は勝家様と運命を共にいたします」

「お市…」

 娘たちを優しく離すと、お市は明家に歩んだ。

「母上…」

「抱かせてちょうだい…」

「はい…」

 母お市にギュウと抱かれる明家。最後の母の温もり。

「母親らしい事を何一つしてあげられなかった…。ごめんね」

「母上…!」

 涙ぐむ勝家。

「さあぐずぐすしていては羽柴に捕捉されるぞ。もう行け!」

「父上、母上、それがしはお二人の息子である事を誇りに思います!」

「明家殿…」

「もし生まれ変わる事があるのならば、それがしはまた父上と母上の子として生まれます!」

「儂もそなたの父として生まれ変わろう…」

 お市も優しく笑い頷いた。

「さ、行きなさい。後を振り返ってはいけませんよ」

「はい…!これにて、さらばにございます!」

「奥村殿、前田殿」

「「はっ!」」

「この子は智将だなんて言われていますが一人では何もできぬ子。関羽と張飛のように、この子を助けてあげて下さい」

「奥村助右衛門永福、しかと心得ました」

「前田慶次郎利益、肝に銘じまする」

「茶々、初、江与、さあ兄上と一緒に行きなさい」

「いやです!初は母上と離れたくありません!」

「江与も嫌!母上と父上と一緒にいたいですッ!」

 初と江与はお市から離れない。

「貫一郎!」

「は、はい!」

 勝家小姓の大野貫一郎(後の大野治長)を呼んだ明家。

「その方、江与を背負い、丸岡に参れ!」

「はいっ!」

「茶々!初を連れて来い!」

「で、でも…」

「聞こえないのか!」

「は、はい!」

 初は姉の茶々、江与は大野貫一郎に強引に連れ出された。明家、助右衛門、慶次はもう勝家とお市に振り向かなかった。

 その後、北ノ庄城に到着した羽柴軍は総攻撃を開始。しかしさすがは鬼権六の兵たちは強い。中々落ちなかった。先鋒を務めるのは前田利家。前田利家は秀吉に降り、この戦いの先鋒を任されていた。

 勝家は撤退中に利家の居城に立ち寄っていた。利家に一切の怨み言は言わず、人質としていた麻亜姫を返す事も約束した。勝家は利家に替え馬と一飯だけ所望し、そして今後は秀吉に尽くせと言い城に戻ったのだ。利家はこの潔い勝家を見て、自分の戦線離脱を恥じた。しかしもう後には引けない。秀吉に降り、そして秀吉の先鋒となり勝家と戦うしか前田家存続はないのだ。勝家を攻める利家の胸中はどんなものであったろう。

「申し上げます」

「ふむ」

 利家の使い番が来た。

「柴田明家は丸岡に敗走したとの事」

「分かった下がれ」

「はっ!」

「父上…。丸岡も攻めるのですか」

 利家の嫡子、利長が訊ねた。

「当然であろう」

「明家殿、いや若殿はそれがしの兄も同様の方…」

「若殿と申すな!すでに柴田は敵なのだぞ!」

「……」

 利長は陣の奥へと引っ込んでしまった。

「無理もございますまい。若殿にとって明家殿は師であり兄とも慕う方。賤ヶ岳で泣いて戦場に踏みとどまるように殿に申されたのを見ても、お慕いする気持ちがどれだけ強いか察しれまする…」

 と、利家側近の村井長頼。

「儂とて親父様と慕う勝家様を攻めておる!」

「殿…」

「事をやり直しにして戻る事はできぬ。前を向いて走るしかないのだ!」

 

 北ノ庄城、最上階にいる勝家とお市。

「お市…」

「はい」

「愛しておるぞ」

「愛しております」

 勝家は刀を抜いた。お市は合掌した。

(万福丸…。今、母が参ります。寂しがらせましたね…)

 お市を切った勝家。お市辞世『さらぬだに 打ちぬる程も 夏の夜の 夢路をさそう ほととぎすかな』

 勝家は最上階の外に出て羽柴勢を見下ろした。

「やあやあ寄せ手の者どもに申す、我はこの城の主、柴田勝家なり!この勝家武運つたなくここで自害して相果てる!よく目を開いて見て後々の語り草とせよ!敗将の切腹かくの如しじゃ!」

 勝家は腹を刺し、横に切り、さらに抜いて縦に切った。

「これが十文字腹じゃ!見ておけ!」

 そして腹の中から腸を引きずり出した。

「これがハラワタよ!勇士のハラワタ、なますにして食うが良い!」

 ハラワタを敵勢に投げつける勝家。

「わあっはははははッッ!!」

 首に刀を当てて切り裂く。血が吹き出す。

(明家…!息子よ…!)

 倒れ、そして息絶えた。羽柴勢は勝家の自決のすさまじさに呆然としていた。北ノ庄城兵は無念の涙を流しながら城に火を放ち、そして自決。火はやがて用意されていた火薬に引火し、北ノ庄城は轟音と共に崩れ落ち炎上した。柴田勝家は愛妻お市と共に死んだ。柴田勝家、享年六十二歳。時世『夏の夜の 夢路はかなき 後の名を 雲井にあげよ 山ほととぎす』

「それほど儂が気に入らなんだか権六…。いつからだったのだろうな、貴殿と不仲になったのは…。又佐(前田利家)が織田家を追放された時は共に帰参を叶えるべく奔走し、そして帰参叶いし宴では酒を酌み交わし、肩を抱き合い歌い祝ったと云うのに、手取川以来いつの間にか我らには修復不能の溝が出来ていた。しかし今となって思い浮かぶのは金ヶ崎の退き口で兵を羽柴に貸し『無事に戻れ』と励ましてくれた貴殿の顔ばかりよ。こうして敵味方となり貴殿を葬った儂であるがご子息には悪いようにはせん。安心されよ」

 炎上する北ノ庄城に合掌する秀吉、その横にいた前田利家の顔は苦悩でゆがむ。

「親父様…。何としても明家は降伏させるつもりにござる。この又佐、一命に賭けて!」

 

 丸岡の地に作った舞の墓。そこに合掌する明家。六郎もいる。

「死ねないな…」

「はい…」

「舞は俺のために死んでくれた。守ってくれた舞に応えるために俺は生き抜く」

「私も同じ思いにございます。舞は…殿の盾として戦っていた私の盾となり逝きました…。妻の思い、胸に刻み生き続ける所存にございます」

「申し上げます」

 使い番が来た。

「ふむ」

「北ノ庄は落城、大殿様と御台様、ご他界されました」

「…分かった。下がって休め」

「ははっ!」

「殿…」

「父母の無念を晴らすまで俺は死ねない。迎え撃つぞ」

「御意」

 歯を食いしばって涙を堪える明家だった。

「死ぬ気で戦って死なぬ!!」



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決断

「う、うう…」

「殿、殿!」

「…ハッ」

「お気づきですか…!良かった…」

「天鬼坊…」

 ここは備中国の高梁川ほど近くの山中。山のふもとでは敵兵の叫びが聞こえてくる。

「ここは…」

「高梁川南東の上島山にございます」

「そうか…吉川元春に殺される寸前、助けてくれたのだな…」

「御意」

「礼を申すぞ天鬼坊…」

「家臣なら当然の務めにございます。ですが…」

「…なんだ?」

「申し訳ござらぬ、奥方はお救いできませんでした。殿と若君、そして美酒姫様だけで精一杯でした…」

「そうか…」

 男は、そばでスウスウと眠っている姫を見た。天鬼坊も、その部下たちも負傷していない者はいなかった。

「夢、破れたりか…」

「殿…!」

「至らぬ主君ですまぬ。そなたたちほどの忍びなら大大名にも重用されたろうに…」

「かようなお言葉聞きたくございませぬ。我ら羅刹衆、山中鹿介様に惚れてここまでご一緒してきたのでございます」

「かたじけない…。我には過ぎた部下たちよ…!」

 主人の言葉に感涙してすすり泣く声が聞こえた。

「とにかく、ここにいてはいつ敵に見つかるか分かりませぬ。備中を出ましょう」

「備中を出てどこに行くと云うのだ」

「京に参りましょう。京ならば中央の時勢をすぐ知る事が出来まする」

「まだ…俺の夢に付き合ってくれるのか!」

「「無論にござる!」」

「尼子家の再興!まだ勝久様の姫がここにおる!あきらめぬぞ!」

「「ハハッ!!」」

 山中鹿介の一行が京にたどり着いた頃、それは柴田勝家が加賀に攻め込み、羽柴秀吉は備中に攻め込み、そして水沢隆広は織田信忠の寄騎として武田攻めに加わっていたあたりだった。もう織田を頼るつもりは無い。徳川は織田に尾を振り、北条家の当主氏政は優柔不断と評判だった。武田も風前の灯。鹿介の部下たちが庇護を頼むに値するのは上杉と勧めた。しかし鹿介の意見は少し違った。彼はこれから台頭してくるかもしれない大名にしようと思っていた。

「これから台頭する大名にございますか?」

「そうだ天鬼坊、毛利の軍師である安国寺恵瓊が面白い事を言っている。遠からず信長は転がり落ちるとな、俺もそう思う。それに乗じて台頭する大名が必ずいる」

「その大名を頼ろうと?」

「いや、台頭が出来たと云う事はすでにその大名には優れた家臣がたくさんおろう。今ごろ尼子の再興の庇護を頼んでも断られるだけ。しばらくは情勢を見て、これはと思った人物を御輿とする。俺は彼に仕え、そして信頼され、尼子の再興を要望する。大勢力だった信長に庇護を頼んだら捨て殺しにされた失敗を生かさなければな。小さい大名で良い。今度は俺自身が庇護してくれる大名を支えて、尼子と共に大きくするつもりでなければ駄目だ」

「そこまで言うには…だいたいその目星はつけておられるのでは?」

「ん?いや正直ない」

「まことに?」

「もしかしたら…と思う器量の若者がいるにはいるがな」

 山中鹿介はそれ以上答えなかった。そして安国寺恵瓊の予言は当たり、鹿介が京に入りしばらくして本能寺の変が起こった。織田信長は配下の明智光秀に討たれ、その明智光秀は羽柴秀吉に討たれた。

 その後の織田家の政権争いに柴田勝家と羽柴秀吉が激突した。その賤ヶ岳の合戦を鹿介はつぶさに観察した。そして決断した。鹿介の配下は『秀吉か?』その配下の『黒田官兵衛か?』と尋ねた。だが鹿介が選んだ主君は意外な人物だった。

「我らは柴田明家殿にお仕えする」

 鹿介の部下たちはあぜんとした。その柴田明家は賤ヶ岳の合戦で負けた柴田勝家の息子である。今度こそ勝ち馬にと思う鹿介家臣団は、のっけから敗者に加担しようとする主人の決断に驚いた。しかし共に賤ヶ岳の合戦を見ていた天鬼坊は

「さすがの慧眼にござる」

 と主人を褒め称えた。柴田明家率いる柴田の殿軍部隊は敗北した柴田軍の中で、ただ一隊羽柴軍に勝った部隊だった。大軍で寄せてきた羽柴に対して殿軍に立ち、寡兵ですさまじい抵抗を見せた。加藤清正、福島正則ら賤ヶ岳七本槍も敗走し、山内勢、黒田勢も突破した。また特筆すべくは、兵の疲労程度を見て、かつ勝家の退却時間を稼いだと見込んだ明家は勝っていたにも関わらず退却した。退却は進軍より難しい。だが明家の用兵術で殿軍部隊は一つの生き物のように統率されアッと云う間に羽柴軍から退却した。混乱した羽柴勢が追撃する部隊を整えた時にはすでに追いつけない場所まで明家軍は退却していたのである。黒田官兵衛をして

「あれがまだ二十二の若者の采配とは信じられぬ」

 と言わしめた。まさに明家は羽柴秀吉に勝ったのである。柴田明家の突撃は羽柴秀吉軍を震え上がらせたのであるから。

 

「まさに尼子経久公を彷彿させる戦ぶり、我らの命を預けるに相応しい方と天鬼坊も思いまする」

「また、俺と明家殿は松永弾正を討伐する合戦で陣を同じにして、俺を友と思ってくれている。何とも粋な偶然だ。今から柴田が羽柴に逆転するのは不可能だ。だからこそお味方して、何とか柴田と羽柴の戦で死なせず生き延びさせる。秀吉の性格なら、あそこまでの武将の才能を惜しむ。何とか家臣にと思うだろう。だが困った事に明家殿の性格がそれを受け入れるとは思えん。俺はそれを何とか説得して、羽柴の配下大名となっていただこう。明家殿はまだ御歳二十二のお若さだ。しかもあの才!俺も武将としての才能には自負するものがあるが、とうてい敵わぬ。これからいかように化けるか分からん。我らの大望、柴田明家と云う駿馬に賭ける!」

「「ハハッ!」」

 

 柴田勝家と羽柴秀吉が戦った賤ヶ岳の合戦、ここで柴田明家の父であり主君である柴田勝家は敗れ、その後に炎上する北ノ庄城で妻の市と共に自決して果てた。佐久間盛政は羽柴軍に捕らえられた。浅野長政に

「鬼玄蕃とも言われたお前が、なぜ敗れて自害しなかったのか。柴田の敗因を作った身で見苦しい」

 と嘲笑された。盛政は答えた。

「源頼朝は大庭景親に敗れた時、木の洞に隠れて逃げ延び、後に大事を成したではないか。再起をあきらめなかっただけだ。再び伯父の勝家と共に羽柴に挑み勝つために」

 と言い返した。これには羽柴将兵も一言もなく、浅野長政は失言であったと詫びたと云う。秀吉は盛政の武勇絶倫を高く評価しており、重用するので家臣になれと強く誘ったが

「主君勝家を敗北に追いやりながら、どうして羽柴に仕えられようか。羽柴殿に武人の情けがおありなら、速やかに我が首を刎ねられよ」

 盛政の気持ちは固く、あきらめた秀吉は盛政を斬刑にした。佐久間盛政、享年三十。辞世『世の中を廻りも果てぬ小車は火宅の門を出づるなりけり』

 辞世を書き終えた時の佐久間盛政の言葉が伝わっている。

「しょせん、夢である」

 

 府中三人衆の一人、不破光治はすでに没して子の直光は佐久間盛政と共に奮戦したが敗れた。生き残ったが、その際に明家の義弟である不破光重が散った。柴田家の勇将ことごとく討ち死にし、前田利家と金森長近は戦線離脱。

 佐々成政は上杉軍への備えのため越中を動けなかった。この先にどんな岐路を取るのかは不明である。柴田勝豊は合戦中に病で死んだ。最期の瞬間まで秀吉に寝返った事を後悔していたと云う。せめて自軍が柴田の若殿に蹴散らされたと云う事を知らないだけ幸せであったのかもしれない。

 明家のよき理解者でもあった可児才蔵は信長の命令で織田信孝の寄騎となっていた。この賤ヶ岳の合戦以後は羽柴秀次に仕える事となる。

 

 話は戻る。北ノ庄城が落ちたと知る鹿介一行、その後に明家が逃げ落ちたのが北ノ庄の北に位置する丸岡城。柴田明家の居城である。北ノ庄城を落とした羽柴秀吉は明家の篭る丸岡城に迫った。鹿介一行は、日本海から迂回し、南からくる羽柴軍とは別に北から落城の運命が待つ丸岡城へ向かった。

「も、申し上げます!」

「どうした矩久」

「ハァハァッ!」

「どうした落ち着け、羽柴軍がもう姿を現したか?」

「お、御大将、援軍です!日本海を経て、北側から兵糧も持って来て下されました!」

 城主の間にいた奥村助右衛門、前田慶次は驚いた。いま柴田に味方する勢力など日本中どこにもない。海からと云う事で一瞬若狭水軍かと思ったが、それはありえない。賤ヶ岳の合戦で若狭水軍は羽柴軍に滅ぼされてしまい、松浪庄三も討ち死にしていた。しかし援軍は来た。

「兵はわずかなれど!今、城中の者は感激して出迎えております!」

「い、いずれの方だ?」

「山中鹿介様にございます!」

 その報を聞いて明家は城を出て、城門に駆けた。

「山中様!」

 明家が出てくると、鹿介一行は明家に頭を垂れた。

「お久しぶりにございます明家殿」

「い、生きておられたか!」

「はい、生き恥をさらしております」

「何を言われる…!」

 明家はもう涙で鹿介の顔がよく分からない。頭を垂れる鹿介の手を握った。

「ようご無事で…!」

「明家殿も」

「殿、それがしを忘れてもらっては困りますぞ」

「直賢!そなたもよう来てくれた!ではこの兵糧も物資も」

「はい、手前で用意させていただきました。しかし物資を用意しても、運搬の手立てがございませんでした。どうしたものかと敦賀で思案していたところに山中殿が来てかような次第に」

「そうであったか…」

 山中鹿介の忍びの天鬼坊は、鹿介に仕える前は越前朝倉家の武将である萩原宗俊に仕えていた。萩原宗俊は直賢の妻である絹の父。ゆえに天鬼坊と直賢は面識があり、鹿介と直賢の援軍出向は円滑に進んだのだった。敗北が分かりきった城に援軍に来た山中鹿介。それが明家たちに及ぼした感激は計り知れないものだった。

 

 だが、羽柴の猛攻はそんな感傷にひたるゆとりもない、数日後には羽柴勢は到着した。丸岡城には兵糧と水だけは十分にあったが、しょせんは多勢に無勢である。しかし明家は寡兵を指揮してよく戦った。

 丸岡で善政をしいていた明家を慕い、領民たちも城に入り徹底抗戦。女たちも御台のさえ中心に懸命に戦った。この時の秀吉には得意の兵糧攻めをする時間的な余裕はなかった。総攻めを敢行したが明家軍は五度もそれを退けた。

 戦国時代、もっとも女が活躍した篭城戦と呼ばれる丸岡城攻防戦、茶々、初、江与は戦闘中に必死に給仕に励んだ。家臣の女房たちは城壁に登る者には煮え湯を浴びせ、矢を射て、そして鉄砲も撃った。慶次の妻の加奈は得意の冨田流小太刀免許皆伝の腕前を発揮し、夫の慶次顔負けの活躍で、明家の側室すずは再び忍び装束をまとい、不自由な体を奮い立たせ、馬に足を縛り付けて明家と出陣。親友の舞の弔い合戦と言わんばかり、かつて上杉謙信三万の腰も退かせた必殺の苦無を放ち続けた。『柴田の女は女にあらず』とこの後言われる事にもなる由縁だ。

 無論、男たちも負けていない。明家の采配に従い暴れまくった。明家軍は前田慶次を陣頭に秀吉本陣に迫る突撃をしている。しかし、この戦いで明家の家令である吉村監物は討ち死に。その妻であるさえの伯母八重も流れ弾に当たり命を落とした。

 

 柴田明家は降伏を潔しとしない。家臣やその家族も誰も降伏をクチにしない。現代風に云えば明家の傑出したカリスマ性がそうさせているのだろう。柴田明家軍は滅びの美学へと一直線に進んでいる。降伏を勧めるために援軍に来た山中鹿介であるが、士気はまだ高く、今は言ってもムダと読み取り、あくまで援軍の将として戦い続けた。

 力攻めと降伏勧告同時進行で城攻めをしていた秀吉であるが明家の想像以上の抵抗に手を焼き力攻めは断念。やむなく兵糧攻めに切り替えた。

 明家軍の数度の突撃はあったが、備えを固めていた羽柴勢を突き崩すには至らず、そして徐々に兵糧の底が見え出した。さしもの明家軍も士気が下がりだす。

 

 前田利家が使者としてやってきた。明家の両翼である奥村助右衛門と前田慶次は元来前田家の出身である。秀吉の使者としてやってきた旧主をどう思っただろうか。

「筑前守の口上を申す。『全員助かるか、全員死ぬか、どちらを選べ』以上にござる」

「……」

 無言の明家。その言葉に対して慶次が答えた。

「叔父御、我らを皆殺しにする時は羽柴全軍が道連れにされると思われよ」

 慶次を一瞥し、利家は明家に言った。

「勝家様を裏切りし儂が憎いか」

「息子のそれがしが利家殿を怨めば、父の名に傷が付きます。それだけにございます」

「府中に訪れた勝家様は『秀吉に尽くせ』と申して下された。その言葉を聞いた時、儂は恥ずかしくてたまらんかった。どう後悔しても始まらんが賤ヶ岳の撤退、儂は悔いておる。だが今は時勢から秀吉に付くしか前田の生き残る道はない。明家、そなたも一時の恥を入れよ。今は生き残る事だけを考えよ」

「若い我が主につまらん処世術を吹き込まないでいただきたい。害になるだけにございます」

「何とでも申せ助右衛門!明家、死ぬのならばどうして北ノ庄で死ななかった。お前は生き抜くと決めていたからであろう!」

「……」

「お前は勝家様とお市様の息子、父母の無念を晴らす為に生き抜くと決めたからお前は北ノ庄で死ななかったのだ。今ここで死ねばどうなる。あの世の父母にどのツラ下げてまみえると言うのか!お前はよう戦った。羽柴陣にはさすがは鬼権六のせがれと感嘆している者も多い。いま降伏しても何の恥もないぞ!」

「帰って下さい利家殿」

「明家!」

「確かに仰せの通りです。しかし…だからと言ってハイそうですかと割り切れるものではないのです。分かって下さい」

「…分かった。今日は引き揚げる。秀吉から文を預かっている。置いていくぞ」

「はい」

「明家、儂はあきらめない。せめて勝家様とあの世で会った時に顔向けできるよう、儂はお前を助けたいのだ!たとえ儂個人の良心の呵責ゆえと言われようがな…」

 

 前田利家は去っていった。明家は秀吉の文を読んだ。そして驚いた。秀吉は文で幼き日の柴田明家と岐阜の酒場で会った話を切り出したのだ。明家はあの時の男と秀吉が同一人物とこの時初めて思い出したのである。

『くそったれ!一国一城の主になってやる!』

 と、岐阜城下の酒場で叫んでいた変な男。子供心にそんな壮大な男の野心に憧れを抱いた。

『すごいやおじちゃん!その時は俺を家来にしてよ!』

 思わずそう言わずにいられなかった。変な男は自分を気に入ってくれたのか飯を腹いっぱい食わせてくれた。

「あのお方と羽柴様が同一人物だと…!」

 そして分かった。なぜ秀吉が柴田勝家の家臣の自分にあれだけ親切にしてくれたか。秀吉が幼き日の柴田明家と交わした約束を忘れていなかったからである。明家の気持ちは揺らぐ。助右衛門、慶次、そして山中鹿介もその文を読んだ。まさか主君明家と敵将秀吉にそんな邂逅があったとはと驚いた。

 秀吉は以前から、明家の行政官や武将としての才能を愛しており、かつ幼き日の明家に家来にしてやると約束していた。柴田勝家の嫡男と云う事はすでに知っている。だから明家に降伏を呼びかけ厚遇を約束するのは異例中の異例である。敵の総大将の嫡男は殺すのが当時の武家の定法だからである。秀吉は『岐阜の城下の酒場にて、お前を家来にしてやると約束した。それを果たさせて欲しい』敵軍総大将の嫡男を家臣として迎えると云う異例を秀吉が施したのも、この時の約束ゆえだろう。明家に降伏を決断させるのは今と、鹿介は話を切り出した。

「よほど、明家殿の才が欲しいのでしょう。まして昔にかような良き出会い方をしているとなればなおの事」

「山中殿…。昔は昔、今は今、羽柴秀吉は我が父母の仇にございます!」

「ですが…ここで死んでもご父母の仇はとれませんぞ」

 明家の横にいた奥村助右衛門、前田慶次は城をまくらに討ち死にもいいと思っていた。しかし、あえて自分の主張は通してはいけないと思った。明家の肩には家臣たちは無論、非戦闘員の女と子供と年寄りの命がズシリと乗っている。

「人間五十年、羽柴筑前は四十五、明家殿は二十二、生きてさえいれば、いかようにもまだご父母の仇を取れる機会もございましょう」

「……」

「よう戦いました。誰に恥じる事がございましょう。ご自分を慕いついてきた弱き者を守るため、この一時の恥を受け入れられよ。胸をはって秀吉の降伏勧告を受け入れられよ」

「山中殿…」

「我ら一党はかつて秀吉に捨て殺しにされ申した。その秀吉に敗れる。悔しいのは…それがしとて同じでござる」

「クッ…」

 明家は無念の涙をポロポロと落とした。奥村助右衛門、前田慶次も無念に拳を握った。明家が降伏を決断した時、丸岡城は涙の雨に濡らされた。妻子のいる部屋へと行った明家。三歳の竜之介の寝顔を見つめる。そして妻のさえに静かに言った。

「さえ」

「はい」

「俺は羽柴秀吉に降伏する」

「……」

「すまん」

「何で…謝るのですか」

 さえの父、朝倉景鏡は羽柴秀吉の調略により朝倉家を裏切り、主君義景を討った。秀吉はその手柄で出世したが、景鏡はそのまま捨てられた。景鏡が一向宗に攻め込まれた時、誰も援軍には出ていない。さえの父は秀吉の立身出世に利用された挙句見殺しにされた。さえにとって秀吉は父の仇と同じ。夫婦揃って秀吉が親の仇である。夫の明家はその仇に膝を屈する事を妻に詫びている。さえにもそれは分かる。

「殿の方が私の何倍も悔しい思いをしている事くらい分かります…!」

「さえ…」

 二人は抱き合い、そして悔し涙を流して泣いた。城中に降伏が伝えられると一斉に泣き声が上がった。無念の涙だった。

「さえ、俺はこの悔しさを一生忘れない、忘れるもんか!」

「私も忘れませぬ…!」

 

 翌日、明家は前田利家を通じて秀吉に降伏を表明。使者は奥村助右衛門と吉村直賢が立ち、その後に明家自らが秀吉本陣に赴いて降伏を申し出た。秀吉はこの英断を喜び、明家の手を握り『戦場のならいとはいえ、父母をあやめたこと済まなく思う。そなたを重用する事により、わずかでも償いとしたい』と延べ、さらに『半兵衛が戻ってきてくれた』と明家をギュウと抱きしめた。秀吉にはそれだけ明家が欲しい人物だったのである。

 

 それを丸岡城の天守から見守る山中鹿介。

「山中殿」

「前田殿」

「貴殿が丸岡に来られたのは…殿に降伏を決断させるためでござろう」

「いかにも」

「そのために…負けると分かりきったこの城の攻防戦に加わったのでござるか」

「ちゃんと下心はあり申す。尼子の再興、明家殿にご協力を願いたいからにございます。それを実現させてくれるお方は明家殿以外にない。だから恥をしのんでも生き延びてほしかった」

「なるほど…」

「合戦には勝ち方と負け方がある。それを誤ると我が身を滅ぼす。身をもって知っていますからな。アッハハハハ」

「いや感謝しておりもうす。我ら二人は柴田家と大きく関わっている。勝家様を討った相手に『降伏を』と、殿に申せなかった」

「立場が逆ならそれがしも同じでござるよ。礼には及びませぬ」

「このまま、当家にいて下さるのですかな?」

「それは明家殿次第にございます。今の我らは援軍で、家臣ではござらぬゆえ」

 

 それからしばらくして秀吉は論功行賞を行った。そして柴田明家を若狭の国主にする事を発表した。降伏してきた将が国主、これは破格である。元々明家は丸岡五万石の大名であるが若狭一国では一気に三万五千石の加増である。

 当然、羽柴軍には不満が立ちこめた。しかし賤ヶ岳と丸岡城での柴田明家のすさまじさは誰もが認めていた。羽柴勢で明家に勝てた将は誰もいなかった。優れた武将を召抱えたのなら厚遇するのは当たり前の事である。譜代の臣を持たない秀吉にとって過去に良き出会い方をしており、かつ智勇備えた明家はどうしても欲しい男であった。

 何より明家は竹中半兵衛と性格が似ている。出世に仕えず仕事に仕える男である。野心はなく創造的な仕事に自分の意義を見出す王佐の人。たとえ自分が父母の仇であろうと、謀反を起こして報復をするような短慮者でもない。士として遇すれば裏切らない。明家の養父と実父はそういう性格をしている。人間通の秀吉は明家の性質を理解していた。

 だからこそ最初に厚遇を示す必要があるのである。無論、新参の身で、降伏してきた身で、と羽柴の同僚には嫉妬の念が明家に向けられるだろう。だがそれで潰れるのならそれまでの男と云う事である。兄の意図を察していた羽柴秀長が古参の不満を上手く鎮めた。丸岡は召し上げとなったが柴田明家は若狭国主となった。石高八万五千石の大名となったのだ。

 

 しかし秀吉もそう甘くない。明家から人質三人を要求している。妹の茶々、初、江与である。しかも茶々は側室としてである。当然明家は拒否した。若狭はいらないから妹を取り上げないで欲しいと必死に懇願したが秀吉は聞かなかった。

 あまりにしつこく妹の変換を要求するので秀吉は初だけ返した。しかし茶々と江与を返そうとしなかった。明家はあきらめない。父母の仇の側室になっては、あまりにかわいそうで、何より死んだ父の勝家と母のお市に合わせる顔がない。明家は恥も外聞も捨てて秀吉に妹の返還を頼んだ。

 しまいには泣く泣く正室のさえを人質に出すから妹は取り上げないで欲しいと要望した。夫の気持ちを察し、さえもこれを受け入れるつもりだった。しかし秀吉は譲らなかった。茶々はお市と容貌が似ている。絶対に返したくなかった。

 このままでは兄は強硬手段に出る、ついには見かねた妹二人が『受け入れる』と兄に述べて事なきを得た。茶々と江与は高禄まで辞し、そして愛妻のさえを身代わりにしてまで自分たちを取り戻したいと思う兄の気持ちが嬉しかった。実兄と分かる前から明家を思慕していた姉妹たち。いっそ羽柴家に深く関わり、兄を支えよう、そう腹を括ったのである。

 

 とにもかくも若狭一国の国主となった柴田明家。これからは秀吉が主君である。明家は考えた。このまま柴田姓で良いものであろうかと。柴田は羽柴にとって仇敵である。それを名乗っているのは色々と支障があり、何より降伏した自分は父勝家の家名を名乗れないと思い、明家は水沢隆広に名を戻そうとした。しかし秀吉はそれを知るや

「ならん、そなたにとって水沢姓もまた大事であろうが、柴田勝家の嫡男と云う誇りを捨てる気か。儂がどうして羽柴と云う柴田殿の一字を貰い受けたか知らぬそなたでもあるまい。儂と権六殿は個人的に仲も悪かったのは確かだ。世間一般は儂と権六殿が初対面から犬猿の仲と思っているようだが違う。後に不仲になったものの、笑って酒を酌み交わした事もあるのだ。皮肉にも信長公亡き後に戦ったが別に権六殿を憎くて戦ったのではない。つまらん気を使うな。堂々と柴田を名乗れ」

 と言ったのだ。明家は秀吉の言葉が素直に嬉しかった。今後も彼は柴田明家と名乗っていく。

 

 破格の待遇、柴田明家は羽柴家の寄騎大名となった。八万五千石には及ばないが、同じく破格に禄が上がった加藤清正や福島正則を初めとする賤ヶ岳七本槍は明家を祝福し、羽柴の幕僚入りを歓迎した。賤ヶ岳と丸岡城における明家のすさまじさを見て彼らは明家を認めていた。年齢も近いため素直に同僚になったのが嬉しかった。だが山内一豊は屋敷で愚痴ッていた。

「これではもう明家殿と親しく付き合えぬ。降伏してきた彼が八万五千石の厚遇を得て、かつ虎之助(清正)が三千石、市松(正則)が五千石の加増だぞ。儂などたったの五百石!秀吉様は理不尽すぎる!」

「……」

 一豊のグチを聞く妻の千代。

「勘違いするなよ千代、儂は明家殿の軍勢に吉兵衛を討たれた事は恨んでいない。戦場のならいゆえ恨む事は吉兵衛にむしろ申し訳ない。だが八万五千石の厚遇は腹に据えかねる。同じく明家殿と友誼を結んでいた仙石権兵衛もグチッておったわ!『何で明家殿が八万五千石の厚遇で、儂や伊右衛門(一豊)のような秀吉様が藤吉郎と云う名前の頃から仕えてきた者が冷遇されるのだ』と!まったく同感じゃ!」

「明家殿は元々丸岡五万石の大名で、柴田勝家様のご嫡男。家督をお継ぎになっていれば越前国主でした。秀吉様の直臣ではなく従属大名と云う位置取りとも思慮されます。旦那様は秀吉様の直臣、直臣と従属大名では待遇が違うのは当たり前では?」

「そんなもんなのか?」

「従属大名は羽柴政権の枝葉、旦那様は直臣衆ですから根幹にございます。秀吉様は従属大名を高禄、直臣衆には羽柴家での地位と権限を与える気では?」

「とは申せ八万五千石はなかろうが!」

「丸岡五万石を召し上げられ、妹二人も人質に取られるのですから若狭一国と云うのも妥当かもしれませんよ」

 一豊はまだ納得できない。

「それにしても権兵衛殿の奥方の蝶殿は明家殿のご養父様に命を救われた経緯があるゆえ、良人のグチを聞くのはつらいでしょうねぇ…」

「なぬ?」

「旦那様、当家は姫を明家殿に救われましたよ」

「そ、それは感謝しとる!だが今回の事とは別問題であろうが!」

「そんなに申すのならば、いっそ徳川様にお仕えしては?」

「な、なぬ?」

「金ヶ崎の撤退戦よりの縁ではございませぬか」

「…それはできん!」

「ならば今まで通り歯を食いしばって秀吉様にお仕えするしかございません」

「だからこうしてグチッとる!」

「旦那様、秀吉様のえこひいきが不満ならば今の悔しさを忘れず、自分は家臣たちにこうするまいと学ばれるが良いと思います」

「ふむ…」

「そして明家殿、若狭八万五千石を一気に与えられ、むしろ一番戸惑っているのは彼ご自身でしょう。三万五千石も加増ですものね」

「まあ、そうであろうな」

「旦那様のように、降将が八万五千石と不満を持っている方は多いと思います。しかし旦那様はそれと同じくしてはなりません。むしろそういう嫉妬の念から新参の明家殿を庇う事が山内一豊、男の見せ所ではございませぬか?」

「そ、そうかな」

「男の値打ちは禄の多い少ないではございませぬ。以前に中村様と堀尾様が百五十石の時に旦那様が四百石になって、それを不満としたお二人に冷たい素振りをされた寂しさ、忘れておりますまい。旦那様は明家殿にそんな仕打ちをなさるのですか?あの人は与禰姫を命がけで助けて下された方なのですよ」

「……」

「こんな時こそ、救いの手を差し伸べるのが友ではないですか」

「千代の言う通りじゃ。つまらぬ事を申した、許せ」

「旦那様…」

「あやうく駄目男となりそうじゃった。そうじゃな、こんな時こそ親身となってやるのが友と云うものじゃ!うん!」

 一豊の顔に笑顔が戻った。ホッとする千代だった。

 

 数日後、秀吉の城の中での出来事。廊下を通る明家と細川忠興が会った。

「おお、柴田殿」

「これは細川殿、お久しぶりにございます」

「それがしは隣国丹後の国主ゆえ、今後よしなに」

「こちらこそ」

「それにしても一気に若狭国主とはすごいですな。妹二人を質に入れた甲斐がございましたなァ、あっはははは!」

「……」

 拳を握り明家は耐えた。だが一緒にいた小野田幸猛は激怒し

「その言葉聞き捨てならぬ!」

 刀に手をかけた幸猛。

「よせ幸猛!」

「いいや断じて許しませぬ!」

 そこへ

「細川殿!」

 一豊が来た。

「おお山内殿、何か?」

「何かではない!その言いようはあまりに無礼であろう!柴田殿に詫びられよ!」

「何だと?」

「丹後一国の国主が何と情けない!父の幽斎殿が聞けば嘆かれよう!」

「…ふん」

 忠興はそのまま立ち去った。こういう嫌味を明家に言うのは忠興だけではなかった。賤ヶ岳や丸岡城で直接明家と戦った者たちは言わなかったが、他の者は少なからず言って来た。忠興と明家は後に文人として友誼を持つようになるが、この頃はあまり仲が良くなかったようだ。

「…かたじけない、伊右衛門殿」

「ははは、いや何の」

「もう慣れました。まだ羽柴家では武功を立てておりませぬゆえ、無理もございません」

「元気を出されよ。賤ヶ岳でそれがしを吹っ飛ばした男がそんなに覇気がないと負けたそれがしの立つ瀬がござらんぞ」

「は、はあ…」

「それにしてもまあ…確かにああいう悪口雑言を黙らせるには武功しかござらぬな」

「はい」

「まあ羽柴もまだ敵は多うござる。早晩、戦はございましょう。それが好機ですな。しかし焦りは禁物ですぞ」

「お言葉、かたじけなく」

「ははは、それでは」

 一豊は去っていった。自分の短慮を明家に詫びる幸猛。

「殿、申し訳ございません」

「そなたが謝る事はない。柴田家に仕え始めた頃もこんな事はあった。今に忠興殿とも分かりあえる日もあろう」

 

 しばらくして明家は京に庵をかまえる山中鹿介を訊ね、家臣にと願った。

「尼子の再興、それがしにも協力させていただきたい。月山冨田城(尼子氏の居城)を奪還するのは無理でございますが、何の巡り合わせか若狭一国を拝領しました。山中殿の預かる尼子勝久殿の姫にしかるべき男子を婿取りさせ、生まれた子に尼子を継がせ、重用する事を約束いたします」

 明家は約定の書面を差し出した。それを手に取る鹿介。

「明家殿…。今だから申せますが、それがし丸岡に赴いたるは…」

 明家は手のひらを向けて、それを制した。

「どんなお考えがあったにせよ、負けると分かっている戦いに援軍に来てくれた感激。それがし一生忘れませぬ」

 自分を尼子再興のために利用する、そんな事は明家にも分かっていた。しかし、だからと云って敗北が分かりきった城に誰が援軍に来ようか。

「その夢を委ねられるは武門の誉れ、だが今はまだ乱世。それがしに協力願いたい」

「身命を賭けて、この鹿介お仕えいたしましょう!」

 この時明家二十三歳、鹿介三十八歳だった。自分が選んだ主君に間違いは無かった。鹿介は感涙して若き主君の手を握るのだった。

 

 若狭の地を羽柴秀吉から与えられた柴田明家。若狭の民たちは明家の入府を歓喜したという。理由はこうである。

 若狭の地は織田信長から丹羽長秀に与えられたが、その統治の時、大変な凶作に陥った事があった。越前と若狭はほぼ同じ気候風土、だが越前では凶作どころか豊作だった。若狭丹羽氏と越前柴田氏の農業指導者の違いと言えるだろう。

 しかし当主の長秀は安土城における務めが多く、近江の佐和山城にいる事の方が多かった。嫡男の鍋丸(後の丹羽長重)はまだ齢十を数えたばかりだったので家臣たちが何とか窮地を脱しようと画策するが、事は思うように運ばなかった。ついに長秀の家臣たちは小さな村五つほどを見捨てたのである。

 それを聞きつけた水沢隆広は主君勝家に救済を申し出て、北ノ庄の兵糧の一部を割いて若狭に向かった。長秀から留守を預かる長束正家は越前若狭の国境まで出向いて

『それでは丹羽家の面目丸つぶれ、帰られよ』

 そう隆広に抗議したが、

『お家の面目と民の命どちらが大事か!』

 と逆に怒鳴られて、渋々ながらも柴田家の救済を受ける事となった。その後に隆広は凶作になった田畑を検分して、地元の民に“武士に頼らず、自分たちで美田を切り開け”と、正しい治水方法と開墾の仕方を教えたのである。その後、その村々が飢饉になる事はなかった。隆広の計らいに感動した若狭の民たちは『我らの国が水沢様の国にならばと願う』とその人徳を慕った。その水沢隆広が領主柴田明家となって入府するのである。若狭に入国するとき、領民はこぞって出迎えに出たと伝えられている。

 若狭の国は丹羽氏が統治していたが、山崎の戦いや賤ヶ岳の戦いの功績によって丹羽長秀は越前一国が与えられていた。そして空いた若狭に明家が入府したと云うわけである。明家は一度来たかった若狭の三方五湖に訪れていた。さえとすずも一緒である。三方五湖と若狭湾がいっぺんに展望できる山に登ったのだ。明家の背にはすずが背負われている。

「きれい…」

 あまりの絶景にさえは惚けた。登ってくるのはしんどかったが、疲れが吹き飛んでしまった。

「ああ、想像以上の美観だ」

「ここが殿の国なのですね」

 と、すず。

「そうだ。どうであれ、ここは俺の国となった。今まで時に妹二人に辛苦を押し付け、父母の仇に仕える自分が腹立たしく塞ぎこむ事はあったけれども、そんな自分を払拭するため、ここに来た」

 さえとすずは顔を見合わせ微笑んだ。若狭湾から吹く風を思い切り吸い込む明家。

「よし!」

 背中からすずを降ろしてさえの横に立たせた。

「二人とも俺は柴田の尚武の気概は絶対に忘れない。羽柴の武将になっても負けるものか。必ず生き抜いてお前たちを幸せにするぞ」

「「殿!」」

「うん、若狭に新しい城を作ろう!」

「「お城を?」」

「そうだ、若狭のほぼ中心にある小浜の地に平城を作る!今ある若狭の城は要地にあるわけでもなく、城下町もない小規模な山城や砦だけ。あってもムダ金がかさむだけだ。八万五千石なら一城で十分。よき城を作り、新たな若狭の町を作ろう!」

「殿…!」

「さあこうしてはおられん、帰るぞ!」

「「はい!」」




山中鹿介幸盛登場です。好きなんですよね、この方。


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小牧・長久手の戦い

「苦労はないか?酷い目に遭わされていないか?」

 ここは山崎城、秀吉の現在の仮居城である。ここに明家は来ていた。そして茶々と江与に会い、近況を聞いた。

「大丈夫です兄上、ここでの生活も慣れてきましたし」

 と、茶々。

「まだ…夜閨は強要されておらんな?」

「はい…」

「すまんな…。俺がもっとしっかりしていれば…」

「もう、兄上は私たちに会いに来ると謝ってばかりです」

 江与が頬を膨らませて怒る。

「あ、すまん。…あ!」

「ほらまた!」

「あははは…」

「兄上、江与の婚儀が決まりました」

「誰か?」

「尾張大野城主、佐治一成殿にございます」

「そうか…。初にも京極高次殿に嫁げと下命があった…」

「妹二人を先に、と秀吉様に要望しました。私が夜閨を命じられるのは、もうじきにございましょう」

「どうしても嫌なら佐吉、いや三成殿に訴えよ。若狭に逃れる算段をしてくれよう」

 秀吉が茶々を側室にすると言った時、三成は強く反対していた。結果、茶々は受け入れると言ったが、まだ無念に思う明家に

『夜閨間近になり、姫がどうしても嫌と言うなら、それがしが何とか若狭に逃れるよういたします』

 と三成は言っていた。この言葉に明家はどんなに救われたか。しかし茶々とてそんな中途半端な決心で『受け入れる』と述べたのではない。

「兄上、私も子供ではございません。これも女の戦にござれば…」

(秀吉に実子はいない…。私が世継ぎを生めば、私と兄上で秀吉の天下を乗っ取れる。最後に笑うのは柴田にしてみせる)

 

「柴田様」

 明家たちのいた部屋に使いが来た。

「貫一郎、あ、いや今は大野治長であったな」

 大野貫一郎、後年の治長、北ノ庄落城の時は柴田明家の命令で江与を抱いて脱出した。お市に『大野、頼みますよ』と云う最後の願いも聞いていた。茶々姫の乳母の子であり、茶々とは乳兄妹となる。柴田明家は父の勝家の小姓をしていた大野貫一郎をかなり前から買っていた。分別があり思慮深い少年だった。だから北ノ庄落城前、とっさに一緒に来いと命じたのである。

 丸岡は没収され、柴田明家は若狭に異動となった。若狭国主というわけであるが、秀吉に茶々と江与の妹を人質に取られた。そのさい明家は茶々と乳兄妹である貫一郎をそのまま茶々と江与に随行させたのだ。それは明家ではなく秀吉に仕えると云う事になるが、貫一郎は妹を心配する明家の気持ちを察し、それを受け入れた。現在は茶々姫、江与姫付きの羽柴家臣として秀吉の居城にいる。

「はっ、目通りを許されました。どうぞこちらに」

「承知した」

 そして城主の間に着いた。

「殿、柴田様がお越しです」

「ふむ、通せ」

「はっ」

 秀吉の前に歩む明家。秀吉の傍らには石田三成が座っていた。

「殿におかれてはご機嫌うるわしゅう」

「ま、ボチボチだな。大坂の城にもそろそろ入れそうで楽しみでならぬ。で、願いの儀とはなんじゃ?」

「はい、若狭に新しき城を作りたいと存じます」

「ほう、城とな。どこへ作る」

「小浜に平城を作ろうと思います。今ある城はすべて山城でございまして国主として政事に支障がございます。すべて破却して廃材も利用して新たな城を作り、そこから若狭の統治をしたいと思います」

「相分かった、築城を許そう」

「ありがたき幸せに存じます」

「ところで越前守」

「越前守…?」

「官位よ、従五位上越前守くれてやる。越前守、おまえに似合う官位名じゃな」

「も、もったいなき!その官位を誇りとします!」

「越前、そなたの家臣に吉村直賢と云う男がおるな?」

「はい」

「儂にくれ、と言いたいところであるが無理に引き抜いたとて、その男はお前の元であるから活躍が出来よう。だからそれは望まん。しかしその男、柴田の打ち出の小槌の異名を持っていた稀代の商将と聞く。堺と京にも本陣を与えるゆえ、思う存分に交易をさせよ。若狭での交易も自由にやるが良い。交易船に羽柴の旗を掲げる事も許す。しかし…」

「しかし?」

「それによって稼いだ金銀の五割、つまり半分を羽柴への上納を課す」

「承知しました」

「ほう…。渋ると思ったが半分も上納して大丈夫なのか?」

「堺と京、そして若狭本国で自由に行わせていただけるのなら、当家の運営は五割で事足ります」

「なるほどな、では遠慮せず半分いただくとしよう」

「はい」

「もう一つ」

「はっ」

「山中鹿介が生きており、そなたが召し抱えたと聞く」

「その通りです」

「儂の事を何か言っておったか」

 秀吉は織田家の中国方面を担う軍団長であったころ山中鹿介を支援していたが、後に信長の命令で見捨てざるをえず、結果鹿介の主君である尼子勝久は自害に追いやられている。

「包み隠さず申します。無論、最初は怨んだそうです。援軍の確約を破棄して、我らを捨て殺しにしたと」

「ふむ…」

「しかし、結果生き延びた鹿介は殿が信長公の命令で別所長治攻略を優先せざるを得なかったと知り、この乱世では逆恨みとも思え、主君勝久殿の無念は余りあるものであるが水に流そうと思ったそうです。大望は尼子再興。男子一生の本懐が復讐では悲しすぎると」

「なるほど、いや鹿介も今は羽柴の陪臣、怨みに思われていては困るからのう」

「はい」

「勝久の遺児は何といったか?」

「当年四歳の姫にござり、名は美酒姫」

「ふむ、よき名じゃ。その娘が婿養子を取る時には尼子の再興を許すぞ。厚遇してやると良い」

「はっ!」

「さらに越前」

「はい」

 コホン、一つ秀吉は咳をして言った。

「そなたに正室を世話しようと思う」

「…は?」

「いまの女房とは離縁せよ」

 あぜんとして秀吉を見る明家。

「そなたの女房は朝倉景鏡の娘であろう」

「……!!」

 驚いた明家、さえの出生は秘事とされていた。さえがそう望んでいたからだ。誰が何と言おうともさえは父の景鏡を誇りとしている。だがやはり世間から見れば主殺しの裏切り者なのだ。夫の出世の妨げになってはと、さえは秘事を望んだのだ。だから奥村助右衛門や前田慶次までもさえの本当の出自は知らないのである。

 これは石田三成も驚いた。旧主明家の正室さえは三成もよく知っており妻同士が親友でもある。しかし朝倉景鏡の娘と三成もここで初めて知ったのだ。朝倉氏ゆかりとしか聞いていなかった。まさか宿老級の武将の娘とは思わなかった。

「さえ殿が朝倉景鏡の娘…!?」

「恐れながら、どうしてそれを…」

「景鏡を調略する時に彼奴の重臣は無論、家族も調べた。見た事はないが、さえと云う娘がいる事は知っていた。そしてそなたの降伏後に丸岡に入城した儂は見た。大事に置かれている兜だけがない一揃いの甲冑、あれは景鏡のものだ。どういう経緯で手に入れたかは知らんが紛れもなく景鏡が甲冑だ。だからそなたの妻は景鏡の娘と分かったのじゃ」

「あ…」

(うかつだった…!殿と義父殿に面識があるのは当たり前の事であるのに義父殿の甲冑をそのまま城内に留め置くとは…!)

「越前、景鏡の娘なら当然儂を怨んでおろう。鹿介の性格は知っている。水に流すと言うのなら本当にそうする男だ。しかし女子は執念深い。ましてお前はその女房を溺愛している。儂を討てと頼まれて、情にほだされて判断を狂わす事もある。だから離縁せよ。景鏡を調略した儂が言うのも何だが、裏切りをしたのは彼奴の本性である。地金そのものが卑しいのよ。そなたの妻はその血を引いている。これからそなたは羽柴の武将として天下取りの戦場を駆ける者。そんな裏切り者の娘など捨てよ。儂がもっと器量よしの羽柴ゆかりの娘を世話してつかわす」

「…恐れながらお断りいたします」

「儂の命令が聞けぬか?」

「確かにそれがしの女房は朝倉景鏡殿が一人娘。しかしただの一度も殿を父の仇とそれがしに申した事はございません。人間ゆえ、心の中ではそう思っているのかもしれませぬが、だからと申して夫のそれがしに前後みさかいなく謀反を起こせなど口が裂けても申す女ではございません。かような分別なき女に惚れるはずがありましょうや!」

「女房かわいさにそう申しておるだけだ」

「その通りです。しかし添い遂げて八年、共に十五の時より苦楽を共にしている糟糠の妻をどうして離縁できましょうか。それがしの子も生んでくれた最愛の女房にございます。この乱世、一人放逐されれば妻は飢え死にします。それだけは、離縁だけは絶対に出来ませぬ。さえをお疑いならば、それがしが働きによって潔白を証明するまでにございます!どうかその儀だけはご容赦下さいませ!」

「…ふっ、聞いた通りの愛妻家よの。一豊の女房思いも病気と思った事があるが、そなたもさるものじゃ」

「殿…」

「分かった、では働きによって示してもらおう」

「はっ!」

「ん、大義であった」

「はっ」

 明家は去っていった。

「のう佐吉」

「はい」

「儂の意図が分かったか」

「ああ申しておけば越前殿はより懸命に働きましょう」

「その通りよ。ハナッから彼奴が女房と別れるなどせん事は承知のうえ、彼奴が懸命に働く事は儂にとって大いに助かるからな」

「はい」

「それに越前も今は儂の信頼を勝ち得るに懸命なようじゃ。幼き日の儂との邂逅にあぐらをかかず感心な事じゃ」

「『切れ者であるが根は真面目な男、厚遇すればとことん儂のために働く』と見た親父様の目が正解であったのでございましょう」

「ふむ、先が楽しみじゃ。佐吉も負けるでないぞ」

「ははっ!」

 

 明家は国許に帰り、築城を開始した。若狭の国には今まで国吉城、熊川城、新保山城、後瀬山城、高浜城、砕導山城と城があったが、丹羽長秀の入府の時にかなり破却されており、現在居城としている高浜城に加えて、国吉城、後瀬山城の三つしかなかった。

 しかもすべて山城である。高浜城は平山城であるが、当時すでに城の傾向は平城になりつつなっていた。城下町を作るうえで適しているのである。小浜城の縄張りを終えると、明家は国吉城、後瀬山城を破却して廃材と石材を運ばせ、また丹羽氏が破却した城一連の遺構から石垣に使えそうな石は運ばせた。再利用できるものはとことん使ったのである。新田開発や治水も同時に行い、石高を上げる事にも余念はない。

 吉村直賢は新天地の若狭でも手腕を振るい、順調な交易を行っていた。また明家が大名になったので、藤林一族も若狭へと転居してきた。三方富士と呼ばれる『梅丈岳』を与えられ、そこで新たな里を作った。

 

 小浜城が完成した。再利用した木材や石材も多いので、さぞやみすぼらしい城かと思えばそれは見事な平城として完成した。城下町も作り、若狭の人々はこぞって移民してきた。羽柴家臣としての柴田明家。やっと自分の基盤を築き上げたのだ。

 無論、父母の仇に仕える明家に中傷がなかったと云えばウソになるだろう。だが明家は旧柴田の者をけして見捨てなかった。

 若狭の地を与えられ、明家は望んでいた部下たちの暮らしの安全を確保でき、散り散りになっていた柴田家に縁の者たちに『羽柴秀吉様に仕える事になった柴田の若殿で良ければ戻ってきてくれ』と呼びかけた。するとほとんどの柴田に縁の者が戻ってきた。他家に仕官が決まっていた者さえ戻ってきたと云う。明家は下っ端武将から柴田勝家の幕僚を務め、柴田の若殿としての名分ではなく自分の才覚で部将まで出世しており、その軍才と行政手腕の卓越振りは誰もが知っていた。柴田家の者は明家の力量を十分認めていたのだった。毛受家、中村家、拝郷家、徳山家、原家もこの時点で帰参した。それらの家で勝家に直接仕えた者はいない。全員賤ヶ岳で討ち死にするか、北ノ庄落城のおり勝家と運命を共にしていた。明家が召し抱えたのはそれらの子弟である。柴田家は一気に若返った様相を示す。

 賤ヶ岳の撤退で柴田明家軍が粉砕した柴田勝豊軍。勝豊の家は長浜を召し上げられ、事実上滅亡した。秀吉に寝返った事を死の床で最期まで悔やみ涙を流していた話を伝え聞いていた明家は、勝豊の長男の権介を召し抱えた。これに後に再興された山崎俊永の家を加え『柴田七家』と呼ばれる事になる。

 

 しかしこの間、明家はずっと小浜城の築城と国づくりをするために若狭の国にいたわけではない。それら内政は家臣に任せ、秀吉の命令で出陣している。織田信雄が徳川家康に援軍を要請し、家康がそれに応えた。羽柴秀吉と徳川家康の対決である小牧長久手の戦いである。明家は三千の兵を連れて秀吉の陣にいた。この戦いが明家にとって羽柴の将として始めての出陣であった。評定衆に組み入れられ秀吉の陣屋にあった。先の前哨戦で家康に煮え湯を飲まされた池田勝入斎(恒興)と森長可が出陣を訴える。

「小牧山を攻めても容易には落ちない。かといって長く対陣していても、このような大軍では兵糧の維持が難しくなる。小牧山の方も日毎に人数が増えてきており、きっと岡崎は手薄になっているに違いない。このさい密かに岡崎を攻めれば家康は狼狽して岡崎へ帰るであろう。自分を将とする別働隊を組織し、是非やらせてくれ」

 婿の長可も賛同。

「舅の申す通りです!岡崎を落とせば家康は陸の上の河童と相成りますぞ!」

「中入ですか」

 と、明家。

「そうじゃ!このまま時を無駄に過ごせば士気が落ちるのみ!羽柴殿!」

「中入は駄目じゃ」

 首を振る秀吉。

「それがしも殿と同意見にございます。賤ヶ岳でどうして柴田が敗れたか。佐久間玄蕃殿の中入が発端にございます」

「柴田家当主の越前殿には申し訳ない言いようであるが、この勝入斎と婿の武蔵(長可)を玄蕃ごとき猪武者と一緒にしてもらっては甚だ迷惑。筑前殿、何とぞ手前と婿に出陣をお許し下され!この膠着状態の突破口を開いて見せましょう!」

 その日の軍議は結局何も決まらないままに閉会となった。秀吉は陣屋で考え込む。

「勝入斎殿は功を焦っておられますな…。先の敗北の汚名を返上するために躍起なのでございましょう」

 と、秀吉の弟の秀長。

「八万の大軍を擁しながら儂らは寄せ集めの軍だから一つにようまとまらん」

 床に拳骨を叩き付けて忌々しそうに怒鳴る秀吉。

「儂が総大将なのに、勝手な事を言いおって!あの狸相手に中入が通用するはずもないわ!」

 陣屋の戸を開けて家康本陣を睨む秀吉。

「動かんのォ~ッ!狸め!」

 しかし秀吉は姉川の戦いで徳川軍の強さを思い知っているのでうかつに手を出せなかった。業を煮やした秀吉は翌日、加藤清正と福島正則を伴い、陣を出た。家康の陣から鉄砲の射程距離ギリギリのところに止まった。

「家康殿―ッ!」

 陣の奥で食事中だった家康の元に織田信雄から使いが行った。

「どうした?」

「羽柴秀吉が我が陣の目の前に!」

「なにぃ?」

 家康と家臣たちは砦の見張り台に駆けて行った。秀吉は見張り台に家康が来るのを見届けると

「おお!そこにおられるのは三河殿にござらんか!長篠の戦以来でござるなあ!」

「秀吉…」

「そんな所に閉じ篭って何をしておられる?早う攻めてこられよ!さあさあ!」

「おのれ筑前めが!撃て撃て!」

 織田信雄が指示を出したが

「待たれよ、たった三騎で来た者を撃ったところで武名に恥、非公式のご使者程度に見ておきなされ。それに鉄砲は届きませんぞ」

 家康が止めた。

「しかし三河殿!」

「あんな手段に出て来る事そのものが秀吉の焦りの証拠、相手になさいますな」

「どうした家康!こーれでも喰らえ!」

 秀吉は徳川陣に尻を丸出しにしてペンペンと叩いた。豪快な放屁もおまけつきだ。そして帰っていった。

「はっはははは!」

 笑う家康。

「はっははは、今のはいささか下品でしたな」

 と、石川数正。

「ははは、しかしこれで分かった。秀吉はそろそろ痺れを切らす。羽柴陣への草(密偵)を増やせ!」

「「ははっ」」

 

 翌日、功をあせる池田勝入斎と森長可は翌日再度強硬に申し入れ、秀吉も渋々許可した。織田信長なら一喝し退けただろうが、今の羽柴秀吉の立場ではそれができなかった。秀吉と諸将はこの間までの同僚であり誰も秀吉の家来であるとは思っておらず、単なる諸将同盟の盟主にしかすぎない。

 ましてや池田勝入斎は織田家の先輩であるし機嫌を損ねたくないという配慮が大きく働いた。これ以上申し出を固辞すれば信雄の方へ寝返ってしまう恐れもあった。明家は強硬に反対したが聞き入れられず、中入は決定してしまった。

 軍団は羽柴秀次(当時は三好秀次)八千を総大将として、池田勝入斎親子六千、森長可三千、堀秀政三千が中入の部隊として向かった。この軍勢の数を聞いて明家は驚き、

『かような大部隊が移動して徳川に気付かれないはずがございません!奇襲には大軍が逆に枷となります!精鋭を集め、せいぜい三千ほどで行くべきにございます!』

 と、少数精鋭で向かう事を献策したが、功を焦る池田勝入斎と森長可は聞き入れなかった。また羽柴秀次もまたとない大役に胸躍らせ聞く耳をもたなかった。無念に軍勢が向かうのを見送るしかなかった明家。

 明家は長可配下にいる石投げ合戦をした仲間たちに、長可殿に中入りをさせてはならない、必ず徳川に気取られる、諌めて止めてほしいと頼んでいた。仲間たちは同意していたが、どうやら長可を止められるには至らなかったようだった。家康は翌日の夕刻には羽柴勢の動きをつかんでいた。最初は近隣の領民が報告してきたが家康は、

「まさか秀吉がこの状況下で危険な中入をするはずが無い。それは囮で我らを砦の外に誘きだそうと云う謀略だ」

 と考えて容易には信じなかったが、羽柴陣に放っておいた伊賀忍者たちから同様の事を告げてきた。家康は囮ではなく岡崎への中入と判断して出陣の準備を命じ、徳川軍は羽柴軍の後尾を密かに進撃しはじめた。徳川軍は羽柴軍の動きをすべて掴んでいたのに対し羽柴軍は家康の行動を何一つ知らず、岡崎を目指して行軍していた。奇襲する方とされる方の立場はまったく逆であった。

 

 先鋒の池田勝入斎の軍勢、途中で千二百ほどの守備兵がいる岩崎城を通りかかる。勝入斎は城攻めをしている場合ではないと無視をしようと思ったが、城からの銃撃を受け、それが勝入斎の乗っていた馬に命中して勝入斎は落馬してしまう。

 短気な性格の勝入斎は恥をかかされたと激怒し、作戦が『奇襲』と云う事を完全に忘れ岩崎城攻略に取り掛かった。この間、後続部隊は進軍ができず駐屯せざるを得なかった。その知らせは総大将の羽柴秀次に届いた。

「城攻めだと…?」

「はっ」

「ええい!寡兵の篭る城などにかまっている場合ではなかろうに!」

 岩崎城の城兵らはよく戦ったが、呆気なく落城し玉砕した。この間、森長可、堀秀政、羽柴秀次の各部隊は休息し進軍を待っていた。しかし、その時すでに徳川勢は背後に迫っていた。それに気付かない羽柴秀次軍。そして羽柴秀次の部隊に大須賀康高の部隊が奇襲攻撃をかけた!

「撃て」

 大須賀隊の鉄砲隊が休息中の秀次隊に襲い掛かった。榊原康政の部隊も嵩にかかって攻撃を開始。

「秀次様ァ!敵襲に…!グアッ!」

「退け、退けーッ!」

 油断していてアッと云う間に蹴散らされる秀次隊。秀次は馬も失った。もう走れないと秀次が思った時、秀次に仕えていた可児才蔵が馬に乗って通りかかった。

「おお可児!馬を譲ってくれ!」

「雨の中で蓑笠が欠かせぬと同様に、戦場で馬は欠かせぬ。ご容赦を!」

 才蔵は去っていった。

「彼奴!ただでは済まさんぞ!」

 秀次と共に陣にいた山内一豊も敗走を余儀なくされた。

「太田黒、太田黒は!」

「殿、馬の心配をしている場合では!」

 一豊に撤退を述べる家臣の祖父江新一郎。

「あ、あれは千代が買ってくれた名馬なんじゃ!」

「それは新一郎も存じておりますが、今はお逃げを!」

「千代、すまん!」

 敗走する秀次。しかしとうとう追いつかれ囲まれた。

「大将首だ、もらったぁ!」

 その時、空気の幕を切り裂く投石!

 

「ぐああっ!!」

「な、なんだぁ!」

 秀次に斬りかかろうとしていた者たちは投石により蹴散らされた。

「礫、放てーッ!!」

 柴田軍だった。明家の誇る小山田投石部隊が屈強の三河武士団を蹴散らす。三方ヶ原の戦いでも徳川軍団を震え上がらせた小山田投石部隊の攻撃。鉄砲では味方を巻き添えにする。正確無比な投石を誇る部隊だから可能であった先制攻撃である。

「羽柴隊、伏せよォ!」

 羽柴秀次、そして秀次の目付けとして随行していた杉原定利(秀吉の正室ねねの父)やその弟である木下利匡、柴田明家の指示で伏せた。

「鉄砲一番隊、前へーッ!!」

 投石部隊と同じく前面に出た鉄砲隊。

「撃てーッ!!」

 歩の一文字の軍旗、柴田勢が加勢に来て鉄砲を炸裂させた。投石隊と鉄砲隊が横隊に並び一斉に大須賀隊に向けて攻撃を仕掛けた。

「鉄砲二番隊、前へ!」

 すぐに後列の者が前衛に出て射撃。徳川勢は次々と撃たれた。

「ち、退け退け!」

 大須賀康高、そして榊原康政は退いた。

「追いますか?」

 と、山中鹿介。首を振る明家。

「無用だ、それより味方の回収を急がせよ」

「はっ」

 すでに徳川軍団は明家の前から消えていた。

「さすが三河武士、後退もまた一流だ」

 馬から降りて、秀次に向かう明家。

「秀次様、お怪我は?」

「だ、大丈夫だ…」

「良かった、しかし負傷はしておられる様子、陣に帰って手当てをせねば」

 秀次は震える。

「秀次様?」

「え、越前、俺は怖い。この敗戦で叔父上に殺されるのではないかと」

「勝敗は兵家の常、百戦百勝とはまいりませぬ。この敗戦を教訓として次にがんばると平身低頭お詫びすればお許しあるかもしれません。それに…岡崎を落とすと云う大前提を忘れ城攻めに至り前進を止めた勝入斎殿にも落ち度がござれば。さあ戻りましょう。替え馬を用意いたしましたゆえ」

「すまない…」

「申し上げます」

 六郎が来た。

「うん」

「大須賀隊と榊原隊は前方の堀秀政隊に攻撃に転じたそうにございます」

「そうか、我らの務めは秀次様救出のみ、堀殿ならすでにこの騒ぎを聞いて備えていよう。欲張らずここは後退して本陣に引き揚げる」

「ははっ」

「杉原様、木下様、残存兵をまとめて下さい。引き揚げましょう」

「承知した」

 と杉原定利。

「越前…。助かったわ。殿の下命か?」

 礼を述べる木下利匡

「その通りにござる」

「そうか…」

 本当は明家が秀次隊の壊滅を予想して、秀吉に出陣を願ったのであるが恩を着せるのでそれは言わなかった。そして柴田隊と秀次の隊は何とか本陣に引き揚げた。そのころ同時に池田勝入斎と元助親子、森長可討ち死にの報が届いた。堀秀政は明家の読んだとおり、奇襲に来た大須賀隊と榊原隊を撃退し、引き揚げてきていた。

 だが池田勝入斎親子、森長可の部隊は徳川と織田信雄の本隊に捕捉され、集中攻撃を受けて壊滅。池田勝入斎親子、森長可は討ち死にした。

 羽柴秀次は明家の言ったとおり、平身低頭に秀吉に謝った。刀を抜いた秀吉は秀次を斬ろうとしたが、結局冷淡に『失せろ』と言われただけで命は助かった。ホッと胸を撫で下ろす明家。

 

 そして山内陣。一豊はしょげていた。妻の千代がずっと暖めていた黄金十枚で購入した愛馬太田黒とはぐれてしまい、失ってしまった。愛妻に合わせる顔がない。一人にさせてくれと陣中で嘆く一豊。太田黒恋しさにベソすらかいた。そんな時だった。側近の祖父江新一郎が来た。

「殿!越前殿が陣にお越しです!」

「…帰っていただけ」

「そんな事をすれば一生後悔しますぞ!」

「なに?」

 なんと明家は太田黒を連れて山内陣に来たのである。急ぎ明家の元へ走る一豊。

「お、おお!んおおおッッッ!」

 一豊は太田黒に抱きついた。

「困りますよ一豊殿、それがしの愛馬にずーと付きまとっていたのですよ太田黒殿は!」

「へ?」

「それがしの愛馬ト金に言い寄っていたみたいです。ト金は受け入れたようで…せっかく松風の種を得て次代のト金を生んでもらおうと企んでいたのに…」

 恩を着せる事を明家は好まない。だからこんな文句も言いながら一豊に太田黒を返した。彼の愛馬ト金に太田黒が言い寄っていたのは事実のようだが。

「ま、待たれよお忘れか?天覧馬揃いのおり、亡き大殿(信長)に馬を褒められたのはそれがしと越前殿だけではござらんか!太田黒の種とて松風殿には負けませんぞ!ご安心あれ」

「じゃあ…ト金との間に生まれた駿馬すべて柴田家が独占しても山内家は異存なしでございますか?」

 意地の悪い笑みを浮かべ、冗談交じりに言った。

「え?」

「あの安土の馬市の時、それがしも太田黒に惚れていたのです。子種全部独り占めできるのなら黄金十枚を支払わずにそれがしの丸儲けにございますな!」

「い、いやそれはちょっとあんまりかと…俊足のト金姫と太田黒の間に出来た馬ならば当家も欲しいし」

 笑いあう一豊と明家、賤ヶ岳では槍も交えたが、同じ羽柴家の幕僚になってからは親しくしていた。

「しかしそうか、太田黒めがト金姫に。おお、ではもしや」

「え?」

「それがしが賤ヶ岳で越前殿に遅れを取ったのは儂の太田黒がト金姫に見とれていたからに違いない」

「いや『しつこい男は嫌い』と言われて太田黒がしょげていたからかもしれませんよ」

「ははは!でもさすがは儂の愛馬、めでたく恋しい娘を落としよったか。儂の元にも戻ってくれたし。終わりよければすべて良しでござるよ。あはははは!」

 

 そしてその夜、明家は秀吉の陣屋に呼ばれた。秀吉と秀長が待っていた。

「越前、礼を言う。甥のタワケはともかく、ねねの実父たる杉原定利とその弟の木下利匡を救出してくれたのは本当に助かった」

「恐悦至極にございます」

 池田勝入斎が岩崎城攻めをしたと情報が入ってきた時、秀吉は座っていた床几を思わず蹴り飛ばした。そこで明家はすぐに言った。

『秀次様が危ない、それがしに出陣を許して下さい!』

 秀吉は首を振った。

『ならん、無用に戦が拡大する』

『徳川殿や信雄様の首を取りに行くのではありません。秀次様を連れ帰るだけにございます。一刻を争いまする!何とぞお許しを!』

『…よし分かった。秀次を何とか無事に連れ戻せ!余計な戦闘はするでないぞ!』

 かくして明家は無事に秀次、そして杉原定利と木下利匡と云う秀吉縁者を救出する事に成功し帰還したのである。

 

  やがて秀吉は織田信雄に懐柔策を取る。今回の戦は織田信雄が羽柴の台頭を恐れて挙兵し徳川と共同作戦を取ったもの。信雄と秀吉が講和してしまえば徳川に大義名分が失われてしまう。

「で、小一郎、誰が使者ならよいと思う?」

「越前かと」

「ふむ…。悪くない人選じゃが?」

「越前は松永や武田に使者に立った経験があり、その武田攻めの陣中で家康と語り合ったとのこと。越前には一目置いているかと思いまする」

「そうよな。よし、越前に任せるとするか」

 織田信雄と羽柴秀吉の和議が成立したあと、秀吉の命令を受けて徳川陣に供を連れて赴く明家。この和議の使者は何としても成功させるつもりだ。

 

 徳川家康は小牧山から清洲城に後退していた。そこへ明家が訪れた。二人が会うのは武田攻めの帰陣中以来である。熱を込めて語り合ったが、今の家康は敵、そして明家は秀吉の使者としてである。敵意ある目で使者の明家を睨む徳川家臣団。しばらく明家は評定の間で待ちぼうけを食わされた。

「ところで越前殿」

 と、酒井忠次。

「何か」

「筑前殿は越前殿を得て『半兵衛が帰って来てくれた』と大喜びして申したそうですな」

「過分にもそう申して下されました」

「しかし、その新しい竹中半兵衛殿も案外だらしがないですな。あんな穴だらけ中入をよくもまあ。佐久間玄蕃の中入で柴田は崩壊したというに前例を学んでいないのには我らもガッカリしましたぞ」

 大笑いする徳川家臣団。

「勘違いあそばすな、それがし今だ義兄半兵衛の足元にも及ばず」

「負け惜しみを、池田恒興と森長可と云う大名首を失い、ようもそんな事を言えますな」

「勝敗は兵家の常、我らとて百戦百勝とはいきませぬ。むしろ今まで筑前守様は勝ち続けていた。この辺で一度痛い思いをした方が良うございましょう。現に徳川殿は三方ヶ原の戦いの手痛い敗戦を血肉としておられます。こたび徳川殿に負けたのは我らにとっても無駄にはなりますまい」

「ほう何か教訓でも得たと?」

「はい、ごく当たり前の事を」

「何か?」

「『どんなに軍勢が多かろうと信長公のように号令一下、全軍が一つになって動かなければ戦には勝てない』と云う事です」

「「……」」

「徳川殿は姉川の陣において筑前守様と仙石権兵衛殿にこう言ったそうです。『戦の勝ちも負けも両方愛さねばならぬ』と負け戦こそ教訓があると言う事と存じます。それがしも心掛けし金言にございます」

 家康を讃えながら反論されては徳川家臣団も言い返しようがない。歯軋りする酒井忠次。

(この若僧、何としたたかな…!これでは何も言い返せぬ!)

 ただの舌戦と侮るなかれ、すでにこういう席でも火花を散らす合戦は行われている。明家、徳川家臣団に一本取ったところであろうか。歯軋りしている酒井忠次を見て本多忠勝は顔を横に向けて笑っていた。

(ぷっくくく…言われてやんの)

 そのうち家康が入ってきた。

「久しぶりじゃのう隆広殿」

 明家の旧名を呼びながら腰掛けた家康。

「おう、今は越前守であったな。元気そうで何よりじゃ」

「はい、徳川殿もお元気そうで何よりです」

「して、用向きは?」

「徳川殿には終戦の確約していただきとうございます。それで羽柴はただちに撤退を始めます」

「……」

 しばらく見詰め合う家康と明家。そして家康、

「確約いたそう。徳川は三河へ引き揚げることにいたす」

「お聞き入れ、恐悦至極に存じます」。

(ふん、肝っ玉の据わった面しよって)

 家康は静かに笑い、言った。

「大義であった」

「はっ」

 家康に平伏し、席を立つ明家。

「越前」

「はっ」

「おぬしとは戦いたくないものじゃ」

「恐れられるは武門の誉れ。恐れ入りましてございます」

 城から出て行く明家。清洲城の上からその後ろ姿を見送る家康。明家の背中に亡き嫡男信康の姿を重ねる。

(相変わらず似ておる…)

 ふう、一つ溜息をついた家康。

「秀吉ではなく、儂に仕えてくれたらの…。惜しい男よ」



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さえ、倒れる

 清洲会議において、柴田勝家と羽柴秀吉との織田家の後継者争いが不可避の状態と相成ると佐々成政は柴田方についた。しかし賤ヶ岳の戦いには上杉軍への備えのため国許の越中から動くに動けず、成政は賤ヶ岳の戦いに参陣がかなわなかった。その後の秀吉の丸岡城攻めにも同様に上杉への備えのため援軍に行く事は出来なかった。成政は秀吉に対して徹底抗戦の構えを見せていた。しかし勝家の嫡男の明家が秀吉に降った。成政はそれを聞くや

『やはり隆広は腑抜けよ!』

 と唾棄し、柴田家の寄騎大名であった彼は柴田家と袂を分かつ事を明家にハッキリと明言。前田利家が取り成してもムダであった。その後に成政は秀吉から越中一国を安堵され、秀吉と敵対しない事としたのである。

 

 しかし小牧・長久手の戦いが始まるや、徳川家康と織田信雄方について成政は挙兵。秀吉についていた前田利家と敵対し、利家の領地分断を狙い、能登末森城を奪おうと攻めてきた。城主の村井長頼(史実では奥村助右衛門)はすぐに金沢城の前田利家に援軍を要請。佐々勢は八千以上の大軍で末森城に総攻撃をかけてきたので、末森城兵は次々と討ち死にしていった。援軍に向かう前田利家の兵力は佐々勢に比べてたった二千七百。家臣たちは大軍勢の敵勢を見て末森城の救援をあきらめ、秀吉の援軍を待った方が良いと進言したが前田利家は兜の緒を切り、死を覚悟して末森城に寄せて佐々勢と戦う事を決断した。

 密偵を放ち情報収集をする前田利家、密偵の一人が地理に明るい桜井三郎左衛門なる男を連れてきた。波打ち際沿いに土地の者しか知らない伏せ道がある事を知って、背後を衝けると利家は考え、そして出陣した。夜半から降ってきた雨が月明かりを隠してくれたのを幸いとし、前田勢は密かに海岸を進軍、敵の背後を突く事に成功し、佐々勢は総崩れとなったのである。旧主織田信長がやってのけた桶狭間の戦いさながらの奇襲である。

「見たかまつ、これでお前も少しは亭主を見直すだろうよ、あっははは!」

 当初、兵が足らない事から援軍に赴く事を躊躇していた利家だが、そこに正室まつが一喝した。

「普段から兵を大勢召抱えろと申し上げていますのに、算盤ばかりはじいて金銭ばかり貯めているから、こういう時に兵が足りないという事になるのです!」

 そして銭袋を利家に投げつけたのだ。それに感奮した利家は出陣したのだ。

 

 さて、前田利家は妻のまつに面目を施したが成政は苦しい。実は成政は越後の上杉景勝とも敵対していたので、事実上二方面作戦を強いられており苦戦が続いていた。そんな中、衝撃的な事実が富山城にいる成政にもたらされた。徳川家康と羽柴秀吉との間で和議が成立したと云うのである。

 詳しく調べれば、秀吉が織田信雄に和議を申し出て信雄が受諾。家康は戦う大義面分を失ってしまったと云う事である。

「おのれ秀吉!信雄様も何たる弱腰じゃ!」

 いきり立ち席を立つ成政。

「こうしてはおれぬ。徳川殿に再挙を促さねば!」

 しかし西の加賀には前田利家、東の越後には上杉景勝、上杉も秀吉に従属を表明しており、浜松への道は塞がれている。残された道は真冬の立山連峰を踏破して浜松に至るしかない。

 後世視点からすれば暴挙のほかにない。しかし佐々成政にはこの道しかなかった。家康に矛を収めてもらうわけにはいかないのだ。世に有名な『さらさら越え』である。成政は心配する正室はると母のふくに見送られ極寒の立山連峰に向かった。

 苦難の連続であった。現在装備でも遭難する道を進んでいたのである。凍死する家臣、崖から落ちる家臣、すべて主君成政に願いを託して死んでいった。ようやく浜松に到着した成政。家康は快く会ったが憔悴しきっていた成政を見て、先に食事と睡眠、そして湯を与え改めて会った。

 

「何と無謀な、よもや真冬の立山連峰を越えてくるとは…」

「それほどの決意だったのでござる…」

「…で、用向きは?」

「徳川殿、共に秀吉を討ちましょう。彼奴は信長様の天下を盗む極悪の猿でございます」

「…よもや秀吉の力はかつての右府(信長)殿を越えておりまする。どう戦うと申される」

「されば…」

 成政は練りに練った秀吉打倒の方策を家康に言った。しかし

「すべて机上の空論にござる」

 家康は一蹴したのである。

「徳川殿!」

「今からでも遅くはない。儂より前田利家か柴田明家に取り入り、かつての柴田幕僚のよしみで秀吉に取り成してもらうがよろしかろう」

「又佐(利家)や隆広に取り入るなど我慢ならぬ!」

「……」

「又佐は賤ヶ岳で敵前逃亡、隆広は勝家様の嫡男でありながら秀吉に降伏、揃って見下げ果てた連中だ!」

「ならばお好きになされよ。帰りの分の物資は当家で工面して差し上げる。気をつけて帰られよ」

「徳川殿!」

 部屋から立ち去る家康に叫ぶ成政。

「時の勢いでござる。儂にもどうにもならん」

 家康は去っていった。無念の涙を落とす成政。家康への説得は失敗、『さらさら越え』は虚しく実を結ばずに終わった。しかし、これを骨折り損のくたびれ儲けと誰が笑えようか。富山城に帰還した成政の前に見えたのは首尾よく行ったと云う成政の言葉を待つ家臣たちと家族たち。それを見た時に成政の胸に去来したものは何であったのだろうか。

 

 さて、小牧長久手の戦いの論功行賞が築城されたばかりの大坂城で行われた。秀吉は明家の武功に対して七千貫の金銭と兵糧五万石を褒美として与えた。

 明家は大喜びした。大げさな感謝の意を示す。秀吉にしてみれば当然の形で報いただけであるのに。明家には『越前は存外気が小さい、当然の恩賞に過ぎぬものにあんなに喜んでいる』と秀吉に思わせたい意図があった。

 かつて織田信長は武田攻めのあと、年来の同盟軍である徳川家康に対して駿河一国しか与えなかった。ところが家康は不満を言うどころか大喜びして礼の使者を信長に出している。家康には信長が自分を甘く見てくれるようにと期待する意図があった。その家康に学んでいたのが柴田明家である。毎回では軽蔑という産物がおまけにつくが、やりどころを見極めれば効果は十分に期待できる。

 

 やがて徳川家康は秀吉の妹の旭姫を正室とし、秀吉の生母大政所が秀吉の元に人質として赴く。ついに家康も無視できなくなり上洛し秀吉に臣下の礼を取った。

 秀吉の勢いは留まるところを知らない。次は四国を狙う秀吉。四国の覇者である長宗我部元親は小牧の役では徳川方についていた。信長の版図を受け継ぐ秀吉に危機感を持ち、家康の要請に応じて後背を脅かす約定を結んでいたが、この時の元親は四国統一の総仕上げ段階にあり、家康の要望に答えたくてもすぐに対応できない状態だった。

 やっと二万の兵を整え、さあ行くぞと思った矢先に羽柴秀吉は織田信雄と和睦してしまい、家康は合戦の大義名分を無くしてしまい撤退。元親と信親の親子は『せめてあと十日あれば』と悔しがったと云う。長宗我部に残ったのは羽柴秀吉と敵対したと云う事実だけであった。元親は秀吉の進攻に備えて防備を固めた。

 

 話と場所は変わり、ここは美濃金山城。森忠政の居城。兄の森長可は小牧・長久手の戦いで討ち死にをしたため、末弟の忠政が森の家督を継いだ。その家督相続の儀と長可の葬儀のため明家は尾張からの帰途中に金山城を訪れていた。石投げ合戦以来の金山であった。一通りの答礼を終えると、明家は長可の墓所へと訪れた。そこで若い娘が長可の墓に合掌していた。

「ふみちゃん?」

 その声に気付いた娘は明家に振り向いた。

「竜之介さん…?」

 ふみとは、明家が少年期に金山城下で過ごした時に出会った少女である。明家は彼女の命を助けた事があり、ふみは少女心に明家に恋心を抱いていた。明家の記憶ではいつも鼻水を垂らしていた女童のふみ。それが美しく成長していて驚いた。

「大きくなったなぁ…」

「竜之介さんは一層美男子になったね」

「そ、そうか?」

 コホンと一つ咳き込む明家。

「長可殿の側室になっていたとは聞いていた。このたびは残念であった…」

「はい…。殿は遺言されて出陣されましたが、よもやこんな事に…」

「遺言?」

「『家宝は秀吉に献上、家督は仙(忠政)が継ぎ、娘たちは武士ではなく医師など武士ではない地道な職の者に嫁がせよ』と…」

「なるほどな…。武蔵殿(長可)らしい…」

 合掌を終えた明家はふみに訊ねた。

「鮎助の具合はどうか?」

 鮎助とはふみの兄で明家が少年のおり、森蘭丸と石投げ合戦で対決をした時に竜之介陣営にいた少年で、石投げ合戦後に長可の父の森可成に足軽として召抱えられていた。現在は野村可和と名乗っている。可成亡き後は長可と仕えていた。可成と長可にある『可』の字が与えられていた可和。武辺のほどが知れる。だが彼は小牧・長久手の戦いの前哨戦とも云える羽黒の戦いで重傷を負っていた。

「傷は癒え出したのですが…殿の死が堪えた様です」

「そうか…」

「兄に会っていっていただけませんか。喜びます」

「そうしよう」

 明家は可和の屋敷を訪ねて旧友と会った。彼は妻子や妹にも会おうとしないほど打ちひしがれていたが、やはり旧友が来たら嬉しい。可和の床の横に座る明家。起き上がり床に座る可和。

「元気そうだな鮎助」

「ああ、何とかしぶとく生きている。なあ竜之介…」

 公の場では可和も明家に礼節を示し、言葉も丁寧だが、二人だけだと気さくに話す。そういう約束となっていた。

「ん?」

「聞いた…。お前は中入に反対したらしいな」

「ああ」

「殿にはすまないが…やはり俺も中入はまずかったと思う」

「残念至極ではあるが…もう過ぎた事だ鮎助」

「そうだな…」

「忠政殿はお若い。可成様、長可殿と仕えてきたお前たちが支えてやらないと」

「竜之介…」

「とにかく今は体を厭え。万事、体を治してからだぞ」

 野村可和の屋敷を出た明家、別室にいたふみが送り出した。

「ありがとうございます、兄はずっと塞ぎこんでいたのです」

「ははは、ところでふみちゃんはこれからどうするのだい?」

「実は…羽柴秀次様に側室にと請われています」

「え?」

「秀次様が忠政様の森家相続の儀にこちらに立ち寄られた時、物好きにも私に目を留めたそうです。秀吉様の甥御の要望では忠政様は断れないでしょう」

「それで…秀次様のところへ行くのか?」

「私が断れば兄の立場が悪くなります。私も森家には恩義がありますし」

「…」

「……の側室なら喜んで行くのに」

「え?」

「い、いえ何でも」

 ふみは小声で『竜之介さん』と言ったが明家には聞こえなかったようだ。ふみと歩く明家の元に使いが来た。

「殿様―ッ!」

「ん?」

「ゼエハア、金山中を探しただよ」

「どうした二毛作?」

 二毛作は数いる明家の使い番の中で、完全に明家の『私』で用いられているただ一人の使い番である。戦場と居城の間で明家と妻たちの手紙を送り届けする事を生業としている。

「大変だ殿様!御台様が倒れただよ!」

「な、なんだと!?」

 

 さあ四国を討つ時と思い秀吉は総大将に秀長を下命し、その参謀に明家を任命した。羽柴の軍師である黒田官兵衛も四国攻めに加わるが他の方面を担当するため、総大将の秀長には明家がつけられたわけであるが、何と明家は出兵を拒否。驚いた秀吉は理由を調べさせた。秀吉に帰ってきた報告は『妻が病気で倒れた』と云う事だった。

『そんな事が理由になるか!』と秀吉は激怒。今まで秀吉の信頼を得るために必死であった明家。だが彼は妻さえの事となるとまったく目が見えなくなる。激怒する秀吉をなだめた秀長。

「まあまあ、四国を平らげるための準備はもうしばらくかかりまする。まだ時間はあるゆえ、それがしが越前を説いて参りましょう」

「小一郎は甘い!女房大事に軍役を拒否する男など!」

「たとえそうでも越前の才幹は当家に必要。女房の事だと目が見えなくなる欠点が何ほどでございますか」

「うむむ…。分かった、行ってまいれ」

 

 ここは大坂の柴田屋敷。柴田明家の正室さえが床に伏せていた。呼吸も荒い。明家が小牧長久手の合戦の後、美濃金山城に立ち寄ったおり、使い番である二毛作が『さえ倒れる』を知らせてきた。大急ぎで明家は大坂に戻った。

 さえは大病を発したのだった。高熱が続き、異常な発汗に悪寒、激しい下痢と嘔吐だった。明家は人任せにせず自分で看病にあたった。毎日さえにつきっきりで、あれほど律儀な性格の明家が政務も軍務も省みなかった。

 高名な医師、曲直瀬道三も屋敷に連れて診断させたが、彼さえも手に負えず『覚悟をなさっておくように』と明家に告げた。だが明家はあきらめなかった。ずっと看病につきっきりだった。一国の国主が妻の下の世話までして看病した。だがさえは下の世話を受けるのが恥ずかしく、良人にそんな真似をさせるのがつらくてたまらなかった。

「やめて下さい…。殿にこんな姿見られたくない…」

「何言っているんだ。夫婦じゃないか。立場が逆でも、さえは俺にこうしてくれると思うぞ」

「殿…う、ううう…」

「あまり恥ずかしいなら侍女にさせるが…。俺じゃ嫌か?」

 さえは首を振った。だが、数日してあまりの苦痛に耐えかね、ついにさえは

「もう殺して下さい…。私は助かりません」

 と蚊のなくような涙声で明家に訴えたが、明家は聞こえないふりをした。明家はあきらめなかったのである。水ごりもした。寒がるさえを裸で抱きしめた。手足の冷感を訴えた時はずっと温めるように一日中その手足を愛撫した。自力で嘔吐物を吐けない時は口で吸って排出した。いつもさえを励ます優しい言葉を耳元で

『今日もきれいだ』

『そなたの寝顔を見ているのが好きだ』

『治ったら子作りしような。早くそなたを抱きたいよ』

 と、いつも語り続けた。そして侍女に女の化粧の仕方を教わり、毎朝さえの顔に化粧もして、髪もとかした。発汗著しいため、一日に何度も体を拭いて寝巻きと蒲団を変える。これも人任せにせず自分でやった。食事も水も明家が食べさせた。

「お、葱入りの粥だ。これは美味しそうだ。ほらさえ、アーン」

 食べてもすぐに嘔吐してしまう状態。でも何も食べなければ死んでしまう。明家は根気よく食べさせた。苦悶はするが意識は失わない。自分をずっと看病してくれる良人明家の姿にさえはどんなに嬉しかっただろうか。この人の妻になって本当に良かったと心から思った。

 

 そしてこのさえの看病中、秀吉から明家へ出陣命令があった。四国攻めの総大将羽柴秀長の参謀に任命されたのである。四国を一挙に攻める大合戦である。その総大将の参謀を命じられるのは秀吉の信任が厚いからに他ならない。

 だが明家は断った。しかも自分で直接秀吉にそれを言いに行かなかった。その時間さえも妻と離れたくなかったからである。今わずかの時間でも自分がこの場から消えたら、さえが寂しがって体力が落ちて死んでしまうと本気で考えていたからだった。実際さえは明家が用便を足しに行った時も童が母を欲するかのように『殿は?殿はどこ?私を一人にしないで…』とわずかの時間でも明家が離れると寂しがった。

 出陣命令を断った明家に対して、秀吉が激怒する事は家臣たちも察していた。主君明家の元気の源が妻さえである事を痛感する。諌めて無理に出陣をさせても心ここにあらずでは使い物にならない。

 大坂にいた山中鹿介は国許にいる奥村助右衛門に、せめて軍勢は出陣しなければと進言していた。助右衛門はそれを入れて国許で軍勢を整えて、前田慶次を留守居として柴田勢を率い大坂に向かった。

 しかし鹿介はギリギリまで待つつもりであった。助右衛門には申し訳ないが柴田勢の強さは明家が指揮をしてこそのもの。軍勢を到着させておくのも軍役を放棄するつもりはないと秀吉に示すためである。

 秀長の全軍出撃の号令が出て、なお明家が妻の元を離れられない状況ならば、やはり奥村助右衛門が名代で四国に行くしかない。参謀の任命を拒絶した事となるので、四国で相当な手柄を立てなければ主君の免罪にはならない。

 主君明家が秀吉の出陣命令を拒絶した事で当然他の家臣たちは危惧を覚える。しかし助右衛門、慶次、鹿介は『殿の他の才覚や器量において我ら柴田家臣は不足を感じているどころか満足に至っている。殿が奥方の事で目が見えなくなる事ぐらい何ほどの事がある。ここを補佐し助けられず家臣足りえない』と諭した。

 しかし柴田重臣たちは何としてでも秀長の号令まで御台さえが快癒してくれるのを願わずにはおれない。もし身罷ったら主君明家は合戦どころではない。奇跡を信じて待つしかなかった。

 

 そんなある日、羽柴家から使者が来た。出迎えた鹿介は驚いた。秀長がやってきたからだった。

「おお、山中殿ではないか」

「秀長殿…」

「そのせつはすまなかったな」

 尼子勝久軍の援軍への約束を果たせなかった事を改めて詫びる秀長。

「いえ、過ぎた事にござるゆえ」

「かたじけない。越前殿はおられるか?」

「はっ、奥に」

「では入らせていただきまする」

 だが明家は秀長と会おうとしなかった。いや会えなかった。苦悶している妻の横を離れられなかった。客間で待っていた秀長であるが、しばらくしてさえが横になっている部屋へと行った。

 明家は秀長を見ようともせず、さえの手を握り、顔を見ている。いかに明家個人と親しく、かつ根気ある秀長も腹に据えかね、

「おぬしは若狭国主としての自覚がおありか」

「……」

「君命を何と心得る!それともそれがしの参謀では不服と言うのか!」

「……」

「百歩譲って、それは我が不才と思おう。しかし殿のご命令に背く事は許さぬ。まして『妻の看護をするため』と断るなどもってのほか!殿の怒りは収まるまいぞ!」

「さえ、今日はどうだ?もうちょっと食べてみるか?」

「…と、殿…私など放っておいて…ご下命にお従いを…ゴホッゴホッ」

「そなたがかような事を気にする必要はないぞ、さ、今日はもうちょっと食べてみよう」

 明家は妻に食べさせる粥を杓文字ですくい、冷ますためフウフウ息をかけていた。さすがに忍耐強い秀長も激怒。

「何を考えているのか!おぬしの身勝手で柴田家の家臣とその家族を路頭に迷わせるつもりか!」

「…さえ、ちょっとごめんな、秀長様と話してくる。すぐ戻る」

「はい…」

 

 別室に行った明家と秀長。

「しばらく湯にも浸かれず無精ひげが見苦しいでしょうがご容赦を」

「そう言えば少し臭うな」

「申し訳ございませぬ」

「繰言は言うまい。越前そなたは女房が快癒しない限り出陣は出来ないと言うのだな」

「はっ」

「自分がどんな愚かな事を言っているか分かっているのか?」

「…亡き織田信忠様はそれがしにこう言って下された。恋焦がれた松姫様と結ばれない運命のご自分を鑑み『妻を大事にせよ、己の命よりも、水沢家よりも』と。今になってそのお言葉の重みと意味が分かりまする。妻おらずして何の柴田明家にございましょう」

「…越前、将は女に惚れ込んではならん。唐土の項羽の虞美人、源義経の静御前、明智日向殿の熙子殿、お父上勝家様のお市様…。妻に一途な英雄たちはどんな道理が働くのか知らんが何故か滅ぶ。そんな実直さが彼らの魅力と言えようが、いま越前は同じ道を辿ろうとしているのだぞ」

「病に伏した妻を見捨てるくらいでなければ将にあらずと…?」

「現におぬしは女房のために家をつぶす事も辞さない事を言っているではないか!そなたは私心で家臣たちが路頭に迷ってもかまわないと受け取れる事を言っておるのだぞ!」

「……」

「なるほど中将様(信忠)の言われる事も情では理解できる。しかしそれが出来ないのが、許されないのが戦国大名であろうが。そなたは柴田家と妻一人の命、どちらが大事なのか!!」

 

「妻の命にございます」

 

 何の迷いも無く明家は言った。こうまで言い切られるとさしもの秀長も一言も無い。

「最愛の妻を見捨てて何が将にございましょう。仮に…秀長様の言うように、妻を愛する事がそれがしの滅亡の起因になったとて結構。いやそれがしがその道理を断ち切ってみせます。妻を愛する者が結果滅ぶなんてこと…。それでは人の世があまりに悲しすぎるじゃないですか。それがしは妻を愛し、そして妻に支えられて、この乱世を生き延びてみせる!妻のさえはそれがしの宝にて命…!柴田明家のすべてなのです」

「……」

 明家を見つめる秀長。隣室で二人の会話に聞く耳を立てていたさえの侍女たちは主君明家の妻への愛情に感涙していた。

「御台様は何と幸せな」

「私もあんな事を殿のような方に言われてみたい…」

 すぐに一人の侍女が気をもんでいるさえに知らせた。柴田家と妻一人の命、どちらが大事か、妻の命と何のためらいなく言った良人。枕はさえの涙で濡れてしまった。

 さえは蒲団の中で泣いて思った。もし良人が滅ぶ時は私も滅ぶ。共に生き、共に死のうと。そして明家の気概を見た秀長。しばらく明家を見据え、ニコリと笑った。

「…儂の負けだ越前、あとはこの秀長に任せよ」

 妻を思う心が秀長の心を動かした。

「さしあたり、不足しているものはないか」

「…されば、侍女たちがさえの寝具やおむつの洗濯で手が荒れているので、良い塗り薬などあれば助かりますが…」

「分かった。よい塗り薬を届けさせよう。そろそろ帰るが奥方に会って良いか」

「はい」

 秀長はさえの枕元へと行った。さえは何とか起き上がろうとしたが秀長が制して止めた。

「申し訳ございませぬ、こんな姿で」

「いやいや急に来た儂が悪い。ところで奥方」

「はい」

「そなたの快癒が成らなければご亭主はここを動かぬつもりらしい。それでは我らも困るゆえ、早く治して下され」

「励みます」

「ははは、それと奥方」

「はい」

「貴女は日の本一幸せな女房です」

 この秀長の言葉をさえはニコリと笑いうなずいた。さえが羽柴を父の仇と見なくなったのはこの日からである。秀長は去っていった。『あとはこの秀長に任せよ』と秀長自身が言ったように、彼は秀吉の怒りをうまくなだめて、結局明家へお咎めなしを取り付けている。秀長さすがと言うしかない。

 約束どおり秀長は漢方の薬剤で作られた効能ある塗り薬を柴田屋敷に届けさせた。

「これは効きそうだな。このキツい匂いが治癒をうながそう」

 さえの寝汗を拭いている侍女の千枝がちょうど目の前にいた。手が荒れている。

「千枝、手を出せ」

「え?」

 千枝の手を握り、甲に薬を塗る明家。

「お、お殿様、そんなもったいのう!」

「このくらいさせてくれ、いつも助かっている。さえの快癒まで頼むぞ」

「お殿様…」

 手が熱くなる千枝、薬により温かくなっただけではないだろう。うらやましそうに千枝をジーと見つめるさえの侍女たち。

「あ、あの、お殿様」

「なんだ?」

「私たちにも…」

「いいとも、塗らせてくれ」

「「やったあ!」」

「おいおい静かにしないとさえが眠れないだろ」

 蒲団の中でクスッと笑うさえだった。天下の名医、曲直瀬道三も匙を投げたさえの病、だが明家の愛情が奇跡を生んだか、さえの病状は徐々に良くなり、やがて治癒に至った。曲直瀬道三は『愛情に勝る薬はござらん』と看病疲れで倒れた明家を診断したとき、そう言っている。

 

 やがて二人とも元気になった。さえの明家への愛情はさらに深まった。ただでさえ周囲が目のやり場に困るほどイチャイチャしていたのに、さらに拍車がかかる事になる。

 今まで恥ずかしがってイチャイチャするのを先に仕掛けなかったのに、病の快癒後はさえから明家に抱きつく事も多くなった。それほどにつきっきりで看病してくれた事が嬉しかった。

 良人が『柴田家より妻の命だ』と言い切ったと聞いた時の感激を忘れなかった。本来なら夫を叱り付けて出陣させるのが大名の正室として正しいのであろう。その愛情に甘える事が正室として失格と言われようと嬉しいものは嬉しいのだから仕方ない。明家は照れくさいのか秀長との会話の内容は妻に言わなかったが、逆に侍女を通して伝え聞いたからこそ効果的だったのかもしれない。事実さえの病が快癒の傾向になったのは秀長の訪問後である。

 また特筆すべきは、この時代の女は大病を患い、治癒したとしても体の衰えが著しかった。しかしさえはこの後の人生で明家の子を四人も生んでいるのである。まさに愛情で全回復したと言えるだろう。

 辛らつな歴史家は『大名として自覚がない』『女房一人と若狭一国を天秤にかけて、もし家がつぶれたら家臣たちが路頭に迷うと一切考えていなかった。短慮だ』とも述べているが、最後には『しかし良人としては最高の男であろう』と締めている。明家は妹三人のために若狭はいらないと言い切った事もある。明家は何よりも家族を大切にした男なのである。彼の言葉にこんなものがある。

『女房に思いやりなくあたる者があるが、大いに間違っている。夫を信頼して、どんな境遇になっても連れ添うほどの間柄なのだ。いとおしみ仲良くすべきである』

 

 また少しの副産物もある。さえをつきっきりで看病している姿を見て、すずはより明家を愛するようになり、秀吉に逆らってまで病気の妻の元を離れようとしなかった明家の姿勢を伝え聞き、大坂の女たちは感動して『さえ殿は日の本一に幸せな女房。越前殿は女子の思う理想の良人』と喝采をあげたのだった。

 秀吉の怒りをなだめたのは秀長ではあるが、明家の妻を思う心に感動した秀吉の妻ねねが『越前殿を罰したら一生お前さまとは口を利きませぬ』とも言ったからとも伝えられている。母のなかには『越前殿を見習わんかい』と怒鳴られたとも。

 

 改めて羽柴秀長総大将で四国攻めは行われた。秀長の計らいに感激していた明家は、その参謀としての才幹を思う存分に発揮して羽柴軍に勝利をもたらし、長宗我部元親は降伏し四国は統一されたのであった。

 戦勝して帰った明家を出迎えるさえ、それを抱きしめる明家。たとえ艱難辛苦な戦国の世でも二人一緒ならつらくはない。

 

 このころ秀吉は朝廷から関白の称号を得ていた。天下統一のため秀吉はまだまだ戦い続ける。

 四国より帰国した明家には再び出陣の下命が来た。佐々成政攻めである。ついに柴田の若殿である明家が府中三人衆の一人として父の勝家を支えてくれた佐々成政を攻める時が来た。

 幸運な事は明家が金森長近と共に別働隊となり、成政の同盟者である飛騨の姉小路頼綱を攻めると云う陣立てとなった事だ。前田利家の差配である。あえて別働隊の飛騨攻めの方に配置されるよう根回しをしていたのだ。何より長近と組ませる事が何とも利家の工夫である。賤ヶ岳の合戦で明家の父である勝家を裏切り気に病んでいた長近と陣場を同じくすればたとえ腹に含むところがあっても共闘するしかない。長近と共に飛騨高堂城に向かう明家。何か気まずい雰囲気の柴田軍と金森軍。評定しても社交辞令程度の言葉しか出てこない。

(まったく又佐め、よりによって隆広と儂を組ませる事はなかろうに…)

 長近も何か明家と昔の誼を通じる機会を得たいが中々機会がない。このままでは気まずいまま敵城に到着してしまう。

(許せない、とは思ってはいたけれど今は味方、何より金森様は伊丹攻めの時に利家殿と同じく俺を盛り立ててくれたじゃないか。父上は利家殿を許した。俺も長近殿を許すべきなんだ。鬼権六の嫡男が昔の怨みをいつまでも引きずっていては笑われるぞ)

 と、自分に言い聞かせていたが、中々良いキッカケがない。翌日には高堂城に到着の見込み、最後の軍議に入る柴田と金森の将兵たち。しかし空気が固い。長近がついに焦れて言った。やはり年長の自分から言うべきだと腹を括った。

「このままでは勝てる戦も勝てない!越前、いや隆広!」

「は、はい」

「すまなかった。そなたの父上を裏切り、賤ヶ岳で敗北に至らしめた一因は金森にある。あの場合は仕方がなかったとは云え、すまなく思う」

「金森様…」

 金森長近は元々柴田勝家の直臣ではなく、府中三人衆と同じく信長から勝家の傘下に入れと下命された寄騎である。よって賤ヶ岳での長近の戦場離脱は劣勢の勝家を見限り、金森の命脈を保つため秀吉に降ったとも云えるのだ。長近はその際に頭を丸めている。その頭を撫でて長近、

「もう剃る頭の毛がないゆえ、頭を丸めて詫びようもないが、こうして謝る。水に流せとは言わん。だがこの戦では一つの敵城を協力して落とさなければならぬのだ。この禿げ頭に免じて頼む。この戦場では怨みを一度他所へ置いてくれ」

「頭をあげて下さい金森様」

「隆広…」

「亡き父の勝家は利家殿に『秀吉に尽くせ』と言い許したと言います。それがしも勝家が嫡男なら、金森様にそうすべきなのでしょう。しかしそれがしはまだ若輩、父勝家の領域には遠く及びません。それゆえ一つ、お願いがございます」

「なんだ?」

「一発、思い切り殴らせてもらえませんか」

 金森家臣たちは憤然と立ち上がり明家に抗議。

「何を申される!我が主は修理亮殿(勝家)の直臣ではなく、亡き大殿(信長)に寄騎として柴田に配置されたもの!劣勢に陥れば見限りお家の安泰を図るのは当然…」

「黙らんか!」

 長近は一喝して家臣を下がらせた。

「隆広かまわんぞ。思い切り殴るが良い」

「はい、では歯を食いしばって下さい」

 明家は渾身の力を込めて長近を殴った。長近はよろめき

「ふう、華奢な体のくせして大した一発だ。良き馳走であった」

 と、笑って言った。これはある意味、手放しで許すより理に叶っている。この一発で長近も心の負い目が払拭されたからである。

「一緒に戦いましょう。父は金森様もご存知の通り、昨日の天気は口にしない竹を割ったようなお人柄でした。息子のそれがしもそうあろうと思います。今日をもって柴田家は金森家に何の遺恨もございません」

「うむ!調子の良いようだが、それでこそ勝家様のせがれだ」

 つい先刻まで気まずい雰囲気だったゆえ、両軍将兵は大将同士の交わした握手が嬉しい。士気が上がった。柴田・金森連合軍はアッと云う間に飛騨の国を攻め落とし、高堂城の姉小路頼綱を降伏させた。

 完全に佐々成政は孤立。富山城を囲むのはかつての織田家の同僚たち、同盟者を滅ぼしたのは柴田家での同僚、世の虚しさを感じたか成政は頭を丸めて秀吉に降伏したのであった。一命は助けられたものの全ての領土を没収され、妻子と共に大坂に移住させられ、以後は秀吉の御伽衆(話し相手)として秀吉に仕えた。

 

 それからしばらくして、大坂城の廊下で明家と成政が会った。明家は頭を丸めた成政をその時に初めて見た。二人は立ち止まりしばらく見つめあい、そして言葉を交わさずすれ違ったと云う。



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戸次川の戦い

 羽柴秀吉は関白太政大臣となり、朝廷から『豊臣』の姓を与えられ、天下人豊臣秀吉として君臨し、全国に自分の許可なく合戦をしてはならないと『日ノ本惣無事令』を発布した。

 

 このころ九州では島津義久が大友宗麟を耳川の戦いで破り、龍造寺隆信を沖田畷で討ち取り、九州の覇者となろうとしていた。秀吉は島津義久に大友への攻撃をやめるよう命じたが義久は秀吉の命令を無視し、大友への攻撃の手を緩める事はなかった。大友宗麟は島津の激しい攻撃に抗する事が出来ず、秀吉に救援を求めた。これを容れた秀吉は中国の毛利輝元と柴田明家に九州島津攻めを下命した。毛利輝元は四万、柴田明家も軍勢を率い筑前へ進軍した。

 

 この一方で四国勢にも秀吉から豊後出陣の下命があり、豊臣軍は仙石秀久を四国勢の目付とし、十河存保、長宗我部元親と嫡子信親が出陣した。島津軍と四国勢との決戦場は豊後戸次川の河原であった。島津軍と対峙した十河存保と長宗我部元親らは大友勢の到着を待って渡河するか島津軍の渡河を誘ってそれを撃つべしと秀久に勧めたが、功にはやる仙石秀久は彼らの意見を一蹴し、島津軍に攻撃を開始すべく行動を開始した。

 柴田明家は毛利輝元と協議し、立花城の立花統虎(後の宗茂)とその妻の誾千代と共に先んじて大友家の府内城に軍を進め、あと一寸で到着の見込みのころに知らせが来た。

「申し上げます!淡路の仙石勢を先陣に第二陣に讃岐の十河勢、三陣に土佐の長宗我部勢、明日に出陣の予定にございます!」

 明家はこれを聞いて呆然とした。

「馬鹿な!なぜ我々を待たない!」

「仙石殿は功を焦っておいでなのでしょう」

 と、奥村助右衛門。現在は島津家久率いる島津勢が包囲中である鶴賀城、この城は府内城の支城であり、ここを島津に落とされると府内城は風前の灯であった。秀久は助右衛門の見たとおり、功を焦っていた。仙石秀久は四国攻めの時に自軍の幟を長宗我部軍に取られてしまうと云う失態をしでかし秀吉に激しく叱責されていた。かつ若い加藤清正や福島正則らの台頭に焦っていたに違いない。同じく九州を攻めていた黒田官兵衛と柴田明家に対抗して功名に逸っていた。

「惨敗してもそれは秀久殿の落ち度、しかしそれに巻き込まれる長宗我部と十河は見捨てられぬ。相手は島津家久!釣り野伏せの術中にはまる。急ぎ出るぞ!」

「「ははっ!」」

 

 援軍到着を喜び、出迎えの準備をしていた府内城の大友義統の元に四国勢の援軍に行く旨が知らされてきた。義統の戦意は乏しく士気が上がらず出陣準備をしようとしない。連敗続きで島津を骨の髄まで恐れていたのだろう。

 明家は一計を案じた。柴田勢と立花勢を足して六千である。一万以上を擁する島津勢に対して心もとない。そのために大友義統の加勢は不可欠であった。一計、それは誾千代に城門で義統を罵らせる事であった。

 常備している明家愛用の巨大ジョウゴ、これを誾千代に持たせた。鉄砲射程距離の間を取り、明家、統虎、誾千代が府内城の城門に立った。明家は申し訳なさそうに誾千代に策を持ちかけたが彼女はむしろ大喜びしてこの役を引き受けた。

「ふふ、一度腰抜けの義統を怒鳴り散らしてやりたかったのよ!」

 巨大ジョウゴを構えた誾千代。

「おい!腰抜けの義統!聞こえるか!私は立花道雪が娘、誾千代だ!」

 耳の穴を押さえる明家と統虎。ただでさえ大音声の彼女の声が幾倍もデカくなっている。

「何だ?」

 城の間口から城門を見る義統。家臣の志賀親次が言った。

「殿、あれは統虎正室の誾千代ですぞ」

「それは分かっているが…」

「今、お味方の城である鶴賀城を包囲している島津勢を討たんと四国勢は向かっている!よって我ら立花は義によってその援軍に向かう柴田軍と行動を共にする!城に篭ってガタガタ震えている腰抜け腑抜けなど、もはや立花の主家にあらず!勝手に滅んでしまえ馬鹿たれが!」

(言いすぎだぞ誾千代…)

 苦笑する統虎。

「ご先代の宗麟殿も愚かなところがあったが、大友の版図を広げた英傑!だが息子はなんだ?唐土の三国志に出てくる劉玄徳の子の劉禅さながらな阿呆坊だな!女としてお前のような馬鹿殿だけには抱かれたくない!お前の女房たちが気の毒でならないわ!あっははは!」

「言わせておけばあの女…!」

「殿!女子に、しかも家臣の娘にああまで言われて黙っていては!」

「分かっている!」

「では立花と柴田に攻撃を!?」

「阿呆ッ!あいつらと合流して島津を討つんだ!」

「では出陣に!」

「無論だ!俺が阿呆坊かどうか誾千代にみせてくれるわ!」

 志賀親次はフッと笑った。よく火を着けたと。すぐに義統の使者が明家のもとへ来て出陣すると知らせた。一計は大成功だった。

 義統はよせばいいのに、『我が士気を上げてくれた事には感謝する。しかしああまで言われたら黙っておれぬ。戦勝したらそなたの尻を撫でてくれよう』と誾千代に言い、その言葉にニコリと笑い誾千代は小声で『立花が女の尻の一撫では高くつく。命を代価にして撫でるがいい』と返された。かくして豊臣の柴田明家が総大将となり大急ぎで四国勢の援軍に向かった。

 

 少し時間を戻す。鶴賀城を包囲する島津軍本陣。島津義弘、島津家久、島津忠長が軍議をしていた。

「おのれ秀吉め、あと一歩と云うところで!このままでは鶴賀城の兵と秀吉軍との挟み撃ちになるは必定。どうなさるか義弘殿」

「そうがなるな忠長、で、どうする家久」

 この大友攻めの総大将は島津義弘ではなく、末弟の家久であった。義弘自身が長兄義久に要望した事であった。

「はっ、兄さぁ、この戦、釣り野伏せで行こうと存ずる」

「ふむ…」

「しかし家久殿、敵には長宗我部元親がおる。秀吉に降伏したとは申せ、四国を統一した百戦錬磨の猛将。我々が何度も勝利している戦法も当然長宗我部も用心しているはず…。そう易々と釣り野伏せに乗ってくるでござろうか」

「確かにな忠長、しかしそれは敵の総大将が長宗我部元親であればの話だ。敵の指揮官は仙石秀久、個人的武勇は大したものと聞いているが指揮官としての器はない。何より同僚の黒田官兵衛や柴田明家に対抗し功名に逸っていると聞く。長宗我部元親が指揮官ならば使えぬかもしれんが仙石秀久が指揮官ならば士気が乱れ、この作戦は上手く行く!」

「よし、副将としても異存ない。みなはどうじゃ」

 副将である義弘も同意、島津の重臣たちも頷いた。戦巧者である家久である。家臣たちは全幅の信頼を寄せていた。

「では布陣を申し渡す。各自得心したら今宵じゅうに布陣をいたせ!」

「「ははっ!」」

(大事な合戦だ…。この戦に勝たねばせっかく広げた島津の領地が秀吉に横取りされてしまう。勝たねばならぬ)

 

 ここは鏡城、四国勢本陣。軍議を開いていた。

「明日に出陣だと?島津は一万を超える大軍、こちらは六千だぞ!」

 戦目付けの仙石秀久に怒鳴る長宗我部元親。

「出陣は越前殿と大友の連合軍が到着するまで待つべきであろう!」

「必要ない。大友は島津に敗れどうしで疲弊して士気も乏しい。さしもの越前が指揮しても使い物になるまい。逆に足手まといになるだけよ。鶴賀城にはまだ二千余の軍勢、島津はその押さえのため我が方に割ける兵力は五、六千てところだろう。現にこの城の対岸に布陣しているのは五千ほど。数の上では我らと互角よ」

「…仙石殿は島津の『釣り野伏せ』をご存知か?少数と見せて伏兵を潜ませておく手口の戦法を!」

 長宗我部信親が言った。秀久は答える。

「存じている。しかし地形をよく見ろ。伏兵を置くとしても敵勢の東にある安東山と戸次川対岸の薮の中であろう。伏兵なぞ潜んでいる場所さえわかれば恐れるに足らん」

「しかし相手は沖田畷で五千にて三万の竜造寺軍を破り大名首まであげた島津家久。ここは知恵者の越前殿の到着を待ち、その采配に従ったほうが良い」

 と、讃岐大名の十河存保。彼は四国の合戦で柴田明家の智謀知略に翻弄されたため、知将の明家を恐れると同時に高く評価していた。そしてそれは長宗我部元親、信親親子も同じであった。秀久は面白くない。

(どいつもこいつも越前、越前と!)

 仙石秀久と柴田明家、明家が水沢隆広と云う名前であったころは秀久と親しかった。安土城の酒場で共に飲んだ酒の美味さは忘れていない。明家養父の隆家には今でも尊敬の念がある。しかし明家が同じ羽柴、そして豊臣の同僚になった時、はじめて恐ろしさが分かった。かつて竹中半兵衛と初めて対面した時に感じた知恵者への恐ろしさ。乱暴者ほど知恵者を恐れると云うがまさにその通り。

 自分にはあれほどの知恵もない。勝るのは個人的武勇しかない。降伏した明家がすぐに若狭一国を与えられたのに、自分はまだ万石に満たない禄だった。たとえ恩人の養子とはいえ我慢ならなかった。まだ主君が木下藤吉郎と云う名前のころから付き従い命がけで戦ってきたのに、あんな若僧が一足飛びで国主である。秀吉にとっては三顧の礼をしてでも欲しかった将なのであろうが、いかに辛抱強い秀久とて嫉妬の念が出て当然であろう。こんな気持ちとなってはもう親しく付き合う事はできない。明家と秀久は自然に疎遠となっていった。

 しかし言える事は秀吉が重用するだけあり明家は名将であった。かなわない。だからこの合戦では自分の裁量で島津を討ち、一軍の将の器ありと秀吉に示し、豊臣政権の中でさらなる立身出世を望んでいた。かくして長宗我部親子と十河存保の制止を振り切り四国勢は出陣した。長宗我部と十河は秀吉直臣の秀久に逆らい、つまらぬ讒言をされてはと思い、強く反対する事が出来なかったのである。

 

 島津本陣に伝令が入った。

「申し上げます!四国勢が鏡城を出て戸次川に向かい出したとの事!」

 作戦的中、島津家久が伝令に言った。

「よし!儂の下知あり次第出陣すべしと全軍に申し渡せ!」

「はっ!」

「読みが当たったな家久、個人的武勇は我が薩摩隼人も認める腕前の仙石秀久であるが、指揮官としては三流のようじゃな」

「はい」

「どれ、そなたの采配を見させてもらうぞ」

「島津の戦、秀吉の手下に見せてくれまする!」

 四国勢は囮である島津勢を蹴散らして前進、長宗我部元親が深追いは危険だと仙石秀久を諌めるが秀久は聞かない。

「追え!急ぎ川を渡って殲滅するのだ!」

 島津軍伏兵である上井覚兼・樺山忠助の軍。上井覚兼はどんどん島津家久の術中に陥る四国勢を見つめる。

「ふふ、まんまと囮隊に釣られおったわ」

 これが世に云う『戸次川の戦い』である。地形は川の湾曲により四国勢側の岸は急流で深い。島津軍の岸は緩流で浅い。島津軍有利である。かつ上井覚兼は家久に攻撃の頃合を下命されていた。

『渡り始めと渡りきる直前は敵も士気があるが、半渡の状態なら緩んでいる。そのころには足元に注意が奪われ、たとえこちらに伏兵がいると知っても前方への注意は散漫となる。さらに水の冷たさに馴れず体が冷え切る頃合、敵が半ばを渡ったところを衝け!』

 その半渡の状態で伏兵部隊が矢を射る。その後に槍衾隊が突撃、四国勢は手がかじかんでいて槍が思うように使えない。

「うろたえるな!押し返せ!」

 と、仙石秀久が叱咤するが四国勢は大混乱となった。また囮隊を務めていた伊集院久宜隊がとって返し攻撃に転じ、かつもう一方の安東山に伏兵としていた新納忠元隊が突撃を開始し、迂回した本荘主税助隊が背後を衝いた。四国勢は次々と討ち取られていく。そしてついに家久本隊が四国勢の横槍を急襲。

「切り崩せ!!」

「「オオオオオッッ!!」」

 見るも無残なほどに味方が討たれていく。秀久はこの時になって初めて愚策を弄したと気づくが後の祭り。せめて指揮官として敵に玉砕するか、それとも生き延びて挽回するか。秀久の選んだのは後者だった。

 かつて斉藤家の名将である水沢隆家が十四歳の秀久に言った事があった。まだ下っ端の少年兵なるも鍛え上げられた体躯に良き面構えの秀久を隆家は目をかけていた。その隆家が斉藤家の身分の低い若者たちに戦の講義をした時、一つの戦の事例を取り出し、作戦が裏目に出て味方将兵は総崩れ、絶体絶命の危機に陥った。さあ自分が大将ならばどうするか、と云う事を質問した。当時十四歳の仙石権兵衛秀久は

『無論、一騎だけでも突撃し、味方を一人でも助け、敵を一人でも道連れにします』

 と元気に答えた。隆家は落第の答えだと笑った。

『死は恐れるものではない。また憎むものでもない。しかし権兵衛が言ったのは一見“潔い死”かもしれんが、儂に言わせれば犬死にすぎない。大将、いや武士は生きて大業を成す見込みがあるのなら、どこまでも生き抜き、臥薪嘗胆をもって挽回の機会を待ち、そして雪辱を晴らすのが道である。死して不朽の見込みがあるのなら、いつどこで死んでも良いが、ただ玉砕するのは愚者のする事だ』

 すると秀久は

『そんな卑怯な振る舞いは嫌にございます。敵味方にも笑われます』

 と剥きになって否定。

『笑われる事など何ほどでもない。時に生きるとは死より辛きもの。死ぬは逃げるに過ぎぬ。打ち倒す者は強い、だが倒されても立ち上がった者はもっと強い。それが勇気と知れ』

(何で今…隆家様の言葉が浮かぶのだ)

 少年期の自分では理解できなかった隆家の言葉。だから翌年の稲葉山城落城の時、たった一騎で柴田勝家の軍勢に突撃をするなんて無茶苦茶をしている。しかし長じた今なら分かる。

『大将、いや武士は生きて大業を成す見込みがあるのなら、どこまでも生き抜き、臥薪嘗胆をもって挽回の機会を待ち、そして雪辱を晴らすのが道である』

(今がその時…!しかし無念…!無念だ…!)

 しかし、今の局面でのためらいは命取り、秀久は決断した。

「退却!退却せよーッ!」

 仙石秀久は長宗我部と十河を見捨てて退却した。それを知った十河存保は

「今日の合戦は仙石秀久の策のずさんによると云えども、このまま尻尾をまいて逃げるわけには行かない。信親殿、共にまいろう」

「こうなったからには、武門の意地をかけて立派に果てましょう!」

 信親の部隊は島津勢と死闘。信親は槍を折られ、かつて織田信長から拝領した太刀を抜いて返り血を浴びるほど戦うが、兵は次第に討ち減らされ、七百まで減った。若武者信親が

「ここを死に場所と決めた!薩摩隼人に土佐のいごっそうが力見せ付けて死のうぞ!」

 と言うと信親の将兵は全員死兵と化した。多勢の島津勢に突撃し、凄まじい白兵戦となった。勇猛を馳せる島津将兵が圧倒される。しかし多勢に無勢である。信親もいよいよ力尽きかけた。

「父上!お先に参る不孝を許して下さい!」

 そう絶叫した時であった。

 

「敵襲―ッ!」

「新手が来たぞ―ッッ!!」

「なに?」

 島津家久は声の方向を見た。すると軍旗『歩』を靡かせて柴田軍が怒涛の如く迫るではないか!

「家久、新手じゃ!!」

「兄さぁ『歩』の軍旗は確か…!」

「柴田明家か、一度会いたいと思っていたわ」

 

 明家、迫りながら信親の軍勢に吼えた!

「長宗我部、十河勢、伏せよ!!」

 生きていた信親、明家の意図を察し下命した!

「伏せよ!柴田の石礫は必殺だぞ!」

 言われるまでもない。つい先年の秀吉の四国攻めにおいて柴田勢の石礫の恐ろしさを骨身で知っていた四国勢、真っ青になり大急ぎで伏せた。

「放てぇーッ!!」

 一石剛槍、稲妻のごときと呼ばれる小山田投石部隊の投石が島津勢に放たれた!

「ぐああッ!!」

「ぎゃあ!」

 勇将信親の軍と戦い疲れが出ていた島津勢は投石をまともに食らった。

「ひょう!すごい石礫!まさに稲妻だわ」

 騎馬で進みながら柴田投石隊のすごさに驚く誾千代。なお突き進む柴田・大友・立花軍。誾千代は愛刀『雷切』を抜いた。

「唸れ!雷切!!」

 立花軍は先頭を切って島津軍に突撃。柴田も続く。明家は目を凝らして探し、そして見つけた。

「信親殿!」

 傷を負い、疲労困憊である信親に走り、馬上から手を伸ばした明家。

「かたじけない!」

 信親は明家の手を握り、それを明家は引き、自分の後に信親を乗せた。

「殿、十河殿も救出いたしましてござる!」

 と報告が入った。

「よし、四国勢は合流せよ!」

 息を吹き返した四国勢はそのまま柴田軍に合流。それを見届けた明家は下命。

「全軍、府内城に退却だ!」

 明家は四国勢を救出すると島津勢の眼前をそのままとんぼ返りして、府内城の方向へと転進。

「戦わず逃げる気か!追え!」

 島津忠長が将兵に命令、しかし柴田・大友・立花の鉄砲隊が並び、柴田明家号令一喝!

「撃てーッ!!」

 追撃に入った島津勢の切っ先に一斉集中砲火した。その攻撃に一瞬島津がひるんだ隙に全軍逃げにまわった。

「逃がすな、追え、追えーッ!!」

「よせ忠長、柴田明家と云えば知将として有名だ。我らの追撃にも備えているだろう」

 家久が止めた。

「しかし家久殿」

「ともあれこの合戦は勝った。これ以上欲張る事もあるまい。鶴賀城を取る。こちらの敗戦が伝わり士気も下がっていよう。労せず取れる」

「…はっ」

「不満そうだな、ならばしばらくしてから柴田が逃げていった道を調べてみよ。追撃しなくて良かったと思うであろう」

 島津義弘は柴田明家が去った方角を見つめていた。

「どうなされた兄さぁ」

「いや、大した男と思ってな」

「同感でござる。目的を果たしたら未練を残さず退却。我ら島津も見習いたい戦ぶりでござるな」

「はっははは、秀吉も中々良い将を召し抱えているではないか」

 家久の言葉を半信半疑で受け取り、翌日に忠長は柴田の退却路を調べてみた。途中に山間の道もあり、両脇の森林には伏兵がいた形跡があり、落とし穴もあった。山間の道を抜けたら少し広い台地があり、そこにも伏兵が潜んでいた形跡があった。あやうく島津が釣り野伏せを食らうところだった。家久が言うように追撃に出なくて良かったと思った島津忠長だった。

 

 府内城に到着、長宗我部元親と信親親子、そして十河存保は丁重な手当てを受けた。特に長宗我部元親の明家への感謝振りは並大抵ではなかった。戦場ではぐれ、そして明家が来なければ確実に討ち死にをしていた息子が負傷あるものの生きている。

「越前殿、心よりお礼申し上げる」

「いえ」

「長宗我部は越前殿のためなら何でもしますぞ…!」

 明家の手を握り、感涙する元親。そして治療中で床に伏せる信親を見舞った。

「傷は痛みますかな信親殿」

「なんのこれしき」

 穏やかに話しているが二人は秀吉の四国攻めの時に戦っていた。精強な信親の軍勢に手を焼いた柴田軍。また信親も明家の作戦の数々に舌を巻いたものだった。豊臣に属した後、信親は明家と友誼を結んでいた。歳も近いので気もあった。

「これから九州の戦況はどうなるのでございましょうか。鶴賀城は落ちたのでしょうか」

「落ちましてございます。しかし鶴賀の城兵には城を捨てて府内に退却せよと義統殿を通して命じましたゆえ、犠牲はさほどではございませぬ」

「なぜそんな指示を!それではこの府内は風前の灯に!」

「その通り、しかし関白殿下御自らが二十万と云う途方もない大軍を率いてすでにこちらに進発している知らせが入りました」

「二十万…!?」

「しかしその軍勢を整えるのには時間を要します。その間に島津が大友を滅ぼしては元も子もないですからな。ゆえにそれがしや毛利殿、そして四国勢は先鋒として、それを食い止めなければならなかった。そしてその軍勢を整え、もう向かっていると云う知らせが入りましてございます。そうとなれば話はそんなに難しくはございません。柴田、大友、立花、四国勢、毛利も軍勢を割いてこちらに援軍を向けております。すべて合わされれば兵力は島津と拮抗しますゆえ、関白殿下ご到着までの間、我らは島津の挑発に乗らず豊後を守っていれば良いのです。島津も二十万なんて大軍と戦うなどいたしますまい。やがて和議交渉がなされ島津は豊臣に属する事と相成りましょう。つまり取られた鶴賀も戻ってまいります」

「何て事だ…。ならば我々は島津に大友を滅ぼせないよう牽制程度をしていれば良かったのではないか!関白殿下が遠からず来援する事は分かっていたのに仙石秀久が功名に逸るからこうなった!しかも真っ先に逃げるとは男ではない!あいつの無為無策で俺の大切な家臣たちがたくさん死んだ!今度会ったらブッ殺してやるぞ…!」

 かつて友誼を結んだ明家とて庇いようのない秀久の大失態である。明家には秀久が退却を選んだのは分かった。同じ師に学んでいるのである。

(権兵衛殿は『武士は生きて大業を成す見込みがあるのなら、どこまでも生き抜き、臥薪嘗胆をもって挽回の機会を待ち、そして雪辱を晴らすのが道である』の養父の教えを実践したに違いない…。しかしだからと云って許しを請えるものではないですぞ権兵衛殿…!)

「越前殿は仙石秀久と親しいとか」

「え、ええ…。しかし昔の話でござる。それがしが豊臣に属してからは疎遠となりましてな…」

「左様か…。ですが申しておきます。それがしは仙石を斬ります」

 しかし信親の負傷は悪化の一途をたどり、これより一年後、戸次川の戦いで負った傷が元で若い命を落とす事になる。

 

 信親のいる部屋から出た明家を山中鹿介が呼び止めた。

「殿、仙石殿の向かっている先が分かりました」

「どこか」

「淡路洲本にございます」

「なんだと!?それじゃ、そのまま居城まで一気に帰るつもりなのか!?」

「御意」

「何たる無責任なのか…!俺は権兵衛殿を見損なった…!」

「…確かに、言い訳のしようもない大失態。仙石殿は四国を指して逃げにけり、三国一の臆病者にござる」

 仙石秀久と個人的友誼があった柴田明家にとって秀久の大失態は失望極まりなかった。敗戦は時の運であるが、無謀な合戦を起こし、そのうえ劣勢に陥るや真っ先に逃げた事に。明家の養父隆家の教えに学び、あえて武士道にもとる行動を取った秀久。他に方法がなかったのかもしれない。しかし、だからと云って認められるほど当時の世は卑怯な振る舞いに寛大ではない。

 

 島津は豊後に攻め込んだのは良かったが、柴田明家が大友と立花、四国勢、そして毛利の援軍部隊を指揮して、終始負けない合戦を展開した。島津兵の恐ろしさを知る明家は勝つための合戦をしようとせず、島津が野戦によって直接対決に持ち込もうとしても挑発に乗らなかった。

 秀吉の来援が近い事を知っていた島津であるが、攻めても攻めても破るに至らず、いたずらに時が過ぎ、やがて秀吉率いる二十万の軍勢が九州に上陸した。時すでに遅し。島津兄弟をもってしてもついに柴田明家を打ち倒せなかった。

 島津は秀吉に恭順を示す。島津家久は秀吉との和議交渉のさなかに急死した。享年四十一歳。島津義弘は薩摩一国では従えぬと抗戦するがやがて降伏。島津家は薩摩・大隅・そして日向の一部の領有が認められた。ここに豊臣秀吉の九州統一が成ったのである。

 

 仙石秀久の大失態は秀吉も激怒、秀吉は秀久の所領を没収して、高野山へ追放した。秀久の家臣たちも去っていった。挽回できると思っていた自分の甘さが情けない。領地や家臣の信頼も失い、できるはずがないではないか。あの時の自分は命惜しさに師の教えが頭に都合よく浮かんだに過ぎない。やはり死ぬべきであったのだ。どう後悔してもはじまらない。わびしく妻のお蝶、娘の姫蝶、そして息子二人を連れて大坂屋敷を出る秀久。誰も見送りはなかった。長宗我部と十河の大坂屋敷を避けて出て行く。しかし十河存保は追放の身ならば斬っても咎められまいと追った。そして追いつく。

「仙石!」

「十河殿…」

「のんびりと高野山で暮らせさせるわけにはいかんな。我が家臣たちの無念を晴らさせてもらうぞ」

 十河の家臣たちに囲まれた秀久。

「殿…!」

 怯える妻子。

「十河殿、せめて妻子は助けてくれぬか」

「ふん、お前のような屑でも妻子は大事か。笑わせるな、我が家臣たちの無念、お前一人では勘定に合わぬ。皆殺しにしてくれるわ!」

「よされよ」

「越前殿…」

 明家がその場に来た。

「止めだて無用、越前殿と仙石が個人的に友である事は存じてはいるが、こやつの愚策で我が家臣たちが多く散った。許せぬ」

「相手はもはや兵もなく、すべて没収され平民の身となり、女子供しか連れていない者。討っても貴殿の名が下がるだけにござる」

「……」

「それに…その男はもう斬る価値すらない。刀が汚れるだけにございますぞ」

 明家の言葉が秀久に貫かれる。一言も返せない。十河の家臣が存保に言った。

「殿、ここは越前殿の顔を立てておくべきかと…」

「……」

「確かに斬る価値もなく、刀の汚れになると存じます。こんな男のために御名を下げる事はございますまい」

「…分かった。くどくど申すな」

 存保は家臣たちを退かせた。

「言われてみれば確かに斬る価値も無き男、刀の汚れとなりますな」

 唾を秀久の顔に吹きかける存保。

「……」

「二度と我が前に姿を見せるでないぞ腰抜けが!」

 十河存保は去っていった。妻のお蝶が存保の唾を手ぬぐいで拭った。

「…助けたつもりにござるか越前殿」

「それがしはそんなお人好しではござらぬ。ただ息子がどうしてもと」

 明家は息子竜之介を連れていた。

「姫蝶…」

「竜之介様…」

 柴田家と仙石家の大坂屋敷は近くであったため、仙石秀久の娘の姫蝶と竜之介は幼いうちから仲が良かった。幼い二人であるが将来を約束している。明家と秀久はただの仲の良い二人としか思っていないが。

「父上、なぜ仙石の家が追い出されなければならないのですか?」

「…さあな」

「父上、俺姫蝶と離れたくないんだ!」

「お別れをしたいと云うから連れてきたのだぞ。わがままを言うな」

 竜之介に歩み、深々と頭を垂れる姫蝶。そして竜之介に言った。

「笑顔で見送って下さい。姫蝶は必ず竜之介様の妻になります」

「姫蝶…」

 秀久の妻のお蝶、恩人隆家の養子明家に頭を垂れた。そして良人と共に去っていった。

「同情はいたしますまい権兵衛殿、明日は我が身にござる…」

 

 九州攻めを終えてほどなく、佐々成政はその武功から九州の肥後国主に任命された。秀吉の御伽衆となっていた男が見事に大名、しかも国主として返り咲いた。これは柴田明家も影ながら喜び、成政には無理であったが成政側近の井口太郎左衛門と正室のはるに祝福の文を届けたと云う。成政にそれは伝わり、成政は明家に文を届けた。

『儂ではなく、はると太郎左に文を届けるとは相変わらず小賢しい奴だ。遠慮なく儂に届けても別に破ったりはしない。今まで意固地になっていたが、今は関白殿下の元で働くもの同士。肥後の統治が落ち着いたら、今までの事は水に流し、そして久しぶりに勝家様の事や北ノ庄の昔話を肴に酒を酌み交わしたい』

 と返した。やっと成政と和解できたと喜ぶ明家。そんなある日、立花統虎が上坂してきて柴田屋敷を訪ね、明家と酒を酌み交わした。離れた部屋からさえ、すず、誾千代の楽しそうな声が聞こえてきた。気が合ったのか、ずいぶん盛り上がっている。

「奥方と一緒に来るとは驚きましたな」

「ええ、ぜひ誾をさえ殿と会わせたく」

「なぜ?」

「人の振り見て我が振り直せ。さえ殿の貞淑振りを見習ってほしいのでござる」

「はははは、誾千代殿はあれでこそ良いと存じますが。あれほど甲冑の似合う女子はおりませぬぞ」

「たまに会うから越前殿はそう思うのでござる。毎日毎日喧嘩腰で『それでも立花か』と言われるのはたまりませんぞ」

「なるほど、それはしんどそうですな」

 統虎の淡い期待は叶えられないだろうと思う明家。

「『誾千代』の『誾』の字の意味は『穏やかに、かつ謹んで人の話を聞く』とあり、義父の道雪はそれを願って名づけたそうですが、その願いが込められた矢はどこか見えないところに飛んでいきました。まったく」

 よほど日ごろ頭が上がらないのだなと苦笑する明家。しばらく統虎と雑談していたが、聞き捨てならない事を統虎から聞く。

「佐々陸奥守(成政)殿が肥後国主となりましたな」

「その通りです。張り切っていました。それがし陸奥殿とは長年不仲でしたが、やっとこれがキッカケで互いに歩み寄れました。今度陸奥殿が上坂してきたら、当家の屋敷で盛大に持て成そうと思います」

「それが…肥後の統治がうまくいっていないようです」

「は?」

「関白殿下は陸奥殿に統治にあたり、いくつか秘密裏に指示を出したそうです」

「必要ないと思いますけどな。陸奥殿は卓越した民政家でもありますから」

「聞いております。治水にもかなり明るく、領内の神社仏閣再建にも留意し越中の民には今でも親しまれているとか」

「その通りです。で、その秘密裏の指示と云うのは?」

「立花が掴んだ情報では『九州平定に尽力した肥後国人に旧来通り所領を与える事』『三年間は検地をしない事』にござる」

 明家は驚きのあまり杯を落とした。

「そんな馬鹿な!それでは自分の家臣に知行地を与える事もできない…!」

「その通りです。遠からず陸奥殿は検地をするでしょう。そうせざるをえない」

 明家は秀吉の意図を読み取った。

「…関白殿下は何と云う非道な事を!あえて一揆を誘発させ旧勢力と成政殿を一掃させるおつもりか!」

 時すでに遅かった。成政はすでに検地を行なっていた。国人衆の一揆の狼煙は上がった。農民まで加わり、肥後の国中に一揆が発生。成政が肥後に入国したわずか一ヵ月後の事である。

 そしてその年の暮れ、九州の秀吉配下の大名たちに出撃命令が出され、やがて一揆を鏡圧させた。秀吉は、この一揆に参加した国人ことごとく斬首し、一挙に旧勢力を一掃したのである。

 一揆は秀吉にとって予定の出来事に過ぎなかった。肥後の新国主に直臣ではない新参の佐々成政を任命したのは秀吉の巧妙な罠であった。肥後の国人たち、佐々成政もそれにまんまと踊らされたのだ。ここまで至れば、もう明家とて成政を助けようがなかった。

 

 成政は失政の責めを受け摂津国尼崎法園寺にて切腹と処断された。その見届け人は加藤清正と柴田明家であった。清正に一寸の時間をもらい、成政と酒を酌み交わす明家。

「頼みがある越前」

「はい」

「儂は倅がとうとう授からなかった。娘ばかり六人いる」

「存じております」

「上の二人は嫁ぎ、三番目の娘は秀吉に殺された。あとの三人はまだ子供だ」

「…分かりました。当家で養育いたしましょう」

「引き受けてくれるか…!」

 佐々の娘たちを養女にすれば秀吉の勘気を被りかねない。しかし明家は引き受けた。佐々成政ほどの男に遺児を託されたのだ。どうして断れるだろう。

「はい、然るべき男に嫁がせます。ご安心を」

「すまぬ隆広…!」

 涙を落とす成政。

「ご母堂のふく様、ご正室のはる様も当家にてお世話させていただきます」

「隆広よ…」

「はい」

「お前のような若者が、儂の倅であったらな…」

 初めて成政に褒めてもらった。明家はそう思った。

「嬉しゅうございます…!」

「伊丹攻めの時からそう思っていた。しかし素直になれず、ずいぶんお前にはひどい仕打ちをしてきた。許してくれ…」

「何を言うのです。それがしは父の勝家と、その恐い重臣たちに育てられました。亡き勝家も、そして成政殿も、我が父にございます!」

「そうか…!嬉しいぞ!」

 二人の席を外から見ていた加藤清正も涙ぐんでしまう。清正の家臣たちもつられて泣いていた。だが時は残酷に過ぎていく。切腹の刻限となった。成政は切腹の場へと行くため立ち上がった。そして他には聞こえぬよう小声で明家に言った。

「隆広」

「はい」

「秀吉には…一瞬とて気を許すなよ」

「肝に銘じます」

「うむ、では隆広、これにてさらばだ」

「さらばでございます親父様…!」

 成政はその言葉に微笑み、そして整然と切腹して果てた。享年五十二歳。辞世『この頃の 厄妄想を 入れ置きし 鉄鉢袋 今破るなり』



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小田原攻め

 豊臣秀吉が思った以上に柴田明家は優れた男だった。人づてではあるが明家は本能寺の変を予測しており、それを主君の柴田勝家に進言していた事を伝え聞いていた。勝家はそれを一蹴したが、もし勝家が明家の意見を入れていたら明智光秀を討ったのは羽柴ではなく柴田になった可能性もあった。

 しかし、勝利の風は明家には吹かず武運つたなく敗れ、父母の仇である秀吉に仕える事になった。賤ヶ岳の戦いにおける柴田明家軍のすさまじさ。漆黒の魔獣の松風に乗る前田慶次を先頭に怒れる龍のごとき突撃。それは秀吉と羽柴全軍を震え上がらせた。さすがは上杉謙信を寡兵で退けた男と思い知らされた。実質、明家は羽柴の大軍に寡兵で勝利したとも云えるのだ。

 

 その柴田明家も今は羽柴秀吉の家臣、だが戦場では寡兵にも関わらず事実上秀吉に勝利し、小牧長久手の合戦、四国と九州の合戦にも智の技で大功を立てた明家が何故信頼されたのか。すでに黒田官兵衛を疎んじて遠ざけている秀吉。その黒田官兵衛以上とも言える智将明家を何故信頼したのか。幼き頃の邂逅も少なからずあるだろう。しかしそれだけではなかった。

 尚武の柴田家に智将として位置していた彼、父の勝家に信頼され階段を駆け上がる如くの出世をした。当然先輩諸将の妬みはすさまじいものがあったが、主要な人物は佐久間盛政、佐々成政、柴田勝豊くらいであり、他の先輩諸将は味方につけていたのである。これは明家に分別があり処世術にも精通していたとも言えるだろう。

 彼の養父の水沢隆家は斉藤道三の懐刀であった。猜疑心の強い道三が戦神とも呼ばれ近隣大名を震え上がらせた隆家をなぜ何の疑いも持たずに重用したか。道三と竹馬の友ではあったが、そんなものは蝮の道三にとって重用の理由にはならない。道三の隆家への信頼ぶりは後世の歴史家をずいぶんと悩ませているが結論を先に言えば隆家は臣の道と王佐の術を熟知していたと云う事だろう。その技を隆家より学んでいたとしたら明家は処世能力も卓越しているはずである。

 

 松永攻めのおり、腹心の前田慶次に出過ぎる事の危険性を諭された彼は、その後の軍議では他の将に名案を出させるべく、誘導的な言葉をよく発していた。徹底した『能ある鷹は爪隠す』を実行していたのである。

 また養父隆家から『大将となったならば、苦労は率先して担い、手柄は部下に与えよ』と教えられていた明家は手柄を立てても部下に与えていた。爪を隠すのと同時に部下たちの信頼も得る。水沢隆家の『ことは何事も一石二鳥とせよ』の真髄と云える。

 

 そしてそれは明家が羽柴家に仕えてから、さらに徹底の様相を見せる。秀吉や秀長への進言も分をわきまえた内容であり、けして二人に警戒心を持たせなかった。特に秀吉と秀長は若き頃に竹中半兵衛の智慧に頼っていたせいか、性格が野心を抱かない半兵衛と似ている事が分かったのだろう。黒田官兵衛は内に秘めた野心を見抜かれていたかもしれない。

 しかし秀吉に信頼されたのは、これだけではなかった。亡き義兄、竹中半兵衛が自分に残してくれた注釈付きの『史記』。その中に付箋をさしていた頁があった。それは秦王(後の始皇帝)に仕えた王翦(おうせん)の話だった。貪財将軍と呼ばれた老将だった。疑り深い事では人後に落ちぬ秦王が一点の疑念も持たずに六十万の兵権すら与えた。それは何故か。

 王翦は日頃から宮廷の残り料理などを持ち帰り、将軍の身でありながら何と卑しいと下っ端役人にさえ軽蔑された。後輩将軍の別荘さえ安く売れとねだったと云う。秦の版図拡大に大いに貢献してきた彼であったが、もはや年老いた麒麟、駄馬として蔑まれ秦王も王翦の辞職願をあっさり受理してしまう。

 だがいよいよ秦が天下統一をする大国の楚との戦いで秦王が見込んでいた若い将軍の李信はその戦いに敗れてしまい、もはや秦王は王翦の出陣を請うしかなく、それを要請した。王翦はその際に都にある良田美宅を要望したのである。六十万の兵を率いて、大国の楚を倒す大将軍が望む褒美としてはあまりにも小さきものだった。秦王はそれを快諾。そして王翦は出兵した。そして事あるごとに戦場から良田美宅をくれますようにと云う手紙を秦王に出して念を押した。小ざかしい奸臣が

「貪欲な王翦が反逆を起こしませんよう注意を」

 と秦王に言った。だが疑り深い事では中国の歴代皇帝随一とも言える秦王が、

「それはお前の考えすぎだ。小利を貪る様な者は、秦国を得ようなんて野心は持たぬ」

 と、一笑に付して全く王翦を疑わず、勝利して帰った彼に約束どおり良田美宅を与えたのである。そして王翦は、その良田美宅を惜しげもなく、先に楚へ攻め込んで敗れ、その責任を取らされて平民に落とされていた李信に与えている。

『つまり、王翦が良田美宅を欲しがり、かつ貪財を装っていたのは疑り深い秦王の心を知り尽くし、かつ信任を得て任務を全うするためであったのである』

 竹中半兵衛はこの王翦の話の最後にこう注釈している。傑出した能力を持つ者が、敵ではなく味方に滅ぼされる末路を歩むのは歴史にいくらでも事例はある。竹中半兵衛は王翦の話に付箋を指して、義弟に注意を促したのだろう。

 

 つまり明家は、この王翦の真似をしたのである。幼き日にあった秀吉との邂逅、そんなものがあったとて明家は自分だけが特別など微塵も考えなかったのだ。

 明家は大坂城築城における後半期の指揮を執るが、秀吉の許可をもらい廃材を持ち帰り、大名が集まる宴においても、残った料理を箱に入れて持ち帰った。大坂城の台所では『越前殿用』と云う箱があり、野菜屑や魚や鶏の骨などが捨てられていた。明家が『いい出汁が出るからもったいない』と数度持ち帰った事から始まった。

 新田開発や治水に長けた明家が統治した若狭は入府時八万五千石であったのに、今では十五万石になっており、かつ明家が商人司と云う独自の機関を配下に持ち、柴田家そのものが交易を行い、表面上の石高より利を得ているのは諸大名知っていた。柴田家は当時としては稀な経済国家を作り上げていたのである。その利の半分を豊臣家に献上し、かつ残り半分を豊臣家の内政のため役立てているため秀吉も黙認していた。と、云うよりその実入りは秀吉にも大きく奨励していた。柴田家は豊臣家の武将の中では屈指の裕福さである。それなのに明家は廃材や残った料理や調理の際に出た食材屑を欲しがった。いつも『もったいない、もったいない』と言って物を大事にするので『もったいない越前』とも陰口を叩かれ笑われていた。

 諸大名は『柴田の若き智恵袋も落ちたもの』『何たる貪欲、恥を知れ』と陰口を叩いたが、貪欲と言われているわりに明家は誰もが垂涎の的にするものは一切欲しがらなかったのである。この態度に豊臣家の諸将は『越前殿は大きいものを欲せず、どうでもいいものを欲しがるわけの分からない方だ』と不思議がった。大坂や聚楽第にある柴田屋敷もこじんまりした感の屋敷だった。秀吉が

「お前も若狭の国主なのだから、もっと贅沢をしたらどうか?」

 と言ったところ、

「いえ、それがしには美しい妻が二人もおります。十分贅沢はしています」

 と、秀吉にさえノロケを言ったのである。さすがの秀吉も大笑いするしかなかった。小さい富と小さい幸せは貪欲に欲するのに、大きい富と名誉は欲しがらない明家、徹底したこの姿勢が実を結び、秀吉から疎んじられる事はなかった。無論、妹の茶々や前田利家の隠れた援護もあるだろうが。

 

 持ち帰った料理は、翌日に弁当にして大坂城の普請の人足に無償で与え、野菜屑や魚や鶏骨の出汁で作った粥も現場でふるまい人足たちに大いに喜ばれ、それは今日でも京料理で『柴田粥』と云う名で残り、今ではそれが高級なお粥料理に変貌しているのだから世の中不思議なものである。

 余談だが、『柴田粥』は柴田明家の正室さえが最初に調理したと云うから『さえ粥』とも言われているが、それを世に伝えたのは大坂城普請の時に明家に雇われた人足だと云う。彼は普請現場に来て人足に粥を与えていたさえをこれでもかと云うくらいに褒めちぎり持ち上げて調理法を細かく訊ねて、大坂城の普請後に故郷の京に戻り、店を開いたのだった。これが今日の『柴田粥』の祖と呼ばれている。

 

 大坂城築城で出た廃材の方であるが、それは改めて手を加えられ明家の領地の材木や炭となり再利用された。秀吉の警戒を解くと共に食材と資材の倹約。『事は一石二鳥にせよ』の養父の教えのたまものだろう。

 明家は小利をやたら欲しがる態度を見せて、大きいものは欲しがらない。つまり大それた望みは持たないと見せていたのである。他の将と違い、明家は秀吉に必要以上の世辞は言わないが、小さいもの、どうでもよいものを欲しがる明家を秀吉は安心して用いた。しかしこの信頼を得るまでの苦労は並大抵ではなかった。明家は後世視点から見れば、異常なほど秀吉に神経質になっている。佐々成政が最期の時『秀吉には一瞬たりとも油断するな』と明家に言い残したが、まさにそれを実践、一瞬とて秀吉に油断しなかった。その安心を持たせるために心を砕いたのだった。

 

 九州北部が羽柴の領地となったので、若狭の隣国である丹後の大名の細川家が今までの忠勤が認められて加増となり、豊前小倉に異動となった。その丹後は柴田家に与えられている。ずっと褒美は金銭で済ませていたが、とうとう領地が加増された。固辞は秀吉の心証を悪くするので拝領した。丹後は十二万石。すでに若狭の地を十五万石にしていた明家は二十七万石の大名となった。加えて貿易港として名高い舞鶴港を得たのは大きい。柴田家の上納金に快くしていた秀吉は明家に舞鶴でもどんどん商売を行えと奨励している。

 さらに明家は舞鶴港を北に臨む平城を築城した。舞鶴城(史実の田辺城)である。ここは若狭の国境にも近く、東西に伸びる明家の領地である丹後若狭の中心に位置し、統治するには絶好の場所でもあった。今まで居城であった小浜城は首席家老の奥村助右衛門に与えた。

 明家は秀吉に物事を頼むのも上手であった。秀吉が苛立っている時や気分が不快の時はそしらぬ顔で近寄ろうともしないが、気分爽快でご機嫌な時にニコニコしながら風のようにやってきて話しかけてくる。秀吉が明家に頼み事をされる時は決まってご機嫌な時と決まっている。つい『ウン』と言わされてしまう。そして後で『しまった』と思わせないように貢物も欠かさない。秀吉は苦笑しながら『越前は不思議な男だ』と語っていた。

 

 またこの頃、山内一豊は再び長浜城主となった。清洲会議の結果によって、一豊は長浜から他の領地に移動が余儀なくされ、丹波の地に長浜の時と同様に二万石を与えられていた。彼が賤ヶ岳の論功行賞に不満を覚え、妻の千代にグチッたのは二万石から三万石にはなるかと踏んでいた期待が崩れたからである。側近中の側近である五藤吉兵衛が討ち死にしているのだ。五百石の加増だけでは腹に据えかねるのも無理もないだろう。しかし堪えた甲斐があった。一豊は長浜四万石を与えられ、晴れて城主に返り咲いたのだ。

 かつ、江北地震により破損著しかったのに、清洲会議の後に入城した柴田勝豊により完全に改修されている。城の改修費用を考えれば、一時期とはいえ召し上げられたのも何かの運命と感じてしまう。

 再び、柴田との交易を開始する山内、以前の敦賀と長浜の琵琶湖流通、今度は舞鶴と長浜の琵琶湖流通である。一通りの用談を終えると語り合う一豊と明家。

「丹後の国主になられた事、祝着に存ずる」

「いえ、忠興殿を慕う民は多く、中々往生しております」

「しかし、佐々殿の肥後と異なり一揆を発生させていない手腕は見事でございますな」

「忠興殿の執られていた政策をそのまま引き継いでいるだけにございます。領民たちには徐々に当家のやりように慣れてもらうつもりです」

「貴殿らしいやりようでござるな」

「ですが、再び交易の仕事で対馬(一豊)殿のいる長浜に来るとは思いませんでした」

「そうですな、つい昨日のように思えますのう。おう、そうだ越前殿」

「はい」

「与禰に会ってもらえませぬか」

 しばらくすると与禰姫がやってきた。

「お久しぶりです越前守様」

「これは…ずいぶんと大きくなって…」

「はい」

 一緒に来た千代は苦笑した。

「越前殿、そういう時は『大きくなって』ではなく『きれいになって』の方が女子は喜びますよ」

「え、いや、あははは!しかし千代殿の申すとおりです。何ともまあきれいになって」

「あ、ありがとうございます」

「あらあら、姫は顔を真っ赤にしちゃって。豊臣家二番目の美男子にかかってはイチコロね」

「は、母上!」

 一番は千代の夫の一豊と云う事である。

「こたびは嫁入りが決まりましてな」

 と、父の一豊。

「いずれの家中に?」

「堀尾吉晴の次男、忠氏殿にござる」

「それはめでたい」

 心より祝福する明家。しかし与禰姫の顔は晴れていなかった。二人は江北地震の時につぶされた家屋の跡地へとやってきた。ここで与禰姫は明家の隣で寝て、色々なお話をしてもらった。そしてここで寝ていたからこそ与禰姫は地震に巻き込まれず命を落とさなかったのだ。今は馬小屋となっている。

「つい昨日のようだが、本当にあの時は必死でござったよ」

「越前守様のおかげで、私はまだこの世にあります」

「いや姫に運があったからそれがしも助かったのでござる。しかし小さいと思っていた与禰殿がもう嫁入りする歳とはなァ。ははは、俺も歳を取るわけですよ」

「越前守様…」

「ん?」

「私、本当は堀尾家に嫁なんて行きたくないのです」

「え?」

「武家の娘って何なのでしょう…。好きでもない殿方の妻になり、子を生まなくては石女とも嫁ぎ先に罵られ…。でもそれでも好きな殿方の妻ならば耐えられます。でも…会った事もない人を夫と呼び仕えるなんて、私には分かりません」

「…その事、ご両親には?」

「言えるわけがありません。嫁ぎ先が決まり、嬉しがっている父母にどうしてこんな事を…」

「そうでしょうな…」

「越前守様にもご息女がお二人いると聞きます。やはり娘が会った事もない人へ嫁がせるのですか」

「…そうなるでしょう」

「でも越前守様と奥方は好きあって結ばれたと聞きました」

「それは…妻が天涯孤独の身であったからです」

「え…」

「妻は母のお市がそれがしにつけた使用人でございました。いつしか互いを想うようになり…まあ自然と」

「……」

「姫、私は男ですから姫のお気持ちをすべて分かってあげる事はできません。しかしながら大名の姫なら、それはやはり逃れられないものなのです。忠氏殿は中々の若者とそれがしも聞いています。きっと姫を大事に…」

「姫は…越前守様の妻となりたい…」

「は…?」

「幼き頃からずっとお慕いしていました。側室でも良いと…」

「それ以上は申してはなりませぬ」

「想う事さえも…」

「許されませぬ。今のは聞かなかった事にいたします」

「越前守様…」

「…人は我が身に訪れた縁を大事にし、そしてその縁を愛し、幸せを掴むのです」

「……」

「…よき妻と、そして母となられよ。陰ながらそれをお祈りしております」

 明家は去っていった。

「越前守様…」

 

 同じ年、佐々成政の母親と妻子を柴田家が引き取った。これも秀吉がご機嫌な時にやってきて許可を取り付けた。明家は成政の家族に屋敷を与えて厚遇した。明家の元に来た成政の娘は三人いたが、舞鶴へ来てすぐに嫁ぎ先は決まった。智勇兼備の佐々成政、たとえ晩年は不遇となっても今だ柴田家では畏敬の念は強い。舞鶴に来る前から当家の嫁に欲しいと明家に要望が殺到していたと云う。

 成政正室のはるは落飾して尼僧になっていたが、明家正室さえの侍女となり、亡き八重以来の母親代わりと云うべき存在となった。後日談となるが、秀吉が没した後に明家は佐々家を再興させている。成政生母のふくは大変長命で、この再興のおりにも存命であった。だが佐々家の再興の直後、悲願成就に肩の荷が降りたか穏やかな死を迎え、息子成政と同じく

『殿のような孫がおれば…』

 と明家に言い、静かに息を引き取った。

 

 ところで、この当時の彼の家族構成はどんなものだったのだろう。今では丹後若狭の国主で大大名。しかも若く美男子。側室と望む女はいた。主なる者では明家が丸岡五万石の大名になった後に仕えた小山田家の月姫。そして滅んでしまった若狭水軍棟梁松浪庄三の娘の那美、この二人であるが明家は糟糠の妻のさえと自分を庇って歩行ままならなくなったすずを悲しませたくないと断り、優秀な家臣に嫁がせている。

 しかし、やはり明家も人の子だった。まだ若狭一国の国主だったころ、さえとすずがほぼ同時期に懐妊した時があり、明家は久しく空閨を余儀なくされた。小浜城に奉公に来ていた娘にしづと云う娘がいた。彼女は明家が長庵こと養父隆家に連れられ、北ノ庄城を訪れた時に出会った女童である。そのおりに突如攻め込んできた一向宗門徒。逃げ惑う人々に潰されて踏まれているしづを助けた隆家。それがため隆家は不幸にも流れ弾で命を落とした。しづも、その父母である鳶吉とみよもその恩を忘れていない。しづは明家を慕っていた。

 そして現在、成長したしづは花も恥らう美しさである。そんなある日、文机に向かい書類を書いていた明家に茶を持ってきたしづ。長き空閨を余儀なくされており、若く男盛りの明家はしづを見ていてたまらなくなり、押し倒してしまった。しづは嫌がった。好意は持っているが心の準備が出来ていない。事が済み、我に返る明家。大変な事をしてしまった。畳に赤い雫があった。処女だった。しづは涙を浮かべキッと明家を睨み『お殿様なんて大嫌い!』と泣きながら家に帰ってしまった。

 とにかく平謝りするしかない。自分を兄のように慕ってくれていた娘の純潔を奪ってしまった。父親の鳶吉も事情を知り激怒。明家が詫びに来ても『帰ってくれ!』と門前払い。明家は家の前で土下座して謝る。どうであれ殿様を家の前でそんな事をさせるわけにはいかず、しづの母のみよが家に入れた。

「みよ、しづはどうしている?」

「泣いています」

「だろうな…。ああ、大変な事をしてしまった…」

「何を考えているのですか、嫁入り前の娘を無理やり組み敷くなんて…」

 父親の鳶吉の方を向いてもプイとそっぽを向いている。明家は鳶吉に歩み、

「責任を取りたい」

 と伏して願った。

「責任?」

「ご息女を側室に迎えたい」

「お城にあげる時点で殿様のお手つきがありうる事くらいはある程度は覚悟しておりました。お気遣いは無用です」

 当時はそういう時代である。しかしながら鳶吉は柴田軍正規兵であるが工兵隊として戦闘を免除される代わりに士分ではない。ゆえに娘に殿様の手がついたと云うのは、むしろ幸運と言える。

 しかしそれは他の大名の話。大名の家臣団の性質は当主の性格が浮き出る。秀吉の家臣団は陽気、光秀の家臣団は主君の性格が映り、精強なものの陰気と云われる。明家の家臣団は主君の愛妻家ぶりが映り、女を愛する騎士道精神が旺盛である。嫁入り前の娘をキズ物にされれば殿様とて黙っておれない、そういうわけである。

「しづは…俺を嫌いになったかな…」

「当たり前でしょうが!」

「でも、やはり責任は取るよ。今日は帰るけれど、何とかしづに許してもらい側室に迎えたい」

 明家は翌日も、その翌日もやってきた。少ししつこい。明家はどうしても謝りたかったのだろう。やっとしづは明家に会った。

「……」

「悪かった…。なんと詫びれば良いのか…」

「悪かったってどういう事ですか?」

「え?」

「詫びるなら、しづを元の娘に戻して下さい」

「そ、それは…」

「お殿様はたわむれに…ただ女子が欲しかったからしづを抱いたのですか?私でなくても女子なら誰でも良かったのですか?」

「い、いや…」

「…純潔を奪ってしまったなら側室にすればいい。そんなお考えなのですか?女子をバカにするのもいい加減にして下さい」

「……」

「もうお殿様はしづの好きだったおにいちゃんじゃない。お殿様なんて大嫌い、軽蔑します。二度と来ないで下さい」

 しづは奥の部屋へと引っ込んでしまった。

「殿…。聞いての通りにございます。あっしとカカァで一応説得してみましたが、しづはどうしても殿が許せないと…」

「…分かった。あきらめよう」

 明家は引き下がった。だがしづが自覚していたのかは不明だが、とった態度は明家を信頼している事を裏付ける。いかに女子を大事にする気風の柴田家にあっても、しづの態度は当時考えられなかった事である。相手は君主、家臣の娘であるのなら自分が君主にそんな態度を執れば父親がどんな目に遭うか想像に易い。だから他家では同じ目に遭っても受け入れるしかなかった。

 しかししづは毅然と拒絶した。これはしづが『自分がこんな態度をとっても、父親を不当に冷遇するような狭量な君主ではない』と無意識のうちに信頼していたからである。事実、明家は鳶吉に対する態度はまったく変えなかった。だが、しづとはこれで終わらなかったのである。

 

 さて、明家の家族構成に話を戻すが、この時点で明家の子は嫡男の竜之介、次男鈴之介、三男勝之介、長女鏡、次女舞である。妻もこの時点では二人である。側室を増やさなかったのも明家の処世術の一つと言われている。

 秀吉の甥である豊臣秀次が多くの愛妾を持ち、どんどん子を成していると聞いた。跡継ぎができなくて嘆いている秀吉がそれを愉快な道理がなく、実際その愚痴を明家は聞いた。子は柴田家にとっても宝であるので子作りはどんどんするが、側室を増やして子もたくさん作れば秀吉は自分も妬むと思い、妻二人だけとしたと云う。状況が許せば三人となっていたかもしれないが。

 ちなみにすずが生んだ次女の舞、名は言わずもがな賤ヶ岳の退却戦で明家を庇って討ち死にしたくノ一舞の名前から明家が次女につけた名である。

 

 明家は領内に仁政をしき、民から支持された。勝家の元にいた当時は明家自ら陣頭に立ち部下たちを使っていたが大名になるとピタリとやめてしまっている。豊臣家における主命は陣頭に立つ事もあるが、柴田家の運営はほとんど家臣に任せた。彼は豊臣の家臣の時と柴田家当主の立場の時を分けたのだ。

 丹後若狭の領地管理や運営のほとんどを家臣たちに縦横無尽にやらせ、そして最終責任は明家が取ったのである。かつ家臣の働きを公正に判断して評価した。主命の失敗も、失敗を理由には叱らず誤っていた点を見出し助言し再度同じ主命を与えたと云う。主命遂行のためにやむなく命令違反を行った家臣の失敗さえも明家は責任を取ったと云うから、今日の辛口の歴史家たちも“理想の指導者と言えるだろう”と賞賛を惜しまない。

 また明家はめったに新たに家臣を召抱えなかった人物とも知られている。禄を惜しんでではなく、余所で出来上がった優秀な者を高禄で新たに召抱えるより、今いる家臣を優れた者に育て上げた方が良いと考えていたからである。

 彼は家康ほどではなかったが秀吉に比べればケチだった。交易を行い、領地を新田開発で富ませているにも関わらずである。明家は富んだ分を減税に当てて、民のために診療所建設や医師育成、戦死者家族への慰問金などの国営資金に当てていた。だから家臣たちは不満を言わなかった。何より明家は家臣たちより働いた。家臣たちが汗水たらして働いている時にのうのうと寝ている者に君主の資格無しと思っている明家。家臣より早起きし、家臣より遅く寝た。この当時の明家の言葉が残っている。

『足利幕府の天下が早く乱れ、下剋上の戦国に至ったのは幕府重臣までも褒美で釣ってハナっから物欲の集団を作ったからだ。関白殿下はやたら景気の良い褒美を出すけれども俺は違うし、それは出来ない。だから俺は物欲でしか動かない家臣はいらぬと決めた。しかしチカラある者はその才覚を十分に生かしきれる場を与えて任せるつもりだ』

 高禄よりも思う存分に志を伸ばせる生き甲斐によって報いようとしたのが、その心であった。これゆえに明家の家臣団は自己研磨を怠らなかった。まさに上に立つ者によって人は変わるもの。若き日は北ノ庄城のぐれん隊だった松山矩久や小野田幸猛なども今では智勇兼ね備えた立派な大将となっている。

 今いる者たちを認め、育て、任せていれば良い事。また明家は禄を世襲制としている。二代目が得る禄も先代が自分のため懸命に尽くしてくれた結果である。これは現在で云う終身雇用。葬儀も柴田の傘の下で行う事もできた。柴田君臣は運命共同体であった。これは明家が織田の陪臣であったころから行われていた。何より明家は家臣の父母と妻子の名前を全部覚えていたと言われている。だから柴田軍は強かった。まさに一つであったからである。『柴田の軍勢は一つの巨大な生き物』と言われる所以である。

 明家の領国経営、これには手本がいる。徳川家康である。ケチと呼ばれる御仁なのに、あの家臣たちの結束の秘訣は何だろうと明家は勝家の下にいた頃から学んでいた。家康は自分に学ぶ明家が気に入っている。彼の嫡男信康の面影がある明家だから、それは一層であろう。『儂の模倣は誰も出来ぬと思ったが、まさかあんな若僧がな』と明家を褒めた。そして腹心の本多正信には『越前は儂と似ている。儂の最大の味方となるか最強の敵となるかいずれかだろう』と言った。

 

 そして、いよいよ豊臣秀吉によって小田原攻めが敢行された。明家は留守居を務めた。大坂築城は未完の部分が多いため、その築城の指揮を執っていたのである。同じく留守居で築城奉行を務めていた増田長盛が明家に歩んできた。

「越前殿、武蔵国忍城を攻めている治部少殿(三成)より書状が来ております」

「かたじけない」

「いやあ、だいぶ出来てまいりましたな。殿下が越前殿を小田原に連れて行かず、こちらに集中させた事が分かりまする」

「いやいや、右少尉殿(長盛)が豊富な資金を用立ててくれるからにございますよ」

「ははは、まだ振る袖はございますゆえ、足りなくなってきたら申し出て下さいませ」

「承知いたした」

「と…今日は柴田粥をふるまってはおらんのですかな?」

 明家の妻さえが作った柴田粥は豊臣家臣団でも隠れ贔屓が多かった。大坂城の調理屑から作られるので最初は気が引けたのかもしれないが、一度食べたら病みつきになる美味であったのだ。秀吉も好んでいたと云う。

「ははは、一刻後に作り始めますので、城に運ばせましょう」

「ありがたい、大盛りで願いますぞ」

 増田長盛が去ると、明家は石田三成の書を読み出した。戦術の指南を願いたいと云う物だった。

『殿下から忍城を、あくまで水攻めで落とせと申し付けられ難渋しています』

 水攻めは、かなりの巨費を投入して実行される。つまり秀吉は北条家と関東の豪族たちに豊臣家の武威と財力を示すために、三成に水攻めを行えと命じたのである。

 しかし関東平野と言われるように、忍城の周りには自然の堤防が一切ないのである。自分たちで堤防を築いて利根川の水を入れるしかない。しかも忍城(現在の埼玉県行田市)の地は湿地帯。多少の水など地が吸い込んでしまう。三成はご丁寧に忍城の地形図と、近隣の河川の状況を細かく記した図面も書状に同封していた。三成の意図は分かっている。

『何とか、小田原の陣にいる殿下に取り成しをして、水攻め以外で戦って良いように事を運んでいただきたい』

 と、旧主明家に頼んだのである。文面に出さなくても明家には分かる。明家は急ぎ小田原の秀吉に書状を送った。まず大坂城築城の進行状態を報告。そして最後に

『恐れながら、忍城の地形を図面で見るに湿地帯の平野にございます。自然の堤がほとんどございません。いかに治部の采配とは云え不首尾に終わる可能性があります。巨費を投じて恥をかいては本末転倒。水攻めは殿下だから出来る城攻め、なにとぞ治部に自由に攻めても良いと云うご下命を』

 自分が伊丹城でも成功させた事は一切書かずに『殿下だから出来る城攻め』と書き送った明家。その言葉に気を良くしたのも手伝い、書状に同封された忍城の地形図を見た秀吉は、その日のうちに石田三成に『自由に攻めよ』と指示を出している。三成はその書状を歓喜して握り、思わず大坂にいる旧主明家に手を合わせた。三成には明家個人から書状が届いた。

『小田原が落ちれば、忍城も開城される。小田原の評定は四分五裂で内応者もいると聞く。忍城は包囲しているだけで攻める必要はないだろう。本城の小田原城が殿下の大軍に包囲されていると云うだけでも忍城内の士気はそう高くないはずだ。黙って城を囲んでいればいい。水攻めにあてるはずだった資金を味方にまわし、長対陣に士気が落ちないよう務めよ。また城主成田氏長殿の娘の甲斐姫に殿下は興味を持たれていた。殺してはならない』

 さすがに明家も心得てきたものである。甲斐姫のくだりを読んだ瞬間に三成は苦笑した。

 

 三成はその後には包囲を続けて兵糧攻めを仕掛けた。そしてやがて小田原の落城を待たずに降伏した。三成は包囲をしつつ、自軍の陣中に娼婦や商人たちを集めて、長対陣の退屈さを解消させたのである。三成が秀吉から学んでいた戦法である。その敵方の光景を見て忍城の士気は下がり、やがて兵糧も心細くなり、城を預かっていた成田氏長の妻の真名姫は開城を決意した。自決しようとした真名姫、娘の甲斐姫を救い出し、三成は忍城に入城し、翌日には小田原に向かった。三成軍は途中にある要害の鉢形城、岩附(岩槻)城も攻め落とす勢いだった。あのまま水攻めを続けていたらこの快進撃はない。三成は旧主明家に感謝の気持ちで一杯だった。

 このように明家と三成は、かつて主従だった縁から豊臣政権の中でも公私両面協力しあっていた。明家がこの時に行っていた大坂築城にしても、土木工事の指揮に長けた三成の家臣数名が明家のよき協力者として働いていたのだ。

 

 この秀吉の『天下統一』の仕上げに当たる戦い。時勢の流れが見えない北条氏は秀吉の再三の上洛要請にのらりくらりと言い逃れ従わなかった。

 そのとき、真田昌幸との間で小さな衝突があり(世に云う名胡桃城奪取事件)、これを口実に秀吉からとがめられて小田原攻めが実行された。いくら小田原城が天下の名城でも、後詰めもない上に、支城も次々に落とされ、まわりを二十二万以上の大軍に埋め尽くされては勝ち目がなかった。しかし北条親子は降伏しなかった。まだ物資は山とある。家祖早雲以来の名家を自分たちの代で滅ぼす事に耐えられなかった。しかし現実に秀吉に包囲されて北条氏政は圧倒された。

「何と云う大軍だ…。二十二万だと?どうやってそんな大軍を維持すると云うのだ」

 家臣が答えた。

「それどころか陣場に町などを作り長対陣に備えていると聞いています」

「なんと…」

 秀吉の陣から太鼓や笛、女たちの笑い声が聞こえてきた。

「ふざけよって秀吉!儂はあんな成り上がり者になぞ屈せぬぞ!断じて屈せぬ!」



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奥州の独眼竜

 会津の伊達政宗、奥州一の暴れん坊と言われている。彼は豊臣秀吉の日之本惣無事令を無視して芦名氏に合戦を挑み、そして摺上原の戦いで芦名氏を討ち、会津の地を占領した。

 奥州の諸大名はほとんど血縁が結ばれていており、たとえ合戦に及んだとしても皆殺しはしないのが暗黙の了解となっていたが政宗は違った。大内定綱の小出森城を攻め落とした時には城の女子供を撫で斬り、つまり皆殺しをしたのである。これは政宗の賭けであった。奥州の覇者になるか、または集中攻撃を受けて滅亡するか。天運は政宗に味方した。宿敵の芦名氏を滅ぼし、広大かつ肥沃な会津を手に入れるに至った。

 政宗の勢いは止まらない。続いて佐竹氏、相馬氏の領地を狙う。だがその時には政宗の元に秀吉から『小田原に参陣せよ』と下命されていた。政宗は無視。伊達の版図拡大に躍起である。来るべき中央の覇者との決戦に備えるには将兵を養う広大な土地が必要である。政宗は佐竹氏、相馬氏との戦いのため、大崎家や母親の保春院の実家である最上家に『援軍を出さねば許さぬ。踏み潰す』と脅す書状を届けていた。この知らせを兄の義光から聞いた保春院は背筋が凍りついた。母親の実家に対して何たる無礼、かつ飛ぶ鳥落す勢いの秀吉に勝てると思っているのかと。このままでは伊達家ばかりか最上家まで潰されると危惧し、たまらず政宗に抗議した。

「その短慮のせいでお前はお父上を死に追いやった!今度は母の実家まで死に追いやる気なのか!」

「……」

 政宗の父の輝宗、彼は政宗と敵対し、そして和議の締結に来た畠山義継に捕らえられてしまった。政宗の畠山への苛烈な戦後処理、そして小出森城の撫で斬りが畠山義継にこのような暴挙に出るほどに追いやった。やがて畠山一行に追いついた政宗、輝宗は自分を撃てと政宗に言った。そして政宗は泣く泣く父の輝宗を撃ち、畠山一行を斬殺した。輝宗正室の義姫、今の保春院は息子政宗の短慮を激しく罵った。

 畠山への復讐と言わんばかりに政宗は畠山義継の居城である二本松に進軍。だが畠山に同情する奥羽諸大名は多く、反伊達家の連合軍が結成され、政宗は人取橋の戦いで大敗を喫した。敗れて戻った政宗に保春院は労いの言葉もかけず

「この大バカ者!お前が怒りに任せず畠山義継殿の首を丁重に二本松に送り届け、改めて降伏勧告でもすれば戦わずに二本松は落ちたわ!怨みが怨みを呼ぶと何故分からぬ!お前ごとき殺戮を好む外道など我が息子ではない!死んでしまえ!!」

 と、家臣の前で罵った。確かに短慮だったと政宗は感じていた。しかし殺戮を好む外道とはあまりの言葉であった。以来、政宗と保春院には埋まらぬ溝が出来ていた。

 

 元々保春院は政宗ではなく次男の小次郎政道の方を愛していた。長男は守役に育てられ、次男は自分で育てたのだから自然かもしれない。『我が腹を痛めた子を疎んじる母がどこにおろうか』と政宗に言った事がある保春院だが、そう受け取られる態度を無意識に取っていたのなら、やはり偏愛は否めないところだろう。

「秀吉ごとき成り上り者に、この伊達家が膝を屈せるとお思いか」

「時の勢いと云うものがあるであろう。関白は東海より以西の支配者であるぞ!」

「早々に尻尾を振れば伊達は軽んじられまする。九州の島津は秀吉軍と戦い、その強さを関白に認められたとか。すぐに恭順すればみちのくの武士は腰抜け、政宗は木っ端侍よと侮られます」

「それを短慮と申すのだ。そんなに戦がしたいのか」

「好きで戦をしているのではございませぬ。伊達の家臣と領民を守らんがためにございます」

 母の説得も虚しく、政宗は佐竹と相馬との戦をやめようとせず、そして小田原に参陣する気もない。万策尽きた保春院は兄の最上義光に相談した。山形城、義光の私室。

「義は何にも分かっておらんな」

「え?」

「小田原参陣は政宗を呼び出す口実だ」

「まさか…政宗を殺すつもりで…」

「政宗は関白の発令した日ノ本惣無事を無視して芦名を滅ぼした。儂が秀吉ならノコノコとやってきた政宗を殺してやるわ!」

「それでは伊達家は…!」

「知れたことよ、北条のあとは伊達よ。皆殺しに遭うであろうな」

「ああ…」

 泣き崩れる保春院。

「義、まだ活路はある」

「そ、それをお教え下さい!」

「政宗を殺せ」

「え、ええ!」

「小次郎を新当主とすれば良い。儂が後見となり小田原に随伴し、政宗の首を差し出し何とか関白に伊達小次郎が伊達家当主として許されるよう儂が取り成す」

「そんな事は出来ませぬ…!」

「伊達家が大事か、政宗が大事か、よく考えろ」

「兄上…!」

 

 苦慮のすえ、保春院は次男小次郎と共に政宗の殺害を決意。そして小次郎を当主として伯父の最上義光を後見として小田原に参陣すると云う企てを画策した。しかし政宗の心を変える知らせが届いた。豊臣秀吉が二十二万の大軍勢で小田原城を包囲したと云うのである。同盟をしていた徳川・北条・伊達の一角である徳川はすでに秀吉につき、今さら伊達家だけが北条に味方は出来ない。ついに政宗は小田原の参陣を決意した。翌日に出陣となったが、政宗は母の保春院に夕餉に招かれた。招待の際の文には

『今まで母子ながら不仲と相成り、ずっと気に病んでいた。そなたも小田原に参じると知り安堵した今、今さらながら昔のように母を優しく見つめてくれるそなたに会いたい。母が腕によりをかけてご馳走を用意しますゆえ、ぜひ母の元へ来て欲しい』

 と、記されていた。政宗は嬉しかった。やっと母上と和解できる。何より政宗は今まで母親の手料理を食べた事がない。小躍りして母の部屋へと行った。母子水入らずの夕餉、政宗の前に置かれた膳、目を輝かせる政宗。

「これはそれがしの好きなものばかり、これを母上が…」

「無論じゃ、出陣の英気を養うてもらいたくてのう。張り切って調理しました」

「ありがたい、母上の手料理を食べるのは初めて。文をもらった時から楽しみで仕方がございませんでした。政宗ありがたくちょうだいします」

 合掌して料理の膳を拝む政宗。本心から母の手料理が嬉しかった。保春院はこの時の政宗の笑顔を見てどう思ったのだろうか。美味しそうに料理を食べる政宗。だが

「……ッ!?」

 焼けるような胸の痛みを感じた。手足が痺れ出す。唖然として母の保春院を見る政宗。

「母上…」

「政宗…」

「こ、これが…!母の愛なのでございますか…ッ!?」

「母の慈悲じゃ…!許せ政宗!」

 政宗は急ぎ庭に駆けて嘔吐した。

「オエエエッッ!!」

(母上が…俺を毒殺…!)

 そしてさらに悲劇が襲う。

「兄上!お覚悟!」

 政宗に切りかかった弟の小次郎、だが政宗は苦悶しながらも小次郎を斬った。

「小次郎!」

 愛する小次郎が斬られた。半狂乱となり小次郎の亡骸を抱く保春院。騒ぎを聞いて駆けつけた片倉小十郎と鬼庭綱元。

「殿―ッ!」

 その惨劇と政宗の嘔吐、これを見て片倉小十郎はすべて察し、

「保春院様…!」

「控えよ小十郎!!」

「殿!」

「綱元も聞け、これは小次郎が一人でやった事だ…!」

「しかし殿!」

「良いな小十郎、綱元!母を罰する事まかりならぬ!」

 保春院は小次郎の亡骸を抱いて泣き叫んでいる。政宗の事は目に入っていない。政宗は血を吐くように叫んだ。

「母上―ッ!!」

 奥州一の暴れん坊としての彼ではなく、ただ母を求める幼子のような叫びであった。そして意識を失った。これで小田原攻めへの出発が遅れたのである。数日後、目を覚ました政宗の枕元に妻の愛(めご)がいた。

「愛…」

 政宗の手を握る愛姫。

「殿…」

「母上はどうされた…?」

「最上の山形城に帰られたとの事…。聞けば…気が触れてしまわれたとか。うわごとのように『小次郎はどこじゃ、小次郎はどこじゃ』と申すばかりと…」

「そうか…。もう会う事もあるまい…」

 一つしかない目から一滴の涙がこぼれた。

 

 しばらくして政宗は快癒し、そして小田原に向かった。大幅の遅参、秀吉への目通りは許されず底倉(箱根七湯である底倉温泉)に留め置かれた。そこは政宗、母との確執もどこへやらと精神的にも回復していたので、『ふん、遅参を理由に許さぬと言うのであらば秀吉も大した事ないわ』と黙って底倉で温泉に入って待つ事にしたのである。

 政宗はこの小田原出陣にただ百騎しか連れてこず、かつ二ヶ月も遅れての参陣であった。秀吉は

「あの若僧、儂の恐ろしさがよう分かっておらんと見える」

 と一笑に付し、そのうえで養子とした結城秀康に底倉に出向いて政宗の器量を見てまいれと命じた。秀康が底倉に到着したら政宗は平然と岩湯に入り鼻歌を歌っていた。

「おい!」

「『おい!』と俺を呼ぶのは誰か」

「結城秀康、名前くらい聞いた事があるだろう」

「おう、徳川家から養子に出された方にござるな。伊達藤次郎政宗と申す」

「こしゃくな奴よ、昼間から岩湯とは良い身分な事だ」

「待ちぼうけを食わされておりますでな」

 湯をすくい顔を洗う政宗。

「ぶわー、生き返る。どうでござるか秀康殿も」

「なぬ?」

「良い湯でござるぞ、それがしはこの通り丸腰、心配無用にござる」

 怖気づいたと思われるのも癪なので秀康も岩湯に入った。

 

 秀吉の陣屋、この顛末を秀吉に報告している秀康。

「なるほど、いきなり裸の付き合いも良かろう。ところで湯の中で一つ二つへこませてきたのであろうな」

「いやそれが賭けで負けまして…」

「賭け?」

「岩湯に五尺ほどの青大将が湯治にきていました」

「青大将?では岩湯には於義丸(秀康)と政宗三人の湯治となったわけか」

「はい、それで政宗が」

 

「どうもこいつは邪魔ですな。どうですか秀康殿、この青大将を手を使わずにどちらが追い払う事が出来るか賭けませんか」

「手を使わずに?」

「はい、できまするか?」

「そんなの簡単だ。俺の眼光で追い払ってやる」

 青大将を睨む秀康、しかし青大将は微動だにしなかった。

「こやつ、まったく動かんな」

「ではそれがしが」

 政宗は自分のイチモツを隆々と起たせて青大将に向けた。青大将は逃げた。秀康は呆然。

「あはは、秀康殿、どうして逃げたとお思いか?」

「い、いや…皆目分からないが…」

「ほれ、男の印の口は縦に裂けてござろう?青大将は見た事のない化け物が出たと逃げたのでござるよ」

 秀康のこの報告に秀吉の陣屋の中は大爆笑。秀吉もその幕僚たちも大笑いだった。

「お、於義丸…。ヒーヒー!男の印で負けるとは、うわはははははは!な、何事か!」

 腹を抱えて爆笑する秀吉。とにかく政宗、秀康から一本を取り彼を通じて家康に遅参の取り成しを願う事ができた。ああまで大笑いしたら怒るどころではないが、秀吉にも諸大名に示さなければならない威厳というものがある。秀吉は本陣での目通りを許した。

 いよいよ秀吉との対面、政宗は死に装束で秀吉本陣へと歩いた。本陣の奥で政宗を見つめる秀吉。ゴクリとツバを飲んで秀吉に歩む政宗。秀吉の傍らにいた家康がそれを制し、政宗に何かを差し出させるように手を伸ばした。政宗は懐中にいれていた短刀を取り出し家康に渡した。そして秀吉に平伏。

「伊達藤次郎政宗にございまする」

「秀吉じゃ。ずいぶんと遅かったのう」

「申し訳ございませぬ」

「その方、旗色を見ておったか」

「めっそうもございませぬ!」

「ふふ、若いのう、いくつだ?」

「二十四にございまする」

「その方、奥州一の暴れん坊だそうな」

「奥州の戦など関白様の戦に比べれば児戯に等しきものにございまする!」

「はは、そうか」

 秀吉は床几を立ち、政宗に歩んだ。そして秀吉、

「……!」

 竹の杖を政宗の延髄に叩き付けた。

「城が落ちておったら、その首はなかった。運の良き奴よ」

「は、はは…!」

「ついてまいれ」

 秀吉は小田原の包囲の様子全容がうかがえる場所に政宗を連れて行った。

「どうじゃ政宗」

「見た事もない大軍勢にございまする」

「そうであろう、ふっははは!儂は青大将のようにはいかんわ。ふっはははは!」

 諸侯の見ている前で政宗を杖でトントンと叩く秀吉。

(くそ…!この屈辱忘れぬぞ!)

 

 これから間もなく石垣山城が完成。小田原城から見える石垣山に巨大な城を作ったのである。完成し、石垣山の木々が切られ石垣山城の全貌が小田原城に飛び込んだ。北条氏政と氏直の親子は絶句。氏政は歯軋りし

「秀吉め!あり余るチカラを嫌味に見せ付けおって!儂は負けんぞ!」

 目の前で突如城が現れたのである。小田原城内の士気は激減し、秀吉はこれで北条は降伏してくると思っていたが北条家は降伏しない。城を抜け出して降伏をしてくる者はいるが肝腎の北条親子は降伏の意図を示さない。石垣山城から小田原城を見る秀吉。

「おかしい…この城を見てもまだ北条は降伏しようとせん…」

 焦れている秀吉。

「いかに堅城とはいえ、三月もかかって落とせぬのでは儂の面目は丸つぶれじゃ!」

「殿下」

「なんじゃ佐吉」

 すでに三成は秀吉に合流し、豊臣軍の軍奉行を務めていた。その三成が苛立つ秀吉に言った。

「北条への降伏の使者、うってつけの方がおります」

「誰だ」

「越前殿です」

「越前?」

「いらぬ誤解を招かないよう秘していましたが、武田攻めの後に越前殿は北条氏政と文のやりとりをしていた時期があります」

「なぜ」

「武田攻めのおり、越前殿は自害された氏政の妹である武田勝頼夫人を丁重に弔っております。御遺髪と辞世の句を書きとめた文を小田原に届けました」

「ほう…」

「氏政は大変それを感謝したそうにございます。その後に越前殿は羽柴に属したため交戦状態となったものの、その縁は残っていましょう」

「なるほど、よし越前を大坂から呼べ」

「はっ!」

 

 数日後、明家はわずかな手勢を連れて堺から船に乗り、小田原に向かった。

「よう参った越前」

「は!」

「北条親子が粘りよってな。往生しているところじゃ」

「はい」

「そなたは氏政と一時期縁があったと聞く」

「御意」

「よし、その伝手から何とか北条を降伏させてくれ」

「分かりました。さきに文を届けて様子を見てみます」

「うむ、頼んだぞ!」

 明家は北条氏政あてに書状と共に美酒十斗を届けた。だが明家の陣屋に返ってきたのは弾薬だった。添えられていた書状には『城攻めで使われる事を願う』とあった。明家の部下たちは激怒した。

「殿!これは明らかに挑発ですぞ!」

 弾薬の詰められた箱を眺めつつ明家は答えた。

「いや違う、戦う気があるのなら弾薬などは送って来ない」

「しかし…」

「もはや北条家は意地で戦っているだけだ。その意地を解決すれば北条親子は降伏する。矩久」

「はっ」

「俺の正装を用意せよ」

 明家は正装して城門に向かった。供に松山矩久と小野田幸猛がいた。その小田原城の城門までの道でのこと。前から歩いてきた二人の男がいた。

(隻眼…。あれが奥州の伊達政宗か…?)

(ほう、何ともまあ整った顔立ちだ、あれが柴田越前守か…?)

 お互い立ち止まった。

「手前、丹後若狭の柴田越前守明家と申す。よければご尊名を」

 礼儀を守り、頭を垂れて訊ねた明家、政宗も礼をもって返す。

「これは丁寧に恐縮にございます。会津の伊達藤次郎政宗と申す」

「一度、お会いしたかった」

「こちらこそ」

 しばらく見つめ合う柴田明家と伊達政宗。

「越前殿は軍使にございますか」

「いかにも」

「大変なお役目と存じますが、首尾よく行く事を願っております」

「かたじけない。ではここはこれで」

「はい」

 城門に向かう明家一行の背を見る政宗。

「殿、越前殿をどう見ますか?」

 と、片倉小十郎。

「とても上杉謙信を寡兵で退け、賤ヶ岳で秀吉を震撼させたとは思えぬ男だ。まるで女子のような面体。苦労知らずの御曹司のようにも見える」

「確かに…」

「だが、そこにこそ、あの男の恐ろしさがある」

 片倉小十郎は静かに頷いた。見抜いた政宗もさすがであろう。

「殿、あれが奥州一の暴れん坊の伊達殿ですか」

 と、松山矩久。

「そのようだな」

「どう見ました?」

「あの覇気は信長公を思わせる。味方として出会えたのは幸いだ。あははは!」

 名将、名将を知る。ほんのわずかな対面でありながら双方相手を見抜いた。

「ここまででいい。あとは俺一人で行く」

 と、二人を帰そうとした。

「なりません!敵城の中にお一人で行かせるわけにはまいりませぬ」

「北条氏政殿は知っている」

「お会いした事が?」

「ないが文のやりとりを数度した事がある。一度会いたいと思っていた」

「しかし今の殿の立場は関白殿下の使者に…」

「坂東武者は使者を斬るような卑怯な振る舞いはしない。あとこれも預ける」

 刀二本を矩久に渡した。

「殿…!」

「では行ってくる」

 こうして明家は単身で小田原城に入った。丸腰だった。その姿勢を聞いた北条氏政は『丁重にお通しせよ』と厳命した。そして当主氏直に会う前に個人的に会いたいと申し出てきた。それを了承して案内された部屋に行くと氏政をはじめ、他の北条家臣も下座で明家を待っていた。

「氏政殿、これは?」

「どうぞ上座に」

「使者のそれがしがかような席に座れませぬ」

「良いのでございます。この北条氏政、一人の武士として会うのでござります」

「…承知した」

 改めて氏政は明家へ平伏した。

「一度、じかにお会いしたかった。妹、相模を丁重に弔って下された事、お礼申し上げる」

「いえ…」

 北条氏政の妹の相模は武田勝頼の正室である。天目山で自決した勝頼夫婦と最期の酒を酌み交わし、夫の勝頼の横に丁重に埋葬した明家に対して北条一門は深く感謝していた。

「さぞや冷たい兄と思われたでしょうな。しかしあのおりは…やむをえなかった」

「分かっております。相模殿はその気になれば小田原に帰る事ができた。そうしなかったのは夫の勝頼殿を深く愛していればこそ。相模殿はまさに夫人の鏡にございます。またそれがしも妹を持つ身。氏政殿が身を引き裂かれる思いであったこと、察しまする」

「そのお言葉ありがたく」

「その相模殿から氏政殿に言伝がございます。“もし兄に会う事があったら伝えて欲しい”と天目山にてそれがしに」

「なんと…申されましたか」

「“相模は幸せでございました”と」

「そうでござるか…!」

 北条家臣団もその言葉に感涙した。

「戦国のならいか…こうして一つの縁ある氏政殿とも敵同士となってしまったそれがしにございます。ぜひ、当主氏直殿とお会いしたい」

「承知いたしました」

 そして氏政立会いのもと、明家と北条氏直は会った。

「北条氏直である」

「柴田越前守明家にござる」

「叔母上の事、それがしからも礼を申す。してご用の赴きは?」

「降伏をすすめに参りました」

「…だめだ、戦わずして降るは武門の恥じゃ!」

「越前殿、それがしも倅と同意見にございます」

 しかし城内にはもう疲れ切った兵が所かまわず座り込んでいる状態。戦える雰囲気とは云いがたい。すでに家臣数名も秀吉に寝返っている有様。重臣筆頭の松田憲秀も寝返っていたのだ。小田原城を囲む秀吉の陣は『極楽陣中』とも呼ばれ、毎日遊んでいるような陣中。兵の中には『こんな戦バカらしくてやっていられるか』と云う気分が蔓延していた。それを分かっている北条親子はもはや意地で戦っているようなものである。明家はそれを理解した上で言った。

「それがしは丸岡の城で羽柴勢の大軍に包囲されましたゆえ、氏政殿や氏直殿の悔しさは痛いほどに分かります。しかしながら二十二万の軍勢を相手にここまで戦ったのでございます。豊臣にも北条勢の武門の意地理解するもの多く、感嘆しております。北条の面目はもはや十分に立ちました。早雲公、氏綱公、氏康公ももはや叱りますまい。この上は将兵一人でも命を助けるべく、英断を下されよ。降伏し豊臣と共存する事が北条家百年の大計にござらんか」

「…越前殿、取り成しを願えるのか!」

「相模殿と酒を酌み交わしたそれがし、お任せくだされ」

「父上…」

「氏直…もはやこれまでじゃ…」

 

 ついに北条親子は降伏を決断。氏政は切腹、氏直は高野山に追放とされたが、兵たちはほとんど許されたのである。民への略奪暴行もかたく禁じさせた。

 秀吉はこの明家の働きに感状を贈ったが、実際の褒美はない。実際与えようとした秀吉だが、最後に来て一度も戦働きもせず、舌三寸で城を取った自分に高禄の恩賞あれば他の将への妬みを買うと思い固辞したのである。

 だが、一つ嬉しい事があった。秀吉から褒美はなくても、敵の北条氏直から明家へ感謝の印として名刀『三日月宗近』が贈られたのである。陣屋でその刀身に見入る明家。

「何よりの贈り物だ。柴田家の家宝としよう」

「殿、お客にございます」

「誰か矩久」

 刀を鞘に収めて訊ねた明家。

「驚きますぞ」

「え?」

「それがしにござる越前殿」

「ご、権兵衛殿!?」

「お久しぶりにござる」

 何と仙石秀久であった。陣屋に通され、秀久は言った。

「知っての通り、それがしは戸次川の戦いの失態で高野山に追放されました。だからこの小田原攻めで復帰を果たそうと思ったのでござる」

「ずいぶんとまあ派手な軍装で…」

 この復帰に手を貸したのが徳川家康である。仙石秀久は三方ヶ原の戦いに佐久間信盛の軍勢の一員として参戦しており、浜松城で行われた軍議の中で家康が武田に着いたと織田の将である佐久間信盛と平手汎秀が邪推した。この時に仙石秀久が『徳川殿はそんな男ではない』と一切疑わなかった。これが気に入られたのである。

 それから二十年経っているが家康は三方ヶ原の戦いでも懸命に戦い抜いた秀久を忘れておらず、戸次川の戦いの汚名があっても陣を貸し、かつ復帰に際して尽力した。この時の秀久の軍装は糟尾の兜と白練りに日の丸を付けた陣羽織、紺地に無の字を白く出した馬印を立て、わずかな手勢を率いて軍の先に進んだといわれている。加えて鈴を陣羽織所々に縫いつけるという目立つ格好をして合戦に望んだのだ。軍装だけではなく武功も立て、秀吉に帰参を許され、信濃小諸五万石を与えられた。

「そうだったのですか…」

「信親殿は亡くなられたそうでございますな…」

「…申し上げにくいですが戸次川の負傷が元で」

 最愛の息子を失った元親の落胆は筆舌しがたいものであり、元親はすでに他家の当主となっていた次男三男を捨て置き、四男の盛親を当主とし、信親の娘を盛親に嫁がせた。叔父と姪であるがこの当時では珍しい事ではなかった。しかしすんなりと決まったわけではない。反対する者は重臣であろうと成敗したという。元親にかつての覇気は消えうせてしまった。

「こたび、それがしの帰参かないし事…。信親殿はあの世で悔しい思いをしているでしょう。しかしもうお詫びのしようがござらん。子々孫々に至るまで信親殿の御霊をお慰めする以外には…」

「……」

「豊臣軍に戻った今、長宗我部や十河の者とも会いましょう。しかし何とか平身低頭に謝罪し、和解したいと存ずる。これからを見てほしいと。そしてあのおりの戦死者の家族に出来るだけの事をしたいと申し出てみるつもりにございます」

「困難でしょうが、至誠を示すしか術がございませんね」

「いかにも、それに誠心誠意励む所存。ところで越前殿に折り入ってご相談がございましてな」

「何でございましょう」

「コホン、我が娘の姫蝶と竜之介殿を夫婦にしたく存ずる」

「竜之介と姫蝶殿を?」

「はい、娘はご子息に惚れ抜いてござる。それがしは娘に甘いゆえ、どうしてもその想いを遂げさせたく思いましてな」

「それがしは構いませぬが、関白殿下がどう申されるか」

「すでに了承は取り付けてございます」

「ははは、抜け目が無いですね」

「それでは良いのですな?」

「ええ、姫蝶殿に惚れ抜いているのは息子も同じ。しかし好き合って結ばれるなど何と息子は幸せな。まるでそれがしとさえのようにござる」

「ははは、確かに!」

 後日談となるが秀久は長宗我部と十河に平身低頭詫びつくし、やがて秀吉の取り成しもあり和解が成立。そして姫蝶姫は数年後に柴田明家嫡男である竜之介に嫁ぐ事となる。

 

 関東の北条は滅んだ。世に『小田原評定』と云う言葉を歴史に残して。これで北日本の勢力図は大きく塗り替えられた。しかしまだ奥羽の平定には至らず。秀吉は意気揚々と奥羽へと向かった。明家は大坂に引き返し、再び大坂築城の指揮に就いた。しかし明家は遠からず奥羽へと出陣する事となるのである。



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奥州仕置

 小田原攻めが終わると明家は大坂に帰ったが、彼はその前に武州恩方(東京都八王子市)に向かい松姫を訊ねた。信松院と云う庵で、かつて婚約者であった亡き織田信忠を弔い生き信松尼と号し尼僧となっていた松姫。彼女は明家の訪問を心から喜び、茶室で明家をもてなしていた。

「聞きました。小田原が落ち、北条氏が降伏したと」

「はい」

「豊臣秀吉とはすごいですね。父の信玄、そして謙信公さえ落とせなかったお城を」

「合戦の仕方が違いますからな…」

 松姫は美しくなっていた。尼僧姿で静かに微笑む姿は女神さながら見えた。

「…?どうなさいました竜之介殿」

「い、いえ…。しばらく見ぬうちに美しくなってと思い…」

「まあ、相変わらず口がお上手で」

「いやあ本当です。もしかすると徳川殿は松姫様を側室にしたいと申すかもしれませんなァ。馬場美濃殿の娘を欲したほど武田ゆかりの娘に興味をお持ちゆえに」

 松姫はクスッと笑い答えた。

「実は徳川殿にそれは要望されました。使いを寄こさず、ご自分でここに参られて」

「じかにここまで?」

「はい、でも私は信忠様に操を立てると断りました」

「一度であきらめましたか?」

「いいえ二度も三度も。やむなく『しつこい殿方は嫌いです』と申すと、さすがに諦めて下されたようで」

「あっははは!なんと徳川家康を袖にしましたか」

「徳川殿が関東入府となった時、文も届きました。北条氏と変わらず恩方に住む武田遺臣を厚遇して下さるそうです」

「さすがですな。徳川殿は武田遺臣をずいぶんと召抱えています。信玄公を師と思っていますし、何より自分をふった女にも厚遇を約束されるとは中々出来ることではございません。むしろそういう経緯があれば徳川殿は松姫様の一行もいっそう丁重に遇されましょう」

 その通りである。この松姫と共にあった武田遺臣たちは後に家康から『八王子千人同心』と呼ばれ、江戸の西方の守備を委ねられる。この千人同心の末裔にあたるのが新撰組の近藤勇、土方歳三である。

 かく言う明家もまた武田遺臣を多く召し抱えていた。代表的なのは投石で有名な小山田家であるが、父の正直と袂を分けた保科正光も明家に召し抱えられた。

 だが、しばらくして徳川に仕えていた正直と和解。やがて正直が死去すると保科家の跡取りがいないため、家康を介して明家に正光が徳川に来るように要望された。お家断絶は母や妹たちに申し訳ないと正光は柴田家に暇乞いして保科家を継いだ。彼に養育されるのが治世の賢君と名高い保科正之である。

「そうだ松姫様、今度それがしの領国である丹後若狭に参って下さいませ。小山田の者たちも喜ぶし、美味しい海や山の恵みもございますぞ」

「それは…ありがたくご招待を受けます」

「もうしばらくすれば、この国から戦はなくなります。安心して来られますよ」

「そこまで来ているのですね、戦のない世が」

「はい」

 感慨深く微笑む松姫、本人は罪のない事に自覚していないが男盛りの明家から見て、たまらない色っぽさであった。その美しさと色っぽさに明家は惚けて松姫を見つめる。

「どうしたのですか竜之介殿、何か変ですよ?」

「い、いや、あっはははは!」

 

 さて、豊臣秀吉は小田原北条氏を滅ぼし、奥羽平定に乗り出し、そして宇都宮城に到着した。そこには伊達政宗と最上義光が出迎えていた。城門で膝を屈し秀吉を迎えた。

 余談だが政宗と義光にはこの前日に一悶着あった。母の保春院を裏で糸ひき、息子へ毒を盛らせたに至るのは伯父の貴方の差配だと激しく罵ったのである。

「何の話だ」

「すっとぼけるな!水面下でしか動けぬ腰抜けが!」

 最上家臣は激怒、伊達家臣も一歩も退かない。しかし義光は政宗の相手をしなかった。

「何とか申したらどうか!黙っていると云う事は我が毒殺を差配したのはやはり伯父上か!」

「だとしたらどうする?関白殿下が発布された『日ノ本惣無事』に逆らい、儂と戦でもするか?儂は一向にかまわんがな」

「居直るか!」

「ふん、確たる証もなしに伯父を罵るとは短慮も良いところだ。まあ父の輝宗を鉄砲で撃ち殺す外道だからな」

「何だと!」

「殿、もうその辺りで!」

 必死になって止める片倉小十郎。

「ともあれ伯父御殿は明日共に関白殿下をお迎えする者同士、ご短慮はなりませぬ!」

 小十郎の諫言を忌々しそうに聞き、そして部屋から出て行った。

「お前も色々と大変だな」

 笑って義光は言った。その義光をキッと睨み小十郎も退室した。そんな経緯もあるが二人は城門に並び秀吉を出迎え、そして彼らが先導し会津黒川城に入城し、小田原の役の論功行賞を発表。政宗への処遇は苛烈だった。会津を召し上げられてしまった。論功行賞を終えると秀吉は随行してきた蒲生氏郷を召した。

「氏郷よ、会津・仙道四十二万石とこの黒川城を与える」

「はっ!」

「ところで氏郷、伊達をどう思う?あの若僧は中々したたかじゃ」

「彼はまだまだ若僧にございます」

「いや、それはどうかのう。彼奴、儂の事など内心屁とも思っておらん」

「若さゆえでしょう」

「それよ、だからこそ儂につまらん事も考える」

「謀反でも?」

「それほど愚かではあるまいが、あの男が会津と黒川城をあっさり明け渡した事が気になる。彼奴が心底儂に心服しておらぬ事は目を見れば分かる。あの若僧、会津を明け渡す腹いせにきっと何かしでかす。氏郷が政宗の性格をしていたらいかがする?」

「そうですな、一揆の火種を残していきましょう」

「具体的には?」

「会津の豪農や庄屋に『新領主が気に入らぬ統治をしたのなら、その時は儂が後ろ盾になろう。いつでも力を貸すゆえ、このたびの領地明け渡しを許せ』と書き残しまする」

「ふっははは!なるほど政宗ならやるかもしれんな」

(ふふ…。いや、やってもらわねばならぬ)

 秀吉は奥羽諸大名の仕置を明らかにした。大崎、葛西、石川、田村の諸氏は所領没収となった。理由は小田原に参陣しなかったからである。そして今まで政宗が治めていた旧芦名領の会津、岩瀬、安積の旧芦名領は蒲生氏郷に与えられ、大崎、葛西両氏の旧領は木村吉清と清久親子に与えられた。

 

 米沢城、伊達政宗の居城。片倉小十郎と政宗が話していた。

「愛姫様は聚楽第に向かいましたか」

「ああ」

 伊達政宗の正室愛姫は三春城主田村清顕の娘である。後に賢夫人として夫の政宗を支えた彼女であるが、この時は最悪の不仲の状態であった。彼女の父の清顕が急死すると世継ぎの男児がいなかったゆえお家騒動が起き、やがてこれが皮切りとなって相馬・佐竹・芦名・二階堂連合軍と伊達・田村が激突すると云う郡山合戦が勃発し、勝利した政宗が三春に入城。妻の実家を実質併呑したのだ。

 しかしまだ伊達家の傘下であっても独立性を保っていたが豊臣秀吉の奥州仕置で田村の領地はすべて没収。しかし田村が参戦しなかったのは清顕の甥である当時の田村当主宗顕の出陣を『田村の采配は清顕の娘婿である自分にある』と言い差し止めたからである。政宗は秀吉の奥州仕置を逆用して妻の実家を完全に乗っ取ってしまった。

 この仕打ちに田村宗顕は激怒し隠棲し、伊達に田村遺臣を組み入れようとした政宗であるが、見向きもされず、ほとんどの遺臣たちは上杉、最上、蒲生に仕官してしまい、何より田村清顕の娘である愛姫の夫への怒りは並大抵ではなかった。政宗は『田村の当主は俺とそなたの子でなくてはならない』と言ったが、政宗の側室猫御前が愛姫より先に男子を生んで胸中穏やかでないところに、この夫の仕打ちである。

 しかし政宗とて好きでやったわけではない。自分がしなければ他の奥州勢力に田村は飲み込まれる。妻をわざわざ悲しませる事など誰がしよう。しかしまだ若い愛姫には分かる事ではなかった。分かりたくもなかったが。

 政宗が夜閨を求めても『ご容赦下さい』と違う部屋に行ってしまい、正室として奥向きの仕事は勤めるものの、夫とは社交辞令的な言葉しか交わさない。かつて愛情一杯の笑顔を向けてくれた妻が憎悪と侮蔑の眼差しを向けてくる。政宗もほとほと参った。そこへ秀吉から正室を京の聚楽第に越させ、人質とするようにと勧告があった。少し距離を置いた方が良いと思い、政宗は快諾した。そして愛姫に話を切り出した。

「私を京に?」

「そうだ」

「…秀吉は我が実家を滅ぼした男、その男の元へ行けと?」

「田村を滅ぼしたのは秀吉ではない。俺だ」

「……」

「しばらくそなたは俺と離れた方が良い。また…俺は人質に出すとは思っていない。伊達の先陣として送り出す気でいる」

「先陣?」

「上方の情報を逐一俺に知らせろ。女にしかできぬ事もある」

「秀吉と寝ろと?」

「そんな事は言っていない。上方にいる諸大名の妻と積極的に付き合い、様々な情報を掴み、俺に送れと云うのだ」

「殿を殺すため、偽情報を送るかもしれませんよ」

「それもよい。俺はそなたの言葉を信じて動くしかないのだからな」

「……」

「愛」

「はい」

「田村は必ず再興させ、三春も返す。そなたや遺臣たちもいずれ分かろう。俺がやらねば秀吉か他の大名に田村は飲み込まれていた。さすれば田村の家名は断絶、伊達はああするしか、そなたの父上に報いられなかったと云う事を今にわかる」

「……」

「侍女に喜多(小十郎の姉)をつける。早々に旅支度を整えておけ」

 政宗は愛姫の部屋を去っていった。その喜多もその場にいたが…。

「愛姫様…」

 フッと笑う愛姫。

「…分かっているのです。殿のお気持ちは。でも、だからと云って割り切れるものではなくて…」

「今に昔のように仲の良いお二人に戻れる事を願わずにはおれません」

「そうね…。だからしばらく離れるのは良い事かもしれません」

「聚楽第に行かれるのですか?」

「私は伊達家の正室、殿との不仲は別問題です。さあ準備にかかりましょう」

 こうして愛姫は京の聚楽第へと向かって行った。

 

「さて小十郎、にわか大名の木村吉清殿は検地を実施し年貢も厳しく取り立てているそうだな」

「御意、いきなり三十万石の大名となり有頂天になったのでございましょう」

「木村吉清と清久の親子は知らんとみえる。男にとって一国一城の主になるのは大望。しかしそれで終わりではない。それからが大事だと云う事をな」

 そればかりではなく、木村吉清は旧大崎と葛西家臣の地侍などを家臣に登用せず、さらに刀狩まで行った。

「今に一揆が起こりましょう。殿の望むように運んでおりますな」

「人聞きの悪い事を言うな。木村親子が仁政を敷けば、俺が旧領の豪農や名主に残してきた書置きなど空手形になっていたのだからな。苛政は虎より恐し、すべて木村親子が悪い。あっははは!」

 やがて一揆が起きた。政宗の小田原参陣時において大崎と葛西両氏は戦国大名としての体制を整えられておらず、政宗に半ば属していた状態であった。ゆえに彼らが独自に出陣し小田原参陣をできるはずがなかった。大崎と葛西の領地と云っても、それは南奥州諸大名の頭領とも云うべき立場であった政宗の領地でもあるのだ。

 この一揆は小田原参陣後の論功行賞で領土の大半を削られた政宗が、失地回復の方策として旧領に対して一揆の火種を残し新領主の追い落としを図り、蒲生氏郷より御しやすい木村親子を策の成就のために狙ったとも云える。政宗はこれが秀吉と蒲生氏郷にとって想定内と想像もしていないだろう。秀吉もやはり恐ろしい男である。大崎と葛西の一揆を逆用して政宗を葬ろうとしていたのである。

 やがて一揆の追討令が秀吉から蒲生氏郷と伊達政宗に下命された。氏郷はまだ現地の地形に不慣れ。伊達家に案内役を要請。政宗もそれを引き受けた。しかし伊達勢はいつになっても蒲生軍と合流しようとしない。所定の場所で滞陣している氏郷。事前に伊達家から手渡されていた地形図を見て失笑した。

「ふん、やはりの。地形は出鱈目じゃ」

 その地形図を傍らにいた家臣に放った。

「では殿、伊達はやはり」

「ふむ…。しかし哀れよの。味方の密告で事が完全に露見するとは」

 もう一つ、氏郷の手には地形図があった。この数日前、氏郷の陣屋に伊達家から密告者が駆け込んだ。須田伯耆なる人物である。その男が所持していたのは政宗が一揆の扇動者である大崎と葛西の旧臣たちに宛てた書状、そして正確な地形図である。加えて、その須田伯耆が道案内をしていたため、事実上伊達勢の加勢は必要なくなっている。

「殿、殿のお見込みではそろそろ…」

「ふむ、儂が政宗なら、この合流を約定した地に奇襲をかけるが…」

「殿―ッ!右手より一揆勢!」

「よし、迎撃し、その後に一揆勢の篭る名生城に攻撃開始だ」

「「ははっ!」」

 その合流地点に政宗は数日後に到着した。周囲は静かだった。

「いやに静かですな…」

「ふむ、小十郎。我らが出張るまでもなく蒲生は撃破されたかもしれんな」

 伊達成実が笑った。

「何が“蒲生の麒麟児”か。笑わせよるわ!あっははは!」

 そのまま進軍する伊達勢は名生城を見て愕然。蒲生の旗が立っていた。

「な…!?」

「殿!名生城はすでに蒲生に!!」

「あっはははは!」

「氏郷…!」

 名生城の櫓で氏郷が豪快に笑っていた。

「ずいぶん遅い到着だな政宗、もう手柄は残っていないぞ」

「く…ッ!」

「儂につまらん策を弄している暇があったら家中の融和にもう少し気を使え。そんな事だから譜代の家臣に背かれるのだ」

「なに?」

 氏郷は矢文を政宗の馬前に放った。片倉小十郎がそれを拾った。

「と、殿…!こ、これは一揆の扇動者に当てた殿の密書にございますぞ!」

「なんだと!」

「須田伯耆が寝返ったようにござる!」

「しまった…!!」

「あっははは!それは写し、本物はもう関白殿下の元へ行っておる。困ったな?あっはははは!」

「おのれ氏郷…!」

 城門の上から鉄砲隊が一斉に姿を現した。

「来るなら迎え撃つ!」

「…退け!」

「殿!」

「退かんか成実!」

「は、はは!」

「おのれ氏郷、この仕返しは必ずするぞ!」

 

 事の顛末を聞いた秀吉は、予想の範疇であったゆえか、さして政宗に怒気を示さず葛西大崎一揆の鎮圧の総大将を甥の秀次に下命し、その参謀に柴田明家をつけ奥羽鎮定軍が編成された。謀反が露見した今、その鎮定軍の矛先は伊達に向かってくる。政宗は矛先を逸らすため一揆軍に包囲されている佐沼城に向かい木村親子を救出した。その直後、秀吉から政宗に使いが来た。

『儂の代理で奥羽を固めようとしている氏郷に楯突くとは不届き』

 と云うものであった。木村親子を救出した事は何の評価もされず免罪符にもならなかった。政宗は一揆扇動、すなわち謀反の罪に問われ上坂を下命された。死に装束をまとい、黄金の磔柱を持参して京を訪れ秀吉のいる聚楽第に向かった。石田三成がその様子を秀吉に報告した。

「なに?政宗が黄金の磔柱を持参してきたと?」

「はい、政宗自身も死に装束でございます」

「死に装束とな…?」

「京の町はその磔柱を一目見ようと大騒ぎにございます」

「むう、それでは儂は政宗を斬れぬではないか!」

「何故にございますか」

「磔は覚悟のうえとこれ見よがしに担いで出てきた者を斬れば、儂は器の小さな人物と揶揄されようが」

「殿下、それでも謀反は謀反、政宗は小細工を弄しているに過ぎませぬ」

「ふむう、越前はどう思うか」

「一揆勢に宛てた密書についてどのような言い訳をするか、それを聞いてからでも遅くはないかと存じますが」

「それもそうよな、よし政宗が訪れたら待たせておけ」

「はっ」

 伊達政宗は聚楽第に到着、一室に通されて待たせた。

「ふん秀吉め、待たせてじらすつもりのようだな。こんな事は童のころから鍛えられているわ」

 しばらくして秀吉、三成、秀次、そして柴田明家がやってきた。前口上もなく秀吉はいきなり怒鳴った。

「政宗、その方磔台など持参したからには死の覚悟は出来ておろうな!」

「死ぬ覚悟はいつでも出来ておりまする。それが伊達家の家風でござる」

「よう申した。治部、政宗の謀反が証をこれに」

「はっ」

 三成は文箱を開けて書簡を二通出した。

「コホン、伊達殿。これは一揆の輩にそこもとが配ったもの、もう一通は殿下や蒲生殿に寄こされたそこもとの書簡、筆跡花押も寸分違わぬ同じものにござる。そのワケをご説明願おう」

「どれどれ、ほう~よく似せて書いてござるな」

「似せてあるだと?」

「左様でござる殿下、ここまでそれがしの文字が書けるものは不都合あって当家から放逐した不忠の須田伯耆の倅だけ」

「筆跡から花押までことごとく同じだと云うのに覚えがないと言われるのか!?」

「治部殿、覚えがあればノコノコと出てくるわけがないであろう。一方は本物、一方は偽書状だ。第一、その偽書状を蒲生殿に持ち込んだ須田伯耆なる者、我が父の輝宗が戦死した時に殉死した忠臣の息子。しかしながら倅は父より器量が劣り、それがしは家老に取り立てなかった。己が無能を逆恨みして伯耆はそれがしの花押を盗用して蒲生殿の陣中に駆け込んだのでござろう」

 政宗は二つの書簡を改めて秀吉に突き出した。

「殿下、この双方の書付にある鶺鴒の花押。眼の先へかざしてご覧なされば一目で真贋か分かりまする」

「花押を透かしてみろと?」

「御意、花押としている鶺鴒の眼には針の穴の眼を入れてござる。ところが須田のせがれが蒲生殿に渡した鶺鴒の眼はみな盲目にござる」

「どれどれ」

 秀吉は蝋燭の灯に政宗の書簡を照らしてみた。すると秀吉に宛てた公式文書にある鶺鴒の花押には確かに針の穴ほどの眼があり、一揆衆に宛てた檄文にはそれがなかった。

「なるほどのう…」

「この鶺鴒の花押の眼は政宗より他の家中の誰も知りませぬ。これも乱世の武将の心掛けと思っておりまする」

 このように、政宗は鮮やかな弁明を弄して何とか追及をかわした。秀吉には政宗の叛意は分かっていただろうが、殺すより生かして使った方が得と考えたのである。

(この男、針の穴を通って命拾いしたわ)

 秀吉と明家は心の中で苦笑していた。

 

 さて、一揆の扇動者ではないと言い切った政宗には、もう一揆を掃討するしかない。すぐに政宗は米沢に戻り精鋭を集めて出陣した。それと同時に豊臣秀次を総大将に奥羽鎮定軍が出陣した。秀次の参謀には柴田明家が付き、大軍で北上した。政宗は鎮定軍が到着する前に片付けておくつもりであったが、行き場を失った一揆軍の牢人たちは頑強に抵抗した。伊達勢一隊だけでは無理であった。そして鎮定軍が到着。柴田明家が伊達本陣に到着。秀吉から越前の采配に従うようと下命されている。政宗は不満だが概ねの戦況を尋ねる明家の質問に答えた。

「政宗殿、この城を兵糧攻めをしてどれだけ経っておりまする?」

「二ヶ月近くになりまする。すでに備蓄していた兵糧は枯渇しており飢餓に陥っておりますが、敵勢はこちらの説得に応じず意地になって降りません」

「飢餓に陥り、どれだけ経つ?」

「十日にはなろうと。無論、水の手も断ちましてござる」

「よし秀次様、城内に兵糧と水を運びましょう」

 伊達政宗、片倉小十郎、伊達成実はあぜんとした。だが秀次は快諾。

「分かった。越前に任せる」

 片倉小十郎は猛反対。

「とんでもない!ここまでして敵勢を追い詰めたと云うのに、豊臣から救いの手が伸びれば兵糧攻めをした我らだけが憎悪されるではござらぬか!」

「政宗殿の名前で贈れば問題あるまい。単なる博愛精神で言っているわけではございませぬ」

「しかし…」

「これ以上に一揆勢を窮鼠たらしめるは得策ではない。ちょっと心を攻めてみます。駄目なら次の手を考えましょう」

 かくして一揆勢に兵糧と水が届けられた。その後『民を討つ一揆鎮圧は我らとて望むところではない。首謀者の首は差し出していただくが他の者は罪に問わぬゆえ降伏してくれぬか』と使者を出すと一揆勢はあっさり降伏したのである。その後も柴田明家の硬軟両面の作戦で大崎・葛西一揆はほどなく鎮圧された。

 だが政宗の胸中は煮えくり返っていた。伊達の面目は丸つぶれである。政宗は恥を忍んで、どうしてこんなにあっさり一揆を鎮定できたのか明家に訊ねた。明家は答えた。

「城を攻めるは下策、心を攻めるのは上策、人は敵にもなるが味方にもなる。殺さねば恨みも買わず、無用の抵抗も生まない。それだけにござる」

「……」

 政宗は父の復讐戦だと怒りに任せて二本松に攻め入ろうとして大敗を喫したが、その後に外交調略をもってあっさり落としている。チカラ攻めは得策ではないと分かっていたはずであるのに秀吉の奥羽鎮定軍到着前に一揆勢を片付けたかった政宗は焦ってしまった。それが裏目に出て一揆勢の頑強な抵抗を生んでしまったのだ。米沢城に帰り、一人酒を煽っていた。そこへ小十郎が入ってきた。

「悔しいですか殿…」

「小十郎…」

「わずか七つしか違わない男があれだけの手並み、悔しいでしょう。それがしもです。越前殿はそれがしより三つ若いのに、あれほどの器の違いを見せ付けられ、いささか気落ちしました」

「……」

「思えば越前殿ほど『人を見かけで判断するな』の良い見本はないですな。殿が小田原で言われたとおり、彼は一見、何の苦労も知らない御曹司のように見えますが、その実は智勇兼備の一級の将帥。外見で損をされているのか得をされているのか」

「底が計り知れない男だ。どこまでも静かで涼しげな男であるが、同時にすさまじき激しさを秘めている。目標とする男が出来た。今はチカラの差がありすぎる。だが見ていよ、今にあの男を越えてやる」

 

 奥羽平定後の論功行賞が発表された。伊達は七十二万石あった領地が五十八万石に減らされ、蒲生氏郷は会津黒川を故郷蒲生郡の『若松の森』にちなみ会津若松と改名。その手腕により日野と松阪同様に商工業を発展させ大天守閣も造営し『鶴ヶ城』と名づけるに至る。

 政宗の旧領をそっくり受け継ぎ実質九十六万石。三十六歳にして徳川家康・毛利輝元に次ぐ天下の大大名となったのである。政宗は面白くない。そんな政宗に文が届いた。政宗の次の居城とされる岩手沢城にいる柴田明家が政宗を茶席に招待したのである。明家は奥羽の一揆鎮圧の際、岩手沢を居城としていた。政宗は片倉小十郎を連れて、その招待に応じた。城門に近づくと出迎えの者が歩いてきた。政宗は下馬し言った。

「伊達政宗、越前守殿のお招きよりまかりこしました」

「お待ちしておりました。どうぞこちらに」

「出迎えかたじけない」

「さあ、主人がお待ちです。どうぞ」

 門番に案内され城門をくぐり、政宗は驚いた。すっかり堅城に改修されている。途中で兵の詰め所を通ったが各々が戦稽古に余念がない。

(さすがだな…)

 そして茶席に通された政宗と小十郎。明家と高橋紀茂が出迎えた。

「ようこそ伊達殿」

「お招き恐縮にござる越前殿」

 茶を点てた明家、政宗に茶を差し出した。片倉小十郎が

「失礼、それがし毒見をさせていただく」

「ご随意に」

 毒見が済むと政宗も飲んだ。すると明家、

「政宗殿、加封祝着に存ずる」

 もろに政宗の神経を逆撫でする言葉を吐いた。

「何だと!」

「殿!」

 政宗の膝を抑えた小十郎。

「越前殿、加封とはどういう意味でござるか。七十二万石を五十八万石に減らされて祝着とは何事か!」

「頭の良い伊達殿、説明には及ぶまい。こんなに運が開ける事はそうないと存ずる」

「埒もなき事を!それがし石田治部を斬ってくれんかと思っていたところ!」

「ほう、治部が何かしましたか?」

「越前殿、こたびの論功行賞は治部と関白殿下の仕組んだ小細工であろう!伊達の力を落すがためと!」

「その差配は治部にあらず、それがしです」

「な、なんだとォ!」

「それがしが関白殿下にこたびの伊達の論功行賞を進言しました」

「伊達に何の怨みがある!七十二万石から五十八万石に減俸されて、それがしどうやって家臣たちを食わしていけば良いのか!」

「ほう、この城、米沢より劣りますかな」

「は?」

「それがし、歳の近い事もあり、かつ分別もある伊達殿と懇意にしていきたいと思っているゆえ、この城も手入れしておいたと云うのに、そんなケンカ腰はなかろう」

「ではお訊ねいたす。七十二から五十八になれば十四減っている!それのどこが祝着と言うのか!」

「あっはははは、政宗殿は当面の石高しか目に入らないのか?」

「な、なぬ?」

「政宗殿は生まれた頃から伊達の御曹司、それゆえ気付かないのかもしれませんな」

 顔を見合う政宗と小十郎。

「どういう事でござる?」

「新田開発にござる」

「新田開発?」

「左様、それがしは父の勝家に武将と同時に内政官としても重用されましたゆえ分かる。その五十八万石、すぐに八十万石にする事はできる」

 ハッと政宗は気付く。明家の領地の丹後若狭はかつて合算二十万五千石、しかし明家は三十二万石に開発していると云う事を。しかも海から入る財を合わせればどれほどになるか。

「越前、ここに来てよく歩いて調べました。蒲生の九十二万石は治部や刑部(大谷吉継)が関白殿下の下命で細かく調べ直した。しかも一段は三百歩と云うケチな新定規。ところが貴殿の新領地は昔のままで伸びが十分期待できる。表高こそ五十八万石でも大崎耕土は広い。少し手を入れれば八十万石にはなろう。それがしなら九十万石にしてみせるが」

「…その計算も初めから」

「無論、しかも新領地の宮城郡には海がある。葛西には金山もある。政宗殿の器量次第では富はどんどん入ってくる。それがしならありがたく米沢から移りますがどうでござろう」

(…確かに越前殿の申す通り、検地の終わった九十二万石より山と川、そして海ありの五十八万石では比較にならない。しかしそこまで分かっていて城まで作り変えてくれた越前殿の魂胆は何か…)

「奥州が治まれば天下に戦はなくなる」

「は…?」

「それがしが父母の仇である関白殿下に仕えたのは、ただその大望のみ」

「戦のない世にござるか…」

「戦ほど愚かなものはない。たった一度の合戦が民の作った汗と脂の結晶である稲穂を台無しにする」

「では合戦好きのそれがしは越前殿からすれば愚かですかな?」

「そうですな…。こんな小細工も弄するのでは」

 明家は懐から何枚かの書状を取り出して放った。それは政宗が会津明け渡しのおり、豪農や名主に書き残した伊達の後ろ盾を約束する書面である。

「どうしてこれを…」

「またぞろ火種としないため、各々を説得して提出させ申した。心配無用、氏郷殿や関白殿下にも述べておりません」

 政宗がそれを掴もうとした時、明家はそれをサッと取り、茶席の炉に放り焼いてしまった。

「あ…!」

「政宗殿、旧領を失う腹いせに一揆の火種を残していくと云う事、関白殿下は無論、氏郷殿も察していた。目はクチほどに物を言う。目で心服に到底いたっていないと看破されていたのでござる」

「……」

「今回の事でよく分かったでござろう。貴殿の野心のために犠牲になったのは他ならぬ貴殿旧領の民たち。今後は二度とかような真似はせず、この肥沃な土地に移り民政に励まれよ。それが戦のない世を作るためでござるぞ」

「……」

「合戦が好きで、合戦を終わらせる世など来させるものか、そう思っているのなら、好きになされよ。伊達は滅ぶだけでござる」

「いや、戦のない世の到来は伊達も望むところ」

 政宗と小十郎は改めて明家に頭を垂れた。

「恐れ入り申した越前殿。この政宗、喜んで米沢からここに移りましょう」

 政宗は岩手沢城を後にした。片倉小十郎が政宗に訊ねた。

「殿、小田原でも同じ事を伺いましたが越前殿を改めて見てどう思いますか」

「最良の友となるか、最大の敵となるか、そのいずれかだな」

「なるほど…」

「前者であって欲しいものだ」

 

「殿、伊達政宗をどう見ましたか」

 と、高橋紀茂。

「最良の友となるか、最大の敵となるか、そのいずれかだろう」

 言い得て妙と思う紀茂。

「前者であって欲しいものだ」

 

 ここで豊臣秀吉の天下統一は完了したかのように見えた。だが北の地である男が挙兵した。男の名前は九戸政実と云う。



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九戸政実の乱

 豊臣秀吉の奥州仕置は完了し、ここで秀吉による天下統一が成されたと思われた。しかし一人の男が北奥の地で挙兵した。男の名前は九戸政実。

 伊達政宗の思惑を含めた葛西大崎一揆、これに乗じて挙兵した。しかしそれは相手が伊達でも蒲生でも、ましてや豊臣軍ではなかった。彼と同族である南部信直に対してである。秀吉の奥州仕置と云う同じ発端を持ち、かつ奥州の南北で同時期に起きた乱であるのに、双方の乱はさほどに繋がりはなかった。南は葛西大崎一揆と呼ばれる一揆衆の決起であり、北は南部家のお家騒動である。

 天文年間に南部宗家二十四代当主となった晴政には嫡男が誕生しなかったため一族の石川高信の長男である信直を長女の婿として迎え跡継ぎとした。しかし、その後晴政に嫡男の晴継が誕生したので信直は跡継ぎの座を譲り、他の城へ退いた。これだけなら信直潔し、の美談で終わるが晴継誕生以来、晴政と信直は不和であり、かつ信直謀反を企むと讒言もあり、ついに合戦沙汰までに至る。九戸政実はこの時には晴政方に組して信直と戦った。やがて晴政が病死してこの内乱は終息、これで次代晴継がそのまま南部家の当主として君臨していれば何の問題もなかったが、晴継も死んでしまった。病死とも暗殺とも言われている。だが晴継が死んだ事で再び信直を跡継ぎにと話が持ち上がる。後継者決定のため、南部一族、重臣らによって重要会議が開かれた。後継者候補としては晴政の養嗣子でもあった信直、一族の名門で最大の所領を持つ実力者である九戸政実の弟で晴政の娘婿である実親があげられた。

 しかし結局、信直が南部宗家二十六代当主となった。政実がそれを認め、信直を当主として敬えば良かったのであるが、そうはいかなかった。政実は反信直の姿勢を変えなかった。彼を旗頭とする反信直派の動きによって領内支配を強化する事ができなかった信直。しだいに信直と政実には修復不能の深い溝が出来た。それをまんまと大浦為信に付けこまれる。

 津軽地方は南部家が支配しており、信直の実父の石川高信が代官として治めていた。その死後は信直の実弟の石川政信が代官として津軽にあった。そして大浦為信はその補佐役に過ぎなかった。今こそ独立の好機と為信は九戸政実に協力を求めた。豪族や牢人を集めた為信は石川城を攻め落とし、津軽地方で瞬く間に勢力を拡大していった。この大浦為信の反乱に対し信直は政実に出撃命令を出したものの政実が動くはずもなく、信直も政実を疑い、大軍で津軽に向かう事が出来なかった。

 

 やがて大浦為信は南部家から津軽地方を切り取り、見事に独立した戦国大名となったのである。大浦為信はのちに津軽為信を名乗り、小田原に参じていた豊臣秀吉に石田三成を通して接近し、独立した大名としてのお墨付きを得る。津軽為信の動きを知った南部信直も大急ぎで小田原に参陣し、秀吉に津軽為信は主家の南部家にとり謀反人であり、かつ惣無事令に違反した大罪人と訴え、秀吉に独立大名として認めさせまいと画策したが手遅れであった。抜け目ない為信は秀吉に鷹などを献上して取り入っていた。信直の訴えは退けられ、津軽為信は中央の覇者に独立大名として認められた。面目丸つぶれの信直、関与した政実にも憎悪が向けられた。

 

 その後、小田原参陣の命に従わなかった奥州諸大名は秀吉による奥州仕置において領地を没収された。信直は秀吉に会い所領安堵の朱印状を与えられているが、九戸政実の中央情勢への対応は鈍すぎた。天下人秀吉に取り入るどころか取り潰された奥羽諸大名の残党をかき集め、防備を固めていた。信直が小田原から帰国後、葛西大崎一揆が発生した。政実はこの一揆に呼応するかのように九戸城に五千の兵をもって立て篭もり、反信直の兵を挙げた。追討のため南部信直は出陣。しかし九戸勢は強く、かつ信直の再三の要請にも関わらず豪族たちは旗色を伺い出陣しなかった。また南部同士の争いで信直の将兵に士気も奮っていなかった。追討どころか惨敗。

 そこへ奥羽南で発生していた葛西大崎一揆が鎮定されたと云う知らせが入った。すでに豊臣秀次と柴田明家は陣払いして引き返していると云うが、信直は秀吉に使者を送り九戸討伐を要請。宇都宮まで引き返していた秀次と明家の元に秀吉から使者が来た。石田三成である。

「君命である。豊臣秀次、柴田明家、浅野長政、蒲生氏郷に奥羽再仕置を命ずる!」

「「ははっ!」」

「加えてそれがし石田三成も参陣致す、よしなに。なお伊達政宗、小野寺義道、戸沢政盛、秋田実季、津軽為信も参陣の予定。総数六万となろう。兵糧はすべてこの治部が関白殿下のご威光の元に整えましたゆえ、各諸将は兵糧の心配はせず九戸城を落とす事だけ考えられよ」

「「ははっ!!」」

 その夜、明家と三成は二人だけで久しぶりに話した。明家の杯に酒を注ぎながら三成は言った。

「この情勢下で惣無事令に背くとは愚かな男にございます」

「そう言うな治部、この情勢下、とやらを知らないだけかもしれんだろ。九戸の居城は北陸奥、そう情報が入ってこないのも無理はない」

「津軽のように中央の情勢に敏感ではなく、自国の事だけしか見ていないに過ぎません」

 杯を膳に置いて三成は明家に言った。

「越前殿、貴殿は秀次様の参謀として、この奥州再仕置に挑まれるのですぞ。妙な情けは…」

「かけないさ。それこそ失礼だろ」

 フッと笑う三成。

「安心しました」

「しかし、この奥州再仕置が俺の最後の戦となれば良いのだがな」

「なりますとも。この戦が済めば関白殿下の元、天下泰平が参るのです。越前殿、いや隆広様がご父母の仇に仕えてまで目指した戦のない世が来るのです」

 力説する三成に微笑む明家、本当にこれが最後の戦になれと願わずにはおられなかった。

 

 翌日早朝、豊臣秀次を総大将とする奥羽再鎮定軍は宇都宮を出陣、従う将は柴田明家、石田三成、浅野長政。途中に蒲生氏郷、伊達政宗が合流、小野寺義道、戸沢政盛、秋田実季、津軽為信も呼応して九戸城を目指した。総数六万強の大軍勢が九戸城に迫った。

「申し上げます!」

 九戸城の城主の間、使い番が来た。

「豊臣軍、およそ六万でこの城に向かっております!」

「六万だと…!」

 さしもの九戸政実も絶句した。しばらくして九戸家の領地に怒涛の進攻を開始したと知らせが入った。九戸城の支城は次々と落とされ、やがて政実の居城である九戸城に豊臣軍は到着した。

「戦は数ではない!総大将秀次は青二才!目にもの見せてくれる!」

 九戸城に到着した豊臣軍の参謀である柴田明家は九戸城を見て息を飲んだ。

「これはすごい…。地形をうまく利用した強固な山城だ」

 九戸城は三方を川で取り囲まれており、城壁も高く、かつ断崖に阻まれ、攻撃に困難を極める城である。明家は一目で力攻めは得策でないと考えた。

「ではどうされるか参謀殿」

 浅野長政が訊ねた。

「力攻めは避けるべきでしょう。防備と兵糧揃えば十倍の敵勢にも耐えられると云うのが篭城の守備。しかし…」

「雪ですな」

「その通り、間もなく冬が来る。我々には想像もつかない豪雪、身を切るような凍てつく寒さ。何としても冬将軍が来る前に落とさなければなりますまい」

「ならばどうされる?」

 力攻めは不利、兵糧攻めでは時間がかかり雪で自滅する。明家はしばらく思案し長政に言った。

「浅野殿、九戸家の菩提寺を調べて下さい」

「…?それはかまわぬが」

「たとえ政実殿に天を衝くほどの闘志があったとて、この大軍に腰を退かせている者もおりましょう。兵と女子供の助命を条件に菩提寺の和尚に降伏の使者となってもらいます」

「なるほど」

「これで駄目なら次の手を考えましょう」

「承知した。秀次様に具申してまいろう」

 

「よう取り囲んだ、まさに蟻の這い出る隙間もなしか」

 眼下を見て政実が言った。

「いえ兄者、定石通り一方を開けております」

 と、弟の九戸実親。城攻めの寄せ手は敵方を窮鼠たらしめないため、包囲しても逃げ道を残しておく事が定法だった。この時に豊臣軍は東側に退路を残していた。

「ほう…。そういう定法はみちのくと上方も同じか」

「恐れながら兄者、みちのくの戦では定法による退路を用いて城より落ちる者には手出しせぬのが暗黙の了解となっておりますが、相手は上方の猿軍団。そんな戦の節義など守るとは思えませぬ。その退路を用いて戦意無き者を逃がすのはよされた方が良いと存じます」

「承知しておる」

 政実は士気を乱さないため落ち着いているように見せてはいるが、内心は大変なものであった。彼の持つ五千とて奥羽では大軍勢、六万などと云う途方もない大軍に唖然とした。

「討って出ますか」

「そうよな、ここに至るまでずいぶんと我が領地を蹂躙したに違いない。我がみちのくを荒らした者には相応の礼をせねばなるまいの」

「御意」

(戦は数ではない!みちのく武士の手並みを見せてくれる!)

 

「申し上げます!九戸勢、討って出てまいりました!」

 秀次の本陣に伝わった。

「越前!九戸が討って出たぞ!」

「落ち着きなされませ秀次様、つい先刻、包囲陣に九戸の突出に備えておくようご命令されたばかりでございませぬか」

「そ、そうであったな」

 狼狽する秀次を頼りなさそうに見る豊臣諸将。しかし明家と三成は秀次を違う方面で高く評価していた。秀次は戦の才覚こそ乏しいが行政には秀でていた。それを買っていたのである。武で天下泰平を成したあとは政で治めなくてはならない。秀次なら出来ると明家と三成は考えていた。ならばむしろ戦の才覚は不要である。その才覚があれば泰平にも関わらず、つまらない考えが浮かんでくる。創造の秀吉のあとは守成の秀次が戦のない世を作ってくれる。そう思っていた。

「越前、降伏を勧めるのは良いが、叔父上がそれを後で聞いて許すだろうか」

「皆殺しをすれば必ず深い怨みを買います。また新たな戦を生むだけにございます。もう豊臣の戦は領地の奪い合いの次元ではなく戦乱を終息させるための戦。むしろ恩を売っておく方が得策でございます」

「そうだな…。誰だって好き好んで人を殺すわけではないのだから」

 秀次もまた明家を信頼していた。小牧長久手の合戦では命を助けてくれて、何より他の豊臣諸将が自分を軽視する傾向あるなか、明家は自分を行政の才覚ありと認めていると分かっていたからである。叔父秀吉の後を継いだら明家を右腕に天下泰平の世を作る、そう思っていた。織田信忠と云い秀次と云い、偉大な先代を持つこの二人は自分が当主となったら明家を右腕にしたいと考えた。信忠と秀次は『他の者と違い、彼は自分を立ててくれる。何より頼りになる』と思っていたのだろう。

「ではどのような形が一番良いのだろう」

「九戸と南部の和解は無理でしょうが、九戸と豊臣の和解はそんなに難しくはありません。秀次様が政実殿を豊臣政権下に加える事を関白殿下に取り成せば、戦う事なく味方につけられます」

「うん、そうしよう!」

「申し上げます!」

 使い番が秀次に報告。

「何だ」

「九戸勢の攻撃に津軽勢は敗走、九戸勢は深追いせず城へ後退しました」

「分かった、下がれ」

「はっ!」

「九戸勢は強いな越前」

「はい」

「急がなければならんな、浅野殿、九戸の菩提寺の和尚への説得はいかがなっている?」

「同意を得られたとの事、しばらくすれば陣に訪れましょう」

「よし、何としてでも説得を成功してもらわないとな。成功のあかつきには手厚い恩賞を与えると念を押せ」

「はっ!」

 しかし九戸菩提寺の長興寺の薩天和尚は恩賞を拒否、そんなものが欲しくて引き受けたのではないと長政の使者を一喝した。とにかく彼は使者として九戸城に入り、降伏を政実に訴えた。政実は拒否。みちのく武士の意地を見せんがための戦、降伏できぬと突っぱねた。秀次に総攻めを訴える諸将、彼らも雪の到来に怯え焦っていた。明家と三成は反対したが、秀次は諸将の意見を退けられず、ついに城の総攻めが決行された。

 この総攻めで豊臣軍はみちのく武士の恐ろしさを骨身で感じる事になる。九戸勢は強かった。ましてや堅城に篭っている。じわじわとやられていく豊臣軍。相次ぐ敗報に秀次は総攻めを中止、再び包囲戦術に切り替えた。

「すまん越前、そなたの総攻めへの反対を受けていたらこんな事には」

「過ぎた事です」

「すまん」

「越前殿、この寒さで凍えるものが続出し士気も低い。雪の到来も時間の問題じゃ。何か良き策はないか」

 と、浅野長政。

「やはり、もう一度、長興寺の薩天和尚に使者になってもらいましょう」

「それは失敗に終わったではないか」

「政実殿は武門の意地を見せ、我らにさんざん痛手を負わせました。先の時と事情が違いまする」

「と言うと?」

 秀次が聞いた。

「少なくとも降伏ではなく和議ならば受けると云う気持ちにさせる事はできましょう。もう城内には兵糧も残り少ないでしょうから」

 城内の兵糧の少なさ、それは確かな情報だった。死んだ敵兵の何人かの腹を切り、胃を取り出したところ、ほとんどの胃の中がカラだった。ならば完全に兵糧攻めに、と諸将は頭に浮かべたが、そろそろ雪の到来も近く、そんな時間はない。そのままそれは発せず黙していた。

「和議では関白殿下が納得すまい」

「いえ秀次様、そう事を急いではなりません。最初は和議で良いでございませぬか。政実殿とて関白殿下に逆らう愚直さを知れば、おのずと降伏と云う気持ちにもなりえましょう。政実殿が挙兵したのは中央の情勢に疎かった事。情勢を知れば今は一勢力の戦術の世ではなく天下の戦略の世である事を分かってくれましょう」

「なるほど…」

 秀次はうなずいた。

「ではもう一度、使者を送ろう」

 長興寺の薩天和尚が九戸城に入り、政実を説いた。確かに豊臣の総攻めを何度か蹴散らしたが、やはり多勢に無勢。いつかは兵糧も尽いて、城内は飢餓地獄になる。

「降伏はせぬが、和議なら受ける」

 と、政実は答えた。やがて柴田明家と政実の弟の実親が城外で会談し、和議の約定を交わした。

「実親、豊臣は和議を受けたか」

「いかにも」

 しかし政実の顔は晴れない。敵勢が雪の到来に怯えているのは分かっている。和議と油断させて騙まし討ちをするのではないかと云う事を。

「兄者、懸念は無用です」

「なに?」

「お通しせよ」

 九戸城の城主の間、一人の武将が通された。

「貴公は?」

「柴田越前守明家にござる」

「そなたが!?」

 明家は政実の前に控え、丁重に頭を垂れた。

「豊臣参謀の柴田明家が自ら来ただと?偽者ではないのか」

 と、九戸諸将は疑った。しかし政実は一目で柴田明家当人と見抜いた。

「…なるほど豊臣が和議の締結を反故にしたら我が身を討てと」

 この柴田明家の九戸城人質を柴田諸将は猛反対したが、明家は政実を信頼させて和議締結の席に着かせるには重臣級が行かなければ無理だと思い決断した。かつて松永久秀も認め、そして武田攻めでは小山田家に岩殿無血開城させた明家の使者としての胆力、それを政実も見た。

「そういう事にございます」

「はっははは、なるほど虫も殺さぬ雅な風体と聞いていたが、胆力は噂どおりであるな」

「恐縮にございます」

「聞いて良いかな」

「何か」

「貴殿の父母は秀吉に討たれたと聞く。だが今そなたはその秀吉に天下を取らせるため敵城に単身乗り込むなどと云う危険を冒している。それは何故か」

「この城攻めを日ノ本最後の戦にしたいからです」

「日ノ本、最後の戦とな?」

「それがしは…戦が大嫌いにござる」

 九戸将兵は驚いた。戦が生業の武士が戦が嫌いと述べるとは信じられなかった。

「貴殿は初陣以来不敗と聞いている。あの上杉謙信を寡兵で退け、賤ヶ岳の合戦でもただ一隊、秀吉に勝ったと聞く。そんな男が戦が嫌いと?」

「それがしは養父に農耕を学んだとき、民と一緒に田植えに励みました。春夏秋、大騒ぎして冬にようやく稲刈りと言う時に、育てた稲穂が丸焼きにされました。敵方の焦土戦術にさらされたのです。あの時の悔しさは一生忘れない。民の汗と脂の結晶である稲穂がたった一度の戦で台無しにされるのを見てきたそれがしがどうして戦が好きになれましょうか。それがしが心ならずも戦うのは戦のない世を作るためです。父母の仇に仕えたのもその思いから。そしてこうして敵城に単身乗り込んできたのも、戦って落としてみちのくの人々の怨みを買い、新たな戦の火種としないためでござる」

 政実は明家の目をしばらく見つめ言った。

「うまく言えんが…貴殿が不敗である理由が分かった気がするな」

 城主の席を降りて明家の手を握る政実。

「よう分かりました。それがし城外に出て豊臣秀次殿と和議締結をいたそう」

「ありがとうございまする政実殿!」

 九戸政実と豊臣秀次が城外で合い、和議の締結が成されたのはこれから数刻後である。明家は九戸城内で幽閉されていた。しかし世に云う画牢であり、見張りもつけられず戸は開けっぱなし。逃げたければ逃げろと云うやりようである。政実は豊臣の和議が偽りであった場合は逃げろと云う意図であったのかもしれない。しかし明家は万一和議が偽りとなっても逃げる気はなかった。画牢の中で整然と座していた。しばらくして食事が出された。

「どうぞ」

「…貴女は食べたのですか?」

「え?は、はい、いただきました」

「嘘を申されますな。人質のそれがしに出されるより城内の方でお分け下さい」

「わ、私が父上に叱られます」

「それがしがそのお父上にお詫びしますゆえ、その膳は下げられよ」

「は、はい…」

 九戸家の娘はニコリと笑う明家の顔を見て、顔を真っ赤にしながら膳を持って画牢から出て行った。城の者に気遣うだけでは無い。明家は万一の毒殺も警戒したのだ。

「詫びるには及びませんぞ越前殿」

「おお、実親殿」

 九戸実親が明家に歩んだ。

「いけませんな、嫁入り前の我が娘の心を持っていくとは」

「は?」

「ははは、今しがた和議の締結が成されました。兄の政実も無事に戻り、豊臣は陣払いの準備を始め申した。貴殿を画牢よりお解きいたす」

「そうですか、良かった…」

「城外にお送りいたそう」

 豊臣と九戸の和議が成った。九戸政実は留守居に弟の実親を残して上坂した。そして政実は大坂へと行き、天下の情勢を知る。今にして思うと何て無謀な挙兵をしたかと背筋が寒くなった。

 政実は秀吉と謁見、ここで政実は降伏を述べて以後は豊臣政権の一大名として生き残る。北陸奥で一大勢力であった南部家はこうして津軽、南部、九戸と三家に別れてしまった。この経緯からか、この三家は犬猿の仲となったと云う。

 

 明家が京の聚楽第の柴田屋敷に帰ってきた。良人に抱きついて無事に帰ってきた事を喜ぶさえとすず。

「殿、お疲れなさいませ!」

「ああ!喜べ、もう戦はないぞ!この国に平和が来たんだ!」

「嬉しい殿…!」

「ずいぶんと留守にして寂しがらせたな。たっぷり女房孝行させてくれ。愛しているぞ、さえ、すず!」

「「愛しております殿…!」」

 屋敷に入る前から門前で睦み合う三人。供の小姓たちは恥ずかしくてたまらない。

 合戦から帰ってきた日は正室さえが良人を癒すと決まっていた。すずは翌日の睦み合いを楽しみにしつつ今日は退いた。甲冑を脱いで刀の大小をさえに渡す明家。

「聞きました。九戸城に単身乗り込んだとか」

「耳が早いな」

「殿…。殿は確かに今まで使者としても稀な働きをされた方です。しかし今後そういうのはおやめ下さい。私たちの身が持ちません。一歩間違えばあの世行きなのですよ。万一あらば私やすずがどれだけ悲しむか、それをお分かりならどうか…」

「…うん、今回のを最後にするよ。まあ天下統一はされたし戦はなくなったから望んだとしてもそんな機会はあるまい。安心してくれ。もう単身敵城に乗り込むなんて事はしないから」

「約束、げんまんです」

「うん、二度としない」

 明家はとさえと小指を繋げて約束した。そして抱き寄せて口づけをした。

 

 数日後、九戸政実が京の柴田屋敷を訪れて明家に会った。九戸城の戦いを敵の参謀の目から見てどう思うか色々と聞きたかった。柴田越前守明家は若いが智将して名を馳せている。九戸城内で会い政実自身も中々の人物と見ていた。その明家から意見や考えを聞いて今後に役立てたいと思ったのだ。

「越前殿は城の総攻めに反対されたと聞きますが」

「ええ、力攻めは無理と思いました。しかし総大将の秀次様には諸将の押し切りを退けられず、それがしも止める事かなわず、敵味方にいらぬ犠牲を出しました」

「総攻めを止めてより、何か策はござったのか?」

「実は一つだけ策がありました」

「ほう」

「和議締結前、豊臣陣は九戸城内にはもう兵糧が尽きかけている事は承知していました。それでそれがしが考えた城攻めの策は」

「ふんふん」

「中央に内乱発生と九戸城内に偽情報を流し、そして退却します。無論これは偽りの退却、あえて荷駄をさらしおびき寄せようとしました。政実殿なら追撃に出て敵勢を蹴散らすに至るまで欲張らずとも、兵糧は奪おうとするのではないかと考えました。しかし荷駄隊は偽隊、鉄砲をもって迎撃する。そして手薄になった城に攻め込み、あとは追撃してきた九戸勢を伏勢で殲滅する。こういう策を考えました」

 背筋が寒くなった政実、もしそれを実行されていたらどうなっていたか分からない。確かに兵糧が尽きかけていたあの時、敵方に退却あらば追撃に出て、敵を蹴散らすまで欲張らずとも荷駄を狙う事は考えたかもしれない。

「な、なぜそれを実行しなかったのでござるか?越前殿は鎮定軍の参謀であったのだろう。その策を進言すれば全軍がその作戦を執っていたはず」

「人間は敵にもなれば味方にもなります。できれば無用な犠牲は出さず降伏させたい。そう思っただけです」

「…」

「それに伝え聞いていた政実殿は何かこう…それがしの父によう似ていましてな」

「お父上…。柴田勝家殿にそれがしが?」

「はい、今こうして対していても、何か亡き父を見ているようです」

「よされよ、それがしなど勝家殿に比べれば小僧も同じ」

「ははは、父の勝家もそれを聞いて喜んでいましょう」

「しかし、あの当時はもう城外も凍てつく寒さ。退却は考えませなんだか」

「そうですね、あの和議申し入れがギリギリの頃合でした。しかし退却は結果を待っても遅くはございませんでした。それがし降伏は無理でも和議は受けると思っていましたから」

「もし我らが和議さえ受けなかったら?」

「それは考えていませんでした。政実殿は数度豊臣の総攻めを退けています。九戸の武門も、かつみちのく武士の面目も立てたとそろそろ思っているのではないかと見ましたし、現実城内には兵糧もない、降伏は無理でも和議なら受けると思ったのです。その後に中央に来れば考えは変わる、今は和議で十分と考えたのです」

「戦わずして勝つ、と云う事でござるか」

「まあ少しの小競り合いはありましたが、そういう事です。その方が楽ですし」

「なるほど、恐れ入りましてございます」

「何より、その後の統治は今までその地を治めていていた者が行う事が一番良いですから。たとえ九戸の地を取っても一揆が乱発していた事でしょう。また鎮定に出向かなければならず、いつになっても戦のない世は参りません。だから和議を入れて下された時は本当に嬉しかった」

「越前殿…」

「みちのくは良いところです。良いところですが一つ不利な事がございます。それは都からあまりに遠いと云う事です。だからそれがしは政実殿が中央の事をよく把握していなかったから挙兵に至ったと思ったのです。失礼ながら挙兵したと伺った時、それがしには九戸政実と云う武将が源頼朝に滅ぼされた藤原泰衡に重なりましてございます」

「一歩間違えればその通りとなっていたでしょう」

「でもこうして、共に戦のない世を迎える事が出来ました。これも政実殿が一時の恥を受け入れ、和議に同意してくれたからにございます」

「今度、ぜひ越前殿を国許に招待したいと存ずる。みちのくの海と山の幸、それを馳走したい」

「それは嬉しい」

「また、みちのくの女子も良いですぞ。越前殿なら笑顔一つで身持ちの固いみちのく娘もイチコロかもしれませんな。現に我が姪をすでに落とされたとか。あっははは!」

 こうして柴田明家と九戸政実は親子ほど歳の差があったが胸襟開く朋友となった。この日より数日後に政実は知った。実は政実が和議を受けて城外から出てきたら殺し、かつ城内の者たちを皆殺しにする話も軍議に出ていたのだ。(史実では実行されている)

 それを一喝して止めたのが明家である。

『この戦が関白殿下の天下統一最後の合戦となるのに、敵勢すべて皆殺しにすれば怨嗟を買いみちのくの者は未来永劫我らを許さず、必ず新たな戦を生むぞ!どうしても九戸勢を皆殺しにしたくば俺を殺してからやれ!』

 そう言って明家は九戸城に乗り込んだのである。つまり明家にとってまさに賭けであった。秀次が約定を反故にしないと云う保証はどこにもなかったのである。その後の軍議では最後の戦であるからこそ敵勢皆殺しが天下統一を成し遂げた証となる、と云う話も出た。それを止めたのが伊達政宗であった。

『みちのくの武士として越前殿の覚悟を無にする事は父祖に申し訳が立たない。第一関白殿下の城攻めはやたら敵を殺さず降参させようと云うものではなかったのか。天下統一が成る最後の戦であるのならば、尚のこと関白殿下の方法を貫き通すべきである』

 この政宗の意見に諸将は一言もなく、豊臣と九戸の和議が成ったのである。

 そして秀吉も明家と政宗の言葉を伝え聞き『越前と政宗はよう分かっている』と言った。明家は政実に偽りの和議工作を一喝して退けた事を一言も言わなかった。政実が後に礼を述べた時も『そんな事を言いましたかな、覚えておりませぬ』と言い、恩に着せようとしなかった。

 すっかり明家に惚れこんだ政実は秀吉に『ぜひ越前殿のご息女を当家の亀千代の嫁としたい』と申し出た。亀千代は政実が四十八歳になってようやく授かった嫡男で当年七歳。(史実では九戸城落城前に脱出して捕らえられ斬首)

 明家には娘が二人いた。さえが生んだ鏡、すずが生んだ舞である。明家は当年五歳の長女の鏡を九戸家に嫁がせる事を政実に約束した。秀吉は許し、話はトントン拍子で進み、これより七年後に鏡姫は亀千代に嫁いでいく事になる。政実は姪の美智姫を側室にどうかと明家に言ったがさすがにそれは拒否したらしい。恋破れた美智姫はあきらめて九戸の若者に嫁いだが後年に明家の茶飲み友達となっている。

 

 さて、豊臣秀吉は天下統一した。隠居していた黒田官兵衛、今は黒田如水と云う名であるが、天下統一を成し遂げた祝辞を秀吉に述べに国許から聚楽第にやってきた。秀吉は愛息鶴松を抱きながら

『ん、大義』

 と、素っ気無かったと云う。如水は特に不満も言わず聚楽第を後にして、翌日には国許に帰るつもりであるが、彼は明家を訊ねた。秀吉と違い丁重にもてなす明家。二人で茶席を共にした。

「明日にはもう豊前に?」

「左様、もう京や大坂にはそれがしの居場所はござらぬゆえ」

「かような事は…」

「思えば中国大返しの時でござった。備中高松城を包囲していた時に突如訪れた悲報、信長公が光秀に討たれたと知り嘆き悲しむ殿に『御運が開けましたな。天下をお取りあそばされ』と言ったのがそれがしの前途を閉ざす事と相成った…」

 秀吉はその言葉を聞いたとき、異様な目で官兵衛を見た。官兵衛に本心を見通された事に恐れを抱いた。官兵衛は『しまった』と思ったが後の祭りである。それからしばらく経った大坂城での出来事、秀吉は家臣との雑談で

『儂が死んだら誰が天下人となろう』

 と問いかけた。最初はみな『秀次様』と言ったが、秀吉は器量の事を聞いている。その点から誰が天下人になるかと再度聞いた。家臣たちは『徳川殿』『前田殿』『毛利殿』と言った。しかし秀吉は

『天下人になれる者は二人いる。柴田明家と黒田官兵衛だ。両名とも器量大きく思慮が深い事は天下に比類ない。もし二人が天下を望めば容易い事であろうよ』

 官兵衛はそれを聞き、

『我が任は終わった』

 と言い、嫡子長政に家督を譲り隠居し如水と号した。一方明家も秀吉の言葉を伝え聞き呆然とした。明家は如水と違い隠居に逃れる事は出来ない。竜之介はまだ幼い。自分で秀吉の警戒を解くしかないのだ。以後それに励み続け、何とか今まで排斥されずに済んでいる。

「『狡兎捕らえて走狗煮られる』と云う。敵がいる間は優れた家臣は大事にされるが天下統一後には粛清が待っている。だから儂は隠居した」

「……」

「貴殿の子息の竜之介殿はまだ幼い。もう少し越前殿が踏ん張るしかござらんな」

「はい」

「天下を統一して豊臣には敵がいなくなった。しかも越前殿は大坂と京にも近い丹後若狭の国主、煮られぬためにはそれがし以上の配慮が必要でございましょう」

「言われるとおりです。それがしがただの雇われ武将なら、とうに豊臣家から出て行っているでしょう。しかし何千何万の家臣と領民を預かる身として唐土の范蠡(ハンレイ)に倣う事もできません」

 范蠡とは中国の春秋時代に越王勾践の側近中の側近で、勾践を春秋五覇に至らせる働きをする。しかし大願成就の後、だんだん傲慢かつ猜疑心の強くなってきた主君勾践を見て、范蠡は越国を出て行ってしまった。范蠡は知人に出した文の中で

“『飛鳥尽きて良弓蔵され、狡兎死して走狗烹らる』とあります。主君勾践と苦難を共にできても、歓楽は共に出来そうにない”

 と書き残した。その後に范蠡は商人として成功しているが、移住した国である斉も范蠡の事を伝え聞き宰相として召抱えようとするが彼は名が上がりすぎるのは不幸の元と財を貧しき人に分け与え、斉から去った。その次に移住した陶の国でもまた范蠡は商人として成功する。その後は息子に店を譲って悠々自適の生活を送り、穏やかな晩年を迎えたと云う。中国では理想的な出処進退と言われている。明家はこの范蠡に倣いたいと思う。この国から戦がなくなったのなら自分の大望は成った。如水と同じように我が任は終えたと身を退きたい。しかし立場上許されない。家臣たちの暮らしが成り立つのも自分が豊臣家で働くからこそ。我が身の安泰を図り逃げるのは自分勝手である。

「蜂須賀小六殿が亡くなり、秀長様も亡くなられた。もう君臣上下に睨みを利かせられる者はいなくなりました。言うに心苦しいですが天下統一を成したと云うのに豊臣政権は実に危なっかしい…」

 と、明家。

「関白殿下のやり方を見ていると二代は続きますまい」

「如水殿…」

「殿下は農民から成り上がり、昔の同僚、あるいは上役や縁故者を従えているため“打ち上がり威高くしては、人親しまず”と云うわけで、気軽身軽に諸大名の屋敷や町家などにもチョコチョコ出かけていく。何事につけても親しみ、なつくようにして暑さ寒さに応じて各々に言葉をかけ、ご馳走などをし、金銀宝のものなどもポンポンやってしまう。人は関白殿下の元へ集まりましょう。人たらしなどと云われる由縁でござる。

 しかし天下を取り仕切る時になっても給料はどんどん加増する。儂や小六殿、秀長様もずいぶんと諌め申した。『殿下ご自身が行儀正しくなり、威厳を高め、信直をもって治め直されよ』と何度も諌めたが殿下はお聞き入れくれなかった。

 加増うんぬんにより、大ていの者は命令に背かないが欲が先に立ってしまって本当の真実をもって仕えているかどうかは疑わしい。だが関白殿下ご一代ならば、その身についている果報と云い、武勇の誉れと云い申し分ないから、どんな風にやっても治まるでございましょう。ところが二代目になると関白殿下のようにやっていると乱が起こる。二代目は武功もなく威厳もないから人はこれを軽く見る。そこで威張った事をしてみせると関白さえあんな気軽な風だったのに、なんだあんな威張りやがってと不満を言う者も出ます。オマケに禄も金銀宝も先代のように分かち与える事も出来ないゆえ、何につけても親しむ事はなく、背心が起こるのは自然の成り行き。二代は続くまいと思います」

「如水殿…。貴殿は関白殿下を」

「お見限り申した」

「……」

「さて、そろそろお暇しなければ、そうそうこれをお渡ししようと思っていました」

 如水は重箱を入れている包みを明家に差し出した。

「…?何でござろう」

「朝鮮人参にござる。それがし自身が畑で作りましてございます」

「これは嬉しい、ありがとうございまする!」

 重箱の中には何本もの朝鮮人参が入っていた。

「思えば伊丹城でお救いして下された御恩をお返ししておらなんだので。かと申して家督を息子に譲った今はこんな物しか贈れませぬでな」

「とんでもない、実に素晴しい朝鮮人参でございます。大事に使います」

「お受け取り下さり、かたじけのう。それではそれがしこの辺で」

 夕暮れの中で如水は去って行った。屋敷の門前で如水の背を見る明家。

「蜂須賀殿、秀長様が他界され、そして如水殿は殿下を見限った…。豊臣家はこれからどうなるのであろう。どうして戦のない世が来たのにこんなに不安なのだ…」



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文禄の役

 ここは聚楽第、千利休の茶室。利休から茶に招待された柴田明家。利休から茶が差し出された。

「どうぞ」

「頂戴いたす」

 飲み干す明家。さすがは茶聖利休の茶、実に美味い。

「美味い、さすがは利休殿です」

「ははは、越前殿はあまり茶の湯に興味がないと聞いていましたが、今の飲みよう、まこと心得ていますな。実に美味しそうに飲んでくだされ、こちらも点てがいがございます」

「養父も実父も茶の湯にあまり興味なかったので自然にそれがしも無関心となりました。お恥ずかしながら嗜む程度しか存じません。しかしこの茶室の雰囲気は良いです。実に落ち着きまする」

「これは恐縮にございます」

「ところで利休殿とお会いしたら一度お聞きしたかったのでございますが…」

「何でございましょう」

「利休殿は荒木村重殿のご最期をご覧になったとか」

「…いかにも」

「ご存知と思いますが、それがしが初めて総大将となった合戦の伊丹城攻め。その敵将が村重殿でした」

「はい、私も村重殿から伺いましてございます」

「村重殿は殿下の御伽衆にもなられたので、よく話しました。手前は伊丹を水攻めで落としたのですが、それをよく褒めてくれました。『途方もない手を使いおって、よもや当時十六歳の小僧の采配とは思えなかった』と」

「私にもよう言っておられた。戦った事を誇りに思うと…」

 明家は村重の嫡男村次の妻(明智光秀の娘、離縁後に明智秀満の妻ともなる)の園(その)を秀吉に内密で舞鶴に屋敷を与えて養っていた。明家より年上だが愛人説もある。ともあれ村重に対して明家の思いは強かった。

「しかしご承知の通り、村重殿は殿下に名茶器『荒木高麗』を取り上げられる事を拒絶し豊臣を出奔…。それがしも気にしていたのですが行方はようとして知れず…」

「私もようやく居場所を突き止めたのですが…。すでに…」

「わびしい最期だったとの事ですが…事実なのでしょうか?」

「…その通りにございます。小さな小屋の中、誰にも看取られず粗末な床で果てておりました」

「そうですか…。当家には先の伊丹攻めが縁で手前の兵になった者も多うございます。彼らは村重殿に見捨てられたのでございますが、時を経て今は許しておりますし、それどころか孤独な最期と聞き及び嘆いております。それがしも同様…。もし縁者で暮らしに困っている者がいたらお教え願えませんか?当家で丁重に遇したいのでございますが」

「おお…越前殿、村重殿の茶の師としてお礼申し上げる。実は男子が一人、生き残っております。当年九歳になられましたか」

「まことに?」

「今は本願寺に庇護されておられるそうです」

「さようでございますか…。本願寺で幸せに暮らしているのならその生活を邪魔する気はござらぬが…」

 明家は茶室の外においてあった脇差を取り

「もし不自由な暮らしならいつでも柴田家を頼れと、その証としてこの脇差を渡していただけまいか」

 と、利休に渡した。

「しかと承りました」

 後日談となるが、それからほどなくして、その男子は乳母に連れられて舞鶴城を訪ねた。明家は養子として迎えた。村重の末子だったその少年は柴田姓を賜り『柴田又兵衛』と名乗る。元村重の兵だった者たちから大変可愛がられたと云う。しかし武士にはならず彼は大和絵の道に進み、浮世絵の祖として今日に名を残す事となる。

 

 話は戻る。茶室でしばらく談笑していた利休と明家。そして利休が言った。

「朝鮮に出陣されるそうですな…」

 明家は溜息を出し答えた。

「いかにも、それがしと治部で懸命にお諌めしましたが…無駄でした」

「鶴松君の死が堪えたのでしょうかな…」

 秀吉の一子、明家の妹の茶々が生んだ鶴松はわずか三歳でこの世を去った。

「一つの起因となってはいましょうが…秀長様が生きておられればかような仕儀には至らなかったでありましょう」

「……」

「やっと…戦のない世が到来したのに無念でございます。それがしが父母の仇である殿下に仕えたのは戦のない世を作るため。一兵卒であるのならとうに豊臣家から去っていたでしょう。しかし今は何千何万の家臣領民の暮らしがあり…そんな無責任な事もできませぬ」

「越前殿…」

「やめましょう、せっかくの茶がまずくなります」

 

 この年、明家の息子の竜之介が元服し『柴田勝秀』と名乗る。秀吉から一字を与えられたのだ。秀吉の『秀』を後に出来ないと明家は『秀勝』としようとしたが、秀吉は

『こらこら、『勝』の字は祖父権六のものであるのだぞ。遠慮はいらぬから権六の『勝』の字を先にして勝秀とするがいい。それに『秀勝』なら儂の養子にすでに一人いる。紛らわしいから遠慮なく勝秀と名乗るがいい。ついでに官位もくれてやる。丹後守だ。ふさわしかろう』

 と言ったのだ。元服、そして秀吉から一字をもらい『柴田丹後守勝秀』となった竜之介。妻も娶った。仙石秀久の娘の姫蝶姫である。勝秀と姫蝶は幼年の頃に二人で将来を約束していた。勝秀の父母である明家とさえの祝言の媒酌人をしたのは前田利家であったが、勝秀と姫蝶の祝言も前田利家が媒酌人を務めた。新妻を横に赤面する息子に微笑む明家とさえ。しかし、ほんの一瞬の安らぎであった。

 また、この頃に秀吉は関白職を甥の秀次に譲り太閤となった。鶴松が亡くなった今、秀吉は後継者を養子とした秀次としたのである。それが秀次の後の悲劇に繋がっていく。

 

 文禄年間、朝鮮に攻め入る事が決められた。総大将は豊臣秀勝、彼は秀吉の姉である瑞竜院日秀の子であり秀吉の甥にあたり、養子に迎えられていた。彼の妻は柴田明家の妹である江与である。小牧の役で徳川についた佐治一成と離縁を余儀なくされたあと、秀吉が養子とした秀勝に嫁がせたのである。

 秀勝の義兄である柴田明家は第六陣で出陣する事になった。第六陣は小早川隆景、毛利秀包、立花統虎、高橋統増、安国寺恵瓊、柴田明家である。

 

 柴田家大坂屋敷、ここで明家は苦悩していた。明家は商将の吉村直賢や、柴田家と交易をしている商人たちから情報を耳に入れており、当時の世界情勢を正確に把握していた。だから朝鮮を征服し、そのうえ唐土(明)までも手に入れようとする秀吉の構想がいかに無謀な企てであるかをよく分かっていた。確かに戦い慣れている日本の軍は強いだろう。連戦連勝するかもしれない。しかし、その後に守成に至れる事は不可能だと思っていたのである。今まで築いてきた秀吉からの寵愛をかなぐり捨てて諌めた。

「朝鮮の李氏王朝は平和な時代が続き、軍兵が有名無実となっている朝鮮軍には戦国の世を経てきた我らに太刀打ちは出来ず、かつ日本軍の侵攻など想像もしていないゆえ最初は連戦連勝にございましょう。漢城(ソウル)、平譲(ピョンヤン)も落とせましょう。しかしそこまで軍勢が至れば前線へ定期的に十分な補給を行うのはいかに兵站(後方支援)に長けた治部とて困難を極めましょう。日本軍が敵より飢えとの戦いになるは必定にございます。朝鮮を手に入れたとしても、その後の統治者に現地の民が従わないのは明白にございます。反乱が相次ぎ、いずれ敗れます。朝鮮や明の土地を得なくても、富と文化は交易で手に入れる事ができまする!

 朝鮮に兵を派遣する資金と兵糧があるのならば、むしろ蝦夷地を開拓し、治部の申すとおり国内の平定に全力を注がれるが肝要。まだ石高の上がる土地は日本にいかようにもございます。かつ恩賞は土地にこだわる必要はございませぬ。銭金で良いではないですか。また亡き信長公が茶の湯をいかに部下の恩賞にうまく活用されたか知らぬ殿下ではございますまい。殿下のお手元には名物茶器が多々ございますし、大殿から茶会の実施を許可された時の喜びは覚えておいででしょう。領地だけでなく名誉を恩賞に当てた信長公の智恵を使われて下さいませ!」

 だが秀吉は受け入れなかった。秀吉がこの明家の意見を入れたら歴史は大きく変わっていただろうが秀吉は明家の諫言を無視した。そしてここは明家の大坂屋敷。石田三成と要談していた。

「治部、この唐入りは殿下のためにならぬ」

「承知しております。今日も必死にお諌めいたしました。しかし…もうお留めする事はかないませぬ。虎之助(加藤清正)や市松(福島正則)などは唐入りに大いに乗り気、何と愚かな…」

「一陣大将が摂津守(小西行長)、二陣大将が主計頭(加藤清正)、この陣立てでもう駄目だ。どれだけ無事に日本へ帰してやれるかどうか…」

「仰せの通りです。殿下は『競わせる』を誤って用いておられます…」

「二人は仲が悪い。領国の肥後南北で睨み合いと聞く。なるほど競走させれば戦局は進展しようが大局的に見れば日本軍が内部対立をはらんでいる。かつて黒田如水殿が申したように仲の悪い二人が協力しても成果は無、気心の知れた仲の良い者同士でやれば二人の働きが三人分四人分となる。この道理は戦場なら一層顕著に浮き出る。一陣二陣の大将同士は仲が良くなければならない。馴れ合う事もありうるが結局は相互に協調する。団結し難局には一丸となる。小西と加藤では絶対にありえん」

「まさに…。そちらの方が喧嘩させながら競わせるより利点はございます。それがしと刑部(大谷吉継)でお諌めしましたが、お聞き入れされませんでした」

「仲が悪い同士でも順調に行くのは戦局が有利の時だけだ。劣勢になったら無様なものだ。互いに責任をなすりつけ、諸将の失笑を招き、やがて殿下の耳に入り面目丸つぶれ。日本軍のこの末路が目に浮かぶ…」

「……」

「事ここに至っては緒戦で勝ち、有利な条件で和議を結ぶしかない。摂津守もそのつもりらしい。かの御仁の交渉術なら上手くいくかもしれんが主計頭がどう出るか。彼とてこの戦いが無意味とは知っていようから、考えが同じなら協力して欲しいものだが…」

「越前殿…」

「ん?」

「戦のない世を作るため…ご貴殿は父母の仇である殿下に仕えました。やっとその世が来たと云うのにこの戦…。かつて越前殿に仕えていたそれがし、食い止められず申し訳なさで一杯にございます」

「そなたのせいではない。殿下は戦のない世を作られたが、それを維持する事が出来なかったようだ…。殿下は農民から天下人になられた。譜代の家臣と呼べるのは亡き秀長様くらいであろうから領地を拡大し、それを与えて家臣たちの忠孝を得なければならないと云う気持ちが強すぎる。間違ってはいない。かの信玄公もそうして家臣たちの忠孝を得てきた。しかしもう時代が違う。土地以外のもので家臣たちに報いた亡き信長公に学ぶべきであるのに、それが出来ない。合戦がなくなり領地を拡大して家臣たちに与えられなくなった今、いつ謀反を起こされるか不安でならないのだろう」

「おおせの通りにございます…」

「今は唐入りではなく、合戦が無くなったこの国を無事に治める事が先決。そなたも俺も必死にお諌めしたのに徒労に終わってしまった」

「……」

「この国を無事に治める事…。殿下が跡継ぎと目されている秀次様なら出来る。軍才は凡庸なお方だが、関白になられても驕らず、学問を愛され民や家臣を慈しむ心があり、行政能力は秀でている。検地や戸籍調査、楽市の導入、その手腕は見事な方だ。殿下の後を継がれるのなら軍才はむしろ不要。秀次様ならば治世の名君ともなりうる。我が義弟である秀勝殿も才覚は普通であるが心が真っ直ぐで補佐役に適している。ご兄弟が手を取り合って戦の無い豊臣政権を作ること。俺の希望はもはやそれのみ…。だから早くこの唐入りを終わらせなくては」

「隆広様…」

 明家は思った。

(如水殿の申す通り、豊臣が二代持つ事はないであろう。この唐入りでなおさらそれが決定したようなもの。しかし秀次様と秀勝殿なら、少なくともそう酷い幕切れにはなるまい。俺や治部が補佐すれば、この国から十年は戦を無くす事は出来るかもしれない。まずは十年でいい。その間に助かる命はいかばかりか。それだけでも二代目の存在は意義のあるものとなる。そのためには唐入りを一刻も早く終わらせなければならない…!)

 

 石田三成も朝鮮に渡海、増田長盛、大谷吉継とともに総大将の秀勝の補佐をする戦奉行に任命されていた。明家に面談した翌日、三成は肥前名護屋へと向かい、第一陣の小西行長らと共に朝鮮に渡った。

 同じく翌日、明家はすずを伴い領国の丹後若狭へと帰った。正室のさえは人質として大坂に残らなければならない。さえは海の外に合戦に行く良人が心配でならず、昨夜は明家から離れず抱き合っていた。

 留守を預かる奥村助右衛門の指示ですでに出陣準備は出来ていた。出陣前日、すずもまた明家から離れようとしなかった。遠い異国に戦いに行く明家が心配でならなかった。

「平和な世が来たと…つい先日にそなたに言ったのに、そう至らなかった」

「殿…」

「すず」

「はい」

「冷え込む今の時期は傷跡と足が痛むようだな」

「え…!」

「顔と歩き方を見れば分かる。隠すことなどなかったのだぞ。京の曲直瀬家から数日後に医者がやってくるから診てもらうといい」

「殿…」

「必要に応じて、漢方の良い薬を手配してもらうよう頼んでもある。養生してくれ」

「出陣前にそんな優しい事を言わないで下さい…!すずは泣いてしまいますよ!」

 もう泣いちゃったすず。

「ははは、さて明日は出陣だ。しばらく会えない。今宵はすずを堪能したい。足と傷跡が痛まないよう…優しくするから」

「はい(ポッ)」

 翌朝、いよいよ出陣、軍船で肥前の名護屋へと向かい、第六陣の諸将と合流。朝鮮へと向かっていった。

 

 釜山に上陸した日本軍、侵攻を予期していなかった朝鮮軍はあっという間に敗走していった。早や都の漢城(ソウル)に向かい出した頃、軍議が開かれた。すでに総大将豊臣秀勝と三成、吉継でおおむねの作戦を取り決めていたが、秀吉から戦のやりようにおいては逐一、柴田越前守に相談すべしと下命されている。作戦が立案されたので秀勝と三成は明家を呼応し、三成が

「太閤殿下から作戦については柴田越前殿の意見を求めるように言われております。この案でいかがでございましょうか」

 と、述べた。明家はその計画を細かく分析しながら読んでいった。

「非のうちどころはござらぬ。だがあえて付け足せば隙のない陣備えで、これは勝利をおさめる場合だけを前提にしたもの。しかし合戦と云うものは、こちらの目算どおりになるとは限らない。敗れる事もあるので敗北した時の事を想定した作戦を考えてはいかがでしょうか」

 秀勝と三成は目をつぶって黙って聞いていたが、しばらく思案してから目を開いて秀勝が言った。

「義兄上、いえ越前殿の言われる事はもっともです。されば敗れた時、どうするかを考えてみましょう」

 そして三成は書記役を呼んで、漢城にまでゆく問にある城の絵図、城主などを書きとらせて、漢城に至るまでの道にある城や砦を普請して城代を置く事を作戦書に書き足し、明家に示した。

「これで結構にござる」

 

 釜山鎮の戦い、東莱城の戦い、尚州の戦い、弾琴台の戦いなどで日本軍は破竹の勢いで勝利を重ねた。日本軍は第一軍、第二軍、第三軍を先鋒に三路に分かれて進攻し、良く翌月には朝鮮の都である漢城(ソウル)を占領に至る。朝鮮国王の宣祖は平壌(ピョンヤン)へ都を移して逃走して大国の明に救援を要請する。その間にさらに北上した日本の第一軍と第二軍は平壌を占領して進撃を停止した。

 容易に李氏朝鮮の都である漢城が陥落したため、日本軍の将は漢城にて軍議を行い、各方面軍による八道国割と呼ばれる制圧目標を決めた。

平安道第一軍 小西行長・有馬晴信

咸鏡道第二軍 加藤清正・鍋島直茂・相良頼房

黄海道第三軍 黒田長政・大友義統

江原道第四軍 毛利吉成・島津義弘・島津忠豊・高橋元種・秋月種長・伊東祐兵

忠清道第五軍 福島正則・長宗我部元親・蜂須賀家政・生駒親正

全羅道第六軍 柴田明家・小早川隆景・立花統虎・高橋統増・安国寺恵瓊

慶尚道第七軍 毛利輝元

京畿道第八軍 宇喜多秀家

本隊 豊臣秀勝・石田三成・大谷吉継・増田長盛

 以上の陣立てである。日本軍は北西部の平安道と全羅道を除く朝鮮全土を制圧し、加藤清正の一隊は威力偵察のため国境を越えて明領オランカイへ攻め入った。これが結果的に明軍の介入の大義名分となる。援軍に来た明軍の部隊が最前線の平壌を急襲した。これは小西行長によって撃退するものの、明の救援が始まった事で戦況は膠着する事になる。

 

 日本軍に大きく侵略を許した李氏朝鮮、しかし釜山を基点に支配領を拡大していた日本軍の後方部隊の船団を李舜臣率いる朝鮮水軍が二回の出撃で攻撃を加え、大きな被害を受けた。

 海戦用の水軍を用立てていなかった秀吉は陸戦部隊や後方で輸送任務にあたっていた部隊から急ごしらえで水軍を編成して対抗した。こうして編成された水軍を指揮した脇坂安治は閑山島海戦で敗北、続いて援護のために出撃していた加藤嘉明と九鬼嘉隆の水軍も李舜臣に敗北を喫した。秀吉は海戦では勝てない事を悟り、水軍と陸の軍勢が共同して防御すると云う戦術へ方針を変えたのだ。

 秀吉は、明との戦争で海賊の力を活用する事はなかった。むしろ逆に『海賊法度』を出して海賊行為を禁止してしまった。海賊たちは無念なるも時の絶対権力者である秀吉に逆らえるはずもなく、その力は縮小してしまった。当時の明は倭寇への対策に頭を悩まされていたのであるから、秀吉のこの行いは敵を利するだけであったのである。

 海路交易をして、その水軍に積み荷船を護衛してもらっていた明家は水軍と手を組む利点を理解しており、『排除ではなく味方につけるべき』と秀吉に進言した事がある。『海の武将たちを排除するのは自分の足を食う蛸も同じ』と述べたが秀吉は聞く耳持たなかった。天下人になっても自分の意に添うものなら耳を傾けた秀吉であるが、一度『海賊行為は認めない』と言った以上はガンとして聞かなかったのである。明家の意見を聞いていれば、この海戦の敗戦はなかったであろう。

 

 そして陸では明の大軍が南下してきた。撤退を開始して漢城まで至ったが、もはや漢城を支える事は困難となった。連日軍議が重ねられたが話が全然まとまらない。秀勝、そして三成ら奉行の腹は撤退したかったのだが、加藤清正ら強硬な抗戦論が圧倒的で撤退が決められないでいた。柴田明家に出席を求めたが、明家は病気と称して欠席した。

 秀勝や三成は明家に撤退を主張してもらいたかったのである。賤ヶ岳の合戦で寡兵を指揮し、賤ヶ岳七本槍や山内、黒田の軍勢も撃破し、秀吉の家臣になってからは秀長と秀次の参謀を務めた明家。四国、九州でも柴田明家軍の精強さは抜きん出ていた。明家の言う事なら抗戦論を主張する諸将らも従うだろう。その明家、抗戦論を主張する諸将が心にもなく強がりをいっている事を見抜いていた。

(彼らは兵糧があるうちは持論を変えないだろう。そのうち乏しくなれば意見が変わる。それまで様子をみよう)

 説得しても応ずる見込みがないのに出席しても意味がない。二度三度と仮病で出席を断った明家。次第に食糧が減って諸将の発言に元気がなくなった。『ころはよし』と情勢を見極めた明家はやっと軍議の席に姿をあらわした。

「コホン、漢城を持ちこたえられないと我が日本が恥をかく事になる。引くべきでないと思うのだが越前殿のご意見は…」

 三成が撤兵に持っていきたいので明家に誘導訊問を仕掛けた。明家はそれを受けて意見を述べた。

「その意見には賛成できませぬ。その理由は三つありまする。第一に漢城は広すぎてとても日本の軍勢では防ぎきれない事。第二に我が軍がここで討死したら豊臣の武威は衰え権威も失墜し、再び群雄割拠の乱世に戻り、つまり日本のためになりませぬ。第三に兵糧が尽きようとしております。腹が減っては戦えぬが道理。ここは全軍釜山に引き揚げるべきでござる」

 諸将は強気な事を言っていた手前、前言をひるがえす事ができないでいた。明家は諸将を焦らしてから軍議に臨み、皆が言い出せないでいた事を直言してのけたのである。諸将は越前殿がそう申すならやむをえないと云う態で、渋々撤兵を承知するふりをした。本心は『やれやれ、越前に言ってもらって助かった』と云う事だ。明家には全軍のまとめ役としての風格が備わっていた。一番感謝したのは石田三成であろう。

(さすが隆広様よ…)

 さらに三成、

「では都を焼き払ってから撤退を開始いたそう」

「待たれよ」

 明家が制した。

「は?」

「都を焼けば確かに時間は稼げまするが、家と財産を失った現地の民が怒り狂い追撃して参ります。我らが戦うのはあくまで朝鮮と明の軍兵、民を巻き添えにしてはなりませぬ。この遠征で朝鮮人が日本を怨嗟する事は避けられませぬが、せめてそういう振る舞いは慎むべきでござる。明が介入した今、朝鮮全土を日本の領地にするのは不可能。ならば後々に日本人へ憎悪を残さぬため、焦土戦術はやってはなりませぬ」

「かような綺麗事を申している場合ではございませんぞ越前殿」

 そう発した増田長盛をキッと睨む。

「綺麗事ではなく、現地の民の憎悪を買いまする。家と財産を失えば刺し違える覚悟で襲い掛かってくるでござろう。そのすさまじい追撃を防ぐためにございます。漢城には神社仏閣と思えるものが多々ありまする。財貨や食糧を奪うのも醜悪であるのに、このうえ文化や誇りを焼いては絶対に日本人は朝鮮人に許されませぬ。都には何も手を出さずに引き揚げるべきでございます」

 と毅然として言った。

「越前殿の申す通りにしよう」

 と、豊臣秀勝が答えた。そして撤退が決定された。明家は諸将が強硬論をこれ幸いと引っ込めて態度を豹変させたのにいささか腹が立った。軍議撤退に決定すると気の早い連中は、その晩のうちにも陣払いしようとする態度をみせた。軍議が終わりかけ諸将が座を立ちかけると明家は手でそれを制して言った。

「待たれよ、これまで漢城を死守せよと主張された方たちが、はっきりとした理由なしに撤退すると敵に思われるのは武人の恥でござる。明の大軍が攻めてくるから逃げるのでは筋が通りませぬ」

 撤退を主張した当の明家が、これまた豹変して抗戦せよ、と主張したのである。一同はあっけにとられた。明家は続ける。

「ここは踏み留まって、ひと合戦しなければなりませぬ。戦わずして退けば追撃されて大軍が撤退する事が出来なくなりまする。そこで軍議の場で諸将に言いにくい事を発言したこの越前が明日の合戦を引き受けましょう。その間に諸隊は引き揚げられよ」

 明家は自ら、殿軍の防衛戦を買って出たのである。

「あいやしばらく、越前殿だけにかような任を押し付けてはこの清正の面目が立ち申さん。お付き合いいたそう」

「この正則もまぜていただく」

「主計頭殿(清正)、左衛門殿(正則)、気持ちは嬉しいが、それでは総力戦になってしまうではないか」

「我ら二人が両翼に着くだけにござる。あとの者は釜山に退かせまするゆえ、お認めあれ」

 と、福島正則。

「我が采配に従っていただくが、それでも良いか」

「「承知した」」

「結構でござる。では秀勝様、他の軍勢を連れて釜山に退かれませ」

「承知いたしました」

 この退却時においても、明家が先に三成に提案しておいた『敗れた時のために』が功を奏する事になる。漢城への途上にある城は普請され、それぞれに城主が置かれた。日本軍は城伝いに整然と釜山に引き揚げる事が出来た。

 

 かくして日本軍は漢城に柴田明家、加藤清正、福島正則のみ残して釜山に引き返した。翌日、三家の幹部で軍議を開いた後、明家は清正と正則と酒を酌み交わした。

「お二人とも、あんまり器用ではござらんな」

「越前殿に言われたくないですな」

 と、加藤清正。

「あははは、まさに」

 豪快に笑う福島正則。

「そういえば主計頭殿、聞きましたぞ。森本儀太夫殿と庄林隼人殿の話」

 清正に酒を注ぎながら言った明家。

「儀太夫と隼人の事を?」

 両名清正の側近である。

「先の戦で軍勢を退く時、清正殿は近くにいた儀太夫殿ではなく隼人殿にその退却を前線に命じに行かせたとの事、しかしその時に儀太夫殿は泣き出してしまい…」

「ああ、その事でござるか。いやぁ越前殿も耳が早いですな」

 苦笑する清正。森本儀太夫は主君清正のすぐ隣にいたのに、清正は儀太夫ではなく遠くにいた庄林隼人を呼んで命じた。隼人が清正の命を受けて前線に向かうと清正の横で森本儀太夫が突然泣き出し、清正は驚いた。

『儀太夫どうしたというのだ?』

『殿にはそれがしの姿が見えませんでしたか?見えないはずがない。今のご下命、なぜ隣にいたそれがしに命じられませぬ?殿は隼人に出来る事がそれがしには出来ないと見ているからにございましょう。それを思うと悔しくてならず涙が出てきたのです』

 それを聞くと清正は笑い、こう答えた。

『そなたは剛の者で敵と見たら勇猛に突き進む。だから今のように戦いをやめて兵を退きたい時には用いなかったのだ。今そなたを用いれば真っ先に敵陣に切り込み、ますます深入りするに決まっている。反して隼人はそんな気性が激しくないから引き揚げの使いの時にはもってこいなのだ。もし相手が強敵でどうしても討ち破りたい時、そんな時にこそそなたを用いるつもりでおる』

 この話は日本軍の中でも知れ渡った。当然明家の耳にも入る。

「この適材適所の妙、越前も見習いたいですな」

「これは恐縮にござる」

 やはり褒められれば嬉しい。特に人使いの名人とも呼ばれている明家から言われればなおさらだろう。

「左衛門殿も聞きましたぞ」

「え?」

「不貞が奥方にばれて城の中を追い掛け回されたとか」

 大笑いの加藤清正。赤面する正則。

「な、なんで虎(清正)には良い話で、それがしのは変な話を」

「はっははは、怖いもの知らずの左衛門殿が奥方には頭上がらず逃げ回ったと聞き、いやもう何か親しみが湧きまして、あっははは!」

「おう、楽しそうな宴ですな」

 福島正則に仕える可児才蔵が来た。

「これは可児様、お久しぶりにございます」

「あっははは、越前殿、それがしはもう柴田家の先輩武将ではござらぬ。『様』はやめて下され」

 可児才蔵は小牧・長久手の戦で羽柴秀次に馬を譲らなかった事で秀次に追放された。よほど秀次は腹が立ったようで仕官溝(他家に仕官するのを阻む)までした。秀次が仕官溝をしけば、豊臣政権の中では誰も召し抱えられない。明家はそれでも才蔵を召し抱えようとしたが才蔵は拒否した。明家に迷惑がかかる。

『先輩面がいては持て余すであろう』

 と、やんわり断ったが明家はあきらめない。才蔵は

『たわけが!豊臣政権で生き残るつもりならばもっと賢くなれ!儂を召し抱えれば秀次様の不興を買う!お前は外様なのだから細心の注意を払わねばならん!儂が元柴田家の者などと云う事は忘れろ!』

 と断ったと云う。そしてもう一人、秀次の仕官溝を知りながらも才蔵を召し抱えたいと躍起になっていた者がいる。福島正則である。秀次は抗議したが

『そんな狭量な事でどうするのでございますか!』

 と正則は怒鳴り返した。秀吉子飼いの将である正則には秀次も強くは言えなかったのだろう。正則は才蔵の武芸を尊敬していた。どうにか召し抱えたいと思い、恋しい女を求めるかのように口説き、ついに家臣に召し抱える事が出来たと云うわけである。才蔵も加わり、話は弾む。

「明日は越前殿の采配で福島家も戦うとの事。それがしが柴田の若き知恵袋の采配で戦うのは伊丹攻め以来、楽しみにしておりますぞ」

「はい」

 

 そして翌日、見込んでいた通り明の大軍が潮のように殺到してきた。文禄三年正月の事だった。明将李如松に率いられた二万余の明軍は、漢城の北方、十里ほどに追っていた。

 合戦当日早朝、柴田明家が采配をふるう柴田・加藤・福島の連合軍は、明軍を碧蹄館で迎え撃つ。野戦であった。敵味方が入り乱れた白兵戦となったのだが、そうなれば野戦に強い日本軍が有利である。柴田明家が得意とする偃月の陣、まんまと明軍はその術中にはまり数千人の死者をだした。李如松は可児才蔵に挑まれ、もう少しで討死するところで逃げ出し、明軍は総崩れとなった。李如松は戦意を喪失し敗走した。清正と正則は追撃を主張。しかし明家はあえて『しばらく待て、抜け駆けする者は斬る。今は各々の備えを立て直せ』と厳命。明家の采配に従う約束をしていた二人は渋々陣に引き返して全軍をまとめた。それを見計らったのように柴田明家から全軍追撃の下命が出た。明家率いる日本軍は逃げる明軍に追撃をかけ、多くの首級をあげた。大勝利である。

 

 その後、明と朝鮮からの追撃も受ける事なく、ゆうゆうと釜山に引き返してきた柴田・加藤・福島軍。釜山の日本軍本陣で休息を取っていた明家に大谷吉継が面会を求めた。

「明軍を追撃するのに時間を置いたのはどんな考えによるものか」

「明軍は追手が来る事を予想している。すぐにこちらが攻めかかったのでは敵軍は迎え撃つ準備が整っているから防げる。時間を遅らせて攻めれば、もう追ってこないだろうと油断しているので一気に蹴散らせる。また我が軍も早く出撃できる部隊とそうでない部隊がある。時間を置いて攻めれば足並みが揃うから敵は大軍が押し寄せたと思って怯える。我が軍も、後に続く軍勢を見て大丈夫だと思い勇気が湧く。だから時間を置いて追撃をかけたのだ」

 さすがの大谷吉継も感服した。

「なるほど、それだけの深慮があったからこそ明の大軍を撃破できたのだな。さすが越前」

 そう褒め称えた。すると明家は一歩下がって秀吉を持ち上げた。

「とんでもない、大昔に神功皇后が三韓征伐をされた時、神々が姿を現して応援したと伝えられる。このたびの戦い、太閤殿下が天命にかなっておられるので神仏の加護があったのだ」

 いささか持ち上げすぎであると自分で苦笑する明家であるが、明家はここでも自分の武功を誇る事は控えたのである。『天命にかなっている』など微塵も考えてはいないが、同じく秀吉に仕える同僚たちに嫉妬心を煽り反感招くような言動を避けたのである。秀吉は明家のこの言葉を伝え聞き、大変喜び『越前は稀な仕事師よ』と讃えたと言われている。

 秀吉が機嫌の良かった事は他に理由もある。秀吉の側室である茶々姫が男の子を生んだのである。名はお拾、後の秀頼である。先年に鶴松と云う男子を亡くしていた秀吉にとってはこれ以上の喜びはなかった。この機嫌の良い時を小西行長は逃さなかった。和議を秀吉に提案して、秀吉はそれを許したのである。ここで一度、小西行長らの働きにより明と朝鮮との和議が成り、日本軍は帰国する事になった。

 その帰途中のこと。豊臣秀勝が病に倒れた。知らせを聞いた明家は秀勝の船へと大急ぎで向かった。秀勝が越前を呼べと言ったのである。

「秀勝様!」

「義兄上…」

 秀勝は船中で病に伏せていた。彼は妻の江与を深く愛していた。才覚は普通であるが天下人秀吉の養子と云う身分に驕らず性根が真っ直ぐな人物であった。明家もまたとない義弟殿だと喜んでいた。しかし秀勝は倒れた。

「しっかりなされよ!日本までもう少し!江与が待っていますぞ!」

「あまり近づきますな、病がうつりますぞ」

「秀勝様…!」

「義兄上、江与と娘を頼みます…」

 秀勝はそう明家に言い残して息を引き取った。

「何たることか…。やっと戦が終わったと云うのに…。江与に何と申せば良いのだ…」

 

 九州の名護屋に上陸し、柴田軍は丹後若狭に引き返したが、明家は数名の供を連れて大坂に向かい、秀吉と秀次に謁見して帰国の報告をしてきた。

 そのあとは大急ぎで妻の待つ柴田大坂屋敷に走って行った。無事な姿を見て感涙して良人に抱きつくさえ。国内の合戦ならまだしも、気候風土まるで違う朝鮮で戦うのだから、さえは気が気ではなかった。毎日、勝家とお市の位牌に『お守り下さい』と願っていた。屋敷の門前で何度も口付けして抱き合う明家とさえ。

「ああ、殿、ご無事でよかった…!」

「さえと会うまで死ねるものかと必死だったぞ。ああ…この髪と肌の匂い、異国でどんなに恋しかったことか…」

 ようやく玄関口での抱擁に満足すると屋敷に入り、いつものように刀の大小をさえに渡して、甲冑を脱いだ。

「ふう、もう着たくないものだな…」

「今度こそ、戦のない世に?」

「そう願いたい…」

「殿の願いはさえの願い…。叶う事を神仏に願わずにはおれません…」

「ありがとう」

「さあ、お風呂が沸いております。お入り下さい。体のあちこちが疲れておいででしょう。お風呂を出た後、さえが優しく按摩してあげます」

「それは嬉しい。さえの按摩はよく効くからな」

 風呂から出て、さえの按摩を受ける明家。何とも気持ち良さそう。とても二ヶ国の大名の正室がやることではないが、十五の時から苦楽を共にしている明家とさえは別であろう。あんまり気持ちいいのか、明家は寝てしまった。

「殿?」

 このあとは久しぶりの夜閨に胸をときめかせていたさえは少し残念。

「お疲れなのね…」

 と、掛け布団をかけようとしたら

「…寝ようとしても、股についているこれが寝ようとしないから起きてしまった」

 パチと目を開けて、さえを布団に入れた。その後は思う存分に愛を確かめ合った。

「生きてまた…さえを抱けて良かった」

「さえも…」

「死んだ皆…。こうして家に帰り、恋女房を抱きたかったろうにな…」

「殿…。殿は神仏ではないのですよ…」

「え?」

「全部背負い込むのは…殿の悪いおクセです」

「ありがとう、さえ…」

 

 翌日、明家は豊臣秀勝の屋敷を訪れた。骨壷と位牌の前で涙にくれる江与に会った。明家を見るやその胸に飛び込んで号泣する江与。抱きしめて泣かせてやる事しか明家には出来ない。また明家には残酷な事が命令されていた。秀吉と秀次双方から江与を側室として欲しいと言われていたのだ。妹をこれ以上傷つけたくはない…。そう思った明家は家康に協力を願った。徳川に嫁げば、もう江与は秀吉に干渉される事はない。

『何とか徳川の若者に嫁げるようしていただけまいか』

 家康は快くそれを引き受けた。何と世継ぎと目される秀忠の室として迎えたいと秀吉に要望したのである。柴田明家の妹が徳川に嫁ぐ。柴田と徳川の縁が出来る事を避けたい秀吉、柴田と縁を持ちたいと思う家康。だが秀吉も家康たっての頼みでは断る事もできず了承した。江与の気持ちの整理もあるため、実際に江戸に行くのはしばらく先となるが、彼女は徳川秀忠の正室となるのである。秀勝と江与の間に生まれた娘の完子は明家が養女として引き取った。

 

 文禄の役、柴田軍は六千の兵で出陣した。戦死者は五十数名と言われている。まさに明家の采配だからこの程度で済んだのだろう。他の諸将は四倍五倍の戦死者を出している。

 明家は戦死者の亡骸を異国の土にはせず、遺骨を国許に持ち帰り遺族に詫びたと言われている。明家は戦国武将の中で戦死者の家族に一番手厚かった武将と呼ばれているが、この外征の戦死者の遺族は特に丁重に手厚く報いたと言われている。男子がいれば取り立て、その家族が生活に困らないように手厚い禄を支給したと云うのだ。

 だから柴田将兵は命を惜しまず戦う。その結果、生存者が多いのである。不思議な事に命を惜しまず戦った者が案外生き残るのが戦場と云うものだったからである。

 

 そしてこのころ、秀吉が五大老制度を発布した。徳川家康、前田利家、毛利輝元、小早川隆景(没後は上杉景勝)、柴田明家であった。同じく五奉行は浅野長政、石田三成、前田玄以、長束正家、増田長盛である。

 豊臣秀吉は自分の死後に息子の秀頼を五大老が補佐し、合議制を執る事により徳川家康の台頭を防ごうと考えていたのである。しかし…すべて徒労に終わる。



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宇治川の治水

 柴田越前守明家の嫡男、柴田丹後守勝秀、彼は唐入りに行かなかった。当初は初陣だと張り切っていたが、明家自身が気の進まない戦であり、かつ日本と気候風土が違う朝鮮では病も怖い。親子揃って敵地で陣没でもしたら柴田は終わりである。だから息子は残したのだ。

 だが、勝秀には仕事が課せられた。秀吉が伏見の地に城を建てて自分の隠居城と定めた。築城は他の大名が担当するが、それに伴い宇治川の治水が柴田家に下命されたのである。宇治川は時に氾濫し人々を脅かしていた。この暴れ川があるかぎり伏見の地は要衝にならない。明家は息子の勝秀に宇治川の治水を命じたのだ。母親のさえは反対した。元服したての勝秀には荷が重いと。しかし勝秀はそんな母親の心配など他所に大喜び。朝鮮に連れて行ってもらえず落胆していたところに大役を与えられた。喜び勇んで家臣を引きつれ宇治川へと向かった。

 

 やがて明家は朝鮮から戻り、領国の丹後若狭に帰った。柴田将兵は先に帰っていたが明家は豊臣家への雑事とさえに会うためにわずかな手勢を連れて大坂へ行っていた。君主の無事な姿を見せて民を安心させるため、明家は舞鶴より先に小浜城に行き民の拍手喝采に迎えられた。城主の奥村助右衛門が出迎えた。

「殿、お帰りなさいませ」

「そなたも息災で何よりだ」

 馬から降りた明家は助右衛門の後ろにいる三人に気付いた。気心の知れた者たちであった。

「兵馬、静馬、冬馬」

「「ははっ」」

 奥村兵馬栄明、奥村静馬易英、奥村冬馬栄頼の三兄弟。彼らは奥村助右衛門の息子たちである。

「朝鮮では父の助右衛門と俺を助ける見事な活躍であった」

「「ははっ!」」

「おって恩賞をとらせるゆえ、楽しみにしていよ」

 明家は末っ子の冬馬の前に立ち止まった。

「冬馬」

「はい!」

「家臣と喧嘩したそうだな」

「は、はい」

「しかもその家臣はそなたの妻の兄と聞く。妻が悲しむことをしてはいかんな。俺があまり言えた義理ではないが」

「は、はい!落ち度はそれがしにありますので、すぐに詫びます」

「そーだ、柴田家の気風は尚武と騎士道だ。女子を大切にするのが誇りだぞ」

 七つ年下の弟分の右肩を力強く握り、そして城内に入って助右衛門と話す明家。

「…助右衛門、あくまで勘だが、もう一度唐入りはある」

「……」

「和平交渉は決裂となるだろう」

「はっ」

「俺はまた大坂に行かなければならない。そなたに留守を押し付けるばかりか…再び唐入りの軍備を頼む事に相成りそうだ」

「ご安堵なされませ。滞りなく済ませておきまする」

「頼りにしている」

「さあ、早く舞鶴の民もご安心させて下さいませ。ずいぶんと舞鶴の民は国主の顔を見ておりませんぞ」

「そうだな、では小浜の城、今後も頼むぞ」

「はっ!」

 明家は舞鶴に帰った。国主を見ようと城下町の大通りは人で溢れた。一人の少女が花を持って馬上の明家に捧げた。

「お帰りなさいませ、お殿様」

 花を受け取る明家。

「これは嬉しい、城にて活けさせてもらおう」

「ありがとうございます」

 無事に帰ってきた良人に姿に喜ぶすず。杖をもって城の入り口に立って待っていた。

「すず…」

「殿…」

 歩行不自由なすずを両手で抱き上げた明家。

「足と傷跡の具合はどうか」

「はい、今は温暖ですし痛みません」

「良かった。今宵は語り合おう」

「はい」

 

◆  ◆  ◆

 

 そう領地に長居も出来ない明家。溜まっていた国主の決裁や唐入りの戦死者の葬儀を済ませると、とんぼ帰りして大坂に向かい柴田屋敷に到着。

 そして翌日、さえと共に息子勝秀の行っている治水現場へ行った。明家とさえが来る事は勝秀には知らされていなかった。この宇治川治水、本来ならば明家が指揮を執らなければならなかったのであるが彼は唐入りの合戦のため朝鮮に行かなければならなかった。だから明家は息子に任せたのである。秀吉は

「十五の子供では荷が重い。儂が朝鮮にそなたが行くと知っても柴田に命じたのは、治水名人のそなたの事ゆえ重臣たちに治水巧者がいるであろうと見たがゆえ。息子に命じるとは何を考えているのか」

 と言った。明家は返す。

「豊臣の大事な治水工事であるのは重々承知していますが、同時に息子に厳しい試練を課したいと存じます。もし息子がどうしても出来なければ帰国後にそれがしが指揮を執ります」

「『ことは何ごとも一石二鳥にせよ』隆家殿の言葉だったな」

「はい」

「なるほど、治水工事は良い試練となるからのう」

「その通りです」

「まあ、結果そなたが手を加えるのであれば良い出来栄えとなろう。好きにせよ」

「はっ!」

 その秀吉とのやりとり、明家は屋敷でさえに言っていた。

「ではもし…。勝秀の治水が落第ならば殿がおやりに…」

「そうなるな…。丹後若狭の治水なら出来るまでやらせる。しかしこれは豊臣の治水だ。出来ませんでしたでは済まない」

 何より、朝鮮に渡る前に見た秀吉と拾(後の秀頼)と云う世継ぎが出来た今の秀吉は大きく違っていた事に明家は気付いてもいた。唐入りをどんなに諌めても聞く耳持たなかった秀吉ではあるが、他の政治や軍務の意見は聞き入れる姿勢はあった。

 しかし今の秀吉にはそれがない。今は針の先ほどの失敗は出来ない。息子の試練としてやらせてみた治水工事であるが、報告では勝秀は割普請も上手く活用できず、河川に沿った治水術で対応できなかったと云う。明家は自分がやるしかないと思い、舞鶴を出てきた。

「でもそれでは勝秀は自信を無くしてしまいます。せっかくの試練が裏目に出てしまいます」

「どうせよと言うのだ…。俺が朝鮮に行っている間、まったく出来なかったようだぞ」

「殿が勝秀の器量以上の仕事をお与えになるからではないですか!」

「何だと!」

「…確かに勝秀には治水の知識はありましょう。幼い頃から殿や治部少殿に仕込まれていたのですから。しかし机上と現場は違います。殿は同じ十五で大規模な城の改修も治水も開墾もやり遂げました。しかしそれを息子に望むのは父親の身勝手です!」

「……」

「最後まであきらめなかったこと、そして失敗だらけでも上手く出来たところだけは褒めて、そしてどうにか勝秀がまっとうできるよう、影ながら指示をお与えになって下さいませんか」

「そんな甘い母親でどうするのだ」

「お願いです…!勝秀は口にはしませんが祖父と父の大きさに萎縮しています。それが最初の主命で大失敗して父親に叱責された挙句に任を解かれ、尻拭いしてもらってはどんなに傷つくか…」

「その大失敗を糧としてだな…」

「お願いです…!」

「…分かったよ」

 大坂屋敷からここに来るまでの道中でも、さえは念を押してきた。

「殿、けして叱らないで下さいよ。勝秀にも家臣たちがいるのですから」

「分かっている」

 

 治水現場に到着した明家とさえ。現場にいた柴田家臣は血相を変えて工事の本陣にいる勝秀の元に駆けた。

「わ、若殿―ッ!」

「なんだ?」

「大殿様と御台様がお越しにございます!」

「え!」

 馬を降りて、さえと共に現場を歩く明家。さえは良人の顔を見る。渋い顔つきであった。さえの経験上、この顔は怒りを堪えている顔だ。

「さえ、どう思う」

 明家が訊ねた。

「わ、私は治水は素人でとんと…」

「いいから申してみろ」

「…現場に活気がありません」

「それに加えて統率が取れていない。この工事はかつて治部がやった九頭竜川の治水に比べれば規模は八分の一ほどでしかない。だからこの治水は柴田一家だけが命じられた。たった兵五百が統率できないのかあいつは!」

 その兵五百にも当主明家が来たと伝わり、慌てて工事を始め出した。それまでは怠けていたのである。

 ちなみに言うと柴田の工兵隊は明家と共に朝鮮に行き、一人もこの現場には来ていない。朝鮮に行った柴田工兵隊の頭領はしづの父親の鳶吉であったので辰五郎は残っていたが、高齢のため舞鶴ですでに隠居して工兵隊の頭領を辞している。辰五郎は若殿のために働きたいと申し出たが、辰五郎がいたら勝秀は彼に頼りきりとなり試練の意味がない。辰五郎が仕切れば三ヶ月で終わってしまうほどの治水工事なのである。明家は辰五郎の申し出を丁重に断り、あえて息子に振り出しの状態から始めさせた。かつて自分が辰五郎を登用したときのように、頼りになる職人は自力で見つけて欲しかったのだ。

 豊臣秀吉の伏見城移転に伴い必要となった治水工事。その工事の大筋の行程は、槇島の地に堤を築き、京都盆地に流れ込む宇治川の流れを直接巨椋池に流れ込む形から伏見への流れに変える事であり、伏見と淀の間の宇治川右岸に堤を築き川の流れを安定させる事が目的である。秀吉は

『伏見に城を築こうと思うが、時に氾濫を起こす宇治川が問題だ。あれを何とかすれば伏見は交通の要衝となる。大河ではあるが九頭竜川に比べれば大した事はあるまい。柴田で治水せよ』

 と、具体的な指示は明家にしていない。何とかせよ、だけである。明家は工兵隊長の鳶吉と現場を歩いてみたが、さほど困難な治水とはならないと判断。

 そしてその後に勝秀も連れて現場を見て歩き、治水計画書を提出させた。おおむね明家と鳶吉の思案した事と一致していた。勝秀はさえの言うとおり、治水に関する知識は父の明家と石田三成に仕込まれていた。秀吉の勧めで少年期に豊臣家へ修行に来て、石田三成が師につけられ政治の運用や治水術を仕込まれていた。治水術は何ごとにも通じる知識となる。三成は旧主明家の息子に九頭竜川治水などで得ていた治水知識を惜しみなく教えたのである。だから知識だけはある。明家や鳶吉のような熟練した治水巧者と同じ計画も齢十五歳で立てられる事が出来た。しかし結果は落第である。明家は現場の河川敷で落胆の溜息をついた。

「あいつは柴田の趙括か!」

 趙括とは中国の戦国時代の趙国にいた名将趙奢の息子で、理論だけなら父を論破するに至る兵法家であったが父の趙奢はけして息子を認めず、

『あいつが趙国の軍を率いたら国を滅ぼす。理論だけが先に立つ。儂の死後にけして儂の後を継がせて将軍にしてはならない』

 と、妻、つまり趙括の母に言っていたが結局趙の国王は趙括を将軍に据えてしまい、趙括は無謀な合戦を秦に対して挑み大敗、趙国の滅亡の起因となった。明家は息子の勝秀をその趙括に例えたのである。『チョーカツ』とは何ぞや?とさえは良人に訊ねた。それを聞くや良人に怒鳴った。

「それは言いすぎです!たった一度の失敗ですべてを判断なさるのは大間違いです!かつて殿は北ノ庄城壁工事で一番働きが悪かった鳶吉殿をどう評しましたか?『不器用者は一流になる原石』と申しました。いま鳶吉殿はどうしています?殿の工兵隊の頭領ではないですか!殿は亡き勝家様さえ認めた人材再生の達者ではなかったのではないですか?北ノ庄の不良少年三百名が今どうなっていますか?今では柴田の柱石たちです!殿はやさぐれていた吉村直賢殿さえ蘇らせました。あの頃の殿の『化けさせがいがある』の言葉は国主となったら消えてしまったのございますか?殿は『歩』を旗印にしておきながら歩の心を忘れています!むしろこの大失敗は勝秀を一級の大将にさせる好機!化けさせなさい水沢隆広!」

 呆然として妻の言葉を聞いた明家。目から鱗とはこのこと。一つ深呼吸し、明家は両頬を自分で叩き、そしてさえに頭を垂れた。

「よう申してくれた。そうか、俺が化けさせればいいんだよ!簡単じゃないか!あっはははは!」

「父上!母上!」

「おう来た来た!」

 勝秀は父母の前で平伏した。勝秀の家臣たちも同じく平伏する。勝秀の背は震えていた。どんなに父に叱られるか。父が朝鮮の地で命がけの合戦をしていたと云うのに自分の成果は無だった。勝秀は人の使い方などは明家から教えられていない。三成も教えなかった。どうしてかと三成に訊ねると

『教えられて会得できるものではない。父上の背中から懸命に学べ。父上ほど人使いの師はいないぞ』

 と三成は答えた。以来、父の明家を師とも思い、父のやりようを学んできた。どうすれば人心を掴めるのか、部下を統率できるのかと。しかしその教訓は活かせられなかったようだ。勝秀は父がくれた大役を喜んだ。父の柴田明家は治水、開墾、築城をやらせれば当代五指に入る人物である。その父から任せられた。絶対に上手くやり遂げて認めてもらいたい。父母に褒めてもらいたい、その一心が先立ち焦ってしまったのだ。

 明家が例えに出した趙括よろしく理論が先立ち、ただ指示を出して、やれと言うばかり。何を学んできたのかと言いたくなるような人の使い方である。指示は遂行されず苛立つばかり。無駄な時間と費用だけがかかってしまった。叱るなと言われていたが、ここで何の責めもしなくては示しがつかない。

「この馬鹿者が!」

「は、はい…!」

「今まで何を学んできたのだお前は!」

「と、殿…。お約束が…」

「黙っていよ!」

「は、はい…」

「伏見の城は完成間近であるぞ。なのに宇治川の大暴れを治めずして太閤殿下を迎えられるか!」

「も、申し訳ありません…!」

「大殿!これも若殿に仕えし我らの不甲斐なさゆえ!なにとぞ責任は我らに!若殿には寛大なご処置を…!」

 勝秀に仕える家臣たちは柴田勝家の直臣たちの子弟である。賤ヶ岳や北ノ庄で討ち死にした中村文荷斎・武利親子、徳山則秀、拝郷家嘉、毛受勝照・茂左衛門兄弟、原彦次郎、柴田勝政の子らである。さらには柴田勝豊の二人の息子や佐久間盛政の甥なども仕えていた。主君勝秀と共に幼い頃から柴田家で厳しく養育されていたが、今回の治水では主君同様に失態を繰り返し、五百の兵さえも統率できず醜態をさらした。しかし内心明家は、この若者たちもこの機会にしつけてやろう、と考えた。

「たわけが!罰する時間などあるか!過失は成果によって挽回しなくてはならない!すぐに始めるぞ!」

「「は…?」」

「もう一度、俺自らお前らを鍛え直してやる!何ボケッとしている!来い!」

「「は、はい!」」

 明家はすぐに本陣に行き、今までの工事行程を詳しく聞いた。穴だらけだった。

「うん、おおむねは分かった」

「父上…。すみません」

「何度も言わせるな。過失は成果によって挽回しなくてはならない。詫びるに及ばない」

「はい…」

「丹後(勝秀)、勘違いするなよ。俺は現場監督の椅子を横取りしにきたのではない。まあ少しの手助けをしにきただけだ」

「はい」

「ここでは俺はお前の補佐に入る。分からない事があったら訊ねよ」

「では…さっそく」

「なんだ?」

「どうすれば…兵をまとめられますか」

「…石田殿にそれを聞いたことは?」

「あります。しかし、教えられて会得できるものではない、父上の背中から学べと仰せでした」

「そうか。ではそうしろと言いたいところであるが、今後のため教えてやろう」

「は、はい!」

「礼記にこうある『下の上に事うるや、その令する所に従わずして、その行う所に従う』とな。丹後、部下と云うものは上の命令に従うよりは、上の者のやっていることを見習うものだ。まず上に立つ者が範を示さねばならない」

「上に立つ者が範を…」

「苦労は率先して担い、手柄は部下に与えるのが将の務めだぞ」

「は、はい!俺間違っていました!正しい指示だけ与えていれば良いのだと!」

「その正しい指示だがな」

「はい」

「お前は理論立てて治水行程の指示をしたであろう」

「…その通りです」

「それが駄目だ。太閤殿下は『難しいものを難しくしか言えない者は阿呆』と言っているが、俺も同感だ。部下たちに分かりやすいもので言わなければ駄目だぞ。治水の命令は『埋めろ』『運べ』『作れ』くらいでいい」

 本陣の入り口で息子を教えている良人を見つめるさえ。ホッとした。父と子の邪魔をしていけないと、さえは大坂屋敷へ帰っていった。

 勝秀は変わった。彼は最初に五百の兵に詫びた。心得ない指揮で申し訳なかったと。これからは自分も一緒になって作業に励むから協力して欲しいと。勝秀は大きい絵図を描いて、改めて工事の流れを噛み砕いて説明。絵図を指して、ここに土を入れて、堤を築いて、流れを緩やかにする、と。明家はその席に立ち会っていない。

 明家はそのまま現場に泊り込んで、勝秀を助けて治水に励んだ。何か懐かしい気持ちになった。かつて父の勝家に仕えていたころ、泥だらけ、汗だくになって治水工事に励んだものだった。今の勝秀はその姿をしていた。

 近隣の土木職人にも声をかけて積極的に雇った。水沢隆広と辰五郎の出会いのように、職人たちは若い勝秀を軽視していたが、勝秀は短気を起こさなかった。むしろ若年である己の身を利用した。職人たちの前で見ていられないほどの不器用さで仕事をした。怠けていた職人たちは見ていて段々と苛々してきて『もう見ちゃいられねえ!俺たちに任せて若僧は引っ込んでいろ!!』と自発的に仕事をさせることに成功している。

 そうきたか、と明家は素直に感心した。『俺たちがやってやらなきゃ何も出来ない』と思わせるのは最大の叡智とも云えた。

 

 勝秀の家臣たちも懸命に若き主君を補佐した。今まで兵たちを怒鳴るしかできなかった彼らだが明家の一言。

『俺はお前らの親父が家臣を理不尽に怒鳴ったところを一度も見たことがない』

 これが効いた。金槌で殴られたほどに堪えた。自分たちが情けなくて涙が出た。襟を正し、彼らもまた五百の兵に詫びた。現場の空気は変わった。勝秀は秀吉と明家の得意技である割普請を上手に活用し始め、話し合って治水方法を論じた。出番がなくなった事が明家は嬉しかった。黙って明家は大坂屋敷へと帰っていった。それからしばらくして

「申し上げます」

「うん」

「宇治川治水工事、完了いたしました」

 さえの給仕で食事をしていた明家、さえと笑顔で顔を見合った。

「相分かった、昼食後見分に参ると丹後に伝えよ」

「ははっ!」

「殿、やりましたね」

「ああ、これもさえのおかげだ」

「え?」

「あの時、そなたが俺の父親の身勝手を叱ってくれなければ…勝秀の任を解いて俺が工事をやってしまっただろう。勝秀は傷つき、勝秀の家臣たちも使いものにならなくなったかもしれない。今回一番良い結果を得られたのはさえのおかげだ。ありがとう…」

「殿…」

「勝秀の家臣たちの父は、俺を育ててくれた柴田の怖い重臣たちだ…。これで少し恩返しも出来た。親父様たちに…」

 涙ぐんでいる明家、息子と勝家重臣の子らの任務達成が心底嬉しかったのだろう。

「さえに何か礼をしたいな」

「いりません。勝秀が見事にお仕事を成し遂げたこの満足感、母親としてこんな贈り物はないです」

「父親としてもだよ、あっははは!」

 明家とさえは宇治川に向かった。工兵隊の鳶吉も一緒に来ていた。そして到着して

「見事だ…!」

 そう発した明家。

「父上、母上!ようこそお越しに!」

 勝秀が出迎えた。

「よくやったぞ丹後!」

「はい!」

「よくぞやり遂げましたね、母は嬉しいですよ!」

「はい!」

 明家は鳶吉を伴い、宇治川を見分。川の流れは緩やかになっている。堤も堅固そうである。

「…見事にございますな。まるで殿か辰五郎親方の仕事を見るようにございます」

「うん、しかし終わりは始まりでもある。この仕事の成就で浮かれぬようにしなければな」

「仰せの通りにございます」

「今度は領内で開墾でもやらせてみるか…。水を引けそうな不毛地帯を見つけてな」

「良いかと思います。美田を与えられれば民は大喜びします。若殿に対する民心も上がりましょう」

「そんな時間があればの話だが…」

「は?」

「いや、何でもない」

 

 勝秀は久しぶりに大坂屋敷に帰ってきた。すると

「殿―ッ!」

「姫蝶?舞鶴から来ていたのか!」

「はい!」

 そう言うや、勝秀に抱きついた姫蝶。どこかの夫婦と同じような熱さである。

「会いたかった姫蝶~!さっそく子作りしよう!」

「夜まで待って下さい」

「久しぶりだから、もう我慢できないよ!」

 それを遠めに見ていた明家とさえ。

「くすっ、父親にそっくり」

「俺は帰宅と同時に求めたことなど…何度もあるな」

「はい、いまだに、うふっ」

 苦笑して明家は若い夫婦の邪魔にならないよう、妻の肩を抱いて屋敷の中に入っていった。柴田家のほんのひと時の幸せであった。

 

◆  ◆  ◆

 

 やがて伏見城も完成、秀吉も勝秀の治水工事に満足し、秀吉自ら勝秀を褒めた。

「祖父と父の名に恥じぬ仕事振りじゃ。褒めてやろうぞ」

「はい」

「よき将となるであろう。秀頼にしっかり仕えよ」

「承知しました!」

「うんうん、城は出来て治水も完了!豊臣政権はいっそう磐石じゃ!わっははは!」

 秀吉に頭を垂れながら明家は不安にも思っていた。この時期、明と朝鮮との条件の相違から、秀吉と明・朝鮮の和議が決裂していたのである。ある程度予想はしていたが、悪い予想はよく当たるものだ。的中してしまった。秀吉は再度の唐入りを布告した。『慶長の役』の発端である。

 

 それを聞くや、明家は伏見城に登城し懸命に秀吉を諌めた。『国力を落とすだけで、百害あって一利なし』と懸命に諫めた。しかしもう秀吉は聞く耳持たない。

 石田三成も明家と意見を同じくして懸命に諌める。だがもう秀吉は二人の意見に耳を貸そうともしなかった。再度の唐入りを止められなかった無念の明家。肩を落として屋敷に戻り、家族とも会わずに部屋に篭ってしまった。

 しばらくして山中鹿介がやってきた。会おうとしなかった明家だが、火急の、かつ重大な知らせと鹿介が言うので会った。彼からもたらされた知らせは明家をさらに落胆させることであった。

「関白殿下(豊臣秀次)が謀反だと!?」

 明家は驚いた。

「誰がそんな讒言を申し立てた!」

「分かりませぬ、しかし太閤殿下はそれを鵜呑みにし、関白殿下に申し開きをしにまいれと!」

 と、山中鹿介。

「治部少が必死に冤罪であるのを訴えたそうにございますが…もはや聞く耳持たずとのこと」

「関白殿下はそんな大それた事をする方ではない!太閤殿下をお諌めしなければ!」

 すぐに城に向かおうとして走り出した明家の着物を掴んだ鹿介。

「何をするか!」

「無駄にございます!冤罪である事を一番分かっているのは太閤殿下当人!しかし実子の拾様を跡継ぎにしたい太閤は冤罪と知ったうえで関白殿下を殺すつもりなのでございます!」

「……」

「麒麟も老いては駄馬にも劣る…!今の太閤はまさにそれにございます!利休殿もその駄馬の狂った判断で殺されたも同じ!今、関白殿下を庇えば『もったいない越前』とまで言われ嘲笑された殿の苦労は水泡に帰しますぞ!」

 朝鮮出兵を反対していた利休は明家が朝鮮で戦っている間に秀吉に処刑されていた。それを知り激しく落胆していたが、今度は秀次。肩を落として座る明家。

「…豊臣はもう終わりだ。また乱世に戻る…!何が大老だ!俺は何のために父母の仇に仕えてきたのだ…!」

 秀吉から柴田家に朝鮮に出陣せよと命令が来たのは、この翌日であった。

 

 豊臣秀次、後世では殺生関白などと言われているが、それは秀吉の行為を正当化させるために捏造されたものにすぎない。秀次は合戦の才能はなかったが、為政者としては民政に力を注ぎ、かつて彼の領国であった近江八幡では彼の作った用水路が今も残る。関白となってからも政治のありようを学び、秀吉の立派な後継者になろうと懸命であった。

 確かに側室は多く、色狂いと云う一面はあったに違いない。可児才蔵に仕官溝(他家に仕官するのを差し止める)をやる度量の狭い事もした事もある。だが別にそれが秀次の為政者として失格の烙印となるものではない。明家の妹の江与を側室として欲したのも色欲からではなく、知恵者であり自分を認めてくれている明家と義兄弟になりたかったからなのである。

 

 そして秀次が秀吉に謁見した。もう死を覚悟している秀次。秀次の傍らには彼に仕える山内一豊がいる。

「秀次、何か申し開きがあるのなら申せ」

「何もございません。叔父上は元々それがしを殺すつもりでございましょう」

「…ふん」

「もはや悪あがきいたしませぬ。されど関白として最後の仕事をいたします」

「何じゃ」

 甥の真剣な眼差しでさえ見ようともしない秀吉。

「太閤殿下、唐入りはおやめなさい」

「なにィ?」

「越前守が申したとおり、百害あって一利なし、豊臣家は、この国は無謀無策の外征によってガタガタになりますぞ!」

「だまれ!」

「この侵略により朝鮮や明は日本への怒りをけして忘れますまい。百年先二百年先、我ら日本の民は海を隔てた隣国にずっと怨まれるのですぞ。豊臣秀吉は後世の人々にどう弁解するのでございますか!どう許しを請うのですか!豊臣秀吉は日本の恥じゃ!」

「……」

 山内一豊は止めなかった。いや止められなかったと言うべきか。すべての者が秀吉に逆らえない今の世、甥であり、一時は世継ぎと目された秀次が死を賭して訴えていること。止められるはずがない。

「さあ殺せ、老醜さらす糞猿が!」

「どうせ死ぬのなら言いたい事を言ってやる…か。儂が日本の恥、よう言うた、よう言うた」

「もう顔も見たくないし声も聞きたくない。自分で勝手に死ぬ」

「秀次様!」

「対馬(一豊)、今までよう仕えてくれたな」

「…秀次様!」

「この馬鹿が天下人にさえならなければ、俺は貧しいながらも幸せに尾張中村で百姓をしていられたのに…。この外道のおかげで俺の人生は目茶苦茶だ。神も仏もないわ!」

 そう言って秀次は隠し持っていた自決用の小刀で心臓を一突きし、果てた。

「秀次様―ッ!!」

「愚か者が!儂は鼬の最後っ屁も許さぬ!その悪口雑言けして許さぬ!許さんぞ!」

「殿下!」

「なんじゃ伊右衛門、千代と与禰の首を刎ねられたいか?」

「た、太閤殿下…!」

(もう…豊臣は終わりだ…!)

 秀吉は自決した秀次の首を切り落とし、賀茂の三条河原にさらした。それだけではなかった。彼の愛妾や子供たちまで三条河原で処刑せよとまで命じた。まさに彼は秀次の最後の言葉に激怒し、その家族たちも許さなかったのである。そして処刑前日の夜。伏見の柴田屋敷。その日は雷雨だった。

 激しい雨音の中、明家は自室に篭って座り、腕を組み目を閉じて考えていた。稲光が明家の横顔を照らした。戸口から入ってきた風が蝋燭の灯を消す。そして一際激しい稲妻が轟いた。明家は静かに目を開いて稲光を見つめた。目には一つの決意。ついに柴田明家は決断した。



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柴田越前守、謀反

 関白秀次が謀反の罪で処刑され、今まだ彼の正室と側室、子供たちまで処刑されようとしている。宿老の前野長康さえ連座して切腹した。奥羽攻めで秀次の参謀を努め、個人的にも親しかった柴田明家とていつ咎めがあるか分からない。

 いや、そんな咎めなどどうでもいい。彼が問題としているのは秀次妻子の処刑のことである。これを黙って見ていて良いのか。こんな理不尽を許してよいのか。

 雷雨、稲光轟く夜、自室で長考する明家。ひときわ激しい稲光の轟音が響く。静かに稲光を見つめた。目には決意。ついに明家は決断した。

「誰かある」

「はっ!」

 小姓に明家は言った。

「鹿介と勝秀を呼べ」

「承知しました」

 しばらくして山中鹿介、柴田勝秀が来た。

「父上、お呼びですか」

「近う」

「「はっ」」

 二人に明家は静かに言った。

「明日、三条河原で処刑される秀次様の妻子を救出する」

「「……!!」」

 驚く鹿介と勝秀。

「父上、そ、それは謀反…!?」

「規模は小さいが、まあそうなるな」

「し、しかし再度の唐入りのため、奥村殿と前田殿はすでに国許にあり、ここ伏見にいる将は山中殿だけ!兵は百五十ほどです。今ここで謀反いたせば我らは皆殺しに!」

「殿、日本全土を敵に回す覚悟はおありなのですか」

「そんなものはない」

「は?」

「日向殿(光秀)と違い、主君を直接討つわけではないのに、何で袋叩きに遭わなければならないのだ」

「し、しかし父上、その刑場荒らしは明らかに謀反」

「今の太閤殿下には冗談は通じませんぞ」

「刑場荒らしをしたうえ、それを太閤殿下に許させる。俺はまだ死ぬわけにはいかない」

「そんな夢のような展開は無理かと」

「できるぞ勝秀、いいか」

 耳を貸せと勝秀と鹿介を手招きする明家。

「幸か不幸か、今は日本の大名が海の外に外征に行くなんてバカげた唐入りなんぞしている。太閤殿下もこの時期に内乱は避けたいはずだ」

「確かに…」

 と、鹿介。

「だから我々柴田家は刑場荒らしのあとに丹後若狭に行き、当初のご下命通り朝鮮に行く」

「恐れながらお考えが甘うございます。そんなことをすれば最後、手薄の丹後若狭が太閤によって焼け野原とされましょう」

「話は最後まで聞け鹿介」

「はあ」

「実はこの決起、前田利家殿にだけ事前に申し出てある」

「ええ!!」

 勝秀は『ことは秘密裏をもって』と常日頃から言っている父らしからぬと驚く。しかし鹿介は

「なるほど得心しました」

 と、静かに笑った。『ことは秘密裏をもって』などは場合による。秘密裏と根回しは絶対に両立できないからである。

「そして味方につくことを約束して下された」

 

 秀次妻子処刑が秀吉から発せられた時、懸命に諫めたのが柴田明家と前田利家だった。しかしどんな言葉を重ねても秀吉は聞く耳持たなかった。

『あやつは儂を日本の恥とぬかしよった!あやつの命だけではこの暴言の腹はおさまらぬ』

 それは建前、そんな暴言があろうがなかろうが秀吉は断行していただろうと明家と利家は読んでいた。利家はかつて『藤吉郎』『犬千代』と呼び合った友のあまりの狂気が悲しくてたまらず、明家以上の懸命さで止めたのだ。だが秀吉は聞く耳を持たなかった。

 無念の利家、帰宅したあとは部屋に篭ってしまった。いっそ秀吉を斬るか。むしろそれが秀吉への情けなのではないかとさえ思う。誤った道に進んでしまったのなら討つのも友情。しかしそれをやったら前田家は終わりである。友なればこそ斬ったなんて誰が納得するか。秀吉を斬ることはすでに政治である。

「我が身安泰で暴走する友も斬ってやれぬ…。槍の又佐が聞いて呆れるわ…」

 と塞ぎこんでいると、

「殿、お人払いのときにすみませぬ」

「まつか、どうした?」

「越前守様がお越しです」

「越前が?」

「はい」

「通せ」

 明家が利家の伏見屋敷を訪れた。

「夜分にすみません大納言殿(利家)」

「かまわん、何だ一人か?」

「はい、二人だけで話したくて」

「うむ…」

「実はずいぶんと厚かましいお願いをしにきました」

「ほう珍しいな、聞こう」

 何か嬉しい利家。

「三条河原に殴りこんで秀次様の妻子を救出します」

「なに?」

 しばらく見つめあう明家と利家。目には確固たる決意が見える。

「家臣たちは何と申した」

「息子や家臣には決起を前日に述べます。なまじ時間があると迷いが出ます」

「ではその話を聞くのは儂が最初か」

「はい」

 よくもまあ、そんな大事を儂に話す。利家は苦笑した。

「無用心ではないのか、そちらしくもない」

「槍の又佐を警戒する心をそれがしは持ちません」

 世辞を言いおって、だが利家はますます嬉しくなってきた。利家と明家は豊臣家の大老としてではなく、北ノ庄でよく酒を酌み交わして笑い会った当時に戻っていたかのようだ。腹を割って何でも話したあの頃のように。

(今の秀吉に逆らうつもりか。もっともこいつは信長様にも噛み付いた男、不思議ではないな。そこまで思い切れるのは若さかな。儂には思ってもできぬ)

 コホンと一つ咳をして続けた。

「それで厚かましい願いとは?助力は出来ぬが他で儂に出来ることなら手を貸そう」

「かたじけのうございます。刑場荒らしをしたのなら、すぐに舞鶴へと向かいます。そのうえで朝鮮に向かいます」

 明家の考えを読んだ利家。

「なるほど謀反しておいて、一方では唐入りの下命に従う。結果秀吉に許させる腹だな」

「はい」

「秀吉も内乱は避けたいはず。できない話ではないな」

「しかし怒り狂った殿下がそれがしの領地に侵攻してくる可能性もありえます」

「そんな真似はさせん」

「え?」

「儂の目の黒いうちは戦しても阻止をする」

「大納言殿…」

「なにをわざとらしく驚いているか。厚かましい願いと云うのはそれであろうが」

 明家は赤面し、頭を掻いて笑った。

「ばれましたか」

「いいかげん長い付き合いだからな」

 笑いあう二人。

「まあ、秀吉もどんなに腹が立とうとも儂とお前を同時に敵に回すほど壊れてはいまい。何より唐入りでおおよその軍勢が西に行き、今の秀吉の手元には前田を掃討したうえで丹後若狭に攻め入る兵力はない。徳川が秀吉の援軍になるとも思えん。三条河原では思いっきり暴れて来い。あとは任せろ」

「お頼み申します!で…もう一つ厚かましいお願いが」

「なんだ?」

「三条河原に殴りこめるのは少数です。加勢してくれとはいいません。ですが大坂と伏見の屋敷にいる女子供を」

「分かった。前田で護衛して舞鶴に送り届ける」

「ありがとうございます!ああ良かった!」

「なぁにが『ああ良かった』だ!儂が断るまいと最初から思っておるくせに」

 また明家は赤面し、頭を掻いて笑った。

「ばれましたか」

「いいかげん長い付き合いだからな」

 再び大笑いしあう二人だった。明家と利家の絆は豊臣政権でも有名である。前田利家は賤ヶ岳の合戦で柴田勝家を見捨て戦場を離脱したことを今でも激しく悔いている。明家はそんな怨み言を一切利家に言わず、豊臣政権下では一層親しくなり友誼を結んでいた。勝家を親父様と呼んでいた利家にとって勝家嫡男の明家は歳の離れた弟のようなもの。蒲生氏郷や黒田如水のように、その才覚を秀吉に恐れられながらも明家が遠ざけられないのは利家が何かと庇っているからである。柴田家臣なら誰でも知っていることだ。何より利家嫡男の利長と明家は朋友である。盟約を交わした誓書なども必要ない。絶対に盟約を反故にしない。前田家が柴田家についた。

 山中鹿介は後顧の憂いがないことを知った。それなら話は別である。むしろ柴田の家名をあげるまたとない好機となる。誰もが恐ろしくて逆らえない豊臣秀吉に公然と逆らうのである。尚武の柴田さすがよと諸大名に知らしめる。

 どんなに秀吉が怒り狂おうと、前田親子が絶対に丹後若狭に攻め入らせることはさせない。柴田軍が丹後若狭で徹底抗戦を主張するならまだしも、しおらしく朝鮮に行くことは行くのだ。結局秀吉はどこかで妥協して許すしかないのだ。

(何より、もはや足腰がふらつく秀吉では余命もそうあるまい…。時間を稼いでいれば秀吉がそのうち死んで何もかも帳消しだ)

 鹿介の思うそれも明家の算段にはあるだろう。負ける戦はしない柴田明家。何ともしたたかだと今さらながら苦笑した山中鹿介。

「しかし、そう根回しはしたものの謀反だからな。本当にやるか、つい先刻まで決断するに時を要した」

「でしょうな」

「だが人として、やらねばならぬ」

「承知しました。この鹿介も参りましょう」

「山中殿」

「若殿、父上が勝算なき戦をしたのは丸岡だけでござる。これは勝てます」

 刑場荒らしそのものの勝利ではなく、その後の秀吉との駆け引きも勝つ。鹿介がそう言っているのは勝秀も分かる。勝秀も不安がないと言えばウソになるが勝てそうな気がした。しかし別の戸惑いがあった。

「でも刑の執行官は我が師である治部少様。師と戦うのはちょっと…」

「ははは、治部少殿は処刑に反対していた。案外嬉しがるかもしれないですぞ」

「そ、そうかな」

「殿、この戦は義戦、何とぞ若殿の晴れの初陣と」

「そのつもりだ」

「え?」

「明日の刑場荒らしを勝秀、そなたの初陣としよう」

「……」

「なんだ?晴れの初陣が刑場荒らしでは不服か?」

「そ、そんな…」

「顔に書いてあるぞ。しかし勝秀、この戦は不義に対して義をもって挑む戦だ」

「不義に対して義をもって…」

「話したことがあるな。秀次様は俺の希望だと。秀次様は軍事こそ凡庸であるが行政手腕は見事だった。豊臣は二代続かないかもしれないが、秀次様なら上手く幕引きが出来るかもしれない。柴田はその補佐をしようと」

「はい」

「だがその秀次様は太閤殿下の理不尽極まりない仕打ちのすえ命を絶たれた。そして今、その方の妻子さえ殺されようとしていると云うのに太閤殿下を恐れ何もしない。それはもはや武士ではなく虫けら以下だ」

「父上…」

「せめて妻子をお助けすることをせずば、柴田は今後『尚武の家』を名乗る資格はない」

 その通りだと思う息子勝秀。

「父上!勝秀この義戦、我が初陣にいたしたいと存じます」

 勝秀の決意に頷く明家と鹿介。

「では明日の出撃に備えておいてくれ」

「「はっ」」

 山中鹿介は部屋に戻った。そして

「天鬼坊」

「はっ」

 鹿介に仕える忍び羅刹衆、その一人の天鬼坊がスッと姿を現した。鹿介は柴田の決起を話した。さすがは幾多の修羅場を鹿介と経てきた天鬼坊、顔色を変えない。

「我が羅刹衆の任務は?」

「三条河原から舞鶴までの道のりの安全を確保して先導せよ。女子供もいる一行ゆえな」

「承知しました」

 天鬼坊は去った。ふと鹿介は月を見た。かつて『願わくば我に七難八苦を与えたまえ』と願った月に。

(秀吉の死後、世の中はどう変わるかは天のみぞ知ると言うわけであるが、明日の義挙は必ず柴田の財となる。久しぶりの義戦、血が滾るわ)

 

◆  ◆  ◆

 

 関白秀次の謀反の罪により、秀次の側室たちも処刑されようとしている。美濃の金山城でそれを知った明家の幼馴染の鮎助こと野村可和は金山から京の伏見へと駆け続けた。秀次の側室には彼の妹のふみがいる。明家とも幼馴染のふみが。可和は柴田伏見屋敷を目指した。森家の一武将に過ぎない彼には妹の助命を豊臣家大老の明家へ頼むしかなかった。

「はあはあ!」

 柴田伏見屋敷に着くや

「開門!開門!手前、森忠政が家臣、野村可和と申す!柴田越前守殿に目通り願いたい!」

 と、門を叩いて怒鳴った。邸内は妙に静かだった。

「…留守か、くそ!こんなまごついている間にもふみは!」

「なに、鮎助が来た?」

 刑場荒らしのため支度をしていた明家に知らせが届いた。

「よし、入れろ」

「よろしいのですか?我らの決起が彼の口から漏らされたら」

 と、門番の男。

「急な挙兵のため兵が足りない。剛勇で知られた鮎助が加われば助かる。俺が加わるように説く。入れよ!」

 邸内に通らされた可和は屋敷の庭を見て驚いた。兵が武装しており、完全な合戦準備である。明家と会った可和。

「竜之介、どこへ攻める気なんだ!?」

「鮎助、いいところへ来た。急な挙兵なので人手が足らない、手を貸せ」

 助けてほしいと頼みに来たのに逆に手を貸せと言われて面食らう可和。

「ど、どこへ攻めるんだ?まさか大坂城とか言わないだろうな」

「三条河原だ」

 驚いた可和、助命の取り成しを頼もうとしていた相手がふみを救うため戦うつもりだ。

「ちょっと待て!そんな事をすれば、いかに五大老の一人のお前とて太閤殿下に殺されるぞ!」

「やれるものならやってみるがいい」

 小姓たちが明家に甲冑を着せ付けさせていたが、それが終わった。

「よし、そなたらも出陣の支度をせよ」

「「はい!」」

 小姓たちは出て行った。

「ふみのために…」

「ん?」

「ふみのためにお前…」

「悪いがふみはついでだ。俺は太閤殿下のやりように我慢が出来ない。関白殿下の妻子を殺すことは絶対に間違っている。いかに臣下の礼を取っていようと俺も大名。譲れる線と譲れぬ線がある」

「……」

「だがやはり決断には時を要した。規模は小さいがこりゃ謀反だからな。そんなもんだから決起にしても伏見屋敷にいる兵しか用いられない。主なる家臣も唐入りのため国許に帰して準備させているゆえな」

「軍勢はいかほどだ?」

「正味百五十」

「三条河原にいる兵たちは?」

「およそ三百、首切り人を入れれば三百三十だ」

「相手は倍かよ!」

「まあそうだ。でもそこで都合よくお前が来てくれた」

「え?」

「手を貸して欲しい。剛勇で鳴らしたお前が加勢してくれれば助かる。ここにいる百五十の兵で突撃し、首切り人と番兵を蹴散らし、関白殿下の妻子を救出し虎口から脱出させる」

「一つ聞いて良いか」

「何だ?」

「お前の部下たちはこれから太閤殿下に叛旗を翻すと知っているのか」

「もちろんだ。俺は部下に秘密は作らない」

 屋敷にいる兵たちは気合の入った目で合戦準備に取り掛かっている。さすが賤ヶ岳、四国、九州、朝鮮でその名を轟かせた柴田明家軍と見る可和。これからの合戦に気負いもない。

「分かった。喜んで加勢する」

「ははは、石投げ合戦以来か。鮎助と一緒に戦うのは」

「そうだな、しかし腕がなる!」

「父上!準備が整いました!」

「よし行くぞ!」

「ちょっと待て!お前息子まで連れて行く気か!」

 驚いた可和、明家の息子の勝秀も武装して出陣しようとしていたからだ。

「無論だ。百五十しかいないのだ。嫡男だからと言って高みの見物はさせない」

「し、しかし…勝秀殿はまだ十五であろう…」

「俺の初陣も十五だ」

「初陣なら尚更だ。初陣は普通もっと公然たり、勝機が多分にある戦を選ぶべきじゃないのか?しかも刑場荒らしだし…」

「鮎助、これは公然とした戦だ。不義に対して義をもって挑む、これがまっとうな戦でなくて何なのだ。確かにお前の言うとおり初陣は後々の自信づけのために勝機が多分にある戦を選ぶものだ。だが俺はそんな優しい父親ではない。俺はむしろ初陣にこういう義戦を息子に与えられたのが嬉しい」

「お前は本当に童のころから口が達者だな。思わず納得しちまうよ」

「そんなに褒めても何にもやらないぞ」

「褒めてないだろ。しかし武者震いしてきたぜ!」

 屋敷の入り口に集結した柴田軍。

「殿!」

「おう、さえ」

「ご武運を!」

「うん、そなたも早く舞鶴へと参れ。俺もあとから追いかける」

「はい」

「奥方、急ぎ伏見の東門に。三条河原のことを太閤が知れば、大挙してこちらに寄せてきますぞ」

「分かりました村井殿」

 すでに前田家から柴田屋敷に出迎えが来ていた。伏見は利家重臣の村井長頼、大坂は同じく重臣の冨田重政が担当したと言われている。そうそうたる利家の重臣二名である。とても女子供の護衛ごときで用いられる将ではない。これは暗に利家が明家に前田は絶対に約束を守ると云う強い意志を示すためであった。伏見屋敷の女子供は旅支度も終えていたが、さえは良人と息子に出陣の励ましをしたかった。最初は良人の謀反に驚いたが仔細を聞いて納得した。さえも痛快と感じた。誰もが逆らえない天下人秀吉に良人は逆らうのである。

「勝秀殿」

「はい母上」

「なんと立派な若武者ぶり、お父上の初陣姿より素敵ですよ」

「はい!」

「姫蝶は殿に惚れ直しましたよ」

「本当か、ようしがんばるぞ!」

「姫蝶」

 と、明家。

「はい、義父上様」

「そなたの父上(仙石秀久)をチト困らせるかもしれんが、まあ許してくれ」

「いいえ、どんどん困らせて下さい。少しくらい波乱があった方が父上は喜びます」

「あっははは!では参るぞ!よいか!これは謀反ではない、尚武を誇る柴田が義戦だ!俺に後れを取るでないぞ!」

「「オオオオオオオオオッッッ!!」」

 

◆  ◆  ◆

 

 京の三条河原、ここで関白秀次の妻や愛妾、そして子供たち、はては使用人たちやその家族、秀次一族すべてが処刑される。白装束を身にまとい、死を待つ秀次一族たち。

 石田三成と増田長盛が刑の執行官に当たった。そして、さながら屠殺場のような光景があわや展開しようとする、その時であった!

「刑場荒らしだぁぁーッ!!」

「なに?」

 三成が声の方向に向いた。見物人たちが道を開ける。

「どけどけどけーッ!柴田越前守明家!義によって関白殿下がご一族、もらい受ける!!」

「柴田丹後守勝秀、参上!」

「山中鹿介幸盛、参る!」

「野村可和、義によって助太刀いたす!!」

 明家愛馬のト金が処刑場の竹柵を飛び越え、つづく軍勢が柵を薙ぎ倒した。処刑場を警護する番兵や首切り人はアッと云う間に蹴散らされた。義戦に燃える柴田軍はこのとき勇武絶倫だった。百五十と云う少数とはいえ、忍びもいれば明家と勝秀を警護する馬廻り衆もいる精鋭である。まして若殿勝秀の初陣、何としても勝たねばならない。死が決定していた女にとって『歩の一文字』の旗が神仏の武人たちに見えただろう。

「一の台様(秀次正室)!越前守様ですよ!私たちを助けに来て下されたのです!」

 秀次の側室たちは感涙した。一の台も馬上の明家に見惚れた。

「ああ、何と男らしい…。太閤に逆らっても義を貫くとは!」

 かつて秀次は一の台に言っていた。

(俺は越前を右腕にして平和な世を作るのだ)

「ご覧になっておりますか殿!越前守様が私たちを助けるために来て下さいましたよ!」

 あまりの猛攻、防ぎきれないと悟った長盛、このまま明家に秀次の妻女たちを奪われたら笑いものである。

「愛妾たちを片っ端から斬り捨てよ!」

 と首切り人たちに命じた。一人の巨漢の首切り人が秀次の妻女たちが縛られて集められている場所に走った。

「「キャアアアアッッ!!」」

 首切り人の大刀が側室駒姫に対して振り上げられた。駒姫は大好きな父、最上義光の顔を脳裏に浮かべた。

(父上…!)

 だがその太刀は途中で止まった。矢が首から突き出ていた。巨漢は血を吐いて倒れて絶命した。矢を射たのは勝秀だった。そして勝秀とその家臣たちは首切り人たちの前に立ちはだかった。

「かかれぇ!」

「「オオオッ!」」

 勝秀はそう下命しながらも自分の矢で死んだ男を見た。ゴクリと唾を飲んだ。

「童貞を捨てましたな殿」

 つまり初めて敵を殺したと云うことだ。傍らに寄り添っていた勝秀重臣の毛受尊照(毛受茂左衛門嫡男)が言った。

「しかし馬で駆けながら矢で射殺するとは若殿もやりますな」

「うん、無我夢中だったが上手い具合に当たって良かった」

 勝秀の隊は寄せる首切り人たちを蹴散らした。

「よし、ご妻女たちの綱を切ろう」

「はっ!」

 女たちを縛る綱は勝秀たちによって斬り解かれた。駒姫の綱を脇差で切る勝秀、

「恐かったでしょう、もう大丈夫です、我ら柴田軍が貴女方の安全を保証いたします」

 父親と比肩する美男と言われた勝秀、勇敢な美少年にウットリする秀次妻女たち。命が助かり、脱力して倒れる駒姫。

「おっと」

 勝秀が抱きとめた。

「ありがとうございます…」

「なんの」

 ぶっきらぼうに返した勝秀。その勝秀のもとに忍びたちがやってきた。

「若殿、妻女たちは我々藤林が守ります。初陣、思う存分にお働きを!」

「うん、頼むぞ!」

 家臣を率いて戦いに向かう勝秀の背中を駒姫は忘れることが出来なかった。そして野村可和も無事に妹ふみを救出した。ふみは嬉しくて涙が出てきた。

「あんちゃん!」

 ふみを見つけた可和は死に怯えていた妹を抱きしめた。

「もう大丈夫だぞ」

「あんちゃん!ありがとう…!」

 刑場を警護していた番兵と首切り人は雲の子を散らすように敗走、執行官である石田三成と増田長盛が残った。

「治部殿、我らも逃げねば越前に殺されるぞ!」

「お先に逃げられよ」

 長盛も逃げ出した。馬上の明家と静かに立つ三成が見つめあう。個人的にはよくやってくれたと思う三成。しかし…明らかにこれは秀吉に対する謀反である。さっきまでの喧騒が嘘のように静かだった。

「どういうつもりか越前守!」

 初めて明家を呼び捨てにした三成。

「見ての通りだ」

「……」

「見たまま太閤殿下に伝えよ」

「殿下の怒りは凄まじいものとなりましょうぞ!」

「覚悟のうえだ。ああ治部」

 ふところから封書を出した明家。

「殿下への上奏書だ。おりをみて渡してくれ」

 馬丁が明家の文を受け取り、三成に渡した。

「読んでもいいぞ」

「かようなことはいたしませぬ。お渡しいたす」

 明家に報告が入った。

「殿、関白殿下妻子、すべてお連れする用意整いました」

「よし舞鶴に退くぞ」

「はっ」

「全軍、舞鶴へと向かう!」

「「ははっ!」」

 三成の顔を見つめる勝秀。その勝秀に三成が言った。

「これが父上の背中から学んだ…その答えか」

「はい」

「そうか、では何も言うことはない。さあ早く行け、置いていかれるぞ!」

 勝秀は三成にペコリと頭を垂れて走り去った。三成はフッと笑った。

(ようやった。もうお前を『隆広様の息子』などとは言えんな)

 柴田軍は秀次一族をすべて救出して風のように三条河原を去っていった。大勝利である。

 

 当然、秀吉はこれを聞いて激怒した。聞くや立ち上がり肘掛けを蹴り飛ばし、三成と長盛を激しく叱責した。しかし豊臣の屋台骨を支える行政官二人を斬るわけにもいかない。

「すぐに越前をここに連れて来い!彼奴も秀次と謀反を起こす気であったのだ!」

 と、激しく厳命した。怒りのあまり肩で息をし、そして言った。

「越前め…!儂に対する当て付けか!!」

 その秀吉に一人の使い番が来て耳打ちした。それを聞くや傍らにいた前田利家を睨み付けた。

「又佐!」

「何か」

「伏見と大坂の越前が屋敷はもぬけの殻じゃ!前田家が脱出させて舞鶴へ向かったと聞くが事実か!」

「事実にござる」

 三成は驚いた。明家は前田を味方にしていた。悪びれずに答える利家に秀吉は激怒。

「又佐、おのれも謀反をするか!」

「あっはははは!」

「何がおかしいか!」

「見損なうな秀吉、お前を討つなら戦場で堂々とやるわ」

「なんじゃと…!」

「越前には『大坂と伏見の屋敷にいる柴田の女子供を舞鶴まで安全に連れて行ってほしい』と頼まれただけ。刑場荒らしをするなんて聞いておらんわ」

「恐れながら大納言様、答えになっておりませぬ」

 と、石田三成。

「答えになろうがなるまいが、それが事実だ」

 前田利家はスッと立ち上がった。

「どうするのだ秀吉、越前を討つのか?」

「又佐…」

「だが儂を殺してからやれ」

「又佐衛門…!」

「げにも晩節をまっとうするのは難しきものよ」

 そして立ち去った。秀吉はペタンと脱力して座った。三成は戦慄した。

(柴田と前田が組めば豊臣は終わりだ…!)

 たんに二人の大老を相手にするだけでは済まない。柴田と前田が組んで秀吉に牙を剥けばどうなるか。豊臣政権に不満を持つ諸大名がすべて柴田と前田につく。その大軍勢を不敗の柴田明家が指揮をすればどうなるか、大坂城に篭るも、その大坂城を築城したのは明家である。蟻の一穴の一つや二つ知っていることだってありうる。

(豊臣は勝てない…!)

 三成は秀吉を見た。秀吉は呆然とし

「竜之介と又佐が…儂を殺しにくる…」

 と、視線を中に泳がせていた。

「親父様…」

 ハッと気付いた三成、明家から秀吉に渡してくれと頼まれた上奏書。そういえば『読んでも良い』と言っていた。あれは暗にお前が読めと言っていたのかと三成は察し、上奏書を広げた。短い内容だった。

『越前は帰国後にご下命に従い、朝鮮に出陣いたす』

 これで三成はすべてを悟った。謀反はするが、また一方で下命に従い出陣する。明家は秀吉に免罪を要求しているのだ。謀反を無かったことにしてくれと言っている。何と虫がいいことを。しかし現実それを飲まざるを得ない。秀吉が明家を許せば話は驚くほどにあっさり終わる。だがあくまで許さなければ、柴田と前田の本物の謀反を誘発し豊臣は滅ぶ。

「その工作を俺にせよと…!殿下に柴田の免罪をさせるようことを運べと言うのか…!石田三成を何だと思っている!もう俺は貴方の家臣ではないのですぞ!」

 上奏書を握り、肩を震わす三成。だが…。

「しかし選択の余地は無い…。相変わらず見事な仕事ですな隆広様…」

 フッと笑い、三成は腹を括った。



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三成の賭け

 柴田明家が三条河原に攻め込み、関白秀次の一族を救出して領国の舞鶴へと連れて行ってしまった。大坂と伏見の屋敷から家族を逃がしていた明家の差配は妹の茶々、初、江与の元にも及んだ。二の妹の初は兄の謀反を聞いた時は我が耳を疑った。そんなことをすれば我ら三姉妹がどうなるか兄なら分かっていたはず。しかし初は

「いや兄を怨むまい。関白殿下の妻子を助けたのは正しい。柴田越前が妹として見苦しい振る舞いは出来ぬ。ならば堂々としていよう」

 そう腹を括った。そして良人の京極高次の裁きを待った。だが高次は何も言わない。兄の謀反を知らないのかと思い、それを聞くと

「ああ、知っているぞ。よくやったよなあ、さすが義兄上だ」

 当たり前だが高次は知っていた。そして義兄を讃えた。驚く初。

「む、謀反をしたのですよ。妹の私にも、はては京極家にも累が及べば!」

「それなら儂は義兄上について戦う」

「ええ!」

「もう太閤殿下など知らん。老いた駄馬より不敗の名将に賭けるわ」

「殿…」

「越前殿から謀反後にすぐに文が来た。初が手に余るというのなら実家の当方にお返しを、とな」

「……」

「やってくれる。それでハイそうですか、と返せば笑いものではないか。あっははは!」

「殿…。ありがとう!」

(何より、そなたを悲しませたくはないでな…)

 最後の言葉は照れくさいのか発しなかった高次であった。

 

 そして徳川家康の屋敷、良人の秀忠と話す江与。

「いやあ義兄上はやってくれたな。日ごろの鬱憤が一気に消えたわ!わはははは!」

「そんなのんきなことを言っている場合ではありません。太閤は私を…」

「心配するな。謀反後に義兄上から文が来てな。『どうか江与を守ってくだされ』と来た。そうまで言われては引き受けるしかない。六つ年下の亭主とてやる時はやるぞ。安心せよ」

 同じ義弟でも京極高次と徳川秀忠と書面の内容が違う。それぞれの器量や性格を分かったうえで出していたのだろう。

「よう言った」

「これは父上」

「義父上様」

 家康が入ってきた。秀忠と江与はかしずき控えた。

「江与、太閤殿下がどう言おうとそなたを渡さぬ。安心して秀忠と子作りに励め」

「義父上様ったら…(ポッ)」

「しかしやりおったなァ。諸大名は無論、庶民に至るまで拍手喝さいをしている。光秀の謀反とは大違いじゃ」

「義父上様、兄はどうなりましょう」

「おおむね、あの男の筋書き通りであろうな。むしろ追い詰められているのは太閤殿下であろう」

「柴田と前田が大挙して大坂に攻め入るともっぱらの噂です」

「越前と大納言(利家)はそんな短慮者ではないわ。例えて言うなら、あの竹中半兵衛がやった稲葉山城のっとりのようなもの。殿下に少し脅しをかけただけじゃ」

「なるほど」

「今に自然と収まるであろうよ」

 

「茶々姫様、兄上の下命どおり、早く大坂城を退去して下さいませ。この大野の手勢が舞鶴まで無事に届けまする!」

「だめです」

「何故ですか!ここにいたら殿下に殺されますぞ!」

 大野治長は秀吉の直臣であるが、元柴田勝家の小姓であり、丸岡城の篭城戦では明家の元で戦っていた。その後に茶々に随行して秀吉に仕えているが、いまだ柴田家や明家に対する気持ちは強い。茶々の大坂城退去を内々に明家から頼まれていた治長。だが茶々は動こうとしない。

「初と江与には適切な手を打った兄上ですが、私に対しては少々計算を間違えたようです。私が逃げたら太閤殿下はいよいよ兄と戦おうとするでしょう。そうさせてはならぬゆえ、私が命乞いしなければ」

「姫…」

(今はまだ時期が悪い。本格的に豊臣を乗っ取るのであれば太閤が死んでからでなければ成功はおぼつかない)

「姫は越前殿がされたことを迷惑にとお思いですか」

「カンイチ(治長)は不快なのですか」

「い、いや、ありていに申せば胸がスカッといたしました」

「ここだけの話だけですけどね。うふ、私もです」

 久しぶりに見る嘘のない茶々の笑顔だった。

 

 同じく山内一豊の伏見屋敷。すでに明家の刑場荒らしの知らせは届いていた。

「やってくれたわ越前殿」

「さすがでございますね」

 一豊と千代の夫婦は明家を讃えた。

「千代、言っておく。もし豊臣と柴田が戦になったら儂は柴田につく」

「だんな様…」

「六万石の大名に取り立ててくれた太閤殿下には感謝しておる。しかし儂は越前殿との友情を取る。儂は秀次様の宿老、本来は儂がしなければならんことを越前殿はやってくれた。主君を死に追いやった殿下に尻尾を振り友を討ち生きながらえるより、友情に殉じて戦い抜いた方が、少なくとも儂の子孫は喜ぶであろう」

 千代は満面の笑顔を浮かべて頷いた。

「殉じてだなんて!知恵者の越前殿と槍の使い手の山内伊右衛門が組めば鬼に金棒でございます!勝てるかもしれませんぞ!」

「つまり儂は無学者と云うことか?」

「ま、子供みたいにお拗ねになって!」

 一豊と千代は笑いあった。

 

 仙石秀久の伏見屋敷。秀久は二人の息子の前で頭を抱えていた。

「弱った、ああ弱った…」

「しかし父上、いずれ旗幟はハッキリしておかないと」

 と、息子の秀範。その弟の久政も頷いた。

「豊臣につけば姫蝶が泣く、柴田につけば戸次川の大失策さえ許してくれた殿下への不忠となる。ああ選べぬ、俺には選べぬぞ」

 秀久は末娘の姫蝶を溺愛していた。

「父上、豊臣に加わっても五万石の微々たる戦力で軽視されましょうが、柴田なら世継ぎの正室が我らの妹にございます。重みが違いましょう」

「理屈はそうだが、十六の頃からお仕えしている殿下を見捨てるのはな…」

「しかし父上」

「もう少し様子を見るしかない。いよいよになったら決断する。母上にもそう言ってあるゆえ、しばし待て」

「「はっ」」

(本当に困ったことをしてくれたわ。まあ信長様にも公然と楯突いた越前殿ゆえ、らしいといえばらしいが…)

 迷いに迷う秀久だが、娘の姫蝶が言うように少し嬉しい。

(さて、どうなることやら)

 

 九戸政実はすでに隠居し、息子の行実に家督を譲っていた。その行実の妻は柴田明家の娘の鏡姫である。伏見の九戸屋敷は騒然としていたが、行実はすぐに豊臣と柴田が戦えば九戸は柴田に付くと明言した。妻の鏡にも舅殿につくと約束した。

「国許にいる父上は舅殿の謀反を知らないが、同じ決断をされるだろう」

「殿…」

「九戸があるのも舅殿のおかげだ。地獄の底まで舅殿に付き合うつもりだ」

「ありがとう…殿、大好き!」

 母親と同じようなことを言っている鏡。

「しかしまあ…それは戦が避けられなくなった最悪の事態の場合だ。舅殿は勝算のない戦いはしない方だ。戦を避けるべく何か手を打っていると思う」

「鏡もそう思います…。父は好んで戦を仕掛ける方ではありません」

「でも今の我らにその助力をする術はない。とにかく万一に備えて国許にいる父上に兵を出していただこう。ことが起こってから九戸城に出兵を要望しても遅いからな」

 

 さて、ここは舞鶴城。豊臣秀次の正室、一の台が明家に礼を述べていた。

「越前守様…我ら感謝の言葉もございませぬ」

 明家は刑場荒らしのあと一行を連れて居城の丹後舞鶴城まで一気に向かった。山中鹿介の忍びである羅刹衆が露払いを終えており、先導を果たした。大坂と伏見の屋敷にいる女子供も前田家に護衛され、さえや姫蝶も無事舞鶴に到着した。

 明家は秀次妻女たちの実家に救出した旨を伝え、舞鶴に迎えに来るように通達した。妻女たちの実家は歓喜して、すぐに迎えの使者を送った。明家が秀吉に謀反したことなど眼中にない。それほど彼女たちの親たちは嬉しかったのだ。

 秀次の息子は良き武士となれるよう柴田家が養育し、娘たちには良い男児と娶わせると約束した明家。秀次妻女たちがどれだけ明家に感謝したか言うまでもない。秀次の正室一の台は、女たちを代表して明家に礼を述べていた。

「いえいえ、人として当然のこと。礼には及びません。それから駒姫殿」

「はい」

 当年十五歳の駒姫。花も恥らう美しさであった。彼女は奥州の雄、最上義光の娘だった。父の義光が溺愛している娘で、秀次に召し出されるときは別れを惜しんで涙したほどだった。

 秀次に連座して処刑されると聞き、義光はあらゆる方面に手をつくしたが結局かなわず失意のどん底にあった。それが助け出された。父の義光の感激たるや言葉につくせぬほどだった。

 で、その駒姫は明家の横にいる少年をウットリとして見ていた。明家嫡男の勝秀、彼女を殺そうとした首切り人を射殺したのは彼で、その後も敵から守ってくれた。その凛々しい背中に完全に心を奪われてしまった。秀次の側室とはいえ、彼女はまだ秀次の元へと上がっていない。山形から京に来て最上屋敷で旅の疲れを癒している時に秀次は処刑されている。まだ男を知らない美少女であり、それがこんな劇的な救出をされたのである。自分を助けてくれた同じ歳の美男子に心を奪われるのも仕方ない。しかし勝秀はそんな駒姫の視線に全然気付かない。こういうところも父親譲りらしい。惚けている駒姫に気付いた明家。

「話を聞いておられるのかな駒姫殿」

「あ、は、はい!すみませぬ、何でございましょう?」

「具合でも悪いのでござるか?」

 勝秀が訊ねた。もう恥ずかしくてたまらない駒姫は顔を赤めた。

「だ、だ、大丈夫でしゅ」

 明家と勝秀は『?』と顔を見合ったが、明家が続けた。

「すでに出羽酒田から舞鶴に向けて迎えの船が向かっているとのこと。明後日には舞鶴に着きましょう。生まれ故郷に帰るが宜しかろう」

「あ、ありがとうございます!母上と父上に会えるのですね!」

「そうですとも、ご父母は娘の帰り、さぞ首を長くして待っていましょう」

「ああ、早く母上と父上に会いとうございます!」

「なんとお礼を申したら…!我らに取って越前守様は神仏の化身にございます…!」

 明家を生き仏のように拝む一の台。

「いえ…ご最期の時、命を捨てて太閤殿下に訴えた関白殿下のことを伝え聞き、今まで保身ばかり考えて太閤殿下の顔色ばかり伺う自分に恥じ、せめて妻子をお助けして…関白殿下に報いたかったのでございます」

「越前守様…」

 彼女は朝廷で右大臣を勤める菊亭晴季の娘だった。菊亭晴季は明家の義挙に涙を流して感謝した。後にこれが理由で菊亭晴季は柴田家のため、あることに尽力することになる。それが柴田家存亡も救うことにもなるのだ。

 

 柴田明家の刑場荒らし、これは奥村助右衛門も驚いた。前田慶次はただ大笑いしただけであったが。

「なぜ我らに一言も相談もなく!」

 と明家に激しく抗議。無理もない。完全な豊臣家への謀反なのだから。

「鹿介もついていたのに、なぜお止めしなかったのだ!」

「いや面目ござらん、殿の目がもう止められる段階の覇気ではなかったので…」

 そりゃそうだろうな、と思う助右衛門。明家も頭を掻きながら助右衛門に詫びた。

「いや、すまん。急なことで舞鶴まで使いを出すゆとりが無かったのだ」

「だからと申して…」

 頭を抱える助右衛門。

「まあ良いではないか助右衛門、我らはこういう殿に惚れて今まで一緒にいたのであるから。なるようになるだろ」

「気楽なことを言うな慶次!しかしまあ…やってしまったことは仕方ありませんな」

 意外にあっさりしている助右衛門。内心よくやったと思っているのだろう。

「しかし殿、早晩太閤殿下から申し開きをしに来いと使いが来るでしょう。それはどうなさいますか?」

「使者と会うには会うが伏見には行かない」

「は?」

「忘れたのか、我らは朝鮮に合戦をしにいかなくてはならない」

 驚く助右衛門。

「謀反しておいて、ご下命の通り朝鮮に行くと?」

「奥村殿、太閤の下命に従うには従い朝鮮に行くと言うのだから伏見に行かない理由にもなるし、軍備している言い訳にもなるではないか」

「馬鹿な鹿介、そんなものはどうでもいいからやってこいと言うに決まっているぞ」

「それは無視する。とにかく伏見には行かない」

「殿…」

「ここで弱みを見せられない」

「そうだな、むしろ『来るなら来い』と言わんばかりのほうが良い。叔父御(利家)がおられるゆえ軍勢が朝鮮に行ってもこの国が攻められることもない。この状況で下手に出れば柴田はなめられる。強気で行った方がいいだろう」

 と、前田慶次。

「ふむ…。慶次の言うことも道理だな。一度下手に出れば、嵩にかかって潰されよう」

 今回の刑場荒らし。いざとなったら柴田は噛み付くぞと云う気概を秀吉に示すだけで十分有益である。『狡兎捕らえて走狗煮られる』を柴田にやろうとすればどうなるか、それを秀吉に理解させることができるのだ。かつて織田信長にさえ逆らった柴田明家である。従順であってもその内面には理不尽には絶対に服従しない顔をもっていると秀吉に知らしめた。刑場荒らしを最終的に秀吉に許させることが目的である以上、明家はその瞬間まで強気の姿勢を崩すわけには行かない。

「では今までどおり唐入りの準備を進めてくれ」

「「ははっ」」

 

 ところで救出した者の中には明家個人と縁のある女もいた。明家十歳の時に金山城下で巡り合った、ふみと云う少女。長じて森長可の側室となり、長可亡き後には羽柴秀次の側室となっていた。羽柴秀次謀反の連座の罪で処刑されるところを間一髪で柴田軍に助けられた。

 舞鶴城内に用意された彼女の部屋を訪れた明家。ふみの兄の鮎助こと野村可和も部屋の中にいた。明家に平伏する可和とふみ。

「なんだ他人行儀するな、ここには我らしかおらんぞ」

 そう言って座る明家。

「金山に帰るそうだな鮎助」

「うん、伏見に行ったのもふみを助けるためだ。もうその用事も済んだし戻る」

「あんちゃん…」

「うん?」

「私…金山に帰りたくない…」

「え?」

「また知らない男に嫁げと森家に命じられる。もうイヤなの、武士の妻は!」

「じゃ、じゃあ長可様と関白殿下の菩提を弔い尼僧になればそんなことも…」

「それも嫌だ。亭主に先立たれたら操を立てて尼になる。何でそうならなくてはならないの。元々私は百姓の娘。そんな武士の妻の慣例に囚われる気はない」

「じゃあどうするんだ、金山に帰らないでどうやって暮らすんだよ」

「そうだ!!」

 ふみと可和は明家に向いた。話の腰を折って、と可和は迷惑顔だ。

「そんな顔するな。いいこと思いついた」

「なに?竜之介さん」

「実は五ヶ月ほど前、城下に温泉の源泉が見つかったと報告が入ってな。俺も何度か行ったが疲れが取れてとても良い温泉なんだ」

「「…?…?」」

「ついては柴田家が運営する温泉宿を建てることにして現在建築中だ。宴会大広間もあれば、旅人もたくさん泊まれる大きな宿だ」

「竜之介さん、何の話しているの?」

「最後まで聞け。で、その温泉宿、そのまんま『舞鶴温泉』と命名したが、その宿の女将を誰にするか人選に迷っていたが決めた。ふみお前がやれ」

「ええ!」

「ここ数日ふみと話して分かった。苦労してきたのか、ずいぶんとしっかりして腰の据わった女になっていた。しかも算盤に長けているらしいじゃないか。側室でありながら森家や関白家の台所を切り盛りしていたと聞いている。大きい宿の女将にピッタリだ」

「別にそんな…」

「売り上げの三割を当家に献上してくれれば経営は全部任せる」

「わ、私で良いの?竜之介さん」

「ああ、ただし」

「え?」

「そこには俺専用の部屋もある。妻を連れて行くこともあろうが、時に一人で行く。その夜はふみと過ごしたいな」

 ふみは顔を赤めた。一夜を過ごすと云うことは…。

「おいおい、兄の前で」

 苦笑する可和。

「面白そうじゃないかふみ、やってみろよ」

「うん!やってみるよあんちゃん!あの…お、お殿様」

「え?」

「お一人でいらっしゃる時は事前に連絡ください。精のつく夕餉をご用意して…は、恥ずかしい!」

 顔を真っ赤にして両手で覆うふみ。気の早いことだなと可和と明家は苦笑した。

 

◆  ◆  ◆

 

 明家は刑場荒らしなどなかったかのように出陣準備を整えていた。その準備中、工兵隊頭領の鳶吉が要談を求めたので明家は会った。

「以上が先の文禄年間での朝鮮での戦を鑑み、必要な資材の数量かと存じます」

 鳶吉が提出した必要資材とその数量を網羅した報告書を見る明家。

「文禄の時のおよそ倍だな。的を射ている計算だ」

 報告書に花押を記入した明家。

「分かった、商人司の直賢に通達しておくゆえ資金を受け取るがいい。何とか出陣まで揃えよ」

「はっ」

「話は変わるが辰五郎はどうしている?」

「はい、若い職人に技術を教える毎日に充実しておられる様子です」

「そうかぁ、辰五郎は七十近いのにすごいな」

「私も親方のような老後を送ろうと健康に色々と気遣っておりますよ」

「ところで…」

「…?はい」

「しづは…元気か?」

「ええ、一応…」

「嫁ぎ先はまだ決まらないのか?」

 鳶吉は首を振った。

「嫁には行かないと。しづは…」

 言いづらそうだった。

「かまわない、何と言ったんだ?」

「男なんて信用できないと…」

 肩を落とす明家。鳶吉の娘であるしづを明家が無理やり手篭めにしてから時は経っているが、幼い頃から思慕していた明家に裏切られたしづの心の傷はいまだ癒えておらず、そして明家を許してはいなかった。

「すまん、そなたの娘の一生を俺は目茶苦茶にしてしまった…。もうそなたには孫がいてもいい頃なのに、本当に申し訳ない…。それなのにそなたは俺によく仕えてくれている。どう報いてよいのか…」

「…殿、私は工兵ゆえ武勲は立てられません。しかしもし、私の長年の働きを見込んで下さるのであれば…」

「うん」

「…しづを…側室にして下さいませんか」

「そ、そりゃあそうしたいのは山々なのだが、しづが受け入れるとは思えない」

「それを何とかするのが男でござろう。私や女房も出来るだけのことはしますから」

「みよは何と?」

 みよとは鳶吉の妻で、つまりしづの母である。

「『殿に男の責任を取ってもらうしかない』と」

 明家は腹を括った。まったくみよの言うとおり。

「よし、朝鮮から帰ってきたら、しづを口説き落としてみる!」

「おお殿!その意気その意気!」

 

 軍備が順調に整っていく柴田軍。そんなころ秀吉から詰問の使者としてやってきた増田長盛はその準備を大坂に攻め入る準備と見た。そして舞鶴城で明家と会った。

「ご謀反、明らかですな」

「何の話だか分からないが」

「あの物々しい軍備、あれで大坂を攻める所存でござろう!」

「あっははは、右衛門少(長盛)、我ら柴田は太閤殿下に朝鮮へ行き合戦せよと命じられているではないか。その準備をしているだけでござるぞ」

「ではあの刑場荒らしは何の真似でござるか!」

「ああ、そんなこともやりましたな」

「刑場にいた者たちは太閤殿下直属の兵ですぞ!それを討ち罪人を強奪するとは謀反以外のなにものでもない!」

「あれが殿下直属兵?あっははは!」

「何が可笑しいのでござるか!」

「いやぁ、それがしあんまり弱いので、どこぞのならず者とばかり思っていましたがな」

「なんと…!」

「それに女子供は国の根本、まして関白殿下の奥方たちは美女ばかり。美しい女は国の宝。殺すのではなく愛でるもの。柴田の気風は尚武もありますが、女子を慈しむ騎士道もございましてな。それがしはならず者から国の宝を取り返しただけでござるよ。あっははは!」

「越前殿!」

「とにかく、遠路申し訳なかったですが、それがしには軍備の指揮がござるゆえ忙しい。お引き取りを」

「越前殿、まだ間に合う!関白殿下の妻子を渡されよ!」

「断る」

「越前殿!」

「無理を言われては困る。大半実家に帰し申した」

「なにを…!」

「まだ丹後に数名いるが、無論渡さぬ。どうしても取り返したくば攻め寄せて参られよ。俺の目の黒いうちは断じて渡さん」

 長盛は立ち去ろうとする明家の着物を掴んだ。

「それがしも子供の使いではない。今の態度を太閤殿下に申し上げて良いのでござるな!」

「ご随意に。柴田武士の槍の味、堪能したければいつでもお相手いたす」

 そう言うや長盛の手を扇子で叩き落した。

「ご使者がお帰りだ。城門までお送りもうせ」

「はっ!」

 明家の目は明らかに『来るなら来い』と示していた。明家は完全に秀吉の召し出しを無視した。秀吉は長盛の報告を聞いて激怒。

「おのれ越前…。攻めて来いとはようもぬかしよったな!!」

 秀吉の天下統一以後、ここまで毅然と逆らった家臣はいない。当時の秀吉は今では考えられないほどの絶対君主である。誰もがその威光に逆らえなかった。だが柴田明家は逆らった。秀吉の怒りはすさまじいものであった。だが…

「勝てますかな」

 徳川家康が静かに言った。

「なに?」

「豊臣は越前に勝てますかな」

「どういう意味か?」

「今は朝鮮と九州名護屋に豊臣の軍勢は集結しております。我ら徳川の軍も関東にあり、大坂には千五百ほどの兵しかおりませぬ。何より…」

「何より?」

「前田利家殿もついているのでは…」

「又佐(利家)が完全に越前に付くと申すのか!!」

「つきましょう。柴田と前田が本気で組めば十分に勝機はございますゆえ」

「……」

「いや前田だけでは済みますまい。色々と人望もありまする。長宗我部、十河、九戸、秀次殿の旧臣たち、加えて今回娘を助けられた大名もつきましょう。それが野戦で負けたことのない越前の采配で動けば、はてさて今の豊臣で退けられるかどうか…」

「徳川殿はどうされるつもりか」

「それがしは殿下や越前と違い戦下手。徳川が殿下についても戦況に大した変わりはございますまい」

「……」

「それとも朝鮮に軍勢が向かい、手薄になった丹後若狭を落としまするか?まあ前田殿が弓矢にかけても阻止しましょうがな。何にせよ越前を敵とすれば豊臣は割れ、倒したとしても相当な犠牲は覚悟せねばなりますまい」

「どうせよと言うのだ」

「簡単なこと、お許しあればそれで済みまする」

「許せだと?謀反を起こしたものを唐入りがあるからと申せ帳消しにせよと?」

「はて、かつて伊達の明らかな謀反も見てみぬふりしたのは生かして使うほうが良いと殿下は思ったのでは?」

「あの時の伊達と越前の謀反は違う!伊達は裏に回って扇動しただけだが、越前は豊臣に真正面から武装蜂起したではないか!」

「おそれながら、あの男は殿下と戦い、やっと統一されたこの国を乱世に誘うほど阿呆ではござらぬ」

 徳川家康はそれだけ言うと秀吉に一礼して去っていった。

「……」

「殿下、見せしめに大坂や伏見の柴田屋敷を焼き討ちしては」

 と、増田長盛。

「愚か者、怒りに任せて空き家を焼くなど笑いものじゃ」

「しかしこのままでは」

「無論済ます気はない」

「殿下」

「なんじゃ佐吉」

「さきの書状に『朝鮮に行く』とありましたように越前殿は謀反をしながら、一方で下命に従うと云うおかしなことをしています」

「つまり、儂に免罪を要望していると云うこと。そういうことだな?」

「御意…?」

「…?」

 石田三成と増田長盛は秀吉の変化に気付いた。つい昨日までは柴田と前田の連合軍が南下してくるのを恐れ、『茶々も越前が刺客だ』と疑い、会おうとしなかったほどの体たらく。

 しかし家康の言葉で何かが変わった。かつて自分より強い敵がいたときの秀吉とでも言おうか。権力の亡者となった陰険頑固な、自分の感情を抑制できない老いた駄馬でなくなっていたのだ。

「なんじゃ二人とも、儂の顔に何かついているか?」

「い、いえ…」

 秀吉は思案し、そして三成に訊ねた。

「佐吉」

「はい」

「ただで許せると思うのか」

「結果的には許さざるを…」

「そなたも今の豊臣では越前に勝てないと思うのか」

「…はい」

 つい昨日なら秀吉に斬られていたであろう返答、だが秀吉は静かだった。

「その心は?」

「前田は言うに及ばず、越前殿に恩義のある四国の長宗我部や十河、奥羽の九戸や最上もつきましょう。状況によっては九州の大友、立花、島津も。そうなってはかつて勝家様と袂を分けた金森長近殿もつき、愛娘の命を助けられた山内一豊殿、柴田家世継ぎの正室が娘である仙石秀久殿も、初姫様の嫁ぎ先である京極、江与姫様嫁ぎ先である徳川も!越前殿個人と親しい真田もつき、上杉の家宰である山城殿(直江兼続)と越前殿は同門の朋友!戦局優勢ならば必ず柴田につくべしと景勝殿を説得しましょう!そうなったらもう豊臣は終わりでございます!」

 苦悩する秀吉、悔しいが三成の言うとおりである。

「しかし、お許しあれば話はあっけなく終わりまする」

「……」

「殿下、寛大なご処置を豊臣家のために!」

 秀吉は腹を決めて言った。

「…分かった、越前を許そう」

「殿下!」

 増田長盛は反対の様子、しかし秀吉は手で制した。

「背に腹は返られぬとはまさにこのことだ。何と云う恐ろしい男となったのか越前は…!」

「殿下…」

「だが…どうやって許せば良いのだ」

「……」

「よもや『秀次妻子を殺すのは立場上泣く泣くやったのだ。よく儂の意を汲み取ってくれた』などの白々しい田舎芝居をせよなどと申すまいな!そんな許し方をしてみよ!儂が越前を恐れたと誰もが見るわ!豊臣の権威は失墜し、謀反が乱発するぞ!」

 暗に明家に工作を要望された三成、思案に思案を重ねてこの策に至り、秀吉に言った。

「今から申す策、お気に召さなんだら斬り捨てあれ」

「申してみよ」

「策と申すより、賭けでございます」

「いいから申せ」

「この謀反、殿下に免罪を要望していることで越前殿に野心がないことは明らか。単に惻隠の情から行ったことで亡き関白殿下に義を貫いただけであり、豊臣の天下の転覆を図ってのことではないと云うことです」

「それは認める」

「許すと同時に、それをこちらが証明させてやる必要がございます。それで初めて殿下が『単なる惻隠の情でやったこと。お前なりに義を通したまでのこと。今までの武勲に免じて許してやる』と上位で許すことができます」

「結論を急げ」

「はい、殿下に…本能寺の信長公になっていただきます」

「なんだと?」

「治部殿!?」

「どういうことじゃ?」

「丹後舞鶴の軍港から西へ最初にある但馬の軍港、その近くにある本性寺、ここで殿下が柴田の馬揃えをやるのです。ただし軍勢はなく、それがしと少しの供回りだけ」

「馬鹿な!まさに本能寺の変そのままではないか!殿下は間違いなく越前に討たれるぞ!」

「黙れ長盛、続けよ佐吉」

「そのとおり、本能寺の変そのままです。もし越前殿が謀反まことなら殿下は但馬本性寺で討たれます。しかし謀反の気持ちがなくばそのまま馬揃え。先の通り、笑って刑場荒らしを許してやることができます」

「自分の言っていることが分かっているのか治部少輔!殿下を死地に誘っているのだぞ!たとえ今の越前にその気がなくてもその状況を知れば、間違いなく日向(光秀)と同じことをしてくるぞ!」

「それならそれで、越前殿は明智光秀と云う『前者の覆轍』を何ら教訓としていなかった阿呆なだけ。明智光秀と同じ末路を辿るだけでござる」

「しかしかような危険な賭けを認めるわけには!」

「それがし、森蘭丸となり最後まで殿下につき従って戦い、そして果てる所存」

「貴殿の命と殿下のお命では釣り合いが」

「…面白い。その策、乗ろうではないか」

「殿下!」

 驚いた長盛。同時に秀吉が歓喜とも見える顔をしていることに気付いた。

「佐吉、見事な策よ。今日ほどそちを家臣にして良かったと思ったことはないわ」

「お、親父様」

「ねねも連れて行く、良いな」

「北政所様を!?」

「しばらく旅行に連れて行ってやらなかったからな。喜んでくれよう」

「親父様…」

「越前に使いを出せ。但馬本性寺にて馬揃えをいたす。儂の供の人数も正確に記せよ。彼奴ならすぐに本能寺の再現と気付こう。どんな顔をするか見ものじゃな」

 秀吉は力強く立ち上がった。今まで足腰も弱り、ふらふらと立っていたのが別人のようである。

(ふっははは、体に力が湧くわ。越前に礼を言わねばならんかな)

「佐吉、馬揃えの段取りをして日程の調整をせよ」

「はっ!」

「いま一度、本能寺じゃ!」

 

 朝鮮への出陣準備を終えた柴田軍、いよいよ九州名護屋城へと向かうこととなった。さあ船に乗り込もうと云う時だった。秀吉から使者が来て明家に書状を渡した。秀吉の文を読んでいるうち、明家は顔色が変わった。

「殿、太閤殿下は…」

 あぜんとしているので奥村助右衛門、

「御免」

 明家の手から文を取った。

「何と…」

 奥村助右衛門も驚いた。秀吉は明家に通達した。但馬の軍港ほど近くにある本性寺。秀吉は近習小姓のみを連れ本性寺を本陣とする。そこで柴田軍の馬揃えを行い、柴田将兵の督励をすると云うのである。明家と助右衛門はすぐに秀吉の意図を読み取った。秀吉が申し出てきた状況は本能寺の変そのものである。本性寺は城郭様式が整っておらず、防備はうすい。そこにわずかな供回りで泊まることを明家に明言してきたのである。

「討てる覚悟があるならやってみよと云うことか…!」



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浪花のことも夢のまた夢

 柴田明家の刑場荒らし以降、秀吉は茶々を疑い会おうとしなかったが、三成の懸案を採用し明家に本能寺の変の再現を仕掛けると決めた。自分が信長となり、明家が光秀の立場となる。明家の謀反が本物であるのなら確実に死ぬ。だがその死を覚悟した策が秀吉をある時間にまで戻した。自分より強い者がいた当時の木下藤吉郎・羽柴秀吉のころに。気持ちが高ぶる。こんな気持ちは久しぶりだ。今日は茶々を抱いてくれるとその寝所へと向かった。秀吉の寝所、そこに死に装束を着た茶々姫がいた。

「おお、どうしたのじゃ茶々、そんな格好で」

「殿下、なにとぞ兄をお許し下さい。お願いいたします」

 秀吉に平伏する茶々。

「…かような振る舞いは無用じゃ。許すことにしたわ」

「ほ、本当に!」

 顔を上げた茶々は気づいた。自分のうえに乗りだらしなく快楽に酔っていた男でなくなっている。何かが違う。だが覚えがある。小谷落城のときに茶々姫は秀吉に背負われて脱出した。あのころに見た秀吉の顔だ。

「だが、ただで許すわけにはいかん。豊臣の威厳そのままで許さねばならん。中々その匙加減が難しくてな」

「ただで…とは」

「今は教えられぬ。だが覚悟はしておけ」

「か、覚悟?」

「越前が本気で謀反をするのなら確実に成功する。儂は討たれるであろう。しかし主殺しに風は吹かない。明智光秀と同じ運命が兄に訪れると思え」

「え…?」

「言うことはそれだけだ。死に装束を脱いで今日はもう休むがいい」

 秀吉は寝所を出て行った。違う女に今日の血のたぎりを沈めてもらうつもりのようだ。

「どういうことであろう…」

 数日後、秀吉はねねと三成を連れて但馬本性寺へと向かった。

 

◆  ◆  ◆

 

 さて柴田明家、船中で重臣たちと話していた。

「太閤殿下も思い切ったことをしてきましたな…」

 と、前田慶次。

「…正直申せば、よしんば殿が豊臣と争うことになっても味方につく大名もいると思いましたが…この状況で太閤殿下を討っても明智が末路と同じになる。公然とした合戦ならば太閤殿下を討ったとて大義名分はどのようにもつけられる。しかしこれではただの主殺しとなる」

 苦笑する山中鹿介。

「殿、どうなさるおつもりか」

「どうするとは?助右衛門」

「太閤殿下に取って代わるならば、これは千載一遇の好機。鹿介の申すとおり主殺しとなりましょうが、足利尊氏のように天皇に攻め入っても結果天下を取った者はおりまする。現在太閤は無謀な外征をして諸大名に苦難を強いて人心も離れつつありまする。討った後に舵取りを誤らなければ十分に天下を狙えますぞ」

「奥村殿…?」

 鹿介は驚いた。普段冷静な助右衛門が明家をけしかけている。

「天下を取らせようと思えばこその…忠義でござる」

「ならば…俺は応えてやることは無理そうだ」

「殿…」

「反乱は反乱に過ぎない。我らの方針は『謀反はするが殿下にそれを許させる』である。その行程のなか、たまたま予期せぬ好機があったとはいえ、むやみにそれを変えてはならない」

「しかし好機あらば迅速にそれに対応するのも将の心得でござる」

「確かにな助右衛門。しかしこの好機、勝ちが確定している甘い果実であるが、同時に猛毒入りであることは明白だ。俺は食わない。豊臣秀吉を討つことはしない」

「やはり、そう選択されますか…」

「おいおい助右衛門、やはり、とはけしかけておきながら予想していたのか?」

「まあな。慶次、天下を取れる機会などそうないではないか。結果はどうなるかは知らんが賭けてみたいと思ってな。しかしなるほど反乱は反乱に過ぎないか、その通りだ」

「とにかく但馬に上陸と同時に本性寺に使いを出せ。馬揃えに参ると」

「「ははっ」」

 

 すでに本性寺に到着している秀吉、正室のねねも一緒に来ていた。

「のう、ねね」

「はい」

「越前が本当に謀反をするなら、儂はここで死ぬことになる」

「おやまあ、抜け目ないお前さまのことゆえ抜け道でも作らせてあると思いましたのに」

「治部はそのつもりであったらしいが、ならぬと伝えた。それでは未練と思ってな。最近、儂は寝小便もするほどに耄碌している。枯れ木のようになって死ぬより信長様と同じ最期で死ぬ方が良いわ。なんというかのう、本能寺にて炎の中で死んでいった信長様の最期の姿を思い浮かべると、まさに戦国の覇者の死に様と…変な話であるが、少し憧れていた。美しかったと思うのじゃ…」

「道連れになる私のことも考えて欲しいわねぇ」

「最期はそなたと一緒にいたいと思い連れてきた。勝手な亭主ですまん。いよいよとなったらおぬしは逃げよ、越前は女子を大事にするゆえ、絶対に殺さぬ」

「でしょうね、でもそれは未練。一緒に参ります」

「そうか、嬉しいわい」

「それよりお前さま、もし越前殿が攻めかかってきた時には信長様と同じく自身で弓と槍を持って戦わなければ。足腰大丈夫なの?」

「いざ戦が始まればしっかりとするわい。最期の最期に惚れ直させてやるわ」

 

 別室にいた三成とそれに仕える渡辺新之丞。三成が新之丞に言った。

「殿下にきつく止められてはいたが、抜け道は作ってある」

「はっ」

「柴田勢到着と同時に殿下を脱出させ、本性寺に火をかける」

「は…?」

「柴田に叛意なく馬揃えをする気でも、こちらで明智が役を押し付ける」

「殿…!」

「どうであれ太閤殿下に弓を引いた者は俺が許さん」

「では…殿の真意は本能寺ならぬ『本性寺の変』の柴田の不首尾と?」

「そうだ。つまり越前殿には太閤殿下を取り逃がしたうえ、本当の謀反をしでかしたと云う結果だけが残る。そうなれば越前殿は笑いものとなる。諸大名に対して求心力を一気に失うであろう。そうなればこっちのもの。豊臣で討てる」

「しかし旧主をかような悪辣な姦計にかけるとは…!」

「確かに越前殿は我が旧主、そして友である。しかし俺とて十九万石の大名、かように利用されて黙っていられようか」

「利用…」

「そう、越前殿はこたびの謀反の免罪を殿下にさせるため、俺を利用したのだ。元々豊臣政権下で柴田と石田は持ちつ持たれつやってきた。豊臣政権のための助力なら犬馬の労も厭わないが今回はどうか。下手すれば豊臣政権の滅亡の危機であった。これで越前殿の走狗となったような今回の我らの動き。俺は殿下の家臣か越前殿の家臣か分からなくなるではないか」

「仰せのとおりに」

「それに、こたびのことで旧主越前の恐ろしさを肌身で感じた。彼は豊臣を滅ぼせる力を持っている。この機会に除く」

 三成の使い番が来た。

「申し上げます」

「何だ」

「柴田越前守様、但馬の軍港に上陸し、当方に馬揃えに参られると使いがございました」

「分かった下がれ」

「いよいよ来ましたな…」

「うむ、殿下に伝えてまいる」

 三成は秀吉とねねのいる部屋に行った。

「申し上げます」

「入れ」

 ねねの膝枕を気持ち良さそうに堪能している秀吉。

「なんじゃ」

「殿下、越前殿が但馬に上陸しました。馬揃えに参ると申しております」

「分かった」

「では出迎えの準備をして…」

「佐吉」

 むくりと起き上がった秀吉。

「はっ」

「越前を甘く見るでない。ひとたび蜂起したら最後、蟻の這い出る隙間もないわ」

 秀吉は知ってか知らずか、かつて本能寺で明智光秀に包囲されたときの織田信長と同じことを言った。

「……!?」

 三成が内密で抜け道を作っていたことを秀吉はすでに知っていた。

「越前が攻めてきたら儂は自ら弓と槍を持ち戦い、そして死ぬ。邪魔をするでないぞ。分かったな」

「…はっ!」

「では出て行け。夫婦の時間を邪魔するな」

「はっ」

 立ち去った三成、そして静かに秀吉のいる部屋に振り向いた。

(間違いない、殿下はむしろ越前殿に討たれたがっている。それは死にたいのではなく、肉体の衰えを感じ己が身に死が迫っていると思い、病で枯れ木のごとく朽ち果てるより信長公と同じ最期で滅びたいのであろう…。だがそれだけは佐吉がさせませぬ。たとえ親父様に首を刎ねられようとも柴田軍到着と同時に脱出させまする。たとえ旧主水沢隆広を姦計で死に追いやったと云う悪名を歴史に残そうとも)

 

 明家は二度も使いを出して本性寺に攻め入る気はないことを暗に示した。しかし三成の心は

(そんなことをしても無駄ですぞ。門前に柴田勢が集結したその時、貴方は明智光秀となる!)

 と、あくまで明家に光秀の役を押し付けることに気持ちは変わらない。しばらくして本性寺の門前より

「開門!柴田越前守明家、馬揃えに参上しました!」

 明家が門前で名乗りをあげた。三成は驚いた。軍勢が来たにしては静かすぎる。軍勢の甲冑の音や馬のいななきがまるで聞こえない。急ぎ開門して三成が見た光景。

「越前殿…!」

 なんと柴田明家はたった一騎でやってきたのである。

「治部、そなた自ら出迎えとは嬉しい」

「…なぜ、一騎で!?」

「それを聞くなら軍勢はどうした?ではないのか治部」

 その返答で三成は悟った。読まれていたのである。最初の使い番が明家に報告へ戻り、石田三成も本性寺にいると云うことを明家は知った。すぐに明家は続けて二度使い番を派遣して本性寺に襲撃する意図はないことを徹底して伝えた。進軍も止めて幹部を集めた。

「ここから本性寺に俺一騎で行く。そなたらは俺の疾駆に調子を合わせて四半刻(三十分)後に本性寺に到着するように進軍せよ」

 家臣たちは明家の言っている意味が分からない。助右衛門が訊ねた。

「殿、それはどういうお考えによるものでござるか」

「このまま軍勢が本性寺に着けば、こちらが馬揃えを受ける気であっても治部が我らに謀反をふっかける。そして殿下をあらかじめ用意しておいた抜け道で脱出させる」

「な…!」

 絶句する助右衛門。三成の弟子である勝秀が言った。

「父上、それはいささか疑いすぎであるかと。治部殿は父上の元家臣ではございませぬか」

「あいつはもう俺の家臣ではない。豊臣秀吉のためなら鬼になる男だ。一度殿下に弓を引いた俺を許すとは思えない。たとえ殿下が許したとしても治部が俺を許さない」

「馬鹿な、それでは太閤を取り逃がしたうえ、ただ謀反をしただけと云う事実だけが残るではないか」

 と、山中鹿介。

「かような顛末となれば殿は笑いもの。諸大名も離れていき豊臣だけで討てる。いやぁ治部もやるものだ」

 苦笑する前田慶次。そして何よりそれを見抜いた明家がすごい。勝家時代には水魚の君臣であった明家と三成。それが命がけの知恵比べを繰り広げている。

「だから最初に俺だけ行く。そして俺の目の前に太閤殿下に御出でいただく。俺の前に殿下が来れば抜け道も使いようがない。そのあとにそなたらが到着し馬揃えと云うわけだ。俺が何とかそこまで運んでおく」

「得心いたした殿」

 と、助右衛門。

「よし、では俺は一足先に行く。あとは頼むぞ助右衛門」

「承知いたしました」

 本性寺門前で見つめあう明家と三成。

「…見抜いておられたか越前殿」

「長い付き合いだからな」

 そしてその時、

「来たか越前」

 秀吉がやってきて、明家と相対した。ここで三成の『柴田に明智の役をふっかける』と云う策は頓挫した。

「なんぞ小細工をしたようだな佐吉」

「は…」

「まあよい、儂を案じてのことだ」

 そして下馬してかしずく明家のところに歩いた。

「面をあげよ」

「はっ」

「なぜ儂を討たなかった」

「恐れながら殿下に挑むなら堂々戦場でまみえます」

「ふっははは、又佐と同じことを言いおって」

 一寸して柴田の馬印『金の御幣』が見え始め、明家の旗印である『歩の一文字』の旗が見えてきた。

「佐吉、用意した櫓を用意せよ」

「はっ!」

 三成はこの馬揃えのため秀吉が作らせた高さ五間(七メートル)ほどの高さの櫓を用意した。柴田軍は本性寺の門前に集結。秀吉はねねも呼んで一緒に櫓へ上がる。

「越前、采配せよ!」

「承知しました!」

 明家は馬に乗り軍勢に返し、

「柴田軍、これより太閤殿下の御前にて馬揃えを開始いたす!我が采配のもと、整然と陣を構えよ!」

「「オオオッ!!」」

「鶴翼の陣!」

 柴田軍は明家の采配一つで鶴翼の陣を布陣した。

「鶴翼を魚鱗に改める!かかれ!」

 備えと備えが衝突することもなく、迅速に陣替えが行われる。

「おお、なんちゅう美しさだ…」

 秀吉は惚けて見つめた。三成も見とれてしまった。高所から見るとよく分かる。柴田の陣立てはかくも美しい。

「美しいのう…。さすがは賤ヶ岳で儂を震え上がらせた柴田勢じゃ。権六殿もあの世でさぞ自慢しておろうな」

 涙ぐみながら秀吉は柴田軍の陣立てを見つめた。

「越前が我が息子であったらのう…。儂などとうに隠居して息子の脛をかじり、息子に頭の上がらぬ駄目親父でおられたのに…」

「お前さま…」

 息子を生んであげることが出来なかった申し訳なさよりも、豊臣が一代で終わることを誰よりも理解している良人秀吉の無念がねねに伝わった。

「佐吉よ…」

「はっ」

「彼奴は豊臣を倒せる力がある。倒せる力があると云うことは救う力もあると云うこと。儂亡き後は何かと頼りとせよ…。よいな」

「はい…!」

(その通りだ…。俺の謀略などまったく通じない。敵ではなく味方につけるべきだったのだ。今になってそんなことが分かるとは…)

 

 一通りの馬揃えを終え、秀吉は櫓をおり、柴田軍の隊列の間を閲兵するように歩いた。後ろにはねね、明家、三成が続いて歩く。今日の消防や警察である『通常点検』と呼ばれる部隊礼式と似ている閲兵方法である。秀吉は一人の若武者を見つけ、その者の前に歩いた。

「その方、名前は?」

「は、はい!柴田明家の次男、藤林隆茂と申します!」

「ほう…。では丸岡で馬に足を縛り付けて戦っていた越前の側室の…」

「はい、息子です!」

「藤林と云うことは…越前の諜報を担う家であるな」

「は、はい!一応…頭領でございます」

「初陣か?」

「はい!」

「そなたの母御は強かったぞ。とても足腰の利かぬくノ一とは思えなかった。両の手で必殺の苦無を投げるわ弓を射るわで、我ら羽柴は散々にやられたわ。その母御の武勇に父上の智慧、それを受け継ぐならば、きっと良き頭領となろう。父上と兄上をしっかりと補佐するのだぞ」

「はい!」

 隆茂の覇気ある返事に秀吉は微笑み、肩を力強く握った。再び櫓に戻った秀吉。そして、かつてあった覇気のごとく大喝をした。

「先日の三条河原の件であるが、これにて水に流す!」

「「……!」」

「本日、先の挙兵が野心あっての謀反ではないことがよう分かった!そなたらの大将の柴田越前は関白秀次の参謀を務めたことがあるゆえ、義によって助けたのであろう。儂に逆らってまで我が甥への義を貫いたこと天晴れである。罪は罪であるが、越前とそなたらの今までの多々の武勲に免じて許す。よいか!」

「「ハハッ!」」

「また先の挙兵において柴田勝秀は初陣ながら祖父修理亮(勝家)さながらの武勇であったと聞く!褒めてとらす!」

「はっ!」

 そしてさらに大きく響く声で言った。

「柴田が馬揃え、まこと見事じゃ!朝鮮の地に『歩の一文字』の旗を立てよ!」

「「ハハッ!!」」

「大義であった!」

「「ハハッ!!」」

 

 馬揃えは終わり、秀吉は本性寺の中に入っていった。そして部屋に戻り、

「ふう~」

 やれやれと腰を下ろした。

「お疲れ、お前さま」

「うん、良い汗をかいたわ」

 額ににじむ良人の汗を拭いてやるねね。

「ねえ、お前さま」

「ん?」

「お前さまは今日ここで死にたかったのね?」

「…そうじゃ」

「でも…越前殿はその誘いに乗らなかった」

「…そうじゃの、半分は安堵、半分は残念と云うところだ」

「安堵、それは命が助かったことではなく、越前殿を日向殿(光秀)と同じ末路を歩ませずに済んだ、と云う安堵ね?」

「まあ、そうじゃな。しかし死すべき時に死ねぬはつらきものよ」

「ここが死すべきところではないからじゃないの?」

「何を言うか、もう儂にやり残したことなどない。老醜さらして死ぬだけよ」

「その『老醜さらして死ぬ』ことそのものが、お前さまが最期にすべき仕事なのかもしれませぬよ」

「なぬ?」

「お前さまの最期が無様であればあるほど『儂はこんな死に方はしたくない』と…後に続く者が励むでしょうから」

「はっははは、さすが儂のおかかよ、良いことを言うわ」

「当然」

「ありがとうよ、ねね」

「また、ここまでやってきたのは無駄骨ではございません。ここ最近のお前さまは感情を抑えきれておりませんでした。そんなお前さまが持つ権力と云う凶器。秀次殿はそれに伴い死んだようなものでしょう」

「うむ…」

「しかし、この本性寺に来てお前さまは死を覚悟し、それが逆に心を落ち着かせるようになったと思います。お前さまは天下を取って後、陰険頑固な権力の亡者ともなりましたが、ここではかつてねねが大好きであった木下藤吉郎の顔があります」

「そうか」

「穏やかな水面のような気持ちである今、とことん越前殿と話された方が良いと思いますよ」

「とことん話すと申しても越前はもう但馬の軍港に戻るであろうが」

「いいえ、私が治部にお招きするよう伝えておきました。秀吉が茶を手向けたいと」

「でかした」

「でしょう」

 

 柴田軍は但馬の軍港に引き返しだした。

「ずるいぞ鈴之介(隆茂)だけ言葉をかけてもらえるなんて」

「兄上こそ殿下に初陣をみんなの前で褒めてもらえたではないですか」

「うん、まあな」

 明家の長男と次男はまだ顔を紅潮させている。よほど嬉しかったようだ。

「勝秀、隆茂、よかったな。二人とも今日の感動を忘れるなよ」

「「はい!」」

「それにしても…太閤殿下がすずのことまで知っていたとはなあ…。まあ確かに丸岡では凄まじかったからなァすずは」

「母上が褒められて嬉しかった!」

「すずに良い土産話が出来た。さて、そなたらはそろそろ港へ行く準備をせよ」

「父上は?」

 と、勝秀。

「太閤殿下と治部に挨拶をしてから参る。そなたらは先に港へ行け」

「「はい!」」

 勝秀と隆茂は自分の部隊へと走っていった。本性寺に入ろうとした明家の元に三成が歩いてきた。

「越前殿」

「治部」

 つい先刻まで食うか食われるかの知恵比べをしていた両雄であるが、ごく自然に接する。

「いや、それがしの負けにございます」

「なんの、久しぶりに薄氷を踏む思いの知恵比べが出来て嬉しい」

 笑いあう二人。

「大きい声では言えませぬが…感謝してございます」

「え?」

「もうお気づきでしょうが殿下は戻りました。中国大返しのころに」

「確かにこの頃の殿下とは別人だったな」

「突如、自分より強い男が現れた。だから殿下は戦人に戻れました」

「俺も子供のころに『おじちゃん』と呼んだ方に出会えて良かった。あの時のおじちゃんだったよ」

 明家と三成は再び笑いあった。

「そして、関白殿下の妻子をよくぞ救出してくれました。それがし外道にならずに済みましてございます」

 秀次妻子の処刑を反対したのに三成はその執行官に任命されてしまった。もし処刑が敢行されていたら秀吉も三成も人鬼と呼ばれていただろう。三成は個人的には明家に感謝していたのだ。

「おりを見て、丹後(勝秀)も褒めてやってくれないか。師匠に言ってもらえれば嬉しいだろう」

「承知いたしました。さて、越前殿」

「ん?」

「殿下が茶を手向けたいとお待ちです」

「そうか。ではいただこう」

「はい、茶室で待っておられます。ごゆるりと」

 

 秀吉は今日、明家に討たれるならそれも良いと思っていた。今さら死んだとて天下をまくらの野垂れ死に。老いさらばえた秀吉は信長の最期に憧憬を抱いていた。枯れ木のように朽ち果て死んでいくのなら、武将らしく思いっきり暴れて、それから炎の中で死ぬ。そんな最期ならむしろ望むところだった。

 そして明家が自分を討たなければ、確実に討てる機会がありながら、そうしなかったと諸侯に思わせることが出来る。秀吉はこれによって諸侯が納得できる許し方が出来るのである。

「殿下、柴田越前守様が参られました」

「通せ」

「はい」

「越前、参りましてございます」

「ふむ」

 茶室の中、二人だけである。せまい空間に行灯の灯りが心地よい。秀吉は茶を点てた。そして差し出す。明家は毒茶の心配などしないように飲んだ。

「毒入りだぞ」

「どうりで美味いはずです」

「こやつめ」

 秀吉と明家は笑いあった。

「しかし一時は肝をつぶした。儂が天下をとって以来、初めての反逆であったからのう」

「そうなります」

「だが治部の機知で事なきを得て良かったわ。お前に大坂へ攻め込まれたら悔しいが勝負にならなかった」

「勝負は時の運、そんなことはそれがしとて分かりませぬ」

「もしお前が立てば、前田利家や山内一豊がつく。お前に恩義のある最上や九戸もつくだろう。戦況によっては金森長近、長宗我部、伊達、十河、立花、大友、島津もつく。そうなったら儂にはもう手に負えん…」

「殿下…」

「お前に公然とした野戦に持ち込まれたら終わりであった。儂が負けて討ち死にするのはよい。だが豊臣が二つに分かれて戦をすれば、またこの国は乱世に逆戻りじゃ。だから今回、見ての通り一か八かの賭けに出たのだ。佐吉が抜け道を作ったのを見てみぬ振りをしていたのは儂以外の者を逃がすため。儂はここでお前に討たれて死ぬつもりだった。何より信長様と同じ形で討たれるのならそれも良いと思ってな」

「もし討ったとしても、それがしに日向殿(光秀)と同じ運命が待っていたのは明らかでした」

「お前が光秀になったとしたら、討つ儂の立場になるのは誰かのう」

「徳川殿でしょう」

「ふふ、同感じゃ。越前、儂が死んだら誰が天下人になるであろうかな」

「それも徳川殿と存じます」

『秀頼様』なんてお追従を言う男ではない。秀吉は気持ちが良いくらいだ。

 

「して、明家」

「はい」

 官位名で呼ばないことに個人的な用件に切り替わったことが分かる。

「ついでに儂がどうして唐入りに固執するか言おうと思う」

「はっ」

「最近のお前が見るように、儂はここのところ感情もうまく抑えられず老醜をさらしている。秀次はその犠牲になったものじゃ、今でも申し訳なさでいっぱいじゃ…。じゃが今日は…何か死を覚悟したゆえか気持ちがとても落ち着いている。だからお前と語り合いたい。長くなるぞ」

「お付き合いいたします」

「明家、お前は自身で交易もしたりして経済に明るい。交易をもって朝鮮や明と親交を結び、向こうの文化と利を得ようという考え、儂もそれは間違っていないと思う。だが合戦しか知らぬ大名たちがそんな発想を受け入れられると思うか?」

「しかし、それではいつまで経っても合戦はなくなりません」

「それよ」

「は?」

「その方の見識で気づいていないとは言わさんぞ。現在の日本経済の根元は何か?」

「それは…」

「言え。言わぬは卑怯」

「合戦経済です」

「そうだ、日本中が合戦によって経済を成り立たせている」

「応仁の乱から唐入りまで百三十余年経っています。すでにこの国は合戦によって経済を成り立たせています。米の生産高は応仁の乱当時より三倍になっています。これも兵糧の備蓄や、前線への補給のため開墾に励んだがゆえかと」

「かつ鉄砲鍛冶などの専門職人も増えて、甲冑や刀剣の製作で生活を成り立たせている者も多い。戦が無くなれば一斉にそやつらは仕事を失う。各大名が集めた家臣や兵も必要なくなり解雇される。日本中に失業者が出て、結果税も年貢も入らない。失業して腹を空かせた者が何をする?そして…なにゆえ天下統一後に佐吉たち吏僚派と虎や市松たち武断派が深刻なまでに対立したと思う?答えよ明家」

「…おそれながら、もはや合戦の機会がなくなり、殿下が主計頭(清正)らを用いる意味が消え失せ申した。行政に富んだ治部少たちの方が国造りに役立ち申す。自然治部少らを重用する傾向となるでしょう。活躍の場がない主計頭たち武断派が治部少たち吏僚派を嫌うのは当然。『なぜあんな男がのさばる世の中になってしまったか』そればかり考えているのではないでしょうか」

「その通りじゃ。儂がもう少し冷酷な主君であったら遠ざけるか、粛清させたやもしれんな。お前は良かったのォ。政事も上手くて」

「……」

「合戦の無い平和な世の中が到来すると、佐吉やお前のような人物が台頭し、清正や正則のような者は遠ざけられる。これが世の流れ。時流に乗り遅れた者は食うに困る。統治者もすべてを面倒見切れん。切り捨てるしかない」

「しかし…唐入りを行い武断派に舞台を与えても結局はそれの先延ばしでは?」

 扇子を額に当てて秀吉は苦笑した。

「痛いところをつくのう…。しかしお前は戦をなくすと言うが、それに伴い何が発生するか、今までそこまで考えて儂に唐入りをやめよと言ったか?やめよというのなら然るべき代案を示さねば出兵を差し止めるわけにはいかぬ。儂は唐入りにより合戦経済を続けなければならぬ。儂にはそれしか出来なかった。それが儂の限界であった。平和経済に至らすことができなかった」

「殿下…」

「お前の言うとおり、次の天下人は家康であろう。家康なら平和経済の世に出来るかもしれぬ。じゃが…おそらく儂は臨終の時に見苦しいほどに家康に『秀頼を頼む、秀頼を頼む』と言うじゃろう。それほど儂の耄碌は著しい。今日の落ち着きようが奇跡と思えるほどにな。安心してあの世に逝けぬ身がそうさせる…」

「……」

「明家、因果は巡るものじゃな。信長様が光秀の謀反で非業の最期を遂げたように、儂にもみじめな死が迫るのが分かる。儂は人を殺すことが嫌いと美辞を言い、兵糧攻めで城を落とした。しかしそれはある意味、力攻めで落とすより残酷なことであった。何千何万を餓死に追いやった儂は天魔外道よ。天下統一するためにまた人命を多く奪った。朝鮮では儂を呪いながら異郷の土となった者も多かろう…。こんな儂が笑って死ねる最期を迎えられようはずがない。こんな死に方はしたくないと誰もが思うような様であろう。だがそれもまたよし。ねねも言っておった。後に続く者が『こんな死に方はしたくない』と励むだろう。それが貴方の最後の仕事だと。儂も腹を括ったわ」

「……」

「ふっ、思わず愚痴ったな…。小一郎亡き今…愚痴が言えるのはもうお前だけとなった」

「それがしで良ければ」

「お前のような息子がおれば儂も安心して死ねるのにの…。岐阜城下で初めて会うた時、こんな童が俺の子ならと思ったものだ。今もそれは変わらん」

「殿下…」

「親父の権六殿、母のお市様を殺し、妹の茶々を側室として取り上げた儂だ。憎んでおったろう。そんな儂によう尽くしてくれた。何も残してやれんが…」

 秀吉は傍らに置いていた名刀『吉光骨喰』を明家に差し出した。

「かような名刀!と、とんでもござらん!」

「いいから取っておけ。もう儂に『小利を貪り、大利を欲せず者』を演じる必要はない」

「ご、ご存知だったのですか…!?」

 明家は顔が赤くなった。秀吉は静かに笑って答えた。

「最初からな。ずっと騙されていてやったわ」

「殿下…」

 明家は『吉光骨喰』を両の手で受け取った。だが秀吉がずっと騙され続けてくれたおかげで豊臣家中にいらぬ疑惑を持たれずに明家は働けたのだ。

「その用心深さも捨てるでないぞ。敵は味方にこそおる。『もったいない越前』は続けよ」

「ハハッ!」

「…あまり話して、また喉が乾いたな。茶を一服点ててくれぬか?」

「はい」

 明家の点てた茶を飲む秀吉。

「明家、先の話と矛盾するが儂の死後も唐入りが続いていたら日本軍を撤退させて和議に持ち込んで欲しい」

「殿下…!」

 秀吉の言うとおり、まったく矛盾した言い草だった。ならば今、唐入りを取り消せば良いではないかと思う。しかし事態はもう秀吉にも収拾がつかないところまで至っている。

「治部に儂が死んだらすぐに引き揚げの船を釜山に向かわせよと密命を出してある。同じくそなたは朝鮮と明に和議を持ちかけ全軍を撤退させよ。かようなことは不識庵殿(上杉謙信)や安房(真田昌幸)から一兵も失わずに逃げ切ったお前にしか出来ぬ」

「お言葉、しかと受けました」

「すまぬ…最後まで苦労をかけるな」

「もったいなきお言葉」

「天下人とは不便なものよ…」

 先の矛盾の答えが今の秀吉のぼやきにあるように思えた明家だった。そしてこれが明家と秀吉の今生の別れであった。

 

 明家は九州の名護屋城を経て朝鮮に向かった。戦況は不利、先に到着した日本軍の総大将は秀吉の養子だった小早川秀秋であるが非戦闘員の女子供を殺した罪で日本に送還され、今は総大将が不在の状態であった。

 劣勢の日本軍は先の文禄の外征で見事な采配を執った明家の到着を一日千秋の思いで待っていた。到着するや明家は全軍の指揮を執って欲しいと要望された。豊臣家の大老でもある明家なので身分的には支障はない。何より刑場荒らしは少なからず諸将にとって痛快だった。よくやったと思っていた。最初は固辞した明家であるが、最終的には引き受けた。日本軍の総大将となった明家はまず失地されていた現地の日本軍拠点を奪い返し、そして大量の兵糧を奪取することに成功した。

 島津義弘は秀吉の九州攻めで明家と対峙するが、実際には戦っていない。明家は戸次川の戦いにおいて劣勢に陥った四国勢を救出したら、さっさと退却してしまった。目的を成したら未練残さず退却した柴田明家を島津義弘は高く評価していたのである。そして評価していた通り、明家の総大将ぶりは惚れ惚れする采配、義弘は思わず『楠木正成のごとき御仁じゃ』と褒め称えた。

 ここから日本軍はたぐい稀な頭脳を持つ指揮官をいただき、巻き返しに至る。特に島津軍は朝鮮軍と明軍から『鬼石曼子(おにしまづ)」』と恐れられ、柴田軍の『歩の一文字』の軍旗を見ると『歩来々』と恐れたと言われている。また明家は軍律も厳しくした。非戦闘員への乱暴狼藉は固く禁じたのである。日本軍は一枚岩となり、明・朝鮮軍と戦った。

 明家はたとえ朝鮮軍を討ち破ったとしても日本の領地にすることは不可能であると悟っており、むやみな合戦の拡大は避けて、終始勝つためではなく、負けない合戦の采配に徹した。敵軍の拠点に攻め入っても兵糧だけ奪い占拠はせず引き返したと云われている。日本軍を侮らせず、後に和議を持ち込んだ時に朝鮮と明に受け入れさせるためである。和議のために戦う。本末転倒とも云えるが、それしか明家の執る手段はなかった。

 

 その明家が朝鮮在陣中にやっていたことがある。明と朝鮮の書物の収集である。とにかく集めた。文禄の役の時もしているが、今回もまた金を惜しまず書物を集めた。歴史ある中国の書物は知識の宝庫である。朝鮮と明は地続きゆえ、当然日本より中国の書物は充実している。無論、朝鮮の書物も貪欲に集めた。この書物の収集だけは『もったいない越前』ではなかった。

 明家は漢文が読めたし、前田慶次に至っては即座に日本語で読めて講釈できたと云う。柴田軍の陣屋、戦の合間を縫って翻訳や注釈をしていく二人。

「こんな役得でもないとなァ…」

 苦笑する明家。

「確かに」

 同じく苦笑の慶次。

「しかし唐土の歴史たるや、やはりすごいものですな」

「ああ、特に今回、日本じゃ入手困難な孟子の書物が手に入ったのが嬉しい。何故か知らんが孟子の書を乗せた船は沈むと言うからな」

「『国は民を尊しと為し、社稷これに次ぎ、君を軽しと為す』ですかな」

 国においては民が第一で、社稷(土地神と穀物神、転じて地域社会)がその次で君主は末だと云う意味である。今日では当然な言葉であるが古代中国で発せられていたのは驚くべきことだ。君主は民を治める機関にすぎず、国の主体はあくまで民だと云う説で、民を省みない暴虐の君主は放伐しても良いと孟子は力説している。ひどい政治をすれば君主として認めないと言っているのだ。

 当然、この説には後の君主たちは不満であった。現在明家たち日本軍が戦っている明王朝。その太祖である朱元璋などは『この老いぼれめ。生きていたら、ただでは済まさなかったろう』と孟子の位牌を憎々しげに地面に叩きつけたと云う。

 同じく昔の日本もこの思想は受け入れられるものではない。孟子の書物を乗せた船は日本に辿り付く前に沈没したと云われたものである。明家が孟子の書物を何点も手に入れたと聞き、日本軍諸将は『帰りの船が沈むぞ』と本気で危惧した。だから慶次は孟子の書物すべて日本語に翻訳して、後に名乗ろうと思っている『ひょっとこ斎』と云う号を書物の表紙に書いて『俺の書いた本だ。孟子じゃない』と言い張り、諸将を爆笑させたと云う。

 そしてこの時、明家と慶次の元に日本から使者が来た。

「申し上げます。石田治部少輔殿から文が参っております」

 それを聞いて明家と慶次は目を合わせた。直感だが内容が分かった。

『太閤秀吉、没す』

 伏見城で徳川家康や前田利家に『重ね重ね、秀頼の事をお頼み申す』と繰り返す、哀れな最期であったと聞いた明家。柴田明家謀反の時、昔の自分に戻れた秀吉。しかしほんのわずかな時間であったようだ。歴史家は言う。豊臣秀吉は本性寺で柴田明家に討たれた方が幸せだったであろうと。

 

 辞世『つゆと落ち つゆと消えにし我が身かな 浪花のことも夢のまた夢』



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戦い終えて

 太閤豊臣秀吉没す。秀吉が生前に残した遺命に従い石田三成が大急ぎで日本軍の帰国の準備を手配した。同じく戦場にいる明家は朝鮮と明の和議に動いた。明家は全緒将を集めて秀吉の死を知らせ、総退却を号令し小西行長を和議の使者に指名。明と朝鮮軍は日本軍からの和議を受けた。明は国内に内乱が起きており、朝鮮側もすでに余力が乏しく、何より柴田明家采配の勝つためではなく負けないための合戦に李氏王朝も明もほとほと手を焼き疲弊を重ねていた。明家が負けないための戦を心掛けていたのは朝鮮と明が日本からの和議に応じてもらうためであった。

 しかし朝鮮水軍を率いる李舜臣が和議を認めず、撤退を開始した日本軍を待ち構えた。接触すれば間違いなく、朝鮮の役最大の海戦となっただろう。和議の使者から戻った小西行長から『李舜臣は王朝が可決した和議を無視して日本軍を攻撃する気でいる』と報告を受けた日本軍総大将柴田明家。李舜臣の智勇を警戒し、朝鮮水軍に偽りの情報を流して、大急ぎで他の海路を用いて撤退した。殿軍は総大将の柴田明家、そして島津義弘が受け持った。無論、『朝鮮軍に背を向けるのか』と云う緒将の抗議を受けたが、

『今まで異国の地で戦い続けた我らではないか。誰がこの退きようを臆病と言おうか。我ら将の務めは一兵でも多く故国の土を踏ませて、親兄弟や女房子供に会わせてやることではないのか』

 島津義弘が添える。

『越前殿の申されるとおりだ。我らは負けて逃げるのではない。第一和議の締結後に戦うことは無意味である。無意味な海戦で大事な部下を死なせるわけにはいかん。儂と越前殿が殿軍に立つゆえ、全軍疾く引くべし』

 明家は朝鮮水軍が一枚岩でないことを知っていた。ゆえに出鱈目な日本軍の撤退路の情報を流すだけでなく、水軍幹部に裏切り者がいるような情報も流し、かつ李舜臣が李氏王朝に反乱を企んでいるとまで流布させた。朝鮮水軍を倒す必要はない。撤退の時間が稼げれば良いのである。

 日本軍は柴田明家と島津義弘の言葉で、気持ちを総引き揚げに切り替え、全速力で逃げた。柴田明家の仕掛けた偽りの情報は朝鮮水軍と李氏王朝に動揺と疑心暗鬼を生じさせ、撤退の時間を十分に稼げた。日本軍は朝鮮水軍の船影を見ることなく日本へとたどり着いた。柴田軍と島津軍も無事に帰国、名護屋城に到着した。明家は日本の土を握り締め、万感の思いでそれを抱いた。

 

◆  ◆  ◆

 

 ここは石田三成の居城である佐和山城。三成の重臣である島左近と蒲生郷舎が話していた。

「今ごろ殿は唐入りの諸将と対面している頃であろうか」

 と、島左近。

「ふむ…」

 静かに頷く蒲生郷舎。

「諸将の心中察するにあまりある。地獄のごとき戦場からようやく戻ってみれば恩賞となる土地もなし…。太閤殿下も関白殿下もすでにあの世に行っている」

「最初から報われようのない戦じゃ。しかし命がけで戦ってきた者たちはそれを認められまいのォ…」

「憤怒の矛先は間違いなく主君三成…。何事もなければ良いが…」

 

 名護屋城の大広間、石田三成を筆頭とする五奉行が唐入りの諸将を労った。そして三成が発した。

「方々…。長年の戦陣、誠にご苦労でござった。諸侯におかれては伏見に上がり太閤殿下のご霊前、並びに秀頼様にご挨拶の後に国許に帰られ、ゆっくりと静養なされますよう。その後に我ら奉行が茶会などを催し、諸侯の労をお慰めする所存に…」

「ふざけるな!」

 加藤清正が怒鳴った。

「…清正」

「茶会だと!?おうおうよく言ったわ!国許にいて安穏と蓄財や風流にうつつをぬかしていた貴様ならではの言葉よな!我らの国は唐入りによって疲弊し、多くの兵も失い家中には何も残っておらんわ!茶会の答礼も出来ん我らを指差して笑う気でいるのか!」

「……」

「よされよ主計頭(清正)治部に当たっても仕方あるまいが」

「越前殿、取り成し無用!」

「……」

「こやつは文禄の時も、丁稚(小西行長)と共謀して儂を殿下に讒言しおった!儂はけしてこやつを許さん!」

「左様か…。さて治部少殿」

「はっ」

「全軍引き揚げが成せたのも、そなたの働きによるものだ。かたじけなく思う」

「いえ、太閤殿下のご遺命に従ったまでにございます」

「だが少々疲れた…。湯と酒、床が欲しい」

「用意整えてございます」

「ありがたい、方々まずは汗を流し、酒といたそう」

「「はっ…」」

 大老である明家が場を収めてしまった。明家の態度に不満を覚えるも、渋々ながら清正や正則も明家と共に憎悪の込められた目を三成に向けながら広間を出て行った。

 そして湯のあとの酒宴。諸将は三成への不満を声高に発しながら酒を飲む。明家はそれを黙って聞きながら酒を口に運び、横目で部屋の外を伺う。三成が廊下にいることを悟る。

(憎まれるのも仕事か…。つらいな佐吉)

 自分を悪し様に罵る言葉が三成の耳に届く。その三成の肩をポンと叩く男。

「刑部(大谷吉継)」

「治部、こらえよ」

「分かっている。恨まれるのも俺の仕事だ」

 三成の悪口が酒の肴の席に嫌気がさしたか、明家は酒宴から中座した。そして用意された部屋に向かっている時、三成が明家を呼び止めた。

「越前殿」

「なんだ治部」

「お疲れのところ申し訳ございませぬ。お話がございます」

 静かに明家に寄り、耳元でささやく。

「来るべき時…それがしに力を貸して下さいませぬか?」

「なに?」

 明家に平伏する三成。

「太閤殿下亡き後、天下はこのまま治まりがつきますまい。この石田治部少輔三成、豊臣家の御ために旗を揚げる覚悟!そのためには何としても越前殿の力を貸して欲しいのでござる!」

「……」

「本性寺で越前殿を殺そうとしておいて虫の良いことは承知しております。しかし」

「虫のいいのはお互い様だ。謀反を帳消しにさせるため俺はそなたを利用した。それに本性寺での腹の読みあいは俺とお前の堂々の戦だ。恨みなどない」

 改めて三成に訊ねる明家。

「で、旗を揚げて立ち向かう相手は誰なのか?」

「内府(徳川家康)にございます」

「ほう、何かやったのか内府殿は」

「このまま内府が大人しくしているとは思えませぬ」

「…戦のない世を作る、太閤殿下と我らで成し遂げた『日之本惣無事』を五奉行のそなたが破る気なのか。唐入りが終えた今、やっと訪れた『日之本惣無事』であると云うのに」

「しかし…!」

「とにかく廊下の立ち話では何だ。部屋に来てくれ。そこで話そう」

「はっ」

 明家とて家康がこのまま黙って豊臣政権の大老のままでいるとは思っていない。二人は要談を始めた。

「…治部、政権交代には『みそぎ』が必要だ。無血で行われるなら戦国の世は百三十年も続いていない。ゆえに内府殿はあの手この手で合戦を仕掛けよう。内府殿は豊臣家の大老筆頭。合戦の大義名分は『君側の奸を除く』しかない。その『奸』と指定されるのがそなたであろう」

「それがしが?」

「俺が内府殿なら間違いなくそなたを狙う。そなたは当家の武断派の者から嫌われている。そなたを敵とすれば、そなたを嫌う加藤や福島らが徳川につく」

「単にそれがしが嫌いなだけで秀頼様に矛を向けると云うのですか!」

「秀頼様ではない。言ったであろう『君側の奸を除く』だ。秀頼様の横にいる奸臣治部を討つ。これが名分となる」

「……」

「だから治部、内府殿の挑発を徹底的に無視せよ。お前が乗らなければ何も出来ない。必要なら家督を重家(三成嫡子)に譲り、隠居するのも良かろう。内府殿は五十六、秀頼様は七つ、俺とお前は三十八。黙っていても内府殿は勝手に我らより先に逝く」

「越前殿…」

「唐土の呉起、商鞅のようになりたいのか?身の進退どころを知るのも将の器量であろう」

 呉起、商鞅とは先代に重用されたか、次代の当主になると殺されてしまった。商鞅に至っては牛裂きの刑と云う残酷なものであった。古今東西、吏僚と武断は仲が悪い。前述の二名のとおり、先代に頭脳明晰を重宝がられ、武断派の妬みをかい、そして君主が死んだ直後に殺されたのである。三成もその立場に立ちつつある。

 しかし家康は静かなるも内面に激しさも持つ三成の気性を知っている。無視などさせない。

『天下の格は定まりたることなきものなり』

 徳川家康は『天下は実力のある者が取るべきなのだ』と家臣たちに力説した。我慢と忍耐を重ねてきた老獪な古狸がいよいよ牙を露わにする。

 

 朝鮮出兵の諸将が秀吉の御霊に拝謁し、秀頼に帰陣の報告を済ませた。柴田軍の将兵は丹後若狭に引き返したが、明家は大坂に向かい他の大名と同じく秀頼への帰陣の報告をした。それを済ませると明家は大坂屋敷に駆けた。明家の謀反の罪が解消された後、改めて正室のさえには御掟に従い伏見の柴田屋敷に留まるように通達されており、そして秀吉死後は大坂に移っていたのだ。明家はさえと抱き合い、無事の再会を喜んだ。

「ああ殿、もうさえを置いてどこにもいかないで下さいませ…」

「さえ、さえ、会いたかった…!」

 その夜は夢中になって愛を確かめ合う二人だった。

「明日には舞鶴に帰る」

「はい」

「今回の役にて死んだ者たちを丁重に弔わないとな…」

「はい、勝秀がその準備を進めているそうですね」

「うむ」

 明家の嫡男の柴田勝秀、次男の藤林隆茂も朝鮮の役に出陣した。次男隆茂は初陣であった。当初明家は息子二人を連れて行こうとしなかったが、二人とその守役たちや家臣たちがどうしてもと懇願するので連れて行った。次男の隆茂は忍びとして功を立て、長男の勝秀は兵站や軍務で父の明家を補佐した。師の石田三成から様々な知識を叩き込まれていたが兵站の技は特に仕込まれていた。柴田本陣を守り、前線の父に兵糧物資を届けた。地味であるが重要な任務である。前線部隊にただの一度も飢えを経験させない見事な手腕だった。かつて水沢隆広が柴田勝家の兵糧奉行を務めた時のように。

 次男隆茂は藤林忍軍の頭領であり、幼年期から父と兄の影であるように教育されてきた。朝鮮の役では祖父銅蔵の補佐を得て忍軍を率い情報収集や破壊工作などで功を立てている。

「二人も本当の戦場を見て、戸惑い、悲しみを覚えた。まったく無為な合戦ではあったが…良き経験にはなったかもしれないな」

「はい」

「我らの孫には…そんな思いを一つもさせたくないものだ」

「私も願わずにはおれませぬ…」

「もう一度しようか。また盛ってきた」

「…あっ、もう殿ったら!」

 

 翌日、帰国の準備をしていると…。

「殿」

「ん?」

「大坂城の高台院様がお召しとのことです」

「北政所様(ねね)が?」

「はっ」

「分かった、では城に上がる。他の者は国帰りの準備を進めておいてくれ」

「「ははっ」」

 高台院とは秀吉の妻の北政所である。秀吉が亡き後は落飾し高台院と号していた。大坂城内、高台院の部屋。

「高台院様、越前にございます」

「おお、よう参られた。こちらへ」

「はっ」

「舞鶴に帰られるそうでございますね」

「はい、しかし舞鶴と大坂は目鼻、何かことあらばすぐに戻りまする」

「越前殿…まずお詫びしなければなりませぬ」

「…何をでしょう」

「奥方より聞いておりませんか?」

「ああ…。醍醐の花見の件にございますか」

 さえは明家が帰宅すると醍醐の花見で起きたことの一部始終を良人に伝えていた。告げ口ではない。報告すべきことをさえは言っただけである。

 一代の風雲児、豊臣秀吉の栄華を締め括る醍醐の花見、ここには徳川家康、前田利家、伊達政宗などのそうそうたる武将たちも招待されていたが伏見屋敷に人質として滞在していた大名の正室たちも招待された。柴田明家正室のさえも招待されたと云うわけである。さえは良人と息子が朝鮮において命がけで戦っていると云うのに、そんな気分になれないと断ったのだが、秀吉自身がさえを招待しているに加えて謀反を許されたばかりで拒絶してはと危惧する家臣たちの気持ちも分かるので渋々参加した。三成の正室の伊呂波と一緒に宴の中を歩いた。笑顔を浮かべるさえ、来た以上は不快な顔をしていては伊呂波に失礼なので顔には出さず歩いていた。

 今や丹後若狭三十二万石の大名の正室さえと佐和山十九万石の大名の正室伊呂波、北ノ庄の小さな屋敷でかまどの前ですすをかぶっていたころと違う。しかし二人はそのころの思い出話をしながら歩いていた。

「さえ様、太閤殿下ですよ」

「え…!」

 秀吉の一行が歩いてきた。ねね、茶々、加賀、松の丸、三の丸、甲斐姫、そして秀頼も一緒である。

「おお、越前が内儀ではないか。よう来てくれたな」

「太閤殿下におかれましてはご機嫌麗しゅう」

「ところで先日の越前が謀反、あれはそなたの入れ知恵か?」

「は?」

「殿下!」

 ねねが止めようとしたが秀吉は黙らない。

「いや、すでに許したゆえ、もう越前を咎めやせぬが聞いておきたいと思ってな。そなたの父を使い捨てにした儂への意趣返しか?」

「…お戯れを、良人が私の言葉ごときで太閤殿下に叛旗を翻しましょうか。ご自分で決断されたのです」

「そうであるかな、越前は女房の言うことなら何でも聞くらしいではないか。そなたの看病をするため、あの男は儂の命令さえ無視したぞ」

「殿下、どうされたのですか、今日はおかしいですよ」

「しかし茶々、そうであろう。そなたの兄上はこの裏切り者の娘に骨を抜かれておる」

 さえの顔が変わる。目が据わった。

「いま何と申されましたか」

「柴田越前守は裏切り者朝倉景鏡の娘に骨抜きにされていると申したのだ」

 さえは秀吉の頬を力任せにひっぱたいた。醍醐の花見は騒然となった。さえは秀吉を睨みつけて言い放った。

「私のことはいくらでも罵られるが良いでしょう。笑って済ませて差し上げます。しかし良人と父の悪口はたとえ天下人であろうと許しません!」

 秀吉はフッと笑い

「さようか、これは悪かった。ねね、参るぞ」

 と言って何ごともなかったようにさえの前から歩き去った。茶々は義姉に頭を下げて立ち去った。

「さえ様…。何と云うことを…」

 心配そうに言う伊呂波。

「仕方ないでしょ!我慢できなかったんだから!」

「ま、まあ…確かに言葉が過ぎましたが…」

「ああまで言われて下を向いていたら私は良人に会わせる顔がございません!」

 鼻息の荒いさえ、視線に気づいた。

「……?」

 秀吉の側室、甲斐姫がさえを見つめていた。微笑を浮かべている。彼女自身、武州忍城の戦いでは先頭に立って石田三成二万に立ち向かった女傑である。秀吉を叩いたさえの胆力に好感を抱いたのだろう。彼女はさえに浅く頭を垂れてその場を立ち去った。苦笑して頬を撫でている秀吉にねねは言った。

「叩かれて当然です。何であんな無礼なことを!」

「越前が女房から一矢受けただけよ」

「は?」

「そして無残な死を一層彩る老醜も付け加えた。家臣の女房に衆目の前で叩かれた。無様であっただろう」

「…?」

「越前ならこう言うか」

 

「ことは何ごとも一石二鳥にせよ…と」

 再び高台院と明家、秀吉がさえに叩かれた後に発した言葉を明家が言った。

「その通りです。私には意味が分からなかったのですが越前殿には」

「はい、それがしの妻が父、朝倉景鏡殿は殿下に利用された挙句に見殺しにされました。少なからず妻には殿下へ怨みがあったでしょう。あえて挑発して叩かせたと思います」

「……」

「もう一つ、殿下は内心本性寺でそれがしに討たれたがっていた。しかしそれが叶わなくなった。ゆえに高台院様より言われました『後に続く者のため、無残な死に方を迎えるのが最後の務め』をより際立たせるため、晴れの舞台の花見において家臣の妻に叩かれるなんて醜態をしてみせたのでしょう」

「そうでしたか…」

 高台院は悲しそうに笑った。さえは腹の虫が収まらなかったように明家にそれを報告したが、明家には秀吉の意図がすぐに分かった。あえてさえに秀吉の真意を話さなかったが一言だけ『お父上の無念、一矢報いられたな』とだけ言った。その場ではさえも気づかなかったが、後日にそれを察し改めて秀吉の位牌に手を合わせたという。

「越前殿にも秀吉の死に様は伝わっていましょう。何か得るものはございましたか?」

「…引き際を見極めなくてはならぬ、と云うことでしょうか」

「…そうですね。簡単なそうで何と困難なことか。越前殿は何でも出来る優れた武将。ゆえに引き際を秀吉同様に誤るかもしれません。どうか最期に笑って死ねる人生を全うしてくださいませ。それでこそ秀吉の無残な死も意味のあったものとなります」

「お言葉、生涯の教訓といたします」

「そして…よくぞ秀次の妻子を助けてくれました。亡き秀吉は本当にそれを感謝していた。自分が押さえきれなくなり、そんな自分が持っている権力と云う凶器…。甥をそれで殺してしまったと死の床ですごく悔やんでいました。そして…よくぞ我に逆らいあれの妻子を救ってくれたと…泣いて越前殿に感謝しておりました。秀吉の妻としてお礼申し上げまする…」

「いえそんな…」

「また本性寺、あの時の秀吉は木下藤吉郎に戻っていました。私が大好きであった藤吉郎に。これも越前殿が秀吉に死の覚悟をさせるに至らせて下されたからです。陰険頑固な権力の亡者の豊臣秀吉から木下藤吉郎に戻れたのです。あれがなければ私は秀吉の死に何の感慨も湧かなかったかもしれませぬ。ありがとうございまする」

「北政所様…」

「もう私には何の実権もございません。領地は差し上げられませぬが亡き秀吉からこれを渡すようにと…」

 高台院が手を叩くと隣室の戸が開いた。そこには山のように置かれた黄金が置いてあった。

「と、とんでもございません!殿下にはすでに名刀一振りをいただいておりますれば…」

「これは今まで越前殿が当家に献上して下された金銀と、豊臣家の内政と軍事のために柴田家が使われたであろう金銀、それを合わせた同額の黄金にございます。殿下は『越前に返すように』と仰せでした」

「え…!?」

 どう見てもその金額の三倍はある。あえて秀吉と高台院は同額としたのであろう。

「慎んでご返却いたします。私の顔を立てると思い、だまって受け取って下さいませ」

「は…」

 高台院に平伏し、礼を述べる明家。

「慎んでお受け取りいたします」

 

 とても一人で持ち帰れないため、明家は家臣たちを呼んだ。明家直臣の高橋紀茂は多量の黄金に圧倒される。

「すごい黄金ですな殿」

「そうよな紀茂、正直助かる。これを唐入りで戦死した者の家族たちに当てようと思う」

「それがようございましょう。あ、殿」

「ん?」

「お屋敷に最上義光殿が参っております。殿に折り入って話があると」

「出羽守殿が?何であろう」

「こちらはそれがしが指揮してお屋敷に運びます。殿は一足先に」

「そうしよう」

 急ぎ屋敷に戻った明家。客間に走った。

「これは義光殿、せっかくお越し下されたのに不在で申し訳ない」

「いえ、こちらも何の連絡もしておらず急に訪ねて申し訳ございませぬ」

 しばらく世間話をしていたが、義光がとうとう切り出した。

「で…本日、お訊ねした理由ですが」

「はい」

「越前殿のご嫡男の勝秀殿には側室はおるのですかな?」

「は?」

「いやだから…越前殿のご嫡男の勝秀殿には側室はおるのですかな?」

「息子に側室はおりませぬ。正室一人だけです。それが何か?」

「そうか、側室はまだいないのか、良かった」

「さきほどから何のお話をされておられるのです?」

「手前の娘、駒をぜひ勝秀殿の側室としていただきたい」

「え、ええ!」

「この通りにござる」

 頭を下げて頼み込む義光。秀吉の小田原攻めの際、妹の保春院に政宗を殺せと云う冷酷な命令をした彼であるが、娘のことになると弱い。彼は駒姫を溺愛している。

「三条河原の虎口からお救いして下された日から、駒は勝秀殿に夢中で…手前の用意した縁談ことごとく拒否…。ほとほと弱り果てました次第で…」

 舞鶴から山形に帰った駒姫を父の義光は感涙して迎えた。その後しばらくして、家臣の優れた若者に嫁がせようかと考えたが駒姫は頑なに拒否。弱り果てた義光が妻の大崎夫人に相談し、娘に心中を訊ねた。駒姫は柴田勝秀様の側室になりたいと言い出し、驚いた母は夫にそれを話した。娘の恩人の息子になら嫁がせても良いと思う義光であるが、勝秀にはすでに正室の姫蝶がいる。愛娘を正室ならまだしも側室に…と悩む義光であるが、勝秀様が大好きだと云う娘の願いも叶えてやりたい。勝秀は朝鮮の役で父親を補佐した中々の若者と聞く。正室なら諸手をあげて大賛成だが側室は…と踏ん切りがつかなかった。

 だが勝秀を想う娘の心に打たれた大崎夫人も駒の味方となり『側室でも良いではないですか』と義光に迫る。しまいには駒姫、伊達家から戻っていた叔母の保春院(義姫、政宗生母)まで味方につけて父の義光に勝秀様でなければイヤだと言い切り、ついに折れた義光は明家の屋敷を訪れて、それを申し出たのだ。

「義光殿、息子にはまだ側室は早い。まして駒姫殿のような美女ならばなおのことです」

「これは異なことを申される。美女一人側室にしたごときで堕落する息子を貴殿は育てたのでござるか」

「痛いことを…」

 さすがは年の功、加えて娘のために懸命にもなる父親の執念に明家はとうとう根負けし、駒姫の側室輿入れを認めたのだ。

「しかし太閤殿下のご遺命で大名同士の婚姻は禁じられております。いかに我らが同意しても」

「心得てござる。今は駒を勝秀殿の側室にして下さると云うお約束だけで結構」

「と、申されますと?」

「人の世は流れの止まらない川と同じ、と云うことでござる」

 つまり義光は秀吉の定めたそんな掟など、もうしばらくすれば有名無実化すると読んでいたのである。明家もそれは理解したが互いにそれは口にしなかった。

「いや、お聞き入れかたじけのうござる。儂も娘に顔が立ちましたわい」

 

 大坂を後にして、国許の舞鶴に向かう明家。正室のさえもいる。本来、正室のさえは人質として大坂にいなければならないが、高台院のはからいによってさえの帰国も許された。さえは輿に乗って窓を開けて国許までの景観を楽しんでいた。

「わあ殿、梅の花がきれいですよ」

 舞鶴への道中、梅が満開に咲く街道に入っていた。

「本当だ」

 梅の花の香りを胸いっぱいに吸う明家。

「しかしさえほどじゃないな」

「んもう殿ったら!」

「ははは」

 太閤秀吉没して、世は再び激動の時代に突入する。明家とさえにまだ静かな日々は訪れないのであった。



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明家としづ

 舞鶴に戻り、柴田家では朝鮮の役の戦死者の葬儀を行われた。明家は戦死者の家族たちに慰問金を送った。秀吉から返された黄金が大いに役立った。遺族には手厚く遇し、かつ子がいれば父と同じ禄で召抱えることを約束した。葬儀の後、戦死した家臣の家族に誠心誠意に詫びる明家。

 しかし柴田家は半農半士でなく兵農分離体勢、いったん柴田家の兵となったからには当人は無論、家族も討ち死には覚悟のうえのこと。悲しいことは間違いない。だが、たいていの大将は末端の兵の死など眼中にないと云うのに明家は違う。亡骸も野ざらしにせず、現地で荼毘に付して遺品と共に持ち帰る。戦死者を無上なほどに丁重に弔う君主の思いやりに遺族の者は胸を熱くする。

『お気になさらず、せがれも覚悟の上のことです』

『お殿様のために死ねたのは当家の誉れ、詫びるには及びませぬ』

 逆に明家を労うほどである。柴田軍の強さは、この明家の部下への思いやりと家臣たちが明家に寄せる信頼であると言えよう。秀吉への謀反とも言える秀次妻子救出の刑場荒らしの時でさえ伏見屋敷にいた家臣たちは一人残らず付き従っている。明家は生涯一度も部下に裏切られていないのである。

 そしてこの朝鮮の役で明家に古くから仕えている男が死んでいた。工兵隊頭領の鳶吉である。砦作りなどに大いに貢献した工兵隊。しかし頭領の鳶吉は朝鮮の地で病に襲われ陣没した。その遺骨と遺品を持ち、明家は鳶吉の家に訪れた。娘のしづに二度と来ないでくれと言われていたが事情が事情なので明家は訪れた。しづも私怨は捨て明家と会った。

「これが遺骨だ…」

 妻のみよは骨壷を抱き、泣いた。しづも涙を落とした。

「あんた…!」

「父さん…!」

「すまん…。生きて返してやることができなかった…」

「「……」」

「すまん、しづ」

「……」

「これが遺品、病床のうえでも道具の手入れを怠らない男だった…」

 鳶吉の汗が染み付いた大工道具、研ぎ澄まされた鋸やかんな、父の命と云うべき道具。しづは愛しむように一つ一つに触れた。

「あと文を預かっている」

 明家は文に一礼して、それを差し出した。受け取るしづ。

「なお、鳶吉は戦地の陣場作り、砦造りで功を上げている。これはその恩賞、そして今まで俺を助けてくれたことに対して報奨も合わせ、そなたらに贈る」

 銭袋が感状と共に置かれた。

「こんなもので済むとは思っていない。鳶吉の誠忠に報いるため、みよとしづの生活は俺が保証する。安心いたせ」

「ありがとうございます…」

 涙を拭い、明家に平伏するみよ。

「みよは今後も城の調理場を頼むぞ」

「はい…務めさせていただきます」

「しづ」

「…はい」

「すまんな…」

「…父はお殿様に仕えられたことをとても誇りに思っていました。最後までお役に立てたのなら…本望であったと思います」

「ありがとう…」

 しづも母親と共に舞鶴城の調理を仕事としていた。料理が上手で美人のしづを見初め求婚する者もいたが、しづは頑なに拒絶していた。明家に手篭めにされたことでしづは男を信じられなくなっていたのだ。

「ところでな、しづ…」

「はい」

「…いや、何でもない」

(鳶吉に帰国後しづを口説き落とすと言っていたが…やはり無理だ。どこに自分を手篭めにした男の側室になる女がおるか)

「…申してください。卑怯です」

「本当に何でもない」

「…ならば思い出したときで良いので申してください」

「分かった。じゃあ今日は失礼する」

 明家は鳶吉の家を後にした。みよとしづは玄関先まで見送り、明家の背が見えなくなるまで頭を垂れていた。鳶吉からの文をみよとしづは読んだ。最期を悟ったか、妻への礼の言葉と、娘に贈る言葉に溢れる夫と父の愛に満ちた手紙だった。そしてしづに

『しづ、殿に無理やり手篭めにされた怒り、父も同じ気持ちだ。だが何故かな、どうしても殿に怨みを抱けない。責任を取りたいと云う気持ちにウソはなかった。何度も話しているが、父は辰五郎親方の率いる職人衆の中で一番不器用だった。いっこうに上達しなかった。それでも越前の職人かと罵られ仲間はずれにされた。だから仕事は遅くとも、一つのことを一生懸命にやるしかなかった。そしてその遅さを笑われた。悔しかったが父の仕事は土木職人しかなかった。だがそんなある日、殿が現れた。そして父の仕事を認めてくれた。不器用者は一流への原石だと言ってくれた。嬉しかった。殿の工兵隊となり、多くの戦場へと向かったが、父は殿のためなら死んでも良いと働いてきた。そして殿を慕うお前が、いつか殿の側室となれたらと思っていた。

 しづよ、父を生還させなかったことで殿を断じて怨んではならない。悲しんでもいけない。工兵とはいえ、父は柴田軍の一人。いつでも覚悟はできていた。母さんにもそれは伝えてある。そしてしづ、殿を許してやってくれないか。殿はいつもお前のことを気にかけていて下されていた。本心から悔やみ、しづに申しわけないことをしたと思っている。しづも苦しかっただろうが、殿もまた苦しんだ。そろそろ許してやり、そして殿の側室となれ。うんと大事にしてくださるだろう。幸せにしてくれる。父の望みはしづの幸せだけなのだ』

「父さん…」

 とめどなく涙が落ちるしづだった。

「母さん…」

「ん?」

「…さっきお殿様は私を側室にしたい、そう言おうとしていたのだと思います」

「…そうね」

「そろそろ許してあげるべきなのかな…」

「お殿様のことを今も憎い…?」

「やっぱり、一生忘れないと思う」

「同じ女ですもの、分かるわよ」

「でも母さん、もしお殿様が異国で戦死していたら…私は一生後悔していた。どうして許してあげなかったのかと」

「しづ…」

「こうしていつまでも無言の怒りをお殿様に示していたら、私は独り者のまま、いびつで嫌な女になると思う」

「では、どうするの」

「お殿様に責任をとってもらいます。女子が一生で一番大事なものを奪われたのだから」

 みよは歓喜した。やっとその気になったかと。

「お父さんもあの世で喜んでくれているわよ、しづ!」

「でも武家娘でもないのに…国主の側室ってなれるのかな…」

「何を言うのです。あなたのお父さんは柴田軍の工兵隊頭領だったのですよ。誰に遠慮がいりますか」

 工兵隊は戦闘行為が免除され、かつ大将は野戦にて彼らを守る義務がある。だから士分ではないのだ。だが並の士分より禄は厚い。明家の工兵隊は秀吉さえうらやましがった匠揃いで現代風に言えば明家の裏方を支えた土木のプロ集団である。頭領の鳶吉は家老級の待遇であったが家は質素であり、妻子にも贅沢をさせなかった。彼は収入のほとんどを工兵隊の建築技術の開発や部下育成のために使ってしまい、妻の手元に渡される生活費は家族三人慎ましく暮らしていける程度であったと云う。

「お父さんの清廉さは柴田家誰でも知っているわ。胸を張って『側室になってあげる』とお殿様に言いなさい」

「うん、じゃあ明日、登城してお殿様に言うわ!」

 晴れやかな顔のしづ。城の方角を向いて言った。

「お殿様、私も職人の娘、もう過去は振り返りません。だから殿もお忘れ下さい。そして私を幸せにしてください!」

 

「へっくち!」

 大きなくしゃみを一つした明家。

「さて…どうしたものか」

 自室の中で明家は考えていた。死んだ鳶吉との約束は絶対に果たさなければならないと思う。何よりしづを愛しいとも思うのも確かだった。久しぶりに見たしづは美しかった。責任を取りたいことは無論、さえやすずのようにこの後の人生を一緒に歩きたいと思う。明日に求婚しよう、そう思った。だがその前に難攻不落の巨大な城がある。さえとすずだ。明家は舞鶴城の奥に行った。真剣な面持ちの良人を見たさえは

「そなたたちは下がっていなさい」

 と侍女に命じた。

「姫蝶、そなたもです」

「分かりました義母上様」

 部屋にはさえとすず、そして明家が残った。一つ咳払いをして座った明家。

「殿、何か」

「数年に渡り、そなたらに隠していたことがある」

「「……」」

「ゴホッゴホッ」

 すずがぬるめの白湯を出した。一気に飲み干す明家。目をつぶり、腹を括って言った。

「…数年前、工兵隊頭領だった鳶吉の娘、しづを手篭めにした」

 沈黙、さえとすずは言葉を発さない。言うや雨あられと叩かれると思っていた明家は薄目を開けた。さえは不気味な微笑を浮かべている。

「…やっと申しましたね殿」

 と、さえ。

「え…!?」

「私と御台様が知らないと思ったのですか?」

 すずも知っていた。さえとすず、二人とも目が据わりだした。

「そ、そうか、しづが訴えていたか。そりゃそうだよな…」

「「いいえ」」

「え?」

「しづは私たちに一言も訴えていません。せめてもの情けと思っていたのでしょう」

 では誰が、なんて明家は言わない。そんなことはどうでも良い。

「まあ、知ったのはつい最近です。二度目の唐入りが終わってほどなくでした」

「そうか、知っていたか」

「申した以上は覚悟していますね?」

「…うん」

「では歯を食いしばって下さい」

 言葉は静かだが迫力はすさまじい。さえは心中よほど激怒していたのか明家を叩く叩く。すずは黙って見ていた。と云うよりさえがやらなきゃすずがやっていただろう。

「空閨とお勤めの鬱憤に負けて生娘を毒牙にかけるなど君主たる者のすることですか!!無理やり手篭めにするなんて女の敵です!!」

 当時、日本一女性を大事にする政治を領内にしいている殿様であった明家だが、私生活でこんなことをしていては何にもならない。相手が同意の上なら、さえは今まで一度も明家を責めたことはないが、これはさすがに腹に据えかねたようだ。明家はひたすら謝った。

「すまん、本当に反省している。二度とあんな恥知らずな所業はしないと誓う!」

「しづにはどう許しを請うのですか!どう償うつもりなのですか!いまもって殿方を信じられず独りとのこと!殿は一人の女子の人生を目茶苦茶にしたのですよ!」

「あのあと、すぐに側室にしたいと申し出たが、しづに女を馬鹿にするのもいい加減にしろと断られた」

「当たり前です!」

「今も独りなら、俺はもう一度しづに求婚して側室になってもらう。そして一生償う!償わせてもらう!鳶吉とも約束した。唐入りから帰ったら側室にすると」

「鳶吉殿との約束だから」

「違う!無論それもあるが、しづを愛しいと思うのも確かなのだ。さえ、すず!」

「「はい」」

「しづを側室に迎えることを許してくれ!養父が命を落してまで助けた娘の一生を目茶苦茶にしたままにおけようか!頼む!認めてくれ!」

 さえは一通の封書を明家に差し出した。『御台様へ』と表書きには記されている。裏書を見ると

「鳶吉から?」

「はい、ご覧になって下さい」

「そなたあての書であろう」

「かまいません、どうぞお読みを」

 鳶吉は朝鮮の役のさなか病魔に冒され死を悟った。だから親しい松山矩久へさえに文を手渡してくれるよう頼んでいた。どうか殿を怒らず、しづのことをお頼みしたいと云う内容だった。

「鳶吉…」

「殿、すずにも鳶吉殿から同様の書が届きました」

「そうだったのか…」

 さえとすずが明家のしでかしたことをすでに知っていたのはこういうことである。つまり二人の激しい怒りは元より予定されていた良人へのお灸である。黙っていたら、さらにすさまじいお灸の予定を立てていたそうだが。

「殿、すずとも話し合いました。認めます」

「さえ…」

「鳶吉殿は殿を支えた忠臣です。その娘御ならば異存ありません。何より…」

「何より?」

「私も柴田家御台所として責任を取らなければなりませぬ。殿の過失はさえの過失です。私も償いにご助力します」

「ありがとう…」

 にこりと笑うさえとすず。正直に話したので、さえとすずは翌日には怒りを残しておらずケロッとしていたらしい。さえも良人の初主命から共に働く鳶吉のことはよく知っている。最初で最後の頼みのように書かれてあってはさえも受け入れるしかなかったのだろう。工兵隊鳶吉、主君明家顔負けの根回しである。苦笑するさえ。これで反対すれば悪者じゃない、鳶吉殿はずるいなあ…と思いつつ、さえはしづの側室を認めたのである。

 しかし、ただで許すわけにはいかない。鳶吉の『殿を怒らないでほしい』と云う頼みは聞いてやりたいが、女としてこれは許してはならないと良人を激しく叱ったのである。でも翌日に残さないところはさすがである。明家がとうぶんさえとすずに頭の上がらなかったのは言うまでもないが。

 さて翌朝、手鏡を見て苦笑する明家。

「腫れが少し目立つかな…」

 さえに叩かれたあとが痛々しい。

「手加減なしだったからな…」

「当たり前です。いま忍びの化粧術で腫れを隠しますのでジッとしていて下さい」

 と、すず。木箱から化粧術の用具を取り出し、明家に施した。

「問題はしづが求婚を受けてくれるかだが…」

「そればかりは御台様も私も助太刀はできませぬゆえ…」

「そうだな、何とかしよう」

「おはようございます殿」

「おはよう、さえ」

「あら、腫れ痕が分からない。大したものねすず」

「元くノ一ですから」

 にこりと笑うすず。

「汗をかいても落ちませんから大丈夫ですよ殿」

 手鏡を見て満足する明家。

「ありがとう、すず」

「はい」

「ところでさえ」

「はい」

「明々後日に大坂へ出発する」

「もうですか?」

「うん、ただでさえ太閤殿下存命のおりに謀反している当家だ。大坂に人質を残していないまま国許にいつまでもいるといらぬ疑念を招く。唐入り戦死者の葬儀も終えたし、溜まっていた文書決裁もじき終わる。戻るよ」

「そうですね…」

「もう少し舞鶴にいたかったが仕方あるまい。小浜に助右衛門、舞鶴には勝秀と慶次を残していく」

「分かりました」

「もう大坂に行ってしまわれるのですか…」

 肩を落としたすず、やっと朝鮮から帰ってきたと思えばと席をろくに暖める暇もない。寂しいと思う。一緒に行きたいが輿では傷痕が痛むし、側室は国許にいるものだ。

「すず、そなたも一緒に参れ」

「え?」

「寝て行ける輿を作らせた」

「ほ、本当ですか!?」

「ああ、久しく舞鶴を出ていないだろうし、京の曲直瀬家に行き治療の経過も診てもらった方がいいだろう」

「う、嬉しい!殿ありがとうございます!」

「殿、しづは連れて行くのですか?」

「おいおい、まだしづは側室になってくれたわけじゃないぞ」

 三人は顔を合わせて笑った。

 

 明家はしづに求婚するため城を出た。城門まで見送ったさえとすず。

「おかしな話ですね、他の女子に求婚する良人をこうして笑顔で見送るなんて」

 と、すず。

「そういえばそうね」

 さえは苦笑した。

「後の女子は何と言いましょう。越前守の女房二人はずいぶんと人が好いと言いましょうか」

「でも本来なら殿には側室はまだ何人もいたはずです。小山田の月姫殿、若狭水軍の那美姫殿、他にも殿はずいぶんと女子から求愛を受けています。でもすべて断りました。いずれも美人なのに」

「確かに…」

「亡き太閤殿下の嫉妬を被りかねないので側室を増やして子はたくさん作らない方が良い、殿はそう申したけれどそれだけじゃないと思う。同じ太閤殿下に仕えている武将で幾人もの側室を持つ殿方は多いのですから。殿は女子が大好きですが、たくさん側室を増やして私やすずを悲しませたくないのです。二ヶ国の大名が妻二人ですものね。それに側室一人作るのにいちいち正室に許しを請う武将なんて聞いたことがありません」

 クスクスと笑いながらさえは言った。確かに二ヶ国の国主として妻二人は少ないと云えた。十人以上いても何ら不道徳ではない時代であるのだから。明家が丸岡五万石の大名となり、そして朝鮮の役が終わったこの時期までの間、記録により分かっているだけでも明家に側室となりたいと求愛した女性は五人いる。その中に与禰姫は含まれていないので、少なくとも六人以上いたと云うことだ。しかし明家は全部断っている。必要以上に子を成して秀吉の不興を買いたくないと云う思惑もあったろうが、糟糠の妻のさえと自分を庇って満足に歩けなくなったすずを悲しませたくないと思っていたのかもしれない。

「でも外に何人か」

「確か四人でしたね」

「はい」

「良いではないですか。外に女の一人二人作れない男に大きいことができますか」

「何だかんだ、殿が一番愛しているのは御台様ですものね」

「その通り!」

 さえとすずは笑いあって城の中に入っていった。

 

 一方のしづ、一番良い着物を着て、母のみよに髪も整えてもらい、さあ城に行くぞと思えば

「ごめん」

 しづとみよは顔を見合わせ

「あの声は…」

 これからしづが訊ねる予定であった明家の方からやってきた。手に花束を持っている。城を出てから手ぶらではなんだと思い購ったらしい。しづが着飾っていたので

「な、なんだ、出かけるのか。では出直して」

「い、いえ良いのです。いまお城にお殿様を訊ねようとしていたところですので」

「お、俺を?」

「はい、とにかくどうぞ」

 みよが呼び止め、家に入れた。

「あの、しづ、これを…」

 花束を贈る明家。

「あ、ありがとうございます…」

「は、話があるんだ。いいか」

「はい、伺います」

 みよは席を外した。明家はガバと平伏した。

「お、お殿様?」

「本当にあの時はすまなかった。ちゃんと理由を言う」

「理由?」

「正直に言う。あのおり、俺は長く空閨の状態で、かつ豊臣家へのお勤めで色々と鬱憤も溜まっていた。そこにまあ…美しく成長したそなたを見て、もう我慢できなくて…どうしても抱きたくなって…。すまなかった!」

「本当に正直に仰せです…」

 やっと顔を上げた明家。

「やってしまったことをやり直しにできない。だから責任を取らせてほしい。男を信用できなくなっているのは分かる。だから俺のこともいきなり信じろとは言わない。じっくり見て、そして信じ、やがて本当に俺のことを愛してほしい」

「しづに愛人になれと?」

 明家の側室と愛人の違いは何か。平たく言えば側室にしたくてもできない状況にある女性を指す。しづの場合はそういうものはない。

「いや、俺の側室となってほしい。うんと大事にする。さえとすずと同じくらい大事にする」

「……」

「一生かけて、そなたに償う。償わせてほしい」

「一つ、聞かせて下さい」

「…なんだ?」

「お殿様は御台様が病に倒れたとき、亡き太閤殿下の出陣命令さえ断りましたね」

「そうだ」

「私が側室になったとします。そして大病に倒れました。同時に柴田にとって存亡の危機に遭遇したとします。私と柴田どっちをとりますか」

 明家は困った。しばらくしづを見つめ、やがて目をつぶり思案を重ねた。額に汗もにじんでいる。苦悩に顔がゆがむ。真剣に考えた。しづも付き合い、明家の思案中は動かなかった。一刻(二時間)考えたすえ、やっと明家は答えを言った。

「柴田家をとる」

 するとしづ、にこりと笑い、三つ指を立ててかしずいた。

「分かりました。お殿様に責任を取っていただきます」

「しづ…」

「試すようなことを申してすみません。でもお殿様にとっては三人目の妻でも私には生涯ただ一人の良人となる方。その方の心底を見たかったのでございます」

 しづにとって答えは正直どちらでも良かった。ただこの二択を思い切り悩んだうえで出して欲しかっただけなのだ。ただ熟慮のうえ『しづを取る』と言ったら、『それは駄目です』と言うつもりだった。そんなことは自分を手篭めにした負い目から言うに過ぎないからである。自分は正室さえには及ばないし、及んでもまたいけない。いざと云うときには私よりも国や家を選択してほしい。父の鳶吉の背中を見て育ち、しづはそう思える女に長じたのである。そして再び三つ指立ててかしずいた。

「しづはお殿様の側室とならせていただきます。ふつつかものですが、懸命にお尽くしいたします。よろしくお願いします」

 しづを抱きしめた明家。

「うんと大事にするぞ…」

「殿…」

 こうしてしづは柴田明家の三人目の妻となったのである。母親のみよも城に上がり、娘であるしづの侍女頭となり、後にしづが生む孫たちの世話に追われる忙しくも楽しい日々を送ることになる。




本編では亡くなってしまったしづですが、史実編では側室となります。
デメタシデメタシ


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利家の死

 しづを娶ってから二日ほど経った舞鶴城、城内に作った朝鮮出兵戦死者の慰霊廟、その位牌に合掌する明家に小姓が来た。

「殿、大坂の治部少様から書にございます」

「ふむ」

 その書状には徳川家康が秀吉の定めた御掟である大名同士の私婚を無視して伊達家、福島家、蜂須賀家と婚姻を約定したと述べてあった。家康の六男辰千代(忠輝)に伊達政宗の娘の五郎八姫が嫁ぎ、福島正則の子の正之、蜂須賀家政の嫡子至鎮に家康の養女が嫁いだ。秀吉の定めた掟を破ったことで豊臣家の奉行は家康を訪ねて詰問した。家康はただ『一時の失念であった』と、とぼけた返事をするばかりか凄みを利かせて逆襲し使者を追い返して、けして非を認めようとはしなかった。これには温厚な前田利家も激怒。

「儂の前でも同じことが言えようか!態度によってはその場で討ち果たしてくれる!」

 三成の書には、その一連の流れが記され『とうとう内府は尻尾をあらわにした』と忌々しそうに書かれてあった。豊臣家に忠誠を尽くす三成には我慢のならないことであったのだろう。

「…あれほど無視をしろと言ったのに」

 このころ大坂城の秀頼には前田利家が後見役としてついていた。伏見城の家康とは一触即発状態、利家の存在が家康の独走をかろうじて押さえている状態であった。

「やっぱりゆっくりはしていられないな。旅支度を整えておいて良かった」

 

 続けて小姓がやってきた。

「殿」

「うむ、どうした」

「お迎えに参りました」

「ああ、もうそんな時間か。すぐに行く」

 明家は城内の広間に行った。今日は尼子再興の日なのだ。先代勝久の一人娘の美酒姫、鹿介に厳しくも優しく養育され、立派な女子となっていた。その婿養子となる男が本日美酒姫と婚儀を結ぶ。新たな尼子当主となる若者は元柴田明家の馬廻り衆の若者で名を遠山景清と云った。遠山氏は明家養父水沢隆家の妻の家である。その遠山氏の居城である美濃岩村城を織田信忠の寄騎として攻め落とした時、明家、当時水沢隆広は遠山氏の嫡男の遠山千寿丸を救出している。現在その千寿丸は遠山景輝を名乗り明家に仕えている。景清はその甥である。

 水沢隆広の下命を受けた藤林忍軍はその千寿丸の姉も助けていた。名を美々と云うその娘が当時の城主秋山信友の連れ子だったのか、前城主遠山景任の子であるのか、いまだ不明である。分かっているのはその娘が景清の生母と云うことだ。未婚の身でありながら男子を生んだ。

 しかし景清を生んですぐに亡くなってしまったと云う。生まれた景清は柴田家で養育され明家は大変慈しみ、そして早いうちから景清を尼子の婿養子と考えていたようで、かなりの英才教育も施しており加えて彼の母である美々を明家は丁重に弔っている。以上から景清の父親は明家ではないか、と歴史家は言っている。景清は剛勇の士であったが、大変な美男子で性格も温和だったと言われている。

「遠山景清、本日をもって尼子清久を名乗れ」

「はっ」

「美酒」

「はい」

「似合いの夫婦だ。亡き勝久殿も冥府で喜んでいよう」

「はい、ありがとうございます!」

 景清が婿養子になることに山中鹿介と尼子遺臣はまったく反対しなかったと言われている。それは景清が優れた若者であるに加えて当主明家のご落胤と知っていたからではないだろうか。悲願の尼子再興、その当主となる婿に無位無官の若者を迎えるはずがない。

 晴れて鹿介悲願であった尼子の再興は成った。柴田家に新生尼子家が誕生した。これを後尼子家と云う。凛々しき若き尼子当主を微笑み見つめる鹿介。

「俺の役目はこれで終わった…」

 美酒姫は育ての親とも云うべき鹿介にようやく恩返しできると思っていた。だが後尼子家再興の翌日、鹿介は尼子家に暇乞いを願った。

「そんな鹿介、今まで労に私は何も…」

「良いのです姫」

「山中殿、それがしには貴殿の補佐が欲しい」

「いえ清久様、ここまでがそれがしの仕事です。それがしは今まで尼子と柴田に仕える兼帯と云う方法を執っていました。よくそんな身勝手を明家様は許してくれました。これからは柴田明家直臣として、外から尼子を支えて行きたいと存じます」

「鹿介…」

「姫、何が困ったことがありましたらいつでもそれがしに。尼子から離れてもそれがしは姫と清久様のお味方にございます」

 こうして山中鹿介は兼帯ではなく、柴田明家直臣となったのであった。尼子再興に尽力した自分がいては、いつか姫と清久の重荷になる。鹿介はそう考えていた。育てた果実を自分で食べなかった鹿介。見事な退きぶりと言えよう。

 

 翌日、明家に山中鹿介、吉村直賢、そして一人の若者が目通りした。若者の名前は山中新六と云い、鹿介の嫡男である。まず直賢が切り出した。

「殿、手前は商人司を隠居したく存じます」

「そなたに隠居されると困るのであるが…」

「いえ、余人をもって代えられぬと云う人間は存在しませぬ。ちゃんと後継者はございまする」

「ふむ、誰か」

「はい、ここにある…」

「し、新六だと?」

「はい」

「冗談はよせ。新六は山中家の嫡男ではないか!」

 山中新六、父の鹿介が毛利の吉川元春に攻め寄せられた時にはまだ幼く、乳母に連れられて難を逃れていた。同じく鹿介も死の直前に部下たちに救出された。やがて父と合流して共に柴田家に仕えることになった。

 長じた彼は自分の得意分野で父の鹿介を支えてきた。尼子の遺臣を含め、多くの家臣を養っていた父の懐は火の車。新六は武技が苦手であった。合戦で父の役に立てないなら財で役立とうとしたのである。

 彼が目をつけたのは酒造であるが、当時は白濁の酒であるのが一般的だが彼はまったく透明な酒を作り出したのである。これが清酒である。新六は清酒を山中家の産業として売り出すことに大成功。商才も飛びぬけていたのだ。これによって鹿介は大いに潤い主家を助けることが出来た。嫡男新六が頼りになり嬉しい鹿介であるが跡取り息子をいつまでも酒造家の頭領として位置させるわけにもいかない。そろそろ酒造は他者に委ねて武将にと考えていた矢先、吉村直賢が新六を次代の商人司頭領としたいと鹿介に申し出たのだ。当家の一人息子をとんでもないと鹿介は固辞したが、いくら断ってもあきらめる様子がない。何度も鹿介を訪れて頼んだ。さすが直賢、将来に新六が自分以上の商将となりうると見抜いていたのである。自分の息子をその座につけずに新六に譲りたいと願う直賢にやがて根負けした鹿介は直賢の要望を受けて、山中家嫡男でありながらも柴田家商人司頭領に新六を据えることを了承した。

「待て鹿介、と云うことは…」

「はい、新六は廃嫡します」

「は、廃嫡、簡単に言うが山中家はどうするのだ!?」

「養子でももらいます。新六がお家のために役立つのならば当家の世継ぎとしてではなく、柴田家商人司の頭領として働かせようと存ずる」

「新六」

「はい」

「廃嫡と言われているが、そなたも得心しているのか?」

「もちろん最初は驚きました。しかしそれがしを後釜に据えられると決まった時の吉村様の感涙を見まして決意しました」

「ふむ…」

「合戦は苦手ですが、経営と算術ならば自負するところがございます。吉村様の働きに及ぶことはしばらく無理でしょうが、いつか必ず越えてみます」

「隠居と申しましても、三年ほどはこの二代目育成のため商人司の本陣にいるつもりです。三年後には私など足元に及ばない稀代の商将となりましょう」

「分かった。直賢がそこまで推すのならば間違いあるまい。新六、期待しているぞ」

「はっ!」

「しかし鹿介、本当に良いのか?」

「良いのです。それにまあそれがしもまだまだ現役でござるし」

 これで鹿介には自分の後を継ぐ男児がいなくなってしまったが、息子は自分に一番見合った役目についた。鹿介は養子をもらえば良いと考えた。彼は今まで二人妻を娶ったが、二人とも死別してしまい、後妻も娶らず、今は正室と側室もいないヤモメであった。

 しかしこれから数年後に明家の仲立ちで三人目の妻を娶り、その妻が鹿介の男児を生むことになる。そして新六もまた明家、直賢、鹿介の期待に応えた。柴田明家、勝秀、勝隆三代に仕え、そしてその三代にただの一度も金の心配をさせなかったと言われている。

 

 さて、柴田明家は正室さえと側室のすずとしづを連れて大坂へ向かった。ところでこのころ明家に嬉しい知らせがあった。勝秀の妻の姫蝶は先日に懐妊した。明家とさえは三十代で祖父と祖母となる。初孫の誕生に胸をときめかせながら、明家とさえは大坂への道のりを歩いた。ただ、さえは『せめて五十になるまでおばあ様と呼ばせない』と内心決めているらしいが。途中、丹波の柴田の宿舎。

「輿って腰が痛くなります」

 初めて輿に乗る旅路のしづは腰を押さえて苦笑して言った。食事をしていた明家、さえ、すずはあっけに取られてしづを見た。

「……?何か変なことを私言いました?」

「しづ、今の洒落か?」

「え?」

「輿って腰が痛くなるって…」

 ドッと笑うさえとすず。

「ち、違います!本当に腰が痛くなって!もう知りません!」

「あっははは、そう拗ねるなよ。さて、大まかなことを言っておくか」

「「はい」」

「と、言っても…さっきの俺の怒鳴り声は聞こえたろうから知っていると思うが…」

 明家一行が泊まった宿には時間差を置いて二人の使者が来た。石田三成家臣の舞兵庫と徳川家康家臣の本多正純である。

「前田と徳川が一触即発とは聞いていた。だから双方の陣営は俺を味方に入れようと説得に来た」

「そのようですね。で、殿はどちらにも…?」

 さえの言葉に明家はうなずいた。

「双方に『俺の国は唐入りの損害を補填するために手一杯なのだ。どこと戦うかは知らないが、とても兵なぞ出せるか。俺には部下たちと領国の民の暮らしがすべてだ。帰れ!』そして『今回の大坂行きとて他意はない。唐入りの後始末と豊臣の内政の雑務をしにいくだけ。かような話は迷惑千万』と言って追い返した」

「でも殿、前田様には先の謀反のおりに助力してもらった恩義がございます」

「無論、いよいよになったら前田につく。しかし俺がそれを明らかにすれば戦になる。心ならずもどっちつかずを今は通し、前田と徳川の戦を止める。そなたらもそのつもりでいてくれ」

「「はい」」

 しづはあっけに取られていた。

「しづ、ちゃんと聞いていたのか?」

「そ、それはもちろんですが、妻にそんな大事な話を聞かせても良いのですか?」

「ははは、他の大名は知らないが、俺は話すことにしている。その方がそなたらも安心するだろ?」

「え、ええまあ」

「では明日の旅路に備えてよく眠っておいてくれ。俺は家臣と少し話がある」

「「はい」」

 明家は妻たちのいる部屋から出て行った。

「しづ」

「はい」

「なかなか良い駄洒落でしたね。戦の合力を要望する使者により、殿は神経がピリピリしていたようですが一気にほぐれたようです。大事な方針を私たちにお話して下さいましたし」

 しづが明家の気持ちをほぐす意図で駄洒落を発したのをさえとすずも分かっていた。知らぬは明家だけと云うことだ。ペロと舌を出して赤面するしづ。

「殿は寒くなるような駄洒落を逆に好むとすず様に聞いていたもので…」

 笑いあう明家の妻たちだった。

 

 二日後、明家一行は大坂屋敷に到着した。

「そなたも長旅、ご苦労であった」

 大坂屋敷に到着し、刀の大小を渡しながら、共に来た正室さえを労う明家。

「殿も」

「さて、明日は秀頼様に目通りだからな。早めに休もう。風呂は湧いているか?」

「沸いてあります」

「よし、一緒に入ろう」

「はい(ポッ)」

「殿」

 小姓が来た。

「なんだ?」

「前田利家様がお越しにございます」

「大納言殿(利家)が?」

「はい」

「分かった。さえ、先に入りなさい」

「あ、はい!」

(残念…。前田様の馬鹿)

 部屋を出て行く明家の背を残念そうに見るさえ。立ち去る小姓を呼びとめて言った。

「私と殿が二人っきりで部屋にいる時は留守と言って下さい。そう頼んでおいたのに」

「い、いや前田様にそれは…」

「たとえ天皇陛下が来ても留守と言って下さい」

「そんな無茶な…」

 そろそろおばあちゃんになろうと云うさえなのに、気持ちはまだ新妻のようだ。

 

 前田利家が来た。明家は茶席でもてなす。

「結構なお手前で」

「恐縮です」

 しばらく昔話などをしていたが、それが落ち着き出すと利家は言った。

「のお越前」

「はい」

「前田と徳川が戦ったとしたら、お前はどちらにつく?」

「…恐れながら、どちらにもつきません」

「……」

「先の謀反のおりには…」

「かようなものを切り札に味方につけと言う気はない。お前の謀反の時、儂は名前を少し貸しただけにすぎん」

「大納言殿、それがしは…」

「分かっている。お前は舞鶴から前田と徳川の戦を止めに来たのであろう」

「…その通りです」

「できることなら儂とて戦はしたくない。しかし家康の専横を見過ごすわけにもいかん…」

「避けられないのですか…」

「そうでもない。前田と徳川、決定的な合戦の大義名分がない」

「確かに…」

「だから儂がそれを作る」

「待ってください。作るとは…」

「家康に我が身を討たせる」

「馬鹿な!」

「秀吉の遺命ことごとく無視したことを怒鳴りつけてくれる。罵ってやる。家康が怒り、儂を斬れば合戦の大義名分は立つ」

「しばらく!それがしは舞鶴から戦を止めに来たのでございますぞ!」

「戦は避けられない!前田と徳川は戦わずとも済むかもしれぬが、豊臣と徳川の戦は絶対に避けられんぞ!それを分からんお前ではなかろう!家康の天下への野望は明らかだ。無血で政権交代が行われるようならこの乱世は百三十年も続いておらん!前政権を駆逐する『みそぎ』が不可欠なのだ。だから家康は戦を仕掛けている!!」

 興奮した利家は胸を押さえて咳をしだした。

「前田と徳川の喧嘩を止めにのこのこと出てくる暇があったら舞鶴に帰り戦支度を…ゴホッ!ゴホッゴホッ!」

「大納言殿…!?」

 吐血が手ぬぐいにあった。ひどい汗もかいている。

「病を…」

「もう長くないわ。だからこの身を家康追討の大義名分を勝ちうるために捨ててやる」

「もし…内府がその挑発に乗ったら…」

「お前が家康を討て」

「な…!」

「お前なら勝てる。天下を取れ…!」

 利家はそのまま倒れた。

「大納言殿!誰か医者を!医者を呼んで参れ!」

 前田利家は明家の屋敷で治療を受けた。しばらくして目覚めた。利家の妻まつが呼ばれて来ていた。少し涙ぐんでいる。

「来ていたのか…」

「はい…」

「越前に礼を申しておいてくれ。体がだいぶ楽になっている。良い医師を呼んでくれたのであろう…」

「それは無論のこと私でやっておきます。とにかく殿は快癒のことだけを」

「明日、内府の屋敷に向かう」

「殿…!」

「言うことはそれだけだ。朝まで眠る」

 一方、明家は自室に篭り、腕を組んで考えことをしていた。そして月を見ながら思った。

(大納言殿…。内府はその挑発に絶対に乗りますまい…。それを一番分かっているのは大納言殿、貴方ご当人でしょう。貴方の真意は前田屋敷に内府殿を呼応して討ち果たすこと。だが内府の側近が命がけで止めようし利長にその覚悟はない。すべて徒労に終わりまする。それも貴方は分かっている。だから俺は止めません)

『天下を取れ…!』

 利家の言葉を思い出し、静かに首を振る明家。俺はそれを望んではいけない。そう思った。

(しかしやはり…豊臣と徳川の戦は避けられないであろう…。豊臣政権が存続するにはその戦をして勝つ必要があり、徳川もまた然り…。今回のように中立は無理だ。俺はどちらにつけば良いのであろうか…)

 

 翌日、前田利家は病身を押して徳川家康のもとを訪問して、毅然と彼の約定違反を叱り付けた。これは『儂の死後、法度に背く者があれば単身で当事者を訪ねて意見せよ。それで斬られるのは儂に殉じる事と同じ忠義の現れである』と云う生前の秀吉の言葉からだった。利家は家康に自分を斬らせて討伐の大義名分を得るつもりだった。しかし家康は誘いに乗らず、利家に詫びた。

 やがて柴田明家の仲裁により誓書を交換して武力衝突は避けられた。家康も政権中枢で孤立するのは得策ではないと見ており前田利家と和解に至る。それから一ヶ月後、利家の病状は重くなり、家康が大坂の前田屋敷で伏せる利家を見舞った。この時、利家が長男の利長に『心得ているな』と念を押すと、利長は『もてなしの準備は整っています』と答えた。利家は家康に後事を託した。家康が帰ると、利家は蒲団の中から刀を取り出し、差し違えてでも家康を斬るつもりだったことを利長に告げた。そして機を読みとれなかった息子に『お前に器量が有れば家康を生かして帰しはしなかったのに…!』と告げたと云う。利家は明家を枕元に呼んだ。

「二人だけにせよ」

「「はっ」」

 まつや利長、前田家臣は部屋から出て行った。

「越前…」

「はい」

「儂の自己満足となろうが…。一度お前に詫びたかった」

「詫びる?」

「賤ヶ岳よ…。儂はお前の父を裏切った…」

「大納言殿…それはもう申さぬ約束ではございませぬか」

「怨んだことだろう。だがお前は変わらず儂に接してくれた。嬉しかった…」

「…父の勝家は大納言殿を許していたではないですか」

 賤ヶ岳の敗戦後、柴田勝家は前田利家の居城である府中城に立ち寄り、利家の戦線離脱を一言も責めず、ただ湯漬けと馬を所望して去っていった。前田家から預かっていた人質の麻亜姫も返すことを約束した。

「今でも悔いる。なぜ戦場を離脱したか…!あの戦、玄蕃(佐久間盛政)の勇み足があったとはいえ、お前の軍勢は秀吉の大軍にも負けていなかった。儂さえ留まっていれば勝敗は違ったかもしれぬ。親父様(勝家)が勝ち、お前が柴田家を継ぎ、秀吉と同じく天下人の道を歩んでいれば、今の世はもっと良きものだったのではないかと…この頃よく考える」

「それがしが天下人とは大それた…」

「いや…お前なら、朝鮮への出兵など絶対にしなかったであろうし、統一後も円滑に緒大名をまとめていったであろう。だが秀吉にはできなかった。創造は出来ても守成ができない男であった…」

「大納言殿…」

「だが、今となっては無意味な仮説よな…。ふははは」

 空虚な笑いの利家。

「お前が秀吉に叛旗を翻したとき、もし秀吉がどうしても許さぬ場合、儂はお前につき秀吉を倒すつもりだった。それも秀吉への情けとも思ってな」

「……」

「お前は秀吉を本性寺で討つべきであったのだ」

「大納言殿…!」

「光秀の謀反とは違う。前田がついた。お前は天下が取れたのだ」

「それは違います。取れたとしても大殿(信長)や太閤殿下と同じくにわか天下でした。大殿は破壊、太閤殿下は創造をしました。これを引き継ぐのは守成の天下人でなければなりません。漢の劉邦のような自然に、そう天に選ばれたような方が天下人にならなければならない。破壊と創造を経てきた今、今度こそ長き泰平の世を作れる人物が天下人となるべきなのです。それがしが本性寺で殿下を討ち天下を取り、大納言殿と共に歩んだとしても、結局劉邦に敗れた項羽の役割が訪れる結果と相成りましょう」

「そういうものかな」

「そういうものと思います。反乱は反乱にすぎません」

「反乱は反乱にのう…」

「それがしは大殿や太閤殿下と同じ、自分一代かぎりの天下ならいりません」

「では何代にもわたり天下を治められる人物は誰なのか」

「恐れながら…徳川家康殿でしょう」

 利家は笑った。

「ふっははは、儂やお前は番頭止まりと云うことか」

「番頭も必要不可欠な存在です」

「相変わらず口の達者な男だな」

「恐悦に存じます」

 笑いあう二人。

「だがのう越前、秀吉の奴、儂に秀頼様を頼むと言いおった」

「伺っています」

「遺児を託されたからには願いを聞いてやりたい。あんな阿呆猿に成り果てたとは云え、あいつは儂の親友だからな…。何とか立派な君主にお育てしたかった…」

「何を…まるでこの世で最後の別れのように」

「そうなろう…。もう十分に生きた…」

「……」

「人間五十年…下天のうちを比ぶれば夢まぼろしの如くなり…」

 信長の好む『敦盛』を歌う利家、明家が続けた。

「ひとたび生を享け、滅せぬもののあるべきか…」

 フッと笑う利家。

「…秀頼様を頼むぞ」

「…承知しました」

「隆広…」

「…?はい」

 利家は明家を旧名の隆広と云う名で呼んだ。

「お前が家康と戦うか、それとも味方につくのかは知らん…。前者であるのならば今さら儂が言うことは何もない。もし後者ならば、秀吉に仕えたときと同様に用心深くせよ。家康とてお前が恐ろしいはずだ。『もったいない越前』は続けよ。そしてどんなに我慢ならぬことがあっても三条河原のような真似はするな。家康は絶対に許さんぞ。そういう男だ」

「利家殿…」

「家康の天下統一後に一大名として生き残りたければ、献身的に家康に尽くせ。さすれば家康はお前を無上に重用しよう。そういう男でもある」

「お言葉、生涯の教訓とします!」

「分かればいい…。さて、親父様に詫びに参ろうか」

 慶長四年三月、前田利家は没した。

「親父様…!」

 明家は利家をそう呼び、号泣した。

 

 ここは小浜城、奥村助右衛門の居城である。助右衛門の元に慶次が訪れた。慶次の用件は明家からの知らせを助右衛門に伝えることだ。家老の慶次がやることではない仕事だが、その内容から自分でやってきた。

「利家様が亡くなった…?」

「うむ…」

「そうか…」

 奥村助右衛門と前田慶次は元々前田家の出である。利家の兄である利久に助右衛門は仕え、慶次は利久の養子である。織田信長が鶴の一声で前田の家名を利久の子である慶次ではなく利家に継がせたのだ。

 利久の居城である荒子城の譲渡を助右衛門と慶次は拒絶。彼らはたった二人で前田利家五百と戦った。結果利久の明け渡し勧告により荒子城は利家のものとなったが助右衛門と慶次はそれを不服として出奔。助右衛門はその後に諸国を流浪して越前攻めで前田家ではなく織田家に帰参。その後に信長の人事で水沢隆広、後の柴田明家に仕えた。

 慶次はそのまま実父の滝川益氏の元に身を寄せて滝川の陣で戦っていたが、柴田勝家寄騎となった利家の元に帰参することになった。利家は兄の利久を厚遇していた。利久は武将としての才覚は乏しいが清廉な人柄で、ある意味利家よりも人望があり、利家もそれを慕っていた。だが人の好い兄では前田は立ち行かぬとあえて家督簒奪と云う挙におよんだ。利久もそれを分かったのか弟利家を憎まず、剛勇の養子が弟の支えになればと慶次を呼び戻した。人の意見など聞かぬ慶次だが利久だけには素直で、渋々だが利家の元に帰参した。

 しかしやっぱり反りが合わない。やがて利久が没すると、もう軍議にも呼集されない。再び出奔しようと思っていたところ朋友の奥村助右衛門を経て水沢隆広に仕えることになった。

 

 色々とあった。賤ヶ岳の戦いでは前田利家は羽柴秀吉に転身し、こともあろうに親父様と呼んだ柴田勝家の息子に降伏をすすめる。なんたる腰抜け、返り忠と助右衛門と慶次は唾棄していた。しかしそれももう過ぎたこと。黒田如水や蒲生氏郷のように明家がその才覚を秀吉に恐れられながらも遠ざけられなかったのは利家が影ながら庇っていたからである。あの謀反のときも利家の助力を得られなければ柴田は滅ぼされただろう。

「そういえば我ら一度も利家様にお礼を申さなんだな…」

 と、助右衛門。

「そうだな」

 慶次は返答しながら酒を飲んだ。

「丸岡ではすまないことを言ってしまった。『若い我が主につまらん処世術を吹き込むな。害になるだけ』と…」

「気にしていたのか」

「…まあな」

「ならば、召される叔父御に共に言おうではないか」

「何を?」

 今まで酒は慶次しか飲んでいなかったが、慶次は助右衛門の前の膳に杯を置いてなみなみと酒を注いだ。そして誰もいない上座に杯を置いて酒を注いだ。利家への酒であろう。慶次の意図を察した助右衛門は杯をとった。そして何も慶次と申し合わせていないのに、二人は同じ言葉を発して召される利家に言った。

「「お見事でござる、前田利家殿」」

 酒盃を一気に飲み干す助右衛門と慶次。彼らの耳には利家の『その方らも大義であった』と云う言葉が聞こえてくるかのようだった。



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兄と妹

 前田利家の葬儀が行われた。加賀百万石の大名に相応しい盛大なものだった。その葬儀も終えて明家が屋敷へ帰る道中、供をしていた山中鹿介が言った。

「いつまでも大納言殿(利家)の死を悲しんでもおられますまい。内府はここぞとばかり動きますぞ」

「そうだな…。佐吉め、内府の挑発に乗らねば良いが…」

「いよいよとなったなら、殿はどちらにつきますか」

「鹿介は避けられない戦いと思うか」

「御意」

「俺もそう思う。だが柴田家は、俺は両家と関わりすぎている…。秀頼様の母は妹の茶々、秀忠殿の妻もまた妹の江与…」

「確かに…」

「もう少し考えさせてくれ。いよいよとなったら決断する」

「はっ」

 

 ほどなく石田三成に激震が襲う。加藤清正らが石田三成を殺害せんと石田屋敷に向かったのだ。世に云う『七将襲撃』である。加藤清正、福島正則、黒田長政、細川忠興、浅野幸長、加藤嘉明、池田輝政ら七将が石田三成を討つべく挙兵したのである。大坂市中は騒然となった。大坂屋敷でそれを知った明家は愕然として、加藤清正と福島正則の元へ大急ぎで駆けた。

「主計頭(清正)!」

「越前殿か」

「どういうつもりか!太閤殿下と大納言殿が身罷った途端にこれでは豊臣家臣団は後世の笑いものぞ!」

「……」

「左衛門(正則)貴公まで何事であるか!いたずらに兵を動かし大坂の民を不安に陥れるとは!」

「……」

「その方ら!これは大名のなすことにあらず!夜盗の所業だ!」

「越前殿は治部の元主君ゆえ、そう申されるのでございましょう」

「つまらぬ言いがかりをつけるな長政!とにかく矛を収めよ!」

「お断りいたす」

「左衛門!」

「今まで我らが彼奴を生かしておいたのは、大納言殿がおりましたゆえ。治部は柴田にいた時期がござるゆえ、大納言殿が何かと擁護しておりましたゆえな」

「それともその制止は豊臣家大老として我らへの命令でござるか?」

「ふざけるな嘉明!俺が一度でも大老風を吹かせたことあるか!」

「ござらぬが越前殿は豊臣家大老、何より我らとも懇意、だから元越前殿の側近であったのを鑑み、大納言殿が没した後に治部が我が身を振り返り石田の家督を嫡男重家に譲り隠居いたせば腹立たしいが手出しはすまいと決めており申した」

「何だと?」

「しかし治部はそうせなんだ。治部は我ら朝鮮にて戦っていた者たちの苦労を分かろうともせず、大坂城で秀頼様に取り入り尊大に振舞うばかり。我らも堪忍袋の緒が切れましたわ」

「どうあっても決起はやめぬのか」

「やめぬ」

 清正が答えた。

「だが安心されよ、越前殿の元家臣と云うことも入れ苦しむような殺し方はせぬ。腹を切ると云うのならばそれも許すつもりでござる」

「左様、邪魔をされるなら力づくでされよ。しかしそれこそ後世に笑われる豊臣家臣団の分裂ではございませんかな?」

「左衛門…」

「ならばこれにて」

「待て!」

 七将の前に立ちふさがる明家。

「分からんのか、武断と吏僚の反りが合わないのは当たり前だ!その方らとて君主として国を持つ身!槍働きの者たちだけで政治が成り立たないことくらい分かっていようが!国の経営には必ず実務や計数に長けた者を登用しているはず!自分たちの家に置き換えれば治部がどんな覚悟で豊臣の政治をしてきたか分かるであろう!嫌われぬよう好かれるよう立ち振る舞うのが簡単であるのに、なぜ治部はそうせなんだか考えたのか!誰もが嫌われるのを恐れていては政治にならない!だからあいつは嫌われることも、本来は太閤殿下に向けられたはずの憎悪も我が身に受けたのだ!なぜ若年のころから太閤殿下に仕えた者同士と云うのに分かってやれぬのだ!」

「では治部はこういう運命が待っていることも覚悟していよう」

「忠興…」

 そんな正論で片付くほど確執は浅くない。忠興は暗に明家へ言っている。

「越前殿、貴公は唐土の故事を出して物事を例えるのが上手であるが、それがしも真似て言おう。太閤殿下と云う後ろ盾を無くした治部が唐土の呉起、商鞅の運命を辿ることくらい貴殿ほどの知恵者がまったく想像つかなかったとでも?嘉明殿が申したように治部が我が身を守るためにすべきことは隠居であった。さすれば我らとてかような仕儀には至らなんだ。だがあいつは豊臣政権奉行にしがみつき秀頼様を擁して実権を握ろうとしている。出処進退の見極めもできぬ男に無用なかばいだては御身のためにもならぬと思うがな」

 唐土の『呉起』『商鞅』とは先代に重用され、次代になると先代期に怨みを持たれた者に殺された者である。呉起と商鞅は卓越した政治家だった。まさに今の石田三成の立場がそれである。忠興に言われるまでもなく明家は『呉起』『商鞅』の例えを出して名護屋城で三成を説得した。しかし結局三成は明家の説得を聞かなかったのだ。

「止め立て無用、退かれぬのなら他の道で行くまで」

 と、池田輝政。何を行っても無駄、明家は悟った。七将は明家の制止を振り切り、石田屋敷に向かった。七将がこれだけ三成を憎むに至るに決定的となったのが朝鮮出兵である。加藤清正も明家や三成と同じく朝鮮出兵は失敗すると早くから痛感していた。そのため和議による早期撤兵は賛成であったが、明と秀吉の出す講和条件には、大きな差異があった。

 このため、清正は和議の差異を縮めるためにはなおも日本軍の武威を示す必要があるとして、ある程度の戦争継続を主張していた。三成はそんな清正を疎み、朝鮮出兵において加藤清正の軍律違反と清正が豊臣姓を与えられていないにも関わらず『豊臣清正』と署名して明側と交渉していたと云う事実を秀吉に報告したのである。それで激怒した秀吉は清正を本国に強制送還させ申し開きに来た時も会おうとしなかった。

 加えて清正の軍律違反とは、小西行長が先陣と決まっていたにも関わらず、清正は無視し戦闘を開始し、後方支援を無視して戦線を拡大させたため、加藤清正の部隊のみならず小西の部隊も危機に陥れた。この重大な軍令違反を三成が秀吉に報告したことを知った清正は『あいつは戦場を知らない』と自分の過ちを認めず、一方的に三成を不条理にも責めた。清正自身は三成が罪状をでっち上げたと思っていたらしいが事実ではない。

 しかし三成がこれにより武断派の筆頭とも言うべき加藤清正に激しい憎悪を受けるに至ってしまったのである。三成は真面目すぎたのである。朝鮮出兵のおり、大谷吉継と共に軍監として朝鮮に渡海し、現地の行政や兵糧運送などを担当した。そして加藤清正や福島正則らの功績を自分で見たとおりにしか秀吉に報告しなかった。

 柴田明家はそんな杓子定規な報告があるかと怒鳴りつけたが三成は事実を湾曲して伝えられないと拒絶。少しは過大に報告して武断派の面々に恩賞を与えるように計らえば良かったのであるが、三成はそうしなかった。これが武断派諸将には三成が秀吉に詳しく功績を報告せず、握りつぶしていると云う誤解を生んだ。武断派と吏僚派の分裂は秀吉が生きている時代からあったものの、それを修復不能にしてしまった三成の責任は免れない。

「もうどうにもならん…。豊臣は内部から崩壊する…」

 明家は三成の屋敷の方向を見つめた。

「佐吉、一つだけお前が助かる方法があるが、もうお前に伝える術がない。知恵者の左近殿がついている。何とかその方法を閃いて欲しいものだが…」

 

 このころ石田三成は石田屋敷を出て、宇喜多秀家の屋敷に避難していた。佐竹義宜や島左近も共にいた。

「市中はもう加藤と福島の兵であふれておる。もはやどこにも逃げられぬ…!」

 と、佐竹義宜。

「不意を衝かれて、当家は何の備えもない。囲まれたらひとたまりもないぞ」

 頭を抱える宇喜多秀家。

「一つだけ手がございます」

 と、島左近。三成が訊ねた。

「左近、それは?」

「内府の伏見屋敷へ行くことにござる」

「な、内府の伏見屋敷へ逃げろと?」

 驚く三成。明家が脳裏に浮かんだただ一つ命の助かる術もこれである。

「馬鹿な!内府こそ今回の騒ぎの首魁であろう、行けば殺されるぞ!」

「その通りじゃ。これ幸いと首を斬る。飛んで火にいる何とやらじゃ!」

 反対する宇喜多秀家と佐竹義宜。

「七将は殿を憎悪しています。内府が七将を手なずける方法は『三成憎し』の感情を利用すること。内府は殿に生きてもらわねば困るのです」

「…左近の言うことにも一理ある」

「もはや加藤と福島らは話の通じる相手にあらず。黙って討たれるおつもりか」

 三成は少し考えて決断した。

「…よし、ここにいても彼奴らの餌食になるだけ。死中に活路を求めてみよう。伏見の徳川屋敷に向かう」

「はっ」

 三成は左近と共に徳川の伏見屋敷に到着した。屋敷に入れた家康。そして別室で待機させ本多正信と話し合った。待たされる部屋の中で三成と左近は黙して座っていた。

「さあ、どうする内府…」

 しばらくして三成と左近は家康に呼ばれた。

「やれやれじゃのう治部殿、太閤殿下から後事を託されたと云うのに、かような騒ぎを起こす要因となりはて…。いやはや大した忠臣じゃ」

(くっ)

 島左近は家康に平伏しながら唇を噛んだ。三成が家康に答えた。

「面目次第もございません。こたびの騒動はそれがしの不徳のいたすところ…」

「ふむふむ」

「ただし半分の理由でござるが」

「半分?では残る半分は?」

「豊臣家を滅ぼさんとする巨悪の陰謀によるものかと」

「なに?」

 明らかに家康を指して言っている三成。にらみ合う家康と三成。

「ふん」

 家康は爪を噛み、千切った爪をプッと吹き出した。

「まあ、良かろう。半分は自分の非を認めているのであるからな。ここは儂が主計頭らを説き伏せよう」

「恐悦に存ずる」

(やはり殺せなかったな…。そう内府は俺に生きていてもらわねば困るのだ…。内府の目的は俺の命なのではない。天下なのであるからな)

 すぐに七将が徳川屋敷に到着。だが家康は

「治部に手出しならん」

 と追い返したのだ。そして再び三成と左近に会った。

「加藤と福島はこのままでは収まるまいのう。そうとう殺気だっておる。治部殿も何かそれなりのことをせねばなりますまい」

「どうせよと?」

「隠居されよ。家督は嫡子重家殿に譲られ、貴殿は佐和山で隠居されてはどうか?」

「…承知しました」

 このあと、石田三成は徳川勢に護衛されて佐和山城へと向かった。この時点で三成は失脚したのである。その道中。

「殿、生きて難はしのげましたが代償も大きかったですな…」

 と、島左近。

「ふむ…」

「だが殿はまだ生きております」

「そうだ、生きてさえいれば!」

 

 家康は屋敷の庭で本多正信と話していた。

「治部め、儂が今の自分を殺せぬと見て参ったのじゃろう。結構肝が据わっておる」

「いやいや、あの男にそんな度胸はございますまい。島左近の入れ知恵と存じます」

「左近か、治部には過ぎたるものよ」

「過ぎたるものは左近だけではございませぬ。主計頭ら七将の決起、越前が必死に止めたそうにございますぞ」

「ははは、結果は不首尾とは申せ、あの狐(三成)にも必死に思いやってくれる友がいると云うことか。しかし越前とは敵になりたくないの。越前の才智は無論、家臣も奥村助右衛門、前田慶次、山中鹿介と曲者揃いじゃ」

「殿と越前は武田攻め以来の親交ではございませんか。若殿(秀忠)の奥方は越前の妹でありますぞ」

「だからと言って敵か味方になるかは別問題じゃろ」

 笑う家康。

「大納言と、あわや合戦になる時、彼奴はどちらにもつかなんだ。誘いに来た治部の使いを一喝して追い返したと聞く。無論、当家の使者も同じ目に遭ったがな」

「ははは、正純(正信嫡子)の説得に聞く耳持たなかったと聞いております」

「正純には『俺の国は唐入りの損害を補填するために手一杯なのだ。どこと戦うかは知らないが、とても兵なぞ出せるか。俺には家臣と領国の民の暮らしがすべてだ。帰れ!』と怒鳴ったらしいが…本心と思うか?」

「違いましょうな。人員の損失はありましょうが財政的には唐入りにおける損失は越前にとってさほどの痛手ではなかったと存知まする。何せ商売上手の家ゆえ。それに我らも前田も唐入りには出ておりませぬ。『唐入りでの損害を補填するために手一杯』『領国の民の暮らしがすべて』と返されれば飲まざるを得ませぬ」

「確かにのう」

「なんの殿、越前は信長公の時代はネコ、太閤時代はもったいない越前と呼ばれた者。殿は武田信玄や上杉謙信の衆も存じている武将。柴田明家ごとき者は掃いて捨てるほどおりましょう」

「小気味の良い話ではあるが、越前はその謙信を寡兵で退けた男。油断はするな」

「はっ」

 逆に明家を軽視するようなことを述べて、改めて主君家康が“油断ならざる越前”と自戒するように運ぶ正信。老獪な副将である。

「しかし殿、治部がこのまま大人しくしているとは思えませぬ。治部が挙兵に及べば、やはり越前は治部につくでございましょうか。柴田で水魚のごときの主従であったと聞いておりまする」

「そうとも限らん。越前の家族や家臣に対する思いは強い。味方につく勢力を情では選ばぬだろう」

「しかし殿、秀頼様の生母の淀殿は越前の実妹。越前が治部につけば秀頼様の出陣もありえます。これは厄介ですぞ」

「つまり弥八郎(正信)は越前がどちらにつくかで勝負が決まると?」

「御意、秀頼様が出てきては徳川も大義名分が立ちませぬ」

「ふむ…。そうはさせてはならんな。やはり何としてでも越前を味方につけねば」

「御意」

 

 そして正月となった。家康は秀頼に年賀の挨拶のために大坂城を訪れた。しかしそれは名目。大坂城の乗っ取りが目的である。この当時、家康の暗殺が噂されていた。自らそれを流布させた。その噂を利用して家康は軍勢を連れて大坂城に入城したのだ。すでに上杉景勝、毛利輝元は帰国しており、三成は失脚して佐和山にいる。立ち向かえる者はいない。三成が期待したのは明家であるが、それは叶わなかった。その明家が城門で家康を出迎えたのである。家康にも意外であった。

「これは内府殿、本年もよろしゅうお頼み申す」

「おう越前殿、しばらくでござる。儂こそ本年もよろしく」

 そして家康と歩を揃えて城へ歩き出した。

「内府殿、今年こそは碁と将棋、貴殿より勝ちを得るつもりにござる」

「ははは、いつでもお相手いたそう」

 後を歩く本多忠勝も言った。

「僭越ながら、それがしもお相手いたしますぞ」

 明家はヘボ将棋、ヘボ碁で有名だった。それなのに将棋と碁が大好き。下手の横好きの典型である。家康や本多正信、本多忠勝には連敗記録を更新中だ。

「それはありがたい、もう柴田家では相手になる者がおらんので」

「嘘はいかんな、嘘は!」

 家康が言うと一行は笑いに包まれた。

「ところで越前殿、暮れは大坂で過ごされたのですかな」

 訊ねる家康。

「ええ、茶々と過ごしました」

「ほう」

「丸岡落城以来、茶々と暮れを過ごせることはできませんでしたから。恐れながら太閤殿下身罷り、やっとその機会が参った次第で」

「なるほど、兄上を慕う淀の方様、嬉しかったであろうのォ」

「茶々は実家である当家に戻し、秀頼様は豊臣の直臣衆にお任せするつもりです。秀頼様はもう七歳、そろそろ母親から離れませんと」

「ふむ確かに」

「正月が開けたら茶々を舞鶴に迎え、再婚でも世話しようかと」

「おお、それは良いですな。花婿候補が中々決まらなかったら遠慮なく申されよ。協力いたそう」

「かたじけのうございます」

 淀の方が秀頼から離れれば、自分がより秀頼を傀儡としやすい。渡りに船である。あわよくば明家の一の妹茶々を徳川の者と結ばせられれば柴田明家を来るべき豊臣の戦で味方に入れられる可能性は高い。本当はもっと大乗り気で『では徳川の嫁に下され』と言いたかったほどだが、ここは堪えた家康だった。しかし、ことは明家の思うようには運ばなかったのだ。

 

 一方、石田三成居城の佐和山城。三成の重臣の島左近が三成に報告した。

「越前殿が内府を出迎えただと!?」

 肩を落とす三成。しかも家康や徳川家臣団と談笑しながらであったと。元々家康と明家は武田攻め以来からの縁で親しかった。

 明家の三の妹である江与、佐治一成との離縁、羽柴秀勝との死別を経て秀吉の元に帰って来た時、江与の美貌を見た秀吉は彼女も側室にしようとした。長女ばかりか三女まで側室になっては兄として母お市に申し訳が立たないと思った明家は家康に何とか徳川の若者に嫁げるようにしていただけまいかと要望した。家康はそれを快く引き受け、世継ぎの秀忠の妻に迎えたいと述べた。徳川世継ぎに明家の妹が嫁ぐ。最初は渋った秀吉であったが家康の頼みでは無下にも出来ず了承したのだ。そういう縁もあり家康と明家は親しかった。

 しかしそんな経緯があっても柴田勝家に仕えている時は水魚の君臣であった自分に味方してくれると思っていた。

「越前殿だけは…俺の味方についてくれると思っていたのに…」

「殿…」

「今にして思うと本性寺にて越前殿に謀反の罪をなすりつけようとしたのは誤りであったかもしれん。越前殿は何とも思っていないだろうが家臣たちが俺を許してはいまい…。石田治部は旧主越前を悪辣な謀略で殺すつもりであったと…。今さらどうにもならんが」

「恐れながら尚武の気風の柴田家でかようなことを根に持つ者はおりますまい。あの本性寺は殿と越前殿の堂々たる知恵比べ。まさに殿はあの時に智将越前の良き敵でありました。越前殿も柴田重臣たちも殿を認めこそすれ、悪辣な謀将と見て味方につかぬと云うことはありえませぬ」

「左近…」

「そう落胆されるな、まだはっきりとしたわけではござらんぞ」

「左近…。真意を確かめてきてくれぬか」

「承知しました」

 

 大坂城内で正月の年賀を諸大名が家康に述べた。その後、明家は茶々と話した。

「兄上、諸大名は秀頼殿と同じ儀礼で内府に年賀を述べたそうにございますね」

「ふむ」

「兄上さえもそうなさったそうですが、それでは大坂城の主は誰なのか分からなくなります」

 自嘲気味に茶々は笑った。

「大坂城の主は秀頼様だ。我々は大老筆頭の内府殿に礼儀を示したにすぎない」

「ならばなぜ、秀頼殿と同じ儀礼でなさるのですか?」

「つまり先年まで太閤殿下にやっていた儀礼だ。他の年賀の複雑なしきたりなど内府殿も我らも知らない。作法を知っている儀礼でやったまで。妙な勘ぐりはやめよ」

「……」

「さて茶々」

「はい」

「太閤殿下が召され、正月を明けるまでは黙っていたが…」

「…?」

「当家に戻って来てくれ。秀頼様は太閤殿下の世継ぎ。そなたの息子であり、そなただけの息子ではない。豊臣の重臣たちに養育を委ね、後事は任せよ。そなたは当家に戻り再婚いたせ。それが嫌なら亡き太閤殿下の菩提を弔うもよし」

「……」

「殿下に降伏してより犠牲を強いて本当にすまなかったと思う。当家に戻ってきて豊臣と徳川いずれも気にせず、平穏に生きよ。そうさせてほしい茶々」

「…お断りします」

「……」

「誤解なさらないで下さい。私は兄上を微塵も怨んではいません。若狭はいらないから妹を返して欲しいと地に顔をつけて殿下に懇願していた兄上の姿、我ら三姉妹どれだけ嬉しかったか…。柴田家のため羽柴の人質になることを決めたのは私たちです。犠牲を強いられたなど考えたこともございません」

「ではなぜ、殿下の呪縛が解けたと云うのに実家である当家に戻ろうとしないのか」

「兄上、私は浅井、柴田ではなく豊臣の茶々にございます」

 しばらく見つめ合う茶々と明家。

「…なかば、そんなことを言うのではないかと薄々は感じていた」

「兄上」

「丸岡落城から十数年…。俺も成長したであろうが、そなたも戦国の風雪にもまれ成長している。いつまでもかわいい妹のわけがないな」

「そういう意味ではありません兄上」

「ん?」

「私が太閤殿下の側室になる決心をしたのは必ずや殿下の子を生み世継ぎとし、殿下亡き後、兄上に太閤の天下を乗っ取らせるためです」

「なに?」

「兄上、天下をお取りなさいませ」

 驚いた明家、茶々の目は本気である。明家は茶々が秀吉の側室になった覚悟の根源を悟った。茶々は兄の自分に豊臣秀吉の天下を乗っ取らせようとしていたのだと。しばらく見つめ合う明家と茶々。

「今こそ、我らが母お市の無念を晴らす時にございます」

「茶々…」

「殿下は秀頼と徳川の千姫の婚儀を遺言として残しましたが、そんなもの無視してかまいません。兄上の三女(咲姫、さえの次女)が秀頼と年齢の釣り合いがとれます。これを娶わせましょう。私たち兄妹で太閤秀吉の天下を牛耳るのです」

「…今のは聞かなかったことにいたす」

「兄上?」

 ふう、と明家は息をつき、静かに語った。

「…茶々、天下と云うものはな、奪おうとして奪えるものではない。お前が言っていることは反乱に過ぎない」

「反乱?」

「確かに秀頼様を傀儡として、お前の助けがあれば天下は取れるかもしれない。しかし所詮は明智光秀殿同様に三日天下だ」

「なぜそう言い切れるのですか。兄上は軍事も内政も当代並ぶ者なしの武将にございます!」

「光秀殿は俺など足元にも及ばない天才的な武将だった。能力だけではなく心よりも十分備えた方で、家臣の裏切りを一度も経験したことがないと云う稀有な方であった。だが結果は天下の謀反人と云う悪名しか残らなかった」

「……」

「茶々、無理をして天下を取っても必ず滅ぼされることは歴史が証明しているのだ。我ら兄妹の決起、地の利は別として天の時と人の和にまるで叶っていない。必ず失敗する。反乱で大事を成したものはいない。俺は三日の天下などいらない。いるのは茶々、お前の幸せなんだ。お前にそんな覚悟をさせてまで殿下の質に至らせたのであれば尚更だ。今からでも遅くはない。お前は兄自慢の美人の妹だ。いくらでも新しき縁はある。柴田家に戻ってこい。兄を安心させよ」

「………」

 茶々は明家をしばらく見つめ続けた。そして言い出した。

「兄上、私は豊臣秀頼の母です」

「…?」

「たとえ兄上に野心なくとも、汚い男たちに我が息子を利用させてなるものですか。私は秀頼を守るため大坂に留まります」

「……」

「帰って下さい。決心が鈍ります。兄に天下を取らせるのではなく、秀頼に天下を取らせると今決めました」

「茶々!」

「兄上が悪いのですよ」

「なに?」

「私に…この世で一番憎い男、羽柴秀吉に身をくれてやってもいいと思わせた、そうさせた兄上が悪い。私の時はもう戻らないのです。何が今さら柴田家に戻り幸せになれですか!兄上は偽善者にございます…!」

『兄に天下を取らせる』これが茶々を支えてきた信念であった。だが兄の明家にその気はない。彼女の失望いかばかりであろうか。

「偽善者か…。かもしれんな」

「天下への野望を捨てた武将など、もはや武将ではございません。北ノ庄で見た兄上は妹の私でさえ惚れずにおれぬ智勇備えた猛々しき武将でした。それが今では何ですか。ただの腰抜けにございます」

「そうか…」

「越前守」

 呼び方が変わった。豊臣の茶々として言っている。明家も気持ちを切り替えた。

「何でござろう」

「秀頼殿を確固たる天下人とするために内府と遠からず戦うことになるやもしれません。柴田家は亡き太閤殿下に二ヶ国を与えられ厚遇されました。越前守は当然秀頼のために戦ってくださいますね?」

「…それは来るべき豊臣と徳川の戦において豊臣につけと?」

「その通りです」

「…淀の方、それがしは負ける戦はしません。家臣領民のため勝つ方に味方します」

「……」

(…それが結果としてお前と秀頼様を救えることに繋がるからだ。だが今のお前に言っても分かってはくれまい…)

 明家は立ち去った。兄の後ろ姿を見ようともしない茶々。かつて初恋であった兄の姿を。

 

 一つの事件が勃発する。宇喜多騒動である。

 宇喜多秀家、柴田明家より十二歳年下の若者である。戦国の梟雄宇喜多直家の次男で直家の急死によりわずか九歳で家督をついで秀吉の養子となり、その元で成人する。眉目秀麗で智勇兼備な若者で、秀吉の主なる合戦には多大な手柄を立てた。若いながら、秀吉政権の中枢となり二十三歳の若さで岡山城を本拠地とし五十七万石の大名として栄華を誇っていた。秀家の妻は豪姫と云い、前田利家の娘で秀吉の養女である。いかに豊臣政権で重く見られていたか推察できる。

 彼と柴田明家が共通していることがある。愛妻家と云うことだ。秀家は妻の豪姫を盲愛していた。秀家が朝鮮の役から帰ってきて間もなく豪姫が大病を発した。秀家は妻を愛するあまり豪姫の病を祈祷によって治せなかった日蓮宗の僧に激怒し、領内の宗徒に対して改宗を強要したのである。豪姫はキリシタンであったからである。しかしこの改宗の強要がいけなかった。これが日蓮宗徒の多い家臣団の反発を招いてしまう。やがて豪姫は快癒したが、もはや先代直家の時代から固い結束で結ばれていた家臣団との分裂は避けようがなかった。

 家康はこれを見逃さなかった。秀家に豊臣家ではなく徳川家に味方するよう使者を出したが秀家は一蹴。ならばそのチカラを削いでしまおうと重臣たちの調略を謀った。豪姫と共に前田家から来た新参者や、豊臣家から付けられた家臣たちに比べて冷遇の感があった宇喜多詮家、岡家利、戸川道安、花房職之は秀家に謀反。主君と対決と云う事で髷を切り、秀家の大坂屋敷に立て篭もってしまった。大坂城内、家康と諸将がこの宇喜多騒動の対策について話していた。明家もその中にいた。

「儂が調停に立つしかあるまい」

「お待ちを、大老筆頭が真っ先に行けば、それより下位に人なしと喧伝するようなもの」

「では越前殿、誰なら良いと?」

「大谷刑部殿が適任かと」

「刑部が?」

「はい」

「ふむ…。刑部、どうか?」

「越前殿の推薦とあらば断れますまい。お任せを」

「…良かろう、では刑部に任せる」

「はっ!」

 席を立ち去っていく大谷吉継の背を見つめる明家。吉継と明家は知っていた。この宇喜多騒動の黒幕は家康だと云うことを。宇喜多のチカラを削ぐための謀略。自身が調停に立つと云うのも宇喜多の重臣たちを徳川に取り込むための仕上げであった。

 単身、にらみ合う秀家の隊と重臣たちの隊の間に立ち吉継『何たる思慮の無さ、各々方分別されよ!』と一喝。秀家も重臣たちもその裂帛に一言もなく引き下がった。しかし完全に手打ちとはいかなかった。結局重臣たちは秀家を見限り、徳川へと去ったのである。後日、明家と会う吉継。京橋の柴田屋敷で酒を酌み交わす明家と吉継。

「せっかく推薦してくれたのに面目ない。結局重臣たちの離反は食い止められなかったわ」

「なんの、大坂城下で合戦が起こるのを防いだだけでも良しとすべきだ。秀家殿にも良い薬となったであろう。いかに君主とは云え改宗の強要はしてはならん」

「ははは、その通りだな。ところで越前」

「ん?」

「次の天下人はやはり内府かのう」

「…そうなるだろうな」

「豊臣家はどうなるであろう」

「理想的な展開は織田が豊臣の世で家臣に甘んじたように、豊臣も徳川で家臣になれば良いことだが…」

「無血でそれが成ると思うか?」

「戦は避けさせたいとは思うが、豊臣政権が継続するためには内府に勝つ必要があり、徳川政権が誕生するためにも豊臣に勝つ必要がある」

「内府が治部を生かしておいたのはそれが理由だろう。治部に反徳川を結集させて、それを討つ。旧勢力のすべてを一掃する『みそぎ』。徳川新政権誕生のためには不可避だと思う」

「しかし治部が挑発に乗らなければどうにもなるまい。内府がどんな挑発をしてもほっておけと言ったが…」

「あいつは豊臣政権のためなら旧主のお前さえ殺すのをためらわなかった男だ」

「……」

「めったに腹を立てない静かな男だが、佐吉の内面には激しさも宿っている」

 吉継はそれ以上言わなかった。

 

 同じ夜、家康の私室。本多正信と話す家康。

「聞き申した。宇喜多への策、見事図に乗ったそうな」

「ふむ、これで宇喜多は先代からの重臣たちを失い力を失ったわ」

「越前、そして刑部もあの騒動の黒幕は徳川と存じていたでしょうな…」

「そなたもそう思うか。越前はやはり治部につく気であるかのォ。儂が調停に立つのを止めたのは徳川の影響力が増すのを少しでも防ぎたかったであろうからな」

「越前が狙いは治部と我らを戦わせないことにございましょう」

「ほう…」

「越前ほどの者が豊臣と徳川の合戦が回避可能とは考えてはおりますまい。しかしながら、それを先に延ばすことは…あの男なら可能かもしれませぬ。つまり殿の死後にござる」

「ふははは、それはまずい。秀康や秀忠では越前の敵にもならん。はっははは!」

「野心はございますまい。ただ犠牲を強いた妹と、前田利家より託された秀頼様を守りたいがため」

「甘い、とは言うまい。彼奴は義のためなら太閤にも牙を剥きよったからな」

「おそらく越前は治部に『内府がどんな挑発をしてきてもほっておけ』とでも申していましょう」

「そうはさせん。何も儂は自分の野心だけで天下を取りたいのではない。亡き太閤殿下は朝鮮出兵も含め、国の内外に問題を山積させたままで死んだ。この難局を乗り切れるのには治部は無論、他の大名では不足。いまだ残る下剋上のようなチカラで覇権を争う世に完全に終止符を打たねばならぬ。そのためには実力がある者が天下を取って中央集権を敷き、圧倒的な政治体制で世を統率せねばならんのだ。儂が若き日より味わってきた醜悪な乱世をこれ以上続けてはいかん。この天下争奪、断じて退けぬ!」



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四人目の妻

 この当時、明家は他の諸大名とは違う動きをしていた。朝鮮との和平交渉である。明家は古くから朝鮮と交易を続けていた対馬の宗氏を外交大使として李氏朝鮮との和議を進めた。断絶していた李氏朝鮮との国交を回復すべく、日本側から朝鮮側に通信使の派遣をもちかけたのである。

 一方、家康も来るべく大合戦に備えてはいたが、この和議交渉にも心を砕いていた。大坂城で明家と文机を並べて宗氏からの報告書に目を通して経過を論じ合っていた。

「内府殿、明は内乱のようです」

「そのようじゃの」

「とても日本の外交大使と会うゆとりはございますまい。いっそ和議交渉は朝鮮だけにしぼってはいかがでしょうか」

「ふむ…」

「明が勝つのか、それとも新たな王朝が興るのか、いずれにせよ当分先です。まず朝鮮から国交を回復するのがよろしかろうと」

「分かった越前殿にお任せしよう」

「承知しました」

「ところで越前殿、国書には統一政権の指導者の印判は不可欠でござるが、それは誰になさるおつもりか?」

「…恐れながら国書はまだ出せる段階ではございません。もう少し朝鮮側の敵愾心が薄れるまで貢物や謝罪文書を続けて、交渉の机につかせること。国書はそれからです」

「そうよな…。いやそなたに任せておいてつまらぬことを申した」

(かわしよったわ…。秀頼様とも言わぬし、儂とも言わぬ)

「では、引き続きお頼み申す」

「はっ」

 明家が家康の執務室から出て行くと本多正信がやってきた。

「近いうち自分にも降りかかる大合戦があろうと分かっていように、何とも働き者ですな越前は」

「しかし言っていることは正しく、上役を納得させる謙虚さもある。唐入りの後始末は彼奴に任せておけば間違いあるまい」

「ははは、我ら徳川家の者も妬くほどの信頼ぶりですな」

「『領地をよく治めるには国々の様子を知り、人々の智慧をはかり、やたら人を使うのではなく技を使うべきである』」

「信玄公の言葉ですな」

「そうだ。太閤は越前を内心恐れていたが、同時に重要かつ困難な仕事は必ず越前を指名していた。その気持ち、よく分かるのう」

「その点は同感にござる」

「さて、朝鮮との和議は越前に任せて、我らは天下取りのために動こう」

 この当時の豊臣家の内政は明家が取り仕切り、大野治長が補佐をしていたと云う。彼は諸大名が次の政権争いの帰趨を見守るなか大老でありながら、それを外れて政治家として働いていたのだ。こんな激務をこなしていても、ちゃんと夜には屋敷に帰り妻三人とイチャつき、朝には武技の鍛錬も欠かさなかった。

 

 そんなある日、一日の仕事を終えて明家は大坂城から帰ろうとしていた。廊下を歩いていると一人の貴婦人が前から歩いてきた。秀吉の側室なので明家は道を開けた。苦手としている女だった。

「越前殿」

「はっ」

(今日は何と罵ってくるか…)

 その側室は明家に近づいた。

「今まで越前殿へのご無礼の数々、ひらにご容赦を」

「は?」

 明家の手に紙をそっと渡した側室。偶然会ったのではなく、明家が通るのを見越して来たようである。

「…?」

「ではこれにて」

 側室は立ち去った。

「なんだ…?」

 紙を広げて驚いた。

『今宵、私の寝所へお越し下さい』

「甲斐姫様…」

 甲斐姫、武州忍城城主、成田氏長の娘である。女傑として有名で忍城の戦いでは真田信繁(幸村)に一騎打ちを挑んだほどである。

 石田三成が忍城を攻めた戦い。水攻めで落とすように秀吉に命令されていたが、明家の取り成しで兵糧攻めに切り替えて挑み、そして落としている。明家は三成に『当主氏長殿のご息女甲斐姫に殿下は興味を持たれていた。殺してはならない』と伝えており、落城のさい自決しようとした甲斐姫を三成は救出している。やがて甲斐姫は秀吉の側室となるが、自分を秀吉に差し出し機嫌をとった男のクズと甲斐姫は明家と三成を嫌悪した。実際そう激しく罵っている。三成は言わせておけばいいと知らん顔をしていたが、明家は素直に武士にあるまじき振る舞いをしたと大反省して甲斐姫に謝ったと云う。ある事件の日に至るまで甲斐姫は明家を許さなかった。軽蔑だけではなく、失望と云うオマケがついていたからだ。

 彼女のいた忍城は上杉謙信にも攻め込まれている。結果謙信は落とせなかったが、謙信は忍城でとんでもないことをしている。鉄砲の射程内に馬上で不動の体勢を執った。忍城将兵たちはそれを賞賛したが銃撃も無論やっている。だが何故かどんな鉄砲達者が撃っても謙信にかすりもしなかった。忍城将兵たちはまさに軍神だと震撼したのだ。甲斐姫は幼い頃からこの謙信の逸話を聞き、謙信に憧れていた。

 だがその上杉謙信を齢十七で退けた男がいる。しかも謙信三万相手にわずか二千で。水沢隆広、現在の柴田明家である。幼いながらどんな殿御なのだろうと思慕していたが、フタを開けてみれば自分を権力者に売り飛ばすクズ野郎だった。ガッカリさせられた甲斐姫の腹は中々収まらなかった。大嫌いな秀吉に抱かれることに相当鬱憤も溜まっていたのではないか、城の中で明家に会えば罵った。明家は黙って聞いた。いや聞いてくれたと云うべきか。『もったいない越前』と揶揄され、妻が病気の時には出兵も断ったと聞く。腰抜け野郎と軽蔑していた。

 しかしそれが一変する事件が起きた。明家の関白秀次妻子救出である。甲斐姫は初めて秀吉に逆らった男を見た。誰もが逆らえない太閤豊臣秀吉に『関白殿下の妻子を返して欲しくば弓矢で来い』と言い切ったと聞き、腰抜けなんてとんでもないと思った。まるで最後まで秀吉に逆らった坂東武者たちそのものではないか。柴田明家は家臣と家族、領民のため秀吉に従順であったが理不尽には毅然と牙を剥く気概を持つ男なのだと甲斐姫は知った。だが分からない。どうしてそんな男が秀吉の機嫌を取るために自分を売り飛ばしたのか。後に衝撃な形でそれを甲斐姫は知ることになるが、この時点では分からない。言えることは上杉謙信を退けた男はやはり本物だったのだ。

 こうなると現金なもので、明家の良いことばかり耳にする。特に武田勝頼の最期に立会い酒を酌み交わし、その時に勝頼から贈られた不動明王の朱の陣羽織を今も明家が愛用している話にときめいた。坂東武者の娘はこういう話に弱い。幼き頃の思慕が再燃した甲斐姫。

 彼女は十八歳で秀吉の側室になった。秀吉を最後まで嫌悪していた。父の氏長の再起を願うため、夜閨で何度も悪趣味なマネの強要をされた。誇り高い彼女には我慢ならなかったが従うしかなかった。情事の後に悔しくて涙が出てきた。秀吉を嫌うどころか殺意さえ抱いたものだ。側室になった当時、未婚だった彼女は当然処女だった。男と寝ることは醜悪だと言う印象が強い。彼女は『私はまだ男を知らない』そう思った。

 このまま死んだ秀吉の側室のまま、母親にもならず死んで行くのはいやだ。人並みの武家娘の幸せを掴みたいのだ。実家の成田家に帰ろうかとも考えた。甲斐姫の苦難のかいあって成田家は下野烏山三万石の大名に返り咲いていたが、あんな侮辱を受け続けてたった三万石であることにも失望した。父の氏長は『娘が太閤殿下をとろけさせたおかげだ』と諸大名に揶揄されており、実際それを恥じていた。成田家と父のためにと誇りさえ踏みにじられたのに氏長は娘に『ありがとう』『よく今まで堪えた』の一言も言わない。秀吉の死後にも一切連絡してこない。そんな父などもう知るか、烏山三万石は自分の体を切り売りした代価、そんな領地なども知るかと思う。まだ間に合う。別に天下を取る男に嫁ぎたいとは思わない。秀吉を見て天下人などロクなモンじゃないと思っていた。ただ、強くて優しい男の妻になりたい。しかしどいつもこいつも秀吉に尻尾を振ってきた者たちばかり、そんな男は御免だ。強くて優しく、秀吉にも逆らうほどの気概、それが揃っていれば側室で十分。同時代の男たちから『そんなヤツいるか!』と猛抗議が来そうだが当てはまるのが一人いた。柴田明家である。しかも美男、醜男の秀吉にウンザリしていた甲斐姫は少女のように胸ときめく。

「一世一代の勝負ね。もっとも寝所に来てくれるかも疑問だけど一度二度であきらめないわ。今まで悪口雑言を吹っかけ続けたけれど、そんなことを根に持つお方でもないでしょう。殺し文句も用意してあるし、相対さえすれば落とせる。しかし越前殿ほどのお方がどうして私を太閤に売り飛ばしたのだろう。いやすべては済んだこと。聞くまい一生…」

 明家はその夜、甲斐姫の部屋に行かなかった。甲斐姫に憧れていたかつての忍城の若者たちからすれば激怒ものだ。しかし甲斐姫はあきらめなかった。数日後、また廊下で待ち伏せ、すっぽかされたことは口に出さず、また手紙を渡した。

『女に恥をかかせるなんてあんまりです。今宵も待っております』

 誰にもこんなことは相談できない明家は頭を抱えた。

「一度会って、こんな真似はするなと言おうか…」

 これが知恵者の明家としてはうかつな判断だった。甲斐姫は明家が自分を受けざるを得ない必殺の言葉を用意していたのである。甲斐姫はその夜、身を清め、侍女たちを遠く下がらせた。本来秀吉しか行くことが許されない大坂城の奥。秀吉が死んでも男子禁制であった。しかし明家は淀の方の実兄であり、何より甲斐姫が通すようにと侍女に伝えていた。蒲団のうえで座して待つ。何となくだが分かった。『今宵は来る』と。部屋の中の空気が流れた。柴田明家は来た。三つ指立ててかしずく甲斐姫。

「甲斐姫様、こんな文を手渡されるのは感心しません。それがしには」

「正室も側室二人いる、ですか?」

「…いかにも」

「それと領内に二人、大坂に一人、伏見に一人…でしたね」

「どうしてそれを…」

 それは明家が外で作った愛人の数である。

「申し訳ないですが調べさせていただきました。罪なお方ですね、女子を泣かせてばかりのようで」

「泣かせてなどはおりません。一人一人大切にしています」

 明家は甲斐姫の前に座った。もうこちらのものだと甲斐姫は思った。

「ところで越前殿はどうして月代を剃らないのでございますか?ヒゲも生やしておらぬし」

 明家の髪型は『茶筅髷』と呼ばれるもので、長い髪をそのまま紐で結っただけである。

「父の勝家がそうでしたゆえ、あやかる気持ちと申しましょうか」

「髭はどうして?」

「妻たちがチクチクして痛いでしょう」

 クスッと甲斐姫は笑った。まさかそんな理由とは思わず、それを堂々と言う明家もいい。甲斐姫は問いかけを続けた。

「越前殿は寵児を好まぬのですか?」

 つまり男色ではないのか、と云うことだ。この時代の男は美少年にも目がなかった。

「…それがし自身が男色を好む者に不愉快な思いをさせられたことが幼き頃より多々ありました。どうにも好きになれないのです」

「なるほど、そのぶん女子が大好きだと」

「いや、べつにそういうわけではないですが、女子は好きです」

「越前殿の政治は女子にとても喜ばれていると伺います。何をしていなさるのですか?」

「大したことはしていません。女医を育成したり、母子家庭には十分な生活費を支給したり老女にも仕事を与えたりとか、それがしのできる程度のことでござる」

 微笑む甲斐姫、この人は本当に女が大好きなのだと思った。そんな政策を執っているのは日本広しと云えど明家だけである。幼女、老女、そして醜女にも温かいのだろう。不幸な女を守らずにはいられないのだろう。こういうのを真の女好きと云うのだ。秀吉のは女好きと云うものではない。悪趣味と云うのだと甲斐姫は思う。

「越前殿…」

 甲斐姫の目つきがガラリと変わった。世間一般で云う『色目』だ。胸元と太ももを見せて明家に迫る。目を背けた明家。

「女に恥をかかせますか…」

「しかし…」

「私を側室にして下さいませ」

「な…!」

「私は心ならずも太閤に抱かれ続けました。大嫌いな太閤に」

「……」

「このまま憎悪する太閤に操を立てるなんて冗談じゃありません。私も武家娘として母親になりたい。強い男児を生みたい。父の氏長のような惰弱な男ではなく、強い子が欲しい。そのためには強い人の妻になりたいのです…」

「甲斐姫様…」

「責任をとって下さい、越前殿が太閤の側室になる切っ掛けを作られたのです」

 これが必殺となった。それを言われてはもう観念するしかない明家。色目にうるうると涙を浮かべる甲斐姫は美しい。甲斐姫を抱きしめ、優しく寝かせ着物をゆっくり脱がした。不思議だった。秀吉に対してはもう羞恥の心はなく脱がされても何とも思わなかったが、今は何か急に恥ずかしい。両腕であらわになった胸を隠してしまった。明家はフッと笑い、自分も着物をゆっくり脱いだ。

「では、いただかせてもらいます」

「助平な物言いにございます…」

 快楽の次元が違った。味わったこともない極楽、惚れた男に抱かれるのはこういうものなのか。秀吉には触られるのもイヤで寒気がしたが、明家に触れられると熱くなってくる。身も心もとろけるとはこのこと。彼女は羽化登仙の中にいた。

 泳ぎ終えた後も甲斐姫は明家にピッタリと抱きついてきた。もう放すものかと言わんばかりだ。

「これが男なのですね…」

「まあ…そういうことです」

「私を側室にして下さいますか」

 仮にも忍城の戦いでは姫武将として名を全国に轟かせ、秀吉の側室であった甲斐姫。一夜の戯れにできる相手ではない。明家は静かに頷いた。

「…今までのような贅沢な暮らしはできませんぞ。柴田家は質素倹約でございますゆえ」

「成田家もそうでした。望むところです。それともうよそよそしい言葉使いはやめて下さい。名も甲斐と呼んで下さい」

「分かった。甲斐…」

「殿…」

「氏長殿にも連絡をしないと」

「いいんです、あんな父に知らせなくて」

「そんなわけにもいかんだろう」

「いいんです…」

 心地よい疲れの中、甲斐姫は眠っていった。明家はこれからのことを考えると頭が痛くなってきた。

(さえに何と言おう…。しづを側室にしたばかりだと云うのにさらに一人じゃ怒るだろうなぁ)

 

 翌朝に明家は屋敷に帰っていった。いま側室のすずも大坂に来ている。嫌な予感がしたが的中。朝食のときに明家のそばに来るや鼻がヒクヒク動き、静かに明家に言った。

「…女の匂い」

 と言った。明家は味噌汁を鼻の穴から吹き出した。さえの箸がピタリと止まり、しづは驚いたように明家を見た。しかしさえは一笑に付した。

「久しぶりに大坂の愛人さんと会われたのでしょう。味噌汁冷めますよすず」

 大名の正室になっておよそ二十年、どこの正室もそうだが良人の女遊びに目くじら立てたらキリがない。外に女の一人二人作れない男に何が出来る。何より良人が一番愛しているのは自分だとさえには分かっている。そういう意味では余裕もある。

 しかしすずの嗅覚はケタ違いにするどい。大坂の愛人の匂いではないと看破。それを聞くとさえも怒った。膳にお椀と箸を怒気に任せ強く置いた。

「貴方と云う人はまた女子を作ったのですか!妻三人と愛人四人でまだ足りないと云うのですか!」

「い、いや…」

「殿も来年は四十になるのですよ!過ぎたる女色はもはや毒!私は嫉妬で言っているのではありません!殿の身を心配して言っているのです!殿の命は殿だけのものではございません!柴田家当主が『しすぎ』で死んだら亡き勝家様とお市様にどのツラ下げて詫びるのですか!」

「ご、ごめんなさい!」

(そ、そなただって夜閨ではあんなに激しいのに)

 と、クチに出しては言えない。さえに手を合わせて平伏する明家。明家は晩年まで男として現役であったが、この時にそんなことが予想できるはずもない。人間五十年と云われていた当時、さえの言葉は正しい。

「すず、匂いからして歳はどれほどの女子なのですか」

「おおよそ二十代前半、化粧の匂いから武家娘と存じます」

 真っ青になる明家、大当たりである。今さらながらすずの特技に驚く。

「まあ!殿はそんなに若い娘が欲しいのですか!私たちや愛人だけでは満足できないと云うのですか!」

「じゅ、じゅ、じゅ、十分です。いや、さ、さ、さ、さえだけで十分満足にございます!」

「「私はいらないと言うのですか!」」

 すずとしづは激怒。

「ち、ち、ち、違う違う話を聞けーッ!」

 石田三成の命で島左近が佐和山城を出て明家の大坂屋敷に訪れて見た光景、それは屋敷の入り口で家の中から物を投げられていた明家の姿だった。何やら必死に謝っている。

「……?」

「殿、お覚悟!」

「待て待てすず!お前が投げればその湯飲みも凶器だぞ!殺す気か!」

「越前殿…?」

「お、おおお!左近殿!」

(助かった…!)

 左近に振り向いた明家の後頭部に湯飲みが直撃した。いい音がした。しまったと思うすず。

(当たっちゃった…!避けられるように投げたのに…!)

 あぜんとする左近にさえ、すず、しづも気付いた。

「こ、これは島様!何ともみっともないところを!」

 さえが慌てて出迎えた。すずとしづも赤面しながら控えた。

「い、いえ…。どうも間が悪かったようで。出直してまいりまする」

 後頭部を押さえる明家が左近の着物の裾を掴んだ。目が明確に帰らないでくれと訴えていた。客間に通された左近。

「助かった左近殿、命の恩人だよ…」

「大げさな、しかしまあ夫婦喧嘩も三対一ではさしもの越前殿もお手上げですかな」

「その通りにございます。悪いのはそれがしだし…」

「ははは、では本題に入ってよろしいですか」

「はい」

 

 左近の話を一通り聞いた明家。当たり前だがさっきと打って変わり真剣な面持ちである。

「そうですか…。治部はよっぽど内府殿に頭にきているようですな」

「越前殿、大坂城にすんなり内府を入れた意図は?」

「大老筆頭の入城を拒む理由がどこにあるのですか」

「しかし」

「なあ左近殿、内府殿は賭けに出た。天下を取ると云う大博打です」

「はい」

「隙を見ればどんどん仕掛けるのは当然にございます。だが…」

「だが?」

「治部がことを起こさない限り、何も起こりはしません」

「……」

「天下を取るには旧勢力や自分に敵対する者の一掃する『みそぎ』が必要です。俺が内府殿なら治部にその勢力を集めさせて『君側の奸を排除する』と云う大義名分を立てて討つ。治部は色々と怨みも買っています。あの時の七将や他の豊臣武断派を味方につけるには治部を敵とする必要があります」

「確かに…」

「だから動かなければ良いのです。文には出来ぬゆえ言伝を頼みます。名護屋でも同じことを申しましたが、重ねて言います」

「はっ」

「『いかに内府が権勢をふるおうと立場は豊臣家の大老、挙兵の口実を与えなければ動きようがない。何をしようが静観せよ。当年五十八の内府、そう先は長くない』」

 一言一句聞き逃さない左近。

「『俺は豊臣が二代続かないと思っていた。このままでは間違いなくそうなる。しかし内府が老いて死に、若い秀頼様が仁政をしけばそうはならない。徳川と戦うにしても内府死後でなければ勝ち目はない。だから待て。待てば必ず光明が差す』」

「しかし内府がそんな時間を与えましょうか」

「そう事を運ぶのが俺と治部、そして左近殿の仕事にござる」

「確かに」

「左近殿」

「はい」

「俺とて豊臣と徳川の戦は避けられないと思っている。と云うより、すでに始まっている。だが要はやりようにござる。何も合戦を今やることはないのです。徳川は小牧の戦いらい合戦をしていない。ご自慢の三河武士団も世代交代が進み合戦の経験もなく、亡き太閤殿下が恐れた日本一の強さは過去の話です。何より内府殿が死ねば徳川家臣団の求心力は薄れる。それからなら対応できる。秀忠殿は俺の妹婿だし、何とか融和に持っていくこともできるかもしれない。秀頼様の務めはその時期まで待ち、太閤殿下の残した家臣団をより強固にしておくこと。そして我らはその補佐をすること。それもまた豊臣と徳川の戦なのだと。けして短慮はならないと治部に伝えて下さい」

「承知しました。伝えまする」

 左近は座を立った。

「帰られるのか?」

「は?」

「せっかく佐和山から参られたのだし…もうちょっといていただけまいか…」

 フッと笑った左近。

「ご自分で撒いた夫婦の戦の種にございましょう。何とかなされませ」

 左近は帰っていった。物が投げられていた廊下がすっかり片付いていた。

(このうえ、甲斐姫を側室にすることも伝えなければならないとは気が重いな)

「さえ、入るぞ」

 さえの部屋を開けて絶句する明家。

「殿、もう来ちゃいました」

「か、か、か、か、甲斐…」

 

 明家が左近と話している時、さえはすずとしづをなだめていた。

「言葉のあやよ、殿が二人を大事にしているの分かっているでしょ」

「それは分かっていますが、ついカッとなって」

 と、しづ。

「まあまあしづ殿、このくらいが焼餅としてかわいいものですし、殿にも少し灸となったでしょう」

 湯飲みを良人の後頭部にぶん投げるのどこがかわいいのだろうかとしづは疑問だったが、あまりに情けない明家の風体で怒りも静まり、

「でも万の敵勢を震え上がらせる殿のあんな情けない姿、正直笑えてしまいます」

 しづが言うとさえとすずも笑い出した。この丸くおさまりつつあるころ、

「ごめんください」

 屋敷の入り口を三人が見ると秀吉の側室である甲斐姫がいた。当然さえは知っている。驚いて出迎えた。

「これは甲斐姫様、いらっしゃいませ……?」

 甲斐姫は供も連れておらず風呂敷包みを背負っていた。

「あの、何か?」

 風呂敷包みを降ろし、さえに丁寧に頭を垂れた。

「本日から柴田越前守様の側室となりました甲斐です」

 開いた口が塞がらないさえ。すずとしづもポカンとしていた。

「これからよろしくお願いいたします」

 ニコリと笑う甲斐、さえ、すず、しづは昨日の夜は彼女と…と、すぐに分かった。とにかく追い返すこともできないので屋敷に入れたさえ。坂東武者の家柄の彼女は元々竹を割ったような性格であり礼儀も正しい。秀吉の呪縛が解けて、かつ好きな男の元に行けたのだから、さらに根は明るい。

「と云うわけで、越前守様に責任を取っていただこうと思ったのです」

「「なるほど…」」

 さえ、すず、しづは何か納得してしまった。確かに明家が悪い。権力者に敵方の美女を売るなんて女として許せない。何よりさえは甲斐姫に元々好印象を持っていた。あの醍醐の花見にて、さえは秀吉を叩いた。秀吉は黙って立ち去ったが、その秀吉の一行の中にいた甲斐姫はさえを微笑んで見つめていた。甲斐姫はさえの胆力に感じ入り、そしてさえは『よく叩きました』と目で述べる甲斐姫の笑顔が嬉しく、それ以来好印象を持っていたのだ。だからこそ良人が彼女を秀吉に売ったと云うことに対して申し訳なさが出た。

「それは何とも申し訳なく…。柴田家の御台としてお詫びいたします」

「過ぎたことです。坂東武者は昨日の天気のことは口にしません」

「甲斐姫様…」

「あとご心配なく、私の罵詈雑言が効いたのか、二度と越前守様はそういう振る舞いはしていませんので」

「安心しました」

「でも最初で最後の生贄となってしまった私としては無念の限り。このまま母親にもならず、老いさらばえるなんてまっぴらです。越前守様に女としてもらい、そして母にもしてもらいたい。御台様、すず様、しづ様は不快かもしれませぬが、どうか私も柴田越前守の妻の末席に入れていただきとうございます」

 きちんと平伏して序列を守り正室を立て、年長であり側室としては先輩のすずとしづも敬う。朝倉家出身のさえはともかく、すずとしづの家柄は関東の名家の成田家に比べて到底及ぶものではないのに、とても元秀吉の側室とは思えない。だいたいの側室が天下人の権威を嵩にしていたものだ。しかし彼女は元々秀吉の側室という身を嫌悪していた。そんな権威など嵩にするはずがない。

「分かりました、奥向きのことは私の指示に従ってもらいますよ、宜しいですね?」

「はい!」

 そこには想い人の妻になれることを許されたと喜ぶ美々しい笑顔があった。さえは甲斐姫が良人の側室になることを認めた。不思議そうにさえを見つめるしづ。

「しづ、私が甲斐殿の側室輿入れをあっさり認めたのが不思議ですか?」

「え?いえそんな」

「顔に書いてありますよ。認めたのは私がすでに甲斐殿の性根を見ているゆえです。たとえ良人と因縁浅からぬと云えども、柴田明家のためにならぬ女子と見たら私は絶対に認めませんでした」

 さえが甲斐姫側室輿入れを認めたのは、良人明家の手によって心ならずも秀吉の側室とならざるを得なかった彼女の身の上に加えて、醍醐の花見における出会いもあった。秀吉を毅然と叩いた自分を心より認める笑顔。甲斐姫と云う人物を見るに、あの笑顔ほど器量が分かるものはなかった。甲斐があの時にさえを認めていたように、さえもまた甲斐を認めていたのだ。すずとしづ、そして明家も醍醐の花見においてさえと甲斐にそんな邂逅があったなんて知らない。だからさえがずいぶんとあっさり認めたと思ったのだろう。

「長い付き合いとなりましょう。よろしくお頼みします」

「こちらこそ、よろしくお願いいたします」

 そこに明家が入ってきた。びっくりしていた。

「か、甲斐…!」

「もう来ちゃいました」

「あ、あのさえ!すず、しづ!これにはわけがあってだな!」

「もう伺いました。殿は北条攻めのとき酷いことをしていたのですね。治部殿に甲斐殿を捕らえさせ殿下に献上しろだなんて」

「うん…。反省している」

「ちゃんと責任を取ってあげて下さいね」

「え?」

「今しがた、話は全部済みました。ご安心を」

「…?」

「我らも甲斐殿が殿の奥になることを認めました」

「ほ、本当に…?」

「だって殿が全部悪いのですから責任を取れと言われれば我らも飲まざるを得ないではないですか」

 かつて明家に手篭めにされたしづは苦笑した。

「他に、こういう娘はいないでしょうね。不幸のどん底に突き落とした娘は」

 さえの言葉に一つ咳払いした明家。

「武将である以上ないとは言えない。しかし、しづや甲斐のような例はもうない。誓える」

「しづ様は何をされたのですか?」

 と、甲斐。様づけされて呼ばれることに慣れていないのか、照れ笑いを浮かべつつしづが言った。

「殿に手篭めにされました。生娘だったのですよ私」

「まあ、ひどい!」

「もう勘弁してくれよ…」

 小さくなった明家を見て四人の妻は笑いあった。コホンと咳払いをして甲斐姫を見た。

「甲斐」

「はい」

「ようきた、これから頼む」

「こちらこそ、ふつつか者ですがよろしくお願いいたします」

 

「甲斐殿が兄の側室に?」

「ご存知なかったのですか?」

 大坂城の茶々と大野治長が話していた。

「甲斐殿が亡き殿下の側室を辞し、大坂城を出て行ったことは聞きました。てっきり成田家に帰るのかと思っておりましたが、まさか兄に…。甲斐殿はあんなに兄を嫌悪していたのに信じられませぬ」

「まこと、女心は分からぬものです」

「……」

「聞くところによると風呂敷包みを背負い、お一人で柴田屋敷に行ったとか。甲斐姫様の押しかけ女房と城下では言われているそうな」

「押しかけ女房か…。そんなことが出来る甲斐殿が少しうらやましい…」

「尚武の柴田家に坂東武者の血が入る。めでたいではないですか。しかも甲斐殿のいた忍城を総攻めして治部殿や刑部殿も大敗しました。二千で二万を一度は撃破している武人揃い。忍城落城後に成田家は離散しましたが、豊臣への仕官はほとんどしていないと申します。今回の甲斐殿のことで旧成田家臣の中には柴田に仕官を望む者もいるかもしれません。兄上様の軍勢はさらに強くなりますぞ」

「…その軍勢が豊臣に向けられなければ良いですがね」

「え?」

「独り言です。私を一人にして下さい」

「はっ…」

 

 ここは佐和山城、石田三成の居城。

『いかに内府が権勢をふるおうと立場は豊臣家の大老、挙兵の口実を与えなければ動きようがない。何をしようが静観せよ。当年五十七の内府、そう先は長くない』

 左近は明家の言葉を伝えた。

「動くなと云うことか…」

「殿、それがしも越前殿と同意見にございます」

「…駄目なのだ」

「は?」

「いま内府を討たねば、いずれ秀頼様を…」

「殿…」

 三成は秀吉に対して崇拝に近いものを抱いており、豊臣家安泰のためには家康の排除が絶対必要だと考えていた。秀吉生前は側近にあり政務を任され主君の寵愛を人一倍受けていただけに秀吉の遺志を知った事かと平然と蹂躙する家康は許しがたい。三成にとって家康は豊臣家を危うくする悪鬼羅刹である。

「もうすでに内府は大坂城を乗っ取ったではないか!ここで動かなければ俺は太閤殿下に合わす顔がない!」

「どうあっても内府を討つ気にございますか」

 三成の覚悟を聞く左近。

「討つ!秀頼様のために討たなければならぬ!」

「しかし今の内府と戦うのは無謀にございます!殿が挑発にさえ乗らなければ内府は『君側の奸排除』の大義名分を得られず、戦いようが」

「甘い、甘いぞ越前殿も左近も。どんな言いがかりをつけても必ず内府は合戦に持ち込む。老い先が短いのであらばなおのこと、どんな悪辣な手段にも打って出る!内府はそういう男なのだ!」

「殿…」

「絶対にあの男を討たなければならない!」




甲斐姫登場です。彼女に関しては『のぼうの城』の設定が結構入ってきますが、彼女が史実編で明家の側室になるのは同作品を読む前から決めていました。私も埼玉県人なので、やはり同県のお姫様のことは知っておりましたので。


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直江状

 上杉景勝の居城、会津若松城。その城主の間で景勝と直江兼続が話していた。

「殿、とうとう内府めが本性を剥きだしにしてまいりましたな」

「ふむ、太閤殿下が亡くなられたことを良いことにあのタヌキめが!大坂城を乗っ取ったうえ、その西の丸に本丸同様の天守閣を築く横暴は目に余る。あれは我ら豊臣家の大老への侮りじゃ!」

「まさに」

「しかも前田利長殿に不穏な動きありと言いがかりをつけて前田を攻めると脅しをかけた。何たる傲慢ぶりじゃ」

「仰せの通りにございます。しかし利長殿にはがっかりさせられましたな。父の利家殿とは比べ物にならない腰抜け。戦わずして降参し母親を人質に出すとは」

「儂もガッカリしたわ。利家殿の亡き後は利長殿が反家康の先鋒であろうと思っていただけに裏切られたわ。しかも豊臣家の異心なきことを示す人質がなぜ江戸に行く。おかげで諸大名は内府(家康)の顔色を伺うばかり。内府は図に乗り細川からも人質をとりおった。しかも正月には太閤殿下と同じ作法で参賀をさせ天下人気取り、まったくはらわたが煮えくり返るわ。それにしても越前、城門まで内府を出迎えたと云うではないか。越前も豊臣家の大老だぞ。内府や儂とも同格ではないか!それが恥知らずにも尻尾を振りよって!かつて父の謙信に挑んだ男も家畜になったわ」

「上泉の同門のそれがしも失望しました」

「徳川家康、何するものぞ!」

“失望した”と言ったものの、兼続には明家の意図が分かった。何とかして現時点における徳川と豊臣の合戦を避けさせようとしていると云うことを。

(無理だ竜之介…。もう合戦は避けられない。なるほど内府死後なら合戦でも勝算は多分にあり、秀忠の義兄のお前なら豊臣と徳川の融和させることも出来ない話じゃない。お前はそれを狙い、ひいては秀頼様と淀の方を守ろうと言うのであろう。だが甘いぞ。絶対に内府が避けさせない…)

 秀吉に天下執政の器量人と呼ばれた直江兼続は軍備に余念がない。大量に兵器を仕入れ、多くの牢人を雇った。

 会津の軍備増強が進むに連れて脅威を感じたのが上杉に代わり越後に入った堀秀治であった。上杉を慕う民の一揆に悩まされ続けていたうえに隣国上杉の軍備。ついに堀秀治は上杉に豊臣への異心ありと徳川家康に訴えた。かつ上杉家より出奔した藤田信吉により徳川秀忠に『上杉では若松城西に神指城を築き、街道を整え架橋し多くの牢人を雇うに至る。これすなわち謀反の支度』と訴えられた。家康にとっては渡りに船。これで上杉を討つ大義名分が整った。大坂城西の丸、徳川家康が諸大名に言った。

「上杉の謀反は疑いなし。会津征伐すべし」

 諸大名がどよめく。そこに

「内府殿」

「何かな越前殿」

「まずは書状をもって真意を質してはいかがにござろうか」

「ふむ、そうよな」

 数日後、上杉景勝宛に僧侶の西笑承兌がしたためた詰問状が届いた。内容は

『景勝が上洛しないので家康は不審に思っている。よくよく考えて以下に答えよ。

一.景勝に別心無くば起請文を以て申し開きをせよ。

一.景勝の律儀さは太閤以来家康も知っているので起請文を以てその証とせよ。

一.前田利長の異心は家康の裁量で収まった。利長に倣え。

一.会津では武具を集め道を造り橋を架けているとか。こちらでは高麗に使者を送り降参しなければ再出兵の相談をせねばならぬ。よって急ぎ上洛せよ』

「山城(兼続)」

「はっ」

「儂はこんな言いがかりに屈するつもりはない。しかし今、この会津に天下の軍を迎え『謙信の家』の名に恥じぬ戦いが出来ようか、そして勝てようか」

「勝てまする」

「あいわかった、上杉の意地を存分に示すが良い」

 その夜、直江兼続は文机に向かい、しばらく腕を組んで目をつぶっていた。やがてカッと目を開き、筆を走らせた。世に有名な『直江状』である。(現代用語にて要約)

『徳川家康様、ご機嫌麗しゅう。さて、潔白の誓紙を差し出せとのことでしたが、いくら出しても大した意味はありません。これまでもさんざん出してきましたが徳川殿は読んでもいないのですか。太閤殿下の死後に色々と心変わりしている大名がいるようですが、当上杉家をそんな連中と同じに思われては甚だ迷惑至極。

 こちらも大名ですから、武器は確かに集めておりますが、これは人たらしの好きな上方大名が茶道具を集めることと同じでして、我々田舎武士は武器を集めることしか出来ないのです。謀反の疑いをかけられるのは誰か密告者がいるのでございましょう。その密告者を詮議もしないでそのまま鵜呑みにするとはそちらの手落ちと云うしかござらん。

 最近は前田家と細川家まで処罰されているようで、いやいや内府殿の御威光は大したものでございますな。高麗が降伏しなければ再征など、そんな話は子供でも信じますまい。あまりの妄言は笑われましょう。とにかく我々の方から出向かずとも、近々内府殿がご子息秀忠公と会津征伐に来られると云う噂も入っておりますので、我々は国境に布陣してお待ちしております。どうぞいつでもお越し下さい。それでは失礼いたす』

 大坂城の徳川家康に届けられた直江兼続の返書。それを読み、家康は激怒。この文は明らかに『来るなら来い!!』そう言っている。

「この歳までこれほど無礼な書状は読んだことがないわ!」

 怒りに任せて『直江状』を破く家康。

「許せん上杉!出陣じゃあーッ!」

「「ハハーッ!」」

 

 このころ、柴田屋敷には嬉しい知らせが届いていた。

「さ、さえーッッ!!」

 廊下をけたたましく走ってくる良人明家の声。部屋で花を活けていたさえは手を止めた。

「どうしたのです殿、そんなに慌てて」

「生まれたぞ!!」

「え?」

「姫蝶が見事元気な男子を生んだぞ!!」

「ほ、本当に!!」

 国許の息子勝秀からの便りを広げて見せる明家。大喜びして良人と抱き合うさえ。しまいには二人で踊りだした。この生まれた男児が柴田家三代勝隆である。

「これで我らはおじいちゃんとおばあちゃんだなぁ!まさか齢四十でじじいになるとは思わなかった!あっはははは!!」

「はい!」

 側室のしづ、甲斐、そして侍女たちも祝福を述べた。

「「おめでとうございます殿、御台様!!」」

「ありがとう、みんな!」

 感涙しているさえ。朝倉家の滅亡と父の死で絶望し、身投げすら考えた自分が、まさか祖母になれる日が来るなんて。嬉しくて仕方がなかった。

「殿、大坂のお勤めはいつごろメドが立ちます?さえは孫の顔が早く見たいです」

「俺もだ。秀頼様に願って夫婦そろって国許に」

「申し上げます」

 小姓が来た。

「なんだ?」

「徳川家の本多正純様が内府様の使者としてお越しにございます」

 明家の顔が曇った。

「殿、本多様は何を…」

「あまり良い知らせではないと思うな」

 

 大坂の柴田屋敷、ここに徳川家康からの使者が来た。本多正純である。

「…上杉家を討つ戦に当家も参戦してほしいと?」

「はっ、上杉景勝殿の謀反は明白、これは徳川と上杉の合戦にあらず。我が殿は豊臣家の大老として討ちに参るのです。すでに秀頼様から追討令と軍資金もちょうだいしてございます」

「正純、なぜ『出陣だーッ!』の前に同じ大老の俺に一言の相談もないのだ?」

「それは簡単至極、越前殿は必ず止めたでござろうから」

 明家は吹き出した。その通りである。

「なるほど、俺に相談すれば出兵まで長くなる。秀頼様に直接追討令を発布してもらえば早くて済む。兵は神速を尊ぶべしか」

「左様、かつ上杉と二度も戦っている越前殿には色々と協力願いたいとのこと。朝鮮との和議交渉はしばらく宗氏に委ね、豊臣の内政は留守居の者たちに任せて出陣されたし」

「虫の良いことを言う…」

「悪いことは申しませぬ。そろそろ旗幟を明確にせねばなりますまい。吏僚派か武断派かを」

「……」

「ご貴殿は軍事と内政、どちらも並外れた才覚の持ち主にございます。ゆえにどちらの閥にも属する必要がなかった。閥を好まぬとは聞いておりますが、今度ばかりはそうもいきませぬ」

「吏僚と武断?回りくどい言い方はよせ正純、豊臣か徳川と言いたいのであろう」

「…さて」

「まあいい、秀忠殿は俺の妹婿でもあるし、何より内府殿は俺の謀反に怒る太閤殿下を上手くなだめてくれた恩義もあるゆえ、出兵には応じよう」

「はっ、ではそれがしはこれで」

「ふむ」

「殿、会津に向かわれるのですか」

 と、山中鹿介。

「正直、いま内府殿に逆らうのはまずいのも確かだ。秀頼様の上杉追討令さえ得たとあらば俺は断れない。丹後若狭の領民のため、ここは従おう。だが戦うためではない」

「は?」

「何とか現地で和議を結ばせる。上杉と戦うことになれば戦は拡大してしまい、治部がいらんことをしでかすかもしれない。俺と山城が会えば何とかなろう。国許に帰るぞ鹿介」

「はっ!」

 明家は妻たちと会った。

「さえ、すまんがそなたが孫に対面できるのはしばらく先となりそうだ」

「そうですか…」

 孫に会いたい気持ちを抑えるさえ。

「大老の俺が御掟に背けない。正室のその方は大坂に残らなければならん。すまんな」

「いえ、それも正室のつとめです」

「すずも残った方が良いだろう。しづと甲斐は一緒に帰るぞ」

「「はい」」

「甲斐は俺の国は初めてだな」

「はい、美観と呼ばれる天橋立と三方五湖、ぜひ見てみとうございます」

「甲斐殿、殿は物見遊山に国許に帰るのではないのですよ」

「も、申し訳ございません」

 さえの叱責に恐縮する甲斐姫。

「まあまあいいじゃないか。そうだな今は無理だが、今度お弁当をもって五人で行こう」

「「はい!」」

「明日には発つ、しづと甲斐は帰国の用意をしておくのだぞ」

 明家はすずの部屋に行った。すずは風邪をこじらせて伏せていたが、快癒に向かいだしていた。

「殿…」

「そのまま、そのまま」

 昼は大坂城に出仕しなければならないが、夜はずっとすずに付き添っていた明家。すずは嬉しくてならず、このまま風邪をひいていたいと思っていたが、くノ一の体力はいまだ健在で生憎だが治り出している。

「殿、お孫さまの誕生、まことに祝着至極」

「隆茂の妻の双樹(前田慶次四女)も懐妊している。そなたももうしばらくすれば婆様だぞ」

「五十まではおばば様と呼ばせません」

「さえと同じことを。じゃあ孫はすずを何て呼べば良いのだ?」

「こ、これから考えます」

「ははは、どれ、すず。寝込んでいたので体の節々が凝っているだろ。揉んでやるよ」

 カアッと顔を赤くしたすず。侍女たちがそそくさと部屋から出て行った。

「だ、だめです。ここ数日はお風呂に入っておりません。殿に汗でにおう身を預けられません」

「違う、凝っている箇所を手で揉んでやると言っている」

「あ、さようで(残念…)」

「ほら、うつぶせになって」

「はい」

 明家はすずの背中を手のひらで押すように揉んだ。側室の身を揉んでほぐしてやる戦国大名なんて明家くらいだろう。

「凝っているな、侍女たちにやってもらったのか?」

「はい、でも何度は悪いし…」

「遠慮深いな」

 時に整体のように骨の湾曲も直していく明家。一瞬すずに痛みはあるが、終わると一気に凝りが取れる。明家も心得たものだ。

「気持ちいい…」

「これが終わったら朝飯だ。柴田粥が出来ているぞ」

「ありがとう殿…」

「すず、そのままで聞いてほしい」

「はい」

「内府殿から出陣を要請された。会津の上杉を攻めるらしい」

「上杉を?」

「三度目になるな柴田と上杉が戦うのは。しかし過去二度とは事情が違う。何とか現地で和議を結ばせようと思う」

「はい、それが良いとすずも思います」

「出陣のため舞鶴に帰らなければならない」

「そうですね…」

「御掟により正室のさえは残ってもらうのは当たり前だが、すず、そなたも残れ。病み上がりでは輿の旅はキツいだろう」

「仰せのとおりに…。無事のご帰還を待っております」

「無事に帰るさ。すずを抱きたいし」

 さっきからすずのお尻も撫でている明家。

「もう、そこは凝っていませんよ助平!」

「あははは、出陣の餞別としてかわいいお尻の感触を受け取っておいた」

 侍女が柴田粥を持ってきた。れんげで粥をすくう明家。熱いので冷ますように息を吹きかける。

「美味しそうだ、すず、アーン」

「自分で食べられますよ」

「いいからいいから」

「アーン」

 美味しそうに食べるすず。それを見て微笑む明家。しばしの別れを惜しんだ。

(しかし…この会津攻め。ある意味治部への挑発とも取れる。伏見城以外の徳川の勢力が畿内からいなくなる。治部がこの機会を逃すであろうか…。いや失脚した身で内府殿に対抗など出来るはずもない。左近殿を経て動くなと伝えたことだし考えすぎか)

 

 柴田明家は舞鶴城に帰り、孫に対面。満面の笑みで孫を抱く明家。

「おお、めんこいな。姫蝶、大手柄だぞ」

「ありがとうございます」

「『竜之介』の名前を与える。水沢家の世継ぎの名だが、今では柴田の世継ぎの名だ。すこやかに育てるのだぞ。そなたも母親としてはまだ赤子。この子と一緒に成長し良き母親となれよ」

「はい義父上様!」

「父上、舅殿から(仙石秀久)山のように産着が贈られてまいりました。それと父上宛の文です」

 孫を抱きながら文を見る明家。

(相変わらず、汚い字だな…)

 苦笑する明家。字は汚いが初孫の誕生に秀久も歓喜している様子が伺える。

「舅殿は義叔父御(秀忠)の部隊に組み入れられたそうです」

「そうか、我らもぐずぐずしておられないな。明日には出陣だ」

「はっ!」 

 

 翌朝、柴田軍は出陣。一万二千の軍勢を率いて東進を開始した。その途中、近江に陣を敷いていた明家のもとに石田三成から使者が来た。茶を馳走したいと云う。明家も話したいことがあったのでちょうど良かった。数名の供を連れて石田三成の居城の佐和山城に向かった。茶席で明家は三成に話しを切り出した。

「嫡子の重家を人質に出せですと?」

「そうだ、そなたが内府殿と和解するにはそれしかない」

 三成の点てた茶を飲み、茶器を差しかえす明家。

「……」

「重家を俺に預け出陣させよ。さすれば俺がそなたと内府殿の仲を何とかする」

「……」

「聞いているのか治部」

「はい」

「今は内府殿と和を講じ、時間を稼ぐのだ。秀頼様に必要なのは何ごとも起きない、ただの時間だぞ」

「おっしゃることは分かります。だが内府がそれを黙って見過ごすとは思えません」

「そうさせるのが俺とお前の仕事だ。唐入りの後始末も終えていないと云うのに国内で政権争いの合戦などしている場合か。そなたは内府殿と和解し…」

「内府との和解など、なぜ今のそれがしに必要がありましょう」

「なに?」

「もう遅いのです」

「どういうことだ?」

「上杉は起ちました。どうしてそれがしが後戻りできましょうか」

 明家は絶句した。

「…治部、まさかお前、山城と謀りおったのか!?」

「……」

「なぜもっと早く俺に言わなかった!」

「申せば止めたでございましょう」

「当たり前だ!」

「上杉が立ち、会津に向かった今が千載一遇の好機。むざむざ逃すものですか」

 石田三成と直江兼続は豊臣政権下で友誼を交わしており、親しかった。しかしながら現在の歴史小説にあるような両名が挙兵を示し合わせたと云う事実は現在に伝わっていない。もっとも秘密裏に行われた謀議の形跡が残る方がおかしいのであるが。

「無理だ治部、とうてい成功しない!十九万石のお前が二百五十万石の内府殿に勝てるはずがないであろうが!いったいどれだけの将がお前についてきてくれると思うのだ!」

 三成は明家に平伏した。

「それがしに人望がないことは分かっております。確かにそれがしに従う者は少のうございます。だからこそ越前殿の力を借りたいのです!」

「……」

「どうか!」

「…なぜ一番簡単な方法で、もっとも確実な『内府を放っておく』が出来ないのだ」

「越前殿とて分かっておりましょう。今ここで内府を討たなければ、いずれ秀頼様を廃して天下を我が物に」

「馬鹿な、お前が挑発に乗らず大義名分を与えなければ内府殿とて何もできないであろうが!確かに内府殿は専横だが今のところ秀頼様を立てている。何より我らが太閤殿下と成し遂げた日之本惣無事をお前が破ってどうするのだ!戦などダメだ!」

「ならば越前殿はどうして一万二千もの軍勢を連れて会津攻めに!」

「内府殿への加勢ではなく、上杉と徳川を和睦させるためだ」

「和睦ですと?」

「そうだ、何とかして戦を止めさせて、時期を待つ」

 時期、つまり家康の寿命が尽きる時、と云うことだ。家康の死後ならば戦うにしても勝機はあり、豊臣と徳川との融和も出来ない話ではない。明家にとって秀頼とその生母である妹の茶々を守るためにはこの方法が最善と思っていた。何より日本が二分しての天下分け目の大合戦を避けるためにも。

「だが、そんな盟約があるのならもう戦を止めようがない…!」

「越前殿!」

 明家は席を立ち、佐和山城から去った。

 

 陣に戻り、一人考える明家。柴田勝家に仕えていた時に三成と二人で成し遂げた数々の仕事が浮かんできた。手取川の戦い、九頭竜川治水。そして新田開発や築城、道路拡張などを一緒に汗だくになって働いていた日々。

 陣屋の蝋燭の炎がゆらめく。明家は考える。徳川家康の寿命待ち、それが明家の考えていた秀頼と茶々を守り、かつ合戦を避けて豊臣と徳川との融和も図る構想。しかし情勢はそんな明家の構想を消し飛ばし合戦へと動き出した。もう合戦は避けられない。ならばどうする。

 本心では三成の加勢をしてやりたい。武将として徳川家康に戦いを挑むのも本懐。だが父母の仇である豊臣秀吉に仕えてきたのは『戦のない世の構築』の大望があればこそ。それを思うと三成が勝っても何になろう。わずか七歳の秀頼に天下を治めることは無理で石田三成が実権を握る。全国の諸大名がこれを黙っているはずもなく、再び群雄割拠となる。徳川が天下を握れば戦はなくなる。『戦のない世の構築』こそ我が大願。明家の長考は続き、やがて

「誰かある」

 小姓を呼んだ明家。

「はっ」

「翌朝、佐和山に…」

「佐和山に…?」

「いや、いい。また用があったら呼ぶゆえ下がっていよ」

「はっ」

(…だめだ、佐和山には行けない。行けば間違いなく俺は佐吉に加勢を選ぶ)

 立ち上がり、陣屋の戸を開け佐和山城の方角を見つめる明家。

「すまん佐吉、加勢は出来ない…。またお前とは敵となる」

 そして先ほどの小姓を再び呼んだ。

「家老の奥村を呼んで参れ」

「ははっ」

 明家は側近の奥村助右衛門を召した。陣屋に二人だけである。

「殿、お呼びにございますか」

「うん、頼みがある」

「これは嬉しいことを。何でござろう」

 翌日、奥村助右衛門は息子たちも伴い、四千の兵を率いて丹後若狭に引き返した。不思議に思う前田慶次、山中鹿介。嫡子の勝秀も同じである。

「父上、なぜ奥村殿を国許にお返しになるのですか?」

「後で話す」

「はあ」

「さて、我らも江戸に行き、会津に向かうぞ」

「「はっ!!」」

 

 翌日、佐和山城。徳川の出陣要請で同じく会津攻めに向かっていた大谷吉継も明家と同様に城に招かれた。茶席の後、吉継も明家と同じことを言った。

「重家殿を徳川に人質に出せ。今ならまだ間に合う。俺が間に立つ」

「もう遅い」

「なに?」

「上杉は起った。なぜ俺が引き返せる」

「なんだと…!」

「豊臣政権は今や徳川に乗っ取られ天下は家康のものになろうとしている。この状況を傍観しているわけにはいかぬ。挙兵して家康を討つしかない」

「考えを改めろ佐吉!豊臣政権を守ることを大義名分としても負け戦では意味がなかろうが!」

「多少の危険をおかさずして目に見える成果はない!断固挙兵すべし!」

 しばらく見つめ合う吉継と三成。吉継が切り出す。

「いいか、お前には挙兵するに五つ不利がある。一つ、内府は現在すでに五大老の筆頭であり勢威は日々に高まっている。天下の諸将の多くはその下に従っている。これに比べるとお前は領地も少なく位も低いので人心はつかない。

 二つ、現在天下で大国を持っている者と言えば徳川と毛利で、とくに内府の経済は強大で対抗できる者がおらず内府自身の人望も高い。

 三つ、内府は若い頃から甲斐や駿河で歴戦し、用兵にも通じ、戦のかけひきに長じている。現在ではこれに挑戦して勝てる者はいない。太閤殿下とて敗れた。

 四つ、内府の家臣には本多正信や本多忠勝と云った優れた者が揃い補佐している。三河時代から良い家臣が多かった。大身となった今ではどのくらいになるか分からない。それに比較すればお前はとてもかなわない。

 五つ、内府は部下の掌握にきわめて卓越している。人として自分の子供を思わない者はいないが、内府は部下の者で戦死する者があれば、その者にどんな小さい子供がいる場合であっても、長くその子孫に至るまで面倒を見てやっている。ゆえに家臣たちは本当の親のような気持ちで慕っている。

 以上の五点、これはどれも人として揃えるのは難しいことばかりだが内府はこのすべてを兼ね備えている。とても勝算はない。今なら間に合う。挙兵を止めるのだ!」

「おぬしには釈迦に説法であろうが兵の運用に定石はない。どう変化するのかはやってみなければ分からない。反徳川の者、すべてが心を合わせて内府に当たれば、どうして敗れることがあるか」

 と、三成は反論。

「西国の毛利、島津、小西も内府には腹を据えかねている。彼らを味方につければ勝算は十分にある。関東の各地にも佐竹や相馬のように上杉と腹を合わせている大名もいる。内府と合戦する時には関西勢が箱根まで進軍して、東国の諸将たちと共同して関東に押し入り、一挙に江戸を占拠する計画だ」

 吉継は目をつぶり落胆の溜息を出し、首を振った。

「お前が言っているのは諸大名納得の決定された作戦ではなく、お前の単なる願望に過ぎない。朝鮮の戦で越前はお前に何と言った?負けた時のための手も打たねばならないと言っただろう!お前は全部忘れて勝つためだけの作戦しか立てていない。しかもその勝つための作戦とて相手が内府なら全部看破されるであろう。しかもやることなすことみんな時期が遅れている。ことを図るのならばもっと早く、内府が大坂を離れる前にやらなければならなかったのだ。内府はすでに江戸に帰っている。これは虎を野に放ったようなもの。それが分からないのか!」

「刑部(吉継)、もう後には退けぬ」

「どうあっても考えは変えぬか」

「変えぬ」

「俺がこれほど言ってもか!」

「誰が何と言おうとだ!」

「この馬鹿野郎が…!」

 拳を握り殴りかかる吉継。しかし三成は真っ直ぐに吉継を見つめ避ける仕草さえしない。拳を引っ込めた吉継。

「どうあっても賛同してはくれぬか刑部…」

「……」

「そうか、そなたと俺の縁、今さらくどくどとは言うまい。このうえは戦場で合間見えよう」

 

 吉継は垂井の自陣に戻り、一人陣屋に篭った。吉継はふと少年の時を思い出した。幼馴染の石田佐吉が仕官を成就したと。しかも仕官した男は織田家で頭角を現し、長浜城主の羽柴秀吉。当時、紀之介と云う名の少年だった吉継。彼は幼少から武将になりたかった。紀之介は佐吉に秀吉様に推挙をと頼み込んだ。佐吉は快諾し、主君秀吉が長浜領内を視察する道筋を教えた。そして秀吉が来るのを待ち、道の脇に平伏した。その視察に同行していた佐吉がそこへ止まり、

『親父様、この者はそれがしの幼馴染の大谷紀之介です』

(ホレ、顔を上げろ紀之介)

 紀之介の顔を見た秀吉。

『ほう、いい面構えをしているのう!』 

『は、はい!』

『佐吉の推挙ならば間違いあるまい!励め!』

『はい!』

『良かったな、紀之介』

『ありがとう佐吉!俺嬉しいよ!』

 そんな思い出を脳裏に浮かべ微笑む吉継。そしてあの日、秀吉の茶会に招待された時だった。大谷吉継は病のために顔が崩れ、普段から覆面をしていた。ハンセン病に侵されていた吉継はめったに茶会に出ないが秀吉の主催では断るに断れず出席した。そして茶を飲み、隣に茶器を渡す時だった。顔の膿汁が茶の中に垂れてしまった。茶席の空気は凍りついた。吉継は隣に渡すに渡せない。業病の膿汁の入った茶など誰が飲めるか。その時だった。

『いや~刑部、今日は喉が乾いてかなわん。それをくれ』

 と、石田三成が茶碗を取り一気に飲み干してしまった。三成は吉継の飲んだ茶碗を悠々と飲み干した後、お代わりを催促し、しかもわざと手をすべらせて茶碗を落とし

『これは失礼、皆様に転げた茶碗では恐れ多い。茶碗のお取替えを』

 と言い、居並ぶ諸大名は安心し、吉継は恥をかかずに済んだ。吉継は涙が出るほどに嬉しかった。この男のためなら死んでも良いと思った。その男が自分を頼って、誰もが恐れる徳川家康に挑もうとしている。すでに死期の近いことを悟っていた吉継は三成との友情のため命を捨てる覚悟をした。

「…俺は病の身、そう長生きは出来ん。病で死ぬより戦場で死ぬ方が良かろう。この命、佐吉にくれてやろう…」

 翌日、大谷吉継は佐和山城に入城。石田三成は感涙して出迎えた。私室に迎えて話した。吉継は言う。

「治部、そなたの才覚は天下に比類ない。しかし嫌われている。承知か?」

「…承知しているつもりだ」

「俺は何度か言ったな。『もう少し好かれるように立ち回れぬものか』と。だがお前はいつもこう答えた。『誰もが嫌われるのを避けていたら政治は出来ない』と。だから嫌われているのはお前自身か卑怯でもなく、小人でもなく、お前自身が本来は太閤殿下に向けられていたであろう憎悪をかぶっていたからだ」

「刑部…!」

「大名に口うるさく、あれこれ統制を加える内府の機嫌をとって質素に暮らすのはつまらん。一か八か賭けてみる」

「その賭け、当たらせてみせるぞ」

「なら佐吉、お前はあまり前面に出ぬことだ。毛利輝元殿や宇喜多秀家殿を立てることだ。さすればお前のところに参じる者も出てこよう。この俺のようにな」

「ああ…!」

 

 柴田明家は依然、会津攻めに向かう徳川軍の中にいた。江戸に到着し家康と合流して一路北へ。一方、真田昌幸の軍勢は徳川秀忠の軍勢に属していた。そして下野犬伏の村落に陣を敷いた時だった。

「殿!」

「いかがした?」

 使いが昌幸に耳打ちした。

「なに?治部より密使じゃと?」

「御意」

「よし会おう、別の部屋にお通しせよ」

 石田三成の使者に会った昌幸。

「治部殿より密書を預かってこられたそうじゃが」

「御意、これが主人の書状にございます」

「拝見いたす」

 それは徳川打倒挙兵の知らせだった。そして真田に味方についてほしいと云うことだった。

「ふむ…」

 使者からもたらされた書状を読んだあと、昌幸は嫡男の真田信幸、次男の信繁(幸村)を呼んだ。誰も近づけるなと見張りに命じて、別室で息子二人と要談に入った。

「実は今しがた治部小輔殿より密使が来ての、かねてより予測していた通り家康打倒の兵を上げるとの事じゃ」

「なんですと!」

「治部小輔殿が!」

「それで…治部殿より真田に味方につけと?」

「その通りじゃ信幸、これを読んでみよ」

「はっ」

 真田信幸は明家の書状を読んだ。無論信繁も読んだ。

「さて、おぬしらの考えを聞こうか、信幸はどうか?」

「……」

「信繁は?」

「それがしは大谷吉継殿の娘である安岐を妻に迎えております…。吉継殿の性格なら治部殿に助勢すると存じます。ゆえにそれがしは…」

 一方、長男の信幸は家康の家臣、本多忠勝の娘の稲姫を妻にしている。真田が豊臣に臣従した時、秀吉は信幸に徳川に仕えるよう指示されていた。家康は信幸の才能を愛した。寡兵で徳川を撃破したことのある真田。父親は嫌いであるが、息子の信幸は一本気な性格をしているので、その性格と才能を愛して重用した。徳川との繋がりは深い。

「父上、それがしは…内府につきます」

「…信繁は治部か」

「はっ、父上は?」

「治部につき、反徳川となる。我らのごとき、小大名はこういう危急を活用せねば大身になることはできん。それに儂は家康に嫌われている。あやつに加担して手柄を立てても恩賞はたかが知れている。今回の治部の挙兵は真田にとって千載一遇の好機なのじゃ」

「父上の申すこと、信幸にも分かります。しかしながら内府は日の出の勢い、他の大名が束になってもかないますまい」

「家康の力は分かる。じゃが前方に上杉軍、後方に上方の大軍、いかな家康でもこれだけの敵を相手にして勝つとしても数ヶ月はかかるであろう。儂はその間に甲信を切り取り家康が手出しできないほどに真田を強大なものにする!」

「父上…」

「どうじゃ信幸、儂の軍略に賭けてみぬか?」

「兄上、やりましょう!」

「……」

 信幸の顔が苦悩にゆがむ。昌幸は静かに頷いた。

「…仕方あるまい、信幸そなたは内府に忠節を尽くすが良い」

「父上…!」

「父と子が敵味方におれば勝敗がどちらに転んでも真田家は保てる。家のためにはむしろ良きこと」

 昌幸は立ち上がった。

「これより軍を二つに分けて我らは上田に戻る。信幸、次に会うのは戦場かもしれぬが堂々と合間見えようぞ!」

「ち、父上…!」

「我らの離反はそなたから秀忠に申し付けておけ。では兵の半数を連れて行くぞ」

「信繁…!父上を頼むぞ!」

「お任せを、兄上もご武運を!」

 これが世に云う『犬伏の別れ』である。

 

 徳川陣を離脱し、上田に引き返した真田昌幸と信繁はその途中にある信幸の城である沼田城に立ち寄ることにした。今、沼田城には当然信幸はいない。信幸正室の稲姫と子ら、そしてわずかな兵しかいない。昌幸は敵味方になったのなら、もう孫の顔も見られないかもしれないと思い立ち寄ることにしたのだが、もしかしたら『ついでに沼田城を取っておくか』と考えていたかもしれない。そして昌幸一行が沼田城の前にやってきた。

「開門せよ!真田安房守である!」

 すると櫓に一人の女武者が登ってきて昌幸に言った。

「引き返されよ!もはや敵味方、いかに大殿とて開門なりませぬ!」

「稲…?」

「義姉上!かようなことを申さず開けて下され!父は孫の顔が見たいだけにございます!」

「くどい信繁殿!私は夫の信幸より留守を預かる正室!断じて敵に開門ならぬ!」

 真田信幸正室の稲姫(小松姫とも)、あの本多忠勝の娘である。徳川家康の養女として真田信幸に嫁いだ。こんな逸話がある。徳川家康は年頃になった稲姫の婿を誰にするか探していた。若い侍衆が集められ、家康はそこへ稲姫を連れてきた。稲姫は一人一人のマゲを掴んで顔を覗き込んだ。とんでもない振る舞いであるが、相手は徳川家康の養女である。家康の機嫌を損ねるわけにもいかず、されるがままであった。かつ稲姫は本多忠勝の娘だけあり気が強く、美しくも形相から出る威圧に若い侍たちは気圧されていた。

 そして信幸にも同じことをしようとしたら信幸は髷を掴もうとした稲姫の手を鉄扇で打ち『無礼でござろう!』と一喝した。稲姫はその場で家康に『この方の妻になる』と言った。驚いた家康であるが、それを認め嫁がせた。十七歳の花嫁であった。

 気が強くて有名であるが筋の通った女傑である。ある時、本多家からの使いが遅滞して訪れたことがあった。関白秀吉の下命が上田に先に到着し、昌幸がすでに信幸に伝え置いていた。その同じ下命が家康を経由して沼田に来たゆえ二日遅れたのであるが、稲姫は激怒して使いの者に言った。

『上田本家より先に徳川家から沼田へ知らせが参るべきところであるのに、この遅れは何たる醜態ぞ!こんなことでは私は夫に顔向けが出来ませぬ!私の顔に泥を塗ることは本多平八の顔に泥を塗るも同じこと!ひいては徳川家康の顔に泥を塗るも同じこと!そなた、この場で腹を召されよ!』

 その場に居合わせていた信幸は驚いた。かつその使者は

『姫様のお言葉、御もっともにござります。されば』

 と言って使いの者は切腹の姿勢をとり脇差を腹へ突き刺そうとした。信幸が慌てて止めて『切腹には及ばぬ』と使者を説得、次の瞬間、稲姫は床に美しい顔をつけて平伏し『殿、お許し下さりかたじけのうござります!』と泣いて信幸に礼を述べたと云う。

 筋を通す豪胆な女傑の稲姫。昨日まで大殿と呼んでいた真田昌幸を櫓から見下ろす。

「どうでも入ると申されるなら、私を討ち取ってからお入りなされよ」

 どうしても開けようとしない沼田城の留守隊に怒り出した昌幸の部下たち。力づくで開門し押し通ろうとする。すると稲姫、百発百中と呼ばれる剛弓を構えた。

「狼藉を働く者どもは容赦なく討て!」

 号令一喝。困り果てた信繁が昌幸に

「どうなさいます?」

 と聞いた。昌幸は苦笑して馬を返した。そして

「さすがは本多平八が娘。武家の妻女はこうあるべきじゃのォ」

 と言い、入城を諦めた。立ち去る昌幸の背に稲姫は剛弓を置いて、頭を垂れた。

「大殿…。申し訳ございません」

 ふと、信繁の言った『父は孫の顔が見たいだけにございます』を思い出した稲姫。

「そうだわ!」

 昌幸一行はその後に正覚寺に陣を敷き休息した。そこへ稲姫は子供たちを連れてやってきたのである。

「義姉上…!」

「孫を見たいと云う大殿のお願いだけ叶えに来ました」

「これはありがたい!」

 知らせを聞いた昌幸が来た。

「おお、これは!」

「爺様~」

「お爺様~」

 孫たちを抱きしめる昌幸。

「おうおう、爺じゃ。みんな元気そうじゃのう~」

 その様子に微笑む稲姫。真田親子が徳川秀忠の大軍と戦うのはこれより間もない。小大名の真田昌幸。徳川に意地を見せる。



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西軍挙兵

 会津攻めには徳川の将士として、井伊直政、本多忠勝、酒井家次、大久保忠常、榊原康政、平岩親吉、酒井忠世、松平(大須賀)忠政、奥平信昌、本多康重、石川康通、小笠原秀政、高力忠房、菅沼忠政、内藤信成、松平家乗、松平家清、本多正信、阿部正次、青山忠成、本多康俊、天野康景、戸田一西、および家康近侍の者たち。

 そしてこれら徳川将士と共に豊臣系武将を中心とする外様大名の大軍がこの会津遠征に従軍した。すなわち柴田明家、浅野幸長、福島正則、黒田長政、蜂須賀至鎮、池田輝政、細川忠興、生駒一正、中村一忠、堀尾忠氏、加藤嘉明、田中吉政、筒井定次、藤堂高虎、寺沢広高、山内一豊、小出秀家、富田信高、一柳直盛、金森長近および畿内近国の中小領主などの五万五千人余であった。

 

 一方、会津上杉家。

「いよいよ内府と雌雄を決するときが来たわ!あの傲慢無礼、腹に据えかねておった。上杉の底力見せてくれるわ!」

 いきり立つ上杉景勝。

「頼むぞ山城(兼続)!」

「はッ!謙信公より賜りました軍略すべて駆使し内府の首を取ってごらんにいれましょう!」

(家康の陣には竜之介もいると聞く。おそらくは和議の話を持ちかけてこよう。だが俺は会わないぞ。もはや引き返せぬ)

 

 柴田勢は家康に従い、東海道を東進していた。そして明家の本陣。

「殿」

 本営を留守にしていた前田慶次が陣幕を払い入ってきて軍机の床几に腰掛けた。

「何だ」

「殿、お願いがござるのですが」

「何だよ改まって」

「いや、その前にもう一度お訊ねいたしたい。殿はこの会津攻めに参加したるは徳川と上杉の戦を止めるためと申しました。今も相違ございませんか」

「…そうだ」

「ならば、上杉への使者はそれがしに任せていただきたい。直江山城殿とは殿を経て知遇を得て、今ではそれがしも彼と友にございます。景勝殿にもお会いしたことはございまする。手取川で鉾を交えた者同士、何とか説得してみようかと存ずる。こういう交渉は弁舌巧みでは返って逆効果。至誠でぶつからなければなりませぬ」

「自信たっぷりですが前田殿、その至誠とはどう示すのですかな?」

 と、鹿介。

「考えておらん。その場で考え…殿、どうされた?」

 明家の顔は晴れない。

「父上、前田殿にお任せするのは良き一計とそれがしも考えますが…」

 勝秀が言うと鹿介も添えた。

「確かに流暢な弁舌で説こうとすると気骨ある景勝殿には逆効果。前田殿のような御仁が適任とそれがしも思いまする」

「…たとえ、俺がその任を慶次に与えたとて、それを実行できることはない」

 勝秀、慶次、鹿介は顔を見合わせた。慶次が訊ねた。

「それはどういう意味にございますか?」

「丹後(勝秀)慶次、鹿介、申し渡しておくことがある」

「「はっ」」

「上杉と徳川の合戦はない」

「「は?」」

 明家の言葉の意味が分からず顔を見合う三人。

「会津への進攻はない。我らは上杉勢の敵影すら見ることはない」

「父上、それがしにはおっしゃることがよく分かりませぬが…」

「丹後、治部が挙兵するのだ」

「な…!?」

「順序良く説明する」

 明家は息子勝秀と重臣二名に石田三成が豊臣の旗を立てて徳川家康に挑むと説明した。三人は驚き、

「失脚したとはいえ佐和山で黙って引っ込んでいるはずがないとは思っていましたが…。ついに…」

 と、山中鹿介。後の歴史小説ではかなり前から石田三成は味方を募り、西軍将兵を集めていたと目されるが、事実はそうではない。彼が柴田明家と大谷吉継に『家康を討つ、味方になって欲しい』と申し出たのは家康が江戸城に入った日でもある慶長五年七月二日前後と言われている。水魚の君臣の間であった柴田明家と親友の大谷吉継ですらそうであったのだから、他の大名への誘いかけがそれ以前になされていたとは考えられない。三成は挙兵を完全に秘密とした。なぜ三成は挙兵の意図を隠し通していたのか。

 結論から言えば挙兵の事実とその時期は機密事項で家康に漏れることは阻止しなければならない。三成は側近の島左近と渡辺新之丞くらいにしか挙兵を明けず、秘密裏にコトを運んだ。しかし

「だが秘密裏と根回しは両立しない」

「仰せの通りです」

 と、勝秀。

「反して内府殿は堂々と根回しをしている。俺にもすでに誘いが来ている。今までそなたらに相談できなかったのは上杉との戦いもありえ、つまらぬ雑念を入れたくなかったからだ。だが」

「だが…何です父上」

「江戸を出てからの進軍は遅すぎる。上方の挙兵を待ち、すみやかに西進するのが内府殿の目的であるのはもはや明らか。上杉は当て馬に使われたのだ」

 三成の理想的な挙兵は徳川と上杉が交戦状態に入ってからである。しかし江戸を出てからの家康の進軍は遅かった。家康は上杉と戦うつもりがないことを明家は知った。

「では殿は…」

「結論から言う。俺は治部との友情を取らない。柴田家と丹後若狭の領民のため、徳川家康につく」

「父上、それ以前に重臣一同揃えてどちらにつくか…」

「若殿、お父上は我らに意見を求めているのではございません。決意を述べたのです」

「しかし山中殿…」

「我らはそれに従い、ことの成就に邁進するのみです。殿、よう申して下された。これで我らも腹を括れました」

 山中鹿介は了承を即答した。明家が三成の加勢を選ばなかったことでどれだけ苦悩して家康につくことを決断したか容易であり、そして家と領民の平穏を取った判断は間違っていない。

「では父上、奥村殿に四千の兵を持たせて丹後若狭に帰したのは…」

「領内の守備を委ねた。俺ははっきりと治部に内府殿につくと言ったわけではないが、あいつも俺の性格をよく知っている。もう俺が徳川につくことを察していよう。敵味方となったからには、いかに旧知とは云え丹後若狭を治部がほっておくとは思えない」

「殿」

「何だ慶次」

「助右衛門を守備のため帰らせたことは得心しました。だが『徳川家康につく』と云う気持ち。まことそれでよろしいのか」

「……」

「頭で考えた言葉は聞きたくありませぬ。腹で思うことを申されよ」

 息子勝秀も父の答えを待つ。

「…佐吉に味方して勝たせてやりたい」

「ならば父上、何故そうなさりませぬ。この戦いは父上が鍵となります。父上が治部殿に付けば治部殿が勝ち、内府殿に付けば内府殿が勝ちます!」

 勝秀にとって石田三成は師である。勝秀は少年時代、秀吉の勧めで父母の元を離れて、石田三成の下で修行し、政務の基本を叩き込まれた時期がある。石田三成は厳しい師であった。旧主明家から嫡男を預かる以上、生半可では返せない。息子の重家より厳しく仕込んだのだ。父の明家と師の三成の薫陶あり、勝秀は柴田家次代当主として相応しい器量を身につけるに至る。誰よりも感謝しているのは勝秀の父である明家であろう。父と師が敵同士となる。若い勝秀には耐えられないことだった。

「なぜそう言い切れる丹後」

「それは大坂城の叔母上(茶々)が唯一信じる人が実兄である父上だからです」

「……」

「父上が治部殿に付き、秀頼様の出陣を請えば叔母上は拒絶しないでしょう。秀頼様が出陣すればここにいる福島、黒田、細川、山内とて何も出来ませぬ。結果内府は豊臣家への謀反人として日本中の勢力によって叩き潰されましょう!」

「殿、それがしも若殿と同意見です。本心では佐吉に味方したいのであらばそうなされよ。たとえ勝っても後日必ず後悔しますぞ。我ら尚武の柴田家。負け戦を勝ち戦にしてこそ武功にござろう!」

 と、前田慶次。

「待たれよ二人とも、殿がどれだけ苦悩して内府に付くことを選んだか分かっていて申されているのか!?」

 山中鹿介が勝秀と慶次を止めようとするが勝秀は黙らない。

「父上、徳川が天下を取ったらどうなりますか。商人を嫌う内府殿、当家は交易をすることを禁じられ、かつ京に近い二ヶ国を所有している我らをそのままにしておきましょうか!そのままにしておくとしても天下人の権勢を嵩に無理難題を言ってくるのは明白です!俺はそんな天下人の下で飼い殺しになるのは御免被りまする!」

 明家は軍机を叩いた。

「仮に治部が勝って何となる!戦後を考えよ!」

「戦後…」

「丹後、茶々はもう俺のかわいい妹ではない。俺から離れている一個の女だ。俺が治部に付いて秀頼様の出陣を要請したとて必ず拒絶する。母親とはそういうものだ。何より治部が勝ったとしても、御歳七歳の秀頼様に何ができる?結局は内府打倒の狼煙を最初に上げた佐吉、石田治部少輔が実権を握る。俺はそれでも一向にかまわんが他の諸大名がこれを黙って見過ごすと思うか?太閤殿下と我らが成し遂げた日之本惣無事が水泡となる。奥州の伊達から九州の島津に至るまでまたぞろ日本は麻の如く乱れる!治部ではこれらは御しえない。そして無論俺も押さえきれない。出来るのは内府殿だけだ。内府殿が勝てば日本から戦は無くなる!俺が私怨を捨て父母の仇である太閤殿下に仕えたのはこの世から戦をなくすためだ。治部が勝てば日本は再び戦国乱世に戻る。それは断じて避けなければならない!」

「殿…」

 明家の血を吐くような言葉にさしもの慶次も黙った。

「丹後と慶次がたった今俺に申したことは柴田家のためのみである。この国は早く戦国乱世を終わらせなければならない。九州攻めの時に見たであろう異国の軍艦を。彼らはラシンバンと云う文物で海を迷わず航行できる。海がこの国の堀でいてくれる時代はもう終わる。日本の内戦が長引けば必ずつけ込まれる。佐渡、対馬、壱岐も奪われ、はては蝦夷地までもチカラづくで奪い取られていく。そうなったら後の祭りだ。一刻も早く統一政権を作らなければならない。日本は一つにならなければならない。俺が付くことで勝敗が左右されるのであればその選択を私の事情で誤るわけには行かない!」

 勝秀、慶次、鹿介は一言も無かった。そして鹿介。

「そこまでお考えでございましたか…」

 明家は黙って頷いた。

「先が見通せると云うのも不便ですな。殿は佐吉と山城殿、二人の心友と敵味方となる。人は感情で動き、それが歴史を左右する。しかし殿は『戦のない世の構築』のためならばどこまでも自分の感情を殺してしまわれる。手前には真似ができませぬ」

「戦のない世、それが俺の悲願だ。子供のころ養父に農耕を教わったとき、俺は民と一緒に田畑に励んだ。春は雑草、夏は虫、秋は鳥に悩まされ、冬にようやく稲刈りのとき、敵勢に稲穂を丸焼けにされた。あの時の悔しさと悲しさを俺は忘れたことがない。いつかこんな世を終わらせてやる。そう子供心に誓った。そして今、それに届きそうにある。本音を言えば佐吉を勝たせて男にしてやりたい。だが、できないのだ…!」

 しばらく沈黙が続き、そして慶次が発した。

「治部が仕掛け、内府が受けし戦は天下分け目と相成りましょう。西国の剛の者と戦うのも悪くはござらん。それがし最後の傾きどころとも言えましょう」

「最後?隠居でもなさるのか前田殿」

「違うわ鹿介殿、もう戦がなくなると云うことよ。それに殿」

「なんだ?」

「治部とて勝算なき戦を仕掛けますまい。あの手この手で味方を増やして内府に挑みましょう。宇喜多、島津、長宗我部、毛利が石田方につけば極めて厄介。ゆめゆめ油断なきよう。その油断こそが十万の兵に値する大敵にございます」

「分かった。ありがとう慶次」

 慶次は家康に付くことを同意した。

「父上、大坂にいる母上や重臣たちの妻子たちを大急ぎで舞鶴に返した方が良いのでは?前田殿の申すとおり、治部殿はあの手この手で味方を増やそうとするはず。それがしが治部殿なら大坂にいる大名の妻子を人質に取りますが…」

「心配いらぬ。すでに通達済みだ」

「さすが父上、安堵いたしました」

「丹後、そなたも内府殿に付くことを是としたのだな」

「…正直に申せば迷いがございます。治部殿は我が師、師といえば父と同じ。その父と戦って良いものかと。しかし父上のお考えも勝秀分かりまする。たとえ父上とそれがしの意見が割れたとて、息子であり家臣であるそれがしは父上に従うことが忠孝と思います。それがしは父上に従います」

「そうか。父もかつて泣いて槍術の師である諏訪勝右衛門様を討った。砂を噛むような思いであった。そなたのつらさは分かる」

「父上…」

「しかし慶次の申すとおり、油断すれば討たれるのは我らだ。師の治部に笑われぬ戦いを示せ。良いな」

「はい!」

「また助右衛門には…」

 

 明家は近江の陣中で奥村助右衛門と二人だけで密談した様子を聞かせた。

「治部が挙兵ですと!」

「そうだ。上杉との戦いに向かった内府殿の後背を衝く形で挙兵となる。治部は挑発と承知しているが、あえてそれに乗るであろう」

「なんと…」

「甘かった…」

「は?」

「助右衛門、俺は内府殿の寿命を待つつもりだった。内府殿の死後ならば戦になっても勝てるし、あるいは秀頼様と秀忠殿を何とか融和させることもできるかもしれない…。そう考えていた」

「……」

「だが、人の情と云うものを甘く見ていた。治部は豊臣政権のため、内府殿は己が天下取りのため。俺が楽観と云うか、冷めた目で情勢を見ていられたのも治部や内府殿のような『やらねばならぬ』というものが欠けていたからだ」

「『やらねばならぬ』…」

「俺とて、その『やらねばならぬ』と云う感情で太閤殿下にも叛旗を翻したというのにな。我ながらうかつと思う」

「殿…」

「助右衛門、そなたに訊ねる。俺は治部に付くべきか内府殿に付くべきか」

 助右衛門は一瞬言葉に詰まった。明家が本心では三成に付きたいことを見抜いた。

「先の利家様と内府の一触即発の時、殿は中立を取りました。今度はそうせぬのですな?」

「しない。あのころはまだ合戦は避けられると思ったから中立を取った。今度はそうはいかない。大合戦になるであろう。そんな合戦にフラフラとしたどっちつかずでは柴田の面目が立たない。これから起こる戦は次の政権を占う大事な合戦。旗はハッキリさせなくてはなるまい」

 少しの沈黙のあと、助右衛門は言った。

「されば申し上げます。内府に付かれよ」

「その心は?」

「戦はどうなるか分かりませぬ。しかし治部が勝ったらこの国は治まりませぬ」

「ふむ…」

「しかし内府が勝てば天下は治まり申す。殿の大望である『戦のない世』が到来します。何とか内府を勝たせなくてはなりますまい」

「戦のない世のために…か」

「勝家様にお仕えしている時、水魚のごとき君臣であった殿と治部。その治部と敵味方になることはつらいとお察しします。ですが殿には柴田家家臣の命と丹後若狭の領民たちの平和な暮らしが双肩に乗っております。私情に流されてはなりませぬぞ」

「分かった、よう言ってくれた。これで決心がついた」

「恐悦に存じます」

「助右衛門」「殿」

 二人は同時に互いを呼んだ。

「「え?」」

「何でござるか殿」

「いや助右衛門から申せ」

「ならば遠慮なく。殿、それがしを丹後若狭にお戻し下さいませ」

「……」

「どうされた?」

「いや、俺が言おうとした事と同じだったので…」

「ははは、そうでしたか」

「柴田が内府についたと知れば、挙兵した治部らは我らの丹後若狭に進軍してくるであろう。我らの国を守ってくれるか。今いる一万二千のうち四千を預ける」

「御意、小浜には倅たちを遣わし、それがしが舞鶴に入り攻城に備えましょう」

「援軍はない。そんな篭城戦を任せられるのはそなたしかおらん」

「殿のお名前を使わせてもらってようございますか?」

「俺の名前?」

「大坂に噂を流しまする『柴田越前、まだ家康につくか三成につくか胸中揺れている』と。味方は少しでも欲しいはずにございます。殿の心変わりを期待して丹後若狭に攻め入ることをためらうかもしれませぬ。攻め入ったら完全に敵味方、治部とて藤林の流言工作の巧みは知っているので通じぬかもしれませんが、やれることはしておきたいと存じます」

「いいだろう、ぜひやってくれ」

「御意、ならばさっそく国許に引き揚げまする。また大坂にいる殿の家族や重臣たちの家族も舞鶴へお戻しになられた方が良いと存じます」

「分かった。すぐに大坂の柴田屋敷に通達する」

 こうして奥村助右衛門は柴田軍四千を連れて丹後若狭に引き揚げたのである。以上のことを息子と慶次、鹿介に述べた明家。

「…と、助右衛門に申し渡してある。国許のこと、そして我らの家族のことは奥村助右衛門に任せた。我らはこれから始まる合戦に集中せよ」

「「ははっ!!」」

 

 ここは石田三成の居城の佐和山城、ここで石田三成、増田長盛、大谷吉継、安国寺恵瓊が謀議を開いていた。増田長盛は五奉行の一人。この時期、五奉行は三人になっており、残る前田玄以と長束正家を取り込み、諸大名を糾合するためには欠かせない人物である。

 増田長盛は三成の挙兵計画に同意。七月十二日には西軍最初の首脳会議とも云うべき会合が佐和山城でもたれた。安国寺恵瓊は毛利の使僧として活躍し、秀吉にも重用されて伊予(愛媛)の地に六万石を与えられていた、反家康派の敏腕の外交僧である。三成の戦略構想に基づき、毛利一族を味方に引き入れるには最適の人物である。

「内府の軍勢もそろそろ会津へ攻め入ろう」

 と、大谷吉継。

「内府の腹は分かっておる。わざと京と大坂を留守にして我らの挙兵を誘っているのだ」

 三成はそれに頷き答えた。

「魂胆はそうであろうが…やはりこの誘いに乗るしかござらぬな」

「無論だ治部、この機会は逃すわけにはいくまい」

 大谷吉継は同意。安国寺恵瓊が続けた。

「我らは内府に敵意を抱く西国大名に決起を呼びかけ、もはや内府をしのぐ軍勢を整えられた。挙兵を躊躇する必要はござらぬ」

「よし、豊臣家のため、秀頼様のため、内府打倒の兵をあげようぞ!」

 この会議で決まったことは四つである。

 

 一つ、家康の老臣である鳥居元忠が守る伏見城を攻め落とす。柴田明家の旗幟が徳川と判明したら丹後若狭に進軍して舞鶴城を落とす。

 二つ、伏見城の攻略後、宇喜多秀家、毛利秀元、吉川広家、長束正家、安国寺恵瓊は伊勢に進攻し安濃津城、松阪城などの東軍の城を攻め落とす。

 三つ、石田三成は佐和山城を経て濃尾に進攻。大谷吉継は北陸道を制圧して同じく濃尾に向かう。

 四つ、毛利輝元と増田長盛は大坂城で秀頼補佐の任に当たり、家康が西進してきたら輝元は秀頼を奉じて出陣し全軍の指揮を執る。

 

 この日のうちに前田玄以、長束正家、増田長盛の三奉行連署による毛利輝元への出馬要請状が発せられた。輝元は要請状を受け取るや、ただちに広島を出発して早くも十六日に大坂に入った。ここに西軍が誕生した。

 毛利家当主の輝元を担ぎ出したことを成功させたのは大きい。吉川広家、小早川秀秋と云って毛利一族を味方に引き込むための強力な切り札となる。加えて毛利輝元は百二十万石の領地を誇る家康に次ぐ大大名である。その毛利輝元が西軍の総大将となったのならば、いまだ旗幟をハッキリさせない大名や家康寄りの大名にも西軍側に付かせることも計算できる。

 愛知川の関所も早速に設けられ、会津攻めに参加すべく東進していた鍋島勝茂や前田茂勝(前田玄以の息子)らが引き返して西軍に加わることとなった。織田秀信への工作も濃尾二国の加増を条件に西軍加盟を取り付け、前線拠点と云うべき岐阜城を確保することに成功した。

 輝元は上坂したものの毛利家は意思統一がまったくなされていない。輝元を担ぎ出した安国寺恵瓊は反家康派であるが輝元の従弟で一族の重鎮である吉川広家は親家康派である。広家は会津遠征の出兵要請に応じて居城を出陣して大坂入りしたが、その夜に広家と恵瓊が激論を闘わせている。恵瓊は毛利一丸となって家康打倒に起ち上がるべきと強硬に主張。広家もまたその意見に頑強に反対。結局激論は平行線となり物別れとなっている。

 恵瓊の独走に広家は毛利一族の危機を感じ、輝元の上坂を止めるために、ただちに輝元の居城である広島に使者を派遣したが時すでに遅く、輝元は大坂への途上だった。広家は恵瓊の強行策に後れをとってしまった。そして毛利輝元を総大将にして七月十七日、西軍は挙兵宣言を発し、諸大名に檄文を公布。家康に宣戦布告をするに至る。東西両軍の激突はもう不可避であった。

 檄文に応じて諸大名が集結。檄文に応えて、と云うより檄文公布と同時に全国の大名はイヤでも二択を迫られるのである。東西どちらにつくかを。そして結果西軍に付くこととした諸大名が集結した。

 毛利秀元、小早川秀秋、宇喜多秀家、島津義弘、立花宗茂、小西行長、鍋島勝茂、秋月種長、伊東祐兵、相良頼房、脇坂安治、前田茂勝、長宗我部盛親ら総兵力は九万に及んだ。もっとも彼らは積極的に西軍に加勢したのではない。島津義弘は東軍に付くつもりであったが伏見城主の鳥居元忠に入城を拒否されたことに加えて義弘の妻が石田三成に人質に取られてしまったので、西軍につかざるをえなかった。また鍋島勝茂や前田茂勝のように東下を阻止され、西軍への参陣を余儀なくされた者も少なくない。

 

 この時点で家康が執るだろうと予想される作戦は

一つ、会津を攻撃する。

二つ、江戸で防御に徹する。

三つ、反転して西進する。

 このいずれかであろうが、会津への攻撃の可能性は極めて低い。上杉景勝、常陸の佐竹義宜、信濃上田の真田昌幸はまず間違いなく西軍に組すると思われるからである。江戸で防御か反転して西進のいずれかと三成は読んだ。家康が江戸で防御に徹した場合は反家康連合軍を率いて東進し、先の上杉、佐竹、真田で江戸城を包囲すれば良い。反転して西進してきた場合は尾張・三河の国境付近で迎撃と云う算段である。挙兵後、ただちに畿内の家康派の城を落とし、伊勢、美濃、北陸の三方から尾張に進攻する。戦闘態勢を出来るだけ優位にしておき尾張と三河の国境で家康を迎撃するのだ。

 尾張と三河で迎撃が困難となった場合は岐阜城から大垣城を結ぶ防衛線で東軍の進軍を抑え、伊勢方面に展開中の軍勢に背後を衝かせる、と云うものである。

 作戦は実行された。最初に合戦の火蓋を切られたのは伏見城である。伏見城は西軍勢力圏の中に打ち込まれた東軍の強固なクサビ、作戦の遂行上、どうしても緒戦で落としておかなければならない。七月十八日、毛利輝元の名前で伏見開城を要求。城を預かる家康老臣の鳥居元忠は即座に拒否。翌十九日、ついに伏見城攻めが開始され、東西激突の火蓋は切って落とされたのだ。

 

 そして、いよいよ石田三成は家康寄りの諸大名の妻子を人質に取ることを敢行した。すぐに柴田屋敷に兵を派遣。明家の妻のさえには良人から連絡が届き、急ぎ大坂から舞鶴に向かえと云う知らせが届いていた。だがすでに遅かった。大坂の町から出られぬよう、すでに西軍兵が配備されていたのだ。明家の指示に従いたくても従えない状態であったのだ。

 しかし捕らえられたら良人の決断を鈍らせる。戦国を生きてきたさえとすずにとって良人の枷になることは大恥である。柴田明家正室さえと側室すずは決断した。

「「佐吉さん、いや治部に断じて屈するものか!」」

 

「越前殿の愛妻家ぶりは知らぬ者なし。たとえどんな思惑があろうとも御台殿をこちらの人質にしてしまえば、戦上手の越前殿が西軍につく!もはや手段を選んではおれぬ!柴田の御台さえ殿と側室すず御前を奪え!」

 石田三成は他の大名の妻子を人質に取るには他の者に任せたが、柴田家には自ら出向いた。若き頃の三成は明家とだけではなく、その妻のさえとも苦楽や貧乏を共にしてきた。苦しい水沢家の台所事情を三成が補佐してさえを助けてきた。それゆえ三成はさえのことを知っている。側室すずとも多くの戦場を共にし、普段は慎ましい女であるが、その奥にはくノ一としての顔があることも知っている。自分が行かなくては絶対に人質に取ることはできないと確信していた。

「御台様―ッ!!」

 侍女が血相変えてさえに報告。

「石田勢が屋敷を囲みました!」

「そうですか」

 座るさえは神棚に祀ってある伯母の八重と家令の監物夫婦の位牌を見た。

「こんな時、伯母上と監物がおれば…治部を一喝して追い返すでしょうね」

「確かに」

 苦笑するすず。監物と八重は丸岡城攻防戦の時に亡くなっていた。八重は城に撃ち込まれた鉄砲の弾を受け、そして監物は明家と共に出陣して討ち死にしたのである。八重が受けた鉄砲の弾はさえを貫く弾だった。それを庇って八重は死に、監物は武人として死にたいと明家に懇願して出陣し、そして見事な戦死を遂げたのである。

「でも今は二人ともいない。私が戦わなければ!弱気になったらあの世の二人に叱られるわ」

「御台様にはこの慈光院が指一本触れさせません」

 佐々成政正室のはる、落飾して慈光院と名乗る尼僧は明家正室さえの侍女を務める。大名正室ほどとなれば、一人か二人学識豊かな老女が侍女として補佐するものだ。慈光院は柴田家に身を置いて以来、その役を担ってきていた。

「ありがとう、では家の者に無用に石田方に危害を加えぬよう伝えて下さい。こちらが攻撃すれば向こうもしてくる。何とか私が話をつけます」

「治部をこの部屋に通して良いと?」

「かまいません、その後に慈光院殿は手はずどおりに」

「承知しました」

 整然と座り、腹を括るさえとすず。甲冑の音がけたたましく聞こえてきた。そしてさえとすずのいる部屋を開けた三成。

「治部殿…」

「久しぶりですな。奥方様」

「ええ、久しぶりです」

「ご用件は分かっていますな」

 三成の兵がさえとすずを囲んだ。

「しばらく窮屈な生活となりますが、大坂城で丁重に遇しますゆえ、安心してまいられたし」

「お断りします」

「いいから参られよ」

「無礼者!」

 三成の部下がさえの腕を掴もうとしたその時、すずがその腕を掴み投げ飛ばした。それに激怒した兵がすずに刀を抜く構えを見せた。するとすず、その男の両眼にツバを吐き、視界を奪い、歩行用の杖で足払いをかけ転ばせた。

「石田の兵は礼儀も知らないのですか。三十二万石の大名の正室に向かい、刀を向けようとするとは何事か!」

「この女!」

「よせ」

「しかし殿!」

「すず殿、あまり困らせないでもらいたい。一人で三十人の兵に匹敵せし藤林の忍者。しかしその忍術も今の貴女では駆使のしようもない。満足な歩行が出来ない身の上。これだけの兵の前にはどうすることもできまい」

「試してみますか佐吉さん」

 杖を支えにすずは立った。三成の言う通り、すずは杖を使わねば立てない状態である。しかしすずは退くわけにはいかない。くノ一の目で三成を睨む。

「柴田の女を甘く見たら火傷いたします」

 着物の裾から苦無を取り出し握るすず。普段は静かで笑顔の優しいすず。それが巴御前さながらの女傑の迫力だった。三万の上杉勢にひるむことなく突撃したすずの胆力は妻となり母となっても衰えていない。石田勢は気圧された。

「御台様、準備整いました!」

 縁側の障子が開放された。三成は庭を見て驚いた。それは火薬壷だった。大きな壷が三つある。そして火のついた松明を慶次の妻の加奈と慈光院が持っていた。すずはこの準備が整うまで時間稼ぎをしていたのである。

「な…!」

「治部!良人越前が徳川様に付くと云う決断をされた以上、貴殿の横車に柴田家の女たちは断じて屈しませぬ。ここで私たちが死ねば、良人越前は鬼となって貴方を滅ぼすでしょう。さあどうなさいますか!私たちと一緒に死にますか!」

「奥方…!」

「殿!どうせハッタリに決まっています!」

「『もったいない越前』の女房にこんな腹の据わったことができるはずがない!」

 三成の兵はハッタリと確信し、主君へおどしに乗るなと言った。

「言うたな!では『もったいない越前』の女房が貫目を見せてくれようぞ!加奈殿、慈光院殿、火を壷へ!」

「「は!」」

 三成は加奈とも旧知の間である。あの前田慶次の女房で武芸の達者であるので腰も据わっている。慈光院もあの佐々成政の正室、老いたりとは云え女傑の凄みがある。加奈は三成に言い放った。

「佐吉、さあ一緒に逝こうか!あっはははは!」

 加奈は何のためらいもなく火薬へ火を近づける。亭主さながらのいくさ人の胆力を持つ加奈。これは柴田の女たちには戦。死人の覚悟を持つ柴田の女たち。丸岡の攻防戦では男たちと共に命がけで戦った彼女たちの胆力。

「待たれよ!」

 三成は加奈を止めた。

「…それがしの負けにござる」

「「殿!」」

「引き揚げるぞ」

 三成は部下たちを連れて引き下がった。屋敷の包囲も解除された。三成は自分でなければ人質に取れないと思い自ら出向いたが、それはむしろ逆であったろう。女子供にも容赦ない男が出向けば、あるいは人質に取れたかもしれない。なまじ柴田家の女たちと知己であったゆえに非情に徹し切れなかったとも云える。さえ、すず、加奈、そして慈光院は全身に滝のような汗を流した。脱力し、壁にもたれるさえ。

「や、やったわよ!私たちの勝ちよ!」

「やりましたね御台様」

 汗を拭うすず。

「一世一代の大博打だったわ…」

「ともかく御台様、このことを殿に知らせなければ」

「うん、慈光院殿、二毛作をここに」

「はい」

 火薬壷が本物であるか否かは不明であるが、明家が屋敷に火薬を残しておくはずがないと偽装説が有力で、そして偽装と知りつつ三成が退いたと云うのが現在のおおむねの定説である。ならばなぜ退いたのか。捕らえたとしてもさえとすずが良人の枷となるくらいなら、と死を選ぶことが分かったからである。そうさせては完全に自分と明家は敵味方。明家は一生自分を許さない。三成はまだ明家と手を取り合い幼君秀頼を盛り立てていくことを諦めてはいなかった。だからここは退いたのだ。

 しかし徳川寄りの大名正室を人質にとると云う作戦は終わらない。同じころ細川家の屋敷も包囲されていた。屋敷の中にはロザリオを握る細川忠興正室の玉、洗礼名ガラシャがいた。



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小山会議

 三成は人質作戦を完全にはあきらめなかった。その狙いは細川家に向けられた。細川家の大坂屋敷には当主忠興の妻である玉がいた。そしてすでに細川家の屋敷は包囲されていた。

 玉こと細川ガラシャはロザリオを握り、信じるデウスに祈りを捧げていた。その後には細川家臣小笠原少斎がいた。

「お方様、お覚悟の時かと」

「……」

 玉は三成の人質として大坂城に入れと云う勧告を拒否。玉は子供たちを逃したが、自身は大坂屋敷に立て篭もった。切支丹として自害は出来ない。だが明智光秀の娘として最後の意地を見せてくれると覚悟を決めた。誰が何と言おうと玉は父の光秀を誇りに思っている。

 本能寺の変、彼女の父である明智光秀が主君織田信長を攻め滅ぼした。その後、光秀は細川家に援軍を請う。忠興は玉に

『任せておくがいい。光秀殿は我が父ぞ』

 と述べたが、父の幽斎は非情だった。長年友誼を深めてきた光秀を見捨て、あげく玉を斬れと述べた。忠興は当初、光秀に加勢するつもりであったが父には逆らえず玉を幽閉に至る。孤独の玉はそのおりにキリスト教に傾倒し、やがて教徒となった。洗礼名はガラシャ。やがて羽柴秀吉より玉を許す旨が伝えられた。細川家に戻った玉の良人への心はすでに冷え切っていた。忠興と玉は明家とさえと同じくらい仲睦まじい夫婦だったが、仲が良かったゆえにこじれたら修復は難しい。忠興は玉をどう扱ってよいか分からなくなり、時にひどい言動も浴びせ、夜閨も拒否しようが無理やり強要した。

 それからほどなく、細川家は九州に大幅な領地加増を受けて丹後の地を後にするが玉は豊臣家の御掟に伴い大坂に留め置かれ、そして半ば軟禁状態。細川家臣の監視下に置かれていた。そんなある日、柴田家から細川屋敷に使者が来た。明智日向守様の周忌を西教寺で行うので玉も出席して欲しいと云うのである。

 羽柴秀吉に討たれた明智光秀、当時は稀代の謀反人として蔑まれていたが光秀に恩義のある柴田明家は『日向殿は丹波の民に今も慕われています。丁重に弔うことは殿下の器量を丹波の民に示す良きことと存じます』と秀吉を説得し、光秀を弔うことを許された。明家は光秀旧領の主なる民と話し合い、光秀がその音色を好んだと云う鐘がある西教寺を菩提寺に選び、光秀夫婦を弔った。光秀の嫡子の光慶は討ち死にしており、明智秀満、津田信澄に嫁いでいた二人の娘は明家の領地で丁重に遇されていた。明家はその姉妹と共に毎年光秀と熙子の周忌を行っていたのだ。

 今までの周忌にも明家は玉の出席を要望していたが忠興が行かせなかった。しかし忠興は九州にあり玉は大坂。細川が丹後の大名の時はかなわなかったが今ならば、と玉は細川家臣に父の御霊を慰めに、ぜひ行かせてほしいと懇願。根負けした家臣たちは忠興様には内緒で、と云うことで許した。細川屋敷に柴田家の迎えが来て、輿に乗って西教寺に行った。父の御霊に会うためもあるが、何より玉は明家に会いたかった。初恋の男子、竜之介に。玉を出迎える姉妹。懐かしい姉と妹の姿に涙が溢れた玉。

「姉上様、英!」

 長女はすでに没しており、次女から四女の光秀の娘たちは再会を喜び抱き合った。次女は園、四女は英、すでに落飾して尼僧となっている。

「元気そうね玉」

「姉上様も」

「玉姉さん、今日は語り合いましょうね」

「ええ英、本当に懐かしい…」

 すると寺の入り口から

“越前守様、ご到着”

 と云う声が聞こえてきた。玉の胸が高鳴る。初恋の人、竜之介が来た。数人の供を連れて西教寺の境内に来た明家。園と英が頭を垂れた。

「お二人とも、早いですな」

「「はい」」

 明家は玉に気付いた。

「……た、玉子か?」

「はい…!」

「……き、きれいになったな…」

「竜之…い、いえ越前殿もご立派に」

(何と凛々しき!美しさすら感じる)

 それに加わり、今の世でただ一人、父光秀と母熙子を大切に思い丁重に弔ってくれた人物でもある初恋の人。玉の胸は少女のようにときめいた。典礼は滞りなく終わり、最後に明家は改めて光秀と熙子の墓に合掌した。玉も一緒に合掌する。

「美濃の山中で光秀様に命を助けられずいぶん経つが…何か昨日のように感じるな…」

「はい」

 明家は少年期に養父長庵の課す修行に耐えかねて正徳寺を飛び出したことがあった。その道で彼は川に落ち、やがて熱を出して倒れた。路傍で倒れていた竜之介を光秀が助けた。そして悪寒で震える竜之介を抱きしめて温めてくれた光秀の妻の熙子、明家はその恩義を終生忘れない。そしてそこにいた美少女に生まれて初めて恋をしたことも。

「越前守殿」

「竜之介でいい。何だ?」

「何で父の墓を作ってくれたのですか?こんなことをすれば太閤殿下に睨まれましょうに」

「死ねばみな仏、謀反人も天下人もない。ま、今の言葉はさすがに言えなかったけれど…光秀様と熙子様がいなければ今の俺はない。せめてもの恩返しかな」

「竜之介…」

「何よりこうすれば…」

「え?」

「玉子が喜ぶと思った」

「りゅ、竜之介ったら(ポッ)」

 コホンと一つ咳をした玉。

「そうね、嬉しいわ。たとえ誰が何と言おうと父上は私の誇り。大好きなの」

 明家は二十年ぶりに会った初恋の女に胸をときめかせた。同じ思いを玉もしているとは想像もしていないだろうが。だが必要以上に親密になるのは許されない間柄である。別れを惜しみながら言葉を交わす。公の場なので言葉も丁寧だった。

「玉殿、来年の周忌、またご参内いただければと存じます」

(元気でな玉子、来年また会おう)

「喜んで参らせていただきます、越前守殿」

(うん、楽しみにしているわ竜之介)

 目を見れば互いの心の中にある本当の言葉も分かる。たった一日の再会であったが、それほどのものであった。しかし、これが今生の別れであった。この西教寺行きも忠興に知られ、翌年は行くことを禁じられたのであった。

 

 炎上する細川屋敷。キリスト教徒は自害を禁じられている。玉は細川家臣の小笠原少斎に自分を切れと命じた。首を刎ねやすいよう、髪をたくし上げる玉。

「違いまする奥方様」

「え?」

 少斎は胸のロザリオを握る仕草をした。少斎の意図を察した玉は着物の胸元を掴んで両手で広げた。

「遠慮は無用、玉はデウス様の元へと参ります」

 槍を構えた少斎。

(竜之介…)

 槍が玉の胸を貫いた。

(今度生まれくる時には貴方と…)

 玉は死んだ。辞世『散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ』享年三十八歳。

 

 西軍の人質作戦。柴田家は何とか退けたと云うさえからの報告を陣で読んでいた柴田明家。胸を撫で下ろしていたところ

(竜之介…)

「ん?」

 文を読む目が止まった。それに気づく勝秀。

「どうしました父上」

「いや、何でもない」

(玉子の声が聞こえたような…)

 やがて忠興に玉の死が伝わった。玉の侍女が知らせに来たのだ。どんなに冷たく当たっても、そして嫌われようとも忠興は玉を愛していた。聞くや忠興は

「すまぬ…玉…!」

 と泣き崩れ、そして怒りの形相で西方を睨んだ。

「治部めが…!絶対に許さんぞ…!」

 明家にも玉の死は伝わった。聞いた時は『そうか』しか言わなかったが、その夜、陣屋で一人篭り玉の死を悲しんだ。今も愛している初恋の女。それが死んで悲しくない道理があるだろうか。

 この諸大名の妻子人質作戦は失敗だった。逆に怨嗟を抱かせ裏目となる。人質作戦は頓挫するも、三成の構想する家康討伐計画は毛利輝元を担ぎ出したことを成功させた以上、中々良好な滑り出しに見えた。しかし実情を見ると前途は暗い。

 

 伏見城陥落の知らせを受けたのは二十四日、下野小山に到着した日のことだった。山内一豊の妻である千代が機転を利かせて良人の一豊に知らせたのだ。家康は諸将を集めた。世に云う『小山会議』である。明家も参集が命じられた。家康の陣に向かう明家に山内一豊と堀尾忠氏が声をかけた。堀尾忠氏は一豊の朋友である堀尾吉晴の次男で堀尾家当主。そして一豊の一人娘与禰姫の良人である。

「いよいよ治部が立ちましたな越前殿」

 と、一豊。

「そのようですね」

「越前殿は治部の旧主、どうなさるおつもりか?」

 堀尾忠氏が訊ねた。

「さあて、まずは徳川殿の話を聞かないことには。では急ぎますので」

 足早に明家は走り去っていった。

「うーむ、婿殿、越前殿が治部についたら厄介ですぞ。何せあの淀の方様の実兄、彼が治部につけば秀頼様の出馬もありうる」

「確かに。徳川殿は越前殿に根回しとかしておらんのでしょうか」

「どうじゃろな」

「とにかくそれがしは徳川殿が西進される時、浜松の城を差し上げる所存。味方をする限り、このくらいはせんと」

「城を?」

「はい」

「ふーむ」

 そして徳川家康本陣、石田三成が挙兵した旨を改めて伝え、そして伏見城がすでに西軍の手で陥落したことも告げた。そのうえで

「諸侯の証人(人質)は全て大坂におられる。それゆえ全員自由にこの陣を引き払い大坂にへ上り、西軍に属するのは自由にござる。留め立てはいたさぬ」

 と諸将に言った。静まり返る家康本陣。誰もが秀吉亡き後の天下人は家康と思っていた。だが家康に付くのは豊臣家に弓を引くこと。すぐにクチを開く者はいなかった。

 家康は柴田明家に視線で合図を送った。事前に『味方を表明して欲しい』と家康に頼まれていた。それはそうだろう。現在ここにいる軍勢で徳川本隊を除けば一番多くの軍勢八千を持つ三十二万石の大名の柴田明家。しかも大老であり人望もある。黒田長政、本多正信はこの上杉攻めの進軍の中、『もはや三成との合戦は避けられない。三成と親しいのは知っているが、ぜひ徳川についてほしい』と要望されていた。

 特に正信は必死だった。明家が石田につけば秀頼の出陣さえ考えられる。明家自身は自分が茶々にそれを要望しても拒否されることは分かっていたが、徳川の者でそれを知る者はいない。柴田明家さえ徳川につけば秀頼出馬の危険性はなくなる。たとえ柴田軍が戦場で首一つ取らなくてもかまわないのである。徳川についてさえくれれば、その名前だけで十分なのだ。

 しかし明家は中々旗幟を明らかにしなかった。できなかった。やはり三成と戦うのは気が重かったのである。明家は家康自身にもそう言った。すると家康、

『お悩みあれ、よくよく考えられよ。あっさり組した者ほど逆に油断できぬもの。もし治部に付いたとしても怨みはいたさぬ。堂々と戦場で合間見えよう』

 と返した。だが小山会議前日、いよいよ天下取りの大合戦の前にはそんなことも言っていられない。明家が『西軍につく』と言って引き揚げれば、賤ヶ岳で戦い、朝鮮の役ではその采配で戦い、柴田明家の恐ろしさを知る福島正則や加藤嘉明も去りかねない。家康は明家の陣に自ら出向いて助勢を願った。この時すでに明家は家臣に家康に付くことを明言していたため了承した。そして会議の皮切りを要望された時、

「お安い御用です。それがしが真っ先に発言いたしましょう」

「おお、ありがたい」

 本多正信と顔を合わせ安堵する家康。だが明家はしたたかである。

「お味方すること、そして会議の皮切りを担うこと、それに伴い要求して良うございますか?」

「何でござる?」

「これから起こるであろう大合戦、それがしも粉骨砕身戦いますが、その合戦で勝利を収めし時…」

「無論、大幅に加増いたしますぞ」

「新たな領地はいりません。武功に見合う金銀でいただきたいのです」

「は?」

「しかしながら丹後若狭より柴田を移動させず、徳川ある限り丹後若狭は柴田家の国であること、かつ世の情勢がどう移り変わろうと柴田が現状で行っている交易の継続、そして更なる販路開拓を許すと云うお墨付きをいただきたいのです。これを受け入れて下されれば西軍との戦で柴田がどのように武功重ねても領地の加増はいりません。金銀で結構です」

 つまり現状維持を約束せよと云うことだ。今の願いの口上を記した書面を家康に差し出す明家。正信と家康は読み、顔を見合った。正信はうなずく。家康は了承した。

「良うござる。すぐにお渡した方がよろしいですかな」

「はい」

 はたしてこれは無欲か、いや違うだろう。正信は心中で苦笑した。

(なんてしたたかな奴…。一見無欲にも見えるが、さにあらず。とんでもない欲張りじゃ…)

 家康は一旦本陣に帰り、『お墨付き』を書いて明家に渡した。封書の表には徳川の三つ葉葵の紋所。文には家康の印判と花押(サイン)が記載された。

「確かに、柴田はけして盟約にそむきません。お任せを」

 同じく心中で苦笑していた家康。

(何ともちゃっかりした奴よ、無欲のようで実はそうではない。かつ、こういう時に無欲な男は逆に信用されないとも心得ておる。とにかく今は越前が助力は不可欠、丹後若狭二ヶ国とは云え合わせて三十二万石、保証するくらい容易いわ)

 しかも明家、自分は丹後若狭だけで十分。家族、家臣、領民が安泰ならそれでいいと家康に示している。つまりそれ以上の野心はないとも暗に言っている。家康も信長と秀吉にはずいぶん配慮したものだが、この若僧も中々と家康は感心していた。家康にはそれが振りかそうでないかは分かる。明家には天下を取ると云う野心はないのだ。ただ、この国から合戦がなくなれば。それが明家の悲願であった。そして家康にとっても。

 

 そして小山会議。約定どおり柴田明家が立った。

「この越前、内府殿にお味方いたす」

 他の諸将は驚いた。石田三成と水魚の君臣であった柴田明家が真っ先に味方すると明言したのだった。

「言われるとおり、妻は大坂。しかしそんなことで去就を迷うのは武士としてはならぬこと。それがしは内府殿に己が夢を賭けまする」

「己が夢とな越前殿」

「戦のない世の到来です。もうたった一つの合戦が民の汗水の結晶たる稲穂を台無しにする世は終わらせなければなりませぬ。それがしが父母の仇である太閤殿下に仕えたのも戦のない世を作りたかったがゆえ!もしこの大合戦、縁起の悪いことを申し上げて恐縮にございますが治部が勝って何になりますか。御歳七歳の秀頼様に政治は出来ず、結局治部が実権を握ります。それを全国の諸大名が黙っているとは越前思えませぬ。またぞろ天下は騒乱となりまする。しかし内府殿ならば乱世を終わらせることが出来る!創造も守成も!そのためならこの越前、治部との友情を断ち、徳川家康を勝たせます!」

「お、おお…、おおお…!!」

 家康は床几から立ち、明家を見つめ、そして心で言った。

(の、信康…!まさにそなたを見るようじゃ!)

 たとえ出来ていた話とはいえ、味方をすることを主張する言葉までは決まっていない。明家の言葉は他の諸将たちを同時に説得もしていた。『治部が勝ったとしても何になるか』と。

 家康が明家と親しくしていたのは、明家を認めていたこともあるが何より言動や仕草が亡き嫡男信康にそっくりと云うことだった。あのまま信長に殺されず、長じていたらこんな武将になっていたのではないか、こんな言葉を発していたのではないか、家康は明家を見て何度もそう思った。

 だから明家から妹の江与を徳川の若者にと要望されたときは世継ぎの秀忠と娶わせ、秀吉に謀反をした時には庇った。何か助けてやれずにおれぬ不思議な気持ちだった。徳川信康と柴田明家は一つしか年齢が違わない。『徳川家康を勝たせる』と云う言葉も亡き信康は三方ヶ原の合戦前に父の家康に言った。それを明家は知らない。立ち会っていた本多忠勝は『信康様と同じことを…』と驚いていた。

 柴田明家に徳川信康の面影がある、それを感じていたのは父の家康や忠勝だけではない。信康の妻であった五徳姫(信長の長女)、彼女は織田信雄の人質として京に滞在していたが聚楽第にて明家の背中を見た瞬間に『信康様』と発している。信康正室が見間違うほど明家には信康の面影があったと云うことだ。

 ちなみに信康切腹事件の発端は彼女と現在言われているが、それは後世の創作に過ぎない。彼女自身が父の信長に懸命に助命嘆願した事実があるのである。ゆえに彼女は良人を死に追いやった父親を憎み、信康の死後は父のもとではなく兄の信忠のもとに身を寄せている。五徳と明家は同年齢である。後年に親交を持つ二人であり、音曲や踊り、連歌などを楽しんだという。しかし女好きの明家だから愛人説もあり、五徳自身もそれを否定しなかったと言われている。

 

 話は戻る。

「のぶ…いや越前殿、よう申して下された!家康は今のお言葉忘れませんぞ!」

 家康は明家の手を握り感謝を示した。

「先陣を頼まれて下さるか!」

「喜んで拝命いたします」

 明家の発言が皮切りとなり、次々と味方を表明する諸将。そして山内一豊、隣に座る忠氏に言った。

「どうされた?先のことを申し上げなくては越前殿以上の印象は与えられませんぞ婿殿!」

 いざとなると堀尾忠氏は居城明け渡しを申し出ることをためらった。まだ徳川と石田、どっちが勝つか分からない。石田が勝てば堀尾は路頭に迷う。忠氏が申し出ないので一豊、

「徳川殿、それがしを越前殿の先陣部隊に組み入れて欲しいと存じます」

「対馬殿(一豊)」

「また、この合戦に先駆け、掛川の城、差し上げまする」

 家康も驚くが忠氏も驚いた。

「な、何と申された対馬殿」

「それがしの掛川には長年により蓄えた兵糧もございます。すべて徳川殿にお渡しいたします」

「対馬殿!家康感謝の言葉もない!」

 会議の流れと云うのは恐ろしいもの。家康の西進の途中にある城を持つ諸大名が競って城の明け渡しを申し出た。

「各々方に感謝いたす。それでは西に向かい、石田治部と決戦いたす!」

「「「オオオオッッ!」」」

 本陣を引き揚げる堀尾忠氏を呼び止めた一豊。

「すまん」

「何のことでございますか?」

「婿殿の案を横取りしてしもうて…」

「いえ、大事の時に申せなかったそれがしが未熟なのです。ああいう席でもすでに戦は始まっているもの。改めて学びました」

「婿殿…」

 ペコリと頭を下げて忠氏は自陣に帰っていった。

「対馬守殿」

「おお越前殿」

「思い切ったことを申されましたな。それがしの言もかすんでしまいました」

「いやいや、実は婿殿の考えたことをそれがしが横取りしたのでござるよ」

 笑いあう明家と一豊。

「しかし、この戦がそれがしの最後の出陣となりましょうな…」

「それがしも最後にしたいものです」

「その最後の戦を越前殿とできるとは幸運でござる」

「それがしも同じ思いです。共に先陣にござれば、功名を立てましょう」

「おう!」

 

 そして柴田明家の居城である舞鶴城に丹波福知山城主である小野木重勝(公郷とも)を総大将とする丹波と但馬の軍勢が向かった。その知らせを聞いた奥村助右衛門。

「申し上げます!丹後の民たちが国境に陣取り、西軍の侵入を防ごうとしております!」

「すぐに解散させよ!民を盾にしたとあっては助右衛門、主君越前守に合わす顔がないわ!」

「はっ!」

 小野木重勝は助右衛門の居城である小浜は無視した。事前に小浜には千五百ほどの兵しかいないと云うことは調査済みである。本城の舞鶴に援軍の出しようもない。舞鶴を落とせば他の城も落ちる。舞鶴には奥村助右衛門率いる柴田の精鋭が守備に当たった。助右衛門は藤林忍軍に明家の胸中揺れていると噂を流させた。しかしさすがは石田三成、藤林が流した噂に過ぎないと歯牙にもかけなかった。

「やはり効かぬか佐吉には。柴田明家をよく知っておる」

「ご家老」

 と、松山矩久。

「ん?」

「民が敵の進軍を防ごうとした。殿は領民に慕われていますな」

「そうだな、ならばこそ殿を慕う民たちのため、踏ん張らねばならん。援軍はないが負けんぞ」

「御意」

「矩久、そなたは貧乏くじを引いたかもしれんぞ」

「なあに、終わってみなければ分かりませんよ。こっちの方がでっかい当たりクジかもしれないではないですか」

 明家が城の防備にあたり、慶次、鹿介、勝秀以外の将を好きなだけ連れて行け、と言ったが助右衛門は矩久だけで結構です、と返した。隆広三百騎の筆頭にして黒母衣衆筆頭の松山矩久、不良少年のたぐいであった彼だが今では智勇兼ねた立派な大将となっている。助右衛門が矩久だけでいいと言ったことがそれを物語っている。

「かわいい幼な妻のためにも負けられぬな」

「はっははは、ご家老、手前の妻とて、もう三十を越していますぞ」

「そうだったな、どうにも昔の印象が消えんよ」

 矩久は二十三歳の時に十二歳の村娘を妻にした。仲間たちが次々と年頃の娘を嫁にもらうなか独り者だった彼。そんな彼がある日突然に十一年下の少女を妻とした。北ノ庄城の郊外で新田開発を主君隆広と遂行していた時、たまに給仕に来るその少女を見初めていた。少女の名前は春乃と云う。

 そして主命を終わらせ城下に帰る日、意を決した矩久は大きい籠を背負って春乃の家に行き、春乃の父母に『娘御を嫁に下さい』と懇願、娘の幼さと農民と武士は一緒になれないと言うのを理由に父母は断るが矩久にそんな理屈は眼中に無く春乃を抱き上げるや『俺の女房になれ』と籠の中に入れて自分の家に連れて帰ってしまった。春乃の父母は何のためにそんな大きな籠を持ってきているのかと思ったが、まさか娘を入れて持ち帰るためとは思わず、大急ぎで追いかけたが健脚の矩久は足が速く逃げられてしまった。現在なら完全に誘拐である。当然春乃の父母は激怒したが矩久の熱意に根負けし、しばらくすると嫁入りを認めたと云う。家中から『お前、少女趣味だったのか』とよく言われたものだった。

 かわいい幼な妻の春乃のためにがんばり続け、陰日向に主君明家を助け、筆頭家老の奥村助右衛門にも深く信頼された。その奥村助右衛門と松山矩久が主君明家の城を守るべく命がけで戦う。

 

 そして舞鶴城の奥、柴田明家の側室しづ、甲斐、そして勝秀正室の姫蝶がいた。

「まさか再び、篭城戦を体験しようとは…」

 と、甲斐姫。武蔵国(埼玉県)忍城にて石田三成二万の軍勢と戦って以来の篭城戦であった。

「私も丸岡以来です…」

 しづが答えた。まだ少女であったが給仕と看護に懸命に励み、降伏落城の時は大声で悔しさに泣いたことを覚えている。

「私は初めてです。怖い…」

 体を震わせる姫蝶。

「大坂の屋敷も大変であったそうにございますが、こちらも安全ではございません。でもしづ様、姫蝶様、けして殿の判断を怨んではいけませんよ。東軍についたのは絶対に誤りではありません」

「甲斐殿…」

「治部ごときに天下が取れるはずがない。少しの辛抱です」

「そのとおりです」

「奥村殿」

 助右衛門が来た。しづ、甲斐、姫蝶は頭を垂れた。本来は明家以外は入れない奥であるが、今の助右衛門は城代であり、彼の妻の津禰と側室の雪駒も奥にいた。

「甲斐姫様、少し宜しいか」

「…?はい」

 甲斐姫は奥から連れ出された。

「奥村殿、なにか?」

「まあ、ついてきて下され」

「…?」

 甲斐姫は助右衛門に言われるまま、舞鶴城の櫓まで連れてこられた。

「ご覧あれ」

「……!?」

 城門の前には三百から四百の牢人たちがいた。牢人たちは甲斐姫に気付いた。

「おお!姫様じゃ!」

「我らが菩薩様じゃ!」

「甲斐姫様―ッ!」

「おお、相変わらずめんこいなぁ!」

「お、忍城のみんな…!」

 甲斐姫の目に涙が浮かんできた。みんな知っている顔ばかり。石田三成の忍城攻めで共に命がけで二万の軍勢に立ち向かった仲間たちだ。成田家の旗を誇らしげに掲げている坂東武者の男たちである。各々が武州の地で野に下り帰農していた者たちで、中には彼女の父である成田氏長(正史ではすでに故人。本作では存命とする)の烏山三万石に再仕官できていた者さえこちらに駆けつけた。畿内に孤立する舞鶴城に甲斐姫がいると知り、彼らは飛んでやってきたのである。

「姫!我らも戦いますぞ!」

「一緒に西軍と戦いましょう!」

「まったく敵中に孤立しているこの城に加勢に来るとは物好きな」

 苦笑して松山矩久が言うと甲斐姫は言った。

「それが坂東武者です!窮地にある者を助けるのが武人にございます!」

「甲斐姫様」

「何です、奥村殿」

「貴女こそが成田家だ」

 鳥肌が立つほどに嬉しかった助右衛門の言葉だった。

「これ以上泣かせてくれますな…!」

「矩久、願ってもいない精鋭が援軍に来て下された。城に入れよ。まさに人は城、人は石垣よ!この戦、勝てるぞ!」

「はっ!」

 城門から成田の旧臣たちが甲斐姫に殺到、甲斐姫はむさい男たちにもみくちゃにされながらも再会に感涙していた。それを見つめる助右衛門と矩久。

「殿は注意しないとな。我らが姫にこの世で唯一触れる資格を得ている者がろくでなしなら彼らに殺されるぞ」

「あっははは、お姫様を妻にするってのは大変ですな」

 

 その夕方、軍議があった。そこに甲斐姫は甲冑姿で現れた。怪訝そうに甲斐姫を見つめる奥村家と松山家の重臣たち。しかし、その姿は大三島大明神の化身と呼ばれる鶴姫さながらの美しさである。真紅の着物に坂東の甲冑がよく映えた。評定の間の入り口で頭を垂れる甲斐姫。

「奥村殿、私、甲斐も戦わせて下さいませ」

「……」

「西軍は総大将が毛利輝元であろうが、率いるのは治部、忍城の戦の借りを返したいと存じます」

「承知した」

 甲斐姫が逆に驚くほどあっさり助右衛門は認めた。

「「殿…!」」

 仮にも当主の側室を戦場に出して、もしものことあらばと助右衛門の家臣たちは諌めるが助右衛門はそれを手で制した。

「姫、参陣する気ならばどうしてもっと早く来ないのだ。あんな精鋭を得た貴女を戦見物させるゆとりは当方にはないことくらい分かるであろう。おかげで持ち場がすでに大半決まってしまったのに、また最初から段取りし直しだ。大事な軍議に遅参とはたるんでおるぞ」

「こ、これは甲斐の落ち度でした。申し訳ございませぬ」

 甲斐姫の後には武者一人がついてきた。堂々とした武人だ。

「城代の申すとおりにございます。姫と共にお詫びいたします」

「手前は柴田家家老の奥村助右衛門永福と申す。ご貴殿は?」

「元成田家家老の正木丹波守利英と申します」

「ほう、貴殿がそうか」

「手前をご存知で?」

「関東に攻め入った滝川一益と戦い、本能寺の変の後に滝川勢を追撃して震え上がらせたと聞く。そして忍城の戦では長束正家の軍を撃破したと」

「これは恐縮にございます」

「我が主、柴田越前に貴殿らの参戦を知らせるゆとりはないが、この奥村、家老と小浜城主の職責を賭けて貴殿らの厚遇を約束いたす」

「恐れながら城代、戦が終われば我らは再び武州に戻り土に生きる所存」

「ん?」

「我らはただ、窮地にいる姫をお助けに来ただけにございます。何もいりませぬ。ただ姫ともう一度戦い、豊臣に一矢報いるための機会を与えてくれれば良いのです」

 フッと助右衛門は笑った。ここまで家臣の心を掴んでいる者を見たのは二人目だ。甲斐姫が男に生まれていたら、はたして三成は忍城で勝てていたか疑問だ。

「さ、座られよ。軍議を始めますぞ」

「はっ」

 そして翌日、

「敵勢確認!総数一万五千ほどかと思われます!」

 使い番が知らせた。

「来たか西軍!舞鶴は柴田明家が築城した城、易々とは渡さんぞ!迎撃準備!」

「「「オオオオオオオオッッ!」」」




のぼうの城で御馴染みの正木丹波登場です。彼の墓所は埼玉県行田市にありまして、一度墓参したことがあります。大好きなんですよねぇ、のぼうの城は。
それと、矩久が幼な妻をかっさらうあの場面は、明治時代の偉大な政治家、田中正造翁が妻の大沢カツさんに求婚した時のエピソードです。紛れもない実話ですから本当にいたわけですね。見初めた女を背負う籠に入れて連れ帰ってしまったと云う豪傑は。昔の男は色恋もまたすごいです。


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東軍西進

 ここは直江兼続の本陣、徳川家康が下野小山から撤退を開始したと知らせが入った。

「よし、いよいよ決戦の時が来た!これから殿のご意向をうかがいに長沼に参る。全軍出陣の準備をしておくのだ!」

 兼続は急ぎ、上杉景勝本陣の長沼に走った。徳川の陣には柴田明家もいると知っている。そして明家が上杉と戦うのではなく戦場において上杉と徳川の和議を取り成そうとしていることも知っていた。明家は会津へ出陣前に兼続へ『徳川と上杉の和議を図りたい』と伝えてあったのだ。しかし直江兼続はこの同門の友の申し出に対して返事をしなかった。上杉のことを案じてくれるのは感謝していたが、兼続も上杉景勝も徳川と和議をする気持ちなどさらさらない。上杉絶体絶命の危機とも言えるが、兼続は逆に好機とも考えていた。

“内府は自分で自分の首を絞めた”

 家康が西へ転進した時が上杉の勝負所であり、内府がもっとも危険な時。上杉軍が徳川を追撃し関東に乱入すれば徳川の大軍をもっても上杉に勝つことは難しい。しかも上杉軍が長躯して江戸に襲い掛かれば江戸城も落とせるかもしれない。

 いかなる名将の采配であろうと、敵前から撤退するほど困難を極めるものはない。家康はあえてその作戦を上杉相手にやろうとしていたのだ。上杉を石田三成の挙兵を促すための当て馬に使った家康を断じて許すつもりはない。この機に乗じて打ち破るのみ。長沼に到着した兼続。

「殿!」

「来たか山城、聞いたか?」

「はっ」

「こたびの北上…。治部殿の挙兵を誘う策であったようだの…」

 自らを笑う上杉景勝。

「とんだ当て馬よの…」

 軍机にある布陣図と地形図を見る景勝。

「徳川軍が白河口に迫れば、本庄勢が一戦仕掛け、退却を装い革籠原へ誘い入れる。そこで正面から安田と我が本隊、右から旗本、後から山城(兼続)…。三方から攻め谷田川の深沼に追い込み、下野に逃げ帰る敵は佐竹、相馬、岩城の軍が待ち受けて殲滅する…。ふん、絵に描いた餅じゃ」

「とんでもございませんぞ殿!今こそ好機!追撃に出て敵軍を鬼怒川辺りで補足し打ち破ることはできまする!」

「ならん」

「は?」

「治部と内府の戦。しばらくはかかろう。その間に我らは北の最上を破り、背後を固めることが肝要であろう」

 上杉の北の隣国、最上義光は東軍につくことを表明していた。家康は最上義光、伊達政宗、堀秀治など上杉領に隣接した諸大名に上杉への警戒を怠るなと下命している。景勝はその先鋒となり上杉領に進攻しようとしている最上を討ち、逆に最上領に進攻する旨を告げたのだ。最上の領地の山形には海がない。義光はどうしても酒田港が欲しかった。秀吉の存命のおりには酒田港の一部を上杉から借りて活用できたが、秀吉が死に、やがて上杉西軍、最上東軍の旗幟が明らかになると上杉は最上に酒田港の一寸の余地も貸すことを拒否した。当然の成り行きではあるが、たとえ港の一部とて義光にとって大事な財源を生み出す要所。海の交易が断たれる。こうなれば奪うしかないと思うのも当然だろう。その動きを景勝は察知し、最上を討つことにしたのである。この命令に兼続は驚いた。景勝様は何を言っているのか。

「恐れながら殿、ご賢察下さいませ。ここは地盤固めではなく追撃の時、我が上杉が内府を追撃いたさば佐竹も呼応するのは必定!徳川軍を打ち破れます!!」

 しかし景勝の考えは変わらなかった。

「この東西の天下分け目の戦い、半年、いや一年はかかる戦となろう。我ら上杉はそれに備えるため最上を下し、北の守りを固めねばならぬ」

(何と言うことだ…)

 兼続は心中激しく落胆した。景勝は決断してしまっている。もうこれ以上は異を唱えることはできない。

「殿の御意のままに…」

(内府との戦いはこれで終わった…)

 とはいえ、上杉の防備上の弱点が北にあるのは兼続も承知のこと。景勝の構想も間違ってはいないのだ。最上二十四万石を併呑出来れば三つに分地している上杉の領地が接合して二つの分地となる。

 気持ちを切替えた兼続、徳川が三成と戦っている間、出来るだけ上杉を強大にしておき、家康も手出し出来ないほどの大勢力になれば良い。それから家康と戦っても遅くはない。

(急がば回れよ)

 

 兼続はすぐに最上攻めの準備に取り掛かった。その知らせは最上義光にも届いた。直江山城守兼続率いる二万四千の軍勢が最上領に進攻を開始したと知らせが来た。完全にアテが外れてしまった義光。徳川と戦っている上杉の後背を衝くつもりが上杉の主力が転じて矛先を最上に向けてきた。義光の居城である山形城に向けて怒涛のごとく進軍してきた。そしてついに山形城の支城は長谷堂城だけを残すだけとなった。

「もはや最上だけでは太刀打ちできぬ!伊達に援軍を要請せよ!」

 義光嫡男の義康が伊達政宗のいる北目城へと向かい援軍を要請。政宗にとって義光は母方の伯父であるが長年不和が続いていた。義康が使者として政宗に会った。

「援軍?ずいぶんと虫のいいことを言うな。母上に俺を殺すよう指示しておいて」

「そのご母堂からのお頼みにございます」

「なに?」

「最上を助けてほしいと…」

 義康は保春院の文を政宗に渡した。確かに母の保春院の筆だった。

「そうか母上がな…」

 政宗は結局援軍に応じた。最上が上杉に併呑されたら、より強大となった上杉の進攻にさらされるのは伊達なのだ。母親の頼み、そして戦略的にも伊達に有するところがあり、政宗は留守政景を総大将に援軍に向かわせた。また援軍を要望する文とは別に政宗宛に保春院の文があった。そこには騒ぎが済んだら、柴田勝秀に側室として嫁ぐ姪の駒の侍女頭として丹後若狭に行くことが書かれてあった。大名の姫が大名世継ぎの妻となる。側室とて例外ではない。そういう貴婦人には見識豊かな年長の女が侍女として随行するものだ。叔母が後見も兼ねて随行する例は多いので、それは不思議ではなかった。

「そうか、母上は柴田家に行くのか…」

 妻の愛姫に保春院からの文を見せる政宗。

「義母上は冷え性とのこと。畿内ならば暖かいのでお体にも良いですね」

 にこりと笑う愛姫。一時は政宗と不仲だったが、今は関係も修復し昔どおり仲が良い。

「そうだな、この戦が終わったら越前殿に一筆書いて母をよしなにと頼んでおこう」

 

 小山から東海道を西進した東軍は福島正則の居城である清洲城に到着した。このころ家康は江戸城に入っていた。

 清洲城に集結した武将の面々は柴田明家、福島正則、山内一豊、池田輝政、一柳直盛、浅野幸長、堀尾忠氏、黒田長政、細川忠興、加藤嘉明、藤堂高虎、田中吉政であった。軍監に井伊直政がついていた。柴田明家の清洲到着を主君三成に報告した島左近。三成は落胆した。尾張と三河の国境で徳川勢を迎撃と云う作戦は完全に頓挫したからである。

「もう完全に越前殿は敵でござるな…」

 と、島左近。

「越前殿は太閤殿下にご恩もあろうが同時に父母の仇でもある。子飼いの将にもあらず。秀忠の内儀は越前殿の妹であるし、内府や徳川重臣と親しい。無念ではあるが、それゆえ越前殿が家康についたことは理解もできる。しかしながら福島や黒田らが家康についたのは腹に据えかねる…」

「殿…」

「あやつらが俺を蛇蝎のごとく嫌っているのは知っておる。しかしあやつら、俺憎さだけで家康につきよった。あやつらの豊臣への忠義はそんな程度のものだったのか」

「人は義だけでは動かない、再三申したはずですぞ」

「…その義に生きる儂を笑うなら笑えとも返したはずだ左近…」

「…」

「こんな乱世だからこそ、義が問われなければならんのだ」

「…変わりませんな殿」

「それゆえ、苦労をかけるな」

 

 清洲に到着したのはいいが、家康は一向に江戸を出発しない。福島正則は焦れてきた。

「内府は我らを劫の立替にする気か」

 と激怒。『劫の立替』とは囲碁用語で、わざと石を捨てて敵に取らせることである。正則は家康が自分たちをそうするつもりかと井伊直政に突っかかった。

「あいや、もうじきに殿はお越しになるので」

「もう何度もそれは聞いたわ!待ちきれんぞ!」

 直政に掴みかかった正則。黒田長政と池田輝政が仲裁に入っている。

「どう思う越前殿」

 と、山内一豊。

「我らを試しておられるやもしれませぬな内府殿は…」

「試す?」

 直政に突っかかっていた正則が明家を見た。

「西軍に合戦を挑み、完全に旗色を徳川寄りと明らかにせよ、と云うことだと…」

 正則に掴まれた着衣の乱れを正す直政。

「そのへんはそれがしも聞いてはおりませぬが、何せ我が主は用心深いお人でございますからな」

「ふむ…」

「特に越前殿」

「は?」

「治部についた岐阜城の城主の織田秀信殿と貴殿は親しい。だから警戒されても仕方ないかもしれませぬ」

 織田秀信とはあの三法師である。秀信の父である織田信忠に明家は深く信頼されており、豊臣政権下でも明家は秀信に神妙な態度を執っていた。

「意地の悪いことを申される。もし容赦なく秀信殿を討てば、それがしは中将様(織田信忠)との信義を踏みにじることとなり、内府殿も平気で旧恩を反故にする者と見て信用せず、かと申して岐阜城攻めに加わらなければ旗色を明確にしないと内府殿の信用を失う。困りましたな…」

「い、いや、それがし意地の悪さで申し上げたのではござらぬよ。ただ我が主の性格を鑑み、客観的に申し上げただけで」

「そうだ!越前殿よき方法がござるぞ!」

 と、山内一豊。攻めても攻めなくても家康の信用を失いかねない、と明家がポロリとこぼしたことで一豊が妙案を浮かべた。

「何でしょう?」

「秀信殿を口説き落として東軍につけてみては?」

「おう、そりゃ妙案ござるな!味方を増やして、かつ我らの旗幟も明確に出来る一石二鳥じゃ」

 福島正則も賛同。

「なるほど…。直政殿、よろしいかな」

「かまいませぬが、誰を使者にいたす所存ですかな」

「それがし自ら、と言いたいところですが家臣たちが許しますまい。適切な者を選び岐阜城に行かせます」

「承知した。織田信長公の嫡孫ゆえ殿にも思うところはござろう。一度は救いの手を伸ばすのも悪くござらぬ」

「かたじけない」

 心の中でニヤと笑う明家、攻めても攻めなくても家康の心証を悪くすると弱気を見せて井伊直政を通じて『柴田越前は家康の信頼を得ようと懸命』と示し、警戒心の強い家康を安心させられる。かつ信忠との信義を思うと息子秀信を討てば不義。明家自身、秀信に一度は救いの手を差し伸ばす必要がある。それを拒絶すればやむを得ない、と云うことだ。何より明家自身が降伏を勧めることを主張しなかったのは他の諸将の顔を立てることになる。明家はこういう配慮で豊臣政権下にて黒田官兵衛や蒲生氏郷のように秀吉に遠ざけられるのを防いできたのだ。大坂よりすぐ北の丹後若狭を与えられ、一度の減俸も移動もなかったことを見れば柴田明家が智勇に長けているだけでなく処世術にも精通していることが分かる。

 今回の会津攻めから始まる徳川陣中の中で明家はもっとも大きい大名家であった。三十二万石、二番目が二十万石の福島正則である。徳川直臣の井伊直政や本多忠勝は六千を率いる福島の機嫌を取ることには大変手を焼いたと云うが、八千を率いる明家は驕らず徳川の直臣たちにも礼節をわきまえた。ただの八千ではない。朝鮮の役では『歩来々』と朝鮮軍と明軍を震え上がらせた軍勢である。そんな猛者たちを率いているにも関わらず、明家は腰が低かったのである。この姿勢が後に柴田明家と福島正則の運命を大きく変えていくことになる。

 さっそく明家は自陣に帰り、岐阜城に降伏を勧める使者を出すことを家臣たちに話した。

「で、誰が適任と思う」

 重臣に訊ねた。

「殿、それがしが参りましょうか」

 それは明家養父、水沢隆家に仕えていた高崎太郎の息子、高崎次郎吉兼であった。明家が柴田勝家の足軽大将だった頃から仕えている人物である。渉外の仕事を任されることも多く、明家の信頼厚い重臣だ。

「行ってくれるか吉兼」

「御意」

 吉兼は急ぎ支度して岐阜城へと駆け、二日後に岐阜城に到着。柴田越前守の使者と云うことで秀信は吉兼に会った。

「すでに会津攻めは中止、内府は江戸に入られ、我が主越前を始め、福島、池田、黒田、山内、井伊が清洲に入りましてございます。大軍にござれば秀信殿には恭順を示し、祖父信長公の同盟相手であった内府殿に従っていただきたい」

「…確かに祖父と同盟相手ではあった。しかしながらそれがしを育ててくだされ、厚遇して下されたのは亡き太閤殿下。その遺児の秀頼殿を守るのがそれがしの道と見ました。使者にはご足労であったがお引取り願いたい」

「秀頼様を守るのであらば、その君側の奸である石田治部を排斥するのが先でございましょう」

「…越前殿にそう申せと言われたか?」

「いえ、それがしの意見にございます」

「ならば言っておこう。石田治部少輔は断じて君側の奸ではない。君側の奸は内府だ」

「……」

「治部ほど豊臣に忠義厚き者はいない。その方らは内府の野心に利用されているだけよ」

(何とも…。あの幼き三法師様がようここまで成長された…)

 言いくるめられそうなのに吉兼は秀信に感心してしまった。

「一つ聞いてようございますか」

「何かな?」

「豊臣に織田の天下を奪われ、悔しいと思いませんでしたか」

「異なことを申されるな。祖父と父が亡くなった時、それがしは三つ。何が出来ますか。太閤殿下が天下を取られたのは誤っておらぬ。主君嫡孫など目の上のタンコブであるのに、太閤殿下は本当によくして下された。確かに天下を奪い取られたと言う者もいた。しかしそれがしは大切に育てて下された太閤殿下に恩義を感じています。そしてそれがしから見て治部はまことの忠臣。今ここで立たねば秀頼様に明日はないと思うゆえの挙兵。それがしが治部に付くのは当然でござろう」

「しかし、情勢は」

「くどい!」

 女の声で止められた。落飾している女が城主の間に入ってきた。

「失礼、私は秀信殿の生母、徳寿院と申します」(正史ではすでに故人)

「柴田越前守が侍大将、高崎吉兼と申します」

「母とは申せ、女の口出すことではないのは承知。しかし聞いての通り、秀信殿は西軍に組することを決めている。帰られよ」

「ご母堂…」

 ふん、と徳寿院は笑った。

「越前が使者でさえなければ、もしかしたら私はこの場で秀信殿を説得したかもしれぬ。しかしその方が越前の使者である限り、取り成しをする気はございません。さっさと退出されよ!」

 それを言いに来たのだな、と吉兼は思った。母親の取り成しごときで秀信が心変わりをするはずがないことを吉兼は知っている。秀信の母、つまり織田信忠の正室幸姫、現在の徳寿院は柴田明家を蛇蝎の如く忌み嫌っていたのである。柴田家中、誰もが知っている。

「私にあんなむごい仕打ちをしただけでは足らず、今度は内府に尻尾を振って大恩ある中将様(信忠)の子さえ討とうとしている!何が仁将!笑わせるでないわ!」

「……」

 徳寿院は言うだけ言うと城主の間から去っていった。

「母がご無礼した。許されよ」

「は…」

「時は人の頑なな心を溶かす。いずれ母と越前殿も和解されよう」

「……」

「使者がお帰りだ。城門まで送り届けよ!」

「「ははっ!」」

 送り出すため吉兼と一緒についてきた秀信の家老である百々綱家が言った。

「許されよ、御袋様(徳寿院)の越前殿への怒りは並大抵ではござらぬゆえ…」

「主君も非を認めております。本日それがしに嫌味を述べ、少しでも気が晴れたなら、それで良うございます」

「かたじけない、では道中気をつけて。次に会う時は戦場ですな」

「そうですな、堂々とまみえましょう」

 高崎吉兼は岐阜城から去っていった。そして清洲の柴田陣に戻り、すべてを明家に報告した。

「そうか…。ご立派になられたものだ」

 秀信の成長が嬉しい明家。

「しかし、これで攻めるしかなくなったな」

「御意」

「幸姫…。いや徳寿院殿は相変わらずか」

「…はい」

 フッと笑う明家。

「もし秀信殿を失えば、彼女の支えは俺への憎悪だけとなろうな。それもまた良し」

「殿…」

「大義であった。下がって休め」

「はっ!」

 

 その後、明家は秀信の恭順勧告拒否を井伊直政に報告。それと同じくして徳川家康から使者が来た。家康の旗本である村越茂助が口上を述べた。

「家康様の口上を述べまする。『諸将がいまだ戦端を開かないのは何ゆえか。各々方が敵に手出しをして向背を示されれば我も出陣いたす』以上にございます」

 明家が見たとおり、家康が中々腰を上げようとしなかったのは先陣隊として出陣した豊臣恩顧の武将たちの忠誠を確かめていたからである。

 とはいえ、家康もただのんべんだらりと江戸で過ごしていたわけではない。怒涛の書状作戦を用いて陣営固めに力を注ぎ、必勝に向けて態勢作りに専念していたのだ。動かざるごと山の如しとしていた裏側では智謀の限りをつくし豊臣恩顧の諸大名の心を繋ぎとめるために苦心し、かつ石田方への諸将に対して誘降作戦を展開していた。

 そして向背を明らかにせよ、と迫られた東軍は美濃攻めに着手することを評議で決定。美濃では徳川か石田、いずれに加勢するか迷っている者が多かったが、岐阜城を預かる秀信は美濃一国の中心的存在と云える立場であり、秀信がどちらに付くか、その進退を見ていた。そして秀信は西軍についた。秀吉に恩義を感じており、かつ西軍からは戦勝後に濃尾二国を与えると云う条件が出されていた。

 秀信の重臣である木造具康らは徳川に加勢すべしと進言したが、寵臣の入江右近の進言を容れて石田方に付くことを決断、これが美濃国内の諸将の帰趨に大きく影響することになり、美濃の大小名は大方西軍に付くことになった。

 

 柴田明家、山内一豊、福島正則、池田輝政、一柳直盛、浅野幸長、堀尾忠氏は木曽川の上流から、黒田長政、細川忠興、加藤嘉明、藤堂高虎、田中吉政は木曽川下流から渡河すると云う部署配置で美濃への進撃を開始した。上流部隊を指揮するのは柴田明家であった。大老であり部隊の中でもっとも兵数多く最大の大名であり実績もある。当然であろう。進軍中、ふと木曽川の河原を見る明家。

「……」

 そんな明家の様子に慶次が気づいた。

「場所は違えども、殿が石投げ合戦で森の乱法師殿(森蘭丸)と戦った木曽川ですな」

「そうだな、何か懐かしい」

 当時の情景を懐かしみ涼しげに微笑む慶次。その石投げ合戦が自分と明家との出会いだった。まさか後年に家臣になるとは当時想像もしていなかったが。その慶次が明家に言った。

「あまり気が進まない城攻めのようですな」

「岐阜城、つまり稲葉山城…。亡き養父隆家が改修した城。まさか攻めるときが来るとは思わなかった」

「武田攻めのおりは岐阜城から甲信に進軍を開始しました。あの時には確かに岐阜城を攻める日が来るなんて想像もしていませんでしたな」

「しかも守るのは信忠様の子息、降伏してくれればと思ったが…」

「三法師様、いや秀信様には秀信様なりの治部に付いた理由がおありでしょう。仕方ございませぬ」

「そうよな…」

 ふと西を見る明家。

「今ごろ丹波と但馬の軍勢が舞鶴に寄せているころか。頼むぞ助右衛門、矩久!」

 

 丹後若狭二ヶ国の国主である柴田明家、居城は舞鶴城。守るのは明家の第一の側近である奥村助右衛門永福。齢五十八歳となり家康と同年である。

 この戦い、舞鶴城を死守することが己の最後の戦となろうと覚悟を決めた。補佐を務める松山矩久はこの時四十三歳、息子の矩孝と共に死ぬ気で戦って死なぬつもりだ。丹後の民は長年細川氏の統治を受けており、明家の入府はあまり快く思っていなかったが徐々に明家の仁政に心酔し、この時は城に入り、寄せ手の西軍に立ち向かう覚悟である。城攻めが始まった。助右衛門は矩久に迎撃を下命した後に奥へと行った。

「奥村様」

「奥方、しづ様、心配いりませぬ。必ず守りきります。津禰」

「はい」

「奥方と若君、しづ様をしかと守るのだぞ」

「はい殿」

 奥方とは柴田勝秀の妻の姫蝶、そして若君とは勝秀嫡男竜之介のことである。助右衛門は妻の津禰に両名を守れと言い、再び前線へと駆けた。

 大坂屋敷で西軍舞鶴に迫るを聞いたさえたちは祈るしかできなかった。救いは守備するのは奥村助右衛門と松山矩久と云うことだ。さえたちとて二人の武将としての才覚は知っている。特に奥村助右衛門は十万、二十万石の大名でもおかしくはない武人。しかしそんな欲を見せず、若き主君に忠義を貫き続けてきた一級の智勇兼備の猛将である。

「奥村殿、松山殿、お城を守って…!」

 神棚に祈るさえとすず。

「御台様、奥村様と松山殿の軍勢は朝鮮の戦でも敵軍を震え上がらせた精鋭揃い!たとえどんなに多勢が押し寄せようとも負けはしない。何より舞鶴の掘りは大きく、石垣は巨大。平城でも山城級の防御力。大丈夫です!」

「ありがとう、すず!奥村殿、松山殿!負けないで!」

 

 柴田勝家をして『沈着にして大胆』と言われた奥村助右衛門、寄せ手を近づけない。

「撃てーッ!!」

 柴田家の鉄砲隊が敵兵を撃ち落す。敵は六倍以上の兵力だが負けていない。だが

「ご城代、長庵門が破られました!」

「よし、矩久!」

「はっ!」

 わざと城に入れて、狭隘通路に誘い込んで殲滅。松山勢の伏兵に遭い、長庵門から入った敵は掃討された。援軍は来ないと分かっている篭城戦だが、負けずに踏ん張り続ければ、いずれ明家が大軍を連れて帰ってくる。何とかしてそれまで城を守り抜くつもりだ。

 助右衛門は時に討って出て小野木重勝勢を翻弄した。寄せ手の小野木重勝は明家より三歳年下の武将で、秀吉が長浜城主だった頃に直臣として召抱えた。小牧長久手の戦い、小田原攻め、朝鮮の役にも活躍をしてきた武将だが、やはり相手が百戦錬磨の奥村助右衛門では役者が違う。助右衛門は篭城に備えて多くの兵糧や弾薬も補充し、水も井戸が何箇所もあり豊富である。そして丹後の民たちも自分たちの国を守るためと武装し、西軍の小野木勢に立ち向かった。

『お殿様がお戻りになるまでお城を守る!!』を合言葉に一歩も退かない。小野木勢はこの頑強な民たちにも手を焼いた。助右衛門は主君明家の仁政のたまものと思っていた。暴政の君主ならば、いま柴田家を守るために戦ってくれている民も敵となっていた。兵糧も水も十分、これなら主君明家が帰るまで持ち堪えられると助右衛門は思った。

 

 そして一際目立つのが甲斐姫率いる忍衆四百である。今でも忍城のある埼玉県行田市では彼女は思慕されているが、それは豊臣軍に果敢に立ち向かった十八歳の乙女の勇気に感動する他ならない。また忍城を守る将兵は豊臣秀吉の北条攻めで唯一豊臣軍を野戦で蹴散らした坂東武者の精鋭たちである。その坂東武者を率いて戦ったのは甲斐姫である。この舞鶴城の攻防戦においても源平の巴御前、同時代の立花誾千代を彷彿させる戦いぶりだった。忍衆だけではなく、甲斐姫の鼓舞は全軍の士気を上げた。

「我に続けええッッ!!」

「「オオオオオッッ!!」」

 成田家の宝刀『波切』を掲げる甲斐姫。かつて石田三成二万の軍勢を圧倒させた甲斐姫の突撃、それが舞鶴の地で再現された。大名側室が前線に出てきて突撃。小野木勢はそれを揶揄して士気の低下を図る。

『尚武の柴田とは女に先陣を切らせるのか!柴田の女は女にあらずと言うが、男どもは尻に敷かれっぱなしか!』

 松山矩久も負けじと突撃しながら

「わあっはははは!この敷かれ心地は最高だぞ!!」

 と怒鳴り返すと、忍衆に『俺たちが言おうとしていたのを先に言うな!!』と怒られた。矩久も負けていない。『お前らが遅い!!』とやりかえした。気の済むまで突撃すると、甲斐姫は撤退を開始、それを追いかけると美しい長い髪を流しながらクルリと振り向き、男でもそう引けない大弓で敵を射殺す。秀吉から受けた侮辱を一気に晴らしているかのようだった。寄せ手の小野木重勝は散々に打ち破られた。

「姫、見事なお働きにござる」

「ありがとうございまする」

 活躍した甲斐姫を労う助右衛門。

「とうぶんは攻めてまいりますまい。休息をとられよ」

「お言葉に甘えさせていただきます」

 奥ではなく城内の忍衆本陣に向かう甲斐姫。

「大したものですな城代は」

 と、成田家の元家老である正木丹波が言った。

「何が?」

「ああまで姫に活躍されれば、心中は不快なのではないかと思いましたが」

「私が外で思い切り暴れられるのは、奥村殿が城でデンと構えていてくれるから。押されている時は、ちゃんとそれを見極めて増員もして下される。前線の将の活躍を妬む狭量な方ではない」

「確かに。まさに背後が安心だからこそですな。見てみたくなりましたな」

「何を?」

「あの奥村助右衛門の上に立っている姫の愛しい人を」

「ええ、最高の殿方よ。早う抱かれたい」

「あっははは、それを言うと他の忍衆が妬きますぞ」

「でも気になる」

「は?」

「私が奥村殿と会ったのは、あの方が殿の命令で上杉攻めから急遽引き返してきた日で、今に至るまでそんなに話もしたことがない。どうして私にこんなによくしてくれるのか。『貴女こそが成田家だ』なんて言葉、私をただの主君の側室と見ているだけなら言えるだろうか」

「邪な心ではないと存ずる。それだけは言い切れます。邪な心の持ち主にその言葉は言えませぬ」

「そうね。いけないわね女と云う者は…。つまらないことを考えてしまう」

 

「これ以上の城攻めは犠牲者を増やすだけだな…。さすがは越前が築城した城よ、それを守る奥村の采配も見事なものだ」

 そうこぼす小野木重勝。

「それにしても甲斐姫、亡き太閤殿下の側室でありながら」

 家臣の一人がぼやいた。

「嫌われていたのじゃないか殿下は。あっははは!」

「そんな暢気な。どうなさるのか殿」

「ふむ、伏見城を落とした時のように、何とか内応者を煽り内側から崩したいが」

「残念ながら城内に西軍の息のかかった者はおりません」

「いないなら作れ、城に入っている百姓に金を振舞えば当方につこう」

 しかし、この作戦は失敗に終わった。あの秀吉が行った備中高松城の水攻めのとき、現地の民は羽柴軍の与える金と米で領主を追い込む堤防作りに嬉々として参加している。それが戦国民というものだ。だが丹後若狭では高松城のようにはいかなかった。その調略を担当した者は誰一人生きて帰ってこなかった。小野木は作戦を変えた。

 

「若狭小浜を預かっているのは奥村の倅たち。小浜を落として捕らえられた倅を見れば考えも変わろう」

 と、五千を割いて小浜攻めに向かわせた。何より支城が襲われれば、助けるのが本城の務めである。小野木はそれを狙ったが小浜城主である奥村助右衛門は明確に『見捨てる』と息子たちに告げていた。主君明家居城である舞鶴城を守るのが奥村の務めと言ったのだ。ゆえに息子たちも最初から父の援軍などあてにしていない。主君明家が戻ってくるまで持ち堪えること。これがすべてである。助右衛門の息子たち、長男の奥村兵馬栄明、次男の奥村静馬易英、三男の奥村冬馬栄頼の三兄弟は奥村三馬と呼ばれ、父親には一歩譲ろうが、いずれも優れた武将であった。明家の帰還まで命がけで戦うつもりである。小野木勢迫るの報は小浜にももたらされた。長兄兵馬の元に三男冬馬が駆けた。

「兄上!小野木の別働隊が小浜に迫っておるとのこと!」

「来たか、舞鶴に手古摺れば支城の小浜に手を伸ばすしかないのは分かっていたこと。かねてよりの手はずどおり迎撃の準備をせよ!」

「はっ!」

「殿…」

「心配するな糸、この小浜城、若狭の国中にあった城や砦を破却し、材木や石材の多くを再利用して建てられ、築城中は羽柴家の者からケチな柴田の若殿よと笑われていたらしい。しかし完成したら、誰もバカに出来ない出来栄えとなり、堅固な平城と殿は作り上げた。その城に加えて、兵数は少ないが、今回の来襲は予想できたゆえ備えもしてある。そなたは奥で女たちをまとめていよ、良いな」

「はい、ご武運を」

「うん」

 そして兵馬は評定の間に入っていった。奥村家家臣たちが揃っていた。兵馬は城主の席には座らない。座れるのは父の助右衛門と明家だけである。家老の位置に座った。

「静馬、小野木の軍勢の数は?」

「五千と聞いています」

「ふむ…舞鶴に一万、こっちに五千か」

 兵馬は左頬にある大きな傷痕をポリポリと掻いた。

「兄上、討って出ますか」

「慌てるな冬馬、忘れたか、この篭城戦に援軍はない。篭る利点を捨てるわけにはいかない。小浜落ちれば舞鶴の士気も落ちる。敵を撃破するのは理想であるが、当方の兵は千五百、討って出るわけにはいかん。中央の合戦で東軍が勝ち、寄せる西軍が大義名分を失い引き揚げるか、もしくは殿と若殿が本隊を連れて丹後若狭にお戻りあるまで踏ん張ることだ」

「そうだ、何より柴田の丹後若狭は西軍大名ひしめく畿内で孤立している。よしんば今回の五千を撃破したとて、新手がやってこよう。今度は一万二万とな。兄上の申すとおり時間を稼ぐことだ。幸い兵糧は山とある」

 と、静馬。小浜は海を背にした城であり、城下町も海沿いに作られている。貿易と漁業、塩田の盛んな豊かな国である。明家は地形に沿った堅固な城壁と石垣、堀を作り、つまり城壁を通ってからでなければ城下町に至れないように作った。明家は城を砦として、城下町を守るように城作りをしたのである。

 つまり小浜は平城でありながら篭城戦において城下町が危険にさらされないと云う稀有な城だったのだ。明家の人柄が偲ばれる築城方法であろう。また海には柴田家の船が多く停泊しているので、兵糧の買出しも可能であり、楽市楽座に伴い城下の商人たちも海の交易を行っているので城下町からも兵糧は得られる。舞鶴城も舞鶴港と連なるように築城され、海を背にした城であり、同じ様式で築城されている。この後に小浜と舞鶴とも陸側にも城下町は作られるが、当時はまだ海沿いにしか城下町はなかった。

 普段は開放しっぱなしで商人や民の往来もにぎやかな小浜の城門であるが、明家の東軍加担が決定してからは閉じられ、厳重に配備がされていた。そして領民も義勇兵として続々と参戦。助右衛門は主君同様に仁政をしく名君であったので、民は慕い、自分たちの国を西軍の好きにさせるかと武器をもって立ち上がったのだ。

「兄上―ッ!」

「どうした冬馬、もう西軍が来たか?」

「違います!すごいですよ、領民が続々と加勢に!」

「そうか、どんどん入れよ。他の城は領民の加勢によって兵糧が減り自滅となろうが、小浜は違う。海と城下町からどんどん兵糧は入るので心配はない。メシは腹いっぱい食わせよ」

「はい!」

 兵馬は小野木勢が来るであろう方角を城の最上階から見つめていた。

「まさか、俺が若狭の国を背負って戦う日が来るとはな…。人生はどんなことが待ち受けているか分からないものだ…」



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奥村兵馬

 ここで奥村助右衛門の嫡男、奥村兵馬栄明について少し語ろう。奥村助右衛門は三人の男児、二人の姫に恵まれていた。長男の兵馬が明家より二つ年下で、静馬は四つ、冬馬が七つ明家より若い。姫は雪姫と竹姫といた。男三人が正室津禰の子であり、二人の姫は側室雪駒の娘と云われている。

 奥村助右衛門が柴田勝家の足軽大将の水沢隆広に仕えるようになったのは兵馬、幼名夜叉丸が十三歳の時だった。安土の武家長屋で貧しくも親子仲良く暮らしていたが、助右衛門が安土城に出仕して四日帰ってこなかった。合戦が近いと妻の津禰は聞いていない。城も城下町も普通の日常である。どうしたのだろうと津禰は安土城に行った。誰も助右衛門の消息は知らなかったが、城にいた森蘭丸の耳に届く頃には『奥村の女房が来て亭主を返せと泣きわめいている』と尾ひれがついており、アッと失念していたかのように蘭丸は急ぎ津禰の元へと走り、『越前北ノ庄、柴田勝家様の配下、水沢隆広に仕えよと大殿から人事があって、奥村殿は越前に行った』と伝えた。あぜんとする津禰、初耳だった。助右衛門が妻子を北ノ庄に迎えたのは九頭竜川に舟橋を架橋した後である。

 

 幼心に夜叉丸は大殿の直臣から陪臣の家臣では父上がかわいそうだ、そう思いながら北ノ庄にやってきた。初めて父の主君を見た時は驚いた。自分と二つしか変わらない。背は年下の自分より低く、体は華奢、それになんだ、あのいかにも男色の武将が好むような顔立ちは。父上はこんな女みたいな男に仕えるのか、夜叉丸は失望した。しばらくして夜叉丸は元服して奥村兵馬栄明となる。そして初陣、伊丹城の戦いであった。

 この時に兵馬はなぜ父の助右衛門があんな子供に献身的に仕えるのか、それが心底分かった。自分より二つしか年上でない主君が熟練した将帥のように荒武者ばかりの柴田将兵を縦横に使いこなし、名将の荒木村重を破り、堅城の伊丹城を見事に水攻めで落とした。そしてその後に捕らえられた伊丹城兵と荒木一族の助命をあの織田信長に懇願した姿、誰もが恐れる魔王信長に『間違っている』と言った胆力。自分を『人を見かけで判断した大馬鹿野郎』と叱り付け、そして思った。俺もあんな男になりたい、兵馬は隆広に憧れ尊敬し、忠義を誓うこととなる。

 その後の手取川の戦いで、馬場美濃守信房に扮して上杉勢に突撃した父と共に戦った。武田信玄のいでたちをして謙信に挑む主君に惚れ惚れしながらも必死についていった。助右衛門はとても厳しい父親であり、母親の津禰もまた厳しかった。主君隆広の方が優しかったくらいである。側近の助右衛門の息子であり、歳も近いので明家には弟のように思えたのであろう。三兄弟も隆広を兄のように慕っていた。相撲や武術の鍛錬の相手もよく務めていた。

 兵馬は初陣の伊丹城の戦いから武功を重ねた。小松城の戦い、手取川の戦い、そして松永久秀との信貴山城の戦いでも活躍。それに伴い、兵馬は合戦を甘く見るようになる。父の助右衛門はそれを懸念し、『お前が活躍できるのは殿がよき采配をするがゆえだ。敵軍にはお前以上の武辺者がごろごろいる。自分の武を過信してはならぬ』とことごとく注意した。

 十七になると妻を娶った。助右衛門の元主君の前田利家が良い嫁を世話してくれた。糸と云う娘で前田利家の養女で、実父は利家の実弟で三方ヶ原の戦いで討ち死にした佐脇良之である。つまり利家の姪となる。十五歳の美少女だった。奥方様(さえ)以上だ、と喜ぶ兵馬。美人の女房も娶り、水沢家の花形の騎馬武者、俺の武将としての人生は開けていると思っていた兵馬。

 

 だが助右衛門の懸念がとうとう現実となる時が来た。武田勝頼と戦った鳥居峠の合戦の時、兵馬は功名を焦り、武田の不要な逆襲を食らわないために退路を残すと云う隆広の作戦を無視して突撃を続けた。武田の殿軍は真田昌幸だった。昌幸がこれを蟻の一穴と看破し、いや看破していただろうが奥村兵馬を端武者と見たうえ、撤退が最優先と相手にしなかったのだろう。もし昌幸の軍才で逆襲に転じていたら大敗に繋がりかねた。兵馬は武田の兜首二つ上げる大殊勲であったが、水沢本陣に帰るなり父の助右衛門が鬼の形相で詰め寄ってきた。しかし隆広が助右衛門の肩を掴んだ。

「お止め下さるな!この馬鹿息子、打擲してお詫びいたす!」

「…打擲で済むか」

 隆広と助右衛門の様子に戸惑う兵馬。その兵馬を隆広は睨んだ。今まで見たこともない厳しい目。

「夜叉丸」

「は、はい…」

「水沢家から出て行け」

「ええ!」

「本来ならばお前の軍律違反!親父の助右衛門さえ斬らなければならぬことだ!しかし戦勝の今、将を斬るのは差し控えねばならぬ。よってお前も命だけは助けてやる。だが俺の采配に従えぬ者はいらぬ!お前は誰を相手にしていたと思うのだ真田昌幸だぞ!そなたの身勝手で一歩間違えば水沢軍は無論、同じく別働隊であった森勢、はては信忠様さえ窮地に陥れておったわ!とっとと出て行け!顔も見たくない!」

 呆然とする兵馬、父の助右衛門は一切取り成しをしてくれない。

「何をしている。殿の眼前を汚すな。とっとと去れ!俺もそなたとは縁を切る!勘当だ!」

「父上…」

 肩を落として水沢本陣を去る兵馬。優しいと思い、兄のように慕っていた主君隆広の厳しさを初めて知った時はすでに手遅れだった。水沢軍の騎馬武者と云う華々しい立場から、無宿者になってしまった。とぼとぼと道を歩く兵馬。

「糸…ごめん」

 涙しか出てこなかった。糸は前田家に帰されてしまうのかな、そして別の男と再婚するのかな、それだけはいやだ。でもどうしようもない。だんだん自分を追い出した隆広と父が憎くなった。いっそ武田に走って水沢勢に一矢報いてくれようか、そう思った。だが次の瞬間、兵馬は泣き出してしまった。大声で泣いた。なんてことを思いつくのか、自分が許せず路傍の大岩に頭をぶつけ続けた。

帰りたい―――

 水沢家に―――

 貧しくとも、充実した日々だった。隆広は内政家臣でもあったので兵馬も開墾、治水の仕事に従事した。汗だくになって働いた。そして美田を作り終えた時、治水を成し遂げた時に見た民の感謝の顔、嬉しかった。他の主のもとでは絶対に味わえない。うっかり糸のことを『奥方様より美人です』と言い『さえ以上がいるか』と木刀を持って追いかけられたこともあった。殿が好きだ。俺のいる場所は水沢家だけなのだ。

 これで終わってたまるものか。これも神仏が俺に与えた試練なのだ。修行して『歩の一文字』に相応しい男になって帰参すれば、きっと殿は迎えてくれる。

 

 彼は腐らなかった。その後、諸国を歩いたあと、彼は当時丹羽長秀が治めていた若狭高浜の地に腰を落ち着けた。彼は釣りが得意であったので文無しの時でも魚を釣り上げて食べ、大漁なら酒場に売れば金になる。家の庭には野菜畑を作った。栽培方法は隆広の元にいた時に体で覚えていたので良い野菜も作れて八百屋に売れた。高浜の城下町で牢人ながらも精錬に生活を続けていた。学問や武技の鍛錬も欠かさなかった。帰参を果たして、もう一度『歩の一文字』を背負って戦いたい。それだけを夢見て。

 ある日、大漁だった彼はいつもの酒場に行った。鮮魚山盛りの魚籠を見て女将は歓喜して礼を言った。

「いつも助かります兵介さん!」

 兵介とは兵馬が高浜城下で名乗っていた名前である。

「運が良かっただけさ」

「はい、魚代」

「ありがたい、これで本を買える、それじゃな」

 女将は兵馬を呼び止めた。

「兵介さん」

「なんだ?本屋が閉まってしまう。早く言え」

「ちょっと話があるんだけど…」

 以前、女将は精悍な顔で逞しい体躯の兵馬に色目を使ったことがあったが、今回はそういう目ではない。だが

「後日にしてくれ」

 彼はなるたけ女との接触を避けていた。男の修行に女は邪魔と思っていたからである。

「うわついた話じゃないのよ、おねがい兵介さん」

「…少しだけだぞ」

「ありがたい!こっちきて!」

 兵馬は店の奥に連れて行かれた。

「話とは?」

「頼みたい仕事が一つあるのよ、でも生半可な人には任せられない」

「…?」

「ここ数ヶ月、腕っぷしが強いのと、それにつり合う心を持っている男を探していたのよ」

「…他をあたれ、俺はその心が未熟で主君と父に追放されたのだ。見込み違いも甚だしい」

「お願いよ、貴方に断られたら誰にも頼めないんだから!」

「買いかぶりだ」

「頼みたい仕事は、仇討ちなのよ!」

「仇討ち?女将がか?」

「そうよ、でも私だけじゃない。今日お店を閉めたら家に行くわ。話だけでも聞いて」

「…分かった」

 そして夜も更けたころ、女将がやってきた。連れていたのは十六歳ほどの少女だった。

「この子は菜乃と云う元堺の豪商、坂本屋の一人娘です」

「菜乃と申します、女将加代の妹にございます」

「兵介と申す、話を伺おう」

 娘は話した。父、新右衛門の経営する材木問屋『坂本屋』に番頭として働いていた七兵衛なる男が父を泥酔させて店の委任状を書かせて店を乗っ取ったばかりか、あらぬ冤罪をかけて死罪に追いやったと。新右衛門は死から逃れられないと悟り、菜乃を堺から逃がしたのである。

 高浜城下の酒場の女将加代は赤子の時に坂本屋の前に捨てられており、拾われて養女として育てられた。実子の菜乃と分け隔てなく愛情を注がれて育った。長じて高浜から堺に板前の修行に来ていた今の良人と知り合い、恋に落ちた。養父は快く結婚を認め、高浜で居酒屋を構える資金まで出してくれた。加代にとっては血の繋がりなどを越えた大好きな父であった。今にご恩返しがしたい、そう思い高浜城下で居酒屋を構えて働いていた。

 そんなある日、可愛がっていた妹が堺からやってきた。大喜びして迎えたが菜乃は姉の加代を見るなり抱きついて号泣した。そして知った父の死、もう恩返しは出来ない。それどころか父の窮地に何も出来なかった自分が許せない。せめて養父の無念を晴らすのが育ててくれた恩に報いること。仇の七兵衛を絶対に許さない、必ず殺してやると加代は決めた。

 しかし女の細腕では無理。助太刀を雇うにも金を渡して遂行されないのではかなわない。そして自分ならまだしも妹の体目当ての男にうっかり頼んだらどうなるか。仇討ちはしたい。だがその助太刀を頼めるに足る男には相当条件が必要だった。腕が立ち、そして依頼者を裏切らない心、秘密を守れること、菜乃と自分を一時の仕事相手としか見ないこと、当然女としても見ないこと。かなり厳しい条件である。今まで加代が目星をつけた男で頼むに足る男はいなかった。若狭の国に男はいないのかと憤怒していたところ、二十歳くらいの若者がたまに店を訪れて魚を売りに来る。かなりいい男だったので初日に加代は色目を使ったが無視された。ニクい奴と思う。だから記憶に残る。立派な体躯で陽に焼けて、何とも筋骨隆々、いかにも強そう。元は名の通った武人だったのかも、そう思った。

 加代は兵馬が釣りをしているのを一度見に行ったことがある。兵馬は加代が来たことに気づいていたが特に話をするもなく黙って釣りを続けていた。加代が釣り糸を見てみれば浮きがついていない。しかし兵馬はポンポンと釣り上げていた。微妙な魚信でさえ兵馬は逃さないと云うことだろう。加代は武の心得はまったくないが自分たち姉妹の仇討ちを頼めるのは彼しかいないと思った。一通り聞いた兵馬は答えた。

「分かった、引き受けよう」

「本当に!」

「明日にでも堺に行こう。往復の路銀だけ用意してくれ」

「姉さん!」

「ありがとう!謝礼は用意したわ、ここに百五十貫あるわ、足りる?」

「俺の話を聞いていなかったのか?往復の路銀だけ用意しろと言っただろう」

「「え…?」」

「過ぎたる富は修行の邪魔だ。俺は心を磨いて、主君と父の元に帰参するつもりなんだ。そなたらの仇討ちも俺の修行の一つだ」

「兵介さん…」

「分かったら帰って寝ろ。早朝に発つ」

 翌日、兵馬は菜乃を伴い堺に向かった。兵馬は女にうとい。妻はいたが主君のように、ああまで女に優しい男ではなかった。だから女の足の遅さが分からない。必死に兵馬についていく菜乃。だが、

「あう!」

 転んでしまった。

「どうした?」

「い、いえ…」

 同じ方向に街道を歩いていた旅の男が見ていられなかったのか兵馬に注意した。

「あんたねえ、女連れなら女の足の速さで歩くのが男ってもんだろ」

「は?」

「まったく最近の若い男は女子への優しさってもんが足らん…」

 そう言って通り過ぎた。頭をポリポリと掻く兵馬、旅の男の言うとおりだと反省した。

「いや、すまん」

 素直に謝る兵馬。

「い、いえ私が遅すぎるのです。すみません」

「宿まで俺が背負っていこう。少し臭うかもしれんが許せよ」

「あ、あの!」

 兵馬は菜乃を背負った。

「軽いな、もっと食わなければ強い赤子を生めないぞ」

「は、はい…」

「では行こう」

 道中、一泊だけをしたが別の部屋、姉の目は正しかった。さすが姉さんと思う菜乃だった。翌日、堺に到着。坂本屋は越後屋と名を変えていた。

「七兵衛なる者の家はかつて貴女の家だったのだな」

「そうです」

「用心棒を雇っている可能性は?」

「あると思います」

「ふむ、本日は宿に泊まろう。そして簡単でよいので屋敷の絵図面を描いてもらいたい」

「分かりました」

 兵馬は翌日に七兵衛が在宅であることも確認、そして絵図面を見てだいたいの作戦を立てた。

「明日、討ち入る。俺が入れと云うまで、そなたはこの戸口の前で待機、いいな」

「分かりました」

「では、これにて。寝る」

「あ、はい、おやすみなさいませ」

 さて翌日未明、まだ夜があけぬ前、兵馬は裏口から侵入した。用心棒はいたが瞬く間に兵馬に斬られた。

「だ、誰だ!」

「七兵衛に相違ないな?」

「し、七兵衛、ち、違う!儂はそんな名前ではない!」

「ご当人と見た。貴殿に怨みはないが死んでいただく」

 逃げようとしたところ、兵馬は着物の肩口に刀を突き、柱に刺した。もう逃げられない。

「入って来られよ!」

 戸口から菜乃が走って来た。刀を持ち駆けて来る。

「お、お前は!」

「七兵衛!貴様の顔を忘れたことはない!我が父の仇!思い知れ!」

「ぐああっ!」

 菜乃は七兵衛の心臓を一突き、血を吹きだして七兵衛は死んだ。

「仇…!父上討ちました!」

「ご本懐、めでたき至極」

「兵介様…」

「さ、高浜に帰ろう」

「はい」

 その帰途中の宿、本懐を遂げさせてくれた兵馬に菜乃は少なからず好意を抱いたか、夜に迫った。この当時の女性が好む男は、とにかく強いことである。兵馬は該当し、精悍な顔つきで筋骨たくましい。そして優しい一面もあり女にも礼儀正しい。この男になら、と思うに加えて復讐成就の後と云うものは、存外虚しさが残る。彼女もその摂理から逃れられなかったようだ。男は知らないが夜閨の快楽は伝え聞いている。好意を抱く男に抱かれて快楽の中、復讐成就の虚しさを忘れようとした。だが、

「姉から聞いていなかったのか?いま俺は女を断っている」

 と、あっさり袖にした。坂本屋の菜乃と云えば堺でも知れた看板娘だった。女の誇りに一筋ひびが入った。

「お、女に恥をかかせますか。たとえ商人の娘であれ、報恩の儀を知っています。それに商人の娘ゆえ、ただほど高いものはないと知っています」

「そなたら姉妹の仇討ちも、俺の修行の一つ、そう言ったはずだがな。それにただじゃないぞ。俺は堺に行ったことがなかったので見分も高められた。こうして温泉のある宿にも泊まれたし、船旅も楽しめた。飯も久しぶりに良いものを食べたしな。これで十分だ」

「兵介様…」

「…に比べれば…も貧相だし…」

「はぁ!?いま何と申しました?大きい声で言って下さい!」

「な、なんでもない!早く寝ろ!」

 赤面する兵馬、つい口が滑った。

「いいや、言って下さい!いま著しく聞き捨てならないことを言いました!」

「なんでもないって言っているだろ!」

「大きく言えないことを小さく言うなんて卑怯です!女を断っての修行とはそんな底の浅いものなんですか!」

「ああもう、じゃあ言ってやる!『女房の糸に比べれば乳房も尻も貧相だし物足らん』と言ったんだ!分かったか!」

「ひ、ひどい…!あんまりです…!」

 泣き出した菜乃。女の誇りが音を立てて崩れた。

「泣くくらいなら聞きなおすなよ…」

 結局、その日に兵馬は女断ちの誓いを破ることになってしまった。その翌日、何か一層晴れやかな顔になった菜乃は高浜に到着するや本懐を遂げたことを姉に告げた。菜乃は姉に兵介と一線を越えたことは言わず、そして兵馬も菜乃とのことは一夜限りと思っていた。姉妹に恩を着せることはなく、再び釣りと修行の日々に戻った。

 

 それからしばらく時が流れた。時勢は大きく変わっていった。織田信長が明智光秀に討たれ、そして明智光秀は羽柴秀吉に討たれた。羽柴秀吉と柴田勝家が戦うことは火を見るより明らかである。

「殿は名を柴田明家と改め丸岡五万石の大名となられたか…。しかし晴れて一国一城の主になれたとて、その立場のあやうさを一番分かっているのは殿であろうな…」

 そして彼は柴田明家の窮地を知る。賤ヶ岳の合戦で柴田勝家は敗れ、北ノ庄城は落城し柴田勝家とお市の方は死んだ。主君明家は丸岡城に篭り羽柴秀吉と戦うつもりであると。今こそ帰参の時と兵馬は丸岡に駆けた。

「手前、柴田明家様に仕えし奥村助右衛門が長男の奥村兵馬栄明!追放と勘当の身なるもお家の一大事にまかりこしました!」

 と門番に言った。

「なに、兵馬が戻ってきた?」

 門番の報告を聞く明家。

「……」

「殿、軍律違反をした痴れ者などと会うことはございませぬ」

 助右衛門の言葉を制した明家。

「大手門の広場に通せ。俺が会おう」

「殿!」

「まあ見ていよ」

 広場に通された兵馬、折り膝ついて待っていると明家と助右衛門、そして弟たちと母親の津禰、妻の糸もやってきた。

「殿、父上、母上…糸!」

(お前さま…!)

 糸は良人を追放した主君隆広、勘当した義父を一時期激しく憎み、前田家に帰ろうとしたが、利家に『一度嫁いだからには前田の娘ではなく奥村の娘、府中の敷居をまたぐこと相成らん』と言われ、夫の帰りを待つことにした。義父の助右衛門は素っ気無かったが義母の津禰は温かくしてくれた。『このまま終わるような軟弱な男に育ててはいません。必ず殿に大事あるときには戻ってきますよ』と励まされた。実家の前田家が秀吉についても変わらず温かくしてくれた。そして糸も帰参するなら、柴田明家軍もっとも窮地に陥った今しかないと思っていた。今日来るか、明日は来るか、そればかり考え、そして良人は帰ってきた。

 

 明家は木刀二振り持っていた。そして一振りを兵馬に放った。

「腕がなまっていないか見てやろう」

「殿…」

 明家は新陰流の使い手であるが兵馬も幼い頃から父の助右衛門に鍛えられていて、牢人中にも修行は欠かさなかった。かつ膂力なら兵馬の方が格段に上である。しかし明家はその膂力のなさを技の速さと太刀筋の正確さで補っている。その強さは戦場でも証明されている。勝てるか。兵馬は思った。実際、相撲などの力勝負なら明家に何度も勝ったが、刀槍術では勝てたことがなかった兵馬。

「参れ」

「お相手いたします」

 そして勝負が始まった。明家の最初の攻撃は決まっている。しかし来るのが分かっていても防げないと言われた初撃である。明家の容貌は女性さながらの体躯と顔、背丈もこの時代の人間の中でも低いほうである。だが毎日の鍛錬は欠かさず、全身が筋肉で、しなる若竹のような瞬発力と強靭な足腰をもっていた。兵馬の妻の糸も明家の強さは知っている。でも勝たなければ帰参はかなわない。明確に明家はそう言っていないが、自分に後れをとるようでは今に至るまで遊んでいたと見るだろう。再び追放される。この時ばかりは主君明家の敗北を願った。

 明家の体が静かに前のめりになると、木刀の切っ先はすでに眼前。膂力のない明家に対して剣術の師の上泉信綱は『膂力のないお前では刀を振り下ろしても弾かれる。敵に対したら迷わず突け!』と教えていた。明家はその教えに従い、その突き技をとことん磨き鍛えたのだ。しかし兵馬は辛うじてかわした。頬の肉がごっそり持っていかれた。だがその突きで伸びた明家の体に横薙ぎの一閃!

「ぐほっ!」

 明家は膝をつき、打たれた箇所を押さえて咳き込む。木刀を背に引っ込め、明家に頭を垂れる兵馬。

「ご無礼いたしました」

「ゴホッ、あっははは、お前は俺より強いな」

「え?」

「追放した俺を怨んだであろう。しかしよく腐らず、俺がこの窮地に陥っている時に戻ってきてくれた。嬉しく思う」

「殿…!」

「帰参を許す。頼りにしているぞ!」

「……!」

 兵馬は感涙して言葉にならない。戻れた。家に。涙が止まらなかった。父の助右衛門は明家に平伏し、

「よくぞ、この馬鹿息子を許してくださいました!お礼申し上げます!」

 助右衛門は歓喜に泣いた。ずっと息子が気がかりであった。津禰も良人同様に感涙して平伏した。

「もう『馬鹿息子』と呼んでやるな。何ともよい面をして帰ってきたじゃないか」

 明家はそのまま笑って立ち去った。感涙する兵馬の頬から流れ落ちる血を手ぬぐいで押さえる妻の糸。彼女も感涙していた。

「お帰りなさませ、待っていました」

「糸…」

「兄上、良かった!」

「お帰り兄上!」

 静馬、冬馬の弟たちも兄の帰参を祝福。そして丸岡城攻防戦。結果明家は秀吉に降伏するが、奥村兵馬の戦いぶりは羽柴勢でも賞賛されたと云う。今も兵馬の頬には明家と立ち会ったときの頬の傷が残る。男の勲章、彼はそう言っていた。その傷跡を撫でながら兵馬は思った。

「まさか、俺が若狭の国を背負って戦う日が来るとはな…。人生はどんなことが待ち受けているか分からないものだ…」

 そう思いをはせていると末弟の冬馬が報告に来た。

「兄上、城下の者が戦に先立ち、城代に御酒を献じたいと申していますが」

「そうか、通せ」

 二人の女が酒を入れた徳利と、杯を持ってきた。そして廊下で兵馬に平伏した。兵馬は見覚えがある女たちだったので驚いた。

(こいつは開戦前から幸運だ)

「私は、小浜城下の『へいすけ』なる居酒屋を営んでいます加代と申します。こちらは妹の」

「菜乃であろう」

「「えっ!?」」

「面をあげよ」

「「あああッッ!!」

 加代と菜乃は目が飛び出るほどに驚いた。自分たちの仇討ちに加勢してくれた兵介が小浜城代として目の前にいた。

「おいおい、なんだ『へいすけ』っちゅう屋号は?」

「兵介さん、貴方が城代の奥村兵馬様だったの?」

「そうだ、城主奥村助右衛門永福の嫡男、兵馬だ」

「兵介様…」

 あの甘美な一夜を思い出し、菜乃は体が熱くなった。姉の加代は自分と兵馬が夜閨を共にしたと知らない。だから加代は何の見返りも求めず自分たち姉妹の仇討ちに加勢して、そして本懐を遂げさせてくれた兵介を男の中の男と思い讃えた。

 加代はそういうのを黙っていられない性格のようなので、少々うるさくなった高浜を兵馬は去って、越前敦賀の方に腰を移した。自分のおしゃべりを恥じた加代は自分を戒めるためと、いい男の兵介へ感謝の気持ちとして屋号を『へいすけ』としたのである。

 

 やがて丹羽氏の若狭統治は終わり、若狭には柴田明家が入府、国府は高浜から小浜に移された。高浜城は破却され、その地方の代官所だけ残り、あとは漁港として機能するだけとなった。

 やむなく加代夫婦は『へいすけ』の暖簾と共に小浜に店を移転。高浜より数倍も栄える小浜では商売大繁盛。そろそろ舞鶴に二号店を作り、妹夫婦に任せようかと思っていたところに東西激突の大合戦が始まる様相となった。しばらく舞鶴二号店は立ち消えだが、この戦は領民である自分たちにとっても大事な戦であった。

 丹羽氏とは比較にならないほどに若狭を豊かにしてくれて、税も丹羽氏に比べればずいぶんと減り、払うに無理もなく民に温かい。柴田様、それを継いだ奥村様以上の名君はいない。若狭小浜によその殿様に入ってこられて圧政でもされたらたまらない。何としても勝たなくてはならない。

 加代は城下町ではちょっとした顔だったので、戦勝を願う御酒を城代に献上できる機会を得られた。それで最上階に来てみて城代を見てみれば驚いた。兵介だったからである。

「もう禁酒はやめている、いただこうか」

「は、はい」

 部屋に通された姉妹、そこへ糸がやってきた。

「おう糸」

「あらお客さん?」

 菜乃が糸を見た。

(くすっ…。なるほど見事な乳房に立派なお尻だこと、確かにあの時の私では物足りなかったかな)

 そして糸にかしずき、

「はい、御酒を献上させていただきました」

 と、かつて比べられた女に丁寧に頭を垂れた。

「まあ、では私も」

「お、おい糸」

「良いではないですか、兵介さん」

「兵介…?」

 誰のことを言っている?と云う顔をする糸、兵馬も酒を噴出しそうになった。

「あ、違う違う!私ったら!あはははは!」

 加代は慌てて取り繕い、糸に杯を渡し、酒を注いだ。クイッと飲む糸。

「美味しいです。若狭の酒ですね」

「はい、この小浜の酒です」

「この城を守らなければ、このお酒も飲めなくなってしまいます。城下には迷惑かもしれませんが当家は懸命に貴方たちの暮らしを守るため戦います」

「ふあ~兵介さんも良い嫁を…」

(姉さん!)

 姉の尻をつねった菜乃。糸は何の話か分からず

「兵介とは…?」

「いた!あ、す、すいません!兵馬様には良い奥方がおられると!」

「まあ、ありがとうございます」

(本当にいい奥さんだよ兵介さん、目が高いねぇ、なるほど私の色目なんか勝負になんないや)

 

「申し上げます!」

「うん」

「敵影確認!小野木勢五千!」

「分かった、今行く」

「はっ!」

「加代殿、菜乃殿、うまい酒であった」

「「はいっ!」」

「気をつけて城下に戻られよ」

「「はいっ!!」」

 加代と菜乃は城下の『へいすけ』へと歩いていった。

「思えば、敵勢迫ると云うのに城下は城が持つ限り安全、こんな城は他にないよね姉さん」

「そうさ、だから私ら領民もお殿様に応えなきゃなんないよ」

 姉妹の良人たちも義勇軍に加わっていた。

「しかし…」

「え?」

「兵介さん、相変わらずいい男だねえ~。年甲斐もなく惚れ惚れしちゃうよ」

「姉妹二人がかりでも、あの奥さんには叶わないけどね」

「確かに、あっははは!」

 姉妹たちといた部屋からまっすぐ櫓に向かう兵馬。

「かねてよりの差配に従い全軍配備についているな!」

「はい兄上!」

「よし、奥村三兄弟の槍の味、とくと味合わせてくれよう!」

「「オオオッ!!!」」




明家の取っている初撃の突きですが、これは私が別に書きました二本松少年隊に関する逸話からの引用です。二本松藩の藩祖丹羽光重は忠臣蔵で御馴染みの浅野内匠頭が松の廊下で吉良上野介を仕留めそこなった話を伝え聞き『斬らずに突けば討てたものを』と嘆いたことが始まりで、以降二本松藩の剣術は『斬らずに突け』となったそうです。
実際、少年隊士の成田才次郎はその教えを守り、長州藩の白井小四郎を刀で突き討ち取っています。


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丹後若狭の戦い

 小浜城は柴田明家が若狭中に点在した城と砦を破却し、その廃材も多く利用して建てられた。築城の名手と呼ばれた明家が築いただけはあり平城とは云え堅固だった。甲州流の丸馬出しと云う出丸を築き、堀も深く、石垣と城壁も高い。巧妙に作られ山城級の防御力を有する。

 しかし、篭城戦の敗因の多くは内側から崩れていくことである。だから領民が駆けつけたと云うのは必ずしも利点だけにならない。それだけ兵糧の消耗が激しくなるからである。兵糧が乏しくなれば不満が生じ、疑心暗鬼が出て、やがて敵との内通を疑われたものが殺され、どんどん士気が低下する。味方が信用できなくなったら篭城戦の守備側の敗北は確定する。

 だが、小浜城に篭る城兵はその『前者の覆轍』を教訓とする必要はあっても、そう悲観することもないのだ。敵は完全に小浜を包囲できないのである。北側の外周が海であるのだ。しかも城下町はすべてそっちにある。かねてより交易を重視していた柴田家は水軍顔負けの船の保有量を誇る。なまじの水軍では太刀打ちできないし、何より今の西軍には水軍はない。だから兵糧の補給は可能なのである。舞鶴もまったく同じ方法で築城されており、海から小浜と舞鶴の連絡は常に保たれる。小浜と舞鶴には支城はなく、城下町には城を落として初めて殺到できる。従来ある支城や城下町を焼いてのおびき寄せは使えない。寄せ手にとっては桁違いの自給能力を有する巨大な砦となるのである。

 

 支城がない、城下町に焼き討ちは不可能、では城内からいぶりだすには点在する村々を襲うしかない。しかし石田三成は絶対にそれはやるなと丹後若狭方面軍に厳重に通達していた。あくまで柴田の軍兵とのみ対せよ、そう三成は毛利輝元の名前で通達していたのだ。丹後若狭方面軍大将の小野木重勝はその通達を聞き笑った。『甘いことを言っている』と。

 これは三成がまだ最終的に明家を味方につけて共に豊臣政権の中で戦のない世を作ることをあきらめていなかったゆえ、と云う説があるが一方で丹後若狭の民を攻撃したら逆に小野木勢が壊滅すると三成が危惧していたと云う説もある。三成は旧主明家の民心掌握の技量が飛び抜けていることを誰よりも知っている。

 丹後若狭は柴田明家が国主となってから一度も一揆が発生していない。柴田明家の最大の武器は智慧や武技でもない。人徳、現代で云うカリスマである。だから丹後若狭の領民に手を出すなと三成は言ったのだ。

 

 そしてそれは正解である。領民の一部は義勇兵として合戦に参加はしているが各々の村や町では西軍が攻めてきたら総力あげて迎え撃つ準備はすでに整えていた。西軍が迫ってくれば事前に分かるように街道筋に簡略的だが狼煙台も建て、女子供を避難させる地さえ確保済みだったと云う。織田家の丹羽氏と細川氏が入府前は半農半士だった丹後若狭である。農民でも武芸に秀でる者は多く、学識豊かな者もたくさんいる。けして後の時代劇のように武士にされるがままではなかったのである。戦国の農民は強く逞しかった。真田昌幸の上田城攻防戦を見れば、それは自明の理である。小国と云え自国の農民を完全に味方につけた真田軍は徳川軍を二度も撃退している。農民を完全に味方につければ大軍にも勝てて、逆ならば滅ぶのだ。

 

 明家は秀吉の命令で刀狩をしたが他の大名と比べて取締りが格段に緩かった。農民に

『すまんなあ、うえからの命令でやらなきゃならん。とりあげた武器は農具に鋳直して返すから勘弁してくれ』

 と言って謝ったといわれている。まだ隠し持っている武器が多いのは誰でも分かったが、明家はカラカラと笑い言った。

『出せと言えば出さないものだ。どんな名君が刀狩をやろうとも民からすべての武器を没収することなどできやしない。一揆や謀反が恐いから刀狩をやる。大きい声では言えないが、そういうのを本末転倒と云う。俺はそんな統治はせんよ。もし一揆や謀反があれば悪いのはみんな俺だ』

 と言い、完全に取り上げようとはしなかった。おかしな殿様だ…。丹後若狭の農民はそう思っていただろう。ちなみに明家は一揆と家臣の裏切りを生涯一度も経験していない。この合戦のとき農民たちは西軍と戦うため隠し持っていた武器を装備し、国と自分たちの村を守るため戦う備えはしていた。もし農民に手出ししていたら思わぬ反撃を食らうのは西軍の方とも言えただろう。

 

 さて小浜城においては領民が感奮する騒ぎが起きていた。美味しい秘密は黙っていられない居酒屋『へいすけ』の女将加代が『城代の奥村兵馬様は私たち姉妹の仇討ちに加勢してくれた兵介さんだったんだよぉ!』と自慢げに来る客来る客に話した。二度三度妹の菜乃が注意しても生来のものか堪えきれずに言ってしまう。

 居酒屋の姉妹の仇討ちに加勢した若者兵介の名前は高浜から小浜に場所が移っても同じ若狭の国であるから知名度は同じである。

 まったく見返りを求めず、義侠心によって姉妹に加勢した男の中の男と見られている兵馬であったが本人はそれを全く知らない。

 

 すでに戦闘は始まっていた。城代奥村兵馬と小野木家の家老で小浜方面総大将小野木将監は睨みあう。堀は大きく深い、石垣は侵入を防ぐため弧を描かれて、城壁には『ねずみ返し』まで備えられている。城への入り口は一箇所、出丸の鉄砲眼の照準も入り口に合わされている。侵入は唯一の入り口を使うしかない。よくまあこんな攻めにくい城を作ったと敵も頭を抱えた。

 夜陰に乗じて、別の場所で橋をつくり、架橋して城門突破しかない。すぐにその準備は始められた。しかし橋を作っての城門突破は無論兵馬も承知している。西軍は木を伐採し、即席の橋をいくつか作った。たとえ堀に沈んでもそこが足場になる。

 夜陰に乗じて城攻めが開始された。奥村勢は迎撃準備、城下町の軍鐘が鳴った。よだれをたらして寝ていた加代を起こす菜乃、

「姉さん!西軍が攻めてきたわよ!」

「…う~ん、兵介さぁん。だめよぉ、そんなとこ触っちゃ…」

「どういう夢見ているのよ、姉さんてば!」

「…え?」

「西軍が攻めてきた!鉄砲の音がすごいよ!」

「ホントだ…」

 飛び起きた加代、

「近所の女たちを呼びな!酒と料理、大急ぎで作るよ!」

「はい!」

「兵介さん、今行くからね!」

 

「撃てーッ!!」

「撃てーッ!!」

「撃てーッ!!」

 城門のうえの櫓から兵馬、西の出丸は次男静馬、東の出丸は冬馬が指揮。小野木勢は即席の架橋に成功、火をつけようなら風に煽られ城に火が着く。鉄砲の弾が竹束に当たる音がする。

「慌てるな!櫓からも出丸からも我らは見えぬ!当てずっぽうで撃っているだけだ!竹束で防御し、大木で城門を破れ!!」

 と、敵将の小野木将監。城門にはすでに敵勢が突く大木の音が聞こえた。

「城代!かんぬきは時間の問題!」

「全軍、大手門に集結!迎え撃つぞ!!」

「「「オオオッ!!」」」

 城門が破られた!雪崩れ込む敵兵に奥村鉄砲隊が三方から三段射撃、水沢隆広が手取川の撤退戦において石田三成と白に使わせた戦法である。

「撃てーッ!!」

 倒れていく敵兵、だが小野木勢はひるまない。

「小勢だ!切り込め!」

 やがて数を圧倒する敵勢に雪崩れ込まれた。しかし奥村勢とて負けていない。そして義勇軍たちも。雪崩れ込んできた敵兵を狭隘な通路に誘い込み、かつ道には竹の梯子を固定させてあり、次々とつまずいて転ぶ。それを高所から弓矢で狙い撃ちした。行く先行く先に兵を伏せておいた。農民が竹の槍で襲い掛かる。

「何をしているか百姓相手に!蹴散らせ!」

 小野木勢の部隊長の言葉を笑う農兵たち。

「民百姓を軽視する大将は滅ぶ、我らが殿さま越前守様の言葉だ!覚えておけ!」

 頑強な抵抗、そして士気は高い奥村勢。城門は破られても東西の出丸にいた静馬と冬馬の隊は動かず後続隊を攻撃し続けていた。小野木勢は夜陰に乗じてチカラ攻めを敢行したが、領民を味方につけていた城方を噛み破るに至らず徐々に押し返されていく。そして兵馬が櫓のうえから巨大ジョウゴを口に当てて叫んだ。

「いま退けば、そのまま城から出してやる。寄せるのなら首を取る!」

 その言葉に小野木勢はひるんだ。

「そもそも、備えがあれば十倍の兵数にも対抗しえるのが篭城戦。それなのにわずか三倍に毛が生えた程度で寄せるとは兵法を知らぬうえ我らを侮るにもほどがあるわ!そんな馬鹿大将のために死ぬのはつまらんぞ!生きて帰って女房子供に会いたければとっとと退け!!」

 一人が後退すると歯止めが利かない。まだ残って戦おうとする者に

「早く退かないとその方らは敵城の中で孤立するぞ!留まるのならば容赦せんぞ!」

 そう一喝すると小野木勢はさらにひるんだ。元々小野木勢には柴田や奥村へ遺恨あっての合戦ではないので敵愾心は低いから余計である。

「退けば見逃す、寄せれば斬る!どうするか!」

 大将が逃げてきた兵に戦えと言っても一度戦意を無くした者には効果はない。次々と逃げてくる兵を見て小野木将監は撤退を下命。櫓にいて小野木勢を見下ろす兵馬を忌々しそうに睨む小野木将監。

「若僧!弓矢を避けて声で勝負するとはそれでも武士か!!」

「柴田家では声も立派な武器にござる。また参られよ!いつでもお相手いたすぞ!」

 夜が明けてきた。小野木勢は後方に退いた。櫓を降りた兵馬、

「冬馬、急ぎ城門を修復せよ」

「はっ」

「静馬、取り残された敵兵はもはや斬るに及ばん、捕らえよ。また当方の戦死者の数を調べ報告いたせ」

「はい」

「また敵軍戦死者は荷台に乗せて城外に出せ。捕虜と負傷者がそれを引いて出て行くようにと伝えよ」

 それは柴田明家が定めた柴田の陣法である。死ねば仏、敵味方なし。抵抗できないものは敵ではない、と云う明家の理念から作られた法である。明家は朝鮮の役でもこれを実施し朝鮮と明軍にも賞賛されている。

「仰せのとおりに」

「ん、頼んだぞ」

 本丸に歩んでいく兵馬。

「兄上」

「ん?」

「結構な采配でした」

「殿の真似をしただけだ」

 声で一向宗門徒を退かせた明家の初陣のことを言っている兵馬。

「敵さんには時間が無い。だから強引に攻めてきた。そこが我らにとっても付け目となったが今後はそうもいくまい。備えを怠るな」

「はっ」

 将兵を不安がらせないため気丈に振舞う兵馬だが、その内心は夜襲を退けた安堵と新たな敵襲に対する不安で錯綜していた。本丸入り口の前にある広場、ここに兵馬の妻の糸が出迎えに来ていた。

「おお糸」

「ご覧下さい、城下の方たちが我らに!」

 それは奥村勢千五百の胃の腑を十分に満足させる料理の山であった。居酒屋『へいすけ』の女将の加代とその妹の菜乃が音頭をとって料理を作った。

「お疲れ様でした兵馬様、これは我ら城下の者からのほんの心づくしにございます」

「加代殿…」

(お疲れ様、兵介さん)

「う、ううう…。ありがとう…。俺は幸せものだ」

 泣き出してしまった兵馬。命がけで守った民が応えてくれた。嬉しい。

「あらあら兵馬様、せっかくの戦勝に涙は」

 と、菜乃。

「まったくだ!我らの兵介がそんなんじゃ困るぜ!」

「…え?」

「男の中の男兵介!よく城を守ったな!」

 と、城下の民から喝采を受けた。

「な、何だよ」

「殿、聞きました、加代殿と菜乃殿の仇討ちに加勢されたことがあるそうですね」

「女将!お前、その口縫ってくれようか!!」

「ひゃあ、恐い恐い!!」

 ドッと笑いが起きた。

「まったく、とにかくありがたくご馳走になる!みなも遠慮なく馳走になれ!」

「やったあ!」

「腹ペコだったんだあ~ッ!!」

 奥村将兵はいなごのように料理にむさぼりついた。静馬、冬馬の弟たちの元にも料理は運ばれていった。みんな夢中で飯を腹に入れた。

「殿、一献」

「いや、まだ戦局は予断を許さない。守将の俺は酒を飲むわけにはいかない」

「心得ています。中身はお水ですよ。雰囲気だけお楽しみに」

「そりゃありがたい」

 少し塩と砂糖も入っている水。現在のスポーツドリンクのようなものだ。

「うん、美味い」

「…なんで今まで教えてくれなかったのですか?」

「何を?」

「仇討ちの加勢」

「別にわざわざ自慢することじゃないだろう。義を見てせざるは何とやら。それだけだ」

「……」

「何だよ」

「…さっき菜乃さんに『兵馬様に奥方様の見事な女体と私の貧相な体を比べられたことがあり、私は激しく傷つきました』と言われました」

 吹き出して咽る兵馬。

(あの馬鹿…!こんなとこで仕返ししやがって!)

「どういう意味です?」

「…あとでゆっくり話す」

「…楽しみにしています」

 翌朝、小野木勢の戦死者が荷台に乗せられ、捕虜と負傷兵が引いて城から出てきた。戦死者には死に化粧が施され、負傷者は手当てされていた。寄せ手の大将である小野木将監、

「味な真似をしよる」

 と、苦笑した。将監の部下が言った。

「柴田の陣法と伺っています。城代の奥村兵馬の判断ではありますまい」

「たわけ、たとえそうでも遂行するには上に立つ者に器量が必要な仕儀じゃ」

「は、はい」

「できれば越前殿とは敵とならず、我ら西軍を率いてもらいたかったのう…」

 この兵馬の仕儀には武士として感謝する。しかしこれはこれ。今は敵味方である。

「警戒を怠るな。そして舞鶴を攻める殿を経て、大坂にいる毛利殿に増援を請え。この城、五千程度ではとうてい落ちぬ」

「はっ!」

 

◆  ◆  ◆

 

 一方、舞鶴城。ついに奥村助右衛門と松山矩久は西軍を退却させた。しかし、それは兵の再編を図るための仮の退却。無論、奥村助右衛門と松山矩久もそれを知っていた。数日後、他の西軍諸将も連れて、さらに大軍で舞鶴に寄せてきた。京極高次の篭る大津城が落城の見込み強く、攻め手に余裕ができたため大津を攻めていた鍋島勝茂と立花宗茂も舞鶴へと寄せてきたのだから、いかに助右衛門とて劣勢となる。

 かつ京極高次の妻は明家の妹の初。助右衛門は大津を攻めていた軍勢がこちらに転戦してきたのを見て初姫の安否が気にかかった。そこを立花宗茂に付けいれられる。『越前殿が二の妹の初殿は西軍に人質となっている。このまま抵抗を続ければ初殿の命は保証しかねる』と通達があった。この時点ではまだ大津城は落ちていなかった。しかし舞鶴にその情報はもたらされていない。

 助右衛門は初を見捨てることを決断。宗茂に『浅井長政と柴田勝家を父に持つ初姫様がどうして敵に屈するか』とはね付けて徹底抗戦を継続。柴田軍は何倍もの兵力相手を向こうに頑強に抵抗。

 だがとうとう大手門を破られて西軍の侵入を許した。しかし奥村軍は焦らずに優位な地形に誘導し殲滅。しかし西軍は多勢、どんどん侵入を許す。

「二の門が…破られました!」

 使い番はそう言って息絶えた。古来、篭城戦は援軍を頼みとしての戦法である。援軍はない。士気はやがて下がっていく。明家の側室しづは女たちに指示して炊き出しをして自ら握り飯を作る。しづは明家の側室になる前に舞鶴城の調理場で母親と一緒に働いていた。台所仕事は手馴れている。かつて丸岡城の篭城戦でもしづは少女ながら懸命に給仕と看護に励んだものだ。

「先に水を運びなさい!水を飲めば力が湧きます!」

「「はい!!」」

 そして木箱に握り飯を詰め込み、自ら前線に運ぼうとする。

「しづ様、危のうございます!私たちが運びますから!」

「当主の側室だからと安全な場所にいて、どうして皆さんに戦ってくれと言えますか!」

 母のみよも娘と握り飯を作っていた。

「母も一緒に行きます。さあ参りましょう!」

「はい!」

 矢弾飛び交う前線に行き、戦う兵たちに握り飯と水を与えるしづ。

「柴田の存亡は皆さんの働きにかかっています!お頼みします!」

「お任せを!」

「さあ、ここは危ない。早うお下がりを!」

 しづから手渡された握り飯と水を口に入れて応える柴田将兵。次は負傷兵の収容と手当てである。出血している兵に圧迫止血を実施するため、上着を脱いでその患部に当てた。動けず自力で小便に行けない者には尿瓶を当てて放尿もさせた。前線で戦い士気を上げる甲斐姫、城内で将兵の世話をして同じく士気を上げるしづ。丸岡城の戦いでも女が活躍したが、この舞鶴でもまた同じであった。当主側室が自ら兵の下の世話までするなんて前代未聞である。勝秀正室の姫蝶、最初は城の奥で合戦の勝利を願っていただけだが、しづを見て世継ぎの正室だからこそ誰よりも兵に尽くさなければならないと痛感し、鉢巻きを締めてしづと同じ仕事に励んだ。兵たちは感涙し、そして女たちもしづ様と姫蝶様に続けと懸命に給仕と看護に励んだのだ。柴田家の気風は尚武と騎士道と云うが、これを見ても柴田家の女たちが日ごろ男たちからいかに大事にされているか察せられる。

 

 甲斐姫は奥に行き、しづに会った。

「しづ様、いよいよ正念場です」

「…はい」

「敵の総攻撃を防げるのも、せいぜいあと二回でしょう」

「敵の虜囚になるのは嫌にございます」

「私もです。城を落として我ら二人を捕らえたら…西軍は殿に味方につけと勧告するでしょう」

「殿がそれを飲むとは思えません。はっきりと私に言って下されました。私の命と柴田家どちらを取らなければならないのなら柴田家を取ると」

「はたしてそうでしょうか」

「…え?」

「殿はできないかもしれません。しづ様と私を見捨てることを」

「なぜ…?」

「それは殿がかつて私たちを深く傷つけたからです」

「…!」

「しづ様は殿に手篭めにされ、私は殿に秀吉へ売り飛ばされました。そんな経緯がありながらも今の自分を愛してくれている二人の女…。殿の性格では私たちを見捨てることはできないかもしれません。それが私たちに対する最大の侮辱と知りながらも」

「では…死ぬしかありませんね」

「はい、いよいよの時は」

 死の覚悟を決めたしづと甲斐姫、そして甲斐姫は敵に突撃した。覚悟を決めてもそう簡単にはやられない。甲斐姫のこの時の戦いぶりは敵方の鍋島と立花勢さえ賞賛を惜しまなかった。その甲斐姫の戦いぶりに士気が上がる柴田勢は寄せ手を圧倒。鍋島と立花は退却を開始した。無用の追撃は避けた甲斐姫だが、一つの鉄砲が彼女に狙いを定めた。そして撃たれた。甲斐姫の顔に鮮血が飛んだ。

「……!?」

「ぬううッ!!」

「奥村殿…!?」

 助右衛門は脇差を抜いて狙撃手に投げたが狙撃手はすでに退却し、敵勢の姿は消えていた。

「奥村殿!」

「大丈夫…。急所は外れております」

 正木丹波も駆けつけた。

「すまぬ城代、我らがせねばならんことであるのに!」

「いや…。それがしがしなければならなかった」

「……?」

「姫」

「は、はい」

「忍城を攻めていた治部に『成田氏長殿の娘の甲斐姫に関白殿下は興味を持たれていた。殺してはならぬ』と文を送ったのは…それがしなのでござる」

「な…!?」

「殿の言伝は『水攻めにあてるはずだった資金を味方にまわし、長対陣に士気が落ちないよう務めよ』で終わっていたのでござる。それがしは文書にして送るよう命じられた祐筆に『甲斐姫を捕らえて関白殿下に献上せよ』と暗に治部に伝える恥知らずな文を加筆するよう命じました。貴女を生き地獄へと突き落としたのは殿ではない。それがしなのでござる!」

「なぜ…」

「あのころの柴田の立場は豊臣で危ういものでございました…。秀吉は殿を恐れだした。恐れられるは武門の誉れなれど相手が絶頂時の天下人秀吉では滅ぼされる。そんなおり秀吉が姫に興味をもたれているとそれがし聞き及び、少しでも殿のお立場をよくしたいと思い…。何と浅はかな、何とお詫びを申したら良いのか…!」

「そんな…。それでは殿はそれを知りながらずっと大坂で私に罵られ続けていたと?」

「家臣のしたことは自分のしたことと…。それがし激しく殿に叱責され、己が振る舞いを恥じ入りましたが時すでに遅く…。姫をお助けするすべもございませんでした…」

「奥村殿…」

「まだ少しでも殿を怨んでいるのならば…それを全部それがしに向けてくだされ。お頼み…」

 助右衛門は気を失った。

「奥村殿!みな奥村殿を城内に!」

 しかし忍衆でその命令を聞く者はいない。

「姫を生き地獄に突き落とした者を運べませぬ!」

「今ここで殺してくれよう!」

「愚か者!」

 正木丹波が怒鳴った。

「過去にどんな経緯があれども、今の城代は我らが姫を命がけで助けたのであるぞ!それでもお前ら坂東武者か!」

「しかし…」

「坂東武者は昨日の天気は口にせぬものぞ」

 と、甲斐姫。

(それに…あの文がなかったとて秀吉は私を玩具に取り上げたわ…。そういう男…)

「そなたらが運ばぬなら私が運ぶ」

 抱きかかえようとしたら一人二人と忍衆が助右衛門の体を持った。

「それがしたちが運びましょう。姫の命の恩人を」

 

 この事件は最大の痛事だった。致命的には至らないものの夥しい出血。これで士気はさらに激減していく。

 夜、士気が落ちた城内を歩く助右衛門の妻の津禰。居眠りしている見張りを見つけた。津禰の侍女が起こそうとしたが、今は良いと止めた。そして一回りして起こした。少しの仮眠でもだいぶ違う。津禰は『大変でしょうが、お役目お願いします』と労った。そして助右衛門は自室で矩久より治療を受けていた。

「矩久、遠慮はいらんからもっときつくさらしを巻いてくれ。その方が身は引き締まる」

「なりません、いざと云う時に窮屈で戦えなくなることもありえ、かつ血流に悪うございます」

「そういうもんか」

「そういうもんです」

 その後は大人しく矩久の治療を受ける助右衛門。静かな時が流れた。

「矩久…」

「何でしょう」

「やはり援軍なき篭城戦は勝てんかな」

 矩久だからこそ助右衛門が垣間見せた弱気だろう。矩久はフッと笑い答えた。

「今まではそうでしたが、ご家老がその道理を破れば宜しかろうと」

「ふっははは、お前らしい答えだな」

 助右衛門は善戦した。関ヶ原の戦いに伴う篭城戦において東では真田昌幸の上田城攻防戦、そして西では奥村助右衛門とその息子たちの舞鶴・小浜攻防戦が賞賛され語り続けられている。

 助右衛門は小野木勢を一度は敗走させているが、上田城攻めと違った点は舞鶴と小浜が敵中に孤立していると云うことである。すぐに編成を立て直し、かつ兵も補充して第二、第三とやってくる。しかも寄せてきたのは立花宗茂と鍋島勝茂である。さしもの精鋭揃いの柴田軍でも押されつつあった。士気も乏しくなってきた。

 立花宗茂は再三に渡り助右衛門に降伏勧告をしてきた。宗茂は九州と朝鮮で柴田明家と戦陣を同じくしているので明家の恐ろしさを分かっていた。東軍にいては厄介極まりない。だから宗茂は容赦ない攻勢に出て明家の居城を押さえ、西軍に引き入れることを目的としていた。もっとも彼の妻の誾千代は徳川に味方すべきと主張したのだが大名に取り立ててもらった秀吉への恩義を思うとそうもいかなかった。

「越前殿さえこちらに引き込めれば勝てる。秀頼様の出陣が成りさえすれば西軍の勝ちだ」

「そううまく行きますかどうか。東軍が勝てば結局は城を取り返されましょう」

 と、立花誾千代。

「なんだと?」

「それに…兄の命令だからと申して、ハイそうですか、と幼い息子を戦場に出すほど淀の方は腰が抜けていません。母親の情と云うのを甘く見ているのではないですか?」

「……」

「宗茂殿、今からでも間に合う。東軍となり、柴田勢に加勢なされよ」

「阿呆かお前は」

「何ですって?」

「この後に及んでそんな二股膏薬をすれば諸大名の信頼を失う。お前が言っているのは目先の利だけだ」

「目先の利ね…」

 誾千代は鼻で笑った。

「分からなければ分からないでいい。とにかく立花は西軍を通す。お前も我が軍の武将として来ているのだ。俺の命令には従ってもらう」

「偉そうに…。かような出処進退を誤る殿御など立花の名に値せず」

「何だと!」

「命令には従いまする。しかしもしこの誾千代が正しかった時は覚悟されよ。斬る」

 

 助右衛門も城を落とすことが目的ではなく、主君明家を西軍に引き込むためと分かっていただろう。だからこそ、ここで城を取られ主君の決断を揺るがせてはいけない。そう思い戦い続けてきたが、やはり多勢に無勢であった。再三に降伏を勧告してくる西軍。助右衛門は決断を迫られる。矩久にサラシを巻いてもらいながら考える助右衛門。

「ご家老」

「ん?」

「我らはご家老に従います」

「……」

「とうに我らはこの命をご家老にお預けしております」

「分かった。治療ご苦労、下がって休め」

「御意」

 そして翌日、奥村助右衛門は徹底抗戦を決意した。愚直と云える。しかし異議を唱える者は皆無だったと云われている。全軍を集めて言った。

「聞け皆!生に涯あれど名に涯なし!この戦、我ら戦人のひのき舞台だ!」

「「オオオッ!!」」

「我らは死兵にあらず、天下分け目の大戦に挑む柴田軍が先陣である!一歩たりとも退くでない!戦人の意地、貫き通せ!」

「「オオオオオオオオオッッ!!」」

 甲斐姫率いる忍衆も槍を掲げた。助右衛門に右目を軽くパチと閉じて開いた甲斐姫。その仕草が答えだった。

『我らは坂東武者の意地を貫き通します』

「姫…。ありがとう!」

 そして前を見つめた。助右衛門は輿に乗り、精強な力自慢の兵たちに担がれた。槍は使うことは出来ないが助右衛門は弓の名手でもある。輿から射続けるつもりだ。

「城門を開けよ!」

「はっ!」

「我に続けえッ!!」

「「「オオオオオオオオオオオオオッッ!!」」」

 城門が開かれ、奥村勢は突撃を敢行、鍋島勝茂が後年に鬼神のごときと述べた突撃であった。助右衛門を担ぐ兵たちは『エイトウ、エイトウ』と鼓舞。奇縁にもその輿の担ぎ手の鼓舞は奥村勢と戦っている立花宗茂の養父であり、その妻の誾千代の父、立花道雪のものと同じである。苦笑する宗茂。

「味な真似を…。まさか敵勢が養父の鼓舞をやり、そしてそれに圧倒されようとはな」

「宗茂殿がやっても単なる物真似。敵将の奥村殿はまさに父の道雪を思わせる」

「へらず口を叩いておらんでお前も戦え!」

「…言われなくても戦う。父さながらの武人である奥村殿、立花が良き敵だ!」

 鍋島軍が切り崩され後退。そして奥村勢は立花軍に転戦、甲斐姫は獅子奮迅に戦う敵将を見た。

「立花誾千代と見た!」

 異様な大業物『雷切』を使う立花誾千代に対し、成田家伝来の大業物『波切』を手に甲斐姫が吼えた。

「ふん、女か」

「貴様だって女だ!」

「女にあらず、立花だ!」

「この甲斐こそが成田だ!」

 その言葉と同時に二人の女傑は相手に向かって刀を構えて走った。

「うなれ雷切!」

「吼えろ波切!」

 後に西の誾千代、東の甲斐と呼ばれた戦国の世でも稀な女同士の一騎打ちが展開された。双方一歩も譲らない撃ち合い。そして鍔迫り合いとなった。誾千代の怪力に押される甲斐姫。

「秀吉に腰を使った女風情が立花に挑むとは片腹痛いわ!」

「それを申したな…!その言葉あの世で後悔させてくれる!」

 一太刀で刀身が叩き折られそうな誾千代の雷切の威力だが、甲斐の波切も負けていない。鍔迫り合いから離れ、距離を保つ二人。

「なかなかやる、しかし私とお前では実戦経験が違う。次はその首を落とす」

 鋭い目つきで甲斐を睨む誾千代。

(強い…!さすがはかつて殿もその武勇を賞賛しただけはある…)

 良人明家の顔がフッと脳裏に出たとき、甲斐は思い出した。それは明家の朝の稽古に付き合っていた時のこと。

『師の上泉信綱様からの教えなんだが、俺は膂力がない。大きい武人には力ではかなわない』

『はい』

『だから強敵に対したときは刀を振り下ろしても弾かれてしまう』

『では殿はいつもどうされているのです?』

『敵に対したら迷わず突く!』

 甲斐の剣の構えが変わった。誾千代も気付いた。次の瞬間、静かに前のめりになったと思うと

「……!!」

 刀の切っ先はすでに眼前、誾千代の兜が吹っ飛んだ。辛うじて直撃は避けたが頬から出血。

「おのれ…!」

 その時、立花と奥村双方から退き太鼓が鳴った。当主正室の誾千代がこの太鼓を無視は出来ない。

「ちっ…。何から何まで気の利かぬ亭主じゃ」

 誾千代は雷切を収めた。

「悪いが撤退せねばならん。そなたの軍も同じようじゃ。退かれよ」

「命拾いなさいましたね」

「さあ、それはどっちだか、何にせよ」

 にこりと笑った誾千代。

「よき戦であった。立花の敵に相応しい」

「応」

「武人らしからぬ暴言を吐いたことを詫びる。許されよ」

「坂東武者は昨日の天気は口にいたさぬ」

 フッと笑って誾千代は陣に返した。甲斐姫も撤退。奥村勢は西軍を押し捲った。大勝利である。兵を戻し舞鶴城の門を閉じた。

「蹴散らしましたなご家老」

「ふむ、矩久帰って来たのは?」

「心配無用、大半は生還しました」

「姫は?」

「あの誾千代姫と一騎打ちし、兜を吹っ飛ばしたそうな」

「士気があがるまたとない朗報だ。翌日も突撃するゆえ、飯を腹いっぱい食わせ、たっぷり睡眠を取らせろ」

「はっ!!」

 

 その夜、助右衛門は伏せていた。妻の津禰が寄り添う。

「津禰、明日の突撃が儂の最後の戦となろう」

「そんなことを申さないで下さい」

「討ち死にをすると言っているのではない。勝とうが負けようが儂はもう隠居して兵馬に家督をゆずる。殿もご了承済みだ」

 安堵する津禰。そういう意味だったのかと。

「兵馬に隠居館を建ててもらい、そこで二人で暮らそう。孫たちの面倒でもみながらな」

「はい」

「津禰」

「はい?」

「どんな結果になろうとも、殿をけして怨むでないぞ」

「え…」

「儂は本当に嬉しい。この舞鶴での戦、男の花道よ」

 そう言って助右衛門は眠った。津禰は寝息を立てて戦の疲れを癒す良人をずっと眺めていた。翌朝、再び突撃すべく準備をしている時であった。妻の津禰の給仕で食事をしていた助右衛門の元に矩久が駆けてきた。

「ご家老―ッ!」

「ふむ、出撃準備は整えたか」

「それが…」

「どうした?」

「寄せ手の西軍から和議の使者が!」

「…それはこちらの様子を探りに来たのだ。追い返せ」

「い、いやただの和議の使者ではなく…」

「ん?」

「朝廷の仲立ちによる和議の使者にございます」

「な、なんだと?」

 城門に赴き、使者を迎えた助右衛門は驚いた。錦の御旗を立てた朝廷の一団。その中にとんでもない大物がいた。

「おお、奥村殿。久しぶりだな」

「菊亭晴季殿!」

 菊亭晴季、彼は豊臣秀吉と親密な間柄であった。秀吉は織田信長の後の天下人となるべく征夷大将軍の任官を受けようと考えた。それで源氏の足利義昭の猶子になろうとしたのだが義昭の拒否にあい将軍就任をあきらめざるをえない状況になった。その時に晴季が関白任官を提案し、秀吉を関白太政大臣にすることを成功させた。以後は朝廷と豊臣家の間で重きをなすが、彼の娘が羽柴秀次の正室として嫁ぐと影が差し出した。

 秀次謀反の連座によって失脚。晴季は我が身がどうなっても愛娘だけは助けたく、秀吉に娘の命乞いをしたが秀吉は聞き遂げず、そのまま彼の娘『一の台』は処刑場の露となるところだった。娘を溺愛していた晴季の嘆き悲しみは並大抵ではなかった。

 しかし処刑寸前に刑場に殴りこみ、秀次の愛妾や子供たちを瞬く間に連れ去ってしまった一団がいた。柴田勢である。晴季の喜びようは大変なものだった。その後しばらくして晴季は許され、再び右大臣となった時、秀吉には内密に晴季を経て後陽成天皇から感謝状が届けられたという。明家から一の台は父の元に帰された。元気な娘を見て改めて彼は明家に感謝した。

 そして今回の日本の大名が東西に分かれて天下分け目の戦いの様相。朝廷は傍観を決め込んでいたが明家の領国の丹後若狭が危ういと知るや、菊亭晴季は今こそ越前殿に報いる時と、朝廷工作に奔走し、元々側近の菊亭晴季の娘を救出した柴田明家に好意的であった後陽成天皇は丹後若狭に寄せる西軍に勅命を下す。

『全軍、丹後若狭より撤退せよ。この勅命に背く者は朝敵と見なす』

 奥村助右衛門と松山矩久も驚いたが、寄せ手の西軍の驚きはさらにであっただろう。前代未聞の天皇の仲裁である。立花宗茂にとって敵の首に手が差し掛かっている時に突如降ってきた勅命。無視したかったが一天万乗の天皇に逆らえば朝敵である。しかも勅使は菊亭晴季自身。

 しかし城攻めをやめるわけにはいかない。それを聞いた西軍総大将の毛利輝元が使者を出して『勅使に従うように』と通告してきた。毛利家は元就の時代に『朝臣』の称号を受けているため朝廷と深い繋がりがある。宗茂の独走を許すわけにはいかなかった。歯軋りするも宗茂は受け入れるしかなかった。無念の良人宗茂の横顔を見る誾千代。

(言わんことじゃない、東軍につけば良かったのだ…。いやそれは思うまい。こんな停戦など誰も想像もつかん)

 西軍は勅命通り全軍が撤退した。誾千代は舞鶴城に振り向いた。

(もう私が雷切を振るうこともあるまいな。今度は友として会いたいものじゃ甲斐殿)

 

 舞鶴の櫓から西軍の撤退を見つめる甲斐姫。

(私がもう戦場に立つことはない。しかし最後の戦で貴女のような女傑と戦えて本当に良かった)

「終わりましたな姫」

 と、正木丹波。

「うん」

「戦の後始末が終わり次第、我らは武州に帰り、土と暮らします」

「ここにいてはくれないのですか?」

「はい、故郷で土と暮らします」

「そうですか…」

「姫」

「ん?」

「我ら、今回の参戦の褒美をちょうだいしとうござるが」

「うん、何とか殿に頼んでみます」

「姫にしか与えることはできませぬ」

「え?」

「お父上、氏長様を許してあげて下さらぬか」

「…できません。ほかの褒美にして下さい」

「ほかはいりませぬ。それしか望みませぬ」

「ずるいですよ丹波」

「口止めされていましたが申します。我ら全員に忍から舞鶴までの路銀を下されたのは氏長様です。烏山から忍にまで来て、娘を助けてほしいと頭を下げてそれがしに望まれました」

「…そんなことは分かっていました」

「え?」

「丹波、そなたが持参してきてくれたこの甲冑と波切は成田家の家宝。父上の許しなしに持ち出せるわけがございません…」

「…ま、まあ確かに」

「知らぬふりを通そうとしていたのに…」

「そうは参りませぬ。聞いていただきます」

「……」

「姫とて、お父上に褒められたいから、よくやったと言ってほしいから屈辱の日々にも耐えられたのでございましょう。たまたま誤解があっただけではござらぬか。お父上とてもう還暦間近、このまま憎んだままで、もし父上が身罷れば一生後悔するのは姫自身ですぞ」

「坂東武者のくせにいつの間にそんなに弁舌巧みになって!もういい分かりました!」

「姫…」

「父上を許します。この東西の戦が終わったら一度烏山に参ると申して下さい」

「良かった…!よき土産が出来ました!」

「礼を申すのは私の方です。ありがとう…」

「お父上も喜びましょう」

「再会する時は孫を見せたいものです」

「それは…!もうお腹にややが!?」

「気の早い。懐妊などしておりません。これから殿にもっと励んで仕込んでもらわないと」

 櫓の上で甲斐姫は明家のいる東方に叫んだ。

「殿―ッ!早く帰って来て私と子作りに励むのですよーッ!!」

 

「大きい声でまあ、ご家老、坂東の娘は惚れた男には積極的なようですな」

「そのようだな」

 城門にいた助右衛門と矩久は苦笑した。

「しかしご家老、殿の刑場荒らし。聞いた時はどうなることかと皆でヤキモキしていましたが、殿のあのおりの決断があったればこそ、朝廷を動かしたのですな」

「そうだな、まったく殿は大した方よ。戦場におらずとも我らに勝利をもたらす」

「申し上げます」

 助右衛門の使い番が来た。

「うむ」

「小浜城に寄せていた敵勢も退却しました。若殿たちが防ぎきりました」

「そうか、何よりの朗報。丹後若狭は何とか国難を乗り切ったな矩久」

「はい、さて殿の戦いはいかが相成っているか」

「慶次、鹿介がついているので心配いらん。我らは西軍に荒らされた領内を立て直し、そして元通りにして殿を出迎えようではないか」

「はっ!」

 しづは西軍の退却を知るや、兵の救護室で倒れた。今まで不眠不休で負傷兵を手当てしていたのだ。床に伏せるや、すぐに眠ってしまった。いやしづだけではない。しづの母のみよも、勝秀正室の姫蝶、助右衛門正室の津禰も喜ぶ声をあげる間もなく倒れて眠った。みな安堵に微笑む良い寝顔であった。しづは寝言で

(殿、早く帰って来てしづを抱いてください…)

 と、言っていたらしい。

 

 小浜城、西軍の度重なる攻撃にさらされるが、兵馬は寡兵を指揮して何とか防ぎきった。兵馬は陣頭の猛将と云う性質で篭城戦の指揮には不向きだったかもしれないが、とにかく小浜城は士気が高かった。城下町の領民が後方支援を務め、そして武器をもって戦った。この戦いは戦国民の強さも示した戦いとも言えた。

 やがて舞鶴と同じように西軍は退却していった。大勝利であった。彼は弟たちと力を合わせて見事に父の居城を守りぬいたのだ。西軍が退却した日の夜、兵馬は自室で妻とくつろいでいた。

「殿、やりましたね」

「ああ糸、そなたが俺を支えてくれたからだよ」

「ところで殿」

「ん?」

「菜乃さんの言葉の意味を教えて下さい」

「舞鶴の父上は元気かな」

 さりげなく話をそらそうと図る兵馬。

「菜乃さんの言葉の意味を教えて下さい」

「おお、聞いたか。殿の側室の甲斐御前は巴御前さながらの活躍だったらしいぞ。しづ御前もまあ将兵の手当てなどで大活躍されたそうで」

「菜乃さんの言葉の意味を教えて下さい」

 観念した兵馬は言った。

「…仇討ちの帰途中、菜乃と一夜だけだが寝た。その前についポロリとお前の肢体と比べて貧相だと言った。それだけだ」

「…私が一日千秋の思いで殿の帰りをお待ちしていた時に…よその女と」

「だから言いたくなかったんだよ!」

「…歯をくいしばって下さい」

「え?」

 翌日に兵馬の顔がたらふく腫れていたのに誰もが気付いたが、詳しくは聞かなかった。聞けなかったとも云うが。



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家康着陣

 織田秀信は石田三成からの援軍を得て軍議を開いた。秀信重臣たちは篭城を主張するが、秀信は

『我が祖父(信長)、曾祖父(信秀)は一度たりとも城に篭もって戦ったことはない!』

 と主張し出陣と決まった。軍議で決まった作戦は、まず木曽川岸の第一陣にて米野で渡河してくる敵を撃破、討ちもらした敵勢は第二陣で掃討する。この作戦でも敵を打ち破れない場合は篭城策を執り大垣からの援軍を待ち、城と挟撃により敵を討つと云うものである。そして八月二十一日までに布陣を固め、迎撃に備えた。

 作戦は悪くなかったかもしれないが、やはり秀信は最初から篭城策を執るべきであったかもしれない。斥候より敵の布陣を聞いた柴田明家は池田輝政、福島正則と謀り、寡兵の秀信勢に対して挟撃策を提案。何せ岐阜城に寄せる東軍先鋒は秀信の六倍近いのである。明家は『何で篭城して、さらなる援軍を待たない』と逆に驚いたと云う。しかし、寡兵で野戦に出て来たからこそ油断はできない。また秀信に不運なのは東軍先鋒には美濃の地形に詳しい者が多かったと云うことである。諸将は明家の挟撃策を用い、攻撃を開始。部隊の各自投入では時間がかかる。東軍は二手に分かれ、全軍で襲い掛かった。

 秀信は奮戦したが、多勢に無勢でいかんともしがたく岐阜城に退却。そして翌日、総攻撃が行われ岐阜城は落城した。織田秀信は捕らえられたが福島正則と柴田明家が助命を主張。処刑すべきと云う声も上がったが正則は

『助命したことが内府殿の不興を買うならば、自分の今までの戦功と引き替えにするだけである』

 と言ってのけた。何とも彼らしい。明家は直情的に訴えた。

『それがしは秀信殿のお父上の中将様(信忠)に特に目をかけていただいた恩義があり、こうしてご子息である秀信殿と弓矢を交えたのは残念至極であるが、秀信殿も今は一個の武将、よくよく思案されてのことで是非もない。しかしながら処刑されるのを黙って見ていては、それがし中将様に合わせる顔がない。何とぞお助け願いたい』

 と、家康の重臣たちに懸命に願った。家康は正則の言葉を聞き不快にはなったが、明家の言葉にはこう答えた。

『仕方がない、越前の顔を立ててやれ』

 と渋々の様子ながら許したと云う。明家は秀信の生母である徳寿院と対面。柴田陣に捕らえられて連行された。それを見た明家は

「綱を解け」

 と言ったが

「誰がお前の情けなど受けるか…!」

 憎悪の目で明家を睨む徳寿院。

「やはりやったか、我が良人信忠への信義など、もうどうでも良いのだな越前。秀信の助命をして少しでも罪滅ぼしをした気になっているのか?笑わせるでないわ!あっははは!」

「……」

「呪ってやる…。私にあんなむごい仕打ちをしたうえ、息子を攻めた悪鬼羅刹!あの世に行っても呪い続ける。織田は柴田に七代祟り続けようぞ!」

「殿、お斬りになった方がよろしいと存じまする」

 と、山中鹿介。これほど主君に対して異常なほどの憎悪を持つ徳寿院。生かしておいては災いとなる。

「……」

 

 秀信生母の徳寿院は柴田明家を激しく憎んでいた。こういう理由である。彼女は織田信忠の正室で落飾前は幸姫と云う名前であった。父は塩川長満と云い明智光秀の丹波攻め、羽柴秀吉の三木城攻めなどに参戦し武功を重ね信長に重用され、やがて石清水八幡宮の善法寺領の代官に命じられている。彼の娘の幸姫は美貌かつ丈夫で賢かった。信忠と松姫の婚儀が取り消しとなった後、信長は息子の正室はこの娘が良いと娶わせた。松姫が忘れられない信忠は最初拒否したが父の命令には逆らえず、やがて正室としたのである。(側室説あり。信忠は松姫を正室として婚約破棄以後は正室空位としたとも)

 

 しかし幸姫は名前と逆にこの婚儀は彼女にとって不幸であったかもしれない。信忠はいつになっても松姫を忘れなかった。夜閨のあと寝床を共にしている時、何度良人の『お松殿』と云う寝言を聞いただろう。良人は自分を抱いていない。自分を通して松姫を抱いている。どうして会ったこともない女を私よりも愛するのか悔しくてならない幸姫。信忠は良人として申し分なかった。自分を慈しみ大事にしてくれる。婚約者を忘れられないことくらい何ほどのもの、そう思おうとしていた幸姫。

 

 そして武田攻めが始まった。松姫のいる武田を攻めなくてはならない信忠を見て幸姫は、これで良人は婚約者に対して踏ん切りがつくと思った。高遠攻めの時、水沢隆広が使者として松姫の兄である仁科盛信に会った。隆広は信忠の口上を伝えた。『正式に妻として迎えたい』と。盛信は『中将殿には正室がいるではないか。子もいると聞く』隆広がこれに返した言葉が幸姫の心をズタズタに切り裂いた。

『中将様が心ならずも正室を娶られたのは大殿の命令によって。心は松姫様にある』

 これを伝え聞いた時、幸姫は怒りや悲しみも通り越し、ただ呆然としたと云う。目には止まることのない涙が流れる。それでは自分は何なのか、松姫の代わりに過ぎないのか。良人に捧げた純潔も松姫の代用品に過ぎないのか。しかも信忠は自分も織田家も捨てて、松姫と一緒に暮らそうとしていたと云う。そして水沢隆広はついに信忠と松姫の対面を実現させた。落城する高遠城内で会わせることに成功したのである。水沢隆広は信忠と松姫双方に知遇があり、隆広だから二人を会わせることが出来たとも云える。しかし幸姫は信忠正室の自分をまるで無視し、いや無視どころか自分の心をズタズタに傷つけた隆広を憎悪した。

 

 松姫は隆広に助けられ一命を取りとめ、武州恩方(東京都八王子市)に隠棲する。それを信忠に知らせたのも隆広である。信忠は松姫に『正式に側室として迎えたい』と要望し、松姫は了承。松姫が岐阜城に来るのを子供のように胸ときめかせて待つ良人の姿。もう幸姫の心は信忠から離れていたが、彼女の実家の塩川氏は織田政権下で二万石を与えられている家。織田の世継ぎである良人を怒らせてはならない。父から若君に不快な思いをさせるでないぞと厳命されている。幸姫は他の女に思いを寄せている良人に対しても『理想の妻』でなければならなかった。信忠に『松姫と仲良くしろよ』と言われれば笑顔でハイと言い、心離れている良人にも優しく尽くさなければならない。良人に抱かれるのも嫌で仕方ない。しかしそれは露ほども態度に見せてはならない。幸姫の鬱憤は並大抵のものではなかったろう。その心の平静を保つに彼女は隆広を憎悪するしかなかったのである。

 

 本能寺の変において信忠は戦死したが幸姫は涙一つ見せなかった。それからしばらくして水沢隆広は羽柴秀吉に降り、落飾した幸姫は徳寿院と名乗り秀吉に越前守と会わせてほしいと要望。三法師の母親の願いでは無下にも出来ない秀吉は水沢隆広、つまり柴田明家と会わせた。会うやいなや徳寿院の明家への罵りようはすさまじく、明家も知らない間に一人の女をこれほど傷つけていたのかと驚かされた。

『一生そなたを許さぬ!何が絶世の美男子か、私には悪鬼羅刹にしか見えぬ!』

 謝るしかない明家であるが、徳寿院は明家を許さなかった。後世視点から見れば徳寿院の明家の憎悪は言いがかりとも云えるし、憎悪の尺度が異様に大きい。これは信忠に言いたいことがあってもそれを発することはおろか顔に出すことも許されないと云う彼女の立場がそうさせたのかもしれない。すべての諸悪の根源は水沢隆広。彼女はそう思い込んでしまっていた。

 

 信忠の墓参を松姫が望んだ。松姫はその取り計らいを明家に頼んだが、徳寿院も松姫上京の知らせを聞いた。今はただの尼僧の松姫。片や秀吉の庇護を受ける三法師の生母。徳寿院にはそれなりの権力もある。明家は徳寿院が松姫に対し、かの中国の悪女呂太后が良人劉邦の側室であった戚夫人にやった復讐に比肩する暴挙(呂太后は劉邦の死後に戚夫人の耳、鼻、目、四肢を切り裂き便所に放った)をするかもしれないと察し、徳寿院側に出鱈目な上京日程の情報を流し、かつ京にいる間の松姫には徹底した護衛がなされたと云う。明家の見込みどおり徳寿院は松姫に呂太后さながらの復讐をしてやるつもりだった。当時は北条氏の領地であった武州。そこにいては手出しできないが京に来た時が捕らえる好機と見ていた。しかし明家に阻止されてしまった。これもまた明家を憎む理由である。

 

 そして今、その徳寿院は捕らえられ、明家の前にひざまずいている。明家を罵り続ける。いいかげん家臣たちも我慢の限界である。

 また彼女の実家の塩川家は私闘の罪で秀吉に取り潰されていた。日頃から不仲だった家と惣無事令を無視して攻めたのである。帰るところはもうなかった。そんな彼女が唯一自分の鬱憤をぶつけられる相手は明家だけであった。気の済むまで罵ったか、やがて徳寿院は大人しくなった。明家が静かに言った。

「貴女をそんな女としたのはそれがしの責任、お詫び申し上げる」

「お前では無い」

「では誰と?」

「私をこんな女にしたのは殿じゃ…!信忠様じゃ…!いつまで経っても松姫を忘れないから…!」

「……」

「世継ぎの秀信を生み、織田の正室と生母としての権威を握る。これが私の支えであったから良人の仕打ちにも耐えられた!だがその良人は死に、実家は秀吉に滅ぼされ、秀信は時節を読めず敗北し城と領地を失った。私は何もかも失った!もはやこれまで!」

 徳寿院は自決用の小刀を懐から取り出し、自分の心臓に突き刺した。

「な、何てことを!」

 駆け寄り、自分に触れようとした明家の手を叩き飛ばす徳寿院。

「越前守…」

「徳寿院殿…」

「せめて墓くらいは良人と二人で入りたい。後に松姫が死んでも、けしてその墓には入れぬと約束せよ…!分骨も許さぬぞ…!」

「……」

「あの世でまで、良人を取られてたまるものか…!」

 そのまま徳寿院は伏すように倒れ、息を引き取った。

「…丁重に弔え」

「はっ!」

 小姓たちが徳寿院の遺体を運んでいった。明家に歩み寄る鹿介。

「殿…」

「悲しい女だな…」

「はい」

「信忠様、隆広は幸姫様を救えなかった…。お許し下さい。せめて信忠様が幸姫様をあの世で幸せにして差し上げることを隆広は望まずにはおれません」

 後年、明家はこの徳寿院の言葉を守る。信忠の墓に松姫の骨を入れることはしなかったと云う。分骨さえしなかったと云うから生前の松姫も承知していたのであろう。

 

「父上!」

「ん?」

 情報収集を任せていた次男の藤林隆茂が来た。

「どうした?」

「黒田、田中、藤堂は大垣に進路を執りました」

 黒田長政、田中吉政、藤堂高虎は岐阜城攻略に間に合わなかった。柴田、福島、池田に合流しようとせず、そのまま大垣の方向へと転戦したのである。そのころ石田三成は大垣城を出て清洲への中途にあたる沢渡村に陣を張り、合渡川に守備隊を派遣し、東軍の進攻に備えていたのだ。それにしても三成には大きな誤算である。一日あまりの戦闘で最重要拠点とも云える岐阜城が陥落してしまったのであるから。しかもその指揮を執っていたのは柴田明家である。

「そうか、ではそろそろ合渡川の守備隊と接触の見込みだな」

「はい」

「彼らなら難なく守備隊を粉砕しような。よし、福島と池田、他の諸将にも知らせよ。我らも大垣に進軍。場合によっては大垣も攻めなくてはなるまい」

「承知しました」

 隆茂は陣を出て行った。

「さあ、気持ちを切り替えろ。我らも大垣に進むぞ!」

「「ハハッ!!」」

「各々持ち場につけ。一刻後に西へ向かう」

「「ハハッ!!」」

 柴田将兵は本陣から出て行き進軍に備えた。

「それにしても…」

「どうされた殿」

「鹿介、西軍はあまり足並みが揃っていないようだな。後手に回りすぎだ」

「そう思われますな。殿が西軍の采配を執っていたならどうなさいました?」

「俺が治部の立場なら福島の内府寄りを読み、挙兵と同時に大軍を濃尾に差し向け留守部隊しかいない手薄の清洲を落としている。正則殿ならば城に豊富な兵糧を備蓄していると考えなければならない。西軍にはそれだけの時間と兵力はあった。また畿内は京があり、大坂もある。最初から戦場は濃尾と見越し、伏見城は仕方ないとしても留守部隊しかいない俺の城や京極殿の城など無視して西軍全軍で東に進路をとったろう。兵力分散しているゆとりはない」

「確かに」

「いや、待てよ…。治部が大垣を橋頭堡に選んだのは何かわけがあるかも…」

「どうされた?」

「大垣…。大垣…。そうか!鹿介、至急田中吉政殿に文を届けよ」

「はっ!」

 

 明家の予想通り、東軍は合渡川の守備隊を蹴散らして大垣に進軍していた。その一隊である田中吉政の元へ明家から文が届いた。それを読んだ吉政は大急ぎで黒田、藤堂、細川に前進をやめさせた。陣を作り話し合う諸将。

「「水攻め?」」

 驚く諸将たち。それを聞くや細川忠興は大爆笑。

「おいおい兵部(吉政)、治部は武州忍城で水攻めを画策し、結局途中で放り投げたであろう。水攻めは太閤殿下だからできた城攻めぞ」

「越中守(忠興)、その油断が危ない!忍城と大垣では地形が違う、大垣は輪中ぞ!」

「え…?」

 輪中とは近隣の川より地形が低い地域のことである。大垣は揖斐川に近く、その防波堤を築いてある。反して例えに出た忍城は逆。あのおりに石田三成が水攻めを途中までやったのは秀吉に『水攻めで落せ』と命令されていたからであり、それを明家の取り成しで兵糧攻めに切り替えることが出来たのである。

「簡単に略図を描いた。見よ」

 地形図を指す吉政。

「大垣の周囲は平野だ。だがここと、ここと、そしてここの土手を決壊すれば大垣に攻めている将兵は水没。我らも終わりだ」

「大垣も沈むではないか」

「大垣が空城だったら何の影響もないわ」

「考えすぎではないのか…?治部にそんな壮大な攻撃が出来るとは思えないが…」

「治部は齢十八で九頭竜川の治水を成し遂げた男だぞ。条件が揃えば水を兵にすることもやってやれないことはない。油断するな!」

「……」

「甲斐守(長政)と和泉守(高虎)はどうか?」

「確かに兵部殿の申すとおりだ。となれば我々は水攻めに影響なく、かつ大垣になるべく近いところに陣取り、そのうえで内府を待つのが得策と思うが」

 と、藤堂高虎。

「それがよさそうだな」

 黒田長政もうなずいた。安堵する田中吉政。明家は吉政が治水巧者と知っていたから文を届けた。諸将を説得できなければ自分を頼みとしてくれた明家に面目が立たない。

「……」

「どうされた越中殿」

 吉政が忠興を見ると不満げな顔をしていた。

「いや、またしても越前殿に功名が」

「仕方あるまい、越前殿は美濃育ち、地形に通じるに我らより一日の長ある。もし水攻めが本当に敢行されていたら我らは窮地に立たされていた。事なきを得たのだ。素直に感謝すべきであろう」

 忠興の不満を一笑に付す高虎。

「まだ不仲なのでござるか越中殿と越前殿は?」

 長政が訊ねた。

「そんなことはござらん、越前殿が太閤殿下にお仕えした頃には儂も若く嫌味を言ったが今は大名同士として親交はしております。だが武将として嫉妬を感じずにはおられません越前殿の才覚は」

 忠興は明家の才幹が羨ましくも恐ろしかった。

「明後日には岐阜城を攻めた連中も合流しよう。今日はもう少し進軍し赤坂で陣を張ろう。あそこなら水攻めは影響ないし、大垣にも近い」

 吉政が言うと諸将は同意、進軍を開始した。八月二十四には先発隊の全軍が大垣城西北の赤坂に集結し、家康の出陣を待つことにした。そこへ明家たちも合流、大垣城に対峙した。

 

 石田三成が輪中の地形を利用した水攻めを敢行しようとしたのかは現在も判明していないが、彼の治水能力ならば実行しようとしたとしても不思議ではなく、明家が地形を警戒し、前線の田中吉政に注意を呼びかけたのはさすがの慧眼と云うところだろう。

 その三成であるが大垣間近に布陣した東軍に対応するため島津義弘、同豊久、宇喜多秀家らに大垣入城を要請して来襲に備えた。

 しかし東軍は一向に動かなかった。二十六日、三成は佐和山城に戻って防備を固める。一説では東軍が佐和山城を攻めるのを危惧してとあるが、佐和山城は秀頼を入れようという城である。万全の備えをしなければならないゆえ、そのために帰ったのだ。妻の給仕で食事を取る三成。

「柴田様が岐阜城を落としたそうですね」

 妻の伊呂波が言った。

「ふむ…」

「柴田様も殿も、大望は『戦のない世を作る』であるのに、どうして敵味方とならなければならないのでしょうか。殿と柴田様が手を握ればその世が作れると思うのに…どうして…」

「…どうしてだろうな。目的は同じなのに手を取り合い、共にそれに突き進むことが出来ない。人の歴史はこんなことの繰り返しだ。だから戦はなくならない。愚かなことだ」

「殿も愚かなの?」

「武将はみんな愚かなのかもしれないな」

 フッ笑う三成。

「若きころ、どうして戦うのか、どうして殺さなければならないのか、そんなことを考えて塞ぎ込んだこともある。しかしいつも結果は出ない。いや明確な答えを言える者などおるまいな。しかし徳川と戦う理由はある。天下の孤児、秀頼様を守るためだ」

「殿…」

「ありがとう伊呂波、この昼餉、特に美味いものであった」

「…お願いがございます」

「何だ?」

 ほほを染める伊呂波。

「ご、ご出陣の前に…私を抱いて下さい」

 ここに至って出陣の前に女は抱かないなどと云う理念など関係ない。最後となるかもしれないと伊呂波は思ったか、良人を求めた。

「うん、そういたそう」

 

 翌日、三成は再び大垣に向かい西軍諸将に関ヶ原周辺に参集要請。それに応じて諸将が動く。九月二日、北陸にあった大谷吉継が関ヶ原西南の山中村に着陣。九月三日、伊勢長島城を攻囲していた宇喜多秀家が大垣入城。九月七日、同じく伊勢方面にあった毛利秀元、吉川広家、安国寺恵瓊、長束正家、長宗我部盛親らが関ヶ原東南の南宮山周辺に布陣。九月十四日、病気と称し近江で形勢を傍観していた小早川秀秋が関ヶ原を一望できる松尾山に着陣した。

 ここは本来、西軍総大将となった毛利輝元が入る予定だった。が、輝元は三成の再三の要請にも関わらず大坂城に留まった。輝元には出陣の意志はあった。毛利輝元が茶々に述べた。

「御袋様(茶々)、毛利本隊を連れて秀頼様を擁して美濃に出陣いたします」

「…中納言(輝元)殿、それでは誰がこの城を守るのですか?」

「他の豊臣諸将がおりましょう」

「…聞けば増田長盛が家康に通じているとのこと。そんな中、中納言殿に出て行かれたらどうするのですか」

「御袋様…」

「何より、戦場に齢七つの秀頼を連れて行くとは何ごとですか。母として我が息子を戦の道具になど使わせませぬ」

 結局、毛利輝元は茶々の強い反対があり、出陣を見合わせた。茶々は自室に戻り、一つの文を広げた。兄の明家からである。まだ間に合う、実家である当家に戻れ、と云う内容である。三成と家康の戦いが避けられない事態となった今、明家は再三に渡り妹の茶々に柴田家に戻れと陣中から文を出した。徳川家康台頭に伴い、秀頼生母である妹にどんな災難が起こるか分からない。その家康の台頭を支持するしかない立場となったうえは、せめて妹をすべての騒ぎから退けさせて助けたいと思ったのだろう。茶々は返事を出さなかった。

「兄上、貴方が申したはずですよ。茶々はもうかわいい妹ではないのだなと…」

 城から大坂湾を見る茶々。

(兄上…。貴方は知らないでしょうが茶々は幼き日、兄上に恋をしました。北ノ庄の城下で初めて見た時から、もう私は兄上に夢中でした。だから父上に仕えたと知り、すごく嬉しかった。いつか隆広殿に相応しい女となり妻にしてもらおう、そう思ったから。でも兄上は私ではない人を妻とし、そしてやがて私は貴方の実の妹と知りました。こんなことがあるなんて本当に驚いた…)

 秀吉に妹を取り上げないで欲しいと必死に懇願している兄の姿。他者は未練がましい、みっともないと笑った。だが三姉妹は、そして茶々はそのみっともない姿が美しいとさえ思った。必死に妹を守ろうとしている兄の姿は今も忘れない。

(だから私は腹を括った。あえて羽柴秀吉の側室となり、そして兄上を助けようと。それが茶々の戦なのだと。しかし、私のその気持ちは単なる独りよがりだった。でも兄上、私は秀頼を愛しています。私は母親として七つの秀頼を醜い大人たちの戦の道具にしとうない。茶々は母として息子秀頼を守らなければなりません。どうして幼い息子を置いて、おめおめと実家に帰り、新しき縁を求めましょうや!たとえ歴史に悪女として汚名が残っても構わない。私は息子を守ります!)

 

 徳川家康がようやく重い腰をあげて江戸城を出発したのは九月一日、東海道を上り、十四日、赤坂の岡山頂上の本営に入った。西軍は家康の着陣を知り慌しくなった。三成は即座に手を打つ。島左近に五百の兵を与えて杭瀬川に出陣させた。奇襲先制で緒戦を飾り、味方の動揺を抑えると共に士気を鼓舞しようと思ったのである。結果は島左近と後詰に入った宇喜多秀家の明石全登の大勝利。西軍は落ちていた士気を取り戻した。

 この合戦の後、東西両軍で軍議が開かれた。東軍の意見は二つに分かれた。『大垣城を力攻めすべし』『大坂城を攻めて毛利輝元を降すべし』東軍諸将は軍議で白熱の議論を戦わせた。柴田明家は家康を除けば東軍最大の大名、軍議の席の序列も上座であるが、諸将の議論に耳を傾けているだけで自らは発しなかった。

「越前殿」

「はい」

「さっきから黙っておるが、何か考えはないのか?」

 家康が明家に策を求めた。

「諸将の意見を聞いて考えておりました。一つ述べさせていただきます」

「結構、申されよ」

 知恵者の明家がやっと発言する。諸将は静まり耳を傾けた。

「僭越ながら申し上げます。大垣城を攻めるのも一つの策にございますが、宇喜多秀家が主将になり、島津義弘、石田治部、小西行長が指揮を執れば攻略は至難であり、長引けば輪中の地形の大垣、揖斐川の堤が破壊され我ら水没するやもしれませぬ。また水攻めがなくても城攻めしている最中に関ヶ原方面にいる後詰が出てくることもありえます。とにかく大垣の攻略はしないと云うことです。ここは赤坂に一隊を留めて大垣に備え、まず佐和山を落とし、大坂に進軍すべきと存じます」

「それに続きを加えよう、良いかな越前殿」

「はい」

「いまそなたが言った作戦を西軍に流す」

「良いかと思います」

 心の中でニッと笑う明家。実は最後に『以上の情報を西軍に流して野戦に引きずり込む』とあった。だがそれをあえて家康に言わせたところが明家の上手さである。外様の自分が作戦の決定項を言わず、家康に言わせた。家康も気付いていただろう。心得た男よ、と心中で感心した。

 一方、西軍の軍議。二つの意見が出た。

「軍旅に疲れている今が好機、敵兵の多くは甲冑を枕に眠っている。家康の本営に先制攻撃をかけて勝機を掴むべし」

 島津義弘や宇喜多秀家は夜襲を主張する。石田三成と小西行長は

「輝元公と秀頼公の出陣を待って出撃すべし」

 と譲らない。

「今ここで夜襲をかければ敵は混乱し勝機は十分にある!」

 島津義弘も譲らない。この大垣に至るまで義弘の三成に対する不満があった。先の合渡川の戦いで三成は前線にまだ島津豊久の軍があるにも関わらず撤退を下命。それでは豊久が孤立すると義弘は猛抗議。だが三成は構わず後退した。

 軍議は長引いた。そしてここへ『東軍が佐和山城を抜いて大坂城に進撃する』と云う知らせが入った。ために軍議は中断。三成が全軍に下命。

「関ヶ原に出陣し、東軍を迎え撃つ!」

 いざ出陣と諸将が表に出ようとした時のことである。それまでずっと末席に控えていた戸田勝成が声をあげた。

「それがし、末席にありながら、中納言様(宇喜多秀家)、また奉行衆の方々にも、あえて申し上げる。こたびの合戦は大事なれば、利あらずの時は、それがしは一歩も退かず討死いたす所存。これについて御大身の方々に申し上げたい。人命を惜しむ慣いに石高の多少の別なし。もし、我ら小身者を眼前に捨て殺しにいたし、御身一人死を恐れ、この戦場を生きて逃れたならば、たとえ百年寿命を保とうとも、名は末代までも汚れましょう。この場で二心ある御方は、この武蔵守の言に恥じて、ただちに志を改めていただきたい!」

 それまで、ここにいることさえ忘れられていたであろう戸田勝成。だが、この東西の大合戦で死を覚悟していた静かなる武将は、気合の一声を発し、戦意に乏しそうな西国大名たちを一喝した。

 勝成は織田信長の馬廻りとして活躍しており、石田三成や柴田明家より三つ年上である。石田三成が答えた。

「戸田殿は若年より静かなる男であったのに、今この時にあたって、諸将を一喝される闘志のほどまことに頼もしい。味方の鼓舞と相成りましょう」

 さすがは三成、勝成の無礼千万とも云える怒号を全軍の士気昂揚へと転化させた。やがて全員大垣城を出て関ヶ原へ進軍していった。



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関ヶ原の戦い

 野戦を得意とする徳川家康が東軍の作戦計画を意図的に西軍陣営に漏らし、大垣城にいる西軍主力を野戦に引きずり出そうと画策した。三成がまんまとその謀略に乗った。と、通説にはある。しかし西軍主力の関ヶ原への転進は決定していた方針であり三成の失策ではない。先の杭瀬川の戦いにしても東軍に大垣に篭城すると見せる陽動作戦であったとも云える。三成には篭城すると見せかけておいて夜陰に乗じて大垣城を抜け出し、関ヶ原での迎撃作戦を展開すると云う最初から決められていたのである。

 東軍は家康の策が当たり士気上がるが、明家は三成が最初から関ヶ原で迎撃するつもりだったのではないかと考えていた。赤坂の明家の本陣。大垣を見つめる明家。

「殿」

「六郎か」

「入ってきた情報によると、治部殿は山中村に書を送付していた由」

 山中村とは関ヶ原に近い村落のことである。三成の出生地の石田村とは目鼻の地であり親近感もあったろう。何より戦場付近の民を味方につける工作は当然の仕儀である。

「内容は?」

「申し訳ございませぬ。治部殿は読んだあと焼却するよう命じていたようで一通もございません。ただし書の送付された日付は分かります。九月十日でございます」

 それは家康が岡山に到着する四日前の日付である。

「やはりな…。治部は内府に誘い出されたのではない。むしろ逆、治部が誘い出したのだ」

「何のために?」

「おそらく山中村の村民に陣場の差し図りを要望したのであろう。我らが関ヶ原に到着したころには完璧な布陣で待っているかもしれないな」

「…それを内府殿に報告しては」

「いや…その完璧な布陣もすべての備えが将の采配どおりに動けばの話。内府殿に報告に及ばない」

 明家には毛利家の不戦と小早川家が味方すると云う情報が忍びから届いていた。

「しかし戦は生き物、何が起こるか分からない。柴田は柴田の戦をするのみだ…」

 

 一方、家康には痛恨の知らせが入っていた。息子の徳川秀忠が真田親子の篭る上田城攻めに手を焼き、中山道への西進が大幅に遅れてしまったと云うことである。

 真田昌幸が上田城に帰るとしばらくして昌幸の嫡男の信幸と本多忠政(信幸の妻、稲姫の弟)が徳川秀忠の使者となって上田城を訪れた。昌幸は二人を饗応したうえ極めて温和に

「我が方はまだ大坂方に味方すると決めたわけではない。内府殿の上杉攻めに甚だ不満であり、上田に帰ったまで。したがって秀忠公に敵対する気はない。勧めに従い明日にでも城を明け渡そう」

 と答えた。真田が上杉攻めに不満を覚えると云うのは、先の徳川との上田合戦(第一次)において上杉氏は真田氏に援助した事にある。家康の発令した会津攻めも最初は出陣を固辞している。しかし『秀頼様御為』と言われれば拒否できず、渋々の出陣となった。昌幸はその経緯を逆用して徳川の使者を安心させる事にした。しかし信幸は

(なんと父上、この後に及んで十五年前と同じ策を…!)

 と、父の策略を見抜いた。神川合戦において昌幸は寄せ手の徳川武将の大久保忠世に『降伏に応じて城を明け渡すが城の清掃のため三日間の猶予が欲しい』と述べた。それを入れた大久保忠世は三日間待った。しかし三日後、昌幸の使者は徳川勢に

『三日いただき、迎え撃つ準備は出来た。このうえは遠慮なく攻めてきて下され』

 と、尻をペンペンと叩いて挑発して帰った。結果は徳川の大惨敗。この時は父の昌幸の元で共に戦っていた信幸であるが今は敵方の徳川軍に参じている。西軍挙兵を知り、会津から帰していた徳川秀忠軍に信幸はいる。信幸は秀忠から昌幸への降伏の使者を命じられた。

 出来ることなら秀忠は上田を何の支障もなく通過して中山道を急ぎ諏訪に出て木曽路を通り美濃を目指して父の家康と合流し、天下分け目の合戦に臨みたかった。しかしこのまま西へ進軍するのには兵糧が心もとなかった。父の謀臣、本多正信が秀忠についている。秀忠に

『真田は一筋縄では行きません。兵糧が心もとないので押さえておきたい気持ちは分かりますが、備えだけ置いて西進すべきです』

 と進言した。確かに真田昌幸は容易ならざる相手であるが三万以上の大軍であるし、今ここで真田を片付ければ中山道を通過しやすくなる。先の上田合戦の雪辱を晴らすこともできる。秀忠は上田攻めを決断。しかしまず調略をもって落そうとした。その使者が信幸で本多忠政と共にやってきた。そして昌幸は頭を丸めて二人の前に現れた。

「いやいや、いざ徳川と戦わんと勇んではみたものの、考えてみれば敵うはずもなく、こうして頭を丸めましてな」

 それを聞いて忠政は

「それでは降伏勧告を受けると云うことですな」

「左様」

「やりましたな義兄上、これで秀忠様も喜びましょう」

「落ち着いて下され忠政殿、話がうますぎます」

 父の昌幸を見つめる信幸。

(父上、今ならまだ間に合う…!徳川にお付きあれ!)

 息子の目を見て、言葉には出さずともその心は分かる昌幸。フッと笑い忠政に言った。

「うますぎると言われても、それしか返答のしようもないゆえ是非もござらぬ。ただ忠政殿、城の清掃や家臣たちの身のふりなどで色々と時間がかかりますので三日の猶予を下され」

「分かりました、義兄上、本陣に帰りましょう」

「は…」

 信幸と忠政に頭を垂れる昌幸を見つめる信幸。

(父上、此度もうまくいった、そう思っているかもしれませんが今度ばかりはいかに父上の軍才があろうとも、どうにもなりますまい…。そう言って止めても父上は止まらないのでしょうな。たとえ嫡男のそれがしが言ったとて…)

 そして案の定、昌幸は三日後に降伏の約定を反故にした。

「太閤様のご恩忘れ難く、当城に篭りたるうえは城を枕に討ち死にし、名を後世に留めたく存ずる。願わくば路次のついでに当城をひと攻め、攻めていただきたい!」

 と、一戦覚悟の挑戦的な返事に秀忠は激怒。真田信幸と本多忠政は上田の支城である砥石城に寄せてきた。しかし城を守る信繁(幸村)は兄と一戦交えるのは本意ではないと、むしろ信幸に功をたてさせるべく、早くも城を開城して上田城へ引き揚げてしまった。秀忠は信幸を砥石城に入りて守らせ、砥石城を落とした余勢から徳川と真田の戦いが始まった。真田昌幸は敗北を知らない智将、唯一の敗戦らしい敗戦は水沢隆広との津笠山の遭遇戦くらいである。三万八千の徳川軍に対して二千五百で戦い、一歩も退かない。昌幸を慕う領民たちも真田に加勢、自分たちの国を守るのだと退かなかった。城に登ろうとすれば煮えたぎる粥を浴びせ、土地で取れる細くて強い竹を矢として射る。上田の農民に徳川は散々に追い散らされた。

 徳川の上田攻城は第一次と同じく、真田軍が徳川軍を城壁のそばまでおびき寄せて城から狙撃し、敵がひるむやいなや出撃、あるいは伏兵によって混乱に陥れ、ついに真田の勝利となった。徳川は大軍を投入するも、ただいたずらに時を浪費するのみで、ついに上田城を落とすことはできなかった。ついに秀忠は上田城攻略をあきらめて小諸城を発って美濃を目指した。上田で釘付けになって貴重な一週間を費やしたうえ、二度も大軍をもっても真田に敗北し、徳川の面子は丸つぶれとなったが、真田の武名は一段と天下に鳴り響いた。

 秀忠の手元には八月二十九日付けの書状が届いていた。書状には遅くとも九月十日までには美濃に入るように書いてあったが、どんなに急いでも到底間に合うものではない。小諸を出陣した当日が期日より一日遅れている九月十一日であるからである。

 

 その様子は家康にも伝わった。

「合流のめどが立たんようになったか…。弥八郎(正信)まで付けてやったに何て云う体たらくじゃ!」

 家康は一人、陣屋で悔しさに拳を握っていた。

「ここに至って、徳川の主力、三万八千を欠いたまま戦わねばならんのか。どんなに磐石な準備をと心血注いでも、これで良いと云うことはない。どこから崩れていくか分からぬ」

 目の前にある密書二通、吉川広家を経て毛利輝元からの密書、そして小早川秀秋からの書である。輝元は『味方にはなれないが、戦場で敵にはならない』と言い、秀秋は味方をすると申し出ているが西軍が小早川に接触していないとは考えられない。旗色で敵にもなるだろう。

 輝元と家康は兄弟の契りを交わしており、かつ広家は親家康派、信用して良いだろう。秀秋は全く信用できない。しかしもう後には引けない。石田三成ら西軍は九月十四日に大垣を出て関ヶ原に向かった。家康は決断した。

「秀忠を待っておれぬ。決戦じゃ」

 ついに天下分け目の関ヶ原へと向かう東軍。明家もその中にいた。

「関ヶ原か…。幼き頃に養父から馬を習う時によく行ったものだった」

「では地形などもご存知で?」

 と、山中鹿介。

「一日の長、その程度だ」

「殿が治部殿ならどこに陣取りますか?」

「笹尾山か松尾山だろうな」

「手前も同じ考えにございます」

「ははは、明日は霧が濃いな、当たり前の話であるが夜露で火薬を湿らすなと徹底させよ」

「はっ!」

 

 関ヶ原に東西両軍到着。敵軍最前線は福島正則、彼が先陣を希望した。家康はもっとも軍勢多く勇猛な柴田に任せようと思ったが、ここは明家が退いて、やや後方となった。両軍の間に深い霧が立ち込めていた。朝だと云うのに小鳥のさえずりさえ聞こえない。ただゆっくりと時間が流れた。

「鶴翼の陣だな…」

 と、明家。傍らには影武者の白。美男子の優男と評される明家と比肩する美男の白は背格好も似ていたので、明家が丸岡五万石の大名になると影武者となる任が多くなり、くノ一舞の死後は完全に影武者のみとなっている。今では筆跡まで同じと言うほど徹底している。

「そのようです」

「やはり関ヶ原に誘い込んだのは治部が予定通りと云うわけか…。かなりの用意周到がなければ、あの陣場の構築は無理だ」

「勝てますか」

「陣形では明らかな敗北だな鹿介」

「ははは、戦の前に勝敗は決まったようなものですな」

「しかし治部の布陣した鶴翼、翼がすでにもげている」

「あいや殿、戦はどうなるか分かりませんぞ。こっちが劣勢になれば内府に味方を約束した者たちとて考えを変えましょう。とにかくこの場は踏ん張り、勝つしかありません。勝負は時の運です。徳川に賭けた今、その賭けの相手に最後まで付き合うしかございませんぞ」

「その通りだ。全力で西軍を討つ。今はそれが柴田の仕事だ」

 明家は表情には出さなかったが、正則が敵軍最前線を希望し、自分にその役が回ってこなくて安堵していた。敵味方入り乱れての総力戦となると見込んでいたからである。それならば、少し後方にあり戦況を見つめられる位置にいた方が良い。何より撤退を余儀なくされた時には前線より素早く逃げられる。

 

 そして午前八時、井伊直政と松平信吉が西軍の宇喜多勢に発砲。対する宇喜多隊も直ちに応射、天下分け目の関ヶ原の戦いが始まった!関ヶ原はたちまち激戦となった。福島隊六千と宇喜多隊一万八千は一進一退、両者一歩も譲らず、黒田長政勢五千、細川忠興勢五千は一斉に石田三成の軍勢に襲いかかった。石田勢も島左近や蒲生郷舎らが応戦、迫り来る敵勢を撃退してゆく。

 柴田軍も静かに進軍した。しかし西軍には朝鮮における柴田勢の強さを知っている者も多く、中々攻撃を仕掛けない。だが小西行長が寄せてきた。

「相手にとって不足なし、迎え撃つぞ」

「「オオオッッ!!」」

 朝鮮では味方として戦い、総大将明家の下命で終戦和議の使者ともなっていた小西行長。それと矛を交えることになった。

 徳川家康は野戦が得意と云うが、この戦いではあまりそういう印象は受けない。太田牛一の手記によると、目の前の敵兵をとにかく討つと云う総力戦とも受け取れる。激戦をこの地で体験した太田牛一は次のように記している。

『笹尾山陣地跡敵味方押し合い、鉄砲放ち矢さけびの声、天を轟かし、地を動かし、黒煙り立ち、日中も暗夜となり、敵も味方も入り合い、しころ(錣)を傾け、干戈を抜き持ち、おつつまくりつ攻め戦う』

 かなりの激戦であったことが予想できる。

 

 石田三成の布陣は鶴翼の陣、法にかなったものであり、後年の明治時代に陸軍学校の教官として招かれたドイツのクレメンス・メッケル少佐は関ヶ原布陣図を見てすぐに『西軍の勝ちである』と言ったという。しかしどんな堅固な城や布陣、天の時、地の利があっても『人の和』が無ければどうしようもない。西軍でまともに戦っているのは石田、宇喜多、小西、大谷の軍勢だけである。島津は動かず、そして毛利も依然動かない。しかしながら西軍もしぶとい。桃配山の家康本陣。家康は焦りだしていた。

「いつまで手間取っているのだ!治部の首はまだか!!」

 使い番に怒鳴ってしまう家康。本多正純が諌める。

「殿、落ち着いて下さいませ」

「これが落ち着いていられるか正純!毛利は盟約どおり動かぬが金吾(小早川秀秋)めは何をしているか!」

「動く気配はございません」

「黒田長政に今一度確認させよ!」

 家康の使い番が黒田長政の陣に向かい、長政に『小早川秀秋の寝返りは確かなのか』と言うことを訊ねた。しかし敵勢と交戦中の長政は

「なにぃ?金吾(秀秋)の東軍側は確かなのかだと?我が軍はそれどころではない交戦中だ!」

「しかし黒田殿…」

「もしあの小僧が西軍として寄せてきたら黒田がひねり潰す!しかと内府に伝えよ!」

「は、はは!」

 この報告を聞いて益々焦る家康、かつその報告を使い番が馬から降りずに伝えたものだから、さらに激怒。

「貴様、儂に対して馬上からの報告とは何事か!」

 と切りかかった。使い番の野々村某は辛うじて避け、

「ごめん!」

 と去っていった。家康は地団太を踏んで

「待たんかこら!!」

「殿、落ち着いて下さいませ!」

 本多正純が諌める。家康のこの狼狽はとても一軍の将帥とは思えぬ振る舞いであるが、この家康の有様を見ても後世の歴史小説にあるような『最初から勝ちが決まっていた』の様相でこの天下分け目の戦いに挑んだわけではないと云うことが分かる。

 三成は分かっていただろうか。家康の覚悟を。家康はこの戦いに負ければ終わりである。箱根の嶮を越えたら、あとは関東平野。守るものは何もない。この当時の江戸城はまだ太田道灌が築城したものに少しの改修を加えた程度、とても西軍の大軍を迎え撃てるものではない。つまり家康は負けたら後がない。反して西軍はどうか。たとえ負けても堅固な大金城の大坂城がある。負けても後があると負けたら後がないが戦うのでは覚悟が違う。

 かつ家康には露見したら大変なことになる秘事がある。徳川本隊は弱いと云うことだ。秀吉に対抗した頃までは徳川家康率いる三河武士団は戦国最強と云えるだろう。しかし小牧長久手の合戦以来、徳川は大きな合戦をしていない。兵数はともかく、いかんともしがたい経験不足は明らかで精強とは到底言えない武士団。二度あった上田城攻めを見てもそう取れる。いかに真田昌幸の神算鬼謀があったとしても目も当てられない大敗である。もし徳川本隊が戦う局面となり脆弱と見抜かれたら最後である。家康の焦りもこんなところから生じているのかもしれない。けして後世が思っているように勝利を確信して戦場に立っているわけではない。柴田明家は徳川の兵が弱いと分かっていた。いや他の東軍将兵も口には出さずとも知っていたのではないか。何せ実戦を知らぬ者ばかりの軍勢である。少し考えれば分かることであるが、ならば何故家康に組したとならば、それは家康個人の器量であったろう。

「小西勢、敗走いたしました」

「よし、深追いは無用。備えを固めよ」

「はっ!」

 松尾山を見る明家。ここに陣取る小早川秀秋、動く気配が無い。

「動かないな…。思いの他の西軍優勢に秀秋殿は悩んでいるかもしれないな…」

「ご自分から申し出たのでしょうかな、東軍に寝返ると」

 と、前田慶次。

「寝返りではない。秀秋殿は元々東軍のつもりでいるだろう」

「は?」

「秀秋殿は朝鮮の戦が初陣。自ら槍をふるい活躍するが、彼は総大将として派遣されている。本来は日本の橋頭堡である城を守備すべきであったものの、前線で戦ったことが太閤殿下の怒りに触れ召還され、軽率な行動と激しい叱責を受けている。あげく領地を召し上げられたが、内府から取り成しを受けて大名として生きながらえた。その時から秀秋殿は内府に接近していた」

「なるほど…」

「治部や刑部は西軍勝利の暁には秀頼様が成人するまで関白職への就任と、上方二ヶ国の加増を約束するなどして西軍への加担を懸命に要望しているが、彼が慕う高台院様(ねね)は内府寄り、明確に応じたかは疑問だな。秀秋殿とて『関白にする』などと云う虚言に踊らされるほど阿呆ではなかろう。治部にそんな朝廷を動かす力はないことも知っているはずだ。現に彼は松尾山と云う要所を西軍から軍勢にものを言わせて奪い陣取っている。はなっから東軍として戦うつもりで来たのであろうが…」

「あろうが…?」

「この戦況を見て、自分が東西の勝敗を握ると分かってきた。さあどうするか、敗れる方につくわけにはいかないからな。しかし小早川一万五千が松尾山を降りて、もし東軍に襲い掛かれば徳川の敗北が決まる。慶次」

「はっ」

「位置的に我らを真っ先に攻めかかるだろうが幸いに距離がある。鉄砲と石礫で戦端を制し、すぐに柴田は退却を開始する。その時は殿軍を頼む」

「承知いたしました。西軍に襲い掛かれば?」

「我らも小早川に乗じて再び突出を開始するとしよう」

 

「殿!早く東軍に寝返り、松尾山を降りなければ!」

 小早川家臣の平岡頼勝が懸命に訴えるが秀秋は動こうとしなかった。秀秋は秀吉の甥、そして養子となり世継ぎの候補ともなったが秀頼が生まれて、その資格はなくなり、やがて小早川家に養子に出された。

 この関ヶ原の戦いでは当初西軍に位置し、伏見城攻めで武功を得るものの、それを三成は高く評価しなかった。秀秋は激怒した。これで東軍につこうと思い、家康に和議交渉して家康は三度目にしてやっと秀秋の使者に会い二ヶ国の加増を約束したのである。そして開戦、西軍は思いのほか強い。当年十九歳の秀秋は迷った。

「分かっている!分かっているが、何の因果か我らがこの大戦の趨勢を握ることになった。どちらにつけば良いのだ!負ける方につけば領地は減り、俺は殺される…!」

「いつまで考えておられるのですか!もう合戦が始まり一刻半(三時間)ですぞ!」

 平岡頼勝が必死に東軍につき出陣することを訴える。同じ頃、いつになっても動かない小早川秀秋に焦れる石田三成。

「何をしているのだ小早川は!やはり東軍と内通していると云うことはまことであるのか!それとも戦の指揮も取れぬ腰抜けと云うことか!」

 しかし現実、今は小早川秀秋の動向が鍵である。

「もう一度出陣の督促の狼煙をあげよ!今なのだ、今ここで毛利、小早川、長宗我部と云う鶴翼の翼が襲い掛かれば東軍の息の根は止まるのだ!なぜそんなことが分からぬのだ!」

 笹尾山の石田本陣から狼煙が上がるが秀秋は動かない。業を煮やした家康はついに強硬手段に出た。使い番に訊ねる。

「松尾山に一番近い位置に布陣している軍勢は誰か!」

「柴田越前守様にございます」

「ならば越前に、松尾山を攻めよと伝えよ!」

 命令を受けた明家は驚く。

「何だと?松尾山は陣城、かつ小早川は我らより多勢だぞ!」

 使い番は続けた。

「続きがございます。徳川の鉄砲隊の旗を五十本、我らお持ちしました。これを越前殿が鉄砲隊に一時的につけさせ、松尾山の小早川陣に発砲あれと!」

「…威嚇射撃をせよと!?」

「はっ!」

「無茶です父上!真っ先に小早川の逆落としを食うのは我らでございますぞ!」

「いや勝秀…。これは上手く行くかもしれない」

「は?」

「越前、承知したと伝えよ!」

「はっ!」

「勝秀、大鉄砲を五十挺、至急鉄砲隊に用意させ、そして小早川陣に撃て!」

「父上!」

「今ここで弱みを見せれば小早川は東軍に殺到する!絶対とは言えん、これは賭けだ!俺は徳川に賭けた!ならば内府殿が仕掛ける大博打、乗ってやる!」

「父上…!」

「早く行け!」

「はい!」

 柴田勝秀は急ぎ、大鉄砲を五十挺装備した鉄砲隊を用意、銃身重く反動がすさまじいため、二人一組で撃つ、まさに城攻め用の鉄砲である。それを松尾山に向けた。徳川鉄砲隊に化けた柴田の鉄砲隊、勝秀が号令一喝!

「撃てーッ!!」

 小早川秀秋の陣に発砲した!突如ふもとから大轟音、小早川の旗指物が打ち砕かれた。そしてそれに呼応して家康本隊の兵が松尾山に寄せた。この時、秀秋は驚き、そしてようやく決断した。

「せ、西軍に突撃せよーッ!!」

 小早川秀秋の軍勢が西軍に襲い掛かった。安堵した明家。

「ほっ…。動いてくれたか」

「殿、好機にございますぞ」

「無論だ鹿介、討ってでよ!」

「ははっ!」

 柴田勢から山中鹿介が出陣、そして慶次は願った。

「殿、それがしこの戦が最後と決めておりました」

「うむ」

「ゆえに最後に我が儘を聞いて下され。単身討って出て、手前の戦に終止符を打つ良き敵を見つけたいと存じます」

「それは家老にあるまじき振る舞い…と言いたいところだが、そなたは生粋の戦人。主君とて止めることはできまい。思う存分に暴れてまいれ傾奇者よ!」

「はっ!」

 

 突然の裏切りだったが、小早川勢の裏切りを予測していた大谷吉継はこれを迎撃し、一度は小早川勢を退却せしめる。しかし小早川勢の動きに同調した脇坂安治、赤座直保、朽木元網、小川祐忠ら西軍の諸将が次々に裏切り襲いかかり、大谷隊は壊滅した。大谷勢に属していた平塚為広は勇戦したが多勢に無勢、運命を悟った吉継は平塚為広と辞世を詠んだ。

『名の為めに 捨る命は惜しからじ 終に留まらぬ 浮世と思へば』

(この名を世に留めることができれば、命は惜しくない。もともと人は永遠に生きられないのだから)平塚為広

『契りあらば 六つの巷に 待てしばし 後れ先立つ ことはありとも』

(現世とあの世の境目である六道の辻で待っていてくれ。どちらかが先立つことはあっても、あの世でまた一緒になろうではないか) 大谷吉継

 平塚為広は獅子奮迅の戦いをするが、やがて力尽き自刃、同じく戸田勝茂は赤鬼のごとき形相で小早川陣に迫る。

「金吾めがああッッ!!」

 彼の部下は次々と討たれ、やがて彼は一人となってしまった。しかし槍を振るうことを止めない。やがて旧知の津田長門守信成と槍をあわせ、突き伏せられた。そこを織田家の家臣山崎源太郎が首を横取りせんと走り出た。勝成は山崎をキッと睨んで言った。

「将たる者の首を取るには法がある。貴様にその覚悟があるのか!」

 一喝されて山崎はひるんだ。代わり、その主人である織田河内守(織田有楽斎嫡子)が

「うけたまわる」

 と応じて、首を取った。

 

「もうよい、みなようやった。もはやこれまで。戦場より疾く退け」

 と、大谷吉継。兵の一人が言った。

「殿、今生の別れにございます。また生まれ変わり殿の元で働きとうございます」

「馬鹿を申すな、今度生まれてきたら、儂のような愚将に仕えず、良き将に仕えよ」

「いいえ、殿に仕えます」

「…そうか」

「ではこれにて御免、我ら最後の一兵まで戦い、小早川の奴ばらを道ずれに致します」

 兵は小早川勢に突撃していった。

「五助」

 家老の湯浅五助を呼んだ。

「みな、行ったか?」

「殿、もう目が…」

「ああ、見えん」

「目が見えぬのに、よくあそこまでのご采配を」

「ははは、敗北の将を褒めるでないわ」

 吉継は切腹の姿勢を執った。そして腹を切り自害して果てた。湯浅五助が首を持ち、戦場を離脱した。三成は軍机を叩いた。

「なぜだ…!陣形ははるかに当方が有利であったのに、毛利と長宗我部が寄せれば西軍は勝っていたのに…なぜ負けたのだ!」

「…申したはずでござる。人は義では動かぬ、親切で力は貸さぬと」

「……」

「だがそれがし、殿のそういう青くささが好きでござる」

「左近…!」

「さあ、戦場を退かれませ。それがしが敵を食い止めます」

「殿―ッ!!」

 三成の使い番が来た。

「どうした?」

「渡辺様が!」

「新之丞が…!」

 石田三成の側近、渡辺新之丞が戸板に乗せられて運ばれてきた。

「新之丞…!」

「おお、殿…」

 東軍に攻め込まれた石田本陣の前に仁王立ちで立ち、敵を食い止めていた新之丞。しかし多勢に無勢であった。かつて羽柴秀吉と柴田勝家が万石を積んで召し抱えようとした豪傑の渡辺新之丞。だが彼が選んだ主君は石田三成であった。

 三成が四百石で秀吉に仕えていたころ、その四百石丸ごと差し出して召し抱えた豪傑。三成にとって家臣であり、父と師であった。三成が柴田家に出向して水沢隆広に仕えし時も随伴し、手取川の戦いのおり震える三成を殴打し叱り付け、九頭竜川の治水のときも三成を支えた古強者である。羽柴家に帰参し、そして賤ヶ岳の戦いの後、三成は近江水口四万石の大名となった。いつまでも四百石ではと新之丞に加増を言い渡したが、彼は『それがしの加増などより、有望な士を召し抱え、家中を充実させられよ』と固辞。それで召し抱えられたのが島左近である。渡辺新之丞と島左近、三成を支えてきた両輪。その一方が今、天に召される。

「ご老体!」

「…ご老体はよせと言うたろう左近…」

「ご貴殿が…死ぬとは…」

「ふ…。左近、殿を頼むぞ」

「新之丞!」

「…悔いなどござらぬ。お先に参る」

 渡辺新之丞は戦死した。万石を積んでも惜しくない豪傑と称された武将。石田三成に終生四百石で仕え、関ヶ原にて散った。

「すまぬ…!」

 三成は戦場を一望した。

「このままでは終わらぬ…」

 そして眼下に『歩の一文字』の旗が見える。

「越前殿、それがしはまだあきらめませんぞ…!」

 この小早川の参戦により勝敗は決し、夕刻までに西軍は壊滅、石田三成は大坂を目指し伊吹山中へ退却。それを見届けた島左近は馬に乗った。

「わっはははは、勝つも負けるも戦、だから面白い」

「「左近様!」」

 勇将の下に弱卒なし、左近の部下たちは剛の者ばかりだ。

「東軍の兵、一兵も生かして返さぬ。我らの死に花、ここで咲かせてみせよう。さもなくば我ら、新之丞殿にあの世にて顔向けできぬ!」

「「ははっ!」」

「儂に続けェ!!」

「「「オオオオオオオオオオッッ!」」」

 

 この時に石田勢に寄せていたのは田中吉政である。

「治部が首をあげて功名と…」

 その石田勢から突撃してくる軍勢に気付いた。島左近の旗。先頭を駆ける左近の形相たるやすさまじい。

「うおおおおおおッッ!!」

 左近の軍勢は田中吉政の部隊を一気に後退させた。その次に寄せていた黒田長政も太刀打ちできないと悟り退却。だがその退却している黒田勢から一騎、島左近に向けて突撃する。

「何をしている退け…」

 それは黒田勢の者ではなかった。前田慶次である。左近も慶次に気付いた。そして部下に命じた。

「手を出すでないぞ!戦漬けの儂が人生の幕を閉じるに相応しき漢が来てくれたわ!」

「前田慶次参上!」

「島左近勝猛なり!」

 東西の豪傑が激突、まさに竜虎相打つの一騎打ちである。

「わっはははは!礼を言うぞ前田殿!その朱槍何よりの馳走よ!」

「なんの、貴殿が剛槍も至高の味よ!」

 このままずっと戦っていたいと二人は思う。それほどの敵手に人生最後と言える合戦で巡り合えた。石田三成家老の左近、柴田明家家老の慶次、当然面識もあり親交もあった。しかし二人は口にはしなかったが、出来れば味方ではなく敵として会いたかったとお互いを思っていた。戦ってみたかったからである。やっとそれが叶った。だが夢の時間は短い。ついに慶次の槍が左近を貫いた。

「見事なりけり…!前田殿!」

「左近殿…!」

 左近は強かった。慶次の呼吸も荒い。互いの武は拮抗していた。ただ慶次に武運があっただけだろう。

「儂の最期が貴殿で良かったわ…。礼を言う」

「左近殿、お見事にござる」

 左近は静かに微笑み逝った。その首を横取りしようとした黒田兵がいたが慶次に殴り殺された。そして左近の亡骸を彼の家臣に返し、

「田中と黒田を退かせし島左近の軍勢の働き見事、この辺で退き主君を弔うがよろしかろう」

 左近の家臣は慶次の言葉に従い、関ヶ原から後退を開始。田中勢と黒田勢が追おうにも慶次が立ちはだかっていて追えない。後に田中吉政は柴田の前田慶次が石田の退却を助けたと訴えたが、家康は慶次が左近に対して敬意を払ったに過ぎない、と取り合わなかったと云う。慶次は石田本陣の笹尾山をしばらく見つめていた。

「もう戦はやめだ…。左近殿以上の武人はいるまい。これで戦は無くなる。朱槍を置くべき時が来た」

 愛槍の朱槍を見つめ、己が時代が終わったことを噛みしめる慶次だった。



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兵どもの夢のあと

 まだ沈黙を守っていた軍勢があった。島津義弘の軍である。三成の再三にわたる出陣要請も

『我が軍は島津の戦いをする。治部殿もそのつもりでおられよ』

 と応じなかった。千五百の軍勢で参じた義弘。しかし陣を守る戦いで三百まで兵数は減少していた。状況は絶望的であった。

「伯父上、退却を」

 と、甥の島津豊久。

「もう遅い、囲まれておるわ」

 義弘は考える。ここで討ち死にしてはならない。島津は元々東軍につくつもりであったが伏見入城を拒否され、かつ義弘の正室が三成に人質に取られ、やむをえず西軍に与したと申し開きをしなければならない。勝敗が決した今、島津家の事を第一に考えれば、これ以上の家康と敵対するのは愚か。申し開きして和を図るのが得策。

 それより今はこの関ヶ原の離脱をどうするか。敵に背を向けての敗走は島津の名折れ、ずっと思案し目をつぶっていた義弘は決断。

(天下に島津の意気を示す道は一つ!)

 家臣に訊ねた。

「敵はいずれが猛勢か」

「東の敵勢、ことのほか猛勢にございます」

 義弘は床机を立ち、軍配を東、関ヶ原を突っ切った先にある烏頭坂に向けた。

「その猛勢の中に相かけよ!!」

 世界の戦史でも例がない、敵の真正面に突撃し、中央突破を敢行すると云う前代未聞の退却戦が始まった。世に言う『島津の退き口』である。先頭を駆ける義弘が吼える!

「敵に後ろを見せるなああああ――ッッッ!!!」

「「「オオオオオオオオオオオオッッッッ!!!」」」

 島津豊久、猛獣のごとき咆哮!全軍を鼓舞させる。

「チェストォォォォ――ッッ!!」

「「「チェストォォォォ―――ッッッ!!!」」」

 

「維新様(義弘)を守るのじゃあ!」

「維新様に近づけるなああッ!」

「進め進め進めぇぇッッ!!」

 島津軍一丸となり東軍の真っ只中を駆ける!

「なんと凄まじき…!」

 柴田軍を率いる山中鹿介は呆然として島津勢が過ぎるのを見た。

「山中様!島津を追いましょう!」

 と、侍大将の小野田幸猛が訴えたが

「死兵には挑むものではない。勝敗が決した今は無駄な戦よ。我らは退くぞ」

「は、ははっ!」

 島津は走る。

「烏頭坂は目前ぞ!駆け抜けよ!」

 家康は全軍に命じた。

「島津を逃がしてはならん!」

 烏頭坂に入った頃には半数の百五十名になっていた島津軍。

「まだ追ってくるか、しつこい連中め!すてがまりじゃ!」

 島津豊久が追撃する徳川勢を前に踏みとどまった。兵たちは鉄砲を構えた。捨て身の戦法『すてがまり』敵の追撃を遅らせようと一人まち一人とその役を買って出て命を落とした。豊久もそうである。

(伯父上、ご無事で!)

「撃てーッ!!」

 鉄砲でひるませ、豊久は突撃、将来を嘱望された若き英傑であったが多勢に無勢、豊久は討たれた。

「こんな寡兵相手に何を手こずっておるか!儂が討ち取ってくれる!」

 徳川四天王の一人、井伊直政が島津を追う。その時だった。直政に鉄砲が撃たれた。右肩を撃ち抜かれ落馬。島津鉄砲隊、意地を見せた一撃である。その知らせが家康に届いた。島津のすさまじい抵抗にさしもの家康も

「もうよい、追撃をやめさせよ」

 と、下命した。やがて島津義弘は伊賀を越えて堺の港まで脱出に成功。ようやく船で薩摩にたどり着いた頃にはわずか八十人であったと云う。

 

◆  ◆  ◆

 

 天下分け目の関ヶ原の戦いは勝敗が決した。一人の男がやれやれと腰を伸ばした。もはや周囲に敵もいなくなったので清水を飲みに河原に行った。藤堂高虎の家臣で藤堂仁右衛門と云う男だ。藤堂高虎の甥であり高虎が信頼する猛将である。河原に行き清水を飲んだ。生きた心地がした。そして馬に乗り、藤堂の陣に帰ろうとした時、河原横の森林から気配を感じた。槍を向けて

「誰か!」

 と大声で言った。すると出て来たのは湯浅五助、大谷吉継の猛将である。これは良き敵、仁右衛門は槍をしごいた。

「それがしは藤堂高虎が配下、藤堂仁右衛門と申す。尋常に勝負されよ!」

 すると五助は右手を広げ、仁右衛門を制して言った。

「仁右衛門殿、貴殿と勝負をするのは良いが一つ頼みがある」

「何でござるか?」

「実はたった今、主君吉継の首を埋めておりました」

「刑部殿の!?」

 槍の構えを解き、その方向に合掌し頭を垂れた仁右衛門。

「この場を貴殿に見つかってしまったのは甚だ残念であるが、これも我が武運ゆえ仕方ない。だが武人の情けあらば、この場所をけして言わないで欲しい。ご承知の通り主人の顔は悪疾で崩れている。その首を掘り出され、衆目にさらされるのは家臣として耐えがたい。よろしく供養をしてもらいたい」

 そう五助は仁右衛門に頼んだ。五助の主君を思う心に打たれた仁右衛門は一旦槍を収め五助に対して片膝をつき、脇差をとり金打を示した。武士が約束を違えぬ誓いである。

「しかと心得申した。藤堂仁右衛門、神仏に誓い他言いたさぬ。供養も欠かさぬ」

「かたじけない。では槍を合わせ申そう」

 かくして二人は槍を交え、そして五助は仁右衛門に討たれた。合戦は終わり、諸将は各々取った首を持ち、家康が首実検を行っている陣に向かった。藤堂家の番になり仁右衛門も湯浅五助の首をもち、家康に見せた。

「これは大手柄ぞ。しかしながら大谷刑部が側近である湯浅五助が主君の死を見届けずに討たれる筈はない。自刃した刑部の首は見つかっていない。その方、何か知っておらぬか?」

 と訊ねた。すると仁右衛門は

「いかにもそれがし、刑部殿の首が埋められている場所を存じております」

 と、答えた。家康は上機嫌となり訊ねた。

「左様か、ならばその場所を申せ」

 仁右衛門は首を振った。

「それは出来かねます。それがし五助殿と戦う前に約束いたしました。けしてその場所を他言せぬと」

 家康の顔は一気に不機嫌となった。

「どうしても言わぬか」

「申せませぬ」

「成敗するぞ」

「成敗されても教えることはできませぬ。ご随意に」

「よし、成敗いたす」

 仁右衛門は頭をたれて首を出した。その姿を睨み付けていた家康、だがしばらくして微笑み

「なんとも律儀な若者よ、藤堂高虎殿は良き甥御を持たれた。大手柄より敵将との約束を守りよる」

 そして家康、仁右衛門に槍を与え

「仁右衛門、その心意気、いつまでも忘れてはならぬぞ」

 と言い、褒めた。敵将との約束を命がけで守った仁右衛門、それを許した家康、見事な男ぶりであった。後日談となるが仁右衛門は五助との約束を守り、吉継の墓をつくって毎年の供養を欠かさなかったと云われる。

 

 さて、柴田明家本陣。首実検の場で起きたその藤堂仁右衛門の見事な男ぶりが伝わっていた。

「たいしたものだ。藤堂殿はよい家臣を持っているな」

「はい、首実検の場に居並んでいた諸大名たちも見事に男をあげた仁右衛門殿の背を感心して眺めていたとか」

 と、山中鹿介。

「それゆえ、小早川秀秋殿の行動がより顕著に浮き出るな。当人は元々東軍に参じていたつもりであろうが、戸田、平塚、大谷の将兵の怒りを見るに西軍にも色々と通じていたと見られる。本人が裏切ったつもりはなくても、そう評価されよう」

「御意」

「前田様の帰陣にございます」

 使い番が知らせた。

「うむ」

「ただいま戻りましてございます」

「…巡り合えたようだな、最後の合戦を締め括る敵手に」

「はい」

 豪傑の慶次が所々負傷している。しばらく見つめ合う明家と慶次。手傷は痛々しいが清々しい顔をしている慶次。

「手当ては無用にござる。しばしこの痛みを味わいとうござるゆえ」

「分かった。関ヶ原を退陣するまで、しばらく休んでいるがいい」

「はっ!」

 慶次は立ち去った。うらやましそうに慶次の背中を見る鹿介。

「そんな敵とは会いたくとも中々会えぬもの。前田殿がうらやましい」

「そういえば鹿介も若き頃に毛利方の品川大膳殿と一騎打ちをしたと聞いたが」

「はい、よく勝てたものにございます。大膳殿との一騎打ちはそれがしの宝にござる」

「その品川大膳殿しかり、鹿介は一番毛利が強い時に戦ったかもしれないな」

「かもしれませぬ。当主の元就殿、かつその息子の三兄弟、家臣も精強揃い、大膳殿の主君の益田藤兼殿もまた名将でござった。それに引き換え尼子は四分五裂、当主の尼子義久様は戦意乏しく勝てるはずがございませんでした。今こうして振り返ってみれば、それがしも血気にはやっていたのは否めず、何だかんだと降伏を決めていた義久様が正しかったと思えます」

「そうだな、俺も太閤殿下に降伏した当時は悔しかったが、今にして思うと正解だったと思える」

「同感にござる」

「しかし、今日の毛利をどう思う」

「いささか浅慮ですな。かような天下分け目の大戦において、あのような中途半端な出処進退が許されるはずがございませぬ」

「俺もそう思う。まあ東軍に加勢せず我らが助かったのは確かであるがな。さて、俺はそろそろ内府殿のご機嫌伺いに行くゆえ、鹿介は退陣に備えていてくれ」

「はっ」

「頼む。おい弥助、冬弥参るぞ」

「「はっ!」」

 弥助と冬弥は吉村直賢の次男と三男である。兄弟は明家の小姓を勤めている。二人とも背は明家よりも大きく筋骨たくましく護衛に適している。そして鹿介、

「天鬼坊」

「ははっ」

 部下の忍びを呼んだ。スッと姿を現した天鬼坊。

「西軍敗退のうえは大坂は不穏となろう。その方、大坂屋敷の防備にあたれ」

「承知しました」

 

 そして明家が家康本陣に到着した。

「柴田越前守様、お越しにございます」

「お通しいたせ」

 すでに家康への戦勝祝いに多くの大名が訪れており、明家は遅い方であった。

「柴田越前にございます」

「おお、越前殿。よき働きに家康感謝の言葉もございませぬ」

 明家の手を握り、感謝を示す家康。

「小西勢を敗走させたそうにございますな。さすがにござる」

「恐縮にございます」

 明家も諸大名の列に座った。上位の席が開けられており、そこが明家のために設けられていた席であった。

「しかし、松尾山に鉄砲を撃てと言われた時は驚きました」

「もう尻に火を着けるしかないと思ったのでござるよ。越前殿なら儂の心中を察しやってくれると思いましたぞ」

「申し上げます。小早川秀秋殿がお越しにございます」

「おっと越前殿、うわさをすればでござるぞ」

 小早川秀秋、脇坂安治、赤座直保、朽木元網、小川祐忠などの西軍から東軍寝返り組が家康本陣に来た。石田治部の佐和山城攻めを任せてほしいと申し出ている。

「此度は心ならずも…ふ、ふ、伏見城攻めに加わり…また本日…お味方に加勢いたすこと甚だ遅れ…このうえは石田治部が居城である佐和山城攻めの先手をお命じ下さりとう存じまする。何とぞその働きをもって!必ず攻め落としますれば!」

 秀秋が言うと、他の四将も共に懇願する。裏切り組の汚名を晴らそうと必死である。この必死さを利用しない手はない。

「ほう、それは頼もしい。お願いしよう」

「「ははっ!」」

「信頼回復に必死だな」

 黒田長政が言うとドッと笑いが湧いた。他の東軍諸将が彼らを嘲笑する。彼らは嘲笑と罵声に耐えた。たとえ騙しあいと裏切りが公然と横行していた戦国時代であっても、やはり寝返りは褒められたものではない。特に小早川秀秋の平身低頭ぶりは逆に見ていて恥ずかしくなる。明家は思う。

(きっと彼らはなりふり構わず、一刻も早く落とそうと必死に佐和山城を攻めるであろう。しかし佐和山城とて治部の家族や家臣たちもいて必死に抵抗してこよう。攻めるも犠牲甚大。彼のような者に仕える兵はたまったものじゃない…。その兵一人一人に女房子供もおろうに)

「では軍備がございますので」

 と脇坂安治が言い出し、寝返り諸将は陣を出た。

「ちょっと失礼」

 明家が中座して安治を呼び止めた。

「甚内(安治)」

「越前…」

 脇坂安治は賤ヶ岳七本槍と呼ばれる武将で、賤ヶ岳の戦いにおいて柴田勝政(佐久間盛政実弟で勝家養子)を討ち取っている。その後に明家の殿軍部隊に散々に蹴散らされたものの、その武名は今日に残る。明家は秀吉に仕えてから安治と親しくしていた。

「こたびは不運であったな。そなたが大坂滞在中に治部が挙兵したばかりに…」

「いや、それを言い訳にはしたくない。それを言ってくれるな」

 脇坂安治は秀吉の死後、徳川家康と前田利家が対立した時に徳川へ参じた。この関ヶ原の戦いでも家康に与するつもりであったが、安治が大坂に滞在していた時に石田三成が挙兵したため、やむなく西軍に与することになってしまったのだ。そして本戦で小早川秀秋が裏切ったのに便乗して寝返り、大谷吉継隊を壊滅させた。寝返り組と揶揄されるが、彼は明家よりも早く徳川に付くことを明らかにしていた。家康からは裏切り者ではなく当初からの味方と見なされてはいるが、今それは主張できない立場にある。ここは佐和山城を取るしかない。

「甚内、そなたは…」

「『賤ヶ岳で柴田勝政を討ち取った男、大きい男になってもらわねば困るのだ』か?もう聞き飽きたぞ」

「もう一度くらい言わせろ」

「騒ぎが終わったら一杯やろう。その時にいくらでも聞く。じゃ急ぐのでな!」

 脇坂安治は立ち去った。佐和山城の方角を見つめる明家。ふと三成の妻、伊呂波の顔が明家の脳裏に浮かんだ。できることなら助けたい。さえの親友でもある伊呂波。しかしこの後に及んで敵となった柴田にすがることはするまい。

 東軍はそのまま佐和山城に進軍。まさか石田三成の居城を攻める時が来るとは…覚悟していたとはいえ無念であった明家。前線は小早川を始めとする寝返り武将たち。柴田陣はずっと後方である。いつ炎上するのか、明家は陣に立ち佐和山城を見つめていた。その時に柴田軍が歓喜する知らせが陣にもたらされた。

「申し上げます!」

「うん」

「舞鶴城、小浜城、双方とも見事西軍を撃退いたしました!」

 柴田陣がドッと湧いた。明家もずっと気になってはいたが自分が動揺していては士気に影響するので、ずっと黙していた。ついに待ちに待った知らせが来たのだ。柴田将兵は自分たちの国が無事であることを喜び、感涙し肩を抱き合って喜んだ。

「さすがは助右衛門だ!」

 明家も満面の笑みである。

「なお、大坂屋敷は山中様の家臣団に護衛され、西軍がもし寄せてきた場合には堺の港に逃れる準備を整え終えたとのこと」

「何よりの知らせだ。我らはまだとうぶん帰れそうにないが、西軍への注意を怠るなと念を押して伝えよ」

「はっ!」

 使い番は去っていった。

「ようございましたな父上」

「ああ勝秀、お互い早く女房に会いたいものだな」

「はい!」

 

◆  ◆  ◆

 

 東軍勝利と明家と勝秀の無事の知らせは舞鶴にも届いた。歓喜するしづと甲斐。勝秀の妻の姫蝶も大喜びだった。

「さすが殿!早く帰って来て姫蝶にお顔を見せてください!」

「良かった…」

 感極まって泣き出すしづ。良人の決断を鈍らせるくらいなら死を覚悟したしづにとっては何より嬉しい知らせだ。無論、甲斐も。

「殿、おめでとうございまする!早く帰って来てください。甲斐と子作りをするために!」

 東軍勝利の知らせに安堵する奥村助右衛門。

「そうか!殿や若殿はご無事か?」

「はっ!」

「ご家老、殿にはつらい選択でありましたが、やはり東軍について良かったですな」

「そうよな矩久、俺もこれで安心して隠居できる」

「隠居を?」

「そろそろ六十ぞ。楽隠居してもばちは当たるまい。はは…は…」

「ご家老?顔色が…」

 矩久が言い終わるのを待たずに助右衛門は倒れた。

「ご家老!」

 助右衛門を抱きかかえる矩久。すごい熱である。

「いかん!先の鉄砲傷が膿んでおられる!至急に医者を呼べ!」

 

 大坂屋敷にいるさえに鹿介の忍びの天鬼坊が伝えた。

「お味方勝利!?」

「はっ!」

「すず!聞いた!?」

「はい!」

「おめでとうございます御台様!」

「「おめでとうございます!」」

 大坂屋敷の女たちがさえを祝福した。

「大坂屋敷は我ら山中勢が命にかけて守りますが、もし西軍が寄せてきた時には堺の港より脱出する手はずを整えてございます。まだ予断は許しませぬ」

「分かりました。みんな、まだ油断は禁物、引き続き防備に当たりなさい」

「「はっ!!」」

 

 柴田軍の歓喜とは別に、佐和山城の石田軍は地獄の様相、援軍が来ることはなく、敵方に内応者も続出。家康は城内に降伏を勧告させた。佐和山を守るのは三成の嫡子重家。重家とその弟の重成は我ら兄弟の首を差し出すから、城の兵や女子供は助命して欲しいと要望。家康はそれを受けた。明家の耳にもそれは入り、何とか皆殺しは避けられそうだと安堵したが、この和議成立は東軍の大軍が災いしてか全軍に伝達されるに時間がかかり、それを知らされていない田中吉政の軍勢が佐和山城の攻撃を開始。それを伝え聞いた明家は激怒。

「馬鹿が田兵(吉政)!そなたは治部と友であろうに何たる有様か!」

 何としても佐和山城を落として手柄を立てなければと焦る小早川軍も遅れてなるかと攻撃を開始。城から聞こえる敵味方の鬨の声を聞く明家。無念に拳を握った。

「殿!」

「六郎…」

「それがしに佐和山へ行けとお命じあれ」

「私情で大事なそなたを敵城に潜り込ませるなどできるか!」

「私情おおいに結構!なるほど治部殿が内儀を救うのは無理でしょう。受け入れるはずがございませぬ。しかし子らならば!かつて水魚の君臣であった佐吉殿の子を助けたいのではございませぬか?重家殿と重成殿は無理かもしれませぬが、治部殿の幼い子らは助けられると存じます。頭で考えた命令はいりませぬ。腹で思ったことをお命じあれ!」

「六郎すまぬ…!」

「さあ殿!」

「六郎、伊呂波殿と会い、子らを大切に預かると申せ!」

「はっ!」

 この任は白か六郎しか頼めない。この二人は石田三成が明家に仕えていた頃から伊呂波と旧知であり気心が知れている。白は明家の影武者だから明家のそばを離れられない。だから六郎が行く。六郎は主人の気持ちをくみ、敵城侵入の危険な任務を引き受けた。明家の言伝を預かり、佐和山城へと走った。さすがは熟練の忍び六郎。敵味方の喧騒を潜り抜け佐和山城に入った。素早く動き、三成正室の伊呂波を探す。しかしその時、

「何者か!」

 小太刀を構えるくノ一が六郎を見つけた。しかしさすが六郎、石田が用いる忍びにしてはおかしいと気づいた。伊賀流忍術の小太刀の構えだからである。

(なぜ徳川の忍びが佐和山城の中にいる…!?)

「貴様東軍の忍びだな!」

 くノ一は襲い掛かってきた。凄まじい小太刀攻撃の連続、六郎も圧倒される。

(強い…!しかし倒せぬほどではない。なぜ伊賀忍者が治部のために働くのか分からんが、敵と見なすならやむなし!)

 蹴り技でくノ一を転倒させ、顎を掴んだ六郎。

「覚悟!」

「お待ちを!」

 伊呂波だった。鉢巻きを締めて薙刀を持つ。

「奥方様…!」

「六郎殿、その者は当家のくノ一、ご無礼しました」

「いえ…」

 六郎はくノ一を離した。

「奥方様!この者は東軍の!」

「存じています。お久しぶりですね六郎殿」

 伊呂波にかしずく六郎。

「はい、伊呂波殿もお元気そうで」

「六郎殿は越前殿の使いで来て下されたのですね?」

「御意、主君越前は…」

「治部が子らを連れて来い、そう申して下されたのですね」

「…恐れ入りました。お見込みの通りです」

「すでに出立の準備は整えさせています。石田の子供らを越前殿に託しまする」

「はっ!」

「きっと六郎殿か白殿が来てくれると思っていました。待っていて良かった…」

 伊呂波の後に童子四人を連れた老僕が来た。嫡男重家と次男重成はこのまま戦い続けるが、幼い三男四男、そして二人の娘たちは城から逃れることになった。

「御台様、若たちと姫様たちを連れてきました」

「ご苦労でした。六郎殿、越前殿に子供たちをよろしくお願いしますとお伝え下さいませ」

「しかと」

「「母上―ッ!」」

「みんな強く生きるのよ。今日から柴田明家様のご正室、さえ様がお母上。孝行するのですよ」

「いやだ!母上とはなれたくない!」

「泣いてはなりませぬ!そなたらは石田三成が子なのですよ!」

「「母上…」」

「初芽、貴女も行きなさい。童子四人連れていては六郎殿も大変にございますから」

「奥方様、私も一緒にご最期を!」

「初芽、主従ではない。同じ殿方を愛した女同士としての頼みです」

「奥方様…」

「貴女には貴女の石田三成があるでしょう。その想い、大事にして下さい」

「はい…!」

「伊呂波殿、御台…さえ様に何かありましたら…」

 六郎が言うと伊呂波はニコリと笑って言った。

「時が経ち、さえ様が冥土に参った時、また良人自慢の戦をしましょう。そう申して下さい」

「承知しました」

 伊呂波は去った。老僕も一緒に行った。

「さあ、石田治部の女房が力!東軍に見せつけてくれるわ!」

「「母上――ッ!!」」

 子供たちの母の背中を泣いて呼ぶ。しかし伊呂波は振り向かなかった。

(隆広様、さえ様、伊呂波は先に参ります。佐吉殿と私の子をよろしくお頼みします)

 初芽は六郎を睨む。

「六郎と言ったな」

「ああ」

「柴田明家は嫌いだ。三成様の旧主であるのに徳川に尻尾を振った」

「…治部殿と戦わなければならなかった主人のつらさ…いや言うまい」

「それに柴田明家は奸智に長けた謀将と聞く。謀将に善人なぞいるものではない。本当に信用できるのか」

「馬鹿かお前は」

「なに?」

「悪人に伊呂波殿が遺児を託すわけがないであろうが」

「…まあ確かに」

「では子らを柴田陣に連れて行く!しっかりついて参れ!」

「えらそうに…!」

 六郎と初芽が石田三成の四人の子供を連れて佐和山を脱出。無事に柴田陣に連れてこられた。四人の幼子は震えて明家を見ている。

「怯えることはない。俺はそなたの父上と親友だ。親友の子なら我が子も同じ」

「「……」」

「名前を聞かせてくれないか」

「三男の万吉です」

「四男の峰吉です」

「長女のみちです」

「次女のさとです」

「そうか、すぐには無理であろうが、俺を父と思って欲しい。そなたの父上とは残念ながら敵味方となったが、今でも一番の友だ。その子らを託されたからには大事にいたすぞ」

 その様子を見ている初芽。

「…どうやら奥方様の見込みどおりの方なようだ」

「当たり前だ」

「じゃ私の仕事はここで終わりだ。ここからは私の好きなようにやる」

「…何をする気だ」

「言わん、じゃあな」

 初芽の瞳に走った殺気を六郎は見逃さなかった。追いかけて止めた。

「お前、徳川家康を討つ気だな!」

「お前には関係ない!私は柴田明家と違う。誰が徳川に尻尾を振るもんか。家康の首を取る!」

「なぜ内府の首を狙う。お前は伊賀忍者であろう?」

 六郎を見る初芽。

「…何で分かった」

「…何でも何も、お前の小太刀は伊賀流ではないか」

「なるほどね…。まあいいわ話してやる。私は元徳川家康に仕えるくノ一初芽。伊賀の忍びさ」

「……」

「三成様の動向を調べろと命令され佐和山城に入った。そこで私…しちゃいけない恋をしちまった。あまりに豊臣に一途な三成様を見ていて惚れちゃったんだ」

「そうだったのか…」

「三成様は私が徳川の忍びと分かっていた。だから関ヶ原に行く前『城を出なさい。もし西軍が敗れれば、東軍は大挙して佐和山に押し寄せよう。今なら佐和山で幽閉でもされていたと言えば言い訳も立つ』とおっしゃって下された。だけど私は断った。惚れた男のためなら死んでやると思った」

「お前も一途だな」

「なに?」

「惚れたぞ、俺の女房になれ」

 顔を赤くした初芽。

「な、な、なに言っているんだお前は!私の親父くらいの歳して!」

「本気だ。妻をなくして二十年近いが、俺もお前に心を奪われた」

「ふん、これでもかい?」

 初芽は上着を脱いだ。胸には痛々しい血染めのさらしが巻かれていた。

「私には片方の乳房がないんだ。戦闘中に東軍兵に切られちまった。こんな女のどこがいい?こんな醜い私のどこが…!」

「醜いだと?」

 初芽の顎を思い切り掴んだ六郎。怒る形相。

「それは伊呂波殿や治部殿の子らを守ろうとして負った傷であろうが!醜いはずがあるか!」

「……!?」

「美しいぞ!」

 感極まり涙が出てきた初芽。顎を掴んでいた六郎の手を噛んだ。

「いたっ!」

「馬鹿野郎、私みたいな生娘に殺し文句言いやがって…。三成様に女の操を捧げて尼僧として生きようと思っていた私の人生計画が台無しじゃないか!」

「そ、そりゃあすまなかった…」

「そこまで言うなら女房になってやる。ありがたく思え!」

 婚約者の舞と死別して十八年。やっと六郎は妻を娶った。

 

◆  ◆  ◆

 

 話は少し時間を戻る。中央では天下分け目の大合戦が始まろうと云うころ九州では一人の男が動いていた。黒田如水である。彼が羽柴秀吉の天下取りに重要な働きをしたことは誰もが認めることであった。しかし、そのわりに如水が得たのは、豊前十二万石だけであった。豊臣秀吉に、ある者が『なぜ黒田殿に高禄をお与えにならないのか』と質問したところ秀吉は『あの男に肥沃な領地でも与えたら、儂の天下など瞬く間に乗っ取られてしまう』と言ったという逸話が残っている。秀吉から見て黒田如水は竹中半兵衛や柴田明家と異なり、単なる参謀に満足しない野心家に思えたのかもしれない。

 朝鮮の役の頃には秀吉の如水への寵愛や信頼はうすれ、完全に干されていた。そのことに彼は大変不満だったらしい。前線から悪い報告が次々に届いたときに如水は大きな声でこんな独り言を発した。

『国をあげて、これほどの大合戦をすると云うのに総大将に養子を据えるとは何事か。こんな大合戦を仕切れるのは、柴田明家殿か徳川家康殿、そして黒田如水のみである』

 周囲は聞こえない振りをしたらしい。あまりにも無用心な発言である。この発言は秀吉の耳にも届き、秀吉は激怒。如水は『如水円清』と号して出家し、引退してしまった。

 そして太閤秀吉没して二年、天下分け目の大合戦が起きようとしていた時、如水は人生最後の勝負に出た。今まで貯え込んだ財産を投げ打ち、浪人を集めてにわか軍勢を作る。周囲の国はほとんど軍勢が出払っていて空白地帯だったのだ。黒田軍は瞬く間に薩摩・大隅を除く九州一円を制圧してしまった。

 彼の狙いは九州を統一し、その兵力を率いて東上し、天下分け目の合戦の勝者に決戦を挑んで天下を取ることにあったとも言われる。現に彼はそれに伴い息子長政が討たれようがかまわないと言い切っている。しかしその討たれてもかまわないと言った息子の長政が活躍したことによって、関ヶ原の合戦が短期に終結したのは、皮肉と云えるかも知れない。

「ちと…時が足らなかったか」

 ここからは後日談となる。関ヶ原の戦いのあと、帰郷した長政が父の如水に報告した。如水は城の庭で盆栽いじりに興じていた。

「父上、長政戻りましてございます」

「大義であったな、此度の八面六臂の活躍は聞いておるぞ」

「すべて父上の薫陶の賜にございます」

「謙遜はよせ、その方の働きがなくば此度の大合戦、かように早い決着は見られなかったであろう。関ヶ原で毛利と吉川が動かず、小早川が東軍に寝返ったこと、西軍の総大将の輝元殿が大坂城を早々に明け渡したこと、これらすべてにそちの調略が及んでいたそうじゃな」

「はい」

 いつになくご機嫌な顔で微笑みながら自分を褒めてくれる父が嬉しい長政。

「さぞ内府の覚えもめでたいであろうな」

「はい、ことのほかご機嫌麗しく、内府はそれがしの手を両手で取り、大変なお褒めの言葉を下さいました」

「ほう…内府は両手でそちの手を握ってのう…」

「はい」

「内府はそちのどちらの手を両手で握ったのだ?」

「…?右手でございますが…」

「なるほど…では…」

 さきほどまでの笑みが鬼のごとき面相となった。

「その時、そちの左手は何をしておったのだ?」

「え…!?」

 如水の目は明らかに“何故空いている手で家康を殺さなかったのか”と示していた。これを聞いて長政は絶句した。

「…疲れたであろう。ゆっくり休むがよい」

「父上…」

 如水は何も答えず、再び盆栽いじりに興じ出した。如水はこれより四年後に京都伏見屋敷で息を引き取る。遺訓『人に媚びず、富貴を望まず』



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岐路

 佐和山城は落ちた。炎が佐和山を包む。明家は静かにその炎を見つめていた。

「伊呂波殿、この越前、子らを健やかに育てることを約束いたす…」

 三成の嫡男重家、次男の重成は高潔な人物で領民や兵たちにも慕われていた。一度東軍が降伏勧告をしてきた時、重家は自分と弟の首を差し出すことを申し出ていた。しかし結局東軍は総攻撃を開始。和議と見せて油断させたか、それとも本当に伝達漏れか。

 必死に抵抗を示すが多勢に無勢、やがて重家と重成は自決した。そして石田三成正室の伊呂波。炎上する城の最上階にいた。白装束である。

「殿…。殿はきっとこれからの世で奸臣や佞臣と名が残るのでしょうね。でも私は貴方の妻であることを誇りに思います。生まれ変わっても、きっと伊呂波を見つけて下さい。私はまた貴方の妻として生まれます」

 自決用の小刀を抜き、そして胸を突いた。石田三成正室の伊呂波姫、享年四十歳。辞世の句は無い。

 

 この知らせは三成の耳にも届いた。彼は伊香郡古橋村の山中にある洞窟の中に潜んでいた。近隣の村の民に匿われている。三成は賤ヶ岳の合戦以後、その村一帯の領主だったころがある。凶作で苦しんでいた領民より年貢を免除して逆に百石の米を与えた。村人はその恩義を忘れず、東軍より『匿ったら当人のみならず家族も皆殺し』と発布されているのに三成を匿った。与次郎なる農民男が佐和山落城を知らせた。

「奥方様はご自害、お子たちもおそらく…」

「そうか…」

 三成は数日前から激しい下痢に苦しんでいた。憔悴しきっている。

「もう逃げ切れまい。与次郎、私の居場所を東軍に知らせよ」

「三成様…!」

 

 田中吉政の隊が三成を捕らえた。家康は京極高次の居城である大津城を東軍の本陣としていたので、大津城に連行されていった。

 このころ徳川秀忠も大津城に到着していた。遅参した秀忠はようやく父の家康と目通りが許されて大変な叱責を受けた。

「こたびの遅参、儂の息子にあるまじき失態じゃ!」

「は、ははーッ!」

「二度とかような失態は許さん!儂の後継者に相応しき将器を持てるよう、日々精進いたせ!分かったな!」

「は、はい!」

 何とか一命は免れ安堵した秀忠。彼の遅参は家康にとって別な意味での痛手となった。いかに西軍諸将から領地を召し上げようと、論功行賞では豊臣恩顧の武将たちに配分するしかないからである。徳川一族や譜代に配分して統一政権の基盤を確固たるものにすると云う彼の思惑は頓挫してしまったのだ。

 

 そして石田三成が大津城に到着、城門に畳一枚の上に座らされていた。西軍事実上の総大将であった三成をさらしたのである。各東軍諸将も三成の首実験のために訪れていたが、やはり豊臣方ではなく徳川についた後ろめたさか、三成と目を合わせられない。浅く会釈して城に入っていった。そして福島正則、

「見苦しいぞ治部、敗れたならば何故自害せなんだ」

「…私は再起するつもりでいた」

「……」

 正則も城に入っていった。そして柴田明家、彼は首実験に欠席の旨を伝えたが、本多忠勝に『最後まで見届けるのが、旧主としての筋ではございませぬか』と諭され出席、大津城門にさしかかり、さらされている三成を見つけた。

「……」

 三成も気付いた。

「……」

 明家は下馬し、三成に歩み、その前に座り頭を垂れた。二人の間に静寂が流れた。そして頭を上げた明家はフッと笑い言った。

「なんだその髪は」

 三成の髪は乱れていた。明家は櫛を取り出し、三成の頭を梳いて整え髷を結った。そして水筒に入っていた清水を三成に飲ませた。

「済まなかったな…」

「…いえ、是非もございませぬ」

「これより、そなたは徳川政権が続く限り、悪臣や奸物と謗られよう。だがそなたがやった九頭竜川の治水の偉業は未来永劫この国に残る。九頭竜川沿岸に数多くある美田もな。たとえ日ノ本六十四州がそなたを奸物と謗ろうと越前の民たちだけはそなたを讃えよう。そして我が柴田家も」

「越前殿…」

 そして明家は小声で三成に言った。

「万吉、峰吉、みち、さとは俺の子とした。後は任せよ」

「……!?」

「くノ一の初芽とやらは、六郎が妻とした。安堵いたせ」

「え、越前殿…」

 ポロポロと涙が落ちる三成。その涙を拭き、汚れていた三成の顔も拭いた明家。最後に

「少し冷えるな」

 と、三成に陣羽織をかけた。

「かたじけのうござる…」

「うん、では…」

「隆広様」

 旧主明家をかつての名で呼ぶ三成。

「ん?」

「何とぞ、何とぞ秀頼様を!」

「……」

「天下の孤児、秀頼様をどうかお守り下さい!お頼み申す!」

 死の直前にまで秀頼を案じる三成を見つめる明家。

「安心しろ。秀頼様は俺の甥でもある。愛する妹の子、言われずとも守る」

「ありがとうございまする…!」

 

 首実検が始まった。捕縛されていた三成を見て家康、

「綱を解け」

 と命じた。久しぶりに自由の体となりフウと安堵の息を出す三成。やがてその席に小早川秀秋が座ると三成はキッと秀秋を睨んだ。

「裏切り者めが!貴様のような男を二股膏薬と言うのだ!」

「…せ、西軍につくとしかと確約した覚えは…」

「金吾(秀秋)ごときを信じた貴様が甘いのだ」

 笑う福島正則、秀秋にも屈辱的な言葉だが秀秋は堪えるしかなかった。

「お静かに!」

 と、本多忠勝。

「秀忠」

「はっ」

 父に命令されて秀忠が書面を持って立った。

「石田治部少殿に申し上げる。佐和山城は落城し城兵ことごとく討ち死に、奥方は自害され申した。ご嫡子の重家殿、ご次男重成殿、いずれも自決してございます」

「……」

「なお、他の治部殿の子息、姫たちは行方不明。見つけたとしても当方で仏門に入るよう差配いたす予定。ご安心あれ、仏門にある者に危害を加える気はござらぬゆえ」

「過分な処置、いたみ入ります」

「何か申し残すことはないか治部殿」

 家康が聞いた。

「されば内府殿、何とぞ秀頼様に無体な仕打ちをされぬよう!」

「何をいけ図々しく申すか!秀頼様と淀の方に取り入り、豊臣の実権を握ろうとした貴様ごとき『わんさん者(こそこそと告げ口をする者)』がよく言えたものよ!」

 と、床几から立ち上がり三成を謗る福島正則。

「福島殿!」

 明家が一喝、正則は座った。家康が三成に答えた。

「その点は任されよ治部殿、亡き太閤殿下とのお約束で我が孫娘の千姫を秀頼様に嫁がせることと相成っている。後に義理の孫となる者にどうして無体な仕打ちをしようか。安心されるが良い」

「…は」

「では治部殿、さらばにござる」

 徳川家康、そして東軍諸将は去っていった。最後に明家が残り、ゆっくりと立ち上がった。

「佐吉」

「はい」

「俺は一生そなたの名を背負おう。そしてそなたの生き様を伝える」

「隆広様…」

「さらばだ」

「はっ…!」

 明家も去っていった。そして三成は刑場へと連行された。その時のことである。連行している兵に三成が言った。

「少し喉が渇いた。白湯を所望したい」

「白湯?」

 しかしそんな気の利いたものはない。民家に吊られていた干し柿を取り、

「これで我慢なされよ」

「柿は痰の毒だ。食わぬ」

 すると兵や見物人も大爆笑した。

「これから死ぬ人間が腹の具合を気にしてどうする」

 嘲笑の中、三成は微笑み、堂々と言った。

「大義を志す者は首を刎ねられる瞬間まで命を大事にするものぞ」

 笑っていた者は一言もなく黙ったと云う。

(お前らしいな…)

 刑場に連行される三成を見つめる明家。明家は友であり、かつて忠臣であった三成の最期を息子勝秀と共に見届けに来た。刑場に着き斬首の時を迎える時、三成は僧侶の念仏を拒否した。

 しかし、その三成に向けて刑場の外からお経を唱えている者がいた。三成はそれに気づき、その男を見て驚いた顔をしていた。明家がその三成と念仏男の様子に気づいた。刑場の役人が念仏男に

「貴様、治部に経を唱えるとは石田の者か」

 と袈裟を掴んで凄むも男は経を唱えることをやめなかった。

「貴様!」

「よされよ」

 明家が笠の下から鋭い目つきで役人を睨んだ。

「こ、これは越前守様…」

 役人たちは去っていった。男は明家に礼も言わず、そのまま経を唱えた。三成はその男に軽く頭を下げた。そして斬首、享年四十歳。整然と首を刎ねられた。明家は三成の最期を見届けた。勝秀は師の三成の姿を見た。あの死に様こそ師の三成が最後に教えてくれた武士の生き様と胸に刻んだ。

「御坊、礼を申す」

「好きでやったことでございます。ご貴殿に礼を申されることではございません」

「それがし、柴田越前守明家と申します」

「それはご丁寧に。だが愚僧は名乗るほどの者ではございませぬ」

 明家は強いて名前を聞こうとせず、立ち去る僧侶の背に手を合わせた。

「あ…」

 僧侶は立ち止まった。

「甲斐姫様に良くして下さっているようで…」

「は?」

「礼を申します」

「…?」

 

 ここから後日談となるが、しばらく後に明家が僧侶の特徴を甲斐姫に話すと

「そ、それは長親殿です!」

 と、驚いて言った。長親とは石田三成の忍城攻めの時に忍城の城代だった成田長親のことである。

 それで話が繋がった。忍城落城の時、総大将だった三成は自ら城代の成田長親と会い城明け渡しの儀を取り結んでいるので面識はある。三成は水攻めから兵糧攻めに切り替えたが、それゆえ甲斐姫は三成を憎んでいるのだ。堂々と戦わずに卑怯極まる兵糧攻めをした。仲間たちを次々と飢死寸前にさせていき、自分を秀吉に売った許せぬ男。甲斐は秀吉の側室になったあと、大坂城で三成に会えば『悪逆非道の恥知らず』と罵っていた。

 それゆえ城代であった長親がどうして斬首される三成にお経を唱えたのか理解できなかった。明家は訊ねた。

「確か、兵糧攻めにも関わらず餓死者は出ていないらしいな」

「寸前でした。戦う力を奪いとり、ジワジワと死んでいくのを楽しんでいたに違いないのです」

「なぜ絶望的な飢餓に陥らなかったのだ?」

「忍の民が決死の覚悟で届けてくれた兵糧で何とか食い繋げていた次第で」

「甲斐、二万以上の敵兵に包囲されている城へどうやって民が兵糧を運び込むのだ」

「しかし長親殿はそう申して…まさか!」

「たぶん治部が現地の民に与えて届けさせたのだろう。そしてそれを知るのは長親殿だけだったのではないか」

「嘘です!」

「確かにこれが真実とは言い切れない。だがそうでなければ長親殿の行為は説明が付かないではないか。何より治部にそういう兵糧攻めを教えたのは俺だ」

「殿が…!」

「飢餓に陥る寸前に兵糧を届けよ。わが師竹中半兵衛より学んだことだ。坂東武者は敵のほどこしは受けぬ。だから治部は…」

 その通りであった。三成は半ば飢餓状態に陥りつつあった忍城にこっそり兵糧を送っていた。敵のほどこしは受けない坂東武者の性根を鑑み忍領の民を雇い、運び込ませていた。三成が水沢隆広のもとにいた時に学んでいた『心攻め』である。やがて、その民から敵方から送られていると知らされ、成田長親は忍城将兵を説得して降伏に応じたのである。ただ甲斐姫は受け入れず自害しようとしたが、三成の手によって救出されている。

 石田三成の忍城総攻めを幾度も退けた大将である成田長親、三成はその顔を忘れていなかった。己が最後の時、送るように経を唱えてくれたのが、かつての敵将であるとは。三成は感無量であったろう。

「…だとしたら、どうして治部は大坂で私に罵られても、そのことを」

「言うはずがない。そういう男だ」

 成田長親のその後は分かっていない。

 

 三成斬首の夜、五十人ほどの農民たちが三成のさらし首と体の番をしていた兵士を蹴散らし、三成の首と体を奪ってしまった。それを聞いた家康は警護していた兵にその一団のことを訊ねた。すると兵は

「越前訛りのひどい百姓たちだった」

 と述べた。すると家康は

「その者たちは九頭竜川沿岸に住む民たちであろう。彼らは九頭竜川の治水を成し遂げ、その沿岸に美田をもたらしてくれた治部への恩を二十年経った今でも忘れず、命がけで治部の首を奪いに来た。恩人がそんなみじめな姿をさらすのが耐えられなかったのだろう。儂が死んでもそんな民は一人としておらん。さすがは治部よ。その越前の民たちを罰してはならん。九つの頭を持った龍神様に食われてはかなわん」

 そう述べて一切罪に問わなかったのである。

“石田の三成さんの悪口を言ってはいけないよ。言ったら九つの頭を持った龍神様に食われてしまうよ”

 家康の見込みどおり、三成の首と胴体を奪取したのは九頭竜川沿岸に住む民百姓だった。長年に渡り九頭竜川の氾濫に悩まされてきた人々にとって、水害を無くし、かつ沿岸に美田をもたらしてくれた三成は神仏同然の存在だった。無論、この治水は柴田勝家と水沢隆広の下命によって三成が遂行したのだが、命令した者より実行した者が尊敬されるのは当然である。三成が地元の人々から丁重に弔われた地が現在の福井県指定公園の九頭竜川公園である。石田三成は現地では豊作の神とされ、現在でも彼の命日には法要が行われている。

 

◆  ◆  ◆

 

 大坂に向かう東軍の本陣。秀忠についていた仙石権兵衛秀久と酒を酌み交す明家。

「姫蝶も竜之介殿(明家嫡孫、後の勝隆)も何とか無事だったようで、それがしホッとしております」

「それがしもですよ」

「しかし正直、越前殿が東軍についたのは意外でございましたよ。治部とは仲が良うござったゆえ」

「つらい選択でしたが、家臣や家族のことを思うと私情で旗幟は決められませんからな」

「でも無念でござる。もう戦はござらぬゆえ、関ヶ原では最後の戦働きをしたかったのですが遅参と相成りました」

 仙石秀久は徳川秀忠に従い、上田城攻めに参陣していた。老獪な真田昌幸に大苦戦する秀忠に対して『自分を人質に送り先へ進軍していただきたい。自分が死んでも東軍が勝利すれば満足である』と進言。秀忠は大いに喜ぶが、結局実行はされなかった。しかしこの時の秀久は秀忠の信頼を得ている。何ともしたたかなものである。

「と、云うわけで関ヶ原の合戦の流れ、ぜひ越前殿に聞きたくて参った次第で」

「お安い御用です。その代わりと云っては何ですが、上田攻めについても権兵衛殿から伺いたいです。真田昌幸殿が戦ぶり、聞きとうございますから」

「承知しました。いや長い夜になりそうですな。あっははは」

 翌日、秀忠とも会った明家。

「いや面目ない義兄上、まんまと遅参と相成りました」

「でも秀忠殿は生きている。挽回の好機はいかようにもございましょう」

「かような失態の挽回などできましょうか。もう合戦はないから、手柄を立てる機会もございません」

「何も挽回は合戦だけで行うことではございませんぞ。徳川政権は創造の段階、創造は易し守成は難し。その守成を秀忠殿がやり遂げれば、それでもう十分な挽回にございます」

「はは、江与も同じことを言うかもしれないですな。それにしても義兄上はすごい、あの真田昌幸に勝った武将は義兄上だけと聞いています」

 明家は武田攻めで真田昌幸に二度勝っている。鳥居峠の合戦と津笠山の遭遇戦である。

「あれはたまたま雪が味方してくれたからです。武運があっただけのこと。三度目はないと思っています」

「武運か…」

「かの漢の高祖である劉邦は闘将項羽に負けっぱなしでしたが、最後に勝ちました。秀忠殿、戦いは百回戦い九十九回負けようが、最後の一勝をすれば勝ちです」

「うまいことを言います。何かこう元気が出てきます」

「かわいい妹のご亭主殿が肩を落としていれば気になりますから」

 秀忠の家臣がやってきた。

「殿、そろそろ大坂へ向かうご準備を」

「ふむ、ああ義兄上、紹介します。手前の家臣、柳生宗矩にございます」

「おお、ご貴殿が」

「柳生宗矩にございます」

(義兄上…。となるとこの男は柴田明家か…)

「柴田明家にござる。今後よしなに」

「はっ」

「そう云えば義兄上は新陰流の使い手とか」

「いえいえ、昔のことです」

「宗矩は柳生新陰流の達人です。ちょうど木刀があるので立ち合ってみては?」

「面白そうだな、宗矩殿、ちょっと一手立ち合ってみますか」

「ご所望ならば」

 秀忠の陣で明家と宗矩は木刀で立ち合った。

(ほう…。虫も殺さぬような面体なのに大したものだ)

 宗矩ほどなら向かい合っただけで相手の技量も分かる。

(何と静かな剣気を持つ。この男、面白い)

 見届け人は秀忠だけ。真剣勝負ではないものの、何とも勿体無い。一寸にらみ合い、明家が静かに動く。そして突きの一閃、宗矩は辛うじてかわし、そして横薙ぎの一閃を放つが明家もかろうじてかわした。

「ふう、それがしの負けです。あの突きをかわされては」

 確かにすさまじい突きの一閃、明家が静かに動くと同時にもう木刀の切っ先は宗矩の目の前にあった。宗矩でなければ食らっていただろう。その突きで体が伸びきった隙に横薙ぎを入れたが、それをかわされたのは宗矩にも意外だった。

「いえ、あの横薙ぎをかわされては、負けはむしろそれがし」

「ははは、では引き分けと云うことで」

「よろしゅうございます」

 名勝負に手を打ち喜ぶ秀忠。

「いいものを見せてもらいました。観客がそれがしだけとは何とも勿体無い」

「ははは、しかし越前殿、最初に突きとは正直驚きましたな」

「新陰流ではそうある先制攻撃ではないですからな」

「その通りです」

「上泉信綱先生は膂力の無いそれがしに適した剣技を教えてくれたのです」

「膂力の無い越前殿に適した?」

「はい『膂力の無いお前では刀を振り下ろしてもはじかれる。敵と対した時は迷わず突け』と。そのおかげで今まで生き残っています」

「「なるほど…」」

 秀忠と宗矩、二人揃って『いいことを聞いた』と云うような顔。

「ははは、ではそろそろ大坂に行く準備をしますか」

 

 毛利輝元は大坂城を退去して木津の下屋敷へと移った。この時点で他の西軍諸将が思っていた挽回戦も挑めなくなったのだ。家康は大坂城に到着し、秀頼に戦勝を報告、西の丸に入った。明家はすぐに大坂屋敷に駆けて行った。

「さえーッ!!」

「殿!」

 お互いの無事を喜び抱き合い、口づけをする明家とさえ。

「無事でよかった。そなたに万一のことがあらば戦に勝っても何の意味もない!」

「嬉しゅうございます。さえも殿のご無事な姿をどんなに待っていたか」

「さえが無事を祈っていてくれたからだ」

「さあ、殿の無事と関ヶ原の戦勝を祝い、ご馳走を用意しましたよ」

「それはさえのことか?」

 とても孫がいる夫婦の会話と思えない。後に控えていた家臣たちは全身が痒い。さえは顔を赤め、

「んもう助平!さえは夜までお預けです!」

「早く食べたいな~♪」

 すずの出迎えも受け、大坂屋敷では宴が催された。久しぶりに愛妻との情事を堪能した翌朝、明家に助右衛門が倒れたと云う知らせが入った。すぐに領国に帰ると言い出す明家。しかし

「まだ関ヶ原が終わり間もありませぬ。ここで領国に帰るのは徳川殿に疑念を抱かせますぞ」

 鹿介が諌めた。やむなく明家は堺で手に入れられるだけの傷に効く薬を用立て、慶次に持たせて丹後若狭に引き揚げさせた。その一行を見送る明家。

(甲斐をかばって銃弾を受けただと…。そなたはまだ気にしていたのか…)

 武州忍城を攻めた石田三成に『成田氏長殿の息女の甲斐姫に殿下は興味を持たれていた。殺してはならぬ』と云う甲斐姫を生き地獄に誘うキッカケとなった文。これは明家ではなく助右衛門が主君のためを考えて加筆したものだった。助右衛門はたとえ主君のためとは云え十八歳の乙女を生き地獄に突き落としたことを大変悔やんでいた。それが行動で出てしまったのだろう。

 その銃弾で受けた傷は腰であった。骨は砕けずにいたから数日は立てていた。いや精神力で立っていたのだろう。しかし舞鶴も小浜も無事で、かつ東軍勝利を聞いて緊張が緩んだのか助右衛門は倒れた。津禰と甲斐がつきっきりで看病していると云う。

「なあ鹿介」

「はっ」

「西軍の立花宗茂と鍋島勝茂と云えば精強だ。関ヶ原に来ればどうなったか知れない。それを食い止めた助右衛門の武勲、報いてやらなければ」

「御意」

「死ぬのは許さんぞ助右衛門!」

 

 毛利退去して合戦の危険は回避され、かつ関ヶ原の戦勝を祝い、諸大名たちが家康の元を訪れ、酒宴を開いていた。

「ん?越前殿がおらんな」

「妹御の淀の方と会われています」

 小姓が答えた。

「左様か…」

(…柴田明家がいるかぎり、大坂には手を出せまいな。秀吉へ質に出すと云う犠牲を強いた妹の茶々を彼奴は溺愛している。関ヶ原では治部との友誼を断ったが茶々にはそうすまいて。まあ良い、儂に豊臣は討つ気はない。越前なら豊臣と徳川の橋渡しをしてくれるかもしれぬ。豊臣を討つのは容易いが、その戦勝に伴い、これ以上西国大名に恩賞を渡し領地を与えるわけにはいかん。豊臣が恭順してくれるのが一番良い。他の土地を与え、大坂城と秀吉が蓄えた金銀が手に入る。これが一番良い展開と越前も分かっていよう。何とかせえよ越前)

 ふと、信長の言葉を思い出す家康。安土城に招待された時の酒宴の中で信長は言った。

『ネコは冷酷非情にならずとも戦に勝てるかもしれぬ』

 家康は訊ねた。

『その勝者となった時の敗者は誰でござろうか』

 信長は笑って言った。

『儂かそなたであろう』

 ふと思い浮かべた信長の予言めいた言葉。

(大坂と戦えばそうなろうな。世代交代が進み、もう徳川は秀吉を小牧の役で討ち破った力はなく、反して越前が軍勢は朝鮮の戦を潜り抜けた猛者ばかり。強情と我慢の三河武士も今や高禄を食み、戦の機会はなく、もはや往年の力はない。越前が立てば西軍が再び誕生する。戦えば負ける。ならば戦わなければ良いのだ。味方につければな。関ヶ原を無にはできん)

 家康の判断は正しい。柴田軍は関ヶ原当時、おそらく最強の軍勢であったろう。何より野戦を得意とする家康でさえ明家の用兵は自分を凌駕すると分かっていた。戦うべきではない。家康は思った。

 

「兄上…。やはり聞かせて下さい。どうして徳川についたのか」

 茶々の私室に明家は通されていた。

「兄上が治部についたとして、そして兄上が秀頼の出馬を要望されても私は断っていたかもしれませぬ。でも兄上は不識庵殿(上杉謙信)や太閤殿下にも事実上お勝ちになられた方です。兄上が治部についていれば勝ったかもしれない…。勝っていれば豊臣の政権は磐石となっていたのに…」

「磐石になどならない。騒乱の種になっただけだ」

「え?」

「戦の無い世の到来のために内府殿についた」

「それを秀頼では作れないと?」

「今は無理と言うしかない。まだ幼い秀頼様に何ができるのだ。結局は徳川打倒の狼煙を最初に上げた治部が実権を握らざるをえない。俺はそれでも一向にかまわんが加藤や福島が黙っていると思うか?そして治部で伊達や上杉、毛利や島津を抑えられるか?亡き太閤殿下が成し遂げた日ノ本総無事など消し飛んでしまい、また天下は騒乱となる。戦の世は続き、何千何万の民が死ぬ。しかし徳川家康なら全国の大名を抑えられる。だから俺は治部との友誼を捨て、徳川についたのだ」

「……」

「茶々、もう一度言う。柴田家に戻れ。秀頼様のことは豊臣家に任せて、お前は当家で新しい縁を得て、女の幸せを得よ。そうさせてほしい。兄を安心させてくれ」

「…いやです」

「茶々…。兄を困らせるなよ…」

「徳川は絶対に秀頼を討ちます。母親の私だけ実家に帰り、新しい伴侶を得て幸せになるなんて出来るはずがありません!私は豊臣の茶々です!」

「茶々…」

「たとえ歴史に稀代の悪女として名が残ろうとかまいません。私は絶対に秀頼を守ります!」

「どうあってもか…」

「どうあってもです。たとえ兄上でも秀頼を討とうとするのなら、その時は兄妹の縁を切り、茶々は兄上と戦います!」

「茶々…。ちょっと訊ねる」

「…なんです?」

「お前は秀頼様を守りたいのか。それとも天下人豊臣秀頼の生母として、豊臣の茶々として女帝さながらに君臨し、栄華を欲しいままにしたいのか。それとも徳川に恭順して妹の江与の風下に立つのがイヤなのか?」

「兄上は私が私利私欲で秀頼に天下を取らせたいと思っていると!?」

「天下は強い者が継承しなければ乱世はいつになっても終わらない。唐土の王朝興亡において、次の支配者に何人かはつくが、結局天下はそれなりの器量を持った人物に自然と収まる。もはや内府殿が天下をお取りになるのは自然の成り行きなのだ」

「兄上!私が羽柴の質になったのは兄上に天下を取らせるためです!子のいない秀吉の世継ぎを生めば、兄上と私で秀吉の天下を乗っ取れる!そう思ったから!」

「まだそんなことを言っているのか!たとえそれで天下をとったとて世に受け入れられると思うのか?唐土の三国志で似たようなことをやって国を乗っ取った者がいる。荊州の劉表に仕えた蔡瑁と云う者だ。次男劉琮を生んだ妹と謀り、劉表の死後の家督争いに乗じて荊州を乗っ取った。しかし結局他者の支持を得られずに兄妹ともに悲惨な末路を辿っている。天地人に逆らって乱を起こした者に大成はない。それどころか自滅に近い末路が待つのみである。我ら二人が死ぬのはいい。だがそれによってそなたの実父の浅井長政殿、我が父勝家、我らが母のお市様が嘲笑されるのだぞ!!」

「じゃあ私のしてきたことは何なのですか!私は、私は兄上のために父母の浅井長政とお市、そして柴田勝家を殺した男にこの身をくれてやったのに!女が一生一度しか捧げられないものをこの世で一番憎悪する男にくれてやった私は何なのですか!」

「茶々…」

「兄上を天下人にさせようと思えばこそ…私は…!」

 泣き出してしまった茶々。

「お前の気持ちを叶えてやれずすまなく思う、だが茶々、俺は天下人になる気はない」

「兄上…!」

「俺が望むのは妹たち、家族、家臣、領民の幸せだ。そのためには生き残らなければならない。柴田と豊臣が手を組めば、あるいは内府殿を倒せるかもしれない。俺も内府殿の歳ほどになれば同格の器量を身につけられるかもしれない。しかし、それに至るまで何千何万の命が散る。ここでやめなければならないのだ…戦の世を。それがお前のご実父の浅井長政殿が願いでもあり、父上と母上、そして大殿(信長)、太閤殿下、内府殿の願いでもあると思う…」

「……」

「天下の大望を捨てた牙の抜けた兄と笑うなら笑うがいい。だが人の命は尊い!この大坂城下が火の海になれば、頑是無い子供たちが孤児になり、奴隷として売り飛ばされる。大坂の娘たちが東軍の兵士に息絶えるまで陵辱される!そんな地獄絵図を避けるためなら、そしてお前と秀頼様の命を救うためなら、俺はナンボでも内府殿に頭を下げる」

「私にどうせよと…」

「内府殿に豊臣を攻める口実を与えてはならない。遠からず内府殿は江戸に幕府を開くであろう。そのおりは恭順し、織田が豊臣に仕えたようにせよ」

「……」

「さすれば大坂城は召し上げられるであろうが、他に領地は拝領できて、豊臣は大名として生き残れよう。地方大名となる道、もう一つは公家となり関白家となる道、これで良いではないか」

「戦わずして…」

「戦ったら間違いなく敗れる。お前の意地一つで何千何万が死ぬぞ!」

「私と徳川が戦ったとして、兄上は内府につくのですか!」

「茶々、俺はそういうことを言っているのではない!お前は今まで小谷、北ノ庄、丸岡と三度も落城を経験しているのにまだ分からないのか!なるほど弓矢を避けて我が身の安泰を図るのは武士ではないと云う理念もある。だが匹夫の勇と云う言葉もある。お前は大坂城で秀頼様生母として豊臣家で重きを成している。一人でも多く助けることを第一とすべきであろう!いま何千何万と言ったが、その者にも家族がいる。友もいる!それを含めれば何十万の民たちが嘆き悲しむのだぞ!」

「兄上たち東軍が討った西軍戦死者にも同じ計算が成り立ちます!」

「だからこそ戦の世を終わらせなければならないのだ!二度と繰り返さぬために!」

「……」

「後世に悪女と呼ばれようがかまわない、そんなことを軽々しく口にするのではない!戦うのはお前ではない。豊臣の将兵なのだ。前田のまつ様のように息子の助命と家の存続を考えよ。それはけして敗北ではない。選択なのだ」

「…選択」

「古今東西、権力にしがみつき執着する者は破滅する。お前は息子と共にその道を辿るつもりなのか。すぐにとは言わない。大坂を火の海にしないためには、そして息子のために自分はどうすべきなのか、それをよく考えよ」

「……」

 明家は去っていった。

「兄上…」




明家が縛についていた三成の髪を梳く場面は、幕末、禁門の変にて久坂玄瑞が最期を迎える時、同志の入江九一が玄瑞の髪を梳いたと云うのを参考にしました。
そして、三成刑死の時、のぼう様登場です。忍城攻め以降、三成とのぼう様に何か縁があってもいいですよね。


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柱石逝く

 関ヶ原の戦いの論功行賞があった。明家に新領地は盟約どおりなかったが、家康は立花宗茂を足止めした奥村助右衛門の手柄も合わせて五万貫と云う破格の金銀を明家に送ったと云う。そして丹後若狭は徳川あるかぎり柴田のものと公言した。

 戦後処理や論功行賞に伴い、豊臣家の領地を好きなように大名に与えたので豊臣家の実質の領地は摂津・河内・和泉の約六十五万石程度まで削がれた。明家は論功行賞から数日後、家康に呼ばれた。大坂城西の丸。

「おう大納言」

「大納言…?」

「官位よ、正三位上大納言、関ヶ原ではようやってくれた。これからもそなたには働いてもらわねばならぬゆえ、官位を上げた。迷惑であったか?」

「い、いえ、かつて秀長様、前田利家殿の官位であったものがそれがしに、名誉なことでございます。ありがたくちょうだいいたします」

「喜んでくれて何よりだ。ところで大納言」

「はい」

「話がある。豊臣家についてだ」

(やはり…)

「扱い方は三つある」

「それがしには二つしか思いつきませぬが…」

「では最初のその一がないであろう。秀頼様を斬ることだ」

「……」

「…斬ってしまえば一度に片付く。しかし斬ったら儂がやがて斬られる。儂が斬られずとも儂の子か孫が斬られよう。それでは泰平の世は築けぬ」

「すると第二は?」

「六十万石級の大名にして、そのまま放っておく。実力あれば栄え、器量なくば潰れていく」

「残るもう一つは?」

「豊臣家を公家にする。名誉だけ与え、実はない」

「二、三は、はばかりながら、それがしも思いついていたことでございます」

「で、どちらが良いと思う」

「六十万石の大名とは申せ、福島、加藤、池田、浅野、細川、黒田と加増されています。それらを足すと四百万石にはなりましょう。豊臣の勢力は絶大のまま。だからと云って内府殿はそろそろ六十にございます。八歳の童と力でやりあうのはいささか…」

「となると公家か」

「はい」

「儂も公家となってもらうのが一番良いと思う。地方に六十万石で残したとはいえ太閤殿下の影響は大きい。後に成長した秀頼様に次々と徳川に恨みを抱く者がつき叛旗を翻すこともありうる。いつまで経っても戦の世に終止符は打てない」

「仰せのとおりです」

「平清盛は源頼朝を生かしておいたおかげで頼朝に滅ぼされることになった。歴史は繰り返すと言うが、当家の重臣たちはこの先例を持ち出して豊臣家を討つべしと息巻いておる。だが大納言、儂は豊臣家を潰したくない。百三十年以上続いた戦国乱世を鎮め天下統一した太閤殿下の偉業は何ものにも替え難い。こんな名誉ある家を潰せるものではない。そして何より、大坂城は難攻不落じゃ。これを落とすにはまたぞろ諸大名を動員して戦わなくてはならない。勝てはするであろうが恩賞に与える土地はもうない。不満を持つ者がたくさん出てくるであろう。また乱世に逆戻りじゃ」

「……」

「一番良い展開はそなたも見るとおり、豊臣家が関白家として公家となり名誉はあるが何の力も持たない存在とさせることだ。さすれば加藤や福島も秀頼様を担ぎようもない。しかし、あの大坂城と太閤殿下の蓄えた莫大な金銀。秀頼様は幼く、その取り巻きは女たち、儂が牢人ならば利用する。そして徳川に乱を起こす」

「では内府殿は遠からず大坂城を取り上げて、金銀もまた同じくしなければならないと」

「そうじゃ。そうしてくれなければ我が徳川は嫌でも豊臣を滅ぼすしかない」

「なるほど…」

「大納言、それを叶えてくれる、いや出来るのはそなただけじゃ。そなたは淀殿の実兄、何とか説き伏せて欲しい」

「分かりました。では『関白家として公家として残る』の線で当たってみましょう」

 こうして徳川家康から内々の命令を受けた明家。腰すえて大坂方の説得に入るつもりである。

「頼む。では豊臣については以上であるが違う話もある」

「はい」

「大納言、儂は江戸に幕府を開こうと思う」

「それは上々」

「ついてはそなたに幕閣に加わって欲しい。色々と智慧を借りたいでな。唐入りの後始末も幕府の名で行うつもりだ。引き続きそなたにその任に当たってもらいたい。幕府家老の席を用意する」

「外様のそれがしが?」

「確かに外様だが江与の実兄でもあるし秀忠も慕っている。儂の重臣たちとも懇意だしな。問題ない…と言いたいところだが、それでは徳川譜代の者が面白くなかろう」

「そのとおりです」

「よって大納言、大坂の説得が済んだら柴田の家督は嫡子の丹後殿(勝秀)に譲り、そなたは個人の資格で幕府家老となってもらいたい。柴田家当主としてではなく、一人の武士としてだ」

「個人の資格で?」

「そうだ。幕府内で権威こそあるが、用いる軍勢はない」

「……」

「大納言、そなたは関ヶ原の開戦前に儂が渡した領土安泰の御墨付きを燃やしたそうだな」

「はい」

「見事な処置だ。こう言っては何だが、あのような御墨付き、儂が存命中なら有効だが、その後にはただの紙切れとなり、そなたの子孫がもし御墨付きを盾に尊大に振舞えば取りつぶされかねない。そなたはそれを思い焼いた。あの場で御墨付きを望んだのは儂に天下への野心なしを示し、そして柴田家を領土替えしないよう、と云う意味であったのだな」

「ご賢察、恐れ入ります」

「だが、そのしたたかさが儂は恐ろしい。丹後若狭は肥沃の土地じゃ。しかも京に近い。そんな場所に精強の大軍を持つ柴田大納言は恐怖だ。柴田より十倍の兵力があったとしても秀忠や秀康ではそなたの敵にもならぬ。そこで儂はそなたより兵権を奪い、かつその才覚を幕府に役立てて欲しいと考えた。そなたの養父の格言よ。『ことは何ごとも一石二鳥にせよ』と云うことだ」

「内府殿…」

「そなたの才智で大軍を持たせられぬ。分かってくれぬか」

「…恐れながら即答は出来かねます。息子はまだ若輩にござれば…」

「まあそうであろうな。しかしそなたは欲しい男だ。多少の譲歩はするゆえ是非前向きに考えて欲しい」

「承知しました」

「そうそう、丹後殿にはすでに若君がおったな」

「竜之介(後の三代勝隆)ですか」

「嫁は決まっているのか」

「これはお気の早い。孫はまだ赤子にございます」

「いや歳を取ると少し気短にもなってな。儂の娘、同じく赤子の於市と婚姻させたいのであるが」

「それは願ってもなきこと。ましてや於市と云う名前なら当家にも縁深き名であり喜ばしいこと」

「そういえばそなたのご母堂と字は違え同じ名だ。それに竜之介殿の生母は仙石権兵衛が娘、徳川にとっては二重の良縁、受けてくれて嬉しいぞ」

「ははっ!」

 

◆  ◆  ◆

 

 明家は家康に許しをもらい、さえとすずも連れて国許に帰った。関ヶ原の戦いで戦勝した明家は領民の拍手喝さいで出迎えられた。

「みな、よくぞ城を守ってくれた!丹後と若狭の民は俺の誇りだ!嬉しく思うぞ!」

「「お殿様―ッ!」」

「「柴田家ばんざーい!!」

「褒美に盛大な祭りを開くぞ!美酒も飲み放題!料理も腹いっぱい食べてもらうぞ!踊り、歌おう!我が大切な民たちよ!」

 舞鶴の城下町は歓喜の声に包まれた。次の日の夜、城下町に炎が焚かれ、前田慶次がお祭り櫓のうえでいなせな越中姿で大太鼓を叩き、祭囃子が城下を包む。近隣からも祭りに訪れ、歌と踊り、美酒と料理を楽しんだ。小浜でも明家の凱旋を祝い祭りが催されていた。明家は途中まで参加していたが退席し、舞鶴城内で伏せている奥村助右衛門を見舞っていた。

「少し騒がしいが…先の篭城戦では民も活躍したと聞く。労ってやらねばならぬゆえな。許せよ」

「なんの…心地よき音にござる」

「殿、すみませぬ。甲斐が油断していたゆえ奥村殿は被弾を…」

 泣いて明家に詫びる甲斐姫。

「それは違う。それがしが勝手にしたことで…いたた!」

「ほら安静にせよ」

「殿、どうか姫を責めないで下さいませ…」

「分かっておる。甲斐、泣くことはないぞ」

「殿…」

「助右衛門、養生して元気になってくれ。そなたは当家の柱石ぞ」

「ありがたき仰せなれど、もう兵馬へ家督を譲り隠居の身。舞鶴を守れ…かつて生き地獄に落としてしまった姫をお助けできた。もうそれがしの役目は終わり申した」

「何を言うか!役目を終えたなら今度は生きるを楽しめ!温泉に行き体を休め、孫たちと幸せに暮らすのだ。俺より先に死んではならぬ」

「ご無理を申されるな。それがしは殿より十八も年長なのですぞ」

「だから何だ。長生きせよ」

「…殿、遺言と思って聞いて下さいませ」

「縁起でもないことを言うな」

「いいからお聞きあれ」

 助右衛門はゆっくりと起き上がり座位となった。

「殿、幕府家老のお話を受けなされ」

「え…」

「徳川家家老ではなく、幕府家老と内府殿は申されたのですな」

「そうだが…」

「それは徳川家のことではなく、日の本の舵取りを行う幕府に柴田大納言が必要と云うこと。お受けなされよ。柴田家は若殿に委ねられませ」

「…しかし勝秀はまだ若い」

「心配したら切りがありません。丹後若狭は若殿に任せて、殿は泰平の世を作る内府殿の助力をなさいませ。それに専念し、若殿のやりようには一切口出しをしないことにござる」

「だがなぁ…」

「殿は何でもできる飛び抜けた君主です。しかしそれがある意味柴田家の最大の弱点なのです。あと十年も殿が国政をやってごらんなさい。家臣領民も偉大な君主大納言様と崇めましょう。次代の若殿は武田勝頼殿と様相は違えど、必ず押し潰されます」

「勝頼様と同じ運命…」

「人は必ず死にます。そして信長公や太閤殿下が亡くなってもこうして世の中が動いているように『余人をもって代えがたい』人間は存在しません。殿とて同じです。そして信長公や太閤殿下のような偉大すぎる君主が死んで織田家や豊臣家はどうなりましたか。豊臣家はまだ存在しているものの、その立場はあやういもの。このように大きすぎる君主は次代に必ず崩壊を招きます。しかし柴田家はまだ間に合う。今がギリギリの頃合です。殿の退け時は今なのです」

「退け時…」

「君主には二通りあります。家臣をぐいぐい引っ張っていく君主と家臣に支えられて大事を成せる君主。殿は前者、若殿は後者です。若殿は才覚こそ殿に及びません。しかし優れた家臣が多く、諫言にも謙虚に聞く姿勢がございます。政治も殿や亡き佐吉の薫陶が生き、民を思いやる君主にございます。若殿に軍学を教えたそれがしでござるが師の身びいきではございませぬ。殿にはもったいないほどの二代目ですぞ!」

「…分かった。そなたの言うとおり、大坂への交渉が終わったら、俺は勝秀に家督を譲り江戸に行き幕府家老になる」

「殿…!」

「よくぞ言ってくれた。すまんな、そんな病躯でありながら心配をかけさせる主君で」

「なんの、それがしは殿に巡り合えて運が開けました。この身は土となっても魂は殿の側におります。佐吉と共に…」

 席を外していた助右衛門の妻の津禰が駆けてきた。

「殿!息子たちが参りましたよ!」

 津禰が兵馬、静馬、冬馬の三人の息子たちを小浜から呼び寄せた。

「「父上!!」」

 それを見るや助右衛門は枕元にあった湯飲みを兵馬に投げつけた。

「帰れ!!」

 怒りのあまり肩で息をする助右衛門。湯飲みの当たった額を押さえる兵馬。

「父上…」

「我が殿に預けられた小浜を留守にして、父親ごときの見舞いに出向くとは何ごとだ!帰れ!」

 息子たちの助右衛門を思う心を考えると明家は嬉しい。しかしそれは言えない。

「兵馬、静馬、冬馬、小浜を留守にして何しに来たのだ」

「しかし殿!」

「小浜も祭りの最中と聞く。しかし今、敵に攻め込まれたら何とするぞ。とっとと帰れ!」

「殿、それはあまりに!」

 末弟の冬馬の肩を押さえて止める兵馬。

「…分かりました。殿、父上、兵馬の思慮のなさをお許し下さい…」

「分かればいい。早く帰れ」

 立ち去りかけた兵馬、静馬、冬馬。しかし兵馬は堪えきれず振り向いて父の助右衛門に平伏した。

「父上!厳しくも温かくそれがしをお育て下さり、ありがとうございました!父上の愛!それがし一生忘れません!」

「……」

「「父上!」」

 静馬と冬馬も兄と同じく助右衛門に平伏して言った。津禰は涙し、甲斐も涙ぐんでいる。助右衛門は息子たちに顔を見せず黙っていた。兵馬は最後に一礼して去っていった。これが親子の今生の別れだった。明家にも顔を見せない助右衛門、肩が震えていた。

「父と子の別れとは…かくあるべきかな…」

 と、明家。助右衛門もまた大粒の涙をこぼしていた。明家は助右衛門の手を握った。

「殿…」

「この手だ、この手が…俺をここまでにしてくれた。感謝いたすぞ!」

「も、もったいなきお言葉にございます…!」

 奥村助右衛門は数日後に息を引き取った。奥村家の家督は兵馬が継いだ。明家は今後も奥村家に小浜の城を任せ、助右衛門の子供たちを重用した。助右衛門は息子に厳しい父親だったので息子たちも父に及ばずとも優れていた。奥村三兄弟の栄明、易英、栄頼は柴田明家、勝秀、勝隆の柴田三代に仕え、その後も柴田家の柱石として奥村家は明治維新まで存続する。

 

◆  ◆  ◆

 

 奥村助右衛門の葬儀を終えた日、前田慶次と山中鹿介は助右衛門の仏前で酒を酌み交わしていた。

「鹿介殿、すでに存じていると思うが殿は大坂への交渉が終わり次第、家督を若殿にお譲りして江戸に赴かれる」

「そうですな」

「俺は殿について江戸に行く。鹿介殿は若殿について、しばらく睨みを利かせてくれまいか」

「承知しました。手前も早や五十路を過ぎましたが若殿が柴田家の新当主として地に足を付けてから隠居いたしましょう」

「山中家はどうなるのでござるか?」

「殿としづ御前のご子息である信之介君を養子にいただきました」

「信之介君を?」

「しづ御前のご長男は水沢姓を与えられ、若殿に仕えますからな。ならばご次男をいただきたいと申し上げました」

「殿はともかく、よくしづ御前が承知しましたな」

「はからずも、それがしが丸岡に援軍に行ったのが効いていたようです」

 しづは鹿介に『あの時の山中殿の援軍、あれほど感激したことはありません。そんな方が私の息子を養子として望まれるなら喜んで』と己が次男を鹿介に託したと云う。しかし、この後に鹿介の後添えとなる女が男子を生むので、信之介は山中家世継ぎから身を退き、祖父鳶吉の血が濃かったのか武士にはならず宮大工となり、匠聖として名を残すことになる。

話は戻る。

「なるほど、しかし後添えをもらえば良いではござらんか。まだ子種が尽きる歳でもない」

「手前は慶次殿のように精力絶倫ではござらぬゆえ、もはや若い後添えは毒にござるよ。若殿の行く末を見守るため長生きをせんと」

「いや鹿介殿、それはいかん。若い娘は何よりの妙薬でござるぞ。結果それが長生きをするのだ」

「はっははは、では若い愛人でも作りますかな」

 

 助右衛門の葬儀を終えた数日後、明家は海にぶらりと出かけていった。そして静かに舞鶴の海を眺めていた。たまに明家はこういう時間を持つことにしていた。特に何も考えてはいない。ただ海を眺めているだけだ。

「殿…」

「ん?」

 甲斐姫が来た。

「よろしいですか?」

「うむ…」

 明家の横に立ち舞鶴の海を見る甲斐姫。

「殿じゃ…なかったのですね」

「治部にそなたを殺すな、と伝えたのがか?」

「…はい」

「俺だよ。助右衛門のしたことは俺のしたことだ」

「……」

「『そなたこそが成田だ』か。助右衛門は万感の思いを込めて言ったことだろう」

「はい、嬉しくて涙が止まりませんでした」

「だが…いつまでも助右衛門の死を悲しんでもいられない」

「はい…」

「しかし、忍(おし)衆の者たちには会って礼を言いたかった。大変な活躍だったそうじゃないか。甲斐、そなたも」

「無我夢中でした…」

「江戸は武州、俺が江戸に行った時、一度彼らの村に行き礼を言いたい。その時は甲斐、そなたも来てくれるか?」

「もちろんです」

「まあ江戸から忍は遠いが、そなたの故郷を見るのも良いからな」

「殿、私…忍のみなから褒美を要求されました」

「なんだ、それを早く言え。あやうく俺は報恩の儀を知らぬ者となったぞ」

「殿では出せない褒美なのです」

「ほう」

「私が父の氏長と仲直りすること、それが褒美として欲しいと…」

「…なるほど、しかしそりゃ断れないな。関ヶ原の後始末もそろそろ終わる。烏山に会いに行くといい」

「でも、手ぶらじゃ嫌だから孫を抱いて会いに行くと言っちゃいました」

「なんと」

「うふ、殿、このまま舞鶴温泉に行きません?宿代なら私が持参しましたので」

「甲斐…」

「だって殿ったら関ヶ原より帰られてからまだ私の部屋にお渡りしてくれません」

「べ、別にそなたを嫌ってではない。何かとあってだな」

「分かっています。だから今日は付き合ってください。温泉に入ってから…うふっ」

 

◆  ◆  ◆

 

 さて、いよいよ明家、大坂方に恭順をさせるべく大坂に向かうことにした。舞鶴城で明家は息子の勝秀と話していた。

「勝秀、父はこれから大坂城に行き、豊臣家を説得する」

「豊臣家に父上に賛同する重臣は…」

「おらん、あえて根回しは避けた」

「なぜ」

「言葉に重みも覚悟もなくなる。はなっから四面敵のほうが良い」

「……」

「そなたは領内の統治に全力を注ぐのだ。良いな」

「はい、父上の説得が首尾よく行きますよう、家臣一同願っております」

「交渉が決裂すれば父は生きて帰れないかもしれない。すでにそなたの家督相続は内府殿にも伝えてあるし、母上や重臣たちも納得している。俺がもし豊臣家に殺されても意趣返しはせず、内府殿の指示に従え。良いな」

「父上…」

「いくつか遺訓を残しておく。心して聞け」

「はっ!」

「当家は関ヶ原での武功めざましく、徳川家に天下を取らせるに尽力できた。それによって丹後若狭と云う肥沃な土地を安堵され、徳川ある限り、この国は柴田家のものと御墨付きも得た。だが知っての通り、それはもう燃やしてしまった。御墨付きの効力は関ヶ原の論功行賞をもって消滅させた。なぜか分かるか」

「義叔父御、竹中半兵衛様のしたことと同じ。そのような御墨付きは災いにしかならぬと云うことと思います」

 明家は勝秀が承知していると知ったうえで聞いた。何故なら明家が『御墨付きを燃やす』と言った時、勝秀は『それがよろしいと思います』と即答したからである。明家は良き男となったと心の中で喜び、話を続けた。

「幕府は色々な法度を作るだろう。法度に従い、かつこれからあるであろう徳川の普請や築城にも積極的に加わるのだ。天下人と云う者は諸大名に必要以上に力を持たせないため、どうしても諸大名に財を消費してもらう必要がある。手伝い普請で柴田の財を消費させるのは嫌であろうが、柴田家だけに限った話ではないし従わなければ潰されるのだ。目先の金銀を惜しんで家の進退を誤るでないぞ」

「分かりました」

「で、当家の行いし交易。どこまで幕府が目をつぶってくれるか疑問だ。徳川幕府は信長公や太閤殿下と違い、稲作中心による農業立国を作るであろう。交易によって金銀を稼ぐことを是としないかもしれぬ。特に当家は外国とも交易をしている。いずれ禁じられるかもしれぬゆえ、その時は商人司の山中新六とよう話し合い、国内だけの交易に留めるよう」

「はい」

「当家には切支丹の将兵もいる。今まで禁制は緩かった。ロザリオを持っていても着物の外に出していなければ特に咎めもなかった。しかし、これからはそうもいかん。改宗させるか棄教させる必要があろう。ただし性急なマネはよせ。関ヶ原前の宇喜多家の二の舞となる。よくよく説いて改宗させよ。どうしても聞かずば追放しかないが今までの働きに合わせて餞別は与えよ。恨みを買うこともあるまい」

「父上…」

「前当主として言い渡しておくのは以上だ。父としては…」

 身を乗り出す勝秀。

「竜之介を厳しくも温かく育てよ。姫蝶と、そして今年に輿入れしてくる最上の駒姫、この二人の妻を大切にしろ。そして兄弟仲良くな。母上を大事にするのだぞ」

「はい…!」

「お前も体には気をつけろよ」

「父上も!」

 

 柴田明家は徳川家康に自身が大坂城に向かう日程を知らせた。明家からの文を読む家康。

「やっと行きますか。国許に帰り、いつになったら行くのかと思っていましたが」

「たわけ正純、大納言は豊臣重臣らに根回しもせず、だらだらとしたのんべんだらりの交渉ではなく、一度の説得で決めるつもりなのじゃ」

「たった一度で?」

 家康は江戸にいた。そして豊臣家の徳川恭順の交渉を明家に任せた以上、一切豊臣家と接触しなかった。しかし、これも家康なりの思案であり明家への隠れた援護だった。豊臣家は徳川が自分たちをどうするのかと不安でいっぱいであった。何の音信もないのは返って不気味である。それにより生じた家中の緊張や疑心暗鬼はもはや限界に近い。家康と明家、何の示し合わせもしなかったが交渉に対して絶妙な時機を家康は作りだした。明家がその時機を逃さないと分かっていたからだ。そして明家は家康の見込みどおり機を逃さず大坂へと向かうことにしたのだ。

「今まで思案を重ね、時機を待つと共に女房たちとも睦みあい精気を養うていたのじゃろう。この大納言の一度きりの交渉が頓挫すれば徳川と豊臣の戦は避けられぬ」

 

 豊臣家に徳川恭順を説こうとしている明家の元に頼もしい援軍が来た。二の妹の初である。初の夫の京極高次は関ヶ原の戦いの後に大津城九万石を与えられたが、ほどなく病に倒れて死去した。高次との間には子供がなく、初姫は常高院と剃髪して実家の兄のところへ戻ってきた。

「よう戻ってきた」

「はい」

「相変わらず美人だ。そなたを思慕する者もいる。再婚はどうか?」

「いえ、私の夫は高次様だけです」

「そうか」

 明家は常高院を抱きしめた。昔に同腹の兄と妹だったと分かっても、こうして抱きしめてやることも出来なかった。丸岡では厳しい兄であり続け、そして秀吉に降ればすぐに京極家に嫁げと命令された。常高院は初めての兄の温もりが嬉しかった。

「兄上様…」

「苦労をかけたな。今後は舞鶴で安らかに暮らすがいい」

「…いいえ、それは少しあと」

「ん?」

「兄上、私は何とか豊臣と徳川との戦火を避けたいと思っているのです」

「初…」

「姉上と江与が戦うなんて私には耐えられません」

「それは俺とて同じだ」

「それならば兄上も初と心を同じくして下さい。お願いです」

「初、心を同じくするだけでは足らぬ。我ら兄妹は豊臣と徳川の戦を止めるため命を賭けなければならない」

「兄上…」

「茶々と江与を戦わせてはならない。一緒にこの難局に立ち向かおう初、兄に力を貸してくれるか」

「はい兄上!」

 大坂に出発の朝、明家は妻たちと話した。今回は妻たちを大坂に連れて行かない。明家は警護の馬廻りと忍び、そして妹の常高院だけを連れて大坂に向かう。

「常高院と共に豊臣家の説得に入る。徳川恭順を説き、それが成就するまで帰る気はない。豊臣家の中には俺を許せぬ者もいるだろう。生きて帰れるかは分からないが、それで死すなら、それもまた俺の天命だ。そなたらはけして意趣返しは考えず、勝秀のもと平穏に暮らしてくれ」

「「はい」」

「さえ」

「はい」

「できれば死にたくはないが、その覚悟がなければ説得はうまくいくまい。これは俺の最後の戦だ。留守を頼む」

「ご武運を」

「すず」

「はい…」

「そなたも来年は不惑、歩行の修練は歳を追うごとにきつくなるかもしれないが欠かすんじゃないぞ」

「は、はい…ぐすっ」

「しづ」

「はい」

「母のみよが病に倒れたと聞いている」

「は、はい…」

「孝行をつくせ。孝行したい時には親はいない。俺やさえがそうだ。分かったな」

「なんで…まるで死に行くみたいに、そんな優しい言葉ばかり…」

 泣き出してしまったしづ。

「さえにも言ったが、これは覚悟だ」

「覚悟…」

「しづ、俺は松永攻めから数え、敵城へ使者に何度か行っている。すべて降伏や恭順と敵方には敗北を決定付ける使者としてな。高遠や岩殿、小田原、九戸には一人で行き、丸腰で入った。正直恐かった。だから死の覚悟をして入った。それで今まで何とか生きている。今回もそうなるとは限らないが、同じくその覚悟で行く。それだけだ」

「殿…」

「お前に求婚するときもこんな気持ちだったぞ。あっははは」

「と、殿…。もう、いじわる」

「甲斐」

「はい」

「元気な子を生んでくれ」

「はい…」

 甲斐姫は先日に懐妊が確認された。

「親子仲良くするのだぞ。父上がご存命なうちにな」

「分かりました…」

「さえ」

「何も言わないで。分かっております」

 ニコリと笑うさえ。言葉はいらない。分かっている。さえの笑顔がそう言っていた。明家も微笑んで返す。

「そうか、では行ってくる」

「「「ご武運をお祈り申し上げます」」」



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開戦か恭順か

 舞鶴を出て数日後、明家一行は大坂に到着した。京橋の柴田屋敷に入り、身を清め、髪も整えた。妹の常高院(初姫)が明家の部屋に来た。

「兄上、登城の準備が整いました」

「わかった。行くぞ初」

「はい!」

 柴田明家と常高院、二人だけで大坂城に乗り込んでいった。大坂城の城主の間、君主の席には秀頼と茶々が鎮座していた。

「徳川の使者として参られたのですか兄上」

「そうでもあり、お前の兄としても来た」

「……」

 加藤清正と秀吉の正室である高台院も立ち会った。豊臣家の重臣たちが居並ぶ中、明家は切り出した。

「もはや内府の天下は揺るがない。いや揺るがせてはいけないのだ。内府が天下を取れば戦はなくなる。天下泰平の世が訪れる」

「大納言殿は徳川に天下を譲れば、永遠の天下泰平が到来するとでも?」

 加藤清正が言った。

「…主計頭(清正)、古今東西、永遠の天下泰平などない」

「なに?」

「この国とて、開闢以来より陸奥から薩摩にかけて戦は数え切れぬほどあった。その戦の発端ほとんどが後世の我々から見れば呆れかえるようなくだらん理由ばかりだ。戦と云うものがどれだけ馬鹿馬鹿しいものか分かるであろう。たった一つのその馬鹿馬鹿しい戦が民百姓の汗と脂の結晶の稲穂を台無しにする。

 そして今、応仁の乱から百三十年続いたこの戦国乱世に終止符を打てる段階に来ている。内府の作る幕府が何年に渡り天下泰平を続けられるかは知らん。たとえ三十年であっても、この国から戦がなければ万々歳ではないか。三十年後にまた乱れたとしても、今から三十年戦国乱世が続くより幾万倍も意義のあることだ!内府に天下泰平を築いてもらうため、ここで豊臣が屈するのは何の恥でもない」

「詭弁である!大納言は徳川の走狗となり、豊臣を説いて恩賞をいただくため得意の弁舌を振り回しているだけである!」

「この大坂城は難攻不落であるぞ!内府が攻めてきたら逆襲し、我らが江戸に攻め入り、秀頼様が大坂幕府初代将軍となるべきなのだ!」

 明家の意見を退けようとする豊臣重臣たち。関ヶ原以来、家康が豊臣に何の接触もしていなかったため、逆に豊臣家臣団の緊張は大変なものだった。やっと接触してきたと思えば降伏勧告。拒否反応は当然である。明家は大野治長を見た。

「お前もそう思うのか貫一郎」

「……」

「どうなのだ!言わぬは卑怯ぞ!」

 治長は茶々を一瞥し、明家に頭を垂れて言った。

「貫一郎、大納言殿の申すことは正しいと思います。しかし…」

「しかし?」

「だからと云って割り切れるものではないのです」

 かつて丸岡城の戦いの時、降伏の使者に来た前田利家に明家が言った言葉を治長は明家に返した。しかし『気持ちは分かるぞ』と退くわけにもいかない。常高院が言った。

「姉上、江与と戦うのですか?」

 そう言うと、茶々は常高院から目を逸らした。

「我々三姉妹は小谷、北ノ庄、丸岡と三度も落城を経験しました。敗者のみじめさは骨身に染みています。姉妹争うことは絶対にすまい、助け合おうと丸岡落城前日に三人で誓ったことをお忘れなのですか!?」

「…忘れておるものか」

「ならどうして、そう意地を張るのですか!徳川と戦うのではなく!共存を図ることが豊臣百年の大計ではないのですか!?」

「……」

「初の言う通りだ茶々、不本意であろうが、そなたが徳川に人質に参り、大坂城を明け渡せば内府の側にいる豊臣討つべしと意気を上げている連中も沈黙する。内府は豊臣を討とうと思えば関ヶ原の折に出来た。なぜそうしなかったか考えよ。内府は豊臣を討ちたくはないのだ」

「そんなことは信じられませぬ」

 言い返す茶々。

「内府はただの人情論だけで豊臣を討ちたくないと考えているのではない。豊臣と戦うとならば、また全国の諸大名を動員する必要がある。しかしもはやこの国に恩賞を与えるだけの土地など残っていない。二度目の蒙古襲来よろしく恩賞が出せず、諸大名の憤懣やるかたなく再び世は乱れる。内府はそれを危惧しているのだ。しかし豊臣が恭順すれば大乱もなく幕府が構築できる。だから豊臣は討ちたくない。そう思っているのだ」

 しかし豊臣重臣たちは揃って恭順に反対。

「大坂城は難攻不落!たとえ内府が何万と寄せようが退ける!」

「そうじゃ!攻めあぐねたところを奇襲して内府の首をとってやる!」

「不落城など存在しない。そなたらは篭城戦のもっとも多き敗因を知らないのか。味方同士の疑心暗鬼だ。武田信玄公や上杉謙信公さえ落とせなかった小田原城がどんな末路を辿ったか知らぬとは言わせないぞ」

「我らを北条と一緒にするでない!秀頼様のもと一丸となり、不和など生じさせぬ!」

 加藤清正が言うと、明家は着物を脱いだ。下にあったのは死に装束であった。

「死の覚悟なくてそなたらを説けるとは思っておらぬ」

 そして切腹用の太刀を前に置いた。明家の死、これがそのまま豊臣と徳川の戦いの端となるのは明白だった。

「恭順しないかぎり、徳川は豊臣を討つしかない。太閤殿下が築いた大坂の町は火の海となり、血に飢えた雑兵に大坂の娘たちは息絶えるまで陵辱される。合戦後も徹底した残党狩りが行われ、なぶり殺しとなる。武士が合戦で死ぬのはいいだろう。だが巻き添えとなる家族と領民はどうなる。まさかどうでもいいなんて考えてはおらんだろうな」

「「……」」

「俺とて丸岡で太閤殿下に降伏した。今でもその悔しさは忘れてはいないが後悔はしていない。何故なら家臣と家族、丸岡の民を守れたからだ。その方ら、討ち破った敵将の首を誇るよりも、守った家族と領民の笑顔こそ誇れ!戦いとはそれによって何を得たかではなく、何を守ったかで価値が決まると心得よ!」

 明家は床をドンと拳で叩いた。

「そもそも武士のおこりとは何か。公家の圧政に対抗するために生まれた者たちであろう。その者たちは何を公家の圧政から守ろうとしたか。自分の国の女子供を、家族を守ろうとしたのだ。武士の誇りとやらではない。豊臣家の誇りなど兵と民の命に比べれば取るに足らぬと知れ!将とは何のためにいる?戦に勝つためではない。兵を待つ者の元へ帰してやるためにあり、君主とは兵や民百姓のためにいるのだ!」

「「……」」

「徳川と戦えば負ける。大坂は蹂躙されて秀頼様も討たれる。ならば豊臣家の身の立つやり方で戦わなければよい。確かに人には負けると分かっていても、死ぬと分かっていても行動しなければならない時があるだろう。だがそれは己一人の命のみで済む場合だ。何ごともなく幸せに暮らしている民百姓を巻き添えにしてまですべきではないのだ。天下を取ると云うことは戦に勝てば良いというだけではない。民の本当の安寧を目指すものに自然と収まる。

 織田信長の破壊、豊臣秀吉の創造、そして徳川家康の守成の世がやってこようとしているのだ。もう万民は戦に疲れている。旧勢力の豊臣がいたずらに意地を張って平地に段を築いて何とするか!前に出るのも勇気であるが、退くもまた勇気、生き延びよ!そして徳川がどんな世を作るのか見届けよ!」

 柴田明家の訴えに豊臣家臣団は黙った。正論であるのは誰もが分かっていた。しかし人間は感情の生き物。割り切れることと割り切れないものがある。

「一同、よう聞け!!」

 それは秀頼が発した言葉だった。いつも母親の横にいるだけの秀頼が凛と立ち上がり発した一喝であった。明家の説得を黙って聞いていた高台院も驚いた。

「ひ、秀頼…」

「母上、清正、高台院様、そして皆も聞け」

「「ははっ」」

「伯父、柴田大納言の言葉こそ正しい」

「若…!」

「この大坂を戦火にさらしたくはない。内府殿に降り共存の道を選ぼう」

「「は…っ!」」

「伯父上」

「はっ」

「伯父上の言うとおりにいたします」

「秀頼様…!」

「秀頼…」

「母上、それがし幼くても、豊臣秀吉の息子です」

「……」

「母上も伯父上の言うことに従うと言って下さい。お願いです」

 城主の間が静まり返った。

「茶々殿」

「高台院様…」

「秀吉の最期を覚えていますか。見るも無残なものでした。あれが天下人の最期なのかと誰もが思ったであろう。退け時を誤った男の哀れな末路です」

「急に何を…」

「豊臣家は同じ末路に歩み出しています」

「……!」

「せめて、あの方が残してくれたこの家の退け時は見極めてくれぬか。さもなければ我らは秀吉の最期から何も学んでいない愚か者ぞ…!」

「……」

「秀吉は皆に何と言い続けた。『秀頼を頼む、秀頼を頼む』と云う哀願。『豊臣家を頼む』とは一言も言っていない。分かっていたのです秀吉は!豊臣家が己一代のものと!ならば残された我らの務めは、秀頼を生かし、そして豊臣家をどう上手に倒れさせるかにあるのではないのですか。秀頼の決意、母親のそなたが誤ってはならぬ!」

 茶々は目をつぶり、溜息を吐き、そして言った。

「…分かりました」

「茶々…!」

「姉上、よくぞ、よくぞご決断下さいました!」

「それでよい茶々殿、ああ…あの人のみじめな最期が…ようやく報われた!」

 

◆  ◆  ◆

 

 豊臣秀頼、徳川に恭順。この知らせに徳川家康は歓喜して喜んだ。その後、柴田明家は豊臣家臣団や恩顧の大名たちに、豊臣が六十五万石の大名で畿内にあり、大金城の大坂城と多大な金銀を持つのは今後の災いにしかならない。一番の方法は城と財もすべて明け渡し、豊臣は関白家として公家になり、徳川と融和を図ること。それが豊臣家の存続と秀頼の命を保証するものとなると懸命に説いた。

 大坂城の明け渡しについては説得が困難を極めた。城は武家の象徴。戦わずに明け渡すなど武門の恥。しかし明家はあきらめなかった。大坂城が豊臣のものであるかぎり徳川は必ず滅ぼす。そうせざるを得ないからだ。高台院も明家の味方について必死に説得した。やがて明家と高台院に同調する大名も増え、ついに開城となる。

 その間に徳川家康は江戸に幕府を開いた。家康は江戸幕府初代将軍となった。そして柴田明家と加藤清正が秀頼の後見について家康と二条城で会見。秀頼は恭順の姿勢を示し家康に平伏し、母親の淀の方を人質として差し出すことを約束。大坂城は徳川家康に明け渡された。豊臣恩顧の大名たちはこの時点をもって独立し、幕府外様大名として生きていくこととなり、秀頼は関白となり、京の聚楽第跡地に屋敷を構え、豊臣家の存続を許された。片桐且元、大野治長も公家となり秀頼に仕えることを選んだのだった。柴田明家と常高院は徳川と豊臣の合戦を見事防いだのである。明家の妻子たちも歓喜した。今まで明家が遺言めいたことを残していくことはなかった。本心から明家は死を覚悟してことに当たったのだ。だが生きのび、かつ大役を無事に果たしたのだ。

 

「ご苦労にございました大納言殿」

 京における高台院の住居である『高台院』に招待されていた明家。高台院に礼を受けた。

「いえ、高台院様の助力あらばこそにございます」

「『みなが笑って暮らせる世の中を作るのじゃあ!』」

「…?」

「豊臣秀吉が羽柴秀吉であったころ、よう言っていました。でも、そんな世は神仏でも作れません。天下を取った秀吉はそれを痛感したことでしょう」

「高台院様…」

「だけど今回、豊臣と徳川の戦が避けられたことで、この国の一隅だけでも『笑って暮らせる世』が出来たのではないかと私は思います。それを叶えてくれたのは内府殿ではない。大納言殿、貴方です」

「いえ、それがしはただ無我夢中で…」

「ありがとうございます。秀吉もあの世で喜んでいるでしょう」

「ありがたきお言葉にございます」

 

 大坂屋敷に帰った明家を伊達政宗が訊ねた。

「徳川と豊臣の戦、阻止の儀、まことに祝着にございます」

「かたじけのうござる」

「今だから申せますが、それがし柴田と豊臣が手を組み徳川に挑むとなれば、豊臣につく気でございました」

「ほう」

「東軍のお味方をすることによって、伊達家は百万石への加増のお墨付きをいただきました」

「百万石!」

「それを反故にされまして、もうついていけぬと」

「どうして反故に?」

「南部の一揆に加勢しまして、関ヶ原のドサクサに乗じて領土拡大を図りましてございます。それが筒抜けでござった。抗弁の余地はないものの何とも悔しくてならず」

 関ヶ原後の論功行賞において政宗は仙台を中心とした約六十二万石と定められた。

「それがしは戦国大名として天下の覇者になる。その野望を持ちつつ今まで生きてきました。しかしもはやそういう世の中ではなくなりました。これからは泰平の世、戦で領地を奪ったり奪われたりする時代ではござらぬ」

「その通りです」

「だが百万石の夢だけは捨ててはおりませぬ。戦ではなく、平和のうちに我が領地を百万石にしてみせようと腹を括りました」

「それは新田開発に?」

「左様、今にご覧あれ。江戸城の米倉を伊達の米で満載にしてみせまする」

「それがしも荒地はどんどん田畑にしていくつもりにございます。あ、それはもう手前の息子の仕事でござった。いかんいかん。あはは」

「最上の駒姫がご子息の側室として輿入れされるそうですな」

「いかにも」

「その駒姫にそれがしの母である保春院が侍女頭として随行いたします」

「ご母堂が?」

「はい、何とぞよしなに」

 政宗は砂金の入った袋を差し出した。

「これは受け取れませぬ。せがれの妻に仕える方ならば、厚遇するのは当然にござれば」

「その厚遇のため、お使いしていただきたい。それがしの顔を立てると思い受け取っていただけまいか」

「政宗殿…」

 明家は受け取った。

「まだ、不仲なのでござるか?ご母堂と」

「なかなか、良い切っ掛けがござらぬゆえ」

「政宗殿、それがしにはもう母がおりませぬ。親孝行したくても出来ない。余計なお世話かもしれませぬが、ご母堂がご存命の貴殿には孝行をしてもらいたいと思う」

「……」

「ご母堂をお預かりするのも縁。伊達と柴田のよき縁となりましょう。それゆえ一つ述べさせていただきたいと存じますが」

「何でござろう」

「その百万石の御墨付きですが焼かれたほうが良いと存ずる。災いにしかなりませぬぞ」

「これは異なことを。大納言殿とて関ヶ原前に上様(家康)から丹後若狭を保証する御墨付きを得ておられるではないか」

「あれはもう焼きました」

「な…!?」

「御墨付きを要望したのは上様へ柴田家に天下への野心なしを示すためと丹後若狭から動きたくないゆえにやったこと。それがしも息子も御墨付き一枚で領地安泰と確信するほどめでたくはございません」

「そ、それゆえ褒美は金銀でよいと申されたのか」

「いかにも。家臣たちに与える金銀は欲しかったですから」

「なんとしたたかな…」

「我が義兄、竹中半兵衛も太閤殿下からの感状はすべて燃やしてしまったそうです。また黒田如水殿が厚き恩賞を約束する太閤殿下の感状を持っていると聞き、それを取り上げて焼いたと言います」

「聞いたことがございます。身を滅ぼす要因となる。子孫のためにもならぬと」

「その通り。政宗殿、もはや果たされない約定の証文などあっても無意味。まして発行されたのが上様では災いになるだけにござる。焼いてしまわれたほうが良い」

「千金に勝る金言、恐悦に存ずる」

『最良の友となるか最大の敵となる』かつて政宗が明家に対して思ったこと。それは前者になったようである。こののち政宗は百万石の御墨付きを焼いてしまった。家康にもそのことは伝わり、『あの男もようやく心得てきたようだ』と静かに笑ったと云う。

 

◆  ◆  ◆

 

 初代将軍徳川家康によって着々と天下が平定されていく中、上杉家と徳川家はまだ不穏であった。

 小山会議によって東軍は関ヶ原に転進、追撃を主張する直江兼続の意見は退けられた。景勝は関ヶ原で東西両軍が長期戦になることを見越し、領土の拡大を図り最上領に進攻した。しかし関ヶ原の戦いはわずか一日で終わった。壮絶な撤退戦のすえ上杉勢は会津へと帰還した。その後、徳川との和平を模索。上杉景勝と直江兼続は柴田家に和平の仲介を要望した。

 柴田家と上杉家、過去二度熾烈な戦いを繰り広げている。手取川の戦い、そして御館の乱に乗じて柴田勝家が攻め込んだ能登越中の戦いである。後者は本能寺の変が発生したため柴田勢は撤退を余儀なくされた。追撃に出た上杉勢。その殿軍に立ったのは手取川の戦い同様水沢隆広だった。熾烈な撤退戦であった。隆広自身が討ち死にさえ覚悟したと云う。

 だが勝利に乗ってきた上杉勢の前に立ちはだかった六騎がいた。前田慶次、松山矩久、小野田幸猛、高橋紀茂、高崎吉兼、星野重鉄と云う隆広の精鋭たちである。慶次を先頭に六騎は突撃を敢行。死を覚悟して突撃した六騎は鬼神の強さを示し、勝利を確信していた上杉勢は命を惜しんで後退してしまったのだ。景勝と兼続は追撃を断念、柴田勢は急ぎ明智光秀を討たんと京に進軍するが秀吉によって光秀は討たれた。清洲会議でも後手に回り、秀吉との戦いが避けられないと確信した柴田勝家は背後の憂いを断つため上杉家に和平を持ち込む。この時の使者が隆広と慶次である。

 武勇を尊ぶ上杉家は敵であろうと勇猛果敢な男を愛する。しかし御館の乱に乗じて攻め入った勝家を景勝は許さず、殿軍を務めていた隆広と慶次を丁重に持て成すも和議は決裂。ゆえに賤ヶ岳の戦いでは佐々成政を上杉に備えて配置せざるを得なかった。柴田家と上杉家の和平はその後秀吉が仲立ちして行われたのだ。以後は過去の確執は忘れて親密にしていた。

 家康の会津攻めにおいて、柴田明家は家康に属するが現地で上杉と徳川の和平をするつもりであった。しかしそれは果たせず関ヶ原の戦いとなってしまったのだ。まだ上杉と徳川が交戦状態であるのは変わらない。上杉家には主戦論を唱える者も多いが、豊臣が矛を収めたこの状況で戦えば上杉は滅ぶ。すぐに景勝が家康の元へ出向くのは危険である。だからその前に徳川が上杉との和議を受け付ける状態に仕向けなければならない。それを上杉家から要望されたのが柴田家と云うわけである。柴田家としては幕府家老として迎えたいと申し出ている家康の心証を害したくないが断るのは武人として恥である。明家は引き受けた。慶次を副使に家康と会った。

「大納言」

「はっ」

「本能寺の変のおり、上杉が追撃せねば光秀の首を取ったのは柴田であったやもしれぬのに、何故上杉を庇う?」

「退却する敵を追撃するのは戦場のならい。柴田に上杉へ怨みはございませぬ」

「ふむ…。その方と直江山城は上泉信綱の同門と聞く。それゆえか?」

「それもございます」

「それも、ほう他には?」

「それがし、先代謙信公に命を救われました」

「不識庵殿に?」

「手取川の戦いのおり、手前は信玄公のいでたちをして謙信公に突撃しました」

「聞いておる」

「兵法でも何でもない。心理作戦でした。謙信公はその後我らに追撃をしませんでした。あえてそれがしの二流の芝居に乗って下されたのでしょう」

「ふむ」

「世間はそれがしが唯一不敗の謙信公に土をつけたと申していますが、それは違います。見逃してもらったのです」

「なるほど。それで次代の景勝も助けたいと思うわけか」

「殿」

「うむ」

  明家は慶次の発言を頷き許す。家康に対して慶次は

「はっ、上様、それがしも同じ気持ちにございます。手前二度主君大納言と共に上杉勢と戦い申したが、手強い相手にございました。その後当家が太閤殿下に組し、景勝殿と山城殿とお会いしましたが、何とも惚れ惚れする武人」

「……」

「先の上杉攻め、元は上様の単なる誤解から生じたもの。かようなことでそれがし友二人を失いたくございませぬ」

 暗に、あれはお前の言いがかりだと慶次は言っている。家康は苦笑した。

「相変わらず歯切れの良い男だ。和平の使者とは思えないわ」

「慶次」

「はっ」

「上様、廊下を拝借します」

「ん?」

 明家と慶次は廊下に出て、小刀を取り出し髷を切り落とし、髪を剃った。やがて丸坊主となった二人。

「「和平の使者、これで相務まりしょうや」」

 見つめあう家康と明家、慶次。

「相分かった。和議の条件に入るとしよう」

 ニコリと笑った三者。

「しかし坊主になったとて出家は許さんぞ大納言、そなたには働いてもらわんとな」

「はっ」

 ここで明家は幕府家老就任を承知したことを家康に示した。

「慶次殿」

「はっ」

「大納言から柴田の兵権を取り上げることになるゆえ、警護が手薄になるかもしれぬ。これからの徳川幕府に貴殿の主君は欠かせぬ人物、よう守って下されよ」

「承知しました」

 かくして上杉家と徳川家の和議は成った。会津百二十万石から米沢三十万石に減封された。しかし上杉景勝と直江兼続は少しも悪びれず、堂々としていたと云う。

 

◆  ◆  ◆

 

 丸坊主になった良人を見てくすくすと笑うさえ。

「そんなに可笑しいか」

「はい、かわいい」

「丸坊主になったのは竜之介と名乗っていたころ以来だな。何か洒落た頭巾でも買うか」

「そうなさった方が良いかもしれませんね。でもさえは嬉しいです」

「何が?」

「口づけできるところが増えましたから」

 デレと微笑む明家。

「じゃさっそく」

「ダーメ、夜までお預けです」

 

 前田慶次は隠居を明家に申し出た。愛馬松風もすでに世を去り、慶次は頭を丸め、名を『一夢庵ひょっとこ斎』と改めた。前田の家督は彼の嫡男の正虎が継ぎ、明家嫡男の勝秀に仕える。他の子はすべて女子であるため、すでに嫁いでいる。戦でも最後を締め括る良き敵と仕合え、主君と共に上杉家のために尽力もできた。もう我が役目は終えたと彼も思ったのだろう。

 慶次は屋敷の縁側でのんびり加奈の膝枕で横になっていた。丸坊主の良人の頭を撫でる加奈。そこへ使用人が伝えた。

「申し上げます、直江兼続様がお越しにございます」

「そうか」

 慶次は起きて、背中を伸ばした。兼続と会った慶次。

「大納言殿も頭を…!」

「いかにも。これからは号を名乗られる。快斎と云う」

「何と出家を?」

「いやいや、快斎と言う名は法名ではなく雅号でござるよ。出家はするなと上様に言われておるし、髪もまた伸ばせと命じられたらしい」

「雅号でござるか…」

 柴田明家は当時の文化の代名詞とも言える茶の湯は嗜む程度だったが、能・和歌・書画の名人としても評価されている。それに伴い朝廷から贈られた号が快斎である。師の快川和尚の名の一字があり、明家は大変気に入っていたと言われている。

「ちなみにそれがしは『ひょっとこ斎』と改めましてござる」

「ひょ…」

「前々から決めていましてな」

「失礼ながら、どのような由緒が?」

「そんなものはござらぬ。思いつきにござる」

「おかしな名前で…」

「同感でござる。しかし気に入っていましてな。あっははは」

「ですが、そう言われると何か慶次殿に相応しい気がするのだから不思議ですな」

「ははは、しかし殿は坊主頭になり、奥方には『口づけできる場所が増えて嬉しい』と喜ばれているらしい。それをまあ自慢げに話されるから嫌になるぞ。山城殿は殿の髪がある程度伸びるまで会わない方がいい。ここぞとばかり捕まって嫁自慢されるぞ。あっははは!」

「そうもまいりませぬ。覚悟して参ることにいたしましょう」

 苦笑する兼続。後日その災難に遭うのだが。

「して、ひょっとこ斎殿、柴田家には尽力していただきました。さりながらどう答礼するか悩んでおりまする。何せ進物と賄賂を嫌う御仁ゆえ。かと言って何もせぬのは主君景勝の恥、何か大納言殿が慶んで受け取って下される礼はないでしょうか」

「なに簡単にござる。景勝殿の内儀の菊姫様と殿は武田の松姫を経て知己でござるし、山城殿の内儀のお船殿と御台様(さえ)は友。上杉と柴田の幹部とその内儀を招待しての宴を催してはいかがですかな?」

「それは名案にござるな!」

「ははは、それがしその席でお船殿を口説いてみようと思う」

「はっははは、ではお船にちゃんと最後まで聞いてあげるよう伝えておきましょう」

「お?自信たっぷりですな。それがしの口説きを甘く見られるなよ」

 笑いあう慶次と兼続だった。さて兼続はすぐに宴の招待状を柴田明家に届けた。場所はかつて明家嫡子の勝秀が治水した宇治川の河川敷。そこで桟敷を広げて上杉と柴田の君主と幹部たち、その夫人たちが招待されて宴を開いた。川のせせらぎを聞きながら、とても風流で賑やかな宴になった。これで十分なのである。明家と慶次は何も上杉家から大きな見返りを期待して和平交渉の使者になったのではない。明家はこの席で少年期に恵林寺で習った武田家の陣中食『ほうとう』を作りふるまったと云う。笑わない君主と言われた上杉景勝であるが、一度だけ笑ったと云う話がある。いつどこでとは伝わってはいないが歴史家はこの柴田家と上杉家の宴にて、明家の作った『ほうとう』を食べた時ではないか、と述べている。

 

◆  ◆  ◆

 

 さて、江戸に来た茶々を家康は厚遇し、やがて秀頼の恭順が本物であると見て、その立役者となった明家と常高院に労いの証として秀頼の元には行ってはいけないと釘を刺されているものの茶々を返したのであった。茶々は兄の領国に行ったことがなかった。美観と名高い天橋立を見たいと言うので明家は連れて行った。今まで辛苦を強いていた妹の頼みは何でも聞いてあげたい。

「きれい…」

「そうだろう。俺もいつ来ても飽きない」

「ねえ兄上」

「ん?」

「少々歳を食ってしまって、かつ気の強い淀の方と見られていた私だけれど、再婚相手いるかな」

「え?」

「ギリギリもう一人くらい生めると思うのです」

「そうだな…。誰がいいだろう」

「その前に兄上、茶々の願いことを聞いて下さい」

「おお、何でも言え。俺に出来ることなら何でもしてやるぞ」

「じゃあ…」

 茶々は顔を赤めた。

「何だよ」

「茶々を思いっきり抱きしめてもらえないですか」

「え、ええ?」

「…同腹の兄と知る前、茶々は兄上をお慕いしておりました」

「……」

「だから、今からほんの一瞬だけ。妹ではなく一人の女として抱きしめてほしい…」

 明家も顔を赤めた。コホンと咳払いし、茶々の手を掴んで抱き寄せた。

「ああ…隆広様、嬉しゅうございます…」

「茶々…」

 これから数日後の舞鶴城、家老の山中鹿介が明家に呼ばれた。

「殿、お呼びで」

「うん、まあ座ってくれ」

「はっ」

「ゴホゴホッ」

 鹿介は直感であまり良い知らせではないことを悟った。明家は言いにくいことを言う時にはこうして風邪をひいてもいないのに咳をする。

「あ~、その方いくつに相成った?」

「は?」

「歳だよ」

「な、何でござるか急に?」

「ゴホッゴホッ」

「…五十三にござる」

「先妻をなくしてどれだけ経つ?」

「四年ですが…」

「そなたもまあ~あれだ。柴田の重鎮としてだな。四年も独り者ではまあ~格好がつかんかなと思って」

 鹿介は今まで二人の妻を娶っている。最初の妻は合戦のさなか討たれ、二人目の妻は柴田家臣になってから娶ったが彼の言うとおり四年前に死別した。

「後添いの話ですか」

「そうそう」

「この歳で若い妻を娶るのは毒にしかなりませぬ。失礼ながらご辞退をば」

「そう若くはない。三十七歳、いや三十八か?」

「ほほう、女盛りですな。前の御亭主とは死別でも」

「まあそういうことだ。しかも美しいぞ」

 興味を示し出した鹿介。

「ま、まあ無下に断るのも殿の顔を潰しますれば、会うだけ会おうと思いますが」

「ありがたい、入れ!」

「はい」

「え?」

 部屋に入ってきた女を見て驚いた鹿介。何と茶々姫である。

「茶々姫様!!」

 慌てて平伏する鹿介。

「そんな必要はありません。私はもう豊臣の茶々ではございません」

「は、はあ…」

「鹿介、そなたの最後の伴侶として妹を娶ってくれないか」

 明家の横に座った茶々。

「私から山中様が良いと兄に要望しました」

「茶々姫様から…」

「はい、山中様と私が会ったのは丸岡が最初です。勝機のない兄の援軍に来て下された山中様を見た時、どれほど嬉しかったことか…。嫁ぐなら山中様のような損得で動かない殿方に嫁ぎたいと思っていました。その後も兄の重臣として、私にも良くして下されました。嬉しかった…」

「……」

「少し寄り道をしましたが私に妻として、そして母としての幸せを下さいませんか」

「…苦労しますぞ」

「かまいません」

「うん、では殿、妹御をちょうだいします」

「ああ、茶々、よく仕えよ」

「はい兄上」

 こうして茶々は山中鹿介に嫁ぎ、この後は丹後の国で幸せに暮らしたと云う。

 

 一方、柴田勝秀。彼の元に一人の女が輿入れに来た。最上義光の娘の駒姫である。駒姫には待ちに待った輿入れのとき。その数日前、明家は息子に訊ねた。

「姫蝶は駒姫輿入れを納得したのか?」

「ええ、何とか」

 姫蝶はかつてのさえのように泣いて嫌がったが、さえが何とか『側室を設けて子をたくさん成すのは当主の務め』だと説得。渋々だが姫蝶は認めたと云う。

「そなたも母上の助力なしで側室一人作れないようでは先が思いやられるぞ。男なら女房にバシッと言えバシッと!」

「は、はぁ…」

(父上に言われたくない!)

 最上義光の娘、駒姫が舞鶴に到着。舞鶴港で勝秀に迎えられた。船から降りてきた駒姫。刑場荒らしの時よりさらに美貌に磨きがかかり、勝秀は惚けた。みちのく娘の彼女は肌が白く美しい。

「勝秀様…。駒にございます」

「あ、いや、柴田勝秀にございます。ははは…」

「勝秀様…。三条河原で見た凛々しいお姿、駒は忘れたことはございません」

「そ、そりゃあどうも…」

「何よ何よ、鼻の下伸ばして!」

 後方で見ていた姫蝶は面白くない。隣にいた明家、姫蝶に訊ねた。

「おい姫蝶、なんで後ろ姿しか見えないのに勝秀が鼻の下伸ばしていると分かる」

「勘です」

「ほう、勘か。しかしずいぶんときれいになったものだ。女子は化けるなあ」

「うまくやっていけるのかな…。駒姫殿は私より年も上だし…」

「そんなことを気にしているのか。駒姫も同じことを考えているだろう」

「え?」

「年下のご正室様とうまくやっていけるのかとな。そなたも駒姫も親父の俺が政略的に娶わせたのではなく、二人が息子を好きになってくれたから娶わせた。同じ男を愛した者同士。あまり難しく考えるな。きっとうまくいく」

「はい…義父上様」

「ほら、生涯の友となる女をお前も迎えてやれ」

「はい!」

 一人の老女が明家に歩んできた。

「柴田大納言様にございますね」

「左様」

「私は保春院と申します」

「政宗殿のご生母殿でございますね」

「はい、こたびは姪の駒の侍女頭として柴田家に参りました」

 穏やかな顔をした方だ、明家は思った。

「改めて御礼を申し上げます。駒を三条河原からお助けしたことを」

「その代わりにお願いと申しては何ですが」

「…?」

「ご子息の政宗殿と和解いたしませぬか」

 保春院は首を振った。

「政宗は私を一生許しますまい…。先の長谷堂の戦で援軍に来てくれたのも、伊達にとって上杉の勢力拡大は脅威だったからにすぎませぬ」

「ご母堂…」

 政宗が明家に母をよしなにと頼んできたことを告げようと思ったが、それを言っても保春院は信じようとしないだろう。

「ご母堂はおやめ下さい。私は駒の侍女に過ぎませぬ。本日より柴田家にご奉公させていただきます」

 母親と息子だからこそ、深い亀裂が生じたら修復は困難なものだ。

「まだ時が必要であるな…」

 と、明家は思った。

 

 そして数日後、明家は正式に勝秀に家督を譲った。この日より明家は『柴田快斎』を名乗ることになる。舞鶴城で家督相続の儀を終えた後、父母と話す勝秀。

「父上、長い間、お疲れ様でした」

「ああ、肩の荷が下りた。これから俺は徳川家に属するが、柴田家については顔も出さないし口も出す気もない。やりたいようにやれ」

「はっ!」

 さえは良人に申し訳なさそうに言った。

「殿…」

「ん?」

「私は江戸に行かず舞鶴にいたい」

 快斎は驚いた。舞鶴と江戸では一度離れたらそうは会えない。だが母親としては当然だろう。快斎は駄目だと云うのを堪え言った。

「そ、そりゃあ息子と一緒にいたいと思うのは当然だ。そんな申し訳なさそうな顔することない」

「でも…殿とも離れたくない。どうしたらいいの…」

「おいおい、いい歳して泣くなよ…」

「心配無用です」

 と、勝秀。

「「え?」」

「母上には徳川への人質になっていただきます。だから江戸に行ってもらいます」

「勝秀…」

「母上、それがしは童のころから母上と父上の睦み合いを邪魔するまいと心掛けてきました。それがしももう子供ではありません。安心して父上と江戸でお過ごしあるよう。それにそれがしとて江戸での務めが多くなりましょうから、いつでもお会いできます」

「よく言った勝秀!父は嬉しいぞ。女房を息子から勝ち得る亭主などそうはいまい」

「勝ち負けではないと思いますが…」

 苦笑する勝秀。

「じゃあ江戸で会えるのね勝秀」

「はい、その時は孝行させていただきます母上」

 かくしてさえも江戸行きに決まり、すず、しづ、甲斐も無論行く。快斎は柴田家当主としてではなく、個人の資格で徳川幕府に家老として仕える。家臣は山中鹿介を始め息子に委ねた。江戸で用いる人材も徳川家の者とするつもりだ。快斎の家臣で付いてきたのは一夢庵ひょっとこ斎だけである。あとは一行を警備する兵士二百、その二百の兵の妻たちが快斎の妻たちの侍女や下女を務める。以上を連れて快斎は江戸を目指した。途中に京に寄り、西教寺にある明智光秀の墓に参拝、その後に関白豊臣家を訪れ秀頼に会った。

「母上が山中殿に」

「はい」

「よかった…。母上にはこの秀頼のことなど忘れて、山中殿と幸せにとお伝え下さい」

「分かりました」

「これから江戸に参られると伺いましたが」

「はっ、家督は息子の勝秀に委ねました。これからは徳川の幕僚の柴田快斎です」

「ならば、もうここには来ない方が良いでしょう。いらぬ誤解を持たれます」

「お言葉、かたじけなく」

「伯父上」

「はい」

「伯父上のおかげで豊臣は生き残れた。豊臣はそれを代々伝えていきます。柴田と豊臣に何の盟約がなくても、それがしは柴田明家の甥と云うことに誇りを持ちます」

「それがしも良き甥を持ったと誇りに思います」

 快斎と秀頼が会ったのはこれが最後と言われている。快斎は家督を息子に譲り、江戸に向かい、そして江戸城で丁重に迎えられた。徳川幕府家老として第二の人生がこれから始まるのだ。



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幕府家老

 柴田明家一行は江戸入りした。まだ江戸の城も町も創造期にある。やる気が出てくる明家。さっそく江戸城に登城、家康に目通りした。

「おお大納言、よう来たな」

 上機嫌の初代将軍家康。

「おっと、今は快斎と云う名前だったな」

 ちなみに大納言と云う官位は息子に家督を譲ると共に徳川家に返上していた。彼が大納言と名乗ったのはほんのわずかであった。

「上様(家康)におかれましてはご機嫌麗しゅう」

「ははは、そなたのおかげで大坂方は恭順するし、無用な戦をせずに済んだ」

「それがしも安堵いたしました」

「しかし…交渉成立の功を本当にいらぬと申すのか。そなたは張儀さながらの外交術で豊臣を徳川に下したのだぞ」

 張儀とは中国の戦国時代に活躍した縦横家と呼ばれるほどの論客である。

「欲しいのは山々なれど、お受けできない事情が起こりまして」

「事情?」

「豊臣方を説得中に『内府殿からの恩賞が欲しくて使者になったのではない』と啖呵を切ってしまったのでござる」

 城主の間はドッと笑いで沸いた。

「ははは、それは貴殿にしてはうかつだったな。そう言った手前、受けたくても受けられないと云うことか」

「はい」

 嘘だった。快斎は本心から恩賞欲しさにやったわけではないのだ。家康が茶々と秀頼に何の危害を及ぼさないこと。これが彼にとっては恩賞である。何よりそれほどの大功を厚い恩賞で報いられれば徳川幕僚に妬まれるだけである。命がけの外交交渉であったが実行したのは自分と常高院だけ。将兵を養う立場でなくなった今、そんなに金は必要でもない。災いになるのならば受けないほうがいい。

「とはいえ当家としてそちに何一つ報いないわけにもいかない。そちの江戸屋敷を用意したゆえ、それだけは受け取ってくれ」

「はっ」

「しかし色々と仕事が溜まっている。唐入りの和議締結の詰め、そして江戸の町づくりや法度の発布など山積みじゃ。しばらくは屋敷に戻れまいぞ」

「承知しています」

「うむ、でもまあ今日のところは屋敷でゆっくりするといい。明日からこき使うぞ」

 さて、快斎に随伴してきた家臣はと言うと一夢庵ひょっとこ斎こと前田慶次だけである。あとは快斎の屋敷や移動を警護する番兵二百だけであった。快斎は江戸屋敷に向かった。柴田快斎の屋敷は現在の新橋にあったと云われている。番兵と侍女たちの家も敷地内にあり、快斎の住む屋敷も中々ひろい。

「殿、大坂や伏見の屋敷より大きいです」

 と、満足気のさえ。

「うん、ずいぶんと奮発してくれたなァ上様は」

「この厚遇に応えないとなりませんね殿」

「そうだな、幕府はまだ創造期だ。働き甲斐があるぞ。そなたらも内助を頼むぞ」

「「はい!」」

 ひょっとこ斎の屋敷も敷地内にある。

「加奈と二人だけでは手に余るな。私塾でも開くか」

「槍を教えるのですか?」

 と、加奈。

「俺の武技は誰も学べまい」

「まあ、すごい自信。じゃあ私がお庭で冨田流小太刀を江戸の町娘に教えようかしら」

「それがいい、俺は古典でも教えよう」

「そうですね。お互い副収入にもなるし、家計が助かります」

「しかし殿と俺、第二の人生だ。加奈、今後も頼むぞ」

「はい、子供たちも独立しましたし、私も第二の人生を楽しみます」

 

◆  ◆  ◆

 

 柴田明家は柴田勝秀に家督を譲り、名も快斎と改めた。小浜城主も奥村助右衛門から奥村兵馬となり、世代交代したのである。明家はかなり早いうちから勝秀を後継者と指名しており、帝王学なども仕込んでいた。勝秀は父の明家のように飛び抜けた才能はないが、人の話は謙虚に聞き、信賞必罰も不正がなかった。先代重臣と当代重臣も分け隔てせず、家臣の息子が初めて目通りすると、父親の今までの功績すべて息子に述べ、父上と同じく俺を助けてくれよと督励した。

 これは島津義弘や明智光秀が家臣たちに行っていたことで、勝秀はそれを真似したと云うことだ。良いことは真似る、こういうところは父親と似ている。自分は父と比べ才覚は乏しい、家臣や領民たちに助けてもらわなければと考えていた。

 快斎が勝秀の仕事で口を挟んだのは後にも先にも宇治川の治水だけで、あとは全部任せ、そして家督を譲ってからは顔も口も出さなかったのである。

 

 さて、幕府家老となった柴田快斎は本多正信と共にすぐに朝鮮出兵の後始末を始めた。対馬の宗氏を外交大使として李氏朝鮮との和議を進めて無事に締結させ、そして明王朝を滅ぼした清王朝にも親善大使を送り、和平が成った。

 朝鮮の役の後始末を済ませ、ますます快斎は家康に重用されていき本多正信と共に家康の参謀を務めた。家康は自分の死後に再び世が乱れないために色んな法度を作った。『武家諸法度』『禁中及び公家法度』『諸方本山本寺法度』家康はその下書きを快斎に見せて意見を訊ねた。その一つ一つの法度などを見ていくうちに快斎は天下の政治とは分かり出した。その法度すべてが民に安寧をもたらすものであったのだ。快斎は秀忠とも政治を論じ合い、二代目のとるべき道はと語り合った。

 

 江与も大好きな兄が城内にいてくれて嬉しい。江与は花が大好きで、最近は庭に花檀を作り世話していた。快斎はその花檀の前に訪れ、江与とよく話していた。

「兄上、いつまで江戸にいてくれるのですか?」

「そうだな、竹千代君(家光)が一人前になったらかな」

「ずいぶん先ですよ」

 苦笑する江与。

「おう、そうだ。江与、茶々が鹿介の男児を生んだらしい」

「まあ、それはめでたきことに」

「うん、よくがんばったと思う」

「茶々姉さんも初姉さんも丹後、たまに無性に会いたくなります。天橋立や三方五湖も一度見てみたい」

「上様はたまの里帰りを許してくれないのか」

「良人としては、たまに帰してあげたいと思っているようですが、私も一応将軍正室、奥の務めがございますから」

「えらくなどなるものではないな」

「まったくです」

 笑いあう快斎と江与だった。

 

 しばらくして快斎は甲斐姫の故郷である忍城(埼玉県行田市)に向かった。今は成田氏が城主ではないが、幕府家老の快斎には入ることが許される。しかし私事で来たのにそんな強権を使う気はない。甲斐姫もすでに他人の家になった城に入る気はなかった。

 舞鶴城の攻防戦で活躍してくれた忍衆たちのいる村へと快斎は向かった。合戦のおり甲斐姫の右腕を務めた正木丹波が出迎えた。

「元成田家家老、正木丹波です。いまは孫六と名乗っていますが」

「柴田快斎にござる」

「よされよ幕府家老が農民に頭を下げるものではないですぞ」

「いや、貴殿たちのおかげで舞鶴城は持ちこたえられた。礼を申しまする」

「なんの、姫と共に豊臣へ一矢報いられましたからな。満足しています。のうみんな!」

 丹波の家に集まっていたあの時の忍衆たちは笑顔で頷いた。

「ついては礼の品を持ってまいった次第」

「いや礼など」

「いや受け取ってもらえないと帰りに荷物になるので困る」

「は?」

 丹波の家の戸口が開くと美酒が二十斗置かれていた。柴田家の産業である清酒、それを国許から運んでもらったのだ。

「柴田家を隠居している身ですし、これぐらいしかお贈りできず申し訳ない」

「と、とんでもない!丹後若狭の清酒は美酒で有名!舞鶴に行った時にはまあ~我々は夢中になったものです!また飲めるとは!」

 丹波やその仲間たちは大喜びで酒樽に走った。

「んまーい!」

「この味を忘れられなかったんだ~」

 忍衆たちは舌鼓して美酒を飲む。

「また良い知らせも、これ」

「はい」

 すると侍女が赤子を抱いて丹波の屋敷に入ってきた。そしてそれを甲斐姫が抱く。

「丹波、私の息子の才介です」

「お、おおおッ!」

 丹波は赤子に感涙して平伏した。仲間たちも感涙した。

「それが姫と快斎殿の!」

「そうよ、かわいいでしょ」

「おお…。今日は我ら忍衆最高の日にござる…!」

「して丹波、そなたらへの褒美、これからしに行くつもりです。父の氏長(正史ではすでに故人。本作では存命とする)に会います。もう時も経たし、確執もありません。丹波も一緒に来てくれますか」

「喜んで同道いたします。これで我ら忍衆、肩の荷が降りましてございます」

 その日は忍城下に泊まり、快斎は正木丹波も連れて下野烏山城に向かい到着。甲斐姫は久しぶりに父と対面。甲斐の言うとおり年月は確執を消していた。丹波も感涙して親子の再会を見守った。快斎は親子対面に自分がいてはと席を外し、城下の居酒屋で家臣たちと一杯やっていた。

 

「さすが湯波(下野の国では湯葉をこう書く)の本場、美味いな」

「「まことに」」

「酒がすすみまする。大殿、どうぞ一献」

「うん、ありゃもう湯波なくなっちゃった。女将、三皿持ってきてくれ」

「これはお侍さんたち、下野の人じゃないね」

「ああ、噂には聞いていたが下野の湯波は美味いなあ」

「ウチはさらに特別よ、この味が分かるなんて中々の目利き、いや舌利きね。いい男だし」

「じゃ勘定少しおまけしてくれ」

「ダーメ、あっははは!」

 女将はお代わりの湯波を置いた。盛り上がっている快斎の席。そこへ

「快斎殿!」

 正木丹波が城から戻り居酒屋にやってきた。

「おお丹波殿、貴公も湯波をつまみに一献どうですかな」

「そ、それどころじゃ…」

「ん?」

 丹波から事情を聞いた。

「では…氏長殿は甲斐の生んだ子を成田家の世継ぎにしたいと?」

「はい、しかし姫は『すでに叔父御が跡継ぎと決まっているのに、我が息子が家督争いに巻き込まれるなど冗談では無い』と言い張り、また喧嘩に…」

 彼女の父、氏長の息子たちはすでに亡くなり実子で生きているのは甲斐姫だけであった。よって弟の長忠を養子として世継ぎとしていた。

「世話のやける親子だな…」

「そう言わず、取り成して下さいませんか」

「分かりました」

 

「ふん!結局父上は私など子を生む道具としか思っていないのね!だから死んだ母上にも嫌われていたのです!」

「なんだと!」

「あ、兄上、あまり興奮するとまた倒れますぞ」

「うるさい長忠!」

「甲斐、せっかく父上との再会ではないか、なぜそう尖がるのだ」

「叔父御、私はただ父上に孫を見せに来ただけです。また才介と江戸に帰る。それだけで来たのに父上が才介を世継ぎにしたいなど理不尽を言うからです!」

「理不尽を言っているのは甲斐お前だ!その男児は成田当主が儂のただ一人の孫だぞ!そんな我が儘が通ると思うのか!」

 氏長はむしろ娘が喜んでくれると思っていたから余計に腹が立つ。しかし甲斐姫の危惧ももっともだった。彼女の叔父である成田長忠が養子となり氏長に世継ぎと指名されて久しい。当然成田長忠に仕える者たちは次代当主として主君を盛り立てている。主君が大名となれば自分も出世できるのだから当然である。

 それを今さら孫に継がせると言う。筋は通っているからとはいえ長忠の家臣たちは納得できるだろうか。主君を大名としたいために赤子を暗殺することだってありうるのだ。ようやく授かった大事な息子をそんな目に遭わせたくないと思う甲斐姫を誰が責められるだろうか。何より現当主の氏長も父の長泰を放逐して家督を継いだという経緯がある。家督相続に伴う醜い争いを甲斐は知っている。

「叔父御はどうなのですか。成田の世継ぎでなくなって良いのですか」

「養子と申しても儂と兄上の年齢差はさほどない。儂が兄上より先に逝くことだってありうる。加えて儂にもまだ子供がおらんし、大名になることに未練がないと言えば嘘になるが成田家の存続を思うと兄上のお考えは正しい。また俗な申しようであるが、成田にとって柴田家先代で、幕府家老でもある快斎殿とそなたの子ならば願ってもないことだ。立場上儂はそなたの味方はできぬ」

「何より、お前はその子を将来何に据えたいのか」

 と、氏長。

「長じて兄君の勝秀様に仕えることが決まっています。丹後成田家の旗揚げも認めるとの仰せに」

「丹後成田家じゃと!別家を立ち上げると申すのか!そんなことは許さんぞ!」

「それが舞鶴城の攻防戦にて命がけで戦った忍衆への礼と殿はおっしゃって下さった!父上にとやかく言われる筋合いはありません!」

「暫時、暫時、それ以上は水掛け論、甲斐、城下に快斎殿はいるとのこと」

 と、成田長忠。

「…居酒屋で家臣と宴の最中じゃ」

「兄上、婿殿に会ってみてはいかがか。そして幕府家老として裁定してもらえばよい」

「…そうしよう、しかし飲酒している男にこんな大事を論じるつもりはない。明日に会う」

「では私は城下の宿に帰る」

「ここにいよ」

「え?」

「快斎殿に猫なで声で自分の味方についてほしい、なんて根回しされてはかなわんからな」

 ばれている。甲斐は頬を膨らませて拗ねた。

「分かりました、ふん!」

 

 翌朝、快斎が烏山城を訪ねた。氏長は上座を退き、座るよう促す。

「正直困りましたな…。今回烏山に訪れたのは甲斐と氏長殿の久しぶりの対面を遂げに来ただけですのに」

「快斎殿には私でも成田にとっては公も公の大事にござる。幕府家老として裁定をいただきたい。どうぞ上座に」

 長忠が言うので快斎は座った。

「ええと…だいたいの話は聞きました。氏長殿は才介を成田の世継ぎにしたい。そして甲斐はそれが嫌だと」

「その通りです」

「それでは双方の言い分を聞かせてください」

「では父のそれがしから。それがしは男子三人女子二人に恵まれましたが、長女の甲斐以外はすべて死にました。亡き太閤殿下との間に子も出来ませんでしたし、実子や孫での世継ぎはあきらめ弟を養子として世継ぎに指名しましたが、甲斐は快斎殿の側室となり、そして男子を生みました。それがしにとって初孫、たった一人の孫、世継ぎにしたいと思うのは自然でございましょう」

「ふむ…。では甲斐姫」

「はい、私は先代の長泰と当代の氏長の醜い家督争いも存じています。ゆえに父も早いうちに弟の叔父長忠を養嗣子としたのでしょう。そこへ孫が出来たからと申して叔父の跡目を取り消しては、どんな災いが才介に降りかかるか分かりません。才介が成人している男子ならば、母として父の氏長も叔父の長忠も噛み破って当主の座を掴めと尻も叩きましょう。

 しかしまだ才介は乳飲み子。母親の私が守ってやらねばなりません。次代当主に指名されている叔父の長忠は姪である私の子が世継ぎでも良いとの考えですが、はたして叔父の家臣たちが黙っているか疑問でございます。主君が大名になれるはずだったのに、いきなり孫に取って代わられては心中穏やかではないでしょう。私は才介に大名になってもらいたい気持ちはありません。後年に兄君の丹後守様(勝秀)の良き家臣となってくれればそれに過ぎる嬉しさはありません」

 両方筋は通っている。成田長忠と正木丹波は頭を抱えた。快斎は言った。

「よく分かりました。幕府家老の前に快斎個人で甲斐姫に伝え置くことがあります」

「はい」

「甲斐、しばらくこの快斎から暇をとらす」

「え、えええ!!」

「孫を世継ぎにしたいと思うのは当然だ。そなたは俺から離れ、この烏山にいて息子を育てよ」

「私を離縁すると!?」

「しばらくと言っただろう。それに才介が成田家世継ぎと幕府に認められれば生母のそなたは嫌でも江戸へ人質として出なければならない」

「確かにそうなりましょう。でも叔父御の家臣たちが黙っているかどうか…」

「頭から叔父の家臣たちを疑うものではない」

「でも…」

「母親としてその危惧も分かるが、息子かわいさにそなたは見落としていることがあるぞ」

「な、なんです?」

「成田家の士は坂東武者であろう」

「う…」

「俺は大坂城を築城していたので北条攻めにほとんど参加していないが、攻め入った者たちから、そのすさまじさは聞いている。みな坂東武者たちの戦いぶりを讃えていた。敵方に賞賛される坂東武者たちが当主の孫を己が欲望のために殺すか?」

「殿はずるい…」

「褒め言葉として受け取ろう。では幕府家老として裁定いたす。柴田才介を本日もって成田才介とし次代成田家当主として認める。甲斐姫は生母として才介を父の氏長殿と共に養育し、母親の手から離れだしたころ江戸の柴田屋敷にて幕府人質となること。以上!」

 成田長忠は膝を叩いた。

「これは名裁き!感服いたした!」

「氏長殿」

「はっ」

「我が息子、託しまする」

「我が孫、しかと託されました」

「甲斐」

「は、はい」

「しばらく褥を共に出来ぬのはつらいが元気でな。再会を楽しみにしているぞ」

「はい…。殿もお体に気をつけて。お酒と女子はほどほどに」

「分かったよ」

 ニコリと快斎は笑った。その夜、氏長と酒を酌み交わした快斎。

「思えば舅と婿なのに、こうして酒を酌み交わすのは初めてですな」

「まことに」

「娘御を側室にしておいて今までご挨拶が遅れて申し訳なく思います」

「いや、関ヶ原に柴田の家督相続、そんな時間などなかったことぐらい察しております」

「そういっていただくとありがたい」

「快斎殿、娘をあんなに幸せにしてもらい、父として本当に嬉しく思う」

「氏長殿…」

「なるべく早く江戸にお返しする所存、また可愛がってあげて下され」

「はい」

 

◆  ◆  ◆

 

 しばらく歳月が流れ、徳川家康がこの世を去る時が来た。

「のう快斎」

「はい」

「そなたには感謝しておる。豊臣家と我らを戦わせずに導いてくれたのはそちぞ」

「もったいのうございます」

「そして江戸の町づくりや幕藩体制の政治、本当に尽力してくれた」

「大御所(家康)のご指導があればでございます」

「ふ、ふはは…」

「どうなさいました?」

「いや思い出し笑いをしていた。覚えているか、亡き太閤殿下から各々宝物を訊ねられたことがあっただろう」

「ああ、あれですか」

 

『内府殿も関八州の国主だ。儂も今まで名物を色々と蒐集したが、内府殿にはどんな宝がおありか?』

 と、ある日聚楽第で秀吉が家康に訊ねた。

『いえ、手前はやりくりが下手でそんな宝物は手に入れておりませぬ』

『そう、謙遜されず。何かこれはと云うものがあろう』

『強いて申せば…』

『うんうん』

『家臣たちにございます』

 場は静まり返った。当時名物を掻き集めていた秀吉に対して部下が宝と云うのはとんでもない皮肉である。しかしその静寂を破ったのもまた家康であった。柴田明家に話を振った。

『越前殿は何かあるのかな?丹後若狭は豊かと聞くが』

『いえ、それがしにはそんなもったいぶる宝物はございません』

『はたしてそうかの?いつも宝、宝と言っているものがあると聞くが』

 家康の意図を読んだ明家は返した。

『ここで言うのは少し照れくさいのですが…それがしの宝は妻のさえです』

 明家が言うや、場はドッと笑いの渦となった。家康も笑い、そして秀吉も笑いに乗って家康の皮肉を流した。

『いや~熱い熱い、まったく熱いのォ、あっははは!』

 

「そんなこともありました…」

「うらやましいと思った…。儂も正室築山を宝のように愛していた。だが息子信康と共に殺すしかなかった…」

「大御所様…」

「のう快斎、もう二度と儂のようにどんな理由があろうとも夫が妻を、親が子を殺すなんて天魔の所業をせざるをえん世の中ではならぬ」

「仰せのとおりです」

「秀忠を儂同様に立ててくれ、頼みましたぞ」

「心得ました」

「最後に言おう隆広殿」

 旧名の隆広と呼ぶ家康。

「はい」

「そなたはの…。儂の長男信康にそっくりなのだ。顔ではない。しぐさや言動がな…」

「え…!」

 快斎はかつて信康正室の五徳が自分を信康と見間違えたことを思い出した。

「長じておれば、こんな武将になっていただろうと思うこと何度もあった」

「大御所様…」

「だからといって儂はそなたを重用したのではない。そなたの才が天下の才であるからだ。しかし信康の面影がある者が儂の最大の味方になってくれた喜びを感じずにはおれぬ…」

「織田信長、豊臣秀吉、徳川家康は我が人生が師、師といえば父も同じ、息子のように思っていただけたこと、心より誇りに思いまする!」

「左様か、嬉しいわい…」

 家康は秀忠を見た。

「秀忠」

「はい」

「何事も義兄上と相談してな。義兄上を儂と思い、頼りとせよ」

「父上…!秀忠しかと!」

「ふむ…」

 そして徳川家康は波乱に富んだ人生に幕を閉じた。

 

 家康の死から数日後、快斎は二代将軍秀忠に進言した。

「九度山に蟄居させている真田を許せと!?」

「はい」

 秀忠は露骨に不快な顔をして快斎から顔を背けた。

「上様は関ヶ原遅参の原因を作った真田昌幸と信繁親子が今でも憎いですか」

「当然であろう」

 関ヶ原の合戦のあと、家康は真田親子を処刑しようとしたが、昌幸嫡男の信之(信幸から改名)の助命嘆願を受け、紀伊の九度山閉門蟄居で許した。秀忠はそれでも気がすまなかったのか、信之を真田長年の地である上田から松代に移封させている。すでに父の昌幸は他界しているが、息子信繁は健在である。

「上様、かの唐土の斉の桓公は自分の命を狙った管仲を宰相に抜擢しました。処刑を待つだけであった管仲は桓公の計らいに感動し、その後は名補佐役として、やがて桓公を春秋一覇(中国春秋時代、最初の覇者)とさせました」

「…ならば快斎はその管仲を推薦した鮑叔牙と?」

 鮑叔牙とは桓公の学問の師で、管仲と親友であった。鮑叔牙は弟子であり主君である小白(桓公)の命を狙った管仲を宰相に推薦したのである。最初は固辞した桓公だが、やがて鮑叔牙の意見を入れ宰相とした。それが名宰相管仲である。

「仰せのとおり、手前が鮑叔牙の立場と相成りますか」

「真田信繁は戦人、管仲にはならぬ者と見るが?」

「確かに信繁殿は策士や行政官の人ではありません。しかし権現様(家康)や上様に苦杯を飲ませた真田昌幸の教えをもっとも色濃く継承している方です」

「もうこの国に戦はない。そんな男など不要ではないか」

「戦がないからこそ、武の気概を将軍家が無くしてはなりません。徳川はこの国を束ねるため、強い武家でなくてはならないのです。勇猛果敢な信繁殿を召抱えることは徳川の強さとなり、またかつての敵将を厚遇すると云う上様の度量を示すことも適います」

「なるほど、それが『ことは何ごとも一石二鳥でなくてはならぬ』と云う快斎の持論か」

「その通りです」

「うーむ、しかし真田は少なからず余を侮っていよう。従うであろうか」

「『男子三日会わざれば括目して見よ』と云います。上様は関ヶ原当時とは違います。私の知る真田信繁ならば、一目でそれは分かるはずです」

「ふむ…」

 秀忠は立ち上がり、城の間口から景色を見た。遠くを見つめながら考え、やがて言った。

「父の家康も完敗した信玄公の遺臣を用いた。余にとって真田昌幸は信玄公にあたる」

「確かに」

 フッと笑う秀忠。

「父に倣ってみるか」

 静かに微笑み、うなずく快斎であった。紀伊の九度山で悶々とした日々を送っていた真田信繁は秀忠の申し出に感涙し、やがて江戸城に召され、関八州に二万石を与えられた。真田信之と別家の大名として再興され、そればかりか信繁は幕閣に取り立てられた。

 信繁と改めて会った秀忠はその見識と器量に惚れこんだ。信繁もまた、とても関ヶ原の戦いに遅参し醜態をさらした者と思えないと秀忠を認めて仕え、やがて『備前守』の官位を与えられた。真田備前守信繁である。

 真田信繁の功績で大きいのは幕府創造期の治安維持であった。二代秀忠の時代にはまだ関ヶ原の戦いで主家が取り潰され、禄を失った武士が山ほどいた。その武士は夜盗と化し、村や町を襲う。それに毅然と立ち向かったのが信繁である。信繁は各大名に仕え活躍の場がなくなった忍者たちを召し抱え幕府の警察機構とした。これが『火付け盗賊改め方』の走りであり、その初代長官が真田信繁と云うわけであるが、このころは江戸の町だけではなく徳川の領地内すべてに及んだ。

 こんな話が残っている。二百人ほどの海賊がある漁村を襲うと云う情報を得た信繁はそれを待ち受けて鉄砲隊で皆殺しにした。生き残った者が信繁の前に連行され

「俺たちはこうするしか生きていけないんだ。主家が幕府に潰されさえしなければ、こんなことをせずに済んだ。女房子供を食わせていくには奪うしかなかったんだ!」

 と、憎しみを込めて信繁に言った。しかし信繁は

「ならば幕府と戦って奪え。弱い者から奪おうとする貴様らに同情の余地はない。ましてや食料や財貨だけならまだしも女たちを奪うなら今の貴様の論は説得力のかけらもない」

 と冷徹に言ってのけた。信繁は徹底した賊徒討伐を行い、やがて信繁は賊徒のたぐいから鬼のように恐れられた。ある山賊にはこう言っている。

「奪う前に努力はしたのか。武士でいられなくなったのなら何故帰農しない。商人として出直すなり漁師になるなり、いかようにも女房子供を食わせていくすべはあったはずだ。その努力をせずに安易に略奪に走るお前らにかける情けはない」

 まさに鬼のように情け容赦なかった。これを秀忠は黙認していたのだから、あえて憎まれ役を買って出ている信繁を認めていたのだろう。しかし、この信繁の厳しさが幕府創造時の犯罪を激減させ、農民や町民たちは安心して仕事に励むことが出来たのである。召抱えられた忍びたちはやがて現在の警察や消防の仕事を担当するようになり、真田信繁は警察史や消防史にもその名を残すこととなる。

 

「だいぶ夜盗のたぐいが減ったと聞く」

 真田信繁と酒を酌み交わす柴田快斎。二人だけだと気さくに話す約束だった。

「そのようだな。しかし一歩間違えれば俺も夜盗になっていたかもしれないわ。食うためには盗むしかない、これもまた道理だ」

「でも聞いているぞ。備前は徒党を組んで村や町に押し込んで強盗を働いた者には容赦なかったが、一方での老婆が病気の孫に食べさせたいと作物を盗んだ時は見逃したとか」

「…強い者が弱い者から奪う世は終りにしなければならない。弱肉強食は畜生の道理。人の世は強い者は弱い者を守ってやる。絵空事かもしれぬが戦国乱世に散っていった男たちを思えば…そんな世にしたいではないか」

「そのために『火盗改め』と云う損なお役目を引き受けたのか」

「誰かがやらなければならないことだ」

「ふふ、治部と同じようなことを」

「ははは」

 

 数日後、快斎の息子の勝秀が快斎の屋敷に訪れた。現当主の勝秀の江戸屋敷は別にあるが父母を訪ねてきたのだ。

「元気そうだな勝秀」

「はい、父上もお変わりなく」

「家の様子はどうか」

「柴田家に名古屋城の築城が命じられました」

「どの箇所だ?」

「本丸です」

「そうか、柴田家の築城の腕前を評価されてのことだ。他の大名に後れを取るでないぞ」

「はい」

「しかし名古屋か…」

「確か、殿が信長公より与えられかけた地にございますね」

 と、さえ。

「うん、もしあの時にその下命を受けていたら、俺はどうなっていたかなあ…」

「織田軍東海方面の軍団長となっていたのですから、もしかすると太閤殿下にも勝っていたかも」

 さえが言うと勝秀が続けて言った。

「いや、父上なら本能寺の変も阻止できたかも!」

「そんなことにはなるまいさ。しかし信長公が死ななかったら、今ごろ天皇は生きていなかったろう。あの方は征朝(天皇を討つ)を本気で考えていた」

「恐ろしい方でしたね…。じゃあもし、征朝がもし実行されていたら、殿も参加しましたか?」

 さえが聞いた。

「なんだ、話が変な方に逸れているな」

「うふ、確かに。でももし信長公が生きていたら…なんて話すのは面白いではないですか」

「征朝への参加は…まあ父勝家の決断によってだったろうな。隣の唐土などは王朝が何度も変わっているんだ。日本は神武天皇の時代から変わっていない。信長公が新しい王朝を作ると言い、父も従うと言うのなら俺も征朝に加担していただろう」

「それが成就していたら…」

「さあなあ…。新時代を作り上げた功臣の一人となったか、または稀代の極悪人の手下となったかのいずれかだろう」

「しかし父上」

「ん?」

「そのどちらになっていたとしても、まだ乱世は続いていたと存じます」

「その通りだ。あやうく孫の、いや下手すれば曾孫の代まで戦の世を続けてしまうところであったが、幸いそうはならず、戦がない天下泰平の今の世が訪れた。俺はそれが嬉しい。そして」

 フッと笑う快斎。

「その世を作るに尽力できたことが何より誇りだ」




次回、最終回です。


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天下泰平

天地燃ゆ-史実編-最終回です。


『もったいない越前』柴田快斎が豊臣政権当時に言われていたあだ名である。秀吉に警戒させないための苦肉の策。秀吉は見抜き、だまされていたふりをしていたが他の者はこれで快斎に警戒心を緩めている。快斎は徳川政権でもこの『もったいない越前』を通した。

 しかしそれでも小心者は快斎を妬むものだ。外様大名なのに家康、秀忠に信頼され、重臣の本多忠勝、本多正信・正純親子、井伊直政、柳生宗矩、土井利勝にも信頼された。当然妬みによる讒言はあった。それは止めようもない。かつて可児才蔵が水沢隆広に言った『お前の才覚で何かを成せば、賞賛と同時に嫉妬がついてくるのが当たり前』と云う言葉。快斎もそれはふまえていた。だから彼は『もったいない、もったいない』と小さい利はやたら欲しがり、大きい利にはまったくの無関心であることを通した。案外これが地であったのかもしれない。

 

 彼は歳を重ねて『もったいない越前』にさらに磨きがかかり、円熟味を増していた。つい最近までの史書では徳川幕府家老になってからの快斎は評価が低かった。いるかいないか分からない存在で、幕府に食客同然で養われていた過去の武将と手厳しい。

  だが近年に発見された本多正信、正純親子の手記から、それはとんでもない間違いであったと明らかになった。快斎はすべての功績を家康、秀忠、家光、そして徳川譜代重臣に譲っていたのである。しかも譲られた当人がそれと分からないような巧妙さであった。外様である自分が活躍すれば徳川の重臣たちは表では『さすが快斎殿』と言っても内心は不快であるに相違ない。快斎は徳川幕府の中で『存在感を感じさせない存在感』を持つように心がけていた。

 孫子いわく『よく戦う者の勝つや、智名もなく、勇功もなし』とある。戦上手は目立つような勝ち方はしないから、知恵者だとか勇者だとかほめられることはない。と云うことだ。快斎はこの名将を越えた領域に到達していたのだろう。さして目立たないが、困難な仕事を間違いなくやり遂げる人物であった。それなのに彼は目立たなかった。快斎の隠した功績を分かっていたのはおそらく徳川家康、本多正信くらいではないのだろうか。だから家康は快斎に息子を頼むと言い残したのだろう。

 快斎は高禄も辞退している。将兵を養っていないし、妻たちと睦まじく暮らしていければいいのだ。無欲では余計に警戒されるので生活に不自由ない程度しか受け取っていない。だから秀忠も時に幕府の大金を動かす仕事も快斎に任せることが出来たのだ。

 

 三日に一度、快斎は竹千代(家光)に戦講義をするよう秀忠に要望されていた。

「では講義を始めましょう。今日は織田信長様の姉川の戦いです。権現様(家康)も参加していた合戦ゆえ、聞き漏らしは許しませんぞ」

「はい伯父上」

 柴田快斎が姉川合戦の講義をすると云うので、竹千代の乳母であるお福も聞かせて欲しいとやってきた。彼女の祖父稲葉良通が参陣していた大合戦。聞きたいと思うのも無理はない。

「何じゃお福、戦の講義に女子は」

「申し訳ございませぬ。しかし姉川合戦のお話なら是非伺いたく」

「まあ良いではござらぬか竹千代様」

「伯父上まで」

「ありがとうございます快斎様」

「はい、では始めますぞ」

 快斎は姉川合戦の前兆から詳しく話す。弁舌巧みな彼の講義は幼少の竹千代にも分かりやすく、身を乗り出して聞く。

「権現様は後詰として控えていてくれ、と信長公より申されましたが『そんな役では三河から来た意味がない』と不服を申し出ました。改めて信長公は前線に徳川勢を参陣させるに決めましたが、その際、誰でも好きな将を連れて行けと言ったのです。その時に権現様が即座に指名したのは稲葉良通殿、ここにおられるお福殿の祖父殿です」

「へえ!」

「姉川の合戦は権現様の活躍あって、劣勢の織田は勝利できました。その権現様をお助けしたのが稲葉殿。竹千代様、このように人の縁は繋がっています。乳母殿を大切にされよ」

「はい!」

 やがて講義を終えるとお福が追いかけてきた。

「快斎様」

「なにか」

「本日の講義、祖父のことを竹千代様に聞かせて下されてありがとうございます」

「いえ、良通殿と我が養父は斉藤家で戦友でしたから」

「祖父良通は見事な武将だったのですね…」

「はい、武田攻めで陣場を同じくしましたが、それは大きな武人にございました」

「ありがとうございます」

「また祖父殿だけではございませんぞ」

「え…?」

「貴女のお父上、斉藤利三殿も同じく大きな方でした」

「快斎様…」

「今度、竹千代様にもお聞かせしましょう」

「その時はまた私もご一緒させて下さいませ」

 二人は不思議な感覚にとらわれた。お福には快斎と亡き父の斉藤利三が重なって見えたのだ。快斎はお福が娘のように感じられた。でも口には出せない。

「その日を楽しみにしております快斎様」

「はい、また後日」

 

◆  ◆  ◆

 

 甲斐姫が江戸に帰ってきた。成田家当主、成田才介の生母として人質の身。成田家の江戸屋敷ではなく柴田屋敷に預かりとなった。無論快斎がそういう根回しをしていたのだが。やっと帰ってこられた良人の元。快斎は喜んで迎えた。

「おかえり、甲斐」

「ただいまでございます、殿」

 しばらく無言で見つめあう快斎と甲斐。あのおり烏山城で別れて以来会っていないのか、と言えば実はそうではない。成田家が江戸に下向した際や、快斎が下野周辺に視察や内政で訪れた時に会っていたのだ。つまり空白の時間はありそうでない。逢瀬のたび快斎から子種をせしめたのか、甲斐は何だかんだと快斎の子を四人生んでいる。

 だけど江戸の快斎の屋敷に帰ってくるのは暇を出されて以来。良人のいる我が家に帰ってこられたのが嬉しい。

「もう殿のお側を離れません」

「おいおい、才介が妬くぞ」

「嬉しいくせに」

「うん、嬉しい」

 笑いあう快斎と甲斐。

「で、才介はどうか。大名としてやっていけそうか?」

 甲斐の父の氏長は先年に亡くなっていた。

「叔父御がよく仕込んでいますので何とか三万石は治められると思います」

「そうか、それは何よりだ」

「もう少しすれば江戸にも参るでしょう。父上に会いたいと言っておりましたゆえ」

「それは俺も同じだよ。堅苦しくせず、ただの父親として会いたいな」

「その日が待ち遠しいです」

 

 人質と言っても外出は自由だ。甲斐姫は発展している江戸の町を侍女と共に散策していた。川沿いに到着、ちょうど桜の時期だったので甲斐姫は桜を愛でながら歩いていた。すると

「甲斐殿ではないか!」

 土手の下で桟敷をひいて花見をしていた一団、その一団にいる女から甲斐姫は呼ばれた。

「え?」

 その女は甲斐姫に駆け寄ってきた。

「久しぶりだ」

「まあ誾千代殿!」

 その一団は立花家だった。甲斐姫と立花誾千代(正史ではすでに故人。本作では存命とする)はあの舞鶴城の攻防戦で一騎打ちをしている。とても殺しあった二人とは思えないほどお互いを笑顔で見つめあった。

「お互い年増になりよったなあ甲斐殿」

「女盛りと申してほしいです」

「あっははは、どうだ甲斐殿も我が家の花見に参加せぬか」

「ご馳走になりますわ」

 桟敷には立花宗茂もいた。外様大名である彼だが秀忠をよく補佐し柴田快斎や真田信繁と共に重用されている。

「これはお懐かしい、舞鶴での巴御前さながらのご活躍、よく覚えていますぞ」

「恐縮です」

 立花家は関ヶ原の戦いで西軍に組したため、領国の柳川は没収されて宗茂は牢人となってしまった。だが名将である宗茂を誰もほっておかなかった。苦難の道のりはあったものの、立花宗茂は柳川の領主として返り咲いたのだ。桜を楽しみ、美女の誉れ高い甲斐が宴席に来て嬉しいのか少し饒舌になり大名復活への道のりを話す宗茂。

「いや、それにしても誾千代が黙って流浪の日々についてきてくれたのが意外だった」

「どんなに頼りなくても、一度良人とした者をそう簡単には見捨てぬ」

 牢人中、宗茂は家臣たちに養われていたと云う。家臣たちが働いて宗茂の面倒を見ていた。その美しい君臣ぶりが家康と秀忠の耳に入り、今日の復帰となったのであるが誾千代もまた不遇の良人を時に叱咤して支えたのだ。

「惚れた男のためならば、ですか誾千代殿」

 カアッと顔が赤くなった誾千代。

「な、何を言っているのだ甲斐殿わ!こんな頼りない男は立花にあらず、大嫌いだ!」

「それ、大好きと言っているようなものですよ」

「ち、ちが…!」

 もう顔が真っ赤の誾千代。

「うん、俺も惚れた女のためにがんばってきた。どんなに尻を叩かれようともな」

「宗茂殿…」

「これからも頼むぞ誾千代」

「ふ、ふん!ようやく立花の当主らしい顔になったではないか」

「そうか、ありがとうよ、あっはははは!」

 

◆  ◆  ◆

 

 このころ一つの事件が起きた。丹後舞鶴城、柴田勝秀が父快斎から届いた書を持ち奥へと走った。血相を変えていた。駒姫は部屋で叔母の保春院と共に勝秀との間に生まれた娘をあやしていた。その幸せな時間が破られる。

「駒!」

「と、殿どうされたのです。そんなに慌てて」

「落ち着いて聞け…」

「は、はい…」

「兄君、義康殿が謀反の咎で討たれた!」

「え、えええ!!」

 一緒にいた保春院も絶句した。

「しかし、数日後には潔白であったと判明し、義父殿は失意のうちに亡くなった…!」

「う、嘘です!」

 勝秀は父から届いた文を駒に見せた。ことの詳細が記されていた。家臣の讒言により親子の仲は不和となり、やがて対立。ついには義康粛清となった。その後日に義光は義康の遺品を改めたところ、日記に義康が父と不和となってからも父義光の武運長久を祈願していたと判明した。完全に誤解であったのだ。

 関白秀次謀反の嫌疑の時、秀吉に疑われた父を救うべく秀吉に必死に赦免を願った。また長谷堂城の合戦でも父親を助けた。そんな最愛の息子をただの誤解で殺してしまった。義光は失意のうちに病にかかり、そのまま息を引き取ったのだ。快斎からの書に駒姫の涙が落ちた。大好きな父と兄が最悪の形で死んだ。

「う、ううう…」

 保春院も泣き崩れた。兄の失意を思うと泣かずにおられなかった。しかし悲劇はそれだけで終わらなかった。義光の孫の義俊が酒色に溺れ、到底藩主の器とはいえず家臣たちの離反を招いた。徳川秀忠は改易処分を考えるが、伊達政宗と柴田快斎が取り成して何とか義俊と最上家臣が話し合って融和を図るように計らった。その席が江戸で設けられる。

 それを聞いた保春院は自分が出向いて説いてみると勝秀に懇願。駒姫も必死だった。勝秀は二人に江戸へ行くことを許した。江戸の柴田快斎邸が要談の場所である。要談に先立ち、快斎に目通りした駒姫と保春院。だが二人の前に来た快斎の顔は沈んでいた。

「お義父上様、状況は…」

 駒姫の言葉に首を振る快斎。

「義俊殿は来たが、最上家臣たちは要談の約を反故にした」

「そんな…!」

「政宗殿が懸命に説いたが、家臣たちは完全に藩主義俊殿を見限ってしまっている。『あの主君では先が見えている』と話し合いの席にすら来なかった。もう我らとて庇いようがない」

「あああ…!」

 泣き崩れた保春院。最上の滅亡を察した。柴田快斎邸に母の保春院が来ていると聞いたので政宗もやってきた。ようやくの再会であった。しかし保春院は政宗を見るや怒鳴った。

「政宗!どうして最上を救えなかったのじゃ!その方とて大殿様(快斎)と同じく幕府の要職にあるのであろう!」

「……」

「叔母上、お止めください」

 泣きながら保春院を止める駒姫。

「お役に立てず、申し訳ござらん…」

 政宗は保春院に平伏して詫びた。

「最上領、受け取りの役、さてはその方であろう。はん、労せず領地拡大して万々歳じゃな!」

「……」

「叔母上!」

「分からぬであろう…。生まれた家の滅亡と云うものがどれだけ無念か!」

 和解が成らぬまま、保春院は駒姫と共に舞鶴へと戻っていった。だが後に知る。政宗がどれだけ必死になって母の家を救おうとしていたのか。秀忠に何度も頭を下げて頼み、やっと融和のための場が設けられることを許されたのに、当の最上家が協力しなかった。政宗とて無念であった。

 その後、政宗と快斎と勝秀の尽力によって勝秀と駒姫の間に生まれた子に最上の再興が許される知らせが届いた。政宗は保春院に孝行をしたいと勝秀に文を届け、勝秀はそれを入れて保春院に暇を取らせ仙台へと送り届けた。息子と、その妻の愛姫の孝養を受け、保春院は静かで幸せな晩年を迎えたと云う。

 

◆  ◆  ◆

 

 快斎と親交が厚い武田の松姫、落飾して信松尼と名乗っているが彼女に最期の時が訪れていた。死を悟った信松尼は柴田快斎に使いを出した。快斎は信松尼のいる武州の信松院へ大急ぎで駆けた。快斎は江戸に来ていらい信松尼とよく会っていたが、ここ二年は会っていなかった。

「松姫様」

「…おお、来て下さいましたか竜之介殿」

「おやつれに…」

 伏せる信松尼の横に座った快斎。快斎の言葉に静かな笑みを浮かべる信松尼。

「もうここまでのようです。最後に一目会いたくてご足労願いました」

 伏せる信松尼の傍らに座る快斎。言葉はなかった。二人の間には心地よい静寂がある。沈黙を共に出来てその男女は完成されたと言われるが快斎と信松尼がまさにそれだった。やっと快斎が発した。

「やっと…信忠様にお会いできますね」

 信松尼は首を振った。

「…あの世とやらに行ったことはないので分かりませんが、もしあの世で信忠様を見つけたとしても私はお会いしません」

「…なぜ?」

「…それを私に訊ねますか竜之介殿」

「徳寿院殿にご遠慮ですか…」

 静かにうなずく信松尼。

「徳寿院殿の最期の言葉は聞いております。私の骨を信忠様と徳寿院殿のお墓には入れぬよう、お願いいたします。私はこの庵で土となり、未来永劫に信忠様に操を立てるつもりです」

「…変わりませんな。一途で不器用で…要領が悪い」

 高遠城落城の時、水沢隆広が松姫に言った言葉。再びそれを発した快斎。懐かしい言葉に微笑む信松尼。

「…最高の賛辞です。女の道は一本道にございます。一度決めたことに背いて引き返すは恥にございます。私の選んだ道は信忠様に操を立てる道なのですから」

「そんな松姫様が竜之介は好きです」

「ありがとう竜之介殿」

「…手を握っても良いですか」

「え?」

「手ぐらいなら操に影響もございますまい」

「いいですよ」

 ポッと頬を染める信松尼。蒲団の横から手を出した。それを両手で握る快斎。

「織田の若殿は幸せものだ。松姫様にここまで想われて。それがしも女子にそこまで思われたいものです」

「竜之介殿なら、きっと望む数だけ…」

 信松尼は微笑み、言った。かつて躑躅ヶ崎館で十二歳だったころの快斎と信松尼が交わした言葉だった。そしてそれからしばらくして信松尼は

「信忠様…」

 と、静かに言い逝った。快斎が看取り、丁重に弔った。そして信松尼の希望通り信忠の墓に分骨もしなかったのである。

 

  明家にとって大事な者たちがすでに何人も逝った。家臣の山中鹿介、松山矩久、小野田幸猛、高橋紀茂、高崎吉兼、星野重鉄、六郎、白もすでに亡くなり、友である直江兼続、仙石秀久、山内一豊も逝った。方々に作った愛人たちも快斎を置いて世を去った。高台院も先年に没し、今度は松姫。時代の移り変わりを肌で知る快斎だった。

 

◆  ◆  ◆

 

 元和九年に徳川家光が三代将軍となった。快斎は二元政治を行う秀忠と家光双方の補佐役を十年務める。

 そして徳川秀忠は死去、父の家康同様に快斎に息子を頼むと言い残した。家光生母の江与は崇源院と名乗る。家光はこのまま江戸にいて欲しいと要望するが崇源院は息子の申し出を断り、秀忠の位牌を手に兄より一足先、実家柴田家の丹後若狭へと帰っていった。

 快斎は二元政治が解消されてもそのまま家光にも仕えて補佐をする。その間、快斎は秀忠の妾腹の子、保科正之に政治運用を徹底して仕込んだ。会津藩主の保科正之は実に優秀で、行政内政に関しては快斎に比肩する人物となっていった。正之も快斎を師父様と尊敬し生涯の師としている。

 

 快斎はようやく徳川家より暇乞いが許された。快斎は柴田家当主と云うより個人の資格で徳川幕僚になっていたため、残念ながら子の勝秀には幕府の要職は世襲されなかった。快斎の就いていた要職名は幕府家老であったが発言権はなまじの譜代より絶大であり、責務は後の大老ほどに比肩したと言われている。となると柴田快斎は豊臣家と徳川家でも大老を務めたことになる。

 しかし徳川二百六十年の治世の中で、幕府創造時とは言え外様大名が大老級の重職を担っていたのは柴田快斎だけである。後に『秀吉と家康が恐れ、そして頼りとした男』と言われる快斎だが、彼は何より実戦経験が豊富である。徳川家光の時代に上杉謙信と勝負した男が生きていたのである。快斎の屋敷には徳川の若者が話を聞きたがり来客が絶えなかったと云う。

 快斎は隠居を願い出て領国に帰ることにした。幕府重職の役職に未練を残さず辞めた。今後は領国で悠々自適に過ごすつもりだ。

 

 この年、一夢庵ひょっとこ斎が世を去った。一夢庵ひょっとこ斎こと前田慶次は江戸に来てからは傾くことはなかった。たまに快斎の仕事を手伝うことはしたが、快斎の家臣と云うより友のような形で一緒にいた。快斎とその妻たちと風流を楽しむ日々であり、またこの江戸にいる時に彼が書いた『一夢庵日記』が水沢隆広・柴田明家・柴田快斎を知る一級の資料となる。同じく書いていた『一夢庵風流記』は彼がただの武人ではなく古典にも通じた一流の知識人、文化人であることを物語っている。

 すでに愛妻の加奈は先立ち、外に何人か若い愛人は作っていたが独り者であった。しかし使用人はいた。あまりにも醜女で嫁のもらい手もなく、働こうにもどこも雇ってくれない大女。多々の大名屋敷で門前払いにされて、泣きべそをかきながらトボトボ歩いているのを追いかけて『遊び人の儂で良ければ雇うぞ』と屋敷の使用人にしたのだ。戦と風流以外は無頓着なひょっとこ斎にはぴったりの使用人だった。ひょっとこ斎は快斎からの給金すべてを女に渡し、何もかもやりくりしてもらっていた。彼は一目で『働き者でしっかりもの』と云う女の内面を見抜いていたのだ。孫ほど歳の離れた娘に面倒をみてもらっている。しかし女はそんな主人が好きだった。

 快斎がひょっとこ斎の屋敷に訪れた。ひょっとこ斎は縁側に座っていた。庭には桜が咲いていた。長寿桜とひょっとこ斎が名づけた桜である。快斎はひょっとこ斎の横に座った。

「見事だな」

 すると長寿桜から快斎とひょっとこ斎に突風が吹いた。するとひょっとこ斎、

「こやつ、儂が中々死なぬ奴と悪態をついてござる」

「ははは」

 ひょっとこ斎と快斎に茶を持ってきた使用人の女。名を松江と言った。ひょっとこ斎と快斎の後ろ姿を見て

「何ともまあ絵になること…」

「松江、こちらに」

「はい」

「殿、それがしの死んだあと松江を召し抱えていただけまいか」

「分かった」

「昨今の男には阿呆が多い。こんないい女が見抜けぬとはな」

「まったくだ。松江が三十年早く生まれていれば俺と慶次で奪いあったかもしれぬ」

「旦那様、快斎様、何をご冗談」

 顔を赤める松江。

「死後とは縁起でもない。松江は旦那様のもとを離れませんよ」

「もう良いのだ、よう尽くしてくれた。我が主、柴田快斎様に儂と同じく仕えよ。良いな…」

 そして

「殿、一つ舞いませぬか」

「付き合おう」

 快斎とひょっとこ斎は長寿桜の下に歩み、扇を広げた。そして舞い散る桜吹雪の中で舞った。

『『…三千年に一度、花咲き実の成る西王母が園の桃、桃花の節会に会ふがまれなりとは申せども、あう、思へばやすかりけるぞや…』』

 二人、一つも乱れなく歌い舞う。松江は見とれるように快斎とひょっとこ斎の舞を見た。芸術にさえ思える二人の『夜討曾我』の幸若舞いであった。松江はこの舞いを見たことを一生の誇りにしたと云う。そして舞いが終わると、ひょっとこ斎は静かに倒れた。快斎が抱きかかえたときはすでに死んでいた。大往生である。

「旦那様―ッ!!」

 松江はひょっとこ斎に抱きつき号泣した。初めて女として見てくれたひょっとこ斎。男女の契りはないが彼女はひょっとこ斎を心より愛していた。

「今までありがとう慶次、まさにこの世で一番の漢ぞ!」

 最後に笑って死ねる人生、まさに前田慶次の最期がそれであった。

「あの世でも元気でな…慶次」

 

 真田信繁も最期の時を迎えていた。妻の安岐(大谷吉継の娘)と嫡男大助が見守る中、召されるのを待っていた。信繁は快斎を呼んだ。

「源次郎…」

「ふ…。その名で呼んでくれるのは、もうお前だけだな竜之介…」

「もう駄目か。もう踏ん張れないか…?」

「ああ、この辺で勘弁してくれ」

「みんな、俺より先に逝く…」

「お前は相変わらず元気だな…」

 血色の良い友の顔を見て苦笑する信繁。

「まあな、ここ十年風邪もひかない」

「お前は最後まで生き残った戦国武将…。泰平の世をもうちょっと見届けてから、あの世に来い。そして先に逝った俺たちにこのあとの歴史を教えてくれ」

「分かった」

「じゃあな、竜之介」

 真田信繁は静かに息を引き取った。

 

 快斎はその後、自分の屋敷を幕府に返上し、徳川幕府の基盤を作ったと云う栄誉を土産に丹後若狭に帰った。ひょっとこ斎の遺骨を抱いて松江もついてきた。

 途中、すでに白髪も目立ち出した妻四人と徳川家康墓所の東照宮を参拝。鬼怒川では妻四人と仲良く温泉につかり、領国である丹後若狭に帰った。松江はこの地で尼僧となり、ひょっとこ斎に女の操を立てて生きていこうとしていたが、しばらくして快斎の勧めで正室を病で失っていた山中新六に嫁いだ。松江を一目見て新六が後添いにほしいと要望したと云う。さすがは交易の世界で生きている新六は目が鋭い。ひょっとこ斎と同じように松江の内面を見抜いたのだ。

 ここからは後日談となるが、新六の子を二人生んだあと松江は舞鶴城に出仕し快斎の曾孫である竜之介(四代藩主、柴田勝綱)の乳母となった。ひょっとこ斎に拾われたことで松江は運が開いた。老後はひょっとこ院と松江は名乗り、良人新六と主君ひょっとこ斎の菩提を弔い平穏に暮らしたという。

 

◆  ◆  ◆

 

 やっと悠々自適の生活に入った快斎。そして今日は舞鶴城下に密かに作った石田三成を祀る廟に来ていた。

「佐吉、慶次や助右衛門と元気でいるか…。みんな儂より先にくたばりおって」

「殿」

「おお、初芽」

「庫裏に昼食の支度が整いました。これに」

 初芽の良人の六郎もすでに亡く、初芽は剃髪し良人と石田三成を弔っていた。

「三成様に何を述べていたのですか?」

「ん?儂が江戸でしていたことを教えてやっていた。ふふ」

「どうなさいました?」

「いやな、徳川幕藩体制に伴う政治など、儂はずいぶん三成の構想していた政治を進言していたんだ。そしてそれが入れられ、この国に生きている」

「まあ、それでは」

「ああ、あいつが作ろうとしていた戦のない世は徳川によって作られている。だからあいつは生きている」

「その通りです!ご隠居様、とても素敵ですよ」

「ははは、秀頼様も今もまだご達者、あいつの敵となった儂だが、何とかこれで合格点はもらえるだろう…」

 

 柴田快斎が丹後若狭に帰って数年が流れた。しづが病の床についた。快斎の女房思いは有名である。つきっきりで看病にあたった。

「ほら、しづ、アーン」

「アーン」

 柴田粥をしづに食べさせる快斎、しづの一番の好物だから病人食にはちょうどいい。

「今日はよく食べたな、えらいぞ」

「はい…」

 口元についた粥を快斎が拭う。そして軽く口付けをして優しく寝かせた。

「しかし、父親の鳶吉と同じ病にかかるなんてな…」

「これもしづの運命なのでしょう…」

「馬鹿なことを言うな。儂より若いのに。儂が初めて北ノ庄に行った時、そなたこんな小さかったではないか」

 当時のしづの頭を撫でるような仕草をする快斎。苦笑するしづ。

「私五歳でした…」

「死ぬ順番は守れ。死ぬのは儂が先だ」

「殿…」

「ん?」

「殿に無理やり手篭めにされた時…しづは本当に悲しかった。子供のころから兄のようにお慕いしていた方があんなことをするなんてと…」

「うん…」

「でも何かの運命だったのだなと…しづは思います。父さんの言うとおり、殿はしづを本当に大事にしてくれました。妻として、母としての無上な幸せをくれました」

「しづ…」

「ありがとう…殿」

 しづは快斎の子を二男三女生んでいた。長男は水沢姓を与えられて兄の勝秀に仕え、次男は山中鹿介の養子となったが、鹿介に実子が出来たため養子縁組は解消し身を退き、本来彼自身がやりたかった仕事を選んだ。祖父鳶吉の匠の血が流れていたか、士分を捨てて宮大工の道を進み匠聖として今日に名を残す。娘たちも良き若者たちに嫁いでいった。

「何をこれっきりのようなことを。儂はまだ男として現役だ。しづを抱きたいぞ」

「…殿、もう私は長くありません。最後にもう一度しづを抱いて下さい…」

「え?」

「妻として、最後の伽を務めます…」

「しづ…」

「殿の愛をもう一度受けたいのです…」

 ポッと赤くなるしづ。愛しくてたまらない快斎。これがしづ、良人へ最後の伽の務めであった。しづはこれより四日後に息を引き取った。満面の笑顔だったと云う。

 

 甲斐姫、彼女が晩年の地を選んだのは息子のいる下野烏山ではなく良人のいる舞鶴であった。成田才介は成田長明を名乗り、同三万石を見事に治めている。彼も江戸で父の快斎から色々と教えられたものである。もう妻も娶り子もいる息子に母親は必要ないと思い、彼女は良人と共に舞鶴へ戻った。幕府への人質は長明の妻がなったため、母親の甲斐はようやく人質の任を解かれたからだった。

「こんな白髪と皺もある女を抱かれずとも…殿には若い愛人も恋人もおられましょう」

「若い娘にはない年の功と云うものがな。そなたは儂のつぼを知っている。そこを攻められると弱い」

「それはもう、子種をせしめようと懸命に覚えましたから」

「どうりで毎回極楽だった」

「私もです」

「しかし儂も老境、そろそろ女を控えないと毒だよな」

「くすっ、殿は二十年前から同じことを言っていますよ。いっこうに控える様子がございませんが」

「そうだっけ?だって好きなんだからしょうがないじゃないか」

 快斎には甲斐の言うように若い愛人もいたが、どちらかと言えば苦楽を共にしてきた妻たちと夜を過ごすことの方が多かった。歳を取っても良人に満足してもらいたいと思い、各々健康管理に務め肢体は瑞々しかった。何より彼女たちは快斎の体を思いやりながら抱かれていた。よって優しさや暖かさが溢れ、快楽と共にとても癒されたのだ。若い娘にはこの熟練した床上手は出来ない。

 甲斐は快斎が申し出た『丹後成田家』の旗揚げは丁重に辞退し、次男の長隆も自分の手から離れると烏山に行かせて兄の補佐をさせている。娘二人も柴田家の若者に嫁いだ。今は孫たちに手習いを教え、たまに良人に抱かれるのを楽しみとする日々だ。

 しかし快斎を癒し続けていた甲斐もついに倒れた。孫娘に裁縫を教えているとき、突然胸を押さえて意識を失った。快斎は領内の村々を視察中で城を留守にしていたが、知らせを聞いて大急ぎで戻った。甲斐は意識を取り戻しており、何とか間に合った。血相を変えて帰ってきて息も荒い良人を見て甲斐は

「と、殿、お歳なのですからそんなにご無理を…」

「儂のことなど案じている場合か!」

「殿…」

「帰ってきたぞ。もう大丈夫だ。養生するがいい」

「殿…」

「ん…?」

「今度生まれ来るときも…甲斐を妻に…」

 それが最期の言葉だった。

「甲斐…」

 快斎は涙を堪えることが出来なかった。

「愛しておるぞ…」

 しづと甲斐が逝き、茶々、初、江与の妹たちもすでに快斎を残し他界した。柴田家は三代勝隆の時代になっていた。そしてほどなく勝秀は倒れた。快斎とさえ、妻の姫蝶と駒姫は快癒を祈願し水垢離をしたが願いは届かなかった。彼は現在で云う胃がんに冒されていた。痛みに苛まれ、苦悶する息子を見かねた父の快斎は泣いた。

「そなたは儂よりも良き君主であり良人であった。なのに何故こんな最期を天は与えるのだ!武将として儂が人を殺したのが罪ならば、天罰は儂に与えてくれ!」

 良人と共に泣くことしか出来ないさえ。

「母上…父上…」

「もういい、もういいのよ、もう眠りなさい竜之介…」

 苦悶する勝秀の顔を抱いて、彼が赤子のときによくさえが歌っていた子守唄を聞かせた。痛みに苦しむ勝秀の顔に安堵の表情が出てきた。母の子守唄で痛みがひいたのか。

「親不孝を…お許しください…」

 そして勝秀は息を引き取った。快斎とさえは人目はばからず号泣した。快斎とさえにとって長男の勝秀は我が身以上の最愛の宝であった。しばらく二人は抜け殻のようになった。この日も縁側に二人して座り一日中呆けていた。そして

「いつまでもこれじゃいかんな…」

「殿…」

「親父とお袋がこんな有様じゃ勝秀は安心して逝けぬではないか…」

 さえは泣き出した。

「…それは分かっておりますが…この悲しみをどうやって…」

 涙にくれる愛妻を快斎は抱きしめた。

「さえ…。人間五十年、勝秀はその五十年を生きた。我らがたまたま余計に生きている。それだけだ」

「殿…」

「天寿をまっとうした息子の死を悲しんでいては駄目だろう。親より先に死んだ親不孝とあいつの御霊を叱れば『母上と父上が長生きなんだ!』と責められよう」

「…はい」

「勝秀は我らに七人の孫を残してくれた。それを愛そう。今まで以上にもっと愛そう。それが勝秀の望みと思う」

「はい…!」

 涙を拭いたさえ。息子の死と云う人生最大の悲しみを夫婦は乗り越えた。

 

 この後、快斎は孫の勝隆を後見し、老いたりとはいえ元気である。快斎は領内をよく歩いた。そして菓子を持ち、子供に与えていた。日本の童話など子供たちに話してあげる優しいご隠居様である。

 領内の女子供に絶大な人気を誇り、歳を取っても美男子、その皺が男ぶりをあげていて城下の町民や農民女房と楽しそうに話す快斎がよく見られたらしい。それでその女房たちは快斎をうっとりと見つめていたと云うから、そうとう美男な爺様であったのではないか。快斎が居酒屋に入るとその居酒屋はとたんに忙しくなったと云われていた。

 そんな有意義な老後を送っていた快斎であるが、とうとう寿命の時が来た。舞鶴城内で孫や曾孫たちに学問を教えていて、突如意識を失った。しばらくして目を覚ました。枕元にはさえとすずがいた。

「そ…に…のき…ああ…?(そうか…。儂は子供たちに学問を教えている時に…?)」

 快斎は自分の耳を疑った。発している言葉が言葉になっていない。呂律が回っていなかったのだ。しかし

「はい、具合はどうですか」

 さえが良人の額ににじんでいた汗を冷たくしぼった手ぬぐいで拭った。さえには良人の言葉が分かったのである。無論すずも。二人は顔色一つ変えず良人に微笑んだ。

「う…(うん)」

 快斎は自分の体の状況を冷静に見た。左半身が利かず、左眼が見えなくなっていた。残る右半身も力が入らない。

(ここまでのようだ、もう十分に生きた。悔いはない)

「何を言うのですか、ちょっと体が動かないくらいで」

 記録を見るに快斎の病は現在で言う『脳梗塞』と考えられる。言語不明瞭になってしまった快斎。しかしさえとすずは顔色を変えず普通に言葉を返して良人の快斎と意思の疎通が出来ていた。さえとすず以外は快斎が何を言っているのか全然分からなかったと云うのに二人の妻の良人への愛情の深さが伺える。他ならぬ快斎自身が言葉になっていない言葉を発していると分かったであろうに妻たちはきちんと理解した。どんなに嬉しかっただろう。

(いや…。今ここで意識が戻ったのも、神仏が最後儂にくれた時間なのであろう…)

「殿、そんなことを言わないで下さい。子供や孫たちに倒れたことを知らせました。もうすぐ来ますから…」

(…無用だすず。来る必要はないと再度伝えよ。息子たちと孫たちには領内統治と徳川家への奉公に勤め、娘たちには良人と嫁ぎ先に変わらず尽くせ、それが遺言だ…)

「殿…」

(さえ、儂の愛人たちもすでに逝き、愛人たちとの間に生まれた子も独り立ちした。もう儂の役目は終えた。儂にはそなたとすずが看取ってくれれば、それでいい…)

 蒲団の周りには家臣や医者が数名いた。

(そなたらは席をはずせ。妻たちと三人だけにせよ)

 さえが変わって言った。

「殿が私とすずの三人だけにせよと申しています。各々お外し下さい」

「「ははっ」」

 家臣と医者たちは席を外した。

(…さえ、すず、手を)

「「はい」」

 さえとすずは動かない快斎の手を握った。

(…そなたらのほほに触れたい)

 快斎の手を自分のほほにつけるさえとすず。

(すず)

「はい」

(今まで生きてこられたのは…そなたが武田攻めで儂を助けてくれたからだ。もう一度礼を言う…ありがとう…)

「殿…」

 すずは一度快斎の手を離し、くノ一の時だったように髪を結った。その結ったものは

(リボン…。まだ持っていたのか…)

 再び快斎の手を握り、涙を浮かべてうなずくすず。すずの髪を結ったのはかつて快斎に安土城下で買ってもらったリボン。色は年月により褪せたが、すずには大切な宝物であった。

「もちろんです…。すずの宝物ですから」

(似合うぞ、やはりすずはかわいいな…)

「殿…」

(さえ…)

「はい…」

(…苦労をかけた)

「…苦労など…思ったことございません」

(さえ…。義父殿、景鏡殿の墓を立てた時、儂には聞こえたんだ『娘を頼む』と…)

「え…」

(胸張って…会えるかな。そなたの父上に)

「もちろんです…!」

(そうか…。さえ…大好きだ…)

「殿…!」

(さえ…すず…)

「「はい…!!」」

 柴田快斎の最後の言葉、それは神仏の計らいであったのか。明確に発せられた。

「愛しておる…」

「「愛しております…!」」

 柴田快斎は息を引き取った。享年七十七歳。関ヶ原の戦いから三十七年が経過していた。大往生である。

「「殿―ッ!!」」

 二人の妻は快斎の遺骸にすがり号泣した。

「殿のいない世なんて…すずは…すずは…!」

「殿…さえもじき参ります…」

 

 二ヶ月後、すずは病に倒れた。良人快斎が死に気力も失せていたのか、悪化する一方であった。死を悟ったすずは髪を再びリボンで結い、くノ一の装束を着た。横にもならず蒲団のうえで座した。忍びの座り方である。その意図を息子の藤林隆茂が訊ねるとすずはニコリと笑い言った。

「父上は戦で多くの人を殺しました。武将の業ゆえ、それは仕方ございません。そして若き日の母も多くの敵兵を殺しました。父上は地獄に落ちているかもしれませぬ。母も地獄へと行くかもしれませぬ。その時は再びくノ一となって戦うつもりです。寝ていたらすぐに戦えないでしょう。だからこの忍び座りで死にます。このリボンをくれた、この世で一番愛する人を守るのです…」

 すずはそのまま座位のまま、眠るように死んでいった。享年七十六歳。

『助かったぞすず!』

『はい!』

『そなたが来てくれれば、もう大丈夫だ。愛しているぞ』

『私も…!』

 

 すずを看取った半年後、さえも病に倒れた。一切の治療と薬を拒否した。まるで自然に訪れる死を待っていたかのようだった。今までの生きた思い出が脳裏に蘇る。

 初めて良人と会った日。求婚を申し出た良人の顔。初めて結ばれた日。父景鏡の墓を立ててくれた時の優しい笑顔。勝秀を生んだ時の良人の喜ぶ顔。側室を迎えると言われ、怒る自分に困った顔を見せた良人の顔。秀吉に敗れ、抱き合いながら悔し涙を流した良人と自分。次々と浮かぶ愛する良人との黄金の日々。さえは一筋の涙を流し、笑みを浮かべ子供と孫たちに看取られ、息を引き取った。享年七十八歳。

『さえ、会いたかったぞ!』

『私も…』

『さあ、いざ尋常に子作りだ!』

『んもう…』

 

天地燃ゆ-史実編- 完




今までのご愛読、ありがとうございました!


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天地燃ゆ外伝/異伝
木曽川の石投げ合戦(前編)


ホームページ閉鎖以来、ずっとパソコンのHDに入れたままの外伝集を改めてハーメルンにて投稿したいと思います。


 織田軍の武田攻め、あの武田信玄が作り上げた武田家が織田と徳川の猛攻に風前の灯火である。武田勝頼にとって最後の合戦になる鳥居峠の合戦。織田軍の大将は織田信長の嫡男の織田信忠である。その寄騎を務めるのは滝川一益と水沢隆広であった。信忠軍は信濃を進軍していた。その信忠軍に美濃金山城主の森長可が合流、軍議となった。

「当方は武田軍の三倍に近うございます。そしてこの鳥居峠の地形を見ますに、挟撃策を用いるのが得策かと存じます」

 と、水沢隆広。

「待たれよ、それでは兵力分散の愚となるではないか」

 森長可が反論。しかし結局信忠は隆広の策を入れた。長可は隆広と共に別働隊となった。しかも信忠は長可に『隆広の差配に従うように』と釘を刺した。頭に湯気を出して長可は自陣に戻った。

「何であんな若僧の采配に従わなければならないのだ。儂は信長様の直臣!水沢は柴田家臣で織田の陪臣であろう!」

 老臣が諌めた。

「殿、お気持ちは分かりますが総大将の下命にござる。森は従うしかございませんぞ」

「分かっているわ!」

「滝川様は何も言われなかったので?」

 他の家臣が問う。

「岩村攻めから同道していたので情でも移ったのではないか。『ふむふむ、さすが隆広じゃ』と来たもんだ!」

 滝川一益はこの武田攻めにおいて主君信長の下命により若殿信忠の寄騎武将を務める事となった。若殿の寄騎は良い。しかし自分と共に信忠の両翼を担うのが、まだ十九歳の若者で、かつ陪臣の身である水沢隆広と云う事が最初は気に入らなかった。

 美濃岩村城を陥落させた後、信濃の大小の砦や城を落としつつ進軍していたが、隆広は何やら信忠の軍師のよう。気に入らない。ある小城を攻める時であった。信忠は城攻めの陣構えを隆広に任せた。とうとうヘソを曲げた一益は『あんな小僧の差配に従えるか』と好きなように陣を構えた。そこにいそいそと一益の気に入らない水沢隆広がやってきた。上将の一益に慇懃に、しかもニコニコしながら歩み

「さすがは伊予様(一益)、備えの場所、旗の立て方、兵の配置など、それがし大変勉強になります。中将(信忠)様も感服しておりました」

 と、大絶賛した。意固地になっていた一益も気をよくして

「ははは、明日の織田を担う若い二人の手本となれれば幸いじゃ。うわははははは」

 そう上機嫌で返した。そして水沢隆広はさりげなく、

「あの一隊をもう少し右方、そして、あちらの三隊をもう少し後方に下がらせれば、なお一層見事な陣立てになるのではないか、と中将様は述べていましたが…」

 と呟いた。一益にはそれが隆広の考えと分かったが、先に褒められていた手前もあって文句もつけられず、承知してその通りに陣替えの指示を出した。隆広が去った後に一益は家老に

「あの小僧、中々やるものだ。あれでは反対もできぬわ」

 と言って苦笑した。褒めながら従ってもらうと云うこの方法は彼の師である竹中半兵衛が妙手で巧みであった。竹中半兵衛譲りの『褒めて従ってもらう』を活用していた隆広、さしもの一益も隆広を認め、鳥居峠での作戦にはほとんど異論を挟まず『ウンウン』と頷いているだけであった。長可は不満であったが軍議で決まった作戦には従わなくてはならない。老臣が

「水沢殿はおいくつでしたかの」

 と長可に訊ねた。

「十九と聞いている」

「ほうう~。かようなお若さで大したものですな」

「感心している場合か!ああ面白くない」

「申し上げます」

 使い番が来た。

「何か」

「水沢隆広殿、当陣にお越しにございます」

「…適当なトコにお連れし待たせておけ」

「は?」

「儂は軍議中じゃ!」

「は、ははっ!」

 隆広は使い番に案内され、そこで長可を待った。

「…武蔵殿(長可)は隆広様の見越したとおりヘソを曲げておられる様子ですな」

 と、奥村助右衛門。

「うん」

「まあ無理もありますまい。自分は信長様直臣なのに、采配を執るのは陪臣で十九の若者、隆広様の事をよく知らない武蔵殿では腹に据えかねるのも仕方ないかと」

「でも別働隊の指揮は俺が執る事になってしまった。武蔵殿がヘソを曲げたままでは勝てる戦も勝てない。とても困る」

「確かに。何とかせねばなりますまいなぁ」

 一刻(二時間)、隆広主従は待ちぼうけを食わされた。申し訳なく思った先ほどの使い番が酒を持ってきた。今の信濃は寒い。暖を取ってもらおうと云う事だ。

「酒など…」

「遠慮なさらず、ただいま火も熾しますゆえ」

「かたじけない」

「……」

 使い番の若者は隆広をジロジロ見つめる。

「…何か?」

「…間違えたら申し訳ございませんが…貴殿は竜之介殿か?」

「ええ、幼名竜之介ですが…あ!」

「やっぱりそうか!つるピカはげ丸でないから分からなかったよ!」

「耕太じゃないか!久しぶりだな!」

 肩を抱き合う二人、予期せぬ展開に戸惑う奥村助右衛門に紹介した。

「助右衛門、彼は俺が金山にいた時に友となった男なんだ!」

「ほう、ではあの石投げ合戦の?」

「そうなんだ、懐かしいなぁ」

「そうだな、まったく勝ち逃げしやがってお前はズルいぜ」

「い、いや、あっははは!」

「ちょっと待っていろよ!みんな呼んでくるから!」

「え?」

「石投げ合戦の敵味方、みんな揃っているぜ!」

 

 しばらくすると森家の若者たちが隆広のところへやってきた。

「おおお!竜之介!」

「あ、鮎助!なんでお前が森の陣にいるんだ?」

「そりゃこっちが言いたいぜ!懐かしいなあ、長庵禅師様はご達者か?」

「い、いや、亡くなった…」

「え、あ…。す、すまん」

「いいんだ、しかし鮎助、一領民だったお前がどうして?」

「ああ、あの後に可成様に足軽として召抱えられたんだ。で、可成様亡き後は長可様に仕えているんだ」

「そうだったのか」

 しばらくして長可はやっと隆広のいるところへと向かった。すると隆広のいる場は何か宴会のように騒がしい。

「なんだ?」

 長可が陣幕を払い入っていった。

「おい、殿だ!」

 若者たちは平伏した。

「何をしていたのだ?」

「武蔵殿、彼らはそれがしと幼馴染でしたゆえ、昔話に花を咲かせていたのでございます」

 と、隆広。

「幼馴染?」

「はい」

「意味が分からん、ではその方、金山にいた事があるのか?」

「ええ、十歳の時に」

「十歳…?もしや貴殿は乱(森蘭丸)と木曽川で石投げ合戦をした小坊主か?」

 隆広は照れ笑いを浮かべ、答えた。

「ええ、そうです」

「水沢殿が…!これは驚いた」

「そして、彼らはその石投げ合戦をした仲間たちです。敵も味方も、みんな仲間です」

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 美濃金山城、織田信長に仕える森可成の居城である。後年の柴田明家がこの城を訪れたのは十歳の時であった。養父長庵は金山城下に庵を持っていた。しばらく正徳寺から離れ、人が多い城下町で養子竜之介の教育をしようと思ったのだ。そして長庵と竜之介が金山を通る木曽川のほとりを歩いていたら河原で泣き叫んでいる少年がいた。

「ふみ、ふみーッ!!」

「父上、何かあったのでしょうか」

「ふむ…」

 僧侶二人が歩いてきたのを少年が気付いた。兄は竜之介と同年ほどの少年で、妹は七歳くらいであった。

「お坊様!妹を助けて下さい!」

 少女はすでに息をしていなかった。心臓も止まっていた。兄妹はずぶぬれであった。そしてケガもしていた。今の美濃国は冷えて川の水は冷たく流れも急である。それなのに木曽川に飛び込む事になったのはよほどの事情があったのか。

「竜之介、儂は火を焚くゆえ、女童の治療をやってみよ」

「はい」

 竜之介は少女を仰向けに寝かせて着物を脱がせた。

「確か…乳首と乳首の真ん中だったな」

 少女の着物を脱がせた竜之介に怒る兄。

「何すんだ!」

「まあ、見ておれ。見たところ心の臓が止まり、まだ一寸しか経っておらん。うまくいくかもしれん」

 横たわる少女の真横に折り膝で座る竜之介。

(そこに右手を置いて垂直に押す…。それを二十から三十続けて…)

 竜之介は首を持ち上げ、ふみの口に口を合わせて息を吹き込んだ。

「ああ!ふみにせっぷんするなんて!」

「いいから見ておれと云うに」

 今日で言う心肺蘇生法である。水沢隆家に仕えていた藤林忍びが持っていた医療技術で、それが隆家に、そして竜之介に伝わっていた。

「ゴホッ!」

「やった!おい分かるか?」

「う、うう…痛いよ…寒いよ…」

「ちょっと待っていろよ」

 そして自分の着物を脱いで少女に着せた。

「少し汗臭いかもしれないがガマンして」

「は、はい」

「ふみーッ!!」

「あんちゃん!」

 兄妹は抱き合った。少年は涙が止まらなかった。心臓が止まった妹が蘇生したのである。竜之介に何度も平伏して礼を言った。

「ありがとう、ありがとう!」

「いえ、困った時はお互い様です」

「こちらにこい、火が焚けたぞ」

 長庵が呼んだ。まだ歩けない女童を竜之介は両腕で抱き上げた。女童は頬を染めた。

「あ、ありがとう(ポッ)」

 暖をとり、ようやく落ち着いた兄妹。少年は話した。金山城下で食べ物を盗み、棒を持った大人たちに追いかけられ殴打された。しかしそれであきらめていたら腹を空かせた妹に何も食べさせられない。しかし再び見つかり追いかけられた。何とか振り切ったが、大人たちは兄妹が雨露をしのいでいる橋の下にやってきて襲ってきた。やむをえず兄妹は冷たい木曽川に飛び込むしかなかったのだと。

 何とか岸にたどり着いた頃には幼い妹はチカラ尽きていた。それを長庵親子に助けられたと云うワケだ。

「ぐすっ…。父ちゃんは森家の戦に借り出され討ち死にしたけど…森の家は何もしちゃくれない。母ちゃんは俺たちを育てるために無理をして死んじまった。神も仏もあるもんか」

「そうか、つらき目にあったな」

 と、長庵。

「よし、何かの縁だ。儂と一緒に来い」

「え?」

「下働きで置いてあげよう。望めば学問も教えてやる」

「ほ、本当ですか!」

 織田家を震撼させた猛将の水沢隆家であるが、斉藤家中でもっとも女子供に慕われた大将であった。それは何より女子供に優しい男であったからである。それを受け継ぐ竜之介。

「家族が増えて嬉しいや。二人とも、一緒に来なよ」

「あんちゃん!」

 泣き出す少年。

「う、うう、こんな世の中に生き仏のような方に出会えて嬉しい…」

「儂は長庵と申す」

「俺は竜之介!」

 幼き兄妹も名乗った。

「俺は鮎助と言います」

「わたしはふみ」

 こうして兄妹は長庵の庵に居候となった。兄の鮎助と妹のふみは下男下女として働いた。下働きだけど楽しかった。三度の食事は食べられたし、何より学問ができるのが喜びだった。鮎助は竜之介の鍛錬の相手を務め、ふみは幼い頃に父親を亡くしていたので父の面影を見たか長庵に甘えられるのが嬉しくてたまらなかった。

 鮎助は勉強熱心だった。文字も知らなかったが真綿が水を吸収するかのように学問を身につけていった。後に森家に仕える鮎助は、長庵より受けた学問が武将となった時に大きな財となっている。

 学識ある僧が子供に学問を教えている。それを聞いた金山城下の民が私の子にも、と頼みに来た。大人数の中に養子を置くのも竜之介への修行。長庵は受け入れたのだった。そんなある日…。

「キャー!乱法師様よ~♪」

「いつ見てもお美しい…」

 金山城下、徒党を連れて歩く大将気取りの少年。名は乱法師、後の森蘭丸である。乱法師は美少女と見まごうばかりの美童で、城下の娘の人気を独り占めだった。城下町に住む少年たちは極めて面白くない。城下の茶屋で一服していた竜之介は乱法師の徒党を見た。

「なんだアレ」

「おや、知らないのかい小坊主さん、あれが可成様の三男乱法師様よ♪ ああ、なんて美しい…」

 茶店のいい歳した女主人までが胸をときめかせている。

「あれが森の乱法師か…」

 乱法師は得意そうに歩いている。その後ろ姿を見て竜之介。

(顔は女子のようにキレイだが性格は悪いようだな、あの若君)

 

『教うるは学ぶの半ば』と云う。竜之介は時に養父に代わって講義などを任された。教える事が出来て、初めてその知識は本物と云うのが長庵の持論である。最初は侮っていた少年たちだが、中々に弁舌巧みで講義に引き込まれてしまう。少年たちは長庵を禅師様と呼び、竜之介を小禅師様と呼ぶ。鮎助は外で薪割りをしていた。それを手伝う妹ふみ。

「あんちゃん」

「何だよ、よいしょ!」

 斧で薪を割る鮎助、中々手並みがいい。そしてふみが割る薪を切り株に置く。

「ねーあんちゃん、聞いて」

「何だよ」

「ふみ、竜之介さんのお嫁さんになりたい」

「はあ?」

「だってふみの命の恩人だし…」

 顔を赤らめて恥ずかしそうに言うふみ。

「ふみの命を救う時にふみにせっぷんしたんでしょう竜之介さん、責任とってもらわないと」

「ありゃせっぷんじゃない、治療って言うんだ」

「ずいぶん難しい言葉を知っているね、あんちゃん」

「まあな、禅師様に色々と教えてもらっているから」

「あ、話を逸らさないでよ!ふみ竜之介さんのお嫁さんになるの」

『なりたい』から『なる』に発展してしまっていた。

「だって竜之介さんカッコいいし頭もいいし優しいもん」

「竜之介は仏門にある男、妻はもらわん。あきらめろ」

「やだ」

「やだでもまだでも無理なんだよバカ!」

「あんちゃんのバカ!」

 拗ねて庭から走り去るふみ。

「あ、おい薪割りを手伝えよ!」

 ポリポリと頭を掻く鮎助。

「そりゃあ俺だってふみと竜之介が夫婦になりゃ嬉しいさ…」

 城下の中央広場から祭囃子が聞こえてきた。

「そういえば今日は夏祭りか…」

 

 この金山城下の夏祭りが、日本史史上において一番有名な『子供のケンカ』となる『木曽川の石投げ合戦』の発端となる。

 竜之介は鮎助やふみと一緒に夏祭りに出かけた。乱法師も子分たちを連れて出かけた。乱法師が出てくるとまたぞろその場にいた女たちが色めき立つ。竜之介も後年に絶世の美男子と言われるが、いかんせん今は坊主頭。女の黒髪のような鮮やかな長髪をなびかす乱法師に当時とうてい及ぶものではなかったのである。『容姿端麗と云う形容すらあたわず』とも言われた乱法師の美貌は相当なものでなかったのではないか。齢十歳ほどだが幼女から老婆までとりこにする美貌である。だが性格は悪かった。

「乱法師様あ~♪」

「一緒に踊りましょう♪」

「あははは、女たちよ、共に夏を楽しもうぞ」

 こう一声出すだけで女たちはメロメロ、乱法師は声もまた透き通るような美声だった。大名の息子で美男美声、天は二物を与えずと云うのがウソつけといいたくなるほどに乱法師はみんな持っている。

 隣の家の愛しい娘も、やっとの思いで今回の夏祭りに誘えた恋しい娘も、みんな乱法師へと行ってしまった。いくら領主の息子だからと云って、もう我慢の限界。モテない男のヒガミと言われようととっちめてやろうと思う。

 だが乱法師は十歳、いくら何でも袋叩きにしたら親父が許さないだろう。同じ世代なら問題ないが…と青年たちが歯軋りしていると、乱法師のモテモテぶりに不愉快感を持っているのは乱法師と同世代の少年たちも同じ。

「俺のみよちゃんがァ…」

「俺のさきちゃんが乱法師に…」

 と、ベソをかくがだんだん怒りが湧き出て、ついに爆発。一人、長庵から教えを受けている早苗介が踊る乱法師に

「果し合いだあ!」

 と怒鳴った。つまり日本史で一番有名な子供のケンカ『木曽川の石投げ合戦』はこういう経緯で端を発したのだ。森家と柴田家の家伝にもこのケンカは記されているのだから、歴史に残る子供のケンカなのである。だが乱法師は無視。踊りながら町娘の豊満な乳房の間に顔をうずめている。

「こ、このヤロ~ッ!」

 齢十歳のくせして女の尻も触りまくる乱法師、それをまた女が喜んでいる。

「酒を飲める歳でもなかろうに…あの乱れぶりはある意味スゴいな」

 遠目で見て苦笑する竜之介。

「おい!人が果し合いを申し込んでいるんだ無視するな!」

「あーん?何か不細工が言っているな」

 ドッと笑う女たち。もう早苗介だけの怒りではない。長庵に教えを受けている彼の同門の少年たちも果し合いだと乱法師に迫る。

「竜之介さん、面白そう」

「確かに。なあ鮎助…。と、いない…て、おお!?」

 いつの間にか鮎助も乱法師に果し合いを申し込んでいた。

「何してんだお前!」

「何もさってもあるか!こいつ許せねえ!」

「しかし美男子なんだから仕方ないだろ」

「ア、アホッ!そんなんでコイツが気に入らないのじゃない!ちまたにゃ俺たち兄妹みたいに二親も家も無くした子供がたくさんいるってのに何だあれは!」

「あんちゃんがんばれーッ!」

 事情を全然分かっていないふみは兄を応援。

「おお任せろふみ、あんちゃんの雄姿を覚えておけよ!」

「おい」

 乱法師の徒党の一人である耕太が鮎助にすごんだ。

「それは殿のご政道への批判と取れるが?」

「ああ、そう取ってもらっていいさ、俺のオヤジは森の兵に借り出され討ち死にした。オフクロは俺たち兄妹を育てるため苦労して死んじまった!なのに何だあの若君は!顔がきれいなだけのロクデナシだ!」

「きさま!」

 耕太が鮎助を殴打。

「やりやがったな!」

 鮎助も耕太に飛び掛るが、あっさりかわされた。

「ふん、あっけなく討ち死にした者の息子など、しょせん腑抜け。己が非力を当家の責任にするな!」

 そして刀を抜いて肩を峰打ち。

「あう!」

「あんちゃん!」

 ふみが鮎助に駆け寄り、耕太を睨む。

「おいおい、妹に助けてもらう腰抜けかアイツは」

 乱法師が言うと徒党の者は大爆笑、激怒した早苗介は持っていた刀に手をかけた。だがその時。

「やめよ!」

 長庵が来て怒鳴った。

「禅師様…」

 乱法師に喧嘩を売っていた少年たちは長庵に叩かれた。

「ならぬ堪忍、するが堪忍であるぞ!短慮を起こしおって!」

「「は、はい…」」

 早苗介たちは引き下がった。

「乱法師殿、愚僧は彼らの学問の師である長庵。監督不行き届きを詫びまする。弟子たちの短慮、お許し下さい」

 地に平伏する長庵。

「「禅師様、おやめ下さい!」」

 弟子たちは居たたまれなくなり止めたが、長庵は弟子の短慮は自分の責任として童子の乱法師に平伏して謝る。かつて織田家を震え上がらせた猛将水沢隆家。その平伏にさえ威厳がある。乱法師は気圧され、

「い、いえ、それがしこそ言葉が過ぎました。お手を上げて下さい」

 と、返した。

「かたじけない」

 立ち上がり、養子と弟子たちに一喝した。

「さあ帰るのだ!」

「「はい…」」

 帰る長庵の背を見る乱法師。

「すげえ迫力…。ただもんじゃないぜ、あの坊さん…」

 そのまま竜之介も帰っていった。目には怒り。許せない、親友を腰抜けと呼んだ男を。そして討ち死にした親友の父を侮辱した事を。

「このままでは済まさない…」

 ついに堪忍袋の緒が切れた竜之介だった。



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木曽川の石投げ合戦(後編)

 金山城下の夏祭りから数日後、乱法師宛に文が届いていた。毎日のように乱法師には女たちから恋文が届く。竜之介はその情報を掴み、乱法師が直接目を通す文を送れる事を可能である事を知り、『さよ』と云う女名前で乱法師に文を送った。

「なんだ、ずいぶんと達筆な恋文だ…」

 と読み出したところ、内容は恋文ではなく挑戦状だった。

 

『乱法師殿、三男とはいえ、いずれは森の家を背負う男でございましょう。民の目線でものを見る事が出来ない者がどうして人の上に立てますのか。お父君の可成様は信長様の信頼厚き名将であり、兄君の長可殿は信長様に将来を期待されているお方でございますが貴殿はとうていそれに及ぶ事は出来ますまい。いにしえの唐土に伝わる阿斗がごとき者である』

 阿斗とは三国志にある劉備玄徳の息子劉禅の事で、中国ではダメな二代目の代名詞となっている。無論、乱法師もそれは知っている。ダメな二代目の象徴のような男と例えられ、乱法師は激怒。文はまだ続く。

『我々は先日に貴殿に謝罪を請いし長庵が弟子たち。師がああ申しても怒りは収まりません。貴殿が女子に過剰な好意を持たれる事を妬んでではございません。一人が言った“ちまたには二親と家を無くした子供も多いと云うのに”が理由にございます。貴殿は森家の若君に関わらず、その民の苦しみと悲しみも知ろうとしていない。我々は森家の民として非常識な三男坊に鉄槌を下す事にいたしました。何より森家のために討ち死にした兵を侮辱するとは何たる振る舞いにございますか。貴殿が発した言葉ではないものの家臣の不心得な発言は主君の責任です。その責任を取ってもらいます。我々は貴殿に戦を申し込む』

「上等だコノヤロ!」

「兄上、どうしたのです、そんなに怒って」

 弟の坊丸と力丸が来た。

「おお!見ろこれを!」

 挑戦状を読む坊丸と力丸。

「うひゃあ、当たっているだけにキツい」

「何か言ったか力丸!」

「いえ別に…」

「でも兄上、戦って…。この石投げ合戦でやるの?」

 と、坊丸。文には戦の指定もあった。

『当方は町民と農民、そちらと異なり武術の訓練は受けていないから不利、一つだけ指定させていただきます。この合戦は『石投げ合戦』としたい。陣地から石を投げあい、戦闘不能になるか、本陣に立てた旗を取られたら負けと云う事にしたい。これなら条件は同じ。よもや断るとは申しますまいな。決戦は三日後の正午、木曽川の河川敷、乱法師殿のご武運を祈る』

「石投げ合戦だろうと何でも良い!ギッタギタにしてやる!」

 まさか自分たちも参加せよと言われるのではと危惧した坊丸と力丸。それは的中する。この日から乱法師は手下を集めて石投げ合戦の訓練を始めた。

 

 一方、長庵の庵。机上に乱法師への挑戦状の写しがあり、かつ乱法師から挑戦を受ける旨が知らされてきた。長庵も知る事となったが、堂々とした戦なら別に文句ないと考えたのか、特に何も言わなかった。

 少し時間をさかのぼるが乱法師に喧嘩を売る事を決めたのは鮎助である。鮎助が同門の少年たちに戦を挑もうと言った。この時に長庵の教えを受けていた者はふみを入れれば十五人ほどであった。鮎助の檄に応える早苗介。

「よおし!乱法師に目にもの見せてやるぞ!」

 戦意が高まる一同。

「小禅師様、貴方も加勢してくれるな!」

 竜之介が云うより早く早苗介が言った。竜之介は長庵に変わり教鞭を執る時があるため『小禅師様』と呼ばれていた。

「当たり前だよ、あの態度には頭に来た。ところでみんな、戦を挑むと云うが具体的にどうやって?まさかあのアホ(乱法師)が城下町を徒党連れて歩いて得意顔している時に奇襲でもすると?」

「それもいいな、オイラたちの桶狭間だ」

 庵助と云う少年が頷いた。

「庵助はそれもいいらしいが、鮎助や早苗介はどう思う?」

「いや、それじゃダメだよ。たとえそれで勝っても禅師様のお顔に泥を塗る。やはり堂々と戦って勝ちたい。そうでなければ俺はさきちゃんに『卑怯者』って嫌われちゃうよ。堂々とやって勝ったら、さきちゃんも俺の事を見直すと思う」

「早苗介の片想いが上手くいくためにやるんじゃないぞ!」

「分かっているよ鮎助、でも俺にはこれが戦う理由なんだよ!さきちゃんは乱法師が好きなんだ。だから俺負けたくないんだ!」

「分かるぞ早苗介!小禅師様、さっき俺が奇襲に同意した事は無しにしてくれ!やっぱり俺もみよちゃんのために堂々と戦って勝ちたい!」

 庵助も堂々と戦う事を決めた。奇襲ではなく正々堂々と戦おうと云う意見に落ち着いた。他の者も恋しい娘にいいとこ見せたい気持ちでいっぱいだ。

 竜之介、この当時からしたたかなもの。奇襲を軽く持ちかけ、仲間たちにそれを拒絶させ堂々の合戦をさせる事に至らせた。そうこの喧嘩は大人たちのように領地の奪い合いじゃない。それはやったモン勝ちの大人の戦。しかしこの竜之介対乱法師の戦は子供の喧嘩とは云え自分たちの誇りを賭けた戦い。卑怯な奇襲では意味が無いのだ。

「竜之介さんはふみのためよね!」

「え?」

「ふみにイイトコを見せて!あんちゃんどうせダメだから」

「おい、ふみ!」

「だって夏祭りの時に刀で打たれたじゃない。カッコ悪い」

 そう言いながら倒れた兄の元に行き、打った耕太を睨んだふみ。何だかんだと仲の良い兄妹だ。

「じゃあ見ていろ!あんちゃんの雄姿を見せてやる!」

「がんばってあんちゃん!」

「おおよ!」

「よし、ではみんな堂々と戦おう」

 と、竜之介。

「「おおっ!」」

「しかし、相手は武家の子弟、みんな武芸の心得は?」

 全員首を振る。武家の子は幼少より武芸の手ほどきを受ける。乱法師とて刀槍の心得は十分。武士の子には喧嘩を売るな、これが町民農民の子の常識である。

「では正面から戦っても勝ち目はない。とはいえ奇襲も卑怯。となれば…」

 そこで竜之介が提案したのが『石投げ合戦』であった。

「作戦を説明する」

 目の前で図面を広げて、丁寧に説明する竜之介。

「それなら勝てるかも!」

「さすが小禅師様だ」

 早苗介と庵助も頷いた。

「では石投げ合戦でやろうと乱法師に挑戦状を送るぞ!」

「「おおっ!」」

「ではみんな、挑戦状を書くのは竜之介、ではなく総大将にお任せして我らは道具作りと訓練だ!」

 と、鮎助。

「「よしっ!」」

「総大将ォ?」

「そうとも竜之介!お前は小禅師様としてみなの師でもあり、作戦を立てた男、総大将になってもらうぞ、頼むぞ!」

「わ、分かったよ…」

 

 日本史一番有名な子供の喧嘩、『木曽川の石投げ合戦』まで三日!竜之介の作戦とはどんなものであったのだろうか。

「ほう、石投げ合戦としたか」

「はい、我らは武士の子弟ではないので武芸の心得は私以外ありません。ならば道具と工夫で行くしかありません」

「ふむ」

「父上に教わりました小山田投石部隊の技を使おうと思います」

「そうか、まあ子供の喧嘩だ。儂は何も云う事はない。好きにやるがいい」

「はい!」

 

 当時の鉄砲の射程距離は三十メートル、小山田投石部隊の投石距離は二百メートルであった。開戦初頭に二百から三百メートル遠距離から風を切ったうなりと共に無数の投石がどこからともなく打ち込まれるのだから、敵兵たちは恐怖のため防御のすべがない。

 小山田投石部隊は普段から投石の練習と工夫を怠らなかった。投石の道具も研究し、三十センチメートルほどの布に石を挟み込んで頭上で回転させ最大の加速になったときに布の一端を放すと素手で投石するより数倍の距離まで石を飛ばす事ができた。この道具を『もっこ』と言った。その他に一メートルくらいの竹筒を半分ほど割り、その先端に石を挟み、加速時間を長くして投石する『おっぱさみ』と云う道具を利用した。

 長庵こと水沢隆家は鉄砲の収集で隣国織田家に大きく後れを取った斉藤家のため、この小山田投石部隊のような組織を作ろうと考え、その訓練に励み本家本元の小山田投石部隊には一歩譲ろうが投石部隊を作り上げる事に成功している。斉藤道三と斉藤義龍が戦った『長良川の戦い』で劣勢の道三軍の中で唯一水沢軍だけが勝ち戦をしていたのは、この投石隊によるものと言われている。織田家相手ではなく斉藤家同士の戦いでその威力を発揮したのは皮肉な事であったが。

 水沢隆家が投石部隊を活用していたと云う記録は乏しいが、この『石投げ合戦』の結果を見てみると、竜之介は長庵からかなり詳細な投石による戦法を伝授されていたと見て間違いない。だから後に水沢隆広となった竜之介は投石部隊を重く見て小山田信茂の家臣たちを召抱えたのであろう。

 

 一方、乱法師の部隊は拳にすっぽり入り、そして肩に負担にならない程度の石を投げる事に励んだ。けんめいに的へ当てる事に励む。

 そして竜之介は道具と戦法を秘守するため、こちらは訓練に励まず、意見がバラバラでとても訓練になっていないと乱法師側に情報を流した。乱法師はそれを鵜呑みにして敵の情報を得る事を怠った。竜之介陣営の十四人、みなまだ童子ゆえに道具の使い方の習得も早い。作戦も全員が把握した。だが当日、思わぬ事が起きた。

「三人だけだって!?」

 なんと十四人いた仲間たちが三人にまで減ってしまった。激しく落胆する鮎助。総大将の竜之介も心中落胆著しかったが、自分までゲンナリしていては戦う前に負けである。

「みんな親に止められたんだ。森家の若君と喧嘩してもしケガでもさせたら後が怖いって!」

 涙ぐむ庵助。

「俺だって止められたさ。でも退けない。みよちゃんの心を掴むためだけじゃない。日ごろ威張りくさっている武士たちをギャフンと言わせる好機じゃないか。小禅師様の立てた作戦ならそれが出来る!だから親を振り切って俺は出てきたんだ!みんな腰抜けだ!」

「よせ庵助、聞けば柱に縛り付けられた者もいるらしい。出られない者もつらいんだ」

「小禅師様…」

「この四人で勝つしかない!」

「無理だよ竜之介、乱法師がどれだけ手下連れてくるか分からないのに…」

「あんちゃんヘタレ!一人でも戦うって言っていたじゃん!」

「そういうなよ、ふみ…」

「乱法師の人数は分かっている。二十六人だ。調べておいた」

「さすが竜之介さん!あんちゃんも竜之介さんを見習ってよ!」

 二十六対四、無謀とも云える。さしもの鮎助たちも腰が引けてきた。

「鮎助、早苗介、庵助、耳を貸してくれ」

「「…?」」

 作戦を説明した竜之介。

「これしかない。幸い乱法師は俺がこっちの総大将とは知らない。そこにつけ込むんだ」

「そうだな、それしかない」

 鮎助は同意。早苗介と庵介にも異存は無い。

「よし、では行くぞ!木曽川へ!」

 

 竜之介たちは早めに約束の場所に到着、そして二枚の畳を盾として置いた。旗を立てる。長庵門下なので『長』と書いた旗だった。そしてやってきた乱法師一党。森家の旗を誇らしげに持っている。乱法師は敵陣を見て笑った。

「おいおい何だあれ!たった三人だけだぞ!」

「あれでよくまあ兄上に鉄槌を下せると言ったものです」

「まあまあ若君、一応あれでも当家の民、自力で歩いて帰られる程度にしておいてやりましょう。うわはははは!」

 乱法師の徒党の一人、耕太は大笑い。

「うるさい!お前らには俺たち三人で十分だと云う事だ!」

 鮎助が言い返した。

「お前が城下の女たちにチヤホヤされるのも今日が最後だぞ!ヘッヘーンだ!」

 同じく早苗介。

「口だけは達者のようだ。相手があれでは陣を作る必要もない。では行くぞ!」

 見届け人が森家から来ていた。しかし乱法師はそれを来ているのを知らない。息子の乱法師が石投げ合戦をすると云うので父の森可成がこっそりつけさせた。森家奉行の篠田帯刀と云う人物である。彼の息子があの耕太である。乱法師に見つからない所で合戦を見る。

 竜之介は鮎助たちと乱法師が対峙するちょうど真ん中の位置くらいの土手に座った。両軍が一望できてちょうどいい。その横にふみが座った。

「あんちゃーん!がんばれーッ!」

「おお、見ていろよふみ!あんちゃんの勇姿を目に焼き付けておけよ!」

 

 そこへ一人の騎馬武者が通りかかった。巨馬に乗り、煙管を咥えて煙をフゥと噴き出す。土手の下で石投げ合戦が始まりそうなのを見つけた。土手に座る小坊主も。

「ほう…。石投げ合戦か。おい坊主、どっちが勝つと思う?」

「……」

「おい坊主、聞こえないのか?」

 竜之介は振り向いて言った。

「…人にものを訊ねるのなら、まず馬を降りるのが礼儀ではないですか」

 面食らった騎馬武者。漆黒の巨馬に乗り、七尺近い自分の体躯を見ても物怖じするどころか、降りてから聞けと言ってきた。

「竜之介さんカッコいい!」

「いや、ふみちゃん、別に俺はカッコつけているわけじゃ…」

(しかしなんて美しい馬だろう…。乗っている方も威風堂々とされておられる。派手な服も男ぶりをあげている。そうとうなもののふだぞ)

「ははは、いやいや、これはすまなかった。許されよ」

 騎馬武者は素直に降りた。この潔い態度に竜之介は思った。

(幼い俺にも素直に落ち度を認めて謝る。この方はすごい人だ)

「手前は前田慶次と申す。ご貴殿のご尊名は?」

「はい、竜之介と申します」

「ほう、勇ましい名前ですな。では竜之介殿」

 慶次は竜之介の横に座った。

「どちらが勝ちましょうか」

「数が少ない方が勝ちます」

「それは何故でございますか?」

「多勢は小勢を侮り油断しますが、小勢は少数ゆえ必死になります。だから少数が勝ちます」

「なるほど、でもそれではまだ勝つ理由になりませんな」

「今に分かります」

「それでは賭けをしませんかな?手前は多勢が勝つほうに賭けます」

「良いですよ。もし竜之介が勝ったら、その馬に乗せてもらえますか?」

「ま、松風に?うーむ」

 それは危険だと思った慶次。落馬したら命を落としかねない馬である。

「まあ良いでしょう。手前も一緒に乗りますれば」

「いえ、一人で乗せていただきたいのです」

「ははは、では手前が勝ったら?」

「私は修行中の僧侶で何も持っていません。何も差し上げられません。ただ私は養父に武将となるべく養育されています。成長してひとかどの武将になれましたなら、貴方を私の側近として召抱えましょう」

「は、はあ?」

 何を言っているのだこの子供は、そう慶次は思ったがまさか後に現実になるとは想像もしていないだろう。

「竜之介さん、始まったよ!」

「さあ一緒に見届けましょう!」

 石投げ合戦が始まった。乱法師陣から石が飛んできた。すぐに後退する鮎助たち。

「追え追え!そして旗を取ってしまえ!」

 乱法師の指示で十名ほどが出た。だが

「うわあ!」

「いてぇ!」

 落とし穴が掘られていた。乱法師一党は戦場を指定されたと云うのにその地理をまったく把握しようとせず、当日初めてやってきた。竜之介勢の十五人は戦場に事前にやってきて地理を把握して、かつ落とし穴を作っておいたのだ。中は泥水でいっぱい。十人全員が落ちたわけではないが、前進が止まった。そしてそこへ石が飛んできた。

 最初にいた陣から後方にもう一つ畳の防壁仕立ての陣がある。そして三人は拳大の石を連続して投げてきた。投石具『もっこ』を活用しての投石。三人は開戦と同時に乱法師勢の投石の射程距離から後退して、あらかじめ用意しておいた副陣に旗を立てた。石と投石具もそこに用意しておき、迫る乱法師勢の少年たちを迎撃した。乱法師たちは手のひらに入る石を投げているのに対して、竜之介勢の方は成人の拳大。驚いた乱法師たち。こんなのが直撃したら大ケガだと腰が退ける。しかも投石具を使っているため投げられる石礫もかなりの速さで投げられてくる。何より乱法師側からの投石は三人まで届かない。三人は投石具を使用して投げているのだから乱法師まで届く。竜之介勢の陣に近づけない乱法師勢、前田慶次の予想に反して二十六人の多勢は劣勢。

「これは驚いたな…。寡兵の三人の息はピッタリで投石も三人同時ではなくつるべ打ちで放ち隙を作らない。何よりあの拳大の石ならば敵に当たらずとも腰を退かせるに十分だ」

 

「兄上!近づけないよこれじゃ!」

 頭を守るため、両腕で頭を覆う坊丸。

「一度、射程外に退いて立て直そうよ!」

 坊丸と力丸が兄の乱法師に訴える。

「バカ言え!町民農民の、しかもこっちの五分の一の敵にどうして退けるんだよ!」

「兄上、二十六対三ではおよそ九分の一だよ!!」

「何か言ったか力丸!!」

「いえ別に…」

 乱法師は算術が苦手だった。算術もそうだが乱法師は相手の善戦に大誤算。見届け人の篠田帯刀は驚く。

「あれは武田家に仕える小山田投石隊の技…。なぜ当家の民があんな事をできるのか…」

「こうなれば敵陣に突撃しかない!若君!それがし篠田耕太が先陣つかまつる!」

 と、耕太は抜刀して突撃。初めて真剣を抜いた相手に腰が退けた早苗介と庵助、鮎助も耕太の必死の形相に怯え、

「ひ、ひええ!来るな来るな!」

 と、無我夢中で投げた投石が耕太の額に命中。耕太はひっくり返り気を失った。しかし抜刀した耕太を見て鮎助たちが怯えたのを乱法師は見逃さなかった。

「全員、抜刀して行くぞ!」

「でも兄上、それでは石投げ合戦に」

「無論力丸、斬る必要はない。いや斬るなよ間違っても!旗だけ取ればいいんだ。石投げ合戦で負けても旗を取れば勝ちだ!」

「勝負で勝って喧嘩で負けるってヤツ?」

「つまらん言葉を知っているな坊丸。でもそれでも勝ちは勝ちだ!では行くぞ、みんな刀を抜け!」

「その必要はございません」

「え?」

 乱法師の旗が竜之介の手にあった。

「申し遅れた、手前が『さよ』でございます」

 その女名前で書かれていた文が挑戦状だった。

「私が彼らの大将です。竜之介と申します」

 呆然とする乱法師、そして坊丸と力丸。乱法師たちは前方に気を取られ勝敗の帰趨を握る旗を立てた後方がまったくおろそかになった。それを見て竜之介は乱法師一党の背後へ静かに回りこみ、乱法師の旗を取ってしまったのである。乱法師は歯軋りするが後の祭りである。

「きったねえぞ!一人だけ分かれて見物のふりしているなんて!」

「チカラのないものは智恵で。多勢に小勢で対するときは作戦をもって!それが工夫と云うものですよ、乱法師殿」

 鮎助、庵助、早苗介は竜之介に駆け寄った。

「やったやった―ッ!武士の子に勝ったぞ―ッッ!」

「さすがは俺たちの見込んだ大将だ!」

「竜之介さーん!」

 ふみが竜之介に抱きつき頬に口づけ、大喜びの竜之介軍だった。反して乱法師は悔しくて悔しくて地に拳を何度も叩き付けた。悔し涙が止まらなかった。石投げ合戦を見届けていた篠田帯刀は苦笑した。

「完敗じゃのう乱法師様…。耕太にもよい薬となったわ」

 そして竜之介は慶次に歩んでいった。

「はっははははッ!まさか竜之介殿が小勢の大将だったとは。この慶次、してやられましたな」

「では、その馬に少し乗せてもらいますが、よろしいですか?」

「どうぞ」

(大した小僧だ。本当に松風に乗れるかもしれぬ)

「少し高いな…」

 竜之介は松風の横腹をポンポンと軽く叩いた。すると松風は四本の足を折り曲げた。つまり竜之介が乗りやすいように馬体を低くしたのである。これはさすがの慶次もあぜんとした。こんなしおらしい松風を見た事なかったからである。自分と初めて会った時は手のつけられない暴れ馬だった松風がすすんで背中を委ねたのである。

「よしよし…」

 竜之介は松風に乗った。そして走り出した。慶次が落馬の心配をしたのが馬鹿らしくなるほどに竜之介の馬術は巧みだった。

「もはや漢の顔よ、あの漢、面白い」

 奥村助右衛門と石田三成と共に竜之介、後の柴田明家に仕え、明家三傑と呼ばれる前田慶次。彼が成長した竜之介と再会し、そして仕える事になるのはこれより六年後の事である。

 

 乱法師の父の森可成はこの『石投げ合戦』の顛末を篠田帯刀より報告を受けて激怒。二十六対四で後れをとり、旗まで取られたとは大恥である。かつ相手は武士ではなく町民農民。たっぷり灸を据えてやらねばと乱法師を呼びつけ激しく叱責。母親の葉月(後の妙向尼)も呆れ果てたのか、庇ってくれない。

 

「で?敵はどんな作戦を使ってきたのか?」

 訊ねる可成。乱法師は竜之介の執った作戦を父に話した。すると可成は息子の醜態より竜之介の方に興味を示した。十歳の童子にそんな采配が執れるのかと驚いた。

 翌日、可成は領主と云う身分を隠して竜之介に会った。多く語る事もなかった。可成はすぐに竜之介を見抜いた。これは大変な才能の持ち主と分かった。『昔神童、今はただの人』程度の浅い才覚ではない。将来どれほどの昇竜に化けるか見当もつかない大器と見た。すぐに養父長庵にかけあった。ぜひ当家で養育して長じて家臣に取り立てたいと。

 しかし長庵は拒絶。妻の葉月も竜之介の才に惚れこんだ良人のためにと竜之介を城に招き、たくさんのご馳走を出したが竜之介に山のように飯を食べられたあげくに逃げられてしまった。可成は乱法師に

「敗因のない敗北はない。どうして負けたのか、よく考え、それを父に報告せよ」

 と、命じた。数日後、乱法師はどうして負けたかを自分なりに分析して可成に報告した。それはいたって単純明快な言葉であった。『驕りと油断』であったと。その報告をしに来た時の乱法師はもうお山の大将を気取る顔ではなかった。可成と葉月は乱法師の成長を喜んだ。可成は息子の鼻っ柱をヘシ折ってくれた竜之介に感謝し、関の名工の脇差を与えた。

 

 それからと云うものの、乱法師と竜之介は仲間たちと共に遊び、いくさごっこに興じたものだった。石投げ合戦を親に制止され参加できず涙を飲んだ者たちも加わり、毎日泥だらけになって遊び、そして認め合っていった。乱法師もまた長庵より教えを受け、学問を身につける。

 

 そして乱法師はもう一度改めて、同じ条件で石投げ合戦を竜之介に挑もうとした。しかし別れは突然にやってきた。竜之介は長庵と共に金山を去っていった。

 今まで使っていた庵は可成の計らいで長庵が安価で購入したものであるが、長庵はその庵をそのまま鮎助とふみに与えた。長庵は正徳寺に帰り、竜之介は清洲に赴き竹中半兵衛より指導を受ける。それが終えたら旅に出て、竜之介が元服となる頃に美濃に戻るのだ。ふみは長庵と竜之介との別れを惜しみ、金山からついてきてしまったが竜之介は泣く泣く追い払う。何より乱法師たちは『勝ち逃げか』と悔しがり、そして別れを惜しんだ。

 

 可成はたった四人で物怖じする事なく多勢に挑むは勇気ある者たちと鮎助、庵助、早苗介を足軽として召抱えた。石投げ合戦を親に止められて参加できなかった者たちも長庵の教えを受けた者ならばと可成は足軽として登用したのだ。

 

 しばらくして彼らは初陣を迎えた。あの宇佐山城の戦いである。浅井朝倉連合軍の猛攻の前に可成は討ち死にするが、宇佐山城を守る城兵たちは必死に抗戦し、見事に防ぎきったのである。その中には石投げ合戦を敵味方として戦った少年たち、泣く泣く参戦できなかった少年たちも心一つにして浅井朝倉に立ち向かった。可成亡き後は森長可が森家を継ぎ、少年たちは長可に誠忠を尽くす。

 一方、乱法師は森蘭丸と名を変え、織田信長の小姓として仕える事になった。信長に宝とまで言われるまで信頼される小姓となった。そして…。

 

「森様、三の丸鶴の間に水沢隆広殿をお通ししました」

 ここは織田信長居城安土城、柴田勝家家臣の水沢隆広が柴田勝家の書状を持ってやってきた。

「承知しました。それがしが大殿の元へ案内いたす」

 蘭丸は現在水沢隆広と云う名前になった竜之介の器量を見るべく、あえて長時間待たせる。そして頃合を見て鶴の間に歩いた。子供のように胸がときめく。懐かしい親友との再会なのだ。

 だが勤めは勤め。信長への取り次ぎ役として任務がある。たとえ親友でも三流の男となっていたなら信長と会わせない。蘭丸は息を潜め鶴の間に近づき、そして刀を握り、座る水沢隆広の背後に一閃!水沢隆広は振り向き抜刀し、蘭丸の一閃を跳ね返した!

「いきなり何をする!待たせた挙句に斬り捨てるとはそれが大殿のやりようか!」

 やっぱりお前は俺を完膚無きに打ち破った男だ、蘭丸は嬉しかった。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 話は信濃の森長可の陣に戻る。

「まさか水沢殿が乱(蘭丸)を石投げ合戦で倒した坊主だったとはなァ」

 感心したように云う森長可。

「いえ、それがしは策を鮎助たちに授けただけで」

「あっははは、では貴公が俺とこの若者たちを合わせるきっかけを作ってくれたとも言えるな」

「殿、我々とだけではありませんよ」

 と、鮎助。

「ん?」

「竜之介、俺の妹のふみ、あの洟垂れの汚れが今どうしていると思う?」

「いや知らんが」

「長可様の側室となっている」

「うそォ!!」

「いや本当だ水沢殿。今それがしがもっとも愛しく思う女、それが鮎助、いや野村可和の妹のふみだ」

 鮎助は森家の足軽大将となっており野村可和と名乗っていた。

「わが妹ながら美人になっているぞ。もうお前が言い寄っても無駄だけどな」

「そんなつもりはないよ」

 ドッと笑いが起きる陣中。

「となれば水沢殿はふみの命の恩人でもあるのだな。それではこの戦では采配に従うしかあるまい。弟の乱を完膚なき破ったお手並み、しかと拝見いたそう!」

「長可殿!」

「ようございましたなあ隆広様!」

「ああ助右衛門!これで勝頼殿に勝てるぞ!」

 

 月日は流れ、やがて本能寺の変が起き、親友の森蘭丸があの世へ旅立った。水沢隆広は明智光秀、羽柴秀吉を討ち、父の柴田勝家から家督を譲り受け、天下人に一番近しい男となり、名を柴田明家としていた。

 そして関ヶ原の戦いで徳川家康を破り、大坂に幕府を開き大将軍となった。諸大名の正室や側室も上坂してくる。大坂城の城主の間、そこでふみと明家は再会した。天下人明家と従属大名側室ふみ、二人の背景は大きく変わっていた。

「きれいになって…」

「竜之介さんもカッコよくて素敵だよ」

「ははは、相変わらずな口ぶりだ」

「竜之介さんは…」

「ん?」

「うん、やっぱり変わっていないね」

「そうか、いや実を言うとな」

「え?」

「なんで俺がここにいるのか、よう分からない」

 笑いあう明家とふみだった。明家は七十七歳まで生き、当時では長命の人間であったが、ふみの良人の長可と兄の可和はそうもいかず、両名五十代で世を去る。

 

 森家を出て落飾していたふみを明家は江戸に招いた。ふみは明家の妻たちとも仲良く付き合い、明家とは趣味の時間を共に楽しんだと云う。ふみは明家の吹く笛の音で踊るのが大好きだった。男女の仲にはならなかったものの、老いてから金山にいた時と同様に笑いあう時間を過ごし、ふみは明家より一年早く亡くなった。明家に出会わなければ七歳で死んでいたふみ。その最期も明家に看取られて逝く幸せなものであった。




 ここに登場の鮎助とふみは史実編でも登場しますので楽しみにしていて下さいね。史実編ではふみと良い仲となってしまうかも。
ホームページにて連載時『石投げ合戦』は外伝としてリクエストが多かったお話です。本編では森蘭丸と前田慶次との出会いもある重要な場面ですが、回想シーンでもあまり詳しくは書いていませんでしたから、どんなものだったのだろうと思われた方もおられたようです。


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戦場妻顛末記 壱【報恩の儀】

外伝と言っても、この話のメインを飾るお姫様おふうは本編に登場していません。史実では奥平貞昌に嫁ぎ人質に出され、そして奥平家に捨てられて処刑された悲劇の姫。しかしその女性が生きていて、我らが主人公隆広殿の戦場妻になっていたら?というお話です。


 天下人の柴田明家に仕え、やがて働きが認められ若狭国主となった藤林家。

 しかし、それに至るまでの道のりは平たんなものではなかった。

 藤林家はかつて信濃平賀家に仕えていた。しかし武田晴信、後の信玄に海ノ口城主平賀源心入道は討たれた。平賀家は滅亡となったが武田の追撃は平賀家の一族郎党にまで及んだ。後に最強の忍者軍団と呼ばれることになる藤林もこの当時は武田の透破衆に遠く及ばず、隠れ里を焼き打ちされてしまい、いつしか散り散りとなった。頭領の銅蔵や一族郎党は美濃にまで逃げて行ったが、食うに困り、ついには夜盗にまで身を落としてしまう。

 

 時を同じにして奥三河、銅蔵たちとはぐれて落ちのびてきた者がいた。いつの間にか二人だけとなった。藤林家中忍の聞多、下っ端くノ一の牡丹、二人は婚約をしていた。お互いが散り散りにならなかっただけでも僥倖と云えるだろう。

 聞多は婚約者の牡丹を連れて敗走し、銅蔵たちとはぐれてしまい、気が付けば美濃と逆方向の奥三河に逃げて行った。路銀は使い果たし、食うものもなくなり、もはや磨いてきた忍びの技を盗みに使うしかないと思った。戦国の世、負けて何もかも失った者に手を差し延ばす者などいない。聞多は婚約者を守るため、食わせるために夜盗になることを決めた。

 だが季節は冬、雪が降った。夜盗になる前に聞多は病を発して倒れた。牡丹も敗走に疲れ果ててどうしようもない。彼女も下っ端とは云えくノ一であるので武の心得は当然あるが、今は疲労の極地のうえに空腹、農民にも簡単に倒されそうであった。

「仕方ない、私が身を売るよ」

「だ、だめだ…」

 悪寒に震える婚約者を抱きしめる牡丹。

「このままじゃあんた死んじゃうよ!」

 その時だった。

「どうした?」

 一人の武士が傘を二人に差しつつ言った。牡丹は

「た、武田に滅ぼされた平賀家の者です…。住む家もなくし、こうして病の夫と途方にくれています」

 意識もうろうとしていた聞多は

(なに馬鹿正直に言っているんだお前は!)

 真っ青になったが、武士は特に気にすることもなく

「それはいかん、我が家は近くゆえ参るがいい」

 武士は聞多を背負い、自分の家に連れて行った。妻子が迎えた。

「旦那様、おかえりなさい」

「父上、おかえりなさい」

「うむ、おふう、すぐに布団をひきなさい。病の人がいる」

「はい」

 こうして聞多と牡丹は温かい寝床、食事までめぐんでもらったのだ。

 さすがは忍び、ぐっすり休んで飯を腹に入れれば聞多は回復した。見たところ大きな武家屋敷、ここの財を奪ってやろうと聞多は牡丹に持ちかけた。すると牡丹は烈火のごとく怒り

「あんたは我々藤林がどうして忍びと名乗っているか忘れたの?」

『忍び』『忍者』と云う言葉が定着するのは柴田明家の台頭後と云える。この当時は密偵、草と云うのが一般で戦国大名家によって乱破、透破、くぐつ、または野伏りと云うように称されている。しかし藤林はこの時点ですでに自分たちを忍び衆と称している。それは頭領銅蔵の兄、先代藤林頭領である銅夜が発した

『刃に心と書いて忍びと呼ぶ。我らの技は刃、しかし常に心ある刃である』

 この言葉にあり、それで自分たちを忍びと呼んでいるのだ。

「しかし、もう藤林は滅んだ。飢え死にするより」

「滅んだ一族なら、その誇りも捨て去ると?」

「いや…その…」

「私は戦で孤児となり、飢え死にしかけていたところを先代頭領に助けてもらった。貴方も確か先代に拾われた孤児だったわね」

「…そうだ」

「私たちの武は刃、常に心を持てと先代に教えられたでしょ。それは私たちの誇りであり絶対の掟のはず。『忍』からただの『刃』になるなんてごめんよ。ましてや私たちの大恩人である方に手をかけるなんて刃どころか凶刃よ」

「牡丹…」

「我らは忍び、その誇りを忘れるくらいなら飢え死にしましょう」

 そう毅然と未来の夫に牡丹は言った。この『忍びの誇り』は当時の頭領銅蔵さえ守り切れなかった誓い。だが、くノ一の中で下っ端と言える牡丹は守りとおした。

「いい?我ら忍びは復讐なら相手の眷属も全滅させる。それほどの執念深さが信条。同時に受けた恩義、かつ命をも助けてもらった恩義は命をかけて返すものよ!」

「牡丹…」

「そんなことも分からないのではあんたも大したことない。もう婚約破棄決定」

「わ、分かったよ!もう言わないよ」

 翌日、元気になった二人を見て武士は

「宿なしならば、ここの下男下女で置いてやる」

 とまで言ってくれた。この乱世にこんな男がいようとは。聞多と牡丹は感涙し改めて名乗った。信濃平賀家に仕えていた密偵であると。武士は

「儂は奥平家家臣の日近貞友と云う」

「妻の菊です」

「娘のおふうです!よろしくね!」

 以後、聞多と牡丹は日近家で働いた。貞友は奥平家の家老であり、君臣をまとめる古強者であった。生粋のいくさ人であるが他者に優しく思いやりがあり奥平家の中でも人望が厚い。聞多と牡丹を拾ったのもそんな気質ゆえだろう。

 聞多と牡丹は日近家の下男下女として懸命に働いた。よもや藤林が再興するなんて考えていない。隠れ里を焼き打ちされ、散り散りになった忍び衆がどうして再起など出来るか。忍びとしての誇りは忘れない。だがもう忍びとして生きて行くことは出来まい、そう思った夫婦はこのまま日近家で過ごしていこうと思っていた。

 聞多は主君貞友と戦場にも出て、牡丹は病気がちな菊に変わっておふうの世話をして家事を務めた。おふうも母親同様に病気がちだった。しょっちゅう風邪をひいたが牡丹は懸命に看病し、無事に成長していく。おふうは牡丹にとてもなついた。牡丹は笛がとても上手なので、教えてとせがむおふうに教えた。牡丹にとってもかわいい妹が出来たようで嬉しかった。

 

 しかし、それも終わりを迎える時が来た。藤林が美濃斎藤家の重臣水沢隆家に仕えると知らせが届いたのだ。主家藤林が忍び衆として再起を果たした。しかも主君は水沢隆家、ただの一度も負け戦をしたことがないと云う戦神と呼ばれる軍師だ。何たる幸運と、聞多と牡丹は喜んでいられない。正直複雑な心境だった。このまま日近家の下男下女で良いと思っていた矢先だったからだ。

 藤林家から帰参の命令書が届いた。つまり藤林はもう自分たちの居場所も掴んでいたと云うこと。このまま戻らないままでは抜け忍となる。聞多と牡丹が藤林の技を持つ以上、そう判断されてしまい、いつか抜け忍狩りに討たれるだろう。そうなれば日近家の者にも災いが及ぶ。聞多と牡丹は美濃に行くことを決めた。

 貞友は引き留めず、路銀まで渡してくれた。だがおふうは

「牡丹、行っちゃ嫌だよ!おふう、いい子になるから行かないでよ!」

 と、泣いて止めた。しかし、留まれば藤林の抜け忍狩りは『抜け忍をかくまった』として日近家の者も討つのだ。

「すみませぬ、すみませぬ姫様」

 おふうの泣き声を背中で聞き、涙を落としながら牡丹は夫の腕を掴んで去っていった。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 聞多と牡丹は藤林の里に着いた。銅蔵やお清頭領夫婦と再会を喜ぶ間もなく諜報活動に追われることになった。特に銅蔵は忍びの誇りを捨てるくらいなら飢え死に、とまで牡丹が言い切ったと聞き、自分が守り通せなかった誓いを下っ端のくノ一が守り通したと大変喜び、くノ一の中でも中堅に置き、時に女童たちに忍びの心得を指導させた。

 

 このころ斎藤道三はすでに亡く、水沢隆家は道三の息子義龍に仕えていた。道三の娘の帰蝶が信長に嫁いだ時に生じた盟約はすでに解消されており、当時は戦時下にあった織田と斎藤。聞多は水沢隆家の覚えも良く、

「よく、そこまでの情報を掴んだ」

 敵対する織田家の軍備、そして信長が執ろうとしていた作戦まで詳細に掴んできた聞多を褒める隆家。

「はっ」

「これで信長殿を追い返せよう。感謝している。まさに儂の耳と目だ藤林は」

「ありがたき仰せに」

「長き潜入しての情報収集ご苦労であった。しばらくは休むがよい」

 戦神と呼ばれる水沢隆家は美濃に寄せる織田勢をことごとく追い返す。どうしても織田信長は水沢隆家に勝つことが出来なかった。稲葉山城に辿り着くこともなく、今回も負け戦で引き返していった。これも藤林が正確な情報を常に隆家に届けるからである。隆家からの恩賞で藤林家も豊かになっていく。

 しかし隆家は忍びに課す条件がとにかく厳しかった。潜入の際、商人や僧侶に化ける藤林忍軍だが、付け焼刃では必ず見破られると云うのが隆家の持論だった。それゆえ藤林忍軍一人一人が化ける商人や僧侶、薬師、はては博徒としても一流であったと言われている。聞多は博徒として信長の本拠地である清州や小牧山の城下町に潜み、日々チンチロリンやオイチョカブに興じて尾張の城下に溶け込み、情報を得ていた。

 一時はどうなることかと思ったが、聞多と牡丹は藤林家で場所を得て、忍びとしての務めを果たしていく。隆家様は名将、我らの暮らしも安泰だと確信していたが、藤林家にとって存亡の時が再びやってきた。

 斎藤家が織田信長の勢いに抗しきれず、ついに滅亡したのである。病死した義龍の後を継いだ龍興には美濃をまとめて行けず、そこを信長に衝かれた。信長は実際に隆家とは戦わずに斎藤家を追い落とす戦を徹底した。内外に敵を抱えた斎藤家は居城稲葉山を守れず、当主龍興は城を脱出していった。

 

 水沢隆家は織田家、朝倉家、上杉家、武田家からも家老待遇を約束されて仕官を請われたがすべて固辞した。

「おう、よしよし」

 銅蔵の妻のお清が赤子に乳を飲ませている。この赤子の名前は竜之介、やがて水沢隆広を名乗り、天下人柴田明家となる男子である。

「まあまあ、美味しそうに飲んでくれて嬉しいわ。きっと強い子になりますよ隆家様」

「ははは、ありがとう、お清」

「それにしても、そうですか。やはり武士はもう…」

 と、銅蔵。

「うむ、儂は今日から僧侶となる。家臣たちにも暇を出した」

「竜之介様の養育に集中されると」

「ああ、儂のすべてを教えようと思う」

「それが隆家様のご決断ならば何も申しますまい」

「銅蔵、お清、今まで苦労をかけた。至らぬ主君であったが、よく尽くしてくれたな」

「いいえ、隆家様は我らが商人として暮らしていけるようにして下されました。無学な私たちに農耕技術も教えて下されて…。藤林はもう十分独り立ちしていけます。我らのことなど気にせず、竜之介様のご養育に専念されて下さいませ」

 以後、藤林家は長きの雌伏の時を迎えることになる。この間に後に柴田明家の側室となるすずが生まれ、舞、白と云う次世代の忍びたちが誕生する。聞多と牡丹の間にも子が生まれた。玉のように愛らしい女の子で名は葉桜。後に隆広三忍に継ぐほど水沢隆広に重用されるくノ一で、白の妻となる女である。

 

 聞多は木こりと農夫として妻の牡丹と娘の葉桜と暮らしていた。一流の博徒であった彼は博打で妻子を食わせて行けたであろう。

 しかし隆家は『額に汗水垂らして働く喜びを忘れたら人間は終わり』と常々言っていた。その通りだと思う聞多。博打のあぶく銭で妻子を食わせたくない。聞多は斎藤家滅亡以来博打をしていない。頭領銅蔵の表の顔は美濃国の木こりの元締である。聞多はその下で働いて、そして与えられた田畑で汗を流す日々。そんな父だから、娘の葉桜も芯の強いくノ一に育ったのだろう。

 主家を失った藤林、しかし忍びの技は常に研さんしていた。藤林の里の方針であった。もし、あの竜之介様が隆家様の才と器量を受け継いだならば。銅蔵にそんな気持ちがあった。その時は再び藤林が乱世に躍り出る時、その時に忍びの技が使えなくなっていたら話にならない。

 聞多と牡丹も娘の葉桜に忍びの技を教えた。忍びの技は幼いころから教えなければならない。厳しい修行がもはや自然となるほどでなければ。隆家様はきっと竜之介様を同じようにお育てしているはず。聞多と牡丹もそう考えていた。だから後々、娘が若殿の役に立てるよう、そう仕込んでいたのだ。

「おい牡丹、朗報があるぞ」

 美濃の市場に野菜と川魚を売りに出ていた聞多が帰るなり言った。

「なんだい、お前さん」

「竜之介様が金山城の三男乱法師を石投げ合戦でとっちめたらしい!しかも竜之介様は町民農民の子わずか四人、乱法師は武家の子二十六人!」

「まあ、それはすごいわ!さすが隆家様が仕込んでいるだけはあるわね!」

「父ちゃん、竜之介様って?」

「おう葉桜、もしかしたらお前がお仕えするかもしれない若様のことだ」

「葉桜が家来になるのですか?」

「ああ、父ちゃんも母ちゃんも、竜之介様のご養父、隆家様に仕えていたのだ。我らがお前を幼いころから厳しく修行をつけているように、竜之介様も隆家様からそりゃあ厳しい修行をつけられているだろう。だから少ない人数で大勢を倒せたんだ!」

「ふうん、でも葉桜は私より喧嘩に弱い男の家来になんかならないもん」

 葉桜は同年代の男児と喧嘩しても負け知らずの暴れ者だった。

「うーん、それじゃ竜之介様は厳しいかな。石投げ合戦の様子を聞くと、どうやら我らの若様は隆家様と同じく」

 頭をトントンと指で叩く聞多。

「頭で戦する者のようだからなぁ」

「でも隆家様の教えを受けているならそうなるでしょ。大将は武芸なんぞ出来なくていいのよ」

「ははは、確かにな。しかし今でも思い出すなぁ、隆家様に最初にお会いした時に感じた恐ろしさときたら」

 忍びとしての武技に卓越していた聞多だからこそ、知恵者の隆家に会った時は背筋が寒くなった。天才的な軍師が醸し出す雰囲気に圧倒された。この方は戦の神だ、そう思った。後に葉桜も水沢隆広に対面した時に同様の恐ろしさを味わうことになる。

 幸せに暮らしていた聞多と家族たち。そんな彼らに一通の手紙が来た。昔に恩義を受けた日近家の内儀菊からだった。夫の貞友が亡くなった知らせに加えて、娘のおふうが主君奥平貞昌に嫁ぐことが決まったと云うことだった。

 聞多と牡丹は銅蔵とお清に願い出て、久しぶりに日近家を訊ねた。日近家は奥平家に父祖より仕えた家であるので、貞友が病にて死す時に貞昌の父の貞能が婚儀を約束して嫁に迎えることにしたのだ。菊が聞多と牡丹を出迎えた。

「まあ、聞多と牡丹、元気そうで」

「はい、奥方様もお変わりなく」

 深々と頭を垂れる聞多、あの時の貞友の情けは今でも忘れない。

「病気がちの私が旦那様より長く生きるなんて分からないものです」

「何を申します、まだまだ孫を抱くまでは長生きをせねば」

 聞多は自分の畑で取れた野菜を旧主の内儀に渡した。菊は喜び

「これは美味しそう、さっそくこの大根を夫の仏前に供えます」

 牡丹はおふうと久しぶりの再会をはたし

「姫様、まあ何と美しくなられて」

 涙が出そうなほど嬉しい。病気がちで、あんなに手を焼かされた主家の娘が何と清楚な美少女となっていることか。

「ありがとう牡丹、うふ、似合う?」

 花嫁衣装を婚儀まで待ち切れずに着てしまっている。

「よくお似合いですよ。ああ、亡き旦那様もさぞお喜びでしょう」

 その夜、貞友の仏前でささやかに再会の宴を開いた。

「それにしても主家の若殿に嫁げるとは誉れ、姫様、我ら夫婦、心からお祝い申し上げます」

「ありがとう聞多。私も嬉しいの」

「そういえば姫様は奥平の若殿に憧れておられましたものね」

「やだ牡丹、それ言っちゃダメと言ったでしょ(ポッ)」

 一度だけだがおふうは作手城下で若殿貞昌を見たことがあった。馬に乗って凛としている少年、子供心に憧れていたのだ。

「ふふっ、これで日近の家も安泰、私も亡父を弔うため、安心して出家出来ます」

「でも私が貞昌様の子を生んだら母上にも養育を手伝ってもらいたいです」

「ええ、いいわよ」

「牡丹と聞多も是非見に来てね。私の子供を」

「はい、産着を山とこさえて持ってまいります」

「姫様と若殿様の子ならば、きっと元気で聡明な子となりましょう。聞多も今から楽しみにございます」

 笑い合うおふうと牡丹たち、彼らの一番幸せな時であったかもしれない。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 やがて美濃に戻り、普段の生活を送っていたが聞多の耳に聞き捨てならぬことが入った。奥平家が武田家に組したと云うのだ。奥平家は奥三河の小豪族、武田と徳川と云う強国と隣接し、どちらかに付かなければ生き残れない。それは小豪族の処世であるので仕方のないことだ。奥平家は徳川家についていたが武田の進攻に怯えて武田についた。

 しかし、聞多はこの判断が危ういと思った。

「信玄は確かに強い。しかしもはや齢は五十を超えている。病がちとも聞くゆえ、そう先は長くない。徳川寄りで通すべきであるのに」

「とはいえ、明日に信玄が死ぬとでも分からぬかぎり奥平がとるべき道はそれしかないでしょう。日近の旦那様が生きていればもう少しうまく立ちまわれたかもしれませんが…」

「姫様には、かような家の去就に無縁であってほしいが…そうもいくまい」

 聞多は自宅に作った貞友の仏壇に手を合わせた。

「旦那様、ご心配あるな、姫様に何かありし時は私がお助けします」

「お前さん…」

 旧主の姫の先行きを案じる聞多と牡丹、それを暗示するように数ヶ月後に訃報が届いた。菊が亡くなったと云うのだ。自宅に作った旧主貞友の仏壇、貞友の位牌の横に菊の位牌を並べて合掌する聞多と牡丹。葉桜も一緒だ。

「日近家は取り潰しになったらしい。奥方様が亡くなったうえ跡取りもいないからな」

 溜息をつく聞多。旧主の家が滅んだ。自分も無念だが、あの世の旦那様はどれだけ無念か。牡丹も同じ気持ちだ。

「妻の実家を…。奥平の殿様も無体なことを」

「当主の貞昌殿は姫様に『そなたが生んだ子に絶対に継がせる』と約束したらしいが」

「信じたいわね、その言葉」

 

 だが聞多の危惧は的中してしまった。奥平家が頼りとしていた信玄が死んでしまったのだ。奥平家のみならず武田家中は揺れた。武田家は信玄と云う巨獣がいればこそ、まとまっていたのだ。次代当主となった武田勝頼は奥平の動揺を察して、人質を差し出すように命じた。勝頼は当主貞昌の正室と実弟を差し出せと命じた。貞昌は拒否できず正室おふうと実弟仙千代丸を差し出すことにしたのだ。

「殿…」

「しばらく離れるのは寂しいが、奥平のため堪えてくれ」

 まだ夫婦となって一年しか経っていないが、良人の貞昌は私を大切にしてくれている。きっと迎えに来てくれると信じて疑わなかった。

「側室など作ったら許しませんよ」

「何を言う、かような愛しい幼妻を持ち、他の女などいらぬ」

 作手城の門で別れを惜しむように幼妻と口づけする貞昌、そしておふうは甲斐の躑躅ヶ崎館へと旅立った。二度と帰ってこられないことなど微塵も思ってもいない。

 

 武田に迎えられたおふう、勝頼は冷淡であった。

「奥から一歩も出ること相ならぬ、出たら奥平に叛ありと見て殺す。よいな」

 強すぎる武将と呼ばれるだけあり、武田勝頼の眼光は十五になったばかりのおふうには恐怖だった。仙千代丸は城内に、おふうは奥に案内されたが、まるで幽閉されているかのようだった。おふうは願う。

「早く迎えに来て、殿」

 自由のない、籠の中の鳥と同じになったおふう。しかし、そんな中でも慰みとなるものがあった。同じく小山田家から人質に出されていた月姫、自分より幼いのに歯を食いしばって寂しさに耐えていた。

 しばらく奥にいると、館表には行けなくても奥は自由に歩けるようになったおふうは、その月姫を可愛がったのだ。かつて牡丹が自分に教えてくれた笛を教えた。おふうも今に至り、それなりの腕前だった。やがておふうと月姫の間に信玄六女の松姫も入り、おふう、松姫、月姫は姉妹の契りを交わすほどに仲を深めた。おふう十五、松姫十二、月姫六つであった。

「素晴らしい音色です姉上様」

 うっとりとしておふうの笛を聞いた松姫と月姫。

「はい、私の御手製の笛です。欲しがっていたでしょ?」

 竹で作った笛を一本ずつ渡す。

「わあ、ありがとう姉上様!」

「大切にします!」

 もらった自分の笛を互いに見せて喜ぶ松姫と月姫。すぐに吹いたが旋律の整っていない音を出す。

「うまく吹けないなぁ」

「いいのよ月、最初はそれで。そのうち自然と覚えるものなのだから」

「はい、月は一生懸命練習します!」

「では姉上様、もう一度私ども妹たちに手本を」

「いいわよ」

 松姫の要望にもう一度笛を吹こうとした時…。

「おふう!」

 勝頼が来た。

「な、なにか?」

 松姫と月姫は怯えながら勝頼に平伏している。

「奥平が徳川に付きよったわ!武田を裏切った!」

「……え?」

「覚悟は出来ていような!処刑は明日行う!」

 呆然としているおふう、彼女自身何が何やら分からなかった。

「しょ、処刑?」

 松姫は急ぎ兄の勝頼を追った。とても怖い兄の勝頼、しかし姉妹の契りを交儂たおふうが処刑されるのを黙っていることは出来ず、勇気を振り絞った。

「勝頼兄様!」

 立ち止まった勝頼。

「なんじゃ」

 兄の眼光に体を震わせながら松姫。

「あ、姉上様は、お、おふう様は何も悪いことをしていません」

「……」

「処刑って殺すことですよね!どうして罪もない人を殺すのですか!」

「奥平の正室と云うことが、おふうの罪だ」

「…?…?」

「もう少し大人になれば分かるであろう。兄を許せとは言わん」

 勝頼は城に戻っていった。おふうは松姫と月姫とも離され、改めて仙千代丸と共に幽閉された。

 奥平家は再び徳川に帰参した。武田は勝頼の代になって急に斜陽となったわけではない。それどころか勝頼は信玄よりも領地を拡大させることに成功している。連戦連勝と言っても過言ではない。勝頼にしてみれば信玄に次代当主ではなく、世継ぎ信勝の陣代としてと指名されれば、家臣に対して重みがなく、戦によって勝利して家中を束ねて行くしかなかったからであろう。

 しかし、信玄の代から仕えていた重臣たちはこの勝頼の戦ぶりを危惧して諫言していた。勝ち戦で慢心となり、信長と家康を軽んじて戦を仕掛けて行けば必ず敗れて滅ぶであろうと。奥平貞昌もまた武田重臣と同じ気持ちであり、諫言したが勝頼は貞昌を信頼しておらず聞く耳持たなかった。新参と譜代の家臣に軋轢が生じていき、重臣の反対をはねつけて無理な戦を続ける勝頼。

『武田についていても未来はない』

 奥平貞昌は決断し、前々から誘降を勧める徳川に従い、奥平家は再び徳川についた。当主の貞昌は当然人質となっている妻と弟が武田に殺されることは分かっていただろう。

 だが、妻と弟の命を惜しみ、去就を迷えば家が滅ぶ。貞昌にとっても苦渋の決断であった。

 翌日になった。山県昌景を初め、多くの重臣が反対したが勝頼は考えを変えず、奥平の人質の処刑を決めた。幽閉されていたおふう。恐怖に泣く幼い義弟に

「大丈夫、殿が私たちを見捨てるはずがないわ」

「義姉上様…」

「ほらほら奥平の男子が泣くものではな…」

 牢が開けられた。兵はおふうの腕を掴んだ。

「残念ながら、奥平は武田を、いや正室の貴女まで裏切ったようじゃ。観念されよ」

「うそよ!」

「重臣方の中には奥平が正室返還を秘密裏に要求したら応じる用意もあったと云うに…何の音沙汰もない。哀れよの」

「義姉上様!!」

「心配せずともお前も同じく刑場の露となるわ」

 他の兵が仙千代丸の腕を掴んだ。死の恐怖のあまり泣き叫び暴れるが武田兵に殴られて気を失った。

「もう少し時を!殿が私たちを見捨てるなんてありえない!」

 貞昌はおふうと云う幼妻を大切にしていた。しかし奥平家の存続のため見捨てざるを得なくなった。おふうはあまりに哀れだった。彼女には良人貞昌に対する想いはあった。主家の若殿と凛々しき姿を見て子供のころから憧れていた。それが父の遺徳により妻になることが出来たのだから。夫婦になってからも大切にしてくれた。そんな良人が私を裏切るはずがないではないか。

 しかし貞昌はそんなおふうの気持ちを無残に踏みにじったのだ。

 

 躑躅ヶ崎館の外に作られた刑場、おふうと仙千代丸は連行されてきた。逃れられない死、ここに至り、おふうは良人の貞昌が自分を裏切ったことを思い知った。

 刑場の外では松姫と月姫が泣き叫んでいる。

「姉上様!」

「姉上様―ッ!!」

 無念のおふう、死の恐怖と裏切られた悲しさで涙がポロポロと落ちた。磔柱の前に座らされたおふう、勝頼が前にいる。

「言い残すことはあるか」

 悔しさのあまり、下唇を噛んだ。悔し涙を流しながら勝頼に言った。

「…次に生まれてくる時は人に生まれたくない。馬か犬に生まれたい。人は騙し合わねば生きていけません。人は畜生より劣るものです!」

 十五歳の娘が味わうにあまりに悲惨な末路である。勝頼とて本心では哀れと思い、逃がしてやりたいと思う。しかしここで許せば武田家当主として示しがつかないのだ。

「…人に生まれ変わるとしても、今のような乱世ではなく戦のない世に生まれるがよかろう…」

 勝頼は磔柱に縛り付けるよう命じた。着物を剥ぎ取られ、薄い下着一枚にさらされた。何と云う屈辱だろう。

「この後に及んでも、なおも私を辱めるか!武田と奥平に永遠に祟ってくれる!」

 おふうは磔柱に縛り付けられた。槍の穂先が何本も自分に向いている。

 涙が止まらない。悔しい、悔しい、良人は私を裏切った。

(あんまりよ…!死んでも許しませぬぞ貞昌!)

 その時だった。

 磔柱の上に一人の男が立った。

「…!誰か!」

 勝頼をジロリと見つめ、男は言った。

「日近家に恩を受けし者」

 おふうも気付いた。

「姫様、御迎えに参りました」

「聞多…!」

 聞多はおふうの両腕を縛る綱を切った。そして足を縛る綱は

「ぐわあ!」

「なんだ!」

 一人のくノ一が処刑人たちを斬り、綱を切って落ちるおふうを抱きとめた。

「姫様、遅れてすみませぬ」

「ぼ、牡丹!」

 聞多と牡丹が現れて間一髪のところを助けた。しかし仙千代丸は無理であった。

「ええい、仙千代丸を討て!」

 処刑人は仙千代丸を槍で突き殺した。

「うわあああッ!!」

「せ、仙千代丸―ッ!!」

「我ら二人では姫様が精いっぱいにございまする!」

 牡丹からおふうを受け取り、肩に担いで走る聞多。牡丹も共に走る。武田の兵たちも急ぎ追いかけた。追撃激しく、このままでは逃げ切れないと悟った牡丹は踏みとどまった。

「牡丹!」

「姫様を頼んだよ、お前さん!」

 立ち止まったのは一瞬、聞多はそのままおふうを担いで走り去った。

「聞多!牡丹が!牡丹がぁ!」

「命を助けてもらった恩義は命を賭けてでも返すものにございます。女房は本望と存じます!」

「聞多…!」

「旦那様にお助けいただいた我ら夫婦の命、姫様をお助けするためならば惜しくはござらぬ」

 牡丹は踏みとどまり、よく戦ったが所詮は多勢に無勢。捕えられ勝頼の前に連行された。

「何者か」

「かつて、おふう様の父上に命を助けてもらった貧しき者にございます」

「殺されるのが分かって助けに来たのか」

「命をお助けいただいた恩義は命を賭けてでも返すもの」

「…武田武士も見習うべき報恩の義を知りし者、まこと見事じゃが許すわけにはいかぬな」

「覚悟のうえ」

「最後に望みはあるか」

「されば、一時だけ笛を吹かせてほしゅうございます」

「許そう」

 牡丹は懐から笛を取りだして吹いた。おふうの無事と娘葉桜が幸せとなるようにと願い吹いた。それは見事な音色だった。勝頼は耳を傾け聞いていた。おふうから笛を教えられた松姫と月姫はあの方は姉上の師に違いないと思った。そして最後の音色に聞き惚れた。

「では姫様と同じ処刑を望みまする」

 牡丹は磔柱に縛り付けられた。

(お前さん、楽しい夫婦生活だったよ…。葉桜、父ちゃんのようないい男の元に嫁ぐのですよ…)

 何本もの槍が牡丹を貫いた。叫び声すら上げず牡丹は死んだと言われている。勝頼はそのくノ一をおふうとして処刑した。奥平貞昌の耳にも入ったことだろうが、そのさいに彼がどんな言葉を発したのか記録にはない。



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戦場妻顛末記 弐【水沢隆広】

ホームページで天地燃ゆを書いていた時は、一話で一万文字とか普通に打っていたんですよね。今は無理だな…。


 ここは美濃の国、藤林山。後に柴田明家に仕える忍者衆藤林家の本拠地。

 そこに住む藤林中忍の聞多は大急ぎで家に帰った。

「おかえり、お前さん」

 美濃の市場から帰ってきた聞多は妻に告げた。

「た、大変だ牡丹」

「どうしたの?」

「奥平が徳川に帰参した」

「え、ええ!」

 ついに恐れていたことが現実となった。おふうは人質として殺される。

「牡丹、俺が助けに行く。お前は葉桜と共に健やかに生きよ」

「やだよお前さん、私も一緒に行くよ!」

「ダメだ。生きて帰ってはこられない。葉桜はまだ子供だ。母親がいなければ」

「いいやダメよ、お前さんの忍びとしての力は私もよく知っている。でも一人では絶対に無理!姫様を助けられないうえに犬死してしまう!」

「…」

「葉桜は里が面倒見てくれる!きっと後に竜之介様に重く用いられる忍びに育ててくれる!」

 藤林の強さは、この一族間の結束にあった。身寄りを亡くした忍びの子は里が育てる。

「押し問答している場合じゃない。お前さん、すぐに甲斐に向かいましょう!」

「牡丹、ありがとう」

 そのころ、ちょうど葉桜が修行から帰ってきた。旅支度をしている父母に驚き

「母ちゃんと父ちゃん、どこに行くの?」

 牡丹は葉桜を抱きしめた。

「か、母ちゃん?」

「いいかい、父ちゃんと母ちゃんはこれからある人を助けに行く」

「……」

「助けられたとしても、私と父ちゃんは敵に殺されてしまう」

「え…!」

「ごめんね、どうしても行かなければならないの」

「や、やだよ!葉桜も一緒に行く!」

 後年、女性でありながら柴田明家の軍事と諜報に八面六臂の活躍をすることになる彼女もこの時はまだ少女、突如父母との別れに得心出来ようはずもない。

 聞多も葉桜を抱きしめた。

「よい忍びとなれ。そして必ずや竜之介様のお役に立て!」

「父ちゃん…」

「許せ、ここで働かなくては父ちゃんと母ちゃんは忍びでなくなる」

 そう言って聞多と牡丹は家を出た。

「母ちゃん!父ちゃーん!!」

 

 泣いて葉桜は追いかけたが、追いつけるはずもない。藤林山のふもとで泣いている葉桜を白が見つけた。

「どうした葉桜」

「は、白、母ちゃんと父ちゃんが甲斐に!」

「甲斐…?まさか抜け…」

 いや、それならば娘も連れていくはずだ。白は急ぎ頭領の銅蔵に知らせた。葉桜も呼ばれた。葉桜は泣きながら伝えた。

『父ちゃんと母ちゃんはある人を助けに行く』

 それを聞いて銅蔵は世話になった日近家の姫を助けに行くつもりだと悟った。その日近の姫が奥平家の人質として武田の躑躅ヶ崎館にいると云うことは銅蔵も知っていた。確かな情報はまだ得ていなかったが、この聞多と牡丹の行動で奥平が武田を裏切ったと知った。

「お清、いま動ける忍びはどれほどか」

「二十人ほどよ」

「聞多、なぜ儂に相談しなかった!お前の受けた恩義は藤林の恩義!」

「そんなことを言っている場合じゃないわ。このままでは聞多と牡丹は!」

「分かっている。その二十だけでいい。急ぎ追いかけるぞ!」

 

 しかし、すでに牡丹は捕えられ処刑されてしまった。聞多も懸命に活路を開くが、おふうを抱きかかえているうえ、相手は多勢。

「はぁはぁ…」

「観念して、その娘を渡せ!」

 万事休す、と云うところに銅蔵たちが駆けつけた。この時に聞多を追いかけたのは、かつて藤林家を追い落とした透破衆ではなく、ただの武田兵である。個々の武力は藤林の方が強い。ましてや仲間を討つ者は許さない。武田兵を蹴散らした。

 

「頭領…」

「聞多!」

 ようやく武田の追撃を振り切ったが聞多の負傷は重かった。おふうにはかすり傷一つつけていなかった。

「来てくれたのですね…。あ、ありがとう」

「なぜ儂に助けを求めなかった。復讐は相手の眷属を全滅させる、命を助けられた恩義には命を賭けても返すが藤林、そなたの受けし恩義は藤林の恩義であるぞ!」

 重傷の聞多を抱きかかえた銅蔵。

「まだ我らは武田透破衆には勝てませんや…。頭領を始め多勢で動けば透破衆に気取られます。いまは雌伏の時、我ら藤林は竜之介様が世に出るまで力を蓄えておくべき…」

「聞多よ…」

「…姫様、私はここまでにございまする…」

「も、聞多!」

「これで…日近の旦那様に顔向け出来ます」

「し、死なないで!」

「頭領、お、お願いが…」

 銅蔵の腕を掴んだ聞多。

「俺と牡丹の受けし恩義が藤林の恩義であるのならば…ひ、姫様に安住の地を!」

「任せておけ。葉桜も立派なくノ一に必ず育てる」

「良かった…」

「聞多!」

「葉桜…。牡丹…」

 聞多は息を引き取った。

「聞多―ッ!!」

 おふうは聞多に抱きついて号泣した。

「藤林の誇りです。見事ですよ聞多、そして牡丹!」

 泣きながら称えるお清だった。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 おふうはそのまま藤林家に行き、丁重に遇された。聞多と牡丹の一人娘、葉桜とも会った。何と言えば分からなかった。いっそ葉桜が木刀でめった打ちしてくれた方がどんなにらくか。

 しかし葉桜はおふうに二つの御守り袋を渡した。

「これ父さんと母さんの着物で作った御守り袋です。葉桜も持っているのお姉ちゃんに分けてあげる」

「いいの…?あなたのお父さんとお母さんは私を助けて死んでしまったのよ」

「…お姉さんを死んでまで助けたのに、娘の私がお姉さんを恨めるわけ…」

 突然、父母が死んでしまった。そんな悲しみに少女の葉桜が耐えられようはずもない。

「で、でも母ちゃんと父ちゃんに会いたいよう~。びええええッ!!」

 葉桜を抱きしめるおふう、一緒に泣いてあげることしか出来なかった。おふうは葉桜からもらった御守り袋を大切にして、片時も離さなかった。

 

 

 これより、しばらくして後、水沢隆家よりすべてを受け継ぎ、戦国時代最たる名将と呼ばれることになる水沢隆広、後の柴田明家が柴田勝家に仕えた。銅蔵を始め、藤林家の幹部は隆広を値踏みした。

 たとえ大恩ある隆家様の養子であっても、三流の男となっているのなら手は貸すつもりはなく、それどころか主君の名を汚す者として斬るつもりであったが、隆広は初陣より武功を重ね、かつ内政では十代とは思えぬ活躍をしている。家臣にも奥村助右衛門や前田慶次があり、大器の片鱗を見せていた。

 

 藤林家は隆広へ臣下の礼を取ることに決めた。精鋭三人の忍びを常につけて合戦時は藤林家すべてが参戦することになった。三流の男ならば殺す、特に葉桜はそれを思っていた。尊敬する父の聞多は『竜之介様のお役に立て』と言って生還不可能な務めに行った。自分もそのつもりで父母を失ってから懸命に修行した。その竜之介が三流であったら藤林に対する重大な裏切り。

 

 葉桜が初めて隆広を見たのは伊丹城攻めの時である。あの電撃的な水攻めに度肝を抜かれ、何より、あの織田信長に『間違っている』と言った胆力に驚いた。そしていざ向かい合って対面してみれば多くの武勲を立てているとは思えぬ優しい顔であったが、葉桜は気圧された。知恵者が持つ雰囲気とでも言おうか。私がこの方に勝てるのはたぶん個人的武勇だけだろう、素直にそう思った。やはり父ちゃんの言葉は正しかったと葉桜は嬉しかった。

 

 しかし、そんな藤林の動きには蚊帳の外のおふう。筆舌しがたいほどのつらいことばかり続いた。良人に裏切られ、見殺しの憂き目にあい、実弟のようにかわいがっていた仙千代丸は刑死。私を助けるために子供のころから大好きだった聞多と牡丹が死んでしまった。命は助かっても心が殺された。そう云える。武田から助けられて数年経つが、おふうの心は閉ざしたままであった。

 

 藤林家の者たちは親切だった。一族の者が受けた恩義は藤林家すべての恩義、忍び衆ではありえない掟とも云える。しかし、この報恩の義を尊ぶ姿勢があればこそ藤林家は後に一国の大名ともなれたのだろう。

 

 だが、誰もがおふうに親切であったのではない。里にある池のほとりにある小さな小屋、ここがおふうの庵である。銅蔵から下女一人与えられている厚遇ぶりだ。しかし、無駄飯食らいで働くこともしないおふうに

「あんた、いいかげんにしなよ。いつまで聞多と牡丹への恩義が通じると思っている」

 それは隆広三忍の一人、舞であった。おふうの庵の戸を蹴って入ってきた。

「恩義を施したのはあんたの父上、その人ならば我らは一生面倒を見るさ。でもあんたは娘、少しも偉くはないんだよ」

「……」

「心に傷を負い、立ち直れない。そんなことが許されるほど乱世は甘くない。その傷をはね返し糧として己が強さと出来ないものは死ぬだけなんだよ。分かっているのか腰抜け女」

「なら殺して下さい」

「はん、聞多と牡丹が命がけで助けた命を捨てると来やがったか。あいつら犬死だ」

「…なんですって?」

「本当のことだろ。あんたみたいな陰気で死んだ目の女、亭主に裏切られて当然だよ。あっははは!」

「許せない!」

「ほう、怒ることを忘れていなかったか。喧嘩なら買う、表に出な」

 

 しかしくノ一の舞に武技をまったく使えないおふうが叶うはずがない。おふうは叩きのめされた。

「悔しい…」

 悔し涙を落とすおふう。

「ふん、裕福な武家のお姫様と違い、私は物心ついたころから厳しい修行をしているんだ。この体だって任務のためなら男にくれてやる」

「下賤な!」

 倒れるおふうの頭を踏む舞。

「そうやって得た報酬の一部があんたの無駄飯に使われているんだよ!」

「……」

「命がけで、かつ体を切り売りして得た糧、それを働きもしない女にわずかでも使われちゃたまらないのよ、分かったか!」

 

 舞は去っていった。拳を握り地に叩きつけるおふう。悔しかった。心の病を負った者を温かく見守る、それは現在の話であり当時にそんなことが認められるはずがない。後に柴田明家による『心療館』が設立されるまで心の病を持つことそのものが負けであり死なのだ。舞に裕福な武家のお姫様と言われたおふうとて戦国時代の女、少なからずそれは分かっていた。

 

 だが強い叱責や感奮を促す挑発が有効ならば、心の病を治す方法は現在とっくに確立されているだろう。何もかも手につかなく、悪夢にうなされる日々、おふう自身とて心の病を治したい。いつまでも藤林家の居候でいられない。でもどうしたら良いのか。行くところはない。万策尽きたおふうはお清を訊ねて相談した。

 

「当家の若いくノ一に何か言われたの?」

「い、いえ」

「隠さなくてもいいわ。ごめんね」

「…でも言われたことは正しいです。みなには心の傷と聞多と牡丹に施した恩義を良いこと無駄飯を食べていると思われていても、それは当然のこと」

「では、どうしたいのです?」

「お役に立ちたいと思います。そのうえでどうか藤林家に置いてもらえないでしょうか。私には行くあてがないのです…」

「分かりました。忍び衆と言っても里には畑仕事や果樹栽培など仕事がいっぱいあります。それを手伝ってもらいます。考えてみれば心の傷もお天道様の下で汗水流して働いている方が気も晴れるかもしれませんし」

「あ、ありがとうございます!」

「そうすれば精気も取り戻し、あなたを見初める者も出てきましょう。当家で縁を得て、幸せとなりなさい。それを聞多と牡丹も望んでいるでしょう」

「はい」

 

 おふうは翌日から働きだした。もう心の傷なんて言っていられない。居場所は自分で掴むのだと。だから心の傷は治っていない。治ったと無理やり思いこんだのだ。武家の姫様なんて誇りは捨てた。生きる、悔しいがくノ一の舞の言う通り、聞多と牡丹が命を捨てて助けてくれたのだ。自分の命は自分で捨てていけないのだ。

 

 毎日仕事に励み、いつしか心に押しやった傷は完全に埋没していったようだった。悪夢も見なくなり、里の女たちと笑い合う明るさも取り戻したおふう。それと同時に藤林家は水沢隆広のもとで武勲を重ねていった。

 ある日の、田畑のあぜ道で桟敷を広げて弁当を食べるおふうと女たち。

 

「ついに武田が滅んでしまったわね…」

 元くノ一の葦が言った。彼女は任務中に負った傷がもとでくノ一を辞して、しばらくして結婚している。今では五人の子の母親。赤子を背負って野良仕事に励む彼女はもはや肝っ玉母ちゃんだ。

「武田が!」

「ああ、そういえばおふうちゃんは武田に殺されかけたんだったね」

 同じく元くノ一の麦が言った。葦とは同じ班に属していたくノ一である。巨乳の持ち主で相手を籠絡させての情報収集を得意としていたが、今では葦同様に肝っ玉母ちゃんだ。

「ええ、あわやというところを助けてもらって」

「隆広様、勝頼のもとどりを葉桜に与えたそうよ」

 と、葦。

「勝頼のもとどりを?」

 もとどりとはマゲのことだ。

「ええ、隆広様は信長様に首をさらせと命じられたらしいけれど、それを聞かず武田の菩提寺に届けちまったらしいのよ。でもその前に勝頼のもとどりを葉桜に与えたんだって」

「いきなことするよね~隆広様も。葉桜にとっちゃ勝頼は父母の仇だものね!」

「……」

「でも葉桜も心得ているものさ。勝頼は隆広様にとって恩ありし者、隆広様も本心じゃもとどりを葉桜に与えたくなかったはず。だから怒りに任せて粗略にしたらいけないと悟り、もとどりを天に掲げて『父母の仇、武田勝頼討ち取ったり!』と叫び、再びもとどりを繋ぎ合わせたそうよ」

「怒りに任せてもとどりを焼いたり踏みつけたとしても虚しいだけ。隆広様に遠慮したことが返って理想的な仇討ちとなったわね」

 麦が添えた。その通りだとうなずくおふう。

「しかし葦、私たちをかつて追いやった武田の透破衆も信長様に根こそぎやられちまった。力を蓄えいつか!なんて思っているうちに仇を取られちまった。ちょっと悔しいね」

「ま、その一翼に水沢家がいたんだから良しとしましょうよ」

「そうね」

「水沢隆広様か…」

「ん?なんだいおふうちゃん、隆広様に興味を持ったの?」

「い、いえ、私も隆広様が葉桜になさったことを粋と思い…」

「いいんだよ、藤林の女はみんな隆広様にベタぼれなんだから!」

 うっとりしている麦に訊ねるおふう。

「そうなんですか?」

「うん、もうすっごい美男子なのよ。それでいて戦も強くて頭もいい!家臣領民を思う慈悲の心あり!天は二物与えずと云うけど、ありゃ嘘ね!」

「私ももう少し若かったら戦場妻を務めるのだけどね~」

 同じくうっとりしている葦。

「戦場妻?」

「そう、戦場では男の性欲って平時より強くなるの。でも隆広様みたいな立場じゃ御陣女郎を買うわけにもいかない。その女が刺客であることもあるし。だから陣中にもついていき、伽を務める女が必要なのよ。いまは舞が務めているわね」

(舞…)

 かつて私の頭を踏んだ女…。あれ以来は会っていないが嫌いな女だった。

(水沢隆広様か…)

 

 この後、おふうは知った。彼女にとって義妹にあたる松姫を助けて、月姫も城を明け渡すと云う経緯はあれども隆広の計らいで無事であると。

(私を裏切った貞昌とは大違いの殿ね…。どんなお方なのだろう…)

 

 藤林家には武田滅亡と共に衝撃的な知らせも届いた。当主銅蔵の一人娘で、かつ隆広三忍の一人すずが背中に銃弾を受けて満足に歩けなくなってしまったと云うのだ。

 しかし、それに伴い隆広がすずに申し出たことが、またぞろ藤林家の女たちをときめかせた。

『俺がすずの足になる。一生な』

 銅蔵とお清はその申し出を受けて、愛娘を側室として嫁がせた。おふうもそれを伝え聞き

(珍しき大将、己が責任として歩けなくなったくノ一を側室に迎えるなんて)

 武田滅んで、しばらく平時となった藤林の里。久しぶりに舞が帰ってきた。祖父の幻庵に越前の旨酒を届けてからおふうが耕している畑に向かった。

 

「よう」

「…なんの用?」

「ご挨拶だね。まだ根に持ってんの?」

「当たり前でしょ。頭を踏んづけられたのよ」

 舞のことを無視して鍬を振るうおふう。

「あんたに頼みがあるのだけど」

「他を当たって」

「いや、頼むよ。他のくノ一にも色々と仕事があって」

 鍬を置いたおふう。

「なによ、聞くだけ聞くわ」

「私が隆広様の戦場妻やっているの知っているでしょ?」

「ええ」

「でも親友のすずが隆広様の側室になっちゃってさぁ、このまま戦場妻続けるのも何かと思ってね。私もそろそろ特定の男を見つけて落ち着かないと」

「まさか」

「ご賢察、あんたに隆広様の戦場妻を継いでほしいのよ」

「冗談じゃないわよ!いかに主君とはいえ、そんな身の安売りをするもんか!」

「ふーん、じゃあんた、このまま誰の妻にもならず、このまま鍬振って一生を終える気?」

「な、なに?」

「あんた、今でも亭主に裏切られた心の傷で男を信じられなくなっている。だから数度、この里で受けた求婚も突っぱねているんだろ」

「ええ、そうよ。男なんて信じられない。平気で伴侶を裏切る。確かに隆広様は優れた武将として私も敬意を持っている。でも男女となれば別よ!男を信じることのできない私がどうして戦場妻なんか」

 おふうが信じられる男は亡き父と、そして命がけで自分を助けてくれた聞多だけだ。

 

「言っとくけど、これは人事よ」

「は?」

「頭領に戦場妻を辞すと伝えた時『ではお前から見て隆広様が好みそうな女を探して後釜に据えよ』そう指示されたわ。で、真っ先に思いついたのがあんたというわけで私が推薦した。すでに頭領も了承している人事なの、これは」

「なぜ私を!私は隆広様よりずっと年上なのよ!」

「戦場では年上の女の方がいいの、あの方は」

「…?」

「隆広様はね、母親の愛を知らずに育ったのよ。だから戦場と云う緊張の中で、隆広様を癒すのは年上の女の方がいいの。ましてあんたのように乱世の無常を知る女ならね」

「……」

「他の武将なら美少年の小姓で間に合うこと。でも隆広様は男色に一切興味がない。ならば女が癒してあげるしかないでしょう。それに伽は単に性欲処理じゃない。隆広様を癒して、よき采配を執らせるためにも必要なの」

「…でも」

「それに、あんた里に来てから一度も山を出ていないでしょう。隆広様についていくと面白いわよ。色んなところに行けるから」

「……」

「とにかくこれは藤林の人事、あんたに選択権はない。数日中に隆広様のところに行くのよ」

「ちょ、ちょっと!」

「隆広様には私から伝えておくから」

 

 舞はおふうの畑から去っていった。その場にいた女たちがおふうに駆けていった。

「おふうちゃん!すごい幸運よそれ!」

「うらやましいわ隆広様の戦場妻になれるなんて!」

「冗談じゃありません!好きでもない男に抱かれるなんて!」

「「えっ?」」

 女たちは信じられない、という顔でおふうを見ている。何を言っているのか。

「おふうちゃん、これは頭領の命令なのよ。忍び衆にとって頭領の命令は絶対と知っているでしょ?藤林の掟なのよ」

「そ、それは…」

「いかに忍びの任務に就いていなくても、その掟は守ってもらわなくてはならない。隆広様の夜伽を務めるのが貴女の任務なの」

「…は、はい」

 これ以上、嫌がるそぶりをしていたら、おふうはその場にいた女たちに殺されていたかもしれない。掟に背くことは藤林に属する以上は許されないことだった。直感的にそれを悟ったおふうは受け入れたのだ。

 

 数日後、おふうは何人かの忍びに護衛されて現在隆広が城代を務めている加賀鳥越城に向かっていった。到着したころ水沢家はすでに合戦準備中だった。上杉家を攻めるため東進するのだ。城内ではさえとすずの目もあるので城外でおふうと会った隆広。

 

「おふうです」

「隆広である」

 隆広はおふうをジーと見つめている。いやらしい目、おふうは思った。

(いやらしい、男なんてみんな同じ)

「では明日の夜を楽しみにしている」

 そう言って立ち去った。そっけない。隆広の家臣から甲冑を与えられた。男装しろということだ。この先どうなるやら。

 しかし、おふうにも矜持と云うものがある。ただ主君と云うだけで女の命と云うべき身を差し出すなんてまっぴらだ。さっきの隆広の目、あれは体の線と胸の膨らみを見ていたのだろう。いやらしい、安易に私を抱けると思っていたら大間違いだ。

 

 夜になった。進軍一日目の夜営、水沢本陣の隆広の陣屋。おふうはその隆広の陣屋に入った。

「おふうです」

「待っていた」

「…よい御身分ですね。女が欲しければ家臣が用意して下さるのですか」

「え?」

「この乱世、女を知らずに死んでいく若者も多いでしょう。しかし隆広様は労せず私のような立場の弱い女を自由にできる」

「……」

「何様のつもりですか」

「もうよい、下がるがよい」

「ふん、自由にならない女に用はないですか」

「ないな」

「では、短い縁でしたが、これにて」

 

 これで藤林家に戻れなくなった。頭領銅蔵と隆広にも背いたことになるのだから。しかし覚悟のことだった。今の隆広との初見は賭けだった。名将とは聞いていたが、やっぱり男は嫌いだ。立場を利用して女を手に入れる。

 何様のつもりか、この問いの答えに期待していた。少しでも自分の心を得ようと努力してほしかった。しかし隆広は迷わず帰らせた。

 

 隆広はその気になれば現地の村娘や町娘を口説いたうえで陣に連れ帰ることも出来るだろう。しかし家臣がさせなかった。どんな刺客が潜んでいるか分かったものではない。だから水沢家中で、かつ素性がはっきりしている女が選ばれるのだ。おふうはその任に就いたが、大将の性欲処理に使われてはたまらないときっぱり隆広当人に断ったと云える。

 

 陣屋を出て間もなく藤林の忍びがおふうの背にスッと現れた。

「どういうことか、陣屋に入ってすぐに出てきたではないか」

 殺される、そう思った。任務失敗ではなく実行しなかったのだ。忍び衆に属する以上、これは許されない。

「きょ、今日は月のものゆえ御辞退申し上げました」

「ならば口で吸えば良いだろう。戻れ」

 ギュウと拳を握るおふう。そんな淫らなことが出来るか。

「戦場妻、断ったのだな」

「そ、そうよ!こんな簡単に女を得たら、隆広様は堕落する!」

 とっさに出た言いわけだった。

「もっと苦労すべきなのよ!男らしさや優しさを示したり口説いたり!なのにそんなの全部なしで隆広様は女を得ている!これが続けば隆広様は女を軽視し、ご養父様の薫陶の『女は大切にせよ』もいつしか忘れ去る!だから!」

「馬鹿かお前は、隆広様の気持ちは常に政治と軍事に向けられなければならぬ。お前の言う『女に男らしさや優しさを示したり口説いたり』そのものが武将として堕落なのだ」

「だけど…」

「まったく武家のお姫様は面倒くさいね」

「なっ…!?」

 後ろに立ったのは舞だった。男の声色なんて彼女にとっては簡単だった。

「ひ、ひどい!」

「しかし、とっさに出た言いわけにしちゃあ「ご養父様の薫陶の『女は大切にせよ』もいつしか忘れ去る」は的を射た意見だね」

「……」

「とにかく戻ってもらうよ、隆広様があんたを抱く抱かない、いずれにせよね」

「ちょ、ちょっと!」

 

 おふうの腕を掴んで隆広の陣屋に入る舞。

「あはは、隆広様、私の後釜に袖にされたらしいわね!」

「…ああ、ちょっと耳の痛いことを言われたぞ」

「とにかく私がもう一度好機を作ってあげました。あとは御随意に!」

 おふうの背中をドンと叩いて、戸を締めた。しかしおふうだけに聞こえるように舞は言った。

(二度はないよ)

 背筋が寒くなったおふう。今度隆広に口答えして出てきたら殺すと云うこと。たとえ抱かれずとも進展がなければ許さないということだ。

 

「立っていないで入ったらどうか」

「……」

 隆広の前に座るおふう。

「正直、効いたな」

「え?」

「さっき、そなたが言った『この乱世、女を知らずに死んでいく若者も多いでしょう。しかし隆広様は労せず私のような立場の弱い女を自由にできる』と云う言葉だよ」

「……」

「反論出来ないな。やっぱりだめかな、こんな若いうちから容易に女を得ては。知らぬうちに堕落してしまう」

 怒ってだんまりを通すかと思ったが、隆広は思いのほか素直におふうの言葉を受け入れた。おふうも話しやすくなった。

「そうです。女の心身を掴むには、それなりに苦労しないと!いかに偉い大将でも権力で女を得ていたら、その権力を失った時はみんな去ってしまって、みじめなものです。でも至誠で得た心は隆広様がどんなに没落しても変わりません。一緒に滅ぶことを選びましょう」

「つまり、結局は俺自身のためということかな」

「ご明察」

「ありがとう、しかしおふう、俺は当面上杉に神経を集中したい。そなたの心を得るには戦が一段落してからにする。それぐらいは待ってくれるかな」

「はい」

 

 おふうは男装し、そのまま水沢陣に留まった。破竹の勢いで上杉方の願海寺城、木舟城といった砦を落としていく柴田軍。軍師隆広の采配が冴えわたり、ついに越中魚津城に迫った。その陣中でのこと。水沢陣に御陣女郎がやってきた。いつも熱心に営業に来ていたが、その御陣女郎一団を取り仕切るやり手婆が

「今日の目玉はこの子さ」

 一人の美少女を水沢将兵に示す。松山矩久が

「おう、いくらだ?」

 訊ねるが

「だめだめ、この子は今日が水揚げなんだ。御大将の水沢隆広様しかお相手しないよ!」

 

 隆広は伝え聞いたが

「御陣女郎は抱かない。帰らせよ」

 と、陣屋で戦況を記録していた。しかし

「最近していないな…。いやがまんがまん、安易に女を得ては!」

 しかしやり手婆が大きく叫んで

「御大将!私たちも生活がかかっているんだよ~!ほら、お前も」

「私を買って下さい!でないとご飯食べさせてもらえないのです!」

 本日水揚げの美少女が訴えている。

「お願いです!あとでたくさんぶたれちゃう!」

 隆広は頭を掻いて、陣屋に手招きした。

「やった!寵愛を勝ちとってくるんだよ!」

「はい!」

 陣屋に入った娘、すぐに着物を脱ぎだすが

「抱く気はない。ほら」

 金を渡した。たとえ処女の水揚げと言えど破格の額だ。

「しばらくしたら、それを持って出て行け」

 机に向かい、筆を走らせ出した。

 

「…そんな優しいことをしても、私の父母と婚約者も殺したお前を許しはしない」

「な…っ!?」

「願海寺城城主、寺崎民部が娘のミツ!水沢隆広覚悟!」

 ミツは隠し持っていた短刀を抜いて、隆広に突進した。しかし

「くっ!」

 かろうじて避けた隆広は扇子でミツの短刀を叩き落とした。腕を掴んでミツの背中に回し、頭を床に押し付けて抑えた。

「願海寺城の姫だと?」

「お前が攻めてこなければ!私は父母と良人と共に幸せになれたのに!」

「……」

「仇討ち敗れたうえは覚悟のうえ。だが虜囚の辱めは受けない!」

 ミツは舌を噛んだ。

「……」

 

 一城の姫が御陣女郎に化けてまで仇を討とうとしたのだ。隆広への憎悪が知れる。

「誰かある」

「はっ」

 入ってきた小姓は驚いた。さっき入った美少女がもう死んでいたのだ。

「やり手婆を呼んでこい」

「は、ははっ!」

「し、知りませんよ私は!つい先日に餓死寸前のこいつを拾ってやっただけなんですよ!」

 必死に言い訳するやり手婆。だが嘘はついていないようだ。

「今後、お前の一団とは手切れとする。他の隊をあたれ」

「そ、そんなぁ!」

「この少女は当方で弔うゆえ、もう下がれ」

 たまたま藤林の陣にいたおふうは、少し遅れて騒動の知らせを聞いた。急ぎ隆広の陣屋に行くと小姓に止められた。

 

「おふう殿、いま殿はお人払いをされています」

「誰かと用談中?」

「いえ、お人払いをされて…あっ、おふう殿!」

 戸を開けたおふう、目の前に入った光景は隆広がミツの亡骸を悲しそうに見つめている姿だった。

「一人にしてくれと言ったであろう」

「隆広様…」

 事情は聞いた。柴田軍の別働隊として隆広が率いた軍勢が落とした願海寺城、その姫が御陣女郎に化けて隆広の命を狙ったと。その城攻めはおふうも見ている。城方も善戦したが、多勢に無勢だった。

 

「俺さえいなければ彼女は幸せだったろうにな」

「…それは違います。たとえ隆広様がやらずとも他の将が願海寺城を落としていたはず」

「…ありがとう」

 本当は声を出して泣きたいであろうに、それを必死に堪えている。この方は戦国武将としては、その才覚と器量と裏腹に優しすぎる。そして繊細なのだ。この気持ちはなんだろう。その悲しみを癒してあげたくてたまらない。

 

「隆広様…」

 気が付けばおふうは隆広を抱きしめていた。大将は感情を表に出さぬものが是と言われる。しかし大将であれ人間、徹頭徹尾強くいられるはずがない。隆広がおふうに示したのは『強さ』ではなく『弱さ』だった。弱さが出た時、それを癒し明日の強さに繋げるのが戦場妻の役目とおふうはこの時に知った。この方の戦場の妻となろう。おふうは思ったのだった。




次回、戦場妻編ファイナルです。


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戦場妻顛末記 参【おふう】

 上杉攻めの柴田軍、ここで水沢隆広は刺客に襲われた。ミツと云う少女が御陣女郎に化けて隆広の刺殺を目論んだのだ。彼女は柴田軍の軍師、水沢隆広が攻め落とした願海寺城の姫だった。だが隆広に返り討ちにあい、自決して果てた。ミツは水沢陣中で弔われた。松山矩久が訊ねた。

「殿、どうして刺客をかように丁重に弔いますか」

「二つある。一つは女の身でありながら家族の仇を討とうとした気持ちを買って。もう一つは願海寺城近隣の民に柴田の慈悲を示すためだ。加賀攻めで柴田は少しやりすぎている。民心を上げるにはこういう機会も使わないとな」

「なるほど…」

 本当は三つ目がある。ミツの幸せと人生を奪った自分の負い目からである。敵となったならば討たねばならないのが乱世とはいえ、何と悲しい武将の業だろうか。

 

「申し上げます」

 使い番が来た。

「うん」

「一刻後、魚津に向かうとのこと。水沢勢も進軍の支度整えるようにとのことです」

「分かった」

 柴田勢は魚津城の西二里の地に陣を作っていた。本日の進軍で魚津城の完全包囲が成るだろう。

「矩久、軍をまとめて進軍の用意」

「承知しました」

 矩久と他の将が走り去るとミツの墓前には隆広とおふうだけとなった。

 

「違う形で会えれば愛しあえる男と女になれたかもしれぬのに…戦国乱世はむごいものですね」

「ミツ殿が今度生まれてくるときには戦のない世であってほしいものだ」

 知ってか知らずか、処刑直前のおふうに勝頼が言った言葉と同じことを発した隆広。

「戦のない世…」

「年寄りが木陰で悠々と昼寝できるような世…。そういう世を作りたい」

「隆広様…」

「ははっ、上様…織田信長様の受け売りだがな。だがそういう世なら、ミツ殿のような思いをする少女はいなくなろう。そのために今は…現実から目を背けず戦い続けるしかない」

「……」

「おふう」

「はい」

「昨日は助かった。ありがとう」

「いえ…」

 隆広もまた進軍に備えるべく、ミツの墓を後にした。

 

 魚津城攻めが開始された。上杉景勝と直江兼続が援軍でやってきたが、柴田軍はあくまで魚津にのみ正対し、後方の景勝陣には強固な陣構えで備えて突出しなかった。数が少ない上杉軍は柴田軍から突出してきた部隊を各個撃破するしかなく、かつ森長可と滝川一益率いる軍勢が春日山に向かっている以上、景勝は早晩越後に引き上げるしかない。

 それを知る柴田軍の軍師水沢隆広は徹底した無視を決め込むよう全軍に通達。上杉のどんな剛の者が名乗りをあげて戦いを挑んでも威嚇射撃で追い返す。

 

「隆広様の戦は変わっていますね」

 と、おふう。戦場妻になることは決めたが、それは隆広に正式に伝えていない。当然まだ肉体関係もない。ただ給仕を務めているだけだ。

「そうか?」

「魚津将兵は兵糧もなく士気も減り、かつ上杉景勝率いるのは三千、両方とも今の柴田の勢いなら討てるのでは?」

「討てるが、相手の必死の抵抗を生み、柴田の犠牲も甚大だ。ほっておいても落ちる城、退却していくしかない援軍部隊、ならば動かざるごと山の如しが良い。敵さんが一番嫌がる戦法で、かつ柴田は楽だ」

「確かに言われる通りで」

「魚津の城兵はもう意地で戦っているようなものだ。だが全部がそうではない。こちらが用意した退路で逃げ出している者も多いと聞く。それらに危害を加えてはならないと云うことは厳命してあるし、そろそろ兵糧を魚津に送る」

「心を攻めるということですね?」

「そうだ、おかわり」

 

 ちゃんとこうした武将としての強さも気づかぬうちにおふうに示している隆広。

 しかし、おふうから見て隆広がどうも魚津攻めに集中しきっておらぬように見えた。それは後日に判明する。

 

 やがて魚津に景勝から城を明け渡すよう指示が届き、魚津城は明け渡された。落ちる兵たちに危害は加えなかったが主なる守将は自決して果てた。その将たちが死している部屋に入った隆広。

「生きてさえいれば、いかようにも挽回できるのに…」

 手を合わせた隆広は

「丁重に弔え」

 

 家臣たちに命じた。

 そしてその隆広のもとに日本史最大級の事件を知らせる書が届けられた。柴田軍は魚津を抜け、森と滝川と連合して春日山に寄せる軍議を開こうとしていた。軍議の時刻になっても軍師の隆広がこない。

「遅い、大事な軍議に遅参とは!」

 鼻息の荒い佐久間盛政。そこに血相を変えた隆広が走ってきた。遅刻したので血相を変えているのかと思い盛政は

「遅いぞ!早く席に着け!」

「そ、それどころではありません!」

 柴田諸将が隆広を見た。可児才蔵が訊ねる。

「どうした?そんなに慌てて」

「大殿が!」

「大殿がどうした?」

「討たれました!」

 そう本能寺の変が起きたのだ。明智光秀が叛旗をひるがえし織田信長を討ったのだ。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 柴田軍は急ぎ撤退を開始した。せっかく手に入れた越中と能登二国を放棄して越前に引き上げを開始した。水沢勢も上杉に空城計を仕掛けた後に総退陣。

 おふうも馬に乗って駆けた。戦場妻はお城にいる妻たちと違い、馬に乗れなければ話にならない。藤林に戦場妻の後釜を命じられて以降、馬術を習っていた。男装したまま隆広のわきで馬を駆った。その道中で気づく。北陸街道には撤退する柴田軍に備えて握り飯と塩、砂糖、水の補給所が随所に設置されていたことを。

 

「モグモグ、隆広様、これは?」

 馬を駆りながら握り飯を頬張り隆広に訊ねるおふう。

「モグモグ、無駄な準備となってくれればと思ったんだがな」

「ゲプッ、では隆広様は明智が謀反を察していたと?」

「ゲプッ、危ういと思っていただけだ。人間悪い予感はよく当たるモンだ。ぐびぐび」

 水をあおる隆広。おふうは悟った。どうにも隆広が魚津攻めに気持ちを集中していないと思っていたが、彼は明智光秀に疑惑を抱いていたのだと。

「さあ、もうすぐで加賀と越前の国境だ!走れーッ!!」

「「オオオオオ!!」」

 

 越前に入った。もう北ノ庄まで一日の進軍で行ける。その夜営のこと。おふうの給仕で晩御飯を食べている。

「何とか、ここまで生きて帰ってこられたな」

「はい」

「ところで、おふうの北ノ庄での住まいは?」

「上忍柴舟様、いえ北ノ庄では水沢家御用商人の源吾郎様ですね。そのお屋敷に間借りして住まわせてもらいます」

「そうか、明日には北ノ庄に着くであろうからおふうに言っておきたい」

「はい」

 膳をどかせて、おふうに正対した隆広。

「俺の戦場妻になってほしい。あの日、側にいてもらえて、どれほど俺の心が救われたことか」

「隆広様…」

「正室でなくてすまないが、戦場の正室として俺の傍らにいてくれないか。うんと大事にする」

「分かりました」

「おふう…」

「隆広様の戦場妻となりましょう」

 この日、隆広とおふうは初夜を迎えた。関ヶ原の戦いに至るまで、隆広の戦場妻を務めるおふう。彼女が一番長く務めていることから、その寵愛さが知れるだろう。

 

 

 その後、隆広は瀬田の合戦で明智光秀を討ち、官位も美濃守を受けた。隆広が智慧美濃と呼ばれるのもこれ以降である。清州会議のあと、隆広には安土築城が下命された。城普請におふうはついていった。

 当たり前だが平時において戦場妻が夜のお務めをすることはない。舞や葉桜と同じく立場上は隆広側室すずの侍女である。普請場の給仕は女たちの仕事、安土の台所は女たちの戦場だった。

 

 おふうは水沢家料理番の星岡茶之助に『美濃粥』の作り方を教わり、鍋に入れて普請場に持っていこうとしたところ懐かしい顔に出会った。

「月!?」

「あ、姉上様!」

 それは躑躅ヶ崎館で姉妹の契りを交儂た小山田信茂の娘の月姫だった。小山田投石部隊が水沢家に召し抱えられていた。鍋を置いて月姫と抱き合うおふう。

「良かった姉上様、生きていて…」

「月もこんな大きくなって…」

 

 普請場の給仕が一段落すると、おふうは月姫を連れて安土山に登って琵琶湖を見に行った。

「ここが私のお気に入りの場所。あんまり山登りきつくないうえに絶景が見られる場所なのよ」

 琵琶湖の湖面がキラキラと輝き、そして空気もおいしい。すうっと息を思い切り吸い込んだ月姫。そして意を決し言った。

「姉上様、あの時に姉上を助けた方はあの後…」

「言わなくていい…。知っているから」

「姉上様…」

「私の命はあの二人にいただいたもの。だからとことん生きてやるの。どんなつらいことあったって、あの時に比べれば取るに足らないもの」

 ふところから笛を取りだしたおふう。藤林に来て以来、一度も吹いていない。でも今日は懐かしい妹との再会。お気に入りの場所で吹くために持ってきた。月姫も

「私も持ってきました」

 再会を喜ぶように一緒に笛を吹くおふうと月姫。月姫も上達していた。しばらくして唇を笛から離して月姫は

「あの方は死ぬ前、お屋形様(勝頼)に笛を吹かせてほしいと望みました」

 それはおふうも初耳だった。

「それがこの音色でした」

 あの日、牡丹が最後に吹いた笛、その音色を再現した月姫。おふうも一度だけ牡丹に聞かせてもらった音色だった。それは死の直前に吹いたとは思えないほど明るい音色。

「牡丹が日近の家を去る時に吹いてくれた笛、別れではない、いつかまた会えることを願っての音色と牡丹に聞いたわ」

「それを死の直前に…」

「私も覚えている。一緒に吹きましょ月」

「はい姉上様」

 

 

 安土城が完成すると間もなく、羽柴秀吉が挙兵し織田信孝を討った。そして柴田勝家に宣戦布告、安土城は羽柴秀長率いる二万の軍勢に包囲された。ここも戦場となるが城内にさえとすずがいるので、これまたおふうに夜のお務めはない。あくまで藤林家の女として羽柴に立ち向かうまでだ。

 睨みあいの緊張の中、おふうは体調を崩して寝込んでしまった。

 

「やれやれ、武家の姫様は弱いねぇ…。戦う前に倒れちゃうなんて」

 舞に嫌味を言われるおふう。

「うるさいわね、病気の時くらい嫌味言わないでよ。ゴホッ」

「これ、藤林の薬師が作った薬、毎食後に飲むのよ、そして眠くなったら素直に寝ること」

「あ、ありがと」

「殿の話では、そろそろ羽柴と弓矢を交えることになるそうよ。一日も早く治ってよね。給仕に鉄砲の玉造り、女手はいくらあっても足りないんだから」

「うん…」

 月姫が看護に来てくれた。用足しには自力で行けるが補助が必要だった。

「大丈夫、姉上様」

「風邪がお腹にいったかな…。ちょっとゆるい…」

 ふう、とため息をついて床についた。しばらくすると

 

「おふう」

「と、殿」

 隆広が美濃粥を持ってきた。美濃粥は水沢家料理番の星岡茶之助が元となる汁を作り、やがて米を入れて粥にしたところ、これが絶品で信長も大変好んだと言われている。さらに隆広はおふうに特別版を持ってきた。どんぶりの中に見たことのない具が入っていたので

「…?殿、この黄色と白のフワフワしたものは何です?」

「ん?これは卵だ。安土に養鶏場を作ったろ?熱した湯にとき卵をたらすとこのようになる。茶之助が思いついてな。これが実に美味い」

「卵…」

「とにかく滋養には卵が一番だ。アーン」

「と、殿、月姫殿の前ですよ」

「いいからいいから」

「もう…」

 月姫はこの時点で隆広と義姉が男女の仲と気づいた。

「そういう仲なんだ」

 卵入り美濃粥、パクリと食べたおふうは

「美味しい…!」

「だろ?ほらアーン」

「じ、自分で食べられますよ」

「あ、私はお邪魔でしたね。ふふっ、じゃ姉上様、後ほどまた来ます」

 月姫は部屋を出て行った。おふうはペロリとどんぶり一杯をたいらげてしまった。

「体が温まりました。ありがとう、殿」

「明日また昼餉に持ってくるからな」

「はい」

「早く良くなってくれ。そろそろおふうとしたいし…」

「だーめ、さえ様とすず様がここにおられる以上、お相手出来ませんよ」

「ちぇっ」

「ふふっ」

 

 数日後、おふうは快癒したが、その夜こそが安土夜戦当日だった。

「ひいはあ、病み上がりにはしんどいなあ」

 握り飯と水を将兵の持ち場に運ぶのは女たちの仕事だ。さえの指示によりおふうは東の出丸に水を運んだ。出丸それぞれの銃眼の前には鉄砲が四挺立てて置かれてあった。もう臨戦態勢は整っていた。

「伸るか反るか…正念場ね…」

 

 安土に援軍部隊が到着し、羽柴勢に夜討ちを敢行、水沢勢も出丸から容赦ない鉄砲攻撃。関ヶ原の戦いで伊達政宗に破られるまで無敵を誇った鉄砲術『鉄砲車輪』の前に羽柴勢は壊滅して敗走。大将の羽柴秀長は筒井家の柳生勢に捕捉されて討ち死にした。

 

 大勝利に湧く水沢勢だが、隆広はすぐに賤ヶ岳に援軍に向かう。松波庄三が琵琶湖から水軍で駆けつけてくれた。水沢隆広の琵琶湖大返し、おふうは隆広の乗る船に例によって男装して乗り込んだ。男装と一口に言っても面倒なもの。長い髪は男と同様の総髪の髷とし、兜や甲冑、二本の太刀は女の身には重い。陣羽織も着て、ふんどしさえ締めると云う徹底ぶりだ。

 

「姉上様、大丈夫?病み上がりなのに」

 その着付けを手伝っていた月姫。

「ええ、美濃粥と藤林の薬は本当によく効いた。もう風邪ひく前より元気になったって感じよ」

「……」

「どうしたの月」

 月姫は安土夜戦勝利直後に隆広から

『小山田投石部隊、見事だ。さすが甲斐国中ゆいいつの勇将小山田信茂の精鋭たちよ』

 そう言った。信玄の言葉を再現して父と家臣たちを称えてくれた主君隆広に月姫は心奪われた。昨日までなかった感情を義姉に抱く。義姉おふうは戦時中に隆広の愛を一身に受けるのだから。嫉妬心が湧いた。

「ど、どうしても姉上が無理ならば月が代わりにと思って…」

「は?」

「な、何でもありません。ご武運を!」

 月姫は退室した。

「ご武運をって言われても私は戦わないのに…」

 

 琵琶湖を北上していく大船団。大将隆広が乗る旗船に将は集まり軍議をした。おふうはその船室で待っていた。隆広がやってきた。

「おふう、血が滾ってかなわない。伽を務めよ」

「なりません。私を堪能するのは明日の戦いが終わってからです。開戦までもはや数刻、大将がここで体力を使うことはならぬこと」

「うーん、言われてみればそれもそうか、じゃ膝枕を」

「はい、開戦までしばしの休息を」

 伽を務めよ、と言っていたわりに隆広はおふうの膝枕につくやスウスウと眠りだした。

「ふふっ、柴田と羽柴の天下分け目の戦いに挑むとは思えない寝顔ね」

 

 そして数刻後、船団が琵琶湖北岸に到着するまで、あとわずかの頃合い。隆広は起きて

「今宵を楽しみにしている」

「勝って帰ってこられたら存分に」

「よし!」

 船室から出て行った。軽い食事を済ませて全軍が北岸より上陸、稲葉良通の軍勢も加勢に駆けつけた。軍勢の行く様子を甲板から見守るおふう。

「殿、ご武運を」

 

 天正十一年四月二十一日午前六時、水沢隆広が琵琶湖を大返し、羽柴秀吉軍に襲い掛かった。世に云う『賤ヶ岳の合戦』の第二幕が開いたのだった!

 おふうはずっと琵琶湖に願っていた。隆広のデッチあげた竜神伝説を真に受けて、ひたすら琵琶湖にいるはずもない竜神に水沢勢の勝利を願う。祈りが通じたか、水沢軍は羽柴勢に勝利。羽柴秀吉は敗走していった。船団に戻り、おふうの歓迎を受けたが隆広は

「羽柴の追撃に出なければならない。とにかく今は船団が湖西に到着まで眠る」

 まだ合戦は終わっていない。隆広の厳しい顔にたのもしさを感じるおふう。前の良人なんて比べ物にならない傑物。

「その前に美濃粥をお召し上がりに。留守の者と一緒に作りましたゆえ」

「おお、ありがたい!」

 戦って疲れた後に美濃粥は本当に美味だ。腹が膨れると隆広は甲板で刀を抱いて眠った。やはりそうとう疲れたようだ。開戦直前におふうを抱かなかったのは正解だった。

 

 琵琶湖の湖西に到着、羽柴の追撃に出た水沢軍。これにおふうもついていく。一緒に行くのが戦場妻の務めなのだから。丹波に着いて水沢勢は夜営。隆広は久しぶりにおふうを抱いた。

「良かったよ」

「ふふっ、ありがとうございます」

 心地よい疲れの中、おふうの胸の中で眠っていく隆広だった。

 

 翌日も羽柴を追う水沢勢、羽柴の通る道は分かっている。隆広は先回りして待っていた。そしてついに羽柴勢を捕捉した。だが隆広はみすみす大手柄を逃した。たとえ戦える状態でなくとも容赦なく討つと決めていた隆広だが、実際に見る羽柴軍はあまりに哀れだった。数は五十ほどに減っており、負傷している者ばかりで満足に歩くことも出来ない。隆広には討つことが出来なかった。

「あの方らしい…」

 そうおふうは思った。秀吉を見逃した夜、おふうが伽を務めると言っても隆広は一人にしてほしいと言ってきた。

「それは出来ません。一緒にいるのが戦場妻ですから」

「おふう」

「横にいます。考えごとの邪魔はいたしません」

 ふっ、と笑い

「ありがとう」

 

 安土に帰り、隆広は勝家に大変な叱責を受けた。打ち据えられ全身が血だらけだ。前田慶次に背負われて帰宅したが、さえは思わず失神しそうになったほどだ。

 しかし、秀吉を見逃す隆広を見て、おふうは

『たとえ正室でなくても、この方とこれからの一生を過ごせるのなら女として幸せなこと』

 そう思った。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 隆広の負傷が癒えたころ勝家から秀吉討伐の軍令が出た。それに伴う軍議は負傷と謹慎のため出られなかったが、明日に出陣と云う段階になって、やっと隆広は出席できた。勝家はその軍議の席で水沢隆広が我が息子であると正式に明かし、そして世継ぎに指名した。隆広は柴田家若殿、柴田明家となった。

 

『出世払いでいい』

 そう考えていた藤林は歓喜した。主君が大名の若殿であり、後継者に指名されたのだ。安土城下、隆広の御用商人源吾郎の屋敷にいる舞とおふう、舞は

「つあ~ッ!不覚だった!こんなことならアンタに戦場妻の座を譲るんじゃなかったよ!」

「ちょっと舞、六郎殿に言い付けるわよ」

「げっ、今のなし」

「ふふっ」

 お腹が膨れていたおふうはニコリと笑った。賤ヶ岳の戦いの夜に受けた隆広の愛が大当たりしたらしい。懐妊していた。

「殿がお大名の世継ぎになられたよりも、私は殿の子を宿せたのが嬉しい…」

「となると…やっぱり縁がなかったのかなぁ隆広さ、いや明家様とは。何度もしたけど私は結果孕まなかったからなぁ…」

 おふうの腹を撫でる舞。

「しかし、おふう、それじゃ姫路には一緒に行けないね」

「ええ、殿にも大事にするよう言われましたので」

「では初代戦場妻である私の返り咲きの好機だね。このおっきな乳でまたメロメロにしちゃう」

「ちょっと舞!」

「冗談だって!六郎あれで独占欲強いんだから」

「冗談に聞こえないよ、もう!」

 

 姫路城攻め。柴田明家は先陣を務めた。佐久間盛政の謀反などもあり、一時安土は騒然となったが盛政は部下に裏切られ刑場の露となった。

 羽柴秀吉は姫路城と運命を共にした。ここに柴田家は日本最大勢力の大名となった。領地の版図の大きさのみならず、京を中心とした畿内をほぼ手中にしている。天下取りに抜きんでた存在となった。この時、柴田明家わずか二十三歳であった。

 

 しばらくして、おふうは無事に女の子を出産、賤ヶ岳の戦い当日に生を宿したと柴田家でも大変愛される姫となり、名は美濃姫とつけられた。隆広の官位名がそのまま名前となったのだから明家とおふうの喜びようが伺える。

 またおふうには嬉しくも少し悔しいと云う複雑なことがあった。義妹の月姫が明家の側室となることになったのだ。

「姉上様、ごめんなさい。安土夜戦から私の態度、ちょっと悪かったでしょう」

「まさか私に妬いていたなんて思わなかったけど」

「だって、姉上様は戦時では殿の愛を一身に受けられるのだもの。…つい嫉妬しちゃって」

「でも今日から同じ殿方を愛する者同士ね。月の方が若いから、いずれ持っていかれてしまうかな」

「殿はお松姉上とも仲が良いですし…我ら三姉妹にとって殿は悪いお方です」

「ふふっ」

 

 明家がおふうのことを戦場妻だとさえに話したのは、家督相続後である。それまでは隠していた。だが、それは愛妻を侮りすぎだ。すべてさえに筒抜けであった。戦場で自分は良人を癒せないのだから仕方ない。さえは知らないふりをしていただけなのだ。

 

 側室を増やしたうえに戦場妻とは。さえの怒りも大変なものであったが、あの大病における明家の狼狽ぶりとさえへの献身ぶりは当のさえは無論、側室たちやおふうも驚いた。さえの看病をしている時、明家は他の女に一瞥もくれず、献身的に妻に尽くした。自力で吐き出せない嘔吐物さえ口づけして吸った。

 

 とても御台様にはかなわない。

 すず、虎姫、月姫はそれを思い知らされた。無論おふうも。でも、それでよいのだ。正室を一番としなければならないのだ。さえもまた、大大名になっても側室や戦場妻を持ったごときで良人の自分への愛情に陰りはなかった。私は何て幸せなんだろうと心底思った。

 

 快癒後、さえは明家の女遊びに何一つ文句は言わなくなった。どんな若くて美貌の娘であろうと正室の私にはかなわない。ゆらぎない絶対的な確信があった。そしてその通りなのだ。明家は正室さえを一番大切にした。

 

 紀州攻め、尾張犬山の戦い、四国攻め、九州攻めを経て、ついに徳川家康と雌雄を決する関ヶ原の戦いが迫った。このころになるとおふうは藤林家から暇をもらい、大坂の城郭内に屋敷と使用人を与えられ、そこで暮らしていた。

 

 おふうには長年、良人明家に隠していることがある。自分が奥平信昌の元正室と云うこと。明家がおふうに過去を聞かなかったこともあるが、少なくとも明家は奥平が武田から徳川に転身した時に勝頼に処刑されたのは奥平信昌の正室と思っている。替え玉だったなんて思ってもいない。

 

 武田勝頼に殺されたのは身代わりのくノ一牡丹であり、本物であるおふうは生きている。関ヶ原の戦いではかつての良人の信昌も徳川方として出陣する。あの時の怒りは忘れていない。許すものか。今の良人明家に比べれば取るに足らない男。徳川家康の娘を娶り、十万石の大名に出世しているとか。私を見殺しにして得た地位に満足しているのか、吐き気がしてくる。我が良人の前に屈するがいいわ。

 

 おふうも戦場妻として関ヶ原に随行。途中の夜営、明家に抱かれたあとにおふうは長年の秘密をついに明かした。

 

「で、では、勝頼様に殺されたのは別人だったのか?」

「はい、勝頼殿は連れ去られたことを隠すため、牡丹を私として討ったのだと思います」

「そうだったのか…」

「最初の徳川との戦であった犬山の戦いの時に言おうかと思いましたが言いそびれ、ついつい今まで。でも改めて殿が徳川と戦う以上は聞いてもらいたいと思いまして」

「ひどいことをするものだ。十五の幼妻を見殺しとはな」

 おふうの乳房を愛でながらつぶやく明家。

 

「俺がその時の奥平当主であったら、妻を選んで家を滅亡させているだろうな。今まで運よくそんな局面に遭遇していないだけだ」

「言われる通りかもしれません。でも殿、何も知らずに殺される方にしてみれば、そんな良人の苦渋の決断もただの裏切りなのです」

「………」

「私を命がけで助けてくれたうえの滅亡だったならば、私は喜んで良人と死を共にしていたでしょうに」

「おふう…」

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 やがて関ヶ原の戦いが始まった。おふうも柴田の笹尾山本陣で戦況を見ている。目を凝らして奥平家の家紋『沢瀉』を探し、そして見つけた。先頭にいるのが信昌であろう。

 

 日本史史上最大の動員数となった関ヶ原の戦いであるが決着は一日でついた。徳川家康は大敗して退却。奥平信昌も退却していった。奥平勢の追撃には小野田勢が当たった。関ヶ原から奥平氏居城の長篠城までは遠い。

 ついに奥平勢は小野田幸猛の軍勢に捕捉されて攻撃を受けた。必死に抵抗するが、勝利で士気の高い小野田勢の攻撃に抗しきれず壊滅となった。名の通った武将なので幸猛はその場で首を取らず本陣に連行することにした。信昌は捕えられ、綱で縛られ明家の前に座らされた。

 

「殿、長篠城主、奥平信昌殿にございます」

「なに?」

 おふうをチラと見た明家。

「ほう、貴殿がそうか。少年のおりに聞いた鳥居強右衛門殿の生き様に胸をときめかせたものだ」

 

 鳥居強右衛門、武田勝頼に攻め滅ぼされかけていた長篠城の兵で、包囲する武田陣を突破して、信長と家康の本陣に辿り着き援軍の要請をしてきたが、その帰りに武田勢に捕まってしまい、勝頼から『援軍は来ないと言えば逃がす』と言われたにも関わらず『援軍は来るぞ』と長篠城兵を鼓舞した。

 

 激怒した武田勝頼は強右衛門を逆さ磔にして処刑した。その強右衛門の磔姿を武士の鑑として認めた男がいる。武田家臣の落合左平次であり、彼は自分の旗印を磔姿の強右衛門にしたほどだ。現在柴田家で再興された後武田家の重臣を務めている。

 

 その強右衛門の主君信昌、幼妻おふうを見捨てたと云う経緯はあれども、さすが強右衛門ほどの武士が忠節をまっとうした主君。強右衛門が長篠城を出て援軍を請いに行くと信昌に訴えた時、徳川の目付は『脱走する気であろう』と嘲笑したが信昌は『強右衛門はそんな腰抜けではない。我が奥平の忠臣を侮辱なさるおつもりか』と毅然と一喝したと云う。中々の武将と明家は見た。

 だが勝者と敗者に別れた今、裁かなくてはならない。信昌ももはや覚悟は出来ている。

 

「もはや何も言うことはござらぬ。首を刎ねるがよろしかろう」

 その言葉に明家の傍らにいた武士がスッと立ちあがった。兜と惣面を取り、信昌に歩む。

「な…!?」

「お懐かしゅうございます、殿」

「お、お、おふうなのか!!」

「はい」

「い、生きておったのか!」

「勝頼に討たれたのは義弟の仙千代丸と私の身代わりとなった一人のくノ一」

「………」

「その後、私は藤林家の食客となり、やがて柴田大納言様の寵愛を受けし女となり今に至ります」

 

 信昌は肩を震わせた。

「よ、良かった…。生きていてくれて!」

「……?」

 ポロポロと涙を落としている信昌。

「すまぬ、儂はそなたを裏切った。そなたが勝頼に無残に殺されたと聞き、自己嫌悪と悪夢の毎日だった。だが、やっと解放される…。そなたは天下人の寵愛を受けて幸せとなったのだから」

「…今さら何ですか」

「許せとは言わぬ。いや、儂を一生許してはならぬ…」

「………」

「かたじけない大納言殿。あの世でも悪夢にうなされるところを…これで何の未練もなく死ねる」

「信昌殿…。つらかったでしょうな、幼妻を見捨てることは」

「大納言殿、もう儂のように…愛する妻を見殺しにせざるをえんような男が出ぬよう、よき世をお作り下さいませ」

「承知いたした」

 

 明家の扇子が振られた。刑場に連れていけということだ。兵に両腕を掴まれ、立ちあがった信昌。

「ま、待って!」

 信昌の前に立つおふう。大粒の涙を流していた。

「なんて卑怯な…。今さら、そんな優しい言葉を私にかけるなんて」

「そうよな、冷たい言葉を吐けば、そなたはもっと楽に儂の死を見送れたかもしれぬ。だが儂もそこまで強い男ではない…」

「信昌様…」

「幸せにな…」

 刑場に連れて行かれる信昌。

「ま、待って!殿、どうか奥平家を柴田にお召し抱えを!」

 明家に平伏して頼むおふう。信昌をチラと見た明家。中々の武将と云うのは分かっている。

「どうか」

「いや、お気持ちはありがたいがお受けできませぬ」

「信昌様!」

「徳川には妻を見殺しにしてまでついたのでござる。これ以上の変節はできませぬ」

「惜しいな…」

「ありがたき仰せなれど、もはやこれまで」

「さらばでござる」

「あああ……っ!」

 泣き崩れるおふう。奥平信昌は関ヶ原の西軍本陣の刑場で露と消えた。首となった信昌、それをおふうが見た瞬間だった。長年『治った』と無理やり思ってきた心の傷がここでパックリ開いてしまった。

 

 良人の裏切り、義弟の無残な死、聞多と牡丹の死…

 命は助かっても心は殺された。そのボロボロの心をおふうは無理やり治した。と云うより治ったと思いこんだ。生きていくためには働かなくてはならない。無理やり傷ついた心を封じ込めた。

 

 かつて憎悪した元良人の言葉を聞いた。良人信昌も苦しんだこと、心より生きていたことを喜んでくれたこと。そして今、良人が死んだこと。

 

 おふうは気が狂ってしまった。半狂乱の様相で号泣した後、まるで笑いダケでも食べたかのように笑いだし止まらない。笑ったまま尿失禁もした。完全に発狂したのだ。狂いだしていくおふうを黙って見つめていた明家。

 本陣にいた葉桜はあぜんとし

「姉さん、どうしたの?姉さん!」

「ふふっ、ははは!ははははは!」

「姉さん、しっかりして!急にどうしたの!?」

「…思えば良人に裏切られて見殺しにされたのだ。命は助かっても心は殺されたのかもしれん」

「殿…」

「葉桜、おふうは糧を得るため、その殺された心を無理にでも押し込めるしかなかったのだろう。だが今日、自分を裏切った良人の歓喜の涙と死を見て、押し込めた心の傷が開いてしまったのかもしれない」

「そんな…」

「葉桜、心療館におふうを入れよ。時間がかかるかもしれんが必ず治させよ」

「は、はい…」

「ははははは!ははははは!!」

 壊れたおふうの虚しいも悲しい笑い声。

「姉さん…」

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 時は過ぎていく。

 日欧の役、日清の役を経て、柴田明家は完全に天下統一した。関ヶ原以降は三代目の戦場妻は菖蒲と云う藤林家のくノ一が務めたが、日清の役を最後に柴田明家に戦場妻はつけられることはなくなった。菖蒲は愛人となり、明家に大切に遇された。

 

 二代目戦場妻のおふう、心療館の女たちを始め、義妹の月姫や松姫も治療にあたり、彼女たちの献身的な看護で、何とか正気は取り戻した。もう歳は四十三となっていた。おふうの傷を治すには、これほどの月日を要したのだ。天下人の戦場妻だから受けられた治療だ。他の立場なら、狂ったまま自ら命を断つこともありえたろう。

 しかし正気を取り戻したら取り戻したで

「殿は…」

「上様はお城で」

 心療館の女が答えた。良人が会いに来てくれない寂しさを味わうことに。

「…もう私なんか、どうでもいいのね」

「違いますよ姉上様」

「松…」

 松姫は京都で信松院と云う庵を明家から贈られ、亡き婚約者信忠を弔っていた。たびたび大坂を訪れ、義姉の治療に当たっていた。今日も京の名医の曲直瀬道三より薬を処方してもらい訪れたのだ。

「上様は何度も来ています。しかし私と月が追い返し、しまいには来るなと言ったのです」

「なぜ、なぜそんな意地悪するの?私にはもう上様しか…」

「姉上、言いにくいけれど…今のお姿は上様にお見せしない方がいいと思う」

「…そんなにひどいかな」

「申し訳ないですが…。姉上の心の傷は肉体も少し衰えさせたようです…。かつての美貌と抜群の肢体も今は崩れつつ…」

「そう…。相変わらずハッキリ言うわね松…」

「でも、心の傷が治ったならば、これから体を養生して健康を取り戻せば良いだけのこと。若い女の魅力はなくても、姉上なら艶っぽさを出せます。きっと上様のご寵愛も得られます。上様が年上好みなのは変わっていませんもの」

「松…」

「重い心の傷を克服した姉上には以前より深みがあります。天下人が心底甘えられるほどの深み」

「ありがとう松、私がんばって健康を取り戻す。そして頃合いを見て上様を私のところに連れてきてほしい…」

「分かりました」

 

 数ヶ月が経った。おふうは心療館の庭を散歩していた。痩せて落としていた肉も取り戻し、だいぶ血色も良くなってきた。松姫と月姫ももう良い頃合いと思ったか、明家におふうの快癒を報告した。それを聞くや、明家はすぐに心療館に訪れた。おふうが歩いていた庭、そこで何年かぶりの再会をした。

 

「おふう」

「上様…」

 今まで松と月の言葉を鵜呑みにして私をほっておいたくせに。そう思うと拗ねたくなった。

「何の用です」

 不愛想に返すが、明家はそんなこと構わずに

「温泉に行こう」

「は?」

「もう輿も用意した。行くぞ」

 無理やり輿に乗せられ、温泉に行くことになったおふう。馬に乗る明家が言った。

「快気祝いだ。今日は好きなものを食べていいぞ」

「は、はあ…。でも上様、どうして急に温泉など」

「久しぶりにおふうを抱きたくて」

「お戯れを」

「俺は大まじめだ」

 

 温泉宿は明家とおふうの貸し切りだ。久しぶりに一緒の湯に入る。

「すまんな、ろくに見舞いにも行かず」

「いえ…。上様は日ノ本一番に忙しい方ですし」

「城に戻って来い」

「う、上様…」

「十五の時からそなたはつらいことばかりであったろう。もう十分だ。戦場妻ではなく正式に側室として迎えたい。うんと大事にする」

「…上様、きゃっ!」

 おふうの乳房に触れた。

 

「天下人になったはいいが、気を揉むことばかりだ。徳川殿は『天下人は一人、ゆえに孤独』と申したが本当にそうだ。覚悟のうえだが、俺も人間、たまに人に甘えたい」

「では久しぶりに私が抱っこしてあげましょう」

 

 久しぶりにおふうの肢体を堪能する明家。何年振りか、おふうは男に抱かれることを忘れていたが、やっぱり愛する男に抱かれれば体は歓喜に包まれるもの。泳ぎ終えたあと、おふうは明家を抱きしめていた。

「ああ…。癒されるよ…」

「殿には若い愛人もいましょうに」

「若い女には甘えられないじゃないか」

「あら、では若い娘にはかっこいい柴田明家を通しているのですか」

「ま、まあな」

「それは気苦労がありましょうね」

「側室になっても、時にこうして甘えさせてくれるか?」

「はい、喜んで」

 

 しばらくして驚いたことがあった。なんとおふうが懐妊したのだ。温泉での夜閨が大当たりしたらしい。

 しかし四十三、現在ならともかく、当時では高齢出産と云える。産科医たちは暗に堕胎を勧めるが、おふうは生みたいと言った。明家も反対した。心の傷は快癒し、養生して健康を取り戻したように見えるが、発狂したほどの心の傷はおふうの肉体の内部を少なからず蝕んでいるはず。体力が持たない。そう産科医たちが言っている。

 

「おふう、日近の家は再興させたし、俺とそなたの息子が立派に当主をやって勝明の重臣となっている。娘たちも良いところに嫁いだ。もう我らは一組の夫婦として務めを果たし種を残した。これ以上の子をどうして望む」

「…お願いです。生ませて下さい」

「その理由を聞いている」

「母が子を生むのに理由なんて必要ですか」

「そ、それは…」

「殿に言って良いことか分かりませんが、私…宿ってくれた子が信昌様の生まれ変わりのような気がして…」

「……」

「おかしな話ですよね。あんなに憎んでいたのに…。関ヶ原以来、私の中で愛しくてならないのです」

「おいおい、仮にも夫に他の男との惚気を聞かせるのか」

「良いではないですか。殿には私以外に妻がたくさんいるのだし」

「ま、まあな…」

「だから生ませて下さい」

「だけど、そなたの体が」

「お願いです」

 

「…おふう、こんなことを言えばそなたは俺を軽蔑するかもしれないが本心を言う」

「……?」

「まだ見ぬ子より、俺はそなたの方が大事なんだ!」

 おふうは明家から顔を逸らしてうつむいた。軽蔑どころか嬉しくてたまらない言葉。涙が自然と出てくる。しかし

「ありがとうございます。でもお許しを、こればかりは引けません」

「おふう…」

「生みます」

 もう決意を固めている。これ以上の説得はもはや無意味。

「女弱し、されど母は強し…か」

「え?」

「そなたはすでに、その子の母なんだな」

 明家も認めてくれたということ。三つ指立てて明家に頭を垂れるおふうだった。

 

 

 そして数ヶ月後、おふうは見事に男の子を生んだ。だが、やっぱり産科医が危惧したとおり、体力が持たず出産と同時に危篤状態になった。発狂したほどの心の傷は、やはりおふうの体も少なからず弱らせていたのだ。

 

「おふう!」

「はあはあ…」

 うっすら目を開けて生んだばかりの息子を抱いている良人明家を見つめるおふう。もう指を動かすことも出来ない。明家は

「名前は九八郎と決めたぞ!」

 それは奥平信昌の幼名である。おふうの目から涙が一滴落ちた。

(短い再会でごめんね…。信昌様、私…もう…)

「おふう!」

(殿…ありがとう…)

 

 おふうは息を引き取った。享年四十四歳だった。明家は人目憚らず号泣した。

 生まれた男子は後年に奥平勝昌を名乗り、大坂幕府三代将軍の柴田勝隆を支える重臣に成長する。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 時は流れ、おふうが死んで三十年以上経った。江戸城から久しぶりに大坂に来た明家はおふうの墓参をした。

「おふう、儂も七十五になってしもうたが…今も男として現役じゃ。若い側室もいるぞ」

 

 腰を下ろしておふうの墓に語る明家。

「でも時に、そなたの乳房が恋しくなるのう…。吸ってもよし、触ってもよし、顔をうずめてもよし、戦場で本当に癒された」

 明家の頭に鳥の糞が落ちた。

「ありゃ」

 半紙で拭き取り、苦笑する明家。

「ははっ、墓前でそんな助平なこと言うなと云うことかの、おふう」

 改めて合掌する明家。

「日近の家も、奥平の家も健在じゃ。そなたが命を落としてまで生んだ勝昌には葉桜の娘が嫁ぎ、幸せにやっておる。何にも心配はいらん。あの世で信昌殿に甘えていよ…」

 これが最後の墓参であった。柴田明家はこの二年後に世を去った。

 

『殿、お疲れ様でした。さあ、おふうが抱っこしてあげますよ』



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絆-隆広三百騎次席とその妻-

 これは、豊臣秀吉正室のおね様が主君信長に『夫の浮気癖をどうにかしてほしい』と書を送り、信長が思いやり溢れた手紙を返したと云うエピソードから、ある日突然ラリーンと私の頭に浮かんだお話です。結構勢いで書いてしまったので粗もあるかもしれませんが、そこはまあ許して下さいませ。


 隆広三百騎の次席、小野田幸之助、後の幸猛。彼は主君柴田明家と比肩する美男子であった。赤母衣衆筆頭として戦場で活躍し、内政においても主君から学び優秀な奉行となり、やがて美作守と云う官位も得て、丹波の篠山城の城主ともなった。彼は英主柴田明家と巡り合い、運が開けた。

 

 女を大切にすると云う柴田家の気風、幸之助は主君明家と同じく女好きであった。側室は最大十二人に及び、外で作った女は数えきれない。明家も似たようなものだが明家は正室のさえを一番とし大切にした。

 しかし幸之助は真逆で正室を一番下とした。彼は正室蘭姫と大変不仲だったのだ。

 

 小野田幸之助は婿養子である。旧姓は北山と云い、朝倉家の下級武士の次男として生まれた。彼が婿入りした小野田家は朝倉氏が日下部氏を名乗っているころから仕え、応仁の乱で武功をあげて越前国大名となった時には上級武士に取りたてられた。幸之助の生家はそんな名誉ある家と比べ物にならないほどに下の位置にあった。

 

 そんな上級武士の家に婿養子として入られるのならば幸運なこと。平和な世ではそれでめでたしだったろう。しかし幸之助が婿養子となって間もなく、織田信長の越前攻めが始まったのだ。織田と朝倉が激突した刀根坂の戦い、これが小野田幸之助の初陣だった。

 

 だが敗戦必至と見た幸之助は寄せていた柴田勝家に帰順してしまった。これが妻と義父母の怒りに触れたのだ。義父の幸実は

「これでは先祖に合わせる顔がない!一戦も交えずに敵に屈するとは!」

 と罵る。しかし連れていた農兵は誰ひとり犠牲になっていない。

「朝倉をあんな勝ち目のない戦に誘った義景の阿呆は責められず、兵を生還させた私が責められるのですか」

「お殿様に対してなんだその言いようは!」

 幸之助を殴る義父。ふん、と笑う幸之助。

「そこまで朝倉に誠忠示したくば、落ちた大野に行けば良いでしょう。私は知りません」

「幸之助殿、貴方はそれでももののふなのですか?」

 妻の蘭が侮蔑を込めて言った。

 

「ならば蘭は俺があの馬鹿大将に殉じて死んだ方が良かったのか?ああ、そうか、死ねば良かったと思っているんだったな。何を今さら、ふはは」

「……」

「君、君に足りんずれば何とやら。女のお前に言っても分からないだろうがな。ああ、悪かったな、生きて帰ってきて」

 

 婿養子となって以来、幸之助と蘭は不仲だった。蘭は家柄が劣り、二つ年下の幸之助を蔑んできたからだ。何かと云えば『応仁の乱で大功をあげし小野田の家』と言い続けた。笑顔で出迎えたこともない。武芸の修行で疲れた時も何一つ労いの言葉もかけなかった。

 

 しかも容姿は不美人。そんな女房に幸之助はウンザリしていたのだ。女は大好きだが、幸之助は蘭に触れようともしなかった。

「何て情けない言いよう。それでも」

「はいはい、応仁の乱で大功あげし小野田の当主か、だろ。信長の前に風前の灯である朝倉において、そんな過去の栄光は糞だ」

「先祖の武功を糞ですって!」

「ふん、そんな言い方をしちゃ糞に失礼か」

 

「貴様!!」

 さらに殴りかかってきた義父に対して殴り返す幸之助。

「父上!」

 壁まで吹っ飛ばされた幸実。蘭が駆け寄り、そして幸之助を睨む。

「先祖の栄光にしがみついた結果がこれだ。何が名家の小野田か。笑わせるな」

 

 その後に幸之助は柴田勝家の越前入府に伴い、その兵となった。

 後に柴田明家幕僚の中核となる彼だが、この当時はまだ若く、大変な暴れん坊であった。越前一向一揆の掃討では暴れまくったが軍律は守らないし命令は聞かない。どんなに武功をあげても握りつぶされた。

 

 しかし幸之助は特に不満はなかった。出世はしないが織田家は給金が良いし生活は困らない。何より彼は戦が好きなのだ。北ノ庄にある小野田家。一乗谷にあった時と比べ物にならないほど貧相な家だ。

 

「おかえりなさいませ」

「ああ」

 妻を一瞥もせず家に入る幸之助。

「織田の走狗となって越前の民を殺す気持ちはどんなものですか」

「ああ、ものすごく気持ちいいぞ」

 妻の皮肉に対して、同じく皮肉で返す幸之助。

「俺には郷土愛なんてものはない。女と酒だけだ」

「あなたって人は!」

「女と言ってもお前は別だがな」

 

 飯を済ませたら出かけていく幸之助。女のところだ。もう朝倉は滅んだので義父母も幸之助に何も言えない。

「合戦から帰ってきたその日に女の家ですか。私は小野田家の世継ぎを生まなくてはならないのに」

 驚くことに祝言より一度も幸之助は妻を抱いていない。

 

「だったら、どこぞの男を引っ張り込んで種をもらえ。お前なんぞ抱く気も起こらない」

 冷やかに言い切る幸之助。拳を握ってその罵りを聞く蘭。

 

「幸之助様~♪」

 いずこから小野田家の門まで来た女。

「なんだ待ち切れなかったか」

「だって一刻も早く幸之助様に抱かれたくて」

「俺もお前の肢体を楽しみにしていた。今宵は寝かせないぞ」

 女を抱き寄せて尻を撫でながら言う幸之助。正妻の目の前で平気でやっている。

「……」

「次の合戦までは帰る。じゃあな」

 

 女を肩に抱きながら幸之助は出て行った。悔し涙を浮かべて家に入る蘭。結婚したての頃に幸之助を軽く見たことが一遍にツケとなって返ってきている。自分が悪かったのだ、そう言い聞かせているが幸之助の仕打ちはあんまりと言えるものだ。

 

「父上、母上、私もう耐えられません!」

「我慢せよ、婿殿の働きがあるから我らは食べていけるのだから」

「男が女遊びするくらい当たり前でしょう」

 

 諭す父母。幸之助は金銭にあまり固執しない性格をしているので柴田家からの給金は蘭の母に渡していた。裕福ではないが不自由はない暮らし。それは婿の幸之助あってのことだった。

 この乱世、老いた夫婦は放逐されたら飢え死にするしかない。それを恐れる蘭の父母はもう幸之助に逆らえなかった。もはや父は頼りにならない。母はその父の言いなりだ。

 

「違う方を良人にします。もうあの人は嫌です。顔も見たくありませんっ!」

 しかし彼女はおせじにも美人と言えない。もらい手があるわけない。蘭は容姿を良人に毛嫌いされていたのだ。それでも幸之助は家長としては務めを果たしている。

 父母は忍耐を娘に課すしかなかった。

「辛抱せよ」

「もう少し大人になれば婿殿も心を開くわよ」

「……」

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 やがて柴田家に一人の若者が仕官してきた。水沢隆広と云う少年だった。

 そしてこのころの幸之助はと云うと、どこの部隊からも敬遠されつつあった。強いことは強いが、あまりに自分勝手で上役を敬うことはせず、盾てつくことは日常茶飯事。いきつくところは不良少年の集まりしかなかった。その中でも幸之助は顔役となり北ノ庄では札付の悪党となっていた。美男子なのに町娘からは怖がられ、城下町では毛嫌いされた。

 酒場で酌婦をはべらしながら飲んでいると同じ不良仲間の松山矩三郎がやってきた。

 

「おい、水沢何たら云う小僧がわずか二日で城壁を直したって話し聞いたか?」

「ああ聞いた」

「それは大したことと思うが面白くねえよなあ。一足飛びで組頭だもんな」

「十五と聞いている。織田家最年少の組頭だろうな」

「女どもにも人気がある。面白くない。おい、俺にも酒!」

「水沢隆広か…」

 

 それから数日後、陣ぶれがあった。加賀の大聖寺城に赴き、一向宗門徒をせん滅すると云う戦だった。無論、幸之助も出陣する。その当日の朝に幸之助は家に帰った。

「出陣と云うのに朝帰りですか」

「昨日の女は良かったのでな」

「……」

「さて、行くか」

 出かける前には武具を入念に改めた。たとえ女遊びが過ぎようと幸之助は戦人、武具の手入れは怠らなかった。

「ご武運を。無事のお帰りをお待ちしています」

「心にもないことを言うな」

 ふん、と吐き捨てて幸之助は出陣して行った。

「そうまで……信用されていないのですね」

 あの武具の手入れも自分が細工したのではと疑っているからではないかと思ってしまう蘭だった。

 

 進軍に備え、柴田軍は北ノ庄練兵場に集結。

 しかし幸之助を始め、悪友の矩三郎もいずれの軍にも居場所はない。自然に軍からあぶれた若者が練兵場の隅に集まりだす。

 

「おうおう、越前の狂犬どもも徒党を組む術は身につけたと見えるな」

 柴田勝豊が嫌味を言いながら若者たちの前を通り過ぎた。拳骨を地に叩きつけた矩三郎。

「あの野郎、殿の養子でなければブッ殺しているところだ!」

 

 いつからか、北ノ庄のはじき者と呼ばれるようになった三百人だった。村々の街道を馬で暴走し、怒った農民たちと喧嘩するのは日常茶飯事。現在の暴走族のようなものか。誰が決めたわけでもないが、この三百を自然とまとめるようになったのが松山矩三郎、小野田幸之助、高橋紀二郎と云う若者である。素行悪く武功は握りつぶされてはいるが、なまじの武将より腕は立つ。矩三郎が筆頭で幸之助は次席というところだ。

 

「そう、いきりなさんな」

 その筆頭の矩三郎をたしなめる幸之助。じき出陣と云うのに女づれである。着物に手を入れて乳房を楽しんでいる。

 

 はじき者三百人を遠方で見ている中村武利と云う将、彼は柴田勝家老臣である中村文荷斎の嫡男で、専門は戦奉行と目付である。

「分からんな、なんで勝家様はあんな連中をのさばらせておくのか」

 彼は勝家に何度も『あのはじき者を追放しましょう』と戦場での専横ぶりを報告したうえで進言した。しかし勝家は『まあ待て、罰するのはいつでも出来る』と言うばかり。父の文荷斎が言うには、

『殿は素行不良と云うだけで信長様の器量を見抜けなかった、かつての自分を恥じておられる。それゆえ短気を起こさず安易に罰せず、待っておられるのだろう。ものになる男が出てくると云うことを』

 そう言っていた。しかし武利は

「あんな者たちから、逸材がいようものか」

 と、唾棄して陣列に加わった。まさか全員が逸材だったとは想像もしていないだろう。

 

 当のはじき者の面々も正直言うと内心は不思議だった。

 武功は帳消しにされるものの、家族が暮らしていけるほどの給金はちゃんと支給してくれたからである。それゆえ出陣命令だけはいくら彼らでも逆らわない。

「なんで俺たちを連れて行くんだろうな。どこの隊にも嫌わているのに」

「いざって時は弾除けに使うんだろ」

 

 ヤケッパチな愚痴をこぼしていると軍奉行の役人が矩三郎に文書を渡して立ち去った。

「何て書かれてあるんだ?」

 と、紀二郎が書をのぞきこんだ。

「おいおい幸之助!俺たち水沢隆広の兵になれってよ!」

 自嘲気味に矩三郎は笑った。

「ほう、あの城壁を直した少年か?それは気の毒に」

「誰が気の毒なんだ幸之助」

 後年、水沢家料理番筆頭になる星岡茶之助が訊ねた。

「水沢と言えば当年十五くらいと聞く。我らはだいたい十八か十九、しかも札付きだ。さぞや扱いづらかろうに」

「ははは、確かに」

「どんな経緯があったか知らないが、戦も経験しておらぬのに俺たちを飛び越して足軽組頭だ。我らは城壁と違う。腰を引かせていたら笑ってやろうじゃないか」

 と、矩三郎。

「矩三郎、俺は少し期待しているんだがな」

「なにをだ幸之助」

「その書、よく見てみろ。勝家様の命令書じゃないか」

「あっ…!」

 急ぎ書に頭を垂れた矩三郎。

 

「どういう意図で十五の小僧を俺たちの大将に据えたのか、見ものじゃないか」

 しばらくすると、一人の少年が矩三郎たち三百人のいる場所に歩いてきた。美男子、城下の娘たちの人気を独り占め、一足飛びで足軽組頭、受けいられる方がおかしい。敵意込めて少年を睨み、ある者は冷笑して見つめる。

 

(おいおい、まるっきり女子じゃないかコイツ)

(小さいし細いな、こんなんで戦が出来るのか)

 

 腰を引かせていたら笑ってやろうと思ったが、あまりにも将として頼りない外見の少年にそんな気も無くなってきた。

 しかし、その頼りない少年は北ノ庄の札付き三百人を目の前にしても臆している様子はない。幸之助はそれに気付いた。

(ほう、なかなかの胆力じゃないか)

 そして予想外のことを言ってきた。

「時間がない、我と思うものはかかってくるがいい」

 

 何とたった一人で札付き三百に喧嘩を売ってきた。これには幸之助も腹が立った。肩に抱いていた女を放して立ちあがった。矩三郎が念を押して聞く。

「俺たち三人でやってやる。殺されても文句はねえな」

「ない」

 少年は刀を抜いた。

「柴田家足軽組頭、水沢隆広」

 矩三郎、幸之助、紀二郎も名乗りを上げた。しかし次の瞬間、三人は隆広の一太刀を浴びていた。

「新陰流、月影…」

 

 これは隆広が強いのではない。矩三郎たちの完全な油断である。初陣も迎えておらず、かつ女性のような顔立ちに細くて小さな体躯。隆広の容貌そのものが油断を誘う最大の兵法である。

 

「しかし二度目はこうはいかない。今度は彼らも油断はないだろう。そうなったら俺に勝ち目はないが…ともあれ勝ちは勝ちだ」

 隆広も心得ているもの。負けて仲間たちの信頼揺らいでいよう時、即座に二度目は自分が負けると矩三郎たちを立てている。そして隆広は気迫を込めて自分の兵となってほしいと三百人に訴えた。自分は何も持っていない。何も与えられない。でも必ず皆に誇りを与えられる大将となってみせる。そのためには皆の力が必要なのだと。

 

 戸惑う仲間たちを余所に幸之助は

(誇りか…。確かに俺たちにはないものだ。賭けてみるか、この少年に)

 最後、隆広は頭を垂れた。

「およしなされ、大将がそう簡単に兵に頭を下げるものではござらんぞ」

 幸之助が最初切り出した。

「幸之助殿」

 もう名前を覚えてくれたかと嬉しい幸之助は

「幸之助とお呼び下さい」

 矩三郎が何か言いたそうだったが

「こいつのことも矩三郎と」

 そして幸之助は隆広に膝をつき、頭を垂れた。

「我ら喜んで水沢隆広様の兵となりましょう」

 

 他の者たちも同様に膝を屈し頭を垂れた。もはや札付きの不良少年ではなく全員がいくさ人の顔であった。後年に『隆広三百騎』として名を馳せる一隊は幸之助が口火を開いて忠誠を誓うことになったのだ。

 

 そして水沢隆広初陣の加賀大聖寺城の戦いは隆広の大声作戦が成功して大勝利。兵たちは大喜び、こんな痛快は初めてだった。兵たちにもみくちゃにされながら勝利を喜ぶ隆広の横顔を見て幸之助は

「やっと巡り合えた運命の主君」

 そう心から思った。幸之助は心から隆広に忠義を尽くすことを誓った。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 蘭にも良人が変わっていくことが分かった。自分への冷たさは相変わらずだが顔に覇気があり、性根が真っ直ぐになっていった。主君は内政家臣でもあるので開墾や治水に伴い書を集めて熱心に勉強したり、土木をやっていると聞けば、その現場に行き学んでいた。

 そんなある日のことだった。

 

「御免」

 客が来たので蘭が出てみると

「幸之助殿はご在宅か」

「い、いいえ…。主人は城の文庫(図書館)に出かけていますが…」

(すごい美男子…)

「そうですか。それがしは幸之助殿が上司の水沢隆広です」

「こ、これは!」

 急ぎ平伏する蘭。

「いえ、今日は私的なことで来たのですから。顔をあげて下さい奥さん」

「お、奥さん…?」

 初めて言われた言葉だった。

「この本、以前に彼が貸してほしいと要望していたものです。帰ってきたら渡して下さい」

 本を受け取った蘭。

「では」

「お待ちを、主君が訊ねてきたのにお茶も出さなかったとあれば主人に叱られます。どうかお上がりを」

 

 囲炉裏の前に通された隆広。蘭の父母も挨拶に来た。

「いつも婿殿がお世話になっています」

「いえいえ、年若なそれがしをよく補佐してくれています」

 蘭が出した茶を飲む隆広。

「うまい」

「良かった…」

「あ、ちょうどいい。蘭殿にも伝えておくことが」

「何でしょう?」

「それがしは内政家臣でもあります」

「はい、存じています」

「幸之助殿を始め、兵や職人を工事で使いますが女手も給仕などで必要なんです。それがしの妻さえの元で従事していただきたい」

「分かりました。務めさせていただきます」

「それがしの妻は蘭殿より若い。主君の妻とて遠慮はいりません。誤っていたら叱り飛ばして下さい」

「はい、それでは遠慮なく」

「ははは、懐が大きく優しい顔をされている。幸之助殿も良い妻をお持ちだ」

「え…?」

「ではこれで。お茶御馳走様でした」

 隆広が帰ったあと、蘭は嬉しくて涙が出てきた。『懐が大きく優しい顔をしている』『良い妻をお持ちだ』初めて言われたことばかり。この後も続く幸之助の仕打ちに蘭が耐えられたのは主君隆広とさえ夫婦の存在であった。

 

 水沢軍にはこの後に奥村助右衛門、前田慶次、石田佐吉と加わり、ますます充実していく。小野田幸之助は水沢軍の赤母衣衆筆頭となり、戦場の騎馬武者として武功を重ねて行った。

 

 主君隆広は柴田家に領地で遇されず高額な金銭で召し抱えられていた。これは常に柴田勝家の側におり、己が領地経営に忙殺されぬようと云う特殊な遇され方であった。だから隆広に仕える将兵も金銭で召し抱えられている。

 

 小野田家も手厚く遇され、今では大きな武家屋敷に移り住んだ。それをよいことに幸之助は屋敷に堂々と何人もの女を連れ込んで楽しんでいた。

 

 しかし蘭はぐっと耐えた。

 蘭は一計を案じた。伝え聞いたことがあった。羽柴秀吉の妻ねねが主君信長に良人の女癖の悪さを注意して欲しいと直訴したということ。本来家臣の妻が主君に直訴なんて考えられない。かつ、信長はねねに対して実に思いやりに溢れた丁寧な返事を届けている。直訴も、かつ主君がそれに律儀に返事を出したと云うのも前代未聞である。

 

 良人である小野田幸之助は水沢家三番目の美男と云われたほどの美丈夫である。一番は隆広、二番目は安土夜戦以降隆広の影武者を務める白である。幸之助はそれに継ぐ美男と云われた。だが女癖の悪さは主君隆広をゆうに越えた。

 

 しかし蘭は醜女だった。幸之助はそれを嫌い、夫婦になって、もはや十年が経とうと云うのに一度も抱いていないのだ。蘭自身にも落ち度はあった。結婚当初、幸之助の家柄を軽んじ、何かといえば先祖の武功をひけらかした。だが仕えていた朝倉家が滅んだのであれば、小野田の家柄もあったものではない。幸之助が早々と朝倉を見限ったのは今を見れば英断であった。

 

 水沢家に仕えて頭角を現し、もはや家長としてゆるぎなくなった良人に蘭の父母はもう何も言えなくなった。蘭自身も良人がどれだけ他の女と遊ぼうとも文句が言えなかった。だが、自分にだって意地がある。このまま嫌われたまま、飾りだけの正室なんてごめんだ。朝倉滅んで久しく、もういいはずだ。まだ過去のことを根に持つのならば、それは良人が狭量なのだ。

 

 今に良人から謝らせ、良人から己が正室でいて欲しいと言わせて見せる。必ず名実共に水沢家武将小野田幸之助の正室となってやる。そう決めた。主君隆広は女を大事にする性格である。国の根本、そう言っている。必ず味方についてくれると思った。それには隆広とその正室さえの信頼を勝ち取ることだ。隆広夫妻の信頼を得て味方につけ、良人を正してもらう。蘭の静かな反乱が始まった。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 手取川の戦い、松永攻め、武田攻めを経て、水沢家は大規模な内政工事が下命された。武田攻めと並行して行われた加賀一向一揆攻め、柴田勝家を大将とする織田軍は勝利して加賀一国を手に入れた。戦後処理も苛烈を極めたため織田家を恐れる加賀の民に迅速な内政を行う必要があるので、勝家は鳥越城を隆広に預けて加賀内政を実行させた。

 

 水沢家は主君隆広が大規模な内政主命を受けると兵とその家族も現地入りすると云う特殊な体制を整えている。幸之助は加賀に妻の蘭を連れて行こうとしなかったが蘭は無理やりついてきた。

 今まで主君隆広の内政の女手として活躍してきた自負はあるが、この加賀内政こそ隆広とさえ夫妻から絶対の信頼を勝ちうる好機と見ていた。

 

 幸猛と名を改めた良人が常日頃から武士として書を学んでいるように、蘭もまた武士の妻として家臣の妻として主家に対してどうあるべきか、歴史に賢妻として名を残した女たちの事績から学んでいった。

 今に見ていろ、良人にそう思っていると忙しい最中の合間にやる勉強も苦にならなかった。

 

 自分は美しい女ではない、蘭はそれを分かっていた。だからこそ他者に親しみを感じさせることがある。さえも遠慮せず蘭には物事を頼めた。そんなある日、隆広が血相変えて台所に来て、料理人筆頭の星岡茶之助に

「急きょ、土豪の伊勢谷家を招いて酒宴を開くことになった!」

 茶之助は真っ青になった。何の用意もしていない。だが

「殿、茶之助さん、心配は無用、こんなこともあろうかと酒と材料は整えてあります」

「本当か、蘭!」

「はい、水沢家の女はけして殿に恥をかかせません。ご安心を」

「本当に幸猛はよい女房を持っているなぁ!」

 蘭の両手を握って感謝を示す隆広。

「ふふっ、嬉しきお言葉です殿」

 

 また隆広嫡子の竜之介が風邪をこじらせたことがあった。隆広とさえも懸命に看護する。蘭はタライに水をひたして持ってきた。竜之介が呼吸を苦しそうにしていた。

「かっ、かは」

「竜之介!」

「ああ…どうしたら…」

 我が子のことだから二人は気が動転して、どうしていいか分からない。

「鼻水が詰まって苦しいと思います」

 蘭が言った。

「鼻水…。ではチーンさせれば」

「いえ、奥方様、私に任せて下さい」

 

 蘭は竜之介の鼻の穴二つを口に含んで、鼻水を吸い取った。驚いた隆広とさえ、さえはその方法を思いつかなかったことも母親として恥ずかしかったが、何より蘭がそれをためらいなく行ったのに驚き、そして感動したのだ。

 竜之介の呼吸は落ち着き、スヤスヤと眠っていった。

「ありがとう、蘭!」

「いえ殿、私は無我夢中で」

 いかに主家の若君であっても鼻水を直接口で吸い取るなんて誰が出来よう。蘭は隆広とさえの絶対の信頼をこの瞬間勝ちとった。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 水沢家は動乱の戦国の世に否が応でも巻き込まれていく。加賀内政に目処が立ったころには上杉攻めに向かい、そして本能寺の変が発生して織田信長は死んだ。水沢軍は北陸から返して、一気に京都に爆進して明智光秀を討ち、賤ヶ岳の地で羽柴秀吉を倒して姫路城で討った。

 

 水沢隆広は柴田明家と名を改め、日本最大勢力大名となった。一連の戦いで幸猛も武功を重ねた。柴田家は人事を刷新した。幸猛の朋友である矩久が丹波柏原城の城主となった。だが幸猛は報奨金を得て終わりであった。

 

 額面に不足はない。十分すぎるほどだ。しかし欲張りと言われようが、やはり男たるもの一国一城の主にと思う。朋友の矩久と武功は変わらないのに、どうして殿は自分に城と領地を下さらないのか…。そう思いながら屋敷に帰った。

 

 屋敷に帰り、廊下を歩いていると二通の書が壁に貼られてあった。

「ん…」

 見た瞬間、幸猛は目が飛び出るほど驚いた。

「げ…っ!」

 

 主君明家が蘭に宛てた書であった。蘭が信長とねねの書のやり取りの再現を持ちこんできたことは明家にはすぐに分かった。だから

 

『久しぶりに見た蘭殿は相変わらず懐大きく、人を包み込む美しく優しい笑顔をされていた。竜之介も貴女のおかげで元気でいる。大納言、とても嬉しく思う。それなのに美作(幸猛)ときたら、貴女のような賢妻を嫌い、若い娘の尻を追いかけているとのこと。まことにけしからん。今は美作も美男ゆえ、若い娘に好まれようが、もう少しすれば腹も出てきて若い娘に相手にされますまい。その時に笑ってやればよろしい。美作に貴女以上の妻は絶対に得られないのだから堂々としていればよろしい』

 

 こうして、かつて信長がねねに送った書と文面を少し似せて返事をしたのだ。幸猛は呆然として空いた口が塞がらなかった。筆跡花押、間違いなく主君明家のものである。

「な、な、な…」

(ひ、人のこと言えた義理ですか殿!)

 

 信長と違った点は正室の添え書きもあったことだ。

『腹が出てきて、美男の見る影もなくなった美作殿を私も一緒に指差して笑ってあげます。だから今のうちは好きにさせておきなさい。どうせ最後は正室に泣きついてくるのですから』

「み、御台様まで…」

 

 肩を落とす幸猛。主君夫妻は完全に妻の味方であった。そこに蘭が来た。

「どうですか殿」

「蘭…」

「主君が家臣の妻に書を届けて下されるのは、かの信長公以来」

「殿に何を訴えたのだ…」

「特に何も、ただ『私の良人に何か言って下さい』と。別に叱ってくれとは言っていません」

「……」

「大納言様も女好きですが、ご家族を大切にされ、何より正室を一番としています。そこが殿との決定的な違いです。大納言様と御台様はこれを殿に見せるようにと。そしてこれ以上、正室の蘭にひどい仕打ちをすればただではおかぬと」

「…参ったな」

 

 矩久と自分の違いを悟った。矩久は幼妻の春乃を愛し、息子の貞吉も厳しくも温かく育てている。『家族を大事にしない者に、どうして安心して我が愛民を任せられるか』明家の持論の一つだ。

「まこと、おおせのとおりにございます殿…」

 貼られた書に深々と頭を垂れた幸猛。そして蘭に向き

「こ、これから小野田の家は色々と大変な時だ。しっかり頼むぞ」

「はい、お任せ下さい殿」

 結婚して十数年、ようやく幸猛と蘭は夫婦となったのであった。

 

 その後、紀州攻めを経て、幸猛は丹波篠山城を拝領、大名となった。それから間もなく、蘭は男児を出産、それは大変な喜びようであった。

 幸猛はその後も戦にあけくれた。四国攻め、九州攻め、そして関ヶ原…。

 

 篠山から松山矩久居城の柏原城は関ヶ原への進軍で通りかかる。病魔に侵された戦友を見舞う幸猛。

「美作…俺は悔しい…」

「……」

「こんな天下分け目の戦に出られないなんて!」

「阿波(矩久)…」

 逆の立場なら自分とて無念でたまらない。柴田明家対徳川家康、まさに天下分け目、日本中の大名が美濃関ヶ原に集結し東西に分かれて戦う。まさにいくさ人の晴れ舞台。幸猛とて子供のように胸が高まる。

 

「何を言う阿波、今は体を厭え。たとえ関ヶ原で家康を討ったとしても…まだ乱世は終わってくれぬ。殿の理想の『戦のない世の構築』のためにおぬしは必要な将だぞ…」

「美作…」

「松山の軍旗は呉子の『可を見て進み、難きを見て退く』であろう。今のおぬしの体は『難き』の時。大人しく退くべきであろう。息子と家臣たちの武功を願っていよ。そして息子が大功を立てし時は褒めてやるのだぞ」

「分かった…。美作、おぬしも生き残れよ」

「ああ」

 

 柏原城を出た幸猛、もう二度と生きて会えまい、そう思った。関ヶ原に着陣したその日、幸猛に矩久の訃報が届いた。

『関ヶ原に行けぬは無念、無念極まる』

 と、己が病躯に悔し涙を流したと云う。

「矩三郎、這ってでも関ヶ原に来たかったであろうな…」

 若きころからの悪友の死に落涙する幸猛であった。

 

 そして幸猛はこの時、国許の娘を思っていた。彼の次女の智姫が高熱を数日出していた。智姫は体に重い障害を持って生まれており病弱であった。重い障害を持つ娘、だからこそ幸猛は智を溺愛した。

 病の娘を置いて出陣、武将の業とは云え、幸猛は後ろ髪引かれる思いで出陣した。蘭に

『智の容体については逐一知らせよ』

 そう言って城を出たのだった。

 

「殿、半刻後に柴田本隊の軍議です。そろそろ笹尾山本陣に行かれるご用意を」

「……」

 家臣の呼びかけに気付かない。娘のいる丹波篠山の方向を見つめている幸猛。

「殿!」

「え、ああ…何だ?」

「そろそろ笹尾山に向かいませぬと」

「そうであったな…」

「申し上げます」

 使い番が来た。

「ん?」

「篠山の奥方様から文が届いています」

「蘭から?見せよ」

 

 そこには智姫の死が書かれていた。墨の字がところどころ涙でにじんでいた。蘭は落涙しながら書いたのだろう。同封されていた文がある。四歳の智姫が父の幸猛に最初で最後の文を書いた。稚拙な字で父を慕う気持ちで溢れていた。

 

『ともはおおきくなったら ちちうえのおよめさんになりたい』

 

 堪えきれない涙が娘からの書に落ちる。最期を看取ってやることができなかった我が身を呪い、そして娘の死に落涙する幸猛。彼の周りにいた家臣たちは主人の気持ちを察し、その場から席を外した。幸猛の娘の死は明家の耳にも入った。

「そうか…。美作の悲しみを思うと我が身が裂かれるようだ…」

 

 と、思っていたところに当の幸猛本人が来た。

「時間ぎりぎりの到着、申し訳ございません殿!」

「美作…?」

 悲しみをみじんも感じさせない顔で柴田本陣に姿をあらわした。

「ふう、間に合ってよかった」

 評定衆の席に腰を下ろす幸猛。

「美作…」

「?何か、殿」

「い、いや何でもない。では軍議を始めるぞ」

 

 そして翌朝、死を賭した前田慶次の知らせにより、柴田明家は徳川家康の仕掛けた啄木鳥戦法を看破。天下分け目の関ヶ原の戦いは一日で決着がついた。明家率いる西軍の大勝利であった。小野田勢は奥平勢を破り、敵将信昌を生け捕る手柄を立てた。

 

 松山勢は伊達を追撃したが殿軍を務めた片倉景綱に逆に打ち破られてしまった。

 しかし矩久の息子だけあり、矩孝は初陣の身で百戦錬磨の片倉景綱に敗れたことを悔しがる気概を主君明家と父の朋友幸猛に示した。

 

 戦は終わり、笹尾山本陣でしばらく戦場を見つめる明家。もはや夕暮れ時である。

「殿、冷えてまいりした。そろそろ陣屋にお戻りを」

 と、幸猛

「うん、なあ美作…」

「はっ」

「阿波と関ヶ原を戦いたかった…」

「…と、殿!」

「助右衛門や慶次の活躍に隠れていたが、俺が戦場を駆ける時はいつも俺の傍らにいて守ってくれた…。あいつは手柄首を追うより、俺を守ることを誇りにしてくれた」

「仰せの通りにございます」

「惜しい男を…!」

 肩を震わせている明家。

(見ているか矩三郎…!殿がお前の死に泣いておられる!うらやましいぞ!)

「…智姫は残念であったな」

「…はい」

「成長すれば、さぞや美しい姫となったろうにな…。蘭もさぞや嘆いていよう」

「殿…かたじけのうございます」

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 小野田勢はこの後、前田利家を総大将にした徳川領進攻戦、小田原北条攻めにも参戦した。

 そして小野田家は小田原城を中心とした相州一国を与えられたのだ。すぐ北には後に柴田家にとり重要な城となる江戸城を作る予定もあるため、いかに小野田家が明家に信頼されていたか推察出来る。

 蘭は三十代で初産を迎えたが、その後は戦の合間に帰ってくる良人とせっせと子作りに励み、四十半ばになるまで子を成し続けた。男子三人、女子三人。次女の夭折と云う悲劇はあったが、他の子らは健やかに育っていった。

 

 側室の生んだ子や蘭と不仲であった当時に外で出来た子も入れれば、幸猛は主君明家には一歩譲るが子沢山であった。小田原拝領と同時に幸猛は外で出来た子や生んだ愛人も呼びよせ、ちゃんと面倒を見た。そのころには蘭の父母とも和解しており、実の父母がすでに亡くなっている幸猛は妻の両親に孝行を尽くした。

 

 日欧の役と日清の役を経て、柴田明家は完全に天下統一を果たした。もはや戦はない。息子に戦ではなく政治を学ばせておいて良かった。

 これからは石田三成や大野治長のような能吏が台頭する世、自分のような武だけの男が必要ない世になるのだと思い、優れた師を付けて学ばせた。

 幸猛嫡男の隆幸は日清の役が初陣であったが戦闘行為はしていない。でもそれでよいのだ。戦場の風に吹かれただけでも、よき経験となる。

 

 

 幸猛は息子に家督を譲り、小野田久斎を名乗った。『久』の字は朋友矩久よりいただいた字だ。隠居には少し早いとも言われたが長年の武将暮らしが祟ったのか、久斎は病んでいた。

 大坂の小野田屋敷、久斎は妻と過ごしていた。彼はもう臥所から出られないほどに弱っていた。

 

「本当に腹が出てきてしまったの…」

「はい、水沢家三番目の美男子もそうなっては形無しですね」

「頼むから御台様と指差して笑わないでくれよ…」

「まあ、ふふっ」

「しかし本当に御台様の予言通りになったのう…。どうせ最後は正室に泣きついてくると」

「はい、御台様は私より若いのに…。さすが天下様の正室は先見の明がありますね」

「今さら言っても始まらぬが…ずいぶんとそなたを泣かせてきた…。すまなかったのう」

「お前さま…」

 

 蘭の手を握った久斎

「子もいっぱい生んでくれた。何でそんなそなたを若い時の儂は粗末にしたのか…。今も時々申し訳なく思えてのう…」

「もう過ぎたことです、お前さま…」

「ありがとう…。そんな儂を見捨てず最後まで一緒にいてくれて…ありがとう。そなたと夫婦となれて…本当に良かった」

「礼を言うのは私の方…。ありがとう殿」

「さて、智に会いに参るかのう…」

 

 久斎はそれから数日後に息を引き取った。蘭と主君明家に看取られて逝った。その数日後、良人の遺骨と共に蘭が明家に拝謁した。

「良人が死ぬ思いで掴み取った地…。小田原に埋めてあげようと思います」

「蘭殿、いや今は水桐院殿でしたな…。一つ伺いたい」

「はい」

「久斎はどんな良人でしたか」

「…ずっと最低最悪の良人でした。しかし上様と御台様の叱責から襟を正して、最高最良の良人に変わりました。最初が最低だったのですから、それからは好きになる一方でした。こんな優しかったんだ、こんなに子供に温かい人だったんだと、もう新発見の毎日で本当に楽しかった。最愛の人です」

 

 明家とさえは水桐院の言葉を聞き、微笑んだ。そして明家

「久斎は幸せ者だ。そして貴女も」

「はい」

「蘭、大儀であった」

「はい、これにて長のお暇を」

 

 水桐院は小田原に行き、亡夫を弔い生きていたが、ある朝に仏前で倒れていた。すでに息を引き取っていたが笑みを浮かべていたと云う。




ホームページ掲載時から、多少の手直しをしてハーメルンに掲載していますが、原稿の日付を見ると平成24年とか書かれていてビックリ。そんな昔にこれ書いたのかと。いや~、時が流れるのは早いものですね…。


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侍女千枝

「千枝、女の化粧のやり方を教えてくれないか?」

「私が務めます殿」

「いや、俺がやってあげたいんだ。頼むよ」

「分かりました」

 柴田明家の正室さえが大病に蝕まれた。高熱が続き、悪寒、冷汗、手足のしびれ、嘔吐と下痢、見る見るうちにさえは痩せていった。鏡を見るのも嫌がるようになった愛妻に明家は化粧をしてやろうと思った。だがやったことがないのでやりようを侍女に聞いた。

「まずこうして紅を…」

「ん…そなたの手」

 明家は千枝の手を取った。

「荒れている…」

「お、お恥ずかしゅうございます。お離しを…」

 明家に触れられただけで千枝の胸はときめいた。

「そうか…。さえの寝巻きやおしめをいつも洗ってくれているのだな…。礼を言うぞ」

「も、もったいなきお言葉にございます」

「さ、教えてくれ」

「は、はい」

 明家に触れてもらった手が熱い。千枝は明家が触れてくれたことが嬉しかった。こんな日が来るなんて千枝は想像もしていなかった。彼女は明家を憎んでいたのだから。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 あれはまだ柴田明家が水沢隆広と云う名前で父の勝家に仕え、北ノ庄城の兵糧奉行に命じられたころであった。彼によって越前中の不正役人が摘発された。千枝の父の与太之助もその一人だった。北ノ庄城で与太之助は兵糧役場に勤めていた。一人娘の千枝は父の愛情を一身に受けてスクスクと育っていった。

 

 だがそれがある日突然に崩壊した。父が不正役人として追放されたのである。幼い千枝は父上がそんなことをするはずがない。優しく大好きな父上、農民を騙し、脅してお金を取るはずがないと思った。だが事実だった。与太之助の妻である志乃もこの時初めて知ったのである。

『顔も見たくない!さっさと北ノ庄から出て行くがいい!!』

 と、若き奉行に一言の反論もできず帰ってきた与太之助。帰宅するころには彼の自宅には追放されることが伝わっていた。

 

「お前様!嘘でしょう?お前さまが不正役人だなんて!」

「…事実だ」

「なんと云うことを!私や千枝まで騙していたのね!」

「う、うるさい!だいいちお前の実家が借金をたらふくこさえるからいけないのだ!」

「ひ、ひどい…!私のせいだと言うの!?」

 志乃の父は敦賀の町で朝倉家ご用達の米問屋を営んでいたが、朝倉家が滅ぶと店はつぶれ、借金だけが残った。そればかりか心労で体も壊して、金のかかる薬の定期服用が必要とされた。それを婿の与太之助が支払っていたのだった。

「貴方はあの薬は安価と申していました。高価ならば何故私に言ってくれなかったのですか!」

「言ってどうなる。お前は苦痛に悶える義父殿を見殺しにできたのか?」

「そ、それは…」

「薬は高いから買えません。だから苦痛のまま死んで下さい。婿の俺にそう言えと云うのか?」

 反論できず、悔し涙を流す志乃。

「役人の正規な給料で、どうして義父殿の面倒が見られると云うのだ!俺を賄賂への誘惑に走らせたのは貴様の父親のせいだ!」

「あ、あんまりです…!みんな私の実家のせいにするなんて…!」

「…俺はもう追放だ。あとは知らん」

 父母の喧嘩を涙ぐんで見ていた千枝。

「すまん千枝…。けいべつするがいい」

 

 そして与太之助は北ノ庄城を出て行った。隆広は不正役人の家族に罰を与えず、正当な収入の蓄えなどは没収しなかったが、あとに残ったのは近所からの迫害であった。千枝と今まで親しく遊んだ友達も去って行った。『不正役人の子と遊ぶな』と露骨に声を立てられて蔑まされ、農民には『泥棒の娘』と石を投げられた時もあった。毎日家に泣いて帰り、そしてとうとう家から出なくなった。暗い部屋の中で泣きべそをかきながら思った。

 

「これというのも水沢と云う奉行が父上を追い出すから悪いんだ。許すもんか!」

 と隆広を怨んだ。もう北ノ庄にはいられないと思った志乃は娘を連れて一乗谷の親類の元に向かった。

 

 そして一乗谷に到着した志乃と千枝が見た光景は、白州で縛り上げられている与太之助の姿だった。志乃が白州の周りで裁きを見ている町人に聞いた。

 

「あ、あの人たちは何をしたのです?」

「ん?ああ、アイツらは北ノ庄とこの町と金ヶ崎の町の不正役人だ。ご奉行の裁きを恐れて逃げ出そうとして捕まったのもいれば、ご奉行を逆恨みして殺そうとした馬鹿もいる。間抜けな事にその企みがご奉行にバレて捕まりやがった。あれが首謀者だ。どうだ悪くて、間の抜けた顔してやがるだろ?」

 それは与太之助だった。千枝が父の姿を見て白州の外周に張られた竹柵を掴み

「ち…」

『父上』と呼ぼうとしたのを志乃が口を押さえて止めた。奉行殺害を企んだ首謀者の家族と分かれば何をされるか分からない。千枝は母に口を押さえられながら泣き出してしまった。どんな父でも自分には優しい父、大好きな父、このままでは父上は死刑になってしまう。涙が止まらなかった。

 

「しかし馬鹿だなアイツら、一乗谷で水沢様狙ってタダで済むわけないだろうにな」

「そうよそうよ、水沢様は舟橋をこの町に作り、楽市を導入して下された恩人よ。つまらない真似したら私たちだって許さないわ」

「自分で働かずに、賄賂だけ得ようなんて考える役人の浅知恵なんてそんなモンよ」

 

 ドッと周囲が笑いに沸く。千枝は悔しくて堪らなかった。父をみんなで馬鹿にしている。悔しい悔しい。涙が止まらなかった。そして水沢隆広の声が響く。

 

「逆恨みで俺を襲おうとした元北ノ庄兵糧役場の役人たち。その方たちとて武士であろう!なぜ闇討ちなど考えた、正々堂々と果し合いを申し込めば良いだろう!」

「「……」」

 与太之助をはじめ、何も言い返せなかった。

「そんな度胸あるわけねえよな、あいつらに」

「金勘定しかできない糞役人だからな、あっはははは!」

 

 町民が与太之助たちをあざ笑う。自分の口を押さえる母の手が千枝の涙でビッショリと濡れていた。千枝が母の志乃を見ると、彼女も悔しさのあまり涙をポロポロと落としていた。府中城などの不正役人は残らず斬刑だった。妻の志乃はもう夫の助かる見込みはないと思った。娘の千枝は

(父上を死刑にしたら!私はあの男を絶対許さない!殺してやる!)

 と固く決めた。

 

 だが隆広が言い出したのは意外なものだった。白州の上座で床几に座っていた隆広はゆっくりと与太之助に歩み

「そなたらに労役を課す。今まで何の苦労もなく搾取してきた賄賂の額、それを稼ぐにはどれだけの汗水が必要か、身をもって知れ。一人一人が不当に得た金額はすでに知っている。それを民と同じように土に汗を流して稼ぐのだ。俺はずっとそなたたちを観察する。汗水流して働いても何の成長のない者は斬る。だが生まれ変われた者は再び当家に召抱える」

 

 志乃と千枝の力が全身から抜けた。助けられた…。しかもやりなおす機会を与えられたのである。そして一乗谷の町民たちはこの裁きを聞いて

「さすがだねえ…」

「年甲斐もなく惚れちゃうよ♪」

 と感嘆していた。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 それから与太之助は生まれ変わったかのように働いた。毎日泥だらけになって働いたのだ。いつかの失言も妻に詫びて真人間になり、そして柴田家の帰参を夢見て懸命に働いたのである。

 

 しかし、この時に志乃の父は亡くなってしまった。高価な薬の負担はこれでなくなったが、与太之助は義父に賄賂を持って薬を買っていた不孝を詫びて泣いたという。

 相変わらず義父の借金は残ったが、与太之助は債権者に誠意もって当たり、長期の返済を約束するにこぎつけたのであった。

 

 そして二年、父の与太之助が隆広に呼び出され、隆広から新たに作られる機関『商人司』への一員にする辞令が下命された。柴田家への帰参が叶ったのである。その辞令書を持ち与太之助は家に帰り妻子に誇らしげに見せた。やっと真人間になって戻ってこられたのである。

 商人司頭領の吉村直賢の部下となり、柴田家そのものが交易と産業を興し、やがて越前の内政事業の資金を作ると云う重要な任務である。

 

 与太之助は直賢のよき部下となり、交易では卓越した交渉術を見せて隆広と直賢の期待に応えている。不正役人であった自分が越前のために働き、そして領民に感謝される。

 どんなに忙しくても苦にならなかった。九頭竜川治水の資金を稼ぎ出した商人司において与太之助の功績も大きかった。

 

 やがて与太之助は士分と同格の『商将』と云う身分となった。

 士分になるとその者の家族にも勤めが生じる。妻の志乃は北ノ庄城の奉公が命じられ、勝家長女の茶々付けの侍女となり、娘の千枝は水沢家への奉公が命じられ、隆広正室さえの侍女に任命されたのである。名誉な事と志乃と千枝が喜んだのは云うまでもない。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 やがて本能寺の変が起きて織田信長が世を去った。柴田勝家は主君の仇である明智光秀を瀬田の地で破り、羽柴秀吉を賤ヶ岳で討ち破り、姫路城で滅ぼした。

 そして水沢隆広から柴田明家と名を改めた嫡男に家督を譲り隠居した。商人司もそのまま柴田明家に仕え、頭領の吉村直賢はただの一度も明家に金の心配をさせなかったと言われるほどの活躍を続けていく。その働きには与太之助の功も大きい。頭領直賢の右腕とも云える働きだった。

 

 

 柴田明家が柴田当主となりしばらく経ったある日の安土城、正室さえと側室の虎姫が廊下で会った。虎姫はさえに礼を示したが、さえはプイと無視して通り過ぎた。

 虎姫の侍女は激怒。

「何ですかあの態度は!いかにご正室様と言っても!」

「よしなさい、ご正室様の殿への愛情は大きい。私の存在が疎ましいのは当然です」

「しかし姫様!」

「今に和解の時も来ます。父の盛政と殿が最後に分かり合えたように」

 

 そのさえの後を歩いていた侍女千枝。

「御台様」

「なにか?」

「お殿様は閥を許されません。今の態度はいかがなものかと存じます」

 立ち止まったさえ。振り返って千枝を睨む。まだ少女とも云える千枝に言われて、さしものさえも癇に障ったのかもしれない。

「ならば私にも笑顔で挨拶すべしと?」

「はい、建て前だけでもそうすべきと存じます」

「できません」

「それでは越後にご出陣中のお殿様が帰ってこられてもお心が休まりません。すず様、虎姫様、月姫様と並んで笑顔で出迎えれば『仲良くしてくれている』と安心されます」

「仕方ありません。あの人が自ら蒔いた種です」

「御台様…」

 

 君主正室として奥に君臨しているさえ、時に厳しく、そして優しく女衆に慕われている。

 しかしさえは良人のことになると目が見えなくなる。言葉に尽くせぬほどに良人を愛しているさえ。だが、明家が大名になり側室をいきなり二人も作ったことが許せなかったのだ。

 

 そしてそれから数日後、さえが重病で倒れた。高熱、嘔吐、下痢、悪寒、四肢のしびれと冷感、あらゆる症状がさえを襲った。越後から引き揚げていた明家は知らせを聞いて飛んで帰ってきた。

 

「さえ!」

「殿…」

 

 真っ先に自分のところへ駆けて来てくれた。嬉しくてたまらないさえ。

 しかしさえの病は重かった。当時の名医曲直瀬道三も匙を投げた。

 だが明家はあきらめず懸命に看病をしていた。悪寒を訴えた時は裸で抱きしめ、手足の冷感を訴えた時はずっと手足を温めるよう愛撫した。嘔吐物を自力で吐けない時は明家が口で吸って排出した。下の世話だけは八重や養女のお福に任せたが、あとは明家が全部やった。

 

 さえの体を愛撫し『早くお前を抱きたい』『寝顔を見ているのが好きだ』と優しい言葉をかける明家。

 さえは良人に申し訳なくてたまらなかった。看病を強いることではなく側室を二人持ったごときで良人を疑ったことが。苦悶はするが意識は失わない。愛情一杯に看病してくれる良人の姿にさえはどんなに嬉しかっただろう。

 良人は天下人に近しい男となろうと側室を持とうと自分への愛情に一点の曇りもなかった。疑った自分の頭を『馬鹿馬鹿』とこづきたいほどだ。

 

 毎朝、さえの髪を梳き、そして化粧もさせていた明家。しかし最初は要領を得ず口紅が頬まで行ってしまう事もしばしば。逆にそれが笑いを生みさえの心も和んだ。明家は化粧の仕方を侍女の千枝に教えてもらった。

「そう、殿様上手ですよ。きれいな御台様がいっそう綺麗に!」

「そなたの教え方がいいんだよ。…ん?」

「どうされました?」

 

 明家は千枝の手を握った。

「お、お殿様」

「手荒れがひどいな…」

「いえ、何のこれしき」

「そうか…。さえの寝巻きやおしめをいつも洗ってくれているのだな…。感謝する千枝、そして」

 明家はさえの侍女たちに頭を垂れた。

「「もったいのうございます」」

「誰かある」

 小姓を呼んだ。

「お呼びですか」

「城の備蓄庫に皮膚病の塗り薬がある。これに」

「はっ!」

 

 やがて小姓が塗り薬の入った箱を持ってきた。塗り薬を取り出した明家。少しにおいがキツい。

「においがキツい塗り薬だな、こいつは効きそうだ、ほら千枝、手を出してくれ」

「え?」

「塗ってやる」

「そ、そんな自分で」

「いいからいいから」

 明家は千枝の手を取り、優しく薬を塗った。

「俺一人でさえを看病しているのではない。八重、お福、すず、そしてそなたら、本当にありがたいと思っている」

 

 明家に握られている手が熱い。胸が高鳴る。他の侍女がうらやましそうにジーと千枝を見ている。今の明家はさえへの看病疲れもあってか髪もボサボサで無精ひげも伸ばし放題で少し汗くさい。

 だがそれでさえ明家の男ぶりを上げる要素に見える千枝。

「も、もったいのうございます」

 

「お、お殿様…」

 千枝殿だけズルい、そう言いたげな顔で侍女が明家に言った。

「なんだ?」

「私たちにも…」

「もちろん、塗らせてほしい」

「本当ですか!やったぁ!」

 と、子供のようにはしゃぐさえの侍女たちだった。

 さえは蒲団の中でクスリと笑った。明家は柴田家に仕える女たちにも大変マメであったと言われている。堺や京に行った時にはさえや側室、娘たちに土産を買ってくるのは無論、各々の侍女たちにも買ってきたと云う記録が残っている。

 嫁に行き後れの下女の縁談にも心砕いたと云うから、おそらく当時の殿様と呼ばれる男の中で一番女にマメだったのではなかろうか。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 やがてさえの大病も治った。安土城の奥は平穏な日々を取り戻した。だがそんなある日、千枝がさえに呼び出された。

 千枝がさえのもとに行くと、千枝とあまり仲の良くない侍女がさえの隣にいた。仲の良くない侍女の名は美津と言った。さえの快癒後に異動で安土の奥に務めるようになったいわば新参者の侍女だった。

 そしてさえの前に座ろうとした千枝は凍りついた。自分の帳面がさえの前にあったからだった。

(美津…!あなたって人は!)

「御台様、この帳面読みました?」

「いいえ」

「ならば、見てくださいこの中身!恐れ多くもお殿様への恋文が綴られています」

「……」

「『一夜でいいから抱かれたい』なんて書いています。ああ恥じらいのない女は困りますね!」

 

 悔しく、恥ずかしく、そしていたたまれず、千枝は懐中刀を抜いて自分に刺そうとした。その手に勢いよく手ぬぐいが叩きつけられた。さえの横にいた側室すずが手拭を伸ばして懐中刀を叩き落しのだ。

 

「イツ…」

「はやまってはなりません」

「すず、ここを頼みます。美津、隣の部屋に」

「はい」

 さえは美津を連れて隣室へと行った。

 

(悔しい…!いかに私が嫌いだからってこんな真似するなんて!)

「何か、美津とやらに怨まれることを?」

「いいえ、彼女の父が私の父を嫌っているのです。ご承知の通り私の父は元北ノ庄の不正役人です。彼女の父は賄賂を取らなかった清廉な役人だったのですが…」

「…なるほど、貴女の父上は今では商人司の次席。美津の父上は兵糧の管理方。自分は賄賂を取らなかったのに出世に後れを取った。それが悔しいと」

「…昔は隣の長屋で仲も良かったのに…いつの間にか娘同士も不仲になって」

「どうして賄賂を取った方が結果出世する…と云う怒りですか。くだらぬ嫉妬もいいところ。その歪んだ心が娘にも伝染してしまったようですね。兵糧の管理方とて柴田家には欠かせぬ重要な務め、それを軽視しているからかつての隣人に後れをとるのです。与えられた仕事を懸命に取り組み結果を出せば、必ず殿は認めて昇進させます」

 柴田家は織田家同様、生まれや身分、過去や年齢も関係ない実力勝負である。美津の父の思うのはすずの言うとおり逆恨みとも云えよう。

 

「美津、残念ですが貴女は働く場所を間違えたようです。再び異動を命じます」

「え、ええ!何故ですか!」

 

「柴田家の女子は十二歳になると各お城や重臣の屋敷に奉公に出て行儀見習いをしなければならないことは知っていますね。当家の姫たちとて例外ではない殿の決めた女子の養育です。そこで学問や働く術、妻や母となる教育を受けます。貴女のお父上が『当家でもう十分仕込みました』と述べたので人事の者が最初から奥務めとしたようですが、残念ながら貴女には当家の行儀が全然身についていなっていなかったようです。もっとも厳しいと言われている弾正殿(奥村助右衛門)の姫路城に行き、徹底して学んできなさい。貴女に安土城の奥の務めは十年早い」

 

 どこの大名家でも奥は殿様の『後宮』と思われがちであるが、柴田家は例外だった。明家は商人司の稼いだ金銀と、領民の血税で安穏と贅沢に暮らすことなど妻や娘にも許さない君主だった。

 

 戦没者、負傷者の家族への弔意金などの分配の決済。隠居した将兵への慰労金の決済。孤児の養育と、その養子先を探すこと。内政や軍務で親が留守になる時に子を預かること。心療館の経営、女医候補生の選抜など他に数え上げればきりがないほどに奥には仕事が委ねられていた。日本最大勢力大名の奥なのに華やかさなど欠片もない。柴田家の裏方を支える仕事場であるのだ。

 

 正室も側室も、それらに仕える侍女たちも時に柴田家の大金も動かす重要な役割を当てられていたのである。

 無論給金もそれ相応にある。しかし失敗の時には、さえとて明家に罰を受けるし、働きの悪い侍女は問答無用で解雇された。それほどの厳しさだったのである。

 

 だが、これが一つの家中の連帯感を持たせていた。明家は当時としては珍しく女子への教育に熱心だった。吉村直賢を教官にあてて、算盤と帳面の技を学ばせている。ゆえに自分たちも夫におんぶに抱っこではなく働いているのだ、と云う自負を培うことができた。だからその自負を持たない者に奥を預かるさえは厳しい。

 

「良いですか、殿は『閥』を絶対に許さない方です。貴女と千枝の不和とて一つの火種なのです。殿の望むのは『融和』、あなたはその意味が分かっていません。やりなおしなさい。手配はしておきます」

「あ、あの…!」

「それとお父上に伝えなさい。兵糧の管理方とて柴田家の重職。けして軽く見られるなかれ。殿はまっとうできると見ているから貴女の父上をその任につけています。与えられたお仕事に命を賭けなさい。さすれば殿は必ず認めます」

「……」

「美津、挽回しなさい。待っていますよ」

 そう言うとさえは部屋から出て行った。美津はこの時に初めて自分の所業を恥じた。そして明家が妻だからと云う理由でさえを奥の責任者としているのではないと分かった。良人に甘えているだけと思っていたが大間違いだった。

「挽回しよう…必ず。父上も私も!」

 

 

「さ、この帳面しまいなさい。もう人の目に着くところに置いていちゃ駄目ですよ」

「御台様…」

 クスッとさえは笑って言った。

「まあ容貌は良い方ですから、他の女子に好意をもたれるのも仕方ないと結婚当時から分かっていました。私とて最初は殿のあまりの立派な顔立ちに惹かれたのですから」

「が、外見だけではございません。確かにお殿様は眉目秀麗の美男子ですが、何より女子を大切にして下さいます。お側にいるだけでときめいて…。かつ先の殿様の御台様を思う心に…千枝は心を奪われました」

「こらこら、そんなことを正妻に言うものではないですよ」

「は、はい!申し訳ございません!」

 

「千枝、貴女はいくつになりました?」

「十七です」

「貴女はとてもしっかり者です。私が虎殿に無礼な態度を執った時、毅然と私に間違っていると述べましたね。我が夫は閥を許さない。何より融和を尊ぶお方。今しがた美津に貴女からの受け売りを言ってきました」

「御台様…」

「そんなしっかり者の貴女を殿はちゃんと見ていたようです。殿が良き嫁ぎ先を見つけてくれましたよ」

「え…?」

「複雑な心境かもしれませんが、どうしますか?少し間を置きますか?」

 千枝は首を振った。

「私もいつまでも叶わぬ恋に憧れを抱く気はございません。図らずも今回のことで踏ん切りがつきました。父母もそろそろ嫁にと考えているようですし、お殿様の勧める縁談に従います」

「確か与太之助殿には子が貴女しかいないはず。婿養子は考えていないと?」

「はい、父は商将と云う士分に取り立てられましたが一代で終わるつもりのようです。武家として存続する気はないと。然るべきところへ嫁ぎ、その家の者となれと。自分たちの老後はお殿様が面倒見てくれるゆえ心配に及ばない、そう申しました」

「そうですか、では嫁ぎ先を教えましょう」

「はい」

「千枝、貴女は仁科信貞殿に嫁ぎなさい」

「分かりました」

 仁科信貞、兄の仁科信基は後に明家から武田家の名跡を継ぐよう命じられ、後武田家当主となる武田信基である。その弟の彼は仁科家の当主となる。千枝は仁科家に嫁ぎ信貞を支える賢夫人となる。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 関ヶ原の戦い、徳川旧領進攻戦にも兄と共に武功を立てた信貞には仁科家ゆかりの地である高遠城八万石が与えられた。仁科家は大名として再興されたのだ。

 その感謝の意を夫婦揃って明家に述べに行った時だった。

 

「千枝、与太之助が二代目の商人司の頭領となった」

「父上が…!」

「良かったなあ千枝!」

 妻に祝福を述べる信貞。

「はい殿!千枝は嬉しゅうございます」

「しかし与太之助はそんなに長く続ける気はないようだ。まあ備中(直賢)とそんなに歳も変わらないしな。商人司創設者の面々たちも老いてきた。与太之助は初代から次代の若い者への橋渡しとなりたいと言っていた。隠居後はこの大坂で丁重に遇するゆえ、そなたは安心して信貞への内助に励め」

「はい!」

「殿、ゆくゆく義父母は高遠にお招きしたいと存じます。それがしには父母がもうおりませぬゆえ、妻の父母に孝養を尽くしたいと存じます」

「殿…。大好きにございます!」

 かつての主君さえと同じようなことを言っている千枝。

「そうか、与太之助や志乃も喜ぶであろう。どうだ千枝、俺の選んだ婿はすごいだろう」

「はい、よくこの私を信貞様の妻にしてくれました!」

 妻の言葉に赤面する信貞だった。

 

 

 柴田明家の天下統一後に発生した『日欧の役』『日清の役』にも信貞は従軍し、兄の武田信基、そして柴田明家を助けた。

 

 また仁科家は明家から、ある特別な主命を受けている。

 明家の槍の師である諏訪勝右衛門頼清の旧領は高遠にある。橋本郡八百石、そこが勝右衛門の旧領だった。

 仁科家はその地に勝右衛門とその妻お花の廟を建てることを命じられていた。

 柴田家から資金は渡されるが廟の建立については仁科家に一任されている。

 君主の師の廟を建てることを任された。信貞がどれだけ明家から信頼されていたか分かる。

 父盛信の忠臣であった勝右衛門の廟を建てることは信貞にも異存なく、見事な廟を建立し勝右衛門の妻が愛したと云う桜の木をたくさん植えたのだ。その廟は『清花院』と名づけられた。頼清とお花の名を合わせたのである。

 

 その落成の時は明家も高遠に訪れ、以来毎年参拝を欠かさない。

 現在も高遠は桜の美観で有名であるが、このおりに信貞が多くの桜の木を城と城下町に植えた名残なのである。

 

 

 やがて柴田明家は隠居して大御所となり、江戸城に入った。

 時が経ち彼も老境に至り、もはや参拝は最後となるだろうと老躯をおして桜が満開の清花院に行き、師の勝右衛門に最後のお目通りと告げた。

 

『師と言えば、父と同じ。貴方はその父を殺した!必ずその報いを受けましょうぞ!』

 

 勝右衛門の妻お花の言葉は今でも耳に残っている。お花の墓に明家は言った。

「…報いは冥府にて受けましょう。お花様」

 明家の髷を結う紐はお花が作ったもの。十本贈られたが、まだ一本残っていた。作られてから六十年以上は経つのに、まだ明家の髷を結っている。お花は武田家でも紐作りの名人だった。髷を結う紐に触れ、そして勝右衛門夫妻に合掌する明家。

 

『もう私は許していますよ。竜之介殿』

 

 ギョッとした明家。墓がしゃべった。だが静かな微笑を浮かべた尼僧が墓の後から出てきた。

「千枝か…」

「はい、驚きましたか?」

「当たり前だ。年寄りを脅かすなよ。心の臓が止まったらどうするのだ」

 

 仁科信貞はすでに亡くなっており、彼と千枝の息子である信清が当主となっている。千枝は落飾し、この廟の名である清花院と名乗ることが明家から許されていた。

 

「今日お越しになると聞いていたので、ちょっと驚かせようと待っていました」

「ははは、しかし嬉しい一言だったよ」

「は?」

「実際には許されてはいないであろうが…何か本当にお花様が言ってくれたようでな」

「いいえ、きっとお花様はお殿様を許していると思います。冥府でお会いしたならば、きっと笑顔で出迎えてくれます」

「え?」

「だってお殿様は武田家と仁科家を再興されて下さいましたし、こうして供養を毎年欠かしません。多少頑固な女だって『そろそろ許してやろう』と思いますよ」

「そ、そうかな…」

「何より、良人の弟子が戦のない世を作ったのですから」

 フッと笑った明家。千枝に頭を垂れた。

「ありがとう千枝」

 

 

 参拝を終えて境内を千枝と歩く明家。桜吹雪が舞散る中、何とも絵になっている男と女であった。

「そうですか、こたびを最後の参拝と」

「うん、儂もいつの間にか七十六だ。高遠までは遠いからな」

「ではご位牌を江戸にお持ちあれば良いかと」

「なるほど…!どうして今まで気付かなかったんだろうな儂は!」

 笑いあう二人。

「でも、だからこそ千枝は毎年お殿様にお会いできました」

「そうだな…。儂も毎年千枝と会えるのは楽しみだったよ…」

「本当ですか?」

「本当だよ。歳を取るたびにいい女になっていきよって」

「お殿様も歳を取るたび、その美男に磨きがかかっていきました」

「ありがとうよ」

 明家は髷を結っていた紐を解いて千枝に渡した。

「これはお花様の作られた最後の紐では?」

「そなたに預ける。儂が身罷ったらお花様の墓前に置いてほしい」

「お殿様…」

「冷えてきた。そろそろ帰るよ。千枝ともこれが最後となるであろう」

「…失礼します」

「え?」

 そういうと千枝は明家の胸に体を寄せた。

「千枝…」

「最後ならば…かつての恋を叶えさせていただきます…」

「……」

「お慕いしておりました…」

「…ありがとう」

 優しく抱き寄せた明家。これが明家と千枝、今生の別れだった。

 

 そして一年後、柴田明家没すの知らせを聞いた千枝。愛妻のさえと同時に天に召されたと云う。

 千枝は明家の願いどおり、お花の墓前に長年明家の髷を結っていた紐を供えた。

「もし…まだお殿様を許していないのなら、何とぞお許しを。笑顔で出迎えてあげてください!」

 合掌して祈る千枝。

 

“心得ています。我ら夫婦、竜之介殿を褒めてあげます。よくやったと”

 

 幻聴なのか、それとも千枝の願望が生み出した声だったのか、どちらにせよ千枝の瞳からは涙がポロポロと落ちていった。

 そして翌年、千枝は子供たちに看取られ安らかに逝った。彼女の亡骸は清花院に丁重に弔われた。そして諏訪勝右衛門夫妻の墓と同様、今でも献花が途絶えることはない。そして高遠の桜は春に咲き誇る。




本編を読んで下されると分かりますが、この健気で可愛い千枝ちゃん、あの藤堂高虎に硬い木箱をぶん投げたりしています。可愛いけれど、勇ましい女の子です。


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志士隊

このお話はホームページに連載中に読者さんから『こういうのどうでしょうか』とアイデアが出されたのでノベル化したものでした。


 織田信長は武田攻めと加賀一向宗門徒の討伐を二面作戦で行い、そしてそれを成した。水沢隆広は武田攻めにおいて織田中将信忠に付き従い武功も立て無事に帰還し、かつ加賀攻めを担当した柴田勝家も加賀より一向宗門徒を駆逐して、加賀御殿を金沢城と名を改め、かつ改修し佐久間盛政に与えた。

 

 水沢隆広は武田攻めから帰るとすぐに金沢城の改修を任され、その目処が立つと佐久間盛政に城代を明け渡し、引き続き鳥越城に入り加賀領内の検地、新田開発、治水、民心掌握に取り掛かった。

 

 水沢勢は大将隆広が大掛かりな内政主命を受けると兵も、その家族もすべて現地に移動すると言う特異の形を執っている。それは隆広自身が妻子と離れたくないのもあったが、部下やその家族も離れ離れにして寂しがらせたくないと云う気持ちもあった。水沢勢は平均二十二歳と云う若者ばかりなので、ほとんどが新婚である。粋な計らいとも云えるだろう。

 

 

 鳥越城に入り、隆広と石田佐吉の指揮の元、加賀領内の新田開発、治水、検地も円滑に行われ、名工辰五郎の手腕により鳥越城の改修も滞りなく進んでいた。そんなある日の事だった。

「あれ?赤兎がいないな」

 鳥越城の厩舎に隆広は来て、愛馬ト金と共に、乗り換え用に大事に乗っている馬がなかった。武田攻めにおいて武田勝頼自刃の地の天目山。ここに主人たちの死を嘆くようにポツンと立っていた一頭の駒を隆広は連れ帰ったのである。隆広は赤兎と唐土の関羽の愛馬名を付けて愛しんでいた。厩舎の部下が申し訳なさそうに

「申し訳ございません。本日の朝になったら消えていまして…」

 と、報告した。

「……」

「今、探させております!」

「いや、いい」

「え?」

「赤兎が逃げたのは、彼にとり俺が旧主より魅力のない主人だったからだ。そなたのせいではない」

「殿…」

 

 隆広は顔に出さないが、内心悔しいに決まっている。それを汲み取った部下は捜索を続けた。やがてやっと見つけるに至ったが、それは無残な結果だった。

 

 加賀の西の集落、稲垣村。ここに住む農民たちが赤兎を捕まえて食べてしまったのである。轡の輪には水沢家家紋の梅の花がある。間違いなかった。部下が見つけた時にはすでに解体されて焼かれている時だった。

「殿はどれだけ激怒されるか…」

 と、厩舎の部下は包み隠さず全て報告した。

 

 温和な隆広もさすがに愛馬を食われては怒る。拳を握り震わせる。部下は顔を上げられない。

「も、申し訳ございません!手前、腹を切ってお詫びを!」

「よさんか馬鹿者!」

 天目山で哀れにと思って拾ってきた赤兎。それゆえ隆広は時に愛馬ト金が妬くほどに愛しんだ。それが最悪の結末を迎えてしまった。

 傍らにいた奥村助右衛門、前田慶次も馬を愛しむ事には人後に落ちない。隆広の胸中を思うと嘆きを禁じられない。

 

「隆広様、その村人どうしますか。知らなかったでは済みませんぞ。当家の駿馬を殺して食ったなど!」

 と、助右衛門。

「ふう…。もはや取り返しのつかない事を責めても仕方ない」

「と言うと?」

 と、慶次。

「『善馬を喰らっても、美酒を飲まねば体を損なう』と云う。唐土の秦の穆公(ぼくこう)に倣おう」

「は?」

「慶次、越前の旨酒三斗、稲垣村に届けよ。そしてこう言え。美味な馬を食べても、酒を飲まねば体を損なうとな」

「馬を食われた上に酒を届けると!?」

「大将たるもの、民の出来心を咎めるような狭量であってはならない。ましてや柴田は加賀に入府したばかり。門徒数万を虐殺した柴田に加賀の民は少なからず怯えている。それに追い討ちをかけるような愚はしたくない」

 

 

 馬を愛する慶次は渋々ながらも、主命に従い、稲垣村を訪れた。村人は巨漢の武将の来訪に戸惑い怯えた。柴田家の武将たちは加賀の民のすべてを一向宗門徒と思っている傾向がある。それで我らを殺しに来たのかと恐怖した。

 

 稲垣村の民は一向宗門徒ではない。無論のこと誘いはあったが、彼らは固辞したのである。しかし、そんな事情を柴田家が知っているとは思えない。慶次は柴田家の水沢家の家紋が描かれた旗印を持っている。かつ数名の兵を連れていて、いかにも強そう。村人は逃げ出そうとした。逃げようとする村人を制して慶次は言った。

 

「コホン、先日にそなたたちが食べた馬は鳥越城城代の水沢隆広様の愛馬である」

「「えええ―――ッッ!!」」

 

 もう駄目だ。殺される。村人は怯えた。

「主人は『馬を食べても、酒を飲まなければ健康を損なう』と申した。よってそなたらに美酒を賜れた。受け取るがいい」

 慶次の兵が引いていた車を指した。それは越前の美酒である。普段、目が飛び出るような不味い酒しか飲んでいない彼らには無上の美酒である。

「心配せんでも毒など入っておらん!飲むがいい」

 慶次は槍の石突で樽の蓋を叩き割った。美酒の芳香が漂うと村人はたまらない。

 

「ご、ご馳走になります!」

「うまーい!」

「こんな美味い酒初めてだ!」

「もはや取り返しのつかない事を責めても仕方なし…か。なるほどな」

 慶次はフッと笑い、その場を後にした。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 それから数日後だった。一向宗門徒の残党が佐久間盛政の金沢城と水沢隆広の鳥越城を攻めた。門徒の残党は多勢だった。鳥越城の水沢勢に四千、金沢城の佐久間勢にも六千が攻め込んできた。

 

 水面下に潜み機会を伺っていたか、門徒の動きは素早かった。しかもまだ鳥越城は改修中、防御力も乏しい。隆広は寡兵を指揮して戦った。越前の柴田勝家も援軍に向かったと云う知らせも入り、士気も落ちていない。背後に援軍が迫り焦ってきた門徒たちは総攻めを敢行してきた。数に勝る門徒に押され、ついに大手門が破られ城内に雪崩れ込んできた。そしてその時だった。

 

 門徒たちの背後を突如に襲い掛かった一団があった。勝家の援軍が来るにはまだ間があるはずと見込んでいた門徒たちは浮き足だった。兵数はわずか四百ほどであるが、その一団は統率が執れ、真一文字に門徒の総大将の元に突き進む。

 その隙に隆広も討って出た。やがて申し合わせてもいなかった理想的な挟撃がなり、見事に門徒を打ち破り、敵の総大将も討ち取ったのである。

 

「エイエイ、オーッ!」

「「エイエイ、オオーッッ!!」」

 

 勝どきをあげると、隆広はその一団に走り寄った。一団は隆広に一斉に平伏した。

「かような態度は無用だ。ありがとう!礼の言葉もない。そなたたちは何者なのか?」

「オラたちは稲垣村の者ですだ、水沢様の馬を食べた者たちにごぜえます」

「なんと!」

「あの美酒の恩義に答えるため、オラたち参じた次第ですだ」

 隆広は涙が止まらなかった。隆広が秦の穆公に倣ったように、彼らも穆公に恩義を受けた民たちのように自分の危急の時に馳せ参じてくれたのだから。

 

「ありがとう、ありがとう…!そなたらの加勢なくば我らは今ごろ…!」

 今日に名高い、日本版『善馬を喰らっても、美酒を飲まねば体を損なう』である。この故事は優れた大将の粋な許す弁として伝えられている。まこと、このような出方をされると施された方は恐れ入るしかない。そして村人たちは見事それに答えたのである。

 

 隆広は村人たちに役職や恩賞を渡そうとしたが、村人は固辞した。それでは気のすまない隆広は、再び彼らに美酒を五斗贈った。村人たちは『これで十分ですだ』と、嬉々として帰っていった。

 

 しばらくして鳥越城にやってきた勝家も、その村人に感謝を示し、同じく美酒五斗を稲垣村に送り届けたと言う。中国の『善馬を喰らっても、美酒を飲まねば体を損なう』の故事はこの時点で終わっているが、日本版はこれで終わらなかった。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 翌年、天災で加賀の西部が凶作になった。隆広を嫌う佐久間盛政も、さすがにそれどころではなく建て直しの協力を主家に要請した。

 柴田家内政官筆頭である水沢隆広はすぐに救済の準備にかかった。稲垣村はその中でも最たるひどさだった。田畑は深刻な水不足で涸れはて、割れ目がひどかった。隆広はすぐに大量の食糧と物資を村人に施したが、窮状は若い娘の身売りさえ考えなければならない状態。

 柴田家の援助で何とか飢えはしのげるが、この田畑の有様では来年さ来年も同じである。数年後、再び美田に作りかえる隆広であるが、この時点ではさしもの農耕達者の隆広もお手上げの状態だった。隆広はあの四百人の大将を務めていた野太郎を呼び出した。

 

「野太郎、結論から言う」

「へえ」

「稲垣村、すべての住人を北ノ庄に移住させる」

「……」

「住み慣れたところを離れるのはつらかろう。しかし、この地は時を置かねば人は住めん」

「しかし、あっしら北ノ庄に行っても暮らすあてがねえずら…」

「俺が何とかする。とにかく移住案を村人に受け入れてもらわなくてはならない。だから最初にそなたの賛同がほしい」

「…分かりやした。水沢様のご指示に従いますだ」

 

『事は何事も一石二鳥にせよ』の養父隆家の教え。隆広の頭には、あの四百人の統率の取れた戦いぶりも忘れてはいなかった。彼のこれからの考えは当時の世では斬新的な事だったのである。

 

 数日後、北ノ庄城の評定の間。主君勝家に対する隆広。

「隆広、稲垣村の移住が完了したそうじゃな」

「はっ」

「ふむ、城外に村を作る事を許すゆえそこに」

「恐れながら殿、彼らを使ってある事を試したいのでございますが」

 評定の間にいた者が隆広を見た。

「申してみよ」

「はっ 彼らの男子を集め、北ノ庄の治安と防災にあたらせます」

「なに…?」

「彼らはわずか三斗の酒の恩義に、たった四百名で劣勢の我らに加勢に来ました。しかもその統率たるや見事。農民とはいえ我ら武士も見習わなくてはならない報恩の儀を知り、そして自分たちの持つ力の使い方を知っている者たちです。ただ野良仕事をさせておくには惜しいのです」

「ならば兵として召抱えれば良かろう」

「…それは以前に拒否されました」

「ふむ…」

「コホン、隆広。治安と防災と云うが具体的にはどんな任務なのじゃ?」

 と、中村文荷斎。

 

「はい、越前加賀は富み出し、移民も増えてまいりました。中には好まざる者たちも来ます。とはいえ法を多く作りすぎるのは国を滅ぼす元、彼らが取り締まるのは治安三か条『人を害すれば重罪』『合戦以外で人を殺せば死罪』『金銭や物を盗みし者は、その軽重によって罪を判断』による、物資の盗難、他者への危害の二点。防災は火災の消火活動や河川に落ちた等の救助活動にあげられます。今までそれは北ノ庄の兵士たちが交代で行ってきましたので、かように重要な任務なのに広く浅くが現状、専門集団を作る事を前から考えていました。そしてその任を彼らに任せたいのです」

 これは織田信長さえも行っていない専門機関の樹立だった。柴田勝家は興味を示し出した。

 

「無論、越前と加賀にこれを完全に流布するのは現状では不可能です。まず彼らにやらせてみて、効果を見ていき農民の次男三男などを新たに公募して増やせばよいかと。つまり民に奉仕せし隊を作るのです」

「いいだろう、やってみよ。当面の将はそなたが務め、後にしかるべき人物にその隊預けてみよ」

「ハッ!」

 

 隆広はすぐに野太郎たちに預けた土地に向かった。勝家に具申した事はすでに野太郎たちに相談していた。水沢様の提案ならばと彼らは、その任を受ける気でいた。そして隆広は新たな稲垣村の中央に各家から男子を集めて、主君勝家がこの件を承知したと伝えた。

「殿が隊の結成を認めてくれた。これからそなたたちの双肩にこの町の平和がかかっている」

 

 期待と同時に不安もあった村人たち。

「で、ですが水沢様、無学な我々にそんな大任務まりましょうか」

「無学も博識も関係ない。『民のため』と思えば良い。いいか、そなたたちの村が天災により飢饉になったとき、誰が最初に救おうと言い出したと思う。この北ノ庄の民たちだ。彼らはそなたらが三斗の酒の恩義で俺の援軍に来た事に喝采をあげ、そしてそなたらが難儀に陥った時には、彼らが俺に稲垣村を助けましょうと述べてきた。そなたらに届けた米は北ノ庄城や金沢城の米じゃない、この北ノ庄の民たちの米なのだ。この世は持ちつ持たれつだ、助け合っていこうじゃないか!」

「「ヘイッッ!」」

 

 さらに隆広は一計を案じて、源吾郎ら北ノ庄の商人たちにも資金の提供を呼びかけた。山賊や町の盗賊にも少なからず怯えて暮らさなければならない彼ら。その損害に比べれば一人の出資額は微々たるものであったため、何より隆広の要望である。商人たちは喜んで定期的の資金の提供を約束した。柴田家、そして北ノ庄の商人たちにより作られた町の治安を守る隊。

 

 隆広は結成の時、旗に『志』一文字の旗に書いて贈り、名を『志士隊』とした。

 これが今日の日本の警察と消防の起源であると言われている。

 初代の大将は水沢隆広であるが、在籍わずか一週間で野太郎にその座を渡して、すべて任せたのである。

 

 北ノ庄の治安は飛躍的にあがり、消防活動においても工兵隊の辰五郎と話し合い、手動式の龍水砲、つまり揚水ポンプも開発して消火活動にあたり、勝家と隆広を大いに喜ばせた。彼らは何より『志』の旗印を自分の魂と思い大切にし、民のために働いた。毎年の新人隊員募集の時は希望者が殺到すると云う。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 そして歳月は流れた。ここは大坂城城主の間。一人の鷹匠が青ざめて面会を申し出た。

「も、申し上げます」

「なんだ?」

「す、すいません、殿様の鷹の風丸が逃げてしまいました!」

「なに?」

「も、申し訳ございません!それがし腹を切って!」

「よさんか馬鹿者!で、風丸はどこまで逃げた?」

「は?」

「海の外まで行ったか?」

「い、いえまだ畿内にいるかと」

「ならばいい。それなら柴田の領内にいると云う事だろう。下がるがいい」

「は、はい!」

 

「ふ、ふふ…」

「どうした野太郎」

「いや、もしかして我らが殿の馬を食べた時も今みたいな感じだったのではないかと思い…それで可笑しくなって」

「そうだな…。あの時も腹を切ろうとした部下に『よせ馬鹿』と言った気がするな。あっはははは!」

 

 水沢隆広は柴田明家と名前を改め、日本最大勢力の大名となっていた。実父であった柴田勝家の後をついで、柴田家君主として大坂城にいた。

 野太郎は現在、国防奉行となっており、名も稲垣伊予守良成と名乗り士分にも取り立てられていたが、あくまで『志』の旗の下で働く男であった。今日は主君明家に昨年の火災件数と犯罪件数の報告書を提出に来ていた。

 

「しかし、あれから何年だ」

「そうですな、もう十年になります」

「そんなになるか、アッと云う間だったな」

 この『志士隊』の仕組みは他の大名も真似て、領内の治安と防災を守る専門機関を樹立させている。

「今だから言えるが、あの日、そなたたちが鳥越城に援軍に来てくれて…その理由が赤兎を食べたのに対して俺が罰せず酒を贈ったからと聞いて…赤兎が姿を変えて助けに来てくれたと思った。そしてあれから越前加賀はそなたらの尽力で平和となり、今この大坂の地も実に平和だ。赤兎もこの良縁の端となって…きっと喜んでくれていると思うのだ…」

「殿…」

 

「野太郎、いや伊予、報告あい分かった。また、そなたの立案した救命籠も先日に採用が決まった。源蔵館の医師たちとよく話し合い、よい仕組みとせよ」

「はっ」

 

『救命籠』これは日本初の救急車の概念である。荷台に幌をつけ、人一人が横になれる担架が置かれてある。源蔵館医療学校で学んだ医師が乗り、籠の中には医療具が常備されている。大坂の城下町に二十隊配備され、源蔵館や他の診療所に迅速に急病人や怪我人を搬送する仕組みとなっている。稲垣良成が立案し、柴田明家が採用した。

 

 柴田明家ほど『日本初』をやった人物はいないと言われるが、すべてに共通しているのは領民のためと云う事が今日の明家人気の要因と言えるだろう。特にこの救命籠は無料としている事が画期的である。戦国時代にここまで仁政を行った明家だが、それを支えた石田三成や大野治長、そして稲垣良成のような家臣たちの働きも素晴しい。

 

 城下町から番鐘の音が響いた。

「ん?火事か?」

「そのようですな」

 明家と良成は天守閣の縁側に出た。一軒の家から黒煙が上がっている。

「これはいかん!殿、それがしはこれで!」

「心配いらん、もうそなたの部下たちが到着しているではないか」

「え?」

 

 天守閣からその様子を見る。各々の火消し組の大纏が立つ。そして迅速に消火と破壊活動が行われていた。すでに火勢は鎮圧状態。

「あれなら延焼もあるまい。見事な仕事振りだ。ようあそこまで仕込んだな伊予」

「もったいなき仰せに」

 しばらくして、火災が鎮火した頃。

「お、殿。風丸が戻ってきましたぞ」

「そのようだな」

 明家の腕に止まった風丸。

「おうよしよし」

 そうして明家はもう一度風丸を飛ばせた。平和な大坂の空を気持ち良さそうに飛ぶ姿を明家と良成は微笑み眺めていた。



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外伝さえ 壱【悲劇の姫】

柴田明家の妻さえのお話です。ちなみに言いますと、さえは基とした太閤立志伝3特別編のヒロインなのですが主人公たる明家(ゲーム公式では梁田政勝)と結婚していないんです。攻略本に『後に政勝の妻になる』と記されているだけです。
当然、さえが朝倉景鏡の娘と言うのは私のオリジナル設定ですが、我ながらよう思いついたと言えるものです。そのさえが主人公の物語、ご覧下さい。


 戦国時代を終焉に導き、天下に安寧秩序をもたらした天下人柴田明家。その正室であるさえが朝倉景鏡の娘と云うのはよく知られている。主君である朝倉義景を裏切り死に追いやった景鏡。いかに裏切りと騙し合いが公然と横行した時代であっても景鏡の行為は当時大変蔑まされた。やがて彼は哀れな末路を辿る。

 

 その景鏡の一人娘がさえである。汚名は子孫にまで伝えられるもの。本来ならば彼女は父の名前を口に出すことも出来ず、日陰でひっそりと暮らす生涯を送ったかもしれない。しかしさえは現在で言うところのファーストレディーに至る。誰を妻にするかで男の人生は大きく変わる。さえは良人柴田明家に天下を取らせた女であったのだ。

 

 さえは永禄三年(一五六〇年)に越前の国、朝倉氏の居城である一乗谷城にて生を受けた。良人の柴田明家と同年である。父は前述の通り朝倉景鏡。朝倉一族であり宿老を務める重臣の中の重臣だ。母の出自と名前は伝わっていない。一説では朝倉家の名将の朝倉宗滴の孫娘と言われているが、それは後世の創作であろう。確かなことはさえを生んですぐに死んでしまったと云うことである。景鏡は妻の死を悲しみ、そして娘の誕生を喜んだ。

(亡き妻のためにも、大切に育てねばなるまい)

 景鏡の姉の八重がさえの養育に当たった。彼女の良人は景鏡側近の吉村監物である。息子の直賢はすでに独り立ちして朝倉本家の勘定方を務めている。八重は長男の直賢を生んだ後に女の子が欲しかったようだが、それは叶わず、それゆえ姪のさえを慈しみ、弟の景鏡と共に厳しくも優しく育てた。さえにとっては八重が母と同じである。

 

 さえが五歳になった時、景鏡は越前大野城の城主になった。さえもお城のお姫様と云うわけである。この当時の越前は戦国乱世とは無縁のように豊かで平和であったと言われている。後に織田軍の先鋒として越前に寄せた羽柴秀吉などは『まるで別天地だ』と発したと云う。

 さて当時、朝倉景鏡は九頭竜川の治水工事を担当していた。再三再四景鏡は九頭竜川治水の重要性を義景に訴えたが、いかに一乗谷に一大文化を作り上げた朝倉氏と云えど、その工事費用の捻出は困難であり義景は意見を入れなかった。後年に汚名を被る景鏡だが、彼は領民を慈しむ心を備えており、武将としては評価されずとも為政者としては評価されても良い人物である。朝倉本家がやらないのならば当家でと彼は自分で出来る範囲で九頭竜川の治水を行っていた。

 

 ところで越前大野城では

「伯母上、父上は今日も九頭竜川に?」

「そうよ、大切なお仕事に行っているの」

「さえは義景様も九頭竜川も大嫌い」

「こらこら、大殿様と越前の恵みの川にそんなことを言ってはいけませんよ」

「だって父上をさえから取り上げるんだもの」

 さえはこの年、主君朝倉義景と初めてお目見えしていた。無論景鏡も一緒であったが義景はさえを見て

『これはかわいい。大きくなったらさぞや美女となるだろう』

 と、言った。他の者ならばただの褒め言葉で終わるが言った者が義景だとそれでは済まない。義景は家臣の娘で美少女がいると決まって側女にあげている。お目見えのあと景鏡は義景に対する不満を家老の吉村監物に忌々しそうに吐いた。義景は監物に

『さえが十四になったら余の側女とするよう差配せよ』

 そう伝えている。呆れたことに宿老級の景鏡に対しても例外ではなかったようだ。大事な姫を冗談ではない。監物は腹に据えかねたが、それは景鏡には言えない。朝倉の内乱に繋がりかねない。お家騒動とは時に周囲が呆れるような理由で起こることがある。老将の監物はそれを分かっていた。だが、どういう経緯をもってか景鏡の耳に入ってしまった。どうしてそれを黙っていたかと監物を叱る景鏡。

「誰があんな三流以下の男に大切な娘をくれてやるか!」

 憎々しげに畳を踏み、力任せに戸板を開ける景鏡。

「監物、さえはな、儂など足元にも及ばぬ立派な若者に嫁がせる!そう決めている!」

「殿…」

「義景めが!」

 

 さて景鏡が行っている九頭竜川治水。主君義景には腹が立つが、それは別問題。治水は越前の民のためである。しかし朝倉本家が費用を渋るだけあって治水工事は深刻な資金不足だった。工事本陣で頭を抱える景鏡の元へ使い番が来た。

「殿、吉村直賢殿が面会を求めていますが」

「直賢が?監物ではなく儂にか?」

「はい」

「通せ」

 そこには監物の弟、つまり直賢には叔父に当たる吉村直信も共にいた。

「しかし父親を飛ばして、その主君に会おうとは。順番を違えるなど直賢らしくないですな…」

「まったくだ。監物が間にいると面倒な用向きであるやもしれぬ」

 監物の息子、吉村直賢がやってきた。

「式部大輔様(景鏡)、早速の引見痛み入ります。叔父御も一緒にござるか」

「どうした直賢」

 本陣に入った直賢は銭箱を置いた。

「二千貫ございます。これを治水資金に」

 さらに九頭竜川に浮かべてある小舟を指す。直賢が乗ってきた舟だ。

「あの舟にまだ六千貫積んであります」

「では合わせて八千貫…!」

 あまりの大金に驚く直信。

「慎んでお渡しいたします」

「ならん直賢、その方、本家の勘定方と云う立場を利用してかような大金を用立てたのであろう!露見すれば処刑は」

 喉から手が出るほど欲しい資金だが拒絶する景鏡。

「いえ、それがし個人が用立てました。どうか越前の民を救うため役立てていただきたいのです」

 直賢は交易品の転売を繰り返し、大金を稼いで景鏡の本陣に持ってきたのだ。用立てた手段も景鏡に丁寧に説明する直賢。彼は九頭竜川治水を懸案する景鏡と共に義景に治水の必要性を訴えてもいた。

「直賢…」

「このこと、父の監物には内密に」

 顔を見合う景鏡と直信。そして叔父である直信は

「なぜだ?そなたの前で言うのも何だが、この働きで兄者もお前を認めよう」

 監物は武勇が苦手で算術に長けた息子を評価していなかった。

「小賢しいと思うだけです。今さら父の手前への評価を覆す気もありません。面倒なだけですから」

「…まあ、そなたがそれでいいと云うのなら」

 と、景鏡。

「その金は朝倉本家よりとでも繕っておけば良いでしょう。それではこれで」

 直賢の持ってきた金を見る景鏡。

「打ち出の小槌のごとき男だ。監物は無骨ゆえ息子の才知を分かっておらぬ。銭を無から生みだす力は豪傑の一閃に勝るものぞ。直賢は義景などではなく天下を取れる昇竜のごとき男に仕えるべきなのやもしれぬな…」

「天下を取る昇竜、それは義景様ではないのですか?」

「たわけたことを申すな。あの男では天下どころか越前すら守れるか疑問だ」

「では何故、殿は義景様に仕えます?」

「同じ朝倉一族であるからに過ぎん」

「……」

「亡き宗滴公は名将だが…あの義景に常に勝ち戦を献上したことは過ちであったな…。義景自身、戦場で泥水すするような経験を積めば、今少しマシな主君であったろうに」

 宗滴とは朝倉家の名将の朝倉教景のことである。現当主義景には叔父にあたる。

「では昇竜のごとき男は?」

「さてな、直賢もそういう男に仕えられたら良かったのにのう」

 無から大金を生み出す吉村直賢、この景鏡への献金を後年に知りえたある男が自ら出向いて直賢に我が家臣へと願うことになる。その男こそが天下を取れる昇竜、柴田明家であった。

 

 

 さて、直賢から豊富な資金を得た景鏡は九頭竜川治水に励む。景鏡は自ら川の流域を歩いて地形図を描いていく。そんなころ、さえが八重と共に工事本陣に訪れた。

「父上、会いたかった」

「さえ、父も会いたかった。よく来てくれたな」

「はい」

「文字の手習い、家の手伝い、ちゃんとやっているか?」

「はい」

「ようし、いい子だぞ」

 夜のとばりの中、九頭竜川沿岸をさえと歩く景鏡。さえが父に聞いた。

「ねえ父上、九頭竜川はこんなにおとなしいのにどうして工事をするの?」

「ははは、さえ、九頭竜川にはな、色んな顔があるんだぞ」

「色んな顔?」

「そうだ、今のようなおとなしい顔、そして名前の通り、怒れる竜神様のような恐ろしい顔じゃ」

「恐ろしい顔」

「そう、台風が来れば暴れだし、人々の汗水の結晶である田畑を一瞬で沈め、そして人々を飲み込んでいくのじゃ」

「こわい…」

「でも、九頭竜川は越前の人々に恵みもくれる川じゃ。さえ、父は九頭竜川を退治しているのではないぞ。仲良くしてもらうため、ちょっと手を加えさせてもらっているのじゃ」

「九頭竜川と仲良く」

「治水とはな、川を押さえこむ技ではない。その恵みを賜る技なのだ」

「…?…?」

「ははは、少し難しかったか」

「はい」

「いつか、お前の婿殿と、この仕事を一緒にしたいものだ…」

「さえは父上のお嫁さんになります」

「ははは、ありがとう。さえ」

 このまま何ごともなければ九頭竜川全域は無理でも、主なる水害は防げるに至ったかもしれない。しかし、そうはいかなかった。織田信長の越前侵攻である。一度は近江の浅井長政の助勢も得て退けた。しかし二度目の侵攻は苛烈だった。景鏡は断腸の思いで治水を中断し、織田家に備えた。しかし織田軍の猛攻たるやすさまじかった。

 

 

 越前に侵攻を開始した織田軍。国境付近でしきりに挑発行為を行い、そして豪雨の夜に大嶽砦を奇襲した。この砦は織田軍に対する前線基地であったが、天候は豪雨、城方は織田勢が攻めてくるとは思わず警戒を解いていた。そこを大挙して攻めたのだ。大嶽砦は落ちて守将は討死に。織田信長は休息もとらずに侵攻。朝倉軍は刀根坂に布陣して迎撃態勢を取るが粉砕された。織田軍は徹底して追撃をし、当主義景は命からがら一乗谷城まで撤退した。景鏡は『もはや朝倉の命運これまで』と思った。すうすうと眠る愛娘の顔を見る景鏡。

「う…ん、父上…」

「殿、大殿より出陣せよとしきりに」

 と、吉村監物。

「監物…」

「はっ」

「儂は義景を討つ」

「な…っ!?」

「考えたすえのことだ」

「しかし…!」

「羽柴秀吉の調略が平泉寺の僧兵たちに及んだと聞く」

「なんと…!?」

 平泉寺の僧兵は三千を数え、それは屈強と言われていたが、僧兵たちは朝倉を見限り織田についていた。神がかりの力でもないかぎり逆転は不可能な状態である。

「儂はあんな暗君と共倒れなどごめんだ」

「しばらく!たとえ暗君とはいえこの局面で裏切れば殿は末代まで汚名を残しまするぞ!」

「儂の名前などどうでもよい。さえが…」

「殿…」

「さえが生きてくれればそれでいい!」

「なりませぬ!姫様に裏切り者の娘として生きよと言われるのか!」

「……」

「大人となった姫が!胸を張って父を語れなくなってもよいのでございますか!」

「もう遅いのだ」

「は?」

「義景に大野に来るように勧めた。儂の手勢と平泉寺の僧兵たちの力を合わせ再起図るべしと」

「では…」

「ふん、ノコノコやってきた義景を賢松寺に入れて囲み殺すわ」

「殿…!いかなる理由があれどもそれは返り忠!かような真似をして恥ずかしゅうはないのでござるか!」

「誰かある」

「はっ」

 兵数名が来た。

「監物を更迭せよ」

「「は?」」

「聞こえないのか!!」

「と、殿!何とぞこの老臣めの諫言をお聞き下され!」

「連れていけ」

「「はっ」」

 監物は兵数名に連れて行かれ、城内にて軟禁された。

「お前さま」

「八重、なぜ!?」

 軟禁された部屋には監物の妻の八重もいた。

「景鏡が、いや、お屋形様が大殿を裏切ると聞き、必死に止めたんだけれど…」

「同じじゃ。儂もそれを諫めてここに」

「あああ…裏切りで大事を成したものなどいないのに!」

「なんということじゃ…!」

 景鏡はその後、賢松寺に朝倉義景を案内し、そして取り囲んだ。羽柴秀吉もそこにいた。

「式部大輔殿、信長様は御身の領地と命を保証された。安心されよ」

「はっ、すぐに義景を討ち取りまする」

「任せまする」

(ふん、しょせん使い捨てよ。タワケが)

 やがて朝倉義景は自刃して果てた。栄華を極めた越前朝倉家が十日も持たずに織田に攻め滅ぼされたのだ。景鏡は義景の首と捕縛した義景の母である高徳院、そして妻子を信長に差し出して降伏を許された。景鏡は信長に謁見。信長の態度は冷たいものだった。

「領地は安堵してやる。しかし、そこから出たらすぐに叛意あるべしと見て討ち取る」

「……」

「ついでじゃ、姓を与えてやる。『土橋』」

「土橋…?」

「由緒はない。ただの思い付きだ。また裏切りの『景鏡』の名では肩身が狭かろう。儂の『信』の字を与えるゆえ、今後は『土橋信鏡』と名乗れ」

「はっ」

「分かったら消えよ、吐き気がするわ」

「…は」

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 土橋信鏡と名を改めた朝倉景鏡(このまま『景鏡』と記す)。しかし裏切りを行った者はやはり哀れだった。越前の人々には売国奴、裏切り者と罵られ、耐えきれなくなった家臣たちは次々と去っていく。良心の呵責と信長の冷遇への怒り、やがて景鏡は酒浸りとなった。

「父上、お酒ばかり飲んじゃ」

「うるさい!」

「あっ!」

 景鏡はさえを叩いた。ここ数日、さえは父の景鏡から理不尽な仕打ちを受けていた。物を投げられたり、大声で怒鳴られたり。今日は暴力にまで至った。

「父上…」

「何ださえ、お前まで儂を裏切り者と呼ぶのか!」

「そんな父上…いやだ…」

 さらにさえを叩く景鏡。景鏡の怒声とさえの泣き声を聞いた監物と八重が大急ぎで駆けつけて止めに入った。

「殿!姫様になんてことを!」

「やかましい!みな出ていけ!」

 さえを連れて別室に行く監物と八重。

「う、うう…」

 泣いているさえを抱きしめる八重。

「負けてはなりませんよ姫様、お父上はいま病気なのです」

「かわいそうに、こんな腫れて…」

 つめたく絞った手拭いをさえの頬に当てる監物。

「伯母上、父上はどうしたの…。あんなにさえに優しかったのに…」

 その手拭いで溢れて止まらない涙を拭く。

「姫様も十二…。もう知っていて良いでしょう…」

「お前さま…」

「良いのだ…」

 監物はすべて話した。

「父上が義景様を殺した…!?」

「はい、やむにやまれぬことだったのでしょう…」

「父上…」

 まだ幼いさえに父の支えになってやれなんて無理な注文だ。さえ自身、父の仕打ちに耐えかねている。さらに景鏡はついに発狂した。悪夢にうなされ続け、幻覚を見始め、刀を城の中で振り回す。もはや常人ですらない景鏡をどんどん見限り去っていく家臣たち。評定の間は閑散とし、城の中を掃除する侍女もいない。最後まで残ったのは監物とその弟の直信、八重、そしてさえだけであった。ただ一つの朗報は監物と八重の息子の直賢が重傷を負ったとはいえ生きていたことであるが景鏡の今の状況は悲惨そのものだった。

 

 

 やがて一向宗門徒と一部領民に大野城を攻めこまれた。景鏡は監物に連れられて平泉寺に避難した。城も奪われた。平泉寺もすでに囲まれ、もはやこれまで。死を悟ったゆえか、ここで景鏡は正気を取り戻した。

「さえ、ひどいことをした。すまない…」

「父上…」

「直信」

「はい」

「兄の監物への義理とはいえ、よくここまで一緒に来てくれた」

「景鏡様…」

「頼みがある。さえを連れて逃げよ。儂が囮になる」

「殿、監物も参りますぞ」

「すまんな監物…。やはりあの時、そなたの言う通りにしておけば良かった。返り忠を打った者の末路かくのごときよな」

「もう言いますまい。このうえは朝倉武士の矜持を見せつけて死にましょう」

「父上…!さえも一緒に死にます!」

「ならん、生きよ。よいか、生きるのだ!」

「父上ぇ…」

「お前に裏切り者の娘と云う一生消えない汚点を残してすまない。本当にすまない」

 景鏡は最後、さえを抱きしめた。

「姫、お健やかに…」

 監物の顔が涙でゆがむ。幼いころから色々とお話をしてくれた老臣監物、さえは大好きだった。父と、その大好きな監物ともう二度と会えないと思うとさえの涙は止まらない。

「さらばだ、早く行け!」

「父上ーッ!!」

 景鏡と監物は敵勢に突撃、さえは直信に連れられ平泉寺を脱出。しかしさえを逃がすために直信は

「直信殿!」

「かまわず走りなされ!追手が来ますぞ!」

 追手の弓矢に体を射ぬかれて倒れた。

「ああああーッ!!」

 さえは泣きながら走った。

 

 やがて小さな漁村に出た。漁師の会話が聞こえた。

「おい聞いたか、裏切り者の景鏡、殺されたらしいぜ」

「ああ、いい気味だ。あっはははは!」

 拳を握り、そして悔し涙がポロポロと出てきた。あてもなく歩くさえ。極度の疲労と空腹が襲う。逃げる最中、持たされた路銀は落してしまった。一文もなく、寝床もない。立ち止まれば追いつかれて殺されるかもしれないとさえは歩いた。そして…

「ここ…」

 さえは知らぬ間に日本海の断崖絶壁『東尋坊』にやってきていた。今日でも身投げの場所と呼ばれている。さえは死の誘惑に負けてしまった。

「…ごめんなさい父上、さえも死にます」

 

 

 夕暮れ時の東尋坊、さえ以外にも訪れている者がいた。妻を連れて夕陽沈む水平線を見つめる。

「きれい…」

「そなたほどじゃないぞ」

「まあ、殿ったら」

「ははは…ん?」

 前方に汗と泥に顔と着物を汚した一人の少女が立っていた。絶壁寸前にボロボロの草鞋を揃えて置き、手を合わせている。

「殿…!」

 妻の言葉より早く、男はさえに大急ぎで駆けた。間一髪のところで男はさえの体を押さえて絶壁から離れさせた。

「馬鹿な真似はやめろ!」

「は、放して!死なせてえッ!!」

「馬鹿者!」

 さえを叩いた。

「何と愚かな、かような花の命を無駄に散らせようとは!」

「う、ううう…」

「何があったのですか…」

 女が歩んできた。顔中が汗と泥だらけ、鼻水と涙も垂れている。女は顔を拭いてやった。

「ほら、きれいになった」

 それでもさえは泣きやまなかった。

「何があったの、言ってみなさい。私はお市、北ノ庄城主、柴田勝家の室です」

「え…!!」

「儂は柴田勝家じゃ」

 さえは怯えた。自分たちの国を滅ぼした織田家の猛将が目の前にいるのだ。

「怖がらずともよい。どうしたのだ」

「う、うう…。みんな死んじゃいました…。残ったのは私だけ…」

「そうか」

 勝家はさえを抱きあげた。

「あ、あの…」

「何かの縁だ。お市、この娘使ってやれ」

「はい」

「わ、私は…」

「今は言わずともよい。疲れたであろう。眠るがいい」

「は、はい…」

 さえは勝家の腕の中で眠った。力強い腕の中が心地よく、疲労困憊であったさえはすぐに眠ってしまった。

「かわいい寝顔だこと」

 微笑をうかべるお市だった。



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外伝さえ 弐【運命の出会い】

 東尋坊のほど近くの港町、ここに勝家一行は宿を取っていた。さえはそこで気がついた。ずいぶんと眠ったようだ。

「ここは…」

 着物が違うものに変わっていることを気付いた。

「やだ、私って裸にされたの…」

「気がついたようですね」

 東尋坊で見た貴婦人、お市が部屋に入ってきた。さえはペコリと頭を垂れた。

「悪いと思ったけれど着物を変えたわ。大丈夫よ、殿は見ていないから」

「あ、ありがとうございます」

「着物は洗って乾かしているわ」

 そう言いながら布団の横に座ったお市。

「貴女は朝倉氏の娘ね?着物に家紋がありました」

「は、はい…」

「それで殿を見て怯えたのね…。無理もないわね」

「……」

 

 しばらくして勝家も部屋に来た。

「おう、たっぷり眠って元気が出たようだな」

「は、はい、ありがとうございます」

「風呂が沸いている。入るがいい」

 その言葉に甘えて、さえは風呂に入った後、勝家とお市と食事をとった。食べっぷりがすごい。よほど腹が減っていたようだ。食べ終わった後、さえは勝家とお市に丁寧にお辞儀をし、

「身投げしようとした我が身の命を助けて下されたばかりか、一飯とお風呂、そして温かい寝床、本当にありがとうございます」

「もう死なないか」

「はい、空腹と疲労のせいで死の誘惑に負けましたが、もう大丈夫です。御恩は一生忘れません」

「忘れて良い、大したことはしておらん」

 ぶっきらぼうに返す勝家。

「そなたが朝倉氏と云うのは聞いた。父の名前は?」

「……」

「どうした?」

「私の父は…朝倉景鏡にございます…」

「なに?」

「朝倉景鏡…」

 

 さえは腹を括って本当のことを言った。恩人に嘘はつけない、そう思ったからだ。

“あの裏切り者の娘か”

 そう罵られたうえ、この場から放り出されることも半ば覚悟していた。しかし勝家、

「そうか、苦労したであろうな…」

「まことに…」

 お市も頷く。意外な反応に驚くさえ。

「父上の援軍に行かなかった織田が憎いか」

「……」

「そう思っていような。こうして柴田の当主が物見遊山に東尋坊を訪れていたのだから援軍に行く余力はあったはず、そう見ていよう」

「そ、それは…」

「確かに北ノ庄から大野に援軍に行くゆとりはあった。だがすでに景鏡が当主として責務を果たしていないことは儂の耳に届いておった。裏切りの自責の念、民たちの罵声、大殿の冷遇、それでそなたの父上は焼き切れてしまったと見えるな」

「…はい」

「しかし、それを噛み破り、生きていかねばならぬのが戦国武将じゃ。どうであれ、焼き切れて心を壊したことそのものがすでに敗北なのだ。景鏡から援軍要請そのものが来なかったこともあるが、何より…」

「何より…?」

「かような末路となったのも自業自得、そう思った」

 

 涙を浮かべるさえだった。今ならば分かる。やはり父は裏切り者なのだ。たとえ自分にとっては大好きな父でも。

「とにかく北ノ庄に来るがいい。この乱世、そなたのような身寄りのない娘が生きていくには女郎しかないが、それも哀れであるからな」

「…はい、お世話になります」

(父上を見殺しにした織田に命を救われるなんて…)

 勝家の鬼瓦のような顔を見つめるさえ。

(鬼、閻魔とも言われる方が一片の情けで私を助けるだろうか…。もしかすると私を後に手篭めにするためなのかもしれない。しかし生きていくには仕方がないかもしれない。一度父の言葉に背いて死を選んだ身、怖いものなどないもの)

 

 かくして、さえは北ノ庄城に行きお市に仕えることになった。しかしさえは今まで姫育ち。侍女の仕事なんてまるで分からない。気も利かず失敗ばかり。お市の娘たちにも『あんたって鈍くさい』と言われた。

 しかし挫けなかった。もはや朝倉宿老の姫と云う気位など捨てた。自分に行くところはここしかないんだと。たとえ後、勝家に手篭めにされたってかまうものか、一度死んだ身、こうなれば父の最後の言葉通り、とことん生きてやる、そう思っていたのだ。

 

 失敗ばかりでやる気ばかり空回りしているさえを見かねてか、一人の女がさえに徹底して仕事を教えた。香と云う女で金森長近の正室でもある。

「いい、さえ。お茶を出すにも決まりがあるのよ。こないだ貴女は奥方様に片手で茶器を出したでしょう」

「は、はい。大変なお叱りを受けました」

「お茶は両手で出すの。仏の顔も三度、同じ失敗を繰り返してはお城勤めを解かれてしまうわ」

「すいません」

「障子の開け方、出迎えの作法、他を数えればきりがないほどなっていません。私が仕込みますゆえ、学びなさい」

「はい、お願いいたします」

 

 姫育ちのさえには香の指導は厳しいものだった。後年に柴田家武将の正室同士として付き合いも生じるさえと香だが、この縁ゆえかさえは香に頭が上がらなかったと云う。付きっきりで礼儀作法と仕事を仕込め、これはお市が香に命じたことであった。香にとってはさえを一人前にすることが主命ゆえ容赦ない。誤っていれば竹の棒が手の甲に飛んできた。

 時にあまりの厳しさに影で泣いたが、この厳しさがあればこそ、さえは『お姫様』から脱却できたのだ。一通り礼儀作法を覚えると、今度は手料理を教わった。後に彼女の良人になる男が『日ノ本一の料理上手の女房』と周囲に自慢するほどに至る腕前はこの時に会得したのだろう。

 さえは十五歳にもなると立派なお市の侍女となっていた。お市も安心して奥向きの仕事も任せられるようになり、これならいつ嫁に出してもよい、そう思っていたころだった。

 

 さえが城下町に出て、お市からの用事を済ませていると…。

「けっひひひ、柴田殿にお仕えしている娘さんかい?」

 一人の老婆がさえを見て言った。不気味な笑いである。

「え、ええ…。そうですが」

「うん、その美貌なら織田の大殿も…」

「え?」

「けっひひひ、いや何でもないよ」

「…?」

 その変な老婆が気になったか、お市に報告したさえ。

「同じ女なのに、とてもいやらしい目を感じました。頭の上から足のつま先まで何か値踏みをしているかのようで」

「…とうとう、この城下にまで」

「は?」

「さえ、私と一緒に殿に目通りを」

「は、はい!」

 

 さえは勝家にも同様に報告した。勝家は眉間にしわ寄せて答えた。

「大殿が安土の奥に、唐土の後宮のようなものを作ろうとしているらしい」

「後宮…」

「酒池肉林よ、さえもその一人に選ばれたらしいの」

「そんな、冗談じゃありません!!」

 

 信長は朝廷に自分の権威を見せ付けるために古代中国の後宮のようなものを安土城に作ろうとしたのである。丹羽長秀に安土城の普請を命じると信長は目先の利く老女を集め、自分の女の好みをつぶさに聞かせたうえ、自分の勢力内の地で美女集めをしてこいと命じた。信長の気に入る美女を連れ帰れば、当然のことながら褒美も多い。老女たちはその密命を喜んで受けて、さながら隠密のように織田領に散った。

 自分の領内で若い娘の誘拐が多発していると聞いても、実はそれは信長の女集めと知っていた各々の領主は手出しできない。だが柴田勝家は違った。

 

「城下にまで至っているとなれば、支城や点在する町や村にも手は及んでいよう。娘が行方不明になったと云う話は届いている」

「殿、妹として兄のかような恥知らず、捨て置けません」

「儂もだ。何としてもやめていただかねば。これより天下を取られる大殿が酒池肉林などあってはならん」

 すぐに勝家は兵を派遣し、国内で美女を物色している老婆たちを見つけて捕えさせた。すると老婆たちは

「信長様の密命じゃ」

 悪ぶれる様子も無く言い放った。しかも

「一家臣の分際で信長様の直命を受けた儂の仕事を邪魔するとは何事じゃ」

 逆に居直り勝家を責めたのである。激怒した勝家は

「大殿がそんな無慈悲をなさるはずがない。お前は大殿の名をかたったばかりか、我が領内の宝というべき娘たちを食い物にする鬼ババアじゃ!」

 と、即座に斬り捨てた。

 

 そして前田利家に命じて領内の廃寺で軟禁されていた娘たちを助け出したのである。それからの勝家の行動は素早い。老婆を処刑し、娘たちを解放したと信長が知る前に信長を訪れ、先に老女を処罰した経緯を報告して、こう述べた。

「大殿の御名を汚す老女は許せませぬので、それがしが斬り捨てましたが、改めて老女の処分の指示を伺いたく参上しました」

 指示と云っても、もはや老女は斬られた後で信長にはどうしようもない。今さら老女を許せと言っても何にもならない。やむなく信長は

「その仕置き神妙である、大儀」

 と勝家を労った。柴田勝家の断固たる処断がなければ、さえは信長の酒池肉林の中に連れられていたと云うことになる。

 この勝家の処断により、信長は越前の国だけ美女集めが出来なかったのである。さえは勝家を誤解していたと恥じた。いつか手篭めにされるかもしれない、何て失礼なことを考えていたのか。あの時の勝家にはさえに対して何の邪心もなく、本心から自分を哀れと思い城に連れ帰ってくれたのだと。いっそう柴田家に忠勤励むことを誓うさえだった。

 

 やがて、後宮計画は瓦解した。信長の妻の帰蝶(濃姫)と、妹のお市が頑強に反対したと伝えられている。娘たちは織田家から金を与えられ故郷に送り返された。その段取りをしたのも勝家である。

 信長には妻のお市と共に正室帰蝶を抱き込み、勝家が後宮作りを頓挫させたと映った。勝家の武将としての才能は信頼していても、自分の望みを妨害したとして信長は勝家の生真面目さを疎んじた。それを覚悟のうえで行った勝家。今は針の先ほどの失敗も出来ないと感じていた。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 そんな時、領内で一向宗門徒が蜂起した。この討伐に失敗するわけにはいかない。勝家は急ぎ出陣。さえも出陣を見送る。

 しかし門徒の手は北ノ庄の城下町にもおよび、突如軍列に襲いかかった。たちまち城下は大混乱、さえも身を守るため急ぎ城に戻ろうとしたが

「父上!父上!」

 道すがら、たまたま居合わせた場所に僧侶姿の父を腕に抱いている少年がいた。どうやら門徒の撃った鉄砲の玉に当たったらしい。すでに死んでいた。

 

「お気の毒に…」

 少年はさえを見た。お互いが運命の出会いであったとは知らない。

「この近くに寺はありますか」

「ええ、ここから西にすぐ…」

「そうですか、少し父を頼みます」

「え?」

 刀の鯉口を切った。

「あ、あなた、まさか?」

 刀を抜いて門徒の中に走っていった少年。止める間もなかった。

「なんて無茶な…」

 父を討たれた無念は分かる。しかし単身で門徒たちの中に突貫するなんて。さえは無事を祈りつつも、少年から預かった亡骸を見た。

 

「これも何かの縁、丁重に弔わせていただきます」

 亡骸に手を合わせ、そして近くにいた者たちと協力して僧侶を寺へと運んだ。ほどなく先ほどの少年もやってきた。

「良かった、ご無事だったのですね」

「ええ、なんとか」

「その少女は?」

 少年は一人の少女を抱きあげていた。

「門徒でしたが、それがしの前で殺されました。のざらしも気の毒と思い…」

 切なそうに静かに笑みを浮かべる少年に胸が締め付けられるさえ。なんだろう、この気持ち。

「父をここまで運んで下さり、礼の言葉もございません」

「いえ、困った時はお互い様ですから」

 二つの亡骸に合掌する少年。さえも手を合わせた。そして少年の横顔をチラと見る。

(なんて立派な顔立ちをされているのだろう…)

 

 その後、簡単ではあるが少年の父の葬儀が行われた。さえは何か立ち去ることができず、読経を聞く少年の背中を見つめていた。何か離れたくない。そんな感じがした。少年の持つ雰囲気と云おうか、惹かれるものを感じた。胸が高鳴る。

(この気持ち、何なのかな…)

 

 やがて葬儀も終わり、少年は父の位牌を僧侶から受け取って寺の本堂を後にした。さえが終わるまでいてくれたことに気付いた少年。丁寧に頭を垂れた。

「立派なお父様だったのですね」

「え?」

「あなたを見れば分かります」

「ありがとう、父も貴女の言葉を聞いて喜んでおります。あ、失礼しました。それがしの名前は水沢隆広と申します。後ほどお礼に伺いたいので、よければお名前を」

「いえお礼なんて」

「いや、そういうわけには」

「私の名前はさえ。さえと申します。ではこれで!」

「あ、さえ殿!」

 さえは隆広の前から走り去った。

「さえ殿か、いい名前だ。美しいし、何より心が優しい。男と生まれたからには彼女のような女子を妻にしたいものだ…」

 

 走り去って後、さえは少し後悔した。もう少し一緒にいたかった。でも何か恥ずかしくて思わず名前だけ言って立ち去ってしまった。もう二度と会えないかもしれないのに…。

「水沢隆広様…。またお会いしたい…」

 

 

 さて、この翌日にお市は勝家に呼ばれた。

「殿、なにか」

「なぜ黙っていた」

「は?」

「儂との間に子がいることを…」

「な……ッ!!」

「水沢隆家殿の書…」

 勝家は先刻訪れた水沢隆広が持ってきた書をお市に見せようと懐から出した。

 お市はひったくるように書を取った。

「すべて書かれてあった。お市そなたは儂との逢瀬で子を胎内に宿し…」

 お市には何も聞こえていなかった。隆家からの書にはすべて書かれてあった。生まれたばかりの赤子を帰蝶とお市から預かり、無事に元服までお育てしたので、お返しすると。

 お市は感涙しながら隆家の書に何度も頭を垂れた。感謝しても感謝しても足りない。あの日、生まれたばかりの赤子を立派に育ててくれた。

 涙を拭いたお市は先に勝家が自分に何か言いかけていたのを思い出した。

 

「殿、なにか?」

「いや、もうよい」

 目の前のお市を見て、その喜びようは伺える。今まで隠していたことを改めて聞く気も失せた。

「隆家殿は先日に亡くなったらしい」

「なんですって…!」

「城下で門徒の撃った鉄砲の流れ弾が運悪く…」

「なんてこと、これから御恩を返さなければと思っていたのに…!」

「城下に弔われたと聞く。後日墓参に伺おう…」

「はい…」

「隆家殿は水沢隆広と名づけたらしい」

「はい、立派な名前です」

「だがお市、隆広に母の名乗りは許さぬ」

「…心得ています。兄の信長に知られたら…」

「儂も父として名乗らぬ」

「…はい」

「今に名乗る日も来よう。辛抱せよ」

「分かりました。で、隆広はいま」

「足軽組頭として召し抱えた。柴田の若殿ではなく、あいつには下っ端武将からやってもらう。才覚なくば頭角も現さず、隆家殿の才を譲り受けておれば黙っていても世に出よう」

「殿」

「ん?」

「さえを、隆広の使用人に」

「なぬ?」

「隆広の禄の管理と食事に伴う健康管理を務めてもらうのです。さえは朝倉滅亡と父の死、艱難辛苦を味わっているゆえ、同年の娘たちよりずっと器量がございます。そして城に来てからも指導のかいあって申し分ない娘と成長しています。それゆえ」

「馬鹿なことを言うな。使用人には男をつけさせる。同年の若い娘と一つ屋根の下で暮らせば自然と」

「それでいいではありませんか」

「え?」

「私はさえこそ我が息子の妻になってもらいたいと思うのです」

「……」

「それとも朝倉景鏡の娘では嫌だと?」

「いや、それは隆広が判断することだ」

「その通りです」

「よかろう、ではお市、そのへんの人事はやっておいてくれ」

「承知しました」

 

 さえはお市に呼ばれた。

「同年の殿方にお仕えせよと?」

「そうです」

「……」

「嫌ですか?」

「一つ屋根の下で暮らせば…」

「そうですね。ありえます」

「そんな…!」

「ですが立場を利用して関係を迫る卑怯者ではありません。それは言いきれます」

「なぜです?」

「お父上がそういう方でした。女子を大切にすることを幼少のころから叩きこまれているはずです」

「……」

「たとえ、そういうことに至っても、それは貴女も同意のうえのこととなりましょう」

「そ、そんな…」

 さえは顔を赤めた。

「あえて先入観を持たせないため、これ以上は語りません。名前もその方から直接聞くが良いでしょう」

「奥方様…」

「貴方と同年でありながら、仕官当日に足軽組頭となったのです。彼に対する当家の期待が分かると思います。だから、さえも新たな主に影日向よく仕えるのですよ」

「はい、分かりました」

 

 さえはお市の顔から、とても拒否は出来ない君命と思い、素直に命令を受けた。

 しかし新たな主君が自分から見て三流ならば即座に見捨てて城に戻るつもりでもいた。さえはその日のうちに荷物をまとめて新たな主人の屋敷に向かった。まだ誰もいなかった。

 組頭とはいえ、足軽より少しマシな家と云う様相だ。主を失って二ヶ月くらい経っている家。さえは主人を迎えるため大急ぎで掃除した。それも目処がついたころには夕刻になっていた。

「そろそろやってくるころかしら」

 夕餉のおかずとして買っていた魚を焼きだした。すると玄関口に

「あのう…」

 帰ってきたと思ったさえは迎えに出た。三つ指をたてて座り、新たな主人に平伏した。

「お待ちしておりました、今日よりこの家でご奉公いたします…」

「あああッ!」

「えッ!?」

「さ、さえ殿!?」

 顔を上げたさえは驚いた。

「み、水沢様?」

 こうしてさえは後に伴侶となる水沢隆広、やがて天下人となる柴田明家と出会ったのである。

 

 その日から隆広とさえの一つ屋根の下の生活が始まった。

 さえは嬉しい。先日に会って以来思慕していた隆広が主君となったのだ。さえの仕事は隆広の褒禄の管理、食事に伴う健康管理、とにかく隆広の身の回りの世話全般と言える。

 かつて朝倉宿老のお姫様であったさえが柴田家の足軽組頭に仕える。心ない者なら没落の極みと笑うかもしれないが、すでにお姫様から脱却していたさえはそんなこと感じない。むしろこの縁に大喜びしていた。

 

 さて、朝に隆広は北ノ庄城に出仕、家の掃除と隆広の衣服の繕いなどをしていると

「ごめん」

 城から使いが来た。

「はい」

「城の勘定方にございます。水沢殿の要望により千五百貫、置いていきます」

「せ…ッ!?」

「水沢殿は東の城壁の修築工事を任命されました。それでは」

 さえがあんぐりとしている間に勘定方は去っていった。厳重に戸締りをしてさえは城壁に向かった。隆広は壊れた城壁の前でウロウロしていた。

「隆広様―ッ!」

「あ、さえ殿」

「今、お城から使者が来られて、当家に千五百貫を置いていきました。何があったのです?」

「実は…」

 

 隆広は城壁工事を担当するまでの経緯をさえに説明した。どうやら柴田勝豊と佐久間盛政に挑発されて引き受けてしまったようだ。さえは憤然としたが、隆広は別に焦ってはいない。さえは使いを頼まれた。五十貫使い、この場に酒と料理を山と買ってきてほしいと。これがさえにとっては初めての隆広からの主命と云える。

 

 家に戻って五十貫と云う大金を握り市場へと駆けた。目ざとく値切れるものは値切り、どんどん料理と酒を買いこむさえ。市場を取り仕切る源吾郎と云う男に会った。

「娘さん、これは貴女一人で持って行けまい。これだけ買ってくれたのだから我らが運ぶが、どこに持っていけば」

“それだけ買えば市場の者が運んでくれる”

 隆広の言う通りになった。さえは城壁まで運んでくれと要望。市場の者は運んでくれた。

 

「娘さん、こんなに買ってどうするのだ?」

 と、同じく源吾郎。

「私の主人が宴会をするようなのです」

「宴会?城壁で?」

「はい、ああここでいいです。桟敷をひいて料理とお酒を」

 

 城壁に着くや、いそいそと準備をしていくさえ。市場の者もついでだから手伝った。そこに隆広が職人を連れてやってきた。さえが出迎える。

「職人のみなさん!お待ちしていました。たんと食べて飲んで下さい!」

 

 隆広が雇った職人たちは大喜びで膳についた。楽しそうな宴が始まるのを羨ましそうに見つめていた市場の者に貴方たちもどうぞ、と誘う隆広。自分たちで食材を仕入れながら、中々それを自分たちで食べられないほどに貧しかった市場の商人たちも大喜び、宴に入った。

 歌い、踊り、職人や商人たちの女房や子供も来て大いに盛り上がった。

「美味しい…。これがお酒なのね…」

 

 さえはこの時初めて酒を飲んだ。一人の商人が特技である三味線を披露し、さえも一緒になって踊った。こんな楽しいの初めて。宴が一段落すると隆広が講談を始めた。

 隆広はこの時まだ確立していなかった文化である講談が得意であった。一斗樽の蓋に扇子を叩いて調子を取り、勇ましく語りだしたのは『朝倉宗滴公武勇伝』である。

 

 隆広は美声でもあったと言われているが、聴衆がウットリするほどのいい声で『朝倉宗滴公武勇伝』を講談していく。それは城壁工事の重要性を職人たちに分かりやすく説明する意味合いを持っていた。さえには別の意味合いもあった。誇りとする先祖、朝倉宗滴の武勇伝。

「隆広様…」

「ほら、若奥さん、大丈夫かい?」

 市場の女が酔ったさえを心配して声をかけた。

「わ、若奥さん!?いやーん、もーッ!飲んで飲んで!」

 隆広の妻と間違えられたことが心から嬉しいさえだった。

 

 そして隆広は見事、城壁工事を成し遂げた。名将水沢隆広が歴史に登場した工事である。そしてその陰には当時まだ使用人であったさえの働きもあったのである。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 その後、隆広は大聖寺城の戦いも経て足軽大将に昇進した。お市が言った『期待のほどが知れましょう』と云う言葉は本当なのだとさえは思った。

 内政と軍務に齢十五で目覚ましい働きをして、早や足軽大将である。さえはこの昇進を嬉しいと思いつつも不安だった。築城工事や大聖寺城の戦いにおける手柄、勝家がゆくゆくは養子にするとも言っている。十五歳独身、娘を嫁にと言ってくる者が多かった。しかし隆広は『まだ修行の身ですから』と断っていた。だが十五と云えばもう妻を娶ってもおかしくはない。さえは

(隆広様はどんな女子を妻とするのだろう。妻を娶れば、使用人の私は必要とされないかもしれない。そんなの嫌だ…)

 そう思うと布団の中で涙が出てきた。

 

 さえは隆広に誠心誠意尽くした。足軽大将に出世はしているが生活はそんなに裕福でもない。さえが知恵を絞ってやりくりしていた。隆広は算盤も達者であったが、家の運営はみんなさえに任せて、必要がある時にさえから金をもらっていた。

 だから隆広とさえは結婚前からおしどり夫婦になる基盤を築いていたと言える。さえは自分が食べられなくても隆広には魚や鶏肉を出した。隆広はいつも半分をさえの膳に自然に渡す。

「いえ私は」

「さえ殿も栄養をつけなければ。食事に主従はありません。美味しいものは一緒に食べた方がなお美味しいものですよ」

 

 食事はいつも美味しそうに食べてくれるので作りがいもあった。何より思いやりがあって優しい。この日ノ本で使用人の女にここまで優しくしてくれる方がいるだろうか。お市は『女子を大切にすることを幼少から叩きこまれているはず』と言っていたが想像以上だ。本当に大切にしてくれる。嬉しい。

 しかし最近は隆広に『さえ殿』と呼ばれると何か悲しくなった。さえと呼び捨てにしてほしい…そう思っていた。

 

 隆広の態度は余所余所しかった。常に自分に丁寧な言葉を使い、名前も敬称をつけて呼ぶ。仕事ばかりで自分には優しい言葉もかけてくれない。放っておかれている。もっと隆広様と一緒にいたいのに…。

 さえは隆広がいつでも自分の寝床に訪れてきてもいいように就寝前は必ず湯に浸かっていた。無論、好意を抱いているとはいえ簡単に身を委ねる気はない。あくまで万一に備えてである。

 しかし隆広がさえの寝床を訪れることはなかった。ホッとするやら残念やら。

 

 さえは恋をしていた。さえも当年十五歳、少女ならば淡い恋を抱くもの。その相手は隆広である。毎日隆広のことばかり考える。仕事で家を空けるときは、いっそその現場に行きお世話がしたいと思った。任地では他の女子と親しくしているのではないか、そう思うと胸が張り裂けそうだった。

 

 そんなころ、隆広が九頭竜川支流の治水と灌漑を終えて帰ってきた。大仕事を終えたのだから、しばらくはゆっくりできるかも、と期待していたがあっさり砕かれた。

「安土に行きます」

 と、ぶっきらぼうに言った。刀の大小をさえに渡し、着物の帯を緩める隆広。

「あ、安土に?」

 さえのことなど見ていない。

「殿の使いです。三日後に経ちます」

「……」

 

(私の目を見て言ってよ!)

 私の気持なんか知りもしないで。貴方にとって私なんかどうでもいいんだ。ついに我慢の限界に達したさえは今まで見せなかった拗ねた顔となった。露骨にふてくされた声を発する。

「では路銀の準備をしておきます」

(もう知らない、馬鹿)

 と、隆広の前から立ち去ろうとした時だった。

「あ、さえ殿」

「なんですかあ?」

 誰が聞いても怒っていると分かる声だ。

「お、お話があるのですが」

「忙しいのですけど」

「大事な話なんです。聞いていただけますか」

「…はい」

 さえは隆広の部屋に入り、その前に座った。

「お話とは」

 

 隆広を見ようともせず横を向いているさえ。隆広は間を取るためわざとらしい咳払いをしているが、一呼吸して切り出した。

「さえ殿、いや…」

「は?」

「さえ」

「…!?は、はい」

(初めて呼び捨てに…)

 隆広の顔が真っ赤になってきた。さえの目をやっとの思いで見つめている。

「さえ、俺は…」

「……?」

「そ、そ、そなたが好きだ。初めて城下で会った時からずっと好きだった。心からそなたに惚れているのだ」

「……!」

「つ、妻にしたい!俺と夫婦になってくれ!」

「た、隆広様…」

「なんの縁かは分からなかったけれど、気がついたらさえとは主従関係となっていた。そなたがただの町娘なら、とっくに求愛し妻にと願ったであろうが、どういう巡り合わせか偶然にも主従になってしまった。毎夜そなたの寝所に行きたいのをこらえるのに必死だった。何か立場を利用してそなたを求めているようだったから…だから常にそなたに余所余所しく敬語を使い、自分を戒めていたのだ…」

「……」

「だけど、もう堪えられない。どこに行ってもそなたのことで頭が一杯になってしまう。妻にしたい。一生そなたの笑顔を見ていきたい。そなたの声を聞いていたい」

 

 さえは驚いた。そして嬉しかった。今までの余所余所しさは私を大事に思えばこそのことだったのかと知ったからである。何より、密かに思慕していた人が私をこれほどまでに好いていてくれたことが。

(嬉しい…!)

 

 しかし、さえには秘められたことがある。朝倉景鏡の娘ということだ。裏切り者と呼ばれる父。その娘など誰がもらってくれる。お市は言った。父君の名前は秘事とした方が良い。だけど己が良人となる者には必ず伝えなさい、と。

 

 不安だった。この秘事を知れば隆広様はどう思うだろう。私は他人がどう言おうと父を愛し、誇りとしている。だが世間の評価は厳しく景鏡はこの越前でひどく蔑まされていた。無理もない。返り忠を打ち主君を殺し、その後は自滅して果てた。『卑怯にして暗愚』とまで言われ、人々は容赦なく死者に鞭打つ。父の悪評を聞くたびに泣きたくなったさえ。

 

 今まで自分が朝倉景鏡の娘と言ったことはない。勝家とお市だけだ。自分を仕込んでくれた香にさえ言っていない。女房が朝倉景鏡の娘と織田信長に知られたら隆広様の出世は絶望的となるだろう。しかし、隠しているわけにはいかない。もし父のことを知って私への求婚を解消されたとしてもそれはそれ。隆広様を恨むまい、狭量とは思うまい。そう意を決し、さえは言った。

 

「嬉しゅうございます…。でも私の父のことを知れば、父のことを知ってしまっても隆広様は私を妻にしてくれますか?」

「さえのお父上…?」

「私の父は…朝倉景鏡です」

「な…ッ!?」

「ご存知の通り…主殺しの…裏切り者です!」

「……」

「父は未来永劫に渡り…裏切り者と呼ばれるでしょう。その娘の私でもよいのですか?もし織田の大殿に女房が朝倉景鏡の娘とでも知られたら!隆広様の出世は絶望的です!私は裏切り者の娘なんです!」

 

「だけど、さえにとっては立派なお父上だったのだろう?」

「え?」

「さえを見れば分かるよ」

 かつて自分が隆広に言った言葉。それを隆広はニコリと笑って返した。

「隆広様…」

「さえ、景鏡殿の墓は確かなかったな」

「はい…」

「これからも、俺の禄をうまくやりくりして金を貯めてくれ。二人で景鏡殿の立派なお墓を作ろう」

「は…い…」

 

 さえの目から涙がポロポロと落ちた。心から嬉しかった。求婚してくれたこと。父の名を聞いても何の心変わりもしなかったこと。そしてお墓を作ろうという隆広の優しさが。さえは水沢隆広の妻となった。十五歳同士の夫婦だった。

 

 初夜は恥ずかしかった。自分がこんなに恥ずかしがり屋とは知らなかった。着物を脱がされ胸が露わになった時はたまらず灯りを消してほしいと頼んでしまった。さえは幸せを感じた。この時代、身分の高い低い関係なく、純潔を好きでもない男に差し出す女はいかばかりか。しかしさえは心から愛する良人に捧げられるのだ。隆広と一つになった時、涙が一滴落ちた。

 

 戦国時代五指、いや最たる愛妻家と呼ばれた水沢隆広。時に周囲が目のやり場に困り果てるほどにさえとイチャイチャする。隆広を愛してやまないさえもその愛情に応える。後年に二人の長男である柴田勝明が『神々しいほどの馬鹿夫婦』と苦笑して述懐するほどに仲が良い二人だった。

 

 お市の侍女になって以来、毎日仕事で精いっぱいで男というのを意識したことはないが、あの日隆広を見て以来、初めて男に恋慕と云う情を抱いた。それが良人となった。そして無上に自分を大切にしてくれる。戦国の女としてこれほどに幸せなことはない。そう彼女自身が思ったように、過酷な運命に弄ばれた戦国時代の女の中でもっとも幸せであったのが、このさえであったかもしれない。良人に無上に愛されて大切にされ、そしてファーストレディーへとなるのであるから。



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外伝さえ 参【父のお墓】

 祝言三日後、隆広は勝家の使いで安土に出向した。さえは北ノ庄城にあがりお市と姫たちに奉公して良人の帰りを待っていた。

 そんな時だ。北ノ庄城に水沢隆広の使いと云う者が来た。奥村助右衛門と云う、何とも堂々とした武将。

 柴田勝家をして『沈着にして大胆』と評された助右衛門だが、さえが知るよしもない。助右衛門が来たのは一乗谷で舟橋の架橋を行うので勝家に資金を出してもらうためだ。首尾よく勝家に資金を出してもらい召集された辰五郎一党のもとに助右衛門が歩きだしていると

 

「もし…」

 さえが呼びとめた。

「…?なにか」

 当たり前だが助右衛門はさえを知らない。

「私、水沢の室です」

「おお隆広様の。それがしは奥村助右衛門永福と申します。こたび大殿(信長)の人事にて隆広様に仕えることと相成りました」

 こんな堂々とした武人を部下に持って大丈夫なのかとさえは思った。

「あ、あの…。良人は外見こそ頼りないかもしれませんが…」

「…奥方はそれがしが見かけに威厳のない隆広様を侮ると見たのですかな?」

「い、いえそんな」

 

 図星だった。さえには隆広の顔は立派な顔立ちと映るが、それは女視点で、かつ妻の身びいきもある。助右衛門のような修羅場を越えてきた武人には隆広の顔立ちなど何の苦労も知らない御曹司にしか見えないのではないかと思った。だから頼りない外見ですが武勲もすでに立てているし、内政で活躍していると口添えを試みようとしたら助右衛門に見抜かれた。

「ははは、見かけは確かに頼りない。しかし才覚と器量はある」

「え?」

「何より細君がお美しい。細君を見れば男の器量が知れるもの。奥方を見て良い主君を得たと云う気持ちはより強くなりましたぞ」

「そ、そんな…(ポッ)」

「では、ご挨拶は後ほどに。ここはこれにて」

「あ、奥村様」

「は?」

「一乗谷に架橋すると聞きましたが…」

「ええ、先日の大雨で流されてしまいましてな。それで隆広様が思いついたのが舟橋でござる」

「ふなはし…?」

「重りを載せた小舟を鉄鎖で繋げる橋にございます。ははは、ご主君の受け売りですが」

「そんな橋が出来るのですか?」

「言った以上は作るしかないでしょうなぁ、あはは」

「はあ…」

「完成したら奥方も見に来られるが良いでしょう。ご亭主の仕事を」

 

 さえが舟橋完成を聞いたのは、それより四日後であった。工事期間わずか三日と云う驚異的な早さである。当初隆広は急場をしのぐ臨時の橋と位置付けたが一乗谷の人々は『これで十分です』と隆広に礼を述べ、今後舟橋は一乗谷の名物となり、何より突貫工事であったのに舟橋は壊れなかった。

 

 舟橋の架橋を終えて隆広はやっと帰宅した。安土に出かけてからそんなに経っていないがまるで何年も離れていたかのように会うや抱き合う。すぐに求められたが、まだ外は明るいので我慢してもらった。腕によりをかけて作った夕餉。膳を見るなり目を輝かせる隆広。

「わあ、今日の夕餉も美味しそうだなぁ」

「今日お帰りになることは分かっていましたから、市場で良いお魚と鶏肉を買っておいたのです」

「美味い夕餉に目の前は美人の嫁さん、バチが当たるくらい幸せだ」

「うふ、さあ冷めないうちに」

「いただきまーす」

 

 美味しそうに食べる隆広。喜色満面の顔にさえも嬉しい。

「お前さま、聞きましたよ。一乗谷の町に橋を架けたそうですね。しかも世にも珍しい舟橋とか」

「本当は架橋の必要性を殿に報告するだけだったんだけど、何か成り行きで工事をすることになったんだ」

「早くも北ノ庄から見に行く人がいるそうです」

「さえも見たいか?」

「はい!」

 

 珍しい橋を見たいこともあるが、良人の仕事も見たい。一乗谷はさえの生まれた町。翌日、さえは隆広に連れられて一乗谷を訪れた。九頭竜川の川面に気持ちよさそうに浮かぶ舟橋。何とも優美。これを良人が作ったのかと思うと嬉しい。

 さえは何度も橋を往来した。時々さえに跳ねる水しぶき、それをよける仕草など隆広から見て天女のような美しさ。舟橋を見て和歌を吟じていた歌人がいたが、

「ほう、絵になるのう、あの娘さん」

 と、つぶやく。橋のたもとで耳ざとく聞いた隆広。

(そうだろそうだろ、俺の嫁なんだから)

 

 

 それからしばらくして勝家から主命を受けた隆広。隆広の義父景鏡の旧領である越前大野郡。

 すでに勝家の領地となっているが、その一帯は旧領主の愚行も相まってか内政手つかずの状態。隆広は民心掌握、新田開発、治安向上、道路拡張、そして空き城となっている大野城の破却と云った主命を受けたのだ。

 

「大野城の破却に?」

 と、さえ。

「うん」

「……」

「一緒に来るか。今回の内政は長くなる。俺はそなたと少しでも離れたくない」

「いえ…」

 さえは断った。誇りだった大野城。それを良人が破壊するところなんて見たくない。それを察したか、隆広はそれ以上望まずに家臣と兵、そして職人衆を連れて任地へと向かった。それを見送るさえ。

 

(なんて皮肉なんだろう。父の誇り大野城に完全に引導を渡すのが良人だなんて…)

 隆広は時々北ノ庄に帰ってきた。勝家に中間報告をするためと、さえと子作りをするためである。ひとしきり満足するまで泳ぎ切った二人は床の上で静かに話した。

「なあ、さえ」

「はい」

「開墾と道路拡張の工事はもう現地領民に委ねられるほどになった。治安も上がった」

「まあ、お前さまはすごい」

「ありがとう、で…明日に大野に戻ったら、いよいよ城を破却する」

「え…」

 今までやっていなかったのかと逆に驚くさえ。

「空き城じゃなかったよ」

「誰か住みついていたのですか?」

「いや、現地の人々が訪れ庭の手入れや城の補修もしていたようだ」

「どうして…」

「柴田が暴政をしたら城に立て篭もり一揆を起こすつもりだったらしい」

「だった?」

「ああ、今回のことで民心も上がったので一揆はしない方向になった。つまり現地の人々にとっても大野城は役目を終えたということだ。つい先日に城の破却を領民も認めたからな。明日にやる」

「お前さま…」

「ん?」

「北ノ庄の支城として存続は出来ないのでしょうか」

「…一乗谷に対してはその役割を持てるが、北ノ庄では地理的に支城として機能しない。申し訳ないが…」

 

 肩を落とすさえ。半ば分かっている返答であった。勝家が決めた破却にどうこう言えるはずもない。荒れた城になり果てていないのならと思ったが、あきらめざるを得ない。

「そうですか…。大野のお城が…ぐすっ」

「確か五つから十二までそこにいたんだよな」

「はい…」

「城の中には何もない。義父殿の何か遺品でも思ったが、すでに略奪されつくしてあった。畳すらなかった。少女期のさえが踏んだ畳に触れたかったのに残念だよ」

「……」

「破却、見に来るか。大野城最後の姫として」

「いえ…。やはり見たくありません…」

「そうか」

 

 翌朝、隆広は馬を駆って任地に戻った。見送ったさえは空を見上げた。

「父上、私の良人が本日に大野城を壊してしまうそうです…。形あるものはいつか壊れるもの、仕方ございませんね…」

 隆広はこの二日後、再び帰ってきた。子作りをするためではなかった。

「お帰りなさ…」

「さえ!」

「は、はい!」

「義父殿の遺品を見つけたぞ!」

「ええ!?」

 玄関口でそれを見せた隆広。

「九頭竜川の地形図だ!図籍庫の片隅にあったんだ!」

 地形図を手渡され、それに見入るさえ。まぎれもなく父の筆跡で地形図の隅に『朝倉式部大輔』と筆者の名前がある。景鏡のことだ。

 

「あああ…!父上!」

「見事な製図だ。辰五郎も舌を巻いていた」

 地形図を抱いて涙を落とすさえ。

「だが、それは未完だ」

「おそらく織田の侵攻で中断せざるを」

「だろうな、だが見ていろよ、俺がそれを完成させてやる」

「お前さま…」

「越前の人々に教えてやろう。お前たちが裏切り者と呼んでいる男はこれほどにお前たち越前の者たちに尽くそうとしていたと!」

「お、お前さま…。さえ嬉しい!すごく嬉しい!」

「俺も嬉しいよ!妻の喜んだ顔は何よりの馳走だ!」

 

 この時の隆広は仕事に追われて時間がなかったのか、さえと口づけしただけで立ち去った。この嬉しさを身を委ねて表したかったさえは少し残念。

 だが嬉しかった。父の景鏡の偉業を示す品が見つかったのだ。さえは神棚に供えて手を打った。

「父上、私の良人は日ノ本一番の男です!」

 

 後日談となるが、隆広はこの約束を果たした。この後に九頭竜川全域地形図を完成させたのだ。一度も顔を合わせたことのない舅と婿の共同作業であった。この図面に沿って後の九頭竜川治水は成し遂げられている。この地形図は隆広の『広』と景鏡の『鏡』の字を合わせて『広鏡図』と呼ばれ、九頭竜川治水の成就後はさえに贈られている。

 さえは一生父と良人の共同作業である『広鏡図』を大切にした。今日の製図方法から見ても正確な出来栄えであり、現在は国宝に指定され福井県の九頭竜川歴史資料館に保管されている。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 伊丹城攻めを経て隆広は益々軍事と内政に重用されだし、新たな主命が言い渡された。

「もう次の仕事が?少しは休ませてくれても良いものを…」

 そう勝家に愚痴りたいさえだった。

「俺から殿に進言したことだ。まあそんなに心配しなくても、体はさほど酷使していないよ。俺は指示しているだけだから」

「とはいえ、色々と気をもんでお疲れに」

「若いうちの苦労は何とやら。望むところだ」

「私はお前さまと一緒にいたいんです」

「それは俺もだ。だから今度の仕事は心配ない。北ノ庄でやる仕事だから」

「そうなんですか?」

「城下に掘割を作る。城下町に水運の機能をつけるんだよ」

「…?…?」

 

 難しい話で分からない。隆広は改めて説明。城下と近隣の村や町を用水路で繋げて水運を実施できるようにすると。

「舟で色んな物資を運べるんだ。便利になるぞ」

「それをお前さまが?」

「まあ治水の応用だな。用水路が出来たら舟に乗って遊ぼう」

「は、はい!楽しみにしています!」

 

 しかし北ノ庄でやる仕事ならば、さえも家の中でのんびり留守番を決め込むわけにもいかない。

 掘割の現場では給仕に励む。限られた資金の中で職人たちに十分な食事を与えなければならない。さえは良人の家臣である石田佐吉と懐事情を正確に把握し、どれだけ安く、かつ美味い食事を用意立てるか知恵を絞った。

 

 織田家軍団長時代の柴田家の大事な財源ともなる掘割。水沢家の女たちの先頭に立ってさえは働いた。勝家配下時代の隆広が内政で目覚ましい成果を上げられたのも、こうしたさえの内助があったからである。

 

 そして、掘割の作業もだいぶ目処がつき出したころ、隆広から嬉しい贈り物があった。父の景鏡の墓である。本当に墓を立ててくれた。しかもこんなに早く。嬉しくてたまらないさえ。隆広は『妻への贈り物としては華やかさに欠けるかもしれないが』と言ったがとんでもない。これ以上の贈り物はない。しかも墓だけではなかった。

 

 改めて葬儀を行うべく、かつて隆家の葬儀も行った寺の本堂に入った時、さえは我が目を疑った。父の景鏡の陣羽織、甲冑、兜、采配、小母衣、そして遺骨まであった。

 

 良人隆広が大野郡内政のおりに尽力して見つけてくれたのだ。涙が止まらなかった。九頭竜川の地形図だけでも飛び上りたいほどの嬉しさだったのに、装束や遺骨まで見つかった。その喜びに加えて良人の優しさがとてつもなく嬉しかった。

「父上、さえは本当に幸せです。こんな素晴らしい方と夫婦になれて」

 

 しかし、この妻が泣いて喜ぶ贈り物が一つの皮肉を生じさせる。

 さえが朝倉景鏡の娘と露見してしまったのだ。さえはこの時まで平民出身と目されていた。経緯は不明なれど、お市の侍女になり、そして隆広の使用人となって妻となったと。この墓がなければ、伝承においてさえの出自は平民の出と記されていたかもしれない。

 だが実は越前を織田家に売った朝倉景鏡の娘であったのだと、この墓から露見した。

 

 

 勝家に呼ばれた隆広。

「何てうかつなことをした」

「殿…」

「北ノ庄に景鏡の墓があるなんて大殿に知れたらどうなるか、その方まったく考えなかったのか」

「申し訳ございません。ただ父の墓もないさえを思い…」

「大殿は景鏡を毛嫌いしていた。裏切り者は織田家に利する行為を行った者とて許さぬ人柄だ」

「……」

「すぐに墓を壊せ。遺骨ならばそなたの家で祀ればよい」

「そ、そんな!」

「壊すのが嫌ならば、せめて人目に付かぬ所へ移動せよ。しかと申し渡したぞ」

 肩を落として帰宅した隆広。いつも笑顔で出迎えてくれる妻が出てこない。

 

「おーい、さえ」

 家に入るとさえは暗い部屋の中で泣いていた。

「どうした」

「お前さま、私…悔しい…」

「泣いてちゃ分からない、どうしたのだ」

「父上のお墓が壊されました…」

「何だと?」

「悔しい、悔しい!死ねばみんな仏なのに!」

 さえの前には景鏡の遺骨もあった。墓を壊した者もさすがに遺骨まで手は出さなかったようだ。これだけは取られてなるかとさえは持ちかえった。

「…すまん、俺が」

「やめて下さい、謝らないで下さい!」

「さえ…」

「父のお墓を建てたことを…お願いですから間違いだったと思わないでください!」

「……」

 

 翌日、出仕前に景鏡の墓地を訪れた隆広。さえも一緒だ。墓標は無残に叩き折られている。隣の隆家のお墓には献花も絶えないと云うのに景鏡の墓は無残だった。

「ひどいものだ…」

「悔しい…」

「これは水沢様…」

「これは和尚、おはようございます」

 北ノ庄福志寺、その住職の立慶、それが隆家と景鏡の葬儀も行った和尚である。新しい墓標を担いできた。

「奥方、涙を拭きなされ」

 さえに手拭いを渡す立慶。

「和尚様…」

「ひどいことをするものだ。死ねばみな仏であるのに…」

「ありがとうございます…」

 隆広、さえ、そして立慶で新しく墓を建てていると

 

「裏切り者」

「売国奴の娘」

 さえに酷い罵声が浴びせられた。北ノ庄城下の民だった。水沢家は武家屋敷、町民たちは行けない。だからさえが朝になって墓に訪れるのを待ち構えていたのだろう。さえは罵声を背中で聞いて下唇を噛んだ。

「お前の親父のせいで朝倉は滅んだんだ!」

「織田家に父と兄を殺された!みんなアンタの父親のせいよ!」

 落涙する妻の横顔を見て隆広は我を忘れ、刀を握った。

「貴様らか!この墓を壊したのは!」

「お前さま!」

 隆広の腕を掴んださえ。

「何故止める!」

「本当のことですから…。う、うう…」

「さえ…」

 

 朝倉氏が滅び、その居城だった一乗谷城は破却されて越前の国府は北ノ庄城となった。旧朝倉の領民や旧臣なども移民している。朝倉旧臣で織田家に仕えた者は幾人かいるものの信長は一人も重く取り立てていない。朝倉家は信長が越前侵攻してより、わずか八日で滅んでいる。そんな脆い朝倉の者など役に立たない、そう思っているのだろう。

 

 後年凡愚と呼ばれる朝倉義景であるが、実際に信長が侵攻してくるまでの越前の豊かさと平和さを見るに、優れた為政者としての顔もあったと伺える。

 朝倉家あって生活が成り立っていた者も数えきれない。織田信長は越前の侵攻には情け容赦なかった。朝倉を滅ぼした後には越前一向一揆の討伐に乗り出して、皆殺しにしている。柴田勝家が入府したのはその後である。今でも織田家を怨んでいる者は多く、召し抱えられたとしても冷遇され不満に思っている者も多いだろう。

 

 これより後に仁政を施した勝家によって旧朝倉の者たちの憎しみも少しずつ解消はしていくものの、この当時はまだまだ織田家と柴田家は憎まれていた。

 

 朝倉家が滅んで生活の基盤を失った者、家族を殺された者、冷遇されている者、それらが怨むのは織田信長であり、国主義景を裏切り死に追いやり信長に越前を売り飛ばした朝倉景鏡なのだ。

 しかし景鏡はすでに鬼籍にあり、信長は目の前にいない。むごいことに怨みの矛先はさえに向けられた。

 

 さえが尼僧にでもなって慎ましく生活していれば印象も違ったであろうが、かつて敵であった柴田家の足軽大将の妻となっており、不自由のない暮らしをしている。彼女は生き残った朝倉縁者の中でも恵まれていたのだ。

 諸悪の根源の男の娘が恵まれた暮らしをしている。だから反発は大きかった。まさに汚名は子孫にまで及ぶ。この矛先からさえを守るのは自分しかいない。隆広はさえに罵声を浴びせる者たちに言った。

 

「妻に怨みごとを言いたいのであれば、集団で一人を責めるのではなく、一人一人当家に来て面と向かって言え!墓を壊すなど陰険極まりないことをするのは武士町民関係なく人として最低の行為だ!」

 正論だが、それで片付くほど怨みは浅くない。

「景鏡の墓があること自体、我らには許せない」

「何度でも壊すぞ」

「ならば俺は何度でも建ててやる!お前らが十回壊そうが、俺は十一回建てる!」

「お前さま…」

「お前たちは知るまい、景鏡殿が越前のことを考え家の財を切り崩してまで九頭竜川の治水を成し遂げようとしていたことを!」

「たとえそうでも結果は何だ。義景様を殺して越前を信長に売り飛ばしたじゃねえか!」

「当人の事情は当人しか分からない!お前たちは裏切る者の痛みが分かるのか。どうしても裏切らざるをえない者の苦しさが分かるのか!誰が喜んで裏切りなどを打つか。景鏡殿は裏切らなければ生きていけぬ、そう判断したのだ!」

「結果は自滅しているじゃないか」

「その時において、自分の下した決断が最大の成果をもたらすなんてことは誰も分からない。何より景鏡殿の遺骨と遺品を預かっていてくれた者は景鏡殿の旧領の民たちだ。これほどに景鏡殿は民に慕われていたのだ!よいか、俺もお前たちも裏切る者の痛みも苦しみも知らない。その痛みを知らぬ者が痛みを知る者を謗る資格などどこにもない!」

 

「口は重宝よな、さすが声一つで門徒三万を退かせた男、帰ろう」

 民たちは捨て台詞を残して去っていった。

「お前さま…。ありがとう…」

「礼には及ばない…。今の者が言った通り、口は重宝だよ…」

「え…?」

「養父隆家は斎藤三代に仕え、一度も裏切ることなく名将と呼ばれたまま死んだ。その養父から主家を裏切るのは武人としてならぬこと、主家が傾きかけた時こそ支えるのが武人、そう教えられている俺だ…。大殿ほど熾烈ではないにせよ、俺にも裏切り者は許し置かない気持ちが宿る…」

「…ならば何故父を庇ってくれたのですか」

「立派に大野を治め、九頭竜川治水をやろうとした慈愛の心を持つ君主だったじゃないか…」

「…お前さま」

 

「義景殿と義父殿が不和だったことは知っている。しかしそれは私心、義父殿は家のため、大野の民のため、そして娘のため、断腸の思いで裏切ったのだと思う。結果が報われなかっただけだ…」

 

 実際、織田信長は景鏡の旧領である大野郡に攻め込んでいない。他の朝倉領は織田に蹂躙されたと云うのに大野郡は無傷である。

 景鏡は結果自領の民を信長の攻撃から守っているのである。しかし守った民にも景鏡は謗られ、そればかりか一部の民は一向宗門徒と手を組んで景鏡の居城である大野城を落とし、やがて討ち取っている。

 だが景鏡の心底を分かっている民もまたいたのだ。だから景鏡の遺骨と遺品は残ったのだ。

 

「その通りだ水沢殿」

「和尚…」

「愚僧も大野の生まれ、式部大輔殿(景鏡)の行いが結果大野の民を救ったことくらい分かる」

「あ、ありがとうございます和尚様…」

「しかし、朝倉滅亡により生活の基盤を失い、親兄弟を失った者は理解しようとしまい…」

「その通りです」

「…ぐすっ」

 さえの涙を拭く隆広。

「こうなりゃ根競べだ。何度でも墓を立ててやる」

「お付き合いいたそう」

 

 立慶和尚も応えた。隆広はこの時の立慶の武士以上とも言える気概に惚れこみ、後年に安土を経て大坂に建立する柴田家の菩提寺西光寺の住職に取り立てている。

 ちなみに言うと隆広嫡子の竜之介の守り役となる永平寺の高僧宗闇は立慶の兄弟子にあたる。

「さえ、一気に逆転する方法はない。根気よく認めさせていくしかない」

「…はい」

「墓を移築することは考えていないのですな?」

 と、立慶。

「それでは負けです。あの世の義父殿に合わせる顔がない」

「ふむ…」

「柴田家の治世によって心ない民を、心ある民に換えてみせる」

 

 たとえ十回壊されても十一回建ててやる。隆広、さえ、立慶はまさにそれを実践していき、隆広の言った例えの十回を経ると一部の心ない民も根負けし、やがて大人しくなっていったが景鏡の墓の存在を許したわけではない。

 

 意外にも柴田や水沢家中ではさほどの波紋はなかった。勝家とお市自身元から知っていることであり、佐久間盛政の正室秋鶴も朝倉縁者であり、隆広嫌いの最右翼である盛政が『妻が朝倉景鏡の娘』については一言も言わなかったゆえかもしれない。水沢家では奥村助右衛門、前田慶次、石田佐吉は『その事実を聞いたらどうにかならなければならないのか?』と平然としており、隆広の兵たちも『誰が父上であろうと奥方様はいい女だよ』と日ごろ大事にされているゆえ文句も言わない。

 

 柴田家の行政官の立場にある隆広。武と強権で黙らせるのは愚、仁政で黙らせる、さすれば向こうから頭を下げてくる。まだ俺は恵まれているのだ。内政と云う技で妻を攻撃する矛先から守れるのだから。良人の『それでは負けだ』の言葉。さえ自身の誇りにも火を着けた。景鏡の娘と露見した当初、城下でも陰で謗られた。時には聞こえるように言ってくる者もいた。家から出るまい、そう思ったことがある。

 しかしそれは負けなのだ。

「そうよ、あの人の言う通り。娘の私が負けてどうするの」

 さえは平然と城下を出歩き、買い物をしている。言いたければ言え、今に見ていろ。さえも負けなかった。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 だが、意外なところから予期せぬ事態が発した。織田信長の耳にも入ってしまったのだ。安土屋敷にいた勝家はすぐに召され

 

「ネコの女房が景鏡ずれの娘とはまことか」

「…事実にござる」

「その方、それを存じておったか」

「存じておりました。その娘は朝倉の滅亡と父の死で絶望し、東尋坊で身投げしようとしていたところをそれがしが助けた娘、お市もことのほか可愛がり…」

「ふん…」

「一つ屋根の下で住み、情が湧き、後に夫婦になってもらえればと云う意味で、隆広めの使用人としました」

「それでネコが妻としたわけか。まあ経緯はどうでもよい」

「は?」

「すぐに離縁させ、ネコに茶々を与えよ」

「な…!?」

「これで儂の義理の甥となろう。なかなか使えそうゆえな、姪をくれてやる」

「し、しかし…!」

「命令だ。ネコと茶々と夫婦とせよ」

 出来るはずがない。隆広と茶々は同腹の実の兄妹である。しかし、それは信長に言えない。

「安土の柴田屋敷で祝言を挙げよ。媒酌人は儂が務めてやる」

(なんということだ…!)

 

 

 北ノ庄に戻った勝家、ことの詳細をお市に話した。

「馬鹿な…!」

「……」

「隆広と茶々は実の兄妹なのに…!」

「…ふむ」

「いや、それ以前に隆広がさえを離縁するわけが!」

「我らで気を揉んでも仕方ない。隆広に通達しよう」

「殿!」

「どうするかは隆広に決めさせる」

 

 勝家が隆広の屋敷に行った。さえは二人の茶と菓子を用意して部屋に歩いた。すぐに隆広の声が聞こえた。

「それがしと茶々姫様が!?」

「……?」

「ふむ、大殿の命令だ」

 さえは悪いと思いながらも聞き耳を立てた。

「ことわっ…」

 どうして断ってくれなかったのか、それは勝家に言うのを堪えた隆広。勝家は信長の後宮計画を頓挫させ、かつて信長の弟の信勝(信行)を擁立していた経緯がある。

「すまぬ…」

「…それがし自身が安土へ参ります」

「隆広…」

「念のため申しますが、茶々姫様が気に入らないわけではないのです。それがしは…」

「分かっている…」

 廊下で茶碗が落ちる音がした。さえに聞かれた。

「失礼いたします!」

 隆広は急ぎさえを追いかけた。

「さえ!」

 庭の隅で泣いているさえを見つけた。

「…さえ」

「いよいよ、織田の大殿に…」

「ああ、でも断ってくるよ。安土行きの準備を頼む」

「やっぱり…私は裏切り者の娘なんですね…」

「何を言っている!」

「すみません…。私なんか妻にしたばかりにお前さまに嫌な思いばかりさせて…」

 さえの両肩を握り、自分に振り向かせた。

「俺はそなたじゃなきゃ嫌なんだ!」

「お前さま…」

「たとえ第六天魔王であろうが、人の恋路を邪魔すればどうなるか、堂々と言ってまいる!」

 

 数日後、隆広は安土に行き信長に謁見。

「祝言の準備はどうかネコ」

「何もしてはおりません。それがしは茶々姫様と結婚できませんので…」

「……」

「姪御を下されると云う過分の計らい、しかしながら拝命できません。それがしには一生添い遂げると誓った恋女房がおります」

「景鏡ずれの娘など捨てろ。あんな男の血が混じった娘などロクなものではない」

 隆広はさえの悪口を景鏡の名前をもって言われることが一番許せなかった。相手が信長でさえなければ刀を抜いている。隆広は堪えて答えた。

 

「大殿、かような例えを言うことをお許しください」

「ん?」

「もし、いまだ越前朝倉家が健在ならば、それがしの妻は朝倉の筆頭家老の姫、最近まで牢人であったそれがしにとっては高嶺の花です。しかし、たとえ朝倉筆頭家老の姫として牢人のそれがしに巡り合ったとしても、妻は必ずそれがしを伴侶として選んでくれたでしょう。それがしには妻はさえ以外に考えられません」

「……」

「妻を、景鏡殿の血をもって疑うのならば、それがしが働きによって、その疑いを晴らすのみ。何とぞ茶々姫様との婚儀はなかったことに」

「ネコ」

「はい」

「そんなにいい女なのか?」

 身を乗り出して隆広に問う信長、隆広は意外な問いかけに驚いた。

「は、はい、はばかりながら日本一です」

「ふっははは、そうか」

「大殿…」

「もうよい、下がれ」

「は、はい!」

「ネコ、主家の姫を娶ると云う武士として幸運を突っぱねてまで添い遂げようとした女房だ。大切にするがよい」

「しょ、承知しました!」

 

 信長の予想外な反応に喜ぶ隆広。もっとも信長は秀吉とねねの夫婦喧嘩の仲裁をする手紙を発するなど、時に意外な思いやりを見せる時もあった。この時の隆広への言葉もそんな気持ちが出たのかもしれない。城主の間から出た隆広、それを呼びとめた女がいた。

 

「水沢殿」

「はい」

 隆広をジーと見つめる女。そばにいた侍女が

「お控えなされ、御台様にございますぞ」

 御台、つまり信長正室の帰蝶のことだ。あわてて平伏する隆広。

「お初に御意を得られ、恐悦至極に存じます!柴田勝家家臣、水沢隆広と申します!」

「初めてではないのですけどね…」

 

 顔を上げて見ると帰蝶は優しい笑みを浮かべていた。

「は…?」

「大きくなって…。私も嬉しゅうございます」

「…?…?」

「失礼ながら先の言葉、聞こえました。貴方の女房は日の本一幸せな女房ですね」

「あ、ありがとうございます」

「大切にするのですよ」

「は、はい!」

 帰蝶は立ち去った。しかし分からない。初対面ではないと帰蝶は言った。隆広には会った記憶はない。

「気になるが…いつかお話しいただける時もあるだろう」

 

 隆広は北ノ庄に帰っていった。信長が今回の婚儀について退いたのは、帰蝶のとりなしがあったとは知らない隆広だった。『馬に蹴られて死にたいのですか』そう言われ信長も苦笑いし、毅然と否と申せば退くと帰蝶に約束していたのだ。

 

「どうやら馬に蹴られずに済みそうだな」

「はい」

「しかし、そなた前からネコのことを知っているような口ぶりであったが」

「隆家殿を通じて存じていました。養子をもらったと聞いていたので」

「ふむ…」

「あら、殿はネコ殿に嫉妬しているのかしら。大丈夫ですよ、ネコ殿を男として見ていませんから」

「馬鹿を言え」

 信長は笑い

「しかし久しぶりに儂に『いいえ』と言う男を見た。彼奴、見かけは虫も殺さぬ男に見えるが内に隆家譲りの戦神が宿っている。伊丹では儂に間違っていると抜かしよった。陪臣とは申せ、今後も儂に噛みつく男となるやもな」

「そのくらいの胆力が無ければ用いる価値もございませぬ」

「確かにな、あっはははは!」

 

 北ノ庄に帰った隆広、不安そうに待つさえに言った。

「大殿に突っぱねてきたよ」

「お前さま…」

「なんだ、そんな顔するな。笑ってくれ、さえの笑顔は百万石だ」

「んもう…」

 涙ぐんでいた目を拭うさえ。

「…ところでお前さま、本日また父の墓が壊されました」

「そうか、なら今から建てに行くぞ」

「…もういいんです」

「よくない。負けるな」

「……」

「今に見ていよ、柴田の徳政で黙らせてやる」

 

 隆広が断言したように景鏡の墓は累計十度破壊されたが、十一回目でその後は壊されることはなかったと云う。

 後日談となるが、それは隆広家臣の石田三成が九頭竜川の治水を成し遂げたのが機となったのだ。隆広は景鏡の描いた九頭竜川地形図を公開し、謀反人景鏡の為政者としての人格を広く伝えたのだ。やがてさえを攻撃していた民たちも短慮を認め、さえに謝罪したと伝えられている。

 

 この景鏡の墓にまつわる一連の騒ぎ、さえにとっては言葉に尽くせぬほどの悔しさの連続であったろうが、この騒動があればこそ、後年に朝倉景鏡は天下人正室の父、天下人柴田明家の義父、大坂幕府二代将軍柴田勝明の祖父としても伝えられることになったのだ。

 

 このままさえが父の名前を秘事とすれば景鏡はただの謀反人で終わってしまったはずだ。さえのこの時の痛みは景鏡が九頭竜川治水に尽力した為政者としての再評価、天下人正室の父、天下人の義父、二代将軍の祖父として歴史に名を残すために必要であったものなのかもしれない。世に裏切り者と呼ばれた男の娘が良人に天下を取らせたのである。戦国期のシンデレラストーリーとも呼ばれる由縁だった。



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外伝さえ 四【再会】

12000文字ですよ、このお話。つい15年前は何の苦労もなく一気にこの文章量を書けたんだなと自分に感心しました。


 水沢隆広は十代の若さながら柴田家の内政の中心人物となり、軍事においても働きを示している。良人は大した武士だったのだなぁと感心していた。

 家臣も奥村助右衛門、前田慶次、石田三成と器量と才覚を備えた者たちが揃った。後世観点から見れば、よくこんな英傑たちが織田の一陪臣に過ぎない隆広のもとに集結したと思えてくる。

 さえは隆広の家臣たちにも気配りをして彼らの主君の妻としての役目を果たし、そして助右衛門の妻の津禰、助右衛門の妹にて慶次の妻である加奈とも深い友誼を結んだ。ある日の水沢屋敷。

 

「ええ?それじゃさえ様はいつも床の上で受け身ばかりなのですか?」

 と、加奈。

「だって恥ずかしいし…」

 顔を真っ赤にして答えるさえ。貞淑な津禰もどちらかと云えばさえの考えに賛同する。

 しかし勝気な加奈は時に良人の上に乗るのを好む。

 

「それでは隆広様もやがて飽きてしまいます。妻がいつも受け身では」

「で、でも女子から攻めるなんてはしたないとあの人に嫌われては元も子も…」

 意地悪い顔を浮かべる加奈。

「そんな殿方なんていません。よろしい、私が殿方を悦ばせる術を伝授いたしましょう。ほら義姉上様(津禰)も一緒に」

「わ、私も?」

「はい、堅物の兄上が惚れ込む房中術を伝授して…」

「そ、そんな房中術なんか持っていません!」

 津禰も顔が赤くなってきた。逃げ出そうとしているさえの着物をしっかり掴んでいる加奈。

「は、離して下さい!け、結構です!」

 

 武家娘は長じて婚期になると母親や年長の侍女から床の技などを教えられたと云う。しかしさえは誰からも教わっていない。恥ずかしがり屋であるさえにとって自分から攻めるなんて想像もしていない領域である。

 

「加奈殿、さえ様はまだ十六、これからおいおい覚えていけば…」

 津禰が取りなすが

「いえいえ、万一隆広様とさえ様に情事が原因で不和にでもなれば水沢家に悪影響が。これは水沢家幹部夫人として、やらねばならぬ務めでございますよ」

 筋が通っている。津禰も加奈も嫁ぐ前に母や姉、そして年長の侍女たちに床の技を教わっている。さえには教える者がいなかった。ならば我らが、と思ったのだろう。観念したさえは二人から男を悦ばせる術を学んだ。実践するのは当分先だが。

 

 

 さて、軍事内政と勲功を重ね、隆広は若干十七歳で柴田家の侍大将となった。二千から三千の軍勢を統べる軍団長と云える。信長の息子たちを除けば隆広は織田家最年少の侍大将であった。水沢軍の結成も行われ、『歩の一文字』の軍旗はさえも生涯の誇りとする。

 怒涛のごとく出世街道を歩く男の妻であるさえ。しかし彼女自身はけして驕らなかった。正しく云えば驕りようもなかった。将兵を養う身、相変わらず水沢家の懐は厳しく、さえのやりくりも重要な役割だった。

 良人が人の上に立つほどにさえの責任も重くなってきた。さえは幹部や隆広三百騎、工兵隊の妻たちとも連携して家中の情報を集めた。誰が病に倒れたか、誰に子供が生まれたか、誰の父母や祖父母が亡くなったか、誰が隆広の扱いに不満を持っているか。さえは自分が対応できるものは自分で行い、なるべく隆広の手を煩わせまいと考えていた。あとで隆広に事後報告をしていたのだ。

 

「そうか、茶之助が俺に不満を」

「身に覚えが」

 苦笑して答える隆広。

「ある」

 星岡茶之助は隆広三百騎の一人で、元は札付きの不良少年であった。武技も立つが伊丹城の戦いの野戦にて隆広の指示に従わず、敵陣に突っ込んでいった。

 隆広は激しく叱責し謹慎処分としたのだ。

 

「それでは茶之助殿の不満は逆恨みですね」

「そうだが、こじれたら問題だな…」

「ところで」

「ん?」

「お前さま、星岡家は朝倉家で料理番をしていた家です」

「そうなのか?」

「とはいえ本城の一乗谷ではなく戦場料理人です。かの宗滴公は軍勢に料理番を随行させていました。限られた兵糧で美味い食事を作らせて士気が落ちるのを防いだと言います」

「それが星岡と?」

「はい、武士が料理などと揶揄されたこともあったみたいですが宗滴公は重く用いたと言います」

「……」

「星岡の家には戦場の料理に伴う秘伝書などもあるかもしれません。その末裔たる茶之助殿にはもしかしたら…」

 

 思いだしたことがある。隆広の初陣である大聖寺の戦い、その行軍中に雑炊を食べたが大変美味だった。誰が作ったと聞くと、それが星岡茶之助だった。

「いいことを聞かせてくれた」

「役に立ちました?」

「さえはやっぱり俺に運を呼ぶ観音様だ。ありがたやありがたや」

「まあ、お前さまったら」

 

 謹慎中の星岡茶之助に辞令がおりた。水沢軍の戦場料理人に任命すると云う辞令だ。腹が減っては戦が出来ない、飯はあっても握り飯ばかりでは飽きるし、栄養が偏り体調も崩す。

 何より食事が美味しければ士気も上がる。隆広は辞令書に『そなたの先祖が宗滴公を支えたように、そなたも俺を支えてくれ』と加筆していた。武士が料理など、反発してもおかしくない辞令だが星岡家では事情が違う。先祖が料理で朝倉家随一の名将宗滴を支えたのは誇りであった。

 病気がちの茶之助の父は床の上で辞令書を見て感激し

 

「誰に聞いて下さったのか、当家の本来のお務めを与えて下さった!」

「親父…」

 料理も得意だが、何より茶之助は戦好きの男。宗滴は戦場料理人を前線には出さなかった。隆広も工兵は一切前線に出していない。自分も槍働きを禁じられることになるのが分かった。

 

「俺は嫌だよ。殿にたまに美味い雑炊を作って差し上げることくらいいいが専門で料理番になるなんて。俺は武功で立身出世したいんだ」

「殿には奥村様と前田様と云う豪傑がついている。加えて柴田の家風は尚武、お前ほどの武辺者ならゴロゴロいる」

「……」

「槍働きで目立てぬのであれば、お前は料理で水沢家を支えて功名を立てるのだ。薄氷を踏むような局面、美味くて栄養のある食事が勝敗を分けることもあるのだぞ。宗滴公はそれを存じておられた」

「親父…」

「ああ…嫌がるお前に幼きころから料理を仕込んでおいて良かった…」

「……」

「儂にお前に与えられるものはそれしかなかったからな…」

 かくして茶之助は戦場料理人と云う他の軍勢には存在しない役割を与えられた。

 さえの進言によって任命に至ったと茶之助が知るのはしばらく後のことである。

 工兵隊と同じく戦場には出ないが水沢軍、そして柴田明家軍を陰で支える料理集団の頭領として茶之助は活躍していくことになる。

 

 

 水沢隆広が侍大将になって最初の戦いが小松城の戦いであった。合戦そのものは勝利、しかし勝ち戦だったのに良人の隆広は大敗でもしたかのように意気消沈していた。勝家の厳命により小松城にいる一向宗門徒を皆殺しにしたことに心を痛めていたのだ。沈んだ顔で帰宅した隆広を迎えるさえ。

「お疲れさまでした。さあ、お風呂が沸いております」

「……」

「お前さま?」

「さえ…ッ!」

 隆広はさえに抱きついて泣き出したのだ。驚くと同時にたまらなく良人が愛しくなった。良人をギュウと抱きしめて

「つらいことがあったのですね…」

 妻の膝に顔をうずめて泣いている隆広。さえは思った。

(この人は母の愛を知らずに育った方…。私に慈母を求めているかもしれない…)

「泣いて下さい。男だからって我慢することはないのです…」

 

 声をあげて泣く良人を優しく抱きしめた。戦国時代最たる名将と呼ばれた水沢隆広。しかし、その弱さを誰よりも理解して癒したのがさえであった。

 隆広は後々までこの小松城の戦いにおける過酷な戦後処理が頭から離れずに苦しむことになる。悪夢に目覚め、時に頭を抱えて落涙して苦しんだ。

 しかしそんな隆広の姿を側室や愛人と云う女たちは無論、家臣たちも一度も見たことがない。さえだけが見ている。隆広はさえだけにしか見せていないのだ。

 宝にて命――。母上以上の存在――。隆広はさえにそう言っている。母親の愛を知らずに育った隆広に初めて手放しの女の愛情を向けたさえだからこそ、天下人を支えることが出来たのだろう。

 

 小松城攻めからしばらくして隆広は屋敷替えとなった。理由は刺客に襲われたからである。今までの隆広の屋敷は夫婦二人暮らしでちょうどいいと云う程度のもので番兵を置くことが出来なかった。

 それ以前に隆広が置こうとしなかったのであるが、刺客から救ってくれた源蔵こと加藤段蔵から『驚いたと云うより呆れた』と不用心を叱られ、夫婦の甘い生活は捨てがたいが勝家からの指示もあり柴田家の侍大将として適した屋敷に移った。しかし刺客に襲われてからさえの機嫌は悪かった。

 

「さえ、これからの家では広間で兵や職人を労うこともある。食器類を多く注文しておいてくれ」

「分かりました」

 引っ越し作業をしながら、ぶっきらぼうに返すさえ。

「なあ、もう機嫌直せよ」

「つん」

 隆広は刺客からさえを命がけで守るべく命がけで戦おうとしたが、その刺客は居合わせた源蔵が難なく討ち取った。その後に隆広の忍びたちが大急ぎで駆けつけたが、さえの知らない美女二人がいた。すずと舞である。刺客に襲われて怖くてたまらなかったのに隆広は抱きしめてもくれず、その美人くノ一と話していた。腹が立った。

 翌朝に旅立つ源蔵を見送り、忍びたちも帰っていった。ふう、と一呼吸入れた隆広は

「台風一過だったな、さえ」

 その隆広をジーと睨むさえ。源蔵の前では可愛らしい笑顔を浮かべていたのに、今では別人。

「な、なんだよ」

「なに、あの女忍び」

 隆広は説明した。養父に仕えていた忍びの子弟たちだと。何で女なのかと問えば

「し、仕方ないだろう!その忍び衆が俺の元に派遣したのは白を入れた、あの三人だったんだから!」

「二人とも美人だったけれど…妙なことしていないでしょうね!」

「してないよ!俺はさえ一筋だよ!」

「…あんな怖い思いをした後なのに、抱きしめてもくだされず、それどころかさえの前でよその女子と親しく話すなんてあんまりです。さえは怒りました。当分房事お預け!」

「そ、そんなあ…」

 さえの怒りはまだ収まっていなかった。自分を命がけで守ろうとしたことは嬉しいが、そのあとがいけない。抱きしめて恐怖を払拭してくれず、何より目の前で美女二人と話すなんて。

「さえ」

「食器類の注文は分かりました」

「そうじゃなくて、そろそろ笑顔を見せてくれよ」

「つん」

「拗ねた顔も可愛いけど、笑顔の方がさえは可愛いよ」

「また上手いこと言って」

「しかしヤキモチを妬かれるって初めてだけど…」

「え?」

「そんなに悪い気もしないな」

「まあ、よくもそんな!」

「俺もさえが他の男と親しく話していたら、きっとヤキモチ妬くんだろうなぁ」

「……」

「俺が先にやっておいて何だけど、そういう場面、俺に見せないでくれよ」

「む、虫のいい!」

「あはは」

 

 やがてさえの機嫌も直り、無事に引っ越しを済ませた。このころには石田三成も妻を娶り、水沢家の女衆も充実していった。三成の妻は伊呂波と云い、さえの生涯の友となる女だった。良人が隆広の右腕ならば、伊呂波もまたさえにとってそれに近い存在だった。

 

「さえ様、松山矩久殿のご母堂が亡くなったとのこと」

「それは…」

「矩久殿は悲しんでおられますが、前々より病がちであり覚悟は出来ていたとのこと」

「確かお父上も他界されていましたね」

「はい」

「それでは喪主は矩久殿と相成りましょう。すぐに葬儀の支度をいたしましょう」

「分かりました」

 水沢家将兵の家族は水沢家の名前で葬儀を行えた。本来は各々の家で取り行うものなのだが水沢家では違ったのだ。

 これがより一体感を上げさせるに至るが、さえもまた忙しい日々であった。しかしさえが不満をもらすことはなかった。良人やその家臣たち、その妻や子供たちに支えられているのだから苦になどならなかった。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 水沢隆家の祥月命日、隆広とさえは隆家と景鏡の墓参をした。もはや景鏡の墓は壊されることはないが、献花されることはない。さえが寸暇を利用してこまめに来ているが、今日は景鏡の墓に献花があり、線香のあともあった。さえの手によるものではない。

 

「誰だろう…」

 ふと漏らす隆広。

「どなたでもいいです。父上の墓に墓参して下さった方がいるだけで、さえは満足です」

 さえはいつものように墓を清めて花を手向けた。その時だった。

「…姫?」

「……?」

 

 隆広がそう言った男を見た。老いた農夫だった。さえの背中を凝視している。当のさえは気付かず父の墓に手を合わせている。農夫はヨロヨロとさえに歩む。

「さえ姫様では?」

(…え?)

 振り向いたさえは絶句した。そこには信じられない人物がいた。

「まさか…監物?」

「お、おお…姫様!」

 監物と呼ばれた農夫は涙を流してさえに平伏した。その監物の手を握るさえ。

「生きていたのですね…!」

「はい…!」

「どうしてここに…」

「はい、殿の旧領の大野郡にて帰農して百姓として暮らしておりましたが、こんな話を聞いたのです。北ノ庄の侍が殿の遺骨と遺品を回収し持ち帰ったと…!もしやと思いまして、北ノ庄中の墓地を見てまわったのです…!そしてここに殿の墓が!」

「そうだったの…よく生きていてくれましたね。でも直信殿は…」

「弟は姫を守れて死ねたのですから本望でございましたでしょう…!ああ、それにしても姫こそよく生きていて下さいました!さぞやあの後はお辛い目に…。う、うう」

 

「さえ、このお方は?」

「はい…父の景鏡に仕えていた老将、吉村監物にございます」

「…この方が吉村監物殿か。聞いたことがある。景鏡殿の家老で、景鏡殿の謀反を頑強に反対したと聞く。土橋信鏡と名を変えた景鏡殿からは疎まれて遠ざけられてしまったというが平泉寺の凶変のおりは命を賭けて主君の景鏡殿を守り戦ったと…。気骨ある老将として父から聞いた」

「もったいない仰せにございます。それでは貴方が…大野郡で殿の遺骨を持ち帰ったという侍ですね」

「はい、貴方が大事に思う姫の良人です。水沢隆広と申します」

「貴方が…!水沢隆広様でございますか!」

「はい」

「で、では先の言葉は斎藤が戦神と呼ばれた水沢隆家殿が…ッ!?」

「ええ、その通りです。そういう年寄りを家臣に持てるように励めと教えられました」

「なっ、なんという光栄の極み!戦神殿が儂などを…。うっ、うう」

 

「さえ、とにかくここではなんだ。屋敷にお招きしよう。さえの知らない景鏡殿のご最期も監物殿ならご存知のはず。ゆっくり聞かせてもらってはどうだ?」

「はい、さあ監物。我が家に来て」

「ありがたき仰せにございます」

「ところで伯母上は?」

「家内なら元気にございます」

「良かった…」

 

 隆広夫婦は監物をもてなした。今はただの百姓にすぎない自分をもてなしてくれるのが監物には嬉しくてたまらなかった。そして愛する姫君が素晴らしい男児と夫婦になっていたことも嬉しかった。

 

 そして、今までさえも知らなかった父朝倉景鏡の最期が明らかになった。景鏡は監物と敵勢に突撃した。二人での突貫、生きることは考えていなかったろう。

 裏切り者と呼ばれる景鏡だが最後に武士の死に様、いや意地を示したと言える。もはや死兵と化していた二人は思う存分に戦い、そしてさえと直信が敵勢の目から離れたと見て平泉寺の中に戻り、そして景鏡は切腹して果てた。監物が介錯した。

 首を持って逃げようとしたが監物は捕捉され、ところどころ斬られた揚句に首を取られてしまった。もはやこれまでと思ったが監物は地元領民に慕われていて命を助けられたのだ。

 

 八重もまた捕らわれていたが酷い仕打ちは受けずにいた。捕らわれていたと云うより匿われていたと思われる。監物も八重の元に連れて行かれ、やがて回復していった。自害しようと思ったが八重の『姫の安否が分かるまでは』と説得され、帰農して生きていくことに決めたのだ。

 

 しかし生活は貧しかった。朝倉氏のあとに越前入りした柴田勝家は一向宗門徒との戦いに追われ、内政に割く資金も時間も、そして全面的に内政を委ねるに足る臣下がいなかった。

 

 朝倉景鏡の元領地である大野郡もその例外ではなく、加えて凶作も続いたので監物と妻の八重の暮らしは困窮を極めた。彼らには息子もいたが、彼は景鏡ではなく、本家の朝倉義景に仕えており、あの織田の猛攻である『刀禰坂の戦い』で左腕を失い、また左足の指は全部なで斬りにされ、大事な腱を切られてしまい歩行にも支障がある。生活のほとんど父母に頼りきりの自分に嫌気がさして酒に溺れた。監物は妻子と苦しい生活を送っていた。

 

 そんなある日に優秀な行政官が越前大野の地にやってきた。水沢隆広である。彼の陣頭指揮とその部下の兵たちにより、大野郡の開墾が進められた。

 暮らしが楽になるかもしれぬと、監物も割り当てられた仕事に全力を注いでいた。そしてふと聞いた。開墾の現場に来ていた北ノ庄の侍が、旧領主の景鏡の遺品を捜していたと。無論、監物は何も持っていない。だが他の景鏡を慕う領民が平泉寺から戦の後に持ち去っており、それをその侍に献上したと聞いた。

 

 監物はいてもたってもいられずに、不自由な体で北ノ庄にやってきた。そして見つけた。主君の墓を。そしてきれいに掃き清められ、献花もされていることに感激した。誰が…と思い、ずっと墓地で主君の墓を墓参する者を待ち続けた。待つこと二日、彼は見つけたのである。大切な姫を。

 

 やがて話し疲れたか、監物はさえと隆広の前でウトウトとし、そのまま眠ってしまった。

「お疲れだったようだ。さえ、寝具の用意はできているか?」

「はい」

「よし、お運びしよう」

 

 監物を寝かせると隆広は書斎に行ってしまった。

 さえは監物の眠る顔をしばらく見つめていた。子供のころから伯母と共に慈しんでくれた監物。大好きだった。

 いつも楽しくて面白い越前のお話や童話を聞かせてくれた。後年にさえが息子や娘に寝床で話すことはみんな監物から聞いたお話である。それほどに幼き日のさえに影響を与えた人物であった。

 

「このまま、また別れるなんていやだ。ずっとここにいてほしい…」

 さえは隆広の書斎に行った。算盤を弾く音が聞こえる。いつもならばその音を聞けば入室を遠慮するさえだが、どうしても今聞いてもらいたい。

「お前さま…」

 算盤の音が止まった。

「なんだ?先に寝ていろと…」

「お話があるのです。お仕事中申し訳ありませんが入ってよいですか?」

「さえに閉じる戸を俺は持っていないよ。お入り」

「はい」

 さえが入ってきた。隆広は算盤と帳面を置いた。

「なんだ?」

「はい…あの…」

「…何も言わなくてもいい。分かっている」

「…え?」

「『監物殿を召抱えて欲しい』だろ?」

「え…!」

「そのかわいい顔に書いてある。分かりやすいなァ、さえは」

「んもう!からかわないで下さい。さえは真剣なのですから!」

「ははは、悪い悪い。だけど監物殿を召抱えるのは、愛しいさえのためだけじゃない。俺のためでもある。言うまでもないが俺はまだ越前に来てから短い。まだこの土地で知らない事が多すぎる。この越前の気候や風土、慣例、風俗、伝承、歴史など知らぬ事だらけだ。監物殿ならばすべて知っていると思うが…どうか?」

「はい、子供のころ、よく越前の昔話を聞かせてもらいましたもの」

「だろう?それに名将である朝倉宗滴公の事もよく存じているようだ。宗滴公の話をぜひ伺いたい」

「お前さま…」

 

「だが…あのお体と年齢では戦場や開墾や普請の現場には連れて行けない。それは理解してくれるか?」

「はい、我が家の家令として召抱えて下さいますれば」

「だったら奥さんにも来てもらわないとな」

「い、いいんですか?」

「さえの母上みたいな人だったのだろう?ならば俺にも母上と同じだ」

「お前さま…大好き…!」

「分かっている」

「んもう!」

「それじゃ明日にでも二人でそれを監物殿に言うとしよう」

「はい」

 

「ところで一つ質問だが…」

「なんです?」

「朝倉本家には名勘定方と言われた吉村直賢(なおまさ)と云う人物がいた。同じ吉村姓、もしや…」

「はい、監物の息子です。しかし…」

「うむ…『刀禰坂の戦い』の戦いで左腕が斬られ、左足の自由もなくなったと言っていたな。織田を恨んでいるだろうな…」

「おそらく…。伯母上は召出しに応じてくれるでしょうが直賢殿は無理と…」

「ふむ…」

 

 隆広はさっきまで見ていた報告書をさえに見せた。

「よろしいのですか?」

「うん、読んでみるがいい」

「はい」

 そこには、吉村直賢の人物と能力、そして今の生活の現状が書かれていた。監物の言葉と一致している。

 柴田家に商人集団を作る、と云う隆広の構想のもと、隆広に仕える忍びたちが調べ上げたことであった。

 

「前に話したな。柴田家中に商人集団を作りたいと。民からの搾取だけで国費を賄う時代は終わらせて、柴田家自らが軍資金を稼がなくてはならないと」

「はい、聞きました」

「俺は…その長に直賢殿を考えている。他の長の候補は越前育ちではない。他国だから雇わぬと云うわけではないが、さっきも言ったようにその土地に明るいものが長になってくれれば頼りになるからな…」

「ですがお前さま…直賢殿は現在ほとんど自棄になっている毎日と…」

「そんなものは働き場所とやりがいを得ればなくなる。思慮に欠けた言い草かもしれないが、俺が必要なのは名勘定方と呼ばれた直賢殿の持つ算術技能だ。左腕がなく、左足が不自由でも任務遂行は可能だ。報告では彼は敦賀港流通もやっていたとのこと。弁舌に長けているそうだし、かつ主君義景殿の浪費に毅然と諫言を言ったほどに胆力もあると評している。今は時勢に乗り遅れて自棄になっているだけ。よみがえらせれば大化けするかもしれないぞ」

 

「織田を恨んでいる、と云う点はどうなさいます…?」

「問題はそれだ。だが説得する自信はある。明日に監物殿を大野にお送りして、会ってみるつもりだ。さえも来るか?」

「はい!」

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 翌朝、隆広とさえは監物を当家で召し抱えたい旨を伝えた。当初は断った監物。彼とて耕す田畑がある。このまま百姓でいいと。

「監物殿、さえと俺に親孝行の真似ごとをさせていただけまいか」

 隆広とさえ、双方に両親はいない。

「水沢様…」

「無論、奥方も一緒にと思う。さえの母も同じの方ならば俺にとっても母上。大事にさせてもらえませんか」

 隆広の横顔をウットリして見つめるさえ。

「当家はそんなに裕福ではないので贅沢な暮しはできませぬが、それでも良ければ是非来ていただきたい」

 監物はしばらく考え

 

「分かりました。この老骨の残りし時を姫と水沢様、いやいや殿にお預けいたします」

 こうして隆広とさえは監物を連れて大野郡へと向かった。隆広の馬に乗る監物、その馬を引いて歩く隆広。小春日和、三人は散策するように歩いた。

 

「そうそう監物殿」

「監物でようございます殿」

「では監物」

「はい」

「昨日言い忘れていたが大野城の図籍庫から義父殿の遺品が見つかったんだ」

「なんと?」

「九頭竜川の地形図だよ」

「おお、あのおりに景鏡様が熱心に描いていた!」

「すごい製図技術だなぁ義父殿は。実際の地形と照らし合わせてみたんだけど、ほとんど狂いはなかったよ」

「はい、亡き景鏡様は軍事より内政の方に向いておられた。ゆえに九頭竜川の治水を途中でやめることを大変悔しがっていましてなぁ…」

「今に俺が継ぐよ」

「お前さま…」

「はは、さえや義父殿のためだけじゃない。越前の民のためにしなければならないことなんだ」

「嬉しい、ね、監物」

「はい、景鏡様の工事を婿殿が継いでくれる。こんな嬉しいことはございませぬ」

「お前さま、父上は『いつかお前の婿殿と、この仕事を一緒にしたいもの』と言っていました」

「俺もだよ。しかし何だ、あんまり仲の良い舅と婿にならなかったんじゃないか。ははは」

「どうしてです?」

「ははは、それは娘を溺愛する父親と妻を溺愛する良人が姫を取りあって」

 と、監物。さえはクスッと笑い

「まあ、そんなことが起きたら私はどっちの味方をすれば良かったのかしら」

「俺に決まっているだろ」

 笑い合う三人。

 

 やがて監物の家に着いた。家の前で野菜を洗っていた八重が監物に気付いたが、その横にいる娘がさえと分かるや感涙して出迎えた。

「ひ、姫様!」

「あああ…!伯母上、お会いしたかった!」

 泣いて抱き合うさえと八重、伯母とはいえ実母も同じほどにさえを慈しんだ八重、さえにとっては八重が母親であり、八重にとっては娘と同じ。再会が嬉しくてならない。

 

しかし

「貴様というヤツはッ!また昼間から酒を飲んでおるな!」

 家の中から監物の怒鳴り声が響いた。

「うるさいな」

 やさぐれた反論が聞こえる。声の主が吉村直賢と隆広が知るに時間は要さなかった。

「ああ、なんと情けない!こんな晴れの日に!」

「晴れェ?何云っている。曇りじゃねえか。とうとうボケたか?」

「天気のことではないわ!我が主君、景鏡様の姫が婿と共に来て下されたのだぞ!」

「あっははは、そうか、裏切り者の娘が食うに困って旧臣を訪ねてきたのかァ?しかも亭主を連れてとはなァ。あっはははは」

「……!」

 さえにも聞こえたこの言葉、さえは父親が罵られることが一番悲しい。せっかくの再会が水を差され、さえの顔は沈んだ。

 

 これに怒った八重は家に駆け込み

「弥吉(直賢の幼名)!姫になんてこと言うの!あやまりなさい!」

 息子を叩いた。

「はいはい、ごめんなさい」

「ああ…!なんて情けない!そんな弱い子に育てた覚えはないわよ!」

 隆広が家に入って直賢に言った。

「おぬしはどうやら酒の飲み方を知らぬらしいな」

「なんだおめえは?」

「人に名前を尋ねるなら、まず自分から名乗れ。そんな礼儀を知らぬヤツが金庫番をしていたから朝倉は滅んだんだ」

「ああそうかもな」

(怒りさえ忘れたか…。だが才があるのは確か、引き下がらないぞ)

 

「まあいい、俺から名乗ろう。柴田家侍大将、水沢隆広だ」

「ああそう」

「なんだ、てっきり織田の家臣と聞いて噛み付いてくると思ったがな。どうやらそんな気概もなくしたか」

「ふん…」

「用件だけ言おう。おぬしの父母は今日から俺に仕える。おぬしごとき穀潰しの面倒を見るよりはるかに充実した日々を提供する。異存ないな」

「勝手にさらせ」

「お前さま、姫の夫に仕えるとは…?」

「ああ、今朝に姫から申し出てくれて…勝手ですまないがお話をお受けした。姫は母も同然だったお前もと望み…今こうして自ら迎えに来て下されたのじゃ…」

「そうでしたか…」

「伯母上…お願いします。私と一緒に…」

「お話は嬉しいのですが…あんな状態の弥吉を…」

 

「行けばいいだろ。俺はここで飢え死にして死ぬよ」

「弥吉!なにその言い方は!」

「ふん、さすがは裏切り者景鏡の姉夫婦だ。越前を攻め滅ぼした織田に尻尾をふるか。親が親なら娘も娘だな。朝倉家宿老の姫の誇りも捨てて、信長の家来の家来の女房になりやがった。あっはははははッ!」

「ひ、ひどい…!」

 隆広の手が直賢の顎を掴み、そして体を壁に叩きつけた。

「…ぐっ」

「元朝倉の家臣。織田への恨みは骨髄まで至っているだろう。だから俺のことは無論、大殿や殿の悪口を言っても我慢するつもりでいた。だが妻を…さえを景鏡殿の名をもって侮辱するヤツは許さない!」

 

「なら斬れ!こんな俺生きていたって仕方ねえ!」

「そうか…なら斬る前に伝えておこう。おぬしの女房だった絹、それは監物殿より先に召抱えた」

「……?」

 

 何を言っている?さえは良人の発している言葉の意味が分からなかった。

「姫様?」

 八重がそれは本当なのかと目でさえに聞いた。さえは知らないと首を振った。

「静かに…!殿様には何か考えがあるようじゃ」

(そういうことか…)

 隆広は監物に直賢の妻のことを少し詳しく聞いてきた。その理由が今分かった。

 

「絹を…!?」

「ああ、俺はさえのような同年代の女も好きだが、脂の乗った年上の女も好きなんだ。侍女として雇ったが、中々いい肢体だ。側室にしたぞ」

「…ふ、ふざけるな…!」

 直賢の妻の絹、彼女は朝倉家臣の萩原宗俊の娘である。朝倉滅んだあとは直賢と共に帰農したが、自暴自棄となっていた直賢は絹に暴力を振るいだし、たまりかねた絹は出て行ってしまったのだ。

 

「何を怒っている?追い出したのは貴様だろうが?絹は閨が終わると言っていたぞ。前の亭主は腑抜けだったとな」

「嘘だ!」

「嘘じゃない、腑抜けが!」

「キ、キッサマァァ―ッッ!」

 

 直賢は右手で思い切り隆広を殴った。そして体が自由になると、立てかけてあった鍬を持ち隆広にかかっていった。

「ブッ殺す!」

「面白い!かかってこい!」

 

 隆広は脇差を置き、直賢の振り下ろした鍬の柄を掴んで取り上げた。そして直賢の顔面を思い切り殴打した。たまらず直賢は吹っ飛んだが、すぐに立ち上がり隆広に殴りかかった。

 

「こういうことだったのね…」

 と、さえ。

「はい、倅を怒らせるために…」

「怒る弥吉を見るなんて…何年ぶりか…」

 だがここ数年の酒びたりがたたり、すぐに直賢は息を切らせた。ふるった拳も弱弱しい。

 

「ハアハア…若僧が…」

「水沢隆広だ」

「ふん…」

 直賢はあぐらをかいて座った。

「吉村直賢である」

 隆広に名乗った直賢、これが後年にただの一度も柴田明家に金の心配をさせなかったと言われる吉村備中守直賢である。

 柴田家商人司の頭領として巨万の金銀を稼ぎ『隻腕の商聖』『稀代の商将』とも言われ、柴田明家をして『毛利家に石見銀山があるのならば、俺には吉村備中がいる』と言わしめた。

 かつて朝倉景鏡は『直賢は義景などではなく、天下を取れる昇竜のごとき男に仕えるべき』と言ったが、それが現実となったのだ。

 

 

 さて、晴れて伯母夫婦と吉村直賢を召し抱えた水沢隆広とさえ。

 隆広は直賢に武人らしからぬ嘘をついたと反省し、やがて直賢と絹の再会を取り持つ。直賢は場所を得て生き生きと働き勝家にも功績が認められて部下の増員がされ、かつ褒美を得た。

 懐妊して腹の膨れた絹と共に水沢家に訪れた直賢。そのお腹を羨ましそうに見つめるさえ。

 

「いいなぁ、早くさえも欲しい」

「姫様はまだ十七、これからいかようにも」

 と、絹。間髪いれず隆広が

「そうともさえ、早速子づくりしよう」

「んもう、何でそうなるのです!」

 と、楽しい時間を過ごしていた水沢家。

 しかしそれが破られる。北ノ庄城から陣太鼓が鳴った。

 諸将の臨時召集である。ついに越後の龍、上杉謙信が立った。




やはり天地燃ゆの山場は手取川の戦いですよね。


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外伝さえ 五【手取川の戦い】

いよいよ手取川の戦いです。


 ついに上杉謙信が春日山を出陣して信長との直接対決に乗り出した。その知らせは吉村直賢からさえに届いた。

 

「あの人が安土へ?」

「はい、大殿への援軍要請と云うことです」

 柴田勝家は水沢隆広を使者に織田信長に援軍を要請。それを入れた信長は勝家を総大将に五万の軍勢で迎え撃つ。

「いよいよ…上杉謙信公と…」

 さえとて戦国を生きる女、当然謙信の強さは伝え聞いている。軍神と称される常勝の武将。そんな戦の天才と良人隆広は戦うのか、体が震えてきた。

「お前さま…」

 

 

 一方、上杉陣。能登七尾城攻めの最中だった。樋口与六、後の直江兼続は主君景勝と共に上杉軍の中にいた。陣屋で兵糧の数量をこまめに記録している。与六は兵糧奉行を兼務していた。

「与六」

「おう、又五郎」

 与六に声をかけたのは泉沢又五郎と云い、与六とは景勝の小姓仲間である。そして

「織田軍の柴田勝家のもとに竜之介がいるって本当か?」

「…ああ、本当だ」

「どこで聞いたんだよ」

「軒猿からだ。軒猿の忍びはかなり早いうちから警戒している」

「本当か?」

「刺客まで送ったらしいぞ」

「でも竜之介は生きているんだろ?あいつ軒猿を返り討ちにするほどに強かったっけ?」

「刺客になった加藤段蔵と竜之介の首を狙った一向宗の雇われ忍びが獲物を取りあい、そして加藤がやられたと聞く」

「飛び加藤も年齢には勝てなかったか」

「で、一向宗の忍びは竜之介の部下たちにやられたらしい。これが叔父景綱を経て知りえた情報だ」

 上杉の忍びの軒猿衆は直江家が統括していた。直江家の当主景綱の妹が兼続の母のお藤である。

「…やりづらいな、同門の友と戦うのか」

「確かにな」

 

 樋口与六と泉沢又五郎は少年時代に上杉家の計らいで剣聖上泉信綱に剣を学んでいた。竜之介こと水沢隆広は二人にとって同門となる。共に泣き、共に笑った同門の友だ。

 何より二人を含めた上田衆の少年たちは竜之介養父の長庵に学問を教わった。短期間であったが与六は真綿が水を吸収するように長庵から知識を会得した。与六は隆広と上泉信綱の同門であると同時に長庵門下としても同門であった。

 また上田衆の少年たちを監督していたのが与六の実父の樋口惣右衛門であり、彼と長庵もまた友誼を結ぶ。父親同士が友でもあり与六も隆広と生涯の友と誓った。確かにやりづらい。義を尊ぶ与六には友情もまた重いものであった。

 

「あ、そういえば竜之介の士分は?」

 と、又五郎。

「侍大将と聞いている」

「十七で柴田の部隊長か!ほえ~」

「あはは、そうだな大したものだ」

「ではお手並み拝見といくか」

「ああ、油断するなよ。何せ軒猿が警戒した男だ」

「おう」

 友である又五郎に言い、我が身も引き締めた与六だった。やがて七尾城は陥落、勢いに乗る上杉勢は西進を開始。上杉勢には柴田勢が湊川(手取川)を渡河し、水島の地に布陣したと届いており、かつ三万もの一向宗門徒が柴田勢を襲うべく北上しているとも伝わっている。挟撃して殲滅すべく進軍する上杉勢。

 

「川を背にするとはな、音に聞こえた鬼柴田は兵法を知らぬわ。今ごろは門徒が襲撃してくると聞いて青くなっているかもしれぬな」

 勝家の失策を笑う上杉軍宿老の斉藤朝信。

「越後の鐘馗(しょうき)と呼ばれし我が槍を馳走してやるわ」

「ふはは、確か勝家は砦を六角勢に包囲された時に、水の瓶をすべて叩き割って将兵の覚悟を決めさせたこともあるとか。今回の背水の陣もそれと様相を類似させておる。背水の陣で我ら上杉と対するわけか。ふん、我らは六角勢と違う」

 同じく宿老の直江景綱も柴田勢を笑った。

「ですが柴田勢は我らより兵数が多うございます。挟撃が上手くいったとて『窮鼠、猫を噛む』の例えもございます。油断は禁物かと」

「そうであったな、与六」

(圧倒的に我らが優勢…。それゆえ気になる)

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 さて、北ノ庄にいるさえはと云うと

「父上、良人をお守りください…」

 亡き父景鏡の甲冑にひたすら願っていた。伯母の八重がそばにいた。

「姫様、かつて父上様はこう言ったそうです。『さえは、俺など足元にも及ばない立派な若者に嫁がせる』と」

「え?」

「今ごろ、あの世で喜んでいるでしょう。大願成就で」

「うん…。でもあの人より父上が劣っているなんて思わない。良人も父上もさえには大切な方なのだから」

「さあ景鏡、こうまで言われたら婿殿を守るしかないわよ。貴方にとっては自慢の婿殿、あの世でもう一度死んでも守りなさいよ!」

 庭で薪割りをしていた監物、よいしょと腰を伸ばす。良人の無事を父の御霊に祈るさえの背を見て微笑んだ。

「思えば不思議なものじゃ。もし朝倉が今も健在ならば、姫は義景様の側女。暮らしに不自由はないであろうが好きでもない男に抱かれ続ける日々は地獄さながらであったろう…。しかし朝倉は滅び、姫は敵方であった柴田家の若手将校と好きあって結ばれた。裕福ではないが実に満たされている日々をお過ごしじゃ。何が幸いするか分からんな。『人間万事、塞翁が馬』とはこのことじゃ」

 監物も亡き主君景鏡の御霊に若い主人の生還を願った。

 

 

 柴田軍、最大の危機に陥った手取川の戦い。

 この戦いが水沢隆広の名前を轟かせることになる。

 柴田軍は殿軍の一隊を残して一向宗門徒と戦うべく南下を開始。そしてその殿軍こそが隆広である。戦場において、もっとも困難とされる殿軍。

 しかも相手は上杉謙信で軍勢は三万。隆広の手勢は二千、さらに驚がく的なことは当時の水沢隆広は十七歳の少年である。いかに十五歳にもなれば元服し大人と見なされた当時とはいえ、十七歳の少年が任される役目ではない。おそらく世界の戦史を見ても十七歳の少年が万単位の味方兵の命を左右する役目を背負うなんてことはなかっただろう。

 

 しかし総大将の柴田勝家は殿軍に水沢隆広を指名した。志願したのが彼一人であったのもあるだろうが隆広は浮足立つ柴田陣の武将たちのなか冷静で落ち着いていた。勝家はその胆力に賭けたのだ。隆広はよく甘すぎる大将、優しすぎる大将と言われるが、ならば何故そんな男に奥村助右衛門や前田慶次のような豪傑が付き従うだろうか。

 水沢将兵は知っていたのだ。隆広の優しさや甘さ、それは強さがあってのことだと。

 

 この上杉謙信との戦い、隆広は敗戦を少なからず予期していた。彼が参戦した合戦において唯一の負け戦である手取川の戦い。負け戦の時こそ大将の器量が問われるもの。殿軍をやると知らされた時、水沢軍はその誉れに武の心が高揚したが、無論一部の者は生還不可能と悲観した。奥村助右衛門の次男静馬(後に雑賀孫市を名乗る)である。彼はこの合戦が初陣だった。北ノ庄出陣以来に発生した一向宗門徒らとの小競り合いも腰を退かせていた。兄の兵馬が何とか庇って敵前逃亡に近い失態を隠し続けている。

 

「なんで隆広様は殿軍なんて引き受けたんだ。俺たちを殺す気なのか」

 愚痴る静馬。

「侍をやってりゃこういう時もある。腹を括れ」

 兄の兵馬は戦好きである。むしろ殿軍の誉れを喜んでいた。

「俺は侍なんかに生まれたくなかったよ兄上!」

「でも侍に生まれてしまった。困ったな?」

「……」

「『死なんと戦えば生き、生きんと戦えば必ず死す』」

「…?」

「奇縁にもこれから戦う上杉謙信の言葉だ」

「兄上…」

「殿軍だ。もう俺もお前を庇って戦えない。好きにせよ」

「……」

 

 

 静馬の危惧はもっともであるが、隆広は玉砕精神で殿軍を志願したわけではない。奥の手があった。軍神謙信に生半可なことは通じないと知る隆広は一種の心理作戦に出たのだ。行軍中ずっと開封を禁じていた数個の大きな箱、中身を知った瞬間に水沢将兵は驚いた。

 

「赤備え?」

 と、松山矩三郎。

「左様です、上杉陣に突撃される方はこれを装備してください」

 説明する石田三成、兵たちは戸惑った。掲げる旗が歩ではなく

「風林火山…」

 旗をしみじみ眺める小野田幸之助。兵たちは武田軍になれと指示されているのが分かった。なんのために?と考えていたところ水沢隆広、奥村助右衛門、前田慶次が陣幕を払い入ってきた。

 兵たちは驚いた。隆広が武田信玄のいでたちをしていたからである。諏訪法性兜に金小実南蛮胴具足、そして赤い法衣。まさに水沢の若者たちが伝え聞いてきた戦国の巨獣、信玄のいでたちである。何とも凛々しい。

 前田慶次は全身が朱色の甲冑、山県昌景の軍装で、また朱槍が合っている。そして奥村助右衛門は馬場信房の黒甲冑のいでたちだった。同じく愛槍の黒槍が調和していた。

 

「全軍、武田軍となる。急ぎ装着せよ」

「「はっ!」」

 全軍が理解した。上杉の宿敵である武田軍に化けて突撃すれば、信玄の死を嘆いていた謙信には何か効果があるはず。何より水沢の若者たちにとっては赤備えになれることが嬉しくてたまらない。別働隊となる石田三成と白に作戦を説明し終えたころ、軍勢すべてが赤備えとなった。整列し隆広の言葉を待つ。

 

「絶対とは言えない。これは賭けだ」

「「はっ」」

「謙信公に生半可な策は通じない。これは心理作戦と言える。何より上杉の将兵には武田軍の恐ろしさが骨身に染みているのも多い。少しはこの軍装によって得られることもあると思う。よいか、上杉軍を迎撃するのではない。我らは敵中を突破し、迂回して湊川にいたる。全員、北ノ庄に帰るぞ!」

「「ハハッ」」

 隆広は藤林家が作った吉岡一文字を抜いた。吉岡一文字は信玄の太刀である。そして天に掲げて言った。

 

「御旗、楯無、御照覧あれ!」

 

 武田家歴代の当主は家臣たちと合戦の前に家宝である『御旗(日の丸)』と『盾無しの鎧』に向かって『御旗、盾無、御照覧あれ』と必勝を誓い出陣した。隆広はそれを再現したのである。この二年後に織田信忠の軍師として武田に引導を渡す水沢隆広が、一か八か、と云う戦場に向かう時に発したのが武田必勝の誓いとは不思議な縁であろう。

 

「「御旗、楯無、御照覧あれ!!」」

 

 兵たちも続いた。気合の充実、そして戦意の高揚が押さえきれない。

 この赤備えの甲冑や風林火山の旗は藤林家が隆広の指示で調達したが、その責任者である柴舟は武田大敗の地である長篠の地で現地領民から買い取ったと云う。

 無念に織田・徳川連合軍に敗れた武田の将兵たちが装備していた鎧である。この甲冑に宿る武田の英霊たちが加勢したかもしれない。上杉謙信と戦える。武田武者にこれ以上の喜びはない。一部いた殿軍の役目に怯えていた者も戦意が高まる。奥村静馬も赤備えを装着したが、まるで鎧に宿る武田武者に士気を得たような思いだ。隣にいる兄の兵馬も戦いたい気持ちでいっぱいだ。

「兄上、俺やるよ」

「もちろんだ。御旗…え~何とか御照覧あれ!」

「うん!」

 隆広もまた不思議な高揚感の中にいた。鼓舞のために出た言葉は信玄さながら。

「武田の強さ示すは今ぞ!我に続けえッ!!」

「「「オオオオオオオッッッ!!」」」

 

 

 前方に殿軍である水沢勢がいると知った謙信はいったん進軍を止めて斎藤朝信と直江景綱に一万の軍勢を預けて仕掛けさせた。しばらくすると鉄砲の間断なき轟音が上杉陣にも届いた。待ち伏せをされたと悟った謙信は全軍の突出を下命しようとしたその時であった。突如赤い激流が迫ってきた。

 

「敵襲―ッ!!」

 与六が叫んだ。

「味な真似を」

 と、謙信は敵勢を見つめた。

 しかし次の瞬間に目を疑った。殿軍は水沢軍と聞いた。水沢軍の軍旗は『歩の一文字』であるが、その旗ではなかった。戦場で何度も見てきた軍旗。そして先頭を駆ける武者、あの川中島の戦いで直接刃を交えた宿敵そのもの。

「ふ、風林火山の旗…!し、信玄!」

 

 信玄が太刀を抜いた。実際の信玄よりは若くて華奢であるが眼光は川中島の信玄に劣るものではない。

「ば、馬鹿な!信玄だと!」

「我こそは武田大膳太夫信玄なり!進めぇ!侵略すること火の如くじゃあーッ!!」

「「オオオオオオオオオオッッッ!!」」

 

 信玄の両翼を務める山県昌景と馬場信房が先頭に躍り出た。実際の山県昌景と馬場信房は陣頭の豪傑と云う武将ではなく用兵と武略に長けた一級の指揮官である。

 しかしこの手取川では三国志の関羽と張飛さながらの両名。

 

 このまま赤い激流に分断されて突破されては上杉の恥、上杉景勝と樋口与六が急ぎ迎撃態勢を執った。強行突破が困難と見た山県昌景と馬場信房は一瞬で互いの馬を寄せて己の左側をかばい死角をなくした。

「さあ行くぞ鬼美濃!」

 鬼美濃とは助右衛門が化けている馬場信房の通称である。

「おお源四郎!」

(ふはは、慶次のヤツ、なりきっておるわ!)

 その源四郎も慶次の化けている山県昌景の通称、助右衛門もなりきっている。

「「疾きこと風のごとく!」」

 

 二人は大回転しながら突き進んだ。竜巻に吹っ飛ばされるように蹴散らされる上杉兵。上杉景勝と樋口与六はその攻撃に呆然。恐ろしいと思うと同時に言葉にならないほどの美しさであったからである。与六はつばを飲んだ。

「かような豪傑を左右に置く…。竜之介はとんでもないほどにデカい男になっている!」

 

 後の世に明家関張と呼ばれる助右衛門と慶次の武勇はすさまじい。槍を構えて突進していた静馬は父の雄姿と主君隆広の鮮やかな信玄のいでたちに惚れ惚れしながらついていった。

 やがて武田軍は上杉軍を分断、武田信玄は上杉謙信の眼前まで迫った。

 

「ふふ、川中島と逆ではないか」

 静かに笑う謙信。そして川中島当時の謙信の名前を発する信玄。

「政虎ああーッ!!」

 信玄の太刀が振り落とされる!そして謙信の軍配がそれを受け止めた!

 笑みを浮かべている謙信。信玄、いや水沢隆広もまた静かに笑った。

 

「駆け抜けえーッ!!」

「「オオオオオオオッッ!!」」

 赤い激流はそのまま上杉軍を突破、景勝が追撃を主張、しかし謙信はそれを認めず静かに立ち去った武田軍、いや水沢軍を見つめた。

「良い夢を見させてもらった…」

 

 樋口与六もまた水沢軍が向かった先を見つめていた。

「竜之介…。お前、不敗の御実城様に勝ちよった…」

 負けることの知らない上杉謙信からただ一人、一本取ったと言われる水沢隆広。この突撃は遠く甲斐の地にいた武田勝頼の耳にも入り

「恐ろしい男になったな竜之介は」

 嬉しそうな顔を浮かべ、そう言った。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 さて、無事に湊川に着いた水沢軍。

「ふう、辿りついたか。昌景、信房、怪我はないか?」

「はっ、我らは無傷にございます。お屋形様こそお怪我など…」

 武田信玄、山県昌景、馬場信房はプッと吹きだした。

 

「おいおい!二人ともいつまでなりきっているんだよ!いいかげんバチ当たるぞ!」

 豪快に笑う前田慶次。

「いやいや、面白い負け戦でござった」

 確かに今回の戦いは柴田軍の負けである。しかし隆広は勝った。

「負け戦を勝ち戦にしてこそ武功でござる。隆広様、お見事にございました」

「うん、助右衛門と慶次もよくやってくれた。しかしあの大回転攻撃はすごいな」

「とっさに思いついただけでござる。あっははは!」

 胸を張る慶次、この手取川の撤退戦は水沢隆広、奥村助右衛門、前田慶次の武名を轟かせ、そして水沢将兵すべての誇りとなる戦となった。

「さあて、北ノ庄に帰ろう。俺は早くさえを抱きたくてたまらない」

 

 

「静馬」

「父上」

 助右衛門が息子たちのもとに歩いてきた。

「よく最後までついてきたな」

「は、はい!」

「この殿軍にも腰を引かせていたら、俺はお前を勘当していたかもしれぬ」

「実は及び腰でした。しかしこの赤備えを着たら勇気が湧いて」

「ふはは、俺も馬場美濃殿より力をもらったかもしれないな」

「隆広様はすごいや、一人も戦死者を出さない退却戦なんて誰が出来るだろう。しかも謙信公を相手に!」

「同じ思いだ。奥村家は本当に良き主君に出会えた」

 兵馬も微笑んだ。この後、三男の冬馬も初陣を迎えて奥村三兄弟は軍事内政ともに水沢隆広、後年の柴田明家に欠かせぬ家臣となっていく。

 

 

 北ノ庄城、さえは良人の無事を毎日祈り続けていた。戦場で死ぬのは武士の誉れと云うがさえはそんなの嫌だった。早く会いたい、抱かれたい、そう思い無事の帰還を願った。

「姫様―ッ!」

「監物?」

「ハアハア…お味方、帰路につかれておるとのことです!」

「本当ですか!」

「く、詳しくは城で中村文荷斎様と共に留守を預かる倅が…」

「さえ姫様!」

 吉村直賢がやってきた。

「直賢殿!お味方勝利なのですね!」

「いえ、肝心の謙信公とは引き分けのようです。今のところ入ってきたお味方の情報を述べさせていただきます」

「お願いします!」

 

「ハッ、まず湊川(手取川)渡河直後に能登七尾城が上杉により陥落したとの報が入り、勝家様は退却を決断。しかしそこに門徒三万五千が攻め込んでくると云う知らせが入ったよし。背後に増水した湊川、西に謙信公、南に門徒、絶体絶命の危機に陥ったそうですが、殿が上杉への殿軍を志願し、水沢隊以外の軍勢が門徒に当たり、殿の隊二千が上杉三万に対したそうです」

「う、上杉三万に、殿様の手勢だけで?」

 監物が驚くのは無理がない。当時の上杉軍は戦国最強と言われていた。それを寡兵で対せるはずがない。

「そ、それで良人は?た、隆広様は?」

「はい、前もって用意してあった武田軍の軍装を身につけて突撃。殿は謙信公と一太刀打ち合い上杉陣を突破!殿軍の役を見事に成し遂げる大活躍!しかも一兵も失わずに!」

「ホ、ホントに!」

「はい!殿はその後に合流した勝家様にお褒めのお言葉をいただき!今回の合戦における勲功一位と相成り!士分も部将に昇格とのこと!」

「姫様!聞かれましたか!」

 着物の前掛けで涙を拭きながら八重の言葉に何度もうなずくさえ。

「さすがは姫の婿じゃあ!よもや謙信公に一太刀とは!」

「弥吉(直賢の幼名)、お味方の到着はいつごろに?」

「はい母上、明日にでも!」

「こうしてはいられませんよ姫!すぐにご馳走を仕入れないと!」

「うん!」

 

 水沢軍が帰還した。隆広の痛快な撤退戦はすでに届いており、領民は歓呼して出迎えた。軍勢解散のあと、急ぎ我が家に賭ける隆広。

「さえーッ!」

 玄関で出迎えるさえ。

「ああ、ご無事に!」

 抱き合い熱烈な口づけをする隆広とさえ。

「会いたかった!ああ、このさえの匂い、戦場で夢にまで見たよ」

「さえも!」

「さあ、風呂と食事を済ませたら子作りしよう!今宵は離さない、寝かせないぞ!」

「はい…(ポッ)」

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 部将に昇格した隆広は、その後に未完であった掘割を完成させる。現在この掘割の跡地は水郷公園や用水路となっており、今も福井県福井市に恵みをもたらしている。この仕事は隆広がいかに治水と開墾の技能に優れていたかと示すに十分であり、現地の人々は氏神として『りゅうこうさん』と呼び慕っている。隆広を音読みすれば『りゅうこう』となる。親しみを込めて付けられた呼び名であろう。

 

 掘割の完成間もなく、隆広は織田信忠の寄騎が命じられて松永久秀攻めに向かう。その陣中で隆広はくノ一の舞を相手に初めての浮気をするわけであるが、さえにばれずに済んでいる。松永攻めを終えて帰国した隆広は城下町拡大工事を担当することになった。忙しい日々だが毎日ちゃんと家に帰れて、さえと睦みあえるのは嬉しいことだ。

 

 事件はそんな時に起こった。さえと一緒に朝食を取る隆広。

「北ノ庄もだいぶ人口が増えましたね、お前さま」

「うん、しかし増えるにつれ好ましくない者も出てくる。治安奉行の金森様も大変だ」

「良いとこ取りは出来ないものですね」

「そうなんだよ」

 食べ終えた隆広。箸と茶碗を膳において手を合わせる。

「御馳走様でした」

「お粗末さまです」

「さえ、今日の朝食も美味しかった」

「うふ、ありがとうございます。さ、お弁当です」

 弁当の包みを持ち、

「じゃ、行ってくるよ」

 玄関先で見送るさえ。

「いってらっしゃいませ」

 

 見送った後に家に入ると、さえは立ちくらみを感じた。

「あれ?」

 侍女頭の八重がさえに

「姫様、本日の工事本陣の昼食なのですが」

 隆広の内政主命に伴い、現地で給仕するのは水沢家の女たちの仕事である。隆広や三成は愛妻弁当で済ませるが職人や兵たちには温かい麦飯と味噌汁、一菜と焼き魚を給仕するのだ。さえも家での用事を済ませてから現場に向かう予定だった。しかし

 

「うっ…」

「姫様?」

 厠に駆け込み、さえは嘔吐、朝食全部戻してしまった。

「ひ、姫様、どうなさったのですか」

「き、気分が悪い…」

 その後、めまいを起こして倒れてしまった。

「ひ、姫様!お前さん!姫様がーッ!」

 ことの知らせを聞いた監物は慌てて駆けつけ

「姫様!」

「お前さん、医者を!」

「分かった!」

 

 一方の隆広、彼は家を出てすぐに現場に行ったわけではない。本日は勝家に目通りを願った若狭水軍頭領の松波庄三を勝家に会わせる約束があった。柴田の交易には海の技に長けた水軍の助力は不可欠。隆広の言を入れた勝家は若狭水軍を召し抱えた。

 

 無事に責任を果たした隆広は庄三と別れた後に現場へ向かったが、その道中にある源吾郎の店に立ち寄った。源吾郎は北ノ庄城の城下町に設けられた楽市の責任者、週に一度ほど収支の報告を彼から受けるのである。そのために寄ったのだが

 

「ごめん」

 すると奥から源吾郎が血相を変えて出てきた。

「おお!やっとおいで下さりましたか!お探しするより待っていた方が良いと思いましたが気をもみました!」

「は?」

「大変にございます水沢様!奥方様が倒れられたそうです!」

「え、えええッッ!!」

 

 大急ぎで隆広は屋敷に駆けた。

「今朝まで何ともなかったのに!」

 屋敷に着いた隆広、玄関口で草鞋が上手く脱げず転んでしまった。

 冷静沈着な彼でも愛妻のことになると知恵者の欠片も見られない。

 痛む顔面を押さえながら、やっと草鞋を脱いで部屋に入った隆広。

 

「さえ!」

 さえはグッタリして横になっていた。顔色も悪く苦悶して呼吸も荒い。

「さ…」

「今眠っておりますから!」

 心配のあまり大声を出しそうな隆広を諫めた八重。

「医者は?」

「夫が呼びに行っています。しばしお待ちを」

 さえの眠る蒲団の横に座り、小声で訊ねた。

「八重、仔細を申せ」

「はい、殿を朝にお送りしてからほどなく嘔気を訴え…そして朝食すべて嘔吐してしまいました。その後も嘔気は消えず、眩暈を起こして倒れてしまいました…」

「なんてことだ…さえ…!」

(そなたは俺の宝、そして命だ!治ってくれ…!)

 

 

 やがて監物が医者を連れてきた。

「ホラ急いで下され!」

「分かった分かった落ち着きなさい」

 医者は草鞋を脱ぎながら答えた。

「ええい!土足でもいいから上がってすぐに姫様を診てくだされ!」

「そうもいかんでしょうが」

 やれやれと医者は薬箱と医療具の入った箱を持ち、さえの眠る部屋に来た。

「どれどれ…」

 蒲団をめくり、さえを触診する医者。

「ふむ…ところで倒れる前にどんな症状を見せたのかな?」

 八重はさえが倒れる前の症状を医者に説明した。

「なるほどのう…」

 蒲団を戻した医者。

「ど、どうなんでしょうか先生!」

 すがるように医者を見る隆広。

「ああ…殿、姫をお守り下さい…」

 監物は一心に亡き主君の朝倉景鏡に願った。

「どうしたもこうも…」

 医者は苦笑していた。

「おめでたです」

「…へ?」

「奥方様はご懐妊しております」

「「……」」

 

 隆広、八重、監物はしばらく固まり、そしてようやく医者の言葉を理解した。

「本当ですか!さえが懐妊!?」

「覚えはあるのでしょう?」

「む、無論です!聞いたか八重、監物!さえに子が宿ったぞ!」

「お、おめでとうございます殿!」

「ああ…ありがたやありがたや!生きているうちに姫の子を見ることができようとは!」

 

「う、ううん…」

「をを!さえ起きたか!」

「…そうか私…倒れちゃったんだ…」

「聞いて驚けよ、さえ!」

「…?」

 懐妊していると隆広と医者から聞かされたさえ。

「え…!?」

 思わず自分の下腹部に触れる。

「私のお腹に…赤ちゃんが?」

「その通りです奥方様。これから私の診療所で産婆を務めています女を呼んでまいりますので、改めて彼女から診断を受けるがよろしい」

「は、はひ」

 医者は自分の診療所に戻っていた。

 

「さえ、大手柄だぞ!」

「そんな、まだ男子と決まったわけでは…」

「何を言っている。男だ女だ関係ない。俺とさえの子供じゃないか」

「お前さま…」

「さあ、今日からさえの体は、さえ一人のものじゃない。ゆっくり休んでくれ」

「はい」

 言葉に甘え、さえは横になった。

「ありがとう、さえ。大好きだ」

「私も…」




ホームページに連載開始する前、一緒に物語を考えた佐野楽人君と謙信3万、隆広二千で何とか勝たずとも突破する方法はないものかと思案を重ねて、ようやくたどり着いたお話が、今回のお話にある信玄の姿形をして突撃するということでした。
まあ、実際にこんな方法取ったら謙信公激怒するでしょうがね…。


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外伝さえ 六【九頭竜川治水】

 私のお腹に赤ちゃんが…。

 

 さえは嬉しかった。身投げしようとした自分がまさか母親になれる日が来るなんて。良人と一生懸命子作りに励んだかいがあった。良人も大喜びだ。何かと云えばすぐにお腹に頬ずりしている。早く赤ちゃんに会いたい、母上と呼んでほしい、さえは生まれる子のことを考えると胸が高鳴って仕方なかった。

 

「お前さま、名前は考えてあるの?」

「うん、男なら竜之介だ」

 それは良人隆広の幼名である。つまり水沢家の世継ぎと云うことだ。武家の母親にとって息子が家の世継ぎになるのは最たる喜びである。

「この子が世継ぎに」

「おいおい、俺だってまだ十九だぞ。当分現役だよ」

「うふ、そうですね。で、女子ならば?」

「監物と八重に考えてもらおうと思う」

「良かった…。織田の大殿みたいに奇妙な顔だから『奇妙』とか三月七日生まれだから『三七』とか適当につけられてはかないませんもの」

「あはは」

 

「殿」

 侍女頭の八重が来た。

「なんだ」

「私の息子、直賢が目通りを願っております」

「通してくれ」

「お前さま、私は外します」

「いいよ、一緒にいてくれ」

 

 吉村直賢が隆広の部屋に来た。軽く頭を垂れたあと

「姫様、御懐妊祝着に存じます」

「ありがとう直賢殿」

「今後は滋養をつけねばなりますまい。母の八重に名卵と鯉を渡しておきましたゆえ、食して下さいませ」

「まあ」

「直賢、俺にはないの?」

「ありません」

「ちぇ」

 笑い合う隆広、さえ、直賢。

 

「しかし、殿には名卵と鯉よりも良き知らせを持ってまいりました」

「え?」

「九頭竜川の治水資金、用意できましてございます」

 びっくりした隆広とさえ。

「そ、そ、それまことか!」

「はい、それがしを召し抱える時に御注文ありました治水資金、用意整いました」

「さ、さえ、監物と八重を!」

「は、はい!」

 さえが大急ぎで監物と八重を呼んだ。

「総額八万貫にございます」

「そ、それだけあれば九頭竜川に今後氾濫の二字はない!」

 直賢の手を握り、何度も礼を言う隆広。そしてその後にさえのお腹を頬ずり。

「良いことは重なるものだな~」

「んもう、お前さま直賢殿の前ですよ」

(でも本当、良いことは重なるわ)

 隆広の頭を撫でながらさえ

「お見事です、直賢殿」

「恐れ入ります姫様」

「ようやった弥吉(直賢)」

 少し申し訳なさそうに言う監物、武技がダメで算術に長けていた息子をずっと認めなかった負い目か。八重も同じ気持ちだったかもしれない。

「ああ…。武士が算術に長けていても仕方ないと幼き日のそなたを叱った思慮のない母を許しておくれ…。そなたは越前の守り神とも…」

「お、大げさでござるよ母上…」

 

 床の間に置かれる朝倉景鏡の甲冑を見つめる隆広。

「舅殿も喜んでくれよう…。あの地形図を見れば九頭竜川の治水が、どれほどの悲願であったか、よく分かる」

「お前さま、ありがとう…」

「殿、景鏡様が描かれた地形図は未完と聞いていますが」

 と、直賢。

「ああ心配いらない。俺が引き継いで、すでに完成しているよ」

 驚いたさえと監物。

「お、お前さま、それ本当ですか!?」

「殿が完成させたと!?」

「あれ?言ったことなかったか」

「初耳です!引き継いで完成させてみせると言って下さいましたが、お前さまは戦や内政でそんなゆとりも!」

「まあ戦の時は無理だったが、内政の時は指示を与えてからいそいそと九頭竜川に測量に行っていたよ。さえとの約束はすぐにやりたいからな」

「お前さま…。私、嬉しい!」

 泣き出してしまったさえ。

 現在、その地形図は北ノ庄城の図籍庫に保管してある。領内の地形図だから個人所有は出来ない決まりなのだ。

「治水資金は出来た。図面もある。あとは実行あるのみだ」

「はい!」

「じゃあ、さっそく殿に報告だ」

 

「殿お待ちを、一つ難題が残っています」

「難題?」

「工事を委ねられる人材にございます」

「あっ…」

「殿も治水技術はお持ちですが、殿は今城下町拡大の主命を受けておいでです。兼務などできますまい」

「確かに…。俺が指揮を執りたいのは山々だが…」

「それがしの知る限り、織田の家中で治水にもっとも長けているのは三成殿の舅の山崎俊永殿。お借りできませんか?」

「難しいな…。山崎俊永殿は磯野家の家臣だぞ。しかもこんな大事業、たとえ同じ織田家でも他家の臣にやらせることなんて殿が許すはずがない」

「確かに…」

「大殿の直臣の中で治水に長けた者がいたとしても、大殿が治水ごとき自分の裁量で出来ないのかと殿を判断するのは明白だ。借りられない。柴田で見つけて登用するしかない」

「お前さま、佐吉さんは?」

「いや、佐吉も俺と共に城下町の拡張を行わなければならない。ちょっとな…」

 

「困りましたな…」

「いや、すまん直賢、治水資金の調達を要望しておいて、いざ揃えてくれたら人がいないとは面目ない」

「いえ殿のせいではございませぬよ。そう簡単にあの川を治水できる者など見つからなくて当然にございます。何にせよ、一度この件を勝家様に報告しては?」

「そうしよう。今日殿はいるはずだ。一緒に来てくれるか?」

「承知しました」

「よし、出かけるぞ、さえ」

「はい!」

 

 隆広と直賢が出ていった。玄関先で見送ったさえ。二人の背中が何とも頼もしく思う。その横にいた監物が言った。

「よもや八万貫とはのう…。儂の倅は大した男じゃったんじゃなぁ…」

「直賢殿は父上にも同じく治水資金を渡したと聞いています」

「はい、しかし景鏡様はそれを儂に教えてくれませなんだ。殿が直賢を登用する時になって初めて知りましたからな」

「どうして父上は監物に言わなかったんだろう」

「小賢しいと思うだけ、そう思った倅は景鏡様に口止めを願ったのでしょう」

「小賢しい…」

「武骨な儂には理解できない倅の才覚でした。いや理解しようとしなかった」

「母親も一緒です」

「伯母上」

「でも今なら分かる。弥吉の才の素晴らしさが。ね、お前さん」

「うむ…」

「息子にはいい父母ではなかったのだから!孫にいいおじいちゃんとおばあちゃんになればいいのよ!」

「うん!伯母上の言う通り!」

「たっははは」

 

 九頭竜川の治水は隆広の家臣である石田三成が担当することになった。図籍庫から地形図を持った三成が隆広を訪ねたが、隆広は帰宅しておらず

「それでは御家にある景鏡殿の甲冑に目通りを」

 と、頼んだ。さえは快諾して三成を家に入れて景鏡の甲冑を置いている床の間に通した。

「すでに墓前でそれがしが工事の総奉行になったのは伝えましたが、これをお見せしたくて」

「父上とあの人が作った図面ですね」

「はい、墓前では地につけることになるので、こちらに」

 監物と八重も来た。大きな図面を広げていく三成。

「景鏡殿、これが完成図です」

 図面に見入った一同、九頭竜川全域地形図、南は景鏡製図、北は隆広製図である。

 

「見事な…」

 思わずうなる監物。

「父上とあの人の共同作業なのね…」

 “いつか、さえの婿殿とこの仕事をしたいものだ”かつて景鏡が言った言葉が思い出される。一度も合わずとも父と私の愛する良人は一緒にこんな素晴らしい仕事をしたのだ。そう思うとさえの心は嬉しさで一杯だった。

 

「完成したものを見たいだろうと思いました。ありがたく使わせてもらいます」

「佐吉さん…」

「僭越ながら名前もつけさせてもらいました。『広鏡図』」

「広鏡図…」

「はい、隆広様の『広』、景鏡殿の『鏡』を合わせました」

 絶妙な名前に感心してしまうさえ。そして嬉しい。

「ありがとう佐吉さん!」

「それがしもこんな大仕事の責任者は初めてにございます。奥方様のお父上に褒められるよう頑張ります」

「はい、私もたまに給仕に伺わせてもらいます」

「はっ」

 

 粋なことをする、帰宅して三成のことを聞いた隆広は静かに微笑んだ。

「お前さまは良き家臣に恵まれています」

「妻にもな」

「まあ(ポッ)」

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 石田三成の九頭竜川治水、これは彼の功績の中で三指に入るものであったろう。彼の治水によって九頭竜川は二度と氾濫することがなく、何より出来栄えは山水画のごとく美しかった。

 雑草だらけの沿岸も整備して美田に作り替えた彼は九頭竜川沿岸に住む民に大変感謝され、三成はこの地で豊作の神として敬われることになる。

 

 後年に柴田明家の側近中の側近となる彼の家臣には、九頭竜川沿岸の町や村の出身者が多かった。彼らは石田家で九頭竜衆と呼ばれ、三成の馬廻り衆を務めて四国攻め、九州攻め、関ヶ原の戦いや徳川領進攻戦、日欧と日清の役にも活躍して主君三成を助けた。

 そして柴田家の天下統一後は時に政治家として怨みを被る三成を守り続けたのだ。

 

 

 工事期間五ヶ月、勝家は半年と言い渡していたが三成は一月早く成し遂げた。

 さえは工事期間中時々訪れていた。そして女たちと一緒になって給仕に励んだ。父の景鏡が断腸の思いで中止した九頭竜川の治水、それを良人が叶えてくれるのだ。身重だったがジッとなんかしていられなかった。

 

 そして完成した日、さえは良人と共に九頭竜川沿岸を訪れた。工事に携わった者たちが宴を開いている。みんな難工事を成し遂げた喜びでいっぱいであった。

「見事な仕事だ」

「本当に…」

 夜のとばりのなか、良人と共に沿岸を歩くさえ。

「お前さま、ありがとう…」

「ん?」

「父が断念せざるを得なかった事業を継いでくれました」

「ははは、それなら佐吉に言ってくれ。俺は何もしていないよ」

「でも佐吉さんの治水術はお前さまから学んだこと、そして工事資金を用立てた直賢殿を蘇らせて登用したのはお前さま、私はお前さまが成し遂げたと思っています」

「俺じゃこんな山水画のようにはいかない。しかし嬉しいよ、さえがそう思ってくれて」

「かつてこうして父と九頭竜川の沿岸を歩きました。九頭竜川は大人しいのにどうして工事をするの?と聞いて」

「何と答えられた?」

「九頭竜川には色んな顔がある…。今のようなおとなしい顔、そして名前の通り、怒れる竜神様のような恐ろしい顔」

 幼いころであったが、大好きな父の言葉ゆえよく覚えている。

「台風が来れば暴れだし、人々の汗水の結晶である田畑を一瞬で沈め、そして人々を飲み込んでいく。でも九頭竜川は越前の人々に恵みもくれる川。父は九頭竜川を退治しているのではない。仲良くしてもらうため、ちょっと手を加えさせてもらっている」

「正しいな」

「はい、幼いころにはよく分かりませんでしたが」

「こう締めくくっていなかったか」

「え?」

「『治水とは川を押さえこむ技ではない。その恵みを賜る技なのだ』」

「……!?」

 驚いたさえ、まったくその通りに父の景鏡は言っている。優しい微笑を浮かべる隆広。

「な、なんで分かったんです?」

「なんでかなぁ…。舅殿の地形図を見てそんな感じがした」

「お前さま…」

 優しくさえを抱きよせた隆広はそのまま唇を奪った。月明かりで二人の影が重なり、そして九頭竜川の静かなせせらぎが心地よかった。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 年の暮れとなった。師走のいま水沢家も色々と忙しい。さえも正月の準備に追われていた。そんなある日の夜、良人隆広は相変わらず自分の膝枕とお腹を満喫している。しばらく堪能すると、やっと膝枕を離れ

 

「さえ、すまないが正月は一緒に過ごせそうにない」

 話によると、隆広は勝家と前田利家と共に安土に行き大評定に参加すると云う。名誉なことだ。正月を一緒に過ごせないのは残念だが。

「三日後には発つよ、しばらく会えないが体には注意してな。もうそなただけの体ではないのだから」

「はい」

 

 年が明けて正月になった。年始の挨拶はさえが身重ゆえ差し控えるようにと奥村助右衛門が事前に家臣たちに通達している。さえは監物や八重、直賢や絹と言った縁者のみと静かな正月を過ごした。

 

「はい幾弥殿、お年玉よ」

「わあ、ありがとう奥方様!」

 直賢の嫡子幾弥にお年玉をあげたさえ。

「ありがとうございます姫様」

 礼を述べる絹。

「昨年は直賢殿が見事九頭竜川の治水資金を用立ててくれて、そして越前の民の悲願である治水も成し遂げられました。本当によい一年でした」

「はい、私も良人直賢を誇りに思います」

「今年は私も母親になるし。絹殿、母親として私は後輩、色々と教えて下さいね」

「はい、微力ながらお助けいたします」

 と、言いつつ絹もまた懐妊していた。

「生まれ来る私たちの子、友となれたら良いですね」

「幾弥同様に水沢家の良き家臣になれるようしつけるつもりです」

一通りの話を終えると、さえは別室に行き横になることに。何せ身重だ。絹が一緒に付いていった。

 

 お年玉をもらったあと、幾弥は祖父母のもとに行った。

 八重に抱きついて甘える幾弥。

「おばばさま~」

「おう、よしよし」

 その様子を微笑んで見つめる監物と直賢。

 

「聞いた。幾弥を後年武将に取りたててほしいと勝家様に願ったそうじゃな」

「はい」

「何故じゃ。そなたの後を継げば戦で死ぬこともないぞ」

「ははは、絹にも大変叱られました」

「そりゃあそうじゃろう」

「それがしは商人司を世襲にする気はありません」

「なぬ?」

「交易はそれなりに才知と実力を備えた者が陣頭に立つべきなのです。だからそれがし隠居する時は部下から後継者を指名します」

「それは殿の?」

「いえ、それがしの考えでございます」

「ふうむ…」

「だから幾弥に初代吉村家を立ち上げてもらいたいと」

「そのために武将にしたいと」

「そうです、幾弥が絹や母上に甘えられる正月は今年で最後となりましょう」

「そ、そんなに厳しい師をつけるのですか?」

 

 幾弥は八重に抱っこされながら寝てしまった。孫の寝顔を見つめていた八重が直賢に訊ねた。

「殿は当初永平寺の高僧である宗闇和尚を見込んでいたようですが」

「「そ…!?」」

 絶句する監物と八重、永平寺の高僧宗闇と云えば越前で怖い坊主の代名詞となっている僧侶だ。宗闇和尚が来るぞと言えば越前の童子はみんな泣きやんだと言われている。まさに泣く子も黙る厳しく恐ろしい僧侶なのだ。

 

「しかし絹が殿に宗闇和尚だけはお許しをと願い出て…」

 直賢は大乗り気だったが、絹は宗闇の名前を聞くや腰を抜かさんばかりに驚き、大急ぎで水沢邸に走り、隆広に宗闇和尚だけはやめてくれと泣いて頼んだ。

「殿は女の涙に弱いですからな。あっさり頼みを受けてしまいました」

「いや、殿は正しいぞ。宗闇和尚じゃ幾弥が可哀想じゃ」

 と、監物。後年にその宗闇は隆広嫡子竜之介の学問の師となる。

 さえもまた宗闇和尚だけは許してほしいと懇願するが、それは勝家の推薦であり隆広も断れなかった。

「殿も養父長庵様に厳しく育てられたから今がある。宗闇和尚なら長庵様に引けを取らないと思っていたのに残念でございます」

「とんでもない。幼い幾弥には無理ですよ」

 八重も添えた。

「師は福志寺の立慶殿の紹介で丸岡の林照寺の僧、正臨殿と相成りました」

「どんな師なのです?」

「若いがかなりの学識と伺っています」

 

 話をしていると絹が来た。

「殿、義父上、義母上、姫様が気分の悪さを訴えております」

「なに」

「白湯を飲んで横になっていただきましたが」

 八重が動いたので幾弥は起きてしまった。

「あらあら、ごめんなさい幾弥」

 幾弥を絹に渡した八重。

 

「ふうむ、殿のいない寂しさもあるやもな」

「そんな父上、殿が安土に行って数日ですぞ」

「それほど姫様は殿に惚れていなさると云うことよ」

 よっこいしょと立ち、監物もさえの伏所に歩いていった。

 

 出産前の不安も相まってか、さえは体調を崩して横になった。

 白湯は何とか飲むものの

「姫様、食べなければお体とお腹の子に…」

「ごめんなさい、分かっているのですけどどうしても喉を通らないのです…」

 これは早く愛する良人に帰ってきてもらうしかない、そう思う八重だった。

 

 

 やがて安土大評定を終えて北ノ庄に帰ってきた隆広。

 身重の愛妻の元に隆広は急いで駆けた。

「ただいま―ッ!」

 いつも門まで出迎えに来てくれるさえの姿がなかった。

 変わりに侍女頭の八重が出迎えた。

 

「殿様、安土からの旅路、お疲れ様でした」

「八重も留守をありがとう。さえの容態は?」

「それが…ここのところ食欲もなく…」

「なんだって?」

「おそらく…殿様が側にいてくれなくて寂しいのかと」

 務めだから仕方ない…。さえはそう思い留守がちの良人を責めないが、本心はやはり寂しがっているのである。八重が代弁してくれたことを隆広は感謝した。

「すまん」

「さ、お早く姫の元に!」

「うん」

 

 廊下の足音でさえは目覚めた。

「あの人が…」

「おお、姫様、寝ておらぬと…」

「監物、あの人が帰ってきたのね?」

「左様です!」

「ああ…早くここに…」

「さえ!」

「お前さま…!」

「さえ…会いたかった!」

「私も…!」

 精気を取り戻したさえの顔に安堵する監物だが

(しかし大げさよなぁ…。まるで何年も離れていた夫婦の再会だが、実際は十日しか離れておらんぞ…)

 

 監物や他の侍女たちも気を利かせて部屋から出た。出産間近なので抱くことはできないが、さえは良人の口付けと優しい愛撫に満足すると横になった。

「お前さまの顔を見たら安心して…お腹が空いてきました」

「そうかそうか!」

 時間を見計らい、八重が葱を入れた粥を持ってきた。美味しそうな匂いにさえは起き上がった。

「美味しそうな匂い…」

「これは美味そうだな、どれ」

「ほら、アーン」

「アーン」

 スルリと粥はさえの口に入った。

「アツツ!」

「あはは、ほらゆっくり食べろよ」

「うん」

 

 粥を食べ終わると、洗濯したての手拭でさえの口を拭った。

「ごめんな、さえ。身重で、しかも初めての出産で不安も大きいだろうに…ろくに側にいてやれなくて」

「そんな…」

 

 さえは隆広の顔を見て、この時は理解ある妻をやめた。少し責められた方が良人はらくになると思ったからだった。

「…まったくです。あなたの子を産むのですよ。そんな妻を放っておいたらバチ当たります」

「そうだなァ…」

 さえのお腹を愛しく撫でる隆広。でも現実、隆広はこれから忙しくなることはあっても、暇になることはない。

 

「でも…ごめん、ごめんな。働かなくちゃ俺」

 申し訳なさそうにさえに詫びる隆広。

「うん、今ので気が済んだから、もう我儘言いません。お前さまはさえ一人のものではないですもの」

「だから、こうして二人になれた時は離さない…。このお腹にいる子にだって邪魔はさせないぞ」

「んもう、お前さまったら」

「さえ、今日は安土から帰って来て少し疲れたよ。このままここで眠っていいかな?」

「うん、一緒に寝ましょう、お前さま」

「……」

 

 隆広はそのままさえの横に体をくずし、すぐに眠ってしまった。

「疲れておいでだったのね…。それなのに私にお粥を…」

 起こさないよう、さえは静かに甲冑を脱がせた。頑是無い子猫のような寝顔を見て信長が良人をネコと呼ぶのが少し分かる気がしたさえ。良人が帰って来てさえも安心したのか、そのまま彼女も眠りについた。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 いよいよ出産まで秒読みに入った。さえはなるべく動いた方が良いと医者に言われており出来る家事はやっていた。そして八重と出産について話す。

 

「伯母上、血の儀式なのですからやはり馬小屋で産むべきでしょうね」

「はい、いつでもお運びする準備は整えておきます」

 

「おう、何の話だ?」

 隆広が部屋に来た。

「はい、出産する場所について話していました」

「場所?」

「出産は血の儀式、やはり通例どおり馬小屋にて」

 次の瞬間、隆広の顔が真っ赤になった。そして初めて

 

「そんなことは絶対に許さないッ!!」

 さえに怒鳴った。驚いたさえと八重。何故怒る。かの聖徳太子も馬小屋で生まれたのだ。現代の時代劇では出産はたいてい屋敷内で行われているが、これは誤りで馬小屋もしくは納屋などで出産は行われている。血の儀式として生まれる子宝は大切でも出産そのものの行為は忌み嫌われていたのだ。

 当時を生きるさえと八重には普通の常識として理解していることだった。

 しかし隆広には許せないことだった。

 

「掃き清めて、壁も拭いたうえの清潔な部屋で産むんだ!馬小屋なんてとんでもない!屋敷内で産まなければ許さないぞ!!」

「お、お前さま…」

「と、殿様、お言葉ながら出産は血の儀式、武家に凶事をもたらすことに」

 八重が言ったが隆広は応じない。

 

「血の儀式ではない。神聖なものだ」

「殿様…」

「凶事をもたらすなら、人の世はとっくに終わっている。つまらない因習にこだわるな」

 

 現代からすれば隆広のこの観点は当たり前だが、当時としてはまったく考えられないことだった。まだ戸惑うさえと八重に

「今に俺がそんな悪しき慣習、根こそぎ無くしてやる!」

 

 隆広は正直言うと驚いていた。

 かけがえのない我が子を生んでくれる妻に対して馬小屋で出産しろなんてとんでもないことだ。何より出産する当人であるさえ自身が当たり前のように認識していることに唖然とした。

 血の儀式を屋敷内で行ったなんて水沢家の将兵が知ったら士気に関わる。どうしようとさえは迷ったが、隆広は侍女たちに命じて一室をとことん綺麗に清掃させ、布団も真新しいのを買って用意した。観念するしかないさえは良人の言う通り屋敷内で産むことを決めたのだ。

 今日か明日か、今にも生まれそうなさえのお腹。そのさえが隆広の朝食の給仕をしている。

 

「おかわり」

「はい」

 さえはそんな体調でも隆広の食事は自分で作った。大事な体なのだからいい、と言っても『医者になるべく動くように言われていますから』と笑顔で応える。料理は相変わらず愛情こもった美味しいものだった。朝から三杯食べてしまう。

 

「今日の朝餉もまた格別だ」

「うふ、ありがとう、お前さま」

 腰に刀を差して立ちあがる。出仕の時間だ。隆広は気が気でない。

 いつお産が始まるのか。

 

「心配しないでください。伯母上がついていますから」

「う、うん…」

「ほら、今日は城下産業の打ち合わせと言っていたではないですか。遅れますよ」

「わ、分かったよ」

 後ろ髪引かれる思いで家を出た隆広。心底自分を案じてくれている良人の気持ちが嬉しい。

(あの人のためにも丈夫で元気な子を生まなくちゃ!)

 

 隆広が屋敷を出たあと、さえは庭を軽く歩き回った。

「よいしょ、よいしょ」

 そこに八重が来た。

「姫様、そんなに無理をされては」

「座っていても落ち着かないのです。大丈夫、やや子、しょっちゅうお腹を蹴るんだもの」

「まあ」

「父上に似ず、暴れ者なのかも…」

「姫様?」

 さえは膝をついた。

「アイツツツ…」

 産気づいた。八重が急ぎ

「お前さん、みんな!庭に来て!奥方様が産気づかれたわ!」

「なにこの痛み…。うわぁ…想像以上じゃない…」

 

 急ぎ用意されていた部屋に搬送されたさえ。

 いつでもお産が始まってもいいように隆広はその部屋の清掃を半日ごとにさせていた。産婆も駆け付けた。

「八重、頼むぞ!」

「分かっているわお前さん、それより早くお城の殿へ!」

「分かった!」

 

 

「ああああああッッ!!」

 激痛に悶えるさえの叫びを背に監物は城に駆けた。

「はぁふぅ、門番さん」

「おう、水沢家にいるじい様ではないか、…まさか」

「その通りですじゃ。当家の奥方が産気づかれた。殿にお知らせを」

「承知した!すぐに帰宅するように伝える!」

「かたじけのう」

 

 監物はトンボ返りして屋敷へと駆ける。

「ああ、姫様姫様、気張りなされ!」

 お産とはこういうものなのか、初産のさえには地獄のような痛みだった。

「あううううッ!!」

「気張りなせ!もう少し!もう少し!」

 

 産婆も必死に励ます。地獄のような痛みでも、いま自分は愛する良人の子を生んでいるのだ。体は痛みで苛まれても心は歓喜であった。

 玄関の方で大きな音がした。誰かが転んだのだろうか。

 

「さ、さえーッ!!」

 あの人だ、私を心配するあまり大慌てで帰ってきたのだろう。心配無用、さえはこの戦やり遂げます。

 

 帰ってきたのは良いが隆広がやることは何もない。ただ屋敷の中でウロウロしているだけだ。生きた心地がしない。さっきからさえの苦痛の叫びが聞こえてくる。

「俺に何か出来ることはないのかな。さえがあんなに苦しがっているのに」

「男と云うものはこういう時、何の役にも立たぬものです」

 と、たしなめる監物。我ながらよく言う、隆広が来る前は自分が屋敷内をウロウロとしていたのに。やがて…。

 

「おぎゃあ、おぎゃあ」

 

 思わず抱き合った隆広と監物。急ぎ八重が来た。

「母子ともに健やかにございます!」

「そうか!」

「若君にございます!」

「男の子か!」

 監物は旧主景鏡の甲冑に手を合わせた。

「殿!お孫さまの誕生でござるぞ!」

 後の大坂幕府二代将軍柴田勝明の誕生の時であった。

 

「さえ―ッ!」

 隆広はさえがいる部屋へと駆けた。そして愛妻の横でスヤスヤと眠る赤子を見つけた。

「お前さま…」

「さえ…お疲れ様。もうそなたを褒める言葉も見つからないよ…。大手柄だ」

「はい…」

「これが…俺たちの子か」

「はい…」

「男子だが…顔はそなたに似ているな。さぞや美男になるだろうな」

「どんなに美男に成長しても…この日の本では二番目の美男子です」

「一番は誰なんだ?」

「んもう…分かっているくせにぃ…」

 

 赤子を取り上げた産婆も、場の空気を持て余し、いそいそと部屋から出て行った。監物も一目赤子を見て、部屋の外で八重と共に待った。

「今頃…殿もあの世で喜んでいよう…。初孫じゃ」

「そうですね…。弟景鏡の分まで可愛がってあげなきゃ…」

「しかし、女の子なら名付け親になれた儂らなのにのォ。少し残念じゃ」

「何を申しますか、さえ姫様はまだ十九歳です。いくらでも子は出来ます」

「そうじゃな、あははは」

 

「け、監物殿―ッ!」

 侍女が慌しく廊下を駆けてきた。

「これこれ!静かにせねば若君が起きて…」

「か、か、か!」

「『か』では分からんだろうが」

「勝家様がお越しです!」

「な、なぬ!八重、急ぎ出向かえじゃ!」

 

 隆広の元にもそれが知らされた。

「殿様!」

「どうした八重?」

「ご主君、勝家様がお越しにございます!」

「え!」

「お前さま、早くお出迎えを」

「分かった、さえは寝ているがいい」

「はい」

 

「かまわんかまわん!出迎えなどいらん!」

 勝家はすぐに隆広たちの元にやってきてしまった。

「おお!」

「と、殿?」

 さえは産後のだるさがあったが、勝家の前で寝ているわけにもいかず起き上がろうとするが

「よいよい!寝ておれ!」

 生まれた赤子の元に嬉々として走る勝家。

「おおッ!大手柄じゃぞ、さえ!」

「は、はい」

 

「本当に大手柄ですよ、さえ!」

「お、奥方様!?」

 何と、お市まで隆広の屋敷にやってきていた。またさえは起き上がろうとするが、お市に静かに制された。

「おお、どう抱いたら良いのじゃ、お市よ教えてくれ!」

「こうですよ、ああ…なんとかわいらしい」

 

 隆広とさえ、他の水沢家の者たちも茫然としていた。

 家臣の子の誕生に城から大急ぎでやってきて、しかも勝家だけならまだしも、お市まで来て嬉々として赤子を抱いている。

 家臣の子の誕生にしては異常な喜びようである。

 

「どうなっとるのじゃ…八重?」

「いや…私も…」

「まるで初孫の誕生を喜ぶかのようじゃ…」

 

 まだ秘事ゆえ分からないことだった。勝家とお市にとっては初孫である。

 こんなに嬉しいことはない。鬼や閻魔と呼ばれる勝家がこんな優しく嬉しそうな顔をするとは。

 

「隆広、名は決めてあるのか?」

「は、はい。それがしと養父の幼名である『竜之介』と…」

「竜之介か!よい名じゃ!」

 お市は愛しく竜之介の頬に頬擦りしていた。

(おばあちゃんですよ竜之介、ああ…赤子の時の隆広と同じ顔…。何と愛しい…)

 

「奥方様…」

「あ、ごめんね、さえ。母親から取り上げちゃうなんて」

 お市はさえの横に竜之介を優しく寝かせた。

「隆広」

「はい」

「丈夫に育てよ」

「はい!」

「守り刀を与える」

 勝家は自分の腰に差していた刀を隆広に与えた。

 

「『貞宗』…!これを竜之介に!?」

「うむ」

「あ、ありがとうございます!」

「こらこら、お前にやるのではない。竜之介にやるのだぞ」

「はい!必ず丈夫に育て!元服の折に授けます!」

「うむ、体を厭えよさえ、隆広に思い切り甘えるが良い」

「はい…!」

「ん、では帰るぞお市」

「はい」

 

 勝家とお市は隆広の家を後にした。

「ふうビックリした。まさか殿があそこまで俺たちの子の誕生を喜んでくれるなんて」

「ほんとです」

「しかし…俺も今日から父親か」

「私も今日から母親です」

「そうだな。俺たち、いい父上と母上になろうな」

「はい、お前さま」

「さ、疲れただろう。今日のところはゆっくり眠るがいいよ」

「うん…」

 さえは隆広の言葉に安心すると静かに眠りについた。

 そのさえの横でスヤスヤと眠る我が子竜之介。

 その日は一日中、産後の疲れでぐっすり眠る愛妻の寝顔と、眠る我が子の顔を飽きることなく見ていた隆広。

「この寝顔を…俺は一生守る…!」




ニコニコ動画版のアイドルマスター×天地燃ゆ『社長水沢政勝』ですが、隆広(動画版では政勝)は、この時系列のあと間もなく現代へ魂が飛ばされてしまい、赤羽根賢志という若者に憑依します。アイドルを自分の出世のための踏み台程度しか思っていない冷酷なプロデューサー赤羽根、彼の死と入れ替わるように隆広が乗り移ります。

そして彼は現代でも悪徳又一という頼りになる老将を側近にして、各オーディションに落ちまくっている不遇なアイドルたちを集めて事務所を旗揚げ。快進撃が始まるというお話です。

アドレスは小説トップ画面にありますから、よろしければ見てチョンマゲ。


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外伝さえ 六【側室騒動】

 竜之介の誕生からほどなく、水沢隆広には武田攻め総大将の織田信忠の寄騎として参戦せよと織田本家から通達があった。

 

 これより少し前、隆広は山内一豊の元を訪れ江北地震に巻き込まれたが無事に帰還している。しかし背中に裂傷を負い山内家の丁重な手当てを受けて帰って来たばかりであった。今は傷も治っている。

 

 良人隆広は自分の軍勢二千と勝家から与えられた五千も合わせ七千もの大軍で出陣する。正室さえもその準備に追われた。隆広の屋敷には米問屋や馬問屋が慌ただしく行き来していた。算盤を弾いて帳面に記載し商人たちに代価を払うさえ。三成が来た。甲斐までの行軍と滞陣に対して十分な備えが出来たとさえに言った。

「さすが佐吉さん、兵糧の確保は万全ね」

「はい、それは滞りなく。それはそうと奥方」

「はい?」

「産後間もないのですから、そうした雑務は我らに任せて」

「いやね、そんな腫れ物に触るみたいに。大丈夫です」

「はあ…」

「米以外の食材の確保は我ら女衆がやっておきますから、佐吉さん、いや三成殿は弾薬と人足の確保を」

「承知しました」

 

 額の汗を拭い、さえは生き生きと働いていた。こうした裏方の仕事一つ一つに良人の無事を願う心を込めている。怠けてなんかいられない。祝言直前、前田利家の妻まつが祝言の時に教えてくれた。ただ隆広殿に尽くすだけでは駄目なんだ、水沢家全体を見て行かなくてはならないのだと。

 本当にそう思う。私は柴田の侍大将水沢家の女将さんなのだ。その自負が多少の労苦など問題にしない。しかしそんな中でも

「姫様、お乳の時間です」

「はい、いま行きます」

 

 八重に呼ばれて屋敷の奥に行ったさえ。そこには水沢家の赤子たちが一杯眠っていた。大将隆広がまだ十九歳の若者だから兵にも若者が多く、子も竜之介と同じ赤子ばかり。戦の準備に男と女たちが追われる時は水沢家の母親や祖母たちが八重の元に集い子供の面倒を見ていたのだ。

 

「竜之介、母上でちゅよ~」

 満面の笑みで竜之介を抱きあげるさえ。ついさっき竜之介のオシメを変えた侍女見習いの千枝が

「奥方様、今日の竜之介さまのウンチは硬くて健康です」

「ありがとう千枝」

 ニコリと笑い乳房を出したさえ。

「さあ、たんと飲んでね」

 チュウチュウと美味しそうに母乳を飲む竜之介。

「まあ、美味しそうに竜之介さま」

「いつも乳が空になるまで飲むのよ」

 やがて満腹となった竜之介は豪快な放屁をしてスヤスヤと眠った。鼻を押さえて爆笑するさえと千枝だった。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 出陣準備も整え、いよいよ明日に信忠の居城である岐阜城に進発することになった。夜も更けてさえも眠たかったが寝姿で出陣前夜の良人を迎えるわけにはいかない。だが睡魔には勝てずウトウトしていると

「起きていたのか」

 隆広が帰ってきた。甲冑姿のままだった。

 

「はい、出陣前夜の夫を寝姿でお送りはできませんから」

 竜之介の寝顔をしばし見つめるとさえの前に座った隆広。

「武田家を攻めるそうですね」

「ああ、油断する気はないが、長篠合戦以降から武田の没落は明らかだ。勝てる見込みは十分あるが正直気の進まない合戦だ」

「お前さまは武田家の兵法を学んでいましたものね…。手取川の合戦では信玄公に化けてまで謙信公に突撃をして…」

「それもあるが…高遠の仁科盛信殿に仕える将の中に、俺に槍術を教えてくれた方がいる」

「お前さま、剣術だけでなく槍術も?」

「養父隆家と諸国漫遊をしている時、甲斐にも立ち寄った。その時、数ヶ月手ほどきを受けたんだ。槍の基本的な使い方を教えてくれた」

「そうだったのですか…。槍の先生が敵に…」

「うん…できれば高遠城を攻めたくないが、そうもいかないだろう。理想論かもしれないが…俺が大殿なら勝頼殿を降伏させ、改めて甲信を与えて統治させる。今後の合戦で大いに活躍してくれるだろうに残念だ。また恵林寺の快川和尚は…」

 

「……」

「…ん?」

 眠ってしまっているさえ。彼女も昼間の仕事で疲れていた。隆広はさえを起こさないように抱きあげて竜之介の横に寝かせ布団をかぶせた。しばらく飽きることなく愛妻と愛息の寝顔を眺めていた隆広。

 

「う~ん」

 さえが寝返りを打つと胸元がはだけた。我が妻ながら艶っぽいとしみじみ思う。

 やがて隆広は甲冑を脱いで風呂に入り、横になった。しばらくして

「おぎゃあ、おぎゃあ」

 起きた隆広。

「おお、どうした竜之介。よしよし」

 オシメを触れてみると湿っている。

「小便か、よしよし」

 枕元に置いてあるオシメを取って換える隆広。さえが起きると良人が鼻歌交じりに竜之介のオシメを交換していた。手際がいい。

「済んだぞ。湿った手拭で尿も拭き取ったから大事無い」

 茫然としているさえ。七千も率いる将帥の良人が息子のオシメを交換している。

 現代では不思議のない光景だが、当時では考えられないことだった。もうスヤスヤと眠っている竜之介。

 

「そなたは一日中竜之介と一緒にいるのだから、いる時くらいは俺にやらせてくれよ」

 さえは表にこそ出さなかったが、隆広の気持ちは涙が出そうなほど嬉しかった。夜泣きを鬱陶しがる亭主の方が多いのに、起きたら良人が全部済ませていた。

「ありがとう、お前さま」

「…ん?なんの礼だ?」

「いいの、うふ♪」

「しかし可愛くてたまらない寝顔だ。さえ以上に可愛い寝顔はないと思ったが竜之介の前では一歩ゆずるな」

「まあ、それは誇るべき敗北です」

「この頬の柔らかいのがたまらない」

 指で優しくつつく隆広。

「私の乳と云い、お前さまは柔らかいものがお好きなのですね」

「あはは」

 

「ずいぶんオシメを替える手際が良いです」

「寺の坊主をしていた時、近隣の子らの子守も修行の一つだった。つくづく養父が課して下された修行は何一つ無駄がなく実用向きだと思う。あははは」

 そう言いながら隆広は寝巻きのはだけたさえの胸元と足をチラチラ見ている。

「コホン、竜之介もまた眠りだしたし、我らも寝よう」

「…目が覚めてしまいました」

「ん?」

「出陣前の血のたぎり。鎮めて差し上げとうございます」

「疲れていないか…?」

「大丈夫です。お前様、私を…」

「うん、たっぷり堪能させていただく」

「んもう…助平な言い方しないで下さい」

 

 

 晴天、水沢勢は岐阜城へと出発した。さえや水沢家の女たちも見送る。

 その時だった。

「奥方様」

「星岡殿、どうしました?」

 それはさえの推薦で水沢勢の戦場料理人となった星岡茶之助だった。

「これは当家に伝わる秘伝の汁物の作り方です」

「汁物?」

「魚と野菜の捨てる部分を上手に活用し美味にする汁です。栄養もあるので乳の出がようなりますぞ」

「それは!ありがとう星岡殿」

「奥方が会得したら他の女衆にも」

「もちろん教えますわ。ありがとう」

「では」

 

 こうして水沢勢は織田信忠の寄騎として武田領に進行を開始した。今まで良人が戦場に出ると寂しかったが今は息子がいる。新米母のさえは毎日戦場だ。でもこれも承知のうえだ。

「子育てって大変だなぁ。でもその大変さがすごく幸せに感じる」

 

 話は少し時を戻すが、出産後に隆広と八重が乳母の人選をしていると聞くや、産後のだるさも忘れて二人のいる部屋へと殴りこんで

「乳母など不要です!竜之介には私の乳を飲ませて育てます!」

 すかさず八重が諭すように言った。

「正室はお家が大事。奥方様は水沢家の要です。それが子育てに忙殺されてはなりません。どこの武家でもやっています」

「…お前さまも同じ意見なのですか?竜之介に私以外の女子の乳を与えると!」

「それは不満だが、そなたが子育てに忙殺されるわけにもいかないのも事実だ」

「ならば、私はそれを見事両立してみせます。子育ても水沢家の奥向きの仕事も!」

「無茶言うな、体を壊すぞ!」

「越前女はそんな軟弱じゃありません!とにかく乳母はいりません。いいですね!」

 

 怒鳴って疲れたか、さえは再び自分の寝所に戻っていった。八重は困り果て

「困った姫ね、もう…。あんなわがままじゃなかったのに…」

「そう言うな、子供を取られたくない気持ちは分かる」

「はあ…」

「ただし、さえが両立できないと見た時はすぐに乳母をつける。人選は済ませておくように」

「承知しました」

 

『私の愛する竜之介に他の女子の乳なんてやるもんか』

 武家の女として、この考えは我ながらどうかとも思った。武家の男子は乳母が乳を与えて育てるものだ。分かってはいたが、いざ生んでみると受け入れられないさえだった。

 良人隆広は家の運営となると案外厳しいので両立できなければ、すぐに乳母をつけられることは分かっていた。だからさえは両立すべくがんばり、八重もまた温かくそれを支えた。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 さて、水沢軍が武田攻めに向かい、しばらく経った朝。

 

「ごめんなんしょ」

 水沢家の屋敷の玄関口、そこに農民の男が来た。千枝が応対すると

「奥方様」

 奥で八重と共に竜之介をあやしていたさえに報告した。

「殿の使いの方です。文を持参しています」

「本当に?」

 使いの男に会ったさえ。

「私が水沢の室さえです。良人の手紙を持ってきて下されたそうで」

「はい、あっしは岐阜城にてお殿様に召し抱えられた越前池田村の百姓二毛作と申しますだ」

「はあ…」

 

 どうみても水沢軍の正規兵ではない。しかし持っていたのはまぎれもなく良人隆広からの文だった。

「確かに」

「ご返事を」

「は?」

「お殿様は首長くして待っているに違いねえだよ」

「その方、渡した直後に返事をよこせとは」

 と、八重が叱ると

「だってそういう命令だもんよ」

「二毛作殿と申しましたね」

「んだ」

「失礼ながらどういう経緯で良人に仕えたのです?」

 

 二毛作、農民でありながら柴田明家に息子の末吉と二代に渡って仕え、三代になって士分となり柴田勝明の幕僚入りをする池田家の祖である。もっとも明家は自分が大名になると二毛作に士分取り立てを申し出ているが堅苦しい武家勤めはいやだと断られている。二毛作は水沢家ではなく水沢隆広個人に雇われた使い番だった。役目は戦場と城を往来し隆広とさえの文を運ぶことだった。

 

 水沢家が岐阜城にて陣をしいた時、二毛作は何とも大胆不敵に馬泥棒として隆広の前に現れた。しかも盗もうとしたのは松風である。だがあえなく松風に振り落とされて捕まってしまった。

『松風に乗りたかった』

 と、白州で隆広と慶次に言った。

 

『オラは馬の扱いなら誰にも負けねえ。しかし池田村の仲間たちが言うんだ。いかにお前でも前田様の松風は乗れまいと。だから岐阜城から乗って連れてきてやると啖呵切ってしまっただ』

 苦笑しながら二毛作の申し開きを聞く隆広と慶次。兵が

『こいつ馬盗人のくせに!』

 と、二毛作に蹴りを入れた。

「いて!ちきしょ!確かにオラは馬を盗もうとした!しかしオメらの殿様の織田信長は越前の国を盗んだじゃねえか!」

 隆広をしっかと指さして言った二毛作。

『こいつ!』

 槍の柄で叩いてやろうとした兵を止めた隆広。

『よいよい』

 

 フッと笑い隆広は言った。

『面白い男だ。しかし北条早雲殿のように、ただでは許せない』

 これと同じ場面であの北条早雲は『器量ある男よ、許してやれ』と無罪放免にしている。

『へん、煮るなり焼くなり好きにしろい』

『馬なら誰にも負けないと言ったな二毛作』

『ん』

『ならば俺と競ってみよう。見事俺に勝てたら構いなし(無罪)としよう』

 ゴクリと唾を飲んだ二毛作。

『オ、オラが負けたら?』

『さあ、どうしようかな』

 

 こうして隆広は二毛作と岐阜城の馬場で競争することになった。隆広の愛馬ト金は柴田家はおろか織田家一の俊足と言われている名馬。話を聞いてやってきた二毛作の妻子も心配そうだ。

『アンタ、なんて馬鹿な真似をしたんだよ、よりによって前田様の馬を奪うなんて』

『いや、なんか成り行きでな』

『父ちゃん!』

『心配すんな末吉、父ちゃんは頭悪いが馬だけは負けねえだ』

 岐阜城の馬場で二毛作は好きな馬を選んでも良いと言われた。しばらく馬場を見渡し

『あれがいいだ』

 と指名。しかしその馬は岐阜城の軍馬責任者でさえ持てあます暴れ馬だった。

 

 慶次は二毛作の目利きを見て

『ほう…』

 素直に感心した。隆広も同じ気持ちのようだ。

(なるほど馬なら誰にも負けないを自負するだけはある)

 二毛作がその暴れ馬に近づくと不思議と暴れなかった。たいしたものだと慶次。

『ふふ、これは隆広様危ないぞ』

 

 いよいよ競争が始まった。馬場を二周する勝負。先行して走るト金。一周は早くも過ぎ、もう次の角を曲がれば終点まで一直線だ。その角を曲がったト金。

『見込み違いか…』

 と、隆広が思った瞬間だった。二毛作は一気に差してきた。ものすごい追い込みの速さである。

『え…?』

 そう思った時は抜かれてしまった隆広とト金。見事二毛作は隆広に勝ったのだ。慶次は大笑い。

『先行逃げ切り、成らずですな、あっははは!』

『うん、悔しいが俺の負けだ。あっははは!』

 

 そして隆広は二毛作を無罪放免で許し、その馬の技術を見込んで

『どうだ、俺に仕えないか』

『水沢家に』

『違う、俺個人にだ。俺個人の用向きの使い番として、そなたを雇いたい』

 どう違うのか、よく分からないが田畑だけでは生活が苦しかった二毛作は喜んで了承した。

 

 

 話しは戻る。

「と、云うわけでお殿様と奥方の手紙を持って陣場とお城の往来のお役目を受けただ」

 面白い登用をされる、さえは苦笑した。

「分かりました。千枝、二毛作さんに食事とお風呂を」

「はい」

「と、とんでもねえ!」

「いいのです。じっくり読んで返事を書きたいですから」

 

 二毛作は高齢により馬に乗れなくなるまで、この役目を続けた。隆広とさえの恋文を運ぶ役目とはいえ命がけの仕事であるには変わらない。

 事実後年の徳川家康との尾張犬山の戦いでは捕らわれの身ともなっている。士分にすると云う申し出を受けていたら高禄を得られたかもしれないのに二毛作はこの仕事をまっとうする道を選んだ。それは主君と奥方の手紙を運び、いつまでも仲睦まじくあってほしいと云う願いがあったかもしれない。

 主君の家庭が温かいこと。それが水沢家、柴田家の繁栄となる。二毛作はそれを自負とし誇りとしていたのだろう。息子の末吉がそれを継ぎ日欧、日清の役の最中でも文を届け、やがて功績を認められ、二毛作の孫は大名となり柴田勝明を支える幕臣の一人となっていくのである。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 武田攻めは終わった。隆広はあまり戦場のことを話さない。どうでしたか、と訊ねても

「ああ、何とか勝つことが出来たよ」

 としか言ってくれなかった。ここで慶次のいたずら好きがうずいてくる。

「武田の松姫なる美女が隆広様と面識がありましてな」

「松姫、中将様(信忠)の婚約者の方」

「こう申していましたよ。『信忠様より先に竜之介殿を知っていれば私は貴方の妻になることを望んだでしょう』と」

 このくらいで夫婦げんかにならないことは分かっている。ただやきもちを妬くさえの顔が見たかったのだが、さえは思いのほか平然としていた。残念がった慶次だった。

 

 聞けば松姫と隆広は十二のころに会い、そして長じて敵味方に分かれ、良人隆広は何とか命を救おうとしていたと。結果松姫の命は助かり武州に隠棲したと云う。

「武田の姫か…。もしあの人が私と巡り合っていなければ水沢隆広の妻はその方であったかもしれない…」

 そう思うと何か縁を感じるさえ。

「どんな女性なんだろう…」

 後年に本能寺の変が起こり、織田信忠が死んだ。松姫の心痛いかばかりかと、さえは松姫に手紙を出している。二人の親交はそれ以降、死ぬまで続いたと云う。

 

 

 さて、武田攻めも終えた水沢家。同時進行して行われた加賀攻めも柴田勝家が総大将になって勝利し念願の加賀の地を手に入れた。隆広は新領地の加賀の検地、治水、開墾、民心掌握のため一時期加賀の鳥越城の城代を任された。その出発準備中のある日。

 

「お前さん、行くたびに源吾郎殿の屋敷で昼食を御馳走になっていちゃ迷惑よ。はいお弁当」

「そうじゃな」

 八重が監物に手弁当を渡すのを見たさえは

「あら、今日も監物はどこかに出かけるの?」

「お、あ!いやいや!あははははは!」

 と、笑ってごまかして出て行った。

 

「…?どうしたの伯母上、このごろ監物は変よ」

「そ、そうですか?私にはいつもと同じようにしか。あははは!」

 八重も笑ってごまかして逃げた。監物と同じように八重も時々出かけて行く。

 最初は気にもならなかったが

 

「…あやしい」

 さえは敏感に何かを隠していると察した。そのさえの後ろを通りかかった侍女見習いの千枝に訊ねた。

「千枝」

「はい」

「加賀内政の準備に追われていると云うのに監物と伯母上は私に行き先を告げずに出かけていくことがしばしばです。行き先を聞いていますか」

「い、いえ、私は」

 まずいと思った千枝はいそいそと立ち去ろうとしたが、千枝の腕を掴んださえ。

「お、奥方様」

「言いなさい」

「…お八重様に私が言ったとは」

「約束します」

「当家の御用商人である源吾郎殿の屋敷に行っているのです」

「え?」

「それ以外には存じません」

 

 加賀内政の準備のため当然ながら御用商人の源吾郎も働いている。

 だから監物と八重が仕入れ等の確認で源吾郎の屋敷に行くことは不自然ではない。でも何故自分に隠して行くのか。よくよく考えれば隆広も何か変だ。何か言いだそうとしてやめてしまったり、八重や監物から何か報告も受けていた。何かみんなして隠している。さえは確信した。

 

「みんなして私に隠しごとなんて…」

「あ、あの奥方様」

「え?」

「加賀に出発する前日、水沢家はお休みになるのですよね…」

「え?ええ、そう聞いていますが」

「では、その日は久しぶりに父上と母上と過ごしても良いでしょうか」

「もちろんよ」

「わあ、ありがとうございます!」

 喜んで千枝は仕事に戻っていった。

「そうか、そう言えば千枝の言う通り加賀行き前日は休みとするとあの人が言っていたっけ」

 では、その日に問いただす。そう決めたさえだった。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 話は数日前にさかのぼる。八重と監物は隆広に相談された。ヒソヒソと。

「実は武田攻めで鉄砲玉から俺を庇って歩行がままならなくなった女がいる」

「まあ」

「それは男として責任を取らねばなりませんぞ殿」

「うん、そこで…俺はその女子を側室として迎えようと思うんだ」

「そ…!」

 八重の口を塞いだ隆広と監物。目で分かった分かったと合図する八重。

 

「でもさえが許してくれるとは思えない」

「そんなことはないのでは?殿様の命を助けて歩けなくなった女子にございましょ?姫様とて得心されると思いますが」

「八重、そりゃお前のように世の中の酸いも甘いも見て、歳を経た女子の見解じゃ。姫様にはまだ無理じゃ」

 と、監物。

「そうかしら…」

「で、まず将を射よとするなら何とやら、まずそなたらを味方につけようと思ってな」

「どうせよと」

「それを一緒に考えてくれよ。さえを傷つけず怒らせず円満に側室を迎えることを許してもらえるよう運ぶために」

 

「殿様…」

 半ば呆れた顔で八重が言った。

「そんな虫の良いことが出来るなら私の方こそお教え願いたいものです」

 隆広の家臣たちも同じことを言っていた。

「やっぱり虫が良いかな」

「「はい」」

「でも、ちょっと怖くて言えないよ」

「やれやれ、上杉謙信にも挑んだ殿様が嫁を怖いと」

「監物だってそうだろ」

「とんでもない、儂はいつでもバシッと」

「言われたことはございません」

「…ふむ」

 

 私がこの場にいなかったら偉そうなことを言っていたのだろうな、八重は苦笑し、そして隆広に言った。

「ふふ、でも殿様、やっぱり正直に事の次第を告げるしかありません」

「でもなあ…」

「ところで、その女子は?」

「ああ、すずと言って今は源吾郎殿の屋敷で歩行訓練に励んでいるよ」

「ふむ、殿様の命を救ってかような身となったのだ。八重、水沢家の家令と侍女頭としてはお訪ねして礼を言わないと」

「そうですね。訓練が大変ならば我らも手伝わなければ」

「まったくじゃ」

「二人ともそうしてくれるか」

「「はい」」

「俺も寸暇を利用して行くが、いかんせん今は加賀内政の準備でな」

「承知しています。後々殿様の側室になられるのでは我らの家族になるということ。面倒を見させていただきます」

 と、八重。

「おりを見て、さえに正直に切り出すよ。できればすずは鳥越城に連れて行きたい」

 

 しかし、やっぱり隆広は言えなかった。

 さあ、明後日は鳥越城に出発。準備に追われていた部下たちを労うつもりで隆広は出発前日を休みとした。早朝、木刀と木槍を振っている隆広。

 武田攻め以来、早朝の鍛錬には槍の修練も追加された。体から湯気が立つほどに集中している。

 

「ふう~」

「お前さま、そろそろ朝餉です。汗を拭いてお召し物を」

「うん」

 縁側に座り汗を拭く隆広。

「明日、加賀に出発ですね」

「うん、今までの内政で一番の大掛かりだ」

「だから出発前日の今日をお休みに?」

「ああ、現地ではいつ休ませてやれるか分からないからな」

「そうですね」

「さえも鳥越に着けば城代夫人だ。女衆の束ねを頼むぞ」

「はい」

 

 さえの優しい笑みに隠れた一つの気合いに隆広は気付かなかった。

 それで朝餉、さえの手料理を美味しそうに食べている隆広。

「お前さま」

「なんださえ」

 つい先刻、縁側で見た妻の顔でないことに気付く隆広。

 目が据わって不気味な静けさの笑みを浮かべていた。

 

「伯母上、監物」

「ブホッ」

 監物は白湯を思わず吹きだした。『バレた』直感で思った。

「三人とも私に隠していることあるわね?」

 箸を落とした隆広。

「三人して、源吾郎殿の屋敷に何しに行っているの?」

「あ、いや、あらあら!若君が何かぐずっていますよ!姫、そろそろお乳の時間…」

 ジーと八重を見るさえ。ごまかしきれないと八重は悟った。

「殿、もう正直に申されては…」

「う、うん」

 椀を膳に置く隆広。少し手が震えている。さえを正面から見られない。

「じ、実はなさえ」

「はい」

「怒らずに聞いてくれ」

「保証できません」

「…や、やっぱり後日に」

「お前さま!」

「は、はい!」

「何を隠しているのです?」

「実は…側室を持つことにした」

 蚊の鳴くような声で述べる隆広。

「はい?」

「いやだから側室を持つことに…」

「ちゃんと私の目を見て!大きい声で申してください!」

 意を決してさえの正面に向いて言った。

「だから側室を持つことにした!」

 言ってしまった。

 

「もう見ちゃおれん」

「わ、私も!」

 監物と八重は竜之介を連れて、その場から逃げだしてしまった。

(は、薄情者…!)

「お前さま、今なんと?」

「だから!側室を持つことにしたんだ!」

(やっぱり女がらみだったのね!)

 両の手で隆広の頬をつねるさえ。渾身の力を込めているうえ爪がめり込んでいる。これは痛い。

「なんですって…?」

「ひゃ、ひゃから、ひょくひふほほふほほひ(だ、だから側室を持つことに)…」

「側室ですって!」

「ひゃひ(はい)」

「なんで!私に飽きたのですか!」

 

 つねったまま隆広の顔を振り回すさえ。首がゴキゴキと二度三度鳴き、頬をつねる手は『ホントに女子の力か』と思うほどに強い。痛くて涙が出てきた。

「ひょんにゃんにゃにゃい!ひゃえほはひふほひんへんやよお!(そんなんじゃない!さえとはいつも新鮮だよお!)」

 

 両頬をつねられていて上手く喋られないに加えて涙声にもなってきた。

「私は!私はお前さまだけはどんなに偉くなっても私だけ見てくれると信じていました!ひどい!」

 泣き出すさえ。

(ひどい!信じていたのに!)

 

 痛む頬を撫でながら弱り果てる隆広。

「泣かないでくれよう、そなたに泣かれるのが一番つらい…」

「泣かせているのは誰ですか!」

「いやそうだけど…」

 キッと隆広を睨んで

「その女は源吾郎殿の屋敷にいるのですね?」

「あ、ああまあ…」

 怒気をたっぷり含んだ足を畳に叩きつけて立ち上がり部屋を飛び出していったさえ。

 

「ど、どこ行くんだよ!竜之介に乳をやってから出かけ…!」

 部屋を飛び出すとき、さえが戸を勢いよく閉めたために追いかけようとした隆広の顔面がその戸に直撃した。

「…いっ、いたたた…!!」

 

 顔面を襲う激痛に悶える隆広。顔を押さえてヨロヨロとしながら廊下に出るが、すでにさえは屋敷から飛び出していた。

「さえ~」

 弱々しく妻を呼ぶ隆広の声が屋敷に虚しく響いた。

 

 

「監物も伯母上もどうしてあの人の味方をするの!?子をたくさん作るため側室を娶るのは当主の務めとでも?でも私、そんな理屈で割り切れない!」

 一目散に源吾郎の屋敷へと駆けるさえ。店先にいた源吾郎は駆けてくるさえを見て(ああ、とうとうバレたか)と悟った。

「こ、これは奥方様、何か入用で?」

 

「うちの亭主に色目使った女はどこ!」

「は、はあ?」

「ここにいるのでしょ!会わせて下さい!」

 店の奥で声が聞こえた。

「ほら、すず、もうちょっとよ!」

「う、うん…」

「失礼します!」

 さえが声の方に走った。

「あ、奥方様!」

 奥の戸を開けて、さえが見たものは…

 

「よいしょ、よいしょ!」

 それは不自由な体を叱咤して、歩行訓練しているすずの姿だった。先日の刺客騒動の時に駆けつけてきた良人に仕えるくノ一。

 そのくノ一である彼女が手すりに掴まらなければ歩けない状態であった。

 

「え…?」

 すずは汗だくで訓練に励んだ。痛むから、歩けないからと歩行訓練を避けていたら筋肉が萎んでしまい、しまいには立つことも出来なくなると里の医師に言われていた。苦しくとも歩行訓練に励むしかない。

 舞と白が訓練の補助している。庭にすずの歩行訓練用に作った手すり、それに掴まりすずは一歩一歩懸命に歩いた。舞と白はさえが来たことに気付いたが、すずは気付かない。それほど集中していた。

 

「こ、これは奥方様」

 舞と白がさえに跪き頭を垂れた。

「まさか…」

 やっとすずが気付いた。

「奥方様…あっ」

 すずはそのまま尻餅をついた。そして自力で起き上がれない。

「すず!」

 舞がすずを支えてさえの前に来させた。

「すずさん…」

「源蔵殿の時以来に、お久しぶりです」

「え、ええ…」

 

 汗だくのすずを見かねたさえは、すずの額の汗を拭った。

「ありがとうございます」

「まさか…すずさんが?」

「え?」

「主人の側室に…?」

「…はい、もったいなくも…そう望まれて下さいました」

 

 すずの体の事情を説明する舞と白。

「では、主人を鉄砲の弾から庇って?」

「はい、それで隆広様は責任を感じられ…」

「そうだったのですか…。あの人もこういう事情なら隠すこともないのに…」

「申し訳ございません、奥方様」

「どうして謝るのですか?私こそすずさんにどれだけ感謝してよいか…!」

「奥方様…」

「古来、正室と側室は仲が悪いものですが、私とすずさんならそんな風習が打破できると思います。主人の側室としてだけではなく、私と友となって下さいますか?」

「は、はい!」

 

 この後、二人は見事、正室と側室は不仲で当たり前と云う因習を打破している。

 すずの歩行訓練にはさえも寄り添い、屋敷内の廊下すべてにすず用の手すりを備えるよう良人隆広に要望している。

 

 これは後に隆広が居城とした安土城、大坂城、江戸城の廊下すべてに設置されている。いかに水沢隆広が側室すずを慈しんでいたか、そして正室さえとすずの友情がどれほど深かったのかが知れる。

 

 さえは我が身を省みず良人の命を助けたすずに心から感謝し、そしてそれは強固な絆となった。佐久間盛政謀反の時、急ぎ安土城に入れとお市に命令された時、さえは我が子竜之介ではなく、歩行不自由なすずの代わりに、すずの子である鈴之介を抱いて城へ駆けている。それほどの二人であったのだ。

 

 さらに数年後、さえが重病で倒れた時、すずはさえの下の世話までして看病に当たっている。もはや友と云う領域ではなく家族と言えた。

 

 だが、この後、もう二人側室が出来た時、さえの怒りは並大抵のものではなかった。それはまた後の話…。



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外伝さえ 八【上杉攻め】

 柴田家の宿願であった加賀の国、新領主として迅速に民心の掌握を図らなければならない。当時すでに柴田家の内政官筆頭であった水沢隆広は鳥越城に城代として入城した。この鳥越城を本拠地として加賀の内政に励む。

 

 水沢家は当主隆広が大掛かりな内政主命を受けた時、兵は無論のこと、その家族まで現地に丸ごと移動すると云う形を執っている。今日で云う単身赴任を家臣に課し、その妻子に寂しい思いをさせないためである。もちろん彼自身がさえとすずから離れたくなかったからでもあろうが。

 

 鳥越城に到着して数日が経ち、生活にも慣れ出した。さえも城代夫人として水沢家を切り盛りしていた。女たちを束ねて給仕の指揮や、時に自ら先頭に立って田畑を耕す。良人隆広がやっていた。隆広は偉そうにふんぞり返ることもなく、土木作業に汗をかいた。上に立つ者が手本を示す、隆広はそれを実践しているのだ。水沢家の女衆に対してさえも同じことをしなければならない。侍女として厳しく仕込まれた経緯はあれど、野良仕事はまったく初めてだったさえ。いざ鍬を持った時、隣にいた伊呂波に

「ところで鍬ってどうやって使うの?」

 と、真顔で訊ねて周囲を爆笑の渦にしている。土木の達者である山崎俊永の娘だけあり伊呂波は心得たものだ。田畑に出るに相応しい野良着を着ている。さえは着物に前掛けをつけているだけ。

「奥方様、鍬の使い方より先に着物です。そんな身なりで田畑を耕せません」

「そ、それもそうね。あはは」

 

 歩行不自由なすず、それでも役に立ちたいと思い調理場に行き食材の下ごしらえなどを手伝っていた。

「すず様」

 水沢家の料理人筆頭の星岡茶之助がすずに碗を差し出した。

「これは?」

「殿の好きな大根の煮物です。食べてみますか?」

「まあ、いただきます」

 熱い大根を頬張るすず。

「美味しい…!」

「今度作り方を伝授いたしましょう。すず様、男心をくすぐるのは美味しい煮物にございますぞ。あっははは」

「ふふ、ありがとう茶之助殿」

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 毎日、戦場のような鳥越城だった。三成のもとには次々と報告が届き、隆広は地元加賀の豪農や土豪を訪ね歩き、各々が柴田寄りとなってもらうため交渉に当たっていた。一向宗門徒だった者もいたため、それらの交渉には困難を極めたが加賀のそういう有力者たちも織田に逆らうのは賢明ではないと分かっているので結局は柴田寄りとなることを了解している。

 

「では、さっそく柴田にご助力せんといけませんな。水沢様は今、鳥越城を拠点に加賀内政を行っているのでしたな」

 加賀南部の有力土豪の長、伊勢谷甚介が言った。元一向宗門徒であるが、加賀に入った本願寺の坊官の七里頼周の専横が目立っており、土豪や豪農に無理なお布施を強要していた。快く思っていなかったうえに兵として駆り出された。収穫期だから無理と拒絶したが聞き入れられず忍耐も限界であった。だが七里はその戦いにて柴田勢に討ち取られた。これ幸いと甚介は棄教してしまったのだ。門徒と言っても『元』の冠をつける。

 

「では当家から二百ばかり出しましょう。いかようにも使われるがよかろう」

「嬉しく思います。もう猫の手も借りたいほどで」

「ははは、そういえば水沢様は大聖寺の戦が初陣であったとか」

「そうです」

「私は敵方におりましたが…。いや、あの大声攻撃は見事でしたな。みんなあれで腰を退かせて逃げてしまいましたわ」

「あのときの戦で敵方に?」

「はい、お見込みの通り、渋々参戦していましたよ」

「柴田に…怨みはございませんか?」

「今日ここに来たのが柴田勝家か前田利家、佐々成政であったなら生かして帰さなかったでしょうな。いささか彼らはやりすぎた」

「……」

 加賀攻めのさい、甚介があげた将帥は門徒を大量に殺している。殺された者たちへ門徒同士と云う考えは甚介にないが同じ加賀の民である。甚介の怒りも当然であろう。

 

「柴田に怨みはある。しかしそれが乱世、我が祖先も加賀を治めていた富樫氏を滅ぼした一翼にございますからな。因果は巡ると云うことか」

「今後の仁政を見ていただくしかございません」

「いかにも、じっくり観察させてもらいましょう」

「しかし、その過程にも伊勢谷殿のような地方巧者が必要、お頼み申す」

「働きに対して正当に報いてくれれば、喜んで犬馬の労は執りましょう」

 

 かくして隆広は加賀中を奔走して民心掌握にかかった。その途中、供をしていた高橋紀茂が

「御大将、佐久間様は何をしてらっしゃるのでしょうか」

 元来国主は盛政ではないか、しかし隆広の前にも後にも土豪、豪農、豪商と接触した形跡がない。

「今は家中のことと金沢城のことで手が一杯なのだろう」

「さりとて、御大将が領民に頭を下げずとも」

「おいおい、頭を下げるのがそんなに変か?」

「は?」

「これから加賀の民には協力してもらわなければならない。年貢も出してもらわねばならない。助力を得るのに頭を垂れて頼むのは当然だ」

「御大将はもしかして大野内政の時にも」

「ああ、現場はそなたらに任せて大野の東西を奔走していたよ」

「そうでしたか…」

「『実るほど頭を垂れる稲穂かな』そなたもいずれそんな時が来よう」

「そんなに出世しないと」

「ははは、分からないぞ。さ、次の豪農、宮坂家に向かうぞ」

「はっ」

 

 民心掌握は内政で不可欠、隆広は根気ある交渉と同時進行で加賀の地に開墾と治水、道路拡張などを実施し領主柴田家としての姿勢を見せて行く。隆広は地道に続けて行った。隆広は生涯一度も一揆と部下の裏切りを経験したことがないと云う稀な大将である。為政者としての才覚と器量が備わったのは少年のころより、厳しい内政主命を経験し続けて行ったからだろう。勝家での元で内政官として身を粉にして働いてきた期間は得難い経験であったに違いない。

 

 しかし後年に名将の中の名将と呼ばれる彼もこの時は若かった。遅々として進まない治水工事に短気を起こして現場監督を叱りつけた時があった。『褒める時は衆目で、叱るときは陰で』その鉄則を忘れて衆目の前で叱った。鳥越城に戻り、経理担当に『なぜ、あんな簡単な工事にそんなに金がかかるのだ』と怒鳴ったことも。

 疲れて部屋に帰って来た時、さえに心配かけまいと無理して笑っている隆広。しかし女衆の繋がりを侮るなかれ。みんな耳に入ってきている。

 

「本日もお疲れさまでした、お前さま」

「うん」

 苦言をするには機を見極めなくてはならない。食事をしたあと、ふうと白湯を飲んでいる良人に向きあい、さえは言った。

「お前さま、ご主君勝家様は鬼だ閻魔だと恐れられておりますが…」

「え?」

「家臣を理不尽に怒鳴ったことはありましょうか」

「…なに」

「本日、四人の家臣を怒鳴ったと聞いています。昨日は二人、一昨日は三人」

「失敗すれば叱るのが当り前だろう」

「叱っているのではありません。お前さまは怒っているだけです」

「怒って何が悪い。俺は神様じゃないんだ!」

「もう一度主命の内容をお考えください。当人の器量を越えたものを望んではいませんか」

「上司はいつも無理を言う者と知れ!」

「すべてに適材適所は無理が当然です。ましてや柴田の気風は尚武、内政が苦手な者は多く、お前さまの苦労も分かります」

「…わ、分かっているじゃないか」

「だからこそ、お前さまの内政官としての器量が問われる時ではないですか。そして成果を出すには家臣たちの手助けは不可欠なものです。中にはお前さまの父親ほどの歳の方もいるのです。そんな方たちに恥をかかせてどうするのですか」

「恥…?」

「今日、衆目で治水方の松吉殿を叱ったと聞きました」

「う…」

「褒める時は衆目で、叱る時は陰で。疑ったら使うな、使ったら疑うな。これは上に立つ者の鉄則です。それを忘れてはなりません。お前さま」

 への字口をしている隆広。

「もういい、俺寝る!」

「はい、お休みなさいませ」

 

 クスッとさえは笑った。今の反応は隆広に自分の意見が伝わったと云うものだった。結婚して五年、そういう勘も働く。

 

 翌日より隆広は家臣や職人たちを怒鳴ることはなくなった。無論、明らかな怠惰なら叱ったが感情に任せて怒鳴ることはせず、加賀の豪農や土豪たちに根気よく当たったように家臣たちにも当たった。

 

 やがて治水方面はほぼ完了した。総奉行の辰五郎と共に工事完成の視察に訪れ、満足そうに笑みを浮かべた。兵と職人はホッと胸を撫で下ろした。

「松吉」

「へ、へい!」

 辰五郎率いる工兵隊の一人松吉を呼んだ。彼が治水の現場監督であった。さえの言う『隆広の父親ほどの歳』の男だ。

「よい仕事だ。いつぞやは済まなかった」

「は?」

「気が立っていたんだ。治水工事は天候にも左右されることを知っていながら…そなたを理不尽に、しかも衆目で怒鳴ってしまった。本当に済まない」

 素直に謝った。隆広の良い点は自身が当代屈指の知恵者にも関わらず人の話を聞き、過ちと分かれば誰であろうと素直に謝ったことだ。出来そうで出来ないこと。もっとも愛妻には時々素直になれない時もあるが。小姓の持つ袋を手に取った隆広。銭袋だった。

「よい出来栄えにつき臨時手当だ。お疲れ様、みなで一杯やるがいい」

「は、はい!」

「飲みすぎるなよ。そなたの一団にはもう次の仕事は決まっているからな」

 

 治水現場を去った隆広。横を歩く辰五郎が

「奥方に叱られましたかな」

「…かなわないな辰五郎には」

「とはいえ、謝るにも機が必要。ましてや殿のようなお立場では簡単に謝っては威厳が保てません」

「そうなんだ。頭を下げるくらいは何でもない。しかし機を見出すのは中々な。叱るのも褒めるのもまた難しい。人使いは大変だ」

「人使いは武将である以上、一生勉強にございます。今回の加賀内政でとくと学び下され。今のうちならば『まあ若いから』と家臣も寛大に受け取ってくれますゆえ」

「ああ、今のうちに失敗しておくよ」

「さて、次は鳶吉が担当している用水開拓でしたな。参りましょう」

「うん」

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 隆広に上杉家の『御館の乱』の情報がもたらされたのは、その夜のことだった。

 御館の乱、上杉謙信の死後に養子である上杉景勝と上杉景虎の間で起こった後継者争いの戦である。謙信は死に、上杉領に攻め入るのは絶好の好機。御館の乱そのものの決着は景勝の勝利ですでに終わっているが、遠からず信長から上杉攻めが柴田に下命されると思っていた隆広はその合戦の様子を藤林忍軍に内偵させていた。白、六郎、舞は他の主命で動いている。後に白の妻となる葉桜を始め数人の忍びが越後に潜み情報を集めていた。

 

 葉桜は景勝と景虎の争いの詳細を隆広に報告した。奥村助右衛門、前田慶次、石田三成も同席して聞いた。景勝側は謙信没した直後に春日山城を占拠した。これで謙信の残した膨大な金銀が景勝のものとなった。景虎は出しぬかれた形となった。

「その采配を執りしは樋口兼続と申す者」

 と、葉桜。

「樋口…?」

「存じている者ですか、隆広様」

 三成が訊ねた。

「新陰流を共に学んだ男に樋口姓の者がいる。彼は上杉家だった」

「ではその同門の男が」

「…それは分からない。俺の知る樋口与六は自分に厳しく他人に優しい男だった。新陰流の腕前は俺より数段も上、しかし人を打つのもためらう優しい男だ。その男が謙信公の喪も明けぬ時に上杉景虎を出し抜く采配を執ると…」

「そういう優しい男だからこそ、やったとも思えますぞ」

「ふむ…。慶次の言う通りかもな。後継者争いが長引き泥沼となれば越後の民は苦しむ。ならば自分が主君景勝の代わりに泥をかぶり機先を制して領内に安寧と秩序をもたらす、と云うわけか。しかし、その樋口兼続。俺の知る与六と同一人物か云々はともかく用心せねばなるまい」

「「はっ」」

「早晩、大殿から上杉を攻めよと云う下命はあるだろう。その樋口兼続が知略を縦横に駆使出来ない状態に今のうちからしておく」

「具体的には?」

 と、奥村助右衛門。

「安土にいる乱法師(森蘭丸)に使いを出せ。御館の乱は越後の内乱ゆえ勝っても領土は増えることはない。必ず論功行賞に不満を持つ者が出てくるだろう。大殿が上杉攻めを発する際、その不穏分子に織田の後ろ盾をチラつかせ謀反を起こさせ春日山に兵力分散を余儀なくさせるよう進言せよと伝えておく」

 名案だ、三成は思わず手を叩いた。

「まあ大殿自身、すでにこれに気づいて水面下でやっておられるかもしれないが、もしそうでないなら側近の乱法師に言ってもらうしかないからな。多少姑息な根回しであるが謙信公亡きとて上杉は上杉、打てる手は打っておく」

 

 隆広が気付くことを信長が気付かないわけがない。森蘭丸は隆広の使いに

『すでに実行中であるゆえ、水沢殿には懸念無用とお伝えあれ』

 と返している。

 

 話は戻り、鳥越城。

「葉桜」

「はい」

「鳥越から越中魚津に至るまでの地形を調べ上げておいてくれ」

「上杉の内偵はどうなさいます?」

「我らはここまで分かっただけでいい。今後は殿と大殿の密偵に任せよう。我ら水沢軍の進軍経路の把握の方が大事だ」

「承知しました」

「さあ、我らの今の仕事はあくまで加賀内政だ。明日からまた忙しい。たっぷり寝ておいてくれ」

「「はっ」」

 

 助右衛門たちは隆広の部屋をあとにした。しかし隆広には上杉より気になっていることがあった。明智光秀である。舞と柴舟は北ノ庄に留まり情報収集を務めており、白と六郎は明智家に侵入していた。

 

 今年の安土大評定、評定後に明智家の茶会に招待された隆広は光秀に違和感を覚えた。茶会のあとの夕餉。斉藤利三や明智秀満と歓談していた隆広。その時に利三が光秀に話題を振った。

 しかし光秀には聞こえておらず箸を握ったまま動かず、床を凝視したままだった。隆広が声をかけても同様だった。この時に隆広は家令の監物から聞かされたことを思い出した。

 

『義景様に謀反すると言われた時は驚きましたが、今にして思うと殿はずいぶんと前からそれをお考えになられていました。食事中に姫が話しかけても何の反応もなく、箸と碗を持ったまま、ただ床を眉間にしわ寄せて見つめておりました。あれはきっと謀反のことをずっと考えておられたのでしょう。人が重大事を考えている時は他のことなど耳や目にも入らぬものです』

 

 まさに安土で見た光秀がそれだった。隆広にとって朝倉景鏡の娘を妻にしたからこそ得られた知識。何が幸いするか分からない。『明智様は何か重大なことを考えている』と隆広は見抜いたのだ。

 明智光秀が考え込む重大事とは何かと隆広は消去法で割り出してみた。領国経営は上手くいっている。家臣団も強固な忠誠心を持っている。妻子とも仲が良い。では何だ。最後まで消去されなかった項目は信長の四国攻めに強く反対している光秀の心中だった。四国を切り取った長宗我部元親と織田家の折衝をしたのは光秀である。だが信長は切り取り次第と約束したのに突如それを反故にして四国攻めを決定した。光秀の面目は丸つぶれである。加えて武田攻めのあとの理不尽な仕打ち。

 

 謀反…。

 

 これしかないと思った。因果な性格、恩人を疑わなくてはならないとはと自身を呪いながら隆広は忍びに明智家の内偵を下命したのだ。

「まさかとは思うが…」

 しばらくして水沢家の加賀内政は達成となった。六郎から光秀の出雲と石見への国替えと上杉攻めが決定したと報告があったのはその日だった。主命達成の喜びもつかの間だった。妻子のいる部屋に行った隆広。

 

「さえ、鳥越の城は加賀国主である佐久間様の支城となる。我らは退去しなければならない」

「はい」

「俺は手勢を率いてこのまま東に行くが、そなたは殿への報告書を持たせた佐吉と共に北ノ庄に帰るといい」

「それはかまいませんが…お前さまはろくにお休みも…」

「仕方がない。今が上杉を攻める好機なんだから」

 苦笑してさえの前に座る隆広。

「この加賀内政、よくやってくれた。子育てに女衆の束ね、目が回るほどの忙しさだったろうに疲れた顔を見せず俺を癒してくれ、時に叱ってくれた。ありがとう」

「お前さま、そのお言葉は嬉しい限りなれど戦の前に言われては私も不安になります」

「なんでだ?」

「だって…」

 戦場に出る前に優しい言葉をかけられると逆に不安に、いや悲しくなる時もあるものだ。

「あはは、そんな深い意味はないよ。ありがたいと思うから礼を言っただけさ」

 さえの横でスヤスヤ眠っている息子の寝顔を見つめる隆広。

「竜之介、父が帰るまで母上を守るのだぞ」

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 翌日、三成の先導で水沢家の非戦闘員は北ノ庄へと帰っていった。そしてその翌朝、水沢軍は出陣した。二千の軍勢である。越中と加賀の境あたりで柴田本隊と合流し北陸街道を東進した。

 

 織田北陸部隊が総力を挙げて挑んだ上杉攻め。智将隆広の采配が冴えわたり上杉軍を翻弄。アッと云う間に越後と越中の国境付近である魚津城に寄せた。また御館の乱の論功行賞の不満から新発田重家が反乱して景勝を悩ませた。重家は豪勇の猛将である。織田の後ろ盾を得て同じく景勝に不満を持つ者を取り込んで勢力を広げて行った。同時に関東の滝川一益と信濃の森長可が越後に迫る。直江姓となった景勝の懐刀である直江兼続も知恵を絞るが、あまりにも状況が悪すぎた。

 

「愚かなり重家…。織田に踊らされているとも知らずに…」

 吐き捨てるように言う景勝。

「新発田殿の反乱、織田にとっては成功する必要もございません。ただ主力を春日山に留めておくための策」

 と、兼続。

「魚津では城代の吉江宗信と阿部政吉が踏ん張り、織田勢をしのいでいると聞くが…もはや落城は免れまい」

「…は」

「このままでは全員討ち死に。兼続、無念であるが吉江たちに降伏させようと思う」

「吉江様は謙信公以来の古強者、敵に屈するのを是といたしますまい」

「だが、このままでは無駄死にじゃ」

「確かに…」

「織田方の大将は柴田勝家であったな」

「はい」

「その軍師があの手取川の水沢隆広か…」

「何度も降伏勧告をしてきているそうですが…」

 

 

 城を包囲して数通目の書が魚津城に投げ込まれた。柴田軍軍師、水沢隆広の書である。

『見ての通り、退路を東に用意したゆえ、降伏しないなら逃げられよ。追撃はしない』

 

「なめられたもんじゃのう!」

 吉江宗信は書を丸めて地に投げ捨てた。その書を広げて読んでみた阿部政吉。

「何度見ても、まれなる達筆ですな…」

「のんきなことを言うな政吉!」

「水沢隆広とは、あの手取川で謙信公に信玄のいでたちで突撃したと云う…」

「そうじゃ、儂も度肝を抜かれたわ。敵ながら見事な若者と思ったが買いかぶりだったようじゃ。かような武人の心を知らぬ書を敵方によこすとはな!」

「返事はどうしますか」

「必要ない!」

 

 魚津城から返事はない。うすうす予想はしていた反応だった。水沢本陣、床几に座り魚津城を見つめる隆広。

「おそらく武人の心を知らぬとでも隆広様を謗っていましょうな」

 傍らの床几に座る奥村助右衛門が言った。

「だろうな。だが、その武人の心とやらが無用に兵を死なせる」

「『討ち取った敵将の首を誇るより、無事に帰した兵の家族の笑顔こそ誇れ』養父殿の言葉でしたな」

「うむ…」

「それを分かっていても退くわけにはいかない。それが上杉なのでしょうな…」

「ともあれ東の退路を使い落ちる者に手出しは絶対にさせぬよう徹底させよう。改めて本陣に言ってくる」

 

 しばらくして上杉景勝と直江兼続が援軍として寄せてきた。兵数は三千、柴田勢に寄せた。柴田勢を撃破しない限り、景勝率いる援軍が魚津城兵を助けることは出来ない。およそ十倍の兵力を有する柴田軍だが、景勝率いると云うことは上杉でもっとも強い軍勢と云うことである。隆広は

「城兵は千五百、援兵は三千、挟撃策は取れず景勝殿ができることは柴田から部隊を突出させて各個撃破することのみです。どのみち景勝殿は森勢と滝川勢の北上によって春日山に戻らなければならないのですから、いま精強の上杉本隊と戦って危ない橋を渡る必要はございません。ほっておいても帰る上杉景勝本隊は無視しましょう」

 

 その意見を入れた勝家は自軍の陣の周りに空堀と防柵を張り巡らせた。上杉兵は十倍の兵を要しながら我ら上杉を恐れる腰抜けの柴田勝家と揶揄したが、勝家は無視した。

 

 櫓のうえで景勝と兼続は歯ぎしりをしていた。隆広の見た通り、景勝率いる援軍は柴田から部隊を突出させ各個撃破して行くしかないのだ。それなのに柴田勢は魚津城を見据えたままで、景勝側には強固な陣構えで備えられている。

「ほっておいても退却して行く軍など戦うにも値せずとも言うのか!」

 櫓の柱に拳を撃ちつける景勝。

「あの野郎…!こっちがやられて一番痛いことをしてきやがった!」

 遠めに見える歩の一文字の軍旗を睨む兼続。上杉本隊を無視することを立案した男はきっとあいつだ。侮ってではない。恐ろしいから無視をするのだ。やがて景勝に時間切れが訪れた。景勝と兼続は後ろ髪退かれる思いで退却した。

 

 景勝は退却のおり、特に優れた軒猿忍びに書を持たせて魚津に忍びこませた。それには柴田に降伏開城し、一時の恥をしのび越後に戻ってこいと云う内容だった。

 景勝からの書を読み慟哭した魚津の将たち。降伏開城を決意した。生き残っていた兵やその家族たちが柴田軍の用意してあった退路で越後へと逃げて行く。手出しせぬよう勝家がきつく通達していたのだ。しかし城代の吉江宗信や中条景泰、竹俣慶綱、阿部政吉と云った守将たちは自刃して果てたのだった。

(史実では降伏開城と同時に柴田軍が魚津城内に押し寄せ、皆殺しとなっている)

 

 

 だが、この時に中央では歴史的大事件が起きていた。織田信長が明智光秀の謀反によって討ち死にしていたのである。隆広の危惧は的中してしまったのだ。

 

 北ノ庄城、水沢家。

「奥方様!」

 三成家臣の渡辺新之丞が来た。すぐに玄関に出たさえ。

「新之丞殿、どうされた?」

「大殿、織田信長様が京都本能寺において明智光秀の謀反によって討たれました!」

「ええ!?」

「ご主君様(隆広)より我が主三成は中央に異変あらば、すぐに北陸街道に撤退の準備を整えておくよう指示されておりますゆえ、北ノ庄を発つ準備をしておいでです。持ち場を離れられないゆえ、家臣のそれがしが伝達に参りました」

「信長公が明智殿に討たれたのですか…」

「その通りです。ご主君様は薄々こうなることを感じていたようにございます」

「あの人が…」

「すぐに魚津から総退陣なさいましょう。それがしは主君三成の補佐がござれば、ここはこれにて」

「委細承知しました。三成殿には存分にお働きあるよう伝えて下さい」

「はっ」

 

 新之丞は水沢屋敷を去っていった。

「伯母上…。信長公が亡くなった今、我ら柴田はどうなるのでしょうか」

「姫様、新之丞殿の話では殿はこの事件が起こることを薄々気づいていたとのこと。姫の前では笊の頭でも敵に対しては諸葛孔明のような智慧を発揮される方、事件を察していたならば、必ず何か手を打っているはずです」

「織田信長の死…。我らにとって吉か、それとも凶か…」



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外伝さえ 九【大返し、そして…】

大河ドラマ『麒麟がくる』の朝倉景鏡さん、いいですね!素晴らしい!
大河で、あそこまでの登場人物として描かれるのは初めてではないでしょうか!
史実では不遇な最期となり、裏切り者のイメージが強い方ですが朝倉の軍事内政、そして外交でも活躍し、かつ死にざまも壮絶だった人物。彼を筆頭ヒロインのお父さんにした私は何というか嬉しくてならんですよ!

また、今回のお話は、その景鏡さんが回想で出てきますし、その景鏡さんの形見の小母衣を婿殿が装備して出陣です。いやぁ縁と云うのはあるのですな。


 北ノ庄城に柴田勝家本隊が帰ってきた。城下に出たさえとすず。いくら探しても『歩の一文字』の軍旗がない。

 

「奥方様、殿の旗が…」

 もう軍勢のすべては目の前を通り過ぎてしまった。

「あの人は…あの人は…大丈夫なのかしら…」

「義姉上―ッ!!」

 不破家一族にて侍大将、そして隆広義弟の不破角之丞光重が駆けてきた。義兄隆広の妻なのだから光重はさえを義姉としている。

「奥方様、角之丞殿です」

「角之丞殿…」

「はあはあ…。義兄上はしんがりを勝家様に仰せつかりました」

「し、しんがり?」

 しんがりが合戦において、もっとも困難な任務とさえも知っている。一度は上杉相手に無事に帰還した隆広だが、さすがに二度も取り逃がすほど上杉も甘くないはず。

 

「そ、それで水沢勢は上杉軍と接触を?」

「しんがりの手前を行く軍勢が可児勢です。接触あらば反転する手はずとなっています。しかし今だ水沢勢と上杉勢が接触した知らせは届いていません」

「そうですか…」

「それにしても義兄上の先読みには驚きました…。道中には佐吉殿の手配で迅速に引き返せるようしておいででした。こたびの撤退の手柄は大きいですよ義姉上」

「ありがとう、でも生還すればこその話しです。早くあの人のお顔が見たい…」

 

 その日、少し時間差を置いて可児勢も帰還した。馬上の才蔵に

「可児様、水沢勢は」

 と、大声で訊ねた。良人がしんがりと聞いてから生きた心地がしないさえ。

「心配いらん。上杉の追撃は越中加賀の国境で止まっている。明日の朝にでも帰ってくるだろう」

 にこりと笑い、さえに答えた才蔵。今にも泣きそうだったさえの顔が明るくなった。

「あ、ありがとうございまする!」

「礼には及ばない。知っていることを伝えただけだ。ふはは、相変わらず仲の良いことだ」

 

 

 才蔵の言う通り、水沢勢は上杉勢の追撃を振り切り、無事に北ノ庄へと帰ってきた。

「お前さま!」

 加賀内政の主命達成当日に上杉への出陣命令、激務と合戦、そしてしんがりと云う任務を経て、いささか疲れた隆広もさえを見るなり、

「帰ったぞ!今宵は寝かさないからな!」

 城下町を凱旋中に言い切った。将兵と城下町の領民たちは大爆笑。

 さえは顔を真っ赤にして

「んもう、知らない!」

 と、言いつつ嬉しそうな顔だった。

 

 勝家に帰城の報告を済ませた隆広はすぐに屋敷に帰った。門前で妻と抱きしめ合う。さえも力が入る。しんがりと云う任務を果たして無事に帰ってきてくれたのだから。

「おかえりなさいませ…」

「さえ、会いたかった…」

「私もです。しんがりと聞き、もう生きた心地がしませんでした」

「さすがに疲れたよ…」

「湯と床は用意してございます」

「うん、風呂に入るよ。さえもどうだ?」

「疲れているのではなかったのですか…?」

 呆れたようにさえが言った。

「体は疲れていてもナニは元気なんだ」

 

 明日には京都に向けて出陣、一日しか北ノ庄にしかいられないのだ。夢中でさえを求める隆広。ヘトヘトになったさえに清水を入れた茶碗を渡した。一気に飲んださえ。

「ふう、今日は激しゅうございましたね…」

「久しぶりだからな。それに、もうしばらくすればお腹も膨れてくる。さえを抱けなくなっちゃうから、ついつい夢中で」

 さえは先日に懐妊が認められた。娘の鏡姫が胎内に生を宿していたのだ。

 

「ふふっ、でも心地よき疲れの中で眠れそうです」

 眠りに入る前、床で抱き合いながら語り合う隆広とさえ。

「お前さま、一つお聞きしてよろしいですか?」

「ん?」

「お前さまは明智様が謀反をするかもしれないと云うことを少なからず読んでいたとのこと」

「いや、別に読んでいたわけじゃないよ。危うい、そう思っていただけだ」

「危うい…」

「『そんなことで気づかないで』と、さえに怒られるかもしれないが…実を言うと今回明智様の異変を察することが出来たのは義父殿のおかげなんだ」

「ち、父上のおかげ?」

「監物から聞いたことがあったんだ。義父殿が主君義景を討つ前に様子がおかしかったと」

「様子がおかしかった…」

「そう…。監物の話によると『夕餉の時、姫様が話しかけてもその声に殿は気づかず、箸と椀を持ったまま眉間に皺を寄せて床を見つめたまま。そんなお姿を何度か見た。今にして思うと殿はずいぶん前から謀反を考えていたのでしょう』そう言っていた。まさに安土の茶会で見た明智様はその姿だった」

「……」

「何か大事なことを考えている。そう思った。そして俺なりに考えた。明智様がそれほどに考え込むことは何であろうと。その結論が謀反だった」

 

 加賀内政の主命遂行中に出席した安上大評定。隆広は勝家や共に随員していた前田利家に相談することも考えたが隆広にとって明智光秀は命の恩人。信じたかった。四国攻めが決定して面目を失ったことは分かる。武田攻めの後の理不尽な仕打ちも分かる。

 それでも主君を討つなんて短慮をあの明智様がするはずがない。先読みと云うより、単なる隆広の願望と云える。

 

「俺が明智様に本格的に疑惑を抱いたのは魚津攻めの前日。今でも悔いる。大殿や信忠様、乱法師に注意を促していれば良かったと。しかし明智様が潔白なら譲言となり、俺は無論のこと殿まで大殿に罰せられる。それを恐れて俺は結局何も出来なかっ…いや、何もしなかった…」

「お前さまは神仏ではないのです。魚津から迅速に撤退できる段取りをしただけでも大手柄ですよ」

「さえ…」

「やですよ、お前さま、私はそんなことで怒りませんよ。父上は今ごろあの世で苦笑いしているかもしれませんが…でも自分と云う先例があればこそ、婿殿は織田家中で一番早く明智の異変を気づけた。そう思っているかも」

「確かに監物から義父殿の異変を聞いていなければ…俺は明智様の異変にも気づかなかったに違いない」

「うふふっ、私を妻にして良かったですね」

「まったくだ。さえは俺に幸運をもたらす観音様だよ。ありがたやありがたや」

「まあ、お前さまったら。さあ、もう寝ましょう」

「うん」

 

 隆広とさえは抱き合いながら眠った。そして夜明け間近にさえがふと目覚めると

「あれ?」

 

 一緒に寝ているはずの良人がいない。すずのところへ行ったのかと思ったが、すずは懐妊して腹が膨れているので夜閨は慎まねばならない。厠かと思ったが中々帰ってこない。起き上がって屋敷内を歩いて探してみると、良人隆広はさえの父、朝倉景鏡の甲冑の前に座っていた。

「…お前さま」

 

 そう声をかけたが隆広は聞こえなかったようだ。何か義父景鏡に言っているようだ。隆広はさえが眠るとすずの寝所に行った。抱くことは出来ないが、すずの動かない足を愛撫して、しばし語り合った。そのすずも眠ると義父の甲冑の前に来て心を落ち着けていたのだ。

「義父殿…。貴方は主君義景殿を討つ時、何を思っていたのでしょうか。家のため、越前のため、もしくは娘のことなのでしょうか…。いずれにせよ、ご自分の大切なものを守るために、止むに止まれぬ行為だったのでしょう。きっと…明智様も同じ…」

 義父の甲冑は何も答えない。当たり前だがそれでいいのだ。さえは襖越しに座った。

 

「やはり、悩んでおられたのね…」

 良人は悩みがあると、それがすぐ夜閨に出る。夫婦になって五年、肌を合わせれば分かる。でもさえは何も聞かない。私を抱くことで悩みが少しでも消えてくれればと願い、身を委ねていた。襖を静かに開けた。

 

「眠れないのですか?」

「うん、ちょっとな…」

「…何をお考えに?」

「…さえ、大殿と信忠様が死に…織田家は分裂するだろう」

「はい」

「これから俺は明智様と戦わなくてはならない…。いずれ羽柴様とも…」

「……」

「俺は明智様も羽柴様も好きだ。戦いたくないし、お二人に死んで欲しくない…」

 

「…お前さまのなさりたいようになさりませ」

「え…?」

「私は…そんな優しいお気持ちを持つお前さまが大好きです。たとえ余人が『甘すぎる』と言おうとも…私は大好きです。ううん、私だけじゃない。すずも、奥村様も前田様も佐吉さんも、そして勝家様も、そんなお前さまが好きなのだと思います」

「さえ…」

「これから、お前さまにとり辛い戦ばかりとなるでしょう。いっぱい悩まれ苦しむでしょう。でも最後は自分が思うことを信じて貫いて下さい。辛くて苦しくて泣きたくなった時には…いつでも私がいます」

「ありがとう、さえ」

 

 少し頬を染めて、にこりと笑うさえ。笑顔千両、隆広も笑顔で返す。隆広は寝床に戻り、さえと寄り添いながら眠りについた。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 そして朝、いつものように庭で木刀と木槍を振り鍛錬に励み、家族と共に朝餉を食べたあと、さえとすずが手馴れた手つきで隆広の軍装を着せ付ける。装備を終えると隆広はさえに

「さえ、貸してほしいものがある」

「なんです?」

 義父景鏡の甲冑を指す隆広。

「あの小母衣だ」

「分かりました」

 さえは父の甲冑にかけられている南蛮絹の小母衣を取り、隆広に羽織らせた。

 景鏡の小母衣は黒一色の単調さで、裏地は赤一色。周りは金糸で縁取られている洒落たもの。

 さえの父の朝倉景鏡が特に気に入っていた一品だった。

 それを隆広は身につけた。

 

「似合うか?」

「はい♪惚れ直しました」

 隆広は『黒』を好んだと云われているが、黒一色の甲冑に不動明王を背負う武田勝頼から受け継いだ朱色の陣羽織、そしてこの黒母衣は隆広の男ぶりを上げた。

「では行ってくる!」

「「いってらっしゃいませ!」」

 妻のさえ、側室すず、八重と監物や他の使用人、そして嫡子の竜之介に見送られて隆広は家を出た。

 

 

 しばらくしてから北ノ庄城より出陣太鼓と法螺貝が鳴り響いた。軍勢を見送るため、さえは城下の大通りに出た。すずも杖をついてさえの横にいる。

「一日しかおられませんでしたね」

「ごめんね、すず。あの人を独り占めしちゃって」

「いえ、どのみち私はいま殿を受け入れられないですから」

 膨れたお腹をさするすず。昨夜隆広はさえを抱いた後にすずの寝所を訪れ、すずの話を聞きながら痛む傷跡と動かない足を愛撫していた。すずはそれだけで十分幸せだ。

 

 城下の若い娘たちの黄色い声が上がりだした。

「水沢様よ!」

「ああ、なんと凛々しき…」

 若い娘ばかりだけではなく

「なんと、あの小母衣が男ぶりを上げておるのう…」

 

 老婆までうっとりとして隆広を見ている。

 当の隆広は女の黄色い声など耳に入らぬほど戦いに集中して目は前を向いている。さえとすずも声をかけられない気迫を感じる。前方はすでに大返しのため走り出している。二陣の水沢勢はまだ走り出さない。

 

「申し上げます」

 水沢軍赤母衣衆、小野田幸猛が来た。

「第一陣最後尾、徳山則秀隊がすでに疾駆の状態と相成りました」

「よし」

 隆広は少し前方に進み、くるりと馬を返した。

 

「みなの者、大返しだ。目指すは怨敵明智日向守光秀!人馬もろとも駆けて駆けて駆け抜けい!!」

「「オオオオオオオオッッ!!」」

 

 隆広率いる柴田軍第二陣が走り出した。

 柴田軍は北ノ庄城から京都へ向けて走って行軍を開始したのだ。

 途中の金ヶ崎において騎馬武者以外の兵は兜、甲冑、旗差し、刀、槍、鉄砲も武装解除した。専属の運搬隊を組織してあり、武具はその部隊が運んだ。かつ食糧、塩、砂糖、そして水も完備された支給場を先々の領民を高値で雇い設置させた。

 すべて水沢隆広と石田三成の差配である。

 握り飯を馬上で食べる佐久間盛政は

「ふん、相変わらず小賢しいやつよ…」

 とはいえ、魚津から徹底した補給の確保をしてのけた手腕がなければ今だ柴田は越中にいただろうと盛政は分かっている。

 

「あいつばかりに武功は立てさせぬ。戦場では負けぬぞ隆広!」

 竹筒に残った水を顔面にかけて自らに喝を入れた盛政。

「佐久間隊は戦場に一番乗りを果たすぞ!走れ!走れ!」

「「オオオオオオオッッ!!」」

 

 

 柴田軍は北ノ庄から全軍出陣を終えた。さえとすずは軍勢が向かった先をしばらく見つめていた。

「あの人、二陣の総大将だったんだ…」

「そ、そのようですね…」

 全然知らなかったさえとすず。当たり前だろう。隆広とて出陣直前に下命されたのだから。

 

「奥方様」

 柴田家の御用商人源吾郎が歩んできた。ちなみにさえもすでに源吾郎と云う名は仮の名で本当は藤林忍者の柴舟と云うことは知っている。しかし城下では源吾郎と呼ぶ約束だ。

「源吾郎殿」

「私はこたび留守居として北ノ庄に残ります。頭領より柴田軍に万一あらば奥方二人とお子たちをお助けあるよう言われております」

「ありがとう、その万が一の無いことを一緒に願いましょう源吾郎殿」

「はい。ところで…傷の痛みはどうでございますか、すず様」

 かつての部下と云えど、今のすずは主君の側室、柴舟は態度を改めていた。すずの傷跡と足は気候によって少しの痛みを生じさせていた。

「ええ、今日は比較的温かいので…」

「ただいま、里の薬師に傷に効く薬を研究させております。しばらくご辛抱を…」

「ありがとうございます。でもこれしき何とか」

「いやいや、甘く見てはなりませんぞ。どうか大事に」

「はい」

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 京都に向かう柴田軍に蒲生氏郷と九鬼嘉隆が合流した。両名人質を勝家に差し出したが勝家は人質無用と拒絶している。取らぬ方が逆に蒲生と九鬼両家の将兵の心を掴めると思ったからである。安土城の明智秀満を蹴散らした柴田軍は西進を続ける。このころになると水沢隆広が“主戦場は瀬田となりましょう”と断言しており無理な進軍はしておらず、睡眠も食事も十分に取らせていた。

 

 明智光秀は秀満が敗れたことを知らず、柴田軍を迎え撃つべく進軍した。途中雨に降られ、鉄砲の火薬が濡れた。

 

 家老の斎藤利三は『これでは戦にならない』と決戦に反対したが光秀は決断した。そしてついに瀬田の地で明智と柴田が対峙した。日本史三度目となる『瀬田の戦い』である。

 

 結果は柴田軍の圧勝、明智光秀は勝竜寺城に撤退。柴田軍は三手に別れた。勝家本隊は勝竜寺城、前田利家は丹波亀山城、水沢隆広は坂本城に進軍を開始した。

 

 

「姫様―ッ!」

 ここは北ノ庄城、吉村直賢が水沢屋敷に駆けた。味方の勝利を願い、父の甲冑と神棚に手を合わせていたさえの元に待望の知らせが届いた。

「お喜びを!お味方は大勝利にございます!」

 喜びのあまりすずと抱き合ったさえ。

「何よりの朗報です!して直賢殿、あの人は?」

「はい、瀬田の戦の後に坂本城攻めを下命されましてございます」

 と、同時にさえの元に驚愕の知らせが届いた。

 

「奥方様―ッ!」

 柴舟が来た。血相を変えている。

「ど、どうなさいました?」

「う、上杉軍が越前に進攻してまいりました!」

「な…っ!?」

「上忍様…。越後は冬将軍の到来が間近だ云うのに、それでも進攻を?」

 と、すず。

「その通りです。謙信とて今の時期の出陣は控えておりましたが景勝はやって来ました!」

 

「加賀も取られてしまったのですか?」

 さえが訊ねた。

「北陸街道を通過したのみです。金沢城も鳥越城にも上杉は寄せていません」

「妙な動きですな…。今ならば加賀は取れると云うのに…」

 と、直賢。

 

「いずれ柴田本城であるこちらに和戦を問う使者が参りましょう。ともあれすぐに殿のご家族には藤林の里に避難していただきとうございます。明日の朝に迎えに参りますので支度のほどを」

「分かりました」

 

 柴舟は去っていった。上杉軍から戦闘の意思なしと云う使者が北ノ庄に届いたのは、それから数刻後のことだった。荷物をまとめていたさえは

「どういうことでしょう…。越前に寄せていて、どうして上杉軍は…」

 と、不思議でならなかった。

 その上杉の使者が水沢家を訪れた。

 

「ごめん」

 応対に出た千枝は名を聞いて耳を疑った。

「手前、上杉家に仕えし泉沢又五郎と申します。内儀は御在宅ですかな」

 

「お、奥方様~ッ!!」

 大慌てで奥にいるさえを呼びに行く千枝。

「何です、そんなに慌てて。誰が参りました?」

「う、上杉家の方がこちらに!」

 大急ぎで門前に走ったさえ。

 

「私が水沢の室、さえと申します。何用でしょう」

「おお、これは美しい」

「は?」

「いや失敬、夫君とは敵味方に分かれたとはいえ、上泉伊勢守様の同門でございましてな。改めてそれがし泉沢又五郎と申します」

「とにかく玄関先では何ですから、お上がりを」

 

「いやいや、上杉家の者を屋敷に上げてはいらぬ疑念を持たれましょう。それがしはこれを渡しに来ただけにございます」

 一通の封書を出した又五郎。

「…?」

「反感状にございます」

「はんかん…じょう?」

「敵軍の士の武功を記した書にございます。主君景勝より夫君に」

「う、上杉家から主人に?」

 

「はい、夫君は上杉の各城を落とす際、勝家殿を説得して城から落ちる将兵に攻撃しないよう差配いたしました。そればかりか撤退のおりに魚津と富山の城を修築し、戦死者を手厚く弔っておりました」

「……」

「我が主景勝はその武人の心に大変感動し、こうして反感状を記しましてございます」

 

 反感状を受け取ったさえ。さえは嬉しかった。敵将を感動させる振舞いを良人はやっていたのだと思うと嬉しくてたまらない。

 上杉が戦闘の意思はないと表明した理由が分かった。

 

「しかし戦闘の意思がないのに、なにゆえ越前に?」

「手薄の越前と加賀を一向宗の残党が狙っていると云う報が入りましてな。ここは柴田に恩を売っておこうと考えたのです」

 柴田勝家自身の口から『能登と越中を返す』と言わせるために。直江兼続の思慮によるものだった。

 

「そうですか…。まさか上杉家か越前加賀を守って下さるなんて…」

「正直、夫君の振舞いがなければ、我ら上杉は加賀と越前を蹂躙していたかもしれませんな。貴女の旦那様は大したものです。越前にいなくても越前を守る」

 

「ありがとうございます」

「それと、これはそれがし個人の用件ですが」

「はい」

「『大きな男になったな竜之介、又五郎は同門として悔しくもあり嬉しいぞ』と伝えて下さい。そう言えば分かるかと」

「分かりました。必ず伝えます」

「はい、それと『童のころ、ちび介とか言ってすまなかった』とも」

「まあ、ふふふ」

「それにしてもまあ竜之介はべっぴんを嫁にしたものですな、あっははは!」

 

 

 又五郎は去っていった。反感状を神棚に供えて手を合わせるさえ。味方の称賛ならまだしも敵方から称賛されるのはよほどのこと。ましてや上杉家から称賛されるなんて。

 

「奥方様」

「なに?すず」

「今だから言えますが…殿にお仕えした時、何て甘い大将なのかと思ったことが何度かあるのです。優しいと言えば聞こえはいいですが、そんな甘さでこの乱世を生き抜けるのか、我ら藤林は最初そう危惧していました」

「…すず」

「しかし、それは強さあっての優しさと、すぐに分かりました。ご養父隆家様も女子供に優しい大将であったと父も言っていましたし」

「強さあっての優しさ…」

「殿のその強さを支えているのは、奥方様ですよ」

「え…?」

 にこりと笑うすず。

「ありがとう、すごく嬉しい。でも、あの甘えん坊をこれからも支え続けるのは一人でしんどいわ。すずも頼むわよ!」

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 一方の隆広、悲しい別れがあった。明智光秀が腹を切り、隆広が介錯をした。光秀は死に際に

『儂の屍を肥やしとして大きな男となれ。織田信長よりも大きな男となれ』

 と言い残した。

 

 子供のころ修行に耐えかねて寺を逃げた竜之介。山中を迷い、高熱を発して倒れたところを助けてくれた光秀。光秀のあの時の優しさがあればこそ、今の自分は生きている。その恩人を討たなければならなかった隆広は我が身を呪った。

 

 光秀と共にいた斎藤利三も自害して果てた。利三は隆広に頼んだ。七つになったばかりの娘、名前は福、一人前の女子になるまで育ててほしいと。隆広は引き受けた。斎藤利三は敵将に遺児を託したのだ。

 

 

 さらに辛い別れがあった。光秀の妻の煕子である。

 幼い竜之介に生まれて初めて母の温もりを与えた煕子。何度も降伏勧告はした。

 しかし煕子は受け入れなかった。一日の母として恥ずかしくない最期を見せましょう、煕子の壮烈な覚悟であった。

 

 坂本城内の兵糧が尽いたころ、城代の明智秀満が水沢陣に使者として赴いた。明智家の家宝、そして息子の左馬介と斎藤利三の娘の福を託すためである。秀満もまた、自分の通称をそのまま名付けるほどの最愛の息子を隆広に託したのだ。

 

 福は隆広を憎しみ込めて睨む。父上の仇、そう思っている。そんな福を隆広は抱きしめ父親になることを改めて利三に誓うのだった。

 

 家宝を託すと云う秀満のふるまいに心動かされた隆広は坂本の非戦闘員である女子供、年寄りを明日の総攻めの前に落ちさせよと秀満に言った。光秀の旧領である丹波の有力者たちに明智の女子供、年寄りを丁重に遇するよう添え書きまで持たせることを約束した。

 

 そして翌日、非戦闘員が坂本を去ったと同時に水沢隆広は総攻めを決行。必死に抵抗するが多勢に無勢、勝負にならなかった。

 やがて坂本城は落城し炎上した。煕子を助け出せなかった無念。隆広は両の拳を握った。

 福は燃える坂本城を見て泣きに泣いた。

「福の、福のお城が…」

 そして隆広を見て

「許すもんか!」

 いつか父上の仇を討ってやる。そう決めた。

 隆広はその日のうちに二毛作に書を持たせた。さえ宛てに手紙を書いたのだ。

 

 

 戦時において、さえが一番楽しみにしているのは良人からの手紙だ。それゆえか、さえは二毛作の馬の音が屋敷の奥にいても分かるほどである。

 届いた手紙を胸ときめかせて広げるさえ。そこには養女をもらったと記されていた。養女にするまでの詳しい経緯も記されている。

『形式だけの養女ではなく、俺は実の娘のように福を愛して立派に育てるつもりだ。さえも福の母親となってほしい』

「お前さま…」

 

 裏切り者と呼ばれる明智光秀の重臣斎藤利三。その娘を養女とすると言う。少し理解の悪い女なら冗談じゃないと思うかもしれない。謀反に組した以上、斎藤利三もまた謀反人の裏切り者なのだ。

 そしてその一人娘。さえは福と自分が重なった。さえの父親もまた謀反人の裏切り者と呼ばれる朝倉景鏡なのだから。

「あの人もお福と私を重ねたかもしれない…」

 

 さえは手紙を懐にしまい、監物を連れて北ノ庄の城下にある福志寺に行った。水沢隆家と朝倉景鏡の墓がある寺だ。父と義父の墓を清めて手を合わせ、本殿に行き改めて仏に手を合わせた。監物も一緒に手を合わせる。

「仏様、もし私が一度でもお福をもらい子扱いし粗略にしたら天罰をお与えください。私は息子竜之介と分け隔てない愛情を注ぐことを誓います」

「姫様…」

 

「いきなり七つの女の子の母親かぁ…」

「母と娘と云うより、姉と妹ですな。年齢差わずか十四にござる」

「ふふっ、しかし手紙によると、お福はあの人を父の仇と思い憎んでいるとか」

「それはまた…」

「燃えてきたわ。見ててごらんなさい。あの人への憎悪を私が思慕に換えてみせるから」

 

 

 やがて柴田勢は越前へと帰ってきた。国境付近で上杉と和議を結び、勝家は正式に越中と能登を返した。そして上杉軍も引き上げて行った。

 北ノ庄に入り、軍勢は解散。隆広はお福の手を握って帰宅。出迎えのため門前に並んでいた隆広の家族や使用人たちを見て怯えの表情を見せるお福。

 さえはお福に歩み、お福の目線に腰を下ろす。

 

「おかえりなさい。私が今日からお福の母になるさえです」

「は、はい…」

「さあ疲れたでしょう。お風呂が沸いているから入りなさい」

 お福に優しく手を出すさえ。お福はそれを握った。

「ほっ…」

 

 安堵する隆広だった。子どもを安心させるに男は女に遠く及ぶものではない。すぐにさえの手を握ったお福に安心した。さえに連れられて屋敷に入ったお福。

 隆広は竜之介を抱きあげて使用人たちに言った。

「みな、あの子は斎藤内蔵助利三殿の一人娘福。彼ほどの武将に遺児を託された以上、一人前の女に育て、しかるべき男に嫁がせなければならない。それまでは当家で厳しくも暖かく育てる。みなも協力してくれ」

「「ははっ」」

 

 福は坂本から北ノ庄までの旅が疲れたか、風呂に入って食事をするとすぐに寝てしまった。さえや侍女たちが暖かく福に対し、福も安心したようだった。坂本から北ノ庄までの夜営中には見られなかった安らかな寝顔だった。

 その寝顔を見て、隆広はさえとようやく二人の時間に入った。

 

「かわいい子です」

 と、さえ。

「うん、だが福は俺を許してはいない」

「お前さま…」

「福は幼いが、さすがは内蔵助殿の一人娘だけあり気の強い子だ。さえも手を焼くであろうが…」

「気長に対し、いっぱい愛し、福の心が開くのを待つつもりです」

 隆広の言葉は、逆にさえの母性本能に火を着けたようだった。

「ありがとう、それと…柴田の名声が高まる一方で明智の名前は畿内でひどい言われようとなっている。人の口に戸板は立てられない。内蔵助殿の悪評は福にも届くことがあろう。父の悪評を聞くつらさを誰よりもさえは分かっているはずだ。支えてやってくれ」

「分かりました」

 

 唐土の故事に『遺児を託す』と云う言葉がある。それは託す者から深い信頼を得ている他ならない。斎藤利三は敵将である水沢隆広を信頼し遺児を託した。それに応えるのは武士の本懐であり人の道。その気持ちは妻のさえにも十分伝わるものだった。

 

「さえ、腹に触れてよいか?」

「はい」

 嫡子竜之介が生まれる前のように、隆広は愛妻の膝を枕とし、お腹に耳をつけた。

「…さすがにまだ何も聞こえないな」

「まだ膨れていませんから…」

「ははは、そうだな」

「だからまだ伽は務められます(ポッ)」

 珍しく大胆なことを述べるさえ。顔は真っ赤であるが。

「今日は明るい部屋が良いな」

「いやです。恥ずかしいですから」



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外伝さえ 十【出生秘話】

 上杉景勝から届けられた反感状。さしもの隆広も初めてもらった書である。敵軍の士の武功を記す反感状。景勝ほどの者から贈られれば隆広も嬉しい。微笑み読んで、照れくさそうに頬を掻いている。何度も読み返している。よっぽど嬉しかったようだ。

 

「嬉しいみたいですね。反感状」

 さえが言った。

「そりゃ嬉しいさ。敵軍から称賛を受けるのは武士の誉れだからな」

「ふふっ、ところでお前さま、昼ご飯を終えたら私とお福は市場に出かけてきます」

「そうか」

「お前さまも一緒にどうです?」

「え?」

「当家に女童の着物や日用品なんてありませんから買いに行かないと」

「俺も行くのか?」

「はい、途中に福が疲れたらおんぶしてあげて下さい。私では無理ですから」

「わ、分かったよ」

 

 かくして隆広とさえ、そしてお福は城下に買い物に出た。さえはお福と手を繋いでいる。

 いつの時代も妻と娘の買い物に付き合わされるのは疲れるものだ。北ノ庄の城下町は楽市も導入されているので栄えている。坂本の城下町も栄えていたが光秀の謀反以降は寂れている。お福は賑やかな北ノ庄の城下町をキョロキョロして歩いた。掘割と云う仕組みが成され、城下町の中に大きな用水路が流れ、船で荷や人を運んでいる。それを珍しそうに見つめるお福。

 

「あれは掘割と云うのよ。あのお船は高瀬舟」

 さえが説明した。

「ほりわり、たかせぶね」

「そう、北陸に流れる大きな川、九頭竜川とあの用水路は繋がっていて人と荷物を運んでお城や商家に運ぶの。これが出来てから北ノ庄の人々は大変便利になって喜んでいるのよ」

「ふうん」

 あえて、隆広がやった仕事とは言わないさえだった。

 

「これから行く呉服屋さんも、この掘割で良い着物を越前国内や加賀、若狭、丹波、京都から仕入れているの。だからお福の気に入る着物もたくさんあるわ。我が家にはお福の着物が一枚も無いのだから好きなの選んでいいわよ」

「どれでもいいです」

 無愛想に返すお福。安堵を与えてくれたとはいえ、まだ水沢家に来て二日。そう心開かないのも無理はない。しかし、さえは特に気にしない。分かっている反応だった。

 

「じゃあ母の私が選んでいいかな」

「……」

「お福はね、薄い黄色の着物がきっと似合うわよ」

 呉服屋に着き、お福の手を引いて店内に入ったさえ。

 

「これは水沢家の奥方様、今日は何が入りようで」

 店主が出てきた。

「これは何とも可愛らしい娘さんですな。奥方の妹さんで?」

「娘なの」

「ほえ、ずいぶんと若いお母さんだ」

 福は右手に父の利三からもらった毬を大切に持ったまま黙っていた。

 

「お福」

 隆広が呉服屋で巾着袋を見つけ、それをお福に見せた。

「…?」

「その毬、いつも手に持っていては手からこぼれ、毬を追って道を渡れば荷台や馬に当たり、時には怪我で済まない時もある。これに入れておきなさい」

 よく見ればお福の持っている毬と同じような柄のものだ。偶然とはいえよく見つけたと感心するさえ。

「いつも手に持っていたいんです」

「気持ちは分かるが、それでは手脂で汚れるし、水たまりに落としてしまったらどうする?」

 お福の視線に腰を落としてにこりと笑う隆広。

「……」

「ほら、この袋もおしゃれでお福に似合うぞ」

 顔を赤くしながら巾着袋を受け取るお福。

 

「店主、いくらだ?」

「ああ、お前さま、いいですよ。他の着物と一緒にお勘定しますから」

 その巾着袋で少し緊張が解けたか、お福はさえにあの着物がいい、この着物がいいと娘らしく父母にねだった。髪飾りなども置いてあるので、それを隆広がとって付けさせてみる。

「お福、とても似合うぞ」

「本当、これも買いましょう」

 娘を持ってまだ二日目の夫婦、お福が可愛くてたまらないのか、まさに蝶よ花よだ。これは良い客だと思ったか、店主が

「そうだ、娘さんにピッタリの小袖がありますよ!」

 と、奥から出してきた。薄い黄色の小袖で派手すぎず、童らしく慎ましい花々が刺繍されている小袖だった。寸法もお福と合っている。お福もそれを見て

「わあ、きれい」

「本当にきれいね。お福、気に入った?」

「はい」

「じゃあその小袖と、あとさっきこの子が選んだ着物を全部下さい」

「毎度ありい!」

「しかしホントに美しい小袖だな。店主、なんで奥に引っ込めておいたんだ?」

「いや実は城の江与姫様のためにお市様から注文を受けた小袖なんですが、完成した日が本能寺の変の日でございましてね。織田の娘が纏うに不吉と言われて代金は下さいましたが着物は受け取ってもらえなかったのですよ」

「なるほど、では本来は江与姫様が着ていたかもしれないということか。どうりで上品でありながら可愛らしい」

 

 しかしお福はそれを聞くや

「柴田の姫のお下がりなんて嫌です」

 と、拗ね出した。店主が困ったように説明。

「お下がりじゃありませんよ。江与姫様は袖を通していませんから」

「嫌なものは嫌!」

 お福はプイと店を飛び出していく。頭を掻く店主。

「ありゃりゃ…。難しい年頃ですなぁ」

「そうなんだ。だからかわいい」

「はは、確かに」

「さえ、俺はお福を追いかけるから勘定を頼む。今の小袖も買っておいてくれ」

「はい」

 

 店先に拗ねた顔で立っていたお福。お福の視線に腰を下ろす隆広。

「はは、でも巾着袋は気に入ってくれたみたいだな、お福」

 小さく頷くお福。

「あれでいいんだ。嫌なものは嫌と言う娘でいい」

「え…」

 

 しばらくして、大なり小なりの袋を持ってさえが出てきた。

「手伝って、お福~」

「は、はい!」

 袋を抱きしめるように受け取ったお福。隆広も袋を持った。

「気がつけば、ずいぶんと買ったな」

「ええ、もう寝間着やら浴衣やら、その他もろもろ」

「浴衣か、お福にきっと似合うだろうな」

「福は、お人形さんじゃありません」

「あらあら、お福、お人形さんはそんなかわいい脹れっ面はしませんよ。ふふっ」

「そ、そんなことじゃ…」

 

 その後もお福の枕とか、とにかくお福が日常使う物を買いまくり、持って帰れなくなった。市場の者が『明日、まとめてお屋敷に届けますよ』と言っていると隆広の家臣である松山矩久、高崎次郎、白がその場を通りかかった。三人は飲み屋に向かっていたらしいが捕まってしまい、思わぬ荷物持ちをさせられるハメとなった。

 隆広は遠慮を申し出たが、さえに遠まわしに頼まれて断るに断れなかったらしい。

 

「ごめんなさい、今日にでも着させてあげたいものや使わせてあげたいものがあって」

「い、いや良いんですよ奥方様。ははは…」

 大きな袋を持ちながら笑顔が引きつっている矩久。

「すまんな白」

「いえいえ」

「ちぇ、俺も飲みに行きたいよ…」

「ははは、しかし殿、お福殿の寝顔はかわいいですな」

 と、高崎次郎が言った。お福は疲れてすでにスヤスヤと隆広の背で眠っていた。

「うん、娘っていいもんだな。本当にかわいいよ」

 

 

 帰宅して目が覚めたお福。さっそく買ってきた着物を着た。本来は江与が着るはずだった着物。

「わあ、かわいらしい。よく似合うわよ、お福」

 満面の笑みで言うさえに顔を赤くしたお福。

「本当によくお似合いですよ」

 侍女の千枝も褒めた。おせじではなく本当に似合っている。

 後年に長宗我部信親の正室となるお福だが、信親が『土佐一番の美女』と言って憚らなかったのを鑑みて、幼年のころから見目麗しい美少女だったのだろう。すっかりその気になって体を回して毬の入った巾着袋を可愛らしく振るお福。やはり女の子だ。

 

「ありがとう、お福、この着物大事にします!」

 あえて隆広はその場にいなかった。警戒する自分がいては、せっかくの着物を着ても気持ちを正直に出さないかもしれない。まずはさえが母親と思われればいい。離れた部屋からはお福の喜ぶ声が聞こえてくる。今はこれだけ聞ければ十分と思った隆広だった。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 さて、水沢隆広は明智攻めの武功で朝廷から正式に官位を得ている。従五位下美濃守、隆広が智慧美濃と呼ばれるのもこのころからである。

 

 隆広は勝家の指示で上杉家と和睦すべく越後の春日山城に訪れた。そこで旧友の直江兼続と再会した。当主景勝のいる評定の間に隆広を案内する兼続。

 

「竜之介」

「何だ」

「魚津を攻めし時、主君景勝率いる援軍に対し、陣固めさせ寄せる我らを無視するよう修理亮殿(勝家)に進言したのはお前か」

「…ああ、確かに俺だ」

「良ければ理由を聞かせてくれないか」

 

 廊下で立ち止まり、隆広を見つめる兼続。幼馴染、かつ使者であっても返答によっては上杉将士の誇りを傷つけた者として許す気はない。

「我ら上杉将士の中で豪勇を誇る将が陣の前で名乗りを上げて一騎打ちを挑んでも、柴田軍から帰ってきた返事は鉄砲の弾のみ。これは戦陣の作法に背くこと由々しきことではないのか」

 前田慶次が兼続の殺気を読み、隆広の前に立とうとしたが隆広は慶次を止め、そして答えた。

「『どんな武辺の者が名乗りを上げても無視をせよ。鉄砲の号砲こそが織田の名乗りぞ』亡き織田信長公が長篠の戦いで家臣に言った言葉だ」

「それがどうしたのか」

「与六、我ら織田の兵は弱い」

「な、なに?」

 

 唖然とする兼続、一緒にいた兼続の弟、小国実頼もあっけにとられた。

 どこに自軍の兵を弱いと公言はばからない将がいるか。

 しかも言っている相手はつい最近まで矛を交えた上杉勢の家老にである。

 

「濃尾は農業に向いている肥えた土地で、商業も発展している。織田の兵は恵まれた場所で育った。反して上杉の者は幼年からやせ地を耕し、大雪に揉まれている。そんな越後の精兵に正面から当たっても勝てない。だから弱いなりに工夫するしかなかった。兵と農民を分けて常時戦える仕組みを作り、兵数を要し、かつ鉄砲を多く持ち戦うしかない。そういうことだ」

「…天下の軍も内実は大変だったということか?」

「それに加えて上杉の取り巻く情勢をつぶさに調べておいた。景勝殿が遠からず引き上げざるを得ないことは分かっていたこと。ほっておいても戦場離脱する精強な軍と戦う必要はない。ゆえに失礼なれど無視と云う形を執った」

「…敵を知り、己を知れば百戦して危うからず。戦わずして勝つ。長庵禅師様の教えを思い出すな」

「『越前を留守にした柴田に変わり、越前国内の治安のために睨みを利かせる。さすれば柴田勝家は越中と能登を上杉に返すであろう』それを景勝殿に進言したのは与六、お前か」

「そうだ、中々の『戦わずして勝つ』であったろう?」

「はは、確かに主君勝家の性格を突いた策だ」

「とにかく希望以上の話は聞けた。ついてこい、主君景勝に会わせよう」

 

 その後に水沢隆広と上杉景勝が対面し、上杉家と柴田家の和睦が成立した。

 これよりしばらくして、この和議締結は強固な同盟に発展しているが勝家の代では実現せず、その後を継いだ柴田明家の時に実現している。

 

 

 柴田家と上杉家の和議もまとめ、前田利家と共に清州城で行われる会議のために動き出した。そんなころ北ノ庄城、お市が勝家に真剣な面持ちで話を切り出した。

「殿、聴いていただきたい願いがございます」

「聞かずとも分かる。隆広に母の名乗りをしたいと云うのだろう」

「はい…」

「もはや止めぬ。名乗るがよい。儂もその際に父と名乗ろう」

「ああ、やっと!やっとあの子を抱きしめられるのですね!」

「あ…」

「え?」

「すまん、お市。いま隆広は清州に又佐(利家)と共に出向している」

「ええ…っ」

「そんながっかりとした顔をするな。会議が終わればすぐに戻るゆえ」

「もう一刻も早く母と名乗りたいのです!殿もしばらくすれば清州に行くのですよね?」

「ああ、そうだが」

「ならば私も行きます!」

「まあ、よかろう。久しぶりに清州に行くのも悪くなかろうからな。ただし会議の場に出てくるでないぞ」

「心得ています」

 

 後継者に織田信孝を推すのが勝家の意思。隆広はその根回しに追われた。すでに丹羽長秀を味方に付けていたが、念を押して池田恒興にも勝家寄りを要望し、恒興は了承。会議後に信長と信忠の葬儀も行うと勝家は言っていたので、すでに大徳寺の方にも隆広は使者を送り日取りを講じていた。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 良人隆広が清洲会議に出かけている時、一方のさえはと云うと

「あの人が安土築城に?」

 吉村直賢が訪ねてきてさえに報告した。

 

「はい、大殿様(勝家)より安土普請の資金を出してほしいと言われたので。それで普請奉行は誰にするのですかと間うと、殿にするつもりだそうです」

 安土城は本能寺の変のあとに明智秀満が入り、秀満が退去したあとは織田信雄が入ったものの突如大火に包まれ炎上してしまった。今は焼け野原だが石垣や基礎はまだ十分使える。明智光秀を討ち、主君信長の仇をとった勝家は織田家中で一番の発言力を持つ。そのまま安土の跡地を柴田のものにするに否など言わせない。新しい安土の城を作り中央に進出するつもりだ。

 

「またあの人と離れ離れに…」

 良人が大仕事を得たのに最初に出るのがそれか。直賢は苦笑した。

「いや姫様、殿が大掛かりな内政主命を得たら、水沢家はすべて移動する仕組みを取っているのはご承知でしょう」

「それはもちろん。でも今はまだ安土は焼け野原、私たちが行けるのは殿たちよりずっと後じゃないですか」

「まあ、そうでしょうな。まずは安土より水沢将兵と人足たちの家々を作らなければなりませんから」

「家老になったあの人、最初は私も大喜びしちゃいましたが、偉くなればなるほど私といる時間が減ってしまいます。出世も考えものです」

「ははは、いつまでも殿と姫は新婚さんのようですな」

「はい、白髪が生えても心は新妻ですから」

 

 清洲会議が終わって隆広が北ノ庄城に帰ってきた。さえとすず、そしてお福や竜之介も出迎える。相変わらずお福はふて腐れたような出迎えようであるが、最近はそんな素振りが可愛く見える隆広だった。そんなお福を抱き上げ、そして竜之介も抱きしめる。柴田家のご家老様も家に帰れば子煩脳なただの父親だ。

 

 水沢家の夕餉はにぎやかだ。家長の隆広を中心にさえ、すず、監物、八重、お福、竜之介と七人で食べる。笑い声が絶えない楽しい夕餉。お福も遠慮などせずおかわりを頼む。一度は天涯孤独となった隆広とさえにとっては本当に幸せな時間だ。

 

 

 その夜、隆広はさえ、すず、監物、八重を白分の部屋に呼んだ。

「殿、みんな揃いました。お話とは何でしょう」

 と、さえ。これから隆広から発せられる言菓はあまりに衝撃的なことであった。隆広も緊張した面持ちである。

「みんな、落ち着いて聞いてほしい。今から話すことはみんなからすれば、到底信じられないことかもしれないが、すべて事実である」

 

 真剣な良人の面もちに戸惑いながら、さえ

「な、何ですか殿、改まって」

 隆広は一つ咳払いをして言った。

「俺の実の父母が分かった」

 さえたちは驚き、そしてさえが祝福した。

「それは!殿おめでとうございまする!」

「何とも朗報じゃあ!すぐにこちらにお招きせんと!」

「本当に」

 監物と八重も嬉しそうだ。そしてすずが

「それで殿、どちらのお方にございますか?」

「父の名は柴田勝家、母の名はお市」

「…は?」

 すずはもちろん、さえ、監物、八重も隆広が何を言っているのか分からなかった。問い直すさえ

「殿、すいません、もう一度言っていただきますか?」

「だから…父の名は柴田勝家、母の名はお市、そう言ったんだ」

 

 ようやく意味が掴めた四人。

「と、殿、ご冗談が過ぎますよ」

 さえが言うと

「いや、事実なんだ。順を追って説明する」

 隆広は清洲会議での出来事を家族に話した。お市が浅井長政に嫁ぐ前、君臣の間ながら互いに想っていた勝家とお市が一夜だけ結ばれたと。その時にお市の胎内に生を宿したのが自分で、兄の信長に露見することを恐れたお市は信長正室の帰蝶姫を経て、斉藤家の名将である水沢隆家に養育を託したのだと。

 

 そして清洲会議、織田家の幹部居並ぶ中、お市が水沢隆広は自分と勝家の息子であると明言、勝家もまた儂がそなたの実父であると明かした。ことが落ち着き次第、正式に息子として迎えると勝家が言ったこと。すべて話した。さえたちは、ただ呆然として隆広の言葉を聞いた。

 

「そ、それじゃ殿は柴田の嫡男、お世継ぎに?」

 と、監物。

「そんなのは分からない。養子の勝豊様や勝政様もいらっしゃるし、何より殿も『あくまで家老、若殿ではない』と言っておられる。とにかくさえ」

「は、はい」

「俺が殿の実子ということが無用に広まれば柴田家に混乱が生じる。俺も家族のそなたら以外に話すつもりはない。殿の言うように俺は柴田家の家老だ。それ以上でもそれ以下でもない。そなたらもそのつもりでいてくれ」

「「はっ…」」

「うん、なおすでに存じていると思うが、俺は新たな安土築城を仰せつかった。現地は焼け野原、家がないから一緒には行けない。最初は兵と人足だけ連れていく。おって迎えにこさせるゆえ、待っていてほしい」

「分かりました」

「今日のところ話は終わりだ。風呂にする」

「用意できております」

「うん、さえその後に」

「はい、寝所に参ります(ポッ)」

 

 隆広は湯殿へと歩いていった。まだ半ば信じられない気持ちのさえたち。

「まさか殿が大殿様の実の息子なんて…」

 驚きを隠せないさえ。

「しかし、ならば何故、奥方様(お市)は私を大事な息子の使用人にしたのだろう。私は、私は…」

 朝倉景鏡の娘なのに。そう思った。

 たとえ使用人とはいえ年頃の男女が一つ屋根の下に住むのだ。主従ではなく男女の仲に、やがては夫婦と云うことも考えられたはず。裏切り者の娘が息子の妻になるかもしれなかったのに。さえの顔からそんな考えを見抜いたか、八重が

「あの織田信長は生まれや身分を度外視した人材登用をされました。妹のお市様もまたそうなのでしょう。たとえ父にどれだけの汚名があろうと娘には関係ない。家の滅亡、父の非業の死、そんな艱難辛苦を経てきた姫様には器量があると見て、やがて大事な息子の妻になってほしいと思い、そういう人事をしたのではないかと」

「伯母上…」

「当主が代わり、織田家も柴田家も大変な時、お市様の見込んだ嫁の手腕見せるのは今ですよ」

「うん、私やるわ。さあ明日から安土築城の準備ですよ」

「「はっ」」

「でも」

「なに?すず」

「殿の顔がお父上似でなくて良かったです」

 ドッと笑ったさえたち。確かに母親お市の美貌がそのまま男になったと言えるほど整った顔立ちの隆広である。鬼や閻魔と呼ばれる勝家の顔とはほど遠い。

「あっははは!すずったら大殿様に怒られるわよ、そんなこと言っちゃ!あはは!」

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 以後、公式発表があるまでは水沢家でも秘事とされた隆広の出生。

 しかしお市が織田家幹部の居並んだ中で明言したのだ。自然とそれは流布されていく。元気でいるとは云え勝家は還暦を越した老体。いつ何があるかわからない。柴田家の行く末を案じていた者たちにとって実は優れた嫡男がいたと云うのは朗報だった。若殿としての出発ではなく、下っ端武将から自力で家老に上り詰めた隆広の足跡がここで生きてきた。無論、一部を除いてではあるが。

 

 柴田勝豊は水沢隆広が養父勝家の実子と聞き呆然とした。長浜の城を得た喜びもどこかに飛んでしまった。これで柴田の家督を継ぐのは絶望的と思えた。

 

 反して同じ養子の柴田勝政はそれを聞くや

『それはめでたい。美濃ならば柴田の舵取りも立派にやれよう』

 と、次代当主の隆広を認めていた。勝政は佐久間盛政の実弟で武勇に優れていた。それが勝家に気に入られて佐久間家から勝家の養子となっていたが、武勇だけではなく居城の越前勝山城では善政をしいている名君でもあった。

 

 それに一役買ったのが隆広である。隆広が勝家の伝言を持って勝山城に訪れた時があった。しかし勝政は留守で翌日に戻ると云うことだった。仕方なく城下の宿に一泊しようと向かっていたところ、城下町のはずれに隆広はふと立ち止まった。そこは小川が流れる雑草地帯だった。

『なんともったいない。この雪解け水を用水とすれば多くの水田を作ることができるのに』

 と、両手の指で枠を作り、構図を練り帳面に水田開発の工法の手段を箇条書きにし、絵図面も描いた。自分ならこうすると常日頃から向学心旺盛な隆広だった。

 そこにたまたま老僕を連れた勝政の妻が通りかかり、隆広に何をしているのか訊ねた。隆広は勝政の妻と知らぬまま、自分がしていたことを説明した。勝政の妻が帳面に書いたものを欲したので、隆広はそれを渡して宿へ去っていった。

 

 勝政の妻は机上の空論ではないと思い、その書を勝政に提出。その新田開発案に勝政は大変喜んだ。その案を出したのが水沢隆広と勝政が知るのはしばらく後であるが、当時の隆広はまだ足軽組頭で仕官したてである。

 勝政は『父上も何とも大した若者を登用したもの』と誉めて、実兄の佐久間盛政が隆広を嫌おうとも勝政は隆広を高く評価して認めていた。勝政と隆広は親しかった。伊丹攻めの時も総大将に隆広が就いたことに不平漏らす兄の盛政に『備大将が総大将を軽んじれば勝てる戦も勝てなくなりますぞ』と諫めている。

 

 後日談となるが、勝政は隆広が絵図面を描いた雑草地域を見事に美田としている。今もその田は現存して実りをもたらし勝政は今も勝山で慕われている。また勝政の妻は勝政亡き後に隆広の勧めで再婚し、勝政の二人の息子は隆広嫡男の柴田勝明に仕えることとなる。

 

 勝政があっさりと隆広の次代当主を認めたと聞いた勝豊は

『あいつは腑抜けよ、いやしくも戦国に生を受けながら大名への野心がない。あんな者を俺より重用する父上も見る目がない』

 と、吐き捨てた。勝豊と勝政は大変仲が悪く、勝家も勝豊ではなく勝政の方を何かと用いていた。それが後の柴田勝豊が柴田家を裏切る要因ともなったかもしれない。

 

 

 隆広が安土に向けて出発する時が来た。隆広の屋敷に前髪のある少年がやってきた。

「殿!朝にございます、いざ安土に!」

 すでに甲冑を着て、出かける準備を終えていた隆広は

「お、さっそく迎えに来たか」

「殿、誰なんです?聞きなれない声でしたが」

 さえが訊ねた。

「殿の肝いりで当家に召し抱えた大野貫一郎(後の治長)と云う少年だ。前々から見所があると思っていたが、何とも運のいいことに俺に仕えてくれることになったんだ」

「まあ、それなら私が出迎えなければ」

 

 さえが玄関に行くと、凛々しい少年が立っていた。前髪があり、まだ元服前の少年。なかなかの美童である。

「水沢の室、さえです」

「奥方様ですか!私は大野貫一郎と申します」

 律儀に折り膝してさえに頭を垂れる貫一郎。

「貫一郎殿、良人は知将だのと色々と持ち上げられていますが、それは家臣の助力あってのこと。良人の助けになって下さいね」

「はい!がんばります!」

「しばらくお待ちを、もう軍装は終えていますから」

「はい!」

 

 そんなに大きい声で返事せずとも聞こえるのに、と、さえが苦笑していると

「貫一郎、出迎えご苦労」

 甲冑の音を鳴らして隆広が来た。すずも手すりに掴まりながら一緒にいる。再び頭を垂れる貫一郎。

「殿、おはようございます」

(うわあ、正室側室とも美人だなあ…)

「すず、しばらく会えないが出産までは安土に呼べると思う。お腹の子と共に、そなた自身も体調には気をつけるのだぞ」

「はい、殿」

 左右の頬を付け合うすずと隆広。人前でも平気で嫁とイチャつくと噂には聞いていたが貫一郎は目のやり場に困る。

「さえ」

「はい」

 さえとは口づけである。独り者の貫一郎には目の毒だ。

「さて、参るぞ貫一郎」

「はい!」

 家族が見送る中、馬に乗る隆広、その轡を取る貫一郎。水沢軍が集まっている北ノ庄城の練兵場へと向かった。

 

「私には目の毒です」

「お前も早く嫁をもらえばいいではないか。いいものだぞ」

 後に隆広の妹を妻にするとは想像もしていない貫一郎だった。

 隆広と貫一郎の姿が見えなくなるまで見送っていたさえとすず。すずがさえの横顔を見ると、さえの顔は少し晴れない。またしばらく隆広と離れるのが寂しいのだろう、と、すずは思っていたのだが

 

「何か不安です」

「なにがです?さえ様」

「大殿様はご自身の知恵袋を遠方に出してしまいました。羽柴様が何をしでかすか分からない状況だと云うのに」

「…確かに言われてみれば。元々殿は領地ではなく金銭で厚遇を受けておられた方です。それはいつも主君についていなければならないと云うお役目ゆえ」

「そうです。加賀内政にしたって北ノ庄に何かあればすぐに戻ってこられました。逆もまた然り。相互に行き来はそんなに難しくはありませんでした。でも安土と北ノ庄ではそうはいかない。もし羽柴様が越前の冬を待っていて、柴田軍が動けない時に播磨から安土に寄せてきたら殿は孤立無援です。女が口を出すことではないかもしれませんが何か不安で…」

 

 さえの予言は的中することになる。水沢隆広、生涯ただ一度の籠城戦となる安土城攻防戦、さえにとってもそれは最初で最後の籠城戦である。



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外伝さえ 十一【安土城の戦い】前編

 安土城の焼け跡に到着した隆広、工兵隊頭領の辰五郎を伴い、安土山や琵琶湖畔の地形を調べるため馬でゆっくりと回った。

 

「匠聖、岡部又右衛門の作りし城も短命でございましたな…」

 と、辰五郎。

「ふむ…。今ごろあの世で悔しがっているだろうな。心血注いだ城が火に包まれアッと云う間だ」

 馬を止めて絵図を描く隆広。隣に来て覗く辰五郎。

「なるほど、橋は一か所のみですか」

「ああ、大殿は五箇所も架橋したがな。新たな安土は一つでいい。貫一郎、新しい紙を」

「はっ」

 新たな紙を画盤につける。もう十枚以上書いている。隆広がおおむねの形を決めて辰五郎たちが築いていく。これが水沢の土木である。

 

「しかし石垣が丸々残っているのは僥倖でしたな。城壁もそんなに破壊されていないですし」

「ああ、土台が出来ているのは大きいぞ。それと辰五郎」

「はっ」

「大殿は畳も襖も一級の職人を雇って安土を築いたが、俺はそんな資金の無駄遣いをする気はない。とはいえ、必要だと思う職人はそなたの判断でどんどん雇っていい。給金は水沢家で出す」

「分かりました」

「辰五郎、今まで城の増改築と砦の建築くらいであったが、ここまでの城を振り出しから作るのは我らも初めてだ。頼りにしているぞ」

「お任せを」

「まずは我らの住まいから作らないとなぁ…。女房子供を迎えられない」

 

 それからしばらくして北ノ庄にいるさえやすずのもとに迎えが来た。すでに荷造りは終えて待っていた水沢家の面々。当初すずは北ノ庄で子を生んでから安土に行く気であったが、さえは歩行不自由で、かつ身重のすずの体に触らないよう横になって行ける輿を作らせておいた。さえ自身もすでに腹が膨れているので二台ある。

「生んだ直後に見る良人の喜ぶ顔は何よりの産後の薬よ」

 と、すずに言い

「安土で一緒に生みましょ」

 

 すずは大喜び。少し体はきついが一緒に行くことにした。水沢家の女子供、そして新たに越前と加賀で雇われた人足たち、それを前田慶次と藤林忍軍が護衛して安土に向かった。

 輿の横を歩くすずの父の銅蔵は身重の娘が心配でならない。

「すず、お腹が苦しくないか。気持ち悪くないか」

 その銅蔵の後ろを歩く妻のお清。

「お前さん、一寸ごとに聞かれちゃすずも気が休まらないでしょ」

「そ、そうだが心配で」

 かつて鉄面皮の非情の忍びであった銅蔵も娘のことならば心配でならない。で、すずの返事がないので

「すず?」

 輿の小窓を開けると

「スピー、スピー」

 のんきに寝ているすず。

「脅かしおって。寝ているなら寝ていると言わんか」

 無茶言うな、同じく忍軍の柴舟は苦笑して進んだ。そして琵琶湖から吉村直賢の用意した船に乗って安土に向かう。安土山が見えてきた。木槌を叩く音と煮炊きの炊煙が上がっている。安土山の周囲すでに足場は出来ていて、兵や人足たちが汗だくで働いている。

 

「ご覧、お福。ここがしばらく私たちのお家よ」

「はい母上」

 船の上で安土山を見上げるさえとお福。隆広の元にさえとすずの到着が知らされた。出迎えに行く隆広。

 

「さえ、すず、お福、竜之介!」

 隆広は大将然とした格好はしておらず、手拭いを鉢巻代わりにまいて、上半身は裸であった。人足や兵と共に働いていたのだ。部下に示すためにしていることではなく、彼は本心から土木工事に汗を流すことが大好きなのだ。さえとすずもそれを知っているから驚かないが、お福はびっくりした。養父となった隆広が柴田家で偉いお侍とは幼心に分かっているが、それが兵や人足と同じ格好で働いている。さえとすずへの抱擁を済ませると、お福の視線に腰を下ろした隆広。

「元気だったか、お福」

「は、はい…」

「文字の手習い、家の手伝い、ちゃーんとやったか?」

「もちろんです」

「ようし、偉いぞ」

 お福を抱っこするが

「ち、父上、汗臭いです!」

「え、あ、そうか?あっははは!」

 さえとすずも大爆笑している。子供は正直だ。

 

「とにかく、よく来てくれたな。そろそろ昼御飯だ。握り飯と漬物だけだが美味いぞ。お福も腹いっぱい食べろ」

「はい」

「竜之介、そなたは父と共に現場に来るのだ」

「はい父上」

 隆広は息子竜之介を肩車して現場に戻った。

 交代するように大野貫一郎が来た。隆広と同じく工事に従事していたが奥方が来ると云うので衣服と髷を整えてやってきた。

 

「奥方様、お待ちしていました。殿の御屋敷に案内いたします」

「お願いね」

 石垣の階段を上るさえとすず、身重なので監物がさえを、すずを銅蔵が押して歩いている。

 

 しかしさえとすずは階段を凝視して注意深く歩いている。それに気付いた貫一郎。

「どうなさいました奥方様」

「い、いえ、亡き信長公は石仏も階段の石に使ったと聞いています。仏様を踏むのは恐れ多いことゆえ…」

「階段にあった石仏は撤去し、元々ありました場所に戻しました」

「本当に?」

「はい、ご承知の通り殿はそんなに信心深くないですが、結果信長公の作った安土は燃えてしまいましたから念を入れた次第で。石垣に組み込まれているのは外すのは無理なので」

 眼下に見える廟を指した貫一郎。

「そこで安土の支えになってくれるよう、我ら全員でお願いした次第です」

「まあ、それでは我らも後で手を合わせませんと」

「はい、殿もそれを頼もうとしていたようです。さ、こちらを右です」

 右に曲がってすぐに着いた。城が出来れば撤去される仮住居ゆえ作りは簡素だ。それでも広く、隆広とその家族が住むに支障はない。だが

「あらあら、殿ったら散らかしっぱなしでもう…」

 苦笑するさえ。

「殿は寝るだけに帰ってくるようなものなのでしょう」

「女の匂いは?すず」

「大丈夫、ありません」

(本当は一つ二つ残り香があるのですけど黙っておいてあげましょう)

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 すずは到着して数日後に男子を出産、隆広と銅蔵、お清の喜びようは大変なものであった。後年の若狭美浜城、藤林家二代目当主藤林隆茂である。

 生んだ直後に見る良人の笑顔は何よりの産後の薬とさえは言ったが、本当にそうだとすずは思った。嬉しそうに手を握ってくれて、戦を無事にやりとげた自分を見て嬉し涙を流してくれた。

 

 さて、水沢家の女子供が到着し、活気づく現場。この城普請のおりに小山田信茂の遺臣たちである月姫を始めとする投石部隊が召し抱えられ、明智光秀の四女英姫を始めとする遺臣たちが庇護されることになった。

 

 水沢家臣団に小山田と明智の遺臣が加わることを機に隆広は盛大な討論会を開いて融和を図り、かつ城の骨組みが完成されたのを祝い、琵琶湖湖畔で祭りが行われた。酒と料理は無料でふるまわれ、子供たちには菓子が与えられた。炎の祭壇を気付き、櫓では前田慶次が大太鼓を叩き、女たちが笛を吹く。みんな踊りに酔いしれた。それは水沢・小山田・明智の女子供の融和を図り、そして工事の士気をあげるためだ。

 

 しかし悲しいこともあった。石田三成が羽柴家に帰参することを決めて水沢家から去っていったのだ。三成は妻子を伴い姫路へと去った。

 

 それからも工事は続き、ついに着工期間わずか一年と云う驚異的な早さで新たな安土城が完成された。中世最大の要塞と言われる生まれ変わった安土城。信長のように豪奢な天守閣はないものの安土山の天嶮と琵琶湖の天然の堀。出入り口は一箇所しかなく、その道に対して出丸が築かれている。水沢隆広の工夫が随所に仕込まれた堅固な平山城であった。

 

 完成を祝い、織田家当主である織田信孝が二条城より訪れた。

「美濃、見事な城普請だ」

「はっ」

 水沢家一同が信孝に平伏する。

「この安土と二条を橋頭保に筑前を屠る。兄の信忠を支えたように儂の傍らに付き知恵を出してくれ。頼んだぞ」

「はっ、この美濃、浅学非才の身ではございますが織田家のために一意専心に努める所存でございますので、今後とも変わらぬお引き立てのほどよろしくお願い申し上げます」

 

 神妙な隆広の態度に安堵し二条城に戻っていく信孝。彼とて隆広が柴田勝家の子と知っている。織田の家督相続、もっとも力を尽くしてくれた勝家の子。兄信忠の軍師として松永久秀と武田勝頼と戦った若き名将。それが自分のために働くのだ。

 信孝はすでに秀吉に勝ったかのように安土を出て行った。城門で信孝を見送り、城に戻る隆広に

 

「浮かぬ顔ですな殿」

 と、奥村助右衛門。

「…口幅ったいようだが信孝様には危機感が足りない。我らが羽柴攻めに向かう前に、どうして羽柴様が動かぬ保証があるか」

「確かに…」

「播磨に放った密偵からもたらされる報告はみな同じ『筑前動かず、姫路の内政に集中』だ…。それゆえ気になる」

「殿が筑前殿ならどうしますか?」

「織田や柴田が放った忍びを欺くため、先の『姫路の内政に集中』を示し、水面下で徴兵をする。羽柴様にはそれが出来る豊富な財があるし、佐吉ならそれを遂行出来る」

「それで十分な兵力が揃ったら…」

「二条城の信孝様を討ち東進するであろうな。羽柴様にとって主君は亡き大殿のみ。何のためらいもすまい」

「兵数はどれくらいと見込みますか」

「多くても四万くらいではないかな。織田に滅ぼされた大名の残党を積極的に雇い入れれば可能だ。ところで六郎はまだ帰らないか」

「はい、やはり交渉は難航しているのではないかと」

 その六郎がやってきた。

「ただいま戻りました」

「待ちかねたぞ。で、首尾は?」

「はい、蒲生、九鬼、筒井は援軍を承知して下さいました」

「そうか!見事だぞ六郎!」

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 安土城完成してほどなく、さえは八重を伴い安土山を散歩していた。お産が近いので適度な運動ということだ。

「よいしょ、よいしょ」

「姫様、ご無理をされては殿に叱られますよ」

「でも屋敷の中で安静しているの退屈なんですもの」

「しかし、やはり今回も屋敷の中で生むことに相成りましたね」

「うん、でも殿の気持ちは心底嬉しい。確かに血の儀式である出産だけど、馬糞の臭い漂う場所でなんか、やっぱり遠慮したいし」

「殿と姫様の影響で水沢家では屋敷内での出産が普通になったそうな。あの時に殿が言っていました『そんな悪しき慣習、俺が根こそぎ無くしてやる』が何か現実味を帯びてきましたね」

「ふふっ、後の世に女を大切にした大将として伝えられるかもしれませんね」

 水筒を渡した八重。

「ありがとうございます」

「まだ歩きます?」

「はい、琵琶湖を見たいのです」

 そして安土山中腹、琵琶湖が一望できる丘に着いた。

 

「すう~」

 思い切り息を吸い込んださえと八重。さえの額ににじんだ汗を拭く八重。

「姫様、ご気分は?」

「平気です。ああ琵琶湖がきれい…」

「本当に」

 

 安土城の郭内、水沢屋敷ではすずが息子鈴之介に乳を飲ませていた。

「こらこら鈴之介、そこは父のものだぞ」

「殿ったらもう!」

「あはは、しかしよく飲むな、すずの乳がしぼんでしまわないか心配だよ」

「もう知りません。恥ずかしいからジロジロ見ないでください」

「そうはいかない。すずの乳の出が良いかも見ているのだから」

「それならば心配いりません。滋養のあるものを食べていますから」

「ああ、あの茶之助が教えてくれたと云う野菜くずと魚くずで出汁を取った汁か?」

「あれ本当に美味しいです。飽きることがないし、すずは大好きです」

「ははは、俺もだ。今度あれで粥も作ってみるか…」

 

 ようやく満足した鈴之介はスヤスヤと眠りだした。

「よく乳を飲んで、よく寝て。きっと健やかに育つだろう」

「出来ることなら忍びになんてなってもらいたくないのですが…」

 思わず出た本音、口を手で押さえたすず。

「す、すいません軽率なことを。この子が後継ぎになるのを父の銅蔵は楽しみにしているのに」

 ちなみに銅蔵はすでに藤林の里に帰っている。銅蔵の表の顔は濃尾一帯の杣工(木材を育成、伐採する木こり)の棟梁であるので今回の安土築城においては彼が多くの材木を工面した。仕事と娘の出産のために安土に訪れたのだが、今はどちらも済んだので里に帰ったというわけだ。孫を一人前の忍びの頭領にすることを楽しみにしている。

「すず、俺も銅蔵殿には言えないが、それは母親なら当然な気持ちだよ。どんなに優れた忍びとなろうとも危険と隣り合わせだしな」

「はい…」

「鈴之介が大人になるころは戦のない世になっていれば良いのだがな…」

 

 

 それから数日後のことだった。羽柴秀吉が挙兵した。二条城の織田信孝は秀吉に討たれた。水沢家が手に入れた第一報がそれだった。報告に来た白から

「兵数、およそ六万!」

「ろ、六万だと!馬鹿な!ちゃんと調べたのか!」

 さしもの奥村助右衛門も驚いた。隆広もまた想像以上の兵数に驚いた。まともに戦ったらとても勝ち目はない。

 

「そうか…。いよいよ羽柴様は立ったか…」

「しかし六万とは…」

「最初は五万にちょい欠ける数の出陣であったかもしれないが、細川と池田、中川、高山の軍を入れてその数になったのであろうな…。しかし、にわかには信じがたいが羽柴様なら動員可能だ。清洲会議から丸一年、沈黙を守ってきたのはそれか…。羽柴様には小西行長殿や増田長盛殿のような当家の吉村に比肩する商才と計数に長けた将がいるので、うなるほどに金がある。それで伊賀の乱や、浅井、朝倉、六角、松永、波多野の残党を雇ったのだろう。また越前の雪は溶け出しているが越後はまだ雪の中、上杉の援軍が無理なのも分かっているだろう。とにかく柴田を討てば何とかなるからな…」

「確かに…」

 

「しかし…俺の忍びも殿の忍びは姫路を張らせていた。それさえも欺くとは…」

「佐吉でしょうか」

「だろうな、播磨に柴田の密偵が侵入済みと云うのも知っていたはずだ。兵の徴用、おそらく播磨の国内ではやってはいまい…」

 

 隆広の見た通りである。石田三成と大谷吉継は兵の徴用を播磨国内では一切やっていない。かつ三成は秀吉に表では兵の徴用を他の武将に担当させる事を願い出て、その徴兵があまりはかどっていない事を内外に示させていた。

 羽柴家の真の徴兵は石田三成と大谷吉継が増田長盛や小西行長らの助力も得て実行していたのである。丹波、摂津、和泉で実施した。かつ余りある金を使い織田家に滅ぼされた雑賀党の残党や大名の牢人に使いを出して集めた。主君秀吉も人たらしと呼ばれ、何より三成が徴兵の際に言った言葉が効いた。

 

『羽柴筑前守様は元百姓である。だから民の苦しみを知っている!一年の田畑への汗が戦一つで台無しになる悲しみを知っている!だから羽柴筑前守様が天下を取らなければならない!誰よりも民の苦しみを知る者が天下様にならなければならない!ともに織田の天下を乗っ取った柴田を討つべし!そして戦のない太平の世を共に築くのだ!』

 

 この言葉で続々と羽柴軍に身を投じる者は数え切れなかった。秀吉は絶対に勝家を討たなくてはならない。そのためにまずは軍勢である。それにしても石田三成さすがである。秀吉に付いたからには徹底している。そして兵の集合場所にしたのは淡路島。播磨国内では軍事的な動きはほとんどなく、三成はまんまと旧主隆広を出し抜いた。

「指揮する将は黒田官兵衛殿や蜂須賀正勝殿や一流揃い。寄集めとは云え強力な軍団に化けような。しかも六万…」

「敵に回したら…これほど恐ろしい男だったのか佐吉は…」

「しかも当家にもたらされた第一報が信孝様の死だ。恐ろしいほどの神速で攻め入っている。だが参ったな…。安土の兵は俺の直属兵のみだから二千四百…。まともにやったら到底勝ち目はない。すぐに軍議を始める。白、舞と六郎と共に羽柴勢の動向をさぐれ。そして柴舟に北ノ庄に赴かせ、羽柴軍安土に迫ると殿に知らせて援軍を請うよう伝えよ」

「はっ」

 白は姿を消した。

「助右衛門」

「はっ」

「水沢家の女子供すべて城に入れ、この普請のために雇った人足や領民に賃金を渡して大至急この城から退去させよ」

「ははっ」

 

 隆広の家族も城郭の屋敷から城の奥へと移動した。奥御殿は勝家しか入れないものだが今の隆広は城代と言える立場なので問題ない。奥にいる家族に会いに行った隆広。

「殿、羽柴勢が六万と云うのはまことですか?」

「そのようだ」

 あぜんとするさえ。水沢勢は二千ほどである。

「幸いなことはこの安土がすでに完成しているということだな。兵糧は十分だし、二千なら自給も出来る城だ。水の心配もない」

「殿、籠城戦守備側の指揮の経験は?」

 と、すず。

「ない、初めてだ」

 隆広は苦笑した。

「しかし、薄々は想定していたことだから準備はぬかりない。とにかくさえとすずは女たちが浮足立たないよう束ねを頼む」

「「はい」」

 

 奥から去っていった隆広。

「どうしよう…。籠城戦なら城代夫人の私もみなの鼓舞に務めなければ…。でも」

 自らの腹を触るさえ。

「さえ様、今はお腹の子を無事に生むことだけ考えて下さい」

「だけど…」

「いえ、すず様の申す通りですよ姫様。今はそれに集中すべきです」

「…はい」

 

 六万の羽柴勢が姿を見せた。天守閣からそれを見つめる隆広。

「さすがに六万となると壮観だな」

「はは、確かに」

 煙管を吸いながら眼下の軍勢を見る慶次。羽柴軍は安土に攻撃を仕掛けずにそのまま通過するかに見えた。しかし羽柴秀長率いる二万の軍勢が安土に転進し、包囲した。

「ざっと二万と云うところですかな殿」

「うん、俺もそのくらいと見る。二万なら互角に戦えるな」

 

 備えあれば十倍の兵力にも耐えられるのが籠城戦というもの。二千対二万ならば互角ということだ。

 また羽柴秀吉と軍師の黒田官兵衛は隆広の築城した新たな安土城を見て力攻めでは落とせないと察し、安土に寄せる秀長に『攻めるにおよばず』と命令している。越前で勝家を屠ってから、ゆっくり攻めるか降伏させれば良いのだから。

 

 四万の秀吉本隊が越前に向かうと察した隆広は援軍要請を取り消した。籠城戦において本城の援軍なしで戦うのは無謀。しかし隆広は事前に手は打ってある。水沢隆広、後年の柴田明家の生涯でただ一度だけの籠城戦が始まろうとしている。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 睨みあいに入り、数日が経った。奥にいるさえとすず。

「すず、昨日も殿は貴女の部屋に渡らなかったの?」

「ええ、伽を務めるとはお伝えしたのですが…」

「心配ね…。こんな緊張状態だからこそ女子を抱いて心身を癒してほしいのに」

「今日も伽を務める旨を殿に伝えます。ところで奥方様の具合の方は?」

「ええ、もう明日か明後日と云うところでしょうね」

 

 さえとすずが話していたこの時、

『おい勝家の色小姓出て来い!』

『尻の穴でお城をもらったか腰抜け美濃!』

 城の外から城代隆広を罵る大声が響いた。

「敵勢の挑発です…。奥方様?」

 顔を真っ赤にして怒っているさえ。

「許せない!」

 鴨居にかけてある薙刀をむんずと掴んださえ。

「ひ、姫様?」

 慌てて薙刀を取り上げた八重。

「どうしました、そんなに怒ってはお腹のややに触りますよ!」

「殿の悪口は許せません!しかも殿が一番嫌う色小姓呼ばわりなんて!」

 

 両耳の穴を塞いでいるすず。

「すず?」

「奥方様、言われている殿ご本人は何とも思っていないでしょう。でも良人の悪口は私たちに取って許し難いもの。しかし今の我らにそれを黙らせることは出来ません。こうして聞かないことにするのが」

「…悔しいけれど、その通りね」

 

 さえとすずは耳の穴を塞いで、かつ布団を頭からかぶって聞かないことにしたが、まったく聞こえなくなるのは無理な相談。敵勢とて隆広が色小姓呼ばわりされるのを嫌うのは知っている。聞くに堪えない下品な中傷が嫌でもさえの耳に入る。悔しくて涙が出てきた。

(ちくしょう!私の旦那様はあんたらなんかより何千倍何万倍もいい男よ!)

 

 すずの予想通り、隆広自身は何もないように書き物をしている。しかし効果なしと見た羽柴勢は隆広からさえの悪口に切り替えた。

「ほっ、私の悪口なら、いくらでも言うがいいわよ」

 耳の穴の栓をしていた指を取ったさえ。

「はははっ、すず聞いてごらんなさい。知性の欠片もない貧相な悪口…どうしたの青い顔をして?」

「奥方様の悪口を聞けば…殿は怒り狂うのではないでしょうか…?」

「あっ…」

 

『裏切り者景鏡の娘をもらうなんて頭がおかしいのじゃないか~ッ!!』

 

「まずいわ!」

 良人隆広が義父景鏡の汚名をもって妻である自分を謗られることを一番許さないことを知っているさえは身重の体で血相変えて城門に行った。城門についてみれば案の定だった。奥村助右衛門や松山矩久が暴れる隆広を必死に押さえている。

 

「離せ!俺の悪口なら笑って聞いてやるがさえの悪口は絶対に許さん!」

「お気持ちは分かりますが落ち着きなされ!殿ともあろう方が何たる短気を!」

 鼻息が荒い隆広。

 何でこの男が智慧美濃なんて大層な通り名で呼ばれるか分からないほどの短気ぶりだ。

 

「殿!」

「さえ…」

「堪えて下さいませ。むざむざ殺されに行くようなもの」

「だがさえのことをあいつら…」

「殿がご自分を悪く言われても堪えるように、私も自分の悪口雑言は堪えます。だから…」

 さえは泣いていた。

「羽柴が殿の悪口を言っている時、私は悔しくて涙が止まりませんでした…。そして今、私の悪口を聞いて我を忘れるほどにお怒りになられた殿が…私は嬉しゅうございました」

「さえ…」

 二人の世界に入ってしまった。

「うん、二人で堪えよう」

「はい…」

「身重のそなたなのに…苦労をかけるな」

「苦労などと思っておりませぬ」

 

「もう勝手にやって下さい」

 馬鹿馬鹿しい、やっていられるかと奥村助右衛門や家臣たちはその場をあとにした。だがその時

「イツツツ…」

 産気づいてしまった。

 隆広たちは大慌てでさえを奥御殿へと運び、無事の出産を願った。

 まだ外では羽柴勢の悪口作戦は続いていたが、もう隆広の耳には入らない。

 そして

 

「オギャアオギャア」

 無事にさえは大仕事をやり遂げた。生まれたのは女の子だった。

「よくやったぞ、さえ…」

「はい…」

「姫か…。きっと母親に似て美人になるぞ…」

 

 部屋の外でお福が不安そうに自分と隆広を見ていることに気付いたさえ。きっと実の娘が生まれたことで養女の自分への愛情が薄れるのではないか、と心配しているのだろう。それを察したさえは

「お福、こっちに来てごらん」

「は、はい」

 

 隆広の横に座ったお福。ずっとふて腐れた態度を取っても常に優しくしてくれる養父隆広を徐々に好きになっていたお福。実の娘を得て、本当に幸せそうな養父の横顔。複雑な気持ちだった。その隆広がお福を見てにこりと笑い

「ほら福、妹だぞ。抱っこしてみるか?」

「い、良いのですか?」

「何を言っている。お前は当家の長女だぞ。この子のお姉ちゃんだ」

「ほらお福、妹よ。抱っこしてごらん」

「は、はい!」

 お福は妹を抱いた。

「あったかい…」

 妹を抱くお福を優しく見つめる隆広とさえ。

 お福の目にだんだん涙が浮かんできた。

“お前は当家の長女だぞ”

 その言葉がたまらなく嬉しかった。

「お福、いいお姉ちゃんになる…」

 やっとお福は隆広とさえに本当の意味で心を開いたのだった。

 お福の顔からそれが分かった隆広とさえは見つめ合い微笑んだ。



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外伝さえ 十二【安土城の戦い】後編

 水沢隆広一行が籠もる安土城を羽柴秀長率いる二万が囲んで数日が流れた。羽柴の陣には商人や遊び女が入り、ずいぶんと賑やかである。安土にこちらの余裕を見せ、あわよくば油断していると思わせ、かつこちらの極楽陣中を見て城に籠もる水沢勢の士気を下げる意味合いもあった。

 

 そのころ隆広はと云うと

「ぷはぁ、酒が旨い!」

 両腕に美女をはべらせご機嫌なようだ。

「うふっ、御大将、もう一杯どうぞ」

「うんうん」

「殿!」

「なんだ助右衛門」

「かような時に酒を飲むとは何事にござるか!」

「そう、カッカするな。助右衛門も一杯どうだ」

「酒は戦に勝つまで飲みませぬ。殿もご自身を律して下され!兵に示しがつきませんぞ!」

 

 左腕に抱かれていた美女が隆広に小声で

「…去ったわ」

「そのようだな」

 水の入った杯を膳に置いた隆広。助右衛門も姿勢を崩してあぐらをかいた。

「ふう、いつまでこんなことをするのやら」

 羽柴からの密偵は幾度となく安土に潜り込んでいる。すべてを見逃しているわけではないが城代隆広の様子を伺わせにあえて好きなように探りを入れさせた。隆広は敵方の油断を誘うため体たらくな様相を示している。

 しかし密偵の前に大将をさらすわけにはいかない。

 忍びの白が影武者を務めていた。

 

「殿は秀長殿が完全に油断したら、と申していましたが」

 渋々芝居に付きあっている助右衛門は

「秀長殿は筑前殿の影に隠れてはいるが、かの仁もまた優れた将。しかも殿を知っている。殿が劣勢の圧迫ごときで酒色に逃げるはずがないと分かっているはずだ」

 白の左腕を離れたくノ一葉桜は

「奥村様の言う通りです。羽柴に潜ませた忍びの報告によると密偵どもが美濃は酒色に逃げていると幾度か報告を聞いても『振りに過ぎない』と聞く耳持たないとか」

「さもあろう、大殿に盾着くことも辞さなかった殿がどうして酒色に逃げようか」

「でも続けてくれと言われている以上、やるしかないじゃない」

 

 白の右腕に抱かれていた美女が腕をあげて体を伸ばす。くノ一舞である。

 ふうっ、と息を吐くと共に腕を下ろすと自慢の乳房が揺れる。

「だいたい白に演技力が足らないのよ。そりゃ左腕に抱いているのが胸の貧しい葉桜では無理ないけど」

「なんだと牛女!」

「やる?洗濯板」

「言ったなぁ!!」

「白もはだけた私の胸ばかりジロジロ見ないでほしいわ」

 キッと白を見る葉桜。葉桜は白の妻である。昔から舞と仲が悪く喧嘩ばかりしている。

 

「こちらも目のやり場に困る。着物はちゃんと着ろよ」

「だから演技が下手なのよ。隆広様はもっと助平な顔をするわよ。デレッとだらしなく。そう真に迫れるよう目の保養をさせてあげているのに」

「舞の嘘つき。隆広様がそんな助平な顔するはずないわ」

 と、葉桜が言うと

「そりゃ胸のないアンタに助平顔なんぞ見せようがないでしょうよ」

「アッタマ来た!」

 舞に殴りかかる葉桜。葉桜の両頬を掴んで引っ張る舞。

「ひひがおいひいほいあうあははほんは!(乳が大きいからといばるなバカ女!)」

「いた!平手じゃなく拳で殴ったわねツルペタお胸!」

 勝手にしてくれと白と助右衛門は部屋を出て行った。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 安土城三の門、そこにある広場に隆広は鉄砲隊の主なる隊長を集めて説明していた。

「今から新たな鉄砲術を説明する」

 今まで水沢勢が使っていた鉄砲術も、そう他の隊とは変わらない。信長同様に三段射撃であったり、もしくは二段であったりと。

 しかし隆広は実に画期的な鉄砲術を考案していた。

 

「鉄砲隊を四人一組に分ける。分業弾込め式鉄砲術だ」

「「ぶんぎょうたまこめ…?」」

 鉄砲隊長たちは意味が分からない。

「ははは、やってみせた方がいいだろう。俺が狙撃手になる」

 

 事前に説明をしていた松山矩久、小野田幸猛、高橋紀茂に配置に着かせた。

 矩久を自分の右後ろ、幸猛を真後ろ、紀茂を左後ろにつけ、かつ三人は隆広に対して背を向けた。隆広が

「ばん!」

 と、鉄砲の号砲を真似て言うや、すぐ左後ろの矩久に渡した。矩久は銃口から蓋薬を込めるだけ、真後ろの幸猛は火皿に口薬を盛り火蓋をふさぐだけ、右後ろの紀茂は点火した火縄をつけるだけ、すぐに隆広に渡される。

 最初は一丁だけだったが二丁、三丁、四丁と増やし、射手の隆広に次々と発射準備が終えた鉄砲が渡される。

「ばん!ばん!ばん!」

 銃声の物まねも矢継ぎ早となった。鉄砲隊の者は呆然とした。

「す、すごい!大殿の三段射撃より早いんじゃないか!?」

「しかも三段射撃と違い、移動による体力の消耗もない」

 

「謙信公の車懸りの陣を研究していたら思いついた鉄砲術だ。敵は待ってくれない。これをすぐに身につけよ」

「「ははっ」」

 百聞は一見に何とか、隆広の言わんとするところは兵たちに伝わった。鉄砲伝来のころには粗悪品なものも多くて実現は不可能であった作戦だが、このころには改良も進んで暴発も滅多になく実現可能であった。

 この後に銃身冷却の役も付けられ五人一組となるが、関ヶ原の戦いで伊達政宗に破られるまでは無敵を誇った鉄砲術『鉄砲車輪』の誕生である。

 

 

 安土城の奥、生まれた愛娘に乳を与えているさえ。それを見つめる竜之介とお福。

「よく飲むなあ」

「よっぽど美味しいのかな」

 少し妹がうらやましいお福と竜之介。

「竜之介も飲みたい?」

「りゅ、竜之介はもう赤ちゃんじゃないやい!」

「そう、ごめんね。ふふっ」

 この娘は『鏡姫』と名づけられた。さえの父の景鏡から一字もらったのである。美男美女の夫婦から生まれただけあって後年には評判の美しさとなる。婿となる織田信明は三国一の幸せ者と呼ばれたほどだ。腹を満たすとスヤスヤと眠る鏡姫。

 

「いい?子守りをするのは兄上と姉上の仕事よ。抱き方、おむつの換え方、二人とも覚えたわね?」

「もちろんです」

 胸をドンと叩くお福だが竜之介はすっかり忘れていたようで

「竜之介は…」

「もう、しょうがないなぁ。姉上が教えてあげる!」

「うん、姉上!」

 

 さえは兄妹と鏡を侍女頭の八重に任せると城に向かった。城に入れば女たちの束ねとして働かなくてはならない。すずも不自由な体を叱咤して働いている。

毎朝、女たちだけの朝礼みたいなものがあり、さえが総大将の妻として督励する。

「各々今日の仕事は昨日に伝えた通りです。敵はいつ攻めてくるか分かりません。我々の内助が良人を勝たせる道です。励みなさい!」

「「はいっ!!」」

 

 女たちが次々と持ち場に行く中、一人オロオロしている少女がいた。水沢家奉公のため最近侍女見習いとなった少女だ。それを見つけたさえ。

「どうしたの、しづ。今日貴女は赤子たちの子守りでしょ」

「あ、そうでした。す、すいません」

 叱られると思い、何度も頭を下げるしづ。さえは苦笑して

「いいのよ、しづ。焦らなくて。最初から上手く出来る子なんていないんだから。ゆっくりでいいの」

「はい!」

 赤子たちが寝ている部屋に駆けて行くしづ。

「お義父様(隆家)が助けた女童があんなに大きくなって。私も歳を取るわけよね。ふふっ」

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 白の涙ぐましい芝居の甲斐あって、ついに秀長が陣中で酒を飲んで遊び女を抱いたと云う知らせが届いた。水沢軍の動きは慌ただしくなった。隆広の使いで六郎があらかじめ出陣して羽柴陣より南に三里の位置に滞陣していた蒲生、九鬼、筒井勢に向かった。いよいよ夜襲開始の時だ。

 

 しかしさすがは秀長、見抜いていた。将を集めて

「今宵、美濃が攻めてくる」

「夜襲と?」

 と、浅野長政。

「そうだ。美濃は我らの密偵にずっと酒色に溺れる体たらくを見せつけていた」

「見せつけていた?」

「手取川の撤退戦…。我らの包囲など謙信三万の進軍に比べれば取るに足らぬ。そんな状況でも美濃は冷静沈着に対応し、常勝謙信より一本取った。かつ亡き上様(信長)にも噛みついた。そんな男がどうして堕落するか」

「ふむ、秀長様の申す通りだ」

 ふんふん、と頷く中村一氏。

 

「藤林の密偵の報告で、昨夜俺が遊び女を抱いたと知らせが入ったと見える。美濃は俺が油断したと思っている。本日は煮炊きの煙もずいぶんと上がっていた。間違いなく今宵に攻めてくる」

「では叔父御、我らは美濃が出てくるのを待てば良いのですね。かがり火を消して鎧を脱がず寝た振りをしていれば」

「ところが秀次、そうもいかん。美濃に援軍が来る」

 

 羽柴陣にやってきた商人と遊び女、それは隆広が雇った者だ。正確に言えば隆広がある者に頼んで派遣してもらったと云うところだ。つまり城の外に味方がいる。秀長は柴田攻めの合力を公然と拒否した蒲生と九鬼が援軍と直感した。両家は明智攻めで隆広の采配で戦っているので才覚と器量が分かっているうえ勝家に好意的であった。

 

「確かに蒲生と九鬼は柴田に好意的であり、美濃の采配で明智と戦っているゆえ器量のほどを分かっていましょう。しかしそれだけで三千の兵しか持たない美濃のもとに参りますかな」

「来る。長政殿も聞いていよう。美濃が柴田勝家の実子だと云うことを」

「はっ」

 清州会議でお市が『隆広は勝家と私の子』と明言した今、公式発表はなくても自然と伝わるものだ。

 

「無論、蒲生と九鬼も援軍に参ることによる旨みも計算にあろう。羽柴と柴田の天下分け目の戦…。この戦に勝った方が間違いなく織田の天下を継承する。しかし人間五十年。四十を越して子供がいない兄者より、二十二と若く実子が三人もいる美濃を勝たせた方がよいと考える。美濃が柴田当主として亡き大殿の天下を継げば蒲生と九鬼も共に栄える。劣勢だからこそ合力して恩を売っておきたいと思うのも不思議ではない」

「ふむ…。では蒲生と九鬼もそうとうこの戦を重く見ていましょうな」

 

 中村一氏が言うと、将たちの目に気合いが宿った。秀長が

「しかし美濃は策に溺れたわ。堕落を見せつけて我らの油断を誘う腹であったのだろうが皮肉にも今まで美濃が歩んできた軌跡がアダとなった。堕落など絶対にせぬ男と俺は知っている。体たらくな顔の内に虎視眈々と我らを仕留める絵図を描いておった。だが我らは美濃の夜襲を見抜いた。話が違うと援軍は引き上げるかもしれぬ。ならば話はそんなに難しくはない。泥酔して寝込んでいると見込んで攻めてくる美濃の部隊を蹴散らし、そして我らは安土に殺到して占拠する。そのうえでまだ援軍部隊が寄せてきたら戦うまでだが蒲生氏郷と九鬼嘉隆は名将だ。各々油断するなかれ!」

「「オオッ!!」」

 

 

 そして安土城の隆広。眼下の羽柴陣を見つめ

「気取られたな…」

 安土山の木々から鳥が一斉に飛び立った。人の殺気を感じ取った証拠だ。一番の理想的な形は泥酔している羽柴陣に夜襲出来ることだったが、相手は羽柴秀長、そうことは簡単には進まない。

 

「が、想定内だ」

「しかし驚きましたな。あの体たらく芝居が二重仕掛けだったとは」

 やっと田舎芝居から解放された助右衛門。そう、体たらくな芝居は二重仕掛けだった。堕落が見せかけと看破されても『美濃は策に溺れた』と云う油断を誘えている。

「ははは、しかし助右衛門は芝居が下手だったが慶次は中々だったな」

「無論、だから羽柴は殿の術中にハマッたのでござる」

 

 芝居の最後の詰めは助右衛門と慶次が泥酔する隆広を強諫し、それに激怒した隆広が二人を幽閉すると云う筋書きだった。助右衛門は程々抵抗する態で幽閉部屋に連行されていったが慶次は大暴れした。彼にとってはそれが敵方に怪しまれない『程々』であったのだが、隆広の小姓や近習たちは思わぬ負傷をするはめとなった。

 味方の武将に傷を負わされた彼らは慶次をうらめしそうに見ていたが

 

「こらこら、そう、うらめしそうな顔をするな。おぬしらとて未熟だぞ。あれだけ束になっても俺一人押さえられないで、いざと云う時に殿のお役に立つか?」

 それを言われれば何も言い返せない。拗ねる小姓たちを見て大笑いする隆広たち。

「いつでも揉んでやる。悔しかったらかかってこい。あっははは!」

「ははは、さて長い夜になるぞ。援軍到着までまだ間がある。交替で睡眠と食事を取れ。ただし飲酒は禁じる。良いな」

「「ははっ!!」」

「助右衛門、すまないが先に休む」

「はっ」

 でも奥には行かない。評定の間の横にある一室で横になる隆広だった。

 

 

 台所では

「奥方様、出丸と城門、城壁に握り飯と水、運び終えました」

 松山矩久の妻春乃がさえに報告。

「分かりました。みんな」

「「はいっ」」

「我らの仕事はこれで一段落しました。長い夜になります。今のうちに休んで下さい」

 女たちは解散し、城内の家に帰っていった。さえも前掛けと鉢巻を解いて奥へと歩く。

 

「疲れた…」

 部屋に戻るとすずが待っていた。

「お疲れ様です」

 すずが湯漬けを出してくれた。

「いただきます」

 助かった。かなり空腹だった。

「ふう、ひと心地つきました。子供たちと伯母上たちは?」

「子供たちはもうお休みになっています。八重殿と監物殿は開戦に備えてお城に」

「そう、でも疲れた…」

「開戦までもう数刻です。湯に入り疲れを取りお休みになった方が。私も横になります」

「そうさせてもらいます」

「敵の攻撃が始まったら不眠不休です。休めるうちに休まないと」

 

 

 それから二刻(四時間)経った。援軍部隊に向かった六郎から知らせが入った。すでに蒲生氏郷、九鬼嘉隆、筒井順慶が羽柴陣の南一里に寄せていると。

 すでに仮眠から起きていた隆広は総員起床を下命。監物と八重は子供を誘導して城の大広間に連れて行き、さえとすずも鉢巻を締めて薙刀を持ち、持ち場である東の出丸へと向かった。

 

 そして突如南から轟音が響いてきた。蒲生氏郷が夜襲の鉄則である無音進軍を無視して全軍に必要以上に甲冑の音を鳴らして進むように命じたのだ。蒲生・九鬼・筒井を合わせれば一万七千の大軍である。それが必要以上に甲冑の音を立てた。羽柴秀長は凍りついた。二万はいる大軍と誤認した。

 

 そして気づいた。隆広の作戦は泥酔した我らを討つこともあったには違いないが、それを看破されることも想定内であり、真の目的は羽柴勢を安土城の前から動かさないことだったのだと。城兵と援軍で挟撃して殲滅することが目的だったのだ。

 

「してやられたわ美濃に!」

 策に溺れし水沢隆広と思わせることが体たらく芝居の狙いだったのか、拳を握る秀長。安土城を見上げ秀長。

「智慧美濃か…。よく言ったものよ!」

 

 南から津波のように寄せる大音響に羽柴陣には逃亡者が出始めた。

 一方、安土には援軍到来の知らせとなる。士気は上がる。

 窓から南を見つめる隆広。

「飛騨(氏郷)殿、やるな。…ん?」

「殿、羽柴勢が西に退却していきますぞ」

 と、助右衛門。

「さすが秀長殿、戦局不利と分かれば退却するな。しかし、逃がすわけにはいかない」

「御意、すでに準備整えております」

「二万も率いる秀長殿が後背にいるままでは安土を出ることは出来ない。出るぞ助右衛門、慶次」

「はっ!出陣だ!」

「「オオオオオオオッッ!!」」

 

 城門に走り、馬に乗った隆広。

「城門を開けよ」

「「ハハッ!!」」

 安土城の城門が開いた。

「歩の旗をあげよ!」

「「オオオオ!!」」

「目指すは羽柴秀次が備え!我に続けえーッ!!」

「「オオオオオオオオオッッ!!」」

 

 西に転進していた羽柴秀次の隊に水沢勢が突撃を開始。

 隊列が伸びきったところに突撃。

「投石部隊!」

 小山田投石部隊が先制攻撃、稲妻のような石礫が秀次の軍勢に襲いかかった。甲冑が砕けるほどの破壊力に加えて狙いは夜間でも正確である。顔面に直撃すれば、もう戦闘不能だ。

「ぐあっ」

「ぎゃあ!」

 しかも将官級を狙って投げる。指示が出せず兵たちは浮足立つ。

 そこへ柴田家最強と言われた水沢勢が襲いかかった。

 前田慶次が先頭に躍り出る!

「前田慶次参上!」

 

 漆黒の巨馬松風の前足が雷神の鉄槌のごとく秀次隊に襲いかかり、慶次の朱槍がうなりをあげて一閃される。次々と敵兵の首と胴体が離れて行く。奥村助右衛門も負けていない。愛槍の黒槍を小枝のように振り回し、敵をなぎ倒す。秀次は狼狽するばかり、何の指示も出せない。

 中村一氏が助勢に向かった。そうなると水沢軍より多勢である。佐久間甚九郎が

「殿、退け時にございます」

「分かった。貫一郎、退き貝を吹け」

「はっ!」

 

 大野貫一郎はこの戦いが初陣であったが、目をつぶって突撃し槍を振り回していただけと云う情けないものだった。あれじゃ敵味方も分からず危なっかしいとすぐに隆広に呼び戻され馬丁をするよう命じられていた。ホッとするやら情けないやらの貫一郎だった。退き貝が響いた。馬を返した隆広。

 

「甚九郎、しんがりを命ずる」

「承知、殿も疾く退かれませ!」

「頼んだぞ、貫一郎遅れるな!」

「はい!」

 

 水沢軍は一斉に退却した。さすがは『退き佐久間』の異名を継承する甚九郎のしんがり振りは見事で、迅速に将兵をまとめて城に退却させた。

 甚九郎と共にいた投石部隊の少年が秀次に石礫を投げた。それは秀次の顔面を直撃し、たまらず落馬した。止まらぬ鼻血をペッと吐いて立ちあがってみれば、もう水沢軍は消えていた。怒り狂った秀次は秀長の退却命令など忘れ

「安土城を攻める!かかれぇーッ!!」

 と、城攻めを敢行。唖然とする秀長。今まで攻めなかったのは何故なのか、それは十倍の兵力でも落とせない堅城と分かっていたからではないのか。

 

 城門は閉じられた。隆広は馬を下りて急ぎ出丸に走った。隆広の持ち場は安土城東の出丸。すでに女たちは待機している。出丸に走ってくる隆広に頭を垂れる。隆広はさえの前を通る時、さえを一瞬見てニコリと笑った。さえも笑みで返した。

 

 出丸の銃眼前に四人一組の鉄砲隊が着いた。女たちの声援が響く。出丸に女たちを集めたのは兵糧と水の給仕だけではなく男たちへの声援もある。総大将隆広が二十二歳の若者ゆえ兵もまた若者ばかりの水沢軍。新婚もたくさんいる。妻の声援が何より嬉しい。気合が入る。士気は落ちない。これも隆広の考えた鼓舞である。

 この戦いに参加しなかったのは子供だけと云われている。まさに水沢家一丸となって二万の羽柴勢に挑む。

 

「お前さん!女房の私を守ってよ!」

「この戦に勝ったら何発でもやらせてやるよ!」

 ドッと笑いが湧いた。何とも緊張感がないがこれで良いのだ。肩の力が抜けて落ち着いて戦える。

 

 そして蒲生、九鬼、筒井の連合軍が到着。一斉に羽柴勢に襲いかかった。

「殿、羽柴秀次が寄せて参りました!」

 鉄砲車輪の構えはすでに整っていた。

「良いか、実際に発砲してこの陣形で戦うのは初めてだが臆することは何もない。訓練は実戦のごとく、実戦は訓練のごとく!羽柴に水沢の鉄砲術を馳走せよ!」

「「オオオオオオオオッッ!!!」」

「撃てーッ!!」

 

 出丸の銃眼から信じられないほどの連射が炸裂した。

「異常に加熱した鉄砲は一度回転より外して冷やしてから使え!敵の鉄砲は我らに当たることはない。落ち着いて鉄砲を扱え!」

「「ははっ」」

 

 さえは戦場の良人を初めて見た。床几に座り、鉄砲隊を指揮する隆広。武田勝頼から贈られた不動明王の陣羽織が何と映えることか。昇竜の前立てと炎の後立ての兜と黒一色の甲冑が何と凛々しいことか。何と美しき良人の背中かとウットリして見つめていた。

 他の女房たちも何人か夫など見てなく隆広ばかり見ていたようだが。

 

 女たちは声援と給仕を懸命に務めた。鉄砲車輪をやっているうちは両手が塞がっているため口に握り飯と水を運ぶ。出丸の中は女たちが走り回っていた。そしていつしか女たちの応援は『わっしょい、わっしょい!』と一つの大音声となった。

 

 援軍の蒲生・九鬼・筒井の戦いぶりもすさまじい。夜間での戦闘訓練を積んでいたゆえ同士打ちがまったくない。筒井家の島左近の『かかれ』と云う声は出丸にいる隆広の耳にも届くほどだ。

 

 やがて羽柴勢は敗走していった。すでに夜が明けようとしていた。狙撃手を務めていた松山矩久が

「殿!羽柴勢が敗走していきまする!」

 床几から立ち両腕をあげ

「勝ったぞぉ!」

「「オオオオオオッ!!」」

「みな、よく戦った!俺の、水沢美濃が誇りだ!」

「「殿!」」

「「お見事な采配にございました!」」

 

 女たちに歩んだ隆広。さえが

「殿、おめでとうございます!」

 いつも隆広をとろけさせる美声のさえが声をからせていた。それほど懸命に応援したのだ。

「「おめでとうございます!」」

 声をからせていない女は一人もいない。みんな汗だくだった。

「さえ、そなたのおかげだ」

「殿…」

 勝った喜びにさえは涙が落ちた。

 

「そなたらもよくやってくれた。この攻防戦は戦国の中でもっとも女が活躍した戦であるぞ」

「「はいっ!!」」

「さあ、各々の旦那様を労ってやるがいい」

 隆広はさえを抱きしめて口づけをし、すずとは頬をつけあった。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 援軍諸将と合流し、戦後処理を済ませると隆広はようやく湯につかり、愛妻の肌を堪能したあとぐっすり眠った。さえもまた心地よい疲れの中、良人の腕の中で眠った。

 そして遅い朝餉。

 

「おかわり」

「はい」

 さえの給仕で朝食を食べている隆広。

「さえの料理は相変わらず美味いな。特にこの漬物、絶品だ」

 ポリポリと漬物を食べる隆広。その漬物はさえが漬けたものだ。

「ふふっ、魚も野菜もみんな安土で取れたものですよ」

「そうかぁ、それがまたさえの給仕だから余計に美味しい。わはは」

「まあ、殿ったら」

 

 そこへ大野貫一郎が来た。

「殿、朝食中申し訳ございません」

「かまわない、なんだ?」

「羽柴秀長殿、筒井の柳生勢により討ち取ったとのこと」

 箸が止まった。敵の総大将の首を取ったのに笑顔はない。

「そうか」

「本日の昼には他の将の首と共に安土に届けられるとのこと」

「分かった。到着次第に首実験を行うと諸将に伝えよ」

「ははっ」

 貫一郎は去っていった。

 

「なんて再会だ…」

 残っていた飯をかき込む隆広。

「殿、敵方の総大将と…」

「酒を酌み交わす約束をしていた」

「……」

「だが同情はしない。失礼であるし…何より一歩間違えば立場は逆だった」

「殿…」

「お茶を頼む」

「はい」

 

 茶を飲んだあと

「ふう、さえ今日の朝餉も美味かった。御馳走様」

「はい」

「さえ、我らは間もなく殿の援軍に行く。しばらく留守にするが子供たちを頼んだぞ」

「はい、心おきなくお働きを」

「うむ」

 

 再び貫一郎が来た。

「殿、前線より報告が」

「分かった。今行く」

 部屋を出て行った隆広。

「また戦か…。今日の勝利を喜んでいる暇もないなんて」



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外伝さえ 十三【賤ヶ岳の戦い】

 安土夜戦を明けて間もなく、水沢軍は賤ヶ岳に出陣となった。若狭水軍の頭領の松波庄三と商人司の吉村直賢が琵琶湖の湖賊である堅田衆を味方に付けてやってきたのだ。これにより隆広率いる援軍部隊は琵琶湖を北上して戦場にたどり着ける。

 

 出陣直前に

「殿、ご武運を」

「ああ、留守を頼む」

 隆広はさえの頬を撫でてにこりと笑い、部屋から出ていった。聞けば賤ヶ岳の羽柴勢は五万とのこと。それに対して水沢軍は半分以下の二万。相手より兵数が少ないうえで戦う。さえは心配でならない。

「手柄なんていりません。どうか生きて帰ってきて…」

 

 琵琶湖を大船団が出発。出陣の法螺貝が響く。さえは安土の奥の窓から良人の乗る船を見送った。

「父上、私の良人を守ってください…」

「姫様」

 侍女頭の八重がきた。

「何です?」

「工兵隊頭領の辰五郎殿が目通りを願っていますが」

「分かりました。城に行きます」

 今、奥に入ることが出来るのは勝家か城代の隆広だけである。さえは奥から城に行き辰五郎に会った。

 

「奥方様、留守の我らは城の外にある羽柴勢の亡骸を片づけなければ…」

「辰五郎殿、片づけるのではなく『弔う』です」

「これは失言を」

 隆広は留守を預かるさえと辰五郎に羽柴勢の戦死者の弔い、負傷者には治療を下命して出陣していった。敵兵は野ざらし、負傷者には止めをさす、これが当たり前の乱世で生きてきた辰五郎には信じ難い命令であった。

 

 しかし隆広は一概に人情論で弔いを下命したのではない。死体が腐乱して異臭が立ちこめ、かつ伝染病が蔓延するかもしれない。迅速に荼毘に付して丁重に埋葬すれば羽柴の残党の怨みを被ることもない。

 

 負傷者への治療は南北朝時代の武将である楠木正行が大河に飲まれそうになった足利兵を救出させた故事に隆広がならってのことだ。

『戦えぬ者は敵ではない』

 

 勝利した武将にとって捕虜は厄介なものだった。見張りはつけねばならないし兵糧も減る。だから信長などは捕虜など作らずみんな殺してしまった。しかし隆広はまったく真逆なことをしている。そして昨日までの敵を今日の味方にしてしまうのだ。隆広のやり方はさえにも伝わっている。

 

「辰五郎殿、近隣の領民を雇って下さい。多くの戦死者がいます。留守の我々だけでは手に余りますので。それと身元が判明した者には遺骨と遺品を届けるように」

「分かりました。されど一つだけ臣としてお願いがございます」

「なんです?」

「奥方様とすず様は一切外に出ないで下さいませ。中には殿の思慮も分からず復讐に狂う者もいるやもしれませぬ。そういう者には止めを刺すしかございませぬし、また奥方様に危害及べば私は殿に合わす顔がございませぬゆえ」

「…分かりました。言うとおりにいたします」

「では領民への賃金とその他の雑費合わせ、およそ千五百貫のご用立てを」

「すぐに勘定方に手配いたします。辰五郎殿は外で指揮を」

「承知しました」

 

 辰五郎は工兵と援軍諸将が残していった兵を率いて安土城外に放置されたままの亡骸の処置に入った。負傷者は城内の女たちが治療に当たった。負傷程度はどれも重く、助かったのは全体の二割ほどだ。

 

「ありがとうごぜえやす…。野ざらしで朽ちて死んでいくはずだったオラなのに」

「生きて帰ったら武士になるなんて夢は捨てて田畑に生きるのよ」

 前田慶次の妻加奈は羽柴の足軽の手当をしながら微笑んだ。

「そうしやす…。今度こそ妹を泣かせない兄貴に…なるんじゃ…」

 その兵はそのまま息を引き取った。その加奈の横で同じく敵兵を看取り涙ぐんでいる少女。さえの侍女千枝である。

「千枝、貴女には無理よ」

「ぐすっ、大丈夫です。あっ」

 

 千枝の尻を撫でてニッと笑う敵兵。顔を真っ赤にして立ちあがった千枝。

「かわいいお尻だ」

「そんな元気があるのなら、もう平気でしょ!アンタも手伝いなさいよ!」

 包帯を入れていた木箱をその兵の顔面に叩きつけた千枝は走っていった。

 

「いったーッ!何とも気の強い娘さんだ。ははは」

 むくりと起きあがった敵兵。首を回して骨を鳴らした。

「よく寝た。いや治療のほど感謝いたす」

「動けるならアンタも手伝いなさいよ」

 と、加奈。

「そういたそう。あ、申し遅れた。それがし羽柴秀長様の配下の藤堂高虎と申す」

「前田慶次の妻、加奈。ほら、そんなに体が大きいのなら人も運べるでしょ。負傷者の搬送を手伝って」

「その前に」

「え?」

「美濃守殿はどうして敵兵を助ける?」

「さてね、頭のいい大将の考えることは私にはわからないやね」

「…助けられて何ですが甘い仁ですな。恩を施した者から逆襲されて滅ぼされた例もござるのに」

「それで滅ぶなら、うちの大将もその程度ってことよ。敵兵を全滅させても滅ぶ時は滅ぶもの。大したことじゃないわ」

「ほう、さすがは傾奇者の前田慶次が女房殿、美貌もさることながら胆力もあるな」

「しかしアンタ大きいねぇ。うちの亭主と同じくらいあるんじゃない?」

「槍もご亭主に負けないぜ」

「はははっ、威勢の良さも同じだ」

「おっと負傷者の搬送だったな。任せてくれ」

 高虎は野戦病院の入り口に駆けた。

(それで死ぬのならそれまでの男、か。ちがいねえ。冷酷非情に徹したって滅ぶときは滅ぶ。織田信長のようにな)

 ちなみに高虎は今回の合戦で右腕と左足に負傷していたが軽傷だった。豪傑な彼は力持ち。すっかり水沢家の女たちにこき使われることになった。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 城の中にいるさえとすずは賤ヶ岳の情勢が気になって仕方ない。神棚に隆広の無事を毎日願っている。子供たちやすずも一緒だ。

「姫様」

 八重がきた。

「はい」

「越前より僧が参りました」

「は?」

「聞くところによると、大殿様(勝家)が若殿の守り役に選んだ僧とのこと」

「こんな緊張状態でそんなゆとりは持てません。しばらく城内に滞在していただき、殿がご帰城して落ち着いてから会うと」

「しかし、その僧…」

「その僧が何か?」

「永平寺の宗闇和尚で…」

「そ…!?」

 越前で生まれ育ったさえにとって怖い坊主の代名詞である僧侶だ。

「そんな鬼坊主が竜之介の守り役…?」

 心中は『冗談じゃない』と思うさえ。まだ三歳の竜之介には厳しすぎる師匠だ。さえの鬼坊主と云う言葉を聞いて不安がる竜之介。

「やだよ母上、竜之介は父上に修行をつけてもらいたいよ」

 さえの着物を掴んで首を振る竜之介。三歳の竜之介はまだ父母に甘えたい盛りだ。

(…あの人は自分に厳しく他人に優しい方。残念だけど師匠には向かないかもしれない。あの人もお義父上様より受けた厳しい修行があって今がある。ならば竜之介にも厳しい師が必要…。でもいくら何でも過酷な修行に入るのは早すぎる…)

「会いましょう。二の丸の客間に通して下さい」

「はい」

 

 しばらくして客間に行ったさえ。柴田家家老の妻が入ってきても頭を垂れない。瞑目し厳しい顔つきをしている。

 しかしさえは気にせず宗闇の前に座った。

 

「水沢の室、さえです」

「永平寺の宗闇にございます」

 やっと頭を垂れた宗闇。宗闇の顔をしみじみ見つめるさえ。

「…愚僧の顔になんぞついていますかな」

「いえ、思ったより温和な顔だと思いまして」

「ほう」

「子供のころ、いたずらして父上や伯母に怒られたとき『宗闇和尚が来るぞ』と、よく言われました。幼心にとっても怖くて、いたずらは控えるようになっていきました」

「時は早きもの、愚僧の名前を怖がっていた女童が母となり、その息子の守り役をしようとは」

「ふふっ、ところで御坊は大殿の要望でこちらに?」

「左様、ずっと断っていたのですがあきらめる様子がなく、北近江の戦の直前にお引き受けいたした。要請をお受けした当時、愚僧も修行中でございましてな。それで今の到着と相成りました」

「遠路、お疲れさまです」

「さて一つ、お聞きしておきます」

「はい」

「竜之介君は修理亮様(勝家)の摘孫でございますか」

「…それはお答え出来ません」

 宗闇は静かに微笑み頷き

「それで十分にございます。修理亮様の熱意、あれは家臣の子に対するものではなかったゆえ、念のためお聞きしました。心配あるな、公式に発表があるまで何者にも申しませぬ」

 

「こちらも聞いてよいですか」

「何なりと」

「竜之介はまだ三歳です。まだまだ母の愛が必要です。修行はせめて七つになってからと云うわけには参りませんか」

「…七つからでは遅うございます。奥方の子は水沢家の世継ぎ、世間一般の童と違いまするぞ」

「そ、それは分かっています。私とて、いずれはあの子に厳しいことを言わなければならないでしょう。しかし竜之介はまだ三歳の幼子。母親に甘えたい盛りのあの子に厳しい修行なんて…」

「奥方のご主人は物心ついたころからご養父より厳しい修行を課せられたと聞きますが」

「それはそうですが…」

「あの並外れた才覚と器量を見るに、想像を絶するほどの荒行の連続だったでしょう。だから現在ご主人は智慧美濃と畏怖される知将なりえたのです」

 良人を例えて言われては、さすがに反論できない。

「残念ながら奥方は戦国武将の妻の自覚はあっても母の自覚がないと見えますな」

「な、なんですって!?」

「お、これはお言葉が過ぎましたかな。しかし本当のことにございます」

「……」

「世間の噂で愚僧をどう思われているのかは存じませんが、愚僧とて修理亮様に請われてお引き受けした以上は今の奥方のお言葉で退くわけにはまいりません」

「分かりました。しかしながら息子の守り役ならば当家の将来を左右する重要な役目。良人にお会いして下さい。良人が戻られるまで城内に一室設けますのでご滞在を」

「承知いたした」

 怒気を隠そうともせず鼻息荒く立ち上がり、部屋を出ていくさえ。

「憎ったらしい坊主!んもう腹立つ!」

 廊下の床板を何度も踏みつけた。武士の母としての自覚がない。全く反論が出来なかったことが悔しくて。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 少し時間を戻し、出陣した隆広は

「以上にござる。何か質問は」

 琵琶湖を北上する水沢の船団。吉村直賢が用意した最新の安宅船、これが本陣となり軍議を開いた。隆広は図上に将棋の駒を置き、それぞれの備えの役目を升目一つ一つ埋めていくように諸将に説明した。

 

「車懸りの陣か…。実戦では初めて使うが面白そうだ」

 と、蒲生氏郷。

「筑前の軍勢は大垣からの大返しのうえ一睡もせず戦い続けている。疲労のほども知れよう。我らは敵の半分以下だが勝機は多分にあるぞ」

 筒井順慶の言葉に諸将がうなずいた。そして隆広

「琵琶湖北岸に至るまでまだ時を要します。一同少しでも眠っておくように」

「「はっ」」

 

 軍議は終わり、船室を出た隆広。船首に立ち琵琶湖の湖面を見つめる。慶次が追ってきた。

「休息も戦時のたしなみ。殿も休んだ方がようござるぞ」

「…血が滾るよ。俺、戦はあんまり好きじゃないのに」

「強大な敵に大戦を挑む高ぶりゆえでございましょう。それがしとて血が滾り、どうしようもございませぬ」

「手取川以来の正念場だ…」

「しかし車懸りにござるか。武人として一度はその陣で戦ってみたかった。願いが叶い申した」

「上杉流の車懸りは本陣も前線に出る。俺も出る。頼りにしている慶次」

「お任せあれ。殿にはかすり傷一つ負わせませぬ」

「うん、さて琵琶湖の風をあびて熱くなった体を冷めさせられた。一刻(二時間)は休めよう。眠れなくても横にはなっておこう」

「御意」

 

 

 そして一刻、夜が明け始めた。霧が深い。将兵は仮眠から目覚めると甲冑を装着し簡単に食事をとった。熱い味噌汁が嬉しい。隆広も諸将と食事をしながら最終的な打ち合わせをしていると

 

「殿!」

「どうした六郎」

「琵琶湖北岸に備えが!」

「なに?」

 すでに羽柴全軍が柴田勢に寄せており、水沢勢が上陸する琵琶湖北岸は無人と云う情報を得ていた。しかし堅田衆の偵察隊が軍勢を現認したと云う。急ぎ甲板に上がり

「敵勢の旗を確認せよ」

 

 堅田衆頭領の十郎に指示。遠眼鏡で見ていき、やがて十郎の目に旗が映った。

「折敷に三文字の旗にございます」

「折敷に三文字…。稲葉勢!?」

 

 水沢勢は騒然となった。稲葉と云えば隆広養父の水沢隆家と斎藤家の武の両輪と評された稲葉一鉄率いる精鋭のことだ。本能寺の変の後は独立を宣言していた。それは隆広の耳にも入っている。

 だから何で今ここにいるのか分からない。しかし一鉄の居城の曽根城から琵琶湖まで西に数里である。参じようと思えば可能な距離である。

 

 ちなみに言うと、稲葉一鉄と水沢隆広は武田攻めで陣を共にしている。武田勝頼と戦った鳥居峠の合戦の時に稲葉勢は水沢軍の右翼を固めて戦い、そして勝利している。そのあとに一鉄は隆広に

『まだ養父には及ばないが、なかなかの采配であったな』

 と、誉めている。嬉しかった。

 一鉄が若い武士を誉めることは滅多に無かったからである。

 

 鳥居峠の合戦の後しばらくして新府城に寄せている時である。一鉄が隆広の陣に訪れた。質問があると言う。

「隆広殿は鳥居峠の合戦の後、幹部たちとは無論、兵にも合戦の反省会を開かせたらしいな」

「はい」

「どうして勝ち戦だったのに、そんな反省会を開く?」

「どんな勝ち戦でも絶対に反省点はあるものです。たとえば今回の合戦では我が側近の息子が功を焦り、それがしの命令を無視して突撃を続けた、ということがございました」

「ふむ…」

「しかしそれとて、それがしとその者の父の過失でもあります。今後このようなことを繰り返さないためにはどうすれば良いのか、それを論じなければ次にはもっと増えます」

「なるほどの…」

「かの信玄公もどんな戦の後でも反省会を開いたそうです」

「ほう…」

「合戦の直後、鮮明に合戦の様子を克明に記憶している、その時こそ次の戦に生かせる教訓を得る絶好の時。逃すのはもったいないですから」

「なるほど、よう分かった」

 一鉄はそれだけ言うと去っていったが、しばらくして振り返り歩の旗を見つめた。

「ふははは、隆家よ。まさかあの若さでお前と同じことを言うなんてのぉ。はっははは!」

 

 

 時は戻り、琵琶湖北岸に敷いた稲葉の陣。稲葉側にも船団の影が見えだした。

「父上のお見込みの通りでしたな…」

 と、言ったのは一鉄の息子貞通。一鉄は隆広が秀長を破ったと聞くや『勝つのは柴田』と断言して、すぐに曽根城を出陣した。途中琵琶湖を北上しだしたと知らせも聞いた。進路を修正して琵琶湖北岸を目指した。先に到着して水沢勢の到着を待った。

 

「父上、肝心の賤ヶ岳の決着はついた由、柴田は総崩れとのこと」

「そうか、ならば筑前は天にも昇る気持ちでおろう。今はその勝利を味わっているが良いわ」

 使い番が来た。

「大殿(一鉄)、旗は歩の一文字、水沢勢の船です」

「よし、乗りこんで加勢を伝えよう」

「父上自ら?」

「ああ、彦六(貞通)そなたは手はず通り美濃への手土産を用意しておけ」

「承知しました」

 

 稲葉勢が敵味方どちらも分からない。隆広は攻撃に備えて投石部隊を配置したが船首にいる十郎が

「殿、稲葉勢から小舟が向かってきます。旗には『使者』と」

「戦う気はないようですな」

 と、助右衛門。隆広が小舟を見ると

「稲葉様自ら来たぞ。丁重にお迎えせよ」

「はっ」

 

 稲葉一鉄が隆広の船に乗り込んできた。

「久しいの美濃、武田攻め以来か」

「はい、稲葉様もご健勝で」

「時間がないので用件だけ言うぞ。我ら稲葉は水沢勢に加勢いたす」

「ほ、本当ですか!!」

「何じゃ?そんなに意外か?」

「我らは稲葉様のご息女を…」

 

 近江坂本城攻めで水沢勢は一鉄の娘で斎藤利三の妻である安を死に追いやった。しかし、それは一鉄にとり仇にならない。娘も一個の武士の妻、良人に殉じるのが定め。そんなことを気にしていたのかと一鉄は苦笑し

「そういうところも親父そっくりじゃのう…」

「は、はあ…」

 

「さっきも言ったが時間がない。陣立ても決めていよう。話さんか。こちらも急ぎ調子を合わさなきゃならん」

 さすがは稲葉一鉄。隆広は大まかな説明だけしかしなかったが一鉄はだいたい理解した。

 

「ほう、車懸りの陣のう…」

「はい、事前に柴舟が決戦場の地形図をくれました。柴舟は佐久間様の中入りによって戦闘は両軍とも山を降りての…」

 地形図を指す隆広。

「この盆地平野で行われることを見込んでいました。私もそう思い藤林に探らせたところ、現在そこで戦闘が行われていると掴みました。山岳戦ならば出来ぬ陣ですが、この盆地平野ならば可能です。我らは羽柴勢より少ない。攻撃力のある車懸りで一気に攻め入ろうと考えました」

「ふむ、さすが隆家が仕込んだ藤林よな。しかし飛騨(蒲生氏郷)、大隅(九鬼嘉隆)、順慶まで連れてくるとはな。経験の浅い将じゃ、こんな難しい陣形いきなりやれと言われても無理じゃが連れてきたのは歴戦の猛者ばかり。大したモンじゃ」

「武人たるもの、謙信公の兵法は大いに学ぶべきですからな。演習程度は当家でもしておりますよ」

 と、氏郷。

「円形の陣と云って水軍にも似た陣形はありますでな。まあ任せて下され。あっははは!」

 豪快に笑う九鬼嘉隆。そして順慶

「当家も謙信から学び、演習程度はやっておりましたので大丈夫でござる。一鉄殿は?」

「うちはないが、まあ大丈夫じゃろう。儂が大体の流れを掴んだゆえはな」

 一鉄でなければ言えない言葉だ。ちなみに言うと斎藤家内の演習合戦で一鉄はただ一人、戦神水沢隆家に勝ったことがある武将であった。隆広がそれを知るのは明家と名を変えてからであるが、それゆえ隠居すると言いだした一鉄を引き止めて自分の相談役に願ったのだ。

 

 大船団は上陸、静粛に下船した。一鉄から隆広に贈り物があった。大量の軍馬である。歩兵戦術で戦うしかないと思っていたが、これで攻撃力は上がる。

 隆広は嬉しさを体いっぱいに現した。少し困りながらその礼を受けていた一鉄が突如ギョッとした顔をした。隆広もその視線の先を見ると、そこにいたのは若狭水軍の松波庄三であった。今回の琵琶湖大返しを成し遂げた立役者である。

 

「た、た、龍興さ…!?」

 シッと口に指を立てた庄三。隆広が教えた。

「稲葉様、龍興様は今、松波庄三と名乗り若狭水軍の頭領となっています」

「なんと…」

「ははは、一鉄殿もご壮健で何よりだ」

(涙もろいのは変わらんな…。良通)

「いやいや、庄三殿もお元気で良通は嬉しいですぞ」

(たくましゅうなられて…。良通は嬉しくてなりませんぞ)

 

 暗君と思っていた若者がたくましき海の男となっていた。斎藤家家老だった稲葉一鉄からすれば嬉しくてたまらない。龍興が加勢と云うことは斎藤家が水沢隆広に加勢すると云うこと。斎藤道三や水沢隆家と戦場を駆け抜けた一鉄にとって道三と隆家の子らに加勢出来るとはこのうえない喜びだ。

 

「殿、進軍体勢整いましてございます」

 母衣衆の松山矩久が進言した。

「いななき防止のために馬の口に紐をつけしことは」

「御意、全軍に徹底させましてございます」

「よし、ならばいくぞ。全軍に進軍しながら車懸りの陣を構築する旨を伝えよ。俺の采配から一時も目を離すなとな」

「はっ!」

 

 矩久は馬を返した。水沢勢は進軍を開始。羽柴秀長を破ってより、わずか三日目の朝である。進軍中、隆広三忍から続々と柴田軍敗走の知らせが届いた。前田利家と金森長近は戦場を離脱し、勝家はすでに越前に引き上げていること。隆広は冷静に聞きながらも後方に采配を振って陣の構築をさせていた。少しも慌てず静かな顔の隆広。

(大した胆力だ)

 横にいる慶次は思った。こういう胆力は教えて身に付くものではない。天賦、そう言える。どうしてこの胆力がありながら嫁に頭が上がらないのか不思議でならない。

 

「へっくしょん、へ、へくしょん!」

 朝餉の用意を侍女と共にしていたさえがいきなりくしゃみ。

「前田様あたりが私を出汁に殿をからかっているのかしら」

 

 そんな生易しい場面ではない。水沢隆広、一世一代の大舞台、賤ヶ岳の合戦の幕開けの時だ。

「矩久、陣形の完成具合は?」

「およそ八割かと存じます」

「突撃を開始するゆえ、走りながら残り二割を整えよと伝えよ」

「はっ」

「幸猛、全軍に馬の口にある紐をちぎれと申せ」

「はっ」

 羽柴勢にギリギリ気取られない絶妙の位置、隆広はここで一度全軍を止めた。霧が味方し羽柴勢はまったく気づかない。しばらくして矩久と幸猛が戻ってきた。

「「殿、突撃準備、あい整いました!」」

「よし…」

 隆広の右腕が上がり、黒一色の軍配が天を指し、そして振り下ろされる!

 

「行くぞおおおおッッ!!」

「「オオオオオオオッッ!!」」

 

 天正十一年四月二十一日午前六時、水沢隆広が琵琶湖を大返し、羽柴秀吉軍に襲い掛かった。世に云う『賤ヶ岳の合戦』の第二幕が開いたのだった!

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 場所は移って安土城、羽柴軍の戦死者は荼毘に付されていた。近隣の僧侶たちを呼び念仏を唱えている。その中心にいるのが宗闇だ。今日やるべきとさえに進言してきた。何故かと問えば風向きが安土に追い風で死体を焼く臭いが城に及ばないと云う理由だった。

 

 思わず感心してしまったさえは宗闇の意見を入れて戦死者の亡骸はすべて火葬にて弔われた。

 遺骨や遺品を収納する木箱を大量に用意し生き残った羽柴の兵に戦死者に心当たりあれば届けるよう頼んだ。比較的軽傷の者は安土夜戦から三日も経てば帰っていった。無論、水沢家の要請を受けて戦死者に同郷の者がいれば遺品と遺骨を持っていった。この生還した者の多くは後に柴田明家に仕えることになる。

 楠木正行の侠気を戦国時代に再現し、そして恩を忘れなかった足利将兵と同じく、羽柴将兵もまた隆広に仕えることになる。この中で後に名を馳せる武将は戸田勝隆や舞兵庫、木村重茲であるが、最たるのは

 

「この藤堂高虎にお任せを!」

 

 野戦病院の男手としてよく働くが美貌の侍女の尻ばかり追いかけているので、さえに高虎の苦情が届いている。

『あの大男はケダモノ』

『目つきがいやらしい』

 等々。しかし、さえは辰五郎の報告で知っていた。この時、水沢家の女たちが羽柴の将兵に凌辱されると云うような事件は一切起きていない。高虎が未然に防いでいたのである。熊なみの巨体に加えて、眼光は鋭い。武勇も並はずれている。羽柴兵はすごすごと引き下がるしかない。

『昨日までの敵兵の手当てを懸命にする水沢家の婦女子を凌辱することなど武士道にもとる』

 と、旧主秀長のような生真面目さを見せる。だが一方では水沢家の女たちに体よくこき使われている。尻を追いかけても結局は途中で止めている。高虎は死に行く男たちを看取る女たちの心を和ませていたのだ。

 

「もう、藤堂様に今日もお尻を撫でられました!」

 と、侍女の千枝はカンカン。高虎は千枝の尻だけは撫でていたようだ。千枝の小さなお尻が気に入ったのか。さえに頬を膨らませて報告するが

「貴女が藤堂殿の深慮を分かるのは何年先かしらねぇ…」

「は?」

 そして思う。

 

(彼は惜しい…。どうにか今後は水沢家に仕えてくれないかしら…)

 その時だった。さえが歓喜する一報がついに入った。隆広三百騎の高橋紀茂が来た。

「奥方様!」

「高橋殿?」

「お味方、大勝利にございます!」

「ま、まことに!」

「はい、見事に劣勢をひっくり返し、羽柴勢を粉砕しました!」

 

 思わず千枝と抱き合うさえ。安土城内は歓声に包まれた。野戦病院にいた光秀四女の英にもそれは届いた。辰五郎と小さく勝利を喜ぶ。羽柴将兵を気遣ってのことだ。

 しかし高虎は英と辰五郎の様子でそれを察し

「秀長様…。我らが戦った男はやはり天運の持ち主かと存ずる。天が味方しているのでは仕方ござらんな」

 ふうっ、と野戦病院の壁に寄りかかった高虎。

 

「新たな主君を探さねばならんな…」

 その高虎の前に千枝が来た。

「何だ千枝殿、またお尻を撫でられたいかな~?」

「ふんだ、奥方様が呼んでいるよ助平親父」

「は?」

「とっとと付いてきなさいよ」

 何ごとかと城に赴くと、高虎は風呂を馳走になった。

「いやぁ、久しぶりの風呂だ。千枝殿もどうかな」

「うるさい助平親父、アンタ臭いから入れてやっているのよ。着替え置くわよ」

「ははは」

 

 髭もそり、髷も整えてさえに会った高虎。

「水沢隆広が室、さえです」

「羽柴秀長家臣、藤堂高虎にございます」

 さえはまず高虎に深々と頭を垂れた。高虎も驚いたが、一緒にいた千枝も驚き

「こんな人にどうして奥方様が頭をお下げに!」

「黙りなさい。さて高虎殿、城下の野戦病院にて当家の女たちを守って下されたこと、心よりお礼申し上げます。良人の下命とは申せ、昨日まで敵兵、当家の女たちに狼藉せぬかと心配でならなかったのです」

「奥方…」

「また女子たちの尻を追いかけたのは、死に行く者を多く見て女たちが心を壊さぬように和ませるため。ま、千枝の小さなお尻だけは気に入っていただけたようですが」

 顔を赤くした千枝。まさかこの助平親父がそんな考えでやっていたことだったなんて。高虎も

(なるほど、水沢隆広が智慧美濃と呼ばれるまでに至れたのはこの奥方あってか)

 

 頭を掻いた高虎

「ははは、参りましたな。しかし奥方」

「はい」

「それも美濃殿が昨日までの敵兵を救うと云う楠木正行公さながらの心意気に感じてやったことにございます。先に慈悲を見せたのは水沢家。それがしは主君秀長が生きていたならば、必ずやそれがしに命じていたであろうことを実行したにすぎませぬ。感謝は無用にございます」

「ならば改めてお話が」

「はい」

「賤ヶ岳の戦は柴田が勝ちました」

「存じております」

「羽柴に帰参いたしますか?」

「…?なぜそのようなことを訊ねられる?」

「出来れば当家に仕えてほしいと思うのですが」

「柴田家に、それがしが?」

「いえ、正確には水沢家です」

「……」

 しばらく考え込む高虎。

 

「…されば一つだけお願いがござる」

「何でしょう」

「美濃殿ではなく、奥村助右衛門殿に仕えたい」

「え?それはいかなる理由で」

「それがしもこの乱世で生き抜き、どの役目が一番自分を活かせるか分かっています。奥村殿は美濃殿が名補佐役、それがしは補佐役の補佐役が性分に合っていますのでな」

「それで秀吉殿ではなく秀長殿に?」

「そういうことにございます。奥村殿への売り込みは自分でしますゆえ、奥村殿が凱旋した時に目通りする根回しだけして下されれば十分にございます」

「分かりました。きっと奥村様も大喜びでしょう。お約束いたします」

「かたじけなし、さればまた野戦病院に戻りますゆえ」

「頼みます。千枝、お送りを」

「は、はい!」

 

 高虎と安土の廊下を歩く千枝。

「どうした、もう助平親父と言わないのかな」

「すみません、あんな考えがあってのことだったなんて…なぁんて言いません。未来の旦那様しか撫でちゃいけない私のお尻を何度も撫でたんだから、きっちりこれからも働いて下さいよね!」

「分かった分かった。あっははは」

 

 千枝はこれより数年後に仁科信貞に嫁ぐことになるが、千枝をかすがいに藤堂家と仁科家は非常に仲が良かったそうで、信貞長男の信清の妻は高虎の娘である。



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外伝さえ 十四【柴田明家】

 賤ヶ岳の戦いは柴田軍の勝利となった。賤ヶ岳の戦場から可児才蔵と山崎俊永だけ先行して安土に入城した。しばらくはこの二将が城代である。

 

「可児様、山崎様、賤ヶ岳での戦勝、お祝い申し上げます」

 さえが戦勝を祝福した。さえが三つ指立てて頭を垂れると水沢家幹部夫人たちや工兵たちも頭を垂れた。才蔵と俊永もありがたく受ける。

 

「かたじけない。ご主人の働きにより何とか羽柴を追い返せました」

 と、俊永。

「内儀も数日とは云え柴田本城を預かり気苦労であったろう。しかし今日より大殿入城まで我らがしっかりと守るゆえ安心されよ」

 さえを労う才蔵。そして

「しかし美味い飯であった。あれが最近評判の美濃粥か?」

 迎えたさえは合戦後すぐに安土行きを下命された可児と山崎勢の疲労を考え、美濃粥を出した。言わずもがな隆広の官位から命名された粥だが、後に柴田粥に名を変える。

 

「はい可児様、当家の料理人が水沢家の女たちの乳がよく出るようにと差配してくれた汁でこしらえた粥です」

「いや後をひくな。すまんがもう一杯所望したいが」

「奥方、この俊永にも下さらんか。大盛りで」

「はい、すぐにお持ちいたします」

「ははは、ありがたい。今度可児家の女たちにも伝授してほしいものだ」

 

 今まで城代夫人として安土を預かっていたさえは郭内にある屋敷へと移った。

 先に行っていた家令の監物がさえを迎えた。

 

「引っ越しはすでに終えていますじゃ姫様」

「ありがとう、わあ、ここが安土の水沢屋敷ですか」

 すずは来たことがあったが、さえは城代夫人として多忙であり、今まで一度も来られなかった。水沢家の安土屋敷は北ノ庄の屋敷より広く、工兵隊の辰五郎一党の中で頭角を現してきた鳶吉の指揮により建てられたと云われている。

 しかし隆広とその家族たちがこの屋敷に住んだ期間は短く柴田家の家督を継いだ隆広は再び安土城を居とする。その後は隠居館の庄養園が出来るまで勝家とお市の仮屋敷となり、勝家退去後は若狭水軍の安土屋敷となる。

 

「ふう、肩の荷がおりました。何とか無事に城を次の城代に引き継げました」

 屋敷の居間に大の字で寝るさえ。

「これ姫様、はしたのうございますよ」

 叱る八重に

「ちょっとだけです。見逃して下さい」

「仕方ないですね。少しだけですよ」

 苦笑しながら八重は座った。

 

「ふふっ、私も良いですか」

 すずも大の字に寝た。新築の木の香りが心地よい。至る所にすずの歩行を補助する手すりが配置されている。すずには嬉しい気配りだ。

「殿は羽柴の追撃に出られたとか」

 と、すず。

「そのようですね」

「もし秀吉の首を取れば殿の武功はより大きいでしょう」

 

「羽柴秀吉…。父上の仇」

 大の字に寝ながら険しい顔をするさえ。

「その通りです。弟は、景鏡は秀吉に利用されたあげく見殺しにされました。朝倉景鏡の娘婿に討たれるのも因果応報と言えましょう」

「忘れたことはありません。裏切り者、売国奴と罵られ心が壊れていった父上の悲しい顔…」

 むくりと起きあがったさえ。

「その父上を踏み台にして秀吉は出世した。許しはしない」

 すずは日ごろ見ないさえの険しい顔に少し驚いた。景鏡の家老であった監物も

「その憎き秀吉を姫の大好きな良人が討ってくれますじゃ」

「うん父上、見ていて下さい!」

 

 

 しかし、さえの願いは叶わないことになる。隆広は山陽道で秀吉を捕捉したが、もはや秀吉には抵抗する力はなく隆広はあえて見逃してしまったのだ。

 

 戦目付で水沢軍に随行していた中村武利は目付として失格とも言える、見て見ぬふりをしようと思った。思いのほか羽柴の逃げ足は早く、すでに播磨に入ってしまったと。そう勝家に報告しようと。隆広の三国志の関羽さながらの武人の心に感動したからだ。だが隆広は見たままを報告するよう釘を刺した。拒否する武利だったが、前田慶次に『貴公は我が主に恥をかかすか』と凄まれれば言うとおりにするしかない。

 

 報告を聞いて勝家は激怒した。当たり前であろう。

 勝家はすでに安土入りし、水沢軍も安土に帰ってきたのに、いつになっても隆広は屋敷に戻らない。さえとすずが門前でヤキモキしていたところ前田慶次の姿が見えた。駆け寄るさえ。

 

「前田様、無事のご帰還何よりにございます。我が殿…」

 慶次が良人を背負っているのが分かった。血だらけである。

「と、殿!!」

 杖をついてすずも来た。

「なんてひどい傷を!」

 隆広は気を失っていた。

「すでに医師は呼んであります。奥方、急ぎ布団を」

「は、はい!」

 

 慶次が屋敷の中に隆広を運んだ。医師はすぐに来た。

「…急所はすべて外して打たれております。大殿らしい打ち据えでございますな」

 医師は隆広の打たれた跡をさえとすずに見せた。内出血はしているようだが、言うとおり急所は外してあった。見かけは派手な負傷で出血し熱も発するだろう。

 しかし勝家は数日の養生で回復するように打擲していた。頭や腹は一撃も入れていない。医師の言うように武人の勝家らしいやり方であろう。怒り心頭でありながら冷静でもある。

 

「う、うう…」

 しかし隆広は痛みと熱で苦悶している。

「殿、殿…」

 隆広の手を握るさえ。もう一方の手をすずが握っている。

 お福と竜之介はさっきまで泣きやまないほどだった。今は泣き疲れて眠り、監物が寝所に背負っていっている。

「さ…」

「殿?さえはここに!」

「さえ…」

「殿!」

「しょ…小便がしたい…」

「お、おしっこ?た、大変!伯母上、我が家に尿瓶は!?」

「あ、ありません!当面は酒瓶を!」

「急ぎ持ってきて!殿の顔が真っ赤です!」

 八重が大きめの空いた酒瓶を持ってきた。

「すぐに近所で尿瓶を持っていないか聞いてきます」

 

「頼みます。さ、殿、出してよいですよ」

 安堵の声と同時に放尿した隆広だった。終えると眠った。

 額ににじむ汗を拭いたさえ。

「前田様、これはどういうことなのですか。殿は賤ヶ岳の戦、武功一等ではなかったのですか。どうして大殿に打たれなければならないのですか!」

「奥方様、大声を出しては殿も子供たちも起きて…」

「ご、ごめんなさい…」

 

 このころ、水沢家の戦後処理をひと段落させた奥村助右衛門も隆広の屋敷にやってきた。布団に横たわる隆広に一礼してさえに

「将兵に混乱は生じていません。ご安堵を」

「はい」

「事情は慶次から聞きましたか」

「伺いました…」

「当家は武功すべて帳消しとされ、殿は家老から部将に降格と相成りました」

「……」

「申し訳ございません。それがしと慶次がついていながら」

「奥村様…。私は殿に恥ずかしくて」

「は?」

「秀吉は我が父の仇…。良人が討ってくれると喜んでいました。でも殿は…それこそ死の覚悟さえして秀吉を見逃しました…」

「奥方…」

「殿のお気持ちも知らず、仇を取ってくれると嬉しがっていた私が…どうしようもなく恥ずかしいのです…」

「姫様…」

 

 涙を落とすさえに手ぬぐいを渡す八重。自分とて同じ、家を滅ぼす元凶となった秀吉が討たれると云うことに、ただ痛快を感じていただけ。恥ずかしかった。監物も同じ気持ちだ。

「こたびのこと、余人は殿の気持ちを知らず甘いと笑う輩も出ましょう。しかし、この三国志の関羽さながらの武人の心は必ず評価される時もありますじゃ。武功帳消しであろうと何ほどのものがありましょうや」

「監物…」

「誇りに思われよ姫、日ノ本一番の旦那様ですぞ」

「ありがとう…」

「少なからず武功帳消しと義父の仇を討てながら討たなかったことを気に病まれているかもしれませぬ。殿が起きたら笑顔ですぞ笑顔」

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 翌朝、隆広が目覚めた。さえとすずは二人とも隆広に付きっきりだったか隆広に寄り添うように眠っていた。隆広が目覚めると二人も起きた。隆広は

「ありがとう、ずっといてくれたんだな」

「「はい」」

「でもごめん…」

「何がです?」

「武功帳消しとなってしまった。まして羽柴様は義父殿の仇なのに…」

「いやですよ殿、私とすずは殿の無事のお帰りが何よりの褒美」

「さえ…」

「それに殿は今までが順調に行きすぎました。この辺で大きな失態を一度しておいた方が後々の肥やしになります」

「上手いこと言います、奥方様」

「さ、そんなことは気になさらず。熱はまだ下がらないのですからお休み下さい」

「ああ、ありがとう」

 

 

 ちょうどこの時、侍女のしづが門前を掃除していると風呂敷包みを持った少女が水沢屋敷前を行ったり来たりしていた。

「当家に何か?」

「い、いえ、よいのです」

 少女は走り去った。小山田家の総領娘である月姫だった。重傷の隆広の看護をしたいと思い医療具を持って訪れてみたのは良いが、さえとすずに遠慮し、それは出来ない。

 小山田屋敷に帰り、自分の部屋に籠もってしまった。すすり泣く月姫。叶わぬ恋と分かっている。しかしどうしてもあきらめきれない。家老の川口主水もどんなに想っても叶わぬ恋と分かっている。あきらめてもらうしかない。侍女が主水の部屋に来て

「ご家老、姫様がどこに行っていたか分かりました。殿の御屋敷です」

「やはりな…。筑前を見逃した罪で大殿より打ち据えられ重傷を負ったと聞き、いてもたってもいられずに殿の屋敷に行ったのは良いが、奥方様とすず様にご遠慮し、そのまま何も出来ずに帰って来たのであろう…」

「ご家老、我ら侍女一同もうかわいそうで見ていられません。何とか姫を殿の側室に」

「無理を言うな。とにかく縁談は幸いにあるのだ。何とか聞いてもらわねば」

 

“小山田投石部隊見事だ!さすがは甲斐国中で随一の勇将小山田信茂の精鋭たちよ!”

 

 安土夜戦勝利後に隆広が月姫に言った言葉である。武田滅亡後に落ちのびた集落で父を裏切り者や卑怯者と言われ続けた月姫にとって涙が出るほど嬉しい言葉だった。『甲斐国中で随一の勇将小山田信茂』とは武田信玄が直接信茂に言った言葉である。それをちゃんと知っていて、かつ安土夜戦で投石部隊が手柄を立てた直後に言ったのだから嬉しさたるや大変なものだった。私が純潔を捧げるのはこの方しかいない、そう思ってしまった。もう月姫は隆広しか見えなくなってしまった。主水とて、その言葉を聞いた時には『仕えるべき方に仕えられた』と喜んでいたが、今となっては

「殿も罪なことを言われる…。その気もないのに我らの姫の心を落としてしまわれた…」

 

 月姫の部屋に行った主水。

「姫、入りますぞ…」

「…縁談なら聞きません」

「そうは参りません。入りますぞ!」

 強引に入った主水。月姫の前に座れば月姫の顔は涙と鼻水のあとだらけだった。

 察していた主水は湯で絞った手拭いを黙って差し出した。それで顔を拭く月姫。

「…ありがとう」

「姫、申し上げにくきことなれど、殿の側室となることはあきらめられよ」

「……」

「それがしとて木石にあらず、姫の女心どうして責められましょう。ですが姫は小山田本家の総領娘なのです」

「世継ぎなら、従姉妹の折花が生んだ次男を養子にもらえば良いでしょう。私は殿以外に身を委ねたくありません」

 

 折花姫とは水沢家家臣の高崎次郎吉兼の妻である。信長の武田攻めにより、総大将の織田信忠が小山田氏の居城である岩殿城に寄せて来た時に、折花姫は父の小山田行村(当主信茂の兄弟もしくは一族)に連れられて岩殿城を出た。しかし途中で織田信忠の一隊に捕捉され父母や従者も殺され、折花姫はあわや信忠の兵に凌辱されそうなところを水沢軍の斥候に出ていた吉兼が救出した。

 

 吉兼は当時織田の陪臣の家臣、信忠の部下を斬れば、どちらが正しいなど論外で罰せられる可能性はあったが、水沢家は主君隆広の影響で女を大切にする騎士道精神が旺盛であった。立場が上の者のやることだからと下を向いている方が主君隆広に顔向けできないと信忠の兵を斬り捨てた。無論問題となった。吉兼の部隊から逃げ切った信忠の兵は

『岩殿から落ちている小山田一族を討ったのに、水沢の家臣が横やりを入れて手柄を横取りした』

 と、信忠に訴えた。その兵と吉兼を対決させた信忠。

 

『岩殿から落ちていた小山田の者を討つに、それがしとて何も言う気はない。しかし共にいた無垢な少女を集団で凌辱せんとしたのは武士道にもとる』

 と、毅然と言い返している。実際、吉兼は信忠の兵が討った者たちの首を弔い、手柄として主張していない。結果吉兼は咎めどころか信忠に『さすが隆広の部下よ』と褒められている。その折花姫を水沢陣中で保護していたが、吉兼に帰る家はありませんと告げた。一度助けたのだから最後まで面倒を見てやれと隆広に言われ、吉兼は越前に連れ帰り、やがて妻としたのだった。

(史実では先の逃避行中に織田勢に捕捉されて自害している)

 

 月姫も水沢家に属してから初めて知ったことだった。すでに水沢家の有望若手将校の妻となっていれば、月姫とて城から逃げたことを咎めることは出来ない。そして折花姫自身も月姫に父と共に敵前逃亡したことを誠心誠意詫びている。現在は和解に至り、同じ小山田の姫として水沢家を盛り立てようと誓った従姉妹同士である。

 

 そして、その折花姫がすでに吉兼の男児を二人生んでいる。月姫はその次男を養子にもらえば良いと言っている。

「そんな暴論を!」

「何が暴論ですか。父の信茂にとって折花は姪、その息子を迎える養子縁組に何の不都合があるのです?」

「ではこのままご結婚をされずに過ごされるつもりですか」

「好いた方の元に嫁げぬのでは是非もありません。姉上様(松姫)と同じ道を歩むまで」

 月姫は少女期に武田家に人質として躑躅ヶ崎館に滞在している。その時に松姫に大層可愛がられ姉上様と今も慕っている。

「かような我儘を言われては困ります。姫は小山田本家を見捨てるおつもりですか」

 

「主水、血と云う一点を除けば、殿以上に武田の名前を継ぐに相応しい方はおりません」

「は?」

「手取川の戦いでは信玄公の出で立ちをし、全軍に『御旗盾無、御照覧あれ』と鼓舞し、軍神謙信公と太刀を合わせた。信玄公も尊敬された快川和尚様より格別の指導を受け、その教えを昇華させて用いられている方。殿ほど武田の技を色濃く持っている方はおりません。そしてお屋形様(勝頼)と若殿様(信勝)、相模様(北条夫人)も丁重に弔われ、姉上様の命もお助けして下さいました。そして現在、殿の愛用されている陣羽織は亡きお屋形様のもの。お背中には不動明王様の絵姿と共に武田菱もあります。殿自身、知ってか知らずか武田を背負って戦っておられるのです」

「…な、何を改まって」

 そんなことは水沢家に属した武田遺臣すべてが知っていることだ。

 

「ただでさえ裏切り者の汚名を持つ我ら小山田家の世継ぎは殿のような強い方の種でなくてはならないのです!水沢家そして柴田家で存続していくには殿のお子であるのが小山田家の行く末を握る大計!確かに殿方としても魅力的で私が恋焦がれていることは事実です。でもそれだけではないと家老の主水には分かってほしい!」

「姫様…」

「主水、総領娘として命じます。私が殿の側室になること叶えなさい」

 そんな無茶な…。主水がそう思うのは無理もない。主君隆広は正室さえに惚れぬいていると同時に頭が上がらない。側室を増やすことなどどうして受け入れようか。

「叶わなくば尼となるまでです。話は以上です」

「…はっ」

 

 やがて隆広の負傷も快癒し、播磨攻めが決定された。水沢隆広は正式に柴田勝家とお市の方の嫡男と発表され名も柴田明家と改められ、そして柴田家の後継者に指名されたのだ。

「ただいま」

「「おかえりなさいませ!」」

 明家が屋敷に戻るとさえを先頭にすず、竜之介とお福、監物に八重、他の使用人が一斉に明家を出迎えた。

「な、なんだ?」

「殿、『柴田明家』のお名前を大殿様からいただいたこと、お世継ぎに指名されたこと、おめでとうにございます!」

「「おめでとうにございます!」」

「父上、おめでとうございましゅ!」

「…なんだ聞いていたのか」

 竜之介を抱き上げながら苦笑する明家。

「はい前田様から」

「めでたいことは黙っていられない男だな…」

「とにかく!今日は水沢家、いえ当柴田家に嬉しい日です。ご馳走を用意いたしました!」

「それはさえのことかな?」

 ドッと笑いがおきて、さえは頬を染めて首を振る。だがまんざらでもない。

「んもう!私が腕によりをかけて作った料理のことにございます!」

 

 奥村助右衛門、前田慶次、吉村直賢を筆頭に柴田明家家臣たちとその妻子も祝賀に訪れた。庭に席を用意しての大宴会となった。自分たちの主君が大大名の後継者となったのである。こんなに嬉しいことはない。良人に杯に酒を注ぐさえ。

「殿、一献」

「うん、ところで、さえ、すず」

「はい」

「図らずも俺は柴田家の当主となることになったけれど性根は変わらない。けして驕らない。そなたもすずも子供たちもだ。俺が柴田家当主となれば、さえは『御台様』と呼ばれ、すずは『すず御前』、竜之介と鈴之介は『若君』、お福と鏡は『姫様』と敬われる。だがそれは今俺たちの前にいる者たちあればこそ。今まで水沢家のために戦い命を落とした英霊たちがあればこそ。俺たちが君臨して家臣たちを使うのではない。俺たちこそが上に立つものとして彼らに使われなくてはならないと肝に銘じておけ。とかく人間は偉くなればなるほどに何もしない。しかしそれでは駄目だ。上に立てばこそ、一番下で働く者より汗水を流さねばならない。俺は贅沢をしない。大名の座、二人の美しい妻にかわいい子ら。これ以上望むのは罰当たりと云うもの。過ぎたる富は今まで当家を支えてくれた負傷者や戦死者の家族に与えるつもりだ。富貴栄華は当家にいらない。俺はそう子らを育てるつもりだ。そなたらも子にそれを伝えるのだぞ」

「はい殿、そのお言葉、私の一生の教訓とします。質素倹約に務め、清廉にこの家を営みます」

「すずも肝に銘じます」

「うん、さあ、さえも一献」

 

 耳のいい奥村助右衛門や前田慶次は聞こえないふりをしながらも、明家が妻たちに言ったことを聞いていた。

「助右衛門、我らの主君はすごい男だ。俺は惚れ直した」

「そうだな。俺も殿にぞっこんだ。だが我らも今の殿の言葉は肝に銘じねばならん。せいぜい下の者にこき使われようではないか」

「ははは、確かに」

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 柴田勝家と明家親子を総大将とする柴田軍が播磨に向けて出陣し、さえの耳に柴田軍が姫路城を包囲したと伝わったころ安土は至って平和であった。さえはこの日、竜之介とお福と庭で紙風船を飛ばして遊んでいた。

 

「あはは!母上また空振り~ッ!」

「母上、これ以上負けるとおやつ無くなっちゃいますよ~」

 鈍くさいのか竜之介とお福に笑われている。

「言ったな~!これからは本気出すわよ!」

 

 そんな時、血相を変えて八重が来た。

「ひ、姫様~ッ!」

「何です伯母上、血相を変えて」

「さ、佐久間様がご謀反!」

「え…っ!?」

 膨らましていた紙風船を落としてしまった。

「金沢城で挙兵し、越前を通過し、すでに軍勢は小谷に差し掛かっているとのこと!」

「さ、佐久間様が安土に攻めてくると?」

「城の使者の話によりますと、御台様(お市)と姫様を人質に取るつもりと!」

「み、御台様と私を!?」

「大至急、城に入れと御台様が!」

「承知しました!伯母上はすずを連れて出て下さい!監物は竜之介と福、私は鏡と鈴之介を!」

「はい!」

 

 さえは良人明家のいる西方を見つめた。

「殿…。万一さえが佐久間様に捕らえられても…言うとおりになどなってはなりません。私とて武士の妻…。虜囚の辱めは受けませぬ」

 自決用の小刀を懐にしまい、安土城へと向かった。お市も鉢巻を締めて薙刀を持つ。

 

「文荷斎、いま安土の防備兵はいかほどですか?」

 お市が留守を預かる中村文荷斎に訊ねた。

「ざっと二千にございます。佐久間勢は五千ほどとのこと。大殿か若殿、どちらかの援軍が来るまでは持ちこたえられます。兵糧は十分にございますればご安心めされ」

「蒲生、滝川、筒井に知らせは届けましたか」

「使者は送りましたが、先の安土夜戦と賤ヶ岳の論功行賞も行っておりませぬゆえ…」

「確かに…。何とか息子と良人が戻るまで踏ん張らねば!」

 

「御台様!」

「さえ、仔細は聞きましたか?」

「はい!」

「お市とさえを奪えば柴田は何も出来ない。玄蕃(盛政)はそう吹聴して進軍しているとのことです」

「…そうですか」

「勝家はいざとなれば私を見捨てることも辞さないでしょう。しかし隆広では出来ません」

 そんなことはない、さえはそう反論したかったが、やはり良人は私を見捨てることは出来ない。そう思った。それが戦国武将の妻にとって最大級の侮辱と知りながらも良人は出来ないだろう。今ほど良人の自分への深き愛情を呪ったことはない。

 

「いいですか、貴女と子供たちが敵に落ちた時が柴田敗北の時なのです」

「ご心配には及びません。いざと云う時には」

 自決用の小刀を見せるさえ。いよいよの時の覚悟は決めた。

「私とて戦国武将の妻です。虜囚の辱めは受けませぬ」

「よう申した。それでこそ我が息子の妻ですよ!」

「それにしても無念です。殿は佐久間様と不仲であったがゆえに強固な友誼を結べる日が必ず来る、来させてみせると申していたのに、ついに実現はしませんでした」

「もう申しますまい。このうえは柴田の女の意地を見せつけるのみです」

「はいっ!!」

 

 さえも鉢巻を締めて薙刀を手にとった。佐久間勢が佐和山に差し掛かったと安土に伝わった時、合戦の火ぶたが切られるのももう間近と腹を括った。先の籠城戦では城代夫人、今回は柴田家世継ぎの正室としてである。柴田家家臣たちの鼓舞に務めるさえ。

 

「良いですか、すでに姫路の大殿や殿に玄蕃の謀反の報は伝わっています。今ごろ安土に向かい始めていましょう!我らは主君帰還の時まで安土を死守します!」

「「オオオオッッ!!」」

 お市もまだ別の場所で兵の鼓舞をしていた。

「裏切り者玄蕃に柴田武士の恐ろしさ見せつけましょう!」

「「オオオオッッ!!」」

 奥にいる娘の元に走ったお市。

「母上」

「茶々、兄上がきっと助けに来てくれます。それまで初と江与の面倒をしっかり見るのですよ!」

「は、はい!」

 

 

 お市とさえにとっては二度目となるはずだった籠城戦。しかし事態は急展開した。蒲生、滝川、筒井は援兵を出した。そして佐和山と安土の間で佐久間勢を捕捉したのだ。秀吉の運命は風前の灯であり播磨における戦は柴田の勝利で疑いない。確かに安土野戦と賤ヶ岳の戦いにおける恩賞を蒲生と筒井はまだ受けておらず、滝川も岐阜城と大垣城奪還の恩賞をまだ受けていないが、いま勝家の本拠地安土を救うことは、より恩賞の値を上げる好機と見た。それゆえ手間は惜しまない。

 

 これが盛政の誤算だった。盛政の家臣は三武将と決戦はせず、安土に入るお市とさえを奪うべきと主張したが盛政は戦うことを決意した。それが離反を生み、盛政は保身を図る家臣たちに縛りあげられてしまったのだ。何ともあっけない幕切れと言える。知らせを聞いてお市とさえも安堵した。我が身はともかく子供たちが戦火に巻き込まれるのは避けたいのは母親として当然のこと。それが何ごともなく終わったのだ。

 

 さえが鉢巻を解いたころ、お市に呼ばれた。

「玄蕃は檻車に乗せられ、姫路へと連行されたそうです。残る佐久間軍も急ぎ金沢へ引き返したとのこと」

「はい…。それにしても…家臣に裏切られるなんて」

「玄蕃も哀れですね…」

「どうして謀反などを…」

「それは明家が一生かけて考えなければならぬことです」

「…その通りです。どうして友となれなかったのか…。こういう事態になったからとはいえ佐久間様が悪いとは限りません。良人明家に落ち度があったのかもしれません。佐久間様は処刑されましょう。でもその死を良人明家は無駄にしてはならない…」

 

 この時、檻車に押し込まれた盛政を蒲生氏郷が見ていたが、氏郷は

『玄蕃は何か安堵したような顔をしていた』

 と、後に柴田明家に伝えている。処刑直前、盛政は静かに笑みを浮かべて明家に

『この人質作戦が失敗した時、何故かホッとした』

 こう言っている。これは負け惜しみではなく紛れもない本心であったのだろう。こういう話が史実として残っているので佐久間盛政の謀反は本能寺の変同様に後の歴史家を大変悩ませることになる。叛旗を翻した理由は佐久間盛政当人にしか分からないことなのかもしれない。

 

 明家自身、石田三成に『俺が一生かけて考えなければならないこと』と言っているが、この後の柴田明家が盛政の謀反について明確な答えを出したとは史書に書かれていない。後に明家の側室になる盛政の一人娘の虎姫ならば何か聞いていたかもしれないが虎姫は父の謀反について語ることはほとんどなかったと言われている。

 

 

 姫路の柴田陣で佐久間盛政は斬首となった。処刑場に連行される前、盛政は初めて柴田明家、いや水沢隆広を褒めた。『天下の才』だと。盛政の首は首台に置かれて勝家と明家の前に置かれた。明家は盛政の首に合掌した後に首から流れていた血に自分の太刀の下緒に染み込ませた。

「佐久間様が認めて下された天下の才を振るうところ、ずっと側にいて見ていて下さい…」

 隆広の太刀の下緒はこの日より『玄蕃の血紐』と呼ばれることになる。

 

 

 そして柴田軍に包囲された姫路城は炎上落城した。農民から織田家の軍団長にまで上り詰めた戦国の申し子、羽柴秀吉は滅んだ。天守閣で妻のおねと共に自決して果てたのだ。おねが用意しておいた花火に引火、姫路城の落城は美しさすら感じさせた。勝家は

「あの男らしい…。華やかな最期ではないか…」

 柴田勝家はこの時、日本最大勢力大名となり、天下人に一番近い男になった。

 

 播磨からの帰途中に京都に入り、勝家と明家は正親町天皇に拝謁。

「修理亮、そして美濃守」

「「ははっ!!」」

「織田信長は恐ろしい男であった。あの男は本気で朕を討つことを考えていたであろう。しかし、どんな思惑があろうとも権威が落ちぶれた朝廷を復興させてくれた。朕はそれを素直に評価したいと思う」

「「ははっ!!」」

「その信長に仕えていた家臣が今では天下に一番近き者となった。朕は武家と共存していきたいと思う。それがまことの気持ちである」

「「ははっ!!」」

「美濃守」

「はいっ」

「この国の民は戦にもう疲れておる。そなたの手で戦なき世を構築せよ。それが朕の望みであるぞ」

「はっ!!」

 

 京都御所を出た勝家と明家。

「つい最近まで牢人だったそれがしが天皇に拝謁する時が来るなんて…」

 額の汗を拭く明家。

「そりゃお互い様だ。儂もつい最近まで尾張の田舎侍だったからな。実感が湧かんわ」

「でも…本当に柴田家が日ノ本最大勢力の大名となってしまったのですね…」

「ふむ、それもまた実感が湧かんな…。お互い越前と加賀だけで手一杯だったのに、今では若狭、丹波、近江、山城、摂津、和泉が事実上柴田の領地となっている。まあ石高は毛利や北条の方が上かもしれないが濃尾の将も上杉も味方につけ、京を領地としている以上は最大勢力と言えよう。しかし、それを束ねていくのは大変であるがな」

「でも、やるしかないのですね父上」

「そうじゃ。図らずも我らが歴史に選ばれた以上、やるしかない」

「戦のない世を作るために」

「うむ、きっと隆家殿も今ごろあの世で息子自慢をしていよう!儂にもお前は自慢の息子だ。頼むぞ二代目!」

「はいっ!!」



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外伝さえ 十五【二人の側室】

 柴田明家は父の勝家より家督を譲られて柴田家当主となった。この時の明家は二十三歳と言われている。日本史において、もっとも若い天下人候補と言えるだろう。

 そして同じく二十三歳のさえ。今までと全く自分を取り巻く状況が違う。日本最大勢力大名の正室。まさか自害まで考えた自分がそんな立場になろうとは想像もしていなかった。

 

 安土城下の明家の屋敷、住んでいたのは二ヶ月ほど。柴田明家の御台所として安土の奥に入る。さえは一つの書を手にしていた。それは良人明家がさえに述べた『図らずも俺は柴田家の当主となることになったけれど性根は変わらない。けして驕らない。お前もすずも子供たちもだ』に始まる自身への戒めの言葉。

 ふと自分の着ている着物を見れば豪奢そのもの。安土入りのため義母お市が用立ててくれたものだ。

「驕るまいぞ。大きくなればなるほどに周りが見えなくなるのが人の弱さ。しかし当家の旗印である『歩』の気持ちは絶対に忘れない」

 

 柴田家御台所として城に入るさえ。廊下には家臣や侍女が並び、自分に頭を垂れている。並の女なら優越感にひたるところだ。正直先日に良人が『けして驕らない』の戒めを自分に言わなかったら『裏切り者と呼ばれる朝倉景鏡の娘が天下人の御台よ!』と痛快な気持ちを堪能していただろう。

 しかしそれを思うのはならぬこと。さえは『慎まねばならない、慎まねばならない』と自分に言い聞かせて廊下を歩き、やがて奥に着いた。大御台所、お市が出迎えた。

 

「さえ、本日よりそなたが奥の総責任者です」

「はい」

「…よい顔をしています。大名の正室になったとて、さえは北ノ庄の小さな屋敷ですすをかぶっていたころと変わりませんね」

「初心を忘れることは『歩』の旗に恥じることですので…。良人が柴田家当主になると分かって以来、自身に『驕るまい』『慎まねばならぬ』と言い聞かせています」

「ならば、今さらさえに申し渡すことはありません。家を営むやりようは今までの水沢家と同じ。所帯が大きくなっただけです。貴女は柴田家の女将さんなのですから」

「はい」

「では私は良人の勝家と共に城から出ます。辰五郎殿が琵琶湖に浮き城を建てて下さっていますが出来るのは少し先。今まで明家とさえが住んでいた屋敷に移ります」

「大御台様…」

「しかし娘たちは置いていきます。義姉としてしっかりしつけなさい」

「分かりました」

 

 部屋を出て行きかけたお市、何か思い出したように立ち止った。

「そういえばさえ、貴女…金森を許すよう明家殿に願い出たそうね」

「は、はい」

「でも、さしもの明家もそれは聞けなかった。無理もないわね。筑前と水面下で繋がっていたとあっては…」

 

 賤ヶ岳の合戦で何の戦闘行為もせず敵前逃亡した金森長近。

 彼は秀吉と裏で密約をか儂ていたのだ。許されるはずがない。命だけ許されたのは幸運でも何でもない。長近はさえの父である朝倉景鏡の旧領である越前大野郡を与えられており、景鏡の居城である大野城と違う場所に新たな大野城を築城して居城としていたが、召し上げのうえ士籍も剥奪され追放処分を受けた。頭を丸めて許しを請うが勝家は聞く耳持たず、明家もまた私情を捨てて厳しく対するしかなかった。秀吉との天下分け目の戦であった賤ヶ岳。そんな大事な合戦で去就に迷い大将を立てられぬ将など必要ない、ということだ。

 

 伊丹城の戦いでは若干十六だった総大将水沢隆広を立てた長近。若い総大将を侮る兵たちを厳しく監督し、隆広勝利に貢献してくれた。そんな長近を追放しなければならないのは明家とて断腸の思いだった。まして愛妻のさえが

「金森様のご正室の香様には大変な御恩を受けました。どうか金森の家をお助けして下さい」

 と、願い出てくる。気持ちは分かる。さえがお市の侍女になった時に教育係となったのが長近正室の香である。あまりの厳しさにさえは毎日泣いていた。当時は怨んだものだったが、その厳しい教育があればこそ『お姫様』から脱却でき、一人前の武家娘となれたのだ。明家にとってもさえを指導してくれた香には感謝している。さえの料理や裁縫の腕前は香より伝授されたものだし、良妻と呼ばれるさえの器量の土台を作ってくれたのも香の指導によるものだ。

 

 長近は郡主から一気に無宿者となってしまった。城明け渡しを拒否して城を枕にして討ち死にも考えた。しかしそれは恥の上塗りでしかない。大野にいる香に書を届けたさえ。長近は無理だが香を安土の奥にて召し抱えたいと云う内容だった。かつての教え子の優しさが嬉しかった香。

 だが受け入れるわけにはいかない。金森長近は織田信長の人事により柴田勝家の寄騎となったので勝家は主君ではない。

 しかし、だからと言って秀吉と結託したうえ敵前逃亡をしたと云う理由にはならない。裏切って地位や家を保てればまだ良かったが、完全に裏目となった。賤ヶ岳は若殿明家が敗戦をひっくり返してしまった。

 

 卑怯なうえに暗愚、かつて大野郡を有していた朝倉景鏡と同じ不名誉な文言で喧伝される長近。家臣も次々と去っていく。残ったのは家族だけだ。香は見捨てなかった。

 裏切るのは辛く苦しいこと。良人なりの苦渋の決断であり、それが報われなかっただけ。まして本能寺の変で大切な息子を失っていた長近、私が最後まで付き合ってあげなければと思った。だからさえの申し出は断り、生まれたばかりの娘を抱いて良人と大野を出て行った。

 

 ここからは後日談となるが長近はそれよりしばらくして身を寄せていた寺で亡くなり、香は小さな畑を耕して細々と暮らしていった。だが病に倒れ、娘が柴田家に助けを求めた。さえが香の元に駆けつけた時には、すでに手の施しようがなかったが城下の病院の源蔵館に連れられ、安らかに息を引き取った。さえは香の娘を養女とした。桂姫である。後年に松山矩孝の正室となる。

 

 

 話は戻る。

 柴田家の御台所として安土の奥に君臨することになったさえ。すずもまたすず御前と呼ばれる。自室に案内されたが豪華な調度品が部屋に置かれている。侍女が気を利かせて置いたのだろう。

「すごいねすず、一度は夜盗まで落ちぶれた藤林家からお大名の側室が出るなんて」

 と、舞。

「こんな豪華な調度品が置かれた部屋じゃ殿が落ち着かないわ。夜閨の時はすずだけを見ていてほしいのに…」

「あら、すずの裸はこんな調度品より貧相と?」

「失礼ね!とにかく調度品は撤去してもらって。この部屋に来た殿には私と干したフカフカの布団があればいいの!」

「はいはい」

 城内にいる時は一応すずの侍女と云う名目の舞。藤林家の女を呼んで片付けさせた。落ち着くと部屋に座り、すずと話した。

「しかし殿が日本最大勢力大名となるなんてね」

「本当、いまだ信じられないわ」

「こんなことなら殿の戦場妻を続けていれば良かったかな。ふふっ」

「まあ舞、六郎殿に言い付けるわよ、そんなこと言っていると。ふふっ」

 

 変わらない、そう言った明家。大大名になっても何かと云えばさえの所に来ていた。今日も夢中で抱き合う二人。

「今日も良かった。とろけたよ」

「私もです」

「また盛ってきたよ。もう一回いいかな」

「はい、何度でも」

 

 ようやく満足した明家はさえを腕に抱きながら話した。

「いま佐久間家に降伏勧告を出している」

「確か黒田様が使者と…」

「うん、降伏してくれれば良いがな。俺は佐久間家を討ちたくない…」

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 佐久間家が降伏に応じたと知らせが届いた。さえもホッと胸を撫で下ろした。

 しかし降伏に伴い佐久間家から要望されたことはさえに受け入れがたいことだった。奥に来た明家、さえと向かい合うが中々言いだせない。

「あ、あのさ、さえ」

「はい」

「ゴホッ!ゴホッ!」

 

 この咳払いで自分に言いにくいことなのだと分かる。その言いにくいことは何かも分かる。女性関係だ。明家は当時一般的であった男色を毛嫌いしているが女は大好きである。男色に一切興味がなかったのは羽柴秀吉と柴田明家くらいだと言われている。それゆえか、秀吉は大変な女好きであった。明家もまた女が大好きだ。正室さえを一番愛しているのは確かだが『英雄、色を好む』の例えどおり、さえとすず、そして舞以外にも肉体関係のある女はいる。

 

 明家のような将は戦場で御陣女郎を買うわけにはいかない。その女郎が刺客であることも考えられるからだ。舞が最初の戦場妻になっているが、もう辞している。

 現在も藤林家の女が明家の戦場妻を務めている。さえはこのことを知らないと明家は思っているようだが、さえはしっかり知っている。だが戦場と云う緊張の中、妻の自分が癒してあげられないのだからと半ば黙認と云う形を執っていた。その明家が女性関係のことで自分に何か切り出す気だ。

 

「…女子でも作りましたか」

「い、いや、あの…」

「別に取って食べたりしません。正直に言って下さい」

 余所の女に子供でも生ませたか、と思ったが明家は

「さ、さえ、側室を増やす」

「は?」

「側室をもう一人作る」

「……」

 

 目をつぶる明家。さえを正面から見られない。

「理由を言って下さい。もう当家に男子は二人おります。そして私もすずもまだ二十三、いかようにも殿の子を生んであげます。それなのに側室を作ると言う、その理由を聞かせて下さい」

 穏やかに言っているが、明家にとっては信長の威圧の方がまだマシだと思うほどだ。また世間一般のもっともらしい理由の『側室を多く持ち、子をたくさん成すのは当主の務め』では納得しないと暗にさえは言っている。明家は真横に顔を向けて話しだした。

「佐久間家から要望で…」

「誰と話しているのですか。ちゃんと、私の目を見て話して下さい」

「…じゃあ睨むなよ。亡き信長公顔負けの眼光だぞ」

「そうさせているのは殿じゃないですか。とにかく私が納得する答えを聴かせて下さい」

 

「…佐久間家が降伏の条件として提示したのが玄蕃殿のご息女の虎姫を俺が側室にするということだった。謀反をした経緯があり、かつ佐久間家には玄蕃殿の血を引く男子がいない。俺の子を当主に据えたいと云うことだ。それならば過去に謀反したと云うことがあっても御家取り潰しなんてないからな」

「……」

「亡き信長公は時に少しの落ち度で容赦なく家臣の家を取り潰した。そして過去をほじくり返して追放する時もあった。玄蕃殿の奥方はそれを危惧したのだろう。虎姫が俺の子を生めば佐久間は安泰と」

「…虎殿の歳は?」

「ん?確か十六かな。さえ、お前も会っているじゃないか」

 

 確かにさえと虎姫は一度会っている。小松城攻めで重傷を負った盛政を水沢勢が救出したのだが、その後に盛政の妻の秋鶴と虎は水沢家に礼を述べに行っている。当時虎姫は十歳くらいだったか。

「十六…。ずいぶんと若いのですね」

「さえだって二十三だろ。七つしか変わらない」

「そんなに若い娘がいいのなら勝手にして下さい」

「お、おい、さえ!」

「ご心配なく。奥向きの仕事は御台所としてきちんと果たします。ただし、当分私は殿に抱かれたくありません」

「そ、そんなぁ…」

「ふん!」

 完全に怒らせてしまった。明家は言い繕いも何もしていない。あったことをそのまま話している。しかしさえには佐久間家から望まれたんだから仕方ないだろうと言っているようにしか聞こえなかった。いっそ『虎姫が可愛いから』とでも言えば、しょうがないなで済んだかもしれない。説得失敗だ。

 

 納得に至っていない。虎姫は御台所のさえに認められないまま明家に輿入れしてきた。奥に入ったがさえは目通りを許さなかった。

 廊下でさえと会った。虎姫は道を譲り、さえに頭を垂れたが、さえは一瞥もくれず無視。虎姫の侍女は激怒。

「何ですか、その態度は!いかにご正室様と言えども!」

「やめなさい!」

 さえは侍女の怒鳴りも無視した。虎が侍女を止める。

「しかし姫様、今の御台所様の無礼は!」

「今に分かりあえます。父と殿が最後に分かりあえたように」

 

「御台様」

「なにか」

 さえの後ろを歩いていた侍女の千枝が言った。

「殿は閥を許されない方です。今の態度はいかがなものかと」

 横にいたしづは唖然として千枝を見た。昔と違い、さえは柴田家で二番目に偉い人物。いわば女帝に近い存在。そのさえに注意をするとは。立ち止まり振り向き千枝を睨むさえ。さしものさえも、まだ少女と言える千枝の注意が癪に障ったのかもしれない。

 

「…ならば、私にも虎姫に頭を垂れよと?」

「はい、形だけでもそうすべきと思います」

「出来ません」

「しかし御台様…」

「あの人が悪いのですから」

 

 こういう具合に明家とさえは夫婦喧嘩の最中だ。明家は何度も謝っているがさえの機嫌は直らない。すずもさえの味方だ。

 しかし、さすがに公私は使い分けている。家臣たちの前や行事の際には良人を立てて、笑顔も見せる。そして喧嘩を子供たちに悟られないようにするのも暗黙の了解でやっている。機嫌は悪いが、自制はしているさえであった。

 

 でも喧嘩しているのは、やっぱり明家にも気が重い。自然虎姫の寝所に足が向く。

「さえが虎を無視したそうだな」

「いえ、そんなことは」

「隠さなくていい。そういうのは耳に入ってくる」

「はあ…」

「すまないなあ…。さえはまだそなたの輿入れを認めていないのだ…」

「いえ、いつか分かりあえると思っています。父と殿が分かりあえたように」

 虎姫は着物を脱いだ。父の盛政が武芸を仕込んでいたため虎姫の体は引き締まっている。乳房は小振りだが形が良い。かつ十六の若さ。明家でなくても夢中になるだろう。毎晩虎姫の寝室に行っているとなればさえとすずとて面白くない。そんなに若い娘が良いかと。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

「代が替わったばかりの柴田家。殿は私たちに言わずとも、新当主として相当な苦労をされていましょう。虎姫を抱いて心身の癒しをしていると思います」

 と、すず。そんなことは分かっている。今までその明家を癒し続けたのはさえとすずなのだから。さえは一つため息をついた。

「私も癒して差し上げたい…。でも、ここで甘い顔できないもの…」

「御台様…」

「頭では殿も私たちと喧嘩したままでいるのは良くないと分かっていると思います。でもすずの言うように代替わりした柴田家の内外を取り仕切るのに殿は大変な思いをしています。私たちとの融和まで気が回らないのでしょう」

 さえは自分に言い聞かせるようにすずに言った。

 

 その翌日、すずが城にあがった。そして明家の執務室に行き

「殿、お話があります」

 小姓と近習を下げさせた明家。

「怖い顔だな。さえとそなたはまだ俺を許さないか」

「当たり前です。連日虎姫を抱いていれば、日中どんなに御台様に謝っても意味がありません。何を考えてらっしゃるのですか!」

 ついにすずは明家に意見した。

 

「もしや『受け入れてくれるのが虎姫だけなんだから仕方ない』なんて思っていませんか?だとしたら、智慧美濃の異名が聞いて呆れます。御台様はああ言っていますが、本当は夜に部屋に来てもらいたいのです!寝る前にちゃんと湯に入り、化粧もしているのですよ!」

 ちなみにすずもそうしている。明家は苦笑し

「…難しいものだな女心ってのは。追えば逃げて、放っておけば怒る…」

「虎姫を遠ざけろとまで申しません。せめて二日三日慎んで、それから御台様に謝って下さい。私も間に入って取りなしますゆえ」

「そうしよう。しかし、それはもう少し先の話だ」

「は?」

 

「すず、上杉から援軍要請が来た」

「上杉からですか?」

「越後と出羽の国境まで出陣しなければならない。さえとそなたとの仲直りはその戦から帰って来てから腰据えてやるよ。最上と伊達が相手だからな。初めてみちのく武士と戦うのだから、こちらに集中したい。ずるいと思われようが妻との不仲を気に病んで出陣はしたくない。今から帰城まですっぱり忘れる」

「は、はい…」

 

 戦に備えなくては、と言われれば武将の妻としてそれ以上言うことは出来ない。確かにさえやすずにとってはずるいと云う感もあるが、戦に出る以上は明家の考えは正しいことだ。

「分かりました。それならば御台様と私も一度矛を収めます。今は越後での戦に集中して下さいませ」

「ああ、ありがとうすず」

 

 

 すずから伝え聞き、さえの頑なな心も氷解しつつあったが、さえが我が耳を疑うことが伝えられた。

「つ、月姫を側室にしたですって?」

 

 当主不在の佐久間家は総領娘を君主に娶せ、その子を当主にしようと考えた。そして明家はそれを受け入れた。当主不在で総領娘がいるのは小山田家も同じ。小山田家の重臣たちと投石部隊の主なる者たちが君主明家に直談判した。どうか当家の姫を側室として欲しいと。明家はそれを聞くや

「主水、その方主家の姫を人身御供にしようとは何ごとか!!」

 怒鳴り返したが、それはとんでもない誤解だ。

「さにあらず、我が姫は安土夜戦より殿に恋をしておりまする!」

「安土夜戦より?月殿に何かあったか?」

「それはあまりに無責任!殿は姫に『小山田投石部隊見事、さすがは甲斐国中で随一の勇将小山田信茂の精鋭たちよ』と申しました!姫様はあの言葉で殿を愛してしまったのです!」

「…ちょっと待て。俺はそんなつもりで言ったのではない。そなたらの見事な働きを小山田家総領娘である月殿に伝えただけだ。信玄公の言葉をそのまま真似ただけだろう?」

 

「あまりにも言った間合いが絶妙すぎたのでございましょう」

 かたわらにいた慶次が笑った。

「笑いごとじゃない慶次」

「姫様には何としても若君を生んでいただかなくてはなりません。しかし姫様は殿でなければ嫌だと譲りません。叶わなければ尼になると!」

「……」

「殿、なにとぞ月姫様をご側室に!」

「「殿!!」」

「「小山田家総意のお願いにございまする!!」」

 

 困り果てる明家。断るにしても理由が必要だが、その理由が『御台をこれ以上怒らせたくない』では、いくらなんでも退かないだろう。

「殿、小山田家の戦闘力と高い新田開発能力、お家再興の暁にはより励み、頼りになるかと」

「助右衛門、そなたまで」

「奥方が怖いことは分かります。しかし殿はもう水沢隆広ではないのです。柴田家当主、柴田美濃守明家なのです。多くの子を成すのは柴田家の強固に繋がること」

「し、しかし…」

 

 助右衛門は事前に小山田家より協力を要請されている。彼自身が言ったように小山田家の戦闘力と新田開発能力は柴田家に必要なものなのだ。家老として協力するのは当然である。

 多くの子を成すのが大事なのも道理。現在のように医学が発展していない当時、夭折する子供は多く、さえが聞けば怒りそうだが、世継ぎと目される竜之介も成人するまで生きるか分からないのだ。だから子を多く作るのは当主の義務と云える。

 

「殿、何とぞ我らのお家再興の悲願を!!」

「「殿!!」」

 ついに根負けした明家は

「分かった…。月姫を我が妻としよう」

 小山田家臣たちは歓喜した。知らせを聞いた月姫は

「この乱世にて惚れた殿御に嫁げるなんて月は果報者」

 と、大喜びだった。

 

 

 しかし、これを伝え聞いたさえは激怒。月姫は十七、また若い娘を!さえは奥から出て城にいる明家に怒鳴りこもうとしたが助右衛門に道を塞がれた。

 

「どいて下さい。もう許せません」

「恐れながら御台様、殿は城下の商人と用談中にございます」

 そんなことで退くと思うのか、実際に用談中であったのだが、さえは完全に冷静さを失っている。奥を出たら良人と自分の立場は『公』であるのを忘れている。

 

「大名になった途端に側室二人!しかもいずれも十代!私に対する裏切りです!」

「…御台様、殿は自分からその二人の女子を欲したわけではございませんぞ」

「だから何ですか!受け入れたのは殿ではないですか!断れば良いだけのこと!」

「御台様は側室を作ると云うのを、殿のただの性欲処理とでも考えておいでか?」

「違うというのですか!」

「違いまする。御家のためです」

「御家?正室をこんなに悲しませて何が御家だと言うのですか!」

「…御台様には、もう少し大人になってもらわねば困ります」

「分かったようなことを言わないでください!良人が好きなように女子を抱くのを認めるのが大人になるということならば、私はそんなの御免です!」

 

 廊下に座り、頭を垂れた助右衛門。

「筆頭家老として申し上げる。佐久間家は亡き玄蕃殿の薫陶ゆえ精強な先駆けの軍勢、小山田家は投石術で戦の先端を制す技を持ち、殿が舌を巻くほどの農耕技術を持っております。その両家の総領娘である虎姫と月姫を側室にしたるは両家に御家再興と云う悲願を叶わせ、より一層の働きと強固な誠忠と得んがため。それを柴田家の御台所様は誤りと言われるのですか」

「そ、それは…」

「北ノ庄の屋敷で水沢隆広様と睦み合っていた奥方ではなく、柴田家の御台所としてお答を」

「…奥村殿は卑怯です」

「……」

「嫉妬に狂う私がさぞや愚かしげに見えるでしょう。確かに正しいわ、ええ正しいわよ。御家再興となれば佐久間家と小山田家も殿に命を預けて一層働いてくれましょう。でも私はそんな理屈で割りきれません!ふざけないで!」

 さえは渾身の力を込めて助右衛門の顔を平手打ちした。微動だにせず黙って受けた助右衛門。

「……」

「奥村殿には私の気持なんか分からない。良人を取られた悔しさを」

「取られてなどは」

「取られたわよ!こんなことなら大名なんかになって欲しくなかった。北ノ庄で貧しくても二人で一緒なら…」

 泣きながらその場を立ち去るさえ。

「納得にはほど遠いな…。奥方との不仲に殿が影響されなければ良いが…」

 

 

 奥に戻り、自室で一人座っているさえ。拳を握り、肩を震わせている。燃えるような怒りと悔しさを顔に滲ませている。そんな事情と知らず竜之介がさえに甘えようとしたが

「駄目、竜之介」

 竜之介の腕を掴んだお福。

「姉上…」

「今日の母上に近付いちゃ駄目。機嫌が悪いみたい」

「え、母上何か病気なの?」

「違うけれど、とにかく今日は我慢しなさい。替わりに私に甘えていいから」

「駄目だよう。姉上には乳がないもん」

 さすが明家の息子。幼いながら女の乳房が大好きなようだ。

「し、仕方ないでしょ。私まだ九歳なんだもん。もう竜之介なんか知らない」

「あー、ごめんよ姉上~」

 

 さえの目から涙が出てきた。私は良人に裏切られた…。

「悔しい…。う、うう…」

 

 いよいよ上杉の援軍として越後に出陣する日も近くなった。月姫の輿入れは越後での合戦後となり、明家は家臣に命じて合戦準備を進めていた。何せ二代目となって初めての軍事行動である。ただ上杉を助けに行くだけではない、柴田にも大事な戦である。さえもそれは分かっている。公ではけして顔に出すまいと朝には気合いを入れている。

「よし!」

 両頬を軽く平手で叩いて気合いを入れる。奥にある明家の私室、朝には毎日の鍛錬に汗をかく良人がいる。庭で息子と共に木刀を振っている。その庭の縁台に歩いていくさえ。

 

「えい!」

「声が小さいぞ!」

「はい父上!」

「……」

 息子に対する笑顔は本当に優しいものだ。今は忘れよう、さえはそう思い水を入れたタライを持ってきて手拭いをしぼった。

「殿、そろそろ朝餉にございます」

「うん」

 さえの渡す手拭いで汗を拭く明家。まだ『仲直り』はしていないが息子の前では絶対に喧嘩の様相はすまいと二人は肝に銘じている。そもそも喧嘩は翌日に持ちこまさないとさえは決めていたが今回の良人の裏切りは許し難く、そうもいかない。

 

「さえ」

「はい」

「やはり宗闇和尚を竜之介の学問の師匠にしようと思う」

「師匠?守役ではなくて?」

「ああ、守役は前田利家殿と中村文荷斎殿と相成った」

「前田様と文荷斎様が…」

「厳しいであろうな…。だからさえ、そなたが竜之介を包んでやらねばな。それで修行に耐えられる」

「…顔は怒り、心で褒めるなんてものは子に通じない…。でしたね」

「そうだ。北条政子はそれで息子頼家の養育に失敗している」

 

「なに、父上、何の話?」

「ははは、竜之介の素振りも中々良い形になってきたと母上に褒めていたんだよ」

「本当に?やったぁ!」

 竜之介の嬉しそうな顔に微笑むさえ。

(私さえ我慢すれば…この幸せは続く…。良人は優しいじゃない、私にも子供たちにも。女癖が悪いことくらい耐え…)

 目をつぶり激しく首を振るさえ。

「どうした?さえ」

「い、いえ…。とにかく朝餉を」

「……」

(昨日、この人はまた虎殿を抱いたんだ。やっぱり許せない!)

 

 その夜のことだった。明家はさえの部屋を訪れた。二人きりである。

「出陣式には出てくれるのか」

「…言ったはずです。御台所として奥向きの仕事はちゃんとやると」

 明家の顔など見ない。

「助右衛門とやりあったらしいな」

「……」

「許せとは言わない。そなたが助右衛門に言った通り断れば良かっただけのこと。出来なかったのは…やはり内心虎と月が欲しかったからだ」

「そういうのを馬鹿正直と云うのです。正室に言うことではありません」

「やはり言葉では駄目だよな」

「…?」

 

 明家はさえを抱きしめ、そして押し倒した。強引に口づけをしたが、さえは振りほどいた。今まではそのまま目をつぶって受け入れたさえなのに完全に拒絶した。

「何を!」

「俺だって本当はさえを抱きたいんだ!」

「馬鹿にしないで下さい。抱いてごまかそうというのですか」

「ごまかす…?そんな言い方はないだろう!」

「とにかくどいて下さい。大声を出しますよ!」

「さえ…」

「それとも私をこのまま犯しますか」

 

 ため息を吐いて、さえの上からどいた明家、さえは起き上り乱れた着物を直した。

「昨夜、虎殿を抱かれたのでしょう。触れられたくございません」

「え…?」

「殿はずるい…。柴田家の御台として私が飲まざるを得ないことで虎殿と月殿を側室にいたしました」

「……」

「殿は…さえが自分以外の殿方に入れ替わり身を委ねたら愉快ですか?」

「そ、それは…」

「すずはいい。殿の命の恩人ですし、今では私とも良き友。でも虎殿と月殿はけして認めません。どんな事情があったとしても殿はさえを裏切ったのです」

「……」

「おやすみなさいませ」

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 いよいよ越後出陣となった。その前夜、

「はい殿、明日は出陣。いっぱい食べて下さいね」

 笑顔で給仕をするさえ。料理もさえの作ったものだ。漬物が美味い。戦国時代屈指の知将である柴田明家も妻のことになると笊である。すっかり機嫌が良くなったと胸を撫で下ろした。

 

 しかし、これは出陣前の良人は笑顔で見送らなければならないと云う武将夫人の鉄則に従ったまでのこと。先日にはお市にも釘を刺されていたので、腹に一物あろうとも笑顔で見送らなければならないのだ。やっと、さえを抱けるぞと思ったが

「すいません殿、月の物ですから」

 と、拒否。昼間の軍務で少し疲れていた明家はそのまま引いて寝てしまった。月の物、生理のことだが、それは嘘だった。まだ許すに遠く及ばないのに身を委ねたくない。機嫌を直したと疑わない良人の寝顔。求めてきたと云うことは本心からさえの機嫌が直ったと思っているのだろう。気のせいか安堵感も見える。

 

「万の敵勢を智慧一つで蹴散らす殿も…私のことには本当に笊なのですね。許しているわけがないでしょう…」

「ぐう、ぐう…」

「でもね殿、私はこのまま殿と不仲になりたくない。貧乏な時は仲が良くて、大名になったら不仲になった。そんな間の抜けた夫婦となりたくないの。上杉の援軍から帰って来た時、私に何かを示してほしい。側室を持とうが大大名になろうが私への愛に一点の曇りもないということを…。言葉ではなく行動で…。さすれば私も喜んで殿に抱かれます…」




次回、外伝さえ最終回です。


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外伝さえ 最終回【永遠の愛】

 翌朝、晴天。柴田明家率いる軍勢は安土より出陣。安土城は織田信長が上杉謙信の進攻に備えて築城したと伝えられるが、その城から上杉への援軍に出るとは奇縁であるだろう。

 練兵場で出陣式を終えて、安土城下を軍勢が進む。軍勢の中ほどに明家がいる。城下の大通りで見送る領民や将兵の家族たちも整然と頭を垂れた。安土城門に差し掛かるとさえ、すず、虎姫、そして幹部夫人が並び、柴田軍を見送った。明家が前に来るとさえが深々と頭を垂れて、他の女たちも倣う。

 

 やがて安土を出て木之本街道を北上していく。軍勢最後尾が城下から出ると夫人たちの見送りも終わりだ。

「ふう…」

 何か憂鬱そうなため息をついたさえを見て、石田三成夫人の伊呂波が

「御台様、今回の戦は後詰と良人から聞いています。そう心配なさらず」

「違います。こんな作り笑顔で良人を戦場に見送った自分が悲しいのです」

 どんなに腹に一物あろうと戦場に送り出す時は心から無事を願う笑顔を見せるのが鉄則。しかし今の自分は顔は笑って心は激怒である。

「でも殿、さえにそうさせたのは殿なのです」

 

 見送りが終わり奥に戻ろうとした時、虎姫と目が合った。キッと虎姫を睨み、何も発せず、奥に歩いていったさえだった。肩を落とす虎姫。まるで佐久間盛政に嫌われた水沢隆広のようだ。

「すず様」

「え?」

「正室と側室が仲良くなることは出来ないのでしょうか」

「そんなことはありません。現に私と御台様は親しいですよ」

「私、幼いころ御台様とお会いしました。殿の横で優しく微笑み、そして私に金平糖をくれました。でも今は微笑むどころか睨まれてばかり…」

「虎殿、御台様とて菩薩じゃないのです。いつも優しく微笑んでいられるわけがないでしょう」

「……」

「御台様との融和を考えるのは良いですが、今は頑ななので、どんなことを言っても裏目に出るでしょう。殿の無事な帰りを日々願っていると聞けば御台様への印象も違います。亡き玄蕃殿の位牌に毎日お祈りしていなさい。それとなく私が耳に入れておきますから」

「はい、ありがとうございます」

 

 本来、柴田家の女は陰湿ないじめを嫌う気風がある。嫌うと云うより、それは女の恥と思っている。柴田家の男たちが尚武と騎士道を尊ぶのならば女もまた同じ。柴田家はさえとお市を初め、前田利家の妻まつや奥村助右衛門の妻の津禰、黒田官兵衛の妻の幸円など後の世に良妻賢母として名を残す女が多い。当時から夫人の鏡として讃えられていただろう。その影響から柴田家の女の気風は大和撫子と言える。いじめなど卑怯愚劣な行為は忌み嫌うことであった。

 

 しかしながら、嫉妬に狂ったさえは虎姫に対して自制が利かなかったようだ。無視や睨み、目通りを許さないなどの陰湿なことをしてしまった。侍女の八重や千枝が何度か諫言しても直さなかった。

 

 越後より明家が帰ってきたら祝言を挙げることになっている月姫が安土の奥へとやってきた。一足先に見学と云うことだ。月姫は侍女数名を連れてやってきた。

「安土夜戦以来に。小山田家の月にございます」

 意外にもさえはすぐに目通りを許した。安土攻防では共に篭城して戦った月姫に対して、さすがに無視は出来なかったか。

「御台様にはご機嫌うるわしゅう」

「うるわしゅうございません」

「は?」

「卑しい…。佐久間家と云い小山田家と云い、我が良人をよくも種馬扱いしてくれましたね」

「み、御台様?」

 

 さえの目が完全に据わっている。初めて会った時にさえは月姫と自分の境遇が似ていることを聞き、親しみを感じたか共に鍋を囲み調理場で楽しいおしゃべりに興じたものだ。だが今は完全に別人の様相である。

「かわいい顔してやるものですね。子種を得るためなら床でどんな淫らなことでもしそうです」

「そ、それはあんまりな仰せよう!」

「御台様!!」

 

 八重がたまらず諌めた。どうしたのか、そんなことを言う女に育てた覚えはない。さえはここ数日頭痛とめまいに悩まされていて機嫌は最悪だった。それは誰も知らない。さえは誰にも自分の体調不良を言っていないのだ。奥を預かり、まだ数ヶ月。病に倒れるわけにはいかないと強がっている。

 だが、こんな症状に見舞われるのも良人の女癖の悪さで生じた心労のせいと思っている。実は大病の予兆なのだが、そんなことにも気づかない。だから根源となった二人の側室には容赦なく尖がる。さえが後年に『私の人生の中でもっとも心が荒んでいた日々』と述懐しているほどだ。

 

「私も貴女と同じく、父を裏切り者と呼ばれております。貴女がどんなに悔しい思いをしてきたかは分かるつもりです。しかしだからと言って権力者に媚びへつらい種をもらおうなんて考えたこともありません。殿が大名でなく、一介の侍ならば貴女とて側室になろうとは思わなかったはず。何が『殿でなければ嫌』ですか。貴女は柴田明家ではなく、大名と云う地位と権力に身を捧げようとしているのです。いやらしい」

 

 月姫はうつむいたまま、さえの罵りに耐えていたが、後ろにいた小山田家の侍女がすさまじいほどの怒りの形相となっていた。主家の姫が侮辱されるのは侍女にとり一番許せないこと。侍女に気づいたすず。

「もう我慢なりませぬ!」

 侍女が立ち上がり、さえに殴りかかった。

「控えよ!」

 すずがさえの前に出て、拳を取って侍女を投げ落とした。

「うっ…!」

「月殿、今のは見なかったことにいたします。ここは私に免じてお引きを」

「すず様…」

「貴女の部屋は奥御殿西側中庭の手前です。鴨居に小山田家の家紋が彫られているので、すぐに分かるでしょう」

「は、はい…」

「殿のご帰城まで引越しは済ませておくように」

「分かりました。ここはこれにて…」

 月姫と侍女たちは去っていった。

 

「御台様、なぜあんなことを言ったのですか」

「本当のことでしょう?私は殿が貧しかったころから共にある。一つの魚の切り身を分け合い、火を炊く薪にも困ったときは抱き合って寒さをしのいだ。でも彼女たちは違う。ただ勝ち馬に乗っただけ。卑しいわ」

 ふう、とため息をつき

「いっそ、あのころに戻りたいものね…。貧しくとも本当に幸せだった」

「御台様、そんなことを言ってはなりません。殿は愛妻に腹いっぱいご飯を食べてもらいたい。冬には暖かい思いをさせてあげたい。そう思って一生懸命働いてきたのですよ。ただ愛妻に喜んでもらいたくて、幸せになってもらいたいと命をかけて。それなのに、その御台様が貧しかったころの方が良かったなんて言ったのを殿が聞いたらどんなに悲しむか」

 八重が諫めた。しかしさえの態度を改めさせるには至らない。

「殿が私とすずだけで満足していれば、こんなことは言いません。あの人は変わってしまった。いや私もね…。ふふっ」

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 それから数日が過ぎた。さえの頭痛とめまいは日に日にひどくなっていった。朝、奥御殿の広間に侍女たちが集まり、御台さえの言葉を聞くが定刻になってもさえは広間に現れない。八重が呼びにいったが返事がない。異臭がした。便のにおいと吐しゃ物のにおいだ。障子を開けるとさえは自分の吐しゃ物の中に顔をうずめて気を失っていた。

「み、御台様!!」

 慌ててさえに駆け寄る八重。顔面は真っ青ですごい熱だ。

 

「千枝、しづ!」

 尋常でない八重の声に大急ぎでさえの寝室に駆けた千枝としづ。

「お八重様、どうし…」

 千枝も絶句した。さえが意識もなくグッタリしていたのだ。

「早く医者を!急ぎなさい!」

「「は、はいっ!!」」

 失禁しているさえ。便を改めた八重は驚く。大便は水のようで、尿は血尿だった。

「な、なんてこと!御台様!ひ、姫様ぁぁッ!!」

 八重の言葉に返事をしない。完全に意識がない。呼吸はあるし心臓は動いている。八重は一瞬、虎姫か月姫が何か作為を、と邪推したが、

(めったなことを考えてはならぬ。とにかく今は姫様を助けなくては!)

 

 急ぎ医師が呼ばれ、さえの衣類と布団が交換された。話を聞いて大御台のお市も奥御殿にやってきた。

「さえ!」

 呼吸荒く、義母の声も届かない。

「どうしてこんなことに。今まで何の兆候もなかったのですか?」

 ハッと気づいた千枝。

「そういえば、ここ数日の御台様の言動はあまりにおかしかった。平気で虎姫様や月姫様を傷つけるようなことを言ったり、お殿様に捨てられたと被害妄想を言ったり!」

「確かに…。あれは病の兆候に伴って生じた痛みからの苛立ちであったのかもしれない…」

 

 八重も千枝の言葉にうなずく。脈を取っていた医師が

「おそらく、それが兆候と言えましょう。かなり前から頭痛とめまい、嘔気は感じられていたはず。御殿様が不在の今、御台所として倒れるわけにはいかぬと無理をされたのでしょう」

「そ、それで治るのでしょうか?」

「……」

 八重の問いに言葉が詰まる医師。お市が続けた。

「かまわぬ。本当のことを申せ」

「恐れながら…。もはや」

 千枝としづはワッと泣き出した。

「病名は何と申すのです?」

「破傷風か悪い毒虫に刺されたかと存じます」

 どうやら毒をもられたのではないらしい。八重はわずか安堵した。そして

「ど、どのくらいで死に至るのですか…」

「もって二月と存じます。同様の症状の患者を過去に何度か見ておりますが、いずれもそのくらいで亡くなりました。食べても嘔吐してしまい、いずれは水を飲むこともできなくなりましょう…。高熱と凍てつくような悪寒、激しい全身の痛みと下痢…。我ら医師にもどうにもなりませぬ」

「そうですか…」

「奇跡でも起きぬ限り御台様は…」

「分かりました…。千枝、医師に診療代を」

「は、はい…。ぐすっ」

「解熱剤と痛み止めの散薬を置いていきまする。それと寝汗に注意し、頻繁に布団と寝巻きを変えるように」

 

 医師は看護のやりようを指示して帰っていった。さえを見つめるお市。さえは苦悶している。

「う、うう…」

 ひたいににじんだ汗を拭う。もはや危篤と云えるさえだった。

「はあ…はあ…。と、殿…」

 越後への出陣のとき、顔は笑って心は激怒で良人明家を送り出したのを激しく後悔していたさえ。どんなに腹に含むところがあっても無事の生還を願い、心こもった笑顔で送り出すのが夫人の鉄則であり、さえも自分に課していたことだ。

 だが出来なかった。それは今まで良人に対して腹に含むことなどなかったからかもしれない。はたから見て恥ずかしくなるほどに仲睦まじい良人と自分。いつも体を寄せ合い頬を触れ合い口付けをしていた。他の女から見ても明家のさえへの溺愛ぶりは異常と云えた。

 

 戦国時代、一度出陣すれば生きて帰ってくるか分からない。だから一緒にいる時は互いの愛を夢中で確かめ合った。さえは良人の自分への溺愛振りをおかしいとは思わなかった。結婚初日から現在まで続いていれば、もはやそれが自然となる。全身で愛情を表現する良人が大好きで自分もそれに応えて身を委ねた。出陣の時は無事を願い、愛情込めた笑顔で見送った。

 

 しかし今回は出来なかった。良人に落ち度があるとは言え戦場に向かうのに嘘っぱちの笑顔で見送った。それがたまらなく申し訳なかった。大名の正室はおろか武将の妻としても失格だ。苦悶するなか、さえは悪夢を見た。

 

『ぐああッッ!!』

 戦場で敵兵に斬られる良人の姿だった。

『さ、さえ…!』

 無残に首を斬りおとされた。生首になっても良人の目は無念で開いたままだ。

『柴田明家、討ち取ったりーッ!!』

「い、いや…。殿、殿、さえを置いて逝かないで。一人ぼっちにしないで!!」

 悪夢にうなされ、涙を流しながら絶叫するさえ。

「姫様、姫様!!」

 さしもの八重もどうしてあげたら良いのか分からない。何も出来ない自分が悔しくてたまらない。

「どうして…私の娘ほどの歳の姫が…。変われるものなら…」

「八重…」

 涙を落とす八重の肩を抱く監物。

 

「母上様」

 妹の鏡姫を抱きしめながら涙を落とすお福。もはや血の繋がりなど越えた仲の良い母と娘となっていた。死んじゃいやだ。まだいっぱい母に甘えたい。妹の鏡は何も分からないようにお福にじゃれついている。竜之介はさえにすがりつき泣きじゃくる。

「母上、母上!!」

 城に攻め込まれ、目の前で子供たちが敵に斬られていく悪夢。病は心身傷ついていたさえにどこまでも残酷だった。

「いやああああッッ!!お福!竜之介!!鏡いッ!!!」

 

「お福と鏡はここにいます!母上様!!」

「母上!竜之介もいるよ!だから起きてよ!!起きてよぉ!!」

「何かとても悪い夢をご覧になっている様子…」

 と、すず。さえを心配そうに見つめている。正室と側室は不仲で当然と云う垣根を越えて同じ男を愛する親友である。歩行が不自由な自分を明家同様にいたわってくれた。

「藤林の薬師でも…もう手には負えますまい…。御台様…」

 

 パッと目を開けたさえ。

「はっ…。はぁ…。はぁ…」

「姫様!」

「母上様!」

「母上!」

「さえ、私が分かりますか?」

 意識が戻った。しかし

「おぐっ」

 嘔吐した。

「このままでは気道に吐しゃ物が詰まってしまう。体を横にして下さい!」

 すずの指示でさえの体を側臥位にした八重と監物。胃の中にもう何も入っていないさえ。胃液を吐きだす。

「う、うう…」

「母上!」

「りゅ、竜之介…」

「母上様」

「お福…。鏡…」

 

 涙を浮かべながら自分を見つめる子供たちがいた。

「な、なんだ…。夢だったのね…」

「御台様、具合は…」

 すずが訊ねた。

「…バチが当たったのね…。戦場に行く殿を嘘の笑顔で見送ったことが…」

「そんなことはありません。どうして今まで病を隠していたのですか?」

「病だったんだ…」

「え?」

「てっきり…殿が側室を増やしたことの心労だと思っていたから…」

「御台様…」

 部屋の中に虎姫と月姫がいることに気付いたさえ。

「虎殿、月殿…」

「「は、はい」」

「ごめんなさい…。大人げなかった。殿が二人に取られてしまったと思って…」

「……」

「頭では分かっていたの。側室を増やして子供をたくさん得るのは当主の務めなのだと…。それが柴田の繁栄に繋がるのだと…」

「御台様…」

「でも気持ちはどうしても収まらなくて…。殿の寵愛を独り占めしたくて…。御台所失格ね…」

「女なれば当然のこと。気に病むに及びませんよ」

 お市が諭す。

「大御台様…。私、もう駄目みたいです…」

「何を申すのですか。どうせ死すなら明家殿の腕の中で死になさい」

「……」

「もう越後の戦は終わったと報告が届いています。じき明家殿は戻りましょう。それまで気力を振り絞るのです。戦場から帰ってきた良人を笑顔で迎えるのが武将の妻でしょう!」

「はい…。殿が帰る日までは必ず…」

 

 さえは眠った。さえの額に触れるすず。

「熱が高い…。冷やさなければ」

 虎姫はすずに

「すず様、私にも出来ることはないでしょうか」

「では月殿も一緒に」

「はい、やらせていただきます」

「私たちは何をすれば」

「首、両脇、股間、すべてに水手拭を置きます。そこには太い血の管が通っています。御台様のお体を冷やすことが出来ます。私と虎殿と月殿でそれを繰り返しましょう。良いですね」

「はい、分かりました」

「千枝、しづ」

「「はい」」

「侍女たちを総動員させて御台様の着物と布団の洗濯をさせなさい。ひんぱんに替える必要があります」

「「はい!」」

 すずはお市に向き

「大御台様、私と八重殿が責任を持って看護に当たります。それゆえ…」

「分かっています。しばらく奥向きの仕事は私が復帰して務めましょう」

「ありがとうございます」

「八重」

「はっ」

「急ぎ明家殿に使者を送りなさい。御台、ご危篤と」

「承知しました」

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 一方、明家。上杉の援軍を終えて安土へと向かっていた。越前の北ノ庄に到着し、城主の毛受勝照の歓待を受けていた。勝照とは賤ヶ岳以来親密であり、明家の家督相続後は先輩面などせず若い主君を立てている。

 

「なるほど、奥方を怒らせてしまいましたか」

「そうなんです」

「そればかりは我ら家臣も殿をお助けする術はございませんからな」

 勝照正室の文華より酒を受ける明家。

「大殿(明家)、我が殿にも側室は数人おりますが正室の私を一番立ててくれています」

「おい文華!」

「大殿には今まで、すず様しか側室がおりませんでしたから二人を同じように愛していれば良かったのですが、二人増えて四人になってしまったら、どうしても一人一人に向ける愛情も薄くなりましょう。殿方はそう思っていなくても女子はそう感じてしまうものです。御台様が機嫌を損ねたのもそんなところと思います。だからみんな同じに愛すると云う概念は捨てて、まず正室第一と御台様と御側室様たちに示すことが肝要です。正室として何よりも大切にされるのであれば、御台様の頑なな心もほぐれてまいりましょう」

 

 目から鱗の明家。姿勢を正して頭を垂れた。

「か、かたじけのう!内儀のお言葉、まさに千金に値するもの!」

「ふふっ、お役に立てて嬉しいですわ」

「そうかぁ、全部公平に愛するべきと思っていたのが間違いだったか」

 腕を組んでふんふんと頷く明家。ようやくさえとすずとの仲直りに光明が見えてきたと思ったが、明家の耳に悪夢のような知らせが届いた。

 

「殿!」

 勝照の家臣が来た。

「なんだ。大殿の前で騒がしいぞ」

「申し訳ございません。安土より大御台様の使者が参りましてございます」

「母上の?荘介殿(勝照の通称)、通してかまいませんか」

「はい、これ使者を通せ」

 

 廊下を走ってくるお市からの使者。だいぶ急いで来たようだ。呼吸も激しい。

「も、申し上げます!」

「母上から何用か」

「御台様、ご危篤!!」

「なに…」

「突如の嘔吐、下痢、全身の痛み、安土の医師にも手に負えぬ状況と!」

「荘介殿、文華殿、ここはこれにて!!」

 

 取るものも取らず、急いで馬に駆けて一騎で北ノ庄から飛び出して行った。明家は一切休息を取らずに馬を駆った。北陸大返しでも休むことなく走った愛馬ト金はさすがということか。翌日には安土に着いた。

 

「ト金、ありがとう!!でも今は妻を優先させてくれ!!」

 明家は厩舎を預かる家臣にト金を任せて急ぎ城に駆け、甲冑をつけたまま奥御殿に入っていった。

「さえ、さえーッ!!」

「父上、こちらです!」

 お福が明家を呼んだ。

「さえ!」

 さえは苦悶していた。呼吸激しく発汗も著しい。

「さ、さえ」

「と、殿…」

 無事に帰ってきてくれた。真っ先に自分のいるところに来てくれた。大粒の涙を流して手を握ってくれた。

「寂しがらせたな。でももう大丈夫だ。俺がいるぞ!!」

「殿…。ごめんなさい。私は越後にご出陣の時に…」

「何も言うな。そなたにそんな思いをさせたのは俺のせいなんだ。そなたは俺の宝にて命だ。治ってくれ。女房孝行をさせてくれ!!」

 

 

 それから明家は懸命にさえを看護した。曲直瀬道三に覚悟しておくようにと言われたが明家はあきらめなかったのだ。下の世話だけ、さえが羞恥で嫌がるので八重、すず、お福に任せたが、あとは明家が全部やった。

「さ、寒い…。殿、寒いです…」

 布団を何枚も重ねて、火鉢を何個も運んできたのにさえの悪寒は収まらない。

「みな、席を外せ。何かあったら呼ぶゆえ控えていよ」

 さえと二人になった。

「これしか思いつかない」

 明家は越中一丁になって布団に入った。

「さえ、汗くさいかもしれないけれど我慢しろよ」

「殿…」

 布団の中でさえを裸にしてギュウと抱きしめる明家。

「はは、こんな時でもさえに触れると俺のナニは元気になっちゃうな…」

「…殿ったら」

「久しぶりにさえの笑顔を見たな。俺の女房の笑顔は百万石だ」

 少しずつだが悪寒が収まってきた。

「殿、暖かい…」

「うん、さえの体は暖かくて柔らかい…」

「…私はもう長くないかもしれません。病躯で良ければ私をこのままお好きなように…」

「元気になったさえをたっぷり堪能するよ」

「でも…」

「あきらめちゃ駄目だ。治っていっぱいいっぱい愛し合おう。今まで以上に。絶対俺はさえを離さないぞ」

「う、嬉しゅうございます」

 

 しかし病はそんな二人をあざ笑うよう悪寒の次には

「うっ…」

 その顔でもう明家は分かる。枕元のタライを取って、さえに嘔吐をさせた。胃の中には何も入っていない。胃液に少しの血が混じっている。しかも

「ガハッ、ガハッ!!」

 喉に粘液らしきものが詰まった。明家はとっさに口づけをして、その粘液を吸い込んだ。

 

「と、殿…」

「良かった」

 さえは涙が出るほど嬉しかった。いかに愛し合う夫婦でも喉に詰まった吐しゃ物を直接吸い込んでくれる良人がどこにいようかと。

「殿…。殿…」

「どうだ、吐き気は落ち着いたか?」

 優しく自分を案じてくれる。さえはたまらず明家の胸に飛び込んで泣いた。

「ど、どうした?」

「ごめんなさい…。側室を持ったぐらいで殿を疑ったりして…」

「いや、そりゃ俺が悪いんだから…」

 明家はさえの看護に入ってから側室に一瞥もくれていない。それはさえも知っている。

 

「殿は大大名になっても、さえを一番愛してくれているのですね…」

「当たり前だ。前に言っただろう。俺はさえが考えている以上に、そなたに夢中なんだと」

「殿…」

「さあ、俺がずっとついている。眠れ」

「はい…」

 

 さえは童女のように良人に甘えていった。それもまた明家の喜びである。さえは幸運であった。たとえ名医の曲直瀬道三に匙を投げられた大病であろうと、看護状況はおそらく日本一恵まれていたと言える。

 

 病人食は柴田家の料理人筆頭の星岡誠一(元の茶之助)が作り、美味であるのは無論、食べやすくて消化に良く栄養価の高い汁と粥を研究して調理した。高熱に伴う冷却や放熱と云った応急処置は八重とお福、明家の側室たちが交代で行い、一日中ついていた。息子の竜之介も学問や修業を終えると必ず母の元にやってきた。

 

 誠一の作った病人食をさえに食べさせたのは明家である。この当時、嘔吐すれば胃の中身は空になると思われていたが、先祖代々料理人の家だった星岡誠一はたとえ胃液しか出ようとも、全部食べたものを吐き出すことはなく、少なからず栄養は体に入ると知っていた。とにかく少しでも御台様に食べさせるように指示していた。

 

 また、この当時すでに柴田家には現在で云うスポーツドリンクに近いものも存在していた。沸騰した湯に適度に砂糖と塩を溶かして冷ましたもの。湯の量に合わせて塩と砂糖の分量も決められている。もっとも疲労回復に効く割合を分かっていたのだ。これは明家養父の水沢隆家が考案したもので、藤林家、そして明家に伝えられ、現在の柴田家に製法が伝わっていた。

 明家はこの回復水もこまめに飲ませたのだ。さえが柴田家の御台でなければ心得た病人食も食べられず、回復水も飲むことはなく、やがて死に至っていただろう。医療が進んだ現在とて、そうは受けられない手厚い看護だった。

 

「殿、両足の先が冷えて…」

「任せておけ」

 布団に両手を入れて右足を愛撫した。

「けしからんな冷え症め。俺の大事なさえのきれいな足をいじめて」

 竜之介が左足を愛撫した。

「母上、早く元気になって竜之介を抱っこしてね」

「うん、早く元気になりたい…」

 

 数日が経った。明家の懸命の看護のかいあって、さえは徐々に回復していった。自力で便所に行くことが出来て用便が足せた時には涙が出てきた。便所を出て脱力して倒れかけた時には良人が抱いて支えてくれた。そして布団まで良人の腕に抱きあげられて戻った。

「殿…」

「ん?」

「不謹慎かもしれませんが…私はこの抱かれ方がとても好きです…」

「ははは、そうだな、何かお姫様を抱っこしているみたいだから俺も気に入っているよ」

 良人の胸にそのまま顔を寄せる。

「さえは幸せです…」

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 数日の時が流れた。さえは奇跡的に快癒した。最初に診断した医師も曲直瀬道三も驚くばかりだ。勝家とお市、そして妹たちも安堵したことだろう。さえが死んだら柴田明家は抜け殻になる。茶々、初、江与も時に女手としてさえの看護をしていた。まさにさえの大病のため柴田家は大騒ぎとなったと言えるだろう。

 看病疲れで逆に明家が倒れてしまったので、さえが面倒を見ている。

 

「殿、アーン」

「アーン」

 柴田粥を明家に食べさせるさえ。

「美味しい?」

「うん、さえの作る御粥はいつも美味しい」

「その様子では、そろそろ庭の散歩くらい出来そうですね」

「しばらくこうしていたいな。さえとずっといられる」

「んもう、こんな甘えん坊の殿とずっと一緒なんて嫌にございます」

「ははは」

 越後出陣前の夫婦喧嘩など空の彼方に飛んでしまっていた。仲の良さに一層磨きがかかっていく夫婦だった。

 

 

 時は瞬く間に流れて行く。時に叱咤し、時には癒し、戦国大名柴田明家を支えて行くさえ。二人三脚で戦国乱世を生き抜いていく。

 子にも恵まれた明家とさえ。二人の子供に夭折が一人もいなかったのは本当に嬉しいことだ。側室のすず、虎姫、月姫、与禰姫と云った側室たちとも和を成して、柴田家の束ねとなった。明家が存分に働けるのも、さえが奥向きの仕事をよくやってくれているおかげなのだ。

 

 四国攻め、九州攻め、関ヶ原の戦いを経て、柴田明家は天下人となった。関東小田原攻めを終え、そして奥州を鎮めて、柴田明家は大将軍を名乗るに至った。さえは天下の御台所となったのだ。大将軍拝命の日の夜…。

 

「殿、お疲れ様にございます」

「うん、そなたのおかげだ。そなたが支えてくれたから俺は天下を取れた」

「お前さま…」

「そなたも御台所として大変であろうが今後も頼むぞ」

「はい、ついてまいります」

「覚えているか。いつか安土で言ったこと。『俺の快挙は大名になったことじゃなく日ノ本一の女子を妻としたことだ』と」

「覚えています」

「今も変わらない。さえは年々美しくなって…。本当に愛しくてたまらない」

「ふふっ、殿も美男に磨きがかかっていますよ。さすが私が惚れた方です」

「ありがとう、ははは!」

 

 二人は相変わらずだった。手を繋いで城内を歩き、庭で子供たちと蹴鞠で遊ぶ。明家は歴代天下人の中で一番の家庭人であったかもしれない。親兄弟が相争う戦国時代、しかし最後に天下を取った男は何より家族を大事にした男だった。

 公の場では明家のことを『上様』と呼ぶさえであるが、奥御殿にあると『殿』に呼び方を戻し、たまに『お前さま』と懐かしい呼び方をする時もある。

 

 

 その後、日欧と日清の役が発生。日欧の役が終わると、さえは意外な人物と再会した。

 大坂城で明家と欧州側の使節が用談したのだが、使節が明家にさえとの面談を求めたのだ。明家は快諾した。城主の間に召されたさえに使節の男は

「おう、サエ!」

「まあ、フロイス殿!」

 北ノ庄で会って以来だが、さえはフロイスのことをよく覚えていた。

「相変わらずビーナスのごとき美しさでござるナ」

「ふふっ、ありがとう」

 明家を除く諸大名は日本軍元帥の柴田明家正室と十年来の親友のように話すフロイスに驚いた。

「弾正殿(助右衛門)、御台所様とフロイス殿にどんな縁が?」

 島津義弘が訊ねた。

「フロイス殿が北ノ庄に布教に来た時、殿ご夫妻が歓待したと聞いております」

「なるほど、それが欧州側の使節となってやってくるとは運命のいたずらというとこかの」

 

 さえの手を握り再会を喜ぶフロイス。

「悔しいね~。タカヒロに負けちゃったよ」

「勝敗は時の運ですよ。ね、殿」

「ああ、運が良かっただけだ。あっははは」

「ははは、もう私は船に戻るけれど、以前北ノ庄で会った時、サエには友情の証しを渡していなかったことに気づいてネ」

「友情の証し?」

 ポケットから小箱を出したフロイス。

「『翡翠の首飾り』ネ、今回の戦でヨーロッパが勝っても負けてもサエに会って渡すつもりだったヨ」

「まあ、何と素敵な!」

「今回、敵味方になって戦ったけれども、日本とヨーロッパが仲良くなる前に必要なことであったかもしれないと思うネ」

「仲良くなる前に必要だったこと…」

「お互いを認め合うと云うネ。タカヒロもキリスト教を誤解していたみたいだけれど、今回戦ったことで誤解も解けて仲良くなれると思う。そうすれば今回のイクサで死んだ日本とヨーロッパの英霊たちも喜ぶネ」

「同感だフロイス殿。よくよく考えれば九州で見た奴隷船一つでキリスト教すべてを排除しようなんて我ながら少し短気だった」

「無理ないよタカヒロ、入ってくる情報は少ないうえ、民やオナゴを愛するタカヒロには許せないことをしてしまった教徒もいたのもまた確かだからネ」

「お互いのことをよく知って理解していれば、この戦も避けられたかもしれない。でもしてしまった戦をやり直しには出来ない。ならば両軍の英霊に応えるべく、日本と欧州はこれから理解し合って仲良くしていけば良いと思う。せっかく日本の総大将と欧州の全権大使が友なのだから」

「素敵、お前さま、大好きよ♪」

 あれが天下人の正室の言葉かと諸大名は痒くなってくる。

 

「タカヒロと共に日本のファーストレディーのサエと仲良くなりたい。その首飾りはサエと私の友情の証ネ」

「ふ、ふうあすとれで?」

「ファーストレディー。天下人の妻のことね」

「ファーストレディー…。ああ、何かすごくいい!」

「フロイス殿、亭主の前で妻を口説かないでくれよ」

 ドッと笑いが起きた城主の間。

「では私も友情の証しを。殿、これを差しあげても良いですか?」

 それは明家が十五のころ、主命で安土に行った時にさえに土産で買ってきて贈った櫛であった。貧しいころに良人が贈ってくれた物として、さえが肌身離さずに持っている大切な櫛だ。それをフロイスに贈ると云う。

「これが日本と欧州の友好の品となるのならば…」

「ああ、二つとない良い贈り物だ」

「はい、フロイス殿。首飾りと比べれば安いけれど、私の一番の宝物です」

「良いのでござるカ?」

「はい」

 櫛を受け取るフロイス。

「ビーナスの櫛ね。フロイスの、いやヨーロッパの宝にゴザル!」

 現在ポルトガルの国宝と指定されている『ビーナスの櫛』である。フロイスが日本のファーストレディーのサエから贈られたと伝えられる。

 

 

 その後、日清の役も経て戦国乱世は終息した。

 大坂幕府初代将軍として君臨する柴田明家。さえも将軍正室、世継ぎ生母として重きを成す。しかし明家とさえは、あの北ノ庄で過ごしていた時のように変わっていない。公式の場ではさすがに心得ているが、奥御殿に来れば昔のままだ。

 

「さえ~。治部(三成)がいじめるんだよ~」

 さえの膝枕に泣きつく明家。天下統一後に柴田明家と石田三成は笑顔で会話をしたことがないと言われるほど、毎日激論を戦わせていた。

 しかし、政治手腕において明家は三成に遠く及ばなくなっており渋々意見に従うことばかりだった。三成を排斥しては?と言ってきた者を罰して『俺が痩せても天下は肥える』と威勢のいい啖呵を切ってはいるが、やっぱり言い負かされるのは悔しいようで、妻に泣きついている。

 

「あらあら、治部殿ももう少し手加減してくれれば良いのですけどねえ」

「そうなんだよ。悔しい~!」

 さえにとっては手のかかる息子がもう一人いるのと同じ。こんな甘えん坊が日本全軍を率いて欧州軍と清軍を撃破しているのだから分からないものだ。だが、明家が甘えていたのはさえだけだった。側室や愛人にはけして甘えなかった。ある日も

「今日、助右衛門に怒鳴り飛ばされた。ちぇっ」

「政務をほっぽり出して、出雲の阿国さんの舞台を観に行ったそうで」

 怒鳴られて当たり前だ、時にこうして厳しいさえ。

「な、なんで知っているんだよ」

「貴方のすることなんて、すべてお見通しですよーだ」

「だって…すごく美人で舞も美しくて…」

「そんなに言うのならば側室か愛人に迎えればよろしいのに」

「分かっていないな。そういう女子は外で見て愛でるものなんだよ」

「はいはい、そうですか」

 

 

 やがて明家は将軍を辞して江戸城にやってきた。将軍を辞して、明家は再び土木の現場監督に戻り、第二の人生を謳歌していた。さえも豪奢な着物は脱いで、粗末な着物に前掛けをつけて毎日疲れて帰ってくる良人の夕餉を作る。若いころ、北ノ庄でそうしてきたように。

「さえの夕餉は本当に美味しいなぁ」

 満足そうに食べる良人の顔を見て微笑むさえ。

 

「殿、毎日本当に楽しそうですね。お若い時にも勝家様の元で土木の仕事をしておいででしたが、あの時は成果を出すためにピリピリしていた時もございました。でも今は肩の力が抜けて楽しそうです」

「うん、やっぱり内政家と云うのが儂の天職だったのかもしれないな。よくまあ天下など取れたものだよ」

「ふふっ」

「さえも大坂の奥にいたころより楽しそうだ」

「はい、毎日田畑にも出て、あの時より健康的な生活をしています」

「だから、さえは今日も美人さんだ」

「まあ、殿ったら」

「あ、そうだ。今度江戸川に舟橋を作ることにしたんだ」

「あの一乗谷の九頭竜川に作った時のと同じ橋を?」

「ああ」

「一乗谷の舟橋はもう十二代目だそうですが、今も九頭竜川の川面を気持ちよさそうに浮かんでいるとか」

「そうか、しかし…一乗谷に舟橋を架橋したのがつい最近のようだな…」

「本当に…。五十年以上経っているなんて信じられません」

 

 

 そして二人の最期の日がやってきた。桜を愛でる散歩をしたあと、柴田明家は愛妻さえの膝枕で眠るように息を引き取った。『愛している』それが最期の言葉だった。

「安らかな顔…」

 笑って良人は死んでいった。

「お疲れ様でした…殿…。私は…本当に幸せでした。今度生まれてくる時も、また私を見つけて下さい。私は何度生まれ変わっても、貴方の妻となりましょう…」

 脳裏に浮かぶ良人の笑顔、そして亡き父の顔。

「父上…。そして見たこともない母上様…。私もいま…参ります…」

 スッと目を閉じたさえ。良人を見送った直後にさえも逝った。夫婦同時に老衰で死んだのだ。

(お前さま…)

 さえの両手は明家の額と頬に触れたままだった。最後まで触れあっていた明家とさえ。

(大好きよ…)



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異伝-松姫-

感想で再掲載をリクエストされたので、PC内を探してみたところ、まだデータはありましたので、ハーメルンに投稿いたします。


 柴田明家糟糠の妻であり、柴田家御台所のさえが逝った。享年二十三歳であった。

 突如の病に襲われ、名医である曲直瀬道三にも手に負えなかった大病。良人の柴田明家は最後まであきらめず看病に当たったが、それは報われなかった。さえはずっと看病してくれた良人に微笑み、静かに息を引き取った。明家は人目はばからず号泣した。

 

 殿は抜け殻となる――

 

 柴田家の家臣の誰もが思った。明家の愛妻家ぶりは異状とも言えるほどであった。

宝にて命――。明家は妻をそう言っていた。そして妻のさえもその愛情に応え、本当に仲の良い夫婦だった。その妻が逝ったのだ。

 葬儀の時も痛々しいほどで喪主である身なのに涙を堪えきれない。葬儀が終わった後は誰とも会おうとせず妻の位牌を抱いている。まさに抜け殻だった。

 明家は自分を責めていた。彼は父の勝家から柴田家の家督を継いで間もなく、二人の姫を側室にしていた。佐久間盛政の娘の虎姫。小山田信茂の娘の月姫。いずれも明家から要望してのことではなかった。当主が空席である佐久間家と小山田家からの強い要望で娶ることになった。正室のさえはこれに激怒していた。政略的なこともあるが二人の姫は元々明家に恋をしていた。明家を愛する彼女にしてみれば受け入れられることではない。しかし柴田家の君臣充実のために、と筆頭家老の奥村助右衛門に説得されれば柴田家の御台所として飲まざるを得なかった。“あの人はずるい、あの人は私を裏切った”さえの怒りに明家も弱り果てていたが、上杉の援軍に向かう前日にさえは何ごともなかったように明家に微笑んでいた。戦国時代屈指の智将明家も妻のことには盲目であり、これにすっかり安心した。出陣前の良人を笑顔で見送るのが夫人の鉄則。たとえどんなに腹に一物あろうとも、怒った顔で見送ることを武将の妻は絶対にしてはならないのだ。義母お市にその徹底を改めて釘刺されたさえは、その鉄則に従ったに過ぎない。

 しかし、やはりさえは明家を愛している。そんな嘘八百の笑顔で戦場に送り出したことを大変悔やんだ。そしてさらに追い討ちがかかる。さえが大病に冒されたのだ。良人が無事に帰ってくるまでは死ねない。さえはそれで気力を振り絞り病と闘った。知らせを聞いた帰国中の明家は飛んで帰ってきた。

 真っ先にさえの臥所に行った。名医の曲直瀬道三から『お覚悟を』と告げられても明家はあきらめなかった。懸命に看護した。しかし願いは届かず、さえは逝った。明家は軽率に側室を作ったからだと自分を責めた。最愛の妻を失った理由は自分にある。病床で生前のさえは明家のこの詫びに対して毅然と否と言っている。私の病はそれと関係ないのです、と。しかし妻を失った明家はそう思ってしまった。彼は心を壊してしまった。

 

 だが日本最大勢力大名である明家の立場でそれは許されない。心を壊したことを認められない。さえが死んで数日経った日だった。父の勝家が明家の部屋を訪れた。さえの位牌を抱いて部屋の隅に泣きべそをかいて座っていた。見るも無残な息子の姿だった。

 

 首根っこ掴んで城主の間に引きずっていく。まったく無抵抗で引きずられていく明家。勝家は息子の軽さが悲しかった。六十の坂を越した自分が片手で引きずっていけるほどに息子は抜け殻となっている。そして城主の席に無理やり座らせた。家臣たちが心配そうに明家を見る。同じことを奥村助右衛門と前田慶次もやった。怒鳴ろうが殴ろうがまったく効果はなかった。もはや父の勝家が荒療治をするしかない。

「見よ明家」

「…………」

「家臣に心配されてしまっている。それが柴田家当主の姿なのか!」

「……もう、いいんです」

「何がだ!」

「さえが死んで、柴田明家もまた死にました」

 勝家は明家を殴打。そして明家の顔面を床に何度も叩き付けた。

「家臣に詫びよ!お前の双肩には柴田家すべての将兵と領民の命が乗っかっている!お前の命はお前だけのものではない!軽々しく死んだなんて申したことを家臣に詫びよ!」

「大殿さ……」

 勝家を止めようとした三成だったが、助右衛門がそれを制止した。

「見ろ、大殿の目を。泣いておられる」

「…………」

 

 この荒療治を経ても明家に覇気が戻ることはなかった。その夜、勝家は明家の側室であるすず、月姫、虎姫を呼び出した。

「さえが死んでから、そなたらに対してどうか?」

 沈黙するすず。しかし同時に虎姫と月姫が泣き出した。

「どうした?」

「大殿様、殿は……私たちを娶ったことで御台様を亡くしたと思っているのです」

 と、虎姫。

「なに?」

「あんまりです…!私たちとて一生をあの方に捧げる気持ちなのに…!」

 と、月姫。彼女たちとて心から明家を愛しているのだ。

「その方らを遠ざけているのか?」

 無言で頷く虎姫と月姫。

「あの馬鹿者が……。そなたらを娶ることは儂も認めたことだぞ。相分かった、言って聞かせるゆえ泣くでない」

「大殿様……」

「なんだすず」

「私ごときが出過ぎた言いようですが…」

「…お市のことか?」

「はい…。大御台様の気持ちは分かるのですが…あれでは殿はもう……」

 

 明家生母のお市、彼女は妻を亡くして心を壊した息子を見ていられず、自分に好きなように甘えさせていた。勝家は『武士の母のやることではない』と叱りつけた。しかし

『あの子に母親が必要な時に私は側にいてあげられなかったのです。あんなに悲しんでいる息子をどうして放っておけますか』

 と、言い返す。お市はさえが死んでから奥や隠居館には身を置かず、明家の側にいて嘆く息子を抱きしめていた。彼女自身が言うように幼いころに側にいてやれなかった申し訳なさ、浅井長政との間に出来た万福丸を兄の信長に殺された悲しさ、それが息子明家への盲愛とさせるのだろう。

「まるで…香林院様(織田信長・信勝生母)と信勝様を見ているようだった。母親に甘えきりの、あの信勝様に…」

「失礼ながら大御台様のすべきことは、それでも武士か、男かと尻を叩くことと思います」

「儂もそう思う。しかし何度言ってもお市は聞かぬ…」

「大殿様…」

「…あいつは…明家は母の愛を知らずに育った。さえは妻としてだけではなく、母親のような慈しみで明家を包んでもいた。その妻が死んだのであらばその嘆き悲しみも分かる。その息子を放っておけないお市の気持ちもまた分かる。だが、柴田家は明家の心が快癒するまでを待つことは出来ない…。何とかならんものか」

 

「大殿様、御台様は生前に後添えを指名しております」

 と、すず。

「なに、それは誰じゃ?」

「武田の松姫様にございます」

「…松姫、亡き中将様(信忠)が婚約者であった姫か?」

「はい」

 すずは懐から書簡を出して、さえが書いた文を出した。そこには『後添えには武田家の松姫様を』と記してあった。

「明家とも親しいとは聞いていたが…さえはどのような理由で松姫を指名したのだ?」

「松姫様の器量を見込んで、とのことです。病の床の上での言葉ゆえ、詳細を伺うことは無理でした」

「ふむ…明家はそのことを」

「存じてはおりません」

「松姫か…。すずは高遠で会ったことがあるのだったな。小山田家の月姫も当然会ったことはあるだろう」

「はい、妹のように可愛がって下さいました」

「どんな女子だ」

「芯のしっかりした方です。そして何より一途」

「ふむ…。一途か、それは分かる」

 家柄は申し分ない。明家と松姫は年齢も同じである。信忠に操を立てて尼僧になった一途さも何とも潔い。

「信玄公の息女じゃ。天目山にて勝頼と運命を共にしようと覚悟もしたと聞く。腰の据わった女子に相違ない。決めたぞ。その娘なら明家を救える!」

 勝家は亡き嫁の遺志を尊重した。

「松姫を柴田家正室として迎えよう。急ぎ武州に使いを出す」

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 武州の恩方(東京都八王子市)、武田遺臣たちが移り住んだ集落。松姫はそこで信松尼と名乗り信忠を弔っていた。そこに奥村助右衛門が訪れた。筆頭家老の助右衛門自らが出向いた。柴田家の強い気持ちが伺える。助右衛門に会った信松尼。

「…そうですか、竜之介殿はそんなに悲しんでおられるのですか」

「はい」

「おいたわしや…」

 信松尼も涙を禁じえなかった。

「信松尼様、我ら柴田家すべてのお願いを聞いていただきたいと思います」

「…言わなくても分かっています」

「え?」

「私を美濃守様(明家)の後添いに、との話ですね」

「な、なぜご存知に?」

「私と亡きさえ様とは文のやりとりをしていました」

「初めて知りました」

「はい、美濃守様も知らないと思います」

「どうして文を?」

「私は天目山で『信忠様より早く竜之介殿を知っていたならば、私は貴方の妻になることを望んだ』と竜之介殿に言いました。それを聞いていた前田殿がさえ様にそれを伝えたそうです」

「なるほど」

「前田殿はヤキモチを妬くさえ様が見たかったようですが、さえ様はそれで私に興味を持ったようでした。やがて本能寺の変で中将様を失った私の心痛を知り、文を届けてくれました。以来、文のやりとりをしていたのです。そしてこれが」

 懐から封書を出した信松尼。

「さえ様からいただいた最後の文です」

 差し出すが

「読めませぬ。信松尼様宛ての書ではござりませぬか」

「かまいません」

「…では遠慮なく」

 書状に一礼して書を読み出す助右衛門。字はひどく汚い、おそらく病のさえが力を振り絞って書いたのだろう。

 

『信松尼様へ

 私は病によって間もなく天に召されます。良人明家は毎日懸命に看護してくれます。それなのに応えることの出来ない我が身の病を呪うばかりです。今この私が身罷れば良人は抜け殻になります。悲しんでくれるのは良いのですが、それでは柴田家当主としての責務が果たせません。

 何より良人は側室を娶ったゆえと自分を責めています。このままでは私の死後に虎姫と月姫を邪険にしかねません。二人の女の一生を預かる重さを分かっていません。私は安心して逝けないのです。だから信松尼様にお願いしたい。どうか私の亡き後に妻となって良人を支えてくれませんか。良人が抜け殻になることは柴田家の滅亡にも繋がること。柴田家が潰れれば、またも国内は群雄割拠の乱世に逆戻り。良人の悲願であり、この国の民がすべて望む戦のない世の到来のため、どうか柴田明家の妻となっていただきたいのです。さえ、一生のお願いにございます』

 

「御台様……」

 丁寧に文をたたみ、信松尼に返す助右衛門。

「それで信松尼様、ご返事は」

「まず竜之介殿に会ってみます」

「信松尼様…」

「話は…それからです」

 

 かくして信松尼は奥村助右衛門と共に安土へと向かった。畿内は現在不穏な様相だった。紀州の雑賀党や根来衆が伊賀忍者の残党と手を組んで織田信雄の領内で一揆を扇動し、そして家督継いで間もない柴田の節目は狙い目。

 かつて信長に滅ぼされた浅井や六角、波多野も徒党を組みだし、柴田の直轄地で暴れている。急激に領土拡大してしまった柴田家、先代勝家にすべてをまとめることは出来ず、君臣にも不和が生じだした。やはり、すべてを押さえるには明家しかいないのだ。この情勢で筆頭家老の助右衛門が武州に出向いたのである。信松尼によって明家が復活するのを願う気持ちが分かる。

 

 安土の城門をくぐり、城の入口で輿を降りた信松尼。三人の女が出迎えた。

「よう来て下さいました」

「これは…。お久しぶりですね。すずさん」

 高遠城の戦いで二人は会っている。雑兵に犯されかけた自分と百合を助けた水沢軍。隆広の横にいた美々しいくノ一の姿は信忠と初めて会った瞬間であっても松姫は覚えていた。そして水沢隆広を庇って背中に銃弾を受けたその瞬間も松姫は見ているのだ。

「お背中の傷は…」

「寒い日には…少し痛みます」

「それは…。武州に良いお薬があるので、今度お送りしますわ」

「まあ、それは助かります」

「信松尼様…」

「月…。まあ大きくなって!」

 月姫は一時期、小山田家の人質として躑躅ヶ崎館にいたことがあり、信玄末っ子である松姫は妹のように慈しんでいた。

「お懐かしゅう…。合わす顔がないと思っていましたが、こうして再び会えて嬉しく思います」

 月姫の父、小山田信茂は松姫の兄である武田勝頼を最後の最後で裏切った。そのことを月姫は松姫に詫びたのだが、松姫は微笑み

「それはもう言わないで。信茂殿もよくよく考えてのことだったのでしょう」

「あ、ありがとうございます…!」

「月」

「はい」

「美濃守様にひどいことを言われていませんか?」

「い、いえ別に…」

「言われております。娶るのではなかったと」

「貴女は?」

「失礼いたしました。佐久間盛政が娘、虎と申します」

「貴女が…」

「我が父盛政は三方ヶ原の戦いを誇りにしていました。ひどい負け戦だったけれども命の燃える時を感じたと。その娘である私が武田のご息女である貴女とこうしてお会いできるのも、何か奇縁です」

「はい」

「で…。月殿と私も…御台様を死に誘った者として良人に嫌われています」

「なんてひどい」

「それが今の…柴田明家なのです」

「……」

「会っていただけますか、私たち三人の良人に」

「会いましょう」

 城内に案内されて、明家の部屋に行く信松尼。側室三人も一緒に歩いた。

「申し上げます」

「…………」

 小姓の言葉に返答しない明家。

「……殿、武州より信松尼様がお越しです」

「…………」

「失礼いたします」

 

 信松尼が衾を開けた。そこには母のお市に膝に抱きつく無様な明家の姿があった。その明家の頬を愛しそうに撫でているお市。絶句した信松尼。お市の方の聡明さは信松尼も伝え聞いている。しかし息子への盲愛はここまでその聡明さを曇らせるものなのか。ズカズカと明家に歩んだ信松尼は

「この腰抜けぇッ!!」

 なんと力任せに明家を蹴った。女の蹴りに吹っ飛ぶ明家。驚いたお市。

「何をする!」

「お市様」

「……?」

「これは侮辱です」

「…侮辱?」

「武田への、これ以上はない侮辱です!」

「な、何を言っているの?」

「武田を滅ぼしたのは織田信長、しかし実際に手を下したのは総大将の…我が婚約者であった織田信忠様。その織田信忠の軍師であったのが水沢隆広、つまり柴田明家!お市様、武田はこの男の采配によって戦場の露となったのです!」

 お市は一言もない。信松尼に剣幕に圧倒された。そして言葉から気づく。この尼僧は甥の信忠の婚約者であった武田の松姫と。信忠に操を貫こうとするその精神に敵方であったお市もかつて賞賛したことがあった。その松姫がいま眼前にいて、息子明家にすさまじい形相を見せている。

「それが…伴侶を亡くしたごときでこんな体たらく!武田を倒した男がこんな三流の男に成り下がるなんて武田信玄の娘として許せない!」

「松姫様…」

 

 やっと松姫の名前を呼んだ明家。キッと明家を睨み、鞠のように明家の顔を蹴った。

「それでも、それでも武田を倒した男なのか!武田信玄のいでたちをして上杉謙信に真っ向から挑んだ男なのか!」

 蹴りまくる信松尼、慌てて止めようとする小姓の肩をすずが押さえた。

「よいのです」

「い、痛い、痛いよ松姫様」

「安心してあの世に逝けぬさえ様はもっと痛い!貴方に娶るのではなかったと言われた側室たちの心の痛みはもっと大きい!私の蹴りはさえ様の蹴りと知りなさい!」

「……」

 

「なんて情けない!勝頼兄様が見たらどんなに嘆くか、快川和尚様が見たらどんなに失望するか!いやさ呆れ果てて大笑いするわ、この腰抜け!」

「…………」

「甘ったれるんじゃない!この戦の世、生涯の伴侶を失ったのは貴方だけではない!!」

 松姫とて最愛の婚約者織田信忠を失っている。

 

 続けて松姫は明家を平手で叩く。

「目を覚ましなさい!もうさえ様はいないのよ!」

「……」

「柴田家の領内は大変なのよ!貴方の一日の抜け殻が何百人もの女子供を不幸にする!もう何日そんな体たらくさらしているのよ!貴方の腑抜けが何千もの人を不幸にしているのよ!」

「……」

「まさか、そんなのどうでもいいなんて思っていないでしょうね。自分の悲しみが優先されると思っていないでしょうね!もしそうなら、貴方はさえ様の良人の資格なんてあるものか!」

 

「松姫様…」

「竜之介殿…。私を失望させないで…お願い…」

 明家の胸を拳で叩く信松尼。泣いている。

「…申し訳ございませんでした」

 叩かれた頬をなでる明家。

「効きました…。よく殴ってくれました」

 松姫の肩を抱き、指で涙をすくった。

「ありがとう…。松姫様」

 ペコリと頭を垂れる。

「竜之介殿…」

 

「母上」

「明家…」

「生まれてから今までの分、存分に甘えさせてもらいました。もう大丈夫です」

「そうですか…良かった…」

 すうっと深呼吸をして、思い切り吐き出し、小姓に訊ねた。

「これ、風呂は沸いているか」

「はっ」

「そうか、じゃ入ろう。それと食事を頼む」

「竜之介殿、貴方の顔に精気が……」

 と、信松尼。

「叩かれなければ分からないなんて俺も駄目だな。な、すず」

「そうですね」

 虎姫と月姫に向いた明家。

「ひどいことを言った…。すまない」

「「殿…」」

「許してくれなんて言えないが、そなたらの一生を預かる重みを喜びとし、心から愛させて欲しい。そうさせてくれ」

「殿、良かった…。やっと虎が好きな殿の顔に」

「そんなにひどい顔だったか?」

「はい、絶世の美男子が目も当てられない醜男に」

「はっははは、言いえて妙だな月」

 

 明家は風呂にはいり、髷を整え、無精ひげも剃った。食事を取ったあとに寒風の中、水垢離をし、久しぶりに木刀を振った。体から湯気が立ち精気がどんどん顔に蘇ってきた。信松尼の鉄拳制裁、それがすべてである。まさにさえが信松尼の体を借りて行ったとも云えた。それが明家に喝を入れたのだ。

 翌日、すぐに山積してあった問題の処理に入った。矢継ぎ早に迅速的確な指示を与えていく。その様子を見ていた信松尼。

「これでいい」

 と、安心し、そして一緒に来ていた武田遺臣である三井弥一郎に

「さ、帰りましょう」

「え、後添いの件は?」

「いいのです。竜之介殿は吹っ切った。もはや私は必要ありません。さえ様の御霊と、すずさんたちがいれば十分です」

 信松尼は何の恩も着せず、黙って立ち去った。助右衛門や勝家も信松尼の後添いが決定したよう喜んでいた。お市も『あの女子ならば明家の後添いに相応しい』と大乗り気だった。さすがは武田の姫よ、織田の女の私も兜を脱ぐと認めた。息子と同年の女に怒鳴りつけられ気圧されたが、何とも後味の良いやられ方だった。

 しかし肝腎の信松尼が帰ってしまった。やがて信松尼がいなくなっていることに気づいた助右衛門とお市。置き文があった。

 

『もう美濃守様は大丈夫です』

 

「やはり、姑が織田信長の妹と云うのが…」

 と、お市。

「仇敵である中将様に操を立てようとした方です。それは関係ありますまい。とにかく連れ戻すことに」

「いえ、奥村殿」

「え?」

「明家に信松尼殿が帰ったことだけ伝えなさい。それからは明家次第です」

 

 

 明家に信松尼が帰った旨が伝えられた。明家はぶっきらぼうに『そうか』と言うだけで仕事を続けて連れ戻すことをしなかった。さえが後添いに信松尼を指名していたと聞いても、これまたぶっきらぼうに『そうか』と答えただけで、妻に迎えようとしなかった。これはすずたち側室たちにも意外な態度だった。

「あの徳川殿も正室はいない。柴田の世継ぎは俺とさえの息子である竜之介(後の柴田勝明)とすでに決まっているのだから支障はない。そなたらがいればいい」

 と、言い

「今は二代目柴田家の初動処置の遅れを取り戻すことが先決だ」

 さえが生きていたころのように覇気を取り戻し、君主としての務めに励むのだった。そして時に疲れて癒すのは、すず、虎姫、月姫と云う側室たちである。一時は虎姫や月姫ともギクシャクしたが、すっかり仲直りして子作りにも励むようになった。

 

 やがて明家は紀州に出陣し、雑賀党と根来衆を討伐。雑賀党は頭目の雑賀孫市の自刃によって降伏。先代孫市の娘に奥村助右衛門の次男が婿養子に入り、精強の雑賀党の懐柔にも成功した。しかし根来衆は頑強に抵抗した挙句、明家に掃討された。

 浅井や六角、波多野の残党には味方するなら召し抱えるが、あくまで抵抗するなら討ち果たすと通告。これによって残党たちは誰が敵か味方か分からなくなり分裂。小集団では柴田に掃討されるのは明白であり、やがて矛を収めて柴田に降伏していった。

 君臣の不和も側近たちの働きにより徐々に解消していった。やはり当主が名君ならばまとまっていくものだ。勝家やお市も安心し、隠居館で過ごせるようになった。

 

 だが、徳川家康が織田信雄をけしかけて挙兵。尾張犬山の地で激突、しかし明家は朝廷工作を仕掛けて和議に持ち込み、その後に追撃してきた織田信雄を美濃の地で殲滅した。信雄の領地であった北伊勢と伊賀は柴田家の領地となった。伊賀の残党には新たに伊賀国主となった可児才蔵があたり、殲滅ではなく可児家に組み込むことに成功させた。その間にも明家の行き届いた仁政により畿内の不穏は解消し、今日にも名高い柴田明家の黄金治世へと入っていった。さえが死んで五年後のことだった。

 まだ明家は正室がいなかった。勝家やお市は正室を娶れと言うが

『いや、徳川殿だって正室空席じゃないですか』

 と、敵将をうまいこと言い訳に使いかわしていた。側室のすずや虎姫、月姫は順調に子を生んでいた。虎姫と月姫は無事に男子も生み、明家はその男児に佐久間家と小山田家の再興の君主とすると二人に約束する。二人がどんなに喜んだか言うまでもない。

 

 そして武州の恩方、いつものように信忠の位牌に手を合わせてから、庭の掃除を始めた信松尼。

「いい天気…」

 箒で庭の落ち葉を掃きながら、すうっと深呼吸し空を見上げた。そろそろ冬、澄んだ空気が美味しい。庭の枯れ枝を踏む音がした。空を見ていた信松尼はその音の先を見た。

「……!」

 驚いて、そこに立っていた人物を見る信松尼、立っていた者は静かな笑みを浮かべていた。明家である。

「…迎えに参りました」

「竜之介殿…」

 まるで城に使者でも行くような立派な正装姿で明家は現れた。

「…松姫様が来た当時、柴田家が抱えていた問題を解決するまで五年かかってしまいました」

「……」

「…すべて済んでから求婚しようと思っていたのです」

「…竜之介殿、私は信忠様に女の操を立てると言ったはずです」

「愛し続ければいい信忠様を」

「……」

「それがしもまだ、さえを愛しているのですから」

「……」

「でも、松姫様を抱きたいです。いっぱい愛したい」

「正直ですね…」

 クスッと笑う信松尼。

「それがしの妻となって下さい。そして」

「……」

「まだ戦国乱世は終わっていません。これからのいばらの道、それがしと一緒に歩いてください」

 静かに見つめあう明家と信松尼。そして信松尼は心の中で信忠に詫びた。

(お許し下さい信忠様…。こんな私を必要としてくれる方が目の前にいるのです)

 やがてニコリと微笑んだ信松尼、

「…分かりました竜之介殿」

 求婚を受けた。

「松姫様…!」

「ふつつかものですが誠心誠意お尽くしいたします。殿」

 

 

 信松尼は還俗し、お松の方として柴田明家の正室となった。白馬に乗った王子様とはいかなかったが、さしずめお馬に乗ったお殿様というところか。松姫の柴田家輿入れはよく戦国時代のシンデレラストーリーと言われる。武田家の滅亡、最愛の伴侶の死、もはやただの尼僧でしかなかった彼女が日本最大勢力大名の正室になったのだから。明家が再三再四、父母や重臣たちに正室を勧められても拒絶したのは後に松姫を正室として迎えるつもりだったからである。

 明家は柴田家の家督を継いで間もなく正室さえを失い、抜け殻になった。家督相続の節目であったに加えて、何の働きも出来ない新当主。これがため柴田家に対して不穏な動きは続発してしまった。松姫の一喝で覇気を取り戻した明家は、とにかく家督相続したばかりの柴田家初動処置の遅れを取り戻すことが先決と考え、それが終わってから松姫に求婚しようと決めていたのだ。五年もかかったと言ったが明家だから五年で終息できたとも言える。

 五年前、抜け殻になった柴田明家を立ち直らせ、何の見返りも求めずに立ち去った松姫は柴田家中にすでに重く見られていた。選ばれるべくして選ばれた柴田家の新たな御台所である。

 

 武州恩方にいた武田遺臣が花嫁の松姫を連れて堂々と安土城に入城した。彼らにより先んじて柴田家家臣となっていた小山田家を初めとする武田遺臣たちは城下の大通りに控え、そして『風林火山』の旗を立てていた。明家の計らいである。

 

 輿を降りた松姫の手を取る明家。安土城下の領民たちは新たな御台様はどんなんだと見物に来たが、その美しさに惚けた。香り立つような艶っぽさであった。

『いやぁ、さすが殿様、見る目が高い!』

『なんて美しいんだろうねぇ、天女のよう』

『しかし、柴田の城下に風林火山の旗が立つなんて時代は変わったよなぁ』

 頬を染めて明家の手を握り返す松姫。この時、柴田明家と松姫は二十八歳。二人が甲斐で出会ってから十六年経っている。まさかあの時に会った少女が、少年が、自分の伴侶になるとは想像もしていなかったろう。しかも戦国大名とその正室としてなどと。二人は手を握りながら同じ思いをしていたに違いない。

「さあ、祝言だ。松」

「はい、殿」

 城内で盛大に明家と松姫の祝言は行われた。

(さえ様、見ていてくださいますか。私が天下人に一番近いこのお方を支えられるかは分からない。でも私は懸命に務めます。そして心から良人を愛します。武田の姫ではなく、柴田家の御台として!)




 一度、さえ以外を正室にした柴田明家の話を書いてみたいと思いました。で、誰にするかと消去法で行くと松姫と玉姫が両巨頭で、あるいは与禰姫ということになりましょう。しかし玉姫こと細川ガラシャは細川家の正室だし、与禰姫は幼い。やはり松姫様が自然だなと思い、それで書いてみました。
 本当は結婚以後も少し書いたのですが、祝言までがちょうどいいと思いここまでにしました。この後、どんな夫婦となったのかはご想像にお任せします。史実においても芯の強い、腰の据わったお姫様であった松姫様。きっと明家を支える賢夫人になったんじゃないかと思います。
 松姫の肖像画、月に一度しか公開されない、一般的には非公開の肖像画。私は八王子の信松院まで見に行きましたが、本当に美人です。作中に『香り立つような艶っぽさ』と書きましたが、それは誇張ではありません。それを嫁にした明家がうらやましいです。毎日子作りしたに違いない。


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異伝-もう一つの結末-【前編】

先の異伝松姫のデータを探したところ、このお話も見つかりましたので投稿します。


「官兵衛、佐吉!」

「「はっ」」

「何とか説得せよ!あの軍才に行政能力!あまりに惜しい!」

「親父様…」

「佐吉、そなたは隆広の家臣も勤めて重用されたじゃろう!助けたくないのか!」

 ここは越前丸岡城、ここに水沢隆広は立て篭もった。丸岡城は彼の居城である。前の城主、柴田勝豊は清洲会議で長浜城へと移動し、空いた丸岡城は彼に与えられたのだ。一国一城の主となった隆広だが、幸せは長く続かなかった。間もなく賤ヶ岳の合戦が起こり、主家の柴田家は敗北し滅んだ。北ノ庄の地で主君勝家と共に死ぬ気であった隆広だが、勝家は“妻子のところに帰れ”と彼の家臣である奥村助右衛門と前田慶次に命じ、半ば無理やりに北ノ庄から退去させた。北ノ庄の炎上を見た隆広は羽柴に意地の決戦を挑む事を決めて、軍勢を連れて居城の丸岡へと落ちていった。

 彼は常日頃から兵糧も多量に確保してあり、城郭内にも田畑や果樹園も整えてある。水も井戸を数箇所設置している。兵糧攻めは羽柴秀吉の得意技であるが、播磨三木城、因幡鳥取城とは事情が違い、水沢勢は長期にわたり羽柴に対峙出来るほどに篭城の構えを整えていた。

 

 彼の主君の柴田勝家はすでに北ノ庄で妻のお市と共に自刃して果て、茶々と初、江与の三姉妹は秀吉に引き取られた。武将の可児才蔵、毛受勝照、拝郷家嘉、佐々成政、そして佐久間盛政は賤ヶ岳の合戦で討ち死にしていた。前田利家と金森長近は秀吉につき、柴田勝豊は長浜の城ごと秀吉に寝返るが自責の念か、賤ヶ岳の合戦中に病で死んだ。老臣中村文荷斎は主人柴田勝家と共に自刃して果て、もはや柴田家で残るのは水沢隆広のみである。隆広の部隊だけは賤ヶ岳の合戦で羽柴勢を圧倒したが、もはや戦局は覆しようがなかった。

 

 隆広を支え続けた藤林忍軍は秀吉の圧倒的な兵力の前に全滅し、頭領の銅蔵とお清夫婦、柴舟、舞、白、六郎は壮絶な最期を遂げたのであった。若狭水軍も松浪庄三をはじめ全滅して果てた。

 商人司、吉村直賢。彼の商才を惜しんだ秀吉は高禄で召抱えようとしたが直賢は拒否し、貧しき人たちに金と米をすべて配り、すでに丸岡城にも入れなくなった彼は、主人隆広より先に自刃して果てた。妻の絹も後を追った。

 

 丸岡城に篭っての水沢勢はすさまじいものがあった。隆広は寡兵を率いて必死の抵抗をした。まず前田利家、金森長近率いる一万二千を退けた。水沢勢は少数で出陣し、そしてすぐに反転した。数を頼りにする前田と金森軍はそれを追撃し城内に乱入したが、狭隘な通路に誘導され、侵入した隊は待ち伏せていた鉄砲隊に的となり壊滅した。かつて柴田家の同僚で隆広とも仲の良かった前田利家と金森長近の軍勢であったが、隆広は容赦しなかった。朋友の前田利長の部隊も蹴散らされた。前田と金森の両将は水沢隆広の智謀知略を知りながら、まんまとその術中に陥り数倍の兵を要しながらも大敗した。

 

 次に三万で羽柴秀長が総大将で向かったが、隆広は夜襲をかけて羽柴の兵糧すべて焼き払い、同士討ちまで誘発させた。羽柴軍の将は『隆広を捕らえよ』と秀吉から命じられていたが、それどころではなかったのである。秀長も敗走を余儀なくされた。

 しかし、隆広の軍とて無傷では済まない。隆広は二千の兵の大将であったが、賤ヶ岳の合戦、そして丸岡城にて二度におよぶ羽柴軍との戦いで、もはや三百の兵しかいなかったのである。しかし負ける事を知らない羽柴勢を寡兵で二度も撃破した隆広の武名はまさにこの時こそ近隣に轟いた。

 

 隣国加賀を手中にした上杉家は何とかして隆広を助け、召抱えたいと考えていた。手取川の合戦にて二千の兵で謙信率いる三万を後退させた隆広を戦った相手である上杉家は心から惜しんだ。しかし表立って味方は出来ない。上杉家は羽柴家にすでに恭順している。だから上杉景勝は隆広と幼馴染の直江兼続を派遣して、しばらく上杉家の客将となり、その間に上杉家が外交をもって水沢家の存続を秀吉に認めさせると隆広に申し出た。

 だが隆広はそれを丁重に断った。上杉家にそんな迷惑はかけられないと述べたのである。また、たとえ上杉家の客将となっても必ず秀吉は呼び寄せて自分に膝を屈するよう要求する。男の意地として主人勝家を討った秀吉に断じて頭は下げられないと上杉家の申し出を断ったのだった。

 

 そして、ついに秀吉自らが三百の兵しか持たない水沢軍に四万もの大軍で出陣したのである。幾度も降伏勧告をした。重用する、城も与える、など破格の条件を出しても隆広はガンとして首を縦に下ろさなかったのである。

 そして、ここは羽柴陣中、秀吉は部下たちの度重なる丸岡城総攻めの意見にも耳を貸さない。何故なら秀吉は何とかして水沢隆広を救いたかったのである。

「…佐吉、権六(勝家)は隆広を養子にすると言っていたそうじゃな」

「はい」

「ならば、降伏すれば柴田家の家督を継がせて畿内に十万石を与えると伝えよ」

 これは官兵衛も驚いた。

「とんでもない!そんな事を許せば今我々が丸岡を包囲している戦そのものが意味のない城攻めになってしまいますぞ!」

「意味ならあるわ!亡き半兵衛の軍才を受け継ぐ水沢隆広が儂の家臣になればどんなに今後役立ってくれるか!佐吉、隆広の右腕として働いたその方なら分かるであろう!」

「確かに…隆広様の行政能力あれば急に勢力拡大してしまった羽柴の領内統治に心強いでしょうし、今後に想定される徳川との戦いでも働いてくれるかと」

「そうであろう!儂はあの才能が欲しいんじゃ!軍師であり名宰相の器!しかもまだ二十歳の若者!殺すには惜しいんじゃ!」

 秀吉はまるで恋人でも失いたくないように部下へ隆広を幕僚に加えたい事を訴える。加藤清正、福島正則も歳が隆広と変わらず、かつ賤ヶ岳の合戦では隆広の部隊に散々に打ち倒されたから、その才能は認めている。彼らとて隆広の将才は惜しいと思う。だが…

「親父様、この期に及んで降伏を勧めるのは隆広殿に対し、むしろ無礼ではないかと…」

「それがしも清正と同意見です。同じ織田の旗の下で苦楽を共にしたからこそ、堂々戦い雌雄を決するのが隆広殿への礼儀かと」

「ええい正則!そんなこと分かっておる!だが一人でも優秀な人材は欲しいのだ!日本一の勢力になったとはいえ、徳川、北条、毛利、長宗我部と羽柴の情勢はまだ苦しい!武器もいる、金もいる、領内の民にも安心してもらえるような政治をせねばならん!これまで通りの軍団長のような羽柴家ではならぬのだ!こんな戦時下でなければ半兵衛を登用した時と同じく三顧の礼をしたいくらいなのだ!」

 城攻めが上手く行かなくことへの苛立ちではない事は一目で分かるほどの秀吉の焦りだった。

「一豊!」

「は、はい」

「そなたは一人娘の命を隆広に助けてもろうたろう!何とかせんか!」

「秀吉様…」

「権兵衛!」

「はい」

「『恩人の隆家様のご養子君、もし何か事あれば権兵衛喜んで犬馬の労を取ろう』と安土の酒場で隆広に言っただろう。何とかせよ!」

「藤吉郎様…」

 今まで前田利家と利長親子、石田三成、黒田官兵衛が隆広の元に使者に行っても隆広は降伏をガンとして受け入れなかった。隆広個人と繋がりの深い者が使者で行っても駄目だった。もはや誰が説得しても降伏は無理と考えていた。

「分かりました」

「一豊…」

「それがしが使者に参ります。さきに殿が言われた『柴田家の家督を継がせて畿内に十万石を与える』を条件にして交渉したいかと」

「あい分かった、行ってまいれ」

「はっ」

 

 そして水沢隆広篭る丸岡城。

「古来、篭城とは援軍をあてにしての戦法。援軍なしの篭城は自害も同じ。我ながら馬鹿な事をやっていると思う」

「良いではござらぬか。我らはそういう隆広様に惚れてここまで一緒にやってきました」

「助右衛門の言う通りにございます。城兵三百五十名でよくまあ四万の羽柴と戦っていると冥府の勝家様も褒めてくれているでしょう」

 三百、もはや残すところ兵数は三百であった。だがこの三百こそ、水沢隆広が初陣の時に兵にした北ノ庄一番の問題児軍団である。柴田家はおろか北ノ庄の領民にさえ馬鹿にされ、嫌われていた三百名が柴田家の最後の砦となったのである。

 あの時、領内で娘たちに嫌われていた彼らも今では美人の妻も娶り、かわいい子供も出来ている。その妻たちに共通する事が一つある。すべて農民出の娘たちと云うことである。

 隆広が数多く拝命された新田開発において、彼らは現地に赴き不毛な地を開墾した。その時にちゃっかり地元の娘たちと恋仲となっていたのである。石田三成が陣頭指揮を執った九頭竜川治水の時にも給仕に来ていた娘と恋に落ちて妻にしたものもいる。全員が好き合っての結婚である。

 しかし、すでに妻たちを故郷の農村に子を託して帰らせていた。妻たちは夫と共に果てるつもりであったが、母親として生きて欲しいと夫に諭され泣く泣く子を連れて故郷に帰った。隆広は女たちに『もはや金はいらぬ』とすべて与えてしまったと伝えられている。

 そして辰五郎率いる工兵隊五十名も水沢隆広と最期を共にする事を決めていた。惚れた主人と共に散るなら悪くない。あの北ノ庄城壁改修から、ずっと隆広と苦楽を共にしてきた辰五郎一党。職人と云う武士社会の中で軽視される彼らであるが、その魂はサムライそのものであった。

 

「御大将」

「どうした矩久」

「山内一豊殿が使者として参っております」

「無礼で申し訳ないが、俺に降伏の意思はなしとお返しせよ」

「実は御大将に無断で申し訳なかったのですが、それがし幾度も一豊殿にそう伝えました。ですが一豊殿は帰ろうとせず、城門に座り込んでいます」

「…そうか、ならば会おう。お通しせよ」

 

 山内一豊が使者として訪れた。

「お久しぶりでございますな隆広殿」

「はい」

「ご用の向きは、お察しの通り降伏の使者にございます。主君秀吉は『柴田家の家督を継がせて畿内に十万石を与える』と申しています」

「…そうですか」

「隆広殿、それがしにとって亡き大殿(信長)は父の仇でした。しかし山内家の再興のため、何より我が功名のため大殿に仕え、それから秀吉様の直臣となり今日に至りまする。また黒田官兵衛殿は小寺家から羽柴家に転身いたしました。ですが誰がそれに後ろ指さしていましょう。羽柴は急速に領地が増えました。優秀な行政官が必要なのです。また今後もありうる合戦に、どうしても亡き竹中様の智謀を受け継ぐ隆広殿の力を貸して欲しいと主君秀吉は願っております。かつて隆広殿ご自身が吉村直賢殿を配下にする時に申されたはず。私怨を越えて民のためにと。それがしも同じ事を申し上げます。なにとぞ…」

「羽柴様には優秀な行政官も、戦場の猛将もキラ星のごとく部下においでです。それがしごとき者など必要ございますまい」

「隆広殿!意地を張るのも大概になされよ!御身はまだ二十を過ぎたばかり!なぜそう死に急ぐ!主君秀吉の申し出を受け入れられよ!」

「できません」

「隆広殿!」

「一豊殿…。それがしには、そうしたくてもできない理由があるのです」

「は?」

 

「それがしは柴田勝家とお市様の、実の息子です」

 唖然とする山内一豊だった。

「い、今なんと言われたか?」

「それがしは柴田勝家とお市様の、本当の息子なのです」

「そ、それはまことにござるか?」

 言われてみれば、確かにお市の方の面影がある。

「確かでござる山内殿、それがしと慶次の二人は勝家様とお市の方様お二人からそれを聞かされています。お市様が浅井家に嫁ぐ前、ひそかに好きあっていた勝家様と一夜だけ結ばれました。その時に生を受けたのが隆広様です。お市様は生まれた隆広様を水沢隆家殿に託し、養育を願い出たのです」

 と、奥村助右衛門。

 

「なっ、何たる事…!それでは!」

「その通り、養子ならまだしも、羽柴様の立場では柴田勝家の実子を生かしておく事が出来るはずかありません。敵の総大将の嫡男は殺すのが武門の掟。亡き大殿も甥である浅井長政殿の子を殺しております」

「……」

「それに…柴田勝家が実父であるなしにせよ、あの方は孤児となったそれがしを国士として過分に遇してくれたかけがいのない主君。士は己を知る者のために死す、と言います。それがしを助けてもいずれ羽柴様の寝首を掻きますぞ」

「隆広殿……」

 ニコリと隆広は笑った。

「今まで羽柴様にはよくしていただいた。それがしの妹たちも大切にして下さるでしょう。隆広心から感謝します。最後に一つだけ伝言をお頼み願えませんか?」

「何でござろう?」

「『約束を守れなくてごめんなさい、おじちゃん』と」

「……?」

「そう伝えて下されれば分かります」

 一豊は隆広の最後の言葉が分からないまま、陣に帰った。

 

 

「隆広が…権六の実子じゃと!?」

「はい」

「何たる事じゃ!この後に及んでそんな事実が分かろうとは!」

 前田利家、金森長近は何故勝家があれだけ隆広を寵愛したのか今になって分かった。実の息子で、しかも最愛のお市との子。かつあれだけ優秀ならば盲愛して当然である。

「それから一つ、それがしには分からなかった言葉なのですが、こう言えば殿は分かると」

「なんじゃ?」

「『約束を守れなくてごめんなさい、おじちゃん』と……」

 その言葉を聞くと秀吉の目から大粒の涙がこぼれた。

「「と、殿…!?」」

「みんな出て行け!儂を一人にしてくれ!」

 諸将はあわてて本営から出て行った。

「馬鹿者が!家来にしてくれと頼んできたのはお前の方だろうが!」

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 秀吉に若き頃の記憶が蘇る。

 

 織田家で頭角を現してきた木下藤吉郎。しかしその働きは古参の不快を招き、ついには信長秘蔵の脇差が紛失した時、それを盗んだのは藤吉郎と讒言された。

 墨俣の築城などで信長の評価高く、階段を駆け上がるが如く出世していた彼には周囲の妬みが渦巻き、藤吉郎はいいかげん嫌気が差していた。そんな時に盗人呼ばわりである。藤吉郎はヤケになり岐阜城の城下町で酒をあおった。そして酔って発した言葉が

『くそったれ!今に一国一城の主になってやる!』

 酒場はドッと笑いに包まれた。藤吉郎はうだつの上がらぬ小男の風体。猿か鼠のような面相。酌婦に至るまで腹抱えて爆笑していた。さらにみじめになった藤吉郎。

(ちくしょう、今に見ておれ!)

 と、大杯で酒をあおる藤吉郎。だが一つの視線に気付いた。父親の酒を買いにきたのだろうか、四歳か五歳くらいの坊主頭の小さな僧侶が目を輝かせて自分を見ていた。

『……?』

 その小坊主は藤吉郎に駆けてきて、目をランランと輝かせて言った。

『すごいや、おじちゃん!その時は家来にしてよ!』

 本気で言っている顔だった。逆に面食らった藤吉郎。そして嬉しくなった。

『おお!家来にしてやるぞ!』

『やったあーッ!』

 小坊主が気に入った藤吉郎は自分の卓に座らせた。腹が空いていたのか小坊主は藤吉郎の懐事情など無視して飯を美味しそうに食べる。

(いい食いっぷりだ…。賢そうだし、俺にこんな息子がおればなあ…)

 しばらくして藤吉郎はその小坊主に愚痴を垂れだした。我ながら少し情けない。酔って愚痴を言える相手が初対面の小坊主とは。だが小坊主は嫌がらずに聞いた。

『というワケでな、俺は周りの無能者たちに妬まれて、信長様秘蔵の脇差を盗んだ犯人にされてしまったんだ!ああ悔しい…!』

『おじちゃん、その脇差ってお金になるの?』

 頬に麦飯の粒一杯につけながら小坊主が訊ねた。

『ん?そうだな、売れば五十貫にはなるかもしれんな』

『だったらさ!この町の武器屋さんにその脇差を売りに来た奴がいたら俺に教えてくれと頼んでみればいいじゃないか!それでおじちゃんに悪い事を押し付けた奴が捕まえられるよ!』

 藤吉郎は持っていたお猪口を落とした。

『お、お前天才か?』

『やったあ褒められた!岩魚注文していい?』

『ああ、どんどん食え!あっはははは!おっとまだ名前を聞いてなかったな。俺は木下藤吉郎だ』

『俺は竜之介!』

『ほう、勇ましい名前だな!あっははは!』

 

 軍机に拳を叩きつける秀吉。

「なぜ、秀吉の子として生まれてくれなかった!なぜ権六の子として生まれた!」

 秀吉は一人、涙にくれた。

 

 

 羽柴秀長を丸岡城から撃退した翌日、隆広は城内の女子供を城から退去させたが四人の女たちだけガンとして動かなかった。前田慶次の妻の加奈、奥村助右衛門の妻の津禰、そして水沢隆広の正室さえに側室すずである。

 さえの侍女の八重と家令の監物は、隆広の嫡子竜之介を連れて城から出ている。主君から預かった子を僧門に託し、安全を確保すると二人は安心したのか息子吉村直賢の墓前で眠るように死んだ。

 

 隆広は、妻のさえと側室すずと会っていた。

「今日、最後の戦いを挑む。もう意地の一戦だ」

「はい」

「すまんな、さえ、すず。俺がもうちょっと要領よく振る舞い、羽柴か上杉の誘いに乗っていれば、お前たちの華の命を散らせる事もないのに」

「いいえ、私はそんな殿が大好きです。私は日本一幸せな妻です。あの日、北ノ庄の粗末な屋敷で夫婦になってから今に至るまで」

「ありがとう、さえ」

 そしてすずの手を握り

「すず、すまん。せっかくそなたが足の自由を失っても助けてくれたこの命を粗末に使って」

「もう…殿は最近さえ様や私に謝ってばかりです」

「あ、すまん」

「もう、また!」

「あ!あっははははは」

「でも殿、あの時に殿をかばい、結果こうして満足に歩けなくなっても後悔した事は一度もございません。そして、その要領の良い事をしない殿が…さえ様と同じく私も大好きです」

「ありがとう…」

「殿」

「なんださえ」

「すずと決めていました。今日の出陣の前に殿に…」

 すずとさえは立ち上がり、同時に隆広の左右の頬に口づけをした。

「「おまじない」」

「……ありがとう、武運なかったが天下の美女二人を妻にした俺だ。考えてみればこれ以上望むのは罰当たりってものだ」

「「殿……」」

「じゃ行ってくる。今日は三人で寝ようか」

 さえとすずは顔を見合わせ、頬染めてうなずいた。

 

 城門前に結集した水沢勢。

「門を明けよ!」

 水沢隆広を先頭に、両腕に前田慶次、奥村助右衛門。そして隆広三百騎が付き従った。

「辰五郎」

「は!」

「手はずどおり頼むぞ」

「承知いたしました!」

「いくぞみな、至らぬ主君であったがよく尽くしてくれた。よう今まで不運な俺を見捨てずについてきてくれた。礼を申すぞ」

「「隆広様!」」

「「御大将!」」

「俺と共に死ね!」

「「オオオオオオッッ!」」

 羽柴勢四万に水沢勢三百が突撃した。この時、水沢隆広二十一歳の誕生日の時であった。




後編に続く!


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異伝-もう一つの結末-【後編】

天地燃ゆの題材となった『太閤立志伝3特別編』ですが、よっぽどのポカをやらかさない限り、柴田家敗北シナリオには発展しません。もう何十年も前にプレイしたゲームなので記憶もおぼろげですが、わざわざ戦に負けて敗北シナリオを見届けた記憶があります。


 水沢隆広は越前の内政全てを柴田勝家から任されていた。新田開発、治水にも尽力した彼は、越前の天候、風速、風向の傾向は頭に入っていた。

 出陣の数刻前まで越前の天気は極めて穏やかだった。夕陽もきれいに落ち、とても雨など降らない状況に思えた。しかし隆広は確信していた。夜に入りしばらくすると天気は一変すると。

「この日を待っていた……」

 隆広率いる三百騎は城門の門前に出陣準備をして待っていた。天気が一変する時を。そして隆広の予想したとおりの天気が到来した。暗い空に稲妻が薄く光った。

 

 カッと隆広の目が開いた。

「みんな、これが我らの最後の合戦だ。これは我らの意地の決戦。これから約四半刻(三十分)ほど、この地は大雨と強風に包まれる。風向は南東で我らには追い風、羽柴には向かい風。そして大雨と強風で鉄砲は使い物にならない。弓矢も当てずっぽうで打つしかない。つまり、これから四半刻は我らの独壇場だ。しかしそれが過ぎれば穏やかな天候に戻る。四半刻直前に辰五郎に陣太鼓を叩かせるから、それを合図に一斉に引く。その後はこの城をまくらに討ち死にだ」

「「ハハッ!」」

「至らぬ主君であったが、今までよく尽くしてくれた。よう今まで不運な俺を見捨てずについてきてくれた。礼を申すぞ」

「「隆広様!」」

「「御大将!」」

「敵方から幾度も降伏を呼びかける使者は来た。本来ならば受け入れてみなの命を守るため、その家族の幸せのため羽柴に降るのが正解なのだろう。しかし俺は柴田勝家の息子。俺が降るのは父の名を辱める事になる。みんなを巻き添えにして申し訳なく思う」

「もう言いっこなしですぜ御大将。先に逝った連中もそんな御大将の気持ちを分かったうえで戦って死んだ。このうえは空の上にいる仲間たちに我ら水沢軍の最後の晴れ姿を見せましょう!」

 と、松山矩久。

「矩久の申すとおりです。武人にとって惚れた主人と共に死ねるのは誉れ。最期までご一緒いたします」

 小野田幸猛が添えた。隆広三百騎、すべて同じ気持ちだった。そして空の上の仲間たちが主人へ援軍を送る。豪雨が降り出したのだ。これぞ羽柴の鉄砲を封じる天の援軍。

「俺と共に死ね!」

「「オオオオオオオッッ!!」」

「門を開けい!」

 

 

 そして、同じく隆広と共に越前の内政を勤めた石田三成は帷幕で軍務処理をしていたところ、雷鳴を聞いた。筆をおいて帷幕を飛び出し、漆黒の空を見つめた。

「しまった…!」

 その言葉を三成が発すると同時に豪雨が降り出した。

「この日をお待ちでしたか!隆広様!」

 

「「敵襲―ッ!」」

「「敵襲―ッッ!」」

 丸岡城から前田慶次を先頭に羽柴陣に突撃を開始した水沢勢。豪雨が降り始めた直後には城を出ていた。そして隆広はすでに秀吉本陣の場所も掴んでいる。いくつか秀吉の馬印の陣は点在させて何箇所もあるように見せかけてはいるが、丸岡城は平城、回りに陣に適した山々もない。平地に敵は陣を張るしかない。隆広は城の高台から羽柴陣を見つめ秀吉当人がいるところは見つけていたのである。水沢勢はそこに一直線で突き進んだ。

「鉄砲隊!」

 突撃してくる水沢勢に向けて鉄砲隊が並んだが

「ダ、ダメだ!火薬と火縄が濡れてどうにもならん!」

「強風で火が着かん!」

 隆広は右手を上げた。すると両翼に騎馬隊は広がり、

「放て―ッ!」

 隆広は弓隊を狙わせた。隆広を中心にして翼を広げた軍勢が一斉に矢を放った。かつ連射した。追い風に乗り矢は羽柴に降り注いだ。

「ぐああ!」

「うぎゃあ!」

 騎馬で突進しながら、怒涛のつるべ打ちをし、しかも狙いは正確だった。主なる弓隊はほぼ壊滅した。

 水沢軍は矢を打ち尽くすと弓を捨て、馬の横腹に装着しておいた槍を取り構えた。飛び道具はなくしたが、戦端を押さえる事ができた。両翼は静かに閉じて、再び前田慶次と共に突撃する。先頭を走る前田慶次が

「前田慶次参上!」

 彼の突撃を彩るように稲光が夜空に走る。その轟音より響く慶次の咆哮。

「ウオオオオオオオッッ!」

「う、うわああ!」

「に、にげろー!」

 慶次の突撃に命を惜しむ羽柴勢は我先にと逃げ出した。

「死にたくねえ!」

「バ、バケモンだあ!」

 慶次先頭の水沢勢は羽柴陣に突入した。慶次の愛馬、松風の前足が雷神の鉄槌のごとく羽柴兵に叩きつけられた!

「に、逃げろ!化け物馬だぁ!」

「「助けてくれーッ!」」

 そして、その松風に乗る前田慶次の朱槍一振りは一気に十人の兵士をなぎ倒す。まさに人馬一体の魔獣であった。

「うおりゃあああッ!」

 朱槍一振りが武神の一撃、この時の前田慶次の姿は対していた羽柴勢の将兵の記憶に恐怖として刻まれ、この後に何年経っても夢に見て飛び起きたとさえ言われている。

「そうりゃあ!」

 奥村助右衛門も負けていない。自慢の黒槍を棒でも振り回すかのように突き進む。ときの声を聞き本営から黒田官兵衛、羽柴秀長が出た。そして見た。すさまじい勢いで迫る水沢勢を。

「駄目だ…。止められん…!」

 すぐに出た言葉がこれだった。黒田官兵衛は死兵の恐ろしさを肌で感じた。

「何たる事…。あの寡兵で四万の我らを圧倒するとは!」

 羽柴秀長は呆然としていた。

「何事じゃ!」

 羽柴秀吉が陣屋から走り出てきた。

「兄者、ここは危険じゃ!退いて下され!」

 秀吉は突撃してくる水沢勢を見た。後方に下がるように官兵衛と秀長に言われても立ち尽くし惚けて敵軍を見た。統率の取れた、まるで一つの生き物のような水沢勢の姿。

「…なんちゅう美しさじゃ……」

 

 前田慶次、奥村助右衛門に負けられないと三百騎も獅子奮迅の戦いぶりを見せた。

『少数精鋭となり、戦場の華となり馬で駆るか』

 ふと松山矩久は隆広とはじめて会った時の事を思い出した。やさぐれていた不良少年三百名がこの言葉で奮い立った。

「貧乏武家の末っ子が手にするには過ぎた舞台よ!御大将隆広様…!俺は貴方の家臣になった事を誇りに思うぜ!礼を言うのはこっちだ!」

 

「隆広殿!」

 山内一豊が立ちはだかり、突き進んだ。

「一豊殿!」

 猛将、山内一豊の槍をかろうじて避けた隆広。そして横薙ぎの一閃!

「ぐはぁッ!」

 一騎打ちにこだわってはいられない隆広。すれ違いざまに一撃を一豊の腹部に叩きつけた。さしもの一豊も吹っ飛んだ。

「見事なり……ゲホッ」

 鎧に助けられたが、一豊は血反吐の吐くほどの一撃を叩き込まれたのである。山内一豊はこの一撃をくらった事を一生の誇りにしたと云う。

 

 

 水沢勢は遮二無二突き進むが、いかんせん相手は四万、三百の兵では百三十倍である。そして強風はだんだん穏やかになり、雨量もだんだん減ってきた。

「よし、これならば鉄砲も使え進軍を食い止められる!」

 と黒田官兵衛が思った時だった。後方の丸岡城から陣太鼓か鳴った。

「退くぞ!」

「「ハハッ!」」

 水沢勢はクルリと進路を返し、城に戻った。決死の水沢勢のすさまじさに圧倒された羽柴勢は道を開ける。もはや無人の野を行く如くである。

「雨風が止むのも計算済みか!いかん!逃がすなーッ!」

 だが官兵衛の命令は徒労に終わった。一糸乱れぬ騎馬隊はすぐに戦線を離脱してしまった。

「なんたる用兵…!あれが二十歳の若者の采配か!?」

 

 加藤清正、福島正則、大谷吉継らの将兵は急ぎ羽柴本隊へ援軍に向かったが、その前に水沢勢は城に引き返してしまった。

 そして驚愕する事に、この突撃で水沢側の死者はなく、それどころかカスリ傷すら負った者がいなかったのである。まさに今日も賞賛が惜しまれない水沢隆広最後の突撃であった。百三十倍の兵力に果敢に立ち向かい、しかも実質勝利したのである。黒田官兵衛をして『水沢隆広、日の本一の兵なり』と言われる由縁である。

 反面、羽柴軍は五百人以上の死者を出し、逃亡者は三千人に及んだ。秀吉は激怒した。水沢勢ではなく、味方のあまりの体たらくに。

「何たるだらしなさじゃ!我が軍には隆広、慶次、助右衛門以上の武将はおらんのか!」

 返す言葉もない羽柴将兵。

「ううむ、ますます欲しくなったわい…。権六の息子とてかまわん。何とか…」

「恐れながら」

「なんじゃ官兵衛」

「もはや隆広殿を召抱えるのはおあきらめ下さい」

「なんじゃと!」

「殿、いつかそれがしに話して下された思い出話。岐阜の酒場で会った小さな坊主、それは隆広殿でございますね?」

「う…」

「まだ殿が織田の下っ端武将だった頃に…家来にしてくれと頼んできた坊主、長じて敵となってしまってもあれだけの名将になられた彼を配下にしたいのは分かります。しかし彼は柴田勝家の嫡男!敵の総大将の嫡男は殺すのが乱世の掟!もはや隆広殿は城をまくらに死ぬつもりです。ならば堂々と我らは攻め入り、戦いのうちに隆広殿を死なせてやるが武士の情けと思いまする」

「官兵衛!その方は隆広に命を助けてもらった事もあろうに、ようもかような!」

 官兵衛の眼には涙が浮かんでいた。

「それがし、せがれの松寿丸にいつも聞かせております。儂や殿に学ぶのではなく水沢隆広に学べと!それがしとて助けたい!殿の元で一緒に働きたい!ですが…!」

「親父様、それがしも官兵衛様と同意見です。親父様は隆広様にとり、主君であり父親の柴田勝家殿の仇です。どうして臣下になりましょう!」

「佐吉…。その方までが…」

「負ける事を知らない羽柴軍を寡兵で三度も撃破した水沢隆広、もって瞑すべし!」

 三成の顔も涙で濡れていた。そして三成の言った『もって瞑すべし』が秀吉を決断させた。

「…あい分かった、総攻めの準備をいたせ」

 

 

 翌朝、いよいよ羽柴勢の丸岡城総攻めが始まった。たとえ五百人討ち、三千を逃亡させたとはいえ羽柴軍は大軍。いまだ三万強の羽柴軍に水沢軍は三百、敵うはずがない。火が放たれて丸岡城は炎上する。

 やがて一人討たれ、また一人討たれる。全員が朝に水杯をかわし、辞世を書いた短冊を胸にしまっていた。隆広の最後の鼓舞はこの言葉だった。

「たとえ三度生まれ変わっても、我らは戦友ぞ!」

 この城攻め、羽柴軍は三百相手に二千強の犠牲者を出した。いかに隆広の軍勢の抵抗が凄まじかったか推察できる。いよいよ本丸に軍勢が迫った。城内に羽柴兵は進入した。最上階に隆広はさえとすずと共にいた。

 その最上階への階段を死守していたのが奥村助右衛門と前田慶次である。後年『隆広関張』と呼ばれる二人。まさに関羽と張飛のごとく主人の最期の地を守った。

 

「さえ」

「はい」

「すず」

「はい」

「愛している」

「「愛しております」」

 二人の妻を同時に隆広は抱きしめた。

「あの世でも夫婦となろう」

「はい…そして生まれ変わってもまた…私とすずを見つけてください。また私たちはあなたの妻として生まれます」

「ああ…!」

 隆広は刀を抜いた。白装束の妻二人は合掌した。隆広は愛妻二人に白刃を振り下ろした。隆広はさえとすずを斬った。新陰流の使い手隆広。痛みすら感じず二人の妻は笑みを浮かべて逝った。

 

「はーはははは!ここは通さんぞぉ!」

「我らの屍を越えて行くがいい!」

 まさにこの時の慶次と助右衛門は鬼神であった。すでに何度も槍で突かれているのに倒れない。彼ら二人に羽柴兵は百人以上討ち取られていた。

 城内に突入した兵を率いていたのは黒田官兵衛の配下の母里太兵衛と後藤又兵衛であるが、さしもの豪傑の両名も震え上がった。だが二人がいかに強くても衆寡敵せず。やがて奥村助右衛門は母里隊の槍衾に全身を貫かれた。その直後に前田慶次も後藤隊の槍衾の前に全身を貫かれた。

 

 だが主君を思う二人の体は魂を越えたのか、城の最上階に繋がる階段の前に二人は倒れることは無く槍を構えたまま絶命したのである。しかも両名の顔は笑っていたと言う。

 後藤又兵衛と母里太兵衛は気高き敵将の姿に号泣して平伏した。黒田隊は二人に敬意を払い、無理に押しのけて最上階に立ち入ろうとせず引き返した。

 

 そして隆広は炎上する丸岡城の最上階の外に出た。死に装束である。まさに彼の父柴田勝家の最期と同じである。

「寄せ手の羽柴勢よ!我は水沢隆広である!武運つたなく敗れて死ぬが満足している!よき人生であった!」

 秀吉が床几から立ち上がった。

「隆広…」

「さあ寄せ手の者たちよ!しかとそれがしの最期を見届けあれ!」

 隆広は刀を腹に刺し一文字に切った。今度は縦に切り、十文字に腹を切り、そして最後に心臓に突き刺し倒れた。羽柴勢は隆広の自決のすさまじさに呆然としていた。やがて丸岡城は炎に包まれ崩れた。水沢隆広享年二十一歳の若さだった。

 羽柴の将兵たちは皆、敵ながら見上げた武士よと感動し、粛として頭をたれ合掌したという。

 

 

 石田三成は炎上し崩れていく丸岡城にずっと平伏して泣いていた。かつて仕え、友としても部下としても厚い絆だった隆広と三成。三成は隆広の自決の瞬間に何を思ったろう。そして秀吉は一言だけ

「全軍引き上げじゃ」

 と、つぶやいた。以後彼は天下人の道を進み、関白となり織田信長の実質の後継者となり天下人豊臣秀吉となったのである。

 

 

 水沢隆広没して、日本かしこに彼の生存説が出た。それが今日の歴史家を悩ませる事にもなる。

 博多の町に一人の天才的商人がいて、諸外国の商人と交易を結び一代で巨万の富を得た豪商。

 しかし越前が凶作で飢饉に陥ったと聞くや、私財をなげうち飢える民に食料を与え、しかもその男は越前の気候風土を知り尽くしていて、凶作の畑に翌年には豊作をもたらせるように農法を指導したと云う。

 彼には二人の美しい妻がいて、一人は自力で歩行できない女であった。男の顔は精悍かつ美男で、年齢も隆広とほぼ一致する事から、彼と隆広は同一人物と越前では噂された。

 

 もう一人いる。奥州の無医村に一人の医者がいた。大変な美男で、かつ漢方や鍼灸に長け、医術の腕は一流、かつ思いやりもある男だった。

 そしてその男にも美しい妻が二人おり、一人は歩行が不自由な女であった。隆広が柴田家中で医術に長けていたと云う事実はないが、彼の頭の良さならば十年は修行すれば腕の良い医師にもなれるかもしれない。彼は越前で疫病が流行っていると聞き、現地に赴き疫病を治し、そしてその原因であった下水の汚染を領民の若い者に働きかけて、清潔に作り直したと云う。若者たちが『お名前を』と尋ねても、医師は笑って答えなかった。彼もまた隆広と年齢がほぼ一致していたため、この医師も隆広ではないのかと噂された。こういう説は多々流れた。

 

 しかしこれは、隆広の徳政を慕った民たちの一つの願望であったのだろう。稀代の名将であり、卓越した行政官でもあった水沢隆広。武運つたなく若い命を散らせた事は日本人特有の判官贔屓の気質も手伝い、どこかで元気に生きていてくれれば…と云う願望を生み、多々の生存説を生んだのだろう。

 

 戦国武将の中で、天下を統一した織田信長、豊臣秀吉、徳川家康よりも今日の日本人に愛されている水沢隆広。十五歳で柴田勝家に仕官し、武将としての人生はたった六年しかなかったにも関わらず、彼が内政官として越前、現在の福井県にもたらした功績は大きく、福井の偉人十傑の筆頭に挙げられているのは周知の事である。新田開発によって作られた水田は今でも満々の水をひたし、家臣の石田三成に下命した九頭竜川の治水はどんな大雨が来ても氾濫しないと云う。

 

 

 一五九七年、太閤秀吉没し、徳川家康が頭角を現した。それに敢然と立ち向かったのが、石田三成であり、天下分け目の関ヶ原と呼ばれる大合戦を起こして家康と雌雄を決したが敗北し捕らえられた。斬刑の時、彼は静かにこうつぶやいた。

「隆広様、佐吉が今まいりますぞ…」

 

 石田三成の処刑後にこんな話が伝わっている。徳川家康は六条河原にさらした三成の首を見張らせた。しかしさらした当日の夜、ある一団が三成の首を奪取するために警護していた兵たちを襲って三成の首を持ち去った。家康は警護していた兵に、その一団の者たちの事を訊ねた。すると兵は

「越前訛りのひどい百姓たちだった」

 と述べた。すると家康は

「その者たちは九頭竜川沿岸に住む民たちだ。彼らは九頭竜川の治水を成し遂げ、その沿岸に美田をもたらしてくれた治部(三成)への恩を忘れず、命がけで治部の首を奪いに来た。恩人がそんなみじめな姿をさらすのが耐えられなかったのだろう。儂が死んでもそんな民は一人としておらん。さすがは治部よ。その越前の民たちを罰してはならん。九つの頭を持った龍神様に食われてはかなわん」

 そう述べて一切罪に問わなかったのである。

 

“石田の三成さんの悪口を言ってはいけないよ。言ったら九つの頭を持った龍神様に食われてしまうよ”

 今も九頭竜川沿岸の市町村に残る歌である。首を持ち帰り、三成が地元の人々から丁重に弔われた地が現在の福井県指定公園の九頭竜川公園である。

 そこには、水沢隆広と石田三成が共にある像がある。石田三成が九頭竜川流域の絵図面を広げ、その横で水沢隆広が右手を九頭竜川に指す像。敵味方になった二人であったが、今も彼らは二人で九頭竜川と越前の町を見守っているのである。




ハーメルンの再掲載に当たり、多少の手直しをしていると、かつて自分のホームページでこの小説を連載していたころを思い出しました。この作品に出てくる場所にも実際に行きましたよ。九頭竜川や丸岡城にも行っています。
最近はアルファポリスで色々と異世界転生ものを書いていたりしますが、やはり戦国時代ものが自分の性に合っているのかなと、ちょっと思いました。


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異伝-虎姫-

本編完結編では明家の側室となった虎姫ですが、こちらでは、そうは問屋が卸しませんでした。


 姫路城は落城し、羽柴秀吉は自害して果てた。姫路城を包む紅蓮の炎を見て柴田勝家は自分の時代も終えたと悟り、息子明家に家督を譲ることを決めたのだった。

 

 安土に凱旋した柴田勢だが、明家は休む間もなく謀反を起こした佐久間家の説得にかかった。佐久間は柴田家でも勇猛果敢な軍勢。世代交代したばかりの柴田家で混乱は避けたい。普通の君主ならば粛清するであろうが明家は何とかして助けたかったのだ。

 上杉謙信も徳川家康も、時にこうして反乱を起こした家臣を許し、より軍団を強化したものだ。明家は少年期に甲斐恵林寺の名僧快川に信玄の教えを学んだ。信玄の遺訓に『離反した場合でも覚悟を直す者については過去を咎めず再び召し抱えること』とある。佐久間盛政の家を潰してしまうことは柴田の力を削ぐ結果に。

 しかし謀反は謀反。何らかの罰は必要であった。懲罰は連座制であった当時、盛政の妻子も通常は斬首であるが、それは家臣たちも反対をした。姫路の陣での盛政の堂々とした態度に感じ入った者たちが多かったのである。親の罪は子に関係なし。明家は金沢城を明け渡せば良しとしたのである。

 

 それを条件に奥村助右衛門と佐久間一族の佐久間甚九郎が使者に立ち、主君の無念を晴らしたいと燃える佐久間家の説得に赴いた。しかし佐久間家は使者の奥村助右衛門と佐久間甚九郎を門前払いにする有様である。佐久間盛政の一人娘の虎姫。彼女は柴田明家の恭順を薦める書にこう送り返してきた。

『もし逆の立場ならば、美濃守様は恭順なさいますか?』

 

 佐久間盛政の娘の虎姫は『加賀の巴御前』と呼ばれるほどの女傑に成長していた。当年十六歳。美しく、そして鬼玄蕃と呼ばれた父盛政の勇猛を継ぐ姫だった。気も強いと知られている。何度も恭順するように使者を出したが虎姫は黙殺。明家は

『金沢城はお渡ししていただかなくてはならないが、佐久間家は虎殿に継がせ、しかるべき領地をお任せいたす』

 と譲歩し、

『まこと家臣を思うなら、この一時の恥を受け入れ恭順いたすのが姫の務めである』

 と説得。しかし虎姫はこれも聞かなかった。盛政の娘を殺したくない明家。だがこのまま放置していることは君主として示しがつかない。やむなく金沢攻めに及ぶこととなった。

 

 

 金沢城に柴田明家率いる二万の軍勢が押し寄せ包囲して数日。夫盛政の死で失意により病に伏せていた妻の秋鶴が世を去ろうとしていた。秋鶴は看取る娘に語る。

「父上を怨んではいけませんよ、あの人は叛旗をひるがえす前、虎に詫びていました。『虎が隆広を好いているのは知っている。儂のせいで虎は好いた男と敵味方になってしまう。さぞや怨まれるだろう。だが仕方がないのだ。もはや立たざるを得ないのだ。虎にはすまなく思う』と…」

「母上…」

「『もし儂が武運つたなく敗れたら、すみやかに金沢城を明け渡し、虎を隆広の側室として娶わせよ。虎は美しい、彼奴も気に入るだろうし、虎も想いを遂げられる。その上でそなたは城に残る佐久間家中の兵と女子供の助命を願い出よ』と申しました」

「そんなことを…」

「あなたに無断で申し訳なかったけれども…すでに当家の女子供の助命を美濃守様は了承しています。美濃守様が申し出て下されたので、私がそれを受け入れました」

「え…!」

「ですが…」

「……」

「その条件に虎を側室として娶わせるとは記していません。側室になる、ならないは虎が決めなさい」

「母上…」

「美濃守様は大器な将です。そして何より慈悲深い方。殿(盛政)の最期に涙されたとか。美濃守様にもはやあの人との確執はない。美濃守様の側室になり子を生めば佐久間家は次代の柴田家にも重用されるでしょう。でもだからと言って、虎がこの家の犠牲になることはないのです。思うままに生きなさい」

「母上…!」

 

 秋鶴は娘に言葉を残し

「殿、秋鶴ただいま参ります…」

 と、静かに息を引き取った。佐久間盛政は戦場の猛将であるが、こういう豪傑の将の中で珍しく側室を持たなかった人物である。また秋鶴と云う名は盛政がつけた名前で、彼女がそれ以前に名乗っていた名前は『小少将』と言う。越前の大名だった朝倉義景が耽溺したと云う愛妾である。美姫として有名で愛妾になった当時は十三歳だったと云う。

 

 佐久間盛政は初陣から武功を立て、柴田勝家軍の先鋒として越前朝倉家を攻めていた。そして一乗谷城落城の時、死の恐怖に狂った味方の朝倉の雑兵に小少将は集団で陵辱されていた。一乗谷城に乗り込んだ盛政がそれを救った。小少将は返り血を浴びて吐息の荒い敵将の盛政を見て『ああ、この人にまた犯され殺される』と怯えた。

 

 だが盛政は着物を着せて『もう大丈夫じゃ、助けるのが遅れてすまんのう』と優しく微笑んだ。彼女は盛政に泣きすがった。盛政は傷心の小少将を連れ帰った。陵辱の心の傷を癒す言葉と優しさに触れ、小少将は徐々に盛政に心を開き、やがて妻になった。主君勝家、大殿信長にも露見しないよう、盛政は小少将と云う名を封印し、秋鶴と名づけたのである。朝倉義景の愛妾と云う過去、雑兵たちに輪姦されたと云う過去そのすべてを盛政は受け入れ妻とした。虎を生んだのは、その二年後である。

 

 自分の過去を受け入れて、かつ側室も持たなかった夫盛政を秋鶴は心から愛した。武骨で要領の悪い夫が大好きだった。だがもうその夫はいない。毎日泣いて暮らす生活。彼女は失意のうちに病にかかり、回復することなく息を引き取ったのだった。

 母の夫を愛する気持ちをそのまま受け継ぐ虎姫。母の秋鶴が心の中に押しやった言葉は分かっている。

『あの人を死に追いやった柴田家が憎い』

 娘の虎姫には、母の心の叫びが聞こえるようだった。

「お任せ下さい、母上」

 

 

 虎姫は評定の間に向かった。

「おお姫、奥方様は?」

 家老が訊ねた。

「たった今、亡くなりました」

 評定の間にいる家臣たちは涙にくれた。主君盛政に謀反を留まるよう頑強に申し出て、ついには幽閉された彼らは一時こそ盛政を怨んだが、出陣数日後に解放するよう秋鶴が命じられていた。そしてこの幽閉は謀反が頓挫した場合に自分たちが罪に問われないように盛政が行った配慮であると知り、怨みは消えた。そしてしばらくして盛政が斬刑に処されたと聞き、彼らは号泣し、そして決意した。『玄蕃様の無念を晴らそう』と。

 それは虎姫も同じ。父の無念を晴らすのだと決意していた。盛政の家臣たちはこの姫と共に散ろうと死を覚悟していた。彼らはもっとも恐ろしい『死兵』と化した。

 

「壱岐」

「はっ」

 佐久間家に仕える老将新藤壱岐に虎は伝える。

「その方、着陣した柴田勢に使者に向かいなさい。当家の女子供の助命がすでに母と美濃守様の間に成立しているそうです。その者たちはこの城と共に死ぬことはありません。一度使者に赴き、美濃守様に確認を得て、改めて女子供を城外に出します」

「承知しました」

「本陣の場所、そして美濃守様の床几の場所にいたるまで把握し戻ってきなさい」

「はっ」

 新藤壱岐は正装に着替えて柴田陣に向かった。

 

 柴田家の中でも屈強の軍団である佐久間軍が五百と云う少数とはいえ『死兵』と化した。

 すでに佐久間盛政との間に確執もない明家は何とか佐久間家を残したく、城を包囲してからも再三に降伏を勧告したが虎姫は『柴田と交戦』の姿勢を変えなかった。

『父上の残された家名を守られよ。一時の恥など何事である』

 そう書を送ったが、

『明家様と戦う事が父の名を不朽のものとすると考えております』

 との返書。もはや虎姫の決心は動かないと悟った明家は金沢城攻めを決意。せめて盛政正室の秋鶴に佐久間家の女子供は柴田家で保護すると書いた書状を届けることが、かつての主家としてできる精一杯の事だった。

 

 

「姫、あなたは…」

 壱岐と同じく佐久間家の家老である笹久保兵衛は虎姫が明家に恋心を抱いているのを知っている。

「兵衛…。鬼玄蕃と呼ばれた父の盛政は部下に裏切られ、首を主君に斬られました。母は夫を亡くしたことの悲しさに耐え切れずに体を壊して息を引き取りました。この上、私が敵将美濃の情けにすがりこの身を慰みものにされたなら佐久間家は未来永劫笑いものにございます。この上は残る手勢で突撃をかけて智慧美濃に一泡ふかせてやりましょう!」

 家臣たちは立ち上がった。

「やりましょう姫!鬼玄蕃の軍勢ここにありと!」

「その言やよし!みなの者、私と共に死になさい!」

「「おおおおおおっっ!!」」

 

 金沢城を包囲している柴田明家軍本陣、ここに佐久間家家老の新藤壱岐が使者として訪れた。

「久しぶりにござる壱岐殿」

「はっ」

 家老の笹久保兵衛と新藤壱岐は小松城の戦いのおり、水沢軍に命を助けられたことがある。また加賀に入国した盛政に代わり、内政と人心掌握の任務を遂行した隆広に秋鶴が盛政の名代として労いの使者に訪れた時に両名は供をしていた。その時に鳥越城で隆広と会い、秋鶴と共に丁重にもてなされている。水沢隆広大嫌いの主君盛政なるも、彼ら二人は隆広、つまり柴田明家に好意的であったのだ。

 だが運命はそれを敵味方にした。

 

「秋鶴殿が体調を崩したと聞き及びますが…」

「亡くなりました」

「…そうですか」

「なお、美濃守様と奥方様の盟約で、当家の女子供を柴田家が保護すると云う話が済んでおられるよし。我ら佐久間遺臣奥方様の御意志を尊重し当家の非戦闘員である女子供を差し出したく思い、まずはそれがし使者に立ちました」

「いつ来られる」

「もはや準備は終えております。それがし一度戻り、改めてこの陣に連れて来る所存」

「承知しました。虎姫に伝えられよ」

「はっ」

「我が軍敗退ならば再びお返しする。勝利ならば佐久間家の男子を明日の柴田家を担う武士に養育し、女子ならば良い婿を探し、夫人たちには再婚を望むなら支援し、亡夫を弔うなら庵も与える、けして粗略に扱わぬ、と」

「はっ、確かに承りました。壱岐、しかと姫に伝えます」

「…壱岐殿、最後にもう一度だけお訊ねいたすが…」

「はい」

「降伏を勧めても無駄でござるか」

 壱岐は老将と思えぬほど凛とたたずみ、堂々と言った。

「無駄にござります」

「承知いたした。もはや『降伏』の二字は口にすまい。この上は戦場で堂々と合間見えようと虎姫にお伝え下さい。ご武運を祈ると」

「承知しました。美濃守様もご武運を」

 

 

 新藤壱岐が明家の陣を去った。

「死ぬ気ですな」

 と、奥村助右衛門。

「ああ、死を覚悟した者に対してどんな説得も無駄だ。さすがは鬼玄蕃の家臣たちだ。死に場所を得たと腹を括っている」

「布陣はいかがなさいます。相手は死兵にございますぞ」

「ならばこちらも最強の布陣で迎え撃つ」

 しばらくして金沢城から佐久間家の女子供が新藤壱岐の引率で連れてこられた。総六百名ほどである。だがこの六百名は虎姫から言われていたことがあった。庇護を受けて柴田家の負担になるな、田畑だけお借りして帰農し、柴田家の財源となれと。美濃守様におんぶにだっこの存在にだけはなるなと。

 この六百名はそれを遵守して帰農する。農学者として歴史に名を残す佐久間源水はこの時九歳で佐久間盛政には甥にあたる。佐久間盛政の血は世代を越えて明家に尽くすことになるのであった。

 

 そして金沢城、もはやここには戻らないと云う意思か、火が着けられた。虎姫はこの時、かつて少女期に敵将である柴田明家、当時水沢隆広に贈られた金平糖の入ったギヤマン(ガラス)の瓶を持っていた。大事に持っており、中に入っている色とりどりの金平糖、ただの一度も食べなかった。初恋の、憧れの人からの贈り物。虎はもったいなくて食べられなかった。虎は一粒だけ取り出し口に含んだ。あの日、一粒の金平糖を優しい笑顔で食べさせてくれた隆広の顔を浮かべ、一粒だけ食べた。

「甘い…」

 そして残りの金平糖すべて井戸に捨て、空となったギヤマンの瓶を井戸の縁に叩きつけて割った。もうこの城には戻らない。男子がいなかった盛政は虎姫を男のように育て、周囲に『加賀の巴御前』と呼ばれる女傑となった。

 

 今日の彼女の肖像画でも見られるとおり、兜は名のとおり虎の前立て。陣羽織も名のとおり虎の縞。鎧は女用に作られた銀色の南蛮胴。そして槍は佐久間盛政が使っていた剛槍である。そして旗差しは佐久間の家紋『三つ引両』、今年の誕生日に父から贈られた駿馬に乗る虎姫。

「行くわよ、スイ」

 駿馬は主人の言葉に答えるよういななきをあげた。彼女は父のくれた駿馬に『スイ』と名づけた。唐土の漢楚の戦いにおける闘将項羽の愛馬の名前である。

 

「門を開けい!」

 城門が開いた。篭城することなどこれっぽっちも考えていなかった佐久間勢。後ろに炎上する金沢城、虎姫率いる兵は五百足らず、全員が死兵だった。生還することなど誰も考えていない。佐久間の名を華々しく散らせるため全員討ち死にの覚悟であった。

「よそに目をくれるな!目指すは柴田美濃守明家が首ひとぉつ!」

「「オオオオッッ!」」

 すでに明家本陣の場所は分かっている。虎姫の槍は明家本陣を指した。

「かかれ――ッッ!」

 

 後の世に『金沢城の戦い』と呼ばれる合戦。だが姫の名が『虎』明家の幼名が『竜之介』であることから、この金沢城の戦いは別名『竜虎合戦』とも呼ばれている。その竜虎合戦が今幕を開けた!

 柴田明家は得意の偃月の陣で迎撃を開始した。一つ一つの部隊が、まるで生き物のように明家の采配で動く。死兵相手に正面からは当たらず側面から包囲するように突撃し分断するべく動く。完全に陣形が決まれば数が少ない佐久間勢はひとたまりもない。まさに容赦なく明家は殲滅作戦を取った。

 

 しかしさすがは鬼玄蕃の軍勢、ただ一つ、突破口を見出した。毛受勝照の弟である家照の部隊である。まだ合戦経験が少ない家照の部隊の緩慢な動きを佐久間の家老たちが見逃さなかった。

「姫!あの部隊より本陣へ!」

「承知!」

 佐久間勢が毛受家照に矛先を向けて突撃した。

「よし迎え撃つぞ!」

 佐久間勢に毛受家照の隊千五百が向かった。だが結果は散々なものだった。死を覚悟した佐久間勢になす術がなく軍勢は崩壊した。

「退けー、退けーッ!」

 家照はすぐに退却を命じた。三分の一の兵力に毛受家照は撃破されてしまった。この時の虎姫の突撃はすさまじく、毛受家照の将兵たちはそのあまりの恐ろしさのあまり、この先何年経っても、押し寄せる虎姫の軍勢の姿を夢に見て飛び起きたと云う。

 

 両脇にいた松山矩久隊、高橋紀茂隊も挟撃が間に合わず、通過を許す羽目となった。死兵集団であった虎姫の軍勢はすさまじかった。明家軍総勢二万強を分断していく。

「敵に後ろを見せるなああッッ!!」

「おおおおおおっっっ」」

 名の通り、虎のごとき咆哮が戦場に響く。

 

「勝ち戦にあるものは命を惜しむ。止められるはずがござらんな」

「確かにな慶次」

「しかし、それがしとて戦場にある時は死人。佐久間隊をこの本陣に寄せませぬ」

 前田慶次は松風に乗り、虎姫の軍勢に向かった。

「参る!」

 

 前田慶次の軍勢が佐久間軍に突撃した。だが虎姫の目に慶次は入っていない。ただ柴田明家のみであった。慶次の朱槍がうなりをあげる。だが虎姫を庇うべく兵たちが次々と慶次の前に立つ。

 さすがは剛勇の前田慶次の率いる部隊、佐久間隊の進撃はここで食い止められた。次々に囲まれ出し、次々と佐久間隊は死んでいった。だが全員が祈っていた。姫を本陣に到着させると。やがて慶次の横を虎姫が通り過ぎた。一瞬の好機を見逃さず、虎姫は一騎で駆け抜けた。その虎姫を討ち取ろうと兵が動いた時、慶次が吼えた。

 

「無粋な真似をするな!お通しせよ!」

 

 もはや虎姫はただ一騎。慶次はあえて本陣に虎姫だけを通したのだろう。そして討ち取ろうとする者に獣のような一喝をあげたのだった。

「礼を言う慶次…」

 たった一騎で柴田本陣に駆けてくる虎姫。明家はふと思い出した。初めて虎姫と出会った時のことを。金平糖を喜色満面で口にふくむ美少女の顔を。

 

「うおおおおッ!」

 そして美しく、強く成長した虎姫は今、自分を倒そうと挑んできた。

「手加減はしない…」

 そしていよいよ明家の前に駆け込んできた虎姫。

 

「殿!」

 兵三人が明家の前に立ちふさがった。だが

「「ぐわあ!」」

 虎姫の乗る駿馬スイは主人の気迫が宿ったごとく三人の兵を吹っ飛ばした。

 それはさながら川中島合戦で武田信玄の本陣に突入した上杉謙信のごとく!手取川の撤退戦で上杉謙信の本陣に突入した水沢隆広のごとく!

「明家様!お覚悟!」

 虎姫は父盛政の槍を床几に座る柴田明家に振り下ろした!

 

 ギィィィンッッ!

 

 槍の一閃を鉄の軍配で防いだ明家。そして立ち上がり愛馬ト金に乗り槍を構えた。

「手を出すでないぞ!たとえ俺が討ち取られても断じて報復はならぬ!丁重にお返しせよ!」

 虎姫は馬を返し、猛然と明家に向かった。後の戦国時代を扱った小説、映画、ドラマでも屈指の名場面となっている柴田明家対虎姫の一騎打ちである。

 

「せやあああッッ!!」

「来い!」

 馬上で互いの槍が激突しあい電光の火花が散る。戦国時代、女武者が戦いを挑んでも武将は受けて立たず逃げた。それは討ち取っても手柄にならず、もし後れをとって討たれたら大恥になり腰を引かせているからである。(史実では真田信繁でさえ忍城攻めの時、甲斐姫に一騎打ちを挑まれた時は逃げている)

 

 だが柴田明家は受けてたった。もはや城も兵もない一人の姫の意地に全力で応えたのである。だからこそ明家は手加減をしない。いかに腕が立とうと虎姫はこれが初陣である。実戦における経験の差は補いようがない。虎姫は押されだした。

(…くそ!やはり強い!)

 渾身の力を込めて虎姫は槍の一撃を出したが、それは止められ、明家はその一撃の力をそのまま利用するかのように槍の柄を返し、石突(槍の基底部)を虎姫の顎めがけて振り上げた。辛うじて虎姫は顎への一撃はかわしたが、兜が吹っ飛ばされた。美しい長い髪がバッと舞う。そして馬上での体勢を崩した。

「しまっ…!」

 

 あやうく落馬する寸前、奇跡が起きた。

「な…!」

 柴田明家は我が目を疑った。娘を思う佐久間盛政の魂が虎姫の愛馬に乗り移ったか、なんと馬自身が乗り手を落とさないために体勢を整えたのである。

(スイ…!ありがとう!)

 その一瞬、明家が驚いた瞬間を虎姫は見逃さなかった。明家の兜が吹っ飛んだ。石突ではなく穂先での一閃であるが、辛うじて明家もこれをかわした。

(馬鹿な、信じられない。馬が主人を落とさないために自ら体勢を整えるなんて…!)

 遠目でこの一騎打ちを見守っていた奥村助右衛門は

「お父上の合力か…!」

 と感嘆し、前田慶次は

「敵ながら見事、何という人馬一体よ、この一騎討ちを挑まれた殿は果報者よ!」

 と唸った。

 

 お互い兜が叩き落とされた。二人は眼光鋭く見つめ合う。運命が違っていたのなら男女の仲になっていたかもしれない二人。しかし運命は二人を戦わせた。

「そりゃあああッッ!」

「参られよ!」

 二人の一騎打ちは続く。虎姫の気迫はすさまじかった。まさに死を覚悟した者の気迫か、膂力も馬術も槍術も上のはずの明家が圧倒される。だが悲しいかな女の体力と膂力、やがて差は歴然としだした。死を賭して挑んできた者、手加減などして恥をかかせるわけにはいかない。

「おりゃあ!」

 

「あうッ!」

 明家の槍の柄が弧を描いて虎姫の横腹に直撃した。

「姫!覚悟!」

 とうとう虎姫に槍が貫かれた。

「あぐッ!」

 虎姫は落馬し倒れた。スイは虎姫の側から離れようとしない。虎姫の涙か、雨が降り出した。明家はト金から降り、虎姫に歩み寄った。

「う、うう…」

 うつ伏せで倒れる虎姫を抱き起こし、泥のついた顔を明家は拭った。だが虎姫はまだあきらめていなかった。カッと眼を開き、短刀を抜いて明家を刺そうとするが無念にもそれは明家に掴まれた。

 

「お見事、明家様…」

「姫こそ見事な武者振りでございました。さすがは鬼玄蕃の娘御にございます」

「明家様…」

「何か、言い残すことは…」

 虎姫はニコリと笑った。

「もったいなき仰せなれど、もはや言い残すことは何もございませぬ」

「…違う形でお会いしたかった…」

「いいえ…。命のやり取りほどの深き縁がござりましょうか。明家様と戦っている時、虎はまるで明家様に抱かれているような歓喜に包まれておりました」

「虎姫…」

「うれしゅうございます…私の最期が…明家様に討たれ…良かった…」

 虎姫は息を引き取った。享年十六歳の若さだった。明家は虎姫を抱き上げ

「全軍、引き上げだ」

 と、静かにつぶやいた。

 

 その後に明家は金沢城の跡地に佐久間神社を建立して佐久間盛政、妻の秋鶴、娘の虎姫、虎姫の愛馬スイを丁重に弔った。スイはこの戦のあと安土城に連れて行かれたものの馬草を一切受け付けずに餓死して果てたのである。前田慶次は『敵の施しは受けぬか、見事な生き様よ』と讃えたと云う。

 

 琵琶湖から朝日を見るのが大好きだったと云う虎姫。明家は朝日の見える場所に虎姫の廟を作った。虎姫の最期に涙する者は民にも多く、現在に至るまでその廟は虎姫神社として民の信仰を集め、地名もまた虎姫町と云う。

 

 そして柴田明家と虎姫一騎打ちの地には、二人の一騎打ち像があり、十六歳の乙女が果敢に敵将に挑んだ姿は現在も語り継がれ、今日も数多くの小説に主人公として書かれ、柴田明家との悲恋が後世の人々の涙を誘う。佐久間盛政は謀反人であるが、後世の評価が明智光秀と同じく非常に高い人物である。まさに娘の虎姫が父の名を謀反人としてではなく、猛将としての佐久間盛政の名前を不朽のものとしたのだろう。




 史実の虎姫は賤ヶ岳の戦い以後に中川秀成に秀吉の命令で嫁いだそうです。中川秀成とは、あの中川清秀の息子です。賤ヶ岳の合戦で中川清秀は佐久間盛政に討たれましたから、何と虎姫は父を仇とする家に嫁いだのですね。

 虎姫は父盛政の菩提寺を建立する事と佐久間家の再興を悲願としていましたが、存命中はかないませんでした。しかしご亭主の秀成殿は七男に佐久間家を継がせ、再興してあげたそうです。粋ですね秀成殿。仇の家を再興してあげるなんて、そう出来ることではありません。

 虎姫の息子久盛によって建立されたのが大分県竹田市にある英雄寺、久盛という名前、そして寺の名前に虎姫に寄せる秀成殿の愛情が伺えます。ちなみに筆者の私も一度訪れて虎姫の墓前に手を合わせました。自作小説に登場させることを報告した覚えがあります。

 本編完結編では明家の側室となり、無事に佐久間家を再興しています。菩提寺も優しい明家なら建ててあげたことでしょう。そしてこの外伝では死に花を咲かせて父の名前を不朽のものとしました。史実の虎姫殿も喜んでくれているかな?それとも勝手に殺すなと怒っているかしら。

 ニコニコ動画に投稿のim@s天地燃ゆでは水瀬伊織が虎姫として在ります。新藤壱岐という架空武将もまた虎姫に仕えています。そちらの虎姫は岩村城の戦いや武田攻めにも参戦している勇猛な姫大将です。


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史実編異伝-大坂の陣-【前編】

史実編にあった豊臣秀頼を関白家にして存続させると云うことが“無かった”ものとして物語はスタートいたします。前後編で終わるのを見て分かるように、戦の終結までは書いていません。主人公柴田快斎が戦場に向かうまでのストーリーです。お楽しみ下さいませ。


柴田越前守明家、関ヶ原の戦いでは徳川家康に付き東軍勝利に大きく貢献した。明家は『戦のない世の構築』のため、断腸の思いで石田三成と袂を分けて敵となった。徳川家康ならば戦のない世を作ってくれるだろう。明家自身が天下人と云う野心はなかった。ただこの日本と云う国に戦が無くなり、家康の言う天下泰平、それに尽力できればと思った。

 

しかし、それは考えが甘かった。家康は豊臣秀頼を生かしておくつもりなどなかったのだ。非情とも言えるが家康にも言い分はある。このまま秀頼を生かしておけば動乱の火種になることは明白。好む好まない関係なく、討たざるをえない。

 

だが今は戦を起こせない。島津や毛利をはじめ、関ヶ原で徳川を恨んでいる諸大名が豊臣につくのは明白だからである。家康の算段は十年の間は戦を起こさず、世を平和に慣れさせて徳川幕府に刃向かう大名がいなくなってから踏みつぶす、そういう方針であった。

 

慶長八年、徳川家康は征夷大将軍に就任し、江戸幕府を開き、江戸城を始め普請事業を行うなど政権作りを始める。二代将軍となる徳川秀忠の娘である千姫を秀吉の子の豊臣秀頼と結婚させた上で、秀頼の官位を右大臣とした。豊臣恩顧の諸将の安心を得るためであった。

 

 

柴田明家は関ヶ原の戦いのあと間もなく隠居して柴田快斎と名乗っている。隠居した理由は重臣奥村助右衛門の進言によるものが大きかった。助右衛門は舞鶴城の戦いで受けた傷が重く、もはや長くはなかった。だが彼は最後まで明家と柴田家を案じていた。

 

明家は軍事と内政、いずれも飛びぬけた才覚を持っている。軍事では総大将と参謀、政治では君主と宰相、彼は何ごとにおいても一番二番の才能と器量を兼備しているのだ。丹後若狭の豊かさを見れば、それは誰もが認めること。

 

しかし偉大な父であるがゆえに、それが次世代の柴田を滅ぼす起因となる恐れがある。武田家の二の舞になってはと思う助右衛門は、まだ働き盛りの主君明家に家督を嫡男勝秀に譲るよう進言した。評価しつつも内心は明家を恐れている家康に対しても有効であると。熟慮の末、明家は助右衛門の意見を入れて四十二の若さでありながら隠居し、名を快斎と改めた。連歌、書画、能楽に通じた明家に朝廷が贈った号である。

 

家康にも隠居の理由はそのまま正直に述べている。書状には

『このまま私が柴田家の舵取りをやれば、若い者が育ちません。私は亡き大納言殿(利家)の御遺言にあるように秀頼様の守役に専念いたします』

 

家康はこれを読み

『なるほど武田が二の舞を避けたと見える。しかし快斎が秀頼様を養育とは、あまり歓迎できんが…それを止める理由も思いつかぬ』

 

関ヶ原の戦いが終わり、天下の帰趨が徳川に決した今、もっとも恐ろしい男は柴田快斎であるのだから。快斎は柴田家と丹後若狭を息子に委ね、彼自身は妻四人を連れて大坂に常駐することになる。亡き前田利家は秀頼の守役に明家を指名して逝っている。家康を含めた五大老、五奉行も同意の人事となったため、たとえ隠居しようが秀頼の守役は快斎なのである。家康自身もかつて認めた人事であるに加え、快斎は秀頼の伯父であるため強権を駆使するのは時期尚早と見て、それ以上のことを言うことはなかった。

 

秀頼は伯父快斎を尊敬し、もはや大名ではない快斎であるが優美な大坂の屋敷と一万石の扶持を贈られていた。

 

家康は豊臣家の財を消耗させるため秀吉の御霊を慰める神社仏閣の建設を多く行わせている。それぐらいで豊臣の財はビクともしないものの、徳川から一文の寄贈もないのはどういうことか。加藤清正からその旨、相談を受けた快斎は家康に会いに行った。家康は考えてもいなかったろうが、快斎にとっては事の表裏を見極める会談であった。

 

『神社仏閣建築に伴い費用も莫大、幕府からも資金を出していただきませぬか』

しかし家康は

『勧進におよばず』

 

金は出さない。そう冷淡に返している。これで快斎は確信した。いずれ幕府は豊臣を滅ぼすつもりなのだと。屋敷に帰り、文机の引き出しを開けた。そこには豊臣と徳川共存の道を照らす案を記す書が何通かしまわれていた。

 

平清盛は源頼朝を生かしておいて結果どうなったか、そう思えば家康の豊臣秀頼を討とうとするのは誤りではないのだろう。だが受け入れられない。秀頼を討てば最愛の妹の茶々も死ぬ。秀吉に降伏して犠牲を強いた妹は絶対に見捨てられない。快斎は両の手にズシリと分厚く乗る書の束を持ち庭に出た。

 

「豊臣家を関白家として、名誉だけ持たせて力を奪う…。さすれば内府殿に簒奪の汚名はない…か。机上の空論であったな…」

書の束を燃やして捨てた。

 

「しかし、徳川が天下を取って戦はなくなった。関ヶ原の時点で東軍に付いたのは誤りではなかった。西軍が勝っていたら、関ヶ原以降も乱世であったろうからな…。幼い秀頼様と治部に天下を取り仕切れたわけもなし」

 

炎を静かに見つめる快斎。

「秀頼様には将器がある。今ならば豊臣を勝たせても大丈夫だ」

 

 

しばらく時が流れた。平和に慣れさせて幕府に刃向かう気持ちを失せさせてから豊臣家を討つ。家康の目論見どおりになっている。家康の政治目標は長期的に安定的な政権を作ることであったとされ、徳川家の主君筋に当たる豊臣家の処遇が問題となり、徳川家を頂点とする幕府の段階的組織構造では豊臣家は別格的存在となり、家康は徳川幕府の今後の安泰を図るため、豊臣家の処分を考え始めた。

 

家康は秀頼に対して臣下の礼を取るように高台院(秀吉正室)を通じて秀頼生母の淀殿に要求するなど友好的対話を求めた。淀殿は会見を拒否するが、加藤清正と柴田快斎の説得もあり淀は渋々ながらも承知し、慶長十六年に家康と秀頼の会見は二条城において実現する。

 

大坂の豊臣家と江戸の徳川家は表向きこそまだ友好関係にあるが、いつ合戦になってもおかしくない状況であった。家康には二つの重しがあった。加藤清正と柴田快斎である。この二人は家康と秀頼が二条城で会見する時、秀頼の後見を務めている。秀頼はこの時初めて、家康に臣下の礼を取っている。

 

しかしながら、その心底を見るために家康も巧妙な罠を仕掛ける。会見の時、下座ではなく共に上座にて話しましょうと言ったのだ。清正と快斎は瞬時に家康の罠と見抜いた。その言葉に応じてしまえば、秀頼は本心で徳川に臣下の礼を取るつもりはないと見る。秀頼も身の危険を感じたようで清正と快斎をチラと見た。清正と快斎、その手に乗るなと首を静かに振った。秀頼もうなずき

『ありがたき仰せなれど、それがしは下座のままで結構にございます』

と、返した。豊臣家が徳川の下になったことを内外に証明する会見であった。この時に家康と快斎に少しのやりとりがある。家康はお茶菓子を秀頼に出した。しかし

 

「申し訳ございませんが、秀頼様と我らはすでに食事を済ませております」

そう快斎は返している。家康は

「ほう?快斎殿は儂が秀頼様を毒殺するとでも?」

「食事は済ませたと申してあげているのです」

「我が膳を受けられぬのは毒殺を見込んでとしか思えぬが?」

「武将が用心を重ねることは恥ずべきことではございませぬ。他ならぬ大御所ご自身が三方ヶ原以来実践してきたことではござらぬか」

 

家康の顔から笑みが消えた。自分自身を例えて返されれば、さしもの家康も返す言葉はない。そして秀頼を見つめる。今の家康と快斎のやりとりも微動だにせず聞いている。会見が終わったあと、家康は秀頼の成長振りに驚いたようなことを側近に言っている。家康は当時の寿命をゆうに越した七十二歳で秀頼は十九歳、立派な美丈夫となっていた。やはり、強引な手を行使しても快斎の指導を受けさせるべきではなかった。

 

快斎は秀頼を仕込む時は厳しかった。刀槍の稽古では容赦なく打ち、投げ飛ばした。学問もかつて快斎が快川和尚より教わった時と同じ、帳面に記載は許されず、すべて暗記せよと云う厳しいもの。予習と復習の徹底を課したのも同様であった。利家でも出来なかった養育だろう。快斎が出来たのは秀頼生母の茶々が兄に全幅の信頼を置いていたに他ならない。関ヶ原以降、快斎と茶々の間には溝が出来たが、さすがはお市の娘、それは私事にすぎないと割り切っており、秀頼の養育に対しては快斎に一言の口出しもしなかったのだ。

そしてそれは正解だった。秀頼はいま良い面構えなっており言動も堂々としたもの。家康から見ても並々ならぬ将器と思った。

 

しかし、その会見から間もなく加藤清正が死んだ。急死であることから毒殺説もある。秀頼に対して忠誠を示し続け、かつ二条城の会見では秀頼に手出しあれば家康と刺し違える気であった清正、家康がその存在を恐れたからと噂は流れた。

そして清正以上に恐れられているのが同じく秀頼の後見を務めた柴田快斎である。すでに黒田官兵衛、真田昌幸も没した今、家康にとって恐ろしい武将は柴田快斎しか残っていない。柴田快斎は義のために太閤豊臣秀吉にも逆らった武将である。

 

豊臣と徳川、双方快斎の妹が嫁いでいるが、やはり犠牲を強いたと快斎が考えるのは徳川に嫁いだ江与ではなく秀吉の側室となった茶々の方であろう。それゆえ快斎は正室さえと同じくらい茶々を大事にしている。

もし豊臣と徳川が戦えば快斎は大坂に付く可能性が高い。そうなれば大坂方を滅ぼすのは数倍困難になるどころか、逆襲されることさえありうる。徳川もきれいごとで泰平の世は掴めないと分かっている。家康の側近たちは、もはや邪魔者でしかなくなった快斎に迷いなく刺客を差し向けることだろう。家康も己が大望を成し遂げるためには手段を選ばない。加藤清正を始め、前田利長、池田輝政、浅野長政・幸長親子、堀尾吉晴と言った主なる豊臣家臣が近年続々と亡くなっている。徳川による暗殺か、そう考えても不思議ではない。豊臣寄りの大名が死に、豊臣の孤立が顕著になって一番得をしているのは徳川なのであるから。食べ物に毒を混入か、それとも違う暗殺の武器か。徳川は梅毒持ちの遊女を標的と定めた大名に近づけさせたと云う話もある。

それゆえ快斎も食事には細心の注意を払い、女を抱くにしても正室と側室のみとしていた。遊女は絶対に近づけさせなかった。

 

しかし、徳川がなりふり構わぬ手段に出る前に快斎が病に倒れた。重病と云う。家康は快斎に見舞いの使者を送った。見舞いと云うより病が本当なのかと云う視察だろう。使者の本多正純が大坂の快斎邸に着いた。妻四人と息子勝秀、常高院(初姫)が快斎の部屋にいた。

 

「快斎殿、本多上野介にございます」

「おお…。但馬殿(柳生宗矩)か」

「い、いえ、柳生殿ではなく本多上野介にございます」

「ほう、但馬殿は上野を拝領されたのか、それはようござったな…」

「……」

布団から弱々しく起き上がった快斎。さえが支えている。髪の毛はボサボサ、やつれはて目の下にはクマが出来ている。さえが見舞客の名を改めて夫に述べた。

「殿、本多正純様です」

「なんじゃ正純か、ゴホゴホ」

「無理をなさらず」

「で、正純。このくたばりぞこないに何用か」

「病と伺い、見舞いに来た次第で」

「なに?」

「いや、ですから…お見舞いに来たのです」

「おお、左様か…。どうも最近耳が遠くてな」

「これが大御所様(家康)から快斎殿にと見舞いの品にございます。大御所様自らが処方されたお薬に」

「これはありがたいの…」

「殿、お薬の時間です」

しづが薬湯を持ってきた。しかし

「あらあら、殿ったら」

上手く飲めずこぼしてしまっている。しづとさえが体を拭く。

(…だめだな、こりゃ。完全にボケちまってる)

柴田快斎は長くないと考えた正純。豊臣を攻めても柴田が大坂方に付くことはない。たとえ付いたとしても現当主の勝秀ならば柴田は怖くない。

 

「では快斎殿、それがしはこれにて」

「おお、また後日のう」(後日?貴殿はそこまで生きていないだろう)

心の中で失笑して正純は帰っていった。

 

柴田快斎の死が家康の耳に届いたのは、それから一ヶ月後のことであった。家康は

「そうか、快斎がのう…」

警戒し、恐れてはいたが、彼自身が漢と認めた武将の死、かつ自分より若いのだ。家康は肩を落とした。

「名将とは快斎のような漢を言うのだ…。何と惜しいことか…」

 

柴田家の江戸屋敷には弔問の使者が続々と訪れ、快斎の死を悼んだ。秀忠の妻である江与は兄の死の悲しみのあまり寝込んでしまった。何より衝撃を受けたのは茶々である。茶々は兄の明家に豊臣の天下を奪わせるべく秀吉の側室となった。秀吉の子を生めば、その子が世継ぎ、兄の器量があれば豊臣を乗っ取れる。

 

しかし肝心の明家がそれを固持した。許せなかった。兄が関ヶ原で西軍につけば徳川は滅び、豊臣の権威は盤石になっていたかもしれないのに。そう思うと、どうしても許せなかった。

 

だが、兄の快斎は態度を変えず秀頼に尽くしてくれた。前田利家亡き後は秀頼の師となり、息子を仕込んでくれた。城の中だけにいては心がいびつになると、丹後若狭を始め、色んな場所に連れて行き見聞を高めてもくれた。秀頼は立派に成長したが、それは兄の指導によるもの。心の中で兄への怒りも氷解して行き、仲直りしようと思っていたが、いざ対すると言えなかった。その兄が死んだ。仲直り出来ないままに。それを知った茶々は

『どうして今まで許してあげなかったのか。私の幸せを誰よりも望んでいたのは兄上様なのに』

茶々は人目憚らず泣き叫んで、天橋立の方向に平伏し、畳に顔を叩きつけて兄に詫び続けた。

「ごめんなさい、ごめんなさい、兄上様…!」

 

初恋の人が逝った。茶々は数日の間、憔悴しきっていたと云う。

その茶々にさらに追い打ちがかかる。徳川家康が豊臣家を滅ぼすために動き出したのである。

慶長十九年に、家康は豊臣家が再建した京都の方広寺の梵鐘銘文を林羅山に解読させた。文中に『国家安康』『君臣豊楽』とあったものを、『国家安康』は家康の名を分断し、『君臣豊楽』は豊臣家の繁栄を願い徳川家に対する呪詛が込められていると断定し、鐘銘文の選者である清韓の処分や、豊臣家に対して謝罪と領地召し上げ大和への転封等を要求した。これは完全な言いがかりである。

 

兄が死んだ今、茶々の願いは豊臣と徳川の共存にあった。神社仏閣を立て、この戦国乱世で死んだ英霊たちを慰める。秀頼も立派に成長したことだし、そろそろ私は尼になって兄を弔おう、そう思っていたが、そんな穏やかな将来を家康は与えようとしなかったのだ。よもや、乱世に死んだ名もなき英霊たちのために作った神社を逆手にとって戦を仕掛けるとは。徳川家康は豊臣との共存などまったく考えてはいなかったのだ。茶々は大野治長を召した。

 

「何たる言いがかりを!」

怒りで体を震わせる茶々、それはそうだろう。まさに言いがかりである。

「ともあれ何とか弁明して、誤解を解きませぬと!」

治長が茶々に言った時だった。

「それには及ばない」

秀頼が茶々たちのいる部屋に入ってきた。治長と茶々は控えて上座を渡す。秀頼はそこへ座り胸を張って言った。

 

「弁明など無駄だ。あんな言いがかりをつけてまで戦を仕掛けている。どんな手段を用いても徳川は豊臣を潰すつもりだ」

「秀頼…」

「母上、徳川からすれば『平清盛は頼朝を生かしておいてどうなったか』と云うところでしょう。私の存在そのものが許せないのでござろうな」

「秀頼様…」

「そういう次第だ。それで修理(治長)、そなたに使者になってもらいたい。だが弁明は一切する必要はない」

「と、申しますと?」

「おそらく家康は、我ら豊臣方が卑屈にも近い形で弁明に来るのを手ぐすねして待ち構えている。さらにその使者を逆用して、大坂攻めの大義名分をより強固にすることもしてくる。もう戦が避けられないのであるのならば卑屈になる必要などなし。挑発して参れ」

「しょ、承知しました!」

 

治長は意気揚々と部屋を出て行った。家康とその側近らを堂々と叱りつけてよいと云う許しを得られたのだ。その場で怒った徳川の者に殺されても悔いはない。どのように罵倒してくれようかと心が躍る。

 

「秀頼…」

「母上、私は柴田快斎の高弟です。そう簡単にはやられません」

「…そうね、兄上にあんなに厳しく仕込まれたものね」

「母上は奥の束ねを。戦は私が指揮を執ります」

「分かりました。ご武運を」

 

治長と茶々が立ち去ったあと、秀頼は懐から一つの封書を出した。伯父快斎からの書である。

『快斎は死を悟りましたゆえ』

と、云う前口上から始まり、遠からず戦を仕掛けてくる徳川に、どう対応すべきかと記されていた。老い先短い家康はどんな汚い手を使っても戦を仕掛けてくる。おそらくそれは根拠もない言いがかりであろう。そして、その言いがかりに弁明に来るのもまた逆用しよう。戦は避けられない。徳川が絶対に避けさせない。

 

どうせ戦が避けられないのであれば、卑屈に弁明の使者など送らずに、むしろ関ヶ原の直江山城さながらに挑発するべき。それにより豊臣家臣たちは秀頼様に将器ありと見て士気が上がり結束する。徳川に怨み持つ者を集め、そしてその者たちに徳川と徹底抗戦も辞さずと云う姿勢を示すべし。母の茶々の制止を振り切ってでも。そういう内容であった。

 

そして伯父快斎の予言通り、家康は呆れ果てるような言いがかりをつけてきた。あの本能寺の変さえ予期していたと云われる柴田快斎の慧眼さすがと云うことか。

とにかく、もう徳川との合戦は避けられない。ならば、もはや弁明など不要。

「伯父御…かたじけのうございます。この書なくば、私は家康に弁明の使者を送っていたでしょう。でも、そうやっても家康は豊臣を許さないのですよね。ならば戦い抜くまで」

 

側近の片桐且元を読んだ。

「と、云うわけで治長に江戸へ行かせた」

「ひ、秀頼様、徳川と戦うと!」

「こっちに戦う意思がなくても向こうにあるではないか。老い先短い焦りか、子供に小馬鹿にされるような言いがかりまでつけている」

「なりませぬ、ここは耐え忍び戦を避けるべきと!私が使者を務めます!」

「…且元、私はそなたに相談をしているのではない。決意を言ったのだぞ」

「秀頼様…」

「且元にやってもらいたい仕事は軍備だ。関ヶ原に伴い牢人となっている者は多いであろう。名のある在野武将をどんどん召し抱えよ。徳川家康に怨み持つ者を集めよ!」

且元は驚く、母親の言いなりになっていた彼と違う。いよいよ戦が避けられないと云う、この局面で眠っていた将器が出てきたか。

「徳川家康、目にもの見せてくれようぞ」

 

 

 

江戸城に到着した大野治長、四面敵ばかりだが気持ちは高まる。

(亡き快斎様のもと丸岡で戦った時を思い出す…。毎日が薄氷を踏む思いであったが、あれほど命が燃えたことはなかったからな…。巨大な敵に挑む、武人の本懐よ)

応対には本多正純が出た。どんなに卑屈になって言い訳するかと思っていたが

 

「正純」

いきなり呼び捨てだ。

「……?」

「改めて聞きたい『国家安康』『君臣豊楽』のどこが悪いのか」

「さ、されば『国家安康』は家康公の名を分断し、『君臣豊楽』は豊臣家の繁栄を願い徳川家に対する呪詛でござるゆえ!」

「本気でそう思っているのか?」

呆れて物も言えない、と云う態で笑う治長。

「無論」

「…もう少しマシな大義名分を見つけてほしかったものだな。ただ豊臣を潰したいだけだろうに」

「ふはは、先に呪詛をふっかけてきたのは豊臣であろう」

「ふう、お前じゃ話にならない。あのナマグサ坊主どもを呼んでこい。林ナントカとナントカ崇伝と云う破戒僧」

「こ、言葉を慎まれよ!」

「お前が言うな、この君側の奸が」

「わ、儂が君側の奸じゃと!」

「家康殿はもうちっと賢いと思った。お前のような君側の奸と破戒僧二人に良いように踊らされてなぁ…。何が海道一の弓取りか」

「修理殿!貴殿は自分が何を言っているのか分かっているのか!徳川家に戦を挑むか!」

「あんな子供じみた言いがかりをつけておいて、よく言うな」

完全に治長の独壇場だ。そして関ヶ原の直江状さながらに徳川家康の罪状を並べていく治長。正純は何度刀に手をかけたことか。

「家康も耄碌したものよ。老醜ここに極まれり」

「き、貴様…!」

「とにかく、喧嘩なら買うゆえ、いつでも寄せてまいられよ。また三方ヶ原のように馬上で糞を漏らしても知らんぞ、そう狸爺に伝えろ!」

 

治長は去っていった。まさか豊臣から挑発してくるとは想像もしていなかった。正純と治長の用談は祐筆が議事録として書きとめていたが、それを読むや家康は怒り

「修理め、いや秀頼!ようも言いたいことを!直江の書とてこれほど無礼ではなかったわ!」

 

しかし、これは予想外だった。秀頼は母の淀の方に逆らえず、甘やかされた御曹司。今回勃発しそうな徳川との戦いが初陣とも云える。それなのに使者をよこして堂々と挑発してきた。やはり二条城で見た時に感じた危惧は本物であった。秀頼には将器があるのだ。

「伊達に幼いころから快斎に仕込まれてはおらぬということか」

「太閤殿下の血というわけですかな」

 と、本多正純

「ふん、秀頼は太閤の子ではないわ。先の鶴松にしてもな。あの男には子種がないのだからの。現に秀頼は太閤と似ても似つかぬ美男ではないか」

「では噂通り…。修理が間男と?修理も実の子の窮地ならば必死ですな」

「修理の子にしては器が大きい男に育ったものよ…。二条城で会った時には本当に驚いた。十八かそこらで、あれほど堂々とした男を見たのは快斎以来だ。知恵と人格、秀頼はそれを備えている。庶民の人気もべらぼうに高い…。秀頼は磨けば光る…。磨く時間を与えれば、その光は徳川を飲み込むであろう…」

「では磨く時間を与えなければ良いだけのこと」

「その通りじゃ、とにかく今は豊臣を討つことに全力を注がねばならぬ」

ふう、と一つため息をついた家康。

「快斎、すまんが秀頼は討たねばならぬ。それがお前と儂の望む『戦のない世の構築』には不可欠なのだ。お前が溺愛した妹は助けてやりたいと思うが、そうもいくまい…。あの世でいかようにも詫びよう…」

 

 

豊臣家では戦準備に着手し、秀吉の遺産である金銀を用いて関ヶ原以後に増大した牢人衆を全国から結集させて召抱える。また豊臣恩顧の諸大名に大坂城に集結するように檄文を送り、決戦に備える。だが、大名は一家として応じなかった。池田利隆の元に行った使者などは指を切られて片目を抜かれたと云う。ここまでして徳川に誠忠を示す必要が大名によってはあったのだろう。

 

大野治長のもとには参戦を拒否する旨が書かれた書が次々と届いた。

「それほどに家康が怖いのか」

歯ぎしりする治長に茶々は

「太閤殿下の死後、寵愛された重臣に去られ、今また恩知らずの大名に背かれた。ただそれだけのこと」

「姫様…」

「そなたとて、この乱世の無常は分かっているでしょう」

「……」

「まあ…。太閤殿下の天下を兄に乗っ取らせようと思っていた私ですから…こうなるのも運命であったやもしれませぬ」

「しかし姫様、柴田からは連絡はありませぬ。甥御の丹後殿(勝秀)ならば!」

「丹後はそんな愚かではありません。沈みゆく船にどうして…」

 

「お茶々―ッ!!」

それは和平を主張して大坂城から追放された織田有楽斎であった。やはり茶々の叔父であるため、門番は立ち入りを厳しく制限できないようだ。

「お、叔父御、お立場を考えて下さい。ここはもはや叔父御にとって敵地も」

「それどころではないぞ、お茶々!」

血相を変えている有楽斎、顔を見合った茶々と治長。

「どうしたのですか叔父御、そんなに慌てて」

「し、柴田軍が!」

「え?」

「柴田軍が大坂方に参戦じゃ!」

「えっ、ええっ!?」

 

急ぎ、城門に駆ける茶々たち。堂々たる軍勢。見える旗は確かに柴田家家紋の二つ雁金、馬印は金の御幣、そして軍旗『歩の一文字』である。

 

「ああ丹後!叔母の私のために!」

徐々に近づいてくる柴田軍、不利な戦いにも関わらず、ただ一家だけ駆けつけてくれた甥を心から抱きしめたい、そう思い城門で待っていると

「……!?」

柴田軍の先頭にいる者は勝秀ではなかった。茶々はあぜんとして先頭にある者を見た。我が目を疑った。尚武を尊ぶ威風堂々の柴田軍を率いて参戦したのは

「あ、兄上様!!」

それは死んだと伝え聞いた兄の柴田快斎であった。ニコリと笑い、茶々の前で馬を降りた。

そして妹茶々の頭を撫でて

「お前が心配であの世から戻って来たぞ」




後編に続く!


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史実編異伝-大坂の陣-【後編】

柴田快斎は生きていた。徳川の凶刃から身を守るため、あえて死んだふりをした。大坂の快斎邸に訪れた本多正純は報告した。重病であり、もはや頭もボケていると。しかし正純が完全に快斎邸から離れるや

 

「ふっ、すっかり信じ込んだようだな、さすがは司馬仲達の知恵だ」

三国志の英雄、司馬仲達も仮病を使い政敵の油断を誘うことに成功している。快斎はそれを再現したと云うわけだ。

「さらに徹底させるぞ。丹後(勝秀)一月後に儂の死を江戸に知らせよ」

「分かりました。して父上…」

「ん?」

「徳川が大坂を攻め滅ぼそうとしたならば…」

「大坂につく。将はひょっとこ斎(前田慶次)のみを連れていく。だがお前は徳川につけ。親子で敵味方に分かれて家の存続を図るのは珍しいことではないゆえな。徳川が勝った時には儂とひょっとこ斎を見捨てよ」

「父上…」

「すまんと思う…。だが太閤殿下に降伏したおり、犠牲を強いた茶々を見捨てることは儂には出来ない…。大納言様(前田利家)にも秀頼様を託されたゆえな。儂は大坂につく。こういう時のために儂個人で蓄財はしてある。関ヶ原で九州の如水殿が兵を集めて挙兵したように、儂も丹波や近江で兵を募り、大坂に参じる」

「……」

「熟慮の上に出した結論だ。茶々は儂に太閤殿下の天下を乗っ取らせようと思い、怨み骨髄に至るであろう太閤殿下の側室になった。父母の仇である太閤殿下に純潔をくれてやる無念、いかばかりのものであったか…。儂はその覚悟に応えてやることが出来なかった。茶々を見捨てることは出来ない」

「兄上様…」

「初、京極家は徳川に付くであろう。そなたも丹後と共に徳川寄りを通すがよい」

「お心遣いは嬉しく思いますが、亡き高次様と私に子はおりませんので、良人亡き今、私は柴田家の女、兄上の方に付きたいと存じます。そして大坂に連れて行って下さいませ。妹の私が姉上を支えたいと思います」

「初…」

「お願いです」

「分かった。ありがたく思う」

 

「殿…」

「さえ」

「はい」

「すず、しづ、甲斐」

「「はい」」

「儂の武運尽きし時は、儂と共に死んでくれ」

「何を今さら。水沢隆広の妻になった十五の時より、その覚悟はいつでも出来ております」

自分の死後、平穏に生きよ。そんなことを快斎は言わない。息子勝秀を当主とする当代柴田家は徳川に付くと言うが、快斎自身は豊臣に付く。武運尽きた時、徳川が快斎の室たちを許すはずがない。柴田の存続を条件に差し出すよう命じられて処刑されるだろうが、そうなる前に自害するつもりである。武士の妻となったからには、そんなことは覚悟のうえのこと。

 

隠居の身なのだから安泰のみ考えを、なんてことをさえは言わない。と云うより、どんな苦渋を経ているとしても、良人が茶々を見捨てる決断をしたならば物申すつもりだった。それは家康を恐れての決断ではなく、柴田家を思っての決断であるからである。無論、家を思うのは大事なことだ。

だが、茶々に秀吉の側室になると云う犠牲を強いたうえに滅ぼすなどあっていいのか。お家大事を思うのは誤りではないが、尚武と騎士道を尊ぶ柴田家、理不尽に対しては毅然と否と牙を剥くのが柴田の心であり誇り。だから秀吉に謀反した時でさえ、家臣すべてがついてきた。

 

秀吉の側室になった覚悟の根源。今こそ、それに応える時ではないか。良人に武運なければ、それは仕方のないこと。私も運命を共にする。もう子供たちは自立している。母親としての責任は果たしたのだから。

すずとしづもすでに腹は括っている。徳川が豊臣を討つ時、良人は間違いなく豊臣につく。そんなことは分かっていたことだった。

「すずのことなど心配なさらず、存分なお働きを」

「しづも殿と運命を共にいたします」

 

そして甲斐は

「殿、甲斐を大坂にお連れに」

「馬鹿を言え、そなたの実家の成田家は徳川に仕えているのだぞ。息子才介を敵に回すのか」

快斎と甲斐の嫡男才介は成田家の世継ぎである。すでに母の元から離れて下野烏山において祖父氏長に養育が委ねられている。

「成田家も徳川の軍勢に参じるのは明らかであり、今年十三の才介は初陣となろう。敵勢に父と息子がいるのだぞ」

「丹後で留守をしていても、実家を敵に回しているのは同じこと。ならば実際に目の前で息子の初陣を見たいのです」

「恐ろしい母上だな」

「おかげさまで」

「よし、忍城、そして舞鶴攻防戦のように、再び姫武将に戻るがいい。儂は実際に見るのは初めてだからな。楽しみだ」

「ふふっ、惚れ直させてさしあげます」

 

「父上」

「ん?」

「父上がその気ならば柴田家は大坂方に参りましょう」

「なに?」

「これを本多殿が…」

本多正純が持参した書を広げた快斎。

「『大坂城を攻めるゆえ、柴田家も参陣せよ』…か」

「はい、父上にとって秀頼様は甥であり弟子、淀の方は実妹!あまりにも柴田家を馬鹿にしているとは思いませぬか!」

「……」

「いやしくも丹後若狭二ヶ国の国主に対して、見舞いのついでに寄こした書面一つで肉親を討てと言う!しかも大坂を落としても徳川に増える領地は豊臣領の六十万石だけ。大坂と言う要地を外様に与えるはずもなし。大名の財を絞り取る政策をしている幕府が金で報いようはずもなし。恩賞がないことは明らか!我らは天下泰平のために徳川に従ったにすぎませぬ!奴隷になった覚えはございませぬ!」

「確かにな」

書を握りつぶした快斎。

「父上、徳川の権勢から大坂方が出兵を要請しても応える大名は皆無と言えます。集まるのは牢人たちくらいのもの。だが柴田が参戦すれば分かりませぬ」

「丹後…」

「正直、もうウンザリです。京都に近い丹後と若狭を領しているゆえに我ら柴田は警戒され、天下普請でせっかく蓄えた財も奪い取られる。一度江戸に呼応されれば、なかなか領国に帰してもらえず、そればかりか何かと云えば江戸の町づくりを任命され浪費を強いられる!父上母上や重臣たちが倹約に励み、直賢が寝食削り交易に務めたのは丹後若狭の領民のため!徳川の顔色を伺うためではなかったはず!確かに天下人はそうやって大名の力を削がなければならないのでしょうが、それとて限度がございます!」

 

徳川の天下普請でもっとも酷使されたのは伊達家と柴田家である。家康は無理難題を押し付けて政宗の仙台藩、柴田家の丹後若狭藩の弱体化を狙っていたのだ。伊達家は現在額でいえば三十六億円の出費を余儀なくされたが、当主の政宗は耐え忍んでいた。

しかし、若い勝秀には耐えがたい忍従であった。父母と重臣たちが蓄えた財を放出せざるを得ないのが悔しくてたまらない。柴田家は伊達家以上に出費を余儀なくされている。領内で行う内政も天下普請のためなのかと思うとやりきれなかった。

「これが譜代大名でない、外様大名の宿命にございます。どんなに働いても信頼はされず冷遇されるのみ。あげく清正殿や浅野親子のように暗殺だってされかねない!」

加藤清正を始め、浅野長政・幸長親子、前田利長、堀尾吉晴、池田輝政と言った主なる豊臣家臣が近年続々と亡くなっている。徳川による暗殺か、そう考えても不思議ではない。だから快斎は仮病を示し、そして死んだことにもするのだ。

「関ヶ原では断腸の思いで師の治部少様と戦い!身銭を削って貢献してもこの仕打ち!もう我慢なりませぬ!」

 

「ならば丹後、お前も父と共に徳川と戦うと云うのか」

「はいっ」

 

さえを見た快斎、さえも同じ思いだ。どんな意図があるにせよ良人と息子が戦うなんて冗談ではない。こうなれば柴田総力挙げて徳川に挑むのみ。

「よう言いました丹後、柴田親子の恐ろしさを徳川に示すのですよ」

「はい母上」

「ならば何も言うことはない。もう少し儂の芝居に付き合い徳川にペコペコしておけ。あの狸爺、きっとロクでもないことしでかす」

「分かりました」

「儂は開戦直前まで身を隠す」

 

誰もが快斎の死を疑わなかった。それほど快斎の死んだふりは徹底していた。まず幕府の検死官、現役の大名ならば幕府の検死を受けなければならないのだが快斎はすでに隠居しているので、その義務はない。だからすでに荼毘に付したことを幕府に報告した。墓も立てて葬式も行っている。

 

正室のさえ、側室のすず、しづ、甲斐は女の命と云うべき髪を落として尼になり、それぞれ法名も名乗ったと云うから、良人と運命を共にすると云う覚悟たるやすさまじい。ここまで徹底した死んだふりである。幕府、そして丹後若狭の領民も快斎の死を疑うことはなかった。

 

そして快斎当人が、どこに身を隠したかと云うと、そこは日本海の孤島、かつて柴田家の水軍である若狭水軍が本拠地としていた島である。賤ヶ岳の合戦で棟梁の松波庄三は討ち死にし、そして豊臣秀吉の海賊禁止令から若狭水軍は滅んでいた。今は普通の島民として暮らしている。

快斎とひょっとこ斎はそこに潜伏していた。藤林の伝書鳩が快斎に逐一状況を知らせてくる。庄三の娘の那美、世が世なら斎藤家の姫であったが今は漁業を生業とする市場の顔役である。病で良人を亡くしており、独り身であったが気がつけば快斎の現地妻となっていた。那美も四十を過ぎているが何とも艶っぽく、快斎を悦ばせた。

 

「いや良かった、しかし外はまだ夕暮れ時で明るいってのに」

窓を見て苦笑する快斎。

「この島で漁を生業にしている者は今時分に子作りをして、それから寝るのです。そうでないと寝過して早朝の漁に間に合わないじゃないですか」

艶っぽく髪をたくしあげる那美。

「でも、世が世なら私とお殿さんは主従だったのよね~。でも絶対に主従の垣根を越えて私の男にしていたな。美男だし、アッチも強いし♪もう腰と足がガクガクよ」

「ははは」

 

「女将さん」

港の使い走りが伝書鳩の書を届けに来た。半裸の那美が襖の間から腕だけ出して受け取る。布団のうえでキセルを吸っている快斎、情事の余韻に浸っているようだ。

「お殿さん、藤林から」

「ああ」

事あれば、快斎は行ってしまう。少し残念だが一時忘れていた女の悦楽も味わった。止めることはすまいと思う。書を熟読している快斎の邪魔をしないよう那美は黙っている。

 

(大御所も必死だな)

君臣豊楽・国家安康の件が書かれてあった。

「那美、ひょっとこ斎に渡りをつけておいてくれ。明日の早朝、舞鶴に向かう」

「分かりました。船をご用意します。でもその前に」

「ん?」

「もう一度しましょ」

 

ひょっとこ斎も現地妻の家に入り浸りであったが、知らせを聞くや

「そうか、時が来たか」

彼の現地妻は大陸の娘であった。明の海賊の一員であったが船が座礁し、漂流して若狭水軍が本拠地としていた島に流れ着いた。明は清に滅ぼされており、すでに帰る家はない。ここで暮らすことにしていたが、日本語が話せないので嫁の貰い手もない。美貌であるのにもったいないと、ひょっとこ斎が身振り手振りで口説いて現地妻とした。名を春麗と云う。二人の会話は漢文による筆談である。

『もう行くの、慶次』

『ああ、戦が始まるからな』

『また会える?』

すでに愛妻加奈は先立ち子供たちは巣立ち、ひょっとこ斎は気楽な独り身だ。今は孫のような歳の異国の娘と睦みあっている。

『舞鶴から、この島までは二日だ。戦が済めば戻ってくる』

海に囲まれたこの島で骨を埋めるのも良いか、そう思った。しかし、その前に天下の軍と戦だ。関ヶ原で島左近と戦い、朱槍をしまう時が来たと思ったが、どうやらそうはいかないようだ。

『慶次、ご武運を』

『ああ』

 

翌朝、快斎とひょっとこ斎は漁船に乗って舞鶴へと帰っていった。島にいる時は漁も手伝い、何とも日焼けした男前となっている二人だった。城下町の領民たちは快斎の顔を見るや

「お、お殿様がバケて出た!」

と、驚いたと言うが快斎は笑って

「足ならあるぞ」

そう言って城へと入っていった。島男の服装から武士姿になり、髭もそって髷も整えた。日焼けした顔が男ぶりをあげている。

 

「大殿様、おなりにございます」

勝秀に父の帰城が知らされた。すでに重臣一同揃っている。小浜から奥村三兄弟も来ていた。だいぶ柴田家も世代交代している。関ヶ原から十五年経っているので合戦を知らぬ者もいる。しかし、それは徳川とて同じこと。

何より快斎にとって、いや柴田家に幸運なのは快斎が子福者と云うことであろう。しかも北漢最強の一族と呼ばれた楊家将さながら息子たちも優れていた。

 

長男 柴田丹後守勝秀(生母さえ)

次男 藤林伯耆守隆茂(生母すず)

三男 尼子石見守清久(生母岩村城主娘の美々姫、尼子養子縁組後に明家が認知したもの)

四男 日近新太郎勝友(生母二代目戦場妻おふう、先年に死去)

五男 水沢大作隆明(生母しづ)

六男 朝倉又八郎教景(生母さえ)

八男 佐々内蔵助政重(生母愛人ふみ)

 

養子 羽柴孫七郎秀明(羽柴秀次長男)

養子 羽柴孫八郎秀隆(羽柴秀次次男)

養子 石田佐三郎成広(石田三成三男)

 

実子にはまだ甲斐姫の生んだ七男の成田才介がいるが、もう丹後若狭を離れて下野烏山の大名となっている。しかし七人もの実子と三人の養子が父の采配のもと天下の軍と戦うことになる。いずれも父の快斎や重臣たちから厳しい教えを幼少から受けており、ひとかどの武将に成長している。

しづの息子が水沢家を継いでいるのが何とも快斎らしい。養父の長庵こと水沢隆家はしづを助けて命を落としたのだ。その息子が水沢家を継いでくれるならあの世の隆家も喜んでいよう。

 

養子もただ縁組のために迎えられたのではなく、本当の息子のように快斎は愛している。特に羽柴秀次の息子たちは死の直前に救われたうえ、武将として厳しく温かく育ててくれた養父快斎を心より尊敬している。実父秀次もあの世で複雑な気持ちかもしれない。

 

八男の佐々内蔵助政重は数いる快斎の愛人の子で唯一柴田家に迎えられた少年である。快斎は愛人の子を基本的に柴田家には迎えなかった。認知して十分な養育費は出していたが、愛人たちが快斎の室たちに遠慮したか、もしくは武士にさせるのを拒否したとも言われている。快斎の愛人の子らには後に茶人や絵師など文化面で名を残した者が多くいるが、一人だけ舞鶴温泉を任せたふみが生んだ男児だけ快斎がふみに頼んで柴田家に迎えた。

理由は伝わっていないが、快斎が『これはものになる』と言ったのは確かなようだ。以後政重は柴田家で養育されて、佐々家を継いだのだ。柴田明家の子に佐々家を継がせる。これは亡き佐々成政との約束であった。

 

ちなみに他にも快斎の実子と養子は多くいるが、まだ幼かった。しかし、この局面で七人もの実子と三人の養子を連れていけるのだから父親冥利に尽きると言えよう。

 

快斎が城主の間に入ってきて、勝秀の傍らに座った。当主はあくまで勝秀なのだから当然だろう。

軍議が始まった。快斎の代であれば彼の一声で話は決まっていた。快斎と勝秀の将としての性質はまったく違う。父の快斎は上杉謙信のように自分で方針と作戦を考えて家臣に伝えると云うもの。彼は家臣をグイグイ引っ張っていく将である。

 

しかし、息子の勝秀は違う。武田信玄のように家臣とよくよく協議して物事を決める。これは勝秀自身が才覚と器量は父に及ばないのだから、家臣によく補佐してもらわねばと考えていたゆえだ。勝秀は家臣に支えられて大事を成せる将である。快斎もそのやり方でよいと思っている。快斎ほどの者が『儂は勝秀の足元に梯子を架けても及ばない』と言うのも、こういう家臣の用い方を評価していたからだろう。

 

その勝秀が軍議を始めた。とはいえ、もはや徳川と豊臣どちらにつくかの議論はすでに終わっている。先代が『死んだふり』などと云う姑息な手段を使わざるを得なかった柴田家。ことごとく死んでいった豊臣寄りの大名、百歩譲って徳川が暗殺に踏み込んでいないとしても、あまりにも続いている。疑念を抱くのが当然である。家康がたとえ指示していなくても家臣たちがやったことを半ば黙認していたのであれば同罪。先代に『死んだふり』などと云う恥を強いらせるに至ったことに柴田将兵は怒りに燃えていた。暗殺で大事を成した者などいないことを教えてやると云う気概だ。勝秀が口火を切る。

 

「皆も知ってのとおり、豊臣家は徳川との決戦に備えて諸大名に参戦を要請した。しかし現時点でその参戦要請に応じた大名はない。また当家は返事そのものをまだ出していない」

「「ははっ」」

「徳川からは参戦を命じられている。しかし、もはや徳川に尽くしても報われぬことは皆も重々分かっていよう。今回の参戦にしても本多正純が父快斎の見舞いに来たついでに書面一枚を私に手渡しただけ。許し難い傲慢である。かつ立て続けに行われている大名の取り潰し。百の功績があろうと、一の失敗で帳消しにされて取り潰しの名目とされる。我ら柴田家は丹後と若狭と云う要地を治めている以上、徳川は取り潰しの名目を虎視眈々と狙っていよう。そんな盟主にはもう仕えることは出来ない」

「「ははっ」」

「大坂に付くのが不利とは分かっている。しかし当家が太閤殿下に降伏するさい人身御供も同然と相成った叔母を見捨てることは出来ない。我々柴田家の気風は尚武と騎士道、強い者に尻尾を振って何が尚武か、柴田家のため、あえて太閤の側室となり、今も徳川の圧迫にジッと耐えている叔母を見捨てて何が騎士道か」

「「御意」」

「徳川に尽くしても未来はない。しかし豊臣であれば我らは譜代と相成ろう。若く聡明な秀頼様こそ御輿に値する。徳川家康、関ヶ原から十五年、この国に戦を発せさせなかったことは評価してくれよう。しかし、そろそろ舞台から降りていただく。一堂、腹をくくれ。この豊臣と徳川の戦こそ柴田の桶狭間である!!」

「「オオオオオオオッッ!!」」

 

快斎は口を出すまでもなかった。よき柴田の当主となったと満足している。

「父上」

「ん?」

「大坂に大名は呼応せずとも、徳川に怨みを持つであろう牢人たちは檄に応え、どんどん入城しているとのこと。しかし、そのままでは烏合の衆。全軍をまとめる指揮官がおりませぬ。秀頼様は伯父にて師である父上に全軍の総大将を委ねましょう」

「そんなことは分からん」

「いや、そうしなければ徳川に勝てないことは誰にでも分かるはず。叔母上もそう思うに相違ございません。その時はお受けあるよう。我らは豊臣方総大将となった父上の采配に従いまする」

「そうなったならば柴田が全軍に範を示さねばならん。最前線に出てもらうぞ」

「「望むところ!!」」

奥村三兄弟が声を揃えた。特に父の助右衛門さながらのいくさ人である長兄兵馬には待ちに待った出陣だ。天下の軍と対決、いくさ人冥利に尽きる。

 

「では補足を言おう。いま徳川と戦うにいたり、それならば何故関ヶ原にて徳川に味方したのかと思う者も中にはいるであろう。その点について話しておく」

「「はっ」」

「あの時点、秀頼様は御歳七つであった。もし西軍が勝っていれば間違いなく、最初に打倒徳川の狼煙を上げた冶部少(石田三成)が実権を握ることは明らかであった。儂は別にそれでも一向に構わなかったが、残念ながら他の諸大名が従うとは思えない。織田と豊臣で成してきた天下統一は消滅してしまい、日ノ本惣無事など意味も無くなる。間違いなく群雄割拠となったであろう。儂が父母の仇である太閤殿下に仕えたのは『戦のない世の構築』のため。それを思うと関ヶ原では徳川に付くしかなかった。中立はまず通用しない局面であったゆえな」

「それゆえ父上は断腸の思いで冶部少様と袂を分けた」

石田三成は勝秀の師である。勝秀はいまだ尊敬しており、冶部少様と呼んでいる。

 

「結果は徳川家康率いる東軍が勝利、その後も内府は秀頼様に忠節を示していた。その後、内府を中心にして秀頼様を盛り立てていれば良かったのだが、内府殿は徳川による武家社会を築くため秀頼様を遠からず害するつもりであったようだ。江戸幕府開闢後、儂は何度か徳川と豊臣の共存について内府に上奏したことがあるが返事が来たことはない。上奏の内容はこうだ。『秀頼様が徳川に臣下の礼をとり、茶々を江戸に人質として送り、大坂城を明け渡す。そのうえで豊臣家を関白家とし、豊臣と徳川をこの国の公武の両輪とする。これは豊臣家に名誉だけ与えて武力を取り上げることになるが厚遇には違いないため徳川に不満を抱く大名が秀頼様を担ぐ名分が立たない。豊臣家は京の聚楽第の地に居を構えて公家として存続する』そう上奏した」

「なるほど、それを入れていたらもっとも平和的に戦国の世を締めくくれましたな」

と、奥村兵馬。

「徳川は江戸に幕府を開いた。それは別にいい。統一政権が無ければ、この国は大陸や欧州列強に攻め込まれて滅ぶ。だから豊臣家は織田が豊臣に仕えたと同じくすればよいだけのこと。しかし共存と云う選択肢を徳川は最初から持っていなかった。儂には茶々も秀頼様の側近たちも、そして加藤清正殿を初めとする豊臣寄りの諸大名を説得する自信はあった。何故なら、すでに高台院様(秀吉正室)を味方につけていたからだ」

高台院こと秀吉正室ねねは、明家が正室さえ大病のおり、秀吉の命令を無視してでも病身の妻の元を離れようとしなかった行為に感動し、それ以来明家びいきであった。そしてその後の本性寺の件でさらに明家を気に入り、何かといえば高台院は明家を、今の快斎を頼りとしていた。

その高台院は加藤清正や福島正則に強い影響力を持つ。古の唐土の縦横家、張儀さながらの懸河の弁を持つ快斎に高台院が味方についたならば大坂城明け渡しも出来ない話ではない。家康から返事がなく、焦れた快斎は独断でことを行い、豊臣の説得に当たろうと思ったが驚いたことに家康から待ったがかかる。平和的な解決を是としない家康は、快斎が豊臣を説得することを認めなかった。

 

しかし、家康はこのあたりから本気で快斎を警戒しだす。なるほど隠居の身で、用いる兵は一人としてない。日々やっているのは秀頼の指導と女体いじり。第三者から見れば、昼は若者の教育、夜は女を堪能している。この時代どこにでもいた武家の隠居親父にすぎないが、依然、水沢隆広・柴田明家・柴田快斎の名前は絶大であった。

 

何せ一度も負け戦をしていない男であり、慶長の役では全軍の指揮を執っている。二度目の朝鮮出兵である慶長の役には日本中の諸大名が渡海しているのだから、それは大軍勢である。柴田快斎は日本史史上、もっとも多くの将兵を率いた将と云え、そしてそれを見事に統率し、縦横に用いているのだ。戦国時代、野戦をやらせれば最強の武将だったといえる。

 

その戦場の強さに加えて、諸葛孔明顔負けの智謀知略を誇る。たとえ在野の好々爺となっても徳川にとって、これほど恐ろしい男はいないのだ。いずれなりふり構わぬ行為に出ることは明白であった。ゆえに快斎は死んだふりを徳川と豊臣の戦が決定するまで通したのだ。だが、もう戦うに決した今、そんなことをする必要はない。

 

「徳川殿はこう申すだろう。『快斎、わしとお前が望んだ戦のない世の構築のためには秀頼は殺さねばならん。鬼と呼ばれようが仕方のないことだ』と。しかし、どんなご立派な大義名分を立てようが、徳川が大坂を蹂躙しようとしているのは確か。戦を起こすのが徳川である以上、我ら柴田は黙っておらぬ」

「「大殿!!」」

「我が愛する息子たちよ、誇りである家臣たちよ」

「「ははっ」」

「徳川を討つ!我に続け!!」

「「オオオオオオオオオオッッ!!」」

ついに柴田快斎が徳川家康に牙を剥けた!

 

柴田快斎、大坂方に参戦。

 

これは諸大名にとって激震であった。生きていたことも驚きであるが、今まで野戦で負けたことのない合戦の天才が敵方についたのだ。家康はすでに大坂に向かっていたが、浜松の陣場で柴田快斎が生きており、大坂方に参戦したと聞くや

「か、快斎が生きておったと!しかも大坂方に参戦じゃと!」

あまりの驚きにめまいを起こして倒れてしまったほどだ。家康はそれほど柴田快斎を恐れていたのだ。快斎個人でも恐ろしいのに、その人望と実力に伴い、大名の中に大坂方につく者が続出することになるだろう。

「も、申し訳ございませぬ!上野介(正純)、まんまと快斎の猿芝居に騙され申した!」

「今さらそれはどうでも良いわ!しかし快斎め、なぜ死んだ真似などを!」

「おそらく、ここ数年で急死した豊臣重臣たちの死を徳川による作為と思ったのでございましょう。それで暗殺されるのを防ぐために、あえて死んだふりをして水面下に潜んだものと」

「くっ…!やっぱり快斎を真っ先に殺しておくべきであったか!」

豊臣寄りの将を暗殺していたのは、どうやら事実だったらしい。しかしそれも家康からすれば『泰平の世を作るためには仕方のないこと』と云うことなのだろう。

 

「…申し訳ございません。快斎の用心深さが尋常ではないうえ、側近の前田ひょっとこ斎は老いたりと言え手だれ、護衛する藤林の強さも並々ならず。ついに今に至るまで…」

と、柳生宗矩。

 

「今からでも遅くはない、殺せ!快斎が大坂に付いたとなれば毛利も島津も伊達も前田も豊臣に付きかねぬぞ!」

「はっ!」

宗矩は部屋を出ていった。

「それにしても大変なことに相成り申した…。柴田快斎は名うての戦上手のうえ柴田の兵は精強…。反して我ら徳川には関ヶ原さえ体験しておらず、こたびの戦が初陣の者も多うございます。百戦錬磨の快斎の前では敵にもなりますまい…」

「そんなことは分かっておるわ正純!徳川に快斎と互角に戦える者など、もうおらん!」

 

もはや関ヶ原を共に駆けた徳川四天王もこの世にない。豪勇の士ならば徳川にもいる。しかし快斎に匹敵する戦場の指揮官はいない。それどころか敵にすらなるかどうか。快斎は上杉謙信や真田昌幸にも負けなかった男であり、賤ヶ岳では快斎だけが秀吉に勝っている。しかも、相手より兵力が少なかったのにも関わらずである。秀吉の配下になってからは、豊臣秀長や豊臣秀次の軍師も務め、朝鮮の役では事実上の総司令官ともなっている。島津、毛利、伊達さえも、その采配に従って戦っている。渋々ではなく、その大名らが総司令官になってほしいと頼んでいるのだ。快斎の用兵は同時代を生きた武将たちすべてが認め、そして畏怖した。秀吉は快斎の才覚と器量を恐れ、家康とてかなわないと思っている。快斎は戦国後期、最大の名将なのである。

 

そんな男が敵に回れば、徳川に付くことに二の足を踏む者がどれだけ出てくるか。この時代に生きている武将で快斎と互角に戦える武将は真田信之、藤堂高虎、伊達政宗、上杉景勝の四人くらいだろう。しかしこの四人は外様、天下普請で徳川に不満もあるだろう。何より四人とも快斎と親しい。徳川が劣勢になったら敵に周りかねない。いや、開戦に及ぶ前に豊臣方に付くことも考えられる。

 

「快斎の馬鹿者が…。そなたの大望は『戦のない世の構築』であろう!秀頼あるうちは悲しいかな、その世は到来せぬのだ!この後に及んでくだらぬ情に流され、乱世を締めくくるこの戦に横やりを入れるとは!」

 

家康が豊臣重臣の暗殺を指示はしていたか否かは柴田からでは分からない。だが、あまりにも主なる将の訃報相次いたのでは快斎とて用心せざるを得ない。結果それが功を奏した。

 

何より、伊達家と柴田家を徹底して酷使している家康を苦々しくも思っていたのも確かである。最初は天下人はやらざるを得ないと受け入れていた天下普請の数々だが、それとて限度がある。勝秀の言う通り、これが外様の宿命なのかと腹立たしく感じていた。

「天下普請で酷使されるのが気に入らなかったか、外様と冷遇されるのに腹を立てたか、しかしな快斎、お前のような男に力を持たせておくわけにはいかなかったのじゃ!」

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

大坂城内に入った快斎を出迎える秀頼

「伯父御、よく来て下さいました」

「はっ」

「死んだと伺った時、母上は毎日泣いていたのですよ、いかに身を守る方便とは申せ、今後は慎んでいただきとうございます」

秀頼の言葉に頬を染める茶々だった。

「秀頼、余計なことを言わないの!」

「ははは、これは手厳しい。まったく秀頼様の言われる通りにございます。今後はかような下策は用いませぬとお約束いたします」

「では柴田快斎」

「はっ」

「そなたを豊臣軍の総大将を命ずる」

「いや、それは隠居の身でお受けできかね…」

「恐れながら、唐土の司馬仲達のように一度二度断って味方の嫉妬を買わぬようと云う駆け引きは無用、豊臣にそんな時間はないのですから。味方の嫉妬を氷解するのは総大将になってから取り組むよう願いたい」

「ほう…参りましたな。見抜かれましたか。いかにも司馬仲達と同じよう最初から引き受けるつもりでしたが、秀頼様の見込む理由で一度二度断ろうとしていました。しかし、バレちゃ仕方ない」

「では快斎、頼まれてくれるか」

「はっ、柴田快斎、慎んでお受けいたします」

「うむっ!」

秀頼は太閤秀吉愛用の采配を快斎に渡した。両手で受ける快斎。

「柴田快斎、豊臣軍総大将として徳川家康を討てっ!!」

「ははっ!!」




はい、ここで終わりなんです。このお話は随分前に書いていましたが、この後の展開に自分で合格点を出せるものが書けず、ずっと私のPCのHDに眠っていましたが、久しぶりに読み返してみて、ふと『ん?ここで終わらせてもある程度の形になっているじゃないか』と思い、見ての通りのアップいたしました。この物語における大坂の陣はどうなるのか、それは皆さんのご想像にお任せしますね。

本作は2012年に書いたものなのですが、ここハーメルンで再掲載を要望して下された方がいたので本当に嬉しかったです。読んで下された皆様に感謝です!


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