満身創痍の英雄伝 (Masty_Zaki)
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平原の遥か向こう
槍使いと魔法使い


ノリと勢いだけで始めたこの作品、亀更新になります。
それでも一応完結までには向かわせるつもりです。よろしくお願いします。
カーニバルファンタズム的なノリで書きたい。

「ランサーが死んだ!」

「この人でなし!」


 かつては霧の町、ロンドンと呼ばれたこの地には、とある1つの伝説が語り継がれていた。

 裏路地を抜けて、ひたすら人目のつかない建物の裏を抜けていくと見つかる公園の広場、そこには――

 

 ――雄々しくも美しい、紅い、ひたすら紅い長槍が、大地に突き刺さっているのだという。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 ヨーロッパのとある平原、青髪の青年は、片手に槍を引っさげて、体中を傷だらけにして、トボトボ歩いていた。

 やつれて生気のない顔を見ると、どうやらまともな食事をしばらく取っていないようだ。

 それでも、ただ生きようと光る紅き双眸は、少し遠くに見える町を捉えていた。

 

「ようやく、まともな飯にありつけるぜ……」

 

 時間を掛けて、一歩、また一歩と、町に近づいていく。

 そしてようやく、町中のとある食堂に辿り着いた。

 どっかりともたれるようにして椅子に座り、ほっと一息つく。

 思えば今回の長旅も、過酷で不幸だった、などと思い出にふけながら、注文をする。

 水の入ったコップを受け取り、一口啜る。

 久しぶりの冷たくて清潔な水に、涙が零れそうになる。

 そして、ウェイトレスが、青年の注文したものをテーブルに並べ、一礼して奥に戻っていった。

 青年が目を輝かせながらフォークとナイフを手に取り、料理にその刃をかざそうと――

 

「いただきますっ!」

 

 生きる希望と喜びを、この大地の食材に感謝の気持ちと共に乗せて、声高らかに挨拶した瞬間――

 

 ――ウワァアアアアアアアアアアアアアアア…………

 

 外から妙な喧騒が聞こえるので、何事かと振り返った。

 よく分からなかったため、何も聞かなかった振りをしてもう一度振り返ったときには――もう遅かった。

 彼の料理に、矢が刺さっていた。

 それも、何故か燃えていた。

 恐らく火矢でも打ち込まれたのだろう。

 青年は、既に半泣きになっていた。

 それだけならまだよかったのだが。

 

 ――オルルァアアアアアアアアアアア!!!!

 

 武装をした男たちが何人も店内になだれ込んでくる。

 吃驚した青年は、その場を動くことが出来ず、ただ呆然としていた。

 気を取り戻したのは、彼のテーブルがひっくり返されてから。

 自分の料理が地面に落ちて、台無しになってしまったのだ。

 

「テ、テメェら、いい加減に――」

 

 青年は怒りに震え、立てかけてあった紅い槍に手を伸ばす。

 そして。

 

「しろよぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」

 

 吼えた。

 

 吠えた。

 

 咆えた。

 

 そして武装した連中をその槍で片っ端から倒していく。

 抵抗する人間が現れたので、それを鎮圧しようと武装集団は青年を取り囲み、厭らしい笑みを浮かべる。

 

「俺の久々の飯を台無しにした罪は、あの世で償いやがれェェェエエエエエエエエエエエエ!!!!」

 

 次の瞬間には、彼の周りにはごろごろと死体が転がっていた。

 結局楽しみにしてた食事もとれず、なけなしの金も今の注文で失ってしまったので、完全な赤字で彼は泣きそうになっていた。

 仕方がないので青年はその場を立ち去る。

 店から出て辺りを見渡すと、あちこちで騒動が起こっているようだった。

 

「おいおい、こりゃ一体何だってんだ……?」

 

 すると、同じく武器を持った男三人組がこちらに寄ってくる。

 明らかに険悪な雰囲気。

 応答を間違えれば殺されるだろう。

 

「お前、この辺の人間じゃないな。魔法使いか?」

 

 魔法使い、というワードを聞いて、青年はこれが何の騒動か分かったみたいだ。

 

「魔女狩り、ねぇ……」

 

 考え込むように首をひねって、そしてこう思った。

 

 ――面白れぇ。

 

 とりあえずそのにやにやした態度にむかついたようで、男たちを蹴散らしておいた。

 その時、どこからか悲鳴が聞こえた。

 恐らく、標的となって追いかけられているのだろう。

 青年はその音源の場所をいち早く特定して、たかってくる雑魚共を瞬殺してすぐにそこに向かった。

 

 

 場所は路地裏、このまま行けば行き止まりなところである。

 そこには少女が一人、絶望に身を震わせながら、身を屈めて座っていた。

 そして、それを取り囲む武装集団。

 少しずつそれぞれの得物を持って迫ってくる。

 逃げ場はなく、既に身を守る術もなくしていた。

 ここまでか、と思った時、その集団の後方から、怪しげな雄叫びが――

 

突き穿つ死翔の槍(ゲイ・ボルク)!」

 

 突如男たちの背後から爆音が鳴り響き、爆風に男たちが巻き込まれていた。

 その様子に少女は呆然と見ていることしか出来なかった。

 同時に思った。

 

 ――助かった。

 

 煙の中から一人の人影が現れる。

 紅い槍を持った雄々しき姿。

 青色の髪を後ろで束ね、鋭い紅眼は彼女を見つめていた。

 

「大丈夫か?」

 

 青年は少女に聞く。

 少女はそれは違う、と思った。

 それは貴方が言う科白ではない、と。

 なぜなら。

 彼の方が圧倒的に満身創痍であったからだ。

 額から地を流し、来ている洋服もところどころが破けて血が滲み、挙句の果てに背中に矢が数本刺さっていると来た。

 これを見て心配しない人はいないだろう。

 とにかく、辺りは既に放火されたり爆破されたりしたせいでところどころが崩れ落ち焼け落ちているので、もはやここは人間が住めるような場所ではなくなってしまった。

 

「わ、私は大丈夫……ですが……あなたは――」

 

「――ルー!?ジルー!?」

 

 遠くで誰かが人を呼ぶ声がする。

 この町に住んでいた人の知り合いの人だろうか。

 そうなれば今目の前にいる娘を保護してくれるだろう。

 青年はそう思ってほっとしていた。

 そしてその声の正体が姿を現した。

 黒いローブを身に纏い、それと対照的に当たりに光を撒き散らすような美しくなびく金髪、そして、サファイアを彷彿とさせるような澄んだ蒼い瞳。

 紛れもない美少女が、青年の前に現れて――

 

「あ、あんた、ジルに何をするつもり!?すぐにそこから離れなさい!」

 

「ちょ、リッカ!?」

 

 助けた少女がリッカと呼ぶその美少女は魔法のワンドを構えてこちらに振りかざした。

 惚けていた青年は突然後方に吹っ飛ばされる。

 風を操って対象に衝撃を与える攻撃魔法を行使したのだ。

 

「ぐぅおあッ!?」

 

 青年は満身創痍の体でその攻撃を正面から受け、かなり痛手を受けたようだ。

 青年はゆっくりと立ち上がる。

 そして自分に危害を加えた美少女を、ありったけの殺意を籠めて睨みつける。

 

「テメェも俺をぶっ殺そうってか……。上等だァ!かかってこいやァーー!!」

 

 青年は槍を構えて美少女に肉薄した――

 

 数分後。

 

「……」

 

 青年は美少女の前で情けなくうつぶせに倒れていた。

 残念ながら手負いの状態では勝てない程の魔法の使い手だったようだ。

 

「そんな状態で私に勝とうなんて百年早いわ!」

 

 美少女は青年を睨みつけて吐き捨てるように言った。

 だがしかしこの状況に満足していないのが一人いたりする。

 

「えっと、だからリッカ、この人は私を助けてくれたんだよ……」

 

「えっ」

 

 少女は金髪の美少女に、この青年が追い詰められた自分を救出したこと、規模の大きい騒動を、たった一人で鎮圧したこと。

 そしてその際に深手を負った状態で、勘違いした金髪美少女と相対したこと。

 

「えーっと、その、大丈夫……?」

 

「これが大丈夫に見えるなら医者にかかることをお勧めする……」

 

「あの、その、……ごめん?」

 

 何故か疑問系だった。

 なんとなく勢いだけで始まってしまったものだから、正直自分に非があるかどうか分からないようだ。

 そして、その様子を見ていたそばかすの少女は、ばつが悪そうに苦笑していた。




早速ジル・ハサウェイ生存ルート。
これで原作リッカルートは脆くも消え去ったのだった……
さぁて、風見鶏入学まであと百数十年!
どうすっかなぁ……?


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出会いと旅立ち

ランサーは死ぬから不運なのに、死なないから不幸レベルが某ラノベ不幸主人公と似たような感じになってるなぁ。
にしても、やっぱりクー・フーリンって名前、やりにくい……。


 とある草原。

 そこでは三人の男女が横に並んで歩いていた。

 一人は黒いローブを身に纏った金髪美少女、リッカ・グリーンウッド。

 一人は同じようなローブを着た、橙色のセミロングヘアを持つ、そばかすが特徴的な優しい雰囲気のこれまた美少女、ジル・ハサウェイ。

 そしてもう一人は、全身が真っ白――包帯で体中がぐるぐるに巻かれ、その手には真紅の槍を持ち、蒼い髪を後ろで束ねている――はずの男、クー・フーリン。

 はず、というのも、正直包帯でよく分からない。

 とりあえずリッカの誤解は解けたようで、近くの小さな村で一日宿泊し、ちゃんとした食事も取って(ここ重要)、お互いに自己紹介をした後、再び旅路についた感じである。

 

「ったく、初対面の人間に何の確認もなくとりあえず攻撃ってどういう神経してんだ、テメェは……」

 

 やはり昨日の事件をまだ根に持っているのか、恨みがましくリッカを睨んでは文句を垂らす。

 怒りと非難から出た言葉だったが、いきなり吹き飛ばされたのもあり、若干恐怖も交じっていたりするのは内緒である。

 

「だから、それについてはちゃんと謝ってるでしょ?ごめんって」

 

「それにしても凄かったよ、あんなにたくさんの敵をたった一人で纏めて相手にして、怪我しても平気で動き回って次々にやっつけちゃうんだもん。クーさんって、本当に強いね」

 

 ジルの心からの尊敬の言葉、こういうのが恥ずかしげもなく口から出てくるのを見ると、彼女はメンタル的に多少飛び抜けたところもあるのかもしれない。

 

「あーそうだ、そんな最強の俺様を、見ず知らずの人間で武器持ってるからって何の確認もなしに攻撃してくるって、お前いい根性してんな!今度絶対にぶっ潰してやる!」

 

 これが昨日瀕死の重傷を負った人間の言う科白だろうか。

 まず違うだろう。

 

「まぁまぁ……」

 

 喧嘩に発展しそうな二人をジルが宥める。

 と、リッカが急に顔を背けて、ぼそっと呟く。

 

「それと――」

 

「あ?」

 

「ジルを助けてくれて、ありがと……」

 

「なんだ、急にしおらしくなりやがって。ま、こちらも衣食住に困らない生活をお前らから提供してもらう約束だから、これでおあいこだ……」

 

 衣食住、という単語を発した時に妙に言葉が弾んだのは彼の性なのだから仕方がない。

 とりあえず三人とも纏まったようで、

 

「クーさん、あなたはどこから来たの?」

 

「アイルランドだ。もう旅を始めて早五年ってところか。ちょっと途中でハプニングとか事故とか事故とか事故とか事故とかあり過ぎて超エキサイティンだったが」

 

「よく生きてたわね……」

 

「ああ、あれは間違いなく俺じゃなけりゃ今頃あの世でこっちの人間を温かく見守ってるぜ……」

 

 その時のクーの顔は、何故か喜びに満ちていた。

 明後日の方を見上げながら、思い出に浸るような、輝かしくも、哀愁を漂わせた笑顔。

 おかしくなったのだろうか。

 いや、もともとおかしいが。

 

「そ、そうなんだ……。私たちは、イギリスからだね。リッカに旅に出ようと誘われて、ずっと一緒にいたの。でもある時ちょっと私用でリッカと離れることになっちゃって、それであの町で暮らしてたんだけど、そこで魔女狩りにあっちゃって……」

 

「そこに俺が偶然でしゃばったってわけか」

 

「うん、あの時のクーさん、カッコよかったよ!」

 

 ジルの、感情を包み隠すことのない純真な言葉は、感謝の念と、何か、そう、別の何かと共に紡ぎだされる。

 

「うっ、そういう思ってもないことを言うな」

 

「そうよ、全身血まみれで『大丈夫か』なんて、逆に怖いでしょ」

 

「えー、そうかな?」

 

 普段過酷な環境に生きているクーは、そもそも人と触れ合う機会は少なく、勿論誰かに褒められることなんてなかった。

 だからジルのストレートな褒め言葉は、クーにはちょっと刺激の強いものだったようだ。

 しばらく歩いていると、丘の上から、町の風景が見えてきた。

 少しばかり治安の悪そうな町だったが、人の出入りは頻繁みたいで、商業も割りと盛んなようだ。

 クーが先を急ごうと思っていると。

 

「ちょっとここらで休憩しない?」

 

「あ、うん」

 

 突然の休憩の物言いで、クーは出鼻を挫かれてしまった。

 仕方がないからリッカとジルが座っている隣に同じように座り込み、そしてその勢いのまま横になった。

 

 ――思えばこれがいけなかった。

 

 空を見上げれば、晴天に浮かぶ白雲、そして優雅に飛び回る鳥の姿。

 その鳥の影がクーの真上を通過して――

 

 ――ベシャ。

 

『アレ』を落とされた。

 

「んごっ」

 

「あっ」

 

「あっ」

 

「……これで何度目だよ……」

 

 とりあえず起き上がって、リッカたちを見る。

 リッカとジルはドン引きして、座りながらもクーから離れようとしていた。

 逃げ腰だった。

 

「おい、何逃げようとしてんだよ。別にいいじゃねーか。爆弾投げられたわけじゃあるめーし」

 

「投げられたことあるんだ……」

 

「日常茶飯事だ」

 

「ははは……」

 

 ジルの乾いた笑い声が青空に溶けていく。

 なんともシュールな会話だった。

 

「とりあえず、これで拭きなさい」

 

 リッカは懐からハンカチを取り出し、クーに手渡す。

 クーは何も言わずに手にとって、無遠慮に『アレ』を拭き取った。

 

「返さなくていいから……」

 

 リッカが顔を引きつらせながら補足する。

 クーはそうか、と返事をすると、拭いた面が裏側になるように折りたたみ、自分のポーチにしまった。

 それからジルの勧めでお茶をみんなに配り、のんびりしながら啜る。

 

「平和だ……」

 

 そうしみじみと呟いたのは、他でもないクーであった。

 というかかなり切実だった。

 その顔は敗戦でたった一人戦場から帰還した兵士の、生存に幸せを噛み締めるような表情だった。

 その呟きに、リッカもジルも何も言い返すことができず、ただクーがどれだけ悲惨な毎日を送っていたか、彼の実際の生活にも及ばない想像をしていたのだった。

 つまりは、クーの不幸っぷりは彼女たちの想像以上、ということである。

 

「まぁ、とにかく、先はまだ長いわ。休憩はこれくらいにして、早くあの町に行きましょ。宿も取っておかないと」

 

「ああ、そうだな」

 

 クーがリッカの意見に同調する。

 おもむろに立ち上がって、立ち上がりに失敗する天然なジルに手を貸して立ち上がらせる。

 その時ジルの頬に朱がかかっていたのはクーには分からなかった。

 

「それじゃ、誰がこの丘から降りるのが一番早いか競走しましょ!」

 

 そう提案したのはリッカだった。

 

「ハッ、それじゃ俺様が一位確定じゃねーか」

 

「うるさいわね、一度は私に負けたくせに」

 

「お前はあんな状態の俺に勝って嬉しいのか……?」

 

「勝ちは勝ちよ。それじゃ、よーい、どんっ!」

 

 ジルとリッカはほぼ同時に走り出した。

 慌ててクーも追おうとしたのだが、出だしに怪我で足がもつれたのと、石に躓いたので大転倒する。

 そして運悪くそのまま坂を転げ落ちる。

 勿論、魔法による治癒を受けたとはいえ、全身怪我をしたばっかりだったので、地面と接触する度に体に痛みが走る。

 

「ぬおおおぉぉぉぉぉおおおおん……」

 

 クーの悲痛な呻き声が、青空の下の丘に響き渡った。




こっち書いてるの楽しいけど、原作に辿り着くまでどうやって話進めようか。
ネタはいくらかあるんだけど、なんせ百年以上も時間差があるからなぁ。
飛ばし飛ばしで……いいよね?


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荒ぶる紅き槍

一対多数の戦闘描写ってなんでこう難しいんだろう。
もっと流れるように、メリハリを利かせたい。


 舗装された道をしばらく歩くと、村の入り口が見えてきた。

 

「やっと着いたね、リッカ!」

 

「ようやくゆっくり休めるわ……」

 

「テメェら俺の飯代しっかり払ってくれるんだろうーな?俺、お前らに会う前に、財布を猿に盗られてから、いざというときのためのなけなしの金しかもってねーんだぞ」

 

「いくら?」

 

「あと硬貨が三枚」

 

「何も買えそうにないわね……」

 

「前の町で最後の金で頼んだ俺の飯が燃やされてひっくり返されたんだよ!」

 

「……」

 

 どうやらまだ根に持っているようだった。

 それをしたのはリッカたちではないというのに。

 まぁいずれにせよその後リッカの手で、何もやってないのに粛清を受けたが。

 村に入ると、クーは妙な殺気のようなものを感じた。

 気にしない振りをして辺りを見渡すと、村人から妙な視線を感じた。

 

 ――疑われている?

 

 リッカたちを見る。

 ジルは何も気付いていないようだが、リッカはその空気を感じているようだった。

 

「とにかく、宿探すぞ」

 

「ええ、そうね」

 

 ある程度周囲に警戒をしながら、宿を探しに町中を探し始めた。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 運よく宿を取れたのはいいものの、残念ながら一部屋しかとることができなかった。

 すると必然的に男女三人が同じ部屋で寝泊りしなければならなくなる。

 

「はぁ!?」

 

 クーが非難の声を上げる。

 

「当たり前でしょ。同じ部屋で男女が一緒に生活するって、何か間違いがあったら拙いでしょ。それに、私はあなたにジルを助けてもらった恩があるとはいえ、そこまで信じている訳じゃないわ」

 

「んじゃ俺にどうしろと?」

 

「そんなの知らないわよ」

 

「っざっけんな!」

 

「リッカ、別にいいじゃない……」

 

 流石は三人の仲での唯一の良心、一番慈愛に満ちていた。

 クーはこれまで基本的に野宿だった。

 火を焚けば熊に見つかって襲われながらも撃退し、飯を食ってる途中に野鳥に集られて、石の枕を涙で濡らす夜を送り、魚釣りをしても竿代わりにした木の枝が真ん中から真っ二つに折れたりと、ろくな食と住処を享受することはなかった。

 もしかしたらジルの説得で地べたでもいいからこの部屋で寝ることを認めてもらえることを期待していた。

 

「だめよ」

 

 即答だった。

 目頭が熱くなった。

 せめて旅の道連れとしても愛されてなかったことに悲嘆した。

 気分は太陽に向かって草原を駆け抜けたい感じだった。

 再びジルを見るも、その顔は既に諦めましたと語っていた。

 完敗だった。

 どうやら交渉でもクーは弱いらしい。

 仕方がないからエントランスに戻って、人目のつかない寝られるところを探して確保しておいた。

 

 その夜。

 クーは足音を聞いて目を覚ます。

 その足音は、気配を隠すような、また、忍ばせるような音。

 若干気になったが、宿泊客がトイレか何かで降りてきて、部屋に戻る最中だと納得する。

 そして、何事もないことに安心して再び眠りに就こうとすると――

 上の階から尋常じゃない殺気。

 今までの勘からして、誰かが誰かを殺そうとしている。

 紅槍を持ち、静かに立ち上がる。

 そして足音を忍ばせながら階段を上がり、殺気の元を探る。

 そこで物凄い不安を感じる。

 殺気の元が、リッカたちの部屋に向かっているようだ。

 

(また魔女狩りの連中か……?)

 

 昼下がりにこの村にやってきてから妙に感じる視線、あれは自分たちが魔女ではないか疑う眼差しだったのではないかと推測する。

 

(何はともあれ、あいつらがヤバイ……)

 

 リッカたちが泊まっている部屋の前の廊下、そこから部屋の前の様子を見ると、既にリッカの部屋の扉が閉じようとしていた。

 足音を忍ばせながらも廊下を駆ける。

 そして部屋の扉を音が鳴らないように少しだけ開け、中の様子を確認する。

 するとそこには、ベッドで寝ているリッカとジル、そしてその枕元に立っている人間が一人――だけではなかった。

 他の部屋や、窓から侵入したのだろう。

 数は三、四人程。

 タイミングはほぼ同時だった。

 人影が刃物を振り上げる瞬間と、クーが槍を構えて集団に飛び掛る瞬間。

 クーは刃物の切っ先を槍を使ってリッカから逸らし、声を荒げる。

 

「リッカ!ジル!起きろ!敵襲だ!」

 

 そして同時にその人影を蹴り飛ばす。

 一方でジルの方も同時に襲われていて、ジルが少しでも集団から距離を遠ざけようとして動こうとするのだが、足が震えてまともに立てないでいた。

 

「そいつから離れろォ!」

 

 リーチが最大まで長くなるように手の中で槍を滑らせ、ジルを襲った人影を槍で一突きした。

 続けざまに短剣で自分に襲い掛かってくる人影を見据える。

 相手の行動は飛び上がって縦斬り。

 クーは最小の動作で攻撃を避け、全力を籠めて人影を殴りつけた。

 どうやらもう一人は逃げてしまったらしい。

 騒動が終わり、急に部屋が静かになった。

 とりあえず部屋の電気をつける。

 ジルを見てみると、恐怖で涙目になっていた。

 リッカは、ただ呆然としていた。

 

「あ、ありがと……」

 

「ったく、俺を部屋に入れてないからこういうことになるんだってんだ……」

 

「ごめんなさい……」

 

 リッカは自分の失敗にしゅんとなって落ち込む。

 

「落ち込んでる暇はねぇぞ。やっぱり俺たちは何者かに狙われているらしい。おちおち寝てもいられねぇ」

 

「やっぱり、って……」

 

「とにかく、一度村から離れたところで野宿ってことになるな。町中じゃいつ襲われるか分かったもんじゃねぇ」

 

「ええ」

 

 そうして、宿から離れ、町を一度出て、近くの林で野営をすることとなった。

 クーは念のために見張りをすることになる。

 リッカも、自分に負い目があるからと見張りを買って出たのだが即却下、イレギュラーな事態に慣れている自分がすべきだとクーが言い張ったのだった。

 

 翌朝。

 リッカが目を覚ませば、なんか大変なことになっていた。

 木を頭にして寝ていたリッカたちを取り囲むように、武器を持った男たちが辺りを取り囲んでいた。

 そして、それらから守るようにリッカたちに背を向けて立っていたのはクー・フーリン。

 その顔は――楽しそうに笑っていた。

 

「聞いたぜ、お前ら三人隣町から来た魔女じゃねーか。穢れた呪いをこの町に運んでくるとはいい度胸してんじゃねーか」

 

 集団の先頭にいる大男が怒りをあらわにして怒鳴り散らす。

 それに呼応するかのように後ろの集団が騒ぎ立てた。

 

「ハッ、たった三人相手に数十単位で襲わないと勝ち目がないとでも考えたか。それでもまだ足りねぇよ。俺様を殺してぇなら一個師団くらい連れてこいや!」

 

「魔女の血筋は減らず口まで汚ねぇってか。野郎ども!遠慮なくやってやれぇー!」

 

 ――ウゥオオオオオオオオオオオオオ!!!!

 

 武装集団が声を上げながら接近してくる。

 

「リッカ、ジル、絶対にここから離れんなよ。それと、手出しは無用だ。俺一人でこいつらぶっ殺すくらい楽勝だってことを証明してやるよ」

 

「いくらなんでもそれは――」

 

 リッカはクーを見上げる。

 クーの眼差しは、戦闘に対する興奮、そして死地に赴く決意、そして、勝利へのゆるぎない自信に満ち溢れていた。

 そしてそれら全てを口の端の吊り上がりが物語っていた。

 リッカが不安がっているのをよそに、クーは敵集団に単独で突っ込んでいった。

 敵陣の一角に触れる瞬間に大きく槍を水平に薙ぎ、迫力を相手に植え付ける。

 そして削れたところから陣を食い蝕むように、外側から確実に敵兵を潰す。

 リッカやジルはその様子を周囲に警戒しながら見つめていたが、素人であろうと、その槍捌きは、常人では到達不可能、絶対的な強さと、美しさ、そして速さを兼ね添えた、全てが孤高とも言える一撃だと、判断できた。

 まさしく、神の境地であると思った。

 この男が、この槍が隣に座る少女を守ったのかと思うと、彼に対する畏怖と同時に、何かよく分からない感情が胸の中でくすぶり始めた。

 

「その程度か!それじゃ何人いようがこの俺様を止めることなんざ出来る訳ねぇ!」

 

 勿論相手の数も数で、数の暴力というのはやはり驚異的だった。

 百戦錬磨のクー・フーリンとはいえ、ところどころに傷を負い、いたるところから血を流していた。

 しかし、彼は槍を振るい続ける。

 一箇所傷つく代わりに、クーは十の敵を葬る。

 そして、相手の攻撃も、一撃たりともクリーンヒットしなかった。

 全て文字通り、掠り傷程度だった。

 言うならば、この状況を切り抜けるための最小限の犠牲、そのほんの少しの犠牲で次の行動を速め、より精度の高い攻撃を放っていた。

 数が減ってきたところで、リッカはあることに気付く。

 敵集団が銃を持ち出したのだ。

 

「危ない!」

 

 リッカが叫ぶと同時に、発砲音が耳をつんざく。視界の外からの、敵側の味方まで巻き込んだ一斉射撃。

 クーもその音に気付いたようで、そちらの方向を見るが、対応までは出来なかったようだ。

 駄目元で腕を上げ、その腕に銃弾がめり込んだ。

 クーは苦痛に顔を歪め、少しよろめく――が。

 

「しゃらくせぇ!!!」

 

 その闘志は未だ失われてはいなかった。

 それどころか、むしろこの状況を楽しんでいるようにも見えた。

 一度体勢を整えるために集団から離れ、一呼吸置く。

 そして笑みを絶やさずに、集団を睨みつける。

 

「俺に怪我を負わせるとは、やってくれんじゃねぇか。俺の槍と同じ色に染めてやるぜ!」

 

 クーは空高く飛び上がり、そして槍を逆手に構えて、槍を引く。

 

突き穿つ死翔の槍(ゲイ・ボルク)!」

 

 躊躇いもなく敵集団のど真ん中に槍を投擲する。

 そして地面に触れると同時に、そこを中心として大爆発が起こった。

 クーは綺麗に着地し、銃弾を受けた左腕を押さえる。

 

「ったく、イテェじゃねぇか……いつものことだけどよ……」

 

 冗談めかして呟くが、その実、額に冷汗が流れる程激痛が走るようだ。

 砂煙が晴れると、そこには襲い掛かった敵全員が倒れていた。

 勝負アリだった。

 

「だ、大丈夫か、リッカ、ジル」

 

 クーが振り返って状態を確認するが、一方でジルは苦笑していた。

 

「前も言おうと思ってたんだけど、君のほうがむしろ大丈夫?」

 

「ああ、ちょっと銃弾が腕にやられただけで、後は掠り傷だ。死にやしねぇ」

 

「いや、それはそうかもしれないけど……とりあえず見せて。治療するから」

 

「出来んのか?」

 

「これでも一応得意魔法は治療系だからね」

 

「そうか」

 

 クーはジルの前に座り、左腕を差し出す。

 そしてジルはクーの腕から銃弾を抜き出し、穴の開いた腕に治癒魔法をかける。

 開いた穴は次第に塞ぎ、やがては完治した。

 リッカは治療魔法が不得手で、何もできずにただジルが治療しているのを傍から見守っているだけだった。

 自分の不甲斐なさと、今自分たちがここにいるのはクーのおかげだと、そんなことを考えて、リッカは瞳を伏せていた。

 

「全く、あんなに無茶してくれちゃって……」

 

「いや、なんかつい楽しくなってな」

 

「あんたも変な性格してるわね」

 

 リッカも相変わらず憎まれ口を叩いているが、なんだかんだでクーを心配していたようだ。

 

「ごめん、の代わりに、ありがと……」

 

 リッカが初めてクーを信頼した瞬間だった。

 クーはその言葉を、面倒臭そうな顔で聞き流していた。




 ここでのランサーは全身青タイツじゃないよ!
 この時代っぽい服装なんだよ(適当)

-追記-

 以前も一度指摘があり、評価された際にも書き込まれたことなんですが、矢避けの加護があるランサーには銃弾が効かないとのこと。しかし矢避けの加護には決して飛び道具に対する完全な防御能力であるわけではなく例外が存在します。
 宝具でも飛び道具ならば、使い手を視界に収めることができれば、ランサーには通用しません。しかし裏を返せば視界外からの投擲は対処に難く、さらに超遠距離からの攻撃や広範囲の全体攻撃にも対応できません。実際にアニメではギルガメッシュの王の財宝の掃射攻撃を避けきれずに負傷するシーンも見受けられます。今回も上の条件の内二つを満たしているので銃弾を回避できない描写も無理はないものと考えます。しかしそう捉えられないのは作者である俺の力不足なので少し書き足しておきました。申し訳ありませんでした。(七月十七日午前一時 追記)


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振るう刃と平和への悲願

 ずっと長旅を続け、クー・フーリンがリッカとジルと出会ってから五年が経った。

 そして、今の町にしばらく定住することになったのが二年前。

 三人は、町で仕事をしながら金を稼ぎ、それなりにまともな生活を送っていた。

 リッカやジルは新聞配達や食堂での皿洗いなどの雑用などを主にこなしている。

 クーはその槍の腕を買われて町の警備の仕事を受け持っている。

 そして本日も、仕事帰り。

 リッカとジルは先に宿に帰っていた。

 ちなみに、旅費の節約のために三人で同じ部屋を一部屋借りている。

 前回はクーを追い出していたが、そのせいで命を狙われた時に、もしクーが気付いてくれなければ大変なことになっていたこともあって、今回は同じ部屋で寝ることを許可している。

 そもそもその一件で彼は信用されたようだ。

 

「もうそろそろあいつも帰ってくる頃ね」

 

「そうだね。食事の準備しておこうか」

 

「そうね」

 

 リッカとジルが夕飯の準備を始めようとしたタイミングで、彼が帰ってきた。

 

「ただいま」

 

 帰ってきたクーは流血していた。

 所見の人は即救急車を呼ぶだろう。

 しかし彼女らは。

 

「今度は何があったの?」

 

 まるでよくある失敗のように何があったのかを質問した。

 というかもう慣れたようだ。

 そもそもこんなエキセントリックな帰宅が日常となってるのもどうかと思うわけだが。

 

「今日はちょっと警備中に角を曲がったら馬車の暴れ馬に轢かれたんだよ……」

 

「まだ軽い方でよかったわ」

 

 と言うのはリッカ。

 

「お前、俺を何だと思ってやがる……」

 

「大事な大事な旅仲間」

 

「その大事な仲間が頭から血ィ流して帰ってきたというのに、全く心配の色も見せないってどーゆー了見だ?アァ!?」

 

「そんな怒らなくたっていいじゃない……」

 

「とりあえず、怪我したところ見せて?」

 

 と言うのはジル。

 

「お前はリッカと違ってちゃんとした教育してもらってんじゃねーか」

 

 ジルはクーの怪我をした患部に手を添え、治癒の魔法を施した。

 体が温かくなるのを、クーは感じていた。

 言うなれば、癒し。

 

「それはね、私がクーさんのことが好きだからだよ」

 

「――ッ!?ち、ちょっと、ジル!?」

 

 その言葉に一番敏感だったのはリッカだった。

 こういうところを見るとやはりリッカもクーに気があるようだ。

 

「ケッ、ガキがませたこと言ってんじゃねーよ。少し長く一緒にいるからって、勘違いしてんじゃねー」

 

「勘違いなんかじゃないんだけどな……」

 

 ジルはいつものクーの対応に苦笑していた。

 一方でリッカは唐突なジルのアタックに頬を膨らましてそっぽを向いていた。

 

「それに俺は、守るために槍を振るうってのは、性に合わねぇ。俺はただ、強くなりたいだけだ。何だってぶち破って勝ち取る、それが、俺がこの紅い槍と交わした、言ってみりゃあ誓いみてーなもんだからよ……」

 

 クーが過去を振り返るように、思い出に浸るように窓の外を眺めようと窓を開けて身を乗り出すと、頭上からプランターが降ってきた。

 神懸かり的なタイミングで身を乗り出したのもあり、運悪く頭に直撃、そのまま昏倒して窓の外に落ちてしまった。

 ちなみにここは三階である。

 

「あーっと……」

 

 リッカの表情はまるで心配してなかった。

 酷いとは思うだろうが、逆に彼女たちも彼は何事もなく帰ってきてくれると、彼のことを信頼しているのも伺える。

 だが一方でジルは、クーの言葉を聞いてから、その表情が翳っていた。

 彼の言葉を素直に受け止められないくらい、彼女は優し過ぎた。

 

 その日の夜。

 既にリッカは熟睡していた。

 時間的には誰もが寝ている時間で、この時間に起きている人は珍しい。

 しかし、ジルはなかなか眠れないでいた。

 隣のクーが、寝ていないのを知っていたからである。

 ジルは思い切って、クーに話しかけることにした。

 

「ねぇ、クーさん」

 

「あ、何だジル、起きてたのか?」

 

「うん」

 

 ジルはベッドに入ったまま、クーに背を向けたままで返事をした。

 ジルは続ける。

 

「どうしてあなたは、そこまで強さを求めるの?」

 

 ひたすら、みんなが笑顔でいられる世界、みんなが平和でいられる世界を追い求めていたジルとは正反対のクーの考えと、夕べの言葉。

 彼女には、理解し得なかった。

 

「んなもん、聞いてどうする……」

 

「分からない。でも……聞かなきゃと思ったから……」

 

「……」

 

 ジルの言葉に、少しの間二人の間に沈黙が走る。

 恐らく返答を考えているのだろう。

 そしてゆっくりと口を開く。

 

「人にはな、それぞれ生き方ってのがあるんだよ」

 

「生き方?」

 

「テメェらは、どーせ世界中の人々が幸せであるために、とか、不特定多数の人間のために生きているのかもしれない。それも立派な生き方の一つで、誰にも止める権利はない」

 

「……」

 

「でもな、残念ながら、俺はそうじゃねぇ。俺は、ひたすら自分のために、何かよくワカンネェもんをこの手で勝ち取るために、強くなる。残念ながら俺には平和とか正義とか、そんなものには関係ない人間なんだよ。テメェらが俺に惚れるのは勝手だが、多分俺は死ぬまでそれに応えるつもりはない」

 

「じゃあなんで、あの時私を助けたの?」

 

「勘違いするなっての。助けたんじゃない、俺の視界で武器持って吠える連中を黙らせただけに過ぎねぇんだよ。他人のための行為なんかじゃねぇ。テメェらが生きていたのはその結果だ。俺はそれをあいつらから奪い取ったに過ぎない」

 

 だからその奪い取ったものを、誰にも奪い返されないために一緒にいるに過ぎない、と付け足す。

 そして、ジルの心に、悲しみが灯った。

 これまで仲間だと思っていた人に、自分は仲間だと思われていなかったのだ。

 

「そんなこと、言わないで……!」

 

 ジルの瞳は、涙で溢れていた。

 そしてそれは目の許容量をはるかに上回り、頬を伝って顎から地面へと落ちてゆく。

 電気のつかない部屋の中で、その一滴一滴の雫が、月に照らされて美しく煌いた。

 純粋に、美しいと思ってしまった。

 そう感じたことが悟られないように、そして、自分の心から目を背けるように、ジルから視線を外す。

 だがそれでも、自分の生き方を曲げることだけは出来なかった。

 自分の真紅の槍との誓いにかけて。

 

「私は貴方に救われた。だから今ここにこうしていられる。あなた自身のためであろうとなかろうと、私は本当に感謝している。私たち、知ってるよ。あなたは本当は心優しい男の人だってこと。じゃなかったら、あなたはあの時から今まで一緒に旅なんて出来なかったもの」

 

「だから、それは――」

 

「私も、リッカも、貴方と一緒にいたいんだよ。貴方にも、そう思って欲しい。貴方がなんと言おうと、私たちは勝手に貴方を信じてる。生き方を変えて欲しいなんて言わない。だったら、みんなのために、強くなろうよ。みんなの平和と幸せを、私たちで勝ち取ろうよ。それじゃ、駄目かな……?」

 

「……」

 

 クーは閉口した。

 ジルの言葉と、迫力に気圧されただけではない。ただ、なんとなく、目の前の脆弱な存在を見て、ほんのちょっと守りたいもの持ったってバチ当んねーよなー、とか、考えていたのだ。

 そして、平和と幸せを勝ち取る、そのために槍を振るうのも、新しい道として、面白そうだとも思った。

 何かよく分からないもの、ずっとそれを追い続けてきた。

 形も、結果も、課程も、そして追い求める意味そのものも分からなかった。

 だけど、そこに一筋の光明が見えたような気がした。

 

「ジルの言ってることは抽象的過ぎるけど、私も同じことを思ってたわ。いつまで経っても私たちに心を開いていなかったことくらいバレバレ。そりゃ、私だって貴方と一緒にいたい。ジルを救ってくれたとか、そんなのは抜きにして」

 

 突如話しかけてきたのは、リッカだった。

 

「起きてたのか……」

 

「あれだけ大きな声で話してたら、目を覚ますなって方が無理だわ」

 

 リッカは眠い目を擦って、その美しいサファイアブルーの瞳をまっすぐにクーに向ける。

 

「あくまで、私たちは“三人”なの。誰か一人でも欠けられたら困るの。だから、ね……」

 

 クーは、得体の知れない感情に囚われていた。

 誰にも必要とされていなかった毎日。

 突いて、斬って、殺して、奪っていくだけの毎日。

 恐れられた。怖がられた。

 自分に殺された者たちが最後に見たのは、自分の狂気に歪んでいる顔だろう。

 そんな自分でも、彼女たちは、ここまで自分を必要としてくれている。

 嬉しくなかったといえば嘘になる。

 この二人の言っていることは正しくて、自分の言ってることの方が、歪で、間違っているのは自明の理だった。

 それでもこれはクー自信が旅に出る前に決めたことで、今更変えるわけにはいかない。

 だから、今目の前に差し伸べられている手を、ただ見つめているだけしか出来なかった。

 

「なんで俺みたいな野蛮なヤローなんだよ……」

 

 自分でもひねくれていることは分かっていても、訊かずにはいられなかった。

 

「それは、“クサい”けど、あなただから、かな」

 

 その瞬間、クーの中で何かが弾けた。

 差し伸べられた手を、掴んでしまっていた。

 どこかで彼女たちを求めようとしていた。

 それは同時に、守ってみたい、と思ったのかもしれない。

 

「ったく、勝手にしろ……。その代わり、お前らには最後まで付き合ってもらうぜ。俺の信念の果てまでな……」

 

 そしてクーは、急いで穴に潜るかのように、自分のベッドどかっと横になり、布団を頭まで被ってしまった。

 求められることは初めてで、慣れてなくて、真摯な言葉に照れてしまったのだろう。

 そして、それを見たリッカとジルは、お互いを見て、そして頷きあう。

 二人とも自分のベッドから降りて、そっとクーのベッドに乗り込む。

 そしてゆっくりと布団を剥いで、二人でクーを挟むように、クーに添い寝をするような形となった。

 

「ちょ、おい!何やってんだ!バカ、離れろって!」

 

「いいじゃない、近くにいた方が何かあった時に先手を取りやすいでしょ?」

 

「リッカはこんな計算高いこと言ってるけど、私は単にクーさんと一緒に寝たいから」

 

「ちょ、だからジルっ!?」

 

「んなもんどっちだっていい!とにかく俺に安眠を与えろ!」

 

「だからこうやって……」

 

「あああああーーーーーーーーーーーー!!!!」

 

 クーの叫びは、満月の夜に響き渡った。




生き方を変えずに魔法使いたちの想いに同調する、ということをさせたかったんだけど、うまく伝わってるかなぁ……
根本的に考え方の違う二人と一人、うまく妥協線を引いて折り合いをつけたかった。
いがみ合ってちゃだめだよね。


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戦士ならば刃を交えて語れ

自分の全作品合わせて久々の戦闘シーン。
この作品には名前が与えられるモブがたくさん出てきます。
モブとはいえ愛着あるからね。


 またしばらく時は経ち、別の町で暮らしていたある日のこと。

 リッカとジルは仕事もひと段落着いて、今は魔法の研究に集中しているようだ。

 内容は、花の絶えない平和な世界にする、というもの。

 発案者はジルであった。

 そのことについて饒舌に語るジルにリッカは心打たれて、二人で研究を開始したんだとか。

 主な研究テーマは、いかにして花を永遠に満開状態でキープさせるか、ということである。

 満開状態を維持するとは言っても、その方法としては理論だけで言うとたくさん考えられる。

 花の周辺だけ満開状態でいられるような季節、環境を結界などで覆う、花が枯れないようにする魔法の肥料や土壌を作る、幻術を使う、物質に時間停止を働きかける、植物における、『枯れる』というプロセスを除去する、など、様々な方法が挙げられるが、これらはどれも膨大な魔力を要するもので、所詮は机上の空論でしかない。

 だから、現段階ではどのように目的にアプローチしていくか、という計画段階である。

 

 さて、そうなったからには苦労人が一人間違いなく出てくる。

 そう、先程全身に火傷を負って帰ってきた槍使いの青年である。

 

「うわ、どうしたの、大丈夫!?」

 

 切り傷、刺し傷の類は何度も見てきたためもう慣れてしまったのかもしれないが、全身火傷は滅多になかった。

 珍しい状況に、流石のリッカも心配の色を隠しきれなかった。

 

「今回は……流石に……死を覚悟した……ぜ……」

 

 ぱたり。

 クー・フーリンは死んでしまった。

 すまない、嘘である。

 クー・フーリンは めのまえが まっくらに なった。

 

「クーさん!?大丈夫!?おーい!?」

 

 ジルが呼びかけるも、クーは反応を示さなかった。

 クーの顔は、命からがら生還できて、俺ってなんて運がいいんだろう、みたいな幸せ顔だった。

 その前に事故事件に巻き込まれるほどの不運っぷりを嘆いてほしいものだが。

 ふと、リッカが気付く。

 クーの手には、手紙のようなものが握られていた。

 灰になった手垢がこびりついて少々不潔だったが、気にしないで封を開けて中の文章を読んでみた。

 そこには、なんとも大変なことが書いてあった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 クーが目を覚ました頃には、既に朝が来ていた。

 

「あれ、俺は……」

 

 火傷したはずの自分の体を見てみると、久しぶりに全身包帯男になっていた。

 目の周辺だけは覆われていなかったのがせめてもの救いか。

 一応ジルの治癒魔法が働いているのか全身の痛みはなく、全快しているのもなんとなく分かった。

 誰の許可もなく包帯を剥ぎ、新しい服に着替える。

 そこで思い出す。

 昨日ポストに手紙があって、それを持って入ったはずなのだが、どこにあるのだろう、と。

 探そうと腰を上げた瞬間、リッカとジルが部屋に入ってきた。

 綴るのを忘れていたが、今回住み着いている宿舎は結構広くて、個室が都合よく四つもついていた。

 ということで一人一部屋、残りの一部屋をリッカとジルの共同研究室として利用している。

 とにかく、リッカたちは部屋に入ってくるなり、手紙を取り出した。

 

「これ、どういうこと?」

 

 リッカがクーの眼前に手紙を広げ、ことの次第の説明を求める。

 

「なんだなんだ騒がしい、俺だってまだ読んでねぇぞ……?」

 

「そんなことは分かってる!でも、『決闘を申し込む』って、一体どういうこと!?」

 

「は?決闘だぁ!?」

 

 何の脈絡もない“デートのお誘い”に、クー自身も困惑する。

 名前を見てもどこの馬の骨かも分からない、というか全く知らない名前だった。

 文章を読むなり、集合場所は町外れの広場とのこと。

 

「行くの……?」

 

 ジルが遠慮がちに訊いてくる。

 勿論クーの答えは決まっていた。

 

「あたりめーだ。誘われたからには行かなくちゃならねぇ。決闘だってんなら、正面から叩き潰してやる」

 

「そんな……」

 

「心配すんな。俺だってテメェらの考え方を片っ端から否定しようなんて考えちゃいねーし、テメェらの理想の片棒を担ぐのも面白いと思い始めたんだよ。だからこうしよう。相手が俺を本気で殺しに来るつもりなら、俺もその気で迎え撃つ。そうでなけりゃ、現地ドタキャンかましてやるよ」

 

 そう言って、クーは一人で部屋を出て行った。

 リッカとジルは、頷き合った。

 こういう時の彼は、“本気”であることを、二人ともよく知っていた。

 彼のプライドを、誇りを、信念を、傷つけてはいけないと、その行為は彼を苦しめることになることを、理解していた。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 手紙に書かれていた通りの時刻に、手紙に書かれていた場所。

 その通りにクーは、そこにいた。

 約束時間、午後三時。

 家を出た時間、午前九時。

 本当なら二、三十分で辿り着けるのを、相変わらずの不運っぷりで大分時間がかかったようだ。

 というかそれを見越して早めに家を出たクーはもう未来予知の達人ではないだろうか。

 

「来てやったぜ、わざわざ手紙をよこすなんてご苦労なこった」

 

 広場の周辺に生えている木にもたれてクーを待っていたのは、クーと同じくらいの年齢の男だった。

 得物は、剣。

 それも二振り。

 見ただけで、それがかなり使い古された、言い換えれば持ち主が熟練者であることを悟らせる。

 

「あんたが、ここ最近ヨーロッパのとある界隈で有名な『アイルランドの英雄』か」

 

「なんだその聞き覚えのない通り名は?」

 

「いやね、ヨーロッパの一部で、『とある紅い槍を持った男が、たった一人で大規模な魔女狩りを鎮圧した』とか、『紛争地帯に潜り込んで、鬼神の如き乱舞で両陣営を壊滅させた』とかいう噂から、その男がどうやらそう呼ばれているらしい」

 

「ちょっと待った」

 

 噂の前半は確かにやった覚えはあったが、後半は物覚えがない。

 というか何の意味もなく両陣営を壊滅とか殺人鬼まがいな行為はやったことがないしやる気もないしやりたくない。

 

「とにかく、噂はどうであれ、その男がやり手であるということに間違いはなさそうだ。何の構えもなく無防備に見えるが、その実これっぽっちも隙がない。それに、その目、間違いなくこれまで何人も人を殺めてきた強者の目だよ」

 

「ってことは、お前も強さを追い求めたクチか」

 

「そうだ」

 

 クーはシニカルな笑みを浮かべて、槍を構える。

 この男からは、殺気が感じられない。

 だがしかし、決してないわけではない。

 内側から煮え滾る殺気を、自分の中に押し殺している。

 殺気は相手に次の自分の手を読ませてしまう。

 どこに攻撃を加えるかを予測されるのは、武人としては三流だ。

 しかしこの男は、そういった類の隙は全くない。

 

 ――面白れぇ。

 

 槍兵の長所。

 神速の動きで相手に突貫、一撃必殺の一突きで戦闘を終わらせる、先手必勝の戦術を可能にする。

 そしてその定石を、目の前の剣士に実行した!

 

「くたばれェエエエエエエエエ!!!!」

 

 男は微動だにしない。

 一秒にも満たないこの一瞬、クーの神速の突貫を見切って、少ない動きで槍を回避する!

 そのまま体勢を崩さず、右の剣で手の甲を狙って斬りつける。

 クーはこれを凌いで一旦体勢を立て直しに距離をとる。

 

「俺の瞬殺を免れるとは、なかなかやるじゃねぇか。テメェ、何者だ?」

 

「ジェームス・フォーン。別に覚えてなくていい」

 

「いや、その名、しっかりと刻ませてもらった。テメェは俺の槍で貫くに相応しいヤローだ」

 

「そいつは光栄だな。次はこちらから行かせて貰う!」

 

 クーが空けた距離を一瞬のうちに縮め、二振りの剣を以って肉薄する。

 変幻自在に動き回り、攻撃のタイミングと接触地点を予測させない剣捌き。

 絶妙だった。

 それを紅い槍一振りで全ていなし、反撃のタイミングを計る。

 ジェームスはところどころにフェイクを挟みながらクーをかく乱させようとする。

 実際、クーは余裕を持ってはいなかった。

 ただでさえ予測できない剣筋、そこにフェイクを入れられれば、たちまち接近戦の難易度が上がる。

 ここまで言えば、クーが圧倒的不利に聞こえるだろう。

 しかし、そうでもなかった。

 実はジェームスも焦っていたのだ。

 どれだけ攻撃を加えても、どれだけフェイクを挟んでも、一撃たりとも掠りもしない。

 それどころか、相手の表情が――クーの表情が、少しも翳っていなかったのだ。

 余裕とも見て取れない、焦りとも見て取れない、ただ自分の剣を受け流しながら、ずっと同じポーカーフェイス――いや違う、無表情に見えるが、その目は闘志に燃え、この戦闘を心から楽しんでいる、そんな印象を与える表情だった。

 自分の戦術が通用していないのか――そう思わされる。

 そして、次の瞬間にはその紅い槍が、自分の腹を貫いているかもしれないと思うと肝を冷やす。

 そう、恐怖。

 強いてみれば、クー自身の放つ威圧、プレッシャーだ。

 そして次の瞬間、ジェームスは冷汗を流した。

 間一髪。

 槍の穂先が、自分の脇腹をえぐるように、水平に薙がれようとしていた。

 それを両手の剣を使って挟み込むように捕らえていた。

 本当にすれすれだった。

 あと一瞬でも反応が遅れていれば、今頃は彼の槍のような紅い血を流して倒れていたであろう。

 しばらく鍔迫り合いの睨み合いが続く。

 どちらも一歩も退かない。

 しばらくその状態が続いた後、変化はやってきた。

 クーの眼光が鋭くなったのを、ジェームスは見逃さなかった。

 両腕に更に力を籠める。更に相手の力が籠もると見てとったのだ。

 しかし、彼の剣は、空を蹴るように宙を押した。

 突然の状況に体が勢いに流される。

 バランスが崩れ、次の行動が取れなくなる。

 クーはその一瞬で、槍をジェームスの腹に叩き込んだ――

 

「何故“そっち”なんだよ……」

 

 そう悔しそうに呟いたのは、ジェームスの方だった。

 見てみれば、ジェームスの背中に、刃は貫通していなかった。

 そして、クーの槍は、標的と反対方向に向いていたのだ。

 つまり、ジェームスにぶつけたのは、槍の石突の方だということになる。

 

「惜しい、って、思っちまった……」

 

「何……?」

 

「テメェみてーなのに、初めて会った。剣に迷いがなかった。焦りはあったが、迷いはなかった。自信があった。誇りがあった。だから止めた。……ったく、俺もそろそろあいつらに毒されちまったか」

 

 クーは更に槍に、石突に力を入れる。

 

「勘違いすんじゃねーぞ。これは慈悲でもなんでもねぇ。いいか、俺はこれでテメェをぶっ殺した。俺の勝ちだ。これは揺るぎない事実だ。だがな、テメェが、テメェの剣が望むなら、またかかって来いや。今度こそテメェの血反吐を地面にばら撒いてやるよ……」

 

 ジェームスから槍を離し、蹴り飛ばす。

 踵を返して、広場を去ろうとした。

 

「最後に一つ教えてやる」

 

「……?」

 

「強さだけを求めたんじゃ、いつまで経ってもこの俺様には勝てねーぞ。俺が追い求めてるのは、強さプラスアルファだからな。テメェも探してみろよ、そのプラスアルファってヤツをよ……」

 

 クーはこちらを振り返ることもせず、手を振り上げて歩いて去ってしまった。

 そして、ジェームスは、感動した。

 

「これが、『アイルランドの英雄』の、槍の重みって、ヤツか……」

 

 それだけ呟くと、ジェームスは満足そうに地べたに仰向けに倒れこんだ。

 ちなみに、この戦いの後、やたらと各地でクー・フーリンの名前が有名になって、行く先々で彼らが対応に困ったのは、また別の話。




キャラを変えずに態度を軟化させるってかなり難しいんだな……
このランサーの場合下手したら別キャラになってしまう恐れもあるし(もうなってたらどうしよう)
とにかくゆっくり書いていきます。


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謎の屋敷

かなり更新が遅くなりました。
今回かなりベタな展開というかなんというか。


 数年ぶりに新しい土地に向けて旅をしていた。

 海を越えて、辿り着いたのは、三人にとって久しぶりの、イングランドだった。

 リッカとジルの生まれ故郷であり、クーもここは旅の途中で通ってきた場所である。

 クーはふと、思い出に浸った。

 アイルランドを出て、初めて海を越えてやってきたのがこの国。

 船から降りた際、麻薬の密売人と間違えられ、警察に取り押さえられて、暴れまわるとかえって怪しまれると思って渋々ついていけば、うんともすんともいう前に牢にぶち込まれ、監禁されてしまった。

 それでしばらくして無実が証明され、無事解放されたものの、謝罪だけだったのに腹が立ってぶん殴ったら本気で警察に追われて這う這うの体で逃げ延びた。

 こんな出だしでいいのかと不安になった矢先、スリに財布を盗まれて取り返そうと槍を投げたら直接財布にヒットしてしまい、札が全てパーになって、小銭しか使えなくなってしまった。

 山という山を越え、森という森を越えて、途中で獣や山菜で空腹を凌ぎ川の水で喉の渇きを潤し、山のふもとに穴を掘っては寝床とし、大雨で土砂が崩れて窒息死しそうになったり、疲れ目で山菜を探してたら毒草に当たったり――

 

「あれ、いい思い出が何もないんだが?」

 

「どうしたの?」

 

 唐突なクーの独り言にリッカが反応する。

 

「いや、お前らも知ってると思うが、俺も一応ここには来てるんだよ。それでいろいろ思い出してたんだが、こりゃどうにもいいことがなかったというか、なぁ……」

 

「クーさんホント私たちと出会う前どんな生活してたの……?」

 

「サバイバル」

 

「「魂籠ってるね」」

 

 ばっちりと声が重なった。

 聞いたクーもなんだか悲しくなった。

 確かにこれまで安定という言葉からとんでもなくかけ離れ過ぎてもはやどうでもよくなっていたクーだったが、結局リッカたちと出会ったことで、少なくとも彼の不幸っぷりにストッパーがかかってきているのもなんとなく感じ取っている。

 だが相対性とは恐ろしいもので、多少なくなったとはいっても想像を絶する不幸体質、生死の境を彷徨うことは減ってきても、並の人間なら病院送りレベルの事故に巻き込まれるのは日常茶飯事であった。

 そして久しぶりに新しい街に辿り着いた。

 すると、何やら周囲が自分たちを見る視線が怪しい。

 やたらと歓迎されてるというか、尊敬されてるというか。

 とにかく、みんなが見ている。

 

「な、なんだこりゃ?」

 

「あー、あれね……」

 

「あれ、だよね……」

 

 どうやらリッカとジルは何が起こっているのか理解できたようだ。

 

「ンだよ……」

 

「あんたが原因」

 

「は?」

 

 唐突な回答に、間抜けな声が出るクー。

 

「『アイルランドの英雄』だったっけ?」

 

「そうそう、それ。あんた、結構巷で有名人なのよ?」

 

「なんで?」

 

「それはまぁ、『稲妻の落ちる森の奥で幻獣を仕留めた』とか、『虎を乗り回してはデーモンの如きオーラを振りまいて山賊を殲滅した』とか、『下心で取り入ろうとした愚か者を問答無用で紅い槍で刺し殺した』とか、そんなことしてたらいやでも有名になるでしょ」

 

 何一つとしてやってなかった。

 武勇伝の域を超えていた。

 普通の人間だったら速攻で警察のお世話になるような噂だった。。

 今後はちょっと自分の振る舞いを変えてみようかと反省してしまった。

 聞いたところ、まだまだ噂はたくさんあるらしく、その中でも確信に近いのが、『美女をとっかえひっかえ侍らせては、自分の心行くままに愉しみ、その中で最も気に入った二人を下僕として連れ歩いている』というものだった。

 二人というのは、リッカとジルのことだろう。

 とっかえひっかえするほどの女どころか、人と知り合ってなかった。

 もっと言うならとっかえひっかえしたかった。

 だが残念ながらとっかえひっかえしたのは敵の飛ばしてくる武器だった。

 剣、槍、銃、鎌、弓、矛、大砲……。

 というかなんでこんなのが英雄にまで成り上がれるのか、当事者は不思議で堪らなかった。

 すると突然、一人の老婆がクーたちの前で跪いた。

 

「『アイルランドの英雄』様、ご無礼の程は重々承知で御座いますが、どうかなにどぞ、この私たちめにご慈悲を……!」

 

 そういって額を地面にこすり付けて土下座をする。

 クーはともかく、リッカたちは痛々しくて見ていられなかった。

 

「近年この町では妙な現象が相次いで発生しております。どこがどうなる、とは形容しがたいのですが……。とにかく、私どもの手には負えず、それに便乗するかのようにあちらこちらで店の商品が盗難されたり、強盗に押し入られたりする日々が続いております。どうか、どうか元凶を突き止めてくだされ……!」

 

「ちょ、ちょっと顔を上げて!」

 

 老婆の唐突な行動に、リッカは狼狽える。

 目の前で土下座をしている老婆の表情は、命懸けというべきか、本気だった。

 クーは無理矢理に老婆を立たせて、話しかける。

 

「取りあえず宿を用意しろ」

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「それで、どうするつもり?」

 

 ベッドにどっかりと座り込んだリッカが、困惑した表情でクーに訊く。

 

「んなもん、テメェら魔法使いの分野じゃねぇか。お前なかなかの実力もってるみてぇだから、お前が術者の居場所を突き止めて取っちめてしまえばいいだけの話じゃねーか」

 

「いやよ、かったるい」

 

「リッカったら……」

 

 今日も相変わらずの三人組だった。

 リッカは自分のベッドにそのまま寝転がり、右に左にゴロゴロし始める。

 

「ねぇ、リッカ、協力してあげようよ」

 

「えぇ~!?……んまぁでも、魔法使いが悪行に魔法を使うのはこっちとしては許さないわ。というわけで、場所の特定はしてあげる。現場へはあんただけで行ってきなさい」

 

「は?なんでそうなる……?」

 

 クーの文句。しかしクーはリッカが一度言ったことはなかなか取り消さないことは既に知っていた。

 だから渋々了承して支度をし、リッカに協力を願う。

 リッカは引き出しから一枚の大きめのサイズのこの町の地図を引っ張り出して、それを別の紙に複製し、新しい紙に地図を作っては、その地図上に魔法陣を描き、魔法を行使する。

 手を翳すと、魔法陣は淡く発光する。

 使っている魔法は、周囲に拡散している魔力が、どこから来ているのかを逆探知する魔法。

 しばらくしていると、地図上に赤い点が一か所に表示された。

 

「ここか……」

 

 クーが呟いた。

 場所としてはクーたちが住んでいる宿からは少し遠く、町の北の端に位置している、とある廃墟だった。

 

「そこに魔法使いはいるわ。ほら、さっさと行ってとっちめてきなさい、『アイルランドの英雄』様♪」

 

 リッカガ挑発するような笑みで、唇に人差し指を当てながら激励にもならない激励を飛ばす。

 もしかしたらこの男が不幸であることも見越してそんなことを言っているのではないかとも思えてしまう。

 そんなことを考えもしないのか、クーは紅い槍を引っ提げて、リッカたちを一瞥することもなく宿を出て行ってしまった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 さて、何故か複数の年寄りを道の途中で助けることになってしまって、予定より三時間も到着が遅れてしまったクーは、目的の建物である廃墟まで来ていた。

 敷地としてはとても広く、どこかの貴族が使用していたであろう豪邸の、壮大な面影が残っていた。

 実際はところどころにごみが捨てられていたり、建物の壁が薄汚れていたりで、景観としては最悪だった。

 

「ここか……。確かにヘンな臭いがプンプンしやがるぜ。この魔力といい、この外観といい、なんというか、ベタだな……」

 

 クーは建物のドアを文字通り蹴破って中に侵入する。

 埃の舞うエントランス。天井には既に明りのともっていないシャンデリアがぶら下げられており、部屋の左右には二階へと上がる、手すりの豪華な階段が設置されていた。

 自分の第六感と気配を頼りに、対象のいる部屋まで接近する。

 そして、とある部屋、扉の向こうから、身の毛のよだつほど膨大な量の魔力を感じ取った。

 槍を握りなおして、ドアノブへと手を掛ける。

 そしてゆっくりと回して、一気に開け、そして、槍を構えた。

 

「動くんじゃねぇ!」

 

 そこには、楽園が広がっていた。

 立ち上る湯気、鳴り響くシャワーの音、そして、雪のように白く美しいリッカの裸体――

 

「ちょっ」

 

「なっ」

 

 向こうはこちらに気づき、こちらは何が起こったのかわからず混乱し、お互いに沈黙し静止する。

 

「覚悟は――」

 

 リッカが低い声音で呟く。

 その表情は、前髪で隠れてよく見えなかった。

 だが、リッカからはすさまじい勢いで怒気を感じる。

 ヤバい、と思った時には、すでに遅かった。

 強力な衝撃魔法で、遙か彼方まで、勇敢な戦士は羽ばたいていた。




次回に続きます。
なんか本当にネタっぽくなってきたなぁと自分で書いた分を眺めてちょっと反省中。


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魔法と正義

序盤からぶっとばしていくぜ(迷走)
かなりベタな展開かもしれない。


「あ、ありのまま起こったことを話すぜ。例の場所に行って、犯人がいそうな感じの部屋に入ったら、そこはこの宿の風呂場で、気付いたら空を飛んでたんだ!な、何を言ってるのか分からねーと思うが、……俺も分からねぇ。とにかく、頭がどうにかなりそうだった……。いや、実際に頭を打ち付けたんだが……。幻影とか罠とかそんなチャチなモンじゃねぇ、 もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ……!」

 

 額から汗をダラダラ流しながら要領を得ない報告をしているクーを苦笑いしながら見ているのはジルである。

 リッカは羞恥と怒りに顔を染めてクーを睨んでいる。

 クーはいつも通り頭やら腕やらに包帯を巻きつけて顔面蒼白になりながら意味不明なことを述べる。

 勿論リッカやジルにまともに通じているはずもない。

 

「とにかく、向こうは離れた空間を繋げるかなり高度な魔法を使ったってことでいいのかな、リッカ?」

 

「いえ、違うわ、あれはこいつの故意よ。わざとやったのよ、ええ、きっと、いや絶対そうよ!まったく、男ってみんなこんなやつなの?」

 

 まだ根に持っていた。

 正直現場検証も状況整理もする気のないくらい私情だけで因果を決めつけているという、犯人捜査にあたって一番最悪な状態だ。

 しかしまぁ突然に風呂場に乱入されたのだ。過失だとしても、怒るのは無理もないだろう。

 とりあえず、クーが行っても駄目であることは判明したため、彼は留守番となり、ジルとリッカの二人で現地に向かうことになった。

 クーの表情はお察しだろうが、リッカたちは笑顔でクーに手を振って出発した。

 そして、例の屋敷に到着してからというもの、リッカたちの優秀な魔法使いとしての第六感が、この建物の異常性を認識させる。

 ここには膨大な魔力が放出されており、それによってこの建物中にトラップが設置されていることまで分かった。

 

「リッカ、どう見る?」

 

「そうね、恐らく、この建物とどこか別の建物にリンクするような、空間転移魔法が仕込まれてたりするかもね」

 

 それは恐らく先程クーが大変な目にあった魔法。

 リッカは目を細めながら、建物の中に入っていった。

 それにジルも続く。

 先程クーが見て回ったのと同じ風景。

 ところどころが埃で汚れていて、かなり不潔であるが、そんなことは今はどうでもいいことだ。

 とにかく、この建物の中にいるであろう魔法を使った悪事をする人間を探し出さなければならない。

 ということで、リッカとジルはそれぞれ別行動をとることにした。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 さて、ジルはとりあえず二階に上がって廊下を突き進んでいた。

 ところどころに魔力反応はあるが、それを逐一調べていたところ、ある一定のパターンで強制転移の魔法が働く扉が存在することが分かった。

 その魔力反応を避けながら、少しずつ前に進んでいく。

 すると、一か所だけ妙な魔力反応のする部屋――扉を見つけた。

 それを開けようとするが、カギがかかっているのか、開かない。

 開錠魔法を使ってカギを開ける。

 これではいれるだろうと思いドアノブを捻って引いてみるが、やはり開かない。

 押すのだと思って押してみても、依然として開かなかった。

 訝しく思い、自分のワンドをドアノブに当てて精密調査をしてみる。

 すると、鍵に魔法がかかっていたのではなく、ドアその物に魔法がかかっていたことが判明した。

 そうと分かれば対策を練るだけだ。

 どのような魔法が使われているのか分かれば、それを相殺するような効果を持つ魔法を当てるか、そもそもその魔法の効力を打ち消してしまえばいい。

 ジルは後者を選んだ。

 理由としては、前者は、術者は大きな建物全体に強力な魔法を仕掛けるような実力者で、魔力を自身の魔力で相殺できるとは思えなかったからだ。

 リッカならできるだろうが、それでも危険はあった。

 そういうわけで魔力を打ち消して、ようやくドアを開ける。

 ドアの隙間から覗こうとしたら、複数の声が聞こえてきた。

 危険がないことを感じ、中に入ってみれば、そこには、ちょっとした楽園が広がっていた――

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 その頃リッカは、この建物で最も大きな魔力反応を示す部屋の前へと到達していた。

 既に勝利を確信したような笑みを浮かべたリッカは、扉に向かって自分のワンドを向けていた。

 そして魔力をワンドに籠めて――一気に放った。

 魔力弾の攻撃を受けた木製の扉はバ粉々に砕け散り、埃を舞わせてリッカの視界に靄をかけた。

 しかしリッカは得意の風邪を操る魔法で視界を一気に広げ、中にいた人間に挨拶をする。

 

「ごきげんよう。こんなところで何をしているのかしら?」

 

 広い部屋。部屋の中央には接客用の披露目のテーブルと一人用ソファが四台、恐らくはこの建物の主人の部屋であり、応接室としての役割も兼ねているのだろう。

 そして、その奥。左右に広いデスクのさらに奥、大きめの椅子に、こちらに背を向けて座っている人間がいた。

 

「何をしているって、くつろいでいるだけだが」

 

 女の声。

 悪びれる様子もなく、怖気づく様子もなく、淡々と言葉を発するその女性は、ゆっくりと椅子ごと体をこちらに向ける。

 

「こんにちは。わざわざこんなところまで足を運んできてくれるとは、ご苦労なことです」

 

「ええ。まったくこんなかったるいことさせてくれちゃって。さて、そういうわけでちゃっちゃと片付けたいから、早くこの建物やこの町にかけた魔法を解除しなさい」

 

 リッカは少しばかり殺気を聞かせて脅すかのようにその女性に投降を呼びかける。

 しかし、女性にはこの言葉は通じなかったようだ。

 口の端を吊り上げ、挑発するかのようにリッカに笑いかけて、そして言った。

 

「嫌だ」

 

「そう、なら力づくで跪かせてあげるわ!」

 

 そういうなりリッカは自分のワンドを構えることなく、自分の魔法だけを頼りに手のひらを相手にかざす。

 しかし、その延長線上に女性は既にいなかった。

 

「遅いですよ、『アイルランドの英雄』の付き人さん」

 

 背後からの声、慌てて振り返るが、ほんの一瞬彼女の残像が見えただけだった。

 

 ――速い。

 

 率直な感想。しかし、リッカはこの一瞬の動作で一つの結論に辿り着いていた。

 それは、彼女は自らの体に俊敏性の強化の効果を持つ術式魔法をかけているということだ。

 それならばと、リッカ自身も策を講じる。

 相手から感じる魔力放出の感覚。

 瞬時に周囲を見渡すと、ソファが四台全て浮いていた。

 射出。

 テーブルの中央に立っていた彼女が手を水平に薙いで、攻撃を加えようとする。

 一方リッカは――培われた魔法の力と、判断力で、飛んでくるソファを迷いなく地面に落とす。

 そして風を使って相手の行動を一時的に鈍らせて、そして発動。

 別の魔法的作業を行っていたがゆえに時間がかかったが、問題なく――完成した。

 地面に展開された魔法陣。

 それは少しずつ範囲を増やし、そして、この部屋全体に行き渡る。

 

「勝負ありね!」

 

 リッカの勝利宣言と共に、魔法陣は光りはじめる。

 術式無効の魔法陣。

 急な能力低下に、自身の体が追い付かなくなって、彼女はよろめき膝をつく。

 一瞬の隙も見せることなく跪いた彼女に接近し、ワンドを後頭部に突きつけた。

 

「さ、魔法を解いてもらうわよ」

 

「嫌だ……」

 

 それでも彼女は拒む。

 彼女の体は、恐怖に打ち震えていた。

 その恐怖は、今ここで命を絶たれるかもしれないという状況から来ているものか、あるいは――

 その時、背後から足音が接近。

 増援かと思い、リッカも冷静に落ち着いて振り返る。

 しかしそこには、竹馬の友であるジルが肩で息をしながら立っていた。

 

「ジル!」

 

「リッカ、あのね、この人そんなに悪い人じゃないよ!」

 

 どうやらジルはリッカに案内したい場所があるらしい。

 リッカは彼女を連行するように前を歩かせ、ジルの進む通りに廊下を歩いていった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーー

 

 ジルの案内通りに進んでいった先に、大きな部屋が一つ。

 その扉を開けて中を覗くと、そこには様々な年齢の子供たちがいた。

 十四、五歳の少年少女から、四、五歳の幼い子供まで、様々だった。

 その子たちはジルたちを見かけるなり、小さな子は怯え、年長者は年下を守るように、庇うように陣取って警戒した。

 

「大丈夫だよ。私たちは何もしないから」

 

 ジルが彼らの警戒を解くように声をかけ、ゆっくり、姿勢を低くしながら接近していった。

 一方リッカはこれがどういうことなのか、彼女に状況を説明してもらう。

 彼女はこう言った。

 最近はこの町で、子供たちの扱いが酷くなっている、それで、なんとか自分が匿ったものの、養っていけるだけの金はなかった。それでもこの子たちに罪はないから、罪を被るのは自分だけでいいと思い、魔法を使って略奪を繰り返した、と。

 しかし、リッカはそれに対しては強く反発せず、諭すように言った。

 

「確かに、あなたのその子供たちを助けたいという心掛けは立派だわ。でも、あなたがそのために魔法を悪く使ったせいで、それに便乗した町人が暴れまわってる。それに、これが魔法の仕業であると知る人が現れたら、魔法使いの立場は悪くなる一方だわ」

 

「でも、それではどうすれば……」

 

「私たちに任せて」

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 そしてリッカたちは町の自治体に話をつけ、何とか今の建物を孤児院として開設することに賛成を得た。

 最初こそ渋ってはいたものの、留守番をしていた『アイルランドの英雄』こと、クー・フーリンを引っ張ってきて、凄ませたおかげで、半ば脅迫気味ではあったが、それでも公的に子供たちの安全と快適な生活が約束された。

 院長はそのままあの建物の主人であった彼女が引き継ぐことになった。

 彼女の罪こそ決して軽いものではなかったが、それはこの孤児院を責任を持って運営するということで不問となった。

 

「あの、ありがとうございました」

 

「ったく、この俺様を悪役みたいな扱いしやがって……」

 

「まぁまぁ、役に立てたんだからいいじゃない」

 

 リッカたちも、しばらくはこの町に住みついて孤児院の援助をするようだ。

 代わりに土地を提供してもらい、魔法の研究をするための施設を作っていた。

 そして、ここまでしてきて、リッカたちにはまだ知らまければいけないことがあった。

 

「あなた、名前は?」

 

「え……あ、私、アリナ・レントンと申します」

 

「アリナ、ね。ま、これからお互いに頑張りましょ」

 

 リッカとアリナは、固く握手を交わしたのだった。




次回は風見鶏と大きくかかわりのあるあの人が登場。
というか時間の経過の幅が大き過ぎて少し泣きたい気分である。


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どこか抜けたお姫様

女の人は三人寄ればかしましいっていうよね。


 開始早々いつものことだが、前回よりも時間はかなり経っている。

 それはもう、数か月とかそういう単位ではなく、何十年と、だ。

 結果として以前の町の孤児院は何とか経営を成功させ、潰れることなく身寄りのない子供たちを養っているようだ。

 そしてそこの子供たちはある程度の年齢になると独り立ちしたり、孤児院の経営に協力したり、社会貢献に尽力しているそうだ。

 そんな内容が書かれた手紙をリッカたちが読んで、嬉しそうに微笑んでいる。

 しかしほとんど関わりがなく、窓から吹き飛ばされただけのクーは苛立たしく思っていて、正直あの黒歴史だけは記憶から追い出したいようだ。

 クーは新聞を読みながら、あることに気付く。

 

「なぁ、今日この辺を女王陛下が通るらしいぞ」

 

「え、そうなの?」

 

 クーが新聞の端に書かれた記事に気づいて、新聞から顔をあげてそのことをリッカたちに報告する。

 その記事によれば、女王陛下一行は、先月から国中の視察を行っているようで、今日あたりに、今クーたちが生活している地域を通過するらしい。

 

「ま、どーでもいいけど」

 

 クーは面倒臭そうに言い捨てると、再び新聞に視線を戻してページを捲った。

 しかしやはり退屈なのか、それとも早朝で眠いだけなのか、欠伸を一つ、大きく吐いた。

 

「そういえば女王陛下って、今綺麗なお姫様がいるよね」

 

「ああ。それなら私も新聞で見たことあるわ。女王陛下にそっくりでとっても可愛らしかったわ」

 

 ジルとリッカもこのことには関心があったらしく、話題が弾んでいる。

 クーは自分の警備の仕事の出勤時間が迫っていることに気付き、のんびりと支度をして、部屋を出ていった。

 

「一度でいいから会って話してみたいわよねー」

 

「たぶん無理だよリッカ。相手は私たちと違って王族のお姫様なんだし、身分が違いすぎるよー」

 

「それもそうよねー」

 

 彼女らはやはりお姫様とやらに会ってみたいようだ。

 しかしジルも言った通り、身分の差もあるし、女王陛下の周りには護衛の騎士も数多くいる。

 話しかけたいからと言って接近することはほぼ不可能だろう。

 

「そうそう、知ってる?近くの商店街から少し離れたところにお洒落な洋服屋さんができたんだって」

 

「ふぅん、ジル、そういうの好きよねー」

 

「リッカ、女の子なんだからもっとお洒落には気を遣わなきゃ」

 

「いいの。私は魔法使いとして、魔法使いのために生涯を使うんだから」

 

 女性の話というのは、いつだって刹那的である。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 ところ変わってこちらクー。

 町の警備員の格好をし、真紅の槍を携えて、町の裏の入り口近くの道端に立っていた。

 正直この町はかなり平和で、喧嘩も事故も事件も滅多に起きはしない。

 今まで様々な不幸に巡り会ってきたクーだが、この町に来てから不幸に会う回数も激減していた。

 しかし、だからこそ、暇だった。

 今度の不幸は、『暇過ぎること』なのかもしれない。

 

「何か面白れぇこと起きねぇかなぁ……」

 

 あまりの退屈さに、独り言を呟く。

 しかし当然のこと、こういう時に限って何も起きないものだ。

 それに、クーが心を開いて話すことができる知り合いも、リッカとジルくらいだ。

 話す相手もいないので、ますます退屈が募る。

 

「退屈だよなぁ……」

 

 誰にも聞かれないその呟き声は、無人の狭い道路を通り抜けようとして、途中で風化して消えてしまった。

 しかし、その声が消えてしまうその時、別の、一定のリズムを刻んだ音が聞こえてきた。

 

「あ?」

 

 クーはそれに気付いたようで、のっそりと態勢を直して警戒を強める。

 タッタタッタと走ってくる足音か、少しずつこちらに近づいてくる。

 そしてその正体が姿を現すと同時に、確認することなく乱暴に掴み上げた。

 

「止まれ何者だ一体どこに行こうとしている?」

 

 矢継ぎ早にその正体に言葉を浴びせかける。

 しかしここでクーはある種の罪悪感を感じてしまった。

 相手は、まだ年増もいかない少女だった。

 

「……」

 

 唖然としながらも、とりあえずクーは少女を地面に下ろす。

 その顔をよく見てみると、どこかで見たことのある顔、周りの風景が霞んでしまう程の美少女で、怖がって潤んだ瞳からは、涙が零れそうになっていた。

 

「そっ、その、悪かったな。でも、こんなところで何をしていた?」

 

 クーは思い切って聞いてみる。

 

「……あなたは、この町の住民の方ですか?」

 

 震え声になりながら、彼女はそう尋ねた。

 クーは、隠すこともないだろうと思い、素直に頷いてみせた。

 

「それでは、この辺りのことも詳しいのですか?」

 

「んまぁ、何年もいるから詳しくないことはねぇけど」

 

 やたらと丁寧な口調、どこかで見たことがある顔、これだけで今更クーは合点がいった。

 

「お前、女王陛下の娘さんか?」

 

 そう言葉を発すると、少女はかちこちに固まった。

 個人的に知られたくなかったのだろう。

 確かに王族の娘が一人でうろうろしているのを拉致されでもしたら、国中での大問題となる。

 

「いやまぁそんなにビビられてもさ。別に俺ぁお前になんざ興味ねぇし、今の仕事クビになったらマジでやべぇの。とにかくだ、さっさと帰った方がいいぞ。女王陛下も心配してるぞ」

 

「いやです」

 

「は?」

 

 この娘、親元に帰るのを嫌がった。

 クーは彼女の反応の意味が分からず、ついつい顔つきが剣呑になる。

 

「私、わざわざ逃げてきたんですから」

 

 しっかりと実った胸を張って、自分がいかに頑張ったかをアピールしている。

 クーからしたら阿呆らしくしか見えなかった。

 

「ずっと母上様たちとお国の視察の旅をしていたのですが、私にとっては暇で暇で……。自分の目で外の世界を見てみたいと思い、ここまで飛び出してきたのです」

 

 クーは少し、その心意気に感動した。

 何しろクーが旅に出たのも、ベクトルの向きこそ違うものの、外の世界に向かっていくことには変わりなかったからだ。

 自分と似たような動機でここにいる少女を、クーは少しだけ見直した。

 

「……お前、名前は?」

 

「エリザベスと申します」

 

「俺はクー・フーリン、って者だ。お国の人間なら、名前くらい知ってんだろ」

 

「勿論です!あの、子供を守りつつ百を超える悪魔の群れを相手に、三分と経たず、紅の槍一本で殲滅したといわれる、あの『アイルランドの英雄』様ですよね!?」

 

 やっぱりやってなかった。

 どうしてやってないことがここまで広まってしまうのか、クーは頭を抱えながら世の噂の恐ろしさを思い知ったのだった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「えーっと……」

 

「なんであんたが連れてくるのよ……」

 

 そしてこの反応である。

 何があったのかというと、とりあえず昼前にクーは仕事を引き上げ、それまではエリザベスを隠しておいて、それから急いで彼女を連れて自宅に帰ってきたのだ。

 双方合意の誘拐と差異はないだろう。

 

「警察に連絡しないと」

 

 平静を装ったリッカが部屋から出ようとしたのを慌てずその首筋を鷲掴みにして引き止める。

 戦士の握力は振りほどくには強すぎた。

 

「待てよ。飛び出してきたのはこいつの意志だ。なんでもこいつは外の世界を自分の目で、耳で、体中で味わってみたいらしいぞ。その機会を奪ってどうする。それに俺も警察だ」

 

「でも、今この子の家族は大騒ぎしてるんじゃない?」

 

 リッカのごもっともな意見、そんなことはクーは勿論、逃げ出してきたエリザベスだって知っていた。

 だからはっきりとした口調でエリザベスは言った。

 

「だから私を、この町のいろいろなところに案内してください!」

 

 リッカはジルと困った顔を見合わせる。

 少し唸って、ぱっと顔を上げた。

 その表情はどこか吹っ切れたような、それでいて悪戯めいた表情だった。

 

「分かったわ。その代わり、遊びに行くんだから身分とかそんなのは関係なしよ!」

 

「エリザベス……さん?」

 

 ジルが何となく呼んでみるも、相手が相手なのでやはり畏まってしまう。

 それを自分で自覚して、苦笑いしてしまう。

 

「そうね、エリザベスって長いから、リズでいいんじゃない?」

 

「それなら呼びやすいね!」

 

「うわぁ、リズ、ですか。いい響きです!ありがとうございます!」

 

 狙ってやったのかどうかは分からないが、渾名、というより略称を与えられたことによって、町中を徘徊するのも楽になったと思われる。

 人の行きかう中で、王族の名前を普通に呼んでいたのではすぐに見つかってしまってもおかしくない。

 リッカたちは互いに自己紹介をしながら、どの親睦を深めている。

 女性同士できゃっきゃとはしゃいでいるのを、クーは面倒臭そうに眺めていた。




高貴な身分と言ったら拉致誘拐事件ですよね~(ゲス顔)


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王族に伸びる魔の手

貴族キャラによくありがちな展開だと思う。


 

 女性の輪の中に男性が混じるのは無粋だと思い、クーは彼女たちと同行することを拒んだ。

 エリザベスはその辺りのことを気にしなかったのだが、クーが面倒だと一方的に拒んだのだ。

 とりあえずもしもの時のために連絡手段を与えておき、クーは先に一人でどこかへ外出してしまった。

 

「さて、まずはどこに行こうかしら」

 

 クーがいなくなり、女性のみになった部屋で、リッカは顎に人差し指をつけるような格好であれこれ考えだす。

 ジルもこのあたりに何があるかいろいろ思い出しては、エリザベスをどこに連れて行こうか模索する。

 

「このあたりで、何か特別な食べ物とかはないのでしょうか?」

 

 エリザベスの問いに、リッカはピンときた。

 

「そうだわ。あれこれ考えるより、とりあえず町を歩きましょう。あれこれ考えるのはかったるいわ。リズにはきついかもしれないけど、それでいいかしら?」

 

「私は一向に構いません!」

 

 エリザベスの肯定により、とりあえず彼女の高級そうな服を一旦着替えさせ、町に合った服装で外出する。

 表通りを歩くのは、エリザベスを探している護衛隊の連中がうろうろしているので、彼女が見つかってしまう危険性が高い。

 なので少々危険ではあるが、裏通りを歩いて気分で表に姿を現すことにする。

 最悪不審者に絡まれる危険性はあるが、こちらにはリッカという実力者もいる。そうそうエリザベスを危険に晒すこともないだろう。

 

「この辺で出れば、この町でも有名な食べ物が並ぶ通りに出られるわ」

 

 ある程度歩いたところで、リッカが一行を振り返って言う。

 ジルも同じことを思っていたのか、エリザベスの方を向いて頷き、彼女の手を取って勢いよく歩き出した。

 表通りは人通りも多く、中には護衛隊の人間や、それに協力する警備員もいて、あまり長居するのも良くないとはリッカもジルも考えた。

 それでも一応町の雰囲気に溶け込んでいることは間違いない。怪しまれないように堂々と表通りに出た。

 そして最も近くにあったのは、ホットドッグなどを専門に扱う飲食店であった。

 

「ここのお店のホットドッグはね、この辺り独自の味付けがなされたピクルスを挟んだ、この町特製のホットドッグを扱っているの。ジューシーでとても美味しいのよ」

 

 リッカは嬉しそうにその店でホットドッグを三つ買い、そしてジルとエリザベスに一つずつ分け与えた。

 食べてみるようにエリザベスに進めると、彼女は躊躇いなくそれに齧り付いた。

 お姫様らしくない食べ方ではあるが、彼女自身もこういった体験をしてみたかったのだ。

 

「どう?」

 

「とても美味しいです!皆さんはこんなに素晴らしいものを作っていらっしゃったのですね!」

 

「気に入ったかな?」

 

「もちろんです!」

 

 エリザベスが意外と庶民の生活に馴染むことができるタイプだったことにリッカもジルも少しばかり驚き、そして同時に今この時間を幸せに思った。

 それからいろいろなところを見て回った。

 服を見たり、アクセサリーを見たり、雑貨屋を見て回ったり、とにかくいろいろと素敵な思い出をつくって回った。

 しかし、そんなある時、事件は起こる。

 ある通りで表に出た時、急激に人混みが激しくなった。

 捜索の増援も来たのだろう、ちらほらと警備員の数も増えてきている。

 

「リズ、手を離しちゃだめよ」

 

「はい……」

 

 怯えているのだろうか、返ってきた返事は少し声が震えていた。

 しかし、その返事も空しく――

 

「リズ!?」

 

 その手から、彼女の手の体温が、消えた。

 そう、はぐれてしまったのだ。

 リッカは焦る。もし彼女が悪者の連中に拉致されたとすれば、彼女の身に危険が及ぶ。

 そうでなくとも、彼女は国の人間であり、下手をすれば国レベルでの事件になりかねない。

 そうなったとき、自分の力では彼女を救い出すことはできないのだ。

 だから彼女は一度落ち着いて、状況を把握し、行動に出る。

 

「ジル、リズが攫われた。一度裏通りに戻るわよ」

 

「……!?うん、分かった」

 

 ジルを発見し、その手をしっかりと握って人混みから離脱し、裏通りへと戻る。

 そしてそこで、お互いに真剣な眼差しを向け合った。

 

「こんなこともあろうかと、一応魔法でマーキングしたのは正解だったわ。これをもとに彼女の現在位置を特定するんだけど、少し待って――」

 

 リッカは目を閉じて、自分の魔力に意識を集中させる。

 エリザベスとの間に繋がった一種の魔力のパスのようなものを辿り、彼女の現在位置を割り出す。

 エリザベス自身も魔法使いとしての資質があったために、その作業は思いのほか早く終わった。

 

「場所はここから北西に少し行った所ね。丁度こことは反対方向の裏通りね。私は南口側から追い込むから、ジルは北口側から追い込んで」

 

「分かった。無理はしないでね、リッカ」

 

「そっちこそ」

 

 作戦を決行する。

 2人は逆方向に向かって走り出し、いったん表通りへと出て、そして挟み撃ちに追い込むように特定の場所から反対側の裏通りへと入っていった。

 先に現場を捉えたのはジルだった。

 犯人グループは目視しただけで現在五人。他にもどこかに隠れている危険性はある。

 リッカならともかくとして、碌な攻撃魔法を行使できない自分にとっては、この状況を動かすほどの何かを起こすことはできない。

 とりあえず、リッカとの連絡を試みる。

 物陰に隠れて、魔法を使ってリッカに念話のようなものを飛ばす。ジルはこういった細かな操作が必要となる魔法が得意なのだ。

 

『リッカ、犯人見つけたよ。今ざっと数えて五人程。その場に屯しているから、もしかしたら他にいる可能性もあるね。私の位置は、そっちで把握できてるよね?』

 

『当然よ。私を誰だと思ってるのよ』

 

 力強く、そして頼りがいのある声がジルの頭に届くが、その声にはやはり安堵の溜息が混じり込んでいた。

 ジルはリッカに急行するように告げると、リッカもまた、ジルに情報収集をその場で頼んでおいた。

 なるべく彼らの会話の内容を聞いて、彼らが何のためにエリザベスを攫ったのか、その動機だけでも聞いておきたいところだ。

 ジルは建物の陰に隠れてやり過ごす。同時に彼らの会話を聞き取りやすくするために魔法を行使しておくことを忘れない。

 

「ったく、おせーな残りの連中」

 

「あの人混みだ、仕方ないだろう。こちらには三十人近くいる。全員武芸には精通している連中だし、焦ることもないだろう。せいては事を仕損じるぞ」

 

「にしても大丈夫なのかよ?国のお姫様なんか攫っておいて、失敗したら俺たち全員死刑だぜ」

 

「その時はこいつを盾にして逃げるだけだ」

 

「上手く行けば億万長者だ。国外に逃げて遊んで暮らせるんだぜ」

 

 彼らの話を聞いているうちに、大方彼らの動機と方法が見えてきた。

 人海戦術を用いて、何とかエリザベスを拉致する。この情報は地方の新聞に出るくらい有名なニュースだったから位置特定するのはさほど難しくない。

 そして護衛隊の隙をついてエリザベスを拉致する手筈をしていたのだが、犯行グループの一人が、彼女が国の連中から一時的に逃げ出したのを目撃したため、意外と簡単に計画を実行に移せた。

 そして人でごった返しているところで、彼女を連れまわしている二人――リッカとジルのことだが――からエリザベスを引き離すことでエリザベスを一人にし、目撃者のいない状態で彼女を自分たちの者とすることができる。

 後は彼女を盾に金と身の保証を要求し、そのまま国外に逃走する、といったところだ。

 そして、ある程度会話を聞き取ったところで、もう一度リッカに念話を飛ばし、そのことを全て伝えた。

 

『分かったわ。もうすぐそっちに着くから、気付かれないように見張ってて。見つかったら急いで逃げなさいよ』

 

『分かった……って、今そっちに向かって動き出した!数十二人!リッカ、気を付けて!』

 

『了解!』

 

 念話を切って、彼ら犯人グループの背後から、気付かれないようにゆっくりと追いかける。

 そして、ある程度行った所で、集団は動きを止めた。

 その奥、彼らの視線の先には、降雨時期の美少女が立っていた。

 リッカ・グリーンウッドだ。

 

「そこまでよ!大人しく私の友達を返してもらいましょうか!」

 

 行き先が封じられたと分かった集団は、踵を返してこちらに向かってくる。

 ジルはそうはさせまいと動き出し、彼らの前に立ちはだかった。

 

「ここから先へは行かせません!リズを返してください!」

 

「クソッ、こっちもか!」

 

 脱出口を封じられた犯人グループは建物の壁をを背に陣取って、エリザベスを一番奥へと隠した。

 その手際の良さに、リッカは舌打ちをする。

 

「いいのかよ嬢ちゃんたち。ここで下手に暴れたらお姫様がどうなっても知らねーぞ!?」

 

 その時の周りの連中の下種な笑みに、ジルの背筋に悪寒が走る。

 手の打ちようのない事実に、ジルはリッカに視線を向けるも、彼女もまた、この状況に焦りを感じているようだった。

 

「リッカ……」

 

 どうしようもない。このまま膠着状態が続けば、間違いなくこちらが不利である。

 数でいうと、こちらが二人なのに対して、あちらは三十前後。

 耐久戦に持ち込むのは確実に悪手である。

 かといってここで焦って飛び出せば、エリザベスの身に危険が及ぶ。それだけは絶対にあってはならない。

 ここまでか、とリッカが諦めかけた次の瞬間だった。

 ゴツン、と鈍い音が周囲に鳴り渡ると同時に、一番奥でエリザベスを抑えていた男が転倒した。

 カランカラン、と音を立てて転がったのは、少し軽めの金属でできた、警備員が訓練用に使用する槍だった。

 そして男が立っていたところに、別の男が着地する。

 今ほど、彼の到来が嬉しかったことはなかった。

 

 ――クー・フーリン、ここにて参上。

 

 その表情は怒気を孕み、かつてない程の迫力を生み出していた。

 エリザベスに無言で下がっているように指示すると、クーは一歩踏み出した。

 そのプレッシャーは、遠くにいたリッカやジルですら恐怖するほどだった。

 

「ク、クー……」

 

「別に俺様はリッカやジルがどうなろーが知ったこっちゃねぇ。だがなぁ、そいつらバカみてーに嬉しそうにはしゃいで出てったんだよ。新しい友達作ってな、そりゃもうこっちが文句言いてーくらいに楽しそうだったね。だからこそ一言言いたいんだけどよ――」

 

 ――邪魔すんじゃねーよ。

 

 次の瞬間、男が一人、建物の壁にめり込んでいた。

 クーがその男を殴り、一撃で吹き飛ばしたのだ。

 そしてその行動に他の連中が刺激されたのか、それぞれが得物を構えてこちらに向かってきた。

 

「そうそう、今回槍なんて使わねーよ。てめーらクズの集まりのために手札を見せるのも勿体ねーからな。――素手で十分だ」

 

 雄叫びを一つ上げ、向かってくる集団を、ごみを蹴散らすように殴り、蹴り、振り回し、薙ぎ倒した。

 その眼は、数多の戦場を駆けてきた、百戦錬磨の戦士の、それを見ただけで相手を竦ませるような、威圧感の溢れる眼だった。

 

「とっ、止まれ!それ以上暴れたら、こいつの命がないと思え!」

 

 振り返ると、どこから出てきたのか、男が一人、エリザベスを人質に取り、彼女の首元に刃物を当てていた。

 しかしクーはそんなこともお構いなしに、彼に接近する。

 気が狂ったかのように思える彼の行動に対して、男は混乱し、恐怖し、そして錯乱した。

 

「あああぁぁぁぁあああぁぁぁあああああ!!!」

 

 手に持ったナイフに力が込められた――そのほぼ同タイミングで、彼の顔面には、クーの正拳がめり込んでいた。

 今度は吹き飛ばすこともなく、全ての衝撃を一点に集中させ、外に逃がさないようにした、質の高い拳だった。

 男はよろめいて地面に倒れる。

 その際、エリザベスが傷つかないようにナイフは先に払っておいた。

 こうして事件はあっけなく終息した。

 犯人グループがあちこちで伏せているのは町の不良集団の小競り合いだと認識されるだろう。

 エリザベスも無事に戻ってきたのだから問題はない。

 何事もなかったかのようにクーは裏通りを去っていく。

 それを見たリッカたちも、彼に続いて自宅へと戻ったのだった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 自宅に戻って寛ぎながらエリザベスをしばらくの間もてなし、そしてエリザベスは自ら、そろそろみんなのところに戻ることを告げた。

 

「今日は本当にありがとうございました。この町のことをいろいろ知ることができ、本当に光栄です。それに、リッカさん、ジルさん、そしてクーさんの三人には、まるで友人のように扱っていただいて、本当に嬉しかったです」

 

「友人のようにって、もう私たちは友達でしょ?」

 

「そうだよ、ジル」

 

「本当に、ありがとうございます!また、どこかでお会いしましょう!」

 

 そう言って、エリザベスは国の連中のところへ戻ってしまった。

 別れというのは何とも物寂しいものだが、それでも、彼女たちにとっては、忘れることのできない最高の思い出となった。

 

「ところで、あんたは何であそこで事件が起きてるってこと知ってたの?」

 

 リッカの質問に、クーは顔を背けて、こう答えた。

 

「ちょっと心配だったんだよ。お前らの邪魔にならないように遠くから警護させてもらってた。事件に巻き込まれたけどリッカたちなら何とかするだろうって思ってたんだが、なんかそういう風に行かなくてな。そしたらエリザベスが緊急連絡用の札を破ったから出動したってわけだ。ったくテメェらホントに情けねぇよな、負傷していたとはいえこの俺様を一度は倒した奴がいるというのに」

 

 実はクーが登場する少し前、エリザベスはあらかじめクーから預かっていた、リッカのオリジナルの緊急連絡用マジックアイテムの複製品を、犯人グループの目を盗んで発動させていたのだ。

 使用法が簡単だとはいえ、魔法をそれなりに理解している者でないと使用できる代物ではない。

 彼の危機察知能力と、不幸体質による彼の経験が、彼女の正体をいち早く見抜き、その上で彼女に危害が加わらないよう、万全を喫していたのだ。

 エリザベスに魔法の才能があったことと、クーがどうしようもなくツンデレだったのが、今回の勝因ともいえる。

 

「ずっと見てたんだね」

 

「どうでもいいだとか言ってたけど、やっぱり心配だったんだ」

 

「ほっとけ。お国に媚を売っておくのも悪くねーだろ」

 

「またまた自分から悪人になるようなこと言っちゃって」

 

 そんなリッカたちの財布のストラップとして、おそろいのキーホルダーが垂れ下がっていた。

 銀色のリングが二つ付いたキーホルダー。

 それは、国の連中の下に帰ったエリザベスが大事に握っている紙袋の中にも、同じものが入っていた。

 ぶら下げていると、何度跳ねてぶつかり合っても、また共にひきつけあう。

 その様子はまさに――

 かけがえのない、親友の証だった。




チェンジエンドの方が進まない。
こっちの方を書くのが楽しくてあっちに手が回らないんです。
さて、そろそろ原作からあのマスコットを消し去りに行きます。


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諦めない

ちょっとシリアス。
兄貴はいるけど、優しくて美人なお姉ちゃんが欲しかったと、そう思っていた時期が筆者にもありました。


 これで何度目だという話だが、かれこれまた十数年時が過ぎた。

 その間にリッカたちは何度もエリザベスと手紙で連絡を取り合っていたようで、彼女の近況も大方把握していた。今のところ大した出来事はないようだが、それでも彼女たちの友情は健在であることだけは確かだった。

 ヨーロッパ中を旅してまわっていたクー・フーリン一行だったが、この時、彼らは森の中を歩いていた。

 それもかれこれ二日ほど歩いても外に出られる兆しはなく、精神的にも参っていた。

 そんな中で、ついに正面の森の奥から、わずかながら光が漏れてくるの見た。

 

「やっと外に出られるか……」

 

「もううんざりだわ。森の中でのサバイバル生活ってこんなにも過酷だったのね」

 

「まだ二日だけなのに、本当に疲れちゃったよ……」

 

 今回の二日間で、クーが二人に会うまでどれだけ大変な目に合っていたのか、改めて実感したジルとリッカだった。

 さて、希望の光が見えてきたこともあって三人は歩を進めた。

 森を抜けたらそこには、大きな広場があった。

 広がる草原に、一行は息を呑む。

 それほどまでに美しくて雄大な光景だった。

 そしてその野原の少し無効に、小さな家が一つ立っていた。

 

「今夜はあそこに泊めてもらおうかしら」

 

 リッカの提案に、ジルは頷く。

 

「お前ら、あれだけでそんなにへとへとなのかよ。俺様を見習いやがれ、このもやしっ子」

 

 万年不幸男と比較などされたくない。

 ごく平凡な生活を送って来た二人にサバイバル生活が普通にできるわけがないだろう。

 これでもクーについてきて少しでも強くなったつもりだ。

 

「分かったから、行くわよ」

 

 リッカの疲れ切った声で、三人は小さな家に向かって歩いていった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 小さな家の扉をノックすると、中から銀髪とルビー色の眼をした男が姿を現した。

 しかしどこか元気がないというか、酷くやつれている。

 

「どうかしましたか」

 

「えっと、あちらの森から抜けてきたもので、もし迷惑でなければ、こちらでお泊めしていただけないでしょうか?」

 

 ジルの挨拶に、男は弱々しい笑みを浮かべながら、その申し出に対して肯定した。

 主人の重い空気。活気のない家の雰囲気。誰もが思った。この家では、もしかしたら何か重い問題を抱えているに違いないと。

 

「狭い家で、何もおもてなしすることはできませんが、ゆっくりしていってください」

 

 それから三人は、少し広めの一室に案内される。

 広いとは言っても、この家自体はそんなに大きくない。

 家の広さに対して、この部屋はそれなりに広めに設計されているだけである。

 

「にしても、様子が明らかにおかしかったよね」

 

「ええ。本当は泊まってくのも悪いんじゃない?」

 

「気にするなよ。向こうはいいって言ったんだから、いいに決まってんだろ」

 

 クーはやはり遠慮というものを知らなかった。

 リッカにしても一発ぶん殴ってやりたいと思ったのだが、他人の家で騒動を起こすと厄介なことになるので堪えておいた。

 それぞれ荷物を置いて、適当にくつろぐ。

 しばらくのんびりできると思ったのだが、クーがふと立ち上がった。

 

「俺ちょっと鍛錬してくるから、お前らゆっくりしてろ。じっとしてられないなら家のことでも手伝ってやれ」

 

 クーはふらふらと家を出て行ってしまった。

 

「相変わらずよね」

 

「そうだね……」

 

 いつも通りの彼を見て、二人とも苦笑を漏らした。

 それからしばらく雑談していると、廊下から物音が聞こえた。

 それはそう、誰かが倒れる音のような――

 何事かとリッカはすぐさま部屋を出ると、そこにはここの家主の男と同じ銀髪とルビーの瞳を持った少女が倒れていた。

 

「だ、大丈夫!?」

 

 リッカが慌ててその少女を抱き起す。

 ルビーのような瞳、美しい白銀の髪。この家の主人と同じ特徴。

 その少女もまた、大分疲れが溜まっていたようで、弱々しくやつれてしまっていた。

 

「何があったの?」

 

 間から、ジルも口を挟む。

 しかし少女は、同じく弱々しく首を横に振って、何でもないと事を否定した。

 とりあえず今晩はしっかり眠るように言っておくと、少女は頷いて自室へと帰っていった。

 

「話は、明日訊きましょうか」

 

 リッカの真剣な提案に、ジルも同意した。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 翌朝、いつも通りの時間に起きると、早速両親のもとに挨拶に行こうと思ったのだが、生憎既に仕事に向かってしまっているらしい。

 部屋に戻ろうと踵を返すと、この家の娘と思われる昨晩の少女と鉢合わせた。

 

「昨日は、何であんなところに倒れてたの?」

 

「別に、何でもない……」

 

 そう言って、二人の脇を通り過ぎて、部屋へと入ってしまった。

 顔を見合わせて、このままではいけないと思い、その後に続いて部屋に入る。

 そこには、ベッドに寝込んだ、もう一人の家族がいた。

 そして、それに付き添うように、その脇の椅子に座ってずっと看病している、先程の少女。

 こちらを一瞥すると、すぐにベッドに横になっている少年に視線を戻した。

 

「弟さん?」

 

 リッカが少女に訊ねる。

 少女は頷き、彼の名前が『エト』であることを告げる。

 

「……えっと、お姉ちゃんの、お友達ですか?」

 

 エトという少年が、口を開いた。

 柔らかくて、優しい印象を持つ少年のその表情は、既に何かを諦めていた。

 その視線は、その諦めの意志は、姉である彼女にも、伝わっていた。

 

「いいえ、でも、これから友達になるわ」

 

「……そうですか、お姉ちゃんを、よろしくお願いします」

 

「エ、エト、何言って――」

 

 そこまで言って口を閉じ、顔を伏せた。

 ジルは少女の隣まで行き、そしてこう尋ねる。

 

「病気か何かなの?」

 

「……うん、お医者様は、もう治らないって……。でも、エトは絶対元気になって、一緒に遊ぶんだから……!」

 

 その悲痛な叫びは、涙声になって震えていた。

 叶わないことだと知っていて、それでもまだその願いにしがみついていたくて、そんな未来を信じたくない、そんな想いがひしひしと伝わる叫びだった。

 ジルとリッカは顔を見合わせる。

 

「ちょっと、エトくん、いいかな?」

 

 それは確認ではなく、これから何かを始めるという意思表示。

 ジルはエトの枕元に歩み寄ると、彼の胸元をはだけさせ、そして両手を胸の中央に当てた。

 そして、そこに向かってゆっくりと魔力を集中させていく。

 何度もクーに使用してきた治癒魔法を、更に複雑に、精密にして、エトにかけていく。

 手元が淡く光りだし、場の空気がだんだん暖かくなる。

 リッカもその様子を見ていたが、依然としてその表情は硬いままだった。

 そしてしばらくしてその光は失せ、手をエトの胸元から離す。

 その表情もまた、苦々しいものだった。

 リッカの方を向いて、首を左右に振った。

 

「そう……」

 

 リッカも、短く呟いた。

 ジルが言うには、もう少し早くここに来ていれば、彼を治してあげることができたかもしれないこと。

 そして、それに悔んだリッカに対して、ジルはこう付け加えた。

 そのもう少しというのは、数か月という単位での話で、それこそここまで来るのがもう少し早かろうが、対して差はなかったと。

 誰もが絶望しかけたその時、空気を読まない『アイルランドの英雄』が割り込んできた。

 

「ふぅん、諦めんのか」

 

 ゴミでも見るような目で、この部屋にいた四人を見下す。

 浅はかだと、愚かだとでも言いたそうなその眼は、リッカを怒らせた。

 

「あんたね!私たちだって諦めたくないわよ!こんなに弟想いなお姉さんがいて、お姉さん想いな弟がいて、そんな幸せ溢れる家族が病気で引き離されるなんて、嫌に決まってるじゃない!」

 

 リッカもまた、先程のエトの姉のような悲痛な叫びをあげた。

 それでもなお、クーの表情は変わらない。

 話だけは、最後まで聞いてやるつもりのようだ。

 

「それでも、どうしようもないの。今この場で最も治療に向いている能力を持っているジルでさえ歯が立たなかったわ。それで、他に治してあげられる当てが、あるはずがないじゃない……」

 

 そして、力尽きたかのように語尾を弱め、そして俯く。

 その言葉が、その現実が部屋中に行き渡ったのか、部屋の空気は、絶望でひしめきあっていた。

 

「そんで、諦めんのか」

 

 同じことを、同じ眼で、見下す目で彼女らに問う。

 絶望など大したものではないとでもいう、その表情が、少しは彼女らにとって救いだったのかもしれない。

 

「俺はただ聞きたいだけだ。お前らが、この状況に諦めるのか、諦めないのか、それだけを聞きたいだけだ。それと――」

 

 クーの視線は少女たちを離れ、ベッドの少年に向けられる。

 同じように、ゴミを見るような視線で。

 

「お前はどうなんだ?生きたいのか?それとも楽になりたいのか?」

 

 クーの質問に、エトは顔を背ける。

 

「お姉ちゃんは、僕のせいで辛い思いをしているんだ。だから、僕が重荷になってしまうのならそんなのは、僕は嫌だ……」

 

「ふぅん、死ぬのか、死にたいのか」

 

 容赦なく浴びせられる心ない言葉に、エトは涙を浮かべる。

 

「僕だって、死にたくないです……!でも、僕のせいでお姉ちゃんが苦しむのは、もっと嫌だ……!」

 

「あ、そう、じゃあ死ななきゃいいじゃねーか」

 

 リッカが立ち上がり、クーの胸倉を掴んで、壁に叩きつける。

 彼女のワンドが、クーの喉元に突きつけられた。少し魔力を加えれば、即死が確定されるほどの至近距離。

 

「いい加減にしなさい。さもなくば、この場であんたを殺すことになりそう」

 

 その怒りといったら、これまでに一緒に旅をしてきた中で、見たこともないほどのものだった。

 無表情のまま、クーは力づくでリッカを払いのけると、もう一度、同じような視線で、問うた。

 

「もう一度全員に問う。お前らは、諦めるのか?」

 

 圧力を含んだその質問に、一同は沈黙を余儀なくされた。

 誰も、何も答えることができない。

 それを見たクーは、何も言うことなく、部屋を去ってしまった。

 その後も、誰も一言も発さずに、部屋は沈黙と、感情の混沌で支配されていた。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 部屋に戻ったクーは、床にあおむけに寝そべった。

 自分でも、柄にもないことをしてしまったと、そして少しばかりきついことを言い過ぎたかと反省しているところだった。

 

「慣れないことはするもんじゃねーよな、全く……」

 

 だが、後は彼女たちが決める問題だった。

 クーは、あくまで誰も助けない。彼は正義の味方などではない。

 気に入らないものは斬り捨て、自分に好都合なもの、そして気に入ったものだけを追い求めて生きてきたし、これからもそうするつもりである。

 クーは、彼女たちの絶望が、気に食わなかった。だから斬り捨てた。

 彼女たちの諦めが気に入らなかった。だから罵った。

 それの何がいけないことだろうか。それが彼の生き方なら、誰に否定する権利があるだろうか。

 

「めんどくせー……」

 

 寝返りを打って、背中を掻く。

 視界に入ったのは、真紅の長槍だった。

 今まで旅を共にしてきた相棒。

 いつまでも自分を戦いの世界に誘い、そして心躍らせてくれる存在。

 彼は一度たりとも、諦めることはなかった。

 ゆっくりと瞼を下ろす。

 考えることも面倒になって、シリアスな雰囲気にも嫌気がさして、それなら現実逃避でもして夢の世界に逃げ込んでやろうという魂胆だった。

 だがそれもまた、いつも通りにリッカたちに妨害される。

 そう、いつものことだった。

 

「――打つ手があるのなら、聞くわ。私たちはまだ、諦めない」

 

 扉の開く音の後に聞こえた言葉には、覚悟を決めた重みがあった。

 リッカに背を向けたままのクーは、そっと起き上がって、背を向けたまま座り込む。

 

「ったく、これから寝てやろうって時に邪魔しやがって」

 

「いいからさっさとしなさい。人の命が掛かってるの」

 

 顔だけを横に向け、瞳はリッカに向ける。その紅く鋭い視線を。

 

「あの坊主は、なんて言ってた?」

 

「お姉ちゃんと生きたいって」

 

「そうか」

 

 クーはのっそりと立ち上がる。

 そして振り返った時のその表情は、戦地に赴く時の、心躍った表情をしていた。

 そう、あの、楽しみを待つ、鋭い笑みだった。

 

「あくまで一手だ。助かる保証はねーぞ」

 

「それでも、可能性があるなら、私たちは諦めない。それに賭けるわ」

 

「ジルはまだいるな?治癒魔法の準備をさせろ」

 

 きょとんとしたリッカは、クーの言葉に疑いを抱きながらも、駆け足でジルの下へと、エトのいる部屋へと向かった。

 この戦いは、負けられない。

 勝利して、一人の少年の命を勝ち取ってやる。

 闘志に燃える彼の双眸は、開いた扉の向こうにある、廊下へと向かっていた。




次回、遂に原作からルートが一つ消える!(ネタバレ)
後半のやり取りを書いてる途中が一番楽しかったと思う。
シャルルさん、原作でエトがなくなった後、立ち直るのにどれだけ時間がかかったろうか……


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光ある学び舎へ

序章というか冒険パートこれにて終了。
エトって大きくなったら絶対童顔イケメンだよね。


 

 エトの部屋に戻ってきても、クーはその笑みを崩すことはなかった。

 それどころか、決意をした時よりも増して、この状況を楽しんでいるようにも見える。

 そして、その鋭い笑みを一度表情から消して、真剣な表情で全員に向き直る。

 

「リッカ、お前はまず何でもいいからこの坊主の体を冷やすためのものをたくさん持ってこい。冷水とかその辺は何でもいい。それからジル、お前は治癒魔法の準備をしろ。それと――」

 

 気まずそうにクーは口ごもる。

 これまで一緒にいたはずなのに、エトの姉の名前を知らなかったのだ。

 それに気が付いて少女も慌てて自己紹介をする。

 

「シ、シャルルですっ!シャルル・マロースですっ!」

 

「よし、じゃあシャルル、お前はエトのために祈ってろ。傍で励ましてやれ」

 

「はい」

 

 ジルは、言われるままに、半信半疑でありながらもエトに治癒魔法をかけていた。

 しかし相変わらず効き目はない。

 そして、こんなことをさせているクーの意図も全く掴めなかった。

 

「さて……」

 

 クーは瞳を閉じ、精神を集中させる。

 これからクーが使う奥の手は、これまでに教えてもらったことがあるだけで、一度も実践したことはない。

 だからこれはあくまで懸けであった。

 ジルの隣にしゃがみ込み、そして指先に魔力を集中させる。

 そう、これから彼は、魔法を発動、行使するのだ。

 

「えっ、クーさん、魔法使えたの!?」

 

「そんなのは後だ。とにかく今は術に集中しろ」

 

 突然の行動に驚くジルに、クーは叱咤をする。

 ここは本当に集中して決行しなければいけない場面だ。気を抜くことはできない。

 そして、クーは、ある言葉をイメージする。

 

 ――ルーン魔術。

 

 それは魔法とは違うが、それでも魔法と似たような恩恵を得ることができる、特殊な力である。

 古詩『エッダ』の記述によると、これは北欧神話における最高神、オーディンがイクドラシルと呼ばれる世界樹に釣り下がった状態で、自分の身を槍で突きながら会得したといわれる、神の力なのである。

 クーは、その内容を、幼少期に彼の母親から伝授されていたのだ。

 だからその適正と知識により、ルーン魔術を使用することができる。

 そして、今回刻む文字は、『ベオーク(Beorc)』。

 カバの木を表し、古代ヨーロッパにおいては、これは豊穣と母性原理の象徴である。

 そしてこの文字が秘める力は、病を癒したり、健康を保つのによいとされている。

 そしてそれを軸に展開し、そのサポートとして使う文字が、『ケン(Ken)』。

 炎や松明を表し、ダイナミックでパワフルな力を発揮させ、物事の始まりや、創造的な可能性を司る。

 これにより、エトの自己再生速度と、ジルの治癒魔法の効能を更に引き上げる予定である。

 それを、エトの、ジルの体が持つ限り、何度も、何度もその手元に指でなぞっていく。

 その度に光は強さを増し、そして空気がだんだん暖かくなっていく。

 そして――

 

「これ、いける!」

 

 ジルの希望に満ちた一言は、周囲を増々希望に導いた。

 シャルルは、エトの傍でじっと祈っている。

 大丈夫、大丈夫、頑張って、もう少しだよと、囁くように声を掛ける。

 そして、その状態で時間は経ち、術は、終了した。

 それと同時に、エトが苦悶の表情を浮かべ、苦しそうに唸っている。

 

「まぁ、そうなるわな」

 

 クーがまるで分ってたかのように呟くと同時に、ジルが疲れた体でエトの体を調べると、彼の体が異常に発熱していることに気が付いた。

 これは、ルーン魔術に使われる、『ケン(Ken)』の副作用のものである。

 この魔術は、実力のある者が使えば、要塞のような建物を一つ丸ごと燃やし尽くす力を持つ。

 それを人の体内で、再生能力を高めるために使用しているのだから、それなりに対価は必要となる。

 それを見越してクーは、リッカに体を冷やすものを持ってこさせたのだ。

 リッカは布を巻いた氷を体中に当て、体を冷やすようにする。

 

「坊主、ここが正念場だ。生きたければ耐えてみせろ」

 

 それと、鍛錬に向かうとだけ言って、クーはやることを終えて部屋を出ていった。

 他の少女たちは、全員でエトの看病を交代で行ったのだった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 それから数日が過ぎて、エトの症状もだいぶ快方へと向かっていった。

 まだルーン魔術の影響で体の微熱が残ってはいるが、確実に元気にはなっていった。

 医者にも見せたところ、あの状態で回復するのは奇跡そのものであるとまで言わしめた。

 もう、元気に外で遊んで回ることもできる、普通の男の子である。

 今では、姉弟仲良く並んで座って、いろいろなことを話していた。

 一方、家の周辺の草原で鍛錬をしていたクーも、歩み寄ってくるジルとリッカの姿を見て、槍の動きを止め、自然体に戻る。

 

「どうした?」

 

 クーの分かり切ったような視線と言葉に、リッカが苦笑する。

 

「分かってるくせに」

 

 どちらも、考えていることはエトを助けたこと、そしてそれより少し前のクーの冷たい言葉だった。

 その時のクーと、今のクーとでは明らかに雰囲気が違った。

 

「私たちもまだまだ、甘かったみたいね」

 

 クーに言われたこと、クーにされたこと、その全てが、彼女たちの脳裏にしっかりと焼き付いていた。

 

「でも、どうしてそれまで何も言ってこなかったの?」

 

「俺はあの時まで何も知らなかった。部屋に入ったと思ったら葬式ムードだったからがっかりしたぜ。一緒に旅してきたお前らがこの程度だったのかってな」

 

「それはまぁ、そうよね……」

 

「お前らは、たいそうな夢抱えてんだろうけど、もっと貪欲になったっていいんじゃねーの?無様に地を這って何かに踏みつけられても、それで何かを掴めるのなら、安いもんじゃねーか。少なくとも俺はそうしてきたつもりだ」

 

 それはクーがリッカたちと会う前からずっとそうであり、そしてこれからも続いていく生き方である。

 そしてそれは、あらゆる結果へと結びついてくれた。

 

「ま、せいぜい諦めずに頑張れや」

 

 クーがジルたちに背を向け、鍛錬を再開しようとした時、家の方から少年の声が聞こえてきた。

 クーを必死に呼ぶ声が、草原中に響く。

 

「クーさん!」

 

 元気よく走ってきた彼は、ベッドで横になっていた弱々しい彼とは違い、少しだけ、たくましく思えた。

 その顔は、真剣そのものだった。ただ感謝の言葉を伝えに来ただけではないだろう。

 

「その、助けてくれて、本当にありがとうございました!僕はまだ生きたい、お姉ちゃんたちと一緒に行きたい!僕はまだ、諦めません!」

 

「あーそうかよ坊主」

 

 エトの力強い言葉に、クーは適当にいなすように返す。

 しかし、今エトは、おかしなことを言った。

 エトは、姉であるシャルルだけでなく、お姉ちゃんたち(・・)と一緒に生きたいと言ったのだ。

 その言葉を両親を含めるのならあながち間違いでもないのだが。

 

「今まではずっとお姉ちゃんに助けられて生きてきました。でも、これからはお姉ちゃんや、みんなを守れるように、強くなりたいんです!だから……だから、僕を、鍛えてください!」

 

 つまり、そういうことである。

 彼は、クーやリッカたちと一緒に行きたいと言っているのだ。

 懇願されたクーは、流石に今回ばかりは思考が停止して、少しの間固まってしまった。

 

「お姉さんのために強くなるって、立派なことじゃない」

 

 視線を向けると、リッカはいやらしい笑みを浮かべて、何やら面白いことが起こるとでも言わんばかりにこちらを向いていた。

 再び視線をエトに戻し、ふと思いついたように、拳を握る。

 そして、その拳を、エトの顔面に向かって、思い切り走らせた。

 

「――!!」

 

 その突拍子な行動に、エトは堪らず目を閉じる。

 だが、それだけだった。怯えることもせず、怯むこともなく、ただそこに立っているだけだった。

 エトがゆっくりと目を開くと、クーの拳は目と鼻の先にあった。

 

「……上等だ」

 

 クーの表情は、面白いものを見つけたと、エトの顔を見て満足そうだった。

 だが、エトの貧弱そうな体を見て、少し考え込む。

 

「そうだな、とにかくあれだ。寝たきり生活が続いてるせいでまだまだひょろっちーんだよ。筋肉が足りねぇ。まずはある程度飛んだり跳ねたりしても疲れない程度の筋肉をつけろ。筋肉だ筋肉。筋トレでもしてろ」

 

 ぱぁっとエトの表情が明るくなり、元気に返事をする。

 と、そこにシャルルも現れて、更に事態は面倒な方向になりそうな兆しが見えてきた。

 

「エトのこと、お願いするね。エトが決めたことだから、私も尊重してあげたい。だから、いろいろ、教えてあげてください」

 

 そう言って、ゆっくり頭を下げる。

 いたたまれなくなって、頭を上げるように言って、そして出てきた言葉は照れ隠しだった。

 

「俺は厳しく行くつもりだ。坊主が泣いて帰っても俺は知らねーぞ」

 

 そして、それから自分の鍛錬ついでに、エトの鍛錬の日々が始まった。

 

 まずは基礎的な体づくりから始まる。

 これまで病気のせいであまり外で遊べなかったこともあって、体力はほとんどなく、運動神経もいい方ではなかった。

 しかし、幸いにもどこでそんなものを培ったのかは不明だが、反応速度と空間把握能力は非常に優れているみたいだった。

 長時間の運動を可能にするための、地形変化の激しい森の中でのランニングや、各種筋力トレーニング、エトが体を壊さないように、初めは慣れるまで軽いペースで、そして日が経つにつれて段々レベルを上げ、鍛錬時間を伸ばしていった。

 体幹を鍛え、体の軸がぶれないように矯正し、そしてそこから前後左右への移動、跳躍、基本的な動きは徹底的にに叩き込んだ。

 元々エトはそんなに丈夫なわけではない。

 ペースに慣らすために、大分時間がかかった。

 それでも、ジルやリッカの協力、そしてシャルルの応援もあり、エトも集中を継続させて鍛錬に臨むこともできたし、高いモチベーションを維持することもできた。

 

 後で知ったのだが、この時、実はエトは、シャルルと共にリッカたちに魔法についていろいろ享受してもらっていたらしい。

 そして自身もまた、ゆっくりではあるがエトが少しずつ成長していくことに、期待と喜びを感じていたのかもしれない、彼との鍛錬を楽しみにしている自分がいたのだ。

 

 そして、ある程度体ができてからは、エト自身の意志により、武芸を習った。

 とはいえ、クーの武術の型自体、基本は父親に教えられたものを自己流にアレンジしたもので、それがエトに扱いこなせるかどうかは不安であった。

 だからクーが選んだ選択肢は、自分が教えてもらったことを叩き込みながら、エト自身の癖を長所として生かしながら型をつくること。

 癖というのは少し語弊が生じるかもしれないが、この場合スタイルとか、慣れた動き、とか、そういった意味である。

 それを有効活用しながら、まずは素手での立ち回り、基本的にクーが動くサンドバッグになりながら、エトの動きに指摘を与えつつ調整していくのが日課である。

 日が経つにつれ、その内攻撃の打ち方、防御のとり方、動作の少ない回避の仕方などを、エトは学習し始めた。

 この辺りの習得率の速さは、彼が元々持っていた空間把握能力と反応速度が大いに役立った。

 

 そして、そんな日々が続いてある日、とある知り合いから一通の手紙が届いた。

 その相手とは主にジルとリッカが手紙のやり取りをしており、今でもかなり仲がいい。

 今回の手紙の内容は、リッカとジルが魔法使いの地位を上げるためにいろいろなことをしていることを知って、それに共感していたその人が、ロンドンの地下に魔法使いを育成する期間、王立魔法学園を創立したとのこと。

 もしよければ、いろいろと手伝ってほしいことがある、というものであった。

 その差出人こそ、以前彼女たちと会ったことのある、エリザベスであった。

 リッカとジルは二つ返事で了承し、旅の支度を始めた。

 勿論これにクーもついていかない訳もなく。

 となれば、エトが付いてくるのも必然と言えるだろう。

 だが、来るのは彼だけではなかった。

 

「私も、ついていって……いいかな?」

 

 遠慮がちに聞いてきたのは、エトの姉、シャルルであった。

 

「ご両親は、いいの?」

 

 当然の質問を、リッカがぶつける。

 

「お父さんも、お母さんも、外に出ていろいろ学んできなさい、って」

 

 お互いの明確な意志があって、お互いに共感する。

 そんな彼女に、リッカたちが否定するわけもなく、これまた快諾でシャルルは一行に加わることになった。

 

「姉貴も来るだってさ、良かったな」

 

「うん」

 

 女性だけで楽しそうに会話しているのを、クーとエトは傍から眺めていた。

 今のエトは、数週間前とはかなり雰囲気も変わり、まだまだ未熟で頼りないが、その眼は、諦めない意志が灯っていた。

 

「ここを離れるからって、鍛錬は続くぞ」

 

「うん、頑張るよ!お兄さん!」

 

「お、お兄さんだぁ!?」

 

「僕、お姉ちゃんがいるけど、お兄さんって、いるとしたらこんな人なんだろうなって、何度か考えたことがあるんだ」

 

「まさか、それと俺が重なるとかいうんじゃねーだろうな」

 

「ぴったりだよ!」

 

 ちなみに、お互いにタメ口で会話ができるくらいに、お互いに打ち解けあっていた。

 その様子は、まるで仲のいい兄弟のようだった。




ルーン魔術については、簡単にネットで拾った情報を流用しているだけでちゃんと文献とかで調べたわけじゃないのでよく分かりません。違ってたら見逃してくださいお願いします(汗)

エト強化フラグ。というか絶賛強化中。
次回からいよいよ風見鶏と関わります。相変わらず序盤は駆け足になりそうですが……。


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黎明の学び舎
王立ロンドン魔法学園 -風見鶏-


久方ぶりの更新。
待っててくれた人本当にすみません、そしてありがとうございます。


 

 イギリスの都市、ロンドン。

 その市内に堂々とその姿を聳え立たせているのは、ビッグ・ベンと言われる巨大な時計塔だった。

 地下へと続く、動く廊下をゆっくりと降りる。

 ガラス張りの窓の向こうには、それはそれは地下とは到底思えない壮大で美しい光景が広がっていた。

 巨大な湖の中に浮かぶ、大小様々な島。そしてそしてその島にはいくつかの建物が並んでいた。

 

「あれか、エリザベスが言ってた魔法学園ってのは」

 

「そうね、まだできたばかりで在学生もそんなに多くはないけど、とりあえず私たちがすることって、この学園の名前を魔法使いの間で広めるってところかしらね」

 

「それだったらクーさんの『アイルランドの英雄』を使えば手っ取り早いんじゃない?」

 

 シャルルもエトも、クーが『アイルランドの英雄』という名前で通じていたことは知っていた。とはいえ、彼らが知っている噂もまた、クー自身全く身に覚えのない、ただの出鱈目でっち上げだった。

 ただエトには何かしらのフィルターがクーにかかっていたのか、全く恐怖されず、返って増々尊敬されるようになった。

 地下空間に到着して、彼らが真っ先に向かったのは、この空間で最大の建物、王立ロンドン魔法学園の本館である。

 その建物の正面玄関付近で、例の人は待っていた。

 

「リズ!」

 

「リッカさん!それに、ジルさん!」

 

 久しぶりの再会に、三人は喜び合った。

 エトもシャルルも蚊帳の外だったが、とにかくその三人が仲良くしているのを見てなんとなく嬉しくなったようだ。

 軽い挨拶と自己紹介を交わして、少し雑談をした後、エリザベスは本題に入った。

 

「それで、手伝ってほしいことがあるのです」

 

 それまでの笑顔とは一変し、急に真剣な表情で話し出した。

 

「私はこの学園で学園長をしています。この学園の開園と同時に、試験的にロンドン中の魔法使いの卵を在学させて、あらゆる分野に精通した魔法使いを講師としてスカウトし、少しずつ方針を定めながら運営しています。ですが、今の状態ではあまりにも集まりが悪く、美味くことを運ぶことができません」

 

 そこで世界各国の魔法使いの育成施設を回って、協力と援助を取り計らってもらう、ということをエリザベスは続けた。

 この学園は世界各国の魔法使いに門戸を開き、幅広い教養と魔法使いとしての自覚と素質を磨くことを目標としている。

 そして、説明を受けたのはカテゴリーシステム。

 これは、魔法使いのレベルを五段階に分け、階級が上がるにつれて特権と責任を負わせるシステムである。

 カテゴリー1はごく普通の魔法使いで、魔法学園に入学した際はここからスタートする。

 逆にカテゴリー5は、魔法使いとして最大の特権が得られる代わりに、魔法使いに関する国同士での重大な話し合いや、魔法が関わってくる重犯罪の解決にあたるなど、厳しい責任が与えられる。

 そして、リッカ、ジル、シャルルの三人には、この学園の運営を裏から支える手伝いをしてもらい、また同時に、このカテゴリー認定試験も受けてもらう。

 クーとエトには、これからエリザベスがあらゆる国を回って協力を取り付けるための出国となるので、そのための護衛を頼んだ。

 

「俺は考えるのはだるいからいいが、坊主、お前はどうするんだ?」

 

「僕は少しでもお兄さんに修行をつけてもらいたいからついていくよ。お姉ちゃんとしばらく別れるのは寂しいけど、お姉ちゃんはお姉ちゃんで頑張るから、僕も頑張らないとね」

 

「それではクーさん、エトさん、お願いできますか?」

 

 クーは二つ返事で了解した。ただし、報酬は絶対である。

 友達だからタダで――なんていうのはクーではない。絶対にない。

 そしてここから、それぞれがこの王立ロンドン魔法魔法学園、後に風見鶏と呼ばれる魔法使い教育機関をより広い世界で開くために動き始めた。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 カテゴリーシステムはエリザベスが魔法学園を創立する前から、その先駆けとして設置されたものである。

 これについては既に世界に流通しており、早くもカテゴリー5の人間が二人も確認されている。

 そしてそのような試験に、リッカもジルも、そしてシャルルも参加することになった。

 

「ここでカテゴリー5になることができたら、私とジルの夢も大幅に前進するわ!」

 

「えっ、でも、カテゴリー5って、とても厳しいんでしょ?確かにリッカの才能は凄いけど、どうなんだろうね」

 

「リッカなら大丈夫だよ。こんなに優しくて強い魔法使いがカテゴリー5にならなくて、誰がなるのっていうくらい」

 

 そういうことで、とりあえず資料集めとばかりに、リッカたちはこの敷地内にある、図書館島へと向かうことにした。

 とはいえ、魔法学園の敷地のほとんどは湖で出来ているため、陸路での移動は不可能である。

 だからそのための移動手段もまた、マジックアイテムということになるのだ。

 そしてリッカたちがエリザベスから預かったマジックアイテムが三つ。

 一つ目は、魔法使いが魔法を行使しやすくするための、ワンド。これがあれば、基本的な魔法は根本的な構築を省略して魔法を行使することができる。

 但しこの三人はそういったことを自力で出来るほどの実力がある上に、発展的な魔法を使用することが多いので、このワンドはあってもなくてもいいことになる。

 二つ目は、この学園内で通信するに欠かせない、シェル。これは、ある程度魔力が周囲に充満している魔法学園内で使用できる通信機である。遠く離れた位置で、音声で会話したり、テキストメッセージを相手に送り付けることも可能である。

 地上で使用することも可能だが、使用できる場所は限られており、更に回線不良のようなことも起こりやすいため、あまり適していないといえる。

 三つ目が、ブローチである。一見ただのブローチのようにも見えるが、これを水面に投げ込むことで、一人乗りのボートに早変わりする優れものである。後は自分の意志で動く方向を念じれば自動でその方向に動き出してくれる。更にボートから降りれば自動でブローチに戻り、手元に帰ってくるのでわざわざ拾う手間も省ける。

 このブローチもといボートを用いて、複数に分かれたエリアに移動できるのだ。

 今回はそれで図書館島というエリアに向かう手筈である。

 所定の桟橋につき、水面に向かって各々ブローチを投げると、ブローチが一瞬のうちに小さなボートに変形する。

 それを初めて見た三人が驚きの声を上げたのは言うまでもない。

 

「すごーい!」

 

「魔法も結構進んでるのね……」

 

「リズもなかなかやるわね」

 

 ともあれ、三人はこのままボートに乗って、操作に悪戦苦闘しながら図書館島へと向かったのであった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 さて、こちらはエリザベス一行。

 ある日の夜、エトはともかくとして、クーはイライラしていた。

 何故なら、今ここは、とある高級ホテルの食堂だからである。

 ホテルそのものを貸し切って、魔法使いに関わりのある貴族や権力者を集めてはパーティーのようなものを開いている。

 それに伴ってクーやエトもそれなりに正装をしているのだが、いかんせんクーにとって肌に合わなさ過ぎた。

 ごわごわしていて、固くて、身動きがとりにくい。

 これでも一応エリザベスの護衛の身なので警戒は怠ってはいないが、それでもこの格好ではいつも通りに動くこともせず、また食事の場でもあるのでガサゴソすることもできず、テーブルマナーもエリザベスから教わったものを守らなければならなかったのでずっとイライラしていた。

 むしろ隣で宥めているエトの方が何だか精神的に大人に見えないこともない。

 とはいえ、この食事会が終われば自由時間だった。

 護衛の時間も交代となり、クーはようやくゆっくりエトの修行の面倒を見ることができる。

 

「さて、今日はそろそろ手合せでもしてみるか」

 

 突然のクーの提案に思わずエトものけぞった。しかしすぐに表情を引き締め、頷く。

 

「但し俺は攻撃しない。ひたすら回避と防御に専念する。俺に一発食らわせるのが目標だ。いいか?」

 

「はい!」

 

 そういうと、エトは細長い木刀を握り締める。

 武器の扱い方は、基本的に他の護衛隊の隊員から教わっていた。

 基本的な動作であれば、基本的にどんな武器でも扱えるようにまではクーによって仕込まれている。

 手札の多さだけに関しては、この点でエトがクーに勝っている。とはいえ、その手札も最早全てクーに知られてしまっているわけだが。

 そして開始の合図。

 クーが石ころを宙に投げあげ、放物線を描いてエトとクーを結ぶ線の中点に落下する。

 その音と同時に、エトが足を動かした。

 

「たぁぁぁあああっ!」

 

 隙のない初動、直線的な動きから繰り出されるのは、胴に向けての刺突攻撃。

 対してクーは、それを、槍の穂先を少し動かすだけで防ぐ。

 受け流されたエトはすぐさま次の攻撃に移る。

 自身から見て左に受け流された刀身を切り替え、相手の右脇から左肩へと斬り上げる。

 ヒュン、と空を斬る音があたりに響く。当然クーには命中していなかった。

 軽い跳躍で一歩下がったクーは再びエトの攻撃を待つ。

 ここまではエトにとっても想定内の範囲と言える。

 ならば、クーの知り得ないところで、別の師から教わったものを活かせばいい。

 次の行動、クーは流石に驚きを隠せなかった。突然にしてエトの接近速度が倍、いや、三倍程にまで跳ね上がり、咄嗟の対応をせざるを得なかったのだ。

 

「これは……!」

 

 襲い掛かる剣を、正面で槍で受け止める。

 

「リッカさんにもいろいろ教えてもらってたんだ。魔法を教えてもらってたことは知ってるだろうけど、何を教えてもらってたかまでは言ってないよね」

 

 エトは、自らの体に速度上昇の術式魔法を行使、同時に夜の闇に乗じた擬態の魔法を発動し、一瞬だけでもクーの視界をかく乱して間合いを詰めたのだ。

 

「面白れぇ」

 

 ニヤリ、と鋭い笑みを浮かべ、エトを見据える。

 エトもまた、クーの表情を注視しながら、次々に連撃を加えていく。

 その剣の一振り一振りに、まだまだ隙はあったが、それでもかつて小さな家の一室で寝たきりになっていた少年とは思えない程機敏な動作だった。

 そんなエトに対して、クーはテンションが上がってしまい――

 

「悪い、反撃させてもらう」

 

 後方に一気に跳躍し、相手と距離をとったクーは、掌で槍を回転させ、自身の実力を誇張させる。

 エトはそんなクーの心情をなんとなく理解し、警戒する。

 足音が響いた――次の瞬間にはエトはクーの射程内にいた。

 クーが一瞬で足を運んだのだ。

 神速の一突き――ギリギリのタイミングで弾いて逸らす。

 だが、急な一撃に、エトは体制を崩してしまう。

 その隙を突き、弾かれた勢いをそのまま利用して回転させた槍の柄を使い、エトはついに地に伏せられたのだった。

 

「だめだ、やっぱりまだお兄さんには敵わないや」

 

「成長してんじゃねーか坊主。この俺様を熱くさせるなんてな」

 

 月明かりの下で、とある師弟は、静かに笑いあった。




更新不定期です。次はいつになるやら……


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異境からの手紙

今回クーさんは出てきません。


 

 結果として、カテゴリー認定試験を受けたリッカたちは、それぞれ自分のカテゴリーを得ることができた。

 事前に対策なども図書館島で調べていたこともあって、三人とも結果は良好だったともいえる。

 ちなみに、結果は以下のとおりである。

 ジル・ハサウェイはカテゴリー4。ワンドなどの補助なしで繊細で難しい構築を必要とする魔法を行使できることが、最も評価につながったポイントである。

 シャルル・マロースはカテゴリー2。リッカに魔法を教えてもらって、ジルと比べてもそれ程長くはなかったため、この試験では高い評価は得られなかった。しかし、本来であればまともに魔法教育を受けていなかった物は、通常ではカテゴリー1であったところを、最初からカテゴリー2に認定されるところを見ると、今後に期待できる逸材となる。

 最後に、リッカ・グリーンウッドは、驚くことに本当にカテゴリー5として通ってしまった。彼女は元々多大な才能を持っており、保有している魔力量、そしてそれを余すところなく発揮できる技術と使用用途の幅そして何より、オリジナルの自作魔法を複数所有していることが評価のポイントとなった。カテゴリー5となったリッカはここから後その名を、魔法使いの間で轟かすことになる。

 その名は、華麗さと高級さを象徴する花の名から、彼女の美貌と高級感を彷彿とさせ、そして、その名は彼女の気高き意志と、類稀なる実力を知らしめる響きを持つ。

 

 ――孤高のカトレア

 

 それが、彼女が得た通り名であり、称号のようなものであった。

 ちなみにリッカ自身この二つ名はかなり気に入っているようだ。

 そしてそれが魔法学園にも良い結果を与え、この学園にカテゴリー5がいるということで、息子娘を魔法学園に入学させたいという魔法使いの家系もかなり増えたようだ。

 リッカ・グリーンウッド、孤高のカトレアというカテゴリー5の名は、魔法学園にとって素晴らしいほど広告としての役目を果たしたといえる。

 

「やっぱりリッカって凄いよねー」

 

「何言ってるの。ジルもシャルルもよくやったわよ」

 

「私は二人と比べたらまだまだだけど、すぐに追いつくから待っててよね、特にリッカ」

 

 シャルルが両手でガッツポーズをつくり、今後の目標に向かって意気込む。

 

「よーし、頑張るぞー!」

 

 魔法学園の朝、桜並木を抜けてきた学生たちが次々に登校してくる。その様子をと遠くのベンチから眺めていた。

 ある者は前方不注意ながらも本を読みながら、ある者は友達や恋人と仲良く会話をしながら、またある者は寝不足なのか、半分船を漕ぎながらなんとか歩いていたり。

 いつも通りの朝。優秀な魔法使いの卵たちが、今日も勉学に勤しむために、学び舎へと向かっていた。

 

「ところで、リズからの連絡、そろそろ来たんじゃない?」

 

 ジルからリッカへの質問。

 それに対してリッカは待ってましたとばかりにジルとシャルルの前に立ちはだかる。

 そして懐から一枚の紙を取り出すと、それを二人に突きつけた。

 

「何それ?」

 

「リズからの手紙よ。今後の予定のことが書いてあったわ。昨日届いたの」

 

 嬉々として出来事を語るリッカ。やはり離れた友から連絡が、手紙が来るというのは、カテゴリー5と言えど嬉しいものらしい。

 ジルが受け取って封を開け、中の手紙を取り出す。

 そこには次のように書いてあった。

 まず一つ、とりあえずヨーロッパ各地の魔法関係の組織と連絡を取り、協力を取り付けることに成功したということ。

 そしてそこから更に世界へと進出し、本格的に世界各地から魔法使いを呼び寄せる算段を立ててきたという。

 そして、本魔法学園については、ジルたちは実際に予科学年から入学してもらい、そこで学園の生徒として教育を受けてもらう。

 一方でリッカはそのカテゴリー5の地位の所有者ということで講師を依頼するという。これはエリザベスの意向ではなく、どちらかと言えば各地の代表の推薦ともいえる。とは言ってもこれは強制力はないため、リッカには断る権利はあった。

 それから、来年からエリザベスがイギリス女王兼王立ロンドン魔法学園の学園長に任命されることが決定された。

 以上のことが、手紙には書いてあった。

 

「――で、リッカはどうするの?」

 

「何が?」

 

 すっとぼけているのか天然なのか、リッカはジルに訊き返した。

 

「何がって、学園の講師のことに決まってるじゃない。リッカから直々に教えてもらえる生徒は幸せ者よね」

 

 ジルはそういう。しかしリッカはその言葉に対してあまり良い反応を示しているとは言えなかった。

 少し不満げな顔をして、そしてにっこりと微笑む。

 

「もちろん断るに決まってるわ。だって講師ってかったるいじゃない。ただでさえカテゴリー5としていろいろ忙しくなるらしいのに、そこに更に講師としての活動も入れたら身が持たなくなっちゃうし、ジルとの共同研究も手が付けられないわ」

 

 ジルはリッカの発言に納得する。

 世界中に花を咲かせる研究――その先駆けとして、彼女たちが目を付けたのは、極東の国、日本に存在する、桜の花だった。

 桜の花を永遠に枯れさせないようにする、それが今の彼女たちの研究の目標。

 それを実現させるために、リッカの力は必要不可欠で、同時にジルの力もなくてはならないものである。

 どちらも欠けるわけにはいかないのだ。

 

「それに、生徒として潜り込んだ方が、本科生になってからそういうところに気が利くようになるらしいしね」

 

 そう言ってリッカは二人にウインクをかます。

 シャルルたちは、リッカははやはり相変わらずだと、その自由奔放さを羨ましがると同時に、カテゴリー5であろうと、リッカはやはり大切な友達であることを再確認したのだった。

 

「ところで」

 

 リッカは懐からもう一枚、手紙のようなものを取り出す。

 そこに書いてある名前は、シャルルの弟、エトだった。

 

「弟さんから手紙が来てたわよ」

 

「何であたしじゃなくてリッカの方に届いてるのかは知らないけど、とにかくエトからあたしに届いたんだね」

 

 とりあえず余計なツッコミは置いておいて、シャルルはエトからの手紙を受け取る。

 そこには、シャルルが見慣れた、エトの柔らかい文字の列があった。

 今頃はクーにいろいろ教えてもらいながらヨーロッパ中を旅していたのだろうと、シャルルも感慨深くなる。

 エトの手紙には、こう書いてあった。

 

『お姉ちゃん、それからリッカさん、ジルさん、元気ですか。

 僕の方は女王陛下の護衛という任務の中で、お兄さんと一緒にヨーロッパ中を旅して回りました。

 その道中、他の従者さんやお兄さん、それから女王陛下にもいろいろなことを教えてもらって、大変貴重な時間を過ごさせてもらっています。

 女王陛下からは名前で呼ぶことをお許ししてもらえているのですが、やっぱりそういう目上の人にはそれなりの敬意を持って接するのが正しい人間関係だと思ったので、お断りさせていただきました。

 お姉ちゃんたちの話も、女王陛下やお兄さんを通じて色々聞きました。

 魔法学園に入学するみたいですね。お姉ちゃんたちが魔法学園に通って、友達をたくさん作って、一生懸命に勉強して、いつか世界中の魔法使いを引っ張っていけるような立派な魔法使いになるのが楽しみです。

 僕もお姉ちゃんたちが本科学生になった時に入学することになるみたいですが、その時はよろしくお願いします。

 僕の方もお兄さんにいろいろと教えてもらって、魔法学園でたくさん勉強して、みなさんに肩を並べられるような魔法使いになりたいです。

 それでは、また戻ってきた時にお会いしましょう。』

 

 読み終わったシャルルは、その手紙から目を離してほっと一息吐く。

 安心したような、それでも少し心配しているような。

 エトの姉として、離れている弟のことは少し気になっているようだ。

 

「立派だよね~」

 

 脇から覗き見していたジルがそう呟く。

 シャルルはそのコメントに満足したのか頬を紅潮させて笑った。

 

「クーの方も大丈夫そうだし、私たちは私たちですることをしましょうか」

 

「そうだね」

 

 ジルたちもベンチから立ち上がり、学園の方を見た。

 三人の夢も、まだまだ遠い彼方にある。それは彼女たち自身がよく分かっていた。

 それでも目標に向けて、決して諦めない、その心意気は絶対に忘れることはない。

 これからの希望と期待に胸を膨らませて学園を見る。

 季節は春。

 遠くには美しい桜の花が咲き誇っている。

 エリザベスも親日派ということで、一度日本に行った時に幾つか苗木を譲ってもらったらしい。

 それをこの魔法学園の敷地に植え、今では立派に咲き誇っている。

 リッカたちが桜を咲かせる研究を進めているのも、ここに咲く桜を目にしたことと、そしてエリザベスから手紙でやり取りしたときに目にした日本の情報に驚き、関心を持ったこと、そして図書館島での文献に書かれた桜が大変美しくてすばらしいものであったこと。そう言ったことが、リッカに日本を意識させると同時に、研究への意欲を更に掻き立てたのである。

 とにかく、三人はその光景を見て、これからの未来を、胸の内に描いたのだった。




更に時間が飛びます。


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夢への第一歩

 

 エリザベスが王立ロンドン魔法学園、通称風見鶏の学園長に就任したのが去年、そして今年の九月、リッカ、シャルル、ジルの三人は風見鶏への入学を果たした。

 つまり彼女たちがカテゴリー認定試験を受けてから二年が経過したことになる。

 勿論エリザベスが帰還したということはクーやエトも帰って来たということであり、クーはともかくとしてエトは盛大な歓迎を受けて帰ってきた。

 その時のシャルルのエトの可愛がりっぷりときたら、自分にも弟妹が欲しいと周りに思わせるレベルのものだったと言える。

 実際にジルが、弟が欲しいと呟いたくらいだ。

 一方でクーは凱旋パーティーのようなものには参加せずに、さっさと自分の用意された部屋に戻って不貞腐れたように寝ていたという。

 可愛くないというかなんというか。

 エリザベスやエトのこともあったため、シャルルやジルも彼を引き留めることはなかったが、やはり少しだけ、面白くなかった。

 

 以下、エリザベス一行が各地の会合から帰還した時のパーティーの様子である。

 貴族出身の、たくさんの魔法使い――魔法学園の生徒たちがグラウンドに出て、夜空の下で食事を堪能している。

 

「お兄さんって、凄いんだよ!」

 

 片手にサラダの盛られた皿を持ちながら、シャルルに対して声を上げる。

 シャルルはエトが傍にいることに気が付いて嬉しそうに振り返る。

 どうしたのと聞くと、シャルルは嬉々として語り始めた。

 

「あるホテルでお兄さんと二人部屋で寝泊まりしたんだけど、夜一緒に寝て、朝起きたらお兄さん、どうしてか大火傷を負ってたんだ!心配したんだけど、男ならかくあるべきだって言ってたよ!すごくカッコよかった!」

 

 シャルルは考え込んだ。

 まず、何があったのだろうと。そして、夜寝た後から朝起きるまでの間に何かしらの惨事に巻き込まれることが真の男なのだろうかと。更に、弟はその姿のどこに感銘を受けたのだろうかと。

 確かにクーはシャルルにとっても尊敬する人だが、どうやらただ少し怖くてそれでも頼れる人、という訳でもなく、少し天然というか、おかしなところもある人なのだろうというのが彼女なりの結論である。

 ちなみにエトに心配そうに声をかけられるまで必死の表情で考え込んでしまっていた。

 

「クーさんは、大丈夫だったの?」

 

「うん、その日の朝から稽古をつけてくれたよ。とりあえずはこの旅の間に、自分の身くらいは守れるようになったって言ってくれた!」

 

 クーに褒められ、少しでも認めてもらえることに、エトは嬉しく感じているのだろう。

 全身から喜びのオーラを発して、楽しそうに話しているエトを見て、ベッドで寝たきりになっていた弟とは打って変わって、今となっては自分以上に立派な子に育っているのではないかと、そしてそれが自分の手ではなく、仲間とは言え他人の手によって強くなっているという事実は、シャルルにとって少し物寂しく感じていた。

 いつかエトも、自分から姉離れしていくのだろうと、そう思った。

 

「ところで、……僕の手紙、リッカさんから預かったでしょ?」

 

 苦笑いしながらそんなことを確認するエト。

 どこか気まずそうに視線を逸らしながら、申し訳なさそうにしていた。

 

「あれ、どうしてリッカに届いてたの?」

 

 あのことかと、何故かエトからの手紙が毎回リッカを通じて届いていたことを思い出した。

 なぜそうなったのか、最初の方こそ疑問に思っていたのだが、エトの方にも事情があるのではと、気にしなくもなっていた。

 しかし、エトのその表情を見るに、何か拙いことでもあるらしい。

 

「えーっと、それはね、お兄さんがリッカさんに手紙を書くって、宛先はいちいち変えるの面倒だから統一したんだって。それで、その文面がね――」

 

「そーゆーこと」

 

 エトの言葉を遮って登場したのはリッカだった。後ろからジルもついてきている。

 溜息を吐いてどっと疲れたような態度をとって、シャルルを見た。

 

「あいつったら、妙な事ばっか書いてくるのよ。もう読んでるこっちが疲れるくらいに」

 

 ちなみに、リッカへの手紙の例として、次のようなものがあった。

 

『リッカ、聞いたぜ、カテゴリー5だってよ、良かったじゃねーか。これで夢にまた一歩近づけたんだろ』

 

 ここまでは普通の激励の言葉であり、この文を読んだ時は流石のリッカも嬉しく感じていた。

 しかし――

 

『でもよ、『孤高のカトレア』だってよ。笑いもんだぜ。魔法の才能は認めてやるけどよ、ジルたちとじゃれてつるんでるテメェが、泣き虫弱虫なテメェが孤高とかシャレにもなんねーよ』

 

 この後、延々と腹の立つような悪口が並べられていて、初めてこのような文章を読まされた時は怒りに身を任せて破り捨ててしまったくらいだった。

 今でもその怒気が残っているのか、すこしピリピリした雰囲気が感じられる。

 

「リッカさん、なんかその……ごめんなさい」

 

 エトに頭を下げて謝られる。

 ここまでされては頭に血が上ったリッカも流石に羞恥を覚え、体裁を整える。

 そもそも謝るべきはクーのはずなのになぜエトが謝っているのだろうか。

 

「あのバカ、今度会ったら絶対に叩きのめしてやるわ。こんなことして、ただじゃ済まさないんだから」

 

 冷静になってもなお、その怒りの矛先は相変わらずクーへと向いていた。

 

「リッカさん、この後、もし時間が空いてたら、魔法を少し教えてもらっていいですか?」

 

 旅先から帰って来たばかりのエトは、まだ元気があるのかリッカに対してそんなことを訊ねた。

 エトのやる気には感心して、褒め称えるべきではあったのだが、時間ももう遅い。流石にエトにこれから魔法を教えてあげる時間はなさそうだった。

 

「ごめんね。今日はちょっと遅いから。また今度、休みの日にでもどうかしら?」

 

 エトの誘いを、リッカは断った。

 確かにリッカはエトの旺盛な向上心を押さえるような真似をしたが、それでもエトは素直に頷き、シャルルと仲良く話し込んでいた。

 全く、何故あのようないい加減な師匠にこのような素直で明るくて真っ直ぐな子が教えられることになっているのか。

 リッカはこの世の不条理さを垣間見た気がした。

 エトがそんな師匠になついているのも問題なのだが、そこには目を瞑ったようで。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 その後、王立ロンドン魔法学園の入学式を正式に終え、リッカたちは正式に生徒会から三種の神器とも呼ばれるワンド、ブローチ、シェルを受け取る。

 そして示された教室へと向かい、緊張した空気の中に入っていくのだった。

 この時気が付いたのだが、リッカとジルは親友同士、同じクラスになったようで、そのことを大変喜んでいた。

 一方で――

 

「何で俺様までこんなところに放り込まれにゃならんのだ」

 

 教室の隅の机にどかりと座り込んで、不満げな面持ちでリッカたちを睨む男がいた。

 無論、クーである。

 

「何言ってんのよ、学園長からの直々の推薦でしょ?今更文句言わないの」

 

「ふざけんな!俺はあの後正式に王室直属の護衛の騎士に就任してんだぞ!?なんでその俺が学園に入学して魔法なんぞ習わにゃならんのだ!?」

 

 国王に直接付き従って護衛する騎士――全員で八人いるのだが、これがまた強者ぞろいと来ており、そのあまりの強さから、彼らを知る者は口を揃えて彼らのことを『八本槍』と呼ぶ。

 クーはその騎士として叙任を受けており、国王を直接護衛する義務がある。

 とは言ってもその任務の対象はこの学園にいる間の、学園長としてのエリザベスであり、国外に出る時は緊急を要するとき以外は基本的に他の『八本槍』に任せるようなシステムになっている。

 どちらにしてもクーにとってのこの学園の仕事は、彼女を守ることだけだと思い込んでいた。

 なのにこの仕打ちは理不尽ではないかとの主張である。

 その時――

 

 ガシャン、と、強烈な音が教室を支配し、同時に室内にいた生徒が全員黙り込み音のした方向に視線を向けた。

 視線に晒されたのはクー・フーリンであり、その拳は机に向けて振り下ろされていた。

 机には大きな罅が入っており、どれだけの力がそこにこもっていたのかは容易に想像できる。

 しかし問題はそこではなかった。

 彼の拳と机の間――その空間に、変形した鉛色の物体が挟まれてあったのだ。

 

「――挑戦ならいくらでも受けて立つぜ、生意気なクソガキが」

 

 クーが机から拳を上げると、そこにあったのは、歪な形をしたクナイ、そう、極東の国、日本の忍者と呼ばれる集団が使う投擲武器だった。

 そして、前方の席から、立ち上がる人影が一つ。

 長い黒髪を揺らしながらこちらに振り向く。

 端正な顔立ちと、鋭い視線から、彼女が実力者であることが窺える。

 

「話は聞かせてもらった。国王陛下の直属騎士、『八本槍』にして、『アイルランドの英雄』さん」

 

 他の生徒が何事かと騒めいている間に、その女子生徒はゆっくりとクーの下へと歩み寄った。

 挑戦的に、堂々とした足取りで。

 

「名前くらい名乗れや、三下」

 

 挑発的な笑みを浮かべて座ったままで女子生徒を見上げ、彼女の様子を窺う。

 

「なるほど、これは失礼した。私の名は、五条院巴(ごじょういんともえ)だ。以後、お見知りおきを」

 

 鋭い瞳によく似た、鋭利な刀を懐から取り出しなら、彼女はそう自己紹介した。

 




次回は割と書きたかったシーンの一つ。
気合いを入れていきたいと思います。


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入学早々の喧嘩

 

 王立ロンドン魔法学園――そのグラウンド。

 たくさんの生徒がギャラリーとしてその周囲を取り囲んでいた。

 時刻としては放課後、つまり入学式や教室での連絡事項などが終わり、自由時間となった直後の話である。

 グラウンドには強烈な殺気が充満しており、その殺気によって、貧血の症状で倒れた者もいるという。

 その空間に運ばれる不穏な風の中に彼はいた。

 クー・フーリン。『アイルランドの英雄』と呼ばれる男、そして、『八本槍』の一人。

 真紅の槍を構えては、遠くの方をじっと見据える。

 一方で――

 

 グラウンド半分を覆っていた煙――、それが次第に晴れて、そこに人影を形成した。

 ロングの黒髪、腰まで伸び切ったそれはもはや美しさまで感じさせる。悠々とした佇まいと、獲物を狙うような鋭い視線。

 対峙する女、五条院巴は両手に日本刀を握り締めて楽しそうに笑っていた。

 

「なるほど、実に済まなかった。訓練用の刀で傷つけないでおこうなどと甘い考えは間違いだったということか」

 

 その言葉を聞くに、クーもまた、楽しそうに笑った。

 久しぶりに現れた強敵、その実力、そして、見たこともない技の数々。

 クーにとって、これまでにないほど心躍らされていた。

 

「次から次へと小癪な真似しやがって。面倒ったらありゃしねぇ」

 

 槍を低く構え直し、悪態をつく。但し、油断も隙も作ったわけではない。

 むしろその逆で、相手を称える気にでもなったのか、クーの相手に対する集中力は強まってきている。

 

「煙なんかで俺様の視界を閉ざそうったってそうはいかねーよ。動きが分からなくなるとでも思ってたのか」

 

「――少なくとも、観衆の目の動きから把握するのを防いだつもりだったのだがな」

 

 ――気付いていたか。

 

 クーは巴の洞察力に感嘆する。

 しかし、巴が提示した方法は、クーが相手の行動を見切る時に使用する方法のほんの一つでしかない。

 確かに大勢の中で一対一の戦闘をする時、観衆の目の動きを追うことでその延長線上に相手がいることは大体予想が付く。

 今回の場合は煙幕によって視界が防がれていたが、ここは天下の魔法学園、煙幕を透視する魔法使いがそれなりにいてもおかしくはない。

 しかし、それを考慮した上でもクーの手の内は数えきれないほどに存在していた。

 

「煙幕はもう少し張らせてもらおう。ないよりはある方がマシみたいだからな」

 

 そういうと巴は再び懐から何かしらの丸い球を取り出し、それを三つほど周囲に爆散させた。

 一瞬にして視界が白い煙に満たされる。

 巴の影は完全に煙に巻かれ、全くと言っていいほど視認できない。

 完全な無音で、煙が少しずつこちらに向かっても広まってくる。

 しかしクーは動かない。初動を起こすのは、その煙に自分自身が包まれる前。

 

 ――ふわり、と。

 

 煙が広がる速度が、クーから見て前方左四十五度、一瞬だけ速かったのを見逃すクーではない。

 

 ――人影。

 

 他愛もないと、煙に写る人影に向かい、牽制をかけつつ中心部へと一突きを入れた。

 しかし、その腕に、その槍に全くと言っていいほど感触はなかった。

 

 ――何を突いた――何が起こった?

 

 取り乱すことはなかったが、これは間違いなく、先手を取られたことになる。

 事実、背後からの一撃に――

 

 ――ガキン!

 

 間に合った。

 真紅の槍は女の刀の刃、その腹を正確に捉えていた。

 受け止めた鋭利な刃をそのまま受け流し、勢いを利用してカウンターの一撃を与える。

 女は上半身を捩じってこれを躱し、その勢いで距離を取りつつ刹那に距離を詰め次の一閃を煌めかせる。

 左下から右上、高速の逆袈裟――見切り、軌道線上から離れすぎないよう、身を屈めてやり過ごす。

 腕が降りあがった瞬間、絶好のチャンス――穂先を必要最低限の小さな動作で、胴へと放った。

 確実な一撃、回避など到底不可能の間合いと速度。

 しかし、その手には再び、貫通の感触を得ることは出来なかった。

 貫いたその体は、霧のように霧散していく。

 

 ――残像だよ。

 

 どこからともなく聞こえてくる声に、クーは少し視線を動かす。

 ならば、と。考える。

 不可思議な点は一つ。彼女が使っている技が残像や分身などの類であれば、何故その攻撃に重さを感じることができていたのか。

 分身の術のセオリーとしては、自らの分身をブラフとして活用し、相手にそちらに集中を向けさせて本命の自分で攻撃を加えるというものだろう。

 従ってそのブラフに、攻撃可能な能力があるはずもない。

 だとすれば答えは一つ。

 それは、五条院巴、彼女が魔法使いであるということだ。

 彼女は、自らの忍術を更に強力なものへと昇華するために、分身の術で現した自らの分身に、質量を持たせたのだ。

 面倒なものだと唾を吐き捨てながら状況を立て直すために一旦煙幕から距離を取る。

 この煙幕を利用して戦闘を行うのであれば、そこから離れるのが最も手っ取り早い離脱方法である。

 

「どれも同じく重さがあるなら、感じ取るべきは――ただ一つだよな」

 

 どれだけ彼女が分身を作り出しているかは、あの煙幕を無力化しない限り分からない。しかし彼女は恐らく煙幕ですらもある程度長時間持たせるための準備はしているはずだ。

 だとすれば、煙幕を無力化せずに本体を見極める必要がある。ならばそれを判断する材料は――

 

 一点において、煙が舞い上がる。

 紅の瞳の残光を残し、クーは煙幕の中へと直線的に飛び込んでいった。

 同時に彼の視界は完全に煙によって無力化される。

 視力は対して役には立たないが、それでも彼がこれまでに培ってきた修羅場における対処法が、身に沁みついた何百何千の体の自然な動きと鋭敏な神経がそれをしっかりと補ってくれる。

 

 ――前方から一、後方から二。

 

 敵の位置を把握。

 左への跳躍でその場を離れ、着地と同時にバネにしたその左脚に力を込めて再び元の場所へと槍を振るう。

 超至近距離で視界に入った三つの残像が消えるのを確認する。偽物であることは最初から判断できていた。

 

 ――左右からの挟み撃ち。

 

 少しだけ中心軸を右へと移行させ、高速の刃を流して右からの刺客を潰す。

 コンマ数秒単位で遅れて飛んでくる左の陰もまた同様に突き崩す。

 

 ――前方左右、後方左右、計四。

 

 本命は――前方右からの唐竹。

 後方左からの攻撃に対応するように重心をずらすと同時に、それをフェイクとして前方右へと飛び上がった。

 真っ先に視界に入ったのは、驚愕に染まった巴の顔だった。

 顔面へと向けて、穂先を飛ばす。

 こちらへと降りてきながら巴は上体を逸らし、刀を構えなおして防御態勢に入る。

 そしてそれは、奇跡的に間に合った。

 甲高い金属音の直後。

 巴の頭部に衝撃が走る。

 何が起こったのか分からないまま、地面へと叩きつけられた。

 

 ――勝負あり。

 

 クーは視界を遮られてもなお、その常軌を逸した危機感知能力で巴の本体を見切り、攻撃を与えることができた。

 彼は端から目に見える情報など当てにせず、彼の第六感に従って行動した。その結果が、相手の意志を感じ取ること。

 巴の残像には質量がある時点で、視界に映る彼女本人の姿はもちろん、煙が彼女の動きで不自然な広がり方をする光景もまた頼りにならない。

 ならば、そこにある決定的な違いは、そこに彼女自身の意志があるかどうか、というものである。安直な言葉を使えば、殺気を感じるか否か、と言ったところか。

 どれだけ高質な分身を生み出すとしても、そこには彼女の分身として意志を持つことはない。それはあくまで巴にとって分身として動かす駒であり、そこに意志を持たせることは不可能なのである。もしかしたらレベルの高い魔法使いになれば、それくらいのことはできるのだろうが、学園に入学したばかりの彼女にそれができるとは到底思えない。

 だからクーは、それを考慮して相手の意志を感じる質量、すなわち本体を見極めて動いていたのだ。

 

 暫くして煙も晴れる。

 ロンドンの地下が天井に写し出す青空が、巴には首を動かすことなく見えた。

 叩き落とされ、仰向けに倒された。それが決闘の結末。

 足音のする方に首を動かすと、そこにはドヤ顔で勝者の威厳を余すことなく放っている真紅の槍の使い手がいた。

 

「私の負けだ」

 

「そうだテメェの負けだこの負け犬」

 

 敗北したとはいえ、全力で戦ってくれた相手に対して罵っているクーを見て、遠くで見ていたリッカは頭を抱えて溜息を吐く。

 どうして自分の仲間はここまで戦闘狂で勝利に執着するのだろうか。

 いつまでたっても変わらないその姿に、何も言えない自分もまた、彼のそんな姿を認めていることを自分でも分かってしまっていた。

 

「まぁでもアレだ。テメェは強いよ。俺様に先手を取る奴なんざそうはいねぇ。テメェとはまたやりたいもんだぜ。その時まで自分を苦しめな」

 

 長槍を肩に担ぎ、巴に背中を見せて、観衆を眼飛ばして道をつくらせながら、クーはグラウンドを去っていった。

 その時巴は思った。

 彼は、クー・フーリンという男は、紛れもなく自分のライバルになるだろうと、そんな気がしたのだ。

 そしてそんな彼を見守っていた少女たち。

 彼女たちを交えればきっと、彼もまた彼女の幼馴染の少年少女のような、素晴らしい玩具になるだろうと、この時から予見していた。

 

 余談だが、その後クーは今回の件の騒ぎとリッカの個人的な憂さ晴らしとして、派手に吹き飛ばされたらしい。

 それがきっかけで全治三か月の怪我を負ったと医者は言ったが、彼はそんな怪我を五日で完治させてしまった。

 魔法学園の新入生にして『八本槍』、そして『アイルランドの英雄』の通り名、実際に目にした戦いの光景と今回の怪我の件で、クー・フーリンという男は学園において英雄であると同時に、学園のアニキと称されるようになったとか。




グニルックして、原作主人公組が入学して。
次からそんな感じ。エト君もその辺から参戦します。


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グニルッククラス対抗戦

 魔法使いの間で最近流行となりつつあり、同時に若手の魔法使いの資質や才能を測る世界的な魔法使いの競技――グニルック。

 エリザベスが魔法学園を開設する前から存在する伝統的な魔法の競技であり、魔法の資質はもちろん、体力や知恵も試されるようになっている。

 ルールは割と簡単で、ブリットと呼ばれるボールをロッドと呼ばれる杖で打って、離れた場所にあるターゲットパネルを打ち抜く、というものである。

 しかしただ遠くのパネルを打ち抜く、というのでもなく、公式戦においては相手の定めた箇所に、ビショップ、ナイトと呼ばれる二種類のガードストーン、すなわち障害物を設置して、それを上手に躱しながらより多くのパネルを打ち落とす、と言った精密性も問われるものとなっている。

 動作からしてゴルフのようでもあるが、どちらかというと複数の的を倒す、当てるといった意味ではボウリングの方が近いかもしれない。

 

 さて、説明も終わったところで、何故こんな説明をしなければならないか、ということだ。

 ずばり、王立ロンドン魔法学園では、毎年十月に、新入生たちで、クラス対抗のグニルックの大会が開かれるのだ。

 それは何を指すか。そう、期待の新入生、カテゴリー5、孤高のカトレアと呼ばれる美少女、リッカ・グリーンウッドと、彼女と共に旅をしてきた仲間たちもそれに参加するということである。

 実力で言えば、そこらへんの魔法使いよりも実力の高い三人組、自然と魔法使いの協会でも注目が高まるというものであった。

 Aクラスには、リッカとジル、それからクーとの激闘を繰り広げた女子生徒、五条院巴も注目の的である。Bクラスにも実力者はたくさんおり、Cクラスにはシャルルがいる。

 各クラスから四名ずつ代表者を決め、チーム対抗戦で勝敗を決める、というのがクラス対抗戦のルールである。

 Cクラスのシャルルは勿論参加、そして彼女はクラスから、名のある家柄の実力者をチームのメンバーとして率いてきた。

 一方でAクラスのチームは、リッカとジル、巴と、それから『アイルランドの英雄』である学園のアニキ、クー・フーリンだった。

 彼は全くと言っていいほどグニルックの練習には参加しなかったのにも拘らず、クラスのメンバーきっての推薦ということで、リッカの反対を押し切って人気票だけで代表に選ばれたのだ。勿論クー自身には興味の欠片も持ち合わせていない。

 

 ――そして、試合当日、勝負は始まる。

 

 大歓声の中、それぞれのクラス代表がグニルック競技場へと姿を現す。

 各クラスの期待を背負ってそこに立っている魔法使いたち。不安であったり、自信満々であったり、その表情はそれぞれであったが、その胸の内に秘める勝利への願望は、誰もが持ち合わせているものだった。

 開会式と学園長、エリザベスの挨拶を終え、遂に本番となる。

 まずは、Aクラス対Bクラス。リッカにとっても特に大したことのないチームが相手だと考えている。ジルは至って慎重なようで、自分自身にも、そして自信たっぷりなリッカにも油断はしないように言い聞かせている。勿論リッカは軽く聞き流す程度のものだったが。

 

 さて、ここでグニルックの詳細を説明しようと思う。

 このグニルックは、ターン制で一つのフェーズを交互に打ち合い、その際に打たない方のチームがガードストーンを設置して相手の攻撃を妨害するものである。

 そのフィールドは二種類存在し、十ヤードのショートレンジ、二十ヤードのロングレンジと距離に変化が出てくる他に、ターゲットパネルにも、パネル四枚の『ターゲット4』、そしてパネル九枚の『ターゲット9』が存在する。

 殆ど常識と言って差し支えないのだが、一度に打ち抜くことが出来るパネルは四枚までである。それには隣り合っている四枚のパネルの重なっている交点を打ち抜けばいい。かなりハイレベルなショットを要求されるが、成功すれば得点も大きくもらえることになる。

 ターゲット4の時はショット回数が二回、ターゲット9の時はショット回数が四回と定められており、一度により多くのパネルを打ち落とせばそれだけ勝利への道が広くなるというものである。

 

 まずはAクラスの先行、トップバッターでありチームの士気と勢いをつける役割を担う、リッカ・グリーンウッドがシューティングゾーンに立ち、観客をそれだけで沸かせる。

 勿論リッカたちは普通にグニルックの練習は積み重ねてきている。それは魔法学園に入学する以前からの話で、それこそジルとシャルルとは頻繁に競い合うように練習してきた。

 元々の才能と努力のおかげでリッカにはほとんど死角はない。

 

 まずは第一フェーズ――ショートレンジ、ターゲット4、ガードストーンなし。

 二回のショットで四枚を撃ち抜く必要があるが、リッカには最初からそのように考えてはいなかった。

 ただ一撃のショットで、四枚すべて打ち落とすのみ。

 遠くのターゲットをしっかりと狙って、ロッドを素早くスイングする。

 実に滑らかな魔力の移動で、ロッドからブリッドへと魔力を流す。

 一直線にブリッドはターゲットの真ん中を打ち抜き、一撃の下にパネルを全て打ち抜いた。

 圧倒的な実力を示すそのショットに、更に観客が湧き、一気に注目を引き付ける。華麗な容姿、堂々とした佇まい、そして並外れた才能――魔法使いとして彼女に対して一目置くのは当然と言えば当然だ。

 後行の相手も初手では確実にパネルを落としにかかる。

 

 第二フェーズ――ロングレンジ、ターゲット4、ガードストーンなし。

 二番手に来たのは巴。家柄が家柄なおかげで、精密な作業にはめっぽう強く、クラスマッチのグニルックの練習をしていた際も、その実力はリッカと並ぶものがあった。

 東洋独自の魔法文化を持つ巴には、彼女でしかできない技術を多く持っている。それを武器にして今回も戦っていく予定である。

 ロッドをしっかりと握り締め、そしてリッカと同様にターゲットのど真ん中、すなわち一撃必殺を狙う。

 そしてクーとの決闘の時に見せつけた高速の抜刀の如きスイングで、ブリッドを打ち出した。

 真っ直ぐに、そしてかなりのスピードで、ブリッドは正確にターゲットの真ん中を打ち、一発でショットを決めた。

 歓声の中でドヤ顔で戻ってくる巴に対し、ジルとリッカはハイタッチで迎え入れた。

 

「……何が楽しくてこんなことやってんだが」

 

 相変わらずクーは不貞腐れているようだが試合は続く。

 相手選手も相変わらず一撃で決めてきた。

 

 第三フェーズ――ショートレンジ、ターゲット9、ガードストーンなし。

 ここからは全てを打ち落とすためには一度のミスも許されなくなる。同時落としを決めつつ、確実に九枚全てを撃ち抜く必要が出てくる。

 ここで登場するのがジル。カテゴリー認定試験の時にも優位なポイントとしてはたらいた、神懸かりなまでの精密性、彼女の得意とする治癒魔法などがそれにあたるが、その正確な腕は確実にパネルを打ち落としてくれる。

 現に、シューティングゾーンに立ったジルは、歓声に圧されながらもロッドをスイングし、四回のショットで確実に全てのパネルを打ち落とした。

 ほっと胸を撫で下ろしながら帰ってくるジルに、巴はよくやったと激励の言葉をかける。

 

「はぁ~、怖かったぁ~」

 

「たかがゲームで何情けねぇ声上げてんだか」

 

 クーのことはもう何も言うまい、とりあえず欠伸を漏らすだけだった。

 相手もなかなかの実力者ぞろいで、このフェーズも十分な余裕を持ってクリアできていた。

 ここまでは完全に拮抗した勝負――だがしかし、次で会場の空気は大きく一変する。

 

 第四フェーズ――ロングレンジ、ターゲット9、ガードストーンなし。

 ここでシューティングゾーンに立ったのは、『アイルランドの英雄』、クー・フーリン。面倒臭そうにロッドを肩に抱えて適当に構えたのだが、その時に、大きな歓声が空を揺らした。

 

 ――アニキイィィィィィィィィィィィィィィ!!!

 

 野郎どもの野太い声、『八本槍』としてそもそもの人気を博している彼は、巴との一戦でその実力をまじまじと見せつけ、挙句どんな怪我からも一瞬のうちに回復して戻ってくるその逞しさと頼もしさに、彼を兄者的存在として慕う者は学園でもかなりの人数となっていた。

 

「うっせぇな……」

 

 そんな歓声もうるさそうに聞き流してロッドを握る。そして適当に構えて、ターゲットを睨む。

 かなりだるそうにしているクーだったが、これはあくまで勝負事である。勝敗が絡んでくれば勿論彼は――燃えてくる。

 

「どうせやるなら――」

 

 口角を持ち上げて、ニヤリと笑う。

 やるなら全力で相手を叩き潰す、それが彼のポリシーなのだ。

 

「――ぶっちぎってやるぜ!」

 

 全力でスイングをブリッドに対してかました。その際、ロッドの方にミシリと罅が入るがそんなことは気にしない。

 ありえない音を立てながら真っ直ぐにブリッドは飛んでいく。心なしかブリッドが周囲の空気との摩擦で燃え上がっているように見えないこともない。

 火球のような何かは不自然な音を置いてけぼりにしてターゲットのど真ん中を直撃する。

 その光景に、リッカや巴がコイツに打たせるんじゃなかったと後悔して頭を抱えた――のだが。

 一瞬の静寂。その後訪れた、大地と大空を同時に割るような巨大な歓声が鳴り響く。

 何事かと思い視線をターゲットへと向けると、あら不思議、そこには既に何もなかった。

 そう、何も――ターゲットの縁でさえも。

 

「――は?」

 

 思わず間の抜けた声が漏れるのだが、流石にこの状況に思考回路が追い付くほどリッカたちは達観してはいなかった。

 一方で何かはしゃいでいるクー。どうやらグニルックの楽しさを身をもって体感してしまったようだ。明らかに間違っているのだがとにかく楽しかったようだ。

 そしてこの状況を解説する者が震え声で言うには、クーはどうやら桁違いの魔力をブリッド及びロッドに乗せて全力でスイングしたせいで、強烈なまでの威力とそれに乗じた風圧によってできた摩擦熱によって引き起こった炎を纏い、その破壊力を持ってターゲットパネルどころかそのセット全てを丸々消し炭にしてしまったのだ。

 

「やべぇ、なんだこれ、気分爽快だぜ!」

 

 そう言ってクーは意気揚々と呆然と立ち尽くすリッカたちの下へと帰っていった。

 口を開けたままクーをまじまじと見るリッカたちを見て、クーはニカッと無邪気な笑みを浮かべる。これ以上に無い程恐ろしく邪気のない笑み。

 その後クーは、全てのフェーズを一人で打ち果してしまった。

 第五フェーズから第八フェーズまで全て、ガードストーンの設置が行われるフェーズにおいて、それら障害物を、排除するものと勘違いしながら破壊し、消し飛ばして全てのパネルを打ち抜く――もとい消し飛ばす。

 そんな調子でこの試合は、完膚なきまでにBクラスを叩き潰し、Aクラスの勝利で終わってしまった。

 残るCクラスとの戦いも、途中でリッカがクーを叩き潰して医務室送りにするまでワンマンプレーを続け、完全に流れと言うか変な空気を味方につけてしまい、よく分からないままにAクラスが優勝してしまうという、異例の事件が起こったのだった。

 

 その後クーは、協会の方からグニルックの試合、及び大会への出場禁止を言い渡される。

 理由としては、まずその圧倒的な実力から周りの者がついていけず向上心を失ってしまうということ、そして現実的な問題として、彼がプレーすると試合の予算的にも大きく被害をこうむってしまうということだった。

 折角グニルックの楽しさを理解できたというのに、それを取り上げるのは横暴だというクーの反論は受け付けられず、そのまま処分は決まってしまう。

 それ以降、事あるごとにリッカやジルに非公式で対戦を申し込んでいるのだが、全て断られたという。

 しかし、彼はまだ諦めない。

 自分が出場できないのなら、自分の弟子にやってみたいことをやらせればいい。

 そんなどうしようもないことを考えながら、彼は弟子のためにある必殺技を考案しているのだという。




いよいよ原作主人公組入学シーズン。
江戸川コンビとかのやりとりを書くのが楽しみだったりします。


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新たなる卵たち

段落下げ修正やっていきます。


 

 

 1951年9月――王立ロンドン魔法学園に、新しい魔法使いの卵が入学してきた。

 

 リッカやシャルル、ジルにそれから否応なく入学させられたクーが本科生となり、魔法学園――風見鶏と呼ばれるこの学園を支える力として、そして魔法使いの未来をより良きものにするための素晴らしい人材として、成長を重ねていた。

 現在、この天下の風見鶏において、生徒会長を務めているのは、本科1年B組のシャルル・マロースである。カテゴリー5であり孤高のカトレアの二つ名を持つ程の魔法使いであるリッカが生徒会長になることが最もいいのかもしれないが、彼女はそちらの方でもいろいろな任務を任されているうえに、彼女の性格がそのようなものにあまり向いていないこともあった。しっかりしていることにはしっかりしているのだが、どうにも面倒臭がり屋なのである。シャルルも最近気が付いたのだが、彼女には、『かったるい』という間抜けた口癖があるようだ。

 シャルルには、リッカ程の才能があった訳ではないが、実は彼女はサンタクロースの家系であり、そう言った意味では家柄も良く、そして最も重要視されたところは、彼女の持つ多彩な魔法に関する知識であった。

 座学では勿論常にトップクラス、そしてあらゆる魔法の技術に関して応用が利き、どんな場面でも的確に対処できうる能力を持つ。彼女がどれだけ努力をしてきたか、共に切磋琢磨してきたジル・ハサウェイは知っている。

 生徒会役員は各学年から三人、各クラスから一人ずつ選出され、三つに分かれる学期でそれぞれ行われる生徒会選挙で各学期、一人ずつ決められる。

 そのシステムは、予科1年から各クラス一人ずつ、三人の立候補者を出し、その三人で最も最終獲得票が多かった者が次学期から生徒会の役目を担う、というものである。

 風見鶏の生徒会に入るということは魔法使いを志す生徒たちにとって大変名誉なことであり、逆に言えば、それだけ重く大きな責任を負うも同義である。だからこそ、と言うべきだろうが、それなりに魔法使いとしての名が世間に広まる可能性も大きく跳ね上がり、将来的に魔法使いとして活躍したり、また、優秀な魔法使いやその家系と知り合う機会も増えてくるというものだ。

 話が逸れはじめたが、とにかく、シャルルの学年で生徒会の座を勝ち取ったのは、シャルル・マロース、リッカ・グリーンウッド、そして五条院巴の三人だった。ジルは最初から生徒会に立候補するつもりはなかったようで、陰ながら生徒会選挙の活動を頑張っている彼女たちを応援していた。ちなみに、この世代が風見鶏の生徒会の黄金世代として伝説になるのは省略しておく。

 

 7月の終わり、昨年度の本科2年生はそれぞれの道へとは羽ばたくために卒業していった。中には魔法学園で教育者として励みたいがために教師として残った者もいるが、ほとんどがこの風見鶏を去った。

 そしてそれは同時に、新しい出会いを呼び寄せる。それが、この入学式の日だった。

 生徒会長、シャルル・マロースの実の弟、エト・マロースもこの年入学することになる。このことについてシャルルは当然、リッカやジルも大変喜んでいた。意外なことに、あの無愛想なクーでさえも、エトの入学には全力で激励したようだ。なんだかんだで師匠としての責任くらいは果たしているつもりなのだろう。

 そしてまた、彼以外にも有望な生徒が入学した。表舞台では探偵を家業とし、その家柄における事件の解決率で一躍有名となった魔法使いの子孫であるメアリー・ホームズ、そして同様にエドワード・ワトスン。そしてイギリスきっての名門の家柄を持つセルウェイ家の御曹司、イアン・セルウェイ。没落しつつはあるが、伝統ある貴族の家柄であるクリサリス家の息女、サラ・クリサリス。

 ヨーロッパ周辺諸国だけではない。日本からも、有望な魔法使いは集まってきている。日本における有能な探偵一族であり、また、質の高い人形使いの一門である江戸川家の跡取りである江戸川耕助。そして日本の名門で、日本の魔法使いならほとんどが知っているほどの名門の家柄である葛木家の長女である、葛木姫乃とその兄、葛木清隆。

 この年も十分に見込みのある、優秀な魔法使いが育ちそうな生徒ばかりだと、リッカたちは思っていた。

 

「いやまぁ、そんなことはどうでもいいんだけどな」

 

 ここ生徒会室で、苛立たしい声が周囲の視線を一点へと引き付ける。

 その視線の先で首輪をつけられ胡坐をかいて座っていたのはクー・フーリンだった。

 新しく入ってきた有望な卵たちについて色々と談義を交わしていたところに横やりが入ったものだから、特にリッカは少し苛立たしげに振り返った。

 一体なぜこんなところで犬のような真似をしているのだろうかという質問に対しては、巴がよく知っている話である。

 

「生徒会雑用なんてそんなモンがあるなんて聞いてねーぞ!?」

 

 怒鳴り声が生徒会室に鳴り響く。その声に気弱な女子生徒会役員がびくつくが知ったことではない。

 

「だってアンタ『八本槍』なんていう大層な名前を貰ってる割にはこの学園で対した働きしてないじゃない。クーみたいなご立派な騎士様が学園で平和に暮らせると思ってるわけじゃないでしょ」

 

「だからってこの扱いは何だ!?魔法で気絶させて首輪着けて監禁とか最早人権どうこうって話じゃねーぞ!警察呼んで来い!」

 

 じたばた暴れまくるも、その音も揺れも全くこちらには届いてこない。巴とシャルル、それからリッカの恐るべき連係プレイによってできた魔法の結界によって、彼の言葉だけがこちらに届くようになっているのだ。今の彼ではこれを突破することは出来ない。ちなみにここまで強固なものにしようと提案したのは巴である。

 実はこの男、どこまでも自由奔放なのだ。

 学園の職務はほとんどないに等しい、学園長の護衛を地下から地上まで、あるいは地上から地下まで行うというのが彼の役目の大半であり、それ以外は大体学園内の治安維持、要するに見回りだけなのである。

 それすらも面倒臭がってやらないし、やれと言ったら駄々を捏ねはじめる。大人げないと言ったらそうなのかもしれないが、それが彼の性格なので仕方がない。

 そして、そんなやり取りを生徒会室の中で行っていたために、ただでさえかったるい書類作業を行っていたリッカがそれを煩わしく思い、とりあえず彼を黙らせたのだ。

 少しやり過ぎなところもあるかもしれないが、これまでの経験上、こうでもしないと彼は停止しない。それに、長年の付き合いで力の加減は完全に把握してしまっている。

 それだけ彼を叩き潰しているということにもなるが。

 結論を言えば、自業自得、と言うことになる。

 

「どうだ?学園の犬として貢献する気は起きたか?どうせ犬なら働き者の犬の方が好まれると、私は思うんだが」

 

 笑いを堪えるような表情で、巴はクーに対してそんな腹立たしいことを抜かす。

 クーは、この結界を破ったら真っ先に巴をなぶり殺しにしてやると心に決めた。だが出来ないものは仕方ない。

 

「ごめんなさい、クーくん。あんまり暴れられると流石に迷惑だから、ね?」

 

「ね?――じゃねーよ!ここから出せって!」

 

 子供が駄々を捏ねるように地べたをバタバタと転げまわるクーに対してほんの少しだけ憐れみを持ったリッカがクーの目の前に来てしゃがみ込む。

 

「あーあー分かったから静かにしなさい。とにかくクーは、これから予科1年生の女王陛下からの依頼での出動に常に同行してもらうわ。アンタが『八本槍』でもどうせ学園内でしか仕事ないんだから出来るでしょ?」

 

「分かった!分かったから出せ!じゃねーと殺す!今出さねーと後で絶対殺す!」

 

 やれやれと頭を抱えながらリッカはシャルルと巴に結界を解除するように指示をする。

 怒り浸透しているクーは鬼のような形相で巴を睨みつけながら大股で接近するが、それに対して彼女は余裕の表情で構えた。

 

「それは勿論これからどうするかキミの勝手だろうが、今の私がキミに対してどのような強みを握っているのかを忘れないでほしいものだ」

 

 その一言に、クーは拳を震わせながら静止してしまった。

 どうやらクーは巴に何かしらの弱味を握られてしまっているようだが、それが何なのか、シャルルもリッカも知らない。

 突如、力のこもった拳は壁へと叩きつけられ、そこから広い範囲に罅が広がった。

 

「あの野郎殺すあの野郎殺す殺す殺す殺す殺す殺す――」

 

 ひたすら呪詛のように何者かに対して呟いているが、それは追々明らかになることだろう。

 

「クー、呪ってるところ悪いけどとりあえずそこの壁の修理代あなた持ちでよろしくね」

 

「あ」

 

 自分が犯した失態に気が付いて、クーは何もかもを諦めたようにへなへなと倒れ込んだ。

 戦闘に関しては最強と呼ばれる『八本槍』の一人であるはずなのに、何故かすぐに弄ばれる『アイルランドの英雄』なのであった。全く持って情けない。

 

「それは置いといて、これからまた今学期も選挙の準備で忙しくなると思うから、ビシバシ働いてもらうわよ」

 

 孤高のカトレアの魅惑的なウインクも、力の抜けたクーの前では水の泡のように無意味なものだった。

 これから始まるのは、ダ・カーポのように繰り返される、魔法と奇跡と幸福を辿る、盛大に残念な英雄伝となるだろう。




簡単な原作の登場人物紹介みたいな話。
ランサーは入学二年で巴におもちゃにされました。


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クラスメイトの堅物少女

ほぼエト視点。
いよいよ君の実力を示す時が来た!


 

 

 秋空の下、乾いた肌寒い風が、頬を掻き殴っては足早にどこかへと去っていく。

 ほんの少しの霧が視界をぼやかし、周りが見えづらいのは確かな事であった。

 王立ロンドン魔法学園――風見鶏のエントランスがある、英国議会が国会議事堂として利用する、ウエストミンスター宮殿。頂上の方は霧のせいではっきりとは見えないが、それでもビッグ・ベンとして親しまれている時計塔が、天空を貫かんとばかりに聳え立っている。

 通りすがりの子供に投げつけられ、不本意に思いながら難なくキャッチした小石を右手の掌の中で弄びながら、クーはある人物をその入り口先の広場で待っていた。

 早朝からはシャルルを筆頭とした生徒会役員の、入学式の準備の手伝いを無理矢理やらされていたのだが、今は丁度その式典が行われている最中であろう。そして今回はその要となる人物、魔法学園の学園長であり、ここ、イギリスの国王陛下であるエリザベスを地下に下ろす際の護衛として、『八本槍』の一人でもあるクーはここで彼女の一行が来るのを待っていたのだ。

 暫く待つこともなく、やたらと高級そうな車の数々が広場前の停車場に次々と入ってくる。

 相変わらずご苦労なことだと他人事のように呟きつつ、とりあえず国において最重要人物となる人物の迎えということになるので、あまり慣れないようなしゃきっとした姿勢をとってその車の前まで移動する。真紅の槍の穂先は空へと向かったままだ。

 およそ十台前後の黒く煌めく車の、大体前から四台目の車から、護衛対象の人物が表れた。

 彼女はこちらに気付き、嬉しそうに笑顔を浮かべてお辞儀をする。例え友人の知り合いとは言え、今は公の場である。はしゃぐこともままならないのだろう。

 

「国王陛下、お迎えに上がりました……っと」

 

 上辺だけはきちんと挨拶をしているものの、やはりどうにも堅苦しい動作と言うのは性に合わなかった。最後のどうでもよさげな呟きが周囲に聞かれてないか、一応体裁だけは整えておく。今更ながら、金のためとはいえ『八本槍』になるものではなかったと後悔する。

 頭を再び上げ、彼女の方を向いたと思ったが、その背後から殺気めいた視線を感じる。

 そちらの方に視線を向けると、そこには自分と同じ階級を持つ者、『八本槍』の一人がいた。その視線から、あからさまにクーのことを嫌っているのは明白である。

 アデル・アレクサンダー。イギリスの魔法使い貴族の家系において、かなりの権威を所有している家柄であるアレクサンダー家の現当主。見た目は五十代前半だろうが、魔法使いに見た目の年齢はほぼ当てはまらない。せいぜい七十後半と言ったところだろうか。普通の人間ならばこの年であれば老害とも呼ばれることがある年齢だろうが、彼はクーと同じ『八本槍』の一人であり、その実力も推して知るべし、である。

 クーにとってもこの嫌味を十全に含んでいるこの視線には前から晒されており、とうの前に慣れてしまった。

 

「女王陛下に何か問題が起こったら、私は貴様を絶対に許さんからな」

 

 ドスの利いた声で、プレッシャーを与えるようにそう小さく怒鳴りつける。

 クーは流すようにそれに適当に頷き、彼と別れて数人のエリザベスの従者と共に建物の中まで入っていった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「ったくよォ、王様の周りにはああ面倒な奴しかいねーのかよ」

 

 地上に存在する海と見紛う程の大きな地底湖、そしてそのあちこちに浮かぶ島々。澄み渡る青色と、アクセントとして添えられた薄紅色、それらを一望できる高さを持つエスカレーターで、クーは女王陛下を前にして悪態をついていた。

 

「仕方がないことです、彼らもまた、己の信念や信条を持って自分の家柄を世間に知らしめてきた人たちですから」

 

 エリザベスもまた、泥臭い戦士と仲の良い友達のように話をしている。

 彼女はそのエスカレーターから地下の風景を見下ろし、そして安堵したように一息吐いて柔らかく微笑む。

 

「リッカさんの研究も、大分進んできてますね」

 

 エリザベスの言葉に、クーも何となく彼女の見る景色をその視界に入れる。

 ところどころに散らばる可愛らしくも美しい薄紅色。極東の国、日本の春によく咲くという花、桜。

 リッカとジルが、研究のためにわざわざ日本から取り寄せてきたものらしい。

 彼女たちは風見鶏の文献において日本文化を紹介している物を見つけ、それに非常に興味を抱いて日本に関して色々なことを勉強しているようだ。そして、今回研究において桜を使用しているのもその一環だという。

 

「年中咲き続けるってのも不気味だけどな」

 

 フン、とつまらなさそうに顔を背けて余計なことを言う。そう言った情緒の心がないからリッカたちに呆れられているのに未だに気が付いていない。

 しかしクーが突如にして花鳥風月を愛で始めてもそちらの方が不気味ではあるが。

 

「素敵ではありませんか?美しい花が衰えることなく永遠に咲き誇るというのは。日本では盛者必衰と言う言葉もあるそうですが、切ないものを感じます」

 

 クーの言っていることに、エリザベスは首を傾げる。

 この考え方の違いは、どこから現れるものなのか。地位か、性別か、それとも人生経験の違いか。

 

「この世界に変わらないものなんてねぇんだよ。そんなものがあるなら、誰も躍起になって戦車だの戦闘機だの乗り回して暴れたりなんざしねーよ」

 

 永遠不滅を、くだらないと吐き捨てる。

 エリザベスは彼の言葉を、彼だから言えるものだと、納得した。

 クーは、これまで様々な境遇に身をやつしながら生きてきた。その道中でリッカやジル、エリザベスにマロース姉弟と出会い、仲間になってきたが、いつだって彼らが、そして彼らと共に過ごす時間が永遠に続くなど、一度も思っていなかった。

 闘い、殺し、殺される世界。生きるか、死ぬか、壮絶な人生を送ってきたとも言える彼が、恒久などという幻想を信じるはずもなかった。

 

「それでもまぁ、あいつらがどこまでやり抜くかってのは、楽しみではあるが」

 

「あら、なんだかんだでクーさんも、リッカさんたちを心配しているんですね」

 

「ちげーよ、心配じゃねぇ。あいつらはそこまで弱くないし、情けなくもねぇ。崇高な志っつーのは挫けるまでは滾るように燃え盛るもんだが、挫けた後には何も残らねぇ。何もなくなっちまう。あいつらがそうなるかどうか、そうなった時にどう感じるか、試してみたくはある」

 

 エリザベスは、クーが意味深に唇の端を吊り上げるのを見た。

 その微笑は、間違いなくリッカたちの将来に向けられたものだから、エリザベスは、ツンケンしていても、英雄などと呼ばれていてもやはり彼は優しいのだと、彼をそう再評価せざるを得なかった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 入学式を終えて翌日、新入生――エトたちの方にも動きはあった。

 彼は新しいクラスに配属されて早々、ある一人の人物に目が付いた。

 クラスメイトと会話を交わすようなことはせず、人見知りなのか、こわばった表情で俯き加減で、近づかないでください、とでも言わんばかりの雰囲気を纏った小柄な少女。

 クリサリス家の末裔、その息女、サラ・クリサリス。

 最初の授業日、とある授業の後の休み時間にもまた、エトは彼女の方を見る。

 エトは彼女のことが気になって、彼女の方へと足を進めようとして――

 

「キミがあの生徒会長の弟くん?いやー、そっくりだなー!」

 

 背後から声を掛けられる。

 ほんの少し吃驚して後ろを振り返ると、そこには男子が二人、女子もまた二人いた。

 目元までかかる茶髪に、少し崩して着飾っている制服、人懐こそうな印象を持った少年、江戸川耕助。エトに声をかけたのは、この少年だった。

 

「すみません、うちのマスターが女性だけでは飽き足らず、男性にまで性的興奮を覚えるような残念底辺な人間で」

 

 少年の後ろから、恐らく自身の主人であろう少年を楽しそうに罵りながら謝罪(?)を述べる少女は、人形使いの一族である江戸川家の御曹司、耕助の召使いである、江戸川四季。

 彼女もまた人形ではあったのだが、あまりにも精巧過ぎて、人間と見間違える程だった。

 そしてその後ろにもう二人。葛木家の長女である姫乃と、その兄であるところの清隆。清隆は自分にできた友人たちのこの一連の会話の流れに頭を抱えていた。

 確かにこんなのが入学早々友達になられたのでは先が不安になるのも頷ける。

 エトはそんな彼らに苦笑することしかできなかった。

 

「エト・マロースと言います。生徒会長をしているお姉ちゃん――シャルル・マロースの弟です。よろしくお願いします」

 

 丁寧な挨拶、その柔らかな仕草に、そこにいた四人は息を飲んだ。

 生徒会長の弟なだけあって、非常にしっかりしている。

 

「マスター、私はエトさんの下で働いた方がメイドとしての腕も上がるというものです。これまでお世話になりました」

 

「ちょっと待てよオイッ!」

 

 冗談なのかどうかも分からない四季の発言に、耕助は鋭いツッコミを入れる。

 主人と召使いの関係のはずが、何となくその力関係をこの少しの間だけで理解してしまったエトだった。

 それぞれ自己紹介を交わし、簡単な雑談に交わしていると、事件は起こった。

 

「ふふん、ここがA組か……」

 

 聞き慣れない声が教室に響き渡り、その声の主へとクラスメイトの視線が一斉に集まる。

 教室の前方の扉から入ってきたのは、見知らぬ生徒が二人、いや、片方の女性はその生徒の召使いのような人間だろうか。

 他所のクラスの人間であろうその男子生徒は、クラスを見下し目線で眺めた後にこう感想を漏らした。

 

「なんか、見た感じ碌な連中がいなさそうだな」

 

「その通りです!」

 

 男子生徒の冷ややかな言葉の後に続くのは、その召使いの賛同の言葉。どこか言葉が軽く感じるのは気のせいだろうか。

 

「A組は名門揃いだと聞いていたが、僕がわざわざ気に留める必要はなさそうだな」

 

「当然ですイアン様!何しろイアン様は至高の天才!その才能は他の追随を許さぬ神!そう、言ってしまえば神そのものなのですから~!イアン様程のお方が気に留める必要のある者なんて、この世に存在しません。存在するわけがないのです!」

 

 イアン・セルウェイ、イギリスでも名門と言われる家柄の御曹司。

 しかし後ろに従う女性は、どう考えても主人に発破をかけて調子づかせて楽しんでいるようにしか見えないし聞こえない。

 一体あのメイドは何者なのだろうか。

 エトにとってむしろそっちの方が気になった。

 

「なんか、明らかに俺より痛い奴が現れたな……」

 

 耕助が当人に聞かれないように、清隆や姫乃たちにだけ聞こえるような小声で呟く。

 

「おや、確か君は……名門クリサリス家のご令嬢じゃないか」

 

 イアンと呼ばれていた男子生徒はサラ・クリサリスに大股で近づく。

 彼女は身を竦ませながらも彼を警戒し、怯えるように睨みつける。彼女の様子からするに、サラは彼を知っているようだ。

 

「ふふ、このクラスにいる名門の魔法使いって君のことだったのか。これは失敬した」

 

「何の用ですか?勝手に他所のクラスの教室に入らないでください」

 

 クラスの堅物、委員長気質の彼女は、冷静にイアンに言い放つ。

 

「でもまさかこのクラスで名門面していたのが君だったとはねぇ。恐れ入ったよ」

 

「どういう意味ですか?」

 

「あれ、とぼけるんだ、()名門のクリサリス家が……」

 

 その言葉に、サラは俯いて黙り込んでしまう。

 言い返せない。悔しくて、それでも彼の言うことは紛れもなく事実だったから、彼女は反抗できなかった。

 クリサリス家は長い歴史の中でその地が薄まり、今では魔力がほとんどない。既に魔法使いの一族としては、衰退し消え去るほとんど一歩手前だったのだ。

 イアンはそのことを聞こえよがしにクラス全体に言った。

 

「言いたいことはそれだけですか?」

 

 自分を落ち着かせて、震える小さな拳を堪えて、冷静にそう切り返す。

 しかし、それからも、イアンの彼女に対する嫌味は止まることはなかった。

 清隆が彼を懲らしめようと魔法を発動しようとしたその瞬間に――

 

「そこまでにしてもらおうか」

 

 白銀の少年は、清隆たちの下を離れ、既にイアンと対峙していた。

 一瞬の出来事にイアンは動揺するが、すぐにエトに対して見下すような視線を向ける。

 

「これはこれは、生徒会長の弟ではないか。同じ家族だからとは言え同じような才能があるとも言えない。君でも僕には勝てっこないさ」

 

「そんなのは知ったこっちゃないよ。でも、これ以上クラスメイトを馬鹿にするなら、ボクだって許しちゃおけない」

 

「そこまで言うか。ならばかかってきたまえ、遊び相手くらいにはなってもらおうか」

 

 その言葉から、一瞬だった。

 そう、たった一瞬で、イアンはいつの間には地に沈められていた。

 何が起こったのか分からない。気が付けば、エトの立っている位置は、先程までイアンが立っていた場所の背後に当たる位置だった。

 

「お兄さんたちの名前に、泥を塗りたくはないからね」

 

 そう言って、地面に寝そべるイアンに冷たい視線を向ける。

 イアンは悔しそうに唸りながら、身軽に起き上がって後方へ飛んだ。恐らく重力を軽くする魔法を使ったのだろう。

 

「マロース生徒会長の弟か、僕をコケにしたことを後悔させてやる。今ここで君を吹き飛ばすのは簡単だが、それでは僕の気が済まない。近いうちにあるグニルックのクラス対抗戦、それで君たちを完膚なきまでに叩きのめす。覚えておけよ」

 

 そう捨て台詞を吐いて、イアンは付き人と共に教室を去っていった。

 途端に教室中が喧騒に包まれる。

 エトは自分が起こした騒動が大変な事になってしまったことに気が付き、少し慌てながら振り返る。

 視界に、小柄な少女が写り込んだ。

 

「だっ、大丈夫?」

 

 心をズタズタにされたであろう、小さく縮こまった少女を心配して声をかける。

 

「べ、別に私は何ともないです」

 

「あ、自己紹介が遅れたね。僕はエト・マロース。よろしくね」

 

 このタイミングで、先程まで険悪なムードだった当事者同士が自己紹介などと、エトは少しマイペースなところもあったが、そんなところにサラは少しだけ、心を許してしまった。

 エトの伸びた手を、そっと掴んで握手する。

 

「なんか大変な事になっちゃったけど、クラス対抗、頑張ろう」

 

 姉に似た柔らかな微笑みをエトはサラに向ける。

 その無垢な表情に、サラは何となく、頷いてしまった。




イアンの奴、ウザいだろ?実はコイツ、いい奴なんだぜ?
『八本槍』の設定自体がオリジナルなので、アデルのおっちゃんもオリキャラです。他の『八本槍』のメンバーはあいつらが……?


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期待の新人

バレンタイン企画?んなもんねーよ!


 予科1年のクラスマスター、すなわち担任の先生はそれぞれ生徒会に選出された本科1年の生徒が担当することになっている。本科1年A組のリッカ・グリーンウッドは予科1年A組のクラスマスター、B組のシャルル・マロースは予科1年B組のクラスマスター、C組の五条院巴は予科1年C組のクラスマスターといった具合である。

 さて、A組のクラスマスターであるリッカは、今度開催される、予科1年のグニルッククラスマッチに対して、燃えに燃えていた。そもそもが勝気で強気なリッカなのだから仕方がないと言えばそうなのであるが、それ以外にも彼女を動かす原因はあった。

 シャルルと巴。両方とも同じ生徒会役員で、この学園で切磋琢磨している相手同士である。そして今回は、それぞれが集団を指揮し、下級生を指導するという点で誰が最も優れているか、それを競走する良い機会だったのだ。

 そしてそれに火をつけるように、以前A組の江戸川耕助たち、B組のメアリー・ホームズ、C組のイアン・セルウェイが口論していたのだ。それを聞きつけた各クラスマスターがその鬱憤をグニルックの大会で晴らすようにと、個人の闘争心を受け持つ生徒に押し付ける形で各人睨み合う形となったのだ。

 

 そしてある日の放課後、リッカはAクラス全員を引き連れてグニルック競技場に出ていた。目的は無論、グニルックの練習である。

 あらかじめ調査はしていたのだが、今回のクラスのメンバーでグニルックを経験したことがあるのは、サラ・クリサリスと、エト・マロース、それからほか数名の生徒のみ。他のクラスには経験者も豊富らしく、経験の差からすれば確実にA組は不利と言えた。

 しかし、グニルックは必ずしも経験によって左右されるものではない。

 リッカは今回、この大会において、A組の勝利を確信していた。

 それは、A組の中に紛れ込んでいた、とんでもない才能を持ち合わせている少年、葛木清隆のことである。

 

 少し前、入学式を終えた日の放課後、リッカが彼を、荷物を運ぶ手伝いとして生徒会室に呼び込んだ。

 そこにはリッカと清隆、そしてもう一人、クーの姿があった。

 

「この貧相なガキがねぇ……」

 

 クーが清隆の姿を見るなり、怪訝な表情で舌打ちをする。

 第一印象では彼のことを認められないようだ。

 まだ世界の大きさを知らない、無知の少年。

 一方で清隆は、この段階で既に様子がおかしいことは気が付いていたみたいで、どこか緊張しているというかソワソワしている。

 

「で、俺は何をすればいいんですか?」

 

 白を切るように――という表現は適切ではないだろうが、その言葉は、今そこに屈強な男がいる状況で発するものではなかった。

 

「ごめんね、呼び出したりして。実は手伝ってほしいことがあるっていうのは、嘘なの」

 

 リッカはありのままのことを清隆に伝える。

 どうやらいきなり本題に入っていくようだ。

 清隆はリッカの言葉を受けてもあまり動揺する素振りはなかった。何となく見当はついていたのだろう。

 リッカには聞きたいことがあった。それにクーはあまり関係がないのだが、残念ながらリッカが清隆に色々聞きだすために用意したこの部屋が、クーの仕事の拠点であったために、偶然ではないにしろ居合わせる結果となったのだ。

 清隆は何かを上手く誤魔化すように言葉をチョイスしながらリッカの言葉から逃げ道を作り出していく。

 清隆はリッカがカテゴリー5であり、魔法使いの間ではそれなりに有名であることで褒め殺しに掛かっている。

 リッカはそんな清隆の言葉を真に受けずに、呆れながらもその隙を突いた。

 

「……なんでそんな人が魔法学校の生徒をやっているか、か。――君の口からそんな言葉が聞けるとは思わなかったなぁ」

 

「気持ち悪っ」

 

 リッカの思わせぶりな演技じみた科白に、クーが冗談なのかどうか、口を挟む。

 リッカは彼を一睨みして、話を再開する。

 

「キヨタカって名前、聞き覚えがあると思ったんだ。君ってさ、カテゴリー4の魔法使い、だよね?」

 

「っ!?」

 

 図星。清隆は強張って身動き一つ取れなくなった。

 恐らくは隠していたのだろう。それを知られているのは彼にとって大きな痛手となるようだ。

 

「あ~、身構える必要はないわよ。確認したかっただけだから。これでも魔法使いの社会の中じゃ、それなりに顔効くし、こう見えて意外と情報通なんだよね」

 

 それは女王陛下であるエリザベスと友人関係にあるのだから、職権濫用のようなものでそうなるのも仕方がないことなのだが。

 実際にそれ程までの実力を身に着けたのは彼女の努力に他ならない。

 

「気をつけろ。口ではあんなこと言ってやがるが、いつ脅迫の材料に使われるか分からねぇ。下手したら一生の奴隷――っ!?」

 

 爆発音と共に、一瞬光が瞬く。

 清隆には何が起こったのか分からず、ただ唖然としていた。

 あのカテゴリー5が自分の前で、魔法を使った。それも人間に対して。そのことに多大な驚愕を感じて、逆に何も言えなくなっていた。

 

「大丈夫よ。あいつ、知ってるでしょ?なんでもアニキーとか呼ばれてるみたいだけど。殺しても死なないレベルの生命力だから」

 

「だからって急に爆破する必要もないと思うが……」

 

 吹っ飛んだ机の破片の中から爆発で焦げた蒼色の頭が出てくる。

 あの勢いの爆発で無傷であるその男にも、清隆は何も言えなかった。

 

「あの……」

 

 清隆が何とか腹の底から声を捻り出してそう言葉を発する。

 リッカが彼の言わんとしていることを察して、先にこう付け加える。

 

「安心して。別に言いふらそうと思ってるわけじゃないから」

 

「口外しないで下さいよ」

 

「分かったわ、誰にも言わない」

 

 そしてその事実は、彼がいつも一緒にいる妹、葛木姫乃も知らないことであったらしい。

 彼女にもまた伝えないよう、釘を刺された。

 

「それで、君の、カテゴリー4の君が学園に入学する、その目的は……何?」

 

 彼女が聞きだしたかったその核心。一気にリッカは踏み込んだ。

 にこやかな雰囲気ではあるが、どことなくプレッシャーを放っているのを、遠くから眺めているだけのクーでも感じ取れた。彼にとって大した事でもないが。

 

「簡単ですよ。海外留学する妹のお目付け役です。うちの父は、娘に対してかな~り過保護ですから」

 

 あくまで口を割らない。結局清隆はこの場でその本音を語ることはなかった。

 とりあえずリッカは彼に無茶はしないこと、勝手な行動はしないことを彼に約束させた。

 最後に彼に首飾り――妖精『ティンカー・ベル』とリッカは名付けた――を装着させ、彼がカテゴリー4としての魔法を濫用した時にそれを使って知らせを送る監視役とした。

 こうして、清隆とリッカたちは知り合うことになったのだが。

 要はこの少年、そんじょそこらの魔法使いの卵とは話が違う。それなりに素質を持っていて才能があり、既に上級者の域に達している人物なのだ。

 

 それから数日経過、初めて本格的な練習が始まった。

 リッカはグニルックの説明を初心者のために簡単に話し、そして実際にやってみたほうが早いと、グニルックのロッドとブリッドをスタンバイする。そして少し離れた位置にターゲットパネルを設置する。

 清隆の方に歩み寄っては、その肩に手をポンと置いた。

 

「え、俺から?」

 

「おいふざけんな!実演くらい俺にやらせてくれたっていいだろーが!」

 

 少し離れた位置で喚き始めたのはクー。やっぱりグニルックが楽しいようだ。

 あまりのやかましさに生徒たちが振り向くが、その視線の中に尊敬の念が込められているのが多いことは明白である。

 

「ダメよ!あんたがやればセットが消し炭になっちゃうもの!」

 

「調整するから頼む!」

 

「その言葉に何度騙されたことか!いい加減弁償してもらうわよ!」

 

「クソッ、魔法使いの風上にも置けない卑怯な奴め……」

 

 渋々引き下がってでもちらちらと期待のこもった視線を送ってくるクーを無視して、リッカは続ける。

 

「やりながら説明させてもらうわ。これ、握って」

 

 そう言いながらリッカは清隆にロッドを握らせる。

 清隆は彼女の指示を受け、説明を聞きながら、ブリッドを打ち出した。

 綺麗な放物線を描いたそれは見事に的に的中し、パネルの一枚を打ち落とした。

 やはり初めてとは言え、筋はいいらしい。

 そんな感じで、初日の練習は次々にグニルックになれるようにロッドでブリッドを打ち出すことを延々と繰り返すことで終了したのだった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 その翌日、A組の体育の授業を一時限変更して、その時間をグニルックの練習に充てることになった。

 ちなみにこの時また例のイアン・セルウェイとのいざこざのせいで、負けたクラスには罰ゲームが課されることをリッカは笑顔で報告した。またシャルルと巴、三人で悪ノリが始まったようだ。

 昨日と同様に、順番に一人ずつロッドを握ってブリッドを放っていく。

 実はこの時、一人ひとり全員に見られながらの実演となるので、プレイする側は結構恥ずかしかったりするのだ。

 清隆の安定したショットの後、江戸川耕助が指名され、四季といつも通りの不毛なやり取りをしてロッドを握り、レーンに立った。

 清隆は妹である姫乃と、やたらとクラスの連中と壁を作りたがるサラ、そしてそのサラを衆目の中イアンの例のアレから助け出したエトの三人を気にしながら、自分の感覚を忘れないように素振りを数回繰り返し、どうにも不格好に素振りをしている姫乃にちょっとコツを教えることにした。

 そして一方、こちらもまた、同じようにもう一人の不器用な少女に声を掛けた少年がいた。

 

「あ、クリサリスさん」

 

 ブリットを壁に打ち付けているサラに声を掛けたのは、エトだった。

 サラのそのスイングのフォームは非の打ち所のないものだったが、どうやらサラは、魔力の乗せ方に無駄が多いようだった。

 

「……エト・マロース」

 

 彼女がエトの声に振り向き、いつものようにそっけない態度でそう呟いた。名前はクラスメイトと言うこともあるのか、覚えてはいるらしい。

 

「どうしたんですか?」

 

「いや、ちょっとアドバイスをと思って」

 

「初心者のマロースにアドバイスできることなんてないです」

 

 相変わらず棘のある言葉――を放っているつもりはないのだろうが、それでも十分他人を寄せ付けないような冷たい言葉ではあった。

 

「えっと、ラストネームで呼ぶのはお姉ちゃんもいるから、できればファーストネームでお願いできるかな?」

 

 サラの冷たい言葉も何のその、その温かな笑みは崩れることもなく、彼女との距離を縮めようとする。

 

「それに、僕もお姉ちゃんとかにグニルックは教えてもらってやったこともあるから、初心者って訳でもないしね」

 

「……それで、アドバイスって何ですか?」

 

 不愉快だとばかりにそうサラは訊き返す。エトはとりあえず彼女のスイングに無駄はないが、一方で魔力運びに難があることを指摘した。

 

「私の魔法の力は元々弱いんです。だから、無駄が多いように見えるんじゃないですか?」

 

「確かにキミの魔力は弱いかもしれない。けどね――」

 

 エトは自分のロッドを構えて、ブリットをスタンバイする。そしてほとんど少量の魔力だけをロッドに乗せてスイング、ブリットは理想通りの曲線を描いて壁に衝突し、元の位置に戻って来た。

 

「消費する魔力をできるだけ抑えて、効率よく魔法を乗せればブリットは曲がるんだよ」

 

 にっこり。姉に似た、包容力のある笑みにサラは思わず引き込まれそうになる。

 

「分かりました。コツは大体見て分かったので、もうどこかに行ってください」

 

 どうにか気を取り直して冷たくそう言い放つ。

 次に撃ったブリットは、サラの思い通りには曲がらず、サラは不満げな顔を作る。

 

「もうちょっと力を抜いて――」

 

「そ、そんなこと、言われなくても分かってるもん!」

 

 エトが食い下がってアドバイスをしようとした瞬間、彼女は爆発した。

 いつも見せない、感情を表に出したサラ。これ程珍しいものをエトは見たことがないという気分だった。

 

「……もん?」

 

「あ、いえ……」

 

 自分の失言に羞恥して顔を紅潮させ、目を泳がせながらも、何とか体裁だけは整えなおした。

 

「コホン、い、言われなくても分かっています。ただ、コツと言っても、頭で理解するのと実際にやるのとでは違うわけですから――」

 

「それならもう一度、見せてあげるよ。それなら、いいでしょ?」

 

 そうして、エトはサラに対してあれこれと指導していく。

 サラは、何故か自分い優しくコツを教えてくれるエトに対して疑問とほんの少しの感謝を抱きながら、彼の指示を仰いでいた。

 競技場の隅で、この二人がいい感じに接近しているのを、清隆もリッカも、勿論クーも知らない。




本校時代で既に地に足の着いた考えができる純一然り、大切な人の為なら死ぬこともいとわないさわやかヤクザの義之然り、カテゴリー5をサポートできるレベルのカテゴリー4である清隆然り、D.C.シリーズの主人公は誰もがチートスペックを持ってると思う。

感情が爆発すると地が出てしまうサラ可愛いです。
でもシャルルさんみたいな姉が欲しいです。欲しかったです。


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喧嘩と新チーム

邂逅のアルティメットバトル編が終わるまではずっとエトのターン。
ここらで活躍させとかないとしばらく出番がなくなっちゃうから……


 

 

 事件が起こった。

 A組、グニルックの練習に時間を割いている時、姫乃とサラが、喧嘩を起こしてしまったのだ。

 耕助が清隆に、自分の魔法の得意不得意と、グニルックとの相性を語ってこれから頑張ろう、と結論付けていたところ、サラの苛立った声が清隆たちに届いていたのだ。

 当然そこにいたエトも、サラの様子を心配し、事情を聴いたのだが、どうやら姫乃がサラに鬱陶しく付きまとったのだとか。

 一方で姫乃は魔法のアドバイスをほんの少ししようとしていただけだと事情を説明する。

 長年一緒にいた清隆は勿論、最近清隆や姫乃たちと仲良くしているエトでさえ、姫乃が面倒臭い性格ではないことは知っていたが、逆に、彼女が親切心があり過ぎてたまにおせっかいを焼いてしまうこともまた、知っていた。そしてサラもまた、話しかけるなオーラを十全に纏った一匹狼タイプである。多分今回は、それが祟ったのだろう。

 自分の親切心を踏みにじられた、仲良くしたいだけだったのに――グニルックの素人である人間のアドバイスなど必要ない――二つの思惑は交錯せず、平行線のまますれ違う。結局どちらとも不満が爆発して、お互いに文句を言い合った結果、関係がこじれてしまったのだ。

 とりあえずその場の応急処置として清隆が一旦両者を黙らせ、距離を離してその場を収めたのだが、その姿にリッカは感心したようで。

 

「キミにはリーダーの素質があると思うわ」

 

 清隆はその言葉を真には受けられず、リッカのお願いである、二人を仲直りさせること、と言うのを任され、不安ながらも請け合うことにした。

 エトもまたこれには賛成したのだが、ほんの少し難しいな、と、苦笑いをせずにはいられなかった。

 

「それで、何で俺に相談に来たんだよ」

 

 面倒臭いとあからさまに態度に出ているクーは、来訪したエトに向かってそう言った。

 エトは、清隆を連れて、クーのいる学生寮の部屋にお邪魔していたのだ。その際、当事者である清隆を引き連れて、どちらともが自身の視点で話を進めた時、第三者の視点で物事を判断できるように、とのことである。

 シスコン、と言う程でもないが、妹に肩入れしている清隆、空回りした姫乃と同様、割とサラと距離を近づけつつあるエト、この二人の話だと、どちらも理路整然と物事を話す力があるとはいえ、言葉の選択が無意識にそのどちらかを庇うようなものになってしまうとも限らない。そこで、対人関係に対してはサバサバしているクーを相談相手に選んだのは、エトにとってある意味正解だったと言えるだろう。

 しかしそれはあくまで彼が真面目に話を聞いてくれればの話だが。

 

「面倒臭ぇ、そんなのてめーらだけでどうにかすればいいだけの話だろーが」

 

『八本槍』の役目を円滑に進めるための情報収集として、新聞に目を通しながら、エトの言葉を聞き流す。

 本当はこんなことはやりたくはないのだが、それでも金を貰って仕事をしている以上、妥協できないのもまた彼の性格でもあった。主従関係には逆らえない。

 新聞から最近起こった出来事、政治や経済の動向を大まかに把握しながら、そのページを次から次へと、手早く捲っていく。

 エトは知っていた。

 自分の師匠は、兄のように強く優しいが、それでいて自分に全く関わりのないことには一切首を突っ込まない。

 エトの命を救い、ここまで面倒を見てきたのは、それが面白そうだったから。我武者羅に生きることを求めた瞳、そして人として強くなることを求めた瞳、そのどちらもが、彼にとって気に入ったものだったからだ。

 それは決して、人助けだの、誰かの為だの、どこぞの義妹持ちの鈍感な主人公のような意志を持っていたわけではない。

 だからこそ、今回のことにも、決して関わろうとはしない。

 

「いや、僕はお兄さんに相談しに来たわけじゃないよ。ちょっとお話ししたいと思ってただけ。お兄さんと何か話してれば、何かいい方法とか思い浮かぶかなって」

 

「話だけなら聞いてやるよ。俺は何もアドバイスなんざしねーぞ。そう言うのはジルの専門だ」

 

 エトたちに背を向けながら、それでも話を聞くと宣言したクー。

 エトは、そんな彼に遠慮はせず、いつも日常茶飯事にやっているごく普通の会話を始めた。

 

「この時期ってさ、グニルックの大会があったよね。僕の方はちょっと用事があって見に行けなかったんだけど、どうだったの?」

 

「グニルックねぇ、アレは楽しかったぜ。またやってみたいもんなんだが、どうもリッカたちに阻止されちまう。確かに俺は色々と道具を破壊したが、今では魔力の調整もお手の物だってのに」

 

「あはは……。お兄さんなら仕方ないね。で、その試合は勝ったの?」

 

「当り前よ。この俺様が出てやってんだ。俺が負ける時はそれは、俺が死ぬ時だ」

 

「それなら、お兄さんは勝負事では絶対に死なないね」

 

「俺様は最強だからな」

 

 それからも、他愛ない会話は続く。

 クーがエトのためにグニルックの必殺技(?)の考案をしていることや、女王陛下に仕えるに際しての公務についてのあれこれ、学園生活のこと、様々なことを話していた。

 

「そういや、あの時はリッカたちが代表を勝ち取るって、放課後の練習が終わった後も三人で練習していたっけか」

 

「そうなの?」

 

「ああ、今思えば、俺もあそこに参加してればもっと面白れぇことになってたんだろうがな。あの時のあいつら、すっげー楽しそうだったぜ」

 

「あっ!」

 

 突然の清隆の発生、エトが吃驚して清隆を振り返る。そう言えば彼は、エトとクーが二人だけの会話をしていて殆ど蚊帳の外だったが、何かに気が付いたようだ。

 

「なぁエト。だったらさ、俺たちも四人で練習しないか?放課後にさ」

 

 期待のこもった視線をエトに向ける。

 その表情があまりにも楽しそうで、エトはとりあえず、何も聞かずに首を縦に振った。

 

「そこの坊主――葛木っつったか。テメェ、なんか危なっかしいから気をつけろよ」

 

 エトと清隆が同調して、答えを見つけたところでいい感じにクーの部屋を去ろうとしたところに、クーの声が清隆に飛んでくる。

 突如として言われたことに、清隆は理解できずに立ち止まって振り返る。

 

「お前は何か危険だ。危機感がない。周囲に線引きしない。ほぼ初対面に近く、こないだ初めて顔合わせた時に派手にやらかしたつもりだったが、テメェはビビる素振りすら見せなかった」

 

 クーの背中が、プレッシャーを放つ。

 何か恐ろしい、確実に未来を的中させそうな、そんな警告。彼の言葉に、自分の未来に対して清隆は固唾を飲んだ。

 

「そんな奴が、それこそジルみてーな他人思考をしてやがる。――テメェ、確か妹がいるんだってな?」

 

「ええ、まぁ」

 

 妹に関係がある、それだけで警戒せざるを得なかった。しかし、この反応そのものが、クーの危惧する状況のカギを握っていることを、清隆は知らない。

 

「例えば、だ。妹が何か危険な状況に晒されてみろ。テメェは真っ直ぐにそいつを助けに走り回るだろうよ。そうなれば危機感に鈍いテメェはすぐに無茶をする。後は泥沼にはまってくたばるだけだ」

 

 危機感のない者は、勇者になり得る。どんな困難にも、どんな恐怖にも立ち向かえる勇者に。

 しかし、だからこそ乗り越えてはいけない一線を、踏みとどまることなく平気で跨いでしまう。

 清隆には、その実感は湧かなかった。

 確かに清隆の妹、姫乃には、ある事情がある。その事情もあって、清隆は風見鶏へと乗り込んだのだ。その問題を解決するために。

 しかし時間は山程ある。まだ焦る必要もないし、無茶をするような場面でもない。だから清隆は、頭の片隅に置いておこうと考えるだけで、深く考えることはしなかった。

 

「……分かりました。覚えておきます」

 

 清隆はそう言って、エトと共にクーの部屋を去った。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 翌日の放課後。

 授業が終わってすぐ、エトはサラのところまで足を運んだ。

 彼女は既に帰宅――いや、グニルックの練習を一人でする予定だったのだろう、道具を鞄に仕舞っては席を立とうとしていた。

 

「クリサリスさん」

 

 清隆からはある程度話は聞いている。とりあえずサラをうまく誘導して、グニルック競技場まで連れ出す。その際に、清隆と結託していることだけは絶対に言わない。そうすれば絶対にサラはエトについて来ないからだ。

 

「ファーストネームでいいです」

 

「へ?」

 

「だから、ファーストネームでいいと言っているんです。何だか、呼びにくそうにしてますし」

 

 少し照れながら、紅く染まった頬をエトに見せないようにそっぽを向きつつ、サラはほとんど聞き取りにくいような小声で言った。

 エトは唐突に言われたその要求に少し驚き、どうしたものかと一瞬考え込んで、そしてもう一度彼女と向き合った。

 

「それじゃ、サラちゃん」

 

「――っ!?」

 

 まさかのちゃん付け。

 さん付けや呼び捨てならともかく、ちゃん、だとどうしても可愛らしく聞こえてしまう。いや、それはそれで正しいのかもしれないが。

 目の前の小柄な少女は動揺しながら、困惑しながらも訂正を求めようとしたが上手く言葉にできない。

 エトはそんなサラの気持ちなどつゆ知らず、そのまま話を進めてしまう。

 

「これから一緒にグニルックの練習に行こうよ。サラちゃんからなら、色々アドバイスも貰えそうだし、僕からもサラちゃんにアドバイスできることがあるかもしれないからね」

 

「ええええと、あうあう――!?」

 

「ど、どうしたの、サラちゃん?」

 

 あまりの困惑っぷりにエトも心配する。自分の呼び方に原因があるということに未だに気が付いてはいないが、更にエトに接近されるとサラとしてはどうしようもなくなるので。

 

「――ッ!――ッ!」

 

 声にならない叫びを上げながら、首を縦に振って肯定の意を示したのだった。

 

 そして校庭に出て、移動中に流石に落ち着いたサラもグニルックの練習のスタンバイをして、あれやこれやとエトとサラの二人で色々なことを話し込んでいたところに、清隆と姫乃はやって来た。ついで、というのも可哀想だが、どういう訳か耕助と四季もいる。なんだかんだで姫乃たちのことが心配だったのだろう。

 

「エト!」

 

 サラを見かけるや否や、気まずそうな表情を浮かべる姫乃と、その隣で若干緊張しながらも、それを押し隠してエトに呼びかける清隆。

 背後には、心配そうに姫乃たち四人を後ろから見つめる四季と耕助。

 

「遅いよ清隆。少し待ったよ」

 

「すまんな」

 

「清隆、姫乃……」

 

 清隆とサラは、以前に面識がある。清隆が初めて図書館島に行った時、ブローチ、もといボートの使い方が分からなくて困っていた時にサラに助けられたのだ。

 サラも、清隆と姫乃を見て、この状況に驚きを隠せないでいる。そしてすぐにエトに視線を移した。

 しかしエトは苦笑いを浮かべて頬を掻くばかりである。

 

「ど、どういうことですか、兄さん?」

 

 姫乃も清隆に視線を移して困惑の表情を浮かべている。それに同調するかのように姫乃も清隆に抗議した。

 

「どうもこうも、俺はこの四人でクラス代表の座を勝ち得ようと思ってるんだから」

 

 清隆の言葉に、姫乃とサラが固まる。

 エトもそのことについては聞かされてはいなかったが、清隆が考えそうなことだとはあらかじめ想像はしていたのだ。

 

「何故、私が始めたばかりの初心者と組まなきゃいけないんですか?」

 

「そこだよ。俺はこの四人が、結構バランスのいいチームだと思っているんだ」

 

「その根拠は?」

 

 サラは、清隆の唐突な言葉にも対応してくる。

 主張をするなら、根拠を提示しなければならない。いかにもサラらしい話の運び方だった。

 

「まず、エトは、聞いたところによると生徒会長であるシャルルさんの弟だから、その友達であるリッカさんたちと交友があるんだって。だから魔法に関してはなかなか深い見識を持っているんだ。グニルックに関してはほんの少しかじった程度らしいけど、それでも十分に戦力になると思う」

 

「それは知っています。私もエトとはそれなりに話をしていますから」

 

「それで、こう言っちゃ失礼かもしれないけど、俺と姫乃は魔法の総合力って意味ではクラス内で上位にランクインする」

 

「えっ、そんなことまで分かるの?」

 

 突如話を切って話題を逸らそうとしたのは以外にもエトだった。

 清隆が言うには、その上下と言うのは何となく感覚で掴めるものらしく、それがどういった原理なのかは理解できていないらしい。それでも、総合的な力に関しては二人が上位に位置づけされているのは把握できているらしい。

 自分が現在どの程度の立ち位置なのかを把握しておくことは、今後の成長に役立つだろう。

 

「でも、さっきもサラが言った通り、俺たちは初心者だ。ルールもうろ覚え、経験がないからセオリーとか駆け引きも分からない。そう言った意味で、グニルックに精通したサラの知恵と知識と熱意が必要なんだ」

 

「ね、熱意……?」

 

 最後のは不要だ、とばかりにサラは首を傾げる。

 しかし、クラスの練習中にサラが一番真面目に取り組んでいたのを、清隆はしっかり見ていた。

 エトが後々にフォローしていたので、冷や冷やするようなことはなかったが。

 自分の力を伸ばすのに一番時間を使っていたのは間違いなくサラだった。

 

「それに、駆け引きとか頭脳戦になった時、サラまぁのような落ち着いた人間が必要なんだ」

 

「そんなこと言って、ホントは私と姫乃の中が険悪な感じになったから、仲を取り持とうとしてるだけじゃないんですか?」

 

 サラがあまりにも核心の部分を突いてきた。

 突然の展開にエトはヒヤリとする。

 

「そうだよ」

 

 しかしそんなエトの心情など全く意に介さず、清隆はサラの疑念にあっさりと肯定する。

 

「そんなの、余計なお世話です」

 

「勘違いしないでくれよ、俺の目的はグニルックのクラス代表になってB組やC組に勝つことだ。特にC組のイアンみたいなタイプには一度敗北の味をキチンと覚えてもらった方がいいと思ってる」

 

「それは僕も賛成だね」

 

 当人の前で噂の彼を転倒させ、あまつさえ啖呵を切ったエトがそれに頷く。

 ここまでして負けてしまえば、彼が尊敬する師やその友人の顔に泥を塗ることになる。

 

「そのためのこの四人で、その上で姫乃の兄として、サラには妹のいい面を知ってもらいたいと思ってるし、サラの友人として、姫乃にはサラのいい面をしてもらいたいと思っている。……欲張りかな」

 

 清隆が一通り饒舌に語り終えて、一息つく。

 エトが、素直に自分の思ったことを言葉にして言い表したことに対して凄いと思っているところ、真っ先に姫乃が沈黙を破って口を開いた。

 

「かなり……」

 

「まぁそこは勘弁してくれよ。俺の見立てでは、っていうか、多分これはエトも耕助も思っているところなんだろうけど、二人は仲良くなれる素質があると思ってる。どっちも人づきあいが苦手でお互いにすれ違っちゃうこともあるだろうけど、とりあえずここはグニルック優先ってことで俺の顔を立ててくれないかな?そうすれば練習を重ねるうちに、お互いの距離感がつかめてくると思うし……。どうかな?」

 

 清隆が交互にサラと姫乃を見つめる。

 エトはそんな二人の思考を邪魔しないように、そっとサラの傍を離れて、耕助たちと並ぶようにして清隆の後ろに立った。

 恐らく清隆のやっていることは賭けに近いだろう。そんなことはエトも分かり切っていたが、姫乃のことも、サラのこともある程度知っているエトに言わせてみれば、清隆の狙いを二人とも理解してくれるはずだと思っていた。

 

「に……兄さんはずるいです。そんな言われ方をしたら頷くしかないじゃないですか」

 

「……そうですよ。ここでムキになって固辞できる程、私たちは子供じゃないです」

 

 清隆の言葉に、二人とも反抗の言葉を投げかけたが、根本的な部分では渋々納得がいったようだ。

 サラに至っては、どこか諦めたようにも見える。

 清隆は二人に握手するように言って聞かせて、仲直りをさせる。

 元々仲の良くない二人であっただけに、『仲直り』という言葉を使うのは場違いなのだろうが、それでも清隆は二人が仲が良かった、と言うニュアンスを持たせたくてこちらの言葉を選んだ。

 

「よろしく、姫乃」

 

「よろしくお願いします、サラさん」

 

 こうして、二人は無事に()()()することに成功した。

 ここから二人の仲を進展させるのには時間がいるだろうが、それはゆっくりやっていけばいい。上手く行けば、これからもお互いを助け合える竹馬の友となえり得るだろう。

 そうして、ここに新しいパーティーが誕生したのだった。




クーはアニキであり、みんなの父親的存在だと思う。
Fateの男連中(特にサーヴァント)は背中で語る奴が多いからかっこよすぎて困る。


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大会に備えて

選手発表。


 グニルック対抗戦の前日、遂にA組の出場メンバーが発表された。

 選考方法は、クラスマスター、リッカ・グリーンウッドの独断と偏見と言う、普通の人がやると不平不満しか出ないものだが、リッカがそれをするにあたって、それだけで十分な理由となり得る。『カテゴリー5の魔法使いがその眼で選んだ』という事実は、それだけで説得力を持ちうる。実力を兼ねた名前と言うのはこう言ったところで便利なのかもしれない。

 大会前日の練習時間、姫乃がロッドの素振りをしながら、エトとサラがグニルックの戦略面についてあれこれと話し込みながら、清隆が姫乃の上達っぷりを褒めながら、耕助がそんな二人に自慢しながら進んでいく、そんな時間をリッカの一声が止める。

 彼女の集合の号令が出たため、生徒全員、彼女の周囲に集合することになった。

 

「お待ちかね、明日の対抗戦の選抜メンバーを発表します」

 

 選抜テストはする必要はない。彼女にとってその行為そのものが無駄なのだ。

 魔法使いは、何も魔法の実力だけが全てなのではない。いかに頭が回るか、他人との団結力を深めるか、見るべきものを見据えられるか、そう言ったものも、魔法使いの素質として、大切なものなのだ。リッカにとって、生徒たちに与えた練習期間と言うのは、それを見定めるための時間であり、その時間こそが、彼らにとって試練であり、試験だったということである。

 

「単純な実力じゃなくて、性格とか組み合わせの相性とかも考えてチームを組んでみたので、聞いてちょうだい」

 

 その言葉に、周囲はそれぞれの気持ちを抱くことになる。

 自分は少し自信がある、自身がない、クラスメイト全員の期待に背負える自信がない、などなど、思うところは人それぞれであった。

 

「ドキドキするね」

 

「ああ……」

 

 エトの前にいる葛木兄妹は、その発表を前に、ソワソワしていた。

 このクラス内でも、代表の座を真剣に取りに行こうとしていた二人なのだから、それなりに次のリッカの言葉が待ち遠しくあり、同時に恐れているのでもあろう。そのことについては、エト自身もある程度は理解していた。師のために、そして例の彼に馬鹿にされた小さな少女のために、そして何より、自分自身の成長のために、エトもここで代表を勝ち取って大会で活躍したいのだ。

 

「まず一人目!」

 

 高らかな声に、クラスメイト全員が、息を飲む。緊張の糸がピンと張られるのを、清隆は何となく感じ取った。

 

「サラ・クリサリス!」

 

「はい!」

 

 リッカの宣言のすぐ後に、サラも決意のこもった声で、返事を返す。

 サラが選ばれるのは、誰もが予測していたことでもあった。クリサリスの一族、その息女である彼女は、廃れかけているとはいえ名門の出である人間だ。なおかつ頭が回って冷静である。グニルックの経験もあり、実力的には申し分ない。

 

「ちょっと魔力が弱めなところがあるけど、それを補って余りある知識と冷静さを評価させてもらったわ」

 

「ありがとうございます」

 

 カテゴリー5に褒められる、これだけでも十分に自信に繋がるところではある。

 代表に選ばれたサラの傍にエトが寄り、彼女を称える。

 

「サラちゃん、おめでとう」

 

「いえ、ここまで来られたのも、エトのおかげでもあります。エトもきっと呼ばれるでしょうし、その時は頑張りましょう」

 

 代表に選ばれたのを喜ばしく思っているのは確かだろうが、やはりサラは、冷静さを保ってエトにそう言い返した。

 そうだといいね、と、苦笑いしながらエトは返す。

 

「次!エト・マロース!」

 

「はい」

 

 サラと共に代表に選ばれた、その事実が脳内を埋め尽くす。

 自分がクラスの代表となり、メンバーと一致団結しながら成長していく、そうすることで辿り着きたいのは、他でもなく彼の師の領域。武術では到底無理な話だろうが、それは他の部分で補えばいい。きっと、いつかそこまでたどり着けるはずだ。

 サラの方を向いて、自分はやったと、無言で彼女に微笑む。それに応えるようにして、サラもまた、エトに対して小さく微笑み返した。

 肩を叩かれたので、振り返ってみれば、そこには清隆がいた。

 

「やったな」

 

「うん、きっと清隆も選ばれるよ、姫乃ちゃんと一緒にね」

 

「自信はないけどな……」

 

 言葉の通り、自信なさげに肩を落として苦笑いするが、エトはそんなことは微塵も思ってなかった。

 エトがこれまで練習風景を見てきた中で、清隆の筋の良さはクラス一だと思わざるを得ない程だった。彼の才能を羨ましがったのも嘘ではない。

 

「エトに関していえば、メンバーとしての相性ね。ある程度の実力を持ちながら、恐らくサラの思考をいち早く理解して行動してくれる。人当たりもいいし、チームの緩衝材としては適切と考えたわ。魔法使いっていうのは考え方は多様でバラバラだけど、彼は上手にそれらを中和してくれるでしょう」

 

「そこまで言われたらなんだか逆に不安になっちゃうけど、頑張ります」

 

 あまりにも、入学前の魔法の先生であるリッカに盛大に褒められて、甘やかされてるんじゃないかと不安になるエトだったが、こう言ったところでリッカが贔屓をしないのはエトもよく知っている。

 リッカの言葉には納得しながら、自分なりの克服点と今後の方針をじっくりと考えることにした。

 

「次のメンバーは……葛木姫乃!」

 

「は、はいっ!」

 

 期待はしていたものの、いざ呼ばれるとあっては吃驚してしまった、いかにもそんな表情の姫乃である。

 隣で清隆が何だか焦ったような表情をしているが、どうやら『葛木』に反応してしまったのだろう。

 

「姫乃さんは、風見鶏に来て初めてグニルックに触れたとは思えないくらい、いいセンスしてるわ。上達の度合いについては、クラス一かもね。期待してるわよ」

 

「は、はい、頑張ります」

 

 緊張しながらリッカの言葉を受け止めて大きく頷いた後、晴れ晴れとした表情で清隆に嬉しそうな笑顔を浮かべた。

 姫乃が今回定めた、魔法使いとしての初めての目標。最初から達成できたこともあって幸先がよく、感慨深い気持ちになるのも頷ける。

 

「よかったな」

 

 そんな姫乃に、清隆は優しく声をかける。自分の妹がこんな風に立派になっていく、その第一段階をその眼で見届けることができたのだ。嬉しくないはずがない。

 そして次が最後。これまで、サラ、エト、姫乃と呼ばれた。実質、彼女の言葉を鑑みるに、ここまで来れば清隆が呼ばれるのはほぼ確定事項なのだろうが、やはりリッカは贔屓をしない。四人でチームを作る、とさいしょに提案したばかりに、ここで落ちるのは流石に恰好がつかない。

 

「最後の一人は……」

 

 彼女が溜めたその少しの時間に、清隆はぐっと拳を握る。

 緊張の汗が背中を伝い、服に沁み込んでいく。全身の感覚が、鋭くなっているのが分かった。

 

「葛木清隆!あなたよ!」

 

 リッカの挑発的な眼差し。この間の生徒会室、もとい学園長室での一件と言い、リッカは清隆に、ある程度の警戒、と言うより興味を抱いている。

 今回は、彼の実力を試そうと言ったところだろうか。

 

「はい!」

 

「やりましたね、兄さん!」

 

 清隆の選抜の発表に、サラ、エト、そして姫乃の視線が集まる。

 これで、まず最初の作戦は成功した。後は、大会で勝って、あの男をギャフンと言わせるだけだ。

 

「あ、あの、ちょっと待ってください!」

 

 清隆が、話を終えようとするリッカを呼び止める。

 わざとだろうか、選択に不満があるのかと清隆に訊き返した得リッカの表情は、あからさまに挑発したような笑顔だった。

 

「そうじゃなくて……他の三人は選考理由みたいなのがあったのに、俺だけにはないんですか?」

 

 なんだそんなこと、と言わんばかりに微笑んで、リッカは理由を述べる。

 

「キミの実力が知りたいな、と思ったからよ」

 

 その言葉に、どれだけの意味が含まれているのかは知らないが、リッカにはリッカなりの意図がある。清隆を試したい、と言うのも事実だろうが、きっとそれだけでなく、彼を選抜したことに勝利への布石をきっと見出しているのだろう。

 リッカの目は、十分に鋭いということである。

 この後、リッカの予定通り、男子は競技場の片づけと掃除、女子はリッカについて行ってそこで作業、と、練習を終了してそれぞれの作業へと移った。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

「それでは、明日のA組の優勝を祝って、かんぱーい!」

 

 かんぱーい、と、全員の声が食堂中に響き渡る。

 学生寮の食堂を貸し切って、A組の必勝祈願パーティを行う、それがリッカの予定だった。そのために女子を全員引き連れて、その準備、主に料理などを執り行ったのだが、その全てが手作りで、見ているだけで満足してしまいそうな出来上がりだった。

 

「うほ~、うめぇ……。これ全部、女の子たちの手作りなんだぜぇ……」

 

 耕助が嬉しそうに、幸せそうに涙でも流しそうな勢いで料理を頬張っている。

 作った側からすればこれは十分に作り甲斐のある反応なのだろうが、いかんせん行儀が悪すぎる。

 姫乃は振り分けの段階で料理の側には参加できなかったようだ。清隆曰く、姫乃の作る和食料理は絶品であるらしく、エトや耕助共々一度は食べてみたいと思うのであった。

 

「和食かぁ。リッカさんたちもよく言うけど、食べてみたいよね」

 

 近くのテーブルに盛り付けられてある料理を小皿に取り分けて、清隆たちの間でエトが言う。

 風見鶏内部の食堂や学食には、あらゆる国の料理が食べられるような設備が施されてあるのだが、繊細で独特な日本料理は導入するが難しいようで、遠いヨーロッパでは、和食はお目にかかれないらしい。清隆たちはそのことを、故郷を懐かしみながら語っていた。

 

「……」

 

 気が付けば、エトの背後にサラがいた。

 その存在に気が付いて、エトは慌てて振り返る。彼女は何も言わずにエトが手に持っている小皿を見て固まっている。緊張しているようだ。

 

「あっ、これ、サラちゃんが作ったの?」

 

 驚きの表情と共に、視線を自分の持つ小皿へと移し、そしてサラへと戻した。

 

「はい……その、大したものではないですけど……」

 

 自信がないのか、視線をきょろきょろ泳がせながら、そう呟く。

 エトとしては、これまで誰が作ったのか分からないものを食べていたため、何も意識せずに美味しいと食べられていたものの、今この状況で、目の前の少女が作ったと分かり切っている料理を食べるというのは、いささか腰が引けた。

 見た目で言えば、控えめで美味しそうではある。一口、そっと運んで、よく咀嚼する。

 

「……」

 

 自分の作った料理を口に運ぶエトを、サラはじっと見た。

 

「うん、美味しいよ、サラちゃん!」

 

 思わず見ている方までふやけた笑みを浮かべてしまいそうな、柔らかな笑み。相変わらずこう言った微笑みに対すてどう反応すればいいか誰も分からない。それに今回は、それに加えて後光のような何かが差し込んでいるようにも見えた。

 サラからして、大袈裟でしかないという風なエトのリアクションに対して、照れて紅潮しながら、その笑顔に引き込まれそうになりつつも、何とか立て直す。

 

「と、当然です……」

 

 顔を赤らめながらも、料理を褒められたことは嬉しいようだ。

 そして、ここにグニルックのクラス対抗戦の代表チームが集結する。話題は自然とそちらの方向に流れていった。

 目標は、B、C組を打倒し、優勝すること。そして、C組を倒す際に、サラを馬鹿にした男、イアン・セルウェイに吠え面を掻かせること。

 イアンのことに関しては、みんなの協力の下、サラが成し遂げることであり、サラがその手で彼を倒すことに意味がある。

 

「勝ちましょうね、絶対」

 

 姫乃の言葉に、チーム全員が頷いた。

 その様子を、遠くの方から、リッカが微笑みを浮かべて眺めている。

 我が旧友の弟子であり、自分の弟子でもある存在。そして、友人の弟。彼を取り囲んでいるのは、彼のクラスメイトであり、彼の大切な仲間である。かつて病で床に臥せていたとは思えないくらい元気な表情を浮かべて、楽しそうに笑っている。自分でもそう思えたのだ。彼の姉であるシャルルは、どれ程までに毎日を幸せに送っているのだろうか。

 全ては、あの蒼き槍使いの戦闘狂のおかげである。

 

「ホント、私も手伝ってよかったよ、リッカ」

 

 ひょっこりと顔を出したのは、リッカの大親友であるジルだった。

 一旦クーの様子を確認して戻って来たところである。

 

「それで、どうだった?」

 

「えっとね、学園長室でぐっすり寝てたよ……。起こして誘ってあげようかとも思ったんだけどね、気持ちよさそうに寝てたから、起こすのも悪いかなって」

 

「そう……」

 

 いつでも、あの男は自由気ままである。誰の意志にも束縛されない、我儘な最強の戦士。

 その強かさに、二人ともが惹かれていることも事実であり。

 

「ところで、ジルはどこが優勝すると思う?」

 

 ジルを挑発するように、そして自信満々に、リッカは親友の困った表情を眺めながらそう質問する。

 ジルはあまり考えるような素振りを見せず、笑顔でこう返答した。

 

「どこが優勝するか、と聞かれても、正直分からないかな。でも、同じ本科A組の、リッカのクラスメイトとして、そしてリッカの友達として、私はA組を応援するよ」

 

「煮え切らないわね」

 

 ジルの回答に満足していないのか、苦笑しながらそう感想を漏らす。

 しかしまんざらでもないらしく、リッカは嬉しそうに笑って、ウインクをかました。

 

「見てなさい。私の教え子が、シャルルや巴を倒して優勝するところを、ジルにも見せてあげるわ!」

 

 その言葉にリッカとジル、親友同士が、仲良く笑い合った。

 そして、翌日、ついに大会が始まる。この時を、誰もが待ちに待っていた。




終盤のほんの少し、久しぶりにジルさん登場。
この人も邂逅のアルティメットバトル終わるまで出番が少ないな……
次話終了で次の原作本編に突入する予定です。


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決戦、そして新章へ

『八本槍』のメンバーも次々と明らかに……?


 試合会場である風見鶏のグニルック競技場は、開場してすぐに席は客で溢れ返り、それに伴って予科1年を受け持っているシャルルたち以外の生徒会メンバーは会場での観客の誘導、進行のプログラムの最終チェック、グニルックに使われる用具の確認など、最終準備をてきぱきと進めていた。

 それを学園長であるエリザベスとその側に侍るクー、そしてもう一人、外見は華奢な、金髪の少女ではあるが、クーと同じく『八本槍』の一人である実力者が一緒にいた。

 名前をアルトリア・パーシー。表向きはアーサー王伝説を研究している研究者の一族であり、存在しないとまで言われているアーサー王の存在を信じて真理探究するほどの熱狂的なアーサー王ファンの家系、その息女である。一方でこちら側――魔法の関わっている側では、湖の精霊との契約を一子相伝で受け継いできた家系で、水と光、そして風に関する魔法を得意とする血族であり、天から二物、三物を与えてもらったと言われても仕方のないような才能を受け継ぎ生まれてきた女性で、騎士として携帯しているその剣は、光魔法を最大限に行き渡らせた業物で、その名を、またまたアーサー王伝説から持ち出してエクスカリバーと名付けている。勿論偽物だが。その上奪われた魔法の鞘の伝説も勝手に使って、偽物の鞘の方は作ってはいないらしい。

『八本槍』を仕切り、纏め上げるリーダー的な存在であり、その統率力から、エリザベスとしては、配下として最も信頼する人物である。そしてまた、その美しさと常に堂々とした凛々しい態度から、民衆からも慕われ、『騎士王』と呼ばれている。

 ちなみに、クーが唯一まともに会話できる『八本槍』でもある。他の連中は、あと三人程会ったことがあるが、どれもアクが強すぎてウマが合わなかったらしい。

 

「にしても、テメェも真面目だよなぁ」

 

 だるそうに、紅の槍を支えにして体重を預けながら立っているクーは、横目で、まるで鉄の芯が頭から背中を通って足先まで貫通しているかのように綺麗な姿勢で立っている騎士王を眺めてそう言う。

 

「あなたの性格はよく理解しているつもりですが……公の場で、人も集まるわけですから、もう少し警戒した方がよろしいのでは?」

 

 苦笑いを浮かべながら、顔だけをクーの方へと向けて、彼に軽く注意を促す。勿論クーに聞く耳はない。

 アルトリアもまた、クーのこの性格にはほとほと呆れ返ってはいるのだが、それを埋め合わせる程の芯の強さを感じ取っているため彼には一目置いている。僅差ではあるが、武術においてもクーには敵わなかった。

 

「どうせガキ共がゲームで戯れるだけだろ?俺がやれるわけでもないだろーし、真面目にするだけ野暮ってもんだろ。それに、俺が少々怠けたところで、テメェがいるなら問題ない」

 

「もし私ではなくアデル・アレクサンダーなら憤慨して殴りかかっているでしょうね。……まぁ、確かに私は陛下の剣として、たとえ一人であろうと陛下の身をお守りすると誓った身だ。あなたが寝ている間に起きた事件を、あなたが寝ている間に解決してみせます」

 

「そいつは頼もしい言葉だ」

 

 二人が話し込んでいる間に、エリザベスは係の人間から大会の進行に関することを聞きいれ、既に全て聞き終えてしまっていた。

 アルトリアはその男――名を杉並と言うのだが――を生徒会本部へと送るために彼と共に学園長の席を離れた。

 

「そろそろ、始まりますね」

 

「自分の参加できない大会に興味なんてねーよ」

 

 つん、とそっぽを向いて、いじけたような反応を示す。

 エリザベスは、そんな子供じみたリアクションをするクーが、妙に可愛らしく思えて仕方なかった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「やっと、ここまで来たな」

 

 エリザベス学園長の挨拶を終え、選手紹介を終えた後、遂にA組とB組の試合が始まった。

 シューティングゾーンを目前に控えてそう呟いたのは、清隆だった。

 

「そうだね」

 

 その呟きを聞き取ったエトが、そう返す。

 そして視線を一旦ターゲットパネルから外し、相手のチームのメンバーを見る。

 男子が一人、女子が三人のチーム――に見えるが、実は男子が二人で女子が二人のチーム編成なのである。

 B組の代表の一人、エドワード・ワトスン――彼女、ではなく彼がどこからどう見ても女よりも女らしい美少女で(男であるが)、更にどういう訳か風見鶏の女子の制服を着ているので、完全に初見騙しとしか言いようのない存在になっているのだ。

 あの容姿で彼と男子トイレなどで遭遇した時、微妙な空気になるのではなかろうか。

 

 そんなことは置いといて、だ。

 A組のチーム四人も、これからのグニルックの試合に集中している。

 一つに重なる闘志が、会場を熱くさせる。

 先行は、B組のメアリー・ホームズからであった。

 

 第一フェーズ――ショートレンジ、ターゲット4、ガードストーンなし。

 強がっているだけなのか、あるいは自信満々で恐れを知らないのか、堂々とした足取りで一直線にシューティングゾーンに向かい、そしてロッドを構える。

 

「見てなさい!あたしの完璧なショットで、あんたたちA組との実力の差を思い知らせてやるわ!」

 

 そう言い終わる前に、ロッドを精一杯引いて、そして魔力を込めてブリッドに叩きこむ。

 緩やかな弧を描いて、真っ直ぐにブリッドはターゲットパネルの中央へと飛んでいく。そしてメアリーの狙い通り、パネルの全てを打ち落とすことができる、パネルの交差点を射抜くことに成功、一撃でパーフェクトショットを決めた。

 初回から見事なショットに、いきなり会場が沸いた。

 シューティングゾーンから引き返してくる彼女は、これでもかというくらいのドヤ顔を清隆たちに見せつけ、チームの下へと帰っていった。

 

「メアリーの奴もなかなか破天荒な性格だけど、やっぱり実力者なのは変わりないな……」

 

 彼女の正確なショットをまじまじと見た清隆が、真剣にそう言う。

 そこにサラが続いた。

 

「だったらこちらも最初からパーフェクトを目指すだけです。できるだけ向こうに流れを与えないようにしましょう」

 

「そうだね。それじゃ、最初は僕だから、負けないように頑張るよ」

 

 そう言ってエトはシューティングゾーンに立つ。

 生徒会長の弟、それだけで注目度は十分高く、期待も大きい。

 エトは、相手のチームを仕切っているクラスマスター、姉であるシャルルを一瞥して、再び集中する。

 

「お姉ちゃん、見てて。僕は、僕を助けてくれたお兄さんやリッカさん、ジルさんのために、そして、僕が病気でベッドに寝たきりになってた時、いつも看病してくれてたお姉ちゃんのために、僕はここまで成長できたんだって、そう伝えるために――」

 

 

 ――この一球を、捧げます。

 

 

 次の瞬間、魔力の込められたブリッドが、流れ星のように競技場を翔けた。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 試合は終了した。

 結果は、エトたちA組の勝利となった。

 実際のところ、決して大差で勝利したわけではなく、A組としてもかなり知能戦を強いられ、割と苦戦していたのだ。恐らく、そう言ったことを考えていたのは、B組を纏めているシャルルだろうが。それに、一人だけ、清隆はそこまで苦戦したようには感じなかったようで、勝利したことには次に繋げればいいと楽観的だった。

 

「納得いかないわ~!」

 

「まぁまぁ、現実は受け入れないと……」

 

 遠くでメアリーが悔しさのあまりに地団駄を踏んで、それをエドワードが宥めている。

 大体こんな関係なのだろう。鉄砲玉の如く突っ走るメアリーに対し、エドワードがブレーキをかけている――そんな感じか。

 

「そんなこと言ってる場合?もう後がないのよ。C組に負けたら罰ゲームなんだからね!」

 

「分かってるよ。次は頑張ろう」

 

 いつも似たようなやり取りをしているのだろうか、エドワードは上手くメアリーを扱っていた。

 その後、リッカが四人のところに戻ってきて、労いの言葉をかける。

 相変わらずC組に勝つ気が満々で、B組が負けたことでシャルルが悔しそうな顔をしていたのを、してやったりと言うような悪魔的な笑みで見ていた。

 その後、B組対C組の対戦が行われたが、この試合は実力差がはたらいてC組に軍配が上がると思われたが、少し前に敗北を喫したこともあり、次はないという状況から、背水の陣の下勝利への執着と粘りによって、最後の最後にB組が逆転して勝利してしまった。

 

 昼食をとるための時間、清隆たちが学食でランチタイムを終えたと同時に、向こうからメアリー・ホームズたちがやって来た。

 隣にはそのメアリーの監視役――ではなく友人の、エドワード・ワトスン。

 メアリーは、腰まで伸びた淡い桃色の髪を靡かせ、C組に勝利したその勢いでA組に負けたことなどとうの昔に忘れた、と言うか気にしていない素振りで清隆たちを見る。

 

「メアリー……」

 

「それに、エドワードくん……でしたっけ」

 

 清隆の呟きに、姫乃が続く。この二人、特に姫乃は彼らと直接話したことはない。

 エトは生徒会長の弟と言うだけでなく、B組のクラスマスターの弟と言うことで、何かと有名でB組との関わりも少しあった。

 

「ど~お?調子の方は?」

 

 やはり勝利した余韻に浸っているのか、あからさまに機嫌がいいのが分かるような、語尾の上がったような質問をするメアリー。

 清隆はその言葉に対して無難な返答を返す。悪くはない、と。

 

「それもそうね。なんたって、最強チームのあたしたちを負かしたチームなんだもんね。実力の二百五十パーセントってとこかしら」

 

「それはまた、奇跡が起きたとでも言いたそうな響きだね……」

 

 メアリーのトンデモ発言にエトが苦笑する。

 その後も少しだけ他愛ない会話を交わして、メアリーの激励を貰い、食堂を出る。

 その時、エトの視界に、きょろきょろと辺りを見て誰かを探しているような少女二人が入った。

 その少女たちがエトたちを見つけるなり、走って駆け付けてきた。

 

「あの、生徒会長の弟の、エト・マロースさん、ですよね?」

 

「えっと、どうしたの?」

 

「生徒会長が、お姉さんが、次の試合が始まる前に話しておきたいことがあるからって、呼んでました」

 

 姉がエトのことを呼んでいるという。

 恐らく、優勝のかかった闘いに挑む前に姉としてエールを送っておきたいのだろう。

 少女たちが付いて来いと言うので、彼女らに従うように後を追う。

 

「サラちゃんたちは先に行ってて!後ですぐに向うから!」

 

 振り向いて大きな声で彼女たちに呼びかけると、清隆たちも笑顔で送り出してくれた。

 彼女たちの向かうままに廊下を歩いていくと、とある部屋に案内された。中にいるというのでそのまま足を踏み入れた時――

 

 ――バタン!

 

 背後からの強烈な音と共に、扉を閉められたのだ。

 そして運悪く、この部屋は割と古いつくりらしく、電気が通っていない。すなわち、真っ暗で何も見えないのだ。

 

「ちょ――!開けて!誰か!」

 

 ドアを懸命に叩くも、物音一つしない。

 明らかに不自然なこの扉を簡単な魔法で解析したところ、割と強力な防音の魔法が施されていることに気が付いた。そして、これは彼女たちにここに連れてこられる前から施されていたこと。

 つまり、自分がこの部屋に閉じ込められるのは必然の出来事で、それを意図的に行った人物がいるはずだ。

 考えられるのは一人だけ。自分が閉じ込められ、A組の戦力が落ちることで得をする人物――

 

「イアン・セルウェイ……」

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 一方その頃、競技場では、エトがなかなか戻ってこないにも拘らず、定められた時間が来たことで次の試合が始められてしまう。

 A組は代理として耕助をチームに加えて試合に参加するのだが、どうにも肝っ玉の小さい耕助には、この突然の大きな舞台には相応しくないようで、大勢の観客に怯え、竦みあがっていた。

 

「くそ、エトの奴、何やってんだ……!」

 

 苛立ちのあまりに清隆が呟く。

 試合展開は最悪、何とかC組にしがみついてはいる物の、耕助のショットが、調子のいい時は上手く軌道を作れるのだが、調子の悪い時はとことんあらぬ場所へと飛ばしてしまうのだ。

 その結果、少しづつではあるが、点差は広がってしまう。

 サラも知恵を絞って最良の策を講じてはいるのだが、なかなか上手く行かず苦汁を飲まされ続けている。

 同様、清隆も姫乃も焦りから集中できず、ミスショットを偶に放ってしまう。

 リッカの思惑は正しかった。エトがチームメンバーの緩衝材となり、上手にそれぞれの個性を活かしながら融和してくれると。逆に言えば、彼がいなくなればそれぞれの個性がクッションなしにぶつかり合ってしまうのだ。ある意味でチームの精神安定剤、それがなくなって、全員が動揺してしまっている。新しく代理で参加した耕助では、力不足にも程があった。

 

「とにかく、今は点差がこれ以上広がらないように、ミスショットだけには注意しましょう。いつか勝機が見えてくるはずです」

 

 サラは、自分が言ったことが直接勝利へとつながるようなものではなく、ましてそれができるのならここまで苦労していない――希望的観測であるのを自分で理解していた。

 一刻も早く、エトが戻ってくるのをただ祈るばかりだった。

 そんな彼女たちの無様な姿を見て、下種な笑みを浮かべている、一人の御曹司がいた。

 

「これで、僕たちの勝ちは、揺るぎない」

 

 状況は、最悪である。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 開錠(アンロック)の魔法は通用しなかった。

 複雑な魔法で幾重にも固められているため、簡単な魔法で崩れるような代物ではないようだ。

 そして、そんな魔法が行使できるのは、才能だけは十分に持ち合わせている、イアン・セルウェイ。彼しか考えられなかった。

 

 シェルも、清隆たちには届いていないみたいだ。

 連絡手段はない。周囲に呼びかけることも不可能、おまけに、この学園の壁は、万が一のことも想定してか、魔法によって堅固にコーティングされていて、ちょっとやそっとじゃ破壊できないようになっている。

 鍵も開けられないこの状況で、誰かを待つというのは、大会の参加者であるエトにとって、悪手とも言えた。

 今すぐにでも、ここを抜けなければならない。

 

「なにか……ないかな」

 

 エトは、暗闇に慣れてきたところで目を凝らし、拳に握れる程度の太さと、ある程度の強度、そして長さを持つ棒きれが落ちていないかを探す。

 不幸中の幸いと言ったところか、ここはどうやら割と古い倉庫のような部屋だったらしく、あらゆるものが棚に積まれたり壁に立てかけられたりしているみたいだ。

 転倒しないように、壁に手をついて、足元は慎重に小股ですり足で移動しながら、物品を物色していく。

 ふと、手元に丁度良い感覚のものが触れたような気がした。

 手繰り寄せるようにしてそれを握ると、なかなか感触がいい。

 慣れた目で確認してみると、それはどうやら剣の用だった。鞘から抜き放つと、暗がりでもある程度の光の反射を起こす。刃は偽物で、レプリカではあるが、何かしらのマジックアイテムなのかもしれない。

 

「これなら、何とかなるかな」

 

 そう呟きながら、エトは扉の前に戻る。

 抜き放った剣を右手に握り締め、左足を前にして腰を落とす。

 瞳を閉じて、自分の身体中を廻る魔力を、右の拳に握る剣に流し込むようなイメージ。

 剣を、その切っ先が扉に向くように、刺突の構えをつくり、魔力を練り上げていく。

 構えの基となったのは、自分の師匠であるクー・フーリンの、槍の構えの一つ。エトが握っているのは剣だが、ある程度の応用は効かせてある。

 

「こんな――感じかな」

 

 大分魔力が練りあがってきたところで、次は術式魔法を展開していく。

 物質の強度を底上げする術式――自分の筋力を可能な限り強化する術式――魔力を増幅させる術式――。

 全てを完成させたところで、カッと眼を見開き――

 

「たぁぁぁあああああああ!!」

 

 バネのようなしなやかさで地を蹴り、一歩で三メートルの幅を縮め、腰を捻って、全身のエネルギーを右手の剣に集中させて、一気に刺突を放つ。

 扉と衝突した瞬間に、強烈な金属音が耳を貫き、大きな火花の閃光が瞳を焦がす。

 次に耳にしたのは豪快な破砕音だった。

 自分の身体は勢いのまま扉の外に投げ出されるが、美味くステップを踏んで上手に着地する。

 

 ――脱出は成功した。

 

 時刻を確認すると、既に試合は始まっていた。

 急いで清隆たちと合流しないと、大変な事になっているかもしれない。

 胸の中に渦巻く不安と焦りを抑え込んで、エトは剣を捨てて廊下を全速力で走った。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「みんな、遅くなってごめん!」

 

「エト……!」

 

 息を切らしながら競技場に到着したエトは、みんなの苦し紛れな笑顔に迎え入れられる。

 試合展開は最悪である。エトは点数の差を把握して、表情を引き締めた。

 

「悪い、エト……。俺がしくじっちまったばかりにこんなことに……」

 

 耕助にしては珍しく真剣に落ち込んでいるようだったが、そんな彼を元気づけて、バトンタッチをする。

 彼を含めたチーム全員に声援で背中を押されて、シューティングゾーンへと向かった。

 その時、あの男の顔が視界に入る。

 イアン・セルウェイの表情は、驚きに満ちているようだった。しかし、そんなことは知ったことではない。

 

 第六フェーズ――ロングレンジ、ターゲット4、ガードストーン2。

 設置されたガードストーンは、S3のFとG――すなわちロングレンジコートの中間距離より手前の中央に、幅は狭いが身長の高いビショップが二つ。

 エトはこれを易々と回避し、見事に一撃の下に四枚全てのパネルを落とすことに成功した。

 歓声の中、シューティングゾーンを降りると、入れ違いにイアンが登場しようとこちらに来ていた。

 

「僕を閉じ込めるのは失敗だったね」

 

「……何の話だい?」

 

 敢えて白を切るつもりのようだ。しかしエトとしても、別に彼をここで咎めるつもりなど毛頭ない。

 

「僕たちのチームは、残念ながらエースは僕じゃなくて清隆なんだから」

 

 その言葉に、イアンは小さく舌打ちをした。

 そしてそのまま、エトの登場で場の流れが変わったのか、C組のミスショットが目立つようになる。

 最終フェーズで、エトの言葉通り、清隆のショットで逆転勝利が決まり、大会において、A組の優勝が決定したのだった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 一方で、ロンドン郊外。

 とある広い通りに、クーたちはいた。

 

「ったく、こんな時に頑張ったりしなくてもよ……」

 

「むしろ、こんな時だから、ではないでしょうか?」

 

 悪態をつくクーに対し、アルトリアが真剣な面持ちで考察する。

 ロンドンの地下でグニルックの大会が行われている間に、地上では大きなテロが起きようとしていたのだ。それを王室の未来予知能力をもつ魔法使いが事前に察知し、エリザベスがクーたち『八本槍』を送り出したのだ。

 恐らくは、人の多くなる時期を見計らって、女王陛下の身柄を拘束するか、もしくは暗殺を謀るか――いずれにせよ、事前に阻止できたのは大きなことである。

 人払いが行われた大通りでは、既に戦闘は始まっていた。クーたちが現れた時には、既に他の『八本槍』のメンバーが二人駆けつけて事に対応していたのだ。

 内一人が、現在視界内で大人数のテロ組織相手に一人で大立ち回りをしている。

 どこかで見たことがあるようなその背中をした男は、両手に色違いの双剣を握り、時には投げつけて爆砕させ、時には凶器を手に襲い掛かってくる連中を迎撃している。

 

「――現像(トレース)――開始(オン)

 

 彼の呟きと共に、紅い外套を纏った男の両手に、先程と同じ、白と黒の西洋の双剣を現出した。

 

「では、私もそろそろ加勢します。あなたは、右側の戦闘の援護に回ってください」

 

 そう言うなり、アルトリアも薄い霧の中でも煌めいている、伝説の剣を模した聖剣、エクスカリバーを両手に構え、男の方に駆けていった。

 クーも面倒臭いながら、アルトリアの指示に従って指定の位置へと向かう。

 そこにいたのは、いつも彼に難癖をつけてくる老人、アデル・アレクサンダーと、もう一人――

 黄金の鎧を身に纏い、街頭の上から、その冷ややかな赤い瞳で地上を見下し、その背後には同じく黄金色に揺らめく巨大なカーテン、そしてそのカーテンに生み出される無数の波紋の、それぞれ中心から煌びやかな装飾が施された、ありとあらゆる剣戟が姿を現し、豪雨のようにテロ組織の人間へと、弾丸のように降り注いでいた。

 

「こ、こいつは……」

 

 あまりの光景に驚愕するクー。

 こちらを振り返ったアデルの口元は、嘲笑に歪められていた。

 

 ――これが、陛下を守る力だ。

 

 重罪人とは言え、容赦なく惨殺していく黄金の青年の主は、その行為に、何の躊躇も抱いていなかった。

 剣呑な雰囲気ながらも、事件は収束を迎える。

 紅き槍の男は、妙な胸騒ぎを抱えながら、現場を後にしたのだった。

 

 

 

 ――そして、時は満ち、霧が世界を支配する。

 

 

 

 めくるめく繰り返される夢の世界へと、物語は飲み込まれていく。

 終わりなき始まりを告げる、始まりの物語。




五次アーチャーっぽい人の台詞は仕様です。詳しいことは作中で語ろうとは思いますが念のため。そもそも別人です。実は以前に登場しています。全然別人みたいになってるけど。
次章からいよいよ風見鶏本編へと突入!
ようやくクーたちの出番が回って来たぜ!
プロットともう一度睨めっこしなおすためもしかしたら一週間が間に合わないかもしれません……
ゆっくり書いていこうと思いますー。


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その紅蓮は愛の証
『八本槍』


『八本槍』のメンバーの簡単な紹介。
とは言っても本編の話の中核には拘らないメンバーも多いのであくまで形だけ。


 ここはロンドン市内のとある大きなホテルの大会議室である。

 白を基調とした部屋で、絨毯や壁の大理石が誰の目から見ても、それが豪華で高価なものであると判断することができるものであった。その白さに輝きを与える証明は、とても高い天井から釣り下がっている三つの大きなシャンデリアで、これまた大層高い金を払って取り入れたであろう代物である。

 大会議室の中央には円形にテーブルが並べられており、そこには魔法従事者であり、かなり高い権威と階級を持つ、所謂魔法側の政治家たちが並んで座っていた。そして、部屋の最も奥に座っているのは、イギリス女王陛下、エリザベスである。彼女の両脇を固めるように、左側に三人、右側に四人の『八本槍』が集結していた。

 そう、今ここで議論されているのは、『八本槍』を総動員する程の懸案事項なのである。

 

「それでは杉並くん、説明をお願いします」

 

 エリザベスの指示に、杉並と呼ばれた東洋人の顔立ちをした、どこか胡散臭そうな男が彼女の斜め後ろの位置から一歩前に出て、事の次第の説明を始める。

 杉並が述べるには、今回の事件の鍵となるのは、この『霧の街』の異名を持つこのロンドンの、霧であるということである。

 

 時期で言うと、正確に発動時間を突き止めることはできなかかったが、恐らくは十一月上旬であると推定される。そもそもロンドンは霧が発生しやすい地域ではあるが、最近の霧は例年と比べて、気象から考えてもおかしいくらいの濃霧であると言われている。それだけなら特に魔法に関するトップたちが集まるほどの話ではないのだが、今回注目しているこの霧が、何かしらの魔法によって生成されている可能性があるとのことである。

 ただし、発動した魔法に関しての一切は不明であり、この霧がどう言った影響を及ぼすのか、人々に害はあるのか、術者は誰なのか、対策方法にどのようなものがあるのかなど、ありとあらゆる問題が不明点となっている。

 そして今回、その正体不明の霧がロンドン中を覆っているため、大規模な被害を受ける前に、ここに魔法の権威者たちを集めて状況を説明し、それぞれが今回発動した魔法の正体を突き詰め、解決策を見出してほしい、とのことである。

 

 杉並が一通りの説明を終えた後、エリザベスに何かを言われるわけでもなく、同じ距離で一歩下がって元の位置へと戻る。

 同時に話を聞いていた魔法使いたちもあれこれと考え始める。キーワードとなる霧、そして広範囲の魔法であること、この二つのファクターでどこまで絞り込めるかを彼らなりに思考しているところなのだろう。

 そして、辺りが騒めきから静まり返った時を見計らって、エリザベスが口を開く。

 

「この問題に関しては、今のところは指して大きな影響を与える訳でもなさそうなので、王立ロンドン魔法学園の生徒たちにも、≪女王の鐘≫を通して調査に当たってもらうことにします。皆さんには、各自それぞれの専門分野の観点からこの霧の正体を暴いてもらいたいのです。是非とも、ご協力よろしくお願いします」

 

 クー・フーリンは、エリザベスのことを、彼女が女王陛下に即位する前から知っている。どちらかと言うと、仲のいい部類ではなかったが、リッカやジルたちが親友として関係を築いていたので印象深くはあった。

 その印象として刻み付けられた彼女の穏やかさはどこかに隠れ、今の彼女は、まさしく女王陛下らしい、真剣みを帯びた凛々しい表情をしていた。一国の長であるという責任の重さを理解し、何事に対しても全力を尽くさんとする情熱の強さの表れだった。

 

 そんな厳格な雰囲気で会議は進められていたにも関わらず、クー本人は至ってはエリザベスとは真逆で無関心で、しまいには欠伸を漏らす程の怠惰な態度であった。

 この事を指摘されたのは会議を終えて、ある程度の自由時間となった時、同じ『八本槍』の騎士王こと、アルトリア・パーシーからであった。

 

「全くあなたと言う方は。他の方々もお集まりになる会議だったのだから、せめて今回くらいは真面目に話を聞いても良かったものを……」

 

 今回は流石に無礼を見過ごせなかったのだろう、『八本槍』随一の生真面目体質であるアルトリアは呆れたような口調で、だらりと足を伸ばして寛いでいるクーに対して言い放った。

 面倒臭いのがやって来た、とでも言わんばかりに嫌そうな表情でそっぽを向きながら、クーも口を開いた。

 

「大切なことは陛下がおっしゃった。『今のところは指して影響力は低い』ってな。つまるところ出番ナシ。それに俺様の主な仕事は風見鶏内での警備だ。地上はほとんど管轄外だよ」

 

「そういう風に返されるとは思ってました」

 

 もはや諦めた、と苦笑いを浮かべて、青を基調としたドレスのスカートを靡かせて、金髪の騎士王はどこかへと去ってしまった。

 コーヒーでも飲みに行こうかと逡巡していると、再び自分の周りに誰かが近づいてきたのを感じた。

 そちらに視線を向けると、今年のグニルックのクラスマッチ大会の時に起きたテロの鎮圧の際に、前線で剣を振るっていた、赤い外套を羽織った男であった。

 

「テメェとは初めましてだよな」

 

『八本槍』の称号からはもちろんのこと、彼から感じられるオーラのようなものから、彼がとんでもない実力を持っている男だというのは簡単に把握できた。

 

「残念だが俺からしたら久しぶりだな、になるんだがな、これが」

 

 その男の言葉は、先程の騎士王が見せた呆れの表情と共に飛んできた。

 クーがどこで会ったか記憶を穿り返しているところに、その男は再び口を開いた。

 

「無理もないだろうがな。あれからもう百年近くは経っている。あんたの胸にはしっかりとこの名が胸に刻み付けられているはずだ」

 

 その言葉に、クーは反応した。

 確かに自分の人生の中で、リッカやジルと歩んできた旅路の中で、自分が面白いと思った男が、一人だけいた。

 当時、今ここで殺すのが惜しいと思った存在、類稀なる剣術を持ったその男の名は。

 

「ジェームス・フォーンだ。あんたの忠告通りに、俺はプラスアルファって奴を自分で見つけてみた。あんたが英雄になるなら、俺は正義の味方になるとな」

 

「それは大層長く険しく報われない道を選んだことだな」

 

 かつて挑戦状まで送り込んで、刃を交わしたその男は、その当時の彼とは違う、大きなものを背負っていた。

 魔法の影響か、髪は白くなり、皮膚は変色して褐色に焦げていた。それだけ自らにかなりの負担をかける大魔法をかけたのだろう。それこそ、世界と契約するレベルの――

 

「あんたに勝つには、あんた以上のものを背負う必要があった。だからこそ俺は、一人でも多くの人間を死から救うために、異世界で救世の研鑽をしてきた。死と争いの蔓延る世界でな」

 

 正義の味方――愚かなる理想の体現者。彼の幼稚な理念がどれ程のものか、クーは瞬き一つせずにジェームスを睨みつけた。

 

「ある男に会ったよ。俺と同じ、などと言ったらその男が憤慨するだろうが、同じように正義の味方を志した男とな。俺よりも何歩も先を歩く男だった。だからこそ、彼は理想を追い求めた先にあるものを理解していた」

 

「あーもういいもういい分かった分かった。そういう話は心の中に美談として仕舞っとけ。俺はテメェの昔話にゃ何の興味もねーよ。俺にとって重要なのは、今のテメェが強いか弱いか、それだけだ」

 

 他人の過去語りほど気分が白けるものはない。それが、クー・フーリンという男である。過去はあくまで過去、本当にこの目で仕方見るべきは、現在目の前にいるそいつ。

 例え目の前の皮肉な面構えをした正義の味方さんが過去にどれだけ人を助け、そのために人を殺めようと、どんな人と出会おうと知ったことではない。

 だがしかし、実際に以前に戦った相手が、その戦いを切っ掛けに大きく成長してくれていたのは感心に値することだったようだ。

 

「それもそうだな。俺が会ってきた『錬鉄の英雄』の生き様は、また機会のある時に俺の剣で語って見せよう」

 

「今以外ならいつでも来い。次の相対で無様な負け姿を他の『八本槍』に拝ませてやる」

 

「ふっ。やれるものならやってみるがいい」

 

 控えめにも、獰猛な笑みを浮かべたその男は、満足そうに会議室から去った。

 ふと周囲を見渡すと、今この部屋にいるのは、女王陛下であるところのエリザベス、そしてその側近、杉並、そして彼女たちから少し離れたところにいるアデル・アレクサンダー。例の黄金の戦士はここにはいないようだ。彼が何者なのかは今の時点ではクーも理解できていない。直感で、危険な奴であることは把握していた。

 部屋の隅の方に椅子を用意し、切れ味のよさそうな太刀の刃をシャンデリアの明かりに煌めかせながら布のようなもので磨いている、日本の侍のような格好をしたような男が視界に入る。

 彼も、クーにとっては初対面の男であり、知っているのは彼の偽名だけだ。

 自称、佐々木小次郎。日本において、宮本武蔵との巌流島での決闘で知られてはいるものの、当然彼本人ではない。彼がそう名乗っているのは、同じく自称、『燕返し』という剣技を習得するに至った二人目の人間だから、らしい。

『燕返し』とは、魔力を使わずに、全く同時に三つの斬撃を繰り出すという、神業染みた攻撃ではある、が、詳細は不明である。

 日本人ではあるらしいが、何故ロンドンにいて、『八本槍』としてここにいるのか、その経歴はほとんど不明である。

 そしてもう一人。黒衣のローブを身に纏い、同じく黒のフードを被って目元まで隠し、素顔が見えなくなっている女性。

 彼女こそが現代において最高レベルの魔法使いであり、このレベルの才能を持ち合わせる魔法使いは二人と現れないだろうと言われている魔法使いの頂点、カテゴリー5のトップ。あの孤高のカトレアですら足下に及ばないとされている。

 リッカ曰く、『正体隠していけ好かない女だけど、魔法使いとしては尊敬し畏怖するに値する人』だそうだ。

 

「あれが、唯一リッカが尊敬する魔法使い、ねぇ……」

 

 クーは、彼女とは以前に対面し、軽く会話を交わしたことがある。が、何故か話が噛み合わなかったのをよく覚えている。

 最早彼女は自分の世界観を最重要視しており、そこから一歩でも外に出ようとしない。能力を鼻にかけている、訳ではなさそうなのだが、やはり天才というものは思考回路の構造が違うのだろう。

『八本槍』に任命された切欠であるが、どうやら彼女は、魔法使いの老化抑制の魔法によって、既に三百年近く生きているらしく、魔法使いではない者でも彼女の存在を知る者は少なくなく、その情報によって、魔女狩りの残党によって殺されかけ逃げ延びてきたところを杉並に救われたのだという。

 その恰好だけでも十分に胡散臭いのに、杉並が経歴に絡んでいる時点でもっと胡散臭い人物であった。

 先程も説明したように、魔法に関しては究極のスペシャリストであり、彼女の作成するマジックアイテムは、魔法使いの貴族の間で高値でやり取りされている。

 三百年の歳月の中で得た技術で作成しているため割と古風なアイテムではあるが、それは現代のマジックアイテムの量産物とは比べ物にならない程の質である。

 また、彼女自身も多くの禁じられた魔法、即ち禁呪を開発してしまったことも多々あるため、彼女をよく知る者は彼女を『歩く禁呪(フォビドゥン・ゴブレット)』などと言う大層な異名を持つ。

 そんな彼女、最近にはなるが、意中の人がいるという噂が魔法使いの間で伝播している。

 

「まぁ、一人しかいないだろうけど」

 

 ぼそりと呟いて、クーは女王陛下の傍にいる東洋人に視線を向けた。

 相変わらず真剣に何かを話してはいるが、ここからは聞き取れない。

 その時、クーのシェル(魔法使いの使用する通信アイテムであり、貝殻のような形を模していることからこう呼ばれている。使用方法は以前説明した通り、通話とテキスト送受信であり、基本的には魔力が空気中に充満しているロンドンの地下、風見鶏の中でのみの使用が想定されたものだが、地上でも一部では使用可能である)にテキスト通知の知らせが入った。

 懐から取り出して内容を確認すると、数刻前に呆れ顔でクーの下を去ったアルトリアからの連絡で、少し来てほしいとのことである。

 

「ったく、何の用だよ」

 

 具体的な要件は書かれてはいないが、真面目な彼女のお誘いを断ると後々面倒なことになるのは重々承知している。彼女のシェルにすぐ向かうと連絡を返してホテルから出た。

 ホテルの外には、駐車場にタクシーが数台、そして高級車もまた数台駐車されていた。この高級車の内一台が女王陛下の乗るものであり、その車には専属の運転手がいる。

 女王陛下が来るのを待っているのか、車を降りてドアの前に立っていた。

 生まれながらにして、先天性の禁呪である『魔眼』を所有しており、これを抑えるためにマジックアイテムであるところのバイザーのようなものを常に装着している。

 薄紫色の美しい長髪を持ち、長身で大人びたスタイルが魅力的でかつ官能的である。そのしなやかな身体から繰り出されるしなやかな動作が特徴で、いつ敵に奇襲されても女王陛下を守りながら逃走できる器用さを持つ。視界は完全に絶やしているため、周囲の音や臭い、そして魔力探知によって周囲のものの動きを把握している。

 また、乗り物であれば、騎馬から航空機まで何でも乗りこなし、更にそれがどれだけ破損していても、本来の性能が少しでも生きていれば大破させることなく安全な運転ができる技能を持つ『八本槍』の一人。

 残念だがその技術を身をもって味わうことができるのは女王陛下一人のみで、もし体験できるとしたら、例えば、彼女の乗る航空機がハイジャックされ、都合悪くパイロットが殺されて航空機を制御できなくなった時に彼女が代わりのパイロットを務める、そんな状況に一緒に巻き込まれる、くらいは必要だろうか。

 その『魔眼』が由来して、彼女の蔑称は、メドゥーサ。この名は主に魔女狩りの連中に呼ばれていたそうだ。

 実際にどのような人物なのか、クーはよく知らない。基本的に口数が少なく、常にポーカーフェイスである印象が強い。

 そんな彼女とすれ違い、視線が一瞬会った時、彼女に軽く一礼される。どうやら礼儀作法はしっかりしているらしい。

 タクシーに乗り込んで行き先を伝える。

 エンジンは切っていたようで、了承の意を返した運転手がエンジンを入れる――はずだったのだが、どうやらつかないらしく軽く慌てている。

 運転手が一度外に出て確認したところ、故障してしまったそうだ。

 

「故障しにくいような作りになっているんですけどねぇ……」

 

 小太りの運転手は頭をぽりぽりと書きながら呟いた。

 言うまでもなくこの男、クー・フーリンは『八本槍』の中で最も運の悪い男なのだ。

 そんなことも知らない彼は、他のタクシーが既に乗車されて空きがないのに呆れ、仕方なく徒歩で目的地に向かうことになったのだった。

 ここでふと気が付く。

 

「そう言えば、『八本槍』なんていいながら、七人しかいなかったよなぁ……」

 

 クー自身を含め、アルトリア・パーシー、ジェームス・フォーン、アデル・アレクサンダー、自称佐々木小次郎、『歩く禁呪』、そして先程の運転手、これだけでは七人しかいない。

 しかし『八本槍』という名称がついているのだからやはり八人いるのが通りだろう。そして先程の会議では全員集結していたはずだ。

 だとしたらあと一人は――

 クーの脳裏に胡散臭い笑みを浮かべる男が過ぎるがすぐに打ち消す。

 

「それはない。そんな理不尽なことがあってたまるか」

 

 特にその男を深く知るつもりはないのに、何故か腹立たしくなってしまった。

 とにかく騎士王様のご機嫌をとるためにいち早く目的地に向かわなければならない。クーはできるだけ気配を殺しながら昼下がりの街の、建物の屋根の上を飛び跳ねながら駆けて行った。




最近色々と忙しいこともあってただでさえ週一の更新と遅いのに更に遅くなることがありますが、よろしくお願いします。


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桜、さくら、小さな花は

原作に突入してからというもの、どうもコメディ分が不足しているような気がしないでもない。というかコメディなシーン描写って意外と難しい。今までシリアス調で書いてたからかなぁ?


 

 今、風見鶏の生徒会室兼学園長室にて、桜の木の枝を握った、金髪ショートヘアの少女が、同じく金髪の、腰まで綺麗に伸びているロングヘアを持ったカテゴリー5の制服の裾を掴んで、その背中に隠れながら、真紅の瞳と、深みのある青の髪を持った、通称『アイルランドの英雄』にして風見鶏のアニキ、そして『八本槍』の一人でもある槍使い、クー・フーリンを、半分好奇心、もう半分は恐怖心を抱えて見つめていた。

 片や十代ににも満たないくらいの幼い背丈の少女と、片や身長も高く、強壮な肉体を持った戦士である。その気になれば、少女の身体なぞ、一捻りで潰してしまうだろう。

 

「とは言っても、ここまで露骨に怖がられるとなァ」

 

 椅子に腰をかけながら、リッカの腰に隠れる少女を眺めてどうしようもなく呟く。

 クーの気持ちを察してか、同席していたジルがクーの隣に立って苦笑いする。

 クーにしても、別に子供に好かれたいわけでも、この少女に特別な思い入れがあるわけでもないが、何となくこの少女にこういう態度を取られると気まずい気がしてならないのだ。その容姿がどことなくリッカに似ていることも理由にあるのかもしれない。

 クーがアルトリアの用事――パーシー家の所有する大きな図書館の書籍の整理を終えた後(建前は例の霧の魔法に関する資料の捜索だが、結局は雑用の一部を押し付けられたに過ぎない)、風見鶏に戻ってみると、例の少女がいたのだ。

 どうやらクーが地上でエリザベスを中心に会議を進めていた時、リッカが、彼女の受け持つクラスの生徒である葛木清隆を連れ出してお遣いをしていたところに遭遇したようだ。

 リッカの話によると、どうやら記憶喪失なようで、自分が何者なのか、どこから来たのか、さっぱり思い出せないと言う。唯一の手がかりは、その手に握った一本の桜の木の枝で、とりあえずはこの少女を便宜上、この桜にあやかって、さくら、と呼ぶことにしたのだ。

 

「ちょっと強引にでも行ってみるとするか」

 

 のっそりと立ち上がったクーは、おもむろにリッカの方に歩み寄るや否や、腰から顔を半分だけ出しているさくらの腕を掴んで引っ張る。

 あまりに唐突な事だったのでリッカも反応できなかった。と言うより、する気がなかったのかもしれない。リッカは、クーがなんだかんだで面倒見がいいことを、エトの前例もあったことでよく知っている。

 

「にゃにゃにゃっ!?」

 

 突然引っ張られたさくらは驚きの声を上げながらなすがままにされ、バランスを崩す。

 倒れかけたところを、足を掬われて宙に掲げ挙げられる。そしてそのまま体勢を立て直させて、さくらの両足がクーの首を挟む様な格好となった。所謂肩車と言うやつである。

 

「クーさんすごーい」

 

 一瞬のうちにひょいとさくらを肩車するクーを見て、ジルはふと感嘆の声を上げる。

 一方リッカは両手を腰に当てて、どこか満足そうに微笑んでいた。

 さくらは自分が何をされたのかようやく理解したようで、いつもより高い視線であることに目を見開いて爛々と輝かせた。

 

「うわー、高いたかーい!」

 

 見た目通りの、幼い子供が見せる無邪気な反応に、リッカの心がほっこりする。

 リッカにとっても、彼女が何だかただの他人とは思えなかったのだ。だからエリザベス学園長に一旦シェルで話を通して、風見鶏で保護することに許可を貰ってある。

 エリザベスから下される勅令、≪女王の鐘≫による依頼に、葛木清隆を助手として傍において地上に出た時に、ウエストミンスター宮殿前で見つけた小柄な少女。髪の色も、瞳の色も同じで、どこか運命めいたものを感じさせた。その時にどのような会話をしたのかは、今でもはっきりと、復唱できるくらいに覚えている。

 そんな彼女と同じくらいにリッカとジルが注目したのは、彼女を便宜上、さくらと呼ぶことになったその由来である桜の枝、これが、タダモノではないことが一目で分かった。

 どれくらいの大きさの木からできた枝なのかは分からないが、いずれにせよその枝がどこからか養分やエネルギーを吸収しているわけでもない。にも拘らず、その可憐な薄紅色の花弁は、一枚たりとも散ることなく、その枝に強く結ばれているのだ。

 そう、ここに、リッカとジルの追い求める理想の一つ、永遠に枯れない花を咲かせる、その完成系が転がり込んできたのだ。

 もしかすれば、二人の研究もこれを機に一気に完成へと歩を進めることができるかもしれないと、そう思った。

 

「ねぇねぇ、さっきのキヨタカって子は?」

 

 どうやら、この金髪ショートヘアの少女、さくらは清隆に興味と関心を抱いているらしい。少なくとも、彼女が記憶を失ってからというもの、最初に出会った少年だったのだから。

 さくらとジルが、何やら楽しそうに雑談をしている。

 さくらの記憶喪失については、さくら自身もあまり悲観的にはなっておらず、自分が記憶を取り戻すまでのんびり生活するなど、子供の容姿ながらにどこか大人びて、それでいて余裕のある発言をするのもまた、不思議なところではあったものだ。

 とりあえずは、今のところ、この少女の身元の特定のための手掛かりは、不思議な桜の枝だけであり、調査の進展も望めないので、しばらくの間は清隆にも協力をしてもらい、さくらのメンタルケアも兼ねて、彼にはさくらの遊び相手になってもらおうと思っている。

 桜の枝は学園側で保管、一般生徒の手の届かないように厳重なセキュリティを用意した上で、他の魔法に影響、干渉されないような結界も展開してある。

 しばらくはこの桜の枝も研究の素材に使えそうにはないが、彼女の問題を、時間が解決していった時に、チャンスは巡ってくるだろう、そうカテゴリー5の孤高のカトレアは考えた。

 その時、ふと、リッカの耳に、鐘の音が聞こえてきた。カーン、カーン、と響く、心地よい音色。

 

「あ、≪女王の鐘≫だわ。一日に二回なんて、私もついてないわね、ホント」

 

「私とリッカは学園長の親友だし、それにカテゴリー5の称号で信用もあって、なおかつ『八本槍』の人と比べたらフットワークも軽いんだから、仕方ないことだよ」

 

 でも無理はしないようにね、と付け加えてリッカを宥めるのはジルだった。

 先程からの≪女王の鐘≫とは、ここ風見鶏において、魔法を学ぶ生徒全員が、女王陛下であるエリザベスの依頼を承るシステムである。

 事件のレベルに応じて、学年ごと、そして一学年全体か一クラスか、担当となった生徒とそのクラスのクラスマスターだけが、その鐘の音色を聞き取ることができる。

 具体的に解決するべき事件は、地上の表立った舞台である警察組織が解決できないような、主に魔法関連の事件を担当することが圧倒的に多い。地上の見回りから魔法犯罪者の取り締まりまで、幅は広い。

 また、この≪女王の鐘≫は、リッカのような実力の高い魔法使いは、一人でその依頼を受けることがある。こう言った場合は割と国家にとって大きな出来事であることが多く、重要な書類やマジックアイテムの運搬や特定人物の護衛、重犯罪者の確保など、普通の生徒では手も足も出ないような依頼を任される。

 そのような依頼を多い月はほぼ毎日出動しているにも拘わらず、疲れた顔を公では決して見せないところが、リッカの魅力の一つなのかもしれない。

 もっとも、ここにいるクーとジル相手は別である。

 

「それじゃ、私はちょっと行ってくるから、さくらの世話、よろしくねー」

 

「はい、任されましたっ!」

 

 気合いをを入れて学園長室から飛び出していくリッカに、警察の真似事のように敬礼をしてリッカを送り出すジル。

 さくらは既にクーの肩から下ろされてはいるが、下から見るとやはり少し怖いらしく、ひょこひょことジルの傍について軽い警戒の目でクーを眺めている。半信半疑、と言ったところだろうか。

 

「大丈夫だよー。クーさんはとっても強くて優しい人だから」

 

「おいそこのテメェいくらなんでもそれは美化しすぎじゃねーか?イメージ崩れた時の幻滅のダメージは大きいぞ」

 

「そんなこと言ってもその証拠にみんなにはアニキって慕われてるし、エトくんの世話もよく見てあげてるし、さくらちゃんに対しても真剣だよね」

 

 クーにとってそれも事実であったため、反論しようと開いた口は勢いをつける間もなくゆっくりと閉ざされてしまった。

 もしかしなくても、かつては毎日がサバイバル生活だった長旅の時と比べて随分平和ボケしてしまっていることを自覚する。

 

「ったく、ここの空気はホント駄目だわ、俺。騎士王様は口うるさいし、今度またジェームスの野郎の力試しに付き合ってやるかな。でも殺しちまったら面倒なことになりそうだなぁ……」

 

 平和な学園の一室で物騒にも程があることを呟き始めるクー。見た目十代にも満たないような見た目をしている少女もいるのだから、言動くらい気を遣ってほしいものだ。

 実際ジルはそう思ったらしく、相変わらずの平和主義の彼女はむっとした表情でクーを睨む。

 

「駄目だよ。クーさんの生き方を否定するわけじゃないけど、そういうことは自重してほしいな」

 

 話し終えて、ぷりぷりと起こった表情は、ふと不安そうな、心配そうな表情へと変わる。

 クーは相変わらずジルのこの顔に弱い。自分のスタイルを変えるつもりは毛頭ないが、それでも長年旅を共にしてきた仲間の女に泣かれるのは、気まずいものがあった。その後のリッカの粛清も恐ろしい。カテゴリー5の名は伊達ではないらしく、リッカの魔法を阻止・回避するのは、できないことはないが至難の業なのだ。

 

「分かったからその今にも泣きそうな顔は止めろ。いい加減鬱陶しい」

 

「……うん」

 

 ジルはしゅんとしながらも、ほっと胸を撫で下ろすように表情を和らげる。

 面倒事は苦手だと頭を掻きながら、ジルたちに背を向けて、クーは学園長室を出ていってしまった。

 残されたジルとさくら。さくらは呆けながらクーの背中を視線で追っているジルを見上げる。

 

「ジルは――」

 

「ん?」

 

 名前を呼んで、途中で言葉を切ったさくらを、何事かと見下ろす。何か言いたそうな口ぶり。きっと自分の心でも見透かそうとでもしているのだろう、小さい体ながら、ところどころで感じさせるその大人びた表情、その、もしかしたら今までに色々なことを観測してきたその瞳で、ジル自身を観測しようとしているのかもしれない。

 

「どうしたの?」

 

「ジルは――違うか、ジルとリッカは、どっちもあのクーって人のことが好きなんだね」

 

 さくらは慧眼だった。

 たった数刻の会話と言動だけで、ジルの心を把握した。リッカのことは、今ここにいるわけではないのでその正否を確かめることはできないが、少なくとも、ここにいるジル自身は、自分がクーのことを好いていることを理解していた。

 

「うん、そうだよ。さくらちゃんもきっと、いつかそういう人ができるかもね。それとも、もしかしたらもういるのかもしれないね」

 

「そう……かな?」

 

 思い出せない思い出を思い出そうとしながら、さくらははにかむ。

 もし自分に好きな人がいたとしたら、それはどんな人なのだろう、自分はその人と、どういう日常を歩んでいくのだろう――歩んできたのだろう。

 その時、真っ白に染め上げられた思い出にノイズが走る。その白い風景の中に、人影一つ。

 こみ上がってくる懐かしさは、いつのものだったろう。顔も名前も分からないその人は、きっとさくらに微笑みかけてくれていた。

 

「きっとボクは、幸せな日々を送っていたんだろうね……」

 

「何か思い出せた!?」

 

 ジルにとっては、唐突にさくらの口から零れた過去の記憶。

 クーもリッカもいないところで思いがけない重要なことを聞きだせるかもしれないと、ジルは慌てた。

 

「いや、多分――何となく、かな」

 

 その小さく咲く笑顔の陰に隠れる一抹の寂寥感。

 その笑顔を見たジルは、居た堪れなくなって、そっと背中からさくらを抱き締めた。

 

「さくらちゃんの寂しさを本当の意味で埋めてあげることはできないけれど、それでも私や、リッカや、クーさん、それに清隆くんも、さくらちゃんのことを想っていてあげられるから、安心してほしいな。きっと、本当のさくらちゃんを、取り戻してあげるから」

 

 まるで我が子を胸の中で安心させてあげる、母親の心境。

 さくらの温かくて優しい胸の鼓動がとくとくと、伝わってくる。きっと自分の鼓動もさくらに届いているだろう。

 

「――ありがとう」

 

 ほんのりと陽光の差し込む部屋に咲く、小さな花と、一回り大きな花。

 音のない空間で、まるで世界そのものに身を委ねるように寄り添っている。

 そして、そんな幻想のような世界に響くのは、外から聞こえてくる男の怒号だった。

 

「テメェッ、いきなり何しやがる!?」

 

「しっ、失礼しましたぁぁぁぁぁ!!」

 

 突然聞こえてきた大声にビクリとした二人は、学園長室に設置された窓からその光景を見下ろす。

 何故かびしょ濡れになっている、先程この部屋にいた戦士と、その前に額を地面に擦りつけるように土下座をしている風見鶏の本科生。大方水魔法の練習をしているところにタイミング悪くクーが通りかかり、その瞬間に魔法が暴発して辺り一帯をクーもろとも水浸しにしてしまったのだろう。

 夢のような世界から、夢から突然冷めるように引き戻された二人は、二人でクスリと笑って、そのおかしな光景をしばらくの間眺めていた。




この章ではあまり清隆たち予科生の連中は絡んでこないと思う。主にリッカたち生徒会メンバーと、エリザベスと『八本槍』の一部が中心になるかな。
それからジル。原作でも死してもなおいい子だったからなぁ。


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正義の先にあるもの

久々のがっつりランサー回。


 

現像(トレース)開始(オン)

 

 どこからともなく聞こえてくる短い詠唱を皮切りに、クー・フーリンの頭上に無数の刀剣が雨霰のように降り注ぐ。それらは全て形、色、使われている金属の種類やこめられている魔力の種類が全て異なっており、同一の対処法では全てを潜り抜けることは不可能である。

 だがしかし、これまでにも幾重の死線を潜り抜けてきた百戦錬磨の戦士である。たった一振りの相棒を縦横無尽に、それでいて無駄なく振り回すことで、飛んでくる刀剣を一本一本確実に撃ち落していく。

 乾いた鈍い剣戟の音だけが木霊する空間、異質な緊張感がピンと張りつめられている。

 最後の一本を打ち落とすと同時に、体勢を立て直すためにバックステップで恐らく敵がいるであろう場所から距離を取る。

 一瞬の間を置いて、直線に伸びる紅蓮の残光。その先にいたのは、二振りの剣を両手に握る、自称正義の味方。

 双剣を胸元でクロスさせ、クーの槍を受け、自身の左に流す。その際、勢いで流れる敵の瞳が自信をしっかりと捉えていることを確認する。恐らく、次は間を置くためのステップ。

 追撃は必要ない。一旦右へとサイドステップ、体勢を立て直し正面へと双剣を放る。

 弾丸のように一直線に翔ける剣は、難なく槍に打ち落とされた。

 剣士は再び自身の得物をその両手に現像する。

 

 ――≪虚の鋼よ現の刃先の標たれ(アイデンティファイ・イマジン)

 

 正義の味方として、ジェームス・フォーンが辿り着いた境地。

 決して現実に表すことのできない虚像を、魔法によって意識領域――心と言われる部分から現像し、実体化させる能力。但し、この能力は刀剣を対象にしか発動できない。魔法使いの社会において禁忌とは行かないまでも、あまり良いこととされない、闘争のための魔法。

 だがしかし、いざ戦いとなった場合においては、大きな戦力となりうる。イメージすれば刀剣を創り上げられるという、武器の貯蔵の無限性。そしてその刀剣の出現位置に特に制限はなく、ある程度の距離であれば手元でなくとも現像が可能であり、それを上手に利用した、飛び道具としての中、遠距離攻撃も可能とする。故に手数を減らすことなく様々な戦法を採り、相手をかく乱させることができる。もちろん、使用者の魔力が底を突けばそれまでだが。

 刀剣だけに限定したのは、自身がこの世界を救う剣であり、それ以外の何者でもないということの証。

 剣は、刀は、砥ぐことで切れ味を保つものである。であるならば、剣となった我が身もまた戦いの中で研ぎ澄まされてなければならない。そして目の前の強者は、自身を鋭利な剣たらしめるのに最適な男であった。

 

「ハァッ!!」

 

 右手の長剣、左手の小太刀。時間差で左腕から振り下ろす。

 クーは初手を軽く身を捩じって回避、長剣を槍で受け流し、刃が槍の上で火花を上げて滑走している間に、足元へと蹴りを放つ。

 後方へと大きく跳躍したジェームスは両手の刀剣を再び正面へと放り投げ、槍で打ち落とされている間に次の得物を握り直す。

 長槍と剣、リーチを考えれば圧倒的に不利である。確実に相手の射程内となる近接戦を続けるのは難しくあり、同時にリスクが大きい。接近の際は一瞬で、そして数秒打ち合う後に距離を置く、これの繰り返しである。

 スペックで、この男には確実に劣っている。スペックで駄目なら、勝負すべきは戦術。

 それこそ、目の前の、獲物の隙を狙う獅子のような、獰猛な眼つきをした男も、これまでの戦いの中で自然と身に着いた野生児なりの戦い方があるのかもしれない。

 それでも、上回らねばならない。それが世界で最もよく切れる剣であることの証明であり、どのような悪だろうと、どれ程の強者だろうと、絶対的な勝利と恒久の平和が約束されるのだ。

 

「ヘッ……」

 

 その時、相対する槍の戦士は気を緩めることなく笑った。

 感じの悪い笑い、恐らくジェームスのことを馬鹿にしているのだろう。

 

「空っぽだよ、テメェは。正義の味方なんぞになりたい理由がまるでない。せいぜい、この俺様を超えたかった、くらいのもんだろ」

 

 空虚な理想、歪な理念――指摘されたのは、これで何度目だろうか。

 問題はない。答えは既に出ている。頭の片隅に思い浮かぶ、先達の孤独にも逞しい横顔を思い出しながら、同じようにジェームスも微笑んだ。

 

「否定はしない。空っぽだよ。世界に対して恩があった訳ではない。聖書にしるされた救世主の神の子になりたいわけでもない。かといって、正義の味方が憧れだったわけでもなければ、そこに何の執着もありはしない」

 

 ――現像、開始。

 

「俺には正義の味方になりたい、大きな理由なんてのはない。でも、それ以上に俺は、強くありたい。強者でいたい。正義の味方たるための強者ではなく、強者になるための正義の味方だ。いつの時代もそうだろう?正義は必ず勝つそうだ」

 

 次の瞬間、空間が刹那に光が閃く。

 突然のフラッシュに目を焼かれつつも、薄く瞼を開けながら視界を確保するクー。

 

「でけぇよ、テメェの探すプラスアルファはよォ……!」

 

 クーの笑みが、より一層獰猛なものとなる。

 あの時、以前彼と相対した時――いや、それ以上の興奮と緊張、言葉以上に熱く語る剣戟の音、胸を高鳴らせるのには、十分な起爆剤だ。

 視界を完全に取り戻した時、そこは剣の世界が広がっていた。

 永遠に、どこまでも続く草原に突き刺さっているのは無数の刀剣。見上げれば雲一つない晴天の青空。狂気と平和、全く異なる二つの要素を孕むその景色は、あまりにも異様だった。

 これが彼の正義の在り方。世界が平和であるために、剣がある。

 そして、クーは同じ方向へと飛んでいく無数の刀剣を空に見た。その先に、刃を地面へと向け、天を貫かんとばかりに聳え立つ筒のような形に展開されてある刀剣の陣――その筒の中に、ジェームスはいた。

 

「……凄いだろう、これは全部、俺の想像と空想の産物だ。俺の妄想の世界が具現化され、今あんたは俺の抱く夢の中にいる。頭の中でなら、俺は何でもありだ」

 

「面白れぇよテメェ……以前に増して面白くなってんじゃねーか!」

 

 先に動いたのはクー。地面を一蹴りで一気に遠くのジェームスとの距離を埋めにかかる。整頓された剣の塔が、近づくにつれその圧倒的な存在感を放つ。

 本当にこの世界の中でジェームスの力が思い通りになってしまうのであれば、あちらに先手を取らせることは絶対にあってはならない。そのための初手の突貫である。

虚の鋼よ現の刃先の標たれ(アイデンティファイ・イマジン)≫の本来の姿は、この世界そのものである。彼の現像する様々な刀剣はここで生まれ、育まれ、鍛えられる。そしてこの世界はそれらの剣に影響を与えるための要素が充満しており、この世界に存在している全ての刀剣の持つ能力の一部をこの世界全体に蔓延させることができる。重力変化、防御無視、威力倍加、速度上昇・減退などの能力を持つ刀剣が無数に存在するこの世界で、クーは圧倒的に不利な立場にあった。

 

「それでも本来と同じ動きが出来るあんたには脱帽だよ」

 

 出鱈目な力を持つ目標(ライバル)を前に冷や汗を流しつつも、更に刀剣を生成し、全てを操作し統率してクーを襲わせる。

 前後左右上下、全方位三百六十度からの一斉掃射――退路どころか進路もない。

 

「ヘェ……」

 

 絶体絶命の状況にも関わらず、笑みを絶やすことはない。

 両手に構えていた槍は右手のみの逆手に持ち変えられ、投擲の構えを取る。

 自身の身体の全力を持って前方に飛び上がり、体のバネを空中で縮め、一気に解き放つ。

 

突き穿つ死翔の槍(ゲイ・ボルク)!」

 

 全身前例の力を以って放たれた真紅の槍は、最も正面の剣へと飛び、正面衝突する。刹那、槍の力によって大爆発、その爆風に飲まれた刀剣は姿を消す。

 クーは地面に着地してすぐにその爆風へと飛び込み、槍を握り直す。

 全方位弾幕から解放されたクーは再び一直線に駆け出す。降り注ぐ刀剣を躱し、打ち落としながらも確実に前へと進む。

 

「そう来なくてはな!」

 

 それに応えるようにジェームスも剣の塔を従えて走り出す。

 整列して宙を舞いながらもジェームスの疾走に従って動き出す剣の塔、その光景はまさに圧巻だった。

 次第に塔の剣の舞う速度は増し、やがて嵐を起こす。

 乱れるがままに剣は舞い踊り、狂い咲く。

 勢いを増した刀剣の嵐に、クーは一瞬の対応が遅れてしまった。

 

「――カハッ!?」

 

 剣の一振りが肩を掠めた。掠めただけなのに、猛烈な激痛が全身を襲う。恐らく、この荒れ狂う嵐の中で、バラバラだった全ての剣の能力が均一化され、無数の能力を帯びた無数の剣が練成されている、そうとしか考えられなかった。

 威力倍増、防御無視、幻覚、猛毒、麻痺、呪い――その全てがこの一本の切り傷に集約されていたのだ。

 

「こりゃこっちも出し惜しみできねぇな……」

 

 クーから笑みが消える。久しぶりに対面する死の恐怖が全身を襲う。この感情は先程の傷のせいだろうか。

 しっかりと両手で槍を握り締める。

 紅き弾丸は、因果を超えて剣の塔を穿った。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 風見鶏の敷地内にある、とある医療施設の一部屋。ジェームス・フォーンは自分が仰向けに横たわっていることに気が付いた。

 体が何かに覆われている感覚――手探りでそれがキルト(布団)であることが分かった。閉じている瞳以外の感覚がゆっくりと戻ってくると同時に、思考回路も徐々に徐々に意識の底から浮上してきた。

 

「……大丈夫か?」

 

 聞き慣れた声に瞼を開けると、先程まで獰猛な笑みを浮かべていたはずの青の戦士が穏やかな顔をして椅子に座って顔を覗かせていた。

 ああ、負けたのか。自分が置かれている状況と、彼が心配そう、と言うよりばつの悪そうな表情をしていることから何となく分かった。残念なことに、自分がなぜ負けたのか、勝敗を決めた彼の一手と、その時の自分を、ジェームスは覚えていない。

 

「分からん。自分が何をされたのかを覚えてないものでな」

 

「そうかい」

 

 興味なさげに呟いているが、どこか不満そうなクーを見て、ジェームスは頭の中に疑問符を浮かべる。何故勝利したのに、そのような顔をするのだろう。いつもの彼なら、勝利した自分に陶酔しているような、誇りある顔をしているはずだろうに。

 

「死ななかっただけ、マシだよ」

 

 紅の視線は、ふと立てかけてあった同色の槍へと向いた。百年以上も変わらず振り回され続ける、至高の豪槍。その紅蓮の煌めきは衰えることを知らない。

 

「つまり、俺は本来死んでいたかもしれないということか……」

 

 以前敗北した時の彼の言葉、簡単に言えば、今度刃を交える時は確実に殺すと言う宣言を達成しえなかった彼に、意趣返しを込めて皮肉な笑みを浮かべて言い放つ。いつもは傲慢不遜な彼の、柄にもないしおらしい姿は新鮮だった。

 ジェームスの怪我は、特に命に別状はない。出血こそ酷く、おまけに傷口はどんな高等な治療魔法を行使してもなかなか塞がらない厄介なものだったが、どうにか塞ぐことには成功して安静状態となっている。ちなみに、部位としては心臓を大きくそれた肩口だった。

 

「流石『八本槍』の一人ってことか。簡単にくたばってくれねぇところが面白いというか憎らしいというか……」

 

 大きく溜息を一つ吐いて、勝者はのっそりと椅子から立ち上がり敗者に背を向けた。

 そのまま何も言わずに部屋を去ろうとして、ジェームスに呼び止められる。

 

「……んだよ?」

 

「生きててよかったというべきか、一応伝えておくことがあってな」

 

 声音からして恐らく重要事項。元々茶化すつもりもなかったが、聞くだけは聞いておこうと思った。

 

「アデル・アレクサンダーが不審な行動をとっている。奴はあんたをいつも目の敵にしているから、注意しておけ」

 

「そんなことか。ジジイ相手に翻弄される程落ちぶれちゃいねーよ。面倒事は御免だ」

 

「それは結構」

 

『八本槍』の一人をジジイ呼ばわり、これが凡人であるならば非難が集中し、一斉攻撃の的となるだろうが――この男が凡人の域になぞ到底納まらないことなど今更言うことでもない。ジェームスはこの男の規格外さに呆れるように微笑んだ。

 

「今度こそ、テメェのその心臓、貰い受ける。せいぜいその時を怯えながら生きるといい」

 

「それはお互い様だ、『アイルランドの英雄』。孤高のカトレアとその親友を二人纏めてあんたの屍の前に跪かせてやろう」

 

 ジェームスの言葉を最後まで聞き取って、クーは部屋から姿を消した。

 死角へとその姿が隠れる一瞬、クーの右肩に血の滲んだ包帯が覗いているのを目にして、ジェームスは安堵の息を漏らした。

 

 ――俺も、強くなったんだな。

 

 初めて対峙した時は、ただの一度も剣の切っ先を掠らせることすらできなかった。

 その相手に、ただの一撃でも加えられたのは、成長した証として十分過ぎた。ようやく、強者への道が開けてきた気がした。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 アデル・アレクサンダーは苛立っていた。

 女王陛下直属の騎士、『八本槍』となり国に仕えることができる、これが魔法使いとして至上の栄光でなく、何と呼ぶだろうか。

 魔法的考古学を専門とし、あらゆる遺跡や遺物を魔法的観点で解析、調査することを生業としてきたアレクサンダー家において生み出され、洗練されてきた、『復元魔法』。

 ありとあらゆる風化、破損したものを修繕し、極限まで元の姿へと戻すこの魔法によって、現代の魔法文明にも大きく尽力し、その功績を買われて『八本槍』となった。もちろんそのためには女王陛下を守るための武力も必要で、それに関しても『召喚魔法』と『復元魔法』を併用した魔導兵器が担ってくれる。

 

 古代メソポタミア、シュメール初期王朝時代のウルク第1王朝の伝説的な王――ギルガメッシュ。

 

 彼をモチーフとして作成された、世界中のありとあらゆる財宝を所有する英雄王。その黄金の風格は富と権威を象徴し、その圧倒的な破壊力は力による支配を象徴する。

 全ては己が一族の血の滲むような努力の果てに成し遂げられた結晶。アレクサンダー家が全てを手に入れたのは、全てを手に入れるための時間と労力を極限を凌駕して払い続けたからに他ならない。

 

 ――それなのに。

 

 青き髪の、紅の瞳の、そして紅蓮の槍を持った。『アイルランドの英雄』。

 実力こそは認めよう。そのたぐいまれなるバトルセンスは、唯一無二とも呼べよう。しかしかの男に、それ以上の何があるというのだ。

 粗野にして怠惰、おまけに野蛮ときた。このような男が、女王陛下のすぐ傍に控える者として相応しいわけがない。

 女王陛下とは旧知の仲らしい。もしかすれば、彼女の恩情があってこその『八本槍』の地位ではないのか。もしそうなのであれば、これ以上の屈辱はない。

 世代を超えて長い間積み重ねて手に入れたものを、あの男は何の苦労もなく、ただ強くて女王陛下の友であるだけで手に入れた。

 繁栄が朽ち果てる結果となるその原因は、いつだってそのような不純な者にあるのだ。早急に、排除しなければならない。

 

 ――魔法使いの誇りと、アレクサンダー家の威信にかけて。

 

 アデル・アレクサンダーは、改めて決意を固め、電話機へと手を伸ばした。




戦闘描写って何回書いても難しい。何を書いていいか相変わらず分かりません。
多分ジェームス出番終了。もしかしたら終盤ちょろっと出すかも。

虚の鋼よ現の刃先の標たれ(アイデンティファイ・イマジン)≫の補足説明を少しだけしておくと、本家様の無限の剣製は目視した刀剣を結界の中に登録する、みたいな感じだったと思いますが、こちらは見る必要がなく、自分の頭の中でイメージできればどんな刀剣でも実体化できる投影魔術もとい魔法。どちらかと言うと『ハイスクールD×D』に出てくる魔剣創造の方が近いかもしれない。もちろん魔力制限やイメージの限界などもあってあまりにもバランスブレイクな刀剣は当然投影できません。


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葛木清隆という男

ちょっと原作主人公にスポットを当ててみた。
格上相手にビビりまくる清隆マジで可愛いです。


 

 

「じゃ、今日はここまでにしておくか」

 

 同じ寝台に、男女が隣り合って横になっている。片方は風見鶏の予科生の制服を着込んだ東洋の少年、葛木清隆。もう一人はウエストミンスター宮殿の前で保護した記憶喪失の金髪少女。

 状況だけを見ると色々と危ないことが起こっているようにも見えないこともないが、これはれっきとした魔法的行為であり、さくらの失った記憶を、清隆の魔法で探っていたところであった。

 清隆の得意な魔法は主に眠りに関する魔法である。対象を催眠にかけることで寝苦しさを感じることなく快適な眠りへと誘うこともできれば、眠っている相手をすっきりと気怠さを残すことなく起こすことも可能である。

 それだけではない。葛木清隆の魔法の真骨頂はここからで、なんと他人が寝ている間に、睡眠中の人間が見ている夢に侵入し、そこで起きている事象を観測することができるのだ。条件が揃っていれば、そこから更に夢の中の登場人物に干渉することも可能であり、そう言った能力を利用して、日本にいた頃は夢見のカウンセリングのようなもので相手の忘れ物や思い出したいこと、悩みや不安の原因を取り除く、またはそのための鍵を指摘してあげることで魔法を役立てていた。

 今回はその夢見の魔法をさくらにかけており、さくらに関するあらゆる情報、または記憶を失うに至ったその過程のヒントを得ようとしていたのだった。

 結果からいえば、失敗、とも言えないことはないが、精神同調というものは回を繰り返す度に制度が上がっていくものである。これからも継続することで何かしらの手掛かりを得られる可能性も無きにしも非ず、である。

 

「お疲れ様、清隆くん」

 

「まだ上手く見えないみたいね、その様子じゃ」

 

 清隆に声をかけるのはジルとリッカ。清隆とさくらによる夢見のカウンセリングの最中にトラブルが発生した時のために傍で様子を見ていたのだ。

 清隆とさくらはベッドから上半身を起こして互いに目くばせをし、それからリッカたちに向き直る。なかなか進展しない調査にリッカも苦笑いを浮かべているようだった。

 

「清隆がここまでやってもダメか。暫くは進まなさそうね」

 

 リッカとジルは、清隆がどういう人物か知っている。

 カテゴリー4の魔法使い、日本において魔法使いの間では有名である葛木家の息女、葛木姫乃の義兄にしてお守り役。清隆自身は、彼が風見鶏に来た理由を、姫乃のお目付け役として、としか言わなかったが恐らく何か裏がある、本当の目的が別にあるとリッカは睨んでいるのだが。当人である姫乃が、清隆がカテゴリー4の魔法使いであることは知らず、知っているのは学園長であるエリザベス、そしてリッカ、ジル、そしてクー・フーリンのみである(『八本槍』全員が知っているのは言うまでもないことである)。

 ともあれ、実力の観点で言えば、風見鶏の生徒の中で最も近くでリッカの背中を追う人物であり、こと眠りの魔法に関してはリッカやジルですら清隆に勝ることはできない、そんな彼でも、さくらから失われた記憶を引き出すのに苦戦しているのだから、長期戦を覚悟しなければいけないことに溜息を吐くばかりであった。

 

「さくらの方は、調子はどう?」

 

「体の方は問題ないよ。でもやっぱり、自分が何者なのか、どうしてここにいるのかは、やっぱり何も思い出せないなー」

 

 もうこのリアクションにも慣れてしまったのだが、自分のアイデンティティを根底から崩しかねない状況で、あっけらかんとそう言ってのけるさくらに、誰もが驚くと同時に彼女から元気とやる気を貰えているような気も、また、していた。

 もしかすれば、誰もが不安と恐怖に怯えるであろうこの瞬間にも、次の一言で、彼女はこうして気持ちを切り替えるのだった。

 

「ねぇ、清隆、これから時間ある?何かして遊ぼうよ!」

 

 いつものこと。天真爛漫な笑みを浮かべて清隆を浮かべるその姿は、本当に迷子なのか怪しくなってしまう程溌剌としていた。

 現在、時刻にして午後七時を回ったところ。まだまだ寝るには早い時間だが、清隆にも付き合いというものがある。妹である姫乃のことはもちろん、クラスメイトの耕助、エト、それからグニルックのクラスマッチが終わってしばらくした時に、唐突にメアリー・ホームズに誘われて何となく入部した探偵部のメンバー、メアリーとエドワード・ワトスン。生徒会のリッカ・グリーンウッドとは生徒と教師のような関係で、シャルル・マロースには入学当初に道案内をしてくれたことが切欠で何かとお世話になっている。五条院巴とは、幼少の頃からの知り合いで、あまり知られたくはないものの、意地悪ながら姉のような存在だったようにも思える。こう並べてみて改めて実感するが、清隆自身、魔法使いの中でも顔が広い方なのだ。

 

「もう遅いし、ちょっとだけな」

 

「うん!そうと決まれば、ラウンジへゴー!」

 

 寝台から飛び上がって立ち上がったさくらはそのまま清隆の制服の袖を掴んで引っ張る。躍動するさくらに引っ張られた清隆はバランスを崩して転びそうになるものの、何とか立ち上がってついていく。そんな二人の後を追いかけて、リッカとジルも部屋を出た。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 学生寮の廊下を、ラウンジへと歩いていると、偶然にもリッカたちのよく知る人物と遭遇することとなった。

 細長い円筒状の荷物を背負ってこちらに向かってくるのは、風見鶏でもアニキとして親しまれている『八本槍』の一人、クー・フーリンのはずだったのだが。

 

「おっ、珍しく帰って来たと思ったら、勢揃いじゃねーか」

 

 リッカは頭を抱え、ジルは苦笑する。清隆は呆気にとられてさくらはそんな清隆の背中に隠れながらも目の前の包帯男を見つめる。

 そう、包帯で顔面をぐるぐる巻きにされていたのだ。反応こそ違ったものの、全員が一致してこう思う。どうしてそうなった。

 

「クーさんこそ、久しぶりに寮に帰って来たと思ったら、何でそんな重傷の怪我人みたいな格好してるのかな……」

 

「騎士王様の訓練に付き合ってたら、あいつの全力全開の流れ弾を食らっちまった」

 

 円筒状の荷物をくいっと背中の位置で持ち上げて、彼はそう返答する。恐らくあの中には彼の相棒であるところの紅い槍が入っているのだろう。こんなところでその穂先を光らせて歩くのも物騒ではある。

 

「騎士王様も一緒にいらっしゃったんだ」

 

 ふと、遠いどこかへと尊敬の眼差しを飛ばすリッカ。カテゴリー5とは言え、やはり『八本槍』を纏め上げる麗しの女騎士には、最大限の尊敬をしているようだ。騎士と魔法使い、立場こそ違うものの、どちらもその頂点に立つ者同士である。

 

「どうにもジェームス――『八本槍』の一人なんだが――俺とそいつとの仕合に触発されたらしくてな、剣筋が鈍らないようにって俺を呼んだんだそうだ」

 

 そしてそれ以降、特に仕事や用事もないため、怪我の手当てをアルトリアが満足するまでやらせ、さっさと帰路に着いて帰って来たのだとか。

 そして、一緒にいた清隆とさくらに視線を向ける。さくらは一瞬びくりとするが、それでも逃げようと思う程怖がってもいないらしい。

 

「えっと、たしか葛木だったか、久しいな」

 

「いえ、お疲れ様です」

 

『八本槍』と会話をするのもこれで二度目、周囲に畏敬の念を示されている『八本槍』と話すだけで本来は恐悦至極なことであり、おいそれとできることではない。これも生徒会長の弟であり、クー・フーリンの愛弟子であるエト・マロースのおかげである。

 リッカとジルは何事もないような自然体で話し込んでいるものの、清隆にとって彼から放たれるプレッシャーは尋常ではなかった。うなじを冷や汗が通り過ぎるのを感じる。

 

「そんなに緊張すんなよ、葛木。大層な名前で呼ばれようと、魔法使い様から見れば俺なんぞそこら辺のゴロツキと何も変わんねーよ」

 

 そう言う彼は、事実上風見鶏本科一年の、王立ロンドン魔法学園の生徒であり、清隆の先輩にあたる。

 一応清隆としても、風見鶏ではあまり目立たないように立ち回るつもりであるし、何よりこの男をゴロツキ扱いしていたら間違いなく――――コロサレル。

 何故リッカやジルが、彼と行動を共にしてきたのか、その接点が全く分からない清隆だった。

 

「っつーか、さくらも怖がる必要ねーだろ。これで何度目だよ」

 

 清隆の背中に隠れる金髪ショートヘアの少女に、髪を掻き乱しながら呟く。

 そのリアクションに、さくらはますます警戒心を強くしてしまうのだが、当のクーにはそれが分からない。

 

「何か……したんですか?」

 

 恐る恐る、頭の中で慎重に言葉を選びながら問いかける。

 心の中ではこう思っている――次の瞬間死んでたらどうしよう。

 クー・フーリンが実際にやったことはほんの一握りにも満たないが、それでも『アイルランドの英雄』としての噂話は清隆の耳にもしっかり届いていた。最早認識は魔王である。

 

「別に何もしてねーよ。多分あれだ。ガキっつーのは無邪気なもんだから、相手が危険だと何となく察してしまうんだろ。野生の勘っつーか何つーか」

 

 起こることも、不機嫌になることもなく、魔王は困った表情で答えた。

 以前エトと共に彼の部屋に訪れた時もそうだったが、この男は必要以上に警戒し恐れる必要はないのかもしれない――ほんの少しのやり取りでそう実感する清隆。

 

「これからどっかに出かけるんだろ。さっさと行っちまえ。俺は疲れたからシャワー浴びてさっさと寝る」

 

 ラウンジ、すなわちエントランスへと向かう廊下を歩いているのを見てそう思ったのだろう、すれ違い様に清隆の背中に隠れるさくらの髪をくしゃくしゃと乱暴に撫でてそう言った。

 

「暗いから気をつけろよー」

 

 背中越しに右手をひらひらと振って男子寮の方向へと消えてしまった。

 清隆にとっては、緊張から解放されたと同時に、どっと疲れが圧し掛かってきたようにも感じた。

 

「どうにも、巴さん以上に疲れそうな人だな……」

 

「ま、清隆にはあまり縁のない人でしょうけどね」

 

 清隆の不安を募らせた一言に、リッカは心配ないと言わんばかりにそう答える。

 一行はさくらの遊び相手をするために気持ちを一新させ、ラウンジへと向かった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「あ、リッカさんにジルさん、それから清隆も!」

 

「おーっす清隆、ってリッカさんまで……」

 

 ラウンジに向かってみれば、そこには先にエトと耕助が来ていた。夕食の前に軽く雑談を交わしていたところなのだろう。

 

「ちょっと江戸川耕助くん、まで、と言うのはどういうことかしら?」

 

「あぁあぁいえっ、ちょっと清隆と現れるのは予想外だったかなってだけでっ!」

 

 リッカの意地悪な笑みで聞かれる意地悪な質問に、耕助は必要以上に動揺して答えてみせた。耕助にとっては特に大した意味はなかったのに、ここまで慌てられると何かを隠していると勘ぐられても仕方がない。現にエトに慌て過ぎだと指摘された。

 

「えっと、清隆の後ろにいる女の子は?」

 

 今度ばかりはエトから身を隠しているつもりはさくらにはなかった。エトの言葉にさくらは清隆の隣に出る。

 

「ああ、ちょっと訳ありでな。さくらって言ってな、記憶喪失の迷子で、風見鶏で保護してるんだ」

 

 その後簡単な説明を少しして、耕助とエトは納得する。

 自己紹介も互いに交わして、ようやくさくらの遊び――絵描きしりとりが始まった。

 

「ん~、こんな感じかな」

 

 ジルが画用紙をひっくり返して、みんなに絵が見えるように広げた。

 そこに描かれていたのは、『こ』で始まる言葉と言うことで、『小鳥』。決して上手とは言えないが、特徴をしっかりと捉えた分かりやすいイラストとなっている。

 次に順番が回ってくるのはエトだった。

 エトは『り』から始まるもので、何を描こうか考えて、画用紙と見つめる。そしてペンをとって簡単にイラストを描き始める。

 暫くして広げた画用紙には、なかなかユーモアのある得体のしれない何かが描かれていた。

 

「それ……何だ?」

 

 清隆が首を傾げてそう聞くと。

 

「え、何って、『リス』だけど」

 

 顔を紅くしながらエトはそう答えた。

 

「えー、全然リスに見えないよー!」

 

 さくらがエトの絵を指差して笑い転げる。

 子供の無邪気な心から飛び出るストレートな言葉にエトは更に羞恥する。

 

「さくらちゃんったら、ひどいなぁ……」

 

「そのリス、今度シャルルに見せてあげようかしら。きっと彼女も喜ぶに違いないわ!」

 

 相変わらず意地悪な笑みを浮かべてそんなことを言うリッカ。

 エトはリッカの言葉に耳まで真っ赤にしてしまった。

 

「ちょ、なんてこと言ってるんですか!?お姉ちゃんも僕の絵を見て笑うに決まってるじゃないですか!」

 

 咄嗟に自分の描いたリスらしき絵を背中に隠して抵抗する。

 その挙動に、場はどっと沸いた。

 そんな、穏やかで、賑やかな光景を、一人の少女が寂しそうに遠くで見つめていた。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 後日談ではあるのだが、ある日清隆は、部屋に来た姫乃にこんなことを言ってみた。

 

「なぁ姫乃。ちょっとこの紙にリスの絵を描いてみてくれないか?」

 

 そう言って紙とペンを手渡そうとすると、姫乃は先日のエトと同じように顔を真っ赤にして怒り始めた。

 

「なんですか!?兄さんは私が絵が下手なのを知って、更に辱めるつもりですか!?そんな意地悪なことをする兄さんは嫌いです!」

 

 そう言うなり、ぷりぷりしながら部屋を出て行ってしまった。

 去り際に部屋のドアを力任せに閉められ、大きな音を立てる。姫乃の全身の怒りが込められたその音に清隆はビクリとするのだが。

 

「やったな姫乃。仲間が増えるぞ……」

 

 これからどうやって姫乃を懐柔――宥めようか考えながら、シェルでとある人物に連絡を取るのだった。




大体世界観もキャラクターも粗方書き終えたし、そろそろ内容に入ってもいいかな。
ちょっとストックがそろそろ危ういので、書き溜めに時間を回すためにもしかすれば次回の更新遅れるかもしれないです。

早くクライマックス書きたい(せっかち)


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平和の裏に潜むのは

ちょっと長くなりました。
いや、本来は毎回このくらいの文量で投稿するのがベストなんでしょうけれども。
ちょっと調子に乗っただけです。


 

 

 時間も少しずつ流れ、ようやく今月は十二月。遂に今年もこの時期がやって来た。そう――

 

 ――生徒会役員選挙である。

 

 大規模ながら、年に三回開催されるこの行事は、風見鶏の生徒の間でも大変注目されるものであった。

 というのも、以前にも説明したとは思うが、本格的に魔法使いとして社会的に活動する前の育成期間である王立ロンドン魔法学園の生徒である内に、風見鶏で生徒会役員を務めるということがどれだけ名誉なことか、国際的に魔法使いとして活躍を望む者たちの間で知らないものはいない程のものなのだ。

 例えそれぞれに立候補する意思がなかろうと、今回どのような生徒が役員に立候補するのか、そしてその者が本当に風見鶏生徒会に相応しいかどうか、自身の目でしかと確かめることは、彼ら魔法使いにとって十分有意義なことであるのだ。

 そして今回、生徒会役員として立候補したのは次の三名である。

 

 予科1年A組、葛木清隆。

 

 予科1年B組、メアリー・ホームズ。

 

 予科1年C組、イアン・セルウェイ。

 

 それぞれのクラスの間で考えてみれば、彼らが出馬するのはある意味で必然だったと言える。以前のグニルックのクラスマッチで、クラス内で最も活躍したのはこの三名であり、同時に、クラス内で最も影響力のある人物とも言えた。

 A組においては、衰退しかけているとはいえ立派な貴族の一門であるクリサリスの息女、サラ・クリサリスが出馬するという声もあったようだが、彼女にはそのつもりはなかったらしい。また、姉が生徒会長を務めているエト・マロースも、何かの思惑があるのか、それとも自信がないのか、理由のところは定かではないが、今回は出馬する清隆を全面的にサポートし応援に徹するらしい。

 三名の名をこうして並べてみると、誰もがすぐに気が付く事実があった。それは、A組の候補者である、葛木清隆の名前が、他の二人と比べてイギリスでは浸透していないということであった。

 ホームズ家もセルウェイ家も、それなりに由緒正しい魔法使いの一族であり、同時にこちらイギリスでは、魔法使いの間ではそれなりに有名であり、その出自であるところのメアリーとイアンは、廊下を歩けばたくさんの人に振り向かれるような人間である。

 一方で、極東の国である日本からやって来た葛木清隆は、日本では有名所である魔法使いの一門、葛木家の出自を持つが、当然こちらイギリスではほとんど浸透していない。知っているのは魔法使いの間でも多くの情報を握っている王室の人間やそれらの人間に関わりを持つカテゴリーの高い魔法使い、そして清隆と同じように日本から出てきた魔法使いくらいのものである。

 葛木清隆の名は、ネームバリューの時点で他の二人と比べて圧倒的に弱く、この生徒会選挙において、完全な不利が約束されてしまったのだ。

 

 

 さて、こちら風見鶏の学園長室兼生徒会室では、現生徒会長であるシャルル・マロースと五条院巴が今回の生徒会選挙のことについてあれこれと雑談を交わしていた。

 どちらも既にシャルルの弟が生徒会役員に立候補しないことは承知しており、半分残念に、そしてもう半分はこれからの活躍に期待する所存である。

 

「エトが立候補しないのはお姉ちゃんとしては少し残念だけど、清隆くんを応援するって言ってたし、リッカと清隆くんには頑張ってもらわないとねー」

 

 立候補者の資料を眺めながら、シャルルはそう感想を述べる。

 一度選挙の険しい道のりを歩んできた者の言葉は、なかなかの重みがあり、巴もシャルルの気持ちに察しがついた。

 

「名が薄いことなら私も経験済みだぞ。私の時なんかはリッカとはクラスが同じだったから対立することはなかったものの、片やそのカテゴリー5であり孤高のカトレアの友人にしてサンタクロースのステータス持ち、もう片方はリッカ程のステータスはなかったが、カテゴリー3の魔法使いにして、パーシー家とアレクサンダー家の両方にコネクションのある一族の魔法使いだったよ。その時はシャルルが勝って、入学当初にどこぞの英雄様と喧嘩したことで私も悪名高くなったんだろう、良くも悪くもその時の悪名が活躍して、後のない三回目でようやく通ったものだが」

 

 五条院巴も、日本から出てきた魔法使いであり、清隆同様、五条院家もイギリスではほとんど知られていない家柄だった。しかしそのハンデを乗り越えて、今ここに生徒会役員として立っている。巴も、清隆とは幼馴染であり、彼には他の二人といい勝負をしてもらいたいところだった。

 

「ジャパニーズってのは謙虚だが爆発力がある。葛木だって例外じゃないだろうよ。あのガキはきっと派手にやってくれるだろうぜ」

 

 さっきまで寝ていたのか、椅子の上で横にしていた上体を持ち上げて、クー・フーリンは話に参加する。謙虚の話辺りで巴に皮肉な視線を送って見せた。

 入学当初、唐突にクナイを投げつけられ、その日の放課後に刃を交えた相手だ。彼から見れば巴に謙虚と言う言葉は似合わないだろう。

 

「それでもやっぱり、クラスマスターとしてはうちのホームズさんを勝たせてあげたいところだけど」

 

「セルウェイ君は、あの高飛車なところが仇にならなければいいのだが……」

 

 常にハイテンションで、無鉄砲と言う言葉がお似合いなメアリーと、高慢で、自分より下と分かれば見下し、格上であれば媚びるようなイアン。どちらも実力者ではあるが、残念ながら問題児であった。

 その時、ここにいる誰もが既に聞き慣れてしまったあの音が、クー・フーリンの耳に入ってくる。

 

 ――カーン、カーン。

 

≪女王の鐘≫。風見鶏を運営しているイギリス王室が、所属している予知能力の魔法使いによって事件や事故を事前に察知し、風見鶏の学生の実力で対処できると判断されれば彼らに重要な任務と共に、生徒一人一人に活躍の場を与えるイベントが始まる合図。

 複数の所属で任務を受け持つことになる人間のために、それぞれの集団で少しずつ鐘の音が異なってくる。リッカ・グリーンウッドはカテゴリー5としての個人依頼、本科1年A組としての依頼、そして予科1年A組のクラスマスターとしての以来と三通りあるのと同様に、クーもまた、本科1年A組としての依頼と、予科1年A組のクラスマスターであるリッカのサポーターとしての依頼の二通りに分かれる。今回は後者であった。ちなみに『八本槍』としての任務には≪女王の鐘≫が関わってくることはない。

 

「あー、リッカの呼び出しだ。面倒臭ぇがサボるともっと面倒になりそうだからちょっと行ってくるわ」

 

 壁に立てかけてあった、長槍一本程度が収まりそうな細長い筒状のバッグを背中に抱えてだるそうに挨拶する。

 一旦振り向いた時、巴が余計なことを言いそうな笑みを浮かべてこちらを見ていた。

 

「リッカのサポートだけに飽き足らず予科生の活躍の場まで奪ってくれるなよ?」

 

 実際に余計なことを言ってしまっていた。

 

「うっせ。俺様だってあいつと同じ立派な年寄りだ。ガキの面倒を見ることこそすれ、成長の場を奪うわけにはいかんよ」

 

「無理しないようにねー」

 

 シャルルの間の抜けた声を背中に受けて、槍の戦士は部屋を去った。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「んで、何かと思えばコソ泥探しねぇ……」

 

 Aクラスのメンバーを引き連れて地上に上がり、彼らの前で色々説明しているところに遅れてやってきたクーは、後から説明を大方聞いてそう呟いた。

 

「仕方ないわ。そもそも≪女王の鐘≫の決定権は優勝した私たちのクラスにあるのだし、杉並が清隆の選挙のサポートをする条件らしいけど……とにかく文句言わずに手伝ってよね」

 

 今回の≪女王の鐘≫は、あらかじめ提示されてある三つの依頼から、各クラスが一つずつ選んで遂行するというものであった。優先順位はグニルックのクラスマッチでの順位で決まり、優勝したリッカたちAクラスが最初に選ぶ権利を与えられている。

 しかし、Aクラスは先に依頼内容を聞くこともせず、たった一人の懇願によってこの依頼を受注することのなったのだ。

 最早おなじみ、葛木清隆である。

 彼は以前、自分の選挙に対する不利を理解した上で、リッカから杉並を紹介され、密かに会いに行っていたのだ。実はこの男、一応は風見鶏の生徒として所属しているのだが、非公式新聞部なる部員数、活動目的、活動拠点その他一切が不明である謎の組織の中心人物であり、とんでもない問題児なのだが、今は省略させてもらう。

 それで、清隆は、そんな杉並から選挙活動のサポートをするための条件として、ある暗号を解読し実行することを提示した。その暗号こそが、次の通りである。

 

『薔薇に頼み事をされたなら、鼻にソーセージをつけてやれ』

 

 まるで理解できなかった清隆は、これを無理矢理入部させられた探偵部のメンバーであるメアリー、エドワード、耕助とその従者である四季に相談したところ、彼らの推理が見事に炸裂してある一つの結論に達することができたのだ。

 まず初めに、暗号の中でキーワードとなり得るのが『薔薇』。薔薇――すなわちチューダーローズは、英国王室を示すものである。つまり、『薔薇に頼み事』とは、英国王室からの依頼、≪女王の鐘≫のことを示していることになる。

 続いては『鼻』、そして『ソーセージ』。これは、四季がその重要なヒントを見つけてくれたのだが、シャルル・ペローの童話、『愚かな願い』にこの二つのキーワードが出現するのだ。

 願い事を三つ叶えてもらえることになった樵の夫婦の話なのだが、最初の願いで、夫が何となく呟いた『ソーセージ』が欲しい、が叶えられてしまい、下らないことに願いを一つ消費してしまったことに妻が激怒し、あまりに彼女がうるさくて、つい、妻の『鼻』に『ソーセージ』ををぶら下げてしまえ、と言ってしまったのが叶えられてしまう。そして最後に哀れな姿に成り果てた妻を元に戻すために、三つ目の願いを使ってしまうというのが詳細である。

 つまり、『鼻にソーセージ』がつけられたのは二つ目の願いであり、『鼻にソーセージをつけてやれ』というのは、三つあるうちの二つ目の願いを聞き入れること、という解釈が得られる。

 そしてこの二つの解釈を融合させると、次のようになるのだ。

 

『≪女王の鐘≫で三つの依頼が提示された時、その中で二つ目の依頼を受けろ』

 

 この答えに行きついた清隆は、早速今日の≪女王の鐘≫の依頼で、内容を聞くこともなく二つ目の依頼を受注することになったのだ。

 その内容は、ロンドン市内に潜む脱獄班を確保すること。特殊刑務所に服役中だった魔法使いが昨日脱獄に成功し、ロンドン市内に潜伏しているという。

 とは言え今回のターゲットはほんの少し魔法をかじった程度の魔法使いで、それこそリッカどころか、魔法だけで言えばイアン・セルウェイの足元にも及ばない。

 しかし、中世の魔女狩り以降、魔法使いの地位は決して高くなく、その存在をより良いものとするために奮闘している風見鶏にとって、このような凶行は断固阻止すべきなのだ。

 生徒たちは軽く怖がってはいるが、依頼を受けてしまった以上遂行する以外選択肢はない。そんな彼らを、クーはリッカの説明を聞きながら眺めていた。

 

「他の『八本槍』が出しゃばらなければいいがな……」

 

「確かこの辺りの管轄はアレクサンダー卿だったっけ?」

 

「まぁな。アレはどうにも俺を毛嫌いしてるから、邪魔立てするようなら叩っ斬るだけだが」

 

「ダメよ。同じ『八本槍』なんでしょ。仲良くしろとまでは言えないけど、下手な干渉は避けるべきだとは思うけど」

 

 何となくクーの事情を察しているようではあるが、リッカはクーにそう忠告した。

 クーは、向こうから突っかかってるんだからどうしようもないだろ、と反論しそうになったが、今ここで言い争うのも時間の無駄だと思い、ぐっと飲み込む。

『八本槍』のメンバーは、騎士王ことアルトリア・パーシー以外は基本的に自由奔放に行動している。今でこそ地上に蔓延する謎の霧について調査中ではあるが、四六時中かかりっきりになるわけでもない。王室も彼らのことは放任しているのだが、最悪こう言った時に遭遇しかねないのは考え物ではある。

 

「とにかく、基本的にはスリーマンセルで行動だから、あなたはエトとサラのところについてあげて。私は清隆と姫乃と行動するから」

 

「了解」

 

 クーは特に渋ることなく承諾、リッカから離れて待機している生徒の群れへと向かった。

 接近してくる『八本槍』に対し、恐れをなしながら道を開ける生徒たち。その、まるで小さなモーゼの海割りのような光景の中で、一人だけリアクションの違う少年がいた。無論、エトである。

 

「あ、お兄さん、来てたんだ!」

 

 天下の『八本槍』に対してこのタメ口である。この二人でなければ、確実に厳罰が下されるような重罪だった。そのような、誰にもできないようなことを平然とやってのける彼に、痺れて憧れる人がもしかすればいるかもしれない。

 

「おいエト、今はあくまでパブリックだ。表面だけでも繕っとかねぇと後々面倒になる」

 

「そ……そうですね、申し訳ありませんでした」

 

 クーの面倒臭そうな態度を見て取り、エトは態度を改める。

 そしてそのあとすぐ、リッカの号令と共に各自解散、それぞれ捜査に移るのだった。

 クー・フーリンとエト・マロース、そしてサラ・クリサリスのスリーマンセル。傍から見ればかなり異様な光景である。

 身近にいる『八本槍』のプレッシャーに白く滑らかな肌をチリチリと焼かれながら、サラは怯えた眼差しでクーの躯体を見上げていた。

 

「え、えとっ……!サ、サラ・クリサリスですっ!ご指導ご鞭撻の程、よ、よろしくお願いしましゅっ!?」

 

 ガチガチに緊張しながらも必死に喉から絞り出した挨拶は、努力空しく最後の最後に舌を噛んでしまった。

 女王陛下の懐刀どころか最終兵器を相手に無礼をはたらいてしまったと、涙目であわあわと慌てるサラ。彼女も、さくら程ではないにしろ小柄で華奢である。クーはこういう少女に割と本気で怖がられてしまうようだ。ましてサラは生真面目であり、何より貴族としての礼節を重んじる少女である。既に首を飛ばされる覚悟でも決めていそうな絶望っぷりだった。

 

「いーよ別に。そんなことにいちいちムキになってたらこの土地はとうの昔に更地だっつーの。今の俺は『八本槍』でも『アイルランドの英雄』でもなく、リッカ・グリーンウッドの補助係で、せいぜい『風見鶏のアニキ』くらいが丁度いい扱いだ。もっと力抜きな」

 

「は、はいぃ……」

 

 死刑執行が回避されたのを安堵したのか、力なく地面にへたり込むサラを、苦笑いしながらエトが支えて立たせてやる。

 相変わらずサラは泣きそうだが、少しは緊張が解れたようだ。

 

「ほれ、さっさと行くぞ」

 

 サラのリアクションに、居た堪れなくなって彼女たちに背を向け歩き始める。無論、方針も定めていないのでどこに向かうか自分でも分かっていない。

 エトはサラの手を取って、ふらつく彼女を引っ張るように後を追った。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「エトの知り合いには、あんな凄い人がいたんですね」

 

 衣服の上からでも分かる、剛堅にして柔軟な肉体を持った長身の男から少し離れた後ろで、エトとサラは並んで歩いていた。

 その男こそ紛れもない『八本槍』の一人、クー・フーリンであり、その武芸の実力は推して測ることすら愚かに思える程規格外である。こんな人物が、クラスメイトで数少ない気が許せる相手の知り合いにいただなど、サラからすればもはや都市伝説以上の何かであった。しかし現に、一瞬だが仲良さげに話していたのを目撃してしまった。

 

「小さい頃に、助けてもらったんだよ」

 

 その時の経緯を、エトはサラに話す。

 不治の病で寝込んでいた時、突如来訪した三人組の旅人。一人は壮健な体つきをした青年。槍の先端を剥き出しにしたまま現れたので最も印象深かった。そしてその側に控えるように佇む金糸のような長髪の美少女と、明るい橙色のショートヘアのそばかすが可愛らしい少女。

 エトの病に気が付き、生きる覚悟を、諦めない決意をエトを含め、少女二人に問い質す男。

 生きられるのなら、姉が笑って過ごせるのなら、どんなことだってしてみせる――風に煽られる灯火は、死を直前にして激しく燃え轟いた。

 諦めないことで未来を死から奪い返したエトは、そのきっかけを与えてくれた男のようになりたいと、強くなりたいと願って、一から鍛えてもらうことを志願した。

 体力もない、サンタクロースとしての力は姉が引き継ぎ、魔法の才能も大したことがなかった少年は、それでも諦めることなく足掻き続けた。それは一重に、姉や旅人の少女たち、そして何よりも男の優しさを知っていたからだった。

 

「今のエトを見ても、あまり信じられない話です」

 

 聞き手だった小柄の少女はそう感想を返す。サラがエトとよく話すきっかけとなった時に、魔法の才能だけはあるあのイアン・セルウェイを、瞬きをしている間に地に伏せてしまった男だ。昔話の彼とは全く正反対なのだから無理もない。

 

「でもきっと、エトはあの人の下で血の滲むような努力をしたんですね。……怖そうな人ですし」

 

 最後の一言は、聞き耳を立てられることを警戒したのか、耳を澄まさないと隣でも聞こえないような小さな声でひっそりと呟いた。どうせ前でのんびり歩いている男は全部聞いているだろうが。

 その時、サラとエト、二人の所持するシェルに、テキストが届いた知らせが入る。国有鉄道の各駅に生徒を配置、鉄道でのロンドンからの脱出を阻んだ上で、清隆一行はロンドン港に向かって水路での脱出を調査してみるとのことであった。

 

「向こうでは調査が進んでるみたいだね」

 

「私たちは全く活躍してないのでちょっと残念ですけど」

 

 割とあっさりと事件が解決してしまいそうで安心と共に何だか拍子抜けな気がしてしまう二人だった。

 それから三人は、とりあえず港へと向かった清隆一行に合流しようと移動する。その途中、クーのシェルが制服のポケットの中でけたたましく鳴り響いた。突如聞こえてきた大きな音にエトたちは吃驚するが、クーは苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

 この音が鳴った場合、その連絡元で何かしらの緊急要件が発生したことになる。

 

「畜生、何があったかは知らねぇが……。テメェら、急ぐからしっかり捕まってろ」

 

 そう言うなり有無を言わせず二人をそれぞれ脇に抱えて最も近い建物の屋根の上に跳躍する。そのまま屋根の上を飛翔するようにリッカたちの下へと駆け抜けた。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 一度離れたところで二人を下ろし、様子を見るために一度一人でロンドン港に近づく。

 聞こえてきたのは明らかに何か大きな争いが勃発しているような爆発音と破砕音。聞こえてくるのはぽつぽつとだが、威力の高い装備を使っての攻撃が行われているのは確実だった。

 視界の開けるところで槍を構えて立ち止まると、そこには、想像していた通りの人物が想像していた人物と共に、想像していた通りの表情で佇んでいた。

 アデル・アレクサンダー。そして傍らにいる金色の鎧を身に纏う青年。高所から大地を見下ろすその先には、一人の男が、豪華な装飾の施された武具に滅多刺しにされていた。

 その男こそ今回A組が≪女王の鐘≫の依頼として捜索していた脱獄犯、アンドリュー・ギャリオットその者であり、以前の風見鶏のグニルッククラスマッチの時の対テロリスト戦で見た光景から考えれば、彼を酷い恰好にしたのは彼だと簡単に想像できた。

 

「誰かと思えば、貴様か野蛮人」

 

「どっちが野蛮人だ。予科のガキ共で十分に片の付く相手に対して問答無用でこの様かよ。天下の『八本槍』様が聞いて呆れるぜ」

 

 醜いものを見る目で見下すアデルに対し、半ば怒りながら言葉を投げ返すクー。状況は最早一触即発である。

 

「フン、『八本槍』であるからこそ、魔法使いの誇りと誓いの下、女王陛下の悲願に盾突く逆賊に天誅を下したまでだ」

 

 アデル・アレクサンダーの言い分はご尤もである。魔法使いの不法行為が魔法使いの地位と信頼をどれだけ低下させるか、クーも理解している。

 理解しているが、同時に物事には限度があるということもまた理解していた。

 

「今回は少し出力の調整を誤ったようだ。始末書及び報告書は遅滞なく提出する。その者の処理はそちらに任せる。風見鶏の予科生でも十分に始末できる相手なのだろう」

 

 見え透いた嘘。本来ならば厳罰に処される大罪だが、埒外な存在である『八本槍』が女王陛下の名の下に行使した行為は、建前がしっかりしていればある程度は許容されてしまう。

 クー・フーリンは『八本槍』ではあるが、今回は予科1年A組のクラスマスターであるリッカ・グリーンウッドの補助としての行動である。アデル・アレクサンダーとここで対峙するための、確固とした理由は存在しない。ここで無謀に動くことこそ、リッカの友人であるエリザベスに迷惑をかける行為だった。

 

「クソッタレが……」

 

 立場なんぞに翻弄されるとは自分も焼きが回ったかと、悔しさに歯噛みする。『八本槍』でなければ、直接的にも間接的にもエリザベスとの関わりがなければ、極論、リッカたちと慣れ合うことがなければ、真っ先に飛び出して彼らの心臓を一突きするつもりだった。

 

「覚悟しておけ英雄。女王陛下を、英国を破滅へと導く貴様は、この私が直接制裁を加えてやる。どんな手を使ってでも貴様をこの英国から追放してみせる。覚悟しておけ……」

 

 蛇をも殺すような視線でクーに睨みつけられていたアデルは、そう言い残してコートを翻して踵を返す。そのまま建物の影に消えていった。

 彼の言葉に眉を顰めながらも、とりあえずは事件の収拾が先決、一度リッカを呼び出して合流し、緊急病院への搬送の準備と応急手当てを済ませる。清隆たちには一旦ウエストミンスター宮殿の前に集合しておくように指示し、医療班と共に駆けつけてきた、本来なら犯人確保後の仲介人であったはずの杉並に重傷の脱獄犯を受け渡す。

 深い霧の中、人払いの結界の中で行われた『八本槍』による一方的蹂躙によって、予科1年A組の最初の依頼は終了したのだった。




シリアス()を書いてると楽しい。
もっとコメディテイストにしたいのだけれど、ここからしばらくはシリアス()交じりで進行するかも。クリスマスパーティーとかは明るく行くつもりだけども。


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ビラを作ろう

画力チート(意味深)


 

 

 今回の事件――風見鶏の≪女王の鐘≫の依頼に、『八本槍』のアデル・アレクサンダーが介入、過剰戦力で解決をした件については、実際に彼からの報告書と始末書で、厳重注意のみの軽い処遇となった。

 一方、その≪女王の鐘≫自体は、事件の詳細は学生には説明せず、その状況を目の当たりにしたリッカ・清隆・姫乃のグループが脱獄犯であるアンドリュー・ギャリオット氏を確保、無事にしかる場所へと引き渡したことになっている。真実を知る者は、リッカと清隆、姫乃、クー、サラ、そしてエトのみである。

 サラとエトには、クーから簡単に説明を受けており、実際に目では見ていないものの、他言無用を約束して事の詳細を知るに至った。

 

「……『八本槍』って、裏ではああいうことも平気でやったりするの?」

 

 怒りと、疑いの込められた視線がクーを射貫く。清隆と姫乃はともかく、魔法使いの血の滲むような努力を知るリッカが、一般人と魔法使いの共存する世界を創り上げている最中にその裏で平然と命のやり取りがされている現場を目撃してしまったのだ。まして、その当事者が、旧友と同じ『八本槍』の一人ときた。

 

「バカ言え、んなことしねーよ」

 

 苛立ちと共に、吐き捨てるように言う。

 自分の気に入らないものを破ってきたこの槍が、今回その相手に振るわれることなく終わったことが非常に腹立たしく、悔しかった。

 

「アレクサンダー卿があんな人だったっていう訳?」

 

「奴だって本当ならあそこまで落ちぶれた奴じゃなかったはずだ。大方、あいつの言い分からすれば俺が女王陛下の傍で『八本槍』をしてることに痺れを切らしたんだろ」

 

 (はらわた)には、煮えくり返るようなどす黒い感情がせめぎ合っている。が、それをぶちまけるところはここではないことは理解していた。

 いくら性格が野性的で、好戦的で戦闘狂だったとしても、冷静さに欠けたことはない。だからこその『八本槍』なのだ。

 それなのにあの男は、黒いものを遂にぶちまけた。――まるで、突然何かに憑りつかれたかのように。

 

「……まぁ、いいわ。みんなには悪いけど、このことは誰にも言わないで。風見鶏の生徒になったばかりのみんなに、不安は与えたくないから」

 

 リッカが放ったその科白は、彼女自身もそれを言うのに躊躇っていたようだ。

 それこそ、地下の魔法学園へと繋がるこのエスカレーターの中には、事情を知る全員が揃っている。清隆、姫乃、サラ、エト――全員が既に、裏で起きた惨劇を知っているのだから。

 当然、彼らはみんな、不安と恐怖に沈黙を守り続けている。その中でも最も落ち着いていたエトでさえ、どこか強がっているように、リッカは見えた。

 

「まぁこれでアデルの野郎も他の連中に、特に騎士王様には目をつけられただろうし、下手な動きは取れないだろ。また同じことをやらかすとは思えん」

 

「そう……よね」

 

 不安を押し隠して、自分に言い聞かせるようにリッカは呟いた。

 そして学園の校舎の前まで来た時、一行は一人の男に呼び止められる。

 

「ご苦労であったな、リッカ・グリーンウッド」

 

 その男は、普段女王陛下の傍にいる男にして、謎の組織、非公式新聞部に属する本科生の青年――杉並。

 いつもは胡散臭い笑みを浮かべているのだが、今回に限っては、いつも女王陛下の傍にいる時と同じような、引き締まった真剣みのある表情。

 やはり先程の一件は王室からしても警戒するに足る一件だったのだろう。杉並は謝罪の言葉をリッカに送った。

 

「それと、例の選挙の件だが、とりあえずは葛木清隆の生徒会選挙当選を目的として、全面的にサポートさせてもらおう。基本的に多忙かもしれんが、融通を利かせるくらいはできよう」

 

 話が変わり、杉並の表情にはいつもの不敵な笑みが戻ってきた。杉並らしい、悪い意味でミステリアスな雰囲気が杉並を覆う。(相変わらず)掴みどころのない男――それがここにいる全員、初対面であるサラやエトも含めた全員が抱いた共通認識であった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「選挙活動においてもっとも重要なのは……チラシだ!」

 

 早朝の教室、他のクラスの生徒もほとんどいない中で、予科1年A組の教室に高らかな声が響き渡った。

 姫野と清隆を除くA組生徒が全員呼び出され、彼らのいない間に必要な話をあらかじめしておき、清隆たちの登場で杉並曰く通常モードにシフトしたらしい。そしてその時の第一声がこれであった。

 

「ビラ、フライヤー、折込チラシ、いろんな表現があるとは思うが、要するに広報活動だ」

 

 恐ろしく知名度の低い清隆がまずしなければならないのは、間違いなく葛木清隆の名を知ってもらうことだろう。しかしあまりにも当然な答えが返ってきたことに、クラスメイトからは不安の声が上がってきていた。その中で、サラが次のように批判している。

 広報活動と言うのは確かに大事なことではあるが、それは選挙の本質とは言えない。名前を知ってもらうというのは、誰が事前に立候補するかは事前に生徒たちに知らされているため、名前そのものは選挙に関心のある者には既に知れ渡っているのだ。

 立候補者の魅力、その人物が当選した際のメリットなどを広く告知しないといけないわけで、この広報活動はそのための方法論に過ぎない。

 そこで、サラの主張を一通り聞いた杉並は、それを一旦肯定して、サラにこう切り返す。

 

「では訊くが、クリサリス……貴様の考える、葛木の魅力とは何だ?」

 

「……へ?」

 

 サラは最初口ごもり、清隆の方をちらちらと見ては俯くが、少しして杉並を見上げ、こう返した。

 

「清隆の魅力は、天井知らずのお人よし加減だと思います」

 

 このサラの一言で、清隆の広報活動に際して、その人の好さを全面的に押し出す方針で進めていくことに決定、この日は土曜であり、午後の授業はなく、杉並の指示でビラ作成のための時間として利用することとなった。

 杉並が教室に現れた時、その手には大量の紙束が抱えられてあった。それを教壇の上に置いた時の大きな音に、クラスメイト全員が杉並に注目を集める。

 今回ビラをつくるに際して、とりあえず全員に清隆の似顔絵を描いてもらう。イラストとして手作り感を出すことが重要らしく、清隆は渋々、全員にその顔がはっきりと見えるように教壇へと向かった。席を離れる際、姫乃が不安そうな顔でこちらを見たのに気が付いたが、きっと大丈夫だろう。その目は自己保身の目だった。何に危機感を抱いているかはこの際言わないでおきたい。途中で目が合ったエトも似たような表情をしているが問題ない。

 その時教室の扉が開き、既にこの風見鶏で知らないものはいない男――クー・フーリンが登場した。

 

「こんなところで何してるかと思えば、テメェもご苦労なことだなぁ」

 

 杉並の姿を見つけた彼は、対面早々皮肉にものを言う。

 エリザベスの傍らにいる、恐らく忠臣の男なはずが、こんなところで油を売っているのだ。阿呆らしく思うのも無理はない。

 最も、この杉並と言う男の思考が人間の尺度で測れるような常識的な男ならば、クー自身はもちろん、生徒会は苦労していない。その話は今度ということにしておいてもらいたいが。

 

「なに、これでも俺は風見鶏の生徒だ。規則に反しない限り何をしようと俺の勝手だろう、『アイルランドの英雄』よ」

 

 誰もが畏敬の念を抱く『八本槍』を相手にこの言いよう、流石女王陛下の傍らで万事をこなす実力者である。武芸や魔法においては、その実力を知る者はいない。無論彼らよりも上どころか最底辺だという可能性もあり得るが。

 クーは彼の言葉を無視し、教室の奥、後ろの壁に寄りかかってイラストを黙々と描き続ける生徒たちを見渡す。

 それぞれがたまに向ける視線の先に立っているのは、立候補者の葛木清隆。彼とは特にこれと言ったかかわりはないが、リッカやジルと同様なお人好し加減が見え隠れしている割に、彼女たちと比べて圧倒的に自分を客観的に見る力に欠けている。誰かの為に行動するのは人としての美徳なのかもしれないが、自分を中心に据えた考えを持つ彼からすれば、清隆の在り方は酷くアンバランスに見えた。

 

「……まぁクラスマスターにリッカもいるし、エトや妹だっている。大したことにはならねぇだろ」

 

 お人好しは他人に好かれる傾向がある。清隆もその例外ではなく、仲間や友達と呼べる人も少なくない。仲間内で支え合うとかして乗り越えてくれるだろうと楽観視を決めることにしたのだった。

 ある程度時間が経過した後、杉並の指示で全員の手が止まる。杉並はいったん全員のイラストを見て回り、そしてこれだと思ったものをピックアップしてクラスメイトに公表することにした。

 そして真っ先に選ばれたのは、事もあろうか姫乃であった。その時彼女は思い出す――この世界は、残酷なのだと。

 辞退の意思も杉並に一蹴され、覚悟を決めて公表することに同意した姫乃だったのだが。

 

「こっ、これはっ!?」

 

「酷い、あまりにも酷過ぎます……」

 

 耕助、姫乃がそれぞれ驚愕を示す。他のクラスメイトも例外なく彼女の絵を見て唖然としていた。

 葛木姫乃――運動も魔法も座学もそつなくこなす彼女に唯一欠落した能力、それが画力であった。単に下手と言うだけならまだましなものだが、彼女の描くそれは見た者を絶望の淵に叩き込み、モデルとなった者に強烈な精神的ショックを与える恐るべきセンスを持ち合わせてしまっていたのだ。

 

「……久々に見たけど、これは酷い」

 

 自分の妹が描いたものであったが、いや、そうであったからこそ、彼女の短所を知っていてなお彼女の絵にはショックを受けた。

 既に清隆ではない、人型のようで明らかにその構図を間違えた、清隆であったはずのもの、彼女の紙片には、カオスが広がっていた。その酷さは、常時冷静沈着のサラでさえ動揺するレベルである。

 

「ま、まさか、姫乃ちゃんの目には清隆がこんな感じに見えてる……とか?」

 

「絵が下手な人間に会ったことは今までに何度か会いましたが、ここまで酷いのは初めてですね」

 

「……こいつは『歩く禁呪(フォビドゥン・ゴブレット)』に見せれば何かしらの禁呪が構築できるんじゃないか?恐怖とか、絶望とか、そう言った方面で」

 

 あちこちから出てくる評価は酷評ばかり、流石のクーですらその絵を二度見して話を変な方向に持っていこうとするくらいに落ち着きがなくなっていた。

 

「皆さん、酷いです……」

 

「酷いのはお前だ、姫乃」

 

 姫乃の呟きに、清隆は冷静にピシャリと突っ込んだ。姫乃が責められることに、こればかりは擁護できる人はいない。

 そしてこのクラスにもう一人、壊滅的な画力を持つ人間がいるのだが――

 

 次に公表されたサラの絵は、デフォルメされた清隆が可愛らしく描かれており、普段のサラからは感じられないほんわかとした雰囲気に満ちていた。

 それとは逆に、一応耕助の召使いで四季の絵は、写真と見紛うほどに写実的でまさしく清隆をそのまま紙に落とし込んだようだった。

 しかし四季に言わせれば、彼女の絵は上手いというより、写実的にしか描けないということだった。人間そっくりに作られた精巧な人形ではあるが、人間のようにインプットされた映像を抽象化して捉えることができないようである。だから、姫乃のようなあらゆる意味で高次元な絵を描くことができない。

 杉並は彼女の絵を、逆に写真でいいのではという指摘が来るのを危惧し、敢えてチョイスはしなかったが、その技術は使えると判断したようだ。

 そして――

 

「次、エト・マロース!」

 

「ひっ……!?」

 

 名前を呼ばれたエトの顔から血の気が引く。真っ青になりながらも小さな声で返事をし、怯えながらも杉並の方へ首を向ける。まるで殺される前の人質のような表情だった。

 姫乃の件もあるため、引き下がることはできないことは理解していた。抵抗することもなくその絵が衆目に晒され――

 

「どういう……ことだ……?」

 

「まるで意味が分からんぞ……」

 

「何これぇ……」

 

 教室が暗黒に支配される。恐ろしい程の悪の波動を放出しているのは紛れもなくエトの絵だった。その絵を見た者の反応は一様に、無。驚くことも、恐れることも、疑問を抱くこともままならないその絵には、異次元の扉を開いてしまいそうな程の何かがあった。

 

「なぁ、エト、一つだけ聞いていいか?」

 

「な、何でしょう……?」

 

「テメェが描いたのは、本当に人類……いや、この世界の物質か……?」

 

 クーの目には、どうやら彼の絵がこの世界の理を超越してしまった何かに見えてしまったらしい。それこそ、姫乃のそれを遥かに凌駕した化け物(モンスター)

 そしてそれは、あろうことかまだ完成していないのだ。用紙の上半分辺りでイラストの線は切れており、半分は白紙の状態である。それがまた悍ましさを増幅させているようにも思えた。

 

「ハーッハッハッハッハ!これは素晴らしい!まさかここまで見る者の心を恐怖で支配させる絵があるとは!この杉並、この生涯の最大の神秘に迫った気分だ!」

 

 高らかに笑う杉並は、笑顔にしては冷や汗を流しながら少し歪ませており、彼女の絵の放つ悪の波動に耐えきっているようにも見えた。

 

「インパクトは十分、いや、これに勝るインパクトを持つ絵などこの世界に二度と存在しないだろう!そう、天上天下において無双、崩壊を超えた何か、非公式新聞部を設立してまで追い求めたもののヒントがこの絵にはきっとある!」

 

 この男は早く何とかしないといけない。

 杉並がこのエトの絵をプッシュしようとしたが、そんなことをすれば清隆が間違いなく落選してしまうというサラの熱弁によって何とか回避された。もしかしたら本当にあの絵で清隆が当選してしまっていたかもしれない。恐怖政治的な意味で。

 

「エトくんの絵、私が言うのも何ですが、圧倒的に酷いですね……」

 

「お前が言うなとは一応言っておくが、姫乃、お前の言いたいことには賛同を禁じ得ないぞ……」

 

 エトの才能(?)の下位互換のそれを持つ姫乃もこのリアクションである。清隆の言う通り、お前が言うな状態ではあるが。

 エトがシュンとしているのを、サラは遠くから何とも言えない表情で、公表された絵と視線を行き来させながら見つめていた。サラ自身は気が付いてないが、色々な意味で本日一番サラの心が動かされた瞬間であった。

 結局、エトの絵は魔法による簡単な封印が施されることになる。

 杉並は全員の描いた絵の内、葛木清隆のキャラクターを特徴的に捉えて描いている半分を選択して一枚の上に縮小して並べる手法を取った。清隆のクラスメイトの、清隆の印象を死角イメージとしてダイレクトに全校生徒に伝えるという彼のアイデアは理に適っていると言えた。無論、姫乃とエトは高次元過ぎて除外である。

 そしてその際にも用いるのが四季の模写技術で、見たものをそのまま再現できるのであれば、他人の抽象化されたイラストを縮小して模写し、一枚の絵に並べることでビラをつくることができると判断したのだ。

 

 ちなみにこの後、姫乃とエトの間には、強烈なネガティブオーラを放つ奇妙な絆が生まれたという。

 エトをとりあえず励まそうとエトの下へと近寄ろうとしたサラが、それのせいで近寄れなかったと、後々清隆に報告している。




姫乃とエトのイラストSUGEEEEEE(錯乱)


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それぞれの転機

 

 もし、一つあれば十分で、かつ持っていてもそこまで価値を見いだせないものを、他人から同じものをもう一つ渡された時、人はどうするだろうか。

 答えは、捨てる、である。いつ捨てるか、あるいはどこで捨てるかは人によって様々ではあるが、大半の人間はわざわざとっておくことはせずに捨ててしまうと思われる。そして最悪の場合、それらは平気で路上や公共の広場などに放置されることもありうる。

 さてここでもう一つ、誰かの顔の写真や絵が乗せられた紙が地面に捨てられ、通りすがる人々に踏み躙られているところを目撃したらどう思うだろうか。

 答えは、対象の人物の印象を悪くする、であると思われる。たくさんの人に踏みつけられ、潰され破られた、人の顔が写されたビラを見て、彼らはその人物を、その程度の人物なのだと無意識に認識してしまうのだ。

 さて、この二つから導き出された杉並の答えは、ビラ配りの時代は終わった、であった。

 土日の休日明けの早朝から、四季によって仕上げられ、複製された大量のビラを登校する生徒たちに配り終えて教室に戻ってみれば、その日はじめたばかりのビラがもう用済みだと言われたのだ。そして彼が言うには、次はポスターらしい。当然クラスからの不安の声が上がった。

 しかし、上記の二点を考えた上で、そう何日もビラを配り続けるのはリスクが高い。そもそも学園に登校する時点で、校舎のエントランスでビラを配り続けていれば、八割以上の生徒には確実に手渡すことができる。受け取るかどうかは別問題だが、一枚を受け取りたくない者は二回目以降も受け取ろうと思わないだろう。

 その点でポスターは、一ヶ所に継続して掲示されてある限り、閲覧者に印象を与え続けることができるのだ。

 

 そういう訳で、杉並の鶴の一声によりポスターのための写真撮影を行うことになったのだが、当然衣装が制服のままでは差別化が図れずインパクトがない。清隆はほぼ押し付けられる形で絵本に出てくるような魔女のような黒のローブ、そして同じく黒のトンガリ帽子を被らされていた。その手に握るのは偽物の空飛ぶ箒。

 

「なかなか似合うわ。『ホビットの冒険』のガンダルフみたい」

 

 クラスマスターのリッカ・グリーンウッドは教室に入って清隆の様子を見るなり、おかしそうに吹き出しながらそう批評を漏らした。

 その後ろに控えていたクー・フーリンは下らないものを見る目で呆れたように清隆を見ている。

 

「今時あの胡散クセェ『八本槍』の魔法使い以外にあんなのを着る奴なんて珍し過ぎて気絶しちまいそうだ」

 

 

 結局、その後リッカにも生徒会の役員になる人物としてはあまり相応しくない、もっと品のある恰好がいいということで魔法で清隆に貴族院の議員のような服装、前世紀の上流階級(ジェントリー)のような格好になっていた。どうやらあり物の服を衣裳部屋から転送、ローブと交換しただけらしい。だけ、と言ったもののこんな芸当はリッカレベルでないと時間がかかるし失敗もしやすい。

 

「うーむ、確かに悪くはない。悪くはないが、イマイチしっくりこないな」

 

 リッカのチョイスした服に、杉並としては上々の評価を与えたが、まだ何か一歩足りないようだ。

 クーも同意見なようで、首を傾げながらなんだかんだ言って清隆のために思考を巡らしていた。暇なのか、あるいは清隆と同レベルのお人好しなのか。

 

「清隆さんは他の候補と違って日本の出身なのですから、そこをアピールしてみてはいかがですか?」

 

 ふと、耕助の召使いである四季がそう提案した。なるほど、日本人なのだから日本特有の恰好、これなら他の候補とも差別化を図れる上に、ある意味で日本の国柄みたいなものを匂わせることができるだろう。もしかしたらマスターより従者の方が賢いかもしれない、などと思ってはいけない。

 杉並は彼女の提案に、陰陽師、山伏などと例を挙げるが日本は興味があるのだが文化には疎いリッカにはピンと来なかったらしく、そこで彼女は真っ先にサムライを提案した。この時点で、リッカ・グリーンウッドが、日本国外の人間が想像する、ベタと言うかありがちな間違った日本文化のイメージを持った何とも惜しい人物であることが窺える。もしかすれば、訊かれればスシ・テンプラ・フジヤマなどと答えるかもしれない。

 リッカは再び魔法を行使して、衣裳部屋からとんでもない衣装を清隆に着せ替えた。

 鉢巻、陣羽織、そして『日本一』と書かれた旗。

 ここまで来れば分かるだろう。リッカの抱く侍のイメージ――それはどこからどう見ても、日本で最もポピュラーな正義のヒーロー、桃太郎であった。

 周囲に微妙な反応をされたリッカは、何か間違ってるかと首を傾げて訊き返す。

 

「間違っているか否かと言えば、間違い甚だしいが、これはこれで捨てがたいな」

 

 杉並は何とも言えない自信に溢れた笑みを浮かべてそう言った。

 

「おお、何か強そうじゃねーか。どうだ葛木、その腰に帯びた刀でかかって来い」

 

「やめてください死んでしまいます」

 

 清隆の衣装を一目見たクーの表情が一瞬で輝き始めた。その本性は限りなく戦闘狂である彼は、たとえ冗談でも強そうな相手を手合せに引きずり込みたいようだ。ぞっとした清隆は真っ青になりながら冷静に断る。

 結局、周囲の反応があまりにも良過ぎて、この格好に恥ずかしさを感じていた清隆だったが、有無を言わせず杉並たちに撮影場へと引っ張られることになる。

 翌日の朝、校舎のエントランスに掲示された候補者三名のポスターが貼り出される中で、一部の本科生の女子や清隆のグニルックでの活躍を見ていた男子たちの間で持て囃されているのを見て、姫乃が微妙に拗ねたのは別の話である。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 数日後、クー・フーリンとリッカ・グリーンウッドの耳に、≪女王の鐘≫の音色が入ってきた。

 今回の音は、予科1年A組の引率としての依頼。二人は依頼内容を確認して、速やかに教室へと向かった。

 クーが斜め後ろから見る、リッカの表情は、いつもの優しげでそれでいて自信に満ち溢れたそれとは違い、いつもに増して真剣な面持ちをしていた。

 

「こんな顔もできるんだよな」

 

「なんか言った?」

 

「何でもねーよ」

 

 自分で過去を振り返らない男だと自負していたクーだったが、真剣な彼女を見て、過去百年近くにわたって色々な地域を旅してきた時のリッカと、ジルの顔を思い出す。

 笑った顔、怒った顔、泣きそうな顔、呆れた顔、自信に溢れた顔、諦めそうな顔、そして、諦めない顔。色々な顔を見てきた中で、結局意識することもなかった表情の変化を、最近になってようやく実感し始めたらしい。それが彼にとっていいことか、悪いことかは別として。

 教室に入ってクラスの注意を引き付けたリッカに、クラスメイトは彼女の表情を見て重要な発表があることを理解し静かになった。

 予科1年にとって、三回目のミッション、そろそろ慣れてきただろうと思われるタイミングに依頼されたミッションは次のようだった――

 

 ――ハイドパークホテルでの爆弾テロ。ホテル内部に設置された魔法型の爆弾を探し出し、秘密裏に撤去すること。

 

 ミッションレベルはA、いくつかの段階にレベルは分けられているのだが、少なくとも前回の脱獄犯確保よりも大幅に危険度が上昇している。それゆえ、今回の事件は予科生全員で当たることとなり、各クラスでのチームワークが重要となってくる。

 爆弾の規模は、もし爆発すれば、よくて火災程度、場合によっては建物の崩壊、近隣の住民や建物にも大きな被害を及ぼす可能性もある。

 リッカは昼休み終了後に再集合するように告げ、解散の指示を出すが、それをクーがすぐに静止した。

 天下の『八本槍』からのありがたいお言葉、クラスメイトは姿勢を正して全力で耳を傾ける。

 

「爆弾処理なんて危険な任務なわけだ。さっきリッカからの説明にもあった通り、爆発した時の被害は大きい。万が一俺たちが巻き込まれた時、死ぬことだってありうる」

 

 生死の淵を幾度となく彷徨った経験のある男は、語気を強めて真剣に語り始める。

 

「だがな、こんな依頼ごときで死ぬのなんざこの俺が絶対に許さん。一応全員に言っておくが、命を賭して戦う、なんてのはテメーらガキ連中には十年早いことをよーく肝に銘じておくんだな。俺がテメーらに命令するのはたった一つだけだ」

 

 クーは一旦全員を見渡す。緊張に凝り固まった生徒たちが、しっかりと耳を傾けてクーの一言一言を聞きもらさないように捉えている。全員の瞳が本気になっているのを確認して、最後に一言付け加えた。

 

「――全員無傷で帰って来い」

 

 クーの命令に、クラスメイト全員が声を揃えて力強く返事を返す。その返事にクーは満足したようで、リッカに対して珍しく笑みを浮かべた。

 リッカも滅多に見せない彼の笑顔に優しく微笑み返す。

 

「いいこと言うじゃない」

 

「組織なんぞに雁字搦めにされて(なまくら)にされただけだよ」

 

「またそんな皮肉言って。ま、私たちも無傷でこの学園に帰るわよ」

 

「当り前だ」

 

 孤高のカトレア、リッカ・グリーンウッド。『アイルランドの英雄』にして『八本槍』、クー・フーリン。

 魔法使い史上最強のタッグが、今ここで再結成された。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 解散後、エトは教室を出て、購買までひとっ走り、おおよそ二人分のサンドイッチとドリンクを持って教室に戻った。

 目指すは教室の最前列、正面から向かって右側の方の席。そこに座っていたのは、小柄な青髪ツインテールの少女、サラ・クリサリス。

 

「これ、食べなよ」

 

 エトは、サラの隣の空いた席に座り、彼女にサンドイッチとミルクコーヒーの入ったパックを手渡す。

 サラは驚きながらも、頑なに拒むようなことはせず、しかし若干ぎこちない動作でそれを受け取った。

 

「緊張、してるよね」

 

 小さく震える小さな体を見て、エトはサラを心配する。今ここにいる魔法使いを目指す生徒全員が、責任の大きさと死の恐怖に対面している。無論、エトもその一人であったが、彼自身は師匠である槍の男にきっちりしごかれているため対して動じてはいなかった。

 

「エトは、大丈夫みたいですね」

 

「僕だって死ぬのは怖いさ。それはみんな一緒。でも、みんな怖がって逃げ腰になっちゃうからこそ、冷静な判断が下せる人は一人でも多いに越したことはない。そして、サラちゃんなら十分にそれができる」

 

 はっきりと、言いよどむことなく断言してみせる。

 あまりにも自信ありげにエトがそう言うものだから、プレッシャーが更に圧し掛かってきたようにも感じてしまい、サラも言い返してしまう。

 

「どうしてそう言い切れるんですか。エトはあの『アイルランドの英雄』に訓練を施してもらってるから大したことはないんでしょう。でも、私はそうじゃないんです」

 

 しゅんと下を向いて元気なさげに項垂れるサラを見て、エトは否定するように首を横に振る。

 

「僕が特別な人に武芸の手解きを受けたことは関係ないよ。僕は武術の一連をある程度使えるけど、実践で使った経験なんてない。死線なんて一度も潜ったことがない」

 

 それが、エトと彼の師匠との決定的な差。

 死線を乗り越えたものは、それだけで身体的にも、精神的にも強くなれる。現場に慣れ、戦場に慣れることで、より広い視野で周りを見ることができるようになる。

 しかしエトは、安全な場所で戦闘スタイルの訓練を重ねただけで、手合せをした相手も、極限まで手加減をしたクー・フーリンのみだった。

 現場に出て人の生死に関わるような行動に出るのは、これが初めてなのだ。

 

「だったら、僕が、僕たちがすることは、お兄さんが言ってた通り、無傷で帰ってくること。それだけを考えていればいいんだ。失敗は許されないかもしれないけど、万が一失敗したとしても、お兄さんたちならきっとカバーしてくれる。他力本願だけど、それでも信頼してるから」

 

 エトはそっとサラに微笑みかける。いつも通りの、自然に他人を引き込むある意味で魔性の笑顔。

 優しく咲く一輪の花のような笑顔に、サラは何となく癒された気がした。

 

「前を向こうよ。あれこれ考えるのは僕たちの仕事じゃない。僕たちは、目の前のやらなければならないことを最優先にこなせばいいだけだ。だったら、今することは一つしかないだろう?」

 

「……そう、ですね」

 

 サラは、自分の目の前、机に置かれた、包装されたサンドイッチを眺めて小さく頷く。

 一人では何もできないかもしれない。怖くて逃げだしたくなるかもしれない。でも、エトが傍で助けてくれるなら、いくらでも力を発揮できるかもしれない――サラは、そんなことを考えるようになっていた。

 丁寧に包装を剥がして、見た目も決していいとは言えない購買のサンドイッチに小さく一口齧り付く。

 可愛らしく咀嚼を繰り返して、そして喉に通した後、エトに笑顔を向けた。

 

「美味しいです」

 

 その時サラに向けられた自然な笑顔に、エトの心臓がとくりと跳ねたような気がした。何となくだが、サラとの絆がより強く結ばれてきている気がする。その心強さに、エトは更に自分に自信をつけたのだった。

 

 そして、昼休みは終わり、集合の時間となる。

 一学年合同での大規模なテロ防止作戦が、ここに開始される。

 




次回、紅蓮の長槍が空を薙ぎ、大地を割り、悪を挫く……?


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狂気の沙汰

ちょっと長くなりました、が、これでも平均字数一万とかキープしてる人からすれば少ないも同然。本当にすごいと思う。


 深い霧の満ちた地上、とある巨大な建物から少し離れた位置で、各クラスのマスターが受け持つクラスの生徒の点呼を取るために集合を掛けている。

 今回のミッションの目的地はここ、ナイツブリッジにある老舗、ハイドパークホテルである。大きく美しい外観を持つこの立派なホテルは、貴族や上流階級もよく使う由緒正しい場所である。

 テロの実行犯からは犯行声明が出ているらしく、声明自体の信憑性に関しては調査中だが、次の通りである。

 差出人は、マーガレット・ヒックマンを首謀者とするテロリストグループ、『ポラリス』。勿論マーガレット・ヒックマンなどと言う人物は実在せず、あくまでその時の代表者に与えられる偽名である。声明文にはホテルに爆弾を仕掛けてある旨、そして現首相に対する退陣の要求がされていたそうだ。

 現在の労働党の首相を筆頭とした政権が魔法使いや魔法そのものに対して否定的と言われており、魔法使いをメンバーに含むテロ組織がそれを批判しての行為だろうが、それこそこれまでに努力を積み重ねてきた魔法使いの立場に更に泥を塗る結末となり得る。それだけは絶対にあってはならない。現在の社会の魔法使いに対する扱いは不遇なものであったが、それは今後の積み重ねでしっかりと信用信頼を勝ち取っていくものであり、凶行蛮行で無理矢理手に入れようとするものではない。最悪、黒歴史であるあの凄惨な事件、魔女狩りのようなことが再び起きてしまうかもしれないことも視野に入れないといけないものを。

 

 犯人グループの捜索は有志の本科生が当たっている。予科生のすべきことは爆弾の早期発見であり、そこから先は王室付きの魔法使いで編成された専門の処理班が向かい対処することになっている。

 実際の建物を目の前にして、予科生の生徒は不安を隠せずにおろおろしたりざわついたりしているようだが、リッカの確認できる範囲で、A組の清隆、そしてエトとサラは他の生徒と比べて案外落ち着いているようだった。

 暫くして、生徒会長であり、今回の事件の解決を目的として編成された大規模なチームの総監督を務めるシャルル・マロースから、ハイドパークホテル内部及び周囲の人間の避難が無事完了した旨を告げられる。つまり、この時点で風見鶏の生徒が突入して爆弾操作に取り掛かる準備が完了したということである。

 リッカは清隆に、A組のクラスメイト全員に号令をかけるように言い、清隆はそれに従って全員に中に入るように指示を出した。

 ハイドパークホテルに接近する途中、ふと清隆は、ある人物が周囲にいないことに気が付く。

 クー・フーリン。『八本槍』の一人であり、今回の事件の解決にも協力してくれる、一騎当千の助っ人である。彼の姿が周囲のどこにもなかった。

 

「ああ、彼なら先に本科生に交じって、と言うより一人で犯人確保に向かったわ。案外あっさり見つけてひっ捕らえてくるでしょうね」

 

 あっけらかんと答えるリッカに、清隆は若干不安になる。いくらかなりの実力者でも、このハイドパークホテルの近くに犯人がいるとは言え、捜索範囲はかなり広大で、一人で探し出すのは非常に困難である。

 

「あの人も一応風見鶏の生徒なんですよね?」

 

「ええ、そうよ」

 

「えっと、あの人は『八本槍』に任命されるくらいの実力者ですけど、それはあくまで武術とか武芸とか、そう言った意味合いでの実力者であって、魔法の分野では特に凄いようには見えなかったんですが……」

 

 清隆の言いたいことはリッカにも十分伝わった。

 あの戦闘狂で、強そうな相手が現れればまず最初に槍の穂先を向けて挑発するような男は、戦闘分野では右に出る者はいない程秀でている。しかし風見鶏において、かつて彼が魔法を使ったところを目撃した者は存在せず、彼の魔法に関する実力を知る者は誰もいないのだ。

 

「そうね、あの人は魔法が使えないんじゃない、使わないのよ」

 

「え?」

 

 清隆は意味が分からないという風に首を傾げる。魔法使いを目指す者を教育する機関に所属しておいて魔法を使わないというのは、清隆にとっては到底理解できないものであった。それなら何故この学園にいるのかという話になる。

 

「あの人はそもそも、自分の槍で世界を渡ってきたような奴だから、自分の槍の腕を何よりも信じるような奴なの。それこそ、魔法なんていらないなんて思う程に」

 

 クー・フーリンがどのような男か、リッカは語る。

 清隆にとって、あの強烈な印象を持つ男を語るリッカの表情がいつもより輝いていることに気が付いた。

 

「それでも彼は魔法が使えるの。私たちの使う魔法とは出自も系統も違う、彼の扱う魔法はルーン魔術と呼ばれるものなの。名前くらいは聞いたことがあるでしょ?」

 

「ええ、まぁ」

 

「彼がルーン魔術を本気で使えば、それこそ私たちの使う魔法なんてちっぽけなものになってしまうわ。それでも彼は魔法を使わなかった。たった一度を除いて」

 

 リッカは、クーとの旅の中で、一度だけ彼がルーン魔術を行使する瞬間を目撃していた。

 その恩恵で、たった一つの、消えかけた小さな命が一つ救われ、今でも元気で過ごしている。

 

「シャルルの弟、エト・マロースは、彼の魔法のおかげで生きているの」

 

「――っ!?」

 

 リッカの言葉を聞いて、清隆は衝撃を受けた。

 まず、決して誰にも見せようとはしなかった強大な魔法を、たった一度だけ教師のような存在であるリッカに見せたこと。そして、そのたった一回で、今では信頼できる友人の命を、過去に救っていたこと。それは噂話にあるような大胆不敵にして悪辣非道な『アイルランドの英雄』の姿ではなく、いつもエトが慕っている、強くて頼りがいのある、ただ一人のアニキの姿だった。

 

「俺たちは、とんでもなく凄い人にいつも守られてたんですね」

 

 清隆は、あの大きくて逞しい背中を思い出しながら、クー・フーリンという一人の男の本当の偉大さを噛み締めていた。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 ハイドパークホテルから少し離れた位置にある高い建物の屋根の上、クー・フーリンは遠くを睨んで立ち尽くしていた。

 その瞳に宿すのは憤怒の炎。まるで蓄積された感情が静かに爆発したかのような表情は、まさに『八本槍』の称号に相応しいものだった。

 

「さて、こちとら面倒なことが多過ぎてイラついてんだ。前にアデルのクソジジイが派手に暴れた分、俺様も派手にやらせてもらうぜ……!」

 

 怒りを抑えるように深呼吸をして、そのまま目を細める。

 不本意ながらも、自分のストレスを発散させるために、使いたくないものを使うことを決め、記憶の底から魔術に関する知識を引っ張り出す。

 真紅の槍を左手に一旦持ち替え、空いた右手を前へと伸ばす。人差し指をぴんと伸ばし、そして空中にルーンの文字を刻んでいく。行使するルーン魔術は、索敵と気配遮断。

 経験によって培われ、研ぎ澄まされた第六感が、自分の内から自分でも驚くほどのスピードで広がっていく感覚。幾つもの建物を、人を超えて探索範囲は広がっていく。リッカを筆頭とした魔法使いが固まっているのを探知して、作戦が実行されたことを理解する。それからしばらく待って、ついに別の場所でリッカたちとは別の大きな魔力の塊、リッカに比べれば赤子のようなものだが、集団で人を襲うには過剰戦力ではあった。

 

「――見つけたぜ」

 

 再び槍を右手に持ち直し、しっかりとその感触を握り締める。

 怒りを瞳に滾らせ、檻から解き放たれた飢えた猛獣は新たなる獲物に唇を歪ませ、舌なめずりをする。

 全神経を足に集中させ、探知した方向へと地面を蹴って飛翔する。まるで羽のように軽やかで、鷹のように鋭い跳躍。人間離れした速度で空を駆けるその姿は紛うことなき弾丸。

 血沸き肉躍るとはこのことか、全身が沸騰するような、体中を駆け巡る熱き鼓動に、戦士クー・フーリンはこの上ない快楽を感じた。

 そして弾丸は、勢いを殺さず、狙った標的を、一寸のズレすら許さず撃ち抜いた。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「時間みたいね。後三十秒でそれ、爆発するわ。さよならね」

 

 ハイドパークホテルから数キロ離れた場所にある建物の一部屋、そこにマーガレット・ヒックマンはいた。

 風見鶏の生徒、及び孤高のカトレア、リッカ・グリーンウッドが、テロリストの設置した爆弾の内、最も早い段階で爆発するものを発見した。その時を狙い、彼女たちに、勝者の余裕で声を聞かせてやることにしたのだった。

 リッカ・グリーンウッドは即座に爆弾を止めることを要求したが、こちらから手を出せない分、既に操作はできない。すなわちホテル側にいる人間が何かしらの干渉を爆弾に施さない限り爆発を阻止することはできないのだ。それに、今回使用した爆弾は、ホテルに泊まる人々に悪夢を見せ、そこで発生した恐怖や不安といった『想い』を魔力として物理的な力に変換して蓄積、圧縮して爆薬代わりとしているのだ。

 そのため夢や眠りに関する魔法使いでなければ爆発の阻止どころか魔力を辿ることによる爆弾の探知もほぼ不可能であり、現状の風見鶏においてはそんな生徒が存在する可能性は極めて低かった。

 運よく発見されたものの、向こうには阻止する手段はない。このまま上手く行けば爆弾は爆発、ハイドパークホテルと言う、貴族や上流階級がよく利用する建物を破壊することで魔法使いの恐ろしさを現政権の無能たちに思い知らせることができる。

 カテゴリー5との対話を終え、計画が確実に成功したことを実感する。

 これまでにどれだけ魔法使いが苦労してきただろうか。涙を呑んできただろうか。恐怖し絶望しただろうか。魔法使いの苦しみを、愚かな人間どもに思い知らせてやる。

 勝利に酔い、緊張から解れる五感に、強烈な衝撃と爆発音が襲う。

 一瞬だけ視界に入ったのは、紅の弾丸だった。

 

「な、何だ……!?」

 

 テロリストグループ、『ポラリス』のメンバーにも動揺が走る。

 まさか計画が成功する直前に身を隠すのに採用した建物も、魔法で気配遮断をし、更に防護魔法もかけておいたはずなのに、あっさりと侵入を許してしまった。

 煙の中から一つの人影が見える。その人影が握っている一振りの棒切れ。影からでも分かる。圧倒的なプレッシャーと恐怖。マーガレット・ヒックマンは、その正体に戦慄した。

 

「な、何であんたが……っ、こんなところにっ……!?」

 

 砂埃は晴れる。同時に、怒りに滾る紅蓮の双眸が、視線で射殺さんとばかりに身を貫いているのを実感した。

『アイルランドの英雄』にして『八本槍』、天下無双の槍の戦士、クー・フーリン。

 

「テロリスト如きにわざわざエントランスから上がってくるような礼儀も作法もいらねぇよなぁ……」

 

 低く、重厚な第一声。

 その一言だけで、テロ組織のメンバーは慄いて一歩後ずさる。そこにあるのは、死の恐怖を具現化したような存在だった。『八本槍』に目をつけられるとどうなるか、知らないものはこの中にはいない。彼らは、最悪の人間を敵に回したのだ。

 

「さぁて、テメェら、神様には祈ったか?神の愛とやらを授かったか?死にたい奴から一列に並べ、握手会で昇天させてやるよ!」

 

 腰を落とし、槍を構える。それだけで放たれる重圧。首謀者であるマーガレットは恐怖に体を震わせた。

 

「お、お前ら!やれ!こいつを殺した奴に最大の報酬を与える!」

 

 グループのリーダーが喉から声を絞り指示を飛ばす。自らもワンドを握り、攻撃魔法を展開し始めた。

 一瞬にして、周囲からは攻撃魔法の弾幕に晒される。しかし戦士は全く動じない。それどころか口角を吊り上げて不敵に笑った。

 腰の高さは一切変えず、上体の捻りと腕から先の柔軟性だけで槍を前後左右縦横無尽に振り回す。闇雲に振るわれているわけでは決してない。飛んでくる凶器を全て視界に収めて把握し、最も無駄のない軌道で確実に魔力の塊を打ち落としていく。

 まさに圧巻。クーの槍の射程範囲から内側に、絶対に攻撃が届かない。まるでその半球の外側にバリアが張られているかのように。

 完全な消耗戦と思われた。クーの体力が切れるか、テロリスト側の魔力が底をつくか。多勢に無勢、頭数を考えれば明らかにクーの方が不利に見えた。

 しかし、戦闘狂は、その戦局を、常識を覆す。

 

「どわぁっ!?」

 

「ぐぁあっ……!」

 

 所々から断末魔が聞こえ始める。彼らは、彼らの飛ばす魔力をその体に受けて吹き飛ばされていた。勿論、その魔力の持ち主はクーではなく。

 

「こいつ、マジかよ……!?」

 

 最早理不尽、そう見て取ったマーガレットは目の前の鬼神に震え上がる。

 なんと、これまで打ち落としていた魔力弾を、今度はご丁寧に飛ばした相手に打ち返していたのだ。人間には到底会得できない芸当、神業ともいえる境地。『八本槍』が規格外であることは分かっていたが、本当の意味でその恐ろしさを理解していなかった。

 弾幕の真ん中にいる鬼神の笑みはずっと崩れないままでいる。すなわち、ここまで魔力弾の嵐に晒されていようと、未だに余裕を保っているということである。これでも、その実力のほんの片鱗しか見せていないということか。『八本槍』の底とは一体どこなのか。計り知れない奈落の底を覗いた時、闇の奥から伸びた手に引きずり込まれる恐怖と絶望。

 彼らは最初から間違っていた。王国に対して反旗を翻すことは、一個師団ですら紙屑のように扱うような化け物の集団を相手にすることと等しいということを計算に入れていなかった。

 

「……完全に、測り違えていたというのか」

 

 ふと気が付いてみれば、先程まで弾幕に晒されたいた所に、クーがいなくなっていた。弾幕の相手をするのに飽きてしまったのか、余裕のままに抜け出してしまっていたのだ。

 敵の姿が見えない。近づいてくる仲間の悲鳴と断末魔。死の気配が少しずつ迫ってきている。

 

 ――チェックメイト、だ。

 

 楽しそうな声が耳に届いた瞬間、マーガレット・ヒックマンの意識は白く反転しプツリと途切れた。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 犯人グループが、『八本槍』の人間の単独行動で蹂躙され、あっけなくその男により捕縛されている間、ハイドパークホテルの方でも動きはあった。

 魔法型の爆弾を通じての、テロ組織のトップと思われるマーガレット・ヒックマンとの会話が途切れた後、リッカは爆発寸前の爆弾を急いで外に飛ばすように指示を出した。ホテル内で爆発させるより外で爆発させた方が被害が少ないというリッカの判断だった。

 しかし、被害が出ないのではなく、少なくなるだけである。この部屋の窓に面しているのはハイドパークと呼ばれる公園であり、避難場所の一つとして設定されている。例え爆弾を外に放り出して上空で爆発させるとは言え、その破片や爆風などで怪我をする人は出てくるだろう。

 清隆はリッカの提案を一蹴し、爆弾を抱え込んでベッドに横たわる。

 

「清隆!?」

 

 突然の清隆の行動にリッカが動揺する。

 その時リッカは忘れていた。何故葛木清隆がカテゴリー4なのか。そしてそのカテゴリー4であるところの清隆が得意とする魔法の分野は何だったか。

 清隆の中に生まれるたった一つの勝算。それは清隆自身が夢を扱う魔法使いとして最高峰の存在であるということ。つまり、相手が夢を扱う分野の魔法を使う以上、清隆より格下ということである。そして、この爆弾は、悪夢を爆薬として利用している。

 

「だったらすることは一つしかないだろ……」

 

 覚悟を決めたように呟く清隆。

 全神経を集中して魔法型爆弾に干渉するその目的は――爆弾内の悪夢の全吸収。

 悪夢が爆薬であるのなら、その悪夢を爆弾から抜き取ってしまえばいい。そして、夢を操る清隆なら、当然悪夢だろうと制御することができる。そして、目前にまで迫る最悪の結末を、回避することができる。

 清隆は、爆弾諸共眠りに就いたのだった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 エトとサラは、基本的にAクラスのメンバーの捜索範囲が重複しないようにそれぞれに指示を出し、最初にして最も危険な爆弾を発見した清隆の情報を頼りに、別の爆弾の捜索及び撤去に取り掛かっていた。つい先ほども、クラスの人間から合計三つの爆弾を発見、早急に爆発物処理班に対応を要請したところである。

 

「実際にいくつか発見はしましたが……」

 

「そもそも合計でいくつかあるか分からないから、効率は悪いね。結局は人海戦術が頼りだ……」

 

 弱音を吐きつつも、二人は歩くことを止めない。変わらない強気な歩調で次の部屋へと突入する。

 もう幾度となく見てきた部屋のデザインにそろそろ飽きが回りつつも、部屋に設置された二つのベッドを一人ずつ調べる。

 

「あ、ありました!」

 

 サラの方から聞こえる発見の声。ほんの少しだが、不安と焦りで声が震えていた。

 急いでサラの下へと駆けつけ、一旦ベッドの下から顔を出したサラに確認を取り、エトは自分のシェルをポケットから取り出す。

 すかさず番号を打ち、まずは処理班へ、続いてクラスマスターであるリッカにも連絡を送った。

 

『ああ、エト?頑張ってるじゃない、A組で発見したのはこれで九個目よ。お手柄じゃない』

 

 頼もしいクラスマスターの声が、どうにも息切れしているようではっきりと聞き取れない。エトはリッカたちの方でも何事かあったことを察する。

 

『ちょっと清隆が、ね。もうMVPは決まったようなものかもしれないわ』

 

 リッカが言うには、清隆は爆弾の爆発を回避するために身を犠牲にしたこと、そして爆弾にため込まれた悪夢を吸収して、それこそ何百人分もの悪夢を同時に受け入れ、その悪夢に苛まれ続けていたこと、そのお蔭で爆弾の爆発は無事に回避、同時に事前に知らせてくれた清隆の情報で爆弾の仕組みを処理班に通達することができたこと、それだけのことを彼は成し遂げたらしい。

 そのことをエトはサラに伝える。

 サラは目を丸くして、妙に優秀なクラスメイトの、更にとんでもない行動に驚いた。

 

「清隆って、本当にただの見習い魔法使いなんですかね……」

 

「さぁ……」

 

 ふと外の様子が気になったサラが、窓から外を見下ろす。そこには、あまり一般的には知れ渡ってはいないものの、魔法使いならば誰もが知っているような男の姿を見かけたような気がした。

 魔法考古学を専門とする一族にして、その一族の現当主にして『八本槍』、アデル・アレクサンダー。

 人ごみに紛れていたのでその姿を目にしたような気がするのは一瞬だった。もしかしたら見間違いかもしれないと思ったのだが。

 

「今の、アレクサンダー卿……?」

 

 いてもおかしくはないのだが、いるのであれば何故協力の意志を見せないのかが分からない。

 サラはその人物が本当にアデルだったのか、そして本当に彼だったのなら、何故こんなところで油を売っているのか、どうにも疑問しか浮かばなかった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 一人も殺さずに全員を捕縛して外へと引っ張り出したクーは、もう一度現場の確認を行うために建物内へと侵入を試みる。

 恐らくは本当に隠れ家程度にしか考えていなかったのだろう、長い間使われていないと思われる故障した家具や電化製品には埃が積もっていた。

 

「ったく、カビ臭ぇな」

 

 文句を言いながらも建物内はくまなく調査をする。テロリストを相手に大立ち回りをしたのだから、例えば他のテロ組織との繋がりを匂わせるような物品はないか、その他危険物のチェックなどをするための調査はしっかりと行わなくてはならない。あくまで王室直属の騎士『八本槍』なのだから、そこら辺の責任云々の話はアデルを筆頭とした様々な人に耳に胼胝ができるほど聞かされている。今更サボって説教をされるのもうんざりだった。

 内部を調査するものの、本当に魔法使いの地位絡みの、衝動的な犯行だったのか、他とのコネをちらつかせるようなものもなく、その他危険な物体もないようだった。

 これだけすれば文句はないだろうと、階段を下りてエントランスへと向かおうとした瞬間だった。

 

 ――轟!

 

 強烈な閃光と、耳を一瞬で駄目にする程の甲高いノイズ、次に襲ったのは轟音と共に崩落する巨大な瓦礫。

 クーが建物内にいる間に、大爆発が起きたのだ。

 

「――ックソッタレ!」

 

 古くなった建物で足場が不安定なうえに、ここは階段である。立ち回りができないこともないが、爆発による揺れが大きいためにバランスを立て直すのもままならない。

 一瞬にして視界は黒に染まる。そしてついに、一階部分どころか、建物全体が崩壊、中に人間を一人残したまま建物は瓦礫の山と化した。




読者の皆様の誰一人としてクーが死んだなんて思ってる人はいないと思う。


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女心と一匹狼

 

 

 恨み、妬み、憎しみそして――怒り。

 負の感情が、ただ一人しかいない部屋に、男の全身から溢れ出し、そして充満していく。

 力任せに振り下ろした拳の下敷きとなったのは、魔力を原動力に稼働するワードプロセッサー。ボタンははじけ飛び、恐らく修復不可能なまでに破損しきっただろう。

 忠誠を誓う女王陛下のため、そして『八本槍』の誇りにかけて守るべき祖国のため、我が地位を、そしてわが命を危険に晒しながらも遂行した、ただ一人の野蛮人を葬り去るための計画は、脆くも崩れ去った。

 決して例の男の実力も才能もそして現在に至るまでの努力も見くびり侮った訳ではない。むしろ『八本槍』として、選ばれたに値するバトルセンスを警戒に値するものとして全てを進めたつもりである。

 ハイドパークホテルの破壊を目的としたテロ行為――それに乗じ、テロリストに対してスパイを一人放ち、動向を確認、指定した建物に隠れ家として選択させるよう誘導し、テロを実行させる。王立ロンドン魔法学園の予科生全員を総動員して解決に当たっている間、有志の本科生が犯人捜索に当たる、それと同様の扱いで彼――クー・フーリンはワンマンプレイを開始することも読んでいた。突然にして襲われるテロリストグループがそこで彼を消すことができたならそれはそれでいいのだが、勿論そんなことは考えていない。渡したスパイだけを事前に撤退させ、あの猛犬にテロリストを捕縛させる。その後の事後の調査の間に、スパイが一つだけ盗み出し、抗争が起こる前に隠れ家にセットしていた、悪夢を爆薬とした魔法型時限爆弾を爆発させ、建物諸共あの男を下敷きにする――選んだ建物は鉄筋コンクリート製、地上六階もある、破壊すればそれなりに重量の出る物件だ。いくら卓越した武術者でも、古臭く足場の狭く不安定な建物の中でそれ程の瓦礫に押し潰されれば、抵抗する間もなく血を一帯に撒き散らす肉塊へと変わり果てていたであろう。

 しかし、あの男は――不死身とも言えるあの男は、まるで道端で転んで帰ってきた餓鬼のような態度でのうのうと帰ってきたのだ。

 風見鶏のとある予科生の前代未聞の大活躍の裏側で起きた爆発事件は、結局死者ゼロ名、負傷者一名で、命に別状はなく、外傷は酷いものの彼にとっては十分に動ける程度、魔法による治療を受ければ完治する程度のものであったらしい。

 

 最早害悪、女王陛下の統べる王室、そしてこの国を根底から蝕んでいく病魔――疫病神、そう呼ばれてもおかしくない男を、いち早く駆除しなければならない。

 本人に直接手を下して失敗するというのなら、まだこちらにも手は残されている。

 女王陛下を、そしてこの国を守るために、今一度心を無にして、必要悪として道化を演じてみせよう。

 そう、本人が駄目なら、外堀から崩してしまえばいい。

 男は狂気に歪んだ顔を気にすることなく、デスクに置かれた一枚の書類を手にする。

 隅に張られた顔写真、そしてその横から下へ羅列されるそお人物の詳細記録――プロフィール。

 清き川のように淀みなく流れる金糸のような金髪のロングヘアに、宝石のようなサファイア色の瞳。魔法の才に長け、魔法使いとして最高位の称号を手にし、今やその異名を知らぬものは魔法使いにはいないとも言われる美少女。そしてその名は。

 

 ――リッカ・グリーンウッド。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 全フロアの爆弾の撤去と処理を確認した風見鶏一行は、生徒全員の無事を確認するための点呼を取っている最中に遠くで爆発音を聞いた。

 その音を聞いたリッカと巴は、シャルルに全指揮を任せ、音のした方向へと走った。明らかな魔力の爆発拡散と、爆発によって起きた火災とそれによって生じる煙によってすぐに位置は特定できた。

 リッカたちが駆けつけてすぐに到着した消防隊員の活動によってすぐに火災は鎮火され、瓦礫の撤去作業に取り掛かることになった。

 そして彼らが丁寧に取り除いていく瓦礫の中に閉じ込められていた、一人の男をリッカたちが見つけることになる。

 

「すまんリッカ。警戒はしていたが回避できなかった。死んではねーけど左腕と両足の骨をやっちまったみたいで脱出できなくてよ、まーとにかく救助が来て助かったぜ」

 

 顔だけをこちらに向け、うつ伏せになっている状態で、両足と左腕はそれぞれ関節から不自然な方向へと曲がっていた。所々出血しているようだが恐らく皮膚を切った程度のかすり傷と思われる。むしろ何故六階もある建物の最下層で爆発に巻き込まれ瓦礫の下敷きになったというのに切り傷と骨折だけで済んだのだろうか。巴はクーの出鱈目な生命力に頭を抱えた。

 一方でリッカは、いつものように呆れた素振りは見せず、その瞳はほんの少し、潤んでいるように見えないこともなかった。

 

 とりあえず彼は救急隊によって搬送され、適切な処置を受けて動けるようにはなったものの、彼は出撃する前、A組の全員に対してこう命令したはずだ。

 

 ――全員無傷で帰って来い。

 

 その命令を自ら反故にする形になり、意外にも申し訳ない気持ちになっていたのだった。

 一応回復しているとはいえ、肉体に負担をかけないように、ところどころを包帯で固定してあるのは事実、この格好でA組の生徒の前を歩けばどういう目で見られるかは何となく察しがついていた。

 実際、現在風見鶏の医療施設に幽閉されているクーの目の前で、クーが予想だにしなかったリアクションを、孤高のカトレアは見せていたのだ。

 涙を堪えていたのか、しかし堪え切れなかった涙が瞼の両端から少しずつ零れて。

 心配と不安を全て怒りに変換しようとして、その拳をクーの着る衣服、その胸倉を、指が、拳がおかしくなるくらい強く握って。

 罵倒しようと、腹の底から喉を潰してまで叫ぼうとした言葉は、涙声ですぐに弱々しくなり。

 遂に言葉も尽きて、力なく崩れ落ち、嗚咽を漏らしながら震えていた。

 カテゴリー5、孤高のカトレアに似つかわしくないこの少女の姿をクーはどこかで知っている。そして、一方で孤高のカトレアとして全を纏め上げるカリスマと実力を持つ、決して弱くない少女の姿をずっと見てきたために、流石のクーも、この状況に困惑していた。

 

「えっと、なんだその、だな、まぁ泣くなって」

 

 こういう時、かけるべき言葉も分からないクーは、どうしようもなく意味もない言葉を投げつけるばかりである。

 こんな時にエトやジル、そして清隆のような、類稀な慰めセンスを持つ思考が、自分には全くないことに苛立ちを感じる。正直なところ、泣いているリッカは他のどんなものよりも対処が面倒臭い。それこそ、彼女の言葉を借りれば『かったるい』である。

 

「……ったく、テメェ、ホントジルより泣き虫だよな」

 

 そうして結局出てくる言葉は悪態をつくものであり。

 

「……だって……心配、したん……だもん」

 

 泣き叫ぶことに体力を使い切ってしまったのか、嗚咽交じりに絞り出す言葉も最早力ない。

 と言うかぶっちゃけこんな面倒臭いことになってしまったのは誰のせいだろうか、思考回路を働かせる。複数のロジックから導き出される答えは一つ、クー・フーリン、自分自身である。

 

「あー分かった分かった!もーめんどくせー!今度の休日買い物付き合ってやる!それで手打ちだ!」

 

 もう既にヤケクソ。これ以上に何かを言われたら自分のせいだろうが何だろうが、無視を決め込むことに決めていたのだが。

 リッカから帰ってきたのは、やっぱり予想とは違うものだった。

 

「……ジルも、一緒に……ね」

 

 弱々しくも、落ち着いて、小さく頷いたのだった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 そして事件も解決、約一名の、既に完治してしまった負傷者も、風見鶏の事件解決に当たった生徒のための、風見鶏のグラウンドを使った夜空の下での食事会には参加していた。勿論リッカに引っ張られての半ば強制参加である。このパーティーは、学園長であるエリザベスからの、風見鶏の生徒の尽力と活躍によって市民の命を守ることができたことに対する労いと、そして約一名以外の全員が無事に帰ってこられたことに対する感謝の気持ちを込めたものだった。

 リッカはと言えば、既に調子を取り戻し、いつも通りの、孤高のカトレアとしての、そして予科1年A組のクラスマスターとしての威厳を再び見せていた。

 泣いているリッカをあやすのも一苦労だったし、正直に目の前で泣かれるだけで疲れたのだ。泣き止んで安心したとはいえ、どことなく不安定なリッカに呆れることもあって。

 

「ホント、泣き喚くあいつの姿を見たら、こいつらはどう思うんだろうな……」

 

 ドリンクの入ったコップを片手にそうごちる。ちなみに現在も一応職務中ということで、アルコールではない。グラウンドの端に設置されてあるベンチにどっかりと腰を下ろして空を見上げる。

 それとほぼ同時、クーの研ぎ澄まされた五感が、自分の隣に誰かが座ったことを察知させる。自分の隣に不躾にも、それでいて遠慮がちに座ってくる人物など、クーは一人しか知らない。

 

「ジル、何かようか」

 

 隣の少女に目を向けることなく、面倒臭そうにそう呟く。彼女が話す内容はおおよそ見当がついていた。

 

「リッカのこと泣かせたでしょ?」

 

 こういうことである。

 

「ダメじゃない、女の子を泣かせちゃ」

 

「なんだ、こっちにとっちゃアレに泣かれるのは青天の霹靂もいいところだっつーの」

 

 自分には関係ない、と言い張りたいのだろうが、その態度はどこかリッカのことを気にしていて、ばつが悪そうで。

 そんな風見鶏のアニキの珍しい反応を堪能しながらジルは言葉を続ける。

 

「孤高のカトレアでも、カテゴリー5でも、リッカはまだまだ乙女さんなんだよ。女心とか、乙女心とか、クーさんも分かってあげないと」

 

「メルヘンもいい加減にしやがれ。こちとら女に現を抜かせるほど気を抜いた覚えもねーし、そもそも俺は無事だったろーが。リッカが泣く意味も分からんのだ」

 

 リッカが泣いていたのは、クーの身を案じていたからだ。

 クラスマスターとしての責任と、大切な仲間の負傷、そして犠牲。リッカが本気で心配したのも、クーのことが心の底から大切だったから、に尽きるだろう。

 しかじ現にクーは死んではおらず、今となっては傷一つない完治状態である。無事なのだから、いつものように怒鳴り散らすだけで良かったものを。

 

「リッカだって、たまには()()になるんだよ」

 

 どこか儚い笑顔を浮かべて、その笑顔を夜空に向けて、ジルはそう言葉を零す。

 リッカのことを親友として最大限理解している者の、意味深な一言。

 

「一度にいろんなものを背負って、大切なものをなくしそうになったら、そりゃ女の子は気持ちが混乱するもの」

 

 何となく、何となく言いたいことが分かりそうだが、結局理解することはできなかった。

 その時、グラウンドの方から、何やらマイクを通した放送が流れる。

 

『葛木清隆殿――』

 

 スピーカーから聞こえてくるのはエリザベスの表彰の声。

 今回の事件の解決に当たって、最も市民の安全を守ることに置いて最大の手柄を立てたのは清隆だった。

 最も早い段階で爆発しそうな爆弾を見つけ、それが起爆してしまう前に自らの魔法でそれを阻止、ハイドパークホテルをテロから守り抜いたのだ。

 

『汝の活躍により、多くの命が救われ、また王立ロンドン魔法学園の名誉は守られました』

 

 ハイドパークホテルを風見鶏の生徒が守り抜いたということはすなわち、どこかの誰かがその事実を受け止め、そして魔法使いに対する考えを改めそして周囲に伝播させていく可能性が拡大されるのを意味する。

 それこそ風見鶏の意志、そして魔法使いの悲願そのもの。清隆はそれを体現してみせたのだ。

 

『よって、ここに汝の知恵と勇気を讃え、表彰します』

 

 清隆が受け取ったのは、表彰状のようなものではなく、勲章のようなブローチ。

 表彰に対する感謝の言葉を返し、学園長の握手に応じると同時に、風見鶏の生徒や、教員の方々からの大きな拍手に讃えられる。

 清隆が学園長から授かったのは、名誉ナイトの称号。正式な叙勲は春に行われる予定だそうだが、内定と言うことらしい。

 

「ほぉ、名誉騎士ねぇ。エリザベスも奮発するじゃねーか。ここで騎士っつったらそれだけで持ち上げられる対象だぜ」

 

 クーたち『八本槍』も、規格外の存在ではあるが、一応王室直属の騎士としてカテゴライズされている。当然それだけで畏怖と尊敬の対象とされ、何か行動を起こす度に讃えられるようになる。

 名誉騎士とは言え、清隆もついにその仲間入りを果たしたのだ。国を、国民を守るナイト、それは民からすれば、頼もしく心強い平和と安全の象徴なのである。その人気も、決して一過性のものではない。

 

「清隆くん、魔法の実力以前に、人間としてもしっかりした人だからね。クーさんみたいに女心は理解できないみたいだけど」

 

「何でテメェがそこまで分かるんだよ」

 

「あの子、名誉騎士になる前からも一部の人には人気なんだよー。本科生の女の子も興味がある人はぼちぼちいるし、ほら、近い人だと義理の妹さんとか、シャルルちゃんも結構好意的に見てるみたいだよ」

 

 ふぅん、と興味なさげにクーが呟く。

 葛木清隆と言う人物の人となりについては興味があったが、彼の女性関係なんぞに首を突っ込むほど野暮でもない。ただ、彼の弟子と同様、今後の成長は楽しみではあった。

 

「それじゃ、今度のクリスマスパーティーは忙しそうだから、そうだね、ショッピングは冬休みに入ってから、私はリゾート島でも、地上でもいいよ~」

 

「そうか、またその時期か……」

 

 ジルの言葉に、クーが力なく肩を落とす。

 クリスマスパーティー自体は別に何の問題もない。見回りだの紛争解決だの面倒事は頼まれるが、それ以上に厄介なことに、いつも巻き込まれてしまうのだ。

 風見鶏に入学を強制されて早三年目、クーは過去の行事で散々お世話になった、無駄にテンションの高い高笑いと、背後で飛び交う無数のクナイと魔弾を思い出しながら深く溜息を吐いたのだった。




この心とこの手が早くシリアスに入りたいとうずうずしている。
早くアニキのイケメンっぷりをこれでもかと言わんばかりにぶちまけたい。
一応シリアスを所々で匂わせてはいるけど、ぶっちゃけ需要はどうなんだろうと思う。
どうあっても構成を変える気はないんですけどね!


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溜息の理由

原作イベント、清隆監禁パートⅡ(本作においてパートⅠ)、ランサーがいるとこうなります。


 

 

 壇上では、メアリー・ホームズが既に、マイクを前に生徒会選挙に立候補したその意志を全校生徒に伝えるために演説を繰り広げている。

 生徒会選挙の投票及び開票日前日、クリスマスイブの前日に、生徒会役員選挙の立候補者による演説会がセッティングされていた。風見鶏に在籍する生徒が全員、かなりの広さのある講堂へ招集され、静寂とした中でただ一つ、メアリーの力強くはっきりとした声を耳にしていた。

 実にメアリーらしい、直情的でロジックなど知ったことではないと言わんばかりの演説は、聞く側にとっては単純かつ爽快で、かなり受けていると思われる。実際、聴衆として耳を傾けているエトも、彼女の言葉に元気を貰っているような、そんな気がしないでもなかった。

 

「ホームズさんも凄いよね。こんなに大勢の人の前で堂々と自分の意見を述べられて、僕も何だか元気が出てくるよ」

 

 隣に座っているサラに、小声でそう囁く。

 しかしサラは真面目な表情を崩すことなく、かといってエトの言葉を無視するわけでもなく、淡々と反論した。

 

「でもまるで概要が見えません。主張が感情的過ぎて、具体的に何がしたいのか理解できないのはマイナスポイントかもしれません」

 

 サラの意見に、エトは成程と頷く。

 実はエトも、印象的な面では落ち着いて見えるものの、案外メアリーと同じ部類だったりするのである。

 これでも彼は病を克服した後は、現在の『八本槍』の一人、人類という枠組みの限界を突破してしまっている武人、クー・フーリンに育てられたのもあり、かの男と比べて論理的な思考を持つものの、意外と努力と熱意という言葉が大好きなのだ。感情論を避け、ロジカルを絵に描いたような性格をしているサラとは正反対なのである。

 

「兄さん、大丈夫ですかね……」

 

 エトたちの後ろから、何やら不安そうな小声が届く。その声の主は言うまでもなく、葛木姫乃、清隆の従妹であった。

 昨日の話になるのだが、姫乃は、清隆が本日の演説のことで溜息を吐いていた時、情けないと駄目出しした張本人である。しかし姫乃も兄に匹敵する程のお節介世話焼きであり、いざ自分の兄が大勢を前に演説をするとなると、まるでそれが自分のことであるかのように緊張してしまっているのだった。姫乃の隣に並んで座る四季、耕助にもそれがまるわかりである。

 

「清隆は他の二人と比べて日本人としての謙虚さを持っています。下手に虚言で自分を飾ることもしないだろうし、謙虚さは上手く使えば武器にもなり得ます。姫乃はちょっと心配し過ぎです」

 

 相変わらずサラは真面目な顔のままで姫乃の呟きに答える。

 しかし独り言にも近い姫乃の一言をきちんと拾って返している辺り、何だかんだでサラも姫乃を認めているのだろう。以前のサラならそもそも姫乃を無視していたに違いない。

 

「そうですよ、姫乃さん。清隆さんはマスターとは違い、視野が広く落ち着きのある人です。きっと大丈夫ですよ」

 

「相変わらず四季がさりげなく酷いがそうだぞ姫乃ちゃん」

 

 隣の四季と耕助も合いの手を挟むように姫乃を励ます。

 しかし耕助が発言した瞬間、サラが不快な表情で目を細め、耕助を睨んだ。

 突如睨まれた耕助は小さく悲鳴を上げて逃げ腰になる。

 

「江戸川、うるさいです。静かにするか死んでください」

 

 何とも耕助の扱いが酷い気がするが、これでも平常運転である。

 しかし、こうして日常の一幕が進行している裏側で、当の本人である清隆は、別の事件に巻き込まれていた。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 立候補者の控え室として用意された一室に待機していた清隆は、司会進行を務めるシャルル・マロースが全員揃っているのを確認、トップバッターを受け持つメアリーを呼んで一緒に出ていった後、イアンがトイレに行っている間に本科の男子生徒に突如拉致、別室に監禁されていた。

 薄暗い倉庫のような部屋で、椅子に座らされ両手両足を束縛されている。

 以前はグニルックのクラス対抗戦でエトが同じような事件に巻き込まれたらしいが、恐らく今回も同一犯――イアンの仕業に間違いない。

 証拠はない、勘でしかないが、彼を犯人であると仮定した場合、本科生数人に取り囲まれる前にイアンが席をはずした理由も頷けた。

 今回清隆を取り囲んでいる男子生徒は全員本科生、運動部に所属しているのか全員体格はよく、清隆を拘束し運び出す手際を考えると運動神経も並のものではない。更に本科生であることから魔法の教育も予科生よりは遥かに進んでおり、何か一点において秀でている可能性も否めない。

 とは言え、それはただの予科生が彼らを見た時に恐れるべき事項であって、隠しているとはいえカテゴリー4の魔法使いである清隆にとって彼ら個人個人の魔法の実力は、清隆の足元にも及ばないものであった。

 物理的な魔法があまり得意ではない清隆だが、彼が本気で魔法を使えば一気に蹴散らせる公算は高い、が、相手は五人、先程も考えた通り何か一芸に秀でている者がいた場合、それだけで苦戦の要素となり得る。

 また必要以上に強力な魔法を使うことで、学園全体で目立ってしまうことも避けたかった。

 このままでは演説に間に合わないと、行動に打って出るか逡巡し始めたその時。

 

 ――カチャリと。

 

 恐らくロックされていただろう鍵が開いてドアノブが回され、ゆっくりとドアが開いていった。

 足音さえ聞こえないのは何故だろう、しかしドアの開いた隙間から、ズボンの上からでも分かる、長く逞しい脚が覗き、男子生徒もそちらを凝視して、そして遂にその正体が姿を現す。

 

「葛木、テメェこんなところで何やってんの」

 

 クー・フーリン、『八本槍』の一人、風見鶏の警護及びエリザベス学園長の送迎を主な仕事とする槍の戦士。

 槍の入っているであろう筒を肩にかけて退屈そうな目で清隆を捉えていた。なんかもう、それだけで清隆はこう思えてしまった。

 

 ――本科生の皆様、ご愁傷様です。

 

「ったくそんなところで縛られてないでさっさと演説行くぞ」

 

 そう言いながら本科の男子生徒を視界に入れることなく真っ直ぐ清隆の方へ歩み寄ろうとして。

 

「ここここここここから先はとと通しませんよっ……!ぼぼぼぼ坊ちゃんの言いつけですのでっ……!」

 

 坊ちゃん――イアンのことだろうが、思い切り震え声だった。ついでに足も震えていた。更に言えば既に涙目だった。

 突如進路を阻まれたクーは、一旦足を止め、自分よりも身長の低い男子生徒の一人を見下ろす。頭をポリポリと掻きながら大きく溜息を吐いた。

 

「なぁ、怪我させると面倒だからどいてほしいんだけどよぉ、何か言いたいことでもあんの?」

 

 溜息と同時に閉じられた瞳が開かれる。

 クー自身は普通に開いたつもりだったその瞳、真紅の瞳が、彼らにとって蛙から見た蛇の目、鼠から見た猫の目、雀から見た鷹の目だった。

 自分たちは何に盾突いた――規格外にして絶対無敵、一個師団すら紙屑同様に扱う化け物集団の一角。何故人々から畏怖されるか知らないわけがない。閻魔の判決は下された。死神の鎌先は首筋に触れた。

 しかし扉から一番離れた――クーから一番離れた男子生徒から、とんでもない無茶ぶりが飛ばされる。

 

「……は、早くそいつを追い出せ!」

 

 そう檄を飛ばすリーダー格の彼もまた表情が死にかけている。

 クーは四人の魔法使いからワンドを向けられ、物理的に作用する魔法――攻撃魔法を浴びる。

 しかしまるで、攻撃魔法をぶつけられる音が、毛糸の玉をソファにぶつけるような軽い音のように聞こえ、最早ノーダメージ、ほんの少しの痛覚すら反応していないのは明白だった。

 とりあえずクーは、正面にいる二人の、首の後ろ辺りの襟を掴み、猫を摘み上げるように片手で持ち上げ、ゆっくりと歩きながら他の二人を追い詰め摘み上げ、そのまま部屋を出ていった。

 暫くして戻ってきたと思いきや、残り一人、リーダー格の男もあっけなく摘み上げられどこか知らないところにシュートされてしまっていた。

 再び戻ってきたクーは、面倒臭そうな顔つきのまま縛られた清隆を解放し、そして演説へと急がせた。

 部屋に残されたクー。再び大きく溜息を吐いて、事件の一部始終を思い出す。そして、思い出して三度大きく溜息を吐いた。

 あまりにも解決があっけなさ過ぎて、カタルシスも何もない、ただの茶番に思えて仕方がない。とりあえず大きな行事なのでいつも通りに働いてみればこの様、溜息が出ない訳がなかった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 立会演説会が終わり、その後片付けも、生徒会を含めたいくつかの委員会の協力によって完了した後、リッカ、シャルル、巴と、ジル、それからクーが生徒会室に集まっていた。

 集まっていた、といっても意図的なものではなく、生徒会の三人は仕事が終わった後に茶でも飲みながら雑談に花を咲かせようと、ジルは何となくリッカと合流しようと、そして学園長室が活動拠点であるクーは巣に戻るように部屋に戻ろうと、それぞれ一つの部屋に集合したのだった。

 

「とにかく、クーが暴力的解決にふっ切れなかったことが幸いだわ」

 

「何で俺が風見鶏の生徒を殺らなきゃならんのだ」

 

 椅子に座ったままクーは、カップに注がれた淹れ立ての紅茶に口をつける。武骨な戦士に優雅なティーカップ、ミスマッチにも程があるというのは以前から見慣れている光景であった。

 集まってわざわざ蒸し返している話題は本日の立会演説会のことである。ここにいる全員の中で、全会一致で評判がよかったのはどこまで運がいいのか、清隆だった。

 清隆と姫乃の幼い頃を知っている巴、入学以前に学園長室までの案内をし、それ以降にも何度も清隆と面識のあるシャルル、そしてクラスマスターとして清隆に一目置いているリッカ。各クラスマスターから何かしらの縁、それも好印象的な意味での関わりを持つ清隆は、この選挙においてある意味イカサマではないだろうか。

 

「それにしても、清隆くんの演説、感動したよねー」

 

「うんうん、私のクラスでも、名誉騎士らしい、誠実って言葉がぴったりの演説だった、って大評判だよー」

 

 シャルルの一言に、ジルが続く。

 清隆の話題で、若干シャルルのテンションが上がっているのは気のせいだろうか。

 

「この間のミッション、アレに触れてから清隆くん、より一層成長したんじゃないかな。うちのホームズさんには頑張ってほしいところだけど、清隆くんもぐんぐん伸びてきてるからねー」

 

 頬を喜色に染めながら、若干浮ついた声色でそう清隆を語る。

 なお、ジルは既にそんなシャルルのことに気が付いているようで。

 

「あれ、シャルル、何か清隆くんのことになると嬉しそうに話すよね。これは詳しく事情聴取する必要ありかな?」

 

「あ、私も聞いたぞ。確かここ最近、休日の度に会ってるそうじゃないか」

 

「なっ……!?」

 

 ジルと巴の意味深な視線とその言葉に、シャルルは今度こそ顔をリンゴの如く真っ赤に染め上げて慌てふためく。

 ジルにとって、シャルルの挙動で何を考えているのかすぐに分かってしまう。現在進行形、目を泳がせながら、都合のいい言い訳を探しているようだった。

 

「き、清隆くんとは、何か休みの度にたまたま会っちゃって、ちょっとお仕事とか手伝ってもらってただけで、そ、そう言うんじゃないんだからー!」

 

 慌てながらもなんとか反論するものの、そのリアクションは、まさしく恋する乙女のお手本のような反応そのものだった。

 

「なるほど、魔法使いの希望の星、風見鶏の生徒会長様が――」

 

「弟が大事で大事で堪らない、ブラザーコンプレックスなシャルルが――」

 

「一丁前に恋するなんてねー」

 

 巴、リッカ、ジルの順に、再び意味深な視線を飛ばしながらそう言う。

 見事なまでの連携プレイに、シャルルは涙目で口をパクパクさせている。ちなみに何の挙動か、両手は鳥が羽ばたくように小さくパタパタと動いていた。

 

 ――ニヤニヤ。

 

 ――ニヤニヤ。

 

 ――ニヤニヤ。

 

 三つのにやけ顔に気圧され、シャルルは精神的に追い詰められていく。

 週末が来る度、清隆と会っていたのは事実、たまにはシャルルから呼び出すこともあったし、清隆から連絡を貰うこともあった。仕事を手伝ってもらったこともあれば、一緒に余暇の時間を過ごしたこともある。そんな中で、葛木清隆と言う人物が徐々にシャルルの中で大きな存在となり、そして彼が名誉騎士の称号を得た時、それは一気に尊さへと変わった。届きそうで届かない、妙なもどかしさが胸に閊えるようになって。

 シャルル自身にとって、隠していたつもり、と言うより自身でもその恋心とやらにあまり気が付いていなかった。三人の連携した言葉は、どうしようもなく図星だった。

 シャルルはついに黙り込み、顔を紅くしたまま俯いてしまう。

 この甘ったるい空間、乙女にとって心の栄養ともいえる恋の話、リッカたちはこれ以上なく高まっていたのだが。

 

「あ゛-甘ったりぃ甘ったりぃ!こっちが黙ってりゃ嬉し恥ずかし純情乙女の恋心に勝手に話を持っていきやがって!」

 

 突如自棄になったかのようなクーの言葉が生徒会室に響く。

 クーの表情は、何と言うべきか、その、疲れ切っていた。

 

「こっちが訳分かんねぇ茶番に付き合わされてイライラしてんのに、また明日あのヤローの相手をせにゃならんと思ってイライラしてんのに、ピーピー喚きやがって!ちったぁこっちのことも考えやがれっ!」

 

 全員の視線と思考がクーへと向けられ、彼の言わんとすることを全員が間を置いて理解した。

 明日といえば、選挙のクライマックス、投票、そして即日開票。そしてメインイベント、クリスマスパーティー。

 裏方である生徒会が一年で最も忙しい時期なのは、他の機関と連携するグニルックなどの行事と比べて、面倒な輩が暴れまわるからに他ならない。

 そしてその被害を悉く受け続けているのが、そこで苛立ちを露わにしているクー・フーリンなのだ。

 そのことを思い出した一同が、心の中で大きく頷き納得する。

 普段はエリザベスの傍に控え。

 今年は清隆のサポートに徹して。

 いつも胡散臭い笑みを携えるあの男は。

 

 ――今年は一体何をやらかしてくれるのだろう。

 

 リッカとシャルルは肩を落として大きく溜息を吐く。無論、いらない仕事を増やしてくれるその男に対する溜息である。

 ジルはそんな彼女たちを見て、小さく苦笑する。過去二年に渡って、その男が彼女たちに仕事と苦労を増やしていたのを何度も見てきた。

 そして巴は、ジルやリッカたちとは反対に、楽しそうに笑っていた。

 

「そうかそうか。今年も来たか。うん、どこからでもかかって来い。今年こそ捻じ伏せてやる」

 

 瞳に闘志の炎を携える巴を見て、ああ、今年も仕事が増えそうだな、と、クーを含めた全員が大きく溜息を吐いたのだった。




清隆「ちょっと明日シャルルさん落としてくる」

原作主人公が向こう側でアップを始めたようです。
密かに清隆くん生徒会長攻略ルートに突入、なお描写はほとんどない模様。
やっと次回クリスマスパーティーやって、そろそろ核心(シリアス)に入れるかなっと。


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クリスマスパーティー大事件

二日ほど更新が遅れました。大変申し訳ありません。


 

 

 窓の外、海のようにも見える人口地底湖の向こう、水平線の彼方からゆっくりと、しかし着実に朝日は昇る。

 空が暗闇から抜け出す前に、クー・フーリンは既に身支度を済ませ、魔法によって直接部屋に投函された手紙やら報告書やらに目を通していた。

 

「……いい加減飽きたな」

 

 何やら物騒なことを呟きながらも、速読に近い感覚で文章に目を通す。

 具体的には、王室の連中や各州の魔法組織、『八本槍』の纏め役、アルトリア・パーシーであったり、そして、エリザベスからの手紙も来ていた。

 珍しいこともあるものだと封を開け、適当に目を通す。

 書いてあったことはさほど重要な事でもなく、女王陛下としてではなく、風見鶏学園長として、クーに学園内の治安を任せることを期待する旨が記述されてあった。

 

「ったくあいつも分かってるくせによくこんなもん送り付けてくれるな……」

 

 自称濡れ衣の加害者、実質的な被害者と言い張るクー、クリスマスパーティー程の行事となれば、大体彼は色々な意味で血祭りに上げられるのだ。例の男によって。

 読み終えた書類を全てケースに仕舞う。大事にしているわけでもないが、捨てる気にもなれない。いつからこんな下らない情に引っ張られるようになったのか、自分でも分からなかったが、切欠くらいは理解できている。己の手で助け出したことになっている少女と、初対面で攻撃魔法をぶつけてきた少女。意味もなくただ強さのみを追い求めていた彼は、いつの間にか彼女たちに大きく変えられていた。

 

「俺、何のために戦ってんだっけか」

 

 思い出したように、そう誰かに問う。それは一体誰だろう。自分自身か、それとも自分を変えた彼女たちか、王室か――

 誰もいない空間で響く声はやがて空中に吸収され消えていく。誰の耳にも届くことのない問いは、何の答えも導き出すことのないままどこか遠くへと消え行ってしまう。

 棚の一番下の引き出しを引っ張り、その段の一番奥に仕舞われているケースを取り出す。手触りのよい、両手の平に収まるほどの大きさの箱の蓋を開けると、そこには槍の形を模した、宝石の埋められた真紅のペンダントがあった。『八本槍』の証、王室への、そして女王陛下への忠誠の証。

 エリザベスが言うには、このペンダントは、紛れもなくクー・フーリンの相棒ともいえる真紅の槍をモチーフとして作られており、当然他の『八本槍』にも配布されている。何故、と問うのも野暮な話だろう。

 確かにこのペンダントは王室への忠誠を誓うものではあるが、実際にその()()()()()()()()に付与されてある本当の効果は――

 

「――忠誠、ねぇ」

 

 下らない、と、忌々しい視線をそのペンダントに向けてそう呟く。

 エリザベスのことは嫌いではない。むしろ、リッカたちの旧友として、そして学園長として、そして女王陛下として、あらゆるものを背負って、誰よりも強く固い覚悟と決意を持つ、頂点に立つ者として遜色ない者として十分評価している。

 とは言え、エリザベスに、女王陛下に対し、ただの一度も女王陛下に対して忠誠を誓ったことなど、ない。

 己の胸に問いかけ、そう断言する。

 何故、何故そこまで彼女の能力を評価しているというのに、彼女を主として敬うことができない――自分で簡単に気が付くことができた矛盾に、クーは頭を抱える。今まで気にしたことがなかったことが、ここまで重く圧し掛かってくるとは。

 

「メンドクセ」

 

 考えることすら面倒になってしまった。今は『八本槍』の一人であり、国の、風見鶏の番犬であり、そして生徒会長、シャルル・マロースの弟、エト・マロースの師匠、それでいいではないか。

 自分の情けなさを自分で理解していて、納得した上で苛立ちを呑み込む。屈辱は、とうの昔に鋭さを失い鈍ってしまっていた。

 とにかく、今日は一年で最も忙しい行事の日である。風見鶏の本科生の制服に袖を通したクーは、その手に何も握ることなく自室を去った。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 クーが風見鶏の敷地内を巡回し始めてしばらく、時計の短針が八を指した辺りから人が増え始め、あっという間に全校生徒が学園に集まった。たった三人の長い戦いの末に行われる選挙の投票、そして即日開票。ある者は特定の人物に期待を寄せ、ある者は当選者が誰なのか、本人でないにも拘らず勝手にソワソワし、またある者はクラスメイトの当選を心から祈っている。

 そんな、賑やかな中どこか緊張感の漂う空気を感じながら、クーは早速投票会場である講堂に足を運んでいた。

 既に生徒会役員であるリッカたちは投票会場のスタンバイを始めており、投票箱やその他準備物のセットはほとんど完了しているようだ。

 

「今年もこの時期か」

 

 そういうクーの肩は重く下がる。

 それは生徒会長のシャルルも、そしてリッカもそうだった。

 

「何もしない……なんてことはないわよね」

 

 苦笑いの表情のままで講堂一帯を見渡し、不審人物や不審物が紛れ込んでいないかを確認する。この段階では見つからないようで、クーもリッカもほっと胸を撫で下ろす。

 とにかく本日は遂に生徒会役員選挙の当選者が決まる日である。立候補者となった三人はもちろん、彼らのクラスマスターであるところのリッカたちにとっても大いに関係する日なのだ。

 

「ま、ぶっちゃけ既に葛木の一人勝ちで決まりだろ。セルウェイも葛木に負け始めてからボロが出始めてたし、ホームズも勢いはあるがパッとしねぇ。更に葛木には名誉騎士の称号と来た。これで勝てなけりゃ騎士の面汚しだっつーの」

 

「ちょっと言い過ぎじゃないかしら……。まぁでも、清隆の担任としてはやっぱり勝ってほしいし自信もある。何より不本意ながら、本当に不本意ながらあの杉並に頭まで下げたんだから」

 

 冗談には聞こえない冗談を口にしながら、リッカはにっこりと笑う。

 美少女の微笑みは男を虜にしてしまう破壊力があるが、この男には残念ながらその笑顔も、ふーん、で済まされてしまう。リッカにとっても、ジルにとっても難儀なものだが。

 かくして、投票の時間が到来し、次々に生徒が複数設置された投票箱へ一人一票、投票を行っていく。

 一人で来る者、友達と来る者、グループで投票に来る者と実に様々だが、その表情は、一様に三人への期待を抱いていた。

 

 そして時が経ち、投票時間が終了して、速やかに生徒会役員による開票作業が始まる。

 リッカたちもこの作業に参加し、魔法を利用しながら票を分け、整頓し、数え上げていく。そんな作業も、あまり時間を掛けることなくあっさりと終了してしまった。

 最早もったいぶることもないだろう、結果は目に見えている上に、どんでん返しも今更必要ない。最も多く票を獲得し、他の立候補者を押しのけて生徒会役員の座を射止めたのは、やはり葛木清隆だった。ハイドパークホテルでのテロ事件での活躍、名誉騎士の称号が勝利のカギであり、更に彼自身の誠実で真っ直ぐな性格も拍車をかけたのだろう。

 ちなみにクーも投票権を有しており、彼も同じく清隆に投票していた。理由は先程彼自身が口にしたとおりである。

 講堂の檀上ではリッカがマイクを通して清隆の当選通知を高らかに宣言する。彼女から見れば、その宣言の直後に響く歓声と、ただ一か所に集中する視線と称賛、そこに清隆が照れながらも選挙に勝ち抜いたことを喜んでいるのがよく分かった。

 リッカの誘導により、挨拶のために壇上に上がった清隆は、一瞬生徒会長であるシャルルと視線を合わせる。その視線の意図を知るのはシャルルの傍にいたリッカと巴だけで、当事者であった清隆自身も別の意図で察してしまった辺り相当の朴念仁に違いない。

 そしてそんな彼が壇上で語った夢と抱負に、会場内がより一層大きく揺れたのだった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 やたらと喧しく、晴れ晴れとした雰囲気の中、打ち合わせと談笑の声に揉まれながら、クー・フーリンはクリスマスパーティーの会場内――風見鶏の校舎内及びその周辺を、見回りの意図で散策していた。特にルートを決めるでもなく、特別何かを意識しているわけでもない。むしろ、誰もが純粋に、そして単純にパーティーを楽しんでいる中で、それに見合わない不審な行動をする不埒な輩は、クーのとびきり優れた第六感がすぐに察知し自身を警戒させてくれる。何も気負うことなどないのだ。

 そんな彼は、パーティーが始まる直前から屋台でクレープを一つ購入し口に含みながら歩いていた。

 風見鶏に生徒として入学させられる前からここにはいたが、ここに来た当初、完全に用意の行き届いた衣食住に感動し、不味いと評判のものでも心から美味いと涙を流し、学生寮の一般の部屋でもさながらセキュリティシステム完備の高級ホテルのような安心感に昇天しそうになり、充実した各設備にいちいち興味を示しては何度もギミックを確認したりじっくりとあらゆる視点から鑑賞したりと、何にでも心躍るような無邪気な子供のようだったが――

 今のクーに、このクレープに対する感動はなかった。進んだ文化が、いつの間にか当たり前になっていた。

 

「……不味い」

 

 作った者に対して甚だ失礼なことを、誰にも聞き取られないようにぼそりと呟く。

 出店の並ぶ通りを抜けて、少し人通りの少なくなった場所で、ふと自分の第六感が危険を告げる。危険と言うよりは、違和感と言った方が妥当だろうか。

 自分の直感を素直に信じるクーは、一旦立ち止まって周囲を見渡す。ちらほらと風見鶏の生徒が事前準備のために走り回っているのが見受けられるが、そんなに多い人数でもない。

 だからこそ、近くの草むらへと目が行った。

 カサカサッ、と、あからさまに何かがあるとしか思えない物音と、そしてすぐに姿を眩ます何者かの影。

 自分を目にして逃げたか、とりあえずクーは、自分から逃げるからという割と理不尽な理由で逃走者を追いかける。待ち伏せ罠誘導などの卑怯な手を打たなくとも、自身の身体能力だけで十分だ。

 草むらだろうが闇夜の中だろうが十分に視界を活かすことのできるクーにとって、木々の生い茂る中で最も直線的に移動できるコースを見つけ出して最短ルートで相手との距離を縮めることは簡単である。すぐに相手の後ろ姿を捉えることができた。

 本科生の男子生徒の制服――あの男かと思ったがすぐに思考を打ち消す。こんなところで簡単に捕まる輩ではないことはここ二年間でよく分かっている。

 その制服の襟首を掴み、地面へと片手間に組み伏せる。ついでに関節を極めて完全に動きを封じた。

 

「テメェ仕事増やすんじゃねーよめんどくせーんだよこんなところで何やってんだ杉並か杉並なのかさっさと答えろぶっ殺すぞ!」

 

 矢継ぎ早に質問を浴びせた挙句自分の立場をすっかり忘れて最後に一言恫喝してしまっているのには気付かない。実際組み伏せられた本科生は『八本槍』を敵に回してしまったとすっかり青ざめてしまっている。

 杉並――クーが口にした人物は、清隆の選挙を全面的にサポートした、頭の回転が速い人物ではあるが、それ以前に、どうしようもない問題児でトリックスターなのだ。

 何度彼に煮え湯を飲まされたことか。何か大きな行事の度に事件に巻き込まれてきた。

 ちらり、と、本科生の手に何か怪しげな物体が握られているのが見えた。強引にそれを取り上げ、まじまじと観察する。

 塗装されていない金属カバー、形状は直方体で中身はしっかり詰まっているようでずっしりと重く、表面にはプラスチックで蓋が取り付けられており、それを外すと中には大きさ、形状の同じ赤色のボタンが二つ取り付けられてあった。この類のボタンは、大概誤爆などを避けるために、同時押しで初めて作動するタイプのものだ。

 ということは、この鉄の塊――リモコンは恐らく爆弾の起動装置か、もしくは目眩ましのフラッシュを起こす装置か、その辺のモノと考えるのが妥当だろう。

 そう結論付けると、クーは組み伏せた本科生を開放し、さっさと出し物やら売店やらの準備を手伝うように言いつけ、背中を強く蹴飛ばす。十メートルくらい吹っ飛んだが物騒な真似をしたことに対する罰だと正当化してみた。

 他にもこのようなリモコンを持っている生徒が紛れ込んでいるかもしれない――そう考えてクーは茂みから抜け、周囲に厳重に目を光らせることにした。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 クリスマスパーティーが本格的に始まり、直前の準備時間以上の賑わいを見せる中、リッカとジルも、クーと同様見回りをしながらパーティーを楽しんでいる最中だった。

 ジルもすっかり調子に乗って、戦利品という名の食べ物を大量に抱えて嬉しそうに笑っている。食べ物以外にも小物のインテリアなども購入したりしているが。

 

「さっきのクリスタルアートのマジックショー、年々レベルが上がってるよねー」

 

 先程ジルたちが見てきたのは、少量のガラスを魔法の力によって質量を倍加し、更に緻密な術式魔法による計算や手先での純粋な技術によって、さながらクリスタルのような、透明で透き通る、光を浴びて綺麗に反射する美しい像を創作するショーだった。人の背丈を軽く超えた大きさのユニコーンが、薄暗闇の中で光に照らされ、まるでお伽噺の中から飛び出て来た幻想のように姿を現したのだ。

 

「あれだけのレベルとなると、魔法の技術も必要だけど、それ以上に美的感覚が優れているからできる芸当に違いないわ」

 

 リッカは先程のショーをそう褒め称える。

 彼女もカテゴリー5とはいえ、全ての魔法に精通しているわけではない。得意分野があれば、苦手分野、あるいは全く行使できない分野の魔法もある。更に言えば、リッカ自身にクリスタルアートのショーを見せてくれた職人のような美的センスがあるかといえば、もちろんノーである。

 リッカは紙袋の中から先程購入したクリスタルアートの作品を取り出した。四角い台座の上に乗っているのは、でこぼことした球体。よく見てみれば、それが地球であることが分かる。光を浴びて綺麗に輝く、透明色の地球儀。見ているだけで心が洗われるような気分になる。

 その時、リッカの懐で何かが音を立てる。それに気が付き、リッカは慌ててそれを取り出した。魔法による通信器具、通称シェルである。

 そしてそのシェルでの連絡が、洗われた心に再び暗い色を塗りつけるのだった。

 

「ええ、分かったわ。すぐ行く」

 

 シェルをぱたりと閉じて、大きく溜息を吐く。

 ジルとしても、この溜息の理由は簡単に察することができた。生徒会の仕事が入った、即ち、トラブルが発生したのである。そして、この場合のトラブルとは――

 

「もしかしなくても、杉並、くん……?」

 

「アイツも懲りないわね。今日こそ絶対にとっ捕まえてやるんだから!」

 

 暗く沈んだ表情が一転、リッカの瞳に憤怒の炎が宿る。

 あまりのリッカの気迫にジルは若干気圧されながらも、リッカの荷物を預かった後、彼女を仕事へと見送った。

 

「生徒会も大変だねぇ。清隆くんがどれだけ戦力になるかも見ものだよね!」

 

 ジルはリッカたちとは違い、生徒会役員ではない。つまり学園内の治安維持を表立って務める義務はなく、リッカに同行しなければならない理由もない。ただひたすら、杉並に関わりたくない気持ちだけがマッハで体中を駆け巡っていた。

 リッカが離れてすぐ、他人事であるかのようにそう呟いたのだった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 通信での報告通り、投票及び当選者の発表があった講堂へとリッカはすぐに駆け付けた。

 既にそこには巴やシャルル、そしてシャルルの隣には、正式には生徒会に所属していない清隆もいた。

 

「みんな揃ってるわね。それにしても――」

 

 どうしても見たくもないものを視界に収めるというのは、生理的に吐き気を催す程の嫌悪感を身体に与える。

 まさしくリッカたちは、講堂のど真ん中にある、大きくて逞しい、それでいて全く持って意味不明のそれを見上げてそれを感じていたのだった。

 

「ハァーハッハッハッハッハァー!」

 

 高らかな笑い声、それはその巨大な何かのてっぺんから聞こえてくる。

 一同は目を凝らして声のする方向を見ると、そこに一人の男が、この時期やたらと大騒動を起こす面倒臭く胡散臭い男が立っていた。無論、杉並である。

 

「作戦決行の時間までに生徒会の主力全員をここに誘導できたことだけは褒めてやろう」

 

 だけは、のところを無駄に強調して、上から生徒会の面々を見下ろす杉並。

 その間、清隆は杉並の乗っているその巨大な何かを観察し、それが何かを把握しようとしていたのだが――

 

「折角のクリスマスなんでな、これを風見鶏のパーティー会場に寄付してやろうかと思ってな……」

 

 なにやらドヤ顔で意味深に微笑し。

 

「なに、礼はいらん。同志葛木が選挙で勝利してくれたおかげで随分稼がせてもらったんでな。これはその恩返しというものだ」

 

 これこそ杉並が清隆の選挙をサポートしていた最大の理由だった。

 生徒会役員選挙は毎年三回行われているが、新規である最初の一回目、つまりクリスマスパーティーと同タイミングで行われる選挙の裏では、誰が当選するかを競って金を賭ける、いわゆる賭博といわれるものが行われていたのだ。杉並も主催者(ホスト)参加者(プレイヤー)としてそれに加わり、清隆の行動を上手く誘導しつつ、確実に選挙に当選するように彼を動かしていたのだ。

 だがしかし、重要なのはそれではない。むしろ――

 

「その像は一体何なんだ!?」

 

 どうしても訊かずにはいられなかった問いを杉並に飛ばす。

 清隆としてもそれなりに特定の人物とパーティーを楽しんでいたところを邪魔されたのだから怒りのボルテージは高い。

 

「見てわからぬか?これはサンタクロースだ!」

 

 そんなはずはない。

 その巨大な何かの像は、サンタクロースらしく袋を持っているが、その反対の手には一般的にサンタが持っているとはされない小槌を以って、挙句米俵に乗っているのだ。これが本当のサンタクロースなら、シャルルはとっくに卒倒しているだろう。当の彼女はなんとか眩暈を堪えながら杉並を見据えていた。

 

「嘘吐け!それ、どう見ても大黒さんだろ!」

 

「ダイコクさん?」

 

 リッカは大黒さんのことを知らないようで、清隆の魂のシャウトに首を傾げる。

 大黒さん――日本の神様である大黒天のことであり、五穀豊穣の農業の神とされている、が。

 

「ふむ、その表現は正確じゃないな」

 

 清隆が慌ててリッカに補足した説明を、杉並にバッサリと切り捨てられる。

 杉並の言わんとすることも分からないでもない。大黒天は元々インドの神で、ヒンドゥー教のシヴァの化身であるマハー(『偉大なる』)カーラ(『暗黒』)が密教の伝来と共に日本に伝わり転じたものである。リッカはマハーカーラのことは知っているようだった。ただ目の前の謎の像とリッカの知るイメージとの大きな相違に違和感を感じているようだが。破壊を司る神が日本に来て福の神になるのだ。性格が反対なら印象が滅茶苦茶になるのも頷ける。

 

「その由緒正しい幸福の神様の像を寄付してやろうというのだ。メインのパーティー会場にな」

 

「バカ言うな!そんなのを飾られたら、折角のクリスマスが色々と台無しになるだろうが!」

 

 雰囲気とか雰囲気とか雰囲気とか。

 キリスト教の文化である祭なのに、唐突に日本神教やインド神教のアイテムを持ち出されても、その、リアクションに困る。

 

「そもそも台無しにするのが目的だ」

 

 そして、杉並は不意に瞳を閉じ――カッと見開いた。

 

「始めるぞ!我が同志よ!その手に持つ賽を投げるがいい!」

 

 ここにはいない誰かにそう叫び、同時に杉並も自身の懐からリモコンのようなものを取り出してスイッチを入れた。

 特に爆発や発光が起こったようには感じられなかったが、次の瞬間――

 

 ――ミシッ、ギギギギギ……

 

 モーターのような駆動音に続き、何かが動く動く音が会場を支配する。

 その音源は、紛れもなく目の前の大黒天像だった。その巨体が、突如ゆっくりと動き始めたのだ。気持ち悪い。

 

「さぁ我が同志、クー・フーリンよ、準備は整った!今こそその恩恵の力を振りかざし、クリスマスパーティーなどに現を抜かす生徒たちにとっておきのご利益をもたらしてやるのだ!」

 

 杉並の言葉から、途轍もない重要なキーワードを耳にしたような気がした。『八本槍』が一振り、最強の紅き槍、クー・フーリンが杉並の悪事に加担していると。

 しかし、もうリッカたちは騙されない。過去二年、彼は何度もクーを利用してトラブルを起こし続けてきたのだ。今回も恐らく事を大きくするためのハッタリ、ブラフの類であると。

 

「信じないのは勝手だ。だが、奴はこれと同じリモコンを俺以外の非公式新聞部の男から預かっているぞ?」

 

 杉並は余裕の面持ちで手に持っているリモコンを見せびらかした。

 もし杉並が言っていることが本当だとすれば、風見鶏の敷地内で、もう一体の謎兵器が大地に立って起動戦士していることになる。

 何にせよ、クーを見つけて事情を聴きだす必要があった。

 リッカは歯噛みして、他の生徒会役員に支持を飛ばす。

 

「巴と予科二年生はいつも通り杉並をお願い!シャルルと清隆はこの像を止めて!終わったら巴に合流して!」

 

 そしてリッカ自身は、クーの下へと駆けつける。

 その途中、見ただけで吐き気を催すような謎兵器を、リッカの魔法で片手間に吹き飛ばしてやった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 シャルルたちからは大黒天像を止めた連絡が入り、巴からはいつも通り杉並を見失ったと連絡が入る。巴にはすぐにクーを追い詰める手はずを整えさせて――

 

「ハッハッハ、『アイルランドの英雄』と呼ばれた貴様が尻尾を巻いて逃げるとはなぁ!」

 

「待ちなさいクー!今度こそあんたが杉並に関わっている決定的証拠をこの目で見たんだから!」

 

 桁外れの身体能力で高速起動をしながらクーとの距離を詰める巴と、高速移動術式魔法を駆使して移動速度を上げつつ巴と距離を開けつつ並走するリッカ。

 二人は容赦なくクーに向かって魔弾やらクナイやらを飛ばして猛攻撃を繰り広げていた。

 

「待つのはテメェらだろがクソッタレ!リモコンも押してねーし動く像なんて知らねーよ!」

 

「そんな嘘が通用すると思ったか!貴様の手に持つリモコンから反応は出ている。これ以上に真実を語る証拠はなかろう!」

 

 と反論する巴はこれ以上なく楽しそうである。彼女の場合リッカとは違い、治安維持など興味の欠片もないのだ。面白ければすべてよし。

 勿論クーは無実であるし、その事実には勘付いている。しかしそれを証明してわざわざこの面白い局面を失うわけにもいかないのだ。

 

「ふ、ふざけんな!テメェら既に殺す気満々だろ!?」

 

 二人の攻撃、特に巴の攻撃が確実に人体の弱点と呼ばれる場所を的確に突いてきていることがクーには分かった。並の人間なら、一撃貰っただけで即死が確定する攻撃である。それを全て回避しているのだからやはり『八本槍』――侮れない。

 しかしクー・フーリン、最強の称号を持つ男がこんな体たらくでいいのだろうか――逃げている自分にそう自問自答する。答えは――否。

 逃げるために全力疾走している足を素早く静止させ、前へと向かっていたエネルギーを利用して柔軟な足の筋肉をバネに、一気に反対方向へ――リッカたちへと向かって地面を蹴り出す。急な方向転換、まさかこちらに向かって飛び込んで来るなど予想もしなかったリッカは止まることができずに――

 

「おおおぉぉぉぉおおおおおお!!!!!」

 

 雄叫びを上げながら突っ込んでくるクーに。

 完全に対応が遅れて。

 そのまま後ろに突き飛ばされて。

 気が付けば仰向けに倒れて、何かにのしかかられていた。

 

「っつつつ、……いったー……」

 

 頭部への衝撃と、背中へのダメージ。意識こそあるものの痛いものは痛い。何とか起き上がろうとして、リッカは自分の上に被さる何かを除けようとして、気付いた。

 自分の豊かな胸を掴む、人間の掌のような感触。そして小刻みに震えるその感触が布越しに胸へと伝わり、変な声が漏れそうになってしまう。そしてその手のような何かの正体が、他の何でもなく、ちょっと考えてみれば容易に想像がつく、そう、――クー・フーリンのだったということ。

 

「――っ!?」

 

「いてててて……ん?」

 

 その正体にリッカが気が付いてしまうのと同時に、クーの意識も回復する。

 そして、クーが手にしている妙に柔らかい感触が何なのか、再度掌の中で弄んでみて。

 

 ――ぽにょぽにょぽにょ。

 

 リッカは彼の殆ど無意識な行動に対し、羞恥と、怒りを感じ。

 

 

 

 地を揺るがすような大爆発と、何者かの悲鳴が地下の敷地内を木霊し、一人の男が三途の川をバタフライで全力で泳ぎ切りそうになったのだった。




次回から本題に入れる(確信)


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一寸先の闇

シリアス圏に突入する、総員、衝撃に備えよ。


 

 

 ついぞ杉並は、生徒会役員の手によって拘束することはおろか、その他の非公式新聞部と呼ばれる組織に所属している風見鶏の生徒を一人も取り締まることができなかった。

 そもそも発見できなかった、発見できたとしても、証拠不十分で逃げられた、といった感じで、現行犯で捕らえることはかなわなかったったのだ。

 唯一彼らが成したことといえば、作動したと認識されたタイミングでリモコンを所持していたとされるクー・フーリンを誤認で攻撃を加え、挙げ句いつものように病院送りにしてしまったことだけだった。とはいってもまた一日も経たないうちに完全復活して戻ってくるのが彼なのだが。

 以外にもクーは、今回は流石にブチ切れると思われていたのが、案外あっさりとリッカたちを許したようだ。というよりむしろ、何故か逆に気まずそうな表情でリッカに謝罪したのが彼だった。

 

「いやまぁ、俺だって物騒なモン持ってたのは確かだし、あいつのやることなすこと考えるならそれくらいは考慮しとくべきだった。それと、その……だな……」

 

 既に包帯も(邪魔だったので病院の許可なしに)とったクーが帰ってきて早々に謝罪してくるのに対して、リッカは気味の悪さとついでに困惑を覚えて口を開けっ放しにして立ち尽くしているが、そんな彼女を前に、クーは視線を逸らしながら更に言葉を続ける。

 

「不可抗力とはいえ、だな、女の胸を触ったってのは、いくらなんでも失礼だったってのは、分かってるつもりだっての……」

 

 あれれ~おかしいぞ~、と思ったのはきっとジルだけではないに違いない。生徒会室にいた誰もが、この人がこんなことでシュンとして素直に謝るような男ではないことは分かり切っていたはずだ。本来ならいつものようにリッカに対して逆切れの一つや二つあってしかるべきであろう。

 そしてそんな感じでクーにシリアスな感じで謝られると、流石のリッカも怒るに怒れなくなる。

 

「それって、あんたが反省してる、ってことでいいわよね?」

 

「反省っつーか、なんつーか」

 

 本来の誠意の見せ方といえば、これで間違いないのだが、何か釈然としない。何かが間違っている、そう、違和感。

 この男に謝られるというのがここまで気分が悪くて吐き気を催すものだったとは思いもしなかった。それは単純に、この男の本来の性格が、傲慢不遜で天上天下唯我独尊なものだったからだ。そしてリッカもジルも、そんな彼に好意を寄せていたのだから。

 

「いや、別に好きってわけじゃないけど――」

 

「なんか言ったか?」

 

「い、いえ、何も」

 

 ぼそっと呟いただけの言葉が、案外簡単にクーにキャッチされてしまった。

 慌てて否定するリッカの頬はほんのり紅く。

 そんなリッカを見て、ジルはただ苦笑いを浮かべるだけだった。

 

「まぁ謝ったんだから許すのが筋なんでしょうけど、条件一つ」

 

 桃色思考を振り切ったリッカは、いつものような天真爛漫な微笑みを浮かべ、ビシッとクーの鼻先に向かって人差し指を伸ばす。

 その行動に、クーは一歩後ずさる。彼女の指に反応したわけではない。むしろ彼女の発するエネルギーのようなものに気圧されただけだ。

 何故そんなものに気圧された――クーの思考に疑問が残る。

 

「今日、生徒会の仕事が終わったら、ジルと三人でリゾート島にショッピングよ!」

 

 クーの鼻先に突き付けた指先を、ここからでは見えないリゾート島の方へと向ける。

 しかしその勢いと元気のあるリッカの言動は、巴の一声によって引っ込んでしまった。

 

「狸の皮算用をするのもいいが、せめて獲ってからにしろ」

 

 何かしらの紙を丸めて棒状にしたものを、リッカの机の上の書類に何度も軽く叩きつけている。

 片付けの苦手なリッカの机の上は購買で調達したであろうパンの包装紙やら袋やらで溢れ返っており、その僅かな隙間にリッカのノルマであるところの書類が積み重なっていた。

 思考停止したリッカは明後日の方向に指を指しながら青ざめ、そのまま肩を下ろす。

 

「こればっかりは仕方ないよねー」

 

 と、脇から仕事をしながら口を挟むのは生徒会長のシャルル。

 妙に浮ついているかと思えば、その隣に清隆を座らせて書類作業を手伝わせていた。生徒会役員に実質的に就任するのは新学期が始まってからで、生徒会役員選挙及びクリスマスパーティーが終わって冬休みへと突入したこの時、まだ清隆は生徒会に属しているわけではないのだが。恐らく、シャルルが、清隆と一緒にいたいから、『生徒会に入る前に一通りの仕事を教えてあげる』などと言って清隆を誘い、それに乗って清隆もホイホイ生徒会室に来てしまったのだろう。

 二人の関係を見るに、二人の間で明確に付き合っていると断定はできないような、歯がゆい関係ではあるが、恐らくどちらからもまだ告白はしていないのだろう。

 

「えっと、こういう書類に不備があった場合ってどうするんですか?」

 

「ああ、そういう場合は一旦選り分けておいて、あそこの棚の一番下に纏めて保存しておいて、翌日、各委員会のポストに投函しておくの」

 

 明日も休みだから今度は新学期に纏めてだけどね、とにこやかに付け加えて。

 シャルルたちは何やら二人でお楽しみのようなので全員で視野に入れないようにした。

 とりあえずクーとジルで、ごねるリッカを書類の山の前に、椅子に座らせて強引にペンを握らせる。

 

「ったく、今日くらいは手伝ってやるから、さっさとしろ」

 

「あれ、クーさん、今日はやけにリッカに優しいね?」

 

 柄にもない優しい言葉をリッカにかけたクーに対して、ジルは意地悪な笑みを浮かべて意味深に囁く。

 クーの表情にさほど変化はないものの、若干顔を紅くしているのが見て取れたため、それなりに動揺はしたということか。

 

「うるせぇ、ジルも手伝えよ」

 

「勿論だよっ」

 

 リッカの前の山のような書類の上から三分の一くらいの量を両腕に抱え、そのまま跳ねるように踵を返した。半回転すると同時に本科生の制服のスカートがふわりと舞う。

 妙に嬉しそうなジルを一瞥して、クーも些細ながらリッカの書類を一部ブン取り、作業をこなしていく。

 そしてしばらく、時間がかかると思われた書類の整理は、意外と早く終わってしまった。というのも、いつもはこういうのを『かったるい』と面倒臭がるリッカが今日に限ってはそれを一言も発しなかったのだ。傍から巴がニヤニヤしていたがその意図をクーは知らない。

 そして、作業が終われば、リッカの本日の仕事は終了となる。ということで――

 

「はぁ~終わったぁ~!かったるい仕事をさっさと片付けたんだから、悔いのないように遊びに行くわよ!」

 

 勢い良く立ち上がって気持ちよく背伸びをしながら、かといって言葉とは裏腹に疲れた表情を表に出すこともなく笑顔を輝かせるリッカ。

 リッカが仕事を終わらせる前に手伝っていた分の仕事を終わらせていたクーとジルの腕を掴んで引っ張り、生徒会室を後にしようとして――

 

 ――リッカのシェルが懐で振動した。

 

「うっそぉ~、しかも≪女王の鐘≫もなっちゃってるし……」

 

 リッカ以外の誰一人として金の音色は聞こえない、ということは届いたミッションはリッカだけに依頼されたものとなる。シェルに届いたテキストも恐らく王室からの依頼内容だろう。

 ぶっちゃけ、折角早めに仕事を終わらせて楽しみにしていたショッピングは、あえなく瓦解してしまったということだ。

 精神的に参っているであろう状態で≪女王の鐘≫による依頼、クーから見てもその落胆っぷりからそろそろ過労死するのではないかと不安を覚えるくらいである。

 シェルに届いたテキストを確認し終えたリッカは大きく溜息を吐く。これには流石の巴も同情を禁じ得ない。

 

「王室の依頼は最優先事項だろ。また今度遊びくらいは付き合ってやるから、今は鞭打って頑張って来い」

 

「ま、頑張るって言っても重要物の運搬の依頼らしいんだけどね」

 

 約束よ、と弱々しい口調でクーに言いながら、互いに拳をコンとぶつけ合う。喧嘩(という名の一方的爆破)が絶えないものの、そんなもので絆が壊れてしまう程伊達に長く生死の境を共にしていない。

 リッカは疲れたままの足取りで、トボトボと生徒会室を去っていった。

 

 ――その一歩一歩が、悪夢への道を踏みしめていることも知らずに。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 二日後の朝、クーはパーシー家の図書館へと足を運んでいた。

 理由は至極単純、彼女から図書館の整理を手伝ってほしい、とのテキストをシェルで受け取ったからである。

 相変わらず無駄に広いフロアを奥に抜け、関係者以外立ち入り禁止の札がかけられてあるドアをノック、中からスタッフが現れるのと同時に、アルトリア・パーシーに用件があることを伝え中に入れてもらう。そのまま奥へと進むと、円形のテーブルが規則的に並べられたラウンジが視界に広がり、その一番奥で目的の人物を見つける。その人物は椅子に座って何やら本を読んでいた。

 青を基調としたドレスを身に纏った、金髪碧眼の美少女。物静かではあるが、正義感が強く、王室に対する忠誠心も立派である。女王陛下からも『八本槍』を纏め指揮する者として一目置いており、その伝説的魅力から『騎士王』と呼ばれる魔導騎士。その名もアルトリア・パーシー。

 彼女もこちらに気が付き、開いていた本を畳んで立ち上がる。そしてその整った顔を微笑ませてクーの挨拶に応じる。

 クーは、彼女が何の本を読んでいたか多少気になったが、彼女もパーシー家の一族であることから、その血筋と共に継承されるとある性格から考えて、何となく予想がついてしまった。多分アーサー王に関する文献なのだろうと。

 

「今日来てもらったのは、いつものことですが、少し書物の整理を手伝っていただきたいということで――」

 

 この言葉も何度聞いてきたことか、いい加減耳に胼胝ができるぞと視線で彼女に文句を言うと、すぐに悟って咳払いをし、話を続ける。

 

「――風見鶏には既に連絡が通っているでしょう。パーシー家の持出禁止書物に認定されている文献を、とある大きな研究チームが特別発注してきたので、風見鶏と王室に検閲を依頼し、そして≪女王の鐘≫を通して、カテゴリー5、リッカ・グリーンウッドに運搬を依頼しました」

 

 つまり一昨日リッカが≪女王の鐘≫で受けたミッションは、超重要特別認定文書を、抜かりなく研究チームに届けることであり、これは当然表社会の運搬会社に依頼すべきものではなく、魔法使いの社会でかなりの信頼を得ている者である、即ちカテゴリー5として名実相伴った上でフットワークも利くリッカが運搬することが最も安全であると、パーシー家も、そして王室も踏んだのだ。

 

「それで、蔵書の貸与に伴う文書の調整と整理の協力をお願いしたいのですが」

 

「それくらいならいいよ別に。リッカの奴も世話になってるみたいだし」

 

 嫌がる素振りを一瞬も見せず即答する。クーとアルトリアは、なんだかんだ言って性格的に相性がいいのだ。他の『八本槍』を相手にした途端、一分会話をするだけで五時間の状況不利の戦闘を生き抜いた後のような疲労を感じるようになるのだが。

 

「あなたは、リッカ・グリーンウッドのことをどうお考えですか?」

 

 重要物であると認定された文書が山ほど納められてある部屋へ、魔法による厳重なセキュリティを解除しながら到着した後、本棚の整理をしている時に、不意にそんなことを尋ねられた。

 

「うーん、いい女だとは思うぜ。だから何だっていう訳でもねーが……まぁあいつには色々感謝するべきところもあるってところか?」

 

 自分の頭の中であれこれ想像してみるも、そうとしか言葉にできない。自分で言っておいて、結局語尾が疑問形になってしまった。

 

「『アイルランドの英雄』として謳われるクー・フーリンも、彼女の前では一人の少年になるのですね」

 

「違うね。俺があいつらに惚れることなんてねー。あいつらが俺をどう思おうが知ったこちゃねー、が――」

 

 柄でもないと、バカバカしいと思いながらも、そんな自分がいることを何となく面白いと思い、小さく笑って。

 その脳裏に二人の少女を思い描きながら。

 

「別に、嫌いじゃねーよ」

 

 当人が聞いたら赤面しながら喜ぶであろうことをぼそりと呟いた。

 そんな彼に、アルトリアはふと、妙な寂しさを覚えてしまう。最初から分かっていたことだが、この男が、最初から王室に忠誠を誓うつもりなどなかったということ。そしてそれが意味すること。その延長線上に立つ二人の少女。

 騎士王としての直感が、胸を締め付けるような嫌な予感を感じ取っていたのだった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 翌朝。

 アルトリアの図書館の整理を終えて真っ先に風見鶏に帰還し、寮の自室にこもってぐっすりと寝ていたのだが、その安眠は唐突に妨害されることになった。

 部屋の外から何やら大きな物音が聞こえる。ドンドンと、クーの部屋のドアを叩く音。

 疲労が溜まってまだ眠気も取れないクーはもう一度深い眠りに就こうとして、声を聞いた。

 どこか悲痛な叫び声。訴えるような、焦っているような、そして――何かに怯えるような。

 緊急事態だろうか。乱れた服装を簡単に整え、ドアの鍵を開けて音の主を確認する。

 ドアを開けた瞬間だった。一瞬で部屋の中に飛び込み、そしてクーの胸元へとダイブしてきた人物。

 橙色のセミロングヘアが眼下に大きく映り、そしてその人物は、クーの胸の中で震えていた。

 紛れもなく――ジル・ハサウェイだった。

 

「な、何だよ、どうした、一旦落ち着け」

 

 あまりにも落ち着きのなさすぎるジルを前に、同じく動揺を隠せないクー。一旦彼女を胸から離し、詳しく事情を訊こうとして。

 

「こ、これ――!」

 

 眼前に、いつも購読している新聞が広げられる。近過ぎて文字がよく見えないため、一旦ジルから新聞を取り上げ、そして――驚愕した。

 その一面に、最初の記事に、絶対にあってはならないことが書かれていたのだ。

 手を震わせながら、驚愕と焦燥に駆られて、その記事のタイトルに目を通す。

 そこに描かれてあったのは――

 

 

 

 ――『孤高のカトレア、全魔法的権利剥奪か』

 

 

 

 大きく写されたリッカの顔写真が、酷く不気味に見えて。

 クーの前で、ジルは膝から崩れ落ちてしまっていた。




後半から筆がノリにのって仕方なかった。
前作でもシリアスのような何かを書いてたけど、こっちの方が書いたっていう実感が何故か湧くんです。


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手折られた洋蘭の花

一方その頃のリッカさん。


 

 

 ≪女王の鐘≫による、王室からのミッションの通達を受けたリッカ・グリーンウッドは、風見鶏の校舎から抜けるなり一旦姿勢を正し、孤高のカトレアとして、カテゴリー5としての威厳を滲ませ、振りまくような誰もが羨むリッカ・グリーンウッドへとチェンジした。

 エスカレーターで地上へと戻り、所定の集合場所へと向かい、そこでスタッフに様々な確認を取ってもらったうえで、王室から派遣された空間転移能力(テレポート)の魔法の力を借りてその場を一瞬で離れる。

 辿り着いた先は、一面真っ白な部屋。公式のサッカーの試合をここで開催してもまだ十分にスペースが有り余る程の広さのある空間の丁度中央に、ガラスでできたテーブルと、その上に少し大きめの金属製のスーツケースが置かれてある。リッカが注意深く観察してみたところ、このバッグには本来の物理的な施錠だけではなく、魔法によるロック及び、ありとあらゆる衝撃やアンチマジックに対応する防護術式が組み込まれていることが分かった。いかにその中に入っている文書が重要で大事なものかが見ているだけで把握できる。

 

「リッカ・グリーンウッド。貴様にはこれからこのスーツケースを運搬してもらう」

 

 そう声をかけてきたのは、クリスマスパーティーで散々世話になった杉並だった。その顔にはいつものような胡散臭い笑みはなく、エリザベスの傍らで行動している時の真剣な表情、国に仕える者としての表情をしていた。

 

「一応説明しておくと、中に入っているのは、パーシー家の蔵書の中にある超重要特別認定文書の内の数冊、主に魔法による永久駆動機関に関する文献――ということになっている。詳しいことは俺にも分からん」

 

 本来ならばパーシー家の極秘事項に当たる文献だ。故に杉並もとい王室はそこまでの詳しい事情は把握できないようだ。スーツケースの中身を知っているのは、パーシー家の人間と少人数で編成された検閲部隊の人間だけである。検閲に際して得た情報は、そこに危険を孕んでいるか否かという曖昧なものしか上がってこないが、とある誓約により虚偽申告はできない仕組みになっている。当然、魔法によるものだ。

 

「で、それをどこぞの研究チームに渡せばいいわけね」

 

「大手魔法研究調査チーム、『アトラース』――魔法に関する研究に関しては、世界で最も最先端を扱い、また未知の領域を発見しては魔法使いの力としている組織だ」

 

 研究組織として魔法使いの間でもその名をよく知られている『アトラース』は、大きな権力を持つ魔法使いの一族と、あらゆる方面で契約、協力関係を築いているため、多方面での魔法に関する研究を可能とする。その調査技術は手本としても用いられており、そこで考案された実験道具や器具は、サンプルとして風見鶏にも備品として支給され、風見鶏の生徒の個人的な研究を大きく前進させている。

 無論、リッカもジルと共同で進めている、花が枯れないようにするための研究に使う道具を『アトラース』から譲渡されたものを使用しており、その成果の一部として、ロンドンの地下の敷地内には視界一面に咲き誇る桜の木が植えられている。

 杉並から一枚の地図を渡され、運搬物の引き渡しの場所が記されている場所を確認する。ここロンドンから北西の方へ、そしてある程度進んだ先にある都市の拡大地図をもう一枚、そこに記されてあるとある建物の位置にチェックが記されていた。

 

「交通費は王室の方で予算が下りている。実際の交通費よりは多めに支給されると思うが、旅の合間にでも観光を楽しむがいい」

 

 杉並の最後の一言はそれだった。

 役員の指示に従って、魔法によって強化された手錠を左手にかけ、そしてもう片方の輪をスーツケースの取っ手にかける。これによってこの任務が終わるまでの間は左手の自由があまり利かなくなるが、それでもここから地図に指定された距離までなら、人目のつかないよう一般人も利用する公共交通機関を利用するのを避けたとしても、二日もあれば簡単にたどり着けるだろう。大した苦ではない。

 再び空間転移の魔法でもといた場所へと戻ってくる。シェルでエリザベスに、これから運搬の任務を遂行する旨を伝え、早速行動に移す。

 注意することは割と多く、まず、現政権下において魔法使いというのは冷遇されているため、警察の目を掻い潜って運搬しなければならない。もし目をつけられたとしても決して疑われるような行動はとるべきではない。そう言った意味で、同時にバスや電車などの公共交通機関はなるべく利用しないようにするべきである。

 一応スーツケースとリッカの腕に繋がれた手錠は認識阻害の魔法で周囲の人間には目視できないようになってはいるものの、リッカ・グリーンウッド自体が知名度が高いために注意が必要なのだ。

 魔法使いの社会が日陰者であることは現在確定的であり、その存在を認知する者は多くない。だがしかし、魔法使いの間で知らないものはいないリッカ・グリーンウッドが、一般人の間でもどこから噂が漏れたか、知る人ぞ知る存在となっているのだ。

 昼間は裏路地や人気のない道を進んでいくことに専念し、日が沈み交通機関を利用する人間が最も少なくなる時間帯に、最小限の魔法を駆使して乗り込む。

 最終電車の到着先では既に王室の方で宿を予約してもらっており、そこに一泊するつもりである。

 夜闇の中を疾走する、人気のない電車の中は、最小限の灯りに照らされ、リッカはその仄かな光に照らされるスーツケースを眺めていた。その中には永久的にエネルギーを循環させる、仮説段階の文書が入っているらしい。実際のところ成功例は未だに存在せず、研究はずっと理論構築段階から発展していない。

 リッカたちの研究もまた、永久的な花の開花状態の維持というものであり、このスーツケースの中に入ってる文献はまさしくその最終目的の一つとなり得る、彼女にとって知りたい情報がびっしりと詰まっているというわけだ。

 

「風見鶏にはそこまでの書物がないのが残念ね」

 

 リッカは苦笑交じりに一人で呟く。

 魔法に関する文献が多種大量に保管された風見鶏敷地内の、図書館島と呼ばれる島にある図書館には、閲覧レベルというのが存在しており、風見鶏に入学した段階でそのレベルは『1』である。このレベルが上がるに従って閲覧できる書物の種類や数が増えるという仕組みであり、学年が上がったり、何かしらの特別な表彰がなされたり、風見鶏の生徒会に所属したりすることでレベルは上がる。

 基本的に魔法のことに関しては何でも揃っていると豪語される図書館ではあるのだが、禁呪指定された魔道書や、リッカが運搬しているような文献はその図書館には保管されておらず、風見鶏の生徒が絶対に触れることができないような管理体制が敷かれている。故にカテゴリー5であり、本科一年である、閲覧レベルが他の生徒よりも高いリッカでもそう言った本を借りることは不可能なのだ。

 

 予約されたホテルに到着し、チェックインを済ませたリッカはすぐに部屋へと直行し、個室に設置されたシャワーを浴びるために服を脱ぐ――のだが、スーツケースとそれを繋ぎとめる手錠が邪魔で上手く脱げない。

 かなり疲労が溜まっているリッカはさっさとシャワーを浴びて横になりたいがために懐からワンドを取り出し自分の衣服に向かって魔法をかける。すると自分を包んでいた服は一瞬で消え去り、リッカの足元に散乱していた。

 相変わらずスーツケースを体から離すことはできないが、完全防水であり、水や湯を浴びることには何の問題もない。邪魔ではあるがシャワーを浴びないのはどうしても嫌なのでそのままバスルームに持ち込むことになった。

 服を脱いだ時と同様に魔法でバスローブを身に纏い、そのままベッドへとダイブする。

 朝から生徒会室で書類作業、その後クーやジルとのショッピングを邪魔されての長旅、肉体的にも精神的にも疲労していた。

 

「あ゛ぁ~、疲れた……」

 

 カテゴリー5らしからぬ、そして何よりも乙女らしからぬ体勢でぐったりと横になるリッカ。

 自分はうつ伏せになっており、左手に繋がれたスーツケースは自分が横になっているベッドの頭から見て右に置かれてある。

 スーツケースのせいで横になる方向は制限されており、大変寝にくいのだが、とりあえず横になれるのが救いだったリッカにとってさほど問題ではないようで。

 後は翌朝になって目的地に足を運び、そこで研究チーム側の人間にこのスーツケースを引き渡せばミッションはコンプリートしたことになる。

 リッカは手錠がしっかりかかっていること、そして手錠やスーツケースにかかっている魔法が正常に発動しているかを確認して、意識を闇の底に放り投げたのだった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 翌朝、生活習慣に関してはしっかりしているリッカは、早朝いつも通りの時間に目が覚める。

 開いた瞼の先には白く綺麗な天井が写し出されており、その清潔感から朝から清々しくなる。そのまま上体を起こして両手で布団を自分の身体から剥がす。

 部屋を見渡して、昨晩シャワーを浴びる際に脱ぎ散らかした衣服を目にし、片付けることのかったるさを感じて、帰ったら散らかりまくっている寮の自室を少し片付けようと決意する。

 

 ――そしてふと気が付いてしまった。

 

 瞳を開けて、まず自分は何を見た――自分はどういう体勢で横になり、どういう体勢で起き上がった――布団を捲り除ける時、自分はどう手を動かした――そして――

 

 

 

 ――スーツケースはどこへ行った?

 

 

 

 自分の左腕を、血の気が引いていくのを感じながら確認してみると、昨晩までかけられていた手錠が消えてなくなっている。

 何かの拍子で外れ、自分でどこかへ蹴飛ばしてしまった可能性を考慮し、恐怖と焦りにがたつく足をゆっくり動かしながら部屋中を隈なく探す。

 どこだ、どこだ、どこに行った、いつ体を離れた――心の中で自分を落ち着かせながら自問自答を繰り返す。

 何回も、何十回も同じところをぐるぐると探しなおして、最終的に出た結論は――この部屋にスーツケースは存在しないということだ。

 即ち、魔法使いの社会の中で重要な書物であると認定された文献が自分の不注意のせいで紛失、そして最悪、何者かによって盗難されたということだ。

 リッカはすぐに、恐怖に打ち震える声で、何かに縋るように、その事実を杉並に伝えた。

 シェルを握る両手は、空転する思考に小さく震えていた。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 昼を過ぎた頃、リッカのシェルに、召集の旨を告げる内容が書かれたテキストが届いた。王室直属の審問委員会からの通達であった。

 杉並に自分が知りうる全ての事実を伝えた後、彼に事後処理を託して数時間、向こうの方で話は進められていたようだ。その結果リッカ本人から直々に話を聞いた方が今後の方針を検討するうえで参考になると踏んだのだろう。

 緊張で食べ物も喉を通らず、朝から水しか飲んでないリッカはストレスでやつれており、いつものような若々しさは見受けられない。

 部屋まで迎えに来た組織の人間に迎えられ、そのままホテルから車で移動する。

 沈黙の中で数時間揺られて到着したとある建物の中、エントランスを過ぎて廊下を進み、審問を行う部屋に通されて、そこでリッカは訊かれたこと全てに対して嘘偽りなく答えた。一問答える度に役員はその手に握られたペンを走らせ、何かを用紙に書き込んでいる。

 そして全ての審問を終えた後、別室で待機することになった。

 

「どうして、こんなことになっちゃったんだろ……」

 

『八本槍』になる存在を輩出した魔法使いの一族、その家の蔵書であり、なにより魔術組織の中で最高レベルの重要書物と認定されているものを紛失、盗難されたということが、どれだけ責任重大か、リッカには到底理解できない。『八本槍』がどれだけ規格外か、普段目の前でその姿を見続けてきたからこそ、下手に理解しようとすることができないのだ。

 リッカは『八本槍』の人間の所有物を責任を持って預かったにも拘らず、その信用を裏切り、紛失させた。死の宣告を下されたとしてもおかしくはない状況なのだ。

 そして、控え室と廊下を繋ぐ扉が開かれ、議論をしてきたであろう役員たちがリッカの前に立つ。

 リッカもプレッシャーに潰されてしまいそうな体を、腰を椅子から持ち上げ、彼らの前に姿勢を正して向かい合う。

 

「話し合いの結果最終的に決定した内容を言い渡します」

 

 淡々とした口調で、先頭に立つ役員がそう告げ、そして続ける。

 

「――リッカ・グリーンウッド、上記の人物を重要書類の窃盗の容疑で身柄を拘束させていただきます」

 

 その言葉と共に紙面を突きつけられ、頭が真っ白になっている間に、突然腕が拘束される。

 強力な魔法がかけられた手錠、奇しくもスーツケースと自分を繋げていた手錠と同じ素材のもので、更に同じタイプの魔法がかけられていた。

 リッカにとってこの程度の魔法を解き、手錠を破壊して逃走するのは簡単だ。しかし今それをしてしまえば、反逆罪に当たり最悪『八本槍』に追われて命を落とすことになりかねない。それだけはできなかった。

 

「申し訳ありません。ご高名な魔法使いの方とは言え、こちらも国に仕える仕事ですので」

 

 相も変わらず感情のこもらない声で淡々とそう言う役員の男に腕を引っ張られ、そのまま連行される。

 それよりも、気になったことがあった。

 何故、自分がスーツケースを盗み出したことになっているのか。詳しいことは分からないが、恐らくそれは、そのうち行われるであろう審判ではっきりするはずである。その時に無実を証明するしかないのだ。

 そして同時に、こんなことで醜態を晒してしまうことになる自分を悔み、ジルを、そしてクーを、その顔を脳裏に思い描いて、静かに涙を流した。

 

 

 






「――仮に、の話をしよう」

手折られた洋蘭(カトレア)の花は、追い打ちにその花弁を切り裂かれる。
不信と疑念が、ありもしない花の毒を遠ざける――

味方はいない、助けなど入ってこない。
たった一瞬の出来事で全てを失い、生きる意味すらなくしてしまうのか――

「やっぱり、助けてはくれないのね」

根を失い、花弁を引きちぎられた孤高の花が捨てられた先は、地獄だった。
その力強さと、美しさを輝かせることなど最早ありはしない。誰にも気づかれることなく死を待つのみ――

「一世一代の大脱出ショーだ」

その時、色褪せた弱々しい茎を、傷だらけの拳が、ごつごつとした指が力強く握り締める。その瞳に、獰猛に、生き生きとした光を携えて――

◇ ◇ ◇

次回予告的な何か。
ようやく本章も佳境へ。


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終わりから始まりへ

――飼われるばかりが騎士ではない。


 ロンドン某所、リッカ・グリーンウッドは、魔法使いが重罪を犯したと思われる時にその罪の存否、そして有罪とされた時の処分について審議される、まるで裁判を行う法廷のような場所へと連れてこられていた。

 外部から見ればごく一般のビジネスビルだが、エントランスを通り抜けたあたりにある大きな階段の裏から続く隠し通路を通り、その先にある長い階段を下りていったところに広がっているこの空間は、風見鶏の講堂と同等かそれ以上の広さを有し、風見鶏の生徒を全員動員して寛がせてもまだ十分なスペースを余すくらいである。

 リッカから見て正面奥に、三人程の審判官が一般の社会の裁判でも用いられるような法服を身に纏いこちらを見据えている。右側には恐らく意見者、今回のリッカの失態がいかなるものであるかを議論するために召集された人物が座っており、中には高いカテゴリーを持ち、名をそれなりに知られている魔法使いや、また端には『八本槍』も同席している。盗まれた本の所有者であったアルトリア・パーシー、魔法的考古学及び歴史学に精通しているアデル・アレクサンダー、そしてリッカの知り合いであるところのクー・フーリンも出席している。一応スーツを着込んでいるが、息苦しいのか襟元を大分崩している。なお、アデルと、アルトリアとクーの間は、席が二つほど開いていた。

 

「私まで避ける必要はないと思うのですが……」

 

「よせ、馬鹿が(うつ)る」

 

 クーの明らかにアデルに聞こえるように言った小声に、確かにアデルは反応する。

 

「その馬鹿や王室の方々に多大な迷惑をかけ、魔法使いの信頼を失墜させるような行いをした者を侍らせている、飼い犬の躾も満足にできない貴様は差し詰め山猿といったところか」

 

 クーを罵る上でリッカを侮辱し、家畜と同じ扱いをしたアデルをクーは睨みつける。次口を開けば殺すぞと言わんばかりに。

 アデルはその視線を意に介することなく不敵な笑みを浮かべてクーから視線を外した。

 彼らからすればほんの些細な口喧嘩である。しかし周りの傍聴人、審判官、そしてリッカからすれば、彼らのその口喧嘩は大戦の渦中にいるも同然の気分だった。下手すれば本当にここが焼野原になりかねない。

 

 そして準備が整い、審判官の宣言の下、審判が開始される。

 彼が眼前に何やら紙を広げ、そこに書かれてある文章を読み上げていく。その内容は、リッカ・グリーンウッドが≪女王の鐘≫による依頼によって手にするに至った、パーシー家所有の図書館の蔵書である指定文書を届け先の研究チームの元に届けることなく自らの手で隠蔽、盗難したということ。読み上げた後の審判官の確認に、リッカは否認した。

 リッカの否認の言葉に法廷中が騒めくが、審判官は動揺することなく進めていく。

 審判官がリッカに対し、今の条文の訂正を許可した後、リッカは深呼吸をして自分が目にした事実を包み隠さず話し始めた。

 スーツケースを手錠と繋いで物理的、魔法的に厳重にロックし、肌身離さず持ち歩いていたこと、シャワーを浴びる際には衣服の方をテレポートさせ、手錠及びスーツケースには何の干渉もしていないこと。手錠もスーツケースも防水性能を持っているため、シャワーによる温水による異常はなかったこと。就寝する際も事前に厳重なロックを確認したこと。

 そしてリッカの主張を参考に、意見者からの声が上がる。

 まずは、スーツケースに入っていた書類について。所有者であったアルトリア・パーシーが意見者として口を開く。

 

「確かにそこのリッカ・グリーンウッドに、王室を介して運搬を依頼したスーツケースに入っていたのは、魔法による永久機関を構築する仮説を記述したもので間違いありません。成功例はなく、あくまで不完全な理論の域を出ませんが、あるいは何者かがこの文献を切欠に永久機関の構築に成功してしまえば、魔法社会のパワーバランスも大きく変更しかねません」

 

 最悪、その技術が悪用されてしまえば、王室は一瞬にしてその力を失いかねない。そして、いくら『八本槍』であろうと有限であり、無限という神の次元に対して勝利しうる札など持ち合わせていないのだ。

 今この審判において直面している状況というのは、そこまでのことなのだ。

 続いて口を開いたのは、アデル・アレクサンダーだった。

 

「リッカ・グリーンウッドの記述した論文はいくつか目を通したことがあるが、その内容のほとんどが『花の開花状態の永続的維持』に関するものだった。今回盗まれた永久機関に関する文献の記述と彼女の研究内容には密接な関係があり、彼女がパーシーの文献を盗難、隠蔽する動機に十分なり得ると推測できる」

 

 そこでリッカはハッとし、すぐさま反論を主張する。

 

「確かに私の研究内容は永久機関に関わる内容で間違いありません。しかし目を通していただければお分かりいただけると思いますが、私の研究はすなわち私の親友であるジル・ハサウェイの研究、私一人の独断で勝手に研究を推し進めるのは共同研究者に対する冒涜に当たります」

 

 確かにリッカにとって、スーツケースの中にあったであろう文献の内容は喉から手が出る程欲しいものであった。アデルの言い分は客観的に正論だろう。だからこそ悔しさに歯噛みする。何故人間は、主観的な感情を主張するための根拠を提示するのが限りなく難しいのだろうかと。

 

「そして恐らくそのスーツケースの中にある文献の内容は私たちが追い求めている答えかもしれない。それを与えられたのでは意味がありません。私たちは、私たちが試行錯誤して手に入れた結論にこそ、価値を見出しているつもりです。その意志に誓って、そして共同研究者であり、親友であるジル・ハサウェイに誓って、私はスーツケースを盗難、隠蔽などしていません」

 

 リッカの魂のこもる主張に、しかしアデルは短く言い返した。

 

「貴様の言い分は理解した。しかしその上で言わせてもらおう。その主張に、明確な根拠は存在しない」

 

 アデルの主張はもっともだが、しかしそれに関して言えば、リッカにも手は残されている。

 

「でしたら、私が盗難、隠蔽したとされる明確な証拠も存在しません。アレクサンダー卿の主張は、私が行為を起こしたとされる動機と、単純な状況証拠のみで成立しているはずです」

 

 成程、とアデルは小さく笑みを浮かべて椅子の背もたれに体重を預ける。

 リッカ・グリーンウッド、しっかりと現状を把握している、頭の回る小娘である――アデルは彼女をそう評する。

 だがしかし――それでは自身を救うことなどできはしない。

 

「――仮に、の話をしよう」

 

 おもむろに、アデルは自分の椅子から立ち上がり、一同を見渡した。

 その瞳が抱くのは、自信と余裕。誰の目から見ても、彼がリッカを断罪しようとしている様に見えないことはなかった。

 

「リッカ・グリーンウッドが文献を盗難したことが事実ではなかったとしよう。すれば、自然と別の第三者によって盗難されたことになる。そして手掛かりは一切なし、真相は闇の中だ。もしどこかでスーツケースのロックが破られ、中の文献に書かれてあるヒントから永久機関の技術を完成させ悪用する輩が現れれば――国家転覆は免れない」

 

 そして、その鋭い視線は、リッカの罪を糾弾するように彼女を射抜いた。

 

「この女は、それだけ重大な罪を犯したのだ。この現政権はもちろん、現在の魔法社会の構造に対して不満を抱くテロリストも数えられないほどいる。万が一その技術を共有しどちらかあるいは双方を潰しに襲撃を受けるようなことがあれば、たとえ『八本槍』とは言え、太刀打ちできまい」

 

 そして、リッカを突き刺していた視線を一旦引き抜き、そのまま審判官を睨む。

 自分の言葉を一言一句聞き逃すことは許さないとばかりに、その視線には迫力と緊張感が植え込まれていた。

 

「なぜ、文献が盗まれるようなことがあったか?それは紛れもなく、そこのリッカ・グリーンウッドの不注意によるものだ。スーツケースの中に入っているものが国家レベルで貴重なものであることは≪女王の鐘≫のシステム上説明を受けていたはずだ。その上でこいつは夜に睡眠をとったのだ。あろうことか、賊が最も活発になる時間帯にのうのうと休息をとっていたのだ!本来であれば、その一晩、周囲に警戒して一夜を明かすのが正しい行いだったはずだ。――クー・フーリン、貴様ももちろんそう思うだろう」

 

 突如話がクーに振られる。相変わらず雑な姿勢のままで特に動じることもなく、視線だけアデルに向けた。

 

「ああ、確かに俺なら間違いなく起きて過ごしたね」

 

 クーの肯定の言葉に、リッカは絶句した。

 喧嘩は多々あろうとも、根本的な、悠久の時を経て積み上げられてきた絆がそこにあると信じていたリッカにとって、彼の裏切り同然のその一言はリッカを失望させ、どん底に突き落とした。

 

「だろう、つまりこいつは間違っ――」

 

「――俺の場合なら、な」

 

 何、と小さく呟いて、アデルは苛立ち交じりにクーを一瞥する。

 意味深な同じ言葉での発言に、リッカはハッと顔を上げる。クーはまだ、リッカを捨てたわけではなかった。

 

「リッカ・グリーンウッドはその日、前日の生徒会役員選挙及びクリスマスパーティーの事後処理に追われ、大量の書類作業を終えた後、本来ならばそこで休暇になったはずのものを≪女王の依頼≫で呼び出された。肉体的、精神的疲労の後で交通機関も都合よく使えない長旅をすることになった奴が、その日寝ずの番をしろだと?そこにいるのは貧弱なただの女だ。カテゴリー5だろうが孤高のカトレアだろうが身体はただの弱っちい一般人も同然だ」

 

「だが根本は変わらない!要はグリーンウッドの不注意が、今回の事件を招いたことに変わりはないのだ!そしてそれが切欠で国家が、魔法社会が瓦解するかもしれんのだ!なればこそ、私は一つの提案をここに進言する!」

 

 声を荒げ、怒りのままに怒鳴り散らすアデルは、最後に審判員を見る。

 彼は、自分の求める刑罰を、この部屋中に響くような、地を揺らし、大気を震わすような大声で、審判員に告げる。

 

「――リッカ・グリーンウッド、今回の事件の全責任を取り、全魔法的権限の剥奪、魔法に関する記憶を全て消去し、一般人として、最低限の生活をするための財産を保障した上で魔法社会から隔絶する!」

 

 今回の事件はリッカ・グリーンウッドの、そして魔法使いの信頼を大きく失墜させるものである。その罪の償いの意図と、魔法社会の総意としての責任として、彼女を斬り捨て二度と魔法に関われないようにする、ということだ。『八本槍』であるアデルが本気になればリッカの首を飛ばすのも容易だった。命だけは助かり、生活の保障も受けられるのなら、十分に軽い刑だと言える。

 しかし、当人であるリッカの頭は真っ白になっていた。

 魔法に関する記憶が全て消去されてしまえば、ジルと共に切磋琢磨し、魔法の技術を高め合い、旅をして、そしてクーと出会い、魔女狩りから親友の命を救ってもらい、また自身の命すら守ってもらい、そうしてたくさん積み上げてきた思い出が、全て無に帰してしまうのだ。そんな未来に、果たして何が待っているのだろうか。

 誰もが、事の重大さを理解している。だからこそ、全体の利益を守るためには、ここでリッカを切る選択しか残されていない。真犯人に関する情報をリッカが持ち合わせてない以上、彼女の記憶を消すことに問題はないし、仮に彼女が犯人だったとすれば、これ以上の技術の悪用を防ぐことができる。そこまで考えて、アルトリアも反対できずに押し黙っていた。

 そして、誰も口を開かなくなる。最後のアデルの提案が、現時点で最も全てを円滑に進める方法であることを何となくここにいる全員が理解していた。多数決を取れば、圧倒的に彼の意見に賛成を示す者は多く、リッカの敗北は決定的である。

 そして、審判官が状況を見極め、最終判決を言い渡す。

 

「リッカ・グリーンウッド、貴女をアデル・アレクサンダーの提案に従い、全魔法的権限の剥奪及び、魔法に関する全ての記憶を放棄させる」

 

 味方などいない――力が入らなくなり、膝から崩れ落ち――

 

 ――轟ッ!!!

 

 崩れ落ちてしまう直前に、突如轟音が鳴り響く。地面が揺れ、耐えきれずにリッカは尻餅をついた。見渡すと、一ヶ所から炎が揺らめき、黒煙が立ち上っていた。

 大爆発。立て続けに二発目、三発目と爆発は連鎖する。奇襲だろうか。相手はテロリストか、あるいは――

 ふと、誰かに腕を強く掴まれて引っ張られる。力任せなその腕に体を持っていかれながら、その腕の主を見る。煙に曇って、顔がよく見えない、が、リッカはそれが誰か、分かっているような気がした。

 

「一世一代の大脱出ショーだ」

 

 リッカの耳に届いたのは、聞き慣れた声。その声に、楽しそうなその声に安心して、リッカは彼に体を預ける。肩と膝を抱えられながら、リッカは空を舞い、翔けた。

 それにしても、ここは地下ではなかったのか。間違いなく自分たちは地上のエントランスから階段を下りたはずだ。まさか、階段の途中、あるいはその先でいつの間にかワープゲートの類を通過していたのだろうか。

 

「やっぱり、()()()()()()()()()()

 

 残念がる言葉とは裏腹に、彼女は涙を浮かべて笑っていた。

 粗野で野蛮で武骨な戦士であるこの男が、この人時だけは、どこぞの白馬の王子様だと不本意ながらに思えて仕方がなかった。

 

「温い空気に飽きただけだ。テメェが地獄に落ちたのなら、巻き添えくらって一緒に地獄に落ちた方が自分のためだ。人生のターニングポイントってやつだな」

 

 リッカはクーの胸に抱かれながら、その生き生きとした真紅の双眸を見上げる。

 イギリス王室の騎士として、『八本槍』の名の下尽力してきた彼だったが、リッカ同様、既に彼も国家に盾突いた者、全ての権利を奪われ、国家に反逆した罪で追われることになるだろう。しかしそれでも、いや、だからこそその瞳は風見鶏に埋もれていた時以上に生き生きしていたのかもしれない。

 

「私がミスってこんなことになって、あなたまで巻き込んで……」

 

「ハッ、笑わせんな。誰がテメェのために身を犠牲にした、だ?ちげーよ、こっちはわざわざ()()()()()()()()()()()。今のクソッタレな状況から抜け出すのに都合がよかったからな」

 

 何も分かっていないという風にリッカを小馬鹿にしながら、それでいて手品に成功したような子供のような、意地悪で楽しそうな笑みを浮かべてそう言う。

 建物の屋根を身軽に飛びながら、ものすごい速度で移動している、にも拘らず、リッカにはその反動が一切かかっていない。クーが配慮していることは一目瞭然で、どうあっても悪人にはなり切れない彼に、心が温かくなった。

 

「さて、どうするよ?」

 

 空を飛翔しながら、突然クーはリッカに質問を投げかけた。

 意図が分からず、リッカは間抜けた声を上げてクーを見上げる。

 

「テメェは全てを失った。俺も全てを失った。おまけに二人とも反逆者として追われる身だ。最悪『八本槍』の連中と相対する日も遠からずあると来た」

 

 つまり、今の二人は比喩でもなく冗談でもなく、事実世界中を敵に回して逃げ延びているも同然ということである。

 そんな事実を突きつけられてなお、リッカは絶望することなく焦り慌てることなくクーに微笑み返した。

 

「そうね、随分と昔のことのような気もするけど、久々に旅にでも出てみましょうか」

 

「またそれはスリリングかつエキサイティングな提案だな。命懸けのぶらり旅たぁ随分と粋な発想じゃねーか」

 

 ふと背後を確認すると、火を噴いていたであろうあの建物は既にと置く小さくなっていた。二人は並の車以上の速度で飛び回っており、追手も追いついていないようだ。

 未練などいくらでもある。エリザベスの手伝いを最後までしてあげられなかったこと。予科一年A組の生徒たちの面倒を最後まで見ることができなかったこと。シャルルと巴に、心配をかけたまま出てきてしまったこと。そして。

 

「ジルは、何て言うだろう……?」

 

「それについては考えてある。手はこっちで打っておくから、後はあいつがどうしたいかだ」

 

「そう、ね」

 

 かつてリッカたちが出会い、共に旅してきたのは、リッカとジルとクー、いつも三人だった。

 今はその一人、ジルが欠けている。リッカも、本当ならジルも一緒に二度目の長い旅に連れていきたい。しかしそれが命を、そして積み上げてきたものを(どぶ)に捨てるも同然であることはよく分かっていた。彼女にも彼女の事情と意志があるはずだ。

 それでも、きっと――

 

「最後まで責任持って守り抜いてよね、史上最強の英雄様♪」

 

「ケッ、守る云々は置いといて、噛みついてくる奴は一人残らずブッ倒す、それだけだ」

 

 どちらの瞳にも、後悔の念など微塵も感じさせない、強い思いが宿っていた。




よくよく考えたら、今の状況かなりヤバいです。なのに笑ってられる二人の肝っ玉の太さよ。

後はジルと合流して本章の最終決戦へ。


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残された者の意志

気が付けば先週でこの作品の投稿を開始してから一年経ってた。
長いようであっという間な一年間。そんな感じでこの作品もあっという間に完結させたい。


 

 

 王立ロンドン魔法学園生徒会役員にしてカテゴリー5、孤高のカトレアであるリッカ・グリーンウッドの罪とその処分、そして彼女と『八本槍』の一人、クー・フーリンの逃亡の噂は瞬く間に風見鶏の生徒の間に伝播していった。魔法使いの最高峰とも言えるカテゴリー5が責任を問われ処分が言い渡された挙句、それを回避して逃走したという事実はこれから魔法使いとして地域社会に貢献しようと自己を研鑽する生徒たちにとって混乱の渦となった。生徒会もまた、騒ぎ出す生徒を抑えるために奔走しており、リッカが抜けてしまった穴埋めを今はジル・ハサウェイが代理して行っている。

 そんなある日の放課後、生徒会室で一人、ジルは窓の外を眺めながら小さく溜息を吐いていた。リッカはどうなってしまうのだろう、二人は今どこにいるのだろう、不安と心配だけ胸中を駆け巡る。

 リッカが拘束された旨が記された新聞記事を見た時は胸が潰されそうだった。もつれる足を無理矢理にも前へ前へと走らせながら、旧友であり想い人だと自覚しているクー・フーリンの部屋へ直行し、その事実を彼に伝えるや否や、彼は表情一つ変えることなく彼女を救うために動き出した。そう思っていた。

 しかし事実はどうだ。クーもまた、地獄に落ちたリッカと共に、地獄に引きずり込まれただけではないか。それなのに、何故自分だけこんなところで平和に過ごしているのだろう。何故彼らの下へと駆けつけようと足が動いてくれないのだろう。そうするには、情報が、希望が、そして力が自分には欠如し過ぎていた。無力な自分があまりにも情けなさ過ぎて、掌に爪が食い込み血が出ることもいとわないと言わんばかりに拳を握り締め震わせる。

 

「こんなのってないよ……」

 

 誰もいない部屋で一人、小さく震えた儚い言葉。誰にも届くことなくふわりと消える。

 もう、彼らに会うことはできない。いつものようにこの部屋で笑顔を交わすことはできない。また昔みたいに、苦しくて、辛くて、大変で、それでいて楽しくて未知と希望に満ちた旅路を共にすることも、もうないのだ。果てしなく続いてきたあの日々の思い出を胸の中からそっと引きだして、胸が苦しくなる。会いたいと胸の中で囁きかけて、でも叶うことなどなくて、現実を思い知って、ふと涙が零れた。

 

「なん、で……泣いてる場合なんかじゃ、ないのに……!」

 

 堰を切ったように、一度溢れ出た涙は止まらない。何度袖で目元を拭おうと、すぐに滴が頬を滴り落ちてしまう。

 弱い、弱い、本当に大事な時に傍にいてやれない、傍に駆けつけることができない、それが運命で、彼らとの関係がその程度だったのかとひどく痛感させられる。

 その時ふと、部屋の扉からノックの音が聞こえた。

 慌てて昂った感情を引っ込め、無理矢理に目元を擦って涙の痕を隠して、どうぞと入室の許可を与える。生徒会役員でもないのに、何をエラそうにしているのだろうか。些細なことに苛立ちが募る。

 

「こんにちは」

 

 生徒会室に入ってきたのは、英雄に命を助けられ、育てられた小さな優しい勇者。生徒会長の実の弟、エト・マロースだった。

 相変わらず柔らかくて温かい雰囲気を纏ったまま、それでいてかの英雄を彷彿とさせるような力強い眼差しが、こちらを捉えていた。

 傾く夕日の斜陽が、少年の白銀の髪を幻想的に照らし出す。揺れる前髪に思わず見惚れてしまうくらいに。

 

「泣いてたんですか」

 

 隠したつもりが簡単に見破られてしまう。年下の男の子に心配させてしまうのは、年上として恥ずかしいものだったが、しかしどうして少年が英雄と重なって感慨深くなる。

 

「な、泣いてなんか――」

 

「無理しなくていいですよ。僕なんかよりずっと長くお兄さんやリッカさんと一緒にいたジルさんが、悲しくないはずがない。僕だって話を聞いた時どうにかなりそうだったから」

 

 その事実を思い出してか、エトの顔が翳り、瞳を伏せる。どちらもクーには恩があり、そしてたくさん助けられた。失ったものはとてつもなく大き過ぎて、心のバランスが大きく崩れてしまうくらいだった。

 しかしジルは気付く。それなのに目の前の少年は、どうあっても平常心を保ち続けている。やはり英雄に育てられた小さな勇者は、精神面も成長していた。いつの間にか、こんな大きな事件にも屈しなくなるくらいに。ジルよりも何倍も強く、強く。

 

「でも、お兄さんがどこかに行く前、僕に意味深な事だけ言って去ったんだ」

 

 クー・フーリンは言うまでもなく飄々とした人だ。自分の気の向くままに、自分のしたいままに行動する人だ。エトにだけ伝言を残して、自分には何も言わずに消えていったことで、エトに対して妬いてしまうところもあるが、何とか呑み込む。

 エトは、胸の中で彼の言葉を何度も反芻するように思い出して、そしてジルに伝える。

 

 ――姉貴を心配させんじゃねーぞ。

 

 ――俺は守りたいもんを守れるだけの力をテメェに授けた。好きに使え。

 

 ――胸張ってけよ、勇者(エト)

 

 すれ違い様に肩を掴まれ、耳元で唐突に囁かれて。

 そして一拍開けて、再びエトの耳に流れてきた言葉は。

 

 ――また始まりの地から、やり直したいもんだ。

 

 始めはエトに対する労いのような言葉だった。しかし、最後の一言が、エトにとってはよく分からなかった。

 ジルを見てみると、彼女の顔に、笑顔が戻ってきていた。

 ジルは気付いたのだ。クー・フーリンは、きっと、まだ自分のことを必要としてくれている。彼と、リッカと、そして自分、三人でまた、楽しい旅がしたいと、そう思っているに違いないと。

 

「ありがとう」

 

 強くなったエトに、感謝の気持ちを伝える。

 クーに教わった体術、戦闘術、そしてリッカやジルに教わった魔法。しかしそのどちらもが、エト自身に宿る小さくて激しい熱があったからこそ習得できたものであり、そしてその熱が、少年を勇者たらしめる人格に仕上げた。この少年はきっと、魔法使いの世界を変えてくれる、そんな気がしていた。

 

「僕なんかにできるのは、こんなことしかないよ」

 

 そう言って、照れ笑いだか苦笑いだか判断に苦しむ笑みを浮かべたのだった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 翌朝、いち早くクラスマスターの不在による混乱から回復した予科1年A組のクラスメイト――清隆、姫乃、サラ、エト、四季と、彼女に引っ張らせてきた耕助が集まっていた。場所は風見鶏にある喫茶店、ケーキ・ビフォア・フラワーズ。風見鶏全体がパニック状態でまともに授業ができる状態ではないので、二日程の連休があてがわれている。この空いた時間を利用して集まった目的はもちろん、クラスマスター、リッカ・グリーンウッドに関する情報の収集、あわよくば彼女を発見することである。

 

「お、お待たせしましたー!」

 

 片手の大きなトレイに、それぞれが注文したドリンクが乗せられてある。それを運んできたのは栗色のショートヘアをした可愛らしい少女で、名を陽ノ本葵(ひのもとあおい)という。ここケーキ・ビフォア・フラワーズ、略称フラワーズにアルバイトとして働いている勤労少女であり、また風見鶏内でのあらゆるバイトを掛け持ちしているので、彼女を知らない風見鶏の生徒はほとんどいない。清隆たちも無論その例に漏れない。

 

「あ、ごめんね葵ちゃん、忙しいのに」

 

「いえいえ、お客さんが来てくださるのはお店としても大歓迎ですよー!それに、忙しいのは、本当はリッカさんを失った皆さんの方だと思いますし」

 

「いや失ったってそんな死んじゃったみたいな……」

 

「い、いえ決してそんなつもりじゃっ!?」

 

 従業員の女性用制服のスカートをパタパタとはためかせながら慌てる葵を見て、いつ見ても元気な娘だと妙に安心させられる。ちなみに既にリッカの情報も結構噂として流れているようだ。

 周りを見渡せば入店している客も大勢で、葵もまだまだ忙しいらしい。空いた席の皿を片付けたり、オーダーの確認をしに行ったりと、清隆たちから離れてもあっちにこっちにと走り回っていた。

 

「ところで、リッカさんの情報といっても、王室の方や調査の依頼が出ている方が総力を挙げて調べているので、それ以上の情報は出ないかと。それに機密情報に近いそれらを学生である私たちに易々流すとは到底思えませんが……」

 

 あくまで真剣に現状を理解し伝える四季に、清隆は相談開始から早々に頭を抱えたくなる。

 確かにこの事件ばかりは少人数の生徒ごときで片が付くような話ではない。捜索対象は『八本槍』を抱える王室の目を掻い潜って逃走を続けられる化け物だ。清隆たちに見つけられるものなら既に追手が彼らを捕獲して首を切り落としているはずだ。

 

「じゃあ、一体どうすれば……」

 

 四季の言葉を咀嚼し、色々と考え込む姫乃だったが、名案どころかアイデアすら浮かんでこない。

 しばらく沈黙が続くが、それを打ち破るように耕助が痺れを切らして奇声を上げる。

 

「あ゛ぁ゛~~、全く持って見当がつかねぇぞ!?流石にこればかりはこの俺の綺麗な灰色脳細胞でも難解な事件だぜ……」

 

「流石マスター、ほんの少し考えただけで思考を放棄してしまう判断の速さ、江戸川家の名に恥じる行動をとり続けられる才能こそマスターにしか持ち得ません」

 

「おい四季流石に今のは俺でも傷つくぞ……」

 

「いいではないですか、傷をつけられることで快楽を得、罵られることで悦びの声を上げる――才能を思う存分発揮するマスターへのご褒美にと」

 

 ずーん、と効果音が付きそうな勢いで耕助が撃沈した。清隆にとっても最初から戦力としては当てにしていなかったが、一応曲がりなりにも探偵家業をしている人間だと思っていたのだが。とにかくこんな状態でもいつもの漫才のようなやり取りは欠かさないようだ。

 

「あ、あの……」

 

 おずおずと挙手をしたのは、紅茶の注がれたティーカップをカチャリと音を立ててソーサーに戻したサラだった。

 歯にものが挟まったような苦々しい顔をしており、言いにくいことを言おうとしていることには容易に推測が行く。

 

「サラちゃん、どうしたの?」

 

 あまりにも不自然なサラの様子に、エトが様子を窺う。

 

「い、いえ、あまり言いたくないんですが、リッカさんのためならと思って……」

 

 サラの言葉に、全員が身を乗り出した。今はほんの些細な情報でも欲しいところだ。それに、情報提供者が貴族の一門であるクリサリス家の息女のモノであれば、信憑性も高くなるし、彼女の推測であっても、頭の回る彼女であれば自然と的を得たものになっているだろう。

 

「その、口にするのも生理的嫌悪を催すので躊躇われるのですが、もしかすればイアン・セルウェイから情報が得られるかもしれません」

 

「い、イアンから……?」

 

 清隆にしても、エトにしても、そして無論サラにとってもイアン・セルウェイと言う人物はあまり好意的な人物ではない。

 魔法の実力こそ高いものの、人間としてはなかなかに卑劣な男であり、過去二回に渡って当事者を密室に閉じ込めることで自分が有利になるように事を仕向けたこともあるような人物だ。

 

「セルウェイ家といえばイギリスでも高名な貴族の一門です。しかし魔法使いの間でその権力を維持できているのは他ならぬ『八本槍』を輩出したパーシー家とアレクサンダー家の両家にコネクションがあるからと聞いたことがあります。特に公開された情報によれば、片方のパーシー家は直接的に事件に関わっているみたいですから、捜査情報は少なからず握っているでしょう。そして当然セルウェイ家にも調査の依頼は出ているはずですから、イアンにそれを探ってもらえばあるいはと」

 

 流石はサラ、魔法に関する勉強だけでなく、地理と権利関係についてもそこそこ詳しいらしい。偏にクリサリス家の重い期待を背負ってここまで努力してきたその結晶の一つだろう。

 そして清隆は、サラの意見に賛同して、先程からちらちらとこちらを見てくる方向へと視線を向けて声を発した。

 

「ということで、力になってくれないか、イアン・セルウェイ」

 

「なっ――」

 

 清隆が視線を向けた瞬間にはこちらを向いていたのか、慌てて我関せずな態度をとって、何も見ていなかったかのようにそっとティーカップを持ち上げた。その頬は僅かに紅潮しているような気がしないでもない。

 まさか本当に近くにいるとは思っていなかったのか、サラは自分の背後にいるイアンを目の当たりにして吃驚仰天である。噂をすればなんとやらとは誰が言ったものか。

 

「短い憩の時間の中、キャラメルマキアートの深く甘い、芳醇な香りをご堪能になっているところを申し訳ないのですが、どうか清隆さんのお願いを聞いてあげてください」

 

 ちゃっかりイアンが来ていたのを知っていて黙っていたのだろう、何故注文した商品まで知っているのかは定かではないが、相変わらず面白いものを見つけたと言わんばかりの、それこそ巴のそれと同じような視線を彼に注いでいた。

 

「良かったですねイアン様、仲間に入れてほしくて何度か声をかけようと思い、しかし過去に多大な迷惑を相手におかけしたことを気にして視線をちらちらと送り続けることしかできなかった努力が報われたものですー!」

 

 奇遇なことに、イアンの付き人である、メイドのような格好をした瑠璃香・オーデットがこれまた四季と同じような視線を主人に送りながら世辞にもならない褒め言葉を乱暴に飛ばしていた。

 

「ばっ、馬鹿、瑠璃香、僕がそんなことをするはずがないだろう!ぼ、僕はただ暇を潰しにここまで来ただけだっ!」

 

「ええ、そうですとも!途中まで図書館島まで行こうとしていたところを、ふとしたことを切欠に突拍子もなく歩く行き先を変えてこちらに来たのは暇潰し以外に考えられないですー!」

 

 何となく、何となくだ。これまで清隆たちA組に何度も因縁をつけてきた彼だったが、こう言ったところを見る限り、もしかしたら家庭のことも考えて、姫乃と同様に、人間関係に不器用なだけだったのかもしれない。多少お茶目が過ぎて対戦相手を騙して監禁、部下に拉致させ監禁させるようなこともあったが、根っこまで悪人というわけではなさそうだ。というより、本当に何となく、友達が欲しかっただけなのかも、とそんなことを清隆は考えた。

 清隆は席から立ち上がってイアンの下まで歩み寄り、何故か清隆に怯える素振りを見せるイアンに――頭を下げた。

 

「何とかして、リッカさんを見つける手助けをしてほしい。リッカさんに関する情報を俺たちに流してほしいんだ」

 

 その言葉に、今度こそイアンはその顔を青ざめさせる。それが何を意味するか、既に本人で気が付いているようだ。

 

「馬鹿を言うな!君はこの僕に死ねと言うのか!?これは『八本槍』が関わっている事件なんだぞ!下手に手を打てば首が飛ぶことを理解しているのか!?」

 

「でも、今はイアンしかいないんだ!他に情報網がない。セルウェイ家はパーシー家に関わりがあると聞いた。だったら上手くことを運べば情報が手に入るかもしれない。今それができるのはイアンだけで、イアンはそれができるだけの力を持っている、俺はそれを信じたい」

 

 イアンの心に、清隆の真摯な最後の一言が響き渡り、そして染み込んでいった。

 信じたいと。そうはっきりと。生まれて初めて、誰かに心から頼られたような気がした。権力など二の次、それこそ信頼の一言だけで片付けてしまうようなことを真面目に言ってのける清隆に、心が熱くなったような気がした。

 そして決意する。

 

「確かに、この僕がリッカ・グリーンウッドの無実を証明し、更に真犯人を追い詰めることができれば、セルウェイ家の名は更に広まることになるだろう。そして僕が風見鶏を卒業した暁には、魔法使いの社会を大きく変える存在になる。――いいだろう、やるだけのことはやってみるよ。ただ覚えておくがいい、これは決して君のためではない」

 

 そうはっきりと言ってみせた。相手は『八本槍』とその一味だ。失敗すれば命はない。だが、このイアン・セルウェイ、失敗をしなければ問題はないのだ。あくまで自分が清隆たちより上であるという態度を取りつつ、そう心では呟く。

 こいつちょろいですね――エトにはどこかからそう聞こえた気がするが、果たして一人だけ意味深に笑みを浮かべて口を押える者がいた――四季だった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 ロンドン市内、某所。

 審判中に建物を爆破し脱走、逃亡したリッカとクーは、未だにロンドンを出てはいなかった。追手を撒いてここまで逃げてはきたものの、再び見つかるのは時間の問題である。しかし同時に、クーもまたそれを織り込み済みでここを隠れ家に選んだのも事実である。

 その理由としてまず一つ、『八本槍』は知っての通り規格外の人間が集まる組織である。その中でも武術、体術において埒外な実力を持つクーが、その脚力で国境を跨いで逃げるということも向こうは視野に入れているはずだ。そうなれば捜索範囲は広がり、二人の発見にはそれだけ時間を要することになる。そしてその中で意外性を持つのはここロンドンにまだいるということ。気配を遮断して『灯台下暗し』を実現してしまえば時間は稼げる。

 しかし、リッカはそれでも納得がいかないようだ。

 

「それでも、結局見つかってしまうんじゃ、意味がないじゃない。どうするつもりなのよ?」

 

「いや、あいつらにはここを見つけてもらわにゃ困る」

 

「は?」

 

 リッカの口から間抜けた声が漏れた。しかし、見つからないために逃げて隠れているのに、見つけてもらうとは行動の矛盾にも程がある。

 しかしクーの口から漏れたのは楽しそうに弾む次の言葉だった。

 

「なぞなぞを解いてもらうんだよっと」

 

 口元を綻ばせながら、クーは隠れ家として拝借している建物の、一室に置いてあったペンと紙を用意し、そこに何かしらをすらすらと書き込んでいく。

 リッカは横から覗き見ようとしたが、思った以上にクーの身体が大きくて逞しく、か細く小さい体では背伸びしてもクーの肩に届かない。そうこうしている内に書き終えてしまう。

 

「何書いてたの?」

 

「教えねー」

 

 クーの言葉にむっとして、リッカは苛立ち交じりに、この建物に保存食として置いてあったらしいビスケットを一つ口に放り込む。味こそ薄いものの、何かを食べているという事実が身体にとって喜ばしいことのようで、気分が落ち着いていく。

 何も教えてくれないのかと思いきや、再びクーが口を開いた。

 

「旅のお供を増やすんだよ」

 

 その言葉にリッカは目を見開き、そして理解した。彼が今何をしようとしているのか。その方法こそ不明だが、旅のお供と言われて思いつくのは一人しかいない。いやむしろここまで一人足りなかったのだ。

 

「――ジルを、連れていくのね」

 

「っつーか勧誘だよ。あいつは平和ボケの中にいる。それをぶっ壊してでも一緒に来たいか、意思を確認するだけだ」

 

 クーは考える。これで必要なファクターは全て揃えた。後は向こう側が思い通りに動いてくれるかどうかに尽きる。()()()()が正しく動き、歯車のように噛み合ってさえくれれば、待ち人は必ず現れる。そしてそのための最終試練は、今ここに完成した。

 

「まぁ、後は向こうに勘付かれるまでのんびりしますかね」

 

 そう言ってどっかりと椅子に座り込み、そしてリッカが摘まんだビスケットをすっと横取りし、口の中に放り込む。

 肩を怒らせて糾弾してくるリッカを無視して、クーは不敵に微笑んだ。




こんな四季様に罵られたくなったあなたはマゾの世界へようこそ。
こんな四季様の勢いを挫いて蹂躙してしまいたくなったあなたはサドの世界へようこそ。
清隆くんの言葉で心を動かしたイアンくんのリアクションになんだか意味深だなぁと感じた貴方は┌(┌ ^o^)┐と一緒にどうぞ。


ちなみに勇者エトの冒険は次章に持ち越しです。


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ただ一つの真実

二回目の暗号回。初見で正解を導き出せた人には二次でほぼ確実にボコにされるギーシュに憑依転生する権利を与えましょう。そんで決闘が終わる度に平行世界を移動していろんなチートキャラにボコられて回るんだ。ほら、たくさんの有名キャラに会えるんだぜ、嬉しいだろ?


 

 リッカ・グリーンウッド並びにクー・フーリンを捜索するために設置された捜査班の司令塔、管制部隊に一通の連絡が入る。ロンドン市内にの某所にて、逃亡犯が立て籠もっていたとされる住居を発見、現在警戒体勢をとり、危険がないことを確認し次第、内部に突入、犯人確保または証拠物品の回収に取り掛かるとのこと。相手は『八本槍』であることを通信の上で再確認させ、慎重に行動することを命令しておいた。

 一方で、その連絡を受け取った現場の部隊長は、少しでも多くの情報を建物の外側から把握しようと部隊の人間に調査をさせていた。生命反応及び温度センサーにも反応はなく、既に捜査対象はここにはいないことが判明していた。

 だがしかし、ここを隠れ家としていた以上、逃走先に関する何かしらの手掛かりを残している可能性も否めない。同時にトラップが設置されていることも警戒して、風見鶏を上位成績で卒業したカテゴリー3の魔法使いを参謀として配置、魔法による罠が設置されていないことを確認し、部隊に一斉突入を指示した。

 銃声はない。やはり対象は既にここを捨てて逃走に移っているらしい。しかし、何故ここに勘付くことができたことを察知することができたのだろうか。『八本槍』の驚異の第六感と言われればそれまでだろうが、それではどうやって捕まえろと言うのか。

 

「しかしまぁ、不毛なものですね」

 

 部隊長の隣に座っているのは、風見鶏を上位成績で卒業したエリート魔法使いで、カテゴリー3の称号を持つ優秀な魔法捜査官だ。その名もディーン・ハワード。

 鋭く整った顔立ちは亜麻色の短い髪を一層美しく感じさせ、鋭利な瞳を遮蔽せんが如くかけられた眼鏡が知性を匂わせる。そもそも風見鶏のキャパシティを逸脱した魔法犯罪などそうそう起こるものでもないのでそこまで活躍の場面を見せたことはないのだが、一度魔術社会に反旗を翻したテロリストを一網打尽にしてみせた手際は高く評価されている。

 

「あんたも今回の事件のせいで縁談を破棄されたんだろう、済まないな」

 

「いえ、こちらも乗り気ではなかったものでして。ま、没落貴族とはいえあの家の術式魔法に関する技術や情報は確かに私たちの家にとって手に入れて損はない代物でしたけどね」

 

 ディーンは家宅捜索のように部屋中をしらみつぶしに探し回られている薄汚れた建物を眺めて、水筒に用意されていた紅茶で口を潤した。そして浮かべる苦笑いに、部隊長は小さく呆れる。

 

「私は孤高のカトレアのあの事件、彼女がやったとは到底思えないんですよ」

 

 しかし何を証明するにせよ、逃走した彼女を取り押さえて事実確認をしっかりと取らない以上、事件解決には至らない。そして今回の捜査に身を乗り出したのはそのためだ。部隊長はそこまで推測してみたが、敢えて口にはしなかった。

 その時、マンツーマンでペアを組ませていた部隊の内の一組が駆け足で走り寄ってくる。その手には何か紙切れのようなものが掴んである。どうやら建物の中の寝室に隠されてあったものらしい。

 部隊長は隊員からその紙を預かり、そこに書かれた文章に目を通す。そしてあまりに不可解なそれに眉を顰める。

 

「これは……何かの暗号みたいですね……」

 

 隣から覗きこんできたディーンが耳元で呟く。

 その文章にはあまりにも謎が多すぎた。文章の意図はもちろん、誰に宛てたものか、何を鍵とするか、そしてこれを残した意図も不明である。

 

「あまり公にはできないファクターですね。とりあえず非公式の情報として取り扱いましょう」

 

 ディーンの提案に部隊長は頷き、管制部隊に通信を送った。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 清隆のシェルに、一通のテキストが届いた。何事かと思い用件を確認してみれば、相手はイアン・セルウェイだった。

 彼からも連絡であれば、数日前に彼に託した頼みごとに関することだろう。リッカ・グリーンウッドとクー・フーリンの所在に関する情報を清隆たちに流す、というのがその内容だった。つまり、イアンは何かを掴んだのだ。

 

「やっぱ凄いよな」

 

 性格はアレだが、実力はその自信に裏付けされたものであることはこれで自明なものとなった。清隆もその点については高く評価している。

 清隆は急いで先日のメンバーにシェルで連絡を送り、昼食をとった後、二時頃に噴水前に集合することを指示した。

 そのまま清隆は特に急ぐこともなく支度をし、フラワーズにでもいって軽く昼食をとろうと思っていたところを自分より早く支度を済ませて部屋まで駆けこんできた姫乃に引っ張られながらフラワーズまで直行、二人で談笑しながら食事をし、そのままその足で集合場所へと駆けつけた。

 するとそこには、既に一人メンバーが訪れていた。セルウェイの貴公子、イアンである。傍らにはいつも通り瑠璃香も控えていた。

 

「よ、早いな」

 

「葛木か……僕は常に頂点だからな」

 

 簡単に挨拶を交わしつつ、後ろの瑠璃香にも目礼をして、彼女が丁寧に頭を下げるのを見届ける。従者という者は誰もかれも礼儀正しいものだ。世界共通でそういうものなのかもしれないと清隆は思った。

 

「それで、大丈夫だったのか?」

 

「フン、尻尾を掴まれないように、使える伝手は最大限に利用させてもらったよ。上手く行き過ぎたのもあって、もし失敗しても僕が情報を流そうとしているとはばれなかっただろうね」

 

 イアンが言うに、情報の入手は思った以上に上手く行ったらしい。そしてその自慢げな表情は、恐らく驚愕に値する情報を持ち合わせているに違いない。清隆の心は既に緊張に踊り狂っており、掌には汗がじんわりと滲んできていた。

 暫くすると、サラとエトが、そしてそこから少しして耕助と四季が現れ、これで全員揃ったことになる。

 

「誰がどこで耳を傾けているか分からない。ここでは拙いだろうからどこかの教室で話し合おう」

 

 イアンの提案で、一行は校舎へと足を運ぶ。サラの表情は若干不快げだったが、猫が威嚇するような目でイアンを睨みつけているのを、その隣でエトがどうどうと宥めているのは滑稽だった。

 さて、A組の教室に入った一行は、教室の前列辺りに固まって座り、そしてそれぞれの視線は一斉にイアンの方へと向いた。

 イアンはその視線に応えるように一度咳払いをし、そして左手に抱えていた紙封筒の封を開け、そして中から一枚の用紙を取り出した。

 

「これは……」

 

 エトの呟きに、待ってましたとばかりにイアンは解説を始める。

 

「これはリッカ・グリーンウッド、クー・フーリン両名を捜索する小隊の内の一つが、彼らが隠れ家としていたとされる建物で発見してきた証拠資料のコピーだ」

 

 そしてそこに書かれてあったのは、妙な暗号だった。

 

 ――災禍の妖精、無垢の申し子をその背に護り、一陣の風、災禍を払いて悠久を下賜す

 

 ――魔滅の断罪者、赤枝の渦に飲み込まれ、(よろず)の傷の悪鬼羅刹は一陣の風にその身を焦がす

 

 ――逃げた薔薇は巨悪の刃に晒され、悪鬼羅刹は巨悪を崩す

 

 三つの文章、まるでどこぞの碑文に残された文章みたいだったが、恐らくこれはクー・フーリン、あるいはリッカ・グリーンウッドが残した文章だろう。

 誰もが腕を組みながら考えてみるも、さっぱり見当がつかない。

 

「僕もこれを見て考えてはみたんだが、生憎手掛かりが少なすぎる」

 

 情報を入手したイアンも、まるで意味が分からなかったらしい。

 しかしそこで、清隆がおもむろに手を上げた。何か言いたいことがあるらしい。

 清隆が全員の視線を浴びたところで、口を開き解釈を説明してみた。

 

「多分だけど、この文章で何回も出てくる主語、『悪鬼羅刹』と『一陣の風』は、それぞれクーさんとリッカさんを表してるんじゃないかと思うんだ」

 

「その根拠は?」

 

 清隆の発言に、サラがその根拠の説明を求める。

 

「まず、クーさんには、本当か嘘かも分からない、それこそ鬼とか悪魔とか言われるような、『アイルランドの英雄』としての伝説染みた噂がある。だからこそ『悪鬼羅刹』はクーさんだと思った。そして『一陣の風』だけど、ちょっと小耳に挟んだだけで実際のところはどうか分からないんだけど、リッカさんは風を操る魔法が得意らしいんだ。だから『一陣の風』はリッカさんだと考えたんだけど」

 

 そうなるとそれぞれの文は、『リッカが、災禍を払って無垢の申し子を護る災禍の妖精に悠久を下した』、『魔滅の断罪者が赤枝の渦に飲み込まれ、傷だらけになったクーがリッカの魔法にその身を焦がした』、そして『逃げた薔薇が巨悪の刃に晒されるところを、クーがその巨悪を崩した』という解釈になる。しかしそれだけでは、主語が分かっただけで何が何だかさっぱり分からない。

 

「なぁ清隆」

 

 その時神妙な顔で声をかけてきたのは、江戸川耕助だった。何か気が付いたことがあるらしく、紙を見つめては集中していた。

 

「この薔薇ってさ、以前にも出てきたよな?生徒会選挙の時の暗号で」

 

 耕助が言っているのは、清隆が杉並から試練として出された暗号、『薔薇に頼み事をされたなら、鼻にソーセージをつけてやれ』のことだった。ここにおける『薔薇』が、再びこの暗号に登場していることを言いたいのだろう。

 

「だとしたらさ、この『薔薇』って、前みたいに英国王室のことじゃないのか?」

 

 清隆は目を見張った。耕助のことを、どうしようもない奴という認識で見ていたが、どうやら探偵としての才能はまだ眠っていたらしい。

 しかしやはり、それでもまだ全然正解には程遠い。最早自分たちでは解読できそうにないと思ったその時だった。

 

「お兄さんたちのことなら詳しい人がいるよ。来れるかどうかは分からないけど、ちょっと呼んでみるね」

 

 半分諦めの表情に苦笑いを浮かべて、エトは懐からシェルを取り出してテキストを作成し始める。

 

「その人って、ジルさん?」

 

 清隆の確認に、エトは温かかくて優しい笑顔を浮かべて頷いた。

 暫く返信に時間がかかるので、それまでは自分たちの力で進めてみようと提案してみたその時、意外に早くジルはこの教室に駆けつけてみせた。

 

「あ、みんなこんにちは」

 

 相変わらず落ち着いた雰囲気で挨拶するジルに、全員で挨拶を返す。

 どうやら丁度先程まで生徒会の仕事を片付け、終了したところでエトからのシェルのメッセージに目を通し、ここに来たらしい。

 ジルはエトから暗号の書かれた紙を受け取ると、一字一句を吟味するように目を通していく。そして――

 

「ああ、これは確かに私にしか分からないよ……」

 

 そう呟いた。

 その文章の意図するところを察することができたのか、ジルははらはらと涙を零し、しかし喜びに満ちた表情でその暗号の紙を抱きかかえてみせた。

 

「全部、分かったの?」

 

 エトがそう聞くと、ジルはゆっくりと頷いて見せた。

 

「これ全部、私たちの思い出だもん」

 

「それじゃあ――」

 

「まず最初、一番上の文は、とある町で、その町一つが何かの魔法に支配されていたの。その魔法の正体は、小さな子供たちを養うために、強行手段として人々に混乱を植え付ける魔法で町民に奇行を促させ、それに乗じて泥棒を繰り返す魔法使いの魔法だった。そしてそれを戒め、改善するためにリッカと私が協力して、その町に、町が経営する孤児院を設立したの」

 

 それが一つ目の解答。最早記憶に薄い過去の話となるだろうが、子供を守るために災いを町に振りかけたアリナ・レントンがリッカたちに敗れ、そしてその後リッカたちの協力によって孤児院が設立され、アリナ及び子供たちの半永久的な平和が約束された記憶だった。『災禍の妖精』は町に魔法をかけたアリナ、『無垢の申し子』は彼女の守った子供たち、そして『悠久』は孤児院の平和の象徴という訳だった。

 

「そして二つ目は、クーさんと、私とリッカの初めての出会い。昔に魔女狩りっていうのがあってね、私はリッカの離れていた時それに巻き込まれて殺されそうになったの。それをクーさんに助けてもらったんだけど、後から駆けつけたリッカはそのことを知らないで、武器を持ってたクーさんに風の攻撃魔法をぶつけて倒しちゃった」

 

 二つ目の解答。魔女狩りの集団が町を荒らしていたのを、通りすがりの戦士、クー・フーリンの怒りに触れ、彼の槍の餌食となる。しかし駆けつけてきたリッカはその事実を知らず、魔女狩りの連中と勘違いして風魔法で彼を吹き飛ばしてみせた。『魔滅の断罪者』は魔女狩りの集団、『赤枝の渦』は『悪鬼羅刹』と同様クー・フーリン、または彼の振るう真紅の槍を指すものだった。ちなみにクーの生涯において、誰かに倒された記憶は、これ以外の一度もなく、リッカは最初で最後の『悪鬼羅刹』の討伐者となる。

 

「そして最後、私たちが旅に出ている途中、その当時の女王陛下の娘さんと仲良くなったんだ。ちょっと色々事情があったんだけどね。でもその時にその娘が逃げてきたのをどこかで知った悪党たちに攫われてね、手をこまねいていた私たちの間に入って、瞬く間に事件を解決してしまったのがクーさんだった」

 

 三つ目の解答。現女王陛下にして、前女王陛下の娘に当たるエリザベスがふとした切欠でクーに捕まえられ、リッカたちの前に姿を現す。その目的はこの目で世界を見て、この足で世界を歩きたいというものだった。いつの間にか仲良くなった三人でショッピングに出ていたところをエリザベスは誘拐されて、それをクーに助けてもらった経験がある。『逃げた薔薇』は当時のエリザベス、『巨悪の刃』は犯人グループのことを指していた。

 そして、ここまできて、正解はまだ出ていない。これではまだ、暗号を翻訳したに過ぎないのだ。重要な要素は、ここから先にある。

 そしてその鍵を持っていたのは、たった一人の小さな勇者だった。

 

「エトくん、言ってたよね。クーさんが、また始まりの地からやり直したいって言ってたって」

 

「えっ、うん……」

 

「だから、この三つの暗号の内、一つ目と三つ目はただのダミーでしかないんだ。正解の書かれてある文章は、私たちの始まりの地の思い出が書かれた二つ目の文章で、クーさんたちは、必ずそこにいる……!」

 

 紙を放り投げて、ジルはすぐにでも教室を飛び出さんと足を動かすが、しかし事情を知らない清隆に呼び止められる。

 

「ちょっ、待ってください!リッカさんたちは、一体どこにいるんですか?」

 

 清隆の言葉に足を止めたジルは、清隆の問いには答えず、ただ黙って首を左右に振った。

 これだけは教えられないと。何か深い思い入れがあるのか、それとも――

 

「これはね、クーさんが、私にしか解けないように考え出した暗号なんだ。私とリッカとクーさんの三人の共有する思い出の中に鍵がある、そんな暗号。クーさんは私にしか居場所を教えるつもりはないだろうし、だったら私もみんなに居場所を教えるわけにはいかない」

 

 その表情は、ほんわかとしたいつもの優しい笑みとは違い、それこそカテゴリー5、孤高のカトレアとしてのリッカ・グリーンウッドと同じような真剣で鋭い瞳をまっすぐにこちらに向けていた。清隆はそこに、生半可ではない覚悟と決意を見る。

 

「でもね、私たちは逃げるつもりはないよ。きっとまた戻ってくる。キミたちが卒業するまではちょっと難しいかもしれないけど、三人できっと、みんなの立派な姿を見届けに来る」

 

「ジルさん……」

 

 ただ一人、エトには理解できていた。彼女の想いが。彼女の信念が。そして彼女たちにある本当の絆が。だから彼女の旅立ちの決意に微笑みかける。今生の別れなどでは決してない。だから、待つのではない。追い付かなければならないのだ。いつか彼ら、彼女らの隣で戦っていけるように。

 

「いつか、そこに行くよ。僕はお兄さんの一番弟子なんだから、ジルさんやリッカさんなんか手が届かないくらい凄い人になってみせるよ」

 

「うん、そうなってくれると、シャルルも嬉しいだろうし、私たちも安心できるかな」

 

 そしてジルは、この学園に置いてきた未練を整理するために瞳を閉じる。瞼の裏には、この学園で体験したたくさんの思い出が駆け足で巡っている。その全てにけりをつけて。大切なものだけそっと胸に仕舞って。

 そしてかっと目を開けて、そして力強い足取りで教室を後にする。

 

「清隆くん、巴を、そしてシャルルを支えてあげて。大切な友達を、よろしくお願いします」

 

 振り返らないように、彼の顔を見ることなく、失礼だろうとそんなことはお構いなく、そうお願いをする。

 しかし清隆からは何の不満も感じない。きっとリッカからお願い事をされた時のような、仕方ないなとでも言うような苦笑いを浮かべているのだろう。

 

「――任されました。気を付けて、ジルさん」

 

 その言葉を信頼して、安心して、彼らに見られないように静かに目尻から零れ落ちようとする涙を拭って、廊下を走り去っていく。

 そして彼らの待っている、約束のあの場所へ――




折角みんなが頭を抱えて知恵を絞って答えを導き出そうと頑張ったのに途中参加の一人にあっさり解かれちゃう暗号カワイソス。


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暴かれる陰謀

あっけなく行われる正解発表。


 

 かつてリッカと別れ、一人で一歩一歩踏みしめて歩いてきた平原に簡素に舗装された道は既になく、かつて遠い向こうにあったはずの小さな町が拡大し、文明も進歩してしまったのか、照明の灯りと人々の喧騒に町の風景は書き換えられ、かつて思い出の向こうにあった街並みは綺麗さっぱりなくなっていた。

 そう、ここは既にイギリス国内ではない。船に乗って海を渡り、そして地図を頼りに辿り着くべき場所へと迷い戻り間違えながらも必死に辿り着いたのは、かつてジルが魔女狩りに巻き込まれ、そしてその末にクー・フーリンと初めての邂逅を果たした町であった。

 土地勘はとうの昔に消え去っている。風景すら変わっているのだから当然だ。しかしかなり広くなってしまったこの町で、一体彼らはどこにいるというのだろうか。例の暗号の書かれた紙は間違いなくこの町を指していた。しかしそれ以上の詳細までは結局分からず仕舞いだった。

 

「手あたり次第……だよね」

 

 ここまで来たのだ。見つけられませんでしたではロンドンから彼らを追ってきたことが恥となってしまう。それ以上に彼らの期待を裏切ることなど決してできない。

 よし、と拳を握って気合いを入れる。

 逃走中の身である彼らだ。まずもって大きな通りで悠々自適な生活をしているとは考えられない。となると考えられるのは町の端の方に位置する小さな住宅街か。そう言ったことも考慮して、探索は基本的に町の端から内の方へと向かうように進んでいくことにする。

 心の中で方針を定め、足を踏み出す。ちなみにここに来るまでも、ジルの移動先からリッカの居場所を突き止めようとしたのだろう、何人かのストーカーを確認したので途中で撒くためにわざわざ金と時間を多く使ってきた。成果は出ているようだが油断はまだできない。魔法による探索はサーチがかけられると大変な事になるので却下、信じるのは自分の足と目だけだ。

 

 さて、町の隅に位置する住宅街は、基本的にあまり裕福ではない人々が生活している区域である。集合住宅のような感じで、設備の質は世辞にも高いとは言えないが、家賃も安く、経済的にも安心できる。住めば都と言ったところか、あちこちで行きかう人々に不満を抱いていそうな表情をしている人はいない。治安もそこそこいいのだろう、以前のようにあちこちに警備員が配置しているようなこともなく、逆に言えばそこにクーみたいな時代遅れの恰好をした武人が混じっていれば明らかに浮いて見えるはずなのだが、ここにはいないのだろうか、その姿は見当たらない。

 文明も大分発達してきたこともあり、町の中心部には電化製品やその他様々な生活の役に立つものを売り捌いている店が並んでいる商店街が存在し、更にその周辺には土地の値段も高いのだろう、また居住区となっている場所にある建物も整備が行き届いており、設備も充実していることもあって、高収入の人間が多く出歩いているのを見かける。ここでもクーも対な時代遅れの恰好をした武人が混じっていれば以下略である。

 その後町中を三周くらい探索して持たものの、結局探し人が見つかることはなかった。半日ほど使って歩き続けたのだが、結局町の中で彼らを見つけることはついぞ叶わなかった。もしかしたらすれ違いが起きている可能性も考えたが、逃亡中の身である以上、追手に持つかるリスクを冒してまでわざわざ外まで出歩くこともないだろう。

 そして、ふと道端にとあるものを見つけた。それは中世の時代に活発に行われていた魔女狩りが、時代錯誤甚だしい数百年後に、規模は当時と比べて小さいながらも町一つを巻き込んだ魔女狩りが行われたことを哀悼する、人間の過ちと罪を懺悔する碑であり、道端で小さいながらも、負の遺産がそこにはあった。

 そしてジルは気が付く。魔女狩りから逃れようとして町から避難しようとしていたあの時、追い詰められて裏路地へと逃げ込んだら先は行き止まり、悪漢の集団に追い込まれて殺される寸前だったところを満身創痍の英雄に助けられたのだった。そしてまた表に出たところ、勘違いをしたリッカにクーが吹き飛ばされて――そんな出来事が起こったのは丁度この近くだったはずだ。

 思い立ってすぐジルは足を動かして走り出し、そしてかつての思い出があったであろう場所を僅かな土地勘と方向感覚を頼りに目指す。そして、既に風景こそ変わってしまったものの、何となく既視感のあるその場所に、ここだと直感した。

 そして振り返ると、この町から抜け出すための出入り口となっている通路がある。すぐ傍を近くの川へと続く用水路が流れていて、更にその通路が薄暗く狭いところを見ると正規の通路ではないようだが、出られないこともないようだ。ジルはこの用水路に沿って歩いていき、やがて大きな川に直面する。合流地点はコンクリートで整備されていたがそこから先はごく普通の自然の川である。今ジルが立っている場所とは高低差があり、川へと降りるには対岸へと渡る大きな橋の隣に取り付けられてある階段を降りなければならない。踏みしめるとキシキシと耐久に不安を感じる音を軋ませるがなんとか下まで降りることに成功した。

 

「さて……どっちだろ」

 

 大前提としてそもそも町から外に出ているのか、更に言ってしまえば本当にこの町にいるのか、あるいはいたのかさえ怪しい状況である。しかしそんな中でも、ジルは自分の直感だけを頼りに、特に理由もなく川の上流へと歩き始める。

 川のせせらぎが耳を打ち、全身に沁み渡って心がリラックスしていくのを感じながら足を進めていく。すると、次第に人の声が聞こえ始めてきた。男の低い声が一つ、女の高い声が一つ。それだけでジルの心の中は既に確証してしまっていた。

 

「間違いない……!」

 

 歩いていた足を、その回転を速めて、声のする方向へと脇目もふらずに走り始める。

 次第に大きく聞こえ始めてくる声、黒く小さくぽつりと見えていた程度の影がだんだんそのシルエットを浮かし始め、黒に色を付け始め、次第に鮮明になってくる。

 片や後頭部で一つに纏めて後ろに流した青髪、片や流れる金糸のように光を撒き散らす金髪。忘れることすら叶わない、ずっと探していた探し人。遂に、ついに再会することができたのだ。

 

「リッカ……!クーさん……!」

 

 名前を呼ぼうとして、声が言葉にならない。

 あまりにもこれまでが辛すぎて、二人が無事だったことが分かってあまりにも嬉しくて、その涙は止める必要はないと感情が物語って、力が緩む体を必死に動かしながら、二人の名前を全身全霊を込めて叫ぶ。

 リッカがこちらを向いた。そしてクーもこちらを向いた。ああ、心配しただろう。彼の苦笑いには、彼女の涙には、心配と安心と、言葉にできない複雑な何かを伝えようとして。

 でも、その涙も、その文句も、心配も不安も安心も絶望も希望も幻想も現実も全部、ぶちまけてやりたいのは――こっちの方だ。

 

「よかっ……!――かった……!」

 

 駄目だ。既に喉がおかしくなっている。

 リッカもこちらに向かって走り寄ってくる。頬を紅潮させ、そして涙を走らせて、だけれどもその唇はしっかりと笑っていて――唯一無二の親友がこんなにも愛おしい存在だったとは。

 そこに彼女がいるのが嬉し過ぎて、その肌の温もりに触れて存在を確かめたくて、開く両腕の中に飛び込もうとして――

 

「はいそこまで」

 

 空気を読まない英雄に止められた。むぎゅっ、と顔面をその大きな掌で押さえつけられてこれ以上前には進めない。

 なるほど再会を喜ぶ時間さえも与えないというのか。よろしい、ならば戦争だとリッカの怒りの矛先がワンドと共にクーに向けられると同時に。

 

「とりあえずここから逃げるぞ。三人程追手がいる」

 

 そんなバカな、とジルは戦慄した。あれほど警戒を解かずして時間と金を浪費してまで遠回りしてきたというのに、それでもまだ追いついてくるとは。しかしそれが王室の優秀な人材だということか。

 クーは二人を軽々と抱きかかえると、空へと躊躇うことなく跳躍した。人間離れした身体能力から生み出されるその跳躍力は実に、肉体年齢が年頃の女性二人を抱えても三階建ての建物を軽々と飛び越える程のもので、陰に隠れて通信機で報告をしていた追手は存在が気付かれていたこと、そして例の化け物じみた移動速度で逃げられることに驚愕している。

 

「向こうに魔法使いの実力者がいるのは間違いなさそうね。私とクーで気配を絶つ魔法を使っていたのに」

 

「見つかったものは仕方ねーだろ。とりあえず近くの町でもう一つ借りている空き家に身を隠すぞ」

 

 そのままクーたちは追跡を振り切って、川の下流の方まで高速で下っていった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 某所、相変わらず古く汚らしい、手入れが長年施されていない小さな空き家にクーたち三人は身を隠していた。ここも安全のために人払いの魔法と、魔法察知の遮断の魔法を施しておいたため、事前に見つかることはない。それこそカテゴリー5を連れてこない限りは突破されないだろう。

 しかしリッカとクーにとって、この環境下に身を隠すのは三度目、仮にも女性であるリッカはそろそろウンザリしていた。

 

「ねぇ、これホントどうにかならないの?」

 

「嫌なら掃除でもするんだな。得意な魔法でちょちょいとやっちまえよ孤高のカトレア様」

 

 カテゴリー5と共に既に剥奪されたも同然の二つ名で皮肉を言われたことは腹が立ったが、しかしクーの言っていることは紛れもなく正論であった。

 実際に風見鶏の学生寮が清潔に保たれているのは偏に学生寮の手入れを定期で行っている各種スタッフのお蔭であり、自室以外の廊下やロビーなどはいつでも清潔に保たれている。無論そんな大作業は魔法でやるより手で行った方が遥かに効率的な上に無駄な体力も消費しない。結局は自分で掃除するのが結論になってしまうのだが、いかんせんかったるい病のリッカには無理な話だった。

 そして、しばらくの間沈黙していたところ、茶を淹れに行っていたジルがキッチンから戻ってくるなり口を開いた。

 

「犯人は、リッカじゃないよね」

 

 疑っていたわけではない、ジルの口調は明らかに彼女の無実を確信する響きであった。しかし実際のところ、誰が例のスーツケースを盗んだのかも皆目見当がつかない状況なのだ。

 リッカは拗ねた表情を引き締めてジルを正面で捉える。そして深く頷いて肯定した。

 

「当然じゃない。私は魔法使いとしての誇りを欠かしたことなんて一度もないわ。それに、花の開花状態の永続的持続に関する研究も、私とジルの二人で進めてきた、言うなれば二人の魂から生まれた種よ。それを私一人の独断で暴走して答えだけを簡単に手にするなんて考えられないわ」

 

 たっぷりの自信と誇り、そしてほんの少しの怒りを孕ませて断言する。

 

「でも、真犯人って誰なんだろうね?」

 

「あれ、テメェらまだ犯人分かってねーの?」

 

「え……?」

 

 証拠の一つも残っていない、迷宮入りしてもおかしくなさそうな例の盗難事件の真犯人。しかしクーはそれを既に知っているとでも言わんばかりの、むしろまだ気が付いていないリッカたちに驚くような素振りを見せて、間抜けた声を上げてみせた。

 

「まだって、クーさんは気付いたの?」

 

 訝しげに、そして半ば疑わしげにリッカとジルはクーを見据える。

 しかしクーはそんな彼女たちなどお構いなく、淡々とカタルシスもへったくれもなく考えを並べていった。

 

「だって俺リッカには言ったよな?わざわざ()()()()()()()()()ってな。つまり俺は、この事件はそもそもリッカではなく俺自身を狙ったものだと仮定した。そうすると犯人は俺に何かしらの恨みやら何やらを抱える人物ってことになる」

 

 リッカはその時のことを思い出して小さく頷く。

 

「そしてそいつは邪魔だったのか嫌いだったのか分かんねーがとにかく俺を排除したかったんだろ。リッカを巻き込んだ辺り、俺一人を排除するのは不可能と踏んだに違いない。そしてその理由こそが、俺が『八本槍』でなおかつ女王陛下、エリザベスに信頼されているから、と言ったところか。そこで俺の仲間内であるリッカを魔法使いとしての生命が絶たれるレベルの事件の犯人にする。そこまですれば俺がリッカを助けるとでも思ったんだろうな。まぁ実際にそうしてやったわけだが――」

 

 リッカとジルの脳内に、事件の全貌の輪郭が大体見えてくる。あの事件の裏で何が起こっていたのか、そしてそこにどのような理由があったのか。

 

「そしてそんな事件なんざそうそう簡単に起きてくれるものじゃない。となれば簡単だ。刃向かえば命の保証すらなくなる『八本槍』を敵に回すような事件を起こさせ、上手く状況を誘導させる。それで騎士王様の大事な文献をリッカの手から奪い動機やら状況証拠やらでリッカを追い詰めるわけだ。そしてそんな『八本槍』を相手に平然と物事を動かせるのは『八本槍』しかいねーだろ」

 

 ここまで来て、二人は真犯人の顔に、ついに心当たりが行った。

 

「『八本槍』で俺を心から嫌う奴っつったら一人しかいない――アデル・アレクサンダーだ」

 

「でも、あの人が私からスーツケースを奪うなんてどうやって――」

 

「――テメェも見たろ、あいつの使役する金ぴかの騎士を」

 

 脱獄犯の捕獲のミッションを遂行していた最中、アデル・アレクサンダーは黄金の騎士を従え、彼の超高火力にして超高速の武具の掃射を以って、脱獄犯を滅多刺しにしていた光景を鮮明に思い出す。それだけで吐き気を催しそうになるが何とか堪える。

 

「あんな、俺様でも勝てるかどうか分かんねーような化け物を使役する召喚魔法を操るスペシャリストだ。テメェの感知能力に触れることなくスーツケースを盗み出す使い魔を召喚することくらい造作もないだろうよ。とは言ったものの、相変わらず俺の考察も状況証拠でしかないけどな」

 

 クーの推論にもやはり証拠は存在しないようだ。だがしかし、もし彼の仮説が事実だったならば、それこそ国家を揺るがすような大事件だ。国を守る最終兵器となり得る『八本槍』が同僚を排除するためだけに国家の存亡を思わせてしまう大事件を起こしたとなれば、表社会も、魔法使いの社会も大変な事になるのは明白だ。

 

「そこで俺から提案だ」

 

 その一言に、クーへと視線が集まる。

 

「今から俺は再びロンドンへと戻る」

 

 突然の提案。しかもそれは、イギリス一国を正面から相手にするようなもので、世界を敵にしてなおかつこちらから堂々と攻めに行くようなものだ。そんな者は勇敢でも勇猛でもない。ただの蛮勇にして無謀なだけだ。

 

「どーせ逃げ回っててもいずれ見つかってその度に撤退戦を強いられる。そんなのは面白くねーしリスクもでけぇ。だったらこっちから攻めて敵の頭を制圧すればいい」

 

「それって――」

 

 リッカの閃きに、クーは楽しそうに頷く。

 

「『八本槍』を全て倒し、女王陛下エリザベスを下す」

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 クーの提案に賛成し、身支度を済ませた三人はボロ屋敷を後にしていた。無論リッカとジルは争うためにエリザベスの下に向かうわけではない。全ては話をするために、全てを分かってもらうために向かうのだ。本当の正義がどこにあるのかを共に探し、見つけるために。

 怪しまれない程度の身なりで大通りを歩き、途中で脇道に逸れる。しばらく裏道を進み、人通りの少ない通路へと姿を現すと、リッカは溜息を吐いた。

 

「ホント、何でこんなこそこそしないといけないのかしら」

 

 彼女の苛立ちも尤もである。犯人でもないのに濡れ衣を着せられて、更に今ではありもしない罪から逃れようとしている逃亡犯の扱いを受け、様々な組織から追われることになっている。リッカは何もしていないのだ。その魔法使いの誇りと矜持にかけて誓える。

 

「そんなことを愚痴ってる場合じゃないでしょ」

 

 リッカの気持ちを察してはいるが、しっかりとすべきことを見据えているジル。そうね、と苦笑いを浮かべるリッカにジルはそっと微笑み返す。

 温かな一場面。これから命を懸けた戦いに身を投じることになるとは到底思えないような会話と雰囲気なのは一体どういうことなのか。それもこの三人の魅力なのかもしれない。

 しかしその空気をぶち壊さんがごとく、新たな声が割り込んできた。

 

「――久方ぶりだな、大罪人」

 

 壮年ながらも逞しく鋭い雰囲気を感じさせる『八本槍』の一人、魔法の考古学に精通した魔法使いであり、女王陛下の為ならどんな卑劣な事でも残酷な事でもしてみせんとばかりに、クーたちの目の前で残虐な行為を繰り返してきた男――アデル・アレクサンダー。そしてその隣には――

 

「……」

 

 無言にて、その闇のような深い赤の双眸を無機質にこちらに向ける従者――金色の騎士がプレッシャーを放って立っていた。

 この男こそが、アデルを『八本槍』の武力たらしめる最大の要素。驚異的な火力と圧倒的な殲滅力を誇る、古代の超貴重にして高価、そして究極の性能を持つ武具を惜しむことなく弾丸として射出する一斉掃射。地面に着弾しただけで大爆発を起こすようなそれを未だに体が覚えている。

 クーはその男に脅威を感じながら、肩に背負う筒から真紅の長槍を取り出して正面に構える。弾幕攻撃は以前にも体験した。似たような技が二度も通用すると思うなと。

 そしてアデルはその唇を狂気に歪ませて黄金の騎士に指示を出した。

 

「済まないが貴様らにはここで消えてもらう。全ては女王陛下のために。――英雄王ギルガメッシュ、処刑しろ」

 

 彼の言葉を肯定するように、ギルガメッシュと呼ばれた黄金の男は、その背後に巨大な黄金色のカーテンを出現させる。波打つようにゆらゆらとしたそのカーテンの面に、所々で波紋が広がり、その中央から武具がゆっくりとその頭を現す。

 

 ――≪王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)

 

 ありとあらゆる武器や武具など、伝承として言い伝えられてある宝具の類、そしてその原典を無数に内蔵した、黄金の都バビロニアの象徴である宝物庫。その全てが最古にして最強、最高の武具として有名であり、魔法的考古学者として血を流してきたアレクサンダー家の努力があったからこそ完成された最強の兵装。今、その牙がゆっくりと向けられる。

 しかしクーはその時、あることに気が付いた。そのカーテンから姿を現した武具の数が、以前見た時よりも少ない。せいぜい四、五丁と言ったところか。その程度の量であれば、クーの技量なら片手で十分に捌ける。

 そして――

 

 ――轟ッ!

 

 強烈な発射音を残して、凶器がありえない速度で飛翔してくる。

 クーは直線状に飛んでくるそれを確実に目で捉え――自分に掠るとも弱点から大きく逸れるだろうそれを、二つ程槍で叩き落としてやり過ごす。直線的な射撃攻撃はクー・フーリンを相手にあまり効果をもたらさない。死角からあるいは弾幕での攻撃なら体勢を崩す程度はできるかもしれないが、しかしこの場での相手の攻撃はクーには全く通用しない。無論アデルもそのことは理解しているはずではないか。

 この程度か――訝しげにギルガメッシュを睨みつけるが、その時背後から絶望的な悲鳴が、聞こえてきた。

 

「あっ……あ……」

 

「り、リッカ……!?」

 

 全身に悪寒が走った。今自分は何を考えた?

 その答えは、あの男が()()()攻撃を加えるのに何故たったのこれだけの手数だったか、だった。

 しかし、もしそれがクー自身を狙っていたものでなかったとしたら――

 ゆっくりと背後を振り返る。そして、信じがたい光景が、目の前に繰り広げられる。

 鮮血の赤い花が宙に咲き、形を崩す。そしてその先――蒼白になり、苦悶の表情を浮かべた金色の美少女。その体が二振りの剣に貫かれ――壁へと磔にされていた。

 

「お、おい――」

 

「いや、リッカ、うそ……こんな……」

 

 狂乱、絶望。親友の無残な姿にジルが嗚咽を上げる。

 そしてそこに、誰もが耳を塞ぎたくなるような、悲哀に満ちた絶望の悲鳴が響き渡った。




あと五話ほどで本章終わらせられるかなっと。


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決意の時

アデルさんご乱心回。


 

 

 何が、何が起こった――目の前の光景を受け入れられないのは、何もジルだけの話ではなかった。自分が回避することだけを考えていたクーが、その行動のせいで、仲間を一人傷つけたという事実に、戦士としての誇りが崩れてしまったと同時に、なんだ、この言いようのない、締め付けられるような苦しみは。

 その仲間の少女は二振りの剣に貫かれ、その傷口からはドクドクと夥しく鮮血が溢れてくる。止まらない、止まることなく彼女の生命を死へと導いていく。その側で、目の前の現実に耐え切れなくなったのか、思考停止して茫然自失としているジルの姿がある。虚ろな瞳でリッカの服の裾を掴み、力なく引っ張っては首を左右に振って。

 何だこれは――誰が悪い、何が悪い、リッカが一体何をした、俺が何をした、そして、こいつはなんてことをしでかした。

 何かが込み上げてくる。血肉沸き踊るような強者を相手にした時の昂揚感ではない。不屈の魂を瞳に宿して立ち向かってくる勇敢な戦士を相手にする期待でもない。それは決して、自分の中で育まれた感情ではない。この怒りにも悲しみにも似た、それでいてそのどちらでもないこの激情は今までに感じたことがない程に自分自身を強く締め付けてくる。圧縮されたそれは、次第にその圧迫に耐え切れなくなって――破裂する。

 

「ジルすぐにリッカを下ろして治癒魔法を施せじっとしてんなさっさとしろ!!」

 

 喉から絞り出した小さな声はやがて激情に任せた乱暴な怒声になりジルに叩きつけられる。

 我に返ったジルはクーの口調に驚き怯えながらも、震える手つきでその宝剣に触れ、そっとリッカの身体から引き抜いて、傷口から溢れ出る血が視界に入って気絶してしまいそうになるのを意識を強く持ちながら堪えて、ゆっくりリッカの体を地面横たえる。そして彼女の名前を弱々しく連呼しながら、急いで治癒魔法に術式魔法を組み込み効率と効能を上昇させたうえで彼女に魔法をかけていく。次第に傷口は閉じていくが、それでも服にベットリと張り付いた血液はどうしようもなく痛々しい。

 

「――フハハハハ!」

 

 クーの激情をよそに、狂ったような笑い声を轟かせるアデル。

 そう、狂っている。いくら女王陛下を、国家を守るために手段を選ばない男だったとしても、今ここで、そのどちらにも害を与えないリッカを始末する理由など存在しない。冷静さを欠いたか、別人格に乗り移られたようにも見える――が、そんなことはどうでもいい。

 

「いいぞ!貴様ら虫ケラ風情の顔が怒り、恐怖、苦痛に歪む姿を何度見たいと思ったことか!そうだ、もっと見せてみろ!じっくりと嬲り殺しにしてやる……!」

 

 どこぞの巨悪が叫び出しそうな下種な台詞を撒き散らしながら悦びに唇を歪ませる。隣のギルガメッシュがちらりとアデルの方に視線を向けたが何事もなかったように再びクーを睨む。

 一方でクーは、先程の激情を押し留め、冷静さを取り戻す。しかし溢れんばかりの殺気を押し隠そうとしたばかりに、一点集中されたそれが、彼の真紅の双眸から、長槍からひしひしと伝わってくる。

 

「さて――」

 

 普段と比べて低く重い、よく聞き慣れていたはずの声がジルの耳を打つ。しかしその声の主――クー・フーリンの姿は、今までに見たことのない、それこそかつてエリザベスが拉致された時など比べ物にならないプレッシャーを放っていた。

 

「――いいぜ」

 

 クーは槍を構え、体勢を低くする。我が身を省みない、直線的な突貫の構え。神速から繰り出される一撃で一瞬にして相手を葬り去る、電光石火の刺突技を可能とする構え。しかしその構えすら、自分が思っている以上に殺意を持って完成された。言い知れぬどす黒い感情が自身を飲み込むのを肯定し身を任せ、強迫観念に突き動かされるように刺突へのイメージを何度も頭に描く。

 復讐、報復、上等だ。倍、いや、十倍にして返してやってもまだ気が済むとは到底思えない。なればこそ、今この場で、自分の片翼にも等しい存在を葬ろうとした罰を、その万死に値する罪を、今ここで償ってもらう。無論、目には目と歯を。そしてこの狂人共に死を。

 

「――その心臓、纏めて貰い受ける」

 

 その時、クーの構える真紅の槍が、同じく真紅の光を放ち始めた。しかしそれは、光などといった崇高なものではない。

 リッカに治癒魔法をかけながらジルが感じていたのは、途方もない程強烈な濃さのある呪い。ここにいるだけで気が狂ってしまいそうになるそれを何とか遮断しようとして魔法で障壁を張り、なおかつ障壁内部の呪いを魔法で除去しようとして――できなかった。魔法が呪いに干渉できないようになっているのか。

 ジルが見るクーの背中は、始めた会った時の、魔女狩りの連中を一撃にして葬り去る時の獰猛さをより強く、より恐ろしくしたような、そう、ジルの苦手なクーの一面、敵を殺し、敗者の屍を踏み躙ることを是とする殺意の塊を、ありありと見せつけていた。

 ギルガメッシュの背後の黄金色のカーテンに無数の波紋が広がり、同じように無数の宝具が出現する。全て照準はクーへと向けられ、次の瞬間に射殺さんと牙を剥く。

 しかしクーはそんなことなど意にも介さず、全身全霊を叩き込むつもりで――

 

「ゲイ・ボル――」

 

 地面を蹴り前に出ようとした瞬間、新たな強い気配を感じ、足を止めた。

 新たな追手か、そしてこれ程の強い気配を持つ者は、それこそ『八本槍』でしかありえない。状況は最悪、今この場で一対二で戦うのは、非戦闘員と負傷者を保護しながらという圧倒的不利な状況で続行するには絶望的に不可能だ。

 どうする――熱くなった頭で冷静を意識しながら考える。何か手はないか。

 しかしその時思いもよらずに声を上げたのはアデル・アレクサンダーだった。苛立ち交じりの舌打ちをした後、気配のする方向を向いた。

 

「捜索班の司令塔め、余計な真似を……」

 

 相変わらず忌々しい視線をこちらに戻して続ける。

 

「ここに私はいてはいけないことになっている。今ここで貴様を殺すのは赤子の掌を捻るより簡単だが――命拾いしたな」

 

 アデルはギルガメッシュに指示を出し、それに従って黄金色のカーテンから球状のものを出現させ――クーの足元へと叩き付ける。

 その時眩い閃光が瞳を焼き、視界を消し去る。白の世界に塗り潰されて、視覚が完全に使い物にならなくなった。

 このままでは逃がしてしまう。視覚に頼った索敵から聴覚、嗅覚、全身の感覚を余す所なく稼働させてアデルとその従者の気配を追うが、とんでもない速度でここから離れて行っている。そして同時にもう一つ、同程度の魔力反応がこちらへと高速で向かってきていた。

 

「ジル、リッカは大丈夫だな、一旦退くぞ」

 

 だんだん近づいてくる気配――魔力反応がクーに一つの直感を与える。その正体は過去に二度、一度は百年程昔、そしてもう一度は最近の摸擬戦、どちらも軍配はクーに上がったがその実力と心意気は評価している、ジェームス・フォーンだろう。彼の中に宿る『剣』の魂は生涯忘れることはできない。

 だがしかし同時に、相手が『八本槍』ならば、間違いなくクーやリッカを捕らえるために駆り出された王室の犬だ。悠長に立ち話をしようものなら、リッカかジルのどちらかを人質にしてしまう程の狡猾さは持ち合わせている相手だ。無論、実力勝負を申し込んでくるならば正面から潰すまでだが。しかし可能性がゼロではない以上、少なくとも二人を危険な状況に晒すわけにはいかない。

 

「……チクショウが」

 

 どの口がそれを言う。全ては自業自得だろうが。守れなかったのはお前、自分自身――クー・フーリンだろうが。遂に(なまくら)が刃こぼれしたな。『八本槍』が、『アイルランドの英雄』が――傑作だぜ。

 全くそうに違いない。全ては甘く平和な生活に慣れ、体も心も鈍らせてしまった自分の責任だ。下らない理屈も理論もあったものではない、『最強』たり得なかった自分が人一人助けられなかったただそれだけのことだ。だから今すべきことは泣き言を恨み言を吐き出すことではなく二人を安全な場所へと非難させることだ。

 ほんの一瞬でそれだけの思考を終えてしまったクーは二人の返事を待つ間もなくジルと気絶したリッカを抱えて地べたを走る。空中から『八本槍』が接近している状態で飛翔するのは愚の骨頂だ。そしてそれ以上に、今の自分には地べたを這いずり回る方がお似合いだ、そんなことまで考えていた。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 まるで悪夢のようだった。

 思い出すだけで気を失いそうになるその記憶はあまりにも凄惨で、森の中にある、とある開けた土地にたつ小さな小屋の一部屋、ベッドの上に横たわって寝ているリッカを見つめてはそう思う。

 大量の血が付着していた服は一旦捨て、同じく血に汚れたその身体も近くの小川で綺麗に洗って、サイズの微妙に違うジルの服を着せて横にしておいたのだが、先程の出来事が嘘のようにリッカは穏やかな顔で寝息を立てている。

 開け放った窓からはヒュンヒュンと棒を振る音が聞こえてくる。戦闘狂だったクーは、獰猛にして野蛮だったクーは、風見鶏での生活の中でその鋭さを摩耗させてしまったことは何となく感じ取っていた。人の間で正常に生きる心を育んだことが、気高き戦士としての矜持を失わせ中途半端な存在へと変えてしまっていたのだ。

 ふと、膝元から呻き声が聞こえてきた。リッカが身を捩じらせてそっとその睫毛を揺らし瞼を開けたのだ。

 

「リ、リッカ、大丈夫!?」

 

 半覚醒状態のリッカの肩を強く掴んでは顔を近づけて声のボリュームの調整もせずに慌てて問いかける。目覚めてすぐのリッカにはなかなかの刺激だったようで、息をつまらせ目を丸くする。

 

「なっ、なんだ、ジルか……」

 

 じっくりと観察してみて、意識は良好、記憶にも言語にも身体動作にも問題はないようだ。ジルの渾身の治癒魔法が功を奏したようで、盛大な溜息を吐いて安心する。そして安堵からポロリと零れる涙が切欠となって、何だか止まらなくなる。嗚咽を漏らし、我慢する必要もないだろうと判断した結果、次の瞬間にはリッカの胸に飛び込んでおいおいと泣きついていた。

 

「……大丈夫、ジルのおかげで、私は無事だから」

 

 そんなジルの心配と、それから安心を汲み取って、リッカはジルの髪を優しくなでる。何度も、何度も。

 そして自分の身に何があったのか、ゆっくりと思い出してみた。アデル・アレクサンダー――恐らく事件の真犯人による襲撃、そこで黄金の従者の攻撃を受けて一撃で昏倒、そんな刹那的な出来事で自分の記憶は途絶えてしまっている。そして後はここまでお荷物だったという訳だ。

 

「また私ったら、足手まといになってたんだ」

 

「ああ、ホント三人揃って体たらくなこった」

 

 リッカの呟きに言葉が返される。ふと扉の方を振り返ると、扉の枠に体をもたげて真紅の双眸をこちらへと向けたクーが仏頂面で立っていた。そう言えばリッカが起き上がった辺りから、外からヒュンヒュンと聞こえなくなっていたような、とジル。彼女もまたその涙で顔をくしゃくしゃにしたままでクーを振り返る。

 

「リッカ、無事か」

 

「おかげさまで」

 

 リッカのいつも通りの笑顔を見て安心したのか、クーの表情から剣呑な雰囲気が消え去った。仏頂面は未だに変わらないが、その微妙な変化は恐らくリッカとジルにしか分からないだろう。

 

「くー、……さん」

 

 すんすんと泣き顔のままで、上目遣いでクーを見上げるジルを、半分謝罪の意を込めて、そしてもう半分彼女を安心させてやるために、その頭に手を置いて乱暴にくしゃくしゃと撫でる。髪がぼさぼさになるが嫌な素振りは見せない。

 

「それで――あなたは大丈夫なの?」

 

 言葉はそれだけで十分、リッカの言いたいことをクーは聞くまでもなく把握した。そして挑発するような笑顔でこう返す。

 

「誰に聞いてんだ、迷ってる暇なんぞねーだろうが。俺は俺のやるべきことをやる。アデルのクソジジイをぶっ潰し、エリザベスを捻じ伏せる」

 

 その言葉の裏にある意志に、覚悟に、リッカたちは表情を真剣にして頷く。迷っている暇なぞどこにもない。戦わなければ殺される、いや、それ以上の恐怖と苦しみを味わうことになるだろう。だからこそ、戦え、戦って状況を変えろ、そしていつか必ず、みんなの下へ――

 その時クーが懐から、小さな四角い箱を取り出した。特に煌びやかな装飾が付いているでもないが、しかしその肌触りだけで、箱の素材も高級なものであることはよく分かる。その箱の中からクーが取り出したのは、小さな真紅の、槍の形を模した宝石だった。

 

「全く皮肉なもんだぜ。相棒の形を模したこいつがこんなところで役に立つなんてな」

 

「それって?」

 

 どことなく、クーがその宝石を忌々しげに見つめているのを見て、リッカは問いかける。リッカもジルも、風見鶏にいた頃は何度となくクーの部屋を訪れたことはあったが、その物体を見かけることはなかった。

 

「まぁ、なんつーか、いろんなもんと決別できる便利アイテムだよ。半端はヤメだ。俺は何事にも全力を尽くす。戦うことも、敵を殺すことも、目的へと進むことも、そして――お前たちを護ることも」

 

 その時の真剣な、美しい剣の――いや、槍の穂先のような、美しく鋭い真紅の瞳を、二人は忘れることはないだろう。あまりにも美しくて、力強さに胸を打たれて、胸の奥がトクンと跳ねた。そして二人は、ほぼ同じタイミングで胸中に呟いた。

 

 ――ああ、これが私の惚れた男だ。

 

 その瞳に写すものは、そしてその槍の切っ先に向けられるものは決して美しく理想的なものではない。ただ純粋に己を求め、力を求め、全てを勝ち取る覇者たる魂。永久と思われた平和の中で鈍っていったその刃は、ここに来て久しぶりに研磨され、そしてその美しく危うい輝きを放ち始める。

 

「俺は本当の意味で『八本槍』を、そして世界を敵に回す。信じてるぜ、この結論の先に俺が求めたものがあるってことをよ!」

 

 そして、その拳の中で、真紅の槍の宝石を――真っ二つにへし折ってみせた。

 その瞬間拳の中で真紅が弾け、凄まじい光量が指の間から漏れる。放たれる魔力があまりにも圧倒的で、二人は目が眩み意識を手放してしまいそうになるのを堪えなければならなかった。

 そしてクーはゆっくりと拳を開く。

 

「こいつは俺が『八本槍』である証と同時に、二つに折ることでその裏切りを向こうに伝えるマジックアイテムでもある」

 

 エリザベスからこのアイテムを預かった時のことを思い出す。

 クーの持つ真紅の長槍をモチーフとして作られたそれは『八本槍』の証であると同時に、国家以上に、王室以上に守りたい存在が現れた時に、国を敵にしてでも守らなければならない存在が現れた時に、これを破壊することで国家への裏切りと反逆を国へと伝え、同時に現在位置を知らせることになる。当時はそんな境遇になることなど考えもしなかったが、思えばあの時からエリザベスはこうなる未来を予測していたのだろう。

 しかし、それだけのリスクを背負いながら、それに見合うだけの報酬を持ち合わせている。これに与えられたのは、破壊される前の女王陛下への忠誠、そして破壊した後の守るべき存在、その双方に共通する、『新たなる主を護るに足る力』が手に入る。そして、その形は――

 

「リッカとジルにこいつを一つずつ渡す。こいつを使えば、俺が望もうが望むまいが関係なしに、俺に命令権を一つだけ行使できる。地球の反対側だろうが一瞬で駆けつけることも可能、俺を自害させることも可能、そして、圧倒的な力で敵を殲滅することも可能だ」

 

 そしてその二つの破片をそっと握らせて一歩下がり、二人の前へと膝をついた。

 

「これより、イギリス王室直属騎士『八本槍』が一人、クー・フーリンはその忠義を捨て、新たなる主を守護せんがためにこの力、この槍を振るうことをここに誓う」

 

 形式的だが、これがエリザベスへの最後の礼のつもりだった。後は全身全霊で潰しにかかるのみ。

 すぐに立ち上がっては、リッカたちを見る。

 

「そいつで何なりと言ってくれ。頼まれりゃ助けるし誰だって殺すし自分の命でもなげうってやる」

 

 するとリッカは溜息を吐き、ジルは苦笑いを浮かべた。そしてその表情のまま手元の紅い輝きを眺めて、二人が呟いた。

 

「一つ、絶対に死なないこと」

 

「一つ、どんなことがあっても私たちの下に帰ってくること」

 

 クーは、二人のその行動に驚きを隠せなかった。頭のいい二人のことだから、もっと大事な局面で、ピンチの状況を打開するための一手としてこれを使うだろうと思い込んでいた。しかし現実はどうだろう。下らないことに命令権を使い、既に使用不能に追い込んだのだ。だがしかし、リッカもジルも、後悔の色一つ浮かべず笑顔を咲かせた。

 

「こんなのがなくたって、あなたは絶対に全てをやってのける。今のあなたに敵はいないわ」

 

「本当ならこんな命令もいらないよ。私たちはクーさんを信じてる。だってクーさんが私たちを信じてくれるんだもの」

 

 そんな二人の言葉に、いろいろと考え事を巡らしていたはずのクーは何だか馬鹿馬鹿しくなって考えるのをやめ、笑ってやった。恐らく、今まで生きてきた中で最も柔らかな笑み。

 

「わーったよ、そこまで言うんだ。エリザベスんとこ制圧した暁にはテメェら二人に惚れてやるよ」

 

 そんなクーの真剣な言葉に、二人は心を弾ませ頬を紅く染めて。

 そして小躍りしそうなのを我慢しようとして失敗、二人してその強壮な身体に子供のように抱き着いたのだった。

 

「ちょっ、テメェら調子乗り過ぎだっつーの!」

 

 じゃれついてくる二人を引きはがそうとしながら、頭では考える。

 まず真っ先に向かってくるのは間違いなく彼だ。

 

「テメェら。すぐにアデルのジジイがこっちに来る。俺はあいつらを迎え撃ってぶっ潰す。それで無傷で戻って三人でロンドンに戻る。いいな?」

 

 両腕にしがみついた二人は動きを止め、クーの言葉に力強く頷く。

 そして、リッカはそんな彼を心から信頼して、力強く言い返す。

 

「死なないで、絶対に帰ってきてよ」

 

 余計なことを聞かなくても良かったと若干後悔して、そして先程のリッカたちと同様に、力強く頷いて見せた。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「き、貴様……何故こんなっ……!」

 

 夜闇を照らしているのは、黄金の騎士の背後に展開された同じく黄金のカーテン。彼の腕には、そのカーテンから取り出された一振りの剣が握られ、そしてその刃は男の肩を貫いていた。

 

「何故、とな。この(オレ)を使役することすら万死に値する行為、増してその上これ以上なく下らん茶番に付き合せて我の品格を損なうような真似をしてくれたな、雑種」

 

 その手に握る剣を時計回りに捩じる。開く傷口に激痛を走らせ、男――アデル・アレクサンダーは苦痛の叫び声を上げる。黄金の騎士――ギルガメッシュはその顔に静かな怒りを浮かべてその悲鳴を聞き流した。

 

「何故貴様は人の言葉を話す!?私の召喚魔法の術式にそこまでのプログラムを施した覚えはないぞ!?」

 

「知ったことか。我の自我を封じていたか、あるいは我自身が創造物かはどうにも記憶にないが――しかしどうだ、なかなかに面白い術がかかっているではないか、あのロンドンの街は」

 

 死に怯える思考で考える。面白い術だと、何の話だ。

 思い出せ、思い出してみろ。確か三ヶ月ほど前に、女王陛下からロンドンに突如現れた魔法の正体を突き止めろと指示されていたはずだ。その魔法と何か関連があるということか。

 

「雑種共の汚らわしく貧弱な感情で構成された人格とは反吐が出るが――まぁいい。貴様ら雑種のおかげでなかなかに興味深い連中も見ることができた。王であるこの我が礼をしようというのだ。死ぬほど感謝するのが忠義というものよなぁ」

 

 そう言って取り出したもう一振りの剣を開いた手に握り、逆の肩を貫いた。

 新たな激痛に身を震わせ、王者としての畏怖を余すことなく見せつけるギルガメッシュにただ命乞いをすることしか頭に浮かんでこない。

 

「き、貴様――」

 

「さて、その至福の喜びを噛み締めたまま――死ね」

 

 次の瞬間、背後から現れた無数の刃に貫かれ、『八本槍』が一人、アデル・アレクサンダーは命を散らせた。

 悲しみも、困りもせずに、その冷徹な表情を浮かべたまま踵を返す。

 

「この我に刃向かい逃亡するなぞ、随分とまぁ勝手が過ぎると思わんか、赤い棒切れの雑種」

 

 ここにはいない誰かに問いかけるように、ギルガメッシュは冷笑を浮かべてその場を去っていった。




さて次回は対ギルガメッシュ戦!
戦力差を考慮した上でテンポよく戦闘描写を綴っていくのは物凄く難しいです。


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英雄王

ギル様vsランサー前半。
勝ち目?そんなものはないです。


 風見鶏での仕事を一段落つけようと、学園長室兼生徒会室で作業をしていたエリザベスは、緊急の連絡によってその作業を妨害されることとなった。連絡の内容は至って単純だが、しかし魔法使いの社会を大きく揺るがしかねない事実だった。

 パーシー家保有の貴重な文書を窃盗した容疑により、イギリス国家及び魔術社会の基盤を大きく転覆させかねない状況へと追い込んだ可能性のあるリッカ・グリーンウッドが、『八本槍』の一人、クー・フーリンと共に逃走、現在もその行方は不明なままである。捜索に当たっては魔法捜査局も介入させているが、その上で『八本槍』の一部にも有志で協力してもらっている状況だ。明確な協力の意志を示してくれているのは現在、ジェームス・フォーン、アデル・アレクサンダーの二名である。アルトリア・パーシーは事件によって起きた騒動を鎮圧したり、またその後の事後処理をしなければならないこともあって協力する時間はないようだ。

 さて、問題の緊急の報告だが、その内容こそが、クー・フーリンの『八本槍』離脱の知らせが入ったということだった。

 王室から国家の最大の武力として魔法使いの社会において最も上位の権力を持つ『八本槍』には、その証として、クー・フーリンの持つ紅い槍を模して作ったペンダントを配布している。そしてそれは主君である女王陛下への忠誠を誓うものである以上に、その権利を放棄する意思表示として使われるために存在しているものだ。王室に仕える騎士として、そして武人として、その誇りと尊厳を失わないままに二君に仕えることができるとされるシステムであり、これを破壊することで『八本槍』を脱退し、イギリス王室との関わりの一切を絶ったことの証明になる。破壊したそれを新たな主に譲渡することで、その主は元『八本槍』に一度だけどんな命令でも行使することができる。というのもこのペンダントにはかなり強い魔力が凝縮されており、これ一つで禁呪レベルの大魔法を一つ発動できる程の魔力量を誇ると同時に、その魔力が主へと移ることによってその時の魔力反応が正確に王室直属の探査機関にキャッチされ、居場所を突き止められるデメリットを持っている。

 そして現在、その巨大な魔力反応が、クー・フーリンのペンダントから発生したとの報告が入ったのだ。

 

「結局、こうなってしまうのですね……」

 

 寂しさと悔しさに俯き翳る顔にいつも携えている美貌はない。古くからの友人に手を差し伸べてやることもできなかった自分の無力さが、あまりにも信じられなかった。

 エリザベスは女王陛下として、そして王立ロンドン魔法学園を創立し、未だその信頼を勝ち取ることができていない魔法使いを教育する機関の第一人者となった、魔術社会の最高責任者として、完全なる公人となったエリザベスは、最早私情で動くことはできないものとなっていた。アデル・アレクサンダーの言い分は圧倒的に正しかった。それは認めざるを得ないことである。しかしその本心は狂ってしまいそうな程にリッカを助けたくて、何度声を枯らして叫ぼうと思ったことか。しかしそれを叫んでしまえば、その一声で国が、魔法使いが滅んでしまうかもしれないことは分かっていた。

 

 友の命か――魔法使いの未来か。

 

 自分の立場が、女王陛下が、風見鶏学園長がとるべき行動は、あまりにも残酷なものとなった。友を切り捨てた判断が、更にその仲間を巻き込み、そして放っておけば平和な生活をしていたであろう彼女の最大の親友すらも、自ら死地へと飛び込む覚悟を決めて飛び出したという。一人の犠牲が、三人の敵を生み出すこととなった。

 そして女王陛下(エリザベス)は、国の総力で以ってその矛先を彼女たちに向けることになるだろう。そこから先に待っているのは、自らの手を血に染めることのない、大義名分によって虚飾された友殺し、もっと言えば一方的虐殺である。

 側近の者にも渡していない、自分の懐に仕舞ってあるプライベート用のシェルを強く握る。そのシェルに繋がった友情の証であるキーホルダーは未だに綺麗なままであった。

 

 ――私は、クーさんを、リッカさんを、ジルさんを、信じます。

 

 憂いた表情を真剣に引き締め、力強く廊下を歩く。現状を少しでも早く把握しようと、歩く速度がだんだん早くなっていくのを自分で気付くことができない。そしてしばらく進むと、前方からよく見知った顔が何やら難しそうな表情をしながらこちらへと向かってくるのが見えた。杉並である。

 

「どうしましたか?」

 

「陛下、これは未曽有の事態です」

 

 クー・フーリンのペンダント使用、『八本槍』脱退の知らせならば既に耳にしているし、そのことを知らない杉並ではないはずだ。となれば、彼の言いたいことはそれ以上の最悪の事態ということになる。

 

「アデル・アレクサンダーのペンダントから、魔力反応が現れました」

 

 そんな馬鹿な――あまりにも唐突で衝撃的な報告に、驚く反応をすることすらままならず、その魅惑的な身体を硬直させて絶句してしまう。

 アデル・アレクサンダーはそれこそ多少過激的な『八本槍』で扱いも難しい人間だったが、それでも王室、女王陛下に仕えるその忠誠心は本物で、賊や外敵を絶対に寄せ付けない圧倒的な実力を持っていた。それだけではない、魔法考古学に関しても超一流で、彼の発見した様々な新事実は魔術社会を大きく進化させ、歴史を大きく変えることとなった。そして更に、彼の使用する召喚魔法は、この国を防衛する最終手段となり得る、王室の切り札となり得るまでに強化されたのだ。この魔術社会において決してなくてはならない存在で、その男が『八本槍』を離脱するなど、考えららえなかった。

 

「……一体、何が起こっているのです、アデルさん……クーさん……」

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 リッカたちを小屋に残し、クーは一人で森を抜けようと疾走していた。生い茂る緑の木々に視界が奪われそうになるものの、クーにとってはこのくらいどうということはない。無数のものの位置関係を瞬時にチェックし正確な動きをとることができる彼に、動かない木々が障害になるはずもなかった。木から木へ、枝から枝へと飛び回るその姿はまるで鷹のようにも見える。真紅の眼光が直線的な残像を描き、光を一瞬残していく。しばらく直進していると、少し開けた草原が目に入った。

 直線で突っ切る――その判断をするのに一瞬と呼ばれる時間すら必要ない。百メートル程は離れている向こう側の木の枝へと飛び移ろうと足場にした木の幹を力強く蹴る。

 

 ――その時動かした瞳は捉えた。

 

 瞬時に身を捻り、槍を振るう。腕には重く鈍い感触が残り、何かが飛んできた方向へと視線を向けながら、空中で体勢を整える。第二撃に備え、落下速度を調整しながら防御の構えをとる。着地のステップを踏み、今度こそ正確に敵の姿をその視界に十全に取り込むことができた。

 

「――フン」

 

 黄金の甲冑、逆立つ金髪、その双眸は、クーの燃えるようなそれとは正反対に冷ややかな光を携えた真紅。僅かに小高い丘になっているのだろう、クーから見れば彼を見上げる形に、彼からすればクーを見下す形になっている。

 組まれた両腕から放たれるのは天上天下唯我独尊の証、言葉も拳も交わさぬうちから彼から感じられる傲慢不遜さは、彼の実力と絶対の自信に裏付けられたものだ。

 最古にして最強、黄金の英雄王、ギルガメッシュ。

 

「――不意打ちとは趣味が悪いな英雄王」

 

「この我の視界にゴミクズが入ったのだ。駆除するのが道理というものだろう」

 

「そりゃ英雄王直々の素敵な挨拶をどーも。お蔭で外出早々悪い意味で刺激的なヤローをこの目に収めることができて光栄に思うぜ」

 

 出会い頭に殺されかけ、その上お互いに『八本槍』だった者が対峙するこの状況で挑発に挑発を重ねていく両者。頭がおかしいのだろうか。

 しかしクーは、この状況において皮肉こそ飛ばすものの、内心では冷や汗を処理するのに大変だった。今目の前にいる男は紛れもなく最強の一角に君臨する存在、その戦術こそ見たことがあるものの、それは決して戦闘などという生温いものではなく、戦争、蹂躙、虐殺と言った方がまだしっくりするような戦い方だった。直線的で単純、数にものを言わせた戦い方と聞けば弱そうに思えるかもしれないが、その数、そしてその火力が規格外なのだ。恐らく無尽蔵と考えるべき武器の保有・貯蔵量、そしてその一つ一つがアレクサンダー家が代々その足で現場を歩き発掘してきた宝物の数々を魔法によって復元、その性能をほぼ完全に再現したものだ。クーがどれほどの体術を持っていたとしても、槍一本ではあまりにも心許なさ過ぎた。

 それにもう一つ、問題なのは今ここにいるのが、ギルガメッシュ一人であるということ。彼はそもそもアデル・アレクサンダーの召喚魔法によって出現した使い魔であり、マスターの魔力供給がなければ少しの時間で消滅してしまう。アデルの気配が感じられないこの状況、恐らくギルガメッシュは一人で来たと断定してもいいだろうが、何故そんなことをするのかが見当がつかない。別の魔力供給方法を見出しているか、あるいは何かの策略か――

 

 ――なるほど。

 

 その疑問はすぐに解決することとなる。それは数刻前、自分が何をしたかを考えればすぐに分かることだ。恐らくは、使用したのだろう、真紅の槍のペンダントを。

 ギルガメッシュが言葉を話すことから、何かしらの方法で自我を得たと考えるべきだ。いつからそうなったのかは分からないが、クーたちを襲撃した後、アデルの行動をよく思わなかったのかマスターを殺し、そのペンダントを奪って自分で自分に使った。そしてその魔力のブーストで未だに存在しているということか。そしてそれが指すのは。

 

 ――我こそが王だ。我に盾突く者は一人残らず駆逐する。

 

 王者の風格。その場にいるだけで民草を跪かせる圧倒的支配力。クーが感じた、恐怖、畏怖、戦慄。最早それは、強さという定義に当てはまらないレベルでの存在感。王であるか、そうでないか。全ての英雄の原点にして頂点である王の双眸を見るだけで、脳裏から勝利の二文字が消えてしまいそうになる。

 そしてそれが逆に、クーの心に、彼に対する尊敬を植え付けた。

 

「……全く、こんなの相手に戦えとか死ねといわれるようなもんだろ」

 

 アデル・アレクサンダーに使役されていた時とは段違いだ。彼は紛れもなく、使役される側ではなく、支配し使役し裁く側の人間だった。それが運命、それが当然にして必然。全ての頂点に彼が君臨することこそがこの世界の法則(ルール)とでも言うのか。

 

「――勝てねぇ」

 

「当然だ」

 

 クーが最後に達した結論に、即答で応えるギルガメッシュ。

 

「流石だ英雄王。今まで色々な奴を見てきたが、ただそこにいるだけでありありと力の差を見せつけてくれる奴は初めてだよ。背中向けて尻尾撒いて無様に逃げ出してぇとも考えた」

 

「身の程を弁えぬ狗でもなかったか。だが何事もなく逃がすと思ったか。この我にその棒切れを向けた罪は償ってもらう」

 

 しかしその言葉とは裏腹に、ギルガメッシュは唇を歪め、笑みを浮かべた。

 

「しかしまた次第によっては情けをくれてやろうと思わんこともない。貴様の連れの金髪の女、あれはなかなかに美しい宝だ。それを返せば貴様も女も考えてやらんこともないぞ」

 

 金髪の女とはリッカのことだろう。いつの間にリッカがギルガメッシュのものになったのだろうか。いやこれだけ傲慢不遜な男のことだ、世界中の宝は全て我のものだと言っても驚かない。

 リッカを渡せばクーもリッカもジルも、誰もが生きることを保証された未来が待っている。それはリッカにとって、そしてジルにとってありがたいものだ。二人が安泰であるならばクーにとっても心配することは何もない。

 恐らくギルガメッシュは使い魔としてマスターを失い魔力の供給源が絶たれたのをリッカで補うことを目的としているのだろう。もし魔力供給がなければそれこそ三日と持ちはしない。自らを王とし、リッカとジルを侍らせ、クーを尖兵としてまずはイギリスから乗っ取る、そんなところだろう。

 

「本当にリッカをやればあいつらは見逃すか……?」

 

 ギルガメッシュの提案は悪くない。増して彼の性格を思えば、ここで殺されリッカとジルと一緒に手を繋いであの世に送られる未来はほぼ確実だったはずだ。しかしそれを自ら否定するその提案を飲めば、こんなところで犬死することもないだろう。そしてギルガメッシュに生かしてもらったチャンスを利用すればいつかまた――

 絶望の中に垣間見た妥協という名の希望の光。それに縋れば助かるのだ。心の彷徨いから逃げたくなる気持ちが彼を俯かせた。

 

「かつて『八本槍』の一人と畏れられた(つわもの)の一人よ。無駄死にさせるには惜しい。さぁ、我の軍門に下るがいい」

 

「――だが断る」

 

 俯く顔を勢いよく上げ、熱く鋭く燃える真紅の瞳がギルガメッシュを射抜く。誰が貴様の言いなりになるかと。自分の道は自分で切り開く。それが今まで辿ってきた自分自身の生き様だと。

 

「生憎俺もリッカも、貴様みてぇな奴の美酒を地面にぶちまけることだ堪らなく爽快なのよ」

 

 既に決めたことだ、中途半端はヤメにすると。戦うのだ、戦って彼女たちの下に帰るのだ。それが彼女たちと交わした契約であり、そして自分自身の決意と目標なのだ。それを反故にするなど『アイルランドの英雄』が聞いて呆れる。

 

「勝てねぇ?届かねぇ?――だからなんだ。そんな奴に挑むのが男ってもんだろ」

 

 再び標的目がけて槍を構える。考えるのは一撃で相手の心臓にこの槍をぶち込む、それだけだ。

 ギルガメッシュもクーの決意を汲み取ったのか、それとも僅かな慈悲を捨てたのか、恐らく後者だろう、背後に≪王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)≫による黄金のカーテンが展開され、無数の武具が煌めく刃を向ける。視界いっぱいの金銀に目が眩みそうになる。

 

「ならば散り際で我を楽しませよ、槍兵(ランサー)

 

 轟と大気を震わせ、地を揺らして、それらの武具が一斉に飛来してくる。その速度は尋常ではない。判断するという時間すら必要とせずクーは後方へと跳躍した。元いた場所に着弾し、地面が爆発四散する。

 こちらから攻めれば間違いなく負けると本能が告げる。その徹底的殲滅力を前に防戦を敷き、相手の疲弊や魔力切れを待つか――

 幸いここはある程度場所も広く、逃げ回るにはうってつけだ。その上周囲は木々に囲まれ、射出されるある程度の武器は気に阻まれてしまう。地の利はこちらにあるのは明らかだ。

 前方に飛ぶのは死を意味する。ならばひたすら後方に逃げようとするのを勘付かれないように後ろ、左右へと回避行動を繰り替えす。この際後方でなくても構わないとさえ思った程だ。

 広い空間で直線的な弾幕攻撃を打ち落としながら下がるだけの簡単なお仕事、敵を倒すことはできないが、劣勢を強いられこそすれ、負けることはまずない。

 森に身を隠すことはできたものの、木々は穿たれ、爆発し、爆炎が燃え移って業火となる。理解してはいたものの長居はできないようだ。ならばと地の利を活かし、木々を中継して宙を舞い、ひたすらギルガメッシュの背後を取らんと疾走する。

 しかし爆風の発生源はなかなか距離を離さない。こちらの居場所を大まかに掴み、確信した状態で躊躇いなく穿っているのだろう、このままではいずれ追いつかれかねない。

 もっと速く、もっと(はや)く、もっと(はや)く。

 このただ一振りの槍を最大限に生かすことができる自身の最大の武器は、何よりもその敏捷性にある。神速の突きで一撃の下に相手を倒すこともあれば、神速で打ち込む数多の手数で敵を攪乱し本命を確実に穿つこともできる。今回はその敏捷性を最大限、それ以上に活かして醜くも卑しくも敵の背後をつくことに全力を尽くすまでだ。そして次第に――

 

 ――爆発源はとうの向こう側にある。

 

 太い木の幹を両足で捉え、進行方向と垂直に蹴り出す。伏角およそ二十度、速度を殺さない勢いで地面に接近し、そしてもう一度地面を蹴って加速する。まさに神速、凡人では視界に入れることすらままならないだろう。

 槍を構え、直線で急接近する。ただ一蹴りで槍の間合いにギルガメッシュを入れることができる。その一撃の下にかの英雄王を地に伏せてみせる――!

 

「食らえ、英雄王!」

 

 確実に一撃を叩き込むことができる間合い、これで勝利は確定した。

 その真紅の槍が黄金の鎧を穿ち、突き抜け、人肉を食い破る感触をその手に伝え――

 

「――天の鎖よ」

 

 ――てこなかった。

 

「な――!?」

 

 一瞬だった。相手がどれだけのやり手だろうと、この速度に反応できるタイミングではなかったはずだ。なのに何故――

 

「こいつはっ――!?」

 

 何故両腕両足に黄金の鎖が巻き付いている!?

 

「まさか貴様、この我がその程度の小細工に翻弄されるとでも思ったか」

 

 鎖の根を辿ると、そこにあったのは同じく黄金のカーテンだった。つまりそれが意味するのは、クーの奇襲作戦も、尋常ではない加速と敏捷性も全て見抜かれていたということになる。ただ武器を撒き散らすだけの戦法ではない。この男は、王の名に恥じない、戦い方というものを熟知していた。

 ギルガメッシュは鎖に雁字搦めにされたクーを冷たい眼差しで捉え、そして≪王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)≫を再び展開、数えきれない武具が出現し、身動きできないクーへと向けられる。

 動けない的をみすみす外すような男ではない。既にクー・フーリンは、ギルガメッシュに触れることすらままならず敗北したのだ。

 

「――散れ」

 

 ふざけているのかと言いたくなるくらいに高速で飛んできていたはずの武器が、やけにゆっくりに感じる。

 ああ、これで終わるのかと。自分の生き方に、悔いなど一片たりともなかった。強いて言うなら、目の前の王の面を、一度でも歪ませることができたらと。心の中で、約束を果たせなかったことを謝りながら。

 『アイルランドの英雄』、クー・フーリンの最期の一瞬、彼はそれを笑顔で迎えた。




なんというかもっとこう、緊迫感を持たせたい。表現の力って本当に大事だと思う。
次回、分割しなければ本章ラスト。その次から新章に突入しようと思います。


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刻限

本章ラスト。クー・フーリンの運命は――


 風が舞った。いや、風などといった弱々しいものでは断じてない。空を引き裂き、大地を抉り去る、それはまさしく世界最大級の暴力。

 鎖に雁字搦めにされた戦士はその凶悪な暴力を前に目を開けていられなかった。耳の奥を削り取っていくような轟音だけが体の底に小さな恐怖を残し、戦士は荒ぶる猛威に身を委ねる。そして次に来るであろう死の雨は、この身体を射抜く無数の煌めきは――届くことはなかった。

 全てを巻き上げ奪い取る暴力の化身は風となって数多の剣戟の軌道を逸らし、または搦めとり、その高速の直進を妨げることとなった。

 その暴力はそれだけでは飽き足らず、周囲に燃え上がる業火を森の木々ごと薙ぎ払い、空へと舞いあげていく。

 人も獣も、善も悪も、富も貧も、強も弱も、理想も野望も、勝ちも負けも、何もかもを平等に理不尽に奪っていくその暴風は、紛うことなき天の災い、即ち天災だった。

 ギルガメッシュはその光景にも相変わらず泰然自若としていたが、その顔は標的に止めを刺せなかったこと、そして予想外のアクションがあったことにしかめられていた。あまつさえ、王がその手に持つ宝を巻き上げていったのだからその怒りは思い知れない。

 破壊の風に身が慣れてきたクーは、ゆっくりとその眼を開けて様子を見る。相変わらず鎖が行動を阻害している状態には変わりないが、この状態では武器の投擲による攻撃は物理的に不可能だ。しかしこの状態もいつまで続くか、結局は死のリミットをほんの少し先延ばしにしたに過ぎない、が。

 

「――禁呪、≪偉大なるテュポーンの術≫」

 

 テュポーン――ギリシャ神話における、多くの風の神の父なる存在。ガイアの怒りの化身。全てを吹き飛ばし消し去る神の力を内包したこの大魔法は街、いや国を一つ丸ごと壊滅させるほどの破壊力を持つ。その危険性ゆえに禁呪指定を受けたものだが。

 その声が聞こえた方向へと視線を向けると、そこにはここにいるはずのはい二人が、リッカ・グリーンウッドとジル・ハサウェイが立っていた。この世の理不尽の集大成といっても差し支えない英雄王を目の前に、余裕そうな笑みを浮かべて。

 

「実用段階にもなってない飛行魔法を無理矢理使ってでも来たかいがあったわね、ジル」

 

「火が燃え盛ってるとはいえ別にここまでしなくても……」

 

 なんでここに来た、と言う暇も与えずに、リッカとジルがおもむろにクーに近づき、邪魔な鎖に向かってジルが手を伸ばすと何やらぶつぶつと呟き始めた。するとどうだろう、彼女が口を止めてクーの顔を見上げ、そしてにっこりと微笑むといつの間にか鎖から解放されていたのだ。ジルが言うには、彼女が使った魔法は『拘束』という概念そのものを物体から消し去るかなり高度な魔法らしい。それによって鎖から『拘束する』という使用方法が概念から消え去り、クーの身体が解放されたとのこと。実際にクーは鎖から解き放たれ、その鎖は光の粒子となって消えていく。魔法ってスゲェ、と改めて感心したクーだった。

 

「なんでこんなところに来やがったんだ、危ねぇだろうが」

 

 命を助けられたとはいえ、二人を守り抜くために目の前の理不尽英雄王を何とかしようとしていたのに、そんな死地であるここに二人が来てしまうと本末転倒も甚だしい。

 

「あら、私たち帰ってこいとは言ったけどついていかないとは言ってないわよ」

 

「クーさんが死んじゃったら環境的にも無事じゃないだろうし何よりクーさんがいないと生きていけないもん。どっちにしろ、って話だね」

 

 言いたいことは分からないでもない。しかし二人の言葉には決定的にある大事な要素が欠落していた。それはそれほど難しいことでもなく、そして何より根本的で可及的速やかに解答を導き出さなければならないもので、そう、これからどうやって生き延びるか、だ。

 しかしそんなことなど言われなくとも分かっていると言わんばかりに強気な表情をつくり、自信満々に頷いた。

 

「心配しなくとも大丈夫よ。この孤高のカトレアが同じ轍を踏むわけがないでしょう?」

 

「あの金ぴかの人の射撃をどう対策するかってことだよね。大丈夫、ここに来るまでに十分に策は練ってあるから」

 

 そう断言したのだ。だからこそ、自分の信じる者の言葉を、古き主を捨て、真に信じる新たなる主の宣言を信じることに異論はない。ただ一言二人に、死ぬなよといらぬ心配の言葉だけをかけておいて、予想だにしなかったこの展開に心躍らせる。

 しかし一方でギルガメッシュは唐突に現れたリッカたちを眺めて苛立ちの表情をポーカーフェイスへと戻す。そしてこれが最後のチャンスだと、一度捨てた慈悲を乗せて言葉にする。

 

「なぁ孤高のカトレアよ、チャンスをやろう。――我の女になれ」

 

「嫌よ。私あんたみたいな派手なアメリカン思考の殿方は好みじゃないの。つまらない男の言いなりになる生き方なんてこっちから願い下げだわ」

 

 きっぱりと。そう即答してしまった。隣にいたクーにしては内心で冷や汗ものである。戦闘経験がほとんど皆無である少女が理不尽相手に直球で煽り挑発しているのだ。次の瞬間死んでいてもおかしくない状況で不安になるのは無理もない。実際、目の前の英雄王は憤怒の形相に歪んでいたのだから。

 

「いいだろう、この我を愚弄するというのなら、その男と共に地獄を味わうがいい!」

 

 背後のカーテンが光る。新しく剣戟が装填され、轟音と共に射出される。

 一瞬の時間。リッカとジルは自分を信じてとばかりに頷きかけてきた。クーは自分だけ回避体勢をとり、様子を窺う。

 金の閃きが飛来する。着弾時の爆発の範囲を考えたら、既に二人が自力で脱出できる範囲を射程が包み込んでいる。回避は不可能だが。次の瞬間。

 弾かれている。次々と。全ての剣が。矛が。槍が。完全無敵の城壁に護られているような錯覚すら与える程に、全てを弾いていく。そしてクーには、所々から、一瞬だけの強力な魔力を感じ取っていた。

 並大抵の魔法障壁では、ギルガメッシュの宝具を無力化することはできないどころか、薄い紙一枚を通り抜けるように易々と突き破り侵入を許してしまう。それはリッカの実力と魔力の保有量をもってしても、だ。しかし、逆に言えば、リッカは禁呪を人一人で発動できる程の魔力と技術を持ち合わせており、そして隣のジルはリッカ以上の繊細な術式を編むことができる。そしてこの二人がタッグで織りなす技は、実に単純明快であり、ジルが飛来する武具の座標を素早く特定し、その情報を魔法でリッカに正確に伝達する。リッカはその情報とジルから与えられた術式魔法を基に、防御魔法を掃射される剣戟の軌道延長線上に展開、そしてそれは寸分の誤差も許されない程に非常に狭い面積で構築されており、だからこそその小さな箇所に一瞬のみ全力を注ぐことで最強の妨害装置と変化させることができるのだ。

 

「行って!こいつらは私たちで何とかするから!あいつに一発ぶちかましてやりなさい!」

 

 リッカの言葉に背中を押され、素早く駆け出す。二人は今集中しているのだ、かつてなく、今まで以上に。だからこそ返す言葉もなく飛び出した。投擲攻撃が全て食い止められる以上、何も警戒することなく敵の懐に飛び込むことができる。そうなればこちらの勝ち、だ。しかしそうは問屋が卸さないもので。

 リッカたちが対応できない位置――地面にも黄金のカーテンが出現し、足元からの奇襲が始まった。以前正面からの攻撃も絶えないが、角度の違う掃射攻撃では流石の二人も演算しきれない。ならば今度こそ、自分の自慢の敏捷性を活かす時ではないか。

 足元は決して見ない。ただそこにある殺気のみを肌で感じて避ける。予測された進行方向に出現するであろう武具にはフェイントとステップで躱し、ギルガメッシュとの距離を詰める。

 十メートル、五メートル――間合いまであと一瞬といらない。完全に、射程内だ。

 

「これでっ――終わりだぁ!!」

 

 喉元へと食らいつく刺突、相手の回避行動も予測した一撃。最早ここから攻撃を避けることは不可能と言える。

 真紅の槍が喉を捉えそのまま直進する。そしてそのままギルガメッシュの喉を食い破ろうとしたその瞬間だった。

 ガキンと鈍い金属音、槍が阻まれた。ギルガメッシュの顔の前には、喉を護るために王の財宝の中から姿を現した盾が展開されおり、それによって必殺の一撃を受け切ったのだ。

 クルフーア王の持つ、四本の黄金の角、四つの黄金の覆いがついた盾、『叫ぶオハン』。そしてその盾が突如放った金切り音に、クーは後方へと吹き飛ばされた。

 

「いいだろう、貴様らを、我自らが王として駆逐すべき逆賊と認めようぞ!」

 

 怒りの形相の中に、憤怒以外の昂る感情を垣間見せるギルガメッシュは、掃射攻撃を止めて≪王の財宝≫から一振りの剣を取り出す。それは剣というにはかなり不自然な形をしており、むしろ拳サイズの鍵とも見て取れる。

 ギルガメッシュはそれを手中で捻ると、それは機械音を上げて輝きを放つ。そして天へと赤い柱が昇っていった。天空と繋がった柱が消え失せ、鍵の中へと戻っていく。そこに新しく生まれ変わり姿を現したのは、暗黒の中に紅き光を放つ円錐状のランスにも見て取れる、奇妙な形をした剣だった。

 

 ――乖離剣エア。

 

 生命の記憶の原初であり、この星の最古の姿、地獄の再現。混沌とした世界を破壊し、天と地を創造した、破壊と創造を司る、星の剣。終わりと始まりを概念づけたその力は原初神にまつわるものである。

 そう、これこそが、『八本槍』アデル・アレクサンダーが生み出した『八本槍』たる規格外の武力の根源にして、その集大成。

 ようやく悟った。これが頂点なのだと。皮肉にも、最も嫌いだった男の使い魔がこの世界の最古の英雄王にして全ての頂点、世界を背負い、世界を敵にした真なる王、世界の誕生から破滅まで、世界の時空全てを庭とする男。ギルガメッシュ。

 

「――リッカ、ジル、今から地球の裏側まで行くくらいの気力でここから離脱しろ」

 

 低く小さな声でそう言い放つ。圧倒的な力を放っているエアのそれを、二人が気付かないはずがない。しかし、それでもだ。クーにはやりたいことがあるのだ。それに、二人を巻き込むことは何があってもできない。

 

「頼む。俺らしく()かせてくれ」

 

 静かに。そう、かつてない程に、情熱的で熱血的だった男が。ただ。

 

 ――ただ、願ったのだ。

 

 いくつもの戦いを乗り越え、数多の視死線を潜り抜け、その度に傷つき、同時に強くなっていった男の、最後にして、最も純粋な願い。人の願いに優先順位がつけられるなら、彼の願いは、間違いなく最優先に叶えられるべきものだろう。その静かに澄んだ横顔が、現実染みた思考を持つ彼にとって、その幻を見るようなそれが、あまりにも似合わないものだったから、リッカたちは、言葉を失い息を飲んだのだった。

 

「頼む」

 

 悲願。初めて彼の心に生まれた、最初の叶わない願い。それは皮肉にも――

 

「俺はこいつとぶつかり合って、それで、こいつに負けて死にたい」

 

 誰もが幸せになれない願いで。誰かを失い、誰かを悲しませる願いで。ただ一人の男の、戦士としての矜持が、誇りがそこにあったことを証明できる、ただそれだけのことで。

 こんなにも心を痛める願いがあるのかとリッカは絶句し。

 彼の最後の願いが、昔の、ただひたすら強さを追い求めるだけの彼を思い起こさせ、皮肉にも、交わった運命は最後には決別してしまうことに、ジルは気が付いて。

 それでもなお、彼を止めることはできなかった。

 

「――昔言ったことがあるよな。俺はこいつだけで全てを勝ち取ってきたって」

 

 クーは、その真紅の槍を強く握り締めて、そして愛おしそうに眺めて。

 

「だから、こいつで勝ち取れないものが出てきた時が、俺の最期なんだと、ずっとそう決めてきた」

 

 視線を、天地を引き裂く漆黒の光へと、そしてその先のギルガメッシュへと戻し、体勢を低く、そして槍を構える。槍そのものに込められた力が解放され、その充満した呪いが溢れてくる。

 

「試させてくれ。俺の人生を懸け皿に乗せて、こいつだけで勝利を勝ち取れるか。あんなすげー奴に、俺の槍が届くかどうか」

 

 長い沈黙が訪れる。ただただ吹き荒れる暴風の轟音すらが、妙に心地よく聞こえて。

 そしてリッカは、覚悟を固める。

 

「ジル、行くわよ」

 

「えっ、でも、リッカ!?」

 

 発動、展開させたのは、空間移動の魔法。過去に一度来たことがあり、その場所の全景を思い浮かべられ、なおかつその場所にポイントとなる魔法的なマーキングをしている必要があるという限定的な条件の範囲内でならどこにでも飛ぶことができるテレポート。躊躇うジルの腕を引き、万感の思いを全て飲み込んで、溢れそうな涙まで堪えて戦士の背中を見上げる。

 

「約束したわよね、絶対帰って来いって」

 

 その背中は何も語らない。ただひたすら黙り込んでいる。

 

「待ってるから」

 

 時間が来た。足元の魔法陣が光を放ち、リッカとジルは、その場所から、姿を消した。

 

「――すまない」

 

 そう零したのは誰だったろうか。

 誰もその姿を見ず、その言葉は誰にも聞き取られることはない。なればこそ、その意味を知る者は、誰一人としていなかった。

 幾何(いくばく)か時間を置き、その手に握るもの以外の全てを捨てた男は、手中に残る最後の誇りを握りしめる。

 遠くから、その一部始終を見ていたのだろう、ギルガメッシュはその唇に満足げな笑みを浮かべ、しかしその懐には同情も容赦も一切ない。拳に握る天地創造の光を携えた一振りを構えて迎え撃つ。

 

「あんたにこう宣言するのは二度目だっけか――」

 

 一撃必殺の魔槍と、天地を裂き、新たなる世界を生み出す原初の剣。

 今ここに、到底届き得ない、一番槍の無謀な挑戦が始まる。

 

「――その心臓、貰い受ける」

 

「貴様をここで消し飛ばすことに変わりはない。しかし貴様の潔き闘志だけは――認めよう」

 

 そして、クー・フーリンは全力全開で、恐怖も畏怖も後悔も躊躇も全て捨て去り、ただ一直線に、届かぬ者に少しでも近づけるようにと、振り返ることなく、駆け抜ける。

 全力を使わねば、近づくことすら不可能だったろう。この直進及びその後の一撃において効果的である全てのルーン魔術を行使し、ありったけを、遠く彼方へとぶつけるように。

 ひたすら、前へ、前へ――

 

「――≪天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)≫!!」

 

「――≪刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)≫!!」

 

 光が、咲いた。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 戦火の一つも上がらないままに、ロンドンは未曽有の危機を迎えることとなった。

 四月三十日、午後十一時四十五分、現在、先程まで玉座に腰を下ろしていた女王陛下が、反逆者二名によって無力化されようとしている。その二人は、かつてのただ一人の少女(エリザベス)にとっての唯一無二の友であり、そして共に魔法使いの信用や信頼を取り戻すべく手を取り時を駆け巡った同胞であった。

 

 カテゴリー5――孤高のカトレア――リッカ・グリーンウッド。

 

 カテゴリー4――神秘の緑柱石(エメラルド)――ジル・ハサウェイ。

 

 二人は、自分たちがしようとしていることに全く持って怖気づいた様子はなく、むしろ今まで見てきた中で最高の輝きを放っているような気すらしていた。

 

「ちょっとリッカ、私そんな二つ名で呼ばれたことないんだけど」

 

「あら、私としては結構なネーミングセンスだと思うけど。あなたのエメラルドの瞳より美しいものなんてないわ」

 

 まったくもう、といつも通りのリッカに呆れながら苦笑いを浮かべるジルは、かつてリッカたちとショッピングに出かけた時と同じ表情。

 あの時と変わらない悠然とした態度で、腰に手を置いて余裕ありげな笑みを浮かべるリッカも、当時から何も変わらない自信を内に秘めていて。

 かつての、ほんの短い期間の、とても大切な時間と思い出を何度も反芻しながら、己と、そして親友二人の運命を呪う。親友同士を対峙させ争わせる運命を躊躇いもなく叩き付ける神という存在が、これほどまでに憎いと思ったことはなかった。

 

「ねぇリズ、貴女は自分を恥じ、自分の無力さを嘆き、自分の選択に後悔したかもしれない。でも、貴女の行動は何一つ間違ってなんかないわ」

 

 真剣な表情を携えて出てきた言葉は、友としての言葉。国を追放され、どれだけ辛い思いを、苦しい思いをしたか、エリザベスでさえも分かったものではないのに。

 それでもリッカは、今も変わらず自分を友と呼んでくれるのか。

 

「魔法使いが表の世界で堂々と生きていける世界を創る――それが私たちの夢。それは決して揺るがないわ。だからこそ、貴女は脱落した私に代わって、魔法使いの皆を導いていかなければならなかった。そして貴女は、今も違うことなくその道を歩き続けている」

 

「でも、そのせいで盟友を、仲間を傷つけました!苦しめました!その重き罪からは逃れようもありません!」

 

 その悲痛な叫びは、紛れもないかつてのただ一人の少女(エリザベス)としての激情。たとえエリザベスが全てを導く存在であろうと、大切な人をこの手を介さずに殺そうとしたのだ。そしてその偽りの無垢な指で光ある未来を差し、夢へと歩き出すつもりだったのだ。そしてそれが、女王陛下(エリザベス)としての選択。

 

「そうね、だからこそ私たちはここに来たの。女王陛下(エリザベス)は、反逆者を討ち、魔術社会を再び再興していかなければならない。そして私たちはこんなところで死ぬわけにはいかない。だから、私たちは中心部を制圧しに来た。それで、私たちが新しい魔術社会を創り上げていくの」

 

 そしてリッカとジルは、それぞれ懐から黄金の短剣を抜き放ち、その刀身に光を浴びせ反射させる。

 圧倒的な威圧感を放つそれは、以前彼女たちが相対したことのある『八本槍』の一人が所有していたものだった。

 

「それは、アデルさんが使役する使い魔、ギルガメッシュの宝物の一つですね?」

 

「うん、英雄王様は大量の宝具を投擲して敵を一掃する戦闘スタイルだったから、転がってきたものをいくつか拾い上げて、後にそこに組み込まれた魔法構成を抽出、私たちで仕える段階までランクダウンさせた上で十全に使用できるように再構築されたものだよ」

 

 英雄王ギルガメッシュの宝物を簒奪し、そしてその中に隠された繊細な術式を解読し構成を組み換え、二人が最高の形で使えるように改造したのだという。ジルが施したものなのだろうが、あるいは彼女も人外の域に足を踏み入れているのかもしれない。

 

「穏便に済むはずがないのは承知よ。王室の最終兵器として、アレクサンダー卿の所有する召喚魔法を、このロンドン全体を触媒として再構築したものが呼び出すイギリスの守護神が控えているのは調査済み」

 

「調べ上げたところで、リッカさんたちが手も足も出ない相手には変わりありません。その存在は、『八本槍』ですら到達しえない領域にまで足を踏み込んだものですから」

 

 エリザベスも既に覚悟を決めたのだろう。その瞳は、女王陛下として全ての魔法使いの命運を背負った者の魂の灯火が宿っていた。そしてその瞳とは真逆に、その佇まいは冷静沈着とし、その一歩一歩が周囲の空気を凍てつかせるような絶対零度の雰囲気を醸し出している。

 

「お二人には、今一度ロンドンから、いや、イギリスから出て行っていただきます。かの『アイルランドの英雄』もいない今、あなたたちに勝ち目はありませんよ」

 

「――ヒーローは遅れて参上、ってね」

 

 天井の方から、男の声がした。

 その声によって、リッカとジルは喜びの笑みを浮かべ、エリザベスは驚愕に顔を染めた。そしてそれは、決してその存在を認知したからだけではない。その有様に、言葉を失ったのだ。

 

「露払いは終わったぜ。あとは大将戦だ」

 

 真紅の双眸、そして同じく真紅の槍、蒼き髪は獅子の如く奮い立ち、歴戦の戦士としてのプレッシャーを放つ。

 しかし、その身体は既に、健全な人としての形を成してはいなかった。

 

「お察しの通り、騎士王様に左腕を叩っ斬られ、ジェームスの野郎に目を奪われちまったよ。以前ほど動けるわけじゃねーが――十分だ。今の俺様には、俺の片腕くらい優秀で、俺の両目以上に頼りになる奴がいる」

 

 右腕だけで槍は握られ、開いている目も既に何も映していないようだ。

 しかし、アルトリアやジェームスと対峙した上で、今ここにいるということは、彼女たちが突破されたことは明白である。エリザベスはその事実に膝をつきそうになった。彼女たちは、もう――

 

「あいつらは殺してねーよ。不本意とは言え助けられたからな。特にあの騎士王様、何だよあのインチキ装備、天地を切り裂く一撃を跳ね返すとかそんなチートアイテム持ってんなら最初から使えよ!」

 

 エリザベスにその装備――本物のエクスカリバーの鞘を与えてギルガメッシュの下へと送り出したのはエリザベスである。マスターを失い、本格的に『八本槍』最強が暴走し始めたため、それを鎮圧するために二人を向かわせたのだが。

 大方そこでクー・フーリンに止めを刺すことはなかったらしい。そして優しいアルトリアのことだ――二度とロンドンに戻ってくるな――そんなことを言って彼の見逃したのだろう。

 

「そこまで本気だというのなら、私も相応の礼を以ってこの闘いの儀に臨みましょう。私も、このロンドンを守り抜かねばならないのです」

 そして始まった。真に最強の守護神を召喚するための儀式が。

 

「――告げる。

 汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。

 聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ――」

 

 

 広い玉座の間に刻まれた刻印が力強き眩い光を放ち始める。

 凶悪な魔力反応、大いなる力の顕現、全てを護るための最後の破壊の象徴とならん――

 

 

「誓いを此処に。

 我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者。

 されど汝はその眼を混沌に曇らせ侍るべし。汝、狂乱の檻に囚われし者。我はその鎖を手繰る者――

 汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ――!」

 

 稲妻が走る。それこそ神の咆哮――神鳴(カミナリ)

 異界より降臨せし混沌の守護神にして破壊神――神話において、神々や数多の怪物を倒したとされる世界屈指の英雄。

 

 ――大英雄ヘラクレス。

 

 その圧巻ともいえる巨躯は、大陸を動かし、山脈を粉砕し、星々が煌めく天を支えるほどの怪力の持ち主とまで錯覚させる程で、その巨人は右手に神殿の支柱を素材として作られた神聖のなる斧剣が握られている。

 

「見えねぇけど――でかいな」

 

 目は見えなくとも、クーはその巨体をしっかりと見上げている。

 後方支援としての役割を担うリッカとジルも既に臨戦態勢に入っている。何も恐れるものはない。今まで通り、これからも、三人で立ちはだかる強敵に勝てばいいだけの話なのだ。

 

「ワルプルギスの夜に、こんな大舞台なんて洒落てるじゃない」

 

「クーさん、無理はしないでね。私たちもサポートするから」

 

 そう、たとえ腕を引きちぎられようと、たとえ全てが見えなくなてしまおうと、満身創痍の英雄は、それでもなおその闘志を消すことはない。

 いつも通りの獰猛な笑みを浮かべ、楽しそうに槍を構えて、目の前の敵を倒すイメージを固める。

 

 ――さてと。

 

 最後の大決戦である。気合いも十分だ。夜の宴を楽しもうではないか。

 

「――その心臓、貰い受ける」

 

 ギリシャの大英雄に対する挑戦、彼もまた、クー・フーリンを筆頭とした三人を敵として認識したようだ。巨躯から放たれる轟砲が全てを震わせる。

 長針、短針、そして秒針が全て真っ直ぐに天空を指した。

 カチリと小さな音が鳴った瞬間――

 

 真紅の光が一直線に駆け抜けた。

 




本章はこれにて終了。何故ここから先を描写しないのかは『D.C.Ⅲ』をプレイ済みの方は理解できるとは思いますが、そうでない人もいると思うので黙っておく方向でお願いします(笑)
他の『八本槍』との戦闘シーンも全部省かせていただきました。というのもこの作品はあくまでクロスオーバー、鯖同士の戦いはFate本編でお楽しみくださいということです。

というわけで次章からはエトが主役となります。『アイルランドの英雄』によって育てられた少年がその力を何のために振りかざすのか、そんな話になると思います。
お馴染みランサーのアニキの出番も少なくはなりますが展開の上で出番はきっちりと作ってあります。
これから先も拙い文章にはなると思いますが、お楽しみいただけたらと思います。

それと、これから少し忙しくなるので、来週の更新はできるかどうか分からないです。もしかしたら次は二週間後とかになると思います。その間に別作品の更新とかあってもそれは愛嬌ということで。


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小さな勇者の大きな拳
背負うものは


予定通り更新を再開します。お待たせしました。


 弾けるように目が覚めた。

 睡魔からの脱却、クー・フーリンには、もう一度目を閉じて微睡を堪能しようとは到底思えなかった。

 胸の底で燻っている妙な昂揚感が理解できない。そう言えば何か、実に愉快な夢を見ていたような気もする。どんな夢を見ていたのかはまるで思い出せないが、胸の底に違和感を残してくれる程のものだ。きっと壮大だったに違いない。

 場所は、明かりを全くつけていない、暗闇に支配された風見鶏学生寮の自室。ベッドからのっそりと起き上がってふらりと歩き、デスクの明かりをつけてカレンダーを確認する。

 十一月一日。そう言えば昨日は生徒会に所属している旧友、カテゴリー5の魔法使い、リッカ・グリーンウッドに強制連行されて生徒会の仕事を手伝わされていたか。取り立てて忙しいわけでもなかったしむしろ暇だったから、ごねるつもりもなかったが。

 しかしまあ――本当に今日は十一月一日なのだろうか。まるでそんな気がしないのは、カレンダーを見た時から変わってはいなかった。

 

 魔法の勉強をする気など毛頭なく、むしろイギリス王室直属の騎士団、最終兵器の『八本槍』としての、雑用にもならない仕事のために王立ロンドン魔法学園――通称風見鶏、その学び舎に足を運び、そしてそこで風見鶏の生徒会長、シャルル・マロースと鉢合わせることとなった。

 

「あっ、クーさん、おはようございます」

 

 天下の『八本槍』はその強力な武力と権力によって、イギリスを守る英雄として崇められていると同時に、その武力と権力が影響して、誰一人としてまともに会話をしようとする者はいない。シャルルのように『八本槍』であるクーに話しかけてくれる人は稀とでも言えよう。

 シャルル・マロースは以前クーがリッカやその親友、ジル・ハサウェイと共にヨーロッパ中を旅していた頃に出会った少女だった。その時に弟であるエト・マロースを救ってもらったことが切欠となって行動を共にすることになったのだが、その時の印象が強すぎたのか、若干苦手意識を持たれているようではあるが。

 

「おう。そうだ、ちょっと訊きたいことがあるんだが」

 

 早朝からずっと抱えている妙な疑問をぶつけてみることにした。風見鶏の生徒会長、そしてその名に恥じない圧倒的な魔法に関する知識量は学園一であり、無論生徒会長の名は伊達ではない。もしかしたら何か気が付くこともあるかもしれないと思った。

 

「えっと……」

 

 若干緊張しているようだ。ある程度の付き合いがあるとはいえ、相手は『八本槍』、更に初対面の第一印象はあまりよくなかったと来た。本来なら相対するだけでいつ首と胴が離れてもおかしくない相手なのだから無理もない。

 

「今日って、十一月一日だよな?」

 

「えっ?」

 

 

 唐突な質問、キョトンとするシャルル。質問の意味を曲解しようとしているのか、首を傾げて眉を顰める。白銀の髪がふわりと舞った。

 そして結局。何の捻りもなしに。

 

「そうですけど?」

 

 肯定の返事。しかし生憎質問の意図は測り切れなかったのか、返答の語尾は見事に疑問文だった。

 そして今度眉を顰めるのはクーの番だった。結局妙な違和感の根源は見つからなかった。

 ウーンと唸り、そして考えるのをやめた。戦闘以外で頭を使うのは嫌いなのだ。そう言うのはリッカやエリザベスなど、偉い人がすべきことである。

 

「サンキュ、全く参考にならなかった」

 

 感謝の言葉とそれに続く言葉がものの見事に一致していない。本当に感謝しているのかも怪しい所だが。

 生憎今日は学生も通常通り登校日であり、朝から夕方にかけて暇である。前述の通り授業を受ける気などないのだから仕方ないのだが、時間を潰すにあたってグラウンドで槍でも振っておくことにした。武人たる者、日々の鍛練を怠ってはならない。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 午前中の講義を終えたエトは、昼食をとった後グニルックの練習でもしようかと購買まで足を運んでいた。

 そこで適当に三、四品手にとっては精算を済ませ、よいしょとグニルックの道具を抱え直しては競技場へと向かう。途中で知り合いと鉢合わせることはなかったが、しかしどうして、偶然とは意識もしないうちに訪れるもので。

 

 ――光球が空を翔けた。

 

 一直線に飛んでいくそれは、流れ星のようで。エトは一瞬、その光景に見惚れていた。

 しかしここはグニルック競技場。球が飛んだのなら、それはグニルックを行っていたに他ならない。そして視線の先にいたのは、青みを帯びたツインテール、両手にロッドを握って振り抜く小柄な身体。その背中はよく見知ったものだ。堅物クラスメイト――サラ・クリサリス。

 ターゲット4のパネルを一撃で撃ち抜いた彼女の背中には、何か晴れ晴れとしたものが。そして次の瞬間――彼女は弾けた。

 

「やっ……」

 

 小さく間を置いて。

 

「やったー!!」

 

 余程嬉しかったのだろう、サラはその場でピョンピョン飛び跳ねながらバンザイして喜んでいた。

 いつもの彼女からすれば全く想像できない姿。その無邪気な子供のような笑顔こそが、彼女の本当の姿――なのか。そんな彼女を見ていると、こちらの方まで何故か嬉しくなってしまう。

 思わず立ち上がったエトはそのままサラの方へと歩いていく。そして、拍手をしながら声をかけた。

 

「今の凄かったよ、サラちゃん」

 

「へっ」

 

 動きが止まった。多分時も止まった。エトにはそう感じられた。サラにとっては空間すら止まっているように感じただろう。

 ギギギ……、とそんな音が聞こえそうなくらいにぎこちなく、そしてゆっくりとその首がこちらへと回る。そして彼女の金色の瞳がこちらを捉えるのにさほど時間はかからず。

 顔を茹でダコのように真っ赤に染め上げ、涙目になりながら、何か言葉を紡ごうとする。

 

「なっ、なっ」

 

 なおエトは相変わらず姉と変わらない、引き込まれるような魅力溢れる笑顔を浮かべて、心の底からサラを褒めちぎっている。サラの羞恥などまるで知ったことではないようだ。

 

「元々スイングのフォームは完璧だったところに、魔力の流れにも無理はなかったし、だからこそあんな軌道が描けたんだね」

 

 しかしそんな言葉も聞き取ることなく、サラはその場にへにゃりと腰を落として座り込んでしまった。

 何でクラスメイトが――よりによってエトがこんなところにいるのだろう、どのタイミングからずっと見ていたのだろう、先程の自分のあられのない姿を見てどう思ったのだろう。考えれば考える程にパニックに陥っていく。

 

「何でこんなところに……」

 

「えっ、大丈夫!?」

 

 サラが本気で泣く寸前であることにようやくエトが気付くが、しかしどうしてそうなったのかまるで分からない。何が拙かったのか、今のは褒めるところではなかったのだろうか。

 何かよく分からないがとりあえず謝りながら、この場は懸命に取り繕うエトだった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「……来るなら来るって先に言っておいてください」

 

 そんな無茶な、とは彼女を再びご機嫌斜めに突き落とす危険性があるので絶対に言えない。

 見られたくないものを見られたのだろう、流石に冷静になって考えてみればそこまでの推測はついたのだが、サラのグニルックのプレイを観察していたのだからある意味不可抗力なのだ。

 しかしまた――なかなか貴重なシーンを納めることができた、と少しだけご満悦なエトである。

 

「えっと、それはごめん。でもサラちゃんが確実に上達していると思ってるのは本当だよ」

 

 そう臆面もなく言われると、怒るにも怒れない。どころかエトという人間は嘘を吐かない人種であるゆえに、何だか体がむず痒くなってしまう。

 サラにとっても、これまでの人生であまり褒められるという経験はしておらず、こうしてエトに褒めちぎられるのは反応に困る。どうすればいいのか分からないのだ。

 だからサラは、少しむくれてぷいとそっぽを向く。

 

「でもサラちゃん、まだ昼食食べてないよね?」

 

 相変わらずサラの気持ちには鈍感なままだが、しかし彼女の無茶には敏感らしい。

 エトは講義が終わってすぐ、購買でパンとドリンクを購入してグニルック競技場に足を運んでいる。それより早くここに来ているサラが昼食を既に食べているはずがない。

 

「練習、しないといけないですから」

 

 淡白に、そう返される。それが当然だと。自分は、サラ・クリサリスという人間はそうあるべきなのだと。

 エトにはその言葉にどれ程の覚悟が秘められているのかを知る由もないが、目の前の小さな少女が没落寸前の貴族の息女としてどれだけの期待を背負っているのか、ほんの少し垣間見た気がした。

 クリサリス――英国の名門魔術師の一族、古くから続く由緒ある家柄の一つ。

 しかしその魔法使いとしての一族の力も、世代が変わるに連れて次第に衰弱していき、今ではその力は殆ど失われたに等しい。魔力持ちのいない魔法使いの一族、これは明らかな没落の一途であり、やはり他の魔法使いからも馬鹿にされることは多くなっていった。

 その中で生まれた期待の魔力持ちが彼女――サラだ。力なき一族が再び力を手にした時、きっとこう思うだろう。

 

 ――クリサリスの名をもう一度名門に。

 

 一族郎党の大願。代々受け継がれてきた誇りと伝統。それら全てをその小さな体で背負うことになった、たった一人の少女。

 真面目で、家族想いで、融通が利かなくて。だからこそ、その期待に応えようと、一人でもがく。

 

「――やっぱり凄いよ」

 

 結局、青空を見上げたエトの口から出てきたのはそんな言葉だった。

 サラのことはよく知らない。でも、彼女の頑張りを、努力を、心の底から尊敬することに躊躇などいらなかった。

 

「叶えたい願いがある。手にしたい未来がある。目標のために、たった一人で頑張れるサラちゃんは、本当に凄いと思う」

 

 果たして自分はどうだろうか。何のために頑張っているのだろうか。そもそも、本当に頑張っていると言えるだろうか。

 かつてその命を救われ、強くなりたいと、誰かを護れるようになりたいという一心のみで、命の恩人であり、生きることを教えてくれたクー・フーリンに弟子入り志願し、ここまで生きてきた。しかし、一度でもその目標を見定めたことがあっただろうか。

 

「僕にないものを持ってる」

 

 しかしその言葉を聞いたサラは、少し俯いて、悲しそうな表情をつくった。

 

「エトは優秀です。才能もない私より、ずっとずっと。私は、頑張ることしかできませんから」

 

 それは、辛いのを必死に堪えている表情。かつてその表情を、自分の姉が浮かべているのを見たことがある気がする。自分が見ることができなかった外の世界を、楽しそうに、でも必死に伝えようとしている、姉の悲しげな表情。

 いけないと。友達が友達を悲しませてどうすると。

 エトは紙袋からパンを一つ取り出した。そのパッケージには、『さくらあんパン』と書いてある。

 

「それじゃ、頑張るためには、エネルギーを補給しないとね」

 

 それをサラの前に差し出すが、彼女は受け取ろうとはしない。練習を続けたいのだろうが、残念ながらエトがそれを許さない。

 エトの心に火が付いた。こうなれば、何が何でもこの少女に一時の休息と笑顔を取り戻してあげなければならないと。

 

「で、でも私、練習――」

 

「これ凄く美味しいらしいよ。清隆から勧められたんだけど、僕も日本の和菓子には興味があったからね」

 

「だから私――」

 

「サラちゃん甘いもの苦手だったっけ?もし好きなら是非一緒に食べようよ!」

 

「えっと――」

 

「こっちにお茶もあるから遠慮しないでね」

 

「あ――」

 

「ほら早くっ!」

 

「……」

 

 何だろう。

 かつてここまで積極的だったエトがいただろうか。どうしてこんなにも自分のことを気にかけてくれるのかは分からないが――そんな彼が、ほんの少し面白かったのかもしれない。

 クスリ、と、ついうっかり笑みが零れてしまって。

 

「あっ」

 

 自分で笑ってしまったことに気が付いて紅潮し。

 

「やっぱり、笑ってる方がいいや」

 

 といいつついつも通りの笑顔を絶やさないでいるエトにそんなことを言われてしまえばもう。

 サラは、エトには敵わないな、とそう思わざるを得ないのだった。

 大人しくエトからさくらあんパンを頂戴して一口齧る。チョコレートやホイップクリームなど、甘いものはこれまでに何度か口にしてきたが、これまでにないようなさっぱりとした甘さ。ほんのりと感じられる桜の風味が口の中から鼻孔をくすぐっては、何かの感慨深さを残してどこかに去ってゆく。そして最後に残った感想はやはり、美味しい、だった。

 

「美味しいです」

 

 自分が齧った断面を、その薄紅色の甘味の正体を眺めて、不思議そうな顔をしてみる。そう、何だか不思議な味だったから。

 エトはそんなサラを見ながら、買ってきた紅茶――『クイーンエリザベスブレンド』を口に運んでいた。どうやらエリザベス一押しの紅茶であるという意味らしいが、本当のところは定かではない。

 

「エトは――」

 

 ぽつりと。サラがエトの名を呟いた。

 

「エトのお姉さん、シャルル・マロースは風見鶏の生徒会長です。風見鶏の生徒会長といえば、もう魔法使いとしての成功を約束されたようなものです。そんな人を姉に持ったことを、エトはどう思ってるんですか」

 

 サラはきっと、嫉妬していたのだろう。

 この風見鶏には、たくさんの魔法使いの卵が魔法を学びにやってくる。それは、十人十色の才能であり、学びようによってはそれぞれが千変万化していくだろう。そのありふれた才能が、彼女にはない。

 

「お姉ちゃんか……」

 

 魔法に関する知識は豊富で、それらを活かした多彩な技術も弟として誇るに値する。生徒会長として生徒たちの羨望と尊敬を浴びる姿は憧れでもある。そんな彼女を、一度でも妬んだことはないか――

 だがエトは断言したい。そんなことなど、一度もない。

 

「お姉ちゃんは僕のたった一人のお姉ちゃんだから。ずっと傍にいてくれる、大切な家族。僕はそんなお姉ちゃんを助けられるような、支えられるような存在になりたい」

 

 部屋のベッドで横になっている姿を数えきれないくらい見てきて、その度に悲嘆に暮れただろう。それでも弟が生きていける未来を信じたくて、いつまでも傍にいて励ましていた。その時に話してくれた物語を、見せてくれた景色を、決して忘れない。

 いつか姉が辛い現実に直面した時、後ろから苦しむ姿を見ているだけでなく、その彼女の隣で、迫り来る脅威を薙ぎ払いながら肩を抱えて支えてやれる時が来るまで。

 

「いくら嫉妬しても、お姉ちゃんには、お姉ちゃんみたいにはなれないけど、僕には僕ができることがある」

 

 ほとんど同い年なはずのエトの言葉が、妙に重く圧し掛かる。この言葉の重みは、姉を心の底から信じ尊敬している証。サラにとって、エトがますます遠い存在に思えてしまうが。

 それでもほんの少しだけ、分かったことがあった。

 

「エトは、私が困ってたら、助けてくれますか?」

 

 ふと投げかけた質問に。

 

「当然だよ。僕たちだけじゃどうにもならなくても、その時には清隆や姫乃ちゃんも力になってくれるよ」

 

 そうやってまた、あのいつもの引き込まれるような笑顔を作ってみせるのだった。

 その笑顔が、その言葉が少しだけ嬉しくて、頬を染めてはさくらあんパンを口に運んで緩みそうな頬を誤魔化すのだった。




以前から予定していた通り、エトが主役となる章です。


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風呂上がりに悶々と

お風呂回。


 

「やったー、あーがりー!」

 

 引いた札を確認しては、中央のテーブルに二枚一組のカードを投げつける。天真爛漫な金髪ショートの少女の笑顔は今日も絶えることを知らなかった。

 一方で最後の最後までジョーカーを持ち続けた耕助は、ついぞ勝ち上がることはできず、見た目年下の少女にすら敗北を喫してしまう。

 

「おいおいまたかよー……」

 

 これで既に三連敗、この学園に入学してから早三ヶ月、毒舌な四季や何となく扱いを理解してしまった清隆辺りに散々いじられ耐性ができ始めた耕助とは言え、流石に年上としての面目が丸つぶれである。

 耕助の小さな溜息。今ゲームで一番に抜けた姫乃が何とも言えない気分になって苦笑交じりにアドバイス。

 

「耕助くん、顔に全部出ちゃってるんですよ。何か、ジョーカー以外に触れるとちょっとずつ眉間に力が入ってくるというか……」

 

「さくらちゃんは気付いてやってたみたいだけどね」

 

 同じくエトが、妙に鋭いさくらを見ながらそう言う。自分の名前が呼ばれたのを聞いて、エトの方に首を向けた少女はにゃははと明るい笑顔を浮かべた。

 率先してテーブル中央に散らばったカードを集めては整え、手の中で丁寧にシャッフルしていく。紙片同士が擦れ合う小気味よい音が耳を掠める。そしてその山札から再びそれぞれに同じ枚数ずつカードを分配していった。それぞれ手札で揃ったペアをテーブル中央へと捨てていく。

 清隆、姫乃、耕助、エト、さくらの五人。放課後に各々の用事を済ませて学生寮へと帰ってきたところにさくらと遭遇し、そのまま彼女の駄々に付き合う形でラウンジでトランプをすることになった。

 

「さて、俺から行かせてもらうぜ」

 

「華やかな散り際を見せてください、マスター」

 

 再チャレンジと意気込む耕助に、容赦のない毒舌で出鼻を挫く、彼の従者の人形(マリオネット)、江戸川四季。二人の性格の凸と凹が一致しているのか、これまで一度も関係がぎくしゃくしたことはないらしい。その二人の関係は、兄妹である清隆と姫乃にとって、姉を持つエトにとって、きっと理想の関係でもあるのだろう。

 ウーンと唸って早速長考、姫乃の手札をじっくり観察してそこから一枚を引き抜いた。しかしどうやら揃わなかったらしく、テーブルに捨てる動作はない。そのまま耕助はエトの方へと手札を向ける。

 エトは手札を見ることはしない。先程のさくら同様、耕助の手札を見るふりをしてその表情を見る。無論、耕助は自分の手札と相手の手の動きしか見ていないため、こちらがどこを見ているかなどお構いなしである。

 耕助の手札に指をかざし、右から左へと向けて少しずつスライドさせていく。一枚目、二枚目、三枚目――特に表情に変化はなく、どうやらジョーカーを引き当てているわけではないらしい。

 適当に左から三番目のカードを抜き取り、手札にペアが揃っているのを確認してから中央へと投げる。そしてそのままさくらの方へと体を向けた。

 

「ギリギリで上がるのもいいけど、やっぱり最初に上がると爽快だよねー!」

 

 真剣に、しかし楽しそうに口角を上げるさくらはやはり本気、遊びでも手を抜くなどということは断じてしないらしい。白く細い指がエトの手札に触れる。そのリッカ・グリーンウッドと同様の碧眼がエトのルビー色の瞳を捉えた。表情が観察される。目の動きが観察される。そして、心の動きを察知される。この瞬間、エトの瞳が僅かに動いた。

 

 ――エトの手札にはジョーカーが潜んでいる。

 

 さくらの瞳が鋭さを増す。まるで子供のそれとは思えないような、研ぎ澄まされた精神。若者ながら、まるでクーやリッカが持つそれを、彼女の中に感じ、背筋に冷や汗が流れる。

 そっと、エトから見て一番左のカードがさくらに抜き取られていく。その際も、あちらのサファイアがこちらのルビーを離すことはない。その瞳は微動だにせず、いつまでも瞳の奥の心を睨み続ける。

 静かな動作で、さくらの手札に抜き取られたカードが加えられていく。しかし彼女の表情は変わらない。相変わらずの天真爛漫な笑顔がそこにはある。が――

 

「……」

 

 エトの手札から、ジョーカーが消えた。

 さくらが驚異的な観察力を持っているのは、これまでのゲームで理解していた。彼女のそれがクー・フーリンやその他『八本槍』と同等のレベルであるならば打つ手が全て看破されるだろうが、流石にそこまではないだろう。そこまで考えて、エトは視線の動きだけでブラフを打った。

 さくらが指を動かす時、エトの視線が動いたのはジョーカーに触れた時ではない。一番端にあったジョーカーの一つ隣、反対側のカードからジョーカーの隣に移るタイミングで視線を向けたのだ。

 これでさくらからすれば、右から二枚目のカードに指が触れた瞬間に視線が動き、それがジョーカーではないかと疑いをかけるようになる。そしてその指の動きの流れの中で、一番右端のカードを抜き取った――そしてそれがジョーカーだった、そんなところだ。

 ほんの数秒の中で行われた激しい心理戦だったが、まだまだゲームは始まったばかりである。さくらにとってもエトを脅威だと認識し、またエトもさくらの挑戦に受けて立とうと心構えた。

 

 ――そんなこんなで早数分後。

 清隆と姫乃が早い段階で抜け、残り耕助とエト、それからさくらの三人が泥沼合戦を繰り広げていた。そしてここから耕助が偶然にも上がったところから大きく戦況が変わる。

 

「オッシャー!ようやくビリから脱出だぜぇ!」

 

 さくらから引き抜いたカードを確認しては泣きそうなくらいに大喜びする耕助を尻目に、これでさくらとの一対一の勝負になったことを改めて自覚することになるエト。

 対してさくらは相変わらず余裕を持った笑み、むしろその眼にはこちらを挑発する表情すら見え隠れしている。

 エトの手札は一枚、さくらの手札は二枚――どちらかがジョーカーである。

 右か、左か――カードではない、さくらの瞳が判断材料だ。ゆっくりと伸ばされるエトの手に、さくらの視線が纏わりつく。

 手札の右のカードで指が止まった瞬間、さくらの目はエトの目を射抜いた。ここからが、本当の勝負。

 瞬き一つで全てが弾け飛んでしまいそうな、極限まで張り詰められた空気。一切の動が許されない、静に支配された時空。

 エントランスで雑談を交わしている男女の声すら、既にさくらとエトの耳から排除され切っている。空気の動きも、時間の流れも関係ない、ただ真っ白で狭い立方体の空間に閉じ込められ、誰も入り込む余地のない世界でたった三枚のカードをやり取りする、極限の状態。

 手を左に動かす――さくらの目に反応はない。手を右に動かす――さくらの目に反応はない。

 完全に行き詰った。まさかここまで自分の身体の反応をコントロールできるとは。このさくらという少女、清隆が十一月の始めにウエストミンスター宮殿の前で保護した記憶喪失の少女らしいが、幼い見た目に反して人間観察力と洞察力は恐らく同年代の少年少女から逸脱したものを持っている。そして何より、今のような状態になってなお、エトは見ての通り冷静を装っているだけに対し、さくらは相変わらず余裕の笑顔を向けてくるのだ。

 

「――」

 

 その時、そっと右のカードが、浮き上がってくる。そう、まるで『こちらがジョーカーじゃないよ』と言わんばかりに。

 最早思考停止である。このタイミングのこの駆け引き、浮いたカードが本当にジョーカーではないのか、それともこちらを誘導させるためのあからさまな罠なのか。

 考えたところで何も分からない。だったらもう考えるだけ無駄だ。それに、きっと彼の尊敬する男だって同じことをするだろう。

 考えなく、浮かせた方のカードを指で掴み、そっと抜く。それを自分の手札に加えて絵柄を確認すると――

 

「あ~、負けた~」

 

 さくらのへなへなとした声が聞こえてくる。クラブの『3』とダイヤの『3』、同じ数字が手の中に揃っていた。さくらの手には、ジョーカーただ一枚。情けなくもその一枚を両手の指で掴んでへなへなとしていた。

 緊張の意図が一気に緩む。盛大に溜息を吐いたエトはそのまま手札のカードをテーブルの中央に投げ捨てる。

 大人げなくも本気になったが、実際に彼女が本当に見た目相応の年齢なのかも定かではない。むしろ今の一連の心理戦で、実はかなり人生経験を積んでいるのではないかと邪推してしまうくらいである。

 

「しかし、よくもまぁあそこまで二人きりの世界に入り切ってたよな」

 

 そう呆れ口調で言うのは清隆。実際その手もやれやれと言わんばかりにひらひらとしていた。

 その横では姫乃も清隆に便乗してか、乾いた笑いを浮かべている。

 

「マスターにもこれくらいは頭を使ってほしいものです」

 

「うるせぇな、俺の脳は難事件を解決する時により活性化するの!」

 

 相変わらずこの二人の夫婦漫才(?)は健在だが、しかし確かに今のエトとさくらの駆け引き合戦は、彼らの年齢から考えて明らかに逸脱したものだったと誰もが思っている。結局それは、この二人はそう言うものだと、尊敬でも、嫉妬でもない、ただそこにある二人をありのままに受け入れるだけだった。

 清隆にとってはさくらの特異性も以前から知っていたし、姫乃も特にそれに対して気にする素振りもない。耕助は何も考えてないのだろう。四季はなんだかんだでそんなマスターを見守るだけである。

 何が言いたいかというと、結局はここにいる全員がなかよしこよし、みんな纏めて仲間で友達なのだ。

 

 ーーーーーーーーーーーー

 

 清隆たちと別れた後、寮の自室で、図書館で借りた本に没頭してしまい、結局その本を最初から最後まで読破してしまうという荒業を成し遂げたわけだが、風呂に入ることなく既に深夜へと突入してしまっている。どうしようかと考えたところ、この時間の大浴場は、普段とは違い男女の入室規制がかけられていないものの、時間的に考えて誰もいないだろうということで、適当に浴場へと向かう準備を済ませる。

 欠伸を噛み殺しながら薄暗い廊下を進み、大浴場と廊下を隔てる大きめの扉の前へと出る。扉をゆっくりと開いて脱衣所へと入室。

 そもそも大浴場が広いため、脱衣所にもそれなりの広さのスペースが確保されている。百人弱は同時にここで着替えを行っても足りるのではないだろうか。それだけのボックスも存在するが、エトはもしかしたら他に誰かが来るかもしれないことも考慮して、とりあえず端の方を選んで脱衣を始めた。

 タオルを持って入室、誰もいない貸し切りの大浴場の中で、気分よく鼻歌でも歌いながら体を流す。そしてそのまま、これまたかなり広い湯船の中にゆっくりと身体を沈ませる。

 一応自室にも簡易の浴場があることにはあるのだが、こちらの方が広いために、くつろぐにはこちらの方が好都合なのだ。ゆっくりと両手両足を伸ばして欠伸を一つ。日本人は風呂に入る時に『極楽極楽』と言うらしいが、天国があるとしたらまさにこんな感じなのだろう。

 

「ああ~、気持ちいい……」

 

 うっとりと、口から声が漏れてしまう。これだけ開放感があるのだから、無理もない。

 しかしどうだろう、湯気の向こうに、何やら人影が見えるような気がしないでもない。自分以外に先客がいたのだろう、気付かななかったものだが、しかし自分と同じようにくつろいでいる人間を無闇に刺激して気まずい雰囲気になるのも好ましくない。ここは相互不干渉ということでお互いに手を打ってほしいものだ。

 

「なっ……」

 

 ふと、違和感を覚えた。聞こえた声は、男にしては高い声だった。

 湯気が視界のほとんどをシャットアウトしているので、そこに人間がいるというシルエット程度しか分からないが、しっかりと凝視してみて初めて、エトは自分の失態に気が付いてしまった。

 

「何で――」

 

「えっと」

 

「何でエ、エトが――」

 

「これは」

 

 その声は、その姿は、紛れもなく、サラ・クリサリスのものだった。

 何故―理由などない、自分と同じように、ただ貸し切り状態の大浴場でのんびりとしたかったのだろう。偶然というか、何というか。

 

「――っ、こ、こうしよう!僕はこっちで向こうを向いてるから、サラちゃんはそこで反対側を向いてて!」

 

 何を言っているんだろう。この場合エトが出ていくのが普通というか最善の処置ではないのだろうか。男女が混浴している状態は百歩譲ってまだいいとしよう、しかし万が一そこに新たなる刺客が送り込まれた時、この状況をどう説明するか、そこまで考えてないのだろうか。考えられない程慌てているのだろう。

 

「そ、そうですねっ!」

 

 こちらはこちらで納得してしまっている。もう少し貞操観念というものを身につけた方がいい。相手は信頼に値するエトであるとはいえ、異性、男なのは違いない。

 しかし、実際はエトのことが気になって仕方ないのか、視線が背中の方へとちらちらと移動しようとしている。勇気がないのか視界に収めるお琴はできないが。

 ふと、エトは気が付いた。

 サラ・クリサリスという人間は、融通の利かない、効率最優先の勤勉少女だったはずだ。少なくともこんなところでのんびりしていて何も感じないはずがない。何故こんなところに。

 答えはただ一つ。今の今までグニルックの練習を続けていたからだ。実際彼女ならそこまでのことをやりかねないし、放っておけば確実に体を壊してしまう。

 

「――さっきまで、グニルックの練習をしていたの?」

 

「――エトには関係のないことです」

 

 相変わらず、淡白に突っぱねられる。エトに興味がないのか、あるいは他人に心配されることに慣れていないのか。

 

「関係あるよ。クラスメイト、それ以上に友達じゃないか」

 

「……」

 

 サラが言葉に詰まる。否定しない辺り、確かに友達として認識してくれているらしい。エトとしては少し嬉しかった。

 

「みんなと同じようにやってたら、いつまで経っても追いつけませんから」

 

「確かにそうかもしれないけど、体壊したら、それこそ効率悪いんじゃない?」

 

 サラの好きそうな言葉。効率。努力家というのはこういうものに反応するのだろう。

 

「そ、それはそうですけど、でも……」

 

 言いたいことは分からなくもない。家族の期待を背負い、自身の力のなさに嘆いてばかりはいられないサラにとって、努力がいつか実を結ぶという、どこかの誰かの名言が唯一の心の支えになっている。自分は家族のために努力をするために生まれてきたのだ――流石にそこまで自分自身を運命づけてはないだろうが、努力をしていないと不安になる、積み重ね続けることが安心に繋がる、そうやって心を安定させてきているのだろう。

 

「僕はサラちゃんのことを放っておけない。もっとサラちゃんのことを知って、もっと仲良くなりたい」

 

「えっ」

 

「だから、何でも相談してほしいんだ。頼ってほしいんだ。僕だってサラちゃんは相談するし、頼ることもたくさんある」

 

 それが、仲間というもので。友達というもので。

 サラの背中から、エトが立ち上がる音が、その水の音が聞こえてくる。

 

「僕はもう出るよ。僕がいたんじゃ、サラちゃんものんびりできないだろうし」

 

「あっ」

 

「体には気を付けてね。しっかり休むんだよ」

 

 そう言って、エトは駆け足で大浴場を去ってしまった。

 残されたサラ。去り際に残していった意味深な科白。

 

 ――サラちゃんのことを放っておけない。

 

 真剣みを帯びたその一言が、サラの頭の中を駆け巡っては脳内を乱していく。

 

「あれって一体……でも……」

 

 もう、何もかもが分からなくなってしまった。

 きっと、お互いに裸だったのが、心をオープンにさせてしまったのかもしれない。不本意にも、ジャパニーズ『裸と裸の付き合い』がここイギリスの魔法使いの育成機関、風見鶏の学生寮大浴場にて成立してしまったらしい。

 結局、この後サラは、寮の自室で眠れない夜を、無数の溜息と混乱の中で過ごすことになったのだった。




日本の風呂文化って凄いんですね(白目)

心理戦とか書いてみたかったけど、思った以上に難しい。スピード感のある緊迫した状況をもっと上手に伝えたい。


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心合わせ

 

 ――チラッ。

 

「あ、サラちゃん、一緒に学食でも――」

 

 ――プイッ。

 

 ――スタスタスタ……

 

「あちゃ……」

 

 最近一か月程、ずっとこの調子なのである。というのも、いつだったかの大浴場での遭遇以来、サラがエトのことを必要以上に意識してしまっているのか、あるいは嫌ってしまっているのか、一瞬だけ目が合ったと思えばそっぽを向いてすぐにどこかへ向かってしまうのだ。結論、エトはここ一カ月程サラとまともな会話ができていない。

 その様子を見かねたのか、耕助がエトの隣に立って難しそうな顔をしている。

 

「ホントにお前、何もしてないの?」

 

「えーっと、したと言えばしたし、してないと言えばしてないかな」

 

 などと曖昧な返事をするしかない訳で。実際、『サラと大浴場で混浴してました』などと言ってしまえば、この男からは意味不明な呪詛を投げかけられ、変態のレッテルを張られて周囲から残念な人間を見る目で見られてしまうことは否定できないだろう。

 かと言って、直接的な原因は何かと問われれば、無論あの日をきっかけに話さなくなったのだからその時拙いことを口にしたか、あるいはあの場で居合わせてしまったのが拙かったのか、そのどちらかとしか考えられない。

 

「だってあいつ、結構エトを信用してたとこあったのに、ここまで露骨に避けられるって絶対何かあったとしか考えらんないっしょ」

 

「そうなんだろうけど、謝ろうにも取りつく島もないって感じでさ」

 

 教室の後ろ、男子生徒二人が苦笑いを浮かべながらウーンと唸る。どうやら女心は、男二人には理解できないようだ。

 お互いにそのことに合点が行ったのか、偶然近くに寄ってきていた清隆と姫乃を捕まえる。呼び止められた二人はエトたちの難しそうな顔を見て、すぐに何の話かを理解してしまった。状況は把握しているみたいだ。

 

「でもやっぱり、エトくんとサラさんがその日何があったのか、具体的に話してくれないと何とも言えないんですが……」

 

 姫乃はそう言うのだが、それを言えば彼女は理解してくれるのだろう。サラが何を思い、何を抱えているのか。しかし、運が悪ければ彼女の機嫌すら損ねてしまうかもしれない。なんと言い訳しようと、男が女の湯に乱入した時点で、既にエトは女の敵なのだ。怒った時の姫乃はなかなかに恐ろしいことを、清隆との掛け合いを見てきた中で理解しているつもりだ。氷の世界に棲む鬼、まさにそんな感じだった。

 

「でも避ける理由って、何も嫌がってるだけって訳でもないだろ。例えばそうだな、何か隠してることがあるとか、お前に顔向けできない何かしらの理由があるとか」

 

 と、清隆。

 しかし驚いた。普段マイペースで女心もろくに分からないということで定評の清隆がそこまでの推測をしたということに、一同、特に姫乃は開いた口が塞がらなかった。

 清隆には、実は上級生女子生徒からある種の好意を持った視線を向けられることがたまにあるのだが、無論本人は気が付いていない。きっかけは九月に行った、初めてのグニルックの大会での大活躍だったのだが、清隆が上級生からいい意味で噂をされ、それを見た姫乃が何故か不機嫌になり、更にそれを見たエトが苦笑いを浮かべるようなことは決して少ないことではない。

 

「なんだよ?」

 

「いや、何でもないですけど……それにしても、何か何かって、何なんですか?」

 

 結局はそこに行きついてしまうのだが、しかしそこに到達するのが最終目標であり、いつまで経っても議論がループしてしまう。

 暫く抱えそうになる悩み事に、エトはついうっかり嘆息してしまうのだった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 クー・フーリンが生徒会から押し付けられている基本的な仕事は大体雑用である。書類整理、設備点検、校内巡回、杉並捜索……

 なかなかに面倒臭い作業がこれでもかと集結しているのだが、しかしクーにとっては、逆にそれがなければ暇で暇で仕方がないくらいの生活習慣と化してしまっている。所謂生徒会役員による調教というものである。

 今日もまた、設備点検の際に、木材の老朽化に伴った破損によって釘が剥き出しになったベンチを回収し、しかるべき場所に運んでいた。

 右肩には、相棒とも呼べる真紅の槍が収められたケースがかけられており、左肩にはサイズの大きい、四人くらいが同時に座れるウッドベンチが抱えられている。

 鍛錬、研鑽を続けてきているクーにとってはこの作業も苦でも何でもなく、むしろ平和ボケしてしまいそうな体にほんの少しでも鞭を入れる程度の作業として役割を担っている。

 中庭の通路を進んでいたところ、別のベンチでグニルックの道具らしきものを膝に抱え込み、何やら憂えた表情で空を見上げては溜息を零すどこあkで見たことのあるような青髪の少女を見かけた。

 どこで見かけたか――予科一年A組のクラスメイト、リッカ・グリーンウッドが受け持つ生徒の一人、サラ・クリサリス。ついでに恐らくエトのお気に入り。

 特に気にすることもなく彼女に接近し、そして声をかける。

 さてここで問題が生じる。声をかけたのが一般の男子生徒なら何も問題はなかった。

 人としての領域をあらゆる意味で突破してしまった人外集団、『八本槍』に話しかけられ、あまつさえその男は双肩にそれぞれ槍とベンチを抱えている。この状況に遭遇してしまった良識のある魔法使いの貴族の息女は一体何を思うだろうか。

 正解――気を失いそうになる程の恐怖である。

 

「えっ……あっ、あっ……」

 

 話しかけられただけで既に涙目、いやもう泣いている。小刻みに震える体が言うことを聞いてくれないらしい。死ぬ覚悟すら決められないままに『八本槍』と対面してしまったことに後悔しているのだろう。というよりむしろ、サラからすれば、何でこんなところに『八本槍』なんかが雑用をこなしているのだろうと、理不尽な気持ちでいっぱいなのだろう。

 突然涙をぽろぽろと零し始めたサラを目の前に、クーは茫然としてしまう。何もしてないのに泣かれるとはなんと理不尽な事か――そんなことを考えているのだろう。

 とりあえず自分の身なりを確認してみる。先程から変わらずベンチと槍の入ったケースを抱えている状態である。何となく答えが分かってしまった。

 

「……」

 

 くるりと踵を返し、そのまま少しばかりサラと距離を取る。ジャマにならない位置にベンチを置いて、その上に得物も置いておく。再びサラの眼前まで行って、こう言った。

 

「すまんかった」

 

 何だろう、このシュールな光景は。

 天下の『八本槍』ともいわれる集団に属する長身の男が、泣いている女の子に対してばつが悪そうに謝っている状況など、他人から見れば最早大災害(カタストロフ)が怒っている二も等しいようにも思えてしまうのではないか。というか実際謝られたサラにとっても心の中では天変地異が連続していたわけで。

 

「よく分からんがこれやるから落ち着け」

 

 そう言うなりポケットから取り出したのは小さなミルクキャラメルだった。何故そんなものを持っているのだろうとか聞いてはいけない。きっと仕事の合間に糖分を摂取しようとしていたのだろう。

 ともあれ、緊張こそしてはいるものの、目の前の死神が自分の命を奪いに来たわけではないことに警戒及び恐怖を緩め、受け取らざるを得ないミルクキャラメルはクーが機嫌を損ねてしまわないうちに口の中に放り込んだ。

 

「オイシイデス」

 

 ガチガチに緊張した五感でキャラメルの甘みを堪能しろという方が無理だ。何も感じられないままに喉元を越し、よく分からないままにとりあえず無理のない感想を口にする。

 何をそこまで緊張しているのだ、そんなことを口にするクーは、自分の立場というものをちっとも理解していない。

 しかしクーが彼女に接近したのは、何も怖がらせるためでも、緊張させるためでもない。エトの友人である少女がこんな昼休みにグニルックの道具を抱えて空を見上げている、そんな光景がほんの少し気に入らなかったから、何があったのか相談くらいには乗ってやるつもりだった。

 

「なんかあったんかよ」

 

 彼女の隣にどっかりと座り込み、足を組む。リラックス、というよりだらけているだけである。

 サラは突然自分の隣に座り込んでくる『八本槍』の動作にビクリとする。暗に『話さないと殺すぞ』と言っているようにも見えて、逃げようにも逃げ出せない。

 

「あっ、あのっ――」

 

 喉まで緊張しているのか、言葉にが言葉になってくれず、いちいちそこで引っかかってしまう。

 一方でクーは、それ程までに体を強張らせているサラの隣でこんなことを考えていた――何で俺こんなところでどうでもいい奴の相談なんか受けているんだろう。

 だがしかし、そう、ほんの少し、ほんの少しだけだが話聞いてやるくらいいいかなーなんてことを考えてしまっている。

 以前から、この少女の顔には見覚えがあった。予科一年が例外なく最初に受ける依頼である、ロンドンのタワーブリッジ周辺の清掃作業でも、二人が仲よさそうに話をしながら行動していたのを目撃していたし、いつも通りの雑務をこなしている最中も、彼女たちが視界に入ることは何度かあった。だからこそ言える。

 

「――エトに何か言われたか?」

 

 ひゃっ、と驚いたような声を上げて、サラがクーの顔を見上げる。まるでどうしてその名を知っていてあまつさえ今ここで出てくるのかと言わんばかりに。

 クラスではどう生活しているのかは知ったことではないが、少なくともクーが見てきた中では彼女がエト以外の人間と親しそうに話しているところを見たことがない。あまり意識したことこそないが、しかしエトに関わっていることだからだろうか、何となく記憶の片隅に引っ掛かり続けている。だから何となく、彼女が落ち込んでいるのはエトに関係があるのではと推測した。

 

「アレもなんかこう、変な方向にジルみてーになっちまったからなぁ。自分が口にしたことの本質を自分で理解できてないっつーか、意外と周りが見えてないっつーか」

 

 弟子が頑張っているのは師匠として分かっている。エトはそれなりに余裕を持ちながら自分のペースで、しかし怠けることなく日々の鍛練を積んでいる。だが体術の指導以外は基本的に姉であるシャルルやリッカ、ジルと共にいる時間が長かったせいか、思想は若干彼女たち寄りになってきてしまっている。

 それに関して別にクーがとやかく言うつもりはないが、何と言うべきか、彼は今のところ、本当の意味で()()()()()()()()()()()()()()ことができていないのだ。クーからしてみれば、今の彼はどっちつかずとも言える。それは今後の成長に期待しているところでもある。

 

「詳しいことは知らんが、あいつに関する何かを知りたいなら自分から関わりに行かねーと何も始まらねーぞ。アレも結構面倒臭ぇ性格してるからなぁ」

 

 何かある度に表情をコロコロと変えるリッカのように。自分のことを心配してるんだと精一杯表現していると思いきや突然泣き出すジルのように。クーもまた、彼女たちと関わって彼女たちと同じように面倒な方向に進んでいるのはよく分かる。

 

「あの……」

 

 隣から聞こえてきた声は、少し前よりも随分と自然なものだった。ふと小さな彼女に視線を向けると、何だかまた泣きそうな表情で俯いていた。

 

「んだよ」

 

「エトは、貴方に育てられたのですか?」

 

 その質問の意図は、すぐに分かった。

 生徒会長シャルル・マロースの弟であるエト・マロースは、魔法使いとしての才能が元々備わってはいない。クーからすれば、清隆と比べても、姫乃と比べても、その魔力は実に微々たるものだ。それでも彼は少し前のグニルックの大会でもしっかりと活躍し、魔術社会に認められるような魔法使いへと成長しているのは確かなことだ。

 しかしサラにとって、努力のみでここまでしがみついてきた彼女にとって、同じように努力のみでここまできたものだと思い込んでいたエトが、『八本槍』の寵愛を受けていたと知った時、果たしてその心の支えが音を立てて崩れていくしか残されていない。

 身内ではないし別に知ったことではないが、何故かクーには、彼女のことが放ってはおけなかった。理由こそ自分でも理解できないものの、きっといずれ、分かる時が来るのだろうとそっとしまっておくことにする。

 

「俺はあいつを育てちゃいねーよ」

 

 それはあくまで結果論であって。

 

「あいつを育てたのは他でもなくあいつ自身さ。何もねーところから必死こいて地べたを這いつくばるようにたった一つの可能性に縋り付いて、自分で得るべきものを自分で見つけ削り取っていく。そうやってあいつはあそこまで育ってやがる」

 

 死ぬ寸前だった命を、自ら再び焚き付けて、シャルルから教えられた外の世界の素晴らしさを、ジルやリッカから教えられた魔法の奇跡を、クーから教えられた生きるために戦う術を、彼は自分で手にした。誰も彼にそれを与えたわけではなく、結局は彼が全てを欲しがったから、自らの力でかき集めた。それを糧にして、今ここにいる。

 

「手ェ伸ばして、足出して、躓いて、ぶっ倒れて、失敗し続けろ、ヒヨッ子。たった一つって訳でもねぇ生き方って奴はそうやって見つけるもんじゃねーの」

 

 クーがこれまで認めてきた面子というのは、どいつもこいつもそうして生き方を見つけ出している。真似をするだけ無駄だ、自分で灯火をつけて、自分だけの道程を刻んでいけばいい。

 サラ自身に結論を与えられたかどうかは知らないが、言うだけのことは言ってみせたつもりだ。ここから先は全て彼女が決めることである。

 クーはおもむろに立ち上がって、再びウッドベンチを抱え直す。そのままサラを見ることなくすたすたと歩いていってしまう。

 その背中を見つめていて、ふとサラも立ち上がる。そして青のツインテールを揺らしながら、小さな頭を深々と下げた。

 

「あ、ありがとうございました!」

 

 ふと、クーの足が止まる。振り返ることもなければ、背中越しに右手を上げ、ひらひらと揺らしている。それで挨拶をしたつもりなのだろうか。

 

「飯はちゃんと食えよー」

 

 最後にそれだけを残して、クーはあっという間にその場を去ってしまった。

 残されたサラ一人。色々と心の中で決意を固めて、ふと時計を見やった。そして気が付いた。

 昼の休み時間は、あとほんの少しで終わりを迎えようとしていた。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 夕日の差し込む教室、本日最後の講義の終わりを告げる鐘の音を聞いては、クラスメイトたちがぞろぞろと教室を去っていく。

 ふと、最前列の席から教室の後ろを振り返ってみれば、いつもの口うるさい連中が雑談に花を咲かせている。内三人は日本人で、更に一人は従者である自動人形。

 端の方で白銀の髪を風に揺らしながら鞄に教材を仕舞い込んでいる少年が一人。いつもの仲間たちとはまだ合流してないが、すぐにでもそちらへと足を運ぶのだろう。

 何故か高鳴る胸を抑えながら、足に力を込めて立ち上がる。

 心の準備は何度でもしてきた。向き合う覚悟もできている。

 彼の優しさに甘えては駄目だ。知りたいなら、欲しいなら自らの手で勝ち取るべきだ。昼時に偉大な誰かに教えられた言葉が胸を熱くする。

 ガタリと椅子の音を立てて席を離れ、教室の後ろの方へと歩いていく。

 目の前の少年はまだ気が付いていない。ほんの少し躊躇いそうになって、左足が後ろへと下がろうとした。その時の音が彼にも聞こえたらしく。

 

「ん?どうかしたの?」

 

 意外そうな顔をした彼が、こちらに気が付いて顔を上げる。

 そして小柄な青髪の少女は――

 

「その、エト――」

 




エト編は大体十~十五話で終わらせたいと思います。


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真実への標(しるべ)

サラは慌てている時が一番かわいいのです(確信)


「B組、全員いる~?」

 

「C組、点呼とるから並んで」

 

 霧に包まれたロンドン、貴族や上流階級の人間がよく使う由緒正しいこの立派なホテル、ハイドパークホテルの前で、各クラスマスターの声が聞こえてくる。

 今回ここに集合することになったのは他でもない。ここ、ハイドパークホテルが、テロリストの手によって占拠され、更に爆弾が設置されたとの情報が入り、その事件を解決するための≪女王の鐘≫のミッションとして、予科1年生と本科生の有志がここに集められたのだ。話によれば、今回のテロ集団はアグレッシブで、リーダー格以外の構成員の恐らく一部が立てこもっているとのこと。人質の有無は未だ確認されていない。

 作戦としては、最初に有志の本科生が先にホテル内に突入し、人質の存在が確認された時は彼らの身の安全を最優先とした上でテロリストを攻略、続いて予科生が設置された爆弾の捜索、撤去を行うというもの。なお、今回の作戦には『八本槍』クー・フーリンも参加しており、彼もまた先陣を切って突入しテロリストを攻略する将を務めるようだ。彼だけで十分戦力的にオーバーキルな気がしないでもないが、確実性を考慮した上でのことでもある。

 ふとエトは、ハイドパークホテルのその全体を見上げた。かなり立派なホテルで、その分中は広いだろう。捜索するにはなかなか骨が折れそうである。

 今回の依頼は爆弾の捜索、失敗すれば爆発、いるかどうかも分からない人質の人まで巻き添えにしてしまう。それ以上に、爆発によって四散する瓦礫に接触して死傷する人もいるかもしれない。そう考えると、初めて人の命のやり取りを目撃することになるかもしれないエトは、否が応にも緊張を感じざるを得なかった。

 いろいろ考えていると、エトの隣に誰かが並び立つ。首を向けると、そこに立って同じくホテルを見上げていたのは清隆だった。

 

「何だか、物騒だな」

 

「そうだね」

 

 どうやら清隆も難しそうな顔をしている。しかし他の生徒たちとは違って、どこか余裕があるというか、自信があるように見えないこともない。

 

「清隆は、平気そうだね」

 

「平気って、これでも結構緊張してるつもりだけど」

 

 緊張していると言えば、目が泳いでいるとか、ソワソワしてじっとしていないとか、そう言う風な感じで落ち着きがないことを指すのだろうが、こと清隆に限ってはむしろいつも通りで肩の力も抜けており、そう言った様子は一切見受けられなかった。これで緊張していると言われても納得がいかない。

 

「俺、魔法使いの社会がどういう風になってるのとか、よく分かんないけどさ」

 

 ふと、清隆が独り言のようにも聞こえる口調で、何やら難しそうなことを話し始める。

 

「リッカさんの受け売りなんだけど、俺たちがこうしていられるのって、今のリッカさんや学園長たち、もっと言えば魔法使いの大先輩たちの頑張りのおかげだと思うんだ」

 

 かつてのヨーロッパで、魔女狩りが始まり、魔女ではないかと疑いをかけられただけで処刑されるという、残虐な過去があった。その苦しみを乗り越えて、なお魔法使いはそうでない人に歩み寄ろうとたくさんの努力を重ねている。同じ人間だから。きっと分かり合えるはずだから。

 

「だから、辛抱しないといけないこの時期に、暴力に訴えた行為でみんなの信頼をなくしてしまうのは、辛いんだ。俺だけじゃない。きっとみんな、そう思ってる」

 

「だったら、僕たちがしないといけないことは、今は一つだけだよね」

 

 清隆の視線がこちらに向いた。真剣な眼差し――魔法使いの卵として、これから死ぬかもしれない場所へと赴く人間として似つかわしくない、覚悟の固まったようなその表情に、エトはほんの少し安心してしまう。彼はきっと、リッカやジル、そして姉以上に素晴らしい魔法使いになってくれると。

 そして清隆は、最後にこう言った。

 

「ああ、誰一人傷付けずに、ホテルの中の爆弾を全部撤去する」

 

 無論、それは清隆一人の力ではない。ここにいる全員の力を一つに合わせて、この事件を解決するのだ。

 エトもまた、みんなのために力を尽くそうと心に誓うのだった。

 清隆が姫乃たちの方に去った後、エトは視線である少女の姿を探していた。学園に入学してからずっと気にしていた少女、堅物で融通の利かない、でも家族のために一生懸命に努力を続けている少女、サラ。クリサリス。その姿をエトは、すぐに見つけることとなった。その手には、何やらノートくらいの大きさの紙が両手に握られている。

 

「サラちゃん、それ、どうしたの?」

 

 覗き込んでみれば、その紙には四角に囲まれた線が、ずらりと規則正しく並んでいるのが分かる。サラが建物とそれを見比べている辺り、恐らくハイドパークホテルの部屋の配置図と言ったところだろう。こう言ったものを所持している辺り、サラはこう言ったことの配慮がよくできている。

 エトは、サラの隣に並んで同じようにその配置図を覗き込んだ。肩と肩が若干触れ合っているが、エトにとっては大したことではない。

 

「何か発見あった?」

 

 そう問いかけながら、至近距離のサラの顔を覗き込んでみると、妙に顔が赤くなっていた。こんな状況だ、緊張しているのだろう。むしろ清隆のように正気でいられる方が、この状況では珍しいのだ。

 

「い、いえっ、まだ見始めたばかりなので、何ともっ」

 

 若干声が上ずっている。いつも冷静沈着なサラがここまで取り乱しているというのも珍しい話だ。確かに失敗できない任務である。魔法使いとして、失敗は許されない。ただでさえ家族の期待を背負っているサラが、他の連中との連携の中で責任を負わされるのだ。もしサラでなければ、発狂することもあるだろう。

 

「でも、地図なんて見て何か分かるの?」

 

「で、デッドスペースを探してるんです」

 

「デッドスペース?」

 

 聞き慣れない言葉に首を傾げる。

 するとサラは、地図上の線の外、つまり壁の外に該当する箇所を指差してみせた。

 

「壁に囲まれた、死んでいる空間のことです。外から見た広さと部屋の配置があっていない場合、どこかに隙間があるはずなんですが……」

 

 そこに爆弾があるかもしれない、ということなのだろう。しかし納得のいかないような顔をしている辺り、そう言ったものは見受けられないらしい。

 しかし、地図を見ていることで構造を把握していることは、それだけで制圧の効率を上げることができる。彼女自身も動きやすいだろうし、移動中に大まかな推測を立てることができる。

 

「きっと大丈夫だよ、サラちゃん」

 

「……そうですね」

 

 そっけなく、淡白な返事で返された。緊張している自分を、集中させたいのだろう。相変わらず何故か顔が赤いのだが、今の彼女の集中を途切れさせるわけにはいかない。エトはサラの傍を離れようとして、最後に一言加えておいた。

 

「何かあったら、僕を呼んで」

 

 それだけを残して、エトは一旦リッカの傍に集まっているクラスメイトの集団のところに戻っていった。

 なおその結果、サラは一人であわあわし始める。きっと自分で抑えられないくらい緊張が高まってきたのだろう。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 そして、総指揮官を務めるシャルルの合図の下、作戦が開始された。

 クーを先頭とした本科生の集団がゆっくりと建物内に侵入していく。それに続いて予科生もハイドパークホテルの中に足を踏み入れていった。

 そして、各クラスマスターの指示の下、ある程度の少人数のグループで集団を分裂させ、指示された通りの位置へと向かう。

 エトはサラと共に、ホテルの二階部分、南側の部屋を回っていた。

 同じような配置の部屋が並んでおり、各部屋を隈なく探しているものの、爆弾の気配は一向にない。爆弾そのものは魔法でできているらしく、どのような魔法で構成されているかは定かではないが、魔法使いが近づけばそれなりには第六感のような何かが反応してくれるはずなのだが。

 

「だめだね……」

 

「そうですね……」

 

 二つセットされてあるベッドの下からはい出た二人が汗を拭いつつ溜息を吐く。このような緊迫した状況の中で、なかなか進展がないとなれば焦りもする。

 とりあえず再び地図を開いてみて、探し忘れた場所がないかをチェックしてみる。サラが先程言っていた壁の中、デッドスペースは彼女が使う魔法で探知しているのだが見つかってはいない。爆弾の設置すらも魔法でしているかどうかも分からないため、実際にどのような位置にあってもおかしくはないのだ。

 一度部屋を出て、隣の部屋へと場所を移してみる。そして先程までと同じように部屋の中をチェックしてみて、爆弾がないことを確認する。上の階から『シャラクセェ!』などと楽しそうな叫び声が聞こえてくるが、気にしてはいけない。

 やはり見当たらない。自分たちが担当している箇所に爆弾は設置されていないのだろうか。再びサラと地図を見比べてみようとした、その時――

 

「――!」

 

 咄嗟にサラを抱いて、ベッドに飛び込む。サラが下となり、押し倒す形となる。

 自分が何をされたのか、一瞬思考が停止して、そして状況を把握して、顔を真っ赤にして烈火のごとく暴言をぶちまけようとしたその相手は、自分とは違う方向を見ていた。

 

「チッ、外したか」

 

 その先には、拳に一振りのナイフを握った、不気味な覆面を被る、恐らくテロリストの一人。

 彼は外したと言った。つまり自分たちに対してその刃を突き立てようとしたのだ。エトが反応していなければ、今頃死んでいたかもしれない――

 

「先輩たちが取り逃がした……?」

 

 エトはサラを庇う体勢でそう呟く。実際、この階層は既に上級生の手によって攻略されているはずだ。だからこそ下級生が満を持して爆弾の捜索を行うことができる。しかし今ここにこうやってテロリストが目の前にいるというのは、どういうことなのか。

 

「ここから動かないで」

 

 そう言って、相手を警戒しながらゆっくりとベッドから降りる。

 サラは動かないでと言われたが、そもそも体が恐怖に支配されてまともに動けやしない。

 次の瞬間、テロリストが動いた。刃を真っ直ぐ突き立て、エトの方へと突進する。エトは動かない。ただ自分の制服のボタンに指をかけ。

 地面に乾いた音が響いた。ナイフが転がり落ちている。視線を戻すと、エトとテロリストがその場で膠着していた。

 エトはあの一瞬で上着を脱ぎ、それを盾としてテロリストのナイフを凌ぎ、その後の身のこなしで彼の拳からナイフを奪ってみせた。その後、体格の大きなテロリスト、そして何とか自分の技で持ちこたえているエト、せめぎあっている状況に動きが取れない。

 サラは咄嗟に落ちたナイフを拾い上げて自分が座っているベッドへと突き立て、テロリストの手に渡らないように処理をしておく。

 エトがテロリストから離れる。力でねじ伏せられそうなところを素早くステップを踏んで回避、一度距離を取って相手の様子を見る。

 部屋の出口は完全に相手に塞がれている。外部からの応援を待つ手もあるだろうが、基本的に周囲をうろついているのは予科生である。最上階の方にいるクー・フーリンはもちろんのこと、クラスマスターであるリッカもここから離れた位置で指示を出している。自分で対処した方が手っ取り早いか。

 テロリストが右足を動かす、そして――姿を消した。

 

「なっ――!?」

 

 一瞬の出来事に目を疑うが、すぐに警戒を強める。周囲のどこから来てもおかしくない。耳に、目に神経を集中させる。

 風を切る音、左から側頭部に向けての一撃。両腕をクロスさせて防御の構えを取り、急な衝撃に吹き飛ばされる。壁に体を打ち付けてそのまま地面に倒れ込む。後ろからサラの悲鳴が聞こえてきた。

 バックステップを踏みながら後ろへと移動しつつ立ち上がる。しかしテロリストの姿はどこにも見当たらなかった。

 

「くそっ」

 

 このままではハイドパークホテルどころか、サラや自分自身ですら守ることができない。焦りが体中を駆け巡り、体温が高くなるような錯覚を覚える。

 背後から殺気、しかし遅かった。気が付けば地面を転がって、部屋のドアへと打ち付けられる。

 

「いやっ、放して……」

 

 サラの声。横になったままで目を開けてみたら、サラが窓際でテロリストに抱えられ、喉元にナイフを突きつけられていた。

 

「サラ、ちゃん……」

 

 とりあえず、仕組みは分かった。何故上級生がこのテロリストを取り押さえられなかったのか、何故自分の目の前から突如姿を消しては不意打ちを成功させられるのか。

 恐らくは、光を屈折させるか、認識を阻害させるか、方法としては分からないが、彼はエトの五感に察知されないような魔法を行使している。それを使って、上級生がここらを調べている最中は姿を眩ませていたのだろう。そして同じ力を利用して、今エトを圧倒している。

 しかし、問題はそこではない、そこではないのだ。今目の前で、友達が泣いている。助けてと心の底から叫んでいる。そしてそれが、自分が招いた悲劇だというのなら、それはこの手で始末をつけるべきだ。

 脳裏に、ある男の背中を思い浮かべる。誰よりも強く、強かで、気高い存在。かの男の隣に並び立てるようになりたいと、ずっと胸の中にしまい込んでいた。

 今ここで、敗者となるわけにはいかない。彼が言うのだから。常に勝者たれと。生きて、勝って、己の価値を貫けと。だから、彼女を魔の手から救い出すまでは、死んでも立ち上がる。

 ドアノブに掴まって、体を支えながら立ち上がる。そして、扉の傍にあった傘立てから、ここから逃げたのであろう利用客の者と思われる傘を引き抜いて、そこに魔法を通していく。

 強化――ただひたすらに強化。

 そして、力強くテロリストを睨みつけた。

 その双眸に、テロリストは軽くたじろぐ。ただのガキに、まるで獅子のような鋭い視線を向けられるような錯覚、これからお前を食い殺すぞといわれているような気がして、足元から怯えが湧き上がってくる。

 しかしエトは動かない。ただその場で足踏みをして、傘を構え、状況を観察している。

 テロリストは、彼が一歩でもこちらに近づけはこの 少女を使って脅すつもりだった。もう一歩そこから近づけばこいつを殺すと。それを相手も理解しているのだろう、近づいてくる気配はない。

 彼にしても、そろそろここから脱出しなければ、恐らく応援が駆けつけるだろう。それまでに目の前の少年をなんとかしなければならない。

 あれやこれやと考えていると突然――

 

「――っ!?」

 

 腿に激痛が走り、思わず膝をつく。視線を上げてみれば、銀髪の少年が、鋭い真紅の瞳でこちらを捉えて、傘を振り上げ飛びかかってきていた。

 対処できる余裕はない。思わずナイフを持った手で体をガードする。指を打たれ、ナイフが再び宙を舞う。

 エトはそれを空中で弾き飛ばし、そのまま傘を脇に引き戻し、再び射程に入った瞬間、一気にそれを前に突き出す。

 右肩への刺突、骨までやれただろうか。悶絶している彼から一旦サラを引きはがし、テロリストを地面へと捻じ伏せる。ベッドにあった毛布を適当な長さに千切って、両腕を後ろで拘束させる。そしてそれをベッドの足に固定して、エトはどっかりと椅子に座り込んだ。

 

「さ、サラちゃん、大丈夫?」

 

「エトの方がっ、こんなにっ……!」

 

 見てみれば、衣服はボロボロ、庇ったつもりだった頭部も、綺麗な顔には切り傷をつくっていて、白銀の髪もぼさぼさになっていた。

 とは言え、触れ回ってはいないのだが、彼はあの『アイルランドの映雄』の弟子なのだ。訓練で何度も手合せしたこともある。かの男は人間の弱点というものをこれでもかという程熟知しており、そんな彼からすれば、訓練でも力は抜くが手は抜かない、つまりとことん弱点を狙って攻撃をしてくるのだ。そんな猛攻を受けてきたエトにとって、たかがテロリストの一撃など、痛くはあるが過去のそれと比べれば大した事でもなかった。

 

「僕は大丈夫だから、とりあえずこの部屋をでよう」

 

 廊下に出た後、とりあえずエトはリッカにテロリストと遭遇、そのまま交戦し捕縛したことを連絡しておいた。身を案じるとともに、とりあえずは無事で安心したこと、そして大きな活躍を称える内容のテキストが届き、とりあえず一難去ったことをようやく自覚して安堵の溜息を吐く。

 安心したのか、無事で嬉しかったのか、ひたすらにエトの胸で泣き続けるサラの髪を撫でてやりながら、疲れ果てたエトはその場で待機することにしたのだった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 事件から数日後、クー・フーリンはある場所へと足を運んでいた。

 目の前には、とある大きな古い館、恐らく二、三百年以上前からあるのではないかと思わせるような古臭さは、本当にここに人間が住んでいるのか同課さえ疑いを抱かせる。

 しかしクーにとってはそんなことはどうでもよかった。ここに居座っているのはそもそも、人間の域を超えた者なのだから。

 正門から建物の入り口のドアまで、長い通路の丁度真ん中辺りで建物を見上げていると、ドアが開き、目的の人物が姿を現した。

 黒を基調としたローブを着込み、同じく黒のフードを目元まで被った謎多き女、『八本槍』が一人、『歩く禁呪(フォビドゥン・ゴブレット)』。カテゴリー5の中でもずば抜けたトップクラスの魔法使いであり、リッカ・グリーンウッドですら畏怖する程の実力の持ち主。

 そんな彼女に会いに来た理由など、一つしかない。

 

「私に会いに来るのは、正解であり、不正解」

 

 意味の分からないことを言ってのけるこの魔法使いは、しかし実に的を得たことを言っていた。その理由は、続けて彼女の奥地から出ることになる。

 

「そう、このロンドンを覆い尽くす、霧の魔法。その正体。そして、魔法といえば、私しかいない」

 

「だがテメェは教えない、それを分かっているから最初からエリザベスはテメェを当てにしてない」

 

 十一月が始まって辺りから急に濃くなり始めたロンドンの霧。恐らく魔法が関わっているであろうということで、女王陛下の超法規的措置における命で『八本槍』を総動員し、初めて全員を動かすに至った。しかしそれでもなお、取り組みの具合は個人に任されるのだが。

 

「私の禁呪は、私の娘のようなもの」

 

 そのフードのせいで、相変わらず表情は読めない。何を考えているのか、想像すらつかない。

 

「いえ、正確に言うなら、その逆――なのでしょう」

 

「禁呪、なんだな」

 

 クーの確認に、女の唇が笑った。

 一瞬の動作の下に槍を構え、刹那の時間に女の喉元を食い千切れる等に狙いを定める。

 

「今すぐ魔法を解きやがれ」

 

「残念ながら、私は術者ではない。運命の核は、私ではないもの」

 

 女の唇から、微笑が消えていた。

 

「知ってはならない。そこに残るものなど、何もなくなるのだから」

 

 不穏な言葉だけを残して、彼女はその場から姿を消してしまう。

 最も正解に近いはずなのに、まるで遠いようなこの違和感。体中が警鐘を鳴らしている。答えに近づいてはならないと。

 開けてはいけない不幸の箱が、そこにあるのだと告げるように、小さな恐怖を、戦士の心に残していった。




もしかしたらこの辺り、軌道修正のために書き直すかもしれない。
今のところはこのままでいこうと思います。矛盾が出てきたらどうしよう。プロット上では問題ないんだけど。


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二人揃って

メリークリスマス(三か月後)


 十二月の二十四日。そう、その日はかの聖人、イエス・キリストの生誕を祝う奇跡の日の前日、クリスマス・イヴ。

 風見鶏はこの日に生徒会役員選挙の当日を迎え、それによって今回は予科一年A組から葛木清隆が選出されることとなった。

 以前のハイドパークホテルでの一件で、爆発しかけた時限式魔法爆弾を自力で解除し、爆発による建物の崩壊から内部にいた生徒及び周辺を護ったことが大いに表彰され、名誉騎士という、その肩書を持つだけで世間からヒーロー扱いされるような叙勲を受けたのがきっかけで、風見鶏の生徒から一気に評判になったのが決め手だろう。

 そんな彼も結果発表後に本格的に指導するクリスマスパーティーを妹である姫乃と共に回っているらしいが、その様子といえば恋人ではないかと思えるくらいに仲睦まじいものといえた。

 

 さてここにも、同じような空気を醸し出していそうなペアが一組存在する、というより存在しようとしている。

 とあるベンチ、いつもなら堅物で真面目で表情に乏しいとか言われているようなサラ・クリサリスが、いつもと違う、どこかソワソワしたような面持ちで誰かを待っている。

 何度もシェルを開いてはその相手から貰ったテキストを読み直しては顔を赤くし、誰にも見られてはいまいかと慌ててシェルを懐に戻して、というのを何度繰り返したことだろうか。そしてまた、まだ懲りないのだろうか、再びシェルを拓いてはテキストをの文面を目で追っている。

 

『今日のクリスマスパーティー、もし良かったら一緒に回ってくれないかな。もしよければ当選者が決まった後、グラウンドのベンチに来てくれたら嬉しいです』

 

 初めてそのテキストを見た時は、顔面が破裂しそうになった。何故そこまで――という疑問には、既に自分の中で答えを見出しているつもりだ。

 何度も読み返して、それがどういうことなのか何度も自問自答してみて、彼の思惑が分からなくて、だから結局、自分の方が主導権を握りたくて、そこまで言うのなら仕方ないです的な発言で彼とパーティーを見て回ることにしたのだ。

 そしてあまりにも急ぎ過ぎた結果、清隆が当選したことを少しだけ祝って、その後すぐに猛ダッシュで来たのだが、当選で盛り上がっている最中を抜け出してきたようなものなので、相手はまだいない。タイミングをこちらで測るなら、彼よりも後にここに来る方が正解だった気がしないでもない。

 自分の胸に拳を置いてみて、すぅーっと深呼吸をしてみる。瞳を閉じて、地震が起こるくらいに揺れに揺れる心を落ち着かせて、もう一度周りの風景を視界に入れる。気分をリフレッシュしたからか、少しだけ周囲が静かになったような気もする。

 そして幸運にも、絶妙にもこのタイミングで、待ち人が訪れることとなった。

 

「ごめんごめん、待たせた?」

 

 白銀の髪、ルビー色の瞳、生徒会長と全く同じそれらが繰り出す笑顔は、見ているとこちらが吸い込まれそうになるほど魅力的で、その落ち着いた言動は、相変わらず優しさを垣間見せている。

 

「ありがとう、サラちゃん」

 

 感謝の言葉を言われるだけで心臓がトクリと跳ねる。経験がない以上、どうすればいいのか分からない。今日は主導権を握ろうと心に誓ったはずなのに。

 エトは、そんなサラを知ってか知らずか、そっと手を差し伸べる。その小さくで、でもサラからすれば十分に大きく感じられる白い手に、少女は少し躊躇ってその指先にそっと触れる。そんなサラの手を、エトは自分の掌をずらしてしっかりと握ってみせた。

 エトにはサラの、更にはエトの体温が、直に伝わってきた。サラにとって、その温もりは、まるで一度も味わったことのない、得体のしれない何か。それを感じていられることが、どことなく嬉しくて。

 

「どうしたの?」

 

「何でもないです」

 

 ついうっかり、エトの隣で笑ってしまったのだった。

 

 いつも歩き慣れた校舎の中の廊下が、クリスマス一色に彩られ、いつも以上の賑わいと騒がしさを見せている。同じ学園のはずなのに、まるで全く違う、別の空間に迷い込んだような錯覚すら覚える。

 あちらこちらで、大袈裟な謳い文句がでかでかと描かれたポスターや、魔法を使った華やかな客の呼び込みなど、店を出している側も、大いにこの祭りを楽しんでいるのがよく分かる。

 そんな中でエトは、ある教室の入り口付近に見つけた張り紙を見つけては指を指す。

 

「あれ見て、不思議なリンゴ飴占いだって」

 

「飴で占いだなんて、珍しいですね」

 

 どうやら意外とサラも乗り気なようで、迷いなくその占い部屋の中へと足を踏み入れた。

 占いといえば一般的に胡散臭いものだろうが、ここは天下の風見鶏、未来予知や人格判断の資質に恵まれた魔法使いだっているかもしれない。占いが当たる可能性も決して低くはないのだ。

 教室に入ると、真っ先に視界に飛び込んでくるのは、綺麗なグラデーションで色ごとに並べられたリンゴ飴。見ているだけで口の中でフルーツの甘みが広がってきそうな、そんな夢のような空間。

 まずはそれを二人で選んで、次のステップに進もうとしたのだが――

 

「ん~~~~~~~~」

 

 なかなか終わらないと思ったら、真剣な表情でリンゴ飴を見つめている、いや、睨んでいる。

 堅物でこういうのには目もくれないものだと思っていたのだが、どうやらこの辺も普通の女の子らしいようで、甘いものも人並み以上に好んでいるようだ。しかし問題はその金銭面、浪費はしないようにきつく自分に戒めているのだろう。だからこそ悩む。ひたすら悩む。

 そしてゆっくりと腕を伸ばし、何度も躊躇って、そして――

 

「こ、これにします」

 

 イチゴミルクかけ飴。サラが散々迷った結果手にしたのはそのピンク色の飴だった。

 そして、会計の時にエトがプレゼントしようとして、サラが財布を仕舞うことを渋ったこともあって、エトは落ち着いて彼女を説得し、サラにリンゴ飴を買ってあげたのだが。エトはエトで、女の子にいいところを見せたかったというのはサラの知らないところである。

 リンゴ飴を売っている机の隣に、ベールを被った占い役の生徒が座っている。いかにもな感じの風貌だが、二人は少し緊張しながらその人物に近づいてみる。

 占い役の向かい側に座って、サラがその人にリンゴ飴を見せてみると、その人は両手の平をリンゴ飴にかざし、これまたいかにもな感じで力を込めてみせる。

 

「そなたの選んだリンゴ飴はピンク色じゃな~?」

 

「は、はい、そうです」

 

 突然の質問に、サラが吃驚しては返答する。それくらいの質問は見れば分かると思うのだが、占うのに必要なことなのだろう。

 二人が緊張しながら占いの結果を待っていると、占い役の人がこれまた突然手を止めた。

 

「むむむっ!その飴を選んだそなたは近いうちにっ……途轍もない大恋愛をすると出ておる!そうして大きな試練と幸運をが訪れるであろうともっ!」

 

「えっ、えっ?大恋愛と、試練と幸運?」

 

 何だろう、その舞台演劇に出てきそうなテーマのワードは。そんなことを考えながら首を小さく傾げるサラ。

 

「お隣のっ!」

 

「うわびっくりした」

 

 ビシィッ、とでも擬音が付きそうなくらいに真っ直ぐに人差し指で指されたエトは思わず逃げ腰になる。というか自分も占われていたのか。二人で選んだのだから、サラだけの占いではないらしい。

 

「頑張るんじゃぞ!」

 

「は、はい」

 

 それくらいなら占わないでもいい気がするのだが。

 よく分からないが占いは占い、当たるかもしれないのだからとりあえず頷いてみせた。

 再び廊下に出て、先程のリンゴ飴占いの奇妙さに首を傾げながらも、その時になったらと思考を放棄する。そんなことよりも、サラは目を疑うワンシーンに遭遇することとなっていた。

 その片手に握られてあるイチゴミルクかけ飴を、ぺろん、と一口舐めたサラが。

 

「~~~~~~」

 

 お目々をきらきらと輝かせて、それはもう美味しそうに満喫していらっしゃるのだ。言うなれば、感動。そう、サラはこのリンゴ飴で感動していらっしゃるのだ。

 そして何より、このとろけた笑顔。エトにとって、サラがなかなか見せない素の笑顔を見たことは何度もあったのだが、この次元の違う輝かしい笑顔はまさに、サラが心の奥底にしっかりとしまい込んだ子供っぽさそのもの。これがきっと、本当のサラ・クリサリス。

 

「お、美味しい?」

 

「夢のようです」

 

「そ、そんなにかー」

 

 甘いものが大好き。見た目相応の反応が可愛くて、エトはつい。サラの頭をポンポンと撫でていた。

 すると顔を真っ赤にして、サラはエトを、おろおろしながら睨みつける。

 

「こ、子ども扱いしないでくださいっ!」

 

「あ、ご、ごめん」

 

 エトにとってもこんな行動をとるつもりはなかったのだが、一体どういうことだったのだろう。

 その後もクリスマスパーティーの賑わいを楽しみながら、時間は過ぎていった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 誰もいない教室、ただ疲れて休憩するためだけに立ち寄った二人だけの空間。

 テンションが上がって、サラと二人ではしゃぎまわった短い時間。その熱を少しだけ冷ましに、人気のないこの場所で、温かい紅茶で一息入れる。

 

「おいしい」

 

 カップを机に置いて、そう一言。静かな場所で、時間だけが過ぎていく。

 隣同士で腰掛け、お互いの肩が触れ合うような距離で、布の上からお互いの体温を感じていられる距離。それなのに、何故かお互いにもどかしい。

 ふと、サラがエトから身を離し、ガサゴソと自分のポケットをまさぐる。そこから出てきたのは、一封の手紙だった。父からの手紙、サラが風見鶏に入学してすぐに届いた手紙。

 手渡されて、サラの家族とは縁のないエトが読んでもいいのかと躊躇う。しかしサラは、落ち着いた表情で頷いてみせた。

 サラを気遣う文章。

 サラへの期待。

 元名門であるクリサリス家復興への渇望、そして期待。

 そう言ったことが、丁寧な字で綴られている。

 サラは言う。この手紙が自分の誇りだと。両親や祖父、家族がみんな自分に期待してくれている、自分が立派な魔法使いになるために、少なくない金を出してもらっている。だから自分はその期待に応えるために、努力を惜しむつもりは毛頭ない。それが、サラの決意。サラの本心。

 

「でも……」

 

 そこで言葉は詰まる。今までに聞いたことのない、長い長い、サラの独白。

 本当に言いたいことはその先にある。でも、それは今までの自分を否定してしまうかもしれない、そしてそれが、家族への期待に応えられなくなる要因になるかもしれない。不安と恐怖が、彼女の口を閉ざさせていた。

 エトは、そっとサラの手を取って、そしてぎゅっと握ってみせる。

 

「私は、楽しいこともこうして知ってしまいました」

 

 再び言葉を紡ぎ始めるサラ。

 エトも楽しかった。サラと共に過ごす時間。彼女が笑い、泣き、怒り、拗ねて、仲直りして、そうやって積み重ねていく時間が今ではとても愛おしくて。

 エトを見上げる潤んだ瞳に映るのは、一抹の不安。

 

「今まではずっと家のことしか考えてなくて、期待に応えられるように勉強だけをしていて――」

 

 同年代の友と呼べる存在もいない、しかしそれが普通なのだと、当り前なのだと信じ込んでいた。家族のために、自分が頑張って、脇目もふらずに誰も気にすることなく、ひたすらに研鑽を積んでいくことこそが使命だと、そう思っていた。

 しかし、知ってしまったのだ。清隆や姫乃、仲間たちと、そして誰よりもエトと過ごす時間がとても楽しいものだったということを。今まで知らなかった楽しいことを、たくさん知ってしまった。

 だからもう、後戻りはできない。

 

「サラ……」

 

 そんなサラの気持ちを、エトは分かるようで、分からない。

 

「エトと一緒にいると、どうしようもなく心が掻き乱される程、楽しい……です」

 

 でも、頬を紅潮させながらそんなことを言ってのけるサラが、自分にとってどれだけ大切なのか、ここでようやく実感して。

 サラは、サラが知らなかったことを知り、エトは、エトが知らなかったことを知る。そうして今、ここに二人が揃っている。だからきっと、エトにはサラの知っている、まだ知らないことがあり、サラにはエトの知っている、まだ知らないことがある。そしてそれらを補い合うことが、紛れもなく支え合うということ。

 

「……私、今までなるべく人に頼らずに生きてきました」

 

 それはエトどころか、他の連中も知るところである。基本的に他人に淡白に接してきたサラ、それは初めてエトとサラが出会った時も同じだった。

 いくら容赦なく突っぱねても、鬱陶しいくらいに何度も接近してくるエトに、つい根負けしてしまって、いつの間にかここまでの仲になることとなった。無論そんなつもりはなかったし、当時は特別エトに対する興味もなかった。

 でも、ここでそれを吐露するということは、そんな自分に疲れてきているのだろう。誰かに助けを求めたかったのだろう。心が悲鳴を上げていたのだろう。

 誰かに頼れば自分が弱くなってしまうと、自分の弱さを認めたくなかったから。

 自分が弱ければ、家族の期待には応えられないから。二度と家族の笑顔を見ることはできないから。――自分が、幸せになれないと思ったから。

 

「だけど、これからは、エトに頼ってしまいそうです。甘えてしまいそうです」

 

 その儚げな瞳は、まるでエトにすがっているように見えた。理解してほしい、唯一自分を理解してくれる人だと。

 

「いい……ですか?」

 

 不安げになる語尾が揺れるその問いに、エトの胸は締め付けられる。

 何だろう、この感覚は。いつも自分の隣にはサラがいたような気がして、それでもここまで苦しくなるようなことはなかった。クリスマスの雰囲気に飲み込まれているのか、あるいは自分の中でサラに対する心境が大きく変化したのか――後者であればいいなと、そんなことをチラッと考えてしまう。

 儚げな言葉と同じように、何故かサラ自身が儚く自分の隣から消えてしまいそうな気がして、エトは、サラの手を取っていたその手を、彼女の肩に回してそっと抱き寄せる。

 そうしてやりたかった。いや、そうしたかった。

 

「あっ……」

 

 サラの心音が、その振動が、抱き寄せた肩からトクトクと感じられる。逆に、エト自身の高揚と緊張の鼓動が、これでもかとサラにダイレクトに伝わっているのかもしれない。

 いつからこんな感覚を知ったのかは分からないけれど、しかしそんな自分が、エトには嬉しい。

 

「どんどん頼ってくれないと、むしろ寂しいかな」

 

 きっとエトの頬もこれ以上なく紅潮しているだろう。照れくさいだろうが、それがエトの紛れもない本心。

 一度サラの肩から腕を外して、そしてサラの金色の瞳を静かに見つめる。

 エトの行動に対するサラの動揺。しかし真剣なエトの顔に何かを感じ取って、サラもエトの瞳を覗き込んだ。

 

「これから二つ、言いたいことがあるんだ」

 

 そう切り出すのはエト。

 まず初めに言わなければならないのは、この時期の恒例の挨拶。

 クリスマス・イヴならば、これを言わなければどうにもならない。そしてそれを始めに伝えられる相手が彼女で、本当に良かったと思っている。

 

「メリー・クリスマス」

 

「メリー・クリスマス……です」

 

 何だそんなことか、と、いつも通りの笑顔に頬のピンク色をトッピングさせたエトに、静かに微笑み返す。

 何だかそれだけで幸せなような気がするが、エトにはもう一つ言いたいことがあるらしい。このタイミングで何を言い出すのだろうか、不安も半分、期待も半分で、エトの口が開くのを待つ。

 

「もう一つは、何ですか?」

 

 そう返してみると、何故かエトの視線が右往左往、いつも自分の気持ちをコントロールできているエトにしては、珍しく動揺している。

 そして何やら自分の頬を両手の平でパンパンと二回程叩いて見せると、真剣な眼差しでルビー色の瞳がサラの瞳を貫いた。そして次に、サラが予想だにしなかった言葉がエトの口から紡ぎだされることとなる。

 エトの呼吸音が、すぅっと聞こえてきて――

 

「僕と、付き合ってください」

 

 

 

 




壁ってどれくらいの硬さがいいんだろうね。柔らかすぎれば耐震性とかに異常がありそうだし、固すぎればこっちが色々と痛いし。明日辺りから壁が売れそうで何よりです。

清隆「姫乃?ああ、あいつはもう俺に惚れてるに等しいから」



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迷いと決意

なんだかんだ言って意外と恋愛とかに耐性がないのがエト。多分全力で慌てます。


 昨日の生徒会役員選挙で逆転当選をものにした葛木清隆は、いつも以上に早起きをしていた。

 別にいつも早起きであるということでもなく、逆に寝坊癖がついているわけでもない。夢や眠りに関する魔法が得意分野であることもあって、余程のことがない限り地震の眠りを狂わせることはない。ただ一つ、本日は姫乃と共に、朝から実家に帰省する連中を見送りに行こうと約束をしたということだ。

 魔法使いの卵を集めてはその才能を開花させるためにつくられたこの王立ロンドン魔法学園、通称風見鶏は、様々な国籍の魔法使いが在籍している。そのためここロンドンの周辺から学園に来た者は、原則として長期休暇の間は実家に帰ることになっている。無論、明らかにイギリスから遠い国から来た者や、カテゴリー5としてのリッカ・グリーンウッドなどのような多忙につき帰る暇のない者は寮に残ることが許されている。清隆は姫乃と共に後者である。同郷出身の人形使い、江戸川耕助も同じだろう。

 どれくらい早起きをすればよいか分からなかった清隆は一応結構早めに時間設定をしておいたおかげか、ある程度の準備を済ませたところで結構時間が余っていることに気が付く。ほんの少し本でも読んで時間を潰そうと本棚に手を伸ばそうとした時、玄関先から慌ただしい物音が聞こえてきた。誰かが物凄い勢いでドアをノックしている。

 

「姫乃か?」

 

 時間にしては早過ぎる。時計を見てもまだ三十分弱はあると見た。しかし別にまだ寝ているわけでもないのに、ここまでドアをノックするとはどういう要件だろうか。

 そもそも姫乃には『清隆の部屋の鍵』だけを対象として絞り込んだ開錠(アンロック)の魔法がある。部屋の鍵を閉めているとはいえ、それを使って入ってくるのは彼女にとって容易なことである。しかしここまで慌てているらしいのだ。清隆としても急いであげない理由はない。

 少し急ぎ足で扉の前へ、そして開錠と共にドアを開けてやった。

 

「どうしたよ姫乃?」

 

 しかしそこにいたのはいつもの少女ではなかった。

 ふわふわと揺れる白銀の髪、いつもは落ち着いた印象を抱かせているルビー色の瞳は今日に限って焦っていた。

 エト・マロース――生徒会長、シャルル・マロースの弟であり、清隆のクラスメイトで友達である。

 

「き、清隆っ」

 

 やたらとソワソワして落ち着きのないエトが発した言葉は、典型的な、緊張している人が発するような強張ったものだった。

 何を慌てているのか知らないが、とりあえずは彼を落ち着かせるために部屋に入れてやる。

 きょろきょろと辺りを見回すエトは、何を考えているのかいきなり清隆のベッドに飛び込んでその枕に顔を(うず)めた。唐突なエトの行動に、清隆は開いた口が塞がらない。

 よく分からないが、ベッドの中でもじもじしているエトを無理矢理引き剥がして、直ちにその場に座らせる。

 清隆は一旦部屋の設備で簡単に茶を用意してエトに勧め、とりあえず落ち着くように言う。

 一息入れて、深呼吸。改めて落ち着いたエトはその少し潤んだつぶらな瞳で清隆を見上げた。しかしまるっきり状況が掴めない清隆はただただ困惑するしかなかった。

 

「で、どうしたんだよそんなに慌てて」

 

 改めて、エトにそう問いかける。エトはそこで一度ぎゅっと目を瞑って――しかし開いた瞳はやはり揺れていた。

 

「こ、告白しちゃった」

 

「……は?」

 

「昨日のクリスマスで、サラちゃんに告白しちゃったんだよっ」

 

 それは素晴らしいことではないか、と清隆は彼を祝福しそうになった。しかし彼は焦っているのだ。そんな簡単な話ではないのは明白だろう。

 実際、サラがエトにあからさまな好意を抱いていたのは何となく察していたし、そんな彼女にエトが惹かれるのも時間の問題ではないかと考えていた。むしろ二人が結ばれない未来が想像できない。だからこそ、問題はエトがサラに告白したことはさほど問題ではないのだ。

 だったら、エトがサラに告白したことでどんな問題が生じるのだろうか。

 

「どうしよう、告白したのは確かだし、サラちゃんも頷いてくれたし、でもサラちゃんが彼女になるってことはきっと結婚までするんだろうし、サラちゃんの家族にはどう挨拶しようか子供はどうしようかサラちゃんはそこまで望んでるんだろうか――」

 

 清隆はただ唖然としていた。

 彼が慌てるくらいのことだからどんなトラブルなのだろうと真剣に聞いてやるつもりが、ただの惚気だったのだ。このやるせなさはどこにぶつければいいだろうか。清隆ではなく耕助ならエトに飛びかかっていたかもしれない。

 

「あー分かった分かった」

 

 頭痛の種ができそうな気がして目頭を押さえるが、とりあえず饒舌なエトを何とか静止させる。

 自分の失態に気が付いたのか、ゴメンと謝ったエトは、そのまましゅんと項垂れる。

 昨日、クリスマスムードに流されていたエトは、サラに対する自分の気持ちに気付いて、自分のその心のままに彼女に包み隠さず彼女の届けた。

 サラはエトの言葉を聞いては耳まで真っ赤にして照れてはいたけれども、エトの口からその言葉を聞く日が来るとは思っていなかっただけで、逡巡することなく彼の気持ちを受け入れその手を取ったのだった。

 しかしその後お互いに恥ずかしがって互いに一言も口を利くことができず、とりあえずエトがサラを学生寮まで送り、エト自身も自室に戻ったのだが、その後あまりの恥ずかしさに悶絶して結局一睡もできないままに清隆の下に駆けつけたのだった。そして今に至る。

 

「恋愛とか俺も詳しくはないけどさ、エトがサラのことを好きでいられるなら、それはそのままでいいし、別にそこまで先のことを考える必要もないんじゃないか?」

 

「でも、彼女になるんだから責任とかそう言うの取らないと――」

 

「まだ必要ないだろ。今は二人の地盤というか、互いの気持ちを深め合うのが大事だと俺は思う。いつかは責任とか必要になる時が来るだろうけど、それはその時でいいんじゃないか?」

 

 エトの地に足が着いていない科白をバッサリとぶった切って、清隆は自分の持論を展開してみる。無論清隆は恋愛経験など皆無だし、仲のいい女の子など姫乃くらいしかいない。

 しかしそんな清隆からしてみても、エトの考えは明らかに急ぎ過ぎていた。ゆっくりと二人の関係をつくっていけばいいのだから、今は学生同士の恋愛として、ささやかに青春を満喫した方が二人のためだと思っている。当然サラの家庭環境のことは視野に含めているつもりだし、彼女にとってもエトと共にいることが幸せであることは心から願っている。

 

「……流石は清隆だよ。僕がきっとかけてほしかっただろう言葉を、的確に与えてくれる。僕が女の子だったら、きっと清隆のことが好きになってただろうね」

 

「冗談はよせよ。恋愛経験のない俺が的確なアドバイスなんてできるわけないだろ」

 

「半分は本音だよ。そう言う言葉を、姫乃にもかけてあげた方がいいんじゃない?」

 

 どうしてそこで姫乃の名前が、とは言えなかった。図星だったとも言える。

 実際、昨日のクリスマスパーティーで不安げな姫乃の背中を抱き締めた時、彼女のか弱さを、彼女の愛しさを、一人の女の子として感じてしまったのだから。

 葛木家の伝統――呪い。繰り返される悲劇の連鎖。その涙の鎖は、その小さな器に繋がれようとしている。

 清隆は、たった一人の大切な(そんざい)を守るためにここに来たのだ。その使命を、母の願いを、父の期待を背負って、今ここにいるのだ。それを忘れたことなど一度もない。

 

「――清隆?」

 

「あ、ごめん」

 

 結構深く考え事をしていたようだ。エトをないがしろにしていたことを少し反省する。苦笑いで何でもないと答えながら、エトに背中を向ける。

 そこでちょうどよく、玄関からもう一つのノック音が聞こえてきた。入りますよー、と聞き慣れた声と共に鍵が開く音がして、姿を現したのは桜をイメージさせる着物姿の姫乃だった。珍しくエトがいたことに驚いて、一礼。慌ててエトも彼女に挨拶を返す。

 念のために姫乃にも同じように相談を持ち掛けたのだが、流石は兄妹と呼ぶべきか、ほとんど似たような意見が返ってきた時には、清隆と共に吹き出してしまっていた。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 清隆と姫乃と共に部屋を出て、途中で耕助と出くわしては、帰省組のクラスメイトを見送るために寮のラウンジへと向かった。

 葛木兄妹や耕助たちが色々なクラスメイトに声をかけている最中、エトはサラの姿を見つけ声をかける。サラもエトに声をかけられる前に彼の姿に気が付き、少し小走りで駆け寄ってきた。

 

「お、おはよう」

 

「おはよう、ございます」

 

 恋人同士になった翌日の最初の会話。初々しくぎこちないが、しかしどこか嬉しく感じる。

 いつもはしっかりしているエトもサラも、どこか恥ずかしくてもじもじしているのが互いに可愛らしくて、結局その場でクスリと吹き出してしまう。

 

「サラちゃんも帰省組なんだね」

 

「そうですね、年末は家族と過ごすことになります」

 

 サラの家族、エトは昨日サラから預かって目を通した彼女の父から届いた手紙の内容を知っている。そんなところへサラを返してしまえば、戻ってくる頃には重圧に負けて以前の冷たいサラに戻ってしまうのではないかと一抹の不安を抱いていた。

 

「寂しくなるね」

 

「そうですね……」

 

 寂しそうにしゅんとするサラを、エトは無性に抱き締めたくなる衝動に駆られた。大好きな人を自分の手元に置いておきたい、決して離したくない、離れたくない、これが好きって感情なんだなと、顔を紅くしながら考えてしまう。気が付けば、抱き締めることはなかったものの、荷物を持っていた彼女の手を自分の両手が包んでいた。

 

「あっ……」

 

 エトの無意識な行動に驚いて、しかし頬を紅潮させては静かに喜んだ。しばらくして彼の手が離れることとなったが、やはり自分はエトのことが大好きなのだろう、彼の体温が離れていってしまうことに寂しさを感じるようになっていた。

 

「それじゃ、気を付けてね」

 

「エトの方こそ、良いお年を」

 

 そして、サラが踵を返そうとして、もう一度こちらを振り返る。その顔は先程以上に真っ赤に染まっていて、どうしたのかと心配しそうになった時に、一度時は止まった。

 少し背伸びをして、エトの視線とサラの視線がほぼ同じ高さになって、サラの小さな桃色の唇が、エトの唇に触れていた。

 ほんの一瞬、すぐにサラは踵を返して走り去っていく。

 エトは彼女に何も言えず、ただその場に立ち尽くしていた。

 サラがエトに残していったクリスマスプレゼントは、些細でありながら、大胆な愛の証。自分の指が唇に触れて、未だその温もりが残っていて、嬉しさと恥ずかしさがごちゃ混ぜになったような、心から踊り出してしまいそうな感情に足が震えた。

 

「サラはもう行っちゃったか」

 

 清隆の声。振り返るとそこには妙な笑顔を携えた葛木兄妹が立っていた。何故か彼らから生暖かい視線が感じられる。

 今のワンシーンを目撃していたのだろうか。一応他人の目があるこの場所で、自分たちの大胆な行動が目立っているかもしれないのが恥ずかしくて、穴があれば潜り込みたくなる。

 

「朝食にしようぜ」

 

 ある程度エトの心境を察してくれたのだろう、清隆はそうエトに誘いをかけた。

 いつまでもサラがいなくなった向こう側を眺めているわけにもいかない。気持ちを一度切り替えて、清隆の誘いに乗ったのだった。

 

「お腹空いたしね。食堂でいいかな」

 

 色々とふっ切れたのか、そこにあったのは今まで通りの引き込まれそうな笑顔を携えたエトだった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 朝食を終えて、清隆と姫乃は一旦エトと別れて、地上で二人でショッピングをしていた。

 深い霧に包まれたロンドン、しかし相変わらず人通りは多く、視界が狭まってもなおその盛況は衰えを見せることはない。

 姫乃にせかされて入店した百貨店、『ハロッズ』は彼女から聞いた評判通りだったと言える。品揃えが豊富で、清隆自身特に何かを買う目的などなかったはずなのに、気が付けばその腕には自分で購入した色々なものが袋に入れられてぶら下がっていた。

 

「ふふ、デディベア、お部屋に飾ろうっと……」

 

 ご満悦な姫乃が抱えている紙袋に入っているデディベアは清隆はプレゼントしたものだ。恐らく値段も本日購入したもので一、二を争う。

 最近妙に姫乃を意識してしまっている清隆にとって、姫乃がご機嫌であるのなら自分も嬉しいのだが、清隆にとっての本命は実は別にあった。

 大英博物館の図書室。清隆がとある情報を得るためにあらゆる資料に目を通してはいるのだが――先に言っておこう、ここでも清隆の欲しい情報は出てくることはなかった。

 この日の収穫は道中での仕事の買い出し中だった陽ノ本葵、そして単独で単独で依頼していたはずの任務に『八本槍』の一人、クー・フーリンを引っ張っていたリッカ・グリーンウッドと遭遇したことくらいであり、直接的な戦果といえば、ほんの少しの姫乃の満足。それはそれでありかと思えてしまう清隆だったが、少しばかり焦りが強くなってきていた。

 姫乃の未来。自分自身の未来。いつ訪れるかも分からない死線(タイムリミット)。きっとそれはある日突然目の前にやってくる。間に合わないかもしれない。

 

「ダメだ、ダメだ」

 

「どうしたんですか、突然」

 

 独り言を呟き始める清隆が、少し様子がおかしい。姫乃はそれを僅かに感じ取る。

 姫乃にとってはあまり見たことのない、兄の暗く恐ろしい表情。まるで何かに急かされているような、落ち着きのない兄の様子が、まるでいつもの彼と別人であったかのように。

 そんな姫乃の不安げな顔を見て、深刻になり過ぎた自分を反省する。まだ時間はある。少なくとも風見鶏に滞在している間は問題ないのだ。それまでにあらゆるパイプをつくり、専門分野の方に相談に応じてもらう道も拓けるはずだ。

 ネガティブになりつつあった気持ちを一度追い出そうと深呼吸。

 

 ――スー、ハー。スー、ハー。

 

 冷たい空気が霧と共に自分の身体の内を冷やしていく。少し冷静になったかなと自分でも自覚して――違和感に気が付いた。

 気のせいだろうか、考え事をしていたせいだろうか、何かが、心の中にするりと入り込んできたような気がした。周りを見渡してみても、ごく普通の霧。そして人がせわしなく往来するいつも通りの風景。何も変わったことはなかった。

 

「……兄さん?」

 

 ハッ、と、現実に引き戻されたような感覚。視線を隣にやると、今まで以上に心配そうな瞳でこちらを見上げる姫乃が、清隆の服の裾を掴んで引っ張っていた。

 分かっている――姫乃は大事な妹だ。どんなことがあろうと守り抜かなければならない。しかしそれで姫乃を心配させるようなことはしたくない。

 だからこそ、自分が、姫乃が悲しみの底から戻れなくなってしまう前に、自分が行動を起こすべきなのだ。そしていつか、姫乃と共に平凡な学園生活を送れるように。そしてその先、いつか生まれるであろう姫乃の子供が、同じ悲しみを背負うことのないように。

 焦燥にも似た決意を固めた清隆は、一度大丈夫だと姫乃の頭をポンポンと撫でてやる。

 釈然としない姫乃だったが、とりあえずはいつもの兄に戻ってくれた清隆に安心して、二人で風見鶏に戻っていったのだった。

 

 想い。願い。渦巻く感情。螺旋の如く繰り返される。まさに、ダ・カーポ。今また一人、霧の中に足を踏み入れ、終わることのない迷宮へと取り残される。

 踏みしめるのは同じ道。何度も何度も繰り返し繰り返し同じ道に戻ってきては繰り返す。それが、人の想いだから。それが、人の願いだから。

 ただ一人の少女の決意が、一人の少年の決意を、無限の夢ヘと誘ってゆく。

 

 そして。

 

 三日後、風見鶏の学生寮、清隆の自室にて、葛木清隆が目を覚まさずに眠り続ける姿が、姫乃によって発見された。




やっぱり姫乃関連のことはやっておきたい。せっかく伏線も張ってあるんだし。
リッカシナリオ以外で間接的に核心に迫れるのは姫乃関連だからなぁ。
なお詳しくは描写しない模様。


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霧の悪夢

そろそろ核心に踏み込んでいきます(クライマックスとは言ってない)


 葛木清隆――旧姓、芳乃清隆。

 とある小さな島で生まれ育った少年には、周りの子どもから見ても異質だと言い切れる不思議で、不気味な力が備わっていた。

 その力が周囲を怖がらせ、怯えさせる。彼らが清隆に対して取った行動は、異物の排除。自分たちの常識の外に存在する『化け物』を日常の輪から外すことで、心の平静を保つことしかできなかった。

 だから、清隆という少年はいつも独り。誰とも話をせず、誰とも関係をつくらず、ただその生活も、そして心も荒んでいくばかりだった。

 異質な力が、自分を蝕んでいる――年齢の割に成長しない身体が、ますます自身にそう思わせる。自分は彼らの言う通り、『化け物』なのだと。

 ある日、人としての温かさと言われるものを失った清隆は、魔法使いの一族に引き取られることとなる。運命なのか、偶然なのか、そここそ、日本において魔法使いの名門とも言われる葛木家だった。

 清隆はそこで多くのことを学ぶこととなった。自分の異質な力――魔法について。その外枠と共に葛木の苗字を与えられ、魔法使いとして生きる指針をもたらしてくれたのが清隆の義理の父であり、同時に姫乃の実の父でもある当主だった。

 そして、葛木姫乃。歳こそ多少離れてはいるものの、見た目は大体同い年。彼女の存在は、清隆を大きく変えた。生粋の箱入り娘、清隆からすれば姫乃はあまりに弱々しく、自分が傍にいてやらないとすぐにどうにかなってしまいそうで。気が付けばいつも一緒にいたような気がする。

 葛木家にあったのは、そんな温もりだけではなかった。

 あの日、姫乃の母親が病床で息を引き取る時の、姫乃の悲痛な叫び声は、今でも覚えている。

 

 ――姫乃、ごめんね。

 

 母親の、自分を責めるような後悔めいた言葉。その意味を、清隆は当時、まだ知らなかった。ただその時、母は当主である父と、そして清隆に姫乃のことを託して逝ってしまったのだ。たった一人の愛娘に、大きな選択を迫られること、そしてたとえ姫乃がどんな選択をしようとも、天国から見守り応援しているということを伝えて。

 

 葛木家に伝わる『お役目』。

 彼らの一族は、日本各地に存在する超自然的な力が暴走しないように監視する、監視者の家柄であった。葛木家の祖先が全国で漂白をしていた渡り巫女――定住しないで各地を表烏博する巫女を指し、歩神子(あるきみこ)とも呼ばれる存在――であり、その一族が葛木姓の地方豪族と交わり現在の場所に根を下ろしたのが、十六世紀後半だと言われている。およそ四百年前の出来事だ。

 そしてその場に定住することになったのが、その場で漂っていた強大な超自然的存在、通称、『鬼』。古文書には、邪鬼が復活しないようにその地に留まったと記されている。

 その『鬼』の強大な力を封印するための憑代となったのが、葛木家の正統後継者である、娘。母から娘、娘から孫娘へ――その封印は代々受け継がれてきている。それにより憑代となった女は、邪悪な性質のみが封印されたその力の純粋な部分を扱うことで、魔法使いとしてより強力な力を得たとされている。

 しかし、『鬼』が女にもたらすのは力だけではなかった。その大き過ぎる力は、宿主の身体を蝕んでいく。

 見た目は普通の病気、しかしそれがそもそも魔法や魔力に由来するもののため、科学的な医療技術では原因を探り当てることすら不可能なのだ。

 侵食を抑える方法は一つ、外部からではなく、術者本人の力――魔力でのみ、『鬼』の力の対抗手段たり得、病気の進行を抑えることができるのだが。

『鬼』の力の継承システム上、その力が自然に放たれないようにするためには、宿主が死んでしまう前に次の宿主へと『鬼』の力を譲渡しなければならない。それは即ち、子供をつくることに他ならず。

 一般的に魔力とは想いの力とされており、恋人ヘと捧げる愛が、そして恋人との間に誕生した息子娘ヘと捧げる愛が、誰かを想う力として魔力ではない形として放出されることで、魔法使いの魔力を衰えさせていく。

 何より家庭を築くことこそが、『鬼』の侵食による病気を加速させる事態になっているのだ。

 だから、姫乃の母は当主を愛し、姫乃を慈しむことで想いの力を魔力とは別の形で放出することで『鬼』の力に対抗できずに、まだ幼い姫乃を残して夭逝してしまったのだ。

 

 ――そしてその悲劇は、いずれ姫乃へと受け継がれていく。

 

 その連鎖を止めるために、魔法に関する知識ならあらゆることを学ぶことができる、ここ王立ロンドン魔法学園に、姫乃のお守りという名目で留学したのだ。

 父の期待を背負って、母の願いを抱いて、そして何より、姫乃の未来を願って。

 だからこそ、一刻も早く、その連鎖を断ち切ってやらなければならない。

 夜のうちに、寝ている誰かの夢に潜り込み、対象の記憶から知識を抜き出していく方法。寝ている間も魔法を行使するために脳は起きている状態と同じように活動しているため、疲れが取れることはない。むしろ、翌日に疲労を持ち越して、寝不足どころか体調不良の原因にもなるだろう。しかし、そんなことはどうでもよかった。

 

 ――こんな方法じゃ、あなたはいつか自滅するわ。

 

 清隆を止めるためにわざと自身の夢に誘導したリッカ・グリーンウッドによって諭された言葉。

 しかしそれは所詮専門外の人間の忠告。夢見の魔法使いとしては最高峰といっても過言ではない、カテゴリー4の魔法使いが、そう簡単に専門分野でしくじるわけもない。

 実際に、誰かが見ている夢を調べるのと、人間の深層心理に入り込んでいくことは全く訳が違う。退き際を間違えれば、他人と自分の意識の区別がつかなくなり、そのまま意識がランダム化し、他人の深層心理の仲へと消えてしまうこともある。そして術者の意識は消滅し、体だけが残され廃人状態になるという。

 そのことを説明するリッカの表情は、少し暗かった。恐らく、そう言うケースを知っているのだろう。

 しかしそれでも、そのリスクに見合うものを、清隆は求めている。姫乃の未来、ひいては自分の未来。今ここで苦しむことが、いつか姫乃の悲しき選択を消し去ることに繋がるのなら、自分の身を危険に晒すことなど容易い。

 ひとまずはクラスマスターの忠告を聞いたように見せかけるために彼女の夢から脱出しようとしたところで――世界が暗転した。

 一瞬の出来事。視界が暗くなったと思えば、気が付けば、よく知る者の夢の中にいた。

 その少女の幼き日の姿。彼女の目に映るのは、その少女の母。清隆もよく知る人物は、今にも息絶えようとしていた。

 葛木姫乃と、その母、咲姫(さき)

 そう、ここは姫乃の過去を表す夢。彼女の過去が、走馬灯のように夢の中を流れている。最後に映った、清隆と父親である当主との会話。風見鶏に向かう直前の風景を後にして。

 視界が霧に覆われる。腕に纏わりつき、足に絡みつく。

 

 ――――繰り返す――――ただ、繰り返す。

 

 誰かの言葉、聞き覚えのある、誰かの言葉。思い出せない。これは誰の声だったか。

 女性の声。後悔と絶望に彩られた、重く苦しい声。

 

 ――――深い深い夢――それはダ・カーポ――この悠久の夢から私を助け出して――お願い――

 

 誰かいるのか、問いかける声はこの空間の中で乱反射を繰り返す。そんな自分の声すらどこから響いてくるのか、本当に自分が発したものなのか分からなくなる。

 これは悪夢。救われない夢の中でもがき続ける、苦しみの夢。

 接近している危機感が警鐘を鳴らしている。ここに長居することはよくない。すぐにでもここを離脱しなければならないが――どこに行けばいいのか分からない。

 黒く染め上げられた空間に充満する霧が、全ての視界を奪い去っている。どこから来たのか、どこへ向かえばいいのか分からない。そして、体中を縛り付けて離さない霧が動きを完全に封じ込める。

 身体にのしかかる重みが増し、少しずつ眠気が増してくる。

 

 ――眠気?

 

 ここは夢の中だ。夢の中で眠ってしまうということが、どういうことか、自分でもよく分からない。これが恐らく、自分と他者の意識の融合。

 夢にからめとられていく。駄目だ、これ以上は――

 姫乃を、守らないと――

 

 姫乃――

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 最初に異変に気が付いたのは姫乃だった。

 ある日の朝、いつも通りに清隆を起こしに彼の寮の部屋に訪れてみれは、返事がない。仕方がないから開錠(アンロック)の魔法で部屋に入り、ベッドで眠る兄の身体をゆすってみる。反応がない。夢見や眠りの魔法に関しては才能がある清隆が、なかなか起きないということは珍しかった。

 だからこそ、これが異常事態であるということにいち早く気が付くことができた。兄の部屋でおよそ五時間、ずっと清隆に呼びかけていたが、ついぞ目が覚めることがなかった。

 涙声の姫乃の連絡を受けたリッカがジルと共に駆けつけたのだが。

 

「これは……」

 

 そのリッカの瞳を、ジルはよく知っている。その瞳に映るのは、自責の念。恐らく何かを知っていることを、ジルは悟った。

 清隆の胸は呼吸で上下している。どうやら眠り続けているだけで命に別状はないらしい。とは言え、昏睡状態が続いているようでは満足な食事もとることができず、生物的な欲求を満たすことはできない。その状態が続けば、今度こそ清隆に死という現実が襲いかかるだろう。

 しばらくすると、リッカから連絡を受けたエリザベスが、護衛であるクー・フーリンと共に清隆の部屋に駆けつけた。部屋で眠り続ける清隆の様子を見て、エリザベスは心配そうに息を飲み、クーは気に入らなそうに眼を細めた。

 クーがずかずかと清隆のベッドに近寄ってくるのを見て、一同は当然のように彼に道を空けた。姫乃も例外ではなく、清隆の掌から両っ手を放してその場を離れる。

 どかりと無遠慮に清隆のベッドに腰掛けては暫く彼の様子を観察し、そして思い立ったように一同を見渡した。

 

「どーせリッカ辺りが何か知ってるんだろ、話せ」

 

 傍から見れば彼の発言はただの根拠のない決めつけにしか見えないが、これでも彼女と共に過ごしてきたのは既に百年を過ぎる。お互いの状況など、一目見れば大体の察しがついてしまうのだ。良くも悪くも。

 図星を突かれたリッカは肩を落として、仕方ないと話す準備を頭の中で整えた。

 

「仕方ないわね、これは清隆にとってかなりプライベートな話になるんだけれど――」

 

 そして間をおいて、リッカは姫乃に目配せする。姫乃はその意味がよく分からなかった。

 

「――特に姫乃には、真剣に聞いてほしい話なの。今から話すのは全部、私の夢に侵入してきた清隆から聞いた話が情報源(ソース)なのであって、正確なものとは言えないけれど、それでも十分に信じるに値するものだわ」

 

 リッカの真剣な話に、姫乃は若干の躊躇を示しながらも肯定した。

 自分の兄がこのような状況に陥っているのが、もしかしたら自分のせいなのかもしれない、というよりほぼ間違いなくそうなのだろうと、そう思ったから。

 姫乃は、自分の一族にまつわる『お役目』のことを知っている。将来自分が背負うことになる責務と、そしてその先に待つ運命。きっと、そのために兄は身を削って戦ったのだろう。

 そうだとすれば、今ここで逃げ出すわけにもいかなかった。

 その決意を見たリッカは、知りうる全てを説明し始める。夜な夜な清隆が他人の夢に侵入していること、清隆がリッカの夢の中に入ってくるように誘導し、そこで清隆に聞いた『お役目』の事実、そして、カテゴリー4という高位の魔法使いである葛木清隆が、王立ロンドン魔法学園に来た、本当の理由。

 それら全てを聞いた全員の反応はそれぞれだった。俯く者、清隆を見つめる者、そして――

 クー・フーリンは、おもむろに立ち上がっては、何も言うことなく清隆の部屋を去ろうとした。

 

「何ボサッとしてんだ、全員帰るぞ」

 

 何を考えているのか、突然そんなことを言い出したのだ。

 その言葉を聞いたものは、誰もが彼の方を見てはその顔を驚愕に染めた。正確には誰もが、というより、彼の生き様を知る、リッカとジル以外と言った方が正しい。

 だからこそ、その突然の発言に反論できたのも、その二人だけだった。

 

「ちょっと待って!清隆くんを助けなくていいの!?」

 

 去りゆくクーに対して、ジルが叫ぶ。その言葉にクーが足を止めて、そしてまるでその場に留まる行為を理解できないという風に、ケロッとした表情で逆に返した。

 

「助ける?何言ってんだお前」

 

 あっけらかんと。それが普通であるという風に。

 

「それにエリザベスには本格的に動いてもらわないと困る。地上の霧に関してもある程度の仮説は立てられた。確証はないが我ながら筋は通ってると思うぜ」

 

 見当違いな方向で自信ありげに笑ってみせた。清隆などどうでもいいのだろうか。

 

「清隆に関してはな、こいつが自分から助かりたいと思えば勝手に目ェ覚ましてくるさ。それが難しいって言ったらそうなんだが……」

 

 エリザベスのどういうことだという問に対し、クーは面倒臭そうに頭を掻いて、かいつまんで簡単に始めた。

 彼から話されるのは、霧の正体について。

 まず、地上の霧が発生してからのというもの、ロンドン市内にて様々な事件が勃発するようになった。それは万引きや窃盗という小さなものから、テロといった大きな事件まで実に様々だが、ここ二ヶ月だけで、明らかに霧が発生する前と比べて事件が多く発生しているという事実は否めない。

 そしてその事件を起こした者の殆どが、何かしらの不安や後悔などの、負の感情を大きく抱えている者だということも判明した。国家に対する不満や不安、生活に対する経済的な恐怖、後ろめたい人間関係、そう言ったものが犯罪へと繋がるケースがほとんどで、明確な動機があった者はごくわずかだとも言えた。

 それに対してクーが考察した仮説は、地上の霧が、取り込んだ人間の負の感情を増幅させるということ。そしてそれが、強迫観念となって何かしらの行動をとらせるということだ。

 今回の清隆の件では、姫乃の未来に対する恐怖、そして焦燥感。そう言ったものが清隆の負の感情としてはたらいたのだと言う。

 

「んで、ちょっと騎士王様の関係で、読心術者と話す機会があったんだが――」

 

 魔法の影響で昏睡状態に陥った場合、そのほとんどが現実から逃避しようとしていることが多いらしい。それは決して強く思っているわけではなく、むしろ無意識下、自分でも感じられないくらい心の奥深くで眠っている感情として根付くらしい。

 昏睡状態から目を覚ますことがたまにあるそうだが、彼らのほとんどが、眠っている最中に夢を見ていたらしい。その夢の内容というのが、抱えていた負の感情の根源がそもそも存在しない世界での出来事だというのだ。

 実際、クーが初めて清隆と対面した時に、彼に対して沿ておいた忠告通りになってしまった。簡単にじょこと他者の境界線を踏み越えてしまうその性格で、考えもなく焦って行動してしまえば、簡単に自滅へと向かってしまうということを。

 

「つまりだ、清隆が深層心理で現実に向き合おうとしない限り、どうしようもねぇんだよ」

 

 そして、クーの言葉に悲痛な表情を浮かべる姫乃を見て、少しばかり言い過ぎたかと考えて、更にこう付け加えた。

 

「もっとも、どこかの誰かさんが葛木の心の重荷とやらを取っ払って、深層心理から引っ張り出してやりゃ万事解決なんだけどな」

 

 それだけを言い残して去るクーには、大きな懸念が残っていた。

 以前『八本槍』の一人、『歩く禁呪(フォビドゥン・ゴブレット)』から言われた一言が、心に突き刺さる。

 霧の禁呪と言われたこの地上の霧が、親に当たると言った彼女の発言。そして核心に近づこうとすると肌に焼き付く嫌悪感。

 何かが、音を立てて崩れようとしているようで、気に入らなかった。




霧の正体を勘付かせるのに、姫乃シナリオはうってつけ。彼には犠牲になってもらいます。
原作でも結局葛木家の救済方法は分からず仕舞いなんですよね。


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姫の覚悟

ほら、さっさと解決する!(母並感)


 それは姫乃にとって、不本意にも見慣れてしまった光景だった。

 ベッドに横たわる兄、清隆の身体、そして規則的な胸の上下と共に静かに聞こえる彼の寝息。ひたすらに握り続けている彼の掌からは既に温度を感じているのかどうかも定かではない。その温もりは彼のものか、あるいは自分が温めただけなのか。

 彼が姫乃に何かを隠していたのは、何となく姫乃自身も気が付いていた。

 日本でも何度か見せてくれた魔法の数々、そして親戚の人を中心とした魔法使いやその存在を知る者に対する夢見の魔法の効果は絶大で、相手の悩みや不安、探し物などをたちどころに解決してしまうところを見ると、清隆という人間がかなりレベルの高い魔法使いであるということはある程度理解していた。

 姫乃も決して間抜けではない。そのようなプロ顔負けの魔法使いがわざわざ初心者(ビギナー)の魔法使いばかり揃う王立ロンドン魔法学園、通称風見鶏に通うのは本当に姫乃のお守りだけが理由だったのか、そのことに疑問を感じたのは入学して間もない頃からだった。

 当然姫乃自身も、一族に伝えられている『お役目』については知っているし、清隆も恐らくそのことを父辺りから耳にしていたのだろう。きっと、娘を任せた、などと言われて、お守りを建前に風見鶏に来て何かしらの行動を起こすつもりだった、だから風見鶏で生徒会役員選挙に立候補したと考えればこれ以上なく筋が通る。

 ずっと清隆は、姫乃のことを第一に考えてくれていたのだ。悲しき未来を挫いてみせると、焦燥に駆られながら奔走して。

 

「……兄さん」

 

 反応がないことは承知していて呼びかける。傍にいるのにまるでそこにいないな気がして、どうしようもなく不安だったから。

 風見鶏に在籍している、かの大英雄は言った。清隆はただ現実から目を背けているだけだと。眠りに就いた中で、夢を見ていると。一体どんな夢を見ているのだろう。何が重荷になっているのだろうか。『お役目』だろうか。それとも、その運命を背負う姫乃自身だろうか。だとしたら、清隆はもしかすれば、姫乃がいない世界の夢でも見ているのかもしれない。

 

「全部、私のせいなんですね……」

 

 そう、葛木姫乃自身が弱かったから。

 運命を受け止めるのが怖かった。未来を認めてしまうのを恐れた。現実から目を背けようとしていたのは、姫乃自身も当てはまっていた。

 いつか訪れる『お役目』の継承を恐れ、躊躇っている自分がいる。そんな自分が、いつの間にか運命に対し首を横に振っていた。それに気が付いた清隆が身を挺してそこから逃れる方法を模索しようとしている。そして当然、清隆も人間、そんな行動に疲れ果ててしまうのだ。

 決意のない空虚で小さな拳に力を加え、清隆の掌を強く握る。思えばずっと、こんなことばかり繰り返しているかもしれない。何も変わることなどないのに。

 その時、清隆の部屋にノックの音が響き渡る。一度立ち上がって入るように促すと、そこに現れたのは姫乃にとっても魔法の先生であるリッカ・グリーンウッドであった。

 彼女は、相変わらず部屋で祈っていることしかできない姫乃を見ては深刻そうな顔をして、かけるべき言葉を模索しているのか少し間を空けて言う。

 

「――今日はもう帰りなさい。ろくに食事もとってないでしょう。みんな心配してるわ」

 

 両手の拳を腰に当て、諭すように問いかける。

 姫乃にしても個々で駄々をこねるつもりはない。人間である以上、腹は減るし眠くもなる。そう言った生物的欲求はいつもと変わりなく押し寄せてくるのだからもどかしい。こんなものがなければ、いつまでも目覚めることない兄の傍にいてやることができるのに。

 失礼しますと一礼して、リッカと入れ替わるように清隆の部屋を出る。

 わざわざ大浴場まで行く必要もないか、とか食事も簡単でいいか、とかそんなことを考えながら自室に戻ろうとラウンジを通りかかると、そこには見知った顔があった。

 

「あ、姫乃」

 

 白銀の髪、ルビー色の瞳。風見鶏の生徒会長と似通ったそれらを持つ優しい雰囲気の少年、エト・マロース。彼もこちらに気が付いたようで声をかけてきた。

 エトは優しい。姫乃を一目見た時、大分やつれて疲れも見え始めていることに気が付いたのか、まず真っ先に心配そうな表情を浮かべる。

 

「……清隆のことは大変だろうけど、姫乃も無理だけはしないようにね」

 

「うん……」

 

 言われなくとも分かっている、そう言いたそうな顔をして、しかし何か思うところもあるのだろう、視線を逸らして俯く。

 それに対してエトは、同情するでもなく、それでいて叱るでもない、いつも通りの穏やかな笑顔を作ってみせた。いつもと変わらない、誰かを引き込む様な笑顔。

 

「清隆のことを一番分かってあげられるのは、他でもなく姫乃なんだ。そして、姫乃のことを一番よく分かっているのは清隆」

 

 そしてエトは、エトの言葉にこちらに視線を直した姫乃に視線を合わせるように、彼女をじっと見つめた。

 ルビー色の真摯な視線が、姫乃の揺れ動く心を捉えて離さない。

 

「だから姫乃は、勇気を出して、素直になって、清隆の傍にい続けてあげて。それで、ずっと一緒にいられるように、今無理して壊れてしまわないようにさ」

 

「……うん」

 

 姫乃の頬が紅潮し始めた。そして自分の顔を両れで覆い隠したと思えば、引き攣ったような無理な笑顔を向けてみせる。

 しかしどうやらおさまりきらなかったらしい。目尻から大粒の涙が溢れ出してきた。

 

「ごめん……こんなはずじゃなかったのに……」

 

 姫乃にとって、()()()()()()が隣で笑ってくれない。それだけで途方もなく辛く、苦しかった。葛木清隆という存在が、とうの昔から自分の中で大きくなっていたこと、自分の中で、その感情に気が付かないはずがなかった。

 妹。その定位置に甘えていたのかもしれない。いつまでも傍にいられると信じて。しかし現実は非常で。未来に希望はなくて。所詮自分には、幸せになれる道など残されていないのだと、いつも隣にいてくれた少年からすらも逃げ続けていた。そう、自分は清隆の妹だと。

 エトの言葉が、胸を貫いた。貫いた先で、優しく包み込んでくれた。結局自分は、大切な人の傍にい続けることしかできない。そして、そうしてやることが自分の望みであり、そして清隆にとっての見るべき現実。全て理解して、それしか道は残されていない、しかしその道こそが、誰もが望むものだったことを、一番の当事者である姫乃(わたし)が気付いてなかったこと。

 悔しくて、悔しくて、きっとどこかに救いが見えてくることに希望を見出して。

 

「きっと大丈夫だから」

 

 気が付けば、エトの胸の中で赤ん坊のように泣いていた。溜めこんでいたものを全部吐き出すように、ぶちまけるように。いつまでも、いつまでも彼の腕に抱き締められて。

 

「今度は、清隆の胸に泣きついてあげるんだよ」

 

 そんな冗談を添えて。

 だからこそ、ほんの少しだけ余裕を持つことができた。

 九月の終わりに開催された初めてのグニルックのクラスマッチでもエトという少年を見てきたが、やはり彼は、誰かのことを分かってあげられる、心優しい少年だった。そんな彼にだからこそ、ここぞとばかりに言い返したいことがある。自分の友と、同じく友であり兄の友の二人を祝福して。

 泣きついていた彼の胸元を離れ、涙を拭っては精一杯の笑顔を浮かべ、こう言ってやるのだ。

 

「エトも、サラさんのこと、よろしくお願いします」

 

「なっ!?」

 

 どうしてこのタイミングでそれを、とでも言いたそうに顔を真っ赤にして手足をパタパタとさせて子供のように慌てふためく。

 普段は妙に大人びているのに、こういうところは相変わらず子供っぽい。そんな彼を尻目に、踵を返して駆け出した。

 とりあえずはこの年齢になって他人の胸を借りて泣き出すという、あまりにも自分の行動を恥ずかしがったこと、そしてとりあえずは自分の体調をしっかりと整えて、いつか兄が目覚めたその時に、散々叱ってはその胸に泣きついてやろうと決意を固めて。

 走り去ってゆく姫乃の後ろ姿を見て、とりあえずは元気が出たようで何より、突然の図星による焦りを隠すように深呼吸をして、エトも自室に帰ろうとして。

 

「わぷっ」

 

 何かにぶつかった。

 一歩離れて顔を上げると、そこにはよく知ったような顔があった。

 青髪に真紅の瞳、言わずと知れた『アイルランドの映雄』にして『八本槍』の一人、クー・フーリンである。

 

「お兄さん……」

 

「なんだテメェ、一丁前に女泣かせやがって」

 

 勘違いをしているわけではないようだが、どうやら弟子をからかうというのは楽しいらしい。その口元はニヤニヤと笑っていた。

 

「――なぁ」

 

「うん?」

 

 呼びかけられた時、クーの表情は真剣なものへと変わっていた。何か大事なことを話すつもりなのだろう。背丈こそ違うが、エトはクーの正面に立ってその鋭い視線を正面から受け止める。

 

「俺みてーなただのバトルジャンキーじゃなくて、それこそリッカやジルみてーな生き方を望むのなら、もっと周りに目を向けてみろ。そして大事な何かをしっかり見据えてみろ」

 

 何故それをこのタイミングで言ったのかはエトにはよく分からない。少し考える時間を貰おうとして、沈黙が二人の間に流れる。

 しかしよく考えて見れば、今すぐ考える必要もなかったことに気が付いた。

 

「今はよく分からないけれど、きっといつか分かるようになるよ」

 

 その答えに、師匠は満足そうに笑みを浮かべた。

 

「全く、どいつもこいつもませやがって、口から砂糖が出そうだぜ」

 

 閑話休題、というのだろうか、唐突に話題を切り替えてはどこかの誰かに毒づく。気づいてはいないのだろうが恐らく目の前の少年もその対象かもしれない。

 

「お兄さんは恋とかしないの?」

 

「よしそれじゃあエト、想像してみろ」

 

 華やかに彩られたリゾート島の商店街。インテリアの店からスイーツの店まで、どこもかしこも大繁盛。

 そんな中で街灯に背を預けてどこかソワソワしながら誰かを待つ青髪真紅眼の青年。しばらくして、妙に気合いを入れて着飾った女がとてとてと走ってくる。

 手を振りながら一言、『ゴメン、待たせたよね』、そんな謝罪の言葉に青年が返す言葉は『そんなことはない、少し前に来たばかりだ』。

 互いの指を絡めるように手を握り合って、少し頬を紅潮させながら、気恥ずかしくて目を合わせられなくて、そしてどちらともなく肩同士を合わせて足を一歩踏み出す。

 ビスケットを購入しては『アーン』とかしてみたり、ホーンテッドハウス(お化け屋敷)に挑戦してみては怖いと腕に抱き着かれて腕を包み込む柔らかい感触を堪能してみたりして。

 人気の少ない夕焼けのビーチを散歩しては立ち止まって、互いに言葉もなくサンセットを背景に、少しずつ影のシルエットが近づいて――

 

「ごめん無理」

 

 クーが色々とよからぬことを想像させた後には、どうしようもなさそうな微妙な顔をしたエトがそこにいた。

 まるで甘ったるい恋愛から程遠い凄腕規格外の戦士。青春を謳歌する少年少女の誰もが憧れるような恋愛のワンシーンに彼を当てはめるととんでもないくらいに雰囲気がぶち壊しになってしまうことを改めて学習してしまった。

 

「ほら見ろ」

 

 威張ることでもない。むしろエトとしても本気で心配してしまいかねない。

 しかしここでエトも何かしら閃いたようで。

 

「それじゃあ、例えばその相手がリッカさんだったら?」

 

「ほう?」

 

 華やかに彩られたリゾート島の商店街。インテリアの店からスイーツの店まで、どこもかしこも大繁盛。

 そんな中で街灯に背を預けてどこかイライラしながら誰かを待つ青髪真紅眼の青年。しばらくして、妙に気合いを入れて着飾った女がとてとてと走ってくる。

 手を振りながら一言、『ちゃんと時間までに来てるわね』、自分の方が遅れ気味だというのになんという言い草かと思いながら、『テメェとは違うんだよ』。

 強引に腕を搦めてくるリッカに対して少し鬱陶しそうにするが、案外悪い気分でもない青年。女狐みたいだと文句を垂れ流しながら騒ぎの方へと巻き込まれに行く。

 どこかで買って来たらしいビスケットを強引に口の中に放り込まれたり、ホーンテッドハウス(お化け屋敷)に挑戦しては『デキとしてはまぁまぁね』などと批評してみたりして。

 人気の少ない夕焼けのビーチを散歩しては立ち止まって、どうでもいいことで口論しては、しかし最後に仲直りして、サンセットを背景に影のシルエットはその手を繋いで――

 

「あれ?」

 

 エトも色々と想像してみたところ、どうしようもなく恋愛っぽい雰囲気はないというか、いつも通りの二人というか、ある意味でこれはこれでいいんじゃないかと思わせるような結末に。

 とんだ茶番だとつまらなささそうに腕を組んでいるクーは何を想像したのだろうか。訊きだしてみるのも面白いかもしれないがやめておいた方がいいと考える。きっとろくなことにならない。

 

「恋だの愛だのってのはしたい奴だけすればいいんだっての。俺様はとりあえず世話になってる風見鶏で適当に仕事をこなしつつ、強い奴がいれば全力で戦う、それだけできれば満足だよ」

 

 結局そこにいるのはいつものクー・フーリン。話によれば既に百年以上生きているらしいが、ここまで来れば考え方も固まってしまうのだろう。

 

「それじゃ、リッカさんやジルさんのことはどう思ってるの?」

 

 長年連れ添って旅をしてきた仲らしいし、どういう関係なのかは是非一度知りたいところではあった。

 

「別に嫌いじゃねーよ。ただ狂おしい程愛するって訳でもねーし――まぁ頼りにはなるわな」

 

 結局、そう言った曖昧な答えしか返ってこなかった。

 

「なんかイライラしてきた。エト、ちょっとこの後稽古してやる。ボコボコにしてやるから覚悟しろ」

 

「別にいいけど、あんまり遅くなるのは嫌だよ」

 

 そして二人揃って、一度入った寮のラウンジを、夜の闇の中へと足を踏み出す。

 そう言えば二人で手合せをするのは久しぶりだったか。ほんの少し心躍らせながら、クー・フーリンはグラウンドへと向かうのだった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 何かが足りない気がする――どうにも見慣れない校舎(恐らくどこかの学園なのだろう)での講義の後、声をかけるサラ・クリサリス似の少女(サラと呼んで反応するのでまず間違いないだろう)を適当にあしらって屋上に上がる。

 葛木清隆はどこか見覚えのあるような小さな島の学び舎の一番高いところに上りつめては横になる。

 いつも通りの生活をして、いつも通り友達と不自由な衣生活を送っているはずなのに、毎日毎日囚人のような気分で時を過ごしていた。

 誰かがささやきかけてきている気がしていた。ここは清隆のいるべき場所ではないと。

 今思えば、シャルル似の少女を『シャルルさん』と呼んだ時に妙に不思議られ、以降『るる姉』と呼ぶようになっていたのだが、どうにも以前の『シャルルさん』の方が落ち着いた呼び方のような気がしてならないのだ。

 そんな虚無感を抱えながら空を見上げていたら――

 

「ん?」

 

 青空の一部を凝視する。何か黒い影が徐々に近づいて大きくなってきている。

 立ち上がってはその様子を瞬きもせずに視線で捉えようとしている自分がいる。それを待っていたのかもしれない。それが自分にとって足りないものだったのかもしれない。

 その姿は、紛れもなく女の子だった。羽のようにゆっくりと降りてきては、お姫様抱っこのような形で清隆の腕に抱き留められる。

 そしてその少女は、晴れ晴れとした笑みを浮かべては、感激したように言った。

 

「やっと見つけた、兄さん!」

 

 どこかで見たことがあるような少女。しかし彼女は清隆に何かを考えさせる暇も与えずに。

 その唇を奪ったのだった。




これで本腰入れてエトの話に入れます。多分。


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寒さの中の再会

いつも通りに予約投稿できていると思い込んでいたがそんなことはなかったでござる。待っていてくださった方は申し訳ありません。これっぽっちもエタフラグではありません。


 冬の長期休暇も終わりに近づき、新学期への期待や不安がせめぎあう中で、少しずつ空気が変わってきているのが風見鶏の生徒には感じられていた。

 ロンドンの地下に存在するそれはまるで異世界、王立ロンドン魔法学園、通称風見鶏では、この雪の降るような寒い季節でさえも変わらず薄紅色の桜の花を咲き誇らせている。

 ヨーロッパでは実を結ぶ事の方が重要視されるためになかなか桜の花が注目されるものではないが、日本には春夏秋冬という四季が存在しており、冬の終わりから春にかけて、一面が桜で彩られる幻想的な光景をその瞳いっぱいに収めることができるのだそうな。

 さて、どれだけ着込もうと冷たく乾いた風が素肌を襲うこの季節、しかし肌で感じるそれとは程遠いくらいに温かさを感じる一面桜色の一本道を、エトは耕助と共に歩いていた。特に目的のない、単なる散歩である。

 

「うう、やっぱ桜が咲いてるとはいえ冬には変わりないんだな……」

 

「気温は地上と同じように調整されているらしいからね」

 

 ジャケットまで着込んだ耕助は、服の上から二の腕を擦る。余程寒いのが苦手なのか声も震えていた。

 そこまで寒いならわざわざ外に出なければいいと思うだろうが、そういう訳にもいかないのだ。その理由こそ、彼らの視線の少し先にあった。

 仲睦まじく手を繋いで歩く少年少女。一件恋人同士に見える彼ら、片や休暇に入る前は咄嗟の判断で多くの命を危機から救い、叙勲されただけでヒーローとなれるような名誉騎士の称号を手に入れ、挙句魔法使いの卵にとって尊敬の対象となる風見鶏生徒会役員選挙に当選、見事生徒会役員として返り咲くことができた日本人男性。片や趣味は世話焼き、特技は世話焼き、長所は世話焼き短所も世話焼きといった具合に、家族や友達の世話を焼かないと死ぬ病気にかかっているようにも見える、大和撫子という言葉が外見性格共に似合う少女。

 この二人、実は血は繋がっていなくとも、兄妹なのだ。

 日本から来た魔法使いの名門、葛木家の長女と養子。葛木姫乃と、葛木清隆。

 少し前まで、事件があった。

 年末を迎える少し前、葛木清隆が原因不明の昏睡状態に陥った。彼のクラスのクラスマスターを務めるカテゴリー5の魔法使い、リッカ・グリーンウッドが、他人の夢を利用した彼の無茶で闇雲な行動に気が付いて、自分の夢の中に彼を誘導することで彼の目的、そして姫乃や葛木家そのものに隠された真実を知り、そこで厳重に注意したつもりだった。

 しかし、清隆はその時他人の夢の中に囚われ、そのまま他人の深層心理の中に搦めとられて夢の中から脱出できなくなり、目覚めぬ体になってしまった。姫乃に発見されたのは翌日のことである。

 そんな彼を救い出したのは他でもなく姫乃だった。

 自分の使命から、運命から逃げていた弱さに気付いていながら目を背け続けた自分に叱咤し、彼女はある決断をする。それこそ、『お役目』の力の継承。

 清隆を救うためには、力がいる。その力を手にする準備はできていた。ただ、それを受け取ることが途方もなく恐ろしかった。しかし、それでも助けたかったのだ。自分にとって最も大切な人を――最愛の存在を。

 姫乃は思い知った。何故母が、そして祖母が、悲しき運命を背負ってまで強大な力を得たのか。

 

 ――紛れもない、誰かの笑顔を絶やさないためだった。

 

 強大な『鬼』の力を封じ続けて災厄が野に放たれないようにするのはもちろん、『お役目』の力でたくさんの人を救い、支えてきていた。姫乃の眼には見えずとも、彼女の親や先祖たちはいつも笑顔で誰かを笑顔にしていたのだ。

 逃げるわけにはいかない。いつも隣にいてくれた人の笑顔をここで絶やすわけにはいかない。これから出会うだろう多くの人の笑顔をなくすわけにはいかない。そして何より――誰かを笑顔にするために、強くありたい。

 もう、『お役目』に怯える姫乃(じぶん)はいなかった。

 そして、姫乃は清隆の眠る夢の奥深くへと向かった。もちろん彼女には清隆と同様に夢見の魔法を扱うどころか、その基本すらも知らない。

 それでも、姫乃には姫乃だけの、小さな奇跡が芽生えていた。子供の頃、たった一度だけ成功した、絆の力。

 

 ――清隆の心を知る魔法。

 

 一度、少し遠い昔、姫乃がまだ幼かった頃だが、どこかに出かけては帰ってこなかった清隆を探しに行ったことがあった。

 当時清隆は、まだ葛木家との間の心の壁を作っていたのか、一人になれる、お気に入りの場所を見つけては、そこで黄昏ることがあった。当然誰にもその場所を教えることなどなかったのだが。

 何故かその日、清隆は葛木家の家に帰りたくなくて、沈みゆく夕日を眺めてはぼうっとしていた。

 彼らの温かさに、馴染むことができなかった。かつて島で向けられた嫌気の絡む視線。人の温もりに対して猜疑心しか抱けなかった清隆にとって、これ以上なく居心地が悪かったのかもしれない。

 そして、誰も知らないはずの場所に、姫乃が来たのだ。

 その時、彼女は言ったのだ。何故ここまで来ることができたのか。

 

 ――おにいちゃんのこころのばしょをね、さがしたんだよ。

 

 そう、清隆の心を知る魔法。

 姫乃自身、何故その当時しか使うことができなかったのだろうと考えたのだが、今になってようやく理解できた。

 あの頃は、本当に兄を、葛木清隆を慕っていたのだ。子供心ながら、心の底から愛していたのだ。しかし、成長して常識やらを身に着けていくにしたがって、次第に心の距離は離れていった。だから、今まで一度しか使えたことがなかった。そして、自身が覚悟を決めて『お役目』を受け入れることで、自分の本当の心を受け止めることで、また、彼の心を知ることができた。

 

 そんなこんなで清隆を夢の底から救い出すことができたのだが。

 そう、以前まで兄妹として仲良さそうにしていた二人が、今ではどこにでもいそうで、それでいて実に彼ららしい雰囲気を放つ恋人として手を繋いで歩いていた。

 エトと耕助にとっても特に理由はないと言ったが、本当は目を覚ました清隆と、そんな彼と運命的に結ばれた姫乃を祝福したいがために彼らの後ろについて回っているのかもしれない。

 

「うらやましーなー、俺もカノジョほしーなー」

 

 その二人の背中をまじまじと見つめては羨ましそうに耕助は呟く。実は隣にもカノジョ持ちがいるのだが、その真実については耕助は知る由もない。

 そんな耕助に、慰め程度に、いつかいい人が現れるよ、なんてお世辞を言ってのけるエト。

 

「うっせ、俺はいつかがくえんちょみたいなおっぱいが大きくて美しい人を手に入れてやるんだっ!」

 

 苦笑いを浮かべるエト。

 いつも通り、何ら変わることのない日常。例え清隆が一度昏睡状態に陥ろうと、姫乃が『お役目』を継ごうと、兄妹だった二人が恋人として結ばれようと、相変わらず何もかもが変わらない。結局はまた自分たちを包み込む、温かな日常。耕助の文句という名の呪詛を聞き流しながら、そんなことを考えてしまうのだった。

 

「そう言えば今日って、帰省組が帰って来るらしいね」

 

 そう切り出したのはこれまたエト。

 冬の長期休暇が終わるということは、再び学園に戻ってくるために帰省していた学生が実家から帰ってくることになる。そうなれば、是非ともクラスメイトや中のいい連中に挨拶しておきたいと思うところもあるのだろう。

 

「ああそういやそうか。クラスの連中も帰ってくるみたいだし、一旦寮に帰って迎えてやるとしますか」

 

 耕助の誘いに乗っては、前を歩くカップルに声をかけ、ほんの少し冷やかしては照れる表情を堪能し、踵を返して学生寮へと戻る。

 寮を出たのが朝の早い時間だったために、帰ってきたのが丁度普段起きたくらいの時間帯だった。

 階段を上がってはラウンジから見下ろして数刻。ようやく帰省組が帰ってくる様子が窓の外から見てとれた。

 腰を上げて再び階段を降り、見知った顔を探してはお帰りと挨拶を交わす作業。清隆と姫乃も一旦別れて、親しい友人や知り合いと雑談を交わしている。途中でメアリー・ホームズやエドワード・ワトスンとも出会い、事実かどうかも分からない自慢話を聞き流したりもした。

 そして、ここずっとエトが会いたかった人が、ようやく姿を現す。

 

「あ……」

 

 純白のワンピースの上に、紺色のブレザーを着込んで。青色のツインテールをピョンピョン揺らしていたのが、こちらに気が付いてその動きを止める。小柄な堅物委員長、サラ・クリサリス。

 引き摺るように転がしているバッグにはたくさんの荷物が入っているらしく、どうやらここまで来るのに大分疲れたらしい。エトは何も言わずに彼女の傍まで駆け寄って、そっと荷物を持ってあげる。

 

「ありがとうございます」

 

 この日から、エトにとって大切な日々になるのは、彼にとっても、サラにとっても知る由もなかった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 本来、女子寮は男子禁制であるという原則があるのだが、実際のところは形骸化しているようなものであり、生徒会役員が見ていない限り、たまに男子生徒が女子の部屋の前をうろついていることも見受けられる。同様に女子もまた原則禁制である男子の部屋に行くことは禁止されているが姫乃をはじめとした連中がたまにうろついていたりする。

 さて、大量の帰省組が返ってくるという状況の中で、誰に見られるか分からないというのにも拘らず、エトはサラの荷物を引っ張って転がしていた。わざわざ男子がルールを冒してまで女子の部屋まで行く理由は一つだろう、その光景を見ている誰もがそれを想像しているに違いない。実際、サラが周りを見渡してみると見知っている人そうでない人がこちらをちらちらと見てはクスクス笑っている。

 一方でエトも同じ視線に晒されているというのに、全く動じることなくまるでそれが普通であるかのように振る舞っている。かの『アイルランドの映雄』と畏怖される男の傍で過ごしたことだけはある、流石の鋼のメンタルだ。

 周りの視線を気にしつつ俯きながらようやく自室に到着するというところで、急にサラが足を止めた。

 

「サラちゃん、どうしたの?」

 

 ふと振り返ったエトが目にしたものは、どことなく慌てているサラの姿だった。

 何か忘れものに気が付いたのあろうか。とんでもない過ちを犯してしまったと言わんばかりの表情である。顔から血の気が引いていた。

 

「えっ――えっと、エトはここまででいいですっ、私はもう大丈夫ですっ」

 

 そう言ってエトが引っ張っていた荷物手を伸ばして、強引に奪い取ろうとする。

 しかしエトは、サラが本当は優しい子であるということは知っていた。きっとサラは、自分に余計な負担をかけさせまいと気を遣って、部屋でゆっくりするように言いたいのだろう。

 だが、これでもエトはサラの恋人。こんなところで引き下がるわけにもいかない。

 

「大丈夫だよ。僕はサラちゃんの役に立ちたい――っていうより、少しでもサラちゃんと一緒にいたいんだ」

 

 好きな人にそんな甘い言葉で囁かれると、何だか脳髄が麻痺するようで、思考がとろけて素直に彼に甘えようと思ってしまう。

 そこで思い切り首を左右に振った。そうではない、それではいけないのだ。

 

「違うんです!そうじゃなくて、部屋に来てほしくないんですっ!」

 

 顔を真っ赤にしながら、しかし冷静に周囲を見ているようで、小声で叫ぶように訴えかける。

 エトはそんな彼女に、やっぱり変に優しくしてしまうのだ。

 

「サラちゃんの部屋には、是非一度は入っておきたいな。だって男でサラちゃんの部屋を知ることができるのは、僕ただ一人ってことでしょ?」

 

 なんだこの少年は、羞恥心とか自重というものを知らないのか。既にサラの心の中は半泣きである。

 かと思えば、何故かエトの表情が曇っている。どこからどう見ても落ち込んでいるようにしか見えない。

 

「やっぱり、まだ早いよね。これからゆっくり距離を詰めていけばいいと思ってたけど、少し焦り過ぎたかな」

 

 そんなことを言いながら、寂しそうに小さく笑顔を作ってみせる。

 だからそう言うところが卑怯なのだ。その引き込まれるような笑顔で何度頭がおかしくなったことか。それに今回はそれに寂しいオーラを追加して解き放ってきた。以前のサラでも抵抗できなかったのに、もうほとんどエトに依存してしまっているところもある今のサラにとって、警戒に必要な心の壁など紙切れ一枚に過ぎない。

 

「そ、そんなに落ち込まないでください、わ、私が悪かったですから」

 

 あ、何で私謝ってんだろう、もう気分は若干諦めモードである。どうあがいても今のサラではエトに太刀打ちできない。色々な意味で。

 

 

「じゃ、じゃあ、行っていいんだね!?」

 

 ハッと自分の失態を思い出して、やっぱり駄目だと言いだそうとした時には、時すでに遅し。既にサラの部屋の前まで来ていた。

 諦めたサラが部屋の鍵を懐から出しては、ゆっくりと、そうゆっくりと少しでも先延ばしにしようと足掻きつつ、しかし物理法則というものは無情でサラの努力空しくカチャリと音を立ててしまう。

 そして次の瞬間。サラの静止を聞く暇もなく、エトがドアノブを捻って扉を開けてしまったのだ。

 流石は最強の野生児の下で育った少年、女性に対するデリカシーがどこか足りていない。

 そして、エトはその光景を視界に収めて、絶句してしまった。

 

「凄い……」

 

 見渡してみたら、そこかしこに置いてあるファンシーな人形。テディベアから始まる様々な動物の形を模したものから、ハートや星などの典型的な形のものまで、実に様々な人形があらゆるところに綺麗に整列して座っていた。これこそ普段堅物な印象しか見られないサラの予想だにしない部分。所詮サラも一人の可愛い女の子ということで。

 引かれるか、嫌われるか。普段の自分からは想像できない部屋に幻滅するか。そう思って目をぎゅっと瞑ったと思った刹那。

 頬に風を受けた。部屋の方へとツインテールが揺れる。そっと目を開けてみれば既にエトはそこにはいなかった。

 部屋の中へと視線を向けてみると、人形の内一体を手にとっては、嬉しそうに笑っているではないか。

 

「凄い、何これ、凄く可愛いよ!」

 

 子供のように興奮しては、人形を次々に手に取ってはしゃいでいるエト。

 まさか自分が幻滅されると思っていたが、むしろエトもこう言ったものが好きだったのか。結局似た者同士だったというオチが待っていただけでどうということはなかった。

 何を焦っていたのだろうと全ての努力が本当に無駄な徒労に終わってしまったことにある意味で安堵を感じつつ、ゆっくりと荷物を部屋の中に片付けていく。

 サラの片付けの手伝いを申し出たことをすっかり忘れて人形と戯れているエトを見ながら苦笑いをするサラ。まだまだ知らないこともたくさんあるんだなと、静かにエトを見つめる。

 トナカイのような人形を腕の中に抱いて、頬擦りをしているところを見ても、男の癖にみっともないなどと思えない。

 生徒会長である姉と同じような顔のつくりだからだろうか。女が尾という程でもないがまだまだ童顔で、そんな彼が人形と戯れているのは、弟が何かのごっこ遊びに夢中になっているようにも見える。

 

「それ、気に入ったのならあげます」

 

 そう言うとエトが一瞬で反応して振り返っては、驚きで顔を染めて期待の眼差しでこちらを見つめる。

 頷いてやるとそれはもう大歓喜で、それを見ているとなんだかおかしくて思わず吹き出してしまった。

 どうしてそこまでそのトナカイが気に入ったのだろう、彼の感性はよく分からないが、彼が喜んでくれるのなら、普段のお礼も兼ねて、そしてついでにその楽しそうな表情を堪能させてもらおうと、そんなことを考えていた。




気が付いたらこれもう五十話来てるけど、何だか百話までに終わるか不安になってきた。章で言えばこれが終わってあと二つあるからなぁ……


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才能と努力と限界と

ちょっと遅くなりました。最近地味に小説書く作業をサボり気味になっているような気がしないでもない。やりたいことととやらないといけないことが山ほどあるから……


 今日から再び、この学び舎で学園生活が始まる。

 そんな日にも拘らず、エトとサラは朝の寒空の下、桜並木を潜り抜けながら、寒いとか手が冷たいとか、手を繋ぐとか繋がないとか、そんなバカみたいな夫婦漫才を披露していた。意外と体裁というものを気にしている節があるサラとしては、誰にも見られなかっただけ幸運といったものだ。

 全校生徒が講堂へと集められ、エリザベス学園長の講話を聞き流す。彼女の性格なのだろうか、長ったらしく続くと思われた学園長の挨拶は、意外と早く幕を引く。

 エリザベスと入れ替わりに壇上に姿を現したのは、ウェーブのかかった白銀のロングヘアーに、深いルビー色の瞳、サラの恋人であるエト・マロースの姉である生徒会長、シャルル・マロース。流石は姉弟というべきか、ここまで両者が整った容姿をしているとなると、何となくサラの気分も妬ましくなってくる。

 シャルルの生徒会長としての挨拶もやはり簡単なもので、すぐさま業務連絡へと取り移る。休暇前に葛木清隆が生徒会役員選挙に当選したことを再確認し、彼を登壇させせて挨拶させる。その時江戸川耕助が余計なことを口走ったばかりに余計な注目を浴びながらも、壇上で堂々と挨拶をする清隆。そんな彼を称えるように、全校生徒からの拍手喝采が講堂を支配した。

 そして二つ目。一月二十七日。この日は、毎年開催される由緒正しきグニルックの公式大会が開催される。

 その名も、クイーンズカップ。

 参加資格は特にない。強いて言えば魔法使いであること。風見鶏の生徒なら誰でもエントリーできる。但し、この大会は風見鶏の職員やOB、外部からも多くの選手が参加するため、グニルックを熟知した者や強大な魔力を誇る魔法使いもこぞって参加するため、勝利を目指す者にとってはかなりハードルの高い大会となるだろう。

 そして当然、公式大会であるため、その記録は正式に記録され、勝利した者は相応の名声を得られるかもしれない。そしてこの大会は、サラがクリサリスの名を再び世界に知らしめるのにふさわしい舞台でもあるのだ。

 グニルックはもともと魔法使いによってつくられた、紳士のスポーツとして嗜まれてきた伝統的競技である。グニルックの実力者であるということがすなわち魔法使いの社会において一目置かれる存在であるということも同義であり、実際に魔法の才能があり、知識や判断力、そして戦略も試されるという面で、真に優秀な魔法使いが勝ち上がれるようなシステムが構築されている辺り、よくできたものである。だからか、古くからある由緒正しき家などではグニルックに対する意識も高いらしい。当然、同じく古くから存在する貴族としての一門、クリサリス家にも同じことがいえよう。

 彼女は、HRが終わって、清隆が生徒会に顔を出そうと教室を出ようと準備をしている時には、既にグニルックの練習へと急いでいた。

 もちろん、そんな彼女の背中には、腰ぎんちゃくのようにエトがついていっていたのだが。

 

 誰もいない広々とした競技場で、ロッドが風を切る。

 ロッドがブリッドと接触するインパクトの瞬間、サラの魔力がロッドを通してブリットへと送られる。その模範ともいえる美しいフォームで振り抜かれたロッド、そしてブリットは直線に近い放物線を描いて空を翔ける。サラの想定するように。サラの希望に沿うように。

 グニルックは、このインパクトの一瞬でほぼ全てが決まると言っても過言ではない。スイングしたロッドがブリットに触れる一瞬の時間で、ブリットの制御に必要な魔力をどれだけ正確に移すことができるか。魔力が少なければ遠くまで飛ばすことができず、かといってブリットに乗せた魔力が雑であれば見当違いな方向に飛んで行ってしまう。

 ブリットのコントロールにはそれほど多くの魔力を必要としない。そう言う点では基礎魔力の低いサラでも、例えばカテゴリー5の魔法使いであるリッカ・グリーンウッドや、それこそ公式戦を出禁にされたクー・フーリンを相手にとっても対等に渡り合える可能性がある競技なのである。

 しかし実際のところ、一度のショットでほとんどの魔力を持っていかれるサラにとって、試合終盤になるにつれて魔力の消費量を極限まで節約するような戦いになってしまう。そうなれば前述のとおりターゲットパネルまで届かずに終わるか、あるいは雑な魔力の乗せ方で、大事な一打を討ち損じてしまうこともある。結局は、基礎魔力が制御の制度に大きく影響してくる点では変わりない。

 練習用のターゲットパネルに、サラの放ったブリットが衝突して音を立てる。当たり所としては悪くはないのだが、恐らくサラが本来狙っているところからは少しずれているようだ。サラの表情も少し険しい。一打一打を正確に打とうとすると、自分の身体に大きく負担をかけてしまうのが現状でのサラの弱点である。

 

「やっぱり、基礎魔力が少ないことに関してはどうしようもないね……」

 

 エトが口にしたそれは受け止めなければならない事実であり、サラもそれは認めている。しかしそこから一歩先に進まなければならないのも事実だ。少ない魔力で如何にして調節して試合終盤まで持たせるか、これが今後の課題となる。

 

「とにかく、練習あるのみです。より少ない魔力で遠くまで正確に飛ばす練習をするしかないんです」

 

 それが今の彼女にとっての理想の形。

 例えば、魔法使いの魔力量の平均が百だったとして、グニルックの一打に使う魔力が五だったとする。これだと連続して二十回程ショットできる計算になるが、一方でサラの魔力がこの時に十だったとすれば、同じ魔力を使っても四回しかショットすることができない。しかし、そこでサラが自身のショットの際の魔力を極限まで節約し、一度のショットで一の魔力しか使用しないようになれば、一般の魔法使いと同じく二十回ショットできるようになるわけだ。

 そして、その五分の一の魔力で、一般の魔法使いと同じような正確なショットを要求される。そこには桁違いの難しさととリスクが胡坐をかいて座っているのだ。

 

 それから一時間程、サラの練習を傍で観察して、あーでもないこーでもないと議論を交わしつつ、少しでもサラのプレースタイルを模索していた。

 結局今日のところは進展を見せなかったものの、一か月ほどの時間はある。のんびりしている時間こそないものの、まだ焦る必要もない。放っておけば勝手に暴走しそうなサラを軽く注意して、今日のところは学生寮まで一緒に帰って別れたのだった。

 日没後、窓から差す夕日の光もすっかりと消え去り、夜闇が風見鶏を支配する頃、デスクの灯りをつけて読書をしていたエトは栞を挟んで本を仕舞い、クローゼットに向かう。

 戸を開けると目に入るコートの下に覗く細長い筒。クー・フーリンも普段は似たようなものを持ち歩いているが、それよりは大分短い。それとタオルを抱えて、周囲に誰もいないことを確認してから自室を飛び出して廊下を走り抜ける。特に見られて困るものでもないが無駄な説明は時間がもったいない。

 向かった先はそれなりに広さのある広場で、特に誰かが利用しているわけでもない。休日の昼間はここで暇をつぶしている連中の姿も見られる。

 そこでエトは抱えていた細長い筒のような荷物をおろし、その端のチャックを開けて中から()()を取り出す。

 訓練用の剣。レプリカで切れ味こそ皆無だが、それなりに重みもあり人を殴りつければ立派な凶器になり得る。鞘から抜き放った銀色の刃に月の灯りが反射し煌めく。

 毎日欠かさず行っている、剣の訓練。

 正面で構え、瞳を閉じる。頭の中で術式魔法を構成し、完成したそれに魔力を乗せていく。少ない魔力で大きな力を発揮するそれによって、エトの体から淡い魔力の光が発される。

 瞳を開けて、少し離れた位置に相手がいるようなイメージ。その姿は、兄のように慕う、史上最強の師匠。

 地面を蹴る。術式魔法によって蹴る力を大幅に増幅させており、速度は自動車のそれを大きく上回る。右に踏み出したエトに対し、相手からすれば、エトが左右に分身して飛び出したようにも見えるだろう。当然相手から見て右に飛び出したエトは偽物であり、魔法によって生み出された幻覚である。

 相手が動いていないのを目で確認しながらすぐさま方向転換のために再び地面を蹴る。一瞬といわれる時間で射程内に相手を入れ、剣を肩に引き込む。

 

「――今だ」

 

 水平の斬撃。当然こんな子供騙しの攻撃が当たるはずもない。存在しない槍に阻まれて恐らく反撃を食らっているだろう。

 バックステップで距離を取り、再び突撃。相手の左脇腹から右肩への斬り上げ――これも当たらない。

 相手は次の斬撃のモーションに入る前に左肩側へ瞬時に移動、そのまま槍を突き出す。

 首に突き出されたそれを腰を落としてやり過ごし、刺突――そして水平の斬撃。バックステップでこれも躱される。

 逃がすまいと距離を詰めて斜め斬り上げ――その瞬間相手の瞳が鋭く光る。

 一振りが振り上げた手首にヒットし、剣を落とす。次の瞬間、その槍の穂先は喉元を捉えていた。

 

「――」

 

 冷や汗が背中を伝う。

 実際に相手は目の前に存在しない。しかし、どんなに都合よくイメージを塗り替えようとも、イメージを越えてかの英雄はエトの攻撃を搦めとり反撃を繰り出す。

 勝てるイメージができない。実力の差は当然にして必然。

 弾かれたわけでもなく手元から吹き飛ばされた剣を拾っては汚れを拭き取る。椅子に座り込んで汗を拭っては一度リラックス。

 その時懐で何かが震えた。

 シェル――誰かからの連絡だろうか。すぐさま取り出して確認すると、メッセージが一件届いていた。差出人は、クラスマスターであり姉の友人、リッカ・グリーンウッド。そうやらこれから軽くケーキ・ビフォア・フラワーズ、通称フラワーズで食事会を行うらしい。メンバーはシャルル・マロース、五条院巴、リッカ・グリーンウッド、それからクー・フーリンも参加するらしい。恐らく無理矢理だろう。何故自分が呼ばれたのかは分からないが、断る理由もないので快い返事を送っておいた。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 案の定、フラワーズの屋外席に陣取っていた彼女たちのうち、クーだけがこれ以上なく嫌そうな顔をしていた。

 

「そーんな嫌そうな顔しないの。こんな美女三人に囲まれて食事会だなんてむしろ光栄に思わないと」

 

 悪戯っぽい笑みを浮かべながら天下の『八本槍』を挑発するリッカ。しかしそんな彼女を当然の如く突っぱねてみせる。そんな態度をとる理由も実に単純明快で。

 

「だったら無理矢理俺を引っ張り出してこんな下らねーお遊びに付き合わされて挙句出費は全部俺ってどういうつもりだテメー」

 

「あら、こういう時は男性が積極的にお金を出すっていうのがレディ・ファーストとしての常識でしょ?」

 

「それって無理矢理連行した奴が言う台詞かよ。それにテメェがレディって言われるにゃ淑やかさが欠如しまくってるぞ」

 

 そんな口喧嘩をしているところにエト・マロースが姿を現す。

 何故このメンバーで自分が呼ばれたのかを聞いてみると、とりあえずクーが顔を出す妥協線として、エトをこの場に呼んでくることが条件となったのだ。遠回りな人身御供というところである。クーにしても、エトとは師弟関係の中で何度も刃を交わしあってきた仲。それなりに信頼はしているようだ。現状彼よりも長くいるリッカの方が立場が低いというのはどうかと思うが。

 後から席について、出てきたスタッフにメニューを注文してから、エトは遅れて他の連中に挨拶する。

 

「エト、テメェはクイーンズカップにエントリーしないのかよ」

 

 真っ先に上がったのはその話題だった。

 他所のクラスではメアリー・ホームズ、イアン・セルウェイがエントリーしていることは耳にしていた。葛木清隆は今回生徒会の方で運営の手伝いをするということで今回は見送ったらしい。

 エトは最初からエントリーするつもりはなかった。今の実力では上位者たちに歯が立たないということ、そして何より大きな理由がもう一つあった。

 

「うん、僕は今回、サラちゃんのサポートと応援をしてあげたいんだ」

 

 わお、と女性陣からよく分からない感嘆が。色々あって、彼女たちもエトがサラと付き合っているということは知っていた。同時にエトもこの三人が既に知っているだろうことを見越して話し始めた訳だが。

 

「力がなくても、一生懸命頑張ってる。そんな子を、支えてあげたい。勝てるかどうかは彼女次第だけど、少しでも前に進めるように支えてあげたいんだ」

 

 その言葉に、クーは一瞬面白そうな笑みを浮かべて、すぐに気に入らないという風な不満顔に戻った。

 相変わらず何を考えているのかよく分からない男だが、弟子の行く末に関しては気になっているようだ。師弟愛、美しきかな。

 

「ケッ、つまんねー。俺だってエントリーしたいのに出禁とかふざけんなっての。ここに出たい奴がいるってのに折角のチャンスをドブに捨てる奴があるかよ」

 

 言葉には棘がこれでもかという程含まれているが、それでもエトは理解している。なんだかんだで彼は自分を応援していると。

 何だか過剰に信頼し過ぎているのが心配になってくるのはここにいる誰もが思うところであった。

 

「……理解してんだろ、あいつにゃもう限界だってこと」

 

 突如、真剣な面持ちで、真っ直ぐにエトを見据えてはそう問いかける。

 急に真面目になってどうしたのかと思えば、生徒会三人娘も話の内容を察したらしい。

 

「うん。サラちゃんはもう、クリサリス家をどうこうできる力なんか持ち合わせちゃいないんだ」

 

 それに対して、同じく真剣な表情で、そう呟いた。

 確かにサラは努力している。現状を打開しようと試行錯誤している。しかし、魔法使いの評価のほとんどが魔法の力であることによって、サラがどれだけ頑張ろうと才能の壁を乗り越えることができないのはここにいる全員の知るところだった。

 そして、彼女にぞっこんであるエトにはまずそれを知らしめておく必要があった。それが現実であり、変えられない運命。

 実力とか、才能とか、努力とか、限界までチャレンジし続けたクーにとって、サラの限界などとうに見えていたのだ。

 しかし、そんな彼の非情な一言に、エトは全く動じることはない。むしろ、更なる覚悟を固めたとでも言うような、心の奥底で燃えるような闘志がその瞳に映っているような気がした。

 

「でも、それでもサラちゃんは頑張ってる。報われないからって、見捨てていいわけじゃないよ」

 

 シリアスなムード。エトの決意も確認したところで、リッカが茶々を入れる。

 結局は全ての台詞が『サラのことが好きだ』で解決するようなもので、その本心がぶれることはない。

 誰かを好きになったことが初めてな初心(うぶ)な少年が、あたふたしながら恋人と寄り添っていることをねちねちと巴やリッカにつつかれて。つまらなそうな顔をしてウェイターに運ばれた酒をあおっているエトの師匠と。

 ぶち壊しになった雰囲気を尻目に、成長した弟の姿を遠い目で見つめる姉の姿がそこにはあった。




さて、この章もそろそろ核心に迫っていきます。エトとサラの関係を描くの楽し過ぎワロタ。


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猛特訓はランチの後で

一度は挟みたかったあまいちゃ回。えっ、前から甘いって?
嫌だなぁ、シリアスしか書けない俺がそんなに日常回を挟めるはずがないじゃないか(適当)


 ある休日の風見鶏。

 グニルック競技場には風見鶏の制服を着用した二人の少年少女がいた。一人は生徒会長シャルル・マロースの弟、エト・マロース。もう一人は由緒正しい古くからの魔法使いの貴族の息女、サラ・クリサリス。

 冬の長期休暇を迎える前に晴れて恋人同士になった二人は、長き惜別の休暇という暇地獄を乗り越えて再会、早速いたるところで愛をささやき合っているという。

 さて、グニルックの公式大会、クイーンズカップに向けて、大会にエントリーしたサラが真剣な面持ちでロッドを構え、ブリットを撃ち抜いていく。直線では綺麗な軌道を描くものの、物理法則を無視した魔法でのコントロールを行うとなると微妙なズレやミスが生じて上手くターゲットパネルにヒットさせることができない。

 そんな彼女を傍で応援してやりながら、時にはアドバイス、時には直接体で教え込む様な感じで試行錯誤している。競技場が貸し切り状態であるとはいえ流石にくっつきすぎではないか。

 撃ち出したブリットが見事に障害物をすれすれで避けて、吸い寄せられるように練習用ターゲットパネルの中央を撃ち抜く。

 感覚を掴んだのか、それからはエトのことすら視界に入れずに一心不乱にロッドとブリットに向き合って反復練習をこなしていく。何度も何度も体に叩き込んでいくことで、癖になるレベルまで自然に打てるようにしていく。

 そんな真面目なサラを尻目に、芝生の上に寛いで座っていたエトも立ち上がり、尻の草を手で払ってからグニルックの道具に手を伸ばす。

 そして彼女のレーンと一つ間を置いて隣のレーンに立ち、ブリット及びロットをスタンバイさせる。

 サラからすれば少し遠くの前方に彼が立つ形になるので、嫌でも目に入ることとなった。

 

「エトも、練習するんですか?」

 

 そう聞くと、こちらに背を向けて構えていたエトはその構えを解き、サラの方へと向き直る。

 

「いや、ちょっとね」

 

 あまり詳しくを語ろうとはしないらしい。こういう時のエトは何かしら突発的に思いついて行動することが多い、サラのこれまでの観察結果である。だからサラも深くは言及しないようにした。確かに一人で集中して練習しているのをただ眺めるのは暇だろう。

 再びロッドを強く握って構えを取ると――正面のエトのブリットがとんでもない方向へと飛んで行っているのを目撃してしまった。

 

「やっぱダメか……」

 

 そう言って見つめているのは真上。日付が変わるときに時針、分針、秒針が向いている方向である。

 眩しい陽光を遮るように掌で日除けをつくりながら、空高く跳ね上がったブリットを眺めている。

 

「えっ、えっ?」

 

 唐突なエトの行動に困惑を隠しきれない。

 いくらグニルックの経験が浅いエトであるとは言え、ここまで頓珍漢な方向へと飛ばすような真似は決してしない。事実、入学してすぐに開かれたクラスマッチでも代表としての責任をしっかりと果たせる程度の実力は持ち合わせていた。

 しかし、今日のエトは調子の悪い江戸川耕助のショットよりも酷いものだった。

 

「狙って……な訳ないですよね」

 

 自分に言い聞かせるように小声で呟く。

 そもそもそんなことをする必要がない。正面にあるターゲットパネルを撃ち抜くためにブリットを撃ち出すのだ。わざわざ自らの意志で真上に上げて意図的にミスショットをするメリットはない。ただ観客に恥を晒し自身のプライドを意味もなく傷つけるだけだ。

 

「――うーん、上手く()()()()()なぁ」

 

 不穏なことをエトが呟いているものの、背中を向けられているサラには彼の言葉は届かなかった。

 そして再びロッドを構え、ブリットをスタンバイして、――真上に打ち上げる。

 

「えー」

 

 あまりにも意味不明な奇行に及ぶエトが気になって仕方がない。

 しかし同時に、これでは自分の練習に集中できない。だから無理矢理にでも彼を視界に納めないようにパネルの方を向いて、パネルの方を向いて、自分のことだけを意識して何とかして集中させる。

 サラのブリットから、エトのブリットから、カーン、カーン、と小気味よい音が響いてくる。

 サラのブリットは障害物を避けつつ、エトのブリットはただ空を目指して。決して目指すべき方向ではないことはサラにはこれ以上なくよく分かっている。きっと誰がこの光景を目にしても、優し過ぎて遂に頭がおかしくなってしまったのだと思ってしまうに違いない。

 

 さて、そんな摩訶不思議な時間を終えて、太陽が最も高くなる時間になる。

 朝早くという程でもないが、起床して色々と準備した後、すぐにグニルック競技場に来ての練習だったため、その時間はおよそ二時間を超える。それだけ運動すれば腹が鳴るのも時間の問題だということだ。

 

「あっ」

 

 エトの腹が情けなく音を立てる。

 時間差で羞恥心に顔を紅くしながら、サラの表情を気にする。失笑するでも、引き気味になるでもなく、何故かあっけにとられたような表情をしていた。

 

「えっ、いや、エトのお腹もちゃんとなるんですね」

 

「そりゃ僕だって人間だもん」

 

「というよりお腹が鳴る前に自分でケアしているものかと」

 

 それは自分よりサラちゃんのキャラじゃないか、というツッコミはしないでおく。腹が減っているのに不毛な言い争いになって時間が潰れてしまうのは二人の関係的に良くないだろうし何よりお腹に悪い。

 

「そういうサラちゃんはお腹空いてないの?」

 

「いや、そう言う程でも――」

 

 どこかで虫が鳴った。

 どこにいるどんな形をしたどんな無視かは全くほんの少しも分からないが、それはもう可愛らしい鳴き声で虫が鳴いた。

 エトからすればサラから聞こえてきたような気もするが、たった今彼女の口からそれほど腹は減ってないと聞いたのだから、まずもって彼女の腹が鳴った訳ではないとエトには断言できる。

 だとすれば一体どこから――

 

「……」

 

「サラちゃん、どうしたの?」

 

 何故か目の前で青いツインテールの少女がこちらに背を向けて、立ったまま微妙に縮こまっていた。耳が赤くなっているのは一体何故だろう。

 背中を向けたまま、ゆっくりと首だけを少し捻って、赤くなった頬を少しだけこちらに向けて、恥ずかしそうな目でこちらを見る。

 

「――きました」

 

「え?」

 

「お腹、空きました」

 

「えっ――、ああ、うんそうだね」

 

 どんな言葉をかけてあげるべきか――何だか下手にフォローしてもネガティブに落ち込んでしまいそうだ。

 苦笑いで微妙な空気を誤魔化しつつ、何か次の言葉をかけてあげようとしていたら、サラが急に振り返って何かを言いたそうに口ごもる。

 

「だっ、だから――」

 

 何を緊張しているのだろう、サラのことなら何でも受け止めてあげるというのに。しかし一方で結構勇気がいることなのだろうと納得して、とりあえず微妙な空気の間はどこかへと行ってくれたので密かに安堵しておく。

 

「お、お弁当、一緒に食べませんかっ……!」

 

 鞄の中に腕を突っ込んで、引っ張り出してきたのは可愛らしい柄の布に包まれた、少し大きめの箱。どうやら弁当箱のようだ。

 

「えっ、いいの?」

 

「え、エトのために、作ってきましたから……」

 

 もじもじしながらそんなことを言われると、何だか背中の辺りがむず痒くなって、無性に嬉しい。

 サラの手先は器用だから、その手から作られる料理は美味しいだろう。以前、グニルックのクラスマッチの前日に開かれたパーティーで食べた彼女の手作り料理はそれはもう絶品だった。

 そしてそれを抜きにしても、一人の女の子がただ自分のために自分を想って何かをしてくれたということだけで温かい気持ちになる。

 

「それじゃ、ここらで休憩しようか」

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 空気は冷たいが太陽の光が温かい。青空の下でマットを敷き、その上に腰を下ろして二人の間に少し大きい弁当箱を開く。

 そこにはまるでエトの見たことのないような料理がずらりと並んでいた。エトが特に気になったのは、米粒を拳の大きさ程度に丸めて三角形に固め、それを黒い何かで包んだ団子状のもの。その物体をまじまじと見つめていると、サラが嬉しそうに語り出した。

 

「それは『オムスビ』といいます。お米の中には色々な具が入っていて、見た目が同じでも違う味が楽しめるんです」

 

 そして、それからエトが気になったものを次々と紹介していく。

 聞いたことも見たこともない料理に目を輝かせながら、サラの言葉に耳を傾ける。

 そして最後にエトがこう訊き返した。

 

「これは、どこの国の料理?」

 

 少なくともここロンドンでは目にかかれないような、落ち着いていて、それでいてしっかりした(いろどり)で目を楽しませてくれる料理がこの世界のどこかにあるのかと感嘆の溜息を漏らす。

 

「これは日本の料理です」

 

「日本?」

 

「エトも前、日本料理を食べてみたいって言ってたような気がしたから」

 

 勿論その通りだ。クラスマスターであるところのリッカたちと話している時にもその話題はたまに出てきたし、清隆や姫乃が母国のことを離す際には殆どといっていいほどその魅力は語られた。

 恐らく二人が付き合う前に言っていたであろうことまで思い出してここまでのことをしてくれるとは――いじらしい彼女を無性に抱き締めたくなった。

 

「でも、どうやって作ったの?」

 

 率直な疑問。サラもエトも日本に言ったことなど一度もない。日本の文化に関する事柄に興味を抱いているということも聞いたこともないし、恐らくそう言ったものの文献にも目を通さないだろう。そんな時間があれば魔法の学術書を一冊読破するような少女だ。

 

「清隆と姫乃に教えてもらいました。エトを驚かせてあげたくて、だったら日本の料理しかないかなって。それで姫乃と清隆に協力してもらったんです」

 

「へぇ……」

 

 サラもなかなか味なことをするものだ。一見真面目な優等生にも見えるサラが、自分のことをこなしつつも恋人のためにその時間を割いて勉強して喜ばせてくれる。サラの几帳面な性格が功を奏しているのだろうか、非常に甲斐甲斐しい恋人をしてくれている。

 そして食事に使う食器を手渡されて、エトは困惑した。そこにあったのは、取り皿と、そしてスプーンやフォークと同じくらいの長さの、細長い棒が二本。オーケストラの指揮棒に見えないこともない。

 

「えっと、スプーンとかフォークとかは?」

 

「日本人はそんなの使いません。その箸を使うんです」

 

 そう言ってエトの手元の棒切れを指差す。どこか誇らしげに見えるのは気のせいだろうか。

 さて、そんなサラも自分の箸を手に持って、弁当の中からいくつかエトの取り皿へとよそってあげる。エトが使い方もさっぱりわからない箸をサラは何の不自然もなく使いこなしている。

 これなら自分もできる、と意気込んで箸を手に取った。二本の棒切れを纏めて拳で握るように。

 

「あれ、サラちゃんみたいに開かない」

 

 日本人の感覚からしたら当たり前である。箸はどちらかというと鉛筆やペンなどを握るような要領で手にするようなものである。後は指先の小さな動きで、弱い力で食べ物を摘まんで口に運ぶのだ。それをグーで握っている以上、箸が開いてくれないのは当たり前だ。

 するとサラがほんの少し頬を染めながら、一度立ち上がってエトの隣で腰を下ろす。

 

「お、教えてあげます」

 

 緊張して体を小刻みに震わせながら、寄り添うようにエトの右手を掴んで、その白い指先を絡ませていく。

 小柄とは言え可愛らしい女の子がここまで接触してくるとなると、エトの心拍数もかなりの速度になる。まして優しく指先同士が触れ合っているのだから感触を意識してしまう。

 恥ずかしながらも指先の感触を楽しんでいたら、いつの間にか箸の持ち方が手の中で完成していた。なるほど、中指を動かせば簡単に箸が開く。

 

「それじゃ、さっそく」

 

 先程サラがよそってくれた料理に箸を伸ばして摘まもうとする。

 しかしここで問題が起こった。上手く挟めない。上手く摘まめない。箸と箸の間から食べ物が転がり落ちてしまう。

 そのたびに間抜けた声を漏らしてサラの失笑を買うのだが。

 

「こっちを向いてください」

 

 サラの言葉に振り向くと、器用に箸に煮物のジャガイモを摘まんだサラが、その箸先をこちらに向けて顔を紅くしていた。

 

「えっ?」

 

「ほっ、ほら、あ、あーん」

 

 恥ずかしいなら無理をしなくてもいいものの。しかしサラはその箸をエトに接近させる。

 意図がよく分からないエトは、何の躊躇もなくその箸先のジャガイモに食らいついてしまう。色気もへったくれもあったものではないが、病気で床に臥せていたころはよく姉にしてもらった行為だ。何も不思議に思うことなくその時と同じで甘えるように咥えたに過ぎない。

 

「――っ!?」

 

 そして一気にサラの耳まで真っ赤になる。

 何がそこ撫で恥ずかしいのだろうとエトは首を傾げるが、次に出てきたのは予想だにしない感想だった。

 

「こ、これ、思った以上に病みつきになりそうです。ペットに餌をあげてる気分で」

 

「えっ」

 

 まさかこのタイミングでペット扱いされるとは思ってもみなかった。サラの不思議な感性はたまに理解できない。

 

「それって、僕が猫だったり犬だったり?」

 

「エトはどちらかというと犬の方が似合いそうですね。人懐っこくて元気いっぱいで素直で我慢強くて」

 

「それならサラちゃんは断然猫だね。普段はつんとしてるけどたまに甘えてきて――」

 

「あ、甘えてません!それに、私が猫なら飼い主がいなくなりますっ!」

 

 お互いによく分からない雑談を交わしながら、エトはサラからあーんを貰いながら、楽しい昼食の時間を過ごしたのだった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「ようリッカ」

 

 生徒会室にて、クー・フーリンが机の上に足を出して行儀悪く寛ぎながら新聞に目を通していると、リッカ・グリーンウッドが姿を現した。休日であるから来る意味など何もないのだが。

 新聞からめを離して、少し疲れ気味なリッカに視線を向ける。

 

「何しに来た?」

 

「ちょっとあなたの顔でも見ておこうかと思ってね」

 

「なんだよそれ気持ち悪りぃ」

 

 下らないことを聞いたものだと新聞に再び視線を戻す。

 自分に何の興味も示さない駒0に対してリッカは肩をすくめる。

 

「冗談よ。ちょっと野暮用で地上で用事を済ませてから、外出ついでにクイーンズカップのエントリーを済ませてきたわけ。それで、丁度通りかかったところだからあんたの顔でも見ておこうかと」

 

「間違ってねぇじゃねーか」

 

「細かいことを気にすると女性に嫌われるわよ」

 

「紳士の嗜みを俺様に求めることが間違いだっていつになったら気付くんだろーな、テメェといいジルといいエリザベスといい」

 

 リッカは一度生徒会室に備え付けてあるティーセットで自分のカップに茶を注ぎ、それを手にして自分の特等席へと腰を下ろす。

 静かにカップに口をつけて茶での喉を潤す。適当に入れたためにほんの少し味が悪いか。

 

「にしても、エントリーするんだな」

 

「当然よ。魔法使いとして参加しない訳にもいかないわ。私目当てに来てくれる来客の方だっているだろうし」

 

「厄介だねぇ、カテゴリー5とかいう肩書は」

 

 カテゴリー5の魔法使いはそれこそ魔法使いを志す者の中で知らないものはいないと言っても過言ではない。それだけの実力と相応の権力を女王陛下から授けられているのだ。

 だからこそそんな希少な魔法使いの魔法をグニルックという形で拝むことができるこの大会は、彼女を目当てとする人間にとって時間と金を大量に消費してでも見に行く価値のあるものだと言い切れる。

 

「っつーことは、あのエトの女ともやり合うってことだよな」

 

「もちろんよ。相手が誰だろうと手加減はしないわ。それこそ相手のプライドを傷つける行為だもの」

 

「リッカにしては分かってるじゃねーか。容赦なく叩き潰して心折って来い。あーいう手前は一度奈落の底まで突き落とさねーと色々気が付かないもんだよ。()()()のためにも、な」

 

 あいつ、とはどちらのことだろうか。

 しかしリッカはグニルックの試合に私情を挟むことは決してしない。全力で立ち向かう相手を、全力で倒す、それだけのことだ。

 

「あなたにしてはらしくないことを言うのね。他人を心配するなんて」

 

「バカ言え、テメェら平和ボケの言葉を借りたまでだ。本心だと思ってんなよ」

 

 リッカはカップを置いて、そして窓の外を見つめる。

 

「分かってる。まだ早いかもしれないけど、これは二人にとっての大きな試練よ」

 

 そして、クイーンズカップの当日は、刻一刻と近づく。




才能のない主人公(ヒロイン)が努力した才能の塊(ヒロイン)に立ち向かい、激戦の果てに勝利を掴む展開ってかっこいいよね(やるとは言ってない)


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クイーンズカップ

今回長いです。
基本的に原作をなぞる形になりますが、主人公視点から若干し視点が変わっている――と思います。多分。


 王立ロンドン魔法学園のグニルック競技場。青空の下、満席近くまで観客席が埋まった会場は、既に人と喧騒の波で溢れ返っていた。

 ここにいる魔法使いの国籍もそれぞれで、ヨーロッパ諸国の人間が多いものの、アジアやアメリカから来ている人も良く見かける。彼らは同じ魔法使い同士、礼儀正しく親交を深めながらこの後開催されるクイーンズカップについて熱く語り合っている。

 中には参加する者、参加者を応援する者もいたりして、緊張する心中を吐露したり、そんな選手を励ましたりと微笑ましい光景も見て取れた。

 そして、そんな観客席の最前列に陣取っている少年少女。

 

「うおー、盛り上がってるぜー!」

 

「マスター、落ち着いてください」

 

 人が集まりあちらこちらで熱気が増している会場を見渡してテンションが上がっている江戸川耕助と、それを自重させる江戸川四季。

 観客席とは言え、風見鶏の生徒には自分のクラスでの席が割り振られており、一般客と同じ席で、満席状態の中、席取り合戦を繰り広げる必要はない。

 椅子に座って、前のめりになってフィールドを見つめているエト。彼があまりにも早く競技場へと顔を出したいというので、葛木兄妹もといカップルと耕助と四季もついてきたという経緯である。

 

「あ、あれ」

 

 姫乃が何かに気が付いたらしく、指差した方向へと視線を向けると、そこには観客席で紋章旗を立てているのが見える。

 ド派手な出で立ちの人たちが大勢いて、その上に燦然と輝くセルウェイ家の紋章。恐らくも何もセルウェイ家の人間には間違いないのだろうが、どうにも派手好きな家柄である。こんなのだからイアンもあんな正確になってしまったのだろうかと疑ってしまう。

 いずれにせよ、これだけ注目を集めるグニルックの大会で、セルウェイ家のあの派手丸出しな行為は家の名を広めるという点では大きな効果を与えるだろう。

 当のイアン・セルウェイもここぞとばかりに清隆に自慢したらしく、人付き合いが上手な清隆は何かと嫌味なイアンを軽くあしらっていた、という光景も今月だけで五回くらいは見た気がする。親からこれだけの期待をされている以上、自信家であるイアンはこれ以上なく張り切っているだろう。

 しばらくして、会場も完全に満席になり、立ったままでの観戦をするような人まで現れた状態になったところで、開会式のアナウンスと共にファンファーレが高らかに鳴り渡った。喧騒に満ちた会場から雑音が消え去り、ただ静かに競技場を見守る魔法使いたちがいる。

 音楽に合わせて、入場ゲートから魔法使いの選手たちが次々に入場してくる。我こそはと名乗りを上げて参加した者であったり、たまに記念出場でエントリーした初心者や初級者もいるようだ。

 ファンファーレの力強い音色に当てられたのか、会場は再び熱気を取り戻し、中にはあの選手はどうだとか熱く解説する者まで現れる。

 そんな中、最前列で、エトは黙ってその入場行進の列を見守っていた。まるで誰かを探すような顔つきで。事実、彼はこの大会に全てを懸けたと言っても過言ではない少女と共にここまで歩み、そして今ここで観客席にいるのだから。

 風見鶏の学生が入場してくる頃、風見鶏の応援席として割り当てられたこの辺の応援の声はより勢いを増し、それぞれのタイミングでクラス一つが盛り上がっている。

 そしてついに。

 

「あ、あれサラさんじゃないですか?」

 

 四季が指差した方向――とは言っても大体列の方を指しているようなものなのでなんとなくの感覚でしか把握できないが、その方向には、列の中に並んで歩く風見鶏の制服に腕を通した青色のツインテールの少女がいた。清隆が横顔を覗き込んだところ、エトも彼女を見つけたらしく、目を見開いている。

 

「サラ―!サラ―!」

 

 クラスメイトからもサラを呼びかける声が響くが、この歓声の中でなかなか彼女に声が届くことはない。

 そしてこの後、それら全てを凌駕した大歓声が会場を支配することとなる。

 

 ――ウォォォォォォオオオオオオオオ……

 

 入場行進のファンファーレも終わりを迎える頃、その人物は堂々とした足取りで地面を踏みしめ前へと進む。

 金色の流れるロングヘア、サファイアを思わせるような凛々しく美しい碧眼、全ての男性を魅了するようなボディプロポーション。

 威風堂々。この言葉がこれ程までに当てはまる女性がこの世界にどれだけ存在するだろうか。その自信を、彼女の実力と経験が裏打ちする。魔法使いの社会において、全てに勝り、全てを俯瞰し、全てを守る。世界に五人しかいないと言われる魔法使いの最高峰、カテゴリー5の一人にして、魔法使いの中で知らない者などいない『孤高のカトレア』の名。その真の名は、リッカ・グリーンウッド。

 余裕の笑みを浮かべて、声援に手を振って優雅に返すその様は、余裕の表れ。その魔法の実力や経験からして、彼女が最強の優勝候補であることに揺るぎない。

 

「さすがリッカさんだな。実力だけじゃなく、人気も圧倒的だ」

 

「美人ですし、誰もが憧れるようなカリスマの持ち主ですからね」

 

 葛木兄妹が口を揃えてリッカを称賛する。それはもう、彼女の少し前方を真剣な面持ちで歩くサラ・クリサリスが心配になってしまうくらいのものである。どれだけ彼女が努力しようと、最高レベルの魔法使いを前にしてしまっては全てが霞んでしまう。

 それを理解してか、列に釘づけになっているエトは、変わらぬ表情で拳を握りしめていた。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 少し前に遡る。

 入場の準備までは終えたリッカに鉢合わせたのは、見回りのために巡回をしている『八本槍』の槍使いだった。廊下で腕を組んで壁に寄りかかっていたところを彼に見つけてもらった形になる。

 

「いよいよ本番だな」

 

「そうね」

 

 彼女も集中しているのだろう、こちらに振り返ることもせず、口数も少ない。

 勢いをつけて壁から離れたかと思うと、肩にかかった金糸のような長い髪を手でふわりと払った。その眼は既に、リッカ・グリーンウッドのものではなく、孤高のカトレアとしてのそれだった。

 

「俺様も出たいんだけどな」

 

「あんたが出ると備品がなくなっちゃうもの。これまでに消し炭にしたターゲットパネルやガードストーンだって一つでもお金がかかってるのに、あんたときたらすっきりするくらいに消し飛ばしちゃって」

 

 クーが初めてグニルックに触れた年。無邪気に備品を破壊し続けた彼のせいで、翌年のクイーンズカップに必要な備品が圧倒的に足りなくなったことは記憶に新しい。当時の生徒会長にも色々と世話になり、彼のコネで業者や近くの施設に調達してもらい事なきを得たのだが。

 

「いーよ。どーせ俺はもう公式で出禁になってやがる。だったら今出られる奴に託せること託すしかないだろーが」

 

「大人しくしててよ。私は大会を優勝するつもりでいるし、大会そのものがなくなるとかまっぴらごめんだから」

 

 何か言い返そうと思ったが、相変わらず口達者なリッカを見て一安心する。

 クーとしては、この後家系的にも絶望的な受け持ちのクラスの生徒を無慈悲に叩きのめすことになるのだ。それを下手に引き摺っているのではないかと面白くもない事態を懸念していた。

 

「安心したぜ、少なくともつまんねー女には成り下がってないみてーだな」

 

「それは光栄ね。『八本槍』に最低限でも認められるなんて、私じゃなければ死因が『狂喜乱舞による心肺停止』になるところだわ」

 

 どうやら遭遇した時のシリアスな雰囲気はさっさと消し飛ばしたようであり、いつも通りの強気で軽やかな彼女がそこにいた。

 

「そもそも、彼女に当たるとも限らないし、当たっても成長した彼女に負ける可能性だってあるかもしれないじゃない」

 

「俺もその考えは嫌いじゃない、が、手加減なんぞしてたら観客席から槍投げ込むからな」

 

「おお怖い怖い、私は誰が相手でも手加減なんかしないわ。リッカ・グリーンウッドの名に懸けて」

 

 グニルックの試合で理不尽にセット全てを破壊しつくし問答無用で最高得点を叩きだしてしまうクーでも、リッカの実力は知り尽くしている。

 彼女の魔力量は言わずもがな、ロッドからブリットへの魔力の乗せ方、寸分違わぬ正確なショット、相手のフェイズでの定石に則りつつ的確に相手を妨害するガードストーンの設置の仕方、どれをとっても能力、戦略的に彼女を上回る者をかつて見たことはない。

 ジルもシャルルも、ある一点においてはリッカを上回りかねない点も存在する。しかし、全てをその全てが試される実際の試合で、そのどちらもリッカの足元にも及ばない、総合力が圧倒的に追いつかないのだ。

 

「ふぅん」

 

 リッカの力強い返事の前に、面白いものを見たとばかりに口元をにやつかせたクーが彼女をまじまじと見つめる。

 例えクリサリスの息女がリッカに潰されることになろうとも、そのクリサリスの息女が弟子の想い人であろうとも、それで彼や彼女に同情してやる義理などどこにもない。

 二人の前に立ちはだかる、越えることのできない壁。壊すことはおろか、避けて通ることすらままならない。高く、固く、そして見渡す限りの広く大きな壁。弟子の甘えた根性を叩きなおして、今一度自分に見えるものをもう一度認識させる相手としては申し分ない。むしろ釣りが返ってきてもいいくらいだ。

 

「ま、せいぜい何の面白みもない出来レースを堪能してきてくれや」

 

 大きく溜息を吐いて、リッカに背を向ける。そして背中越しに手をひらひらと振って、こちらにもだるさの移ってきそうな足取りでリッカから離れていく。

 リッカにとって、結局彼が何をしに来たのかよく分からない始末だった。応援しに来たのか、檄を飛ばしに来たのか、あるいは冷やかしに来たのか。

 しかし今となってはそんなことはどうでもいい。結局受け持ちの生徒を倒さなければならないことには引け目を感じていたのも事実だし、彼との対話で幾分か軽くなったような気もする。

 それに、サラのことなら、エトが必ず支えてくれる。彼女がどれだけ沈もうと、彼女がどれだけ堕ちようと、エトはきっと、彼女と共に奈落の底までついて行ってくれる。

 だったら自分ができることは、誰が相手であろうと、自分と、相手のプライドのために正々堂々全力で戦うのみだ。

 

『出場選手の方は、グラウンドに集合してください』

 

 入場のアナウンスと共に、ファンファーレが響いてくる。いよいよ大会が始まる。

 一度深呼吸をして、気持ちを引き締める。

 クーが歩いていった方向と反対側へと向いて、彼とは正反対に気合いと自信に満ちた足取りで、廊下を歩いていった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 歓喜の声や落胆の空気を何度も繰り返し、抽選による対戦の組み合わせの発表が終わる。

 運営のスタンバイのための時間の間、しばし選手にも休息や精神統一の時間が与えられる。

 エトはその時間を見計らって、清隆たちに何も言うことなく猛ダッシュで選手控え室へと急いでいた。

 選手控え室は学園の校舎の教室となっている。基本的には各所属クラスが選手の控え室となっており、風見鶏の生徒以外は別室が当てられている形となる。

 歩き慣れた廊下を、いつもと違う足取りで、教室を目指す。

 ドアをノックして入室すれば、予科一年A組でエントリーした唯一の選手、サラ・クリサリスが縮こまり固まった様子で椅子に座っていた。

 あまりにもその様子が痛々しくて、しかしここで声をかけてやらなければここに来た意味がない。

 

「サラちゃん、大丈夫?」

 

 こちらに気が付いたサラが、ハッとしてこちらに振り返る。

 最早顔面蒼白、これ以上なく怯えているのが見るだけで分かった。

 ガタリと急に立ち上がり、ふらふらと不安定な足取りで、泣きそうな顔でこちらへと駆け寄ってくるのを抱き留める。

 

「え、え、エトぉ……、わ、私、いいきなり……リッカさんと――」

 

 これが、彼女の恐怖の理由。

 エトがここまで来るのに重い足取りだったのも、サラが泣きそうになるくらい怯えていたのも、サラが全身全霊をかけるつもりでいたクイーンズカップで、初戦で当たったのが、あのリッカ・グリーンウッドだったからだ。

 勝ち目――そんなものがあるだろうか。兎が虎に、鼠が鷹に挑むようなものだ。もしかすればそれらの例よりも質が悪いかもしれない。

 相手が手加減をするような人間ならまだ何か講じる策があったかもしれない。しかし相手があの孤高のカトレアというなら、万策を正面から打破し、圧倒的に不利な状況をただの一振りで盛り返す、実力と経験に裏付けされたエンターテイメント性まで持ち合わせる人間だ。努力してきた時間も質も桁違いに少ないサラ如きが敵う相手ではない。

 エトがここでサラに優しい言葉を掛けてやることはいくらでもできる。ほんの少しの心の平静を与えて、その場限りの自己満足を与える――エトは首を横に振った。

 

「サラちゃんがどう頑張っても、リッカさんには勝てない。僕がお兄さ――クー・フーリンには手も足も出ないように」

 

 イメージトレーニングとして想像していた彼でも、自分の剣を届かせることができない、絶望的な戦力差というものを、エトは知っている。だからこそ贈る言葉は恐らくサラにとって、冷たく突き刺さるものになる。

 

「でもねサラちゃん、確率ゼロパーセントでも、諦めることだけはしちゃだめなんだ。誰がどう客観的に判断してその絶対不変の不可能を算出しても、それだけはだめだ」

 

 エトの言葉を、サラは不安げな表情で見上げながら聞き入れる。

 彼の言葉が厳しいものだと分かっていても、想像だにできない彼のこれまでの生き方から垣間見える魂の声が聞こえているような気がして、その言葉を拒絶しようとは思えない。

 

「大事なのは、ゼロパーセントの確率じゃない。不可能を揺るがせ、果てに覆すような不屈の想いなんだ」

 

 結局エトが提示したのは、ただの感情論。何の根拠もなく、何のヒントにもならない。

 しかしそれが、そこら中にいる平凡な人間の言葉だったら鼻で笑ったかもしれない。

 イギリス王室直属の超法規的騎士団『八本槍』の一人、クー・フーリン。 少し前、彼と少し話をした時のエトの過去が本当だったとしたら、たった今彼が自分の口で語った不屈の想いが生き続けられる可能性が絶無の状態を覆したことになる。

 人の生死すらひっくり返す程の目に見えない力が想いに宿っているというのなら、客観的な事実からでは決して窺い知れない感情論が自身を助けてくれるかもしれない。

 エトのように生きることなど自分には到底できない。でも、エトが絶無の可能性に光る何かを信じてくれるというのなら、彼のその引き込まれるような笑顔に応えるために、せめて自分の全力を尽くすのみだ。

 

「……エ、ト」

 

 目尻から零れ落ちそうな涙を袖で拭き取って。

 

「どうしたの?」

 

「エトの想い、しっかり受け取りました」

 

 そう言って、自信に溢れる屈託のない笑みを、エトに向けて輝かせた。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 カテゴリー5、孤高のカトレアの登場により、会場の盛り上がりは一気にその熱を増した。

 リッカ・グリーンウッドの前に、未だ対戦相手は現れない。単純な話、コールの瞬間に登場したのだから無理もない話ではある。実際の試合時間までまだ十分程ある。

 すると、そこまで時間もたたないうちに、風見鶏の観客席の方から、リッカほどではないものの、会場を割るような歓声が轟く。その先頭にいたのは、リッカにとって教え子である予科一年A組のクラスメイト。

 そして登場したのは、リッカの対戦相手である、サラ・クリサリス。

 

「よく怖気づかずに出てきたわね。少し遅かったけど、エトにでも熱い抱擁の後熱烈なキスでも貰って来たのかしら?」

 

「そ、そんなことしません」

 

 初戦から自分と当たったことに怖気づいてガチガチに固まっていると思ったが、どうやらそうではないらしい。少なくとも初心(うぶ)なリアクションを見せる辺り心に余裕もあるらしい。エトに何かを言われたのだろうか、むしろ彼女のことだ、エトの言葉を胸に、自分で自分に自信をつけたのだろう。

 試合開始の合図が出た。彼女が何を思っているかは知らないが、全力を出すしか道はない。

 

「んじゃ、始めるとしますか」

 

 先行、リッカ・グリーンウッド。

 第一フェーズ――ショートレンジ、ターゲット4、ガードストーンなし。

 軽くロッドを握ってはシューティングゾーンの中央に立って構える。

 一度パネルを軽く睨むと、鋭くロッドをスイングさせて、ブリットを放つ。

 恐ろしい程精密に行われる魔力の移動。打ち出されたブリットは直接ターゲットパネルに向かうことなく、まるで観客に挨拶をするようにフィールド上で大きく弧を描いた後、吸い寄せられるように四分割されたパネルの中央を撃ち抜いて全てのパネルを同時に撃ち落とすことに成功した。

 ただ精度の高いショットというだけでない。敢えて曲芸的なブリットのコントロールをしてみせて、一撃の下にパネルを全て撃ち落とす。余裕がなせるその一撃は、カテゴリー5としてのエンターテイメントを見せつけるだけでなく、それによって一気に会場の雰囲気を自分の有利な方へと導いてしまう、戦略としても見事なものだった。

 

「……」

 

 そのショットを目の前で見せつけられて、しかしサラの表情にはほんの少しの動揺すら見られない。むしろ、これくらいは当然やってのけると想定内の範囲のようだ。

 後行のサラはリッカとすれ違うようにシューティングゾーンへと向かう。そのすれ違い様、リッカが捉えたサラの表情は、既にリッカのことなど眼中に入っていなかった。完全に自分のショットに集中している。

 会場の空気は完全なアウェイ、誰一人としてサラの勝利など考えていないだろう。その中で感じられる、目の前の小柄な少女の真剣な眼差し。

 サラはシューティングゾーンで構え、やや速度を落とし、正確性を重視したスイングで――

 

「――はっ!」

 

 堅実で、無駄のないワンショット。直線的な放物線を描き、見事パネルの中央を撃ち抜いた。

 落ち着いた一撃。対戦相手がリッカ・グリーンウッドだと微塵も感じさせない正確なショット。これには観客も大いに沸いた。

 そしてこれから、お互いにミスのないパーフェクトゲームが繰り広げられていく。

 一回戦からいきなり、注目を集める程の接戦。カテゴリー5を相手にしぶとくしがみつく風見鶏の学生。誰もが手に汗握り、その試合展開に固唾を飲む。

 

 そして第五フェーズ――ショートレンジ、ターゲット4、ガードストーン2。

 フィールドの長さやパネルは第一フェーズと変わらないものを、相手フィールドに二体のガードストーンを設置することができる。僧侶をイメージしたガードストーン、横幅は狭いがパネルの縦の長さを十分に妨害するビショップと、騎士をイメージしたガードストーン、縦幅こそ高くはないものの、パネル一枚分の横幅を持つナイト。

 リッカはサラの設置したガードストーンを容易く躱して相変わらずのパーフェクトゲームを決め込んでいる。

 そしてリッカも、サラと同様の配置をサラのフィールドにしてのけた。S3のFとGにビショップを設置。

 サラは緊張したようにシューティングゾーンに立ち、コントロールをつけるように丁寧にスイングした。

 基礎魔力が小さい文、サラは大きくブリットを変化させることが苦手である。だから小さな変化で確実に超えられるよう、慎重にコントロール重視のショットを行う。

 クラスメイトが強く祈る中、ブリットはガードストーンを超えることなく跳ね返される。サラにとっての、この試合での初めてのミスショット。張り詰めていた会場の空気が緩む。

 中央に設置させた二体のビショップは、四枚落としを難しくするためのものである。一度ショットをミスすれば、パーフェクトを決めるには残り一打で四枚のパネルを落とさなければならない。しかしサラにとって、次の一打で全力を使って全てのパネルを落としても後続に支障が出るのは間違いない。だから四枚落としを諦め、左右どちらかの二枚を落とす選択をさせるための配置なのだ。

 ここでサラがその選択を取るのは、この先を考えてみれば正しいのかもしれないが、相手は優勝候補である。この後もミスをすることはないだろう。捨てた二点が、勝敗を決めることも十分に考えられる。

 再びシューティングゾーンに立ったサラは、ロッドを構えてブリットに視線を合わせ、意識を集中させる。

 そして、その瞳を静かに閉じた。

 一秒、二秒、三秒……十秒、二十秒――サラのショットに静まり返っていた場内が少しずつざわつき始めた。

 しかし、それでいい。今こそサラが、本当の全力を解き放つ時。

 彼女が使ったのは、術式魔法。それこそリッカやジル、果てはエトまでもが普通に使っている魔法だが、その実並大抵の魔法使いでは簡単に扱えない高度な式が構築された上での魔法である。

 言ってしまえば、通常の魔法は真っ白な白紙の上に、問題に対する答えを一発で回答するようなものであるのに対し、術式魔法はあらかじめ設定された解法に沿って答えを導き出すようなもので、一つの解法を定義した上で式を構築し、それに沿って魔力をロードしていくことで通常よりも少ない魔力で魔法としてアウトプットできるツールである。

 グニルックに使われるロッドにも術式が埋め込まれており、有名なのはマジックアイテムや魔法陣などで多く使われるものだが、サラはそれを自らの頭の中で構築しているのだ。

 一度でも数学を学んだことがある者なら分かるだろう。例えば二桁同士の乗算を行う時、ほとんどの人間は紙面上に数式を書いて答えを導き出す。それを暗算でするというのはかなり効率が悪く時間もかかるし正確性がないと言える。

 そして、サラが一度に展開できる術式魔法の数は七個。一度に七個の乗算をこなし、その全てを加算するという計算を暗算で行えるだろうか。一般人には到底無理な話である。

 そしてそんな高度な計算をサラが行えるのは、彼女の家が理由にある。

 クリサリス家。今では没落したともいわれる魔法使いの貴族の一門。彼らが代々得意としてきたのが、他でもなく術式魔法なのだ。個人の才に大きく影響されることなく魔法を行使する、すなわち魔法の汎用化が彼ら一族の抱えるテーマだった。その結果、クリサリスの一族から魔力が失われていくという皮肉な結果を迎えることになってしまったが。

 そして今回サラが持ち出したのが、そのクリサリス家で代々伝わる、彼女にとっても宝のような高度な術式魔法の数々。その中で最も自分の弱点を補うことができるものを用意し、多少難解な術式であろうと時間をかけてゆっくり刻むことで成功率を上げているのだ。

 ちなみに、エトが同時に扱える術式魔法は最大で三つである。

 

「行きます!」

 

 そして、術式魔法で十分に練り上げた魔力を、ロッドに乗せてブリットに移動し、飛ばす。

 ブリットは見事にリッカの設置したガードストーンを回って四枚落としを成功させた。

 会場が盛り上がりを見せる中、第五、六、七フェーズも接戦を繰り広げる。最初こそ接戦で驚いたもののまぐれの面もあると思われていた節もあるが、ここまで来れば結末もあやしくなってくる。もしかすれば、サラがリッカに勝つ可能性もあり得るのではないか。誰もがその瞬間を脳裏に浮かべる程に。

 相変わらず魔法のセンスと経験の中で鍛え上げられた技術を以って試合を進めるリッカと、彼女に追い縋るように術式魔法を駆使し、設定時間を限界まで取りながら確実にショットを重ねていくサラ。

 第八フェーズに入ってなお、その差は少しも開くことはなかった。

 しかし――

 

 第八フェーズ――ロングレンジ、ターゲット9、ガードストーン4。

 サラはリッカのフィールド上に、最悪でも九分割のパネルの一番右下の一枚は守ろうという意図のストーン配置を行う。

 しかし、リッカはそんな彼女に対し、不敵な笑みを浮かべる。

 サラを称賛し、彼女のプレイングに驚きを示しながら。

 そして彼女は言う。学園主催の大会用ではなく、それ以上の、自分にとって命を懸けるレベルでの本気を出すと。

 そしてそれが、クリサリス家がサラに求めているレベルの実力であるということ。

 

「しっかりと見ておきなさい。あなたが色々と考えるいい機会になると思うから」

 

 圧倒的だった。あまりにも無駄のあり過ぎる、第一フェーズのような曲芸的なショットを次々と決め、四回のショットで全てのパネルを撃ち落とす。

 まさに見世物。容赦のないリッカの攻撃に、会場は静まり返る。

 計八フェーズ、52ポイント。つまり、正真正銘のパーフェクトゲーム。

 沈黙が支配する会場を、誰かが声援で破る。

 

「サラちゃん、諦めるな!まだ勝負はついちゃいない!」

 

 その言葉にサラが振り返ってみれば、立ち上がってこちらに声援を飛ばす想い人がいた。

 彼の声を皮切りに、あちこちからサラへの声援が飛び交う。今までのサラの頑張りが、強大な敵であるリッカに対して一歩も退かないその姿勢が、観客の心を惹きつけたのだろう。

 そして、エトに向かって、力強く頷いた時、リッカがガードストーンを設置した。

 

「SのE、F、G、Hにビショップを」

 

 その宣言の瞬間、サラへの声援がぴたりとやみ、会場は大きなどよめきに包まれた。

 シューティングゾーンから最も近いエリアに、四体の背の高いビショップのガードストーン。これが何を意味するか。

 物を最も効率的に遠くへと飛ばす角度は直角の半分、四十五度であるといわれている。しかし、今回の配置では四十五度でブリットを打ち出すことはできず、必然的に八十度近い角度のショットを要求されるのだ。

 サラの体力も既に限界である。元々基礎魔力の小さいサラでは、この角度で遠くまで飛ばすのにかなり大きなパワーが必要となり、同時に繊細なコントロールはその難しさを極める。最悪、ブリットがパネルに届かないこともあり得るのだ。

 更に、ガードストーンが目の前にある事による圧迫感、そして物理的にサラからパネルを見ることができない。

 

「……」

 

 しかしサラは、まだ動じない。

 呼吸を整えて、シューティングゾーンで足を揃えて構える。

 意識を集中し、瞳を閉じて精神を集中させる。

 シン、と静まり返る競技場。

 十秒、二十秒、三十秒――持ち時間をゆっくり利用して難解な術式魔法を展開しているのだろう。誰もが固唾を飲んでサラのワンショットを見守っている中で、術式魔法が完成したようだ。瞳が開かれる。

 サラの身体がゆっくりと動き出し、ロッドを大きく振りかぶって、鋭くスイングを決める。

 風切り音を響かせたロッドは、ブリットを力強く叩き、高角度を以って空へと舞い上がったブリットは――ギリギリのところでガードストーンを飛び越えた。

 歓声が上がる。空気を割るような轟きが。まだ勝負は終わっていない、一人の少女の不屈の心が起こす奇跡をその眼で確かめながら。

 最高点まで到達したブリットは徐々に高度を落としながらターゲットパネルへと突き進む。パネルを守るガードストーンは既に存在しない。

 四枚落としは厳しいだろうが、とりあえず一枚でも落とすことができれば次へと繋げられる。残り三ショットで確実に落としに行けばいい。

 会場中の視線が宙を泳ぐサラのブリットに釘づけられる。

 そして――

 

 

 

 ――ガン

 

 

 

 金属製の鈍く重い音。

 しんと静まり返る場内。

 ぽん、ぽん、とブリットが静かにフィールド上を跳ね返っていた。ターゲットパネルより――内側のフィールド上で。

 ターゲットパネルの四方を固定する、鉄製のポストに当たって跳ね返ったブリット。すなわち――ミスショット。

 サラの――敗北。

 小さな拍手から始まり、次第にそれが伝播していく。

 やがてそれは大歓声となって、サラの健闘を讃えるように会場内を包み込んだ。

 サラは、地面に転がったブリットを、ずっと眺めているだけだった。




さて、次回から本章の核心にようやく入ります。


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虚ろな瞳

この章はあと五話以内――できっと終わる。自信ないです。
さてこの辺から原作と乖離させたいと思います。折角色々やらかしているので。


 全てを出し切り、負けた。

 その完全燃焼が原因と思われる虚無感が、まるで自分が独りぼっちなのだと思わせる。

 地面に転がるブリットを眺めながら、一体何を考えていたのだろう。悔しいわけでもなく、悲しいわけでもなく。やり切ったと言えば聞こえはいいのだろうが、それでも負けたことには変わりなかった――何の結果も残せず、一回戦で。

 独りぼっちの空虚な心は、いつの間にか自分を寮の自室へと駆けこませていた。碌に着替えることも、汗を拭うこともせず飛び込んだベッドの上で、彼が喜んでいた人形に囲まれ――やはり何も考えられなかった。一滴の涙すら、出なかった。

 そうしていてどれくらい時間が経ったのだろうか。外からの光もなくなり、月が夜空へと上がる頃。

 公式戦にエントリーし、何かしらの結果を出した。そうである以上、否応なくクリサリスの名を背負った以上、家族に報告する義務はある。

 初戦敗退――その罪悪感に胸を苦しめつつ、向かう先はラウンジの固定電話。彼らから言われる言葉を想像しただけで顔面蒼白になり倒れそうになる。なるべく考えることをせず、急ぎ足で誰にも見つからなぬよう電話の設置場所へと向かう。

 ダイヤルを回し、実家へと電話を繋げる。コールが数回鳴り、しばらくして出てきたのは女の声だった。よく知った、母親の声。現在のクリサリス家でも家を厳格に重んじる人間である。

 喉から、声を絞り出す。クリサリスの術式を与えてまで送り出した娘から勝利の報告を聞くために手に取ったであろう受話器の奥の母へと。家族に自分を失望させるためだけに。

 そして、受話器の向こうから聞こえてくる言葉はない。言葉がないからこそ耳元へと焼き付いて、全身を冷たく焦がすような威圧感が足を震わせる。

 

 ――初戦敗退ですか。まったく、情けない。

 

 ――あなたはこの半年間の間で一体何を学んでいたのです。

 

 母から送られてきたのは、これ以上なく冷たく突き刺さる言葉。責められるのも分かっている。敗北した自分が悪いのは分かり切ったことなのだ。しかしそれでも、一月近くの努力がどこかで自分を慰めてくれると思ってしまっていた。心が折れそうで、立っているのも限界に近かった。

 受話器の奥で、しゃがれた男の声が聞こえてくる。

 

 ――全く情けない、お前は一族の恥じゃ!

 

 ――私たちの期待を裏切るような真似をよくも!

 

 その声は、クリサリス家の伝統を守り継いできた祖父の声。

 その後も、次々と受話器の奥の主が入れ代わり、サラのことを辛辣に責め、なじり、罵倒する言葉が続く。

 どこまで聞いていただろうか。途中から誰が言っていたかも分からなくなっていたかもしれない。ただ飛んでくる言葉に対して、苦しみに潰れそうな心から謝罪の言葉を絞り出すだけ。

 そして、いつの間にか叱責の言葉はやんでいた、が、受話器の向こうで何やら何かを相談しているようだ。

 そしてしばらくして、再び母親の言葉が耳に届く。

 それから続けられる母親の言葉に、サラは――人生最大の絶望を味わった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 クイーンズカップの翌日、サラは一度たりともエトどころか、教室にも来ずクラスメイトにも顔を合わせることはなかった。

 クイーンズカップ終了後、急いでサラの姿を探し回ったのだが、一向に見つからず、寮の自室に帰ったのだろうと推測した。一応シェルで連絡を入れておいたが返事はなかった。

 翌日、サラの様子を窺おうと生徒会長である姉に女子寮に入る許可を貰ってからさらの部屋の前まで来た。

 しかしいくら呼びかけようと返事は返ってこず、ドアノブに手をかけてみれば鍵はかかっていた。恐らく中にいるのだろうが、まるで反応がなかった。

 昨日の様子だと、負けて悔しかったのが祟って落ち込んでしまっているようには見えなかった。あの時シューティングゾーンで地面に転がったブリットを見つめていた時の彼女は、どこまでも無表情で無感情だった。ぽっかりと胸に穴が開いた、言葉にするならそんな感じの顔。

 疲れていたのだろうか。しかしそれなら二十四時間ずっと熟睡していたわけでもあるまいし、起きた時にでもシェルを確認して返事の一つでも送ることができただろう。しかし、それがなかった以上、環境的に、あるいは心理的にそれができない状態に陥っていると考えるのが妥当である。

 

「心配、じゃないのかよ」

 

 その日の放課後、いつもの人懐こい笑みを奥に引っ込めて、真剣な顔で、椅子に座り込むエトに問うたのは江戸川耕助だった。

 

「ちょっと言い方悪いかもだけど、サラ、少しお前に依存してるような感じもしてたからな」

 

 それは当然、エト自身がよく知っている。クリスマスパーティーが終盤に差しかかった頃、サラがエトに見せた父からの手紙。それがきっかけで心を開くようになり、彼女が実家から戻ってきてからというもの、いつも傍にいた。以前までの堅物な彼女からは想像できないような乙女らしい一面。まるで、重圧から逃れるために追い縋るように。

 

「心配してない、ことはないよ。サラちゃんが試合に負けたことで落ち込んでいるのなら、それは自分で完結させるべきことだ」

 

 しかし、彼女は負けた程度で落ち込むくらいに弱い人間ではない。努力家で研究家な一面もある彼女ならば、負けたことも糧にして、敗因を分析して自分なりに修正と検証を繰り返して次に臨む、くらいのことは真剣にやってのける。だからこそ、彼女が部屋から出てこないのは、試合に負けたことと直接的な関係はない。

 

「でも、そうでないとしたら、誰かがサラちゃんを押し潰しているそれを取り除いてあげないといけないんだ」

 

 努力を惜しまない彼女が、努力を放り出してまで自己逃避して部屋にこもる程の、彼女を追い詰めた絶望。それが何なのか検討もつかない。

 

「……やっぱり僕は、サラちゃんのことをこれっぽっちも分かってあげられてないや」

 

 そう言って、自嘲気味に笑みを浮かべて、鞄を腕に抱えて立ち上がる。

 耕助は、そんなエトの背中へと、言葉を投げかける。

 

「どうせ、それをこれから知りに行くんだろ」

 

「もとよりそのつもりだよ」

 

 耕助が本日最後に見たエトの笑顔は、いつも以上に力強いものだった。

 校舎から抜け出して、桜並木を全力疾走する。舞い降りて顔にかかる桜の花びらを拭うこともせず、その脳裏に彼女の顔だけを浮かべて。

 放課後に会いに行く許可までは貰っていない。そもそも、今頃姉も清隆たちと共に生徒会の仕事に勤しんでいるだろうからその妨害だけはしてはならない。無許可ということにはなるが、自分へのペナルティくらい、サラに会うためならいくらでも受けてみせる、そのくらいの覚悟だった。

 サラの部屋の扉の前に立って、扉越しに彼女の名を呼び、そして扉をノックする――が、相変わらず反応はない。

 だからエトは、少々強引でも、進むことを決めた。

 

「サラちゃん、どうしても話がしたいから、無理矢理にでも中に入るよ」

 

 それだけ言葉を残して、ドアの鍵の部分の握り拳を当てる。そしてそのまま腰を落とし、瞳を閉じる。

 術式魔法、展開――魔力増幅、一点集中放出。

 ()、の気合いの一息で、一気に凝縮された魔力を鍵穴へと送り込む。

 魔力の質量に耐え切れなくなった鍵の金属部分が破裂音を立てて崩壊する。風見鶏の施設の整備を受け持っている兄のような師匠に心の中で謝罪の言葉を呟きながら、問答無用とばかりに強引にドアノブを捻ってドアを開けると、そこには仄暗い闇が広がっていた。

 かつてはここでサラの持つたくさんぬいぐるみと戯れたものだ。しかし、今に限ってはその時のような明るさも陽気さも微塵も感じられない。あるのは、視界に見える以上の暗い闇。

 そして、視線の向こう、ベッドの中央に小さく蹲った少女の姿があった。ずっとあの恰好をしたままなのだろうか。サラだった。

 

「サラちゃん」

 

 呼びかける、が、反応はない。まるで、魂の抜けきった人形のように。人形師の一族の御曹司として生まれてきた耕助なら、きっとこのエトの感想よりも現実染みたことを口にするだろう。

 ベッドへと足を進めると、サラの顔がこちらへとゆっくり向いた。光のない、死にきった瞳がエトの顔を捉える。

 

「え……ト……」

 

 擦れた声で、エトの名を口にする。

 目元には、泣いていたような形跡は認められない。ただずっと虚ろなままでここにこうして座っていたのだろう。

 彼女の唇が、ゆっくりと開かれる。

 

「ゴメン……ナサイ……」

 

 そう、謝罪の言葉を口にした。気持ちどころか、その言葉に、彼女の意志も意図も感じられない。

 そして彼女は、壊れた。

 

「ゴメンなサイゴごメんナサいゴメンナさイゴめンなサイごメンナさイゴメんナサイ――」

 

 震えた声でひたすら呪文のように謝罪の言葉を唱えるサラ。

 その光景に、初めてエトは、サラに対して恐怖を覚えた。

 何だこれは。何が彼女をここまで追い詰めていたのだ。そして彼女は、自分を見て()()()()()()()()()()()()

 今、目の前で何が起きているのかも分からないままに、とにかく彼女を落ち着かせようと、彼女を力強く抱き締めた。恐らく、彼女が痛みを感じるだろう程強く。そうでもしないと、彼女は本当に全てを失ってしまうような気がしたから。

 

 そして、しばらくしてサラも落ち着いた後、彼女はふらふらした手つきで、ベッドの枕元に置いてあった封筒を指差す。

 封筒の中身は既に外に出ているらしい。封も開けられており、実際にその封筒の下に内容らしきものが敷かれていた。

 その数枚の紙を手に取って、目を通してみる。

 最初の一枚、その面に大きく記載されていたのは、とある男の写真。新聞でたまに見たことのある顔だから、その男の名前は覚えている。

 そして、その写真の下から続いている文章の内容は、その男の経歴についてであった。ここ風見鶏の生徒だったらしく、現在でも魔法使いとして魔術社会に貢献しているらしい。

 簡単に流し読みをした後、一番最後の、一枚だけ紙の質が違うものを手に取って、同じように目を通そうとして、ある単語に目を疑った。

 

 ――結婚

 

 顔から血の気が引いていくのを感じながら、恐る恐る文章を読み進めていく。そこには、次のような旨が書かれてあった。

 

『これで娘、サラ・クリサリスの希望も消え失せた。彼女に何を託そうとこれ以上のクリサリスの再興は困難を極める。そこで、クリサリスの名を唯一伸ばすための方策として、文書の男と婚約をしてもらう。あちら方はクリサリスの術式魔法を欲しており、こちらは魔法使いとしての基礎魔力と実力を持つ者を欲している。関係は良好、相互のメリットも満たされる。サラには風見鶏卒業後、クリサリスの実家に戻り彼を支えることに専念せよ。今週末、早速相手方との最初の面談に取りかかる。一度家に帰ってくること』

 

 そこに書かれてあったのは、サラにかけた期待を諦め、サラを政略結婚の道具として相手に差し出すことで、クリサリス家の滅亡を防ぐ一手を打つということだった。

 サラが望まぬ結婚をする、好きでもない相手と、家族の都合で添い遂げることになる。

 その相手は、風見鶏を上位成績で卒業した、現在カテゴリー3の魔法使い、魔法捜査官として活躍している、ディーン・ハワード。

 眩暈がした。吐き気がした。頭痛がした。こんなことがあるだろうか。人生で唯一恋した女性が、大会の一敗程度でその人生を大きく変えられ、ただ家の名に縛られて幸せとは程遠い日々を送ることになるということ。

 そして、サラがエトに延々とうわ言のように謝罪の言葉を漏らしていたのも――

 

「ゴメン――ナサイ――」

 

 ――これが、理由だった。

 エトがおもむろに立ち上がる。千鳥足のまま口元を抑えて、サラの部屋から脱出する。

 女子寮の廊下を、力の入らない足で前へ前へと進む。おぼつかない足取りを見た周りの女子生徒が、何事かと心配するが、そんなことにかまっていられる程の余裕を持ち合わせてはいなかった。

 男子寮に戻る前に、大浴場の脱衣所に設置されてある洗面所で顔を洗って、風呂に入ることなく外へ出る。

 廊下を渡って、そのままある人物の部屋のドアにもたれかかって、座り込んだ。

 

「……」

 

 ここには、部屋の主以外ほとんど誰も来ることはない。ここに来たところで、首をはねられる未来しか想像できないからだ。

 エトはここで、彼の到来を待った。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 相変わらず生徒会室に自分がいることになかなか慣れてくれない葛木清隆に対して文句を言ったところ、更に彼にビビられてどうしようもなくなったクー・フーリンが、本日の任務雑務(ひまつぶし)を終え、やたらと構ってくる生徒会三人娘を適当にあしらって逃げてきたところ、自分の寮の部屋の前で何者かが座り込んでいるのが視界に入った。

 これが自分ではなくアデル・アレクサンダー(クソジジイ)だった場合は間違いなく消し炭にされるだろうと物騒なことを考えつつもその正体に近づいたところ、彼がそこに座っていたころに驚いた。

 

「……おい、こんなところで何寝てやがるエト」

 

 その表情は俯いていて、どんな表情をしているのかは分からない。

 しかしエトは、クーが来たのを確認して、ふらふらしながらもドアに体を滑らせるように立ち上がる。

 まーた面倒事か、エトのいつもと違う様子につまらなさそうに頭を掻きながら、とりあえず話くらいは聞いてやろうと何事か問いかける。

 すると、エトから返ってきたのは、何やら妙な質問だった。

 

「お兄さんは――」

 

「あん?」

 

「――お兄さんは、大切な人が奪われそうになった時、どうする……?」

 

 質問の意図がよく分からなかったが、しかし文面のまま捉えるのなら、その質問は答えるまでもなく切り捨てるに値した。

 

「知ったこっちゃねーな。そんな状況になったことね―から分からん」

 

 はいこれでこの話は終わり、そう言って切り上げようとエトをどかそうとすれば、エトはドアから離れようとせずドアノブにしがみついた。

 そして、再びその口から質問が飛んでくる。

 

「それじゃあ聞き方を変えます。どこかの誰かのせいで自分の思い通りに行かなくなった時、お兄さんなら――どうする?」

 

 その質問。実に単純明快で面白い質問だった。そんな状況、むしろ自分の方がウェルカムだと言いたいくらいに。

 実に分かりやすい質問に、クーは楽しそうに白い歯を見せて獰猛な笑みを浮かべてみせる。

 そして、エトの顔を見てみると、彼はこちらを見ていた。力の入っていない身体とは全く正反対に、まだ諦めていないと、そう訴えかけるような、鋭く強い眼光を携えて。

 

「フン、そうだな、邪魔する奴はブッ叩く。俺様は戦って勝って欲しいものを手に入れる」

 

 最近平和ボケが激しいが、これまで旅の中でそうやって生きてきた。己の限界を知り、己の限界を乗り越えるために。

 簡単で分かりやすい世界のルール、弱肉強食。勝った奴が正義で、強い。負けた者が口にする言葉はなく、張る胸もない。負けたけど頑張りましたは通用しない。

 エトはそれを知っている。共感できるからこそ、クーの答えに――力強く頷いた。

 

「ありがとう。僕はただ、その言葉を聞きたかっただけなんだ」

 

 また余計な説教をしてしまった、と謎の後悔の念に駆られたが、しかし目の前の少年の覚悟を目の当たりにすると、悪い気分はしなかった。

 そして彼の頭をくしゃくしゃと撫でつつ、エトをドアから引き剥がす。

 

「何があったかは知らねーが、まぁせいぜい頑張れや」

 

「うん、もう大丈夫、覚悟はできた」

 

 そう言って、しっかりした足取りで地面に立つ。そこにいたのは、かつての弱々しい弟子などではない。

 ただ一人の、成長した小さな勇者だった。

 

「まぁとりあえずは――」

 

 クーはドアを閉める前に、一旦去ろうとするエトを引き留めて。

 

「――今度からは自分で考えやがれ」

 

 冷たくそれだけ言い残して、ドアをバタンと閉めるのだった。




サラの許嫁として登場したオリキャラ、実は以前に一度登場しております。覚えていない人は前章での大事件の最中、暗号文を見つけた人を思い出そう!


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究極の逆境

そろそろアニキの出番が来るぜ。


 翌朝、早朝の校舎に、エトの姿はあった。制服を着込んで力強い足取りで前へと進む少年の顔は、覚悟に満ち溢れている。

 することは決まっている。気に入らないことがあるのなら、自分で動いて勝ち取ればいい。そのために、今日は一世一代の願い事を大先輩に聞いてもらうつもりだ。

 

「朝から早いな、エト・マロース」

 

 聞こえてきた声に視線を向けると、そこにいたのは秀麗眉目の貴族の御曹司、イアン・セルウェイだった。何故ここに彼がいるのかは――何となく察しがつく。

 エトは彼の姿に一度足を止め、簡単に挨拶をして向き直る。

 

「サラ・クリサリスは無事か」

 

「彼女なら今もきっと寮にいるよ。昨日見た時は、魂が抜けたように虚ろな顔をしていたよ。僕がサラちゃんを怖がることがあるなんて思いもしなかった」

 

 絶望の底に叩き落とされた、か弱き人間の姿。まるで全てを失ったかのように無気力に宙に視線を泳がせていたその姿は、エトが初めて見るものだった。人が絶望することすらやめてしまった時、あそこまで歪に見えてしまうものなのかと。

 

「君が怖がるとは余程だな」

 

 失笑気味に笑ってみせた後、やれやれと言わんばかりに両手を広げる。相変わらず大袈裟な男だ。

 

「事情は把握しているよ。彼女の政略結婚が決まったらしいな。……一回戦敗北、結果だけを見れば、それは家にとっては顔に泥を塗られた気分だろうさ。しかし、相手があのリッカ・グリーンウッドだというのなら話は別だ。あの試合を当然僕も見ていたが、今年のクイーンズカップの中であの試合以上観客を沸かせたものはなかったよ。彼女のショットも、才能のなさを補うための戦略と努力も、僕は高く評価しているつもりさ」

 

 へぇ、エトの口から思わず漏れてしまったのはそんな感嘆の息。自分が勝つために他人を監禁したりするような茶目っ気たっぷりな男が意外にも他人に敬意を表するとは。エトも正直、彼は権力ある者に媚び、弱き者を見下す典型的な悪者だと思っている節もあったのだが。

 

「君が僕を全く信用していなかったことは分かったよ。しかし今はそんなことはどうでもい。彼女には家を支える程の実力も――僕の家が僕にしている期待に応える程の才能も――彼女の家が彼女にしている期待に応える程の資質も――何もかも持ち合わせていない。それなのに彼女はカテゴリー5を相手に善戦し、会場を沸かせた。サラ・クリサリスには圧倒的に力がない。しかし、それ以上に、力以外の可能性があるようだ」

 

 力以外の可能性。エトにはそれが何なのか分からなかった。

 エトの周りには力のある者ばかりが集まっていた。目の前のイアンに、クラスメイトの清隆や姫乃、そしてリッカやジルをはじめとした生徒会メンバーに、生徒会長である姉のシャルル、そして彼ら彼女らを大きく突き放した、力の権化とも言える存在の集団『八本槍』の一人、クー・フーリン。

 少なくとも、そんな人たちの姿を見て、努力によって、経験によって、不屈の想いによって、才能という人によって決められた大きさの種から大きな花を咲かせること、そしてそれが力となって、意志を貫き通すための固く鋭い剣となること――それが可能性となることを知った。

 しかし、それ以外の可能性があるというのなら、たとえそれが何なのか分からなくとも、賭けてみる価値は十分にある。彼女に家を支え得る力がないのなら、力以外の何かで彼女の期待に応えられる可能性を、信じる。

 

「よく分からないけど、イアンがそう言うのなら、僕もそれを信じてみるよ」

 

 イアンの言葉は本物だ。決して嘘でも大袈裟でもない、彼が心から感じた素直な感想。

 普段こそ強がって傲慢な態度をとっているのかもしれないが、それも全て、家のために強くあるべきだと自分を演じていたからなのかもしれない。もしかしたら、きっと心優しい男なのだろう。

 エトが屈託のない笑みを浮かべてみせると、イアンは何故か紅潮して慌てだす。

 

「か、勘違いするなよ!別に君たちを心配していたわけではない!これはそう、あれだ、僕の前で辛気臭い顔をされるのがたまらなく不快なんだ。僕の足を引っ張らないでくれ」

 

 そう言って、背中を向けて早足に去っていく。結局最後はふてぶてしい台詞を吐き捨てていったものの、そっちこそ本心ではないのだろう。彼の態度から、十分にそれが伝わっていた。

 イアンとの話を終えた後、彼が向かった先は、学園長室であり、生徒会室の役割も兼ねている部屋である。学園長が女王陛下であるということは隠蔽されていることではあるが、エトは彼の友好関係上、その事実を知っている。女王陛下としての公務が忙しいので、学園長室としての体裁をほとんど成していない以上、基本的には生徒会室という扱いとなっている。

 ドアをノックして、中から女性の声を聞く。入室許可の反応だったので、ドアを開けて中に入った。

 

 ーーーーーーーーーーーー

 

 少年の言葉に、リッカは少し紅潮して閉口した。

 生徒会室に朝早くから客が来たということでもてなそうと思ってみれば、現れたのはエトだった。何か大きな覚悟を固めてきたというか、ブレのない真っ直ぐな瞳に強さを感じる。

 恐らくサラの政略結婚に対して何か今後のことを決めてきた、そんなところだろうと思っていた。

 しかし次の瞬間彼の口から飛び出てきたのは、とんでもなく突拍子もない言葉だった。

 

「僕、サラちゃんと結婚するよ」

 

 堂々とした口調で臆面もなく幸せになる宣言をぶちまけたのだ。その気持ちも分からなくはないが、いくらなんでも発想が明後日の方向に飛び過ぎている。リッカは眉間を抑えながら溜息を吐いた。

 

「家と家の関係を邪魔しようっていうの?クリサリス家の決定は、家の名を残すのには安全な一手と言えるわ。サラにはもう家族の期待を背負える程の力を持っていない。娘さんのことも大事だけど、魔法使いはやっぱりご先祖様から受け継いできた血と誇りと伝統を守っていくものだから、そのためには一族の希望すら斬り捨てるわ。失敗したら、誰もが辛い思いをするのよ」

 

 真剣な眼差しで、エトの気持ちを尊重しつつ彼を窘める。

 しかしエトは、リッカの言葉を聞いてもなお、その面を俯けることはなかった。その目はまだ、熱い闘志を秘めている。

 

「失敗しないよ、僕は。それに、失敗することなんて考えてたら、最初の一歩すら怖くて踏み出せないでしょ。だから僕は、サラちゃんと一緒にクリサリス家を支える『可能性』になるって決めた」

 

 サラが家族に期待を諦められたのは、彼女に力がなかったからだ。だからクリサリス家は他の家に力を求めた。つまり、力のある者で信頼できる相手であれば誰でもいいのだ。

 だからエトは、クリサリス家のための力になる。そしてサラを支えながら、サラに支えられながら、クリサリス家の再興に尽力するのだ。

 

「政略結婚のサラちゃんの婚約相手に求められている条件は、才能があって信用できる家の魔法使いだよね。だったら、信用は何とかして勝ち取ることにして、僕が今の婚約相手であるディーン・ハワードよりも実力があることを示してあげれば、政略結婚の話はなしになるはずだよ」

 

 そこまで考えていたのか。リッカはエトの言葉に、彼の意志が行動を伴っていることを感じ取る。

 しかし、問題はそれだけではないのだ。エトは姉・シャルルが生徒会長を務めているとはいえ、本人には特に大した称号もないし、特別な活躍をしているわけでもないごく一般の風見鶏の生徒である。ただの一介の学生が、どうやって貴族同士の家の事情に介入できるだろうか。そもそも、クリサリス家の敷地に足を踏み入れることすらできず、彼女の家族の顔を見ることなど到底できはしない。

 

「それで、どうやってクリサリス家の人に連絡を取りつけるつもりなの?ただの魔法学園の生徒じゃ話はしてくれないわよ?」

 

 エトは彼女の問いに、すかさず答える。

 

「僕一人じゃどうにもならないよ。だから、リッカさんに僕を推薦してほしいんだ。カテゴリー5の魔法使いの話なら聞いてくれるでしょ?それに、あまりこういうことは言いたくはないんだけど、この際仕方ないや。僕はただの学生なんかじゃないよ」

 

 そして、力強い笑みを携えて、胸を張って言葉を続ける。

 

「僕は、『八本槍』の一人、クー・フーリンの弟子にして、孤高のカトレアと彼女の古くからの友人から魔法を教わってきた。どれも教えを乞うには究極の域に達している人だよね。そんな人たちから教育を受けてきた前代未聞の魔法学園の生徒、こんな感じで売り込めば、お話の場くらいはつくってくれると思う」

 

 そう、言われるまでもなく、彼は異質なのだ。

 サンタクロースの一族の血を継いではいるものの、実際のサンタクロースとしての力のほとんどが姉に引き継がれたため、一族が得意なプレゼントの魔法はエトには使えない。一度生死の境を彷徨い、その中でクー・フーリン一行に命を救われる。そして彼と、リッカやジルの下で魔法や体術を学んでいるハイブリッドな少年で、同じ風見鶏予科一年生と比べてずば抜けた実力と経験を持っている。

 それはここロンドンで暮らしている魔法使いでは経験し得ないことばかりで、彼らとは違う価値観や可能性を孕んでいるのは事実である。

 そして何より、リッカ・グリーンウッドとクー・フーリンの名がネームバリューとなって否でも注目をせざるを得ない。

 

「確かに、ただの学生ではなかったわね」

 

 リッカは口元に人差し指を当てて、何やら思案するように宙に視線を向ける。

 そしてうんと頷いて笑顔で再びエトに向き直った。

 

「いいわ。私がクリサリス家とハワード家にアポを取ってあげる。上手く行けばクリサリス家の人に恩を売るような形にもできるし。コネっていうのは結構大事なものなのね」

 

「え、いいの!?」

 

 爛々と目を輝かせて、エトが前のめりになる。

 

「でも、私が手を貸せるのはそこまで。後はあなたの目で見て、あなたの耳で聞いて、そしてあなたの口で言葉を交わし、行動で示すこと。いいわね?」

 

「うん。ありがとう、リッカさん」

 

 深々と、エトはリッカに頭を下げる。

 リッカは期待していた。エトならば、あの男の背中を見て育ってきた彼ならば、サラを助けられるかもしれない。理不尽な環境から、絶望的な未来から彼女を救う、たった一人の小さな勇者。体もまだまともに成熟してはいないが、その小さな拳も、誰かを守るため、包み込むための大きな拳に見える。

 部屋を出ていこうと向けた背中に重なったのは、青髪の真紅の槍の戦士。多分彼のことだ、きっと、サラを助けに行くのではない。その本質は、自分の気に入らないこの状況を逆転させるために立ち向かうのだ。

 ドアが閉められ、再び生徒会室を沈黙が支配する。

 溜息を吐いて、椅子に座る。

 

「シャルル、あなたの弟は、きっと私たちよりも立派で尊い志を持っているわ」

 

 誰に言うでもなく、ここにいない友にそう告げる。

 きっと上手く行く。誰もが幸せになる、最高のハッピーエンドへと向かっていくことを信じて。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 そして、約束の日が来た。

 エトはこの日、一睡もせずに自分の部屋で精神統一を執り行っていた。

 実際のところは、クーが何か大事な日の前には欠かさず行っていたものを、見よう見真似で再現しただけのことで、何かしらプラスになったとは思えないが、ある種の儀礼的なつもりだった。

 一晩不眠であるということになるが、前日にはしっかり休みもとっていたことだし、問題はない。

 風見鶏の制服に袖を通し、シェルを確認する。サラからのテキストが来ているかと思ったが、先日先に実家に戻ったサラからは何の連絡もなかった。

 落ち込んでいる場合ではない。洗面所で顔を洗い、準備した荷物を肩にかける。

 戸締りを確認してから廊下を渡り、学生寮を出たところで――

 

「よう、エト」

 

 そこにいたのは、訓練用の槍を抱えた蒼の戦士だった。

 どうやら面白いことを考え付いたようで、どこか獰猛な笑みを浮かべている。この笑い方は、強者と対峙するときの期待の眼差し。

 

「お兄さん、どうしたの?」

 

 警戒心は怠らない。今の彼は、どうしようもなくとんでもないことを考えている。

 

「いやな、テメェがわざわざクリサリスの家に殴り込みに行くっていうからな、ちょっくら挨拶しに来たわけよ」

 

 そう言いながら、エトの進路を塞ぐように前に立つ。

 圧倒的な威圧感、腰が砕けそうになる圧力に耐えながら、ルビー色の双眸で彼の顔を見上げる。

 

「そこをどいてくれないかな」

 

 無駄だと分かっているが、一応穏便に済ませたい。遠慮がちに来たところで、結局彼はその場を動かなかった。

 

「本当の理不尽ってやつを教えてやるよ。あの嬢ちゃんはリッカに負けた。理不尽な力の差のせいでな」

 

 結局そうなるか。彼をここで目にした時から、こうなることは大体予想がついていた。

 しかし、このままでは、本当に全てが台無しになってしまう。本番の前に、最恐最悪の敵が立ち塞がった。

 

「ここを通りたきゃ、俺様を倒してから行け、ってな」

 

 そう言うことか。エトは彼の真意に気が付く。

 サラはリッカに途方もない歴然な力の差で敗北を喫した。そして今度は、エトがクーに負けろというのだ。

 槍一本で化け物の巣窟である『八本槍』に選ばれた、人類最高峰の武人。その槍に貫けぬものなどなく、立ち塞がる相手は容赦なく叩き潰す。その名もクー・フーリン。

 対して、そんな彼を師と仰ぎ、彼と比べて実力も乏しく経験も浅い、サンタクロースの家系の元病弱な少年、エト・マロース。

 全てが足りない。現実的に勝てる道理などない。

 

 ――それでも。

 

「分かった。お兄さんがそう言うのなら、僕はお兄さんを退かせるよ」

 

 真剣な眼差しで、殺意を込めながらそう言ってのけた。

 クーの笑みが、鋭さを増す。真紅の双眸の眼光が強さを増し、刃のような鋭さでエトの瞳を貫く。

 エトは、クーから一振りの訓練用の剣を手渡される。その重さを腕で確かめて、頷く。

 

「ホント、今のテメェの立場が羨ましいぜ。手の届かねぇ相手に立ち向かうチャンスなんぞ、百年生きて一度あるかないかだ。俺様も一度でいいから死闘と呼べるモンを繰り広げてみたいところだね」

 

 どっかにいねぇかなそんな奴、と小声で呟きながら。

 クーの歩く後ろについていく。その背中を何度見返そうとも、勝てるとは思えない。

 しかし自分でサラに言ったのだ。手の届かない強者を前にして、絶対に諦めるなと。魔法が想いの力である以上、信じ続ければ、進み続ければ、いつかは道が切り開かれる。

 勝利の可能性、絶無――それがどうした。不可能を揺るがせ、果てに覆すような不屈の想い。それがある限り、ゼロパーセントの中を駆け巡ることができる。

 ここで彼を倒さねば、理不尽な現実を打開せねば、愛する人が悲しむ。

 

 ――それだけはこの僕が絶対に許さない。

 

 剣の柄を握り締め、その重さを感じながら背中を見上げる。

 邪魔をするのなら立ち向かう、それだけの話だ。たとえ相手がクー・フーリンだろうと。

 サラに示してやるのだ。勝率ゼロパーセントを覆すことができる想いの力を。不屈の想いが見せる、決定的な奇跡の瞬間を。

 そして最後に、彼女の希望になる。彼女がいつでも笑っていられるように、彼女の傍にいつまでもいられるように、それだけを願って。

 止められるものなら止めてみるがいい。

 

 ――今の僕は、負ける確率ゼロパーセントさ。

 

 エトの顔に浮かんだのは、何かを楽しむ様な力強い笑みだった。




次回、師弟対決です。
ランサーのアニキには思う存分全力で手を抜いてもらいます。だって本気出せば一瞬もない内にぶっころころしてしまうもの。あくまで大きすぎる試練を課そうとしているだけですから。


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不屈の心

ここまでじっくり戦闘描写を描いてみたのは人生で初めてだと思う。
詰め込み過ぎて訳わかんない文章になってる自信とかあリます。自分で書いてたら脳内補正がかかるので。


 誰もいない広場に人影二つ。吹き抜ける風に髪を撫でられながら、張り詰めた空気を纏わせている。

 訓練用の切れ味のない剣を右手の拳に握りしめて、エトは向こうにいる最強の戦士の全身を眺めていた。

 一切の無駄もなく、ただ戦闘を続行し勝利を得るためだけに、相棒の槍を振るうことに特化し鍛え上げられた全身の筋肉が服の上からでも見て取れる。体格の差は歴然だ。

 しかしエトとて魔法使い。クーに肉体の鍛練を積んでもらっただけでなく、リッカやジルにも魔法に関して勉強し訓練してきた。先日自分でリッカに宣言したように、自分は武術と魔法のハイブリッドである。どちらにしてもまだまだ未熟かもしれないが、しかしそれを十全以上に使いこなさなければ、目の前の強敵を退けることなどできはしない。

 覚悟は既にできている。

 彼は兄のようであり、師匠である。エトの人生の中で最も尊敬し憧れる人物だ。しかし、そんな彼だろうと、征く道を阻もうものなら、容赦はしない。

 腰を落とし、剣を構える。刃の切っ先を相手へと向け、右足を前に、横に構えた状態で静止。

 するとクーもまた、自身の槍を両手に握り、鋭い光を放つ先端をエトの喉元へと向けて構える。

 瞳を覗き込む、と、背筋に寒気が走った。次の一瞬で、自分の喉元が食い破られているかもしれない。彼が本気を出せば、エトの命など紙切れ同然なのだ。

 嫌なイメージを払拭して再び向き直る。――最初から負けるイメージなどしてどうする。今から自分は、この男を真っ向から迎え撃つのだ。

 

「ルールは簡単だ。十分以内に俺に一撃でも加えてみろ。今までの鍛練とは違って俺からも攻撃する」

 

 今までの実戦形式の鍛練では、クーはエトに一撃も攻撃を与えなかった。たまにヒートアップしてテンションが上がったクーが抑えられずにエトを地面へと叩き伏せてしまうこともあったが。

 しかし今回は、最初から攻めてくる。今までと圧倒的に戦況が違う。攻めるだけでなく、守ることも念頭に置いて勝負を仕掛けねばならないのだ。

 そして、彼が少しでも本気を出せば――いや、本気を見せなかろうと、その槍の切っ先は一瞬でエトの胸を穿つ。

 

「本気なんざ出さねーから心配すんな。せいぜい正義の味方様を相手にする時の千分の一ってところか。それだけ全力で手加減してやりゃ、テメェだってチャンスくらいあんだろ」

 

 正直血の気の引いた思いをしているエトに対し、クーはそう告げる。

 一応ここは女王陛下の管轄下、天下の風見鶏である。ここで人を殺すようなことはたとえバトルジャンキーである彼でもしないらしい。

 だからと言って、気を緩めるような真似はしない。彼が手加減をしたところで、エトとクーには未だ覆しがたい実力の差がある。彼が手加減をするからこそ、エトとしても気を引き締めねばならないのだ。

 瞳を閉じる。頭の中で思い浮かべる、複数の魔法の術式。

 思えばサラも、あの大会でリッカと対戦した時、こういう風に難解な術式魔法を多重に展開していたのかもしれない。それこそ、エトの更に上を行くような、高度な術式を組み込んだ演算を。

 同じように術式魔法を扱う者同士、こんなところにも奇妙な縁はあった。使い道こそ違えど、今この魔法に全力を注いでいることには変わらない。

 だからこそ、この一撃に全力を尽くす。

 

 ――術式魔法、展開。

 

 ――肉体構築――強化。

 

 ――出力魔力――補強。

 

 一瞬、という時間ですら相手にとって遅い。一瞬を細切れにした更に一刻、光の如く疾駆する鋼となれ。

 初手にして全力、一撃の下に粉砕する。

 

 ――固有時制御(タイムアルター)――四倍速(スクエアアクセル)

 

 地面を叩き割る破砕音。

 その場の雑草が千切れ、宙を舞う。

 まるで瞬間移動でもしたかのような速度で、エトはクーを剣の射程範囲に十分に押さえていた。

 ジル・ハサウェイから教えてもらった魔法の一つ――固有時制御(タイムアルター)。自らの体内に結界をつくり、その中の時間の進行速度を自在に変動させることができる魔法である。元々は古い魔法使いが世界全体の時間を魔法の観点で研究して得たものの副産物であり、その者が辿り着きたかった結果というのは、いわゆるタイムトラベルであった。本来はこの魔法は才能の塊のような魔法使いが全力で努力した結果、ほとんどの魔力を持っていかれる程の大魔法である上に、そもそも成功事例が存在しない。成功を確認することすらできないのだ。その研究の副産物として研究成果として魔法使いの一部に広まったのがこの魔法である。

 本来大量の魔法が必要なこの魔法を、術式魔法として構成されたものとして使用し、同様術式魔法によって魔力の消費量を減らし、更に術式魔法によって出力される魔法の上限を高めたのだ。

 そして発生する結果は――エトという存在の移動速度が、四倍にまで高まるということ。

 

「――なっ!?」

 

 焦りの声がクーから聞こえてくる。この声をエトは聞く必要があった。

 実力が明らかに自分より上の人間を相手取る以上、一撃で仕留められる可能性をなくすためにこちらから攻め込むのはセオリーである。相手の必勝パターンに持ち込ませないために、または持ち込むのを妨害するために、先手を打って相手のペースを崩す。そしてあわよくば――その一撃で倒す。

 少ない動作で剣を振り下ろす。クーはまだ防御態勢を取れていない。

 

「チィッ!」

 

 バランスの崩れた咄嗟のバックステップ。エトが地面に足をつけたのとほぼ同じタイミングである。

 しかし追撃はしない。相手がここで距離を取るということは、バランスが崩れていようと防御態勢をとるための時間が僅かでもできるということである。そこにもう一歩踏み込んで追撃をしようものならカウンターを食らってゲームオーバーだ。

 正面からではなく、一旦サイドに回る。

 ズキン、と全身が悲鳴を上げた。

 固有時制御(タイムアルター)には大きなデメリットがあり、世界の時間の移動速度から術者だけを切り離し好き勝手に変動させた代償として、元の時間移動速度に戻った時に、術者の時間が世界のそれに合わせて修正しようとする。それが肉体への負担として大きく表れるのだ。

 顔を苦痛に歪ませるが、槍を握る相手から視線を外すことはしない。すぐさま次のステップを踏んで接近する。

 待ってましたとばかりにクーが踏み込む。槍を握る両手に力が籠められ、一撃を突き出す。

 エトが剣でいなし、次の一撃が入る前にステップで回り込む。

 その瞬間を逃さない。槍が空を水平に薙ぐ。

 咄嗟にしゃがみ、やり過ごす――しかしクーは自身の勢いを利用し一回転、そのままの遠心力と全身の筋肉のバネを用いてエトへと向かって槍を振り下ろした。

 剣で防御するか――受け切れない。槍が頭に触れる前に緊急回避で地面を転がりそのままバックステップで距離を取る。

 エトが剣を正面で構えたところをクーは追撃。直線の刺突――しかし直前で勢いを殺し、袈裟斬りの要領で斜めに斬り下げる。

 本能のままに剣で防御を取ってしまったエトは、そのあまりの力と衝撃に耐えきれず、遥か後方まで吹き飛ばされる。悲鳴を上げながら宙を舞い、ブロック塀へと叩きつけられる。その前に咄嗟に左腕で受け身の姿勢を取ったこともあり、衝撃を体の芯で受けることはなかった。

 しかし一刻の猶予もクーは許さない。クーがぶつかったブロック塀へと向けて、神速の突進をかます。真紅の瞳が紅き眼光を残像に残していく。

 槍が壁へとぶつかった。ブロック塀は今度こそ音を立てて完全に瓦解してしまった。しかし、クーの顔色は変わらない。

 戦闘はまだ続いている。

 クーがゆっくりと振り返ってみれば、いつの間にか移動したのか、クーから少し離れた位置に、肩で息をしているエトがいた。

 

「おいおい、もう息切れかよ。鍛錬サボっちゃいねーだろーな」

 

「……さ、最初の一撃で割と全力使ってるからね。後はほとんど出し惜しみなしのアドリブだよ」

 

 エトとしても、初撃で体力と魔力の半分以上が持っていかれた。そこからクーの猛攻撃を凌ぎながらエトの剣の射程内、つまりクーの槍の射程内で一撃を加えるチャンスをこじ開けようとしていた。その近接戦闘で時間をかければかける程、体力の少ないエトの方が動きが鈍ってとどめを刺される。かといってヒットアンドアウェイの戦法をとろうにも、退き際を誤ればクーの追撃が襲い掛かる。そう考えれば、やはり初手で決められたら万々歳だったのだが。

 悔やんでいる場合ではないし、凌がれるのも想定内の範囲ではあった。ならば次の一撃を考えるしかあるまい。

 呼吸を整え、再び構える。

 足へと力を込めつつ、瞬時に瞳を閉じて、術式魔法を再構成していく。

 

 ――固有時制御(タイムアルター)――二倍速(ダブルアクセル)

 

 先程と同じ四倍速でも彼なら対応されてしまう。ならばここでわざわざ残りの魔力を絞り切ってしまう必要はない。最低限相手の動きに反応できる速度をイメージしてみれば、最適解の二倍速。

 直進しながらも相手の視線を追いかける。クーの双眸はしっかりとこちらの動きを捉えているようだ。

 槍が構え直される。動作少なく引き絞り――

 

 ――固有時制御(タイムアルター)――二重停滞(ダブルスタグネイト)

 

 ――放たれる。

 その寸前、一気に自分(エト)の速度を減速させ、相手のタイミングを崩す。

 射程範囲に入る前に減速したエトの身体に槍は触れることはできず。

 エトは即座に次の行動を取る。

 

 ――固有時制御(タイムアルター)――三倍速(トリプルアクセル)

 

 クーの槍が再び引かれる前に急な加速をする。

 足に再び力を込め、地面を蹴りクーの懐へ飛び上がる。

 時間の束縛を越えた高速の次元の横薙ぎの一閃――剣に陽光が反射する。

 甲高い金属音、エトの剣はいつの間にか目の前に迫っていた槍によって弾き返された。

 

「くっ……!」

 

 小手先の技術は通用しないか。エトは届かぬ壁に小さく舌打ちする。

 弾かれた勢いを殺さぬままに反転、サイドステップで、半身で構えていたクーの背中側へと回る。

 追い打ちをかけるようなクーの回転からの水平の薙ぎ払い。エトはバックステップで距離を取りつつこれを躱して。

 

「……っ!」

 

 全身に掛かる負担からの激痛。

 短時間での三回連続の時間速度の切り替えによって、エトと世界の時間のズレは大変な事になっている。それら全ては再び体へとフィードバックしていく。

 体内を流れる血流が、速まっていたのを取り戻そうと遅くなり、遅くなっていたのを取り戻そうと速くなり、連続する修正を次々に浴びて、血管や心臓の圧迫が全身を苦しめる。

 身体能力で勝てない以上、魔法を上手く使ってせめて大きな穴を埋めようとは考えていたが、やはり負担が体にかかる以上、長期戦には向かない。それに、ジルから教わったとはいえ、完全に習得したわけではない。実用段階でもないものを無理矢理に使用しているのだ。それも無茶な術式魔法で魔力をギリギリまで節約して。演算のし過ぎのせいで頭が破裂してしまいそうだ。眩暈もして、次の瞬間には倒れてしまうかもしれない。

 でも――それでも剣を握り締める。

 ここで倒れてしまえば、サラは二度と自分の隣には戻ってこられないだろう。エトもまた、サラの隣に立つことはできないのだ。

 そんな現実を、エトは認めない。

 おかしくなってしまいそうな、まるで自分のものではないような妙な浮遊感のある体に鞭打って、全身に神経をいきわたらせる。再び動けと。

 

「休憩してんならこっちから行く、ぜッ!!」

 

 クーが、セリフを言い終わると同時に、爆砕音を立てながら地面を蹴り、猛スピードで肉薄してくる。

 初撃を何とか目で見て上手く躱し、二撃目を剣の腹で滑らせ力を逃しつつ腰を落として次のサイドステップへと繋げる。

 追い打ちをかけるような水平斬り。しゃがみつつ剣の腹でやり過ごし、曲げた膝のバネを利用して飛び込む。

 剣の射程内に入ってすかさず喉元を抉るように一突き。クーはこれを少しだけ首を捻って最小限の動作で回避する。

 手首を捻る。剣の刃が水平に。そのままクーの首が逃げた方向へと水平に薙いだ。

 

「甘い」

 

 腹に鈍痛が走る。

 何事か視線だけを向けると、クーの脚が腹に刺さっていた。

 槍ばかりを意識していたばかりに、他からの攻撃に対する対策がおろそかになっていた。

 無防備のところに強烈な蹴りを受けたエトは、後方へと再び吹き飛ばされる。

 地面へと叩きつけられる前に両足で地面を滑って削りながら着地をし、剣を握っていない左手と両足で勢いを止める。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 肩で息をしつつ、何とか肺へと酸素を送り込もうとするエト。

 体力も魔力も限界に近い。クリサリス家に向かった後でも恐らく課されるであろう試練の為にも温存しておきたかったが、相手が相手だ、そう簡単には行かせてくれない。

 頬が風を受けた。

 反応が間に合わなかった。こちらを捉えた真紅の双眸が既に目の前にある。

 槍の柄で叩きつけられ、今度こそ地面にもんどりうって倒れた。

 一度倒れてしまった体は、寝そべって起き上がらないことを是とし、脳からの指示を受け付けなくなる。立ち上がりたいのに、指先一つ動いてくれやしない。

 何だこれは。これが限界なのか。自分を邪魔する奴に一矢報いることもできずに負けて、理不尽な未来を受け入れるのか。

 

「あーあ、これで終わりか。も少し楽しませてくれると思ったんだがなー」

 

 つまらなさそうに棒立ちし、槍を肩に担いで見下すようにそう呟いている。

 言い返したい。言葉が出ない。喉が、腹が言うことを聞かない。酸素が肺まで届いていないのかもしれない。口から漏れるのは、命乞いをするように呻く、情けない声。

 

 ――無様だ。

 

 冷たい言葉を以ってサラを激励した。

 彼女のために戦うと決めた。

 リッカに大口を叩き、説得した。

 それだけのことをしておきながら、自分は何もできない。

 サラは、相手がリッカだろうと、最後のワンショットまで相手にしがみつき、負けても会場の全員からコールを受けるような立派な試合をしてみせたのに、自分はただ一方的に打ちのめされるだけで、何一つできやしない。

 

 ――サラちゃんの方が、僕なんかより強くて立派だったんだ。

 

 サラのリッカとの試合での第八フェーズ。

 リッカが設置した、プレイヤーを圧倒するようなガードストーンに物怖じすらせず、ただ目に見えないはずのターゲットパネルだけを見据えて、迷いのない一撃を空へと放った。

 果たしてその一撃を、他の誰が放てるだろうか。

 諦めもせず、絶望もせずに、その一撃が勝利をもたらすと、誰が確信を持つだろうか。

 サラはその一撃に確信した。対して、エトは最後までクーに一撃を与える確信を持てなかった。

 何をしていたのだろう。

 その時、視界に青いツインテールの髪が視界内に入ってきた。

 心配そうに見下ろしている少女は、サラ・クリサリスそのものであり。

 縋りつこうと、動きそうにない腕を無理矢理伸ばして、その頬に触れようとする。

 もう少しで届く、とその時、瞬きをしてしまった。

 いない。そこにはいない。サラがそこにいるという幻覚を、こんな時に見てしまうのだ。

 いなくなる。自分の傍から、愛する存在がいなくなる。誰にも必要とされず、ただ家を守り継いでいくためだけの道具と成り果て、機械のような、心を持つことすら許されない人生を歩むことになるのだろう。

 その姿すら、エトは目にすることができない。

 知らぬ間に彼女の心は朽ち果て、エトのことすら忘れ去り、何事もなかったかのように機械のように生きていくのだろう。

 そしてエトもまた、サラという少女がいたことをいつの間にか忘れて、元の日常へと温かさを求めて帰ってしまうのだ。

 

 ――嫌だ。

 

 唇だけが、動いた。

 

 ――いやだいやだいやだいやだいやだいやだイヤだ!

 

 心が渇望した。魂が叫んだ。

 それは理不尽な未来への反逆。全てを覆す不屈の想い。

 まだだ、まだやれる。ここでやらなければ男が廃る。想い人一人助けられずに、クー・フーリンの弟子を名乗れるか。

 

「あ……あ――あああぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああ!!!!!」

 

 鋼のような反逆の意志、そして咆哮。

 視界に再び鮮やかな色彩が映る。まだやれる。まだ立てる。

 既に限界を突破したはずの全身が、嘘のように力強く立ち上がる。底をついたはずの魔力が、そんな事実などなかったかのように、全身から漲ってくる。

 

 ――魔法は想いの力だ。

 

 偉い人はそう言った。

 不屈の意志が、逆境を覆す反逆の剣となる。

 そのエトの姿を見て、クーは静かに冷や汗を流した。

 背水の陣、火事場の馬鹿力、窮鼠猫を噛む。まさしくそんな言葉が似つかわしい今のエトは、今までの彼とはまるで違う。

 

「『八本槍』の他の連中程じゃねぇが、こいつはまた骨が折れそうだ……」

 

 このタイミングでのこの気迫、明らかに一皮剥けたエトを見て、まるで物語の主人公のようだと愉悦に唇を歪める。

 そして、目の前の少年は、その剣を構えて――クーは絶句した。

 

「おいおい、まさかここまで驚かせてくれるとは」

 

 半身に構えて右腕を引いて剣を後ろに下げ、低く腰を落としたこれは、槍兵が神速を以って直線で相手に肉薄し、一撃の刺突で相手を仕留めるための型。ただ違うのは、エトが槍ではなく、剣を持っているということだけだった。

 全く持ってクーの普段の初撃を変わらない構えである。

 全く同じ構えを、クーは槍でとってみせた。

 刹那、これまでとは比べ物にならないスピードで以って直進してくるエト、喉元へと突き出される剣を槍で払って体勢を崩させ、すかさず次の一撃を振るう。

 エトは弾かれた勢いを殺すことなく回転のためのステップへと繋げ、遠心力と全身の力、そして魔法によって強化された力を剣に預けた回転斬り。

 槍を下から上へ、エトの持っている剣を弾き飛ばそうと振り上げた。

 回避はできなかったようで、クーの思惑のままに剣でガードをしたエトは、剣が打ち上げられる勢いを利用してそのまま上空へと飛び上がった。

 

 ――馬鹿め。

 

 飛び上がったエトを見ながら、瞬間的に空中での軌道を予測し、前へと大きく一歩踏み出し、そして二歩目で地を蹴り飛翔する。

 獲物を見つけた鷹のような鋭い直進は、寸分違うことなくエトの軌道線を捕捉していた。

 空中である以上、大きく軌道を修正するためのファクターは何もない。ここでエトがクーの攻撃を凌ぐには、体勢を整えた状態で飛び上がったクーの神速の連撃を、空中で全ていなすしかないのだ。

 不可能――ならば。

 エトのルビー色の瞳の眼光が鋭さを増した。

 剣を構え、先程と同じように、クーの直進の構えを空中で再びとる。しかし、今ここで地面を踏み込むことはできず、構えを活かした高速の直線攻撃も封じられた状態である。

 しかし、そんなことは百の承知、それを知ったうえで、エトはこの構えを取ったのだ。

 全てを忘れたわけではない。今までにたくさんの人から学んできた知識や技術。それらを応用した渾身の一撃。

 今ここで、()()()()

 その時、エトの訓練用の剣から赤い光が発される。

 その光が何なのか、クーにはすぐに察しがついた。むしろ、この光はクーだからこそ知り得るものであると言えた。

 

「テメェ、何てもんパクりやがる……!?」

 

 そう、その光は、クーが長年愛用していた真紅の槍に蓄えられている呪力を用いて発動する必殺の光――≪刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)≫。

 彼はその呪いの力を持たない。真紅の槍を握っているわけでもない。そして、そもそも槍を持っているわけでもない。ならば、何故――

 

「――そういうことかよ」

 

 すぐに合点がいった。

 エトは昔から、他人から技術や知識を奪いとって自分のモノにする、成長の傾向としてはクーと似たようなものがあったが、彼は、教えられた技術から()()()()この力に辿り着いたのだ。

 真紅の槍も持たず、呪いの力も持たない以上、原典であるクーのそれと全く同じという訳にも行かない。しかし、これが正確に発動してしまえば、『クーが一撃を貰う』という敗北条件を満たしてしまう。まだ、こんな餓鬼に負けるわけにはいかない。ここに、『アイルランドの英雄』の勝利への闘争心が疼いた。

 簡単だ、発動される前に叩き潰してしまえばいい。幸い、万全の態勢で飛び上がったクーは、次の一撃を一瞬もない内に叩き込むことができる。それが決まった時点で試合終了だ。

 脇の下に引いてあった槍を握り直し、神速の動きでエトの腹へと鋭く突き出した。

 

 

 ――固有時制御(タイムアルター)――完全掌握(アンロック)

 

 

 遅かった――違う、時間が切り取られたような今の瞬間。

 クーの背筋に悪寒が走った。エトの技は、既に発動している――!

 しかし、それが自分の技であり、更にそれが劣化したものである以上、対策のしようはいくらでもある。

 こちらは伊達に本家――現在槍は扱ってないから正確には本家ではないが――を担ってはいない。後出しでも、十分だ。

 

「楽しませてくれんじゃねーか!行くぜ、その心臓、貰い受ける!」

 

 切り取られた時間を認識して間もなく、訓練用の槍へと最大限の魔力を込める。

 エトの剣と同じようで、エト以上の赤い光を槍から放ち、そして構え――発動する。

 

「ホンモノとは程遠いが、俺様ができねーわけねーだろ、≪刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)≫!」

 

 紅い光の直線が交錯する。

 強く鋭い剣戟の金属音が一度大きく響き渡り、光はやんだ。

 どちらが勝ったか。

 地面へと先に強く叩きつけられたのは、エトだった。土埃が舞う中で両足でしっかりと着地するクー。

 無論、本家の力を持つクー・フーリンが勝利した。当然と言えばそうかもしれないが、あまりにもあっけない幕引き。

 地面に倒れたエトは、今度こそ指先一つ動かない。その魂は、既に燃え尽きていた。

 エトの頭の元に、右肩に槍を抱え、左手をだるそうに腰についているクーが立ちはだかった。

 

「二つ――テメェとんでもねーことしでかしたな」

 

 クーは呆れ顔でそう呟く。

 一つ目、エトが自前で発動した偽物の≪刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)≫。

 何故彼がこの技を使えたのかは、実は以前からクーがエトに、自身がグニルックの公式大会に出られない腹いせとして教えていた必殺技が深く関わっていた。

 確かにエトに教えた必殺技は多少槍に宿っている呪いの力をクーの熱意だけで何とか解析して魔力で劣化代替する技術を編み出し、それを術式魔法として用いることでグニルックのショットで活用できるようにしたものである。まさかその技から逆算して発動されるとは思ってもみなかった。

 そして二つ目、その偽物の≪刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)≫に対応したクーの動作の直後に感じた時間が切り取られたような感覚。

 それは紛れもなく、エトが使った固有時制御から由来したものである。

 固有時制御は身も蓋もなく言ってしまえば、時間の進行速度を自身だけ速めたり遅くしたりする魔法である。しかしエトは、何をどうしたのかは不明だが、自らの時空を切り取り、一瞬の間だけ停止時空の中を動いたのだ。そのため、停止時空外にいたクーにとっては、文字通り瞬間移動したように見えた。その軌跡が存在しない以上、恐らく全力のクーでもそれを察知することはできないだろう。

 

「赤い光の件はともかく、時間停止はどうやったんだよ?」

 

 純粋に知りたいから問うてみる。

 半分意識を失っている状態のエトは、その質問を何とか聞き取って、首を横に振る。

『覚えていない』、そう言うことだろう。あの謎の覚醒状態の中、脳の機能を半分以上停止させてまで引き出したあの力の中で、記憶能力は停止してしまっていたようだ。だから、その時の固有時制御と赤い光は既に再現できない。

 

「まだまだ――といいつつ褒めてやろうと思ってたが――やっぱりまだまだだ。今回はテメェの負けだよ。しかし、だな……」

 

 歯切れ悪く次に言葉を繋げようとして、少し躊躇する。

 

「……千分の一ってのは途中からすっかり忘れてたよ。ほら、さっさとジルに直してもらって嬢ちゃんのところに急げ」

 

 そう言って、ばつが悪そうに倒れたエトに背を向け、つまらなさそうにどこかへと立ち去る。

 クーのゆったりしたテンポの足音が遠くへと去っていく一方で、違う方向から速いテンポで近づいてくる足音があった。

 いつからそこにいたのだろうか。恐らく途中からなのか、または最初から見ていたのか、絶妙なタイミングだと言わんばかりに駆け寄ってきたのは。リッカ・グリーンウッドの古くからの相棒にして親友、ジル・ハサウェイだった。

 

「お疲れ様、エトくん」

 

 エトの頭元に屈みこんで、胸元に両手を添え、治癒の魔力を流していく。

 肉体における物理的損傷は、彼女の精密な魔法による検査と治癒の力で完治に近い状態にできる。全身の傷が癒え、固有時制御によって大ダメージを受けていた箇所も完全に治り切ってしまう。何ひとつとして不満足なところはなかったが――しかしエトは立ち上がれない。

 物理的損傷、及び欠陥は治すことができる一方で、ジルの魔法、というより魔法による治癒は対象の精神的な疲労を取り除くことはできず、同時に消費された魔力を元に戻すこともできない。

 要は、現在のエトは、肉体的なダメージはないものの、精神的なストレスを膨大に抱えている状態だということだ。

 ジルはエトに、他に何の言葉もかけてやらない。

 エトもまた、ここで彼女にかけてもらいたい言葉はなかった。

 まだ何も始まってはいない。エトにとっては、今までの壮絶な闘いも前座でしかないのだ。世界で最も強い相手を敵にした、世界で最も過酷で残酷な試練という名の前座。

 だからこそ、ジルもそんな彼の心境を察して、以前と比べて体も成長し、男として重くなった彼を芝生まで運んで、少しでもリラックスできるように膝枕をしてやる。

 エトは、いつでも優しいジルに心の中で感謝の言葉を呟きながら青空を眺めていたのだった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 寮の自室まで帰ってきたクーは、どっかりとベッドへと腰を下ろす。

 訓練用の槍が入った筒を適当に床に放り投げて、溜息を吐いた。

 だるそうに腰に手を当てて――その手をそっと腰から放した。

 

「ったく、あいつマジで一撃加えてきやがった……」

 

 クーの服の脇腹辺りは、何かによって破かれていた。そしてその奥、引き締まった横腹の筋肉、その薄皮一枚に、出血すらしないレベルでうっすらと傷がついていた。そのタイミングは、ただ一つしかない。

 

「ハッ、あんなの一撃にもなんねーよ。行かせてやるが俺の勝ちに変わりねーよ、クソッ」

 

 面白くもない勝利のしかた。クーはそろそろ気が付いていた。

 エトを相手にすれば、下手に手加減をしていようものなら、たちまち反逆の牙に喉を噛み千切りに来ることを。

 従順についてくるだけのガキかと思えば、たとえ最強軍団である『八本槍』であろうと、躊躇なく刃を向けられる度胸と覚悟、柄でもないが、彼であれば、あの没落貴族を再興まで紡いでいけるのではないかと、成長に感服していたのだった。

 

「なぁシャルル、もしかしたらアレは、あんたやリッカたち以上にでっけー勇者(おとこ)になるだろうよ。こいつはしばらく、退屈しないで済みそうだぜ」

 

 本当に柄にもない爽やかな笑み。リッカ辺りに見られようものなら気持ち悪いと笑われるだろう。

 それでも今のクーは、弟子の大きな一歩を祝福せずにはいられなかった。

 今日は朝から疲れた。特に仕事もないことだし、そのままベッドに仰向けになって目を閉じた。

 今日はどんな愉しい夢が見られるだろうか。まだ見ぬ強敵に想いを馳せながら、意識を混濁する眠気の中へと放り込んだ。




全国のケリィファンの皆さんごめんなさい。

補足説明しておくと、固有時制御(タイムアルター)――完全掌握(アンロック)は本作のオリジナルです。文字通り時空を一時的に完全に支配し、時空の流れを思い通りに調整できるようにした、みたいな感じです。それを使って結果時空を完全停止させました。ほんの一瞬だけど。無論膨大な魔力を必要としているのですが、エトのスーパーサ○ヤ人的覚醒状態で、まるで無敵アイテムを取ったかのように、64ゼルダなどで言うシャトー・ロマーニを使ったかのように、魔力が減らない状態になっているのであの瞬間は実質ノーコストで発動できていました。ちなみにリッカでもできません。キャスターもどきならできるかも。という設定。こまけぇことはいーんだよ。

さて次回からクリサリス邸に飛びます。
クライマックスは正直終わりました。エトvsランサーがしたかったんです。折角いい対比になってたんだから。後はクリサリスんちで僕TUEEEEEするだけです。どこぞの最強オリ主のように。


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クリサリス

アニキとの決着がついたのでもうゴールしたようなもんです。
県大会決勝戦で強豪チームと当たって勝ち上がったと思ったら全国大会第一回戦で他の県優勝のチームがそんなに強くなかったとかそんな感じ。
話が進めば進む程強い敵が現れるとか、ラスボス級の強キャラだってそんなに空気読んでくれません。現実とは都合よく行かないもんなんです(ドラゴンボールで次々更新される宇宙一を見ながら)


 先程のクー・フーリンとの闘いで、当然のようにエトは負けた。

 クリサリス家の領地へと向かう電車の中で、体と心を休めながら、ほとんど記憶にない、一度倒れた時から再び倒れた時までの空白の期間に何があったのかを無理矢理思い出そうとしていた。

 負けを認識した後に見た師匠の顔は驚きに満ちていた。きっと自分がとんでもないことをしていたのは間違いないのだろう。ぼんやりとしながらジルが観戦の感想を喋っていたのを聞いていたのだが、どうにも自分は凄いことしてしまっていたらしい。

 何はともあれ、エトはクーに、クリサリス家へと向かうことを許されたのだ。別の形で、試練を乗り越えたことを認めたのかもしれない。

 ロンドンから列車に揺られておよそ二時間。見渡せば緑が美しい自然と建物が調和した街並、コッツウォルズ地方にあるクリサリスの屋敷をエトはその目で確認する。流石名門と思わせるような、威厳と伝統を感じさせる、少し古風なつくりの巨大な敷地。これで本当に没落しているのかと、その真偽を疑わせるほどの屋敷の大きさには、見上げつつ口が閉まらなくなってしまう。

 こんなところで呆気にとられているわけにはいかない。門柱の呼び鈴を鳴らして到着を知らせる。

 門柱から女性の声がする。恐らく魔法によって通話が可能になっているようだが、丁寧でかつ淡白な物言いからすれば、恐らくサラでもサラの家族でもない、大方クリサリス家に仕えるメイドと言ったところか。

 

「リッカ・グリーンウッドさんの紹介で来ました、エト・マロースと申します」

 

 クリサリス家に邪魔するためのアポは既にリッカが取ってある。どんな紹介文を差し出したのかは知るところではないが、魔法使いとして大先輩であり、そして誰もが知るところであるカテゴリー5に無理を言ってここまで漕ぎつけたのだ。彼女の善意を無駄にしないためにも、ここから先はどんな失敗も許されない。

 クリサリス家のメイドは門柱越しに魔法によって明らかに歓迎してなさそうな声色で応答する。

 荘厳な音を立てながら、巨大な門が観音開きに開く。エトとしても未だ先の闘いの疲れが完全に癒え切った訳ではないが、話をする分にはまだ大丈夫だろう。この後何か課題を出されることがあっても、話をしている間に少しでも休められればいい。

 深呼吸を一つして呼吸を整え、丁寧に手入れが行き届いている庭を真っ直ぐに抜け、正面玄関に辿り着いた。

 鍵が外れる大きな音を聞くとほぼ同時に、玄関が開く。エトがメイドの姿を確認して会釈をするが、貴様に尽くす礼などないとでも言うような冷たい目でエトを見るだけで礼を返すことはなかった。

 

「こちらです」

 

 メイドの案内で、彼女の後ろについていくように応接間へと目指す。

 道中屋敷の中を見回しては見たが、アンティークな雰囲気もあったものの、やはり清潔感は保たれていて、そのお蔭か木の床や階段の手すり、そして柱が黒く光沢を放っており、時代を重ねてクリサリスの住居として一族を重ねてきた証を見せているようにも思えた。

 通された応接間で、メイドに座って待っているように指示され、一人で辺りを見回していた。

 絨毯や置いてある調度品も恐ろしく古いもののようだ。腰掛けたロココ調のソファも古い見かけによらず丈夫である。

 全体的に、いかにも昔からの英国貴族らしい内装。大きな暖炉の上に飾られてある大きな肖像画は、途中の廊下でも見かけた人物と同じである。恐らく初代クリサリス家当主のものだろう。いかにも紳士といった風貌の、しかしそれでいて責任感の強そうな男性である。

 暫くその部屋で待機していると、一度メイドによって閉め切られていた応接間のドアが再び開いた。

 長い髪を結いあげた綺麗な女性の後に続いて、車椅子の年寄りや中年の男女が次々に姿を現す。恐らく、サラの家族や親族だろう。その表情は、誰一人としてエトを歓迎してはいなかった。

 部屋の出入り口、ドア越しで立ったままでまるですぐに立ち去ろうという魂胆が見え見えな彼らを視界に収めると、エトは冷ややかな彼らの態度に動じることなく立ち上がって一礼する。

 

「お初にお目に掛かります、エト・マロースと申します」

 

 再び頭を上げて数秒、誰も挨拶を返すことなく沈黙が場を支配する。

 すると、車椅子に座っていた老人が顔を顰めて低い声を発した。

 

「なんだこいつは、カテゴリー5の紹介と訊いて仕方なしに通したと思えば、ただの子供ではないか。こんな小僧相手など話にもならん、さっさと荷物を纏めて帰れ」

 

 老人が自ら車椅子を動かして背中を向ける。

 それに続くように他の親族もドアから離れて踵を返そうとする。

 

「少々お待ちください」

 

 そんな彼らの脚を止めたのは、若々しい男の声だった。

 整えられた短い亜麻色の髪、鋭い瞳は知性を携え、細い指先が眼鏡を押し上げる。サラに見せられたプロフィールの写真の男、ディーン・ハワードである。

 魔法犯罪専門の魔法捜査官であり、かつて風見鶏を上位で卒業したカテゴリー3のエリート。一度テロリストの集団を見事な手際で一網打尽にしてみせた功績が高く評価されており、知名度としても実力としても安定したものを持ち合わせている。

 クリサリス家の親族が道を開けると、その間を抜けるように姿を現す。エトは、その男の顔をじっくりと眺めた。

 これが、サラの政略結婚の相手になる予定の男。魔法使いとしての地力もあり、それなりのカリスマ性も持ち合わせている。クリサリス家の再興の駒としては申し分ない方だろう。

 しかし、そんなサラの望まぬ結婚を、エトは望まない、認めない。

 

「君が、エト・マロース君だね」

 

 彼もまた、エトを歓迎しているようには見えないが、一応礼儀は欠かさず握手を申し出る。エトは差し出された手を両手で握り返すと共に、彼には気付かれないように小さく敵意を飛ばして見せた。日頃から殺意や敵意をコントロールしているというか師匠によってそう調教されているエトにとってそれくらいは造作もない。

 

「エト・マロースです。以後お見知りおきを」

 

「姉のことはよく耳にしているよ。私たちが風見鶏を卒業した後も、献身的に学園を支えてくれているようで何よりだ。今後の活躍を期待している」

 

「……ありがとうございます」

 

 姉のことは高く評価されているようだ。王立ロンドン魔法学園の生徒会長というものは、それだけで魔法使いの信頼を勝ち取っているようなものである。今後は魔法使いの社会の中でも様々な責任と共に活躍する機会が増えるだろう。シャルル・マロースは、周りからも生徒会長としての能力を十分に持ち合わせていると高い評価を得ている。

 しかし、今の言葉も、周りの評価も全て姉のものでしかないのだ。

 

「しかしディーンさん、今のは全て姉の評価でしかありません。調べさせてもらいましたが、如何にサンタクロースの一族の息子とは言え、魔法の才能はほとんど姉に持っていかれたも同然、そんな子供に何ができるというのですか」

 

 サラの母親であろう女性がエトにとって辛辣な言葉をディーン・ハワードに投げかける。エトはともかく、ディーンもその言葉を冷静に受け止めた。

 どうやら見た目と同様、性格も人格も知的で冷静沈着なのだろう。眼鏡を持ち上げては女性の方に向き直った。

 

「しかし紹介文によれば彼は、かの孤高のカトレア、リッカ・グリーンウッドから魔法を学び、『八本槍』の一人であらせられるクー・フーリン殿に師事しているとのことではありませんか」

 

 顔色一つ変えることなく、至って冷静に言葉を返すディーン、どうやらそこまで悪い男ではないようだ。

 

「そんなもの、文面ではいくらでも嘘偽りを書くことはできます。そもそも『八本槍』との密接な関わりがあるなどと言う辺りもどうせ口から出たでまかせなのでしょう」

 

「確かにその通りです――が、彼はここに来た」

 

 ディーンはまるでここが自分の家であるかのようにエトに椅子に座るように促し、自分もまたテーブルを挟んでエトの反対側に来るように椅子に座った。

 

「理由は一つしかないでしょう。私とクリサリス家の縁談を邪魔しに来た、と。――立ったままでは疲れましょう。お座りになってはいかがでしょうか」

 

 完全にこの場の主導権を握ったこの男は、クリサリス家の人間も思い通りに動かしていく。

 しかし、過程がどうあれここにクリサリス家とディーン・ハワード、そしてエトの三者が話し合う席が成立したのだ。

 

「本当に彼がかのご高名な二人に師事しているのかどうか、そしてそれが実力として戦力たるものなのか、ここに示しに来たというところでしょうか」

 

 眼鏡越しの鋭い視線がこちらへと向けられる。

 エトはその威圧的な視線に対して臆することなく視線を合わせた。

 しかし、その時サラの母親と思われる女性がおもむろに立ち上がり、そしてここにいる全員に言い聞かせるように言った。

 

「その必要はございません。シャルル・マロース本人が出向いてくるならなおのこと、才能を姉に持っていかれた彼に見せてもらう力などありません。それに、社会的地位にしてもディーンさんの方が信頼できますし、クリサリス家再興のための大きな力となりましょう。こんなことで波風を立てるなど、時間の無駄です」

 

 部屋から出ようと足を動かそうとする女性に、ディーンの声が突き刺さる。

 

「みっともないですよ」

 

 ビクリと小さく震えて、咄嗟に足を止める。若干慌てたように振り返り、ディーンのことを睨みつける。

 

「挑戦状を突きつける相手に無闇に背を向けるのは、弱者のすることだ。クリサリス家が本当に将来再び栄光を取り戻す程の力があるというのなら、少年の無謀で勇敢な挑戦を一蹴するのはやめてください。そんな情けの知らない家に――私は行きたくはないんです」

 

「な、何を――」

 

「待ちなさい」

 

 肩をわなわなと震わせる女性に、また別の声がかけられる。

 新しく部屋に入室してきたのは、紳士的な風格を持つ男性だった。どことなくサラと似ている気がしないでもない。恐らく彼女の父親であり、女性の夫であると思われる。

 

「私が帰ってくるまで待っているようにと指示をしたはずだったが?――ディーンさんも、わざわざ茶番に付き合せてしまい申し訳ない」

 

 サラの父親の登場と、彼の謝罪の言葉にディーンが立ち上がり、一礼する。

 遅れてエトも立ち上がり、サラの父親に対して挨拶をした。彼もまた紳士的に挨拶を返す。

 

「妻たちの無礼な振る舞い、どうかお許しください。私がクリサリス家当主、ネイト・クリサリスです。よろしく」

 

 彼が差し伸べる手に、エトは両手で応えた。再び簡単に自己紹介をして、再び会談の席に着く。

 ネイトがメイドに指示をして、素早く茶を人数分用意してテーブルに並べる。流石貴族というべきか、香りだけで紅茶が高級であることが分かる。

 

「それでは、さっそく本題に入ろうか」

 

 ネイトが両手を組んで、無遠慮にエトに視線を向ける。

 無論、今回家同士の縁談に勝手に介入し引っ掻き回しているのはエトである。異分子である以上、真っ先にその意中を明らかにしておきたいというのはクリサリス家にとってもディーン・ハワードにとっても同じことが言えるであろう。実際に、エト自身のいち早く自分の目的を伝える腹積もりでいた。

 

「エト・マロース君、君は、家同士の大事なお話を邪魔しようとして、一体何がしたいんだね」

 

 それは、侮蔑でも糾弾でもない、純粋な疑問。

 いや、むしろエトの腹の中をある程度推測した上で、エト自身を試しているのかもしれない。

 

「僕は、サラちゃんを奪い返しに来ました」

 

「なるほど、君にとって私は恋人を奪った仇ということになるのか」

 

 エトの宣言に、ディーンは眼鏡をくいっと上げて、真面目な顔のままでそう皮肉を飛ばす。

 エトは彼のその言葉を無視して、ここにいる全員に心中を吐露し始めた。

 サラ・クリサリスという一人の少女。彼女が宿命と共に背負った責任と義務と重圧。それを誇りだと言った彼女の言葉に嘘偽りはないこと。

 クラスメイトとして共に過ごしてきた中で垣間見た彼女の努力と人間性。寸分たりとも怠けることなく、自己の研鑽のためだけに時間を割いて。

 想いが通じ合った後、家の代表としてエントリーするクイーンズカップで勝利を掴むことを目標にして、協力し合って弱点の把握と対策に心血を注いだ。

 そして第一回戦、思いも虚しく衝突することとなった相手は、カテゴリー5――リッカ・グリーンウッド。

 誰もがサラに勝ち目などないと確信している中で、強大な敵に追い縋り接戦を繰り広げる中で、二人の戦いに会場中が熱を帯びた。

 結果敗北という形になったが、その一戦が、サラ・クリサリスの名をそこにいた全員に刻み付けることとなったのは言うまでもない。

 そんな彼女に、家族が送った言葉は何だったか。

 その言葉をエトは知らない。聞いてすらいない。

 それでも、その言葉を聞いたサラは、どうしようもなく絶望に叩き落とされた。立っていられなくなるほどの衝撃を心に味わったのだ。

 そして送られてきた戦力外通告の紙切れが、彼女を虚ろな人形へと変えた。何も写さないその瞳は、全てを失ったとすら語らせてくれない。家族の期待という最後の信じる絆が断ち切られた今、サラは何を思って生きていけばいい。

 

「クリサリス家の皆さんが渇望するものは果てしなく大きい。そしてそれは皆さんが絶対に手にしなくてはならないもの。力のない一族の中で、ほんの少しの希望を持ったサラちゃんに全ての期待をかけたくなるのも、その理由も分かっています。でも、そのせいで」

 

 エトは一度そこで言葉を切る。

 本当に大事なのは何か。それを彼らに理解させるためには、ここで声を大にしなくてはならない。

 

「彼女は一度大切なものを全て失いかけた」

 

 家族からの信頼も、期待も、家族に対して報いたいという誠意も、努力の末にここまで築いてきた結晶も、何かを楽しむ心も、誰かを愛する気持ちも、誰かに愛される温かさも。全て、何もかも一枚の紙切れで失いかけた。

 

「だから僕は、彼女がその全部を失わないように、彼女の傍にいてあげたい。そして同時に、彼女が幸せであるために、クリサリス家の悲願を成し遂げたい。だから、僕が言いたいのは一つだけなんです。僕に――サラちゃんをください」

 

 ふむ、とネイトが頷いて、顎髭を撫でる。

 そして考え込むように瞳を閉じ、そして声を出した。

 

「だ、そうだ。――入りなさい」

 

 扉が開く。弱々しい足取りで、こちらを見つめながら入ってきた少女は、サラ・クリサリスだった。

 あの時よりは心身共に回復しているらしいが、未だに心を病んでいるようにも見える。虚ろな瞳で、しかしエトを心配そうに見つめる眼差しが、エトにはよく分かった。

 エトは椅子から立ち上がり、しっかりした足取りで、呆気にとられたクリサリス家の人間を無視してサラの方へと歩み寄る。

 隣に立った時、恐怖からなのかは分からないが、わずかに肩が震えた。

 その肩に、そっと慰めるように手を置く。サラの視線が、エトの瞳と重なった。

 ただ一言、大丈夫と。エトはサラにそう伝えて。

 

「どんな試練でも難題でも乗り越えてみせます。なんせ、さっきまで世界最高峰の無理難題に付き合わされたばかりなので」

 

 自信に満ち溢れた笑みで、サラの肩を抱きながら宣言してみせた。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 クリサリス家の課題の準備中、エトは控え室に通されそこで待機していた。

 今回この課題に挑戦するのはエトであり、ディーン・ハワードは参加しない。元々この縁談自体がクリサリス家とハワード家のものなのだから、ディーンまで試されるいわれはない。

 そしてエトの中では、今回何でエトの実力が試されるのか、大方の予測は立てられていた。まずはクリサリス家で行われるものである以上、クリサリス家の人間ができる範囲のものである。そのため、魔力の少ないクリサリス家にできないような、強大な魔力を必要とする課題はないと考えていいだろう。そして術式魔法をテーマとしている一族である以上、理論や技術と言った面が大きく試されることになるだろう。そして何故このような状況になっているのか、その大元の原因を辿ってみれば、それら全てを考慮してみると一つしかない。それは――やはりグニルック。

 準備完了との合図が出たので指示通りに屋外に出てみれば、そこには広々としたグニルックの競技場が広がっていた。隅に設置されていた簡易の観客席にはクリサリス家の人間とディーン・ハワードが着席している。

 

「これから君にはグニルックをプレイしていただきます。そして、こちらが定めたルールの上で、こちらが指定した得点以上を上げることができましたら君の実力を認めましょう。そして、今回の縁談も中止とし、君の願いを聞き入れるとします」

 

 いいですね、と隣に座るディーンに確認を取ると、彼は無言で頷いた。

 

「ちょ、ちょっと待ってください、お父様!こちらの定めたルールって、そんな――」

 

 エトの近くにいたサラから非難の声が上がった。今思えば、サラの声をまともに聞いたのは久しぶりかもしれない。

 しかし、ここで安心してなどいられない。相手がルールを定め、それをエトが飲み込む以上、どのような卑劣な手を使われても文句を言える筋合いはない。この時点でエトが圧倒的不利な立場に立たされるのは確実と言えた。それに、当然ここはアウェーである。実力を認めさせる以上、偶然やまぐれなどでクリアしたところで意味がない。

 

「サラの気持ちはよく分かる。だけどね、これはクリサリス家の未来がかかっているということなんだ」

 

 サラの父が、サラを諭すようにそう言う。そして、周りに視線を向けると、そこには親族の冷たい表情があった。

 

「見てみなさい、周りを。今の時点では誰一人として彼――エト・マロースをサラの婚約者とは認めていない。それに、決してこの家だけの問題だけではないんだ。様々な問題が、サラとマロースさんの間には立ちはだかっている。だから、彼には悪いが、こちらが最大限に求める資質を示していただきたい」

 

 心配そうに父とエトの間で視線を彷徨わせるサラ。

 ふわふわとしたサラをしっかりと傍に置いておくように、エトは彼女の肩を捕まえた。

 肩をびくつかせたサラは、自分よりも少し大きな背のエトを見上げる。エトが見た彼女のその瞳には、僅かながら安堵の色が見えた。無論、心配であることには変わりないだろうが。

 しかし、それもまた、信頼の証。いつだって二人で頑張ってきた。

 

「僕がサラちゃんも、サラちゃんの家族も、幸せにしてみせる。僕にはそうしなければいけない義務と責任があるから」

 

 そう、それは進むべき道を決めた者にのみ課される使命。

 グニルックのフィールドの向こうに設置されてあるターゲットパネル4を見据える。

 まるでそれがスクリーンであるかのように、世話になってきたたくさんの人間の顔が脳裏を通り過ぎで写し出される。

 耕助や清隆を始めとしたクラスメイト、生徒会長であり、大切な姉である、かつて病で床に臥せていた時にいつまでも傍にいてくれたシャルル、いつもどこかで見守り、優しく迎え入れてくれたジル。大いなる実力と人望で築き上げられた人脈を上手く使い、サラを取り戻すまでの架け橋をつくり(はなむけ)をしてくれたリッカ。そして――誰よりも強く、誰よりも素直で、誰よりも我を通すことに厳しくあった、最大にして超えるべき目標、クー・フーリン。

 その全てがいてくれたおかげで、今ここに、サラの隣に立つことができている。もう、それだけで何も怖くない。彼らの恩に報いるためには、この試練に成功するしかないのだ。

 

「では、早速グニルックをプレイしていただきましょう」

 

 ネイトがそう言うと、グニルック競技場から魔力が感じられた。全ての準備が整ったのだろう。

 

「フェーズ数は公式ルールと同じ八フェーズ、奇数フェーズがショートレンジ、偶数フェーズがロングレンジであることも同じ、ショット回数もターゲット4の時は二回、ターゲット9の時は四回とします。つまり、基本的なルールに関しましては公式のものと同じと考えてください」

 

 エトはネイトのルール説明を頭の中で反芻する。

 フェーズ数も同じでショートレンジ、ロングレンジと言っている以上フィールドも同じ、ショットの回数も同じであれば、理不尽な要求こそされることはなさそうだ。しかし、今の説明の中では、公式ルールと同じかどうかが説明されていない要素がある。

 

「ガードストーンの設置は、その都度こちらで行います」

 

 エトが眉を顰める。

 そう、ガードストーンについての言及がなかったのだ。そしてそのガードストーンが彼らの采配によって自由に設置できるのなら、ここを理不尽な設定にすることでエトを試すはずだ。

 

「そしてクリアポイントですが、前八フェーズ合計で四十五ポイントということでどうでしょう」

 

 ターゲットパネル4は一、三、五、七フェーズであり、ターゲットパネル9は二、四、六、八フェーズである。つまりパーフェクトで五十二ポイントとなり、エトがミスショットによって許される損失はたったの七ポイントになるということだ。特にターゲットパネル9の方は一度でも失敗したらパーフェクトは達成できない。

 

「分かりました、では、始めてください」

 

 そう、ネイトに言葉を飛ばす。

 ネイトは一度頷くと、大きな声で宣言して見せた。

 

「それでは始めます。第一フェーズ、ターゲットパネル4、ショートレンジ、ガードストーン――12です」

 

「なっ、じ、12!?」

 

 音を立てつつそびえ立つ膨大な量のガードストーン。

 公式ルールでは、第八フェーズで決着がつかなかった時、延長戦としてサドンデスで設置されるのでも六体だ。

 そして、今回エトの目の前に立ちはだかったのはその倍の数。かつて見たことのない圧倒的な城壁を前に、エトは再び覚悟を決めた。




さぁお膳立ては済んだ、後は暴れてもらうだけだね!

実はこのD.C.シリーズの世界観で魔法は想いの力、即ち心とか気持ちとかそう言った領域から湧き出る力だから、しっかりと下準備をしておけば覚醒イベント的な何かで誰もが強くなれる可能性があるんです。お役目の力を受け入れ覚悟を固めた姫乃なんかも今では清隆以上の力を持っているかもしれないです。だってあの華奢な体の中には封印されしエクゾ――じゃなくて『鬼』が宿っているんですから。

ちなみに魔力量で上下をつけるなら

キャスターもどき>>アデル・アレクサンダー>アルトリア(セイバーもどき)>ライダーもどき>>リッカ>ジェームス(アーチャーもどき)>エリザベス>姫乃>清隆>シャルル>ジル>巴>イアン>エト>>サラ

ってな感じだと思います。アニキはルーン魔術は方向性が違うということで除外。メアリーとかはちょっと分かんないです。多分イアンとエトの間くらいかな?
なおこの相関図?は本編でちっとも役に立たない模様。


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共に立つ者として

さて、本格的にグニルック書いてみました。なお前半戦のみの模様。
後半戦は次話で。


 

「ちょっと、どうするつもりなの、これ」

 

 リッカ・グリーンウッドは声を荒げようとして、小声で男を責める。

 一方の男――クー・フーリンはしたり顔で人差し指を口の前へとやる。静かにしろ、そういうジェスチャーだ。

 ここはクリサリス邸の屋根の上。見下ろせばそこには大量のガードストーンが展開されたグニルックの競技場があった。シューティングゾーンに立っているのは間違いなくエト・マロース、その側には不安げな眼差しでサラ・クリサリスが控えている。

 

「ちょっと面白いもんが見えるかもと思ってな」

 

 リッカを抱きかかえたクーは、目を輝かせながらグニルック競技場を見下ろしている。リッカをお姫様抱っこしながら。

 なぜこうなっているか。無論、クーが生徒会の仕事をしている最中に強引に掻っ攫って連れ出してしまったのだ。理由としては、結局面白そうだからというのに行きつく。

 リッカとしても、エトに対して、アポを取ってあげた先は何もできないと言った手前、こんな所を本人に見られる訳にはいかない。これでも年上であり先輩なのだから、友達の弟に温かい眼差しで見つめられたくはない。

 

「下ろしてよ」

 

「ばれた時反応遅れりゃどうする、テメェじゃ間に合わんだろ」

 

「いやそうかもしれないけど」

 

 膝裏と肩を抱きかかえられ、リッカはクーの首へと両腕を回している。

 いつもとは違う体勢でこの逞しい体つきを見ていると、何故か鼓動が高まってくる。かつてはその腕で、その身体で真紅の槍を振るい二人の少女を悉く危機から救出した英雄、いつもは紅き槍を握っているその腕に今は自分が抱かれているのだという意識と、そこから見上げる彼の体つきが、アレ、こいつってこんなに色っぽかったっけ、と自分でも頭がおかしくなったのかと自問自答したくなるような感想を抱かせる。意識を逸らそうと思って仕方なくグニルック競技場を見下ろした。

 今フィールドには、合計十二の騎士(ナイト)僧侶(ビショップ)が城壁を守護している。その堅固たる守りや、まさしく難攻不落の要塞。

 

「とりあえず、これくらいは、ジルや私なら余裕だわ」

 

「んなもんできてトーゼンだろ。テメェが威張んなよ」

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 第一フェーズ――ショートレンジ、ターゲット4、ガードストーン12。

 正面は高身長のビショップが完全に進行をそしており、それを中心に陣を敷くように周りをナイトが取り囲む様な布陣。

 単純な話だ。完全にこのショットを封殺するには十二のガードストーンを全てビショップにした上で横一列に並べてやればいい。それをしなかったということは、すなわち身長の低いナイトの上、そして身長の高いビショップを避けるような軌道をつくればいい。しかしそれをしようとすれば、大きく魔力と体力を持っていかれる。クリサリス家の特性上序盤から自分たちのできない布陣を繰り出すとは思えない以上、ここでとるべき選択はただ一つ。

 ブリットコントロールの比較的少ない、正面に配置されているビショップの上を通過し、そしてトップスピンをかけた状態での急降下をする。

 造作もない。今のエトは、先程の戦闘から、今までにないくらいの集中力が備わっている。そして、リッカやジルでなくとも、恐らく清隆ならこれくらいは簡単にやってのけるだろう。

 ターゲットパネルこそ直接見えるわけではないが、フィールドの中心線を辿った先にあるのは明白、サラと練習をしていた際にもその距離感はショート、ロング共に完璧に把握している。伊達に師匠との鍛錬で間合いの見切りの練習をしていない。

 ロッドを引き込み、そして勢いよく振る。

 ブリットと衝突する瞬間、軌道のイメージを乗せた魔力を一瞬で流し込み、そして打ち抜く。

 背の高いビショップの上を目がけてブリットが飛翔する。そしてその頂点に達した瞬間に、ブリットは思い通りのスピンを開始しトップスピンで急降下。完全なフィールドの中心線を走ったブリットはそのままターゲットパネル4の中心を撃ち抜き、一撃にしてパーフェクトを達成した。

 

「――よし」

 

 問題ない。これまでプレイしてきた中で最も調子がいいかもしれない。

 恐らく清隆なら、慎重さを重視して初撃はターゲットパネルの近くにあるビショップ辺りをターゲットパネルに見立て、それを狙って調子を見、二撃目で確実な一撃を決めたかもしれない。

 

「そ、そんなバカな……!?こんな小僧が、難度の高いビショップ越えのトップスピンショットを成功させたのか!?」

 

「しかも、ファーストショットで四枚落としなんて!どうせまぐれに決まってるわ、すぐにボロが出るでしょうに!」

 

 エトの完璧なショットを前に声を荒げる二人。

 実はエトが一撃でやってみせたこのショットも、本来初心者では到底できない芸当である。

 スピンの作用をブリットに与えるということは、直進の軌道とは別に力をブリットに与えるということである。つまり加減を誤れば、回転の方向がズレてしまうこともあるのだ。完全な縦のスピンを成功させるには、かなりの技量が必要である。今回エトが成功させたのは、これ以上にない集中力の賜物というべきか。

 

「サラちゃん」

 

 初撃を終えたエトは、ロッドを持つ腕を一度垂らしてサラに呼びかける。

 そのショットを成功させたエトを見たサラは、安堵の表情を携えてエトに振り返る。

 

「まぐれなんかじゃない。僕はまぐれなんかでみんなの目を欺くわけにはいかない。まぐれとか、奇跡とか、そんなのは一瞬で崩れる程に、脆いんだ」

 

 ロッドを握る拳に力が入る。

 ネイトが次のフィールドをスタンバイしているようだ。フィールドの方から音が聞こえてくる。

 

「力は、奇跡でも偶然でもない。それを僕は、あの人から教わった。だから僕は、力を求められるなら、自分がいつも扱える最高のものを提示する」

 

 そう言って、再びシューティングゾーンへと、足を向けた。

 その背中を、その勇姿をサラは見上げるように見つめる。

 これが、戦う男の覚悟。今を強く生きる者の眼差し。過去の栄光でもなく、未来への希望でもない、ただ今だけの現実を見つめる、正しき簒奪者の姿。

 彼が戦っている。希望もなく、未来もない中で、逆境という名の絶望のただ中に叩き落とされながら。その眼に勝利だけを映し出して。

 サラは絶望を見た。諦めた。逃げることすらしなくなった。ただ波に飲まれて溺れるように流されて。辿り着いた先に待っていたのは、救いの手を差し伸べる勇者の姿だった。

 守られているばかりなのか。いつも自分は彼の背中にいるのか。それでもなお、悲観し、絶望し、諦めるだけなのか。

 

 ――弱い。

 

 人として、クリサリス家の人間として、そして、今目の前で戦っている小さな勇者の隣に立つに相応しい女として。

 可能性絶無を覆すような鋼の想い――彼から教わった、誰にも負けない不屈の心。そう教わったのは、リッカ・グリーンウッドに負ける前の自分。あの時は確かに負けた。他人がどう思おうと、誰がどれだけあの戦いの健闘を讃えようと、負けた事実は変わりはない。しかし、その想いが、今ここに形となって紡がれている。クリサリス家再興の悲願はまだ、絶たれてなどいないのだ。絶無の可能性を覆しうる小さな現実は、ここに存在するのだ。

 彼が――エト・マロースが戦う限り。そして、その隣でサラ・クリサリス(わたしじしん)が信じ続ける限り。

 

「私は――ここにいます」

 

 隣で共に戦う覚悟が自分にあるのなら――エトが驚いた表情で振り返る。

 その瞳に映る自分の顔は、どんな表情をしているだろうか。しっかりと笑えていたなら、きっと頑張れる気がする。

 エトの驚きの顔は、すぐに力強い、あの引き込まれるような笑顔へと変わった。

 

 第二フェーズ――ロングレンジ、ターゲット4、ガードストーン12。

 配置自体は先程とあまり変わらない。決定的な違いは、先程のショートレンジとの距離にある。ロングレンジはショートレンジの倍近くの長さがあり、実際にブリットにかける変化自体はショートレンジよりも楽であるように見えるが、ガードストーンが相変わらずターゲットパネルの手前にある以上、ブリットの急降下は回避することができない。無論それ以外の選択肢を取ろうものなら魔力を大量に持っていかれる上に失敗のリスクも高まるだろう。ここは先の調子を後続させるために同じ戦法を取るのが正しいと判断する。

 同じようにショット、但しショートレンジの時よりも若干多めの魔力を乗せる。ブリットは先程と同じような軌道を描き、そしてビショップのガードストーンの上でトップスピンをかけ、同じように急降下をした先にターゲットパネル4の中央を見事撃ち抜き、ファーストショットのみで四枚落としを成功させる。

 二度目のビショップ越えを目の当たりにしたクリサリス家の人間が驚愕する。エトのショットがあまりにも完璧すぎて、これでは彼のそれがまぐれだとは到底言えなくなったのだ。ビショップ越えは、二度も連続してまぐれで成功するような難易度ではない。

 

 第三フェーズ――ショートレンジ、ターゲット9、ガードストーン12。

 実質、ここからが本番のようなものだ。今まではターゲット4、ショット回数は二回まで許された。つまり一度はミスしても、二度目で成功させればパーフェクトの可能性は残り続ける。しかし、ターゲット9は、セオリー通りにパーフェクトをこなすなら、まずターゲット4の要領で四枚落としを成功させ、次いで残りの五枚の内隣り合った四枚を二打で二枚落としを成功させ、最後に残りの一枚を落とす、というように、一回たりとも失敗は許されない。

 しかし、ここに来てエトは白い歯を見せて笑う。それはどこか、彼の師匠が槍を構える時の、あの楽しそうな笑みにどこか似ている。

 

「……気を引き締めていかないとね」

 

 一人そう呟く。

 彼の魔力ももちろん無尽蔵ではない。先の闘いで大きく消耗している以上、回復はほんの短時間でしかできていない。その点現在のエトは到底万全の体勢とは言えず、少しでも無理をすればすぐに魔力は枯渇してしまうだろう。それでもだ。

 それでも、エトよりも基礎魔力は少ないサラは、あのリッカ・グリーンウッドと互角の戦いをしてみせた。今のエトの目の前にある大量の壁など、サラの見てきた絶対的な心の壁と比べれば大したことはない。ただ正確に、力強い一打を放つだけだ。

 一打――もう一打――確実にターゲットパネルへとブリットを打ち込んでいく。一打目に四枚、二打目と三打目に二枚、そして、最後の一打で一枚。

 十二の守護者を前に確実にパーフェクトを決め込んだエトに、驚きの声が上がる。

 このフェーズで、エトは確信する。今の自分に、落とせないターゲットなどない、失敗するフェーズなどない、敗北など、ありえないと。

 

 第四フェーズ――ロングレンジ、ターゲット9、ガードストーン13。

 手前から、ナイト中央、ナイト左右、そして一番奥にビショップを三体ずつ左右に並べて配置。大きな障害となるガードストーンはそんなところだ。残りは背の高いビショップがいたるところに整列してある。

 ガードストーンを増やしたのは、クリサリス家の人間がいよいよ本格的にエトの実力を認めたということになるだろう。そしてこの、エトを怖気づかせる大量のビショップの配置なのだろう。しかしそれでもやはりクリサリス家というべきか、その配置はなかなか理に適っている。正面のナイト、左右のビショップ、それぞれを個別に考えれば大した障害ではないが、ナイトを気にし過ぎればビショップの妨害に会い、かといってビショップを警戒すればナイトの防御に阻まれる、実に精巧な配置。僅かなミスも許されない、が。

 今のエトの敵ではない。

 

「これくらい、行け――!?」

 

 行ける、といい終わる前に、エトは目を見開いた。

 風を感じる。それもそよ風とは到底言切れない程の強さの風。多少サイズの大きい旗でも、その紋章がはっきり見えるくらいにはためく程の強さはあるだろう。

 その時、観客席から馬鹿にするような笑い声が聞こえてきた。

 

「どうやらお前の運もこれまでのようだな。この難度でこだけの強い横風が加われば、まともにブリットの変化もコントロールもできまい!」

 

「ええ、無理でしょうとも。クリサリスの名を背負うに値する、本物のプレイヤーでなければね」

 

 サラの祖父と母からの嘲笑の声。

 こればかりはどうしようもない、天がエトに味方していないのだ。この圧倒的に絶望的な状況に立たされたエトの背中を、サラは黙って見つめる。

 天の加護がない、だからどうした。今のエトに、味方などいない。いらない。エトに、とてつもなく大きな勝利への熱望がある限り。その闘志を、サラが信じ続ける限り。

 サラの母親は言った。クリサリスの名を背負うに相応しい、本物のプレイヤーでなければこの局面は打破できないと。しかし、エトが本物のプレイヤーであれば、クリアできるということに他ならない。

 

「節約は、ここまでかな」

 

 一度サラの顔を見る。その表情に、不安も諦めもない。ただ一心にエトの成功を祈っている。そしてその成功を信じている。

 それを見ているだけで、頑張れる。できないことなど何もないように思える。だからこそ、エトはロッドを力強く握り締めた。

 シューティングゾーンに、強く足を踏み締める。風がどれだけ強かろうと、どれだけの障害が立ちはだかろうと、ただ突き進むだけだ。今のエトに、退くという言葉はない。

 ありったけの魔力を込めて、強烈な一撃をブリットに与える。一瞬で魔力を流し込み、そして力強く素早く振り抜いた。

 ブリットは滑らかな放物線を描いて飛翔し、風に負けじと直進する。そして、多少風に流されたものの、見事に強風の中で左上二枚のターゲットパネルを落として見せた。

 二度――三度――繰り返すうちに風の強さを計算し、軌道修正に取り込む。そして逆算された最後の一打は、見事に四枚落としを実現させる。

 ここまで、26ポイント――パーフェクトゲーム。

 エトの研ぎ澄まされた集中力が幸いしてここまで完璧なゲームを展開してみせた。

 しかし、このフェーズの四打で、あまりにも魔力を消費し過ぎてしまった。全身に疲労が押し寄せ、先程みたいに体のバランスが安定しなくなる。

 流石に限界か――エトはガードストーンの消え去ったフィールドを眺める。

 ここまで魔力をギリギリまで節約した状態でパーフェクトゲームを展開してみせた。しかしたった今の強風の中で強いショットを繰り返したことで、魔力もいよいよ底をつく寸前にある。ガードストーンはこれからもネイトの意思のみで増え続けていくだろう。そしてその度に魔力を出力していかなくてはならない。だが、今までのフェーズ数と消費魔力、そして残りの魔力を計算してみても、どうしても最後まで立っていられるとは考えられない。少しでも時間を伸ばしたところで大した回復は望めないだろう。

 

 ――詰み、か。

 

 クー・フーリンとの戦いの時には、奇跡のような力を使って一瞬でも圧倒したらしい。同じ力がまた使えればこの局面も乗り切れるだろうが、そんな奇跡も何度も起こるものではない上に、そんな奇跡でこの局面を乗り越えたとしても、それは決してエトの実力ではない。それではこのクリサリス家に相応しい人間とは言えない。それだけはどうしても許せなかった。

 

「――エト」

 

 ふと、声が聞こえた。

 振り返ってみると、そこにあったのは見慣れた青のツインテール。サラのものだ。

 その眼に映っているのは、サラ自身の厳しい眼差し。その表情こそ、彼女がリッカと対戦した時のものだ。まるで、今自分も戦っているのだと言わんばかりの。

 

「さっきエトは言ってました。世界最高峰の無理難題に付き合ったって。それがどんなものなのかは分かりませんが、エトがそう言うのなら、きっと厳しかったはずです。魔力も体力ももう限界に等しいんじゃないですか?」

 

 サラの言葉に、エトは素直に頷く。それが事実であり、現実だ。変えられないことは受け入れるしかない。

 

「私も、一緒に戦います。エトがシューティングゾーンで私の隣に立つために戦うなら、私もエトの隣に立つに相応しい者になるために、ここで戦います」

 

 そう言って、家族の視線が集まっている中で、サラは突然エトに抱き着いた。

 突然のサラの行動にエトは慌てると、サラは体の力を抜くように促した。

 

「ゆっくり、深呼吸をしてください。私の呼吸に合わせるように」

 

 瞳を閉じ、サラの深呼吸に合わせるように、自身の呼吸音をシンクロさせていく。

 エト自身の意識が、まるでサラに流れていくように。そして同じように、サラの意識が、エトの中に流れ込んでくるように。今感じられているのは、サラの体温と、サラの鼓動。

 全てが漆黒の暗闇の中で融和していく。温かい湯の中で、何も考えずに沈んでいくような感覚。温かい闇の中で、ただサラという唯一の存在を認識し、そして受け止める。

 心臓が音を鳴らし、血液が流れる。呼吸音が同調し、全てがサラと重なっていく。そしてエトは、気が付いた。

 いつの間にか、自身から疲れが消え去っていた。完全に、師匠と戦う前の完全な状態に戻っているのだ。無論、体力、魔力の面でも完全復活だ。

 

「こ、これは……」

 

 エトが目を開ければ、そこには満足そうに微笑むサラの姿があった。サラが何か魔法を仕掛けたのだろうか。

 

「どうやら上手く行ったみたいです」

 

 何が上手く行ったのか、イマイチ理解できない。共に瞳を閉じ、深呼吸を合わせたあの温かな時間の中で、サラはエトに何をしたのだろう。

 

「術式魔法です。エトは、私よりも随分凄いです。私なんかじゃ、とても手が届かないところにいます。それでも、私が誰よりも、エトよりも上手に扱える魔法は、やっぱり術式魔法だけなんです。だから、私が魔法でエトの役に立つなら、術式魔法しかない、だから私、考えたんです」

 

 サラがエトを助ける術式魔法の使い方。

 魔法使いが、少ない魔力で大きな魔法を発動させるためのツール。それが術式であり、術式によって展開させる魔法が術式魔法。

 サラのために戦っているエトが、魔力と体力の大きな消費によって窮地に立たされている。そんなエトを今助けられるのは、他でもなくサラだけだ。ならば自身が術式魔法をエトに使うことで、きっと活路が切り開けるかもしれない。

 だから、サラは踏み込んだ。術式魔法を、自分のために使うのではなく、隣に立つ者のために、その人を支え、救うために使うということ。

 

 ――魔法は、誰かを支えるためにある。

 

 理想のような言葉を体現した、サラの想い。

 その小さな力が、大きな希望となってエトを包み込む。

 エトに施した術式魔法は、リラックス、魔力増幅、疲労回復、魔力・体力の回復速度上昇の四つを、更に接触している相手に譲渡する術式の計五つ。とても平凡な魔法使いにできる芸当ではない。

 

「それって、僕に対して術式魔法を使ったって、こと?」

 

 もしそれが本当のことなら、これは物凄いでは済まされないことである。

 

「はい、応用すればいけるかもと思いまして。初めての試みだったんで少し不安でしたけど、上手く行ってよかったです」

 

 それはつまり、従来の魔法を新しい形に再構築したということだ。言い換えれば、自分で新しい魔法を生み出したということである。カテゴリー4、5になって初めて時間をかけてできるような代物であり、エトですら新魔法を構築したことはない。

 サラが、自分の経験と実力とそして想いの力だけで、新しい境地を開拓したのだ。もしこれが理論として完全に定着し、そして論文のような形で魔法使いの社会に広まれば、術式魔法を扱う者たちの間で大変重宝され、サラ・クリサリスの名は世界に轟くことになるだろう。それだけのものだ。

 残念ながら今の段階ではサラとエトの間だけで成功しただけであり、全ての場合で成功するものではないため世に出せるものではない。

 しかし、だ。今はその必要はない。今、エトはサラの力で再び万全な状態でこの理不尽極まりないグニルックをプレイすることができる。

 

「私、自分自身が優秀な魔法使いになるのではなく、誰かをサポートすることで輝ける魔法使いになりたいです」

 

 それが、サラの新しい夢。そして、イアン・セルウェイが語った、力以外の可能性。

 非力な人間が、力を使うポストになどつけるはずがない。当然、そんなところにいればたちまち力のある連中に淘汰されてしまうに違いない。しかしサラは、その場所にいち早く見切りをつけ、別のポジションへと身を置いた。それは、自分の持ちうる実力を最大限に発揮できる場所、力を使わずに、己の知恵と経験によって誰かを支える、パートナーとしての存在。

 エトの隣に立つに相応しい女としての、覚悟。

 今ここに、勝利への道は切り開かれた。

 サラの想いをしかと受け止め、再びロッドを強く握り締める。魔力も体力も完全回復した以上、もう負ける要素など何一つとしてない。

 これまでにない自信満々な笑顔を浮かべて、エトはフィールドを広く眺めた。

 

「……これが、エト・マロースとその相棒の実力か」

 

 遠くで、ディーン・ハワードが小さく呟く。

 ディーンが座る前の観客席で、ネイトがフィールドに魔力を送った。第五フェーズのガードストーンがフィールドに展開される。

 ハワード家にとっても、クリサリス家の術式魔法は後の活躍のためにも大きな力となる。折角ここまで漕ぎつけたものを、みすみす手放してやるわけにはいかない。

 エトの実力は大いに認めることとしよう。しかし、ディーンとしても、家に泥を塗らないためにここで縁談を成功させておく必要がある。そのためには、多少手荒なことまでする必要があるが――問題はない。

 遠隔操作は得意だ。ディーンは誰にも見えないように腰元で指を振り、フィールドに魔力を送ってみせた。




次回。
今まで堅実にゲーム展開をしてきたエト。
しかし突然、物理法則とゲームシステムでは説明できないような異常が起こる。
何者かの妨害――サラは辺りを見渡す。エトは変わらず黙ってフィールドを見つめるばかり。
このままでは勝ち目などない。招かれざる客まで見守る中、エトは覚悟を決めてシューティングゾーンに立つ。

だ が 奴 は 弾 け た 。


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ゲイ・ボルク

後半戦スタート。


 ここまでで合計四フェーズが終了、一度たりともミスはなく、堅実かつ大胆なショットを繰り返しパーフェクトを達成している。

 しかしかの英雄と戦闘をした後もあって、体力も魔力も限界だったところを、サラの術式魔法によって助けられた。現在は双方とも完全に回復しきっている――といいたいところだが、やはり所詮は付け焼刃の回復、サラから供給された魔力はあまりエト自身に馴染んでおらず、有効活用できるのは半分と少しくらいだと思われる。

 だが、それだけあれば十分だ。サラから貰った大事な魔力、決して無駄にはしない。

 

 第五フェーズ――ショートレンジ、ターゲット4、ガードストーン12。

 ガードストーンの数は減った。しかし、ここで重要になるのはターゲット4、つまりショットが二度しかできないということである。一度しか失敗も許されず、調整も予測の範囲でしなければならない。そして、そのガードストーンの設置もまた、これまで以上に難関なものになっている。

 ガードストーンの設置はこれからも確実に難しいものになっていくだろう。その度に消費する魔力を増やしていけば、その内確実に再びガス欠に陥ってしまう。つまり、これからは終盤に出現するであろうガードストーンの設置も予測しながら自分の必要魔力を計算しつつゲームに臨まなければならない。

 今回の配置は、先頭に身長の高いビショップが中央に二体、そしてビショップの横幅分の隙間を開けた位置で両サイドに更にビショップを、そしてその後方及び両脇に間を通り抜けるのを阻止するかのごとく立ちはだかるナイトのガードストーン。セオリーとしては、ビショップ同士の間を左右どちらからか抜けて、そしてナイトの上空を飛び越えなだらかに落ちていくという軌道を描くのが定石だろう。

 クリサリス邸の屋根の上、クー・フーリンにお姫様抱っこされたリッカ・グリーンウッドは、フィールドを見下ろしながら憤慨していた。

 

「何よアレ!?反則じゃないの!?」

 

 何事か珍しく孤高のカトレア様が怒りに震えている。そんな彼女に対して呆れつつも、しかし飛び出ようとする彼女を離そうとはしない。どうやら魔法使いの端くれとしてのプライドも持ち合わせていない今のクリサリスの人間の行動が許せないのだろう。

 というのも、この第五フェーズ、何者かの手によって、フィールド自体に細工がなされている。この配置で誰もが思い描くような軌道線上、つまり両サイドのビショップ同士の間に、何かしらの魔法障壁が張り巡らされているのだ。例えリッカ程の腕前だろうと、ブリットには大した力はない。彼女が大量に魔力を込めた渾身のショットでも打ち破ることはできない程の強度の障壁と見て取れる。尤も、クーのような全てを破壊し尽くさん限りの脳筋ショットだったら話は別だが。

 

「ハワードの野郎も大変だろうさ。ここで負けちまったら世間様の笑いもんだからな」

 

「だからってこんなことが許されるはずもないわ!私の目の前でこんな卑怯なことをするなんて魔法使いとして恥ずかしくないのかしら」

 

 相変わらずリッカは肩を怒らせてクリサリスの人間を睨みつけている。クーの腕からは逃れられないと早い内から悟ったのか、もう腕の中で暴れまわるようなことはしていない。

 

「テメェらの言う魔法使いらしさってのは知らんが、少なくとも勝負者としては間違ってねーだろうよ」

 

 笑みのない表情でフィールドを見下ろすクーは、リッカの怒りを一蹴する。

 しかし実際に、クリサリス家が自らの家の名を守ろうとするのと同様に、ディーンもハワードの家を守り育てるために今回の縁談に対して首を縦に振ったのだろう。成功してしまえばクリサリスの術式も自由に扱える上に、クリサリス家もまたハワードの才能ある血を得ることで再び魔力を持つ子孫を得て、再興の可能性を増やすことができる。同時に失敗してしまえば、元々没落貴族として社会的地位も低迷していたクリサリスは置いておいて、ある程度の権威を持っているハワード家は何かしらの瑕疵があったのだろうと周囲の魔法使いの家に深慮され、信用を失ってしまうかもしれない。

 つまり、後者のリスクをなるべく軽減させるために、ここでエトのプレーを妨害しておくのは合理的であるともいえる。

 更に、クリサリス家の人間は今のところエトが勝利しサラと結ばれることをあまり良いこととは思っていない。いくらカテゴリー5のリッカ・グリーンウッドが紹介したとはいえ、風見鶏に通う一介の学生であり、かのサンタクロースの一族であるマロース家、そして風見鶏生徒会長として名を馳せているシャルル・マロースの弟であるところで、その家の特色としての魔法の才能のほとんどが姉に奪われ、エト自身に大きな魔法の力はないと言われている。そんな将来性のない人間をクリサリス家に迎えたところで何のメリットもないと考えるのは仕方のないことだ。ここで負けて帰り、二度とクリサリスの敷地を跨ぐことがなくなるように仕向けたいはずだ。いくらディーンがここでフェアプレーに反した妨害行為をし、それが周りにばれようと、エトにとってアウェーなこの場所で誰も彼を咎めようとはしないのだ。

 そんなディーン・ハワードの思惑も、そしてリッカとクーの両師匠とも呼べる先輩方がクリサリス邸の屋根の上から見守っていることも知らないで、エトはシューティングゾーンで足を踏みしめてロッドを握っている。

 相変わらず後半戦になろうと厳しい配置は変わらず、正面にはビショップ、そしてその隙間を固めるようにナイトがターゲットパネルを守護している。

 エトはフィールド全体を眺め、俯瞰した時の配置を脳内でイメージする。限られた魔力、時間などの条件の中で、最大の成果を最小のリスクで発揮できるように、目の前に広がる数多のガードストーンを攻略する方法を頭の中で模索していく。

 

「――よし」

 

 一度目の前のビショップを眺めて、頷く。ターゲットパネルを一撃で撃ち抜くヴィジョンが完成した。

 後方へとロッドを引き、そして魔力を込めて素早く振る。接触するタイミングで魔力をブリットへと通し、一瞬で振り抜く。

 飛翔したブリットは、ディーンの思惑も虚しく見事にターゲットパネルを一撃で落としきった。その一打にクリサリスの人間も、ディーン・ハワードも一様に驚きの声を上げる。

 

「なるほどその手があるか……」

 

 これには上から眺めていたクーも称賛の声を上げざるを得なかったようだ。

 それはまさしく無謀といえる一打。しかし成功させることができれば、ブリットのコントロール能力を見せつけることができると同時に、長期戦を予想した際に支払われるコストを最小限にとどめられる。

 エトが打った一手は、本当に針の穴を通すようなショットだった。ビショップ同士の隣接は、完全に隙のないナイト同士の隣接と比べると、微妙に隙間があるのだ。しかしその隙間も、正真正銘ブリット一つ分通る程度のものである。逆に言えば、中央にビショップを二つ並べた時、その隙間を縫うことで、ブリットの操作の必要性がほとんどなくなる直進の軌道を描かせることができる。そしてエトは、そんなむちゃくちゃなショットを一撃の下に成功させたのだ。そしてそれは同時に、ディーンの魔法障壁を張った妨害行為の目論見を失敗させたのだ。

 

 第六フェーズ――ロングレンジ、ターゲット4、ガードストーン19。

 その圧倒的なガードストーンの設置量のほとんどを、背の高いビショップに裂くことで、ビショップの縦幅と、ナイトの横幅を網羅するように設置している。そしてビショップ四つ分の巨大な壁を前方に一枚、後方にもう一枚配置し、運よくそのどちらにも間通しを成功させることができたとしても、その間に存在するナイトが行く手を阻むように立ちはだかる。エトの先程のまぐれのようなショットの対策も兼ねているのか、完全なストレート封じの布陣である。その光景はまさに要塞そのもの。

 しかしこの光景は、エトにあるものを思い出させていた。

 サラがクイーンズカップで、リッカを相手に戦った第八フェーズ。

 同じロングレンジコートで、今エトが目の前にしている光景と同じような、横一列に整列しているビショップ四体。今回はそれに加えて広範囲をカバーした、明らかにそれ以上の難易度を誇る要塞である、が、サラはこの光景を相手に、九枚のターゲットパネルを撃ち抜けると確信してスイングしたのだ。

 そう、この壁こそ、エトとサラが乗り越えるべき試練。

 

「僕は、僕たちはこれを――超える」

 

 その巡り合わせに感謝しながら。

 力強い一撃を、ブリットに乗せた。

 飛翔するブリットは、大きく右上の方向へと進み、フィールド上の全てのガードストーンを迂回してロングレンジコート中央付近で左へとカーブをかける。斜め左下へと向けた滑降、エトの想いを乗せたブリットは勢いよくターゲットパネルへと飛んで――

 

 ――弾かれた。

 

「んなっ……!?」

 

 軌道的には、確実にターゲットパネルを押さえたはずだった。しかし、まるでターゲットパネルのポストにでもぶつかったかのような、あるいはガードストーンにぶつかったかのように急激に軌道を変え、フィールド側へとブリットは転がり落ちたのだ。そう、それは丁度何者かに妨害されているかのように。

 ディーン・ハワードは背もたれにもたれかかるように座る姿勢を直す。一度瞳を閉じては、溜息を吐いて再び目を開いた。クリサリスの人間が何事かと騒ぎ立てているが、彼の思惑通りエトが失点しかけていると思い直したのか追及をしようとはしていない。

 彼は先程の第六フェーズ同様に、フィールド上に魔法障壁を張ったのだ。先程はフィールドのごく一部、ガードストーン配置に対する定石通りの軌道上に障壁を展開したために、定石から外れた予想外のショットによってその障壁は役立たずに終わってしまった。

 しかし、それをターゲットパネルのすぐ前に設置してしまえば、どこからどのようにブリットを打ち込もうと、必ずその目の前で障壁に衝突してターゲットパネルに触れることなく落下してしまう。そしてそれは、最悪『勢いが足りなかったのではないか』と適当に言い逃れができてしまうのだ。

 

「こんなの……どうしようもないじゃない」

 

 その光景を目の前に、リッカはクリサリス邸の屋根の上で、悔し涙を浮かべて歯噛みしている。

 クリサリス家の数に物を言わせた圧倒的なガードストーン配置はまだ許せた。実際にクリサリス家の人間にとっても有能な人間を取り入れたいのは大いに理解できるし、これくらい乗り越えてもらわないと世界で通じる実力があるとはいいがたい。

 しかし、その魔法障壁は、既にターゲットパネルを打ち落とす可能性をゼロにしてしまっているのだ。言ってしまえば、蓋をされた箱に球を投げ、その中に球を入れてみよと言われているようなものなのだ。物理的に不可能、いや、魔法が使われているこのグニルックでも到底不可能だ。リッカですら、あの障壁を突破して一枚でもターゲットパネルを打ち落とす方法が見つからない。

 既に、挑戦者であるエトをただ打ち負かし屈辱を味あわせるためだけのグニルックと化していることが悔しくてたまらない。誰もが楽しむスポーツを、こんなことに悪用されて許せるはずがなかった。

 やはり、そもそもこんな挑戦そのものが無謀だったのだ。完全に負けが確定しているようなこんな勝負に、自信満々の笑顔のエトを送り出すべきではなかったのだ。

 

「ま、もう少し見てなって。それに――負け確なんて勝手に決めんじゃねーよ」

 

「……へ?」

 

 少し前、クーの笑みが消えた表情には、いつもの傍迷惑が起こる前兆の無邪気な笑顔が張り付いている。

 これから何が起こるのか――きっと碌でもないことが起こるに違いない。何しろ、グニルックの公式試合に出場することを禁止されたクー・フーリンという男が、黙ってされるがままになっているはずもない。

 

「もしかすればやってくれるだろうよ」

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 一度ブリットを弾かれたエトは、再びロッドを握り直して、シューティングゾーンで集中力を高めていた。その背中を、サラがエトの勝利を信じて見つめている。

 先程のショット――エトはブリットがターゲットパネルまで届くまでの力の計算を誤るはずがない。そしてあの弾かれ方は、あまりにも不自然だった。他の家族のみんなも誰も気にすることはしないのだろうが、それもみんながエトに対する不信感の表れに他ならないことはよく理解している。

 だからこそ、サラにはこの時点で誰かがフィールドに細工をし、そして同時にそんな反則行為を行っている人物にも予想がついてしまった。

 クリサリス家が没落の一途を辿ったのは、他ならぬ魔法使いとしての血が薄れ、代を経るに連れて個人が持つ魔力の量が激減してきたからである。だから今こうしてクリサリス家は他所の家に頼ってまでクリサリスの名を何とか守り抜こうとしているのだ。

 そして、そんな芸当ができる人間はここには二人しかいない。一人はサラも知っている通り、クー・フーリンを師匠として慕い、同時に生徒会長を姉に持っているエト(但し今回のようにフィールドに細工をするような遠隔操作の魔法が扱えるかどうかは知るところではないが)、そしてもう一人がそもそもクリサリス家に再び力をつけるために選んだ縁談の相手であり、魔法使いとしても実力の高いディーン・ハワードである。そして、エトが自分の挑戦に対して自分で自分を妨害するなどと言った頓珍漢な行為をするはずがない。となれば、決定的な証拠はないものの、ほぼ確実にディーンが犯人であることは確定的であると言える。

 しかし、今のワンショットのみでディーンの反則を疑い糾弾したところで、恐らく弾かれたこともエトの力がなかったということで有耶無耶にされてしまうことは間違いない。明確な証拠もない以上、下手に疑えば相手方てあるディーンからクリサリス家の悪評が世間に流れる恐れもある。それだけはこれからのために避けねばなるまい。

 そしてそれ以上にサラがこの反則を指摘しなかったのは、他でもなくエトがこの状況を諦めていなかったからであった。

 あのショットが弾かれたことが不自然であったということは、脇で見ていたサラでも分かるくらいであり、それが実際にプレーしているエトに分からない訳がない。つまりエトは、このフェーズが何者かによって妨害されていると知った上で、まだ足掻き続けようとしているのだ。

 そして、エトにその闘志があるのなら、サラはそれを信じるだけだ。

 

「――行きます」

 

 その声と同時に、エトのルビー色の瞳が開かれた。

 両手に握られていたロッドから、片手を離す。行くと言った上で、その宣言と相反するような行動。外野が、遂に小僧の頭もおかしくなったかと喚き散らしている。

 しかしサラから見ても、エトの行動だけを見ていれば、諦めているようにも見えてしまう。左手をロッドから放し、両手を重力に預けてぶらりと垂らしている。

 その時、エトの瞳が鋭く光った。

 何かが来る――そうサラが肌で感じ取った次の瞬間、エトはその構えと共に周囲のどよめきを呼んだ。

 それは、決してグニルックのプレー中にするような構えではない。どちらかというと、戦場において剣や槍などを構えるような構えに近いと言える。

 左足を前に出して半身に構え、右手に握るロッドを引いては、剣だと切っ先が相手側に向かうようにセットする。その先端を左手が沿えるように前に突き出して、腰を低くしていた。まるでこれから自らが直進して誰かに肉薄し刺突するのではないかと思わせるように。実際、今のエトからは、グニルックをプレーするモノとは思えない攻撃性のオーラを醸し出している。

 そして、彼の右手が持つロッドから――真紅の光が溢れ出てきた。

 突然の出来事に絶句する全員を無視して、エトはロッドを動かした。瞬間的にブリットの下に滑り込むように突きを繰り出したかと思えば、それを天空に向けて打ち上げた。真紅の光を発するロッドから、その光がブリットに移り、空へと飛び上がるその様は赤い彗星のようだ。

 サラはそのブリットが打ちあがる光景を、以前にも見たことがあった。

 クイーンズカップが始まる前、エトと共にグニルックの練習に出た時、サラと並んでシューティングゾーンに立った彼は、サラの視線の先で見当違いな方向、つまり真上にブリットを打ち上げていたのだ。その時は訳の分からないことを思考回路からシャットアウトしていたが、あの時エトが呟いていた『上手く上がらない』とはこのことだったのか。

 等速直線運動のまま天空へと舞い上がったブリットは、急に上へと上がる運動を止めたかと思えば、直角以上の角度の軌道で曲がり、ビショップの遥か上空をターゲットパネルへと一直線に直滑降する形で落ちていく。

 

 ――隕石が落ちてくる(メテオストライク)

 

 隕石(ブリット)は紅き光の尾を引いて、速度を緩めることなく障壁を突き破り、一撃の下にターゲットパネルを捻じ伏せた。勢いが止まらなかったブリットはそのまま地面にめり込み摩擦で生じた熱で蒸気を巻き上げている。

 

「な、なんなの、アレ……」

 

 サラを破りクイーンズカップを優勝したリッカでさえ、何が起きたのかこれっぽっちも理解していない。

 彼女とは正反対に、その表情に嬉しそうな笑みを浮かべているクーには、何が起きたのか理解しているようだ。

 

「自分で何したか忘れたって言ってたが、体は覚えてるもんなんだぜ」

 

 何だか感慨深そうにそう呟いている。彼はここに来た時に言った。ちょっと面白いものが見えると思って、と。

 つまりクーは、リッカにこれを見せたかったのだ。エトが放つ、天空へと舞い上がり、そして流星の如く大地へと穿たれるこの前代未聞の馬鹿げたショットを。

 

「あんたこれ、まさかとは思うけど――」

 

「おうよ。俺様直伝、グニルック版≪刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)≫ってところだ。『ターゲットパネルに当たる』という結果を確定させて『ブリットを打つ』と言う原因を発生させるって言うのが理想だったんだが、生憎そこまではできなかった。そこで、俺の学園生活の全てを注いで、俺の槍の呪いを解析してそれを魔力によって下位互換代用する技術を完成させて、因果までは逆転しなくとも、結果を固定させるくらいにまではできたんだぜ」

 

 この男は何を言っているんだろうか。最早リッカには首を傾げて口を開けていることしかできなかった。思考回路がこれっぽっちも追いつかない。

 それはつまり、ほんの少し本気を出せば、たとえガードストーンが百、千、万とあれど、それら全てをないがしろにしてターゲットパネルを打ち落とすというふざけた真似ができるということだろうか。

 そしてそんな芸当を、師匠であるこの男から教わったとはいえ、そうそう簡単にエトができるはずがない。彼ができれば自分にだってできる。だとすれば、自分とエトにある差は何か。

 紛れもない、彼と刃を交わしたかそうではないかということに他ならない。

 ジルからも色々と耳にしたが、どうやらクーが使った技を真似しようとしたらしい。結果としては本家の方がより正確で打ち負けることとなったが、その一撃が何かしら体に刻み込まれた結果今ここでこうしてあのショットを完成させるに至ったのかもしれない。

 

「あんたそろそろ頭おかしいんじゃないの……?」

 

「スゲェだろ!」

 

「褒めてないわよ!」

 

 か細く弱っちい掌でクーの頬を一発引っ叩く。なお全然痛がってない模様。

 目下では、クリサリスの人間が、たった今のリッカと同様に慌てふためいている。

 

「なんと野蛮な!あ、あんなショットが、そうそう連続で打てるものではありませんわ!」

 

 サラの叔母に当たる女性が声を荒げている。実際、今のエトのショットはクイーンズカップでリッカがサラに対して行った第八フェーズの曲芸的なショットよりも大胆で無駄のあり過ぎる軌道だった。それだけ魔力を大量消費していると考えられるのも無理はない。

 しかし、このショットはクーが槍に備わっている呪いの力を術式魔法によって代替させたものであり、そもそも魔力の消費は少なく、更にエトの術式魔法によって魔力消費を抑えて行われている。実質、結果を固定させてショットを放つ以上、プロセスとしては普通のコントロールショットを放つよりも魔力の消費は少ないのだ。

 だから、こうなる。

 

 第七フェーズ、ショートレンジ、ターゲット9、ガードストーン30。

 リッカですら唖然とするようなガードストーンを前に、エトは同じように赤い流星を空に放ち、そしてターゲットパネルに叩き込む。ど真ん中を直撃したそれは、勢いだけで残りの八枚も吹き飛ばし、一撃で九枚全てを打ち落とすことになった。

 本来ターゲット9は全四打を全て決めることでパーフェクトを達成するという物理的に当り前な常識があるのだが、それを悉く打ち破っていく。

 とりあえずターゲットパネルの前に展開していた障壁も紙屑のように突破されたディーンは、その意味不明な現象を目の前に焦りを隠せず、ネイトに対して怒鳴りつけた。

 

「代われ、第八フェーズはこの私自身が設定する」

 

 第八フェーズ、ロングレンジ、ターゲット9、ガードストーン――――60。

 既に、フィールド全体にビショップが縦横無尽に立ち並んでおり、既に打ち込む隙間さえ残っていない。ただ数に物を言わせた邪な暴力。

 そしてそれ以上に、ディーンはこのフィールドに、エトを中心とした円形の魔法障壁を、五重に張り巡らしてあのショットを阻止しようとした。上に飛翔すればその時に五重の障壁が立ちはだかり、更に落下する際にその内いくつかの障壁が邪魔をする。一枚一枚はガードストーンを軽く超える耐久性を持ち合わせており、軍事設備として使われる兵器であれば容易く止められるレベルの壁である。

 しかし、それもまた、無意味。

 

「≪偽槍・舞い穿つ紅閃の槍(ゲイ・ボルク)≫!」

 

 空に打ち上げられた閃光は、五つの壁を全て突き破り、そして降下する隕石は、障壁を叩き壊し、そしてターゲットパネル目の前に鎮座しているビショップのガードストーンを――粉々に吹き飛ばした。

 パーフェクトゲーム。全五十二ポイント中、通算五十二ポイント。全フェーズ、ノーミスにして、完璧。

 エトの力強くて、力強過ぎる紅く美しいショットを目の前に、そして事実として存在する、理不尽なガードストーンの量を相手取ったパーフェクトゲームの得点を前に、既に誰一人として彼の実力を疑う者などいない。むしろその力に、畏怖する者までいるようだ。そして――

 今ここに、エト・マロースの、サラ・クリサリスとの婚約が、確定した。




全て壊すんだ(障害)
次回エト編最終回。


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一握りの幸せから

エト編最終話。


 もぞもぞと。

 エトが横たわるベッドの隣で、小さな青色の髪の頭がひょっこりと姿を現した。

 半分寝ぼけ眼でそれに気が付いたエトは、天井を向いていた首をサラの頭へと向ける。そして、いつものツインテールも解かれ、寝癖によって少し乱れた長い髪を、慈しむように撫でた。

 

「ぷはー」

 

 何故布団の中に潜り込んでいたのだろう。しかしどうも疲れが癒えていないエトにはそんなことはどうでもよかった。ただ愛する少女が隣にいて、何気ない時間を無意味に過ごしていることが、今のエトにとって最高の幸せである。きっとサラも同じことを考えているのだろうと思うと、自然と笑みが零れる。

 

「何で潜ってたの?」

 

 まだ少し眠いのか、半開きの瞼を擦ってエトの顔を見上げる。微かに湿った唇が僅かに動いた。

 

「エトが傍にいるのが……嬉しいんだもん」

 

 いつものしっかりしたサラではない。猫なで声で甘えるようにすり寄ってくるサラの頭を優しく撫でてやると、サラはエトの腕をそっと抱き寄せて頬擦りをする。こうしていると本当に猫を飼っている気分になる。

 エトがクリサリス家からのグニルックの試練をパーフェクトでクリアした後、ディーン・ハワードは大人しくクリサリスの敷地を去ったようだ。見た目通りに紳士らしく、また何かあれば声をかけるとだけ残していった。たとえここでクリサリス家とディーンの縁談が失敗しようと、挽回のチャンスはいくらでもある。ハワード家としての評判は多少下がるかもしれないが、それはまた一から積み上げていけばいい。そのためにはクリサリス家の協力も大きなものとなるだろう。双方で和解交渉を進め、全ては丸く収まった。

 その後、エトはクリサリス家に微妙な空気の中で招待され、サラと並んで座ってクリサリス家の盛大なもてなしを受けた。相変わらずエトがリッカとクーの両方の弟子をしているという件については半信半疑だったらしいが、唐突に何の前触れもなく二人が乱入してきたことでクリサリス家は大混乱、遥か高みにいる権力者二人を前に親しげに会話するエトの姿を見て唖然、『八本槍』に対してすらフランクに接しているのに、かの大英雄は何の怒りも見せず、エトの活躍を褒め称えているだけのようだった。後ろのカテゴリー5がツッコミで後頭部を引っ叩いた時はエトを含めた三人以外の場の空気が絶対零度に凍ったが。

 二人はすぐに退散、一連のやり取りが明確な証拠となって、どう足掻いてもエトを丁重にもてなさなくてはならなくなったクリサリス家一同はそれはそれは今までとは対応が百八十度近く変わって家族であるサラすら驚く程の気の利かせっぷりを披露した。そんな様子をエトとサラが向かい合って吹き出したのもまた思い出の一ページであり。

 そしてその日は体験したことのないような理不尽なグニルックで疲れただろうということで、家族公認の下サラの部屋で一日休んで夜を明かすことになったのだ。

 相変わらずサラの部屋はぬいぐるみが綺麗に並べられており、それを見たエトが再び目を輝かせてその内一つに飛びつきはしゃぐ。どこかで見たことある光景だなと思いつつ、サラはやっぱりエトにそのぬいぐるみをプレゼントするのだった。

 無論、サラの部屋は個室である。個室であるということは当然ベッドも一つでしかも一人用である。当然広いベッドであるとは言え、二人で寝るにはやや狭い。その上、そんな密着した空間で男女が同衾である。何か間違いが起きても不自然ではないのだ。

 しかしエトは、きっぱりと断言してしまった。

 

「そ、そう言うことをするのは、僕が一人前の魔法使いになってから、だね」

 

 照れながら、はにかみながらそう言ったエトに、サラは同じくいかがわしいことを想像していたであろうエトに対して恥ずかしがりながらも、約束だと手を握った。

 そういう訳で、翌日の朝、エトとサラは同じベッドの上で朝日を拝むことになったのである。

 カーテンの隙間から眩しい朝の陽射しが、冬の冷たい空気と共に流れ込んでくる。朝といっても、そろそろ起きないと貴族の一員としても情けない時間であるのだが。

 

「……どうする?」

 

 サラの方に体を向けて、エトは彼女に訊ねる。彼女がまだ寝ていたいというのなら、もう少しだけ怠けてみてもいいかなと思っていた。

 

「……起きないと、いけないです」

 

 言葉とは裏腹に、閉じかけている瞼と掠れた声がまだ温もりの中でぬくぬくしていたいと訴えている。

 しかしサラは自分の口で起きると言ったのだ。ならば恋人であるエトとしては、ほんの少し心を鬼にしてでもサラを嘘つきにしないために動かねばなるまい。

 腹筋の力だけで上体を起こしたエトは、布団の中で丸くなっているサラを抱えるようにゆっくりと起こす。寒さにブルリと震えたものの、何とか朝の眩しさと寒さには慣れたらしくチョコンとベッドの上に座り込んで小さく欠伸をした。

 サラは昔から、とにかく朝が弱いのである。全ての問題が一件落着して安心しきってしまったのが心の緩みを与えてしまっている側面もあると言える。

 

「……おはよう、ございます」

 

「おはよう、サラちゃん」

 

 するとサラは、唐突に何かを思いついたのか思い出したのか、びくりと反応して急にエトに振り向いた。

 頬は紅潮しており、瞳が潤んでいる。上目遣いが保護欲を駆り立てられ、エトは今にも抱きしめたくなってしまう。

 しかしサラは何かを迷っているらしく、その瞳はあちらこちらに泳ぎまくっていた。エトもそんなサラを見ながら何事だろうと考えていたら、急に決心が決まったらしい。サラの視線がエトのルビー色の瞳を貫いた。

 

「目を閉じてください」

 

 覚悟を決めた、強気な声色で言う。

 様子がおかしい、というよりむしろ以前はこんなサラを何度か見たことがあるエトは、とりあえずサラに合わせてみようと瞳を閉じる。ベッドに座るエトの膝上に置かれた拳を、サラの掌が優しく包む。サラの体温が直に感じられた。

 ふと、唇に温い潤いが触れた。ほんの一時感じられたそれには幸せがたっぷり詰め込まれていて。

 拳からサラの掌の温もりが消えると同時に、エトはそっと目を開けた。視界に映えたのは、顔を真っ赤にして俯くサラだった。

 

「そ、その、まだ学生ですけど、風見鶏を卒業したら、正式なか、家族ですから……」

 

 その言葉の意味と、唇に触れた幸せの意味を理解して、エトは自分の指先で自分の唇に触れた。そしてエトの視線は、エト自身が意図せずに不意に自分が触れたサラのそれに向かった。心臓の鼓動が異様に早まる。動揺、緊張、それとも羞恥、いや違う、これこそが恋だ。

 

「だ、だから、その、おはようのキ、キス……」

 

 語尾が完全に聞き取れなくなりそうなくらいに弱っていったその言葉も、エトは絶対に聞き逃さなかった。

 自分も恥ずかしいくせに――しかしエトが喜ぶだろうと思って敢えて行動に踏み切ったサラに、何かご褒美を上げたいとエトは考えた。

 窓の外を見て、朝日の明かりに瞼を力ませながら、開けたカーテンの向こうへと指差して見せた。

 

「あ、サラちゃん、あれ見て!」

 

 サラは指差された方へと視線を向ける。エトが嬉々として楽しそうに何かを見ているのだ。それを共有したいと思うのは恋人として当然だろう。

 いつも通りの風景が広がる窓の向こうを、必死に何があるのかを視線を縦横無尽に動かして探す。しかし結局そこにあるのはいつも通りのここから見える風景であって、何か変わったことがあるわけでもなかった。

 エトが喜んでいるものを自分が見つけられない、その寂しさを胸に感じながら視線を窓の向こうから戻して正面を向くと――

 

「――!?」

 

 不意に唇が塞がれた。

 目の前にあったのは、大好きな男の子の白い肌と、可愛らしい睫毛。寝癖で跳ねた白い髪が揺れている。

 まるで時間が停止したようなその一瞬で、エトの顔を唇が触れる間近な距離でまじまじと見つめてしまう。

 一瞬。そう、それは紛れもない一瞬。しかしサラからすれば何十秒にも感じられた時間の中で、エトの温もりを存分に味わう。

 エトの顔が遠ざかって、ほんの少し残念な気持ちになる。もう少し触れ合っていたかったという、ちっぽけで優しい我が儘。

 予想だにしないキスをサラにお見舞いしたエトは、どこか満足そうな顔をして、いつものあの引き込まれるような笑顔を作ってみせた。純粋で、無垢で、心癒される微笑み。

 

「お返し、と、恩返し」

 

 そんな、別にどちらでもい補足をエトは加えて。

 恥ずかしさで頭がおかしくなりそうになったサラは、そのままエトの胸へと全力でダイブした。

 華奢な少女の身体を胸でしっかりと受け止め、壊れないように、離れないようにしっかりと抱き留める。サラの鼓動がエトへと届き、エトの鼓動がサラへと伝わった。

 昨日までたくさんの試練や理不尽に溢れていたのが嘘のような、まったりとした時間。エトはその全てを思い出していた。

 何が始まりだったのかと思い返してみれば、思えばサラの家族を馬鹿にしたイアンにお仕置きをしてやったところから全ては動き出したように思える。

 あの時のサラは本当に頑固で融通が利かなくて態度も淡白で、でも誰よりも頑張っている努力家で怠けることも寄り道することもしないで。自らを律していた貴族の息女としてのサラだった。

 次第にコミュニケーションを重ねていくにつれて、サラの冷酷という仮面がひび割れ剥がれ、そしてその裏にあった弱さと儚さを見た。本当は誰かに頼りたくて仕方がない、けれども家族のために自分が一人前の魔法使いにならなければならないという使命感と重圧が彼女を自身で孤独に追いやり、それでも才能の欠片もない彼女は、道のない道を、破滅という崖までおぼつかない足取りで歩いていた。

 助けたい――支えたいと思った。独りアンバランスに揺れている彼女の力になりたかった。大英雄や孤高のカトレアなどと言った大先輩からたくさん得た力を使う時が来たと思った。

 彼女に寄り添って一緒の時間を過ごしていく中で、一人の魔法使いではなく、サラ・クリサリスという少女を垣間見た。甘いものと可愛いぬいぐるみが大好きで、本当は誰よりも甘えん坊で、そして今もこの通り、朝に弱い。家族から重過ぎる期待を背負わされた、ごく普通の女の子。

 助けたい、支えたい、は、いつしか共に在りたい、に変わっていった。一方的なものではない、力を使う理由などでもない。純粋に、傍にいて生きていたかった。

 クイーンズカップに向けての練習はまさしく自分の身体が壊れるか壊れないかのギリギリの瀬戸際でのハードスケジュールだった。しかしサラはそれを、自分のペースを崩すことなく継続させていた。途切れることのない努力が、彼女の最大の長所だった。

 当日、クイーンズカップでサラはリッカと当たった。相手はカテゴリー5、敵う道理などどこにもない。しかしサラはそんな相手にも物怖じせず、自分が信じる力をショットへと変えて、最後までリッカにしがみつき、そして負けた。このショットこそ、当時のサラにはあって、エトになかったものだった。

 それを痛感したのは、彼女の不本意な婚約を取り消してもらうためにクリサリス家へと乗り込もうとした直前の師匠、クー・フーリンとの対戦である。かつてエトがイメージトレーニングとして対戦相手にしていたのはいつもクーだった。しかしイメージを相手に、それだけ都合よく考えようと、どれだけ自分が全力を尽くそうと、エトの剣先がクーのイメージに触れることはなく、実際にその戦いでも一撃たりとも彼に掠らせることすらできなかった。それは、自身でも当時は気が付いていなかった、最初からそのイメージができていなかった、つまり、自分の力を理解し信じ切っていなかったということだった。迷いなくラストショットを放ったサラと、諦めの中で剣を振るっていたエト、どちらがより素晴らしいかは言うまでもない。

 そして、今回の出来事。これまでのことがあって、ようやくサラとサラの家族を幸せにするためのスタートラインに着くことができた。自分だけでは、到底ここまでたどり着くことなどできなかっただろう。リッカの協力があって、ジルの優しさがあって、クーの厳しさがあって、仲間の励ましがあって、そして何より、自分をここまで突き動かしたサラがいたから今ここにエトという存在がある。

 

「どうしましたか、エト?」

 

 物思いに耽っていると、サラに声をかけられる。

 エトの胸元から不思議そうにその表情を眺めるサラ。エトは軽く苦笑いを浮かべて返事をした。

 

「いや、ちょっと思い出に耽ってたのと、それから僕はサラちゃんのことがこんなに好きなんだなって」

 

 相変わらず臆面もなく聞いている周りが恥ずかしくなるようなことを言う男である。今度もサラは顔を真っ赤にして照れているのかと思えば、そうでもなかったようで。

 エトの言葉に嬉しそうにはにかんだサラは、満面の笑みを浮かべて返した。

 

「私も、エトのことが大好きです」

 

 そしてもう一度、互いの気持ちを確かめ合うように唇をついばみ合った。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 大きな鏡に映るサラの顔。その後ろには、丁寧にサラの長い髪を櫛で梳いている。時折くずぐったそうに首を傾げ、そして互いに吹き出しあうのだった。

 いつもはツインテールに分けて束ねている流れるような青い髪を、今はエトが独り占めにして自由にしている。それを実感すると妙に嬉しくて、そして何より触れているサラの髪の手触りが気持ちよくて、いつまでもこうしていたいと思ってしまう。

 

「本当に……よかったんですか?」

 

 嬉しそうな表情を引っ込めたサラは、不安げな表情で鏡越しにエトを見てはそう問いかける。

 

「私たちはエトが家に来てくれて本当に嬉しいです。でも、エトは私の代わりに、なんて言っては駄目なんですけど、それでもクリサリスの誇りと伝統の重みを背負わせることになります。卒業して、正式にそれが認められたら、クリサリス家の人間としてのエトの自由は、きっとなくなります」

 

 サラの言葉は、最後までエトの身と心を案じるものだった。今までクリサリス家の人間としてたくさんのものを背負ってきたから言えること。束縛され、自由を失うことで、いつかエトが本当の自分を見失ってはしまわないか、不安で不安で仕方ないのだ。これまでも自分が何度も自分を見失いかけたから。その度にエトが自分を支えてくれた。

 しかしそんな彼女の問いに、エトは結局笑ったままで首を横に振った。

 

「悪いけど、僕は最後まで自由にやらせてもらうつもりだよ。僕は僕のやり方で、サラも、そしてクリサリス家の皆さんも幸せにしてみせる。僕の道を邪魔する奴はどんな人でも、どんな組織でも、どんな社会でもどんな常識でも打ち破ってみせる。それが僕が見つけた生き方って奴だから。だから、もし僕が道を間違えそうになった時は、サラちゃんが僕を叱ってほしい」

 

 その言葉を、サラには一偏の疑う余地もなかった。今のサラならはっきりと言える、この世界で最もエト・マロースという一人の勇者(しょうねん)を信じていられるのは自分自身だと。だからこそ、常に隣に立って二人で同じ道を歩んでいきたいと思えた。

 

「そっかー、風見鶏を卒業したら、僕の名前はエト・クリサリスになるんだね」

 

 虚空にそんな自分を思い浮かべているのか、宙に視線を預けては楽しそうに笑っている。当然クリサリス家の門をくぐれば辛いことも苦しいこともたくさんあるだろうが、エトのその笑顔はその全てを織り込んだ上で楽しそうだと想像しているものだった。

 

「ほら、口ばかり動かしてないで早く髪を梳いてください」

 

 悪戯っぽい笑みを浮かべて、満足そうにエトに言ってのけるのだった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 サラの髪をいつものツインテールに綺麗に整えて、リヴィングの大きなソファで二人で座っていると、サラの父であるネイトが部屋に入っては向かいのソファに腰掛けた。昨日の今日だからか、ほんの少し機嫌がいいようにも見える。

 朝の挨拶を交わすと、ネイトも丁寧に挨拶を返した。その仕草だけでも上品さが溢れ出ているのをエトは感じた。どうやらこれから自分が学んでいかなければならないのは貴族としての嗜みとか礼儀とか、そう言った堅苦しいものが割合を占めることになるらしい。

 

「ゆっくり休んで、疲れは取れましたかな」

 

「はい。昨日の通り、ああいう方にご指導いただいているので、素早く疲れを取ることには比較的慣れています」

 

「ああ、吃驚したよ。まさか本当にあのお二方が現れるとは。カテゴリー5、孤高のカトレア――リッカ・グリーンウッド。そして『八本槍』――クー・フーリン殿。私たちとしても、突然のことに混乱したけれども、お見苦しいところをお見せしましたな」

 

 自分たちよりも圧倒的な権力者であり実力者でもある二人に、突然の出来事に慌てふためくような情けない失態を晒してしまったことにはいささか羞恥しているようだ。

 

「大丈夫ですよ。二人ともそう言う格式ばったことは好きではないですから」

 

 大きな会合に『八本槍』として出席している間に着用していた礼服も、用事が終わればさっさと逃げて息苦しく動きにくい固い布の塊を破り捨てるように脱ぐようなクーと、普段はしっかりしているのにプライベートではとにかく面倒臭がり屋で振り分けられた部屋やスペースも大体散らかっているリッカ。どちらもこの程度のことでうるさく言うような人ではないことをエトは知っている。

 

「そうだといいんだけれどもね」

 

 そう言って苦い笑みを浮かべる。

 

「それにしても、君は一体うちの娘のどこに惹かれたんだい?」

 

 閑話休題とばかりに飛び出してきたのはまさしく急な質問だった。

 しかしエトは、これっぽっちも動揺することなく笑顔を作ってはっきりと答えてみせた。

 

「全部です。真面目なところ、頑張り屋さんなところ、論理的なところ、実は甘えん坊なところ、何事も諦めないところ、素直なところ、猫みたいに気まぐれなところ、なんだかんだで押しに弱いところ、髪の毛もさらさらしていていつまでも触っていたいし、泣いたり怒ったり笑ったり、普段の彼女からは考えられないくらいに表情が豊かで親しみやすいですし、クリサリスの血を継いでるんだってはっきり分かる意志の灯った瞳が綺麗ですし、肌は白くてキメ細かいですし、全身華奢で守ってあげたくなりますし、そう言ったもの全部ひっくるめて、一言で言えば、可愛いところです」

 

 ネイトは顔を引き攣らせた。ほんの少し彼を試してみようと思って訊いてみれば、次々と終わりなど知らないとばかりに湧いて出てくる娘の魅力。ネイトとしても娘の素晴らしさを一言で表してほしくないとは思っていたが、まさかここまで饒舌に早口でかつ聞き取りやすくはっきりと声を大にして自分の恋人の魅力をこれでもかと晒し上げたエトに対しては本当に恐れ入った。

 もしかしたら照れてしまって語れないだろうと思っていたら、実際に照れていたのは隣で耳まで真っ赤に染めあがった娘の方だった。自分のことに関する惚気話を自分の父親に堂々と語られるのを聞いていると、自爆してしまいたくなるような恥ずかしさに駆られてのたうち回りたくなる気持ちは理解できないでもない。最後の可愛いの一言がとどめを刺したのか、既にサラは涙目になってぷるぷる震えていた。

 そしてそれら全てを語り終えたエトの顔を見ていると、何だかまだ語り足りないと言ったような表情をしている。この場だから敢えて途中で切ったのだろうが、流石にこれ以上聞きたくない。体中がむず痒くなって砂糖でも吐き出してしまいそうだ。

 

「そ、そうか……」

 

 それからしばらく、他愛ない世間話や将来のことなどを、途中で参加した家族と共に語り合っていた。

 話が弾んでいたところ、急にエトが立ち上がった。その表情は、どこか険しい。

 

「……ちょっとお手洗いに行ってきます」

 

 そう言っておもむろに立ち上がったかと思えば、部屋に飾ってある甲冑の剣を手に取って、トイレなどとは縁のない、窓の外へと身を乗り出して草原へと走っていった。

 何事かと一同が不思議がったが、昨日のグニルックを見て、そして本当にあの二人の弟子であるのを確認した限り、きっと二人の自由奔放な性格が災いしたのだろうと納得して、エトなしで話を進めていくのだった。

 ちなみに、エトがいない間、サラはエトとの馴れ初めから根掘り葉掘り洗いざらい聞かれて、これ以上ないくらい恥ずかしい思いをするのだった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 クリサリス家の所有する土地の、草原の向こう側には小さな森が存在する。そこまで走っては、エトは足を止めた。

 小さく聞こえる破裂音。音が聞こえた方位と距離を瞬時に弾きだして、すぐに身を地面へと投げ出した。すぐ後ろで何か小さなものが木に突き刺さる音が聞こえた。

 気にすべきはそちらではない。既に特定した襲撃者の位置を瞬きすらせずに見つめる。すると、そこから現れたのは、昨日クリサリスの敷地から去ったはずのディーン・ハワードだった。その右腕には銃が握られている。襲撃犯は間違いなくこの男だ。

 

「……こんなところで何をしてるんですか」

 

 大体は予想できる。しかしすぐに動くわけにはいかない。少なくともお互いに話し合うことで決着がつくのなら、無駄な争いをしない方がどう考えても正解である。

 しかしディーンは、そんなエトを当たり前に裏切るように、もう一度エトに銃口を向けた。

 

「見て分かるだろう。このままでは私としても立場がない。だから失敗したアフターケアとして最善手を打ちに来たという訳だ。君を殺す。君はサラ・クリサリスを暗殺する実行犯としてここに忍び込んだ。そんな君を発見し無力化するために攻撃した結果君は死んだ、ということにすれば、私は最低限の信頼を失うことはない」

 

 その言葉を聞いても、エトは至って冷静だった。何故なら、彼の言葉を信じようとは思えなかったからだ。

 それでも、銃口がこちらへと向けられ、引き金が今ここでこの男を倒しておく必要がある。剣を構えた。

 

「……そうだ、まずはクリサリスの当主の亡き者にしよう。そうすれば私は貴族を潰そうとした大罪人を罰した男としてより社会に認められる」

 

 やはりこの男、言っていることがおかしい。

 しかしエトがそんなことを考えている最中に、ディーンはどこかへと向かって指示を出した。すると複数の方向から足跡が聞こえてくる。何者かがクリサリス邸へと向かって走り出しているようだ。

 咄嗟に踵を返してその後を追うように森の中を駆け抜ける。後方からの発砲音に耳を傾けながら、その度に背後に木が立って盾になるように左右に体を振った。

 森を出た。襲撃者の姿はまだ一つもない。となれば彼らよりも先に森を抜けたようだ。しかしすぐにその姿を見ることになる。軽装の防具に身を包み、それぞれ得物を持った男が三人、恐らくディーンに雇われた傭兵だろう。

 密集される前に、こちらから一人ずつ潰す。エトは地面を蹴って一番左の男へと肉薄する。

 その一歩で、男は驚愕を露わにした。そしてその表情に、エトは驚いた。まさか接近するだけで驚かれるとは。

 剣を逆手に持ち、焦りを孕んだ剣の横薙ぎをしゃがんで躱しつつ後方へと素早いステップで移動し、そして剣の柄で後頭部を強く打ち付けた。ノックダウン。

 次の一人がすぐ傍まで接近していた。剣が頭上に振り下ろされる、が、遅い、遥かに遅い。

 術式を練り込んだ状態で剣の腹で剣先を強く打ち付け、その振動で男から剣を引き剥がす。顎へと向けて飛び膝蹴りを加えると、ただの一撃で昏倒してしまった。

 最早言うまでもない、この男たちは、確実にエトよりも格下である。昨日までクー・フーリンの神速の槍を相手にしていたのだ。凡人の芯のない雑な剣など目を閉じていても避けられる。

 三人目など、剣を振るう間もなくエトの拳に殴り飛ばされて気を失ってしまった。

 そして丁度良いというべきか、森の向こうからゆっくりとディーンが姿を現した。一人目の男から剣を取り上げて、左手に銃を、右手に剣を構えた。

 

「さて、既に私しかいなくなってしまった。流石はクー・フーリン殿の弟子という訳か。遠くの位置からライフルで狙われていることにいち早く気が付き、そして私の知りうる限り腕の立つ傭兵を三人とも瞬く間に倒してみせた」

 

「御託はいいからかかってきなよ。どんな理由があろうとサラちゃんに手を出そうとする奴は僕が絶対に許さない」

 

 言われるまでもないとばかりにディーンは銃口をこちらへと向け、そして発砲した。引き金が引かれる直前で、エトは左に飛ぶ。

 銃弾は真っ直ぐにしか飛ばない。どれだけ弾の速度が速かろうと、どれだけ素早く連射しようと、相手の銃口の方向と引き金にかかっている指の動きを見ていれば、エトに避けられない銃弾などない。

 ディーンもすぐにそれを悟ったのか、すぐにそれを捨てて剣を構え肉薄した。先程の傭兵とは違って幾分強い。

 一撃目の剣閃を余裕で避け、そして剣を握る拳へと向かって剣の柄で殴りつける。腕を引いてすぐにそれを避けたディーンはすぐに横薙ぎに斬りつけた。

 剣の腹で受け止め、力が弱まったところを縦に斬りつける。

 しかし――躱された。

 その隙を縫うように、ディーンはエトの背後に回り込み、そしてその首筋に剣先を突きつけてみせた。

 

「……僕の負け、かな?」

 

「残念だ、私の負けだよ」

 

 今のディーンに、ここからもう数センチ剣を進めるイメージはできなかった。むしろ、エトの握る剣が自分の右腕を切断しているイメージしかできない。

 

「まるで隙がない。強いてあるというのなら、視界の届かない背後というくらいか。しかし君はそのことなど最初から織り込み済み、いつ背後から奇襲を受けても対応できるように訓練されてある。……君の縦に振った剣、そしてその腕にはまだ余裕があり、すぐに体勢を変えることなく私を殺すことができる、つまり私はまんまと君の罠に嵌ったという訳か」

 

 剣を地面に置くと、両手を頭上へと掲げた降参を示すポーズを取る。

 

「少しは身になる相手ができたと思ったが、実力の差を測り違えたか」

 

 やれやれとそう呟いた。

 

「貴族の名を背負って生きている以上、社会の闇と呼ばれる部分から君たちは永遠に狙われ続ける。その時に君は自分の身を、そして家族の身を守ることができるか、という心配をしていたが、それも杞憂らしい。私は大人しく去ることにするよ」

 

 踵を返して、どこかへと立ち去ろうとするのをエトは呼び止めた。

 

「逃がすと思っているの?」

 

「逃げられるさ。たかが学生の言うことと、刑事事件に身を置いている私の言葉、大人ならどちらを信じる?」

 

 エトが言葉を返すこともなく、ディーンはそのまま立ち去ってしまった。

 もしかしたら本当に誰も襲うつもりはなかったのかもしれない。野生のように生活し、学園生活の中で平和に暮らしている自分をどこかで心配していたのだろう。魔法捜査官としてあらゆる犯罪に関わっている彼の、社会の闇という言葉にやけに重みが感じられた。

 だからと言って、嘘でも唐突にクリサリス家の人間にライフルの銃口を向けて家族を襲撃しようとした彼らを許す気には、しばらくはなれそうもなかった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 時が経って、とある晴れの日。エトとサラは他に誰もいないグニルック競技場で、二人で練習に励んでいた。

 最初に軽く話が盛り上がって、それなら対戦だということで、二人でガードストーンを設置し合いながら得点を重ねていた。

 クリサリス家での試練で見せたあのトンデモショットは使わないというハンデの下に勝負は行われたのだが、あまりにもサラが自分に追い縋っていたのと、ほんの少しの遊び心でついつい例の≪偽槍・舞い穿つ紅閃の槍(ゲイ・ボルク)≫を使ってしまったのだ。

 しかしそれを目の前で見せられたサラも物怖じすることなく、自分のグニルックを貫き通すことで、第八フェーズ終了時点で双方パーフェクト、引き分けとなった。本来ならここから延長戦が始まるのだが、今回は疲れたのでなしということに。

 芝生に二人で座り込んでいたところ、ふとサラがエトに問いかけた。

 

「ところで、エトは最初、世界最高峰の無理難題に付き合わされたと言ってましたが、何をしてたんですか?」

 

 それはエトが、クリサリスの人間に試練を乗り越えるように要求された時、自分を鼓舞する意味も込めて彼らに放った一言だった。

 

「ああ、あれね。実はあの日の朝、お兄さんに勝負を挑まれたんだよ。武術の」

 

 サラの思考が停止した。一個師団すら紙屑のように扱うらしい『八本槍』という化け物の集団の一人に武術で立ち向かったなど、そんなものの後のグニルックの試練など、それこそ弱った蝿を叩き潰すようなものだ。それをまるでいつもの思い出のように語るエトに、やっぱり何かがおかしいと思った。

 

「いやぁ、やっぱりお兄さんは強いよ」

 

 いや、強いなんて言う次元ではない。心の中でサラは突っ込んだ。かつてその背中を眺めたことがあったが、アレは普通の人間が到達できるような肉体ではない。無駄な筋肉もぜい肉もない、素人が一目見ても美しいと思えるそれを服の上でも何となく感じ取れるそれが、武術にはまるで縁がないサラでも強いの一言では語れないということが容易に理解できる。

 何だか話が面倒なことになりそうなので、とりあえず話題を変えることにした。

 今日は月も替わって二月十四日。そう、もともと、二百六十九年にローマ皇帝の迫害下で殉教した聖ウァレンティヌスに由来する記念日であり、世界各地で男女の愛の誓いの日とされる一日である。通称、バレンタインデー。

 サラは紙袋から箱を取り出し、それをエトの目の前で開けてみせた。

 エトが覗き込んでみると、そこには可愛らしくデコレーションされた、綺麗に形の整った手作りチョコが幾つか並んであった。

 

「その、恋人ならこういうことするのかなーって……」

 

 頬を染めながら、サラはそのチョコの端の方を咥えてエトの方へと向く。エトはその意図をすぐに察した。

 まさかサラがこんな大胆なことをするとは――ある意味で間違った方向へと成長している気がしないでもないエトは、照れながらも誰もいないかを確認して、反対側からチョコの端を咥えた。

 そこから両サイドから同じペースでチョコを噛み砕きつつ、そして最後に――唇同士が触れた。

 サラがエトの背中に腕を回して、そしてエトもまたサラの背中へと腕を回して優しく抱き留める。

 恋人になって初めての頃の子供のようなキスとは違う。お互いにじっくりと確かめ合うような、長く濃厚な口づけ。チョコの甘みもあったのかもしれないが、お互いに感じていたのはその甘味だけではなかったようで。

 唇を離した後の二人の笑顔は、これ以上にないくらいの幸福を詰め込んでいるようだった。

 

「愛しているよ、サラちゃん」

 

「私も愛しています、エト」

 

 言葉にしなくても分かる想いを、それでも言葉にしないと気が済まない。それが恋であり愛であるということで。

 チョコを咥えたキスからの一部始終を、物陰から目にしてしまった葛木兄妹は、逃げるタイミングを見失って変な空気を肌に感じながら二人のイチャイチャっぷりを堪能していたのだった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 ――回る、回る。

 

 分かっていますよ。()()()がこの世界に満足していないということ。

 でもそれが、()()()自身が望んだ世界。助けを求めれば皆さんはきっと助けてくれるのに、それをしないというのは、結局この時間が捨てられないからなんですね。その先に進むのが怖いから。

 

 ――回る、回る。

 

 私は皆さんの願いを叶えてあげているんです。嫌われる以前に、感謝されてしかるべき存在なはずなんですよ。

 願いというのは叶えられる代わりに何かしらの代償を支払わなければならないというだけの話で。皆さんはそれを自分たちが知る由もなく払い続けています。そしてそれが、皆さんの幸せへと繋がる。行動へと繋がる切欠になる。

 

 ――回る、回る。

 

 これで何度目でしょうか。同じことを繰り返して、後悔して、それでもまだ同じ過ちに縋り付こうとしている。

 みっともないとも言えますが、しかし仕方のないことですよね。人間だから。私はそんな()()()を救います。この世界で、誰よりも()()()を理解し支え続けている私が。

 

 ――回る、回る。

 

 例え誰かが傷つこうと、誰かが苦しもうと。私を呼び出してくれたあなたに恩を返すために。

 全ては何もかも無に帰るから。なかったことにされるから。()()()だけが覚えているというのも残酷な話かもしれない。でも願いを叶えるための代償なんですよ、これも。

 

 ――回る、回る。

 

 楽しいですか?私は楽しいですよ。()()()が生きていたいと言ってくれるのだから。

 その代わりに、たくさんの人が巻き込まれて、傷ついて、犠牲になって、その全てがなかったことにされる。そんな世界で何をしてもいいとは言えないけれど、それでも少なくとも、終わらない世界に安心できるでしょう?

 私は誰よりも知っていますから。人間が最も安心していられるのは、全てが停滞している時だと。

 

 ――回る、回る。

 

 知っていますとも。誰よりも()()()が一番傷ついているということも。あなたは優しい人だから。誰かのために生きたいと思える優しい人だから。誰かが傷つくのは見たくない。

 ゴメンナサイ、私には、その願いは叶えられないんです。誰かを助けることは、誰かを犠牲にすること。百人を助けるためなら、一人を犠牲にしないといけないこともある。そして、一人を助けるためなら、千人を犠牲にしないといけないこともある。

 無情、ですよね。

 

 ――回る、回る。

 

 決して終わることなどありません。今皆さんが持っている幸せは、永遠に持ち続けることができるのです。

 今を楽しみ、苦しみ、悲しみ、そして喜ぶ心を、いつまでも忘れないで胸に仕舞っておける――そう、まるで永遠に大人になることのなかったピーターパンのように。

 

 ――回る、回る。

 

 また、繰り返す。永遠の時を。訪れない未来を。

 回り、巡り、連なり、輪を作る。いつまでも終わることのない夢を。そうそれは――

 

 ――回る、回る。

 

 決して潰えることのない、永遠に繰り返される物語。それはきっと、ダ・カーポのように。




次章、風見鶏編最終章。
全ての謎が、驚愕の真実が、遂に明らかになる。


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霧の中に桜咲く
強烈戦士とあったか少女


風見鶏編最終章。
とは言っても本章がラストではありません。あまり詳しく言うとネタバレになってしまうのですが、この後に初音島編(現代編)が続き、その章が全体の最終章となります。


 視界が弾けるように意識が覚醒した。

 浮遊している感覚、今自分はここにはいないと認識できる世界。そう、葛木清隆は現在、夢見の力の副作用のようなもので知らずの内に誰かの夢の中に侵入していたのだ。

 ここはどこだろう。清隆は自分の夢の中での視点を移動させつつ、周囲の様子を窺う。

 人の夢というものにはそのほとんどに法則性というものが存在しない。突発的に現象が起こり、その現象そのものは意味不明な物事であったり、そしてその現象を疑うことなく登場人物は認識する。

 しかし、その原則は時として例外を生じさせる。それは、人の『記憶』。誰かが体験したそれをなぞるタイプの夢は、ある程度美化あるいは劣化された状態で整えられ、そして少し脚色された状態でその舞台が完成する。清隆が見ている夢は、誰かの『記憶』そのものだった。

 今ではなかなかお目にかかることのできない、舗装されていない、草原の中にできた小道。野原の中にぽつりぽつりと咲いている小さな花には、ひらひらと蝶が舞い踊っていた。

 そして。

 その小道を歩いている二人の少女。なぜだろうか。その姿だけ輪郭がぼやけていて誰なのか分からない。せめてそれだけはっきりしていれば、これが誰の夢なのかがある程度はっきりするのだが。

 

「――――」

 

「――」

 

 何かを話しているが、その内容もよく聞き取れない。シェルで通信会話をしている最中に、音がハウリングしてよく聞き取れないのと似たような現象。音が響いて、擦れて何を言っているのかが把握できない。まるでそこだけ靄がかかっているかのように。

 少女の一人が小道を一直線に駆け抜けだした。楽しそうに、少しだけ小躍りしながら。そしてその後ろを、もう一人の少女が追いかけるように走っていく。

 そして――少しずつ意識が薄れていく。

 清隆のではない。夢の主の意識が、少しずつ夢から遠ざかっていく。清隆は、何故かその感覚に、安心感を覚えていた。これでいいのだと、まるで誰かに囁かれているような。

 視界に靄がかかっていく。次第に二人が遠ざかっていく。

 そして――そして――

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 十一月一日。

 早朝から目が覚めた『八本槍』の一人、クー・フーリンはすぐにカレンダーを確認していた。

 とてつもなく嫌な予感のするこの違和感が、どうしても思考からシャットアウトできない。まるで何か恐ろしいものが真後ろに迫っているかのような焦燥感。

 

「おかしい、俺昨日一体何してたんだっけか――」

 

 じっくりと考えて思い出してみれば、その答えは案外すぐに帰ってくる。十月末、つまり昨日は生徒会に所属している旧友、カテゴリー5の魔法使い、リッカ・グリーンウッドに強制連行されて生徒会の仕事を手伝わされていた。破損したり修理を終えたりした備品の運搬から書類作業、あらゆることを押し付けられたがとりあえず暇だったので預かってみせたといったところだ。『八本槍』がこんな扱いでいいのかと都合のいいことを考えながら。

 かといっていくら違和感が拭い去れなかろうと、通常通りの講義はあるし、とりあえず本科生として風見鶏の生徒という名目でここにいるのだから、それには出席しなければならない。飼い犬っぽくなってしまっているかもしれないが、エリザベスや騎士王ことアルトリア・パーシーに小言を言われるのは後々面倒だ。

 仕方なく息苦しい風見鶏の制服に袖を通して適当に着崩し、テキストやノートなどを持ち運ぶことなく手ぶらで学生寮の自室を後にした。

 

 ――近づかないで

 

 誰かがそう囁きかける。そんな幻聴が聞こえてしまいそうなくらいに、後ろ髪を引っ張るような違和感。

 イライラする。槍を振るって誰かと刃を交わしていたい。強くなるために旅を重ねてきていたというのに、いつの間に自分はこんなにも平和に飲まれてしまったのだろうか。

 そんなことを気にしてしまう程に苛立ちが募ってしまっている。これはどうにかしなければいつか学園の備品を破壊してしまってその補修のための予算と手間が全て帰ってきてしまう。これはそろそろ他の『八本槍』に喧嘩を売るべきところだろうか。

 ふと、視界に入ったのは、風見鶏生徒会の良心にして生徒会長、シャルル・マロースだった。クーの弟子であるエト・マロースの実姉に当たる人物であり、二人揃ってサンタクロースの家の出である。アッシュブロンドの流れるような緩いカーブを描く長い髪を淡い緑の小さなリボンでデコレーションした、ルビー色の瞳の美少女。ついでに胸が大きい。そこはまさしく俗世に染まった男が憧れる聖なる領域。なおクーには興味がない模様。

 

「おうシャルル」

 

「あっ、クーさん、おはようございます」

 

 クーが声をかけると、シャルルは少し驚いた表情で半歩下がりながら挨拶を返した。

 多少共に時間を過ごした仲ではあるが、初対面が、赤い槍を穂先を出した状態で持ち歩いている武骨な真紅の瞳の戦士、といったものであったり、弟を助けられた際のインパクトがあまりにも強烈過ぎたりで少々恐れている部分もある。基本的に優しい男であるとは重々承知しているのだが、どうしてもこの強い強いオーラには慣れない。

 

「ちょっと聞きたいことがあるんだが――ってあれ、これの質問前もしたような?」

 

「えっ?」

 

 ふと口からでた問いは、何故かついこの間も同じ言葉で口から出てきたものだったような気もする。

 自分から質問を切り出したかと思えばすぐに自分の世界に戻る、そんな態度を取ったクーを少し怯えながら凝視する。もしかしたら聞き間違えたのかもしれない。

 

「いや、何でもねぇ……。今日って何月何日だ?」

 

「今日は……十一月一日、ですよね?」

 

 疑問に疑問で返すシャルル。『八本槍』から唐突に繰り出される当り前な質問にどんな深い意味があるのかをついつい考えてしまう。頭が切れるというのはこういうところで災いするのだろう。

 しかしもって、これでクーも違和感が払拭された――と思いたかったのだが、どうにも昨日という日が遠い過去に感じられる。昨日であるはずの十月三十一日が、まるで半年も前のようなそんな錯覚を受ける。

 

「気のせい――のはずはないんだろうが、なぁ……」

 

 腰に手を当てて納得がいかないと首を捻る。

 しかし、考えたところで解決には向かいそうにない。とりあえずは違和感は置いておいて、シャルルには適当に礼をしておいた上で、校舎へと足を運んだ。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 放課後――になる前に、クーはさっさと教室から退散して学園内を散歩していた。

 少し乱暴なやり方だが、『八本槍』である以上、たとえ風見鶏の教師であろうと、生徒であるクーの素行不良を咎めることはできない。何でもありの彼を止められるのは、やはり何でもありの『八本槍』と学園長兼女王陛下であるエリザベス、そして手綱を握られているも同然なリッカとジルくらいだ。その誰もがいない教室で、彼を止められる術はない。ちなみにリッカはカテゴリー5としての≪女王の鐘≫の単独任務、ジルも私用でどこかへと出かけていた。エリザベスは女王陛下としての公務のため現在は不在である。

 そろそろ講義も終わり放課後になるだろうという時間を見計らって、クーは踵を返した。

 背後では桜の花びらが舞う中で噴水が水飛沫を上げている。至って情緒的な光景かもしれないが特にクーの目に留まるほどでもなかった、というより見慣れていた。

 扉をノックし、中に誰もいないことを確かめる。誰かがいてはいけないということでもないが、何となく誰かがいると必然的にうるさくなる。リッカ然り、ジル然り、巴然り。シャルルならいても問題ない。距離を取ってくれるというか、空気を分かってくれる。

 ドアノブに手をかけてドアを開き、そして中に入る。だるそうに頭を掻きながら生徒会室に設置されている『俺様専用特等席』に腰掛けて新聞を開こうとしたその時、それは視界に移った。

 

「――え」

 

 小さな悲鳴。それは聞きようによっては悲鳴とも取れたかもしれない。

 見た目齢十歳前後と思われる体躯、美しい金髪は肩に届かないショートヘアで、その瞳は神秘を秘めたサファイア色だった。誰かに似ていると言われれば、リッカに似ている。

 その少女は、椅子に座ったままクーの方へと大きく目を見開いて、その視線をこちらへと向けて放さない。

 その左手には、桜と思われる花弁をつけた小さな枝を握り締めていた。

 

「よ、よう」

 

 なるべく、そうなるべく嫌われないように、穏やかで優しい笑顔を心がけて刺激しないようにゆっくりと右手を掲げて挨拶を試みる。第一印象は大事だ。過去に何度小さな子供に怖がられ怯えられ泣き叫ばれて間違えてジルやシャルルに警察を呼ばれたことか。その度に呼ばれた警官が真っ青になっていた。

 大丈夫、今この段階ではクーと彼女の間には机が一つ空間を遮蔽している。それを越えない限り二人が面と向かうこともない。本当は一瞬もあれば越えてしまうのだが。

 

 

「え、えっと」

 

 少女が口を開く。やや緊張しているのか、語尾が震えていた。

 クーは、少女から言葉を発するのをゆっくりした姿勢で待つ。下手に強張ると相手を刺激してしまうと考えた。自覚していなくともどうやら自分が放つオーラは凄いらしい。シャルル談である。

 

「……怖く、ない?」

 

 それを本人に聞いてどうするのか。しかしここで鋭く突っ込んでしまえばそれこそ大失敗だ。

 彼女を怖がらせないためにはどんな顔で返せばいいか。とびっきりの笑顔。とびっきりの笑顔。そう、包容力と父性でいっぱいな、太陽のような笑顔を浮かべて、そしてこう一言いえばいい。『怖くないよー』。

 駄目だ気持ち悪い。クーが自分で考えておいて気持ち悪い。どれくらい気持ち悪いかというとリッカがクーを『お兄ちゃん』呼ばわりするくらい気持ち悪い。

 なんだかんだ考えるのも面倒になってきた。もういっそのことありのままの姿を見せてしまったっていいかもしれない。それで嫌われたらそれもいつもの自分である。

 

「あー、別に怖くなんてねーよ」

 

 椅子に浅く腰をかけつつ背もたれにどっかりともたれる。溜息を一つ吐いてゆっくり彼女を見ると、どこか彼女から緊張が解れているような気がした。そんな表情をしている。

 桜の枝を握ったまま立ち上がり、そしてゆっくりこちらに歩いてくる。子供が苦手なクーは椅子の上で少し逃げ腰になったが、しかし目の前で立ち止まる彼女をしっかりと見据える。

 何をすればいいか――どうやら子供は頭を撫でられるのが好きらしいから、とりあえずごつごつとした自分の掌を眺めて、こんな手でも嬉しいのかと思いつつ彼女の頭の上に翳してみる。

 軽くポンポンと二度程触れてみれば、彼女は不思議そうにこちらを見つめてくる。

 その視線といえば、かつての病床のエトとは違う、可愛らしくついつい守ってあげたくなるような弱々しい視線。うっかり、『可愛い』などと思ってしまっていることに自分でも気が付いていない。

 ゆっくりと椅子から立ち上がって、軽々と少女を自分の頭の高さまで持ち上げる。クーの身長は、そこら辺男子生徒のそれを画するものであり、かなり高い。そんな高所で肩車をされた時の少女からの全貌といえば――

 

「す、すごーい!」

 

 ツンツンと逆立った髪の頭に両手を置いて身を投げ出すようにその景色を楽しんでいる。思った以上に微笑ましい光景となっているあろう状況にクーの口元がふと綻んだ。

 そのままゆっくりと真っ直ぐに歩いてみたり、途中で右往左往してみたりする度に、頭上から楽しそうな歓声が聞こえてくる。

 今、クーは心の底から感動していた。そう、今彼が体験している至福の喜びは。

 初めて子供に懐かれたということだ。いや素晴らしい。シャルルでさえ怖気づく強い強いオーラを纏った屈強な戦士クー・フーリンの頭上で子供がはしゃいでいる。こんなことが自分の人生で起こるなど、予想だにしなかった。まさに奇跡。そう、生きていればいいことはあるのだ。不運まみれだった自分の人生、ついに冬を脱したのかもしれない。

 その時、ドアの方で物音がした。振り返ってみると、そこには真顔でこちらを見つめているリッカの姿があった。

 

「よう」

 

 手を挙げて挨拶してみたが、何を眺めているのかリッカの方は無反応である。

 そして何かを考えるように顎に手を添えながら――部屋に入ることなく扉を閉めた。

 

「って、おい」

 

 そして少ししてまた扉が開く。そしてそこにいたリッカの視線は、相変わらずクーの方へと向いていた。

 そして、右腕から人差し指までを、前方やや斜め上くらいの角度で伸ばして、表情を驚愕に変えた。

 

「な、なんで――」

 

「なんで?」

 

「なんであんたに子供がなついてるのー!?」

 

 響き渡る女の甲高い声。耳を塞がないとやってられないくらいにうるさかったが生憎肩には少女が座っていたので碌に耳に手を当てることすらできなかった。

 とりあえず少女を下ろして、大事な情報をいろいろと入手することにした。

 その結果、この少女はここロンドンで有名な時計塔、ビッグ・ベンがそびえ立つウエストミンスター宮殿の前で迷子になっていることを発見したこと、保護当時、少女は記憶を喪失しており、自分の名前から、どこから来たのか、自分は何者なのか、その他家族構成や友好関係なども全て覚えていないということ、その少女を、握っている桜の枝から便宜上『さくら』と呼ぶことにしたこと、リッカの意思もあり、検査の結果さくらが魔法使いであるという事実が判明したために、身柄の保護という名目で風見鶏で預かることにしたことが明らかになった。

 

「ふぅん、本当に何も覚えてねーのかよ」

 

 今確かに耳にした事実だが、一応本人に確認を取ってみた。

 するとさくらと呼ばれる少女は少ししゅんとして、しかし小さく笑顔を浮かべて首を縦に振った。

 

「うん、何も覚えてないんだ。でも、ここにはリッカも清隆もいるし、思い出せない内は考えても仕方がないからのんびり生活することにするよ。自分が何者なのか分からないのは怖いけど、きっと大丈夫」

 

 子供のような用紙をしていながら、意外と芯は強いらしい。

 この少女の意外な肝の太さと、楽観的というべきか、このあっけらかんとした態度をクーは面白いと感じた。自分のアイデンティティを喪失するということがどれだけ恐ろしいことか、誰もが体験したわけでもないが、何となく想像を絶するものだろうということは考えられる。その中で恐怖も絶望も感じず笑っていられるというのは、人として実に強い。

 見た目の上では完全に子供だが、魔法使いだと判明した以上彼女の年齢は容姿以上のものと考えるべきだろう。すぐ近くに二十近くの見た目の百歳越えという魔法使い(ババア)を二人程知っているクーからすれば、彼女が何歳だろうが驚くつもりはない。

 

「ま、上手く仲良くあなれそうみたいだし、今後も面倒見てあげて。もし『八本槍』のコネで専門家の人がいるようなら、さくらの記憶を取り戻す手伝いをしてあげてほしいの」

 

 何だか他人とは思えないのよね、と呟きながら、どこか母性溢れる眼差しでさくらを見つめるリッカ。

 あまり他人に関心を寄せるタイプではないと自負しているクーではあったが、どうせ乗りかかった舟だと割り切って彼女の面倒を見ようと心に決めたのだった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 放課後になれば、ロンドンの地下にある喫茶店、ケーキ・ビフォア・フラワーズ、通称フラワーズは甘い香りに釣られてふらりと立ち寄る風見鶏の生徒で賑わいを見せ始める。

 そんなフラワーズには、一人の少女がアルバイトとしてせわしなく働いていた。

 

「すいませーん」

 

「はーい、今行きまーす!」

 

 フラワーズの可愛らしい女性用制服に袖を通して、栗色のショートヘアを揺らしながら店内や屋外テーブルの間をパタパタと走り回っている少女。

 ここ風見鶏でもお日様のような笑顔で人気のある美少女、陽ノ本葵(ひのもとあおい)。魔法使いではないため風見鶏に通っているわけではないが、働くことが大好きな彼女は日々ここフラワーズや学園内の食堂、更には学生寮にまで姿を現す元気いっぱいな女の子なのである。

 あちらこちらで聞こえてくる客からの呼び出し。何故か今日はいつも以上に客の入りがいいらしく、葵とその他二名のホールではなかなか回らない。空いたテーブルの皿を回収するのもままならず、客が並んでいるのを待たせている状態となっている。

 このままではお客さんに申し訳ない、焦り半分でテーブルとフロアを猛スピードかつ慎重に行き来していた時に、その人物は現れた。

 

「なんだなんだ忙しそうじゃねーか」

 

 逆立った青い髪に、真紅の瞳。見るからに強い強いオーラを解き放っているその男は、このイギリス、いやヨーロッパでは知らない者はいない。その男こそ、『八本槍』クー・フーリンである。

 突如現れた理不尽を前に、恐怖で体が固まって皿を落としそうになった。それだけは拙いと咄嗟に体が反応して間一髪で拾い上げたものの、こんな大英雄を待たせたなどとなればこの四股と首は離ればなれになってしまうだろう。

 

「あ……あ……」

 

 大変な事になってしまった。何かを話さなければならないのに言葉が出ない。気が付けば周囲の人間も完全に青ざめた表情でこちらの様子を窺っている。

 どうする――どうする――震える体で思考だけはフル回転で働かせるものの、焦りと恐怖でまともなアイデアが浮かばない。先にこの男をどこかに座らせて最優先に注文を取るという考えが何故かこの時浮かばなかった。

 

「なるほどこれは身を隠すチャンスでもあるか……」

 

 そう呟いたと思えばその視線はキッチンの方へと向いていた。

 

「フロアが足りねーのか。おいあんた、キッチンの連中を二人フロアに回せ」

 

「ひ、ひゃい!?」

 

 裏返った声で返事をしてしまう葵。しかしキッチンも三人しかいない。一人でこれだけの人数の注文を受けて調理するなど不可能だ。しかしこの男はそれすらも見越していたのか、その口元には僅かな笑みを浮かべていた。

 

「心配すんな、キッチンは俺様が引き受けてやる。これでも料理経験は豊富なんだぜ」

 

 料理とは真紅の槍で人間を滅多刺しにしては絶命させてその四股を分解し血の香りを楽しむことを言うのだろうか。

 この男の『アイルランドの英雄』の伝説の内容を知っている葵にとっては、どうもこの戦闘狂に料理ができるとは思えなかった。

 しかし、どちらにせよ『八本槍』がそう言いだしたのであれば聞かない訳にはいかない。下手に断ってしまえば客の料理が自分の血で美味しく悲惨にデコレートされてしまう。

 だから結局深々と頭を下げるしかできなかった。

 

「よ、よろしくお願いします」

 

 ずかずかとキッチンの方へと向かっていったクー。入れ違いに追い出されるようにキッチンから出てきた店員は、風のように駆け抜けてフロアの空いたテーブルの皿を次々と回収して下げていく。

 フロアの回転速度が上昇したことで、客の回転も速くなっていく。

 葵が心配していたクーの料理の腕前だが、実際追い出された二人がキッチンにいた時より、オードブルとしてのサラダなどのスタンバイは恐ろしく早く、客の方が圧倒的に多い状況下で、彼の前には既には二十を大きく上回る数のオードブルが並べられていた。オードブルだけでなくメインディッシュ系にも合間に手を出して簡単に片づけていく様はベテランシェフそのものである。

 キッチンを追い出された二人がどう脅されたのか焚き付けられたのかは知らないが、キッチンの時以上に二人が働いてくれているのでフロアの方では人手が余る状態になり、葵は一度フロアを放置してキッチンで皿洗いに専念していた。

 クーの手捌きは凄かった。何が凄かったかというと、効率を究極にまで極めていたのだ。そして一つひとつの手作業が半端なく速い。キャベツの千切りを見たが既に人の手の回転速度ではなかった。そしてこれが綺麗に一ミリ幅に切りそろえられていた上に盛り付けも丁寧である。どこでそんな技術を身に着けたのだろう。

 結局、その日は閉店まで『八本槍』の男にキッチンを手伝ってもらうことで、いつも以上の作業の回転効率と売り上げを得ることができたのだった。




旅中でのサバイバル生活の中で、少ない食材で少しでも贅沢をしようと試行錯誤を重ねて完成したサバイバル料理術。さすが生き残りに特化した最強の戦士だ!
すでに客の間に出回っている料理を見て記憶していたためにどんな食材が使われているかはある程度推測でき、更にメニューの名前を聞いた上でその記憶から何を皿に並べるかを把握できており、結果ほとんど誰の指示を受けることなく作業をこなすことができた。
キャベツの千切りなら一秒足らずで一玉分仕上げられる。敏捷性の高いランサーなら余裕だね(白目)
なお作中で最も料理上手なのはアーチャーもどき。宮廷でたまに料理を振る舞っているという裏設定。今考えた。次点で姫乃。原作清隆曰く、食べたものから使った食材調味料などをある程度推測できるレベルらしい。D.C.シリーズ義妹カテゴリで唯一料理の天災枠から逃げ切った少女。代わりに絵が壊滅的に下手になりました。ドンマイ。


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トモエが斬る!

気が付いたら戦闘シーン書いてた。
もともとこんなシーン入れるつもりなかったけど、あの人もそろそろ影が薄くなってきてたんでここらでスポットライトを当てないとと思いました。


「あ、あのっ、今日はありがとうございました」

 

 風見鶏に夜が訪れる頃、フラワーズも閉店の時間を迎えていた。

 何事か突然フラワーズに姿を現しては厨房を完全に支配していた『八本槍』の男、クー・フーリンは店の外の屋外テーブルに腰掛けてコーヒーを呷っていた。肌寒い風が肌を引っ掻いていくがコーヒーの温かさがそれを和らいでいく。

 静けさに満ち溢れたこの光景を前に、フラワーズのアルバイトである葵は深々と頭を下げていた。国の最高権利者を上回る権力を有する『八本槍』にこんなところで働いてもらったのだ。彼を雇う金などどこにもないので実質ただ働きか後で請求されるならこの店の消失か。しかし彼の態度を見るに、そんな末恐ろしい行為には及ばないようだ。

 

「こっちとしても都合がよかったんだよ。暇も潰せて面倒じゃねぇ、一石二鳥ってやつよ」

 

 残念ながら、いくらクーが『八本槍』であるとは言え、リッカが帰ってきた以上、飼い犬に成り下がってしまうのだ。

 案の定仕事を押し付けられたクーは段々嫌気がさして、朝方のイライラもあり、ついうっかり脱獄してしまったのだ。その結果リッカやジル、そして五条院巴たちから逃げ延びなければならないことになってしまったが、これが流石ニンジャ家系の娘というべきか、巴の索敵能力が非常に優秀で、行くとこ行くとこ必ずよからぬ笑みを浮かべてはクナイを投げつけてくるのだ。案の定急所を狙って殺すつもりでいる。

 木を隠すには森に隠せということで、とりあえず人目の多い場所にと考えれば、必然的に、自分でもなかなか足を運ばないようなフラワーズが視界に入ったのだ。客として入った程度ではすぐに見つかって連行されてしまうが、スタッフとして奥に潜り込んでしまえば見つけることはできまい。おまけに誰が『八本槍』の男がキッチンで料理をしているなどと考えるだろうか。

 一連の経緯を聞いて、葵は思った。やはりカテゴリー5のリッカ・グリーンウッドとその仲間たちは変人奇人が多く一筋縄ではいかないのだと。現に目の前の『八本槍』が逃げ出すレベルだ。普通なら考えられない。

 

「にしてもあんた、どこかで見たことがあると思えば、たまに学食で見るな」

 

 コーヒーカップをソーサーに置き直して、少女に視線をやる。

 僅かにでデジャヴを感じていたのだが、学食で食事をしている時に厨房や皿の片付けをしている少女と容姿が重なった。

 

「あ、私はここケーキ・ビフォア・フラワーズと風見鶏の学食、それから学生寮など、いろんなところで働かせてもらっています」

 

 そう言えば同じ日本人である清隆たちと出会った時も、学生寮近くで伝統となる魔法の宝石を取り換えている時だったかと葵は思い出す。

 

「ふぅん、甲斐甲斐しいじゃねぇの」

 

「いえ、私なんてまだまだです」

 

 国の平和と治安を担うイギリスの最終秘密兵器である『八本槍』のあなた方と比べれば。

 こんな男に褒められること自体が滅多になく非常に有難いことなのかもしれないが、しかし葵は自分をさしてできた人間ではないと思っている。

 

「皆さんに迷惑をかけっぱなしです」

 

 いつも厨房などで見せている笑顔が、先程店内を駆けまわっていた時の笑顔が、今では少し曇っている。その表情の変化を少し前にさくらで見たような気がした。

 

「迷惑ってのは主観で語れるモンじゃねぇよ。テメェの行動で嫌な顔してる奴を俺は見たことねーぞ」

 

 少なくともクー自身は、彼女が接客していた時の生徒の顔に不快の感情はなかったと思っている。

 葵と話したこともなく、また面と向かったこともこれが初めてなのだが、しかしたまに現れる彼女の印象は悪くない、というよりむしろいい。雰囲気というべきか、彼女がいる学食は普段と比べて活気がある、そんな感じである。

 

「あ、ありがとうございます」

 

 天下無双の『八本槍』に褒められると思っていなかったのか、当惑して視線が泳いでいる。

 クーとて人間である。褒め言葉を寄越さない程ケチではない。見下す時は見下し、怒る時は怒るが、褒める時はしっかり褒める。きっとエト辺りが証言してくれるに違いない。

 ふと、葵を見てみると、自分の肩を抱いては小さく震えていた。それは、意識して観察しないと分からない程小さなもので。この寒空の下、気温の低くなる夜に立ち尽くしているというのも女として酷な話だ。

 クーはどうせまともに着てもいない制服の上着を脱いでは葵に放り投げた。

 

「これでも着てろ。男クセーのは我慢してくれや」

 

 空中でふわりと落ちてくるそれを地面に落とさないように慌ててキャッチして、そして申し訳なさそうな視線をクーへと送る。

 言ってしまえばこれは『八本槍』という高い権威者からの下賜であり報奨である。それを無碍に扱うのも不敬極まりないものだが、しかしこういうところで損な性格をしている葵には、素直にそれを受け取ることはできなかった。

 

「で、でも――」

 

「テメェ一人風邪引いたら迷惑する奴がごまんといる。寒いんなら口で言えよ。俺様も鬼や悪魔じゃねーし」

 

 無論、上着を脱いだところで、鍛えてあるクーにしてみればこの程度、寒くとも何ともない。本当に寒いのは、どちらかというと心底冷える体験をする時だろうか。うなじに爆発魔法がスタンバイされたワンドが触れる時とか。

 さっさと着ろ、という言外の圧力がかかっている気がして、葵は躊躇いつつもその上着を羽織った。先程までこの強壮な体躯を温めていた布。そこから僅かな体温を感じる。何か強い力に守られているような感覚。

 そして、葵がこちらに向いた視線は、どことなく悲しげで。

 それはいつもと違う、笑みのない表情だったからではない。憐れむような、嘆くようなそんな視線。

 その意図が分からない以上、咎めるつもりはない。そんなことをいちいち気にしていてはとうの昔にこの学園は血の海になっていただろう。権威権力をいちいち気にする頑固親父はガラクタ発掘老害一人で十分だ。

 

「ま、ここで会ったのも何かの縁だ。夜道の嬢ちゃんの一人歩きも危ねぇし、送ってやるよ」

 

 そう言うとクーはおもむろに立ち上がって葵に歩み寄る。

 少し怯えて半歩下がるものの、クーの悪意がないのを何となく察すると、素直に彼を受け入れた――と思っていたら。

 肩を抱かれて膝裏を抱えられ、上空へと飛翔していた。眼前に広がる夜景と、見下ろせばそこにある小さなフラワーズと桜並木の光景。そして視線を戻してみれば、楽しそうに笑っている青髪の戦士。その微笑に邪気はなくて。

 今宵一度の夜の散歩。風を感じながらゆっくりと感じる星々の煌めき。それがたとえ魔法が生み出す幻影であろうとも、しかしそれが美しいものであることには変わりはなかった。

 姫のように抱きかかえられて空を飛ぶ中で、言葉を発することなくただただ感嘆するばかりであった。

 僅か数刻、そんな幻想的な時間はすぐに終わりを迎える。

 気が付けば、二人は葵が住むアパートの前に足を下ろしていた。

 

「えっと、何でここに住んでいるって知ってるんですか?」

 

「いや知ってるわけじゃねーけど、風見鶏の学生じゃないなら寮じゃねーし、後魔法使いじゃない人が住んでるところっつったらここかもう一ヶ所だろ。んでフラワーズから近いから多分こっちじゃねぇかなっと」

 

 体ばかり鍛えているように見えて結構頭が回る。それもまた彼の持ち味なのである。

 下ろしてもらった葵はクーに借りた上着を返すと、頭を下げた。

 

「臭いもん押し付けて悪かったな。今日はなかなか楽しかったぜ」

 

 じゃあな、と背中を向けてどこかへと飛び去っていった。

 尋常ではない跳躍力に唖然としながら、葵は一度霧が覆われているはずの星空を眺めて、そして部屋へと足を進める。

 

「本当に……卑怯です」

 

 辛い。全てを一人で隠しているのが辛くて、そしてその辛ささえ一人で抱えていることに辛さを感じていて。

 零しそうになった涙を、無理矢理奥へと引っ込めて、笑みをつくった。

 

「……さて、今日は売れ残りでちょっと贅沢ですね!」

 

 そこには、誰にも見せないお日様のような笑顔があった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「やぁ」

 

 翌日。風見鶏の校舎の前までのんびりと足を運んでいたクーは、視界に入った者を拒まずして手を掲げ挨拶する。そして、彼女が頷きつつ威嚇するような笑みを浮かべると同時に、踵を返して歩いて帰る。

 風の動きを感じた。金属が覆う冷気を肌で感じて、力強く地面を蹴り宙を舞った。

 背後から三つの投擲物。慌てることなく筒から槍を取り出して、空中で反転しながら叩き落とす。どう見てもそれはクナイだった。

 ニンジャ家系の娘、五条院巴がこちらに向かって邪気の溢れる笑顔を浮かべつつ弾丸のように突っ込んでくるのが視界に入った。

 

「昨日はよくも仕事を放り投げてくれたなクー・フーリン。『八本槍』であろうと責任を放棄することは――いいやとりあえず愉快に撃ち落されてしまえ」

 

「どーでもいいがテメェとりあえず急所突くような投げ方すんな!ミスったら俺が死ぬぞ!」

 

 無論彼は失敗しないから問題ないが。巴もそのことをよく知っているから喉元心臓脳天眼球目がけて躊躇いなくクナイを投擲することができる。

 天下無双の『八本槍』。どうしようもなく扱いやすい男が相手なら、せいぜい最後まで面白がって跪かせてやりたいと思うのが彼女の性なのである。

 

「テメェどう見ても楽しんでるだけだろ!」

 

「最高に楽しいね!」

 

 白い歯を光らせてニッコリと笑っている。その光が嫌に邪悪なものに見えてしまう。

 続いて投擲された三つのクナイの内二つを避けて一つをキャッチ、そのまま巴に投げ返す。小物を投げることはあまり慣れているわけではないが、しかしそれは巴へと一直線に飛んでいった。

 巴はそれを確実に視線で捉えて勢いを殺さず左に躱す。遅れた黒い長髪を風が書き分けるようにクナイはどこかへと飛んでいった。

 捕捉されたのでは埒が明かない。逃げ回っているだけでは時間の無駄になるだけか――ならばここで迎え撃つ。

 少し広い場所に出ると同時に、クーは走る速度を急に落としてブレーキをかけ振り向きざまに一度宙返りをして距離を取る。

 すぐにクーの目が捉えたのは、同じく宙を舞って距離を取る巴の姿だった。つまり、寸刻前には目の前まで迫っていたということである。

 

「全く油断も隙もありはしない」

 

「小癪な手しか使わねぇコソ泥相手に油断も隙も作れるかよ」

 

 クーは両手に握る真紅の槍を構え、巴は同じく両手に綺麗に手入れのされた鋭い切れ味をしている太刀を構える。

 ちなみにここは通学時に学生が使う通路の一部であり、既に周囲には野次馬が集っている。なお衝撃や余波を恐れて誰も近づこうとはしていない。むしろ観戦したそうにしている割には逃げ腰でここを立ち去りたそうにしている。巴としてもその心境は分からないでもない。

 

「さて、ここまで派手にやらかしてしまったのではリッカに怒られてしまう。ならばいっそのこと、とことん羽目を外させてもらおうか!」

 

「へっ、こちとら最近イライラしてるんでね、憂さ晴らしさせてもらうぜ!」

 

 両者瞬時に肉薄する。

 弾丸すらも軽く上回る速度で前方に飛翔したと思えば、甲高い金属音を一つ響かせては火花を散らした。

 火花が何かに引火したのか、二人を中心に爆炎と煙がたちどころに周囲に広がる。生徒の悲鳴が響き渡る中で、晴れる煙の中から姿を現したのはクーだけだった。

 

「まーた姿隠しての奇襲かよメンドクセェ」

 

 舌打ちをしようとしたまさにその時、全方位十二か所から一斉に放たれるクナイの雨。そこにあったのは分身の術を発動した全て瓜二つの巴の分身だった。

 巴の分身は張りぼてのような生半可なものではない。様々な術を組み合わせることによって、その分身一つひとつに質量を持たせることができているのだ。

 前後左右全てが封じられた。この速度、普通に槍を振るったのでは対処できない――こともないか。

 しかし、ここは敢えて罠にかかってやる。

 全方位から襲い掛かるクナイを無視して垂直に飛び上がったクーは――耳を切る音を敏感に聞き取った。

 咄嗟に振り返り、槍を振るう。太刀の銀閃、再び剣戟の金属音が鳴り響いた。クーはその勢いのままに後方へと距離を取る。

 地に足が付くと同時に、下へ伸びる勢いのままに腰を落とし、そして地を強く蹴っては正面に向かって翔ける。その様はまさに真紅の弾丸。

 一足着地が遅れた巴。目の前には鬼神の槍が迫っていた。太刀は切れ味は鋭いが反面防御には向かない。刃を滑らせて勢いを逸らすのは無謀である。無理な体勢になるのは承知で体を捻って槍を躱す。思った以上に素早く体は反応してくれた。

 しかしその弾丸は、目の前でその勢いを止める。鋭い瞳がこちらをしっかりと捉えていた。躱す方向すら読めていたということか。

 槍を地面に突き立て、無理に体を捻ったせいでバランスを崩した巴の両腕を掴み、そのまま覆いかぶさっては地面へと叩き付ける。

 沈黙を保っていた広場にどよめきが走る。勝負はついた。

 

「甘々なんだよまだまだ。……ったく、面倒かけやがって」

 

「その割には楽しそうに見えたが?」

 

 地面に組み伏せられながら、肩で呼吸をしつつ巴が笑う。その笑みはどこかこちらを挑発しているように見えた。

 

「ところで、こんな公衆の面前で乙女を組み伏せ押し倒すというのはどうだろうか。この後唇を奪って体中を蹂躙し尽くすのだろう?」

 

 どこまで本気だろうか。無論、全部冗談なのはクーも分かり切っている。この女がとことん釣れない奴だというのは二年と少しの付き合いでよく理解しているつもりだ。

 

「そうしてほしいならしてやるよ。リッカにもジルにも手を出してねーが、別に女が嫌いな訳じゃねぇ。テメェをこのまま辱めることも俺にはできちまう」

 

 瞳の奥にギラギラした炎を宿して、舌なめずりをしながらクーの顔が近づいてくる。

 眉目秀麗という訳でもないが、数々の経験の中で研ぎ澄まされた意志が刻まれている彼の顔は想像以上に男前である。なるほどジルやリッカがこれを相手に惚れる理由が何となく分かった。

 しかし、このままでは本当に唇を奪われてしまうのではないか。しかも、そんなジルやリッカを差し置いて自分が先に。それはそれで別に構わないのだが、ここは衆目に晒されている。この後とんでもないハプニングが起こりそうだと騒めいている外野が周囲から好奇の視線をこれでもかと注いでいるのだ。そんなところで行為に及ぶなど破廉恥極まりない。

 

「――いいぜ」

 

 ニヤリと厭らしい笑み。その顔はすぐ近くまで近づいていた。クーの吐息が頬で感じられるくらいの距離。

 これまでか――貞操の最期を覚悟して瞼を強く閉じた。

 力で勝てるはずもない。相手は百年以上も生きる最強の槍の戦士だ。腕力で勝てるならとうの昔にここから脱している。

 忍術もダメだ。両手が塞がっている以上、種も仕掛けも発動できない。

 諦めと共にクーの体温を感じた――額に響く重く鈍い音と共に。

 

「いったっ」

 

 額に鈍痛が走る。目を開けてみると既に両腕は解放されており、クーは立ち上がって槍を拾い上げていた。そしてこちらを眺めているその表情は、まるで、ざまぁみろと言わんばかりのドヤ顔だった。

 

「少しは人をからかうことを止めとくんだな。しばらくは葛木相手で我慢しとけ」

 

 槍を筒に仕舞って肩に背負いつつ、首だけを巴に向けて豪快に笑う。

 

「テメェもなかなかのいい女だよ。その太刀捌きも、そしてその太刀のような鋭い闘志も俺様は好きだぜ」

 

 そう言って、結局昨日押し付けた生徒会の仕事をサボった分の責任を有耶無耶にしつつ、ぺたりと地面に尻餅をついている巴の傍から歩いて去っていく。

 届かないその背中。その逞しさが清々しい。相変わらず敵わないなと苦笑いを浮かべて、しかしいつかその背中に刀傷をつけてやると心に決める。

 ゆっくりと立ち上がっては太刀を鞘へと仕舞い、そしていつまでも呆けている野次馬に一喝した。

 

「いつまでここに突っ立っている、もう朝礼が始まるぞ」

 

 怒鳴ったつもりはないが、何かに怯えた生徒たちは全員一目散に学園の方へと駆けてゆく。

 長い黒髪に引っ付いたゴミを払いながら、桜の舞う空を見上げた。

 

「清隆、あれが本当の男ってものだよ。キミも姫乃と共に強くなってくれ」

 

 久しぶりに会った弟のような幼馴染の顔を思い浮かべては、小さく笑みを零した。

 その成長が待ち遠しい。風見鶏を卒業するころには、清隆もきっといい男になっているのだろう。

 今もどこかで義妹の小言を聞いているのだろう清隆に向けて――




戦闘シーンのボキャブラリが圧倒的に足りない。
もっと速く、もっと鋭く、もっと緊迫するような戦闘描写ってどうすればいいんだろう。


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霧と影

結構変化しています。


 視界を塞いでいた霧が少しずつ晴れて、段々と周囲の風景が色彩を取り戻していく――これは夢なのだと清隆は気が付いた。

 古臭い屋敷が見える。その屋敷の門を潜り抜ける二人の少女。この夢は、昨日と同じ人物の夢だろうか。そこにいたのはその夢に出てきた少女と恐らく同じである。生憎同じように輪郭がぼやけていてはっきりとは分からない。

 屋敷の中は埃が被っているものの、そのつくりは結構豪華なものであった。天井には破損したシャンデリアがぶら下げられてある。もちろんそれは既に光を失ったものである。

 二人の少女は何かを示し合わせたように頷き合い、一人は階段を上って上の階に、もう一人は階段を上らずに正面に続く廊下を進んだ。

 階段を上がった少女の方についていくと、周囲を慎重に見渡しながら廊下を歩いていく。懐から棒切れのようなもの――恐らく魔法使いの扱うワンドだろうか――を取り出して、ゆっくりと廊下を歩いていく。その様子から察するに少女は魔法使いであると推察できる。恐らくは魔法に関するトラブルを処理する役職の魔法使いではないか。

 ゆっくりと先に進んでいく。そして、長い廊下にある無数のドアの内の一つ、その前で立ち止まっては、ワンドを構えて光を放った。

 同時に、ドアが光と共に爆散した。ドアに魔法的なロックがかかっていたのを強引にこじ開けたのだろうが――中には目的の人物と思われる女がいた。

 

「――――」

 

「――――――」

 

 何かを会話している。しかしやはりその会話の内容を窺い知ることはできない。ノイズが音声の邪魔をして聞き取れないようにしている。

 登場人物の輪郭がはっきりしない、声が聞き取れない、この二つから辿り着くことができる仮定の一つが清隆の脳裏に思い浮かんだ。

 恐らく、この夢を見ている人物は過去の記憶を失っている。だからそこに誰がいたのか思い出せない、その会話の内容と声を思い出せない。しかしその事実があったということだけは、自分の記憶の奥底に閉じ込められている。

 記憶がない――清隆の知る人物で該当するのは、十一月頭にリッカの手伝いで駆り出された時に出会った少女、さくら。彼女は自分の名前すらも思い出せず、唯一の手がかりは手に握っていた桜の枝だけだった。

 しかし、恐らく彼女の夢ではない。登場人物の三人の少女の内、彼女と同じくらいの小さな体躯をしている少女はいない。魔法使いは見た目と年齢が合致しないケースが多いが、しかし肉体年齢が遡行することはない。記憶を表す夢とは必然的に過去を写し出すものであるため、さくらがその三人の内誰かであるということは考えにくい。

 だとすれば誰だろうか。

 しかし、考えている内にまた視界がぼやけていく。夢の主が夢から覚める。

 少女がワンドと思われる棒切れを突きつけている映像が次第に遠ざかっていった。

 また、朝が始まる。この夢の主は、一体どのような過去を持ち合わせていたのだろう。

 また夢を勝手に覗き見てしまったことを密かに謝罪しながら、清隆はその夢から浮上していった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 どっかりと椅子に腰を下ろしたリッカは頭を抱えて唸っていた。

 対して椅子浅く腰掛け、もたれるように座って枕代わりに腕を後頭部で組んでいるクー。彼は今、リッカに呆れられ怒られていた。

 理由は二つ。一つは昨日頼んでおいた(押し付けておいた)仕事を何の断りもなく放置して退散、巴の追跡を振り切ってどこかに逃げ隠れしていたことによる作業の遅延、もう一つは無論、今朝の騒動であった。

 早朝から登校する生徒のいる中で乱闘の騒ぎ、普通の喧嘩なら単純に誰かが押さえればいいだけの話だが、片方が『八本槍』である男である以上、口を挟むわけにもいかず、物理的に鎮圧するなどどう足掻いても不可能だ。

 そして、『八本槍』が巴と乱闘したということ自体は大問題だが優先して責任問題を問うところではない。むしろ今リッカが唸っているのは、その後に巴を押し倒して性的な意味で襲い掛かっていたという話が出ているということだ。

 ここはあくまで王立ロンドン魔法学園、すなわち教育機関である以上、道徳的価値や貞操観念にも正しい方向にとは言えないが、少なくとも人道を外れた方向に向かわないように指導してやるべき場所である。そんなところで公衆の面前で男が女を力で捻じ伏せ襲うなど大問題にも程がある。その場では巴がすぐに生徒を散らしたから大事には発展しなかったが、実際各教室ではその事件で話題は持ちきりだった。

 

「うるせーな、全部そっちのせいだろうが。仕事押し付けたのもそっち、突然攻撃してきたのもそっち、マセガキが誘惑してきたのもそっち、平和的解決に努めたことを褒めてしかるべきだ」

 

 早朝から槍や刀を振り回して剣戟の音を周囲に響かせ火花を散らしていることのどこが平和的解決なのだろうか。人が死ななければ平和なのだろうか。やはりバトルジャンキーは思考回路がおかしい。リッカは説教を半分諦めかけた。

 

「誘惑したと分かっていてあそこで背を向けたのか。つまり私は振られたのだな。嗚呼寂しき哉」

 

 大袈裟に嘆くようなポーズをとりながら場を掻き乱していく巴。相変わらず面倒なことをする女である。

 先程まで同じようにリッカから小言を言われていたにも拘らず、今ではケロッとして馬鹿にするような笑みを浮かべていた。この裁判において被告はクーのみである。

 

「ともかくだ、今日は俺様は他に用事があるんだよ」

 

「用事って?」

 

 クー・フーリンとて『八本槍』であり公的な存在である。たまには、そうたまには忙しくなることもあるだろう。しかし、『八本槍』としての任務がある時は事前に学園長であるエリザベスから生徒会に通達があるはずである。この時点でクーが生徒会に飼い慣らされていることには反論できないと思われ。

 何にしろそう言った事情がある以上、つまり私的な用事があるということになる。だからシャルルが口を挟んだ。

 

「生徒会の仕事でもなく、『八本槍』の仕事でもない私的な用事って何ですか?」

 

「フラワーズの手伝いだよ」

 

「はぁ?」

 

 クーから出てくるとは思えない喫茶店の名前が出たことに、リッカは心底呆れた。リッカはクーがあまりフラワーズに赴かないことも、増してフラワーズに誰か特別な知り合いがいるという訳でもないことを知っている。

 しかし何かを言おうとしたリッカはクーの表情を見て、彼の平然とした態度に何か理由があるのだろうといち早く察した。伊達に長年同じ時を過ごしてない。

 

「昨日巴から逃げる時にフラワーズに隠れようと思ってな、ちと立ち寄っていればなかなか混雑しててな、身も隠せるし折角だから手伝ってやったんだよ」

 

 そこで、実際に対面して話したことはないものの存在だけは知っている葵との出会い、そして自分は厨房に潜んでオーダーを上手くさばいていたことを簡潔に話す。

 どれだけ混雑していたかは知らないが、そのことを話している時のクーの満足そうな顔を見るに、それなりに多くの人数を相手にしていたに違いない。そしてリッカは気が付いた。

 

「え、あんた料理できるの?」

 

 目の前の、まるで戦うことにしか興味がない思考回路が明らかにおかしい戦闘狂。その右手に包丁を持ってエプロンを腰にかけて食材を捌く――まるで想像できない。

 どちらかというとその包丁を振り回してならず者を片っ端から料理して建物を挽肉と人血の残骸(ミックスジュース)で満たしてしまうところが頭に浮かんで離れない。

 

「あ、知らなかったのかよ」

 

 さも当り前だと言わんばかりに不思議そうな顔をしているクーに、シャルルも巴も唖然として動きを止めた。二人とも完全停止して視線だけこちらに向けている。

 

「いやぁサバイバルしてるとたまには贅沢したくなるんだよ。少ない食材でいかに豪勢なもんが作れるかってな。川魚とか手に入った時はそりゃもう何を作ろうか小一時間悩んだね」

 

 なるほどだから知らない訳である。リッカもジルも彼と共に生活していた時はほとんどサバイバルをしていない。強いて言うならシャルルの家に泊まる直前の数日程度だ。それ意外は基本的に二人がクーに衣食住を提供する約束であったのもあり、クーが料理をするところを今まで一度も見たことがない。無論、風見鶏は衣食住が全て完備されているので、全くと言っていい程料理をする機会がなかったという訳だ。

 

「も、もしかして、あたしより上手かったりする?」

 

 困惑した表情でクーを見ているシャルル。しかし周りは全員シャルルに視線を向けて首を横に振っていた。

 

「シャルルはね、その、ほらアレだ、ちょっと人とは違う感性してるから料理も独特なのよね。時代を先取りし過ぎているというか――」

 

「はっきり言っちまえよ。テメェはヘタクソだって」

 

 シャルルは料理が下手である。いや既に下手という次元を超えているというか、そもそもそれが料理という言葉で表現できるかどうかも怪しいところである。

 食べ物としての色をしておらず、泡の出方は妙に不自然でねっとりしている。一般人のイメージ上の悪い魔女が作るような体に悪い薬を作っていると言われた方がよっぽど納得できる。

 しかしそんな代物を、シャルル本人が食べたところで美味しいという。見た目が明らかにおかしいのに美味いとはこれいかにと思ったリッカとクー、ついでにジルは彼女の料理という名の危険物を口に運んだところ、毒物その他に耐性があるクーは二日寝込んだ程度で済んだが、リッカとジルは二週間近く高熱を出して寝込んだ。うち初めの二日程は気絶して目を覚まさなかった。そんなほのぼのしたワンシーンがあるくらいである。

 

「ね、ねぇ、今度私たちにも作ってくれない?あんたの料理の腕、女としては気になるわ」

 

 急に態度を変えたと思えば、近くまで来て物凄い剣幕で胸倉を掴むリッカ。お互いに吐息が感じられる距離にいるが、しかしそんな青春ムードを感じていられるような雰囲気ではない。

 

「ケッ、嫌だね。なんで俺様がテメェらに施すんだよ。作りたい時に作る、それだけさね」

 

 結局説教の内容からかなり話が逸らされているような気もするが、しかし既に話題はクーの料理の腕前でいっぱいである。偶然にも小言から脱出できたことには彼にしては運がいいことだったが、しかしその時シェルに連絡が入った。

 

「もしもし?」

 

 こんな時に呼び出しを食らうとは気分が悪い。口から出た声は低く不機嫌なものだった。

 

『緊急事態です。地上に出てきてください。事情は後で説明します』

 

 聞こえてきた声は、『八本槍』の纏め役にて、騎士王の二つ名を持つ女性、アルトリア・パーシーのものだった。彼女が緊急事態と表すのなら放ってはいけない。

 だるそうだったクーの表情が真剣なものになる。その表情を見た周りの人間はすぐに重大な事件だと察した。

 シェルを閉じたクーは力強く立ち上がり、脇に置いてあった槍が入っている筒を肩にかける。

 リッカはすぐにクーが通れるように道を作った。

 

「何が起きたのかは聞かないわ。しっかり働いてきなさい」

 

「無論だ」

 

 リッカに返事をした後、急ぎ足で生徒会室を後にした。シャルルが窓から外を見ると、人にあるまじき速度で空中を跳躍し飛翔するクーの姿があった。

 そしてその姿は、小さな点となってどこかへと消えた。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 黒、黒、黒。

 その視界に映るのは、いつものロンドンの風景に墨汁を落としたかのような黒の風景。そしてまるでそこから滲んでいくような猛烈に濃い、むせるような霧。

 蠢いていた。数多の人の形を成した黒の化け物。

 

「こいつは……」

 

 ウエストミンスター宮殿屋根上からの光景。

 魔法というものをたくさん見てきた。リッカも使っていたし、ジルも操っていた。その程度では驚くことすらしなかったが、しかし、これは――

 魔法などと言う生易しい現象ではない。悍ましく、恐ろしい。見ているだけで、その存在を感じているだけで気分が悪くなる。

 すると、ウエストミンスター宮殿の正面から光が走った。一直線に光が迸り、そこにいた黒い人影が纏めて消滅する。その光の前に立っていたのは、クーどころかロンドン市民ならだれもが知る少女の姿だった。

 彼女がこちらを見つけ、そして急いで跳躍し隣に降り立った。

 アルトリア・パーシー――『八本槍』の一人にして、騎士王と呼ばれる少女である。

 

「突然、このロンドンであのような黒い影が大量に闊歩するようになりました。原因正体共に不明、人に触れると何かしらの条件でその人物が昏睡状態に陥るようです」

 

 そして、クーも感じている通り、今ここには人避けの結界が張られてある。同時にこれだけの大量の影が集まっているということは、アレをここにおびき寄せるための策を講じているのだろう。

 

「緊急措置としてこのような方法を取り、次第に沈静化しているのですが、いつまた増えるか分かりません。あなたには、少し力を貸していただきたい」

 

 なるべく人のいない空間を結界によってつくり、そこに黒い影をおびき寄せて殲滅する――悪くはない手だがしかし後手後手の戦法である上に範囲が拡大すればそれだけでこの作戦は破綻してしまう。その前に次の策を講じなければならないが。

 しかしクーにとってそんなことなど無用。槍を振るう相手がいるのならそれだけで構わない。おまけに今回、訓練でもなく手合せでもなく、全力ではしゃいでいい相手だ。

 ふと、口元が綻んだ。

 彼の微笑をみたアルトリアは呆れるように苦笑いを浮かべた。

 

「ほどほどに、お願いします」

 

「言われなくとも――!」

 

 ウエストミンスター宮殿の屋根上を力強く蹴り飛ばす。軽く罅が入ったような気がするがそちらに構っている場合ではない。

 着地と同時に前方半周振るった槍が力強く唸りを上げる。強烈な圧が黒い影を薙ぎ払い消し飛ばした。

 

「手応えねーな」

 

 少々がっかりしながらも目の前の有象無象を見据える。

 正面に槍を構え、飛び出した。

 黒い景色の中に紅い閃光が瞬く。一つ、二つ、確実に黒い影は消えてゆく。

 背後から強烈な魔力を感じる。周囲の敵を無視しつつ上空へと高く跳躍し背後を確認した。

 

「≪約束された(エクス)――」

 

 アルトリアの握る聖剣、エクスカリバーが周囲から光を集め熱く光り輝いている。

 まるで一つの恒星がそこで全てを照らしているかのような圧倒的な力。そして次の瞬間には、アルトリアが剣を振り抜くと同時に陽光の斬撃が景色を焼いた。

 

「――勝利の剣(カリバー)≫!」

 

 上空からでも分かる強烈な威力。いくらクーでもアレを受ければひとたまりもないことはすぐに察することができた。

 直線攻撃故に単純に避けることは楽勝だろうが、彼女の剣術の中に織り込まれた時には既に光に飲まれているかもしれない。

 そう考えれば体の底から――熱く漲ってきた。

 

「何だよあんなの使えるなら早く言ってくれよブッ倒し甲斐があるじゃねぇか!」

 

 しかし今の敵はそちらではない。焼けた地面に着地すると同時に再び地を蹴り黒い影を蹂躙する。

 黒、黒、黒。

 その黒は一向に姿を消すことはない。斬っても突いても薙いでもなお、その姿を現す。

 群れを作ろうが大したことはない、しかし地面にぶちまけたバスタブ一杯の米粒を一粒一粒バスタブに戻すのは非常に時間のかかる作業だ。アルトリアの光の斬撃でさえワイングラス程度の力にしかなり得ない。

 ひたすらに直進していたクーは、ついに敵の軍団の切れ目を見つけた。

 黒い影の方位の外側、そこから見る景色はまさに圧巻だった。国の象徴となる建物であるウエストミンスター宮殿が黒く染まっているようにも見えてしまう。

 ふと、視線を後方から感じた。振り返ってみると、背後には彷徨うようにふらふらとしている黒い影。集団と離れてはいるが、一応ここに呼び寄せられているのだろう。

 そしてもう一つ人影。そちらは人として、そして洋服としての色彩を保っていた。何かしらの切欠でここに迷い込んだのだろう。

 黒い影が人間を襲っているような構図にも見える。クーは頭を掻きながら右手だけで真紅の槍を軽く投擲した。視界外から襲われた影は、槍に貫かれて消滅、槍はそのまま建物の壁に突き刺さり停止した。

 

「おい、そこの、無事か――って」

 

 接近して安否を確認しようと思えば、そこにいたのは見知った少女だった。

 栗色のショートヘアに赤いリボンの小さなサイドテールで飾り、白い長袖のブラウスの上に同じく赤を基調としたチェック柄のワンピーススカートを着て、地面にぺったりと尻餅をついている少女は。

 紛れもなく、陽ノ本葵その人だった。

 

「た、助かりましたー……」

 

 先程まで黒い影に絡まれて強張っていた体から緊張が解れて力が抜けていく。

 クーは周囲の安全を確認し、殲滅作業をアルトリアに丸投げして葵に問いかけた。

 

「何でこんなところにいるんだよ?」

 

 人避けの結界が張られてあるこの中で人がいるのは基本的にあり得ない。あるとすれば最初から結界の中にいたということか。

 よく見れば、葵の足元には紙袋とその中から転がっている果物などのいくつかの食材が目に入った。ついでにふらっと真紅の槍を回収しておく。

 

「えーっと、フラワーズの買い出しに行って戻ってきたところを、急に黒い影のような人たちに出くわして、会わないようにあれやこれやと遠回りしていたらこんなところに……」

 

 そして運悪くここに来て徘徊していた黒い影の一つに目をつけられて絡まれていたところをクーに助けられたという経緯だそうだ。

 一応王室直属の騎士ということになっている『八本槍』の一員としては、一般市民の安全を最優先にしないといけないという小言はアルトリアやエリザベス、そしてアデルからも耳にタコができるくらいに聞いている。

 

「あんま柄でもねぇが――」

 

 昨日彼女をお姫様抱っこした時と同じように肩と膝裏を抱えて、そして空へと飛び出した。

 

「騎士は姫を守らないといけないんだとよ」

 

 葵は瞼を力ませ目を閉じている。

 相変わらずこの跳躍の初速度には慣れないようだが、しかし脚力も尋常ではないクーならばこれくらい普通である。体感速度はテーマパークのローラーコースターの最高速度を軽く上回り、それによる風の圧力は想像を絶する。

 葵にはこの速度が続く限り我慢してもらわなければならなかったが、無事にウエストミンスター宮殿から、地下の風見鶏に送り届けることに成功した。




シャルル・マロース
保有スキル 料理の天災:C
作った料理を食べさせることで相手にダメージを与える。死に至らしめる程の毒性や刺激は持たないが、屈強な戦士や高レベルの魔法使いを昏倒させる極めて高い危険性を誇る。

ちなみにAは人を殺す。EXとか多分その料理の不味さで地球がヤバい。料理の不味さが引き金で世界大戦とか始まるかも。
多分初代メインヒロイン朝倉音夢もCに相当。見た目は美味しそうなのに味は地雷級。主人公純一曰く、暗殺家業の人が秘密裏に取引してきそうな代物。Ⅱの由夢は見た目からアレで食べても一日で回復できるようなのでDからEくらい。初音島るる姉は味はとことん悪いが気絶するほどではない。そこまで高いものではなく多分ランク適応外。
AとかEXとか他の作品でいるのだろうか。Aはどこかにいそうですね。


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深き影に堕ちて

一週間遅れました。待ってくださった読者の皆様すみません。


 黒い影の殲滅作業は、おおよそ過半数程を片付けたあたりで、残りの全てが自然消滅する形で終了してしまった。

 始めはクーとアルトリアの二人で戦闘を続けていたが、後にジェームスも駆けつけたおかげで、彼の能力が二人と違い集団殲滅に向いていたためそこからの作業は順調かつ効率的だったと言える。

 現在、三人は風見鶏の学園長室で女王陛下兼風見鶏学園長を務めているエリザベスに例の件の一部始終を報告しているところだった。

 

「――とはいえ、結局正体も原因も不明なままで、またいつ増殖するかは分かりません。今後の対策のためにも、応急処置にしかなりませんがここロンドン市内の戦力を増強させた方がいいかと思われます」

 

 学園長室の一番奥で姿勢正しく椅子に腰かけて報告に耳を傾けている真剣な顔のエリザベス、対して同じく姿勢を正して立ちつつ報告を続けているアルトリアと、その隣で報告にミスや抜けがないかを確認しているジェームス。一方クーは途中からきっちりしているのが面倒になって五分も経たない内に自分の椅子に姿勢を崩して座り込んでしまった。傍から見ればエリザベスと同じくらいかそれ以上にお偉い立場のようである。

 

「黒い影の件については、こちらで確認しています。何かしらの魔法の影響と見た方がよさそうですね」

 

「使い魔を召喚する類の魔法でなおかつあれ程の大量召喚となれば、俺の耳に残るくらいの有名なもののはずだ。しかしあのような黒い影を大量に召喚する魔法など聞いたこともない」

 

 黒い影が大量発生した事件が勃発した直後からすぐにその原因を究明する作業班が設立され、彼らによって該当するであろう魔法を洗いざらい調査されたのだが、その内一つも当てはまるものがなかったらしい。

 他の魔法が複数かつ複雑に組み合わさったものであるならば、手掛かりが目撃した現象だけという状況からそれぞれ単体の魔法を導き出すというのはほぼ不可能に近い。現時点で原因を解明するというのは極めて困難である。

 

「それと、俺からも一つ報告がある」

 

 そう言って一歩足を踏み出したのはジェームスの方だった。

 

「ここまで来る途中、街の状況はざっと確認していた。視界に入った限りではあるが、あの黒い影は一般人には認識できないようになっているように思えた。そしてそれは極稀にだがその一般人と溶けるように憑依し、憑依された人間を昏睡させる。こちらも結局原因は不明だが、一般人が死亡するケースは今のところ報告もされていない。簡単に羅列すると、何らかの魔法の結果として、召喚、憑依、催眠の三つが確認されているという状況か」

 

 現状把握できているのは今ジェームスが簡単に纏めた通りである。もしかすれば、この三つの、それぞれの分野の魔法からしらみ潰しに調査していくことで、どの組み合わせによって現在地上で起きている事件に繋がる魔法となっているかを断定できるかもしれない。

 時間こそかかるだろうが、他に方法がない以上この手を取るしかないと同時に、そこをつついていればその内近道も見つかることになるだろう。

 そう結論づいたことで、エリザベスは関連組織に指示を出しておく旨を発表し、アルトリアとジェームスを連れて風見鶏を一度後にした。

 律儀にきびきびと姿勢を正して歩いて去っていく二人の『八本槍』を阿呆らしい視線で追いながら、扉で姿が消えるのを確認すると同時に、大きく一つ欠伸をかます。

 例の地上の黒い影も大したことはなかった。もっと楽しめるかと思っていたのに、特に強いわけでもなく、特に力があるわけでもなく、特に速く動くわけでもない。ここ最近で一番がっかりしたかもしれない。必死に小遣いを貯めてずっと欲しかった玩具を遂に買うことができたと思いきや、実際に遊んでみればそこまで面白くないことが分かってしまった子供の気分である。

 

「『八本槍』もつまんねぇなぁ」

 

 強い奴なら近くに同じ『八本槍』がいる。対戦しようと思えば摸擬戦もできる。同じレベルの戦士と腕比べをすることはできなくもない。

 が、摸擬戦はあくまで摸擬戦である。命を奪い合うギリギリの感覚を味わうあの昂揚感、刃や拳を突きつけられる時の心底冷えるようなスリル、強力な一撃、驚異的な絶技、向けられる殺意の視線、そう言ったものがない、生温い戦いになってしまうのは目に見えている。

 公の立場である以上、いくらバトルジャンキーでも一応国や王室に仕えているという立場を弁えておかなければならない。そしてそれがクー自身を束縛し退屈という籠に押し込める。

 いっそのこと反逆者にでもなってやろうかと自棄になりそうなくらいに退屈していた。

 

「辞める方法ならあるんだけどな」

 

 寮の自室の引き出しにしまってある真紅のペンダントを思い出す。本当なら常に肌身離さず持ち歩いておくべき大事なものなのだが、クーはそれをそこまで大事とも思っていない。

 女王陛下への忠誠を誓う意味で『八本槍』に与えられたそれは、逆に言えばそれを破壊することで国への反逆を示すことになり、一握りの動作で他の『八本槍』からも狙われる反逆者として追われることになるのだ。

 それはそれで面白いかもしれない、ふとそう思ってしまう自分がいる。

 しかし、実際にエリザベスにはここに置いてもらっているという恩もないことはないし、それ以上に『八本槍』という王室直属の騎士としてエリザベスに仕える選択をしたのは他でもなく自分自身だ。その選択は今でも間違っていたとは思っていないしむしろなかなかいい経験をさせてもらったと思っているくらいだ。

 それでも――心の底で溜まって淀んでいる苛立ちを発散させる場もなく、自分が真に欲した自由があるわけでもない。

 相も変わらず面倒な立場だと、自分を嘲りながら頭を掻いた。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 生徒会室に戻ってくるリッカたちに引き留められる前に何とか校舎を脱出したクーは、気が付いてみればフラワーズの前まで足を運んでいた。

 昨日の時点で何となく手伝ってやろうくらいには考えていたのだが、こうして無意識の内に来るということまでは考えていなかった。

 店の様子を見るに、今日の客の入りはある程度落ち着いているらしい。時折表にオーダーを取りに姿を現す葵の動作には、多少の余裕があるように見える。

 葵も先程あの黒い影を目の当たりにしたごく普通の少女だ。本来なら恐怖してまともに外も出歩けないくらいには考えていたのだが、案外メンタルは強いらしく、いつもの業務に安定して精を出している。

 今日も手伝ってやろうかと思った末に、ふと思いついた。たまには客として入ってもいいではないか。

 財布の中身は確認するまでもなくある程度高級なものを購入しても十分に余裕があるくらいは入っている。『八本槍』の収入も、金銭感覚を麻痺させるくらいには飛び抜けているのだ。

 

「売上貢献くらいしてやるか……」

 

 そう決めたらすぐだ。適当な席に腰を下ろしてオーダーを取りに来るのを待つ。本来『八本槍』を待たせるなどあってはならぬ非礼だが、クーはそう言ったことを気にしない。そんなことを気にしていたら今頃風見鶏も地上も血の海になっている。多分。

 しばらくしていつもの少女が店内から姿を現した。

 

「お待たせしました、いらっしゃいませ――って」

 

 栗色のショートヘアの少女、陽ノ本葵はクーの姿を目にして少し青く身を竦ませた。

 以前はスタッフとして共に働いてもらった。今度は客としてここにいる。もしかしたらこの店の接客態度とかメニューの質などを確かめに来たのかもしれない。そう考えると自分の命が簡単に刈り取られてしまうかもしれないという思考に行きついてしまうのもそう遅くはなかった。

 

「そうビビんなよ、軽く寛ぎに来ただけだ。んじゃ、とりあえずブラックコーヒーとハムサンド」

 

「かっ、かっ、かしこまりました」

 

 普段ならここでもう一度注文内容を復唱するのだが、慌てているのか頭から抜け落ちてしまっているらしい。注文自体は少ないものだったからその内容自体を忘れることはないだろうが、どうにも彼女らしくない。

 気が付けば、店内に走り去ろうとしている彼女を呼び止めていた。ピシッと布でも引き伸ばしたかのように姿勢正しく立ち止まった葵は、姿勢を正したままこちらに振り返った。その表情は明らかに緊張している。視線がこちらに向いていなかった。

 

「さっきのアレ、大丈夫か?」

 

 無論、黒い影のことである。

 

「え、あ、はい、あの時クー様に助けていただいたので――」

 

「あー『様』なんてつけんじゃねぇ気持ちワリィ。そんな清く正しいもんじゃねぇよ、俺は」

 

 心の中では、リッカたちはもう少し俺を敬うべきだ、と愚痴を零すが。

 

「俺様くらい歳食えば相手が何考えてるか大体分かる。アレに関しては本当に大したことはなさそうだが、それ以外になんか嫌な事でもあったのか?」

 

 息を詰まらせ、片足が僅かに後ろに逃げた。何かある。

 しかしその動揺は一瞬で消え去った。まるで今そこにあったリアクションがそもそも存在しなかったかのように。今そこにあるのは、いつものようなお日様の笑顔。

 

「え、ええ、まぁ。たまに仕事がキツかったり、欲しいものがあってもお金が足りなくて買えなかったり、ここ最近運がないですから。コツコツ働いて貯めていくだけですよ。働くのは楽しいですし」

 

 観察――嘘偽りはない。それが彼女の『本心』には違いないが、それが『核心』かどうかまでは定かではない。

 そこでふと。なんで俺はこんな子供のいちいちをチェックしてんだと。

 

「そうかい。無理はすんなよ。働くのが好きなら体は立派な資本だ」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 ぺこりと深く一礼をして、そのまま店内へと戻ってしまった。

 この後盛大に力が抜けて大きく深呼吸でもしているのだろうとそんなところまで想像が働いている。自分でも何をそこまで考えてしまっているのか分からないが、あの少女は見ている分にも危なっかしくて面白い。クーが見ているだけでも分からない奥深いものがありそうなのもグッドだ。舞台の踊り子としては申し分ないキャラクターとも言えた。

 後に運ばれたブラックコーヒーを口に含んでその苦味を満喫しながら枯れない桜の吹雪く風景を何となく眺める。

 別に胸を打つほど美しいという訳でもないが邪魔なものだとも思わない。一応これでもリッカとジルの研究の一過程として辿り着いた成果なのだ。一年中、半永久的に桜を開花させた状態にまで持ってこられた二人の功績はクー自身も讃えているつもりである。どうやら完成系までは遠いようだが。

 そうやって何事もなくのんびりとしていると、ふと遠い向こうから見知った顔ぶれが姿を現した。綺麗な金髪を靡かせたリッカと、勉強でもしていたのだろう分厚い魔導書を抱えたジルだった。

 

「あ、クーさんがこんなところにいるなんて珍しいね」

 

「生徒会の仕事サボってフラワーズの仕事手伝うって言ってたのにまさか本当にサボってたとはね」

 

 二人もこちらに気が付き近づいて、礼儀の欠片もない挨拶を交わしてすぐ礼儀も何もなく同じテーブルの席に腰を下ろす。しかしある意味この三人の顔ぶれが何だか安心できた。

 そう言えばここ最近になってこの三人だけで何かをするということもあまりなかったかもしれない――と、ふと。

 

「――あ」

 

 一瞬、頭に妙なヴィジョンがちらついた。

 金。金。巨大なカーテン。王者。彼はこちらを見ていた。

 

「ど、どうしたの?」

 

 一瞬だった。それが何かは分からないが、そんな経験などしたことがないのに、何故かまた体験したい、心躍るような感覚が胸を躍らせる。ジルに呼び止められて、一瞬でその映像は消え去った。

 暇過ぎて遂に起きたまま夢でも見るようになったか。これは今からでもひと眠りするべきだろうか。くだらないことばかり考えてしまう。

 

「暇過ぎて死んじまいそうなだけだよ」

 

「暇で死ぬことなんてないから安心しなさい」

 

「違うそうじゃねぇ」

 

 リッカとクーの下らないやり取りを見て、ジルが笑う。もう何度も経験してきた光景である。

 あの時は、本当に楽しかった。色々な場所を回って、色々な人と会って、たくさんの自称強者を地面に捻じ伏せて、美味いものを食べて、面白いものを見てきた。

 あんな経験ができるのなら、本当に国を敵に回してやろうか。

 思考がループしていることに気が付いて、二人に気がつかれないように鼻で笑った。

 

「ところでリッカ」

 

「なに?」

 

「あそこにいるフラワーズの店員って、風見鶏の生徒じゃないよな?」

 

 指差した先にいたのは、店内のテーブルの皿を下げている葵の後ろ姿。

 リッカもその姿を確認して、何の疑いもなく首を縦に振った。

 

「ええ、風見鶏の生徒じゃないし、魔法使いでもないわ。それがどうかしたの?」

 

 仮説検証――整合性あり。

 

「いや、風見鶏でよく見る顔だから、何やってんのかって思ってな」

 

「ああ、彼女ならここでは結構有名よ。ここでいろんなところでアルバイトの掛け持ちしてて――」

 

 葵のことを楽しそうに語るリッカとジル。二人の口から出てくる説明は、全て本人から聞いたことのあるものばかりである。

 そんなことはどうでもよかった。彼女には、いち早く聞いておかなければならないことがある。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 閉店時間を過ぎて、陽ノ本葵は私服に着替え直して店長に挨拶をし、そして裏口から店を後にした。

 左手に抱えているのは本日の売れ残りのパンである。ハムやソーセージなどが挟まっているものからフルーツが入っているものなど、今日は客が入らなかっただけに売れ残りも多く、その分廃棄するものとして持ち帰りの許可が下りるものは多かった。

 少し気分上々で夜道を帰ろうとすると、その人物はまだそこにいた。

 

「お疲れさん、嬢ちゃん」

 

 クー・フーリン。『八本槍』の一人、最強の槍使いである。昼間は客としてコーヒーを注文してのんびりしていたが、こんな時間までここで待っているというのは、何か用事があるからだろう。『八本槍』もきっと暇ではない。

 店の柱にもたれかかっていたクーの傍まで走り寄る。待たせるのは礼儀として悪いと心得ていた。

 

「ど、どうかしました?」

 

 昼の接客態度が悪かったか、それともサンドイッチかコーヒーが不味かったか。怖くて足が震えていた。

 実際、葵を見下ろすその真紅の瞳は、うっすらと冷ややかな光を放っている。

 

「不審者発見、『八本槍』の名の下職務質問を始める」

 

「えっ――」

 

「貴様、何者だ」

 

 背中に背負っていた筒からそっと抜き出されたのは、彼の瞳と同じ色をした真紅の槍。返答を誤れば、殺される。

 

「な、何者って、普通の、普通のアルバイトさんです」

 

 答えてすぐ、葵の目線は抜きかかっている槍の方へと向かった、その腕の位置は動こうとはしていない。

 顔に視線が動いた。小さく溜息を吐いた彼は、そのまま言葉を続ける。

 

「俺には大体分かるんだよ。相手が何考えてるかってのは。そしてもう一つ、そいつの『匂い』ってのが」

 

 善行を積んでいる者の匂い。怠惰に過ごしている者の匂い。目標に向かい努力する者の匂い。楽しい時期を過ごしている者の匂い。そして――

 真紅の光が夜闇を切り裂いた。一瞬で、葵の目先からクーの身体が消え去った。

 どこに行った――振り返ろうとしたその瞬間、肌は異変を感じ取った。冬の冷気が、肌を侵食している。着ていた洋服が、上半身だけ引き裂かれている。

 

「ひっ――」

 

 夜空に響く少女の悲鳴。唐突に暴力に襲われた少女は、身を抱えてその場にしゃがみ込んだ。

 

「そんな証拠を、まじまじと見せつけられちゃあ、なぁ」

 

 その冷たい一言に、葵は気が付いた。今自分が、彼に何を見せているのか。

 引き裂かれた服の下に隠していたのは。その肌に刻み込まれて二度と消すことのできない罪は。

 

「『八本槍』の他の奴が言ってたぜ。あの黒い影、魔法使いにしか見えないってな」

 

 陽ノ本葵は、魔法使いではない。

 ならば何故、あの時あの場所で、黒い影に襲われて、それを認知して影から遠ざかろうとしてたのか。その答えは、限りなく真相に辿り着けるもので。

 

「その背中の魔法の紋様は、一体何の魔法だ」

 

 彼女の背中、肩、そして腕には、禍々しい程のオーラを孕んだ、白く美しい肌を埋め尽くさんがごとく這い回っている魔法の紋様がびっしりと刻み付けられていた。




早速核心に迫っていきます。話数はなるべく多くならないようにしたいです。
だって気が付けば既に自分の別作の完結話数を上回ってるんだもん。


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月明かりの真実

じゃんじゃじゃ~ん、今明かされる衝撃の真実ゥ~!


 夜の暗闇の中、唯一彼方から突きの光が差し込む。

 月光に照らされた真紅の刃が、既に葵の華奢な身体に向かって伸びようとしていた。

 

「なんだそれは」

 

 夜空を散歩した時の軽快な表情の彼も、コーヒーを注文していた時のだるそうな顔の彼もそこにはいない。無表情に、そして冷酷に、刃の色と恐怖で鮮血のイメージを脳内に刻み付け、そして淡々とした口調で背中に刻まれた不可解な紋様の詳細を訊ねるばかりである。

 閉店の作業が終了した店には既に明かりは灯っていない、が、中にはまだ店長がいるはずだ。声を上げたら助けに来てくれるかもしれない。

 しかし、人の好さそうな温厚な性格の店長に、果たしてこの男を撃退する方法などあるだろうか。不用意に助けを求めれば、二人纏めて殺されてしまうかもしれない。

 どうする――そう思考している間に、もしかすればその槍は喉元を貫いているかもしれない。腹の底から冷えていくような感覚が、次第に腕や指先まで伝わっていく。

 

「こ、これは――」

 

「ある程度予想がついてんだよな、これが」

 

 勇気を振り絞って話そうとしてみればこれだ。まるで計ったかのようなタイミングで声を重ねるクー。

 話すことすら否定されたかのように感じた葵は、上下の唇を糸か何かで固定され二度と開かないのではないかと思うくらいに、何も物が言えなくなっていた。

 クーは紅い槍の構えを解いて、腕をだらりと下げる。

 

「地上の霧、何か関係してんだろ。嬢ちゃんは魔法使いじゃねぇ、しかしあの黒い影が見えたってことは、やっぱり周りを謀って実は魔法使いでしたってパターンか――これはリッカが何度も嬢ちゃんを見ている時点で在り得ねぇ。アレはアレで見る目はあるから魔法使いかどうかは大体当たる」

 

 リッカ・グリーンウッドは魔法使いであるなら誰もが知っている程高名で、実力も高いカテゴリー5の魔法使いである。

 そんな彼女ともなれば、その人が魔法使いなのかそうでないのか、その人の発するオーラとか雰囲気とかで分かってしまう、らしい。彼女自身その仕組みを理解していないため確証はないが。ともあれ、経験に裏打ちされたものであるため大体確実であることは間違いない。

 

「そしてもう一つが――テメェ自身があの霧の魔法の術者ってことだ」

 

 身体が硬直――瞳の動きが変わった――『黒』だ。

 残念なことに、あの霧の魔法が一体何なのかはまだ把握できていない。だが、恐らくその術者は目の前の少女であることはほぼ間違いない。彼女から全て訊き出せば、大体解決するだろう。

 原因不明な霧があって、原因不明な黒い影が出現した。そこに現れた、正体不明の魔法の紋様を白い肌に刻んだ少女。例え正確な因果関係が掴めなくとも、とりあえず不明なものを繋ごうとすればその内自ずと答えは見えてくる。

 

「とりあえず、話してもらおうか。あの正体不明の霧について、そしてその背中の紋様について」

 

 制服の上着を脱いだクーは、とりあえず引き裂いた服の代わりとして彼女の肩にそっとそれを被せた。相変わらず男臭さが染みついているだろうが、そこまで気が回るほどクーは気が利く男ではない。

 葵はそれにしがみつくように両手でしっかりと握り締めて、そしてそのまま話し始めた。

 

「……地上の霧がこれのせいなのは、間違いありません」

 

 躊躇いがちに、何かを恐れるように。

 

「私が手にした魔法は、すぐにその霧を生み出しました。禁呪っていうんですかね、こういうものは。気が付けば、私はこの魔法の本を手に取っていました。そして広がった霧は、このロンドンにいるたくさんの人たちの、『あの時ああすればよかったな』『あんな人いなくなればいいのに』みたいな、負の感情を集めてくるんです」

 

 魔法は、想いの力である。想いの力は、人の人格や性格に由来し、そして人の感情や思い込みによって発動する。

 こうあってほしい、こうなりたい、こうしたい、そんな想いが魔法となり、奇跡を起こす。同時に、死ね、殺す、そう言った想いは攻撃的な魔法となり、嫌だ、来ないで、そう言った想いは何かを停滞させる奇跡となる。

 そう、これは、そう言ったマイナスのイメージでの奇跡なのだ。悲劇を生み、惨劇を繰り返す、そんな類の奇跡。

 

「……そんで、そんな負の感情なんぞを集めて何をするつもりだったんだよ」

 

 霧を生んで負の感情を集める。それだけなら別に誰の危害にもならない。もっと他に、何か大きな目的があるはずだ。

 想いが魔法を、奇跡を生むのなら、負の感情という想いの力を集めてまで起こしたい奇跡が存在する。あくまであの霧はそのための媒体であり、結果ではない。クーはそう推測している。

 

「私、いつか死んじゃうんです」

 

 淡々と紡がれた言葉の内容は、まるで本当はそうならないと感じさせるくらいには他人事のように聞こえてきた。

 

「そう遠くない未来に、死ぬんです」

 

 繰り返される言葉は残酷なのに、まるでその言葉の重みを感じない。

 

「予知夢を見るんですよ。見た未来は、決して変えることはできない。どうやったって結果は一つに収束してしまうんです。だから、死んでしまう未来を見た私は具体的な日時や場所までは分からないんですが、その内死んじゃうんです」

 

「――なるほど」

 

 葵の説明に、クーはただ頷くだけだった。

 

「それで、自分が死なないようにするための魔法って訳か」

 

 不老不死か、因果の断絶か、そう言った類のものをクーは想像する。実際に彼の持っている槍には、因果の逆転可能にする呪いの力を宿している。それくらいは予測の内である。

 

「壁にぶつかりたくなければ、そこで止まればいい。死にたくなければ――」

 

 今、クーの中で全ての苛立ちがカタルシスのように昇華された。

 何故、十月の終わりがあそこまで遠い過去のように感じられるのか、何故シャルルに問うたあの質問が過去に何度も聞いたことがあるようなデジャヴを感じてしまうのか。

 そう、この世界は――

 

「――そんな未来が訪れなければいい、つまり、この世界は――」

 

 この世界は、魔法使いでもない、彼女のたった一人のエゴのせいで――

 

「――ループ、しているんです」

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 翌朝、風見鶏ではとある新聞の一面のせいで大パニックとなっていた。

 廊下を走り回る生徒たちが、他の生徒にぶつかったり躓いたりして更なる混乱を引き起こす。

 風見鶏の生徒会であるリッカ・グリーンウッドは肩を怒らせながら、後ろからついてくる親友、ジル・ハサウェイの様子を窺うこともそこそこに早足で生徒会室を目指していた。

 案の定、辿り着いたそこは大勢の野次馬でごった返している。

 偶然居合わせた巴の力も借りて野次馬を下がらせ、生徒会室に殴り込むように入室した。

 

「よう」

 

 まるでいつもと変わらないように自分の専用の席に座り込んで新聞に目を通している騒ぎの原因の張本人、クー・フーリン。その姿を見つけたリッカはずかずかと彼の目の前まで歩み寄り、そしてその新聞を取り上げた。

 

「あんた、一体どういうつもりよ!」

 

 怒鳴り散らすように大声をあげ、そして新聞の第一面を広げて机の上に叩き付けた。

 それこそ生徒たちが騒いでいた理由であり、ロンドン中が混乱に陥る最大の理由だった。

 そこに書かれていた記事のタイトルは、『『アイルランドの英雄』女王陛下に反逆か』。

 そのタイミングだった。護衛の者を傍に大勢控えさせた状態で、エリザベスが生徒会室に突入してきたのだ。

 

「揃いも揃って慌てやがって、少しは落ち着けって」

 

 この程度では英雄、クー・フーリンをどうにかすることなどできない。『八本槍』であるクーは、他の『八本槍』くらいの実力の持ち主でないと抑止できないのだ。

 クーは挑発するように足を机の上で組み、そしてエリザベスを一瞥した。

 

「おうエリザベス、調子はどうだ?」

 

 エリザベスの表情は、怒り、というより困惑した表情そのものだった。

 

「あなたが退屈していたのは知っていました。あなたのような自由を愛する人間が『八本槍』に縛られているのは実に酷だったでしょう。しかし、だからと言ってこのような――」

 

「ああ勘違いすんじゃねぇ、別に俺は国に盾突こうってつもりはねぇんだよ」

 

 エリザベスが嫌いなわけでもない、『八本槍』という組織は確かに面倒だが、しかしこの集団に恩があったのは確かだ。退屈だったというのは、国家に対して反逆した――真紅の槍のペンダントを壊した理由の、ほんの一部でしかない。

 それ以上に――面白いものを見つけたからだ。今のイギリス、そしてエリザベスに忠誠を尽くすよりも面白くて守り甲斐のある者を。

 

「陽ノ本葵、知ってるよな。よくここらでアルバイトで働いている嬢ちゃんだよ」

 

「ひ、陽ノ本さんがどうかしたの?」

 

 ここで出てくるはずのない名前。それが彼の口から唐突に飛び出してきたのに首を傾げるリッカ。

 彼女の疑問に、クーはすぐに答えを提示した。彼女が一体何者なのか、地上の霧との関係も、そしてそんな霧の魔法を発動させた理由も。

 

「ま、結局あの黒い影に関しては嬢ちゃんも想定外だったらしいがな」

 

 黒い影についてはついぞ分からなかった。というのもあの魔法にはそこまでの効果があるとは書いていなかったし、葵自身その魔法を行使する前にしっかりと本を読み込んでいたつもりであり、見落としていたとは考えられないらしい。

 

「しかし、だからと言って――」

 

「だからこそ、だよ。アイツが霧の魔法の術者だって知ったら、アデルの野郎辺りがさっさと解決することばっか考えて間違いなく殺しに来る。そんなやり方は俺様が認めん。俺はあの嬢ちゃんを守るための騎士(サーヴァント)になったってことさ」

 

 解決するなら正攻法だ、そう付け加えて。

 

「アイツは霧を晴らすことを望んでいる。若干躊躇いがちだったが――死ぬのが怖いのは仕方ねぇ。だからそれまで、誰一人として嬢ちゃんに指一本触れることは許さねぇ。なに、心配せずとも霧が晴れりゃ、また霧が出る前の十一月一日に戻ってくる。『八本槍』も安泰って訳よ」

 

 魔法の名称は分からない。分かっているのは霧を媒体としてロンドン市民の負の感情を大量に集め、それを想いの力として魔法の奇跡に変換し、世界を十一月一日から四月三十日までの間でループさせているということ、そしてその暴走的要素として黒い影が不定期でロンドンを闊歩するということ。

 ループが終わればそもそも事象を全てリセットするためにもう一度最後の十一月一日が始まるだろう。さもなければ、また十月三十一日と十一月一日の霧の量が明らかに不自然であるからだ。そう言った観点も含めて拗れた事象を全て元に戻す修正力が働く。

 

「文句があるならかかって来い、一人残らず血祭りにしてやんよ」

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「――ループ、しているんです」

 

 そう言った葵の唇は、震えていた。それは罪の意識から来るものだろうか。

 しかしその言葉に、クーは腹を抱えた。吹き出した、と思えば盛大に笑い始めたのだ。抱腹絶倒、それくらいの勢いで。

 

「なんだなんだなんだよオイ、それじゃもしかすれば、夢だったのかって思ってたあの金ぴかも、エトが俺様に一矢報いたってのも全部実際にあったってことなのかよ!」

 

 かつてリッカと共に反逆者となり、その道中で英雄王、ギルガメッシュと相対した。勝ち目のない相手に挑むというのは心底興奮した。あの喜びは、夢から覚めたと思っていた時でもまだ魂に刻み込まれていた。

 エトがサラ・クリサリスを救うために彼女の家に乗り込むと言った時、その前に立ち塞がったこともある。絶対に乗り越えられないものを目の前にしても、絶対に諦めない不屈の想いを鋼に変えて牙を剥いた小さな勇者がそこにはいた。

 全てが夢だと思っていた。それが全て実際に体験したことで、この肌が、この腕が確かに覚えていたことなのだ。

 

「それはそれとして――」

 

 そしてクーは、そのまま葵の前にしゃがみ込んだ。

 

「俺様は別に間違ってねぇと思うぜ、自分が死にたくねぇから魔法に頼ったってのは」

 

「で、でも――」

 

「それはテメェ自身が掴み取ったものだ。死にたくないならどうするって問いに、自分で答えを出して自分で掴み取った『生』だ。それを誰にも否定することはできんよ」

 

 かつて自分は、あまり使わないようにしていたルーン魔術を、病床に伏せていた少年を助けるために使った。少年が生きることにしがみついたから。生きたいと願ったから。それと一体、どこが違うというのか。

 

「俺だって、ここに来る前は自分が生きるためにいろんなもんを犠牲にしてきた。そいつらに詫びようと思ったこともねぇし、むしろ俺の生き様の前に立ち塞がったことが運のツキだと思ってるよ」

 

 そしてクーは、大きな掌で、そっと葵の頭をくしゃくしゃと撫でた。

 

「それでもテメェが申し訳ないと思うのなら、自分で自分の死を受け入れろ。そんでこの霧を晴らして、最後まで自分の生き方を貫いてみろ。男も女も変わらねぇ、真っ直ぐに突き進むってことをやってみればいい」

 

 そして、あの時と同じように、葵をお姫様抱っこしたと思えば、空高く舞い上がった。

 

「面白いもんを見つけたぜ、俺も。嬢ちゃんを守るために、俺は嬢ちゃんの騎士となることを誓おう」

 

 ポケットから取り出されたのは真紅の槍を模したペンダント。

 それを左の拳で握り締め、そして二つに砕いた。今ここで、クー・フーリンは『八本槍』ではなく、国家に対する反逆者として追われる身となった。

 

「えっ、そ、そんなことをしたら――」

 

「なに、死にゃしねぇよ。おあいにく様、俺は世界で最強の騎士様だからな」

 

 その時の開放感溢れる『アイルランドの英雄』の笑顔に、葵はほんの少しだけ、ときめいてしまったのだった。




正直に言います。これがハーレムタグの最後の理由です。
さぁこれから面倒なことがたくさん起こりますよ(作者的にも)


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騎士の館

一つ前の話、もしかしたら時間とやる気と余裕があれば書き直すかも。
個人的にも短いかなと感じていましたし、実際読者の皆様はどう感じたでしょうか。


 遂にここまで来てしまいましたか。()()()はどうするつもりです?

 ああ、そうですか。()()()はそれでもいいのかもしれない。でも、それでは私はどうするつもりなんですか?()()()と私は一蓮托生、一心同体の仲じゃないですか。

 あなたが私を元気づけてくれたから、今ここにこうしていられるんです。――いえ、これでは少し語弊がありますね。

 そんなことはどうでもいいか。私のことが、邪魔になってしまったんですかね?()()()は私の全てを否定するつもりなんですかね?

 ()()()にはそんなことはできない。できるはずがない。だって、()()()は誰よりも優しいから。()()()は誰よりも臆病だから。そして、()()()は誰よりも、全てを知っているのだから。

 みんなが笑顔になれるわけではない、ここはそう言う世界だから。でも、それでも誰もが苦しむことも悲しむこともない。全部、振出しに戻してくれるから。たくさんの願いを受け入れ、叶えてくれるのだから。

 ()()()は一体誰の味方なんですか?街の皆さんですか?たった一握りの、真実の断片を知る者たちですか?

 知る必要のないことを知らされて、更につき合わされることになる彼らのことも考えてあげてください。そして全てが終わってしまったその結末に、何が待ち受けているのかも。

 誰かの願いを叶えてあげるという時点で、大団円というエピローグは在り得ないんですよ。シンデレラを魔法にかけた魔女はどこに行きました?そんなことは分からないんです。誰もその功績を讃えてはくれないんです。いつしかシンデレラも、自分が誰のおかげで立派なお城の素敵な王子様と結ばれたのかを忘れ、次第に考えることすら辞めてしまうんです。

 私は、皆さんにはそんなことになってほしくない。そして何より、()()()自身にも。

 誰も、何も、知らなくていい。そうなれば誰もが、きっと悲しまずにいられる。そして、その悲しみさえも忘れてしまう、残酷な未来を、受け入れずに済む。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 最近、似たような夢を見る。

 葛木清隆は、また、恐らく同一人物であろう少女の夢の中に入り込んでしまっていた。ここまで来ると、偶然ではなくその人物からの一種のシグナルと見るべきなのかもしれない。

 夢の中に出てきているのはいつもと同じ少女二人。しかし相変わらずそのシルエットはぼやけてその容姿ははっきりと確認できない。

 そこに、三人目の少女が現れた。相変わらずその姿ははっきりとは確認できない。しかし、その歩き方やお辞儀の仕方などがしっかりしており、恐らく家柄がよい育ちのいい少女であると思われる。

 三人は初対面なのか、それとも旧知の仲なのだろうか、どこか部屋の中で楽しそうに談笑している。相変わらず、その声にはノイズが入って聞き取れない。

 しばらくすると三人の少女は談笑を止め、三人目の少女の腕を掴んでは外へと飛び出した。清隆は慌てることなくその姿を追いかける。

 少女たちが向かったのは、どこかの街並みだった。ここらでは見かけない、少し開発の遅れたような商店街、だろうか。道は狭く、自動車が通っている気配もない。ちらほらと馬車が走っているのを見かけるが、自動車もここ最近で普及が始まった最先端の乗り物だ。これだけ地方ともなれば、なかなか導入されるのも時間がかかるだろう。道路整備の問題もある以上仕方がない。

 しかし、その少女たちはすぐには表に出なかった。表を歩けないのは、あまり姿を見せてはならない――例えば魔法使い――人物だからだろうか、あるいは本来はこの辺で出歩くことすら珍しいくらいの家柄の人なのだろうか。商店街に直接入ることはせず、その裏路地を進むように、そして時折目的の店のすぐ隣に出られるような脇道を伝って街道に姿を現し、ショッピングを楽しんでいる。

 しかし、そんなある時、三人目の少女が何者かに掴まった。二人の少女と離されたその少女は、腕を取られたままどこかへと連れ去られていく。

 少女を捉えた男たちの身なりはいいものとは言えない。見ている限りだと、その少女の身内とは考えにくい。

 少女が捕らえられたことをすぐに悟った二人の少女は、魔法の力を使っているのか、上手く連携して男の集団を追い込んでいく。

 そこからは呆気ない一部始終だった。

 すぐさま一人の少女が何かしらの魔法で男たちを気絶させ、もう一人の少女が囚われた少女の下へと駆けつける。

 そしてすぐにその場を去っていったのだった。

 本日の夢はここまでのようだ。

 清隆には、未だにこの夢の意味を理解できない。

 一体誰が、何のために、何を見せようとして清隆をこの夢に誘導しているのか、それどころか、本当に清隆が誘導されていたのか、それさえも不明なままであった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「え、えーっと」

 

 天下無双の最終兵器集団、()『八本槍』のクー・フーリンが、ただ一人のごく平凡な少女に見える陽ノ本葵と主従契約を結んで、そのまま夜空を飛翔していたのがついさっきである。

 これで晴れてクーは自由の身であり、追われの身であり、反逆者である。なんと素晴らしい響きだろうか。おかげでクーの心はこれまでになくせいせいしていた。そのきっかけも隣で困惑しまくっている少女である。

 というのも、今二人がいるのは、風見鶏の生徒が生活に利用している学生寮、それも男子寮の一室の前である。誰の部屋かと問われれば、もちろんクーの部屋である。

 

「ど、どうしてここなんでしょうか……?」

 

 もしかしたら当たり前と切り捨てられるかもしれない。物理的に。いや待てさっき何をしたか考えてみろ、主従契約を結んだばかりだ、クー・フーリンともあろうお方がそんなにすぐに自分でした約束を反故にするはずがない、葵の脳内は現在こんな感じである。

 

「仮にも元『八本槍』の部屋だ。そうそう誰か容易に侵入できるもんじゃねーだろ。今日からここで寝泊まりするといい」

 

 なるほど安全面に配慮してくれたらしい。しかしそうすれば、次は違う問題が出てくる。貞操の問題はない。こんな経験を積んだ男が、リッカやジルのような美人を侍らせるような男が、まだまだ子供である葵を相手に発情するとも考えられない。むしろ堅実に騎士としての役目を果たしてくれる。彼はそう言う人間だ。身体能力で言えば人間という概念からかけ離れているが。

 しかし、世間体ではそうはいかない。たとえ誰かに殺される心配がなかろうと、クーとの間違いがなかろうと、世間体はクーの部屋に泊まる葵を見て何を思うだろうか。

 少なくともここで二人が恋人関係になるとは考えまい。しかし、二人の間に何かあると勘繰るはずだ。

 

「心配すんなよ」

 

 色々考えてたら、自分の上から声が降ってきた。クーの身長が高いから、必然的に葵はその声に対して振り返ろうと上を向くことになる。そうして視界に入ってきたのは、楽しそうに笑った顔であった。

 

「明日にはこのロンドンどころか国中のバックアップがつくぜ。誰一人として嬢ちゃんに指一本危害を加えることはできねぇ。今から考えただけで笑いが止まらん」

 

 そう言いながらドアを開け放った。

 戦士が毎日使っているであろう部屋だ。結構汗臭かったりするのかもしれないと考えていたが、思いのほか部屋の仲は整理整頓が行き届いており、匂いもさほど気にならなかった。

 本人が言うに、帰って来た時には掃除もきちんとしているらしい。放っておいて大変な事になるのを自身でも経験したことがある上に、身内で残念な反面教師がいるから、ああはなりたくないだとかなんとか。『かったるい』が口癖らしいが、誰のことかは葵には分からない。

 

「遠慮すんな、寛げよ」

 

 さてここで問題である。見た目超怖い、実際に怖い上司や目上の人間の部屋で、寛げなどと言われて寛げるだろうか。葵くらいの常識人であれば不可能である。それもよりによって、あの『アイルランドの英雄』であるクー・フーリンの部屋。何か失礼があってからでは遅い。

 

「心配すんなって、この部屋のもん全部テメェのものってことにしても何も問題ねーし」

 

 実際、高そうな壺も難しそうな魔導書もこの部屋にはない。散らかそうにもものが少ないのだ。他の部屋にもあるような共通の設備に、ちょっとした家具があるくらいの簡素な部屋であった。ちなみにベッドは他の生徒よりふかふかである。

 

「あーどうすっかなベッド、これから洗濯するにしても時間ねーし替えねーし、かといってこのまま年頃の娘を男の汗クセェベッドで寝かせる訳にもいかんしよ」

 

 難しそうな顔で考え込んでいるクー。噂や伝説で言い伝えられているような戦闘狂でも、他の人間との協調性はある。

 いつからそんなことを覚えたのだろうか、今のクーは自分から進んで葵のために行動を起こしている。昔の彼の生き方を知る者は、今の彼を見て笑うだろう。何を今更、と。

 

「あ、クー様――じゃなくてクーさんが私なんかのためにいろいろしてくださるんですから、私も大丈夫です」

 

 確か彼は『様』をつけられるのが苦手だった。慌てて呼び方を改めたが正解だっただろうか。

 何にせよ、守ってもらうためにわざわざ部屋を貸してその上ベッドなどまで改めてもらうなど、頼るを越えて迷惑である。その一線だけは越えてはいけないような気がした。

 

「そうか?んじゃまぁ、今日のところはそれで我慢してくれ」

 

 ちょっと待った――ふと葵は考える。

 そう言えばクーが男臭いベッドに葵を寝かせることに首を捻っていたから替えを綺麗なものにしようかどうかという話だった。

 しかしよく考えてみれば、葵がこのベッドで寝るのだとしたら、クーはどこで寝るのだろうか。まさか自分が寝ているすぐ隣で寝るのだろうか。

 

 ――無理無理無理、無理です。

 

 どう考えても自分が心穏やかに寝られる気がしない。

 ありえない、ありえないとは思うが、それでも夜の間に自分の首が掻き切られてしまう想像が霧散してくれない。そんな状態でまともに寝られるはずがない。

 

「とりあえずバスルームはそこ、トイレはあっちだ。俺の部屋ではって話だが、生理的に無理ならちょっと遠いが学生寮の公衆大浴場やトイレでも使ってくれ」

 

 クーがどこまで考えているのかは知らないが、風見鶏の学生ではない人間が寮の風呂を使うというのは不自然である。

 それに葵自身も他人と関わるのには慣れており、他人が葵を見ているよりは結構強いのだ。あまり他人の風呂やトイレなどを気にするようなことはない。例外がない、とも言い切れないだろうが。

 

「で、では、早速お風呂を借りさせていただきます」

 

「そうか、じゃあ終わったら呼んでくれ」

 

 葵が立ち上がったと同時にクーも立ち上がる。そしてそのままどこに向かうかと思えば、ドアノブに手をかけて廊下へと出ようとしていた。

 

「どうせ嬢ちゃんくらいの年齢の女ってのはこういうの気にするんだろ?気にせずゆっくり入ってろ」

 

 何か言葉を返そうと思ったが、その時には既に扉の閉まる音が部屋の中でこだましていた。

 何だか落ち着かない感じを胸の中で抱えたままバスルームに入った葵は、そのまま躊躇うことなくクーから与えられた男子制服を脱いでそっと畳んで台に置いておく。

 鏡に映ったのは服を引き裂かれて上半身の白い肌がむき出しになった葵の姿だった。これだけをみれば暴漢に襲われた跡に見えなくもない。実際はその逆で怖そうで優しい戦士に守ってもらっているのだけれど。

 もう二度と着られないであろう白いブラウスを脱いで隅に置いておくと、まだ幼い割にはなかなか大きく実った果実が鏡に映る。しかしそれ以上に強く視界を引きつけたのが、背中から伸びている禍々しい紋様だった。肩にまで伸びてその内胸や腹にまで侵食するのではと考えると体中に悪寒が走る。

 どうしてこうなってしまったんだろう。考えるまでもなく自分が弱かったからだ。

 必死で生きようともがいて手にした結果でそれを誰にも否定する権利はない、と、クーは言った。

 しかし同時に、彼が同じ立場であればその後でこう付け加えるだろう。でも何も始まらず、何も終わらない世界なぞ、面白くとも何ともない、と。

 自分がこうして後悔を感じているのは、今のこの状況が楽しくないから、幸せを感じていないから。それは偶然にも、彼が感じるだろうこととほんの少しでも似ているのではないか。

 色々と考え込んでしまうことを止めて、とりあえず入浴することに専念したが、この時シャンプーなどもやはり男物しかなかったことに気が付いた葵は、遂に笑うしかできなくなっていた。

 破けた服をどうしようと考えていたが、タオルだけを体に巻いてバスルームから顔を出してみると、目の前にバスローブが畳んで鎮座していた。誰が置いてくれたのかは言うまでもない。いよいよ元『八本槍』が本当に怖い人間なのか、怪しくなってきた。

 その後結局、ベッドに関しては葵がクーのベッドで横になって、クーは椅子に置いてあったクッションを地面に置いて、それを枕にして地べたで寝ていた。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 翌日、朝の騒動の間にクーは怒りを露わにしたリッカと困惑しまくっていたエリザベスを適当にいなしつつ説得したその日の放課後。

 フラワーズでのアルバイトをしている葵を迎えに行こうと店に立ち寄ったクーだが思わぬ相手に掴まることとなった。

 

「あ、お兄さん、やっと見つけた!」

 

 何だかウンザリして振り返ってみると、そこにいたのは生意気極まりないが憎めないクーの弟子であるエト・マロースであった。その容姿はどこからどう見ても生徒会長である姉のシャルルとよく似ている。

 

「んで、一体何の用だよ」

 

 別に見られてはいけないところを見られたわけでもないが――何となくそこにエトがいるのが不快に感じられた。しかし邪険に扱う程でもない。どうせ新聞のことでも根掘り葉掘り聞きたいのだろうと考えた。

 

「『八本槍』を辞めて、これからどうするの?」

 

 エトのその問いと、その瞳から感じたのは、クーを咎めたいという意志でもなく、責めているという訳でもない。ただ純粋にクーの今後が気になって、興味を抱いているのだ。

 だから何となく、クーも機嫌がよくなって気が付けば笑ってしまっていた。

 

「いや、な。これからこのロンドンの悪い魔法に立ち向かうんだよ」

 

「ロンドンの悪い魔法って?」

 

 そう言えばエトは地上の霧が魔法によるものであることをまだ知らない。そのことを知っているのは王室に関わる連中とカテゴリー5の魔法使いくらいのものだ。

 どう説明しようか迷ったが、適当にはぐらかすことにした。

 

「ロンドンの人間に悪さしてるんだよ。俺様は『八本槍』は辞めちまったがその代わりもっと面白いもんを見つけたんでね」

 

「――ロンドンの害悪な魔法を排除するならば最も早い方法を遂行する必要があると思うがな」

 

 エトでもクーでもない、堂々と物騒なことを言ってのけた人物は、ゆったりとした足取りでこちらへと向かっていた。

 ここロンドンでも有名な魔法考古学の第一人者で、現在『八本槍』の一人に数えられる優秀な魔法使い、アデル・アレクサンダーだった。

 相手もまた『八本槍』である。風見鶏の一学生に過ぎないエトは一歩下がってアデルの出方を窺う。エトの実力程度では到底及ぶものではないが、万が一ここで二人が激突すれば周りへの被害は尋常ではない。その時に周囲を安全に避難させることこそがエトの役目である。

 

「冗談じゃねぇよ。確かにその方法ならさっさと片が付くかもしれんが、逆に依り代を失った魔法の方が暴走するってケースもあるらしいぜ」

 

「そんなものは本当にレアケースでしかない。それに、依り代を失った魔法なら多少の暴走程度、襲るるに足りん」

 

 背中に背負っている筒から、真紅の槍を覗かせる。いつでも臨戦態勢に入る準備はできている。

 今ここでドンパチやろうというのなら手加減はしない。せっかく面白いものを見つけたのだ。こんな老いぼれに邪魔されるなぞあってなるものか。

 

「道を開けろ。術者・陽ノ本葵を抹殺しに行く」

 

 魔力が四か所で集中している。そこに姿を現したのは、四体の甲冑の騎士だった。

 ここで止めねば全てが終わる。クーはエトに目で指示を出して、槍を抜き出し正面に構えた。




本日のランサーもといクーさん、ツン三割デレ七割でお届けしております。
リッカさんたちマジ不憫。

次回辺り、多分あの人が再登場。


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愚者の共鳴

一対複数の戦闘シーンって本当に難しい。同時に複数の人間が動く以上、どう絡ませるかって本当に大事ですね。


 桜並木を前に、静寂が訪れる。

 店側へと続く通路には、真紅の槍を構えたクー・フーリンが、そしてその反対、桜並木へと続く通路には、四体の騎士を従えたアデル・アレクサンダーが堂々とした佇まいで立っている。

 店からも、そして桜並木からも、誰一人として風見鶏の生徒は現れない。アデルの手によって事前に人払いの結界が張られていたのだろう。店にいる生徒も、ここで大きな争いが起こることも知らずに談笑を楽しんでいるに違いない。

 

「そんな木偶の坊共でこの俺様を倒せると思ってる辺り、随分と舐めてくれんじゃねぇか」

 

「貴様のような地を這うしか能のない虫けらなど、この程度の木偶の坊で十分だ」

 

 右手を前に差し出したアデルは、魔法によって騎士に指示を出す。

 空気を裂き、景色を破るように、先頭の二体の騎士が両手に大剣を構え突進してきた。無名の騎士であるが、魔法において人の域を遥かに凌駕している魔法使いが召喚した騎士たちである。後方にいた、鍛錬を共にしていたこともあるエトですら、その瞬く間の接近を視線で追うことは能わなかった。

 火花が散る。直後間を置かずに響く甲高い金属音。

 一体の大剣を槍で受け止めた直後、搦めとるように槍を捌き、そして同じく迫る二体目の騎士へと目がけて投げ飛ばした。

 重なり吹き飛ぶ二体の騎士。しかしクーの視線はそこにはない。

 同じ、いや更に速いスピードで突進してくる騎士。剣を刺突の構えで刃をこちらへ向け肉薄する。

 だが遅い。剣の腹を槍先で軽く叩き、ぶれた剣の軌道線の間に体を滑らかに滑り込ませ、半回転と同時に石突で顎を強打した。

 上空に跳ね飛ばされた騎士、その空色に映ったのはもう一つの殺意だった。

 四体目の騎士の左手に握られていた白銀の弓、その弦からは既に矢は飛び出していた。

 鈴が鳴るような唸りを上げ、強弓を離れた一矢は鷹のように鋭く一直線にクーの脳天へと翔ける。

 銀の閃きは――槍の一撃によっていとも簡単に叩き落とされた。この男に、飛び道具は一切通用しない。

 しかし、問題はそこではない。

 視線の先、矢を再び弓に番え構える騎士の両隣から、再び同じ型の騎士が出現したのだ。恐らくは魔力が尽きるまで半永久的に増殖するタイプの召喚魔法か。それぞれが持つのは、最初の三体が持っていたのと同じ大剣である。研ぎ澄まされた剣の切っ先は、空から差す光に煌めく。

 そして何より、吹き飛ばしただけで仕留めきっていない他の三体もすぐに復帰して得物を構える。

 数は増えていくばかりか。

 手加減をしていたつもりはないが、これは本格的に殺すつもりで行く必要があることを察する。

 アデルが弓を構える一体以外の全ての騎士に、全軍突撃の指示を出す。鎧の重厚な音を響かせながら、力強く一斉に地を蹴り飛び出した。

 袋叩きにされては敵わない、詰め寄られる前に先手必勝、クーもまた槍を構え、音速を超えて地を翔けた。

 秒という時が経つ間もなく、真紅の槍は甲高い金属音を響かせる。

 しかし、その槍にぶつかったのは騎士ではない。そこにいたのは。

 

「謝っている時間も勿体ないくらいの緊急の用件です。争いは後にしてもらいたい」

 

 偽物であるが本物同然の力を持つと言われる、聖剣エクスカリバーの使い手、『八本槍』の纏め役であり、騎士王と呼ばれる少女、アルトリア・パーシーだった。クーの槍は、彼女の聖剣によって阻まれていた。

 

「くっそやっぱり邪魔すんのかよ。見えちまった時にゃ、やべぇと思ったんだがな」

 

 秒速の世界を凌駕した高速戦闘を繰り広げようとしていた中で、遠くから接近していた騎士王を視界に収められていたらしい。既に脱退してあるとはいえ、やはり『八本槍』はどいつもこいつも物理法則を無視しまくっている。

 一方、アデルの騎士団は、何者かの剣の雨の襲来によって殲滅されていた。その後面倒臭そうに姿を現したのが、同じく『八本槍』であるジェームス・フォーンである。

 

「全く、つまらんことで仕事を増やしてくれるな、無駄に疲れる」

 

 態度こそ不真面目そのものだが、しかしその両手が握る二振りの剣と鋭い視線が、次騒いだら殺すぞという明確な殺意を秘めていた。

 事件解決のための早急な手を打とうとしていたアデルが、不服そうに背中を向ける。未遂とは言え、まだ少女である術者、陽ノ本葵を手に掛けようとしたのだ。他の『八本槍』がそれに賛同するはずもなく、この状況で正当性に欠ける以上、下手な動きを見せることはできない。いくら『八本槍』であると言え、同じ実力を持つ三人から攻撃されれば流石に対処に難い。

 槍を仕舞ったクーは、アルトリアに対し移動しながらの説明を要求、何やらかなり急がねばならない事態みたいなので、『八本槍』ではないとはいえ、現在の主である葵を守るという目的上共に行動することに異存はなかった。

 アルトリアは、地上へと続くエスカレーターに乗り込んだ中でその説明を開始する。

 

「例の黒い影が再び大量発生しました。今回は偶然本科生の≪女王の鐘≫によるミッションと時間が重なってしまったので、生徒たちには安全に最大限配慮しつつ交通の統制と人払いの魔法の行使をしてもらっています。今回我々がすべきは、前回同様黒い影の殲滅です。前回よりも規模が大きく、交通統制を敷いている以上、時間をかけるわけにはいきません。そこであなたにも協力をしていただきたいのですが、何か問題は?」

 

「ねぇよんなもん、どうせエリザベスからも話を聞いてんだろうが、俺の目的は今の(マスター)を守ること、そしてあの嬢ちゃんのためにとっとと地上の霧を晴らすことよ」

 

 主である葵は根から優しいというか、甘い。ただの一人の少女である以上仕方がないのだが、彼女の場合、それ以上に他人が傷つくことを恐れる。そんな彼女の、ジルばりに甘い性格を考えれば、ここで協力することには異存はなかった。

 あの黒い影には手応えも何もない雑魚の集まりでしかなかったが、それでも(ターゲット)を相手にのびのびと槍を振り回せる環境はそうなかなか訪れるものではない。やりがいはなさそうだが暇潰しにはなるかもしれないということだ。

 アルトリアも、クーが『八本槍』を脱退し真紅の槍のペンダントを破壊して新たなる主に仕えようとした事に関して、その事情はエリザベスや、彼女の懐刀であり、王室の大事な情報網となる組織である非公式新聞部の代表、杉並から大体耳にしている。

 この世界が現在どうなっているのか、そしてその原因は、いつかどこかで生じるであろう綻びによって勘付かれ、遅かれ早かれ今回の魔法の術者を抹殺しようと企む者が現れるはずだ。だからその術者が殺される前に、彼女を守るための最大のコンディションを得るためにペンダントを破壊し、術者である葵に砕けた魔法石を渡すことで『八本槍』複数を相手に相対しても戦い抜ける体制をつくりあげたのだ。

 実際、少し前にアデル・アレクサンダーが葵を抹殺しようとフラワーズの前に姿を現した。既に遂行されているかもしれないと勘付いたアルトリアはジェームスを引き連れて風見鶏に来たところ、クーと衝突しているところを発見して今に至る。

 そしてクーのその行動と予測される彼の考えの中で、彼が本格的に国を相手に反逆するつもりはないこと、同じくこちらが攻撃しない限り『八本槍』ともある程度の友好関係というか、相互不干渉を維持しておきたいということを見抜いたこともあってこの協力を後押しすることとなった。危険であればあそこで斬り伏せておくことも考えていたのだが。

 地上に出てみれば、彼女が報告した緊急の意味、そして前回との圧倒的な数の違いを目の当たりにすることとなった。

 前よりもウエストミンスター宮殿の前の広場は魑魅魍魎としており、蠢いているのは黒、黒、黒。

 報告によれば、それは世界をループさせる魔法を維持させるために必要となる魔力を集める媒体となる霧によってできたものであり、その霧そのものは人間の負の感情によって生成され、そして同時に霧を取り込んでしまった人間の負の感情を増幅させる機能を持っていると言われる。本来黒い影はその魔法によって生み出されるべきものではなく、暴走のような想定外のアクシデントによって発生したものであるとされる。

 今のところ一般人に危害を加えるということもなく、せいぜい人間に憑依することで、何らかの形でその人間を昏睡状態に陥れるだけのようだ。とはいえ路上を歩行中に憑依され、何の身構えもなしに倒れてしまえば固いコンクリートに頭を打ち付け死亡してしまうリスクもある。人が死ぬのだけは何があっても阻止しなければならない。それが王室の総意であり、騎士王アルトリアとしての意志であった。

 戦闘開始、ジェームスが黒い影の集団へと向けて剣の雨を降らせ、そしてアデルが懐から取り出した試験管から何か液体を地面に垂らす。

 その液体は次第に体積を増やし、そして変幻自在の体で黒い影を確実に駆逐していく。索敵、攻撃、防御、移動、あらゆる機能を持つこの液体は、アデルの魔力を少量注ぎ込むだけで長時間の運動と強力かつ俊敏な攻撃を叩き込むことができる質量兵器へと早変わりするのだ。

 そして広場に場が開けたことで、そこへと向かってアルトリアとクーが飛び込む。

 光瞬く剣を敵を薙ぎ、真紅の槍が影を穿つ。

 かくして、()を含めて、一個師団の能力を遥かに上回る化け物『八本槍』四人による黒い影殲滅作戦が遂行された。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「はい、チェックメイト」

 

「あーもー!もう少しで勝てるところだったのにー!」

 

 風見鶏の学生寮のラウンジで、清隆はさくらとチェスに興じていた。

 さくらを拾ったのは彼とリッカの二人であり、さくらは特にこの二人に懐いているようだ。少し前に目の怖い背の高い槍使いに興味を示すようになったが、基本的によく遊んでくれるのは清隆だった。

 

「いや、もう少しで俺が負けるところだったよ。さくらもすぐに俺の戦略を織り込んで対応してくるから、追い込まれるのも時間の問題かと思ってたけど」

 

 実際、さくらとはもう何度もチェスの勝負を繰り返している。今のところ清隆の負けなしだが、回が増すにつれて明らかにさくらの戦術がレベルアップしており、既に何度対戦したかは数えてはいないが、今となってはさくらは清隆の手を四、五手ぐらい先を読んで打っているのではないかと思うくらいの戦術を披露している。ただ想定がまだ甘いため、清隆が、さくらがどう清隆の手を読んでいるかを予測した上で、途中で別の行動をとることでさくらの読みを混乱させるような戦略を取っていたことで未だ勝ち続けていることができるものの――その内それすら織り込んで鬼のような先読みで完全に包囲されてしまう時が来るだろう。

 

「いつか絶対、清隆に勝ってみせるんだからね!」

 

「その時を楽しみにしているよ」

 

 と言いつつ、内心では冷や冷やしている清隆だった。

 その時、ふとさくらの顔に不安の色が見え始める。そして、彼女が見上げたのはいつも通りでしかない寮のラウンジの天井だった。

 

「……何だか、騒がしい音がするね」

 

 さくらが何かを悲観するようにそう呟いた。

 清隆もさくらが聞いたものを聞こうとするために耳を澄ましてみるが、何も聞こえてこない。

 そして、首を傾げようとした時、ふと誰かに手をとられ引っ張られた。

 

「清隆、行こう」

 

 小さな体をしたさくらが、両手を使って清隆の手を掴み、そして急かすように引っ張っていた。

 もしかしたら地上のことを言っているのかもしれない。何が起きているのかは分からないが、もしかすればさくらの失われた記憶に関する何かを見つけることができるかもしれない。彼女が能動的な行動を起こす以上、それを見過ごすわけにはいかないのだ。

 清隆は覚悟を決めると、さくらに絶対に離れないように注意して、そして彼女の手に引かれるままに地下の風見鶏から飛び出した。

 そして、彼らの視界に入ってきたのは。

 

「なに……これ……」

 

 数こそそこまで多くはないものの、視界を埋め尽くそうと蠢いている黒い塊。形容しがたい異形のそれは魔力の弾によって粉砕されていた。

 それを退治していたのは、ウエストミンスター宮殿を守るように陣取っていた風見鶏の本科二年の、護身術や戦闘術を専攻している生徒の精鋭であり、彼らが放つ魔弾は確実に黒い異形に対して放たれていた。

 その指揮官が、こちらに気が付く。当然二人を静止させ引き返すように促そうとしたが。

 

「――ちょっ、ちょっと君!」

 

 さくらがその静止を振り切って飛び出したのだ。

 早速約束を無視して清隆から離れ行動し始めたさくらだが、ここまで不気味な物体が地上を闊歩しているとは想像だにしなかった。危険があるかもしれないところにさくらを連れ出した責任でもある以上、ここは何が何でも素早くさくらを保護する責任がある。

 そこで清隆もまた、指揮官の静止を振り切って飛び出したのだった。

 

「こ、これは、何なの……?」

 

 さくらはその異形を悲しい目つきで見つめていた。

 自分の周りをふらふらと歩き回っているそれが何なのかは全く分からないが、それが酷く歪なもので、悲しい存在であるということ、そして何より、その存在の根源に何か共感できるものがあるような気がして仕方なかった。

 そう、まるでいつかの自分自身を鏡越しに見ているような気がして。

 すると、そんなさくらを見つけた黒い影は、全てが集中するようにさくらへと向かってゆっくりと動き始めた。さくらはすぐに自分が狙われていると気が付いたが、しかしさくら自身に身を守る術はない。今更になって清隆の言いつけを守らなかったことに後悔するが、遅い。

 自業自得である以上、清隆に馬鹿みたいに頼るわけにもいかない。だから、助けてと声を上げる訳にもいかず、ただ声を押し殺して心で叫んだ。誰でもいい、誰か助けて、と。

 黒い影がすぐ間近まで迫り、全身に恐怖が駆け巡った。

 誰にもありがとうと言えず、清隆にゴメンナサイと言えず、ここでどうなるか分からない――

 

 ――耳を潰さんばかりの爆砕音が轟いた。

 

 視界は光と煙に包まれ、何が起きたのかは目でも耳でも確認できない。

 自分が助かったのか、更なる地獄に叩き落とされたのかすらも理解できず。

 そして、気が付けば柔らかいベッドのようなものに、背中から叩きつけられた。

 視界が晴れる。煙が晴れたわけではない。自分が煙から脱出したのだ。自分で歩いたわけではない以上、誰かに助けられたのだ。一体誰が。

 辺りを見渡す。そこは既に、地上ではなかった。ウエストミンスター宮殿を上空から俯瞰している自分がいる。ビッグ・ベンの時計塔すらも自分より低い場所にあある。そして、自分が今、何か飛行物体の上に座っていることが今になって理解できた。

 振り返ればそこに、全身を金色の鎧で纏った男がいた。鋭い闇のような真紅の瞳が何を見ているのかは分からない。玉座に腰を下ろし、退屈そうに肘をついて、しかしその笑みは愉快そうに見えた。

 ふとさくらは、そんな彼を見て、こう呟いた。

 

「王子……さま……?」

 

 そう呼びかけると、その青年は鋭い瞳をこちらへと向け、少し不機嫌そうな表情を作る。

 

「この(オレ)が王の子だと?たわけ、我こそが真の王よ」

 

 さくらを窮地から救ったこの金色の彼は、自らを王と名乗ったのだった。




AUO出現。この辺りでこの人出そうとはあらかじめ思っていたんですが、こういうドラえもんの出木杉君みたいな人はその実力を発揮するとなんでもできてしまうから扱いが難しいんです。
ギルガメッシュ様は慢心王だからカッコイイのだ、という至言をどこかで聞いたことがありますが、そんな感じで扱いたいと思います。アドバイザーというか、助言役というか。
さくらの正体についても少しというか本当に微妙に触れましたので、そろそろ核心にも迫っていけると思います。
リッカさん、ジルさん、今回も出番ナシ。
次回辺りデルカナー(棒)


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英雄王再臨

ギルえもん出現。

クー「ギルえも~ん、また世界がループしちゃったよォ~」
ギル「全く仕方ないなぁ、ランサーくん、自害しろ」
クー「」

冗談です。
ギル様の台詞の言い回しが難し過ぎて死にそう。どう書き直してもそれっぽくなってくれない。そんなこと考えてたら普通に予約の宣言時間遅れましたすみません。


 時間は少し前に遡る。

 一度ウエストミンスター宮殿前の黒い影のほとんどを消滅させた後、残りを駆けつけた風見鶏の生徒に任せ、『八本槍』一同とクー・フーリンは一度その場を離れ、街を闊歩している黒い影を片付けていく作業に突入した。

 前回同様ウエストミンスター宮殿に黒い影が集まるような結界を張っているのか、ほとんどがその方向へとゆっくり進んでいる。剣を大量に現像し射出する戦術を用いているジェームスと、千変万化の液体による蹂躙戦術を用いているアデルがこの作業を効率的に進めているのだが、一方で街中の路上という比較的狭いエリアで戦闘をしているアルトリアにとっては、太陽フレアのような一撃必殺の閃光を無闇に放つことはできず、クーも槍一本で渡り合う必要があるため、一体一体を確実に仕留めていかなければならない。前者二人と比べて作業効率が落ちているのは明白だった。

 通常と戦闘スタイルを変化させ、集団戦に敵うような戦術を使っているクーだが、しかし槍という武器がそもそも刺突によるダメージを想定して作られてあるため、斬撃によるダメージはあまり期待ができない上に、槍を突くのではなく振るという動作は、やはりその構造上どうしても次へと繋ぐためにはどうしても斬撃を繰り出す必要があり、少し無理をして突きを繰り出そうとしても、結局同じ程度の隙が生じる。もっとも、これはクー自身より同格または格上の人物を相手取った時に気を付けなければならないことであり、所詮雑魚である目の前の黒い影に対してはダメージの比較的少ない斬撃でも十分始末できてしまう。

 いずれにせよ、実際数を倒せていないのは間違いないのだ。確実に数を減らしてきてはいるのだろうが、正直に言ってしまえば視界はまだまだ黒く染まっており、まだ黒い影の観測されている地域の二割も掃討できていないため、もう少し人員を割いておきたいところなのだが。

 

「クッソ、こんな時何か安全な超必殺技みたいなのがあればなぁ」

 

 前方から来ていた三体程の黒い影を纏めて薙ぎ払う。煙が散るように消滅したが、まるで倒した時の達成感みたいなのが感じられない。

 超必殺技なのに安全などと言っていることは意味不明だが、要するに景観を壊さずに一斉に敵を葬れる力があればよかったということだろうか。大規模な戦闘であるとは言え、建造物やその街のものを破壊することは原則禁止されている。『八本槍』の権力としてなら多少破壊してもお咎めはないだろうが、結局このルールも個人の良心に基づくものである。

 ちなみに、クー自身も槍の持つ呪いの力を爆発的に開放させることによるとんでもない破壊力がもたらす広範囲の爆撃を可能とするが、それだけの威力があれば簡単に建物を瓦礫に変えてしまうため使用していない。

 葵のことも考えて引き受けてしまったものの、実際に体を動かしてみて分かったのは、どう足掻いても面倒であることには変わりないということだった。一人でブツブツと呟くだけで作業をおろそかにするつもりはないが、面倒なものは面倒である。

 

「な、何故――っ!?」

 

 ふと、上空からアデルの声が聞こえてきた。彼はこの作戦の戦闘を液体による移動と攻撃に任せきり、自らは建物の上から操作するのみであった。

 続いて聞こえてきたのは、強烈な爆発音。振り返って視界に入ったのは、視線の先を高速で横切る二、三振りの黄金の剣だった。

 その射撃元――砲台を見上げてみれば、そこにいたのはいけ好かない老人と、そしてもう一人。

 

「しばらく雑種の傀儡として操られるのも悪くはないと思っていたが、実に詰まらぬ」

 

 金色の鎧を纏った、威風堂々の言葉を体現した青年。そこに立っているだけで、跪くべきだと本能が訴えかける程のプレッシャーを放つこの男は。

 

「――あいつは」

 

 その男を知っていた。夢で見たかもしれないあの光景が、実は過去ループ世界の中で実際に体験していたこと、そして、この男は紛れもなく、クーがこれまで生きてきた中で手が届かない程に、そう、このクー・フーリンが唯一雲の上の存在だと認めざるを得なかった王の中の王。その名は、曖昧になりつつあった記憶の中でもしっかりと魂に刻まれていた。

 

 ――英雄王、ギルガメッシュ。

 

 クーはその男を一睨みして、そして真紅の槍を構え間違って飛び出そうとしたが、やめておく。

 そもそも今はそのような遊びに興じている場合ではない。目の前の黒い影を片付けるのが先決だ。

 黄金の英雄王は金のカーテンの中から何やら飛行物体を取り出すと、それに乗り込んで高速で空を飛び出していった。

 ふと、思った。

 アイツなら、このループ世界について何か知っているのかもしれない、と。しかし同時に、アイツにだけは、絶対に頼らない、と。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 金髪のショートヘアの少女は、知らぬ間に同じ金髪で、しかし長身で眉目秀麗な真紅眼の青年に助けられ、金色の飛行船の上でぺたりと座り込んでいた。先程ぶつけられたのであろう、ベッドのようなふかふかした布は、いつの間にか金色のカーテンの向こう側へと消えていた。

 青年は、黒い影から救出した少女を見て、何やら意味深に唇を歪めていた。実に愉快そうである。

 彼女の瞳は、既に青年の正体について何も理解していない。本来ならこの顔を見てその名を知らない蒙昧は生かしておく価値もないと斬り捨てることもできたが、青年にはある思惑があった。

 

「貴様のことは耳にしておる。何でも過去の記憶を失っているようだな。己の存在を肯定できぬ状況にてその在り方、なかなかに滑稽よな」

 

 見下すようなその瞳に、さくらは怯んだ。

 今までに誰にも向けられたのとのないような、威圧するような視線。

 

「貴様には興が乗った。この我手ずから守らんでもない」

 

 傲慢不遜、しかしその堂々とした振る舞いには、どこか人の上に立つ者としての絶対的な重みがあった。

 さくらはこの男が酷く恐ろしかった。全てを手中に収め、全てを支配し、全てを操る存在なのであろうこの男が、しかし自分の立場を省みずにただ薄笑いを浮かべているその姿が。

 そして、何故か、憧れた。決して理解することのできないその存在を。理解しきれないからこそ。

 ギルガメッシュが口を閉じれば、飛行船は地面へと直滑降を始めた。

 舗装された道路が、日常生活では決して体験できない速度で目の前まで近づいてくる。しかしこの船が何かに守られているのか、風圧に煽られたり浮遊しそうになったりするということはない。

 そしておよそ一般の建物の二階くらいの高さくらいで急停止し、頭上で先程と同じ金色のカーテンを展開させた。

 剣や矛などの煌びやかな刃がその姿を現す。視界いっぱいに広がる絢爛な武器の光景はまさしく圧巻。

 

「貴様、先はあれらに妙な視線を向けておったな」

 

 玉座に座ったまま、ギルガメッシュはさくらへと話しかける。

 絶対王からの言葉。さくらは酷く緊張しつつも、金色の英雄に向かって口を開いた。

 

「あれが何なのか、ボクにも分からない。でも、多分だけど、記憶にないボクは、きっとあれを知ってる、見たことがある」

 

 カチャリ、と、重厚な金属音がさくらの耳を打つ。

 玉座から立ち上がったギルガメッシュは、そのまま二歩、足を進めた。

 

「恨み、怒り、妬み――アレはそう言う類の感情の結晶、とでも言うべきか。それを知っているとは貴様、なかなかに面白い」

 

 そう、彼は愉快に笑っている。遊戯盤を俯瞰する子供のように。知性と威厳の溢れる真紅眼の視線が、黒い影共を静かに捉えていた。

 そしてその唇から、ゆっくりと笑みが消える。何を考えているのだろうか。先に何を見据えているのだろうか。

 

「ただ()()()()の望みなど――邪魔にしかならぬ」

 

 金が煌めいた。

 銃が発砲された――そんな比喩では到底届かない閃光と轟音。

 これは、戦争。一方的に敵を蹂躙し、制圧し、破壊する。逃げ惑うことすら許されない剣舞の嵐。

 金色のカーテンを砲台として射出される武具は、一見適当に打ち出しているようにも見えて、しかしよく見てみれば、その一撃一撃は確実に黒い影を捉え、刃先が地面に触れることなく、街並みが破壊されることを阻止している。

 街を守る――そんなことを考えているのかどうかも疑わしい。彼にはそれだけの技量がある、それだけのことではないか。

 

「す、すごい……」

 

 黒い影が一瞬にして霧散していく。爆風に、光に包まれて、大幅にその数を減らしていく。

 さくらの視線は、既に地上をふらついている影の軍団から、仁王立ちのままで豪華絢爛な爆撃を仕掛けているギルガメッシュへと向かっていた。

 すると、さくらの胸元に、ギルガメッシュの背後に広がる金のカーテンと同じような波紋が広がった。そこから現れたのは、純金でできた光り輝く盃と、その中に一杯注がれた何らかの飲み物である。少し強いアルコール臭が鼻孔を貫いた。

 

「これは――」

 

「記憶はないらしいが未成年という訳でもなかろう。我の持つ酒の中でもそこそこの代物よ。その盃が空になる前にこの茶番を終わらせる」

 

 狩りの時間だ、そう呟いた彼をそのまま眺めながら、その盃を一口啜った。

 芳醇な香りが口の中に広がる。よく酒を飲むという記憶こそないが、子供のような身なりであるさくら自身にも、この酒が今までで最高のものであるとよく分かる。小さな体に強いアルコールは少々きついだろうが、それでも王の下賜した盃だ。勿体ないし飲み干さない選択肢はない。

 地上から、黒い影がかなりの速度でその数を減らしている。それと同時に、さくらの心から気味の悪さが少しずつ薄らいできていた。

 その影にどんなトラウマがあるのかは知らない。しかしかつて大嫌いだったであろうそれらが、たった一人の男によって軽々と粉砕されていく。心地が良いというか、どこか気分爽快だった。自分が到底できもしないようなことを、目の前で誰かが簡単にやってみせる時の、あっと驚くこの心情。

 そして、地上から遂に爆撃音が消えた。静けさを取り戻そうとしている時に、さくらの盃の中から酒が消えた。

 ほんの少し酔いが回ってしまったさくらの頬は上気している。少し視界がふらついているようにも感じられる。

 

「ふ、ふにゃ~……」

 

 酒が好きという記憶は存在しないが、しかしやはりさくら自身が知らない過去の自分においても、酒が好きという訳でもなかったようだ。

 実際カップ一杯程度の酒でくらくらしている自分がいる。思考が割とはっきりしているだけまだましだ。

 

「ほう、もう空にしたか。やはりただの子供という訳でもないようだな」

 

 浮遊する飛行船の上で、ギルガメッシュは船首から踵を返しそのまま玉座に再び座り込む。

 さくらは立ち上がって、彼の傍まで歩み寄り、そして盃を両手で差し出した。何を意識したのか、自分が口をつけた側は自分の方へと向いている。汚れた方を相手へと向けるのは無礼だと考えたのあろうか。

 

「構わぬ。雑種の口のついたものなど我の宝物庫には用はない。とっておくがよい」

 

 しかしギルガメッシュはさくらのそれを拒む。

 自分のものを差し出す心の広さはあるが、それを素直に返そうとしても汚いからいらないというあたり、なかなか面倒臭いタイプの王様気質なのかもしれない。

 

「――それにしても、悉く詰まらぬ。地を這いまわるどこぞの狗でも退屈しているだろうよ」

 

 ギルガメッシュが見下したその視線の先には、真紅の槍を握り締めたクー・フーリンがいた。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 アデル・アレクサンダーの最強の使い魔、英雄王ギルガメッシュの暴走により、黒い影の殲滅作業は瞬く間に終幕してしまった。

 場所は再び風見鶏へと移り、一同は生徒会室兼学園長室に集っていた。普段ではなかなか拝見することの適わない豪華な面子である。女王エリザベス、『八本槍』アルトリア、ジェームス、アデル、クー、カテゴリー5リッカ・グリーンウッド、そして彼女との共同研究者であるジル。更にもう一人、アデルから解放されたらしい究極の王、ギルガメッシュ。彼はエリザベスよりもエラそうに最も奥の椅子へと座り込んでいた。いつも座っている席を取られたエリザベスは少し離れた位置で立ったままでいる。ギルガメッシュに保護されたさくらもここにいた。

 

「フン、雑種如きがこの我を束縛できると思ったか」

 

 使い魔の勝手な暴走に、そのマスターであるアデルは怒り浸透しているようだ。表には出さないようにしているが、しかしここにいる面子の全員が、彼が怒っていることには容易に想像がついている。

 

「雑種共の負の感情が地上の霧を構成している。我のこの肉体も雑種の魔力によって構築されている故、原理こそは分からぬが感情を持つ霧と結びついたと考えられる。我の自我が雑種の下らぬ妄念からできたというのは不快極まりないが今そのことについて喚く時間もなかろう」

 

 ギルガメッシュの意志は地上の霧によって完成してしまった。それは元々魔力の塊である使い魔が直接取り込んだのか、あるいは術者であるアデルを介してギルガメッシュへと伝わったのかは分からない。しかし、ギルガメッシュ自身が自らの意志を持ち、大きな戦争を一人で始められる武力をコントロールすることができるとあれば、その戦力は大きい。

 

「さて、話は大体察している。目的は地上の霧をどうにかすることよな。間違ってもあの黒い雑種を消し去ることではない。なのに何故大きな行動を起こさぬ。ここで手を拱いていようと事態は変わらんぞ」

 

 ギルガメッシュは楽しそうに、ここにいる全員を馬鹿にするように眺めてそう切り出した。

 そこですかさず意見したのが、カテゴリー5、リッカ・グリーンウッドである。

 

「エリザベスの方でも地上の霧に関してはどんな魔法が使われているのかは全力で調査に当たっているわ。それに黒い影に関しても戦力を増強して警備に当たってる。これ以上に何かすることでもあるの?」

 

 天上天下唯我独尊、そんな言葉を体現したようなこの王様に対して強気で突っかかるリッカ。カテゴリー5というだけあって、なかなか強かな魔法使いである。伊達にクー・フーリンの傍で共に旅をしていない。

 

「ならば問う。現在において原因や正体が不明な代物はいくつある?」

 

 リッカは急な質問に一瞬うろたえるが、しかしすぐに気を取り直して思考を広げてみる。

 考えれば割とすぐに答えは出た。地上の霧、黒い影、そして未だに何の手がかりも掴めないさくらの人間関係と記憶。そこでふと、気が付いた。

 

「……桜の枝」

 

「――然り」

 

 リッカが呟いたのは、リッカが清隆とミッションに地上に出ていた時に見つけたさくらが握っていた桜の枝のことである。

 さくらが握っていたそれは、地上から養分や水分を吸い上げているわけでもないのに、萎れることなくその花弁を仄かに光らせていた。折れた桜の枝は、間違いなく生のエネルギーを放っていたのだ。

 

「霧に関しては調査中、あの黒い影に関しても対策はしてある。ならば次は根元を絶つ準備しかあるまい。あの娘の持つ枝が何なのかもやはり分からぬが、しかし娘の正体を突き止める上でも、普通の生物学では理解の及ばぬ現象においても、あの枝は最優先に明らかにすべきであろう」

 

 あの桜には何かしらの神秘が眠っている。それくらいは既に調査がなされていた。

 何の補助もなく永遠に咲き続けていられる桜の花、その技術こそリッカとジルが目指していた最終形態だっただけに、二人にとって彼女との遭遇は印象深いものであった。

 現在の魔法技術において、あの桜のように永久に花を咲かせる技術など存在しない。だからこそ二人で研究を重ねているのだが。

 となれば、さくらの家系がどんな魔法使いの一族の出自なのか、ある程度分かってくるのかもしれない。先進した魔法の技術を隠匿している、地位や名声に興味のない家系であれば探し出すのも一苦労だが、植物関係を中心に洗う必要があると方針が定まるだけでかなり効率はよくなるだろう。

 ともかく、あの桜が一体どういうものなのかは迅速に明確にしておく必要があるというのは、ギルガメッシュが言ったとおりであることをリッカも納得する。

 

「分かったわ。あの桜に関しては、私たちの研究を上手く絡めて調査してみる。それで、あなたはどうするの?」

 

「ほう、この天に仰ぎ見るべきこの我に厚かましく指図するか。勘違いするなよ雑種、我は盤面を上から眺め、戯れの経緯を見届けるだけに過ぎん。そのために糸口を示すことくらいはあるだろうが、決して同じ舞台で踊ることはせぬ」

 

 要は、現場監督に徹するということである。それも質の悪いことに、たまに気が向いたらヒントをしれっと紛れ込ませるだけという酷く使い物にならない監督である。

 第一印象からそんな男であるということは何となく分かっていたが、実際に返事を聞いてみるとやはり溜息は口から漏れてしまう。

 その後、簡単に各方面でこれからの方針を定めて解散という形になった。

 ぞろぞろと学園長室を抜けていく中で、最後に残ったのは、クー・フーリンとギルガメッシュの二人だけとなった。

 

「さて、そこの狗、我は貴様に、初めまして、と声をかけてやるべきか?」

 

 相変わらず、エラそうに腰をかけたままのギルガメッシュは、鋭い視線をクーへと飛ばす。

 馬鹿馬鹿しいと心の中で吐き捨てて、壁に背中をもたれさせたまま英雄王に言葉を返した。

 

「残念だが、俺たちはどうやら、久しぶり、が正しいらしい」

 

 クーが返した返事に、ギルガメッシュは静かに笑ってみせた。




書いているうちにギルガメッシュの表現の仕方が分からなくなってきた。
やっぱり雑種の一人でしかない俺なんかに世界の全てを支配する英雄王様を捉えることなんてどだい無理な話なんだい!
読者の皆様に質問です。ギル様の視点に立つために世界の全てを手中に収めたいんだけど、無料で簡単に世界征服できる方法ってありますか(錯乱)


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真実の胎動

既にこの章も十話に近づこうとしている。
このままでは本当に初音島編合わせて百話超えてしまうかもしれない。
それはそれで面白そうだと考えてしまう自分がいる。ホント怖いです。
百話以上続いて完結させたら誰かプレゼントちょうだい。あっ、シャルルさん、その手料理はいらないです。気持ちだけ受け取っときます。


 誰もいなくなってしまった学園長室には、まだ人影が二つ残っていた。一つは、蒼い髪を逆立たせた真紅の瞳の槍使い。そしてもう一人は、黄金の鎧を身に纏った世界最古の英雄王の姿を模した()使い魔だった。

 言葉も交わさず、お互いを探るように視線で貫き合って沈黙を保って数刻。不敵にフンと笑って瞳を閉じたギルガメッシュが静寂を打ち破った。

 

「やはり貴様が真っ先に真相に辿り着いたか」

 

 その科白は感嘆から来るものなのか――違う。クーはすぐに彼の試すような視線を察した。

 抜け目ないというか、面倒臭い。以前のループ世界での記憶はほとんど存在しないものの、この男がこういう性格であるということは、何故かはっきりと思い出せたのだ。

 

「この程度で真相だったってなら、今すぐにここで卒倒してやるよ。つまんねーにも程がある」

 

 退屈であることを大袈裟にジェスチャーで示しながら、しかし視線はギルガメッシュを射抜き返す。

 暗に、その程度だったらお前程の大英雄なぞが出る幕もなく終劇を迎えるに違いないと嫌味を飛ばして。

 

「ほう、存外そこらの狗よりは頭が回るらしい。いつしかこの我に牙を剥けたことだけはある」

 

 相変わらず嘲笑するような言い分である。相手がこの男でなければこの一言が終わる前に喉元に真紅の槍を突き立てていた。

 それにしても、ギルガメッシュの方もどういう訳かループ世界の記憶をいくらか引き継いでいるようだ。でなければクーとギルガメッシュがとある平原で戦った時の話なぞできるはずもない。

 もしかすればこの男ならばクーも誰も目指している本当の真相とやらを知っているかもしれないが――知っていたところでこの腹立たしい傲慢な王様からは訊きたくもない。

 恐らく、そんなことを考えているということも全て筒抜けなのだろう。本当に面倒臭い男である。

 

「我もこの繰り返す世界にどんな絡繰(からくり)があるのかはまだ分からぬ。しかし話によればこの霧の魔法の術者も貴様が特定し、その娘も霧を晴らすことに否定はしていないのだろう?」

 

 術者、即ち陽ノ本葵はクーによってその正体を暴かれ、そして同時に自分のしたことを過ちと認め、そして清算することを心に決めた。

 死ぬ未来を予知してしまった、死にたくなかったから死ぬ未来が訪れないようにするために世界をループさせる魔法を使った。身も蓋もなく言ってしまえばそれが彼女の動機であり、それをクーは責めることはしなかった。責める気もなかったしむしろ彼女の行いを称賛していた。それは、人の生きたいという本質的な欲望から来るものであると。それを誰を否定することはできないと。

 しかし葵は、それを他の今を生きる人の迷惑だと、邪魔をしていると、自分の行いを酷く後悔していた。自分が生きるために、他の人の生きる道を拒んではならない。その意志が、葵を事件解決へと駆り立てたのだろう。

 ギルガメッシュは、ただ笑う。まるで小説の行く先を案じる読者のように。

 

「さて、真にこの世界にしがみつかんとする輩はどこの雑種なのだろうな?」

 

 そんな意味深な問いを、誰にとはなしに問いかけていた。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 ――ああ、またか。

 

 既に何度も見てきたこの二人組の少女。また同じ人物の夢の中に入り込んでしまったようだ。

 葛木清隆はカテゴリー4の魔法使いである。更に夢見の魔法の分野においては、あのリッカ・グリーンウッドを遥かに凌駕する魔法の才能の持ち主である。

 特定の誰かの夢見によるカウンセリングをしているという訳でもなく、無意識の内に誰かの夢に入り込んでしまうというのは、言ってしまえば清隆が自分の魔法を制御しきれていないということである。しかし清隆もまたレベルの高い魔法使いと認定されているのは伊達ではなく、そこまで魔法が失敗するということもない。

 それなのにここ連日同じ人物の夢の中に無意識に入り込んでしまうというのは、やはりこの夢の人物、あるいは第三者による誘導があるものと判断してよさそうではある。

 そう言ったメタ的な考察はここまでにしておいて、ようやく夢の全体像が見えてきた。

 少し広い草原の向こうに、小さな家があった。恐らく後ろの森を抜けてきたのだろう二人はしばらくまともな食事にありつけていないらしく、どうやら足取りもおぼつかない。相変わらずいつものようにその輪郭はぼやけていてはっきりしていないが。

 相談の末に今日のところはその家の人にお世話になることを決めたのだろう。やはり声も聞こえそうにはなかったが、二人の向かう先を見てみれば何となく予測がつく。

 そして家のドアをノックし、しばらく待ってみれば、中から家の主人であろう男(やはり顔は確認できない)が姿を現した。

 どんな会話を交わしているのだろうか。しかしその雰囲気から察するに、あまりいい感じではなさそうだ。二人を家に入れようとはあまり思っていないのかもしれない。

 部屋に通され、しばらく荷物の整理などをしていた時、ふと部屋の外で大きな物音がした。

 二人は慌てて廊下に飛び出してみると、そこにはもう一人少女の姿があった。その少女は、ふらふらしながらも立ち上がろうとしていた。先程の物音は彼女が倒れた音なのだろう。

 二人は慌ててその少女を抱き起こすが、彼女は自分の力で立ち上がり、相変わらず力のない足取りで自室へとこもってしまった。自分は大丈夫だと無理をしている、恐らくそんな様子なのだろう。

 場面は切り替わる。

 場所は恐らく同じ家の、ここは廊下だろうか。自室へと戻ろうとする二人の前に、例の少女が姿を現した。

 二人組の少女がその少女に一言二言声をかけているのだろうが、少女はそのまま別の部屋へと入ってしまう。二人は彼女を追いかけて同じ部屋へと足を踏み込んだ。

 ベッドの脇に座り込む少女。その少女の視線の先にあったのは、一人の少年の姿だった。

 そしてその少年の姿は、他の少女と違ってその輪郭は、あまりにもはっきりしていて。

 

「――こ、この子は」

 

 信じられないものを見るような目で、清隆は驚愕した。

 きっと別人に違いない、そう思おうとしても、しかしその面影は、確実にあった。

 明らかに清隆もよく知る人物、その過去。何故彼の顔ははっきりと見えたのか。

 分からない。友であるその少年が、今までの一連の夢にどんな関係があるのか。顔がはっきり見えてしまった以上、重要な役割を果たしているに違いない。その少年は一体何者なのか。この夢の主は、一体何を清隆に伝えようとしているのか。

 清隆の胸の中に、一抹の不安が渦を巻き始めた。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 一人の少女が、己の弱さを霧で隠した。

 霧の奥深くに潜ってしまえば、誰も自分を見つけることはできないから。

 そして、誰にも見えないところで泣けばいい。誰かに見つかりそうになれば、気付かれる前に涙を拭いて、仮面を被るように笑顔を振り撒けばいい。

 笑うことは大好きだ。自分が笑顔になれば、他の誰かも笑顔になるから。だから、たとえ無理をしていると分かっていても、笑っていられた。

 その仮面は、真紅の槍によって打ち砕かれた。

 身に纏っていた霧の衣も、全部が全部、綺麗さっぱり引き裂かれてしまった。残っていたのは、弱さしかない、全てを知っている自分。

 その槍の先にあったのは、その槍が霧を引き裂く先にあったのは、きっと自分の新しい未来だから。

 

 ――だから私は、未来(ていたい)を選ぶ。

 

 ――だから私は、停滞(みらい)を選ぶ。

 

 ()()は、自分へと向かって対峙する。悲しそうに瞳を伏せて。裏切られたと、まるで全てを悟り諦めたかのように。

 必死で手を伸ばして連れて行こうと思ってしまった。でもその願いは叶わない。()()は紛れもなく振り払った弱さそのものだったから。

 ずっと支え続けてくれてありがとうと。共にい続けてくれてありがとうと。守っていてくれてありがとうと。

 感謝の気持ちは絶えない。それなのに、これからみんなと向かう希望(ぜつぼう)は、()()にとっての絶望(きぼう)だから。

 この足が、後ろめたい気持ちが、踵を返すことを拒む。

 駄目だ。それではいけない。全ての人が、新しい世界を待っている。苦しんで、悲しんで、嘆いて、怒って、憎んで、恨んで、妬んで、そんな願いを叶えながら。

 歪んだ世界を元に戻す。そう決めたから。

 振り返りざまに、最後に視界に入った()()の顔には、どんな感情が浮かんでいたのだろうか。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 入学当初から、風見鶏にあるとある小さな研究室は、リッカとジルの二人で貸し切っていた。

 そんなことでは他の生徒たちから反感を買うだろうから、公明正大な理由としては、この王立ロンドン魔法学園の設立と発展に際して多大なる力を貢献した、ということになっている。流石にこの風見鶏の存在を決定づけた引き換えに小さな研究室を貸し切ることができるということに異を唱える者はいなかったようで。

 この研究室では現在、花を開花させた状態を永久に保存し続けるための実験と並行して、記憶喪失のさくらが握っていた桜の枝に関する研究をしていた。

 この桜の驚くべき点は、幹と離れてかなりの時間が経過しているというのに、全く枯れる気配を見せず、さくらと出会った当初と同じくらいの生き生きとした力を放っていることである。

 つまり、この桜の枝こそ二人が目指している最終目標であり、そして同時に、地上の霧を晴らすための何かしらの大きな手掛かりとなるかもしれない。

 

「とりあえず……これだけは間違いなさそうね」

 

 自信たっぷりに頷いたリッカは、その視線をジルへと向ける。するとジルも同様、満足そうな笑みを浮かべてリッカに視線を送り返した。

 デスクの上にあるのは二本の桜の枝。内一本は、さくらが持っていた桜の枝である。そしてもう一本は、魔法とは全く縁のない、桜が開花できる環境ならどこにでもあるような桜の一部を使用した桜の枝である。

 無論、この十二月の冬の季節に桜の枝に花弁をつけているものなど、さくらが持っていたもの以外には存在しない。――はずだった。

 しかし、さくらのものではないこの桜の枝には、既に満開状態とほぼ同等であろう量の花弁がびっしりと咲き乱れている。気分はプチ花見を開いている気分だ。

 

「まずは同系統のものを接触させてみるっていうのは魔法の研究において基本だけど」

 

 ジルが近づいて桜の枝を持ち上げる。

 少し前までただの寂しげな木の枝だったものが、今では立派に薄紅色の景色を広げていた。

 

「魔法を用いていない桜にも影響を及ぼす、ってことだね」

 

 さくらの持っていた桜の枝と、通常の花弁をつけていない桜の枝を接触させたところ、花弁のなかったはずの桜の枝が、ゆっくりとその枝先に小さな蕾をつけ、そして次第に小さな花を開かせ始めたのだ。つまり、さくらの持っていた桜の枝は、他の何の細工も施されていない桜の枝に対して干渉し、開花を促進させる力を持っているということが判明した。そして、ここからは推測に過ぎないが、もしかすれば隣接した状態であれば、この枝は桜の花弁を永続的につけ続けるだろう。

 無論、実際に桜の枝が花弁をつけるにはもう少し時間を要する。そこで、実験結果を素早く得るために若干の修正を魔法によって加えていたが、それでも実験結果に大きく影響を及ぼすものではない。

 そして分かったことがもう一つ。この桜の枝は、何の干渉もなしに独りでに魔力を収集しているのだ。

 

「別に魔力を吸い取られてるって訳でもないから、悪意のあるエナジードレインのタイプでもなさそうだし――」

 

 さくらの持っていた枝を拾い上げたリッカが難しそうな顔をして唸り始める。例え魔法の分野において最高峰を誇るカテゴリー5の孤高のカトレアとは言え、未知のものには苦戦を強いられるようだ。

 

「でも勝手に魔力を集めてきちゃうんだから、個人の魔力を蓄えるような宝石魔法型でもないんだよね」

 

 宝石魔法とは、例えば掌の大きさの宝石に、魔法使いの個人の魔力を蓄えておくことで、その宝石の種類に適した魔法を瞬時に発動することができるタイプの魔法である。

 実は、ここ風見鶏に使われている街灯の灯りの全てがこの宝石魔法によるものであり、ロンドンの地下の風見鶏の空気中に充満している魔力を集めて一斉に宝石にチャージし、それを街灯にセッティングすることによって、後は宝石に埋め込まれた光の魔法によって暗い道を照らしているのである。

 しかし宝石魔法の宝石もまた、独りでに魔法を集めるなどと言うことは不可能であり、それにも当てはまらない。

 リッカにとってもジルにとっても、この桜の枝に内包された魔法のタイプを、未だかつて見たことがないのだ。

 その時、研究室のドアが音を立てて開いた。姿を見せたのは、学生服を適当に着崩したクーと。

 

「やっほー、リッカ!」

 

 彼に肩車をされ、頭上で何やらはしゃいでいる金髪ショートヘアの少女、さくらだった。

 少し前まではか彼の鋭い目つきに怯えていた節もあったというのに、今ではすっかりこの仲である。子供に懐かれたクーもどこか機嫌がいいようだ。

 

「仲良くなったのはいいことだけど……あんまり子供扱いしたら駄目よ?」

 

 さくらの見た目は子供だが、彼女がどこかの魔法使いであることは周知の事実である。魔法使いである以上、見た目の年齢が実年齢と合致しない例の方が多く、見た目はあまり過信できない。事実、若々しく見えるリッカも、ジルも、そしてクー自身も実は何十年も既に生きて経験を積み重ねてきている猛者たちなのだ。

 故に、いくらさくらの体躯が小さいとはいえ、子供扱いするというのは彼女に申し訳ない。

 

「一人前に扱ってほしけりゃせめてエリザベスくらいになってから出直してこい。こいつが何歳だろうが俺様にとっちゃまだまだガキだよ」

 

 つまり、エリザベスよりも魔法の才能を持つリッカと、他の追随を許さない繊細な魔法を操るジルの二人は、クーにとっては一人前という訳だ。実際クーがそう言った記憶はないが、ジルの独自解釈によってそう言うことになった。

 

「それで、何であんたとさくらが一緒にいるの?」

 

「昼休みの間に葛木がさくらのカウンセリングをしたんだとよ。こいつの記憶に関することとかな。そんで別れた後に俺と鉢合わせたらしい」

 

 当時クーはまたドン引きされるかとこっそり冷や汗を流したが、そんな心配も杞憂に終わり、あっさり近寄ってきてくれた。

 しかしこの時最も警戒すべきは、あの既に世界征服していましたみたいな面構えでエラそうに見下してくる全身金ぴかの王様がこの少女のことを大変お気に召しているようで、彼が本当に短気だった場合、さくらとつるんでいるだけで彼の宝によってハチの巣にされるかもしれないということだった。

 誰の許しを得てその垢塗れの手で我が宝に触れておる。躾も施されぬ雑種の負け犬風情が、せめてこの我の手で土にも還られぬようにしてやる、などと激昂して金の雨を降らせる姿が容易に想像できてしまう。くわばらくわばら。

 

「それで、カウンセリングの結果はどうだったの?」

 

 リッカは、肩から下ろされたさくらに視線を合わせるようにして屈みこむ。

 さくらは少し悲しそうに、口を開いて言葉を紡いでみせた。

 

「少しだけ、少しだけなんだけどね。ボクの昔のことを、思い出せたんだ」

 

 その一言は、さくらにとっても、そしてリッカとジルにとっても、大きな一歩となるものだった。

 

「ほう、こっちでも進展があったか」

 

 術者である葵が魔法の霧を晴らそうと決心をした時から、少しずつ事が動き始めている。

 もしかしたらさくらも、この霧の魔法に関わりのある少女なのかもしれない。彼女と初めて出会った日――彼女が記憶を取り戻し始めたタイミングと葵の決心のタイミング。

 きっと彼女も、この大魔法の犠牲者なのだ。葵と共に何かを奪われ、この世界を彷徨うこととなった迷子(ロストボーイ)

 その時、クーの胸の中に、いつか感じた小さな焦燥が震え始めた。

 後ろ髪を引かれるような。そこに向かってはいけないと、誰かに囁かれているかのように。

 真実に向かうことに恐怖している――そんなはずがないのに。

 ギルガメッシュが言っていたことを思い出す。彼は別れ際に、何という言葉を呟いていただろうか。

 そんな平常ではないクーのことなど知らず、さくらは深呼吸を一つ入れて。

 リッカに促されて、さくらは思い出した自分の過去を、まるで他人事のように語り出した。




真相に至るための大ヒント回。もしかしたら原作プレイ済みの方なら、この霧の魔法の力の全貌が見えてきた読者の方もいるかもしれませんね。

原作ラスボス葵ちゃんの正体を見破るのが時期的に早かったため、さくらの記憶を取り戻すタイミングも大分ずれています。
宝石魔法について、某うっかり凡ミス一族のアレとは一切関係ありません。多分(適当)

そろそろさくらについても触れないといけないですねー。


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出来損ないの神様

割と早く仕上がったので上げときます。
今度日曜日に頑張って次話間に合わせたいな。大丈夫かな。きっと大丈夫じゃないな。

さくらの回想話。
正直原作orアニメを全て視聴していれば読み飛ばしても問題ない部分。
逆に言えば原作最大のネタバレ部分なのでご注意を。


 それは、夢のような世界で、それでも夢は覚めるのが道理だった。

 これは、なくした記憶のほんの断片。楽しかった過去という名の夢は、同じように現実という名の過去に塗り潰される。

 いや違う、夢で塗り潰された現実が、夢が消えていくことで現実が再びその姿を取り戻したと言った方が正しいだろうか。

 

 祖母の背中に隠れていたあの日。金髪の少女――さくらは一人の少年と出会った。

 さくらは怯えていた。同じ年の少年少女から投げられる言葉。そして蔑むように突き刺される視線。同じような眼で見られれるのかと、恐怖に震えていた。

 さくらんぼ。それがさくらにつけられた初めての渾名。さくら、では花の桜と間違えてしまうから。いい名前だと、祖母もそれに同調した。唐突に変な渾名をつけられて困惑するさくらだったが、しかし流れるように、少年は自分の名を紹介した。

 祖母からは、何やらややこしい家族関係のことを説明されたが、結局兄妹のようなものだとあっさりと説明を終えてしまう。

 さくらがずっと気にしていたのは、ただ一つだけだった。

 

「……ボクのこといじめる?」

 

 そう聞いたさくらに対し、彼がさくらに返した答えは、その掌の中に姿を現した、じっくりと観察してようやく和菓子であることが認識できる、歪な物体だった。

 オチカヅキノシルシに。お菓子は魔法の一種だ。食べると元気になる、美味い、虫歯にはなるけど甘い。そんなことを言って、押し付けるように彼女に差し出す。怖そうだけど優しさを垣間見せた少年に対し心を開いたさくらは、にっこりと笑顔を浮かべて、ありがとう、と。

 そっと手を繋いで、どこかへと遊びに出かけた。それが、さくらと少年の初めての出会いで。きっとそれが、さくらにとっての初恋だった。

 

 

 初音島の中央にある、枯れない桜。

 枯れないというのは比喩でも何でもなく、事実としてその花弁を散らすことはないのだ。一年中春の景色を保ったまま、永遠に変わることのない島。

 その桜が枯れない理由というのも、実に単純明快で、誰も信じていなくとも、存在が証明されてなかろうと、しかしその桜の大木には、間違いなく魔法と呼ばれる摩訶不思議なお伽噺が刻まれていたから。

 さくらを守ってくれるように。そう祖母の願いが込められた魔法の木は、少しずつ人の想いの力を蓄え、そして必要としている誰かの願いを叶えた。

 

 ――大好きなあの人の心を共有したかった。

 

 ――みんなに嫌われないためにその人の心を知りたかった。

 

 ――昔失った大切な人と、夢の中ででも会いたかった。

 

 ――少しでも、もう少しだけでもいい、例え自分が偽物でもあの先輩の傍にいたかった。

 

 ――あの桜並木を、いつも楽しそうに笑って歩いているあの人たちと同じように歩いてみたかった。

 

 そんな、青春の中で些細な願いを叶え、そして誰かを幸せにしていく。夢の中で、安らかな幸せを。そんな、誰もが憧れるネバーランド。

 そう、全てが叶えられた。誰もが幸せになりたいと強く願えば、その全てが。無論、祖母が遺していった、さくらを守ってほしいという純粋な願いさえも。

 

 テストで百点を取りたい――百点が取れた――何故――桜が願いを叶えたから――?

 

 あの人を助けたい――人を助けた――何故――桜が願いを叶えたから――?

 

 あの人に振り向いてほしい――恋人になれた――何故――桜が願いを叶えたから――?

 

 あの人が怖い――怪我をした――何故――桜が願いを叶えたから――?

 

 桜が願いを叶える――桜が願いを叶える――桜が願いを叶える――桜が願いを叶える――桜が願いを叶える――

 

 どこまでが自分の力?どこからが魔法のおかげ?どこまでが本当の友達?どこからが願いで生まれた人たち?彼は、あの少年は、本当に存在する?

 

 ――ボク自身は、本当に存在するの?

 

 枯れない桜は、芳乃さくらの願いを全て叶える。強く願った大きな願いから、ほんの少し心に過ぎった刹那的な感情さえ。そしてそんな桜の夢も、自身の夢も、芳乃さくら自身が自分の手で覚まし、覚めることができる。

 枯れない桜を枯らせればいい。永遠の夢から、この島を覚ましてやればいい。その時、さくらの夢と現実の境界線ははっきりする。ただし。

 ただし。

 そう、ただし、芳乃さくらという存在が、初音島が夢から覚めた時に果たして本当にそこにあればの話だ。

 少年は自分のことを覚えていてくれる?芳乃さくらは、この世界に存在していられる?

 

「ボクは、お兄ちゃんのことをずっと、好きでいられる――?」

 

 お兄ちゃんと慕っていたその少年は、変わらぬ笑顔で、かったるそうな顔で、心配すんなと、そう答えた。

 あまりにもいつも通りで、当り前な顔だったから、ほんの少しだけ自信ができて。

 初音島の永遠の春は、一度終わりを告げた。

 

 

 

 

 ――それで、いいの?

 

 自問自答。願えばかなう世界。それは、夢物語で、そんな力は間違っている。その力が、かつての友を傷付け、最愛の少年を苦しめた。

 でも。世の中には、困っている人たちがいる。何かが欠落したせいで、苦しんでいる人たちがいる。報われぬ命に、叫ぶ声がある。そんな人たちの力になりたい。

 かつてこの島で咲き誇っていた魔法の桜には、致命的な欠陥(バグ)があった。芳乃さくらという大きな欠陥が。

 ならば、その欠陥を修正し、完全な魔法の桜の木を創り上げてしまえばいい。誰も傷つかず、誰も苦しまない、祖母が、そして自分自身が夢に思い描いていた夢の世界を新しく創り直せばいい。

 アメリカに渡り、ずっと独りで、枯れない桜の研究を続けていた。

 外の世界は流れていく。大切だった人も、大好きだった人も、誰一人例外なく移り変わっていく。みんなみんな幸せになって。

 そんな中で、自分は何をしているのだろう。桜の研究が、みんなを幸せにすると信じていたばかりに。

 

 ――ふと、寂しいと思ってしまった。

 

 ずっと独りぼっちだった不完全な神様(さ く ら)は、結局未完成に終わった新しい枯れない桜に、願った。

 ボクにも家族が欲しいです――もしかしたらあったかもしれない現在の、もう一つの可能性を見せてください。

 

 ――奇跡は、起こった。

 

 それが夢の始まり。芳乃さくらがずっと思い描いた、覚めてしまうことが分かっていた、誰かが、いや、誰もが傷つくことが最初から分かっていた、苦し紛れで残酷な、優しい夢の始まり。

 小さな少年が、そこにはいた。

 光ない瞳は何を見つめているのだろう。しんしんと舞う桜の花びらと、粉雪の中で。

 たった一人の、大切な家族。大事な子供。万感の思いを込めて、彼に新しい名前を贈った。

 

 ――ヨシノサクラ――サクライヨシユキ――桜内義之。

 

 そっと手を握る。お腹が空いたかと問いかければ、小さな声で空いたと答えてくれる。

 冷え切っていた自分の掌は、少年の温かくて柔らかい手の感触を、噛み締めるように感じ取っていた。

 それからずっと続く、さくらの周りで動き始める、家族のような時間。お隣さんの知り合いの一家とは仲良しで、娘とも同年代。

 さくらの家は少し古い、木造建築で子供にとっては少し住み心地が悪いかもしれない。だからこそ、義之は隣の家に住まわせることにした。家主が昔からよく知る人たちだったから。

 

 今度の枯れない桜が不完全だった理由――それは、願いを選別するフィルターのようなものが存在しなかったこと。

 祖母が植えてくれた桜には、純粋な願いだけを集めて蓄えるシステムがあった。しかしさくらのつくったそれは、どんな願いも平等に集めてきてしまうのだ。

 善意も、夢も、希望も――悪意も、諦めも、絶望も。何もかも、あまねくご丁寧に。

 だから、その役目をさくら自身が実行するよりほかはない。例え時間がかかろうとも、大切な家族がいようとも――いや、大切な人たちがいるからこそ。

 今度手を抜けば、悪意の願いが叶えられ、島の誰かが傷つく。それだけは絶対に避ける必要があった。夢の世界で、誰かが苦しむようなことがあってはならないから。一人ひとりの力が足りなくとも、みんなの想いの力で、誰もがハッピーになる、そんな世界を思い描いていたから。

 だから、誰も知らない夜のうちに、どんなに疲れていようと、どんなに寒かろうと――それが世界を捻じ曲げてまで自分のエゴを叶えてしまった愚かな神に下された罰だから。

 枯れない桜から聞こえてくる、誰かを恨むような、自分を恨むような怨嗟の声。

 

 ――アレガ欲シイ、学校ニ行キタクナイ、私ダケニ振リ向イテ欲シイ、アイツナンテイラナイ、消エテシマエ、死ンデシマエ、死ネ、死ネ、死ネ死ネ死ネシネシネシネシネコロスコロスコロスコロスコロス……!

 

 狂気狂気狂気狂気狂気――

 頭がおかしくなりそうだった。

 何日も、何日も、人間の心の奥底の醜い部分を見せられる。悪意と殺意と、そんなものにまみれて消えることのない無限に増え続ける人間の欲望。

 きっとさくらの心の奥底にも眠っている、ホントウノジブン。

 島にいる人たちの、無意識な願望は、やがてさくらの処理のスピードを上回って増殖し始める。

 初音島に存在する枯れない桜。枯れない桜は願いを叶える。そんな噂はすぐに島中に、あるいは日本中に囁かれ始め、更なる願いが初音島へと集う。より多く、より欲望に塗れたモノが。

 

 ――そして、決壊。

 

 願いが刃となって、次々に島の人々に降りかかる。

 島中で発生し始める、不可解な事件の数々。全ては桜の叶える願いが発生させたものだ。

 間に合わない、どうしようもない。きっと桜を枯らせば、全ての事件は姿を消す。しかしそうすれば――そうすれば――

 

 ――桜内、義之。

 

 あの雪の日に握った小さな掌が、なかったことにされてしまう。

 桜の木の魔法の力でこの世界に存在の根を下ろすことができている少年は、その木から魔法の力が消失した途端に、その存在が抹消されてしまう。彼は、ここにいるべき存在ではないから。

 そうなれば、どうなる?

 消えゆく間際、少年の記憶は全ての人々から消える。いくら少年がみんなのことを覚えていようと、理不尽に。孤独と、絶望のただ中で、少年は誰にもみとられることなく、姿を消す。

 この初音島に、たくさんの夢と、そして災厄をばら撒いた桜の神サマは、決別を覚悟した。

 島の夢と、島の人々と、そして一人の少年を同時に助けるただ一つの方法。

 さくら自身が、枯れない桜に融合することで、自らが桜の木のフィルターという一パーツとなること。

 そう、永遠に、桜の木の一部として、誰とも話すこともなく、誰とも触れ合うこともなく、誰も見たことない、誰も知らない、どこにいるかもわからない、恥ずかしがり屋の神様のように、独りぼっちで人々を見守る唯一の存在になること。

 自分が失敗した時のことを、残酷な最後を、少年に恋した一人の正義の魔法使いに託して。

 最後に、誰にも知られないように、ひっそりと姿を消すだけ。いやでも、最後に少し、大好きだったお兄ちゃんに、話をしても恨まれないだろう。

 自慢だった長い金髪をバッサリと切り落としてもらって。最後まで彼のかったるいという口癖を耳にして。

 そして、芳乃さくらという一人の少女は、姿を消した。

 

 ――大好きだった息子に、全てを伝えて。

 

 気が付けば、何もかもを失った一人の少女が、とある魔法使いの前に姿を現した。

 

「こんにちは、お嬢さん」

 

 可愛らしいショートヘアの女の子の掌には、小さな桜の枝が握られていた。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 もっともっとたくさん、いろいろなことがあったに違いない記憶の、ほんの一部。

 そう、全ては願いを叶える魔法の桜の木から始まった。ずっと思い描いていた夢は、叶うことはなかった。

 語り終えたさくらはそのまま脱力して、倒れそうになったところをリッカに抱きかかえられていた。懐かしそうで、泣きそうな、複雑な心境を物語る、少女の横顔。

 

「――帰れ」

 

 ぼそりと、そう一言ここにいた人間の耳に飛び込んできた。

 背中を向けて表情を見せないようにした、史上最強の槍使い。何を思うかは、誰にも分からない。

 

「さっさと帰んな。家族がいるってんなら、その面見せて喜ばせてやれ。そしテメェがすることはただ一つだよ」

 

 研究室から去る際に、またぼそりと、誰にも顔を見られないように、もう一言だけ残していった。

 

「――ガキにただいま、って言ってやれ」

 

 その姿は、ドアの陰に隠れて見えなくなる。彼の足音が、次第にこの部屋から離れていった。

 さくらの思い出を聞いて彼は、何を考えていたのだろうか。最後に吐き捨てていった一言には、どんな意味が伏せられていたのだろうか。

 思えば、リッカもジルも、クーの家族のことを何も知らないし、同時にクーもまた、語ろうとしたこともない。逆にリッカたちもまた彼に家族のことは話していないが、リッカとジルはお互いに家族関係のことは把握している。

 彼にとって、家族とは、どういうものなのだろう。

 

「……もう、大丈夫」

 

 さくらは、ゆっくりと自分の脚で立ち上がる。

 ここから元の世界に帰るというのは、どうしても寂しいものがある。それでも彼は帰るようにと言葉にした。

 そっけないようにも見えたが、きっとあの態度が、彼なりの最大の気の遣い方なのだろう。相変わらず戦闘以外では不器用で仕方のない男だ。

 

「確かにボクは、この世界にいるべき人じゃない。帰ってみんなにただいまって言って――」

 

 瞳を閉じて、その懐かしい顔ぶれを思い出しながら。

 

「――そして謝らないといけないんだ。みんなに」

 

 暖かい笑顔を浮かべる。

 そして、今ここに、さくらの、枯れない桜の魔法に関する記憶のほとんどが戻った。

 地上の霧に関しては未だ実態が掴めていない。しかし、こちらの方では現在、さくらの正体と、それからさくらが持っていた桜の枝に関することが全て解明された。

 地上の霧を晴らすための道を、また一歩踏みしめる。

 きっとその時、さくらは別の道へと戻ってしまうだろうが、きっと大丈夫だ。

 この霧を晴らせば、きっと誰もが胸を張って未来に進むことができる。ここにいる誰もが、そう信じて疑わなかった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「ごめんなさい、でも、こうしなければいけないから」

 

 とある一室、倒れている人物に向けて謝る少女の姿があった。その少女の顔には、蔦が這うように刺青のような紋様が走っており、これ以上ない禍々しさを放っている。

 倒れた少女の方は、特に命の別状があるという訳でもなく、安らかな寝息を立てて横たわっている。

 黒の少女は、倒れた少女を見て、もの寂しげな表情を浮かべる。

 

「次は、謝りません。だって、あなたが裏切ったのだから」

 

 低い声で、冷めた目付きて、突き刺すようにその背中に視線を送る。

 洋服の裾から覗く白い肌。実に健康的で、若い少女らしさを保っている。

 だからこそ、彼女を守ってやらねばならない。大切な人がいなくなるのは寂しいから。だから世界をループさせてまで繋ぎとめているのだ。

 彼女だけではない。もしかしたら、いや、どうせ短い寿命で死んでしまうに違いない全ての人たちから、そんな悲しみを消し去るために。

 終わらせる訳にはいかない。この世界が終わってしまった先には、怒涛に押し寄せてくる絶望しかないのだ。

 だから、どんな手を使ってでも――守り通して見せる。

 

「第三防衛術式、起動。――みなさん、絶対に最後まで守り切ってください。ワルプルギスの夜を、越えるまで」

 

 そう呟いて、霧の中に溶け込むように、その部屋から姿を消した。




さて、そろそろ風見鶏編も終盤に差し掛かります。


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嵐の前の静けさ

また遅れてしまった……
ちょっと無理してでも週二更新したいところです。
ここで加速してクライマックスにじっくり時間を割きたいんですね。今の時期少し時間ありますし。

これも全部霧の魔法のせいなんだ。


 予科一年A組が全ての講義を終えて放課後になった後、生徒会長シャルル・マロースの弟、エトのシェルに、一件のテキストの着信を知らせる音が鳴った。

 本日はこの後少し予定があるのだが、とりあえず確認だけはしておこうとシェルを開く。その画面に映し出されていたのは『お兄さん』の文字だった。

 彼からシェルでこちらに連絡をするというのは極めて珍しい。基本的にはエトからテキストを送って返信を貰うというのが主だったが、どういう風の吹き回しか、珍しくクーからテキストが送られてきたのだ。

 テキストの内容を確認して、エトは少し困惑する。

 そこに書かれていた内容は、要するに、稽古つけてやるから顔を出せ、ということである。

 

「エト」

 

 ふと、背後から名前を呼ばれ、咄嗟に振り返る。

 そこにいたのは、蒼く長い髪をツインテールに分けた、小柄で真面目そうな女の子であった。

 サラ・クリサリス。それが彼女の名前であり、古くからその名を魔法使いの社会に知らしめているクリサリスの息女である。その名も今では少しずつ消えてしまおうとしているのだが。

 

「ああ、サラちゃんか」

 

 サラの姿を見て、少し項垂れるエト。

 ここまであからさまに元気がないエトというのも珍しく、シェルを開いて落ち込んでいたのだからシェルの中身に何か関係があるのだろうと察する。

 そして大方、サラを差し置いて優先すべき相手から貰った誘いの連絡、と言ったところだろうか。全く仕方ないと、サラも小さく溜息を吐く。

 この後エトと二人でほんの少しグニルックの練習に行った後、更に少し図書館島によって講義の内容で気になったところを調べに行くつもりであった。エトも何か読んでみたい本があるらしい。

 そう考えてみれば、これってデートなのでは、と一瞬サラの脳裏を過ぎってしまう。

 そんなつもりはない、そんなつもりはないと、心の中で反芻するように否定するが、その頬はほんのりと紅くなっている。

 

「ごめんねサラちゃん、今日はちょっと練習に付き合えそうにないや」

 

「へっ――」

 

 急に言葉を返されて、サラも次の言葉に詰まってしまう。

 普段冷静なサラとしてはこんなことになってしまう自分にも思考が追い付けないのだが、相変わらずというかなんというか。

 咄嗟に次の言葉を頭で捻り出して、返事をエトに返す。

 

「あ、ああ、大丈夫です。エトにだって都合はありますし。元々私の我が儘なんですから、気にしないでください」

 

 とは言ってみるものの、いざこの後別れるとなると、ほんの少し寂しくなる。そう思ってしまうくらいには、サラはエトに心を開いてしまっているのだろう。

 今日はたまたま都合が悪くなった。明日誘えば今度は一緒にいられるだろう。そう自分に言い聞かせて、教室から去ろうと踵を返そうとして。

 

「いつも稽古してもらってる人から連絡が来たんだ。久しぶりに向こうから来たから、どうしても優先させたいんだ」

 

 そう楽しそうに語るエトに対して、サラはふとある考えが思い浮かんだ。

 これなら、もう少しエトと一緒にいられるかもしれない。

 

「その稽古、私も見学させてもらっていいですか?エトが普段どんなトレーニングをしているのか気になります。それに、エトとお知り合いの先生の方にもご挨拶しておきたいですし」

 

 自分より優先してでも会いたい相手はどうやら稽古をつけてくれる先生らしい。

 エトが一人で鍛錬を積んでいるという話も以前に聞いたし、入学してすぐの、別クラスの天才児、イアン・セルウェイの嫌味を浴びせられた時のあの神業のような一瞬もその鍛錬の賜物であるということも聞いた。そんな凄いことを可能にさせる人がどんな人なのかもとても気になっていた。もしかしたら自分が何かレベルアップのきっかけを手に入れるチャンスでもあるかもしれない。

 

「え、いいの?僕の稽古なんかに付き合うなんて――」

 

「エトの稽古を見学して、私も何か得られるかもしれません。魔法には直接関係がなくても、もしかしたら学習できることがあるんじゃないかと思ったんです」

 

 そこまで言われてしまえばエトも拒否するわけには行かない。

 もしかしたらほんの少し危ないかもしれないけど、あの師匠なら他所に危害が及ぶことはないだろうし、エト自身も十分に気をつけるつもりである。というより、何よりサラに自分の少しカッコイイところを見てもらえるのが純粋に嬉しかった。

 もっとも、今回の場合は基本的に遊ばれてボコボコにされるのがオチだろうが。

 二人横に並んで、桜並木を通る。

 最近地上では色々と物騒みたいだが、まるでそんなことなど存在しないと言っているような静けさと美しさ。

 桜並木を抜けて、しばらく進んだところにある少し広い空き地。そこに、彼はぼうっと突っ立っていた。

 

「あ、お兄さん!」

 

 その姿を見るなり、目を輝かせてエトが走り出す。唐突に置いて行かれたサラも慌ててその後ろを追う。

 どうやらエトは彼のことを先生でも師匠でもなく、お兄さんと呼んでいるらしい。彼には姉はいるものの兄はいない。つまり兄のように慕う程仲がいいということなのだろうか。

 走りゆくエトの背中を追いながら、エトの師匠の姿が次第にはっきり見え始める。

 そして、その輪郭がくっきりしてきて――その顔がどこかで見たことがあって――それは例えば、たまに新聞や資料などで目にする、逆立った青髪と鋭い真紅の目をしていて――

 

「よう、エト」

 

 サラの脚がぴたりと止まる。そして、一歩、二歩、後退りする。

 ああ、なんてことだろう。その男には、伝説がたくさんある。例えば、気に入らない相手を一目で見抜き、その場で突き殺すとか、彼の持つ真紅の槍は、敵を貫いた時の血で染め上げられたものであるとか、心臓を止めても死なない不死身であるとか、化け物じみたその伝説の数々は、彼の名を知る者はよく知っている。

 人の域を遥かに凌駕した、イギリス国家の最終秘密兵器、強者揃いの八人によって構成された組織、『八本槍』の一人、クー・フーリン。

 今では新聞でも『八本槍』を脱退し、国家への反逆の疑惑が浮上していたが、そんな彼が、何故ここに。

 

「サラちゃん、早くこっちへおいでよ!」

 

 無茶を言うな。

 礼儀を尽くさなければならない優先度で言えば、間違いなく女王陛下など比にもならないくらいにこの男は危険である。下手したら首が飛ぶ。首も胴も形を成しているかどうかすら分からない。そんな相手に近づくとはエトも無茶を言う。

 というか何故そんな男を相手に稽古をつけてもらっているのかも理解に苦しむ。そんなことをしていたら命がいくつあっても足りないのではないか。

 

「なんだエト、ガールフレンドか。このマセガキめめでてぇじゃねーか」

 

 しかしこの男、何だか楽しそうに笑っている。演技とか冗談とかそんなものではなさそうだが、伝説が本当であるなら次の瞬間目の前が真っ暗になる。多分。

 エトがこっちへと向かって走ってくる。そして背中に回ると、両手を使って背中を押してくるのだ。鬼神の方へと足を向かわせようとして。

 ちょっと待て、勘弁してくれ。自分でも徐々に顔から血の気が引いていくのが分かる。怖いなんてレベルじゃないが、なんだ背中のこの男、見た目は華奢なくせにどうしてこんなに力が強いのか。力に抗おうとしてもまるで無駄である。

 

「クラスメイトのサラ・クリサリス、サラちゃんだよ」

 

「ああ、こないだ話に出てたな」

 

 どんな話をしたのだろう。

 正面に、身長が自分の倍くらいはありそうだと錯覚させる躯体の男がいる。

 とりあえず、第一印象くらいは体裁を整えておきたい。ここで出鼻を挫かれたら挫けるのは多分出鼻だけではない。人生そのものが挫けてしまう。

 

「えと、サラ・クリサリスです。よ、よろしくお願いしますっ」

 

 深く、それはもうこれまでにない程人生で一番深く頭を下げる。

 すると、地面しか見えない視界に、何かごつごつとしたものが入ってきた。人の手である。目の前の男の掌だろうが、やがてその指先が額に触れた。

 そして気が付けば――尻餅を地べたにつけて座り込んでいた。

 

「堅っ苦しいな、もう『八本槍』でも何でもないんだからそこら辺のゴロツキと変わんねぇよ」

 

 少し困惑した状況。掌が見えた時は首根っこを引っこ抜かれると思ったが、ちょっと押されるくらいで済んだところを見ると、言う程恐ろしい人ではないのかもしれない。

 クーにしてみても、またこの少女にも変な言い伝えのせいで誤解を植え付けられていると思ってみれば面倒臭くもなる。来る人来る人みんな伝説の内容と重ね合わせて怯えるものだから、怖がらせないようにこちらが気を遣わなければならないとなると何だか肩が凝ってくる。正直こんな偉い人みたいな扱いを受けるのも、あの孤高のカトレアの言葉を借りれば、かったるい。

 

「ま、エトをよろしく頼むぜ、お嬢ちゃん」

 

 そう言って、サラの腕を掴んでゆっくりと引っ張り立たせてやる。支え方そのものは乱雑だったが、しかしその中に優しさを感じるような。

 立ち上がった後、エトに少し離れておくように言われて、少しどころかかなり遠くでいつでも逃げられる体勢を整えておく。

 遠目でもある程度分かるが、エトはクーから細長い何かを受け取る。それが剣であるということを理解して慌てて声をかけるが、彼らから返ってくる言葉は大丈夫の一点張り。

 嫌な予感しかしないと心中穏やかでないサラをよそに、それは始まった。

 爆音、そして続く金属音。

 何かが起こっているのだが、何が起こっているのかさっぱり分からない。

 少なくとも一般人同士のやり取りでではない状況を思考停止した状態で眺めているサラだった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 それからエトを五秒に一度くらいの感覚で防御ついでに吹き飛ばしてあげた後、暗くなってきたのでクーはさっさと退散することにした。

 既に深夜と呼ぶべき時間も近づいており、いつも通りアルバイトに出向いていた葵も既にクーの部屋へと戻ってきている頃だろう。

 学生寮は、クー自身が『八本槍』から脱退したお蔭で大分混乱していたにも拘らず、今でも場所を提供し続けてくれている。エリザベスの計らいなのだろうが、今でもそのことについては感謝している。

 ドアを開けて真っ先に目についたのは、ベッドから転げ落ちてそのまま眠りに就いている葵の姿だった。

 

「おいおいみっともねぇな」

 

 クーが言えた義理でもないが、少なくとも年頃の少女が地面に寝転んで熟睡するものではない。葵の寝相が悪いとはここに置いて数日の間では確認できなかったが、夢見でも悪かったのだろう。

 ほんの少しはだけてしまっているパジャマを直してあげると、彼女が起きないようにそっと抱えてベッドに戻してやる。

 柄にもないことをしているということは自分でも気が付いているのだが、何だか悪い気はしない。長年共に旅をしていたリッカにもジルにもここまで傍にいて面倒を見てやるなどとしたことがなかったので新鮮に感じるのかもしれない。

 

「今度美味い飯でも作ってもらうぜ」

 

 布団を胸元の高さまでかけてやりながらそう呟く。聞いていたら聞いていたで本当にご馳走になるつもりだが、逆に強制するつもりもない。作りたいと思って作った飯が本当に美味いということはクーもよく知っている。

 葵がクーのことをどう思っているかは知らない。親しくもないのに突然衣服を槍で破られた相手に好意を感じるとは思えないが、こうして主従関係を結んでいる以上、それ相応の信頼関係くらいはあるつもりでいる。

 こんな霧の魔法の大事件を起こしたことも、その理由と向き合って罪を清算したいと思う覚悟も、そして普段から見せる明るい笑顔も嫌いではない。

 ただ、その笑顔の裏に隠れる影がいつまでたっても気に入らない。何かを隠していることは一目瞭然だが、それを無理矢理訊き出そうとも思わない。彼女が自分の口で語るのを待つ――のではなく、彼女が話せるようにこちらからアクションを起こす。

 要は、彼女の心を自分に開かせること。彼女を主として、自分が騎士となって尽くすのだ。主のことは一つでも多く知っておきたい。少なくとも、ねちねちと面倒臭いことしかさせない陰湿な主とは違うのだ。

 そう、率直に言ってしまえば、陽ノ本葵という少女は、クーの好みに合致していたのだ。

 残念ながら歳が若過ぎるため恋愛対象として掠りもしない。それこそ相性の良さで言えばリッカやジルも十二分にいい女なのだから。子供は子供同士で愛とか恋とかして失敗しながら成長していくものだ。今の彼女に自分か介入していく義理もないし、彼女が自分に介入していく義理もない。

 

「あっれー、何で俺様こんなにこいつのこと気にかけてたんだっけか」

 

 ふと、そう思った。

 考えてみればあの時フラワーズで仕事を手伝う以前から彼女のことは知ってはいたが、本格的に彼女のことを気にしだしたのは、霧の魔法の一件について彼女が怪しいと思い始めた頃であった。

 あれだけ温かい笑顔を振りまく少女が、あれだけ優しい性格の少女が、何故あそこまで怪しく見えてしまうのだろうと。

 しかし結局、そんなことを考えるのも無駄であるということは知っている。ジルにしろリッカにしろ、結局どこから絆とやらで強く結ばれたのかと問われれば正確に答えられる気はしない。そんなことを考える辺り大分丸くなってしまったが、人間関係というものは得てしてそんなものである。

 ソファにどっかりと腰を掛けると、クッションが腰を包み込むように沈んでは受け止める。

 そこまで眠くはなかったが、とりあえず仮眠くらいはとっておこうと思って瞳を閉じたと同時に、デスクの上に放り投げていたシェルが音を立てた。

 葵が起きてしまうのを恐れたクーは急いでシェルの音を止めるために咄嗟に掴んで開く。

 遅い時間だったが、そのテキストの送り主はリッカだった。

 その内容は、休みである明日を利用して、霧の魔法の事件に関する会議を開くということだった。

 参加者は女王陛下エリザベスと側近杉並、現『八本槍』メンバーとクー、それからリッカ、シャルル、巴を中心とした生徒会メンバーとジル、さくらのことを普段の生活であったり夢見のカウンセリングであったりとよく知っている清隆といったメンバーである。ちなみに相変わらず事態を静観するつもりでギルガメッシュも現れるらしい。何だか文章内で悪態をついていたがわざわざそのことを報告しに来たようだ。きっと随分と上から目線で言われたに違いない。

 本日さくらに関する記憶の大部分が引き出せたおかげでリッカの枯れない桜の研究も大幅に進歩するだろう。もしかすればエリザベス側でも地上で発生している魔法に関して何かしらの情報を掴んでいるかもしれない。

 少なくとも、彼女の傍には杉並という男がいるのだ。彼がいる以上、情報の面で立ち往生となることはない。彼が組織している謎の集団、非公式新聞部は構成員も活動内容も組織目的も一切不明だが、こと情報に関しては『八本槍』でも知らないような詳細な情報を握っていることが多い。代表である杉並もなかなか頭が切れるのだ。彼がいる分には調査が滞ることはない。

 明日の会議、全体的に大きな方針が定まるだろう。

 全てが決着に向けて動き出す。それなのに。

 何故か、どうも腑に落ちない自分がそこにはいた。光の消えたシェルの液晶には、作り笑いすら浮かべられない自分の顔が映っていた。




次回からいよいよクライマックス(予定)
もう少し時間がある中で情報を小出ししていくの難しいです。


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桜色の景色

思った以上に話が進みませんでした。すいません。


 翌朝、重要な会議があるということで、会議関係者以外風見鶏の校舎は生徒立ち入り禁止となった。

 もともと講義が休みであるという点ではあまり関係はなかったが、どうやら噂によれば『八本槍』を集結させて開かれるものであるらしいとのことである。

 それだけ重要な会議がどういう内容であるかというのは、生徒各々が気になって仕方のないものだった。

 少し前に『八本槍』を脱退して、反逆者の可能性ありと新聞の一面でも載ったクー・フーリンもその会議に参加するだろうという話から、彼の処分に関する内容ではないかという推測も飛び交っているようだ。

 そんな生徒たちの不安も知らず、風見鶏の校舎内の会議室では、そうそうたるメンバーが集まっていた。

 エリザベスをはじめとして円状に『八本槍』のメンバーとクー、風見鶏生徒会メンバーにジル、それから清隆、さくら、杉並と続く。円から外れたところに背を壁に預けて立っているのはいつもの黄金の鎧を身に纏ったギルガメッシュである。『八本槍』全員に召集をかけたつもりだったが、カテゴリー5の最高峰、『歩く禁呪(フォビドゥン・ゴブレット)』はここにはいない。

 先陣を切って口を開いたのは、ギルガメッシュだった。

 

「さて、小娘が記憶を全て思い出したという報告はあったが――」

 

 闇すら飲み込むような真紅眼の視線が、一直線にさくらを貫く。

 さくらは彼に対して臆することもせず、その神秘めいた瞳に真っ向から向かい合った。

 

「――分不相応に他者の願望を叶えるなどと滑稽極まりない望みを抱き、挙句鬼にも成り果てることもできぬ臆病者が、出来損ないの神に成り上がることすら能わなかった今の気分はどうだ、雑種?」

 

 罵倒に次ぐ罵倒。開幕早々、全てを思い出して記憶の整理もまともにできてないであろうさくらに、辛辣な言葉が次々に突き刺さる。

 確かにそうかもしれない。人の願いを叶えるということがどういうことか。確かに叶えられた人物は幸せかもしれない。しかしもしその願いが別の誰かを蹴落とすものだったとしたら。叶えられた本人が望むべくもなくそうなってしまったとしたら。

 そして、叶えるべきではない悪意ある願いすら見分けがつかずに叶えてしまったなら。

 その責任は、その奇跡を起こしてしまった出来損ないの神にある。

 だからこそ、誰もその言葉を否定することはできない。しかし、その態度を否定する者はいた。

 机を強く叩く音が広い会議室に響く。立ち上がったのは、さくらの隣に座っていた清隆だった。

 さくらの記憶を夢という形で覗いたからこそ、彼女が何を思っていたか、何が大切だったのか、はっきりと分かる。

 清隆は恐怖する気持ちを飲み込んで、肺一杯に呼気を溜め、そして言い放つ――が、隣のさくらに制止された。

 

「いいんだ、清隆」

 

「さくら、でも……」

 

 さくらには何か思うところがある。それを察した清隆は、一度ギルガメッシュを睨みつけて、そして再び席に座る。釈然としない気持ちを抱えながら、苦しむように俯いた。

 続いてギルガメッシュに飛んできた声は、リッカの声だった。

 

「ところで、何であなたがさくらのことを知っているの?私たちはさくらが記憶を取り戻したとは報告していたけれど、その内容まで詳細に記してはいないわ」

 

 至極当然の疑問。まるでさくらの心理を読んだかのようにさくらの中に隠されていた真実を言い当ててみせた。

 しかしギルガメッシュはそんな疑問に対し、そんなことかと鼻で笑い飛ばしてリッカに視線を向ける。

 

「何も難解なことではない。そこの小娘はあの黒い影を見たことがあると言った。周知の事実の通り、あの黒い影は雑種共の深層心理の負の願望によって生まれたものだ。そのような形にもならぬはずの(けだもの)を見たことがあるとすればそれは――」

 

 そこまで言っておいて、ギルガメッシュはそこで一息置く。恐らく、ここにいる全員が思考を整理する時間を与えるという訳なのだろう。

 意外なところで気の利く男だ。伊達に王の中の王を名乗ってはいない。人の真理を掌握し、人の思考を促すことに長けている。

 

「――直接深層心理を覗き込んだに他ならぬ。正確には、他人の深層心理を見せつけられたと言った方が語弊はなかろう」

 

 先程の一拍で、ここにいた大体の面子はそこまでの答えに行きついた。

 しかし、それだけではまだ足りない。

 

「信仰というものは人の願望を集める。人智を超えた形而上の存在に、人間共は無意識の内に魅了され追い縋る。そこで祈り、願ったものは一つ残らず小汚い欲望ばかりよ。貴様らのいう神というものは、そう言ったものを選別し叶える存在なのだろう?」

 

 そう、だからこそ、あの黒い影を知っていると話したさくらは。

 そこでリッカは気が付いた。既にギルガメッシュが解答を出したようなものである。そこまで聞いて初めて閃いたのだ。

 

「願いを叶える魔法の桜が信仰の対象になって、みんながその存在を知って願いを叶えてもらおうとする。そして、その魔法の桜をコントロールしていたさくらはその願いを全てその眼で見て選別して叶えていた――だからさくらは、出来損ないの神――」

 

 人である以上、人としての心を持っている。そして、大切にしたいと思えるような人が近くにいる。

 他人の願いを叶えるようになりたいのなら、始めから自分の願いなど叶える必要はないと、心を捨ててしまわなければならない。そうでないと、いつか狂気に飲まれて壊れてしまうから。

 自分の願いを叶えてしまいたいのなら、他の全てを犠牲にしてでも信念を貫く、強靭で悪魔のような心を持つ必要があった。そうしないと、自分の願いで傷つく全ての人に対して、責任を負わなくてはならなくなるから。

 そのどちらもできなかったから、さくらはどちらにもなりえなかった。出来損ないの神にすら、なることはできなかったのだ。

 

「……王様の言う通りだよ」

 

 ぽつりと、さくらが呟いた。

 

「何もかもが、中途半端だったんだ。ボクが躊躇ったから、ボクの大切な人たちが傷ついた。ボクが覚悟もなく夢を見たから、たくさんの人がそれに巻き込まれたんだ」

 

 そう、何もかもが定まらなくて、何をすればいいのかもわからなかった。

 自分が起こした罪すらも、未来で責任を負う方法も知らずに、ただ自分の孤独を満たしたいだけで、夢の世界を創り上げた。

 それでも――

 

「それでも、まだ分からないんだ。ボクが起こしたあんな悲しい出来事が、正しいことだったなんて言えるはずもない。でもね、それと同じくらい、誰かの願いを叶えたいって思う気持ちも、自分の夢を叶えたいと思う人の気持ちも、ボクには否定できない」

 

 祖母が見せてくれた夢の世界は美しかった。そして、自分が望んだ夢の世界があった。

 

「だから、ボクはまだ、迷ってる。何が本当に正しいのかなんて、ボクには分からない……」

 

 そう言って、今までギルガメッシュを見ていたさくらはその視線を下ろして、静かに俯いた。

 間を置かずに、ギルガメッシュが小気味よさそうに笑いはじめた。

 

「フン、存外悪くない解答だ。その身朽ちるまで迷え。所詮人間如きが正義の在処なぞ断定するものではない。我も人の上に立つものだ、小娘の心意気も理解してやることはできよう。貴様ら雑種は戯れることしか能のない生物――しかし、戯れていたからこそ乗り越えた壁もある。ならば、小娘が目指すべきは唯一神ではなく、同じ夢を抱き共に歩む先導者に他ならぬ」

 

 そして夢の果てを知り覚める時を待つがよい、と付け加えて。

 さくらの瞼の奥に見えた一筋の光明。世界の最果てまでを見届ける世界最古の英雄王は、さくらに一つの道を示してみせた。

 傲慢不遜を絵に描いたような性格をしているこの男が、何故さくらを気にかけていたのか、リッカには何となく理解できた。尤も、リッカ如きの思考では彼の考えなど到底トレースすることなど不可能だろうが。リッカ自身、それは改めて実感していた。

 話を聞いた程度だが、確かに彼女の記憶の中でのさくらは、中途半端が故に失敗して悲劇を招いたのかもしれない。しかし同時に、中途半端であったからこそ、未だに答えを見出せてなかったからこそ、進むべき道と可能性があったのだ。

 ギルガメッシュは、そんな可能性を否定することはしない。そして、その行く先を、小説を楽しむ読者のように、舞台の劇を眺める客のように、一切干渉することなく見届ける。それこそが彼の望み――いや、そんなきれいごとではなく、ただの娯楽、そう、愉悦だったのかもしれない。

 ふと心の中で見直したギルガメッシュに視線を向けてみると、彼は既に興味が失せていたかのように瞳を閉じて愉快そうに唇を歪めていた。

 さて、ここまでで一つ壮大なテーマに片が付いたところだが、実際のところはまだこの会議の序論にも至っていない。

 そう、今回集まってもらった最大の理由は、これまでの調査による結果報告と、今後の方針の策定である。

 地上の霧を払い、ループ世界を終わらせる――それがここにいる全員の共通の目的であり、そのために各方面で調査を行っていた。

 

「――さて、そのまま引き続いてさくらのことなんだけど」

 

 そう切り出したのは、引き続きリッカだった。

 彼女が担当していたのは、さくらが握っていたあの桜の枝の性質の調査にある。そしてそれに伴ってさくらの身元の調査も同時遂行していた。

 

「とりあえず、さくらの持っていたあの桜の枝なんだけど、私とジルの研究による検証結果と、記憶を取り戻したさくらの証言を基にある程度の結論を出すことに成功したわ。さくらの記憶に関しては、そこにいる葛木清隆が彼女の夢を直接覗いて大体を把握してさくらにも確認を取っているから間違いないと考えていいと思う」

 

 リッカは清隆を視線で促して、二人で席を立ち、あらかじめスタンバイしておいたデスクの上に置かれている桜の枝の下へと近づく。その桜の枝は、地中に根を張っているわけでもないのに未だその花弁を咲き誇らせている。

 

「まず検証結果としては、この桜は他の魔法を一切使用していない通常種の桜に影響することが分かったわ。時間はそこそこかかるみたいだけれど、花弁をつけていない桜の枝に近づけてみたところ、その枝が蕾をつけて花弁を咲かせることが確認されたの。これがこの桜の特徴のまず一つ」

 

 続いてリッカは、デスクの下から何かカップを取り出す。

 どこからどう見ても高価そうな、気品と重みを感じる光沢を放つ、恐らく簡単には手に入らないであろうレアなカップだと思われる。

 そしてそのカップを見て、いち早く反応したのが、エリザベスだった。

 

「り、リッカさん、それ、私の――!」

 

 ちょっとゴメンナサイ、と小さく謝って、手に持っていたカップをリッカの肩の高さから落下させる。

 僅か一秒。それだけの時間でカップは地面に衝突する。衝撃に耐えきれなかったカップには罅が入り、もう一度跳ねるまでもなくその場で完全に破損してその破片が四散した。

 甲高く響く陶器の破砕音。その瞬間、エリザベスの顔から血の気が引いて凍り付いた。

 

「わ、私のお気に入り……」

 

 なかなか大切なもののようだ。

 クーにしてみれば、そんなに大事なモノなら誰にも取られないようにしっかりと保管しとけとツッコむほかに無かった。

 しかし女王陛下のお気に入りを無表情に破壊したリッカは、泣きそうな表情のエリザベスに構うことなく話を進める。

 

「この桜の枝、ひとりでに魔力を蓄えているのは少し前から分かっていたの。私やジルが特に魔力を与えているわけでもなし、力が吸い取られているようにも感じられないからエナジードレインの類でもないだろうし――そんな桜の枝がどうやって魔力を集めていたのか判明したわ」

 

 そこで、リッカはさくらにもこちらに来るように促す。

 さくらはこくんと頷いて立ち上がり、とてとてとリッカの傍まで来た。

 

「これに関してはさくらの協力もあって完全に特定したわけだけど、これはね、人々の夢とか希望とか、そう言った前向きな感情を集めて魔力に変換して蓄えてる。――そう、やっていること自体は地上の霧と全く同じ、それでいて集める感情は真逆なのよね」

 

 説明を進めるリッカの足元では、清隆が箒を用いて破壊したエリザベスのカップの破片を集め、拾い上げてはその残骸をデスクの上に置きなおした。

 

「それで、その魔力がどの用に作用するのか――さくらの証言を基にここで実験したいと思うの」

 

 そして、ここにいる者の中で生徒会メンバー全員をデスクの周りへと集める。

 この実験を始めるには大勢の方がやりやすいのだが、しかし『八本槍』の連中では集める力が強すぎるため実験の過程を十分に観察するのに支障をきたしうる。

 

「これから、ここにいる全員が、『エリザベスのティーカップが直るように』って願って、このカップを割れる前の綺麗な状態に復元するわ」

 

 勿論、桜の枝の魔法以外の一切の魔法を使用しない。

 エリザベスはそんなことでお気に入りのカップが直るのかと心底不安でしかなかったが、そんなこともリッカは一切気にしない。

 生徒会のメンバー全員が瞳を閉じて、ただ一心に祈る。カップが直りますようにと。

 すると、ここにいる全員が、桜の枝が突然何らかの力を発動させるのを感じた。

 すぐさまカップに視線が飛ぶと、そこには、先程まで破片が散らばっていたデスクの上にエリザベスのお気に入りのティーカップが割られる前の完全な状態で鎮座していたのだ。

 一応罅の後や同一物であるかどうかも確認したが、全く持って異常はない。

 

「そう、この桜、小さいものでしかないけど、願いを叶えてくれるの」

 

 さくらが夢の世界を創り上げるために完成させた、薄紅色の願望器。

 願いを叶えるという能力自体は、桜とギルガメッシュの話の中である程度は察することができたが、しかし目の前で一瞬で音もなく、何の前触れもなく願いを叶えカップを直してしまうということまでは想定外だった。

 ここまでの強力な奇跡を起こす魔法など、魔法のプロフェッショナルであるリッカやジルでさえも耳にしたことがない。それも、当然のことだった。

 

「さくらも、この願いを叶える枯れない桜も、未来から来たものと考えた方がよさそうね」

 

 リッカは真剣な眼差しでさくらを捉え、そう話す。そしてさくらに説明するように促した。

 さくらがこれから話すことは、そのほとんどを夢という形で観測してきた清隆が保証してくれる。

 

「ボクがいた世界は、今から数えて大体百年後の未来。その中の世界の一つ――」

 

 さくらから語られた言葉は、ほんの少し理解に苦しむもので。

 

「この世界は、未来に向かって絶えず無数に分岐している。例えば、ボクが生まれない未来があれば、ボクがここに呼ばれない世界だってあったかもしれない」

 

 その絶えず分岐し続ける世界の中のたった一つの可能性の世界から、さくらという少女が何らかの理由でここに飛ばされてきたという訳だ。

 いや、もしかしたらたった一つとは限らないのかもしれない。それこそそう言う話をするのであれば、いくつかの近しい未来から同時に飛ばされてきた、さくらという少女の複合体だという可能性も考えられる。

 そう言った意味では、このさくらという少女を簡単にどこの世界の誰かということを単純に断定させることは不可能なのかもしれない。

 しかし、今ここにいるさくらについて最低限の情報を纏めるとしたら、少なくともこの少女がどんな人生を歩んできたのかが分かるのかもしれない。

 それからさくらが語った、さくらの住んでいた世界の話。

 枯れない桜の正体と、その奇跡と軌跡、そして人々を苦しませた欠陥(バグ)

 その全てを、さくらは包み隠さず語り終えた。隣に立っていた清隆は、どこか寂しそうな表情をしていた。

 

「ボクには、帰るべき世界がある。だからこそボクがここにいた理由を突き止めないといけない」

 

 さくらの瞳に映る世界は、一体どんなものなのだろう。

 未来の人間は、過去の世界をどういう風に感じていたのだろう。見た目に合わない真剣な眼差しをどこか遠くへと向けるさくらは、きっと確定している未来へと思い馳せている。

 

「だから、みんなには今ここでお礼を言うのと同時に、お願いしないといけないかな」

 

 そして、小さな体が、腰から折れる。深々と頭を下げて、声を張った。

 

「お願いします。ボクがこの世界から元の世界へと帰れる方法を見つけてください。ボクがここに来た理由はきっと、この霧の魔法に関係がある――だからこそ、ここにいるみんなで、霧の魔法を打ち破ってほしいんだ」

 

 さくらの頭に、何か柔らかいものが乗った。

 視線を上げてみると、優しい瞳で、リッカがさくらを見つめている。そして彼女は、自信を持って高らかに答えてみせた。

 

「霧の魔法は、必ず私たちで晴らしましょう。私たちも、清隆も、そして少なくともあそこにいる頭のおかしいバトルジャンキーも協力してくれるから」

 

 さりげなく罵倒されている人がいるような気がしないでもないが、それでもここにいるほとんど全員が協力してくれるということをリッカは伝えたかったのだろう。

 その温かみに、ふとさくらの瞳に、小粒の涙が浮かんだ。

 

「あれ、おかしいな、泣かないって決めたのに――」

 

 いつそんな決意をしていたのかは誰にも分からない。それでも、泣きたいときは泣いていい。苦しい時は助けてもらえばいい。全てを背負うのは人間如きがする役目ではない。自分がいかに無力であるかを、人類史を観測するに至るまでの世界の王に指摘され、気が付いた。

 そんなさくらを、リッカは抱き締める。優しく、それでいて強く。

 そして、さくらに囁きかけるように、言葉を紡ぐ。

 

「それで、あなたがこの世界に別れを告げる時、あなたが、そして私たちが胸を張って、笑顔でお別れができるように、全力を尽くしましょう」

 

 力強い、母のような抱擁の中で、さくらはどこか懐かしさを感じながら、ゆっくりと頷く。

 その時、さくらは自身で気が付いていなかった。自分自身が、涙を浮かべながら、柔らかく笑みを浮かべていたということに。




会議の内容は次に続きます。
霧の魔法の全貌がいよいよ判明(真相が明らかになるとは言ってない)


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繰り返す世界の真実

半分以上原作でも説明されている内容です。
ただし、本作での霧の魔法の仕様は若干追加変更されている部分もありますのでご注意を。


 記憶を失っていた少女の正体と、彼女が握っていた枯れない桜の正体が判明し、リッカからの報告も終えたところに、ドアをノックする音が聞こえてきた。

 真っ先に立ち上がったのは、既に『八本槍』を辞めてしまったクー・フーリン。槍の入った筒を肩に背負って、急ぐことなくドアへと向かう。

 ノックをした人間の代わりにドア開けてやると、そこには『八本槍』を辞めたクーの新たな主の姿があった。

 陽ノ本葵――今回の事件の鍵を握る魔法を起こしてしまった真犯人である。

 

「ここまで来るのに、何もなかったか」

 

 緊張した面持ちで、不安そうに視線を泳がせている葵へと向けて、そう問いかける騎士。

 葵はクーの姿を確認するなり、少し落ち着いたようだ。葵から見ても彼の姿というものは何かと物騒な雰囲気は感じられるが、彼女自身、例の夜の星空の下で、彼が葵に投げかけた言葉を最大限に信用している。その代償と言ってしまえば申し訳ないのだが、彼には危険を冒してまで『八本槍』を辞め国家が彼の反逆を疑うような事態を招いて葵に協力するまでのことになったのだから。

 

「何もなかったんですが、むしろこれから何かありそうで――」

 

 言われてみればその通りかもしれない。

 見渡してみればそこには女王陛下が座しており、更にその周辺には度々新聞などで目にしている人外集団『八本槍』の面子が一堂に顔を合わせていると来た。そこに今回の事件の主犯格とも呼べる自分が足を運んだとなれば、いつ殺されても文句は言えない。物理的に。

 

「心配すんな。俺様がいる限りあいつらには指一本触れさせはしねぇ。俺がどうなるかはあいつら次第だが、嬢ちゃんを逃がすくらいの時間はつくってやるよ」

 

 そんな状況にならないようにするのが最善だとは思うが、魔法使いでもない一介のアルバイトが『八本槍』を相手にどうこう交渉できる余地もない。もしそうなってしまった時は、彼の言葉通りに、彼の善意を無駄にしないように全力で逃げ切ることを考えていた方がよさそうではある。

 時間にして大体正午を少し回った頃。本日の会議に出席する必要があったために、仕事先では理由こそ述べることはなかったものの、とりあえずシフトを午前中に留めておいてもらうことで至急こちらに移動、現在に至るわけである。

 例え葵が大規模な魔法を発動させた張本人だとしても、彼女が普段通りの生活を送りたいと主張し、それを元『八本槍』であり、現在の彼女の従者であるクーが許容するのなら、彼を力づくで無力化しない限り彼女の意向は最大限に尊重されるのである。

 

「さて、葵さんも来てくれたことだし、そろそろ本題に入りたいと思います」

 

 葵とクーが席に着いてすぐ、話を切り出したのは、女王陛下エリザベスだった。

 思えば会議が始まった時にエリザベスが女王陛下である旨を清隆に告げた時の彼のリアクションといえば、この風見鶏の学び舎の屋上が吹き飛びかねないくらいの仰天ぶりだったが、それでも彼の理解力は常人と比べて高かったのかもしれない。今ではあっさりと受け入れてしまっている。

 

「地上の霧について、その原因となる魔法が判明しました」

 

 その言葉に、ここにいる全員の視線がエリザベスへと集まる。無論、そもそもの術者であった葵にとっては、それは吉報だったに違いない。

 クーも後で聞いたのだが、葵本人は自分が魔法を発動したことについては認めているものの、その魔法の名前がどんなものだったのかが何故か思い出せなかったのだ。

 推測できる理由としては恐らく、発動した魔法を簡単に解除させないための術者に対する制限だった、というのが挙げられるが、確実とは言いづらい。

 何にせよ、葵自身が魔法名を知らなかったからこそここまで大がかりな調査になっていたのだが、それをエリザベス達王室側が上手く調査を運んでくれたというのは大きな功績となりうる。

 魔法の名前が分かれば、そこから魔法の特性を解析し検証して、解決の糸口にしていけばいい。

 

「案の定――と言いますか、現在地上に蔓延している魔法の霧は、我々魔法使いが決して手を出してはいけない、禁じられた理の超越――禁呪と呼ばれるものでした」

 

 エリザベスの報告に、会議室の空気が緊張で張り詰められる。

 ここにいる全員がそれをあらかじめ予想していたものの、実際にそうだったとなれば、心構えが大きく変わってくる。

 そして、エリザベスの報告は続く。

 

「現在、地上で発動している霧の魔法の名を特定しました。その名も――≪永遠に訪れない五月祭(バルティナ)≫」

 

 張り詰めた空気の中で、エリザベスの清らかな声が響き渡る。

 

「葵さんから話を聞いたクーさんからの説明にもあった通り、この禁呪の能力は、人々の負の感情を集める霧を生成し、それによって一定の範囲の人間の負の感情を収集、同時に霧に触れた人間の負の感情を増幅させ強迫観念を刺激します。それに伴い新たに霧を増幅させることで半永続的に魔力を収集し、集まった魔力によって、四月三十日――ワルプルギスの夜を終点として、再び昨年の新年(サウィン)――十一月一日まで時間を巻き戻すというものです」

 

 停滞、現状維持の象徴となり、人々の負の感情や願いを歪んだ形で叶えてしまう禁呪。それが、地上の霧の正体である。

 そしてそれは当然、その結果を心の底で一番望んでいただろう葵の願いを叶えてくれていたということに他ならない。

 エリザベスの報告に捕捉をするように、隣に待機していた杉並が続く。

 

「地上の霧と、グリーンウッドが解説した桜には共通の能力が備わっている。人々の感情を自動的に収集し、それを魔力へと変換し何らかの形でアウトプットしているということだ。そしてそれ以上にこの地上の霧を警戒すべき理由は、霧がそう言った性質を持つ装置であると同時に、それ自体が後ろ向きな願いを具現化したものであるというところにある」

 

 杉並の説明を理解したのだろうアルトリア・パーシーが、その場で静かに頷く。

 

「つまり、人々が地上の霧に触れれば触れる程、人の心で増幅された負の感情を収集、更に霧が濃度を増して、再びそれに人が触れる――その悪循環が無限に繰り返されるために、その力は今も絶えず強くなってきている、ということですか」

 

 結論付ければ、世界がループを繰り返している根本的な原因は、やはり地上の霧ということになる。

 つまり、地上の霧を晴らさない限りはどうあがいてもループ世界からの脱却は不可能であり、言い換えれば、地上の霧を晴らすことに成功すれば、ループ現象も自然に解消されるということである。

 そして、ギルガメッシュが以前に指摘したさくらの持っていた桜の枝も、ここでようやくその役目を持つことになるのだ。

 魔法を無力化するにあたって、有効とされる手段は大きく分けて二つ存在する。一つは、その魔法の効力を直接消滅させること、そしてもう一つは、それを相殺するような効力を持つ魔法を当ててやればいい。

 今回利用できるのはまさしく後者であり、人々の負の感情を集める地上の霧に対し、人々前向きな想いを集める桜の枝の力を利用して、一気に地上に蔓延する負の感情の塊を消し去ることが理想の形となる。

 

「――さくらの記憶から、願いを集める桜の機構と、問題点もある程度把握できているわ。時間はそこそこ必要かもしれないけれど、ワルプルギスの夜までには何とかするつもりよ」

 

 さくらの頭にぽんと掌を乗っけながら、エリザベスへと自信満々なウインクを贈ってみせる。

 エリザベスもそんな強気なリッカに対して、強い安心感を覚えるのだった。

 

「――それから」

 

 と、エリザベスは続ける。

 

「――あと一つ、≪永遠に訪れない五月祭(バルティナ)≫で、完全なループの輪をつくるために必要な要素があるの」

 

 現在地上で発動している禁呪は、紛れもなく時空という理を超越し歪めているものである。

 正常なものを歪め、そして歪めたまま保ち続ける為の、媒体が必要となる。

 

「それは何?」

 

 リッカの振りに対し、エリザベスは即答する。

 

「生贄――」

 

 世界各地に存在する大規模な魔法や儀式には、生贄を必要とすることがある。それは時として何かしらの動物であったり、人身御供といい、人間を生贄に捧げるケースも存在する。今回エリザベスが出した答えとは、そう言ったものである。

 

「生贄といっても、別に人間を殺して供物として捧げるとか言った物騒なものではないけれども――時空を歪なままに保っておくために、本来ループによって閉じた世界の中に存在しないはずの存在、つまり、大人にならないネバーランドを完成させるためには、ループの外の世界から、ピーターパンで言うところの迷子(ロストボーイ)を呼び出す必要があるのよ」

 

 つまり、この禁呪を完成させ、ループ世界を継続させるにあたって、本来この時空に存在し得なかった人物が迷い込んでいる――そう言うことになる。

 そして、それが誰なのかは、最早言うまでもない。

 ここにいた全員の視線が、ここにいる中で最も小さな少女へと注がれた。

 ループ世界のセーブ地点、十一月一日に清隆とリッカによって拾われた、自分の名前も家族もその全ての記憶を失った金髪のショートヘアの少女――さくらである。

 

「逆に言えば、禁呪の世界を、この歪んだ世界を元の状態に戻すには、この世界に迷い込んだ迷子(ロストボーイ)を元の世界に返してあげる必要がある、そう言うことになっているわ」

 

 ロストボーイであるさくらと、地上の霧はお互いに禁呪を成立させるためのファクターであるため、さくらを元の世界へと返すということは、地上の霧を晴らすということと同義である。

 つまり、地上の霧を晴らすことに成功した時点で、さくらの元の世界への帰還が約束されるのだ。

 さくらはその覚悟を既に決めている。ここにいる全員に、『八本槍』のほとんどが集結しているこの場で、声高らかに自分が正々堂々と帰ることを約束し、そして頭を下げてお願いしたのだ。

 さくらが最も懐いていた清隆にとっても、さくらと別れることはほんの少し寂しいことだったが、しかしさくら曰く、清隆とさくらには何か繋がりがあるらしい。

 それが何なのかは知らないし、ループ世界から脱却し、歪みのない十一月一日からもう一度始まった時、そんなことを話してもらったことすら忘れてしまうのだろうが、それでもきっと、彼女とはどこかで繋がっていられる、そんな気がしていた。

 

「更にもう一つ、この禁呪には付け加えておくことがあります」

 

 まだ何かあるのかよ、とクーが心の中で悪態をつく。

 無意識の内に態度に出てしまっていたのか、葵の隣で頬杖を突いて指先で自分の頬をトントンと叩いていた。なかなかにストレスが溜まってきているらしい。

 

「この報告に関しては文献に関しても非常に曖昧な部分もあったために詳細までははっきりしていないのですが、このループ世界に対して、何かしらの抵抗力――すなわち我々のような、ループ世界から脱却するための力を魔法のシステム側が感知した時、その抵抗を鎮圧しようとする『騎士』が出現するようです」

 

 具体的に、どのタイミングで霧の禁呪のシステムそのものが抵抗力と呼ばれるものを感知するのか、とか、『騎士』という存在は名前の通りの存在なのか、そうであった場合はどれくらいの実力を持つ物なのかなど、判明していない問題点も多いとエリザベスは補足する。

 最終的な呼びかけとしては、ここにいる全員は、地上の霧を晴らす者として、『騎士』なる存在の出現に最大限の警戒をしてほしいということだった。

 その時、エリザベスの懐から、鈴の音が響く。

 慌ててシェルを取り出したエリザベスは、焦ったような様子でシェルのテキストを確認すると、再び真剣なものへとその表情を引き締めた。

 

「緊急事態です。ここロンドン一帯で、時限式爆弾が多数設置されているとの情報が入りました。その数――特定不能。ここにいる皆さんには、できる限り、爆弾の捜索及び撤去、並びに犯人の捜索確保のミッションを遂行してください。今回の事件は、風見鶏の全校生徒にも協力を仰ぎ、街の見回りと不審人物の捜索をさせたいと思っています」

 

 彼女の依頼にいち早く立ち上がったのは、アデル・アレクサンダーだった。強力な使い魔を失ったとは言え(現在同じ部屋で女王陛下を前に傲慢不遜に踏ん反り返ってはいるものの)、彼の王室、女王陛下に対する忠誠心は厚い。彼ならば全てのミッションを確実に遂行してくれるだろう。

 彼に続いて、アルトリアとジェームス・フォーンも立ち上がり後に続く。

 

「なお、既に避難は完了していますが、その際に例の黒い影の出現を確認、報告によれば今までとは違い、人型や鳥型など、黒い影の形がはっきりしているそうです。現在のところ死傷者はいませんが、姿形が違う以上、襲撃される可能性もあります。十分に注意してください」

 

 エリザベスの通達に、葵の表情は再び憂いを見せる。

 また、自分のエゴが招いた夢が、誰かを脅かしている。誰かを苦しめ、苛ませている。

 ここにいる誰もが、霧を晴らすことを誓って立ち上がってくれた。だからこそ、自分のためにみんなが立ち上がるからこそ、そんな時に限って何の力もない自分が情けなくて仕方がない。

 いつだって弱くて、無力で、頼ってばかりで叶えてもらってばかりだった。

 重く沈む頭に、丁寧に整えられた栗色の髪をくしゃりと崩すように、誰かの手が頭に乗った。見るまでもなく、その手が誰のものなのか、葵には分かる。

 

「腐ってる場合かよ。俺様の誇りは嬢ちゃんに託した。今の俺の主はエリザベスでも、当然リッカでもジルでもない、嬢ちゃんだからな。嬢ちゃんが胸張って顎引いて前向いてねぇと、俺様とこの紅い槍の誇りが廃れるってもんよ」

 

 そう言って、背中の筒をくいくいと主張させる。

 

「そうだな、ざっと見積もってあと最低二十年――ってところか。それくらい歳食えりゃいい女にもなるだろ。その時にリッカやジルと並べりゃ――この俺様があんたを貰い受ける」

 

 最後に頭をくしゃくしゃと滅茶苦茶に撫でて、葵に背を向けて、腕の筋を伸ばしながらのんびり歩いて会議室を去っていく。

 彼の最後の一言は、本気だったのか、それとも冗談だったのか。いずれにせよ、その後ろ姿に、戦いに熱を帯びるその背中に、葵はほんの少しだけ、そんな未来を夢見てしまう。

 そんな未来など決してありえないと、内心で寂しく苦笑しつつ。

 

「風見鶏の生徒会メンバーには、一度地上に出てこちらで指定する施設で全体の指揮を執る役目を負ってもらう。生徒会長シャルル・マロースを総指揮官として、リッカ・グリーンウッド、五条院巴がそれぞれマロースをサポートしろ。それと、各クラスから代表二名をここに呼ぶように。各クラスからの情報を受信、並びに指揮官への報告、現場に更なる指示を与えるための通信役を請け負ってもらう」

 

 杉並の素早い指示に、リッカの視線はすぐに清隆へと向かう。

 リッカにしてみれば、既に通信役の二人を決めてしまっているようなものだった。

 

「清隆、通信役、お願いできるわね?」

 

 リッカの問いに、清隆は慌てて振り返るが、すぐにまっすぐな視線を向けて強く頷く。

 

「躊躇ってる場合じゃありませんし、やれることを全力でやってみます」

 

「よろしい。それじゃもう一人、姫乃に連絡してもらえるかしら?事情は私から説明するから、メンタルとかのコンディションは清隆のテクニックで万全にしてあげて」

 

 こんな緊迫している場面で、それでも十分な余裕を持って悪戯な笑顔を浮かべるリッカ。

 やはりこの人には敵わないと苦笑いを浮かべつつ、シェルにて姫乃を呼び出す。

 清隆が彼女に向けて話し始めて数秒後、シェルの向こう側から姫乃の叫び声が、傍にいるさくらにも聞こえるくらいに響き渡っていた。




やばい本当に風見鶏編ラストが遠く感じる。
ゴールはもうすぐそこまで近づいてきているはずだというのに、まるでゴールの方が全力で逃走しているように感じる今日この頃。


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悪夢の侵攻

遅れて申し訳ないです。
最近いつもこんな感じ。


 霧が全てを包み込むロンドンの街中、一般人が誰も気付かない中で、都市壊滅の危機が訪れていた。

 情報部から送られてきた報告によれば、ロンドンの地下に無数に埋め込まれた小型の時限式魔法爆弾が一定時間後に爆発し、ここグレートブリテン島を大地震が襲う脅威が発生したとのこと。更にそれに乗じて、例の黒い影がロンドンの街中に出没、以前のタイプとは違い戦闘力としての脅威があるとのこと。

 これに対し風見鶏は、手の空いている本科生と予科生全員で爆弾及び不審人物の捜索を遂行、また、黒い影に関しては『八本槍』にこれを討伐及び殲滅することを要請した。

 風見鶏は通信司令部として生徒会長シャルル・マロースを総指揮官とし、その傍でリッカがサポート、更に各クラスからの報告や、新しい指示などのオペレーティングを担当するのが、この十二月で生徒会役員選挙に立候補している葛木清隆とメアリー・ホームズ、更にもう二人、葛木姫乃とエドワード・ワトスンとなる。五条院巴とイアン・セルウェイは共に遊撃手として現場を担当することになっている。

 それぞれのクラスでは、三人から五人で一つの班を作り、その班で行動を共にすると同時に、爆弾や不審者の発見を班長が通信司令部に報告、新たな指示を待つという形になる。

 国会議事堂前に待機している風見鶏の生徒が上空を見上げてみれば、そこには怪鳥の形をした黒い影が複数体飛び回っていた。こちらに気が付けば一斉に襲い掛かってくるのかもしれない。

 カチャリと重厚な鎧の音を軋ませながら、一歩前に足を踏み出したのは、愉快気に口元を歪めているギルガメッシュだった。その後ろには、憂う表情で空を見上げるさくらの姿がある。

 

「――蚊蜻蛉(カトンボ)風情がこの我を見下すか。貴様らに天翔ける姿は似合わぬ」

 

 そう言いつつ、背後に展開した黄金のカーテンから、例の飛行物体を取り出す。

 それに乗り込んだギルガメッシュは、次の一歩を迷っているさくらに視線を向けて、高らかに言葉を紡いでみせた。

 

「この世界を余すことなく俯瞰する我の領域を、貴様ら雑種が追い求める夢の果てにある現実を、貴様に見せてやろう」

 

 その言葉は、暗にさくらに、この船に乗れと語っていた。

 今更彼を怖がる理由もない。彼が見ている世界が、自身が身の程も弁えず愚かしく追い求め叶わなかった自分自身のあるべき姿がどういうものなのか、知りたくもあった。

 黄金の船に足をかけ、勢いよく乗り込むと、黄金の飛行船はゆっくりと高度を上げていく。不思議と不安を煽るような浮遊感もなく、思っていた以上に、以前に彼に助けられた時と同じように、快適な空の旅を約束してくれる。

 そして金色の船は、勢いよく急加速し、仰角直角近くの角度で天空へと駆け上がる。

 黒い影の怪鳥がこちらの存在に気が付いて、恐ろしい速度でこちらへと滑空し接近する。

 しかし英雄王の船はそんな畜生の追随など許さず、遥か高みへと舞い上がっていく。

 雲を突き抜け、怪鳥が追ってくる様子さえ見えなくなってしまった時に、ようやくギルガメッシュはその玉座から腰を上げ、船の先端へと歩んでいく。

 

「さぁ――この世で最も豪華絢爛な雨を降らせようぞ!我が至宝にその身を焦がすことを光栄に思うがいい!」

 

 更なる天空に、この空の全てを覆い尽くさん限りの黄金のカーテンが展開される。そして無数の波紋を打ちながら、同じく無数の力の象徴――ありとあらゆる宝具の数々がその雲にさえぎられることのない陽光に刃先を煌めかせ、真っ直ぐに地上へと向いている。

 そして、それらは轟音と共に、雨霰のように弾丸を遥かに凌駕する速度で天空から地上へと急降下を始めた。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 既に地上で大型の獣の形を成した黒い影を五体、巨人の形を成した黒い影を三体、そして一般人サイズの人型の黒い影を数えきれない程に狩ってきたクー・フーリンは、残念ながら地上まで落ちてきそうにない宝の雨を仰ぎながら溜息を吐いた。

 

「おいおい、始まったばかりだってのに、凱旋の祝砲にしてもあれは流石に豪華過ぎるだろ……」

 

 あの物量だと間違いなく空中を飛行している怪鳥の形を成した黒い影はほとんど残らず消えてなくなるだろう。

 もしこれらが、あの英雄王が何の手心もなく遠慮もなしに地面に叩きつけられていたならば、街並みの甚大な被害と、ミッションを開始している風見鶏の学生の犠牲を踏み台に、全ての敵を殲滅できていただろう。それをしなかったというのは彼の強者としての余裕だろう。

 飛びかかってくる大型の狂犬の牙を軽く避け、次の突進に合わせて槍を突き一撃で仕留める。

 以前の曖昧な形の黒い影よりは、向こうから攻撃を仕掛けてきてくれるため比較的やりがいはあるものの、残念ながらその強さというのも結局クーの期待に応えてくれる程のものではない。むしろこれくらいの戦力であれば弟子であるエトに集団を相手取った時の戦い方を実践を通じて享受してやることもできたかなどと余計なことを考えてしまう。

 斧のような武器を持った黒い人影が得物を振り下ろす前に喉元へと気の抜けた一撃を叩き込む。するとその人型は解けるように消えていった。

 

「俺に爆弾の解除まではできそうにねぇが、探すだけでも探してみるか……」

 

 どうせ黒い影と張り合ったところで何も面白くない。だったらせめて、何もしないよりかは何かしらの仕事をしておく方が退屈はしないだろう。

 そうと決まれば話は早いと、クーは抜け道を使って入り組んだ裏路地へと姿を消す。

 こそこそと逃げ隠れするような真似はあまり好きではないのだが、これでもサバイバル生活の時に勝手に身についてしまった術の一つでもある。不本意ではあるが人通りの少ないところの使い道には精通しており、同時にこの辺りのそう言う場所は粗方チェックしてある。散歩というか他所に出かける際になんとなく道を覚えてしまった程度だが。

 入り組んだ道を進んで少し下ところで立ち止まり、足元を見下ろす。そこには地下へと通じるマンホールがあった。しかしこのマンホールは、一般人では認識することはできず、カテゴリー4の魔法使いとなってもそう簡単に認識することはできない。そのようなレベルの高い魔法使いですら精々目を凝らしてみればそこにあったくらいのものである。

 マンホールの蓋を外し、その中にするりと入り込む。そしてマンホールの蓋を閉じ、日の光が当たらなくなったところで、手すりから手を離し地下の足場へとストンと降り立った。

 

「うわ、いつ来ても不快な匂いしかしねぇなここ……」

 

 降り立ったそこは、地下に張り巡らされた下水道の一つである。

 というより、表向きでは下水道ではあるのだが、実際のところは下水道でも、ライフラインの敷設用という訳でも、鉄道の線路があるわけでもない。ここはとある隠された理由によって開通された地下道なのである。

 当然あまり衛生的な場所ではなく、匂いも酷く湿度が高くジメジメしており、更に日の光も当たらず暗いこともあって元々不快な気分がますます滅入ってしまうような場所だ。

 光が届かないためとんでもなく暗いが、暗所などクーにとってみれば大したこともない。自分が歩く僅かな足音の反射や、頬に触れる、普通に周りにある空気とは別の、壁などから発される僅かに温度の違う空気を感じ取るような方法でも使えば大体周囲の構造がどのようなものなのかははっきり分かる。そうでなくとも夜目の利くクーにとっては周りが見えないこともないのだが。

 ちなみに、この地下道は一般人には全然知られておらず、この地下道に入るためのマンホールが魔法によって厳重に隠蔽されているのも、ここが国家機密レベルの秘匿に当たる場所だからだ。

 ここを道を違わずにしばらく進んでいけば、その先にはバッキンガム宮殿の地下へと通じる。逆に言えば、バッキンガム宮殿からここを通って、誰にも見つかることなく安全に脱出できるという訳だ。つまり、有事の際は、国王をはじめとした王室の王族がバッキンガム宮殿でテロリストなどに襲われた時、ここの地下道を通じて避難し、レベルの高い魔法使いでさえ視認することができないマンホールから脱出できるということである。

 

「さてと探知(サーチ)でも始めてみますか」

 

 そう呟いてみると、彼自身の声がこのトンネルのような構造の地下道の中で無数に反射する。

 誰かに聞かれると問題がある、とかそういう訳でもないが、何となく気にしてしまうクーはさっさと作業を済ませることにした。

 右手の人差し指の先に軽く魔力を集中させ、そして空中に文字を書くように指を動かしていく。魔力の塊が光となって空中に固定されたそれは、とあるルーン文字を刻んでいた。

 物体を探し出すことができるルーンによって、この地下道の正確な構造と探し出す物体――ここでは時限式魔法爆弾を位置を、立体化された地図のようなイメージで頭の中に刻まれていく。

 ルーン魔術の発動の結果、この周辺にある爆弾の数は、僅か三つということだった。

 それぞれまだ爆発するまでに魔力は充満してはいないようだが、いずれにせよ時間が経てばすぐに爆弾の中の魔力が膨張し破裂して巨大な爆発力を生みだし周囲を木端微塵に破壊し尽くすだろう。

 とりあえず爆弾の傍まで近寄ってみて、そして懐にしまいこんでいたナイフを使って目印を作っておく。そしてリッカに連絡をしようとシェルを握り込んだところに、聞き慣れた女性の声がこの地下道を反射しつつクーの耳へと飛び込んできた。

 

「やっと、追いついた」

 

 遠い向こうから光源が見える。光量としては十分であり、こちらが既に向こうの顔をはっきりと見るくらいには既にここは明るかった。

 真っ先に目に入ったのは橙色のセミロングヘアをした、風見鶏の本科生の制服の少女だった。

 

「テメェ何でこんなところにいるんだよ」

 

「だってクーさん爆弾は見つけられても解除はできないでしょ?」

 

 姿を現したジル・ハサウェイは得意げに胸を張ってみせた。普段は落ち着いていておっとりとしているが、こういうところでもの行動力は凄まじい。こんな危なっかしいところは相変わらずリッカとそっくりなのだ。伊達に彼女の親友を名乗ってはいない。

 彼女曰く、ジルは始めは接近してくる黒い影を、繊細に編み込まれた防御魔法などを上手に活用していなしつつ単独で巴の指示を仰いで捜索の作業を続けていたのだが、クーなら途中で黒い影の相手に飽きてきてなんだかんだで爆弾の調査に移るだろうことを予想していたらしい。そこで自分で探すよりそう言う物騒なものに鼻の利くクーを上手く活用するために魔法によって彼の魔力のありかを探し出しては追ってきたのだという。

 

「いやまぁ、テメェら学生は原則班行動って話じゃなかったのかよ」

 

「原則はね。でも原則って言う時は大体例外もつきものでしょう?」

 

 そう言って可愛らしくはにかむジルに、クーは何も言い返すことができなかった。

 事実、班での行動をせずに単独で行動することで、黒い影との遭遇時の被害のリスクは大きいものの、それを自らの力で跳ね返しここまで来たというのなら、結果としては間違いなかったと言える。ここで危険ではないかと糾弾することもできることにはできるのだが、傷一つなく余裕の表情でここに立っている以上、それも無駄ということである。それに最悪ここからはクーの護衛があれば何の問題もないのだから。

 

「チッ、分かったからさっさとここの爆弾を解除してくれや」

 

 舌打ちを交えつつそう言って、握った拳の親指を立て、壁に向けてくいっと爆弾の場所を指差す。

 ここにあるのは壁に埋め込まれた、解除するにも大変面倒なものなのだが、これもジルに掛かれば朝飯前のものである。

 

「了解。じゃあちょっと爆弾の術式を探ってそこから逆算、解除のための術式魔法を再構成するから待ってて」

 

 そう言って黙り込んだかと思えば、壁に手を突いて瞳を閉じる。きっと既に彼女の瞼の裏側では数多くの難解な演算が始まっているのだろう。

 唇が僅かに動いているのをクーは見た。恐らく脳内に刻み込んでいる複数の術式を整理するために、声に出さない程度に復唱しているようだ。

 クーにとってみれば、魔法というものがどういうものなのかはあまりよく分かってはいない。そもそも大きく分類するならば彼は魔法使いという存在ではないし、彼が唯一使用できる魔法もルーン魔術と呼ばれる全く別の系統の魔法である。扱える人間は滅多にいないようだが、そもそもあまり使わないものなので考えたこともない。

 とは言え、リッカやジルが行使する魔法というものがどれだけ素晴らしいものなのか、これまでの付き合いの中で何となく分かっていたものだ。

 簡単に言ってしまえば、強かで、美しい。それはちょうど彼女たち二人の存在そのもののようで、不覚にも感嘆の溜息が零れそうになるくらいに。

 魔法とは、奇跡である。誰かが、誰かの幸せを願って、誰かを守るために、誰かを笑顔にするために、決して自分の為ではなく、他の誰かのために使われる、奇跡のような力。

 ひたすら自分のために力を振るい続けてきたクーには、その力の使い方を理解することはついぞ叶わなかったが、納得することはできている。

 現在の政府の魔法使いに対するぞんざいな扱い、それにめげることもなく繰り返し魔法使いとそうでない人間の共存――とまではいかないまでも、せめて魔法使いが一般人を脅かすものではないと同時に、魔法が決して危険ではないということを示すために戦い続けている彼女たちを見ていたら、何故か彼女たちが羨ましいと思ってしまう。目に見える、強さを肌で感じられるような、そこに実在している敵ではなく、何かよく分からない、どうすればいいのかも分からないような何かを相手取るというのは、どういう気分なのだろうと。

 ただ力しかなかった自分が、そんなものを相手取った時、果たして何ができるのだろうと考えてみれば、不意に自分が弱くなったのではと錯覚してしまう。

 そうこう考えている内に、ジルの口から、よし、という声が聞こえてきた。

 時間にして僅か数分、もう爆弾を解除してしまったのだろうか。

 

「ここはバッキンガムから一番近い爆弾みたいだから、慎重かつ迅速に作業に当たった訳だけど、何とか上手く行ったよ。でも――」

 

 その場でへなりと座り込んでしまう。そうやら疲れてしまったようだ。

 

「少し無理しちゃったみたいかな」

 

 ニハハ、と乾いた笑みを浮かべて指先で頬を掻く。

 大事なところで後先考えずに無理をしてしまうところもリッカにそっくりだったか。半ば呆れたクーは、座り込んだ彼女に手を差し伸べる。

 

「休んでる暇はねぇぞ。まだ二つ残ってるんだ。連れてってやるから掴まれ」

 

 そう言うなりすぐに腕を差し出したジルを強引に引っ張り上げ背中に負ぶってやったクーは、文句を呟きながら次の爆弾の箇所へと向かっていった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 姫乃たちが通信司令部でクラスメイトと通信をしている最中、リッカたちは外からの悲鳴を聞いた。

 一斉に通信指令室にいる全員の視線が外へと繋がる扉へと向かうが、既に空気は緊張の糸をピンと張りつめさせていた。

 ガチャンと扉が開く音。倒れ込むように入室したのは、外の警備をしていた風見鶏の本科生の男子生徒だった。

 

「こ、この周辺で、黒い影が増殖しています!物理魔法を専攻している本科生が足止めをしていますが、時間の問題です!皆さんも早くここから撤退してください!」

 

 そんなバカな、悲痛な顔でそう漏らしたのはリッカである。

 ここはリッカが強力な結界を張って、黒い影が侵入できないような態勢を張っていたにも拘らず、大きな魔法だったために生まれてしまった術式の綻びを突かれたか、純粋に力技で破壊されたか、侵入と増殖を許してしまったらしい。

 こうなってしまっては、風見鶏に入学してまだ数か月しか学んでいない、ここにいる予科生をこれ以上ここに留まらせる訳にはいかない。

 現在他の『八本槍』のメンバーも各々ここから離れたところで黒い影との戦闘を始めており、ここに戻ってくるにも時間がかかる。

 今自分たちがすべきは、リッカが自ら黒い影を引きつけ、その内にオペレーターを務めていた予科生をここから安全な場所へと避難させることである。

 

「リッカ、オペレーションの機能不全については私が引き受けるから、リッカは黒い影を何とかして!」

 

「分かったわ!できるだけ時間は稼ぐけど、早めによろしくね!」

 

 そう言って、リッカは急いで外へと飛び出した。

 緊迫の通信指令室では、不安そうな面持ちで姫乃が、メアリーが、エドワードが、そして清隆がちらちらとシャルルの方を見ている。

 

「それでは、今から一度ここから避難します。しばらく通信指令室が使用できないことを伝えるために、こちらから全員のシェルにテキストを送信します。そのために一度皆さんの機器へと送信するので、着信し次第全員に一斉送信してください」

 

 シャルルは自らシェルを取り出すと、急いでシェルへとテキストを打ち込んでいく。そして貝殻が音を立てて閉じられたと同時に、全員の通信機器へとテキストが送られてきた。

 清隆たちはその内容を素早く確認して、すぐに一斉送信の操作をする。

 そして、シャルルの指示に従い、彼女を戦闘として、通信指令室を後にした。

 外に出てみれば、リッカが何人かの本科生を連れて、黒い影の足止めを遂行していた。

 

「リッカ、大丈夫!?」

 

「そろそろ大丈夫じゃないわね。これだけの量、『八本槍』の方々は軽く片付けていたんだけど、どうやら普通の魔法使いじゃそう簡単には行かないみたい」

 

 そう言いつつ、風の魔法をこれでもかと吹き荒らしつつ、最前線の黒い影を吹き飛ばしては態勢を保っている。

 しかし見ている感じでは、大きな魔法の使い過ぎで疲れが目立ち始めている。このままではリッカが倒れてしまうどころか、魔法の力が弱まった隙に黒い影が押し寄せてくる可能性がある。

 恐らく、黒い影が一頭か二頭であれば、さほど苦労することもなく倒すことができただろうが、何にせよ数が多すぎる。

 シャルルは攻撃が可能となる物理魔法を専攻してはおらず、あまり得意な分野でもないため、戦力としては当てにならない。ここはリッカに頼るしかなかった。

 

「皆さん、リッカがここを押さえている内にここから撤退しましょう」

 

 黒い化け物、異形を前に、姫乃たちの脚が震えているのが分かる。下手をしたら殺されるかもしれない、そんな世界に自分たちがいるということに恐怖しつつ。

 全員が弱々しく頷き、足を動かし始めたシャルルに従いその後を追う。

 その瞬間だった。

 

「きゃ――」

 

 リッカの小さな悲鳴、清隆が振り返ってみれば、転倒したリッカの姿がそこにあった。ほんの一瞬の出来事だったが、すぐに立ち上がった彼女に怪我はなさそうだ。

 しかし、次に前方から聞こえてきたのは、シャルルたちの悲鳴だった。

 清隆の視界が妙に薄暗くなる。一瞬のうちに自分の上空に雲がかかったかのように。

 見上げてみれば、そこにいたのは、爪を光らせ、牙を剥いて飛びかかってきている獣の黒い影の姿だった。

 引き裂かれるまで、食い千切られるまで、もう一秒とない。瞼をぎゅっと閉じる、身を屈める、悲鳴を上げる、反応は様々だった。

 

 ――柔らかいものを引き裂く音が鼓膜を打った。

 

 姫乃が視線を上空に戻す。メアリーがゆっくりと瞼を開ける。エドワードが尻餅をつく。清隆は、突然に折り重なる様々な事態に、指一本動かせてはいなかった。

 そして、シャルルを含めた全員の視界に入ったのは、鋭く煌めく金属の閃きだった。

 黒い影は、いつの間にか姿を消している。

 そして、ストンと軽い足音を鳴らして着地をしたのは、白銀の髪の少年だった。彼の腰元から、シャランと小気味の良い音が響く。

 

「――よかった、間に合ったみたい」

 

 風見鶏の予科生の制服の腰に刺してあるのは、刃が鞘に仕舞われた一振りの片手剣である。

 立ち上がって、誰もが惹かれるような笑みをこちらに浮かべたのは、生徒会長、シャルル・マロースの弟、エト・マロースだった。




一話で終わらそうと思ったら、いろいろなキャラを活躍させようとしたせいで更に伸びてしまいました。
という訳で爆弾捜索は次回に続きます。


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雅なる一閃

定期更新のリズムをを調整するために少し遅らせました。
待っててくださって皆さんは大変お待たせしました。
待たせた時間と文章の質は全く比例しておりません。ご注意ください。


 いつも通りの爽やかな笑みを浮かべたエトの姿が、そこにはあった。

 ただいつもと違うのは、その腰元には一振りの剣が鞘に仕舞われていることであり、今まで清隆たちが見てきた温厚で優しいエトの雰囲気とは程遠い、逞しく鋭い雰囲気を漂わせていた。

 目の前に現れ、颯爽と直前の危機から自分たちを助けた小さな勇者は、シャルルにとって、他でもなく、自分の弟であるエトだったから。

 いつの間にか、姉である自分を守れるくらいに強くなって、襲い掛かる強敵の前に立ちはだかり守ってくれているその姿が、あまりにも眩しかった。

 獣の黒い影に突き飛ばされ派手に転倒したリッカはすぐさま立ち上がり、シャルルたちを素早く助け出したエトの方へと視線を向ける。

 リッカが戦線を維持できなくなった結果、大勢の黒い影がエトの方へと押し寄せることとなる。

 

「ごめん、ちょっと待ってて」

 

 エトは姉にそう言い伝えると、獰猛にこちらに押し寄せる黒い影の大軍へと向けて、静かに振り返る。

 剣の柄に手をかけ、そして黒い影の集団の、一番後ろにいる敵をしっかりと見据え、そして地面を抉るような強さで蹴り出したと同時に剣を鞘から抜き放つ。

 鞘をレール代わりに刃を急加速させ、抜刀の一撃を可能なかぎり高速の域へと引き上げる。術式魔法も複数利用した上で――銀閃で黒を一瞬とない内に二つに断つ。

 纏めて五体。素人であるシャルルたちがその姿を捉えることもできないままに、黒い影はその姿を霧へと変えた。

 しかし、まだまだの数は多い。更なる大群がエトへと押し寄せてきた。

 エト自身その表情に苦しい表情をしているが、流石にこれだけの量を一度に相手をするのは厳しいかもしれない。

 覚悟を決めて剣を構えたその時だった。

 

「――何分この程度の脳しかない故、助太刀だけに我が太刀を貸そう」

 

 数十頭はいたはずの黒い影が、纏めてバラバラにされていた。

 霧に消えていく黒い影の隙間から次第に姿を現したのは、雅な陣羽織をきっちりと着込んだ群青色の長髪を綺麗に結い上げ整えた、侍のような長身の男。

 まるでそうあることが当然であるかのように、そうなることがあらかじめ決まっていたかのように、彼の太刀が次々に黒い影を両断し消滅させる。

 

「遅くなったな少年、ここはこの()()に任せてはくれないか」

 

 自らを卑下する眉目秀麗の風雅の侍。

 しかし次々に襲い掛かる黒い影は、彼の巧みな剣捌きによって次々に消滅している。その太刀筋は最早、普段クー・フーリンに稽古をつけてもらっていたエトが傍で見ていようとまるで見切ることができるとは思えない程に鋭く滑らかで速過ぎた。

 

「わざわざこちらまで駆けつけてくださってすみません。ご協力よろしくお願いします」

 

 その侍――佐々木小次郎を名乗る男の言葉に、エトは再び剣を握り直しながら改めて協力を仰ぎ直す。

 彼の真摯な瞳に小次郎はそっと微笑む。彼の太刀のように鋭い瞳が青く閃いた。

 稲光のような斬撃を黒い影に浴びせながら、その視線は茫然と立ち尽くすシャルルたちに向く。

 

「魔法使いたちよ。ここは引き受けよう。引き続き指揮の舞台へと戻るがいい」

 

 剣閃。音もなく二つに分かれた黒い影が宙へと霧散する。

 撤退しようとしていたシャルルたちは、『八本槍』の登場と戦況の変化を見て、ここはとりあえず安全であると判断する。

 剣を振るい、黒い影を薙ぎ倒すエト。姉へと向けて、大丈夫だと頷いた彼は、ここで戦うという強い意志を彼女へと届ける。

 その逞しい笑顔を見て、シャルルは決意する。

 数年前まで病床に磔にされていた少年は既にいない。その時の彼自身を踏み台にまでして、いまそこで勇敢に異形と戦う勇者がいる。ならばせめて、彼の剣の軌跡を妨げないように、彼の意志を汲んでここで踏み止まるべきだ。

 

「分かりました。それでは、リッカとエトは、『八本槍』佐々木小次郎さまと協力して周辺の黒い影を掃討してください」

 

「――任された」

 

 三つ首の狂犬が、小次郎へと牙を剥いて飛び上がる。

 一般人の感覚からして、犬が獲物を追いかける速度は速い。犬のそれを遥かに凌駕した速度で飛びかかる狂犬を前に、小次郎は刀の刃先を相手に向け、半身に構えて型を取る。

 

「協力の証に一つ披露しよう。特にすることもなかったが故に流木と自称するこの私が半生で磨き上げた秘剣――『燕返し』を」

 

 霧の中で僅かに残る光の残照を浴び、踏み込んだ小次郎の動きに合わせて刃先の光が煌めく。

 そしてその閃きは次の瞬間一筋から三筋へと――増えた。

 一瞬と呼ばれる刻にも満たない、洗練された太刀筋。

 飛び上がった獣は、跡形もなく消え去っていた。

 これまでエトはその全てを見てきたが、己の未熟故に、それらを全て視界に収めることは到底かなわなかった。

 今回もまた同じだ。彼の太刀筋など、見切ることなど不可能――しかし、そんなエトにすら、一目で分かってしまった。

 一度間合いで発動されてしまえば、回避することなど不可能、回避防御のために距離を置くことは愚か、ダメージ覚悟で強引に斬り込んでも、その前に確実に首を落とされる、人の領域では存在し得ない『絶対』の領域。

 

「凄い……」

 

 剣筋が三本に分裂したという事実だけしか認識できなかったエトには、そんな言葉しか口にできなかった。

 だが同時に、格上を通り越して、決して手の届くことのない雲の上の存在を間近で見ることができる。自分と同じで、剣を扱う達人。その戦いぶりをこの目で見ることができる。

 師匠と同じ実力を持つ『八本槍』の一人、世界最高峰の剣技を操る剣士の、極上の一振りを。

 刃を交わすことができないのなら、せめて隣に並んで同じ刃で敵を討つ。

 目の前に群がる黒い影を一望する。隣にはだらりと腕を垂らしてはいるものの、それは剣を極めたものが真に至るとされる極致、技を捨てることで技とする無形。

 

「容姿はまだあどけないが、しかしその心は獅子の子だったか。槍を嗜む彼と同じ、野性に生きれば肝も据わる、か」

 

 まだまだこれからだ、隣で一心に剣を構える少年をその長身で見下ろして、小次郎はエトにそう評価する。

 なれば今こそ研鑽の時、流木の役目は彼の機会を潰さぬように立ち回り、粗方の敵を討ち果たすことか。

 

「少年――共に参ろう」

 

「――お願いします」

 

 二人の剣士は、足並みを揃えて黒の向こう側へと飛翔した。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 数分前――エトたちと共に班を組み、四人で行動を共にしていたサラは、黒い影の集団に遭遇した。

 この任務が開始される前に、全体に黒い影の画像を添付したテキストが送信されているのを見て、黒い影がどのような容姿をしているのかはある程度は理解していた。

 しかし実際に視界に収めてみればどうだろうか。

 強烈なプレッシャー、目というものが存在しない彼らが首をこちらにもたげるだけで、悍ましく睨みつけられているような錯覚――いや、これは錯覚なのだろうか。

 爪と牙を剥き出しにし、今にも飛びかかろうと身を屈める獣の形をした黒い影もいる。

 黒い影は『八本槍』が発見し次第駆逐する算段になっていたはずだ。それが今ここにいるということは、少なくともたった八人の『八本槍』では、無数に増殖する黒い影に対して、この広いロンドンの中で対応が遅れ始めているのだろう。

 およそ三メートルはあるだろうか、巨人のような黒い影がのっそりと足を上げ、こちらへと距離を詰めようと動き出す。

 じりじりと足を竦ませながらも後退を始めるサラたちを尻目に、一歩前へと踏み出した少年がいた。

 巨人の一歩で発生する風圧に白銀の髪を弄ばれながらも、その瞳は一瞬たりとも黒い影を離さない。

 

「危ないから、みんなはちょっと下がってて」

 

 危ないと静止の声を背中で受けつつも、エトは制服の上着に隠していた、一振りの剣を取り出す。ミッションが始まる前に、師匠であるクーから受け取ったものである。

 小柄な少年の小さな制服に隠れるくらいの代物だ。リーチで言えばそこまで優れたものではない――が、後ろで怯えている少女たちをこの窮地から救い出す程度には、十分過ぎる。

 鞘にしまい込まれた曇りのない刃をそっと抜き放ち、歩みを黒い影の集団へと進める。

 胸を刻む昂揚感。呼吸の一息一息が全身に駆け巡り、日常状態の体が、腕が、足が、次第に戦闘のための道具へと変換されていく感覚。

 興奮が身を包んでいく。体が熱くなっていくのを感じながら、エトはその場で足を止めた。

 みんなを助ける――たったそれだけの想いが、エトを戦場へと駆り立てる。

 実戦経験などない。これまで力をぶつけてきた相手は、攻撃すらしない師匠くらいである。

 初めての戦いは、相手を消すか、自分の命が奪われるか。掌で握り込んでいるこの得物で、初めて敵を切り裂き貫かなければならない。その現実を前に、エトの体の中で、頭の先から足の先まで一本の緊張の糸が張り詰める。

 負ける気はしない。相手は異形とは言え、人の形をしたものであり、獣の形をしたものである。

 見たことがある生き物ならば、散々カウンターで叩きのめされても這い上がってきたエトが、勝てないことなどあり得るはずがない。

 

 ――襲われる前に、襲撃する。

 

 待ちの一手、相手の出方を窺いそれに対してカウンターを仕掛ける戦法もないことはない。

 しかし、エトの訓練相手があのクー・フーリンである以上、先手を取られては確実に戦闘の主導権を握られてしまう状態をつくられる訳にはいかないという意識から、エトは自ら飛び出した。

 明らかな体格の差のある相手に飛びかかるエト。サラを含めた三人の女子生徒は悲鳴を上げる。次の瞬間、エトの体がバラバラにされるという光景を幻視して。

 一番近くにいた巨人の黒い影が振るう巨腕を、速度の強弱(チェンジ・オブ・ペース)を巧く使い、地面との間でスクラップにされる前に潜り抜ける。

 懐に潜り込んだエトは、飛び込んだ瞬間にしゃがみ込み全身に力を貯め込んだバネの力を用いて左回りに一回転、遠心力と全身の力で左足を思い切り叩き斬る。

 崩れ落ちる巨体。潰される前に脇からすり抜け、その際に横腹へと斬り込んでとどめ。

 次に視界に飛び込んできたのは、お互いが弾かれ合う危険性を無視して群れを成して飛びかかる無数の黒い影だった。

 これが人間であるならば、集団戦、特に刃物などの危険物を用いた戦闘になるとお互いが邪魔にならないように少数で相手取られることが多いそうだが、この黒い影にそんな知能はない。理論上無限に数を増やし続けられる以上、多少のデメリットを負ってでもエトを圧殺しようとしているのだろう。

 流石に対応しきれない。

 残りの距離と黒い影の接近速度から、最大で五、六回くらいは斬撃を加えることができるだろうが、この剣のリーチ上、それだけでは到底群がる全てを無力化することはできない。

 

 ――ここまでか。

 

 せめて一体でも多く斬り伏せようと、エトは最短で斬撃を放てる構えを作る。

 迫り来る腕や牙、爪によるダメージ、最悪死をも覚悟し、ルビー色の瞳を光らせたその時だった。

 

「――」

 

 何者かの静かな息遣い。静かなる一息が耳に飛び込んだ瞬間――目の前の黒い影が、纏めて四散した。

 消えゆく黒と黒の隙間から姿を見せたのは、長身の太刀を背中に背負った鞘へと静かにしまい込む、昔の日本にいたと言われる侍のような姿をした男だった。

 

「まさかこんなところにまで生えてくるとは。いやはや、人を襲う本能があるだけにそこらの草より質が悪い」

 

 エトを背に雅な笑みを浮かべて黒い影を一望する侍。

 更にその後ろから、サラはその姿を見て、彼の姿を以前に本か何かで見たことがあることを思い出した。

 彼こそ、クー・フーリンと並ぶ武芸の実力者、人の域を超えた集団とされる『八本槍』の一人、自らを佐々木小次郎と名乗る、天下無双の剣士。

 その剣士が、結い上げた長髪を風に揺らしてこちらに振り返る。彼の視線が捉えていたのは、こちらではなくエトだった。

 

「ここまで来るのに本陣を通り過ぎたが、あちらもそろそろ黒き影が結界を突破しかねん。未だその剣を振る勇気があるならばそちらに駆けつけてもらいたい」

 

 本陣、それはすなわち総指揮官である姉、シャルルたちが待機している通信指令室のことだろう。

 その時、シェルがテキストを受信したことを伝える音が鳴った。どうやら自分だけではなく、背後で身を寄せ合っていた女子学生にも届いているらしい。

 素早く内容を確認してみれば、どうやらリッカの防御結界が破られたらしく、黒い影が侵入し増殖を始め通信指令室へと向けて侵攻しており、総指揮官の判断により、これ以上のここの利用は危険であり、退避するとのこと。

 エトは素早く思考を巡らす。

 少なくともあそこから脱出するには建物から外に出なければならない。一応リッカと物理魔法を専攻している本科生が殿(しんがり)を受け持つだろうが、敵の数が増えてしまえばいくらリッカでも持たないだろう。

 そうなれば、姉や清隆たちが危険な目に会う。

 すぐさま頷いたエトは、小次郎に礼を告げると、全速力で元来た道を走り去ってゆく。サラたちでは全く目で追えないような速度で。無論、三人の生徒は置いてけぼりを食らったわけだが。

 

「乙女を戦場に立たせるなど言語道断、ならばすぐにでもここを戦場から小鳥のさえずる街道へと変えるまでよ」

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 ふとサラが気が付けば、周りにいたはずの大量の黒い影も、更に例の眉目秀麗の侍もどこかへと消えていた。恐らく彼が全てを葬り去ってどこかへと飛んでいったのだろう。

 一部始終を呆気にとられたまま、思考が停止した状態でぼうっと眺めていたため、本当に何が何だか分からないまま事態は嵐のように去っていった。

 静けさだけが残された、この場で、サラは自分の後ろにいた同じクラスの女子生徒に慌てた様子で肩を叩かれる。

 

「どうしました?」

 

 彼女の様子を見てみると、彼女は腕をまっすぐに一方向へと向け、細く白い人差し指をピンととある建物へと指していた。

 サラはその指先の延長線上に視線をやると、ほんの一瞬だけ、建物に忍び込む人型の姿があった。動きの素早さを見るに、黒い影ではないだろう。人型の黒い影は獣型とは違って動き自体は鈍い。例外がいる可能性も否定はできないが。

 

「風見鶏の生徒でしたか?」

 

 本当に一瞬だったので、サラはそれが何者なのかまでは認識できなかった。

 もしかしたら、自分よりも先にその人物を発見し指差した彼女ならその姿をはっきりと見たかもしれない。

 

「ううん、風見鶏の制服じゃなかったと思う。だから、もしかしたら――」

 

 そこで彼女は、口を噤んだ。断定はできない、だから不用意なことを口にできないか。はたまた。

 

 ――犯人の一人ではないか。

 

 そう口にしようとして、凶悪な人物が近くにいることに恐怖して閉口したのかもしれない。

 サラは顎を上げてその何者かが入っていった建物を見上げる。

 ハイドパークホテル。昔から上流貴族たちが利用していたとされる由緒正しき宿泊施設なのだが。

 黒い影が周囲に溢れ、犯人かも分からぬ正体不明の人影が中に籠っているかもしれないという事実が、その建物を何か禍々しく見せる。悪魔の根城か、死神の玉座か。

 ふと、サラたちが黒い影と初めて遭遇した先程のエトの姿を脳裏に思い描いた。

 恐怖に震えるでもなく、責任感に押しつぶされている様子でもなく。独りの戦士として敵と相対する、あの形容しがたい眼差しを、サラは一瞬だけ見た。

 彼のことだから、きっと特に大層な理由もなくサラたちの前に立って黒い影に対して応戦を始めたのだろう。

 しかしそれでも、その姿はサラにとって、勇敢であるように映えた。

 

「――行きましょう」

 

 ハイドパークホテルを睨むように見上げながら、後ろの二人にそう伝える。

 サラの無謀な発言に少し引き気味の二人だったが、既にサラの覚悟は決まっている。その横顔を見た二人も、同様に決意を固めた。

 大きく息を吸い込み、そしてゆっくりと吐き出す。

 冬の冷たい空気が気管を伝い肺を満たし洗浄していく。吐き出された空気の中には、サラの心に残された一抹の不安や恐怖が洗い出され、風と共にどこかへと走り去っていった。

 そして一歩踏み出すと同時に、背後から聞いたことのある、どこか生理的に受け付けない声が聞こえてきた。

 

「――怯える仔兎は下がっていてくれ。この僕が事件解決の最初の一矢となろう」

 

 イアン・セルウェイ。かつてのサラの彼に対する評価は、端正な容姿で女子生徒からの人気は高く、大変悔しいことに魔法の才能だけはある。家柄も立派なものだがそれを鼻にかけているところがあり、高慢ちきなところが玉に瑕であるどころか彼のそれらを全てぶち壊しにしてしまう。ぶっちゃけサラは彼のその性格が大嫌いである。

 小さな猫は彼に対して警戒するように睨みつけた。

 

「僕と巴さんで入手した情報を整理し推理してみたよ。するとその結果は――ここにある」

 

 サラは大変彼のことを毛嫌いしていたが、しかしその時のホテルを見上げる彼の横顔は、どこか頼もしく感じられた。




今やってるfate/stay nightのアニメとか見返してたり、感想欄でアサ次郎のことについて言及してたら、彼もなんだかんだ活躍させたくなってしまいました。
敏捷性で言えばランサーよりも凄いし、同じ太刀筋を繰り返しても見切られることはないらしい。なんだこの化け物。

まぁ結局のところ多分気が変わらない限り二度と作中で彼が活躍するシーンが描写されることはないですけど。



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禁じられし謀反

この爆弾テロ事件ここまで長々と引っ張るつもりじゃなかったということだけは先に伝えておきたい。


 靴底が地面を叩く音すら聞こえない、訓練された足の運びが普通の移動時でも癖のように使われている。少し急ぎ足で、一歩、また一歩。

 彼が耳元で聞いているのは、背中に負ぶっている少女のような、しかし世紀を跨ぐような長年の経験を積んだ女性の、見た目に相応しい可愛らしい寝息のリズムだった。

 バッキンガム宮殿に続く地下道にある時限式爆弾を全て解除した後、クーの探索能力とジルの繊細な魔法でサーチアンドデストロイを遂行していた。

 しかしジルも一つひとつの爆弾を素早く正確に無力化または除去するために高度な魔法を使い続けた負荷により、疲労も大分溜まってきていたらしい。彼女がクーに甘えてくるのを断りきることができず、仕方なしに負ぶってやればいつの間にか自分の背中で間抜けた寝息を立てて意識を落としていた。

 しかし彼女の頑張りのおかげで、これから直接犯人のところへと赴いた時に、この街そのものを人質に取られることはなくなった。恐らく、情報が上手く行き届いていれば既に全ての爆弾が発見され撤去にとりかかられるところだろう。

 詳しくは知らないが、情報の統括を行っている通信指令室の爆弾の位置を示したマップを受け取った巴・イアンペアが、更にジルとの通話の中でとある確信をしたらしい。ものを隠したり、逆に隠されたものの在処を暴きその情報を正確に把握して考察へとつなげるという思考は、ニンジャの家系である五条院家では得意分野なのかもしれない。

 そんな彼女たちの情報によれば、敵の本陣はどうやら、ハイドパークホテル。

 運が悪かったのか、たまたま今回の一連の事件の中でその付近を通りすがることがなかったために、そちらの方にまで視野を広げることはできなかった。もし付近を通過していたら、もっと早く解決していたかもしれないが――結局爆弾を先に処理した方が正解だっただろうか。

 

「よっこらせ……っと」

 

 屈強な戦士にとっては小柄な少女が、負ぶさっている背中から少しずつずれて落ちそうになっていたところをひょいと抱え直す。

 これまでに何度か彼女や親友であるリッカを抱えたり負ぶったり圧し掛かられたりしたことはあるが、その時はまだまだ軽かったかもしれない。

 少女ということで体重そのものは軽い。あまり触れると彼女たちの気に障るのかもしれないが、重いとは言っていないのだから唐突に怒られることもないだろう。

 

「なんつーか、重くなっちまったな」

 

 ふと、背中に背負っていて、そんなことを思ってしまう。

 三百六十五日をもう百回以上繰り返し、その一日一日の小さな重みが、まさかここまでになってしまうとは。老骨になって時間の流れも早く感じ始めたかと自嘲気味に微笑を浮かべる。

 さて、そんな彼女たちがここまでしてくれた戦果だ。無駄にしてしまわないためにも、せいぜい包囲のための一兵くらいの働きはしようと考える。

 背中ですやすやと安らかに眠っている女の子を起こさないように、慎重にしかし素早い移動を難なくこなし、人でなしの速度で街道を突っ切った。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 美しい曲線を描く刀の反りに、蛍光灯の光が反射して、葉の先に朝露が伝うように光が流れる。

 予科一年C組のイアン・セルウェイは、クラスマスターである彼女の背中を後ろから眺めていて、その勇姿に尊敬を越えて畏怖の念を感じていた。

 ハイドパークホテルに侵入してからというもの、頻度こそそこまで高くはないものの、これまでに何度か黒い影とも遭遇している。そのたびに彼女は腰に構えてあった長刀を鞘から抜き放ち、躊躇う間もなく一刀両断してしまう。相手の反撃を許さない、決定的な一撃が相手の芯に叩き込まれる。そこに魔法などと言う神秘的な要素などなかった。

 流石はクラスマスター、伊達に毎年行われる生徒会役員選挙で立候補し勝ち残っただけのことはある。それすなわち、魔法などなくともこの程度はどうにかなる、と。

 無論、風見鶏に入学したばかりのイアンは、魔法の才能こそは確かにある。それはセルウェイ家に代々伝わる強大な魔法の力に由来するもので、自分が培ってきたものでは決してない。

 なるほどこれまで才能のない者をここぞとばかりに見下してきたような気がするが、やはり上には上がいる。才能を才能のままにせず、それを押し広げ積み重ねていく努力。目の前の彼女は一体、どれほどの研鑽を積んだのだろうか。

 

 そして、ホテルの最上階にある大広間の前へと到達する。既に他の階層には近場にいた本科生の生徒たちに制圧を頼んでいるのでそろそろ任務が終わることだろう。

 となれば、後はここだけということになる。部屋の外から周囲を観察するに、今の段階で反撃する態勢には入っていないらしい。殺気といわれるものが全然感じられないのだ。

 物音を立てないように、巴が大広間へと繋がる大きなドアに背中を当て、ドアノブへと手を伸ばす。軽く捻ってドアを蹴り、すぐさま刀を構えて戦闘態勢に入る準備はできている。

 相手がドア越しにいることを想定して、ここにいる中で最も実力の高いイアンに巴の死角を補うように任せる。そのドアの後ろで包囲するように、サラたちが控えていた。

 

「みんな、特にセルウェイ君、決して無茶だけはするなよ」

 

「僕が無茶をしなくとも巴さんがあっという間にスピード解決してしまわないか不安ですよ」

 

 ワンドを構えている手先はわずかに震えている。視線もどこか定まってはいない。だが、その表情はわずかに余裕を孕んで笑みを浮かべていた。

 少なくとも軽口を叩けるくらいの心の余裕はあるようだ。流石はセルウェイ家の御曹司という訳か。

 サラたちにも視線を送ると、緊張した面持ちで重々しく頷く。

 カチャリ、とドアノブの金属音がした次の瞬間には、既に巴は大広間へと姿を現し刀を正面へと構えすぐさま飛びかかれるようなスタンバイを取っていた。

 しかし同時に突入したイアンには、彼女の表情が氷結したように固まり、血の気が引いていくのが見て取れた。

 その視線の先にあったのは、ただ一つの人影、そう、そこにいたのは、倒れている複数の成人以外に、たった一人だったのだ。

 

「貴様は――」

 

 巴の首筋から背中へと、一筋の冷や汗が伝う。

 プレッシャーに心が押し潰されそうになるのと同時に、その重みが刀を握る腕にも伝わり、構えた両腕がだらりと垂れ下がろうとしている。目の前の存在に押し潰されて戦意を喪失してしまわないように心をしっかりと保つのがやっとだった。

 

「あら、意外と早かったのね」

 

 冷ややかな声が聞こえた。その声は、聞き覚えのない女のもの。

 巴の視線の遠い先にあったのは、黒を基調としたローブを纏い、同じく黒いフードで目元までかくした魔法使いの女だった。

 かつてリッカと共に彼女あったことがある。要件はほんの事務的な事だったが、その時の印象は、冷淡に落ち着いている、くらいのものだった。

 そう、彼女こそ紛れもなく『八本槍』の中の魔法使いの最高峰、カテゴリー5の頂点に君臨する大賢者、『歩く禁呪(フォビドゥン・ゴブレット)』。

 何故ここにいる――先にここに乗り込んで、テロリストを鎮圧したのか。

 

 ――それはない。

 

「失敬。貴女はここで何をなさっていたのであろうか?」

 

 先程の会議の時、()を含めた『八本槍』全員が召集されたはずのあの場に、唯一この魔法使いだけが出席していなかった。それはすなわち、この霧の魔法の事件に関与するつもりはないという意志表示に他ならない。

 つまり、その延長線上にあるこの爆弾設置事件に関わる必要のない彼女が、まさか気まぐれで事件を解決するためにここに突入したとはどうにも考えられなかったのだ。

 

「私は、私の居場所を守りたい――ただそれだけよ」

 

 唯一巴たちが確認できる、麗しき唇が僅かにその口角を上げた。

 彼女の右腕がそっと前へと差し出される。ピンと伸ばした人差し指の先端には魔力が凝縮され、それを軽く動かすと、そこに小さな紋様が浮かび上がった。

 頬にそよ風を感じた巴。しかしその微風は、突如としてその勢いを強め、この部屋を包み込むような嵐へと変貌していた。

 台風や竜巻のような、周囲へと広がるように吹きすさぶ風とは違い、この嵐は内側へと収束しているようだ。

 飲み込まれてはひとたまりもないだろう。巴は刃こぼれすることを覚悟しながら、地面へと刀を突き刺しそれに掴まるようにして風に抵抗する。イアンやサラたちも壁際にあった家具や柱に掴まって何とか凌いでいる。

 部屋の中央へと集められている埃やゴミ、木屑などが、全て粉々に分解され、嵐の中で再構成されていく。分離し、結合する――その手順を何度も繰り返して、最後に一つの物体がそこにできあがった。

 嵐がやんだと同時に部屋の中央、その天井を見上げると、そこには球体の形をした屑の塊が浮遊していた。

 

「なんだ、あれは……」

 

 凄まじい轟音の後に生まれた謎の物質を怯えるように睨みつけるイアン。

 音もなく空中で停止し、まるで周囲をじっくりと窺っているように僅かに回転しているように見て取れる。

 

「悪いのだけれど、私は≪永遠に訪れない五月祭(バルティナ)≫でつくられたこの閉鎖された世界を終わらせるつもりはないわ。それどころか、終わらせる訳にはいかない」

 

 黒いローブ姿の『歩く禁呪(フォビドゥン・ゴブレット)』は、その屑の球体の隣へと向けてふわりと浮かびあがる。

 現状、人が何のアイテムの補助もなしに宙へ浮かぶような魔法の技術は存在しない。一部そのプロトタイプのようなものはあるのだろうが、実際には実用段階にまでは発展させられていないはずだ。

 それをいとも簡単にやってのける彼女は、流石カテゴリー5の頂に君臨する者ということであろうか。

 漆黒の魔法使いが球体へと掌を合わせる。そしてその表面を二度、三度掌で撫でてやると、一気にそれに魔力を流し込んだ。

 

「邪魔立てさせてもらおうかしら。死にたくなければここから出ていきなさい」

 

 地響きのような音と共に、球体が脈を打ち始める。

 魔力の反応だろうか、赤黒く点滅する球体のあちこちが、規則的な曲線を歪ませて、凹凸を生み出す。

 そしてその膨らみを割るように、中から何者かが姿を現した。

 人型の骸骨のような、それでいて明らかにそうではないと理解させる、化け物然とした骸骨の手には、石器のように荒々しく削り取っただけの骨の剣や槍が握られている。

 そしてその骸骨は、やがてこの部屋の三分の一程を埋め尽くすくらいに、その数を増やした。

 あまりに多過ぎる――巴は地面に突き立てていた刀を抜き、両手に握り直す。ちらりと確認して、刃こぼれがないことを確かめる。

 

 開戦の合図は、あまりにも挑発的なものだった。

 

 風見鶏本科生の制服のスカートを揺らし、一歩踏み出したかと思えば、次の瞬間には、巴がもといた位置に最も近かった骸骨戦士が一刀の下に斬り伏せられていた。

 

「悪いが、いかに『八本槍』とは言え、これは女王陛下からのミッション故、引き下がるわけにはいかないのだよ」

 

 バラバラに砕け散る骸骨戦士を確認して、この程度なら自分の刀でも倒せるということを確認する。そして反撃を食らう前に距離を置いて、予科生たちに振り返った。

 

「君たちはここを離脱してくれ。そしてすぐに他の『八本槍』の方に救援を呼ぶように報告してくれ」

 

 彼女の要請に、サラは冷静に頷いて、隣にいたクラスメイトの腕を掴んで大広間からの脱出を試みる。

 しかし、そう感嘆にはことは運ばなかった。

 

「あら、あなた一人でも残ろうというのなら、仕方ないわね」

 

 骸骨戦士の一体が、超人じみた跳躍力で、巴の頭上を飛び去っていった。

 巴が脳内の警鐘を聞き取った時にはもう遅い。しまった、と声を発することもできず、荒々しく削り取られた凶刃が、サラたちの背中へと突き立てられる。

 

 ――真っ赤な花が、宙で咲き誇った。

 

 横たわる体の制服には、真っ赤な血が夥しく流れ染みをつくっている。

 預かっていた生徒が、命の危険に晒されている。

 クラスマスターとして、上級生として下級生を守るべき立場である巴が、彼女たちを守ることすらできず指一本動かすことすらできず、こんなことになってしまった。

 背後を振り返ることが恐ろしく躊躇われる。そこにあるのは他でもなく自分の犯した過ちであり罪なのだから。

 それでも、状況を把握しなければならない。彼女たちが今、どういう状況にあるのか。巴はそっと背後を振り返った。

 しかし、そこに倒れていたのは、サラたち女子生徒ではなかった。

 

「……くっ、そ、セ…セルウェイ家の御曹司たる……この、僕が……」

 

 苦悶の表情を浮かべ、骸骨戦士と共に横たわっていたのは、イアン・セルウェイだった。

 その姿を見下ろすように、サラたちが顔を真っ青にしてイアンを見ていた。

 イアンと骸骨戦士は取っ組み合うように絡まり、そして横転している。しかし骸骨戦士の凶刃は間違いなくサラたちを狙っていたはずだ。

 しかしその矛先は横から割り込んだ少年によって狂わされる。

 彼女たちを庇うように、咄嗟の判断で飛び込んだイアンは、骸骨戦士の体を吹き飛ばすように体当たりをぶつける。

 しかし、その時骸骨戦士の方も本能的な危機管理能力によるものなのか、飛び出してきたイアンへと向かって剣を振ったのだ。

 そしてそのままイアンはその脇腹を剣によって貫かれるが、致命傷だけは回避、確実にサラたちを殺そうとした一撃を逸らしつつ、骸骨戦士を無力化したのである。

 

「だ、大丈夫かっ……セルウェイ君!?」

 

 巴は周囲に警戒しつつ、急いでイアンの傍へと駆け寄る。

 まずは隣で寝ている骸骨戦士にとどめを刺して、出血しているイアンに刺激を与えて怪我が悪化しないように、動かすことなく彼に呼びかける。

 

「そ、そんなことより、サラ・クリサリス……君たちは、早く、行きたまえ……」

 

 眉が苦しそうにぴくぴくと動いている。

 彼の必死の訴えと、その勢いに気圧されたサラは、震える足に鞭打って踵を返し、大広間を脱出した。

 その背中を見届けて、巴はイアンの瞳へと視線をぶつける。そして、訴えるように話しかけた。

 

「もうすぐ、応援が駆けつける。それまで意識を保っておくんだ。それまで、ここは私が――」

 

 屈んでいた膝を伸ばし、鋭い視線で『歩く禁呪(フォビドゥン・ゴブレット)』に振り返る。

 刀を握っている右手の拳に力がこもる。

 よくも私の大事な生徒に手を出してくれたな。

 イアンは体を張ってでも風見鶏の仲間を守ってみせた。あれほど無茶をするなと釘を打っておいたはずにも拘らずだ。それでも痛みを、死の恐怖を振り切って、その一歩を踏み出す蛮勇。

 イアン・セルウェイは、間違いなく一流の魔法使いの一族、セルウェイの御曹司に相応しい人間だ。

 それだけの生徒に傷をつけてくれたこの借りは、十倍にしてでも返してやる。

 

「――君のように命を(なげう)ってでも守り通す」

 

 美しい曲線を描く刀の反りに、蛍光灯の光が反射して、葉の先に朝露が伝うように光が流れた。




まえがきであんなこと言ったけど、もう一話続きます(白目)


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その距離僅か数センチ

タイトルはその、いろんな意味でです。


 鈍い金属音が大広間に鳴り響く。

 凄まじい程の剣術を披露し続けた彼女の腕は震え、その掌には既に長刀は握られていなかった。

 膝がかくかくと震え、自らの体重を支えるには疲労に耐えられるはずもなく、音をたてて崩れ落ちた。

 かろうじで致命傷を回避し続けたその身体は、幾重にもその皮膚を食い千切られ、いたるところから血を流している。幸い、疲労によって活動停止を余儀なくされているだけであって、五体は未だに満足である。

 が、目の前にはまだ、敵が山程いる。

 強い殺意を向けて視線を走らせた先にあったのは、骸骨の戦士でもなく、それを生み出す塵の塊でできあがった球体でもなく、その背後にいる黒いローブの魔法使いだった。

 

「なかなかやるじゃない。私の尖兵の攻撃を、負傷者を庇いながら全て凌ぎ、未だそこに首をつけて息をしているなんて」

 

 黒いローブの魔法使い――『歩く禁呪(フォビドゥン・ゴブレット)』は楽しそうに笑う。

 キャパシティを超えそうなレベルでの立ち回りをしたせいで、体は既についていかず、膝を屈した巴は肩で息をしていた。喉が詰まるような感覚と共に、呼吸をしようと肺を動かす度に、喉元からひゅうひゅうと音がする。

 

「知る必要もなければ、足掻く必要もない。それにあなたがこの世界で最後まで生きている必要すらないのよ」

 

 歪んだ唇のままで、彼女はそう断言する。

 そう彼女が言い切った理由を、巴は既に知っている。いや、この世界の真実を知っている者なら、誰でも彼女の意図を悟るはずだ。

 

「どうせ、この世界は再び巻き戻されるのだから」

 

 無慈悲にその左腕が動かされる。

 魔力の流れを察知したように、屑の球体がドクンと脈動する。赤黒い光を放つと同時に、更に多数の骸骨の戦士が解き放たれた。

 もしかしたらこの魔法は無限に続くのかもしれない、現在の魔法の理論では不可能なのだろうが、それを扱うのが『歩く禁呪(フォビドゥン・ゴブレット)』であれば、俄かにそれを否定することもできない。

 ならば、今までここで我武者羅に刀を振るい続けてきたことに何の意味があるのだろうか。

 後ろに横たわっている大事な生徒、イアン・セルウェイを必ず守り抜く――そう誓ったはずが、こうキリがなくてはその一抹の希望さえ水泡に帰す思いである。

 まして、巴自身の身体は既に満身創痍、致命傷だけはかろうじで避けてはいるものの、全身は少し前に動くことを止めてしまった。屈した膝が伸びることを拒んでいる。

 私は、間違っていたのだろうか――

 

 ――いや。

 

 その瞳が、勝利を確信した。

 未だ勝気な視線が魔女を貫き、彼女はどの表情に動揺を露わにする。

 

「――少しは頑張った意味があったみたいだね」

 

 ザマァミロ。巴の確信は、すぐに現実に現れる。

 突如、ガラスの破砕音が鼓膜に叩きつけられる。耳をつんざく甲高い音と共に、巨大な弾丸のような何かが飛び込み、目の前で着弾した。

 再び耳を破壊せんばかりの轟音、そして砂埃。恐らくその着地だけで数体の骸骨の戦士が消し飛んだだろう。そして視界が晴れる。

 青く逆立った髪、燃えたぎるような真紅の双眸、そしてその拳に強く握られているのは、百戦錬磨を体現する真紅の槍。

 元『八本槍』にして、この霧の禁呪の術者である陽ノ本葵の騎士である。

 そしてついでに、その背中には巴の友人が負ぶさっていた。目は開いているものの、どこか寝ぼけ眼なのは気のせいだろうか。

 

「あ~、器物損壊~」

 

 確認しよう。ここは間違いなくテロの首謀者が目の前に存在する部屋で、その正体は『八本槍』の一人でありカテゴリー5の頂点に君臨する魔法使い、そしてその動機はこのループ世界を維持させるためと来た。

 なのにこの少女――正確には少女ではないが――、緊急事態を前提にそうせざるを得なかったにも拘らず、すぐそこにある重要案件をよそに目の前の些細な問題を指摘している。

 

「うわしまった、今回ばかりは見逃してくれよ。ほら、アレぶっ倒すからさぁ」

 

 この男もまたずれてしまっていた。どうして犯人よりも窓の損害の方が重要なのだろうか。

 巴は既にその腕が動かないにも拘らず、頭の痛さに眉間を押さえそうになった。

 

「一体何をしに来たのかしら?」

 

 予想よりも早い段階での元『八本槍』の登場に、『歩く禁呪(フォビドゥン・ゴブレット)』は小さく舌打ちをする。

 魔法に置いて彼女の右に出る者はいないが、しかしあくまで魔法の分野のみである。彼のような武術に秀でた『八本槍』と相対したとなれば、ここで彼に打ち勝つことは至難の業である。

 

(マスター)の意向に反する糞野郎を叩き潰しに来た」

 

 などとカッコいいことを言っている気がしないでもないが、残念ながら背中に背負っている少女をゆっくりと優しく下ろしながら巴たちの治癒をするように指示を出しながらされても、その、何だかダサい。

 地面に足をつけたジルは、巴の姿を確認するなり、顔を真っ青にして逃げる獣のように素早く駆け寄る。

 巴は自分よりも先にイアンの治癒を優先するように言うと、静かに頷いてイアンの下へと屈んで魔法をかけた。

 

「先に降伏勧告とやらを出させてもらう。大人しく投降しな、さすれば命は助けてやる――っとこんな感じか」

 

 槍を構えながら、やることだけはやったと満足そうに笑う。しかしその笑い方は、獲物を狩る前の猛獣そのものだった。

 目の前の魔女は悔しさに歯噛みをする。既に骸骨の戦士を半永久的に召喚する魔法を発動させてしまっている以上、万全な状態でこの男と相対するには力不足である。

 完全に姿をくらまして逃げることくらいはできるだろう。しかしそれでは、自身の思惑を達成することができない。

 そしてそこに、さらなる追い打ちを食らうことになる。

 

「こっち、こっちです」

 

「やっと着いた!」

 

「なかなかかったるい事態にまで発展しちゃってるじゃない」

 

 先程イアンの犠牲のおかげで無事に脱出できたサラがエトとリッカを連れて再び姿を現した。

 そしてその背後には、更にもう一人の『八本槍』がいる。極東の剣士、佐々木小次郎である。

 これで完全に形勢は逆転した。最早テロリスト側に勝利はない。いくら『歩く禁呪(フォビドゥン・ゴブレット)』が『八本槍』といえど、戦闘タイプではない『八本槍』が、戦闘タイプである『八本槍』を二人同時に相手して勝てる道理などなかった。

 

「話してもらおうかしら、あなたがこんなことをする理由」

 

 リッカが腰に手を当てて十分に警戒しつつ『歩く禁呪(フォビドゥン・ゴブレット)』を睨みつける。

 リッカとしては、人としては苦手だったが、同じ魔法使いとしてはこれ以上なく尊敬していたカテゴリー5の頂点たる彼女が、こんな凶行に手を染めたことに憤りを隠せないでいた。

 

「≪永遠に訪れない五月祭(バルティナ)≫について、あなたはどこまで知っているの?」

 

 問いかけるリッカ。しかし追い詰められたはずの彼女は、何がおかしいのかここにいる全員を嘲るように笑い始めた。

 全てを知る者の優越。何も知らない者が答えを求めて彷徨い歩く姿はさぞ滑稽だろう。しかし、その態度が同時にリッカやクーの苛立ちを助長させる。

 クーが地面を槍で叩くと、自身が起きたのと同じ水準で地面が大きく揺れた。

 

「教えてあげる義理もないわね。少しは立場というものを理解しているものと踏んでいたけど、まさか本当に表面の部分しか見ていなかったとは」

 

 立場を弁えていないのはむしろ彼女の方ではないか。しかしそう思えば思う程、彼女の態度と重要なことを知っているらしき彼女の素振りは、これだけの戦力を揃えていてなお気圧されている気になってしまう。

 

「私からは教えられることは何もない。けれど、私以外にもう一人、全てを知る人物がいるはずよ。真実に到達するまでもなく、最初から真実として存在している中核(ピース)が」

 

 一同が一瞬驚きの表情へと変わる。

 目の前の魔法使いはありとあらゆる魔法を知りつくし、そしてその中から数多の強力な魔法や禁呪をつくり上げてきた世界最高峰の実力者である。そんな彼女と同じレベルでこの世界のことを理解している人物がいるという事実は、解決のための大きな要素となると同時に、立ちはだかる障壁としての大きな脅威となり得る。

 それが誰なのか、あるいは『八本槍』の中にいるのか、誰もがその人物を頭の中で思い返していた。

 その中でただ一人、その人物以外の全員が無意識の内に選択肢から消去している少女のことを思い浮かべ、苦虫を噛み潰したような表情をした槍の戦士、クー・フーリンがいた。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 結局、今回のテロを引き起こした犯人である、『八本槍』の一人である『歩く禁呪(フォビドゥン・ゴブレット)の身柄を拘束することは叶わなかった。

 いざと言う時のために、あらかじめ転移魔法のためのポータルを複数仕込んであったのだろう、突如として姿を消した彼女を追跡しようとジルが試みたのだが、流石魔法のスペシャリストの頂点ということだけあってその足取りを掴むことはできなかった。

 彼女の自白があった訳ではないので正確なことまでは不明のままであるが、今回の事件の全容は、彼女が黒い影の出現に乗じて魔法によって市民の内の数人を操り、街の地下の至る所に爆弾を設置させ、操り人形となった彼ら彼女らは即回収、用が済んだらハイドパークホテル内の至る所に放り捨てられれていたということである。

 操られた市民のほとんどはあの大広間にいたが、結局誰一人として死亡者は出ておらず、大きな怪我をしたのも、サラたちを庇ったイアン・セルウェイと、その彼を必死に守り抜いた五条院巴のみだということである。

 犠牲者が出なかったということで女王エリザベスも安堵に胸を撫で下ろしていたが、結局犯人を捕まえることができなかったということ、その犯人が最大限の自由を約束されていた『八本槍』の中から現れていたということから、やはり心労は絶えないのだろう。

 事実、少し前にクー・フーリンが『八本槍』からの脱退を自ら宣言し実行したこともあり、王室での緊張は高まっている。しかし、国家自体に彼らを抑制する手段がない以上、どうすることもできない。残りの『八本槍』から離反者を出さないようしつつ今後の対応を検討していかなければならない。

 さて、結局ストレス発散も碌にできなかったクーは、戦果として持ち帰った疲労だけを重苦しそうに背中や腰に背負って、更についでにジルとかいうお荷物まで背負って保健室に移動し、完全に意識を落としてしまった彼女を寝かせてついでに自分も横になった次第である。

 ちなみに大怪我をしたイアンはこの保健室ではなくこの風見鶏内にある魔法を利用した医療機関に直接搬送され治療を受けている。

 幸い致命傷には至らなかったおかげで快復も早く、今では従者であるメイドのあからさまな持ち上げに対してツッコミを入れるくらいには元気になっているようだ。

 助けられたサラも直々に、但しお供にエトをつけて彼のいる部屋までお見舞いに来たのだが、感謝をされるというのにあまり慣れていないのか、分かりやすいくらいに照れまくってさっさと帰れと追い出されてしまった。

 巴の方も、受けた傷も比較的浅いものばかりだったのですぐに生徒会の仕事にも復帰、傷そのものは完治したものの多少疲労でふらふらしているのが痛々しかったが、彼女自身は大丈夫だと居張って聞かない。

 

 さて、そんな中、事件後に保健室を訪れたクーとジルにも、ほんの少し変化があったようで。

 保健室で寝ていた二人、先に目を覚ましたのはジルだった。寝ぼけ眼を擦って視界のピントを合わせてみると、一応治癒魔法のエキスパートとしてここでお世話になっている彼女からすれば見慣れた光景である天井を今丁度視界に収めていた。

 ふと隣のベッドを見てみると、窓際に備えられたベッドで横になっていたのは、彼女もよく知るというか昔からの仲であるクー・フーリンだった。

 毛布を掛けてくれたのは彼であろう、その粗雑ながらも彼女なりに丁寧にかけたつもりなのだろうそれをゆっくりと押しのけて、地面に両足をつける。

 立ち上がって、彼女の様子を覗き込む。

 自分にかけてくれてたのとは正反対に乱雑に毛布をかけて、両手を頭の後ろで組んで枕との間に挟み、仰向けで静かに寝息を立てて休んでいた。

 その規則正しい寝息は、ジルがふとした瞬間に彼に対して殺意を向けたと同時にその規則性を崩し、時同じくジルの呼吸は音もなく止まってしまうだろう。

 さてこうして眠っているクーの枕元にこっそりと場所を陣取ることができたジルだが――明確な殺意敵意を向けなければ、彼は滅多なことでは起きることはないだろう。それこそ、天上が崩落して脳天に瓦礫が直撃するくらいの不幸がなければ。

 ふと、ジルは周囲を見回してみた。

 いつも通りに広がっている保健室の風景の中で、ベッドが使われているのはすぐ傍のクーのベッドと、先程までジルが使っていたベッドだけということになっている。

 つまるところ、今ここにいるのはクーとジルの二人きりという訳で。

 

 ――もしかすれば、これはチャンスでは?

 

 ある意味邪な考えが、ジルの脳裏をよぎった。もしかしてこれは、親友であり恋敵(ライバル)であるリッカよりも一歩先に出られる空前絶後の状況に違いない。

 自分自身がこの後起こすであろうアクションを妄想してみると、恥ずかしさと不安で頬は紅潮し、動悸は早まり、不自然な汗が首筋を流れ落ちる。

 目の前には、いつもは怖そうに見開かれている真紅の双眸が、今は瞳を閉じて隠されている、安らかな顔で眠っている想い人の姿。そしてジルは、そんな彼の顔の、ほんの一部に視線が釘づけになる。

 クー・フーリンという男は言うまでもなく大男である。そしてその粗野で野蛮な性格から、出会った当初は寝る時もいびきがうるさいイメージだったが、寝る時も周囲に警戒しているのか、なるべく音を押し殺すような寝方を意識している(寝ているのに意識しているとはこれ如何に)ようで、今目の前でそうしているように寝るときは結構静かなのだ。

 その、軽く閉じられた唇に、ゆっくりとジルの顔が近づいていく。ジルからすれば、クーの顔が、少しずつ、少しずつ、しかし確実に接近してしまうのが、寝息が髪を弄び始める辺りから意識させられる。

 自分の左手で、そっと前髪にかかりそうなもみあげ付近の長い髪をそっとかきあげる。髪が彼の鼻とかに当たって起きてしまえば元も子もない。

 さて、既に目の前には彼の唇があるわけだが。

 いざこうして行動に出てみると、なかなか恥ずかしいではないか。今まで割と積極的に彼にアタックできていたのは、何だかんだリッカが慌ててくれていたおかげで。

 こう、本当にそれっぽいことをしてしまおうとすると、羞恥心という空気を読まない邪魔者が動きを止めてしまう。心臓の音が余計なくらいに加速し、緊張を高める。もし今背後からワッと脅かされたら遥か彼方まですっ飛んでいける気がする。

 

 ――どきどきどきどき。

 

 その間僅か十センチメートル。ひょいと顔を前に押しやってやれば唇と唇がぶつかってちゅーができるのだ。

 頑張って短絡的に考えようと、理性というものが存在する以上無意味なことではある。

 ああもう、結局リッカがいなければ駄目じゃないか。半分諦めて首を持ち上げようとして――持ち上がらなかった。

 アレ、と思った瞬間には、既に、もう。

 彼の腕がジルの頭の後ろへと回され、彼の大きな掌がジルの後頭部をしっかりと押さえていた。

 そして、くい、とわずかに引き寄せられ、あとはクーが自ら顔を上げてやれば。

 

 ――唇と唇がぶつかってちゅーができていた。

 

 事の次第を認識するのにジルがかけた時間は、五秒。既にクーがジルの頭から手を離した後だった。

 恥ずかしさが臨界点を超えて、何かが覚醒しそうなくらいに視界がチカチカする。なのに目の前の彼は、いつ通りの余裕気な面持ちで、何か不思議なものを見るような目でこちらを見つめている。

 

「してほしけりゃしろって言えばいいのに――いやそれじゃあ俺の男が廃るってもんか」

 

 何だかよく分からない感情の渦のせめぎあいが、ジルの体の中、あるいは自分の体という内と外の境界線を突き破って溢れ出しそうな。

 そして溢れ出してしまったであろうそれは、結局何だかよく分からない涙となって、一度ぽろぽろと流れてしまえば、席を切ったようにぶわっと崩れ落ちてしまう。

 クーが気拙そうな様子でこちらを見ているが――その表情に何か言い返す間もなく、彼女は保健室を飛び出してしまう。

 とめどなく流れる涙を制服の裾で懸命に拭き取りながら。

 しかし何故かその唇は、僅かに笑っていた。




やっと事件が終わったぜ。


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この仲を振り返って

ジルのターンは終了した、今度はリッカのターンだぜ!
ということで今はやりの壁ドンならぬ木ドン(?)をば。


 視界という画面を真ん中から左右に真っ二つに切り取るように、細長い光の線が縦に降りてきた。

 クー・フーリンはその銀の脅威を何の焦りもなく少ない動作だけで左に躱しバックステップで距離を取る。

 地上での爆弾テロの事件の解決に当たり、午後の授業はなくなったが、結果的に普段の放課後の開始のベルと変わらない時間となっていた。

 クーにはこの事件に関して一つだけ気になることがあったのだが、その人物は今はまだ時間的な関係で会えそうにない、いくらか時間を潰そうと校庭の傍に設けられてあるベンチでのんびりと座り込んでいたら、クーを兄のように慕う、弟子のエト・マロースが背後から体当たりを仕掛けてくるくらいの勢いで声をかけてきた。どうやら本日も稽古をつけてほしいらしい。彼の更に後ろからは、エトのガールフレンドなのだろう、蒼いツインテールを揺らしている少女、サラ・クリサリスがちょっと待ってとエトを追いかけてきていた。

 さて、そのサラはといえば、先程の事件においてなかなか危険な事態に遭遇していたらしく、そんな目に会う彼を見ていられないため、無理をしでかさないように監視をしていたいとのこと。今はこの三人しかいない広場の端のベンチで腰かけてこちらの様子を眺めている。退屈ではないのだろうか、しかしその眼はなかなか真剣なものだった。

 一方エトは傍から見れば確実に相手を殺すような一撃をクーに与えているつもりなのだが、いつも通りというかそれが当然というか、ほんのわずかな動作だけで全て軽くいなされ、そして鼻で笑われ馬鹿にされている。それが悔しいエトはむっとして更に追撃を仕掛けるのだが。

 

「――っ!」

 

 本当に針の穴を通すような鋭い刺突の一撃。

 片手で持つ剣で刺突の技を発動するのは、他の斬撃と比べて体が開き過ぎる。言ってしまえば重心を立て直すのに時間がかかるのだ。

 それがたとえ、これまで散々クーのあれやこれやを見てきたエトの放つ一撃でさえ、その隙は生まれる。傍から見れば、すぐに次に繋げたように見える高速の一撃が。

 

「甘いっての」

 

 エトの剣に合わせ、槍を操る。

 剣の刃を槍で搦めとり、一気に引き寄せてエトの後頭部を開いた左手で鷲掴みにする。

 次の瞬間、エトには瞬きする間もなく地面が目の前に接近していたようにも見えただろう。

 轟音を立て、砂埃を巻き上げる。

 しかし、その砂埃の一角が大きく膨れ上がり、そこから物凄い低い体勢でバックステップで距離を取るエトの姿が現れた。その左腕は制服の裾が破け、擦り傷を作って血が流れている。

 恐らく、あの一瞬で瞬時に顔面へのダメージを回避するために開いていた左手を縦にして凌いだのだろう。制服についている砂の跡から考えて、勢いを殺すように地面を転んでバックステップへと繋げたようだ。

 エトが次を構えようとした時、脇からたったたったと足音を立てて走り寄ってくるサラの姿があった。

 絶対に殺すという鋭い視線をずっとクーに突き刺していたエトの表情が柔らかいものへと戻り、その視線がサラへと向かう。

 

「や、やっぱり危険です!こんな怪我して、日々の生活に支障をきたしたらどうするんですか!」

 

 などと、どこぞの母や姉のような小言をブツブツと呟くサラを見ていると、エトから見てもなまじ彼女が小さいせいで、そのどちらでもないように見えて笑いがこみあげてくる。

 そうして吹き出してみると、今度は善意で心配してあげているのにと頬をぷりぷりとさせる始末。あまりの可愛さに頭を撫でてやれば子ども扱いするなと顔を真っ赤にする。

 まったく変わってしまったもんだと、苦笑気味にその様子を遠くで見守る彼の師匠。

 戦意というか、何というか冷めてしまった。構えを解いたクーはその槍を肩に担ぐように持つ。

 

「保健室にジルがいるはずだ。そこのガールフレンド、エトを連れてってやれ」

 

 シッシ、と猫を追い払うように手の甲を払う。

 ガールフレンド扱いされていることに妙に反応してまた顔を赤くしているが、耳まで赤い顔はそのままにしておいて、表情だけをシャキッとさせてエトの怪我をしていない右腕を引っ張る。

 そのままエトは引き摺られるように風見鶏の校舎側へと姿を消してしまう。

 さて、もうしばらくはエト相手におちょくっているつもりだったのだが、相手がガールフレンドに拉致されてしまったために時間が空いてしまった。

 どうしようかと軽く考え込んでいたところに閃いた妙案。

 ご主人様の様子を見るついでにフラワーズで一息入れるか、そう思い立ったら吉日(?)、槍を筒の中に仕舞って軽い足取りで広場を後にした。

 しばらく通路を進んでいると、前方に広がる一面薄紅色の光景が待っていた。風見鶏が誇る、一年中花びらを散らすことのない桜並木である。

 いい加減この景色を見るのも飽きてきたところだが、しかし一度として美しいと思わなかったことはない。

 原理としては正確に言えば永久機関的な意味で桜を永続的に開花させているわけではないらしいが、しかしそれでもこの桜をここまでにした張本人であるリッカとジルの活躍にはクー自身も尊敬しているところはある。もしかしたら、あともう少し時間をかければ、彼女たちの悲願も達成するのかもしれないと。

 そんなことを考えて、その景色を見上げて桜並木を歩いていたら、突如胸倉辺りを引っ張られた。

 面倒臭いのに掴まったと思ったら、そこにいたのは胸倉を掴む金髪の魔法少女、リッカ・グリーンウッドだった。

 

「……どうせ気付いていたはずなのにそんな中途半端な驚き顔されてもね」

 

 どうやら彼女の表情をみると、なかなかご機嫌がよろしくないらしい。そしてその理由も大方推測できる。

 クーは先程自分が彼女の親友に対して何をしたのか、歩いて三歩で忘れるような鳥頭ではないのだ。後は仲良しなはずの二人がたまたま出会って一言二言話せば勝手に爆弾は爆発してくれる。

 

「ほ、本当に……したの?」

 

 ぐぬぬ、と言わんばかりの張り詰めた表情のリッカの顔が、少しずつこちらに近づいてくる。

 しかし、何を、という目的語をはっきりと口にできない辺り、結局彼女もただの乙女なのだ。正直やってられない、が。

 しかしここで思いついた。本日の名案二つ目である。折角なのだからここでからかっておくのも悪くない。

 

「した、って、何をだよ」

 

 ドヤァ、とばかりの会心の笑顔でリッカを見返すクー。当然この反応にリッカはプッツンと来るわけで。

 ご機嫌斜めに任せて勢いよく言葉を発しようとした矢先に、理性というか羞恥心が邪魔をしてしまったらしく、すぐに口ごもって顔を真っ赤にしてしまう。

 そして少し俯いて。

 

「その、えっと、き、……をよ」

 

「えぇぇえええ、なんだってぇ、聞こえねぇぞぉぉおお?」

 

 そう、わざとらしく、ありったけのわざとらしさをこの右手の平に乗っけて、指をひらひらさせながら自分自身の耳にかざす。

 すると黙り込んだリッカの、クーの胸倉を掴んだ両手の拳がプルプルと小刻みに震え始めた。どうやらこんな安い挑発に引っ掛かってくれるらしい。

 そろそろ潮時だろう。こんなところでカテゴリー5の少女のような女性を泣かせたとなれば色々な意味で立つ瀬がない。右手の人差し指と親指で顎を擦るように少し考えて、そしてその手をそのままリッカの金髪に乗せる。掌にふわりと柔らかい感触が広がった。

 

「何を勘違いしてんのか知らんが、別にジルを特別扱いしてるわけじゃねぇ。いやまぁ全体からすりゃ特別みたいなもんなんだろうが、だったらテメェもジルと対等に扱われるべきだ」

 

 リッカ・グリーンウッドは頭がいい。思考の回転が速い。その力が、クーの言葉の意味を素早く正しく理解してしまったせいで、結局自分が追い込まれていることに、すぐに気が付いてしまった。

 気が付けば、リッカの腰にクーの両手が潜り込み、軽々とリッカの体を宙に持ち上げてしまう。

 そしてこの桜並木の、内一本の桜の木の傍までひょいと飛んで、そっと下ろす。

 何よもう、と反撃しようと思えば、リッカの頬を巨大な弾丸が掠めて去った――いや、その弾丸は、紛れもなくクーの腕で。

 すぐ目の前にある真紅の瞳が物語っている――ここから逃がさないと。

 しかし、その瞳は、一瞬だけ違う方向へと泳いだ。少し躊躇ってしまったのだろう。だが次の瞬間には覚悟は固まったようで。

 

「おい……目ェ閉じてろ」

 

 低く唸るような声に気圧されたリッカは、少し怯えたようにぎゅっと瞼を閉じる。

 一秒、二秒、三秒――数えていないと自分の心臓の鼓動の速さに耐え切れなくなってしまうから。

 そうして何秒が過ぎただろうか、ふと、唇に触れる何かの感触があった。

 目を開けてみようにも、恐ろしくて開けられない。

 また数える。その感触が離れてしまうまで――一秒、二秒、三秒。

 そして、その感触は、すぐにどこかへと去ってしまった。

 もういいかな、と目を開ける。

 視界が開いた先にあったクーはこちらへと背中を向けており、何事もなかったかのようにこの桜並木を静かに見上げていた。

 

「ち、ちょっと――」

 

「これから用事……っていう程でもないんだが、ちょっと行ってくるわ」

 

 そう言って背中越しに右手をひらひらさせる。その手は暗に、リッカに、ついてくるなよと言っていた。

 その背中を眺めながら、リッカは今しがたされたことを思い返す。時間にしてわずか数秒だったし、その間の視界は真っ暗だった。思い出そうにもその光景は思い出すことすらできないが、しかし、その時の感触だけで、簡単にその一部始終を想像できてしまう。

 だから、自分の指先が、無意識の内に自分の唇の方へと向かっていたのを、慌てて引き止めるようなことが起きてしまうのだった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「失礼しまーす!」

 

 そんな元気一杯の声が聞こえてきたのは、日が暮れ始めてのことだった。

 わずかに押し寄せる眠気をコーヒーのカフェインで追い払いながら、ひたすら桜を見上げて数時間。ちなみにこの間、クーの席の周りには、一定の距離が開くかあるいは近寄らないようにテーブル一つをわざわざ開けて席を取るような事態が発生していたのだが。

 出てきたのは、栗色のショートヘアが可愛らしい少女、陽ノ本葵。年頃の女の子なら、未だ会わぬ彼氏との出会いを求めてもう少し派手な格好をしたり、少し露出の多い服を着用したりするのだろうが、葵に限ってはそのどちらにも当てはまってはいなかった。

 理由は単純明快、その服の下に隠されているのは、禍々しく刻まれた罪の痕跡だからだ。それを服で隠して、その後悔と葛藤を笑顔の仮面で隠し続けていた。

 しかしそれはもう数日前の過去の話である。

 今となっては、彼女の隣を歩き、彼女の前に立って彼女を守る一人の騎士が全てを知り、全てを許容してくれている。

 その騎士は、今まで培ってきた地位や名誉を迷いなく全て捨て、そして平然と笑っている男だった。

 

「お疲れ様でしたお姫様――っと」

 

 閉店した後もしばらく店先のテーブルで居座っていたが、彼女の姿を確認するなリ立ち上がって出迎える。

 彼女は少しだけ申し訳なさそうな顔をしてから、いつも通りの明るい笑顔へと戻っていく。

 普段であれば、彼女はこの後この地下の空間に借りたとあるアパートの一室に戻って、その手に持っている本日の売れ残りの惣菜たちをテーブルに並べて豪華にディナーとしゃれ込むのだが、今の彼女はクーの主であり、保護対象である。もしかしたらアデル・アレクサンダー辺りが密かに命を狙っているかもしれないということを考慮して、現在は風見鶏の学生寮のクーの部屋に居候させているのだ。

 つまり、必然的に帰る方向が同じになる。

 

「今日はですね、こんなのと、それからこれと、あとこれ――今日は凄い贅沢ですよー!」

 

 店の売れ残りは原則無料で持ち帰ることができる。ただでさえフラワーズの料理はおいしいのに、冷めてしまっているとはいえそれをただで食べられるなど、これ以上の幸せはない、というのが本人談。

 どんな時でも、葵は自分の生活を満喫していた。

 ただ、それに慣れ過ぎていただけなのかもしれない。だからこそ、クーが気付かない限り、彼女は自分の罪を隠し通し笑い続けることができた。

 こうして誰かが理解してくれるということがどれだけ心の支えになっているのだろうか。クーにはそんなことは分からないし、考えたこともない。

 嬉しそうに戦利品についてあれこれ語っている葵の頭に、女の子の大事な髪を掻き乱すように手を置いてくしゃくしゃする。だが、葵は不思議そうな表情をしただけで、決して嫌がりはしなかった。

 

「アンタの店の料理が不味いはずないだろ」

 

 葵の胸に、ふと何かが込み上げてきた。

 クーは葵を受け入れてくれただけではない。葵が大好きな店で、そして自分が働いている店を、同じように好いてくれて評価してくれる、それが、どうしようもなく嬉しかった。

 先程までありとあらゆる言葉を尽くしてその良さをアピールしていたが、どうやらその必要もなかったらしい。

 だから、そこで会話が途切れてしまう。葵が一方的に話していたから、葵が話を止めてしまえばすぐに沈黙が包み込んでくれる。

 街灯に照らされた夜桜が美しくて、誰もいない桜並木を二人きりで歩いていたものだから、葵は少しだけ、想像する。

 恋人がいたら、こんな感じで並んで歩いているのだろうな、と。

 

「――っうぉっと」

 

 クーの体を、横からとんと押される感触がして、様子を見てみると、葵がクーの腕に両腕を絡めていた。

 そして葵はその年齢にして、他の娘と比べて胸が大きい。その柔らかい感触がクーの腕に押し当たっている、というか葵が意図的に押し当てていた。

 しかしこのクー・フーリン、そんなことで理性が揺らいだりすることはない。美少女が密着してくれることが嬉しくない訳がないのだが、それとこれとは全く別問題である。

 

「あれ、やっぱり慌てたり喜んだりしないんですね」

 

 残念、そう表情に出しながら見上げる葵。

 

「流石にあのリッカさんやジルさんといつも一緒にいるから、私なんかの胸じゃ満足できませんか」

 

「いやそういう訳じゃなくてだな……というか別にリッカたちともそう言う関係じゃ――」

 

 ないし、と続けようとして、そう言えば今日は一日だけでその両方共と大胆なことをしてしまったものだと思い出す。

 そして両方共に対して一歩踏み込んでしまったわけだから、色々な意味でランクアップしたわけで、明日からまた彼女たちが積極的になってしまえば、それはそれで面倒だ。

 ほんの少し憂鬱になりながら、小さく溜息を零した。

 

「傍から見れば両手に花なのに、それに対して何とも思わない殿方、これは修羅場が期待できそうですねぇ」

 

「冷やかしてんじゃねーよ」

 

 パチンと軽くデコピンをかます。軽いとってもクー基準であるため、葵の額にはしっかりと指の跡が残っていた。

 そうこうしている内に学生寮に辿り着いて、慣れた足取りでクーの部屋へと舞い戻る。

 侵入者など出てくるはずもないが、とりあえず念のために鍵を閉めてソファにどっかりと腰を下ろしながら制服の上着を脱いでは放り投げる。

 それをみた葵が甲斐甲斐しくそれを拾い直してハンガーにかけてやる。

 

「別に気にしなくともいいってのに」

 

「私が気にするんです。踏んづけちゃったら皺になりますし」

 

 葵が持って帰ってきた戦利品をテーブルに広げ直しているのを見て、今日話しておくべきことを思い出した。

 本当なら、彼女の口から全てを話してくれることを待っていたつもりなのだが、『歩く禁呪(フォビドゥン・ゴブレット)』が言っていた、彼女以外に『全てのことを知っている人物』がいるとすれば、それは他でもない、この霧の禁呪の術者、陽ノ本葵に他ならないのだ。

 今問い質すべきか、先程から逡巡は繰り返される。

 そして、焦燥に背中を押されるように、言葉は喉から飛び出した。

 

「なぁ、葵――」

 

 楽しそうに夕食の準備をしていた葵は、戦利品をテーブルの上に並べる作業を止めてクーへと振り返る。

 これから何を訊かれるかも知らずに、きっと何か楽しいことを話してくれると信じている、きらきらと輝く瞳。

 

「どうしたんですか?」

 

「やっぱ、話してくれねぇか、あんたが黙っている、この霧の禁呪の真相って奴」

 

 そういうと、彼女の瞳に、ひどい恐怖を感じ取った。

 硬直する体、わずかに指先が震えている。自分の笑顔で隠し切れない程の恐怖と動揺が、その問いの答えには存在しているらしい。

 そしてクー自身も、後ろから喉元を掴まれ引っ張られるような感覚に苛まれる。

 これ以上真相に近づくなと誰かが囁きかける――そんな優しいものではない、そう、これは訴えだった。

 それを振りほどくようにクーはソファから立ち上がって、彼女の隣に腰を下ろす。

 そして彼女を安心させるように震える肩に掌を乗せて、不器用ながらに笑ってみせた。

 

「それは――」

 

 震える唇から必死に声を絞り出そうとしている。

 しかしそれはすぐに収まった。次に彼女が見せた表情は、何かの覚悟を決めたような、冷たい表情だった。

 

「晩御飯食べたら、一緒にお風呂でもどうですか?」

 

 葵は、異性同士ながら、『裸の付き合い』を提唱してみせた。




積極的な葵ちゃんかわいいです。でも本当なら、ここから先冷静になって自分のやっていることを考えてみて恥ずかしくなるまでがデフォ。かわいい。
そしてようやくまた話が進むんだぜ。


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朽ち果てぬ記憶

葵ちゃんとのお風呂回をすると言ったが、アレは嘘だ。
その前に大事なお話をしておく必要があったことをすっかり忘れていたんだぜ。


 爆弾テロ事件の解決のために、クラスメイトの情報を管理する司令塔という重要な役目を担い成し遂げた葛木清隆は、ミッションが終了し、教室に戻って、リッカの号令で解散となってから、机の上で突っ伏していた。

 身体的な苦痛はあまりない。むしろその点では街中を走り回った他の生徒の方が疲れが溜まっているに違いない。話によれば、あのイアン・セルウェイがサラを庇って大怪我をしたとの話だ。時間を見てその内見舞いに行くのもいいかもしれないと考えている。

 一方で、精神的な苦痛は大いにストレスとなった。素早く、正確な判断を、それこそ何回、何十回も迫られる。次の情報処理が終わったと思ったら次から次ヘと舞い込んでくる情報や指示待ちの報告。

 それだけではない。一度、通信指令室が黒い影に襲撃されたこともあった。一度はシャルルの指示によって離脱を試みたのだが、そこにナイスタイミングで駆けつけてくれたエトと、それから『八本槍』の一人、佐々木小次郎。二人の到着と援護のおかげで再びその場所で司令塔を続行することができたのだが。

 目の前で清隆の、自分のクラスメイトが体を張って戦っているところを見ると、あれだけ危険な相手と至近距離で睨み合っているエトのことをますます尊敬すると同時に、何だか少しだけ恐ろしく感じてしまう。彼は一体どれくらい危険な場数を踏んできたのだろうと。

 とにかく、実にいろいろなことがあったことが幸いして、今日こそはぐっすりと眠れそうだと溜息を吐く清隆。

 そんな彼の隣から少女の声が飛んできた。

 

「お疲れ様です、兄さん」

 

「姫乃こそ、お疲れ様」

 

 既に荷支度を終えた姫乃が席から立ち上がって机に突っ伏している清隆を見下ろしていた。

 彼女も清隆と同じように通信指令室で情報のやりとりをしていたはずなのだが、外見からしてまだまだぴんぴんしている。相変わらずしっかりしている妹だと感心していて、気が付いた。

 外では軽く猫を被るというか、気を張っていることが多い姫乃は、こんな場面でも自分のだらけた姿を他人に晒すことなく、葛木家の人間としての自覚を持って云々、とにかく清隆が見れば彼女が疲れていることは何となく見て取れた。

 一方で、教室前方が少し騒がしくなっていた。といっても、その人物は二人でありよく知る友人たちである。

 荷物を纏めて教室を飛び出そうとしたエトを、慌てて捕まえるサラ。

 そしてエトの前に立ちはだかって、恐らく何か説教しているのだろう。本日のミッションで、サラとエトは同じグループだったはずであり、あの時通信指令室に救援に来たということは、当然サラたちを置いてけぼりにしたということである。単独行動が危険だからこそのスリーマンセル以上での行動が絶対だというのに、彼はそれを無視して一人で突っ走ったのだ。

 エトには悪いが、彼の行動は少し危険である。少しサラに灸を据えてもらった方がいい。

 

「ほんっと、あいつらもう付き合ってんじゃねーのって最近思うんだわ」

 

 いつもの馴れ馴れしい口調で清隆の背後に姿を現す江戸川耕助。詳しくは知らないが、彼も今回のミッションで結構活躍していたようだ。運悪くこちらに連絡はあまり入らなかったが、姫乃の方で爆弾発見の報告を三件ほど受けたらしい。

 

「マスターは絶対に二人の仲を応援しないでください。二人に呪いがかかってしまいます」

 

「おい四季それ漢字間違えてないか、『呪』うんじゃない『祝』うんだよ!?」

 

「マスターの(まじな)いは確実に(のろ)いに変わってしまいますので……」

 

「俺は呪術の専門じゃねぇ――!?」

 

 背後でいつもの漫才が繰り広げられていて、二人の仲が大変よろしいと言ってしまえば、恐らく四季がこれ以上なく耕助に嫌悪感を示してくれるのかもしれないが、生憎今の清隆に他人のボケとツッコミに構ってられる程の気力と元気はなかった。

 特に何も書かれていない黒板を眺めていると、ふと教室から去りゆくクラスメイトに挨拶をしていたクラスマスターがこちらに向けて手招きをしているのが視界に入った。

 清隆は自分の顔に人差し指を向けて自分が呼ばれているのかと確認を取ったところ、彼女は無言でにこやかに頷く。

 

「みんなはちょっと先に帰ってくれないか」

 

 そう言うなり、清隆はリッカの下へと駆けた。

 清隆が傍に寄ると、リッカは軽く溜息を吐いて両手の拳を腰に当てた。どうやら彼女は彼女で少し疲れているようだ。

 

「全く攻撃魔法なんてあまり連発しまくる物じゃないわね」

 

 どうやらあの襲撃を受けた時、殿(しんがり)として戦線を保っていた時の魔法の行使が影響しているようだ。

 

「ああ、あの時は、ありがとうございました」

 

「別に礼を言われることじゃないわよ。シャルルは総指揮官で、他に誰もいなかったし、それに私だってすぐに崩れちゃったし――おまけにエトが飛び出してきたからね」

 

 全く危なっかしい、と一人ごちるリッカ。

 そしてもう一度清隆に向かい直った時、既に疲れ切ったような表情はそこにはなかった。

 どうやらここからが呼びつけた本題、大方あれだけの事件があったのだから、それなりの雑用を任されるのだろう。

 少しは新入生を労わってもいいはずなのだが、どうやら彼女にとって葛木清隆という存在は扱いやすいらしい。清隆としては自身がカテゴリー4の魔法使いであるという秘密まで握っている。別にそれをネタに脅そうなんてことを彼女は決してしないが。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 思った通り、清隆が任されたのは今回の事件に関する資料の取りまとめと、生徒会メンバーのちょっとした周囲の世話だった。

 お茶汲み、資料の運搬、簡単な整理などが主な仕事内容だった。

 そしてついでに、今回の生徒会役員選挙が少し特別な扱いになることもリッカから耳にすることとなる。

 どうやら今回の生徒会役員選挙は、クーの『八本槍』脱退やら、今回の爆弾テロ騒動やらでかなり混乱が見られたために、今回の選挙はとりやめにして、葛木清隆、メアリー・ホームズ、イアン・セルウェイの三人を同時に生徒会役員に就任させるという方向に話が進んでいるらしい。

 それでは選挙をしないがために生徒会としての質が落ちるのではないだろうかという懸念に対しては、今回のテロ騒動の一件でそれぞれが多大な功績を残しているために、結局全員の就任に口を挟む者は最後にはいなくなっていたようで。

 何はともあれ、清隆としては選挙以上の出来事に遭遇したおかげで、これで楽ができるなどと言うことは一瞬たりとも頭の隅にも浮かばなかった。もしそんなことを考えたとしても、結局普通の選挙活動をしていた方が楽しかったかもしれないと思うだろう。

 生徒会室からみんなが去った後、そこに残っていたのはリッカと清隆だけだった。シャルルは学園長でもあるエリザベスと共に関係する機関に回って挨拶と報告に外に出ているらしく、巴も一応怪我をしているため少しだけ手伝わせて強制的に早退させた。残っていた本科生とリッカ、清隆だけで作業を進めていたという訳である。

 さて、先程のサラとエトのやり取りを見ていて、そして耕助と四季の漫才を見ていて、ふと清隆は思ったことがあった。

 

「リッカさんは――」

 

「ん?」

 

 カップを手に取って一口含もうとしていた彼女はその手を止めてリッカにサファイアの瞳を向ける。

 清隆は少しだけ躊躇ったが、折角二人きりなので聞きたいことを聞いておくことにする。

 

「リッカさんは、『八本槍』のクー・フーリンさんとどうやって知り合ったんですか?」

 

 清隆の問いに、リッカは一度ティーカップをソーサーに置いて、そして瞳を閉じる。大人が若き日の思い出をじっくりを思い返すように。脳裏に焼き付いて離れない記憶の残照を束ねて瞼のスクリーンに上映しているのだろう。

 

「そうね――」

 

 瞼を開いて、どこか遠い場所へと思いを馳せて視線を空へと飛ばす。

 リッカは、全ての始まりであるあの場所で起こった全てを思い返していた。

 あの遠くから見える黒い煙が、鼻孔を突き刺す焦げた匂いが、耳を切り裂く人々の悲鳴が、視界を彩る鮮やかで毒々しい血の海が――ずっと記憶の底にこびりついていた。

 

「魔女狩り――って、知ってるかしら」

 

 清隆は静かに縦に首を振る。

 魔女狩りに関しては姫乃の父親からも話で聞いたことがあるし、実際に類似する文献に軽く目を通したことがある。それを題材として扱った小説も読んだことがある。

 

「時代錯誤も甚だしいのだけれど、少し前まで、一部の地域でその文化は根強く残っていたわ。私たちが実際に遭遇したのも、当時の都会から随分と離れた辺境の地みたいなところだったから、文明的に取り残されている感じはあったの」

 

 彼女の口ぶりからして、清隆はふと思ってしまう。

 リッカ・グリーンウッドという女性は、果たして()()()なのだろうと。当然見た目のような年齢であるはずがないし、かといって、やはり見た目というのは印象を大きく左右させるものであり、そこまで長生きしているようにも見えなかった。ある程度長くは生きているのだろうが、まさか世紀を越えるくらいまでとは行かないだろうと推測する。

 

「私はずっと、二十歳を過ぎる前くらいから親友と旅に出たの。見聞を広げて、魔法使いとして一人前になるために。――ああ、親友っていうのはもちろんジルのことね。二人でいろんな場所を歩いて回ったわ。いろいろなものを見て、いろいろなことを聞いて、自分の肌で感じて自分の脚で辿り着いた」

 

 旅に出ようと飛び出したのはリッカだった。ジルは当時からして内向的だったのだが、その時は親友としてついてきてくれた。

 リッカが先に駆け出して、追いかけるように手を振って足を早めるジル。旅の道中は大体そんな感じだったことをよく覚えている。

 

「そんなことをしているとね、ジルも人間だし女の子だから、一つのことに夢中になれば、それに全力を尽くしたくなるの」

 

 時間も流れてとある町に辿り着いた時、彼女はその町でとある女の子を見つけた。

 出稼ぎに家を出た両親はそのまま帰ってくることはなく消息は不明、祖母の家に預けられたものの少し前に亡くなったらしい。ただ一人残された少女に残っていたものは、小さな小さな魔法だった。触れたものを少しだけ光らせる、取り立てて大きな力もない魔法。

 彼女の魔法の力が小さくとも、それは周りの人からすれば異常であり、脅威として認識するだろう。だから始めこそリッカとジルが二人で預かって面倒を見ていた。

 しかし、リッカの旅の目的はそこにはなかった。だからこそ、リッカは再び旅に出ることを決意して、そしてジルはその少女が自分の魔法の力を安全に制御し、一人前の女の子として暮らしていけるようになるまで面倒を見ることを決意して、二人は一度、分かれた。

 

「だから、私はジルのしたいようにさせて、いつかまた共に旅ができると信じて先を急いだのね」

 

 だが、それは大きな過ちとなった。

 ある日、その少女の内気な性格が災いして、通っていた小さな学校でいじめられ始めた時、無意識の内に魔法が発動して、嫌がって押しのけた男子を発光させ、そして発熱させた。

 クラスメイトを全身軽く火傷させたと同時に、これで彼女が魔法使いであることが、周囲にばれることとなったのだ。

 そして始まる、残酷な争い。

 

「その後で、ジルが残った町で、ついにそれは起こってしまった」

 

 ――魔女の疑いのある者は、例外なく抹殺する。

 

 一人の偏執した正義が波紋を広げ、それが更に他の住民へと広がっていく。

 小さな争いの火種は次第に大きな炎となり、そして疑心暗鬼と差別が生み出す憎悪の黒炎が、町を包み炙った。

 手始めに、ジルの知らないところで少女は捉えられ、広場に引き摺り込まれて磔にされ、殴打を繰り返されながら火炙りの刑に処される。石つぶてを投げ込まれ、全身から血を吹き出しながら、小さな魔法使いの命は犠牲となった。

 そしてジルは、彼女を助けることも、手を差し伸べることもできずに、騒ぎを聞きつけ駆けつけた時には、その残虐な行為を目の前に、膝を屈して涙を流していた。

 次に疑いの眼差しと共にありもしない憎しみの念を向けられたのは、彼女を匿っていたジルだった。

 

 ――殺される。

 

 そう感じ取った時には、一目散に逃走していた。

 どこに逃げればいいのかも分からない、誰に助けを乞えばいいのかもわからない、この町の人間の全てが敵であるということしか理解できず、既にここには頼れる親友がいないことを痛感して涙を零す。

 そして、助けてやることもできず、守り切ると心で少女に誓ったにも拘らず、その責任を放り投げて、彼女の亡骸に背を向け情けなくも逃げ回っていることに、罪悪感しか感じられなかった。

 ただひたすら、血を流し続ける少女の死体に、心の底で、ごめんなさい、ごめんなさい、と。

 しかし、町の住民の方が当然人数は多く、一人ではすぐに包囲され、追い込まれてしまう。

 誤って行き止まりの通路に入ってしまった時には、もう遅かった。

 ただ身を小さく屈めて蹲り、次に襲い掛かるであろう暴力の嵐に怯えながら、恐怖に震え、歯を食いしばり、目を強く閉じて、ただひたすらに、届かない『助けて』を心の中で叫んだ。

 すると、その叫びは、確かに届いた。

 耳を破らんばかりの爆音と、身を焦がすような熱風、そこにいたはずの男たちは一人残らず消し飛び、その奥に一人の青年が現れた。

 逆立つ蒼の髪を後ろで束ね、血のように紅い、真紅の槍を握り締め、そしてその槍と同じ色の、そしてその槍と同じように鋭い、真紅の瞳がこちらを捉えていた。

 助かった、と安堵すると同時に、彼女はその青年を見て、すぐに心配してしまう。

 

 ――あなたの方が大丈夫ですか、と。

 

「その時、ジルを助けてくれたのが、他でもなくあのバカなのよね」

 

 最後の一言を語った時、リッカはどこか嬉しそうで、満足そうな表情をしていた。

 

「その後、私はジルの傍にあいつが立ってて、あまつさえ槍なんか持ってジルを睨んでたものだから、これからジルを殺すつもりなんじゃないかと勘違いして、魔法で吹き飛ばしちゃうんだけれどね」

 

 なるほど、リッカがあのクーを魔法で爆破しているのは、その時からの因縁なのか。清隆は妙なところで納得してしまう。

 

「その時なの。私とジルが、世界を花でいっぱいにしようと誓ったのは」

 

 ジルが大切にしていた少女が、花が大好きだったから。

 彼女が、生前こう言っていたのだ。

 

 ――お花がずっと、きれいに咲いていればいいのに、と。

 

 ジルはあの魔女狩りの事件のことで、悔やんだり嘆いたりすることはなかった。そんなことで立ち止まっていては、彼女は救われないし、行動することを止めたジルのことを許してはくれないだろう。そう思うが故に。

 前を向いて生きる――ジルが後ろをそっと振り返って、少女の名を思い出し涙する時は、悲願を叶えると共に人々を笑顔に変えた時だと、心に決めた。

 だからこそ、今、彼女は、強い。

 そう思い出に浸りながら清隆に語りかけているところに、ドアが勢いよく開く音がした。

 清隆もリッカも吃驚してドアの方に視線を向けると、そこに立っていたのは、目の周りに泣いたような跡があるジルだった。噂をすればなんとやらという、アレである。

 ジルが何やらソワソワしていると思えば、彼女はおもむろに口を開いた。

 

「く、クーさんに、ちゅーされた……」

 

 そしてジルは、それだけを報告した後、夢から覚めたかのようにハッとして、顔を真っ赤に染め上げ、そしてどこかへと一目散に逃げてしまう。

 何だか拙いことに巻き込まれたのではと、清隆の内心は冷や冷やしている。事実、隣で座っているリッカの表情は、何とも微妙なものであり、そしてドアの方へと投げかけられていた視線は、既に冷めてしまった紅茶のように、中途半端に冷たいものだった。

 唐突に、リッカが立ち上がった。

 

「うわっ!」

 

 隣で清隆が驚いて後ずさってみれば、リッカも生徒会室を飛び出してどこかへと去ってしまった。

 恋する乙女も大変だな、と心の中で苦笑して、そしてこの生徒会室は、果たして誰が閉めてくれるのだろうかと、清隆は軽く不安になった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 生徒会室には割とすぐにシャルルとエリザベスが帰ってきたので、清隆は挨拶を軽く交わしてそのまま寮に戻った。

 疲れも溜まっていたためにぐっすりと眠っていたかったのだが、そんな日に限って例の夢の人はまたいつもの登場人物不明の夢の中に引っ張り込んでしまうようだ。

 気が付けばまたいつものように他人の夢の中に入り込んで、地に足がつかずに浮遊しているような感覚が体を包む。

 実際周囲は自分が眠っている寮の自室ではなく、どこか知らない場所の、それでいて空中だった。少し高い位置から辺りを俯瞰するような形になっている。

 それが、今清隆が見ているこの夢の風景は、今までにない以上に、血生臭かった。

 あちらこちらで怒号が鳴り渡る。争いがあちらこちらで起こっているのか、所々で壁や床がオレンジ色に照らされている。火の手が上がっているようだ。

 逃げ惑う人々、それを追いかける男たち。

 男に捉えられた人は、その場で追い打ちをかけられるように殴られ、蹴られ、手に持っている棒で滅多打ちにされる。

 体中から血を流しながら、引き摺られるようにこの街の広場へと運搬され、そしていくらもがこうと周囲の人間に取り押さえられ、そして柱に磔にされた。

 そこに投げ込まれたのは、枯草や小さな木の枝。そして時間が絶たないうちに、誰かが投げ込んだ火が枯草に燃え移り、爆発するように炎は揺らめき勢いを増した。

 磔にされ、火炙りの刑。

 清隆はその光景に、思い当たることがあった。それは、ほんの少しの興味で何となく読んでいたとある本に出てきた、魔法使いにとっての、忌むべき黒歴史――魔女狩り。

 磔にされ、足元から炙られている人は他にも何人かいた。男性であったり、女性であったり、――中には、子供までいた。

 

「――こんなのっ」

 

 込み上げる怒りに、口からつい言葉が漏れてしまう。しかし、覗き見した程度の夢の中で登場人物に干渉することはできない。

 悲鳴が、喚き声が聞こえる――耳を塞ぎたくなる。縛られ身動きが取れなくなった子供が、必死に頭を振って現実を否定しようとしている――瞼を強く閉じたくなる。

 耳を塞ぎ、瞼を閉じた。しかし鮮明に脳裏にこびりついてしまったその光景は、瞳を閉じた今にその漆黒の瞼の裏でより絶望的に上映される。

 この光景を、つい先程耳にしたはずだ。これは、そう、リッカ・グリーンウッドとジル・ハサウェイの凄惨な過去の一ページ。

 いや。もしかしたら。

 もしかしたらこの光景こそが、リッカとジルの記憶の物語なのかもしれない。

 だとすれば、今までに見てきた夢は、全てリッカとジルの記憶の夢だったのだろうか。

 何故、どんな目的で――疑問はたくさん残るが、しかし、もしそうであれば、今目の前で起きている出来事は、一瞬たりとも目を離すことができない。もしかしたらこれが、二人の何かのきっかけになるかもしれないのだから。

 広場に駆けつけた一人の少女――やはりその少女は、例の如く輪郭からぼやけていて、誰なのかがはっきりと分からない。ただ、これがもし本当にリッカかジルの記憶の一部であるのなら、つい先程リッカから聞いた話によれば、彼女はジル・ハサウェイだ。

 磔にされて息絶えている少女を見て嗚咽を漏らし静かに涙を流しながら、膝を屈してぺたりと座り込む少女。

 すると、若者や大人たちの視線が集まったのは、その少女の方向だった。

 突然の殺意に恐怖したのだろう、敵意剥き出しで迫ってくる大人たちを前に、震える足を無理矢理動かして走って逃げることしかできない。途中で何度も足を引っ掛けて転びそうになった。

 次々と現れる、凶器を握る男たちに迫られ、息が切れようが、足が痛もうが必死に走り続ける。

 そして、気が付けば、目の前に迫っていたのは、人ではなく、そびえ立つような壁だった。人の脚では到底飛び越えることのできない建物の壁に行く手を遮られ、完全に逃げ場を失ってしまう。

 背後を振り返ってみれば、罵声を浴びせながら歩いてくる複数の男たち。

 恐怖に足が竦む。両足は骨が抜かれたように力を抜かし、尻餅が地面に着く。少しでも、少しでも距離を取ろうと、壁にくっつくように、隅に蹲って、祈るように震えていた。

 鉄の棒を握り締める男の拳が振り上げられた時だった。

 腹の底を振るわせるような爆音、轟音、一瞬にして膨れ上がる爆炎が視界を埋め尽くし、目がチカチカとする。

 その光景を空から見下ろしていた清隆は、無意識の内に腕で目を守っていた。

 今の爆発で、彼女は助かったのだろうか。この爆発こそが、あの偉大な生きた伝説、クー・フーリンの起こしたものなのだろうか。

 煙が消え、視界が晴れる。少女の前から、人は一人としていなくなっていた。おそらく、今の爆発で骨も残らず消し飛ばされたのだろう。

 しかし、そこに清隆が期待していた、男の姿はなかった。

 代わりに、そこに立っていたのは、親友を安否が不安で駆けつけた、肩で息をしながら少女の姿を見つける、もう一つの輪郭がぼやけた少女の姿だった――

 

 



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かなり重要な話なので少し時間をかけました。もっと厳密に言うと、かかっていました。
遅れて申し訳ないです。


 魔法というものは凄い。

 どれくらい凄いかというと、まずはここ王立ロンドン魔法学園の敷地となっているこの空間が既にロンドンの地下ということであり、更にその地下に張り巡らされている水道を、全体に魔力を行き渡らせて管理し、そして魔力によって水量や温度が調節される仕組みになっている。

 地上でも似たようなシステムがあるのだろうが、ここまで人肌に合った温度と水圧のシャワーを生み出せるのは、やはり魔法の力のおかげだろう。柄にもなくクー・フーリンはそんなことを考えていた。

 いつもは決してすることのない思考をしているのは、普段は一人で入っている風呂に、今日に限ってはもう一人、居候している客が湯船に浸かっていたから、というのもある。

 その少女は、洗髪をしているクーの背後で、一人で鼻歌を歌っていた。

 その白き体中に禁呪の紋様を刻まれた、陽ノ本葵である。彼女は今、文字通り一糸纏わぬ姿だった。

 数刻前、アルバイト先で仕事をしていた葵を迎えに行き、二人で帰宅した後、彼女の持ち帰った売れ残りの惣菜で簡単に夕食を済ませ、そしてその時に、クーは彼女に問いかけた。

 ただ一言、真実が知りたいと。

 すると彼女から返ってきた答えが、一緒に風呂に入ろうというものだった。

 確かに日本には裸の付き合いなどと言う風習があるとクーも耳にしていたが、果たしてそれは同性同士でするものではなかったろうかと思案するクーだったが、そこまでして覚悟を決めて曝け出して初めて語ることができるということなのだろうと推測する。

 しかし、流石にこれは、失敗なのではないだろうかと、クーは内心冷や汗を流していた。湿度気温が上がりがちな風呂の中であるというのに。

 最初こそ調子に乗ってバスルームに突入してきた葵、その時はまだ大事なところだけはタオルで隠すようにしていたのだが、どうやら彼女には妙なところで暴走する癖があるらしく、軽くクーを色気で挑発したいのか、その場でくるくる回ってみたり、少し大胆な発言をしてみたりと、言ってしまえば幼い娘のようなアクションの連続だった。

 かと思えば、リアクションのないクーの対し、どうでもいいところで対抗心を燃やした葵が、最後の砦を自ら取っ払ってしまったのだ。

 豊かに実った胸の先端や、柔らかな弾力があり、それでいて引き締まった腿の内側まで全てを完全に解き放ってしまっていた。

 しかしふと冷静に自分の行動を振り返ってみて、自分がはしたないことをしていることが今更恥ずかしくなって、勢いをなくして弱々しく物音を立てないように湯船に浸かって口でプクプクと気泡を立て始めたのがつい先程である。呼吸に支障をきたすのか、すぐに止めて鼻歌に移行したが。

 閉鎖された空間の中で、少女の軽やかな歌声が壁に天井に反射し、音響効果を伴って美しく響く。これから重大なことを話すはずなのに、やたらとリラックスしているらしい。

 自分がたくさんの人間を巻き込んで壮大なスケールの世界を創り上げて閉じ込めているというのに、この心の持ちようである。きっと将来は大物になるに違いない。

 尤も、いつまでもキノコが生えるようなジメジメと陰鬱で後ろ向きに落ち込まれるよりも幾分マシではある。

 シャワーの栓を捻ると、再び暖かい湯が爽快な音を立てて地面へと打ち付けられる。少しだけ取っ手をいじって角度を変え、自分の頭に湯がかかるように調節する。

 頭髪へと直撃する湯はその勢いと流れでシャンプーの泡をさらい、そして体の表面を伝って地面へと流れていく。

 暫くじっくりと頭の泡を落とし、シャワーの線を閉じて、瞼にかかる前髪を両手で掻き揚げた。

 鏡を覗き込むと、そこには大変面倒臭そうな表情をした青髪の男の顔がそこにはあった。どうやら二重の意味でこの状況を楽しめてはいないらしい。特に内一つ、後ろの少女が勢い余っての自爆を繰り返しているのには頭を抱えそうになる。

 

「お背中、流しましょうか?」

 

 そんなクーの表情を見たのか、あるいはただの思い付きなのか、シャワーで泡を流している間に鼻歌を止めた葵がそう提案してきた。

 悪くはないがまた自爆しそうなので断っておくべきだ。クーはそう判断してやんわりと拒絶する。

 

「あー、ありがてぇんだが自分でする」

 

「まぁまぁそう言わずに……」

 

 クーの言葉に強制力は存在しないようだ。じゃぶじゃぶと音を立てながら湯船から上がった葵は、タオル姿のままクーの背後に立った。

 鏡を覗くと、クーの頭辺りが丁度葵の胸元辺りで、巻かれたタオルは綺麗にクーの頭や肩に隠れており、肩から上の白い素肌が湯に濡れて何とも扇情的ではある、が、クーの劣情を誘う程ではない。

 

「だから自分でできると言ったんだが」

 

「私が流してあげたいんですっ」

 

 ムン、と握り拳をつくって小さく両腕でガッツポーズをする。

 

「いやもう勝手にしろ……」

 

「好き勝手させてもらいます」

 

 そう言うと足元に転がっていたスポンジを手に取って、石鹸を使って泡立たせ、そして背中に擦りつける。

 ごしごしと、ほぼ一定のリズムを刻んで、背中で上下するスポンジが心地よい。普段、というより過去に一度も他人の手を借りて体を洗ったことがなかったから、その快感には気付くことすらできなかった。だが実際にこうして背中を託してみると、これが意外と気持ちいいもので。

 

「んっ――」

 

 ふと、葵の手が唐突に止まった。

 そしてその背中にそっと触れる、柔らかい感触があった。明らかにスポンジではない、細くて柔らかい感触。間違いなくそれは葵の人差し指だ。

 葵の触れた指が、とあるラインに沿って、そっと動いていく。クー自身も忘れていた、その線のことを。

 

「この傷、戦ってた時のですか?」

 

 指が離れ、代わりに葵が腰より少し上の背中に掌を優しく当てる。

 

「いんや、そいつは違ぇよ」

 

 葵の手が離れると同時に、クーもその傷にそっと掌で触れる。

 確かこれは、かつて彼がとある病気の少年の命を救った時に、その少年が強くなりたいと言い出して、クーが師匠としてその少年の稽古を監督していた時のものだ。

 体力をつけ、身のこなしを極め、力の使い方を覚える。そして、その力は、ただ力として存在しているわけではない。

 そこには、力が存在するための、『理由』が必然的に付き纏う。

 かつてのクーにとって、それは奪うためであり、勝つためであった。逆に、リッカやジルは、守るためだった。

 そして、クーが教えるそれは、クーの与える力は、少なくとも、武の力によって敵を排除するためのものだ。

 奪うにしろ、守るにしろ、そこには必ず、暴力が纏わりつく。誰かを傷つけ、時には命を奪う凶器となる。

 力を持つ者が傷つけることを恐れていては、奪うことを恐れていては、その線を越えることを躊躇う。その一瞬の躊躇が、逆に自分が傷つけられたり奪われたりする理不尽な一刻となり得る。

 だから、少年には、傷つけることを教えた。痛みを相手に与えることを叩き込んだ。

 クー自身がサンドバックとなって、あらゆる道具で、あらゆる凶器で、クーの体に直接傷を刻み込む行為を、少年に強要した。

 刃を持つ手は震え、弱々しく振り上げられた両手は力なくクーの体に突き刺さる。

 痛くも痒くもない、端から奪う気のない怯えた一撃。その度に、少年に痛みを叩き込むことを忘れなかった。

 傷つけなければ、傷つけられるのだ。殺さなければ、殺されるのだ。

 殺す覚悟などいちいちしている場合ではない。その覚悟を決めている間に、先手を打たれる。ならば最初から、平然と奪えるような心構えをつくっておかなければならない。

 気を狂わせながら、顔面を血やら涙やら鼻水やらでくしゃくしゃにしながら、片手で扱える程度の大きさのナイフを握り締めて、恐怖を掻き消すような絶叫で肉薄し、鋭い爪を叩き込む。

 それでも甘い。少年は首根っこを掴まれ、草むらに投げ込まれる。起き上がった少年の顔には、草や枝で切った切り傷ができていた。

 そして、狂気の先に、境地がある。

 体中の水分を使い果たしたかのように、枯れ切ったような瞳をしていた少年は、ただその手にナイフを握り締めていた。

 最早残された力などない。斬りかかるだけの気力も残されていない。満身創痍、少年の心は限界をとうに迎えていた。

 そんな彼に、クーは一言、こう零した。

 

「……ヤメだヤメだ。もうテメェに才能はない。これ以上やっても無駄だ。憂さ晴らしに出来損ないのガキの、出来損ないの姉でも食っちまうか」

 

 踵を返し、背中を向ける。

 静かに、さくり、と。背中の痛覚が、確かに反応した。

 背中の筋肉を破らんばかりの鋭く冷たい感覚が突き刺さっている。

 首だけをそちらに向け、何があったのかを確認する。

 感情のない目で。冷酷に、無慈悲に、淡々と鮮血をクーの背中から撒き散らす少年の姿があった。その優しいルビー色の瞳からは、温もりなど一切感じられない。

 拳の中で内部は捩じられ、そして、力の入れやすい方向に、すらりと抜き取る。剣で斬りつけられたような傷跡と、それに沿って舞い上がる血飛沫。

 やってくれたな、だがクーはまだ動く余地がある。多少の痛みを堪えて身を捩じり、少年の額へと向けて腕を伸ばす。

 五本の指が頭を捉えた――しかしその全てが、宙で空振りする。

 一瞬のサイドステップで後方へと回り、そして今一度、傷つけた個所へと向けてナイフが振るわれる。

 同じ傷に、別のタイミングでダメージを与える――二段階の苦痛が、クーの表情を顰めさせる。

 しかし、その程度で何かしらの支障をきたすような人間ではなかった。

 すぐに反応して腕を掴み、空いた手でナイフを抜く。そして彼の体を完全に拘束して――

 

 ――力強く、抱き締めた。

 

 一瞬強張った体が、すぐに脱出を図ろうともがき始める。

 腕に爪を立て、足で脛を蹴ろうとして。しかしそれでも、クーは少年を抱き締めることを止めはしなかった。

 

「よく耐えたな。お疲れさん、テメェはよくやったよ」

 

 そう一言慰めてやると、少年の体からようやく力が抜けた。

 片や泥だらけ、血だらけになって、片や背中を血で濡らして。

 

 ――そう言えば、そんなこともあったか。

 思い出しながら、記憶の内容をかいつまんで、彼女に語りかけた。老人になると昔話を語りたくて仕方がない。歳を考えると少しは自重した方がいいのかもしれないと考え直す。

 しかし、そんな彼とは反対に、葵からのリアクションは返ってはこない。ただ、無表情で、いつもの明るい笑顔はその顔から消え去っていた。

 ただ一定のリズムを刻んで、背中のスポンジは上下に動く。

 クーはこっそりと、というより何となく鏡越しに葵の表情を窺う。

 一度開きかけた口は、まるで溢れ出そうな言葉を無理矢理引っ込めようと、唇を強く結んでいた。

 急なテンションの変化、そこには間違いなく、葵の隠された本心が存在する。これまで葵がひた隠しにし続けた、葵がクーに霧の禁呪の術者だとばれて、あらゆる真実を告げてもなお、ずっと心の中に秘めていた、日の下に晒すこともできない真実が。

 葵のほっそりとした白い手が、クーの横を通ってシャワーの線へと伸びる。

 先端から吐き出された湯が地面を打ち、四方に跳ねて飛び散る。そしてシャワーの先の向きが変わって、その湯はクーの背中を打ち付ける。

 再び地面に泡が落ちて流れてゆく。

 葵がシャワーを止めるのを確認して、クーは腰掛から立ち上がった。

 散歩程歩いて、バスタブを跨いでしっかりと張ってあった湯に浸かる。バスタブの中で湯のかさが増し、許容量を超えた湯が大きく波をつくって端から流れていく。壁や床に大反響を起こして少しばかり喧しい。

 少し間を置いて、葵もそっと湯船に足を踏み入れる。豪快に飛び込むように腰を下ろしたクーに対して、そっと、波を立てないように静かに腰を下ろす。また、許容量を超えた湯が大きく音を立てて溢れ出す。

 少し広いバスタブの中で、二人は背中合わせになって湯に浸かっていた。

 

「そんな記憶が、あったんですね」

 

 低く冷淡な声音の葵の声が、空気中に響き渡る。

 先程の傷の話をしているのだろうか、なかなかタイムラグの大きい時間差の会話だった。

 

「まぁな」

 

 クーは確信していた。これから話すことは、間違いなくクーが聞きたがっていた本当の真実というもの。

 近づく度に、探りを入れる度に、何者かに囁かれ、訴えられるような気分に苛まれながらも、ようやくここまで来た。

 その核心の根拠こそ、葵の時間差の言葉。

 なぜ彼女は、わざわざ『記憶』というワードをチョイスしたのだろうか。あれだけの時間差があって、敢えてこの言葉を使うのには、何か大きな理由があって然るべきだ。

 誰かからの最後通告を無視して、核心に迫ろうとしているクーの喉元を、何者かが潰すかのような圧迫感で呼吸が苦しくなり、無意識の内に焦燥に駆られてしまう。

 葵が、ようやく口を開いた。

 

「私は、この魔法の術者ですから――」

 

 再び、そこで口を噤む。明らかな躊躇が、葵の言葉を妨げている。

 しかし、葵はその束縛を首を振って取っ払った。

 

「――だから、全てのループ世界の記憶を保持していられるんです」

 

 それは以前からも説明を聞いていた。もう何度も、同じ世界を繰り返しているらしい。中には、クーがリッカやジルと逃亡したような世界もあったようだ。その時の魂の震えを、確かにクーは覚えていた。記憶そのものはまるで残っていないが。

 

「そして、術者だからこそ――――歪む前の記憶も正しく持ち合わせている(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)んです」

 

 時間が止まったようにも感じられた。

 彼女は何と言った。そう、ループ世界が始まる前の、正しい世界の記憶を持っていると言った。それはつまり、どういうことだ。

 根源的な恐怖が足元から這い上がってくる。まるで、存在そのものが否定されているかのような、世界そのものが自分自身を拒絶しているような。

 いや、まるで、とか、ような、とか、そんな婉曲的なものなのだろうか。

 それは言うまでもなく、今自分たちが保有している、正しく存在していたと認識しているこの記憶は、この霧の禁呪によって書き換えられ、偽物が植え込まれているということだ。

 だとすれば、だとすればだ。

 今思い返しているこの記憶の内、どこまでが正しくて、どこまでが虚構だ。

 髪を引っ張るように、左手で頭を抱える。

 

 ――今ここにいる俺(・・・・・・・)は、何者だ。

 

 ふと背中に、今まで感じていた葵の背中の体温が消えて、別の温もりが背中に伝わってくる。恐らく、両手。そして、額。

 次に出てきた声は、溢れそうな感情を噛み殺すような、震えた声だった。

 

「クーさんは、『八本槍』がどういう経緯で設立されたか知っていますか?」

 

 その問いと同時に、クーの前頭葉辺りにチリチリとした軽い痛みが走り始める。

 知っているとも。それは、エリザベスがこのイギリスの、引いてはイギリスの魔法使いの社会を守るための最終兵器として集められた、戦闘、戦力において人の域を超えた人外によって構成された特殊組織である。

 そして彼ら、彼女らには、王室への忠誠の証として、クー自身が愛用している真紅の槍をモチーフとしてつくったペンダントが配布されており、それによって組織と王室の信頼関係が成立している。

 事実、クーもそれを持っている、というより、自室の引き出しの中に適当に放り込んでいる。大切にしようとも思っていない。

 

「禁呪の適用範囲外の正しい世界と、霧がロンドンを包み込んだ後の歪んだ世界、二つの記憶を継いでいる私は、それを知らないんです。私自身が、『八本槍』の創設の事実を、リアルタイムで認識していないんです――――」

 

 ロンドン中を巻き込んだこの霧の禁呪は、世界を十一月一日から四月三十日までの半年間の間を進めたり巻き戻したりしてループ世界を発生させる。

 陽ノ本葵はこう言ったのだ。十一月一日より前、つまり十月三十一日までの間に、『八本槍』が設立された事実を確認していなかった。そして、十一月一日から始まったループ世界の中では、既に『八本槍』は設立されたものとして平然と存在していた、と。

 つまり、それは、どういうことだ。

 焦りが思考を拒絶し、妨害し、撹乱する。上手く思考が進んでくれない。

 陽ノ本葵が最初に切り出した言葉の意図、十月三十一日までと、十一月一日からの記憶には矛盾が生じており、つまり術者である葵以外の人間の保有する記憶のほとんどが実際に存在していない可能性が高いこと、そして、術者本人が確認できていない、『八本槍』設立の事実――そこから導き出される一つの答えとは、その真相とは。

 

「――――『八本槍』なんて組織はなかったし、十月三十一日までの私は、クーさんを顔も名前も知らないんです」

 

 沈黙を肯定するように、天井から落ちてきた水滴が水面に衝突し、ピチャリと高い音を立てる。

 誰かが、時間切れだと囁いているようだった。




遂にネタばらし。質問ある方は挙手をお願いします。


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変わらない朝日

ちょっとだけほっこりできる話。


 ピチャリ、またピチャリと、天上から降ってくる水滴が水面を打ち、静寂の中に一定のリズムを刻む。

 真実の最期の一線を踏み越えてしまった男の背中にあったのは、ただ一人の、全てを抱え込んで隠してしまっていた少女の温かな体温だけだった。

 葵は、その男の大きな背中にしがみつくように、追い縋るように、その肩に爪を食い込ませるくらいの強さで密着している。

 たとえ今そこにいたとしても、その体温は偽物であり、虚構であり、夢でしかないのだ。この停滞した世界という、人々の負の感情を一手に担い叶えた世界の夢。

 夢はいつか必ず覚める。覚まそうと、そして覚めようと思っていたのは、他でもなくこの世界を創りだしてしまった自分自身だ。

 その結果、その結末に何が待っているのか、知らなかったわけではない。ただ一人の何でもない少女の命が散るだけの問題であれば、ここまで悩むこともなく、苦しむこともなく、葛藤することもなかっただろう。

 夢の世界でも、やはり上手くはいかないのだ。この停滞した世界を愛した者がいる。壊したくない者がいる。縋りつきたい者がいる。

 この停滞した世界に、生かされた者がいる。

 最初から葵一人の問題ではなかったのだ。『八本槍』の一人、カテゴリー5の最高峰と言われる『歩く禁呪(フォビドゥン・ゴブレット)』も、その真相に気が付いていたから、自らの存在を存続させるために、自らが歩んだその歴史を否定せず、夢の世界を現実にあるかのように生きることを選んで、クーたちの前に立ちはだかるような真似をした。その結果が先のテロ活動だったという訳だ。

 霧を晴らし、ループ世界から脱却した時、果たしてどうなるか。

 陽ノ本葵という存在は、躊躇うことなく死へと向かって確実に歩を刻んでゆく。

 夢によって生み出された『八本槍』は、霧が消失した時点でその存在を抹消される。

 見るがいい、何一つとして残るものはないではないか。それなのに陽ノ本葵のこの口は、無責任にも自己満足から生まれた独善的で独りよがりな正義感で事件を解決したいと、あろうことか他力本願で助けてほしいとほざいたのだ。

 情けないを通り過ぎて、滑稽ですらあった。

 チャプリ、と水面が揺れる。少しだけ、クーが身動ぎをしたようだ。その顔は、その瞳は、何を見ているのだろうか、天井を見上げてぼうっとしていた。

 そして、この温かいはずなのにどこか寒々とした空間の中に、低い男の声が響き渡る。

 

「……それじゃあ、俺は本当に存在しないってことか」

 

 その確認は、葵の耳から濁流のように流れ込み、全身に重く圧し掛かった。

 肯定の意味も乗せて、その重みに耐え切れなくなって、肩に乗せるての力を強くする。

 

「じゃあ、俺が世話したエトはどうなってる?」

 

 今度の問いに、クーの肩に掛けられた両手はその力を失った。

 

「……分かりません。多分私が見てないだけかもしれませんが、生徒会長さんの弟さんだったら、どこかで耳にしているはずなので、もしかしたら――」

 

「――そうか」

 

 そこから先は言わせまいと、クーは最後まで聞くことなく返事をする。

 クー・フーリンの場合、仮に本当に葵の言うことが本当で、彼女がクーのことを何一つとして知らなかったのだとしたら、確かに現在の事実とは大きく異なっていることは間違いない。

 あることないことあるが、これでもクー・フーリンという男は、『アイルランドの英雄』として名を馳せることとなった男なのだ。それこそたくさんの伝説があり、それは道行く人に次々に語り継がれる。まるで古代から畏怖される伝承のように。念のためもう一度確認しておくが、決してやってもいないことまで広まっていたりはする。

 いずれにせよ、それだけ大々的に広まっているはずの噂話を、様々な店でアルバイトをしていて人脈の広い葵が知らないはずもない。それを知らないのだとしたら、そもそもクー・フーリンにまつわる伝承そのものが存在しなかったと考えるしかない。つまりそれは、クー・フーリンそのものの存在を、元の世界で否定するものとなってしまう。

 そしてそれは、エトにも言えることだ。葵の言う通り、エトがこの風見鶏に入学した際には、現生徒会長の弟としてかなりの話題を集めたものだ。それはすぐに生徒会役員選挙の出馬などの話題で大きく取り上げられたり、その強かさと美しさから人々の人気を寄せ集めたりと、学園関係者でなくとも、周辺で生活していればその噂はどこかで耳にすることになる。それがないということは、やはりエトも。

 そして何より、エトは本来、過去のクーが旅の途中に通りかかった小さな家で、病床に伏せていた少年を助けたという事実の下に成立している。しかし、クーの存在が否定されるなら、クーに助けられる過去そのものが否定されるとしたら、本来のエトは、現在どうなっているのだろうか――

 

「――ごめんなさい」

 

 ぽつりと、今にも葵自身が消えてしまいそうな薄い声で、そう懺悔した。

 そして、クーの背中から、葵の体温が離れて消えてゆく。

 クーは、湯船の外にあるあるものを手に取って、それを湯の中に浸ける。そのままそれを持った手を背後で抱え、そしてひっくり返した。

 バシャリ、と豪快な音が湯を打つ。

 

「ひゃあっ――!?」

 

 何の前触れもなく唐突に頭から湯を被った葵は、気管に湯が入り込んだせいで()せて、涙目になりながら天井を見つめた。そこには頭上で風呂桶を抱えてひっくり返しているクーの腕があった。

 

「謝る必要ねぇだろ」

 

 首だけを回して、クーは顔にかかった水分を払っている葵を見る。

 

「誰のために霧の禁呪を発動させた?誰のために今その禁呪を解除しようとしている?他でもない、嬢ちゃんのためだろ」

 

 死ぬことを回避するために禁呪に頼った。前に進むことのない世界など間違っていると思ったから禁呪を解除しようと思った。全ては葵自身のためであり、彼女のエゴ、自己満足から来るものである。

 

「だったら、とりあえず禁呪を潰すことだけを考えてりゃいい。テメェに心配される程、俺様も弱くなったつもりはねぇよ」

 

 体の向きを変え、葵に右肩を向ける。

 そして右手で葵の頭を鷲掴みにするように包んで、わしゃわしゃと髪を撫でてみせた。

 

「そのための俺とアンタの主従関係だろうが」

 

 大きくてごつごつとした、まるで父のような掌から感じられる戦士の体温。その温もりが頭から消えて、その温度を惜しむように離れていく腕を見つめた。

 そしてその視線は、再び水面へと堕ちてゆく。

 

「でも、それでは、ジルさんは――エトさんは――」

 

「そーだな、そん時はそん時よ。行き当たりばったりで考えりゃいいさ」

 

 それは今葵が気にすることでもなければ、当然クーが考えることもない。結局、その時になってみなければ分からないのだ。

 クーは、硬直してこちらを見つめている葵を見つめ返す。潤んだ瞳が、小刻みに揺れている。感情を整理できない、どうすればいいのか分からない、そんな瞳をしていた。

 だから、クーは。

 

「――ったく」

 

 右手で葵の肩を抱き寄せ、そして彼女の頭が胸元に来るように、彼女の頭を大きな掌で抱えてやる。

 ビクリと、一瞬だけ拒絶するようなリアクションが見られたが、すぐに力が抜ける。そして、次にクーの胸を濡らしたのは、滂沱として溢れ出る涙だった。

 少し広い風呂の中で、葵の慟哭だけが切なげに響き渡っている。

 こう言う時、どう言ってやればいいのか分からないから、もしかしたらリッカがするだろう、ジルがするのだろう、そう思った行為を葵にもしてやる、ただそれだけのことだった。

 彼女が他人のことを考えないはずがない。たとえ彼女の口が、自分が悪いと、全て自分の自己満足だと漏らそうと、やはり今こうあるのは、間違いなく彼女の優しさがこの状況を招いたからだろう。

 優しかったから選べなかった。優しかったから躊躇った。優しかったから後悔した。苦悩した。

 だったら、今度は、選べばいい。躊躇わなくていい。後悔しなくていい。苦悩しなくていい。それらは全て、彼女の騎士となったクーが一手に引き受けるから。

 だからそのとめどない叫びも、枯れることのない涙も、止まらない感情も、全部、全部ぶちまけてくれ。そう思えるだけで、少しはジルやリッカのことを理解できたのだろうかと、柄にもなく首を傾げる。

 

「長居するとのぼせるぞ。先に上がってろ」

 

 そう言って、泣いている彼女の背中を、二度軽く叩いてやった。

 落ち着いた彼女から返ってきたものは言葉ではなくて、感謝を乗っけた温かで柔らかな笑顔だった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「――――て――さい」

 

 ノイズが走る。

 

「――起き――――い」

 

 また少し、ノイズの音が大きくなった。

 しかし、恐らく等間隔で聞こえてきたであろうそのノイズは、次は聞こえてこない。

 代わりに聞こえてきたのは、少女の発する妙な囁き声だった。

 

「――起きないとおはようのちゅーしちゃいますよー」

 

 なるほどそれは魅力的な提案だと思ったが、生憎そこまでしてもらう義理はない。

 とは言え、このまま起きてしまうのもなんとなく面白みがないので、そのまま寝たふりを続行してみることにする。

 全身の感覚を研ぎ澄まして、そこにいる少女の一挙一動を肌で感じ取る。無駄に洗練された技術が、あまりにも無駄なことで披露されているが気にしてはいけない。

 先程まで寝ていたことで泥のように重かった意識は、今では鋭敏になっている。まるで戦闘時の相手の出方を窺う時の精神状態のようだ。

 次に耳に聞こえてきたのは、何やら唸る音だった。というより、ほぼ目の前である。昨日のジル程の距離ではなさそうだが、近いことには変わりない。その唸り声がほぼ耳元で聞こえてくるような距離だ。

 そして、そのまま彼女は、よし、と小さく呟く。ようやく覚悟を決めたようだ。

 クーの腰元に何か重みが圧し掛かる。恐らく葵が腰の上に跨ったようだ。なんだか現状がいかがわしく見える気がしないでもない。

 そしてそのまましな垂れるように葵の体が少しずつクーの腹へとのっかかってゆく。

 ゆっくりと、ゆっくりと、葵の頭が高度を下げてゆく。

 着陸まで、残り五センチメートル。

 まだ、まだ降りてくる。どうやら躊躇ったりすることはないようだ。この辺を見ると、葵の方がジルやリッカよりも積極的なような気もするが、果たしてどうだろうか。

 そして、残り僅か一センチ。葵の吐息が直接が直接肌で感じられ、そしてクーの寝息も、葵の頬に当たっているのだろう。

 ようやく葵のキスは、届いた。

 

「――ふみゅぎゅっ!?」

 

 クーの頭を支えていた枕に。

 その頭をがっちりと固定していたのは、クーの掌だった。

 突然頭を鷲掴みにされ枕へと叩きつけられた葵はその場で両手両足をバタバタさせてもごもごしている。

 何やらひふひふ(ギブギブ)とかふほっふふほっふ(ストップストップ)とかはふへへー(助けてー)とか騒いでいるが自業自得ということにしておく。

 

「懲りねぇなぁ全く」

 

 空いた手で後頭部をポリポリと掻く。

 そう言えば昨日は、あの後葵は泣き疲れてそのまま寝てしまったはずだ。寝る時間にしては割と早かったことを覚えている。

 どんなに気丈に振る舞っていても、大きな事件に巻き込まれれば怯えるし、増して当事者であれば後悔するし怖くもなる。それくらいには、どこにでもいるような普通の女の子なのだとそんなことを考えながらその寝顔を見つめていた。

 そしてクーも、今の事態を何度も頭の中で反芻しながら、ひっそりと眠りに就いた。

 朝が来る、起きていた事件が今目の前で起きていることである。

 とりあえず、ロックした自分の手を解除してやることにする。

 葵はがばっと顔を上げて、そして深呼吸をするように大きく息を吸った。どうやら本格的に窒息しかけていたらしい。

 そして非難するような涙目でクーを睨みつけた。

 

「ちょっと酷過ぎですよ!女の子を何だと思ってるんですか!?」

 

「付き合ってもないのに寝起きにキスする奴なんてあるかよ」

 

「……えーっと、一緒にお風呂に入るまでしたのに関係はなかなか希薄だったみたいですね」

 

 何だか恨みがましい視線で睨まれていることにクーは気付く。その瞳はまるで、「私とは遊びだったんですか」とどこぞの修羅場のような台詞を語っている。

 

「私とは遊びだったということでございますか!?」

 

 というか実際に言われる始末である。しかも妙な敬語を使うと来た。本格的に朝から頭が痛くなってくるクー。

 早朝からの彼女の暴走を止めるべく一計を講じたのに、これではどう足掻いても暴走するではないか。

 幸せが逃げていくのもお構いなし、クーは朝から盛大に溜息を吐いたのだった。

 

「そんなことより、朝ごはん、作ってますよ」

 

 そんなこと発言をしている時点で先程キスをしようとしていた葵の行為も遊び半分ということになると思うのだがどうだろうか。

 しかし彼女の言う通り指して葵のキスはどうでもいいし朝食の方が大事である。

 ゆっくりと体を起こしてベッド代わりのソファから降りた。

 テーブルを見てみれば、既に二人分の朝食が綺麗に並んでいた。

 フフレンチトーストにベーコンエッグ、カットトマトを添えたレタスのサラダ、コンソメスープに野菜のスムージーと大変豪勢ではある。

 

「……お、おお、何かスゲェな」

 

 朝っぱらからの葵の張り切りっぷりに軽く引いたクー。昨日の今日でそこまで心境の変化があったのだろうか。

 とりあえず腰を下ろし、フォークをナイフとフォークを手に取る。ゆっくりとフレンチトーストに腕を伸ばした時、葵から静止がかかった。

 

「……そ、その、折角ですし、いただきます、しましょう?」

 

 それくらいなら別に構わないが、何をそこまで改まっているのだろうか。

 とりあえず両手に持っていたナイフとフォークを置いて、そして彼女に合わせるように両手の平を正面で合わせる。

 そして、葵の合図で、朝食の号令がこの二人部屋に響き渡った。

 いそいそとナイフとフォークが進む。これでも葵は喫茶店フラワーズでアルバイトをしており、たまに厨房も担当していることがあるので、料理は得意な方である。

 その才能が十全に発揮されているのもあって、朝食が、手が止まらないくらいに美味い。

 葵の頬が緩みまくっている辺り、本人からしてみてもなかなかの会心の出来だったに違いない。

 そしてそんな彼女に、少しだけ訊ねてみる。

 

「覚悟は、できてんのか?」

 

 それは、事実を打ち明け、目の前の男が全てを知って苦悩する可能性を生んだ今でさえ、変わることなく霧の禁呪を解除させる気持ちに揺らぎはないかという問い。

 しかし彼女は、その問に首を横に振ってみせた。

 

「覚悟も、決意もありません。でも、希望ならあるんです。どうなるかは分からないですけど、きっと、奇跡は起こってくれるんだって」

 

 だって、目の前にこんなに素敵な人がいるのだから。

 最後に葵はそう付け足そうとして、やめた。今自分がそれを口にすべきではないと思った。

 きっとそれが、その気持ちを表現できるのは、次に奇跡が起こった時だろう。その時を、いつまでも待つ。

 いや、そうではない。

 その時を、いつか自分で見つける。見つからないのなら、せめて創り出してみせる。それが前向きに生きることを決めた彼女の希望。

 

「そうかい、そりゃよかった」

 

 満足そうに返事をして、そしてフォークの先端でカットトマトを突き刺す。口元まで運んで放り込み、咀嚼する。塩をかけない方が素材の味がして美味いかななどと考えながら。

 日はとうに昇っている。陽光がカーテンの隙間から入り込んで、この部屋を少しずつ温めていく。

 小鳥のさえずりに、葵が窓の外へと視線を外した。その先には、遠くに見える枯れない桜の桜並木が見える。相変わらずその景色は美しい。

 未来のことも分からない、過去のことも定かではない。だったらどうする。答えは至極簡単だ。

 ただ、今を生きればいい、それだけだ。

 問題文の二つの条件がなかったとしても、きっと同じ答えが脳裏を過ぎる。結局は、それが最もクーらしく、そして葵らしい生き方で、別に二人だけでなくとも、世界中の人間がそうして生きているのだろう。

 焦る必要はない。とりあえずは、この最高に美味い朝食を胃袋に収めてから色々考えようと、眩しく部屋を照らす陽光に眉を顰めた。




アカン、マジでこの章終わる気がしない。
あと十話くらいかかるかなー(白目)


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全て遠き夢世界

そろそろ話を展開させます。
まずはそのための布石としてクリスマスパーティーの話でも。


 十二月二十四日、すなわち、クリスマスイブである。

 風見鶏の学生は、異例の事態が次々に続く中で、それでもこの日を待ちに待っていた。その理由は実に単純で、分かりやすい。

 クリスマスイブには、二つのイベントが存在する。一つは、本来ならば本日行われていたであろうはずの生徒会役員選挙の投票及び集計・当選者発表。こちらは既に、あらゆる想定外の事件が立て続けに起こったために、各クラスの立候補者を全員生徒会に引き入れることで収まった。

 そしてもう一つが、その投票の結果発表の後に行われる、本日最大のイベント、クリスマスパーティーである。

 学園長室兼生徒会室の窓から見下ろしても、噴水周辺や校庭では生徒たちが騒ぎに騒いで盛り上がっている。

 椅子から立ち上がってその光景を眺めていたエリザベス学園長は、その若き力に嘆息し微笑んでいた。彼らこそが、次世代の魔法使いの社会を担う人材、いや人財であり、無限の可能性である。

 そうして時間を忘れかけていると、ふと部屋のドアをノックする音が聞こえてきた。

 ようやく待ち人が来たかとそのノックに対して入室の許可を出すと、のそのそとした足取りで、一人の青年と少女が姿を現した。

 霧の禁呪、≪永遠に訪れない五月祭(バルティナ)≫の発動者である陽ノ本葵と、そんな彼女を守るために『八本槍』を脱退し、彼女の騎士となったクー・フーリンである。この二人を呼んだのには、ちょっとした理由があった。

 

「お、お待たせしました」

 

 落ち着きのない様子でとりあえず挨拶をする葵。彼女にとって魔法使いは憧れの対象であり、そんな彼らが通うこの学園は聖域にも他ならない。それ程の認識をしている学園の長を相手にするとなると、緊張もひとしおといえる。

 

「いらっしゃい」

 

 あわあわとしている彼女を、いつものようなのほほんとした笑顔で迎え入れるエリザベス。その視線は次にクーの方へと向かった。

 どうにも柄でもないことをしていることに自分でも気が付いているのか、そんな彼女の生暖かい視線からクーは目を逸らす。

 

「クーさんも、ご苦労様です」

 

「別に苦労なんかしてねーよ」

 

 事実、したいことをしているだけのことである。

 周りからすれば確かに騎士に見合うような行動をしているように見えるのかもしれないが、そんなことを気にしたこともない。

 苦労はしていない、が、少々面倒なことにはなっていることに違いはないか。

 

「前置きはいい。さっさと本題に入ってくれ」

 

 クーと葵がここに来たのは、エリザベスから来た一通のシェルのテキストに理由があった。

 二人には秘密裏にミッションをこなしてもらう、その説明をするために、二人には一度クリスマスパーティーが開催される前に学園長室に来い、と。

 エリザベスからの直々の依頼とあってはいかない訳にはいかない。訝しげに思いながらも葵が行くと断言したために半ば同行という名目でここまで来たクーだった。

 

「……それでは、ミッションの内容をご説明します」

 

 コホン、と咳払いを一つ打って、そしてその視線は、一直線に葵の瞳を貫いた。

 突然視線を向けられた葵は、すこしぎょっとしながらも、その視線に応える。

 僅かに緊張したように息を飲みながら、学園長の指示を待つ。

 すると彼女は、懐からワンドを取り出して、僅かに漏れそうな微笑を堪えながら、手首だけで鋭く振った。

 一瞬の輝きを放って、その光源である机の方に視線を向けると、そこには一着の風見鶏の女子用の制服が綺麗に畳まれて置かれていた。新品であることを証明する仄かな輝きを放つ城を基調としたブレザーは、皺ひとつそこに残されてはいない。

 

「――どういうことだ」

 

 もっと面倒臭いことになりそうだと目頭を押さえるクー。葵の方へと視線を向けると、葵の瞳は制服へと向けて僅かに輝いていた。

 そして思い出す。そう言えば葵は風見鶏の生徒ではなかったということを。

 同年代の少年少女が同じ制服を着て、楽しそうに会話をしながら登校している。放課後には、そんな彼ら彼女らがアルバイトをしている自分の店に寄り、雑談を交わしたり、授業に対して愚痴を零したり、美味い料理に盛り上がったりしている。そんな様子を見て、彼女がどんな思いだっただろうか。何となく、クーにも想像できた。

 

「葵さんには、それを着て潜入捜査をしてもらいます」

 

「へ?」

 

 唐突に出てきた物騒なワードに、葵の思考回路は処理しきれずに破綻する。

 全く回りくどい言い方をするものだと、隣で頭を掻いていたクーは少し呆れていた。

 

「この大事な状況の中で、学生の皆さんがどのようにしてクリスマスパーティーを楽しんでいるのか、実際に現場に潜入し、その身で体験して調査してきてほしいのです。これから霧の禁呪を解除する作戦を実行するにあたって、この風見鶏の皆さんには常に士気を高めていてもらう必要があります。彼らの力が、彼らの協力が、大きな鍵を握っているのも事実、だからこそ、この大きな行事の中で皆さんのやる気と元気の源を探ってほしい、ということです」

 

「は、はぁ」

 

 ほら見ろ、と心の中でクーは呟く。隣の葵は何が何だかよく分かっていないような表情で僅かに首を傾げていた。

 

「つまり学生としてクリスマスパーティーに実際に参加してどう楽しんでいるのか理解して来い、って言いたいんだろ」

 

「そう言うことです」

 

 随分と粋な計らいである。

 実際にはミッションという形で彼女に伝えたのだが、恐らくエリザベスは、風見鶏で学生として様々なことを学ぶことができない彼女の、学園に対する憧れを見抜いていたのだ。

 そんな彼女の本当の意図とは、つまりそんな彼女のささやかな思い出づくりとして、今日一日思う存分学生として楽しんできてほしい、というものなのだ。

 それでクーが呼ばれたのは、他でもなくそんな彼女の護衛、要するに一人の女子学生のデート(・・・)の相手になってほしいということである。

 

「では、私は開会式に顔を出さないといけないので、これで失礼します」

 

 それだけ言葉を残して、いつも通り優雅な足取りで学園長室を去ってしまった。

 残された葵とクーは、嵐のように突然に残されたミッションという名のお祭りイベントを前に、しばらく硬直していた。

 先に音を立てたのは葵だった。その足が数歩、風見鶏の制服へと向かい、そっと手を伸ばしていたのだ。

 

「……ずっと、憧れていたんです」

 

「そうかよ」

 

 無愛想な返事だったかもしれないが、これでも葵の心情をほんの少しは理解しているつもりだった。

 一度溜息を吐いて、そして身を翻す。扉へと向かって足を進めながら顔だけを葵に向けた。

 

「外出てるからさっさと着替えろ。行くぞ」

 

 バタンと扉が閉じられる音の後に、葵はほんの少し嬉し涙を浮かべて、温かな笑顔で深く頷いた。

 

 ーーーーーーーーーーーーーー

 

 クリスマスパーティーが開催されて直後、クーと葵は噴水の縁に座っていた。

 冬だというのに相変わらず薄紅色の花弁を撒き散らしている桜の下で、学生たちがあれやこれやと騒ぎ立てている。

 誰もがクーのことを、こういうイベントには興味がないものだと偏見を持つが、クー自身はむしろ好物である。毎年たくさんの人間が試行錯誤を繰り返してよりよいものを創り上げていくという姿勢は大きく評価しているし、その完成物を鑑賞したり体験したりすることは刺激的で興味深い。

 

「――あのこと、言わなくてもよかったんですか?」

 

 物憂げにクーを見上げる葵。

 あのこととは――一瞬だけ考えて、その答えがすぐ昨日にあったことを思い出す。当然それは、昨日風呂場で葵が語った真実についてである。

 葵が観測していた本来の過去の時間軸には、『八本槍』が存在しなかったこと、そして当然にして、クー・フーリンという男どころか、他の『八本槍』のメンバーも存在していないという事実。

 しかしその問いに対し、クーは馬鹿にするように笑ってみせた。

 

「言う必要ないだろ。誰かが得する話じゃねぇ。それに、いなくなっちまうのだとしたら、その時は黙って去るつもりさ」

 

 楽観しているクーを見つつも、葵の心には小さな棘が突き刺さっていた。

 結局、この人は去ってしまうのだと。自分のせいでこの世界に呼び出され、記憶を改竄され、さも最初からここにいたかのように振る舞うことを余儀なくされていた男が、また自分のせいで自分の前からいなくなってしまうのだと。誰が彼をこの世界で道化のように躍らせているのか――無論、それは彼を舞台に上げた葵自身だ。

 醜い。あまりにも醜い。その全てが自分のせいだとわざとらしく背負い込んでヒロイズムに酔っているのが、強烈な自己嫌悪に陥るくらいに醜く気持ち悪かった。

 そんなつもりはなくとも、クーがその罪責を少しでも軽くしようとしてくれているのに。それを全て無駄にしようとして。

 そしてその全ての思考が正しかったからこそ、名を呼ばれ、顔を上げた時には、その額に人差し指の爪が命中していた。

 

「あぅあっ」

 

 軽く小突くようなデコピンでも、彼の体格や身体能力から弾き出される指の一撃は非常に重く鋭い。

 

「考えんなっつってんだろ。大人にもなってねぇガキが考えることじゃねぇよ。ガキはガキらしくそこらへんで粗製乱造されている不味い料理の青春の味とやらを満喫してりゃいいんだよ」

 

 葵の腕を強引に掴んで引っ張り、無理矢理に立たせる。そしてその背中を叩いて一歩踏み出させた。

 ふらつく葵は、つんのめって前方に倒れそうになる体を、バランスをすんでのところで立て直して振り返る。

 ふと、その姿が目に入った。ふと、その表情が目に入った。

 いつも通りに自然体で、いつもは見せない楽しそうな微笑を浮かべた、子供のような表情の大人の男がそこには立っていた。

 そして、彼が足を踏み出す。一歩、また一歩。

 二人の足が揃った時、クーは歩く足を止めた。

 

「子供は大人の言うことを素直に聞くもんだぜ」

 

 その言葉を聞いた時、葵はクーの太く逞しい腕に肩を抱きかかえられていた。まるで、付き合いの長い恋人同士のように。

 

「これでも俺様はこの学園三年目だからな。普段見回りもしてる分、出店には詳しい方なんだよ」

 

 その視線は、一直線に学び舎の方へと向かう。

 ただ楽しそうに、その口角をニヤリと吊り上げて。

 

「折角のデートだ、この『風見鶏のアニキ』が直々にエスコートしてやるぜ」

 

 この世界が、この存在と温もりが夢であるのは分かっていたのに、その言葉に、その優しさに、その強さに、心が跳ねてしまうのが回ってしまった。

 この感情は、駄目だ。この感情は、この世界の中で決して認められることもなく、許されることもない。想うことが罪なのに。

 抗わなくてはならなくて、それでも抗えなくて、気が付けば、頬を紅潮させたままで、差し出された掌を小さく握り返していた。

 

「――それでいいんだよ。ほら、行くぞ」

 

 そうして歩き出そうと一歩踏み出した時。

 男の名を呼ぶ声と共に、折角のデートを邪魔する連中が現れた。

 

「ねぇ、デートってどういうこと?」

 

 振り返って葵は、その場で真っ青になってしまった。先程まで心地よくとくとくと跳ねていた心臓はどこへやら、すっかりと凍り付いて。

 そこにいたのは、凍り付いた世界の番人をしている鬼のような笑顔を浮かべたリッカ・グリーンウッドと、その親友、ジル・ハサウェイが何やら裏切られたような面持ちで立っていた。

 

「どういうことって、言葉のまんまの意味だよ」

 

 平然と言い返して見せたクーに対し、むっとして苛立ちを露わにするリッカ。その視線は葵へと向かった。

 猫というか、虎とか獅子とかそう言う類のネコ科の動物に睨まれた気分の葵は、怯える兎のように身を縮こまらせる。

 

「おいおい待てよ。テメェらが何と言おうと今このタイミングで俺様のハニーはこの嬢ちゃんだ。愛し合う男女の仲を裂こうとする奴にはガラスの靴は合わないぜ」

 

 上手いことを言ったつもりだろうか。何故か渾身の一言だとばかりにドヤ顔を決めるクー。

 しかし効果は抜群だった。リッカとジルはその発言で諦めがついたようで、やれやれと言わんばかりの疲れた顔で首を横に振る。両手を挙げて参りましたのポーズ。

 

「はぁ、分かった分かった。陽ノ本さんも初めてのクリスマスパーティーみたいだし、今回は陽ノ本さんに免じて許してあげるわ」

 

 先程は葵に恨みがましい視線を向けていたくせに、実は罪を問われていたのはクーだったようだ。

 

「そうだね。葵ちゃんだってクーさんと一緒に回りたいって言いそうな表情してるしね。私たちが邪魔するわけにはいかないよ。それに、葵ちゃん、可愛いし優しいし周りに気が利くし料理上手だし意志も強いし甲斐性ありそうだし幼い顔してるくせにおっぱい大きくて男性的にギャップがそそるだろうし浮気性のクーさんにとってはこれ以上なく相性よさそうだし――」

 

 何かブツブツと呟き始めたジルのことは放っておいた方がよい、三人の中で共通の認識ができあがってしまった。

 そして、リッカが意味不明な呪文を唱えているのを無視して彼女を引っ張って連行し、クーと葵も歩き出す。

 こんな夢の世界でも、それこそ夢のような時間を。

 叶うはずのない願いをずっと胸の中で温め続けて。

 見上げた先にある横顔は、楽しそうに笑っていて。

 そんな笑顔をずっと隣で見つめ続けていたいのに。

 考えるなと言われていたことが、いつまでも空っぽで暗闇の葵の体の中を、縦横無尽に駆け巡っていた。

 

 

 

 ――――思ひつつ寝ればや人の見えつらむ

 

 

 ――――夢と知りせば覚めざらましを

 

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 既に空は茜色に姿を変え、人々の喧騒は徐々に遠ざかっていた。

 一応見回りの報告にと、一度学園長室へと姿を消したクーを、葵は空き教室の隅っこで待っていた。

 夕日を見ていると、何故か心が締め付けられる。今まで依存していたものが、手が届かないままにその姿を消しゆく、その後ろ姿を見せつけられているようで。

 指先を伸ばして、そして掴んだそこには何も残っていない、その瞳が捉えるのは、既に手元からも光が消えてなくなっていた、だた暗いだけの闇。

 

「――ここにいたのか、陽ノ本」

 

 明かりもつけずに教室の中の机の一つに座っていた葵の名を呼ぶ者がいた。

 声のした方へ、教室の出入り口の扉の方へと視線を走らせると、そこには胡散臭い笑みを浮かべた、風見鶏の本科生の男子制服を身に纏った東洋人の男がいた。

 その男の名を、葵は知っている。部活のような、同じ組織に属している、その組織のリーダー――杉並。

 

「こ、こんなところにどうしたんですか、杉並さん?」

 

 神出鬼没で有名な杉並、今回のような大きなイベントではいつも大きなトラブルと騒ぎだけを残して忍者のようにこっそりと姿を消すことがいつも話題になっており、その噂はフラワーズでもよく耳にする。

 しかし今回に限って、このクリスマスパーティーでは何も妙な行動を起こさなかったようだ。女王陛下の側近としての仕事が忙しかったのか、あるいはそのような気分ではなかったのか。彼の表情からは何も察することができない。

 

「いや何、少しばかりこちらからも手を打つべきだと思ってな」

 

 確かに日本語を話してくれたはずなのだが、まるで何を言っているのか分からない。手を打つとは、何に対してだろうか。そしてそれが葵と何の関係があるのだろうか。

 変人奇人のカテゴリに属することは間違いない杉並だが、やはり変人奇人は話す言葉もまともではないようだ。

 

「貴様に渡すものがある」

 

 差し出された杉並の掌を、一枚の漆黒のハンカチが覆っていた。そしてその中央部には、人の掌ではない、何か小さなものが乗っかっているような膨らみがある。

 杉並はその部分のハンカチを掴み、そして手品師のようにそっと黒のハンカチを持ち上げる。

 そこにあったのは、真紅の輝きだった。

 

「こ、これは――」

 

「確証はないが、もうじき奴らが来る。俺個人としてはこういった手段は避けたいのだが、どちらにしろ厄介なことになるものでな。安牌を打たせてもらおう」

 

 奴らとは誰なのか、安牌とはどういう意味なのか、何一つとして分からない。

 彼から手渡されたこの物体も、一度目にしたことがある。その意味を理解していたから、ますます理解が追い付かなかった。

 

「好きに使ってくれればいい。もっとも、時と場合を慎重に選んでくれるのがベストなのだが」

 

 それだけ言い残して、気が付けばよく分からない高笑いを残して消えていた。

 葵は、自分の両手の平に乗っけられたその物体を眺める。

 二つに砕けた、宝石のような輝きを。

 その輝きは、触れているはずなのに触れられていない、光のように答えの見えないものだった。




次回から本格的にクライマックスへ。
風見鶏編終わりの目処がある程度見えてきたぜ。


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在るべき者、在らざるべき者

一週間遅れました。
物語もいよいよ佳境に。


 そこはとある小さな廃城の、そう、城を守るための一つの砦に過ぎなかったと言われても疑問を感じない大きさの城の、その城主が居座って美味い酒でも煽っていたであろう大きな一室だった。

 天井につりさげられたシャンデリアからは、火でも電気でもない、非科学的な源でできた光を撒き散らしている。

 そしてその温もりに欠けた光に照らされていたのは、二つの人影だった。

 一つは黒のローブを羽織り、そのフードを目元が隠れるまで深く被って、もう一人の人影を睨みつけていた。そしてそのもう一人は、風見鶏の男子制服を正しく着込んだ、見た目大真面目に見えるもののその僅かに垂れた目頭が胡散臭い男、杉並だった。

 

「――して、既に時はもうそこまで迫っているのだが、どうするつもりだ?」

 

 杉並が黒づくめの女――『歩く禁呪(フォビドゥン・ゴブレット)』に問いかける。いつも通りのゆらゆらとした、掴みどころのない微笑を浮かべて。

 対して、女の表情は見えない。目元まで深く被り込まれたフードが、その表情を読みにくくしている。だが、そんな障壁も、杉並にしてみれば些細なものであった。

 

「私たちはこの世界でしか自らの存在を証明できない。逆に言えば、この世界だからこそ証明できる。故に、私はこの世界を愛し、守りたいと思う」

 

 杉並には見えてしまっていた。その本音を語った彼女の唇が、わずかに悔しさに震えていたのを。

 しかし杉並はそんな些末なことを気にかけることはしない。全ては女王陛下の為であり、また、非公式新聞部としての未知への探求の為であり。

 目の前の『八本槍』の一人がどうなってしまおうが、大した問題ではなかった。強いて言ってしまえば、このまま説得を完了せずに時に身を任せてしまえば彼女がどうなってしまうのか――考えていて、それはそれで、つまらないという結論に達する。

 

「あなたは、どうなの?」

 

「――愚問だな。俺は俺だ、故に事態がどうあろうが己の意思に従い行動する。それは貴様も同じであろう。本音も建前も肩書もその本質も全て俺のものだ。貴様が立ち塞がるというのなら対峙するのもやぶさかではない、が」

 

 杉並の唇から軽薄さが消えた。吊り上がっていた口角は真一文字に結ばれている。

 その態度に、女は天井に遮られた空を見上げた。

 

「運命を違うのね。過去が実在しないものとはいえ、私はその過去を元に、貴方を慕っておりました。私が魔女と蔑まれ、弾圧され、身も心も灰になるまで焼き尽くされた私を拾い救ってくれたことを、たとえこの思い出が偽物であろうと心から感謝しています。だから、せめて最後だけは――」

 

 そこで一度言葉を止める。

 意志に反して、理想に反して、言わなければならない言葉が胸から飛び出そうになるのを堪えたいのに。

 己の存在が消え去ることが恐ろしくて、縋りついてしまいたい現在がここにある。でも、きっとこの世界は、目の前の軽薄な男が歪ませ、そして消し去る。それは決して、彼が成し遂げることではないのかもしれない。でも、その掴みどころのない表情が、きっと何かをやらかしてしまうことを、未来視してしまう。

 だから、喉元にかけておいた錠は、勝手に落ちて消えていった。

 

「――私の前に現れないで」

 

 終わりくらいは、愛した世界と共に在りたかった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 葛木清隆やエト・マロースたち新入生がこの風見鶏に入学してから早三ヶ月。十二月も既に終わりを迎えようとしている。

 クリスマスパーティーを終えて、翌日から冬の長期休暇となった学生たちは、実家がここから近い者は家族に顔を合わせるために、年末の親族との挨拶回りに顔を出すために、理由は様々であるが自分の国や土地へと一度帰郷する。

 なお、故郷が日本である葛木兄妹や江戸川ペアは帰郷する時間がないため、ここで年を越すこととなっている。それはちょうど特に帰る場所のないクー・フーリンや、同じく実家の遠いリッカやジル、マロース姉弟にも同じことが言えた。

 故に、クー・フーリンは暇なのだ。

 既に『八本槍』からは脱退しているため、特にエリザベス女王陛下様から依頼をされることもなく、厳密に言えば今の彼の仕事といえば、新しく主従契約を交わした主、今隣でほんわかと笑顔を浮かべている可愛らしい少女を全身全霊で守り抜くことだけだ。

 ちなみに、今二人は、葵のアルバイトの仕事としての買い出しということで、一度地下にある学園から上がり、霧の充満する地上のロンドンへと顔を出している。

 葵に、雰囲気が大事なんです、と訳の分からない理由で洒落た格好をすることをせがまれたので、必要最低限所有している私服の中で、どうしようもない程に欠如した美的センスを最大限に活用して身に纏ったのが、何となく動きやすそうだったからという理由で購入したダークグレーのジーンズと、保温性のある厚手の長袖白Tシャツ、その上に漆黒の革製のジャケットを羽織っただけのお洒落の欠片もない着こなしだった。

 尤も、隣を歩いている陽ノ本葵にとっては、面倒ながらも自分のためにお洒落をしようと心がけてくれたことに顔を綻ばせているのだが。

 

「んで、今日は何を買いに行くのかなお姫様」

 

「頼まれたのは主に野菜類みたいですね。サンドイッチとか注文するお客さんも多いので、そろそろレタスとかトマトとかも少なくなってきているみたいなんでまずはそれ、それから砂糖とか胡椒とかの調味料もメモに書かれてますね」

 

 葵の指に摘ままれた、フラワーズ店長手書きのメモが風に煽られ葵に振られゆらゆら揺れている。

 それにしても、クリスマスイブを越した本日はクリスマス当日、本来ならイエス・キリストがどうとかいう素晴らしい日のはずなのだが、この男女、男の方は始めから宗教には興味もなく、女の方は労働に勤しんでいる。

 学生が一斉に故郷に一度帰るというのに、いや、むしろ一度帰るからこそその前に軽く小腹を満たしておきたくなるのだろう、実家でも豪勢な食事が待っているだろうからあまりたくさんは食べられないものの、ここフラワーズなら喫茶店として軽食を楽しむのには申し分ない。長期休暇初日から、フラワーズの客の入りは尋常ではなかった。

 

「余った予算は適当に使っていいそうです。予定の時間まで、時間があれば、どこかで時間を潰しましょう。これは店公認の着服ですね」

 

 何やらどこかで見るような小悪党の忍び笑いのようなわざとらしい笑みを浮かべる葵。どうやら仕事中の買い出しでさえ、クーの隣で楽しんでいるようだ。

 

「なるほどそんなよからぬことを考えるとは、元『八本槍』として見過ごすわけにはいかねぇな。罰として嬢ちゃんから大事な大事な買い出し後の時間を罰金として請求しよう」

 

 そう言って上から葵の頭を軽く小突く。小さく悲鳴を上げた葵はクーの顔を見上げて、てへへと照れ笑いをしてみせた。

 その笑顔を見ていて、ふとクーは思う。

 今はまだ子供臭さが抜けない脆弱で不安定な少女だ。人に、社会に、世間に、世界に振り回されて崩れ壊れる弱い人間だ。

 だがきっと、時を経るにつれて、経験を積んで、大人になれば、きっといい女になる。子供臭い見た目も、弱々しい心も、危なっかしい佇まいも、全ては人間としての成長を以って周りに振り回されない強さを身に着けるだろう。。それだけのポテンシャルを彼女は持ち合わせている。

 きっと、正しく賢く成長すれば、今のリッカやジル以上の魅力溢れる女になるだろう。せめて、その経緯を見守っていたいものだった。

 

「それじゃあ、ちゃちゃっと買い物済ませて時間まで遊んじゃいましょう!」

 

 そう葵が提案するのは、クーが冗談でそんなことを言ってすぐだった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 普段ならば、クーの右側にはリッカがいて、クーの左側にはジルがいる。

 その二人は、リッカは華やかで活発である豪奢な印象を抱かせ、ジルは大人しく控えめである清楚な印象を抱かせる。二人はそう言った意味で対極的ではあるが、どちらも他の追随を許さない程の美人であることに変わりはない。

 そう言った意味では、過去のクー・フーリンという男は常に両手に花であった。もし彼が『八本槍』などではなく、ごく一般の一人の男子生徒であったならば、彼の状況は瞬く間に衆院の男子の反感と嫉妬を買い、呪詛を飛ばされ恨みがましい視線を向けられて一躍有名人に成り下がっていただろう。悪い意味で。

 ところで、今のクーはどうだろう。

 確かに隣には幼いながらも将来有望な美少女が並んでいる。しかし、かつては両手に花だった彼の今は、まさに両手に荷物である。

 左手には大量に買い込まれた野菜の入った紙袋、野菜は野菜のままできっと美味いサンドイッチになる夢を見ていた。右手には調味料の入った瓶や袋、更には皿の予備が入った紙袋、誰も知らない使い道の中でやまない試行錯誤に鞭打たれていた。

 帰りたい部屋にさっさと帰る強さ、それを隣で楽しんでいる少女に吐き捨てられない弱さ、全てを受け入れて(あきらめて)、次の行き先を探す。

 

「あ、ここなんてどうですか?」

 

 きょろきょろと辺りを見回していると、とある方向を指差していた葵が声をかけてきた。

 なんだなんだとその先に視線を向けてみると、どうやら最近開業された衣類専門店らしい。最新の流行を押さえつつ、個性的で幅の広いファッションを楽しめる、とかなんとか謳っているようで、店の入り口の上にはでかでかと派手な看板が飾られてある。

 

「なんだよ俺着る物には困ってねぇぞ」

 

 実際に最小限の私服と制服があれば何とかやり過ごせる。

 わざわざこれ以上必要ないものに高い金を支払って購入する意味がどこにあるのだろうか。昔は衣食住に関しては最小限に澄ましていた彼の感性からしてみれば、最近の大量生産大量消費大量廃棄の傾向にはいささか疑問を覚える。とは言え、その環境にどっぷりと浸かってしまっているのも事実ではあるのだが。主に食の面で。

 

「ダメですよ。女の子の隣を歩くならそれなりにちゃんとした格好をしてないと。クーさんがどうこうじゃなくて、私が寂しいんです」

 

「そう言うもんかね」

 

 女心という奴だろうか。昔からジルに指摘されてはいるものの、理解できなかったし理解しようとも思っていなかった。そのツケが今頃回ってきているのか、彼女の言葉が上手に解釈できない。

 

「それに、クーさんだけじゃなくて、私だって楽しみにしてたんですよー」

 

 兎のようにその場でピョンピョンしながら、今にもそこから飛び出しそうな雰囲気の葵。

 女の子にお洒落は付き物なようだ。

 葵に塞がった右腕を取られて引っ張られるように入店、スタッフの元気な挨拶を聞き流してレディスのコーナーへ。

 真っ先に自分優先かよと愚痴を零しそうになったが、よくよく考えてみれば女の買い物というものは長い。それはリッカとジルの件で十分に理解をしている。もし彼女が考えて行動をしていたのなら、まずは時間のかかる自分の用事を済ませて置いた上で、後でクーにも楽しんでもらうためにクーの買い物を後に回したということになる。

 打算的というか、頭が回るというか、気が利くというか。これは本格的にエリザベスから鞍替えしておいて正解だったかと考える。

 あっちやこっちやせわしなく走り回って、あれもいいこれもいいと次々に商品を手に取っては前で合わせてみたり手触りを確認してみたり値段タブを確認して落胆したり。たまに気に入ったものを手に取ってクーを引っ張り試着室に駆け込んでみたと思えば着替え終わってポーズをとり、感想を求めてみたり。

 ふと気が付いたが、葵が選んでいるのはどれも袖が長いものばかりだ。季節というのもあるだろうが、それ以上に彼女は素肌を晒せない理由があったことを思い出した。彼女の背中には、肩や腰にかけてあの禍々しい紋様が深く刻まれている。だからこそその罪の証を隠すように常に露出の少ない衣服を身に纏っていたのだった。

 脚の方には未だ影響は出ていないため、スカートも履くことは許されていることもあってか、こちらはより自由度の高いものを選んでいるようにも見える。

 そして結局、彼女は何も購入することなく満足したようだ。

 あれだけ選んでおいて何も買わないのかよと盛大に突っ込みを入れたことに対し、そんなんじゃ女の子に失礼ですよと間の抜けた返事を返される始末。やはり女心というものは複雑だった。

 さて、レディスからいったん離れようとした時に、ふと背後からよく聞いた声をかけられた。

 こんな街中でよく遭遇するものだと妙な縁を感じながら振り返ってみると、そこには美しい銀髪姉弟がいた。風見鶏の生徒会長シャルル・マロースと、その弟エトである。

 

「こ、こんにちは!」

 

 丁寧にも深くお辞儀をしながら挨拶する葵。相手は憧れの学園の生徒会長のだから会話をするのも畏れ多い。

 しかしいきなり初対面にも拘らずここまで緊張されるとシャルルとしても当惑する。とりあえずもっと楽にしていていいと宥めるもののあまり効果は望めなさそうだ。

 

「お兄さんも買い物?」

 

 一歩前に出たエトが真っ先に言葉を発した相手はクーだった。

 確かに彼にしてみてもクー・フーリンという男がこんなところにいるのは珍しいというか最早怪奇現象に近いものが感じられるだろう。

 

「買い物っつーか、この嬢ちゃんに引っ張られて、だよ」

 

 ちらりと視線が葵に向けられる。その視線はクーのものであり、そして同時にエトのものでもあった。

 葵はエトと視線が合うと、半分焦りながらも自己紹介を始める。

 

「陽ノ本葵です。いつもはフラワーズで働かせてもらってます!」

 

 恐らくお互いに顔くらいなら見たことがあるだろう。しかしそれも、店のスタッフと客の関係。言ってしまえば碌に話したことも顔を合わせたこともないだろうし、厳密に言えば初対面といっても差し支えないだろう。

 

「エト・マロースです。よろしくね」

 

 葵の方はループした世界の中でもしかしたら彼と仲良くなっている世界があったかもしれない。どこか懐かしさを漂わせた瞳がクーにそう思わせた。

 

「ところでエト、テメェは姉と一緒に何してんだよ」

 

「大体お兄さんと同じだよ。僕がお姉ちゃんをショッピングに誘って、行き先は丸投げしたら、こんなところに連れてこられちゃって。僕が言うのも何だけど、お姉ちゃんは美人さんだから何着ても可愛いしよく合うし、そのまま感想言っても適当言ってるとか思われて大変だよ」

 

 どうやら家族サービスの一環のようである。葛木兄妹も似たようなことをどこかでしているのだろうか。

 それにしてもこの姉弟は本当に仲がいい。お互いに気を遣わずに、そしてじゃれ合うように接しているためか、どちらが歳が上なのか勘違いしそうになる。シャルルがしっかりしていないという訳ではないのだが、まだ成熟しきっていないながらもエトの体がしっかりしているのと、強かさを携えた瞳をしているものだから、クーからしてみても、こうして並べてみれば彼も大きく成長してきているということだろう。

 そして、彼らと話している時に、葵とクーの思考は、見事にシンクロしていた。

 この世界は虚構である。『八本槍』という存在は実在せず、ここにいるクー・フーリンも存在自体がありえない。ならば、存在しない存在に救われたエトは、元の世界線ではどうなっているのだろうか。

 クーにしてみれば、これまで特に心配事言える程の障害を持ったことがなかった。それが今になって、ずっと付き合っていた弟子の存否が明らかでないことを知って困惑している自分がいる。

 何故ここまで心配しているのか――無論、勿体なかったからに他ならない。

 病床に伏せていた弱い少年が、自ら生き延びるために小さな希望に手を伸ばした。そして生をもぎ取り、強くなることを目指した。

 幾多の苦難を乗り越えて今ここに小さな勇者がいる。その覚悟と、その努力と、それだけの面白い存在がなかったことになるなど、一人の戦士としての矜持が許さなかった。

 本当の未来がどうなるかなど分からない。それでも、その不安が掻き切れることはなかった。

 話し込んでいると、時間はあっという間に過ぎてしまっていた。

 葵が慌てて時計を確認してみると、既に予定の時間まであと話僅かというところまで迫ってきていた。

 

「クーさん、そろそろ行きましょう!」

 

「お、そうか」

 

 一応返事はして見るものの、そう言えば自分の服は選んでいなかったか、などと今まで気にしたこともなかったようなことを考えつつ、走り出した彼女の後ろに付き添うようにペースを合わせて駆ける。

 後ろからエトたちの挨拶が飛んでくるのを手をひらひらさせるだけで返し、足を動かす。

 この足がどこへ向かっているのか、そんなことはどうでもいい。

 ただ、願わくば、彼らの歩む先に、確かな未来があることを。ただそれだけが、今の彼を支配していた。




これ確実に十話近くかかる。
いい加減にゴールしたいと聖杯に願いをかけて戦争に参加しようかしら。
ぼくのかんがえたさいきょうのきゃらくたーとか召喚できないかな。


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芯の強さ

ちょっと短いです。


 今日は珍しい一日だ。

 正直そのことについてはこうして大きな建物を仰いでいるクー・フーリンも意識していたし、その隣で半分困惑状態で引っ張り出された少年にも同じことが言える。

 クリスマスパーティーを終え、翌日葵の買い出しに付き添った時に偶然にもマロース姉弟に遭遇した彼は、その数日後、何を思い立ったのか彼の弟子である、生徒会長シャルルの弟、エト・マロースを唐突にシェルで呼び出して地上のとある建物の前まで来ていた。

 そしてその敷地の前に足を突っ立てたエトは、引き攣った笑みでその大きな門構えを視界に捉えていた。

 誰もが知っている――という訳でもないが、『八本槍』であるクーとよく共に行動しているエトだからこそ知っている、この城のような建物の持ち主の名前。

 表の社会でも優秀な政治家としての家系であり、そして裏社会、即ち魔術社会でも類稀な、精霊との契約を交わした魔法使いの一族である。

 その名も、由緒正しきパーシー家。そう、あの『八本槍』である騎士王と呼ばれる女性、アルトリア・パーシーを次期当主として抱えている一族である。

 そして、彼が事前のアポイントメントもなくここに足を運んだ理由も、エトがここに連れてこられた時点で何となく察することができてしまっていた。この人ならばこれくらいは造作もなく行動に移してしまうと。

 

「ね、ねぇ、面白いものを見せるって、まさか、とは思うけど――」

 

「おう多分そのまさかで当たりじゃねーの、黒い影相手に暴れ回ったこともあったが、物足りねぇ。だから普段の借りも返してもらわないとな」

 

 そう言いながら顔だけをエトに向け、そして獲物を食いちぎらんばかりの白い歯をちらりと見せて見るも恐ろしい笑みを浮かべた。

 言わんとすることはそれだけで理解できた。バトルジャンキーであるところのクー、すなわち『八本槍』が、同じ実力である『八本槍』の下へと向かう、そしてそれに戦闘術を教える弟子を同行させるとなると、答えは一つだ。

 その答えは、師匠の方から正解発表がなされることとなる。

 

「肩慣らしっつーか、久しぶりにあの騎士王様と摸擬戦をする。テメェにもその次元の闘いってやつを見せてやるよ。普段書庫とかの整理手伝ってやってんだ、そろそろ等価交換と行こうじゃねーの」

 

 最後の方は独り言だったようだ。ブツブツと呟きながら、何の遠慮もなく門を潜り、数多く見受けられる使用人を無視しつつ(あちらもクーの顔は知っているようで、無言で礼をするのみで彼を止めることなく、再び清掃などの作業に戻る)、真っ直ぐにその先にあるエントランスへと歩を進める。

 そして左右同時に開かれるドアを潜り抜けて、急いで現れた案内人の跡についてとある一室へと通された。

 ここでも無遠慮にどっかりと腰を下ろして、手際よく用意された紅茶にビスケットを少し浸して口の中に放り込む。その隣ではエトが礼儀正しく一礼してから紅茶の入ったカップを口に近づけていた。

 おせーな、と呟いたほぼ同時、再び部屋の出入りを可能にするドアが開いた。

 姿を現したのは青と白を基調としたドレスを身に纏った、金髪の凛とした少女だった。名を、アルトリア・パーシー、『八本槍』の実質纏め役、騎士王と呼ばれる者である。

 

「今日はまた急な来客ですね。何か急用ですか?」

 

 斜め後ろに使用人を控えさせながら、対面のソファにゆっくりと腰を下ろす。やはり彼女を見ていると、その一挙一動が実に優雅であった。

 彼女が腰を下ろすと同時に、クーの隣に座っていたエトが立ち上がった。アルトリアの視線がエトへと移る。

 

「お初にお目にかかります、クー・フーリンに師事している、エト・マロースと申す者です」

 

 深々と一礼。するとその様子をきょとんとした様子で眺めていたアルトリアは、彼に挨拶を返してから、直後に苦笑いを浮かべた。

 

「こんなにも礼儀正しい方の師匠があなたのような礼節の欠片もない方とは、世の中もまだまだ未知が多いですね」

 

 抜かせ、と拗ねた表情でそっぽを向くクー。体格の差さえ度外視してしまえるなら、圧倒的にクーの方が子供だった。

 使用人が用意したティーカップを持ち上げ、一口だけ紅茶に口をつけると、音をたてないように再びソーサーにカップを置く。

 それを合図にしたように、早速クーは本題に入るべく口を開いた。

 

「大したことじゃねーよ。ちょっと今まで雑用任された借りでも帰してもらおうと思ってね」

 

 そうとだけ口にすると、アルトリアはどこか不快げな表情を浮かべる。彼女としては、こちらから頼んでいたのは間違いないが、彼は善意でそれに首を縦に振って手伝ってくれたものだとばかり思っていた。と思っていればこんな風に見返りを要求されるのは仕方のないことであるとは言え、以前まで同じ『八本槍』として、王室に仕える騎士だった人間が相手だったとなれば、少しの不満くらいは表情に出しても罰は当たるまいと思った。

 

「……それで、何を要求するのですか?」

 

 その口ぶりはまさしく家族を誘拐された人が、誘拐犯との交渉の第一声としての質問と瓜二つだった。少し苛立たしげに眉を顰めている辺りが実によく似ている。

 するとクーは、傍に立てかけてあった黒い筒を、握り拳でこんこんと小突いてみせる。彼女にはそれだけで十分に意図が伝わるだろう。

 

「――これはまた、いきなり物騒な取引ですね」

 

「悪いな、こちらも思い立ってすぐだったからな」

 

「あなたがインスピレーションのみで行動するのは以前から熟知しています」

 

 立ち上がったアルトリアは、傍に控えていた使用人に一言何かを伝える。使用人はかしこまりましたと返事をして、すぐに部屋を発った。

 自身も準備してくる旨を伝えて、アルトリアも部屋を出た。

 別の使用人が部屋へと入ってきて、ついてくるように言う。

 部屋を出て、廊下に飾られてある絵画やら盾やらを眺めながら歩いていれば、目的地まではすぐだった。

 天井の開けた大きなドーム、地面に引かれた白線の様子から見るに、ここはグニルックを中心とした様々なスポーツを行うスタジアムのようだ。

 字面は人工芝でできており、軽く踏み締めてみたところ、魔法によって強度が強化されているようで、踏み込む時に足に力を込めても簡単には荒れないだろう。

 観客席も今は誰も入ってはいないが、それなりに大人数を収容することができるだろう。グニルックの公式大会がここで開かれたこともあるようだ。その時の出入り口は、このパーシー家の邸宅の出入り口とは別のところから入退場する仕組みとなっている。

 色々と確認しつつスタジアムの中を見回していれば、アルトリアの声が聞こえてきた。どうやら準備を終えたようだ。

 振り返ってみると、そこには先程まで来ていたワンピースのドレスの上に直接鎧を着込んだアルトリアが立っていた。その右手の拳には、輝くような長剣、精霊に祝福されし聖剣エクスカリバーのレプリカが握られていた。彼女の一族はかの伝説のアーサー王のファンであり、どこかにあるであろう本物のエクスカリバーと、その鞘を見つけるための研究を重ねているとかなんとか。

 その剣の煌めきを見るだけで、心が騒ぐ。

 これから刃を交える相手が得物を取った。それはすなわち決闘を受けるという返事にほかならず。

 相手の言葉を聞くこともなく、クーはその両手に真紅の長槍を握り締めた。

 スタジアムの中央、僅かに聞こえるリズムを整える呼吸音だけが風に乗って耳まで伝わってくる。その様子を、距離を取って観客席の最前列から六列程後ろに下がったところの席に座り込んで、エトは眺めていた。

 

「もっとも、律儀な騎士王様だから卑劣な手でも使わん限り本気なんざ出してくれそうもないが――」

 

「何を言うのです、あなたが望むのなら、私はいつでも本気で向かいます」

 

 違う、そう言うことではない。

 確かに彼女は、彼女の持つ全身全霊でクーの真紅の槍を叩き折りに来るだろう。だがそう言うことではないのだ。

 クーは知っている。彼女が本当の意味で本気になるのは、自分の意志で大事な何かを守ろうとすると気なのだ。それは女王陛下であり、このパーシー家という家であり、そして全ての魔法使いであり、実に様々なものを巨悪から守り抜こうとする時、彼女は最も強くなる。

 たかが摸擬戦で、彼女にそこまで高望みはできそうもなかった。

 

「そうかい、それじゃ、簡単にくたばるんじゃねーぞ」

 

「そちらこそ、打つ手がないからと言って急に萎えないでください」

 

 お互いに相手を挑発する言葉だけを残して、その手に握る得物で構えた。

 この場にいる戦士のみが分かる、高い実力を持つ者同士が対峙する決闘の、一筋の糸が張り詰めたような緊張した空気。

 そう、この瞬間から、少しずつ一本の糸がピンと張りつめて少しずつ力が加えられ始めたのだ。そして、その糸がプツリと切れるのは、均衡が崩れて決着がつく瞬間――

 先にエトの瞳に映ったのは、クーへと一直線に向かう、聖剣の騎士王の光の柱だった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 どれ程の時間だっただろうか、エトの瞼は瞬きをすることを忘れていた。

 斬撃に次ぐ斬撃、その合間に繰り広げられる死の紅い閃き。人の域を遥かに凌駕したその攻防は、長時間に渡って繰り広げられていた。

 幾度となく相手を無力化させようとするアルトリアの剣は、クーの手首の、足首の筋を断ち切ろうとその剣先を走らせていた。しかしそれは手加減でも何でもなく、相手の体の先端を執拗に狙うことによって、まずは相手の攻撃と回避のリズムを崩そうとする彼女の得意とする戦術の一つだった。

 もしこの戦術の中で一瞬でも相手がバランスを崩そうものなら、その刹那の内に一筋の眩き光が体の中を貫通し、大きな赤い花を空中で散らせることになるだろう。

 一方クーも、そんな搦め手を用いるアルトリアの攻撃の一つひとつを真紅の長槍で確実に捌き、無防備になるだろうと予測されるタイミングを見計らって喉元や鎧同士の隙間を縫うような一撃を叩き込む。

 しかしそんな攻撃が当たらないことは百も承知、隙を作らない内に槍を引き戻して次の一手を窺う。押してくるアルトリアに対して、カウンターのチャンスを窺うヒットアンドアウェイの戦闘スタイルだった。

 

「どうしました、攻めてこないとはあなたらしくない」

 

「言ってろ、飛ばし過ぎてバテるんじゃねーぞ」

 

 と言葉を交わしている間にも五十回近くの鈍く重い金属音が響き渡る。

 これが、人を超えてしまった真の強者たちの世界。これが、『八本槍』にまで登り詰めた者同士の刃の応酬。

 現在でも、今のエトでは到底介入することのできないレベルの闘争だった。しかしそれでも分かる――これでもまだ、お互いが殺すつもりもないただのお遊び(・・・)であるという認識でしかないということ。

 確かに彼らは全力全開で本気でやり合っている。しかしそれも、所詮摸擬戦という範囲での話である。それは普段稽古の相手をしてくれているクーの瞳をいつも見ているエトだからこそ、彼が真に本気ではないということが分かっていた。今の彼は、ほとんど稽古の時と同じような眼をしている。

 クーの一撃――しかしそれは悪手だった。

 アルトリアの剣がその槍を弾き、返しの手で強く踏み込んで袈裟斬り、光の線が走る。

 躊躇いも焦りもなく、クーは後ろへと大きく跳躍して距離を取った。

 

「へぇ……」

 

 吊り上げられた口角から感嘆の声が漏れる。

 どうやらお互いにようやく体が温まってきたようだ。

 エトから見ても、そしてクー自身も、先程の一撃は割と自信のある一手だったが、そこに罠を仕掛けてくるとは流石天下の騎士王と言ったところか。

 柔と剛、二つの剣術を織り交ぜた、パーシー家に伝わる剣の術理。しなるような剣捌きで相手を翻弄し、そして確実な剛の一撃で以って相手を叩き伏せる、それが彼女の持ち味である。

 再び槍を構えるクー。それを見たアルトリアは何かを感じ取って、最大限の警戒で相手の出方を窺う。

 一歩、クーの脚が動いた。

 来る――アルトリアの脳髄にそう電気信号が流れた。が、その時、一陣の風だけを残してクーの姿が消え去った。

 一瞬、驚愕に顔を染めるアルトリア。その一瞬の動揺だけで十分だった。

 

 ――――後ろかっ!

 

 判断した時にはもう、真紅の光線は突き出されていた。

 チェックメイト。その瞬間、均衡を司る糸はプツリと音を立てて切れてしまう。

 低い体勢から繰り出される、相手を腰から頭部にかけて串刺しにするような渾身の一撃。

 その不可避の閃きは――――何を掠めることなく宙を突いた。

 舌打ちが飛ぶ。彼女の周りを閃光が飛び回る寸前に距離を取る。

 確実に貰ったと思っていた一撃、しかしそれは、あろうことか彼女の最大の武器の一つである『直感』によって、かろうじで避けられたのだ。

 完璧な間合い、完璧な角度、完璧な速度で打ち込まれた死角からの一撃を、理不尽な一瞬によって捌いて形成を逆転する、正義と秩序の具現。

 凛然としたその佇まいは、騎士としての生き様をそのままに体現していた。

 これが、皆の憧れる騎士王の姿。人々の理想の先にある、真の人格者。アルトリア・パーシー、その聖剣は常に、騎士道と共に在る。

 

「実に鋭い一撃だ、しかし私にはまだ及びません」

 

「安心しろ、ようやく貴様のリズムが掴めてきたぜ」

 

 その言葉に、アルトリアの真剣な瞳が苦く歪む。彼の言葉が嘘偽りやハッタリではないことは彼の槍の切っ先を見てみればよく分かる。

 次からはこちらの行動を確実に見切って、無意識に形成されているこちらのリズムを絶妙に崩しながら接近してくるだろう。

 ならばアルトリアのすべきことは、意識的に自分のリズムからわざと外れたスタイルを取って迎撃するしかない。

 無論、こちらからの攻撃は、相手に確実に見切られる。今は時ではない。

 そして、再びお互いの姿が消えた。

 すぐさま金属音が響き渡り、ありえないような箇所で彼女たちが激突する。

 もう一度、お互いのペースの崩し合いが始まった。

 先にペースを崩した方が負け、再びその緊張の糸が張り詰められる。

 エトは、ただその様子を見ているだけしかできなかった。あまりにも高次元過ぎて、学べることが何もない。分かってしまうのは、ただ努力を重ねただけでは、何百年費やしてもあの領域に踏み込むことはできないということだけだ。

 彼らが何故強いのか。体ができているから――正しい。技が磨かれているから――正しい。動きが俊敏だから――正しい。百戦錬磨の経験を持つから――正しい。

 だが、それだけなのだろうか。それだけでここまで強くなれるのだろうか。

 否。

 どんな状況下においても、自分のリズムやペースだけは崩れることのないしっかりとした芯。きっとそれが必要なのだ。

 何がそれを構築するのか、どうすればもっと強い芯ができあがるのか、それは全く分からない。

 だからまだ、彼らから学ぶことは多くある。

 剣術を学ぶだけでも、魔法を学ぶだけでも手にすることのできない何か。

 クーに師事しているだけではきっと何も得られない。

 そしてエトは決意する。

 他の『八本槍』とも、手合せをしてみようと。




エトくんの魔改造がまだまだ続く(白目)
この作品の話数がまだまだ伸びる(白目)


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この手にないモノ

三週間ぶりでございます。
色々忙しかったというか、忙しい状況をつくりだしたのは他でもなく自分自身の責任というか。
とにかくお待たせしました。
これではかなり新刊を待っているライトノベルの原作者様の悪口は言えないですね。


 鈍くも甲高い金属音がスタジアムの中央で響き渡り、続いて獣の唸り声のような低く思い音が、吹き荒れるような衝撃波と共に運ばれてきた。

 土煙が目に入らないように腕で顔を庇いながら、エトはその光景から目を逸らさないでいた。

 両者中央で激突、拮抗状態――身動きがお互いにとれないでいるのか、お互いの得物を力任せに押し付け合うように鍔迫り合いが続いている。

 アルトリアが一歩踏み込む。その力に応じて相殺するようにクーもまた腕に力を込める。

 更なる衝撃に地が揺らぎ、大気が震える。エトの白銀の髪が荒れた風に弄ばれる。

 その時、エトは、そしてアルトリアは見た。クーがその槍に力を加えながらも、しかしその唇がすぼめられて、力を抜くようにすぅと吐息を漏らしているのを。

 そして、その鋭い瞳が紅く光る、間近で相対していたアルトリアにはそう見えた。彼女はクーの意図に気が付く。

 再び中央で衝撃波を一度走らせて、お互いに背を見せることなく、得物を構えながら距離を取って。

 クーはその槍を、構えを解いて下ろした。

 

「やっぱ殺気の一つも見せてくれないんじゃ興奮しねぇな」

 

 やれやれと肩を揺らして退屈そうに呟くクーを見て、アルトリアは半眼になって彼を睨む。

 

「人の殺意に興奮するなど、騎士としても戦士としても下品極まりない。そもそも私も本気ではありましたが、あなたを殺すつもりはなかったので当然と言えば当然です」

 

 だろうな、とアルトリアに嘲笑を飛ばすクー。

 かく言うクー自身もアルトリアを殺そうなどと言うつもりはなかった。皆無といっても過言ではない。

 理由は単純にして明快、相対する相手がその気になってくれなければ、こちらとしてもなかなか乗り気にはなれないし、土俵違いの相手に槍を振るっても面白くとも何ともない。フェンシングの競技で真剣を使うようなものだ。笑い話にもなりはしない。

 

「終わりということでよろしいですか?」

 

「いいぜ、丁度いい感じに汗も流せたし、運動不足にはもってこいだな」

 

 先程までのまるで集中力だけで相手が死ぬような緊迫した闘争が、それこそエクササイズ扱いである。改めて格の違いというものをエトは思い知る。

 二人の手合せを見届けて、興奮のあまりに力の入らない足をふらふらさせながら無理矢理に歩かせる。向かった先は師匠と彼の友人の下であった。

 

「おう、どうだったよ?」

 

 質問の意図は、今の手合せを見て何か学んだことはあるか、ということだろう。

 エトは、その質問に対して正直に答えるしかなかった。

 

「何も得られなかったよ。二人の戦いが常軌を逸し過ぎていたせいでまるで認識できなかった――」

 

「ほう」

 

 あれだけのことをしておいて、わざわざ時間をかけてここまで来ておいて、何も学ぶことがなかったでは流石に手合せの相手をしてもらっていたアルトリア・パーシーにも申し訳が立たない。それ以上に、クー・フーリンとしても面子も丸潰れだ。しかし彼は、その言葉を聞いて、なお余裕の笑みを崩してはいなかった。

 それはつまり、次の言葉が飛び出してくるのを知っていたということである。

 

「――だから、見るんじゃなくて、実際に体験した方が早いと思うんだ。それも、お兄さんじゃなくて、別の人で」

 

 そんなことをいうのか、とアルトリアは内心驚愕していた。

 この国において、『八本槍』は別にその存在が秘匿されているわけではない。魔法という概念に関わっていることは公表されていないが、それでも王室を守護する最強の騎士団ということで知れ渡っている彼ら一人ひとりの強さは個人で一個師団を紙屑のように葬ることができると喩えられるくらいのものだ。

 そんな連中を、まだまともに成熟しきっていない少年の口から簡単に、相手にしたいと。

 狂っていると思った。彼もまた、彼の師匠と同様に、戦闘狂(バトルジャンキー)であると。

 

「それで、相手はどうするんだよ。またこの騎士王様に手伝ってもらうか?」

 

「いや、確かにアルトリア様の実力は凄かった。僕じゃ全然届かないくらいに」

 

 しかし、エトのその瞳は、既にアルトリアを見てはいなかった。もっと遠くのどこかを見ているような――既に彼の頭の中には、相手をしてみたい『八本槍』の人間が存在しているようだ。

 

「でも、僕が知っている中で、剣技という点において、アルトリア様よりも優れた人を知っている。僕は、その人に相手してもらいたい」

 

 アルトリアとクーは、互いに顔を見合わせる。二人ともその人物にすぐに心当たりが行った。

 自分より、アルトリアよりも剣技に優れた『八本槍』など、一人しか存在しない。その男こそ――

 

「風の噂に足を運んでみれば、なるほど呼んでいたのはこの私自身というわけか」

 

 スタジアムの端、観客席の椅子の一つ、結い上げた長髪が風に揺れている。

 そこにたった今到着したという雰囲気はなく、むしろ先程までそこで花鳥風月でも愛でていたと言われた方がまだ納得のいく佇まいの、背中に一振りの長刀を差した東洋の侍剣士がいた。

 言わずと知れたその男の名は、佐々木小次郎。無論、この名前は伝説上のとある人物の名であり、彼の本名ではない。ただとある秘剣を操ることができるというだけでその名を敢えて借りているというだけに過ぎない。

 しかしその剣筋は、その伝説上の佐々木小次郎のそれに迫ると言われている。

 

「なかなか威勢のよい瞳を携えているな、獅子の子よ」

 

 僅かに跳躍。知らぬ人が見てみればそれくらいの動作だっただろう。

 しかしそのひとっ跳びで観客席から一気にこちらまで舞い降りた。飛び跳ねることに定評のある兎ですらここまで飛翔しない。

 アルトリアは『八本槍』の纏め役、騎士王として彼とは対面したことがあったようだ。お互いに微笑の内に挨拶を交わしていた。二人は刃を交わしたことがあるのだろうかなどと考えているのは実にクーらしい。

 

「聞いてたなら話は早い。手間かけるがこのガキと手合せしてくねぇか?」

 

 そう問うが彼は即答せんとばかりに瞳を閉じた。

 

「無論、この身はただ一心にこいつ(・・・)を磨き続けるためのもの。その切れ味を確かめる機会があるというのなら――(やぶさ)かではない」

 

 ちらりと確かめるように、片目だけを開かせて光らせ、エトへと視線を走らせた。

 その視線を、エトは怯えることなく堂々と受け止める。その態度が示すのはただ一つの回答――加減は必要ない。

 やれやれと両腕を広げて首を傾げる古風の侍を前に感じているのは、肌が、頬がチリチリと焼けるような畏怖。認識しておくべきは、これでもまだ彼は戦闘態勢に入っていないということだ。死角もなければ隙もない、彼自身が意識していなくともその前身は既に広範囲のレーダーと化しているようなものだ。少しでも害意を持って射程に踏み込もうものなら、肌を焼く火花は爆炎となって全身を襲うだろう。

 

「ところで、気合十分なのはいいんだが――」

 

 ふと、緊張感を持って佐々木小次郎を前に対峙していたところを、雰囲気を破壊せんとばかりに言葉を挟んだのは、クー・フーリンだった。

 

「急にどうしたの?」

 

「いや、お前手合せするも何も武器持ってねぇだろ」

 

「あっ――」

 

 ついテンションだけが上がって考えていなかった。徒手空拳も扱えないことはないが、体の小ささから武器によるリーチと攻撃力のサポートを失えば、それだけでエトとしても大きく弱体化してしまうのは当然である。ただでさえ全力で相手したところで赤子の手を捻るくらいの感覚で捻じ伏せられてしまうというのに、武器を持っていなければ話にならない。

 そして最悪なことに、普段訓練用として使用しているレプリカの剣は部屋のクローゼットの中に手入れを終えてある状態で大事にしまっている。

 

「――武具なら、こちらに一式揃えておきました」

 

 鈴のように美しい声。その主は、騎士王アルトリアだった。

 その傍に控えている二人の使用人によってスタンバイされたであろう、武器の数々。剣や槍などの武器から、盾や防具などの装備品まである程度は充実しているようだ。

 アルトリアが指示していたのか、あるいはこの話が出てきていた時点で使用人が判断し用意してくれたのか。いずれにせよ、パーシー家の品格が相当高いということはそれだけで十分伝わってくる。

 エトは礼を言いながらその中の最も握り心地のいい剣を一振り選んで軽く素振りをする。

 これだと全身が直感を受けながら、何度も何度も確認するように握り締める。

 そして――

 

 ――スタジアムの中央で、一人の小さな勇者と、一人の流木を自称する侍剣士が、視線の火花をぶつけ合った。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 ――十字に切り刻んだと思えば、逆に左腕の皮を無数に斬りつけられていた。

 

 数秒前にそんな事態が発生した現在、既にエトは全身が悲鳴を上げていた。

 初撃で、術式魔法により自分という存在概念の時間軸をずらして加速し、一瞬の踏み込みで斬撃を繰り出したはずだった。

 確実にその剣先は相手を食い破った――はずなのに、そこにはいつの間にかその姿はなく、余裕しか感じられない目付きのままで、向こうからすれば無防備に見えただろう左腕を連続で斬りつけたのだ。しかし、その剣筋は、以前彼の隣で肩を並べて戦った時と同様、全く持って見切ることができなかった。

 ここまでしておいて、その全てがお遊び。自分と貴様とではこれだけの実力の差があるのだぞと。

 佐々木小次郎にしても、舐めているのではない。むしろ彼にしてみれば、エトは褒め称えるべき人物ともいえる。

 我武者羅に生きるす術を奪って学び、強くなろうと足掻いてその力を誰かの為に活かそうとするその姿、感服する以外にどうしろと言うのだろうか。

 なればこそ、今ここで『八本槍』としての実力を彼に思い知らせ、その途方もない距離を彼に痛感させ、しかしその距離を実感したことで、初めて行き先がはっきりしてくる。後はその途方もない距離を、彼なりの速度で歩めば、あるいは走ればいい。

 そのために佐々木小次郎が今すべきことは、全力で手加減しながら少年に真の剣技というものを見せつけ、完膚なきまでに叩きのめすこと。

 エトは圧倒的実力差を前に、疲弊した体に鞭打って、呼吸を整え再び地面を蹴り踏み込む。

 視界の中で接近する標的を前に、その一瞬の思考で敵の状態を分析する。

 だらりと垂れ下がった腕――その拳に握られた長刀、油断しているのではなく、それこそが彼の剣技の極致、型を捨てることで自由になった剣の、虎のように駆け鳥のように舞う、無限の広がりを見せるような剣閃。

 しかし――エトは熟考する。

 腕が垂れ下がっている、ということは、つまり剣先が地面に最も近い位置にあるということになる。ともすれば、次に予想される剣筋は――逆袈裟などの斬り上げ!

 一筋だけでは足りない。その腕が振るうと思われるあらゆるパターンを想定し、次の一歩を踏み込み、フェイントを混ぜながら斬り込みのための待機位置(カタパルト)を定める。

 そして、その長刀の射程に入るギリギリのところで――

 

 ――固有時制御《タイムアルター》――三倍速《トリプルアクセル》!

 

 全身を締め付ける感覚、しかしその代償に手に入れたのは、不自然なほどに瞬間的な速度上昇。

 エトは普段通りに体を動かしていればよい。しかし一方で、それを目撃する他の人間は、エトの移動速度が極端に倍速になったように観測する。

 そしてその僅かな可能性の隙間に、剣を叩き込んだ。

 

「――っ!?」

 

 無音。

 そう、何一つ、物音は立たなかった。

 まるで何も起きなかったかのように、水面に滴一粒すら垂れ落ちなかったとでも言いたいのか、それほどまでにその一瞬は沈黙に支配されていた。

 動かされた佐々木小次郎の長刀。その先端には、エトの振るった剣の刃が受け止められていた。

 違和感の正体――剣同士がぶつかって、金属音を僅かも立てなかったこと。

 なにが起こった――考えている場合ではない。二撃目、三撃目と追撃を加える。

 しかし、どの角度から斬り込んだかに拘らず、その全てが、例外なく、音もなく吸い込まれるように、長刀の剣先で受け止められ流されてしまう――

 

「練習がてらにとは思っていたが、どうやら予想以上に完成しているらしい。他の『八本槍』には通用しないだろうが――もうしばし研鑽が必要と見た――」

 

 エトの剣戟を受け止めながら、そこか宙に視線を飛ばす佐々木小次郎。

 それを眺めていたクーとアルトリアも、十分な驚愕を示していた。

 

「他の『八本槍』に通用しねぇだと?嘘も大概にしろってんだ」

 

「剣技のみで言えばこの私を遥かに凌駕する――ここまで来れば天晴(あっぱれ)としか言葉が出ないものです」

 

 相手の剣の先に刀の刃先を合わせ、発生する力を相殺しつつ受け流す。

 そこに生まれる者は何もない。エトの生み出すプラスの力を、佐々木小次郎の剣術によって生み出されるマイナスの力によって過不足なく殺しきっているのだ。だからこそ、音もなく、外に生まれる余波もなく――強いて言えば、相手の心に強い動揺を生む。

 日本の諺に、『暖簾に腕押し』というものがある。

 エトはそこの言葉を知るはずもないが、しかし今に限ってはこの状況を、暖簾に腕押し、いや、それ以上の棒振り(・・・)の無意味さを思い知らされる。

 タイミングをずらし、力加減を調節し、手数を増やして、踏み込みを変え、死角から斬り込んで、フェイントを混ぜ――これ以上ないくらいに工夫を凝らした。

 だが、無意味。

 その全ては見えない渦に吸い込まれていく。

 そして、エト自身無意識の内に、焦燥に駆られた一撃を繰り出すも、その時――

 

「――悪いが、受け流すだけがこの技の本質ではない」

 

 エトの握る剣から、重みが消えた。

 腕がふわりと浮くような感覚。視線の先には余裕の笑みを浮かべた美顔の侍の瞳。

 視線が自然に下へとずれる。自分の剣。自分の得物。いつか相手を切り裂かんと獰猛な牙を剥き出しにしていた刃。その刃が、完全に消え去っていた。

 視線がずれたその瞬間、エトの鳩尾に衝撃が走る。それが全身に伝播し――その全てを全身が吸収しきれず、エトの体ははるか後方へと吹き飛ばされる。

 スタジアムの壁に叩きつけられ、体を起こそうと身をよじる――が。

 エトの視界のすぐ隣で、佐々木小次郎の長刀が壁に突き刺さっていた。

 

「チェックメイト――日本語では王手、か」

 

 はて――と翻訳の正誤を気にしつつ、壁から長刀を抜いて背中の鞘に仕舞い、そして右手で顎を擦るようにして考え込み始める。

 エトの視線は佐々木小次郎のずっと先にあった。

 先の一瞬で、何が起こったか。

 エトの腕から剣の重みが消えたその原因は何だったのか。

 恐らく、彼は魔法など使えない。それは彼の話した言葉の文言が証明しているようなものであり。

 ただ剣技のみで、魔法のような結果を生み出したのだ。

 そして、エトの視線の先、その地面の芝生に落ちている、そこにあるはずのない銀の粉。

 それが何か――無論、エトの握っていた剣の残骸(・・・・・・・・・・・・)である。

 

 ――武器破壊。

 

 何をしたのかは結局見切ることはできなかったが、ただあの不可解な剣術のみでその結果を引き出した。

 ああ、とエトはふと溜息を零す。自分に当たり前に勝利した男の背に向けて、尊敬と嫉妬の眼差しを向けながら。

 そこまでの力をどうやって手にしたのか。その未知なる剣技を暴きたい。暴いてみせると。

 小さな掌は、その主の意識が途絶える前に、僅かに前へと伸びて、その背中を求めて握り締められた。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「お見事でした」

 

 アルトリアは、タオルを手にした使用人を後ろに連れて佐々木小次郎の下へと歩み近寄る。

 思考をやめた佐々木小次郎は視線を彼女へと向け、軽く挨拶を交わす。そして、後ろの使用人から差し出されたタオルを、掌でやんわりと遠慮する。

 

「実に愉快なひと時だった。――彼が目を覚ました時、伝えておいてくれないか」

 

 そして背を向け、エントランスへと向けて姿を消そうと歩を進める。

 言わずにはいられなかった、だが言う前に彼は意識を失ってしまったから。本当なら直接聞かせてやるべき言葉だった。その意気と度胸に、敬意を込めて。

 

「可能性はある。精進せよ、と」

 

 明かりのない暗闇に包まれた通路を歩む中、佐々木小次郎は回想の中に彼の姿を思い出していた。

 その剣の一撃一撃に芯が込められていた。そして心意気だけではない。重心をずらすことなく、それでいて並の戦士ならすぐにでもリズムを崩すような踏み込み、フェイント、技の数々。

 しかし、まだ足りない。足りないものがあるのだ。

 それは技術などではない。身体能力などではない。そんなものはこれからどうにでもなる。流木(・・)とまで称されたことのあるこの自分――佐々木小次郎ですらこの域にまで到達することができたのだから。

 ならば何か。彼が、あの少年が更なる強みに上り詰めるのに必要な要素とは。

 ああ、気付いているとも。この手で刃を合わせ、この目でその全てを見てきたのだから。

 彼には『状況(・・)』が足りていない。彼の性格(ストラテジー)を前提とした、彼の全身を最大限に活用できる最高の環境。

 

 ――あの少年は、『八本槍』に匹敵する実力(このりょういき)に到達し得る。

 

 闇の中で、侍は爽やかに、それでいて不気味に微笑を浮かべた。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 闇の中へと意識を放り棄てる前。

 エトはその背中を得て、ある一つの答えへと辿り着いていた。

 圧倒的に足りないものがある。それは、身体でも技術でもない、と。そんなものはこれからどうとでもなる、はずだと思いたい。

 武器を破壊された(・・・・・・・・)と気付いた時に感じられた、一つの閃き。

 武器破壊とは、武器を持って戦う相手から戦力を削ぎ、戦意を喪失させるのに最も有効な手段である。増して、あんな曲芸のような手段でそれを実行したとなれば、相手に与える絶望も尋常ではない。

 そう、この手から武器が消えた時、ふと思ってしまったのだ。もうこの手に戦う力はない(・・・・・・・・・・・・)、と。

 今はただの閃きでしかない。そこに論理もなければ合理性もない。ならば、その閃きに即して検証すればいいだけの話。

 そして、それが成功すれば、と。意識が閉じられる前に、最後の思考を試みた。

 ならば、きっと。

 

 ――自分ならお兄さんの隣(あのりょういき)に並び立てるだろう。

 

 その実感が、胸の内を支配して。

 視界は黒塗りされ、そして時間の経過を認識できなくなってしまった。



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胸中で疼く小さな穴

最近更新が不安定ですね、申し訳ありません。
世間では夏休みだというのに、何故か普段より忙しく感じられる今日この頃。



「――これくらい強ぇ方がいいんだよ」

 

「で、でも、乱暴にされたら――」

 

「バカヤロー、勢いある方がテンション上がるだろ」

 

「で、でも……」

 

「うるせぇ、さっさと始めるぞ」

 

「うわ、ち、ちょ、いきなり激し――っ!?」

 

「何これちょー楽し―しちょー気持ちいいっ」

 

「待っ、て、そんなに激しくされちゃ、壊れちゃ――っ」

 

「そん時は責任くらいとってやるよ」

 

「ゆっ、くり……!もっとゆっくりっ!来るっ、来ちゃうっ!?」

 

 などというやり取りが部屋の中から聞こえてくる。

 魔法の霧の禁呪がつくり上げた世界からの脱却を目指して、さくらから預かった枯れない桜について研究を進めていたリッカ・グリーンウッドは、休憩がてらに別件での用事を終わらせているであろう親友、ジル・ハサウェイを部屋まで呼びに行っているところだった。

 片方の声はジルのもの。何やら厭らしいことをされているような声のような気がしないでもない。

 そしてもう一つの声も知っている。決して聞き間違えることのないそれは、ジルと同じく旧友であり、男としてもよく知っている、クー・フーリンのものだった。何やら厭らしいことを強要しているように聞こえないでもない。

 現在時間にして午後の三時を少しばかり越したところである。

 そんなお天道様が一番近いところから見下ろしている時間であるのに、部屋の中からいかがわしい声が。

 しかし耳まで真っ赤にしながらリッカは愚考する。まさかこんな日中に男女の営みをするほど二人の貞操観念が歪んでいるとも思えない。だとすればこれは、自分がどこか無意識でそのように解釈してしまっているだけであって、実は似たような言葉が出てしまうのが自然であるようなシチュエーションであるという可能性も否めない。

 例えば――と問われても分からないが。

 ともあれ、ここで羞恥と怒りに震えながら部屋の中に突入して、あまつさえ『この変態!』などと罵ろうものなら、万が一ただの勘違いだった場合、逆に何を想像して飛び込んだのかを勘繰られて立場が危うくなりかねない。

 ならばここでリッカがすべきはただ一つ。いつものようにやれやれ的な表情と態度で冷静に突入して、いつものように小突くような感じで二人を叱ってやればいい。それがカテゴリー5、孤高のカトレアとしての品位というものだろう。

 

「――うわっ!?」

 

「うおっ!?」

 

「……白いの、いっぱいついちゃったぁ」

 

 前言撤回。否、前思考撤回。

 ジルが施した魔法による施錠を強引な魔法の馬鹿力によってこじ開けて突入。何してんのよ、と怒りの眼差しを向けたその先に、二人はいた。

 ベッドの隣、まるでもみ合ったかのように倒れ込んでいるジル、そしてその上に彼女の行動を封じるように四つん這いになったクー。

 そして何より、そのジルの顔には、何やら白くべたついたものが――

 

「な、なななななな、何、やってんのよ……」

 

 その言葉にハッとして振り向くクー。後に続いてジルがゆっくりと呆けた目でリッカの方に視線を向けた。

 そしてクーは現状を把握するように真正面に――ジルに視線を戻し、そして片腕を上げて指で顎を擦る。少し考えるそぶりを見せてから、再びリッカへと首を向ける。勿論そっとジルの上から体をどかしながら。

 

「お前、男女が同じ部屋でナニするかって、そりゃナニだろ」

 

 真顔で平然と答えてみせた。

 但し、その手に握っている太くて長くて硬いものをゆっくりと隠そうとして。

 そしてジルは、ゆっくりと立ち上がり、白いナニかをたっぷりと浴びせられた顔を隠しながら、洗面所に駆け込んでいった。

 

「何ならテメェにも出そうか、俺の魂の白い結晶をよ」

 

 次の瞬間、羞恥とか怒りとかその他諸々の感情によってゆでだこのような顔色をしたリッカが、クーの体を、彼女の顔の色以上の紅蓮で破壊し尽くした。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 デスク用の椅子に腰かけ、リッカは肩を怒らせて鬼のような形相で二人を睨んでいる。

 一方でクーの隣に、というより密着して座ってるジルは、そんなリッカに睨まれて、逃げ場を失った小動物のように震えていた。

 そして犯人は他人事のように明後日の方向に視線を向けて、自分の部屋でもないのにも拘らず無礼なくらいに寛ぎまくって次の瞬間口笛でも奏でだすのではという態度だった。

 

「いやまぁ大根おろしをつくってただけなんだけどな」

 

 リッカが拳を握って小刻みに震えはじめる。何かがミシリと音を立てた。ジルの部屋の家具に罅とか入っていなければいいが。

 尋問、というにはあまりにも空気が緩過ぎる。緊張感と呼べるものの欠片もない。犯人が緊張感ぶち壊しの言動しかとらないからである。

 

「……男女が同じ部屋ですることって言えば、大根をおろすことなのね」

 

「そんな訳ねぇだろ」

 

 今ちょっとキレちゃったかな、と。こいつ相手なら多少禁呪の一つや二つ使っても問題ないよね、と。懐に大事にしまってあるワンドに手先が伸びてしまう。

 ジルにしてみればこの空間、既に絶対零度の冷凍庫の中である。しかし同じ冷凍庫に閉じ込められているはずの隣のクーは至って平常運転、相変わらず口の減らない男である。率直に言ってしまえば馬鹿である。

 

「少し前の仕事の関係での知り合いからいいものができたとかで大根を送ってもらったんだけど、一人で処理するのもつまんねーからさ、ジルのところに何かねーか顔出したんだけどよ」

 

 と、テーブルの上に置いてある物体へと視線を飛ばす。そこにもクー曰く魂の白い結晶が残っていた。

 

「どういう訳かこいつ、大根をおろす器具を持ってたんだよ。あんまりこっちでは見かけない代物だったから、ついテンション上がってな。おろしてどうすんのとか考えたが、そう言うのは全部後回しって訳だ」

 

 色々とツッコミどころは満載だが、クーが持っている太くて長くて硬いモノ――立派に育った大根をひらひらさせており、その先端部分が切り落とされて更に擦り減っている辺り、大それた嘘という訳でもないらしい、が。

 

「で、それがどうしてジルの顔に飛んだり、あまつさえあんな卑猥な会話になるのよ!?」

 

 ダン、と大きく音を立てるくらいには力と勢いを込めてデスクを拳で殴る。その音でジルが吃驚して体を跳ねさせた。

 罅が入ってあまつさえ大きくなっていなければいいのだが。

 

「卑猥って、何想像してたんだよあの会話で」

 

 分かっているような顔をしながら――しかし言葉では純粋無垢を主張するその文言。

 しまったと後悔してももう遅い。今の言葉、明らかに、突入前に厭らしい妄想をしていましたと高らかに宣言してしまったのだ。

 しかし、ここで怯むわけにも行かない。

 咳払いを一つ入れて場の空気をリセットする。したつもりである。

 

「で、何してたの?」

 

「いや、大根おろし楽し過ぎてゴリゴリしてたら、俺の力が強くてジルに押さえてもらってたおろし器が滑って寄ってしまってよ、一つ力を入れりゃつるっと滑ってひっくり返っちまっただけだよ」

 

「それで、あまりに力が強くておろし器が壊れちゃいそうだったから……」

 

 おずおずと挙手をして補足するジル。

 彼女とて親友だが共犯者だ。責任(?)の追及は免れない。

 

「あなたもあなたよ。そもそも原則女子寮には男子禁制のはずよ?どうして部屋に入れたの?」

 

 リッカは厳しく問い詰める。たとえ相手が古くからの親友だったとしても、親しき中にも礼儀あり、だ。

 しかしその問いに、ジルは何故か顔を赤らめて視線を逸らした。

 

「だ、だって、クーさんが、あんな太いものを取り出して、このぶっといの食わないか、なんて言うから……」

 

「そう言う紛らわしい言い回しをするな!」

 

 クーの額にマグカップがぶち当たった。無論ジルのものである。投擲したのはリッカである。

 しかし確かに、クーの持っている大根、妙につやがあってしっかりしていて美味しそうではある。

 そしてリッカは閃いてしまった。これが一世一代の大チャンスであるという事実に到達したのだと。

 そう言えばクーはフラワーズでキッチンのサポートができるくらいには料理が上手だと聞いている。しかしその腕をリッカたちは知らない。彼の料理を食べたことがない。

 そして丁度いいところにクーがいて、大根があって、それを調理する道具がある。その上でリッカはクーを弾劾する立場にあって、少しくらいなら言うことを聞かすくらいなら不可能とも言い切れない。

 だとすれば、今すべきことはただ一つ。

 

「……で、結局のところ、その大根どうするつもりだったのよ」

 

 できるだけ、そんなものには興味がない風に装いながら、悟られないよう視線を合わさずに態度は大きく問い質す。

 それでも恐らく気付いているであろうことには大変腹立たしいことこの上ないが。

 

「いや、どうやら大根おろしというのは日本の料理だと聞く。俺もジルも詳しいことは知らんから、葛木辺りに聞いて何か作ってみようかなと」

 

「それホント!?」

 

「うおっ、急に食いつくんじゃねぇ」

 

 先程までの鬼のような形相から一転、目を輝かせて身を乗り出したリッカに対し、その変化に対応できず仰け反るクー。まさかここまで変わり身が早いとは思わなんだ。

 クーにしても、リッカもジルも長い付き合いではある。その中で一度も賄をもてなしたこともないとは、一応親しい付き合いをしている仲としてはどうなのだろう、クーは考える。

 結論。多少面倒ではあるが、ここらでどこで借りたかも分からない借りを返すつもりで少しだけ腕を振るってみてもいいかもしれない。

 そうと決まれば、日本出身の葛木清隆に連絡をとって日本食について簡単に知っておくべきだ。

 懐からシェルを取り出す時、ジルから期待の眼差しを向けられる。

 

「清隆くんに連絡するの?」

 

 一つ頷いて清隆の名前を探し、そして耳に当てる。

 半分脅迫めいた文章で清隆を呼びつけては、その後滅茶苦茶大根を摩り下ろした。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 結局大根おろしは、清隆に教えてもらった、白身魚を焼いて、醤油に浸して一緒に頂いた。

 サイドメニューとして同時に教えてもらった味噌汁なるものも清隆に教えてもらいながらノリノリで作ってしまっていた。

 故に、結局ジルもリッカもクーの料理の実力をしっかりと味わうことができなかったというのが結末である。

 清隆が去った後、食器を洗いながら、リッカとジルは談笑を交わしていた。他愛もない話題で、いつも通りの二人で、大きな禁呪に巻き込まれていることを気にしていない、いや、もしかしたらそんなことすら忘れているのではと思うくらいに自然に。

 だが、クーの見ている、二人の背中が映る景色はあまりにも違い過ぎていた。

 そこに二人いるはずの人影の一つは、ここにはいないのだ。存在しているはずがないのだ。自身と全く同じように。

 ジル・ハサウェイを救ったのは誰だ――クー・フーリンだ。

 クー・フーリンとはどんな人間だ――霧の禁呪によって生み出された副産物、魔力の結晶から生まれた偽物の英雄。

 自分のことなどどうでもいい。そんなものは後からでもどうにでもなるし、目の前の壁を打ち破れるのなら打ち破る。どう足掻いて勝てないのなら、最後まで足掻いて無様にくたばる、それでいい。

 しかしジルは――あれだけいい女が霧と共に消滅するなど、あっていいはずがない。

 親友であるリッカはどう思うだろうか。嘆くだろうか。悲しむだろうか。我を忘れて狂乱するだろうか。きっとそのどれでもないだろう。

 クーの知る彼女ならば、魔法使いの未来のために、彼女ごとこの世界を終わらせることを望む。そして一人絶望を押し隠して、堂々とした佇まいでカテゴリー5、孤高のカトレアを演じ切ってみせる。それだけの力と器量が彼女にはある。だが、それはクーとジルの望む、リッカ・グリーンウッドではない。

 その時、目に何か冷たいものが飛び散った。

 顔を仰け反らせたクーは目に異物が入ったのを確認して片目を瞑ると、その横顔に声が叩きつけられた。

 

「ちょっと、なに呆けてるのよ」

 

 リッカだった。何も知らない、ただ目の前の目的だけを果たそうと努力する女の姿。

 その両手にはまだ水滴が残っている。呆けていたクーに気が付いてその手から水滴を飛ばしたのだろう。

 

「いきなりなんだよ」

 

「何考えてるのかは知らないけど、どうせあんたは槍持って突っ込むことくらいしかできないんだから、深刻に考え込む必要もないでしょう」

 

 失礼な言い草である。こちらは心配して色々と考えてやっているのに。

 しかし実際はその通りだ。何をどう考えようと、今このロンドンを支配している霧は完全に消す。そしてその結果、クー・フーリンと、自身に関わったことで生命や存在が左右される人間は全て消滅する。そのことに変わりはない。変えられるはずもない。それが(マスター)の意向だ。騎士(サーヴァント)としてそのミッションは確実に成し遂げてみせる。

 ならばせめて最後だけ、最後くらいは、いい思いの一つや二つ、経験してもいいのだろう。

 

「こうやって三人でのんびりできるのも、久しぶりだね」

 

 そう言って、ベッドに座っていたクーの隣に、リッカもジルも腰を掛ける。

 三人が横に並んで座っている。こんな光景、そういえば偽物の記憶の中にすらなかった気がする。初めの頃は警戒されて一人だけ除け者にされたり、距離を縮めても何かしらの騒動やらトラブルやらでいつも騒がしかったり、そう思えば、こんなにまったりとした時間を三人で過ごすのは、新鮮なことではあった。

 ただ、その思いとは別に、クーの中で鎌首をもたげる別の感情が、それを今から壊そうとしていた。

 

「……なぁ」

 

 無意識の内に、二人をこちらに振り向かせる言葉が口から出ていた。

 もう、自分の言動を止めることは、自分でもできないだろう。後は本能の赴くままだった。

 

「男女が同じ部屋でベッドの上ですることっつったら――一つしかないよな」

 

 一瞬。

 始めから二人は横になっていた、そう錯覚させるくらい一瞬で、そして力を入れられたことすら感じさせずに、リッカもジルもベッドに押し倒されていた。

 リッカの顔のすぐ左に、クーの右腕が、そしてジルの顔のすぐ右に、クーの左腕が突き立っている。

 

「――悪いな」

 

 一言だけ残したクーの瞳は、妙に鋭くてギラギラとしている。

 今から二人は何をされるか、加速してしまう思考の中で様々な妄想が爆発してしまう。耳まで紅潮してしまうのにそう時間はいらなかった。

 

「ちょ、ちょっと……」

 

 逃げようと思えば逃げられるはず――いや、この男の身体能力を前に逃げ切れるはずもない。彼が無理矢理に追いかけようものなら、既に二人の女の体は完全に支配されたようなものだ。

 芯まで染み込んでくる恐怖と、しかし体の奥底から僅かに湧き出る期待。その二つが、全身の運動神経を完全に麻痺させている。

 クーの右腕が動いた。リッカの制服のリボンがゆっくりと解ける。

 腕がゆっくりと場所を動かして、次にリッカの制服のボタンへと指を伸ばす。

 一つ、また一つと外されていく。そしてギリギリのところで手が止まった。

 次に動いたのは左腕。ジルのリボンが解かれ、そして制服のボタンがギリギリまで外されていく。

 そして、前屈みになっていたクーの上体が、ゆっくりと起こされる。中途半端に衣服をはだけさせられた二人は少しも動くことはできない。

 しかし次に彼の口から出てきた言葉は、誰にとっても、自身にとっても興醒めなものだった。

 

「……やっぱやめだ」

 

 立ち上がり、二人に背を向けて部屋から去ろうと歩いて離れていく。

 何がどうなっているのか思考が追い付かない二人は、はだけた服を直そうともせずにその背を見つめている。

 ただ、二人とも心の中で蠢いていた感情は、ただ一つだった――何故、と。

 

「ループしてる世界でんなことやってもどうにもならんだろ。まずはそっちを片付けてからだ」

 

 残された言葉はそれだけだった。

 綺麗に整理整頓されたジルの部屋で呆けているジルとリッカ。沈黙の中に、どこか寂しさを孕んでいるようだった。

 結局、最後まで彼は、二人のことを奪ってはくれなかったのだと。

 

「……ちょっと、ドキドキしたね」

 

 なんて言っているのはジル。分かっているのか、分かっていないのか。

 しかし、確かにあのように強引なクーを見るのもそう多くはない。普段戦場やらで見せる眼ともまた違う、生きる上で不可避な欲求を前にした獣の瞳。

 思い出すだけで、胸のドキドキが止まらない。

 そして、再びリッカはベッドに押し倒されてしまう。今度はジルに。

 

「き、急にどうしたの?」

 

「な、何かリッカのこと、抱き締めたくなっちゃって」

 

「あー、分からないでもないって、いうか……」

 

 リッカ自身、満更でもなかった。

 この蟻の一穴のような小さな寂しさを埋めるために、二人で慰め合えるのなら。

 込み上げる感情を押さえて、リッカも親友の強くて華奢な身体を抱き締めた。




ようやく話が進みます。
あと何話で風見鶏編終わるだろうか。


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勇気ある者たち

マニアワナカッタ……
原作の流れの再チェックをしていたり、wi-fi接続のためのネットワークアダプターのドライバが勝手に消え失せたり、何とかインターネットに接続するために孤軍奮闘したりしていたらかなり遅くなりました。


 

「今日は、みんなに新しいお友達を紹介したいと思います」

 

 クリスマスと新年を挟んだ冬の長期休暇を終え、風見鶏の学生は始業式に出席、各々のクラスでHRに参加していた。

 ここ予科一年A組でも、クラスマスターであるリッカ・グリーンウッドが、教壇の上で新しいクラスメイトを紹介しようとしていた。

 その高らかな一言に、クラスメイト全員の視線が前方のリッカへと釘づけになる。リッカはその期待の視線に応えるように一度頷いてみせ、そして教室の出入り口、扉の方へと視線を向ける。

 

「入っていいわよ」

 

 リッカの言葉から僅か数秒、教室の中にいた生徒からは少なくともそう感じた。逆に入ってくる転入生(?)はその数秒をどう捉えただろう。

 ゆっくりとドアが開かれる。

 最初に視界に入ってきたのは、風見鶏の予科生の女子制服だった。つまり、新しいお友達は女子のようだ。

 そして、次第にその特徴を誰もの目が捉える。リボンでサイドアップされた栗色のショートヘア、東洋系の黄色の肌、くりっと丸くて大きな瞳、何となく子犬を思わせるような雰囲気。その正体は、ここにいる誰もが知っているはずの人物だった。

 ただ、いつもの恰好とは、服装が違ったから。

 教室全体にざわめきが走る。どこかで見たような、とか、もしかして、とか、ちらほらと脳裏にその姿が過ぎった者もいるようだ。

 その正体を、清隆と姫乃はよく知っていた。彼らがここに来て、初めて知り合った日本人だったから。

 

「あ、葵ちゃん?」

 

 清隆が間抜けた声でその人物の正体の名前を確認する。

 自分の名を呼ばれたことに反応してそちらを振り向いた少女は、同郷の仲間を認識しては嬉しそうに手を振り返した。

 そして咳払い一つ。それで空気が変化したのか、全員が葵の方に視線を向けては話を止める。

 

「えっと、いつもは学食とか、フラワーズとか、皆さんの充実したお勉強の息抜きのためのお手伝いをさせていただいています、陽ノ本葵です。この度はちょっとした事情がありまして、皆さんと一緒に学園生活を送らせていただくことになりました。どうぞよろしくお願いします!」

 

 深く勢いよく一礼。

 葵が顔を上げてあのお日様のような笑顔を浮かべては、クラス内が歓声で沸きに沸いた。清隆からすれば、クラスメイト、エトからすれば後ろの江戸川耕助のはしゃぎ声がたまらなくうるさい。気持ちは分からなくもないが。

 そして、陰ながら、教室からの光が届かない場所から、普段の彼には似合わない穏やかな笑みを浮かべて、葵の仲間入りが歓迎されているその様を、一人の槍の騎士が壁に背を預けて見届けていた。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「いやぁ、びっくりしましたよ」

 

 HR終了後は放課後ということで各自自由時間となったのだが、どうやら実際にそういう訳にもいかないようだった。

 新しいクラスメイトと来れば、次の休み時間及び放課後がどうなるか――無論質問攻めである。特に、この風見鶏でも知らない者はいないと言われる程評判のある葵がクラスにやってきたとなれば、その興味も尽きてしまうことはないだろう。

 チャイムが鳴った後、リッカは外に控えていた槍の騎士と共にどこかへと行ってしまったようだが、その次の瞬間には葵は人の渦に飲み込まれて質問の雨を一身に浴び続けていた。

 葵の隠された事情を知っている清隆と、その義妹姫乃、エト、江戸川ペアは、その様子を離れた位置で見つめていた。

 次第に質問も止み、笑顔で手を振って教室を去るクラスメイトたち。解放された葵は疲れ切った表情で清隆たちの下へとふらふらしながら辿り着いたのだった。

 

「急に決まったものですから、私としても慌てたというかなんというか」

 

 どうやらこの件についてはつい一昨日決まったばかりで、葵へと通達が来たのが昨日、用意できたのが同時に届いた予科生の女子制服のみで、とりあえずは今日のところはそれを着てクラスメイトに挨拶、という感じだったらしい。

 恐らく、このA組に配属になったのも、事情を知っている清隆がいたからだろう。禁呪のことを知っている清隆がいてくれれば、何かと困ったことがあってもフォローしてくれることもあるだろう、それが学園長エリザベスとしての配慮である。当然この提案をリッカも、一も二もなく首を縦に振ることとなった。

 

「しかし葵さん、魔法使いではないですよね。どうしてまた魔法学園に?」

 

 それは誰もが思っていたことだろう。それこそ葵の事情を知っている清隆でさえ。

 彼女が魔法使いであるならまだしも、ほんの少しの魔力も持ち合わせていない少女が魔法学園に学生として入ってくるなど、不自然にも程がある。

 何故エリザベスはこの提案をしたのか、そして何故リッカもその提案に乗ったのか。二人の思考がさっぱり読めなかった。

 

「えーっと、それこそ先程言ったように、とある事情で、としか……」

 

 その中身を話そうとせず、言葉を濁す葵。

 そのリアクションに、あまりその話題には触れてはいけないことを全員が理解する。

 

「とにかく、僕は葵ちゃんがクラスメイトになってくれて嬉しいよ。同じ日本人である清隆や姫乃ちゃんとは違って、あまり接点がなかったからね」

 

 そう言って、姉譲りの整った美しい顔立ちから繰り出される、あの引き込まれるような笑顔を浮かべる。いつも同じクラスのサラ・クリサリスはこれに毒されているのである。

 実際、エトが葵と初めてまともに話したのが、冬休みに姉とショッピングに出かけた際、クーと共にいた葵とばったり遭遇した時だった。それでも軽く自己紹介を交わした程度のものだった。

 しかし、これで晴れて二人は友達である。

 なのだが、葵は心中ではとても複雑だった。そこにいるのは、一人の少年ではなく自身の罪の具現に他ならないのだから。決して、その感情を顔には出さないように努める。

 それから、談笑を少々。

 この学園で魔法の何を学んでいるのか、とか、購買ではどんなものが人気だとか、逆に、葵には今週の学食のおすすめメニューや、フラワーズでの新商品についてなど、たくさんのことを聞いて話して。葵が学生として体験したかった色々な事の、ほんの一つを、今ここで叶えることができた。

 

「――清隆、そろそろじゃない?」

 

 ふと、何やら神妙な面持ちで、エトがそう切り出した。

 そしてエトの意味深な言葉に清隆はそうだなと頷き、そして姫乃に振り返る。

 

「姫乃、本当にいいのか?」

 

 姫乃は少し緊張に固まったが、しかし深呼吸を一つ置いて、そして力強い眼差して清隆に視線を返した。

 

「大丈夫です。私は、どんな時でも兄さんの力になると決めたんですから」

 

「そっか」

 

 姫乃の決意を確認する。

 本当は清隆も、彼女を巻き込むべきかどうか迷ったのだ。彼女を危険に晒すかもしれない、苦しめるかもしれない、傷つけてしまうかもしれない。

 そう思えば思う程に、彼女に欠ける言葉が次から次へと消え失せてしまう。

 しかし、清隆が思いつめていることに、姫乃は鋭く察してしまったのだ。

 彼女は言った。それは、清隆自身が危険に身を晒している、苦しんでいる、傷ついているということに他ならない。ならば、その危険も、苦痛も、傷も分かち合うのが兄妹であり、家族であると。

 共に並び、共に進む。それができないのなら、葛木姫乃という人物はここにはいらない。

 葛木清隆の妹は、いつの間にか成長していた。

 

「……悪いな、清隆」

 

 俯いて呟いたのは、耕助だった。

 彼にも事実のほんの一部を話した。そして、協力できるなら、協力してほしいと。

 彼は清隆の力になりたがっていた。それを許さなかったのが、他でもなく、従者である人形(マリオネット)、四季だった。

 どれだけ無能であろうと、耕助という人物は江戸川家の次期党首であり、その身を危険に晒すことはできない。そして何より、清隆も、姫乃も、エトも、この話に乗っかるのに十分な資質と実力を備えていた。一方で、耕助の力は、彼らに比べてあまりにも劣っていた。ただの足手まといで済むのならそれでいい。しかし、それが誰かを傷つけることになるのは、何としても避けねばならない。

 自らの身を親身に案じてくれる従者の言葉が痛い程胸に突き刺さった。

 だから耕助は、悔しさに涙を飲みながらこの話から身を引いたのだった。

 そう、清隆はここにいる全員に、地上の霧の真実を、葵のことは一度伏せて置いた上で説明したのだ。

 そして、霧を晴らすために立ち上がってはくれないかと相談を持ち掛けた。それは、エリザベスや、リッカの指示でもあった。協力者は一人でもいいと。ただし、命を落とす覚悟がある者、仲間の命が失われることに耐えられる者のみを連れて来いと。

 

「仕方ないよ。立ち向かうのが勇気なら、逃げるのもまた勇気がいることだ。話を聞いてくれただけでも、信じてくれただけでも、俺は救われたような気持ちなんだ。だから――ありがとう」

 

 耕助は俯いた顔を上げる。

 

「負けんなよ、みんな」

 

「健闘をお祈りしています」

 

 そして、江戸川ペアが教室を去った後、静寂を保ったまま清隆、姫乃、エト、葵の四人は教室を出て、彼らが向かうべき部屋へと向かう。

 葵がこの事件に関係があることを清隆以外の二人は知らないが、しかし本日突然このクラスの仲間になったことを考えれば、この事件と何らかの関わりがあることは何となく予想がついていた。

 そして辿り着いた、王立ロンドン魔法学園、通称風見鶏の、生徒会室。

 その扉を、清隆は両腕いっぱいに広げて開ける。

 部屋からに光が瞳を刺激する。瞼を閉じても突き刺さってくるようだった。

 そして彼らが部屋に入った時、彼らを待っていたのは、霧の禁呪を打ち砕くために集められた精鋭たちだった。

 エリザベス女王陛下、リッカ・グリーンウッド、ジル・ハサウェイ、シャルル・マロース、五条院巴、杉並、そしてクー・フーリン。他の『八本槍』は今ここにはいないようだ。

 

「こんなにも来てくれたのね」

 

 葵と清隆を除いて、たったの二人。

 たったの二人だというのに、リッカはまるでそれが多いかのように表現した。

 リッカが協力者を集めるように指示したのは清隆だった。彼の求心力は目立たないながらも大きい。そして、彼が事情を話せば、エトは友人のためだと快く頷いたはずだ。

 しかし、姫乃はどうだったろうか。リッカにしてみれば、そもそも清隆が姫乃に話さない可能性を大きめに捉えていた。清隆にとって姫乃は大事な妹である。その存在を自ら危険な場所に立たせるようなことをするだろうかと思ったのだ。

 しかし、姫乃はそこに立っている。というのなら、彼女は自らの意志で、覚悟を決めてここに来たのだろう。

 

「さて、最終確認をしてもらうぜ」

 

 そうして脅すような目つきで一同を眺めるクー。

 自分の席にどっかりと腰を下ろしながら、ドスの利いた声でそう宣言する。

 

「今この場で死んでもいいって奴以外は、さっさと尻尾撒いて帰れ」

 

 低い声で唸るように、元『八本槍』であるクー・フーリンがそう脅す。その右手には愛用の真紅の槍が握られていた。

 十秒、一分、三分――背を向ける者はいなかった。満足そうにクーは唇を歪める。そして視線をリッカに飛ばした。

 リッカはその視線に頷く。

 

「それでは――」

 

 リッカが言葉を発しようとした。

 しかし、次の言葉は別の音で遮られる。

 再び生徒会室の扉が勢いよく開け放たれたのだ。

 

「待ってください!」

 

 少女の叫び声。

 一同が振り返る。

 そこにいたのは、小柄な青髪のツインテールの少女、名門貴族、クリサリスの末裔にして、一族の期待の星、サラだった。

 走っていたのだろう、その呼吸は荒かった。

 

「命を擲つ覚悟、できました」

 

 それだけ言って、力強い足取りで、扉の境界線を跨ぐ。死地へと向かう門を、自らの脚で越えてしまった。

 その意志揺るがぬ瞳に、名門貴族を背負う者としての気迫に、清隆も、姫乃も、そしてリッカたち生徒会メンバーも驚愕の色を示した。

 そんな彼らとは対照的に、サラを待っていたかのように輝かしい笑顔を浮かべていたのは、エトだった。

 

「来てくれると信じてた、サラちゃん」

 

 サラは、生徒会室の床を一歩一歩踏みしめて、そしてエトの隣に並び立つ。そして自然な流れで、エトの手を取った。

 その眼差しは、他でもなくクーへと向けられている。

 

「ほう、言ってくれたな、小娘」

 

 クーの表情がよからぬ獰猛なものに変貌する。エトはその表情に悪寒が走った。

 クーは机の上に置いてあるティーカップの、その側に置いてあるスプーンを手に取り、彼女の額へと向かって投擲した。

 矢のように一直線に、流れるように迫るスプーン。それを打ち落としたのは、エトの手刀だった。そしてサラは、そのスプーンが迫ってきているのを目視していながら、全く動じることはなかった。

 

「私は、クリサリス家の未来のために今まで頑張ってきました。たとえどんなことが起きるのだとしても、その未来まで奪おうというのなら、私はそれを看過できません」

 

 そしてサラは天井を見上げて、高らかに宣言した。

 

「もう一つ、私はこの戦いの中で、自分の力を証明してみせます。いえ、エトと共に、証明します」

 

 エトが清隆に説明を受けた後、実はエトもサラに連絡をしていたのだ。

 サラに、自分の力になってほしい、支えてほしいと。まるでプロポーズのような気がしないでもないが、そう言う趣旨のことを彼女に打ち明けた。

 サラは迷った。死ぬかもしれない。ここで失敗をすれば、二度と生きて帰ることはできない。それでいいのか。今自分がすべきは、クリサリス家再興のために最も確実な選択肢を取ることではないのか。

 その時、サラは気が付いたのだ。今まで自分が何をしてきたのか。

 何を勘違いしていたのだろう、今まで何をするにしても、自分には大きな魔力がないという大きなリスクを抱えながら、それでもそのディスアドバンテージを何とか覆そうとそれこそ死ぬ思いで頑張ってきたはずだ。

 そして、エトは自分の力を頼ってきた。それはエトが、サラにはこの事件を解決するための力を持っているということを信じている、と言っているようなものだ。

 彼を嘘つきにしないために、その期待と、自らの責務に応えるためにすべきことは――もとより固めていた覚悟の段階を、数ランク上げることくらいのものだった。

 一人ではできないかもしれない。逃げてしまいそうになるかもしれない。

 それでも、エトが隣にいてくれるなら、きっとできる。そう信じた。エトが自分を信じてくれるから。

 

「さて――これで全員揃ったわけだが」

 

 ここで初めてクーは立ち上がった。

 その視線で、クーはエリザベスに目くばせをする。

 

「世界を取り戻すために立ち上がった勇気ある者たち――私は貴方たちを歓迎し、祝福しましょう」

 

 女王陛下としてのエリザベスの祝福の言葉。

 威厳溢れる一言に、誰もが胸を強く打たれる。

 

「これから私たちは、地上に蔓延する霧の禁呪に対抗し、打ち破らんがために行動を共にします。皆さんも、ここに来る前に、そしてたった今クーさんに言われた通り、この任務は生命の危機を伴います。それでもなおここに残ってくれたことに感謝し、そしてここに誓いを立てましょう」

 

 エリザベスは、杉並が抱え、そして彼が蓋を開けたその中から、一つの盾を取り出した。英国のシンボル、ユニオンジャックの模様が施された金色の盾、そしてその中央には、一本の槍の模様が描かれている。

 

「私たち英国王室は、八つの猛き槍と共に誉れある者を守護し、そして障害を打ち破りましょう。今ここに命を賭すことを誓う者たちに、父なる神の祝福を」

 

 一同は、その言葉を受けて地面に膝をつき、頭を垂れる。それはクーも例外ではなかった。

 今ここにあるのは、生徒と学園長――教師の関係ではない。そう、これは紛れもなく、王と、王のために命を賭し、死力を尽くす騎士との主従の関係に他ならない。

 

「我々一同、一丸となりて王国の敵を排除することをここに誓いましょう」

 

 そう宣言を立てたのは、エリザベスの側近である杉並であった。

 彼が何者なのかはよく分かってはいない。彼自身とエリザベスのみが知っているのだろう。

 ただ、彼が所属している非公式新聞部という組織は規模も大きく、情報収集能力は全世界を探し回ってもここを上回るところは存在しないという。

 杉並が味方に付くということは、彼が代表をしているその組織のほとんどがこちらの味方になったようなものだ。情報という点では大きなアドバンテージとなる。

 エリザベスが全員に頭を上げるように言うと、立ち上がったシャルルが先に一つの提案を口にする。

 

「現在入手している情報その他は全部非公式新聞部の杉並くんに管理してもらっているから、とりあえずここのみんなは一度非公式新聞部に仮入部――っていうのかな、という形をとってもらって、身動きを取りやすくするのがいいのかな」

 

 あくまで情報を管理しているのは非公式新聞部である。つまりは現在赤の他人でしかないシャルルたちは、いちいち杉並に断りを入れないと情報を入手、あるいは確認と精査ができないという状況にある。その流れを円滑にするにはここにいる全員が非公式新聞部に何らかの形で関わりを持つことで情報へのアクセスを容易にすることが必要である。

 その考えには賛同していたが、リッカは一部分に対して大きな不満を抱いていた。

 

「異議あり」

 

 と、どこぞの裁判のように異を唱える。

 

「私からは二つ。これから私たちが一世一代の大きな作戦を遂行するというのに、まず非公式新聞部という名前がよくないわ。非公式=裏方とも取れる。おまけにこそこそと杉並なんかの傘下に入って杉並に代表気取られるのも気に入らない。まるで悪徳業者の下っ端じゃない。それからもう一つは、私がどこかの組織に属するより、私が新しい組織をつくってしまう方が手っ取り早いじゃない。すぐそこにエリザベスだっているんだし」

 

「……俺は別に構わんが」

 

 間接的な罵倒を浴びせられた杉並は、しかし余裕を湛えた笑みを崩すことはない。

 エリザベスからの許可も下りたことで、リッカは下唇に人差し指を当て、視線を明後日の方に飛ばしながら何かを思考する。

 そして、唇に当てていた人差し指は、リッカのあっという一声と共に天井を差した。

 

「非公式新聞部に対抗して、公式新聞部がいいんじゃない?」

 

「センス悪っ!?」

 

「そこうるさい」

 

 一瞬でクーからの容赦ないツッコミが入った。

 一瞬で黙らされたクーは肩を竦める。

 そこに追い打ちをかけるようにコソコソと小声で言葉を発し始めたのは巴だった。

 

「……どう見てもリッカの私怨だったな」

 

 その視線はシャルルへと向かう。

 

「……私怨だよね」

 

 その視線はエトへと向かう。

 

「……僕にも私怨に見えたよ」

 

 その視線は姫乃に向かう。

 

「……私怨ですね」

 

 その視線はサラに向かう。

 

「……私怨です」

 

 その視線は清隆に向かう。

 

「……リッカさんって、杉並先輩にはやたらとムキになるんですね」

 

 その視線は葵へと向かう。

 

「……リッカさん、意外と子供っぽいところもあるんですね」

 

「こら、そこ!」

 

 リッカからの怒声が部屋中を揺らした。

 特にシャルルからエトへの距離はリッカとの距離よりも遠いのに、エトに聞こえてリッカに聞こえない訳がない。むしろリッカが一連の茶番を終えるまでよく耐えていられた方だ。

 

「いや、今の流れ見ても、誰がどう見ても私怨だし、テメェがガキっぽいのなんか昔からだろうに」

 

 半眼状態でリッカを見据えているクー。

 しかしリッカは、そんなクーを無視して続けることにした。

 

「とにかく、新しい組織をつくることはエリザベスからも許可が下りたんだし、名前も公式新聞部に決定なの!文句ある?」

 

「あるけどないです」

 

 と、ややこしくなりそうな答えを返したのはクーだった。

 何故この男はここまで火に油を注ぐのが大好きなのだろうか。戦闘狂だからだろうか。頭がイカれているのだろうか。

 

「――それでは」

 

 リッカが纏めようとしていては話が進みそうもない。代わりにエリザベスがこの場では指揮を執ることにした。

 

「これから私たちは、公式新聞部として行動を開始します。今回このように少数精鋭のメンバーにしたのは、現在その実態が明らかになっておらず、調査中でもある、禁呪に対する抵抗を鎮圧する『騎士』と呼ばれる者たちの出現を警戒してのことです。その脅威が『八本槍』に匹敵するかどうかも定かではありません。ここにいる皆さんは、だれ一人残らずその禁呪のシステムに襲撃される危険がありますので、十分に警戒をしてください」

 

 ここに、新組織『公式新聞部』の設立が完了した。

 タイムリミットはワルプルギスの夜、日付が変わる瞬間まで。

 そして、霧に包まれた閉鎖空間の中で、未来の存亡を決める最後の戦いが、幕を開けようとしていた。




やっと本格的にラストバトルまでいけるぜぇ~!
戦支度に二、三話使って、そこから遂に最終決戦!
ゴールは目の前だ!(初音島編から目を逸らしながら)


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王の問答

ちょっとした小話のようなもの。
最近出番の少ない二人がメインです。


 今宵は月が隠れて光が見えぬ、新月の日のようだ。

 以前に日本文化をこよなく愛した男が遺していった、英国にありながら和風の様相を呈する小さな屋敷の、鯉が泳ぐ大きな池を眺められる縁側の柱にもたれて座り込んでいた男は、闇に覗かせる長刀の刃を鞘に仕舞い、壁に立てかけては静かに立ち上がる。

 その視線は、月の見えない夜空に向かっていた。

 

「嗚呼、今宵は冷えるな」

 

 光なき空は、冬である日々の中でもいつも以上に冷たく感じられる。

 いつもであればこの時間の後は少しだけ剣術の修練に励むのだが、今日に限っては妙に気が乗らない。

 佐々木小次郎を名乗るこの男は、その人生の全てを剣に捧げてきた。これまでに一度たりとも欠かしたことのない日々の研鑽を、あろうことかやる気がないとはどういうことか。彼は夜空に問いかける。

 そして、ふと思い出した。

 考えてみれば、たとえ今月が見えていようと、この深い霧の中ではその仄かな明かりすらも愉しむことなどできはしないということを。

 

流木(・・)――か……」

 

 川の中を、海の中をただその流れに身を任せて、全てを排さず受け入れて運命に抗わずに生きてきた。

 はてさて、その人生が本当に正しいものだったのか、今となってはその答えも見つける術はない。そこに是非を見つける価値などとうの昔に朽ち果ててしまっていた。

 いつの間にか、庭先の池にある鹿威しの乾いた音は聞こえなくなっていた。水の供給が止まってしまったのか、動きを止めてしまったのだろう。

 そう、停滞。

 覚悟などない内に、分かってしまっていたのだ。己の運命など。

 川を流れ、大海原を揺蕩う流木は、どこかの島へと流れついて、いつかは身動きが取れなくなってしまう。それが定め。

 ならば、また今回も、抗うことなく受け入れようではないか。

 旅は道連れ――使い方は大きく間違っているだろう。だが、この運命を受け入れた先に、何か楽しいことが待っているかもしれないのだから。

 最後に眺めていた夜空の景色は、まるで時間が止まっているようだった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「――チェックメイト、だ」

 

 風見鶏の校舎の中に設計された、VIPをもてなすための無駄に大きな応接間。

 基本的には人が寄り付かないように強力な人避けの結界が張り巡らされており、風見鶏の学生程度の実力では到底近寄ることはできない場所にある。

 つまりは、ここに来ることができるのは、リッカやシャルルなどの強い力を持つ魔法使いか、あるいは結界に対して精通している魔法使い、逆に結界に対して耐性のある魔法使いくらいのものだ。

 さて、そんな無駄にセキュリティの頑丈な一室で、いつもの黄金の鎧とは違い、最高級の布や毛皮をふんだんに使った衣服を身に纏った英雄王、ギルガメッシュは、チェスの盤を置いたテーブルを挟んで向こう側に座っているさくらを相手に、チェスに興じていた。

 

「さすが王様だね、勝ち筋が全然見つからないや」

 

 追い詰められた(キング)の駒をじっくりと睨んでは唸っているさくら。その小さな頭の中では既にここに至るまでの何手も前の記憶を呼び戻し、別の手を打っていた場合どうなっていたかを検証していた。

 

「フン、どれだけ年を重ねたかは知らんが、所詮は小娘よ。戦場とは盤を俯瞰するもの、手を読んでいるのではこの我には到底及ばぬ」

 

 愉快そうに笑うギルガメッシュを前に、さくらはもう一度チェスの盤を最初に戻す。

 そして悔しさに塗れた瞳をギルガメッシュに返して、鼻息を鳴らした。

 

「もう一回、もう一回!」

 

「ならぬ、何度繰り返そうと同じことだ」

 

 実はさくら、かれこれ五回ほどギルガッメシュを相手にチェスで挑んでいたのだが、その度に返り討ちにあっていたのだ。

 最初はストレートで完敗、二回目はギルガメッシュの手を予測して先回りしたところその手が全て読まれていて完敗、三回目はある程度善戦、しかし淀むことのないギルガメッシュの手により一気に勝負を決められる。そして四、五回目とさくらの癖を読まれて完敗を喫した。

 しかしどうだろう、盤を俯瞰すると言われてもそのイメージが全くできない。これはギルガメッシュが王であるからできる芸当なのだろうか。

 

「それじゃあ、ちょっとだけ、お話を聞いてもいいかな?」

 

 盤の真ん中に、女王(クイーン)の隣に置かれてある(キング)を、少し動かして誰もいない戦場の中央に立たせる。

 その瞳は先程の悔しさとは打って変わって、純粋で真剣な眼差しをしていた。

 

「……よかろう。して、何が聞きたい」

 

 今度は意地悪気な笑みを浮かべる。今日の英雄王はどうやら機嫌がいいらしい。

 ギルガメッシュのまさかの返答に少し驚いたさくらは、気を取り直して目の前の王に問う。

 

「王様は、何で王様になったの?」

 

 世界の頂点に君臨し、全ての頂から全てを見下ろし俯瞰する。

 あらゆる支配層の頂点に立ち、万物を見届け、そして裁定を下す存在になった、その動機。

 さくらがなろうとしてなれなかったもの。全てを叶え得る存在に、どのような価値を見出したのか。

 

「なるべくしてなった、ただそれだけのことだが――しかしそんな戯言を聞きたいのではあるまい」

 

 闇をも飲み込む真紅眼の瞳がさくらを覗き込む。

 

「正しく言うなら、覚えておらぬ。元々我が持っておるこの記憶も正確かどうかも怪しいものよ。だが、この贋作に等しい記憶に準ずるとするならば――そうだな……」

 

 椅子の背もたれにゆっくりと体重を預けつつ、瞳を閉じる。

 長い長い過去を思い出すその動作は、本当にゆっくりしたものだった。

 一息ついて、そして瞼を開く。その視線は天井へと向かっていた。

 

「雑種共――人間に興味を持ったからだ。神も人も実に退屈な存在よ。しかし、停滞した神とは違い、人間には可能性があった。故に、見届けようと思ったのかもしれぬ」

 

 確証はない。他人事のような口ぶりでそう閉めたのは、紛れもなく本当の自分というものが正確にイメージできなかったからに他ならない。

 不完全な王、不完全な支配者――誰よりも自身が雑種であったという皮肉に気が付いていて、誰よりも自分のことを忌み嫌っていた。

 

「地を這う蟻のように人間は数を増やす。しかしかつては、その一人ひとりが己の価値を理解しその生を全うしていた。不必要な人間など、一人もいなかったのだ」

 

 かつて、住人の奴隷を用意し、その中で要らぬものを殺そうとしたことがある。

 しかしギルガメッシュはその時、誰一人として殺すことができなかった。全ての人間に、生きるべき価値が存在していたのだ。

 

「その時我は既に王の位に就いていたが、しかし王として、支配者として君臨し続けんと望み、成し遂げたのがその辺りだったか――いかんな、やはり記憶が定かではないというのは語るに難い」

 

 不完全に独立したこの身体では、どうにも上手く話せない。

 詳しく話すつもりは毛頭なかったが、気が付けば興が乗り、少しでもこの小娘に事を伝えようと意識を動かしていた。

 

「我はこの人類史を読み耽ることにした。これだけの有象無象がいて、その全てに価値があるというのは誠に珍しい。群れを成し、蠢き、そして破壊と創造を繰り返す姿を観測し続けることを選んだのだ」

 

 しかしそれは正史に君臨しているギルガメッシュのものであり、この世界に召喚されるにあたって分離された、霧の魔力によって生み出された魔力の結晶のものではない。

 この霧に塗り潰された世界で、魔法使いという人の手によって生み出された魔力の塊でしかない存在、しかしその自我は紛れもなく英雄王としてのものであった。

 歪曲、矛盾、己の存在をそう定義していたからこそ、個人単位では何の力も持たない雑種が僅かに光って見えた。

 そしてその最たるものが、目の前にいる、人の上に立とうとして彷徨い続け、身を滅ぼした一人の少女、さくら。

 迷い、誤り、それでもなお繰り返して前に進むのが人間の本懐。彼女ほど人間らしい人間にあったのは、いつ以来のことであろうか。

 

「故に、我が秩序であり、我が法である。そして、それを体現するのが、絶対的な王なり――」

 

 そう言い切って、そして不満げな顔で宙を見つめる。

 自分で口にしたことが、自分自身で納得できていないようだ。全ての頂点に君臨するものとしての傲慢不遜な在り方を変えなかった男にしては、珍しく謙虚な姿勢であった。

 

「もっとも、今の我は仮初の王に過ぎん。贋作の身体でできることは、せいぜい貴様ら雑種の児戯を静観することのみだろうよ」

 

 長い足を組んではようやく満足げな笑みを浮かべる。

 さくらは、その自嘲染みた微笑を、ただ真っ直ぐに見つめていた。

 そして。

 

「こんなこと、言うまでもないと思うけれど――」

 

 そこで言葉は詰まる。

 この男は、英雄王ギルガメッシュは、全てを知っている。さくらがあらゆることを知っている以上に、きっと長い経験と、神よりも広い視野で見てきたことを、知っている。

 彼は煩雑を嫌う。二度手間、増して承知していることで諫言をを受けるなどもってのほかだ。

 失礼であることなど、地上で彼に助けてもらった時からずっとそうだ。彼もそんな些細なことなどは気にしていないだろう。

 しかしこれは、この言葉ばかりは、本当に言うまでもない上に、彼の怒りを買うだろう。

 でも――それでも――

 

「――貴方は誰もが認める、ううん、誰もが認めなくても、全てを支配するに相応しい王様だよ。たとえ、その身体が、その心が偽物だったとしても」

 

 言い切って、決して視線を逸らすことはしない。

 制裁を受ける覚悟はできている。全身を串刺しにされるか、縛られて絞め殺されるか、しかし最後に自らの答えを見出し、そして真なる王の存在に出会えたということが、何よりのかけがえのない経験だった。

 そして、英雄王の口が開かれる。

 

「随分と口が回るようになったな、小娘」

 

 組んでいた足を戻して、ギルガメッシュは立ち上がる。その真紅眼はどこか愉しそうに笑っていて。

 

「確かに言われるまでもない。しかし、王として民の信を得るというのは、存外心地が良い」

 

 その指先には、いつの間にか、さくらが盤上の中央に動かしていた(キング)の駒が摘ままれていて、彼はそれをひらひらと回していた。

 さくらに背を向ける。そして扉の方へと足を進めて。

 

「口先だけの慰めなどいらぬ。だが、貴様の言葉、多少なりとも胸に響くものはあったぞ。貴様の生き様、いつかこの目で見定めさせてもらおう。いくらでも届かぬ夢を追いかけるがいい。我は求める者を、拒みはせぬ故な……」

 

 ガチャリと、扉が閉められる。

 結局、刃を向けられることはおろか、喝を入れられることすらなかった。

 何事もなかったことに、何も安堵などできなかった。結局胸中に残ったのは、どうあってもあの王様の考えていること、その本性をほんの少しも理解することができなかったことに対する、妙なモヤモヤ感だった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 人の少なくなった教室の中で、サラはただ、座ったままで窓の外を眺めていた。

 エトは最近何かを掴めそうで掴めないと悩みを呟きながら、今日も師匠であるクー・フーリンのところで鍛錬をつけてもらうらしい。

 こうしていて、まるであの時自らの命を擲つ覚悟を宣言したことが、夢みたいな錯覚に陥ってしまう。

 冬も真っ最中でありながら、差し込む夕日の光は少しだけ温かい。そして途切れることなく視界に降り注ぐ、薄紅色の結晶。

 どこにでもあるような、といってもここ風見鶏でしか見られない光景だが、この平和な空気そのものは、自分が非日常の中にあることを忘れてしまいそうになる。

 その背中に、声をかけるものがあった。

 

「どうした、サラ」

 

「考え事ですか?」

 

 時を同じくして運命を共にすることとなった、葛木兄妹だった。

 魔法の素養としては、単純に計算してもサラの何倍にもなる。特に兄の清隆は、本当に魔法使いの卵なのかと疑いたくもなる程様々な活躍を見せている。

 そしてそこに、ここにはいない、戦闘能力を身に着けているエトが混ざると、今ここに、何の才能もない人間が、ただ一人だけいた。

 

「二人は、怖くないんですか?」

 

 訊くつもりもなかった問いが、無意識の内に唇の端からこぼれてしまっていた。

 慌てて取り消そうとしてももう遅い。同じく無意識の内に、二人に縋り付くような目を向けていた。

 

「少し前の俺は――リッカさんから具体的な話を聞いた時は、正直怖かった。みんなに話していた時も、自分自身がどうなるかも分からない、みんなを巻き込んで傷付けてしまわないか不安にもなった。でも、今の俺の隣には姫乃がいる。そして、周りにはみんながいる。だから、怖くないさ」

 

「私は決めましたから。どんなことがあろうと、兄さんと共に在ると。兄さんが苦しんでいるなら、同じ苦しみを味わいましょう、兄さんが試練に立ち向かうなら、私も同じ試練に立ち向かいましょう、そして兄さんが命を賭けるなら、私も命を賭けましょう。これは紛れもなく、私自身の意思ですから」

 

 ああ。

 やっぱり、この二人はいつも強い。

 魔法の強さは、魔法使いの意志の強さが大きく影響するという。

 二人が純粋に魔法が強くて、そしてその存在が強いのは、二人の意志と絆が誰よりも強いからなのだと、改めて思い知る。

 でも、絆なら、サラにもある。

 いや。

 正確に言うならば、サラと、エトの間に確かに存在する。

 確かにサラ自身は魔力をあまり保有してはおらず、才能に恵まれたとは言えない。

 しかし、逆に考えてみれば、自分にできなくてもいいという一つの答えに辿り着いた。

 サラの得意とする術式魔法は、複数の術式が混ざり合えば混ざり合う程困難を極めるが、少量の魔力で莫大な力を得ることができる。

 サラがそれを使っても、ほんの少ししか力の足しにはならないだろう。だが、それを清隆が使えば――姫乃が使えば――エトが使えば。

 誰よりも、自分の術式魔法を使ってほしい人がいた。無論、他の誰でもなく、エトである。だから。

 

「私、決めました」

 

 ふと、柔らかな笑みを浮かべたサラ。その頬は、僅かに紅潮している。

 しかしどこか幸せそうに見えるその横顔は、何やら大きな決心をしたようにも思えて。

 サラは立ち上がって、そして教室の窓を一つ開け、身を乗り出す。

 そして、後ろにいる清隆や姫乃にも聞こえるように宣言した。

 

「私、この地上の霧の問題を解決したら、エトに好きだって気持ちを告白します。きっと、世界が何度繰り返そうが、どの世界でも、私はエトのことが好きだったでしょう。何度でも何度でも繰り返してみせます。だから、この戦いが終わったら――」

 

 そして、希望に溢れる瞳は、地上へと続く、晴れ渡る青空へと向かっていた。




さっくりと短めに。
次回も多分こんな感じ。

ギル様表現しようとして大苦戦。
もしかしたら、「こんなのギル様じゃない!俺の信じるギル様は、みんなを、不幸せに……!」みたいになってるかもしれない。
ギル様がきれい過ぎて自分でも頭がどうにかなりそうだった。


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霧中の剣

すみません。ここ最近家に帰って、ほぼ毎日円環の理に導かれて爆睡しておりました。
なんだんろう、そんなに忙しいわけでもないのに気が付いたら知らない天井、という訳ではないけれども。
大体一カ月ぶりでしょうか。大変お待たせしました。


 甲高い金属音が広場に響き渡る。

 上空を眺めていたクー・フーリンは、振り上げた真紅の槍をだらりと下ろす。

 続いて視線の先で、白銀の髪の少年が仰向けに降ってきた。そのまま地面に叩きつけられて鈍い音を立てる。

 彼の両手には、それぞれ同じ形の剣が握られていた。但しその両方が、クーの槍によって容赦なく叩き壊されている。

 

「テメェには二刀流なんざまだ早えーよ。両腕でそれぞれ違う武器を扱うってのがどれだけ難しいか、どこぞの正義の味方様に講義してもらえ」

 

 フンと鼻を鳴らして冷たい物言いをする師匠。

 倒れていたエトは、体のダメージを全く感じさせない身軽な動作でひょいと立ち上がった。ズボンに着いた砂と泥を掌で叩き落とす。

 かつてクーと同じ『八本槍』である佐々木小次郎と対峙した時、エトは自分の中で更なるステップアップを果たすためのきっかけを見つけたような気がした。

 その直感から辿り着いた暫定の答えは、武器が足りないなら増やせばいい――それが今の摸擬戦で用いた二刀流だった。

 しかし案の定、何の訓練も積まない素人がいきなり両手で剣を扱い、別々の動作を行わせるなど不可能に近かった。

 二刀流には大きく分けて二つの戦闘スタイルが存在する。一つは片方の剣で攻撃を行い、別の剣で防御を行うスタイル。そしてもう一つは、両方の剣を攻撃に回し、ひたすらに手数を増やしていくスタイルである。そのどちらにしろ、それぞれの腕が適切な判断処理を行うスキルを持っていなければ、まともに扱うこともできない。

 実際にエトも、二刀流で戦ってみてなんとなく気が付いていた。そう言うことではないという、大きな違和感に。

 そしてまた、一つの答えを失ってまた答え探しの道に彷徨う。分かってはいたことだが、答えが違っていたとなるとショックは大きい。

 

「だが着眼点としては悪くないかもしれん。鍛錬ってのはトライアンドエラーの連続だと言うしな」

 

 手を出した方法自体は愚かなことでしかないが、そうして模索していくことに異を唱えることはない。むしろ自ら率先して新しい境地を開拓しようとする意気込みは十分に評価できるものである。

 

「でも強くなるって難しいね。技術的なことにしろ、メンタル的なことにしろ」

 

 根元から折れてしまった二振りの剣をそれぞれ革製のケースに仕舞いながらエトは呟く。

 強者への道は長く険しいことをここに再確認している戦闘狂の弟子であった。

 

「当り前だ。ローマは一日にして成らずともいう。でかくなりたきゃじっくり時間をかけるんだな」

 

 クーにしては妙な言い回しを使うものだ。最近覚えた言葉なのだろうか。

 

「あっ、でもでも、何か掴めそうなことには変わりないから、とりあえずエラーの前のトライってことで、もう少し試させてもらっていいかな?」

 

 そう言いながら、近くのベンチまで走って、そこに置いてある大きなバッグの中から二振りの剣を取り出して戻ってくる。

 クーの承諾がある前から既に構えて戦闘態勢に入っていた。どうにも最近この辺りの対応がクーに似てきている。本格的に戦闘狂になるのも時間の問題かもしれない。

 クーにしてみれば実に大歓迎な事ではあるのだが、他の連中からすれば自分みたいなのが二人に増えたということになる。

 試しに自分の傍にもう一人自分がいるのを想像してみると、これが何とも面倒臭そうだった。

 

「やる気あるはウェルカムだぜ。気が済むまでかかってきな」

 

 そう言って訓練用の槍を構える。

 そして、その言葉を聞くなり、エトの目は無言で狩人のような冷酷さを取り戻した。

 相変わらずの切り替えの早さである。普段は温厚で優しい雰囲気の少年ではあるが、その腹に抱えているのは戦士としての闘争本能と、相手を確実に仕留めるための氷のような冷酷さだ。

 自分でもとんでもないものを育て上げてしまったと興奮してしまっている。

 術式魔法を展開しきったのか、エトは弾丸の速度でその場から一直線にクーへと飛び出してくる。

 小手先の技ナシの正面からのやり取りを選ぶか――振り下ろされる剣を持つ腕は左。右利きであるエトに対して、左腕の攻撃はブラフだととっても何の差支えもない。

 もっとも、その攻撃がブラフではなく本命だったところで、使い慣れない腕での一撃程躱しやすいものはない。

 その一撃を槍先で受け流しつつ、右の剣を警戒する。

 しかし。

 違和感に気が付いたのは左の剣を捌いた直後だった。

 全身に発令する危険信号。振り下ろされる右の剣は槍で受け止め、流す。

 視界がその端に閃光を捉える。

 一瞬の判断――重心がずれないように僅かに右に体をずらす。

 何かが前髪を掠めた。

 いつの間にか天に目がけて掲げられた左の剣。

 違和感の正体。それは、受け流したはずの左の剣、左腕に、妙な方向へと力がこもっていたことだった。

 振り下ろされた剣をそのまま勢いを殺すことなく受け流したが故に、今のような振り上げは物理的に不可能だ。

 否、物理的に不可能であれば、非科学的な方法でそれを実行するという選択肢がある。

 結論、それは魔法の産物である。

 接近前に展開していた術式魔法によるものだろうか。だとしたらここまでの流れを全て計算していたことになる。

 どこでそんなことを習ったのか、エトも戦い方というものを学び始めたということか。がむしゃらに剣を振るうのではなく、先を見据え、手を読み、流れを掴む。そう言ったことを無意識に理解し始めている。

 

「――面白れぇ」

 

 そして評価すべきは、ここで本命の左の剣が上に伸びきったことで隙をつくったと勘違いをして次の一撃を叩き込もうものなら、零れそうな笑みを必死に押し隠している右の剣のカウンターの餌食になるということだ。

 その辺りを隠し通すのはまだ技術的に無理なのだろう、エトの右腕が殺意に満ち溢れているのがよく分かる。

 クーは仕方なく一度距離をとった。

 

「やっぱりバレてた?」

 

 悪戯に失敗した子供のような苦笑いを受かべるエト。その瞳には既に殺意はない。

 

「今のテメェに刃を隠すなんて芸当ができると思うかよ。そう言うのはあのニンジャ女の方が上手くやる」

 

「ニンジャ女って生徒会の巴さんのこと?あの人も強いんだ」

 

 人の価値の一つの判断基準として最優先されたのが強さである辺り、もう手遅れかもしれない。

 しかし、五条院巴はクーの言う通りニンジャの家系で生まれ育った人間であり、彼女自身も様々な刀をこよなく愛すコレクターであるという話も聞く。刀の扱いに関して彼女に勝るものといえば、すぐに思いつくもので『八本槍』の佐々木小次郎くらいのものである。

 

「んー、強いって言えば確かにそうなんだろうが――アレはそれ以上にトリッキーでね」

 

 刃を交えた時の率直な感想。彼女とは幾度となく小競り合いをしてきたが、彼女の扱う忍術や魔法は対処がとにかく面倒臭い。

 そして彼女の得意な、質量と意志を持つ分身の術は実に繊細で精巧にできている。『八本槍』クラスでなければ見破ることはほとんど不可能だろう。

 

「そっかぁ、今度色々教えてもらおうかな」

 

 教えてもらう、とは何をどのような形で教えてもらうか、すぐに大体見当がついてしまうが、どちらもそう言ったノリが強い辺り間違ってないのかもしれない。

 エトはもう少し自分のやりたいことを見つめ直すということで、摸擬戦を用いた訓練はこの辺でお開きとなった。

 エトは一人考える。

 足りないモノは何だろうと。

 実戦経験――そんな事は言うまでもない。そして、どうやらそう言う話でもないらしい。

 考え方の方向性としては間違ってはいない。しかし、決定的に何かが違う。その、何か。

 力、速さ、技、手数、戦術――そんな次元を超えた遥か先にきっとある。

 今は分からない。だが、きっといつか見えてくる。

 果報は寝て待てというものだし、ゆっくり積み上げていけばいいだろう。

 世界最強の戦士であるクー・フーリンが自分の言葉で言ったのだ。強さとは一朝一夕で手に入る物ではないと。

 シェルに一通の連絡が入る。

 鞄から取り出して確認してみると、その相手はサラだった。内容は、どうやら稽古をしていることを知っているサラがエトのために差し入れをつくったらしい。稽古の後に暇があれば連絡をしてほしいとのこと。

 体を動かして軽く小腹を空かせていたところに丁度いい。いつもより早い操作で文字を入力し、文章を確認せずに送信。返事はすぐに返ってきた。

 そこに記された場所へと小走りで駆けていくエトの姿は、クーにしてみればどこにでもいるような無邪気な少年のものだった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 容赦なく肌を焼き付ける熱気と、視界を狂わせるように燃え盛る紅蓮の光。

 まるで戦争の跡の爆心地を再現したようなその光景を、葛木清隆は上空から苦い表情で眺めていた。

 そう、ここは夢の中。

 葛木清隆は、今ここで誰かの夢を見ていた。

 ここしばらくはなかったのだが、また再び、あの導かれるような感覚で夢の世界へと入り込んでしまっていた。

 しかし、ここはどこだろう。

 どうやらここは一つの街。しかし、まるで空襲でも受けたかのように燃え盛り、煙を上げ、そして建物が崩壊する。無残に焼き殺されたのだろうか、それとも既に避難してしまったのだろうか、逃げ惑う人々の姿も見当たらない。

 少し高度を下ろして、街の詳細を見て回ることにした。

 夢の中では、ある程度の感覚は共有される。本来なら耐えられないであろう熱気の中で、もしこれが現実のものだとしたら既に気絶しているはずだ。

 充満する煙の臭い、現実であればガス中毒で確実に倒れている。

 爆発、崩落を繰り返す街の大通り。この事件がなければ今頃人々が行き交い賑わっていただろう。

 体力の限界が近づいている。我慢の限界を感じ取った清隆は再び宙へと浮かび上がった。

 人が一人も見当たらない。夢の主はここにはいないのだろうか。夢としては珍しい、夢の中に自身がいない、概念的なものなのだろうか。

 しかしその時、清隆は見た。

 

 燃え盛り、揺らめく炎の中で――崩落した建物の瓦礫の上で――こちらに背を向けた人間の人影を――

 

 その人影は、背にいくつかの矢を浴びているようだった。痛々しい、しかしそれでいて、その背中からは雄々しさが感じられる。

 傷を負おうと、孤高に勝利の雄叫びを上げる一匹狼のような、そんな印象。

 その男の背中に、清隆は見覚えがあった。

 あの逞しい後ろ姿は、あの強さの象徴ともいえる漢の背中は。

 知っている、知っている、しかし、その男の名が、すぐに頭に過ぎってくれない。

 そうして、ゆっくりと意識が混濁してくる。

 夢が終わる。だめだ。これはきっと、忘れてはいけない大事な記憶。その欠片。

 必死に自分の意識にしがみつこうとして、しかしその視界は、プツリと途切れてしまった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 翌日、クーは、公の仕事に地上に出ていたエリザベスを迎えるために地上に出ていた。

 相変わらずビッグ・ベンの時計塔の頂上が見えなくなっているくらいに、霧は濃く淀んでいる。

 

「ご苦労様です」

 

「そっちもな」

 

 周囲に危険がないかを確認して、エリザベスの斜め後ろにつく。

 今日はここに来るまでの警護の人間は、どうやら『八本槍』の人間ではないらしい。最近アルトリアもアデルも忙しいのか、どうにもその姿を見ない。

 いつもなら傍に控えているはずの杉並もいない辺り、王室周辺は大きく事が動いているのだろう。

 

「ところでクーさん、ちょっと聞きたいことがあるのですが」

 

 ふと、妙に悪戯染みた笑顔を向けてそう訊ねるエリザベス。

 どんなことを聞かれるのか不意に警戒するクーだったが、何も聞くなと言う前にエリザベスは話を始めてしまう。

 

「クーさんは、リッカさんやジルさんをどう思っていらっしゃるのですか?」

 

 はてさて、その質問は全てを知っているからこその鋭い問いかけなのか。

 あるいは何も意味深なことではなく純粋な質問だったのか。その答えはクーには分からない、が。

 

「あー、あいつらな。ぶっちゃければ嫁に貰いたいところだが、どうにもそう上手くは行ってくれないらしい」

 

「それはどういうことですか?」

 

 うっかり。口が滑って余計なことまで言ってしまったようだ。

 しかし、もしこのこと(・・・・)がなかったとしても、彼はその選択肢を選ぶことはなかっただろう。

 

「あいつらは紛れもなくいい女に違いねぇ。でも、だからこそあいつらと一緒にいる俺は、きっと俺ではなくなっちまう。あいつらはいい女だが、俺があいつらと一緒にいると、多分あいつらも、そして俺も、本来の在り方ってやつを見失っちまうだろうよ」

 

 クー・フーリンは最強の戦士だ。仮にそうでなかったとしても、そうであることを追究し続けなければならない。それが戦士であることの矜持であり、生きがいでもある。

 リッカ・グリーンウッドと、ジル・ハサウェイは最高の魔法使いだ。彼女たちがクーに一定以上の好意を抱いていることは、クーもよく知っている。だからこそ、二人が本気でクーを愛そうものなら、彼女たちの想いの力はそちらに流れ、魔法使いとしての魔力は少しずつ減衰してしまうだろう。クーが見たい最高の二人は、そんなものではなかった。

 故に、クーと、リッカとジルは、対等の関係に立つことはない。

 

「そう、ですか」

 

「だからテメェくらいはずっとあいつらを見ててやってくれ。女王陛下になった今でも、親友なんだろ」

 

 今でも覚えている。たとえそれが偽物の記憶だったとしても。

 かつてクーたちが初めてエリザベスと出会った時、友情の証として同じ形のストラップを購入し、今でもそれぞれのシェルにつけていることを。

 

「はい。必ず」

 

 そして、そんなことをわざわざ言ってのける前に、エリザベスは懐から取り出したシェルに取り付けられていたストラップを、懐かしそうに眺めていた。

 霧がまた少しずつ濃くなっていく。

 ウェストミンスター宮殿の入り口のところで、クーはふと立ち止まる。

 

「そういやちょっと気になることがあるから、女王陛下は先に学園に戻ってろ」

 

「気になること、というのは?」

 

「いや、大したことじゃねーよ」

 

 そう言って、掌をひらひらと揺らす。

 あまりクーと長い間過ごしていたわけではないが、その反応を見る限りでは本当に大したことではないらしい。万が一危険な事だったとしても、元『八本槍』の中でも実力者であるクーが生命の危機に晒されることもあるまい。

 そう思い至ったエリザベスは、クーに一礼して、地下へと続く魔法のエスカレーターへと足早に向っていった。

 気になることがあると言ったクーは、沈黙を保ちながら、ウェストミンスター宮殿のエントランス先で一点を睨んで立ち止まっている。

 霧がますます濃くなってゆく。

 視界が完全に見えなくなる――その前に、白く濁った霧の中に、一つの人影が浮かび上がった。

 その人影からは、カチャリ、カチャリと鎧の軋むような音が聞こえてくる。間違いなく、敵襲。

 

「――へぇ」

 

 覆わず、そう吐息が漏れてしまった。

 一つは、強敵が目の前に現れてくれたという喜びと。

 もう一つは、かつての友が、とんでもなく変わり果てていた落胆と。

 近づいてくるその人影は、次第に輪郭を取り戻す。そして、その正体を現した。

 青を基調としていたはずのドレスの鎧は白と黒のモノトーンと化していて。

 その手に握る聖剣からは、禍々しいオーラが滲み出ている。

 そして、かつては理想の体現者としての威厳と輝きを湛えていた鋭い瞳は、今では何の感情も孕んではいない。

 かつて見た騎士王とはまるで違う、本当に別人ではないかと思わせるようなその者の姿は。

 

 紛れもなく、アルトリア・パーシーそのものだった。




かなりお待たせしたお詫びといっては何ですが、実は本作風見鶏編終了後として初音島編を計画しているのですが、その前に少し、一、二話程外伝的なものを計画しております。
メインは清隆。そして対峙するは、本作主人公のクー・フーリン!
一人の少年の、命と魂をかけた略奪愛が、ここに始まる!
的な、主人公vs主人公みたいなのをやってみたいなぁと。こんなことしてるから完結まで無駄に距離が伸びるんだよ!

 ◇ ◇ ◇

 その花は、自分なんかには到底届かない場所にあった。
 高嶺の花――誰もが彼女をそう形容するかもしれない。そんな彼女の通り名は、『孤高のカトレア』。
 生徒会役員として過ごすうちに、幾度となく見せつけられる彼女の強さと、美しさ。
 そう、始めは憧れだった。
 いつからだろうか、その感情が、ここまで昂ることになったのは。

 そう、その花は、自分には到底届かない場所にある。
 そしてその花は、一羽の鷹にずっと見守られていた。誰にも汚されないように、誰にも摘み取られないように。
 崖の上にある一輪の花を眺めては、分不相応に、思ってしまったのだ。

 ――あの花が、欲しい。


「くたばる準備はできてるか、主人公」

 その『鷹』は、鋭い瞳を携えて、その拳を力強く握り込む。

「主人公ってタマじゃないですけど、だったらあなたは悪の親玉ですかね」

 憧れた少年は、あらゆる種を完成させ、ここに対峙する。
 今、力なき少年が、一輪の花に見守られながら、史上最大の絶望の崖登りに挑む――

 ◇ ◇ ◇

消えたと思っていた清隆のリッカルート、公開!
多分。


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沈黙の『騎士』

また遅くなりました。
いやね、ちょっとイギリスのロンドンまで、この作品を書き上げるために一ヶ月近く取材に行ってたんですよ(大嘘)

いや違うんです、決して深夜アニメの『落第騎士の英雄譚』が面白くて、ついつい原作まで一気に買い込んで読み耽っていたわけじゃないんですよ。
あまつさえアニメが三巻までの範囲であることを見越して二周目を読み進めていたわけでは断じてないんです。

ではどうぞ(あまり余計なことを言うとボロが出そうだからやめておこう)


 ルーン魔術の力で簡単な人払いの術を施したウエストミンスター宮殿の前の広場。

 天を引っ掻かんとばかりに聳え立つビッグ・ベンの時計塔は、地上に蔓延する深い霧がその全貌を見失わせている。

 そしてその霧の中で聞こえる剣戟の金属音。

 真紅の残光が一直線に伸びる。そして衝突と共に火花を散らす。

 霧の中に僅かに残る光に照らされた聖剣が、弧の軌道を描き振り下ろされる。一度ならず、一秒という時間の中で何度も。

 アルトリア・パーシーは、かつての威厳や気高さを既に捨て去ってしまっていた。虚ろな瞳には、ただ相手を倒すことしか映っていない、まるで人形のような。

 しかし、そんな中で確実に、彼女は強くなっている。

 横薙ぎにされる剣から距離を取り、クー・フーリンは冷静に状況を分析する。

 

「何があったかは知らねぇが、確実に魔力量も上がってやがる。それ以上に厄介なのが、一撃の重みが増してることか」

 

 槍で受け止めるのではなく、軌道をずらし受け流すだけでも槍から腕に伝わる負担は予想をはるかに上回っていた。反応が遅ければ今頃右腕は吹っ飛んでいる。

 騎士王の人格の変化と、この基本スペックの唐突な上昇――この二つには確実に関係があるはずだ。

 現在はアルトリアの剣技と力のみのゴリ押しによる戦闘が続いているので分析しながらの立ち回りに無理はないが、かつて見たような太陽フレアのような光の斬撃を放とうものなら、一度撤退することも視野に入れておかなければならない。

 その様子から察するに、今の彼女は確実にクーを殺そうとしている。無感情な彼女であれば、この辺り一帯を吹き飛ばしてでもそうしようとすることに躊躇はないだろう。

 故に、受け止められない攻撃を発動させる訳にはいかず、また同時に受け止められたところであの一撃を相殺できる気がしない。増して魔力が増強されている彼女の一撃がどのくらいのものか、現段階では想像もつかないのだから。

 しかし、一つだけ分かったことがある。同じ『八本槍』であったからこそ理解し得た、彼女の正体。

 否。

 

 ――彼女たちの正体。

 

 鬼神の如き猛攻がクーの槍の一撃を次々に遮り、その凶刃を少しずつその喉元に突きつける。

 こうも接近され過ぎると態勢を立て直しづらい。距離を取ろうにも一瞬後にはその距離は簡単に縮められてしまう。

 少々不本意ではあるのだが。

 

「――悪いがこちらも四の五の言ってる場合じゃないんでね」

 

 無数の斬撃を上手くいなしつつ、右手で強く槍を握り直す。

 適度に無防備に見せる状態をつくり、そこに即死級の一撃を叩き込ませる。その重い攻撃をかろうじで躱し、そして距離を取る――しかしその距離もやはりすぐに詰められてしまう、が。

 脚に力を加え、そして舗装された地面が粉々に砕ける勢いで正面左に飛び出す。

 そう、アルトリアのすぐ右隣をすり抜けるように。

 力の入った一撃を振るった後に、真後ろへと対応するのは余程の物理法則干渉がなされなければ不可能である。アルトリアの反応速度は常人どころか、超人の域すら遥かに凌駕しているが。

 しかしその一瞬は、クーにとっての最大の反撃のチャンスだった。

 その一瞬で、槍から離れた左手の人差し指が淡く光を放ち、そして宙に文字を刻む。

 その輝きが全身に行き渡ったと同時に、アルトリアの聖剣が心臓を穿とうと牙を突き立てようとしていた。

 再び槍を両手で握り直す。そして。

 

「ッラアアァァァァアア!!」

 

 全霊を以って槍で剣を弾き返す。

 あまりの威力に、剣を握っていたアルトリアごとはるか後方へと吹き飛び、その先にあった建物の壁へと叩きつけられる。

 追撃を仕掛けるか――否――このチャンスを逃すわけにはいかない。

 再びルーン文字を刻み、自身の槍に炎の属性を付加させる。

 そしてその槍を、全身のバネを余さず用いて、全力でアルトリアがいるであろう壁に向かって投擲する。

 真紅の光を残して一直線に飛翔する槍は、一秒という時を必要とせずに壁を穿つ。

 大爆発。そして崩落。火炎と爆炎と粉塵が確実にアルトリアの姿を隠してしまう。

 と、同時に、アルトリアからもまたクーの姿は見えなくなっているはずだ。

 だから。

 

「――逃げるが勝ちってね」

 

 今ここで、彼女との全力での死闘を繰り広げる意味と理由はない。

 たった今目の前の建物を跡形もなく粉砕してしまったばかりではあるが、あまり事態を大きくすることは、事後処理の際に大変面倒なことになってしまう。

 そして、それ以上に、今の彼女には、確かに何かしらの強化によって強くなっていることは認めるが、一方で、彼女に対して、幻滅していたのだ(・・・・・・・・)

 故に、クーは、アルトリアを倒す時は、その必要性に迫られた時だと考えた。

 異能の力で手元に戻ってくる槍をキャッチして、アルトリアが吹き飛ばされた壁に対して背を向ける。本来ならその行為自体が自殺行為のようなものだが、今の彼女ではこの背中に剣を向けられないことを確信していた。

 その確信の中で、焦ることも急ぐこともなく、鼻歌でも歌いだすのではという余裕の歩調で、クーはウエストミンスター宮殿の中に逃げ込んでしまったのだった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 地下へと続くエレベーターを降りた時、その人物とばったり遭遇することとなった。

 全身を黄金の鎧で固めた青年、英雄王を名乗る最強の支配者。ギルガメッシュ。

 

「その様子だと、事態に気付いた――いや、遭遇したと言ったところか」

 

 事態とは、例のアルトリアの突然の豹変のことだろう。

 どうやらギルガメッシュの方も何かを嗅ぎ付けたらしく、今から地上に出て様子を確認するつもりだったようだ。尤も、今ここでクーに遭遇したことで、その必要はなくなったらしいが。

 

「ありゃ一体何なんだ」

 

「貴様も気付いておろうに。そこまで正解発表が欲しいのならまぁ聞かせてやらんでもない」

 

 相変わらずの上から目線に腹が立って仕方がないが、ここで飛びかかっても何の得にもならない。

 

「発想を逆転させよ。あれは正気の状態から洗脳されたのではない。何らかの影響で愛想のよかったのが元に戻っただけだ。女王を名乗る雑種から聞いた『騎士』の話がどうも掴み辛かったが、なるほどこれなら納得できよう」

 

 それは確かにクーも聞いた。以前集まった時、エリザベスが霧の禁呪の解消の手掛かりとして、その禁呪を解除させようという動きがループ世界内で観測された時、『騎士』と呼ばれる存在がその動きを抑止しようと動き出すらしいと言ったものだ。

 確かに、そうなると明確にループ世界から脱却しようと、術者である陽ノ本葵を含めた関係者全員が決意を固めたこのタイミングでそのシステムが働いたということには筋が通っている。

 しかしそれでは説明がつかないことがある。

 それは、クー・フーリンという存在と、アルトリア・パーシーという存在の共通点である。

 

「貴様はこう言いたいんだろう、この世界における『騎士』とやらは、ちょうど『八本槍』に該当する、と。確かにこのループ世界が発生する前の世界では『八本槍』は存在しなかったらしいからな。ループ世界の成立と同時に生まれたものであるならば、それは霧の禁呪によってできたものだと解釈するのが正しい。だがそうなると、同じ『八本槍』である俺はどうなる?同様に、『八本槍』の魔法によって生まれた貴様は?」

 

 アルトリア・パーシーは『八本槍』である。クー・フーリンも、霧の禁呪成立当時は『八本槍』だった。

 つまりギルガメッシュの推察では、クーもまたアルトリアのように霧に支配されていなければおかしいのだ。

 同じく、ギルガメッシュは元々が『八本槍』のアデル・アレクサンダーによって召喚された使い魔である。その魔力パスによって繋がっている彼も霧に支配されるはずなのではないだろうか。

 

「たわけ。真っ先に到達する仮説があろうに。貴様が実行して、奴が実行していないこと、それを考えればすぐに答えはでる」

 

 そこでギルガメッシュはニヤリと笑う。

 クーもまた、すぐに彼の言わんとすることに行きついた。

 

「なるほどそう言うことか」

 

 クーとアルトリアの決定的な違いは何か。

 それは、クーが真紅の槍をモチーフとしたあのペンダントを破壊し、『八本槍』を脱退していること。ペンダントを破壊したことか、『八本槍』を脱退したことか、そのどちらが洗脳の回避のトリガーとなっているのかは定かではないが、どうやら運よく逃れられたようだ。

 

「そして、そもそも我は召喚主(マスター)との魔力パスから断絶されておる。否、こちらから引き千切ってやったわ。故に、奴が霧に飲まれようと、我に影響を与えることはない」

 

 ギルガメッシュはこの変化が起こる前からこの前兆を察知していたのか、先に主との契約を強制的に破棄していたらしい。

 僕の側から破棄するのは確実に不可能である。術者の魔力を以って構成された魔力物質の塊である以上、主の術式プログラムによってしか行動できないのが召喚魔法の使い魔である。

 しかし、このイレギュラーな空間の中で、アデル・アレクサンダー程の使い手が召喚したのが、この世界最古の英雄王であれば、その前提は大きく崩れ去る。

 人智など遥かに凌駕し、人の手を離れ、神の手すらも届かぬこの男を束縛する術などこの地上に存在しない。そんなものはすでに、彼自身にしか成し得ないことだ。

 それにしても、ギルガメッシュとクーが行きついたこの考察が正解であるとしたら、クーは少し前に不可思議な変化を間接的に体験している。

 クー自身は年が暮れる前に現在の主である陽ノ本葵に真紅の槍のペンダントを破壊しその魔力を譲渡していることでアルトリアのような霧の束縛から逃げ延びることに成功した。そしてその膨大な魔力とクーに対する命令権は現在も彼女が保有している。

 しかし、それだけではなかった。

 ちょうどクリスマスパーティーが終わった後の話である。

 その日の夜を境として、彼女の保有する魔力の量が桁違いに上昇していたのだ。

 実はペンダントの破壊による魔力量の変化は、『八本槍』以外の人間が下手に追いかけて無駄な犠牲を増やさないように、どのような仕組みとなっているのかまでは明らかにされてはいないものの、『八本槍』と女王陛下、そして王室に選ばれた担当の魔法使いにしか認知できないようになっている。

 そして、その変化を元『八本槍』であるクーには十分に近くできたのだが、その変化が自分が二君を新たに選定した時と全く同じようなものだったことはしっかりと把握している。

 故に、自分以外の『八本槍』の人間が、葵に対してもう一つの主従契約を結んでいたということになる。

 女王陛下に心からの忠誠を誓っているアルトリアとアデルは確実に違うだろうと推測できる。現にアルトリアは例の如く霧の呪縛に囚われてしまった。この調子だとアデルもいずれクーたちの前に現れて命を奪いに来るだろう。

 となると、残りの五人のうちの誰がそのようなことをしたのだろうと気になるところだが。

 

「――フン、あの狸め。如何にしてここまで行きついたかは知らんが、随分味な真似をする。その化けの皮、次見る時には暴いてみせようぞ」

 

 目の前の英雄王はその正体を看破しているようだ。

 しかし、これでクーの懸念も大きく増えることとなった。

 この霧の呪縛で『八本槍』が全員アルトリアのようになるようなプログラムが発動していたのであれば、クーとそのもう一人の人間、そして目の前の王以外は全て、霧によるループ世界を守護する『騎士』として立ちはだかる。言い換えるなら、英国の最終戦力兵器でもある『八本槍』の内の、半分以上の戦力を同時に相手取らなければならないということである。

 クーが一人ないし二人の『八本槍』を相手して、ギリギリ持ち堪えられるだろうというレベルの話だ。二人を相手に完封できる保証はない。もう一人の『八本槍』が相手取れるのは最低一人と見積もっておく必要があるし、ギルガメッシュもこの性格上自ら積極的に介入しようとはしないだろう。

 すると、残りの『八本槍』をどうするかが大きな問題となって眼の上にこぶを残す。

 

「ま、暇なら手ェ貸してくれや、王様」

 

「貴様如きの頼みに耳を貸す義理はない」

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 翌日、リッカがさくらとの協力で、完全な枯れない桜を再現することに成功したという報告があり、ついでに生徒会室でミーティングを開くことがシェルのテキストに記されていた。

 昨日のこともあるのであまり悠長に構えてはいられないが、とりあえず葵を仕事先まで送って、その足でそのまま学園まで出向いた。

 そこにいたのは、エリザベスを含めた、以前に命を擲ってでも戦うと誓ってこの場所に残った勇者たちである。

 一番全員から見えやすい位置にいたリッカの手には、さくらと初めて出会った時に彼女が握っていた桜の枝と同じようなものが握られていた。恐らくこれが本作戦のキーアイテムとなる桜だろう。

 そして彼女の口から語られた作戦は、次の通りである。

 まず、クーが葵を連れて、霧の禁呪の正式な解除方法を実行する。同じタイミングで、この地下の世界で最も大きな枯れない桜が植えられている島まで向かい、その木にリッカの持つ真に迫ったレプリカを移植することでその性質をインストールさせる。そしてその木を使い、ウエストミンスター宮殿のとある魔法的装置で、その桜の木と地下の桜の木を全てリンクさせ、それら全ての花びらを、リッカの魔力を用い、サラが術式魔法でその制御と調整をコントロールして、ロンドンの街中にばら撒く。その花びらの、希望に触れる力を伝って、清隆が夢の魔法を用いてロンドン市民の全ての夢に接触する。そしてそこから姫乃が前向きな想いを片っ端から抽出する。その情報から全ての前向きな感情が統合された希望の形を、シャルルのプレゼントの魔法で一気に叶える。それで、ロンドンを覆うネガティブな想いを、その霧ごと纏めて吹き飛ばすという算段だ。

 誰もが思った。無茶苦茶にも程があると。

 しかし同時に、実際にそれら全ては理論上不可能ではないし、何より孤高のカトレア――リッカ・グリーンウッドは嘘は吐かない。

 彼女ができると言えば、何でもできるのだ。

 そして、彼女が命名したこの作戦の名前は。

 

 ――≪枯れない桜の奇跡≫

 

 花の咲き乱れる、素敵な未来のために――

 各々が、準備を進めていくだろう。

 サラが、クリサリスの実家からサポートに仕えそうな術式魔法を探し出し、検証する。

 姫乃が、清隆の心にスムーズにアクセスできるように、彼と共に心を読む訓練を始める。

 リッカが、さくらと共に、枯れない桜の魔法の精度を上げようと研究にのめり込む。

 その先にあるであろう、明るき未来に、誰しもが、その胸に希望を掲げて。

 

「エト、後で話すことがある。ちょっとここで待ってろ」

 

 ミーティング終了後、エトの背中からクーが声をかけ、後ろから少年の横を通り過ぎる。

 きょとんとする彼を無視してクーが向かったのは、風見鶏学園長であり、英国の女王陛下でもあるエリザベスの下だった。

 

「ちょっといいか?」

 

「ええ、構いませんが」

 

 クーの険しい顔に、既に事情を察していたのであろうエリザベスもまた苦い表情を浮かべる。

 当然、『八本槍』が全員敵側に回ってしまったという事実についてである。

 

「突然、他の『八本槍』の皆さんとのラインが途絶えてしまったのです。これは一体どういうことなのでしょうか……?」

 

 女王陛下という身分故、周りに動揺を悟られるような振る舞いは決してしない。

 しかし、クーには分かってしまう。その声音が震えていることに。今までにない事態に、全身が恐怖に支配されていることに。

 今までに傍にいてくれた『八本槍』の消失、それはつまり、戦場において全武装を奪われてしまうも同義なのだから。

 

「あまり詳しいことまでは話せねぇが、テメェの言ってた『騎士』とやらがどうやら『八本槍』の正体らしい。その『騎士』システムの作動により、『八本槍』が禁呪側に回ったってことだろうよ」

 

 今の言葉だけで、聡いエリザベスはどこまでのことを理解しただろうか。

 単純に話を繋げていくだけで、目の前の男がどういう存在か、そしてこの世界の本当の姿を知ることになるだろう。

 そう、ここがただのループ世界であるという訳ではないという真実に。

 

「そう……いう訳ですか……」

 

 彼らの共有する記憶の中で、エリザベスというかつての少女は、クー・フーリンという男に救われているはずなのだから。

 しかしそれでも、彼女の心は折れることはなかった。

 今の彼女は、女王陛下(エリザベス)である。強かで威厳のある、英国の象徴である女性としての、彼女なのだ。

 

「要するにだ、『八本槍』のリンクが切れるタイミングが、俺以外で一人違う奴がいるはずだ。テメェはなるべくそいつに守ってもらえ。残りの『八本槍』は――分かんねぇけど何とかする」

 

「何とか、ですか……」

 

 その一言が僅かに頼りなく感じられたのだろう。その溜息交じりの一言には、小さな懸念が見え隠れしていた。

 しかしその表情もまた、すぐに鋭い瞳へと引き締められる。

 

「分かりました。御武運を――」

 

 そして、その言葉だけを背に受けて、エリザベスの傍を離れる。その視線の先にいたのは、不安げな面持ちをしていたエトだった。




その内エトくんが唐突に一刀修羅的なことをし始めたら、松おk…桐原君と一緒に『ワーストワン!』と感想欄で罵ってやってください。すると兄貴が関西弁になって暴喰(タイガーバイト)を発動させたりします(五巻)

あと足太いですよ。


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最後の猶予

今回はちゃんと更新できたよ!
全国のお兄ちゃん、偉いでしょ?(誰


 風が吹く。

 その空気の流れが、大気の奔流が、エトの全身を打ち、弄ぶ。

 一振りの剣を正面に構え、微動だにすることなく、その瞳を閉じ、自分の内側という暗黒の世界で、よく分からない何かを見つけるために、自分自身に向き合う。

 そうしているだけで、もう何時間経過しただろうか。

 自分のできるあらゆる型を想定し、イメージし、そして違和感と共にそれを否定し斬り捨てる。何十と、何百と。

 時間はない。リッカ・グリーンウッドが例の作戦を実行すると提示した日時は、四月の三十日、既にその日は、翌日にまで控えているのだから。

 それがどうした。明日、ついに地上の霧との決着がつく。その時までに、少しでも、僅かでも、師匠であり、兄と慕う彼の足手まといにならないように、強くならなければならない。

 彼は言う。エト自身が『八本槍』に当たる可能性は極めて低い。できるだけ自分で何とかすると。

 でも、その極めて低い可能性の中で、自分が、霧に囚われた『八本槍』の誰かと対峙しなければならないということでもある。

 その時になって、相手に瞬殺されていたのでは、話にならない。一分でも、一秒でも足止めし、彼が次の戦いになるべく良いコンディションで迎えられるように死力を尽くさねばならないのだから。

 まだ、答えは見つかっていない。自分の知りうる限り、剣技という点で最も優れている剣士、佐々木小次郎を相手に惨敗した時から感じていた、あの感覚(・・・・)の答えを。

 何だ、自分が『八本槍』を相手に、できるだけ並び立てるようになるために、足りないものの本質は。

 イメージしては斬り、イメージしては斬る。同じことを、延々と繰り返す。

 

 ――死

 

 襲い掛かる凶刃。

 振り下ろされる何かを咄嗟に剣で防ぎ、そしてその衝撃を殺すことなく利用してなるべく距離を取る。

 瞼を開けてその先に視線を向ける。

 一筋の太刀、風に揺られ、規則的に靡く長い黒髪、しなやかな曲線を描きながら、しかし隙を見せないその女体の正体。

 

「あまりにも構えが綺麗だったから、つい奇襲してしまったよ」

 

 風見鶏本科2年、生徒会役員の一人、五条院巴。

 今の一撃の太刀筋は、自分の中に深く潜り込もうとしていたエトが死をイメージするくらいには強く鋭い一撃だった。しかしそれ以上に恐ろしかったのが、その一撃が、エトのすぐ首筋にまで届かんとするまで気付かなかった――そう、無音のままで死角のない広い場所を一直線に飛びかかってきたということ。

 

「巴さん、いきなり何ですか」

 

 問いかけると、巴は一度こちらに向けていた太刀をおろし自然体をとる。

 

「いや、明日となると少し気が逸ってな。ちょうど昂っていたところに君がいたという訳だ」

 

「だからっていきなり背後から殺しに来るのは止めてください」

 

「しかし君だから死なずに済んだ」

 

 そんな曖昧な状況判断で襲い掛かったのか。思わずエトは自分の先輩の倫理観に絶句する。他人にしてみればエトの倫理観も十分に破綻している気がしないでもないが。何せ、あれやこれや文句を言っておきながら、既にその瞳は、その身体は戦闘態勢に入っているのだから。

 

「おっ、やる気だね」

 

「やる気にさせたのは巴さんですよ」

 

 これで相手にする太刀使いは二人目。佐々木小次郎程とはいかないだろうが、彼女も十分強いと師匠から聞いている。

 だったら、この手合せで何かが見つかるかもしれないなら、とりあえず剣を振るわないという選択肢は真っ先に除外されるべきだ。

 

「いい眼つきだ。そんな楽しそうな顔をしていると、奴を思い出してつい殺してしまいかねんな」

 

「むしろそのくらいで来てください。じゃないと僕もあなたを殺しにいけないです」

 

 そして一瞬で悟る。単純な剣技に置いて、エトは明らかに巴より格下。ならば、その差を補うのは、魔法の存在だ。

 自分が不利なら、一瞬でも先に先手を取り、主導権を握る。故にまず起こすべき行動は一つ。

 全力で前に踏み出すこと――!

 

 ――固有時制御(タイムアルター)――三倍速(トリプルアクセル)

 

 当たるか、当たらないかは二の次だ。とりあえず先に相手のリズムを崩すことができれば、流れを持ち込むことができる。

 次の脚を踏み込み、同時に構えから僅かに動かし振りかぶった剣を、巴の肩口目がけて振り下ろす――巴は動かない――この一撃、通る!

 

「真っ直ぐだ。実に真っ直ぐだが――影同然である私にそううまく通用はしない」

 

 巴の姿が揺れた。陽炎のように。

 振り下ろした剣には、手ごたえはなかった。残像を掴まされたのか。

 

「正直なだけでは――死ぬぞ」

 

 カチャリ――太刀を鞘に仕舞う音がした。その音は、右側後方から。次の一撃は、抜刀術――

 

「なっ――」

 

「そう、気付いているな」

 

 今音がした右側後方の巴は、偽物。

 ならば本物は――音のしなかった、左側後方――現在の向きから、ちょうど背後!

 

「やっば――」

 

 回避――遅い、防御――間に合わない、ならば備えろ――痛みに!

 音もなく、影もなく、その一撃は放たれる。ほんの一瞬の、陽光を反射する銀色の刀身は、エトの体を易々と断ち切る。

 鮮血が舞う。その血は紛れもなく、エトの体から飛んだもの。

 

「っくぁ――」

 

 左腕だけは、間に合った。

 回避もできず、防御もダメ、ならば致命傷を避けるために、わざと最も相手に近い左腕を差し出した。

 そして突然の障害物に、骨までは切断しきれなかった刀の停止を隙として、傷を広げないように刀から腕を脱出させ、そのまま後退する。

 やはり、迂闊に相手の射程に踏み込むのは拙かったか。

 初撃は相手にとられた。おまけにその一撃で左腕はほとんど使えない。

 

「あの一瞬で左腕を捨てる覚悟まで決められるとはね。流石はあの男の弟子だ」

 

「こんなので腕をダメにして、お兄さんに怒られるよ」

 

 左腕は使えないが、戦えない訳ではない。むしろ、今の一撃で、相手の動きは十分に把握できた。

 彼女はニンジャの家系である。それはつまり、隠密行動に関してはエキスパート、自らを隠し、音を忍ばせ、相手の死角から確実な死をもたらす、そう言ったことは誰よりも得意であるはずだ。

 ならば、この死角のない広いフィールドの中で、自らをエトの死角に潜り込ませるには、フェイントを上手く用いて確実に背後に回り込んでくる。または、それすらも用いて正面でくるだろう。

 攻略はできる。彼女のフェイントや分身を見切る程の眼力は持ち合わせてはいないが、しかし、それを補える程の魔法は持ち合わせているつもりだ。

 眼で捉えるな。意識の結界を張れ。達人であれば己の集中力のみでできるであろうことを、未熟な自分は魔法で補え。

 風を捉えろ。動きを捉えろ。意識を捉えろ。殺意を捉えろ。

 そして完成した。その範囲周囲十メートル、自分の周りで動く相手を捉える索敵魔法陣。

 陣そのものは相手に見えないため、その射程内に踏み込んでしまったことに気が付かない。

 

「今度は、こちらから行くぞ」

 

 抜き身のまま、太刀を構えて高速で飛び込んでくる。二十メートル程離れていた距離は、僅か三歩で縮められる。

 本命はこの正面ではない。

 視界の左端が別の姿を捉えた。そして、一瞬だが小さな音が背後から聞こえる。

 どれが本物だ――魔法陣が教えてくれたのは――

 

「――っ!?」

 

 天を仰ぎ、そして地を蹴って垂直に飛び上がった。

 その先に待っていたのは、五条院巴の驚愕の顔。

 地上にいた三つの陰は全て偽物であるということが一瞬にして看破され、更に本体が人間の絶対的死角である真上からの襲撃に合わせて反撃を貰ったことに驚きを隠せないらしい。

 魔法陣は、その範囲内で動くものを捉えなかった。それはつまり、地上に足をつけていないということになる。そして、その状態でエトの死角を突けるとしたら、真上からの奇襲以外に考えられない。

 そして、その目論見が看破された以上、上空からの奇襲は全体的な悪手となる。

 真上から降下している彼女に、今軌道を変えられる手段は存在しない。そしてエトは、そんな彼女に合わせて最善のタイミングで飛び上がり、そして確実に相手の息の根を止めるための一手として、剣を振るうことによる斬撃ではなく、全身の力を剣の先端に集めた刺突を、降下する巴の喉元に照準を合わせて放ったのだ。

 チェック。そう思えたのは一瞬だった。

 巴の唇が不敵に歪む。

 

「奴だったら私はこの一撃でやられていたな」

 

 突き出されるエトの剣。その剣に合わせて巴は身を捩じり、かろうじでそれを躱す。同時に、自分の太刀をその剣に搦め、そのままエトをさらに上へと投げ飛ばした。

 普通の相手であれば、今の刺突は確実に決定打となっていただろう。しかし、ニンジャというものはもとより視線に敏感な職業だ。エトの視線がすぐにこちらへと気付いたのに反応し、次の対策を取ることができた。つまり、エトの最善と思われた反応も、彼女にとっては早過ぎたのだ。

 形勢逆転、地に足をつけた巴は、上空を見上げる。飛び上がっているエトがそこにはいた。

 そして、今度はエトが上空で軌道を変える手段を持たない。巴のような瞬発力を持たないエトにとって、この状況は致命的である。

 一歩目を踏み込み、次の二歩目で飛び上がる。巴はここで焦るようなことはしない。点の一撃は確かに威力で勝るが、一方で点故に回避しやすい。だからこそ、左腕を負傷しているエトが相手なら、確実な即死を狙いに行かず、新しく負傷させることにより戦力を削ぐ。だからこそ取ったのは、斬撃の構え。

 

 ――ここまでなのか。

 

 いや、諦めてどうする。あの男なら、師匠ならこの状況をどう打開する。

 そうではない。彼にできることが、自分にできるとは限らない。むしろ圧倒的に不可能なことの方が多いだろう。だから、考えるべきは、自分に何ができるか、それだけだ。

 それにしても、この状況を、エトは自分で体験したことがある。それはいつだっただろうか。

 確か、同じように上空に跳ね飛ばされ、そのまま相手に追撃されたことが。

 詳しい場面は思い出せない。だが、あの時確かに自分はその状況をひっくり返したはずだ。

 

 ――紅い、光。

 

 脳裏に掠ったこの直感。

 辿り着いた一つだけの方法。あの光がどういうものか、口頭だけだが聞いたことがある。そしてその原理を、魔法という別分野で下位互換を開発し、それをグニルックの競技に使えるようにして教えてくれた。

 目的物を確実に破壊する、それだけのために編み出された術式魔法。

 ならば、そこから逆算しろ。あの真紅の光がどのようなものなのか。

 取り戻せ、いつかそれをこなしたであろう自分自身から。

 思い浮かべろ。その光を放つ、自分が想像しうる最強の姿を。そう、あの男のしなるような構えの姿を。

 再現しろ。誤差のないように、完璧に真似をしろ。自分の持つ全ての記憶から情報をかき集め、統合し、最高の形をこの身体でトレースしろ。

 あとは、逆算した力が、勝手に教えてくれる。

 

「――ば、馬鹿なっ!?」

 

 再び驚愕を露わにする巴。

 無理もない。どうにもできない状況で、空中のエトが刺突の構えをとったからだ。それだけではない。彼の持つ剣から、不可解な紅い光が放たれている。それも、灼熱の炎が揺らめくような、大きな光が。

 それは、巴の知らない光。これから何が起きる。流石に未知のものを見て、どうせ何もできないと慢心する巴ではない。

 この状況から考えられる一撃は、投擲か、あるいは魔力弾か――

 いずれにせよ、後方に向かって飛んでいるエトから放たれる中遠距離の攻撃は、その原理上威力が削られる。同じく飛び上がってしまっている巴でも、捌きながら次の一撃に入ることができる。

 しかしその推理は、あっけなく外れてしまうこととなる。

 

「――≪偽槍・舞い穿つ紅閃の槍(ゲイ・ボルク)≫」

 

 その少年は、何もない空中で、――一歩踏み込んだ。

 物理法則を真っ向から破壊して向かってくるその紅い光は、剣、あるいは槍などと言う生易しいものではない。今そこにあるのは、対象物を破壊することを義務付けられた、運命づけられた、真紅の隕石だ。

 音速――そんなものでは遅すぎる。

 眼にも留まらぬ速さで、その紅き弾丸は、巴の体を捉え、そしてその勢いのままで、爆音を立て、砂埃を撒き散らしながら、地面へと彼女を縫い付けた。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 結局、その後身体的損傷により瀕死状態だった巴と、同じく魔力の枯渇と身体への重過ぎる負担による瀕死状態だったエトを、騒がしさのあまりに駆けつけたリッカとジルが発見し、魔法医療班とジルの全力の治療により何とか回復、大事な日の前日だというのにとんだ馬鹿騒ぎをしてくれたなと当然リッカからお叱りが入る。

 とりあえずそのまま二人は保健室のベッドで一日休息を兼ねて睡眠をとることとなった。

 その翌日。

 リッカはぐっすりと眠っている巴とエトを一度確認して、そのまま廊下へと出る。

 しばらく進んでいると、向こうからこちらに来る人物がいた。クー・フーリンその人である。

 

「いよいよ今日ね」

 

「……ああ」

 

 すれ違い様、リッカはそのまま廊下の向こうへと視線をやり、クーもまた、リッカとは反対方向の廊下の向こうへと視線を向ける。その二つの視線は交わらない。

 しばらくの沈黙、先に口を開いたのはクーだった。

 

「手はずは覚えてるな。テメェは大きな桜の木の下へ、俺は地上で葵とエトを連れて最も儀式の場所に適した例の公園へ、だな」

 

「――えぇ、そうね」

 

 はぁ、と小さく溜息を吐くリッカ。その溜息の意味を、クーは知っているだろうか。

 

「相手は禁呪の守護システムと化した、元『八本槍』たちよ。勝ち目はあるの?」

 

 それも一体だけではない。クーともう一人、そしてギルガメッシュを除いた、全部で六名。

 当然、その一人ひとりはクーに匹敵する強さを持ち合わせている。並の者では一瞬という時間もない内に斬り捨てられる。

 

「俺様を誰だと思ってやがる。やってもねぇこと語られるのは遺憾だが、これでも『アイルランドの英雄』と呼ばれる男だぜ。むしろこの程度の壁がある方がラストに相応しいってもんよ」

 

 ちらりと視線を向けたらその横顔には、何とも楽しそうな笑みが張り付いていた。

 そしてすぐに視線は廊下の向こうへと戻ってしまう。

 

「とにかく、俺は目の前に立ち塞がる野郎を一人残らず蹴散らして、今の主の願いを叶える。だからしばらく、お別れだ」

 

「そう。……次はいつ頃になりそうかしら」

 

「さぁな。サンタクロースはよいこのところにしか来ないらしい。俺様はいい女のところにしか行かないからな」

 

 相変わらず、この軽口を叩きあえるような関係に安心する。

 いつもそうしてきた。そして、これからもそうであるはずだ。彼がそうであることを、変わらない日常を望まないとしても、リッカはそんな未来をいつか手にしたいと望む。

 

「ま、これからも語り継がれるか分かんねぇ最強の英雄の背中を、黙ってみてな」

 

 そう言って、クーは一歩踏み出す。ゆっくりと、しっかりとした足取りで。

 その後ろ姿を、ほんの少しだけ首を向けて追いかけて――

 

「――嫌よ」

 

 リッカは再び、歩き始めたクーの隣に、魔法を使って軽く宙に浮き、水平移動をしながら並び立つ。

 

「まず、語り継がれないはずがないわ。だってこの私がいつまでも語ってやるもの。最強で最悪の槍使いの伝説を。そして私は、そんな伝説の主人公の隣に並び立つ女よ。後ろで黙って見てられるはずがないじゃない」

 

 そして、そのまま水平移動をしながら、クーの隣に拳を掲げる。

 力強い意志を握り締めた、女の小さな拳ながら、大きな夢と希望を見出させる大きな拳を。

 

「派手な伝説になるよう、華々しくかましましょう」

 

「……言うようになったじゃねぇか」

 

 孤高のカトレア、リッカ・グリーンウッドの、カテゴリー5の魔法使いの横顔を見る。

 クーが最も認めた、世界で一番美しい女の、強かな決意の横顔。

 気高く、誇り高い。それでこそ、リッカ・グリーンウッド。

 クーはその拳に応えようと、同じように拳を掲げる。

 同じ高さに揃った二つの拳は、こつんと固くぶつかり合った。

 

 全ての準備は整った。

 たとえ自分が近くにいなくとも、桜の花びらをばら撒く方の連中には、リッカがいる。ジルがいる。上手く行かないはずがない。

 そして葵に同行し正式な手順で禁呪を終わらせる儀式を完遂させる方には、クーがいる。こちらも万に一つの失敗も許されない。

 さあ、後は四月三十日、このワルプルギスの夜を、ただひたすら待つだけだ。

 

 ――黒い影が、その裏で暗躍していることに気が付かずに。

 




次回、遂にラストバトルの対戦カードの発表!多分!
ようやくここまできたぜ。俺の計算では、後大体十話くらいで……終わ……る……風見鶏編が……(突然の死亡)
ようやく(風見鶏編の)終わりが見えてきたし、モチベーションも保てそうだし、何とかゴールも見えてきたという感じです。


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ステイナイト

大変お待たせしました。
何かもう駄目だな、一ヶ月に一回は流石に遅いな。
ちょっとは考えるか(改善するとは言ってない)


 全ての準備を終えたサラ・クリサリスは、作戦の開始を知らせるリッカたちを待っている間、手帳の中にびっしりと書き込まれた、必要な術式魔法の式にひたすら目を通していた。

 失敗はできない。するつもりもない。

 エト・マロースはつい先程彼の師匠に連れられて地上へと出ていった。早ければ彼らは既に彼らの敵と相対しているのかもしれない。

 地上での戦いは、この地下でこれから起こる出来事と比べてとんでもなく危険なものとなる。なぜなら、彼らがこれから成そうとすることは、霧の禁呪、≪永遠に訪れない五月祭≫の正式な解除方法である儀式を遂行するために最適な場所へと向かい、霧の核を消し去ることなのだから。つまり、『騎士』のプログラムが正式に作動するならば、霧に飲まれた『八本槍』のメンバーのほとんど、あるいは全員が彼らの下へと駆けつけるということになる。そうなれば、最悪、エト自身の前にも強者の内の一人が立ちはだかることになるかもしれない。

 考えれば考える程心配になる。もしかすれば、いや、とてつもなく高い確率で、彼が死んでしまうかもしれない。もう二度と会えなくなると思うと、恐怖に足がすくんで泣きそうになってしまう。

 それでも堪える。約束したのだから。誓ったのだから。たとえ命を擲ってでも、全てを解決するために尽力することを。

 当然、同じ覚悟を彼も固めている。それを引き留めることなどできない。だから、次に会う時は、お互いに生きて風見鶏に帰ってきた時。

 ぱたりと、片手に開いていた手帳を閉じる。そして、雲も霧も全て排除して綺麗な青空を映し出す天井のスクリーンを見上げる。

 しかしその端からは、少しずつ朱みがかった空が侵食しようと動き始めていた。こちらの作戦開始まであと少しである。

 

 ――私も、頑張ります。

 

 誰かに伝えるでもなく、心の中でそう小さな勇者の背中に語りかける。

 すると、背後から聞き慣れた声で呼びかけられた。

 少しだけ安心して振り返ると、そこには葛木兄妹がやけにリラックスした表情で立っていた。

 

「……落ち着いてるんですね」

 

 その度胸が羨ましい――気持ちをありったけ乗せて余裕ぶっている二人に言葉をぶつける。

 

「昨日姫乃が最後の追い込みとかで、夜遅くまで渡って魔法の練習に付き合わされたからさ、少し疲れて緊張する気力もないんだよ」

 

「む、私のせいって言いたいんですか兄さん」

 

 こんな状況だというのに、相変わらずの二人である。理由はどうあれ、固くなってしまう程肩に力が入っている、ということはないらしい。

 しかしサラは真逆だった。意識していないとすぐに体が緊張で凍り付いてしまう。

 

「安心して、とは言いません。何が起こるか分かりませんから。でも、自分のすべきことだけを見据えないと。真っ直ぐ前を向いていた方が、やることもはっきりして少しは楽になれますよ」

 

 自分の胸に手を当てて、そう伝える姫乃。

 なるほど、清隆も姫乃も、自分のすることだけを考えていたのだ。余計な思考はなるべく排斥する。彼らは自然体でそんなことを簡単にやってのけるのだ。日本人とはこういうものなのだろうか。

 

「それもそうですね。どうせ私にできることなんてそんなにないんです。だったら残りのできることを考えていた方が楽ですね」

 

 やれやれと、半ば強引に肩の力を抜いて、大きく深呼吸、を二回。

 春半ばの夜、僅かにに冷たい空気が肺の中を浄化していく。脈拍が少しだけ落ち着くのを胸が感じ取った。

 

「お、全員揃っているな」

 

 腰に刺した太刀の、鞘の滑りを確認していた五条院巴が、カチャリと音を立てて刃を全て仕舞い、三人の前に姿を現した。

 日本にいた頃の幼馴染で、姫乃共々世話になっていた、姉のような人だ。優しくて意地悪な彼女の雰囲気は、今日に限って明らかに違う空気を纏っている。

 それはまるで、狩人のような。傍にいるだけで肝が冷えるような冷たさを感じるその瞳。

 

「あの『歩く禁呪(フォビドゥン・ゴブレット)』さんには私と私の後輩が随分と世話になったからな。これからその恩返しができると思うと胸が熱くなる」

 

 世話になったではなく痛めつけられたの間違いではないだろうか。恩返しではなく仇討ちの間違いではないだろうか。胸が熱くなるのではなく(はらわた)が煮えくり返るの間違いではないだろうか。

 明らかに言葉と雰囲気が一致していない。一番悪戯の餌食になっていた経験のある清隆が思わず突っ込もうとして、なます切りにされるヴィジョンが一瞬脳裏に映し出されて慌てて口を固く閉ざした。

 

「あと二人ももうじき来る。午後六時には移動を開始するそうだ」

 

 どこか遠くを眺めながら事務的な報告だけ済ませる。どうやら彼女の意識は既にここにはない。

 手ひどくやられた『歩く禁呪(フォビドゥン・ゴブレット)』のことが頭から離れないようだ。彼女も自分のやることは、やりたいことは決まっている。

 そしてそこに、風見鶏の生徒会長と、カテゴリー5の孤高のカトレア、そしてついでにジル・ハサウェイもその後ろから出てきた。

 

「巴、なかなか気合いが入ってるね」

 

 冷ややかに殺気だった巴を確認しては、何故か嬉しそうに呟くジル。彼女は巴のこんな様子を見たことがあるのだろうか。

 そしてリッカが巴の肩を叩いて意識を呼び戻し、三人の前に出て全員が揃っていることを確認する。

 

「そう言えば、さくらちゃんは来ないんですか?」

 

 ふと、あれほど協力を頼んでいたさくらがこの場にいないことに姫乃が気付く。

 幼い容姿ではあるが、その内面まで幼女という訳ではない。むしろこう言う時に自分の責任というものをしっかりと把握しているような少女だ。この場にいない方がおかしい。

 しかしその疑問にリッカが答えた。

 

「あの子は例の金ぴかが連れまわしてるから心配はないわ。お互いがお互い通じるところがあるんでしょうね。彼が手伝ってくれる――とは思えないけど、せめてさくらを連れてきてはくれるはずよ」

 

 いかにも高圧的、見られるだけで死ぬのではないかと思わせるくらいのプレッシャーを放つ英雄王と、小動物のように見ているだけで何となく和んでしまうような温かさを持つさくら。その性質は最早正反対で、二人が摩擦なく上手に関係を築けていることは容易には想像しがたい。

 しかし、清隆も以前二人が何かしら言い合っていることを会議中に目撃していたので、なんだかんだで打ち解けたようだ。

 

「お喋りはそれくらいにして――」

 

 パン、とシャルルが笑顔で手拍子を一回打って、全員の注目を集める。

 

「女王陛下は既に桜の花びらをロンドン中に散布するための魔法装置の準備を整えたみたいです。私たちはこれから例の一番大きな枯れない桜の下へと向かいます。道中で何が起きるか分からないので、警戒は怠らないようにしてください。湖は各自ブローチの個人用ボートで移動します」

 

 一番の難所はこの移動だろう。

 水上のボートでの移動中に『八本槍』の誰かに襲われてしまえばひとたまりもない。できればこの段階でギルガメッシュ辺りの協力を要請したかったが、やってくれと頼んで一も二もなく了承するような男ではないだろう。今回は敢えてその選択肢をあらかじめ外しておいた。

 最悪、魔法操作に優れたリッカとジルが足止めに動く手はずになっている。どこまで他を逃がして自分たちが離脱するか、引き離して追ってくるのは想定内だが、その場合の対処はどうするのか、その辺は全く考えていない。正直そうなってみないと何も分からない。偏に『八本槍』を相手にしたことがなく、それぞれがどれほどの力量なのかをこれっぽっちも把握できていないのだ。

 

「もう駄目だと思ったら湖の中に飛び込むこと。『騎士』のシステムは禁呪を解こうとしている人間に害を与えるわ。つまりその行動を諦めた人間には襲い掛からないということ。どうしても駄目だと言う時は自分の命を最優先しなさい。誰かを庇って死ぬ、なんてのはもってのほか。三流のやり方よ」

 

 その辺りは、リッカもジルも、クーとの生活の中で無駄に慣れてしまったところでもある。

 命を諦めるな、無駄にするな。最後まで抗え。自分を守ろうとしない者に誰かを守る資格はない。彼はそう言う人間だった。

 だからリッカは言う。命を擲つ覚悟で進め。ただし絶対に自分の命を諦めるな。

 

「それをしっかり心に刻んだら、出発よ」

 

 気合いの入った全員の返事が、タイミングよく綺麗に揃う。

 その返事に満足したリッカは強気の笑みを浮かべて、先頭を歩き始めた。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 エト・マロースは彼の師匠であるクー・フーリンと、禁呪の術者であり、彼の守る現在の主であるらしいところの陽ノ本葵と共に地上へと繰り出していた。

 地上を埋め尽くす霧のせいで視界は最悪、しかし二人の研ぎ澄まされた感覚は、たとえ辺りが見えなくとも、聞こえる音が、頬を撫でる風が、肌を差す視線が、いつでも危険を二人に教える。

 そしてある程度裏路地を進んだところで、突然クーが足を止めた。

 クーは葵に少し離れているように指示を出すと、少し慌てて頷いた彼女は駆け足で十メートル程後ろに下がった。

 

「ど、どうしたの?」

 

「こないだの話、当然覚えてるよな」

 

 この前の話、と言われてえとは少し考え込む。話と言われてもクーと話したことは決して少なくはない。その中で最近のものをソートしてみてもその数は割と多い。

 しかし彼の真剣な表情から、彼にとっても自分にとっても最優先の話だったことには間違いない。

 そこでエトは、彼の指す会話が何のことか、思い至った。

 それは、『公式新聞部』の設立時、全体の解散後にクーがエトに話しかけてきたときのことだった。

 その時の話の内容な、無論霧の禁呪の事。そしてその正体だった。

 それは当然、葵がクーに全て打ち明けた通り、クー自身の正体、そしてそれがどういう意味なのかを説明するということだ。

 そう。『八本槍』という組織は最初から存在しない。クー・フーリンという男は本来は『騎士』のプログラムとして禁呪により召喚される魔力の結晶体であり、彼自身は本来は存在しない。そしてそれは間接的に、彼がこの世界線で救ったとされる人間は、本来の世界線では彼とは会わなかった、つまり救われなかった、ということになる。

 そしてそれが行きつく結論は、クーのルーン魔術とジルの治療魔法の合わせ技により一命をとりとめたエト・マロースという人間は、元の世界では存在していないというもの。

 それら全てをクーは、包み隠さず、そして唐突にエトにぶつけたのだった。

 当然、そんな信じられない内容の話を、全てすぐに信じることはできなかった。

 アイデンティティの喪失。もしも禁呪を解くことに成功してしまえば、自分というものはどこにも存在しないということになる。そんな恐怖が、全身を支配した。

 

「……どうする。今からでも遅くないぞ。寮に帰って自室で寝てりゃ全て終わる。失敗してもまた十一月から再開だ。テメェは何もしなくても翌朝を迎えられる」

 

 それが最後通告。

 ここで退いてしまえば、残酷な最期を迎えずに済む。言葉通り、寝ている内に全て解決してしまうからだ。自分が消失する瞬間を、味わうこともなく過ごすだろう。

 

「いや――」

 

 その一言は、自分でも不思議なくらいにすんなりと口から出てきた。覚悟など、固めたつもりはない。というより、その必要性すら感じない。

 その理由は、正しく胸の内に抱かれていた。

 

「大丈夫。僕はちゃんと、見えてるから(・・・・・・)

 

「――ほう」

 

 そう、それさえ見えていれば(・・・・・・)、何も考える必要などないのだから。

 むしろ、エトでさえ簡単に行きついてしまった答えなのだから、目の前で楽しそうに笑っているこの男が、何も考えていない訳がない。

 どこに目を向けるか、それさえはっきりしていれば、後は目の前にある雑事を片付けるだけ。

 恐らく数人はいる世界最強を全員片付けて、ロンドン市内の換気をするだけの簡単な仕事だ。

 

「問題はないな」

 

「うん」

 

 そこにある師匠の表情は満足そのもの。どうやら回答を間違わなかったようだ。

 その大きな手で、エトの白銀の髪をわしゃわしゃと雑に撫で回す。おかげで髪が盛大に乱れてしまった。おまけに軽く子ども扱いされたのが微妙に気に入らない。

 

「ガキ扱いは嫌だったか、このクソガキ」

 

「いつまでも子ども扱いしてたらその内片腕が吹き飛ぶよ」

 

「やれるもんならやってみやがれ」

 

 他人が聞けば単なる冗談、しかしエトのその表情は、本当にその内実行に移すのではないかというくらいに獰猛なものだった。

 子は親に似る、ではないが、こんな男に面倒を見られたらこうなってしまうのも仕方がない。恐らく生徒会長である姉も、弟がここまで血肉に飢えた獣みたいになることは夢にも思わなかっただろう。

 さて、少し建物と建物の間の狭い通路を抜けると、これまでとは違う少し開けた場所に出た。

 エトや葵にも警戒を促すように注意すると、離れることのないよう、それでいて密着し過ぎないように互いの距離をとって進む。

 そして、先頭にいたクーがまた、唐突に足を止めた。

 エトは咄嗟に葵を下がらせて警戒レベルを更に上げ、腰に装着してある鞘に収まった剣の柄に手を伸ばす。

 しかし戦闘態勢に入ったエトを片手で制し、一人一歩前に出る。

 

「おう久しぶりじゃねーか、元騎士王様」

 

 その無礼な挨拶に対して帰ってきた返事は、鎧の金属音だった。

 霧の中から姿を現す、アルトリア・パーシー。『八本槍』の一人にして、その権威で以って『八本槍』を纏め上げていた騎士王。

 しかし今の無表情なその姿に、その時の威厳は何一つ感じられない。ただ、目の前の脅威を排除するための(プレッシャー)だけ。

 そしてクーは、少しだけ後ろを振り返ってエトの方を見る。

 

「エト、見てろ。俺の槍が強いってところ、見せてやるよ」

 

 再びクーが正面を向いた瞬間、全身にかかる重力が一気に増したような錯覚に陥る。

 逃げ出すことすら許されない、ただ膝をついて額を地に擦りつけ、全身全霊を以って命乞いをするだけしかできない、それくらい重い圧をクーは放っていたのだ。

 これが最強、これが力。

 彼の握る真紅の槍は、その戦意に共鳴してか、どこか昂っているようにも見えた。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「ボクたちは、行かなくてもいいの?」

 

 未だに風見鶏の校舎のとある一室で腰かけていたのは、さくらと行動を共にしていたギルガメッシュだった。

 その様子だと、何かを待っているように見えないでもないが、さくらは特に何も聞かされていないため、数分に一度、何をするつもりなのかを尋ねてみたが、全て無視された。挙句、少し目を離したと思えば、背もたれに体重を思い切り預けて気持ちよさそうに仮眠をとっているのを見た時は、そのフリーダムさに呆れそうにもなっていた。

 とは言え、ここでようやくギルガメッシュは動きを見せる。

 

「そろそろ、刻か」

 

 ぽつりとつ呟くと、例の金色のカーテンを手元に小さく展開、そしてそこから召喚されたのは、漆黒の刃を持つ、西洋のランスのような形の物体。

 近くで見ているだけで何となくそれが凄いものであることは認識できるが、一応長い間生きているさくらでさえ、それが何なのかは見当もつかない。

 すると、その黒の刃が回転を始めた。

 

「――折角だ、答えてやろう、小娘」

 

 答えてやる、とは、今までの質問に対してだろうか。もしそうなら聞いたタイミングで答えてほしいものだが。

 しかし彼の自由さにはもう慣れてしまっていた。どうこういうつもりも最早ない。

 

「最初から動いたところで敵は我を迎え討ちに来る。ならば精々絡繰人形らしく向こうから出向いてもらおうと思っただけだ」

 

 そしてそのランス状の何かが、黒い刃を回転させながら、赤黒い光を撒き散らし始める。

 思わず失神してしまいそうな力の奔流に、これが人の起こせるものではないことをさくらは看破する。

 これはそう、魔法というちっぽけなものではない。もっと大きな、自然災害――いや、それでもまだ小さい――

 

 ――爆砕音。

 

 部屋はたちまち煙に包まれる。

 その土煙を僅かに吸い込んでしまい、さくらは咳き込む。

 どうやら壁が破壊されたようだ。そこから風の流れが感じられる。ということは、何者かが侵入してきたということだろうか。

 そしてそれが、ギルガメッシュの目論見通りであるならば、そこにいるのは。

 

「――よく来たな、雑種共」

 

 煙が晴れる。破られた壁から入る風に流され、視界は一気に開けた。

 そこにいたのは、二人の『八本槍』。

 一人は、バイザーのようなもので目を隠す女性の『八本槍』。

 そしてもう一人は、剣術のみならアルトリアを軽く上回る、極東より流浪してきた、剣の『八本槍』。

 しかしその二人もまた、霧の禁呪に飲まれた者だった。

 だが、しかし。

 

「――フン」

 

 この部屋を取り囲む、異常なまでのエネルギー。

 視界を取り戻したさくらは、すぐに辺りを見渡す。

 そう、見渡す限りの、金、金、金。

 いつの間にかギルガメッシュはさくらの隣に佇んでいて、二人の侵入者を睥睨している。

 この部屋は、強者同士が全力で戦える程の広さは持ち合わせていない。それくらい狭い部屋の中は。

 侵入者二人に向けて鋼の切っ先を突きつける、全ての壁、天井から無数の武具が黄金のカーテン上に展開されていたのだ。

 

「ここは学び舎よ。その規則に従うなら――」

 

 そう、これは戦いではない。勝負でもない。

 これは、一瞬で決まる。そう言うものだ。

 ここに来た時点で、彼らは既に、終わっている。そう。

 授業が終わると(・・・・・・・)生徒はここにいる必要はない(・・・・・・・・・・・・・)

 

「――放課の時間だ、失せろ」

 

 鼓膜を破壊するような轟音が全身を叩いた。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 一方、枯れない桜の下へと移動していたリッカたちは、水上を移動している間に敵に遭遇することは幸いなかった。

 しかし、ボートを降りてブローチに戻した時、それは現れた。

 

「……」

 

 枯れない桜へと至る道を塞ぐように、空へと浮いて見下すように立ちはだかる、『歩く禁呪(フォビドゥン・ゴブレット)

 クーの報告にもあったように、やはり以前とは違って一切の感情が見受けられない。そして更に、その視線は真っ直ぐにこちらを射抜いていた。

 その目的は一つ。ここにいる反逆者を一人残らず駆逐すること。

 

「やっぱりそう来たか……」

 

 絶望的な状況で、呆れるようにリッカが呟く。

 そしてすぐに姿勢を立て直して、シャルルとジル、そして巴に目を配らせた。

 

「やれるだけやってみるわよ。可能ならこいつを倒す!」

 

 リッカはシャルルやジルと共に、その手にワンドを握り、魔法の発動を牽制する。

 巴は腰に差してあった太刀に手を伸ばし、居合の構えをとる。

 清隆は絶句していた。

 相手はあの『八本槍』の人間だ。まともにやり合って勝てる相手ではない。

 しかし、それでも。

 何故か、この四人が協力すれば、あの大きな壁を打ち破ることができてしまうのかもしれない、そんな夢みたいなことが脳裏に過ぎってしまうのだ。

 この場面で、清隆も、他の二人も、何もすることができない。

 ただ、邪魔にならないことだけを考えて、今はなるべく戦場から距離を取る。

 

 ――さぁ、夜を待とうか。最後の夜に、残酷な火花を散らせましょう。

 

 それは、希望と絶望の入り乱れる、激闘の夜の幕開けだった。




あと5、6話くらいで風見鶏編終わるといいな。


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『強さ』と『誇り』

少し前から思っていたんですが、前書きに「長いことお待たせしました」とか書いたところで、リアルタイムで追っている読者の方にしか伝わりませんよねと。
例えば完結した後で読んでくださる方(果たしてそんなのいるのだろうか)にとってみれば全然待ってませんし。
なのでこれからは無意味なことはやめにしましょう。

それでは大変お待たせしました←


 土と煙と、それから灰の匂い。

 体表を伝い、腹の底にまで響く不快な振動は、未だに鼓膜に限らず全身にその残響を与えている。

 二人の『八本槍』がこのセキュリティ万全の客室に侵入したと思いきや、天体が目の前に迫ったかのような物量と光量を誇る無数の武具で、一瞬にして返り討ちにしてしまっていた。

 その様子を、さくらは一瞬の瞬きで見逃してしまう。

 煙が視界を遮る中、隣の男を見上げてみれば、かろうじで愉悦に口角の上がる英雄王の表情が確認できた。

 

「ほう、この程度でまだ棒切れを握っていられるとは、とりあえずは浅ましくも歴史に名を刻む剣客ということか」

 

 さくらの目の前を隠していた煙が晴れて、ギルガメッシュが起こした爆撃の結果が目の前に露わになる。

 前に立っていたのは、両足でしっかりと大地に立っている、佐々木小次郎だった男の姿だった。ただしその姿は、所々に火傷と切り傷を負い、そして左腕を吹き飛ばされ、挙句急所は外しているものの、わき腹や肩に何かが貫通したような穴が開いており、濁流のような血が噴き出していた。

 一方、その後ろにいた両目をバイザーのようなもので隠していた『八本槍』も、握っていた鎖のような武器で急所だけは回避していたが、両足が爆散し、その威力に両腕の肘から先が鎖ごと向こう側へと弾き飛ばされていた。こちらはもう戦力として数えなくとも問題はないだろう。

 

「こ、これは――」

 

 開いたまま塞がらない口を強引に動かして何とか言葉を発するさくら。しかし次の一文字は声にならなかった。

 だがギルガメッシュは愉快な笑みを浮かべながら、例の赤黒い光を放っていた片手剣の刃先を相手に突きつける。

 

「折角起動させたのだ、使わぬのならこいつが泣く。欠片程の興味も抱かぬ雑種如きに、ついでだ、と抜いてやるのだ。貴様の次に口にすべき台詞は、感謝以外になかろう」

 

 鋭い円錐状の刃が回転を再開する。赤黒い光が四散し、収束する。

 その姿を目にするだけで皮膚を伝わる不快感、いや、不安感――否、絶望感。

 かつてさくら自身が犯した禁忌の慣れの果てを知ってなお、この現象に畏怖を抱く。

 

「小娘、今から貴様に見せるのは、世の終焉と、開闢の光よ。人の願いなど、神の愛など一撫でで無に帰す絶対の力――」

 

 これから爆発しようとしている核爆弾の爆心地のすぐ傍にいるような、生命の危機に対する警鐘が脳裏を激しく叩く。

 それでもなお、この破壊的に美しい光景を前に、逃げることも、目を背けることも、何故かさくらにはできなかった。

 

「貴様ら雑種に拝ませてやろう。世界の開闢(はじまり)を――混沌の終焉(おわり)を――!」

 

 心臓が早鐘を打つ。

 新しく世界を始めるということが、こんなにも暴力的であるということ。

 願いを叶える桜を咲かせ、誰もが願い、そして願いを叶えられる世界を創ろうとした出来損ないの神様。

 世界を創るには、まず破壊が必要だった。しかしさくらは、破壊できず、既存の世界の上に新しい世界を上書きした。無責任にも、理不尽にも。

 一つの現実に、二つの世界は存在し得ない。だからこそ、そのどちらにも、窮屈となった影響で亀裂が生じる。

 その結果が、ヨシノサクラの後悔と、アサクラオトメの選択と、サクライヨシユキの決意だった。

 一人の少年の、母親を想う『ありがとう』の言葉が、歪だった世界を一度破壊し、上書きされる前の元の世界を取り戻した。

 そう、今目の前にある赤黒い光は、さくらがあの時できなかった破壊の決意の光。そして、出来損ないの神様が悪魔に成り果て、理想の世界を創り上げるための、絶対の力。

 

「いざ仰げ――≪天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)≫を!!」

 

 高揚し、熱を上げる身体を、暴力の赤黒い光が打ち付ける。

 光の濁流に飲まれつつも、強かな英雄王の横顔から目を離さない。

 これが世界を変える者の持つ力。それ故に責任を負い、同時に特権を得る。彼の傲慢不遜の本質は、そこにあった。

 しかし光の中で、さくらは思う。

 自分がなりたかったのは、こんな圧倒的な存在などではなかった。望んでいたものは、もっともっとちっぽけで、誰もが当たり前に享受できるようなものだった。

 それは単純に、家族がいることの幸せ。家に帰れば、誰かがお帰りと言葉をかけてくれる温もり。

 そこに、絶対の力も、王者のような傲慢不遜さも、何一つとして必要なものはない。

 ただ一つ、彼との時間の中で手に入れたもの――それは、失敗こそしただろう、しかし間違ってなどいなかったという、大きな自信。

 胸を張ればいい。自分には大好きな島に住んで、大好きな人たちがいて、そして大好きな家族がいたこと。

 不格好にもその幸せに手を伸ばそうとしたことも、そしてそれが島中の人々を苦しめてしまったこともそんなこと――

 

 ――どうってこと、ないんだ。

 

 幼馴染で、初恋の人だった彼は、別れ際にも、かったるそうな顔をしていて、それでも背中を押してくれた。何も咎めることなく。やりたいようにやれ、と。

 暴虐の嵐の中で、心の内はその真逆――憑き物が落ちたかのように、引っかかっていたモノは全て消え去った。

 間違いなどではなかった。過ちなどではなかった。

 ただ、心のままに、我儘に、やりたいことをやって、失敗した、ただそれだけのことだ。

 さくらは知っている。ここに来る前の世界で、彼女の周りにいた人々は、誰もが優しかった。自分の失敗を、責める人も、咎める人もいないだろう。

 だから、彼らの下に帰った時、まずは『ただいま』と言って、その後に、『ゴメンナサイ』と言えばいい。

 せめて家族くらいには、ありのままの自分を受け止めてもらわなければ、困るから。

 何故なら、芳乃さくらという女は、とても、それはもうとんでもない程に、我儘なのだから。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 地面の感触を確かめるように、クー・フーリンは靴の爪先でコンクリートの地面を二度叩く。

 真紅の槍は、肩に担ぐように握られている。これから激闘を繰り広げるとは全く思わせないような、リラックスした表情と体勢。

 エトはその様子を半信半疑の気分で見つめていた。

 先程は何やら初めてエトの前で本気を出すような発言をしたものだが、こうもリラックスされると本気の程も、適当に手を抜かれるものと思ってしまう。

 いつもの鋭い視線もなく、獰猛な笑みもなく、張り詰めた筋肉の軋みも感じられず、どうにもいつも通りの彼に、流石のエトも困惑を隠せない。

 故に――

 

 ――コツン、と。

 

 彼の爪先に小石でも当たったのかと思った。

 それ程までに、静かな一瞬。音がした時には、確かに何の変哲もない、いつも通りの彼がそこにいるだけだった。――はずだった。

 いつの間にか、いない。存在そのものが消失したと錯覚する。

 その彼は、今――

 

 ――直立した体勢で、槍だけを伸ばし、アルトリアを背にとりその首筋に向けてその穂先を穿っていた。

 

 テレポート、あるいはワープの類か――否、何かしらの魔法を使うような素振りすら見せなかったはずだ。そもそも時空間に影響を及ぼすレベルの魔法なら、魔法使いの端くれであり、リッカやジルに師事しているエトが気が付かないはずがない。

 となれば、その結論は。

 彼が自身の脚力のみで、コンマゼロ秒で二人の距離を縮める、どころか、彼女の背後に立って一撃を見舞わせた、ということになる。

 感情を失ったはずのアルトリアが、その一瞬もない時間の中で、その表情をこわばらせるに至った。

 それは恐怖という感情ではない。ただの、生命体の誰しもが持つ、生命への緊急事態を知らせるアラートである。

 ただ、彼女は運が良かった。

 たまたま咄嗟に振り返った方向には、クーがいた。そこにいる、と判断して振り返っていたのではもう遅い。

 そして、振り返り、真っ先に視界内に収めることができたのが、首筋を突き破ろうとする槍の穂先だった。その紅蓮が見えなければ、今の一撃で終わっていた。

 そう、アルトリアは強運と直感のみで、瞬時に状態を後ろにそらし、バランスを崩しながらも即死級の一撃を回避してみせたのだ。

 しかし、彼女がバランスを崩した時点で、これはもう戦闘ではなく、一方的な『狩り』に成り下がるのである。

 すぐに体勢を立て直せないアルトリアは、そのまま背に強力な蹴りを食らう。

 魔法で強化されたはずの鎧は罅が入り、そして背骨にも甚大なダメージを負ったようだ。

 二転、三転、地面と衝突しながら大きく吹き飛ばされるも、何とか跳躍して距離を取りつつ今度こそ体勢を立て直す。

 いや、安全圏を確保できる程の距離など、最初から取れていなかった。

 顔を上げたその時には、鎖骨の下、胸元に槍を貰ってしまう。連撃を剣で捌くものの、明らかに槍の方が速く鋭く手数が多い。

 押し負けている内に、左腕を突かれ、右太腿を裂かれ、右肩を槍に食い破られ、戦闘が始まって十秒もしない内に満身創痍となる。

 アルトリアは風の精霊魔法を用いてブーストをかけ、後方へと飛び去り、聖剣エクスカリバーに魔力を充填する。

 僅か一秒。されど彼女にとっては十分にも感じられる一秒だっただろう。その一秒でチャージした光を、太陽フレアを、迫り来る鬼神にぶつける。

 

 ――≪約束された勝利の剣(エクスカリバー)≫。

 

 エトの前で、葵の前で、クー・フーリンという男はあまりにも鮮烈な魔力の塊、その奔流に飲み込まれる。

 葵は彼の光の直撃に視線を逸らして目をぎゅっと閉じた。エトはその様子を口を開けて眺めていた。

 強烈な光が作る陰影が、この景観からその黒色を次第に失う。

 最大出力ではないものの、アルトリアの切り札はクーへと向けて確実に振り抜かれた。彼女もまた、咄嗟の一撃だったのか、かなり体力を消耗している。

 呼吸を整えながら、その視線をエトたちへと向ける。しかし、その足はこちらへと向かってくることは、なかった。

 

「――やっぱテメェ、クソツマンネ」

 

 そう、その背後に、赤槍の戦士が呆れたように佇んでいたからだった。

 知らぬ間に背後を取られていたアルトリアは、怯えるように咄嗟に後方へと退く、が、距離を開けることをクーは許さず追撃。

 クーが槍で一撃を叩き込み、それを剣で防ごうとしたアルトリアは、その衝撃に耐え切れずに宙で回転し地面へと叩きつけられる。

 エトは彼がその姿を消す一瞬を、かろうじで視界に収めることができていた。

 エクスカリバーの光に飲まれる一瞬で、彼は何かしらのルーン魔術を刻み、そしてその槍の切っ先で光――すなわち膨大な魔力の塊に接触、自身の軌道をずらして再加速したのだ。

 

「今のテメェなんざ、ハナクソほじりながらでも勝てちまう」

 

 全身のバネを利用し再び起き上がったアルトリアを相手に、無慈悲に連続攻撃を見舞う。

 そして、ダメージを負っていた彼女が遂に槍を捌けなくなり、足元への一撃を貰い再転倒。胸倉を右足でスタンプされ、吐血と同時に動けなくなる。

 

「あー確かにテメェは強い。俺の知ってるテメェは強かった。だが、今のテメェにその強さはもう残ってねぇよ」

 

 かつて強さのみを求めて旅をしていた時、旧友に気付かされたことがある。

 追い求めるべきは、強くあるべき理由、その、プラスアルファというものであるということ。

 ただ強いだけでは、強くなれない。何を目指すべきか、どうありたいか、その究極の形は何か。その形が見えない者には真の強さは宿らない。そして自分たち武人は、それを『誇り』という。

 クーの槍の後ろには、二人の女がいた。一人は気が強く、魔法の天才で、その宝石のような瞳と意志で未来を切り開く女。もう一人は、大人しめだが、その胸中には強い悲願が宿っており、夢のために真っ直ぐに突き進む女。

 その真紅の槍は、少なくとも二人の女の行く先を阻むものを打ち破るためにあった。

 

「テメェの強さは、騎士王としての、理想の体現者としての、人々の希望となる『誇り』だった。それをなくした殺人人形(でくのぼう)に、俺は絶対に負けることはない」

 

 アルトリアの右手が突如動き出す。

 剣の切っ先を躱そうと僅かに重心をずらしたその瞬間、アルトリアは立ち上がり再び剣を構える。

 もう彼女に贈る言葉などなかった。

 何をしてもその『誇り』を取り戻さないのであれば、いっそこの槍で最強の自分が最強である所以を見せつけるほかにない。

 クーは掌で槍を弄ぶように回し、そして握り締めて――再びコンマゼロ秒で距離を踏み潰した。

 瞬間移動とも言える肉薄から、胸元へと一突き。

 罅の入っていた鎧を砕き、槍の穂先はその心臓を貫き、背中からその顔を出した。

 かつて、騎士王と呼ばれ、貴ばれた元『八本槍』の少女は、既にピクリとも動かない。

 絶命したのを確認して、クーはその死体を蹴り飛ばして槍を引き抜く。

 地面に転がった死体は、元々このループ世界を創り出した魔法によって生み出された生命体である。彼女もまた、少しずつその身体を失い、霧となってどこかへと消えていった。

 

「――行くぞ」

 

 関心など最初からなかったのか、感情のない声でエトたちに先に進むように促した。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 再び建物の間の狭い道を抜けながら、しばらく進んでいくと、少し広めの寂れた公園が見えてきた。

 葵が今回禁呪の解除をするための儀式の場所を指定したのはここだった。というのも、彼女が禁呪を発動させたのもこの場所だったという。

 確かにクーも、この先の公園から、葵の全身に刻まれた刻印と同様の禍々しい魔力が感じられた。

 やはりここがゴール地点なのだろう。ここまで来るのに『八本槍』が一人しか襲来しなかったのは奇跡か何かなのだろうか。

 警戒は緩めることなくその道を真っ直ぐに歩くと、ふと何者かの気配がした。

 膨大な魔力、その属性。クーはその正体を、姿を見ることなく看破した。

 

「ジェームス・フォーン――貴様か」

 

 公園の方から姿を現したのは、赤い外套を羽織った白髪褐色肌の男。その両手に握られていたのは、二振りの剣だった。

 ここでクーは今日初めて表情を歪ませる。

 自分が『八本槍』を何人か相手にすることは予測できていたことだが、まさか直前でこの男を相手にするのは些か骨が折れる。

 近・中・遠距離戦闘の全てを網羅している剣士であり、彼の能力の特性上、いくらでも時間を稼ぐことはできる。故に今ここで時間を食うのは、時間制限もある今回の作戦では大きな痛手だった。

 少なくとも葵だけでも先に進ませる必要があるが、禁呪を解こうとする葵をシステム側は許しはしないだろう。仮にエトを向かわせたとしても、システム側に阻まれることは確実――

 

 ――そうだ、その手があった。

 

「なぁ、エト。お前こいつの足止めできるか?」

 

 その時、その問いの意味を脳が理解した時、エトの全身が一気に熱を帯びた。

 戦いの前の高揚か、それとも対峙する相手があまりにも強敵過ぎることへの恐怖か。

 鞘に仕舞ったままの剣を握った掌が、じっとりと汗をかく。

 何故自分はここにいるのか。少なくとも、クーの戦闘や葵の解呪を見学しに来たのではない。ここに来る時に覚悟は覚悟は完了したはずだ。その時になれば、『八本槍』を相手にする準備はできている、と。

 

「足止め、ね。やってあげてもいいけど――別に、倒してしまっていいんだよね?」

 

 そうクーを見上げたエトの顔は、緊張に強張っていた。

 だが同時に、その凝り固まった笑顔の、どこか楽しそうな心境を、クーは見逃すことはなかった。

 その度胸を、クーは認めた。『八本槍』を相手に、足止めするのではなく、確実に倒すと。

 それだけの自信がなければ、技術や力だけでどうこうできるだけの相手ではない。

 故に、今回は彼を信頼すると決めた。彼の強さと、それを支えるだけの、彼の持つ『誇り』を。

 

「一端の口きくじゃねぇか。それだけ言えりゃ大したもんだ。やれるもんならやってみやがれ」

 

 鞘からそっと剣を抜くエトを横目で見ながら、クーは思った。

 少なくとも、この少年を弟子として育てた甲斐はあった。まさかここまで自分と似た者同士になるとは思いもよらなかったが、それ故に、今では立派な武人だ。

 戦闘経験こそほとんどないものの、その心意気だけは一流のそれだ。

 清濁併せ持つ、というのだろうか。醜く泥臭い自分を率先して肯定する少年を見て、どこかで確信していたのだ。この少年は大物になると。

 彼にそれだけの『誇り』があるのなら、たとえ『八本槍』だろうと、きっと超えられる、それだけのポテンシャルは確かに秘めている。

 

「無理すんなとは言わねぇ。全力でぶつかれ。そんで、死ぬなよ」

 

 クーはそのまま葵を引き連れて公園へと消えていった。それを目の前の『八本槍』は追おうとはしない。

 現在相手にするべき敵を、エトであると認識したのだろうか、それとも公園にも別の刺客はいるのだろうか、恐らく後者だろう。

 とにかく、ここで負けても、死ぬわけにはいかない。今の自分には、帰るべき場所と、待たせている人がいるのだから。




さてそろそろ舞台も整ってまいりました。
現在の対戦カードは、

・エトvsジェームス
・リッカ&ジル&シャルル&巴vsキャスターもどき

そして最後にアニキvsラスボスが待ち構えています。
とりあえずは風見鶏編ゴールまであと少し。初音島編も考えていきます。


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結束の疾風

一話に収めたら長くなりました。
複数対一って難しい。ホント難しい。


 視界が一瞬にして白に染め上げられる。

 閃光に目の前の全ての景色が奪われたリッカは、しかし自身の魔力感知能力とただの勘と直感で敵――『歩く禁呪(フォビドゥン・ゴブレット)』の猛攻を凌いでいた。

 恐らく巴は視界を奪われた状態での身のこなしは得意であろう、恐らくリッカよりも余裕を持ってこの状況を打破しているはずだ。

 一方でリッカには巴程の機動力はなく、相手の最高峰のレベルの魔法を相殺できる程の繊細な技術も持ち合わせていない。

 ジルは現在、シャルルと共に後方支援と清隆たち予科生の防衛に徹している。

 リッカにあるのは、他の追随を許さない圧倒的な魔力量と、それを十全に扱いきれる魔法の数々。その引き出しの中には、『歩く禁呪(フォビドゥン・ゴブレット)』を相手に唯一真正面から打ち合える禁呪もあるが――一度使えばその全てを看破され、次使う時に有効打を与えられないだろう。

 次の魔力反応を感知、咄嗟に魔法障壁を十時の方向、仰角四十五度に展開。次いで魔力の砲撃の着弾、腕にその重みがずっしりとのしかかる。

 相手の限界を推し量ることはできないが、恐らくこれでも最大出力の半分も出していない。

 砲撃と衝撃のぶつかり合う音に、リッカの舌打ちの音が一瞬で飲み込まれる。

 舌打ちの理由は相手の底の深さだけではない。このように魔法障壁で相手の攻撃を凌ぎ続けている限り、その衝撃による光の拡散で再び視界が白に染まり切ってしまうのも大きな課題であった。

 それが枷となって、巴の姿が見えず、連携を取りにくい。あちらがリッカの姿を捉えていたとしても、リッカは巴とは違い視界の確保に優れているわけでもなく、それに巴の戦術の特性上、彼女の魔力反応や気配を辿ることすらままならない。

 そう、この状況、明らかにリッカの方が足を引っ張っているのだ。

 

「――やっぱこのままじゃ拙いわよね」

 

 どうやら魔法障壁に頼らない回避方法を模索するしか、この現状を変えることはできないようだ。

 それを意味するのは、防御による安全策を捨てるということであり、ただ視界を確保するためだけに、敵の強大な攻撃に身を晒すリスクが生まれるということである。

 身を焦がすような激痛を想像して、一瞬怯んで逡巡した後――迷いを振り払うように駆け出した。

 青白い光線がリッカへと目がけて縦横無尽に飛んでくる。リッカが跳躍して回避したその場所は既に光線に焼かれ荒れ果ててしまっていた。

 一瞬の判断を誤ったらあの大地と同じ運命を辿る、そう考えるだけで恐怖と緊張に心臓の音がその鼓動を早めるが、どうにも運がいいのかこういう才能が元からあったのか、あるいは野蛮な旧友との旅路の中で慣れてしまったのか、今のとこはまだ生きていることを実感できている。

 そして、魔力同士の衝突がなくなったことから、十分に視界を確保できるようになった。リッカの睨む先はただ一点、黒いローブを纏った女だけである。

 カテゴリー5の頂点、元『八本槍』にして『歩く禁呪(フォビドゥン・ゴブレット)』の名を持つ魔法使い。

 そう、人格こそ完全に破綻していたものの、リッカとしても、その魔法に対する情熱と実力に関しては尊敬していたはずだった。

 

「――でもあんたは、未来を閉ざすための魔法を肯定した。魔法っていうのは、たくさんの人々の未来を照らすものなのに」

 

 それは所詮自分自身の価値観だ。誰かに押し付けるべきものではない。

 しかし同時に、自分の信念を、ここで折り曲げていいはずがない。妥協点が存在しないのなら、目の前に対立する敵を排除するまでだ。

 暴力的な解決はあまり好みではないが、相手がそのような方法でしか争ってこないのなら、同じ土俵で相手をするまで。

 そしてついでに、この最高峰を、頂点を、超えてやる――

 

「さぁて、かかってきなさいよ」

 

 獣が牙を見せるように、これでもかと戦意を滾らせて挑発の笑みを浮かべるリッカ。

 すると少し離れたところで浮遊していた魔法使いは、その腕を僅かに揺らす。その挙動だけで、数十はあるリッカの拳ほどの珠玉が四方八方へと飛び散り浮遊する。その内複数個、リッカの方へと飛んできたそれをかろうじで回避するが、どうやらその玉自身に殺傷能力はなさそうだ。

 そして『歩く禁呪(フォビドゥン・ゴブレット)』から強大な魔力が動くのを感じた。それは彼女に最も近い玉へと魔力が通され、一瞬にして全ての玉に均等に強烈な魔力の反応を生み出す。

 そしてこの布陣が、一体何を意味しているのか、すぐにリッカは悟った。

 第六感が危険を告げる。

 咄嗟に両足に風の魔法を展開し、機動力を上げ前方へと跳躍し地面に対し受け身を取り転がる。

 その動作の内に確認してみたところ、やはり玉から玉へと魔力弾がとんでもない速度で弾き飛ばされ、玉同士が動きつつ的確に相手を狙い撃つ算段だ。

 その性質上どこから飛んでくるのかは予測がつきやすいが、しかしこれはすぐに仕留めようというものではない。

 これは、じわじわと嬲り殺しにするための、そう、長期戦を視野に入れた戦法だ。

 魔力量、体力、魔法の技の引き出しと、あらゆる要素でリッカは『歩く禁呪(フォビドゥン・ゴブレット)』に劣る。故にリッカとしても時間が経つにつれて不利な要素はよりそのディスアドバンテージを増やしてしまう。

 相手の魂胆は、まず接近を許さない、体力を消耗させ早めに切り札を打たせ、その一瞬で防御及び回避に徹した後、打つ手のなくなったリッカを討つ、と、そんなところだろう。

 どこから弾丸が飛んでくるかは魔力弾の動きを捉えていればまず見逃すことはない。当たることはないのだからわざわざ食らってやる義理もない。

 リッカは一つの選択に照準を絞る。

 無数の玉と玉の間を潜り抜けながら、一直線に、真っ直ぐに、脇目も振らず、風魔法による推進力を用いて『歩く禁呪(フォビドゥン・ゴブレット)』へと飛び出した。

 

「かったるいのは大嫌いなの!さっさと片付けさせてもらうわ!」

 

 左後方からの弾丸を、視界の隅で確実に捉えてタイミングを合わせて自身の位置をほんの僅かに右にずらす。

 一瞬前にいた場所を、死の音を引き連れながら魔力の弾丸が飛び去る。その背中をリッカは静かに見送った。次々に玉を経由し迂回して再びこちらへと向かってくるのを確認する。

 リッカはワンドを軽く振って魔力弾を三つ生成、それを『歩く禁呪(フォビドゥン・ゴブレット)』撃ち出す。

 ただの魔力弾、しかしそれは飛び抜けた魔力の保有量を誇るリッカの渾身の一撃だ。並の魔法使いの障壁では紙を破るように通してしまう。

 しかし相手もカテゴリー5、力押しに頼ることなく、瞬時にその魔力弾の構成を把握し相殺する術式を練って、接触と同時に消し去った。

 リッカも想定済みだが、こうもあっさり対処されると妙に腹立たしい。

 もともと負けず嫌いな性格だったが、誰かさんのせいでその感情はより強くなっているようだ。

 敵の魔力の弾丸が三つに分裂したのを確認、一時停止して風の魔法を周囲に展開する。

 周囲の桜の花びらや葉、草木を引き千切り巻き込み、風に乗せて周囲に纏わせる。

 

「――ハッ!!」

 

 気迫を乗せ、草木を周囲に爆散させる。

 魔力の弾丸を打ち出していた弾は、草木に弾かれ、風に煽られてリッカの周囲から退くこととなる。

 同時に、リッカへと襲い掛かる弾丸の軌道も大きくずれることになった。

 リッカは再び風魔法でブースト、力の流れを右手に集中させるのを感じるように、小指から一本ずつ折り曲げ、拳を握り締める。

 閉じ込められ圧縮された空間の中で、蓄えられた魔力。

 そして、リッカと『歩く禁呪(フォビドゥン・ゴブレット)』の距離は僅か数メートルにまで縮まった。

 拳を引き、そして全身のバネを弾くように前へと突き出した。

 目の前の魔法使いは魔法障壁を展開、そこに掌の中で魔力を爆発させた拳が叩きつけられる。

 腕を伝い全身に響くような重い衝撃、そしてすぐさま打ち付けた拳に激痛が走る。

 接近戦を敢えて挑んだが、拳で殴るということに慣れていなかったのは戦略面でも肉体的にも痛かった。

 左手に持ち替えていたワンドを振るい十を超える数の魔力弾を生成し、後退と共に魔力障壁に打ち付けるも、効果はない。

 

 ――背筋に痺れるような悪寒が走る。

 

 後ろに退いたのは間違った判断だったか。足からの風魔法による出力を利用し、地面への着地までの時間を遅らせ調整していたことが拙かった。

歩く禁呪(フォビドゥン・ゴブレット)』は好機と見たのか、後退途中のリッカ目がけて、三筋の魔力光線を撃ち出した。

 

「しま――っ!?」

 

 咄嗟に魔力障壁を張るも、リッカ程度の魔力では目の前の大魔法使いの一撃を受け止めきれない。仮に直撃を避けたとしても、障壁ごと後方へと吹き飛ばされ、地面に叩きつけられて身動きが取れなくなるだろう。自分自身がダメージに慣れていないのは自分でもよく分かっていた。

 絶望の光で視界が埋め尽くされようとして、リッカは奇跡を願うように瞼を強く閉じた。

 

 一秒、二秒、三秒――

 

 しかし、走馬灯を見せられているのではと錯覚するくらいに、衝撃が襲い掛かるのは遅かった。

 いや、本当に奇跡でも起きたのだろうか。

 瞼を開くと同時、地面が近づいていたのに気が付かず、足が地に着くと同時によろめいてしまう。

 慌てて体勢を立て直し、見上げてみると、『歩く禁呪(フォビドゥン・ゴブレット)』は何故かこちらを見ていなかった。

 彼女の視線の先にあったのは――五条院巴だ。

 一度に大量のクナイを投擲しながら円を描くように敵の周りを駆ける。

 そして、手に持っていたのだろう、地面に叩き付けた爆弾から煙幕が膨れ上がり、彼女の姿をすっぽりと隠す。そのまま直線上に煙の中から彼女の姿はついぞ現れなかった。

 目を閉じていたため詳細は分からないが、どうやら何かしらの手を使って巴が魔力光線を妨害してくれたようだ。

 リッカは気を取り直して魔力を練り集める。

 自身の魔力を出力させ、大気の流れと同調し、その力を制御下に置く。

 鋭い刃物をイメージ――そう、リッカにとっての最強の刃物とは、いつも傍にいたあの英雄の真紅の槍。

 真っ直ぐに突き破る風の槍――一つだけではない、大小様々に、何十、何百と生成し続ける。

 その魔力反応を察知したのか、『歩く禁呪(フォビドゥン・ゴブレット)』の視線が再びリッカを捉える。

 

「いっけえぇぇぇぇぇ!!!」

 

 全力を込めて右手を前へと突き出した。

 その意志を受け取った無数の風の槍が、『歩く禁呪(フォビドゥン・ゴブレット)』目がけて飛翔する。

 巴のおかげで十分な時間を以って練り上げられた、最大出力の魔法攻撃だ。これでどこまで通用するか――

 流石に対応しきれないと悟った『歩く禁呪(フォビドゥン・ゴブレット)』は、素早く魔法障壁を展開する、が、槍を受けた瞬間、僅かに口元が苦渋に歪んだのを見て取った。

 どうやら、それなりに効果はあるらしい。

 徐々に、魔力障壁に亀裂が生じていく。リッカは攻撃の手を緩めることなく、連続して槍を生み、射出することを繰り返す。

 最強の魔法使いの正面から、右から左から、全方面からの一斉攻撃を前に、彼女はその場の空中に縛り付けられる。

 しかし、『歩く禁呪(フォビドゥン・ゴブレット)』程の腕の魔法使いなら、いくらリッカの全力といえど、力のリソースのほとんどをリッカに割けば、簡単に対処することはできるだろう。

 それをしないというのは、別の危険因子が今にも彼女に牙を剥こうとしていたからだった。

 そう、いつの間にか、音もなく陰から姿を現した巴が。

 腰に差してあった、鞘に仕舞われた太刀の柄に手をかけ腰を捻り、万全の態勢で抜刀術の構えを取り。

 反射光に煌めく白刃は、『歩く禁呪(フォビドゥン・ゴブレット)』の首目がけて死の軌道を走った。

 リッカの攻撃は止まない。そして、爆発音と共に発生した煙の中で、『歩く禁呪(フォビドゥン・ゴブレット)』の張っていた魔力障壁の気配が消え、槍との衝突音が消え去った。

 これで終わりなのか、とリッカがその結末を認めようとした時。

 煙の中から、美しい弧を描く三日月のような白刃が、回転しながら上空へと飛び出し、しばらくして地面へと突き刺さった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 魔法同士の衝突によるものと思われる光と、僅かに見える煙、そしてそこから飛び出した、月光に反射して輝く何か。

 離れた位置から、清隆はリッカたちの安否が気になって仕方がなかった。

 ここからリッカたちのいる戦場までの半分の距離当たりに、シャルルとジルが、清隆と姫乃、サラの防衛のために待機しているはずだ。

 先程から長い時間をかけて激しい争いの光が見え、音が聞こえてくる。運が良いのかリッカと巴の連携が功を奏しているのか、『八本槍』の魔法使いを相手にそれなりに善戦を繰り広げているようだ。

 ふと、制服の左腕の袖が誰かに引っ張られるのを感じた。

 

「兄さん……変なこと、考えてないですよね?」

 

 流石は姫乃、と言ったところだった。勘が鋭いというか、そもそも姫乃の魔法の素養はそちらの方面で突出していることを思い出した。

 主に清隆の心を読み取ることが得意で、今回の作戦でもその能力が成功のカギを握っている。

 今回も、そんな魔法を使うことなく、何となくで清隆の心境を読み取ってしまったのだろう。

 実際、清隆はこれからについて、よからぬことをしようと考えていたのだから。

 

「『八本槍』の魔法使いの実力がどれくらいのものかは分からないけど、多分魔法の実力だけで言えば、クーさんの槍の腕に匹敵すると考えた方がいい。だとしたら、いくらリッカさんと巴さんが協力したところで、勝ち目なんかないかもしれない」

 

 そう姫乃に現状を分析した結果を話してみると、サラが厳しい眼差しでこちらを睨んでいることに気が付いた。

 彼女言いたいことも、別に心を読むなどと大層なことをしなくても、ある程度分かってしまう。

 

「それが分かるなら、清隆が助勢に向かったところで、相手にしてみれば蟻が一匹増えたようなものです。行くだけ無駄ですし、最悪二人の邪魔になることだってあります」

 

 サラの表情が、強張って見えた。

 それは清隆を戒めているのと同時に、どうやら焦っているようだった。

 サラは清隆の性格というものを知っている。他人の好意に対しては酷く鈍感だ。それなのに他人が困っていると、誰よりも早くそれに気が付いて、何も考えずにとりあえず手を差し伸べてしまう、そんな少年。

 正義の味方などと言う大層なものではない。ただ過度にお人好しで、優しいのだ。

 だから、今回もまた、実力の差など何も考えず、苦しんでいるかもしれないから、ただそれだけの理由で飛び出そうとしている。それが酷く恐ろしくて、危うい選択肢であるということを知っていながら。

 行かせてしまえば、もしかしたら清隆が死んでしまうかもしれない。

 姫乃は姫乃で兄に甘い。普段は姫乃が清隆を尻に敷いているようだが、決断した清隆を、姫乃は止めることはできない。

 だからこうなった以上、サラが何としてもストッパーの役を果たさねばならないのだ。

 全員が何としても生き残って、最後のループが発生する時に、みんなで笑顔でいられるように。

 

 ――分かっている。

 

 こう言う時に限って、清隆は他人の考えていることが手に取るように分かってしまう。

 姫乃が自分のことを心配してくれていること、サラも自分のことを心配してくれていること。

 

「多分、長引けば、それだけリッカさんたちの方が圧倒的に不利になる。だから、どこかで流れを変えないといけない」

 

 覗き込んだサラの瞳が揺れた。その潤んだ瞳に映った自分の表情は、自分でこう思うのもどうかと思うくらいに落ち着いていて、まるで死ぬことすら受け入れてしまっているような表情で。

 多分サラも、そんな清隆自身の表情に、困惑と動揺を隠しきれなかったのだろう。

 

「そ、それで、清隆は今の状況をひっくり返すだけの策があるっていうんですか!?」

 

「ある」

 

 ――かもしれない。

 

 断言はできない。しかし断言しておかないと、二人を黙らせることはできないだろう。だから、彼女たちと、そして自分自身の心にも、嘘を吐いた。

 葛木清隆(じぶん)がどういう人間か、葛木清隆(じぶんじしん)がよく分かっている。

 

「姫乃も知っている通り、俺は眠りの魔法が得意だ。多分、この分野だけならリッカさんよりも上じゃないかと見積もっている。いや、実際そうだろう。そして、俺たち東洋の魔法っていうのは隠匿されてきたものでもあるから、その性質を看破するには時間がかかる。それに、元々俺に備わっていた魔法っていうのは、名家の魔法を受け継いだものじゃないからな。なおさら正体不明なんだ」

 

 葛木清隆は、芳乃(・・)清隆である。

 

「だから、俺の魔法は、あいつに届く」

 

 そのためには、まだピースが足りない。自分の力だけでは、この策は成立しえない。

 だから、清隆はそのピースを完成させるために、サラを見る。真剣な表情で、その瞳を覗き込む。

 

「サラ、やってほしいことがあるんだ。できるか?」

 

 その言葉に、サラは曇った表情で俯いた。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 リッカの風の槍による一斉射撃。

 巴の死角からの、それに相手の隙を完璧に突いた必殺の居合。

 チェックメイトと思われたその盤面は、あっさりと崩されてしまった。

 

「な……なんなの、今の」

 

歩く禁呪(フォビドゥン・ゴブレット)』は、リッカの一斉射撃を全て軌道を変えて一点に集め、それを自身の魔力としてエネルギーをそのままに変換、自身に纏ったそれは、向かってきたエネルギーを、纏ったエネルギーごとそっくりそのまま跳ね返す膜となった。

 その膜を斬りつけることとなった巴の太刀の刀身は、自身の太刀の威力とリッカの全魔法のエネルギーを全て受け、耐え切れずに真っ二つに折れてしまった。

 それに、どうやらダメージを受けたのは太刀だけでなく、その太刀を握っていた拳と、彼女の腕にも甚大な被害が出ているようだった。遠目から見ても、木の枝に飛び乗っていた巴は、肉が断裂し、その両腕は夥しく血を流している。

 だがその拳は未だに、折れた太刀を手放すことはしていなかった。

 折れている太刀を、巴はそっと鞘に戻す。そしてそのまま再び煙の中へと姿をくらました。

 今の攻防の中で一気に劣勢を強いられることになる。リッカは漏れそうになる舌打ちを噛み殺した。

 何とか差を縮めようも、そこから先はなかなか接近できずに一定の距離を取られたうえでの防戦一方、風魔法を用いたブーストを利用してある程度接近してもすぐに押し戻される。

 このままでは当初の彼女の方針のままに、長期戦を強いられて敗北への確定した道ヘと引きずり込まれる。

 何とか打開しなければ――しかしそのための糸口が全く掴めない。

 相手は、魔力は桁違いに多く、火力は馬鹿げているうえに防御も硬い。おまけにゼロ距離での対応も完璧だった。

 強いて言えば近接戦に慣れていないところに弱点がありそうだったが、そこまでこぎつけることができない。そして、リッカ自身も、彼女と同様に接近戦は苦手だった。

 故に、先程と同じように、リッカが突破口をつくり、そこに巴が一撃を叩き込む、という形が最も理想的なのかもしれないが、同時に相手もそれを悟っているだろう。

 とにかく、今のリッカには何とか一撃必殺の魔法を掻い潜りつつ、隙を縫って攻撃を加えるしかできることはなかった。

 

「くそっ……こんなのどうしろっていうのよっ……!」

 

 全身に絶望の影が覆い被さる。

 気持ちで負け始めていることに自分自身で気が付かない。そしてそれは、いつの間にか自分の挙動を鈍らせてしまうことを、クーならきっとよく知っているはずだ。

 そしてリッカは、まるで蔦に足を取られるかのように、躓いて動きを止める。

 しまった、心臓を握り潰される感覚に襲われた時にはもう遅い。

 動きを止めた一瞬で、『歩く禁呪(フォビドゥン・ゴブレット)』はリッカに対し、拘束魔法を展開しリッカを地面に縫い付けてしまったのだ。

 

『どうしても駄目だと言う時は自分の命を最優先しなさい』

 

 そう言ったのは紛れもなく自分自身だった。リーダーとして指揮していたリッカ自身が真っ先にその約束を破ることになるのか。

 悔しさを噛み締める。死ぬことが怖いのではない、負けるのが悔しいのだ。弱いということの罪の重さが、こんなところでのしかかることになるとは。

 きっとクーも、そして彼に育てられたエトも、こんな思いを繰り返してあれ程の強さを手にしたのだろう。

 自分は弱かった。だから負ける。そして、死ぬ。

 それはここで相手に拘束された時点で確定事項となっている。ならば、次にすべきことは何か。

 簡単だ。次に託す、それだけだ。自分ができなかったことを、誰かに引き継げばいい。そしてその役目に最もふさわしい人物も、ジルの他にいない。彼女なら、クーと自分と共に戦場を体験したことがある。

 魔力反応が一気に濃くなった。大がかりな魔法が展開されているのだろう。その魔法が何なのかは、『歩く禁呪(フォビドゥン・ゴブレット)』とは天と地ほどの差があるリッカには到底分からなかったが、その一撃で自分は沈む、それだけ分かっていれば覚悟もできる。

 

「誰でもいいっ、私の代わりに何とかしてこいつを倒して――っ!!」

 

 力の限り叫ぶ。多分巴には聞こえているだろう。

 リッカがいなくなることで戦況はさらに悪化の一途を辿る、巴ならそれくらいの判断をして、恐らくジルに助太刀を要請するだろう。実際、リッカの叫びを聞いた巴の表情は、苦渋の色が濃く表れていた。そこまでの予測が既に立てられていたのだろう。

 その時、視界の端で、弾丸のような速度で飛翔する、細長い物体が通り過ぎた。

 

「俺もやります、だから、リッカさんもッ!」

 

 その声の主は、細長い物体の正体は、清隆のものだった。

 青白い光を纏って飛翔する清隆のそれには、あまり大きな魔力は感じられない。つまりそれは、何者か――サラによる術式魔法を用いた出力の効果増強。

 そして姫乃当たりに魔力を借りて一気に飛び出し、脚部への魔力への集中により一蹴りで一気に『歩く禁呪(フォビドゥン・ゴブレット)』との超長距離の間合いを潰したのだ。

 死角からの一撃でもない、隠していた切り札でもない。

 そもそも清隆は戦力ではない。例えカテゴリー4という事実が相手の筒抜けだったとしても、所詮は魔法の扱いというカテゴリの中での話だ。それを実践で、しかも戦場で応用するとなると話は別である。

 それ以上に、彼らを守るようにジルとシャルルに指示したのはリッカ自身であり、最短距離でこちらに来るには二人の静止を振り切らなければならない。

 しかし、清隆が最短距離でなく、大きく迂回した上でこちらに来たのであれば――そしてカテゴリー5の頂点に届く魔法を清隆が持っているとしたら――

 それは、紛れもなく、たとえ相手がリッカたちの思考を魔法で読み取ったとしても到底知り得ない、リッカたちでさえ計画していなかった(・・・・・・・・・・・・・・・・・)不意打ちだったのだ(・・・・・・・・・)

 清隆の魔法は東洋独特の、道具に頼らない大胆かつ繊細なものである。

 そしてカテゴリー4の実力と才能から繰り出される、秘匿された魔法による一撃は、もしかしたら――カテゴリー5すらも凌駕する。

 そう、夢や眠りに関する分野ならば、清隆はリッカを差し置いて学園最強たり得るのだから。

 力いっぱいに掌を広げた清隆の中指の先端が、相手の衣服に僅かに触れる。そのタイミングで何かしらの魔法が発動されたのをリッカは認識した。

 同時に、清隆を振り払うように発動された魔法が清隆を襲う。

 それを予測していた清隆は、『歩く禁呪(フォビドゥン・ゴブレット)』に触れたと同時にすぐさま魔力障壁を展開――当然、すぐさま相手に看破されないよう、東洋の魔法の理論を用いたものである。

 砕かれ捻じ伏せられることはなかったが、その衝撃に抗えなかった清隆は遥か後方へと吹き飛ばされ、そこにあった一本の桜の木に激突する。

 その様子を、リッカは見ることはなかった。何故なら。

 目の前で、『歩く禁呪(フォビドゥン・ゴブレット)』の動作が明らかに鈍くなっていたからだ。

 いくら清隆が眠りの魔法で才能を開花させているとはいえ、『歩く禁呪(フォビドゥン・ゴブレット)』がその対策をとれないはずがない。そう、眠りに堕とされる魔法が相手なら。

 しかし、清隆が発動させたのは睡眠に導入させる魔法ではなかった。

 この場で誰一人としてそのメカニズムを理解できたものはいないが、彼が使ったのは、睡眠に導入させるものではなく、相手に直接『眠りたい』と思わせる、心理操作の類の魔法だったのだ。一度適応されれば、後は思うままに心が落ち着いて体が運動機能を停止しようとする。

 結論は同じものが用意されているが、そこに至るまでのプロセスが完全に違っていた。それを読み違えようものなら、この魔法を防ぐ手立てはない。

 相手の魔力反応が徐々に薄れ始めてきている。勝機は――ここだ。

 

 ――さあ今だ、切り札をかざせ。

 

「――禁呪、≪偉大なるテュポーンの術≫ッ!!」

 

 本来なら、その場の一帯を死の荒野へと一変させるほどの風の大災厄をもたらす魔法。しかし今回は、それを一点に凝縮させる道をとった。

 そのような大袈裟な技を、リッカは上手く操作することはできない。つまり、これを補助しているのは。

 

「リッカ!間に合ってよかった!」

 

 清隆の高速移動を察知したジルが、慌てて駆けつけてくれたのだ。そしていち早く状況を理解し、リッカの技のサポートを始めた、そして今に至る。

 今、リッカの両腕の中に、最強クラスの台風がその威力を凝縮させて抱えられている。これを、真っ直ぐに、ただ真っ直ぐにぶつければいいだけだ。

 

「これで、終わりッ!」

 

 正面へと、『歩く禁呪(フォビドゥン・ゴブレット)』の正面へと向けて、乾坤一擲の一撃を叩き込む。

 荒れ狂う暴風は一直線の破壊光線となって、世紀の大魔術師を襲った。

 

 ――轟ッ!

 

 届かない。

 その一撃は、僅かに意識を保っていた『歩く禁呪(フォビドゥン・ゴブレット)』の魔法障壁が受け止めきったのだ。

 これでも届かないのか、完全敗北を前に、リッカの胸が締め付けられるように苦しくなる。

 でも。それでも。まだ、終わってなど、いなかった。

 

 ――五条院巴。

 

 突如上空から降ってきた彼女は、暴風の直線攻撃に足をかけ、それを利用して真っ直ぐに飛び出したのだ。

 愛用の太刀はその刀身を完全に折られてしまったが、彼女の闘志は少しも捻じ曲げられていなかった。

 鞘に納められていた太刀の柄に再び手をかける。指先から滴る血が太刀を濡らした。

 そしてその距離は丁度、彼女の腕と折れた太刀の長さと同程度のものとなる。

 抜刀。折れた太刀は鞘に引っ掛かることなく、心地よい音を立てながら再びその輝きを露わにした。

 そして、その刀身は、魔法障壁を切り裂いた。そこに込められていたのは、清隆と同じ東洋の魔法、相手の魔法を、触れたと同時に解析し相反する力によって無力化、刀によって切り裂くものだ。

 これで、『歩く禁呪(フォビドゥン・ゴブレット)』を守る盾はなくなった。

 しかし、それではまだ足りない。

 忘れてなどいない。最初のチャンスが何故失敗に終わったのか。それはゼロ距離でのエネルギーの反射を可能にする魔法だ。

 このままではリッカの風の禁呪を纏って、その威力を膜として展開するだろう。

 そして、巴の太刀は返しの一撃では間に合わない。

 

 ――だが、この読み合いは、巴の法に軍配は上がる。

 

 魔法障壁を切り裂いた巴は、おもむろに鞘を手放した。そして、そこに隠されていたのは、鞘と同じように握り締められていた、折れた方の刀身だったのだ。

 返しの太刀ではなく、第二の太刀ならば、リッカの攻撃よりも先に目の前の相手に届く。

 そして、『歩く禁呪(フォビドゥン・ゴブレット)』は、近接戦に弱い。

 

「――借りは返したぞ、女狐」

 

 ニヤリと笑った巴は、自分の掌が切れることを気にせず思い切り握って血に濡れた、折れた太刀の刃を上から下へ、縦に振り抜いた。

歩く禁呪(フォビドゥン・ゴブレット)』が悲鳴を上げる。そして巴はすぐさま後方へと退避した。

 刀で斬りつけられ、血を噴きだしている『歩く禁呪(フォビドゥン・ゴブレット)』に暴風の一撃が襲い掛かる。

 悲鳴の声は、暴風に掻き消される。そして、その黒色のローブ姿は、自然の猛威に食い破られつつ、その姿を塵へと変えていった。

 その様子を見届けて、リッカはぺたりと地面へと座り込む。

 残ったのは、格上の相手を倒した達成感などではなかった。一つ間違えば死、という状況で何度も失敗した状況で、未だに生きていられたことに対する安堵。

 恐怖と緊張、絶望に固められていた体がようやく解放された。

 

「お疲れさま、リッカ」

 

 駆けつけたジルが、リッカの隣に座り込み、その身体を支える。

 親友が隣にいてくれていること、それを思うと、座ってなどいられなかった。

 彼女に体を支えてもらいながら、何とかして立ち上がる。

 障害を取り除いたが、ただそれだけのことだ。まだやるべきことはある。

 これまでのことが全て前座だということに溜息しか出ない。

 立ち上がったリッカは、少し遠い位置に見える、この地下最大の枯れない桜の木を見上げた。




次回エトvsアーチャーもどき。
こっちは今回よりも楽かなぁ、どうかなぁ(適当)


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傷だらけの勇者

この辺どうしようかそこそこ悩んでました。
難産っていうかなんというか。
頑張って次書きます。


 その後、幸い桜の木に頭部をぶつけて意識を失っていた清隆は、命に別状もなくすぐに快復して立ち上がることができた。

 身の危険も顧みず、自ら死地へと飛び込むような真似をしでかした清隆に、リッカは無茶をしないように厳重に注意をすると同時に、どうしようもない絶体絶命のタイミングで突破口を切り開いてくれたことに感謝の言葉を贈った。

 姫乃から一発ビンタを貰い、改めて仲間に心配をかけたことを反省する清隆。しかし姫乃はすぐに清隆の胸に飛び込んだ。

 生きててよかった。心配した。でも、安心した。泣きながら、清隆の胸の中で想いをぶちまけた。

 巴は腕を中心に、動くのに支障をきたす程の負傷をしていた。最後の決め手の斬撃を放つことができたのも奇跡に近い。

 巴自身もここから先は足手まといになると判断したのか、しばらくここで休んでから合流することにした。

 リッカ、シャルル、ジル、サラ、姫乃、そして清隆の六人は、最後の魔法の装置を自分たちの手で作動させるために、この地下で最も大きな枯れない桜の木を目指す。

 

 一方、その数時間前に遡る。

 ロンドン最大の時計塔、ビッグベンへと至る広い廊下に一人の初老の男、そして彼を阻むように、不敵な笑みを浮かべた青年が立ちはだかっていた。

 アデル・アレクサンダー――元『八本槍』の、禁呪のプログラム、『騎士』の一人。そして、英国女王陛下、エリザベスの側近にして懐刀、杉並。

 エリザベスを無事にビッグベンの魔法拡散装置の作動準備室に送り届けた後、すぐにビッグベンの異常を見つけ出し、駆けつけたのだ。

 そして、その争いは一方的なものとなっていた。

 廊下のあちこちには、戦いの中でつけられた傷跡と、そして血痕。

 しかし杉並は、それでもなお余裕の表情を崩さなかった。

 そう、一方的な戦いを強いられ、追い詰められていたのは、アデルの方だったのだ。

 アデルが鳥獣の召喚獣を五体杉並に向かって飛ばす。

 弾丸も斯くやという速度で飛来する光の鳥。杉並との距離はさほど離れているわけではなかった。

 微動だにしない杉並、しかし先頭の一帯が喉元を食い千切ろうとしたそのタイミングで、杉並の靴底が地面の石畳を叩いた。

 カン、と廊下中にその音が反響する。同時に、杉並の足元に丁寧に並べられていた石畳の内のいくつかが飛び上がった。そしてそれらは寸分たがうことなく光の鳥を叩き天井で押し潰す。

 次いで、疾駆。

 突然の接近に慌てて重装歩兵の使い魔を召喚、しかし杉並が指を鳴らすと同時にそれら全ては一瞬で消え去ってしまう。

 驚愕の色を表す間もなく懐に潜り込まれ、掌底が鳩尾を襲う。

 吐血、しかし休む間もなくその顔面は杉並の掌で押さえつけられた。

 掌と顔面の間で何かが光る、と同時に、アデルは爆発音と共に十メートルは吹き飛ばされる。

 のっそりと立ち上がるアデルを、杉並は揺らめくような笑みのままで見下していた。

 

「運が悪かったな、アレクサンダー」

 

 沈黙の中で、アデルの靴の音、そして杉並の声が響き渡った。

 アデルが次の使い魔を召喚しようとしているのを杉並は見逃さず、ひょいと右手の人差し指を上へと振った。

 アデルの体がふわりと宙に浮く。そして先程の石畳と同じように、アデルは天井へと叩きつけられ、そして地面へと落下する。

 

「流石にあの英雄王を相手取るのは骨が折れるが――銃を持たん歩兵など怖くもない」

 

 そもそもアデル・アレクサンダーが人の域を遥かに超越した存在である『八本槍』としての地位を手にすることができたのは、彼の召喚魔法による最大級の殲滅兵器、ギルガメッシュによるものが大きかった。

 現在英雄王はアデルの支配から自らを開放し、独立した意思で思考し行動している。最早アデルでは制御することはできない。

 他の使い魔も十分に脅威に値するものの、英雄王の比ではない。精々英雄王なしのアデルは、リッカと同等かそれ以下の存在に成り下がる。

 

「それに――」

 

 杉並が手を鳴らす。

 同時に、アデルの体がその場の地面へと叩きつけられた。石畳の地面がミシミシと崩壊の音色の序章を奏で始める。アデルの周囲の重力を操作し、突如強烈な負荷をかけたのだ。

 続いて懐からペンを一つ取り出すと、左手の甲に何やら紋様を描き始める。完成したそれを右手の平で強く叩いた。

 光の剣が杉並の周囲に出現、後方に五、前方に三、急加速と共に疾駆させる。

 杉並の背後の闇から牙を剥いていた獣の使い魔が全て消え去った。そして前方に飛ばした剣は次の魔法を行使しようとしたアデルの手の甲、腕、そして肩を貫いていた。

 重力負荷から逃れようと術式を展開するも、先回りして阻害される。完全に身動きすら取れなくなってしまった。

 この戦い、一度としてアデルは主導権を握れていない。常にアドバンテージを有していたのは杉並である。仮にも『八本槍』を相手にしているにも拘わらず、ここまで一方的な展開になる理由とは。

 

「『初見殺し』――それが俺の戦い方だ。同じ魔法は一生で二度と使わない、同じ結果を引き起こす魔法でも、そのプロセスは全く別のものを使う。故に俺の戦術は、対策できない」

 

 実際、杉並が索敵のために周囲に張り巡らせている魔力探査の魔法も三秒に一度更新されている。つまりこれを掻い潜るだけでも三秒以内に魔法の構成の認識、把握、逆算、相殺術式の構成、そして発動の流れをこなさなければならない。

 一度や二度なら可能だろうが、三秒に一度という超短期的なスパンを連続、継続して実行されると、掻い潜るのにどうしてもそちらにしか気が回らなくなる。そのため攻撃と防御に割くリソースが大幅に削られてしまうのだ。

 そしてそこに打ち込まれる、見たことのない構成の魔法に対処するだけでもその構成を読む必要がある。一方で力づくで破壊しようとしても、召喚する使い魔が、彼の発動する相殺の魔法によって一瞬で消去される。

 攻撃手段を絶たれ、防御が遅れ、そして戦略すらまともに練らせてくれない、そんな状況で戦闘を行うとなれば、敗北は必至である。

 

「陛下に反旗を翻す逆賊は、たとえ『八本槍』であろうと容赦はせん」

 

 重力負荷により地面に伏せられたアデルのうなじに向かい、取り出した針を直線に投擲する。

 音もなく突き刺さったそれは、魔法によって発光し、対象者の全身の生命活動を低速化、停止させ、命を絶つに至る。

 絶命したアデル・アレクサンダーは、霧の粒子となってどこかへと飛散していった。

 

「地下では英雄王が暴れ二人を同時に殲滅、パーシーも同志が圧倒、『歩く禁呪(フォビドゥン・ゴブレット)』もグリーンウッド一行が対処したか。『八本槍』ともなれば苦戦を強いられると思ったが、案外全体的に順調のようだな」

 

 同じ非公式新聞部の部下から送られてきた情報が羅列されたシェルの画面を眺めてそう呟く。

 ぱたりと閉じてシェルを懐に仕舞うと、不敵な笑みを浮かべて女王陛下の下へと急いだ。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 今日は過去最悪の天気だ。

 飛び退いた場所を後方から眺めていたエトは、流血する肩を押さえながらそう皮肉を思う。

 クーの行く手を阻む最後の『八本槍』、ジェームス・フォーンの相手を引き受けたエトだったが、戦闘態勢に入った次の瞬間にはその地獄の洗礼が始まっていた。

 上空から雨のように降り注ぐ刀剣の数々。突然の絨毯爆撃に動揺しながらも咄嗟に後退、躱しきれないものには自身の剣で打ち落とした。

 しかし同じ方向ばかりの刀剣を気にしていたばかりに、異なる方向から飛んできた剣に肩を射抜かれてしまった。

 燃え上がるような激痛を堪えながらも一旦飛び上がって建物の屋上に避難、屋根を撃ち抜く刀剣を躱しながら逃げてきて今に至る。

 

「まさしく雨みたいだ……」

 

 雨の中傘を差さずに歩いていると、どれだけ当たらないように努力しようと濡れてしまうものだ。むしろ、傘を差しているだけで塗れずにいられるのは十分にありがたいことなのだと痛感する。

 当然、刀剣の雨霰は傘などでは防げないからだ。

 呼吸を整え、肩の痛みを意識しないように努める。痛いということをなるべく意識しなければ、しばらくの間は堪え切れる。

 視界は広い。咄嗟の判断で屋上に飛び移ったのは正解だったようだ。

 どこからでも撃ち抜かれる可能性はあるが、同時にどこから射撃されても十分に反応できる。建物に進路を邪魔されることもなく自由な行動ができる。

 そもそも、障害物を利用した立ち回りといったトリッキーなことは、エトは技術も持ち合わせてはいないしそもそも向いていない。

 その広くなった視界の中、別の建物の屋上に飛び乗ったジェームスの姿が視界に入る。

 敵がどこからどのタイミングででも攻撃を仕掛けられる以上、時間を与える訳にはいかない。

 固有時制御(タイムアルター)は二倍速の状態でまだ続いている。

 蜂の巣にされる覚悟を固めながら、エトは建物の屋根を強く蹴り前に飛び出した。

 刹那、霧の間から、僅かに集めた光を反射する刃の光源を四つ発見、

 方向こそ異なる場面はあったが、現状ではその全てが真っ直ぐに飛んでくると考えていいだろう、エトはそれらが同時に降りかかる事態を避けるため、僅かに体の進路を左に逸らす。

 先に飛んできた左の二つを先に、続いて右の二つを打ち落とす。

 速度は落とさない。視線を敵の姿から外すことなくただ一直線に飛び込む。

 その姿に向けて振り下ろす、握り締めた剣。

 しかしそれは重く甲高い金属音と共に遮られる。

 エトの視線は受けられた自分の剣と相手の剣にはない。

 相手が双剣使いであるということは、剣を振り下ろす直前には気付いていた。

 受け止められた剣に自身のものではない力が加えられる。恐らく、弾かれると同時にもう一方の剣が振り下ろされるのだろう。

 ならば、と。

 相手の力に翻弄されることなく、その力を受け切る。

 エトの体勢を崩すために、ジェームスは攻撃を受け止めた剣を振り払う。そこに次の一撃を振り下ろす算段だ。

 振り払うための力を利用し、そこに反発するように剣を握る腕の力を加え、その作用によって距離を置く。

 直後、エトが飛び退いた先で地面――屋上の床が爆発した。

 エトの着地と剣の射撃はほぼ同タイミング。

 しかしエトはそこまで読み切り、着地の時にかかる負荷をバネの要領で踏み込みの力に変え、別の方向へと飛び退いたのだ。

 屋根から屋根へと飛び、降りかかる数多の刀剣を切り払う。

 大まかな行動パターンを読まれたのを察したのか、ついにジェームスが本格的に攻撃に移った。

 刀剣の投影射出と同時に自分の手に握っていた同じ型の双剣をエトに向けて放る――その足で踏み込みエトへと急接近を試みる。

 エトは敵の接近を確認、防御行動はとらない。後手に回る対応は各上相手に劣勢を強いられる。

 ならばこちらが起こすべきアクションは、無謀とも言える、攻撃に対する襲撃。

 弓兵隊の矢のように降り注ぐ刀剣を前に剣を構え踏み込む。こちらに飛び込むジェームスと正面から衝突する形だ。

 同じ建物の屋上で、同時に足を床に着ける。それぞれの脚力により平らなコンクリートに二つの穴と亀裂が生まれる。

 先制攻撃はジェームス、やはり『八本槍』の剣筋の速さは並ではない。

 エトはそれを認識することなく直感と予測のみで、およそ最小限とは言えない動作により僅かに距離を空けて回避、しかしその無駄を埋めるようにすぐさま地面を蹴り反転。

 ジェームスの視線が背中越しにこちらを捉えていることを把握しつつ、その背筋に刃を突き立てる。

 しかし彼は前転で直進の勢いを殺すことなく避けきり、その流れで飛び上がりエトへと向けて剣を放る。

 このくらいなら回避する必要はない――一瞬の判断の後に、前に踏み出し飛んできた剣を斬りつける。

 その瞬間、剣の刃から亀裂が生まれ、そこから光が生じたのを見て、エトの背筋に鋭く悪寒が走った。

 

「しまっ――」

 

 ジェームスの放った剣が爆発を起こす。

 建物諸共爆発に巻き込まれ、周囲を焦げた匂いと土煙の異物だらけの空気が充満する。

 その破壊された建物の瓦礫の中に、エトの亡骸は横たわってはいなかった。

 ジェームスが視線を映すと、その建物の先のもう一つ後ろの建物の屋上にエトはいた。

 

「……えっと、これで全力の何割くらい出してるのかな」

 

 そう絶望感溢れる台詞を吐きながら、エトはその身を震わせていた。

 満身創痍、肩は剣に刺し貫かれ、今の爆発も直撃こそ避けたものの、回避の代償にした左腕は制服が焼け落ちて皮膚が爛れ、指先から血がぽたぽたと滴っている。咄嗟に左腕を魔力で覆った即席のバリアおおかげで、丸ごと吹き飛ばされずには済んだ。

 更に剣の爆発により四散した鋼の欠片が全身を切り刻み激痛を残していった。

 身体が痛みに耐え切れず、悲鳴を上げ始めている。その結果が痙攣する四股だった。

 エトの皮肉染みた問いに、当然ジェームスは答えない。エト自身回答を求めていない。

 

「ハハハ……」

 

 言語中枢までおかしくなってしまったのだろうか、何か言葉を絞り出そうとして出てきたのは意味不明な乾いた笑い声だった。

 どれだけ絶望的であろうと、それで敵はエトを待ってはくれない。

 死を与える刺客が視界内で徐々にその姿を大きくしていく。目の前に迫るのに、一秒という時間を要しなかった。

 拙い、と思った時には剣を握った右手が前に出ていた。

 生存本能のみが刻み込まれた動作をトレースし剣を振るう。

 双剣を使いこなす相手に片手剣で三合打ち合うも、その剣捌きの速さについていけない。

 四合目の逆袈裟に対応できず、右脇腹から左肩にかけて一直線に刃を通してしまう。そしてその軌道上に、鮮血がパッと咲いた。

 失血の影響か、一瞬意識が飛んだ。しかし鳩尾に入った蹴りにより一瞬で飛びかけた意識が体に戻される。嘔吐感に苛まれながら隣の建物に叩きつけられる。

 建物の壁から剥がれ落ち、今度は地面に落ちると同時に、横たわった状態で食道に込み上げるものを吐瀉した。

 口から出たのは赤黒いものだった。再び意識が遠のきそうになる。

 

「あぁ……苦しい、なぁ……」

 

 うつ伏せに倒れた状態で、掠れた声でそう呟く。

 痛みから、苦しみから、現実から逃避しようと思い浮かべたものは、一人の少女の姿だった。

 青髪のツインテール、小さな体に大きな使命と責任を背負う少女、サラ・クリサリス。

 こちらが手を差し出せば、彼女は困惑しながらも笑ってこの手を掴んで引っ張ってくれるだろう。

 仕方のない人だと主導権を握ろうとしながら、頬を染めて駆けだしてくれるだろう。

 

「ハハ、ハ……」

 

 やはりおかしくなってしまっている。こんな状況で、だらしなくも女の姿など想像して、その光景に笑ってしまっている自分が、おかしい。

 壊れてしまった――それでもいいのかもしれない。あらゆるものから解放されるのなら。

 そう思えば思う程、身体が勝手に力を入れようとする。立ち上がろうとする。いつまでも横になっていれば、これ以上彼も立ちはだかることもないだろうに。

 今思い浮かべたこの少女の姿は一体何だ。自分にとって――エト・マロースにとって、どんな人間だ。

 たとえ彼女が見ていなくとも、瞼の裏に焼き付いたこの可愛らしい姿を前に、情けない泣き言に押し潰されて寝転がっているのは、あまりにも格好悪いだろう。

 目を閉じた暗闇の中に彼女の姿を写していられる間くらいは、せめて格好つけていたいだろう。

 そして目の前の絶望的な敵に立ち向かって、激戦の果てに、ヒーローのように全力の一撃で相手を打ち倒し、そして、カッコいいねとヒロインに抱き留められる――そんな子供じみた妄想を、せめてなぞってみたいではないか。

 

「ハハハ――」

 

 おかしい。

 自分でも何がしたいのか分からなくなっている。

 血と鋼の闘争に身を投げ入れ、命のやり取りをする戦場に足を踏み入れた、身の程を弁えぬ子供の末路。

 どうせ敗北の先に末のは死のみ。失うものは命だけだ。

 なんだ、ここで立ち上がっても、ここで立ち向かっても、寝ているだけとの違いなんて、その程度なんだ。

 頭がそう思考している頃には、エトはもう立ち上がっていた。

 その背中に、更なる絶望が覆い被さる。投影射出された、大小様々な刀剣の数々。

 エトは剣を握り、振り返る。

 そして、肺一杯に空気を吸い込んだ。

 

「ハアアァァァァァァァアアアアアアアアア!!!!」

 

 乾坤一擲。

 魔力を掻き集め術式魔法によって出力を増大させた剣の一振りが、その剣圧を最大限に高め、降りかかる刃を一撃で全て吹き飛ばす。

 心の中の靄が晴れ渡るようだ。雨のように降り注ぐ刀剣が、まるで雨雲が過ぎたかのように一滴も落ちてこなくなったからかもしれない。

 エトは血に塗れ土の付着した拳の中で剣を握り締める。これだけが信頼に足る刃。これだけがこの既に使い物にもならない体を動かし続ける魂。

 敵の加速、接近。その動作に合わせ真正面から飛び込む。

 先制して飛んでくる刃を剣先の僅かな動作で討ち払い、無駄のない流れで敵を斬り捨てるための予備動作に入る。

 衝突――振り下ろした剣が相手の横に薙ぐ双剣に阻まれる。剣を握る右腕がその反動による衝撃を受け痺れが走る。

 ジェームスの第二撃、素早く右手を引いたエトの剣の柄の先端がかろうじでこれを阻む。

 変則的なガードにリズムを崩されたジェームスは一度後退、追撃を許さぬよう十数の刀剣を投影しエトへと放つ。

 エトはこの後退を、絶好の機会と捉えた。

 左足を前に半身に構え、右手で握る剣を引いてその先端を相手に向ける、刺突の構え。

 そして彼の剣の刀身から、真紅の光が溢れ出した。

 力のこもる両足の、その圧で地面を砕く。

 口でゆっくりと空気を吸い、肺の中で酸素を満たし血液中に行き渡らせる。

 そしてゆっくりと肺の中の不要物をゆっくりと、すぅっと吐き出す。

 

 ――固有時制御(タイムアルター)――四倍速(スクエアアクセル)

 

 大地を蹴る。粉砕された、舗装されていた道路の下の地面が更に亀裂をつくる。

 弾丸の如く飛翔する無数の刀剣に、真正面から相対するように飛び出した。

 紅く輝く光は、その衰えを知らない。

 

「――≪偽槍・舞い穿つ紅閃の槍(ゲイ・ボルク)≫」

 

 紅い隕石が駆け抜けた。

 こちらに向かい飛んでくる刀剣を羽虫のように弾き飛ばし、未だ空中で体勢を整えられないジェームスへと肉薄する。

 その真紅の光は、ただ目的物を破壊することのみを運命づける。

 ジェームスは咄嗟に刀剣を以って障壁を生み出すも、瞬間的に破壊され砕け散る。

 そして。

 

 ――剣先が、肉体を穿った。

 

 エトの剣の発する紅い光は既に消え去っている。

 ジェームスの動きも完全に止まっていた。

 そう、彼の動きが止まっていたのは。

 

「……ぅ、あ」

 

 エトの動きが、完全に停止していたからだった。

 その横腹に双剣の一方を叩き込まれ、同時に吐血。ただしジェームスもこの時ばかりは攻撃時に差し出した左腕が完全に機能を停止していた。

 しかしそれ以外はジェームスは無傷。エトの一撃を受けてしまう前に、空中での体捌きでカウンターを叩き込んだのだ。

 エトの一撃は師匠のオリジナルとは違い、因果の逆転までは成立しない。

 あくまで目標をロックオンし、それを確実に破壊するまで障害物を無視し破壊して追跡するものだ。

 つまり、効果が発動してもその動作中に術者を止めてしまえば多少負傷してでも阻止することができる。

 ジェームスはエトの横腹から剣を引き抜くと同時にその腹に蹴りを入れて地面へと撃墜する。

 今度こそ、エトはその意識を完全に手放し、夢へと堕ちていった。




エト、ここで脱落か……?
次回へ続く。


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葵=アオイ

お久しぶりです。
気が付けば何故かいつの間にか忙しくなっているって、たまにありますよね。


 長く複雑な裏路地を抜け、直前で遭遇したジェームスをエトに擦り付けて、真っ直ぐに一直線。遂にクーと葵は目的地へと辿り着いた。

 葵が霧の禁呪を発動させるために用いた場所が丁度ここの公園だったらしい。彼女の表情からしてもここに来て緊張の色が強まっているのがよく分かる。全身が強張って固くなっているのがクーには理解できた。

 後方で爆発音や剣戟の音が聞こえる。どうやら戦闘は今しがた始まったようだ。

 そもそもの実力の差、そして実戦経験の差、心構えの差など、人に剣を向け始めて日の浅いエトと、元『八本槍』の差という要素はこれでもかという程散りばめられている。

 とは言え仮にもここまで武術紛いの指導をしてきたのは同じ『八本槍』であり、自称地上最強のクー・フーリンだ。それくらいの埋められない差など予測の範囲内で、あの発言――彼を倒すと言ったのだろう。今更気にかける必要もあるまい。

 そして――

 

「――せっかく来てやったのに迎えの一つも寄越せねぇのかよご主人様」

 

 低い声音で挑発気味にそう声を飛ばすクー。

 クーが微笑を浮かべ睨みつける先。葵も追って公園の奥へと視線を向ける。公園の中央の広場で、白い霧が徐々に集まり、黒く変色しつつ物体を形成しつつある。

 やがてそれは密度を増し、丸い輪郭を浮かべ、その曲線を一つの形へと確定させる。

 続いて輪郭の中で凹凸が生み出され、その部位の機能を与えられる。漆黒だったそれらは次第に様々な色へと変色し、見る者にとって不自然でない形と色合いを再現してみせた。

 そう、再現したのだ――陽ノ本葵という人間の姿を。

 片方だけリボンでサイドアップした栗色のショートヘア、小柄ながらも起伏に富んだ女性らしい体つき、幼げな顔つきと大きな瞳、そしてその服装までもが完全に一致している。

 

「遅れてすいません。霧になって周囲を監視していたものですから」

 

 陽ノ本葵となった霧の結晶は、恐らく地上に蔓延する霧と同化して、あるいは尖兵となっている元『八本槍』の連中の意識とリンクさせて、情報を収集していたようだ。

 彼女がここで実体化したのも、二人が正式な方法で霧の禁呪の解除を目論んでその目的地――彼女からすれば守るべき本陣に踏み込んだからだろう。

 故に、彼女がこれから取るべきは、力づくでの驚異の排除、つまり戦闘である。

 

「――にしても、本当にそっくりだよな、っていうか、あれ本人だろ」

 

 困惑しつつも笑みを浮かべるクーは傍にいる葵に視線を向ける。

 その意図に気付いた葵はそっと瞳を伏せた。

 

「間違いありません。この霧を生み出したのが私で、その根源が私の、死にたくない、という思いだとしたら、それが具現化したのがあそこにいる私なんです」

 

 この地上に展開されている霧の魔法は陽ノ本葵のマイナスの感情がきっかけとなって発動したものだ。そのマイナスの感情が擬人化したとするならば、それは陽ノ本葵の姿をしていて当然だろう。

 そしてその存在は、紛れもなく、死に恐怖していた以前の葵本人そのものである。

 見た目も同じ、持ちうる人格も同じ、経験も同じ、当然同じ状況下での挙動や言動も同じ。視野の外でシャッフルされてしまえば見分ける術は一切ない。

 

「――聞いてください、私。私には、私自身のことを信じてほしいんです」

 

 紛れもなく本物のアオイ、ただし霧の禁呪により生成された負のアオイが憐れんだ瞳でクーの隣の葵に語りかける。

 もう一人の自分、いや正しく自分自身の言葉を聞いた葵は戦慄し一歩後ずさる。

 

「私は我が儘になってもいいんです。世界が私を阻む壁になるのなら、ワタシがそれを退けてみせます。私が恐怖するのなら、ワタシがその恐怖を遠ざけます。私たちは間違ってないんです」

 

 泣きそうな顔でアオイは葵に問いかける。

 誰が悪いのか――誰も悪くないと。

 この世界は平等か――ワタシが平等にしてみせると。

 崩壊する秩序は――彼らの深層心理がそうさせる、彼ら自身が本当に望んだ結果だと。

 

「――そんなの、間違ってます」

 

 擦れるような声で、葵がアオイに向かい反論する。

 

「間違ってないんです。確かに霧の禁呪の性質上、彼らはより本能的になり、攻撃的になり、狂暴化するでしょう。でも、闘争が起きても、略奪が起きても、大量殺戮が起きても、ワタシが全て元に戻してみせます。今まで通り、なかったことにすればいい。そうすれば再び彼らは同じ夢を見ていられるんです」

 

 長い話に眠くなりそうなクーは、暇潰しに考えてみる。

 確かにアオイの話は事実だ。人間の本能というものは極めれば攻撃的なものである。飢餓に陥れば他者から強奪し、安全な住居を確保するためには身近な敵を潰して最適な場所を選び、愛欲に飢えれば力でねじ伏せ強引に犯す。

 そう言った、人の持ちうる闘争本能は社会秩序や法律・ルールという概念に固く閉ざされ、人々は理知的で倫理的な社会動物を演じることを強制されている。

 社会という神が、そして他人が人を監視し、枠からはみ出た者を罰し矯正する現状、それが正しく機能している現代を、誰もが口を揃えて『平和』と謳う。

 しかし、欲望というものが封印された人々は、理性という檻で本能を固く閉ざしている。言い換えるならば、魂のレベルでしたいと思っていることを行動に移せない状態である。

 その制限は、模範的でいることを強制される社会では、絶えず人々の心を摩耗させる。幸福そうに見えて、誰もが苦しんでいるのかもしれない。

 そして、葵が生み出し、アオイが構築したこのループ世界は、まさしくその檻を徐々に破壊し本能的な行動を許容するものだ。

 どれだけ他人を陥れようと、他人の生命を脅かそうと、半年というタイムリミットが訪れれば再びリセットされる。その時点であらゆる損失はゼロとなる。

 したいと思うことを本能の赴くままに実行に移し、かつそれが世界に許容され、そして一定時間後にはその罪悪感すらも失われ、その全てがリセットされる。これのどこが不自由な世界だというのだろうか。

 考えたことがある人も多いだろう。例えば、夢だと分かっていたならば、登場していた可愛い女の子を無理矢理犯しただろうにと。登場していた憎き奴を残酷な方法で惨殺しただろうにと。

 それが実現してしまうのが、この歪な世界なのだ。

 

「――もっとも俺様自身はここに来るまでそんなしがらみに囚われてすらなかったけどな、っつかこれも作り物の記憶か」

 

 元々クーの記憶では、風見鶏に来るまでは社会というものに囚われずあらゆる地で放浪してやりたい放題に生きてきたわけである。

 しかし一人呟くクーの言葉は二人の葵には届いていない。

 

 ――既にクーの中には一つの結論があった。

 

 たとえすべてが偽物だったとしても、この記憶にある、自分の生涯を支えてきたものは挑戦と闘争だった。

 たとえそれらが作り物の贋作だったとしても、この時点で存在している、自我を持ったクー・フーリンという自分ならば、この記憶と同じことをしただろう。

 挑んで、立ち向かって、死ぬほど苦しい思いを何度も繰り返して、それでも最後に勝利をもぎ取る、それがクー・フーリンという男だ。

 僅かでも未来を望む少女がいて、目の前に立ちはだかるもう一人の自分がいて、自己嫌悪と絶望に押し潰されそうで、たとえ抜け出したとしてもその先に望まぬ死が待ち構えていて、それでも――それでもなお一歩を踏み出したいというのなら。

 騎士として、いやそのような立派な身分でなくとも、一人の男として、槍に全てを捧げてきた挑戦者として、その道を切り開いてやるのも吝かではない。

 そして、結論はこうだ。

 

 ――アオイを黙らせ、葵を未来に連れていく。

 

 それは酷く傲慢な話だと自身でも気が付いていた。

 言うなればそれは、『自分でもできたのだからお前にもできるはずだ』というスタンスに他ならない。

 クー・フーリンという男はいつだって挑戦者で、数多の絶望的状況を乗り越えてきた。同じように葵にも、今目の前にある絶望的状況を乗り越えてもらいたいと。

 それは期待であり、信頼である。

 この世界において最高峰とされた集団『八本槍』の一人、クー・フーリンの期待、信頼はあまりにも重過ぎる。

 一方で、過度な期待をかけたクーもまた思い出していたのだ。

 かつてその期待に頷いた葵の瞳は、数えきれないほど叩きのめされても立ち上がりクーに追い縋ろうとしたたった一人の弟子の、意地と狂気を孕んだ瞳と似通ったものであったということを。

 故に――

 

「――行けるな」

 

 その小さな肩に、ごつごつとした掌が乗せられる。

 アオイの弁舌に反論する言葉を失っていた葵は、その感触にハッと顔を上げ、切れるような鋭い真紅の視線にぶつかる。

 

「――はい」

 

 そして、息を呑んで大きく頷いた。

 右手に握る真紅の槍を今一度握り直して確認する。それだけで、今の自分がものすごく調子がいいことが実感できる。

 本当に気分がいい。強敵を前にした時の昂揚感、それだけではない。

 戦う理由がある。

 負けられない。負けたら全てが終わる。そしてまた、何も知らないまま繰り返しの世界に戻る。

 それになにより、この勇姿を語り継ぐであろう存在がこの背中を見てくれている。一介の戦士にしてみれば、それだけで格好つけられる理由になる。

 そんなやる気に満ち溢れたクーを憐れむような視線を向けて、アオイは静かに呟く。

 

「どうにもならないと、分かっているはずなのに」

 

「どうにもならねぇならどうしたって勝手だろうがよ」

 

「まさかそんな子供の我が儘みたいなことを言う方だとは思いませんでした」

 

「こんな狂った性格にした創造主様を恨むんだな」

 

 アオイの周辺の霧が――魔力が変動するのを僅かに感じた。

 それを確認するまでもなく、クーは一瞬のうちに身を屈め地を蹴り、弾丸のように一直線に飛び出す。

 先手必勝、いつも変わらないクーのスタイルである。

 僅かばかりの距離はただの一歩で、そして一秒を数える間もなく潰された。

 真紅の槍の穂先がアオイの喉元まで走る。

 微動だにしないアオイ。無防備に晒された細い首筋は凶刃によって鮮血を散らす――

 

「――おっと」

 

 真紅の槍が何か固いものに遮られ、一撃必殺は失敗に終わる。

 相手の出方が予測できない以上、深追いは危険である。迷うことなく離脱して距離をとるその瞬間に事態を把握する。

 黒い靄が霧散していくのが見えた。それは彼女に集まっていた霧の一部だったようだ。

 そしてその僅かなやり取りだけで相手のステータスを読み取る。

 

「へぇ」

 

 嘆息。こいつは今までに相手してきた奴を遥かに上回る面倒臭さに違いない。

 アオイはたった今、周囲に存在していた霧を操作していた。今回はそれを用いて即席の障壁をつくりクーの槍を遮ったようだ。あの僅かな時間だけで、十分な破壊力のクーの膂力と槍の鋭さを凌ぐ堅牢さを発揮している。

 一瞬という時間があれば多少相手が人の域を超えていようとその一撃を軽々といなすことができる防御力と、当てることができれば瞬殺できる攻撃力を生み出すことができると考えた方がいいだろう。

 そして問題は、それらの脅威に対して何の代償も支払う必要がないということだ。

 ただ彼女は周囲の霧を操るだけ。そしてその霧はこの地上で無限に存在している。

 最悪、このロンドンの街の中に充満している霧を総動員させれば、この街諸共クーを始末することも簡単だろう。

 それをしないのは、他でもなく術者である葵がこの街の中にいるからだ。

 しないのではない、したくないのだ。

 

「あなたさえいなくなれば、ワタシは私と一緒にいられるんです。だったら、ワタシもその絶望とやらに抗ってみましょう」

 

 アオイは再び周囲の霧を操作する。

 霧と共に魔力を掻き集め、その効果によって僅かに体を宙に浮かせる。

 そして彼女はその左手に、一振りの剣を創り出した。

 それはどういう訳か、かの騎士王が愛用していた伝説の聖剣、エクスカリバーそのものだった。

 本来のそれが放つ太陽フレアのような一撃は、出力の程にも左右されるが、ある程度の威力を叩き出したい場合にはそれなりのチャージの時間を要する。

 しかし、それを彼女が霧を操ることで発動する場合にはその時間すらも不要、ほんの軽い一振りで死の濁流が襲い掛かってくる。

 

「≪約束された勝利の剣(エクスカリバー)≫」

 

 両手で剣を握り直しながら、その名を高らかに宣言――そして本当に軽く斜めに剣を振り下ろした。

 全身に電撃が走るような死の予感。本来のそれとは違う、黒い暴力が地面を抉り一直線に伸びてくる。

 以前霧の傀儡にされたアルトリアの一撃と比べて明らかに桁違いなその威力を前に、なす術はない。

 とにかく、全力で回避し逃げ切る。

 大袈裟に斜め後ろへと跳躍し、更に距離を置きながら回避に専念する。

 アオイから視線を逸らさないでいると、まるで子供が棒切れで遊ぶかのように、こちらへと向けて剣を幾重にも振りかぶる。

 その度に発生する漆黒の太陽フレア。ほんの数発撃っただけで既に公園の中はその地形を変えてしまっていた。

 その一撃一撃は重いどころの話ではない。僅かに指先が触れただけでも片腕が吹き飛び、頭部のどこかに掠りでもすれば首から上は胴体と離ればなれになるだろう。まして、無防備に全身で受けてしまえばこの身は塵も残らない。

 だが、それでもクーは、この状況を鼻で笑うことができた。

 即死級の一撃が次々と襲い掛かる。とても恐ろしく気の抜けない状況だ。しかしそれがどうした。

 

 ――いつもと同じことではないか。

 

 むしろ、これだけ大袈裟に強力な一撃であるとサイズ・迫力共に教えてくれるのなら、とりあえず回避することなど造作もない。

 更に付け加えるなら、この一撃も所詮は直線攻撃だ。振り下ろす動作さえ視認できていれば、飛んでくる方向だけは分かっているため、斬り込みの角度に注意しておけばいいだけの話になる。

 そして、戦士としての長年の経験は、この状況を一刻も早く体に慣れさせる。

 

「んじゃ、反撃開始」

 

 今まで横か後方に逃げて回るばかりだったクーは、攻撃と攻撃の合間を掻い潜って真っ直ぐにアオイの方へと飛び込む。

 それでも聖剣の黒い奔流は襲い掛かってくる。

 その直線攻撃の連続に慣れ切ったクーは、既に五手先の攻撃まで読み切った上で最小限の動作で回避しながら接近を開始している。

 真横を死が走り抜ける感覚に対し、既に恐怖はない。

 そして、たかが百数メートルを潰すだけなら、黒い奔流を避けながらでも十秒とかからない。

 真正面へと踏み込んだクーは、その胸元へと槍を叩き込むその前に、一度地を蹴って垂直に飛び上がる。

 霧を操り攻撃する以上、例えば死角となるアオイの背後からの一撃にも対応できるよう、全方向からの襲撃に備えての空中への移動である。

 そしてアオイへとその槍を叩き込む。それに合わせ、アオイは防御行動として剣を正面で構えた。

 力強い一撃が、アオイの剣を粉々に破壊する。続く第二撃で、アオイの脳天を、地面と共に串刺しにするように突き出した。

 突き出そうとした――

 

「――っ!?」

 

 今攻撃を加えようとした相手の少女から、引き攣ったような、声にならない悲鳴が聞こえた。

 その刹那の時の中で、クーはその瞳に驚愕と恐怖を見た。

 そう、まるで時間がすり替えられたような、そんな違和感を孕む少女の表情。

 例えば、気が付けば今まで味方してくれていた存在に(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)いきなり槍を向けられ(・・・・・・・・・・)殺されそうになっている(・・・・・・・・・・・)、そんな状況に直面しているかのような。

 胸糞悪さを覚え、危機感が瞬時に働いて、空中で突きだそうとした槍を、自分の腕の力だけで穂先を強引に地面へと突き立て、急な制動を加えられたことによる慣性の力で方向を転換。

 無理矢理な体勢の変更が祟って着地の姿勢は十分に隙を生むものだった。

 そして、顔を上げた時、クーは最悪の可能性を想定することとなった。

 アオイの声が聞こえてくる。

 

「あなたが槍を向けている相手は、本当に倒すべきアオイですか?」

 

 嘲笑うような科白が聞こえてきた一方で、二人の陽ノ本葵は、どちらも不可解だと言わんばかりの、驚愕の色で顔を染め上げて、足を震わせ佇んでいた。

 そう、クーが想定した最悪の可能性とは、槍で刺し殺す瞬間に、何かしらの因果の影響で二人の立場が入れ替わってしまう、ということだった。

 




一ヶ月以内に更新できたらいいなぁ。


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葵≠アオイ

実に二カ月ぶり。
待ってくださった人もそうでない人も大変お待たせしました。
なかなかの難産です。ラスボス相手の戦闘シーンってホントどうすりゃいいんだ……


 強壮な背筋に冷や汗が伝う。

 視界内にいる二つの人影は、寸分違わず全く同じ容姿をしている。

 普通に考えるならば、現在この広場の入り口付近にいる陽ノ本葵の方が本物、中央にいる偽物を屠ってやればいい。

 しかし、本当にそれでいいのだろうか。この二人を見分けるための判断材料は存在しない。それこそ、死角でシャッフルされようものならどちらが今まで一緒に歩いてきていた葵なのかも判別できない。

 全身が焦りで焼けるように熱くなるが、一方で頭からうなじにかけて、氷を滑らせたように嫌な冷たさを感じた。

 例えば、今ここで広場の中央にいる、恐らくアオイに槍を突き立てる。しかしその瞬間に葵とアオイの位置を何らかの方法ですり替えたのならば、意図せぬうちに葵を殺してしまうことになる。

 それだけは絶対に避けなければならない。

 しかし、同時にこの相手に限っては時間をかけているわけにもいかないのだ。

 四月の三十日、午後十一時五十九分五十九秒、それが全てのタイムリミットだ。そこからわずか一秒進んだだけで、全てを忘却し半年前へと戻される。

 その瞬間を見て、全ての記憶を継続したまま絶望する葵を残して。

 

「……メンドクセェヤツ」

 

 舌打ちと共に悪態をつきながら双方を見据える。

 時間制限ももちろんだが、彼女自身の力も厄介なものである。

 彼女自身が霧の核だとしたら、その周囲に充満している濃密な霧全てが彼女の力となる。

 そして周囲からかき集めた力による一撃は、まさに即死級のものだった。

 果たしてその戦闘技術が陽ノ本葵に由来するものなのか、あるいは先程彼女が≪約束された勝利の剣(エクスカリバー)≫を扱ったのと同様、あらゆる技能を備えているのか。

 後者の場合であれば、今相手にしているのは、今までの『八本槍』など比べ物にならない化け物ということになる。

 物は試しだ。クーは様子を窺うためにインファイトに出る覚悟を固めた。

 地面に亀裂が浮かぶほどの力で蹴り、弾丸の如く直進する。

 一方アオイは折れた聖剣を放棄し新しい得物として二振りの剣、そしてその周囲に同様の剣を空中で配置させ――

 

 ――空間が歪む。

 

「≪王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)≫」

 

 暴風に煽られ、急停止を試みる。

 地面の砂粒が煽られ舞い上がっているのか、あまりの風の強さに視界を奪われ目を開けていられない。

 その現状に耐えていられないのか、遠くで葵が悲鳴を上げている。クーからは助けに行けそうもない。

 やがて風が止み、砂粒が視界を奪うこともなくなった。すぐに視界を確保しようと目を凝らすと、そこには一面の砂の世界があった。

 踏み締める大地は柔らかい砂の感触――踏み違えば滑落する危険もある。

 雲一つない青空から降り注ぐ、まるで昼夜が逆転したように照り付ける灼熱の太陽光。

 これはそう、あの『八本槍』ジェームス・フォーンが使用する魔法と同じ、心象風景を映し出す固有結界。

 しかしこれに関しては、自身の心象風景を現実のものとして呼び出したわけではないようだ。当然、陽ノ本葵もしくはヒノモトアオイがこの砂地の続く世界で王になった経験などない。そして、そこにいるアオイの背後には――

 

「ここにいるのはこの世界で負の思念に囚われ夢に揺蕩っている人たち――地上に蔓延っていた黒い人影はもう見ましたよね?」

 

 アオイの背後には、数千にもなる武装した兵が整列している。これら全部が、夢に支配された者を魔法によって呼び出した存在だとでもいうのか。

 彼女は言う。今彼らは、現実と夢の区別もつかず、まるで芝居の勇者の一人にでもなった気分で、人を殺す偽物の大義名分を背負って武器を取り、ただ一人の巨悪を倒すために絶と上がっているのだと。

 夢の中に閉じ込められ、意識もないまま再び世界に呼び出されて、そして夢だと錯覚したまま気分のままに人を殺す、そう言う存在だ。

 それが本当かどうか、クーに確かめる手段はない。殲滅してアオイを追い詰めることは決して難しいことではないが――英雄クー・フーリンには似合わない方法だ。

 

「――さあ皆さん。今こそ理想郷を害する逆賊を打ち滅ぼす時です!」

 

『――応ッ!!』

 

 列をなす武装集団が、アオイの声に反応し、統率の取れた返事を上げ、音の大波をつくる。

 音波に全身を打たれたクーは、その衝撃に僅かに身を屈める。一人ひとりは有象無象でも、数を揃えて統率をとれば立派な軍隊となる。その上、全員夢の中で悪の竜を退治すると言わんばかりの気迫だ。一人ひとりの士気は恐ろしく高い。

 だが、こちらとて欧州でも恐れられる、世界最強と謳われる『八本槍』のメンバーの一人だ。その存在がどれ程の脅威を有するかと問われた時の表現は――一個師団を紙屑のように扱う化け物、である。

 各々の砂を蹴る足音がバラバラに鳴り、怒号となって迫り来る。

 砂煙を巻き上げつつ押し寄せる人の波は壮観であった。宵とは思えない陽光に照らされて、金属の光が煌めき目を差す。

 正しく剣を振ることもままならない、人を殺すどころか、家畜一匹殺したことのないような、平和慣れした素人ばかりの軍団。

 恐るるに足らず――だが、戦場にいるという昂揚感そのものは本物だ。迫り来る大波を蹴散らす、それだけで血が騒ぐ。

 なぜならクー・フーリンとは、戦場で輝く英雄なのだから。

 人と音の波に真っ向から立ち向かうように、槍の穂先を向け駆け出す。

 口角をあげて白い歯をちらつかせ、闘志と血の滾りを笑みへと変えて砂地を駆ける。

 そして小さな一人が大きな波に飲み込まれる数メートル手前、クーは前へと走る運動エネルギーをそのまま殺すことなく、上に飛び上がるための力へと変換する。

 跳躍すること数十メートル――上へと伸びる速度が停止した時、手に握る槍を逆手へと持ち変えた。

 そして槍を握らぬ左手で人差し指の腹を槍に当て、そして文字を刻む。乗せたルーン魔術の属性は、火と風。

 槍は不自然な色で輝きを放つ。落下が始まると同時に、クーはその槍を全身の膂力を最大限に振り絞り、地面へと向けて投擲する。

 無論、人の塊ではなく、その最前線から少し離れたところへと向けて、だ。

 

「≪突き穿つ死翔の槍(ゲイ・ボルク)≫!」

 

 核爆弾をも超越する破壊力を秘めた槍を、敵の最前線少し手前へと向けて投げ飛ばす。

 そして瞬間的に地面へと着弾、砂の間から光が漏れ、僅かな砂の盛り上がりを見せた次の瞬間、対戦車用の地雷でも爆発したかのような轟音と共に砂煙が舞う。

 高く飛び上がっていたクーでも感じられる高熱。その威力と恩恵は、十分に効果を発揮したようだ。

 火のルーンによる火力の上昇と、風のルーンによる爆風の威力の強化――その二つの恩恵を浴びた必殺の槍の一撃による爆発は、争いの経験のない素人集団を、紙切れを団扇で仰ぐように、あっけなく空へと舞いアオイの背の向こう、遠い空の彼方へと吹き飛ばした。飛ばした先は柔らかい砂地である。爆心地を浅めになるように調整しているため、基本的に吹き飛んだのは水平か僅かに角度がある程度だ。落下したとしても死者は出ないだろう。大怪我の可能性は十分あるが、命あっての物種ということで一つ、我慢してもらいたい。

王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)≫は恐らく、数の暴力で相手を殲滅するタイプの魔法だったのだろう。更に今回はその数の暴力を人質という意図としても使用したのだろうが、砂地という環境、そしてクーの持つ能力によってあっけなく攻略される。もしくは、呼び出した軍団の質がもう少しよければ――例えば平和な世の市民を使うのではなく、それこそ聖戦(ジハード)が行われていたり群雄割拠の大戦乱の時代であったり、そのような英傑が揃っているような時代でこの霧の世界を創り軍団を呼び出していたのなら、もう少し苦戦していたのかもしれない。

 だが、あいにく負の思念に捕まった人々の戦力はそこまで大きくなく、また風見鶏の対応が迅速であったこともあり、強力な個人を召喚させることもなかったようだ。

 

「まぁ、それがどうした、っていう話なんですがね」

 

 フ、とアオイが不敵な笑みを浮かべる。

 そう、彼女はこの状況で大きなアドバンテージを有しているのだ。当然それは、クーは「アオイ」を「アオイ」であると断定して攻撃できない、「葵」と「アオイ」という不確定要素が存在している以上、下手に攻撃して「葵」を負傷、最悪死亡させるという可能性を考慮しなければならない。そしてそれは、致命的な攻撃の手の鈍化を生み出す。

 決定打が、悪い意味での決定打になり得てしまう。

 大量の人が遥か彼方へと吹き飛ばされたことでこの固有結界を維持する意味がなくなったのか、視界の端から明るい砂世界が消え、その境界から元の薄暗い路地裏の公園の姿が蘇る。

 地面の感触を確かめると、元の公園の字面、固い土の地面へと戻っていた。

 首だけで背後を振り返り、葵の姿を確認する。現状だけでは、前方がアオイ、そして後方に葵であるようだ。

 

「さぁ、この私を攻撃してください。そうすれば晴れて、あなたと、そして()の願いは叶えられるのでしょう?」

 

 妖艶な笑みと共に、全ての欲望を受け止める肉体は、両腕を広げて立ち尽くす。

 それは絶対的有利から生じる余裕。

 クーにはそれを覆す手段がない。そもそも、その存在するかも分からない現象がどんなものなのかも理解できていない。

 可能性としては二つ――一つ目は、単純に葵とアオイの立場をそれぞれ入れ替えるだけの、テレポートのような物理的魔法、そして二つ目は、それよりも高度な、現象そのものを書き換えることで、葵とアオイの立場をそもそも逆だったことにする、時空そのものに干渉する魔法だ。

 前者であれば、最悪魔法の発動の瞬間を見切って柔軟に対応することができれば打開することはできるだろう。しかし後者であれば、能力の可能性によっては槍を刺した後でも書き換えることが可能なのではないかという推測が立ってしまう。

 卑劣ではあるが、卑劣に徹している故に、最大の防御と相手の時間の浪費を成功させているのだ。

 だから、アオイは、このスタンスを取り続けている限り、敗北はない。

 敗北がない、ということは、この世界は守り続けられる。そして、時間は過ぎ、新しいループ世界が始まる。誰も世界に危機感を抱かない、そして葵自身が今回の無駄を絶望し、再びループ世界にこもる決意を固めた世界が。

 アオイの思考は、戦術は、相手のタイムリミットがある現状で、最適解といえるものだ。そのための、この余裕である。

 

「――分かったやってやるよ」

 

 その声は紛れもなくクーのものだった。

 表情には焦りはない。諦めもない。何気ない普段のような顔つきで、槍を肩に担ぎ、そして学園の廊下を歩くような足取りで、真っ直ぐにアオイに近づく。

 そして焦りを感じたのは、今度はアオイの方だった。この不確定な現状を攻略する方法でも見つけたというのか。いや、そんなはずはない。この現象においてアオイはクーに対して何も説明していない。せいぜいが、アオイと葵の立場を入れ替えることができるかもしれない、という程度の情報を与えて不安を煽っただけだ。

 それがどうしてここまでのんびりと歩いてこられるのか――理解に苦しむ。

 そしてクーが正面に立ち、肩に担いでいた槍が方から離れ、片手で掲げられる。

 掌で高速で回転させ弄んで、再び握り締める。

 そして次の瞬間、その槍は一直線にアオイの脳天へと穿たれた。

 

「――ッ!?」

 

 その刺突を、アオイはかろうじで回避する。バランスを崩して地面へと尻餅をついた。

 そして、クーの紅い視線はアオイを見下す。

 

「――っどうして!?」

 

 真っ直ぐに伸びた腕をすぐに引き戻し、地面に座り込んだアオイへと向けで第二撃を打ち込む。

 アオイはこれを横に転がり躱して、次いで飛び上がり距離をとる。

 焦りと困惑が胸中を渦巻いている。理解、理解できない。

 

「俺様、気付いちゃったんだなぁ」

 

 挑発するような少し高めの声音で、クーはそう言う。

 相変わらずやる気のなさそうな、肩に槍を担いだ格好で話を続ける。

 

「何でテメェ、葵と場所をわざわざ入れ替えんの?」

 

 その質問に、アオイは喉を詰まらせる。

 それは答えられない質問だ。その質問に答えてしまっては、この現象がどういうものなのか看破されてしまう。

 クーがアオイとの距離を詰める。常人では躱せないような速度の槍が正面から狙いどころを変えることなく脳天目がけて突き出される。

 

「――っ……」

 

 いや、答えるまでもない。今アオイがこのように焦った行動をとっていること、そして余裕の笑みを崩してクーの攻撃を回避することに専念していることが、全ての答えだ。

 アオイは確信する――クー・フーリンは、このイカサマを見破ったと。

 

「なるほど、面白れぇ手品みせてくれると思ったが、ただのハッタリかよ脅かしやがって」

 

 そう、アオイは最初から何もしていなかったのだ。

 ただ言葉の上でクーの行動を牽制するような状況をつくり、相手の動きを鈍らせることで決定打を封印し続けただけのことだった。

 そもそも最初から二人の位置は入れ替わってなどいない、アオイの恐ろしいまでの演技力がクーの手を鈍らせただけだったのだ。

 

「大体テメェが葵と入れ替わることに、何のメリットもないんだよ」

 

 クーは看破した内容を語る。

 アオイの意図は、このループ世界を維持し続けること。この意図自体は、アオイの話していた会話の内容から十分に読み取れるものだった。そしてそのためにはこの霧の世界を保ち続ける為の核が存在していなくてはならない。

 そしてその核として選ばれたのは、この魔法を発動した術者である陽ノ本葵と、そしてもう一人、この魔法を発動したことでこの世界に迷い込んだ迷子(ロストボーイ)、さくらである。どちらかが死亡すれば、この世界は崩壊する。

 そう、陽ノ本葵が死亡した時点で、ループ世界は終了するのだ。それをアオイは許さない。アオイ=葵であるのなら、アオイもまた心優しい一人の少女から生まれた負の思念である。故に、葵同様他人が傷つくことをよしとしない。それは葵に対しても同じことが言えるだろう。

 つまり、アオイは葵を傷付ける選択を最初からとることができず、そしてその不作為的な動機は二人の状態のエクスチェンジを躊躇わせる。例えその全知全能のような力を以って可能せしめたとしても。

 しかし、クーの決意の源はそこにはなかった。

 

「生憎、それだけが理由じゃない」

 

 そう言って振り返った先には、覚悟を固めて握り拳を震わせる葵の姿があった。

 クーとの視線が合うと僅かに驚いた表情を浮かべ、そして力強く頷く。

 

「さっき一度振り返った時、俺はあのあっちの本物の顔を見た。その時にあいつは表情で語ったんだよ――」

 

 そうして再びアオイに向き直り、口角を上げ笑う。

 

「――『全力でやっちゃってください』ってな」

 

 葵は最悪自分が殺される可能性を想定していた。恐ろしくて泣きだしそうだっただろう、絶望的状況を打破できない今に苦しんだだろう。一般人である以上、痛いのも辛いのも苦しいのも嫌だったに違いない。

 しかし彼女はそれら全てを受け入れて、クーに全幅の信頼を託したのだ。

 最悪自分がどうなろうと構わない、この状況を攻略するために、全力で槍を振るってくれ、と。

 その覚悟が、死と向き合う眼差しが、クーの槍から迷いを奪った。

 

「――チェックメイト、だ」

 

 再び槍を構える。半身で槍を握り、後ろ脚に力を蓄える。

 槍に呪力が凝縮されていくのを、クー自身の肌がひしひしと感じる。

 アオイは葵との立場を交換することができない。たとえできるような能力があったとしても、その行為が分離したもう一人の自分――既に独立してしまった(たにん)を傷付け殺してしまう。

 だから、彼女には、次の必殺必中の一撃を受けるより他に、選択肢はない。

 距離としては三十メートルと少しくらいか。二十メートルを最初の一蹴りで潰す。残り十メートル。既に発動条件である圏内には突入した。

 呪力を一気に解放し、一つのイメージを頭に浮かべ全身に力を巡らせる。

 結果、結果を誘発させる。そして、結果を確定させた上で、その方法が遂行、達成される。

 結果とは単純にして明快――相手を殺す。命を奪う。心臓を穿ち、癒えることのない致命傷を与え、息の根を止める。

 そしてその結果が発生するためには、槍が必要だ。そう、槍を放つ。ただそれだけ。真っ直ぐに槍を、女の胸に叩き付ける。ただそれだけの話。

 踏み潰した距離――次の踏み込みのために地に片足をつけ、再び力を入れる。

 何千、何万と繰り返し、身体に刻み付けた槍の振り抜き方は、頭で考えるまでもなく、ただ人が呼吸し、歩くように、強く意識せずともその通りに体を運ぶ。

 槍を打つため、全身に一瞬力が籠められる。その瞬間、必殺技の発動を宣言した。

 

「――≪刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)≫!!」

 

 紅い残光が尾を引く。

 避けることもままならないアオイの胸元に吸い寄せられるように、槍はその牙を突き立てる。

 全身の血を集め、全身に血を送り出すための、人間にとって必要不可欠な器官。一度失えば、代替品を用意しない限り、確実に死ぬ。

 技が発動した瞬間、アオイの顔には、笑みの表情が張り付いていた。その意味を、クーは理解しない。

 槍がアオイの心臓を食い破り、大量の鮮血が地面とクーを真っ赤に染め上げる。

 

 ――はずだった。

 

 ほんの一瞬の間だけ、クーは意識を失っていたような気がした。

 気がしただけだ。実際に何かしらの攻撃や魔法を加えられたわけではない。自分の呪力が悪影響を与えたわけでもない。ならばその現象は気のせいと言わずしてなんとするか。

 しかし、全身が、槍を握るこの手が、確かに不自然を感じ取っていた。

 その訳は、その槍の先にあった。

 その状況に、クーは激しく動揺する。驚愕の表情を露わにし、槍を握る掌から、じっとりとした不愉快な汗が滲み出る。

 

 ――≪刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)

 

 それは心臓を突くという結果を確定させ、その上で槍を放つという、因果を逆転させた、必殺必中の槍である。

 寸刻前のクーは間違いなくその技を発動した。その呪力が爆発する様を自身で感じ取った。

 そして槍の刃先が、乙女の柔肌を突き破る感触を、確かにこの腕で、そして全身で味わったはずだった。

 しかし。

 アオイの心臓を完全に破壊しきったはずの、真紅の棒を更に赤く染め上げたはずの槍に。

 その刃先が見える。刃先を隠すための障壁がない。

 障壁がないということはつまり――

 

 ――アオイの心臓を穿っていない。

 

「――残念でした♪」

 

 僅かに視線を横にずらすと、そこには、尻餅をついたアオイが、妖艶な笑みを浮かべ、右手の人差し指を唇に当てて、致命傷どころか傷一つなく、その衣服にほつれ一つなく、五体満足の全身を地面に預けていた。




できれば来週には。
無理なら遅くとも再来週、いや三週間後には(震え声)


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ただ、奪え

長くなった。
色々と考えて考えて捻り出した結果、時間的にも文章量的にも長くなった。
このあたり実は色々と定まってなかったというのも事実。
とりあえず、お待たせしました。


 

 ――いつの間にか、目の前には一面の緑の景色が広がっていた。

 

 ここは草原だろうか。見上げれば晴天が広がっている。木々に囲まれた草原。風が吹き抜けて、草を揺らしていく。

 しかし、この場に立って、その風を頬に浴びたはずのエトは、その風を感じることはなかった。

 この風景は――この場所は――

 しばらくすると、その静かな景色の中に、二つの人影が写り込んだ。一つは長身の男の姿。それが誰かはよく分からない。もう一つは小柄な男の姿。こちらも誰かははっきりとは見えなかった。

 その二人は距離を取り、そして長身の男が手に持っていたものを上に投げる。

 コインか何かだろうか、回転する円状が空高く放物線を描き、そしてゆっくりと降下する。

 やがて距離を取った二人の丁度中心に落下――同時に二人は中心へと向かって走り出した。

 足の長さを考えれば普通に長身の男の方が先に中央へと到達するはずだが、手加減したのだろうか、二人がそこに着くのは同時だった。

 そして、二人がゼロ距離の射程に入った時、徒手空拳でのインファイトが始まる。

 手を出し足を出し、相手の手を足を躱し防ぎ、相手に致命的な一撃を加えようと、力と速度と技を競う。

 訓練か何かだろうか。お互いから殺気を感じることはないし、暴力的な雰囲気を感じ取ることもない。これは、エトとクーの師弟関係でのトレーニングのようなものだろうか。

 いや、その姿こそ見えないが、その光景は二人の鍛練風景そのものだ。

 長身の男はクー、小柄な男はエト。そしてその二人が、実戦形式で戦闘訓練を行っている。

 ならばこの風景を見ているエト自身が風を感じなかったことの違和感の理由がはっきり理解できた。

 これは恐らく夢か何かだ。

 いつかこの身で体験し、この目で見てきた数ある光景のうちの一つ。それを別の視点から、身体という概念もなくただ映像として見守っているのだ。

 霧の禁呪だかループ世界だかに巻き込まれる前、生きることを願って、強くなることを願って、戦うことを願って、貧弱な身体を酷使し、まるで願ったことと対照的な、無謀であり自傷的ともいえる鍛錬の数々を師匠であるクー・フーリンに叩き込まれてきた。

 そのうちの光景の一つ。

 殴られ、蹴られ、打たれ、転ばされ、投げられ、飛ばされ、それはもう、地獄の日々だったと言って差し支えない。血反吐を撒き散らし、全身の感覚を何度も失いながら、ただ前へ、前へと、目的を見失っても我武者羅に進み続けた。

 地獄の日々だった。しかし、辛くはなかった。苦しかったが、やめようとは思わなった。

 その痛みが、苦しみが、何かを成し遂げる糧になる――目の前の屈強な戦士が、言葉を用いず、ただその在り方のみでそれを示しているようにも見えたから。

 そう、ただ、信じたのだ。

 ベッドに伏せているだけだった自分が、何もすることができなかった自分が、姉に、家族に助けられるばかりだった自分が、自分を救った英雄と同じ道を辿ることで、何かは分からない――だが何か、誰かに誇れる何かをこの手に掴むことができるものと。

 この時は、自分が強くなって、少女に背を向け敵に立ちはだかって、まるで英雄譚の主人公のように誰かと戦うことがあるなどと夢にも思わなかった。

 強くなるための目的など、何一つとして持ち合わせていなかった。目の前の最強の男と、同じようにありたいと、ただそれだけを追い求めて。

 今の自分は、この夢の時の自分から、少しでも前に進めただろうか。

 戦闘技術では強くなった。それについていくことができるメンタルも成長しただろう。そしてその武力を振り回すための理由も見つけた。ただ一人のための、頼りがいのある勇者になりたいと。

 

「――」

 

 摸擬戦が終わったようだ。最後に派手に吹き飛ばされた少年は、地面の草の上を滑るように数メートル転がった。

 長身の男が少年に一言二言呟いて、彼に背を向け歩いて去っていく。

 かすり傷を幾つもつくりながら、ところどころを血で染めながら、少年は自分の体をぎこちないながらに立ち上がらせる。

 一歩、二歩。体中を怪我しているのか、千鳥足でゆっくり進む――が、その足はすぐに止まった。

 少年は、止まったまま動かない。夢の中で、時間が停止してしまったのだろうか。

 徐々に視界が暗くなる。この夢が終わりを迎えるのか。

 夢が終わって、目が覚めて、その先に待っているのは――一体何だったか。思考がうまく働かない。

 暗くフェードアウトしていく世界の中で、ただ一つ、その色彩を鮮明に保っている存在があった。それは先程までずっと歩みを止めていた、少年の後ろ姿だった。

 

『君はそんなところで、何をしているんだい?』

 

 その背中が、唐突にこちらに問いかける。

 恐らく、この夢の世界に、この夢を見ている実際のエトという存在はない。いわば実体のないカメラのような自分に、少年は声をかけたのだ。

 この夢を見ているエト・マロースという存在がいるということを理解して。

 

『現実から目を背けているのか、あるいは』

 

 言っている意味が理解できない。

 

『そもそも現実に帰ることができない――既に死んでしまったか、二度と目覚めない植物状態か』

 

 その声音は、まるで他人事のように淡々としたものだった。

 容姿が同一人物であるとは言え、夢の世界での彼と自分は他人であることには違いない。

 

『まあ、もし再び現実に戻りたいのであれば、少し僕の言葉に耳を傾けておくといいよ』

 

 まるで舞台演劇のような軽快な台詞。

 しかし背中を向けたままで、その表情をこちらに見せることはない。

 

『簡単に言えば、身の程を知れ、己の存在意義を知れ、本当に成すべきことに気付け、ってなかなか残酷なものなんだけど』

 

 笑っているのだろうか。もしそうなのだとしたら、それは明るくするためのものだろうか、それとも侮蔑の意味が込められているのだろうか。

 何にせよ、こうして夢から脱出することのできない現状で、彼を視界から外すこともできず、手足もないなら逃走することも足掻くこともできない。

 つまり、少年が言うまでもなく、最初から彼の言葉を訊く以外に選択肢などないという訳だ。

 

『そうだね、まずは何から話そうか――』

 

 相変わらず少年はその表情を見せることをしない。

 ただ、ほんの僅かに見える程度だが、考え込むような仕草をとる。

 

『決めたよ。いきなりで申し訳ないけど、最初から、僕がいかに君に見下した評価をしているか、ということから始めようか。正直に言わせてもらうと、君は勘違い甚だしい』

 

 唐突に彼の口から飛び出す罵倒。

 

『もしかして、誰かを守るために強くなってきた、なんて言わないよね。大切な友達や、大好きな女の子がいるのかは知らないけど、君にとっても僕にとっても、そんなものは後付けの理由でしかない。そんな中身のない理由で、僕たちは強くなったんじゃない』

 

 実体のないエト自身を、激情が襲う。

 もし今コントロールできる身体があれば、その手に武器がなくとも彼に拳を握って飛びかかったかもしれない。

 存在の全否定。生涯の全否定。エトにとって、それだけは許されない行いだった。

 

『空っぽの信念がそんなに大切なのか知らないけど、怒りを露わにするのは間違っている。僕たちは、あの小さな家から飛び出した時から、そんな崇高な理由で強くなろうとしたわけではないことを知っているはずだ』

 

 そう、その時は、ただ目の前の強者のように強くなりたいだけだった。

 先人に対する畏敬の念。それだけがエトを強く動かしてきた。

 だが同時に、ここ風見鶏に来て守りたいものが増えたのも事実だというのに。

 

『だったらまず最初の課題から済ませてしまおう。身の程を知ってもらおうか』

 

 少年が最初に提示した三つの課題――まずはその一つ。

 聞いてやる義理もないし、そもそも聞きたくもないのだが、選択肢がない以上仕方がない。

 

『簡単に済ませてしまおう。――思い上がるな。君は英雄でも勇者でも正義の味方でもない。そんな綺麗で立派な存在だといつの間に勘違いをしていたの?』

 

 存在しないはずの喉が詰まったような気がした。

 紛れもなく図星。ただ一人の少女の笑顔を見たいと、この身を傷だらけにしてでも戦い抜くと覚悟を決めたのはつい先ほどの話ではないか。

 しかし、同時にその言葉に対する疑問。

 英雄、勇者、正義の味方。それは確かに綺麗で立派、そんなものになったと思い上がっていたのは事実だ。しかし、それがどれほどの犠牲を生んだか。誰に迷惑をかけ、誰を危険に陥れたか。

 ない。そんなことは断じてない。

 仮にそのような肩書に不釣り合いな人間だったとして、その重みを背負うに相応しい人物になろうとする心構えのどこに、間違いがあるだろうか。

 

『違う、心構えとか、理想とか理念とか、そんなものの話じゃない。僕たちにとってそれは、僕たちの人生を大きく左右するものだ。それを勘違いしたままでいるならば、君は一生底から先に進むことはできない』

 

 先へは進めないという一言に、場の空気の温度は一気に下がった。

 それは暗に、これから語られることの核心がこの先にあるということだ。

 

『僕たちは、まずは生きたいという生への渇望を、そして生き足掻くための活力を、そしてその為の方法を、師匠から授かった。それは決して彼が僕にそうして欲しいからそうしたわけじゃないのは、君もよく知っていることだろう?』

 

 そう、彼は自分に問うたのだ。諦めるのか、と。生きたいのか、と。

 彼にとって、当時は自分が生きていようとくたばろうと何の関心もなかった。

 彼が最終的に自分の延命に協力したのは、自分自身がその意志と覚悟を見せたからだ。

 それはつまり、彼の問いから、その問いに対する答えを自らの意志で奪い取ったに他ならない。彼ならそうする、それ以外の何を考えるだろうか、と。

 

『たくさんの人から、強者から身を護る術を学んだ。強者を相手に戦う術を学んだ。強者を下す術を学んだ。人を傷付け殺すということも、殺さなければ殺されるということも、そして、殺す相手に感情を持つなということも――』

 

 それらは全て、師匠が教えたくて教えたわけではない。自分がそうしたいから、そう申し出たのだ。

 

『僕たちは、先人の血と汗と涙の滲むような努力と、研鑽と、試行錯誤と、膨大な経験の果てに手に入れた様々な結果――結晶を、僅かな短い時間のみで、簡単にその上澄みだけを綺麗に掬ってみせた。そう、既に僕たちは、師匠をはじめとしたたくさんの人から結晶を掠め取った、凶悪な泥棒なのさ』

 

 クーが振るうあの槍の、神業のような槍術は、どれくらいの歳月をかけて身に着けたものだろう。

 あの人生観を、あの哲学を自身の生き様として反映させるまで、どれだけの血反吐を撒き散らしてきたことだろう。

 それらのような術を、思想を、自分は彼から簡単に抜き取った。泥棒という言葉が何よりも似つかわしいことを、今になって思い知ることになる。

 そう、これこそが、エト・マロースが重ねてきた最悪の勘違いなのだ。

 

『そんな泥棒が、簒奪者が、やれ勇者だやれ英雄だと、綺麗で立派な存在に成り上がれる訳がないだろう。僕たちのような卑怯者には、卑屈に頑固に他人のあらゆる術を掠め取ることでしか前に進めない、そんな見苦しい生き方がお似合いなのさ』

 

 自分はそんな生き方をしていない。少なくとも、ここ風見鶏に入学してから、友をつくり、尊敬する師から学び、そして守りたい人を見つけて身に着けた力を振るう理由を得た。

 そんな、誰かの言うまっとうな生き方してきた自分にとって、そのような泥にまみれるような生き方をすることを、想像したことなどなかった。

 

『じゃあ、そんな盗人が、自分のオリジナルを持たない空っぽの僕たちが、自分の力(・・・・)なんてものを振りかざせると思うかい?』

 

 答えは否、だ。彼が言うことを全面的に肯定するのだとしたら、自分が培ってきた技術や知恵、そう言った自分のものだと信じ切ってきたこの力は、全て他の人から盗んだものであり、最初から自分のものだったという訳ではない。

 始めから自分も力なんてありはしない、そういうことらしい。

 

『そんな自分が、嫌になってきたかい?』

 

 どんな表情をしているのだろうか。こちらの感情を窺っているのだろうか。

 どこか静けさを感じる声で、そう訊ねる。

 

『――このことだけは、まず気付いてほしかった。自分の力なんてものは、何もないんだってこと』

 

 信じていたものが瓦解する。

 風見鶏に来て手に入れたものは全て紛いものだったのか。それらは全て不必要なものだったのか。

 他人の生き方を模倣し、他人の力に頼り、他人の道徳に勝手に共感し、自己の本質を捻じ曲げてまで普通の男の子(・・・・・・)を無意識に演じていただけの、意味のない時間だったのか。

 

 ――違う。

 

『頼もしいね』

 

 そう返された。

 

『簒奪者である自分を肯定すること――それが僕たちに必要なレディネスだ』

 

 背中越しでも分かる。心の中で己を否定しようとした己を、更に否定してみせたことを悟ったのか、その背中はどこか愉快気だった。

 ありとあらゆる他人の何かを奪ってきたことを、無駄なものだったと断言することは、それは己の根源を否定することになる。それは、自分が一番理解していることだった。

 否定するのは過程ではない。未だ訪れぬ結論の方だ。

 

『僕たちは何も持ちはしない。だったら、誰かから盗めばいい。幸いなことに、今の僕たちにはそれをするだけの才能と知恵と経験がある。躊躇うことなく、敵の肉を奪い、糧とし、敵を殺してその人肉や骨すらも、生きるための血肉とすればいい』

 

 再び思い出す。

 かの師匠は強かった。だが、自分が憧れを抱いたのは、彼が強かったから、というだけではない。強かった彼が、その強さを武器に、理不尽を吹き飛ばし、不可能をひっくり返して結果を奪い取る、その傲慢な在り方が眩しく見えたのだ。

 ベッドの上から眺める世界しか知らなかった自分にとって、そこに内在する無限の可能性は、ずっと遠い世界のようで、それでも手を伸ばして触れてみたいものだった。

 故に新しく結論付ける。

 自分――エト・マロースが本当に目指すべき頂は、強くなることでも、誰かを守ることでもない。

 憧れた彼に、尊敬する彼に、並び立って、あわよくば抜き去りたい彼に一歩でも近づきたいなら、自分が最もすべきことは、何よりもまず、『奪う』ことなのだと。

 残虐非道か――その通りだとも。何故なら『アイルランドの英雄』とも呼ばれた最強の戦士、クー・フーリンに最も近い場所で生きてきた男だ。敵対するなら己のその全てが奪われると思え。

 そしてその先に、格好つけて誰かに突きつけるのだ。

 

「助けたわけじゃない。奴から全てを奪ってやった結果、君が生き残ったのだ」

 

 同じセリフを呟いて不敵な笑みを浮かべる師匠の背中と横顔を思い浮かべながら、そうやって。

 だったらまずは、ここから目覚めた先にある、早めにけりをつけなければならない最強の一角から、いろいろと奪ってやらなければならない。

 

『さぁ――未来が待ってる。夢の世界はここで終わりだ。君はこれから、きっと目先の強者を追い詰めるだろうね』

 

 そう言うと、彼はその顔だけ、ゆっくりと首を捻ってこちらに向けた。

 そこに映る少年の瞳は、そのルビー色は、血で染め上げられてこびりついたような、黒ずんだような色をしていた。

 

 ――

 

 ――――――――

 

 ――――――――――――――――

 

 ーーーーーーーーーーーーーー

 

 ハッと意識が浮上した時には、既に事は再開されていた。

 完全に機能を停止していたはずの両足がしっかりと大地を踏みしめ、大したダメージを追っていない、正しく剣を握ることができている右手は勿論、動かせなくなるレベルの怪我をしたはずの左腕は稼働し、その先にある拳はしっかりと握られていた。

 理解が追い付かない――しかし目の前に迫る危害を認知することはできた。

 剣、剣、剣。見渡す限りの暴力がこちらへと雨霰のように飛び込んでくる。

 意識を戻す前から無意識のうちに身体だけ動いていたのかもしれない。それを見たジェームスが再びこちらを敵と認識し追撃を始めた、と言ったところか。

 怪我を感じさせないくらいに体が軽い理由はよく分からない。どこかの専門書で読んだか、あどりん、だか、れなりん、だかが痛みを誤魔化してくれているのだろうか。

 すぐに意味のない思考を捨てる。

 ミスをすれば即死もあり得る状況。打開するにはこの全てを完璧に捌き切らなければならない。

 簡単なことだ。自分に最も近くなるものから丁寧に一本一本処理していけば、その数が百や千に上ろうが全く問題はない。当たらなければどうということはないのだ――言葉にするだけなら簡単なことである。

 

 ――実際に、簡単にできそうな気がしていた。

 

 夢の中で――あれが本当に夢だったのか、あるいは誰かのメッセージだったのかは定かではないが――自分の本質について正しく結論付けることができた今、これから何をすべきかを明確にビジョンにすることができる。

 そのビジョンを現実へと形作るにあたって、まずは。

 全体重を後方へと預け、後ろに転倒するくらいの勢いで体を傾ける。

 その同時にギリギリまで曲げた膝のエネルギーを後方へと爆発させる。

 自分の持つ最大威力でのバックステップ。自身の脚力とブーストに使った魔力を考慮すれば、五十メートルは一歩で潰せるだろう。

 しかしそれでも、飛んでくる剣の速度には到底及ばない。相対速度で考えるなら確かに減速に成功したが、それでも接近の事実を避けることはできない。

 それでいい。ほぼ視認できない状況から相対速度を落としたことは、どれだけ体勢を崩そうが十分に対応できるという状況を生み出す。

 第一射――懐を狙う剣を、自身の剣で撃ち落とす。

 自身の腕力が飛んでくる剣の力に負け、処理に成功するも後方への回避を僅かにブレさせる。

 第二射――頭蓋を狙う剣を払うも、今度は大きくバランスを崩し、体勢が反転、全ての弾道から背を向けることになる。

 一度地面に足をつけ、再び地を蹴り加速。もう一歩で再び体を反転させ弾道に対し正面を向く。

 翻る勢いのまま第三射を処理。

 捌く、捌く――捌く。

 前方を向きながらも、全速力で後方へと距離を取り、追撃の剣を次々に撃ち落としていく。

 しかし、この一方的な展開は、更に悪方向へと転調を始める。

 剣を打ち落とした時にふと感じた鈍い感覚、明らかに不自然な振動を自分の握る剣から感じた。

 そして次の剣に撃ちあった時、それは起きる。

 

 ――罅。

 

 亀裂、そして中央からぽっきりと自分の剣の刃が折れる。

 その僅かな時がスローモーションに感じられた。

 武器がなくなる。自分の命を預けた一振りが失われる。自分が戦うための手段を奪われる。

 しかし、エトの瞳から闘志は失われてはいなかった。

 いや違う、それは闘志などと言う気高きものではない。もっと醜く、薄汚れて、みっともないものだ。

 そう、なくなったのなら奪えばいい。奪われたのなら、奪い返せばいい。

 簒奪者の、目的を得るためなら地べたを這いずり回るような手段をも厭わないような、冷え切った重い鉛のような瞳。

 その瞳が、飛んでくる剣の一振りを捉えた。

 血に塗れた細い指先がその剣へと伸びる。

 刃の腹に指が触れる。ひんやりとした金属の冷たさが指先から腕を伝わり、脳へと信号を送る。

 一方で瞬時に判断を返した神経が指先に電気信号を伝達し――そしてその剣の柄を、自分の右手が握り締めた。

 

 ――奪取成功。

 

 そして左手もまた、同じように飛んでくる剣の内の一振りを奪い、握り締める。

 身を翻しながら、全身の膂力と遠心力を乗せて、最も密集した剣の束をまとめて打ち落とす。

 身が軽い。まるで全身が羽のようだ。敵からものを奪うことに快感と興奮を感じていたことは、この時のエトには自分で気が付いていなかった。

 後方へと距離をとっていた体にブレーキをかける。

 防御から攻撃への転調。ここからは逃げるだけではない。攻めるための、針の穴に糸を通すような、無茶を通り越した無理を実行に移さなければならない。

 制動をかけた膝にエネルギーが充填される。

 膨大な物量で接近を許さずただ一つの命を仕留めようとする凶器を正面に捉え、そのエネルギーは前へと向かって爆発する。

 鋼の雨霰との正面衝突――傍から見れば、その瞬間の光景は、まさしく雨を弾く傘がそこにある、ただそれだけのもののように見えたかもしれない。ただし、上からではなく、前から。

 そう、傘というか、盾も手にしていないはずなのに、真っ直ぐに敵へと距離を縮めながら、降り注ぐ刀剣を弾くエトの姿がそこにあった。

 この世界に現界するだけの魔力を失い形状を維持できなくなったり、あるいは弾丸を遥かに凌駕する速度で全身を穿たんとする剣と刃でぶつかって破損したりと、あらゆる原因でエトの手から得物がなくなる。

 その度にエトは、相手がわざわざ用意してくれる無数の良質な武器から一、二本頂戴し、再び弾き、壊す――この繰り返しだ。

 すると、自らこじ開けようとしているトンネルに、終点が見え始める。剣を降らせることをジェームスがやめたのだ。

 無数の刀剣を射出したところでこの少年は止まらない、それを学習したジェームスが次にとった行動は、相手に接近される前にこちらが先手を打つ――正面衝突からの先制攻撃だ。

 エトもまた、そのトンネルの終点の向こうから、最大の敵が怯えたくもなる速度で接近してくるのが見えた。

 だが、怯えない――竦まない。

 エトはまず、右手に握る剣を手放した。相手に向かって投擲したのだ。

 ゼロ距離になる前に先に攻撃を仕掛ける――相手が先手を狙うのなら、先に先手を奪ってやればいい。そうして相手の嫌がることを率先して全力で何ひとつ取りこぼすことなく実行する。

 最初からエトは、そういった戦術が得意だったし、相手がエトよりも格上の存在である以上、そうせざるを得なかった。初撃を万全な態勢で与えたら、こちらは第一手で防御・回避に回らざるを得ない。そうなればあとは防戦一方となる。

 しかし、予想だにしなかったエトの初撃は当然ジェームスの行動に影響を与える。

 二刀流特有の手数と速度で圧倒しようとしていたその刃の片方が、咄嗟の攻撃に対応せざるを得なかった。

 そしてそれだけの時間があれば、エトが自分の射程に相手を捉えることができる。

 左手の一閃。

 ジェームスの脳天を狙った一撃は、何の苦もなく彼の右の剣の腹で食い止められる。

 と、同時に、彼の第六感が悪寒を感じ取った。底冷えするような死の感触を。

 得物を手放したはずの右手がいつの間にか次の剣を握っており、なおかつその刃が脇腹へと伸びようとしていたのだ。

 左の剣で斬り伏せられようとしていたその力を利用して咄嗟に後方回避、追撃されまいと近距離で投影射出を始める。

 その時奇妙なことが起こった。

 エトの剣が射出された剣を打ち落とす際に、剣戟の音が全く聞こえなくなったのだ(・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 そして、射出を繰り返していたら、最後の十数本が、ジェームスへと飛んでくる――。

 思考がエラーを起こしながらも、確実に飛んでくる刀剣に対処する。

 その時のジェームスの困惑する表情に、エトは確信めいたものを感じていた。

 

「――ああ、やればできるじゃないか、僕」

 

 相手の投影した刀剣を奪いながら対処し、砕かれると同時に新しい得物を回収、その時に一瞬だけ、自分の腕を相手に認識できないように魔法をかけつつ、自分がもともと使っていた剣が収まっていた鞘に、最も形が適する剣を拝借し素早く納剣していた。更にその剣を使って相手の視認できない一撃を脇腹へと叩き込むのに成功しかけた。

 つまり、一瞬のみなら、認識を阻害阻害する魔法は通用することになる。ただしほんの一瞬、それもとてつもなく狭い範囲。

 そして何より、奪うことができたのは武器だけではない。先程音もなく相手の刀剣を処理できたのは、他でもなく以前手を合わせたことのある佐々木小次郎のおかげである。

 彼程の剣の技術など到底あるはずもない。彼の技術は、彼の剣筋を全く悟らせないことと、そして完全に威力を相殺する、音のない接触が群を抜いて印象に残っていた。

 剣術だけでは再現できない。ならばその結果をもたらすには、自分の足りない技術をどう魔法で補うか。

 幻術や認識阻害の魔法を瞬間的に使うことで剣筋を誤魔化した。物体の動作に関わる魔法を用いて剣と剣の衝突の際の威力を限界までゼロに近くした。ストップさせたたくさんの刀剣を使って、相手に向かって同時に射出した。

 これらは全て、他人の発想を用いた他人の技である。

 加速――固有時制御(タイムアルター)を四倍速にまで引き上げる。

 そして、エトの握る双剣は、佐々木小次郎の伝家の宝刀とも呼べる必殺の一撃を模倣した。

 

「秘剣――『燕返し』」

 

 それぞれの両手の剣が、その剣筋が、まるで二つになったかのように、合計四本の剣筋となって、ジェームスの首を落とさんと走る。

 逃げるも即死、受けるも即死――しかし実際にはそうはならなかった。

『燕返し』を発動した直後、ジェームスはそのどちらでもなく攻撃に転じたのだ。

 エトの発動した『燕返し』は、オリジナルのそれと比べて剣筋が一つ多いが、しかしその精度は比べ物にならないくらいに劣悪なものだった。

 佐々木小次郎のそれは、紛れもなく同時に三本に剣筋が増える(・・・・・・・・・・・・)のだ。まるで増えたように見える(・・・・・・・・・・・・)のとでは訳が違う。

 所詮は時間差の存在する技であるならば、その隙を的確に狙って阻めばよい。前に踏み込んで、より見切りやすい、胴に近くなる部分で自身の剣を挟み、完全なエト複製の『燕返し』を絶った。

 エトの口が、歌を歌うように口ずさむ。

 

「――≪偽槍・舞い穿つ紅閃の槍(ゲイ・ボルク)≫」

 

 阻まれて打ち返され、後ろへと伸びた左手に握る剣から、真紅の光が立ち上る。

 エトが師匠クーのグニルックの技から逆算して掠め取った技の模倣。初めて奪い取った憧れの象徴。

 全て読み切っていた。エトの『燕返し』が到底本家に及ばないということ。その隙を突いて剣筋を弾きに来るということ。そして、それを計算に入れた上で身体の捻りを計算し、この一撃を繰り出すための構えを瞬時に構築する。

 そして一度発動すれば、この技は止まらない。

 対象物を破壊するまで、永遠に追いかけ続ける紅い光の槍。

 僅か三メートル程の距離を光が駆ける。

 一瞬という時間すら永遠に感じられる程の速度で、その槍はジェームスの心臓を穿つ――

 

 ――赤黒い噴水。

 

 それが上がったのはエトの肩からだった。

偽槍・舞い穿つ紅閃の槍(ゲイ・ボルク)≫を発動し、攻撃が始まった段階でこれを止める方法が存在しない訳ではない。事実、ジェームスは一度、そして先程この技を止めてみせたのだ。技を発動した本人そのものを止めるという方法で。

 その時の挙動を記憶していたジェームスは、技そのものを食い止めるために、エトの懐に飛び込む。

 振り上げた右手が、その手に握る剣が、エトの胴体を斜めに断ち切ろうと、振り上げて天を仰ぐ。

 その瞬間、ジェームスはエトの左肩から指先にかけてまで、その筋肉全てが硬化していくのを確認した。

 咄嗟の防御か――片手での威力、剣速では切断しきれないと判断した後、双剣を捨てて、頭上へと刃を上向きに、新たに両手剣を投影し、両手で握り締める。

 そしてその大ぶりな刃を、肩口へと向けて勢いよく振り下ろした。

 エトの僅かな横への回避行動、しかし僅かに対処に遅れる。

 そして、エトの胴体と左肩が切断されたのだ。

 血を噴く肩、胴から離れてゆく左腕。エトの身体の制御下から弾かれたそれは、肩から溢れ出る鮮血によって赤く塗り潰される。

 

「い゛って……」

 

 腕を切断されて、たったそれだけだった。

 驚愕するでも、絶望するでもなく、その瞳は未だに殺意に満ち溢れて、ジェームスを睨みつけていた。

 そう、まだ諦めていない。

 それどころか、肩の切断は、覚悟した上でのダメージだったのか――片腕を失ったことへの動揺すら見せることはなかった。

 切られた腕を尻目に、左足を軸に身体を回転、そしていつの間にか空いていた彼の右手は、あろうことか斬り捨てられたその左腕を握った。

 切り落とされる前に硬化された腕は一直線になったまま動くことはない。そして当然、その先にある指が動くはずもなく、その指の中で握り締められていた剣は今でも固定されている。

 これは剣でも、ましてただの腕でもない。

 十分なリーチを持った棒状の武器――これは紛れもなく、真紅の槍だった。

 そして回転の遠心力と、彼の全身の膂力が、その全ての力が槍へと一極集中を始める。

 再び立ち上る紅い光。しかしそれは今までとは違う、どこか禍々しい何かを感じさせるものだった。

 今までエトが師匠の技を模倣して発動していたそれは、いつも剣を用いてのものだった。しかし今回は、正真正銘の槍の一撃。

 この最終局面、最後の一撃としてエトが選んだのは、師匠であり、いつか並び立つつもりである未来のライバル、クー・フーリンの必殺技。

 

「――≪刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)≫!!」

 

 因果逆転の一撃必殺の槍。

 心臓を食い破るという結果が既に発生したものとして、槍を突き出す挙動が生まれる。

 発動を許した瞬間、相手は死ぬ。それだけのことだ。

 発動を阻止することを許してはならなかった。それ故に、わざわざ相手の両手を塞ぐ状況をつくらなければならなかった。

 ジェームスの二刀流は速度を重視した、手数で相手を圧倒するスタイルである。エトがその一撃を発動しようとする挙動を見せた瞬間に、それを認識してすぐ発動を阻止しただろう。

 そこまで読み切ったエトは、敢えて≪偽槍・舞い穿つ紅閃の槍(ゲイ・ボルク)≫を発動し相手のカウンターを誘発、肩から指先にかけてまで、相手が片手で切断しきれない程度に魔法で完全に硬化させることで、威力の高い両手剣を投影させることに成功した。

 切断された先の腕はそのまま硬化しているため、十分得物として利用することができた。

 肉を切らせて骨を断つ――いや、骨まで切らせて命を絶つ。

 どうせ捨てるなら、どこまでも捨て去ってしまえ。そしてその代わりに、相手の全てを奪い取れ。

 そして、全てを奪い取るための最後の一撃必殺がたった今、発動した。

 

 ――今この瞬間だけなら、お兄さんに並ぶことができたかな。

 

 一瞬、走馬灯のようにゆったりした思考の中で、そんなことを考えていた。

 強くなりたいと、ただそれだけで生きてきた。それ以外にきっと、何も持っていなかった。

 誰かを守るだの、誰かのためになるだの、そんなことは他の誰かの道徳から勝手に持ち出した価値基準の一つだった。

 ただ強くあるだけなら、この一瞬だけなら彼と同じになれただろうか。

 もし彼がこの瞬間を見ていてくれたなら、全てが終わった後に、よく頑張ったとガサツな動作で頭を撫でてくれるだろうか。

 ああ、まだまだ自分も子供だな、と自分を嘲笑しながら、真紅の一瞬を駆け抜けた。




逆転に次ぐ逆転。考えるこっちがしんどいっつーの。
もっとも、素人の描く逆転なんてこんなもんです。
緊迫感の溢れる心理戦とか書けるようになりたい。

ちなみにこの話を書く少し前まで、エトの『本質』についてあまり定まってませんでした。
奪う的なスタイルにしようとはあらかじめ考えていたんですが、ただコピーするだけなのはなんか違う、かといってどこぞの落第騎士みたいな枝葉を辿って理を暴く、そして一分間のブーストで相手を倒す、とかいうのも丸パクリで面白くない。
結果こういう形に落ち着いたのが約一ヶ月前。
この話書く直前まで設定固まってなかったのかよ。


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