nameless (兎一号)
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namelessの帰還
如月結城は金髪少女


 昔、本当に昔の事だ。もう誰も覚えていないだろう。

 彼女は黒い髪に黒い瞳の綺麗な子だった。

 

「如月結城です。最近まで外国で過ごしていたので皆さんに迷惑をかける事があるかもしれません。えっと、宜しくお願いします。」

 

 少女は深々と頭を下げた。金色の髪に蒼い瞳の日本人離れした容姿の少女。しかし、少女が話す日本語は外国語の訛りのない普通の日本語だった。少女は終始笑みを絶やさなかった。それでも少女の青い瞳は真っ暗だった。そう、感じた少年がいた。

 

 少女の席は窓側の一番後ろの席だった。少女のクラスメートとなる彼らは少女を見詰めた。彼らは少女に対していくつかの疑問を持ったことだろう。今は10月。転校してくるにはおかしな時期だ。そしてつい最近近界民とか言う奴が攻めてきたばかりだ。転校する事はあっても転入してくることはないだろう。

 

「如月さんって、何処にいたの?」

「何処?そうね、色々な所に行ったわ。」

「ヨーロッパ?」

「どうして、三門市に来たの?」

 

 少女は困った様に質問に答えている。それでも少女は困りながら笑みを浮かべる。授業が始まり少女は小さく息を吐いた。少女は教科書に視線を落とした。その少女の瞳はあまりに冷たかった。

 

 学校が終わり、誰もが帰路についた午後6時。少女は未だ中学校の中にいた。少女は立ち入り禁止のはずの屋上からじっと外を見詰めていた。少女の青い瞳は壊れてしまった家々が並ぶ方を見ている。その方には大きな四角い建物が立っている。

少女は思った。

 

 幼いころあれがあったなら、と。そうすれば、沢山の人が故郷を失わずにすんだのに。少女は沢山、見てきたのだ。希望を無くした多くの人々を。それは絶望だった。沢山のトリオンだけが持ち帰られ、少女は幼いながらに悟ってしまった。あの光る立方体の数だけ人が死んだのだと。少女の隣にいた彼女は光る直方体を見ていつも泣いていた。もしかしたらあの中に自分の知っている人がいるかもしれない。彼女は自分が生きている事を苦痛に感じていた。

 

「帰りたい。」

 

 と、何時も彼女は言っていた。少女にはそんな心理は無かった。家に帰ったところで何が待っているのだろうか?ネグレクトを起こしていた少女の親は少女がいなくなったことで精々している事だろう。家にいるより良いご飯が出る。家にいるより良い寝床がある。それにどうして不満を持つのか、少女にはわからなかった。

 

 「帰りたい」と思える関係こそ、本来の親子の関係だったのだろう。当時の少女にはそれが理解できなかった。理解できるだけの人間関係はなかった。

 

 過去の出来事に暫く耽っていたが、少女の思考は現実に帰ってきた。少女は手に握りしめていた物を見詰めた。首から下げるタイプの名札。そこには可愛らしい丸い文字で『きさらぎゆうき』と書かれている。幼稚園のネームプレートだ。土埃や所々焼けたような跡が見られる。

 

「漸く帰ってきたね、日本だよ。ここが私達の故郷。少しだけ壊れちゃってるけど、直ぐに元通りになるよ。貴女は何時も言ってたもんね。日本は凄い技術大国なんだって。」

 

 手を首元のチョーカーに持って行った。まだ10月。されど10月。夜が来る。少女は寒さに身震いをした。

 

「寒いなんて、久しぶり。これから少し忙しいわね。まずは幼稚園探さないと。貴女の帰るべき場所…。ちゃんと返してあげるわ。」

 

 そう言う約束だから。少女は小さく呟いた。改めて自分に言い聞かす様に。自分が迷わない様に。少女はすっかり暗くなってしまった空を見上げた。ネームプレートを胸に持って行き、瞳を瞑った。

 

 大丈夫、まだ思い出せる。彼女の笑顔も彼女の笑い声も。

 

 少女は手に持っていたネームプレートを強く握った。

 

「私はまだ如月結城()で居られる。如月結城は生きている。」

 

 少女はそう呟くと青い瞳で真っ直ぐと先を見詰めるのだった。




お疲れ様です。

感想などお待ちしています。


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如月結城は幼稚園を探す

少女は早速自身の目的である幼稚園を探す為に情報収集にあたることにした。この近辺の幼稚園の位置を皆に聞いて回った。

 

「昔は三門市に住んでたの。それで会えるのなら幼稚園の頃の先生に会いたいなって。」

「え、如月さんここらに住んでたの?」

「えぇ。でも、4歳の頃だから全然何処に何があったなんて覚えてないの。」

 

席が隣になった女生徒に少女は色々と質問をした。その分質問もされてたが。

 

「幼稚園か…。まぁ、それなりにあると思うけど…。大規模侵攻の後だからやってるか分からないけど。」

 

女生徒は丁寧に知っている場所の地図を書いてくれた。少女はその地図を見た。決して上手だとは言えないが、それでもありがたいことにかわりはなかった。

 

「ありがとう、これで探しに行けるよ。」

「うん、でも本当に期待しないでね。大規模侵攻で東三門市は壊滅状態だし、ここを去った人は多いから。」

「えぇ、分かったわ。この中に、あってくれるといいんだけど…。」

 

少女は紙を見詰めた。そして授業の為に教師が入ってくる。クラスメートは前を向いた。少女も同じように前を向いた。

 

それから少女は毎日、幼稚園を探し回った。自分の足で歩き回った。図書館にも行き、あらゆる情報を集めていた。その姿は鬼気迫るものがあった。少女にとってそれ程大切な事だった。

 

「はあ。」

 

少女は小綺麗なカフェの席でため息をついた。シックで落ち着いた雰囲気のカフェでティーカップを片手に数日前に女生徒に書いてもらったメモ帳を見た。もう残ったのは東三門市の幼稚園だけだ。東三門市は立入禁止区域に指定されている。入っている所を見つかると面倒だ。見つかるとは思わないが…。念の為に変装した方が良いだろう。せめて特徴が分からない様に黒髪に黒い瞳にするべきだろう。少女はそう考えた。はてさて、髪を黒くするには染めれば良い。瞳を黒くするには?

 

インターネット、とやらで調べなくては。私は元々瞳が暗い色をしている。ギリギリ髪を染めるだけでいいか?少女はこれからの事を思案しながら自身の大嫌いな金色の髪を持ち上げた。他人とは違う金色の髪。あっちでも金色の髪の同郷の人はいなかった。その時から少女は異端児だった。それが、少女の意識の根幹を作り出している。少女はそんな事を知らない。そんな事を知れるほど、少女の人間関係は円満では無かった。

 

「髪、染めるか…。」

 

現代人としての知識が皆無な少女は思い立った様に席を立った。そして少女はそのまま自身の新たにできた目的の為に行動を開始した。少女のいた席に残されたのは少し冷めた紅茶だけだった。

 

「あれ、あそこにいた人…。」

 

アルバイトの一人がそう呟いた。その呟きを聞いて店長が端っこの目立たない席に目を向けた。そこには確かに誰かがいた証拠となるティーカップと少し減った紅茶が残っていた。

 

「片付け忘れただけじゃないか?今日あそこに誰かいたかな?」

「え、っと。どうでしたっけ?」

 

アルバイトと店長は互いに顔を見合わせた。

 

そこに何かがいると言うのは二人以上の認識が必要だ。

一人では見間違いの恐れがある。

誰も認識できなければ、それは存在しないのと何ら変わらない。

 

少女は同じ手口で髪を染める黒い染色剤を盗んだ。この手の事をやってばれた事は一度も無い。

それは何故か?

 

それは今の少女が知る由もない事だった。

 

少女は今、寝床としているアパートの一室に入ってきた。少女にはお金を稼ぐ手段はなかった。だから、少女は勝手にそのアパートを寝床としているのだ。そのアパートは大規模侵攻の前に開発されたアパートで、侵攻が起こり人口流出を懸念したのかアパートのオーナーは夜逃げしたらしい。家具が一切ない十畳ほどの部屋。大きな窓にはカーテンも無い。それでも少女がこの部屋がとても気に入っていた。彼女が生きてきた中で1番良い物件だ。そう思っている。

 

「…盗んでから気が付いたけど、これ洗い流さなきゃいけないのか。」

 

先ほど言ったがここはオーナーが夜逃げした物件だ。ガスも水道も電気も通ってない。少女にとってはそれが当たり前で寧ろここまで堅牢な建物に住めているだけで幸運だと少女は思っている。

 

「鬘なんて、何処に売ってるか分からないし…。帽子は不安だなぁ。いっそのこと、トリガーを使って…。」

 

日が沈み、外はもう真っ暗だ。少女は行動を夜に起こすべきだと考えた。それでも少女は行動を起こすのには少し早計だと思っていた。発足したばかりらしいが、夜の見回り位平和ボケした日本人も行うだろう。なんせ今は戦争中なのだから。見回りのシフトや経路を知らないまま友好的では無い組織の敷地内に入る事は賢い行いでは無いだろう。

 

「暫くは、ボーダーとか言う組織の出方を見るか…。そのついでに、探せれば万々歳。土地勘無いから少し厳しいか。」

「行こうか、ゆうき。」

 

少女はトリガーを起動した。少女の持っていたトリガーは西洋の女性用の甲冑。騎士のような格好だ。少女の甲冑の色は黒く、闇に溶けるようだった。金色の綺麗な髪は黒いリボンで一つに結われている。顔は黒い仮面で目元が隠れている。トリオン体と本体の容姿は同じままの物が多い。金髪と言うのは目立つから、好きでは無い。私のあのクラスにボーダー関係者がいるか分からないが、居たとしたら少し厄介だ。やはり、今日は行くのは良くないだろうか?

 

「これ、カチャカチャ音が鳴るんだよなぁ。」

 

少女が来ているのは甲冑だ。金属がぶつかる音が鳴ってしまう。

 

それでも少女は向かった。少女はそれ程焦っていたと言っていい。少女にとってはそれ程その幼稚園を探す事が重要だった。少女にとって、如月結城にとって命より重要な事だった。

 

トン、トンっと少女は屋根伝いにその場所に向かった。

 

「今の日本は、明るいのね。」

 

眠らない町、では無いが深夜11時でも車は行きかっている。少女が過ごしてきたあちら側は何時も夜は暗かった。それはそこに人間がいるという事を悟られない為の知恵だった。単純な事だが、そう言う事が重要だ。それに比べて、日本は何とものほほんとしている事か。少女はビルの屋上から少しだけその様子を眺めた後、再び目的の場所に向かった。

 

「この道路が、区切り。」

 

最初に降り立った道路の上に少女は立った。この道路の向う側では戦争が起きている。誰かがいつも命を張って守っている。それに同情はしない。寧ろ、ボーダーと言う組織には八つ当たり気味な遺恨が少女の中に存在している。それがいかに理不尽な事か、少女は理解しているつもりだ。少女自身も誘拐されるまで異世界なんてものが存在するなんて思わなかった。事が起こる前にそんな事を声を大きくして言えば、頭の可笑しい人間扱いを受ける事だろう。それが理解できるから、少女はそっと唇を噛んだ。やり場のない悔しさは、逃げ場の無い苦しさは、何時も少女を蝕んでいた。

 

「大丈夫、行こう。」

 

少女は呟いた。少女は自信を蝕むものを受け入れていた。それが自身の罪なのだと、罪を償う為の相応の罰なのだと。少女は先ほどと同じ様に屋根伝いに辺りを見渡した。一先ずは標的を見つけなければならい。その目標の動きから捜索範囲を決めるからだ。少女は仮面に手を当てた。

 

「ゆうき、お願い。」

 

少女がそう言うと少女が仮面越しに見えている景色が変わった。左側だけが真っ暗になったのだ。少女は首を動かして辺りを見渡した。しかし、仮面の左側は少女の探している物を一向に捉えない。少女は眉を寄せた。

 

「もしかして、見回りが無い?それ程自信があるの?それとも…。」

 

それが出来ないほど、人員がいないか。隠れる術をもう持っているのか。もし隠れる術を持ってるのなら中々厄介だ。ゆうきが見つけられないとなると暗闇から視覚だけで探し出さなければならない。それはとても難しい事だ。夜目が効く方ではあるが、それでもいつもゆうきに頼っていた節がある。こんな時期になって再確認させられるなんて思わなかった。

 

「流石、技術大国…、と言った所か。」

 

苦笑いしか込み上げて来ない。そして少女の中に必ず見つけてやると言う対抗心が芽生えた。それは何とも愚かな事だ。それでも一度も負けた事が無いと言うこれまでの実績が少女に必要以上の自信を付けさせてしまっていたのかもしれない。そううぬぼれる程少女は強かった。強かったと自負していた。

 

少女は大きな建物の方を向いた。やはり、そこには大きな建物があった。そして仮面の左側はその建物を真っ白にとらえていた。

 

「壊れたわけじゃないか。」

 

少女は行動を開始した。




お疲れ様です。

騎士風のトリガーのイメージはセイバーオルタを想像していただければと思います。


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如月結城は不本意ながら仮入隊します。

漸くボーダー隊員が出せた…。




少女は眠そうな目を擦る。あれから一週間夜中探し回った。その為、寝不足だ。

 

「眠そうだね、如月さん。」

「えぇ、そうね。日本語は少し難しくて…。」

「そっか、外国にいたんだもんね。凄いね、如月さん。夜遅くまで勉強してるんだ。」

 

女生徒はしみじみと言った。

 

「あ、そうだ。如月さん、知ってる?ボーダーが人員募集を始めたんだって。入隊はまだ先みたいだけど、仮入隊できるんだって。」

 

女生徒は少し興奮気味に言った。少女は少し頭を抱えた。もしかしたら私はこの一週間無意味な事をに時間を割いていたのではないだろうか。

 

「えっと、刈谷さんは興味あるの?ボーダーとか、近界民とか。」

「興味っていうか、ボーダーに入るとお金貰えるんだって。私の家、壊されちゃったからお金なくて。」

「家が…。それは、大変ですね。ご両親はそれを知ってるんですか?刈谷さんがボーダーに入りたいって思ってる事。」

 

少女は心配そうに言った。実際心配をしていた。訓練をしていない兵士なんて役に立たないし。それに少女は目の前の刈谷裕子が戦えるような人間に見えない。

 

「うん、両親にはまだ言ってないんだ。きっと反対されるだろうし。」

「流石にご両親に言わずにボーダーに入るのはダメなんじゃないかな?」

「で、でも。見学だけなら!見学だけなら、大丈夫かなって。」

 

なんだか刈谷裕子は必死の様だ。まぁ、確かに。家が無いのは大変だ。少女自身、アパートの一部屋を不法占拠している。一般人は不法占拠なんて考えないだろう。刈谷さんは元々東三門にある中学校に通っていたが、学校が壊れてしまった為、こちらに引っ越してきたらしい。引っ越してきた、と言うよりは避難所に住んでいるらしい。そこから学校に通っているそうだ。避難所に住んでいる人にとって大変なのは仕事を探す事と、家を探す事。

 

「それで、良かったら如月さんも一緒にどうかなって…。」

「私も?」

「うん、その良かったら…。」

「見学なら…。」

「本当、ありがとう!」

 

それでボーダーの内部事情を知れるのなら、と思った。しかし、それは自身の姿を一度さらすことになる。それが良い事なのか。少女は少しだけ考えたが、人員募集を始めたという事は現在十分な人間を確保できていない。というか、元々のボーダーの人間は一体何人いるのだろうか。その事も含めて少女は知らなければならないと思った。

少女自身はボーダーに入り、トリオン兵をやっつけてこの街の平和を守ろうなんて気はさらさらなかった。そんな気が起こるほど人間にはいい思い出は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

昼休み、少女は購買へと飲み物を買いに行っていた。今回は盗みはしない。購買はあくまで学生や教員しか使わず、限定されている。万が一にも備えなければならない。

と言う訳で、生徒の財布から数百円を貰い少女は飲み物を買うのであった。彼女がかったのはペットボトルの紅茶。もう眠くて眠くてかなわないのだ。取りあえずカフェインを摂取することとした。コーヒーを述べばいいと思うかもしれいが、舌が子供の少女には難しい話だ。

 

「おい、邪魔だ。」

 

少女にそう言い放ったのはクセッ毛で髪がぼさぼさの少年だ。

 

「そこどけ。」

「あ、ごめんなさい。今避けますね。」

 

真っ黒な髪の少年。少女は笑みを浮かべ、自動販売機の前から避けた。少女はもう一口紅茶に口を付けて目の前の少年を観察した。少年の真っ黒な髪が少し羨ましく思った。自身も生粋の日本人のはずだ。少なくとも、記憶の中にいる親は両方黒い髪をしていた。その記憶が必ずしも正しいとは限らない。記憶は時間が経つにつれ、美化してしまうらしい。

 

「おい、言いたい事があんなら言えよ。鬱陶しい。」

 

少女は首を傾げた。確かに彼をじっと見つめてはいたがそんな事を言われるほどの事だっただろうか?少年はガシガシと頭を掻いた。

 

「えっと…。」

 

少女は困惑していた。別段彼に話したって何の問題も無い事だ。彼の黒い髪が羨ましいと思った。それだけだ。それでも少女の口からその言葉が出て来ない。少女は長い間一人で過ごしてきた。黒い髪を羨ましいと思っているのは少女であって如月結城では無い。だから、如月結城から少女自身の言葉を語る訳にはいかないのだ。それが少女が如月結城を演じるにあたって徹底的にしていた事だ。

 

少女が出したことはその場からの逃走だった。面倒事にはこれが一番なのだ。背後から少年が追ってこない事を祈りながら彼女は教室に戻った。

 

「どうしたの?如月さん。なんか疲れてる?」

「あはは、少し疲れたかな。そうだ、仮入隊はいつ行くの?私、詳しいこと知らないんだけど。」

「えっと、実はね…。」

 

刈谷裕子から出てきた言葉に少女は素直に驚いた。そしてなんとも図々しいというか、ちゃっかりしていると思った。刈谷裕子は少女の許可を取らずに勝手に申し込みしていた。少女が良いと言わなかったらどうしていたつもりなのだろうか。

 

「お、怒った?」

「怒ると言うより、呆れているわ。もう少し物事の優先順位を守った方がいいわよ。私への説明もそうだし、ご両親への説明も。」

「う、うん。ごめんね。」

「そう思っているなら、ご両親にはきちんと話す事よ。私の事は取り敢えず、もう仕方ないから。いい、約束よ。」

「は、はい…。」

 

少女は強く念を押した。もしかしたら今度は少女の目的に少なからず沿ったものだったから良かったものの次がそうではないかもしれない。面倒な事に巻き込まれるのはごめんだ。

 

 

 

 

 

 

 

3日後の土曜日、少女は刈谷裕子と共にボーダーの施設に行くことになった。見飽きたあの大きな建物は私の目の前にある。少女の中には、いざとなればボーダーに入り合法?的に幼稚園を探し出すという手もある。それでも、少女は出来ればそれを避けたかった。少女の中にはもう戦争はこりごりだと思っている。少女は誘拐されてから十年間戦争にもまれ生きてきた。少しは平穏な中で生きた。そんな細やかな願いがあった。

 

「楽しみだね!」

 

なんて隣でワクワクしている刈谷裕子に多少の鬱陶しさを感じながら少女は笑みを浮かべる。演じる事には慣れた。

 

「仮入隊に行くんだよ。それに仮入隊に行く場所が人命救助を行っている場所。もう少し、こう緊張感を持った方が良いよ。」

「あはは、ごめんね。」

 

全く人の話を聞いているようには見えない刈谷裕子。少女は呆れたように溜息を付いた。思っていた以上に見学者は少ないようだ。少女は一人の少年に目がとまった。あの子と同じ、黒い髪。瞳は少し色素が薄い。

 

「あの子、年下かな?」

 

少女の呟きを刈谷裕子は拾った。刈谷裕子は少女の視線の方を向いた。そこには同年代っぽい少年がいた。

 

「うちの中学の制服じゃないね。」

「えぇ、何処の子かしら。」

「あの子、気になるの?」

 

刈谷裕子はニヤニヤしながら少女に訪ねた。少女はそのニヤニヤの意味が理解できなかった。

 

「そうね、とても暗い瞳をしてるわ。悲しい事があったのね。」

「そう、なの?」

「勘、だけどね。」

 

案内されたのは大きな教室のような場所。ボーダーのロゴだと思われるものが書かれた旗が掛かっている。内装は思った以上にきちっとしている。まぁ、きちっとしていないと世間体が悪いか。座っている人たちを確認しながら少女は辺りを見渡した。

 

「試験開始5分前です。受験者の皆さんは席についてください。」

 

そして何故か私の前には紙が配られた。席が指定されていた意味がようやく理解できた。

 

聞いてない。

仮入隊に筆記試験があるなんて聞いてない!

 

少女は思わず少し離れて隣に座っている刈谷裕子を見た。刈谷裕子はとても申し訳なさそうな顔でこちらを見ている。

少女には諦める以外の選択肢はなかった。しかし、やはり日本語は面倒だ。こんな事になるなら日本語を使っている国にも多少立ち寄ればよかっただろうか。いや、それでも結果は変わらないだろう。少女は己を奮い立たせペーパー試験に挑んだ。

 

恐らく、トリガーというものの存在を外に漏らさないためだ。トリガーについての情報をボーダーだけが独占する。その為の適性試験といったところか。

 

 

 

 

 

 

疲れた。まさかこんな事になるなんて。少女の心はもはや落ち着きを忘れていた。少女にとってここは敵地に等しいのだ。そんな中数十分とはいえ、慣れないことをするのは精神をすり減らす。

 

「次は面接だね。」

「私、もう帰りたい…。」

 

少女の本音が口からこぼれるほどには、少女は憔悴していた。一人一人どこかの部屋に呼び出されるようだ。少女の隣には先程の黒髪の少年が座っている。刈谷裕子は先に呼ばれていった。

 

少女は横目でその少年を観察した。俯き気味なその視線。恐らく大規模侵攻で家族を殺されたのだろう。昔の少女にそっくりだった。あの子が死んだ時の、少女に。

 

「如月結城さん。」

「はい。」

 

少女の名前が呼ばれた。少女は案内役の男性に案内され面接室に入った。そこにはスーツを着ている一人の男性がいた。白髪混じりの男性だ。彼の後ろには大きな窓がある。外は晴れているようだ。

 

「どうぞ、着席してください。」

「はい、ありがとうございます。」

「まず、仮入隊への志望の動機を聞きたいのですが。」

「はい、えっと…。すみません、学校の友人が勝手に私の仮入隊希望を出してしまったようで…。なので、動機は無いんです。」

 

少女は申し訳なさそうに言った。面接官も流石に驚いたようだ。

 

「では、どうして試験を受けに来たのですか?」

「実は電話をかけようと思ったんですが、ボーダーの電話番号わからなくて…。友達も教えてくれませんでしたし。私の意思ではありませんが、受けると連絡してしまった以上来ないのは失礼な事だと思ったので…。」

「そうですか…。一応、貴女は試験には合格です。どうでしょう?今回の試験はあくまでも仮入隊です。この機会にボーダーについて触れてみるのはいかがですか?」

「そう、ですね。私、この街に引っ越してきたばかりなので…。お役に立てることは少ないかもしれませんが…。よろしくお願いします。」

 

少女は思った。私はあちらに誘拐されて重宝される程のトリオン量を持っている。ならばそれはボーダーにとっても同じこと。私を逃したく無いのだろう。

数回のノックの後、入ってきたのは案内役とは別の男性だった。どうやら私はこれから何かをされるらしい。

 

「如月さんはこれから開発室の方に向かってください。そこで仮入隊できた方への説明を行います。」

「わかりました。」

 

少女は男性に案内されるまま後ろについていった。開発室と書かれた扉の向こうは色々な機械のある広い場所だった。

 

「では、よろしくお願いします。」

「はい、えっと如月さんだね。」

「はい、そうです。」

「色々説明しなきゃいけないことがあるからついてきてくれ。」

「はい。」

 

少女はボーダー内部へと入る事が成功した。




お疲れ様でした。

感想などお待ちしています。


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きさらぎゆうきのやくそく

もう直ぐゴールデンウィークですね。


少女はライトニングと呼ばれるスナイパー型のトリガーを持っていた。目の前にはトリオン兵に似せた的がある。

昔、あちらにいた頃誰かがこう言った。

 

目標がセンターに入ったらスイッチ。

 

つまりスナイパーは簡単。目標が真ん中に来たら引き金を引けばいい。そうすれば狙った場所に当たる。

 

少女はトリガーを引いた。

 

ほら、簡単だ。

 

少女の狙っていた的には真ん中に穴が空いていた。

 

「やっぱり良い腕してるな。」

 

少女に話しかけたのは10歳程年の差がある様に見える青年だ。

 

「俺は東春秋。如月だよね?」

「東、さん。はい、如月です。」

「如月は仮入隊だったか?すごいな、さっきから外してないだろう。」

「別に、簡単ですよ。」

 

そう言って少女はライトニングを持った。

 

「的がスコープの真ん中に入ったら引き金を引く。」

 

すると弾はきちんと的の真ん中に当たった。

 

「ほら、これだけです。」

「普通はそれが出来ないんだよ。あの的だって止まってないだろう?」

 

確かに少女が撃っていた的はプカプカと浮いている。

 

「そうですけど、これ弾速があるので置き撃ちをしなくてもドラッグショットでどうにかなります。これより弾速が遅くなると、さすがに私でももう少し時間をかけないと撃ち抜けないです。」

「……随分詳しいんだな。普通の女子中学生は知らないだろう。置き撃ちとかドラッグショットなんて。」

「そういう、ゲームが好きなので。武器とか詳しい訳ではありませんけど、用語位なら知ってます。」

 

少女はとっさに適当な嘘をついた。ゲームなんてものはやった事が無い。それでもそう言えば怪しまれない。最近の日本のゲームは多種多様でやってみたいと思うのだが、如何せん電気が通ってない部屋ではそれは叶わない事だ。

 

「如月はこのままボーダーに入隊するのか?」

「それは、わかりません。元々大した動機なんてありませんから。それに…。」

「それに?」

「もう少しの間は静かに暮らしたいんです。今までバタバタしてたので。」

 

少女は多少言い辛そうに言った。東春秋はそんな少女を見下ろしていた。

 

「まぁ、そうだな。大規模侵攻からそんなに時間が立ったわけじゃないし。良いんじゃないかな。」

「はぁ…?」

「ずっと撃ち続けてるだろう?夕食食べに行かないか?」

「ありがたいお誘いですが、私お金持って来てないので…。」

「夕食くらい驕るよ。」

 

少女は少し悩んだ後、頷いた。目の前の東春秋は何故か安心した様に息を吐いた。少女は目の前の東春秋がどうして自分に構うのか分からなかった。それは東春秋なりの気遣いだったのかもしれない。しかし、少女は素直に人が信じられるほど良い環境で育ってきたわけではなかった。

 

食堂に案内され少女はオムライスを頼んだ。先に頼んでくると良い、と言った東春秋は席を確保しに行ったはずだ。少女は彼の姿を探した。東春秋はボックス席に座っていた。東春秋の前には少女と同じ白いボーダーの隊服を着ている少年がいた。その少年は少女が仮入隊の時に面接前の待機室で横に座っていた少年だった。

 

「お、来たな。如月、彼は三輪秀次。如月と同じ仮入隊だ。」

「如月結城です。」

「三輪秀次です。」

「それじゃあ、俺も夕食買ってくるから。」

 

そう言って東春秋は席を外した。少女は東春秋が帰ってくるまで食事には手が付けられない。少女は若干律儀なところがあった。少女は東春秋が座っていた横に座った。少女は東春秋が帰ってきてもこの気まずい雰囲気は変わらないのだろうな、と思いながら水を口にした。少女には目の前の三輪秀次が何を考えているのか分からなかった。彼は何を思って仮入隊なんてしたんだろうか。彼の暗さから察するに誰か死んだのだろう。

 

少女自身、誰かを失った時の悲しみは重々承知している。それはもう、血反吐を吐きそうなくらい知っている。しかし、少女はそれをもう克服していると言っていい。少女にとってあの子は自分なのだから。両人はしゃべろうとしない。お互い無口な方だったという事だ。

 

「如月は…。」

 

三輪秀次は遠慮気味に話しかけてきた。

 

「ん?」

「如月はどうしてボーダーに?」

「友人が勝手に仮入隊の申し込みを送ったんです。それで、受かってしまっただけです。崇高な理由があってここにいる訳ではありません。」

「でも、毎日ここに来て練習しているんだろ?」

「良く知ってますね。まぁ、そうですね。友人を一人亡くしまして…。無力な自分が許せないだけです。唯の憂さ晴らしみたいなものです。」

「そう、か。」

 

少女は居心地の悪さから水を飲んだ。こんな事、言うべきではなかった。同族意識なんて面倒なものを持たれるのは勘弁願いたい。

 

「遅くなった。…食べてても良かったんだぞ?」

「そう言うわけにもいきませんよ。」

「いただきます。」

「いただきます。」

 

少女はオムライスに手を付けた。

ふむ、美味しい。

 

少女は満足げにオムライスを食べていた。

 

「如月は第二中だったか?」

「はい、第二中の二年生です。」

「三輪は、一年生か。」

「一年生、という事は三輪君が最年少でしょうか?」

「まぁ、今のところはそうだな。」

 

流石に小学生にやらせられるような物では無いか。少女はそんな事を考えながらオムライスを食べていた。それから少し会話をして食事を済ませた。少女は久しぶりに誰かと一緒に食事をしたと思っていた。あの子が死んで以来誰かと一緒に食事をしていない。

こういうのもたまには良いな、

と思ってから少女は苦い顔をした。こんな事をあの子が思う筈はない。

 

「フゥ…。」

「如月はこの後、どうするんだ?」

「帰ります。流石にもう練習する時間じゃないので。」

「三輪はどうする?」

「俺も帰ります。」

「なら、二人とも送ってくぞ。」

「私は結構です。帰りに寄りたいところがあるんです。私はこれで失礼します。」

 

少女はそう言って席を立った。東春秋は少女の後ろ姿をじっと見つめていた。そして東春秋は少女の後ろ姿に違和感を感じた。少女の周りにブレがあるのだ。ノイズのある画面で少女を見ている、そんなような感じだった。東春秋は目を細めた。それでも少女の周りはぶれた儘だった。少女を視界から隠す様に視界が揺れる。視界から少女が消えればそのぶれは無くなり、いつも通りの平穏な食堂に戻った。

 

「あれは、一体…。」

「東さん?」

「いや、何でもないよ。三輪はどうする?」

「そう、ですね。お言葉に甘えさせて貰います。」

「そうか。」

 

そして三輪秀次と東春秋は食堂から出て行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

少女はこの数日で仕入れた情報を精査していた。

まず、夜の見回りはきちんと行われていた事。

本部の他に支部が一つ存在する事。

その支部と本部は仲が良くない事。

現在のボーダー職員は200名程度。

そしてトリガーを扱える人間は30名もいないとの事。

そのうち、責任者などで実働部隊から離れてしまっている人もいる様なので実際にはもっと少ないだろう。

 

現在、仮入隊と言う形をとってはいるがやらされている事は現隊員とほぼ変わらない。違う事はトリガーを本部から持ち出ししてはいけないという事。訓練の内容などにはほぼ変わりないようだ。仮入隊とはある意味、優秀な人材の囲い込みに用いられているようだ。今は何より人材が欲しい。トリガーを扱える人材が。それを集めるために仮入隊なんて言っているが実際は訓練生をいち早く終わらせるためのポイント稼ぎ。実際入隊までに何回か仮入隊を行っているようだ。回数を稼ぐことで人材を集めているようだ。

 

「ここを左に曲がるのか。」

 

少女は持っている紙を見ながらそう呟いた。街灯は壊されていて月明かりを頼りに道を進んでいく。少女が探している幼稚園へは実際何か目印になる様なものはないらしい。それでも遊具や運動会が出来る程度の園庭があるらしい。少女は仮入隊の日から毎日違う場所を彷徨っていた。

 

「あ、ここだ。」

 

少女は漸くお目当ての物件を探し当てた。門の前には『東三門幼稚園』と書かれている。思っていたよりも早くに見つけられた。少女は安堵の息を吐いた。少女はその幼稚園の中に入って行った。半壊と言った所だ。

 

情報が残っていればいいんだけど…。

 

少女はそう思いながら夜空が見える廊下を歩いた。やはり、少女にはこの場所の記憶はなかった。昔の事をよく覚えている訳では無いが、この廊下を歩いた記憶はない。少女は鞄からネームプレートを取り出した。

 

「貴女が帰るべき場所はここかな?ここだと良いね。」

 

そうネームプレートに話しかけた。少女は職員室と書かれた教室を部屋を見つけた。その部屋は辛うじて中が形を保っている。

天井が歪んでいて引き戸が動かない。だからといってドアを蹴破って天井が崩れるのは困る。

少女は小さく溜息を付いて割れている窓から入ることにした。建物のを外に出て回り込んだ。厄介なのは中途半端に残ってしまっているガラス片だ。少女は鞄の中からハンカチを取り出して綺麗にガラス片を取り除いた。そして足をかけ中に入った。荒れ果てたその場所から少女は『きさらぎゆうき』がこの幼稚園に通っていたという事実を探し始めた。

 

頑丈そうなロッカー。扉は開いたまま歪んでいる。そこを開けると沢山の資料が入っている。少女はその中から十年前の資料を取り出した。何ページか開き少女は嬉しさから笑みを零した。そしてその瞳からは幾筋もの涙を流した。

 

「おかえり…。おかえり、ゆうき。貴女が帰るべき場所に帰ってきたのよ。」

 

少女の持っていた書類の中には『如月有紀』と名前が書かれている。その隣には元気がありそうな幼い黒髪に黒い瞳の少女

写真が貼られている。

 

「そう、『きさらぎゆうき』は本当はこう書くんだ。昔の私達は漢字、書けなかったもんね。」

 

少女はその書類の一ページを千切った。少女が本当に知りたかった事は彼女の名前では無い。少女にとってどんな字をしていても『きさらぎゆうき』は一人だけ。自分の命を救ってくれたあの勇敢だったあの子一人だけだった。

 

「貴女の親、漸く見つけられた。後はこの人たちの居場所を探すだけね。そうすれば、貴女を両親のもとに返してあげられる。もう少し待っててね。貴女を両親に会わせてあげる。そう、約束したでしょ?」

 

 

 

 

 

 

 

次の日。少女はいつも通り学校に通っていた。

 

「あ、如月さん。おはよう。」

「おはようございます。刈谷さん。」

 

刈谷裕子は結局『才能』が無いと言う理由で仮入隊が出来なかった。それでも彼女は諦める事が出来てないみたいだ。

 

「勉強してたの?」

「うん、防衛隊員はダメだったけどオペレーターとか技術者とかそっちを目指そうと思ってて。」

「どうしてそこまでボーダーに拘るの?」

「え、っと。あんまり恥ずかしいから言いたくないんだけど…。」

 

刈谷裕子のボーダーへの執着はどうやら家を壊されたところから来ているらしい。家のローンが残っている中で家を壊される。それはとても辛い事だ。そのローンの為にも刈谷裕子は親の手伝いがしたかった様だ。

他人を巻き込まなければただの美談で終わらせられていたのに。

少女は心の中でそうぼやいた。




お疲れ様でした。

東さんと三輪くんが出て来ましたね。
最初のうちはあまり原作キャラが出て来ないかもしれません。

感想などお待ちしています。


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如月結城は間違う

少し危ういです。

ご覧の前にそれなりの覚悟をして下さい。


『nameless』

 

名前の無い者を呼ぶ時にそう言う呼び方をする場合がある。他には『anonymos』や『unknwon』なんて呼び方がある。その中で私は『nameless』と呼ばれていた。私は記憶の中で誰かに名前を呼ばれた記憶がない。だから私自身にも自分の名前がわからなかった。私は『きさらぎゆうき』に激しい劣等感を抱いていた。同じ捕虜としての立場であっても名前を証明できる物を持っている『きさらぎゆうき』がとても羨ましかった。

 

 

 

 

 

 

 

「あ…。」

 

少女の口から小さな声が漏れた。少女の目にはこの前の黒髪の少年が映っていた。

 

あれで瞳も黒かったらなぁ。

 

少女は少年の容姿にケチを付けた。昼休みいつも立ち入り禁止の屋上で人間観察をしていた。殺伐とした世界を生きて来た少女には日本は一見平和で落ち着かないのだ。

 

本当は背後を取られているのではいか。

本当は狙撃で狙われているのでは無いか。

 

命の奪い合いをして来たあの日常の恐怖が少女の中に色濃く残っている。少女は自分の肩を掴み必死に恐怖に耐えた。その手は小刻みに震えており、少女の顔は真っ青だ。

 

瞳を閉じればはっきりと思い出される。

人を斬り裂いた感触。

吹き出す血潮。

焦点の合っていない瞳。

とめどなく溢れでる鮮血。

積み上がる大量の死体。

その中心に佇む真っ黒な騎士兵。

 

少女は自らの唇を噛んだ。その痛みが少女を現実へと意識を帰す。荒い息を整える様に大きく深呼吸をした。それでも瞳孔は大きく開き、細かく揺れている。

 

少女は戦争を経験するには幼すぎた。人を殺すには若すぎた。少女は必死に創り上げた如月結城(仮面)を壊しかけてしまった。

 

「大丈夫、大丈夫…。私は、生きてる。」

 

少女は頭を抱えて丸くなった。自分に言い聞かせる様に大丈夫と繰り返す。ビルの上は特に怖い。常に自分が一番高い所にいなければ気が済まない。目に見えない敵ほど恐ろしいものはない。目に見えない恐怖が少女を着々と蝕んでいた。

 

こんな見せ掛けの平和な場所より初めから危険だとわかっている場所の方が幾分か楽だ。周りに流されてはいけない。日本は、少なくともここは戦争をしているんだ。いつ他国が本気で攻め入ってくるか分からない。

 

「大丈夫。さあ、言ってみよう。私は如月結城。4月8日生まれの14歳。性別は女。4歳まで三門市で過ごす。それからヨーロッパを転々として最近三門市に帰って来た。」

 

少女は如月結城()を演じるために設定を口に出した。自ら暗示をかける。その人になり切れる様に。本当の自分が出てこない様に。

 

「おい。」

 

しかし、その一言で綺麗さっぱり崩れ去ってしまった。少女は大きく肩を震わせた。振り返れば先程の黒髪の少年が少女の後ろにいた。

 

少年は昔から特別な体質だった。体に何かぎチクチク刺さり体が痒くなる事があった。それが、なんなのか少年に知る術はなかった。病院に行ってもなんら問題はなかった。

それでも感じるものは感じるのだ。そして今チクチクしているのが目の前の少女のせいかは分からない。

それでも目の前の少女が異常なのは少年にも理解できたようだ。

 

「お前、大丈夫か?」

 

少年が一歩前に出ると少女は一歩後ろに下がる。

 

「来ないで!」

 

そう叫んで少女はまた一歩下がった。少年は眉を顰めた。

 

「わかった、もう近づかない。だから、お前もこれ以上下がるな。落ちるぞ。」

 

少年は両手を上げてそう言った。少女は少年を少し見つめ視線を落とし膝を抱えた。少年は屋上のドアに背を預け座った。

二人は暫く何も話さなかった。少女はチラチラと少年の方を向いた。少年は不機嫌そうに自分の頭を掻く。それでも少年が視線をこっちに向けないの少年なりの優しだったのかもしれない。

 

「ねえ。」

 

少女は漸く口を開いた。消えてしまいそうなその声を少年はきちんと耳で拾い、少女の方に視線を向けた。

 

「んだよ。」

「どうして、屋上(ここ)に来たの?立ち入り禁止だよ。」

「テメェ、立ち入り禁止って知ってて屋上にいたのかよ。」

 

少女は少年から視線を外さない。少年はまた頭を掻いた。

 

「お前が屋上にいるのが見えたから注意してやろうと思ったんだよ。知ってたのに注意しないでお前に…、と、飛び降り自殺でもされたら目覚めが悪いだろ。」

「自殺なんて、しないわ。」

「んなのわかんねぇだろ。現にお前、全然大丈夫そうに見えねぇ。」

 

ビシッと少年は少女に指差した。少女は少し不愉快そうに眉を顰めた。

 

「なんで屋上なんかにいたんだよ?」

「別に、ただの人間観察。」

「お前、友達いないだろ。」

「いないわよ。」

「やっぱ「友達は、殺されたもの。」…、あぁ、なんだ。…悪かった。」

 

少女は視線を落としながら「殺された」と呟いた。

 

話題が悪かった。

 

と、少年は後悔した。つい半年前に大規模侵攻が起きたばかりだ。そういう人間がいても可笑しくない。相手を怒らせて今の状況を打破しようと思ったが失敗だったようだ。

 

「はっきりと覚えてる。二人で逃げたの。でも、ダメだった。私が足なんて斬られなければ、二人で逃げられたのかもしれない。あの時、私は多分あの日常に慣れてしまっていたの。だから失念していたわ。知ってたはずなのに。形あるものは必ず壊れるの。どれ程大切にしてもほんの少しの不祥事で壊れてしまうの。」

 

少女はブツブツと呟き始めた。最初は聞こえていたが、今は聞こえない位小さな声だ。少年は何か危うい雰囲気を察した。

 

「おい。」

 

少年は少女に声をかけた。しかし、少女にはその声が届いていないようだった。先程からチクチクと刺さっていた何かが途端に感じられなくなった。

 

「おい。」

 

もう一度、声をかけた。しかし、少女の様子は段々悪くなっているように感じる。少女が段々見え辛くなっている。景色に呑まれているようだ。ザザッと少女の姿にノイズが走る。少年は目を擦った。しかし、事態は悪化の一歩を辿る。少女の姿はブレ、景色に溶け込みかけている。

 

「おい!」

「消えたい…。」

 

これは異常だ。

少年はそう思った。少年は少女の元に走った。そして勢いのまま肩を掴んだ。

 

「ぐっ…。」

 

視界が反転した。先程まで下を向いていた少女は何故か少年の上にいる。少女の手が少年の首を絞めている。

 

「…ぁ、」

「どうして邪魔するの?ねぇ、どうして?」

 

真っ暗な青い瞳が少年を見下ろしている。少女の手を少年は必死に掴む。少年は手の爪が白む程少女の手を強く掴む。しかし、少女の力は強い。その細い腕にそんな力はないだろう、と思える程。

酸素が足らない。視界が段々ボヤける。涙が流れる。

 

「…ゃ、め、」

 

「ハア、ゲホッゲホッ。」

 

死ぬかと思った。

 

少年は素直にそう思った。口の中は血の味がする。足りなくなった分の空気を肺いっぱいに吸い込む。少女は少年の上から退いている。少年は体を起こし、深呼吸をした。

 

「あ、あの。わた、私…。」

「ゲホッ、悪かったな。」

「え?」

 

少女は戸惑いの声を漏らした。

 

「来るなって言われたのに来たのは俺の方だ。だから、悪かったな。」

 

少女の顔は困惑していた。

 

「意味、分からない。下手したら死んでたのよ…。」

「死んでねぇだろ。」

「殺人未遂よ。立派な犯罪だわ。」

 

震える右手で肩を掴み、少女は少年から視線を逸らした。

 

「んだよ、刑務所でも入りてぇのかよ。」

「その方が良いわ。私なんて…。」

「好きにしろよ。俺は関係ねぇ。」

「変な人。」

「ああ!?いいか、お前の弱みは俺が握ってんだ。テメェは俺に逆らえないんだよ。」

「そう、私はこれから貴方の慰み者として一生を過ごすのね。」

 

少女はシクシクとしおらしく泣く振りをする。

 

「んだよ、慰み者って。」

「私、初めてだから…。その、痛い事はイヤよ?」

「なっ!?」

 

そこまで言うと少年は『慰み者』の意味を理解したようだ。少年は顔を真っ赤にして口をパクパクとさせる。少年は少女に対して指差しながらブンブンと上下に手を振るが一向に言葉が出てこない。

 

そんな様子の少年を見て少女は肩を震わせた。少女は涙を流しながら笑っていた。悲しそうに、先程より穏やかな表情で泣いていた。

 

少年は揶揄われたと溜め息をついた。

 

まだ、喉が痛い。

 

少年は喉をさする。その様子を少女はしっかり見ていた。

 

「ごめんなさい。痕残ってるわ。」

「チッ。」

「氷、貰いに行きましょう。」

「イヤだ。説明すんのが面倒だ。」

 

少女は立ち上がり少年に手を差し出した。しかし、少年はそっぽを向いた。

 

「分かったわ。私が氷をもらって来るから、ここにいて。」

「…おい。」

「何?」

「いいか、この事言うんじゃねぇぞ。それから袋は二つだ。」

「二つ?」

「俺と、お前の分だ。そのブサイクな顔、どうにかしろ。」

 

少女は少し惚けた後、笑みを浮かべた。

 

「分かった。」

 

そして少女は屋上から出て行った。

 

「くそ、情けねぇ。」

 

小刻みに震える右手を少年は強く握った。

 

怖かった。怖かった。怖かった。

 

少年は三門市の外側に住んでいた。だから、近海民が現れた時比較的安全な場所に避難出来た。あの時誰もが真っ青な顔をしていたが、あの時なんて可愛いもんだ。あの時、心の何処かで安心していた。

 

どうせ、ここには来ないと。

俺は助かるのだと。

 

違った。死は身近にいた。常に俺を連れて行こうとしている。

 

「何なんだよ…。」

 

アイツの目が怖かった。ドラマの殺人鬼なんかよりよっぽど殺人鬼の目だ。俺を人として見ていない。そこらの虫螻と変わらない。殺す事に一切の迷いがない。

 

「あんな、刺さり方は初めてだ。」

 

初めはアイツの視線が気になっただけだった。アイツが逃げた理由を知りたいだけだった。誰がこんな結果になるなんて思う?

 

「好奇心は猫をも殺すってか?勘弁しろよ。」

 

少年はクシャッと前髪を掴んだ。だが、手遅れなのだ。一度繋がった縁は中々切れるものじゃない。

ギギッと重たい金属音を立てて屋上のドアが開いた。先程の少女が二つの氷嚢を持って帰ってきた。

 

「あの、これ…。」

「おう。」

 

少女が差し出す氷嚢を少年は受け取った。少女は少年からかなり離れた場所に座った。少年は怪訝な表情を浮かべる。

 

「何でそんなに離れんだよ。」

「だって貴方、私が怖いでしょ?」

「怖くねぇよ。」

「手が震えてた。無理は良くないわ。本当、ごめんなさい。」

 

少女は氷嚢を手で弄りながら少年に謝った。少年は氷嚢を首元にあてばつが悪そうに視線を逸らした。

また暫く二人は無言で過ごした。その間、チクチクと何かが刺さるが必死に無視をした。

 

「おい、それ使えよ。もったいないだろう。」

 

いつまでも氷嚢を弄る少女に少年はそう言った。すると少女は素直に瞳に氷嚢をあてた。

 

「お前、名前は?」

「如月結城。」

「如月、か。俺は詳しい事知らねぇけど、あんまり酷いんなら病院行った方がいいんじゃねぇの?」

「そう、ね。考えておく。」

「それ、いかねぇヤツの返事だよ。」

 

少年は呆れたように言った。




お疲れ様です。

書いてる私も疲れました…。

感想などお待ちしています。


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如月結城は世界一美味しいものを食べました。

随分遅くなってすみません。


連れていかれた国は決して良い国ではなかった。戦争中でしかも負けかけていた。私達はそれぞれ武器を与えられた。あの子は近接戦闘のための剣を。私は銃を。 私達はそれぞれに戦った。サイトなんて便利なものはなかった。視界で捉えた物に当たるように銃を撃つ。

 

あの子は何時も何処かを斬られて帰ってきた。それでもあの子は私の所に生きて帰ってきた。何時も幸薄そうな笑顔を浮かべていた。寝るときは私に抱きついて寝ていた。

 

私には暑いのは苦手だった。それでも、私はあの子を抱いて寝た。

 

 

 

 

 

 

「貴方も暇ね。」

 

少女は鉄格子に体を預けながら少年、影浦雅人に言った。影浦雅人は少女に首を絞められてから毎日屋上に上がってきている。

 

「…お前、いつメシ食ってんだよ。」

「お昼ご飯の事?食べてないわよ。ご飯は夜だけで十分よ。」

「…朝は?」

「食べてないって。」

 

影浦雅人は眉を顰めた。少女は影浦雅人の表情の意味を理解出来ず、首を傾げる。

 

「夜は何食ってんだよ。」

「夜?日によるわ。」

「昨日は?」

「昨日?そうね…。なんだったかしら。まぁ、でも人間水だけで一週間は生きられるらしいし。問題ないわ。」

「大ありだよ。親は何を…、いやいい。何も言うな。いいか、放課後自分の教室で待ってろ。美味いもん食わせてやる。」

「美味しいもの?」

 

美味しいもの。少女は今まで食べた美味しいものを思い浮かべた。

東さんが奢ってくれるオムライス。

チョコ。日持ちするしカロリーを提供してくれる甘い食べ物。

カロリーメイト。カロリーを提供してくれるパサパサの食べ物。

あれ、最初以外料理じゃないかな…。まぁ、美味しい食べ物である事に変わりはない。

 

「ダメよ、私にはやる事があるもの。」

「やる事?」

「そう、やる事。」

 

少女は日課として毎日300体のトリオン兵を射殺す事を目標としている。

そして私は思うのだ。仮想訓練モードは甘えだ、と。無限のトリオンなど実戦であるわけではない。なら、あのモードは一体何のためにあるのか。あのモードはトリオン器官の発達の邪魔でしかない。負荷をかければかける程トリオン器官は発達する。元の大きさは違えどある程度は努力でどうにかなるのだ。それをあのモードは邪魔している。手っ取り早く強くなりたいのなら毎日倒れるくらいトリオンを使えばいい。そうすればスタミナ切れを起こす事が少なくなるはずだ。

 

「いいから、この世で一番美味いの食わせてやるから。」

 

影浦雅人は引き下がらなかった。

 

「…一番?」

「ああ、一番だ。」

「私、お金ないわよ。」

「俺が奢ってやる。」

 

少女は口元に手を当てた。そして頷いた。少女は影浦雅人の言った一番美味しい物を食べたくなった。少女が頷くと影浦雅人は満足げな表情をした。

 

「そういえば、お前のやる事ってなんだ?」

「私、ボーダーに仮入隊してるの。」

「ボーダーって、あのデカブツか?」

 

影浦雅人はボーダーの基地が見えん方を見た。少女は頷いた。

 

「ボーダーに入ると金もらえんじゃなかったか?」

「仮入隊じゃ貰えないわ。隊員になれば貰えるけど。」

「じゃあ、隊員を目指してるのか?」

「違うわ。仮入隊はただの事故よ。」

「事故?」

 

少女はその事故を話す気がないらしい。その事が分かった影浦雅人はそれ以上少女に聞こうとしなかった。

 

「さてと、そろそろ行こうかしら。貴方も早く戻らないと授業に遅れるわよ。」

「あ?良いんだよ、俺は。」

「良いわけないでしょ。貴方のせいでここにカメラでも付けられたらたまったもんじゃないわ。ほら、行きましょう。」

 

少女は立ち上がり、隣にいた影浦雅人に手を差し出した。影浦雅人はその手を少し見つめた後舌打ちをして立ち上がった。二人は階段を降り、それぞれの教室に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

放課後の前のホームルーム。少女は影浦雅人を待とうかどうか悩んでいた。やらなければならないことがあるのは本当だ。しかし、何故だか待っていなければならない気がする。

 

「如月さん、帰らないの?」

 

ホームルームが終わり、机の上で難しい表情をしていた少女に刈谷裕子は話しかけた。

 

「うん。まあ。待ち人をね。」

「待ち人?」

「そう、待ち人。ほら、来たみたい。」

「彼、隣のクラスの影浦君?如月さん、知り合いなの?」

 

刈谷裕子は怪訝そうな表情で私を見つめた。

 

「そうね、顔見知りかしら。」

「影浦君、あんまり良い噂聞かないよ。」

「そうなの。どんな噂か知らないけど、彼は良い人よ。」

「良い人?」

「そう。彼、見た目が少し…あれだけど、お人好しな人よ。」

 

刈谷裕子は教室の外に立っている彼をもう一度見た。

 

「信じられない。」

「刈谷さんも彼と話してみたら?」

 

 

 

「で?誰だよ、その女。」

 

影浦雅人は刈谷裕子を見て少女に尋ねた。

 

「私のクラスメイトの刈谷裕子さん。君が信用できないからついてくるそうよ。」

 

影浦雅人は顔を歪めた。刈谷裕子は私の後ろから影浦雅人を観察している。

 

「チッ、テメェの分はねぇからな。」

「いらないわよ。」

「可愛くねぇ女。」

「貴方に女なんて思われたくないわ。」

 

二人はどうやら性格的に合わないらしい。二人とも良い人ではあるのだが…。

少女は二人のいがみ合いを見ながら呑気に考えていた。教室を出てからも二人はずっと言い合いをしていた。

 

「もうそろそろやめたらどう?目立ってるわよ。」

「「何(だ)よ!?」」

「貴方達実はとっても仲いいんじゃない?ほら、世界で一番美味しいもの食べさせてくれるんでしょ?」

 

影浦雅人は舌打ちをすると歩き始めた。猫背気味な影浦雅人の後ろを少女達はついて歩く。少女達が歩くのは商店街。学校から出てバスに数十分。ついたのは『お好み焼き屋 かげうら』。

 

「美味しいものってお好み焼きのこと!?」

「あ!?勝手に着いて来て文句いうじゃねぇよ。うめぇだろ、お好み焼き。」

「刈谷さん、オコノミヤキってどんな料理なの?」

「お好み焼きは、小麦粉を水や出汁で溶いた生地に色々な具材を入れて焼くの。お好みの具材を入れて焼くからお好み焼き、って私は思ってる。」

「お好みの、具材…。チョコレートとか?」

 

少女が自分の食べたことのある(好きな)物の中で無難だと思うものをあげると二人はあり得ないといった表情を見せた。

この子達、本当は仲いいんじゃないか?

 

「甘えモンは入れねぇよ。気持ち悪いだろ。」

「きもち、わるい…。」

 

ショック…。気持ち悪いと言われたのは初めてだ。

明らかに落ち込んでいる様子の少女。それを見て慌てる影浦雅人。影浦雅人を煽る刈谷裕子。

 

「ああ、もう!いいから、とっとと入れ!」

 

中は香ばしい匂いが漂っていた。中途半端な時間帯だったのか中にはあまり人がいなかった。

 

「おや、おかえり雅人君。両手に花だね。」

「そんなんじゃねぇよ。」

「ははは、照れなくていいじゃないか!」

 

そう言って初老の男性は影浦雅人の背中をバンバンと大袈裟に叩いた。同じ席に座る男性達も同じ様に大きな声で笑っている。

 

「おい、取り敢えずそこの席に座っとけ。」

「はーい。」

 

影浦雅人はボックス席を指差した。少女達はおとなしくその席に着いた。刈谷裕子と少女は向かい合って座った。テーブルには備え付けの鉄板が付いている。

 

「その鉄板で焼くんだよ。」

「へぇ…。」

「お嬢さんはどこの国の産まれなんだい?」

 

少女達の会話に入って来たのは先ほどの男性だった。男性の顔はほのかに赤い。恐らくお酒が入っているのだろう。

 

「私は日本生まれですよ。両親も日本人のはずです。」

「おや?じゃあ、隔世遺伝か何かかい?」

「さあ…。すみません。あまり詳しくなくて。」

 

少女は申し訳なさそうに男性に謝った。

 

「いやいや、良いんだよ。こっちこそすまないね。ははは。」

「ははは、じゃねぇよ。すまねぇな、嬢ちゃん。こいつ今、奥さんが出てかれてんだよ。」

「はぁ、それで…。」

 

それから奥さんに出て行かれた男性の愚痴大会が始まった。そして最後は泣き始めた。奥から大きめの金属のボールを持った影浦雅人が出てきた。そして少女に絡んでいた泥酔した男を見て溜息を付いた。

 

「おじさん、泣くんなら家帰れ。」

「雅人君…。どうしてそんな辛辣な事言うんだよ!」

「うるせぇ、女子中学生に絡むなよ。困ってんだろ。」

「そうだぞ、いい加減に開放してやれよ。」

 

と、一緒に来ていた男性陣が言い始めた。

 

「ほら、もういいだけ飲んだだろう。帰ってどうやったら奥さんが帰ってきてくれるか考えようぜ、な?」

「あぁ…。悪かったな、お嬢ちゃん。」

「いえいえ、奥さんと仲直り出来ると良いですね。」

「ありがとう、お嬢ちゃん。頑張ってみるよ。」

 

男性たちは会計を済ませ、店から出て行った。

 

「たく。」

「ありがとう、影浦君。」

「あぁ?別にいいんだよ。それより、これを焼くとお好み焼きになる。」

 

影浦雅人は手に持っていたボールをズイッと彼女に近付けた。中には何やら葉物の野菜が千切りにしてあった。

 

「これを焼くの?」

「あぁ、焼いてやるからちょっと待ってろ。」

 

少女はじっと影浦雅人のやる事を見ていた。やっている事は中に入っていた具材を焼いているだけなのだが。

 

「よし、ひっくり返すぞ。」

「おお!」

 

少女は影浦雅人がお好み焼きを綺麗にひっくり返したことに感嘆の声を上げた。

 

「ほら、出来たぞ。」

 

香ばしい匂いが漂う。

 

「これが、お好み焼きだ。」

「なんか、影浦君。随分とて慣れてるわね。」

「ここ、俺んちだからな。時々手伝わされるんだよ。」

「俺んち…。ここが君の家なの?」

「あぁ。」

 

少女はもう一度店の中を見渡した。

 

「いいから、早く食えよ。」

「うん、では。いただきます。」

 

少女は渡された箸で一口サイズに分け、口に入れた。

 

「…美味しい。」

「如月さん、美味しそうに食べるね。」

 

そう言うと影浦雅人は得意げな顔をして「そうだろ?」と言ってきた。少女は次々にお好み焼きを口の中にいれていった。あっという間にお好み焼きを食べてしまった。

 

「美味しい、本当に美味しいわ。」

「次からは金払えよ。」

「わかってるわよ。お好み焼き、これ以外の味もあるの?」

「まぁ、そうだな。チーズとか入ってるのもあるぞ。」

 

へぇと少女はいった。そして頼むわけでもないのにメニューをじっと見ている。

 

「なんでメニュー見てるの?」

「次来た時、何を頼もうか考えてるの。」

「気が早いなぁ、如月さんは。」

 

 

 

 

 

 

 

 

スコープを覗き敵の弱点である目玉の様な場所を撃ち抜く。次々にトリオン兵が倒されていく。

ズドン、と重い音が響く。少女の隣には同じ様にイーグレットを構える東春秋がいる。二人は互いに話す事なく目標を撃ち続ける。

 

「ふう。」

 

少女は小さくため息をついた。

集中力が切れてしまった。

それでも目標としていた300体は倒せているし、ノルマは達成している。これからギリギリまでトリオン器官に負担をかけてトリオン能力を伸ばす。300体とは現在少女がノーマルトリガーで息切れをしだす数だ。昨日はそこから20体倒せた。これから一週間は320体を倒すことに専念する。次の週は330体。そうやって数を増やしていくことで戦闘中のトリオン切れを起こしにくくする。

 

「あと、20。」

 

少女は改めて目標数を呟くともう一度イーグレットを構えた。

19、18、17、16…3、2、1、0

 

少女は大きなため息をついた。少女はスコープから離し、先ほどまで撃っていた的を見つめた。

 

「今日も綺麗に真ん中だな。」

「東さん…。お疲れ様です。東さんも真ん中に当ててるじゃないですか。」

「如月みたいに全部真ん中には当たってないよ。」

「経験の差です。」

 

少女は自信ありげに言うと東春秋は苦笑いを浮かべた。

 

「そういえば、如月はサイドエフェクトって知ってるか?」

「さいど、えふぇくと?副作用、でしたっけ?なんの副作用ですか?」

「トリオン能力が高い人にはサイドエフェクトって言う特殊能力が備わっている場合があるみたいなんだ。あくまでも身体能力の延長線上らしいんだけどな。」

「はあ…?」

 

少女は東春秋の話の意図が見えず、首を傾げながら相槌を打った。

 

「如月、一度検診を受けて見ないか?あくまで俺の予想だが如月にはサイドエフェクトがあると思うんだ。」

「どうして、そう思うんですか?」

「如月の姿が時々見え辛くなるんだ。と、思ったら如月の存在を強く感じたりする。だから、如月は無意識にサイドエフェクトを使ってるんじゃないかなって思ったんだ。強制はしないし、正規隊員になれば定期健診があるからその時にわかるだろうけど。」

「わかりました。受けてみます。」

 

少し先の少女はこの時「受けてみる」といったことを後悔したのだった。




お疲れ様でした。

私、初めて骨折しました。

皆さんもテーブルの角に足の小指をぶつけないよう気を付けてください。


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きさらぎゆうきは死んだ。

不思議に思った。あの頃はこんな事を考えている暇もなかった。それでも、落ち着いて考えてみるとやはり可笑しいんだ。近接戦闘武器を持っていた『きさらぎゆうき』と、遠距離戦闘武器を持っていた『nameless』。狙うなら人数を減らす意味で『nameless』を狙うはずだ。実際、『nameless』ならそうしていただろう。なのにどうしてか、あの時の敵は『nameless』を狙わなかった。近距離でライフルが当たらないなんて思えるほど、相手が勝利に酔っていた訳ではないだろう。

 

「私が、殺した。」

 

そう、『きさらぎゆうき』は『nameless』が殺した。『nameless』にはそうとしか思えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

少女は自分の家にいた。それだけではいつも通りだ。しかし、違うのはそれが昼間だと言う事だ。カーテンを閉められたのなら閉めていた。しかし、カーテンなんて豪華な物はこの部屋にはなく射し込んでくる陽射しが鬱陶しい。

少女は背中を壁に預け、項垂れていた。

 

『視覚認識操作』

 

少女のサイドエフェクトにつけられた名前だった。自分の存在の認識を操作する。東春秋の如月結城が見え辛くなるのは少女の能力の一部だった。

つまり、少女に出来ることは自身を意識させる事、させない事。少女のサイドエフェクトの欠点はそれが視覚的な情報に限った事だと言う事。少女から発せられる音などは誤魔化せない。それでも人間は物を認識するのに約80%を視覚的情報に頼っている。少女が本気で認識を操作すると人間は残りの聴覚や嗅覚で認識しなくてはいけない。そして戦闘という特別な環境下で興奮状態の頭が残りの20%をうまく使えるかと言われればまず使えないだろう。

 

少女は無意識に自身の認識を操作していた。

少女の親はネグレクトを起こしたくて起こしていた訳ではない。という考えが出来るようになってしまった。

 

「私が、原因…。」

 

親が私を良く公園に置き去りにしたのは私を見失うから。当時の事はあまり覚えていない。その後があまりにも濃い人生だった為だ。

 

それでも覚えているのはブランコに座っていたらお母さんが迎えに来てくれた。多分、お母さんだと思う。黒い髪の女性が私に手を伸ばしてくれる。私はその手を取って家に帰るんだ。でも、途中でトリオン兵にあって…。あれは、私を捕まえて。

 

「ーー!」

 

あの時、彼女はなんと言っていたんだろう。どうして、私は自分の名前を忘れてしまったのだろうか?

 

「……忘れた?」

 

忘れた、つまり私には元々名前があったという事を覚えていると言う事だ。どうして、今まで忘れてたんだろう。

 

「名前は、個を示す物。私は、私は…、だれ?」

 

 

 

 

 

 

 

影浦雅人は屋上に来ていた。いつも自分より先に来ているはずの少女がいない。隠れている訳ではなさそうだ。

 

「あいつ、何処にいるんだ?」

 

一週間前、お好み焼きを食べていたあの金髪少女。如月結城。影浦雅人を絞め殺しかけた少女。表情の何処かにいつも影のある少女。影浦雅人は心配だった。少女はいつも詰まらなさそうな顔をして屋上から下を見ていた。

 

影浦雅人は屋上から出た。少女に会うために影浦雅人は屋上に上がっていた。どうして、影浦雅人は屋上に上がっていたのか?

少女から、何も感じなかったからだ。最初に会った時のあの殺気以外、何かが刺さった事がなかった。誰しもが影浦雅人と会話している時、していなくても何かを刺してくるのに。少女は一切刺す事はなかった。

 

どう言う条件で刺さるのかはわからない。それでも、刺さない少女が影浦雅人にとっては貴重だった。少女の前だけが影浦雅人を普通の少年にしていた。だから、影浦雅人は少女に多少の執着を持っていた。

影浦雅人は少女の教室の前に立った。そこには刈谷裕子の姿は見つけたが、如月結城の姿はなかった。教室の前に立っていた影浦雅人の姿を見た刈谷裕子が教室から出て来た。

 

「どうしたの?」

「あいつ、今日は休みか?」

「あいつ…?如月さんの事?如月さん、今日は休みみたいだよ。まあ、学校に連絡が入ってないみたいだから先生、すごく心配してた。」

「ふぅん、そっか。ありがとな。」

 

影浦雅人は自身の教室に戻っていった。

 

「風邪か?親が何してるかあん時聞いとけばよかったな。」

 

影浦雅人は一週間前の屋上で親の事を聞く機会があったが結局聞く事は無かった。あの時の事を悔やんで舌打ちをした。

 

 

それから一週間が経った。それでも如月結城は学校に姿を見せなかった。如月結城は幽霊だったのではないか、なんて噂が立ち始めた。如月結城が住んでいるとされていた住所には確かに家があったが、そこには誰も住んでいなかった。そして誰もが記憶の中の少女の姿をはっきりと思いだせないでいた。どんな容姿だったのか、誰もがたった一週間と言うとても短い期間で一人の少女の視覚的情報が明らかに欠落してきている。

 

影浦雅人も例に漏れず如月結城の容姿を忘れかけていた。もう、殆ど思い出せない。影浦雅人は覚えている限りの如月結城の特徴を書き記した。

 

金髪・青い目・外国人っぽい顔・160cm程の身長…。

 

それから、それから。

 

影浦雅人は小さく舌打ちをした。

 

アイツが幽霊の筈が無い。幽霊がお好み焼きを食べるかよ。

 

影浦雅人は警戒区域まで来ていた。影浦雅人は覚悟を決めた様に大きく深呼吸をした。ここに如月結城がいるなんて確証はない。それでもここならまず人目につく事は無く、探したくても警察でさえ探せない場所だ。ボーダーが如月結城の捜査に協力的か分からない。

 

中学生の後先考えない行動だ。そして刈谷裕子もそれについて行った。彼らは決して仲がいい訳では無かった。それでも如月結城と言う名の少女の為にと言う共通の目的が彼らを突き動かした。

 

その二人も如月結城をもう詳しくは覚えていない。それでも、影浦には一つだけはっきり覚えている事があった。最初で最後、少女が刺したあの痛みだけは影浦の中にしっかりと残っていた。あの痛みをしっかりと思いだし影浦雅人は刈谷裕子と共に警戒区域内に入って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ボーダー内でも如月結城の事について身辺調査が開始されていた。如月結城が突然ボーダーに顔を見せなくなっていた。そして身辺捜査の結果如月結城が元々提出していた書類の住所こそ存在すれど、そこには住民はいなかった。ボーダー内部に激震が走った。如月結城が一体何の為にボーダーに侵入したのか、本部はそれを図りかねていた。彼女が扱っていた訓練用トリガーはそのまま残されている。彼らには()の奴らが実物無しにトリガーを理解できるわけがないと、そんな傲慢が無かったわけでは無いだろう。それでも何度数えても無くなったトリガーはなかった。それに如月結城がボーダーの開発室に近付いたのはたった一回。東春秋に紹介されサイドエフェクトの検査に来た時だけだった。その後から彼女はボーダーに顔を見せなくなった。

 

ボーダーは『如月結城』では無く『如月有紀』という同じ音の名前の少女が昔、この三門市にいた事を知った。しかし、その少女は10年前から行方不明となっており、その少女が発見されたという情報は出て来ない。『如月結城』=『如月有紀』と決定づけるものは何もない。そして何より情報にある『如月結城』と『如月有紀』の外見は一致しない。『如月有紀』は黒い髪に黒い瞳。『如月結城』とは幼少期の写真しか入手できていないが、骨格が明らかに異なっている。

そしてボーダーはもう一つ情報を入手していた。同時期にもう一人の少女が行方不明になっている。少女は『神崎蓮奈(かんざきれな)』。少女は神崎康一、葉子夫妻の養子として迎えられている。元々の名前は『レナ・クロイツェル』。生みの親は両方とも生粋のロシア人。その夫婦が日本にいる時事故で死亡。そのロシア人と友人関係にあった神崎葉子が『レナ・クロイツェル』を養子として迎えた。現在、神崎康一は大規模侵攻で死亡しており、神崎葉子は長い間精神的な病気で病院に隔離されているそうだ。その隔離されている理由が『神崎蓮奈』を誘拐したのは白くて巨大な怪獣だと証言していた事が理由だそうだ。神崎葉子は長い間娘がいなくなってしまった事で錯乱しているのではないかと思われていたようだ。それに近所の住民に『神崎蓮奈』がよく公園で一人で居るのを目撃されている為、実はネグレクトを起こしていた事を隠す為の演技では無いかと色々言われていた事が、心身に負担をかけたのではないか。今となってはそう思わざるを得ない。十年前、近界の存在などほんの一握りの人間しか知らなかったのだから。

 

「神崎蓮奈が仮に『如月結城』だったとしてどうして態々偽名を使う必要があるんです?なにか後ろめたい事があったに違いありません。」

 

そう決めつけた様に言うのは根付栄蔵メディア対策室長。

 

「ここに上がっている情報だけで『如月有紀』は兎も角、『神崎蓮奈』がトリオン兵に誘拐された事は明らか。あちらからボーダーの情報を仕入れて来るように言われたのではありませんか?彼女のサイドエフェクトは侵入す事に長けているようですし。」

「東から上がってきている報告では『神崎蓮奈』は妙に武器になれていた節があるそうだ。」

「でも、トリガーなどの研究データにも実物のトリガーも紛失ないし、複写された形跡は残っていないんでしょ?」

 

根付と鬼怒田の会話に入ってきたのは林藤だった。

 

「それはそうですが、『神崎蓮奈』が完全記憶能力の様なものを持っていたらどうするんです?」

「兎も角、『如月結城』を見つけない事には始まらないでしょう。『神崎蓮奈』が『如月結城』だって証拠も無いでしょ。容姿なんてどうにでもなるんだから。もしかしたら全く関係ない近界民かもしれないぜ?」

 

林道がそう言うと冷たい沈黙が会議室を覆った。しかし、その可能性が無い訳では無い。

 

「門が開いて『如月結城』が近界に戻ってしまう事だけは避けたいですね。手遅れでない事を祈るほかありませんが。」

「あぁ、どんな情報でもあちら側に渡す訳にはいかん。『如月結城』を捕まえるまではより一層、門に対する警戒を強くしよう。」

「それにしても、情報が目当てならなんとも中途半端ですね。」

 

そう言ったのは唐沢克己外務・営業部長だ。

 

「中途半端、とは?」

「中途半端、というよりはお粗末、と言った方が良いでしょうか。情報は鮮度が命です。それは根付さんも良く分かっているでしょう。それなのに『如月結城』がかかわった隊員は東君が主で、それ以外は三輪君と一回だけ食事をした事があるだけ。忍田さんの弟子の太刀川君とも、昔からボーダーにいる玉狛支部とも接触していない。もし、迅君のサイドエフェクトがばれていて接触しなかったとしたらそれはそれで不味い事なんですけど。

『如月結城』が本当に欲しかったのはボーダーについての情報なのか?私にはそう思えませんね。寧ろ、『如月結城』は怪しまれない程度にボーダーとの関係を持ちたくなかったように思えます。『如月結城』は仮入隊の面接時に「友人が勝手に書類を送った。」そう言ったそうですね。もしそれが本当なら『如月結城』は元々我々に接触したくない理由があった。接触する理由が無かった。そう考えられませんか?まぁ、最初に根付さんが言った後ろめたい事があったのかもしれませんが。」

「兎も角、『如月結城』を一刻も早く見つける。彼女と関わりのなかった隊員にもこの事を伝えて見つけ次第至急連絡をするように。『如月結城』を一刻も早くを捕まえろ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「初めまして、如月雪子さん。」

「貴女は…?」

「namelessと言います。すみません、名乗れる名前を持ち合わせていないもので。」

 

私の目の前に立っている金色の髪の少女はとても綺麗な顔をしていた。しかし、彼女の存在は異様だった。景色から切り取られた様な、そんな異質さを感じていた。

 

「それで、あの。何かご用事でも?」

「えぇ、如月有紀さんから預かりものです。これを。」

 

namelessと名乗った少女は私に差し出したのは赤く古く懐かしい物だった。恐る恐る少女の手からそれを取った。そこには確かに娘の物だった事を示す、娘の名前が書かれていた。涙が溢れて来る。

 

「娘は、有紀は…。」

「如月有紀は残念ながら7年前に亡くなっています。」

「どうして、貴女は、これを…。」

「私にとって貴女にこれを返す事だけが、如月有紀を生まれ故郷に還す事だけが、『きさらぎゆうき』と言う名前をあの子に返す事だけが、私が私を生かしてきた理由だから。」

「貴女は、死にたいの?」

 

namelessは静かに涙をこぼしていた。

 

「今までの不幸に見合った幸福なんて私にはもう二度と手に入らない。如月有紀が死んだあの時から、私は死んだまま動いているの。死人に先はない。死人に感情はない。」

「貴女はそうやって今まで自分を守ってきたのね。」

 

私は目の前の少女を抱きしめた。強く強く、とても強く。

 

「ありがとう、本当に、ありがとう。」

「っ…。ごめん、なさい…。私、守れなかったの。あの、子を。私は…、殺されて、しまった。」

「えぇ、えぇ。ありがとう。これで漸く、あの子のお墓を立ててあげられる。七年も待たせちゃったのね。」

 

この時、漸く

『如月結城』は

『如月有紀』は

死ぬ事が出来た。

 




お疲れ様です。

感想などお待ちしております。


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namelessの信条と心残り

昔、角の生えた少年にあった事がある。少年のご主人様は私に良くしてくれた。酷い怪我をしていた私の怪我の治療をしてくれた。少年は少年の生まれ故郷の話をしてくれた。私は自らのやるべき事が終わったら助けてくれた彼らの為に力になりたいと思った。私に何もしてくれなかった人間の味方をするくらいなら、一年もの間私の面倒を見てくれた彼らの為に何かをする方がよっぽど恩に報いてる。そう、私は思っていた。だから、私は地球に帰ってきた。如月有紀を返す為に。地球には、私の居場所はない。私には帰る場所はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

この3週間、カ○リーメイトゼリータイプリンゴ味やソイ○ョイで何とか耐え忍んでいたが流石に体が色々な栄養を求めている。

 

「お好み焼き…、美味しかったなぁ。」

 

思い出しただけでお腹が鳴りそうだ。

 

「……私、餌付けされた?」

 

そう思うと何か悔しい。地球から出て行く前にもう一回だけ食べに行ってもいいかもしれない。海鮮玉、と言うのを食べてみたい。

 

「うぅ、止めよう。お腹空いて来た…。」

 

私はお腹を抱えて寝転んだ。私は唸りながら床の上をごろごろした。

ダメだ。

私は立ちあがった。

 

「我慢できない。」

 

さて、何を食べようか。お好み焼きだ。お好み焼きを食べよう!

私は家を出た。しかし、さすがに彼の家で食い逃げは気がひける。何処かでお金を調達しなくてはいけない。

 

「はぁ、止めよう。普通にコンビニに行こう。」

 

久しぶりの風はとても心地よかった。大きく深呼吸をすると新鮮な空気を肺一杯にため、吐き出した。私は初めて三門市を訪れた時と同じ真っ白なワンピースを着ている。もう直ぐ11月だ。流石にワンピースだけでは肌寒い。私は適当な洋服店に入り、こげ茶色のジャケットを羽織った。そのジャケットを羽織って私は町の中を歩いた。この街にいるのはもう最後だ。私がここにいる理由はない。

自分の能力を理解してしまえば、誰も私に気が付かない。

 

私はコンビニに入って適当なおにぎりと飲み物をとってコンビニを出た。私は人目の多い公園のベンチでおにぎりを頬張った。筋子と昆布、それから鮭とおにぎりを口にした。

 

「ふむ、美味しい。」

 

私は真っ青な空を見上げた。何処の世界の空も大抵は同じ色をしている。青い、青い、空。あの空はいつ、私を迎えに来てくれるんだろうか?

私はベンチから立ち上がりまた街中をブラブラと歩き出した。何か思い出がある訳では無い。それでもここを去るのが寂しいと思うのはここが故郷だという意識があるからだろうか。故郷だと思ってしまっている要らない感情が芽を出しているからだろうか。

 

「目的は果たした、完遂した。もうやる事は無い。はあ、また傭兵生活でもするか。」

 

私には地球で生活していくという考えはなかった。確かに平和に過ごしていたいとは思っている。しかし、それは別に日本でなくてもいい話だ。それに、日本は学歴社会だ。小学校は通った事が無く、真面に漢字が読めない私には生きて行くにはとても難しい国だ。それなら私は自分が得意な事を求められている国に行く。

 

トリオン兵が出て来るタイミングで門に飛び込む。出る国がどんな国か分からない。問題はいつどこで門が開くかだ。下手をするとボーダー隊員と鉢合わせする。別にあってもいいのだが、彼らに負ける気はない。彼らもブラックトリガーを所持しているかもしれない。それでも私は負ける気はしなかった。それはあちらにいた10年間ずっと戦争をして勝ち続けてきたという結果からくる自信。

 

兎も角、警戒区域内で辺りを付けて張っておく必要がある。

 

「ねぇ、君。」

 

誰かが後ろから私に話しかけた。どうして私だとわかったか?そこには私以外いなかったからだ。一歩先は警戒区域。振り返るとそこには高校生が立っていた。高校の制服を着た茶色の髪に蒼い瞳の少年。

 

「そっから先は警戒区域だよ。」

「そう、教えてくれてありがとう。」

 

私はそう言って彼から離れようと少年に背を向けた。

 

「ねぇ。」

「まだ、何かあるの?」

「君、如月結城ちゃんだよね?」

「いいえ、違うわ。私は()()如月結城じゃないわ。」

 

少年は数回瞬きをした後、笑みを浮かべた。

 

「じゃあ、君はなんて名前なんだい?」

「名前は名乗ってから尋ねるものよ。」

「俺は実力派エリートの迅悠一。」

「そう、で?ボーダーの迅悠一君は私に何の用?」

「俺がボーダーだって知ってたの?」

「知らないわ。鎌をかけただけ。こんなに簡単に引っかかるなんて…。ボーダーって本当に心配になる組織だわ。」

 

私は溜息を付いて頭を左右に振った。

 

「それで、君の名前は?」

「そうね、取り敢えずnamelessって呼んでよ。」

「ねーむ、れす…。」

「名前のない者って意味よ。」

「君の名前は神崎蓮奈じゃないのか?」

「誰、それ?それが仮に私の名前だったとしても、生まれた時から私は名前を呼ばれてないから。知らなくてもてもしかたないでしょ。」

 

私は小首をかしげて可愛らしくそう言った。

 

「仕方ない、か。まぁいいや。君に良い事教えてあげるよ。あそこに鉄塔が見えるだろ?今日、あそこに門が開く。」

 

私の表情は一気に険しいものへと変わった。私は迅悠一を観察する様に彼を見詰めた。私に嘘を見抜く能力も観察眼も無い。それでも経験からある程度嘘を付きそうなやつかどうかは分かる。目の前の男は飄々としている嘘をつきそう、と言うより真実を全て話すことはなさそうと言った感じだ。

 

「迅悠一、それが真実だとして貴方が得る利益が分からない。」

「利益?そんなのはないよ。これは唯の親切心だ。」

「その言葉でさらに怪しくなった。この世で親切心だけの言葉なんて言うのは絶対にない。人助けをして優越感に浸るタイプの人間か?」

「信じてくれないか?」

「お前は行き成り親切にしてくる人間を信じられるか?タダより高いものはないんだ。見返りにどんなものを求められるか分かったもんじゃない。」

 

私は迅悠一を睨みつけながらそう言った。それでも迅悠一が表情を崩す事は無かった。

 

「君の為なんだ。」

「私の何を知っていて為になると思ってるのか、理解できない。」

「君は大切なモノを失うよ。」

「お生憎様だな。大切なモノは7年前になくしたよ。私の手の中には何一つ大切なんてものはない。」

 

そう言うと漸く迅悠一の顔が表情が動いた。どこか納得いかないと言った表情だ。

 

「まぁ、後は蓮奈ちゃん次第だ。」

「私は、namelessだ。」

 

迅悠一はそこから去って行った。私は後ろ姿が見えなくなるまで彼を見ていた。そして私はもう一度鉄塔のある方を向いた。そして眉間に皺を寄せる。

 

「はぁ、踊らされている感が嫌だな。」

 

私はそう呟いて鉄塔の方へ歩いて行った。私には興味があった。迅悠一が門の出現位置を知っていた事では無い。彼が一体どんな情報からそう思ったか分からないが、自分に大切なモノがあると思ったモノに興味があった。もし、本当に自分の中でそれを大切だと思っているのならそれをここで断ち切る事でもう日本には本当に未練はなくなる。

今の私には重要な事だった。余計な思考は自らの死を齎す。一度、死にかけた私は死を怖いものだとは思わなかった。寧ろ、私は早く死にたいと思っていた。

 

今までの不幸に見合った幸運は望まない。その代わり、早く友人のもとに行きたい。私にとって唯一の友人の元へ。それでも私が死ねない理由があった。私の思考はとても単純で『善意には善意を、好意には好意を、悪意には悪意を、害意には害意を。』向けられた感情をそのまま相手にも向ける。私は昔、助けられた。その人達にまだ報いていないのだ。彼らの好意に自分は好意を返さなくてはいけない。それが私の信条だ。そこまで考えて、私は気付いた。

影浦雅人が私にくれた好意を返していないと。影浦雅人は恐らく食事を怠っていた私を心配してお好み焼きを奢ってくれたのだろう。これが私の独りよがりだとどれ程恥ずかしい事だろうか。それでも私が影浦雅人の行為を好意だと感じたなら私も好意を返さなくてはいけない。それが私の信条だ。

 

「あぁ…せっかく日本から出られると思ったのに(不安だけど)、心残りが出来た…。せめて影浦君には何かしてから行かないと。」

「あ、でも待って。そうなると鉄塔に行く意味ないんじゃ…。」

「くっそぅ…、迅悠一め。最後の最後で何と言う奴に会ってしまったんだ。」

 

私は路地の真ん中でしゃがみこんだ。誰かに見られたら心配されてしまうだろう。

 

私は大きく深呼吸をして空を見上げた。そしてけたたましいサイレンの音が鳴った。鉄塔の方を見れば、本当にゲートが開いている。

 

「きゃああああ!!」

 

そして聞こえてきたのは少女の声。

 

「大切な、モノ…?」

 

私は舌打ちをして走り出した。どうして走っているんだろう。今から走ったって門が閉じてしまって間に合わないのに。と言うか、迅悠一め。ボーダーならどうして自分で助けないんだよ。

そう愚痴をこぼしながら私は鉄塔に向かった。

 

「あれは、バムスター!」

 

誰かがあそこにいる。連れていかれてしまってトリオン器官を取り出して殺されるならそれは幸せな事だろう。天国に行けるのだ。でも、そうじゃないなら。悲鳴を上げた少女に待っているのは地獄だ。私の味わった地獄を誰かに味わってほしいなんて思わない。思えない。思えるわけがない。地獄を知っている。正真正銘の救いのない地獄を。

 

「刈谷さん!?」

「き、如月さん!」

 

バムスターの向かった先にいたのは刈谷裕子だった。刈谷裕子は地面に転んだようでこちらを見上げている。私は急いで彼女に近付いた。

 

「立てる?走るわよ!」

「駄目!待って!影浦君が、影浦君が食べられちゃう!」

 

刈谷裕子は必死に訴えてきた。バムスターの方を見ると確かに足元に影浦雅人が倒れていた。バムスターは影浦真斗を体内にいれようと口らしきものを近づけていた。

 

「私を、見なさい!バムスター!」

 

私は叫んだ。私の視覚的情報を私自身が操作できるのなら、私以外の存在に目が向かない様にだって出来る筈だ。私と言う存在以外には目を向けさせない。バムスターは足元の影浦雅人から私に視線を映した。私はチョーカーについている逆十字に触れた。

 

「行こうか、ゆうき。」

 

私はトリガーを発動させた。サイドエフェクトと言う物を知った今、改めて有紀を守れなかったことを申し訳なく思う。そして私は二度同じ過ちを犯してはいけないと。

 

「もう、二度と…誰も殺させない。」

 

それは、自らに掛けてしまった呪いの様なものと言ってもいいかもしれない。

 

「剣、一本で十分か。」

 

私の右手から黒い剣を取り出した。バムスター一体なら数秒あれば倒すのに事足りた。私は急いで影浦雅人に近付いた。首元に手を当てた。脈はある。息もしてる。血も出てない。

 

「生きてる…。良かった。」

 

安堵のため息が漏れた。ふと、仮面の左側に白い影が見えた。それは人の形をしていて今はまだ小さいが確実いこちらに向かって来ている。私は影浦雅人を小脇に抱えた。

 

「刈谷さん、少しの間大人しくしててね。ボーダーが来た。」

「如月さんと仲間じゃないの?」

「私は兎も角、ボーダー関係者以外がトリオン兵に襲われると混乱を避けるために記憶を消す処置が施されるの。嫌でしょ、消されるの。」

「う、うん。でも、何処に行くの?」

「今私が住んでる家。」

 

刈谷裕子も抱えると私は家の陰に隠れるように進んだ。そしていつもの真新しいマンションの中に入った。私は大きな溜息を吐くとトリガーを解いた。

 

「それで?」

「え?」

「どうして二人は警戒区域内にいたの?」

「如月さんを、探して…。」

 

刈谷裕子の言葉に私は眉を寄せた。

 

「私を?どうして?」

「だって、如月さんの家の住所嘘だって。皆如月さんの事よく思い出せなくて。それで、如月さんが幽霊なんじゃないかって。そんなうわさが流れ始めて…。」

「それで、影浦君と一緒になって私を探してたって?馬鹿じゃないの。」

「ば、馬鹿って何よ!」

「貴女は知らないかもしれないけど、あっちに連れてかれたらもう終わりなのよ。まず帰ってこられない。私は運が良かっただけよ。」

 

刈谷裕子は目を大きく見開いた。

 

「如月さんって、近界民に攫われた事あるの!?」

「あ…、あぁ、まぁ。10年前に。」

 

私は余計な事を口走ってしまったと後悔した。

 

「いつ帰ってきたの?」

「一ヶ月くらい前。」

「どうやって帰ってきたの?」

「……あんまり知らない方がいいと思うけど。下手に色んな事知っていてボーダーにばれると面倒だって事が分かった。あんまり話聞かない方が良いよ。一般市民は知らない方が幸せって事だよ。」

 

そう言うと刈谷裕子は黙ってしまった。私は床の上に無造作に置かれている影浦雅人の方へ目をやった。

 

「刈谷さん、貴方だけでも帰った方がいわ。影浦君がいつ目を覚ますか分からないし。」

「如月さんは、もう学校には来ないの?」

「……わからないわ。別に地球に何か思い入れがある訳じゃないし。ここにいる理由も無いし。」

「如月さんのお母さんとかって、どうしてるの?」

「さぁ、10年も前の事だから。忘れてしまったわ。」

「探さないの?寂しくないの?」

 

私は自分の手を見詰めた。そして呟く様に言った。

 

「…失いたくないものは、必ず失われる。手に入れた瞬間、失わる事が約束されている。そんな生に何の意味があるの?苦痛しかない生を引き延ばした先に何があるの?失ってしまう事が、壊れてしまう事が避けられないのなら、初めから大切なモノなんて作らない。私はもう一生、大切なモノは作らないって決めたの。だから、親はいらない。友達はいらない。仲間はいらない。私はずっと一人が良いの。私はもう誰かの死に耐えられるほど、強い心は持ち合わせてない。」

 

私は服の上から心臓の辺りを強く握った。

 

「私の心はきっと、如月有紀が死んだあの時から壊れてしまった。私には心が無いから、演じる事しかできない。人間の振りをする事しかできない。私はnameless。名前のない怪物よ。」

「如月結城が、死んだ時?」

「元々如月結城っていう名前は貰い物なの。一緒に誘拐された子の名前。その子が死ぬときに名前のなかった私にくれると言ってくれたのが『きさらぎゆうき』と言う名前。それも、あの子に還したから私は『nameless』。名前のない者。それに如月有紀は元々綺麗な黒い髪に黒い瞳の子に付けられた名前よ。私とは似ても似つかないわ。」

 

皆、忘れてしまっている事だろう。

きさらぎゆうき(彼女)が黒い髪に黒い瞳の綺麗な子だったという事を。

 

「送って行くわ。此処からじゃ、どう帰っていいか分からないでしょ?ボーダーに見つかっても面倒だし。」

「う、うん。影浦君、どうしよう。」

「そうね、日が暮れるまで起きないようだったら叩き起こすわ。」

「お、お手柔らかにね。影浦君も如月さん、じゃなかった。namelessさんの事すっごく心配してたから。」

「善処するわ。」

「それ、絶対にやらない人の返事よ。」

「そうね。」




お疲れ様です。

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namelessとレモン味

腹から流れ出る血。痛さが分からない。傷口が酷く熱い。傷口を抑えて私は『きさらぎゆうき』のもとに行った。

 

「いたい、ょ。おね、ちゃん。」

「ごめん、ね。守れなくて。」

「ね、ぇ。ゆ…きのおねがい、きいて、くれる?」

 

力無く震えてる手が私の方に向かってくる。その手には赤いネームプレートが握られている。

 

「えぇ、何?」

「に、ほんにね、いけたら。ママとパパにね、ゆぅ、きしんじゃったって。き、とみんなさがしてる、から。もぅ、いいんだよ、て。」

「分かった。必ず日本に帰って、貴女のお父さんとお母さんに伝えるわ!」

 

私は涙を流していた。『きさらぎゆうき』が死んでしまうという寂しさか。それとも、これからは一人で歩いて行かなければならないと言う恐れか。当時の私にはそれを考えられるほどの知識などなく、心の余裕などなかった。

 

「なまえ、…げ、る。こ、どは…ゆ、きがまも、てあげる。」

「おね、ちぁん…ぁ、はす、のはな。みたいに、きれい…。」

「疲れたでしょ。休んでいいのよ。後は私が頑張るから。」

 

『きさらぎゆうき』は安心した様に笑みを浮かべた。彼女の体が眩しく光った。私達は見た事があった。ブラックトリガーになった人を。彼女も見様見真似にやってみただけかもしれない。そこに残ったのは塵と十字架。

 

「あ、ああ…ああああああぁぁああ。」

 

そうして、私は一人になった。

 

 

 

 

 

 

 

「こちら風間、現地に到着した。近界民が倒されている。それに…。」

『それに…?どうしたんだ?』

「本来、白いはずの近界民が真っ黒になっています。」

『黒…?分かった。取りあえず回収班を回す。触らない様に頼む。』

「了解。」

 

真っ黒に変色したバムスターだった物を見た。白い所もあるが段々と黒い何かに侵食されて行っている。そして最後には全てが真っ黒になった。バムスターは何かに侵されている事は確かだ。

 

「おぉ、これは凄いな。」

「油断するなよ、太刀川。これが一体何なのか、分からないんだ。」

 

太刀川慶は自身の持っていた弧月で黒い物を突いた。すると弧月の先が黒くなった。最初は先の方だけだったが段々上の方に登ってきている。

 

「うわっ。」

 

太刀川慶は弧月を離した。

 

「太刀川…。」

 

太刀川慶が悲鳴を上げたのを聞いて風間蒼也は彼の方を向いた。そして彼の物であろう弧月が地面に置かれていた。

 

―――パキッ

 

真っ黒なバムスターにひびが入った。そしてバムスターは崩れ始め、最終的には光となって消えていった。そして太刀川慶の弧月も同じ様に光となった。そして光は霧散していく。

 

「これは、何だ。」

 

壊されて黒く変色していたバムスターの姿は無くなっていた。そこにいる二人には何が起こっているのか分からなかった。そして侵食していた黒い何かはもうこの場にはない。これでは開発室に回す事も出来ない。

 

「忍田本部長、回収班の必要は無くなりました。」

『それは、どう言う事だ。』

「その事について報告したい事があります。一度、太刀川と本部に帰還します。」

『分かった。報告を聞こう。』

 

 

 

 

 

 

 

私は大きな溜息を付いた。床に無造作に置かれている影浦雅人は一向に目を覚ましそうになかった。

 

「ん、バムスターのトリオンを全部侵食しきったのか。」

 

先程の戦闘で疲労を感じていた訳では無いが、体の中に入ってきたトリオンを感じてそう呟いた。ゆうきのブラックトリガーは性能が特殊過ぎた。

元々あの鎧だけで武器はなかった。しかし、あの鎧で触れたトリオンは黒く変色し、やがて霧散したトリオンはブラックトリガーの中に保存された。黒く変色したトリオンは完全にこちらの支配下にある。トリオン供給器官かトリオン伝達脳が完全に侵食されれば、それらを取り出されたと同じことになる。そう、相手はトリオン体を維持できない。それでも侵食にはある程度時間が掛かる。集団対私では数の暴力で押し切られる。しかし、それは逆に侵食さえしてしまえば、こちらにはその場でトリオンを回復する術を持っているという事だ。

そしてトリガーが黒く変色するとトリオンと同じ様にブラックトリガー内に保存される。そしてそのトリガーを武器として扱う事が出来る。今でこそ多種多様なトリガーを持っているが、最初は私のトリガーとゆうきのトリガーのみ。

 

「あの時はつらかったなぁ…。」

 

と呟いた。

ゆうきのブラックトリガーの恐ろしい所は初見であろうとなかろうと私の攻撃を防ぐ術がないという事だ。黒く変色したトリオンに触れると同じように侵される。鍔迫り合いなんて出来ないし、一々武器を新しく出来る程トリオンに余裕のある人間はまずいない。

私を倒すにはあの黒い鎧を壊し、トリオン供給器官かトリオン伝達脳を破壊する。それ以外に方法はない。ブラックトリガーを扱っている時にはまずトリオン切れが期待できない。そんな事、他の人間が知る由もない事だが。

 

「まだ、起きないのね。」

 

私は影浦雅人の頬を人差し指で突いてみた。反応は無く静かに寝息を立てているだけだった。

 

「こういうのを年相応の表情って言うのかしら。」

 

もう一度プニプニと頬を突いた。

 

「おーい、起きてもいいんだよ。」

 

私は手持無沙汰になってしまった。ここには暇を潰せるものなんてない。睡眠さえできればいいと思い、ここにいる。

 

「…、寝るか。」

 

と、私は呟いて床の上で横になった。猫の様に丸まって私は瞳を閉じた。意識は自然と闇の中に落ちていく。

 

「おやすみ、ゆうき」

 

 

 

 

 

 

 

再び目を覚ますと眩しい西日が差し込んできていた。

 

「漸く、起きたか。」

「影浦君?起こしてくれてよかったのに。」

「気持ちよさそうに寝てたからな。」

 

寝起きで頭がよく働かない。普段きちんとした栄養を摂取していない私は常に低血糖状態で寝起きが悪い。頭痛がする。

 

「ここ、何処だ?」

「オーナーが夜逃げしたマンションの中。」

「ここに住んでんのか?何もねぇけど。」

「まぁ、そうね。寝床として使ってる。」

「お前、何やってたんだよ。学校にも来ないで。」

「私は元々、情報収集の為に学校に行ってたの。貴方達とは学校に行く目的が違う。それに用事はもう済んだから、これからは通う予定はないわ。」

 

体を起し、私は彼の方を向いた。影浦雅人は気に入らないという表情をした。

 

「俺の皮膚は他人とは違う。」

「何の話?」

「昔からずっと誰かと話る時、誰かが俺を見ている時、肌に何かが刺さったように痒かった。それは痛い時だってあったし、むず痒い時だってあった。だけど、お前と話してるとき、それを感じた事はねぇ。痛いときって言うのは大抵俺と仲が良くない奴がこっち見てる時だ。むず痒いのは親しい奴と話してる時だ。」

「さっきから、何が言いたいの?」

「お前、俺を見た事無いだろ。俺を、俺として見た事無いだろ!」

 

影浦雅人は不愉快だと、そう言った表情を前面に押し出して私に訴えてきた。私には彼の言っている事の意味があまり理解できずにいた。

 

『俺を、俺として見た事が無い。』

 

影浦雅人を一人の人間として見た事は、確かに無かった。私にとって人間は群をなして群がる動物であり、人間の個に注目する事は無かった。それは自分を守る為でもあった。敵を深く知りすぎて情が湧く事をなるべく避けたかったからだ。下手をすれば、足元をすくわれるのは私だけ。何もなせず、殺されるだけ。

影浦雅人の個を見てしまえば、私はもう彼を殺せない。影浦雅人が私の敵にならないという保証なんて何処にもなかったのだから。

 

「何とか言えよ!」

「そうね、人間として見た事はあるけど、貴方自身を見た事は無いわね。」

「それがムカつく。刺さるのもムカつくけど、それ以上に如月、お前が刺さらないのが今は一番ムカつく!」

「貴方、理不尽な事言っている自覚あるかしら?貴方の刺さる刺さらないなんて私にはわからないわ。それに私が何をしたら刺さるって言うのよ。」

「何か思えよ。俺を思え!何でもいい。嫌いでも、好きでも。俺を見て、俺を思え!」

 

私は眉を寄せた。私には影浦雅人に何かしらの思いを抱くことは出来ない。それをしてしまったら、今まで折角忘れていた感情がまた、私の中で根を下ろす。根を下ろしたそれは確実に私の心を蝕む。

 

「出来ないわ。私には何かを思う事なんて出来ない。」

 

私はそう言って首を振った。

 

「何でだよ。」

「私の心は昔、壊れたわ。生きている内に疲弊して擦り切れた。」

「嘘だ。」

「嘘じゃないわ。」

「嘘だ!心のない奴が過去を思って泣くかよ!過ちを悔やむかよ。お前はそうやって逃げてるだけだろ。後ろ向きに後退して、前に進んでる気になってるだけだろ!」

「意味わからないわ。」

 

私はそう言って彼から目を逸らした。許容してはいけない。私が私でなくなる。感情を知った弱い私になってしまう。それでも影浦雅人は私を逃がしてはくれなかった。私の床に置いていた手の上に手を置いた。私は驚いて顔を上げ、影浦雅人の顔を見た。

 

あぁ、止めて欲しい。これ以上優しくしないでほしい。私の手を引こうとしないでほしい。

 

今まで作り上げてきたnameless()が散り散りに壊れてしまう。

本音を言う事を忘れてしまった口が開きそうになる。

苦しいと、悔しいと、寂しいと、傲慢な願いが漏れてしまいそうになる。

 

今まで被ってきたnameless()がはがれてしまう。

醜い本当の私の顔が見えてしまう。

赦されたいと、戦いたくないと、愛されたいと、稚拙な願いが溢れてしまう。

 

溢れだしてしまった涙はもう止まらない。止め方なんて忘れてしまった。

 

影浦雅人の手が私の頭の後ろに回った。そのまま彼の胸に私の顔を押し付けた。私は彼の着ていた服を強く握った。溢れだした涙は未だに止まる事を知らない。

 

自らを不幸なのだと、貶めなければ生きていられなかった。

神に見放されたのだと、諦めなければ生きていられなかった。

何にも期待せず、不幸を祈った。

誰にも赦されたくないと、罰を待ち続けた。

『如月有紀』だけが全てだと、それ以外を仕舞いこんだ。

自分をこんな目に合わせた近界民を恨み、自分を助けてくれない人間を誹謗した。

 

そしていつからか、疲れてしまった私は消えてしまった。

 

知られたいが、助かりたいが、とめどなく溢れる。

 

「どうして、放っておいてくれないの…?」

 

彼の胸に顔を埋めたまま、私は尋ねた。

 

「うるせぇ、俺にとっても、刈谷にとっても。お前はもう大切なんだよ。」

「大切な物は手にした瞬間から失われる事が約束されてるわ。永遠なんて、あり得ない。」

「それでも、大切にしちまったんだ。刈谷も俺も、手遅れなんだよ。」

 

 

 

如月は俺の胸から顔を離した。そしてジャケットの袖で涙を拭く。顔を上げて、屋上の時と同じように涙を流しながら笑みを浮かべる。何時も大人気な雰囲気を出している如月は子供のような幼さが残る笑顔を浮かべる。

 

「本当に、変な人。」

 

そう言うんだ。悲しそうに、何処か嬉しそうに。如月の後ろにある窓から差し込む光が眩しい。そして、俺はどうしようもないむず痒さを覚えた。

 

「それにしても、『俺を思え』って大胆な事言いうわよね。」

「あぁ!?お前は何でそう、切り替えが早いんだよ!」

「大切な事よ、切り替えの早さは。」

 

如月は笑みを浮かべる。今度は楽しそうに笑みを浮かべる。何時もこう、楽しそうだと良いんだけどな。

 

「……何?」

「何でもねぇよ。」

 

如月は不思議そうにこちらを見て来る。

 

「ねぇ。」

「あ?何だよ。」

「私は貴方をきちんと刺してる?」

 

如月は少し不安そうに尋ねてきた。俺は少し驚いて数回瞬きした。

 

「あぁ、刺してるよ。」

「そう…。あぁあ、何だか恥ずかしい。感情なんて暫く表に出してないもの。」

 

如月は両手を頬に当てている。頬と耳が心なしか赤い気がした。如月は何かに耐えるように両目を閉じていた。

 

「そんなに恥ずかしいのか?」

「何?貴方、サディストなの?」

 

如月は非難染みた視線をこちらに向けてきた。それから彼女はまた笑みを浮かべた。そして如月は肩を震わせて笑いだした。俺は彼女が理解できず、首を傾げた。彼女は顔を上げて俺を見た。如月は俺に顔を近づける。

 

「はぁっ?ちょっ…。」

 

何が初めてのキスはレモンの味だ。味なんてしねーじゃねぇか。




お疲れ様でした。

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ブラックトリガーはチートです。

「さて、君の話を聞きたい。如月結城君。」

「私は()()如月結城ではありませんよ。」

 

私の前には顔に一線の傷のある中年の男がいた。他にも小太りの男やメガネをかけた男。早死しそうな男。男しかいないな。花がない…。

 

「では、君の名前は何と言うのかね?」

「ありません。あったとしても忘れました。だから、ここではnamelessと呼んでください。」

「では、nameless君。君にいくつか聞きたい事がある。」

 

 

 

 

 

 

 

「な、何しやがる!」

「ふふ、ごめんね。可愛くて。」

「可愛いだぁ?」

 

あぁ、感情が高ぶっている。もうこれがどんな感情なのか分からない。

私は心臓の上を抑えた。興奮のせいか鼓動が激しい。私は深呼吸をした。

 

「さて、貴方を家に送り届けないとね。」

「お前は、結局どうするんだよ。」

「そうね、少なくとも貴方や刈谷さんに恩を返すまではここにいるわ。その為に…。」

「そのために?」

「ちょっと界境防衛機関さんにちょっとお話に行こうかしら。きっとバムスターを倒した人を探すだろうし、こそこそするのは好きじゃないし。」

「ばむすたー?」

「ボーダーに入ったら分かるわよ。まぁ、おすすめはしないけど。」

 

そう言いながら私は立ちあがった。影浦雅人はあまり納得していないと言った表情だったけど深くは突っ込んでこなかった。

 

 

 

「さて、一体どう言って説得しようかしら。」

 

私に必要な物はひとまずはお金だ。このまま盗みを働き続ける訳にはいかない。しかし、ここは内戦状態でも分かりやすい戦争状態でもない。私を戦力としてみてくれてお金をくれるのは今の所ボーダーのみである。

 

脅しって言うのも好きじゃないんだけど。彼らは門が開いたのは知っている。そしてそこから出てきたトリオン兵が殺されているのも知っている。そのトリオン兵がゆうきのブラックトリガーに侵されて消失したのを知っているのか分からない。それでも、回収班が回収できていない事は知っているだろう。

 

まずは私に敵意が無い事を示さなくてはいけない。何とも面倒な事だ。私の信条は『好意には好意を、敵意には敵意を』。あくまで自分から行動を起こす事はしない。その筈なんだけどな。

 

「好意の安売りは、嫌いなのよね。あの迅悠一が何考えてるのかわからないし。」

 

それでも、行くなら早い方がいいだろう。

大きなため息をついてから私は本部基地に向かって歩き出した。

 

「如月?」

「東さん?お久しぶりですね。二週間ぶりくらいですか?」

 

本部に行く途中に懐かしい顔を見た。懐かしいと言うほど親しかったわけでも、時間が経っている訳でもない。

 

「如月、お前を捕獲するよう本部から命令が来ている。」

「捕獲?」

 

私がブラックトリガーを使ってバムスターを倒したことがばれているんだろうか。そんな事がある筈が無い。そんな事が出来る程ボーダーに技術力はない。それは確認済みだ。それより気になる事がある。私がブラックトリガーを持っていることがばれていないのならば、どうして命令が捕獲なのか。私を捕獲するくらいなら、殺せばいいのに。中途半端な采配だ。

 

「まぁ、直接聞けば良いか。着いて行きますよ、東さん。私にも言わなきゃいけない事が沢山出来たんです。」

「言わなきゃいけない、事?」

「はい、迅悠一にも感謝しなくてはいけないし。」

「迅に会ったのか?」

「えぇ、何がしたかったのか分からなかったけど。」

 

あの顔を思い出しただけでもイライラしてきた。あの髪型はない。男が額を見せているあの髪型嫌い。前髪を上げている意味って何?

 

「あぁ、感情の制御が付かない。凄く不安定。嫌だな。」

「如月?」

「あぁ、気にしないで下さい。少し、嬉しい事があったんです。そのせいで感情が高ぶっててうまく制御出来ないんです。だから、あんまり気にしないでください。」

 

私の頬は緩み切っているだろう。両手を頬に当てて頬を上げた。

 

「ねぇ、東さん。」

「なんだ?」

「キスって、レモンの味しないんですね。」

「……えっと、すまない。なんて言っていいのか。」

「ふふふ。」

 

久しぶりにボーダー本部内に入った。中は白を基調としている。東さんは恐らく、私に声をかける前に通信をして私を見つけた事を報告しているのだろう。会議室の前に付いた。

 

「東春秋です。如月結城を連れてきました。」

「どうも。」

 

笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

「では、聞こう。nameless君。君はどうしてボーダーに入った?」

 

 

手を組み、顔に傷のある男が私にそう言った。暗い部屋の中、テーブルの端が光っているだけ。

 

「私にはボーダーに入るつもりなんて一ミリもありませんでした。刈谷裕子が勝手にボーダーの仮入隊の申し込みを行い、私を引っ張って連れてきた結果、合格してしまっただけです。私の目的を果たす為には確かにボーダーに入れば都合がよかったけど、入らなくてはいけないと言った状況では無かったわ。」

「君の、目的とは?」

 

そう、口を開いたのは赤茶けた髪の男だ。

 

「私の目的は如月有紀を親の元に還す事。あの子はずっと家に帰りたがっていたので。でも、目的は完遂された。もうここにいる意味は無くなった。」

「なら、君はこれからどうする。」

「近界へ戻り、傭兵生活をしようかと思っていました。」

「思っていた?」

 

私の言葉を傷のある男が復唱した。

 

「はい、思っていました。でも、引き留められてしまったし、借りを返さなくてはいけない相手が出来たので。」

「……君は、我々の敵か?」

「貴方方が私の敵にならない限り、私は敵にはなりません。私の信条は『好意には好意を、敵意には敵意を』です。そして『敵には二度と私に攻撃を仕掛ける気を起こさないよう、徹底的に叩く事』です。あくまでも、私は専守防衛をモットーとしています。ご安心を。」

 

私は笑みを浮かべて首を少し傾けた。

 

「私を敵にするかどうかは、貴方方次第、という事ですね。」

「君は、こちらに向かって来ていたのはどうしてだ?東の報告では君は基地に向かって歩いていたそうじゃないか。」

 

私にそう尋ねてきたのは早死にしそうな男だ。

 

「門から出てきたバムスターを倒したのは、私です。貴方方はその職務上、どうしてもトリオン兵を倒した何かを探さなくてはいけないでしょ?隠れてこそこそするのは嫌いだし、私の事を調べられるのも嫌い。だから正直に言いに来たのよ。私はブラックトリガーを持ってますってね。」

 

そこにいた男全員が私を見詰めた。

 

「ブラックトリガー、だと?」

 

傷の男がそう言った。

 

「ブラックトリガーはとても貴重。私は良い戦力になるわよ。」

 

と先程の赤茶の髪の男が尋ねてきた。

 

「君は、自分を売り込みに来たのかい?」

「うーん、まぁ、間違いじゃないわ。私にとっていま必要なのはお金。食糧費を稼ぐのに私を雇ってくれそうな場所が一箇所しかなくて。それに、私強いわよ。ボーダーにいる誰にも負けないわ。」

「城戸司令…。」

「小南を呼べ。彼女の相手をさせてみる。林道支部長。」

「はいはい。わかりましたよ。連絡を取ってみます。」

「一つ、良いですか。」

 

彼らの会話を私は止めた。私は何処で戦闘をしようと構わない。それでも、このボーダー基地内で戦闘をするのはフェアでは無い。

 

「何かな?」

「戦闘を行う場所をこの基地内では無く、基地外、危険区域内で行いたいんです。」

「それは、どうしてだ?」

「私のブラックトリガーの特性上、この基地内で戦闘を行えば、基地を壊してしまいます。」

「その特性、とは?」

「私のブラックトリガーは相手のトリオンを侵し、自らのトリオンとして還元するという特性を持っている。そこで思い出してほしいのが、この基地は一体何で出来ていたかという事です。」

「…トリオンだ。」

「そうです。私がブラックトリガーを起動したまま、この基地にいるといずれはこの基地全てが私のトリガーに侵され、私のトリオンとして供給されます。そうなれば、困ってしまうでしょう?申し訳ないですけど、侵食の速度をコントロールできても、侵食の有無はコントロールできないんです。」

「分かった。場所を、用意しよう。一先ずは小南が来るまで解散だ。」

 

さて、私はこれからどうしたら良いのだろうか。まぁ、案内くらいつくだろう。私は手持無沙汰に立っていると私に早死にしそうな男が近づいて来た。

 

「私は本部長の忍田だ。」

「忍田さん、どうも。」

「先程の会話から、君は今まで近界で生活してきたんだね。」

「そうですよ。」

「君は、近界民を恨んでないのかい?近界でお金を稼ぐといっていた。普通はあまりあちらには行きたくないだろう。」

「恨み、ですか…。私の場合、敵討ちはもう済んでいるので大した恨みはないですかね。」

「もう済んでいる。」

「えぇ、誰一人として生きてないです。」

 

私は笑みを浮かべてそう言った。忍田本部長は苦々しい顔をした。

 

「それは、一般市民も殺したという事か?」

「えぇ、勿論。言ったでしょう?『敵が二度と攻撃してこない様に徹底的に叩く』って。私を殺そうとして、私の友達をブラックトリガーにしたんです。同じことをされても仕方ないでしょ。」

 

私は可愛らしく首を傾げて微笑んだ。忍田本部長は大きな溜息を付いた。私に何を言っても無駄だと思われたのだろうか。

 

「その友達が、先ほど言っていた如月有紀さんだな。」

「えぇ、そうです。」

「小南と連絡が付いた。もう少しで来るそうだ。初めまして、玉狛支部の林藤だ。」

「本部と仲の悪い玉狛支部の支部長さんですか。どうも。」

「ははは。まぁ、取り敢えずロビーに行こうか。」

 

私は林道支部長の後ろについて歩いた。本部の出口から出て砂っぽい風が私の髪を靡かせる。今日はどうやら風が強いらしい。良い風だ。心地よい、風だ。

あの子が死んだ時もこんな空風が吹いていた。乾いた、乾いた、あの風によく似ている。私の心を乾かした、あの風に。

あぁ、心が乾いて行く。私はこれから戦場に行く。一度大きく息を吐き、吸い込んだ。私の心は乾いて行く。あぁ、私は戦える。

 

「それで、何処で戦いますか?」

 

林道支部長は私の顔を見て眼鏡の奥で目を細めた。私の表情が消えた事が気に入らないのだろうか。車の音がする。ジープの様な車が私達の前に止まった。

 

「ちょっと、私と戦いたいって子ってどの子?」

「戦いたいとは言ってないんですけど。」

「この女の子?私、弱い奴嫌いよ。」

「あら、気が合うわね。私も弱い子は嫌いよ。」

「あんた、ねぇ。」

 

肩程までしかない短い髪の女の子だ。そして負けん気が強いらしい。

 

「場所まではこの車で移動する。」

 

そう言ったのは車を運転してきた男が言った。私達は車に乗った。そして適当な所で降ろされた。

 

「トリガー起動!」

 

小南と呼ばれていた少女はトリガーを発動させた。私はそんな彼女を様子を見て眉を顰めた。

 

「あの。」

 

私は一緒に来ていた林道支部長の方を向いた。

 

「ん?どうした?」

「彼女、ノーマルトリガーです。ブラックトリガーの相手が出来るんですか?」

「はぁ!?」

「小南の戦闘力は今うちで1、2を争う実力者だ。ブラックトリガーにも引けを取らないよ。」

 

私は改めて彼女の方を向いた。私は逆十字に手を当てた。

 

「いこう、ゆうき。」

 

私もトリガーを起動した。カチャ、と音を鳴らし鎧が音を立てる。

 

「はじめて見るタイプのブラックトリガーだな。」

「行くわよ!」

「えぇ。何時でもどうぞ。」

「ムカつくわね、その余裕。」

 

剣のトリガーを一本私は出した。そして左側の仮面を触った。左半分の視界が待っ暗くなり、トリオンだけが見えるようになった。

 

「やあ、ボス。」

「迅か。」

「まだ始まってなかったか。」

「お前的にはどっちが勝ちそうなんだ。」

「そうですね、言ったら小南が怒りそうなので止めておこうかな。」

 

私は途中で入ってきた迅悠一の方を見た。

 

―――ガキンッ。

 

金属の音が響いた。私が視線を逸らした時に彼女は一気に間合いを詰めてきた。そして弧月を振り下ろしてきた。私はそれを受け止める。ガチガチと金属が鳴る。彼女は女性にしては力が強い方なのか、力の入れ方を知っているのか。

 

「私はちゃんと行くわよって言ったわ。」

「えぇ、卑怯だなんて言わないわ。戦場では、開始の合図なんて無いもの。」

 

ズズッと、彼女のトリガーに私のブラックトリガーを侵食し始めた。私のトリガーに受け止められれば最後だ。そして進行速度はこちらの自由。彼女は自らの武器の不自然さに気付いたらしい。私から離れた。

 

「何よ、これ!?」

 

カチャ、カチャと音を立てて彼女に近付いて行った。

 

「貴女はもうおしまい。貴女の全ては、私の物よ。」

「何よ、それ。意味わかんない!」

 

彼女はもう一度こちらに向かってきた。そして私に向かってもう一度斧を振り下ろそうとした。しかし、私には届かなかった。振り上げた右腕はそのままの勢いで後ろに吹っ飛んだ。進行速度は私の自由。なにも、馬鹿正直に全てを侵食する必要な無い。武器から手に、手の表面から骨を通って適当なところで腕を侵食し、その部分のトリオンを霧散させ、吸収すればいい。そして残った腕を一気に侵食し、吸収する。そうすれば、簡単に腕を吹っ飛ばせる。私に攻撃をした時点で、私に倒される事が約束されている。そして、少しでも相手のトリオン体に侵食部分が残っていれば、更に敵の中を侵食し続ける。後はトリオン供給器官まで侵食を伸ばせばいい。

 

私は彼女に剣を振り下ろした。彼女は残った左腕でガードした。私は左手にもう一本剣を出した。彼女はそれに気が付いて下がろうとした。私は更にもう一歩前に出た。二本の黒い剣で彼女を追い詰めて行く。その度に金属音が鳴り響く。私のトリガーの性質上、一撃で相手を仕留めるという事をついつい忘れがちになってしまう。でも、トリオン供給器官への侵食は完了した。私の左側には確かに彼女のトリオン供給器官を侵食した状態が見えている。

 

「なっ!?」

『トリオン体活動限界、緊急離脱!』

 

彼女は光となって何処かに飛んでいった。

 

「実は100%、小南が勝てないんだよね。」

「それは、それは。小南が怒るな。」

「それで?私は雇うに値する人間かしら?」

 




お疲れ様です。

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namelessの就職と百合の花、薔薇の花

小南と言う女子との戦いから一晩が開けた。あの時点で相当暗かったし。彼女が自らの変化に気が付いたのは感嘆に値するだろう。もし、変化に気付いていたならだが。侵食には痛みは伴わない。ただ侵食された場所は動かなくなる。筋肉への侵食、関節への侵食、腱への侵食。取りあえずこれさえ気を付けておけば、相手に体内を侵食されているとはまず気付かれない。

 

「昨日の小南との戦闘、見させてもらった。改めて昨日の戦闘の事を聞きたい。」

 

昨日とは違い、小南、迅が増えている。

 

「気になるのは、玉狛の小南の腕が吹っ飛んだところだ。剣を振ったような動作は確認できなかった。」

 

そう、私に訪ねてきたのは小太りの男性。

 

「トリオンの侵食にはある程度コントロールが効きます。なので、小南、さんのトリガーから掌へ、掌から骨を伝って腕を侵食させました。彼女の腕が吹っ飛んだのは、彼女を腕を構成していたトリオンが侵食され、霧散したからです。彼女の腕を繋ぎとめているトリオンが無くなったので、吹っ飛んだように見えるだけです。あれは唯、小南さんの腕を振り上げた勢いで飛んでいっただけです。」

「では、彼女が緊急脱出したのは?」

 

次に訪ねてきたのは嫌味そうな顔をした男だ。

 

「同じ手法で彼女の体内を侵食し、トリオン供給器官が霧散したため緊急脱出に至りました。」

「一つ質問、いいかな。」

「はい、どうぞ。」

「君は小南のトリオン供給器官を霧散させたと言ったな。」

「はい。」

「戦闘データを確認してみると確かにトリオン供給器官とそれ通じる道の様に体内からトリオンが消えていた。君はどうやってトリオン供給器官の場所が分かったんだ?君が霧散させたのはトリオン供給器官だけだった。そこにあると確信をもって侵食させていたんだろ?」

 

林道支部長の問いに座っていた誰もが私の方を向いた。

 

「それは、ゆうきのサイドエフェクトを使用しました。」

 

私がそう言うと城戸司令は少しだけ眉を寄せた。

 

「それは一体どう言ったサイドエフェクトだ?」

「と、言っては見ましたが、私がサイドエフェクトと言う言葉を知ったのはここに来て初めて知った言葉です。本当にそれがサイドエフェクトかどうかは分かりません。予めご了承ください。」

「分かった。」

 

そう言って城戸司令は頷いた。

 

「ゆうきは8年前、左目に大きな怪我をして物が見えなくなりました。それでも、彼女の左目にはトリオンだけは白くはっきりと見えていたそうです。ブラックトリガーの仮面も同じ様に左側はトリオンだけが白くはっきりと見えます。その左側には私のトリガーで侵食した部分だけが黒くなります。そしてトリオン供給器官とトリオン伝達脳はその部分だけ通常トリオンが集中しているのでより一層白く見えます。まぁ、あれですよ。何でしたっけ。骨を折った時の…。」

「レントゲン?」

「あぁ、それです。レントゲンみたいにトリオンが集中している所は真っ白に、集中していないところは灰色みたいに見えるんです。だから、トリオン供給器官だけを綺麗に霧散させられたと言う訳です。まぁ、色の違いは極僅かです。普段はそんな面倒なことはしません。今回の相手は一人だけだったので、そうしただけです。」

「君のブラックトリガーに侵食されない方法はあるか?」

 

城戸司令は私にそう尋ねてきた。私は少し口元に手を当てた。

 

「申し訳ありませんが、私にはわかりかねます。今まで侵食出来なかったトリオンはありません。」

「君を倒す方法はどんな方法だ?」

 

私は少しだけ驚いた表情をしているだろう。

 

「城戸司令!」

 

その言葉に対して怒気を含んだように声を上げた忍田本部長。

 

「私を倒すには、そうですね。あの鎧は霧散したトリオンを吸収して硬度を増します。今までたくさんのトリオンを吸収していますから、まず傷つかないと思います。それから、鎧への攻撃もブラックトリガーに侵食される原因になります。それは仮面も同じことです。なので私を殺すには、首をはねるか、後ろから私の頭を撃ち抜くかそのどちらかだと思います。」

「そうか、わかった。nameless君、君をボーダーの隊員として認めよう。これからはボーダーの為に励んでくれ。」

「はい、誠心誠意取り組みます。」

 

私はハキハキと答えた。

 

「それから、君のご両親のことだが…。」

 

 

 

 

 

 

「はあ!?」

 

刈谷裕子は今、昨日訪れたnamelessが寝床としてるマンションを訪れていた。そして彼女の前には同じように昨日ここを訪れた影浦雅人がいた。彼の様子がおかしいのは今日会った時からわかっていた。休日の今日。二人でnamelessに会いに行く事を示し合わせたわけでは無かったが、二人は玄関で会った。今日の影浦雅人は何処か惚けていて、目の下にはクマまで作っている。一体彼に何があったのか問い詰めてみた。

すると、彼はnamelessにキスをされたと言い出したのだ。

 

「アンタ、嘘ついてないわよね。」

「嘘なんかつくかよ。」

 

影浦雅人は恥ずかしそうに額に手を当てて俯いている。

 

「本当にnamelessさんからキスしたの?アンタが迫ったんじゃないの!?」

「ちげーよ!俺はそんなチャラチャラしてねぇ!」

 

今度は刈谷裕子が頭を抱える番だった。

 

「ああ、私のnamelessさんが影浦に穢された!」

「おい、それはどう言う意味だ!だいたいテメェのじゃねぇだろ!」

「何、それは何?自分の物だって言いたいわけ?自分の物宣言してるわけ?うっわ、ないわ。」

「自分だってさっきしてたじゃねぇか!ふざけた事抜かしてんじゃねぇよ!」

 

刈谷裕子は持って来たポテトチップスの袋を乱雑に開けて数枚を口に放り込んだ。

 

「あーあ、最悪…。なんで男となんか。しかもよりにもよって影浦だよ。これならまだショタに手を出したって言われた方がマシだった。」

「テメェなぁ、あんま調子乗ってっとぶん殴るぞ。」

「殴ったらnamelessさんに言うから。泣きついてやるんだから!」

 

刈谷裕子は持って来た○ーラを開け、飲んだ。

 

「かあ!」

「オヤジかよ。」

「煩いわね、炭酸苦手なのよ。」

「なんで飲んでんだよ!」

「味は美味しいの。炭酸さえなければ完璧な飲み物なのに。」

「炭酸を全否定したな。」

 

そう言ってもう一度○―ラを飲んだ。

 

「……、お前もしかしてレズか?」

 

影浦雅人の言葉に刈谷裕子は止まった。そして刈谷裕子は視線を影浦雅人へ向いた。

 

「否定はしないわ。」

 

刈谷裕子は何も恥じらいはないとそんな風に言い放った。

 

「男は男、女は女。愛さえあれば関係ないよね。」

「……、聞かなきゃよかった。」

「大丈夫よ、これからnamelessさんもこっちに来る予定だから。」

 

影浦雅人は遠くを見るような目で外を見た。刈谷裕子は何を思ったのか嬉しそうに頬を赤らめて顔を左右に振っている。

 

「俺なんかより、よっぽどテメェの方が危ないだろ。」

「手を出した人には言われたくないわ。」

「俺は手を出された方だ!」

「ほら、ポテチでも食べて落ち着きなさいよ。」

 

影浦雅人は舌打ちをしてうすしお味のポテチを食べた。

 

「影浦は知らないの?金髪碧眼は希少なんだよ。アニメとかじゃよくいるけど、金髪も碧眼も劣勢遺伝だから、両親が金髪碧眼じゃないとまずそうならないんだから。」

「だからなんだよ。」

「namelessさんは希少価値なんだよ!10代になるころには淡い茶色とか黒髪が交じるから今も髪が綺麗な金色なのは珍しいんだから!それを、よりもよって…はぁ。」

 

影浦雅人は右手を握り、この女を殴ってやろうかという思いが心の中で確かなものになっていた。

 

「あぁあ、何処に行ったんだろう…?」

「そのうち帰ってくるだろ。アイツは暫くここにいるって言ってたから。」

「その言葉だけは信じてあげる。」

「そうかよ。」

 

二人はポテトチップスを囲みながら彼女の帰りを待つのだった。

 

「あ、ねえ。本読む?」

 

 

 

 

 

 

 

 

「何だ、あんまり嬉しそうじゃないな。」

 

会議が終わり、私はこれから家が用意できるまで玉狛支部の一室を借りることになった。本部の一室でもよかったのだが、学校には玉狛の方が近い。理由はただそれだけだった。そして玉狛に帰るのに小南と迅悠一は一緒に行動するらしい。

 

「何か、喜ぶべき事があったかしら?」

「親が分かった事。」

「…あまり、興味が無かったから。親の顔も何も覚えていないもの。会ったとしても、その人が本当に私の親かなんて私には確かめる術がないもの。」

「俺達が信用できないか?」

 

私の隣を歩いていた迅悠一は立ち止まってそう尋ねてきた。私も立ち止まって彼の方を向いた。

 

「信用はしてるわ。信頼はしてない。唯それだけよ。」

「でも、君はいつか俺達を信頼するよ。」

「それはどうか知らないわ。信頼が生まれるまで私がここにいるかもわからないし。でも、そうね。仲良く出来たら、それが一番じゃないかしら。」

 

私はそう言うと、迅悠一は満足そうに頷いた。彼がどうしてそんな表情をしているのか分からず、首を傾げた。

 

「神崎、玉狛に来ないか?」

「それは、近界民にも良い奴がいるから仲良くしようぜ派になれって事?」

「強制はしないよ。」

「…ごめんさい。それは出来ないわ。」

 

小南は少し納得できないと言った表情をしていた。

 

「確かに、あっちにだって良い人がいるのは知ってるわ。でも、私はもう一生かかっても近界民と言う人種を好きにはなれないと思う。まぁ、相手が私に好意を向けて来るうちは、私も相手には好意を向けるわよ。」

 

迅悠一はそれでも満足そうな表情をしていた。私はなんだか迅悠一に腹が立って来た。

 

「私、一回家に帰るわ。制服置きっ放しだし。」

「玉狛のある場所何処かわかってるの?」

「まぁ、大体の位置は知ってるわ。それじゃ、また会いましょう。」

 

私は彼らを置いて先を歩き始めた。家に帰って制服を取って玉狛に行く。それだけだ。あそこにはある程度馴染みが出来ていたから出て行くのは少し寂しさがある。

それは、思い出が出来てしまったからか。

少し恥ずかしくなって来た。若気の至り…。恐ろしい。

 

真新しいマンションを見上げた。私はその中に入り扉を開いた。そこにはどうしてか影浦雅人と刈谷裕子がいた。彼らはそれぞれ別な本を持っていた。そしてその本を読んでいる影浦雅人は顔を真っ赤にしていた。

 

「おい!これなんだよ!」

「影浦でも読みやすいと思われる百合小説。」

「ふ、ざけんなっ!」

 

と、影浦雅人は本を床に叩きつけた。刈谷裕子は自分が読んでいた本を閉じて、影浦雅人の方に差し出した。

 

「なんだよ、これ?」

「影浦には少し早いと思われる薔薇小説。」

「貴方達、人の部屋で何してるの?」

 

二人はそういうと二人はこちらを見た。影浦雅人は少しだけ嫌な顔をして、刈谷裕子は嬉しそうな顔をした。

 

「namelessさん!暫くここにいるって本当?」

「うん、本当。それから名前は取り敢えず、如月結城のままだから。いつも通り呼んで?」

「うん、わかったよ。如月さん。」

 

刈谷裕子はとびきりの笑顔でそう答えた。それにつられて私も笑みを浮かべる。

 

「お前、何処いってたんだよ。」

 

影浦雅人は私にそう尋ねた。

 

「ボーダーの基地にね。私、新しい部屋が見つかるまで玉狛支部って所でお世話になるから。もうここには来られないよ。」

「流石に不法占拠はまずいよね。」

「うん、だから取り敢えず片付けてくれるかな?ここ。」

 

刈谷裕子は少しだけ不満そうに返事をした。私はクローゼットにかけてあった制服を取り出した。そしてカバンの中に教科書の類を全て詰めた。私は今床に落ちていた本を拾い上げた。

 

『さめない夜』

 

とだけ書かれたタイトル。先ほど影浦雅人が床に投げた本。表紙には女の子二人が描かれている。小さめの本だ。ある程度の厚さがある。適当にページをめくるとこれが小説なのは理解できた。私はその本を立ち読みした。しかし、日本語が達者ではない私にはその本に書かれている事が理解できなかった。ひらがなは大丈夫なのだが、カタカナや漢字が入ってくると読めない。

 

「お前、それ!」

「これ、影浦君の本?」

「ちげーよ!俺にそんな趣味はねぇ!」

 

彼は赤みが引いて来ていた顔を再び真っ赤にして答えた。この本はどうやら彼には恥ずかしいと思えるような事が書かれているのだろうか?

 

「如月さん。その本、私のなんだ。」

「ああ、刈谷さんの。」

「うん、でも、如月さんに貸してあげる。読んだら感想聞かせてよ。」

「そう、わかったわ。頑張って読んでみる。」

「あとこれも。」

 

刈谷裕子はそう言って手に持っていた本を渡して来た。私はそれを受け取ってカバンにしまった。迅悠一にでも読み聞かせてもらおうか。小説の内容など知る由もない私は犠牲者を増やすのだった。

影浦雅人はなぜか頭を抑えていた。

 

「ねぇ、如月さん。学校は来るの?」

「ええ、中学校や高校くらいは出た方がいいって言われたから。」

「そう!じゃあこれからはまた一緒に居られるのね。」

「そうね、私も嬉しいわ。」

「そんなの私もよ。」

 

「あの話さえ、聞いてなきゃただの女の友情なのに…。」

 

影浦雅人は嘆くように呟く。私は影浦雅人の声に振り返った。

 

「何か言った?」

「いや、なんでもなねぇよ。」

「そう?」

 

影浦雅人はため息をついた。それでも前のような無表情ではない。表情のある如月結城の顔を見てどんな顔をしていいのかわからない。楽しそうに刈谷裕子と話をする如月結城。

 

「仕方ねぇな。おら、テメェら。いつまで話してんだよ。行くぞ。」

「なんでアンタが仕切るのよ!」

「ああ!?やるのか!」

「如月さん!この不良どうにかしてよ!」

「本当に仲良いのね。」

「「良くない!!」」




お疲れ様でした。

感想、お待ちしています。

次からは原作に入ります。その間の事は番外編として書くかもしれないですね。


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原作
オリキャラについて


神崎蓮奈(元レナ・クロイツェル、如月結城)

 

7歳の時トリオン兵に誘拐され、同じトリオン兵に誘拐された如月有紀とともに地球に帰ろうとする、しかし、脱走途中で見つかり如月有紀はブラックトリガーになってしまう。如月有紀の願いを叶えるために神崎蓮奈は地球に帰って来た。その間は星を転々としながら傭兵生活をしていた。

両親ともに生粋のロシア人でブロンドの髪に青い瞳をしている。いつもは髪を一つにまとめ結っている。

刈谷裕子の影響で薔薇や百合についての知識と耐性がついてしまった。

如月有紀を設定に中学校に通っていたので17歳の時に14歳だと偽って中学校に通っていた。高校の時に名前を神崎蓮奈に変える為に知り合いがいない進学校に入学した。国語は得意では無く、理系が得意。

 

ブラックトリガー使用時

 

近距離15

中距離4

遠距離12

 

トリオン42

攻撃25

防御・援護15

機動7

技術10

射程14

指揮4

特殊戦術18

トータル135

 

トリオンを侵食し、自らのトリオンとして供給する特性を持ったブラックトリガー。相手のトリガーに侵食する事でその特性を盗み武器として扱う事が出来る。現在、盗んだトリガーの特性をたくさん保持しているが、本人は基本的に剣かスナイパーライフルしか扱わない。一応、銃火器などのトリガーも持っている。仮面の左側ではトリオンが可視化されている。しかし、可視化しているのはトリオンのみでトリオンで出来ていない物をみる事はできない。

トリオンの侵食のオンオフは出来なく、侵食をコントロールする事なら出来る。

侵食のコントロールが出来ない為、ノーマルトリガーを貰いそれを使って戦闘訓練をしている。最近は凸砂にハマっていて通常トリガーで練習している。

 

誕生日 3月1日 21歳

身長 169cm

血液型 A型

星座 ミツバチ座

職業 高校生

家族 母親(療養中)

好きな物

影浦が作ったお好み焼き 甘いもの 猫 相手を倒す事

座右の銘

『好意には好意を、敵意には敵意を』

『自分に攻撃する気が二度と起きないよう徹底的に叩き潰す』

 

 

刈谷裕子

 

神崎蓮奈が如月結城として転校してきた時に隣の席だった少女。大規模侵攻時に実は兄を殺されていてその敵討ちでボーダー隊員になりたかったが、トリオン量が足らず隊員にはなれなかった。現在は技術職員を目指す為、神崎蓮奈と同じ進学校に通っている。

 

誕生日 11月2日 18歳

身長 162cm

血液型 A型

星座 みかづき座

職業 高校生

家族 父親 母親 妹

好きな物

ケーキ 薔薇・百合(意味深) 動物




後で増えるかも…です。


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神崎蓮奈の嫉妬と自己嫌悪

あぁ、最悪な気分だ。未だにこの遠征艇にはなれない。最近、車にはようやく慣れてきた。

 

「おいおい、神崎は毎回遠征について来てるだろ。いい加減慣れろよな。」

「煩いわね、太刀川ちゃん。仕方ないでしょ。」

「出来れば太刀川ちゃんはやめてほしいな。」

 

遠征艇の中で顔を青くした私にニヤニヤしながら話しかけて来たのは現在A級トップの太刀川慶だ。

 

「私は私より背の小さい子と年下にはちゃん付けするって決めたの。」

「高校生だろ?」

「後二ヶ月もしたら22歳よ。高校は15歳から18歳までしか通えないなんてルールないもの。さあ、歳上を敬ってもいいのよ。」

「はっはっは。」

 

ムカつく、この男。ガタンッと大きく揺れた。漸くついたみたいだ。私はフラフラしながら外に出た。そして新鮮な空気を取り込んだ。

 

「毎度の事だけど、報告は俺達で行ってくるぞ。神崎。」

「はいはい、宜しくね。当真ちゃん。私は帰るから。」

 

そう言って私は出口へと歩いて行った。基地を出た所で私はトリガーを起動した。こういうのは良くないのだろうけど、地味に玉狛から本部は遠い。私は結局あれからずっと玉狛に住んでいる。住んでいるだけだが。決して玉狛派では無い。どちらかと言えば、自由派だ。『好意には好意を、敵意には敵意を』。それが私のモットーだ。ピョンピョンっと屋根伝いに飛んでいった。そこで彼女は二つのトリオンを見た。人型のそれは玉狛から隠れるように存在している。右目で確認するとそこには米屋洋介と古寺章平がいた。バックワームを付けて何をしているのだろうか。

 

「お、神崎さんじゃないっすか。遠征、お疲れ様っす。」

「どうも、米屋ちゃん。こんな所で何してるの?」

 

そう言うと少し言い辛そうに視線を逸らされた。

 

「言っていいと思うか?」

「一応、神崎先輩は本部所属って事になってますし…。」

「ほらほら、言わないと皆に米屋ちゃんと古寺ちゃんが隠れて小南ちゃんを盗撮してたって言っちゃうよ。」

 

なんて二人のひそひそ話が聞こえて来る。私は首を傾げるしかなかった。そう言うと彼らはものすごく嫌な顔をした。

 

「ああ…。取りあえず、トリオン体、やめてもらえますか?」

「まぁ、良いけど。」

 

私はトリガーをオフにした。そんで米屋が姿勢を低くしろと言う様に手を上下するので私は屋上でしゃがんだ。

 

「実は玉狛が近界民を庇っていて…。」

「そんなの今更でしょ?だってエンジニア、カナダ人設定の近界民だよ?」

 

私は思いだしたように人差し指をたてて言った。

 

「その近界民がブラックトリガー持ちなんですよ。」

 

私はその場で思わず固まった。

 

「それ、本当?見間違いとかじゃないの?」

 

私は彼らを疑わずにはいられなかった。まず、ブラックトリガー持ちは貴重だ。所有している人間を国が好き勝手に行動させる筈が無い。そしてそう言う貴重な人材はそのまま国の警護に当たらせる。まず、外に出す事は無い。国の扱いに嫌気でもさしたのだろうか。しかし、そんな事が起こらないようにブラックトリガー持ちは優遇される筈だ。

 

「それが本当なんすよ。この前は迅さんに邪魔されたし。」

「迅ちゃんが?」

 

迅悠一が出張ってきたって事は絶対面倒なことになるじゃないか。

 

「あぁあ、面倒だなぁ。こんなの絶対私駆り出されるじゃない。今日じゃなきゃいいなぁ。」

「今日なんかあるんすか?」

「休日でしょ?影浦君の家のお好み焼き食べに行こうと思って。」

 

私は彼の焼いたお好み焼きを思い出して笑みを浮かべた。

 

「相変わらずっすね。神崎さん。」

「まぁ、米屋ちゃんと古寺ちゃんがここにいた事黙っててあげるわ。監視、頑張ってね。」

 

私はそう言うと立ちあがって下に向かう為に出口の方へ行く。

 

「これ終わったら何か奢ってくださいよ。」

 

そう言う米屋の方を向いた。

 

「お好み焼きでいいかしら?」

「ブレないっすね、神崎さん。」

「ふふ、じゃあ。頑張って。」

 

後ろ手に手を振りながら階段を下りる。近界民、しかもブラックトリガー持ち。このまま行くとブラックトリガーは玉狛が得ることになるのだろう。ブラックトリガー使いと戦うのは本当に久しぶりだ。私達S級はランク戦に参加できないから戦う機会が必然的に失われてしまう。私はボーダーで配られたスマホで影浦雅人へ連絡を取った。

 

『今日は非番か』と。非番なら彼にお好み焼きを焼いてもらおう。そうで無いのなら、巻き込まれるであろう作戦が終わるまでは暫く食べに行けないだろう。全く、玉狛はどうしてこう大人しくしてくれないのだろうか。玉狛のドアを開けて中に入って行った。私は私に宛がわれた部屋に入り、ボーダー隊員の服から私服へと着替えた。そして私は居間として使われている部屋に入った。

 

「騙したわねぇ!」

 

中には小南に首を絞められている見た事のない眼鏡がいた。見た事のない人間は3人。女の子と、眼鏡と、白髪。米屋に近界民の特徴でも聞いてくればよかったかな。

 

「ん?神崎、帰ってきてたのか。」

「木崎ちゃん、ただいま。小南ちゃん、今度は何言われたの?」

 

私はそう言って彼らに接近した。彼らの手元にはサンドウィッチがあった。

 

「聞いてよ、蓮奈!この眼鏡が、私の事揶揄ったの!」

「僕じゃないです!」

 

そう言って眼鏡は抵抗を続けていた。私は烏丸の方へ視線を向けた。

 

「三雲が小南先輩の事を可愛いって言ったって嘘ついただけですよ。」

「ねえ!酷いでしょ!」

「それはきっと、あれよ。あれ。」

「あれって何!」

「烏丸ちゃんは思春期でしょ?小南ちゃんの事を素直に可愛いって言えなくて…えっと、三雲?ちゃんが言ったって事にしたけど、三雲ちゃんに照れた小南ちゃんを見て三雲ちゃんに嫉妬したのよ。だから、嘘なんて嘘、付いたんじゃないかな?」

 

なんて、適当な脚色をしてみた。そしてそれを真に受ける小南は烏丸をポカポカと叩き始める。

 

「って事が本当だと、私の中で烏丸ちゃんの可愛さがアップするんだけど。」

 

私は首を傾げて尋ねてみた。

 

「残念ながらアップしないようです。」

「あら、残念。」

「騙したな!!」

 

と言って小南は私の方へ向かってきた。私はそれを軽く避けてテーブルに置いてあったサンドイッチを一つ口に入れた。

 

「ふむ、ハムレタスか。ベーコンレタスの方が好きなんだけど…。」

「神崎、座って食べろ。行儀悪いぞ。」

「はいはい、座りますよ。座りますったら。」

 

私は眼鏡の隣に座り、もう一口サンドウィッチを食べた。

 

「あの…。」

「ああ、彼女は神崎蓮奈(かんざきれな)。迅と同じS級隊員だ。」

 

木崎が私の事を紹介した。一応それに乗っかった。

 

「どうも、神崎蓮奈よ。」

「迅さんと同じ…。」

「迅ちゃんと一括りにされるのは嫌ね。天羽ちゃんならまだしも。」

 

私は口にサンドウィッチを含みながらそう言った。

 

「えっと、三雲修です。」

「雨取千佳です。」

「空閑遊真です、宜しく神崎。」

「……。」

 

身長が150cmも無い様な少年に呼び捨てにされたのは初めてだ。

 

「すみません。空閑は外国育ちで、その、日本にはまだ慣れてなくて。」

「ふむ、懐かしい言い訳ね。私も昔近界から来た時同じ言い訳を使ったわ。」

「えっ!?神崎さんも近界民なんですか!?」

 

三雲修が驚いて尋ねて来る。それに私は笑みを浮かべる。そして足を組んだ。

 

「そう、空閑ちゃん。君が噂のブラックトリガー持ちの近界民か。」

 

私はそう言って空閑遊真を見下ろした。その眼には表情はないだろう。誰もが私に視線を向ける。恐らく私のサイドエフェクトが作用しているのだろう。『視覚認識操作』。それが私のサイドエフェクトだ。相手に強烈な印象を与えるのに認識を強めたりする。

 

「先に行っておくけど、私は玉狛に住んでるけど玉狛派って訳じゃ無いわ。ここにいるのは学校に通うのに本部よりも近いから。それだけよ。私は近界民は嫌いだから。」

「待って下さい。空閑は他の近界民とは違います。こいつはただ、親父さんを助けるためにボーダーに来たんです!」

 

私の隣で必死に空閑について訴えて来る三雲。私は彼の方を見た。

 

「父親を救う?」

「はい、ブラックトリガーになった親父を元に戻す為にここに来たんです。」

「その目的が果たせないと知ったんでしょう?どうしてまだここにいるの?ブラックトリガー持ちだからって引き留めてるわけじゃないでしょうね?」

「違うよ。俺は俺の意思でここに残ったんだ。オサムとチカと一緒に近界に連れて行かれたチカの友達と兄さんを助けるために遠征部隊を目指すんだ。」

 

私は彼らの言った事に目を細めた。ブラックトリガーを元に戻す。そんな事を考えた事は無かった。『一度壊れたものは二度と元には戻らない』。人として一度壊れた如月有紀を元に戻せるわけがない。私は初めからその可能性を捨てていた。多分、あの頃の私はブラックトリガーを使い続ける事が罪なのだと思っていた。その心は今でも変わらない。その罪から逃げる事は許されない。そう、思って生きてきた。

そして私の心に何より刺さったのはトリオン兵に誘拐された友達と兄を助けるという事だ。これは嫉妬だ。私にはそんな事をしてくれる人がいなかったという。そんな人がいたらきっと如月有紀は死なずに済んだという嫉妬だ。

 

「神崎にも力を貸して欲しいんだ。ボーダー内で唯一トリオン兵に誘拐され、自力で地球に帰ってきた神崎に。」

 

木崎が私にそう言うと三人は驚いた顔をしてこちらを向いて来た。

 

「本当なんですか!?」

「まぁ、本当よ。誘拐されたのは14年前。帰ってきたのは4年前くらいかしら。私は近界で10年近く生活していたわ。」

「あの、誘拐された人が生きてるかもしれないって言うのは、本当ですか?」

「本当よ。その国の状況にもよるけど。まぁ、あまり期待しない方がいいわよ。あっちは戦争中の国が結構あるから、戦死者なんてバタバタ出るし。自国民を殺さない為のトリオン兵による誘拐だもの。」

 

雨取千佳は大きく目を見開いた。そして下を向き、手をぎゅっと握った。

 

「そんないい方しなくたっていいじゃないですか!」

「私、貴方嫌いね。生きているという希望だけを彼女に与えて、死んでいるかもしれないという絶望を遠ざける。私には彼女にそんな優しさを振りまく理由はないもの。私が貴方達に優しくして、貴方達は代わりに何をくれるの?私に何をあげられるの?聞けば何でも教えてくれる程、世の中そんな甘くないわ。」

 

私は最後のサンドウィッチを口に食べ、立ちあがった。

あぁ、狂おしいほど嫉妬してしまいそうだ。その友達と兄に。

演じろ。無感情な人形を。演じる事は得意でしょう。貴女はそうやって生きてきたんだから。最近、それはなかったけどせめてこの部屋を出るまでは演じなさい。namelessを。

 

「何処に行くんだ、神崎。」

「散歩に行ってくる。」

 

私はそうして部屋を出て行こうとして、ドアノブに手をかけた。私は振り返って空閑遊真の方を見た。

 

「最初に言っておくわ、近界民。私に幸福をくれた人達に手を出してみなさい。貴方を死ぬより辛い目にあわせてあげる。」

 

私はそう言って出て行った。

 

「あの…。」

「あくまで聞いた話だが。近界に神崎ともう一人連れていかれたらしいんだ。その子と地球に向かってる途中で近界民に殺されて神崎のブラックトリガーになったらしい。だから、神崎は近界民を恨んでいるという話を聞いた事がある。」

「そう、なんですか。」

「でもまぁ、本当はいい奴なんだよ。面倒見も良いし、お節介焼きだからな。それでいて甘えん坊な所もある。できれば仲良くしてやってくれ。」

 

木崎の言葉に3人はあまり良い返事を返さなかった。返せなかったと言った方が正しい。彼らのイメージの中には無表情の彼女が一番にある。木崎達の時とは違うのだ。

 

「…、休憩はここまでだ。訓練に行くぞ。雨取。」

「はい。」

 

 

 

 

 

 

 

「はあ…。」

 

あれから少し経って警戒区域内をブラブラと散歩していた私は大きなため息をついた。

大人気ないことをしてしまった。もう、どうしようもないことなのに。

それでも羨ましいと思う。誰かが迎えに来てくれるなんて。

 

―――ピロリン。

 

と、可愛らしい音が鳴った。端末を見ると影浦雅人からの連絡だった。どうやら非番ではないらしい。どうやら作戦室でゴロゴロしているらしい。『私も行く』と連絡し、私はとぼとぼ歩いて先程出てきたはずのボーダー本部へと向かっていた。本部に着き、中に入る。そして私は迷わず影浦隊の作戦室に入って行った。行き慣れてしまった作戦室。暗証番号はもう覚えてしまった。

 

「ん~、あ。レナ。」

「こんにちは、光ちゃん。」

 

光ちゃん専用のこたつの中でぬくぬくしていた彼女は私に気付いたようだ。軽く手を振って返すと彼女はこたつの中から出てきた。

 

「遠征から帰ってきたのか?」

「えぇ、ついさっきね。北添ちゃんと絵馬ちゃんは?」

「まだ、来てないな。」

「影浦君は?」

「カゲか?さっきまではいたんだけど…。」

「そう…。」

 

私は作戦室の奥を見た。やはり人のいる気配は感じない。

 

「レナ、私ちょっと小腹がすいたからラウンジ行ってくるからレナはここで好きにしてていいよ。」

「いいの?私一応部外者よ。」

「いいのいいの。こたつの中でぬくぬくしても良いぞ。」

 

そう言って仁礼は作戦室から出て行った。置いて行かれた私は作戦室に一人ぽつんと佇んだ。私はこたつの方へ目を向けた。そこには物が散乱していた。剥いて食べかけのみかんも置いてあった。私は小さくため息をつくと散乱した本を一つずつ拾い上げ、それをコタツの上に置いた。

 

「気を、使わせてしまったかしら。」

 

作戦室の扉を開いた。影浦雅人が入って来た。

 

「よう。」

「久しぶりだね、影浦君。」

「光の奴、どこ行きやがった?」

「小腹が空いたって、ラウンジに行くって言ってたわ。」

 

そういうと彼は舌打ちをして漫画を取りソファに座った。ペラペラとページをめくる音が聞こえてくる。

 

「おい、何考えてる。」

 

影浦雅人は私にそう尋ねた。思わず笑みがこぼれた。私は影浦雅人の後ろで膝をついて彼の首に腕を回した。

 

「…何かあったのか。」

「うん、ちょっとね。八つ当たりしちゃった。可哀想なこと、しちゃったなあ。」

「そうか。」

 

そう言って影浦雅人は持っていた漫画を閉じた。

 

「おい。」

「何?」

「本当に言いたい事、早く言えよ。」

 

私は数回瞬きをすると体重をかけるように前に少しだけ体を預けた。

 

「影浦君は、私が近界でいなくなったら探してくれる?」

「はあ?何だそれ?」

 

私は何も言わずに彼の首筋に顔を近づけた。

 

「お前が本気で探して欲しくねぇって思ってんなら探さねぇよ。」

「でも、そうじゃねぇんなら。最果てまで探しに行ってやるよ。」

 

私は何かに耐えるように瞳を閉じた。嬉しさが溢れ出してしまいそうだ。それは隠しても、腕の中の彼には全く意味のない事なのだろう。それに気恥ずかしさを感じる。

 

「うん、ありがとう。」

 

私は小さな声で彼にそう告げた。

 

「…、おう。」

 

そして、この時間の終わりを告げる音が端末から流れた。

 




お疲れ様でした。
私もお疲れ様。

感想などお待ちしています。



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神崎蓮奈と空閑遊真とムカつく眼鏡

「烏丸ちゃん、まだいたの?」

 

お土産に買ってきたお好み焼きを冷蔵庫に仕舞おうと居間に立ち寄った。夜、もうすぐ9時を回ろうとしてる。彼がこんな夜遅くまでいるのは珍しい。それとも最近はそうなのだろうか。

そして直ぐに小南の姿も確認できた。

 

「あぁ、お帰りなさい。神崎先輩。随分長い散歩でしたね。」

「えぇ、まぁ。美味しかったわ。」

「影浦先輩の家に行ってたんですか?」

「うん、お好み焼き食べてきた。お土産にテイクアウトしてきたんだけど。あの子達、もう帰っちゃったかしら?」

「蓮奈、あんたね。あんな事言って出てった後でよくそんな事出来るわね。」

 

小南が嫌味を言う。

 

「そうね、でも。仲直りは早くしないと。後からだと色々と面倒でしょ?」

 

私は笑みを浮かべてそう言った。あまり納得してい無さそうな小南と無表情で何を考えているのかあまりわからない烏丸がこちらを見ている。冷蔵庫にお好み焼きを仕舞、私はコップ一杯の水を飲んだ。

 

「木崎ちゃんは?防衛任務だったかしら?」

「いいえ、レイジさんはまだ雨取と下で訓練中です。」

「そう言えば、結局あの子達どうしてボーダーに入ったの?お兄さんとお友達を助けるため?」

 

私はもう一杯水をコップに注ぎながら尋ねた。

 

「えぇ、そうです。」

「ふぅん。そう。」

 

私は水を飲み干してコップをシンクの上に置いた。

 

「だから、私に手を貸して欲しいって木崎ちゃんが言ってたの?」

「俺からも宜しくお願いします。神崎先輩。」

「あまり、思い出したくないのだけれど。」

 

私はそう言って部屋から出る為に出口へと歩き始めた。きっと、私にとってあの十年間は何時まで経っても過去にはなってくれないのだろう。

 

「さて、やるべき事をやるか。」

 

私はそう呟いて下へと向かった。恐らく太刀川たちは迅に足止めを食らう事だろう。そして玉狛に辿り着けたとして、木崎達に敵うだろうか。難しいのではないか。

 

「よう、蓮奈さん。調子はどうだ?」

「どうも、迅ちゃん。調子はいいわよ。」

 

私が地下へ向かおうとしているとその前に迅悠一が立ちはだかった。

 

「迅ちゃんもこれから地下に行くのかしら?」

「いや、俺はちょっと用事が出来てね。」

「こちらに向かって来ている太刀川ちゃん達の足止めかしら?」

 

私が知っていた事に驚いた様子はない。恐らく分かっていたのだろう。

 

「蓮奈さんにお願いしたい事があるんだけど。」

「お願いの内容を聞いてからでないと何とも言えないけど、十中八九聞き入れてあげられないと思うわよ。」

 

私達は互いにニコニコしながら話している。

 

「俺の後輩に手を出さないでほしいんだ。」

「そのお願いの為に、君は私に何をするの?」

「お好み焼き奢るとかじゃ、ダメかな。」

 

その言葉を聞いて私は深い笑みを浮かべた。

 

「駄目よ。それでは城戸さんとの信頼関係を捨てるには安すぎるわね。」

「その代わり、俺達からの信用は得られるよ?」

「…、そうね。そうかもしれないわね。でも、そんな主を次々に変えるような人信じられないでしょ?それにこういっちゃなんだけど私は貴方達の事、信用してるのよ。信頼も、まぁ、あの子達よりはしてるわ。なのに、今は信頼されていないみたいな言い方。寂しいなぁ。」

「ははは。」

「迅ちゃん。守りたいものは誰かに守って貰うんじゃなくて自分が守らなきゃダメなんだよ。そうじゃないと絶対後悔するよ。」

「それは経験談?」

 

迅はそう意地悪に聞いて来た。私は少しだけ沈黙した。どう言おうか私は迷った。それから少しだけ、笑みがこぼれる。

 

「そうね、経験談よ。先輩の言葉はきちんと聞きなさい。人間なんてコロッと簡単に死んじゃうんだから。守りたいものをきちんと選びなさい。人は自分の両手に余る物を守れないわ。」

「それでも、守らなきゃいけないんだよ。これからの為に。」

 

迅悠一はどこか覚悟を決めた様にそう言っていた。彼の苦しさは私には理解できない事だ。守る事を強いられて、本来彼が本当に守りたいものを彼は守れているのだろうか。逃げる事をしない(ができない)彼を、隠れる事をしない(ができない)彼を、私はいつも酷く哀しいと思う。

人はなりたいものにはなれない。理想とは、理解に目を瞑る事。人々の理想は一体どれだけ彼を理解されているんだろうか。

 

「貴方はヒーローには向かないわね。ヒーローは『これから』の為なんて()の事について言わないわ。ヒーローは『君』の為って、()の事についていうのよ。」

「手厳しいなぁ。」

 

と、言いながら迅悠一は困った様に頭に手を置いた。

 

「まあ、でも私に下された命令は『玉狛にいる近界民のブラックトリガーの回収』。玉狛にいる近界民が強くて手こずってしまうかもしれないわ。」

 

そう言うと彼は少しだけ驚いた顔をした。彼が驚いた顔をする事に驚いた。

 

「確率の低い未来だったかしら?」

「まぁ、そうだね。そこまで高くなかったかな。」

「そう。なら、その低い確率に行く貴方の未来に、幸運が溢れている事を祈っているわ。」

 

私はそう言って彼の横を抜けてエレベーターのボタンを押した。

 

「何か、蓮奈さん。見ないうちにイイ女になった?」

「あら、失礼ね。私は最初から良い女でしょ?」

「さらにイイ女になったって事。」

「そう言う事にしておいてあげる。頑張ってね。」

 

私はそう言ってエレベーターの中に入って行った。

 

「蓮奈さん、ありがとう。」

 

迅はエレベーターのドアが閉まるときにそう言ったのが聞こえた。彼もなかなかつらい立場にいる。同情をしてしまう。それでも、彼の守りたいものと私の守りたいものは違う。私の守りたいものは私にしか守れない。それを私は良く知っている。

 

エレベーターから降りるとそこには宇佐美と眼鏡と白髪がいた。木崎とあの女の子はいないようだ。見ず知らずとはいえ少女を争いに巻き込むのは忍びない事だ。それに烏丸と小南は上にいる。木崎は恐らく、3つのエレベータのうちのどれかにいる。三つとも動かない様にしてしまえばいい。そうすれば、一番厄介な木崎の介入は無くなる。上の二人はいずれ降りて来るだろうが、木崎がいない分幾分か楽だ。

 

「神崎先輩。練習しに来たんですか?」

 

私に気付いた宇佐美がそう尋ねて来た。

 

「うーん、ちょっとね違うわね。仲直りかしら。」

「仲直り?」

 

私は白髪の前に立った。

 

「さっきはごめんなさい。八つ当たりをしてしまったわ。」

「別に気にしてないよ。」

「そう、それは良かったわ。今は、トリガーの説明を受けていたのかしら?」

 

私はテーブルの上に3つ置かれたボーダーのトリガーを見て尋ねた。

 

「そうだよ。」

「ブラックトリガーじゃ、隊は組めないからね。でも、ダメかもね。」

 

私はそう言ってトリガーのうちの一つを手に取った。

 

「どういうこと?」

「その前に貴方が死んでしまうという事よ。」

 

私は服の袖から果物ナイフを取り出し、それを彼の喉元へ向けた。そして私は彼の喉元を斬り裂こうとした。しかし、それは避けられてしまう。彼の反応は速かった。私は欠けてしまった果物ナイフを見た。そして眉を寄せた。ナイフを捨て、首元の逆十字に手を当てた。

 

「どうしてこんな事するんですか!?」

「城戸司令のからの命令よ。玉狛にいる近界民のブラックトリガーの回収。その生死は問わない。そういう命令がきてる。」

「空閑はボーダーの隊員になりました!模擬戦以外の隊員同士の戦闘は固く禁じられています”」

 

私は眼鏡の方を見た。

 

「三雲ちゃん、だったわね。貴方はルールの上ではできない事だからと、危険を放置できる?私には出来ないわ。私の人生に色をくれた人達に何かあってからじゃ遅いのよ。貴方が、c級隊員でありながら外でトリガーを使ったのと同じ事よ。彼がボーダー隊員で私に厳罰が下されるのなら、それを甘んじて受け入れるわ。組織には必ず、汚れ仕事をする人間が必要なのよ。」

「人が何かを失う時はほんの一瞬よ。何を責めてももう元には戻らない。」

「行こうか、ゆうき。」

 

真っ黒な鎧を着た私を3人は見上げた。私はまずコンピューターに剣を投げた。あれで木崎達と連絡を取られては困る。

 

「きゃ!」

「宇佐美先輩!」

 

コンピューターの近くにいた宇佐美が悲鳴をあげる。

 

「神崎にとって玉狛は大切じゃないの?」

 

白髪は静かに怒った様に私に尋ねて来た。

 

「私にとって一番大切なモノは玉狛じゃない。」

 

 

 

 

 

 

 

数時間前

 

「蓮奈!」

 

私に元気よく飛びついて来たのは四年前から比べれば大人になった刈谷裕子だった。身長も少し伸びた。それでも私よりは5cmほど小さい。

 

「帰って来てたのね。」

「ええ。ただいま。」

「お帰りなさい。怪我はない?」

「大丈夫よ。」

 

刈谷裕子は私の体をペタペタと触りながら確認した。

 

「それにしても、どうしたの?いきなり呼び出して。」

「特に、何かあった訳じゃないの。でも、これから少し大きな事をしなきゃいけなくて。それまで時間が出来たから、会いたかったんだけど…。迷惑だったかしら。」

 

私がそう尋ねると刈谷裕子は首を大きく左右に振った。

 

「そんな事ない!嬉しい。」

 

刈谷裕子は言葉通り嬉しそうに笑みを浮かべた。その笑みにつられて私も笑みがこぼれる。

 

「でも、次からは出来れば早めに連絡が欲しいかな。身嗜みきちんと整えたいし。」

 

刈谷裕子は髪型を気にするように手で弄っていた。私達は今、影浦雅人の実家のお好み焼き屋へ来ている。刈谷裕子は店の中を見渡した。

 

「今日、影浦はいないのね。」

「ええ、午後は防衛任務らしいわ。」

「そう、じゃあ今日は二人か。やった。」

「えっと、豚玉と海鮮玉を一つずつお願いします。」

 

刈谷裕子は何やら嬉しそうに頬に手を当て顔を左右に振っている。

 

「裕子?」

「はっ、何でもないわ。」

「そう?大学受験の方はどう?もう直ぐテストがあるんでしょ?」

「私は特に心配は要らないわ。ちゃんと貴女と同じ大学に行けるわ。問題は影浦の方なのよね。あいつ、大学行けるのかしら。」

 

刈谷裕子は腕を組んで難しい顔をした。私はそんな彼女の言葉に苦笑いをして勉強している影浦雅人の姿を思い浮かべた。テストの時などは3人で集まる事があるが彼が真面に勉強しているところを見見た事はない。

 

「まあ、ボーダー関係で推薦が出るから大学には行けるんじゃないかしら。」

「出るの?あいつ、ボーダーでなんかやらかしたんじゃなかったっけ?犬飼が何か言ってた気がする。」

「根付メディア対策室長にアッパーしたわね。あの話を聞いた時、私笑っちゃった。」

 

思い出して思わず笑ってしまった。

 

「豚玉と海鮮玉です。」

「ありがとうございます。」

 

私達はお好み焼きを焼き始めた。

 

「ねえ、裕子。」

「なぁに?」

「私が近界で行方不明になったら探してくれる?」

 

私の問いに刈谷裕子は数回瞬きをした。

 

「勿論よ!絶対、ボーダーや影浦より先に見つけるわ。そして貴女を攫った奴をボッコボコしてやるんだから。」

「そう、ありがとう。私も貴女がいなくなったら全力で探すわ。」

「大丈夫、心配しないで。私はずっと蓮奈と一緒よ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

「私にとって一番大切なのは、私を探してくれる人達だけよ。」

 

剣を二本出し、彼に斬りかかった。なるべく近くの二人には当てないようにしなければ。メガネはわからないけど、宇佐美は確実に生身だ。剣の切っ先が掠っただけでも危うい。何回も剣を振るう。

 

「逃げてたって仕方ないのよ?それとも、犠牲が必要かしら。」

 

私はそう言って眼鏡の方に剣を向けた。私は戦闘の邪魔にならない様にと壁に近付いていた眼鏡の方へ走った。白髪は私の行動を見て焦ったような顔をした。

 

弾印(バウンド)!」

 

私は白髪が飛んできた方を横目で見た。そこには見た事のない印があった。あの白髪のブラックトリガーの性能だろうか。三輪からの報告によるとあれは私のトリガーと似ているらしい。私が盗むのなら、白髪は学習するそうだ。あれは何かを学習した結果なのだろうか。

そんな事を考えながら剣を振り下ろした。私と眼鏡の間に入ってきた白髪。

 

―――ガキンっ

 

盾とかかれた何かに阻まれた。しかし、触れている部分は段々黒く染まって行く。先程までのボーダーの隊員服とは違い、真っ黒なバトルドレスのような物を着ている。

はてさて、こうしてみると本当に後ろの二人が邪魔だ。

 

私はもう一度腕を振り上げた。そして手に持っていたのは先ほどの両刃の剣とは違う。大きなハンマーだ。

 

盾印(シールド)強印(ブースト)!」

 

大きな衝撃が走った。ピキピキと盾にひびが入る。彼は、ここから動くことは出来ない。彼に確かめる術はない。私の意識がどちら殺そうとしているかなんて。この盾が邪魔だな。私の場合は相手に攻撃を少しだけでも当てただけで勝確だ。

 

「ぶち抜いてやる。」

 

私はハンマーからアイアンサイトのスナイパーライフルを取り出した。一発、盾に銃口を押しつけて撃てば盾は割れた。割れた欠片は黒く変色し、床に落ちる。床に落ちた黒いのは沁み込む様に広がって行く。面倒なのは沁み込む物を後ろの二人が触れない様にコントロールしなくてはいけないという事。この部屋は全てがトリオンで出来ている。私がただ立っているだけでこの部屋は侵食され続ける。

私はライフルを白髪に向ける。撃とうとしたがライフルを蹴りあげられた。私は笑みを浮かべた。私のトリオンに触れた。彼はもうこちらの物だ。私は彼から離れた。武器はそのまま、彼の方へ構えた。彼は私がどうして私が離れたのか、分かっていないだろう。

 

「今度はこっちから行くよ。」

「来れるんならね。」

 

足を踏み出そうとした白髪は前に進まない、足が床から離れない事に気が付いたらしい。彼の足元は黒く侵食している。

 

「何だ?」

 

侵食したトリオンは私の支配下にある。支配が出来るという事は、トリオン同士の結合させることも出来る。私は彼に向かってライフルを構える。彼はあそこから動くことは出来ない。動けば彼は後ろの眼鏡を失うことになる。というか、あの眼鏡。トリガー起動しろよ。そうすれば緊急脱出させられるのに。それともそれが目的だとでもいうのだろうか。あり得ない。

 

「終わりよ。近界民。」

「空閑!!」

 

後ろの眼鏡が叫ぶ。私の銃口を近界民から後ろの眼鏡に向ける。

 

「やっぱり、君。嫌いだよ。」

 

私は弾を放った。白髪は同じ様に盾を展開したが、銃弾は盾を貫通して眼鏡の数センチ横の壁に銃痕を作る。銃痕は次第に侵食を始める。

 

「ひっ。」

「あんたの目的は俺だろ?」

「そうね、そうだけど。その間に誰を殺そうと、私の勝手でしょ?」

「どうして、オサムを狙うの?」

 

私は腰が抜けて尻餅をついた彼を見た。

 

「気に入らないから。」

 

そう言うと白髪はピクッと眉を寄せた。

 

「貴方はどうしてトリガーを起動しないの?貴方はそこの近界民を守りたくないの?そこの近界民は私に大切なモノを聞いて来たけど、貴方にはそこの近界民は大切じゃないの?」

「空閑は大切な友達だ!」

「嘘ね。」

「っ、嘘じゃない!」

「嘘よ。今の貴方にとって一番大切なのは宇佐美でもそこの近界民でもない。貴方自身よ。貴方はそこの近界民が絶対勝てるとでも思っていたの?彼の強さが絶対だと信じる訳は何?」

 

私はもう一度彼に銃を撃った。それはやはり盾に阻まれる。

 

(アンカー)射印(ボルト)四重(クアドラ)!」

 

彼の印から銃弾のような物が出て来る。私は身丈を超える程の大きな盾を取り出した。

 

―――ズシンッ

 

と重そうな音を立てて床に立てた。その攻撃は三輪から報告を受けている。

 

「いつまでも、彼に攻撃させて。自分が敵う筈が無いと最初からあきらめる。彼の足が動かない事を知っていて。彼の足を切る事も私の目を自分に引き付けさせ彼をフリーにする事もしない。大切な友達が殺されようとしている前で、ただ見てるだけ。それで彼が殺されたら私を責めるの?」

 

白髪も辛いだろう。近界民のトリオンの半分近くはこちらの管理下にある。私は近界民の侵食したトリオンを霧散させた。盾を戻し、私は再びライフルを取り出した。下半身が霧散した近界民は地面に体を預けた。そして近界民が起き上がらない様に両手に先程盗んだ鉛球を撃ち込む。近界民の手を黒いのが侵食していく。

 

「空閑!」

「これが、三雲修。貴方の選んだ結末よ。敵を前に戸惑うから。こういうことになるのよ。何時だって最後は唐突よ。奪われるのは一瞬。誰を責めても戻りはしない。」

 

私は剣を手に持ち、近界民に近付いた。両手を広げて眼鏡は私の前に立ちふさがった。両手は震えている。足もすごく震えている。

 

「空閑は殺させない!殺すなら僕を殺してからにしろ!」

 

私はスッと目を細めた。まぁ、仮面に隠れてそれを彼らが知る事は無いのだろう。

 

「えぇ、そうさせてもらうわ。」

 

私は眼鏡の首筋に当たらないように剣を近づけた。

 

「やめろぉ!!」

「じゃあね、三雲ちゃん。」

 

私はそのまま剣を眼鏡に向かって振った。




お疲れ様です。

うーん、全体的に宇佐美は空気だった。


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神崎蓮奈は戦乙女

彼は暫く目を瞑っていた。そしてゆっくりと目を開けた。私は侵食していたトリオンを全て霧散させた。白髪がトリオン体でいられなくなったのだろう。ボフッと白い煙が辺りを包んだ。

 

「あ、れ?生きてる。」

 

彼は私の方を見た。私はブラックトリガーを解いている。彼は数回瞬きをした。そんな安心しきっている目の前の眼鏡にアッパーをした。

 

「グハァッ!」

 

眼鏡は数十センチ浮かび、眼鏡が外れ地面に倒れる。そして私は倒れた眼鏡の頭を踏み付けた。

 

「ねぇ、君。私の話を聞いていたかしら?トリガーを起動しろって言わなかったかしら?死にたいのかしら。」

 

私はグリグリと彼の頭を踏み付けた。

 

「全く、どうして迅ちゃんはこんなのを守ろうとしてるのかさっぱり分からないわ。あぁ、イライラする。」

「い、痛い痛いですよ。」

「痛くしてるのよ。」

 

そしてタイミングを計った様に端末が鳴った。私は端末に表示されている名前を見て眉を寄せた。

 

「もしもし。」

『もしもし、蓮奈さん?そっちの様子はどうかなって思って。連絡したんだけど。』

「そうね、眼鏡は私の足の下で踏まれて善がっているわ。白髪も、生きてるわよ。一応、誰も死んでないわよ。良かったわね。国語力の無い私が必死に話を伸ばしたお蔭よ。感謝してくれてもいいのよ、迅ちゃん。」

『あぁ、感謝してるよ。』

「……、私は疲れたから、もう寝るわ。おやすみなさい、迅ちゃん。」

『あ、うん。おやすみ。』

 

私は端末から耳を離した。そして立ちあがっている近界民の方を見た。

 

「じゃあ、私は寝るから。お休み。宇佐美ちゃんもごめんね。パソコン壊しちゃって。」

「あ、いえ…。大丈夫です。」

 

私は手を振りながらエレベーターに乗った。私は大きく溜息を付いた。どうも悪役を気取るのは疲れる。私は洗面道具を持って大浴場へ向かった。

 

体をきれいに洗ってからお湯につかった。

 

「はぁ…。」

 

気の抜けた声が漏れる。遠征から帰ってきた当日にブラックトリガーと戦わされるとは思わなかった。それにしても余計な事を口走った。あんなことを言うつもりはなかったのに。口まで湯船につけ、ブクブクと口から空気を出した。ムカついた。あの眼鏡がどうしようもなく、ムカついたのだ。

ただ泣き叫ぶ事しかできなかったあの時の私の様だと、無力だと嘆く事()()しなかった。無力をどうにかしようとしなかった私とどうしようもなく被ってしまった。

…何を被る事がある。私は初めからあの白髪を殺す気など無かったのだ。メガネは初めから何も失わない。それが決まっていただろう。

 

「はぁ、虚しいからやめよう。」

 

お風呂から出てネグリジェに着替えた。スリッパを履き、ペタペタと鳴らしながら廊下を歩く。自室に入り、私は端末にメールが来ていることに気がついた。メールの送り主は太刀川慶だった。

 

「まさか、明日もとか言わないわよね。」

 

私はメールの内容を見て、目を見開いた。そしてその端末を握り潰しそうな程、端末を握り締めた。私は端末をベッドの上に投げた。それから机に拳を叩きつけた。

 

「どうして、そんな事が出来るの。それ程までに守る価値のある者だったの。」

 

迅悠一が風刃を手放した。だから、ブラックトリガーの奪還命令は取り下げられた。

私は迅悠一の中に自分を見ていた。大切なものを守れず、ブラックトリガーにしてしまった。迅悠一は自分と同じなのだとそう思う目で彼に自分の理想を見ていた。

風刃の使用者を決めるあの争いの時、私は見ていた。迅悠一が何より風刃に執着し、誰よりも風刃を欲していたのを、私は見ていた。だから、迅悠一は私と同じなのだという理想を見ていた。

 

私は自分の部屋を出た。そして迅悠一の部屋へ入っていった。

 

 

 

 

 

 

 

「いやあ、危なかったな。オサム。」

 

床に倒れていた三雲修は眼鏡をかけ直し立ち上がった。

 

「ああ、ありがとう。」

 

三雲修は先程の事を考えていた。怒りに満ちたあの碧い目を。三雲修はどうしてあんなに怒っているのかわからなかった。

 

『何時だって最後は唐突よ。奪われるのは一瞬。誰を責めても戻りはしない。』

「それにしても、相手が殺す気で来ていなくて助かったな。」

 

レプリカがニュルッと出て来てそう言った。

 

「どう言う意味だ、レプリカ?」

 

レプリカの言葉に空閑遊真は尋ねた。

 

「彼女は最初から色々なことに気を配っていた。特に宇佐美は攻撃を当てない事には細心の注意を払っていたように思える。」

「それは多分、神崎先輩のブラックトリガーは生身を傷つけるとトリオン器官に神崎先輩のブラックトリガーが侵食して最終的にはトリオン器官が無くなってしまうからだと思う。」

「つまり神崎先輩は宇佐美先輩を殺さないように立ち回っていたという事ですか?」

「レプリカ先生の言う事が本当ならそうだと思う。神崎先輩のブラックトリガーの特性は触れたトリオンを侵食し、自らの管理下におく。

遊真くんが神崎先輩の武器を蹴り上げた後足が動かせ無くなったでしょ?あれは足の裏のトリオンと床のトリオンを結合させたからだと思う。」

 

辺りを見渡しても侵食された箇所は何処にもない。

 

「それが神崎蓮奈のブラックトリガーの特性なら、彼女に勝つのは至難の技だ。彼女に触れる事をせず、彼女のトリオンを削るか、トリオン伝達脳を切り離すしかない。」

 

レプリカはそれから少し黙った。空閑遊真は自身のお目付役を見た。

 

「どうしたんだ?レプリカ。」

「彼女は恐らく戦乙女(ヴァルキュリア)かもしれない。」

「ゔぁる、ナニ?」

 

レプリカの言葉に空閑遊真は眉を顰めた。聞きなれない言葉に三雲修と宇佐美栞は首をかしげた。

 

「何なんだ、そのゔぁるきゅりあって?」

「十年ほど前から現れるようになった黒衣の女騎士の姿をしたブラックトリガー使いだ。彼女が加担した国が必ず戦争で勝つため、畏怖の念を込めて『戦死者を選定する女(ヴァルキュリア)』と言う名が広がった。丁度四年ほど前から噂を聞かなくなった。神崎蓮奈の話が本当なら、彼女がヴァルキュリアで間違いないだろう。」

「『戦死者を選定する女』…。」

「彼女の恐ろしいところは他人を殺す事を迷わない事だ。トリガー使いを倒すと大抵はそのまま生け捕りにして同じように捕まった味方の捕虜交換に使うんだが、彼女は彼女の敵を一人残らず殺している。」

「だから、『戦死者を選定する女』なのか。」

 

レプリカの言葉に三雲修はそう呟いた。彼女の敵となれば最後殺される。彼女を味方につければ戦争には絶対に勝てる。彼女が味方である内は何処の国も襲ってこない。

 

「あっちじゃ有名なのは『ルークスの悲劇』って奴だな。」

「『ルークスの悲劇』?」

「ヴァルキュリアが有名になった事件だ。」

「何があったんだ?」

「分からない。何もわかってないんだ。」

 

空閑遊真の言葉に三雲修は分からないと言った表情を浮かべた。

 

「昔、ルークスっていう国があったんだけどその国は三日で無くなったんだ。」

「無くなった?」

「あぁ、誰一人生き残ってなかったんだ。軍人も一般市民も誰も彼も生きていなかった。それでルークスと連絡が取れなくなった同盟国が様子を見に行ったら沢山の死体の上に真っ黒な鎧を着た女騎士が立ってた。だから何があったのか知ってるのは『ヴァルキュリア』だけなんだ。」

 

その話を聞いてそこにいた3人と一匹?は黙ってしまった。三雲修は眉を顰めた。

 

「次、神崎先輩が俺達を襲ってきたら…。」

「それは、どうだろうか。少なくとも神崎蓮奈は迅悠一と繋がっているようだ。今のところは彼女を信じるしかないな。彼女が襲ってきた場合は…、彼女と戦うしかないだろう。彼女は人を殺す事を厭わない。それに彼女の言葉とオサムを襲ったという行動から、必要なら今度こそオサムを殺すだろう。それはチカにも言える事だ。」

「大丈夫、心配しなくいいぞ。難しいかもしれないけど、神崎を止めるよ。」

「空閑…。僕も今度は役に立てるように強くなるよ。」

「あぁ、頼りにしてるよ。相棒。」

 

 

 

 

 

 

 

真っ暗な部屋の中の扉が開かれ、外の廊下の光が漏れた。扉を開けたのはこの部屋の主、迅悠一だ。彼に背を向けて椅子に座っている神崎蓮奈を見て迅悠一は頭を掻いた。

 

「怒ってる?」

「別に、貴方に怒っても仕方ないでしょ?太刀川ちゃんから連絡があったわ。あの近界民のブラックトリガー奪取の命令は取り下げられた。貴方が風刃を手放したから。」

 

彼女は机の上に肘を付いた。組んでいた足を組み直し、不機嫌を顕わにしていた。

 

「蓮奈さんは、俺が許せない?」

「許せない?意味が分からないわ。貴方は、私に何か罪の意識を感じる様な事をしたのかしら。」

「はは、手厳しいな。」

 

迅悠一は私の隣を通って自分のベッドの上に腰かけた。

 

「本来なら、貴方の事殴ってるわ。」

「あぁ、その未来もあったよ。それ位は覚悟してたんだけどな。」

 

私は自身のブラックトリガーである逆十字に触れた。私がこれを手放す事が出来るだろうか。今、守りたいものの為に、私は有紀を捨てられる日が来るだろうか。私はきっと捨てられない。私は迅悠一の様には守れない。

 

「大丈夫だよ。蓮奈さんのブラックトリガーは大丈夫。」

「余計なお世話よ。これは、私にしか使えない。それは城戸さんも分かってるわ。私からこれを取り上げたって宝の持ち腐れだって。」

「俺の風刃も極端だけど、蓮奈さんのブラックトリガーも極端だよな。蓮奈さんしか使えないなんて。」

「そうね、お互い極端だわ。」

 

そう言うとお互いは黙ってしまった。私は立ちあがって部屋から出る為にドアノブに手をかけた。

 

「蓮奈さん、俺、本当に感謝してるんだよ。」

「そう。」

 

私は迅悠一の部屋を出て自分の部屋のベッドに倒れた。今日は疲れた。明日からは学校から出された課題を消化しないといけない。私は小さく溜息を付いて意識を闇の中に落とした。

 

 

 

 

 

 

 

 

次の日、朝。私は眠たい目を擦ってリビングへ入った。そこにはあの3人組がいた。私は気にしないで席に座り、パンを口に含んだ。あぁ、視線がうるさい。私はサイドエフェクトを使った。

 

「はぁ!?」

 

私の姿を見える事が出来なくなった眼鏡が行き成り叫んだ。私はそんな事を気にしないでトーストを食べた。

 

「神崎先輩、サイドエフェクト使わないで下さい。」

「そこの眼鏡の視線がうるさい。」

 

烏丸が見えなくなった私にそう話しかけた。私はトーストを食べながらそう言った。

 

「あの、烏丸先輩。」

「神崎先輩のサイドエフェクトだ。名前は『視覚認識操作』。相手が自分をどう見えているかを操作できるんだ。」

「ほうほう。だからパンが宙に浮いているように見える訳か。」

「神崎先輩、それじゃ余計に怪しいです。」

 

私はサイドエフェクトを使うのを止めた。すると他の人間にも見えるようなったようだ。

 

「そう言えば…、城戸指令からの命令の撤回が指示されたわ。良かったわね、ボーダー隊員にはなれそうよ。」

「それ、どうして撤回されたの?」

「そんな事、知っていても答える義理はないわ。」

「それもそうだ。」

「神崎先輩、今日時間ありますか?」

 

私にそう話しかけてきたのは烏丸だった。

 

「時間かぁ、微妙な所ね。私、学校から出ている課題をしなきゃいけないから。何かあったの?」

「俺がバイトに行っている間、三雲の面倒を見て欲しいんです。」

「……、嫌だ。」

「お願いしますよ、先輩。」

「彼のポジションは?」

「アタッカーです。」

「私の本職はアタッカーじゃないんだけど。私の本職はスナイパー。」

「でも、強いじゃないですか。」

「唯の経験の差でしょ?兎も角、私は宿題をしなくてはいけないの。」

 

私はそう言ってトーストを口の中にいれると席を立った。

 

「三雲、神崎先輩に何かしたのか?」

「いえ、どちらかと言うとされたんですけど。」

「昨日、神崎に襲われた。」

「襲われた?」

「城戸司令の命令だそうで。」

 

その言葉を聞いて木崎は難しい顔をしていた。

 

「神崎の目標は三雲たちに一番近いから、気が合うと思ったんだがな。」

「神崎先輩がボーダーにいる目的ですか?」

「あぁ、神崎は近界民に誘拐された全ての人を連れ戻す事を目標としてボーダーに所属している。」

 

三人はその言葉を聞いて目を見開いた。

 

「神崎は誘拐された人間の辛さを誰よりも知っている。神崎が毎回遠征について行っているのもそのためだ。」

「そう、なんですか。」

「まぁ、一度神崎とよく話してみる事だ。言葉はきついが自分が間違いだと思う事はしないし、言わない。そう言う奴だ。」

「はい。」

 

三雲修は一抹の不安を覚えながら彼らの話を聞いていた。




お疲れ様です。

感想などお待ちしております。


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神崎蓮奈の宿題と射撃

三尾人さん、高評価ありがとうございます。

評価が変わってて驚きました。


私は小学校に通っていない。中学校だって通ったのは二年生の後半からだ。まともな人生を送っていない私には漢字と言うのは天敵だった。元々日本人では無い事も影響しているのだろう。ロシア人の私には3種類の文字を使うのに言葉は一種類しかないなんてあまり意味が分からなかった。

 

玉狛支部を出て本部のラウンジで宿題をしていた。ペンをくるくる回しながら宿題を見詰める。

 

「あ、神崎先輩!」

「緑川ちゃん。丁度良い所に来たわね。これ、何て読むか知ってる?」

 

食事でもしに来たのかA級の中学生緑川駿に『案山子』と書かれた文字を見せた。緑川は唸った。

 

「うーん、分かんない。なんだろう『あんざんこ』?」

「では無いと思っているんだけど。そんな言葉聞いた事無いし。」

「うーん、ごめんね。神崎先輩。俺にはわかんないや。」

「そう、まぁ仕方ないわね。奈良坂ちゃんとかなら読めるかしら。」

「奈良坂先輩は読めそう。」

 

私は小さく溜息を付いた。国語辞典では無く、漢字辞典を持ってくるべきだったか。

 

「そんな事より、神崎先輩!ランク戦しようよ。」

「ランク戦って…。ただの模擬戦ね。でも駄目よ。宿題が終わるまでは相手はしてあげられない。」

「ちぇっ。そうだ、神崎先輩。迅さんがS級辞めたって本当?」

 

緑川駿は少し不満げに聞いて来た。私はペン回しを止め、緑川駿の方を見た。

 

「私はそう、太刀川ちゃんに聞いたわ。太刀川ちゃんはそう言った事で嘘つかない人だから本当だと思う。」

「そっか…。」

「でも、ほら。A級になったって事は普通にランク戦に出るって頃でしょ?貴方にとっても良い事じゃない。」

 

緑川駿はどうやら落ち込んでいるようだ。

 

「うう、やっぱり模擬戦しようよ!ね、良いでしょ。神崎先輩!」

「ダメって言ったでしょ。他を当たってちょうだい。」

 

そう言うと緑川はトボトボと歩いて何処かに行ってしまった。私はもう一度宿題に目を向けた。国語は止めよう。別な物をしよう。そう思い、数学の宿題を取り出した。大学は結局ボーダーから推薦が出たのであまり苦労する事も無く受かった。まぁ、それでも他の生徒と同じ様に授業は受けなければならないし、遠征の時は授業でやるところのプリントが配布される。今はそのプリントをやっている。別段、国語以外では苦労しないのだ。国語以外では。特別な環境下で育ってきた私には作者の心情など知る由もない。そう言った意味では英語の読解も苦手だ。

一方、数学などの計算は得意だ。あれには感情が関係なくどんな人間がやっても一つの答えにたどり着くようになっている。そう言う意味ではやればやるだけ出来るようになる。だから理系は好きだ。

 

「おう、神崎じゃないか。」

「うわ、使えないのが来た。」

 

手を振りながら近づいてくる大学生を見て思わず本音が出てしまった。学力的な事を言えば先程の緑川より確実に低いであろう使えない大学生、太刀川慶がいた。

 

「何やってんだ。」

 

と言いながら持ちを持って近づいてくる。そして許可なく同席してきた。

 

「宿題だよ。太刀川ちゃんだって出てるでしょ?」

「おう、どうだったかな。」

「どうせ忍田さんに見つかって焦ってやるはめになるんだったら、今やりなさいよ。」

 

しかし太刀川慶は笑うだけでやろうとはしない。後で忍田さんに教えてあげようかな。太刀川慶が宿題してないよーって。絶対言ってやろう。そして太刀川慶は私の前で餅を食べ始める。私は気にしない様にして宿題へと視線を落とした。

 

「なあ、神崎。」

 

数分後、前の男が話しかけてきた。私は無視して宿題に集中する。

 

「なあって、神崎。」

 

数分後、前の男が話しかけてきた。私は無視して宿題の紙を捲る。

 

「聞こえてるんだろ、神崎。」

 

一分もしないうちに前の男が話しかけてきた。こう言った時と言うのは絶対に模擬戦を申し込む気だ。太刀川慶との模擬戦は予想以上に時間を喰うので嫌いである。決着がつかない。いや、決着はつくのだ。私が大抵負ける。私のトリガーは純粋な剣術を鍛えるのには少し特性が邪魔だった。それでもある程度の剣術は使えると言っておこう。まぁ、負けるのは悔しいし、自分も勝つまでやりたくなるから時間が無くなるのだ。

 

「なあ、神崎。真面目な話しなんだって。」

「はあ。何なのよ、さっきから。しつこいわね。私は宿題で忙しいの。模擬戦はやらないわよ。」

「はあ?何でやらないんだよ。神崎本部で見つけるの難しいんだよ。お前、本部にいる時サイドエフェクト使ってるだろう!」

「やっぱり。私忙しいの。……これ読めたら、一回だけ付き合っても良いわ。」

 

私はそう言って先ほどの宿題の『案山子』を見せた。

 

「あぁ、『案山子(かかし)』だろ?」

「かかし?ふむ、ちょっとまって。」

 

私は国語辞典を開いてかかしを調べた。私は信じられず国語辞典をもう一度見た。

 

「嘘でしょ…。」

 

私の国語力、目の前の男以下…。ヤバイ、凄くショックだ。私は項垂れた。ゴンッと鈍い音を立てて頭を机に打ち付けた。

 

「おい、凄い音したぞ。大丈夫か。」

「今、自分の国語力に自信を無くした所。はぁ、一試合だけよ。」

「よし、早く行こうぜ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

「最悪、疲れた。」

「神崎、なんでライトニングで戦ってるんだ?弧月はどうした、弧月。」

「今、凸砂を練習してるのよ。」

「凸砂?なんだそりゃ。」

「突撃するスナイパー。略して凸砂。」

「スナイパーは突撃しちゃダメだろう。」

 

ディスプレイの向うからそんな事が聞こえて来る。

 

「でも、近くならライトニングの弾速より早くシールドを張る事の出来る瞬発力のある人はまずいないわ。実際、太刀川ちゃんの右足持っていけたし。」

 

私は飲み物を飲みながらそう言った。

 

「クイックショットも大分モノになってきたし、シールドと組み合わせれば使えると思うんだけど。」

「それは神崎の身軽さがあってこそだろ?普通の人間は剣筋を交わす為に捻った状態から獲物を見ずにスナイパー撃たねぇよ。」

「あら、褒めてくれてるの?」

「あぁ、お前は東さんに並ぶ変態だ。」

「なにそれ、嬉しくないわ。大体、狙撃手は一番簡単なポジションなんだからこれくらい出来ないと使い物にならないでしょ。」

「それ、狙撃手やってる奴に怒られるぞ?」

 

飲み物を飲んでいた私は太刀川慶の言葉にトンッと飲み物を置いた。

 

「太刀川ちゃん、どんな戦場だって基本は相手の不意を衝く事よ。そして何より難しいのは武器の有効射程距離まで相手に気付かれずに近づく事。射程が一番長い狙撃手が一番簡単なのは当たり前の事よ。その分、近づかなくていいんだから。リスクを最小限に、相手を倒せる術を持っている。そんなポジションがどうして簡単じゃないといえるの?」

「離れれば当てるの難しいだろ?」

「そんなのは唯の練習不足でしょ?当てなきゃ死ぬ。そんな環境に置かれたらみんな死ぬ気で当てに行くわよ。そんな甘えを言い訳に使うなら、狙撃手なんてやめた方がいいわ。スナイパーは敵を一発で無力化出来なきゃいる意味が無いのよ。」

「やっぱ、戦争を体験した人間の言葉は違うなぁ。」

「宿題あるからもう出るわよ。じゃあね、太刀川ちゃん。」

 

私はそう言ってC級の訓練スペースから出た。太刀川慶との模擬戦は疲れる。宿題、終わるだろうか。まぁ、直ぐに学校と言う訳では無い。どうにかなるだろう。そして私は自身が一番落ち着けるであろう場所へと向かった。行き慣れてしまったが為に、暗証番号が意味をなさなくなった作戦室。適当な番号を入れ、作戦室のドアを開ける。

 

「神崎先輩。」

「絵馬ちゃんだけ?」

「うん、そう。カゲさんに用事?」

 

可愛く首を傾げて聞いてくる絵馬ユズル。本人にはそんな事一ミリも思っていないのだろう。

 

「ううん、宿題をやりたいんだけどラウンジにいるといろんな人に絡まれて集中できないから。」

「玉狛でやればいいじゃん。」

「玉狛は今色々面倒事をしてるの。巻き込まれたら宿題どころじゃなくなるもの。と言う訳で作戦室貸して、お願い。」

 

私は手を合わせて絵馬ユズルにお願いしてみる。

 

「まぁ、俺は良いけど。」

「ありがとう、邪魔になりそうなら直ぐに出て行くから。」

「カゲさんはそんな事言わないよ。」

「そうかしら。」

 

私はソファに座って宿題を広げた。取りあえず、数学だけでも終わらせてしまわなければ。宿題をしていると前のソファに絵馬ユズルが座った。私は視線だけでそれを見た。そしてまた視線を宿題に戻した。前に座っている少年は先ほどの男とは違い一向に話しかけてくる気配はない。静かな空間が広がっていた。

 

「遠征に行ってきたんだけど…。」

 

言葉を先に発したのは私だった。そして鳩原未来がどうしてボーダーを辞めたのか、本当の理由を知らない絵馬ユズルに言っても仕方ない事を思い出した。

 

「?知ってるよ、それがどうかしたの?」

「何でもない。鳩原ちゃんの事、庇いきれなくてごめんね。」

 

私はシャーペンで答えを書きながらそう言った。鳩原未来のことはよく覚えている。同じクラスだった事もあった。

 

「良いよ。神崎先輩は本当に城戸さんに掛け合ってくれてたって、知ってるから。」

「そう…。」

 

引っ込み思案な彼女は人が撃てなかった。私からしたらそれは甘えだ。甘えだが、その甘えを突き通し相手の武器を確実に壊していた彼女の技術に私は惚れ惚れしていた。私は最初狙撃手をしていたから、その技術がどれ程素晴らしく、難しい事かよく知っていた。それを理解出来ないのは実際に戦った事が無いからだ。あれはヘッドショットするのと訳が違う。頭は首と言う軸がある。その軸を極端に動かすことは出来ない。だからある程度の鍛錬を積めば相手の行動の予測を付け、頭を撃ち抜くことが出来る。では武器はどうだろう。銃などの武器は走っている間勿論左右に振らさる。構えたとしても当然撃っている銃はリコイルのせいで常に動いている。銃を狙うくらいなら私は相手を見ていて動かない頭を狙う。剣を撃ち抜くなんて私にも出来るかどうかわからない。私から言わせれば、無駄なのだ。無駄な技術。あれで人を撃てるようになれば、途轍もない戦力になったのに。

無駄にすごい無駄な技術。それは恐らく私がやろうとしている凸砂のクイックショットも同じ事なのだろう。私も武器を撃ち抜くのをやりたくて前は練習していた。彼女を驚かせてやろうと思っていた。それも叶わなかったが。

そう言えば、鳩原未来と話していると刈谷裕子は良い顔をしなかった。

 

「神崎先輩はさ、人が撃てないのどう思ってたの?」

「勿体ないと思っていたわ。そしてどうしてボーダーに入ったのか、分からなかった。」

「それって、どういう意味?」

「理由をね、話してあげたいんだけど…。ごめんなさい、私の昔の事あまり話したくないの。」

 

私はそれしか言えなかった。玉狛の子達には何かめっちゃ喋ってたけど…。あの子達外で話さないわよね。後で釘刺しとかないと。

 

「カゲさんは知ってるの?」

「…詳しくは話した事無いの。と言うか、誰にも詳しく話した事無いわ。」

「どうして?」

「思い出したくない事だから。あの10年間はトラウマみたいな物かしら。」

「10年間…。」

「あの時の私と、今の私は違う人間。そう思わないと、私はきっと自分を見失う。」

 

絵馬は納得していない様な顔をした。絵馬はあまり表情は動かないが、案外分かりやすい。それは私が人間を演じることになれているからだろうか。

 

「それって神崎先輩のブラックトリガーが友達だったってのと関係あるの?」

「随分聞いてくるわね。興味あるの?」

「……言いたくなかったら、言わなくていい。」

「そうね、このブラックトリガーが私の友達だったって事とも関係あるわ。」

「そう、言い辛い事聞いてゴメン。」

 

絵馬は視線を少し下げてそう言った。私は彼の頭の上に手を置いた。そしてよしよしと頭を撫でた。彼は嫌がっていないようで暫くそのままにしていた。

 

「ふふ。」

「何?」

「ううん、可愛いなぁって思って。」

「カゲさんが言ってた。神崎先輩は何でもかんでも可愛いって言うって。可愛い以外の形容詞知らないんじゃないかって。」

「私は影浦君が形容詞って言葉を知っている事に驚きね。」

「流石にカゲさん怒ると思う。」

「ふふ、でも怒った影浦君も可愛いわよ。あのガオーって奴。やってって言ってもやってくれないのよ。」

 

絵馬は顔を上げたので私は彼の頭から手を離した。彼は暫く私を見詰めてきたので、私は首を傾げた。

 

「神崎先輩とカゲさんって…、仲良いよね。」

「そうね、私は彼の事を信頼しているわ。」

「神崎先輩は、カゲさんの事…その、好きなの?」

「…えっと、それはきっとあれよね。恋愛的な事よね。」

「うん。」

「そう、絵馬ちゃんもそう言うのに興味が出るお年頃なのね。」

「いや、別に。そうじゃなくて。」

「でも、そうね。私はきっと結婚とかそう言うのはしないかしら。」

 

私は遠くを見てそう言った。絵馬は私を見て少し不思議そうな表情をした。

 

「そうなの?女の人はそう言うのが夢って言う人が多いと思うんだけど。」

「そうね、でも私はきっとそう言う一生大切にするものを作る勇気が無いのよ。だから、影浦君とそう言うのにはならないかしら。」

「そっか。」

「そうよ。」




お疲れ様でした。

感想、お待ちしています。

ランク戦に入ると書く事無くてどうしようか今の悩みです。


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神崎蓮奈はやけ酒をするようです。

「……、どうして私まで駆り出されるわけ?」

 

私は目の前にいる帽子を被った同級生に尋ねてみた。

 

「そんなの俺が知るかよ。」

 

そう帽子を被った同級生が答えた。S級隊員の中で入隊式に駆り出されたのは私だけだった。確かに天羽は人前に出て何かするような性格では無い。でも迅悠一だって出てきてもよかったと思う。

 

「迅ちゃんでもよかったじゃない。」

「迅さんは狙撃手じゃないだろう。」

 

私は隠そうともせずに舌打ちをした。

 

「何だ、機嫌が悪いな。何かあったか?」

「最近しつこいのに追われているのよ。」

「しつこいの?」

「戦闘訓練してくれってしつこいのよ。」

 

同級生の帽子は溜息を付いた。

溜息を付きたいのは私の方だ。

 

「これ終わったら、お好み焼き食いに行こうぜ。カゲの家のお好み焼き。」

「……、奢りかしら?」

「お前、俺より金貰ってるだろ。お前が奢れよ。」

「割り勘なら行ってあげてもいいわ。」

「今日はカゲは非番だ。美味いの食えるぜ。」

「おお、俄然やる気出て来た。」

 

そう言ってガッツポーズをする私を帽子は見下ろす。

 

「本当、神崎はカゲの事好きだよな。」

「荒船ちゃんが思っているような好きじゃないよ。」

「…そうなのか?」

「そうよ。」

 

帽子はふぅんと少し疑わしいと言う目をしてこちら見てしている。そんな目をされても困るのだ。私は本当に影浦雅人を好きになる事はない。この命に代えても守るだろう。でも、それは絶対に好きからではない。大切なのだ。私は私を探してくれる人を生かしておきたいだけだ。私のために私は影浦雅人を利用している。そう言う、醜い女なのだ。

 

「もう直ぐ佐鳥が来るみたいだ。二人ともこっちに来てくれるか?」

 

そう少し離れた東さんの声が聞こえてきた。私は帽子の隣に並んだ。そして入ってきた8人の少年少女。そしてその中には一人だけ見覚えのある少女がいた。雨取は私に小さくお辞儀をした。私も小さく手を振り返してあげると少し安心したような笑みを浮かべた。狙撃手の訓練説明は何事もなく終わるはずだった。雨取千佳がアイビスを撃つまでは。

彼女の放ったアイビスの弾はものすごい爆風を巻き起こしながら壁に穴を開けた。私はその穴を見詰めた。私のトリオン量でもあれ程の穴は開けられないだろう。恐らく私のトリオン量の二倍はあるだろうか。彼女は今までよくトリオン兵に掴まらなかったものだ。彼女が日本で生きている事は奇跡に近いのではないか。

 

「あ、あ…。あの、すみません。」

 

と、顔を青くして謝ってきた。

 

「謝らなくていいわよ。現場監督の佐鳥ちゃんが責任もって鬼怒田さんに謝るから。」

 

私は佐鳥を指さしながらそう言った。

 

「えぇ!?神崎先輩も一緒に謝ってくださいよ!」

「佐鳥ちゃん、あの壁に空いた穴を直すのに一体誰のトリオンが使われると思っているのかしら?貴方のトリオン量で、あの壁に空いた穴が塞がると?」

 

私は佐鳥の頭を掴みながらそう言うと佐鳥はがっくりと肩を落とした。私は溜息を付いた。取りあえず鬼怒田さんに事情を説明しないと。今どこに居るだろうか。

 

「君は本部の隊員じゃないな。トリオンの測定記録も無い。」

「東さん。その子、玉狛の子よ。」

「玉狛、か。それで神崎を知っていたのか。」

「あ、あぁあの。神崎先輩。私のせいで玉狛の先輩方が怒られたりとかは…?」

「怒られたりはしないと思うけど、文句は言われるかしら。トリオン能力とかの報告してないんでしょ?」

 

そう言うと雨取は更に顔を青くしてしまった。

 

「まぁ、でも。壁に穴が開いてしまった後だし、どうしようもないわね。取りあえず、報告して壁の穴塞がないと。」

「なぁんだこれは!?一体どうなっとる!何故穴が空いとるんだ!誰がやった!神崎!お前じゃなかろうな!?」

「私のトリオン量ではどうやったって空きませんよ。ブラックトリガー使わない限り。」

 

完全なとばっちりを食らった。あぁ、今日は厄日なのだろうか。あの帽子は少し離れた所で見てるだけだし。

私が彼の方へ目を向けると視線を逸らされた。今日はやけ酒をしよう。そう決めた。

 

「鬼怒田開発室長、訓練中にちょっとした事故が起きました。責任の全ては現場監督の僕にあります。」

「その通りだ!」

 

そう言って鬼怒田さんは佐鳥に掴みかかった。その間に私は彼らから離れるように壁際族をしていた帽子の所へと下がって行った。

 

「お?どうした?」

「どうした?じゃないわよ。このまま行くと完全に長くなるパターンじゃない。私今日はやけ酒するって決めた。」

「高校生が酒飲むなよ。」

「21歳だもーん。」

「止めとけって。お前酒飲むと面倒になる。さんざん不機嫌になった上に寝るだろう。」

「こんな日、呑まずにはいられないわよ。」

 

聞く耳を持っていない私を見て帽子は溜息を付いた。そして鬼怒田さんの方を見ると何故か機嫌がよくなっている。それから暫くして眼鏡と白髪が走ってきた。彼らを見て雨取は嬉しそうな顔で名前を呼んだ。そして三雲を見た鬼怒田さんの機嫌が下がって行った。三雲の背中をバシバシと叩いた後、捨て台詞を吐いて訓練室を出て行こうとした。

 

「神崎!早く来い。」

「ちっ。」

「ラウンジで待っててやるから行って来い。」

「行ってくる。」

「あの!」

 

鬼怒田さんの後について行く私を雨取は引き留めた。

 

「本当にすみませんでした。」

「貴女がいくら謝ったって仕方ないでしょ。穴は開いてしまったんだから。」

 

私はそう言うと訓練室から出て行った。

 

「あいつ、何をあんなにイライラしてるんだ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

ダンッと大きな音を立ててビールの入ったジョッキが机にたたきつけられる。そしてそのジョッキを持っているののは顔を赤くして涙目の神崎蓮奈。その前には面倒くさいと言う顔をしているには彼女の同級生の帽子。荒船哲次だ。彼は注文したお好み焼きを食べながら目の前の少女を見る。否、年齢的の事を言えば彼女は立派な女性な訳だ。

 

「お前、まだ飲むのか?」

 

彼女は先ほどからビールを10杯ほど飲んでいる。決して酒に強い訳では無い彼女がここまで飲むのは大変珍しい事だ。玉狛では酒が飲めるのは木崎さんや林道支部長そのほか従業員数人。戦闘員は木崎さんを除いて未成年だ。だから必然的に彼女が酒を飲む機会が失われている。そして高校生というと事から彼女の周りにいるのがほぼ未成年である事も察せられる。

 

「もう止めとけって。明日に響くぞ。」

「良いのよ!私は、明日非番だもん!」

「お前な、玉狛までどうやって帰るつもりだ?」

「歩いて?」

 

荒船は溜息を付いた。彼女をこのまま返すと確実に玉狛には辿り着かないだろう。下手をすると路上で寝るだろう。彼女は固い床でも寝れる人間だ。

 

「よう、荒船。」

「カゲ…。」

「どうしたんだ、こいつ。」

「さぁな。何も喋んねぇよ。いつもと同じだ。」

 

影浦は面倒そうな顔をした。そして先程から静かだと思っていたら彼女はこくりこくりと舟をこいでいた。

 

「あぁ、こいつ寝だしたよ。レイジさん辺りに連絡入れるか。」

「頼むわ。コイツは家で面倒みる。コイツがつぶれるのは何回もあるしな。」

「そうかなのか?」

 

荒船は不思議そうにそう言った。背凭れに頭を預けて寝ている。

 

「荒船、ちゃんと金払って行けよ。」

「結局俺が奢るのかよ。」

 

影浦は彼女を背負うと店を出て裏側から家に入って行った。

 

「あら、その子。また潰れたの?」

「あぁ。」

「そう、布団敷こうか?」

 

そう、影浦の母親が話しかける。影浦の背中から寝息が聞こえて来る。

 

「いやいい。俺がソファで寝ればいいだけだし。」

「そう?」

 

最初に彼女が寝落ちした時、母親は彼女を家に泊める事を渋った。まぁ、それが普通だ。しかし、影浦は知っていた。彼女には親がいない事を。それを母親に話した。帰っても彼女は一人なのだと。

彼女には実質親がいない。彼女にとって人生で一度たりとも親との家族的な思い出は無かった。それだけではない。彼女を導く大人が彼女の周りにはいなかった。そして彼女自身大人に頼ると言う思考回路は持ち合わせていなかった。自分を守るのは自分だけ。他人は肝心な時に裏切る。

だからこそ、トリオン兵に襲われ、命の危険もある中で彼女を探していた影浦と刈谷を彼女は信頼している。彼らなら肝心な時自分を探してくれると、そう思っているのだ。その安心感からか影浦の家でよく寝落ちする。

 

「雅人、夜ご飯はどうするの?」

「ああ…、いらねぇ。」

「そう?襲っちゃダメよ?」

「しねぇよ!」

 

影浦は彼女を自分のベッドの上に寝かせた。そして一つに結っているリボンを解いた。結われていた髪が流れるように広がる。丸まる様に彼女はベッドの上で蹲った。昔より長くなった髪。面倒だからと4年前から切っていないらしい。キラキラと光っているように見える金色の髪。影浦は彼女の頭に手を置いた。サラサラと流れる彼女の髪。彼女は少し安心したような表情を浮かべた。

 

「何を悩んでるんだ?」

「別に、何か悩んでるわけじゃないわ。」

「やっぱり起きてたか。狸寝入りするんなら家帰れ。」

「いやだ。帰りたくない。」

「子供かよ…。」

 

彼女は影浦の布団を被った。影浦は大きな溜息を付いた。

 

「玉狛にね、新しいチームが出来るの。」

「おう。」

「その中の一人がね、友達とお兄さんがトリオン兵に誘拐されたんだって。」

「おう。」

「それを取り返しに遠征部隊に入りたいんだって。」

「おう。」

「それだけ…。」

 

彼女はそう言うと再び布団の中にもぐって行ってしまった。影浦はベッドの近くで膝を立てて座っている。

 

「そいつの事、嫌いなのか?」

「ううん、小っちゃくてかわいい子だよ。嫌いなのは一緒に居る眼鏡かな。」

「眼鏡?」

「うん、眼鏡。昔の私を見てるみたいで嫌い。」

「昔のお前か。何が似てるんだ?」

「無力なくせに手に余る事をしようとしてる所。」

「お前は良い奴だ。その眼鏡が心配なんだろ。眼鏡の志が途中で折れるのが嫌なんだ。自分に出来なかった事と同じ事をやろうとしている眼鏡が成功することを望んでるんだ。成功してほしいと思ってるんだ。」

「そして私は眼鏡に出来て自分に出来なかった事に嫉妬している。」

 

彼女は次第に涙ぐみ始めた。

 

「まだ成功してないだろう。」

「私のは取り返しがつかない。」

 

彼女はどうしようもなく彼らに嫉妬していた。

 

彼女は知っている。助からなかった少女を。

 

彼女は知っている。助けられなかった人々を。

 

だから彼女は理解した。自分の手に余る物を守ることは出来ない。そして自身の手には他人はあまりある。他人を守れるように強くなればいいと思った。それでも彼女には他人を守れるほどの強さが無かった。

彼女は羨ましいのだ。他人が手を伸ばし、彼らを助けようとしてくれている。もし、自分の時もそれがあったのなら、助からなかった少女は助かったかもしれない。助けられなかった人々が助けられたかもしれない。

彼は運が良い。実に運が良いのだ。そしてそれを運が良いだけで片付けられるほど、彼女の心は広くなかった。心の余裕が無かった。

手を貸してくれる仲間がいる。手を貸してくれる先輩がいる。自分にもそんな人たちがいたらと。

 

「俺は、お前に救われた。気を失っていて何があったか知らねぇがな。」

「お前は、人を救えてる。自信を持て。」

 

そう言うと彼女は顔を布団から出した。

 

「私は…。」

「もう寝とけ。話は明日聞いてやる。」

「……、おやすみ。」

「あぁ、おやすみ。」

 

少女は再び瞳を閉じた。そして溢れた涙が流れて行った。

影浦には彼女を理解することなど出来ない。

 

「神崎、お前はもう一人じゃねぇんだぞ?荒船だって、鋼だって。お前をちゃんと見てる。そんな疑わなくたってお前が大変な時は手を貸すさ。」

 

小さく寝息を立て始めた彼女を見て影浦がそう呟いた。

 

「俺も、お前を救えたらいいんだけどな。」

 

昔とは逆だ。影浦が彼女に顔を近づけた。涙のせいだろうか。少しだけ濡れた唇に触れる。それから自分のした事に対する羞恥心からか影浦の顔は赤く染まる。

 

「クソッ。」

 

影浦は悪態をつき、部屋の明かりを消して部屋を出て行った。

 

「ありがとう。」

 

その言葉が誰にも届く事無く、闇の中に溶けていった。




お疲れ様でした。

感想などお待ちしております。


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神崎蓮奈とムカつく眼鏡の戦闘訓練

皆様のおかげで日間ランキング2位になる事が出来ました。

感謝感激雨霰です。


入隊式の日、帰ってこなかった神崎先輩が帰ってきたのは次の日の午後の事だった。青ざめた顔は辛そうではあったが不機嫌そうでは無かった。

 

「顔色悪いですね、神崎先輩。」

「あぁ、烏丸ちゃん。うん、二日酔いで…。頭痛い。」

「水いりますか?」

「うん、欲しい。」

 

そんな神崎先輩達のやり取りを俺は少し離れた場所で見ていた。

 

「二日酔いですか?神崎先輩って高校生じゃなかったでしたっけ?」

 

神崎先輩と烏丸先輩の会話を聞いて休憩していた俺はレイジさんに質問をした。

 

「確かに神崎は高校生だが、あれで21歳だ。3月1日で22歳になる。玉狛にいる戦闘員の中では最年長だな。」

「レイジさんより年上なんですか?」

「まぁ、学年は一つ上になるか。」

「一つ上。」

 

ソファの上で顔色を悪くして横になっている神崎先輩を三雲は見詰めてきた。

 

「どうして高校に通っているんですか?」

「神崎は小学校に通っていないし、中学校も満足には通えていない。それに神崎は元々日本人じゃないからな。話すことは出来ても読むことも書くことも真面に出来なかった。だから年齢に合わない学校に通っているんだ。」

「神崎先輩は何処の人なんですか?」

「元の名前は、確か「レナ・クロイツェル。ロシア人よ。」だそうだ。」

 

水を貰ってそれを飲んでいた神崎先輩が答えた。

 

「どうして名字が違うの?」

 

空閑が神崎先輩を見上げて尋ねてきた。彼女はコップに口を付けて暫く黙っていた。

 

「神崎は私を養子に迎えてくれた人たちの名字よ。」

「養子?」

「私の両親は私が幼いころに亡くなったそうよ。神崎夫婦は私の両親の友人だったらしいわ。」

「何だかあやふやだな。」

「私には彼らとの思い出はないからね。あくまでも聞いた話よ。」

 

空閑は反応を示さない。神崎先輩の言っている事は本当なんだろうか。やがて水を飲み終えた神崎先輩は立ちあがった。薬を探してくると言って部屋を出て行った。

 

「修、修行を再開しようか。」

「はい。」

 

 

 

薬を飲み、頭を抑えた。そして昨日の事を思い出して、小さな舌打ちをした。それから彼女は地下の訓練場へと降りて行った。数台のディスプレイの前に座っていた宇佐美が私の存在に気が付いて顔を上げた。

 

「空いてるところある?」

「えっと、ごめんなさい。全部今使ってるんですよ。」

「そう、スナイパーの部屋は?」

「一番左の部屋です。」

「そう。」

 

私はそう言うとその部屋に入って行った。後ろで宇佐美の制止の声が聞こえるがそれは無視した。出た先は河川敷だった。対岸には浮いた赤い的が目に入る。

 

「神崎?」

「雨取ちゃん、今、時間あるかしら。」

「えっと、あの…。」

 

そう言って雨取は木崎を見上げた。木崎は私の方を見た。

 

「さっき休憩にしたばかりなんだがな。まあいい。外で待ってる。終わったら呼んでくれ。」

「分かったわ。」

 

木崎はそう言って出て行った。私は彼女の隣まで来てスナイパーを構えた。そして的へ撃った。近づいて来た的の中心には綺麗な穴が開いていた。

 

「すごい…。」

「私がこんな風に真ん中に当てられるようになったのはスナイパーライフルを渡されてから半年の頃だったわ。」

「でも、凄いですよ。今はちゃんと真ん中に当たるじゃないですか。」

 

私を褒める雨取の方を向いた。

 

()()じゃ、遅いのよ。」

 

雨取はどういっていいのか分からず視線を彷徨わせていた。

 

「貴女の友達とお兄さん、見つかると良いわね。」

「は、はい。」

 

私はまたスナイパーを構えた。そしてまた的へと撃った。

 

「あの、聞いて良いですか?先輩の事。」

「何が聞きたい?」

「先輩があっちでどう言う風に生きていたのか、とか。」

 

私は的から目を離し、雨取の方を向いた。

 

「あっちに連れていかれた時、最初に殴られたわ。」

「えっ!?」

 

私の一言で雨取は驚いた声を上げた。

 

「どうしてですか?」

「生きたいという思いが無い人にいくら武器を持たせても無駄だもの。だから、痛めつけて生きたいと言う意思が強い奴を選別する。」

「選ばれなかったら、どうなるんですか?」

「大抵は耐えられなくなってその国に従うわ。それでも使えない奴は必ずいる。そんな奴は生かしておくだけ時間の無駄だからトリオン器官を取られて死ぬわ。」

「そんな…。」

 

雨取の顔はすっかり青ざめてしまった。私は彼女の表情を見ていた。

 

「まぁ、私が連れていかれた国は敗戦まじかだったし、国自体が焦っていたという事もあったわね。自国民を守るので精いっぱい。使えない奴らの面倒を見ている暇はない。そんな感じだった。」

「私の友達も、そんなんだったらどうしよう。」

「もし、そんなんだったら…。諦めた方がいいわね。」

 

雨取は目を大きく見開いて私を見てきた。

 

「雨取ちゃん、あっちはね地獄なのよ。」

「地獄…。」

「そう、愛国心も無い、理由も無い。そんな戦争の中で戦争の駒として使われる。それがどれ程辛い事か、貴女にはわからないでしょう?」

「……。」

「諦めて自ら死を選ぶ人もいる。私の様に生き残って尚且つ、自力で帰ってこられたのは本当に奇跡よ。私のブラックトリガーだって元々はこっちから連れていかれた女の子がなったものよ。この子が帰りたいって言ったから、私はここに帰ってきたの。」

「先輩は帰りたいって思わなかったんですか?」

「私は、帰りたいって思うほどの理由が無かった。帰りたいって思うほどの思い出が無かったから。」

 

私はつまれていた土嚢に座った。雨取はずっと立ったままだった。私はポンポンと土嚢を叩いた。雨取は遠慮気味に座った。

 

「貴方達のやろうとしている事は間違っていないわ。貴女のお兄さんやお友達だけじゃない。あっちには沢山の人が助けを待ってる。助けてあげて。」

 

そう言って雨取の頭をポンポンと撫でた。

 

「はい!神崎先輩も力を貸してください。」

「あの眼鏡がもう少し使えるのになったら考えるわ。」

「眼鏡…、神崎先輩は修君の事、嫌いですか?」

「好きでは無いわね。人は身の丈にあった事しかできない。思うのも言うのも簡単よ。それにね、遠征に連れて行ってもらえるのはブラックトリガーとも戦えるであろう人達よ。貴方達は人を殺す覚悟はある?」

「えっ?」

「あっちにいって戦闘に巻き込まれれば、戦うのはあの白髪と同じ人よ。あっちのトリガーには緊急脱出みたいな便利な機能はないし、下手をするとトリガーを使っていた人が死んでしまうかもしれない。」

 

雨取は呆然と私の方を見ている。

 

「それ、は…。」

「あっちは本気で来るわよ。あっちは国の命運がかかっているんだから。」

 

私は座っていた土嚢から立ちあがった。そして上の服を捲り上げた。

 

「ひっ。」

「これが、私が生き残るのに払った代償よ。」

 

私の腹にあるのは穴が開いた時の痕だ。穴を縫われてくっついた痕が残っている。

 

「これ、は…。」

 

それを見た雨取は口元を抑えた。私は捲った上の服を下ろした。

 

「11年前、巻き込まれた戦争でポカやらかしたの。その時の傷よ。」

「あの、失礼ですけど…。良く生きていましたね。」

「えぇ、私も死んだと思ったわ。死ねたと思った。でもね、余計な事をしてくれた近界民がいたのよ。私は結局助かってしまったわ。一年、その近界民の所でお世話になったわ。私の何が気に入ったのか、剣術の指南もしてくれた。だから私は生き残ってしまった。沢山の争いに勝ち残ってしまった。」

「神崎先輩は、死にたいんですか?」

「昔はね。今は、探してくれる人がいるから。」

「探してくれる人?」

「そう、探してくれる人。」

 

私はきっと嬉しそうな笑みを浮かべているんだろう。雨取はパチパチと何回も瞬きをした。

 

「そろそろ木崎ちゃんを呼びに行こうかしら。あぁ、それから。この話は別にあの眼鏡や白髪に話してもいいけど、外では話さないでね。」

「わかりました。」

「じゃあね。」

 

私が訓練室を出ると宇佐美と木崎が何かを話していた。訓練室から出てきた私を見て木崎が入れ替わりに訓練室に入ってきた。私は宇佐美に近付いて行った。そしてディスプレイに映っている映像を見た。ブラックトリガーを使わずに小南と戦っていた。

 

「この近界民、小南が相手して何対何なの?」

「えっと、今の所最高で3対7です。」

「そう、3割しか生き残れてないの。まだまだ駄目ね。」

 

そして真ん中の訓練室から烏丸が出てきた。その後ろに続いて疲れた様子の眼鏡が出てきた。

 

「お疲れ様。」

「神崎先輩、二日酔いは良いんですか?」

「良くないわよ。頭がガンガンする。今、ディスプレイでその眼鏡の戦い見てたんだけど、彼攻撃手じゃなかったの?」

「はい、銃手になりたいそうです。」

「……。彼のトリオン量は銃手になれるほど無かったと思うけど。」

「それでも、本人がそう言っているんです。」

 

私は烏丸から眼鏡に視線を映した。眼鏡は一瞬身構えた。

 

「神崎先輩、俺、これからバイトがあるんですよ。」

「私は中間距離の戦闘は苦手よ。」

「お願いできませんか?」

「だから、中間距離は苦手だって言ってるでしょ。」

「あの、お願いします!」

 

そう言って眼鏡は頭を下げてきた。私は面倒そうに頭に手を当てた。

 

「貴方がやりたいのは銃手?射手?」

「えっと、射手です!」

「射手ね。アステロイド、とかだっけ。」

「はい、そうです。」

「使った事無いのよね。トリオンキューブって。」

「そうなんですか?意外です。」

 

私の呟いた声に烏丸がそう答えた。

 

「トリオンキューブみたいなのはまず見ないから。ボーダーオリジナルみたいなところあるし。宇佐美ちゃん、トリガーある?」

「え、はい。ありますけど。」

 

そう言って宇佐美はキーボードを打った。床から現れたのはいくつかのトリガー。

 

「射手は、アステロイドとバイパーとハウンドが基本だっけ?」

「はい、その他にも合成弾っていうのもあります。」

「それはいいや。眼鏡には扱えないだろうし。私も直ぐに扱える自信ないや。アステロイドは真っ直ぐ飛ぶ奴?」

「そうですけど…。神崎先輩、やる気になってくれたんですね。」

「なってないわよ。私が、この眼鏡で遊ぶだけ。眼鏡、先に訓練室に入りなさい。」

「は、はい。」

 

宇佐美はすごくうれしそうな顔でこちらを見上げてきた。それは何時も無表情な烏丸も一緒だった。

 

「宇佐美、取り敢えず私のトリオンは無限じゃなくてあの眼鏡と同じ量にして。」

 

そして私は訓練室の中に入って行った。眼鏡は直立不動で待っていた。

 

「まず。」

「はい!」

「遊ぼうか。」

「へ?」

「この武器がどんな使い方が出来るのか私は良く知らないもの。トリガー、起動!」

 

隊員服になり、私は右手を見た。

 

「アステロイド。」

 

そう言うとトリオンキューブが出てきた。そのトリオンキューブをどんどん分解していく。それはとても細かくなり、壁にぶつけた。

 

「ふむ、どんどん小さくなるのね。その分威力は弱くなるか。一先ず遊びましょう?眼鏡。ルールは簡単。相手を倒したら勝ち。それでいい?」

「はい!宜しくお願いします。」

「取り敢えず、貴方は貴方のトリガー構成で戦って。私は今アステロイドしかないからそれだけでやるわ。それからトリオン量は無限では無いわ。そこを注意して。」

「はい。」

「いい、この武器ど素人の私に一敗でもしてみなさい。ただの恥じよ。」

「はい…。」

 

眼鏡も戦闘態勢に入った。

 

「では、戦闘開始!」

 

私がそう言うと眼鏡はレイガストを出した。レイガストの盾を眼鏡のトリオン量で割れない。弾は真っ直ぐしか飛ばない。盾を交わして相手に当てる。そして私には盾はない。攻撃は弾をぶつけて相殺するしかない。

 

「アステロイド!」

 

彼のアステロイドは真っ直ぐ私に向かってくる。私はそれを右に走って避ける。今の状況、レイガストと恐らくシールドも持っているであろう彼をどうやって崩すか。右手に持っている盾がやはり邪魔か。一番いいのは置き撃ちか。相手を自分に集中させる。事が大事。

 

私はトリオンキューブを出した。もう少し大きいのがいいが、眼鏡と同量のトリオン量では叶いそうにない。それを眼鏡を中心に扇状に広げた。どんな相手でも攻撃が当たるのを嫌がる。特に最初はそうだ。

 

「アステロイド!」

 

盾だけでは防げない面積の攻撃。それはとても弱い。それでも、今の私には当てる事が重要。トリオン量は無限ルールではない。削れば削るほど意味が出て来る。眼鏡はレイガストとシールドを併用して弾を防いだ。私は眼鏡の後ろに回り込む。そしてトリオンキューブを出した。そしてそれをそのまま置いた。私は眼鏡に向かって走った。

 

「アステロイド!」

 

眼鏡が放ったアステロイドをジャンプして躱す。そのまま眼鏡の後ろを取る。眼鏡はアステロイドを防ぐためにレイガストかシールドをアステロイドの方に向けなければならない。相手に後ろを取られてそのままにしておくことはないだろう。しかし、彼はこちらを向かなかった。彼はシールドで相殺できないと思ったのかレイガストをアステロイドに向けたままだ。彼は体を90度こちらに向けた。左手にはアステロイドがある。私があのアステロイドを放つまで次のアステロイドを放てない。

 

「アステロイド!」

 

私はそのアステロイドを野球選手のホームベースに飛び込む時のように姿勢を低くして前に飛んだ。私の上すれすれをアステロイドが飛んでいく。背中を少し掠ってしまったようだ。背中からトリオンが溢れる。私はそのまま自分の体を眼鏡のレイガストへあてた。私の体重を支えられなかったレイガストは眼鏡の頭をカバーしきれなくなった。

 

「アステロイド!」

 

置いてあったアステロイドが眼鏡の顔面めがけて飛んでいく。眼鏡はシールドでそれをガードした。手をついて私は眼鏡の足を払った。

 

「うわ!」

 

私は素早く立ち上がりトリオンキューブを出した。仰向けに倒れた眼鏡はガードしようとレイガストを前に出した。私はそれを蹴り上げた。レイガストが衝撃で眼鏡の手から離れた。

 

「アステロイド!」

 

私は眼鏡の上半身を狙ってアステロイドを撃った。眼鏡はシールドで防御したがシールドは割れてしまった。私はそのまま眼鏡の首を力一杯踏みつけた。

 

『トリオン体活動限界。』

 

そう音声が流れる。私は眼鏡の首から足を離した。

 

「はあ、やっぱりダメね。最後は格闘みたくなっちゃった。」

 

眼鏡は何回も自分の首が繋がっている事を確認していた。

 

「大丈夫?」

「は、はい…。」

「私、貴方と同じトリオン量で戦闘してたんだけどね。」

「そうだったんですか?」

「うん、私が貴方に教えてあげられる事が一つだって事がよく分かったよ。」

「なんですか?」

「トリオン器官の鍛え方。まあ、一朝一夕でどうにかなるものじゃないからランク戦の時に結果が出てるとは思えないけど。戦闘はやっぱり烏丸ちゃんに教えてもらいなよ。私には中距離は向かないみたい。」

「は、はい。」

「それじゃあ、烏丸ちゃんからメニューもらってるんでしょ?取り敢えず、それやりなよ。」

 

私は訓練室から立ち去ろうとした。

 

「あの、ありがとうございました!」

 

眼鏡がそう言って頭を下げていた。

 

「お兄さんとお友達の事、本当に期待しない方がいいわ。どこの国に攫われたとか、探し出すのは至難の技よ。」

「でも、見つかるといいわね。」

「ありがとうございます!」

 

眼鏡はもう一度大きな声で礼を言ってきた。私はそれだけ言って訓練室を出た。

 

「お疲れ様です、神崎先輩。最後のえげつなかったですね。」

「宇佐美ちゃん、いくら私でもあれだけのハンデがあると手段を選んでられないわ。」

「神崎は本当にアステロイドを使うの初めてだったの?」

 

白髪が私にそう言った。どうやら私の戦闘を小南と一緒に見ていたみたいだ。

 

「初めてよ。銃なら使った事あるけど、ああいうのは初めてね。」

 

そう言うとふぅんとあまり興味がなさそうな返事が返ってくる。

 

「そうそう、その神崎っていうのやめてくれる?私、年上よ。」

「じゃあ、神崎先輩?」

「まあ、それでいいわ。」

「神崎先輩。」

「ん?」

「うちのオサムがお世話になります。」

「そんなに世話するつもりはないわ。ただ、私の時と違って探してくれる人がいるんだもの。お友達とお兄さんには助かって欲しいだけよ。」

 

私は目を伏せてそう言った。




お疲れ様です。

嬉しかったので急いで書き上げました。


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神崎蓮奈と対策会議

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これからも精進いたします。


「神崎。」

「風間ちゃん!相変わらず小っちゃくて可愛いわね。」

 

私はそう言って10cm程小さい風間の頭を撫でた。彼は不機嫌そうな表情を浮かべた。

 

「ちゃん付けはこの際もう良い。頭を撫でるのは止めろ。」

 

私が頭を撫でるのを辞めると風間と一緒に歩き出した。

 

「神崎は聞いたか?」

「大規模侵攻の事?聞いたわよ。私は一回目の時がどんなだったか知らないけど、それよりも被害が大きくなるかもしれないんでしょう?大変ねぇ。」

「随分他人事だな。」

「そうね、他人事だもの。私にとっては殆ど他人事。」

 

後ろで腕を組みながらそう言った。今日の風間は私服だ。いつものあの青いジャージな戦闘服ではない。廊下をカツカツと歩いている。今は城戸さんに呼ばれてその大規模侵攻の対策をする会議に呼ばれているのだ。

 

「三輪ちゃん?」

「神崎さん、風間さん。」

 

私達の前には少しやつれて見える三輪秀次がいた。目の下には隈を作り、頭が少しぼさぼさのように感じる。

 

「どうしたの、三輪ちゃん。大丈夫?」

 

私は三輪の顔に手を当てた。そして隈を撫でた。

 

「隈も出来てる。寝てないの?」

「大丈夫です。」

「大丈夫そうには見えないわよ。今日の会議は休んだら?ねぇ、風間ちゃん。」

 

私は隣にいた風間に同意を求めた。風間もうなずいてくれた。

 

「あぁ、あまり無理をしない方が良い。城戸司令には俺から言っておこう。」

「風間ちゃんもこう言ってるし、会議が終わったら相談に乗ってあげるから。それまでは大人しく仮眠室で寝てなさい。」

 

ポンポンと三輪の頭を撫でると嫌だったみたいで手を払われた。

 

「三輪ちゃん、一つお姉さんからアドバイスあげる。」

「いりません。」

「良いから聞きなさいって。」

「……。」

「貴方の思っている事は当然私の中にもあるわ。こちらには私が持っている知識も未来予知もある。でもそれは完璧では無いわ。だから、彼から情報を貰うのよ。そうすればこちらが磐石な姿勢をとる事が出来る。近界民(あれ)はそう言う意味で飼われている。そう思えば幾分か心が楽でしょ?このまま飼い殺せばいいのよ。」

 

私はそう言って三輪に対して笑みを浮かべた。三輪は少しだけ驚いた顔をした。

 

「そんな顔されるなんて心外だわ。」

「意外だったので。」

「切り替えの早さは大切なのよ。」

 

三輪は眉間に皺をよせた。私は三輪の横を通ってそのまま会議室へと歩き出した。

 

「神崎さん、アンタは近界民が憎くないのか?」

「私の復讐は済んでるもの。でも、私の大切なモノに手を出すなら、死ぬより辛い目に合わせるわ。」

「そう、ですか。」

 

三輪はそう言うとフラフラと私達は逆の方を歩いて行った。

 

「お前の復讐は恐ろしそうだ。」

「恐ろしくない復讐なんて、あるのかしら。」

 

風間の呟きに私はそう問うた。風間はフッとそれを鼻で笑った。

 

「そうだな。」

「そうでしょう?」

 

会議室につくと城戸さんと忍田さん、林道さんがいたが、今回の報告のメインとなった人間がいなかった。

 

「城戸司令、三輪が体調不良で今回の会議は欠席するそうです。」

「そうか。」

 

城戸さんは何やら沢山のディスプレイを見詰めていた。そこには誰かとあの白髪がいた。白髪の隊服は何故か他のと違い黒かった。あ、でも。この前も隊服が黒かったかもしれない。

 

「あれが空閑の息子か?」

 

空閑の息子?城戸さんと近界民の親は知り合いなのだろうか。私は心の中でそう考えていた。

 

「そう、空閑遊真。中々の腕でしょう。」

 

彼は近界民だ。どう考えたって戦闘訓練を受けていない一般人に比べれば見栄えしてしまうのは当然だ。彼と当たってしまった一般人に私あ心の中で合掌した。ナムナム。

 

「神崎、お前はどう思う。」

「近界民の中では腕は立つ方だと思います。ですが、十二分に殺せる弱さです。」

 

そう言うと忍田さんがこちらを睨んできた。私は腕を後ろに組んで忍田さんから視線を逸らした。何故私は睨まれているんだろう。思った事を言っただけなのに。

 

「風間は、お前の目から見てどう思う。」

「まだC級なので確実な事は言えませんが、明らかに戦いなれた動きです。戦闘用トリガーを使えば、恐らくマスターレベルの実力はあるでしょう。」

「8000か。それなら一般のC級と同じにしたのはまずかったかもしれないな。初めから3000ポイントくらいにして早めにB級に上がらせるべきだった。確か、木虎は3600ポイントスタートだったろ?」

「そうしたかったけど、城戸さんに文句言われそうだったからなぁ。」

 

彼らの信頼関係がなせる業だろう。もう、信頼関係があるのかはわからない。それでも付き合いが長いからそう言ったお道化た言い方が城戸さんの前で出来るのだろう。林道支部長は煙草を弄りながらそう言っていた。

 

「奴は何故ブラックトリガーを使わない?昇格したいのならS級になるのが一番手っ取り早いだろう。」

 

確かにそうだ。だが、S級では彼らのやりたい事は出来ないだろう。

 

「またまたぁ。アイツがブラックトリガー使ったら難癖付けて取り上げる気満々の癖に。『入隊は許可したが、ブラックトリガーの使用は許可していない。』ってさ。」

「先日、訓練場の壁に穴を開けたのも玉狛の新人だそうだな。たしか『雨取千佳』。神崎、お前はその場にいたらしいな。」

「はい、いました。」

「あの子はトリオンが強すぎてね。いずれ必ず戦力になるから大目に見てやってよ。兄さんと友達が近界民に攫われて遠征部隊選抜を目指している。遊真ともう一人のチームメイト修はそれに力を貸しているんだ。」

「神崎、それは本当か?」

「本当の様です。一応、助けられる見込みは薄いと釘はさしているのですが…。」

 

私は城戸さんにそう言った。

 

「そうか。」

「神崎、君は彼らに助けに行くのは止めろ、とそう言ったのか?」

「そうは言ってません。ただ、あちらの現実を教えてあげただけです。彼らが思っている以上に、世界は残酷だと。」

 

忍田さんの問いに私は静かに答えた。私が誰よりも知っている。私の前にいる大人達よりも。目の前の大人たちが知らないとは言わない。けれど彼らは、最初近界民と手を取る事を取った。沢山の国があるから探しに行くのは困難だと、彼らは今までの犠牲に目を瞑ったのだ。そのせいで、如月有紀は死んだ。きっと彼らは私が行方を暗ませると探しはするだろう。でも、最後まで探すことはしないだろう。

私を探してくれるのは、あの二人だけだ。あの二人だけ。あの二人が私に孤独を与えた。一人でいる事に慣れ切った私に、一人でいる事の寂しさに意味を与えた。それから私は孤独が酷く恐ろしいものになった。恐ろしいものなのだと改めて思い知らされた。あの二人がいなくなったらと思うと足が竦みそうだ。

 

「神崎、大丈夫か?」

「大丈夫よ、風間ちゃん。」

 

心配そう、なのか分からないが風間がこちらを見てそう尋ねてきた。

 

「でもまぁ、何か目的があった方がやる気出るでしょう?救出だろうが、復讐だろうが。な、蒼也?」

「三輪辺りはそうでしょう。自分は別に兄の復讐をしようとは考えていません。」

 

兄…。

風間にはどうやら兄がいたらしい。そしてその兄は近界民に殺されてしまったらしい。

 

「お、遠征で少し価値観変わった?」

「自分は何も今までと変わりません。」

 

風間はそう言いきった。

 

「神崎は、どう思ってる?」

「私は、近界民がどうなろうと人間がどうなろうと知った事ではありません。滅びるなら勝手に滅びればいい。私は近界民と言う種族にも人間という種族にも特に思い入れはありませんから。」

「相変わらず、冷たいね。神崎は。」

 

林道さんは煙草を咥えながらそう言った。私の価値観は最早、変わる事は無いだろう。人の性格は生まれてきた時では無く、育った環境が作り上げるらしい。私の育った環境がそう言った物だった。ただ、それだけの事だ。後ろのドアが開き、入ってきたのは自称実力派エリートだった。

 

「どもども、遅くなってすみません。実力派エリートです。」

 

私達はそれぞれの席についた。

 

「ようし、揃ったな。では本題に入ろう。今回の議題は近く起こると予測される近界民の大規模侵攻についてだ。まずは、事の発端何だが、迅。」

「はいはい。」

 

そんな感じで会議が始まった。どうやら迅の未来予知で人が襲われたり、殺されたりした未来を見たらしい。それが一般人や隊員に見えた。だから大規模な侵攻があるだろう、という事だそうだ。

 

「襲ってくる国については、神崎。」

「はい、私が遠征に行っていた間に起こった事は資料で見ました。ラッドを使った偵察は何処の国でもやる事です。しかし、もしイルガーを放った国と同一の国ならば相手は確実にこちらの戦力をはかりに来ていたと思われます。相手はどうやら確実に次の侵攻を成功させたいと言う執念みたいなものを感じます。今まで三門市に来ていた近界民とは切り離して考え対策すべきだと思います。襲ってくる国については申し訳ありません。イルガーを所持している国は決して多くないのですが、私には見当をつける術を持ち合わせておりません。なので、ブラックトリガー持ちの近界民に聞いてみてはいかがでしょうか?」

 

私がそう提案すると城戸さんは眉を顰めた。

 

「…空閑、か…。」

「はい、少なくとも私よりは情報を持っている可能性があります。」

「分かった。神崎、空閑を呼んで来い。C級のランク戦ブースにいる。そろそろ鬼怒田開発室長もこちらにくるだろう。大会議室に案内してくれ。」

「神崎、了解。」

 

私はそう言って会議室を出て行った。ランク戦のブースにつくと何やら騒がしい。辺りを見渡した。電光掲示板には白髪と緑川が戦っていた結果が映し出されていた。8対2。最初の二回だけ。恐らくわざと勝たされたのだろう。

 

「空閑遊真。」

「お、神崎さんじゃないっすか。神崎さんも個人戦しに来たんすか?」

 

白髪の近くにいた米屋がそう尋ねてきた。

 

「空閑遊真、城戸司令がお呼びよ。ついて来て貰えるかしら。」

「?それって行かなきゃダメ?」

「別に来なくてもいいわ。城戸指令の命令を無視できるだけの正当な理由があれば。」

「あのどうして城戸指令が空閑を?」

「君の問いに答えなければならない理由を私は持ってないわ。それで、来るの?来ないの?」

「……わかった、行く。」

 

あまり納得がいっていないようだったが、白髪は行くと言った。

 

「その返事が聞けて良かったわ。」

「あの、僕もついて行っていいですか?」

「さぁ、私がつれて来いって言われたのは白髪だけだから。君についての指示は受けてない。着いてくれのは勝手だけど、怒られると思うわよ。」

「俺もついて行くぞ!」

 

今気が付いた。カピバラと陽太郎もいたようだ。

 

「好きになさい。」

「うむ、好きにするぞ。」

 

私達は何やら注目を浴びながら訓練室を出て行った。

 

「ねぇ、神崎先輩って『戦死者を選定する女(ヴァルキュリア)』なの?」

「そう呼ばれるのは久しぶりね。」

「ふぅん、だからあんなに強かったんだ。」

「強い?私が?まさか。私は強くないわ。トリガーの性能が少し特殊だから攻略が難しいだけ。私は強くないわ。」

「でも、その特殊な性能のトリガーを使いこなしてるじゃん。」

「詰る所、何が言いたいの?」

「お姉さんの懐柔?」

 

素直にそう言う彼に私は声を上げて笑った。

 

「無理無理、貴方には私の懐柔は出来ないわ。」

「どうして?」

「私は貴方を貴方として見ていないからよ。」

 

そう言うと彼は理解出来なかったようで首を傾げた。後ろの眼鏡も陽太郎もわからないでしょうと言う顔をした。

 

「私はね、小南ちゃん達皆を人間として見てるわ。」

「?」

「つまりね、人間という種族の小南と言う名前の女。人間という種族の烏丸と言う名の男。私は人間という種族として見ていても、小南個人を見ていない。個人を見なければ何を言われても響かない。同族意識を持つことはない。」

「小南先輩たちを信用してないって事?」

「そうとは違うわね。小南ちゃんの戦闘技術も信用しているし、小南ちゃんの性格も可愛いと思うわ。ただ、一生無償の信頼はしない。絵に感動を覚えても絵と同じになりたいとは思わないでしょ。」

「それって辛くないの?」

「辛くないわ。当たり前の事を辛いなんて思わないでしょ?まぁ、時々絵の方が私を絵の中へ引きずり込もうとしてくるから困るんだけどね。」

 

白髪はどうも納得がいないと言った表情で私を見上げていた。しかし、この白髪は身長が低い。約30cm近くの身長差がある。年は15歳らしいが、明らかに成長不良だ。エレベーターを乗って上の階へ上がる。そして一つの扉の前で止まる。

 

「遅れて申し訳ありません、連れて参りました。」

「おお、やっと来たか!」

「時間が惜しい、始めてくれ。」

 

入ってきて早々に城戸さんがそう言った。こうして対策会議が始まった。




お疲れ様でした。

感想お待ちしております。


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神崎蓮奈の侵食支配

学校の授業と言うのには大分慣れた。昔はこんな横に大きな窓が開いている事が落ち着かなかった。いつ狙撃が行われるか分からない。そんな不安で全然集中できなかった。今は学校いう空間にも慣れ、落ち着いて授業が受けられている。私の席は比較的前の方。同じクラスの裕子の席は後ろの方。高校に入ってからずっと同じクラスだが、席が隣になった事は無かった。

 

 

 

 

私は先日の事を思い出した。近界の惑星国家の軌道配置図。とても多くの国がそこには浮かび上がっていた。私はあの国の間を行ったり来たりしていたのか。そう思いながら配置図を見ていた。

 

「それだったら、確率が高いのはアフトクラトルかキオンだな。イルガー使う国ってあんまないし。」

「神崎の情報通りか。」

「アフト、クラトル。」

 

懐かしい名前だ。あの角付きのいる国。私はそっと自分の腹に手を当てた。私はアフトクラトルを撃てるだろうか。命の恩人のいる国を。撃ちとれるだろうか。いや、撃ちとらねばならない。そうで無ければ、私は大切なモノを守れない。自らの手を穢す覚悟。大丈夫、私の手はもう気にする事など何もないほど穢れている。

 

「っていうか、そう言うの迅さんサイドエフェクトで分からないの?どこが攻めてくれかとか?」

「俺はあった事も無い奴の未来は分からないよ。」

「ふむ、なるほど。」

「今は兎も角、その二国が相手だと仮定して話を進めよう。次に知りたいのは相手の戦力と戦術、特に重要なのはブラックトリガーがいるかどうかだ。」

 

城戸司令が尋ねるとレプリカと呼ばれた浮遊物が答えた。

 

「我々がその二国に滞在したのは7年以上前なので現在の状況とは異なるかもしれないが、私の記録では当時キオンには6個。アフトクラトルには13本のブラックトリガーが存在した。」

「じゅう、13本!?」

「神崎。」

「私はアフトクラトルに滞在したことはありますが、キオンには滞在した事はありません。それに滞在したのはもう10年以上前です。」

「構わん。」

「アフトクラトルのブラックトリガーは10本以上あった事は記憶しています。詳しい事はあまり…。」

「そうか。」

 

城戸さんは恐らくレプリカの言っている事と私の知っている事をすり合わせているのだろう。それからレプリカはブラックトリガーが遠征に来るかどうかなどを話した。

 

 

 

「蓮奈?」

「ん?何?」

「何?じゃなくて、もう。なんか学校始まってから呆けてること多いけど、何かあったの?」

「ボーダーの事でちょっとね。」

 

そう言うと刈谷裕子は不満げな顔をした。

 

「ボーダーかぁ。私じゃ話聞いてあげられないじゃない。」

「ありがとう、裕子。心配かけてごめんね。」

「良いのよ、親友の心配をするのは当たり前なんだから。私も早くボーダーに入りたいなぁ。」

 

私は思う。あそこには入らない方がいいと。でも、彼女には三輪と似たような信念がある。刈谷裕子は言わないが、近界民を恨んでいる。それに一度は殺されかけた。

現在、私達は屋上でお昼を食べている。中学校の時とは違い屋上への出入りは自由だ。

 

「あ、神崎さん。刈谷さん」

「犬飼ちゃん。何だか久しぶりだね。そんなに離れた所にいると寂しいなぁ、辻ちゃん。」

 

昨日、木崎が必死に餃子を作っていた。大きな机一面に餃子を。宇佐美が食べきれないからお弁当に入れてくれた。

 

「こんにちは、犬飼。辻君。」

 

刈谷裕子も彼らに挨拶をした。犬飼は手を振るが辻は相変わらず少し離れた場所でこちらを見ている。

 

「一緒に食べる?」

「じゃあ、お邪魔しようかな。ほら、辻ちゃんも早くおいでよ。」

「いや、俺は…。」

 

私が手招きをするので渋々と言った様子でこちらまで来てくれた。

 

「辻君って本当、残念なイケメンよね。」

「残念…。」

 

残念なイケメンと言う言葉は意外にも辻の中に響いてしまったらしい。

 

「うん、普通に女の子と話せたら絶対モテると思うんだけど。」

「と言うより、女の子と話せなくてどぎまぎしてる辻ちゃんが可愛い。」

「神崎さん、それ褒めてる?」

「勿論。」

 

私の可愛いは何だか最近生駒並みに疑われ始めてしまったらしい。可愛いものに可愛いと言っているだけなのだが。生駒並みに乱発しているつもりはない。恐らく私と生駒が同じ言葉をよく使うので皆混乱してしまっているんだ。と、勝手に思っている。

 

「神崎さんと刈谷さんは仲良いよね。何時も一緒に居るイメージ。」

「ふふふ。何?犬飼、羨ましいの?駄目よ。蓮奈は私のなんだから。」

 

お弁当を持った私に裕子が抱き付いて来た。

 

「うわ、もう。危ないじゃない。」

「お弁当なら、私が食べさせてあげる。あーん。」

 

と、刈谷裕子が私に自分のお弁当に入っていた卵焼きを差し出してきた。ここで私が何をしたって彼女は引かないのを知っている。なので口を開けて彼女の卵焼きを食べた。彼女の家の、と言うより彼女の手作りのお弁当は何時も美味しそうだ。

 

「どう?」

「今日も美味しい。」

「ふふ、愛情が詰まってるからね。」

 

刈谷裕子はそう得意げに言う。そしてそんな私達の様子を見て辻は顔を真っ赤にしていた。どうやら彼には刺激が強すぎたらしい。

 

「本当、君達って百合百合しいよね。そう言う関係じゃないよね。」

「ゆりゆりしい?あぁ、知ってる犬飼ちゃん。レズビアンと百合は違うのよ。」

「どういう意味?」

「『レズは一人でもレズだけど、百合は二人いるのを外から見て決めるもの。本人たちが如何思っているかはともかく、外から見て初めて百合は百合になる』らしいわよ。」

「つまり?」

「私達の行いが犬飼ちゃんから見ていくら百合に見えてもそこに私達の思っている事が含まれていない。私達にとってはただのスキンシップかもしれないでしょ?レズには愛情が必要。百合には不必要って事。」

 

私は刈谷裕子から貰った卵焼きを食べながらそう言った。刈谷裕子の作る卵焼きは甘い卵焼きだ。甘いものが好きな私には丁度いい甘さだ。嬉しそうな顔で私が卵焼きを食べているのをいつもニコニコしながら刈谷裕子が見つがる。

 

「今日はお弁当手作りじゃないのね。」

「うん、今日は一緒に住んでる木崎レイジっていう男の子が昨日、大きな机一面に餃子を作ってね、それの余りがお弁当に入ってるの。」

「木崎、レイジさん。ふぅん。」

「どうしたの?」

「うぅん、何でもない。」

 

犬飼が刈谷さんに何やらこそこそと話している。

 

 

「刈谷さんってさ、もしかしてさ。」

「まぁ、否定はしないわ。」

「あぁ、じゃあ片想いなんだ。」

「えぇ、長いこと片思いしてるわよ。私の親友は愛されることになれてないのよ。」

「付き合い長いの?」

「中学校二年生の後半からよ。」

 

「ねぇ、神崎さん。刈谷さんとの出会いってどんななの?」

 

こそこそ話をしていたと思ったら急に犬飼がそう尋ねてきた。

 

「裕子との出会い?入った中学校の席が隣同士だったのが出会いよ。」

「ふぅん。運命の出会いだ。」

「そうね、本当に裕子に出会えてよかったと思っているわ。」

 

私がそう言うと裕子がまた飛びついて来た。

 

「もう、だから危ないって言ってるじゃない。」

「だって嬉しいんだもん。愛してる!」

「はいはい、私も愛してる。」

「何か適当じゃない?」

「そんな事無い、そんな事無い。」

 

そう言うと刈谷裕子は少しむくれてしまった。私に抱き付いたまま裕子は私の胸に顔を埋めた。

 

「あ、ちょっともう。くすぐったいわ。」

 

昔と比べて髪を短く切った刈谷裕子。その髪が首筋を擽る。

 

「このこのぉ。」

「もう、止めて。本当に、くすぐったいの。」

 

到頭、辻君は首だけでは無く体ごと逸らされていた。

 

「俺もやってあげようか、辻ちゃん?」

「絶対、止めて下さい。」

「そこまで言わなくてもいいじゃん。」

 

そんな時だった。けたたましいサイレンが鳴った。私に抱き付いていた裕子が強く制服を握った。私は裕子の頭に手を置いた。そしてゆっくりと頭を撫でた。それでも裕子の制服を掴む手が緩むことはなかった。

 

「神崎さんはどうする?緊急招集みたいだけど。」

「私は直ぐに行くわ。犬飼ちゃんは二宮ちゃんの所に行くのかしら。」

「まぁ、そうだね。チームはそろった方がいいでしょ。」

「裕子、私行きたいんだけど。」

 

それでも刈谷裕子は離さなかった。

 

「蓮奈は、兄さんみたいに死なないよね。」

 

消えそうな声で刈谷裕子は尋ねてきた。

 

「大丈夫、私とっても強いのよ。」

 

刈谷裕子はそっと体を離した。刈谷裕子の手が私の頬を包む。

 

「ゆう、ん…。」

 

私の思考は完全に落ちた。キスした事もされた事もあった。それは異性であって同性にキスされたのは初めてだ。私は驚きのあまり大きく目を見開いた。そしてその様子を見ているであろう犬飼たちは何も言う事は無かった。刈谷裕子はゆっくりと離れるとお弁当を急いで片付けてそのまま屋上から出て行った。

 

「い、いいいいいいい犬飼先輩!お、おおおお女の子、同士で。」

 

辻はそれから先の言葉が出て来なかった。先程も顔を赤くしていたが今はそれ以上に真っ赤にしていた。耳まで染めた辻はもう、倒れるのではないかと言うくらい動揺していた。そして私にはそんな辻を宥められないほど混乱していた。

 

「犬飼ちゃん。」

「何?」

「私、女の子にキスされたの初めて。」

「俺も、女の子が女の子にキスするの初めて見た。」

 

私は顔を抑えた。完全なる不意打ちだ。これは今まであったどんな敵の攻撃より動揺し、混乱した。混乱が解けるにつれてブワッと顔に熱が上がる。ドキドキと心臓が激しく高鳴った。

 

これはきっとあれだ。これから戦地へ赴く者が戦いに興奮するてきな、吊り橋効果的な。

私はよろよろと立ちあがった。

 

「神崎さん、大丈夫?」

「まぁ、なんとか。私は取り敢えず警戒区域に行くよ。またね、犬飼ちゃん、辻ちゃん。」

 

そう言って私は屋上から出て行った。

 

「辻ちゃん、何時まで固まってるの?」

「……。」

「今日の辻ちゃん、使えないかも。二宮さんに言っとかないと。」

 

犬飼は辻を引っ張って屋上から出て行った。

 

 

 

 

 

 

屋上伝いにピョンピョンと飛び跳ねながら私は本部の方へ向かっていた。

 

「忍田さん、私はどうしたらいい?」

「神崎はこのまま東地区に向かってくれ。」

「神崎、了解。」

 

私は剣を一本取り出し、見えたトリオン兵から切って行った。切った場所から黒く変色する。そしてそれはやがて中枢にある命令が刷り込まれている器官を侵す。そうなれば、トリオン兵は使い物にならなくなる。動けなくなったトリオン兵はそのまま侵食され、私のトリオンとして還元される。

 

「忍田さん、一応、真っ黒くなって落ちているトリオン兵には触らない様に言っといてね。動かない事は保障するから。」

「分かった。伝えておこう。」

 

私は仮面の左側で辺りを見た。所々白い塊がある。さて、このまま本部の方へ向かってみるか。それにしても私のトリガーは確固撃破が得意であって数で押し切られても知らないぞ。私は大きな溜息を付いた。

 

「仕方ない、()()()()()で行こうか。」

 

私はそう言うともう一本剣を出した。さて、やろうか。この4年間、味わう機会が失われてしまった敵を倒した時の高揚感。敵が浮かべる絶望。私は大きく深呼吸をした。気持ちを落ち着けなくては。この高揚感は油断を生む。

 

「うわああああああ!」

 

と、誰かの叫び声が聞こえてきた。誰の叫び声だろうか。しかし、仕方ない。行くしかないだろう。叫びの現況を見に行くとぐったりとして担がれている笹森、それを支えている堤。そして兎の様なトリオン兵に掴まっている諏訪。

 

「ラービット?これは良いのを見つけた。」

 

私は仲間である諏訪が掴まっている事の焦りより、使えそうなトリオン兵を見つけた事の方が今の私にとって重要だった。折角出した剣を仕舞った。そして取り出したのは貫通力のあるライフル。ラービットの耳がピコピコと動いた。恐らく、私を感知したのだろう。

 

「でも、ダメね。」

 

ラービットは咄嗟に口を閉じた。しかし、口を貫通し弱点が破壊される。掴まっていた諏訪が放たれる。

 

「ダサいわね、諏訪ちゃん。」

「あぁ!?って、お前、神崎か?」

 

私は仮面を外した。

 

「はぁい。」

「神崎先輩!ありがとうございます。助かりました。」

 

そういうのは素直でかわいい笹森。

 

「良いのよ、笹森ちゃん。」

 

そう言う私の後ろでラービットが立ちあがった。

 

「なっ!?」

 

諏訪が急いでショットガンを構えた。私はラービットの方を向いてその未だ白いボディを撫でた。撫でた場所は黒ずむ。ラービットは次第に黒くなり、完全に真っ黒になった。私はその個体に短いキスをした。

 

「さぁ、始めましょう。楽しい、楽しい、()()()の時間よ。」

 

私はうっとりとそのラービットを見上げるのだった。




お疲れ様でした。

感想お待ちしております。


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神崎蓮奈はペットを飼いたい

ラービットの肩のような部分に座り、私は家の屋上から辺りを見渡した。

 

「あれは、東さん?」

 

また、ラービットだ。私はラービットから降りた。

 

「行けるでしょう?」

 

ラービットは私の言葉を聞いて白いラービットの方へ走って行った。それはまるで獣の様だ。機械であるはずなのにそれは呻き声のようなものを上げている。そして東の近くにいたラービットに噛みついた。噛みつかれたラービットは激しく抵抗する。それでも組み付いたラービットは離さない。

『共食い』。私はこの光景をそう名付けた。的は射ていると思う。トリオン兵がトリオン兵を喰う。そして喰われたトリオン兵はまた、別のトリオン兵を喰う。戦争が終われば、トリオンを私に還元すればいい話だ。ネズミ算式に自分の仲間が増えて行く。ただ、増やし過ぎればコントロールするのは難しい。味方が私以外なら私以外を喰えと言えば済む話なのだが、今は味方が多い。それだけが少し厄介な所だ。

 

「東さん。」

「神崎。この状況を作ったのはお前か?」

「そうよ。あぁ、もう終わったか。私次の所行くね。東さん、気を付けてね。」

 

私は二体になったラービットを引き連れて、また家の上に飛んだ。新しく来たラービットはどうやら相当なダメージが入っていたらしい。

 

「安心して、治してあげるから。」

 

私がラービットの傷を撫でると傷は綺麗に塞がった。そしてそれは先程撃ち抜いたラービットにも行った。ラービットは私を持ち上げると肩に私を乗せた。

 

「さぁ、次は何処に行こうかしら。」

 

ラービットは屋根伝いにピョンピョンと跳ねながらライフルでトリオン兵を撃って行く。自分で走らなくていい分これは楽だ。

 

そんな様子をスクリーンで観ている存在達がいた。

 

「おいおい。こりゃ、どういう事だ?ラービットが盗まれてんじゃねぇか。」

 

真っ黒な髪の青年がそう言う。その声音に焦りはない。どこか楽しげだった。

 

「ミラ、これは。」

「トリオン反応からブラックトリガーだと思われます。」

 

ミラと呼ばれた女性に尋ねた男がそうかと答えた。。映像には次々とトリオン兵を撃ち落とす女性の姿が映し出されている。その狙撃は正確で今まで一発も外していない。それは最早作業と化していた。相手にもならないと言った感じの騎士の女性をそこにいる6人が観ていた。

 

「これは…。」

「お、ヴィザ翁。何かご存知か?」

「いやはや懐かしい。エリン公の屋敷で会ったのが最後でしたな。」

 

ヴィザ翁と呼ばれた老人がそう言った。その言葉に遠征の指揮官は表情は崩さずヴィザを見た。

 

「彼女は恐らく『戦死者を選定する女(ヴァルキュリア)』でしょう。もう十年以上会っていませんが、立派な女性に成長したようですな。」

 

ヴィザは懐かしそうにそう言った。自分の二分の一の身長もなかった金色の髪の少女。瀕死の重傷だったが、何故か救われた少女。エリン公が何を考えていたのか、ヴィザが知る由もない。ヴィザの向かいに座っているヒュースも彼女を見ていた。

ヒュースは無自覚に眉を顰めた。彼には想像がつかなかった。目が覚めてからいつも泣いていた。飽きもせず一人の少女を守れなかった事を悔い、泣いていた少女が目の前の彼女なのだと。確かにあの少女がいなくなってから戦死者を選定する女(ヴァルキュリア)の噂を聞く様になった。それでもあの優しく笑みを浮かべる少女がルークスの悲劇を起こしたなんて、考えられなかった。考えたくなかった。

 

戦死者を選定する女(ヴァルキュリア)だと?あれは死んだんじゃなかったのか?」

 

確かに彼女は四年前から目撃証言が無くなり、死んだと思われていた。

 

「恐らく、玄界にいたのでしょう。これは、厄介な相手がいたものですねぇ。」

戦死者を選定する女(ヴァルキュリア)が相手にいるとなればこちらも出し惜しみは出来まい。なあ、兄…隊長。」

「あぁ、『金の雛鳥』は必ず回収する。それから『戦死者を選定する女(ヴァルキュリア)』は回収若しくは排除しろ。あれは、玄界には置いておけない。」

 

戦争に散々利用された彼女には大きな心の傷があった。泣くことしかしない彼女が嫌いだった。でも、本当は泣き止んで欲しかったんだ。幼かった彼にはいい方法が思いつかなかった。しかし、最後には結局彼が彼女の涙を止めたのだ。池に咲いていた黄蓮という花。彼女の金色の髪よりは淡いクリーム色だったが、それでも彼女の様な蓮の花を池に入りびしょ濡れになりながら摘み、彼女に渡すと彼女は笑ってくれた。

 

『ありがとう。』

 

綺麗な眉を八の字に曲げてお礼を言う彼女。姉と慕った彼女。彼は机の下でギュッと手を握った。彼女が戦死者を選定する女(ヴァルキュリア)だと決まった訳ではないが、もし彼女なら彼女を戦争に利用する玄界を許せない。あの蓮の花の様な彼女を取り戻すのだ。この手で。

 

 

 

 

 

 

 

 

「神崎、お前はこのまま東地区のトリオン兵を倒してくれ。」

「神崎、了解。」

 

詰まらないことになった。敵が弱すぎる。もう少し歯ごたえのある敵が欲しい。ラービットも大分増えてきた。しかし、B級のチームが合同で全員南地区に行ってくれたおかげで味方の心配をする必要がほとんどなくなった。こちらに残っているのは風間隊だったか。諏訪隊も南へ向かった事だろう。

 

「さて、本格的に遊びましょう?」

 

5体にまで増えたラービットが前方へと走って行った。その内の一体が空を見上げた。私も同じ様に空を見上げた。そして目を細めた。イルガーが3体。

 

「忍田さん、何とかなりそう?」

 

しかし、ノイズ音が鳴るだけで応答はない。私は大きな溜息を付いた。持っていたライフルを仕舞った。そして自分の身丈と同じくらいのアンチマテリアルライフルを取り出した。

 

「これ、結構トリオン持ってかれるのよね。」

 

私は家の上で寝そべった。バイポッドを立てスコープを覗いた。狙うのは相手の弱点。それを横から貫く。相手を一撃で無力化してこそのスナイパー。

 

「3、2、1…。目標、沈黙。」

 

ズドンッと重い音がした。イルガーはトリオンを漏らしながら地面に落ちていった。銃痕は雨取の様に大きくはない。そのかわり速度はアイビスの2倍はある。だいたい、敵を破壊するのにあそこまでデカい弾はいらない。確実に敵を無力化できる技量があれば。

 

「次、ターゲット視認。目標、射程範囲内に侵入。3、2、1…。目標沈黙。」

 

そしてもう一回、ズドンッと大きな音がした。先程と同じ様に敵を無力化できた。どうやら最後の一体も基地からの砲撃でどうにかなったらしい。

 

「追撃…。全く、休ませてくれないわね。」

 

7体。引き金の横にある摘みを回し、切り替えた。この銃は弾速と弾の威力は反比例する。弾速が無いと当てづらいのだが、全くさっきからノイズばかりでさっぱり忍田さんと連絡が取れない。

 

「電波障害みたいなのが起きてるのかしら。それとも、あれのせいかしら。」

 

私は誰かと通信しながら戦った事は無い。ボーダーに入ってからイルガーと接触したのはこれが初めてだ。私は大きく溜息を付いた。

 

「ジジ、ジ。かんざ、ぃ。」

「はい、こちら神崎。」

「済まない、通信が乱れた。」

「いえいえ、あの7体、基地は持ちそうですか?」

「2体までなら何とかなるが、それ以上は保証できん!」

 

そう、後ろで叫んでいる鬼怒田さんの声が聞こえて来る。大分聞きづらいが何とか聞こえて来る。2体までなら。なら2体は耐えてもらおう。残り五体。

 

「神崎、3体何とかなるか!?」

「3体ね。もう2体は?」

「1体は砲撃でどうにかする。もう1体は慶が行く」

「太刀川ちゃん、ね。2体くらいやってくれない?あんまり連発が利くような武器じゃないの。ここ、踏ん張り利かないし。」

「何とかしてくれ。」

「指示が適当すぎ。全く、3体ね。やればいいんでしょ。」

 

私はその場から立ち上がり、南側へ走った。このまま行っても撃てて2体。3体を確実に仕留められない。角度を変えなければ。

 

「間に合わないか、さっきとは比べ物にならないわよ。」

 

私はライフルを構えた。踏ん張りはきかない。確実に吹っ飛ぶ。でも、迷ってられない。ボーダーが無いと裕子は安心して生きて行けない。

 

「死ねえええぇ!」

 

放たれたのは巨大な弾。放った私は後ろへ吹っ飛んでいった。

 

「がっ。」

 

背中をビルにぶつけた。一瞬息がつまる。そしてそのまま地面にたたきつけられる。

 

「げほ、げほ。」

 

咳をしながら私が立ちあがった。どうやらきちんと仕留めきれたらしい。出していた武器を仕舞った。最初に切ったトリオン兵からトリオンを貰うか。まだ生きているラービットはあの5体に任せておけばいい。

 

「よくやった神崎。」

「でも、少しの間休憩させてくださいね。疲れました。東はラービット5体に任せています。まず、突破される事は無いと思いますが。東に戻ります。」

「宜しく頼む、神崎。」

 

光った粒子が体の中に入って行く。それでも先程失ったトリオンに比べれば微々たるものだ。ラービット1体位取り込まなければならないか。しかし、随分吹っ飛ばされた。戻るのは面倒そうだ。誰か一匹に迎えに来てもらおうか。私は大きな溜息を付いてから歩いて東側に戻るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「今のは…。」

 

僕達が見たのは千佳の砲撃の様な最早レーザーと言うような砲撃だった。真っ黒な砲撃はイルガー3体を撃破し、もう1体の体を掠った。

 

「今のは、ブラックトリガーだな。」

 

そう言ったのは真っ黒な浮遊物、レプリカ。

 

「恐らく戦死者を選定する女(ヴァルキュリア)の攻撃だろう。あれはルークスで開発段階にあった機関砲だろう。全てを貫通する物というコンセプトで作られていたらしい。しかし、あの威力。完成していればルークスは良い抑止力を手に入れていた事だろう。」

 

僕は眉を細めた。あの威力の武器が開発段階にあったとしても国力は相当あったはずだ。そんな国がどうしてたった一人のブラックトリガーに潰されてしまったのか。確かに神崎先輩はブラックトリガーは非常に特殊だ。烏丸先輩から聞いた神崎先輩のブラックトリガーの性能。空閑のブラックトリガーに似ている性能。相手のトリガーの性能を盗む。あの砲撃がルークスの武器ならあれはルークスを攻めている時には持っていなかったはずだ。空閑だって、ボーダーを落とすのは不可能だろう。それなのにどうして、神崎先輩は一国を落とす事が出来たのだろうか。トリオンを回復する術を持っているからか?

 

戦死者を選定する女(ヴァルキュリア)…。」

戦死者を選定する女(ヴァルキュリア)?何それ、三雲君。」

「神崎先輩が近界で呼ばれてる異名みたいなものだよ、キトラ。神崎先輩と対峙した敵は誰一人として生き残っていないんだ。だから『戦死者を選定する女』って呼ばれてる。戦場で『戦死者を選定する女(ヴァルキュリア)』を見かけたらまず逃げろって教えて国があるくらい、恐怖されているんだ。トリガー使いは貴重なのに、神崎先輩に会うと殺される。それだけ国力が下がるって事だからな。」

 

僕の呟きを聞いて尋ねてきた木虎に、空閑がそう答えた。木虎は眉を顰めて基地の方を見た。

 

「ちょっと待って、それって神崎先輩はあっちで沢山の近界民を殺してるって事?」

「まぁ、そうだな。200万人以上は殺してるよ。」

「200、万人…。」

 

予想以上の数だ。たった一人で200万人以上の近界民を殺している。あの鎧は一体どれだけの血を吸ったのだろうか。

 

「っと、ここであんまり喋っている暇はなさそうだぞオサム。新しいのが来た。」

「ああ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それにしても、数が減らないわ。イルガーを貰おうか。ラービットはまだ戦力になる。イルガーのトリオンを自分の中に戻した。

 

「大分戻ってきたわね。」

 

私は自分の手を持った。私は屋根の上からラービットが他のトリオン兵を倒しているのを見ながらそう言った。ラービットは相変わらず硬い拳で他のトリオン兵の弱点を潰していった。

 

「一匹くらい、飼っても怒られないかしら。」

 

耳をピコピコと動かすラービットが少し可愛く思えてきた私はそう呟いた。ラービット、兎。人参食べられるかしら。それとも干し草?いっその事5匹飼おうかしら。

 

「ん?緊急脱出?」

「神崎、風間が緊急脱出した。」

「風間ちゃんが?」

「あぁ、ブラックトリガー使いだ。やってくれるな。」

「良いけど、忍田本部長殿。その代わり、お願いがあるの。」

 

私が少し楽しげな声でそう言った。

 

「何だ、神崎?」

「ラービット、飼っていい?ちゃんとお世話するから。」

「なっ!?」

「何を言っとるんだ、神崎!」

 

そう後ろから叫んでいる鬼怒田さんがいる。

 

「あら、良いじゃない。ラービットの1匹や2匹や、5匹くらい。」

「おい、最後なんか増えたぞ!」

「神崎。」

 

私達ががやがやと言い争っていると城戸司令の声が聞こえてきた。

 

「風間を倒したブラックトリガーを倒せれば、考えてやる。」

「やった。城戸司令、話の分かる人。それじゃ、これよりブラックトリガー使いを倒しに行ってきます。」

 

私はそう言って風間が討ち取られたビル方へ向かった。




お疲れ様でした。

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神崎蓮奈と黒い髪の幻覚

後半流血注意です。

苦手な方は気を付けて読んでください。


私はビルの屋上から下の階にいる真っ黒な髪の青年を見下ろした。

 

「外れかと思ってたが、当たりだったか。まさか戦死者を選定する女(ヴァルキュリア)がこっちに来るなんてな。」

 

彼は嬉しそうな顔でこちらを見上げて来る。ふむ、彼はどうやらとても好戦的な性格らしい。

 

「私の事を戦死者を選定する女(ヴァルキュリア)だって知ってて戦うのね。」

 

ライフルを取り出した。あぁ、何故だろうか。相手はブラックトリガーなのに負ける気がしない。負ける筈が無いとそう思わずにはいられない。久しぶりの高揚感。口元が上がってしまいそうだ。私は左手で口元を抑えた。昔は私だと知ると逃げてしまう兵士が多かった。そのせいだろうか。私を私と知っていて向かってくる彼と出会えたことがとても嬉しい。

 

私の心が叫ぶんだ。殺せ、殺せと。全てを殺せ、と。興奮からか手が震える。血が湧きたつような戦闘がこれから行われる。

 

「さぁ。」

 

興奮のあまり声が震える。

 

「遊びましょう。」

 

口角を上げて私は青年を見下ろした。仮面の左側にはきちんと気体化したトリガーが見えていた。さて、彼はどんな絶望を見るのだろう。私には彼の不意打ちは見えているし、彼の大切に隠している物もきちんと見えている。此処まで割れていると遊ぶのは少し詰まらない。しかし、これを倒すとあのラービットを飼う事を検討してくれるそうなのでほどほどに遊んで、倒してしまおうか。

 

下からブラックトリガーが迫ってくる。私は右足を一歩引いた。そこから相手のブレードが出てくる。擦れ擦れで私は躱す。相手は眉を顰める。風は上から彼の方へ流れ込んでいる。あの気化したトリガーが上がってくることはない。下からの攻撃を全て避ける。

 

ふむ、攻撃的な性格なのに接近系統の相手では無いから中途半端な距離で戦ってしまっている。あぁあ、中距離戦を得意としているブラックトリガーか。これは詰まらなくなりそうだ。

でも、彼の髪、綺麗な黒い髪をしている。あの子と同じ、綺麗な黒髪。あれ、欲しいなぁ。

 

ライフルを構えて撃ってみるが、彼の体に穴が開くだけでダメージが入っているようには見えない。

 

「ちょこちょこ逃げやがって!降りて来いよ!」

「ふむ、貴方の間合いは面倒ね。」

 

私は大げさに溜息を付いた。そう言うと彼は眉を顰めた。武器のネタが割れる。それはどんな戦況であっても避けたい事だ。ネタが分からないだけで風間がやられたみたいにどんな相手でも喰える可能性が出て来る。

 

「そう言えば、さっき風間ちゃんにこう言ったらしいわね。『俺はブラックトリガーなんだよ』って。その言葉、そっくりそのままお返しするわ。私もブラックトリガーよ。もっと楽しませてよ。」

「玄界の猿が!」

「女性に向かって猿なんて、まずは口の聞き方から叩き直してあげるわ。」

 

私は銃口を彼の方に向ける。沢山のトリオンが地面を這う。しかし、先ほどの屋内戦闘とは違い、私がいるのは屋外。来るとしたら下からしかない。

 

「上から見下ろしやがって!」

 

彼はそう言って私の立っていた場所を崩しにかかった。ぴょんっと後ろに下がる。彼は本当に見下ろされている状態が気に入らないらしい。私は下に降りた。天井には大きな穴が空いた。彼の上だけではなく、大きな穴だ。空気は上から入ってきてる。私の方に気体化させたトリガーを送るのは難しい。

 

『神崎。』

「はいはい、こちら神崎。」

『その人型近界民には物理攻撃は通用しない。気をつけろ。」

「……、なぁんだ。」

『神崎?』

「物理攻撃無効なら、詰まらないじゃない。」

 

相手が苦しむ様が見られない。1か0かしかないのならすぐ0にしてやろう。もう少し遊ぼうかと思ったが、こんな詰まらない相手ならさっさと殺してしまおう。私は彼にライフルを向けた。

 

「お、何だ?漸くやる気になったか!戦死者を選定する女(ヴァルキュリア)!」

「いいえ、逆よ。やる気が完全にそがれたわ。」

 

私はそう言って彼の方へ走って行く。私は下や上から出て来るブレードを躱していく。見えていれば、何にも問題はない。問題なのは気体化したトリガーか。まぁ、戦争だ。多少の損傷は覚悟しようではないか。持っていた物をライフルから剣に変える。二本の剣でブレードを切りながら前に進む。

 

「何で止まらねぇ!」

「っ。」

 

私の胸から彼のトリガーが貫いて出て来る。流石に気化した全てのトリガーを侵食するのは難しいか。私のトリガーは私のトリガーに接触していなければ侵食することは出来ない。しかし、私に触れてしまえばその限りでは無い。トリガーも黒く染まって行く。それでもトリオン供給器官が損傷した。トリオンが勢いよく漏れる。それでも私は足を止めない。前に進め。敵は目の前だ。あと少しで

 

「殺せる。」

 

進め、あと一歩だ。あと一歩だ。殺せ、誰一人。自分の敵を、私達の敵を生かして帰すな。

 

剣が相手の体を掠める。しかし、彼は笑っている。どうして笑っていられるのだろうか。私の右手に握っている剣が彼の体をすり抜けたからだろうか。無意味だと嘲笑いたいのだろうか。それは何とも滑稽な事だ。我慢できなくなって、私の口角が上がる。瞳は相手の弱点をしっかり見ている。

 

「なにっ!?」

 

―――ズドンッと、重たい銃声がした。

相手のトリオン体が白煙を上げて解かれる。私の左手に持っていたのは剣では無くて先程仕舞ったはずライフルだった。

 

「くそぉっ。」

「ごめんなさいね。最近、凸砂にはまってるの。」

「さて、これからが楽しいわ。じっくりと嬲り殺してあげる。」

 

私は仮面を外した。彼はもうトリオン体では無い。あの仮面を通してみる必要はない。軽い音がして仮面が地面に落ちる。ライフルを仕舞い、先程の剣を取り出した。二本の剣を引き摺りながら地面に倒れている青年に近付いた。

 

「お前、まさか!?」

 

私は彼の体を踏み付ける。

 

「あら、私が戦死者を選定する女(ヴァルキュリア)だって知ってるんでしょう?私の敵は全て死ぬの。さぁ、楽しみましょう。貴方はどんな声で鳴くのかしら。ねぇ、お猿さん?」

 

彼女の目がスッと細くなった。大きく振り上げた手がそのまま彼の体目掛けて振り下ろされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

赤で、思い出されるのは二つ。守れなかった少女の血と、少女を殺した国の奴らの血。どちらも同じ赤なのに、同じに見えない。同じ赤色のはずなのに。恐らく、赤の意味が違うのだろう。敵と味方の赤。少女の血はあんなに鮮やかな赤だったのに、どうして彼らの血は濁っていた見えていたのだろうか。

 

グシャ、グシャと、肉を叩き潰す音が聞こえる。あちらこちらに肉片が飛び散っている。それを見降ろしている彼女の口角は常に上がっている。足元は一面が赤く染まっている。

 

彼女はポタ、ポタ、と流れ出る真っ赤な色を液体を見詰めながらそんな事を考えていた。その手には真っ黒な長い黒髪の頭。手の鎧についた血を口に含む。そう、この味だ。勝利の美酒とはこういう味がするものだ。

心にしみわたるこの暖かい何か。

 

「あぁ…。」

 

思わずこぼれた溜息。血の付いた手で自らの鎧を撫でた。二本の剣が突き刺さった人だった物を見る。首は支えるものを失い、今も絶えず真っ赤な液体を流し続けている。

 

「ふふ。」

 

彼女は最早息をする事さえ忘れてしまった頭を拾い上げた。真っ直ぐできれいなあの子と同じ黒髪。斜めに切られた前髪。瞳の色が黒で無い事が残念だ。彼女は流れるように顔の輪郭を撫でた。血の気が失せた顔は彼女の鎧のせいで新たに一線の傷を作った。彼女はその傷に舌を当て、流れてきた血を舐め上げた。

 

「ふふふ。あぁ、これで一歩目標に近付いたわ。」

 

彼女は口で大きく息を吸いこんだ。鉄分を多く含んだ空気が彼女の肺を満たす。この匂い。思い出す。今となっては懐かしい名前だ。nameless。名前を持たないが為に、何者とも別な存在。何者にもなれない彼女は人を殺す兵器になり下がった。

あの頃、誰も教えてくれなかった。人を殺すという事は、自分を殺すという事と同じなのだと。自らを殺し、namelessは生まれた。乾ききった彼女にせめてもの潤いを齎す為に。

 

「さぁ、次よ。次は、誰を殺そうかしら。」

「貴女を殺した悪い奴らはお姉ちゃんが、全員殺してあげるからね。」

 

彼女は大事そうに角のついた頭を抱え、それを撫でながらそう言う。ブゥン、と音が鳴って彼女の後ろに黒いゲートが開く。そして息を飲む音が聞こえた。ゲートの向うから見たのは首が無く体中に刺し傷のある元同僚。そしてその元同僚の首を大切そうに撫でる女。

 

「新しい子、かしら。」

「こちらが、エネドラを始末する手間が省けたわね。」

「エネドラ…。そう、この子はそう言う名前なのね。」

 

彼女は頭を優しく撫でる。そして頬をすり合わせた。角付きの彼女はなるべく動揺を悟られない様に気丈に振舞った。

 

「持って行きたいものを持って行ったら?私には、もう必要のないものだから。」

 

そう言うと角付きの女性は眉を顰めた。

 

「その代わり、貴女の頭も頂戴?貴女は赤い髪だから、この子みたいに大事にはしないけど。」

 

彼女はエネドラの髪に唇を触れながらそう話した。彼女は角付きの女性の方を向いた。整った顔には血が飛んでいる。唇の辺りは真っ赤に染まっている。良く見れば黒い鎧も赤い血がしたたり落ちている。滴る血がエネドラが死んで間もない事を示していた。青い瞳は真っ青で、奥に引きずり込まれそうになる。彼女から目を離せない。異様だった。彼女だけが現実から切り離された様な、そんな感じだった。

 

「怖いの?手が、震えてるわ。それとも、興奮しているのかしら。貴女も遊ぶのが好きな子?」

「ふざけてるの?」

「ふざけてな…。」

 

角付きの彼女の攻撃で彼女の頭と胸に何かが突き刺さっている。角付きの彼女は笑みを浮かべた。トリオン伝達脳とトリオン供給器官を破壊した。そう思った。しかし、彼女は動いた。角付きの彼女の攻撃をすり抜けるように。そう、泥の王を使っていたエネドラの様に。

 

「便利な能力ね、それは。でも、楽しくないわ。痛みも、何もあったもんじゃない。もう一生使わないかも。」

 

自分には必要ないもの。確かに、彼女には必要なさそうな物だ。自分の手を見詰めて詰まらなさそうな顔をしている。彼女は頭を抱えたまま剣二本を持った。

 

「どうしたの?来るの、来ないの?」

 

角付きの女性はちらっとエネドラの死体を見た。そして彼女はあぁ、と声を出した。そしてエネドラの死体を彼女の方へ蹴飛ばした。角付きの彼女はそれから素早くブラックトリガーを取ると何処かへ行ってしまった。

 

「あら、詰まらないわね。まぁいいわ。黒髪が手に入ったんだし。」

 

そう言って彼女はうっとりとした瞳でエネドラの顔を見た。今度は傷つけない様に頬を撫でる。未だにエネドラの頭から血が流れている。彼女の手を、腕を伝って地面に流れている。

 

『神崎!!』

 

耳を劈く様な大きな声が彼女の耳を刺激した。そのせいで折角浸っていた空間から意識が引き戻された。

 

「そんなに叫ばなくても聞こえてるよ。どうしたの、忍田本部長。」

『どうしたの、では無い!どうしてそいつを殺した!?そいつを捕虜にすれば、この戦いも終わっていたかもしてないんだぞ!』

「まさか、あり得ないわ。そんな事、あり得ない。忍田本部長、私はね戦死者を選定する女(ヴァルキュリア)なのよ。私の敵は全員殺すの。そう、決まっている事なのよ。それに、ブラックトリガーを回収していった女が言ってたわ。『こちらが手を下すまでも無かったか。』って。それってこの子を私が殺さなくても死んでいたって事でしょう?どちらにしろ、使えなかった事には変わりないわね。」

『神崎。』

「はい。何でしょうか司令殿?」

『南西地区に人型近界民が二人いる。そいつらを片付けろ』

「南西地区、遠いなぁ。時間かかるわよ。」

 

私は耳に手を当てながらそう言った。

 

『かまわん。』

「トリオン供給器官が破損してるから、治すのにも時間が掛かるし。」

『いいから行け。』

「殺しても怒らない?」

『生かすも殺すも、お前の好きにしろ。ただし、敵のトリガーを奪うのを忘れるな。』

『城戸さん!?』

 

彼らには見えていないのだろうけど、私は笑みを浮かべた。

 

「神崎、了解。現場に急行します。」

 

私は首を大切に抱えて南西の方を向いた。

 

「さぁ、行こうか。沢山殺しましょう。可愛い可愛い、私の有紀。」

 

私はそう言ってエネドラの顔(有紀)に口づけをした。そして南西へと走って行った。




お疲れ様でした。

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神崎蓮奈の帰りたい場所、帰るべき場所

急行するとは言ったもののトリオン供給器官の破損は痛い。これはついた時には終わっていそうだ。仕方ない。装甲の一部を穴を塞ぐのに回すか。今、私の横にはボーダーの基地がある。本当に私頑張って走ったと思う。

 

「はぁ、ダメ。疲れちゃった。」

 

私は有紀にそう話しかけた。そしてトボトボと歩き出した。崩壊した町の中を歩く。それは、昔を思い出す。戦争中の国の外壁はいつもどこかにひびが入っていた。酷い所は人が住めないほど崩壊していた。そんな家の中に一晩隠れながら生きていた。食べ物も飲み水も何時も夜に盗んでいた。だからいつの間にか夜型になってしまった。それでも朝になれば食料を食べ、ルークスの兵士達から逃げる。それも簡単では無かった。向うの国は地続きになっている訳では無い。別の国に行くには必ず船に乗らなければならない。船に乗らねば、私達は一生その国にいるしかない。私達はただ、故郷に帰ると言う願いの元、歩いていた。そしてそんな思わない事が当たり前の些細な事でさえ、思う事を禁じられてしまった。

 

「私、良く思うの。私じゃなくて貴女が生き残っていたら、って。そうしたらきっと、私なんかより人生を楽しめたと思うの。ねぇ、どう思う?」

 

しかし、有紀は答えない。両腕で抱える有紀は未だ生暖かい。私は愛おしそうに髪を撫でる。

 

「ふふ、どう思っても遅いんだって分かってるのよ。でも、思わずにはいられない。神様は未だに私の命をここから奪ってくれない。私はまだ生きている。」

「貴女の命をあそこで奪ったのに。」

 

私はギュッと顔を胸に押し付けた。もう、思い出せるのは白い灰になって風に吹かれて消えてしまった彼女だけ。どうして私を連れて行ってくれないの。あの子の命はあの時奪ったのに。

 

頬を伝った涙に触れた。

 

「仮面、あそこに置いて来てしまったわ。」

 

世界はまるで悲しみなど知らぬように、絶望など無いかのように明日が来る。私は今日のままでいたいのに。昨日のままでいたいのに。先に進みたくないのに。世界は私を置いて先に進む。空を見上げた。真っ黒な雲が漂っている。流れる事をせず、そこに留まっている。

 

「貴女の瞳を通して世界を見ている。そうしたら、貴方が世界を見ているんじゃないかって。私の体を使って貴女が生きているんじゃないかって。もし、そうならよかったのに。」

「行かなきゃ。世界は、待ってくれない。ねぇ、有紀。」

 

立ち止まっていた私はまた歩き出した。

 

「でも、ごめんなさい。有紀。私、貴女以外に大切なモノを作ってしまったの。本当に貴女以外にはどうでもよかったのよ。でも、どうしてだろう。出会って、1ヶ月もしていないのに私を気に掛けてくれたの。」

「嬉しかったの。人はとっても温かい。」

 

私は持っていた首を唇に近付けた。

 

「貴女は、もう温かさを感じる皮膚があればいいのに。彼らの手を取れる手があればいいのに。彼らに言葉を伝えられる口があればいいのに。」

 

そう、思わずにはいられない。切り替えの早さが大切だと、私は三輪に言った。でも、きっと。切り替えられていないのは私なんだと思う。私が一番、切り替えられていないんだと思う。

私は次の戦場に期待していた。次の戦場では、自分が死ねる事を期待していた。私はいつでも死を待っていた。そのはずなのに。

 

「どうして、躊躇うの。」

『蓮奈は、兄さんみたいに死なないよね。』

「そう言えば、約束したんだっけ。1時間も経っていないのに、忘れてたなんて言ったら怒るかしら。」

 

思い出せば、心が温かくなる。彼女の言葉。声が頭の中で再生される。優しい普通の少女の声。自分より3歳年下の黒い髪に黒い瞳の少女。

 

ごろっと、私は手に持っていた頭を落とした。

 

『俺も、お前を救えたらいいんだけどな。』

 

思い出せば、感情が溢れて来る。彼の言葉。声が頭の中で再生される。優しい普通の少年の声。自分よりも3歳年下の黒い髪に黄色い瞳の少年。

 

「貴女にも彼らの声が聞こえていればいいのに。早く終わらせて、帰りましょう。」

 

私はまた走り出した。あまり歩いていると色々と面倒そうだ。途中のトリオン兵をちょこちょこ切りながら先に進んでいた。損傷してしまったトリオン供給器官の修復にはまだまだ時間が掛かりそうだ。ピョンピョンと屋根の上に乗った。遠くで建物が切り落とされるのを見えた。

 

「うっわぁ。なんか嫌な予感がする。しかもあっちって市街地じゃない。危険区域の外で戦闘なんて、嫌だなぁ。」

 

ボーダーのトリガーでもあんな広範囲を斬るトリガーはない。白髪のトリガーの事は良く分からないが、あれには斬る事を得意としているようには見えなかった。もう、出し惜しみはしていられない。東側には太刀川がいるらしい。太刀川がいるならそこまでラービットをそこまで残しておく必要はないか。二体くらい残しておいて三体分のトリオンを回収しておこう。

 

「大分ましになったわね。」

 

それでもトリオンが完全に回復しないのは最初の砲撃と黒髪にトリオン供給器官を破損されたのが痛い。黒髪に関しては完全に私が遊んでしまったせいか。

 

「ん?あれは…。」

 

すごい勢いで何かが飛んでくるのが見える。

 

「あの浮遊物、あんなに急いで何処へ。」

 

その浮遊物を見送る。彼には私を気にしている時間が無いのか、それとも私に気付いていないのか。彼は私の来た方を戻っている。

 

「基地に何かあるかしら。忍田さん。」

『どうした、神崎?』

「白髪のトリオン兵が基地に向かって飛んでいったけど、何かあったの?」

『実は最初の爆撃型トリオン兵によって通信室の機材が一部故障したらしい。そのせいで通路が開かず、C級隊員が直接基地に向かっている。その中に三雲隊員がいる。そこをブラックトリガーに襲撃されているようだ。』

「大丈夫なの?そっちに向かった方がいい?」

『いや、出水隊員が足止めをしている。それに狙撃部隊ももうじき配置につく。神崎はそのままその先のブラックトリガーの相手を空閑隊員と協力して撃破してくれ。』

「神崎、了解。」

 

でも、あの白髪が態々トリオン兵の本体を向かわせるほど、あちらの状況は切迫しているのではないだろうか。唯の杞憂だろうか。

 

「あーあ、嫌な予感がする。」

 

大分近づいて来た。ビルの上に立つと見えたのは白髪と背の高い老人。懐かしい、後ろ姿だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「大分、怪我も癒えてきたね。」

 

私にそう言うのは角の生えた人間。彼は私に微笑んで言う。彼らが私と同じ人間では無く、別の人種である事は分かっていた。アフトクラトルと言う国らしい。幼少の頃に角を植え付け、後天的にトリオンが多い人間を作り出しているらしい。

私は自分の腹を撫でた。最後に覚えているのはあの国の人間を全て殺してトリオンが切れて換装が解けた瞬間、後ろから撃ち抜かれた。私を後ろから撃ったのは恐らく彼の国なのだろう。そして私をどうして助けたのだろうか。私がブラックトリガーを持っているからだろうか。

 

 

 

「食事を、お持ちしました。」

 

ベッドの上に座ていると、お昼の時間になったらしい。そう言って何時も食事を運んできたのは小さな子供だった。有紀よりも幼い子供。その子には白い角が生えている。

 

「今日も持って来てくれたのね。」

 

食器を乗せたお盆の端には綺麗な黄蓮。そう言うと少年は照れたように頬を掻く。

 

「出来れば、花瓶があると良いわね。華は直ぐに枯れてしまうから。」

「花瓶?」

「そうお水を入れられるコップみたいな物よ。」

「わかった聞いてみる。」

 

蓮の花を撫でる。良く見ると少年の服はぬれていた。

 

「あなた、これを取ってくるのに水の中に入ったの?びしょ濡れよ。」

「べ、別にどうでも良いだろ!」

「風邪をひくと大変よ。着替えてきたらいいわ。」

 

ゆうきのような可愛げは無かった。生意気な男の子だった。それでも私の為に花を持って来てくれた。彼の頭に手を乗せると柔らかい、子供の髪を撫でる。

 

ある日の事だ。傷が塞がり、リハビリの為と言われ、広い中庭で少年の剣の稽古に付き合わされる日々が続いていた。

 

「今日は偉い人が来るんだって。」

「偉い人?」

「うん、国の中でとっても偉い人。」

「それ、私に言っていいの?」

「どうしてそんな事言うの?姉さんは俺達の国に住むんでしょ?」

 

剣を片手に首を傾げて少年は尋ねてきた。純粋な子供にどういっていいのか分からなかった。私には約束がある。だから、何時までもここには居られない。

 

「私は故郷に帰らなきゃいけないの。故郷に帰って、親を探してあげなきゃいけない子がいるから。」

「その子は何処にいるの?俺にも手伝える?」

「その子は死んでしまったわ。だから、もう私が探してあげるしかないの。いたっ。何するの。」

 

私が遠くを見つめながら言うと少年はムスッとした顔で私の足を棒でたたいて来た。

 

「何だか、姉さんが死んでるみたい。ねぇ、もっと稽古しよう。姉さんはいつかいなくなっちゃうかもしれないけど、故郷に帰ってその子の親が見つかったら姉さん、戻ってきてくれるでしょ?」

 

期待に満ちた目で少年は見上げて来る。私の答えをずっと待っている。

 

「そうね、やる事が終わったら。ここに()()()もいいかもしれないわ。」

「本当!?約束だよ。帰ってきたらまた稽古付けてね。姉さん。」

 

そう言うと少年は嬉しそうに剣を打ち込んできた。5、6歳の年の差があった。当時の私は11歳。そんな少年の剣など接近戦が得意で無かった私にも簡単に剣を飛ばす事が出来た。

 

「あ…。」

 

剣を飛ばした先には老人がいた。私は老人の方へ走った。

 

「申し訳ありません。大丈夫ですか?」

「いえいえ、大丈夫ですよ。それよりお嬢さん。剣の心得があるのですか?」

「いえ、心得なんて。唯の独学で。指導は受けた事はありません。」

 

顔に深い皺のある背の高い男の老人だった。背の低かった私はその老人を見上げた。余裕そうな笑みを浮かべる老人。うしろから少年が付いて来た。老人は剣を拾い上げ、私に剣を渡してくれた。

 

「行きましょう。次は気を付けます。」

「お嬢さん。」

「…、何ですか?」

「私も一緒に稽古をしても宜しいでしょうか。」

「失礼ですが、私達は貴方について行ける程の腕はありませんよ。」

「おや、私の腕をご存じなのですか?」

 

老人は飄々と尋ねて来る。私は首を振った。

 

「いいえ、しりません。でも、分かります。貴方は私が会った中で一番、強い人だ。」

 

目を細めていた老人は少しだけ瞳を開いて私を見降ろした。

 

「貴方の手の剣だこ。剣を拾ってくれた時見たわ。トリオン体じゃないのに、それだけのたこが付いてるって事は沢山練習してるって事。そんな人に勝てる程、私は戦闘になれている訳じゃない。」

「お嬢さんは、良い目を持っているようだ。」

「別にそうじゃないよ。ただ、自分を守れるのは自分だけって話だよ。他人は肝心な所で手を貸してはくれない。」

「俺はそんな事無い!」

「はいはい、そうですか。」

 

私は少年の頭に手を乗せながらそう言った。

 

「面白い。私が手を貸してあげましょう。感心な時にお嬢さんがお嬢さん自身を守れるように。私はヴィザ。お嬢さんの名前は、何というのですか?」

「私には、名前はないわ。だからこの子も姉さんって呼ぶし。あぁ、でも。そうね、namelessって呼ばれていた事があったわ。」

「nameless。名前が無い為に何物にもなれない者の名。だが、お嬢さん。きっと貴女にはそれが似合っている。名前が無いという事は、名前のある者の仮面を被れるという事なのだから。」

 

私には老人、ヴィザの言っている事が分からず首を傾げるばかりだった。

 

「あぁ、行きましょう。nameless。剣の稽古を付けて差し上げます。」

 

 

 

 

 

 

 

私はライフルを取り出した。あの老人には大きな弾より速い弾の方が良い。威力が少なくとも、彼にはトリオンを回復する術を持っていないのだから。しかし、あのマントが邪魔だな。それに周りをクルクル回っているトリガーも。

 

―――ズドンッ

 

重たい音が鳴る。

 

「これは…。」

 

足に命中した。ヴィザがこちらを振り返った。建物の屋上に立っている私を彼は見上げた。彼は素早く撃った足の上を斬り落とした。流石、私の事をよく知っている。

 

「そうでした、そうでした。貴女は元々、狙撃が得意でしたね。」

「神崎先輩。」

「カンザキ、センパイ。そうでしたか、今はそう名乗っているんですね。nameless。」

 

私は屋上から降り、ライフルから剣二本に持ち替えた。

 

「nameless。懐かしい名前だわ。お久しぶりですね、お師匠様。」

「えぇ、お久しぶりです。10年ぶりくらいですかね。玄界で可愛い弟子に会えるなんて。いやはや、運命とはなんとも気まぐれな事でしょうか。」

「師匠?弟子?神崎先輩。このブラックトリガーと知り合いなの?」

 

白髪がそう尋ねて来る。

 

「教えてあげてもいいけど、貴方はその前に助けなきゃいけない人がいるんじゃないの?」

 

そう言うと白髪は眉を顰めた。

 

「行きなよ。私のブラックトリガーは共闘には向いてない。それに守りたいものは自分の手で守らなきゃだめだ。友達が待ってるんでしょ?私は、守れなかった。誰にも同じ目には合って欲しくない。」

 

白髪はちらりとこちらに目を向ける。

 

「勝てる策でもあるの?」

「さぁ、分からないわ。昔から、一回も勝てた事無いもの。勝つところも想像できない。でも、足止めならできるわ。足止めには、足止めを当てる。それだけの事よ。」

「ありがとう、神崎先輩。」

「貸一つよ、白髪。」

 

白髪が私の横を抜けて基地の方へ走って行く。

 

「まだここにいてくれると助かったんですけどね。」

「久しぶりに、稽古を付けて下さいよ。お師匠様。」

「仕方ありませんね。えぇ、良いでしょう。しっかりと扱いて差し上げますよ。」




お疲れ様でした。

感想お待ちしております。


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神崎蓮奈と少女願い

後半流血注意。

前回ほどではないけど。


キィン、キィンと剣がぶつかる甲高い金属音が鳴り響く。緑が綺麗な中庭。そして弾かれる剣。私の手から弾かれた剣は地面に突き刺さった。私は剣を持っていたはずの手を見た。手には痛々しい豆が出来ている。

 

「大分上達されましたね。」

「まだ一回も勝ててない。」

「それでも、最初の頃より大分長く私に向かって来られるようになったではありませんか。」

 

私の目の前にいる老人はそう優しげに言われる。私は納得がいかないと言った表情をした。

 

「もう一回、お願いします。」

「えぇ、お付き合いしましょう。」

 

私は飛んでいってしまった剣を拾い上げ老人の方を見据えた。剣をしっかりと両手で持ち老人に向かっていった。そして、また剣は弾き飛ばされてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

今の彼は昔と違って剣を受けることは出来ない。受ければ、彼はトリガーを失うことになる。私を斬るのは本体では無く、あの円の軌道を描くブレード。そしてトリオン体でそのブレードを抑え込むのは難しい。でも、彼に剣で戦わないのはそれだけで負けた気がする。

 

「昔と比べて背も高くなりましたね。」

「十年も経てば高くなりますよ。お師匠様は相変わらずですね。十年たったと感じさせない辺りが。」

 

私は剣を軽く払った。そして真っ直ぐ目の前の老人へと視線を向けた。

 

「今回の遠征にはヒュース殿も来ているんですよ。貴女に会えたのならどれ程喜ぶ事か。」

「ヒュース、懐かしい名前だわ。そう、あの子も来てるんですか。私の中では未だにこれ位の背丈の子供のままですね。」

 

私はそう言って昔の彼の背丈を現した。

 

「今では貴女よりも背が高くなっていますよ。」

「それは、久しぶりに会ってみたいものね。」

 

それにしても白いブレードに黒い何かが付いている。恐らく鉛弾の痕か。あれがあるから軌道が見えているのか。元々どんだけ早かったのだろうか。剣だけでも厄介なのに見えない速さで回転するブレードとか。

 

「貴女はどうして玄界にいるんですか?故郷には帰れましたか?」

「ここが、私の故郷ですよ。お師匠様。だから、なるべくなら今すぐ帰って欲しいんですよね。」

「そうですか、貴女は玄界の生まれでしたか。だから、ここに残っているのですか?」

「だからでは無いですね。私をここに引き留めた子がいるの。ここにいたいと思わせてくれた子が。」

 

私は彼に向かって走り出した。ブレードの速さは彼の剣を振う速さよりは遅い。だから見える。ブレードを躱しながら、老人の方へ真っ直ぐ向かう。二本の剣でブレードを上手く受け流しながら。ブレードの所々が黒く変色し始める。

 

「貴女のトリガーの性能は厄介ですね。」

「お師匠様がそのトリガー持っている方が百倍厄介です。」

「いやはや、貴女は相変わらず速いですね。」

 

剣が届く間合いに入った。体を捻り、それと一緒に剣を振ろうとした。

 

弾印(バウンド)。」

 

私の上からブレードが降ってきた。それを避けるためにあの白髪の印と言うのを使わせてもらった。一度、円の軌道外に出た。

 

「それは先ほどの方のトリガーの。そうですか、彼のブラックトリガーの性能を盗んだのですね。という事は彼とはあまり仲が良くなかったのでしょうか?」

「今もそれほど仲は良くありませんよ。」

「では、どうして貴女は手を貸しているんですか?貴女はそう言う性格の人間では無かったでしょう。」

「私は守れなかった。その辛さを知ってます。だから、他人にはそんな思いをして欲しくないんです。」

「それは違うでしょう。」

 

目の前の老人はそう断言した。私は困った様に頭に手を当てた。

 

「そうですね、それは建前です。でも、良いでしょう。それくらい?」

 

私は友達を守れなかった。同じ様に誰かを託されて守られなかった時が恐ろしいんだ。同じ様に死んでしまうのが、私は結局守れないのだと思い知らされるのが、嫌なんだ。

 

「貴女は相変わらず弱いですね。」

「か弱くて可愛い女の子ですから。」

 

さぁ、もう一回行こう。次は軌道の違うブレードにも気を付けなければならない。私は彼らの撤退まで彼と遊んでいればいい。はてさて、一体いつ退却してくれるのやら。一応足からトリオンが溢れている。この老人にはこれだけでは足りない。腕の一本位斬られる覚悟を持たないとダメか。腕が一本減ればライフルが撃ちづらくなるから嫌なんだが。それにトリオンを無駄に消費できるような相手では無い。そして斬られた腕を付けるだけの時間はまずないだろう。

私はもう一度、老人の方へ向かっていった。私は男性の様に力強くない。だから私は速さでどうにかするしかない。ブレードを躱しながら、彼にまっすぐ走る。

 

「貴女は相変わらず真っ直ぐな人だ。」

 

忘れてはいけない。剣の間合いは彼の間合いだという事を。目の前の視界が上下にずれる。彼が握ってるのは剣の鞘。それは人を斬る物では無いのだが。

 

「それは!?」

 

私の体は直ぐにくっ付いた。剣が老人の右わき腹から斜め上に切り傷を作る筈だった。それは右手で抑えられてしまった。左に持った剣も同じ様に切ろうとしたが、流石に鞘で抑えられた。抑えられれば力負けするのは私の方だ。直ぐに次につなげなければ。剣を一旦仕舞、直ぐに同じ剣を出す。しかし、剣は虚空を斬るだけだった。

 

私は老人が逃げた方へ目を向ける。切った右手は既に切り落とされていた。

 

「そうでしたか、貴女がエネドラ殿を倒されたのですね。今のはエネドラ殿の泥の王の能力。これはまた、たいそうな物を我々は盗まれた。そして、私の星の杖も盗まれようとしている。これはますます、貴女を玄界に留めて置く訳にはいかなくなりました。」

「私を捕獲する様にでも言われたのですか?」

「えぇ、まぁ。貴女を回収か排除しろと。」

「それはそれは。楽しくなってきましたね。」

 

ブラックトリガーを使うのには相性がある。私のトリガーはその性能を盗むが、その相性も盗んでくる。そして扱うのにはやはり相性のいい武器を使った方がトリオンの消費は少ない。相性ガン無視でトリガーを扱うと大量のトリオンを持ってかれる。そして泥の王と言うトリガーは私とは相性が本当に良くなかったらしい。これだからブラックトリガーは困る。ノーマルトリガーの様な素直さが欲しい所だ。

 

昔から、この老人の余裕の表情を崩せたことはなかった。それが年季の差なのだろうか。経験の差なのだろうか。でも、そんな事を言い訳にしていると私はこの先、誰も守れない。必要のない人間は探してもらえない。追い掛けてもらえない。私は人に必要とされていたい。彼らに手を伸ばされ続けたい。その為には何が必要か。ずっと私はそれを探しながら生きている。他人に求められる為に。愛されるために。

 

私は大きく深呼吸をした。まだ、あの老人を倒せるイメージがつかめない。そしてあの老人に殺されるイメージしかわかない。私は生きて帰らなくてはいけない。そう言う約束をしたから。約束を守っている内は必要とされている。さて、あの老人をどうやって殺そうか。

 

「では、こちらから行きますよ。」

 

星の杖のブレードは私に迫ってきた。なんとか避けながら後退する。先ほどよりブレードが速く見える。私が疲れているということもあるのだろうか。

 

−−−ガキンッ

 

躱しきれず剣でブレードをガードしようとしたが、流石に剣の方が持たなかった。右側の頬に一線傷ができた。そこからトリオンが漏れ出す。それでも彼の攻めは止まない。兎に角この円から出なければ。私はこのままここで斬り刻まれてしまう。あの白髪のトリガーもそこまで相性が良いわけではないのだが。

 

弾印(バウンド)。」

 

少し遅かった様だ。右足が持っていかれてしまった。溢れ出すトリオンを見て私は眉を顰める。足はあの円の中。まず回収は出なさそうだ。そしてもう一度足を生成する分のトリオンはあるが、控えたい。私は鎧のトリオンで傷をふさいだ。左足と右手のない目の前の老人は相変わらず、そこに立っている。飄々としてこちらを見ている。機動力は落ちた。さあ、どうしようか。

 

「それでも、行くしかない。」

 

足がやられた分、先程の様に真っ直ぐ向かう訳にはいかない。私は姿を消した。もしかしたら、老人は私のサイドエフェクトに気付いているかもしれない。それでも今は相手に少しでも私を探させなければならない。あれが動揺するとは思えないけど。右足を前に出すとき、体重を右側の剣に預ける。それでなるべく早く移動する。老人は辺りを斬り刻み始めた。

 

「くそっ。」

 

そう、悪態をつかずにはいられなかった。こっちは片足が無いって言うのに。なるべく早く動け。あれに掴まる訳にはいかない。あれの死角が使用者の真下だって事は分かっている。でも、私にはその真下まで行ける余裕はない。そして真下から攻撃する術もない。私は結局、彼に突っ込むしかない。あぁ、それとも剣だけと言うのを止めようか。剣以外を使ってもあの老人が怒る事は無いだろう。でも、何だか本当にすごく負けた気がする。私は老人の右斜め後方へと回り込んだ。走れ、立ち止まるな。近界民を、殺せ!

 

外側のブレードは真っ黒に染まり、もうのろのろとしか動いていない。でも中心の方のブレードはまだ健在だ。あれらさえ、突破できれば…。視野が狭くなっていた私の瞳に二本のブレードが映った。それは確実に私の首を斬れる位置にある。そして運の悪い私は左足を滑らせた。目の前の老人はこちらを見ていた。その老人は本当に嫌な笑みを浮かべている。初めから私がこのルートを来ることを知っていたかのように。ブレードが近づく。それでも、もう私にはそれを防ぐ術はなかった。

 

―――あぁ、これは死んだかな。また、勝てなかった。

 

そう思って、私は諦めた。静かに瞳を閉じコンマ数秒後来るはずの痛みを待った。そして痛みが来た。しかし、痛みは首では無く、私の右腕だった。何かが私の右腕を引っ張ったのだ。そしてそのまま力任せに後ろへ投げられた。閉じていた瞳を開いて見た。そこには何故かラービットがいる。真っ黒な私のトリガーで制御しているラービット。どうして、これがここにいる?私はこんな命令は出していない。

 

「あっ…。」

 

私はラービットの後ろに確かに見た。もう声も忘れてしまった。顔も朧げで覚えているのは黒い髪に黒い瞳だった事だけ。背中まで伸ばした黒い髪を何時も一つに結っていた。赤いリボンがお気に入りの女の子。私より3つ年下の女の子。まるでスローモーションの様だった。

 

―――今度は、私がお姉ちゃんを守ってあげる。

 

少しだけこちらを見た少女はそう言った。

 

少女はいつだって私を守っていた。本当は知っていた。神様はいつだって平等に私の命も奪おうとしていた。それでも私が今だに死ねないのは、貴女のせいだって。貴女がいつも沢山のトリオンを敵から盗んでくるから。貴女がいつも沢山の武器を敵から盗んでくるから。私は死なないんだって。死ねないんだって。

 

―――生きてよ。生きて、私に教えて。人生の幸福を。

 

これはもしかしたら私の都合のいい妄想なのかもしれない。本当は私が生き残りたくて見ている想像なのかもしれない。本当は私がラービットにそう命じていたのかもしれない。

 

―――お姉ちゃんの幸福の形を、教えて。

 

少女がそう言う。それでも、もう一度彼女に会えたことがどれ程嬉しいか。目の前の少女は知っているのだろうか。私がどれだけ彼女を恋しく思っていたのか。大切に思っているのか。

ラービットはブレードによって腹のあたりを斬られてしまった。そしてそれはそのまま地面に伏せた。私はそのまま瓦礫にたたきつけられ、彼の死角に入った。

 

二度、彼女に助けられた命だ。立ち止まるな。目の前の老人を殺せ。それが、私の目標への一歩だ。私は今と反対の方向に走った。大丈夫、あの子の声はまだ聞こえている。そして老人に走って向かう。

 

「貴女は、本当に真っ直ぐな人だ。しかし、それだけでは私を倒せませんよ。」

 

私は二本の剣を老人に向かって投げた。それはそれぞれ老人の左右に刺さる。そしてあと一歩の所で私の体が、真っ二つになる。トリオン体にひびが入る。ボフッと真っ白な煙が辺りを漂う。

 

でも、間に合った。私の勝ち。

 

あぁ、初めてではないか?こうやって誰かにトリオン体を壊されるのは。何時だって、私を敗北させたのはこの老人唯一人だ。大丈夫、あの子の声はまだ聞こええる。私はそのまま生身で彼の方へ走って行った。

 

「っは。」

 

私の腹には一本の剣が刺さっている。

 

「貴女らしくない事をしますね。」

 

私は大量の血を口から吐き出した。そして彼の左手を掴んだ。

 

「?」

「つか、まえた。」

 

そう言って私は笑みを浮かべえる。そして彼の体が三つに切り分けられる。先程投げた剣を持っていたのは斬られたはずのラービット。

 

「これは、やられましたね。」

 

老人のトリオン体が崩壊した。剣が私の体から抜ける。そして後ろに倒れそうな私を支えたのはもう一匹のラービット。

 

「はあ、は…。」

 

口の中が鉄の味しかしない。

 

「自分の傷を治さず、ラービットを治していたのですか。これはやられましたね。しかし、私も周りに目を配っていたはずなのですが。」

 

そう言う老人に私は力無い笑みを浮かべた。

 

「そういう、サイドエフェクトだもの。初めて、引き分けたわ。」

「えぇ、全く弟子の成長に末恐ろしいものを感じます。行きなさい。」

 

私の視界はぼやける。

 

「行きなさい、弟子の死は見たくない。彼女を、宜しく頼みますよ。」

 

私を支えていたラービットは私を抱えると基地の方角へと走って行く。それを老人は見送った。

 

「本当に、真っ直ぐで困った子だ。」




お疲れ様でした。

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いのち短し恋せよ裕子、黒髪の色褪せぬ間に

私は大好きな人を見下ろしていた。まるで風景が額縁に飾られた絵の様に現実味を帯びていない。私が見ているのは現実では無いのではないか。そんな事を思ってしまう。それでも大好きな人の肌に触れるとその温かみから現実なのだと、そう教えられる。

 

「嘘つき。」

 

私はそう呟かずには、居られなかった。決して嘘をついている訳では無い。彼女は生きて帰ってきたのだから。でも、私の心の中はずっと真っ暗なままだった。大好きな人は一度目を覚ましたそうだ。でも、直ぐに眠ってしまった。私はただこうして彼女が目を覚ますのを待ってるしかできない。

 

「おい。」

「出た、役立たず。」

 

私はもう4年近い付き合いになる同い年の少年にそう罵った。その少年は酷く顔を歪めたが何か言い返してくることはなかった。

 

「カゲ、何か酷い言われようだね。」

「こいつの言葉は一々反応してたらきりがねぇんだよ。」

 

役立たずと罵った少年の後ろに同じ制服を着た体格の良い少年と人当たりが他のよりよさそうな少年が立っていた。それに荒船。

 

「刈谷、お前毎日来てるのか?」

「そうよ。別にいいでしょ?ボーダーの本部に行ってるわけじゃないんだから。」

 

あんなことがあった後なのに、学校は何事も無かったかのようにある。それは恐らく、一般市民の被害者がいなかったことが大きいのだろう。先程役立たずと罵った少年だって、本当は何かしていたのかもしれない。私は何も出来なかった。悔しくて、涙が溢れて来る。ポロポロと溢れる涙を見て男性陣はゲッとした顔をした。

 

「っ。」

「だ、大丈夫だよ。直ぐに目を覚ますって。ほら、皆も何か言ってよ。」

 

そう言ってきたのは体格の良い少年だった。

 

「そうだって。大丈夫だ、刈谷。神崎の事だ。直ぐに目を覚ます。」

 

泣き出した私を慰めようと必死に皆が何かを言う。それでも私には響かない。

 

神崎蓮奈は私にとって神様みたいなものだった。兄さんを殺した近界民を殺せる私の大切な人。でも、その力は決して望んで手に入れたわけでは無かった。手にしたくなくとも、手にしなければならない。そんな場所で生きてきたこの人。大切な人を亡くしたこの人を支えたいと思った。私を助けてくれたこの人を。

最初は一緒に居たかった。それはきっと自分が安心したかったから。兄さんみたいに死なないんだと安心していたかった。でも、この人と一緒に居て私は知った。この人が高い建物が苦手で、大きな窓が苦手で、人混みが苦手で。色んな事を知らなくて。単純な愛という感情さえ知らない。それが凄く寂しくて、私が愛を教えてあげたくなった。高い建物は怖くないんだよって、大きな窓は怖くないんだよって、人混みは怖くないんだよって。私がこの人を守ってあげられる事が出来るんだって。思っていたかった。

でも、やっぱり私はこの人を守れないのだろうか。支えられないのだろうか。

 

羨ましい。近界民と戦える強さを持った人たちが。私にもそれが出来れば、絶対、怪我なんてさせなかったのに。どうして、影浦に出来て私には出来ないのか。『才能』なんて言葉一つで片付けられた私には、どうすることも出来ない。『才能』さえあれば、私にも扱えたと言うのか。

 

悔しい。悔しい。悔しい。

 

何度も袖口で目を擦る。それでも涙が止まる事はなった。影浦が私の横を通ってあの人を見降ろした。穏やかな呼吸を浮かべているあの人を見て、一つ溜息を付いた。そして面倒くさそうに頭を掻いた。

 

「刈谷、お前が何をそんなに羨ましがっているのか、大体想像がつく。お前は確かに、近界民を倒せねぇ。その『才能』が無かった。でも、お前はいつだってこいつを救ってたじゃねぇか。」

「ぇっ?」

「こいつの、高い所を怖がるのは誰が治した?大きな窓を怖がるのを誰が治した?人ごみを怖がるのを誰が治した?全部、お前だろ。何時も隣にいて、色んな所に引っ張って行って。いつもお前が手を引いていたから、コイツはそう言うのを治せたんだろ。コイツは楽しそうに笑って高校に通えているんだろ?」

 

影浦は私を真っ直ぐ見てそう言ってきた。

いつも、外を見ている理由を聞いた。そして私はそれを聞いてこの人のトラウマを知った。私はこの人のトラウマを治してあげたくて色々な場所に行った。公園だって、映画館だって、お買い物だって。沢山の場所を連れまわした。私は何時も彼女の手を握っていた。そうしたら分かるのだ。彼女が緊張した瞬間が。ピクッと一瞬手を握る力が強くなる。私は影浦の様な特別な物は持っていない。だから、私は私の全てで、この人を感じていたかった。

 

「それは、俺には出来なかった事だ。何時もビクビクしながら外を歩いていたコイツの警戒心を無くさせたのはお前だ。お前はきちんと、コイツを守れてるし、救えてる。たくっ、コイツと同じ様な事で悩んでんじゃねぇよ。」

「ムカつく!」

 

私は影浦にそう言った。涙は未だにポロポロと流れ出ている。

 

「ああ!?」

「どうしてアンタには相談して私には相談してくれないのよ!」

「ボーダーの事だったからだろ。」

 

私はビシッと影浦に指さした。

 

「見てなさい!絶対、ボーダーの研究員になって蓮奈の悩み相談だって私がしてあげるんだから。貴方の出る幕なんて一瞬さえ無くしてやるんだから。」

「やれるもんならやってみろよ。」

「二人とも、ここ病院だから。もう少し静かにして。お願いだから。」

 

そう、私達をなだめようとする体格の良い少年。

 

「えっと、刈谷さんでいいのかな。北添尋です。宜しくね。」

 

私が少し落ち着てきたように見えたのか、体格の良い少年がそう挨拶してきた。

 

「北添、君。どうも。」

「こっちは村上鋼。カゲの同級生。」

「どうも、村上だ。」

「どうも。刈谷裕子です。」

「刈谷さんとカゲって仲良いんだね。」

「よくありません。」

 

北添君の言葉に私は即答した。これと仲がいいなんて思われるのは心外だ。

 

「ただの恋敵です。」

「おい!」

 

そう言うと場の空気が固まった。そして視線が影浦へと向く。

 

「それって、あれだよね。刈谷さんと神崎さんが恋敵って事だよね。」

「違います。私と、あそこの役立たずが恋敵って事です。」

 

北添の問いに私はそう答えた。同級生である荒船は頬を引きつらせている。

 

「えっと、カゲの事は置いておくが。お前もしかして神崎の事好きなのか?」

「好きじゃないわ。」

 

私がそう言うと何故か周りはホッとした様に息を飲んだ。

 

「世界で一番愛してるのよ。」

 

私は腰に手を当ててそう得意げに言った。そしてやっぱり?と言った顔をされた。解せぬ。

 

「お前たちの距離が近かったのは、そう言う事か。」

 

荒船は額に手を当ててそう言ってきた。

 

「近かったって?」

「何をするにも刈谷は神崎の隣にいるし、何処に行くにも手を繋いでいるし、すぐ抱きつくしで。学校じゃ付き合ってるんじゃないかとか色々噂があんだよ。こいつら。」

「まだ付き合ってないわ。私の片思い中よ、荒船。」

「あれで付き合ってないのか。お前達、今時のカップルでも恥ずかしくてやらないようなことやってるだろ?お弁当を食べさせ合うとか。」

「まさに、愛のなせる技ね。」

「お前ら、学校で何してんだよ。」

 

そう影浦が呆れたようにいう。後ろの二人も苦笑いをしていた。

 

「刈谷は神崎の何処が好きなんだ?」

 

そう、村上くんが尋ねてきた。

 

「綺麗な金色の髪が好き。深い海の様な瞳が好き。私の名前を呼んでくれる口が好き。私の言葉を聞いてくれる耳が好き。私の心配をして頬に触れる手が好き。顔を埋めると柔らかくて気持ちいい胸が好き。抱きつくのにちょうど良い細さの腰が好き。私を探して歩く足が好き。私の事を信頼してくれる心が好き。ちょっと羨ましいけど、影浦と話していて楽しそうに笑っている表情が好き。私は、神崎蓮奈の全てが好きよ。」

「熱烈だな。」

「でも少し意外だね。」

「なにが?」

「カゲと楽しそうに笑ってるって神崎さんが好きって。嫉妬しないの?」

 

北添君はそう尋ねてきた。私は頷いた。

 

「勿論、嫉妬するよ。羨ましいとも思うし、妬ましいとも思うけど。それ以上に、私は蓮奈が楽しいなら、私も楽しいし嬉しいから。」

「これ、カゲに勝ち目あるのかな?」

「さあ、結局選ぶのは神崎だろ?」

「でも、すっごい良い子だよ。」

「カゲだって、良い奴だよ。」

「おい、そこ。勝手なこと言ってんじゃねぇよ。」

 

そう北添君と荒船が言う。影浦は面倒そうに舌打ちをする。私はこの人の手を握った。大丈夫。この手はまだ温かい。

 

「私には、蓮奈を守れるだけの力はないから。だから、それまでは影浦に蓮奈を守らせてあげる。でも、それは私が大学を卒業するまでよ。大学を卒業したら絶対ボーダーに就職するんだから。そうなったら、貴方なんて必要ないんだからね。」

「さっきから聞いてりゃ、随分好き勝手ぬかしやがって。」

「ふん、好きな人の事を好きって言えない意気地無しには用は無いわ。」

 

影浦は拳を握り、こちらを見てくる。これはやばいと思ったのか北添君が影浦を抑える。そして村上君が影浦を宥める。

 

「流石に女の子に暴力はダメだよ!」

「落ち着け、カゲ。ここは病院だぞ?」

「この女は昔からムカつくんだよ!」

「何事も暴力で解決しようとする。バッカみたい。」

 

ふっと鼻で笑うと北添君の腕の中でさらに暴れ出した。しかし、彼はよくあれだけ暴れている影浦を抑えていられるな。ただのぽっちゃりでは無いわけか。

 

「そうだ、荒船。北添君と村上君はボーダーなの?」

「あ?まあ、そうだな。北添はカゲのチームメイトだ。鋼は違うがな。」

「荒船は?」

「俺も違げーよ。」

「ふぅん、北添君はよくあんなのに付き合ってられるわね。」

 

私は腕を組みながら感心した様に言った。

 

「何か8回くらい喧嘩して仲良くなったらしいぞ。」

「えっ?北添君、どうしてつぶしてくれなかったのかな。」

「お前、時々恐ろしい事言うよな。」

 

荒船は大きく溜息をついた。

 

「ねえ。」

「あ?」

「ボーダーにいる時の蓮奈は楽しそう?」

「俺はお前より神崎を見て入るわけじゃ無いが、まあ、楽しそうだな。」

 

その言葉を聞いて私は安心した。自然と顔に笑みが溢れる。

 

「そう、良かった。」

「まるで母親みたいなだな。」

「まあ、蓮奈はあんまり親と一緒にいた事ないみたいだし。蓮奈のお母さん、ここに入院してるのよ。知らないの?」

「知らねぇよ。そこまで仲良くねぇしなぁ。」

 

私は荒船を見上げた。

 

「蓮奈のお母さん、14年前に近界民に会ったんだって。」

「良く生きてたな。」

「そうだね。それでね、娘が白くて大きな怪物に連れさらわれたって言いまくったみたいなんだ。それで、誰にも信じてもらえなくて今は精神科の方に入院してるらしいわ。」

「14年前か…。はっ?攫われた?」

「?うん、攫われた。」

「おい、お前それ言うなって言っただろ!」

 

私達の会話が聞こえていたのだろう。影浦がそう叫ぶ。

 

「マジか…。」

「本当に知らないの?みんな知ってると思ってたのに、ボーダーの人たちは。」

「まあ、あんまり言う事じゃないか。だから、神崎は読み書きが苦手なのか。」

「うん、蓮奈は日本語を話せるけど読み書き出来なかったんだ。読めたのは平仮名位かな。」

「こいつ、良く進学校なんて通えてるな。」

「私の教育のおかげです。」

 

そう言うと荒船は呆れた様な目で見下ろしてくる。

 

「愛されてんなぁ…。」

「ふふ、でしょう?」

 

 

そう言いながら笑みを浮かべる彼女は恋する女の子そのものだった。手を後ろで組み、笑みを浮かべる。




お疲れ様でした。

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神崎蓮奈による『月が綺麗ですね。』の返答例

それは、呪いのような物だった。心に巣食った呪いが私の中で根を張り、その内体中に絡まった。それは体を突き抜け、地面にまだ根を張った。私はとうとう、そこから動く事は叶わなくなった。でも、私にはもう動く気力が無かった。だから、呪いをどうこうしようとは思わなかった。

 

上を見上げれば真っ暗な空があった。下を見れば私は裸足で立っている。私は水の上に立っている。

 

「お姉ちゃん。」

「なぁに?」

 

後ろから声が聞こえた。それは声だったのか。ただ、聞こえたと思っていたいだけだったのかもしれない。後ろを振り返ってもあの子はいない。でも、確かに私をお姉ちゃんと言う声が聞こえた気がした。私の事をお姉ちゃんと呼ぶのは呼ぶのは、彼女だけだ。

 

「ありがとう、お姉ちゃん。」

「私は、貴女を守れなかった。」

「でも、お姉ちゃんはちゃんと私のお願い、叶えたてくれたよ。私をパパとママの所に連れて行ってくれた。」

 

彼女の声音は嬉しそうだった。その声を聞いて私は安堵の笑みを浮かべた。彼女が嬉しいなら、私も嬉しい。

 

「そう、それは良かったわ。」

「だから、お姉ちゃん。私は幸せだよ。確かに、辛かった。家に帰れないのも。パパとママに会えないのも。でも、お姉ちゃんがいたから、私、家に帰れるかもって思った。家に帰りたいって思ったの。」

 

そう言って私の腰に抱き付いて来た。真っ白で細い腕に触れた。弱弱しく細い腕。この子はあの頃から変わっていない。

 

「お姉ちゃんと過ごした3年間。とっても楽しかった。嬉しかった。一人じゃないんだって。私は幸せだった。今のお姉ちゃんの隣には素敵な人たちが沢山いる。ずっと手を引いてくれている人達が。」

「私は…。」

「お姉ちゃん、大丈夫。私はずっとお姉ちゃんと一緒に居るよ。お姉ちゃんが迷わない様に。ずっとお姉ちゃんの中にいるよ。」

 

優しく諭す様に彼女はそう言った。私の腰に顔を押してつけて。

 

「お姉ちゃん、後ろ向きで後退する事は前を歩いてることにならないんだよ。前を向いてちゃんと歩かなきゃ。後ろは私に任せて。お姉ちゃんのこと守ってあげるから。」

「貴女は生きたいって思わないの?」

「私は死んだの。死人に口なしだよ、お姉ちゃん。死んだら何を願ってもどうしようもないんだよ。」

「それ、意味違わない?」

「私より、生きているお姉ちゃんが幸せじゃない方がいや。私は十分、お姉ちゃんから幸せを貰ったもん。」

「それは、私がそう思いたいだけでは無いの?私が、貴女に許されたのだと思いたいだけでは無いの?」

 

私は彼女に触れながらそう尋ねた。そこにある筈なのに温もりが感じられない腕に触れた。

 

「それじゃあ、いけないの?」

「え?」

「私は死んだ。死んだ人間の気持ちなんて誰にも分らない。私にだってわからないんだから。お姉ちゃんに分かる訳ないよ。お姉ちゃんは許された。それでいいじゃない。……泣いてるの?」

 

ポロポロと涙が溢れる。自分ではどうしようもない。

赦されたいと思っていた。でも、償う人がいないのにどうやって赦されればいいのか、私にはわからないかった。許しを乞うても、一人ではどうしようもない。

 

「お姉ちゃん、こっち向いて。」

 

私は涙を流しながら、後ろを振り返った。

 

「しゃがんで、お姉ちゃん。」

 

私は久しぶりに彼女の顔を見た。黒い髪に黒い瞳の彼女が私を見ている。その子は小さな手で私の頬を包んだ。そして私の額にキスをした。

 

「私が泣いた時、お姉ちゃんがこうしてくれたから。」

 

そして彼女は私に手を差し出してきた。わたしはそれを受け取った。真っ黒な十字架。渡した彼女はもう私の前にはいなかった。私は十字架を抱きしめた。

 

 

 

 

 

 

 

眼が覚めるとそこは病院だった。ああ、腹を刺されたんだと思い出して納得した。そして、また生き残ったのか、と自身の悪運の強さに呆れて溜息をついた。眩しい光がレースの向こうから溢れている。頬が濡れている。それを拭い、私は体を起こした。

 

「イタタッ。」

 

取り敢えず、ナースコールか。看護師が来て色々と説明された。トリオン切れの所為もあったのか、5日間ほど寝てたらしい。暫くは絶対安静と言われてしまった。これから暇な生活が始まるのだろうか。あ、でも。トリオン体になれば本体は絶対安静なのでは無いだろうか。こう言う生活を昔した事がある。あの時はいつも話し相手がいてくれた。

 

「蓮奈。」

「お母さん。」

 

窓から空を見ていた私に話しかけて来たのはこの病院で入院している母親の神崎葉子だった。

 

「看護師さんから、貴女が目を覚ましたって聞いてね。いつもは貴女がベッドに寝ている私を見ているのに。逆になると何だか不思議だわ。」

「私も、不思議な気分。ねぇ、お母さん。」

 

神崎葉子は近くに置いてあったソファに座った。

 

「なぁに?」

「心配かけて、ごめんね。」

「貴女がまた、あの白いのに連れさられるんじゃ無いかって。本当に不安だった。貴女が重傷だって聞いて、倒れるかと思ったわ。でも、生きてくれていたから。…次は、こう言うの無しにしてね。お母さん、持ちそうに無いわ。」

「ええ、わかってるわ。」

「そうだ、貴女と同じ様に大怪我した子がいるんだって。まだ、目を覚ましていないらしいの。玉狛支部の子だって。確か、三雲君だったかしら。貴女と同じ様にお腹に穴が開いたって。」

 

その言葉を聞いて私は少しだけ驚いた。

 

「それはまたお気の毒に。」

「貴方が言える事じゃないでしょう。」

「お母さん、そろそろ昼食の時間だよ。自分の部屋に戻った方が良いんじゃない?」

「そうね、また来るわ。」

「うん。」

 

母はそう言って自分の病室に戻って行った。あの眼鏡と同じ怪我なんてまっぴらごめんだが、怪我をしてからどうこう言うのは不可能だ。昼食を食べ、それからやる事が無くなってしまった。この暇の時間を持て余した私は探検に向かった。探検と言ってもこの病院にはもう何回も来ている。探す物など殆どないのだが。点滴をうたれながら私は病院内を歩き回った。

 

絶対安静?

そんな言葉、私の辞書にはない。

 

「神崎?」

「あぁ、風間ちゃん。」

「歩いて大丈夫なのか?目が覚めたのは数時間前と聞いていたが。」

「大丈夫よ。医者には絶対安静って言われてるから。」

 

そう言うと無表情な風間は眉を寄せた。

 

「神崎、絶対安静の意味は知ってるか?」

「知ってるよ。寝たままで居ろって事でしょ?」

「それが分かってて何故ベッドから出ているんだ。」

「暇だったから。」

 

そう言うと額に手を当て、彼は大きな溜息を付いた。

 

「いいから病室に戻れ。傷が開いても知らんぞ。」

「別に大丈夫よ。腹に穴が開くのは二回目だもの。」

「お前のその根拠の無い自信は一体どこから来るんだ…。」

「風間ちゃんは何処に行こうとしてたの?眼鏡のお見舞い?」

「それとお前のもな。」

「私の?あら、ありがとう。風間ちゃん。私も眼鏡のお見舞い行こうかしら。」

 

私はそう言って適当に歩き始めた。そして後ろでまた大きな溜息が聞こえた。

 

「そっちじゃない。」

「あら、案内してくれるの?ありがとう。」

「お前の病室にな。」

「えぇ…。」

 

私は諦めるように風間の後を付いて言った。昔からよくしゃべる人では無かった。最初は三輪と同じくらいの年だと思っていた。三輪も昔は彼くらい小さかった。今は成長期なのか身長は追い抜かされてしまったが。風間に入った何時になったら成長期と言うのが訪れるのだろうか。

 

「神崎さん!何処に行ってたんですか?絶対安静って言ったじゃありませんか!」

「はぁい。」

 

私は軽い返事をしてベッドの中に戻って行った。溜息を付くと、溜息を付きたいのはこちらだと、風間に怒られた。看護師から一通りのお説教を食らい、自分がどれ程危険だったかという事を事細かに説明された。こんな事を言われなくとも自分は良く知っている。自分が置かれていた状況がどれ程危なかったのか。これが二度目だからだ。

 

「では、俺はもう行く。絶対にベッドから出るなよ。」

「分かった、分かった。ベッドから出ちゃダメなんでしょ。」

「そうだ。」

「じゃあね。眼鏡によろしく。」

 

私が手を振るのを一瞥すると、病室から出て行った。静かになってしまった病室の中で私は溜息を付いた。今日は水曜日。平日だから高校だってある。私の話し相手はいない。やる事が無いのなら、寝るしかない。私はまだ明るい内から瞳を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――コンコン。

 

ノックの音がする。その音で目が覚めた。窓を見るとすっかり暗くなっている。どうやら夜になってしまったらしい。

 

「どうぞ。」

 

と言うと入ってきたのは、刈谷裕子だった。恐らく中から返事が返ってきた事に驚いたのだろう。裕子は病院の扉を勢いよく開けた。そしてベッドから起きている私の姿を見て涙を浮かべた。

 

「蓮奈ぁ~。」

 

そして私に抱き付いて来た。いつもの様にお腹辺りでは無く、首に腕を回している。彼女のなりの気遣いだろうか。刈谷裕子は涙を流して私をきつく抱きしめた。

 

「ううぅ…。」

「心配かけてごめんね、裕子。」

「本当よ、心配したのよ!バカ、バカぁ。」

 

私は刈谷裕子の頭に手を乗せた。ゆっくりとその頭を撫でた。そして私は夢の中の事を思い出した。黒い髪の少女を見下ろして、私は静かに微笑んだ。

 

「ねぇ、裕子。顔を上げて。」

 

刈谷裕子は涙をポロポロ流しながら、顔を上げた。私は両手で刈谷裕子の頬を包んだ。そして彼女の額に唇を触れた。

 

「へっ?」

 

刈谷裕子はそんな素っ頓狂な声を出した。ゆっくりと唇を離すと彼女は未だに何が起こったのかわからないと言う顔をしていた。そしてゆっくりとキスをした額に触れた。私は優しく頬を撫でた。

 

「泣いてる顔も可愛いけど、泣いてない方が私は嬉しいわね。」

 

笑みを浮かべてそう言うと刈谷裕子は顔を真っ赤にして俯いてしまった。

 

「裕子?」

「つ、次は口にしてくれても良いんだよ!」

 

なんて言って来た。それからうわぁっと言いながら頭を左右に振っている。私は選択を間違ったのだろうか。でも、泣いてる子を泣き止ます時は相手を驚かせたらいいが、私の中の定説だ。現に刈谷裕子は泣き止んだ。ちょっと思っていた反応とは違うが。

 

「落ち着いた?」

「うん、ごめんね。取り乱して。」

「良いのよ。取り乱してしまう原因を作ったのは私だもの。」

 

裕子は私の胸に顔を埋めた。そして数日前の屋上の時の様に顔をこすりつけた。上からではその顔を良く見ることは出来ないが、先程のように泣いている訳では無いようだ。私が頭の上に手を置くと

 

「はぁ。」

 

と、少し高めの声で息を吐き出した。そして手に頭を擦る。甘える時の猫の様だ。しばらく頭を撫でているともう良いのか顔を上げた。私の顔を見て刈谷裕子は笑みを浮かべた。そして彼女の視線は私より奥の方にあった窓へと向かった。蛍光灯が付いているのが残念だが、そこから見える月はとても綺麗だった。

 

「『月が綺麗ですね。』」

 

刈谷裕子がそう言った。

 

「そうね。」

 

私も月を見てそう言った。

 

 

 

「月が綺麗なのは、裕子といるからね。」

「え?」

「私は俯いてばかりで、空を見上げて月を見ることなんてないもの。裕子がいなくちゃ、私は月さえ見つけられない。だから、次は一緒に月を探してくれる?」

 

思わず息を飲んだ。ベッドの手すりを掴んでいた私の手の上に彼女の手が乗った。

 

国語の苦手な彼女が知っている筈が無い。

 

でも、期待していいのだろうか。

 

期待したくなってしまう。

 

目の前の大好きな人からの言葉は、私にとっての最適解となった。

 

湧き上がる止めどないこの気持ちが口から出てしまう前に。

 

「勿論!」

 

私は笑みを浮かべて、そう言うのだった。




お疲れ様でした。

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彼らの真剣勝負

刈谷裕子は紙袋に沢山の本を入れて病院内を歩いていた。最愛の人が目が覚めたのが昨日。一日中話し相手として一緒に居てあげたいが、それは大学受験を目の前にした自分には難しい事だ。だから、自分の持っている本を最愛の人の暇つぶしの為に持ってきたのだ。

 

「わざわざ、ごめんね。こんなに持って来てもらって。」

「良いのよ。私は受験があるから、読んでる暇ないし。」

 

昨日の出来事がまだ頭の中をグルグルと回っている。私を浮き足立たせるには十分な出来事だった。数回のノックの音が響いた。

 

「どうぞ。」

 

と、彼女は言う。入って来たのは黒い髪の少年だった。赤いマフラーを巻い少年は私の姿を見て少しだけ驚いた顔をした。

 

「三輪ちゃん。」

「神崎先輩。元気そうでなによりです。」

「昨日、病院内を歩き回っていたら風間ちゃんに怒られたわ。」

 

そう、彼女はくすくすと笑う。ボーダーで彼女は笑えているんだと思って私は彼女を見つめる。

 

「昨日、陽介達が寄ったらしいんですが、神崎先輩は寝ていたようだったので何もしないで帰って来たと言ってましたよ。」

「あら、そうなの?起こしてくれても良かったのに。暇だから、寝てただけだから。あぁ、そうだ。裕子、この子は三輪秀次君。私と同期の子よ。だから試験会場で会ってると思うんだけど。」

「うーん、流石に4年前の事は覚えてないなぁ。」

 

私は昔を思い出しながらそう言った。

 

「こんにちは、三輪秀次君。刈谷裕子です。」

「三輪秀次です。」

 

物静かな子だった。目つきは鋭い方だと思うが、影浦ほどでは無い。そして影浦より可愛げがある。

 

「あの、刈谷先輩はボーダーの試験を受けたんですか?」

「うん。でも、『才能』が無いからって駄目だった。」

「どうして試験を受けたか、聞いて良いですか?」

 

三輪君はそう聞いて来た。私は頬を掻いた。あまり、人に話せる様な綺麗な理由では無かった。

 

「第一次侵攻の時に家を壊されたんだ。だから、お金が必要だったんだ。」

 

そう、表向きの理由を彼に話した。本当は殺された兄さんの敵を取りたかった。でも、きっと親はそれを分かっていたんだと思う。だから、大学を卒業するまでボーダーに入る事を禁止したんだと思う。私まで先走らない様に。

 

兄さんの死は目の前で見た。大きな白い怪物が兄さんを殺した。兄さんの体に触れて、手が真っ赤に染まっているのを覚えている。ぬるっとした感覚を、一生忘れることは出来ないと思う。

 

「裕子。」

 

昔の事を思い出していると、彼女の声が私を現実に戻した。

 

「何?」

「下の売店でお見舞いに使えそうな菓子を買って来て貰える?」

「……、分かった。」

 

私はそう言って下の売店にお菓子を買いに行った。

 

 

 

「聞かない方が良かったでしょうか?」

 

三輪が少し申し訳なさそうにそう尋ねてきた。その言葉に私は苦笑いを浮かべた。

 

「そうね。裕子のお兄さん、大規模侵攻の時に亡くなってるの。だから、本当は敵討ちがしたかったのかもしれないわ。」

 

そう言うと三輪は少しだけ驚いた顔をしてから、少しだけ俯いた。

 

「そう言う意味では、三輪ちゃんと一緒ね。」

「そう、ですね。」

「裕子は多分、敵討ちをあきらめてないと思うの。ボーダーに就職するって言ってるし。」

「あまり、嬉しそうではありませんね。」

「そうね、敵討ちを成功させた身としては、止めて欲しいかしら。」

 

私はそう言った。それは恐らく、彼にとって許容しがたい言葉だろう。現に彼は眉を寄せている。

 

「理由を聞いて良いですか?」

「敵討ちをするって事は、人を殺すって事よ。」

 

私は外を眺めた。今日は青い綺麗な空だ。

 

「三輪君は、誰かを殺した事はある?」

 

そう尋ねると彼は眉を顰めた。そして頭を振った。

 

「私は正確な人数は覚えてないわ。沢山殺した。この手で沢山殺して、敵を討ったわ。」

 

私は両手を上にあげて見上げた。私は覚えている。血で染まった真っ赤な手を。私には見分けがつかなくなった。この血が自分のなのか、敵の中のか、あの子のなのか。今でも時々、そう見える事がある。したたり落ちる血が見える気がする。それを洗い流そうとは思わない。だってこれは勝利の美酒なのだから。私は両手をゆっくりと降ろした。

 

「殺して、私が手に入れたものは何一つないわ。ただ、私が人として壊れただけ。」

「殺したって、何も変わりはない。もう、私の名前を呼んではくれないし。私に名前を呼ばせてくれない。」

「殺したって現状は何一つ変わらない。それなら、大切な人の手が私と同じ色にならない事を私は願ってるわ。」

 

そう言うと三輪は酷く顔を歪めた。やはり、三輪には許容できるような事では無かった。

 

「まあ、止めはしないわ。私の人生では無いもの。好きに生きて好きに死になさい。それが大切なことよ。他人の意思はそこには無い、私達は私達のやりたい事をやる為に生まれて来たんだから。」

「死人に口無し。どんなに死人が願ったって私達には分かりはしないわ。」

「それは姉さんが敵討ちを望んでないって言いたいんですか?」

「貴方のお姉さんが敵討ちを望んでいるかどうかなんて私は知らないわ。私はお姉さんの事を知らないもの。ただ、私はして欲しくないって話。」

 

そう言うと三輪は黙ってしまった。私はをそんな三輪を見て微笑んだ。それから三輪を手招きした。三輪はこちらに近付いて来た。そして私の横まで来た。

 

「ほら、しゃがんで。」

 

三輪は怪訝な顔をしてしゃがんだ。私は彼の頭の上に手を乗せた。そして子供みたいなさらさらした髪を撫でた。

 

「頑張れ。それを成し遂げた時、新しいものが見つかるわよ。」

「……はい。」

 

私は三輪の頭から手を離した。三輪とは付き合いが長い。それに三輪は私と似ている。なので心配になったりする。そう言った意味でよく気にかけている。

 

「三輪ちゃんは眼鏡のお見舞い行った?」

「いえ…。」

「そう、ならよかった。私の代わりに眼鏡のお見舞い行って来てくれないかしら?裕子に行って来て貰ってもいいんだけど、ボーダーじゃないし。面識のない子がお見舞いに行っても困るでしょう?」

「別な人に頼んでください。」

「誰がいつ来てくれるか分からないんだもん。ね、お願い。三輪ちゃん。」

 

私は手を合わせて頼んでみるが、彼は頷かなかった。

 

「アイツは玉狛です。」

「そうね。」

「裏切り者の玉狛の人間なんかに…。」

「意見の相違は誰にだってあるでしょう。」

 

私は冷蔵庫の中から水を取り出した。そして少しだけ飲んだ。

 

「それは、そうですが。神崎先輩は近界民を許せるんですか?」

「そう言う意味では私は人間も近界民も許せないわ。近界民は私の友達を殺したし、人間は私を助けに来てはくれなかった。」

「それは…。」

「まぁ、それは仕方ない事って言う事になってるわ。私の中では。」

「買って来たよ、蓮奈。」

 

そう言って入って来たのは刈谷裕子。

 

「三輪ちゃん、お願い出来る?」

「…分かりました。」

 

三輪は刈谷裕子からお菓子を受け取ると、一礼して病室を出て行った。

 

「行ってくれるかしら。」

「何があったかわからないけど、行ってくれると思うよ。責任感の強そうな子だったから。」

 

刈谷裕子は三輪の出て行った扉を見てそう言った。

 

「そうね。」

 

三輪は眼鏡のお見舞いに行ってくれる。そう思うことにした。

 

「そう言えば、あいつ来た?」

「影浦君の事?いいえ、まだ見てないわね。まあ、ほら。ボーダーは今後始末で忙しいと思うし。仕方ないわよ。」

 

そう言うと刈谷裕子は面白く無いと言った顔をした。

 

「どうしたの?」

「別にぃ。あれのことだから蓮奈が目を覚ましたって聞いたらすぐに来ると思ったのに。蓮奈が目を覚ます前は結構来てたんだよ。私ほどじゃなかったけど。」

「私が目を覚ましたって聞いて安心したのかしらね。自分の仕事に集中するのは良いことだわ。」

「そうだけど。」

「裕子ももうすぐ受験でしょ?頑張ってね。」

 

そう言うと刈谷裕子は疲れた顔をした。そして近くにあった丸椅子をこちらに引き、それに座った。

 

「うん、必ず合格するわ。あ、そうだ。誕生日の日、空いてる?」

「うーん、どうだろう。本部の日程がまだ上がって来てないからなんとも言えないわね。そろそろランク戦が始まるし。そうなったら暇な私は防衛任務に駆り出されるのよね。」

 

迅も駆り出されることだろう。天羽は無いか。色々な人達が忙しくなるのだ。今思えば何もテストが重なるような時期にやらなくても良いので無いか、と思ってしまう。

 

「蓮奈の誕生日の日くらい休めないの?」

「それは流石に難しいと思うけどなぁ。まあ、シフトが出たら連絡するわ。」

「うん、なるべく早くね。また、一緒にケーキを作りましょう。」

「ええ、良いわね。」

 

刈谷裕子はどんなケーキにしようか、先程から考えているようだ。

 

「普通にイチゴのケーキかしら。ガトーショコラでも良いかも。」

「あまり難しく無いと嬉しいわね。今年で4回目だけど、まだまだ慣れないから。」

「たまには挑戦しないと。でも、そっか。もう4回目かぁ。」

「そうね、こっちに来てから誕生日は裕子と毎年ケーキを作って食べてるものね。」

「そうだね。影浦がボーダーに入ってからはこの時期は忙しいみたいだし。ランク戦だっけ?」

 

刈谷裕子の言葉に私は頷いた。

 

「そう、一時期はA級にいたんだけどね。」

「根付さんを殴って降格したんだっけ?馬鹿よねぇ。」

「仕方ないわよ。影浦君も辛いと思うわ。私なんかよりずっと。」

「辛さなんて人それぞれよ。私にはわからないもん。私からしたら影浦なんて口の悪い唯の男子高校生よ。」

 

その言葉を聞いて私は嬉しくて笑みを浮かべた。

 

「そうね。」

「アイツの事はボーダーに入った後の検査の事とか聞いたけど、私の中ではそれを知る前と知った後の影浦に変わりはないし。私の永遠のライバルよ。」

「裕子と影浦君って何か競ってたの?」

「内緒。決着が付いたら蓮奈にもわかるわよ。」

「そう?」

「そう。」

 

彼女は人差し指を唇に当ててそう言った。彼らは私の知らない間に仲良くなっていたらしい。少し寂しいが、嬉しい事だ。

 

「それに、ライバルは手ごわい方が燃えるわ。」

「裕子は勝てそう?」

「うーん、どうだろう。二人とも全然って感じ。」

「何の競技だろう。影浦君、体力はあるけど運動が得意って程じゃないし。それは裕子も一緒でしょう。卓球とかな?あぁ、ゲームって言うのもあるかもしれないけど。裕子はゲームやらないし。『二人とも全然』って言うのは、どういう意味なの?」

「これ以上はダメ。フェアじゃ無いもの。」

「?」

 

私は彼女の言いたい事が分からなくて首を傾げる。

 

「ああ、もう。可愛いわね。」

 

そう言って裕子は私に抱き付いて来た。

 

「すごいごまかされた感じするわ。」

「いいのいいの。」

 

そう言って裕子は私にじゃれてきた。私は毎度の如く頭を撫でるのだった。昔の私は人の髪の柔らかさも忘れてしまっていた。こう思うと私も随分甘ちゃんになってしまった。

 

「ふふふ。」

「嬉しそうね。」

「えぇ、また蓮奈とこうしてお喋りできるんだもの。嬉しい。本当に、嬉しい。」

「私も嬉しいわ。」

 

コンコンとノックする音が聞こえた。

 

「今日は来る人が多いわね。どうぞ。」

「失礼します。あ、刈谷先輩。来てたんですね。」

「宇佐美さん、こんにちは。私、帰った方が良いかな。」

 

入ってきたのは何だか疲れている宇佐美だった。

 

「そうね、別に帰る必要はないかもしれないけど。勉強した方が良いかもしれないわよ。」

「うん。じゃあ。また明日来るね。」

「えぇ、沢山の本。ありがとう。」

 

刈谷裕子は病室を出た。私が手を振ると刈谷裕子は嬉しそうに手を振って帰って行った。

 

「今回の論功行賞の事について、話しに来たんです。」

「あぁ、そうね。そんな物あったわね。」

「神崎先輩は特級戦功です。」

「ふむ、入院費に消えそう。」

「流石に本部が払ってくれますよ。」

「ブラックトリガーを二人倒したんです。凄いじゃないですか。」

「最初のは兎も角、二人目は次やったら勝てないわね。これ治ったら、太刀川ちゃんに稽古付き合ってもらわないと。はぁ。」

 

宇佐美は私を不思議そうに見ていた。

 

「どうしてわかるんですか?次は勝てないって。確かにブラックトリガーは強敵ですし、神崎先輩は重傷を負いましたが…。」

「今回のも私は勝ってないわ。敵が撤退してくれたからそう見えるだけで、彼には勝ててない。あぁあ、最近は凸砂の練習しかして無かったからなぁ。基礎からやり直さないと。」

 

私は眉を顰めてそう言った。




お疲れ様でした。

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神崎蓮奈と記者会見

三雲修が目を覚ましたらしい。しかし、私は彼に会いに入っていない。行けていない。看護師の監視が厳しいからだ。それでも絶対安静は解かれた。傷口はある程度塞がってきたらしい。

 

「君の回復力には驚かされるよ。」

 

医者にはそんな事を言われた。私も時々思う。私の回復力は普通じゃないんじゃないかって。それでも、私にはそれをどうこうできるものでは無い。その話を聞いた後、私はまた暇になってしまった。だから私は普段見ないテレビを付けた。食堂にあるテレビだ。流石にそこまでは怒られなかった。

 

私は今、テレビを見ている。ボーダーの会見だ。記者たちは色々自分勝手な事を言う。私は人間が嫌いだった。勝手だ。彼等は連れ去られてしまった約20名の命を最早無いものと、救えないと諦める。連れていかれた彼らの事を何一つ考える事が無く、記者たちは彼らを一番最初に殺しているんだ。その自覚の無いせいでどれ程の者達が諦めてしまったのか、あそこで話している者達は知らないんだ。安穏とした場所で安穏とした場所が危険だと騒ぎ立てるただの無知な人間だ。

彼らは本当の危険を知らないんだ。本当の死を知らないんだ。だから、彼らは本当の幸せを知っている。その対極あるモノを知らないから、片方だけを知っているから。幸せなんだ。無知は幸せだ。知らなければ、人で居られるだけ。

 

「ふざけるなよ。」

 

隣に座っている男がそう言った。彼は顔に包帯を巻いている。

右目を隠している。

失明でもしたのだろうか。

 

体中に包帯を巻いている。

車いすに座っている。

もう、歩けないのだろうか。

 

男は酷く動揺していた。掌で顔を覆い、ふざけるなとそう誰にも聞こえない様に呟くだけだった。私は隣からそれを見降ろしていた。

私は知っている。世界は誰にも優しくない事を。世界は平等に優しくない。その平等がどんなふうに人間に襲い掛かるかなんて、分からない。それは、生まれた直後に分かる障害なのかもしれない。それは、生きている時に分かる誰かの死なのかもしれない。それは、生きてから分かる死期の早さなのかもしれない。どれだけ徳を積んでも世界は平等に人を不幸にする。

それは同時に世界はどれだけ悪事を働いても平等に人を幸福にするという事。どれだけの業を背負っても最後には死と言う幸福を与えるという事。

 

幸福の中にいる者には、死は不幸だ。

不幸の中にいる者には、死は幸福だ。

 

知っている者と、知らない者。私の隣にいる彼は一体どちらの人間なのだろうか。

 

記者たちの問いかけを何事もない様に根付さんは躱していく。実際、彼らの鬱憤など根付さんからしたらその程度のものなのだろう。守られている籠の鳥の分際で、ピィピィ騒がしく鳴く。私達が一体何をしていると思っているんだ。彼らは発言の自由をはき違えて、彼らは口から毒を吐く。さも自分が正しいかのように。そして私はそれと同じである事が嫌なんだ。

これは恐らく潔癖症のようなものだ。この世の生物が何と穢れているのだろうと思ってしまったあの時から。石のように固くなった心は割れる事しかしなかった。

 

「彼らの働きがあったからこそ、民間人死亡者0に繋がったと考えています。彼らの犠牲があったからこそ、市民を守る事が出来たんです。」

 

私はその言葉が酷く、痛かった。ボーダーは連れていかれたC級隊員がどこの国にいるのか知っていながら助けに行く気が無いのだと、そう言っているからだ。だから、根付さんは『犠牲』だと言う。その『犠牲』がどれ程辛いものか、彼らは知らないから。

私は強く拳を握った。爪が自分の皮膚に食い込んでいることなど、今の自分には考えている余裕などなかった。助けに行かない事を裏切りだと感じるのは、私がそれほどまでにあの組織を信用してしまっているからなのだろうか。最初からそう言う組織だったではないか。城戸派も、忍田派も、玉狛派も。誰も彼もが、助けることなど頭になかったでは無いか。敵を殺すか、今あるものを守るか、敵を作らないか。それしかなかったでは無いか。

 

「今回訓練生ばかり狙われたという事は、訓練生は緊急脱出が出来ないと近界民側に知られていたという事でしょうか?」

 

その質問で、私の思考は落ち着いた。確かにそうだ。彼らは最初からC級隊員を狙っていた。

 

「あぁ、そう言う事か。」

 

数週間前、あの眼鏡が学校で訓練生でありながらトリガーを使って戦った。その戦闘が一体どう言う物であったか私は見ていないから知らないが、イレギュラー門が開いたという事はそこには確実に偵察用のラッドがいたはずだ。その時に知られたのだろう。つまり、今回の犠牲者は完全に三雲修の判断によって生まれたもの、という事か。

 

これは庇えない。どう考えても、彼のせいなのだ。だけど、彼がいなければ数週間前の事件で犠牲者を出していたかもしれない。どちらにしろ、『犠牲』が出ていた。後か先か、それだけの問題だ。

ただ、痛いのは緊急脱出と言う知恵をアフトクラトルに与えてしまったという事だ。もし、彼らが今後緊急脱出を使ってくるなら今度は死者を出すかもしれない。

 

そう考えて視線をテレビに戻した。そして私は驚いた。そこには入院中のはずの三雲修が立っていた。私は先ほど考えていたことなど吹っ飛ぶくらいに驚いていた。何回も瞬きをしてそれが現実なのかと疑った。自らの頬を引っ張った。

 

「痛い…。どうして、彼が。」

 

私はそう呟かずにはいられなかった。病院服に松葉杖を付いて彼は根付さんを見詰めて立っていた。眼鏡が質問があれば答えると言うので、そして記者は上ずった声で質問をしようとしたが、忍田さんに止められてしまった。それから記者たちが眼鏡に質問をした。記者たちの質問は彼の罪悪感に訴えて来るような質問ばかりだった。記者たちは感情的に質問し、眼鏡はそれに対して淡々と受けえ答えをしていた。私にはそう見えた。記者たちは悪役が欲しいんだ。そして丁度いい悪役になれそうな役者が登場した。なのにそれは悪役になるには不十分だった。悪役になるには彼は正しすぎた。そこに『驕り』はなく、そこに『偽り』はなかった。

 

「君ね、もう少ししおらしい所を見せたらどうなんだ。さっきから聞いて居れば、開き直っているだけじゃないか。我々が聞きたいのは君が原因で失われた24人の事だ。連れされた若者の人生を君はどう埋め合わせるのか。君はどう考えている?君はどう責任を取るつもりなのかという事だよ!?」

 

私は三雲修を見詰めた。私は期待していたのだろう。もし私の見立てが間違っていなければ、彼は、私の中にある願いの中の一つを叶えるための一手を打ってくれると、そう期待していた。

 

「取り返します。」

 

三雲修はそう言った。

息を飲んだ。私は今日と言う日を忘れないだろう。一生、どんなことがあっても。私は今日と言う日を忘れず、三雲修に感謝する事だろう。

 

「近界民に攫われた皆さんの家族も友人も取り返しに行きます。責任とか言われるまでもありません。当たり前の事です。」

 

漸く、あの子の死が報われた気がした。近界で今も死んでいる人たちの命が漸く報われる気がした。私は手から血が流れていることなど気にせず、心臓の上の病院服を掴んだ。

 

あぁ、心が痛い。

嬉しくて、嬉しくて、嬉しくて。

どうしようもなく、嬉しくて心が痛い。

 

「はぁ、はぁ。」

 

吐きだす息が熱い。体中の血液が沸騰した様に熱が行き場を無くしている。かつてこれほどまでに興奮した事があっただろうか。

 

「彼が言ったように、現在ボーダーでは連れ去られた人間の奪還計画を進めている。すでに近界世界への無人機による渡航・往還試験は成功した。」

 

ボーダーはもう後には引けない。彼は必ず誰かかしらを連れて帰ってこなければならなくなった。涙が溢れた。これで彼らは『犠牲』というただの無個性は言葉で済まされる事は無い。連れていかれた者達がたとえどんなに悲惨な最後であったとしても、残された者達が助かる道が今、示されようとしている。

 

「近界民の世界に隊員を送り込む。そう言っているんですか!?」

「危険では無いのですか!?」

 

そんな質問が飛び交っている。

 

「24人を救うためにさらに犠牲が「更に?」」

「そうか、君達はこの場合将来を見越してたかが24人は見捨てるべき、と言う意見だったな。」

 

城戸さんの言葉に記者たちの間には動揺が走った。それから城戸さんは第一次侵攻の時に攫われた人も対象にいれると言う。私は大きく息を吐き出した。興奮は怪我に良く無い。何回も大きく深呼吸をした。そして会見が終わったテレビを見た。隣にいた男も何処かに行ってしまった。そして私はポケットに入っていた十字架に触れた。

 

「これから、忙しくなるわ。行きましょう。三雲修にお礼を言わなきゃ。」

 

私達は立ち上がり、ナースステーションに向かった。

 

「神崎さん!?その血、どうしたんですか!」

 

よく見ると掌から血が流れていた。看護師に手を取られ、処置します。と言われナースステーションの奥に引っ張られた。両手に包帯を巻かれた。

 

「もう、手をこんなに強く握っちゃダメですよ。女の子なんだから。」

 

私は真っ白な包帯を見詰めた。そこには見えていた赤はなかった。

私は今、幸福の絶頂期にいるのだろう。有紀に赦され、大切な人が二人も出来て、願いが叶うかもしれなんて。

 

幸福な事がこんなにも恐ろしいものだとは知らなかった。不幸があんなにも安心するものだとは知らなかった。

 

「ちょっと、神崎さん?聞いてますか?」

「えぇ、有難うございます。」

「全く、もう。」

 

看護師は呆れたようにそう言った。

 

「すみません、少しお尋ねしたいんですが。」

「なんですか?」

「三雲修の病室を知りたいんです。」

 

そう言うと看護師は親切に教えてくれた。私はその病室に入るとやはりそこに三雲修はいなかった。

 

暫くすると彼等は帰って来た。病室の中にいた私に彼等は驚いた声をあげた。

 

「神崎先輩!?あの、えっとどうしたんですか?」

「どうしたも何も、ここは私の病室よ。」

「え!?」

「嘘だよ、オサム。でも、珍しいね。神崎先輩が嘘をつくなんて。」

「そう言えば、貴方にはそういうサイドエフェクトがあったわね。嘘というより、冗談よ。」

 

私は窓から外を見た。

 

「その手、どうしたんですか?」

 

一度お見舞いに来てくれた雨取がそう尋ねた。

 

「会見を見ててね、根付メディア対策室長とか城戸司令を一発殴ってやろうかと思って。」

「ええ!?」

「私は影浦君と違って降格とか、減点とか無いから。」

「カゲウラ君?」

「根付メディア対策室長にアッパーをして降格と減点をくらった勇者よ。」

「修、彼女は?」

「あ、ああ。ボーダーの先輩の神崎蓮奈さん。玉狛支部に住んでいるんだ。」

「初めまして、神崎蓮奈です。」

 

私は黒い髪の女性に頭を下げた。

 

「えっと、それで…何の用でしょう?」

「貴方にお礼を言いに来たの。」

「礼、ですか?」

「ええ、会見を生で見たわ。貴方のおかげでボーダーはもう一歩も引かないところに来た。ボーダーは連れさらわれた人を連れ帰らなくてはならなくなった。元々、誰もが『犠牲』という言葉で済ませようとしていたけど、もうこれからは通用しない。これで連れさらわれた人達は故郷に帰れる。ありがとう。」

「いえ、そんな。」

「で、あと一つ。」

 

私は真剣な顔で彼に向かった。彼は不思議そうな顔をした。

 

「何ですか?」

「C級隊員の緊急脱出がばれたのは十中八九君のせいだ。それは肝に銘じておきなさい。」

「…はい。」

「じゃあ、ランク戦頑張って。私は毎度の如く遠征にはいくんだろうけど、君達は違うんだからね。一緒に行けるのを楽しみにしてるわ。応援してる。」

「はい。ありがとうございます。」

「じゃあ、私は大人しく病室に戻るわ。お大事に、三雲ちゃん。」

 

 




お疲れ様でした。

感想お待ちしております。


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神崎蓮奈の感情忘却

何をどこまでやるとR18なんでしょうか?


私は今、お好み焼き屋かげうらでお好み焼きを食べている。

 

「お前、良く食うな。」

「病院の食事って美味しくないのよ。」

「知ってるけどさ。」

 

銀色のへらを持った影浦雅人が呆れた様に私の前に座ってこちらを見詰めて来る。私は彼が焼いたお好み焼きを食べる。これで5枚目だ。そして6枚目を注文したばかり。論功行賞で貰った150万の殆どはここに還元されるのだろう。

 

「今日は酒飲まないのか?」

「流石に腹に穴が開いた後にお酒を飲む勇気はないよ。一応、薬も出てるし。」

「そうか。」

「そう。」

 

箸でお好み焼きを切ってお好み焼きを食べた。刈谷裕子は学校で面接の練習があるとかでいない。

 

「お前、これ食べ終わったら何するだ?」

「お好み焼き食べたら?特にすることはないかな。防衛任務は入ってないし、高校から特に宿題が出てるわけじゃないし。」

「じゃあ、暇だな?」

「ん、まぁ。暇だけど。」

「よし、少し付き合え。」

「何に?」

「大学から出てる宿題。お前の所もなんかあるだろ?」

 

そう言われて大学から来ていた封筒の中にそれらしいものが入っていたのを思い出した。

 

「と言うか、影浦君。大学受かってたんだね。」

「どういう意味だ、おい。」

「裕子と話してたの。根付メディア対策室長殴ったでしょう?だから推薦もらえないんじゃないかって。」

 

そういうと彼は舌打ちをした。私はそんな影浦雅人を見て笑みを浮かべる。

 

「裕子も影浦君が心配なのよ。」

「あいつはそんな奴じゃねぇよ。」

「そんなことないわよ。裕子、影浦君の事ライバルだって言ってたよ?」

 

影浦雅人は驚いた表情を浮かべた。数回瞬きをした後、ありえねぇと呟いた。

 

「裕子も何だかんだで口が悪いところとか、影浦君にそっくりね。」

「あいつ、お前の前でそんなに口が悪いところ見せてたか?」

「影浦君と喧嘩してる時とか?」

「あぁ、まぁ。そうだな。」

 

影浦雅人と刈谷裕子はよく口喧嘩をする。それでもよく一緒にいるので本気で喧嘩しているわけではないと思っている。

 

「影浦君も何か注文したら?奢ってあげるわよ?」

「いらねぇよ。お前の見てるだけで腹いっぱいになる。」

「そう?」

 

私は最後の一口を食べた。そして新しいお好み焼きの具が来た。私はそれを受け取って影浦雅人のほうへ差し出した。あきれたようなため息のあと、それを受け取って鉄板で焼き始めた。私はその様子をワクワクしながら見ていた。

 

「お前、昔はこんなに食べてなかったよな。」

「あっちにいた時は、食べ物は本当に貴重だったからね。ふふ、もう昔の生活に戻れないかも。」

「別に、戻る必要ないだろう。ずっとここにいればいい。」

「うーん、それは、どうだろう。」

 

そういうと影浦雅人は鉄板から目を離して私のほうを見てきた。

 

「どういう意味だよ。」

「借りがあるの。命の恩人に恩返しをしてない。」

「腹に一回目の穴が開いた時に助けてくれたって人のことか?」

「そう。」

「忘れちまえよ、借りなんて。」

 

影浦雅人の言葉に私は呆けた。そして数回瞬きをした後、「どういう意味?」と尋ねた。

 

「そのまんまの意味だよ。借りなんて、忘れてしまえ。相手だって何を貸したかなんて覚えてねぇだろう。」

 

影浦雅人は不機嫌そうにそういった。彼らしくないと思った。何かあったのだろうか。私はただ黙って影浦雅人の言葉を聞いていた。彼の言葉にどう返していいのか、わからなかったからだ。

 

「なら、私がここにいる理由もなくなるんだけど。」

「あ?」

「4年前、影浦君お好み焼き奢ってくれたでしょう?」

「あぁ、朝も昼も食べねぇって言ってたからな。」

「私を心配して、貴方は食事をくれた。その恩がある。」

 

私がそういうと影浦雅人は不機嫌そうな顔をした。

 

「お前は、俺に恩があるから一緒にいるって。そういう事か?」

 

私は視線を下げた。昔は、そうだった。恩を返しまでここにいるつもりだった。それから先延ばしにして、次の場所に行くのに躊躇っていた。どうして、私は次の場所に行かない?いつだって、そうしていたのに。

 

「おい、聞いてるのか?」

「わからない。」

「あ!?」

「最初はそうだった。でも、私は君に借りを返せたと思っているの。なのに、私はここいる。君の前で、君の焼いたお好み焼きを食べている。私の欲望のために。空腹という欲望のために。ねぇ、私はどうしてここにいると思う?」

 

私はまだ包帯の巻かれている手を見ながらそう尋ねた。真っ白な包帯が手からあふれ出す血で真っ赤に染まっていくような。そんな気がした。その血はやがて腕を通り服の袖を汚していく。そんなのが見える気がする。

 

「そんなのは、俺にわかるかよ。」

 

私はいつか目の前の彼を殺すのだろうか。彼が私を裏切れば、殺すのだろうか。殺せるのだろうか。今までの奴らと同じように。

 

「お前が、ここにいたいからじゃないのか。」

「私が、ここにいたい?」

 

私がここにいたい。どうして。私は、ここにいたい。人は他人から受けた感情しか知らない。他人からその感情をもらえなければ、人はその感情を知ることはできない。だから、私は相手が送ってきた感情をそのまま返している。感情を知らない私にはそれ以外に感情を知る方法はなかった。それは良い感情は決して多くはない。それでも感情を知るには、それが一番良かった。

 

私はきっと感情が知りたかった。自分になくて、他人が持っているものがどうしようもなく欲しかった。隣の芝は青い。そんな言葉があった気がする。ここにいたいというのはいったい私が受け取ってきた感情の中でどういった感情が一番当てはまるのだろうか。

 

わからない事は、恐ろしい事だ。だから、私は知りたかった。そう、彼らならくれると思った。未だに、私の知らない感情を。あの場所(戦場)では知ることのできない感情を。

 

「貴方はいったい私に何を教えたの?」

 

かすれた声が漏れた。その声を聴いた影浦はまた、眉をひそめた。

 

知っている。

その言葉を、その意味を。でも、それは、私には許容できる重さの感情ではない。

 

「どういう意味だ?」

「人はね、他人からもらった感情以外、知ることは出来ないんだって。だから、貴方は私に何の感情を向けていたの?私に何を教えたいの?」

 

私が首をかしげてそう尋ねると、彼は視線を鉄板に落とした。そして焼きあがっていたお好み焼きを皿の上に乗せた。そして彼は私にそれを差し出してきた。私はそれを受け取った。そして一口食べた。私は彼からの返答を待った。しかし、結局影浦雅人は私の質問に答えてくれなかった。お好み焼きを食べる私を見つめるだけだった。

 

「これから、用事は?」

「今日は特にはないけど…。」

「なら、少し良いか?」

「私は、大丈夫。」

「そうか。」

 

影浦雅人は私にそういうと私の手を引いた。会計を済ませ、彼の家に向かった。手を引かれるまま、彼の部屋に入っていった。部屋のドアを閉め、振り返って影浦雅人は真っ直ぐ私を見つめてきた。私は改めて影浦雅人という人間をじっくりと見た。癖の強い黒い髪。綺麗な黄色い瞳。マスクをしているため今はわからないが、マスクの下には犬のようなギザギザの歯がある。だんだん、気まずくなってきた私は影浦雅人から視線をそらした。影浦雅人は私の手を勢い良く引いた。

 

「うわっ。」

 

私の体は振り回され、ベッドにぶつかりそのまま倒れこんだ。倒れこんだ私の手を彼は掴み、私を仰向けにした。私の上に跨り、影浦雅人は私を見下ろす。

 

「お前は、俺への恩を返すためにここにいるんだよな。なら、その恩。今ここで返してもらう。」

 

私は驚いた表情で彼を見つめた。彼の左手は私の両手を掴み、ベッドに抑え込んだ。私の頭の上に私の両手を置き、彼は顔を近づけてきた。右手でマスクを外した。それをどこかにポンッと投げた。私はこれから行われることに身に覚えがあった。強く瞳を閉じた。

 

「ぁっ。」

 

息が漏れた。首筋に唇が這う。掴まれたままの手に力が籠る。それはそのまま上へ向かう。右手が体の上をいったり来たりする。

 

「ん、ぅ。」

 

耳に舌が這う。吐き出す息が震える。涙が出ていた。どうしてだろう。どうして、悲しいのだろう。

影浦雅人が少しだけ離れた。閉じていた瞳を開いて、私は影浦雅人の顔を見た。眉を寄せて酷く悲しげだった。

 

「嫌だろ。殴ってでも抵抗しろよ。何でやられたままなんだよ。」

「恩を返せって、言ったから。」

「ふざけんなよ…。なら、お前は俺が足りねぇっつったら、何回でもやられるつもりかよ。」

「されるのは、初めてじゃない。前の奴は私が何を言っても辞めてはくれなかった。だから、無駄でしょ。」

 

そう言うと影浦雅人はとても驚いた顔をした。私の両手を押さえていた手がゆっくりと離れていく。

 

「クソッ。」

 

そう悪態を吐く彼はどこか酷く悔しそうだった。

 

「悪い。」

「貴方が悪いわけじゃ無いわ。」

 

右手が私の頬に触れた。

 

「私は、人間としては欠陥してる。私には、わからない。」

「お前は、欠陥なんじゃねぇ。忘れてんだよ。自分から感情を向けることを忘れてんだ。だから、俺に刺さらねぇなんて事になるんだ。俺を初めて刺した時、言ったな。『感情を表に出すのは久しぶりだ』って。」

 

懐かしい話だ。私がここに帰って来たばかりの頃の話だ。まだ、如月結城だった頃の話。

 

「お前は自分から感情を表に出す事を忘れたんだ。」

 

彼は額を私の額にあわせた。

 

「なあ、ここにいろよ。ずっとここにいろ。それじゃあ、ダメなのか?」

「私は、貴方を怒らせたの?」

 

私は影浦雅人の頬に触れた。

 

「そんなんじゃねぇよ。ただ、どうしようもなくお前が好きなんだ。」

「すき…?」

「ああ、好きだ。俺は神崎蓮奈が好きだ。」

 

私はどうしていいのかわからなかった。私に跨っていた彼は私の上から退いた。私は起き上がる気にはならなかった。

 

「わからない。私には、わからないわ。」

「お前は忘れただけだって言っただろ?すぐに思い出させてやるよ。神崎蓮奈は俺に愛されてんだ。」

 

影浦雅人は私の横に寝転がった。先ほどとは遠いがいつもより近い場所に彼の顔があった。私は体を横に向け、彼の方を向いた。私は彼の胸に顔を当てた。彼の手が私の体を抱きしめた。心臓が脈打つ音が早い。緊張しているのだろうか?

影浦雅人の体温は暖かく心地よかった。私は影浦雅人の腕の中で彼を見上げた。手を伸ばして赤い彼の頬に触る。

 

「照れてるの?」

「こんな風に言うつもりはなかったんだよ。もっと、こう…、雰囲気とかあんだろ。」

「確かに雰囲気もへったくれもないわね。」

 

彼は私が見上げてくるのが嫌だったのか強く抱きしめられた。

 

「絶対、その恩人のところに行くのか?」

「そうね。そうじゃないと心残りが出来るもの。」

「そうか。」

「うん。」

 

影浦雅人の手が私の頭を撫でる。少しぎこちない。

 

「迷ったら…。」

「何?」

「俺たちの所とその恩人の所。迷ったら、俺を刺せ。そしたら、連れ帰ってやる。俺がお前を、絶対だ。」

「わかった、絶対よ。」

「ああ、絶対だ。」

 

私は刈谷裕子が私にするように影浦雅人の胸に頭を擦る。猫が甘えるように。そのせいか髪のリボンが緩んでしまったようだ。

 

「ありがとう。」

「ああ。」

 

リボンがスルスルと解かれた。

 

「綺麗な金色。」

「私も貴方の黒い髪、好きよ。」

 

そう言うと彼は私を抱きしめていた手を緩め体を起こした。親指で唇を撫でた。それから彼は私に顔を近づけた。

 

「好きだ、神崎。」

「私は…、ん、んん。」

口の中にヌルッとした感覚が襲った。初めての感覚に私は戸惑いを覚えた。私は影浦雅人の服を強く握りしめた。

 

「んぅ……、ん。はぁっ、あ…。」

 

何をどうしていいのかわからない。タイツを履いている足がベッドを乱して行く。シーツが段々とシワをつくる。心臓が早く脈打っている。酷く煩い。影浦雅人が少しだけ顔を離した。

 

「は…っ、はぁ……。」

 

吐き出す息がとても熱い。肺は沢山の空気を必要としている。

 

「ーーー。」

 

影浦雅人が何か呟いた気がした。私にはその時、何かを正常に判断する余裕はなかった。ただ、さっきより穏やかな表情の彼を見てよかったと、思うただけだった。

 

影浦雅人の顔がもう一度近づいてきた。彼の右手は私の頭の裏にまわった。彼の左手は私の右手を握った。

あぁ、逃げられないのだろうと。そう思った。私はこれから彼に食べられてしまうのだろうか。でも、それもいいと思う私が確かにいた。

 

「んっ……、ふ、ぅん…。」

 

熱い。口の中が酷く熱い。口の中だけじゃない。身体中が熱い。

 

「…ん、んん、…はっ。」

 

艶めかしい水音が耳に残る。深く滑り込ませ、撫でるように抜かれる。舌が柔らかく歯齦をなぞる。ゾワっと背中に何かが駆け抜けて行く。彼を掴む手に力が篭る。

 

「は……、ぁっ。」

 

やがて舌を抜かれ、唇を離されていくと唾液は細く糸を引く。

 

彼の手が少し冷たくて気持ち良いと思ったのを覚えている。

 

神崎から刺さる感情がゾクゾクしたのを覚えている。




お疲れ様でした。

あっれー、私は週刊少年誌の夢書いてたよね…?
ドウシテコウナッタ。


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伽藍に咲く蓮の花、奈の花

「神崎先輩、大丈夫でしょうか?」

 

そう言っている声が遠くで聞こえて来る。私はその声に反応することなく机に項垂れている。

 

「ちょっとどうしちゃったのよ?」

「別に、何でもないわよ。」

 

隣でどら焼きを食べていた小南がそう尋ね来た。

事件だ。私の中ではあれは最早事件とかしていた。3日前の影浦事件以降、私はポンコツになり下がっている。

制服に着替えれば裏表が逆だし、朝食を食べれば零すし、支部の中を歩けば壁に体をぶつける。料理を作れば自分の血でまな板を真っ赤に染めた。掃除機をかければフィルターがつまり、洗濯機を回せば泡まみれになった。

その結果、私はこのポンコツが治るまで何もするなと林道支部長に言われてしまった。

 

「れな、俺のおやつをやるから元気を出せ。」

「ありがとう、陽太郎ちゃん。」

 

私は陽太郎からおやつを貰い、それを食べた。あ、舌噛んだ。うぅ、血の味がする。

 

「神崎先輩、何か悩み事ですか?俺でよければ聞きますよ。」

 

と、烏丸が私にそう言ってきた。私は烏丸の方を見た。烏丸は他人から見ればイケメンらしい。しかし、浮いた話は聞かない。それは私が彼とは違う学校だからだろうか。

 

「では、烏丸ちゃん。聞いて良いかしら?」

「ちょっと、どうしてとりまるには相談するのよ!」

「烏丸ちゃん、貴方…。」

「ちょっと聞いてるの!?」

 

そう横で暴れている小南を放って置いて私は烏丸を見詰めた。

 

「誰かに告白した事ある?」

 

そう言うと首を傾げられてしまった。

 

「いえ、ありませんが…。神崎先輩、誰かに告白するんですか?」

「しないわ。されたのよ。『好きだ。』って。」

 

そう言ってその時の事を思い出してしまった。思い出されるのは珍しく息の上がり、頬が紅潮した彼の顔。それを思い出して私は頭をガンッと机に打ち付けた。

 

「これは重傷ね。」

「それで神崎先輩はなんて返事したんですか?」

「分からない。」

「はぁ?」

「分からないって言ったの。」

 

私は机に頭を置いたままそう言った。

 

「分からないって、好きか嫌いかくらいわかるでしょ?」

「分からないわよ。私の心は伽藍堂だもの。感情なんて物を私は持ち合わせていないから、好きも嫌いも無いわ。」

「がらんどう…?」

「何も無い様な状態って事よ。」

「国語が苦手なのによく知ってますね、その伽藍堂って言葉。」

「唯の雑学よ。雑学。」

 

烏丸と木崎が何やらこそこそと話しているのが見える。しかし、その話を聞こうと思うほど心は落ち着いていなかった。

 

「でも、心が無いって事はそんな告白一つで揺れ動かないですよね。」

「心が無いって言うよりは空っぽって言った方が良いかしら。私の人間らしい感情は多分もう無いわ。」

 

私はポツポツと言った。それを木崎達は難しそうに私を見ていた。

 

「でも、嬉しいとかあるでしょう?悲しいとか、悔しいとか。」

「あぁあ、お師匠様の言っていた事がこんな所で分かるなんて。」

 

私がため息をついて突然そんな事を言うので小南は不機嫌な顔をした。

 

「師匠の言っていた事と言うのは?」

「『名前が無いが故に何者にもなれず、それが故に何者の仮面を被る事の出来る者。』それが『nameless。』」

「ねーむれす…?」

「nameless。名前が無い者。名前とは個人を作り上げる大切な最初の過程。

個人が無ければ、個性はない。

個性が無ければ、そこから生まれる差はない。

差が無ければ、違いが生まれない。

違いが無ければ、それは生物じゃない。

私にはそれが無かった。だから、『神崎蓮奈』と言う仮面を被る事が出来ても、本来の『nameless』が持ち合わせていない物を表現する事は出来ない。」

 

私は立ちあがった。そして窓まで歩き、窓から外を見た。

 

「私は唯、知識として知っているだけ。だから、仮面を被った『nameless』は知識を使ってそれを表現するだけ。そうすれば、貴方達は騙されてくれるから。『nameless』は笑いたい時に笑っていた訳じゃない。笑うべき時に笑っていたの。私達にはそう言う事しかできない。知識の中には『恋』や『愛』だってある。でも、私達にはそれを表現できない。」

「何故だ。」

 

私はそう尋ねてきた木崎の方を見た。木崎は私をギョッとした目で見た。私の頬には涙が流れていた。

 

「大切だから。」

「大切?」

「『nameless』にはトラウマがあるの。誰にも探してもらえなかった。誰も知らない場所で一人だった彼女には自分を探してくれる人は貴重なの。そして彼女はね、漸く手に入れた。探しに来てくれる人を。でも、『nameless』は知ってるの。『恋』や『愛』は表現して『偽る』と最後、破綻するって。傷つけてしまうって。『nameless』には願い事があるの。願いはあっても、希望はない。それを叶えようと思う、欲しいと思う感情は彼女の中には存在しない。彼女にとって彼は自分が『人間』らしくいられるための道具の一つでしかなかった。『道具』が何か感情を向けて来る事は無い。だから、彼女は安心して道具を使って『人間』らしく振舞っていた。『神崎蓮奈』と言う仮面を被り、『神崎蓮奈』と言う人形を人間に仕立て上げた。でも、『namaeless』には想定外の事が起きたわ。」

「それは、何だ?」

「想像以上に『namaelss』は人間になりたかった。彼女が思っている以上に私は人間で居たかった。『人間』の振りしかできなくても私は『人間』で居たかった。」

「どうして、もう人間で居られないような言い方をするんだ?」

「『人間』の振りは嫌なの。でも、私には感情が無いから、『人間』になれない。彼女の中で『人間』とは感情的な生き物だから。『人間』になるには感情が必要だけど、私達にはそれがない。」

 

木崎は眉を寄せる。そして私に指をさしてきた。

 

「お前は何故泣いてるんだ?」

「分からない。予想外の事に『namaelss』が真面に思考できていない。とても不安定で…、どうしていいのか、分からないわ。」

 

私は首を振ってそう答えた。

 

「私はあくまで『仮面』。『仮面』が思考する事は無い。『nameless』は何か知識の感情を自分の物だと勘違いしている?」

「神崎?」

「あぁ、そうか。分かったわ。私は、あの子が羨ましいんだ。」

 

愛される『神崎蓮奈』が羨ましい。いらない。いらない。もう、要らないわ。貴女なんて。

 

「いらない!」

 

行き成りそう叫んだ私に3人は驚いた顔をした。そして私は台所にずんずんと進んでいく。眉を顰めた木崎が私の後に着いてくる。烏丸と小南はその場から動けなかった。彼らにはこれから起こることなど想像もつかなかった。

私は台所から包丁を取り出した。釣れない魚を捌くための包丁。

 

要らないのなら殺さなくては。私は『神崎蓮奈』と言う仮面を殺さなくては。

その心から包丁を首に宛がった。

 

「止めろ、神崎!」

 

そんな言葉は聞こえなかった。両手でしっかりと包丁を握る。それを首から離し、勢いよく首に刺そうとした。しかし、それは木崎に止められてしまった。私は掴まれた手を見上げた。焦った表情を浮かべる木崎に掴まれている腕を引き放そうとした。しかし、彼は見た目通り力が強い。私の腕力だけでどうにかなるような人間では無かった。手首を捻られそのまま包丁を落としてしまった。

 

「離せ、人間!私に触るな!」

 

もう片方の腕で彼から引きなそうとするがそれは叶わない。

 

「ちょっと、何やってるのよ!」

 

私の異常な行動を見て小南がそう声を上げる。

 

「お前が『nameless』か。」

「そう、私は『nameless』。『名前が無いが故に何者にもなれず、それ故に何者の仮面を被る事が出来る者』。」

「多重人格?」

「違う。私は『nameless』だし、『神崎蓮奈』よ。設定を作ってその通りに言葉を話す『仮面』を被るのが『nameless』。今までは『神崎蓮奈』と言う『仮面』に与えた設定を忠実に守っていただけ。それだけの事だ、人間。」

「つまり、今は『仮面』を取ったから俺の事を人間と呼ぶのか?」

「そうだ、人間。いい加減、手を離せ。痛い。」

「なんか、一気に小生意気になったわね。」

 

私は木崎を睨みあげるが、木崎は手を離さない。私は不快感を全面に押し出した顔をしている事だろう。

 

「『拒絶』は立派な感情だ。お前は何処からどう見ても人間だろう。お前は一体何をしたいんだ?」

「言っただろ、知識はあると。適切な時に適切な感情を表現するのは得意だ。でも痛いのは本当だ。痛覚がないわけじゃない。」

 

木崎は私の手を離した。私は手を振った。しっかりと握られた跡がついてしまった。木崎は私が持つ前に包丁を拾い上げた。私はスタスタと歩いてその場所から出て行こうとした。

 

「何処にいくんだ、神崎。」

「少し、散歩に行ってくるだけ。」

 

私はドアノブを掴んでそう答えた。

 

「そうか、遅くなる前に帰って来いよ。」

「わかってるわ、木崎ちゃん。」

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうしたの?そんな暗い顔をして?」

 

病室のベッドの上から私を心配そうに見上げてくる母親。私は何も言わず彼女のに抱き着いた。母親は私の頭に手を乗せた。

 

「何か、嫌なことがあったの?」

「嫌なこと…。私は私が嫌い。」

「ねぇ、蓮奈。貴方は自分の名前の由来を知ってる?」

「知らないわ。」

 

私は首を横に振った。母親の顔を見上げた。彼女は穏やかな笑みを浮かべている。

 

「レナっていうのはね、『平和』とか『喜び』っていう意味があるですって。貴女のお母さんがそう話してくれたわ。」

 

私の人生に平和や喜びがあっただろうか。母は真っ白な紙を取り出して鉛筆で私の名前である『蓮奈』と書いた。

 

「どうして私たちが貴女の名前をカタカナにしなかったわかる?」

「わからないわ。」

「蓮奈の『蓮』はね、ハスの花に使われる漢字なの。『蓮』の花言葉はね、清らかな心とか神聖、雄弁。そういった花言葉があるのよ。蓮の花はね、きれいな水だと小さな花しか咲かせられないの。泥水が濃ければ濃いほど、大きな花を咲かせるんだって。最初は両親を失った貴女がそれに負けないようにって思って付けたんだけどね。その後の方が辛かったわね。泥水という苦境や困難を乗り越えて咲く蓮の花は、気高くて清らかなのよ。」

「『奈』はね、古い字だと『柰』って書くの。『(まつり)』に使われていた『木』のことを表しているの。えっと、確か『唐梨子』だったかしら。『カリン』って言ったほうがわかりやすいかしらね。だからこの漢字はね『(からなし)』って読むのよ。『からなし』の花言葉は『優雅』、『豊麗』、『あなたを救う』。そんな花言葉があるのよ。」

 

紙の上には私の名前の解説のためにいろいろな文字が書かれている。

 

「どんな苦境も困難だって貴女の糧にして優雅に豊麗に清らかな心で人を救える人になってほしい。そんな願いが込められた名前なのよ。」

「私は、優雅でもないし、豊麗でもないし、清らかでもないわ。」

 

そういうと母親は私の頬を両手で包んだ。

 

「いいえ、あなたは優雅で豊麗で清らかよ。蓮奈、貴女はもう少し自分に自信を持ちなさい。貴女は貴女が思っている以上に優しい子よ。自分を自分で貶めてはだめ。」

 

包まれた手が暖かかった。

 

「私には感情がないの。笑うべき時に笑ってる。私は人にはなれない。」

「なら、あなたが今泣いているのは泣くべき時だから?」

 

そう言われて私は初めて自分が涙を流しているのに気づいた。

 

「わからない。」

「わからないのは、貴女の感情だからでしょう?大丈夫、貴女にはちゃんと感情があるわ。それで何があったの?」

「好きって、言われたの。」

 

消えてしまいそうな声でそう言った。

 

「そう、それで驚いてしまったのね。だから、混乱してしまってどうしていいのかわからなくなったのね。貴女はその人のこと好きなの?」

「わからない。」

「そう、じゃあ。別な方向で考えてみましょう。」

「別な方向?」

「そう。貴女はまず彼のことを知っているの?」

「えぇ、知ってる。私がここに帰ってきた時、会ったの。だから、4年くらいの付き合いになる。」

「そう、随分長い付き合いなのね。それで?その子はどんな子なの?」

「どうしてそんなにワクワクしてるの?」

「あら、だってうちの娘は浮いた話の一つも持ってこないんだもの。少し心配になってたのよ。もう22歳なのに。」

 

そう楽しそうに話す母を見て私は笑みを浮かべた。

 

「楽しい?」

「これが楽しいなのか、私にはわからないわ。でも、これが楽しいならいいと思う。」

「そう。これがいつかわかるようになるといいわね。」

「うん。」

「それで?その子と付き合うの?」

「わからない。でも。」

「でも?」

「一緒にいたいって思う。」

 

そう言うと母親は優しい笑みを浮かべた。




お疲れ様でした。

感想お待ちしております。


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『救って下さい』と、蓮は言う

私の手には蓮の花があった。今は蓮の花の時期では無いので造花だが。それを持ってお目当ての人間を探す。連絡は入れていない。そう言えば、今日は玉狛第二のランク戦だったか。そう思って私はランク戦の会場へと足を向けた。遠征には興味が無く、記録を見ない彼がそこにいるとは思えないが。一応、応援するくらいはしてあげていいかと思った。奥の観覧スペースに入るとそこにはすでに唐沢さんがいた。

 

「おや、珍しいね。神崎さん。もう怪我は良いのかい?」

「えぇ、もう大丈夫です。」

「おめかしして、何処かにお出かけでもしてたのかい?」

「おめかし、に見えますか?」

「あぁ、何時も可愛いけど。今日は張り切っているように見えるよ。隊服じゃないしね。」

 

確かに私は今日は私服だ。真っ白なワンピースを着ている。それにジャケットを羽織る。私からしたらいつもの恰好なのだが。いつも、と言うか懐かしい恰好か。最近はずっと制服でいる事が多かったから。

 

「花。蓮の花かい?」

「えぇ、そうですよ。」

「玉狛第二に?」

「違います。彼らは今回の試合、勝つのは当然です。それだけの実力はあります。あの程度の団体を個人でどうにか出来るだけの実力が。」

 

唐沢さんは煙草を吸い、そして吐き出した。私は彼から離れた席に座った。

 

「どうしてそんな遠くに座ってるんだい?」

「煙草の匂いが移るからです。」

「その花、誰にあげるんだい?」

 

私はちらっと彼の方を見た。そして自分の持っている話し視線を落とした。

 

「これは、私を好きだって言ってきた人に。」

 

そう言うと唐沢さんは驚いた顔をした。

 

「へぇ、それはそれは。そんな勇者がいるとはね。」

「勇者、か。そうね、彼は勇者だわ。」

 

彼は根付さんを殴る位の勇者である。

 

「蓮の花には何か意味があるのかい?」

「『離れる愛』。」

「離れる、愛?」

「そう言う花言葉があるの。」

「君がやろうとすることの意味は何時も難しいね。それが、本命では無いんだろう?」

 

唐沢さんはそう尋ねてきた。私は彼の方を向いた。

 

「さぁ?それだけかもしれないわよ。」

「それだけじゃないだろう。だって、君はとても楽しそうじゃないか。」

「楽しそう?そう、私は今楽しんでいるのね。」

 

そう言って私は花に顔を近づけた。匂いがする訳では無い。でも、にやけそうな顔を隠す為にそうした。長らく『仮面』を被りすぎて私は自分を忘れてしまった。私は思いだせるだろうか。思い出して、人になれるだろうか。これは、恐らく不安。そう言う感情。揺れ動く心が嫌いで、弱い私が嫌いで私は『nameless』と言う設定をつくり上げた。師匠のあの言葉を利用して。演じるのは得意だ。だから私は『nameless』を演じる『仮面』を演じた。そうしているうちに私は自分を見失った。それに気付いていても私にはどうすることも出来なかった。それがあの場所で私を守るための術だったからだ。

 

私は席から立ちあがった。

 

「おや、もう行くのかい?」

「えぇ、どうせ勝つって分かってる試合だもの。」

「そうか。」

「そうよ。」

 

外に出て行った。仕方ない作戦室にでも行こうか。私は心臓の上に手を置いた。鼓動が早い。緊張でもしているのだろうか。大きく息を吸ってから吐き出した。作戦室の前で私は立ち止まった。もう一度大きく深呼吸をし、それから暗証番号を入力した。

 

「あれ、レナだ。」

「光ちゃん。」

「カゲなら今、村上先輩と個人戦しに行ったぞ?」

「みんなどうして私がここに来ると影浦君が目的だと思うのかしら。」

「カゲに連絡入れるか?」

「いえ、大丈夫よ。ランク戦の時期だし、お邪魔しちゃ悪いわ。じゃあね。」

「ほら、やっぱり。カゲが目的だったんじゃないか。」

 

 

 

 

 

 

 

 

屋上から眺める夕焼けは何処と無く寂しげだった。それに今日は風が強い。ジャケットを羽織っているとはいえ、少し寒い。強い風が吹く。靡く髪を押さえると髪を結っていたリボンが緩んだ。このままでは飛んで行ってしまうだろう。私はリボンを解いた。そしてヒラヒラと風に吹かれるそれを見た。屋上のドアが開く。

 

「光ちゃんの仕業かしら?」

「さあな。俺に用事あるんだろ?言えよ。」

 

私は屋上の縁に立った。そして影浦雅人の方を向いた。影浦雅人は眉を顰めた。

 

「私はね、いつだって演じていたわ。」

「いつだって演じていないと私は生きていなけなかった。だから私は、私を見失ったわ。」

「見失った?」

「そう、貴方の言葉を借りるなら『忘れてしまった』わ。」

「『nameless』と言う設定で『神崎蓮奈』と言う設定の人間を演じる。もう、疲れたわ。」

 

私はそう言って空を見上げた。

 

「いつからか、私を忘れてしまったわ。ねぇ、私は誰なの?今貴方と話しているのは、誰?神崎蓮奈?それとも、別な設定?私には、もうそれさえわからない。」

 

再び彼を見た。

 

「お前は、お前だろ。」

「私の中には何もない。あるのは設定だけ。空っぽな心で私はどうしたらいいのか、分からない。」

「空っぽ、良い事じゃねぇか。」

 

そう言った彼の言葉に私は驚いた。

 

「空っぽが良い事?」

「あぁ、良い事だろ?空っぽって事は何でも入れられるって事だ。お前の好きな物全部、お前の中にいれたらいいじゃねぇか。」

「それは、穢れているわ。」

「それはいけない事か?」

「いけない事かは、分からない。でも、汚い人間にはなりたくない。」

 

視線を下に下げた。強い風が吹く。

 

「でも、人になりたい。感情が欲しい。人らしくありたいの。人間らしくない人間なんて、私は人間として認められない。」

「我儘だな。」

「笑いたい時に笑ってみたいの。泣きたい時に泣いてみたいの。すべき時じゃなくて、したい時にしてみたいの。だから、思い出したいの。何が楽しくて、何が悔しくて、何が悲しいのか。私は知りたいの。折角、貴方が好きって言ってくれたの。それを返すのに反射的な物じゃなくて、私の私だけの心を返したい。私のも貴方みたいなサイドエフェクトならよかったのに。」

「俺のこれはそんなにいいものじゃない。」

「そうかしら?」

「そうだよ。」

 

私は屋上の縁から降りた。そして私は彼の方へ蓮の花を差し出した。

 

「何だこれ?花?」

「蓮の花。」

「蓮?」

「蓮の時期じゃないから造花だけど。」

 

影浦雅人は蓮の花を受け取った。

 

「どういう意味なんだ、これ?」

「蓮の花言葉は『清らかな心』、『神聖』、『雄弁』、『離れる愛』。」

「最後に不吉な言葉を言うなよ。」

「それから、『救って下さい』。」

 

そう言うと彼は驚いた顔で私を見下ろした。

 

「私は愛も、恋も、好きも全部知らない。貴方の気持ちに答えられないかもしれない。一生、貴方を待たせるかもしれない。『仮面』に『仮面』を通して湾曲した言葉を届けるしかできない。」

「それでも、お前の言葉だろ?どれだけ頭ん中で変換しても、最後にはお前の口から出たお前の言葉だろう。」

 

そう言って指を刺された。私は自分の口に手を当てた。最後には私の口から出た言葉。それが一番重要な事なのだろうか。

 

「いいか、俺は『お前』を好きになったんだ。俺が欲しいのは『仮面』を被った『神崎蓮奈(お前)』じゃない。俺が欲しいのは『お前の全て』だ。『仮面』を被ったっていう『神崎蓮奈』もその下の『仮面』も、その下にまだ『仮面』があるなら、そいつも。そのずっと下にある『仮面』のないお前も俺は全部ほしい。」

「全部なんて、傲慢ね。穢れた人間の考え方だわ。」

「お前も今からそれに染まるんだよ。」

「それは、なんとも恐ろしい事を聞いたわ。」

 

彼の手が私の頬を撫でる。武骨な男性を想像させるような手だ。その手は大きい。私の手なんかより大きい。どうして男と女はこんなに違うのだろうか。私は彼の手に自分の手を重ねた。外にいるせいだろうか。彼の手は少し冷たかった。

 

「ねぇ、貴方は私の子供が欲しいの?」

「ああ!?」

「だって、好きってそう言う事でしょう?生物の営み上そう言う事なんでしょう?」

「お前にはこう、ロマンとないのか!?」

「浪漫?生物にそんなのを求めてどうするの?」

 

そう言うと頬を引っ張られた。

 

「い、いひゃい。いひゃい。はひすふのお!」

「ムカついた。」

「り、りふしんりゃ!」

 

引っ張られた頬を私は摩った。顎に手を当てられた。私と彼の身長差は10センチほど。私はされる前に彼の口を塞いだ。

 

「私は貴方に救いを求めたけど、告白をokしてないからね。」

「お前なぁ…。」

「私は頑張って貴方を刺すわ。だから、教えて。私が今、なにを貴方に思っているのか。貴方にしか頼めない事だから。」

「ちっ、面倒くせ。」

「ダメ?」

 

そう言うと頭を撫でられた。とても乱暴に。元々風のせいで髪は乱れていたが、更に乱れた。それを手櫛で治す。

手を引かれて強く抱きしめられた。

 

「ちょっと。」

「暫く、こうさせてろ。」

 

人が人を抱きしめる事に何の意味があるんだろう。人が誰かにキスをするのに何の意味があるんだろう。どうして目に見えない愛やら友情やらを信じられるんだろう。

 

彼女には人間らしい感情は失われていた。生きる意志もあまりなかった。苦痛で仕方ない生を引き延ばして何があるのか、彼女にはわからなかった。それでも、やるべき事が出来たから、彼女は生きていた。そのやるべき事が一つ終わって、彼女は最後の一つを終えればその生を終える筈だった。それなのに、彼女は今だに自身の生を終える事が出来ていない。彼女のこれからにとっては感情とは余計なものかもしれない。でも、彼女は人間なりたかった。

namelessは人間になってみたかった。彼女にとって、人間の世界は額縁の絵の中の話だった。いつも絵を見詰めている。現実味のない唯の絵。笑いながら動いているのに彼女の中では額縁の中の世界。だからこそ、彼女は人を殺すことに戸惑いがなかった。絵を引き裂くことに何故戸惑うのか。それでもそんな彼女を額縁に引きずりこもうとする絵が現れた。いつも絵に触れるだけだった彼女の手を掴んで引きずりこもうとする。最初は彼女も抵抗していた。しかし、絵の中の世界は彼女にとってあこがれの様な場所だった。入りたい。入りたいのに、心のどこかでそれを望まない彼女がいた。人間になるのを望まない彼女がいた。人間になってしまえば、終わる事が出来なくなってしまうから。絵と一緒に自分も引き裂かれてしまうのではないかと、不安だったから。

矛盾している。彼女はここに来て矛盾してしまった。自分が分からなくなってしまった。感情を知ると言うこれからの作業が彼女にとって必要な事なのだろうか。

 

「どうして、どうしてって。私の中で疑問がグルグルするの。でもね、それも結局答えが出なくて消えてしまう。」

「何がわかんねぇんだ?」

「目に見えないものを信じられるところとか。」

「なんだそりゃ?」

「愛とか、友情とか。一方通行かもしれないじゃない。それがこれから生きて行くために必要な繁殖行為に気持ちなんていう目に見えないモノを求めたりするところとか。」

「何だそりゃ。」

「効率的じゃない。」

「んな事に効率求めんなよ。」

 

そう言って頭を撫でられた。大きな手が心地よい。私は影浦雅人の肩に頭を預け、瞳を閉じた。少し肌寒いが、影浦雅人は温かかった。

 

「安心してるのか?」

「分からない、でも。温かい。」

「そうか。」

「うん。」

 

この温かさに浸っていたいとそう思うのは、今までが凍えてしまいそうなほど寒かったからだろうか。それとも、私が穢れてしまったからだろうか。

 

「何も理解できない事が穢れていないのなら、何かを手に入れると穢れてしまうのね。」

「そうかもな。」

「何かを手入れるという事は、偏るという事。偏った私には、何が見えるのかな。」

「安心しろよ。俺以外見えねぇようにしてやる。」

「本当、恐ろしい事を聞いたわ。」




お疲れ様でした。

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神崎蓮奈と作戦会議

「ん?」

 

私は今、不思議な光景を見た。覚束ない足取りで食事を運ぶ5歳児の姿。食事は先ほど皆で取った。その食事を目の前の五歳児も取った。確かに迅がいなかったが、彼に態々食事を運ぶだろうか。私はそっと彼の後ろを付いて歩いた。ふと、カピバラがこちらを振り向いて来た。

 

「陽太郎ちゃん。」

「うわぁ!お、おどろかすなよ。れな。おれになにかようか?」

「特に用事があった訳じゃないんだけど、その食事何処に運ぶの?迅じゃないでしょう?」

「おう、ヒュースの所にな。」

 

私は彼の言葉を聞いて首を傾げた。

 

「ヒュース?」

「あふとくらとるのほりょだ。」

「捕虜…。そう言えば、居るんだっけ。捕虜。」

 

ヒュース、か。

 

「私も一緒に行っていいかしら?」

「おう、いいぜ。いっしょにいこう。」

 

私より小さかった彼がいる。11年も前の事だ。あの子も男の子だし、身長が大きくなるのは当たり前か。

 

「それ、私が持つわよ。零したら大変でしょう?」

「むむ、だいじょうぶだ。」

「はぁ、なら陽太郎ちゃんにお任せするわ。」

「まかせろ。」

 

私は彼の後ろを付いて歩いた。ヒュース、白いツノに明るい色の髪の少年。身長が110センチ程の頃しか知らないから私の中では未だに可愛いショタだ。そんな子が私より大きくなっているんだから何だか年月の残酷さを目の当たりにしそうだ。

 

「そういえば、もうだいじょうなのか?」

「何が?」

「れながぽんこうになっただろう?」

「ああ、まだ自分の中であまり整理がついてないけど一応解決したかな。」

「このまえのれなは、めにもあてられなかったからな。」

「ご心配をお掛けしました。」

「まったくだ!しのうとするなんて、つぎそんなことをするならしばらくれなのおやつはぬきだからな!」

 

プンプンと怒ったように頬を膨らませる陽太郎。私は笑顔でごめんね、と言った。そうすると反省の色が見えないと怒られてしまった。

 

「ほら、そんなカリカリしてると食事溢しちゃうよ?」

「む、あぶないところだった。」

 

陽太郎はまた慎重に食事を運んだ。

 

「ヒュース、しょくじをもってきたぞ!」

 

彼はそう言って部屋の中に入っていった。私もそのあとに続いた。そこには暗い色のパーカーを着ていて帽子を被っている少年。ベットに座っている彼は、こちらを向いている。日本人には見えない、外国人のような顔立ちの少年。

 

「ヒュース。」

 

私が名前を呼ぶとヒュースは驚いた表情をしてこちらを見上げてきた。

 

「姉さん…。」

 

そう呼ばれるのは本当に久しぶりだ。

 

「ねえさん?れなはヒュースのおねえちゃんなのか?」

「まぁ、そうね。血の繋がりは無いけど弟みたいに思ってるわ。」

「ほう、ではいきわかれのおとうとなのだな!」

「えっと、そんな感じかな?」

 

食事をテーブルに置いた陽太郎はとても嬉しそうな声で私に言った。

 

「ならきょうだいみずいらずだな。じゃまものはたいさんしよう。」

 

そう言って彼らは出て行った。

 

「別に、良いのに。」

 

私は出て行った彼を見送ってそう呟いた。

 

「姉さん、久しぶりだね。」

「えぇ、お師匠様から聞いたけど。本当に私より大きく成ってるなんて。昔はこんなに小さかったのに。」

「もう、10年以上も前の話だ。」

 

私は机の近くに在った4つ足の椅子を引いて彼の前に座った。

 

「どうぞ?と言っても私が作った訳じゃないんだけどね。今日は小南ちゃんが初挑戦したハヤシライスって言う食べ物よ。美味しかったわ。」

「ああ。」

 

彼は小南が作ったハヤシライスを食べた。スプーンでハヤシライスを食べるヒュースは可愛かった。笑みを浮かべて食べているのを見ていると視線を逸らされた。

 

「あまり見られると恥ずかしいな。」

「ふふ、ごめんなさい。可愛くって。」

 

私は頬に手を当ててそう言った。あまりいい気はしなかったみたいでヒュースは眉を寄せた。

 

「そんな顔しなくてもいいじゃない。」

「あまり嬉しくはない。」

「褒め言葉なんだけどね。」

 

私は手持ち沙汰になってしまった。私は微笑むとヒュースはハヤシライスに視線を向け、また食べ始めた。

 

「姉さんは、どうして玄界に?」

「ここがこの子の故郷だから。」

 

私はチョーカーに触れてそう言った。そう言うとヒュースはとても驚いた顔をした。数回瞬きをした後、そうかと言ってハヤシライスを食べる。

 

「その子の親は、見つかったのか?」

「えぇ、見つけたわ。」

「なら、帰ってきてくれるのか?」

 

私は視線を少しだけ下げた。私はどうしたら良いのだろうか。私はどう足掻いてもアフトクラトルに行く。それは決まっている事だ。でも、

 

「えぇ、アフトクラトルには必ず戻るわ。」

 

私の帰りたい場所は、もうあそこでは無いのだろう。

 

「恩返し、出来てないもの。大丈夫、ちゃんと貴方をあの人の所に帰してあげる。私に出来る事は全部やるわ。」

 

私は胸に手を当ててそう言った。

 

「ありがとう、姉さん。」

 

そう言う彼の言葉に私は笑みを浮かべる。

 

「あの人は元気?会った時からお人好しで少し心配になる人だったけど。」

「ああ、元気だ。姉さんも、元気だったか?」

「えぇ、勿論。あれ以来大きな怪我もしていないし。まぁ、お師匠様に斬られてまたお腹に穴が開いてしまったけど。」

 

そう言うと彼は眉を顰めた。私は彼を怪訝な表情で見つめた。

 

「姉さんはどうして玄界の味方をするんだ?今は彼らに雇われているのか?」

「玄界は私の故郷でもあるからね。」

「ここが、姉さんの故郷。」

「そう。此処が私の生まれた故郷よ。」

「でも、姉さんとは何だか顔立ちはここの奴らとは違う。」

「ここは日本って言う国でね、私はロシアって言う国に生まれたの。日本人は黄色人種って言って肌色が黄色いの。ロシア人は白色人種って言って肌の色が白いのよ。顔立ちも少し違うわ。」

 

そう言うと彼は怪訝な表情でこちらを見上げてきた。

 

「なら、どうして姉さんは日本にいるんだ?」

「私の生みの親はロシア人だけど、育ての親が日本人なの。ヒュースだって生みの親はあの人じゃないでしょう?それと同じ様な物よ。」

「そうか、なら。姉さんは、アフトクラトルに帰る事は無いんだな。」

「えっと、ごめんね。そう、約束したのに。」

「いや、主のもとで仕えられるという事は幸せな事だ。」

「あの人と貴方との関係とは少し違うんだけどね。」

 

私は苦笑いを浮かべながらそう言った。ヒュースはハヤシライスを食べ終わって食器をテーブルに置いた。

 

「どう?美味しかったでしょう?」

「まあまあだな。」

「そう?」

 

負けず嫌いの為、そう言っている。私はティッシュを取って彼の口についているハヤシライスを拭いた。むっとした顔をしたが私は気にせず、顔を拭いた。私はそんな顔を見て笑みを浮かべ、それから彼が食べ終わった食器を持った。

 

「これ、片付けて来るわね。」

「ああ。」

「あぁ、それから。耳のそれ、ちゃんと隠しておきなさいよ。見られたら大変よ?」

 

ヒュースは驚いた顔をして何かを言いかけたが、その間抜け顔のまま何も言わなかった。私はそんな彼を見てクスクスと笑って部屋から出て行った。台所で食器を洗った。

 

「おお、きょうだいみずいらずどうだった?」

「楽しかったわ。ありがとう、陽太郎ちゃん。」

「ふむ、くるしゅうない。」

 

食器を洗いそれを拭いて食器棚に戻す。

 

「むかしにくらべて、だいぶんかみがのびたな。」

「ん?そうね。面倒だったから4年くらい切ってないし。前、包丁で切ろうとしたら怒られて以来切ってないわね。」

「びよういんとやらにはいかないのか?」

「髪を切るのにどうしてお金を払うのよ、勿体ない。」

「れなはけちなのか?」

「別に。どちらかと言うと浪費家よ、私。」

 

私は陽太郎を見下ろしながらそう言った。ガチャガチャと開け辛そうな音を立ててから三雲修が入ってきた。何時も一緒の他の2人はどうしたのだろうか。そう言えば、食事の席に彼はいなかった。今頃食べに来たのだろうか。

 

「あ、神崎先輩。」

「お疲れ様、今頃昼食かしら?」

「えぇ、まぁ。」

「そう、温めてあげるから座ってなさい。…随分とお疲れの様ね。何をそんなに悩んでるの?」

 

私は置いてあった鍋に火をかけ、ハヤシライスを温め始めた。鍋の中身をかき混ぜながら私は三雲に目を向けた。

 

「いえ、次のランク戦の作戦を考えていて。」

「次は、何処とやるの?」

「えっと、荒船隊と諏訪隊です。」

「あぁ、荒船ちゃんと諏訪ちゃんの所か。これは何とも遠距離重視と近距離重視で作戦が色々とたて辛いわね。」

 

私は帽子を被っている同級生といつも煙草を咥えている大学生を思い出してそう呟いた。

 

「知ってるんですか?」

「うん、まあ。私は本部所属だし。荒船ちゃんとは同級生だしね。で、何をそんなに苦労してるの?」

「どんなマップが自分たちに有利かって考えていて。」

 

私は彼の言葉を聞いて、鍋から顔を上げた。

 

「ふぅん、そっか。でも、難しいわよ。スナイパーを3人も封じるのわ。」

「それは、分かってるんですが。」

 

三雲は難しそうな顔をして言った。私はハヤシライスを皿に乗せて彼の前に置いた。

 

「有難うございます。」

「どういたしまして。」

 

私は彼の前の席に座った。

 

「あの、聞いて良いですか?」

「何が?」

「神崎先輩ならどんなマップを選ぶかって事です。」

「私?私はどんなマップでやっても荒船ちゃんや諏訪ちゃんに負ける気しないからなぁ。でも、そうね。選ぶんだったら、どちらかが極端に有利なマップかしら。」

「どちらかが極端に有利なマップ?」

「そう。荒船隊も諏訪隊も隊の編成に共通点は無いでしょう?だから、どうしたって片方の対策はもう片方には通用しない。なら、どうするべきか。」

 

私はそう言って三雲に指を刺した。三雲は食べようとしていたハヤシライスを置いて考えているようだ。

 

「えっと、相手に対策を限定させる、とかですか?」

「うーん、まあ。50点かな。いい?戦闘に置いて大切な事は相手の不意を突く事よ。」

「相手の不意?」

「そう、相手が想像するようなこと以上に突飛な事をする事が重要よ。そうね、最近私が練習していた凸砂なんかもそうね。」

「とつ、すなですか?」

「そう、突撃するスナイパー。略して凸砂。スナイパーは突撃するべきでは無いと言う概念を取っ払った戦い方ね。」

 

三雲は驚いたような目でこちらを見てきた。

 

「そんなの、無茶なんじゃ?」

「まぁ、無茶と言うより無謀ね。でも、至近距離でライトニングを撃たれてガードの間に会う人間がどれ程いるかしら?例えば剣を振る要領でライトニングを振ってトリオン供給器官を狙って撃ったとして、ガードできたとするわよね?」

「はい。」

「でも、ライトニングは他のスナイパーと違ってトリオン消費量が少ない分連射が効くし、何より位置がばれるとかを気にする事は無いんだから何発でも打つことが出来る。供給器官がだめでも、そのまま腕とか足とかを持って行くことが出来るかもしれない。それに何よりスナイパーが自分の方に走ってきたら驚くでしょう?」

「そうですね。何か仕掛けがあるんじゃないかってそう思います。」

「でしょ?それに別にスナイパーを撃たなくていい。バックワームが使えないけど、アステロイドとかメテオラとか色々攻めの幅が広がるし。まぁ、攻めてる時点でバックワームは邪魔なだけだら私は着ないと思うけど。そんな感じでね、相手の想像以上な事をするのが大切なのよ。」

 

私は人差し指を立てながらそう少し得意げに言った。

 

「話を戻すわね。私の作戦だと相手が極端に有利だと不利な方はまず間違いなく狙われるわよね。たとえば射線が通らない場所なら比較的近距離な諏訪隊が有利だわ。そうなると諏訪隊は自然とまず、荒船隊を倒そうとするでしょうね。取れる点は確実に取らないとだし。そうなると自然に三雲隊は相手の視線から外れることになるわ。自分達から目をそらす事で不意を打ちやすくなる。白髪ならともかく、三雲ちゃんと雨取ちゃんは戦闘において使えるような駒じゃないからまずは相手がどう出るかの対策より、相手がどう自分から目をそらしてくれるかを考える方がいいと思うけど。」

「そうですね。ありがとうございます。」

「他に考えられるのは…。そうね、あえて自分達を不利にして相手に自分達を探させて敵をかち合わせる。それで削れた所を横取りするって言う『漁夫の利』作戦もあるけど…。まあ、基本は自分達がどれほど利益があるかより、敵にどれ程の不利があるのかと言うことを重要視すればいいんじゃないかしら?」

 

私は首を捻りながら考えていた。

 

「あの、本当にありがとうございます。」

「私の言ったことはあくまで、私なら出来そうな事よ。戦場で自分のできる事出来ない事を見誤ると何も出来ずに死ぬわよ。気をつけなさい。」

 

私は食べ終わった三雲の皿を奪うとそれを洗うために台所に立った。

 

「三雲ちゃん。」

「はい。」

「ちゃんと、助けてあげてね。雨取ちゃんの友達とお兄さん。」

「はい!」

 

そう、大きな返事をする彼を見て私は恐らく安心した。




お疲れ様でした。

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荒船隊vs諏訪隊vs三雲隊

「あ、神崎さんじゃないっすか!模擬戦しに来たんすか?」

 

C級のランク戦ブースでブラブラしていた私に話しかけてきたのは米屋だった。

 

「あぁ、米屋ちゃん。まあ、そんな所ね。もう一回剣の腕を磨き直さないと、って思って。」

 

そう言うと米屋はうへーと言った顔をした。

 

「何よ、その顔は。」

「だって神崎さん。今でも十分に強いじゃないっすか。俺、勝ち越した事無いっすよ。」

「それは米屋ちゃんが弱いだけでしょう?」

「うわっ、傷ついた。流石にそれは傷つきました。」

 

そう言ってガクッと米屋は肩を落とした。私は辺りをキョロキョロと見回してお目当ての人間を探した。しかし、お目当ての人間の人影が見当たらない。

 

「太刀川ちゃん、何処にいるか知らない?さっきらずっと探してるのよ。」

「太刀川さんっすか?」

「うん。作戦室に行ってみたんだけど、唯我しかいなくって面倒だったわ。」

「あぁ、そうなんすか。防衛任務じゃないっすか?」

「そうかしら…。それか、また忍田本部長に掴まったかのどちらかね。なら米屋ちゃん付き合ってよ。暇でしょう?」

「残念。俺、これから古寺とランク戦見に行くんすよ。」

「ランク戦?」

 

私が首を傾げると米屋は少し驚いた顔をした。

 

「あれ?知らないんすか?今日は玉狛第二の二試合目っすよ。」

「あぁ、今日だったんだ。ほら、私ランク関係ないから。興味なくって。」

「まぁ、そうっすけど。どうっすか、一緒に。」

「そうねぇ、太刀川ちゃんは見当たらないし。そうしようかしら。」

 

私は米屋と共にランク戦会場へ向かった。会場にはC級隊員が主だが、嵐山隊や茶野隊がいた。

 

「あら、今日の解説東さんなのね。来て良かったわ。」

「玉狛第二には興味ないのか?」

「無いわね。私からしたら、雑兵に代わりないもの。そんな事より、東さんの解説の方がよっぽど重要ね。」

 

苦笑いを浮かべる米屋が視界の端に誰かを捕らえたらしい。

 

「おーい、こっちこっち。」

 

後ろを見るとそこには正隊員最年少の黒江がいた。私が小さく手を振ると小さく頭を下げてきた。

 

「ここ、空いてるよ。」

 

黒江は米屋を一瞥した。

 

「そこまで警戒しなくても…。」

「警戒なんてしてません。」

「今日加古さんは?」

「米屋先輩には関係ありません。」

 

そうツンツンした言い方をする子だ。古寺も挨拶をするが、帰ってきた言葉は『どうも。』だけだった。それでも古寺は少し照れていた。彼は辻ほどではないが照れ屋さんなのだろうか。

 

「一試合で8点取ったの?」

「おう、そうらしいな。」

 

緑川はそう言えば8対2で負けていたな。

 

「駿が負けたんですか?8対2で?」

「おう、良い試合だったぜ。」

 

そしてその後に自分は未だに空閑と試合が出来ていないと不満がこぼれていた。私はここに来る途中で買ったジンジャーエールを飲んだ。マップは市街地Cの様だ。坂道に家が点在しているスナイパーにとても有利なマップだ。

 

「ああ、そう言う事か。」

 

私は頬杖を付いて呟いた。これは少し詰まらなくなりそうだ。まぁ、彼らが勝てる保障など何処にもないのだが。

 

「今頃、諏訪ちゃんとかはキレてそう。」

「あぁ、そうですね。」

「あの人はなんだかんだ言って分かりやすい人だからねぇ。荒船ちゃんとかはどうしてこのマップを選んだのかって考えてそう。」

 

私がくすくすと笑いながらそう言うと隣に座っていた古寺が相槌を打ってくれる。そして画面には転送開始と言う文字が出た。いよいよ彼らも中位か。中位はまだどうにかなるかもしれないけれど、上位となるとあの三人では太刀打ちできないだろう。今季A級からB級に落ちた二宮隊や影浦隊に勝てるとは思えない。それに負けて欲しくないとも思う。負けると何だかムカつく。

 

「神崎先輩?どうして不機嫌になってるんですか?」

「不機嫌になってない。」

「いや、それはないでしょ。神崎さん。思いっきり眉間に皺よってますよ。」

「不機嫌じゃない!」

 

落ち着かない。ざわざわと常に風に靡されている気分だ。古寺と米屋がお互いに顔を見合わせている。私はどうにかしようとジンジャーエールのストローを咥える。

 

「どうしたんでしょう?」

「さあ?」

 

私はスクリーンに目を向けた。荒船隊と諏訪隊の全員が高台を目指して走っている。荒船隊に高台を取られると諏訪隊はまずなすすべがなくなってしまう。三雲隊は高台を目指さず、部隊の集合を優先させたようだ。そして高台をとった荒船隊はスナイパーを構える。

 

「いやー、本当に。あの子の威力は化け物よね。」

 

雨取がアイビスを撃ったのを見て私はそう呟いた。

 

「古寺君、出来る?」

「いや、無理ですから。わかって聞いてますよね、神崎先輩。」

「うん、聞いてみただけ。」

「神崎先輩なら、出来るんじゃないですか?」

「流石にアイビスじゃ無理だよ。ブラックトリガー使わないと。」

「ブラックトリガー使ったら出来るんですね。」

「うん、この子は優秀な子だよ。」

 

私は逆十字に手を当てて自慢げにそう言った。すると古寺は苦笑いを浮かべる。私には彼の苦笑いの意味が分からず、首を傾げた。

 

再びスクリーンに視線を戻すとそこには諏訪に追われる荒船の姿があった。玉狛に視線を向けすぎてバッグワームで消えた諏訪隊に気付かなかったようだ。車を盾にしてショットガンの銃弾を防ぐ荒船。そんな荒船を援護する様に半崎が諏訪を狙ってヘッドショットした。

 

「あら、凄いわね。」

「あーっと、荒船隊半崎隊員が隙を狙っていた諏訪隊長緊急脱出か!?」

 

しかし、諏訪は半崎のイーグレットをシールドでガードした。

 

「これで半崎ちゃんの位置が割れちゃったわね。」

「そうですね。」

「半崎ちゃんは結構いいセンスだからね。あれが頭じゃなくて胸だったら諏訪ちゃん一発アウトだったわね。」

「何だか楽しそうですね、神崎先輩。」

「そう?まぁ、スナイパーの戦闘は良く見るわね。私がスナイパーって言うのもあるんだろうけどね。だから荒船隊の記録は良く見るわ。見てるとこう、多分楽しいんだと思う。」

「神崎先輩って見かけによらず好戦的ですよね。」

 

意外そうに古寺が行ってくるので『そうかしら。』と、私は返した。私は確かに好戦的な性格をしていると思う。いや、別に戦闘が好きな訳では無い。ただ、私は戦闘に慣れ過ぎてしまって、戦闘をしていない状態が受け入れられないのかもしれない。彼らにとって平穏が日常なら、私にとって平穏は非日常だ。この4年間で大分慣れてきたが、それでもどこかで立ち止まってしまう時がある。ここにいる事が私にとっての最良なのかと。

そして荒船に追いつこうとしていた諏訪に穂刈からの一発が決まった。足を持ってかれた諏訪が頑張って荒船に追いつこうとするが、追いつけない。そしてこれで諏訪隊のマスコット笹森が追い付いた。

 

「これは、白髪が半崎ちゃんを持って行くかしらね。」

「さぁ、どうでしょうか。」

 

バックワームを着た白髪が半崎の後方を取っていた。半崎が後ろを向いた時、白髪は既に屋上へと上がっていた。そこから半崎に切りかかったが、半崎が後ろに体を逸らした事で急所を外した。それは白髪にもわかったのだろう。とどめを刺しに行こうとしたが、堤も上に上がってきておりそれも叶わなかった。

 

「半崎隊員、緊急脱出!」

「スナイパーは寄られるとこうなります。寄らせちゃダメですね。」

「皆、凸砂練習したらいいじゃない。」

「とつすな?なんすか、それ?」

 

私の言葉に米屋がそう尋ねてきた。

 

「突撃するスナイパー、略して凸砂。最近の私のお気に入り。」

「スナイパーが突撃したってしょうがないじゃないっすか。受け太刀出来ないし。」

「躱せばいいじゃない。それにやる事は銃手と変わらないわ。バックワームを着ないで突っ込むのよ。」

「それって利点あるんすか?」

 

と怪訝な表情で米屋がうかがってくる。

 

「あるわよ。アイビス持って特攻して来たらどうする?」

「え?そりゃ、アイビス撃たれる前に斬るしかないんじゃないっすか?」

「そうね。米屋ちゃんにはそれしか対策がとれないでしょう?集中シールドでも相殺できないアイビスの威力で撃てば、まず確実に相手を削る事が出来る。それに凸砂は撃つ距離を選ぶことが出来るわ。それは10メートルなのか、20メートルなのか。はたまた、70メートルなのか。貴方の槍の範囲内にいなきゃ怖いものなんてないわ。旋空や幻踊の射程に入らないで貴方を撃つのは確かに簡単な事じゃない。でも、それは訓練すればどうとでもなる事よ。スコープを覗かないで狙った的に当てる技術と相手の行動を先読みして先に銃口を動かす技術があれば、あれだけの距離を取らなくても十分に相手を撃ち殺せるわ。まあ、欠点としては受け太刀が出来ない事と、外すと寿命が縮むって事かしら。」

「やっぱ難しいじゃないっすか。」

「まあ、簡単じゃないわ。でも、楽しいわよ。なんなら教えてあげましょうか?古寺ちゃん。」

 

今まで聞きに徹していた古寺に振ってみた。

 

「えっ!?い、いえ。大丈夫です…。」

「そう?ま、止まっている的に全弾狙った場所に当たる様にならないと話にならないわね。」

 

そう言うと隣の古寺は凄く暗い顔をしていた。

 

「どうしたの?」

「やっぱ今日の神崎さん、冷たいっすね。」

 

そう言う米屋の言葉に私は分からずに首を傾げるのだった。そして気が付けば堤が白髪のグラスホッパーで倒されていた。

 

「一点か。半崎のも取れていたら美味しかったのにね。」

「なんだ、神崎先輩。やっぱり玉狛の応援しるんじゃないっすか。」

「してないわよ。」

 

ニヤニヤしながら見て来る米屋にそう言った。私はまたストローを咥えるのだった。ズズッと音を立ててジンジャーエールを飲む。

グラスホッパーは昨日、緑川が教えたらしい。そして荒船が空閑を抑えるのに弧月を抜いた。

 

「スナイパー有利のこの市街地Cで以外にも荒船隊が追い詰めらると言う結果に。」

「しかぁし!ここで反撃に転じたのは剣も狙撃もマスタークラス武闘派スナイパー荒船隊長。」

 

確かに異色のスナイパーだ。でも、元々荒船が隊を作った時は荒船はアタッカーだった。確か、荒船がスナイパーを辞めた時村上が泣いたとか。そんな事を聞いた事があるな。その話をすると何故か刈谷裕子はとても楽しそうに聞いていたな。彼女は村上に会った事が無かったはずだ。一体何を想像していたのやら。何故なのだろうか。

そして緑川は荒船と白髪の対決を荒船が負けると予想した。まぁ、確かにあの白髪は戦闘慣れしている。スナイパー装備の荒船には難しい。ふむ、荒船に凸砂を教えてあげようかな。グラスホッパーにつられた荒船の足を白髪が切り落とした。しかし、少し時間をかけすぎてしまったようだ。諏訪が追い付いてしまった。屋根の上から彼らにショットガンを撃つ諏訪。

 

「諏訪ちゃん、あの距離くらい当てなさいよ。全く、下手ね。」

「落ち着いて、神崎先輩。」

「リコイルコントロールがなってないのよ。」

 

私の隣でどうどうっと言った感じに私を落ち着かせようとする古寺。私は至って落ち着いているんだけど。カメレオンを使った笹森に後ろから掴まれた空閑は少し浮いていた。身長が小さいなぁ。なんて思っていると雨取のアイビスが飛んでいった。

 

結局、玉狛が6点。諏訪隊が2点。荒船隊が1点。玉狛の順位は8位にまで浮上した。

 

「良い試合でしたね。」

「そう?つまんないわ。」

「そうですか?」

「試合が用意ドンで始まるのが詰まらない。本当の戦闘に用意ドンはないし、準備する時間なんてないもの。」

「確かに、何時召集されるか分からない状態でやるのは非常にスリルがあると言うか、何というか。」

「だから、マップの設定を一日前には出しておいて、全員が転送される時間は決まっててそれより1時間前にランダムに転送を開始するの。誰がどの順番で何処に転送されるか分からない様にしたらいいのよ。最初に攻撃手とその次に狙撃手が送られて逃げ惑う狙撃手。なんてもの見られて日には、楽しくって夜も眠れ無さそう。」

「なんですか、それ。えげつなさ過ぎますよ。」

「でも、実際の戦場って言うのはそう言うものよ。助けてほしい時にチームが来てくれるとは限らない。個人で対応できる能力って言うのも大切って話よ。」

 

私は最後のジンジャーエールを飲み切って立ちあがった。

 

「それじゃあ、私は帰るわね。」

「何か用事でもあるんすか?この後暇なら模擬戦しましょうよ。」

「うーん、残念。弟に会いに行くの。」

 

そう言うと米屋は驚いた顔をした。

 

「神崎さんに弟なんていたんすね。」

「えぇ、とっても可愛い弟が一人、ね。じゃあ、また今度やりましょう。その時は凸砂の素晴らしさをその身にじっくりと味合わせてあげるわ。」

「楽しみにしてるっすよ。」

 

大きく手を振る米屋に私は小さく手を振って答えた。




お疲れ様でした。

感想お待ちしております。


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三雲隊の絵画鑑賞

米屋達と別れて私は支部に帰る為に廊下を歩いていた。

 

「あら、宇佐美ちゃんに雨取ちゃん。ランク戦お疲れ様。見てたわよ。6点なんてすごいじゃない。」

「有難うございます。」

 

前を歩いていた二人にそう話しかけた。雨取ははにかみながらそう言った。

 

「レイジさんが迎えに来てくれるらしいんですけど、神崎先輩も一緒にどうですか?」

「そうね、それじゃ。お願いしようかしら。三雲ちゃんと白髪は?」

 

私は先ほど頑張っていた他の2人が見当たらないので尋ねてみた。

 

「遊真君は緑川君とランク戦に行って、修君はその付き添いです。」

「そう。ランク戦ね。」

「それにしても珍しいですね。神崎先輩がランク戦見るのって。」

「そうね、私も米屋ちゃんに誘われなかったら見に行かなかったわ。」

 

廊下を歩きながら私は先ほどの事を思い出しながらそう言った。結局、太刀川は見つからないし。今日は何というかついていなかった。宇佐美と雨取は何やら楽しげに話しているが、私はその後ろを付いて歩くだけだった。木崎の車を待っていた。ボーダーの壁に背中を預けて私は彼女達を見ていた。

 

「あの…。」

「何?雨取ちゃん。」

「その基地に帰ったら私の練習見て欲しいんです。」

 

私は彼女の顔を伺った。視線を左右に動かして不安そうにしている。

 

「どうして私なの?貴女の師匠は木崎ちゃんでしょ?」

「レイジさんが言ってたんです。精密射撃に置いて神崎先輩の右に出る人はいないって。」

「精密射撃って、ただ狙った所に当てられるってだけよ。」

「でも、それって凄い事じゃないですか。」

「いいえ、凄い事じゃなくて当たり前の事よ。トリオンの銃弾は重力の影響を受けない。だから弾道落下もしないんだから、それくらい出来ないとどうしようもないでしょう。」

 

それに精密射撃って言うのは武器を撃って壊したりする事が出来る様な技術だ。ただ撃って当てるだけなら誰でも出来る。

 

「私、人が撃てなくて…。」

「人が撃てるようになりたいの?」

「撃てるようになれば、皆の役に立てるかなって…。」

 

私は彼女の顔をじっと見つめた。そして目を細めた。

 

「その話、木崎ちゃんにはしたの?」

「レイジさんは、皆は私が頑張ってるのを知ってるって。無理をするなって。でも、いつかそんな時が来たら私は誰も守れない。」

「千佳ちゃん。」

「貴女は、私の様にはなれない。」

 

私は自分が思っていた以上に冷たい声でそう告げた。そして彼女は驚いた表情で私を見上げている。

 

「どうしてですか?」

「例えば、ここに一枚の絵があったとするわよね。その絵には楽しそうな家族の絵が描いてある。貴女にはその絵に何の思い入れも無い。その絵を貴女は破れる?」

「えっと、それがどんな絵か分かりませんが…。多分破けます。」

「その絵に描かれているのが、貴女の家族でも?」

 

そう言うと雨取は大きく目を見開いた。

 

「貴女は自分のお兄さんやお母さん、お父さんの描かれた絵を破くことは出来る?その絵に感情をうつせずにいられる?」

 

私は小首をかしげてそう尋ねた。雨取はじっと自分の手を見詰めた。

 

「わ、私は…。」

「忘れちゃいけない。誰かを殺すって言う事は、つまり貴女の家族を殺されることと同じ痛みを誰かが背負うって事よ。」

 

そう言うと雨取は私の顔を見上げた。30センチ近く身長差がある私を見上げるのは大変な事だろう。私は雨取を見下ろした。

 

「そして、私にはその痛みが理解できなかった。だから、私は人を撃つのに戸惑わない。私にとって誰もかれもが何の思い入れのない絵と同じなの。額縁に飾られた絵に感動を覚えても決して絵と同じにはなれない。私には世界がそう見えている。」

 

そして丁度木崎の車が来た。私は木崎の車の方へ歩いて行った。

 

「それじゃあ、神崎先輩のお母さんも神崎先輩には額縁の世界に見えるんですか!?」

 

後ろを振り返るとプルプルと肩を震わせる雨取がいた。雨取はお見舞いの時に私の母親に会っている。

 

「そうよ。私にはこの世の何一つ、現実には見えない。」

「寂しくないんですか?」

「それが当たり前だもの。それに寂しいなんて感情は私の中には存在しないわ。私には寂しいなんてものは理解出来ないし、人を撃つことに恐怖なんて感じた事は無い。私と貴女じゃ根本的な所が違う。人を撃ちたいのなら、慣れる事ね。どんなに時間が掛かってでも、人に当てることになれなさい。そうしたら、いつか感覚がマヒして普通に人が撃てるようになるわ。」

 

彼女は下を向いてしまった。それでもそれ以外に人が撃てるようになる方法が思いつかない。私がそうだったように雨取もこれから心に負担をかけて忘れてしまうのだろうか。でも、彼女は私と違って一人じゃない。そんな事はありえないか。でも、一人じゃないからいつまでも甘えられるという事でもある。

私達は車に乗った。後部座席に乗った私の隣に雨取が、宇佐美は助手席に座っている。私は頬杖を付いて暗い外を眺めていた。

 

「あの、さっきの話なんですが…。」

「何?」

「人を撃つのに慣れるにはどうしたら良いでしょうか?」

「取り敢えず、撃つしかないでしょう。貴女はどうして人が撃てないの?」

「それは…。」

 

彼女はそこで言葉を詰まらせてしまった。

 

「私から言わせれば、人が撃てないって言うのは甘えね。」

「甘え、ですか?」

「そう。自分がやらなくても誰かが何とかしてくれる。白髪がいるから自分は建物を壊していればいい。あの白髪は貴女を守る為にいるんじゃないでしょう?それに自分を守れないような奴が、あっちに行って生きて帰って来られるとは思えないわ。」

「神崎。」

「聞いて来たのは貴女の弟子の方よ。私は私の意見を彼女に言っているだけ。」

 

私はそう言ってまた暗い外を見る。

 

「まあ、貴方達がやってるのはチーム戦でしょう?私みたいに個人で全部やらなきゃいけない訳じゃないんだから。人を撃つだけが援護じゃないわ。相手の行動を制限するのも援護の役目よ。」

 

私はそれから口を閉ざした。人を撃つこと以上に人を殺す事に慣れてしまった私には決して理解できない思想だ。

 

 

 

 

 

 

 

私は訓練室の設定を弄るのにキーボードを押す。人差し指だけで。未だ両手を使ってキーボードを押すのはなれない。人差し指で慎重に押し間違いをしない様に押していく。

 

「神崎先輩?」

「ん?あぁ。三雲ちゃんか。どうしたの?」

「あ、いえ。そのパソコンを使おうと思って。次の試合の為に記録の確認などをしようと。」

「うん、そっか。ちょっと待ってね。私、キーボードうつの苦手なの。」

 

そして私が慎重に押しているのを三雲が見つめていた。

 

「あの、神崎先輩。よければ僕がやりましょうか?」

「…、お願いしようかしら。」

「神崎先輩は本当に苦手なんですね。」

「苦手と言うか、まぁ。そう言う意識はあるわね。烏丸ちゃんがこっちに来たばかりの時に、『機械類は間違った扱い方をすると爆発するんですよ、知らないんですか?』って言ってたからいつも慎重になっちゃうのよね。」

「間違った扱い方、ですか?」

「えぇ、キーボードを押し間違うと大変なことになるんでしょう?電子レンジの操作を間違っても爆発しちゃうみたいだし…。日本人の作る物は繊細なんだか、大胆なんだか。分からないわよね。」

 

そう言うと三雲は非常に言いにくい声で『それ、嘘ですよ。』と言った。その言葉を聞いて私はすっと立ちあがった。

 

「神崎先輩?」

「確か上に烏丸ちゃん居たわよね。折角だから私の訓練に付き合ってもらおうかしら。痛覚ありで指先からじっくりと切り落としていってやるわ。」

「お、落ち着いてください!神崎先輩。」

「いやよ、一年近くも騙されてたなんて…。最悪!」

 

必死に上に行こうとする私を三雲は必死に抑えた。そしてお互い体力の限界が来たのか大きく息をしている。

 

「えっと、神崎先輩。これで良いですか?」

「……、いいわよ。ありがとう、三雲ちゃん。」

 

そう言って私は諦めた様にブースに入って行った。

 

 

 

神崎先輩はトリオン体になり、弧月を真っ直ぐに構える。そして次々にトリオン兵を切り裂いて行く。そこに一切の無駄はない。確実に相手の急所を切り裂いている。確実に一撃で相手を倒していく。神崎先輩は猫の様に身軽だった。そしてそこに人間らしさが無いように感じた。ただ、目の前の物を切って行くだけの単純な作業。そこには何もないように見える。目的が何もない。どうして先輩はトリオン兵を切っているのか。訓練と言う名の殺傷。意味ないように倒されていくトリオン兵がそこに広がっていた。斬られていく。ただ、斬られていく。金色の髪が靡く。そして青い瞳には深い闇があった。何も映ってないそこには何を見ているのだろうか。

 

「オサム?何してるんだ。」

「えっ!?あぁ、えっと。」

 

僕はそう言って慌てて画面を切り替えようとした。気が付けば、空閑が下に降りて来た。

 

「神崎先輩だ。うわー、凄い。」

 

どんどん斬られていくトリオン兵を見て空閑はそう感想を零した。

 

「空閑は、どう思う?」

「どう思うとは?」

「神崎先輩の姿を見てどう思う?」

 

次々にトリオン兵は斬られていく。金色の髪が靡いて青い目が敵を見据えている。

 

「強いと思うよ。」

「怖いと、思わないか?」

「怖い?」

 

そう言うと空閑はもう一度神崎先輩を見た。

 

「あぁ、そう言う事か。」

「何が?」

「神崎先輩があそこで殺戮を行っているから、オサムは怖いと思うんだよ。」

「殺戮?」

「そう、殺戮。神崎先輩はただトリオン兵を倒している訳じゃない。トリオン兵を殺しているんだよ。理由なしに、殺しているんだ。人は殺す事に嫌悪を覚える。だから、オサムは今の神崎先輩に恐怖を感じているんだ。理解できないんだよ、オサムには。あんなに無感情で殺せる神崎先輩が理解できないんだ。だからオサムは神崎先輩が怖いんだよ。」

「空閑は、怖いと思わないのか?」

 

俺がそう尋ねると空閑は少しだけ眉を顰めた。そして映しだされている画面を見詰めた。

 

「怖いとは思わない。でも、神崎先輩は恐ろしい人だ。」

「恐ろしい。」

「神崎先輩は、多分…。玉狛にいる人間を殺せって城戸司令に言われれば、殺せるよ。」

「そんな…!」

「神崎先輩にはそれ位、順列が無いんだ。」

「なんの順列だ?」

「優先順位の事だよ。」

「俺は先輩に会ってまだ1ヶ月も経ってないけど、先輩は俺達の殆どにちゃん付けするだろ?」

「あぁ、それがどうかしたのか?」

「人には誰だって好きな人、嫌いな人がいるんだ。嫌いな人の名前は呼ばないし、関わろうとしない。神崎先輩にはそれが無いんだよ。近界民を嫌いなはずなのに、毎回お土産のお好み焼きを買って来てくれるし。優しくしてくれる。人は生きている内に関わった人たちに優先順位を付ける。友人と赤の他人。どちらか助けられないとしたら、友人を助ける。そんな風に優先を付ける。でも、神崎先輩にはそれが無い。今まで一緒にいた人も、いなかった人も神崎先輩には同じなんだよ。俺が神崎先輩を懐柔しようとしたのオサム、覚えてる?」

 

覚えている。あれは確か大規模侵攻の作戦会議の前の事だ。

 

「あぁ、覚えてる。」

「あの時、神崎先輩は言ってた。『絵に感動は覚えても同じなろうとは思えない。』って。つまり、神崎先輩にとっては俺たちは絵なんだ。感動を覚えた絵でもそれを引き裂くことを戸惑わない。そして自分は決して絵と同じ様にはならない。だから、神崎先輩は恐ろしい。神崎先輩は自分をこの世の何とも違う者と思っているから。」

 

ガシャンっと、音がしてエレベーターの扉が開いた。そして出てきたのは汗を滴らせた神崎先輩だった。汗のせいで服が体に張り付いている。

 

「随分お疲れだね、神崎先輩。」

「あら、白髪じゃない。白髪も作戦会議?」

「これからね。神崎先輩の戦闘見させてもらったよ。」

「そう。それじゃ、私はお風呂に入って寝るから。お休み。」

「おやすみなさい。」

 

そう言って神崎先輩は上へ上がっていった。俺達はそれを見送った。その後姿は酷く、寂しげに見えた。




お疲れ様です。

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神崎蓮奈の悪夢

最近は良く夢を見る。良く夢を見るだけで良い夢では無い。私には苦痛だった。

 

画廊に私は立っている。そこには私が見てきた楽し気な風景がある。その画廊の絵に触る。その絵はとても楽しそうだ。楽しそうなんだ。この中に私を入れる事が出来ない。だから、私はその絵を片っ端から壊していく。叩きつけて、引き裂いて、破り捨てる。楽し気な風景は悉く粉々になるのだ。私はその絵を見詰める。粉々になっても相変わらず、その絵は楽しそうだ。ここに火はない。燃やすことは出来ない。そして、その絵画から手が伸びて来る。その手は私を絵の中に引きずり込もうとする。その手は一つだけでは無くて、沢山の手が私を掴む。足が段々絵の中には落ちていく。それでも手のせいで逃れることは出来ない。手を引き千切る事は可能だ。だから、手を精いっぱい引っ張って引き千切る。すると手は沢山の色のインクとなってしたたり落ちる。そしてまた新しい手が生えて来る。やがて、私の体は絵の中に落ちていく。絵の中はまるで液体の様だ。呼吸が出来なくて手を絵の向う側に伸ばすのに掴む場所が無くて溺れてしまう。口から空気の泡らしきものが上へ浮いて行く。それを見詰めていると上から誰かが見下ろしている。そしてその誰かがその絵に火を放つ。絵の中は燃えるように熱くて。

 

そしていつも目が覚める。夢とは、妄想の塊らしい。私は何を妄想しているのだろうか。

私はベッドから起き上がった。そして冷や汗をかいて張り付く気持ち悪いネグリジェのまま、お風呂へと向かう。朝の5時。誰も起きていない。服を脱ぎ、風呂に入る。シャワーを浴びて、あの夢を思い出す。このまま自分が溶けてしまうのではないかと、恐ろしくなる。

 

恐ろしい。その感情は知っている。近界民は良く私にそう言った感情を向けてきたから、よく知っている。ただ、その感情が強くなると呼吸が荒くなる。そしてそれをどうにかしようと人は人らしからぬ行動にでる。

 

「馬鹿馬鹿しい。私は、どうしたと言うの?」

 

落ち着いて。水に溶けるなんて事は無い。大きく深呼吸をして心を無くした。そして私は風呂から出るとぽたぽたとお湯を滴らせながら歩いた。髪にタオルを巻いて新しい寝間着を着て脱衣所を出る。

 

そしていつも通り、時間を潰して朝食を取って本部に向かう。そしてC級の個人戦ブースでブラブラするのだ。それでお目当の人が見つからなければ、ラウンジに行く。ラウンジで適当に軽食を取って、本部の中をブラブラと歩く。

 

「神崎?」

「あら、北添ちゃん。なんだか久しぶりね。」

「そうだね。遠征から帰って来てからカゲや光ちゃん、ユズルには会ったんでしょ?ゾエさんなんだか寂しかったよ。」

「私が作戦室に行っても北添ちゃんいないんだもの。」

「神崎はこれから作戦室に来る?光ちゃんがたくさんお菓子持って来たからパーティやるんだ。」

「ランク戦の最中なのに相変わらず緩いわよね。」

「カゲは遠征に興味ないからね。」

 

私はクスクスと笑ってから

 

「それじゃ、お言葉に甘えてお邪魔しようかしら。」

 

そう言った。笑いたかった訳ではないけれど、今彼には会いたくないけれど。私は北添と歩き出した。カツカツとブーツのヒールが廊下を鳴らす。

 

「それにしても、珍しいね。」

「珍しい?何が?」

「ゾエさん、神崎に会ってから髪を下ろしてるところ見たことなかったからさ。」

 

そう言われて私は自分の髪を触った。ああ、確かに今日は髪を結って来るのを忘れてしまったようだ。私らしくない。腰ほどまで伸びた金色の髪。歩くたびに左右に揺れる。

 

「髪を結うの流石に持ってないよね。」

「ないよ。光ちゃんにでも借りたら?」

「そうね。そうしようかしら。」

 

私は大きなため息をついた。

 

「どうしたの?」

「ううん、なんでもない。なんだか集中出来てないみたい。はぁ、ダメね。」

「何か悩み事?」

「そんなんじゃないわ。少し夢見が悪かっただけ。」

「夢?」

「そう、夢。だから、どうしようもないのよ。」

 

そして私達は作戦室についた。中に入るとそこには絵馬と仁礼と影浦雅人がいた。

 

「おっせぇぞ、ゾエ!って、お前まで来たのかよ。」

「廊下で会ったんだ。神崎もパーティに誘ったんだけどいいよね。」

「勿論!レナも早く座れよ。」

「それじゃあ、お邪魔するわね。」

 

私は光ちゃんの隣に腰かけた。机には沢山のお菓子が並べられていた。私はその中のチョコレートのクッキーを手に取った。隣で光ちゃんが紙コップにオレンジジュースを置いてくれた。

 

「ありがとう。」

「いいって、いいって。」

 

私はクッキーを食べた。甘くておいしい。ざわざわとしていた心が休まる感じがする。

 

「うん、美味しい。」

 

私はもう一枚クッキーを食べた。

 

「そう言えば、光ちゃん。テスト勉強の調子はどう?今回も大丈夫そう?」

「げっ、どうしてそんな事聞くんだよ!」

「テスト前になってここが分からなーいって、泣きつかれると大変だもの。」

「うう…、今回も宜しくお願いします!」

「えぇ、大丈夫。これから頑張りましょう。」

 

ポテトチップスを食べながら仁礼はそう抱き付いて来た。私は苦笑いを浮かべながら、はいはいとそう言った。

 

「お前、いつものリボンどうしたんだ?」

「今日は忘れてきちゃった。」

「随分長くなったな。」

「そうね。昔は肩までしかなかったから。やっぱり切った方が良い?」

 

今では髪が長くなり、大分重くなってしまった。リボンで結っていても直ぐに落ちて来てしまう。

 

「お前の好きにしたらいいだろ。」

「じゃあ、切ろうかな。いっそのこと結わなくていい位に切ってみようかしら。」

「綺麗なのに、切っちゃうの?」

「うーん、絵馬ちゃんがそう言うとなんだか切りたくなくなっちゃうじゃない。」

 

私は髪を弄りながらそう言った。

 

「でも、最近邪魔だから昔くらいまで切ろうかしら。」

「そのままでいいだろ。」

「そう?」

「あぁ、刈谷並みに短くなると似合わねぇ。」

「うーん、そうかな…?」

 

確かに刈谷裕子は髪が短い。長さで言えば影浦雅人と同じくらいだ。

 

「ねぇ、ちょっと髪いじらせてよ。」

「良いわよ。」

 

仁礼が私の髪をいじり出した。私の長い髪で仁礼は三つ編みを結い始めた。

 

「ん、何?」

 

視線を感じてそちらを見るとじっと私を見つめていた影浦雅人と目があった。

 

「別に、なんでもねぇよ。」

「そう?」

「いやー、レナの髪はサラサラだなぁ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前、何かあったのか?」

 

パーティが終わり、帰宅途中に影浦雅人がそうたずねてきた。私は首をかしげる。

 

「何が?」

「今日はお前の感情が刺さらねぇ。」

 

私は影浦雅人の話を聞いて彼から視線を外した。

 

「夢見が悪いの。それだけ。」

「夢見が悪いだぁ?」

 

私は暗い空を見上げた。そして目を細めた。

 

「私の中は、私が変わることが嫌なんだよ。」

「変わるのが嫌?」

「うん、私は私が変わっちゃうのが嫌で、怖いんだと思う。だから、夢見が悪い。」

「お前は、変わるのが嫌なのか?」

「変わるのって、怖いでしょう?怖いんだと思う。怖いを正確に理解しているかわからないけど。でも、怖いんだと思う。」

 

夢で絵を破くのはどうして?絵を破けば、もう引きずり込まれることはないと思うから。焦がれなくて済むから?手を伸ばさずに済むから?でも、結局絵は手を伸ばしてくる。手を伸ばして私を引きずり込むじゃないか。そして私は燃やされて。

 

「その夢は、どんな夢なんだ?」

「画廊に立ってるの。楽しそうな絵が沢山飾ってあるの。でも、私はそれを全部破くの。壊してしまうの。そうしたら、ばらばらになった大量の絵が床に散らばっているの。そこから人の手が出てきて、私を絵の中に引きずり込もうとするの。手を払っても手は色々な色のインクになっちゃうの。結局、絵の中に引きずり込まれるわ。絵の中は外から見ていた時と違って中は真っ暗で。上からの光だけが、明るくて。それから…。」

「それから?」

「誰かが、絵に火をつけるの。火のついてしまった絵の中はとても熱くて、苦しくて。」

 

そこまで言うと影浦雅人の手が頭の上にのった。それから、彼は私の頭を優しく撫でた。

 

「大丈夫か?」

「少し、大丈夫じゃない。」

 

変わりたいのに、変わりたくない。知りたいのに、知りたくない。

私はきっと、絵の中に入ってそのまま絵と一緒に引き裂かれてしまうのが怖いんだ。私のような人間に引き裂かれるのが。だからと言って()()側に誰かを連れてこようとは思わない。あの場所は酷く、酷く…。なんだろうか。わからない。

私はいつか()()側にも()()()()側にもいられなくなることが嫌なんだ。私はこのままの方が、良いのではないのか。

 

「神崎?」

 

頭を抱えてしまった私に影浦雅人は私を呼んだ。私には影浦雅人の言葉が聞こえなかった。

 

影浦雅人はこの光景に見覚えがあった。4年前、屋上で首を絞められたあの時と同じだ。視界がザワザワと見辛くなる。影浦雅人は目の前の神崎蓮奈の右腕を掴んだ。

 

「神崎!」

 

その大きな声に私は体を大きく震わせた。私の手は震えていた。

わからない。私は私がわからない。影浦雅人を見ているはずなのに、視点が彷徨って彼の顔がはっきり見えない。

 

「そんなに怖がらなくて良い。怖がらなくて良いんだ。」

 

私はゆるゆると首を振った。

 

「怖いわ…、怖いわよ。すごく、怖い。」

 

どうして良いのかわからず、涙が浮かぶ。

 

「神崎…。」

 

影浦雅人は私を抱きしめた。この温もりは私の心を落ち着かせる。瞳を閉じれば涙が頬を伝う。落ち着いて呼吸をする。

 

「落ち着いたか?」

「少し…。ありがとう。」

 

小さな声で私は影浦雅人に告げた。しかし、彼は私を離してくれそうになかった。

 

「私は安心できてる?」

「まだ、不安みたいだ。大分ましになったがな。」

「やっぱり、貴方の温かさは落ち着くわ。」

「…、お好み焼き、食うか?」

「うん、食べる。」

 

 

 

 

 

 

 

結局、酒を飲んだこいつは寝落ちした。穏やかな寝息を立てて、布団にくるまってる。頭の上に頭を乗せる。サラサラと髪を撫でる。

 

「勿体ねぇ、髪切るなよ。すごく綺麗なんだから。」

 

腰まで伸びた神崎の髪にそっとキスをした。

 

それから影浦雅人は風呂に入るために部屋から出て行った。そして戻って来ると先程まで穏やかな寝息を立てていた神崎は眉を寄せて酷く苦しそうにしていた。神崎は空を切るように手を伸ばしていた。

 

俺は神崎の手を掴んだ。強く手を握った。

 

「神崎!?」

 

肩を揺らして神崎を起こそうとした。酷く汗ばんだ彼女は薄っすらと瞳を開いた。数回瞬きをした後、はっきりと俺を見つめた。

 

「泣けよ。怖いんだろ?ここにいてやる。」

「うう…。」

 

神崎は俺の手を額に当てて静かに泣いた。刺さって来る感情は恐怖。それもとても強い恐怖感。

 

「私は結局、変われないの。」

「自惚れんなよ。お前は元々、そんなに強い人間じゃないだろ。なに、一人でできると思ってんだよ。お前を救うのは俺の役目だ。そう言ったのはお前だろ。」

「変わりたくないって、でも、このままだと、私。」

「お前が俺のことを考えてあんな事を言ってくれたのは嬉しい。でもな、その為にお前が泣くんじゃ意味ねぇよ。」

「でも、私は…。」

 

影浦雅人は流れる涙を指で拭った。

 

「ゆっくりで良い。いつか俺を見てくれんならそれまで気長に待つさ。こっちは4年も片思いしてんだ。もう少し待つくらいなんともねぇよ。」

 

こいつは悲しそうに眉をひそめる。刺さる感情は若干の不安。それから、罪悪感。

 

「やめろ。俺は、お前に罪悪感で付き合って欲しい訳じゃない。」

「ざい、あくかん…。」

「ああ、罪悪感だ。」

 

影浦雅人は神崎の額に自分の額を合わせた。

 

「安心しろ、絶対に俺を好きにさせてやる。」

「私はなれるかな?」

「ああ、絶対にさせてやるよ。」

 

そう言うと儚げに笑みを浮かべた。感情は少しの嬉しさと気恥ずかしさ。そして感謝。

そして短いキスをした。

 

「ねえ、もう少しだけここにいてもらっても良い?」

「ああ、お前が寝るまでここにいてやるよ。」

「うん、ありがとう。」

 

影浦雅人は神崎の右手を握った。神崎はゆっくりと瞳を閉じた。神崎の手は少し熱を持っているように温かかった。また穏やかな寝息を立て始めた神崎を見て影浦雅人は安堵のため息をついた。

 

「おやすみ、神崎。」

 

彼女の夢が穏やかな夢だと良いと、影浦雅人は思った。




お疲れ様でした。

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