ポケットモンスター虹~交差する歪み~ (ザパンギ)
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怒れる拳

『砂に足をとられているように感じたとしても、それはあなたの靴に粗砂と細砂が触れているにすぎない』

(ナイミ=カヴェル)


 ラフエル地方、テルス山の一帯は有数の険しさを誇る山岳地帯として知られている。

 シロガネ山やテンガン山といった他地方の最高峰と違い標高こそさほどではないものの、山裾の長さと地形の複雑さによって探検するにはかなりの度胸と覚悟が必要なエリアだ。

 

 この過酷な環境はここを訪れるトレーナーたちにとってはむしろよい鍛練の場として機能し、修行目的でここを訪れる者も多くあった。

 

 しかし中には例外も存在する。

「おぉー! やっぱりあった!」

 

 この少女、アルナはまさにその一人。迷路のような洞窟を抜けて山の東側を移動中だ。

 

 サンバイザーにタンクトップ、膝丈のズボンと動きやすさを重視したまさに探検に特化したファッション。

 

 それもそのはず。辺りは見渡す限り砂また砂。アルナにとっては夢のような光景だった。

 

 ラフエル地方の者であればテルス山東側の一部が砂地の乾燥帯となっていることを知っている。しかし他地方から来ているアルナはそれを自分の目で確かめたかったのだ。

 

「ラジエスシティ方面からの風がフェーン現象の引き金となってテルス山のこっち側は高温かつ乾燥した気候になる、と。山の標高はそんなでもないから別の理由もあるかもしんないけど。うんうん、どえらい砂漠だ」

 

 帳面にメモをとり、砂を一掴み手に取った。

 指の隙間からサラサラと砂がこぼれ落ちる。構成する粒子がかなりきめ細かいようだ。

 

 次にアルナはモンスターボールを手に取り、ワルビルを呼び出した。

 

 ワルビルの首に小型のカメラを取り付ける。これは地中でも撮影が可能な特別製。調査のために外国から取り寄せた逸品だ。

 

「ワルビル、おねがいね」

 こくりと頷いてワルビルは砂の中に潜っていった。

 

 アルナは砂漠が好きだ。もっと正確にいうならば砂が好きなのだが、その理由はつまるところ本能的なもので幼少の頃はサンドの生まれ変わりだのメグロコの親戚だのと渾名されていたほど。

 

 ワルビルが戻るまでの間に別の調査をしようとしばらく歩いていたアルナだったが何かに躓いて転んでしまった。

 

「もう! なんだよ!」

 

 苛立ちとともに足元を確認すると砂から手が生えていた。重要なことなので繰り返すが、砂から手が生えていた。

 

 それはパニックになるには十分すぎる材料。

 

「ぎゃあああああああ! ワルビル、掘り起こして!」

 

 地中のワルビルもただならぬ事態を察して再び地上に顔を出し、そして指示に従った。

 

 

「いんやぁ、助かったよぉ。あんがとますあんがとます」

 

 10秒も待たずに手の主である砂まみれの青年が発掘された。赤い帽子にリュックサックとよくある旅人の出で立ちである。

 

「それにしてもよく生きてたね……」

 

 砂漠で生き埋めとなれば最悪のケースもあり得る。アルナが通りかからなければこの青年は砂漠に転がる白骨と化していたかもしれない。

 

「だいじだいじ。体は頑丈にできてっからねぇ」

 

 カタカタと屈託なく笑う青年。見た目からしてアルナよりいくつか歳上だろうか。その襟や裾から砂がサラサラと流れていく。

 

 自身を不思議そうに見つめるアルナを見て、青年は自分の立場を認識し直した。

 

「あっと、助けてもらったのに自己紹介が遅れてら。オレはヤシオ。ここのリーグとバトルキングダムとかいうのに挑戦しに来たんよ」

 

 ヤシオは大きく手を広げるジェスチャーをした。どことなく見覚えがあったがアルナにはそれが何か思い出せなかった。

 

 とはいえとりあえず第一印象としては悪い人間ではなさそうだった。

 

「あたしはアルナ。砂漠と遺跡を巡る旅をしてる。砂漠ってすごいんだ。砂漠って聞くと砂がいっぱいある場所をイメージすると思うけど実は岩肌がゴツゴツしているタイプの砂漠が多いんだよ。他にも土や粘土でできてる砂漠もあって、ここみたいに細かい砂の粒の集まりでできてる砂砂漠ってとっても珍しいんだ。でもその砂たちにもふるさとがあってもっと粒子の大きいところの表面から風で飛ばされて集まってくるパターンがあるっていうのが最新の学会の見解でね。どえらいでしょ?」

 

 息もつかずに自分の名前の何倍もの情報量を捲し立てた。これでも抑えたほうなのだがこの場ではどうでもいいことで、ヤシオは彼女のとくせいがスキルリンクなのではないかと内心疑った。

 

 ここでヤシオは当初の目的を思い出したようだ。揉み手をしつつ御機嫌取りモードに転じる。

 

「そんで相談なんだけども、ルシエシティってどう行ったらいいんだいね? そこのジムに挑戦したいんだけどもどうも迷っちまったみたいでなぁ。まああいだっこくらいまでは来てんべ」

 

 ルシエシティにはポケモンリーグの番人と称されるこの地方で最強のジムリーダーがいる。

 その実力は他地方と比較しても突出していてリーグまであと一歩と迫ったトレーナーですら、彼女に傷ひとつ負わせることができないままに敗れ去ることも多い。

 

 ジム戦にはそこまで興味もなく噂でしかそのジムリーダーのことを知らないアルナだったが、バッジもろくに持っていなさそうなヤシオがやりあえる相手だとはとても思えなかった。

 

 とはいえそれを口にするほど彼女は意地の悪い人間ではない。余計に持っていたラフエル地方の地図をヤシオに渡し、地図上を指でなぞった。

 

「ルシエにはオレントからの一本道でね」

 

 言いかけて気づいた。この男、極度の(どえらい)方向音痴である。何せルシエを目指していたのに砂に埋まっていたぐらいだ。体内の方位磁針がズタズタになっているのだろう。

 

 などと大分失礼な想像を働かせ、アルナは決心した。

 

「よーし分かった。とりあえずここを抜けるルートだけは案内するよ」

 

 テルス山を抜けて6ばんどうろの方面に行くにはディグダやモグリューの掘った洞窟を抜けるのが手っ取り早い。しかし迷路のようなその洞窟をヤシオが無事に抜けられるとは思わなかった。

 

「ほんとけ? ありがてぇす」

 

 オレ道覚えるの苦手だかんなぁとヤシオ。一応自覚はあるようだ。

 

「そうと決まったら行こ行こ!」

 

 ここまで即決できたのはアルナがヤシオに興味を持ったからに他ならない。

 危険なのでもちろんやらないが、アルナも砂に埋まりたい欲を密かに抱えていたのだ。

 

 

「そういえばあんたはなんでジムとかキングダムに挑戦しようとしてるの?」

 

 哲学や禅問答の類いではなく純粋な疑問だった。

 自分にとっての砂漠がヤシオにとってポケモンと身を投じる戦いであるということがアルナには不思議だったのだ。その根源にあるものに興味を持つのも無理はない。

 

 顎に手をあてて考え込むヤシオ。しかし悩むほどのことでもなかったようだ。

 

「別に特別な理由はねっぺよ。オレがやりたいと思うこととポケモンたちがやりたいと思うことがいい塩梅にマッチしてるだけのことだからなぁ。たぶんアルナもそうだべ?」

 

 言われてみればそんな気がした。ヤシオは適当に喋っているようで言葉の節々に妙な説得力がある。

 そう思い込まされているだけかもしれないが。

 

「そう、なのかな?」

 強く否定することもできない。好みのルーツについて考えるのはかなり難しいことなのかもしれない。

 

 いや、ひょっとすると他に何かがあるのかもしれないがそれを吐き出させるほどアルナはヤシオについて知らない。逆もまた然りだ。

 

「よし、じゃあ砂漠の話をしよう」

「あんれま」

 

 そんなことを話しながら(ほぼアルナがこの場所への情熱を語っていただけだが)歩いていると、視界の先に人が集まっているのが見えた。全員特徴的なファッションに身を包んでいる。うまく言葉では言い表せないがおかしな気配が漂っている。

 

「あれはもしかして噂に聞くポケットガーディアンの人たちでは!」

 ありがたやありがたやとなぜか両手を合わせて拝むヤシオ。彼もまた異質だ。

 

「よく見て、PGの制服じゃないよ。もしかしたらあれはここ数年で公に知られるようになったっていう……ちょっと!?」

 

 忠告しようとしたアルナだったがそれより先にヤシオは好奇心のままに彼らにすり寄っていってしまった。

 

「あのう。何をしていらっしゃるんです?」

 

 珍しいもの見たさというのは恐ろしい。時に人間を必要以上に大胆に仕立てあげてしまう。

 

 それが正しい方向に働けばよいが、今回ばかりはそうではなかったようだ。

 

「!」

 怪しい男たちは現れるはずのない通行人の登場に心底驚いたようだ。

 

「おい! 人がいるぞ!」

「クソッ、こんなところにわざわざくる物好きがいるなんて!」

 

 この言葉には知らぬ存ぜぬを検討していたアルナもカチンときてしまった。自然と額に青筋が浮かぶ。

 

「こんなところ!? 砂漠はなぁ、この星を知るうえでの重要な場所なんだぞ! だいたい砂漠というのは」

「そのへんにしとくべ」

 

 飛び出していったばかりかヤシオを脇に退けて仁王立ちした。砂漠をバカにされるのはどうにも耐えられない。 

 ヤシオが止めていなければスキルリンク発動は間違いなかった。

 

 しかし残念ながらハイティーンのアルナが凄んでも敵がビビるようなことはない。

 

「ククク、俺たちはバラル団。俺たちのテルス山作戦を目撃しちまうとはついてない奴らだ。俺たちに関わったらどうなっても知らんぞ?」

 

 俺たち俺たちとくどいが問題はそこではない。

 

 バラル団という単語にアルナは聞き覚えがあった。ラフエル地方にやって来てすぐに聞いた話によると、この地方で悪事を働く連中でその所在、目的、実態全てが謎に包まれているとのこと。

 

 アルナの出身であるイッシュ地方でもプラズマ団という秘密結社が暗躍していたため、その脅威を推し量ることができた。

 

 バラル団員たちはニヤニヤと笑いながらヤシオとアルナを取り囲んだ。

 

 最初に喋った団員の頭を別の団員が小突いた。

 

「バカ! 喋ってどうする! とにかくお前らを無事に帰すわけにはいかねぇなぁ」

 

 大の大人でもビビるようなところだが、アルナは威勢よく言い返した。

 

「あたしだってただで帰るつもりはないよ。あんたたちバラル団って言ってるけどどうせしたっぱでしょ? 5人いればあたしたちに勝てると思ったのなら甘いんじゃないの?」

 

「うっ……」

 

 だいたいにおいてペラペラと威勢がよく、しかも集団でいるのはしたっぱと相場が決まっている。

 

 どうやらしたっぱというのは図星だったようでバラル団したっぱたちとアルナは睨み合いを始めた。

 

 遺跡の調査で気性の荒い墓荒らし(トレジャーハンター)に遭遇することも多いアルナは退いたほうが負けという意識が強い。安全策に走るつもりはなさそうだ。

 

 しかしそんなことには特に興味のない者もいる。

 

「いやあみなさんお揃いで楽しそうですね。そんじゃ頑張ってください」

 

 一触即発ムードのなか、ヤシオは穏やかにこの場を去ろうとしたがそうは問屋が卸さなかった。

 

「おいおいおい!? 逃げられるとでも思ったか?」

「そうだぜ! 二度と舐めた口きけねぇようにしてやる!」

 

 したっぱたちはモンスターボールからそれぞれラッタを繰り出した。したっぱとはいえ5人。さすがに分が悪い。

 

 ところが喜んだのがヤシオだ。膝を屈伸し、腕を交互に伸ばして準備運動をした。手首をしならせることも忘れない。

 

「おお! 勝負ですか。やりましょうやりましょう! オレもポケモンたちもウズウズしててなぁ」

 

 ヤシオがベルトからモンスターボールを手に取った。

 

 その瞬間、その場に緊張が走った。

 

 頭のてっぺんから足の指先までが冷えきって、次に全身が燃えているのではと錯覚するほど熱くなる感覚。

 ヤシオとヤシオのポケモンが放つ威圧感がその場を完全に支配した。

 

「よっし! いくべ!」

 

 ここで我にかえったアルナはヤシオがバラル団員たちを蹴散らしてくれることを期待したのだが、その希望的観測はあっさりと裏切られた。

 

 二度あることはサンドパン。一度しかなかったとしてもサンドパンはサンドパンだ。意味不明だがそう結論付けるしかないようなことが起きたのだ。

 

「あり?」

 ボールを投げようと一歩踏み出したヤシオ。不運にもそこに砂地のポケモンが掘った穴が空いており、彼は再び地中に姿を消してしまった。

 

「なにやってんのーーーーー!?」

 アルナの悲痛な叫びは届かない。

 

 面食らったバラル団員たちだが状況を把握し、笑いだした。厄介そうな相手が自分から退場してくれたのだから笑うほかない。

 

「これでそっちは1人、こっちは5人。勝負あったな」

 

 アルナを取り囲んだラッタたちが5匹同時に飛びかかった。1匹ずつ対応していてはもう間に合わない。

 

 しかし数で押せば勝てるという油断が彼女に血路を開いた。

 

「ノクタス、『すなあらし』」

 

 アルナは最小限の動きでノクタスを繰り出してフィールド全体に作用する技を指示した。

 途端に強烈な砂嵐が辺りを包み込み、バラル団員たちを吹き飛ばした。非常にスマートな一手だ。

 

 高速回転ののち落下した5匹のラッタと砂嵐にあおられたしたっぱたちは仲良く目を回してしまった。しばらくは目を覚ますこともなさそうだ。

 

「さっすがノクタス!」

 

 アルナはノクタスの頭を撫でて、ヤシオが落ちた穴を覗きこんだ。

 

「おーい大丈夫?」

「だいじだいじー! 深淵を覗くってやつだべー!」

 

 穴の奥底からヤシオの声が響いてきた。意味は分からないがとりあえず無事そうだ。

 

 このまま埋まっている道理はない。アルナはワルビルに再び発掘をお願いしようとした。 

 

「待ってて、今助けるから」

「いんや。俺のことより勝負はまだ終わってねっぺよ」

 

「何を言って――――」

 

 聞き返そうとする前に、アルナの目の前に轟音とともに何かが降ってきた。

 

 岩か鉄の塊かと見紛うフォルム。ゴーレムポケモンのゴルーグだ。

 

「キミのこと、見てたよ。まさかすなあらしだけであれだけの団員を片付けちゃうなんてね」

 

 ゴルーグの肩から誰かが降りてきた。砂嵐で顔はよく見えないが、ヤシオよりもさらに歳上と思われる男だった。

 

 この男、これまでのしたっぱたちとは纏っている迫力が明らかに違う。

 

 特別体が大きいわけでもなく見た目に奇抜なところがあるわけでもない。しかしアルナは彼の静のなかに激しい動を感じ、冷や汗を流した。

 

 彼はそのままアルナの前まで進み出た。

 

「……ボクと勝負、してくれるよね? ゴルーグ、『アームハンマー』」

 

 謎の男は答える暇さえ与えなかった。

 

 砂嵐が吹き荒れるなか、ゴルーグはその巨大な拳を固めてアルナ目掛けて振り下ろした。

 しかし、顔をしかめながら拳をほどいてしまった。

 

「防いだか。まあノクタスなら覚えていても不思議じゃない」

 

 一瞬のことながらノクタスはニードルガードでアルナを守った。しかもこの技は相手に幾ばくかのダメージを与える。

 

「ニードルガードは連発が効かない。ゴルーグ、『ばくれつパンチ』」

「よけて!」

 

 砂嵐下のノクタスは天候の力を借りて回避能力に磨きがかかる。難なくかわしてみせた。

 

「ミサイルばり!」

 

 敵の懐に回り込んだノクタスのミサイルばりが炸裂した。威力は低いものの、確実に命中させた。

 

 どうやらアルナの中で作戦が構築されていたようだ。

 

「たたみかけるよ! ノクタス、『ニードルアーム』!」

「……『シャドーパンチ』」

 

 ミサイルばりに怯むことなく今度は必中のシャドーパンチがノクタスを襲った。効果はいまひとつとはいえ、力自慢のゴルーグの攻撃であれば威力は凄まじい。

 

「もう一度『シャドーパンチ』」

「『ニードルガード』!」

 

 しかしゴルーグはシャドーパンチを意図的に外した。パンチが地面にヒットし、ノクタスは舞い上がった砂を被ってしまった。

 

「ノクタス、『ニードルアーム』!」

 今度こそと勇んだ一撃だったが。

 

「『ばくれつパンチ』」

 

 地面にめり込むほどの衝撃を受けたノクタスはまだわずかに戦う力を残してはいたが、アルナは交代を選択した。

 

「ノクタス戻って! ワルビルおねがい!」

 

 ヤシオ発掘で活躍したワルビル。起用に応えようとやる気満々だ。

 

「『あなをほる』!」

 

 このフィールドを最も活かせる技を迷わず選んだ。

 

 ワルビルは砂をかき分け地中に潜った。とりあえずゴルーグのパンチ技の射程から逃れることと、死角から一撃を狙うという重要なポイントがあった。

 

 男はニヤリと笑った。不吉さを感じたがもう遅い。

 

「……甘い、甘いなぁキミたちは。ゴルーグ、『じしん』」

 

 慌ててアルナがワルビルに地上に出るように指示するよりもゴルーグがその巨体で大地を揺らすほうが先だった。

 

 ワルビルは自ら掘った穴から弾き出され、地面に叩きつけられた。

 じしんはもともと威力の高い技だが地中の相手にはさらに倍のダメージを与える。アルナはもちろんそれを知っていたが、焦りから選択を誤ってしまった。

 

「『シャドーパンチ』」

 

 影を纏ったゴルーグの拳が迫る。かわすことはできない。

 

「『かみくだく』!」

 

 必中を逆に利用して有効打を浴びせようというのだ。

 

 この作戦はうまく機能した。ワルビルはシャドーパンチを食らったものの、そのままその拳に牙を突き立てた。あくタイプの技。これは効いた。

 

 ゴルーグは苦し紛れにワルビルを振り払い、返しのシャドーパンチを放った。

 

「ワルビル!」

 

 しっぺ返しの代償は大きかった。ワルビルは度重なるダメージにより戦闘不能。

 

「くっ……」

 

 アルナが得意とする砂地のフィールドを利用した奇襲作戦だが、このゴルーグのように圧倒的なパワーをもって攻めてくるタイプの相手には滅法相性が悪い。

 

 さらにゴルーグは地面タイプを持つために砂嵐によるダメージ蓄積がないのも向かい風となっている。

 

「このまま手持ち全部を戦闘不能にするつもりかい? バラル団に立ち向かうのは立派なことかもしれないけどトレーナーのエゴでポケモンを傷つけるのは感心しないな」

 

 男はワルビルに駆け寄り助け起こそうとするアルナを嘲笑った。

 

 彼の中でポケモンとは何なのか。違和感を抱いたが、それを追いかける余裕はなく、アルナは忙しなく思考を巡らせた。

 

「降参するなら今だと思うけど。手持ちが全滅しちゃうよ?」

 

 嘲笑される悔しさよりも何よりも、ポケモンに対する考え方が根本から違う相手なだけに負けるわけにはいかなかった。

 

 歯を食い縛り、ワルビルをボールに戻した。

「そんなことはしないしさせないよ! マラカッチ!」

 

 次にアルナが繰り出したのはマラカッチ。ノクタスと同じく乾燥地帯に適応したくさタイプだ。

 

「早く終わらせようか。ゴルーグ、『シャドーパンチ』」

 

 ノクタス、ワルビルと立て続けに破ったゴルーグの拳が唸りをあげて迫った。

 

「『コットンガード』!」

 

 マラカッチは綿毛で体を覆うことで打撃によるダメージを抑え込んだ。それでも体が地面にめり込むほどの衝撃を受けている。

 

 すぐにゴルーグは次の動作に移った。

 

「『アームハンマー』」

「『せいちょう』!」

 

 植物に近い体を持つくさタイプならではの技、せいちょう。いわゆる成長とは若干違い、体内の組織を活性化させて力をためる積み技だ。

 

 アームハンマーを受けながらもマラカッチは自身の火力を増強した。

 

「もっかい『せいちょう』!」

 

「『ばくれつパンチ』!」

 

 パンチのため大きく踏み込んだゴルーグだが、砂に足をとられてよろけた。

 

「……ワルビルの穴か! ゴルーグ、もういちど『ばくれつパンチ』!」

 

 大振りのばくれつパンチが空を切る間にマラカッチはもういちどせいちょうを使い、瞬間的ではあるが火力を大幅に増強した。

 

「マラカッチ、反撃いくよ!」

 

 ここまで防戦一方だったアルナが攻めに転じようとしていることに男は焦りを感じた。

 

 すぐさまゴルーグに指示を飛ばす。

 

「何か調子に乗っているようだけど勘違いもいいところだよ。ゴルーグ、そろそろ現実を見せ――ゴルーグ!?」

 

 突然ゴルーグは膝をついた。体の色と砂嵐のせいで分かりにくいがその体に薄くやどりぎが巻きつき、体力を奪われている。

 

「『やどりぎのたね』!? そうか、ノクタスがまだ戦えたのに入れ替えたのはこれが狙いか!」

 

「ミサイルばりはカモフラージュ! パワーじゃ勝てないなら頭を使わないとね!」

 

 ここで長く続いた砂嵐がぴたりと止んだ。

 視界が明瞭になり、これまでのように隠れながらの戦いは不可能になった。

 

「今だよ!」

 タイミングを見計らってマラカッチが大きく飛び上がった。

 

「できるもんなら避けてみな! マラカッチ、『ニードルアーム』!」

「ゴルーグ!」

 

 せいちょうを重ねたことによる特別版のニードルアームが炸裂した。

 アームハンマーを2回放ったことで素早さが下がっていたゴルーグにはかわす余裕はなく、そのまま打ち倒された。

 

「やったやった!」

 

 マラカッチとハイタッチして喜びを分かち合うアルナ。ノクタス、ワルビルも含めて大金星だ。

 

 しかし男は意に介する様子もなく次のボールに手をかけた。

 

「たしかにゴルーグはやられた。でもボクにはあと2匹手持ちがいる。1匹倒すのに3匹も費やしたキミにはもう余裕はないんじゃないかな」

 

 その通りだった。この男の残りの手持ちは分からないが、ゴルーグと同じくらいの力量を持つポケモンがあと2匹控えているとなるとアルナには荷が重かった。

 

 それでも逃げることはできない。戦いがさらに過酷になっていくことを恐れることは許されなかった。

 

 その時だった。

「そのへんにしといたほうがいいんじゃないかねぇ」

 

 のんびりとした動作で穴からヤシオが顔を出した。今回は自力で穴から這い上がったようだ。

 

 身構える男。しかしヤシオは挟み撃ちを狙っているわけではなかった。

 

「この子に加勢するつもりかな?」

「まさかまさか」

 ヤシオはゴルーグが飛んで来た方向を指差した。

 

「直にPGも来るだろうし、バラル団さん的にももう潮時でしょう。お互いもう帰りましょうよ」

 

 のほほんとしているヤシオだったがこの場では有無を言わせぬ勢いがあった。

 

 ヤシオを無視して次の手持ちを繰り出すかと思いきや男は素直に勧告を聞き入れた。

 

「……どうやらそのようだね。うん、ここは一旦退こう。しかし覚えておくといい。ボクたちバラル団はラフエルの全てに目を光らせている。キミたちも命が惜しいならあまり粋がらないことだよ」

 

 男は現れたときと同じようにゴルーグの肩に乗った。戦う元気がなくとも移動には堪えるようだ。

 

「……じゃあね。わざわざ来たかいがあったよ」

 

 ゴルーグはその巨体に見合わぬスピードで飛び去っていった。

 目を覚ましたしたっぱたちも猛スピードで逃げていき、バラル団はその場から一人もいなくなった。

 

「ふぅ」

 

 力が抜けたのかぺたりと尻餅をつくアルナ。

 

「ナイスファイト。最後のニードルアーム、すごかったなあ! しかもあのゴルーグのパンチ、鉄筋でもおっかいちまうほどの威力があるのによく耐えたんね」

 

 迫力が違ったもんなぁとヤシオは興奮しきり。マラカッチの腕をマッサージしながら二人を褒め称えた。

 

「でもあのままあいつが引き下がらなかったらあたしはやられてたよ。ありがとう」

 

 ゴルーグが倒れた時の男の目が脳裏から離れない。

 敵は本気でアルナを倒そうとしていた。彼が次のポケモンを繰り出し、あのまま戦いが続いていたらと考えると背筋が寒くなった。

 

 そんな不安をよそにヤシオはニヤリと笑った。

 

「いやぁそいつはどうだかなぁ。たしかにあの男はアルナより実力では上をいっていたけども、ゴルーグだけでアルナに勝てるかもという慢心があった。そこを崩したわけだしもしかしたらもしかしたかもしれねぇべ? まあ根拠はないけど」

 

 あの戦いがヤシオの目にどう映っていたのかは分からないが、彼の見立てではアルナにも僅かながら勝機があったという。

 

「根拠はないの……」

 

 とはいえ移動に使っていたゴルーグをいきなり戦闘に繰り出したことから敵はアルナを侮っていた節がある。ヤシオの発言もその全てが適当というわけでもなさそうだ。

 

 早鐘を打っていたアルナの心臓もどこか抜けたヤシオを眺めているうちに穏やかになってきた。

 余裕が生まれたことでいつもの好奇心が帰ってくる。

 

「ルシエに着いたらすぐにジムに挑戦するの?」

「そうすっかな。まあ混んでなさそうだしいけっぺ」

 

 たしかにルシエのジムまで辿り着くトレーナーは少ない。挑戦者でジムが混み合うことはないだろう。

 

「……聞こう聞こうと思ってたんだけど、あんたラフエルのバッジっていくつ持ってるの? 4個くらい?」

 

 戦おうとした時の迫力からいくつかのバッジを所持しているものと思われた。敵だけでなくアルナも感じたほどだ。

 

 しかし怪訝そうな表情のヤシオ。

 

「嘘べぇ言ってら。この通り、バッジは7個。ルシエのジムリーダーはリーグへの最後の番人だんべ? えごってぇらしいしこんだけあってやっと戦えるってことよ」

 

 少し砂がついたバッジケースを見せた。たしかに7個のバッジが輝いている。

 無意識のうちに彼を過小評価していたことに気がつくもこれはどうしようもなかった。

 

 そしてアルナにはどうしても気になることがもうひとつあった。彼女からすると一番聞きたかったのはむしろこっち。

 

「ねぇ。もしかして穴に落ちたのってわざと?」

 

 目を二等辺三角形に尖らせてヤシオを見つめた。

 あの場で観戦するために穴に落ちたのだとしたら言いたいことがたくさんある。とくせいスキルリンクの使いどころというわけだ。

 

「どうなの?」

 突き刺すような眼差しが一直線にヤシオを捉えた。

 

「さあどうだかなぁ。でも、『どえらい』バトルだったことにはちがいねぇべ。なぁ、未来のチャンピオン?」

 

 追求をかわしてヤシオはいたずらっぽく笑った。




白草水紀様(@Shira_mizu)よりアルナを、
白犬のトト様(@shiroinunototo)より謎の男(今回は名前を伏せさせていただきました)
をお借りしました。

ありがとうございました。


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仕事の奥義

『それがたとえ自己満足だったとしても誰が文句を言えるだろうか』

(ジャン=ズーシー)



 自然とともに息づく街、サンビエタウン。この街の一角にポケモン育て屋が存在する。

 

 かつては一部のトレーナーの間でしか知られていなかったが現在ではすっかりメジャーな存在となった育て屋。読んで字の如くポケモンを預り育てる業務を行う人々のことである。

 

 利用した経験のある方も多いかもしれない。しかし、その詳しい実態について知る機会はあまりないのではないだろうか。

 

 今回我々はここで育て屋を営むシーヴ氏の一日に密着した。

 

 

 育て屋の朝は早い。午前5時には着替えを済ませ、預かっているポケモンたちを見回る。

 

 ――朝、早いですね。

 

「大切なポケモンをお預かりしていますからね。これくらい当然ですよ」

 

 そう語るシーヴ氏の目は真剣そのもの。常に強い責任とともにある。

 

 母の後を継いで始めた育て屋。体当たりながらも自分にとっての天職だと信じている。

 

 

「おはよう。調子はどうかな」

 

 庭に出ると預かっているポケモンたちが出迎える。

 

 既に起きて活動しているポケモン、まだ寝ているポケモン。私たち人間と同じように生活リズムは様々だ。それを把握し一匹一匹に声をかけながら、健康状態を確認していく。

 

 時間をかけてポケモンたちとやり取りしたシーヴ氏は彼らの状態をノートに細かく記録し、今度はそれぞれのフーズを用意する。

 

 ――どうでしたか。

 

「みんな元気そうです。食欲のない子もいないですしとりあえずよかった」

 

 ポケモンたちにフーズをやり終えると、今度は自分の朝ごはん。サンビエの幸が顔を揃える。

 

「この仕事は体が資本ですから。どんなに忙しくてもご飯はしっかり食べるようにしています。食べないと朝がきた感がないですし」

 

 ――ここまで朝が早い生活を続けているとさすがに堪えそうです。

 

「もちろん私もそこまで無理はしていません。夜を跨いでポケモンを預かっていない時はちょうど今ぐらいに起きてます」

 

 体調管理も仕事のうち。トレーナーがポケモンを預けに来るタイミングは予測不可能だ。いつ忙しくなってもいいように備えている。

 

 ――利用される方の層というのは。

 

「オーソドックスにしばらく預かってほしいという若いトレーナーの方が一番多いです。あぁ、あとタマゴを探している方もいらっしゃいますね」

 

 ポケモンを預ける目的も多岐にわたる。そのすべてに対応すべくシーヴ氏は日夜研鑽を重ねている。

 

「そこまで大したことはしていませんよ。私がしているのはほんのお手伝い程度のことですから」

 

 そのお手伝いに助けられているトレーナーやポケモンがたくさんいる。謙虚な姿勢の裏には仕事への誇りがあるのだろう。

 

 ――ジョウト地方のウツギ博士のタマゴ研究によるタマゴブームがありました。

 

 各地方の育て屋で2匹まで預かるスタイルが一般的にはなったのもちょうどそこからだ。

 

「実は私もタマゴが現れる瞬間をこっそり見ようと頑張ってみたことがあったんです。でも何度やっても人間が見ているのが気配で分かるらしくて、絶対に出てきてくれませんでした。神秘ですよね」

 

 茶目っ気たっぷりに笑う。未だ尽きないポケモンへの興味関心も彼女の原動力になっている。

 

 朝食後、洗濯物を干したら次の行動に移る。

 ――このあとのご予定は?

 

「木の実をとりに行きます。自然由来のものも食べてほしいので。日中陽に当たりすぎると熟しすぎてしまうのでこのぐらいの時間に採りにいくのがいいんです」

 

 種類に合わせて味や成分が調整されているフーズはポケモンたちにとって優れた栄養源だが、それ一本にならないように気を遣っている。

 

「私たちもいくら栄養があるといってもカロルーメイトだけじゃ味気ないでしょ。土壌がよくて作物が育ちやすいサンビエですからおいしいものを食べてもらいたいんです」

 

 育て屋の裏手にある小高い丘を行くと、そこは天然の果樹園。あたり一面に木の実がなっている。サンビエの人たちはよくここで木の実採りをするらしい。

 

「これはオレン、モモンにカゴに……うん、ラムもある」

 後から来る人のことも考え採りすぎないように必要なものを選りすぐるシーヴ氏。

 人間に採られなかった木の実は野生のポケモンたちにとっての思いがけないごちそうになったり、地面に落ちてこの土地の栄養になったりする。

 

「ここのは新鮮ですから丸かじりでもいけますよ。みなさんもいかがです?」

 

 ご厚意に甘え撮影スタッフもいただくことに。……美味しい。市販のものと鮮度が違う。

 

 

 育て屋に戻って木の実をしまっていると、時計のアラームが鳴った。いよいよ開店の時刻。

 

 髪を結わえて服を着替え、扉のプレートを裏返したところで今日最初のトレーナーがやって来た。

 

「いらっしゃい。どの子を預かる?」

 

 トレーナーが差し出したモンスターボールの中にはジグザグマ。そわそわと落ち着かないところからおくびょうな性格のようだ。

 

 いくつかの必要事項を確認する。

 

「はい、確かに。いつでも迎えに来てね」

 トレーナーは足早に去っていった。

 

 ――思ったよりあっさりしていますね。

 

「これくらいでちょうどいいんですよ。預ける側にも事情があったりしますし、あまりしゃっちょこばるのもね。もちろんお預かりの上で大切なことはきちんと確認していますよ」

 

 預かったジグザグマを連れて庭へ。

 すると大きな物音が聞こえてくる。

 

 ――何かあったんでしょうか。

「どうやらケンカしてるみたいです」

 

 性格の違うポケモンたちを預かっていると時にはこういうこともあるらしい。

 

「とりあえず止めましょう。やりすぎてケガに繋がってしまうこともありますから」

 

 ケンカしているのはマンムーとトドゼルガ。いずれも大型のポケモンだ。シーヴ氏はどうやって止めるのだうか。

 

「ガルーラ、おねがい」

 庭の端から駆けてきたのはガルーラ。一昨年のワールドレートで選出率トップを飾ったバトル好きにはたまらないポケモンだ。

 シーヴ氏は自らのポケモンも庭に放しておくことでこうした事態に備えている。

 

 トドゼルガが吠えた。マンムーも負けじと雄叫びをあげる。

「この子たちは同じトレーナーのポケモンなんです。預かった時に仲が悪いとは聞いていましたが……」

 

 まずはまわりにいるポケモンたちを離れさせる。ケンカの余波に巻き込ませてはいけない。

 

 相当気が立っているのか、2匹は決闘の邪魔をしようとするガルーラに矛先を変えた。

 

 2匹分のふぶきがガルーラを襲う。少し離れた撮影スタッフにも伝わるほどの冷気だ。

 

 ガルーラは脚を踏ん張ってじっと耐えている。

 

 ――反撃しないんですか?

 

「技と一緒にストレスを吐き出してもらうのが大事なんです。それにガルーラはやせ我慢をしているわけではないんですよ」

 

 ガルーラをよく見ると体が薄く光っている。『まもる』で攻撃から身を守っているようだ。

 

「そろそろいいかな。ガルーラ、ほえる」

 

 ガードを解いたガルーラの咆哮が響き渡る。

 ほえるは相手の戦意を奪い戦闘を強制的に終了させる技。吹雪を撃ったことでイライラが解消した2匹に効果は抜群だ。

 

 すかさず2匹に木の実を食べさせるシーヴ氏。流れるような動作だ。プロの技が光った。

 

「さっき採ったリラックス効果のある木の実です。一般的には寝る前に食べるものなんですけどね」

 

 木の実の効果もあってかマンムーもトドゼルガも落ち着きを取り戻したようだ。これでひとまず安心だろう。

 

「ジグザグマ、びっくりしちゃったみたいですね。後でまた様子を見に来ます」

 

 

 落ち着いたのも束の間。シーヴ氏のところへまた別の来客が。赤い帽子を被り、赤い麻袋を抱えたなんとも色の揃った青年だ。

 

「こんちは! ゼルドス先生の薬、持ってきました」

 

「わざわざありがとう。このクッキー、よかったら持っていって」

「はーい!」

 

 スキップしながら帰っていく彼を見送り、すぐに袋の中身を確認する。

 

 ――薬、ですか?

 

「はい。この町にゼルドスさんというお医者さんがいるんですけど、時々薬をいただいてるんです。今日は代わりの方が届けてくれたみたいで助かりました」

 

 見せてくれた薬はなんとパラセクトの胞子に由来するもの。天然のものであれば安心だ。

 

 

 時刻はちょうどお昼時。

 シーヴ氏もレジャーシートを広げ、ポケモンたちと一緒に庭で昼食をとる。

 

「今日はいい天気なので外でお昼にします。ポケモンたちの様子も見られますし一石二鳥です」

 たしかにまわりにポケモンたちが寄ってきている。彼女からオーラのようなものを感じるのだろうか。

 

 レジャーシートを敷いてバスケットの中から取り出したのはサンドイッチ。これもサンビエの幸だ。

 

「地産地消というと大げさですかね。地元のものでお腹を膨らませられるのは幸せなことですよ」

 

 このリラックスタイムこそ本音を聞き出すチャンス。取材にも熱が入る。

 

 ――この仕事、苦労も多いのでは。

 

「母を見ていたのでノウハウについて悩むことはありませんでしたね。でも実際にやってみると頭も体も追いつかないことが多くて戸惑いました。当たり前ですけどポケモンは生き物なので理屈だけじゃ通用しません。まあ正直なところどうしようもなく辛いと思うことはそうはないんですけどね」

 

 昼食後再び育て屋受付へ。

 

 ――待っている間、退屈しませんか?

「ははは。そんなことありませんよ。ほら」

 

 見せてくれたのは分厚いファイル。

 

「育て屋協会に送る書類です。任意ではあるんですけど仕事について報告しています」

 集められた情報はポケモン研究に役立てられるとのことだ。

 

 ペンを走らせること2時間。 

 ここで本日二人目のトレーナーが現れた。彼はポケモンを引き取りに来たようだ。

 

 庭で休んでいたポケモンを呼び、ボールとともにトレーナーに返す。

 

「じゃあ、また来てね」

 トレーナーとポケモンのちょっとした再会を見届けることもシーヴ氏の喜びなのだという。

 

 

 

 庭からポニータが駆けてきた。シーヴ氏のエプロンをくわえ、何かを主張しているようだ。

 

「あっ、きたみたいです」

 

 ポニータの意図を察したのか庭へダッシュするシーヴ氏。速い速い。スタッフも必死で追いかける。

 

 ――どうしましたか?

「タマゴです。さっきの2匹から見つかったみたいで」

 

 指差した先には仲睦まじくタマゴを見守るマンムーとトドゼルガ。

 あれほど仲の悪かった両者の間にタマゴができるとはなんとも不思議だ。

 

「雨降って地固まるってことですかね」

 

 発見したタマゴについてはトレーナーが戻ってきた時に渡すことになっている。そしてトレーナー自身の手でかえしてもらうのだ。

 

「タマゴをかえすには元気なトレーナーが連れて歩くのが一番です。外部からの刺激が孵化に必要なのかもしれません」

 

 孵卵器の技術も進歩しているが、やはりトレーナーといるほうが何十倍も孵化が早い。外部の条件を敏感に察知しているのだろう。

 

「さて、この時間くらいから忙しくなりますよ」

 

 その言葉通りラッシュの時間帯が訪れた。

 せっかちなトレーナーたちをうまく宥めながら一つ一つの業務を丁寧にこなしていく。

 ここで撮影スタッフは邪魔にならないよう移動。

 

 

 

 すっかり日も暮れて閉店直前。最後のトレーナーがやって来た。なんと、このトレーナーは。

 

「待っていたよ。マンムーとトドゼルガの間にタマゴが見つかったんだ。渡しておくね」

 

 彼は2匹、いや3匹とともに帰っていった。その満ち足りた表情にシーヴ氏も満足げだ。

 

「普段命というものについて考えることってあまりないですけど、タマゴをきっかけにそんな機会をつくってもらえたらなと思いますね。」

 

 

 ポケモンが生まれるタマゴは卵焼きなどでお馴染みのあの卵とは本質的に違うものなのではないかという学説がある。

 そもそもポケモンは卵生ではなく私たち人間と同じ胎生で、タマゴとは生まれてくるポケモンがまわりの環境を探るための一時避難場所だというのだ。

 

 ――タマゴという存在には謎が多いですね。

 

「仕事柄タマゴに関わることは多いんですけど、分からないことだらけです。育て屋協会と学会が共同発表したタマゴグループについても正直そこまでは理解してませんし……」

 

 最後のトレーナーを見送ったあと、扉のプレートを裏返してもう一度庭のポケモンたちを見回る。

 

「ジグザグマも他のポケモンたちと打ち解けたようです。とりあえず大丈夫そうですね」

 

 こうして彼女の長い一日が終わる。遅めの夕食をとったら、明日に備えてすぐに休むことを心がけているそうだ。

 

「夜中でもガルーラが何かあったらすぐに知らせてくれるんです。とくせいはやおきってすごいですよ」

 

 寝ている間に何かあってもすぐに対応できるように枕元に着替えを用意しておくことも忘れない。

 寝ている間もプロとしてポケモンたちのことを頭から離さない。

 

 ――最後にお伺いします。この仕事のやりがいはどんなところでしょうか?

 

「ポケモンとトレーナーの間に立つことで両者がよりよい関係になれたらと思いますし、お預かりした数だけポケモンとの出会いがあります。同じ種類のポケモンでも個性があって発見また発見の毎日ですよ」

 

 明日もシーヴ氏はトレーナーとポケモンを繋ぐために奔走する。

 

「いらっしゃい。今日は、どの子を預けるんだい?」

 

 

 ――来週の『プロフェッショナル~仕事の奥義~』はなんと人間をも鍛え上げるトレーナー育成のプロ、育成屋のダンデ・ローズ氏に密着します。お楽しみに。

 

 

 

●●●

 

 

 

 サンビエ某所の医院。

 この街の開業医、ゼルドスはチャンネルをまわした。

 

「ヤシオー、テレビ始まるで!」

「はーい」

 

 ヤシオがパタパタと階段を降りてきた。

 

 彼がここにいる事情は単純明快だ。

 

 テルス山を抜けてルシエを目指していたヤシオだったが、道に迷ってサンビエ側に出てきてしまった。

 途方に暮れていたところをゼルドスに拾われ仕事を手伝いながら数日の居候をしていたというわけ。

 

 間抜けといえばそれまでだが事実なので仕方ない。

 

「あれ、スポーツニュース終わっちゃいました?」

「安心しとき。結論から言うとキャモメーズはムクホークスに惨殺されとる。うんうん、やっぱり時代はエレブースやな」

「……えごってぇ」

 

 分かりやすく落ち込むヤシオ。ゼルドスは申し訳程度の年長者の気遣いとして話題を変えた。

 

「それにしてもツイてるやっちゃな。いきなり転がり込んできたと思ったらたまたまおつかいに行った先でテレビに映るなんて。しかもプロフェッショナルとか全国ネットやんか」

 

 冷蔵庫から缶のビールを2つ持ってきて1つをヤシオに手渡す。

 

「どうせ映るなら髪をもっとパサーりしときたかったですけどね。最近のテレビは毛穴までクッキリ映るんで」

 

 落ち込むのも早ければリカバリーも早い。

 ビールを受け取りつつ、髪を気にするヤシオ。ファッションに無頓着な彼でもテレビに映るとなると話は別らしい。

 

 そして2人はスモークチーズを肴に飲み始めた。

「乾杯! それにしても俺にも取材の話が来たらなぁ。おっさんなのが運の尽きやなあ」

「そっすねぇ」

「いや否定せんのかい! あっ、やっと始まる。これでしばらく育て屋の姉ちゃんは街の有名人やな」

 

 目的の番組が始まろうというまさにその瞬間、突然画面がテレビ局のスタジオに切り替わり、アナウンサーがアップで現れた。髪も若干乱れ、心なしか慌てているように見える。

 

【『プロフェッショナル~仕事の奥義~』の時間ですが予定を変更してただいま入りました臨時ニュースをお伝えいたします】

 

「あれ?」

「あらま?」

 

 人気番組を潰してまで流れる臨時ニュースにゼルドスは何かを感じ取り、飲みかけのビールを机に置いた。

 

【ネイヴュシティでバラル団による大規模な奪還作戦が実行され、収監されていたバラル団幹部のイズロードが脱獄しました。他にも収監されていた凶悪犯が脱走したとのことです】

 

「あのイズロードが⁉」

 ゼルドスは驚きを隠せない。

 

「いずろおど? 悪い人なんです?」

 ニュースの重大さをあまり理解していないヤシオは聞き慣れない単語にぽかんとしている。

 

「あぁヤシオは知らんか。何年か前に捕まったバラル団の幹部で、たしかギーとかセーとかいうPGのあんちゃんの大捕物だったんや」

 

 イズロード脱獄がいかに重大な事態か話して聞かせるゼルドス。しかし残念ながらヤシオはピンときていないようだ。

 

「バラル団なら砂漠で見かけて戦ったけどそんなに大した連中には見えなかったど。1人ヤバそうなのはいたけども」

 

 吹き荒れる砂嵐のなか、見上げるほどのゴルーグが振るった拳は記憶に新しい。

 

 彼らを相手取って勇敢に戦ったのは自分ではなかったはずだが自らの記憶を編集してしまったヤシオ。そのあたりの都合のよさも人生には必要なのかもしれない。

 

「バラル団にも色々いるらしいで。ほんまもんの悪党から中にはフレンドリィショップの商品を並べ替えたりするようなセコいヤツもいるとかって話や」

「そんな面白い人もいるなら会ってみたいような……」

 

 ここでキャスターが画面外から渡された原稿を受け取った。スタジオも相当バタバタしているようだ。

 

【えー、対策にあたったPG、そしてネイヴュシティに深刻な被害が発生したとの発表がありましたが依然その程度については明らかになっていません】

 

 テレビの画面がネイヴュシティ上空からの映像に切り替わった。

 街のいたるところから立ち込める煙と倒壊した家屋が被害の大きさを物語っている。

 

「これが人災って嘘だべ……」

「まったくやな」

 

 ガレキと所々の炎、そしてバラル団が放ったポケモンたちが陸路での取材班の進入を拒んでいるようだ。

 

 ワイプで映っていたキャスターがさらに新たに原稿を受け取った。

 

【ネイヴュシティ居住エリアにも甚大な被害があったため、家をなくした人々の受け入れ先についても今後各自治体が協議していくとのことです】

 

「人口が多い街だけじゃあれだけの人数は受けきれないやろ。サンビエにも来るかもしれんなぁ」

 ゼルドスはチャンネルをまわしたが、どの局もネイヴュの事件についての臨時ニュースを放送していた。

 

 諦めてテレビを切る。そしてスモークチーズを口いっぱいに頬張るヤシオに向き直った。

 

 いつの間にか呑んだくれの顔から腕利きのトレーナーの顔になっている。

 

「ヤシオ。ゆっくりしていってくれとは言ったんやけど、リーグを目指すなら急いだほうがいいかもしれん」

 

「えっと?」

 

「ラフエル地方で何かよくないことが起ころうとしている。俺たちラフエルのもんだけやない。君ら旅のトレーナーにとっても、な」

 

 

 ゆっくりと。

 ゆらゆらと。

 

 静はそっと動へと変貌を遂げようとしていた。




ふぁぼ職人(@suirannnn)様よりシーヴを、
ザキ@創作する(@Gnct2cM)様よりゼルドスを、
ゆめじん(@uxizeru51)様よりダンデ・ローズを、
それぞれお借りしました。

ありがとうございました。


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レッド&ブルー

『張った糸は縒れにくいが、緩んだ糸は切れにくい』

(フェレンツ=モース)



「バクフーン、ふんか!」

 

 それは例えるならば歩く爆裂火口。ただしバクフーンはこの『噴火』を繰り返し行うことができる。

 凄まじい炎と噴出物はその戦いのフィナーレに相応しいものだった。

 

「いやー、まいったまいった。君めちゃくちゃ強いね。軽々しく勝負をしかけるんじゃなかったなぁ」

 

 15ばんどうろを根城にしているこのトレーナーはここまで10連勝と好調を維持していた。しかし今回ばかりは相手が悪かったようだ。

 

 観光客風のカップルを見つけたまではよかった。男に勝負をしかければ彼女の手前、まず断られることはない。だからこそ全力で挑んだのだ。

 

 ここまでコテンパンにやられると清々しささえあった。そこで彼は賞金を支払うだけでなく気のよい現地人として振る舞うことにした。

 

「君たち観光だろ? この先にモタナシティって街があるんだけど、もしよかったら寄ってみるといい。メシも旨いしいいところだよ」

 

「ありがとう、そうするよ。ほらメルル。シャキシャキ歩いてくれよ」

「やっぱり私には当たり強くないですか⁉」

 

 男女はどうろを東へ。

 

「メルルちゃんか。可愛かったなぁ」

 彼女いない歴と年齢がイコールで繋がってしまう彼からすると、あのトレーナーがどうにも羨ましくて仕方ないようだ。

 

「なんというか俺にはインパクトがないんだよな。うん」

 冷静な分析は見事だが彼の出番はこんなものである。

 

 

 

 

 やって来たモタナシティ。街全体がお祭りムードに包まれている。そしてそれは翌日に控えた釣り大会のせいらしい。

 

 イベントに敏感なメルルがこれを逃すはずがない。

 

「先輩先輩! 出てみましょうよ! でっかいのを釣ればいいんですよでっかいの!」

「メルルが釣るのか?」

「釣るのは先輩です。私はおーえんおーえん」

 

 どこかにいるであろうオーエン氏とともにユマは痛む頭を抱えた。

 とはいえ釣り大会という単語には胸が躍る。なんやかんやでメルルに流されてしまう自分に内心苦笑しつつも大会の参加を承諾した。

 

 街行く人々はみな釣り大会の話題で持ちきり。それもあって参加の受付窓口を見つけるのにそう時間はかからなかった。

 

「先輩。優勝したらトロフィーは私にも持たせてくださいね?」

「へいへい」

 

 とらぬジグザグマの皮算用とたしなめるのも面倒だったので適当に流した。

 そしてそんな二人に興味を示す者が。

 

「君たち! 釣り大会に出るのかい?」

 暗がりから男が現れた。目をギラつかせて受付を済ませた二人に詰め寄り――――

 

「どうだろう、誰がこの大会の優勝トロフィーをゲットするか賭けてみないか? 一攫千金も夢じゃないぜ?」

「一攫千金⁉ 賭けます賭けます!」

 

 ユマがやんわりと断ろうとする前にメルルが話に食いついた。タッチの差だっただけにかなり悔やまれる結果となってしまった。

 

 男はニヤリと笑ってどこから入手したのか二人に参加者の写真つき名簿を見せた。目を輝かせるメルルを無理やり引っ張っていくわけにもいかず、ユマも仕方なく話を聞くことにした。

 

「二つ返事とは気に入った。俺の見立てでは優勝候補はサイノスっておっさんだな。なんでもボロのつりざおを配りまくる釣りマニアで過去に優勝経験もある。安パイだと思うぜ?」

 

 賭け事は程度の差こそあれほとんどの場合胴元が儲かるようにできている。それをじゅうぶんに理解しているユマはこの男から胡散臭さしか感じなかった。

 

「私は先輩に賭けます! これまでもそうだったようにきっとなんとかしてくれるはずです!」

 

 男は一瞬驚いた表情を見せたが、狙いからはそれていなかったのかメルルの案を否定しなかった。

 

「大穴に突っ込むとはお嬢ちゃんはギャンブラーの素質がある。もちろんいいとも。思いきりベットしてくれ」

 

 メルルが口にした金額はそこまでではなかったが大会を前にユマは重たい荷物を背負った気分だった。

 

 

 

 

 大会当日もユマはどんよりとしたものを心中に抱えていたが競技が始まればそんなことは言っていられない。

 レンタルした漁船を巧みに操って沖に出る頃にはいつもの調子に戻っていた。

 

 釣糸を垂らしてからここまでそう大きな獲物はかかっていなかったが、湖に慣れ親しんだ彼は大物の気配を敏感に察知していた。

 

「せんぱぁい。ホントにここでいいんですかぁ?」

 日焼け止めを塗っておけばよかったと後悔するメルル。言い出しっぺなどそんなものである。

 

 すぐに大きなアタリがきた。

「これはでかいぞ。メルル、ネットボールを頼む」

「はーい!」

 

 活きのいいポケモンは釣り上げられたとたんに襲ってくることもある。備えはしておかなければならない。

 

 

「ぐっ、こいつは大物だ!」

 

 ユマが力任せに釣り上げたそれは二足二手に赤い帽子の――――――

 

「ぎゃああああああ! 先輩、それ人ですよ!」

 

 

 

「いんやぁ助かったよぉ。あんがとますあんがとます」

 海水をひとしきり吐き出したのち、その青年はユマらを命の恩人と見定めて礼を述べた。

 

「本当に大丈夫ですか?」

 土左衛門を釣り上げたかとばかり思っていたユマは面食らってしまう。

 

「だいじだいじ! ヤシュウ男児はタフが取り柄よ」

 

 

「おっとまたしても挨拶がまだだった。オレはヤシオ。ラフエルのリーグとキングダムに挑戦しに来たんよ」

 

 大きく両手を広げるジェスチャーをするヤシオ。ユマもメルルもそのポーズに見覚えがあったものの、その場では思い出せなかった。

 

「俺はユマです。シンオウから来ました」

「メルルでーす」

 

 自己紹介よりも気になることがあった。

「ところでヤシオさんはなんで海のなかに?」

 

「いんやぁ、ルシエに行こうと思って歩いてたらいつの間にか海にボチャーり落っこってたみたいで」

 

 説明になっていないが彼の言葉に嘘はない。

 

 ヤシオはユマとメルルをしげしげと眺めた。

「お二人さんは海難救助の講習中ってとこかい?」

 

 ピーカンの下、私服にライフジャケットというラフな服装を見てそう判断した推理力はお察しといったところ。

 

「釣り大会ですよ釣り大会。なんでもラフエルの名物イベントらしいんです」

「私は先輩にガッツリ賭けたので是が非でも勝ってもらわないといけないんです!」

 

 ヤシオはポンと手を打った。

「なるほど。事情は分かった。そういうことなら助けてもらった恩もある。オレも手伝うべよ」

 

 手伝いはありがたいが先ほどまで海中を漂っていたような男が助っ人としてどれだけ機能するかは正直微妙なところではある。

 しかし陸まで送っていく時間のロスとは天秤にかけるまでもない。ユマもメルルもあえてそれを口に出すことはしなかった。

 

「釣りは一子相伝をその原則とし、名跡を受け継がせるにあたっては、外弟子を外部から『子』として受け入れその『子』を後継者とする」

 

 突然難しいことを語りだしたヤシオ。

 

「つまりヤシオさんはその『子』ってやつなんですか?」

「ちがうけども」

「じゃあさっきの話はなんだったんですか……」

 

 呆れながら再び糸を垂らすユマ。そこへ再びアタリがきた。

 

「ぬぉっ、こ、こいつもデカい!」

 

「まーた誰か溺れてるんかね。だめだぁ、海難事故には気をつけないと」

「失礼ですけどそんなのヤシオさんくらいですよ」

 

 メルルとヤシオのとぼけたやりとりを尻目に、ユマはこれまでにない手応えの相手と格闘を始めた。

 

「先輩! 頑張って!」

「そうだ! 先輩、頑張っぺよ!」

 

 応援が功を奏したのかははっきりしないが、海に引き込まれそうになりながらもユマはポケモンを釣り上げた。

 

「こいつは⁉」

 

 水しぶきとともに現れたのはギャラドス。

 コイキングの分布の広さから生息圏はそれと同等とされるが、釣りによる捕獲は難しいとされるポケモンだ。

 

 そしてこのギャラドスにはもう一つ特徴があった。

 一般的にギャラドスは7メートル弱ほどとされるが、この個体は目測でも10メートルを優に超えていた。

 

「先輩! ボール! 捕まえれば優勝間違いなしですよ!」

「お、おう!」

 しかしユマが投げたネットボールはヒゲで弾かれた。捕まえるには弱らせる必要があるようだ。

 

「お望み通り勝負といこうぉっ⁉」

 ギャラドスが咆哮とともに放ったはかいこうせんが浮かんでいた船の近くのブイを粉砕した。

 

「まずいな。あいつの技をまともに食らったら俺たち以前に船がもたない」

 

 しかも釣り上げられたことでギャラドスはいわゆる『気が立っている』状態。距離をとって体勢を立て直す余裕などない。

 

「つまり、船をやらせないようにってわけだべ。ならば簡単。飛べるポケモンと泳げるポケモンで的を絞らせないようにする! うん。シンプルイズバスト! いやベストだ」

 

 半ばお荷物と化していたヤシオだったが、これは悪いアイデアではなかった。

 トレーナー同士の勝負とは違い野生のポケモンとのバトルはルール無用。ライフジャケットは着用しているものの、海に投げだされてしまう状況だけは避けなければならない。

 

 ギャラドスは体を揺らしながら狙いを定めている。迷っている時間はない。

 

「そういうことなら! トゲキッス!」

「プルプル、おねがい!」

 

 現れたのはトゲキッスとブルンゲル。空と海に役割を分けることのできるよいコンビだ。

 

「ほほー。トゲキッスねぇ」

 ブルンゲルのニックネームにはツッコまずヤシオはトゲキッスに興味を示した。

 

「トゲキッス、エアスラッシュ!」

「プルプル、シャドーボール!」

 

 タイプ一致で放たれた二つの技がギャラドスを襲った。

 

 ところがギャラドスはビクともしない。

「効いてない⁉」

 

 それはあり得ない。何せ土手っ腹に決まった。普通ならば倒れていてもおかしくないくらいだ。

 

「湖で見たことがある。あれはコイキングとして他の個体より長い時間を過ごしたギャラドスだ!」

 

 ユマの解説はこうだ。

 通常ギャラドスに進化するタイミングであえて進化をせず、コイキングの体でより研鑽を積むことでサイズだけでなくその能力にも磨きがかかることがあるという。

 トレーナーのもとではなかなか起こらない現象のため研究者たちが躍起になって調査しているとのこと。

 

 攻撃の対象を舟からポケモンに変えたギャラドス。波間を漂うブルンゲルにその牙を突き立てた。

 水中での機動力では敵うはずもなくブルンゲルはその餌食となった。

 

「プルプル!」

 戦闘不能とはならないものの大ダメージを受けてしまったようだ。

 

「メルル、ブルンゲルを回復させろ! その間は俺が引き付ける!」

 

 ユマの指示でトゲキッスがギャラドスの周囲を旋回するも、意に介さない様子。トレーナーの戦術を熟知しているかのようにその場で渦を巻き上げた。

 

「『りゅうのまい』。確実に仕留める気だいね」

 

 ヤシオはのほほんとネットボールを乾いた布で磨いている。他人事なこの男を海に叩き込んでやろうかと思ったメルルだが、培った精神力で我慢した。

 

「エアスラッシュ!」

 

 トゲキッス渾身の一撃も水中に潜られてはどうしようもない。

 そして放たれた返しのはかいこうせんがトゲキッスを撃ち落とした。 

 

「くっ」

 ユマは慌ててオボンの実をトゲキッスに与えた。

 

 

「よっし! ついにオレの出番だな」

 状況を見かねてヤシオがボールを手に取った。

 

 これ以上ややこしくなるのを避けるため止めようとしたユマだったが黙りこんでしまった。

 

 ボールを手に取った瞬間に彼は漂着物からトレーナーへと変貌し、その気迫が味方であるはずの自分にも強く伝わってきたからだ。

 この男と彼が解き放つポケモンこそがこの状況を打開する助けとなってくれる。そう信じられる気さえした。

 

 ギャラドスもヤシオを新たな敵を認め、警戒を強めた。

 

「いくべ!」

 

 整ったスリークォーターでボールをリリースしようとしたヤシオだったが、あいにくここは海。足元は揺れに揺れる船である。

 

「あり?」

 当然のようにバランスを崩し母なる海へダイブした。むしろ漂着物として本来の居場所に戻ったとさえいえる。

 

「何やってんのーーーーーー⁉」

 

 ここまで頼りなかったヤシオが八面六臂の活躍を見せるのではないかと期待していた二人だったが、さすがに甘かった。

 

 ギャラドスの尻尾が船を襲った。

 

「きゃっ!」

 

 さすがに壊れはしなかったが漁船全体が大きく揺れた。そしてメルルが抱えていたネットボール入りの箱が手元を離れ海に落ちる不運。

 

 敵はりゅうのまいによって素早さと攻撃力を高めている。少しでも隙を見せたらポケモンたちのみならずトレーナーも危ない。

 

 ギャラドスが再び攻撃体勢にはいった。

 

「プルプル、シャドーボール!」

 回復したブルンゲルのシャドーボールが炸裂するも効果は薄い。

 

 頭脳をフル回転させ、打開策を練るユマ。さすがに万事休すだろうか。

 

「待てよ? 一つだけ策がある!」

「もうその作戦でいきましょう! このままじゃもちませんよ!」

 

 ユマがメルルに何事か耳打ちした。

 ここまで長く一緒にいた二人にはそれだけでじゅうぶんだった。

 

「トゲキッス! ギャラドスにかまうな、そのまま上昇!」

「プルプル、海に潜って!」

 

 トゲキッスは見えなくなるほどの上空へ、ブルンゲルはギャラドスの真下の海中へそれぞれ姿を消した。

 

 そうなればギャラドスは当然自分から近い敵、すなわちブルンゲルを狙う。

 

「シャドーボール!」

 水中では当たらないうえに当たったところでダメージは期待できない。しかしそれもユマの作戦のうちだった。

 

 ドッグファイトを繰り広げるブルンゲルとギャラドス。やはりギャラドスが押しているようだ。

 

 ユマが双眼鏡で上空のトゲキッスを確認してメルルに合図した。

 

「プルプル、海から飛び出して!」

 

 宙に浮く程度ならともかくひこうタイプのポケモンのように空中を高速で移動することはできないブルンゲルにとってそれは危険なことだ。それでもブルンゲルはメルルを信じて指示にしたがった。

 

 海上に逃れようとするプルンゲルを追うギャラドス。ついに水面に顔を出した。

 

「今だ! トゲキッス、『ゴッドバード』!」

 溜めにかかる時間をブルンゲルが稼いだおかげで間髪いれず技が発動し、回避の隙を与えることなく真正面から決まった。

 

 今回ばかりは堪えたようだ。ギャラドスはなんとか戦闘体勢を保っているものの既に体がふらふらとしている。

 ここで重要な見落としが。

「メルル、ネットボールは?」

「あっ落としちゃいましたぁ……」

 

 これではここまでの苦労から得るものがない。

 しかし天はユマを見捨てなかった。

 

 足元の海中から聞き覚えのある声がした。

 

「これを使ぶくぶく」

 再び漂ってきたヤシオがユマにネットボールを投げて渡した。海に落ちながらも先ほど磨いていたものを持っていたようだ。

 

「ヤシオさん! 無事だったんですね」

「オレのことはいいからギャラドごぼごぼ」

 

 この大チャンスを逃すユマではない。

 ここまで散々手こずらされたギャラドスを1個のネットボールで見事に捕獲した。

 

「それにしてもどうしてさっきのはギャラドスに効いたんです?」

 

 メルルはユマからの答えを期待したのだが先に答えたのはヤシオだった。

 

「それはあのギャラドスが夢とくせい持ちだったからだべ。どうしてもオレたちトレーナーはギャラドスを見ると無意識のうちにとくせいが『いかく』だという先入観が働くのな」

 

 いかくはあいての攻撃力を下げるとくせい。つまり物理のダメージを減らすわけで、そうなると相手は攻撃の手段を特殊に変えるのが自然だ。

 

「相性がいいなら話は別だけども。多分あいつはとくせいが『じしんかじょう』で特殊防御が異様に高い個体だったんだろうな。ゴッドバードは効いてたし」

 

 あれだけの技を食らっても平気だったのだから間違いないだろう。

 

「うん、よくわかんないけどすごいですね!」

 残念ながら途中から理解を放棄していたメルルにはあまり凄さが伝わらなかったようだ。

 

 

 

「準優勝の発表です!」

 音割れ気味のマイク音声が市内各地のスピーカーから響き渡る。

 

 静まり返った会場に取って付けたようなドラムロールが流れる。

 優勝候補筆頭のサイノスが3位で消えるという大番狂わせもあり、それは超新星の誕生を意味していた。

 

「ゼッケン番号31番、ユマ選手です!」

 

 先に準優勝を発表することで優勝への期待を煽る好演出だったがこれにはメルルもがっくりときてしまった。

 

「あれだけのギャラドスでも優勝できなかったってことは優勝の人は何を釣ったんでしょうね」 

「マナフィとかでねぇの?」

「いやいや私はフィオネ派ですけどね」

 

 会話を横で聞いていたユマは頭がショートしそうになるのを必死にこらえた。

 準優勝は残念だったがあれだけの死闘を繰り広げたのちの捕獲には後悔はなく自分のベストを出しきったという自負もあった。

 

「ユマ選手、特設ステージまでお願いします」

 この場にいる全員がユマの登場を求めている。この規模の大会であれば準優勝でも快挙にちがいない。

「だそうです。ヤシオさんも一緒に行きませんか」

 この何時間かで一応ながら仲間としての連帯感が芽生えつつある。チームとして彼もステージに上がる権利があるとユマは考えた。

 

 申し出がなくてもふらふらとついてくるのではないかと思われたが、ヤシオはひらひらと手を振った。

 

「ははは。オレはいいよ。これは二人が勝ち取った勝利、オレはそれを祝うだけだ。それにルシエに行く船があるみたいだしそろそろ行くかんね」

 

 特に何もしていないにもかかわらず一仕事終えた感を出しながら、漂着物は別れを告げた。

 

 図々しさに慣れていた二人は面食らうも、引き留めることはせず彼を温かく送り出すことに。

 

 ありがとう、と一言述べてヤシオはどこかへ去っていった。

 

「えっ、あぁ。色々とありがとうございました」

「特に思い当たる節はないけどありがとうございました」

 こら、とユマがメルルを小突いた。

 

 

 準優勝に続いて優勝者が発表される。司会者がまたマイクを手に取った。

「それでは優勝者を発表します! 第103回、モタナ釣り大会の頂点に立ったのは」

 

 今度は準優勝の倍以上の時間をかけて勿体ぶる。 

 

「ゼッケン番号7番、コゴロウ選手です! おめでとうございます! コゴロウ選手、特設ステージまでお願いします!」

 

 観客の歓声とともにクラッカーが小気味良い音をたてた。

 

 その場の全員が勝者の華々しい登場に期待した。

 しかしコゴロウがステージに姿を現すことはなかった。

 

「コゴロウさん、帰っちゃったんです?」

「まさか。そんなすごい釣り人が帰るわけないしその辺にいるだろ」

 

 そしてそれはここまで冴えに冴えていたユマの直感が初めて外れた瞬間だった。

 

「……スタッフがコゴロウ選手を探しております。みなさん少々お待ちください」

 

 優勝者が確定したことで再び会場に喧騒が戻った。彼らはこの後30分ほどをこうして過ごすことになる。

 

 

 

 モタナシティのはずれ。釣りざおを片手に歩いてきた男がおもむろにサングラスとカツラを捨てた。

 

「ふー参った参った。気晴らしで釣りがしたかっただけなのに優勝なんてなぁ」

 

 誰もいない場所で愚痴をぶちまける優雅な一時だったはずが、思わぬ邪魔が入った。

 

「おろ? 7番のゼッケンてもしかしてあんたコゴロウさん?」

 

「いやいやコゴロウはエントリーのための偽名で俺の本名はコタローって――――っととあぶねぇ」

 

 コゴロウ、いやコタローはヤシオの存在に気がついて飛び上がった。そしてゼッケンをつけたままの自分に気がついてげんなりとした。

 受付に返すのを忘れたのはともかくこんなものをつけたまま歩いていたら目立ちまくることこの上ない。

 

 さて、うっかり口を滑らせかけたコタローが必死に守ろうとした個人情報だったがヤシオからするとさほど重要な問題ではなかったようだ。

 

「えっと。行かなくていいん? このまま優勝者が表彰式に来ない場合は準優勝に流れるらしいけども」

 

 今回の場合でいけば準優勝のユマが繰り上げ優勝となる。それに伴い賞品も彼の手に渡ることになるのだ。

 

「いいんだよ。俺としてもそのほうがありがたいし」

 

 コタローにはあまり目立ってはいけない事情があるため当然の判断なのだがそんなことは知らないヤシオからすると、彼は釣り人の鑑そのものだった。

 

「そうなんか。オレは欲深い人間だから見習わなきゃいけないなあ」

 

 感心しきりのヤシオを鬱陶しく思ってきたところでコタローのポケギアが鳴った。

 

「あっクロックさん! すみません! いやあの、モタナで釣りをしていたらこんな時間になってしまって……そうなんです、これも作戦の一環でして。本当です。あっ、はい。これからですか。すぐに向かいます。え?」

 

 どうやらかなり気を遣う相手のようで3秒に1回は頭を下げている。

 

 そしてどうやらビデオ通話をしていたため相手からも後ろにいるヤシオが見えたようだ。そのことを突っ込まれたとみえる。

 

「後ろの人? なんかそのへんをふらふらしてた変な奴です。絡まれただけで特に知り合いとかではないですけど……え? 分かりました。はい、はい。それじゃ失礼します」

 

 通話を終えたコタローは人の良さそうな笑みを浮かべてヤシオに歩み寄った。

 

「親切に教えてくれてありがとう。それじゃあな」

 親しげにヤシオの肩を叩き、立ち去った。

 

 しばらく呆然としていたヤシオだったが船の時間が迫っていることを思い出して、いつものようにあさっての方向へ走り出した。



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在る箱亡い箱

『自らの立ち位置に悩む必要などない。移ろうこともまた自由なのだから』

(エベルハルト=セヒク)


 港からリザイナシティまでの配送を担当する陸運業者は今日の受け取りがいつもと違うことに気がついた。

 

「こちらリザイナシティ"CeReS"行きの荷物になります。……今日はいつもの方はお休みですか?」

 

「そうなんですよ。なんでも風邪ひいたとか。あっ、ハンコはどこに押せばいいですか?」

 

「ご冗談を。AIで管理されてるからそんなのいりませんよ」

 

 高度に進歩した科学は魔法と区別がつかないとはよくいったものだ。学園都市として名高いリザイナシティは最先端の科学技術を備えた未来都市でもある。

 

 もちろん運輸業も高度な技術で管理されており、職員たちの間では自分たちの社長はコンピューターだというのが定番のネタだった。

 

「そ、そうでしたっけ。あははは」

 

 臨時の代打ゆえ手慣れないところがあったのだろう。よその部署から急遽こちらを担当することになれば戸惑うのは当然だ。

 この時の彼はそう考えた。

 

 

 これはちょっとした騒動の前奏。しかしそれを看破できる人間はこの場に存在しなかった。

 

 

 

 

 

「……お疲れ、ジュカイン」

 

 カズヤは力尽きたパートナーをボールに戻した。

 これで彼の連敗記録がまた伸びることとなった。

 

 トレーナースクールではこのような模擬戦が頻繁に行われる。ここリザイナシティが高度な技術を蓄えた都市である事実は揺るがないが、それでもその技術を扱うのは人間であるという理念が街に行き届いているのだ。

 

 実践を大切にする教育はポケモン勝負を愛する子どもたちには好意的に受け取られているが、カズヤは別だった。

 

「はいみんな拍手。二人ともよく頑張ったネ。今日の授業はここまでだ。回復装置の場所は覚えているかな。帰る前にポケモンを休ませてあげてネ」

 

 スクールの先生の言葉に嘘はなく、クラスの仲間たちの拍手も彼らの本心に間違いない。

 しかしそれが分かっているからこそカズヤは自己嫌悪に陥ってしまうのだった。

 

 グラウンドの準備室を出ると正午のチャイムが鳴った。

 わいわいと騒ぎながら帰っていくクラスメートたちの輪に入ることはできず、カズヤは彼らと別の方向へジュカインと歩き出した。

 

「また負けちゃったな。ごめん」

 

 このトレーナースクールに入学してから数年。他のトレーナーの卵たちと数えきれないほど勝負をした。しかしカズヤの戦績に白星が刻まれたことはこれまで一度もなかった。

 しかも今日の相手は入学したばかりの生徒ともなれば精神的にもきつい。

 

 うなだれるジュカイン。

 

「ごめんな。おまえはとても強いのに。勝てないのは俺の責任だ」

 

 単なる慰めではなかった。

 このジュカイン、かつて亡くなったカズヤの父のパートナーとして幾多の強敵と戦ってきた。実力でいえば折り紙つきなのだ。

 

 PGとして活躍していた父とジュカインは幼い頃のカズヤの憧れそのものだった。

 

 その実力を引き出せない責任は全て自分にあると悩むことで余計にナーバスになってしまうという悪循環にカズヤは呑まれていた。

 

 今日は半日授業。いわゆる半ドンなのだが、どうにも帰る気分にはなれなかった。

 

「うん。森に行くか」

 

 気分が晴れない時には少し歩いてハルザイナの森に行くのがカズヤの習慣だった。

 

 薄暗い森は考え事をするのに最適の環境であるうえに上質な木の実を採集することもできる。草タイプのジュカインにとっても落ち着くようだ。

 

 

 ハルザイナの森の奥。少し拓けた場所があり昔からのカズヤとジュカイン御用達の場所なのだが今日は先客があった。

 

 木の根に腰かけた男が一心不乱に何かを口に運んでいる。赤い帽子にリュックサックの出で立ちから旅のトレーナーなのではないかとカズヤは考えた。

 

「何してるんですか?」

 

 カズヤの本能が気晴らしを欲していた。好奇心が警戒心に勝ったのは当然の結果だった。

 

 男は朗らかに笑いながら水玉模様のキノコをもいでみせた。その異様な振る舞いに周囲の野生ポケモンたちがドン引いているが気にならないようだ。

 

「キノコよキノコ。ここ何日か何も食ってなかったかんね、これがまた旨いのなんのって」

 

 男は生えているキノコを手当たり次第口に運んでいる。

 

「それだいぶカラフルですけど食べて大丈夫なやつなんですか?」

 キノコについて特別な知識があるわけではないカズヤでも、色彩の豊かさと警戒色は緩めのイコールで結ばれることを知っていた。

 

「へーきへーき。チリソースをブチューりかければ食えないものなんてないってばあちゃんも言ってたし」

 

 謎の理論を提唱しながらチューブ状の容器に入った赤い液体をキノコにかけた。マトマの実100%と書いてあり、味わわずとも辛さが伝わってくる。

 

 カズヤはこの男を変人、むしろ変態にカテゴライズされるかもしれないが悪人ではないと判断した。

 

「あの。俺もここ座っていいですか」

 

「いいよぉ。兄ちゃんもキノコ食うけ? 通販でチリソースいっぱい頼んでおいたから好きなだけ食いなね」

 男が小脇に抱えた白い箱。中身は全てチリソースなのだろう。

 

 さすがにこの誘いは丁重に断った。しかし妙に聞き上手なこの男にカズヤは堰を切ったかのように話し始めた。

 

 1時間ほど語り合っただろうか。二人は互いの名前と身の上だけでなく最近のブームについても情報を交換した。

 

「ヤシオさんはすごいですね。ジムを巡ってリーグに挑戦してって俺からしたら雲の上の世界ですよ」

 

 ヤシオはからからと笑った。

「そんな大したもんでもねぇって。バトルマニアが高じてってかんじよ。勝負ってやるのも見るのも楽しいし、人ともポケモンともコミュニケーションできるし。難しいことは抜きにして楽しければいいじゃんか」

 

 勝利という結果だけを求めていた、そのことに初めて疑問を持った瞬間だった。

 

 すっかり打ち解けた二人だったがそこへ思わぬ闖入者があった。

 

「ふぅ。ここまでくればひと安心――おぉ!?」

 

 箱を抱え葉っぱと枝にまみれた男がよろよろと藪から這い出してきた。

 

「げげーっ! なんでこんなところにガキがいやがる!」

 

 ヤシオとカズヤに気がついた男は頭を抱えた。

 その服装はリザイナ配送センター職員のもの。しかし森に入ってくるのは不自然だった。

 

「見られちまったなら仕方ない。お前らまとめて蹴散らしてやる!」

 

 カズヤもヤシオも呆気にとられて何も言葉を発していなかったのだが、なぜか焦っている男はボールからバオッキーを繰り出した。

 

「このサンプルを先方に届ければ俺の口座の残高がぐぐーんとアップ。邪魔なんてさせるか!」

 

「なるほど泥棒か。ジュカイン!」

 カズヤはジュカインをそのまま戦闘に出した。

 

「『ほのおのパンチ』!」

 火炎をまとった拳がジュカインをとらえた。

 

「あ、あぁ……」

 炎にまかれ苦しむパートナーの姿がカズヤにパニックを引き起こした。口が渇き、頭が真っ白になり行動を指示することができない。

 

 慌てて『でんこうせっか』を指示したが遅かった。

 

「そのまま押しきれ! 『アクロバット』!」

 身軽さと木々が生い茂るフィールドを活かした奇襲。これも効果は抜群で、たった2発でジュカインは地に膝をついてしまった。

 

「取引場所には誰も近づけるなと言われてるんだ。これ以上痛い目を見たくないならガキはさっさとママのところに帰るんだな」

 

「くっ」

 

 勝負となると体が縮こまってしまい、うまく指示が出せない。スクールの外での戦いでもやはりダメだったのだ。 

 お気に入りの場所を守ろうとしたささやかな正義感も自分には過ぎたものだったのかもしれない。カズヤは再び自己嫌悪に陥ろうとした。

 

「『はじけるほのお』!」

 しかし勝負を急いだのかここでバオッキーはコントロールミス。技はカズヤを狙ったものとなった。

 人間の体で食らえばそれなりのダメージになる。カズヤは回避行動をとろうとしたが避けきれるものではない。

 

「ジュカイン!」

 ギリギリのところでカズヤに降りかかろうとした炎を振り払った。

 

 傷だらけのジュカインは自らを指して何かを伝えようとしていた。

「そうだよな。戦っているのは俺だけでもお前だけでもない。当たり前のことすぎて忘れてたよ」

 

 この一種の開き直りがカズヤのスイッチだった。

 

「『リーフブレード』!」

 小さく頷いたジュカイン。木の葉の刃を作り出し、流れるような動作でバオッキーを切りつけた。

 

「へっ、くさ技を食らったところで痛くも痒くもない。なぁバオッキー?」

 

 ダメージにはなったもののバオッキーは体を震わせてまだ戦うスタミナがあることをアピールした。

 

 顔にこそ出さなかったが、カズヤは初めてまともな勝負ができたことに興奮していた。

 

「いやいや、次の一撃でバオッキーはダウンだよ」

 

 喜びも束の間、今度はカズヤと同世代くらいの少女が現れた。タイミングからして味方ではないことは明らかだがその根拠がもうひとつあった。

 

 その少女の奇特なファッションはカズヤもよく知っていた。最近ニュースで話題となっているバラル団だ。

 

「あんまり遅いから受け取りにきたよ」

 

「ひっ、すみません! 暗くなるまで森に隠れてそれから渡そうとしてたらこいつらに邪魔されて」

 見たところカズヤと変わらないくらいの年頃にもかかわらず男は最敬礼し、彼女を本気で恐れているように見えた。

 

「それじゃあ遅い。私たちは暇じゃないんだ、手を煩わせないでほしいね」

 

 バラル団の少女はカズヤたちを一瞥した。

 

「欲しいのはサンプルだけって言ったよね。余計なのを連れてこいだなんて頼んでないんだけど?」

 

 その目は冷ややかで男を目的を果たすためのモノとのみ認識していることを暗に伝えていた。

 

「ち、違うんですって! に、荷物はここに置いておくんで。し、失礼しましたぁ!」

 恐怖が限界を迎えた男は箱を置いて一目散に駆けていった。

 

「まあいいか。目があるなら潰せばいいよ。」

 

 握ったボールからカクレオンが現れた。

 

「やるしかないか、いけるかジュカイン?」

 バオッキー戦で苦手な技を連続で受けているだけに心配ではあるが、カズヤの手持ちは1匹のみ。

 

 さらに問題がもうひとつあった。 

 

「ヤシオさん! 何しゃがみこんでるんですか、戦ってくださいよ!」

 

「まあまあ。跳ね橋は不定期で開閉するからヒウンアイスでも食べながらのんびり待とうや」

 ヤシオは焦点の合わない目で虚空を眺めている。その目には彼にしか見えない跳ね橋が映っているようだ。

 

「は?」

 

 話が噛み合わない原因は明らかだった。

 バオッキーを倒したあたりから様子がおかしかったがヤシオはキノコの作用で幻覚を見ているらしい。この状態では戦力として数えるのは厳しそうだ。

 

「ちょヤシオさん! しっかりしてください!」

 

 頬をはたいても肩を揺すってもヤシオはうわ言のように幻の景色について呟くだけ。戦力どころか足手まといと化していた。

 

「そっちのお兄さんは面倒そうだったけどそのまま休んでいてもらえるならありがたいね。カクレオン、『きりさく』!」

 

「『リーフブレード』!」

 先ほどの戦いで多少の勝負勘がついていたのが幸いした。

 ジュカインはカクレオンの鋭い爪を防ぎ、返しの一撃を食らわせた。

 

「よし、もう1回だ!」

 勢いに乗って敵を叩きたいところだったがここで突然カクレオンが姿を消した。

 

「姿を消すなんて便利な能力だよね。私も欲しいくらいだよ。さあ、カクレオンを見つけられるかな?」

 

 この姿を消す能力、腹のギザギザ模様は隠せないという欠点があるのだがここはうっそうと茂った薄暗い森。目視で探すのは不可能に近い。

 

「『かげうち』」

 頭上から、背後から、はたまた足元からカクレオンがじわじわと攻撃をくわえていく。

 

「『エナジーボール』!」

 なんとか反撃を試みるも姿なき挑戦者を討ち果たすことなどできない。

 

「あればあちゃん。こんなどこ来てどしたん? あるって来たんけ?」

 

 どうやらヤシオの幻覚に件の祖母が現れたらしく、親しげに話している。ところが彼の目の前にいるのはパラセクトだ。

 

「唯一の味方はのんきにキノコ遊び。このまま倒すのはわけないんだけど、ちょっと気が変わったんだよね」

 

「何を言っている?」

 

「この森には迷子以外にも何かに疲れた人間が多くやって来るんだ。だから絶好のスカウトスポットってわけ。どうだろう、あんた、バラル団に入ってみる気はないかな」

 

 ここで少女は初めてカズヤに微笑んだ。緊迫した場面に似つかわしくない、ファンシーさがそこにはあった。

 

「バラル団に? 俺が?」

 

「そう。何も特別なことをする必要はないんだ。これまで通り生活してくれていい。時々私たちを手伝うくらいのことでじゅうぶんさ」

 

「もちろんあんたにもメリットはあるよ。バラル団には腕利きのトレーナーがたくさんいる。そいつらがあんたをもっと強くしてくれる。リザイナのトレーナースクールだっけ? そんなところにあんたの理解者なんていない。バラル団は言葉だけの公平の陰にいる弱者や落ちこぼれの味方なんだ」

 

 この甘い言葉に惑わされた人間がこれまで数多くいたのだろう。そしてカズヤも今日この森に来るまではその1人になり得た。

 

 しかし彼の目にはこの絶望的な状況にあっても決意の炎が燃え盛った。

 

「落ちこぼれだって何だっていいさ。俺はコイツと、ジュカインと上を目指すんだ!」

 

「なぁばあちゃん。チリソースあるけど食うか? ほら、ちょうどここにキノコがあるから。あらま。最近のチリソースは黒い石ころなんだなぁ。ははは」

 間抜けを晒しているヤシオがなんとも痛々しい。

 

「交渉決裂ってことかな。残念だね、カクレオン!」

 

「あんれ、このキノコ抜けねぇなあ。ばあちゃん悪いんだけどそっち持ってくれっけ?」

 パラセクトの体からキノコを引き抜こうとするヤシオ。これには温厚なパラセクトもついにトサカにきてしまった。

 

 そんなことは露知らずカクレオンの爪は真っ直ぐにカズヤを狙っている。人間のスピードではもはや逃げることもできない。

 

「『きりさく』!」

 

 姿を消したままカズヤの眼前に迫ったカクレオンだったが、突然姿を現してその場に固まった。

 

「何!?」

 

 よく見るとキラキラと輝く粉が宙を舞っている。

 パラセクトが怒りに任せて放出した胞子によって動きが鈍ってしまっているようだ。草タイプのジュカインには効かないことも幸運だった。

 

 この一大チャンスを逃す手はない。倒れ付したジュカインは最後の力を振り絞って起き上がった。

「『リーフブレード』!」

「『きりさく』!」

 

 両者の激突が衝撃波となってあたりの木々を震わせ、木の葉を巻き上げた。

 

 そして視界が晴れた。立っていたのは――――カクレオンだった。

 

「惜しかった。惜しかったよ。何かひとつのズレで勝敗は逆だったかもしれない」

 

 少女はカズヤの健闘を称えた。彼女の勝利がほんの僅かの差だったことは本人が一番理解していたのだ。

 

「ここまでか」

 カズヤが諦めかけたその時、頭上を飛び越えて大きな影がカクレオンの前に立ち塞がった。

 

 どっしりとした体つきのポケモン。カズヤはその名前を知らなかった。

 

「ブリガロン、『アームハンマー』」

 

 女性の声で指示が飛んだ。

 そのポケモンは太い腕を振るってカクレオンを一発でノックアウトした。

 

「誰だ!」

 

 少女は次のモンスターボールを手に取った。

 が、また懐に戻した。

 

「しょうがない。助っ人が来たんじゃ私は帰るよ」

 落ちていた白い箱を拾い上げて少女は森の奥へと消えていった。

 

 緊張が解けへたりこむカズヤ。

 そこへ茂みをかき分けて女性が現れた。まともな援軍の到着は天からの助けにも思えた。

 

「君、大丈夫?」

「はい。 危ないところをありがとうございました」

 正直今日はこれ以上女性を見たくないと思っていたカズヤだったが、その顔を見て飛び上がった。

 

「も、もしかして四天王のハルシャさんですか?」

 

 

 

 そしてさらに数時間後。カズヤたちはリザイナシティに戻ってきていた。

 PGの詰所での取り調べはあっという間に終わり、今は黄昏の街を歩いているところ。

 

「本当にありがとうございました。助けてもらっただけじゃなくて特訓もつけてくれるなんて」

 

 四天王によるエキシビションマッチ形式での特別授業を野良で受けることがどれほど幸運なことか。

 

「いいのいいの。若いうちは何事も経験なんだから。これからも君の心のノートにたくさんレポートを書いてほしいな」

 講師としての顔も持つハルシャの言葉はカズヤの胸に強く響いた。

 

 ハルシャはきょろきょろと周囲を見渡した。

「あれ? そういえばヤシオくんは? さっきまで一緒にいたよね」

 

「あの人はああいう人ですから」

 

 今思えば幻覚のタイミングはあまりにも都合がよかった。もしかしたら自分の成長のためにあえてあのような演技をしつつ、ピンチのところでパラセクトにダル絡みしたのではないだろうか。

 ここまで考えてカズヤは買い被りが過ぎると苦笑した。

 

「バッジ、あと1個らしいですしルシエに向かったんでしょうね。あそこのジムリーダーが相手じゃさすがにそううまくはいかないと思いますけど」

 

 朝日や夕日にバッジをかざすのは絵になるとはヤシオの言。

 

「コスモスちゃんは容赦ないからね」

 カズヤに同調しつつもハルシャはヤシオに対して妙な胸騒ぎを感じていた。それはアカデミー講師としてでも四天王としてでもなく、ただのトレーナーとしての勘。

 

 トレーナーの才を見抜く彼女の慧眼は彼に何を見たのだろうか。ハルシャはそれを言葉にしなかった。

 

 

 

 

 

 深夜、超常現象:CeReSに予定時刻を大きく過ぎて例の荷物が運び込まれた。

 

「カイドウさん。例のサンプルが届きました」

 

「ああ、そこに置いておいてくれ」

 リザイナジムリーダーにしてこの機関のトップであるカイドウ。PGから盗難事件のあらましについては聞いていたが、検分を終えてその日のうちに手元に届くとは思っていなかった。

 

 スクールの見習いトレーナーとカイドウが今でも頭があがらない相手である四天王のハルシャの活躍で無事に取り戻されたとPG職員は話していた。

 

「そういえば帰り際に話してましたけどもう1人変なヤツがいたらしいですよ。妙な訛りで喋る赤い帽子の男。PGは最初そいつを犯人と勘違いしたとかで。でもバラル団はそいつが持ってたチリソースの箱をサンプルと間違えて持っていったっていうんだから笑っちゃいますよね」

 

 結局ただの通りすがりだったらしいですけどねと笑う助手。カイドウはその男に強烈な心当たりがあったが、あえて何も言わなかった。

 

 カイドウは仏頂面を保ちつつ荷物を開封し中身を確認した。

 

 この時間はカイドウと2人だけ。自分から喋らないと重苦しいムードに支配されてしまうこともあってこの時間の助手は饒舌になる。

 

「それにしてもそのサンプル、一体何なんです?」

 

 箱から出てきたのは黒い石のような物体。地質学の分野で扱われる類いのものに見える。

 

「これはアローラ地方で採取されたネクロズマの体の一部だ。ヤツは強いパワーを持っていたんだが、まだ不完全な形態である可能性が示唆されている。バラル団が目をつけたのもそのあたりの事情があるんだろう」

 声がわずかに大きくなった。それだけ楽しみにしていたようだ。

 

「あっ、それニュースで見ましたよ。国際警察も動いたほどの事件だったらしいですね」

 

 助手は最近契約したアンバサダーのマシンで2人分のコーヒーを淹れた。

 サンプルを前に集中モードに入ってしまったカイドウ。こうなるとテコでも動かない。少しでもリラックスしてもらおうという涙ぐましい心遣いだ。

 

「このネクロズマ研究が実ったらここもウルトララボラトリーですかね?」

「パワーアップ版だからといって安易に『ウルトラ』をつけるのはどうかと思うがな」

 

 カイドウは仏頂面を崩さず、達観した様子で呟いた。




(あくまでもカイドウさんの意見です)


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不可能のバラッド

『これはぼくの恋なのです。古ぼけた呼び名であっても激しくて、物静かで、それでいて優しい』


(プサルラ=キダムビ)


 僕はネイヴュ行き砕氷船のシートに座っていた。その巨大な鉄塊は分厚い流氷を割りながら真っ直ぐに進み、ネイヴュ港に到着しようかというところだった。

 雲が大地に暗がりをつくり、外套を纏った船員たちや、閑静な港に不釣り合いな灯台や、ラフエル放送の広告板やそんな何もかもを気だるげな画家の油絵のように見せていた。

 ついに来た、それ以外の感想はなかった。

 

 

 港に停泊した船から乗客が慌ただしく降りてゆく。スピーカーからは控えめな音量でBGMが流れ始めた。その方面には疎い僕ですら知っている『ラプラスに乗った少年』のメロディーはこの雪国に似つかわしいものだった。

 その甘く優美なメロディーから逃げるように僕は船を降り、司法局の出先機関に駆け込んだ。

 

 役所仕事は大変だというのがなんとなくの認識だがラフエルの最果てにあるネイヴュ支部ともなればさらに気が滅入る。僕はそう思ってしまうがここの人々は誰も彼も真摯に職務に向き合っていた。

 

「ああ、トオルくんだね。話は聞いているとも。これが居住区への立ち入り許可証だ」

 そうだ。これが欲しかった。リングマのような強面の男性職員はトレーナーカードとバッジを確認するとすぐにパスを渡してくれた。

 

「それにしても顔色が悪いな。大丈夫かい?」

「大丈夫です、ありがとうございました」

 僕はそれだけ言い、出張所を出た。フローゼス・オーシャンの上空に浮かぶ暗い雲を眺め、この牢獄のような街の奥に足を踏み入れるために。

 

 世界一周旅行が当たった。幸運を喜ぶというよりこれまで無為に過ごしてきた時間を埋める何かが得られるのではないかという気持ちが勝った。

 記憶というのは実に都合よくできているものだ。その時は自分にとってのベストを追求していたとしても、今こうしてふりかえれば後悔に次ぐ後悔で細部まで塗り固められている。

 正直なところ大学に籍を置きながらも今回の一大決心に踏み切ったのは少しでもそれらから解放されたかったからだ。

 

 

 このネイヴュで何があったか。絶対の牢獄は破られ、閉じ込めていたものたちが溢れた。表面張力で震える水面に最後の一滴を投じた輩がいたということらしい。

 バラル団という連中のことを僕はよく知らない。社会に対して何らかの鬱屈とした不満が燻っているのなら別の方法もあるだろうに、軽率なことだ。

 

 

 降り積もった雪。同世代の女子ならば狂喜乱舞しつつフラッシュを雨霰と浴びせただろう。写真に映える眺めについて否定するつもりはない。

 

 ふと見ると出来の悪い雪だるまのようなものがあることに気がついた。ここの住民は避難しているらしいので、ここに駐在している誰かが作ったのだろうか。

 

「そうだな、僕ならこうやって」

 胴体だけで頭がついてないから違和感がある。手頃なサイズの雪玉を上に乗せてやればいい。

 

「待っちくり」

 作りかけの雪だるまに語りかけられれば腰を抜かさない人間はいない。僕もそんなところでマイノリティを気取るなどという高校生じみたことはしたくなかった。

 

 胴体のほうの雪玉が割れて中から赤い帽子を被っていた男の顔が現れた。

 どんな意図で雪のなかに潜っていたのかは分からないが健康に良くないことは明らかだ。

 

「何をしているんですか?」

 何者ですか、通報してもいいですか、など候補はいくらでもあったが一番優しいものを選択した。

 

「道に迷っちまって。雪にズボーり足をとられてたら頭の上に雪が積もるわ積もるわ……」

 

 彼の言う道とはルートではなくてライフなのかもしれない。本当の本当に深い問題ならば僕が立ち入るのはむしろ無粋に思えた。

 

「でもそんなとこにいたらさすがに風邪引いちゃいますよ」

「だいじだいじ。ヤシュウ男児はナンタイおろしで鍛えられて――ちょっと引っ張ってくれっかい」

 独特の訛りがあるがこの男は丁寧に言葉を選んでいるように思えた。そうか。

 

 立端のわりには軽く引き抜くことができた。彼はズボンのポケットからカイロを僕に手渡してにっこりと微笑んだ。

 

「助かったよ。あんがとます」

 こちらも礼を返した。

 

 彼は大きく両手を広げた。

「オレはヤシオ。旅のトレーナーだ。そんれにしてもルシエって前に来たネイヴュとよく似ている街並みだんべな」

 一瞬理解が追いつかなかった。ただひとつ分かったのはこの人が迷っていたのはライフではなくてルートだということだった。

 

「そんじゃありが」

 手刀を切りながらのとうは口の動きだけで終わった。ヤシオさんは雪原に倒れ伏し、そのまま動かなくなった。

 

 参った。病院などないし、港までこの人を連れていくのも厳しい。電話してもすぐに助けは来ないだろう。

 

 仕方なく彼を背負って歩を進める。体育会系ではない僕にとって鉛のように重い。このままでは共倒れだ。

 

 凍死だけはしたくない。徐々に奪われていく体温は死そのものより恐ろしい。自分だけならいくらでもなんとかなるが道連れがいる今、下手には動けない。

 

 

 そんな気持ちが天に届いたのか、遠くを男性が歩いているのを見つけた。地獄に垂らされたアリアドスの糸に声をかぎりに叫んだ。

 

「どうした。行き倒れかな」

 その男性はヤシオさんの額に手をやった。父さんよりは若いが僕よりもだいぶ上に見えた。

 

「熱があるみたいだ。とりあえずジムに連れていこう」

「ジム――もしかしてあなたはユキナリさんですか?」

 

「そうだ。とりあえず話は向こうに着いてからにしよう」

 ユキナリさんはマンムーを繰り出し僕とヤシオさんをその背中に乗せ、自らも飛び乗った。

 凍土から掘り起こされて息を吹き返したことさえあるというこのポケモンならばこの寒さも足場の悪い雪原も脅威になり得ない。

 

 ジムまでの雪原をマンムーは真っ直ぐに駆け抜けた。カロス地方では一部地域で移動に使われるらしいが他地方でも検討していいのではないか。

 

 流れていく景色が沈黙を忘れさせてくれた。僕は口が達者ではないしおそらくはユキナリさんもよく喋る人ではない。聞こえるのはマンムーの鼻息だけだ。

 

 ジムの応接室。ヤシオさんは薬を飲まされたうえで仮眠室のベッドに寝かせられた。

「改めて自己紹介しよう。僕はネイヴュシティジムリーダー、ユキナリ。まさかこんな時にPG以外の人が訪ねて来るとはね」

 

「トオルといいます。ラフエル地方のジムについて論文を書いています」

 要は大学生を苦しめる状態異常のようなものだと思う。

 

「すると君はジムに挑戦に来たのかな?」

 ユキナリさんはおそろしく乾いた声で言った。黒々とした彼の目は、僕を通りすがりの青年から氷雪の要塞を破ろうとする挑戦者へと映し変えた。

 

 この街に立ち入れるのは基本的には25歳以下かつジムバッジを6つ持った者に限られる。ここまでのラフエルの旅で僕もその条件を満たしてはいた。勝利を重ねてリーグを目指すわけではないが、より活きのいい論文を書くには勝たないまでもいい勝負をすることが必要になってくる。

 

「今すぐに相手をしようと言いたいところだが君にも休憩が必要だと思う。準備ができたら声をかけてほしい」

 そう言ってユキナリさんは出ていった。PGとしての顔も持つ彼は何かと忙しいらしい。そんななか時間を割いてもらっている以上ひとつの可能性を見せなければならない。

 

 準備というほどすることもないのだがヤシオさんの様子だけは確認しようと彼が寝ている部屋に入った。

 

 眠り込んでいるかと思ったが、彼はベッドから起きて乾パンを景気よく食べていた。まじまじと見るとがっしりとした体型とはいえない。彼を背負うのに悪戦苦闘した自分の馬力を疑ってしまう。

 

「ヤシオさん気分はどうですか」

「最っ高。それにしてもあんた誰だっけ?」

 

 そういえばこちらが名乗る前に彼は倒れてしまった。僕は椅子にかけて身の上について語った。

 

「ジム戦か。ここがルシエじゃなくてネイヴュだったのは驚いたけど観戦できるのはついてんな」

 ヤシオさんは目を丸くした。たぶん僕は相当驚いた表情をしたのだろう。

 

「オレにはそれが一番なんだ。そんなもんよ」

「起きてて大丈夫なんですか」

「だいじだいじ。ヤシュウ男児はニョホウおろしで鍛えられてるかんね」

 ナンタイはどこにいった。

 

 厚着したうえに毛布をすっぽりと被っているヤシオさんは平気だとは思うがこのジムは非常に寒い。そのうえジムリーダーがこおりタイプ使いとくれば寒がりはポケモンより先に参ってしまう。雪を被っていたような人間にはあまりに酷だ。

 

 

 寝巻きから着替えたヤシオさんとジムに向かった。ギャラリーがいたところで何も変わらない。

「来たねトオルくん。それでは試合を始めよう。使用ポケモンは君の手持ちに合わせて1体、相手を戦闘不能にさせたほうの勝利ということにしよう」

 

 窓から見えるジムの外の景色は散々たる状況だった。民家も商店も倒壊し巨大な何かが街を犯し、踏みにじっていったように見えた。ニュースや新聞で連日報道していたような人災ならどれほどの恐怖だったのだろう。

 外に気をとられユキナリさんの言葉は半分くらいしか届かなかったがここはやることをやるだけだ。

 

「ユキノオー、頼む」

 ユキナリさんが繰り出したのはユキノオー。くさとこおりの2タイプを併せ持つポケモンだ。冬と雪の権化という喩えも大袈裟ではないポテンシャルを秘めた強敵とどう戦うか、策は正直なところなかった。

 とくせいによってあられが降りだしたのもこちらにとっては痛い。

 

「ブースター」

 僕の手持ちは2体だけだ。さらに純然たる僕のポケモンという但し書きをつけるならばこのブースターしかいない。必然的にこのほのおポケモンが一番槍にして中堅、かつこちらの総大将に違いなかった。

 

「ブースター。相性をしっかりついてきたといったところか」

 ユキナリさんはそれ以上の評価をしなかった。本当はもう少しユキノオーを観察してから切り出そうとしたが頭の中で何かが弾けて、それが僕を追いこしてしまった。

 

「『だいもんじ』だ」

 タイプ一致でしかも相手の弱点を2つとも突いている。ユキノオーの実力を推し量るよりよほど建設的な一歩だと思った。

 幼少の頃から慎重だの思慮深いだの言われるがそんなことを耳にするたびに笑ってしまう。僕はこういう男だ。ひょっとするとユキナリさんもその点は読み違えたのだろうか。

 

「『ふぶき』」

 ユキノオーがその巨体から吹雪を発射しているというより発生している吹雪の核にユキノオーが存在するというのが近い。それらがどうこの戦いを左右するかまでは分からないが、先手をとったこちらの攻撃をさらなるパワーで打ち消した。

 

 炎と吹雪がぶつかってフィールドに靄がかかった。あられとともに目眩ましにするには心許ないがもう一度こちらのフルパワーをぶつけてみたかった。

 

「もう1回『だいもんじ』」

 ギアをいれる意味もある。ほのおタイプの技を連発することでブースターに文字通りのウォーミングアップを済ませたかった。

 

「いい技だ。威力も充分だし何よりトレーナーへの信頼を感じる」

 ユキナリさんが右手を挙げた。発声せずともユキノオーは彼の意思を汲み再びブースターの炎をかき消した。

 

 ヤカンにかけた火を消すような、子どもがバースデーケーキのロウソクを消すような、そんな決まりきった動作に重なって僕は自分でもわからない頭のどちらか片方が重くなった。

 

「しかし肝心の君に迷いがある。決断しているようでそれを裏打ちするものがない」

 

 大きな声ではないが音叉の響きのように体全体が震えた。僕はどんな顔をしているだろう。ブースターは、ユキノオーは、ユキナリさんはどのように僕を見ているだろう。そんな感情が止めどなく巡った。

 

「こちらからもいこうか。『こおりのつぶて』」

 ポケモンの技には確実に先手をとれるようないわゆる『出の早い』ものがある。でんこうせっかやマッハパンチなどそれなりに種類があるがこのこおりのつぶてはあられのせいで見えにくい。非常に厄介だ。

 

 避けるよう指示を出したが間に合わなかった。速さという尺度で表すことが適切なのかさえ怪しい。相性があるためダメージはいくらか抑えられているにしても危険だ。

 

「ブースター、『でんこうせっか』」

 スピードに乗ってしまえばブースターも一端のスプリンターになる。流れが相手にあるのでこちらも攻め方を変えたかった。

 

「『ウッドハンマー』」

 ユキノオーはこちらの技をあえて受け、無防備なところに棍棒のような腕のフルスイングを食らわせた。

 

 その図体ならば回避行動をとるよりもカウンターに備えたほうが合理的ではある。消耗すらリスクと考えない敵に追い詰められているのはむしろこちらだ。

 

「すぐにユキノオーから距離を」

「逃がすな、『じしん』」

 こおりタイプの弱点はいくつかあるがそのいくつかはじめん技で対策ができてしまう。当然ユキノオーが覚えていてもおかしくはない。

 

 揺れる地面から逃れるには大きく跳躍するしかない。

 

「『ふぶき』」

 迂闊だった。ジャンプしたブースターを強烈な吹雪が襲った。人間ならば病院送りになっていたであろう大技、ブースターは耐えたがその代償は大きかった。ここまで相手に読まれていた。

 

「大丈夫か?」

 ここに来る途中飽きるほど目にした氷の塊。ブースターはその中に囚われてしまった。声をかけるが応答はない。

 

「戦闘不能と受け取ってもいいかな。このユキノオーは数多くの挑戦者を退けてきた。たとえタイプ相性が悪くともそう易々と不覚はとらない。……降参、するかい?」

 これはきっと彼からすると何度も見た光景なのだ。技の餌食となって凍ってしまったポケモンとすがりつくトレーナーは切り取った日常に過ぎない。ギブアップの呼び掛けはせめてもの気遣いなのだろう。

 

 答えられなかった。ユキナリさんの言葉を借りるなら僕の迷いがそうさせた。この勝負を負けという形で終えても論文の作成上は問題がない。敗者ならではの視点というのを盛り込むのも悪くはないように思えた。負けたままが嫌なら何度だって挑戦しにくればいい。

 

「それでいいのか、それでいいのか僕は?」

 世界旅行を気楽に楽しむ苦学生としての役を演じることに後ろめたさを感じていたのではないか。様々な地方のジムの特色を探ることで叢書に名を連ねるだけでなく何かを変えたかったのではないか。そのためにあえて不安定な状況にあるネイヴュを訪れたのではないか。

 

 僕もブースターもまだやれる。いや、それは客観だ。僕もブースターもまだやりたい。

 

「いや、最後までやらせてください」

 ユキナリさんは小さく頷いた。10分の1秒ほど微笑んだ気がした。

 

「よく言った。トオル、こっから逆転いけっぺ。ブースターはまだ燃えてんぞ」

 半壊している観客席からヤシオさんが叫んだ。無視するのも忍びない、小さく手を振って応えた。

 

 もちろんまだやるといってもブースターは凍ってしまって動けない。必然的にユキノオーに先手を譲ることになる。

 

「ユキノオーとどめだ。『ウッドハンマー』」

 凍ってしまったことでブースターは自由を犠牲に鎧を得た。強力なこおりタイプの力によって構成された氷はブースターの体を外部の衝撃から守ってくれる頼もしい存在ともいえる。つまりユキノオーはブースターを直接殴ることでしかダメージを与えられない。吹雪も氷の弾丸も揺れる地面すら氷に阻まれる。

 

 ヤシオさんが身ぶり手振りで何か伝えようとしているのが気配で分かる。声に出さないのは勝負の公平性を守るためと解釈した。今回は間違えない。

 

 フレアドライブ。

 

 ブースターの高い攻撃力とほのおタイプの力を最大限に活かせる大技だが反動のリスクがある。そしてクリアしなければならない壁もある。

 ギリギリまでユキノオーを引き付けること。ユキナリさんに作戦を気取られないこと。一瞬で氷を溶かしてそこからさらに熱く熱く燃えること。

 

 ユキノオーが左腕を振りかぶる。その一撃は氷を突き抜けてブースターまで到達する。そんなビジョンが脳裏をよぎった。

 

「いまだ、『フレアドライブ』!」

 飯が絡めば馬鹿力を発揮するブースター。能あるムクホークこそ爪を隠している。

 

 そこからは全てがコマ送りに見えた。ブースターは一瞬で氷を蒸発させ、炎を纏ってユキノオーに突撃した。ユキノオーもフルパワーでそれを迎え撃った。離れて立っている僕たちにも伝わるほどの衝撃がこの勝負に幕を引いた。

 

 タイプ相性ではこちらに分がある。しかしユキノオーの実力とあられも含めたブースターの消耗まで天秤にかけると最悪の想像もできた。

 

 天気が晴れた。そこにはユキノオーとブースターが共に倒れていた。相討ちだ。

 

「なるほど。迷いがあったのは君ではなくて僕のほうだったか。学ばせてもらったよ」

 にこやかに握手を求めてきたユキナリさんの言葉を上の空で聞いていた。

 

「プリズンバッジだ。ネイヴュは氷と牢獄の街だけど、君の力は氷を溶かし牢獄すら打ち破った。お見事だったよ」

 引き分けでそこまで褒められてもどうしたらよいか困る。いくらジムリーダーは自らの判断でバッジを授与してもいいとはいえ逆に気まずくなった。

 

「よく見てごらん。ブースターはユキノオーの背中の上に倒れている。最後まで立っていたのは彼だ」

 ありがとうございます、バッジに恥じないよう精進します、台詞なんてなんでもよかった。

 駆け寄ってくるヤシオさんに今度は大きく手を振りながら僕は意識を手放した。

 

 

 

 その後僕は丸一日寝ていたらしい。目覚めた時にはヤシオさんはルシエに向かって旅立っていたらしくそこにいたのはユキナリさんだけだった。

 

 精神力が切れたのか寒さで風邪をひいたのかは分からない。それはどうでもいいことだ。

 

「また病人かと思ったが、むしろジム戦前よりいい顔をしているよ。若い世代にはそうあってほしいものだ」

 月並みな表現ではあるが心が晴れた。それが表層にも出ているのだろう。

 

「このままルシエジムにも行くのかい」

 それについては考えていた。

 

「もしよかったらなんですけど」

 この街にもう少しいさせてほしい。今のこの街だからこそ学ぶことがある。迷惑はできるだけかけない。僕はユキナリさんにそう頼み込んだ。断られたらどうしようというのは杞憂に終わったことも添えておく。

 

「それにしても熱い戦いだった。ヤシオくん以降の連勝も君で途切れてしまったよ」

 穏やかに語ってくれた。

 

「ヤシオさんもこのジムに?」

「まさかまたネイヴュに来ていてさらにジムの近所に埋もれていたなんてびっくりしたよ。とっくにルシエに着いてると思ってたからね」

 その言葉が意味すること。ヤシオさんもこのジムに挑戦し、そしてユキナリさんを破っている。あれだけクセが強い男ならそう簡単には忘れないだろう。

 

「ヤシオさんって強かったんですか?」

 失礼な質問だとは思う。しかし学生の陰に隠れていたトレーナーの血が呼び覚まされてしまったようで聞かずにはいられなかった。

 

 雪原に埋まっていた時から彼の目は輝いていた。自分の立つ位置に微塵の惑いもない、そんな目だ。今は僕もそうなのだろうかと気になった。

 

「面白い質問だね。もちろん僕を破ったトレーナーを弱いと評することはない。しかし彼の場合は強いというか、こう――」

 トレーナーではなく水や空気を相手に戦う感覚だったという。あまりに哲学めいていてその言葉の意味を噛み砕くことはできなかった。

 

「じゃあヤシオさんなら最後のジムリーダーにも勝てますか?」

「またまた面白い質問だ。ルシエジムリーダーのコスモスについて知っているかな?」

「ドラゴン使いの女の子ですか」

 

 間違ってはいないと思ったが今度は褒めてはくれなかった。

「あの子は天才だ。僕ら7人のジムリーダーに勝利したチャレンジャーでもそのほとんどが彼女の手持ちを1体も倒せずにやられてしまう」

 ドラゴンタイプのポケモンたちがいかに強いかは妹からしょっちゅう聞かされていた。彼らはおそらく僕には縁がないがどこか身近に感じる存在でもあった。

 

 7つのジムバッジを揃えたトレーナーを待ち受けるラフエルリーグ最後の門番。コスモスというのは人智を超えた化け物か何かなのだろうか。

 

「でもヤシオくんなら。もしかしたら違う結末を見せてくれるかもしれない。不落の飛竜(コスモス)が待ち望む天を墜とす英雄(ジークフリート)になってくれるかもしれない」

 昨日本土行きの船には乗せてあげたけど今ごろまた迷子になっているかもしれないけどね、とユキナリさんは笑った。僕も笑った。

 こんなに笑ったのは久しぶりだ。窓の外を見ると厚い雲の隙間から僅かに光が差してきている。

 

 今日はいい天気になりそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 とあるフレンドリィショップ。

 

「いんやそれにしてもトオルは凄かった。オレも負けてらんね、早くルシエに行かんとなぁ」

 

「あの。すみません。ちょっとよろしいでしょうか」

 

「なんですかい。あっ、そっちの棚のあなぬけのヒモを取ってもらえます?」

 

「はいどうぞ――ラフエル放送局の者です。実力あるトレーナーさんを是非密着取材させていただきたいと思いまして」

 

「それってテレビです?」

 

「テレビです! 全国ネットで流れますよ」

 

「やったぜ! どうぞこんなオレですけど密着してください! 嬉しいなぁ。ところであなたはどちらさんで」

 

「これは失礼しました。私はクロックと申します。よろしくお願いしますね、ヤシオ(赤い帽子のトレーナー)さん」




今回の執筆にあたりまして

@Joshua_0628 様の『ポケットモンスター虹 ラフエルの休日』

@HandstanD_p0l0d 様の『ポケットモンスター虹~A Aloofness Defiers~』

村上春樹 様の『ノルウェイの森』

を参考にさせていただいております


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魔の峡谷を往け

『その目が輝いていたのではない。輝きを映していたのだ』

(フダノカミ=ニギヒト)


「……おかしい」

 ホヅミは端末に映し出された無数の数字群を見て、首を傾げた。

 周囲の動向にかすかな不審を感じ取った彼女がまず初めたのは、金の流れを洗い出すことだった。

 

 それが諜報活動であれ町内の運動会であれ、どれほど秘匿した活動であってもそこにはかなわず公表された金の動きが存在する。いかなる秘密計画も、人件費や光熱費なしに動いたりしないのである。

 諜報のほとんどは、そうした公開情報の流れから情報を判断することにその要諦が存在し、若くして政府のバラル団特別対策チームに名を連ねる才媛である彼女にとって、そうした知識は行き付けの喫茶店でロズレイティーをオーダーするほどに日常的なものであった。

 

 しかし判明した事実はホヅミら対策チームが共有する知識を裏付けるにとどまった。

 

 ・政府からの予算が一部このチームに充てられている。その決算に不自然な書き換えは見受けられない。

 ・対策チームの長である元国際警察のカネミツはかねてよりバラル団による組織犯罪について一定の知見を有していた。

 ・『雪解けの日』以前のバラル団の情報は政府が管理し、マスコミを通して一般に周知する部分は制限されていた。

 

 

 これらの情報にはいささかの問題もない。

 だがわずかな違和感がトゲのようにホヅミの心に突き刺さっていた。

 

 国際警察を退職したカネミツはその後複数の警察組織を渡り歩き、その全てで成果をあげた。そしてそれらの組織から現政権に金が流れている。名目はあれどそのなかには公にできない性質のものも含まれている。が、それはそういうものだ、というのがホヅミの考えだ。その金はやがて少なからず民衆に還元される。度を過ぎれば野党側の格好のネタになるだけのことだ。

 それは、いい。

 

 バラル団の脅威がより明らかになった今、対策を打ち出している現政権やPGに対して世間は好意的だ。バラル団の情報も小出しに公開され、イズロード脱獄の失態についてつつく者はあまりいない。不安を抱え、混乱しつつもすがるべき存在があるというのは大きいのだ。

 

 行政府の長は連日連夜会見を開き繰り返しインタビューに応じている。支持率は上昇の一途を辿り、未曾有の事態にありながらもラフエル地方はひとつになったといえる。

 

(それは違うわね)

 

 違和感の正体がおぼろげに見えてきた。

 うまくいきすぎている。政府与党とPGは民衆からの支持を集めている。

 

 しかしこれまでの分析にカネミツの利益が全く含まれていないのだ。

 確かに彼の手腕は高く評価されている。ホヅミら部下からしても彼はいいボス以外の何者でもない。この先バラル団騒動が決着した後も彼を欲しがる組織・団体はいくらでもあるだろう。

 

 だが、それはこの際問題ではない。彼が前々からバラル団に対して様々な布石を打っていた理由にはなるまい。人間の善意に期待しすぎているというのは考えすぎか。

 

「ちょっと動いてみる必要がある、か」

 

 その細い指がキーボードを巡る。

 

 

 

 

 

 

 ルシエシティに向かう手段として最も一般的なのはラジエスシティからの連絡船を利用することである。ポケモンに乗って飛んでいくより安全なうえに、船旅はよい気晴らしにもなる。険しいシエトの峡谷をわざわざ進む理由を探すのは難しい。

 

 しかし強い意志をもってその選択肢を蹴る者たちもいる。主にルシエのジムに挑戦しようという腕利きのトレーナーたちで、厳しい環境と屈強な野生ポケモンも彼らにとってはよいトレーニング相手となりうる。

 

 そんななか別の事情で峡谷をゆく少女がひとり。

「うわぁーっ! ひみつのコハクだ! 怖い、今日ツキすぎてて逆に怖いんだけど!」

 

 ご存知砂漠マニアのアルナは考古マニアでもあり、それはつまり化石マニアでもあるということ。そもそも砂と考古という両分野は非常に相性がよいため彼女のような両刀マニアは少なくない。

 

 この峡谷でトレーニングをしようとするトレーナーはいても宝探しに興じるトレーナーはそうはいない。発掘作業はとても捗った。

 

 唯一障害となる野生ポケモンについても問題ない。

「バルジーナ、ふきとばし!」

 

 ふきとばしで相手を遠ざけたり穴を掘って地中に逃げたりすることで、互いに傷つくことなく穏便に戦いを終わらせることができる。それが可能なのも彼女のポケモンがフィールド慣れしているからだ。

 

「よーし今度はむこうに行ってみよ!」

 そして少女は荒野を駆ける。

 切り立った崖も唸りをあげる激流も彼女を阻むことはない。

 

 そうでなければ。その選択を避けていれば。時計の針を暫し進める。

 

 

「また会えて嬉しいよ」

 何か言い返す余裕などない。そしてこちらには毛ほどの嬉しさもない。

 

 砂漠で遭遇したバラル団員がにっこりとこちらを見つめている。

 

 なぜアルナは逃げないか? それは簡単だ。

 

「おいこらっ! 離せッ!」

 

 ボールを取り出すより先に彼のゴルーグが彼女の体を鷲掴みにしてしまった。これでは何もできない。

 

 ジタバタと暴れてみるも復讐に燃えるゴルーグの豪腕から逃れることはできない。

 

「せっかくここで会ったんだ。いいところに連れて行ってあげよう」

 ゴルーグはアルナと男を掴んでそのまま上昇し、これまでいたのと逆方向へ飛んだ。

 

 

「ゴルーグ、ここで降下」

 

 飛行した時間はものの数分。

 上昇が速ければ下降も速い。アジトに連れていかれることも覚悟したアルナは気丈に振る舞った。

 

 着陸とともに緩くなった手の拘束から逃れ、恋しい地面に足をつけた。そして気づいてしまう。

 

「これは!?」

 

 正面の崖は大きく崩れ、足元には稲妻のようなひび割れが。覗きこむとかなり深くまで地面が裂けている。

 

「どえらい地震、じゃないね。さっきまでいたあたりには何もなかったし」

 

 これだけ地面がズタズタでなければ穴を掘ってこの場からの脱出が叶っていた。

 

「その通り。これは地震じゃない。崖も地割れもポケモンの技によるもの。正確にはそのぶつかり合いというべきかな」

 

「そんな、誰がこんな」

 戦いの跡というより巨大な何かがピンポイントで暴れた爪痕に思える。

 

「……本当はボクが戦いたかったさ。でもまあ、エンジンがかかったクロックくんには何も言えないから。いざってときに幹部さまさまには逆らえないのがヒラの悲しいところだよねぇ」

 

 峡谷に現れたゴルーグを連れたバラル団。そしてあの時砂漠にいたもう1人のトレーナー。それが意味することは簡単だった。

 

「たしかヤシオくん、だったかな? 本気(ガチ)モードのクロックくん相手にあそこまでやるとは思わなかったよ。願わくばもっと見ていたい勝負だった」

 

 声。言葉。それは紛うことなき想いの発露。この男は決して嘘を口にしない。信頼といえばおかしな話だが疑うことへの諦めが勝った。

 

「それでヤシオはどうなったの!?」

 

「戦いで崩れた崖と一緒に落ちていったよ。クロックくんはそれでも戦いを続けようとしたんだけど時間切れで他の幹部に連れ帰られちゃったってわけ」

 

 激流を指差した。見れば最近土砂が流れ込んだ形跡がある。人が巻き込まれたとすれば大変な事態だ。

 

「そんなこと!」

 ハッタリに決まっている。方向音痴が過ぎる彼でもそんなことになるはずがない。そう信じたかったが到底無理な話だった。

 

「正直ヤシオくんについてはボクも気になっててね、こうして彼を探してたんだ。まあ結局見つけられなかったから徒労ってやつだけど、まさか君まで来てくれるとは思わなかったよ」

 

 悪びれる様子もない。

 

「君を倒せなかった、いや勝ちきれなかったと言うべきか。失敗というのは自分でカバーしなくてはね」

 

 殊勝な心がけだがそれどころではない。

 ボールから繰り出したのはシャンデラ。高い特殊攻撃力を持つポケモンだ。ゴルーグを先発させなかったのは手の内がバレているからだろう。

 

 ゴルーグの手から見下ろした限り近くに人の姿はなかった。つまり助けはあてにできない。

 

「言い忘れてたね。ボクはミカゲ。バラル団のミカゲ。……もう1度勝負、してくれるよね?」

 

 とても逃げられる状況ではない。アルナは腹を括った。

 

「イシズマイ、おねがい!」

 

 手の内がバレている砂漠で戦った時の手持ちを先発させるのは危険と感じた。ここは相性のいい技でセオリー通りに攻めるしかない。

 

「『すなあらし』!」

 

 敵の視界を制限しつつ少しでもダメージを蓄積させる。アルナの戦法の生命線ともいえる天候変化だ。

 

「『シャドーボール』」

「『まもる』!」

 

 うまく防いだがニードルガード同様連続で使うことはほぼ不可能な技。こちらからも仕掛けなければならない。

 ゴルーグ同様シャンデラの技もまともにもらえば一撃で倒される危険がある。

 

「『ストーンエッジ』!」

 鋭く尖った岩がシャンデラを襲った。急所に当たりやすいという意味でいわタイプ最高の威力を期待できる大技だ。

 

 ダメージが大きいのかふらふらと漂うシャンデラ。未進化ながらイシズマイのパワーは相当なレベルだ。

 

「……もっと消極的な戦い方をする子だと思ってたよ」

 回避を指示する時間がなかったわけではない。ミカゲはあえてシャンデラに苦手な技を受けさせた。

 

 舐められている。腹立たしいことではあるにしてもアルナはむしろそれをプラスに捉えた。

 

「何とでも言って! もっかい『ストーンエッジ』!」

「でも甘い。いわタイプなら有利をとれるとでも思ったかな?」

 

 再びストーンエッジが炸裂した。しかし今度はシャンデラは微動だにしない。

 

 そんなはず、ない。視線に意識を集中させる。やせ我慢をしている様子はなくそのあたりの指示を受けた気配もない。

 

「どうして!? 2回も当たればかなり……」

 ここでアルナは押しているはずのイシズマイが右のハサミを庇っていることに気がついた。その分技に力がのりきらなかったようだ。

 

「あっ!」

 シャンデラがストーンエッジに紛れて『おにび』を放っていた。全く気がつけなかったことを呪うもこればかりはどうしようない。

 

「火傷してるんじゃしょうがないよね。『パワーじゃ勝てないなら頭を使わないとね』だっけ。あれからいい教訓になったよ」

 そのままシャンデラが放ったシャドーボールがイシズマイを呆気なく吹き飛ばした。

 

「くっ……」

 先に倒されはしたが敵にダメージを与え、じゅうぶんに仕事をしてくれた。アルナは労いとともにボールに戻した。

「イシズマイありがと。ゆっくり休んで」

 

 2体目にバルジーナを繰り出した。あくタイプを持つこのポケモンも相性のうえでは有利だ。とくせいのぼうじんも助けになる。

 

「この子なら砂嵐のなかでも戦える。『あくのはどう』!」

 またも相性のよい技。先ほどのストーンエッジの蓄積もあってシャンデラはふらふらと墜落した。

 

「『おにび』」

「真上に飛んで!」

 

 予測さえできれば回避行動をとることは難しくない。バルジーナはそのまま高く飛び上がった。

 

「砂嵐を起こす要因は4つ。地表面の乾燥、土壌の柔らかさ、砂塵層の厚さ、そして強風!」

 

 この峡谷もアルナの言葉を借りるなら『良質な砂嵐の産地』となる。土地がズタズタに荒らされていたことで砂嵐がより強力になっているのだ。

 

「シャンデラ、撃ち落とすんだ!」

 勢いのまま放つシャドーボールもおにびも砂嵐が壁となりバルジーナに届かない。

 

「一気に攻めるよ! 『ブレイブバード』!」

 

 低空飛行で一気にシャンデラとの距離を詰めるバルジーナ。かわす隙を与えず大技が決まった。

 

 ゴルーグと戦った時には手持ち3体でやっとノックアウトした。このシャンデラがミカゲの手持ちでどれくらいの位置にいるのかは分からないがこれで互角の勝負に持ち込めたとアルナは考えた。

 

「……格が違うんだろうね」

 

 一瞬の沈黙。

 なんと崩れ落ちたのはバルジーナだった。

 

「バルジーナ!? どうして!」

 

 たしかにブレイブバードは反動のある技だ。それでもそのダメージだけで使用した側も倒れてしまうということはあり得ない。

 

「!」

 ひんし寸前のシャンデラが息を吹き返している。

 

「シャンデラって案外器用なポケモンだって知っていたかな。オーバーヒートみたいないわゆる高火力技のイメージが強いけど、実は曲者なんだよね」

 

 『いたみわけ』。相手と自分の体力を足して分け合う技だ。イシズマイから受けるダメージを火傷で調整しつつそのまま2体目をも突破しようという凶悪な作戦だった。

 

 アルナは次のボールを握りしめたがそれを投げて手持ちを呼び出すことができなかった。

 

「さあ、勝負はまだ終わらないよね?」

 

「あ、あぁっ、ああ──」

 

 指が震えてボールを投げられない。戦いへの恐怖がアルナを支配した。

 

 イシズマイの頑張りとバルジーナの奇襲がともに無駄となったばかりか現状ミカゲの戦法を破る手だてがなかった。

 

 このボールの中のスコルピを含めてアルナにはまだ4体の手持ちがいる。戦闘の続行が不可能になってしまったわけではない。4体とも『おや』のために全力で戦ってくれるだろう。

 

 だが震えが止まらない。誰を出してもきっとやられる。自分のために健気に頑張ってくれたとしてもだ。

 さっきまでの闘志はすっかり萎み活発な少女としての姿は鳴りを潜めた。

 

 砂嵐が晴れた。

 

 しばらくそのまま待っていたミカゲだが、やがて無駄を悟った。

「トレーナーにやる気がないなら仕方ないね。ボクらは乱暴を好まない。でもちょっと眠っててもらおうかな」

 

 ゴルーグとシャンデラがじりじりと迫ってくる。逃げようとするも、咄嗟に足がもつれてしまった。

 

 適性の有無があるにせよトレーナーにはそれぞれのカラーがある。ポケモンのタイプ相性のようにそれらは複雑に絡み合い、勝負だけでなく日常にも関わってくる。

 ミカゲのそれは慈悲とともに歪んでいると言えるだろう。バラル団の一員として悪事を働くというのはその表層に過ぎず、嗚呼、そう──

 狂っている。激しさと穏やかさがこの男の中でうねりをあげている。砂漠で出会った時にそこへかすかなひび割れをいれてしまったのが失敗だったのだ。

 

 アルナは目をぎゅっと閉じ、迫る災厄を自らの世界から遮断した。

 ミカゲから下卑たものこそ感じないがこの現実を直視するのはあまりにも酷だったのだ。

 

「そのくらいにしておいたほうがいい」

 

 閉じた世界に誰かの声が凛と響いた。

 思えばあの時もそうだった。

 

 健闘の末ゴルーグを倒したものの依然アルナが不利な状況に待ったをかけた男がいた。彼は本気を出してアルナを潰そうとしたミカゲを止め、口八丁ではあるが追い返したのだ。 

 

「まだやるというのなら俺が相手になろう」

 着地をしくじらず、誰かが目の前に文字通り降ってきた。シチュエーションの違いこそあれ、

 

「ヤシオ!?」

 目を開けた。しかし現れた男は赤い帽子をかぶっていなかった。後ろから見た背格好も異なる。妙な訛りもない。

 

 救世主だ。誰かは知らないがこの危機的状況を打破してくれる、そんな存在が天から降り立ったのだ。

 

「ジムリーダー、シンジョウ。お前がトレーナーの道を外れるというのなら容赦はしない」

 

 峡谷が絢爛華麗な舞台に変貌したかのようだ。彼の一挙一動が殺風景な景色を鮮やかに彩ってゆく。

 

 シンジョウと名乗った男はバクフーンを繰り出した。その背中で燃え盛る炎は火山ポケモンの名にふさわしく凄まじい威圧感とともに純粋な強さが伝わってくる。

 

「この子の知り合いかな」

「違う」

 

「ボクらを挫こうとか」

「違う」

 

 シンジョウの返答、いずれも短く、そして鋭い。

 

「……成る程」

 ゆっくりとミカゲは頷く。そしてシャンデラをボールに戻しゴルーグに掴まった。

 

「残念だけどその子と勝負できないんじゃボクはもうここにいる意味がない。帰らせてもらうよ」

 

 視線をこちらに向けることなく、ミカゲは吐き捨てるように苛立ちをぶつけた。その言葉は独り言のようにも響いた。

 

 シンジョウはあえて追おうとはしない。

 砂埃を巻き上げ、あの時同様ゴルーグとミカゲは空の彼方へと消えていった。

 

「バクフーン、戻ってくれ」

 口が渇いて言葉が出なかったがバクフーンを引っ込めるシンジョウを見て我に返った。

 

「あ、ありがと。あたしはアルナ。本当に助かったよ」

 どこかの誰かと違い助けてほしいタイミングで間髪入れず手を差し伸べてくれる存在がどれほどありがたいことか。

 

 ジムリーダーと名乗ったのが気になったがそのあたりを詳しく聞くより今は無事を喜びたかった。ごく自然に振る舞った結果として笑みが浮かんだ。

 

「別にいい。それよりあいつは?」

 ミカゲの選択次第では激しい戦いになっていたかもしれない。それでもシンジョウは冷静だった。 

 

「バラル団。前に砂漠で揉めたことがあって」

 

 それは災難だったなとシンジョウはへたりこんだアルナを助け起こした。

 

「さっきヤシオとか言っていたな。ツレか何かか?」

 

「いや、前にたまたま一緒になった変な人。私より先にここに来ていたみたいなんだけど──」

 

 アルナはミカゲから聞いたヤシオとクロックの話をシンジョウに聞かせた。

 

 詳細は不明だが今自分たちがいるこの場でヤシオとクロックが激突し、ヤシオは倒れてそのまま行方不明となった。

 

 正直なところアルナはヤシオにそこまで強い思い入れがあるわけではなかったが、知り合いがバラル団に襲われ行方不明ともなれば心配にもなる。

 

「つまりそのヤシオという青年は行方不明というわけか。とりあえずPGに連絡して捜索を頼もう。……その前に」

 

 シンジョウはマフォクシーを繰り出し、何かを指示した。こちらもよく鍛えられているのが見てとれる。

 マフォクシーは懐から杖のような枝を出し、その先に火をつけた。

 

「何してるの?」

「マフォクシーには未来を見通す力がある。その応用で彼の安否だけでも探れないかと思ってな」

 

 手に持った枝に灯った炎をしばらく見つめたのち、マフォクシーは一声鳴いた。

 

 シンジョウは眉を僅かにひそめた。

「大丈夫、彼の未来(ビジョン)が見えたようだ。少なくとも彼は無事だ。怪我もないらしい」

 

 そんなことまで分かってしまうとは頼もしくも恐ろしい。

 

「じゃあもしかしてこの近くにいるの!?」

 

 アルナはマフォクシーに問いかけた。肯定してほしいところだったが首を傾げてしまった。

 

「えっと」

「こいつによると彼は近くにはいない。しかし遠くにもいないということらしいな。つまり──いや、なんでもない」

 

 思うところがあったのだろうか。

 意味不明だがシンジョウとマフォクシーが嘘をつく理由もない。いわゆる電波が繋がりにくい場所のようなものがあるのだろう。

 

「じゃあどうしたら見つかるのかな」

 

 穴堀りならすぐにでもできる。しかし場所が場所なだけに現実的ではなかった。

 

「命に別状はないならこういうのはどうだろう。PGの捜索を待つ間ヤシオが現れそうな場所を張る。彼が行きそうな場所に心当たりはないか?」

 

 悩むまでもなかった。

 悪い意味で天性の方向感覚を持つヤシオだが、答えはそう難しくなかった。あの時砂を踏みしめながら語り合った展望。

 

「ルシエジム。そうだ、最後のバッジをかけてジムリーダーに挑むって言ってた!」

 

 峡谷にいたのもルシエに向かっていたからとするのが自然だ。砂漠で会った時期からして本来ならばとっくに着いているはずなのだが、大方寄り道に次ぐ寄り道で旅が長引いたのだろう。そう考えた。

 

「なるほど。コスモスのところか。ならルシエで待っていればいい。その前にルシエ署に寄ってからだが」

「ルシエのジムリーダーと知り合いなの?」

「まあな、横の繋がりってやつだ」

 

 シンジョウはマフォクシーを戻して今度はリザードンを呼び出した。

 

「先に乗っていてくれ。俺はPGに電話しておく。バラル団の騒動にかかりきりかもしれないが何もしないよりましだろう」

「よ、よろしく」

 

 リザードンはアルナを見つめ、そして姿勢を低くした。万が一にでも暴れられたらと尻込みしたが杞憂に終わったようだ。

 

 電話などそこですればいいのにシンジョウは不自然に距離をとった。だがこの1時間ほどでいろいろありすぎたアルナにとっては大した問題ではなかった。

 物陰に入ってしばらく話し込み戻ってきた。

 

「じゃあ行くか。リザードン、あまり飛ばさなくていいからな」

 

 2人を乗せたリザードンはルシエシティを目指して飛び立った。



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天使の休息

『腰を下ろそう。そしてパンを1枚だけ食べよう』

(ロベ=ルプティ)


「■■■■■、■■■■!――――」

 

 

 ぴちょん。

 

 額に垂れた水滴でヤシオは目を覚ました。

 目を凝らしても暗くて何も見えないのだが、それなりに広さのある洞窟のような場所にいることだけは分かった。

 

 手探りでリュックと帽子が近くに落ちていることを確認した。ラフエルの治安も捨てたものではないらしい。

 

 ゆっくりと深呼吸しとりあえず記憶の整理を図る。

「えーっと。たしか峡谷でクロックとかいうヤツと戦って、そんで足元が落っこって……」

 

 ルシエシティも目前、シエトの峡谷を抜けようかというところで突然クロックが本性を露にして襲いかかってきた。

 これまでに見たことのない異様な敵に驚きながらも応戦したが、戦いの余波で崩落した崖とともに激流に沈んだ。落ちていく最中クロックのポケモンが虹色に目映く輝いていたことも不可解な記憶として残っている。暗転する視界と拡散する意識についてはあまり思い出したくはなかった。

 

 何はともあれ、だ。

「こりゃやっちまったね。オレもとんだでれすけだ」

 

 ヤシオは大きくため息をついた。

 

 ポケモン勝負におけるトレーナーの主たる役割は戦闘の指示を出すことと認識されている。

 もちろんそれは間違いではない。間違いではないのだが正確にはポケモンとともに戦うことであると表現すべきだ。

 

 これは『心をひとつにして戦おう』という生易しい精神論ではなく、かといって相手のポケモンと生身で取っ組み合えという極端なものでもない。

 

 指示を出す位置や声、さらには相手トレーナーやポケモン、フィールドに常に気を配らなくてはならない。どのあたりにボールを投げて手持ちを繰り出すかという要素もある。簡単なもののみを挙げてもこれだけ気を配らなくてはならない。携帯ゲーム機を握ってコマンド入力をすれば済むターン制勝負ではないということだ。

 

 そしてトレーナーが戦闘続行不可能な状況に陥ればポケモンのコンディションに関わらず問答無用で負けとなる。それも実力のうちだ。

 なにも珍しいことではない。今回のヤシオは特殊なケースであるが戦闘の緊張で極限まで昂ったトレーナーが試合中に卒倒する事例は頻繁に報告されている。

 

 ヤシオはトレーナーとして雑じり気のない真剣勝負の結果クロックに敗北した。それも惨敗と言わざるをえない。揺るぎない事実だ。再びため息が漏れた。

 

「あっお兄さん。目が覚めた?」

 暗闇から女の子の声がした。叫びそうになったヤシオは慌てて口をふさいだ。

 

 早鐘を打つ心臓を落ち着かせようとしたがすぐには無理だった。

 

「ごめんね。驚かせちゃったかな」

「だだだだだいじだいじ。らいさまのほうがよっぽどこえぇんよ」

 声だけでなく心臓も口から飛び出していたかもしれない。ポケモンでいう怯み状態を思わぬ形で経験してしまった。

 

 ゆらりと明かりが灯りやっとあたりが見渡せるようになった。睨んだとおりそこは洞窟で、発光したヤミラミを抱き抱えた女の子がこちらを見上げていた。

 

 知らない場所にいるだけに他に人がいるのは心強い。

「お嬢ちゃん、ここどこだか分かっかい? ってかどちらさん?」

 

 あっオレはヤシオな。そうつけ加えた。

 

「そうね……じゃあヤシオさんはここどこだと思う?」

 

「わがんね。洞窟っぽくはあるけどもなぁ」

 

 洞窟特有の湿っぽさはあるもののどこか温かさや懐かしさすら感じる。ヤシオはそれが何か考えようとしたがまとまらなかった。

 

 額にしわを寄せる彼に女の子はにっこりと微笑んだ。

 

「洞窟、洞窟か。いいね。私も洞窟大好き」

 ね? と女の子は後ろに呼び掛けた。ヤシオはその時初めて彼女のうしろにイシツブテたちが集まっていることに気がついた。

 

「うーん?」

 どうにも要領を得ない。女の子は見たところヤシオより10歳ほど若い。さらに服装からして裕福な家庭のお嬢様であることが見てとれた。なぜこんなところにいるのだろうか。

 

「もうひとつの質問に答えてなかったわね。私はルルシィ。よろしく」

 

 恭しく頭を下げるその様子からも育ちのよさが溢れ出る。より一層この場所に似つかわしくないように感じられた。

 

 違和感が拭えなかった。

「ルルシィちゃんつったか。もしかしてオレ、死んじまった?」

 

 ヤシオがもう少し理知的な青年であれば集合的無意識の発露とでも評したか。

 とにかくあの時の状況を考えれば当然だ。ここは天国もしくは地獄の入り口でこの少女はその案内人なのではないか、と。都会生まれで別段信心深くないことなど今は関係なかった。

 

 よくよく考えれば不自然だ。

 大怪我を負ったはずなのに体はどこも痛くはない。ボールを確認したところ手持ちはみな元気だし服に傷や汚れもない。疲労すら感じなかった。

 

「──なーんちゃって!」

 

 これは夢、激しい勝負で精神が擦りきれた末の束の間の夢だ。ヤシオはファンタジーに傾倒しつつある己に呆れてしまった。愛読する週刊少年スカンプーに影響されたのかもしれない。

 

「いい線いってるかも」

 場を明るくしようと冗談めかして言ったのだが思わぬ返事にヤシオは固まってしまった。

 

「ここは階段の踊り場みたいな場所なの。1階でも2階でもないそんな場所ね。ヤシオさんはそこに引っ掛かってるのね」

 

 にわかには信じがたいが実際にそうなっている以上どうしようもない。ヤシオは螺旋階段ではなかったことを喜ぶことにした。

 

「つまり……死んだってわけではないんか」

「中間ってとこかしら」

 

 ルルシィはさらりととんでもないことを言ったのだがそれを気にする余裕はなかった。

 

「なんでもいいべ。キャモメーズのVを見届けるまで死なねって決めてんの、オレは」

 

 変な方向へのポジティブさを見せつけたヤシオに微笑みかけ、ルルシィはどこからかズタズタに裂けたあなぬけのヒモを出して見せた。

 

「これ。とっさに使おうとしたあなぬけのヒモで私のところに繋がったみたい」

 

 クロックと出会った時に買った遭難対策のあなぬけのヒモが文字通りの命綱となった。無駄と分かっていても反射的に使おうとしたらしい。いい買い物だった。

 

「つまりオレは運がえがった?」

「かなりね」

 

 ヤシオはほっと胸を撫で下ろした。

 

「そっけ。まあアレだ。重ね重ね申し訳ないけどとりあえずここの出口を教えてくれっかい?」

 

「そうしてあげたいんだけどね。出口はヤシオさんが自分で見つけるしかないの」

 

 ヤシオの表情がまるでニャースの目のようにくるくると変わる。

 

「あれま。迷子全振りのオレには酷だべ。まあ頑張ってみっか。いろいろあんがとます。そんじゃあな」

「待って待って!」

 

 帽子とリュックを拾い上げて歩を進めようとするヤシオをルルシィが追いかけた。

 

「出口は分からないけど道に迷わないお手伝いくらいはしてあげられる。たぶんヤシオさんには外でまだやることがあるんでしょう? 力を貸すわ」

 

 洞窟や森などといった天然のダンジョンはヤシオにとって何よりも恐ろしい天敵だった。地図にない、そもそも地理的に定義付けられないこの空間ともなればもはや言うまでもない。

 

「それは助かっちゃうなぁ。やっぱキャモメーズ好きにわりぃヤツはいねってことだんべな」

「勝手にそっち側に引きずり込むのは勘弁してほしいのだけど……」

 

 残念ながら『なかまづくり』はアイアントに任せておくべきだったようだ。

 何事もなかったかのように即席コンビはヤミラミの明かりを頼りに洞窟の奥へ踏み出した。

 

 

 数時間歩いた。洞窟は予想よりずっと広く、進んでも進んでも代わり映えのしない景色とともに掴み所のなさを感じさせた。

 体力的には問題なくてもここまで歳の離れた相手とどんな会話をしたものかヤシオは困り果てていた。

 

「ん?」

 懐のモンスターボールがカタカタと揺れた。見かねた彼の手持ちからの気を利かせろというサインだ。

 さすがに何とかしなければならない。寂しい脳の容量から話題を紡ぎ出した。

 

「それにしてもルルシィちゃん。妙に慣れてるみたいだけども、ずっとここにいるんか?」

「そうよ」

 

 辛さを隠して振る舞っているようには感じなかった。

 

 彼女の年頃ならば。友達と遊んだり、母親と買い物に行ったり、ポケモンたちと触れ合ったりしながらありふれた幸せな日々を過ごしているとヤシオはぼんやりとイメージしていた。

 

 ところがどうだろう。このような場所で大人びた言動とともに自らを導こうとする。彼女がどうあろうとヤシオにはそこから明るい想像はできなかった。

 

「もしかしてだけんど、オレみたいな立場ってことけ」

「ふうん……」

 

 ぐるりと首をまわしてルルシィはヤシオを見つめた。

 

「私はやりたいことをしているだけ。迷ってるわけじゃないよ」

「お、おお」

 

 語気こそ強くなかったが、ヤシオに当惑を覚えさせるには十分だった。

 

 気まずい雰囲気になりかけ、再び沈黙に包まれることを覚悟したが今度はルルシィが口火を切った。

 

「……ヤシオさんこそもしかして迷ってる?」

「いんや、ルルシィちゃんのパーペキなガイドのおかげで今のオレは迷子から一番遠い存在だんべよ」

 

 彼女の目は誤魔化せなかった。洞窟散歩が始まってからというもの、ヤシオは足下ばかり見つめて歩いていた。

 

「そうじゃなくてね。ここから出た後の話。私にはなんとなく分かるの」

 

 自分でも分かっていた。迷いの根源はクロックとの戦いだ。ヤシオは一介のトレーナーであり、強敵に敗れたり伏兵に苦しめられたりした経験はいくらでもある。

 しかしこの戦いはこれまでのものとは別だった。ヤシオに対して牙を剥いたクロックは正体を明かしつつも悪の組織の幹部としてではなくトレーナーとしての執念で挑んできた。初対面の相手にそこまでされる理由は分からなかったが、彼を異質とカテゴライズする動機としては十分だったのだ。

 

 ヤシオはここにくるきっかけとなった峡谷での決闘についてルルシィに話して聞かせた。

「なんつーか。オレの前にまたあいつが現れて、しかも今度はバラル団として襲ってきたらどうなるだろって思ってな」

 

 道端でトレーナーとする野良勝負、ジム戦や公式大会で行うリーグ基準に則った試合に生きてきたヤシオはこの地方でいえばPGとバラル団との間で行われるような大袈裟にいえば互いの存亡を懸けての勝負が受け入れきれていなかったのだ。

 

「地方でのさばっていた悪の組織を図鑑をもらって旅立った若いトレーナーがのしちまったニュースを聞いたことがある。カントーでもホウエンでもオレの地元でもそういう話があった。今まであんまし気にしないようにしていたけども、オレはそういうヤツらに対して一生かかっても超えられない壁で隔てられているんじゃないかなってな。今度ばかりはそれを無視できなかった」

 

 虹色の現象も含め、クロックはその壁の向こう側の存在だとヤシオは呟いた。

 少しして年下の少女に愚痴るなど人としてどうなのだろうかと後悔したが、ルルシィは彼の言葉を素直に受け止めたようだ。

 

 ルルシィは人差し指をぴっと立てた。

 

「それならこう考えてみたらどうかしら。ヤシオさんがどのくらい強いトレーナーか私は知らないし、そのクラックという人がどんなだったかも分からない。もしかしたら世界にはヤシオさんが一生どころか二、三生くらいかかっても敵わない相手がゴロゴロいるのかもしれない」

 

 手厳しいなとヤシオは苦笑し頭をかいた。

 

「でも。ヤシオさんは死ぬ直前までいってここでまた生を拾った。こんな経験なかなかできないでしょ。『一生』にカウントしていいんじゃないかな。だからね、一生の壁ならもう超えてるわ」

 

 屁理屈どころかダートじてんしゃで大気圏を突破するレベルの論理の飛躍だ。

「ルルシィちゃん考えがぶっ飛んでんな」

 

「とにかくね。ここで一生を超えたんだしまたぶつかってみればいいじゃない。それでもダメならもう1回悩んでみればいい」

 

 ヤシオはここまで彼女に対して抱いていた不思議な感覚の正体をやっと掴んだ。彼女は大人びている。年頃の少女が背伸びをしているというわけではなく、自分と同い年くらいの女性が少女の体をとっているような雰囲気さえあった。

 

「そうだいね。あのジョルジ・クロキだって何度も屈辱を味わってでっかくなったんだ。それにそもそもジムバッジすら集めきってないオレには贅沢な悩みだったべ」

 

 簡易的なカウンセリングではあったが何らかの作用があったようだ。

 ルルシィは彼の瞳に輝きが戻ったことを見てとった。

 

「そろそろ大丈夫かな。ヤシオさん、上を見てみて」

「おっ?」

 

 俯いた顔を上げると、洞窟の裂け目から光が差し込んでいるのが見えた。ルルシィが特に反応しないところから察するにその光源はヤシオにしか見えていないようだ。

 

 足を止めた二人はこの奇妙な散歩の終わりを悟った。

 

「見つかったみたいね?」

「うん。あれが出口だぁな。ルルシィちゃん、色々世話になったお礼にここを出たらオレが何かうめぇもんをおごってやるよ。いいかげん腹減ったべ?」

 

「ごめんなさい。私は一緒に行けないの」

 ルルシィは申し訳なさそうというより寂しそうな表情を見せた。ここまでポーカーフェイスを貫いていただけに凪いでいた心にさざ波を起こさせる。

 

 普通ならどしてよ? と聞くのがヤシオだがそれを呑み込んだ。

 

 この子(ルルシィ)はここに残らなくてはならない。そしてヤシオのように迷ってしまった者を導くという役目がある。そう思った。

 

 不思議な体験というのは人の心にここまではたらきかけるものなのだろうか。

 

「そっか。メシはまた今度な」

 オレはグルメだから旨いもんをいっぱい知ってんのと誇った。彼としてはその約束が果たせるかどうかよりも明るい気持ちで彼女と別れたかったのだ。

 

「うーん、つってもあんな狭い隙間から外に出れっかね。ポケモンの技でぶっ壊すのも危ないし」

 

 よく分からない場所で荒っぽい手段に訴えることはできない。

 頭を抱えるヤシオにルルシィが新品のあなぬけのヒモを手渡した。

 

「これを使って。ヒモが引っ掛かったらあとはしっかり掴まってれば大丈夫。でも決してこっちを振り向いてはだめ。向こうへ出るまではね」

 

 渡りに船、というよりヒモとでもいうべきか。

 いよいよヤシオはあなぬけのヒモに足を向けて寝られなくなった。

 

「オッケー。いろいろありがとうな。……こん次に会う時にはオレはもっと凄いトレーナーになってっから楽しみにしちくり」

「分かったべよ。ふふふ」

 

 おうと威勢よく応え、ヤシオはずっと手に持っていた帽子を深々と被った。そして投げ縄の要領で光が差し込む方へあなぬけのヒモを投げる。ヒモは何かに引っかかりそのままピンと張った。

 

「じゃあな!」

「じゃあね」

 

 ルルシィだけでなくヤミラミも、そしてイシツブテたちも手を振っている。

 

「こりゃあいいや。らくちんらくちん!」

 ヒモは掴まったヤシオをひとりでに上へ上へと引っ張りあげていく。



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退屈を満たすもの

待つことによって得られるものもある。

(キリル=エセ)


 ルシエジムリーダー、コスモスは紛うことなき天才である。

 強者かつ曲者揃いで知られるラフエルのジムリーダーたちのなかでも突出した実力を持ち、リーグ最後の番人として挑戦者を退ける。

 

 噂には聞いていたが百聞は一見にしかずだ。実際に目の当たりにするとそれが大袈裟な喩えでないことを認めざるをえない。

 

「カイリュー」

 

 大きな体からは信じられないスピードの一撃が炸裂した。観覧席にまで空気の揺れが伝わってくる。

 

 技を指示するまでもない。崩れ落ちる相棒を目にした挑戦者はがっくりと膝を着いた。

 5体のポケモンを連続で撃破したカイリューは役目を終え、ボールに戻った。

 

「またカイリューだけで全部倒しちゃった」

「あれがコスモスのやり方だ。最初から容赦なく攻めてどんどん圧をかけていく。相手にするのはかなり辛いだろうな」

 

 アルナはここに来てから何度目になるか分からない『どえらい』を口にした。

 自分より年下のトレーナーは珍しくないが、ジムリーダーでしかも地方最強を誇る少女ともなれば驚くのも無理はない。

 

 とぼとぼと挑戦者がジムを去っていく。その背中を見ていると仕方のないことだとわかっていても辛くなってしまう

 

「私が戦ってもボコボコにされちゃうんだろうな……」

 脳裏にこちらを見下ろすミカゲがちらついた。

 

 

 ルシエシティに到着したシンジョウと再会を果たしたコスモスは喜び(彼女の表情の機微を読み取れないアルナにはあまりそうは見えなかったが)、アルナを挑戦者と勘違いする小さなハプニングがあったものの彼らをジムに招待した。そして2人はルシエに滞在しつつ時々現れる挑戦者とコスモスとの試合を見学しているというわけだ。

 

「だいたい何? あの技見えないうちに相手のポケモンが吹っ飛んじゃってるし。カイリュー半端な、いやどえらいって」

 

 技というよりもはや手品の類いに見えてしまう。アルナは鼻息荒くシンジョウに説明を求めた。

 

「あれは『しんそく』だな。そもそもが速い技だがあのカイリューが使うと人間もポケモンも肉眼で追えたものじゃない」

 

 挑戦者が先に指示を出してもカイリューが相手に致命的な一撃を食らわせるほうが早い。それを続けていれば何もできないまま手持ちが全滅してしまう。

 

 アルナたちがここまで見た試合でカイリューを破った者はいなかった。コスモス本人は『調子がいいだけです』などと話していたが、そのずば抜けた実力を認めざるをえなかった。

 

 ドラゴンタイプを扱うコスモスへの対策として、こおりタイプやフェアリータイプを中心に手持ちを選抜してくるトレーナーも多い。それでも相性の差を引っくり返してしまうのだからいかに彼女が恐ろしい使い手かわかるというものだ。

 

 戦いを終えたコスモスが執事を伴って戻ってきた。勝利にも関わらず表情があまり晴れないのは戦いに手応えを感じていないせいだろうか。

 

「ほんっっっとに強いね。挑戦してくるのはみんなバッジ7個のトレーナーなのに」

 

 アルナはコスモスの肩をバンバン叩いて褒め称えた。体育会系のノリにも怯むことはない。

 

「だからこそ私が最後の番人として彼らをジャッジする必要があります。強さに限ったことじゃない。資質とも違う。言うならば『色』でしょうか」

 

 目の前のアルナに対しての発言なのだが星に語りかけているような、そんな響きだった。とにかくクールな彼女にもジムリーダーとしての確固たるポリシーがあるらしい。

 

「色、色かあ」

 小さい頃父親が土産に買ってきてくれた色砂を思い出した。

 

「じゃあさじゃあさ、あたしは何色?」

 どうにも会話のレベルすらコスモスに遅れをとっている。ならば自分の理解できる範囲に持ち込むまでだ。

 

「……強いて言うなら茶色でしょうか」

「びっみょー」

 

 なんとかコスモスの言葉を噛み砕こうとするアルナ。

 

 ぐう。

 急速に頭を使ったせいか胃の笛が鳴った。かなりアクティブな彼女も心は乙女だ。途端に顔が真っ赤になった。

 

「あっ」

「もうお昼時でございます。皆様でお食事などいかがでしょう」

 

 執事が正午を少しまわった時計を指した。

 

「でも、まだ」

「本日挑戦の申し込みがあったトレーナーとの試合は全て終了いたしました。コスモス様、どうぞご友人とごゆるりとお過ごしください。その間ポケモンたちを休ませておきましょう」

 

 この早口である。

 執事から是が非でもお嬢様(コスモス)を友人との食事に行かせるんだという気迫が伝わってきた。彼なりに人付き合いをあまりしない彼女を思いやっているのが分からないコスモスではない。

 

 

 大型ショッピングモールのフードコートで食事をする人々がみなこちらを見つめている。それもそのはずだ。ジムの外で、しかも友人と食事をするコスモスなど金のコイキングより珍しい。

 

「なんかものすごく見られてるけど」

「もう慣れました。ジムリーダーはみんなそうです」

 

 それはお前くらいのもんだ、とシンジョウはあえて口にしなかった。

 

 ミルタンチーズピザを頬張るコスモスは百戦錬磨のジムリーダーではなく年頃の少女の顔をしていた。世間から多少ずれているところがあったとしても彼女は他人と何ら変わらない。

 

 洒落たレストランでも高級な料亭でもなくフードコートを選んだのは彼女なりのオフの行動なのだろう。

 だからこそ挑戦者を前にしたオンの彼女は不落の飛竜として牙を剥く。役割を演じているのではない。その瞬間において最も望ましい方向へ自らを突き動かしているのだ。

 

 大きくカットされた肉をアルナは豪快に平らげた。野宿が多いこともあってこのような場所での食事は久しぶりだった。

「とっしんステーキうまー!」

「昼間からよくそんなに食べられますね」

 

 いつの間にか打ち解けた女子たちを前にシンジョウは考えた。コスモスに勝つことができるのはどんなトレーナーだろうか、と。

 

 タイプ相性で攻めるのは正しい。王道とさえいえる。こおりタイプならひこうやじめんを併せ持つドラゴンポケモンに大ダメージが期待できるしフェアリータイプならドラゴンタイプの大技も効かない。

 

 シンジョウもほのおタイプの使い手としてみずタイプやいわタイプなど相性の悪いポケモンで攻められることが多い。

 彼の場合は文字通り火力を磨くことで対応しているがコスモスはどうも違う。彼女のポケモンも威力の高い技や攻防一体のスピードで相手を圧倒するが強さを裏打ちしているのはそれではない。

 

 直前の試合でカイリューが『しんそく』を連発して挑戦者を完封したがそれはコスモスが敵を侮って本気を出していなかったわけではないし、パワーとスピードに任せた雑な戦法をとっていたわけでもない。

 そうすべきと彼女が判断したからだ。

 

 つまり、初手でコスモスが『しんそく』を指示した時点で勝負はほぼ決していたことになる。それを嫌ってゴーストタイプを繰り出しても攻め手がなければそれ以外の技であっさりと対処されてしまうだろう。

 

 強いポケモンに幅広い戦略、さらには運の要素すら必要となるかもしれない。

 

「シンジョウさん? そろそろ行きますよ」

「おかいもの! おかいもの!」

「ああ」

 

 コスモスの腕を引くアルナはそのままショッピングモールへ向かうようだ。シンジョウは思索を中止して彼女たちを追いかけた。

 

「これ! こっちがいいって!」

「いや、これにこれを合わせてだな」

 

 人形のように端整なルックスのコスモスをブティックに引きずり込んだらやることはひとつだ。

 

 やれVネックのボーダーだ、それスポーツタンクトップだと試着室で目まぐるしくファッションショーを繰り広げる。

 

「またですか……」

 

 似たようなことを考える者は他にもいたようでコスモスは早々に諦め、もはや抵抗しなかった。

 

「若いんだからおしゃれしなきゃ!」

「アルナさん、私と2つしか違わないですよね」

 今日日親戚のおばさんですらその語り口はすまい。 

 

「コスモスは何を着ても似合うな。ファッションモデルでも通用するんじゃないか?」

「シンジョウさんの身長を10センチほどもらえるなら検討します」

 対応も慣れたものだ。

 

 

 その後もファンシーショップや骨董品店など時間の許す限り3人はモールを駆け回り、思う存分買い物を楽しんだ。アルナ、シンジョウと過ごした半日はコスモスにとって久しぶりの休日となった。

 

「ありがとうございました。よい気晴らしになりました」

 夕陽が差し込むジムでコスモスは感謝を告げた。抱えている紙袋にはアルナとシンジョウが選りすぐった今日の戦利品がぎっしりと詰まっている。

 

「たまには自由に過ごしてみるのも悪くないだろ?」

「はい。コー、いやランタナさんの域までいくとさすがにまずいですけど」

 

 どこの地方にも1人くらいは自由人なジムリーダーがいるものだ。

 

「こっちこそありがとう。あたしも楽しかった!」

「それじゃ、俺たちはホテルに行くから。おやすみ」

 

 手を振りながらジムをあとにしようとしたその時だった。

 ジムの扉が外から開き、中に誰かが入ってきた。

 

 

「おこんばんは。ルシエジムってここで合ってんべ? 初めての街は迷子になりやすいからいけねぇや」

 

 赤い帽子にリュックサック、癖のある訛りが特徴的な――――

 

 執事の予定になかった最後の挑戦者は砂漠で会ったあの時と同じように飄々とした印象をその場にいる全員に振り撒いた。



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挑戦者は語る

『隣り合った私と貴方が見ているものは同じ。しかし客観的事実と実際に観測されるものとが必ずしも一致するとは限らない』


(ツローデ=ゼン)


「手を緩めるなジャローダ! 『リーフストーム』だ!」

 

 空風吹き荒ぶ荒野の果て。

 高度な戦いを繰り広げるポケモンたちに対して人間のいかに脆弱なことか。

 

 特攻を大幅に下げるリスクを伴う大技だがクロックの指示に迷いはなかった。

 ジャローダが放った尖った葉が奔流となって嵐を巻き起こし、既にボロ雑巾と化しているヤシオと彼のポケモンに更なる猛攻を仕掛けた。

 

「うおっ! っていうかジャローダに手はねぇべ!」

 ここまでの戦いで目が慣れていなければ指示どころか自らの反応すら間に合っていなかったに違いない。

 

「『リーフストーム』は茎頂で形成されるものとはパワーが違う。この葉の一枚一枚が君たちを確実に蝕むんだ」

 

 その言葉に嘘はない。タイプ一致で放たれた技のパワーは二本の足に依存する人間には到底耐えられるものではない。ヤシオはその場にうずくまることでなんとかやり過ごした。

 

「よーくわかった。あんたつえーよ。バラル団なんかやめてプロトレーナーを目指しゃあいいがね」

 

 流れ弾となった葉が頬を撫で一筋の血が流れた。状況からみてその程度で済んだのは幸運なのだろう。

 

 いささか虫のよい考えではあるがツキに見放されたというほどでもない、と脳内をクリアにした。

 

 そしてさらに続けた。

「んー。オレにはどうにもあんたのことが分がんね。真っ当にやってるようにも見えるんなぁ」

 

 ミカゲにソマリとこれまでに遭遇したバラル団員は悪と狂気に支配されていた。その点クロックはどうだろうか。

 

 話しつつ時間を繋ぎ、ポケモンのダメージを確認。一旦ボールに戻した。

 一方、クロックは血走った瞳で彼を睨み付けている。

 

「ジバコイル、シザリガー、それにムクホーク。僕が鍛えに鍛えたポケモンたちをここまで破ったのは見事だったよ。だが君にはもう後がない。せめて後悔しないエンディングを選ぶといい」

 

 バラル団幹部としてのクロックは言うまでもなく腕利きのトレーナーなのだが、今回は少々事情が異なる。

 ヤシオはPGでもなければ直接バラル団の作戦を邪魔したこともない。本来であればクロックにとって無視して差し支えないような取るに足らない存在だ。

 

 だとすれば何が彼をここまで昂らせるのか。この時のヤシオに知る由もなかった。

 

「最後だ。君の全てを僕にぶつけてみせろ」

 

 クロックはジャローダをボールに戻した。そして新たなボールを手に取った。それが下がった特攻を戻すためなどではないことをヤシオは本能的に理解していた。

 

「いけ――ガブリアス!」

 

 マッハの地竜がクロックの意思が形を持ったかのように降り立った。その雄叫びが放つプレッシャーはその場を支配してしまうほど。

 

 クロックは触れずともその場の全てを圧迫していた。

 

 しばらく沈黙したヤシオ。それでも自らを奮い立たせ、最後のボールを手に取った。

 

「いんやあ。すんげぇ鍛えられ方をしてる。たしかルシエもドラゴンタイプのジムらしいしいい特訓になんね。うんうん」

「御託はいい! 僕もガブリアスも戦いに飢えている!」

 

 髪を逆立てて叫ぶクロック。話が通じねぇなぁとヤシオは頭をかいた。

 

 ぶつかればどちらかが倒れる。そしてそれがどちらになるのかは些末な問題なのかもしれない。

 

「まあいいや。オレはあんたに勝ってルシエに行ぐ。そんだけだ」

 

 ヤシオは6つめのボールを手に取った。

 さすがに震えが止まらないかと懸念したが、そこは場数。ハハ、とそれなりに根拠のない、それでいて陽気な笑いがこぼれた。

 

「最後の最後でミオすけにあやかることになるとは思わんかったが、出せるもん全部で戦うのがトレーナーってもんだ! いぐぞ!」

 

 そう、この出会いがもたらしたものはきっと負の領域に留まるものではない。

 交錯する想いが共鳴して、響きあって、繋がっていく。

 

 そして投じた最後のボールから――――

 

 

 

 

 

「君、聞いているのかね!」

 

 突っ伏して眠っていたヤシオは慌てて飛び起きた。

 

 寝ぼけた頭で周囲を確認する。居眠りは数十秒のはずだが去年の夏から1年以上寝ていたような気さえした。

 狭い部屋に向かい合わせの椅子と机。そして即座に自分がルシエ署に来ていることを思い出した。

 

 そして額に皺を寄せてこちらを睨み付けている中年男性がPGで、色々と話すことがあったことまで頭が追い付いたところで一息つく。

 

 やっとのことでルシエジムに到着し、しばらくぶりにアルナとの再会を果たしたヤシオだったがすぐにジム戦というわけにはいかなかったのだ。

 彼の捜索の必要がなくなったことをPGに伝えなければならなかったし、様々な経緯についても彼が貴重な情報を持っているであろうことは明らかだった。

 

 複数のバラル団事件に(直接かというと怪しいが)関わり、しかも幹部であるクロックと交戦したとなればPGが彼から情報を得ようとするのは当然のことといえる。

 

「まったく。困るんだよ、こっちはただでさえバラル団で忙しいっていうのに」

 

 情報提供者のはずのヤシオに対してPGは何故か横柄な態度をとっていた。それを怪訝に思わない彼は正直なところややおめでたい。

 

「じゃあ改めて事件のことを話してもらおうか」

「いやぁ、あの時はオレも必死で必死で……」

 

 実はこの場においてヤシオと中年PGにとって不幸なすれ違いがいくつかあった。

 

 ひとつ、最近ルシエシティで下着泥棒の被害が多発していたこと。

 ふたつ、つい先ほど逮捕された下着泥棒の背格好とファッションがヤシオに酷似していたこと。

 みっつ、署の奥で待機していたヤシオがこのPGの早とちりで取調室に連れ込まれたこと。

 

「君は自分が何をしたか分かっているのかね!」

「分かってますよ! いい特訓だと思ってたら(ガブリアスが)虹色にプァーりなって、そんでもってこっちが手を出そうとしたら」

 

 言い切る前にPGが机を両手で叩いた。そして掌が痒くなったのかもう一度叩こうとして手を膝におろした。

 

「特訓だと? 虹色(の下着)だと? 押収されたなかにそんなものはなかったぞ! さては別に隠しているものがあるんだな、さっさと白状しろ!」

 

「隠してないがね! オレは(ポケモン勝負の時には)常に出し惜しみせず全力でやってんです! っていうかそれがトレーナーとしての性でしょうが!」

「そんなこと(下着泥棒)にトレーナーの性があってたまるか!」

 

 この場に冷静に状況を分析できる者がいないのが悔やまれる。売り言葉に買い言葉で両者はさらにヒートアップした。

 

「あるったらあんですよ! おまわりさんも昔はそうだったはずです! 基礎に戻ったらどうなんです! Simple is best!」

「ふざけるな! 私は法と秩序を守る者だ! そんな劣情にまみれた君と一緒にしてもらいたくはない! あと無駄に発音いいな!」

 

「とにかく! 虹色になったらそれまでと全然違ったんです。ノーマルからメガになった時点でもう凄かったのに、そっからはなんかもう爆発的というか」

 

 こうなってしまえばもう止まらない。

 

「爆発的って! さては外(下着)だけでなく中(その着用者)にも何かしでかしたんだな! こういったケースでは被害者が泣き寝入りしてしまって被害届が出ないこともある、あらためて調査が必要ということか。言え、他には何をした!」

 

「そりゃあ外(屋外)だけでなく中(室内)で(勝負を)やることもあるでしょう! だいぶ前だけどネイヴュのユキナリさんとは室内での一戦でしたよ!」

「ユキナリ……ユキナリ特務か! 室内で一線を越えた? 私は研修時代にあの人のお世話になったんだ! そんな彼に狼藉をはたらくなどもう許せん!」

 

 この不幸な勘違いに二人が気がついて、事態が正しい方向へと収拾していくのにはもう少し時間を要するようだ。

 

 

 

 さて、意味のない仮定ではあるがもしもホヅミが職を亡くして求職に走ることになった場合その履歴書は難儀なものとなるだろう。

 

 シンオウ地方の平凡な家庭に生まれたホヅミはキャリアとしてシンオウ警察に勤めるも僅か1年で辞め、その後は数々の職を転々としていた。しかも本人がその理由をあまり語らないとなれば誰もが良くない想像をするに違いない。

 

 ……表向きには。

 

 

 ホヅミにとって久しぶりとなるルシエシティはどこか華やいでいた。

 

 街のいたるところに開催が迫っているポケモンリーグのポスターが貼られ、町行く人々もどこか熱に浮かされているように見える。

 

 しかし彼女の向かう先はそんな受かれたムードの対極に位置するような場所、PGのルシエ署だ。

 

 活動がより活発になったバラル団に加え、ラフエル地方に存在する他の犯罪組織も連日ワイドショーを騒がせている。

 負の連鎖がそこにあることは疑いようもなく、エネコの手すら借りたいような状況だった。

 

「ラフエルオフィスサービスより参りましたミヅホと申します。担当の方をお願いできますでしょうか」

 

 いつも通りの営業スマイルにいつも通りの営業トークを取り繕う。

 そう、今の彼女はバラル団による組織犯罪対策特設チームのホヅミではなくオフィス用品を取り扱う営業として働くミヅホなのだ。

 

 もちろん無断で特設チームとの副業をしているわけではない。ここは彼女の潔白のためにも説明の必要があるだろう。

 

 カネミツによって率いられるこのチームには2種類の人間が存在する。ラフエル地方の組織から引き抜かれた者とそれ以外の者だ。それだけなら出身の違いなのだが両者にはさらに別の相違が存在する。

 

 後者の人間、つまりホヅミを含む者たちは籍はあれど『いない』とされているのだ。バラル団との因縁があるラフエルの組織から出向してきていれば当然敵からも知られている可能性がある。そこで表向きに発表されているメンバー以外の人員を秘密裏に補充し陰からも捜査にあたらせているというわけだ。

 

 ミヅホ、いやホヅミが在籍するラフエルオフィスサービスはその隠れ蓑のひとつということになる。これはバラル団との高度な情報戦を象徴しているといえるのかもしれない。

 

 そして、シンオウ警察時代から特殊な組織犯罪の対策チームとして活動してきたことでホヅミの奇妙な経歴が出来上がってしまったというわけだ。

 

 やって来た担当者はもちろんホヅミをオフィスサービスのミヅホと信じて疑うことはなく、奥の応接室へと通した。

 

「わざわざルシエまですみません。窓口の机とパイプ椅子が古くなってしまいましてね、ぜひそちらで調達させていただきたいんです」

 

 商機あり、とセンサーが告げる。

 

「ありがとうございます。こちらカタログになります」

 

 カバンから出したタブレットにはところ狭しと椅子やら机やらの写真が載っている。

 

「窓口用でしたらこちらの机はいかがでしょう。椅子と合わせてお安くご案内いたします」

 

「うーん。私個人としてはいいんですけどね、これだとちょっと豪華過ぎちゃうんですよ。最近はそういうのにうるさくてねぇ」

 

 市民の声がチョクでこっちに届くってのはいいことなんでしょうけどね、と担当者は肩をすくめた。

 

 

 

 

「キミねぇ、そろそろ帰ってくれないと困るんだよ。こっちだって忙しいんだから。下着泥棒と勘違いしたのは謝るからさ」

「んなこと言われてもオレはありのままを言ってるまでで!」

 

 声が廊下にまで響いてくる。

 

「取り調べ中でしたか」

 

 彼は禿げ上がった額をハンカチで拭きつつため息をついた。

 

「あーいやいや、あれは取り調べなんかじゃないんです。あの男性は捜索願いが出されていましてね、無事見つかったはいいんですがどうやらバラル団と揉め事を起こしていたらしいんですよ」

 

 バラル団という単語にホヅミは敏感に反応した。

 思わぬ収穫があったかもしれない。

 

「それで?」

 

 気まずそうな様子から難儀な事情を見てとった。

 

「そのあたりの事情を聞いたんですけどどうにも要領を得んのですよ。砂漠で穴に落ちたーとか峡谷で川に落ちたーとか雪に埋もれたーとかって。しかも虹色のポケモンにやられて死にかけたところからあなぬけのヒモで帰ってきただなんてどっかで頭でも打ったんでしょうなあ。こっちとしては聞くことは聞いたしもうお帰りいただきたいんですけど……」

 

 ホヅミが取るべき行動は一つだった。

 

「彼がみなさんのお仕事の妨げになっているようでしたら私が連れていきましょうか? こういうのは慣れていますので」

 

 なるほど、彼から見て前線で営業活動を行うミヅホはクレーマーの類いにも強そうに思えた。

 どうせオフィスサービスから備品を購入することだし少しくらい面倒を押し付けてもバチは当たるまい。そのような思考に行き着くのも当然といえる。 

 

「ありがとうございます。我々も犯罪者の取り調べには慣れているのですがこういったケースにはどうにも……お願いできますか」

 

 バラル団騒動でただでさえ忙しいPGからすれば無駄に居座ろうとする情報提供者にかまっている暇はない。ホヅミが隠れた同業者であることは幸運かはたまた不幸か。

 

 ホヅミはつかつかと歩み寄り、なんとかその場で粘ろうとしている男の首根っこをひょいと掴んだ。

 

「ラフエルオフィスサービスの者です。ちょっと来てもらいますよ」

 

「えーとどちら」

 

 体格に差はあれど最低限の訓練をこなした自負がある。男が新手の登場に面食らっている間にホヅミは彼の腕を掴み、文字通りルシエ署から引きずっていった。

 

 

「……あの、ジムに行きたいんですけども」

 とうに日が落ちた夜の喫茶店。ホヅミはロズレイティーをオーダーした。

 

「何か飲みますか? ここは私が持ちます」

「タピオカミルクティーで」

 

 飲み物が届き、ホヅミはいよいよ本題に入った。

 

「ヤシオさんといいましたか、さっきルシエ署でしていた話をもう1回してもらえますか」

「はい? あなたもPGの方なんですか?」

 

「し・て・も・ら・え・る?」

「へ、へぇ」

 剣幕に圧された男はラフエル地方に来てから今までのことを全て語った。脇道に逸れるだけ逸れるような相当長い話になったがホヅミはメモをとりつつ最後まで聞いた。

 

 砂漠でバラル団が何らかの活動を行っていたことはアルナという少女から通報があった。ハルザイナの森での一件についても居合わせた四天王がバラル団班長を撃退したと報告されている。

 

 つまりこの場での問題は峡谷での決闘ということになり、ホヅミが疑問点をピックアップした。

 

「つまりバラル団幹部のクロックという男は虹色のポケモンを使ったということ?」

 

「んと。正確にはボールから出てきた時には普通のガブリアスだったんです。んだけど戦ってる最中にブァーり光って」

 

 ただ光っただけではなく、能力の大幅な上昇がみられたらしい。もしやと思う節はあったがそれよりも身近な可能性を潰そうというのがホヅミのやり方だった。

 

「それって例えば『つるぎのまい』のような能力を上昇させる技によるものとは違うの?」

 

「オレも最初はそう思いました。でもなんか違ったんです。トレーナーが技を指示した様子はなかったし、そもそもオレと同じくらいあいつもガブリアスの変化にびっくりしてましたから」

 

 あくまでも戦局におけるサブプロットに過ぎなかったというのがヤシオの弁だった。

 

「それでガブリアスの『じしん』で足元が崩れて峡谷を流れる川に落ちたと」

「そうです。まあ落っこちてなくても負け試合でしたけどね」

 なはは、とヤシオが笑った。

 

 バラル団幹部のクロックについてはホヅミら特設チームでも情報が共有されている。

 

 幹部としては若く、言動からも他の幹部のような悪の秘密結社の重鎮としての圧を感じることはなかったと記録されている。むしろ好青年であるかのような印象が強かったとさえ語る者もいた。

 

 しかし与しやすい相手ではないことは間違いない。

 ひとたびポケモンを繰り出せば苛烈なまでの強さを誇り、これまでに逮捕を試みたPGたちが何人も返り討ちに遭っている。

 あの雪融けの日には刑事部第五課のソヨゴ警部と交戦、勝負の軍配こそ僅差でソヨゴに上がったが余力を残して撤退しバラル団全体としての作戦を完遂してみせた。

 

(私だったら瞬殺されてた、か) 

 

 しかしホヅミは腑に落ちない。

 

 バラル団が一般のトレーナーを理由もなく襲ったケースは報告されておらず、クロックがラフエル放送局の人間に扮してまでヤシオを付け狙ったのは不自然に思えた。

 

「もしかして、以前にクロックと何かあった?」

 

 となると私怨によるものという可能性を探るのが道理だがヤシオは首を横に振った。

 

「ない……はずです。っていうかあいつはオレに対して特に思い入れがないように感じたんだいね」

 

 クロックは全力でヤシオを挫こうと向かってきたが、その目線の先には何か違うものが映っていた。うまく言葉にならなかったのでホヅミにどれだけのニュアンスが伝わったのかは分からない。

 

「それじゃもうひとつ。ガブリアスが虹色に光ったって言ってたけど。私が思うにそれはReオーラによるものじゃないかしら」

 

「りおーら?」

 

 ラフエルの地下には莫大なエネルギーを伴ったオーラが血液のように巡っている。そしてあるタイミングでトレーナーとポケモンに作用し、不思議な力を与える。

 

 不定形かつ不可視のエネルギーであるため観測が困難で、雪融けの日以降学者たちが日夜頭を捻っているがその全貌は掴めていない。

 

 しかしこれまでの観測によってサンプルは徐々に集まっており、バラル団と同様そちらもある程度共有されている。

 

「Reオーラがあなたとあなたのポケモンに作用していたら結果は逆だったかもね。よりにもよって悪人に味方してしまうなんて……」

 

「ヤシオでいっすよ。あと、オレにはあのクロックがどうにも悪人には思えないんです。騙し討ちで危害を加えるつもりならいくらでもチャンスがあったしなぁ。本当にオレと戦いたかっただけだったりして」

 

 

 

 

「そんじゃ、オレはジムに行きます。あんまし役に立てなくてすみません」

 

 喫茶店の前で別れを迎えるその時に沸いて出たそれは紛れもなく彼の本心だった。

 

「案外そうでもないかも。これ、ポケギアの番号。何か思いついたこととか気がついたこととかあったらいつでも連絡してきて」

 

 教えたのはラフエルオフィスサービスのミヅホではなくホヅミの方に繋がる番号だった。捜査にあたる者としてはぎりぎりの行為だが、この男からは他にも何か有用な情報が得られるような気がしたのだ。

 

「いい。この通りの突き当たりを右ね? そこまでは絶対に曲がっちゃだめ」

 

 ここまでの話を聞いて分かったこととして、彼のドタバタは全てその方向音痴だった。同じルシエにある施設ですら辿り着けるか確証はない。

 

「はい! タピオカごちそうさんでした!」

 

 分かっているのかいないのか。

 小走りに駆けていく背中を見つめることはせず、ホヅミは別件に対処するためその場をあとにした。

 

 実は後悔がひとつあった。ヤシオにあえて伝えなかったことがあったのだ。

 

 CeReSが発表した最新の見解ではReオーラはこの大地に染み込んだ英雄ラフエルの波導とされている。

 つまりあの場でラフエルの遺志に選ばれた(・・・・)のはクロック。ヤシオではない。

 

 リーグをかけて最後のジムリーダーに挑もうとしている彼にそれを伝えるのはあまりにも酷だった。

 いずれCeReSの見解が知れ渡った時に彼はそれを受け止めることができるだろうか。

 

 

 ホヅミを撫でる夜風を彼女が妙に冷たく感じたのは温度差だけではないのかもしれない。



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竜乙女の純心

『驚異の脅威に立ち向かう覚悟はいいか?』

(マイコ=ターナー)


 明くる日、ヤシオは再びルシエジムを訪れた。迷わずに到着することができたのは昨晩のシンジョウのアドバイスに従って宿舎からタクシーを利用したからに他ならない。

 

 空は晴れて雲も高い朝。

 ジムの前では執事と見知らぬ女性が待っていた。

 

「おはようさんです!」

「おはようございます。ヤシオ様、お嬢様がジムにてお待ちです」

 

 いよいよか、とヤシオは目を輝かせた。そして執事の隣に目をやる。

 

「それでそちらの方は?」

「申し遅れました。ラジエス中央情報局のエルメスです。本日のジム戦の取材に参りました」

「あー、それってテレビです?」

 

 心臓が早鐘を打った。

 この流れはまずいと彼の第六感が最大音量で告げていた。

 

「いえ。ネット上の記事にはさせていただきますが」

「そりゃあよかった。いえね、最近テレビマンに崖から落とされたんですよ」

「それは大変でしたね」

 

 エルメスは一瞬目を丸くしたものの、所詮は他人事だった。

 ヤシオの脳裏には未だにガブリアスを駈るクロックが強烈に焼き付いている。なんとなくマスコミに感じるものがあるのも無理はなかった。

 

 

「おはようさんです!」

 コスモスは今日もクールに、そしてどこか厭世的に挑戦者を待ち受けていた。

 

「おはようございます。ルシエジムにようこそ。挑戦者(ヤシオ)さん」

「やっと勝負できんね。それにしてもジムリーダーさん、こうしてまともに話すのは初めてだいね。今日はどうぞお手柔らかに」

「ええ、こちらこそ」

 

 私にその色を存分に。

 

 

「ヤシオー! がんばんなよー!」

 観覧席からはアルナがこちらに手を振っていた。その隣で何やら真剣な顔をしているのはシンジョウ。そしてさらにその隣にはエルメスが腰かけている。

 

「もちのロコン! ヤシュウ男児は普段はヘロくても本番につえーよー!」

 

 実のないヤシオの言葉を脇に置いて、ルシエジムの実に見事な広い土のフィールドには万全の整備が施されていた。

 

 コスモスとヤシオはフィールドを挟んで白く描かれた円の中に立った。

 

 コスモスの艶消しブラックの瞳がヤシオを見据えた。彼女はヤシオにどんな色を見出だしたのだろうか。

 

「このジムはラフエルリーグ公式ルールに基づいて設計されており、試合もそれに準じて行います。ここまできた挑戦者にはもはや言うまでもないこととは思いますが、規則ですので確認しておきます」

 

 『トレーナーはフィールドの両端にあるトレーナーズサークル内で指示を出すこと』。『試合中1匹のポケモンに指示できる技は4種類まで』。『ポケモンの交代は両者に認められる』。

 

 なあなあにしてしまっているジムリーダー(ランタナ)もいるがコスモスは遵守して試合に臨むタイプのようだ。

 

 この勝負の主審を務める執事が両手の旗をあげた。

「両者、最初のポケモンを出してください」

 

 2人がボールを手に取った。

 

 そしてその瞬間が再び訪れた。

 頭のてっぺんから足の指先までが冷えきって、次に全身が燃えているのではと錯覚するほど熱くなるあの感覚だ。コスモスの言葉を借りるならば二人の色が混ざり合い、そして溶け合う瞬間。

 

 あの砂漠の再現にアルナは再び体の震えを感じたが、隣のシンジョウとエルメスはただフィールドを注視している。

 

「カイリュー」

 コスモスが投じたボールから光とともに大きな姿が飛び出した。

 

「おお、でっけえ!」

 一番手で繰り出したのはやはりカイリューだった。

 

「こっちも負けてらんねぇ。よっし、いってみんべ!」

 対するヤシオはアーボックを繰り出した。

 

 カイリューとアーボックが睨み合う。どちらも臨戦態勢だ。

 

「試合、はじめ!」

 合図とともに両者同時に動いた。

 

「アーボック、とにかくつっこめ!」

「カイリュー」

 

 間合いを詰めようと突撃をかけたアーボックだったが、カイリューの『しんそく』が決まるほうが先だった。アーボックは凄まじい衝撃とともに吹き飛ばされ、フィールドを越えてヤシオの背後の壁に叩きつけられた。

 

「すんげ! パワーが段チってこういうことだんべな」

 

 アーボックはその細長い体を器用に丸めつつ体勢を戻した。見るに、闘志は失われていないようだ。

 

「もっかい! ガーりいげ!」

 再びカイリューに迫るも同じように『しんそく』の餌食となってしまった。アーボックはヤシオの立つトレーナーズサークルの手前まで弾き飛ばされた。

 

 アーボックは苦しさからか再び体を丸め、そしてもう一度体勢を立て直した。

 

「まだまだ!」

 ヤシオはなおも同じ指示を出し続けた。そのたびにアーボックは『しんそく』の餌食になり、すぐに起き上がるも攻撃を受け続け、カイリューに対して技を放つことさえままならなかった。

 

「ねぇシンジョウさん、これまずいんじゃないの!?」

 

 これはアルナとシンジョウがここ数日で何度も見てきたパターンだった。『しんそく』を食らって最初から後手にまわる展開は挑戦者に焦りを生じさせ、ジム戦そのものの方向性を決定づけてしまう。

 トレーナー心理にダメージを与える凶悪な戦法によってバッジを集めてきた者たちですら精神的に崩れてしまうのだ。

 

「こらーヤシオー! なにやってんだー! やる気がないならあたしが代わりに戦うぞー!」

 

 ヤシオの自棄をおこしたかのような戦いにアルナはギャラリーから叫ばずにはいられなかった。

 なんとなくそれっぽいことを言い、さらにオーラを発して期待させつつのこの体たらくではヤジられるのも無理はない。

 

「……トレーナーの交代はルール上認められませんが私もアルナさんと同意見です」

 コスモスが呟いた。何かしらのスイッチが入ったとみえる。

 

「ドラゴンが聖なる伝説の生き物というのは今さら言うまでもないでしょう。彼らは捕まえるのも育てるのも難しいとされています。しかしうまく育てれば無類の強さを発揮する。ラフエルの強者(ジムリーダー)たちを破りここまでたどり着いたことは称賛に値しますが、そんな小手先の攻撃でリーグへの扉を開こうというのならあまりに無謀。それとも今からシッポまいて帰りますか、ヤシオさん」

 

 クールな彼女に似合わず語気が強くなった。

 どこか雰囲気の違う挑戦者に期待している節があったのか手応えのなさに失望したのか。あるいはその両方なのだろう。

 

「……わりぃけっど」

 頬を擦りながらコスモスの話を聞いていたヤシオだったが聞き手に徹するのをやめ、切り出した。

 

「シッポならもうとっくにまいて(・・・)っぺ?」

「なにを言って――――」

 

「『とぐろをまく』! もう堂々とやってよし!」

 

 アーボックの目の色が変わった。そしてこれまで繰り返していた体を丸める動作を今度は大きくやってみせた。

 

「なるほど、彼の狙いはこれだったか」

 アーボックの動きを見てシンジョウはヤシオの不可解な指示の意図を理解した。

 

「どういうこと?」

 聞くは一時の恥とばかりにすかさずアルナが教えてシンジョウ先生モードを展開した。一方隣のエルメスは理解することを放棄したのかただ微笑んでいる。

 

 本人は気がついていないが実はかなり面倒見のいいシンジョウ。できるかぎり噛み砕いて伝えた。

 

「アーボックがどれだけ素早く動いてもカイリューのスピードを捉えることは難しく『しんそく』を連発されればその対処は厳しいものとなってしまう。だからとくせいの『いかく』に加えて『とぐろをまく』ことで防御力を高め、ダメージを抑える作戦に出たんだ」

 

 もちろん、それまでに攻撃を受け続けることになるアーボックとの信頼関係がなければなし得ない作戦だ。

 

「アーボック、やり返してやれ!」

 

 再びアーボックがカイリューに迫る。コスモスはまたも指示を出さず、ただ一声カイリューを呼んだ。

 

 同じ技の連続の効果が薄いことを悟ったカイリューは次なる一手として翼を大きく羽ばたかせた。

 飛行タイプの強力な技、『ぼうふう』だ。いくら防御力が高まろうと特殊攻撃力によってダメージを与えるこの技であれば関係ない。

 

 なんとか踏ん張っていたアーボックもたまらず風の渦に巻き込まれた。

 

 そこへカイリューが再び突撃をかけた。今度は『しんそく』ではない。

 

「『げきりん』か。決めにきたな」

 シンジョウの読み通り、風が止まないうちに持ち技の最強格で片をつけようという算段なのは明らかだった。防御力が上昇していても地に足がついていない状態では(そもそもアーボックに足はないが)踏ん張りがきかずガードは必然的に甘くなってしまう。

 

 強力なオーラをまとったカイリューがその力を解放させた。高めた防御力ですらその前では意味をなさない。

 誰もが混乱のリスクを背負った大技で捻られるアーボックを夢想した。

 

「『ダストシュート』」

 静かに、それでいてはっきりと響いたその指示にアーボックは風にあおられながらも的確に応えた。

 

「……まかれ(・・・)たことに気がつけなかったのが失敗でしたか」

 

 攻撃の寸前で至近距離からの『ダストシュート』を浴びせられたカイリューはふらふらと不時着し、そのまま前のめりに倒れた。

 

「カイリュー戦闘不能。アーボックの勝ち」

 

 5対5の勝負、最初の一戦をものにしたのはなんとヤシオだった。

 競技において先制は重要視される。ポケモンバトルにおいてもそれは例外ではない。

 

「『とぐろをまく』は攻撃と防御にくわえて命中率も上昇させる。リスクこそあれ極限まで積めばカイリューの動きもとらえられるということですか」

「あらためて言われると照れんな」

 

 観覧席もちょっとした騒ぎになっていた。

「勝った! ヤシオいけるよ!」

「たしかにアーボックは見事だったがコスモスが恐ろしいのはここからだ。コスモスはこうなることも想定していたはずだ」

 

 次にコスモスが繰り出したのは――――

「ガブリアス」

 

 ガブリアスが峡谷の再現とばかりに登場した。

 

「あっガブリアスけ。きちぃのが来ちまったな! アーボック、ちーっと休憩。スターミー!」

 

 さすがに勢いに任せて戦うことはできないと判断したヤシオはアーボックを下げてスターミーを繰り出した。

 

 表情の読めないポケモンだがヤシオの目にはやる気に満ちているように映っているようだ。

 

「今度はこっちから攻めっぞ、『れいとうビーム』!」

 

 この対面ではスターミーのスピードが上回った。中心のコアから放たれた青白い光の帯が真っ直ぐにガブリアスを襲う。

 

「『がんせきふうじ』」

 4倍の弱点で当たれば大ダメージ間違いなしといったところだったが、ガブリアスは目の前に岩石を積み身を守った。

 

 この『がんせきふうじ』、本来は相手にぶつけることで素早さを下げる技だがこの場では氷タイプの技を防ぐ盾として使われた。

 

「しっかりケアしてくんなぁ。スターミー、ハイドロポン」

 

 ヤシオの指示が届く前にガブリアスが強く地面を揺らした。スターミーは相手に撃とうとした『ハイドロポンプ』を地面に発射することで空中に逃れたが、それは大きな隙となった。

 

 当然それを見逃すコスモスとガブリアスではない。

 

「『ドラゴンダイブ』」

 体がひしゃげるほどの一撃をもらったスターミーはなんとか耐えたが、ノックアウト寸前にまで弱っていた。

 

「『ドラゴンダイブ』は痛ぇべ。スターミー、『じこさいせい』」

 

 スターミーが体を発光させて回復している間にガブリアスはフィールド上空に岩を射出した。

 

「えっ、『ステルスロック』? 今のコスモスからしたらチャンスじゃないの? スターミーが回復してる間に攻撃したらいいのに」

 

 アルナからすれば弱っているスターミーを沈めることがコスモスの最善手だと考えていたばかりに、これは不可解だった。

 

 すかさずシンジョウが補足する。

「俺が思うにそれこそがコスモスが相性の悪いスターミー相手にガブリアスを引っ込めなかった理由だ。後続を削るためにリスクをとったということなんだろうな」

 

「ご苦労様」

 シンジョウの言葉通り、『ステルスロック』が終わり次第コスモスはそのままガブリアスを引っ込めた。

 

「スターミー。こっからだ。がんばっぺ」

 

「エストル」

 聞き慣れない名前にヤシオは新種のポケモンの登場を警戒したが現れたのはジャラランガだった。相性で有利ならやることは変わらない。

 

「『れいとうビーム』」

「『きあいだま』」

 

 れいとうビームを寸前で仰け反ってかわしたジャラランガはそのまま返しの一発を見舞った。

 

 格闘タイプの特殊技である『きあいだま』が炸裂した。効果はいまひとつだがジャラランガの実力はタイプ相性をものともしない。

 

「『サイコキネシス』!」

 

 今度はスターミーが有利をとった。フィールドに広く効果が及ぶこの技は回避が難しいのだ。

 

「こりゃ決まった、おっ!?」

 

 否、『サイコキネシス』はジャラランガに届いていない。咆哮による強烈な空気の振動が攻撃から身を守る防壁となっていたのだ。

 

「『おたけび』をそう使うたぁたまげたな。ならこっちも応用いぐぞ! スターミー!」

 

 ジャラランガの足元のフィールドが捲れ上がった。バランスを崩しかけたジャラランガは地面、壁と順に蹴って空中へ逃れた。

 

「やられたらやり返す。『れいとうビーム』だ!」

 

 先ほどガブリアスの攻撃を受けたパターンをそのまま返した形になった。これはかなり効いたようだ。

 

「とどめの『ハイドロポンプ』!」

 

 絶体絶命の状況ながらジャラランガは回避の動作をとらなかった。それどころか激しい水流に逆らい、スターミーとの距離をぐんぐん詰めていった。

 

「まずい! スターミー、よけろ!」

 

 ヤシオがコスモスの狙いに気がついた時にはもう遅かった。ゼロ距離からの『スケイルノイズ』が炸裂した。スターミーはがっくりと崩れ落ち、コアの点滅も消えてしまった。

 

「スターミー戦闘不能。ジャラランガの勝ち」

 

 これまでのコスモスの戦い方からゴリ押しを警戒していなかったことが裏目に出た形となった。

 

「『おたけび』でロポンプのパワーが落ちてたか。サイキネを防ぐためだけじゃなかったんだな。スターミー、ありがとう。後は任せてゆっくり休んでな」

 

「ロポンプ?」

 コスモスは眉をひそめたがヤシオは気がつかない。

 

 これで両者4対4の状況になった。アーボックのダメージまで考慮すると一転してコスモスが押している展開といえるだろう。

 

「もっかい! アーボック!」

 

 ヤシオは再びアーボックを繰り出した。

 ステルスロックによるダメージもあり、見た目にも体力は限界に近づいている。

 

「アーボックはカイリュー戦のダメージが残ってるんじゃないの!? 解説どうぞ!」

「ちょっと待ってくれ」

 

 これにはギャラリーも予想外だったようだ。

 

「『ダストシュート』!」

 

 渾身の一発だったがスピードで勝るジャラランガには当たらなかった。ジャラランガの軽快なフットワークをもってすれば命中率の低い技を回避することなどわけはない。

 

「この技は多少のノーコンに目をつぶんなきゃいかん。やっぱまかなきゃ足のはえぇ相手だと当たんねぇべな」

 

「それなら、『とぐろをまく』!」 

 

 カイリュー戦同様にアーボックはとぐろをまいて能力を高めた。

 

「『きあいだま』」

 反応が遅れたアーボックだったが、ギリギリで技が逸れて難を逃れた。『きあいだま』も命中率の面において厳しい技なのだ。

 

「『かみくだく』!」

「『カウンター』」

 

 ここはコスモスがヤシオの指示を完全に読みきった。とぐろをまいたことによる攻撃力の上昇を物理技に活かしてくる場合の最善策だ。

 

 再びアーボックが壁まで吹っ飛ばされた。持ちこたえたのは相性が悪くダメージが抑えられていたからにすぎない。攻撃力が上昇していただけに危なかった。

 

「いんや『カウンター』か……相性の悪い技にしといてえがった、いやよかねぇな」

 

 『ダストシュート』の命中精度はやや上昇しているがジャラランガに隙はなく当てるのは困難だ。

 『とぐろをまく』間に攻撃されれば無防備になる。

 『かみくだく』と、カウンターをもらう。

 

 悩んでいる時間はない。

「アーボック、もっかいいぐぞ!」

 

 当然ジャラランガはカウンターの構えをとった。これが決まればアーボックは間違いなく戦闘不能になる。

 

「思っきしいけよ、『ドラゴンテール』!」

 

 技を食らった直後に反撃しようとしたジャラランガだったがボールに戻る方が先だった。

 

 ヤシオの意図はギャラリーにも届いたようだ。

「あんな隠し球があったか。強引に交代させてしまうことでスターミーをやられた嫌な流れを変えられる。さらにカウンターの反撃に怯える必要もない」

 

 コスモスを相手にそこそこ戦えているヤシオ。それに対してアルナが思うことはひとつだった。

「なんでそれを砂漠でやってくれなかった……」

 

 この技を受けた場合の交代先を選ぶことができないことを理解しているコスモスはあえてボールに触れなかった。

 

 そして勝手に飛び出す形で再びジャラランガが現れた。

 

「えっ、どういうこと!? 別のポケモンが出てくるんじゃないの!?」

「よく見ろ。出てきているだろ」

 

 アルナと同じくヤシオも目を丸くしていたが、すぐに気がついた。

 

「なーる。もう1匹いたってことけ!」

「その通りです。それにしてもドラゴン使いにドラゴンタイプの技で不意討ちを仕掛けるとは面白い方ですね。ここからはパシバルが相手です」

 

 よく見ると先ほどのエストルとは構えが違う。

 

「ジャラランガの強さは身に染みてってからなぁ。アーボック、交代。ハッサム!」

 

 ヤシオはボロボロのアーボックを戻し、ハッサムを繰り出した。そのハッサムにも尖った岩が容赦なく襲い掛かる。

 

「ハッサムよう、『ステルスロック』がいじやけっちまうね。なんとか解除してくれないもんかね」

 

「『ドラゴンクロー』」

「おっと、『バレットパンチ』」

 

 ジャラランガの爪とハッサムの鋏が交錯した。パワーは互角に見えたが、体術の巧みさでジャラランガが勝っていた。

 

「『バレットパンチ』!」

 続けて打ち込まれた速く、そして重い弾丸のようなパンチをジャラランガは何の苦もなく受け止めた。

 

「うそべ!」

 そしてその勢いを逆に利用して地面に叩きつけた。

 

「バレパンって先制できる技でしょ、なのになんでジャラランガは反応できるの!?」

「ジャラランガの爪先をよく見てくれ。やや外側を向いている。ああなっていると脚のラインが真っ直ぐになって関節の可動域が大きく広がるんだ」

 

 これは人間を含む二足歩行の生物に共通する身体の特徴で内股に立っていると両肩が閉じ、体の動きが正面に集中する。逆に外にひらいていると瞬発力が阻害される代わりに限界からの一伸びを助けることになる。

 

 格闘技の心得はなくとも絵画を趣味とし、物体を細かいパーツで捉えることができているコスモスならではの鍛え方だ。

 

「『スカイアッパー』」

「下からくるぞ! 気をつけろ!」

 

 大振りに振り上げられた拳をハッサムは反り返ることでかわす。しかしそれすらコスモスの狙い通りだった。

 

「今よ、尻尾を使って」

 尻尾での足払いでバランスを崩したハッサムに『ドラゴンクロー』が炸裂した。

 

「『りゅうのまい』」

 すぐに反撃できない隙を見てすかさず能力の上昇を図った。その無情な戦法は敵の組み立てを一つ一つ確実に潰していくコスモスのスタイルがポケモンにも共有されていることを感じさせた。

 

「こっちが()いたらそっちは()うってか。容赦ねぇべ」

 

 起き上がったハッサムが真っ直ぐにジャラランガに迫った。

 

「『つばめがえし』!」

「受けてから投げて」

「そっけ。なら『バレットパンチ』!」

 

 『つばめがえし』を受け止められたハッサムだったがそれは逆に敵との距離を詰められたことになる。間髪いれず次の攻撃で初めてジャラランガに一発をいれた。

 

「やっと当たったか。いやぁ、しんど!」

 

「『ドラゴンクロー』」

 スピードが上昇したジャラランガの攻撃はもはや目で追うことはできず、反射で捌くしかない。

 

「打ち負けるな、『バレットパンチ』!」

 

 拳と鋏の応酬が激しく繰り広げられる。先制技がさほど有効打になっていない理由は素早さの上昇だけでなく、ジャラランガ(パシバル)の卓越した格闘センスにあった。

 

 ハッサムの視線、踏み込み、羽ばたき、関節の動き、重心の移動など全ての情報が次の一手を読みきる標となっていたのだ。

 細かく指示せずともそれを織り込むコスモスも流石だが、彼女の意思を完全にトレースしているジャラランガも脅威的といえる。

 

 一方コスモスからしても『りゅうのまい』によって能力が上昇したジャラランガと打ち合っていることに何かを思わないこともなかった。

 

「斬ってよし、鋏んでよし、そして殴ってよしというわけですか」

「照れるけどもっとほめちくり。おーい、バックな」

 

 飛び退いたハッサム。ヤシオはすかさずボールに戻した。

 

「ちーっと休憩。トゲキッスたのんだ!」

 

 しゅくふくポケモンのトゲキッスがフィールドに降り立った。降り注ぐ『ステルスロック』によるダメージを受けてから、ふわりと舞い上がった。

 

 ここもヤシオが先に動いた。

「トゲキッス、『マジカルシャイン』!」

 

 トゲキッスが強い光を放った。

 4倍弱点の強力な技だがやはりスピードでジャラランガに分があった。

 

「『ドラゴンクロー』」

「えっ!? 効かねえべ?」

 

 ジャンプしてかわしたジャラランガはそのまま垂直落下しつつ『ドラゴンクロー』をなんとフィールドに打ち込んだ。

 無論準備運動などではない。ガブリアスの『じしん』とスターミーの『サイコキネシス』でフィールドが荒らされていたこともあり、砂煙がジム全体に飛散した。

 

「げほっ、フィールド捲るんじゃなかった、スターミーあとで反省文な、げほっ」

 

 この目眩ましの間にジャラランガは砂煙のなか激しく舞った。

 

「巻かれたらとことん舞うってそっちも相当だべ。『エアスラッシュ』!」

 

 こちらも弱点を突いた技だったが視界が悪いなかさらに速くなったジャラランガを捉えることはできなかった。

 

「『どくづき』」

 そして一瞬で距離を詰め、きつい一撃を見舞った。避けることはかなわずトゲキッスは大ダメージとともに叩き落とされた。

 

「『はどうだん』!」

 トゲキッスはなんとか起き上がり反撃に転じたがジャラランガは拳を固めて『はどうだん』を受け流した。

 

「柔よく剛を制すってやつか」

 

 このジャラランガも苦手な遠距離からの攻撃への対策が万全であることをまざまざと見せつけてくる。

 これ以上『どくづき』を受けるのはまずい。ヤシオはなんとかこの状況を打開しようとした。

 

「きっちぃな。トゲキッス、真上に飛べ!」

「『スカイアッパー』」

 

 急上昇するトゲキッスをジャラランガが『スカイアッパー』で追う。空中の敵にも当たる珍しい格闘技で勝負を決めにきたようだ。

 

 観覧席のアルナは追われるトゲキッスをはらはらと見守っていた。

「安全な高さで『はねやすめ』させるつもりだったんだろうけど。飛んでる相手にも当たる技が来たらどうしようもないよね」

「いや。そうでもないかもしれないぞ」

 

 ジャラランガの拳が腹にめり込んだ。苦痛に顔を歪めるトゲキッス。

 

「今だ! ジャラランガを捕まえろ!」

 タイミングを逃さずヤシオが叫んだ。

 

「えっ!? ヤシオ何言ってんの?」

「トゲキッスはいわゆる鳥ポケモンたちとは違い、飛行タイプながら翼をさながら人間の腕のように使うことができるポケモンだ。『なげつける』や『きあいパンチ』なども覚えることができるしな」

 

 トゲキッスは翼でジャラランガをがっちりとホールドした。逃れようとジャラランガは連続で『どくづき』を仕掛ける。

 

「空中に誘えばこっちの戦場ってこったな。『マジカルシャイン』!」

 

 回避不可能な状態から放たれた弱点を突いた一撃。効果は抜群だ。

 技によるダメージとフィールドに突き落とされたダメージは予想以上に大きかった。

 

 倒れたジャラランガはそのまま動けなかった。

「ジャラランガ、戦闘不能。トゲキッスの勝ち」

 

 主審のコールにトゲキッスは翼を広げて応えた。

 

「ヤシオ、押してるよ! これはもしかしたらもしかするかも!」

「さすがに少し驚いたな」

 

「ガブリアス、お願い」

 コスモスは再びガブリアスを繰り出した。

 

「イッキに畳み掛けっぞ! 『マジカルシャイン』!」

 スピードで負けているトゲキッスだったが技の速さで先手を取った。

 

 当たればこれも効果は抜群だったが命中寸前でガブリアスは体をひねってかわした。

 

「『マジカルシャイン』! もっかい『マジカルシャイン』だ!」

 

 続けざまに攻撃するも本来のスピードで勝るガブリアスには余裕があった。

 

「あれ?」

 カイリューの時とは別の意味で投げやりなヤシオの指示にアルナは首をひねった。

 

「どうしたんだろ。さすがにガブリアス相手だとさっきみたいな作戦はないのかな」

 

 砂漠を愛するアルナにとってガブリアスこそ最強の砂ポケモンというイメージがある。そんなガブリアスにヤシオが策を見出だせないというのも頷ける話ではあった。

 

「やはりそうか。この勝負、コスモスが優位に立っている」

 しかしシンジョウの見立ては違った。

 

「どういうこと?」

「理由は分からないが彼にはガブリアスに対して気負いか焦りのようなものがある。スターミーを出した時からそんな気はしていたがコスモスも同じことを感じているはずだ」

 

 続けざまに放たれた『エアスラッシュ』もガブリアスを捉えることはできなかった。

 

「スターミーやトゲキッスはドラゴンタイプに対して強力な有効打を持つポケモンだ。なのに彼は勝負を急ぎすぎた。今も『マジカルシャイン』が決まってない理由、分かるか?」

 

「えーと、えーっと」

「トゲキッスとガブリアスの距離、ですよね?」

 

 意外にもここまで静かに試合を観戦していたエルメスが正解を導いた。

 

「そう、問題は間合いだ。あの遠距離から安直に撃っていればガブリアスなら目を瞑っていても避けられる。つまりPPの消耗にしかならない。さっきのジャラランガの時のように反応できない距離まで迫るか別の技で牽制するくらいの工夫がないと。アーボックの作戦といい彼にはそういった策を閃く力があると思ったが」

 

 カイリューとジャラランガ(パシバル)を破って勢いに乗ったはいいが、動揺からか完全に空回りしてしまっている。

 コスモスがあえてガブリアスでスターミーを深追いせずに交代したのは『ステルスロック』以外にも理由があったということらしい。

 

 観覧席での会話の間に返しの『がんせきふうじ』がきまった。ジャラランガ戦で満身創痍だったトゲキッスにはひとたまりもない。

 

 大きなダメージを受けたトゲキッスはなんとか起き上がろうとしたが、かなわなかった。

「トゲキッス戦闘不能。ガブリアスの勝ち」

 

「うーん。まじぃね、こりゃ……」

 序盤こそ有利に戦いを進めていたヤシオ。しかし彼とポケモンたちの奮戦が龍の鱗のその1枚、逆鱗に触れてしまった。

 

 コスモスのドラゴン軍団はまだ3体残っている。



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その視線の先に

『追い詰められた時こそ、あなたの魂から沸き起こる情熱を信じてほしい』

(トモヒサ=クロキ)


 ルシエシティジムリーダーを務めるコスモスという少女はまさしく天賦の才の持ち主であった。

 これまでに数々の女傑を輩出した門番の一族のなかでも特に才に恵まれ天に愛された彼女は、20年にも満たない人生で数多の挑戦者たちを退けてきた。

 

 彼女にとって挑戦者との戦いはジムバッジに相応しいか見極める儀式であると同時に相手の『色』を見ることでもあった。

 

 情熱の赤。冷静の青。向上心の黄色。様々な色を持つトレーナーたちが彼女の前に現れたが、やがてその色は輝きを失ってしまっていた。

 

 敗北を、目の前がまっくらになると表現することがあるがコスモスの考えではそれは正確ではない。

 人は敗北に打ちひしがれた時『色を失う』のだ。

 絶望、嘆き、悲しみ、憎悪。敗れ去った挑戦者たちが見せる色はどれも暗く、濁っていた。

 

 それでは、今目の前にいる挑戦者はどうだろう。

 

(紫。都合がいい色ね)

 

 赤と青が混ざり合った中性色は周囲によってそのイメージを変化させる。

 神秘と不安。高貴と低俗。二面性を列挙すればきりがないが見るものによって、また置かれる状況によってもゆらゆらと水や空気のように揺れ動く。

 

 リーグ最後の砦に挑みこじ開けようとする彼は、ある意味コスモス自身を映し出す鏡なのかもしれない。

 

 

 それでも、コスモスがやることは変わらない。色が失われるその瞬間まで。

 

 それが彼女の使命なのだから。

 

 

 

 

 

「アーボック、頼む!」

 トゲキッスをやられたショックも癒えないまま次のボールを放るも、『ステルスロック』のダメージもありアーボックは傍目にもノックアウト寸前だった。

 

「『ダストシュート』!」

「『がんせきふうじ』」

 

 狙いは外していなかったものの、スターミー戦同様ガブリアスは岩石によって攻撃を防いだ。

 

「うわぁ、惜しい! 今のが当たってれば」

「あのダメージだとさすがに『とぐろをまく』余裕はない。焦りはあるだろうがここは攻め続けるしかないだろう」

 

 シンジョウの言葉は遠く届いていないが、ヤシオも方針は同じだった。

「やっぱりとらえきれねぇ、『かみくだく』だ!」

「回り込んで」

 

 ならばと飛びつくも、やはりスピードではガブリアスに及ばない。アーボックの決死の攻撃も空を切った。

 

 いよいよアルナも事の深刻さを重く捉えるようになってきた。

 

「まずいよ。策がないじゃん。そうだ、さっきの『ドラゴンテール』なら」

「それは難しいな。あれは出が極端に遅い技だ。さっき決まったのはジャラランガが『カウンター』を狙っていたところにピンポイントで当てたからにすぎない」

 

 ヤシオが指示を出しアーボックが構えをとる前にガブリアスが動くことは間違いなく、それが決まり手となることもまた確実だった。

 

「『かみくだく』!」

「『ドラゴンダイブ』」

 

 最後の力を振り絞ってガブリアスに迫ったが、そこまでだった。ガブリアスはパワーでもアーボックを圧倒していた。撥ね飛ばされた大蛇はもう起き上がれない。

 

 相性で不利なトゲキッスに続いてまたもガブリアスが敵を蹴散らした。

 

「アーボック、戦闘不能。ガブリアスの勝ち」

 

 アーボックはボールへ消えていった。

「お疲れさん。ゆっくり休んでな」

 

「もっかいいぐぞ! ハッサム!」

 残り2体となったヤシオの手持ちからハッサムが再び登場した。

 

「こっからだ!『つばめがえし』!」

「『がんせきふうじ』」

 

 必中の攻撃を仕掛けたが、岩石によって進行を遮られ技は不発に終わってしまった。

 

「そのまま『バレットパンチ』だ」

「足下を強く踏んで」

 

 先制できる『パレットパンチ』なら『がんせきふうじ』も間に合わないという判断だったが、ガブリアスは足下の岩を踏みしめ――

 

 鋏が砕いたのは捲られた岩だった。

 

「畳返しか。コスモス、ここにきて冴えているな」

「そんなのアリ!?」

 思わぬ策にギャラリーも沸いた。

 

 『バレットパンチ』も失敗に終わったところに、横薙ぎに払ったガブリアスの爪が襲い掛かった。

 

「『つばめがえし』!」

「『ドラゴンダイブ』」

 

 この一撃もガブリアスが上回った。

 

「ハッサムでも力負けしちゃうか……」

「それもあるかもしれないが一番はガブリアスの体幹にある。体の重さはハッサムのほうが上、それでも力学的エネルギーが保存されることで強い衝撃(インパクト)を生むんだ」

 

「ハッサム、だいじか!?」

「『がんせきふうじ』」

 

 休む暇さえ与えない。

 今度は防御ではなく純粋な攻撃として放たれた岩石がハッサムをフィールドに埋めてしまった。小刻みに岩が揺れていることから、ハッサムはなんとか脱出しようとしているのだろう。

 

「これでボールには戻せませんね」

「参ったなぁ、ステック(ステルスロック)岩石(がんせきふうじ)とオレたち岩に泣かされすぎじゃんね」

「ステック?」

 

「あああああああ! しっかりしろ、オレ!」

 視線を下げていたヤシオだが頬を両手で打ってガブリアスを、そしてそのさらに先のコスモスを見据えた。

 

「やっと目ぇ覚めた。切り換えてかなきゃなんね。起きたまんま寝てたらしょうがないべ」

 

 ここでコスモスはヤシオの色が微妙に変化したことに気がついた。

 

「よく分かりませんがそれはよかった。『じしん』」

「『つるぎのまい』!」

 

 埋まったままではかわすことが困難と判断し、補助技を指示した。攻撃を受けつつもハッサムは自らの攻撃力を大幅に上昇させ、岩を砕いてガブリアスに迫った。

 

「『バレットパンチ』!」

「『がんせきふうじ』」

 

「その角度なら岩は右だべ! ガブリアスはながるからおっきくカーブだ!」

 再び岩石によって進行を妨げられたが、ヤシオから軌道の指示を得たハッサムはうまく回り込んでガブリアスの背後をとった。

 

「『ドラゴンダイブ』」

「げっ!?」

 

 しかしそれすらもコスモスの読み通りだった。ガブリアスは背中にも目がついていたかのように真後ろに技を放った。今回もハッサムはかわすことができなかった。

 

 パニックになるかと思われたが、ヤシオの口の端が上がった。

「なーんちゃって。ハッサム、そのままガブリアスにしがみつけ! 『バレットパンチ』だ!」

 

 転んでもただでは起きないのはヤシオも同じだった。

 なんと、ハッサムはガブリアスを羽交い締めにする形をとり、そのまま連続で『バレットパンチ』を見舞った。

 これは効いた。ガブリアスに初めてダメージらしいダメージが通ったのだ。

 

「おわすぞ! ガンガン殴れ!」

 ヤシオは拳をブンブン振り回した。当然ハッサムはそれどころではないので見てはいない。

 

 ガブリアスに連続で技が決まる。これは相当効いているはずだ。

「『つるぎのまい』でパワーが上昇している分、ガブリアスでも簡単には振りほどけないということか」

「バレパン効いてるよ! あのままタコ殴りにしちゃえば勝てるんじゃない!?」

 

 シンジョウが答える前にエルメスが溜め息をついた。

「それは無理でしょうね」

 

 ガブリアスにしがみつき、圧倒的優位に思われたハッサムが自ら拘束を解き、倒れ付した。よく見ると体中が傷だらけになっている。体力も限界に近いようだ。

 

「さめはだ。ハッサムの技が当たるたびにハッサム自身も弱っていく。あんなふうにしがみついていれば尚更だ」

 ジャラランガから受けたダメージもあるしな、とシンジョウ。

 

「くぅーっ! あのままのしちまえると思ったけど甘かったか。ハッサム、まだやれっか?」

 

 ハッサムは右の鋏を挙げてヤシオに応えたが明らかに満身創痍だった。

 

「それでこそ! テクニックあってのテクニシャンだんべ。ハッサム、『つばめがえし』!」

「『じしん』」

 

 フィールド全体が強く揺れるも、今回は用意があった。ハッサムは先ほどの岩石を踏んで飛び上がった。

 

「畳返しに対抗してロイター板か、面白い」

「あたしからすればあんたの頭の中も相当面白いけどね……」

 

「『がんせきふうじ』」

「狙いはガブリアスだけだ! そのままガーり砕いてやれ!」

 

 パワーとスピードに押され気味だったこれまでの展開から、やっと両者が互角になる瞬間が訪れようとしている。

 もうかわす必要はない。飛んでくる岩石を『つばめがえし』で次々に砕き、ハッサムはガブリアスに迫った。

 

「『ドラゴンダイブ』」

 そしてそれはガブリアスに技の準備のための時間を与えることになった。

 

「一発かませ! 『バレットパンチ』!」

 

 ハッサムとガブリアスの最後の激突は真正面からのぶつかり合いとなった。

 

「ハッサム!」

 なんとか着地したハッサムだったがそのまま仰向けに倒れ、力尽きた。

 

「あぁ~。せっかく頑張ったのに……」

「ハッサムの強みである近距離での打ち合いを許さなかったコスモスが上手かった。あとは、さめはだと『ステルスロック』の微差が響いたな」

 

 そう言いつつもシンジョウはガブリアスから目を離さない。

 

「ハッサム戦闘不能。ガブリアスの勝ち」

「ダメだ。今のオレにはガブリアスを正面からのしちまうだけの力がねぇ。ポケモンたちが頑張ってくれてるのにほんっとにでれすけで嫌んなっちまう」

 

「……少々驚きました。ガブリアスに何か嫌な思い出でも?」

「まあそんなとこで。だからこうするしかなかった」

 

 すると、爪を振り上げ勝ち誇っていたガブリアスが崩れ落ちた。

 

「ガブリアス、戦闘不能」

 

 

「なんで!? ヤシオはガブリアス相手にさっきのバレパンくらいしかまともに戦えてなかったのに」

「だからこその苦肉の策だったんだろう。俺もさっきまで気がつかなかったくらいだ」

 

 倒れたガブリアスをボールに戻そうとしたコスモスは何かに気がついた。

 

「猛毒ですか」

 そう、ガブリアスが倒れたのは猛毒のダメージによるものだった。

 

「えっ、てことは『どくどく』!?」

「ハッサムがガブリアスの背後を取った時に仕込んでおいたんだろう。さめはだのダメージを嫌わなかったことが効を奏したな」

 

「それより彼の最後の1匹が気になる。持っているボールはあと2つ。専門だから分かるんだがその片方からは炎タイプ特有の気配を感じる」

「いやそんな雨降る前は匂いで分かるみたいなこと言われても」

 

 ヤシオの最後の1匹の予想でアルナとシンジョウが盛り上がっていることも露知らず、ヤシオはもはや何リットルになるかすら分からない冷や汗を拭った。

 

 手持ち3匹でやっと倒したガブリアスだが、手放しで喜ぶことができる結果とは言い難いようだ。

 

「やっぱりガブリアスはきちぃ。そのあたりはオレの宿題。ハッサムもみんなも、ものすごーく頑張った。今日はそれでよし」

 

 ここで仕切り直しとなった。

 

「エストル」

 コスモスはジャラランガ(エストル)を繰り出した。

 

「絶対勝つ!」

 

 ヤシオが最後に繰り出したのはマッギョだった。

 

「最後の1匹はマッギョでしたか」

 

「うーん、そりゃ違うな」

「どういうことですか」

 

「マッギョだけじゃねぇべ。オレもいるんさ。だから2匹だ! 見せてやれ、『ほうでん』!」

 

 一瞬の雷撃が弾けた。

 

「『おたけび』」

 

 スターミーの『サイコキネシス』の時と同様にジャラランガの正面に音波による壁が展開された。

 

「そこだ! ぐいっとでっかく曲げろ!」

 コスモスがヤシオの指示の意図を汲みかねたその間に『ほうでん』が壁を跨ぐ形でジャラランガにヒットした。

 

「そんな芸当がありましたか」

「ヤシュウ男児なら、らいさまを味方につけなきゃ嘘だんべ。そして何より意表がつけるってな。『ねっとう』!」

「『スケイルノイズ』」

 

 タイプ一致にくわえて地の火力にも差がある『スケイルノイズ』の威力が上回った。

 

「やり返すぞ。『ほうでん』!」

 

 今度も回避しようとしたジャラランガに『ほうでん』をコントロールすることで命中させた。

 

「『ほうでん』!」

 かわすかかき消すかの指示をするかと思われたが、あえてそうせずコスモスはゆっくりと呼吸を整えた。そして腕と脚のストレッチを行った。

 

「使いどころです」

 

 一言呟いてコスモスは突然踊り出した。

 繰り返す、踊り出した。

 

 当然アルナは戸惑った。

「不思議ちゃん? もしくは天然ちゃんなのあの子は!?」

「それは否定しないが。まあ見ていれば分かる」

 

 踊りの両腕を回し、そして龍の口のように大きく開く独特の動きがジャラランガとシンクロした。

 

 ジャラランガの踊りがその鱗を震わせる。擦れ、弾ける音が響く。そしてジャラランガは大きく跳躍した。

 

「いきます、『ブレイジングソウルビート』」

「『ねっとう』!」

 

 『ねっとう』が命中するも、ジャラランガは溜まった振動エネルギーを竜のオーラとともに撃ち出した。

 

「まともにもらうな! 『ほうでん』!」

 

 少しでもダメージを和らげようと『ほうでん』を放ったが効果はどれほどあったか。マッギョへのダメージは相当なものだった。

 

「『きあいだま』」

「『ほうでん』」

 

 激しく技を撃ち合うマッギョとジャラランガ。遠距離の攻防とは思えないほどの迫力だった。

 

 予想外のマッギョの健闘にアルナは拳を握りしめた。

 

「いけいけ! がんばれマッギョ!」

「問題はこのあとだ」

「えっ」

 

 頼まずともシンジョウが解説モードに入った。

 

「『ブレイジングソウルビート』は攻撃と同時に全能力を上昇させる。つまり一つ一つの動作が必殺を生むんだ」

「えぇー! やっとガブリアスを倒したのに。コスモス、ガチすぎるっしょ……」

「それがジムリーダーというものだ」

 

 

「『スケイルノイズ』」

「ジャラランガの足下に『ねっとう』!」

 

 不可解な指示の真意はすぐに判明した。

 

「湯気による目隠し。シンプルですがいい手です」

 

 しかしそんな小細工が通用するコスモスではない。

「エストル、気にしなくていいわ。そのまま正面に『きあいだま』」

 

 最初よりも一回り大きくなったエネルギー弾が撃ち出された。

 

「『ほうでん』!」

 

 マッギョは電力を調整し、自身の前に展開した。その『ほうでん』が網のように『きあいだま』を捕らえる。

 

「クーリングオフだ、返してやれ!」

 

 そしてそのまま押し返した。

 音波で攻撃する『スケイルノイズ』ではこうはいかない。

 

「おお、すごい! でもジャラランガは素早さも上がってるんでしょ? 避けられちゃうんじゃ」

「……いや、よく見ろ」

 

 飛び退こうとしたジャラランガだったが、そのまま膝をついてしまった。

 

「あっ、麻痺だ!」

「あれだけ『ほうでん』を受けていればおかしいことではないな」

 

 シンジョウの長きに渡る戦いの経験は、『ほうでん』による麻痺の追加効果の発生確率は同じ電気タイプの『10まんボルト』のそれの3倍ほどであるという概算を算出していた。

 

「運に頼ったとも、当たりを引くまで粘ったともとれる。ただ、この場では正しい判断だったことは間違いない」

 

 ジャラランガは跳ね返された『きあいだま』をかわすことができずフィールド後方の壁に叩きつけられた。

 

「ジャラランガ戦闘不能。マッギョの勝ち」

 

 

「ここまで追い詰められたのはいつ以来かしら」

 ジャラランガをボールに戻しながら、コスモスは目の前の敵への認識を新にした。

 

 二面性を体現するヤシオ。こちらが押せば同様に押し、逆に引けば同じく引いてくる。脅威ではないが不思議な印象を受ける相手だった。

 

 だからこそ、この1匹を残していた。

 純粋な火力でその色を、その情熱を、その闘志を消し飛ばす。ラフエルリーグ最後の番人が最後に残していたポケモンはそんな役目を担うに相応しかった。

 

「それではまいりましょう」

 コスモスが繰り出したのはサザンドラだった。

 凶暴ポケモンの別名を持つその姿はこの戦いが最終局面に突入したことを暗示しているかのようだ。

 

 残りの手持ちの数で追いついたヤシオがほっと胸を撫で下ろした。

「これでそっちもやっと最後か」

「いえ、違います」

「おっ?」

 

 コスモスがにこりと微笑んだ。

「サザンドラだけではありません。私もいるのであと2匹。今度はこちらからいきます。『あくのはどう』」

 

 サザンドラが奥底からふつふつと沸き起こるオーラを黒い帯のように発した。

 

「やっべ、『ねっとう』」

 

 ヤシオとしてはそのまま押しきりたかったが、軌道をわずかにそらすのがやっとだった。

 

「火力高ぇ。マッギョ、慎重にいこうな」

 

「『だいもんじ』」

「『ねっとう』」

 

 今度は水が炎に勝った。しかしタイプで有利なサザンドラにダメージはあまりなく、体が濡れた程度で済んだ。

 

「もういちど『あくのはどう』」

「岩に隠れるんだ!」

 

 身を潜めるもその岩が砕かれてしまった。

 

「『ほうでん』!」

「『あくのはどう』」

 

 技を放とうとしていたため、互いに回避行動がとれなかった。サザンドラは麻痺を免れたが、マッギョは怯んでしまった。

 

「『ラスターカノン』」

「うわわ動いてくれー!」

 

 祈りは届かず光の束によってマッギョはさらにダメージを受けた。

 

「『あくのはどう』」

「『ねっとう』」

 

 今回も軌道をそらすのみ、しかしヤシオは続けて指示を飛ばした。

 

「『ヘドロばくだん』!」

 

 一瞬の隙を突いて技が決まった。タイプ不一致なうえに十分な溜めをつくらずに放った分威力はあまり伸びない。

 

「サザンドラ!?」

 状態異常はみられないが、なぜかサザンドラが苦しんでいた。

 

 シンジョウがいち早くそのカラクリに気づいた。

「技の順番の妙だ。『ねっとう』で体を濡らして『ほうでん』の通りをよくする。そしてそこでできたわずかな傷に『ヘドロばくだん』を強引に練り込む」

「傷に塩、いやヘドロか。ヤシオもやることえげつないね」

 

 しかしヤシオとしては別の成果が欲しかった。

「うーん、火傷も麻痺も毒も引かねっか。まあ、とにかくこいつは状態異常のデパートだ。決まると痛ぇど」

「ご忠告ありがとうございます。『ラスターカノン』」

 

 また岩陰に隠れてマッギョは難を逃れた。

 

「『あくのはどう』」

「ずっと隠れてらんね、『ほうでん』!」

 

 『ほうでん』でやっと互角になったが、サザンドラには余裕があった。

 

「このままPPが枯れるまで撃ちますか」

 

 短時間に同じ技を連続すれば打ち止めがきてしまう。この戦いに限っていえば『ほうでん』はヤシオたちの生命線だ。

「くっ、マッギョ! 一旦やめだ。『ヘドロばくだん』」

 

 この技なら分かっていれば回避は難しくない。サザンドラはひょいとかわした。

 

「『ラスターカノン』」

「こっちもよけろ!」

 

「『あくのはどう』」

「かわせ、あっ無理だった」

 スピードではやはり遠く及ばない。

 

 サザンドラは次々に技を繰り出す。

 それはまるでコスモスとシンクロしているかのよう。彼女も高揚を隠せない。

 

「こんなに楽しい勝負は久しぶりです。ヤシオさんも楽しんでいますか?」

「も、もちろんだんべな! マッギョ、右! いや違うやっぱ左!」

 

 地上を這い回って逃げ惑うマッギョとあわあわと指示を飛ばすヤシオ。

 対するサザンドラは空中から悠々と攻撃を続ける。

 

 合間に放っている『ねっとう』や『ヘドロばくだん』はサザンドラに当たってはいるものの先ほどのようなコンボでない分効果は薄い。戦況は依然としてコスモス有利だった。

 

「私にはわかります。そのように守勢一方でも、こちらへの一手を練っている。いや、そう私が見せ掛けられているだけなのかもしれませんね」

「照れんなあ。っと、あぶね!」

 

 『ラスターカノン』がフィールドごとマッギョを薙ぎ払った。ここまでのダメージの蓄積もある。

 

「思うに、ポケモンとは実に不思議な生き物です。彼らには草を操る(わざ)も水を踊らせる(わざ)も、炎を纏う(わざ)も思いのまま」

「お、おう! マッギョ逆だ逆!」

 

 マッギョはその場で跳ねることでなんとか攻撃を回避した。汗まみれで指示を飛ばすヤシオも気が気でない。

 

「しかしそんなポケモンの中でも星を墜とす(わざ)は誇り高きドラゴンタイプの最終形態にのみ許された特権。ヤシオさん、リーグに手を伸ばさんとするトレーナー。あなたとあなたが育てたポケモンは本当に強かった。心からの敬意を表し最後まで全力でお相手します」

 

 コスモスが右手を挙げるとサザンドラは真上へと上昇した。そして全身のエネルギーを体内に集中させた。

 

「ドラゴンの奥義をここに。サザンドラ、『りゅうせいぐん』!」

 

 この試合で初めてとなるコスモスの力の入った指示だった。サザンドラは大きく口を開いてフィールド上空に深紅の弾を発射した。

 

「あれは……?」

「『りゅうせいぐん』。ドラゴンタイプ最強にして最も習得が困難とされている大技だ。使い手は数少ない。そう見られるものではないな」

 

 サザンドラが撃ち出した弾が弾けた。するとその一つ一つが流星のごときエネルギーを内包した『竜星』と化し、真っ直ぐにマッギョへと襲いかかった。

 

「『りゅうせいぐん』は俗にいう撃ちっぱなしの攻撃だがコスモスが鍛えに鍛えたものなら特別だ。竜星はその全てが正確無比に敵のポケモンを狙う。回避も防御も不可能だろう」

 

 シンジョウの言葉通りマッギョは降りしきる竜星に呑まれていく。その様子はあまりにも酷で、そして美しかった。

 

 やがて煙が晴れ、ひっくり返りピクリとも動かないマッギョの姿が現れた。

 

「終わりましたか」

 コスモスはふうと息を吐いた。彼女も彼女なりに張り詰めていたようだ。

 

「ありがとうございました。とてもいい勝負でした」

「……」

 

 そしてヤシオを見た。

 彼の色は『りゅうせいぐん』の圧倒的な破壊力の前に暗く濁って――――――――

 

「マッギョ戦闘不能、サザンドラの勝ち。よって勝者、ジムリーダーのコ」

「ごじゃっぺ言ってんじゃん」

 

 いなかった。

 

「はい?」

 執事が聞き返したが答えは予想外の形で返ってきた。

 

「『ヘドロばくだん』!」

 突然息を吹き返したマッギョが一矢報いた。上空のサザンドラもこれには反応できずかわせない。

 

「なぜ!? マッギョは『りゅうせいぐん』のダメージで戦闘の続行が不可能なはず」

 

「言ったべ? オレのマッギョは状態異常のデパートだ。『ねっとう』の火傷、『ほうでん』の麻痺、『ヘドばく』の毒、そして」

 

 よく見るとマッギョの体の傷が塞がっている。ジャラランガとサザンドラとの連戦によるダメージの大部分が癒えているようだ。

 

「最後の1つはこいつ自身が『ねむる』こと! 人もポケモンも寝りゃあだいたいハッピーだ。マッギョ、斜め下に『ねっとう』」

 

 それはスターミーが『ハイドロポンプ』でやったものの応用だった。水流によって押し出されたマッギョが猛スピードで上空のサザンドラに迫る。

 

「っ! サザンドラ、もういちど『りゅうせ」

「『discharge』!」

 

 再び竜星に襲われるその刹那にこの日一番の雷撃が炸裂した。

 そして結果は目で追うまでもなかった。

 その凶暴さを完全に失ったサザンドラがゆっくりと墜落し、倒れた。

 

「サザンドラ戦闘不能、マッギョの勝ち。よって勝者、チャレンジャーのヤシオ」

 

 ヤシオは口をパクパクさせ、固まった。そして。

「おおおお! いやったああああ!」

 

 まるで幼い子どものように喜びを爆発させた。

 

「ありがとうございました」

「こちらこそあんがとます。とても、とっっっってもいい勝負だったべ」

 

 コスモスもヤシオも最後のポケモンをそれぞれボールに戻した。

 

 そしてコスモスはトレーナーズサークルを出てヤシオに歩み寄る。

 

「ヤシオさん、お疲れ様でした。これがこのジムを制した証。ジークバッジです。どうぞ持っていってください」

「おおっ、かっけぇ!」

 

 それは門番に、竜姫に、竜騎士に、竜の魔女に、そして不落の飛竜に打ち勝った天を墜とす英雄(ジークフリート)の印。

 

 主が敗れたにも関わらず執事はどこか嬉しげだった。

「まさかお嬢様に勝ってしまわれるとは。いやはや。それにしてもお嬢様、いい表情でした。撮らせていただいた動画を是非とも奥様にお送りして差し上げたいのですが」

 

 どうやら審判の傍ら懐のビデオカメラを回していたようだ。Z技のポージングまでばっちりとれているとのこと。

 

「カメラごと燃やされたいのですか、ブロンソ」

 

 執事は一歩下がって深々と頭を下げた。

 

「見れば見るほどよくできてんなあ……」

 ヤシオは手渡されたバッジをしげしげと眺めている。そんな彼にコスモスにはどうしても聞きたいことがあった。

 

「ひとつ聞いてもいいですか。どのようにして最後の作戦を?」

 

 はにかんでいたヤシオだったがもはや隠すことでもない。正直に答えた。

 

「サザンドラを見た瞬間ピンときた。そして戦っているうちに確信に変わった。こいつは『りゅうせいぐん』を切り札に隠し持ってる、ってな。最後の1体なら引っ込めはない。もし使うとしたらトドメにぶっ放してくるんじゃないかって思ったんだ」

 

 それまでに見せたタイプ一致の『あくのはどう』、苦手な氷とフェアリー対策の『だいもんじ』と『ラスターカノン』。特防方面にタフなマッギョへの確実なトドメとするにはさらに高い火力が必要だった。

 

「『りゅうせいぐん』は強力な分使えば特攻が大きく下がる。そのタイミングに合わせてR、いや『ねむる』ことでチャンスを作れると思ったってこと」

 

 タイミングを間違えれば即敗北という賭けだったが首の皮一枚繋がったようだ。

 

 そこへ観覧席の3人も降りてきた。

 

「おめでとう、ヤシオ。どえらい勝負だったよ」

「いやー。わざわざありがとうな。えーっと、アルマ」

「アルナだっ! こちとらイッシュからわざわざ来てんの! いい加減覚えろっ!」

「おおそっけ!? オレもイッシュだ。ご飯も旨いしご飯も美味しい、いいとこだっぺ」

 

 ご飯しかないのか、という言葉をこらえるコスモスとシンジョウはやはりジムリーダーの器だ。

 

「えっ、イッシュ!? イッシュのどこよ?」

「ヒウン。ジムは奇抜だけどアイスはすげぇんよ」

「えぇー! あたしライモン! ジョインアベニューですぐじゃん!」

 

 同郷だったことはさすがに驚きだったが、垢抜けないヤシュウ節(本人談)で話すヤシオが大都会の出身だったことはアルナにとって実はそこまで意外でもなかった。

 

(素が出た時普通に喋ってたしね)

 

 シンジョウがヤシオに右手を差し出した。

 

「俺からも祝わせてくれ。ラフエル地方のジム制覇、本当におめでとう」

「あんがとます! あれ、そういえばあーたもジムリーダーなんでしたっけ」

「ああ。いつか勝負したいな」

 

 エルメスは握手する2人を笑顔で見つめていた。

 

「みなさん、ありがとうございました。おかげさまでいい記事が書けそうです」

「記者さん、オレについては嘘でもいいんでカッコよく書いてくださいね」

「私も可能な限りダイナマイトセクシーに描写してもらえるとありがたいです」

 

 無茶なお願いをする挑戦者(チャレンジャー)門番(ジムリーダー)

 

「それでは私はこのへんで失礼します」

「帰りは連絡船だろう? 港までオレが送っていこう」

 

 すぐに戻る、とシンジョウはエルメスとジムを出て港へ向かった。

 

 コスモスとアルナはそんなシンジョウの背中とヤシオを見比べた。

「人生経験の差、ですね。アルナさん」

「そだねー」

 

「……オレ本当に勝ったんだよな!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルシエシティ外れの港でエルメスは船を待っている。そしてそれをシンジョウが見守っていた。

 

 沈黙に耐えられなくなるのは当然。

「シンジョウさん。ここまで送ってもらえればもう大丈夫です。それとも私にまだ何かご用でも?」

 

 ナンパ? と冗談めかしてエルメスが笑った。

 しかしシンジョウは笑わない。それどころか表情を険しくした。

 

「それはこっちの台詞だ。ここでの用はもう済んだのか?」

「はい?」

「悪事だけでも十分なのに、まさか劇団もやっているとは知らなかったな」

 

 エルメスは一瞬驚いたものの、微笑んだ。

「我ながらよくできたと思ったのですが」

 

 首から顔の皮(マスク)を剥ぎ、着ていた服を脱ぎ捨てるとそこにいるのはもはや記者のエルメスではなかった。

 

 長い睫毛に整った顔立ち。すらりとしながらも出るところは出た凄味のある女優のようなスタイル。

 そして何よりその口元はエルメスだった頃から常に笑みを湛えている。

 

 バラル団幹部、ハリアーがそこに立っていた。

 

「あらためてご機嫌よう。遠きジムリーダー」

「そんなことはいい。本物のエルメス女史はどうした」

 

「まあ、この一時に他の女の話をするなんて。……彼女なら今頃上司にどやされながら必死で原稿を詰めているでしょうね。嘘だと思うならラジエス中央情報局に問い合わせてみては?」

 

 その睫毛に震えはない。嘘ではなさそうだ。

 

「それにしてもどこで気がつかれたのですか?」

「匂いだ」

 

 ハリアーは袖の匂いを嗅いだが、すぐにからかわれていることに気がついた。

 

「貴方も人が悪い」

「本物の悪党に言われるとは光栄だ。お前が真似たのは見た目だけ。中身はバラル団幹部のままだった」

 

 さらに続けた。

「俺とエルメス女史とは面識こそないが共通の知り合いがいる。初見で本人でないことは分かったし、戦いを見る目が明らかに記者のそれではなかった。それに勘も鋭すぎたな」

 

 だからこそシンジョウはアルナとエルメス(ハリアー)の間に座ったのだ。

 

「正体が分かっていたのならジムで言ってくれれば良かったものを。そうすれば4対1でしたのに。そんなに2人きりがお好みでしたか?」

 

 言いながらハリアーは艶やかに科を作ってみせた。

 状況が状況なら蠱惑的に映っていただろう。

 

「俺もジムリーダーの端くれだ。神聖なジムをお前のような輩に荒らさせるようなことはしない」

 

 言外にジム戦の只中にあり激しく消耗したコスモスとヤシオ、そしてバラル団とのいざこざに巻き込まれるべきではないアルナと執事への配慮があった。

 

「そうでしたか。まっこと、良い勝負でしたね」

「どうせそうは思っていないんだろう」

 

 ハリアーがにまぁ、と笑った。

「えぇ。ヒトがポケモンを使役し、自ら傷つくことなく戦わせる。嗚呼、なんと嘆かわしいことでしょう。パートナーとの絆だの信頼だのと謳う忌々しいトレーナー。だからこそ我々バラル団はその歩みを止めてはならない」

 

 それは地下の暗さが水を研ぎ澄まして大河を作るように。

 

「ヒトがもたらす秩序など所詮は砂上の楼閣。彼らがいうところの生存競争は即ち殺戮を意味する。文明を持ったから? 宇宙に選ばれたから? そんなことに意味がありますか?」

 

「私たちは間違っていない。何ひとつ、ね。貴方もいつか解るはずです。その吐き気を催すような理想はそれ以上に穢れた現実に押し潰されるためのものでしかない」

 

 黙って聞いていたシンジョウが口を挟んだ。

 

「それは違うな。現実の薄汚さに立ち向かうためにヒトはみな美しく生きる、いや、そうあろうとするんだ。バラル団の御大層なお題目は知らないが、結局はお前の変装と同じ。形を繕っても中身が伴っていないんだ。そんな連中に好き勝手やらせるほどラフエル地方も俺たちトレーナーも腐ってはいない」

 

「余所者に何が解るのです」

「だからこそだ」

 

 一瞬ハリアーの目つきが険しくなったが、またすぐに薄ら笑いを浮かべた。

 

「……お話になりませんね。私の興を削ぐとはとことんつれない男」

 

 ハリアーはサザンドラを繰り出した。コスモスが育てた個体とは全てにおいて異なる方向の鍛え方をされているのが見てとれる。

 しかし技を指示することなくその背に跨がった。

 

「ここで俺を潰していかなくていいのか?」

 

 相手は悪の組織の幹部、何も遠慮はない。

 もちろんシンジョウにはハリアーが牙を剥いて襲い掛かってくるのなら迎え撃つ覚悟も用意もあった。

 

「あら、そんなに熱くお誘いいただけるなんて。でも、何もこのような不粋な場所でそうする必要はないでしょう?」

 

 しかし、この場でハリアーにその意思はなかったようだ。次のアクションを起こす前にサザンドラはシンジョウを掠めて飛び去った。

 

 シンジョウは念のためリザードンを繰り出し、ハリアーが空の彼方へ消えるまで警戒し続けた。

 そして数分経ち、リザードンをボールに戻してジムへ戻るべく歩を進めた。

 

「……腹芸なんてするもんじゃないな」

 

 やむを得ない状況ではあったが、この場で戦えば港の施設や場合によっては通りすがった人々にも被害が及ぶ可能性があった。PGにあえて通報しなかったのもハリアーを過度に刺激しないようにするため。

 

 欲をいえば何らかの情報を聞き出すか倒して捕縛するところまでこぎ着けたかったが、極力戦いを避けたいこちらの事情を気取られない程度に敵を煽りつつルシエシティからの撤退を確認できたのはひとまず上出来だった。

 

 

 しかしすれ違うその刹那、確かに聞こえた。

 

 『次は強者が集う祭典(ポケモンリーグ)で』。



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『ネイヴュの大晦日』

『慣れとは恐ろしいものだ。いずれ私はシーツを月に1度しか洗わなくなってしまうだろう』




(マカーシ=リンファン)


「おっ、トオル。買い物帰りか?」

「はい。今晩は鍋にしようと思って」

「鍋かぁ。いいよな、団らんの象徴っていうかさ」

 

 トオルの新たな友人、ザックは何でも屋としてネイヴュ復興に尽力していた。時々その仕事を手伝うこともありこうして会えば立ち話をするほど仲がいい。

 

「鍋は1人より2人、2人より3人だ。ユキナリさんは今日帰ってくるんだろ?」

「そうみたいです。今から楽しみで楽しみで」

「そっか。よろしく伝えてくれよ。あっ、よいお年を!」

 

 そんじゃあな、とザックはフワライドに掴まって飛び去っていった。

 

 荷物を積んだソリを引きながらトオルは雪原を足早に歩く。

 

ジムでの一件以来ネイヴュに留まって何かと多忙なユキナリにかわって雑用をしているのだが今日は特別。年末ということもありPG本部への出張からユキナリが久々に帰ってくるのだ。

 

「とりあえず鍋だよ。大晦日には鍋って昔から決まってる。そうだよな、ブースター?」

 別に決まってはいないが。

 

 とはいったものの鍋パへの道のりは険しい。

 壊滅的な被害を受け住民の大部分が避難したこの街で物資を調達するのは一苦労だ。定期的にやって来る輸送船を利用するかネイヴュを配達区域から外していない命知らずなネット通販サービスに頼るかの二者択一となる。

 

 そこでトオルが選んだのは後者、ラフエルオフィスサービスが運営する通販サイト『ラフ天市場』だった。その理由は港の集配センターへ自ら取りに行くことで割引になるからという切実かつ単純明快なもの。運動もかねて港まで行き、予算からみてだいぶ奮発した鍋の具材セットを受け取ったというわけだ。

 

 ぱらぱらと粉雪が舞っているが薄く陽が差しており歩くうえで特に支障はない。あとは帰って仕込みを済ませてあるつまみとともにユキナリが戻ってくるのを待つだけだ。自然と足取りも軽くなる。

 

 

 トオルが世界一周旅行を当てラフエル地方に来てからしばらく経つ。ジムについての論文を執筆するなかで生じた迷いを払拭できたのがこのネイヴュだった。彼のトレーナーである以上やはり勝ちたいという気持ちに火をつけてくれたネイヴュジムとユキナリへの感謝の念は尽きない。

 

 だからこそこのような雪中行軍も苦ではない――――とも言っていられない事態となった。

 

 突然粉雪が豪雪となり、立っているのも困難なほどの吹雪が巻き起こった。たまらずトオルはその場に膝をついた。

 

 ユキナリが口を酸っぱくして言っていたことを思い出す。吹雪を体に受けてはいけない。どんな方法でもよいから一旦身を隠す方法を考えろ、と。

 

 遮蔽物のない雪原だ。道具はないがひとまず積もった雪を固めて塀を作ることで安全を確保した。そして魔法瓶に入れておいたマトマスープを一口。

 

「ブースター、暖をとらせて」

 いくらウォームテックを着込んでいてもさすがに寒い。体温が高く寒さにも滅法強いブースターの存在が何よりありがたかった。そうでなければあの日のヤシオのようになってしまっていただろう。

 

(さて……)

 

 ネイヴュの天気は変わりやすいがさすがに限度というものがある。さらに、この感覚には覚えがあった。

 

(ポケモンのとくせい、そして技か)

 

 ユキナリ戦でユキノオーが見せた『ゆきふらし』からの『ふぶき』のコンボに似ている。技の主こそ捉えられないが明確にこちらを狙っていることは間違いない。

 

 そうなると問題となるのはそれが野生のポケモンかトレーナー付きのポケモンかなのだが、それについてもトオルには確信があった。

 

 よく見ると雲が立ち込めているのも吹雪いているのもきれいにトオルの周辺のみ。ここまでピンポイントならば指示を出しているトレーナーの存在は疑いようがない。

 このまま隠れ続けていてもじり貧だと判断した。トオルは呼吸を整え、塀から顔だけ出して叫んだ。

 

「どこの誰だか知りませんが何の用ですか! こちらに戦う意思はありません! いい加減寒いんでそのくらいで勘弁してください!」

 

 最後のは切実な願望。

 トオルの叫びは吹雪の轟音のなかに消えていった。これはさすがに無駄なように思われたがそうでもなかった。

 

 吹雪がぴたりと止み、雪原をこちらに向かう足音が聞こえてきた。誰かがいる。そしてその誰かはトオルに敵意を持っている。

 

「永久の氷獄へようこそ。歓迎いたしますわ」

 

 凍てつくような寒さのなかでもその女性の声はよく通った。

 どんな荒くれ者かと思いきやそこにいたのははっきり見ずとも明らかな、こんな場所に似つかわしくない妙齢の美女だった。

 御丁寧にもボールから出して連れているキュウコン・ツンベアー・バイバニラの3匹がこの状況をつくりだしていることもすぐに分かった。

 さらに彼女についてトオルにはもうひとつ判断材料があった。

 

「PGの方ですか?」

 

 うっすらと見える彼女が纏った制服。ネイヴュに駐在するPGが着ているものによく似ていた。

 

「ご明察。私はネイヴュ支部長のカミーラ。見かけない顔ね。さらにソリなんて引いてジムへ向かうなんてドがつくほどの不審者とお見受けします。最近何かと物騒だしここで片付けておきましょう」

 

 カミーラが笑った。紅い唇が血の色に見えた。

 

 トオルの第六感が最大音量(ハイパーボイス)で悲鳴をあげていた。この女はヤバい。理由こそ分からないが本気で不運な通りすがりを挫こうとその鎌首をもたげている。

 

「ちょっと待ってください、僕はユキナリさんのところでお世話になっているトオルといいます! 怪しい者ではありません! 必要ならトレーナーカードも学生証も見せます!」

「悪いけど怪しいかどうかはこっちが決めるの。そっちでやっていいのは辞世の句をひねることくらいね」

 

 もちろんこれまでの人生を5+7+5で集約することなんてできるはずもない。警察呼びますよ、も相手が警察なら通用しない。こうなると最早話し合いでの解決は望めないのでトオルに残された手は少なかった。

 

「それでは遠慮なくいかせてもらいましょうか」

 

 バイバニラの『れいとうビーム』がトオルを襲う。咄嗟に身を伏せて体とソリの荷物を守った。

 

「隠れていても無駄。『めざめるパワー』」

 

 あれだけ苦労して作った雪の塀があっさりと溶けていく。自身は氷タイプながら炎タイプの『めざめるパワー』を撃っているようだ。

 

 そして寒さと熱さのダブルパンチは相当にきつい。

 

「危ないでしょうが! PGがそんな横暴、許されるとでも思ってるんですか!」

「私の辞書に乱暴なんて文字はないの」

「酷い落丁だな!?」

 

 続いてキュウコンの『ふぶき』にツンベアーの『いわなだれ』と手を緩める気配がない。

 

 たまらずその場から逃げようとするが雪深く足元が安定しない。雪国出身でないトオルにはフィールドからして酷だった。

 

「さあさあ。楽しませて頂戴な」

 このカミーラ、とにかく話が通じないタイプの人種であることだけは確実なようだ。暖かいジムであつあつの鍋をつつくためにもここを突破しなければならない。

 

「やるしかないか。ブースター、頼む」

 

 今の純粋な手持ちがブースターしかいないトオルは数のうえでは不利だが、炎タイプだったのは幸運だった。

 

 氷は熱で溶かすのみ。地の利こそ相手にあるが、それでも全く戦えないわけではない。

 

「ふうん、そのブースターが……」

 繰り出されたブースターを見てカミーラは顎に手をあて何事か考えている。

 

 ならばとトオルが先に動いた。

「『だいもんじ』!」

 燃え盛る炎がバイバニラを襲った。これは相当効いたようでバイバニラは真後ろに倒れた。

 

「よし!」

「なにが?」

 

 たった今ブースターに倒されたはずのバイバニラが背後から再び『れいとうビーム』を放った。

 

「『みがわり』か。ブースター、今度はツンベアーに『でんこうせっか』だ!」

 

 体温が雪を溶かすため雪原でも脚の回転が落ちることはない。ブースターは体ごとツンベアーにぶつかっていった。とにかく的を絞らせないように立ち回りつつ少しずつでも相手にダメージを与えていく。競技としてのポケモン勝負ではなかなか出てこない発想だ。

 

「今度はキュウコンに『だいもんじ』!」

 

 これもヒット。ここまでカミーラは回避や防御の指示をほとんど出していない。もし舐められているのだとしたら彼にとっては大きなチャンスだ。

 

「『フレアドライブ』!」

「『れいとうビーム』」

 

 力比べだったが相性の差でブースターが押しきった。

 

「もういちど『フレアドライブ』!」

 バイバニラを蹴りとばし、キュウコンにも大ダメージ必至の攻撃を当てた。

 

「『れいとうパンチ』」

「『でんこうせっか』」

 

 元の素早さは低くとも小回りが利く。ブースターはツンベアーの一振りをかわして『だいもんじ』を見舞った。

 

「キュウコン、『ふぶき』。バイバニラ、『フリーズドライ』」

「二枚抜きだ! 『フレアドライブ』!」

 

 容赦ない波状攻撃にもひるまずブースターは周囲に春をもたらすほどの大暴れをみせた。

 

「なるほど。パワーは申し分ない。シンプルだけど的確な戦法も実戦向き。さらに1対多数もやれる。ただ、手放しには喜べないんじゃない?」

 

 見るとブースターは傷だらけになっており肩で息をしている。反動のダメージがそれだけ重いということなのだろう。

 

「攻撃力の高いブースターの『フレアドライブ』は一番威力が出る技だけどこれ以上連発すると戦闘不能、かといってそれ以外の技じゃ火力不足。どうするの?」

「くっ……」

 

 これだけ攻めればなんとかなると思っていたが見通しが甘かった。キュウコンが貼っている『オーロラベール』が敵の苦手な技のダメージを軽減しているのもトオルにとっては痛い。

 

 逃げようにもカミーラもそのポケモンたちも隙を与えてはくれないだろう。

 

「ん?」

 するとトオルの懐のボールがカタカタと揺れた。そして1匹のポケモンが勝手に飛び出してきた。

 

「リオル!? ダメだって。ほら、ボールに戻るんだ」

 

 はもんポケモンのリオルだ。どうやらブースターに代わって戦うつもりのようで覚束ない足取りでキュウコンの前に立ち塞がった。

 

「あら。他にいるならブースター任せじゃなくていいのではなくて?」

「ちょっと事情があるんです」

 

 カミーラが纏う殺気が一層強くなった。勝負慣れしていないポケモンに対して手加減しようという気配は一切ない。

 

「まあいいでしょう。ちょっとやりたいこともあったし」

 

「ブースター、『だいもんじ』」

 薙ぎ払うように放たれた炎の塊がキュウコンを牽制した。ブースターが秘めた熱はまだまだ有り余っているようだ。

 

「まだそんなスタミナがあったの。でももう終わり。キュウコン、『ぜったいれいど』」

 

 力量に差があればあるほど決まりやすい一撃必殺が放たれた。ひ弱なヒトの体ではブースターとリオルを庇うことすらできない。

 

「断頭台なんて洒落たものはいらないわ。ただ永久に凍りつきなさい」

 

 『ふぶき』や『れいとうビーム』などとは比べ物にならない、質量を持った強烈な冷気が氷の柱となってその場を支配した。それはまさに氷の牢獄。プリズンバッジを携えるトオルにも対処の術はなかった。

 

(もうだめか……ん?)

 

 目の前に巨大な氷の壁ができていた。これは2つの氷タイプのエネルギーがぶつかりあったことを意味するがトオルの手持ちに氷タイプはおろか氷タイプの技を使うポケモンもいない。

 

 先に事情を察したのはカミーラだった。

 

「リオルの『まねっこ』。当たってもキュウコンには効かないけど悪くない出来」

 

 リオルが『ぜったいれいど』を真似たおかげで防ぐことができたらしい。

 

「前にこの技を炎で打ち砕いた憎々しいトレーナーがいたけど、まさか真似ることで防ぐトレーナーがいるとはね。存外ネイヴュも捨てたもんじゃないってことかしら」

 

「リオル、ありがとう。休んでいいよ」

 

 トオルはリオルをボールに戻し頭を回転させた。防いだはいいがすぐに次がくる。

 幸いこの壁が目隠しになり逃げる時間を稼ぐことができる。なんとかジムまで逃げることができればセキュリティを盾に籠城してユキナリが帰ってくるまで凌ぐことができる。

 

 氷技が連発されたおかげでジムの方向へなだらかな斜面ができている。こうなれば走るよりもソリが速い。視界も良くなっておりお膳立てはできていた。

 

「よし。ブースター、『でんこうせっか』」

 

 紐を咥えたブースターが全力で走った。それが強力な推進力を生み、高速でソリが滑り出す。

 

 ソリはどんどん加速していく。止まる際にはブースターの技を利用すればいいのでそこも問題ない。トオルの策は見事にはまっていた。

 

「いいぞ。ジムが見えてきた!」

 

 遠くに見えるジムがだんだんと大きくなってきた。オートロックを開けてすぐに閉める。モタモタしなければ問題ない。

 

「ブースター、ありがとう。戻って休んで」

 

 そしてソリを乗り捨ててたったひとりジムへの道を走る。トオルはポケットの中のカードキーをすぐに出せるよう構えていた。

 

 あと僅か。足の指の感覚はとうになくなっていたがそれでも走る気力は衰えなかった。

 

(あと少し!)

 そして敷地内に入ったところで目の前にカミーラを抱えたツンベアーが降り立った。

 

「スピード違反。取り締まりの対象よ」

 

 逃げようにも他の手持ちに周囲を囲まれてしまっている。

 

「残念ね。ミスはなかったけど雪原で私から逃げ切るなんて夢のまた夢ってこと」

「ツンベアーの『ゆきかき』か!」

 

 雪中での素早さが倍加するとくせいはネイヴュならばほぼ永続のものとなる。雪が当たり前の環境ゆえに見落としていた迂闊さをトオルは呪った。

 

「さぁて。ここまでコケにしてくれたお礼に念入りにヤキをいれぼぼぼぼぼぼぼ」

 

 カミーラが頭から大量の雪を被り沈黙した。

 

「そこまで。カミーラ、さすがにやりすぎだ」

 

 マンムーに股がったユキナリがそこにいた。トオルは助かったことを実感し、へなへなと座り込んだ。

 

「間に合ってよかった。港でザックくんに会った時からなんだか胸騒ぎがしてね。その女性はジムで僕に勝ったトレーナーを襲ってはPGに勧誘する困った御仁なんだ。トオルくん、怪我はないかい?」

「ちょっと死にかけただけです……」

 

 カミーラは勧誘を別の何かと勘違いしているのではないだろうか。そう言いたかったがとりあえず今はジムに帰りたかった。

 

「あらあら。ホントに殺そうとしてたなら今頃は三途の川にいるはずなんだけど?」

 

 雪から脱出したカミーラ。ツンベアーたちがそれをおろおろと眺めている。

 

「トオルくん、といったかしら。注文はつけたいけどまあ及第点ってとこね。卒業したらPGネイヴュ支部に来ない? 辺鄙な場所ではあるけど金、権力、女、全て保証しますわよ」

「就活に文字通り命をかけたくはないので」

「あら残念」

 

 ユキナリはトオルを助け起こし、マンムーをボールに戻した。

 

「さあ帰ろうか」

「はい!」

 

 

 

 

 

 その夜。トオルはユキナリと向かい合って特製鍋を味わっていた。

 

「それにしてもトオルくん、災難だったね。まあ僕の責任でもあるか。しばらくチャレンジャーに負けてなかったからネイヴュで一番厄介な女性について教えていなかった。申し訳ない」

 

 問題はそこではなかった。

 

「いや、それはもういいんですけどね。なんでこの人もいるんですか」

 

 トオルの隣で招かれざる客(カミーラ)が蒟蒻を箸で器用につまんでいた。

 

「ついてきちゃったんだから仕方ないじゃないか。さすがにこの寒さのなかを放り出すわけにもいかないし」

 

 ユキナリのお人好しっぷりにどっかりと胡座をかきカミーラは大口をあけて蒟蒻を頬張った。

 

「そうよ。蒟蒻は今夜食(こんにゃく)うにかぎる、ってね」

「ただでさえ寒いのにこれ以上冷やさないでください――――じゃなくって! さっき僕をあれだけ殺しかけておいてなぁにバクバク食べてるんですか! あっ、ユキナリさんそっちのお肉はまだ半生ですよ」

 

 悪びれる様子はない。

 

「別にいいじゃないの。男だけの辛気臭い空間に華を添えてやろうという粋な計らいと受け取ってほしいですわ。それとユキナリ、その肉団子は私のだからそっちの豆腐にしときなさい」

「辛気臭いのは否定しませんが今度は血生臭いんですけど」

「そこは否定しようか? トオルくんも辛辣過ぎやしないかい!?」

 

 思わぬ流れ弾。

 それにしても一回りほどの年齢差があるはずの2人だが食べたり言い合ったりと忙しい。ユキナリは気にせず自分も食べることにした。

 

「さっきから遠回しに私が図々しいとでも言いたいわけ!?」

「ストレートにそう言ってるんですよ」

 

「わかってないのね。私の辞書の図々しいは慎ましいの項目に載っていますのよ」

「酷い乱丁だな!?」

 

「そういえば会合の時にリーグマニアのPGからちらっと聞いたんだけど」

「ユキナリさんも唐突ですね」

 

 ベガスシティのPG本部で仕入れてきたネタについて話したくてウズウズしているのが伝わってきた。

 

「ヤシオくん、ルシエジムでコスモスに勝ったそうだ。そのままリーグに挑むらしい」

「無事にルシエに着いたことのほうが驚きですよ」

「たしかに」

 

 PGとしての顔を持つユキナリは峡谷でのヤシオとクロックの一件についても知っていたがあえて口にしなかった。

 

「あぁ、ヤシオって接触しようとしたらその前に迷子になったあのトレーナーね。その子にも唾つけとこうかしら」

「別にいいですけどとりあえず通り魔だけはやめてくださいよ」

 

 今度こそヤシオがミイラになってしまう。ひょっとしたらもうなっているかもしれないが。

 

 

 なんやかんやで夕食の席は盛り上がり、カミーラがどこからか出してきた酒やキー局の特番など3人はそれぞれの抱える事情をこの一時限りは忘れ楽しんだ。

 

「おっと。いよいよ今年も終わりか」

「ちがうちがう。来年が今年になるのよ」

 

 心底どっちでもいい。トオルはそう思ったが蕎麦のめんつゆを水で薄めつつ聞き流した。

 

 掛け時計が0時を告げた。

 

 世界がどうなろうとこの瞬間は等しくやってくる。バラル団もジムも長く遠い旅路さえもそれを妨げることはできない。

 

 今年はどんな一年になるだろう。

 

 5+5+5から成る新年の挨拶が居間に木霊した。



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ステークホルダー

ここでいう利益には適応力や生存能力も含まれる。

(タブチ=タツロウ)


 元よりのお祭り好きの住民性を加味しても今日のシャルムシティは普段とはまた違う喧騒に包まれていた。そしてそれはシャルム屈指の高級ホテル、『イッシュ・ヒルトン』のロビーで人を待つ二人のうら若き女性も感じるところだった。

 

「すごい人だね。どこのホテルもほぼ満員だってさ」

「そうですね」

 

 ここシャルムシティはイッシュ地方を中心とする他地方からの移民たちによって栄えた街で、それに伴った異文化交流が盛んな街でもある。ゲゼルシャフトとゲマインシャフトが有機的に結合したような小気味良い煩雑さはラフエル広しといえどもここでしか見られない希有な特徴だった。

 

 この街で暮らす人々はその末裔でありシャルム原初の混合文化を知らず知らずのうちに現代へと繋いでいるのだ。

 

「それにしても本当なのかな、こんなに人がいっぱいいるところを暴獣が襲うなんて」

「匿名のメールの信憑性については怪しいものですけど、つい最近暗躍街の前例があったばかりですしね」

 

 こそこそと不穏な会話をしている二人。その職業についてはもはや語る必要はないだろう。本来であれば地元のPGのみで対処するイベントの警備にこの二人を含めた本部からの助っ人たちが回されたのにはこういった事情があったのだ。

 PGとしての階級も年齢も上のツキミだったが、部下のフランシスカに対してどこか苦手意識があった。ツキミのプライドにかけてその理由は自分より若干高いフランシスカの身長などでは断じてない。

 

「来ましたよ」

 仕事モードをフルに展開しフランシスカが呟いた。その視線の先から脂ぎった中太りの男がこちらに向かってくる。

 

「やあおはよう。君たちが今日のコンパニオンか。堅物揃いかと思っていたがPGも気が利くじゃないか」

 

 彼はハロルド。有数の富豪であり不動産から飲食・物流など幅広く手掛けるラフエル経済界の重鎮である。

 それと同時に何かと黒い噂が絶えない男でもありPGはあえて彼を泳がせる判断をすることで芋づる式の検挙を狙っていた。

 

「刑事部捜査五課のツキミです。毛ほどもコンパニオンではありませんがよろしくお願いいたします」

「同じくフランシスカです。断じてコンパニオンではありませんがよろしくお願いいたします」 

 

 示し合わせることもなくわざときつく返した。

 実はツキミが思っているより彼女はフランシスカと相性がいいらしい。

 

 ハロルドはそれを下卑た笑顔で流して金箔でコーティングされたタブレットの画面を見せた。

 

「今さら確認するまでもないだろうが、今日の私のスケジュールだ。シャルム交流記念日を祝して開催されるシャルムフリーダムマッチの来賓として大会を視察したのちに会食をして上がり。まあ私ほどのVIPともなればどこぞの輩が狙ってくるかもしれん。くれぐれもよろしく頼むよ」

 

 本来組織犯罪に対応するPG五課の人間がこのような職務にあたるのは、不安定な情勢のなか警護を主に行う者たちが政府要人のほうへ回されているからに過ぎない。

 

「はあ……」

 

 体よく雑用を任された形に気づいた時にはもう遅い。目の前のいけ好かない成金ダルマのお守りをフランシスカとしなければならないのだ。

 フランシスカの上司のツキミ、そしてツキミのさらに上司に当たる女性もいるにはいるのだがもし彼女をハロルドの警護にあてたら彼を三枚に卸してしまうことが容易に想像できる。だからここは自分が踏ん張らねばとツキミの額には若さに似合わぬ皺が刻まれることとなった。

 

 とはいえポーズだけでも警護を行ったという事実は重要で当局の姑息さが見え隠れしつつも一介のPGである彼女たちは結局のところそれに従うしかない。

 

「こちらへどうぞ、車を用意してあります」

「ああ」

 

 ツキミの気が遠くなっている間にフランシスカが体に触れないように細心の注意を払いつつハロルドを外へ促した。会場までは徒歩でも十分に移動が可能だが警護対象を歩かせるわけにはいかない。

 

 

 シャルムフリーダムマッチは先週行われた予選を経て今日の本選に至る。これには大会を盛り上げると同時に予選から本選まで参加するトレーナーやその試合の観戦を希望する者たちを街に滞在させるというシャルムシティとしての狙いもある。

 

 そんな思惑がありつつも参加資格に一切の制限はなく、シャルム王感謝祭に次いでこの街が賑わう一大イベントとなっていた。

 

 ハロルドはスタンドマイクの前で一礼し、お約束通り頭をマイクにぶつけた。

「えー、ご紹介に預かりましたハロルドです。この歴史ある大会にはかねてより多額の出資をさせていただいており、こうして毎回呼んでいただけることに底辺感謝している次第です。えー、かつては私もトレーナーとして数々の武勇伝を残して――――」

 

 開会式でのハロルドのスピーチの九割が自慢話になるのはもはや大会名物だった。

 

 長々と喋り、特別観覧席へと引っ込んできたハロルドをツキミはあくびの涙をこらえつつ迎えた。

 

「この後なのですが」

「ああ、他の来賓とはさっき挨拶を済ませた。さあ君たちもかけたまえよ。私と特等席で観戦としゃれこもうじゃないか」

「折角ですが私たちは警護がありますので」

 

 頼まれてもごめんだという風味を言葉にたっぷりと染み込ませてツキミはフランシスカと座席後方に控えた。

 

「それは残念。……というか、その、暴獣だったか? 本当に襲ってくるのか怪しいものだな。まあ君たちが私に密着して警護してくれるというならむしろ感謝したいくらいなんだがね」

「来るものには対処する他ありません」

 

 腰にさりげなく回された腕をこれまたさりげなく避けたフランシスカ。ツキミもハロルドの腕のリーチから逃れた。

 

「まあいい。今日の来賓にはコスモスさんも呼ばれている。私の権限で席を隣にしてもらった。楽しみはむしろこれからだ」

 

 その期待は分も持たず裏切られた。

「すんませんちょっと通りますようぉっ!」

 青年がハロルドの隣の席に座ろうとする。それは別にいい。

 問題は彼がチリソースで真っ赤になったホットドッグのプレートを持っていて、しかも段差で躓いてしまったということ点にある。

 

 するとどうなるか。ホットドッグのうちのひとつが宙を舞い、緩やかな放物線を描いてハロルドの顔へ。言うまでもなくチリソースは非常に目にしみる。

 

「あああああああ!」

「うわあやっちまった! そのチリドッグあげますんで!」

「いるか! ってこら、目に練り込むんじゃない!」

 悶絶するハロルドの顔を青年が乱暴に拭く。

 

 少々の騒ぎもフランシスカが用意した濡れタオルで事なきを得た。

 

「いんやすみません。お騒がせしました。だいじですか?」

「まったく……そもそも、そこはコスモスさんの席だろう。部外者は一般観覧席に行きなさい」

 

 青年は何が面白いのか目をくりくりとさせた。

 

「ならここで合ってます。オレはコスモスの代理で来てるヤシオっていいます。いやー、モッさんも粋な計らいをしてくれるもんで。そんじゃ失礼しますよ。どっこらーっと」

 

 言葉のわりに遠慮なくどっかりと座り込んだ。

 ヤシオからの説明は以上だった。既に彼の興味は隣の不動産王から試合及びチリドッグに移っている。

 

「待て待て待て! どういうことだね」

「言葉通りの意味ですって。忙しいんで代わりに行ぐけ? って言われたんで行ぐ! って」

 

 不安定なラフエルの情勢のなか、何かと多忙なコスモス。観戦も含めて勝負事に目がないヤシオは絶好のパス相手だったのかもしれない。

 

「それは残念だ……」

 

 もしコスモスがこの場にいたらこの男に混ざり合った色の涯を見出だしたことだろう。全ての絵の具をパレットにぶちまけ、さらに金と黒で乱暴に溶いた色こそがこのハロルドだった。そんな彼をコスモスが好ましく思うはずもない。

 

(ツキミ警部補)

 フランシスカがこっそりと呼び掛けた。

 

(ヤシオさんはイッシュ地方出身のトレーナーのようです。ルシエジムに問い合わせたところ事実確認が取れました)

 すぐに裏をとったフランシスカも凄いが即座に対応したルシエジムサイドも凄い。ツキミはひきつった笑顔で頷くほかなかった。

 

「うーむ今回もコスモスさんに私のトークスキルでお楽しみいただこうと思っていたのだがな。切り替え切り替え」

 コスモスが来なかったのはハロルドを避けるためではないかと思ったツキミだがあえて口にしなかった。

 

 話の流れが理解できずヤシオはただにこにこしている。

「……名乗り遅れたな。コスモスさんの代理なら知らんはずないだろうがご存知私はハロルドだ。ラフエルの未来を照らす選ばれし資産家といえば分かるだろう」

「なるほど蛍光灯職人の方ですか」

「ちっがう! 蛍光灯一本でのしあがるとかストイックすぎるだろう! ついでに我が家はシャンデリアだ!」

「ハーデリア?」

「せめてシャンデラと間違えろ!」

 男たちのあまりに実のないやりとりに二人のPGは呆れ返っていた。

 

「そんでそっちのお二人は? ボディーガードけ?」

仕事(・・)です」

「そうです仕事(・・)です」

 意思に反していることをそれとなく伝えることも忘れない。

 

 

『それでは第一試合、ユマ選手対マッケ選手の試合を始めます。両者最初のポケモンを出してください』

 

 アナウンスが場内に木霊するとヤシオはハッとした表情で残りのチリドッグを飲み込んだ。

 

「ハデリオさん、あれオレの知り合いなんです。ユマー! 頑張れよー!」

「ハロルドな!? ハーデリアに引っ張られただろ」

 残念ながら訂正は届いていない。タオルを振り、ヤシオは叫んだ。

「おおおお! いいぞ! そのまま押してけ――――ユマには漂流中に助けてもらったことがあるんです。あれがなけりゃあオレはとっくの昔に土左衛門だっぺな」

 言いつつも試合から視線は動かさない。

 

「聞いてない。断じて聞いてないが」

 もう面倒だったのでハロルドはそれ以上追求しなかった。

 

『勝者、ユマ選手!』

 試合はドリュウズの活躍により早々に決着した。

 

「ドリュウズのパンチ力ととくせい『かたやぶり』で圧をかけたか。シンプルだからこそ、このような大会で有効な作戦ともいえる」

「でしょ。あぁいうガーり攻める戦い方ってポケモンへの信頼がないとできねぇべ?」

「あとは状態異常を仕掛けてくる相手や相性の悪い技を上から叩き込んでくる相手に対応できるかだ。幸いドリュウズ一体で片付けたから手の内を必要以上に明かさずに済んだのだろうがな」

「バトリオさん話せるっすね」

「ハロルドな」

 

 ヤシオとハロルドは意気投合しつつあった。

 そしてそれはセクハラの魔の手が自分達に伸びてこなくなることを意味しているのでツキミたちにとっては歓迎すべきことだった。

 

 

 大会は進む。

 

『おーっと! ラガルド選手、絶妙なタイミングでポケモンを交代! 苦手なタイプの技を無効化してしまったァ!』

 

 PGたちのささやかな心配をよそに。

 

『コゴロウ選手、驚異の連続急所! あえて最終進化をさせずに戦うこだわりが豪運を引き寄せたァ!』

 

 そしてそれは。

 

『ユマ選手のドリュウズ怒濤の反撃! もう誰にも止められないィ!』

 

 彼にとって予定調和だった。

 

「さすがに上位に勝ち残ってくるトレーナーはそれなりに強いな。まあ私ほどではないだろうがね」

 

 トレーナーとしての血が騒ぐようでハロルドは眼下の試合についてここまでヤシオと熱く語り合っていた。 

 

 ヤシオも、そしてフランシスカもツキミも迫力の戦いに思うところがあったようだ。

「ベスト4ともなると腕自慢が揃うんだべな」

「そうね」

「そうですね」

「ちょ、無視!? 私もほぼ同じこと言ったよね!? 警護対象にもう少し優しくしてもバチは当たらないよ!?」

 

 そろそろ暴獣が現れるのではないかというピリピリが皮肉にも警護対象に突き刺さる。

 

「ベスト4はユマ選手の他にコゴロウ選手とマケー選手とラガルド選手か」

「ラガルドって確か元四天王の。プロトレーナーとしてのキャリアもありますし、この中だと彼が優勝大本命でしょうね」

「っぱユマだべ。なんてったってあいつには切り札がある。勝ってほしいなぁ」

 

 そこでヤシオのポケギアが鳴った。

「もしもーし。あっメルルか。ユマはどうしてる? は? 緊張でガチガチ? そんなんチリドッグでも食わせときゃよかんべ。口にガッてやっときな」

 

 どうやらヤシオはユマの連れと電話しているらしい。

 来賓に用意された高級弁当に舌鼓をうつハロルドにはヤシオのチリドッグへの信頼は不可解だった。

 

 そして呑気に食事を味わうことのできない二人はまたひそひそと話していた。

(暴獣の動きは?)

(入口を張っているシャルムのPGからは異常なしと。引き続き警戒するように伝えておきました)

 上司は自分であるにも関わらず部下のフランシスカを頼っている節のあるシャルムのPGについてツキミは複雑な気分だった。

 

『それでは準決勝を始めます。選手の皆さん、入場をお願いします』

 

 勝ち上がった四人がスタジアムに再入場した。歓声とともにスタジアムが再び熱気に包まれていく。

 

 そしてチリドッグの効果があったかは不明だがユマはマケーを、ラガルドはコゴロウをあっさりと破り決勝戦の対戦カードが決定した。

 

「うーん。あのコゴロウさんどっかで見た気がすんだよな。どこだったっけな」

 このチリドッグ男(ヤシオ)の発言にたいして中身がないことはとうに分かっていたのでツキミもフランシスカも無視を決め込んだ。

 

 回復マシンでポケモンたちを元気にした二人が決戦の舞台に立った。

『お待たせいたしました。シャルムフリーダムマッチ決勝戦、ユマ選手対ラガルド選手の試合を始めます。使用ポケモンはこの試合のみ三体になります。それでは両者最初のポケモンを出してください』

 

 ラガルドはこれまでの試合同様にギルガルドを先発させた。対するユマが繰り出したのは大方の予想に反しエルフーンだった。

 

「色違いのエルフーンだと!? 生意気なトレーナーだ。とはいえ相性では明確に不利だな。当然の報いだ」

「しゃあんめよ。交代するのも手だと思うんですけどそれだとせっかくの奇襲の意味がねぇべ。ユマ、悩みどころだがね」

 

 試合開始のコールとともにエルフーンはギルガルドに種を発射した。

 

「『やどりぎのタネ』。メジャーな戦法だな。あれがラガルドに通用するとは思えん」

 

 ハロルドの言葉通りギルガルドは難なくかわして『ラスターカノン』を撃ち込んだ。その流れるような動きに一切の無駄もなくエルフーンは相性の悪い技をいきなり浴びることとなってしまった。

 

 ところがユマの指示は変わらなかった。再び放たれた『やどりぎのタネ』をギルガルドはその剣で振り払った。

 

 さらに反撃を指示するかと思いきやラガルドはあっさりとギルガルドを引っ込めた。

 

「ヌメルゴンか。たしかにギルガルドとの相性補完を考慮すれば妥当な引き先ではあるが」

 ヌメルゴンの『れいとうビーム』がエルフーンを襲ったが、今回は余裕があった。敵の懐に回り込んだエルフーンは『やどりぎのタネ』を見舞った。

 

「おろ、効いてねぇ。あのヌメルゴン『そうしょく』ってことけ」

「ラガルドの戦法は敵の技を無効化し食らうダメージを徹底的に抑えるというものだ。シンプルに攻めようとしてくる輩に攻略はできんだろうな」

 

 ヌメルゴンの特性を察したであろうユマは意を決してエルフーンを『れいとうビーム』に飛び込ませた。これでは回避のしようがない。

 

 正気を疑うような指示だったがこれが功を奏した。

 『れいとうビーム』が命中したエルフーンが掻き消えてヌメルゴンを攻撃した。

 

「『みがわり』で技を受けて『がむしゃら』。くぅー、ユマー! いいぞー!」

 

 しかしそれは逆に敵の前で完全に無防備になってしまうことを意味する。次の『れいとうビーム』を耐えることはできず、エルフーンは倒れてしまった。

 

 次いでユマはバクフーンを繰り出した。ヌメルゴンに対しては相性が悪いようにも思えるがその心配は無用だった。

 

「おおおおお! すげぇ!」

 なんと『りゅうのはどう』を超火力の『ふんか』で押し返しヌメルゴンを撃破したのだ。

 グラウンドレベルにいるラガルドだけがエルフーンがやられ際に『おきみやげ』を遺してバクフーンをサポートしたことを察した。

 

「バクフーン相手じゃギルガルドはしんどい。三体目をオープンすっかね」

「私ならあえてギルガルドでいく。このような勝負で先に手持ちを全て見せてしまうのは避けたい」

 

 ラガルドはハロルドと違う考えのようで、トリトドンでバクフーンを迎え撃つ選択をした。

 

「ユマもラガルドって人も楽しそうだな。オレも出ときゃよかった」

「そうしてくれれば今頃はコスモスさんとの一時だったんだがね」

 ハロルドにとっては切実だった。

 

 試合はバクフーンの連続攻撃を耐えきったトリトドンがユマの最後の一体と相対する展開となった。

 今度こそドリュウズと思いきやユマの最後の一体はバンギラスだった。その特性によってフィールドに砂嵐が吹き荒れた。

 

「おっくるぞくるぞ」

 遠く声は聞こえないがユマがネックレスに手をあてて何事か呟くとバンギラスが赤い光に包まれた。それを見てヤシオは手を叩いて喜ぶ。

 

「待ってました、メガシンカ! これ見なきゃ年は越せねぇべ」

「もう年明けてるんだけどな」

 

 トリトドンが『だいちのちから』で攻撃したがメガバンギラスにダメージはほとんどなく、返しの『ストーンエッジ』でバクフーンの仇を取った。

 

『両者ともに最後の一体となりました! 勝負はどうなってしまうのか! 決着の時が刻一刻と近づいています!』

 

 ラガルドは最初に繰り出したギルガルドに勝負を託した。

 

 

 

 

 

 

 会食を終え料亭から出てきたハロルドはやつれた様子のツキミとフランシスカの他にヤシオがいることに気がついた。

「なんだまだいたのか」

「さっきまでユマたちと残念会をしてたんです。次はギルガルド対策を万全にするって張り切ってました」

 

 孫について語る老人のような無邪気さが清々しくも胡散臭い。

 

「まあラガルドに勝てるとは思っていなかったが追い詰めはしたからな。あのトレーナーも筋は悪くないんだろう」

「ツンデレルドさん!?」

「ハロルドな。そんなことより私はこれからこちらのお嬢さん方とアフターなんだが」

 

 言外にセクハラを匂わせたにも関わらずヤシオは目を輝かせた。

 

「バトルですか? 大会見ててウズウズしてたんです。オレも混ぜてくださいよ、リーグの前にたくさん勝負しときてぇんです」

「この勝負厨(バトル・フリーク)が!」

 

 つまんねぇの、とヤシオは口を尖らせた。

 

「さぁさぁハロルドさんこちらへ」

「選ばれし資産家に無駄な時間なんてありませんよ」

 これ幸いと今日一日の骨折り損が確定したツキミとフランシスカはチームプレーでさっさとハロルドを帰りのポケット・スカイカーゴに押し込んだ。

 来られては困るのだが、来なかったら来なかったでなんともいえない気分になるこの業務に二人は慣れていなかった。

 

 ツキミが敬礼しフランシスカもそれにならった。

「それではハロルドさん、本日はお疲れ様でした。私たちもPG本部に帰りますのでとっととお帰りください」

「終わった途端冷たいな! 三年目の彼氏か!」

 

 釣れない相手と察したこともあり夜の帝も退散することにした。しかしそれだけでは気がすまなかったのでちょっとした餞別を用意することにした。

 

「これも何かの縁だろう。君たちにいいものをあげよう。私が書いたビジネス書、『ハロルド革命』だ。ビジネスだけじゃない。人生の指針になること間違いなし。内容についての質問があれば私が直々に答えよう」

 

 受け取ってパラパラと中身を確認したフランシスカが真っ先に手を挙げた。

「はい質問です」

「そういう積極性は大切だ。なんだね」

 

「今週の可燃ゴミの回収日っていつでしたっけ」

「いや捨てる気だよね!?」

 

「ボディーガードさん。それはよくねぇですって」

「今日初めていいことを言ったな。ヤシオ、もっと言ってやれ!」

「本は資源ゴミだべ」

「うんもう帰るねみんなおやすみ」

 

 

 

 

 

 

 資産家も不動産王も肩書きであっても職務ではないため、その印象から受けるほど堅苦しいものではない。むしろ司法・立法・行政に対するそこそこの立ち位置を保証してくれる威光のようなものであるとハロルドは考えていた。

 行使する権限にもさらにいえば実際の行動にも何らかの意味を帯びてしまう政治家やPGとは違い自己の裁量によって活動することができる。これは大きな強みだった。

 

 だからこそシャルムから戻った彼が、その足で深夜にベガスの地下ブロックにある会員制クラブを訪れたとしてもそこに客観的な意味など生じるはずもなかったのだ。

 

「スレッジ・ハンマーをくれ」

「かしこまりました」

 

 ここはハロルドの長きにわたる夜遊びの歴史が発掘した名店で、その隠れ具合が彼にとって色んな意味で都合がよく多数存在する行きつけのうちのひとつだった。

 

 注文を済ませると個室に区切られた一画にあるソファーにどっかりと腰を降ろした。

 

「お待たせしました。本日お相手させていただきます、テアでございます」

 待たせることなく飲み物を持った色々と激しい衣装の女性が個室に入ってきた。怪我でもしているのか右足を少し引き摺っている。

 

「チェンジ」

「ちょっと!? 大事なお話があるんですよね!?」

「冗談だ。かけたまえ」

 

 テアと名乗った女性はテーブルにグラスを置き、ハロルドの対面に座った。薄暗がりだがよく見るとその顔はあどけなくこの場には似つかわしくない。どうみても未成年だがそんなことはどうでもよかった。

 

「毎度のことだが密会ならばもっと分かりにくい場所でもよかったんじゃないのか? 私は普段からそうしているが」

「そこは上司からのアドバイスです。『普段と違う行動には余計な価値が生まれちまう』とかなんとか。それにここにいるのをすっぱ抜かれても週刊誌のハロルドさんの武勇伝が潤うだけでしょうし」

 

 木は森へ。人は人へ。ありふれた方向こそが秘匿の王道であるというのはいついかなる場合でも変わらない。

 

「それは違いないがね。自ら出向いてこないとは舐めた男だ」

「そんなこと言わないでくださいよ。こっちも今書き入れ時なんですから」

 

 テアの上司が顔を出すのは何回かに一度といったところで、ハロルドはそれが若干不服だった。

 

「そんなに忙しいものかね、バラル団は」

「おかげさまで」

 

 彼女こそPGが追っているハロルドの黒い噂そのものだ。この場にツキミとフランシスカがいればさぞ盛り上がったことだろう。

 つまりはハロルドからバラル団への資金の流れがバラル団の活動を下支えするとともにハロルド自身の立場を確固たるものとしているという構図である。

 

 今日のテアはとにかく上機嫌だった。

「首尾よくやってもらって大助かりですよ。シャルムに派遣されたPG、今頃やけ酒ですね」

 それなら私たちもあまり変わらないか、とテアは笑った。

 

「私も驚いたさ。まさかあんなメール一通でPGが動くとはな」

 

 PGに届いたシャルムへの暴獣襲撃を伝えるメールはハロルドが他地方のサーバーを経由して送ったものだった。それがバラル団からの指示によるものであることは言うまでもない。

 わざわざバラル団がそのような要求をしてきた意味は分からない。そういうものだ、と割り切っていた。

 愚者は経験に学ぶが自分は歴史に学ぶ。ハロルドは蛍光灯などに頼らずそうやってのしあがってきた。

 

 テアがどこからか出した自分のグラスにペットボトルのサイコソーダを注いだ。悪には悪のコンプライアンスがあるのだろう。

 

「早速本題に入りましょうか。今回もいい『儲け話』を持ってきましたよ。あっそうそう、今度のポケモンリーグについてもお知らせしておくことがあります」

「なるほど盛りだくさんというわけだ。スポンサーとしてはそうでなくては困るな」

 

 二つのグラスがキン、と小気味良い音をたてた。



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似て非なる

私は同じ服を必ず三着買うが、着るのはそのうち一着だけなのです。

(ベリトランス=クァドラン)


 市井の生活はいざ知らず、今もラフエル政府は大きく揺れていた。

 

 バラル団の暗躍とそれに伴うならず者たちの活動激化が四方八方で騒がれる。これは地方全体の治安維持を危うくするには十分すぎる事態だった。司法が傾けば立法にも行政にもまずいい影響は期待できない。

 

 だからこそラフエルオフィスサービス(特別対策チーム)を任せられたカネミツの手腕には期待がかかっていた。

 

「入ってくれ」

 書類を持ってきた秘書官はネクタイがややくたびれ、目の下にうっすらと隈ができていた。オフィシャルな組織でない以上設立目的以外の規定は一切ない。しかし生真面目揃いの対策チームのメンバーにはそう気が休まる状況などないということをカネミツは理解していた。

 

「バラル団幹部ハリアーと接触した他地方のジムリーダーからの報告です。ホヅミ捜査官が纏めたものが先ほど到着しました」

「ああ。ご苦労だった」

 

 たまたま部下のホヅミがルシエに行っていたのが幸いした。PGと特別対策チームとは目的を同じくする組織同士だが、それゆえの対立軸も存在する。初動で遅れをとっていたら情報を完全に得ることは困難だっただろう。

 

 肝心のホヅミはこちらに戻ることなく調査を続けているようだが今のカネミツにはデータの奔流を処理していくことが全てだった。

 

 手渡された書類はミリ単位の狂いもなく束ねられていた。

「……紙媒体のみですが」

「かまわない。今回に限ってはハッキングに対して臆病でないといけないからな」

 

 文字の羅列を一瞬で脳の髄にまで記憶させる。

 気になる点はいくつもあるがやはり問題はハリアーが去り際にラフエルリーグについて触れたことだった。

 

 警備にあたるであろうPGがてんてこまいなのはいうまでもない。それでも中止という案が出てこないのは先日のシャルムフリーダムマッチでの一件と暴力に屈しないという政府の意向などを汲んだ結果とカネミツは解釈していた。

 

 つけたままのテレビでは公共放送のキャスターが実感のない声で政府の公報を読み上げている。

 

 自分が出る。そして秩序のために。

 それこそが彼の全てだった。果たして秘書官はその考えをトレースしていたかどうか。

 

 

 

 

 

 

 深夜の街の外れをタキシードにシルクハットの大層目立つ男が歩いている。その素顔はマニューラを模した仮面で隠されて異様な雰囲気を漂わせる。

 

 もちろん営業終わりのマジシャンなどではない。もしそうなら物陰から『エレキネット』が飛んでくるはずなどないのだから。

 

「っ! ご苦労なこった」

 人間離れした身体能力でひらりと回避し、握り損なうことなく懐からモンスターボールを取り出した。

 

 指示が飛ぶ。女性の声だった。

「デンチュラ、もう一度『エレキネット』」

「『シャドーボール』」

 現れたシャンデラが軽く技を放っただけで展開された電気の網が弾け飛び、さらにデンチュラをそのままノックアウトしてしまった。

 

 その威力は凄まじく鍛え方のレベルが窺い知れる。

 

 そしてデンチュラだけでは厳しいと察したか新手が繰り出された。

「マタドガス、『ヘドロばくだん』!」

「ベトベトン。本物を見せてやれ」

 同じ『ヘドロばくだん』でもベトベトンの技が優にマタドガスを上回った。

 

 マジシャン風男はトレーナーが隠れている物陰を割り出し声をかけた。

「よく俺に辿り着いた。でも鍛え方が全然足りねぇし、そもそも泥棒を捕まえようとする側がコソコソするのはアベコベだろ」

 

 正直なところあわよくば、と思っていたホヅミだったがここで本来の目的に立ち返ることにした。

 

「そのようです。さすがは稀代の怪盗ワイルドセブン(・・・・・・・)といったところね」

 

 転んでもただでは起きないというのがホヅミのモットー。姿を見せ、デンチュラとマタドガスをボールに戻しつつ両手を挙げてそれ以上戦う意思のないことを伝えた。

 

 指名手配犯として数々の組織から追われるワイルドセブンにとっては肩透かしもいいところだった。

「おいおいどうした。俺を捕まえにきたんじゃねぇのか? 腰抜けが」

「私はPGじゃないしそもそも業務外なので。正直お手上げです」

「珍しい奴だ」

 

 この場に関しては腰抜け上等だった。

 そう、ホヅミはワイルドセブンからある情報を得ようとしていたのだ。

 

「ちなみに今夜は何をギってきたんです」

 

 警戒するのが馬鹿馬鹿しくなったのかワイルドセブンもポケモンをボールに収めた。

「今日の獲物は隕石だ。大昔にネイヴュに落ちたものの一部らしいがそんなことはどうでもいい。重要なのはこいつが誰かにとって値打ちのある『宝』だってことだ」

「お守りにでもするんですか。民芸品として価値が出るかも」

「冗談きついな。盗むために盗む。それが俺のやり方だ」

 

 ホヅミとワイルドセブンとでは天と地ほどの実力差がある。それによって彼はホヅミを脅威と認識しておらず、ギリギリのところで会話が成立していた。

 

「なるほど。では本題を。これまでに盗んだもののリストはありますか?」

「そんなもん必要ねぇよ。全部ここ()に入ってる。泥棒の流儀だ」

「ならば話が早い。実は私の知り合いに骨董品が好きな人たちがいましてね。なんでもラフエルの英雄譚に御執心だそうでして」

「あぁ、ラフエルの剣を有り難がるような連中だろ」

 

 あと一歩のところで邪魔が入った例の件をワイルドセブンは未だに苦々しく思っていた。

 

「剣じゃないんです。英雄に対するもっと直接のアプローチとでも言いましょうか」

 

 今夜の勝負はポケモンでも捕物でもない。情報だ。

 

「あなたのこれまでの戦利品の中に黒の宝玉、『ダークストーン』は――――」

「!」

 

 ここまでパーフェクトコミュニケーションを連発していたホヅミだったが、仮面の奥に覗くワイルドセブンの瞳に怒りの色が宿った。

 一瞬で仮面がマニューラからエンテイに変わる。そしてホヅミがその変化を認識する間もなく辺りが火の海になった。

 

「あっつ! いきなり何すんの!?」

「チッ、話は終わりだ。じゃあな、PGもどきさんよ」

 

 炎の向こうから声がしたのを最後にワイルドセブンは姿を消した。追いかける間もない。仕方なくホヅミは3つめのボールを炎のないほうへ投げた。

 

「ゴチルゼル、『あまごい』。馬車の時間には余裕で間に合いそうね」

 

 こうして僅かな情報とボヤ騒ぎ、そして毛先の焦げという収穫を得てその場を後にすることとなった。しかしそれらは意味のないものではない。

 

 

 1時間後、バンバドロ・キャリッジの客席で微睡みながらもホヅミは思考を巡らせていた。

 

(あの反応、有力候補とみていたワイルドセブンもダークストーンを所持していない。それも屈辱的な何か、ラフエルの剣を横取りされた時よりも堪える何かがあった。つまりダークストーンは別の誰かの手にあってあの怪盗ですら迂闊に手が出せない状況にある)

 

 決めつけるのは早いかもしれないが今のラフエルでそんな相手といえばほぼ答えは出たようなものだった。

 そして更なる疑問が浮上する。

 

 あの時ホヅミがルシエを訪れたのは古くからジムを守るドラゴンと縁深いエイレム家を調査するためだった。

 そして接触を図りたかった相手はコスモスでもその先代でもない。ホヅミにとって必要な情報を持っていたのは執事のブロンソという老人だった。

 

 残念ながら伝承に関する記録は焼失してしまっていた。ホヅミはあえて深掘りしなかったがリーグの内々とバラル団とで何かがあったということらしい。

 それでも有力な情報は得られた。

 

(海の彼方イッシュ地方の英雄伝説とラフエル地方の英雄譚の関連。現にホワイトストーンは確認されている。だとしたら)

 

 意図的に隠されている何かがある。そしてそれはバラル団に対して自分たちが打てる最も有効な一手に関わるものだとホヅミは考えていた。

 捜査員に対しても情報が操作されている。PGよりも柔軟に動くことができるはずの特別対策チームには鈴どころか重い鎖がついていた。

 

 この不信感は無視できるものではなかった。独断でワイルドセブンとの接触したのも自分の持つ情報を伏せておく必要を感じたからだった。

 

(あぁもう、次から次へと!)

 ハリアーの言葉を素直に解釈するならラフエルリーグでバラル団は何かしでかそうと企んでいる。それはなんとしてでも阻止しなければならない。本部もそのための策を講じているのだろう。

 

 ワイルドセブンとの小競り合いをする前からトレーナーとしての力量に欠けることは分かっていた。それでもすべきことは変わらない。 

 ペットボトルのロズレイティーを一口だけ飲み、ホヅミは再びミヅホとなって眠ることにした。

 

 

 

 

 

 

 チャンピオンロードはルシエの西海岸から海を渡った先にある。つまりルシエでジム戦を終えたあとは峡谷へ戻らずにそのまま進めばよい。

 

 テルス山やシエトの峡谷のように手付かずの自然が色濃く残るこの地はまさに修行にうってつけだ。

 ここには気性の荒いポケモンたちが多く生息する。さらに、8つのバッジを手にしたトレーナーたちがリーグ前の調整をも行おうとするため常に誰かが何かと戦っている状態。まさに修羅の道というにふさわしい。

 

 

 そしてそれを満喫している者がここにいた。

「ちゃんぴおんろーど~みのむっち~」

 ヤシオは上機嫌でチャンピオンロードを闊歩する。その音痴にも拍車がかかる。

 それもそのはず、ここでの戦いは彼を高揚させるに足るものだったのだ。

 

「やっぱりチャンピオンロードは楽しいな。みんなはどうよ?」

 

 懐のボールが6つカタカタと揺れる。もちろん同意見のようだ。

 とはいえここまで戦い通しでさすがに休息が必要だった。

 

「腹も減ったしメシにすっか」

 

 ぐぅ、と腹の音が鳴った。腹ごしらえは急務だった。

 ヤシオはリュックから小型コンロを取り出すが肝心の食材がない。

 

「ふっふーん。いいのがありますがね」

 生えていたキノコをひょいともいで焼きはじめた。そしてチリソースをたっぷりかけて一口。

 

「んー! 知らない種類だけどこのキノコも美味いな。チリソースとの相性もいい。みんなも食うかい?」

 懐のボールが6つガクガクと揺れる。同意見ではないようだ。

 

「好き嫌いしちゃでっかくなれねぇど。まあみんなさっき木の実バクバク食ってたしいっか」

 

 食事を片付けて出発、と思いきやヤシオはあたりをきょろきょろと見渡したのち座り込んでしまった。

 そしてルシエを発つ際に貰ったメモを広げる。

 

「『①戦いに夢中になりすぎないこと』、『②ちゃんと方向を意識して歩くこと』、『③迷った時のために来た道を覚えておくこと』、『④よくわからないものを拾い食いしないこと』か。アルナ大先生、そりゃねぇべ。……はぁ」

 

 そう、彼は既に道に迷っていた。そしてその原因は実に簡単だった。

 

「そりゃバンバン戦ってりゃ迷うべ。道なんて気にしてなかったしなぁ」

 

 どうすっかなぁ。頭をかいた。

 トレーナーや野生ポケモンと数え切れないくらいの勝負を繰り広げ、さらなるレベルアップを目指したはいいがその代償は思った以上に大きかったのだ。

 

「うーん。まあなんとかなっか。なぁスターミー? オレも気をつけていくからさ」

 

 ボールから漏れる光はスターミーの特性『はっこう』。おかげで視界は良好なのが救いだった。

 

 客観的にみてあまりあてにならない勘を頼りに歩く。

 ほどなくしてトレーナーの少年を見つけた。

 

「なぁ、オレと勝負すっぺ!」

 まったく自分たちのトレーナー(おや)は、とポケモンたちが呆れるくらいヤシオは迷子対策四原則をあっさりと振り捨てた。

 

 即座に勝負開始という場面だがそうはならなかった。

「勘弁してくれよ。さっき恐ろしく強いトレーナーにボコボコにされてもう帰ろうと思ってたところなんだ。まさかゴリランダーが電気タイプの技でやられるなんて……」

 

 よく見るとゴリランダーにキズぐすりをスプレーしているところだった。ヤシオも直接見るのは初めてでじっくり観察したかったがもっと優先すべきことがあった。

 

「電気技?」

「そうだ。速いうえにあの威力じゃお手上げだよ」

 その信じられないといった口調にヤシオも思わず引き込まれる。

 

「へぇそんなにつえぇんけ?」

「そりゃもう。自慢じゃないが俺だって地元じゃスーパー神童と呼ばれてるんだ」

「いやガッツリ自慢だべ」

 

 彼はズタボロになった相棒を回復させ、そそくさと帰り支度を始めた。

「いけると思ったけどあいつはヤバかった。勝負にすらならなかったよ」

「そんならオレも戦ってみたいな」

「ついさっきあっちに歩いてったから追いつけるんじゃないか? 俺はもう帰る。修行のし直しだ」

「そっか。今度会ったらオレとも勝負してくれな」

 

 トレーナーはあなぬけのヒモを使いチャンピオンロードを抜けていった。

 そしてヤシオは大切なことを忘れていた。

 

「あっ強いトレーナーの特徴を聞くの忘れた。あなもどりのヒモを使ってくんねぇかな。そんなんないけども」

 

 どうしようもないので飛び出してくる野生のポケモンと戦いながらヤシオはさらに奥へと進んでいく。

 

 しばらく進むと少し開けた場所へ出た。どこからか光が差しているようだ。

 そしてまたトレーナーがいた。

 

「ちょっとすいません」

「ハロー! 私に何か用?」

 

 テンションが高い。

 

「このあたりにめちゃくちゃ強いトレーナーがいるらしいんですけど見ませんでした?」

「強いトレーナー? それはもう私で決まりでしょ。何せ私は最強なんだから!」

 

 年の頃はヤシオと同じくらいだろうか。その女性は自らを最強と名乗った。

 ちなみにヤシオの経験上この手の自意識過剰タイプのトレーナーが本当に強かったパターンはあまりない。

 

 早々に切り上げて他をあたったほうがよいと判断した。

「あー。ありがとうございます。それじゃもっと奥も探してみます」

「ちょっと!? 信じてないわけ!?」

「疑ってるわけじゃないんです。これは形式的な質問で皆さんに聞いてるんですよ」

「二時間サスペンスの刑事か!」

 

 ヤシオとしては例のトレーナーがチャンピオンロードを抜けてしまうまえに是非とも勝負を申し込みたい。リーグの試合で当たる可能性のある相手であろうとスーパー神童がシッポ巻いて帰るほどの実力とぶつかってみたかったのだ。

 

 ヤシオはラフエル地方に来てから久しぶりとなる愛想笑いをした。

「ははは。そうですね。じゃあオレはこのへんでいってみます」

「待った!」

 

 その女性はモンスターボールを握り、ヤシオの前に突き出して見せた。

 

「勝負しましょう。赤い帽子のトレーナーに舐められるなんて絶対にあっちゃダメなの」

 情熱を燃やす方向は自由ではあるのだが。

 

「あいつといい、赤い帽子ってそんなダメけ? 今度から黒いのにしよっかな」

 

 ヤシオの経験上赤い帽子に執着するトレーナーは恐ろしい。ここは口八丁で乗り切ることは不可能だった。

 勝負を挑まれたら逃げられないのがトレーナーの性だ(先ほど断られはしたが)。覚悟を決めた。

 

 ボールを手に持った両者の闘志がぶつかり合う。

 

「でも勝負なら大歓迎だ! やりましょう!」

「そうこなくっちゃ!」

 

 投じたボールからそれぞれアーボックとサンダースが飛び出した。

 

「オレはヤシオ。よろしく!」

「私はミント。ヤシオ、いいことを教えてあげる。このチャンピオンロードの出口って実はすぐそこなの。そしてこのあたりは一本道。だからこのあたりで張ってれば激しい戦いを抜けてきたトレーナーたちと戦い放題ってわけ」

「ん? ってことは」

 

「さあ始めましょう! サンダース、『10まんボルト』!」

「っとと、『ダストシュート』!」

 

 遠距離からの撃ち合いはほぼ互角だった。

 

「なかなかいいじゃない! 草タイプも一撃で倒せるくらいの火力があるんだけどな」

 

 ここまでくればいくら鈍くても気がつく。

「やっぱりゴリ坊をやったのはそいつか。つくつぐオレって人を見る目がねぇんな」

 

 ミントこそが目当ての相手だった。

 ボヤいていても仕方がない。

 

 コスモス戦のように『とぐろをまく』ことも考えたが、特殊攻撃に厚いサンダースには悠長に思えた。

「アーボック、『じしん』!」

「『めざめるパワー』!」

 

 尻尾で地面を叩こうとしたアーボックだが『じしん』は不発に終わった。

 

「氷タイプの『めざめるパワー』にはこういう使い方もあるってわけ!」

 地面が凍結しており、アーボックの尻尾が滑ってしまっている。

 

 『じしん』を使うポケモンは基本的に体重を利用して地面を揺らすか体の一部分で地面を叩くことで揺らすかのどちらかに分類される。体重60キロ少々のアーボックは後者に該当し、フィールドを封じられた形になった。

 

「『めざめるパワー』」

「滑ってかわせ!」

 不安定な地面も這って移動できれば怖くない。すぐに反撃に転じることができた。

 

 

「『ダストシュート』!」

「『シャドーボール』!」

 

 ヤシオにも、そしてアーボックにもサンダースのスピードを目で追うことが不可能だった。

 『ダストシュート』は地面を撫でただけで終わり、逆に『シャドーボール』がアーボックに直撃した。

 

 ベターな手の連続にミントがベストで応えているというそれだけのこと。

 

「っ、なんてスピードだ」

「迅雷って呼ぶ人もいるそうよ」

 

 そこはノータッチで済ませた。

 

「おいアーボック大丈夫か?」

 アーボックは立ち上がったがかなりのダメージを受けてしまったようだった。

 

「『シャボル』であれって相当だべ」

「シャボル……?」

 

 ここは攻め方を変える必要があった。

「『かみくだく』!」

「アーボックの頭にジャンプ!」

 

 近接攻撃に切り換えるトレーナー心理をミントは完全に読んでいた。

 大顎の一撃をかわしたサンダースはそのままアーボックの頭にしがみついた。手のないアーボックには振り落とす術が乏しい。

 

「もらった! 『10まんボルト』!」

 直接食らっては回避のしようがない。

 

 万事休すとヤシオは視線を落とす――――ことはしなかった。

「それを待ってた! アーボック、真上に思っきし『ダストシュート』だ!」

「えっ!?」

 

 ヤシオも読まれることを読んでいた。こうなればシンプルな技と技のぶつかり合いだ。

 

 電圧に苦しみながらもアーボックは真上に技を放った。そして自分ごとサンダースに『ダストシュート』を浴びせた。超スピードを誇るサンダースでもこれは避けられない。

 

 そしてひとつの結果をもたらした。

 

「アーボック、よく頑張った。サンキューな、ゆっくり休んでくれ」

 ヤシオは激しい戦いのすえ戦闘不能となったアーボックをボールに戻した。

 

「お疲れ、サンダース。やっぱり私達は最強ね」

 ミントもダメージを受け毒状態になったサンダースを回復させ、ボールに戻した。

 

 ヤシオはどっかりと腰を下ろした。

「うーん負けた負けた。話通りだ。ミントさんはつえぇなぁ」

「まあ当然ね。世界最強の私にちょっと粘っただけヤシオも筋は悪くないんじゃない?」

「まさか地面を凍らせて地面技を防ぐなんてな。いやホントたまんねぇべ。勉強さしてもらいました」

「やれることは全部やる。トレーナーとしてそうあるべきと思っているわ」

「それな!」

 

 気をよくして自慢気に過去の武勇伝を語り出すミントと目を輝かせながらそれを聞くヤシオ。驚くべきことに数時間はそうしていた。

 

「へぇ。七地方でリーグチャンピオンってすんごいなぁ。もうバケットモンスターてなもんしょ。あっキノコ食います?」

「そうでしょうそうでしょう。もっと褒めなさい。あとキノコはノーサンキュー」

「オレの知り合いにもリーグチャンピオンになった奴がいるんだけどやっぱり上の舞台にいる人達は違うってことだんべ」

「まあね」

 

 ここでヤシオはミントの眼をじっと見つめた。

 

「だからこそオレはそういう相手とどんどん戦いたいし、勝ちたいんだ」

 さっきは負けちまったけども、と小さく添える。

 

「言ってなさい。最強とはすなわち無敗。ラフエルリーグだろうとそれは変わらない」

 

 豪胆か、自信家か、慢心か。

 おそらくそのいずれも間違っていない。

 

 しかしヤシオには分かった。

 ミントには揺るぎない決意と実感がある。

 

「ミントさん、色々ありがとうな。オレもまたイチから頑張ってみるよ」

「二サス風に締めるのやめなさいよ」



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表裏一体?

志が立派なだけでは誰もあなたを信頼してはくれません。だから私もカード会社から信頼されていないのです。

(アキラ=モリヤ)


 ここラフエル地方にはラフエルリーグとラフエルチャンピオンシップというトレーナーたちにとって大きなイベントが2つ存在する。

 

 ラフエルリーグとは正式にはポケモンリーグラフエル大会のことで、カントーのセキエイ高原に本部をもつポケモンリーグのラフエル支部にあたるものだ。8つのバッジを集めたトレーナーがリーグ優勝を目指し戦いを繰り広げるという他地方と同じシステムで行われる。

 

 一方のラフエルチャンピオンシップはラフエル地方で独自に行われるチャンピオン及び四天王を決める大会でのことを指す。

 地方によってはポケモンリーグの優勝者をそのままチャンピオンとしたりチャンピオンリーグなる大会を開催したりしているが、ラフエルではバッジ以外にも条件を設けて厳正に選別されたトレーナーを集めて行われる。そして成績順にチャンピオン以下四人の四天王が決まるということになる。

 

 と、二大大会が並び立つややこしいルールだが人々からは好意的に受け取られている。お祭り好きのラフエルの風土にくわえ興行として地方全体が潤うことがその要因だろう。

 

 そしてそんな今回のラフエルリーグに決意をもって挑むのはなにもトレーナーだけとは限らない。

 

 すぅっと深呼吸をした。そうすることで安らぎの分子が肺に流れ込んでくるような気がした。何せここが彼女にとっての正念場なのだ。

 

 マイクを持つ手の震えを鎮める。語りかけるのはこちらに向けられた大型カメラではなくその向こうにいる視聴者だ。

 

 出された合図に体が自然に反応した。

「リーグ会場のエルメスです! 開会式を控え、スタジアムが凄まじい熱気に包まれている様子が伝わりますでしょうか。ここから生まれる名勝負に期待が高まります!」

 

 何かに突き動かされるように滑らかに言葉が出た。

 緊張でカチカチにはなったがそれでも想定していた内容をなんとか噛まずに言い終えることができた。

 

「はーいオッケーイ。それじゃいったん撤収な」

 

 記者席に戻ったエルメスを他局の先輩記者が迎えた。労いをこめてペットボトルを放って寄越す。

 

「お疲れさん。急なお鉢だったわりにはなかなかよかったんじゃないのか?」

「ありがとうございます。まあ棚ぼたですよ」

 

 ごっそさんです、とラッパ飲みで一気に流し込んだ。渇いた喉がおいしいみずで潤った。

 

 それにしても本来は局の看板がやるはずだったリポートがまさか自分にまわってくるとは。少々腑に落ちない部分もあるがリポーターとしての仕事が増えつつあることは素直に喜ばしい。

 

「『このご時世で危ないから行きたくないですぅ』ですって。先週私が行ったマルマイン大爆発祭りの密着取材のほうがよっぽど危険だったっつーの!」

 

 髪がチリチリになっても保険っておりないんですよ、美容院の予約だってなかなかとれないのにとエルメスは口を尖らせた。

 

「まあまあ。それにこんなご時世にリーグなんてやってる場合かっていうのはごもっともだ。かなりの数のPGが配備されてるらしいがそれでも物騒だしなぁ」

 

 連日報道されるバラル団関連のニュースに彼らも気が滅入っていた。そしてそんな二人の会話で記者席に重苦しいムードが漂う。これはいけない。

 

「あっ、そういえば今回のリーグはどうなんです」

「そうだな、今回新たにジムバッジを集めきったトレーナーは僅かだ。だから参加人数は例年並みらしい。大会のルールも特に大きな変更はないそうだ。予選リーグをやって勝ち残ったメンバーで決勝トーナメントの流れだな」

 

 二人はすぐに軌道修正を図った。息の合った連携なだけに同じ職場でないのが悔やまれる。

 

「優勝候補はどの辺りでしょうか」

「そうさなぁ。やっぱりボ――――」

 

 ここでついに周囲の我慢が決壊した。他の記者たちもとにかく自分の予想と一押しトレーナーについて語りたくて仕方がなかったのだ。

 

「そりゃあもちろんミントちゃんでしょ! なんてったってリーグを七つ制覇してるんだぜ。俺、プロトレーナーチップスでミントちゃんのカード当てるために50袋は食ったもん」

 

 最後のは単なるカロリー自慢だがたしかにミントは強豪トレーナーで通っていた。数時間前にエルメス含め複数の取材を受けていたが、その全てに完全優勝と豪語しておりしかもそれが単なるビッグマウスととられないあたり彼女の評判が窺える。 

 

 その後ろから別の記者が体を乗り出した。

「プロトレーナーってんならラガルドも見逃せないぞ。特に最近は調子がいい。シャルムフリーダムマッチでは持ち味を存分に発揮して優勝したしな。君はどう思う?」

 

 このようにラフエルリーグ常連のラガルドも有力な優勝候補に数えられている。チャンピオンシップでの勝ち点が足りず、剥奪されたとはいえ四天王の称号を勝ち取ったこともある凄腕だ。

 

 まだまだラガルドの情報について披露しようとしていた彼をベテランの記者が制した。ワイシャツのくたびれ具合からこの記者席では最年長に思われた彼だがその口から勝者の予想が語られることはなかった。

 

「おいおい、一点買いは素人がすることだろ。ミントにもラガルドにも可能性はあるんだろうが……まあ伏兵の大物喰いが見られるならそれはそれでスリルがあっていいんだが」

 

 まるで取材よりも、そして勝敗よりも重視している何かがあるような口ぶりだった。

 そしてそのままちょいと一服、と記者席をあとにした。

 

 少し面食らったが、勝敗予想にはさらに熱が入った。

「大物喰いならコゴロウが――」

「いやいやあいつの炎ポケモンが――」

「バトル山の――」

 

 プレゼンがオーバーヒートしてきたところでスタジアム全体に放送が入った。

『ただいまよりラフエルリーグ開会式を行います。選手のみなさま、ご来場のみなさま。スタジアム中央のステージにご注目ください』

 

 途端にスタジアムが水を打ったように静まり返った。

 

『それではフリック市長、よろしくお願いいたします』

 

 金髪が眩しい男性が登壇し、白い手袋越しにマイクをとった。

 

「今回のラフエルリーグで大会委員長を務めさせていただくペガスシティ市長のフリックです」

 

 俳優のような端整な顔立ちに細部まで弛みのない所作。聴衆は大会委員長の挨拶というより劇場での観劇に近いものを感じたことだろう。

 

「皆さんもご存知の通り現在このラフエルでは大きな悪意によって多くのものが奪われ、私たちの心は悲しみに満ちています。ですが今この瞬間にも、元の生活を取り戻すため大勢の方々とポケモンたちの力がラフエル全体に注がれています。困難に折れることなく立ち続けるその姿は一市長として本当に頼もしく、さらにラフエルに生きる者として誇りに思っています。人もポケモンもその力には限界があります。しかし仲間に支えられることで、かつての英雄たちのように大きな困難を乗り越えることができると信じています。私たちに今、できること。それはこの大会をさらなる一歩を踏み出すきっかけとすることです。今大会にも素晴らしいトレーナーの皆さんにお集まりいただきました。ラフエル全体を盛り上げるような熱い勝負に期待をしております」

 

 万雷の拍手とともにフリックは降壇し、続いて来賓として招かれていたハロルドが登壇した。彼の挨拶についてはいつも通りの一言で片付くので掘り下げる必要はないだろう。

 

 その後大会ルールの確認や予選リーグの組分けなどが発表され、ラフエルリーグは正式に開幕を迎えた。

 

 その貫禄にエルメスは感心しきりだった。もちろんハロルドではない。

「さすがフリック市長ですよね。あの若さでよくぞ思いきってくれましたよ」

「リーグ側はどうしても開催する気だったらしいが大会委員長がバックにいないとどうしようもないもんな」

 

 ラフエルリーグはラフエル市長の一人が大会委員長を務めることになっている。名誉ある仕事なうえに自らの街のPRにも繋がるので平常時であればその立場は奪い合いになる。しかし開催すら危ぶまれた今回は辞退が相次いだ。

 

 そんななか名乗りをあげたのはペガスシティ市長のフリックだった。

 ネイヴュ避難民の受け入れを積極的に進めただけでなく、職を含めた彼らの生活のサポートを万全にしたことで他地方の行政からも注目の的となっていた。その彼が『やる』と言えば誰もが諸手を挙げて賛成するに決まっている。

 

 エルメスも先輩含む他の記者たちもフリックの手腕と決断力を讃える原稿を書くことだろう。『ラフエルを照らす光』に絡めた記事が出回るのはそう遠くない。

 

 とはいえ何事にも例外は存在する。

 おそらくそうしないであろう記者が1人、開会式を見もせずに会場の片隅で話していた。聞くべき者が聞いていなかったことが悔やまれる。

 

「そっちの首尾はどうだ?」

『上々だ。既に3のうち2は済んでいる』

 

 通話の相手はどこか気象の荒れている場所にいるらしく声とともに強い風と雷鳴が聞こえてくる。

 

「景気がよさそうで何より。ったく、班長連中でよさそうなものをよりによって俺が記者ごっことは超過勤務もいいとこだ。ブラックでもホワイトなのがバラル団じゃないのか」

『まあそう言うな。こっちは私で事足りる。幹部のワース様に御足労いただくのはあまりにも申し訳ない』

 

 ワースはふんと鼻を鳴らし、くたびれたワイシャツの裾を伸ばした。

 

「幹部のイズロード様々ってわけだ」

 どこで差がついちまったかねぇとぼやいた。

 

『むしろ私からすればそちらも羨ましいがね。イキのいいトレーナーが山ほどいるのだろう? 真の値踏み(・・・)はお前にしか務まらん。それに作戦にはベストの環境ではないか』

「記者どもと同じ話題で盛り上がれるなんてつくづく俺たちは幸せだな」

 

 イズロードの側の轟音がさらに強まった。

『お出ましだ。3を3にする時が来た。いい運動になるといいんだがね』

「おう。お前さんの値打ちを見せてやれ。あぁ、あと俺からもよろしくと伝えといてくれ」

 

 豊穣の神に。ワースは通話を切った。

 

 

 開会式後会場内をふらふらとうろついていたヤシオは見知った顔を見つけて駆け寄った。

 

「シンジョウさん! やっぱ来てましたか!」

「そっちこそよく会場まで辿り着いたな」

 嫌味ではなくヤシオを知る者ならば誰しもが感じることだった。

 

 ヤシオは方向音痴ゆえ苦戦したが、そもそもチャンピオンロードの突破はリーグに参加するための予備選でもある。野生ポケモンや他のトレーナーとの連戦に打ちのめされてしまう者も少なくないのだ。

 

「市長さんの挨拶! ありゃもう永久保存版だべ。オレがこれまで出たリーグは毎回タマランゼ会長のエンドレススピーチだったからなぁ」

 

 今日のヤシオはいつもの倍喋る。それだけ興奮しているのだろう。

 

「いやぁオレもう楽しみで楽しみで。そういやシンジョウさんは予選リーグ何組でした?」

「俺はE組だった。そっちは?」

「A組でした。あっけらかんのAですね」

「……A組なら1番コートで最初の試合なんじゃないか」

 

 イッシュの出身でアルファベットの順番には十分に親しんでいるはずのヤシオだが冷や汗が流れた。

 

「やっべぇ! ちょっくらいってみます! 決勝トーナメントで会いましょうや!」

「あぁ。それまで負けるんじゃないぞ」

 

 表情を変えないシンジョウだが、その内にはリーグの高揚以外のものがあった。

 そんなことは露知らずヤシオは足早に駆け出した。見送るシンジョウがどんどん小さくなっていく。

 

 

 

「これよりテスケーノ選手、プリスカ選手、ヤシオ選手による予選Aリーグの試合を始めます。試合は総当たりのリーグ戦形式で行い、1位となった選手が決勝トーナメントに出場となります。使用ポケモンは3体で交代は自由です」

 

 レフェリーが改めてラフエルリーグの公式ルールについて確認した。ジム戦でも聞いていることなので特に驚くこともない。

 

 なんとか開始時間に間に合ったヤシオは話を聞きつつ他の2人を観察した。ヤシオよりだいぶ若いと思われるプリスカは神妙な面持ちでメモを取りながらレフェリーの話を一字一句聞き漏らすまいとしている。着ているネルシャツも背負ったリュックもピカピカの新品であるところから初めてのリーグなのだろう。

 

 問題はもう一人。

「第一試合はテスケーノ選手対ヤシオ選手です。それでは両者、準備をお願いします」

 

 その男は、荒く削った岩石を思わせた。

 茶色いヴィンテージもののジャケットに無精髭の目立つ顎。全身から漂う殺気じみたオーラ。PGに通報すれば何らかの理由をつけて連行してもらえそうだった。

 

「お前、見ない顔だな」

 つかつかと歩み寄ってきたかと思えば見た目通りの声で見た目通りのことを述べた。

 

 挨拶は必殺であるというのがヤシオのモットーだ。

「ども。ヤシオっていいます。お手柔ら――」

 大柄かつ強面のテスケーノに圧される。

 それでも握手を求めたヤシオだったが、テスケーノは応じない。値踏みするかのようにじろじろと対戦相手を観察した。

 

 残念ながらヤシオはお眼鏡にかなわなかったようで。

「俺は前回の大会で決勝トーナメントに出てる。つまり今回も直接決勝トーナメントにいってもいい存在だ」

「いやその理屈はわからんけども」

 

「とにかく! こんな予選なんて必要ない。カワマタとかいったか? まあせめてウォーミングアップくらいの役には立ってくれよ」

 

 とはいえ鼻っ柱の強いトレーナーは珍しくないし、チャンピオンロードでそれ以上の逸材に遭遇している。ヤシオはテスケーノの手をとって半ば強引に握手した。

「そっけ。準備運動で怪我しないでくんさいね」

「けっ、シードがあれば……」

 

 レフェリーとプリスカが見守るなか、テスケーノとヤシオがそれぞれトレーナーズサークルに立ち最初のボールを手に取った。その動作に一切の迷いもない。

 

「キノガッサ! やっちまえ!」

 テスケーノは一番手としてキノガッサを繰り出した。

 ファンシーな見た目のきのこポケモンながらパワーのある格闘戦士でもある。

 

「いってみんべ、スターミー!」

 対するヤシオはスターミーに先鋒を託した。

 

「試合、はじめ!」

 

 先制したのはスターミー。

「やんぞ、『れいとうビーム』!」

 

 狙いは悪くなかったがキノガッサのフットワークがそれを上回り、『れいとうビーム』はフィールドを冷やしたのみに終わった。

 

「へっ! そんな攻撃当たるかよ。眠っちまいな! 『キノコのほうし』!」

「『サイコキネシス』!」

 

 キノガッサを見れば誰しもが『キノコのほうし』による眠り状態を警戒する。ヤシオも当然ケアしていた。強力な念力が降りかかる胞子を弾き飛ばし、相性を突いたダメージを与えた。

 

「あぶいな。寝ちまったらどうしようもねぇ」

 

 しかしここはテスケーノが一枚上手だった。

 

「かかったな!」

 スターミーの頭上に何か固いものが落ちてきた。避ける暇もなくダメージを受けてしまう。

 

 コアが点滅する。効果ばつぐんの一撃をもらってしまったようだ。

「なるほど。胞子に紛れて『タネばくだん』。こいつは痛ぇ。スターミー、ごめんな」

 

 2発目の『タネばくだん』はなんとか回避した。

 

「あんなこと言われちまったけどオレのほうこそウォーミングアップが必要だったみたいだ。よっし、いぐぞスターミー!」

 



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砂嵐を呼ぶ女

私は3連単を外したことがない。外れたレースはそもそもなかったことにする。

(チュウキョウ=ナカヤマ)


 フリックから見てどうにも警察組織というのは無慈悲な存在であるが、それらを束ねる長の立場にある者はもはや血肉を有していない何かに思えた。

 

 バラル団特別対策チーム室長のカネミツも、配属されたPGたちに指示を飛ばしているであろうデンゼルもそうだ。彼らは前線で体を張り続ける若者やポケモンたちをボタンひとつで届く用度品の類いだと信じ込んでいる。

 

 実に嘆かわしいことだった。

 

「貴方もそうは思いませんか」

「はい?」

 

 スタジアムを一望できる大会委員長特別室が今日の彼の城だ。モニターも設置されており全試合をオンタイムで観戦することができる。

 

 しかし全てが思い通りになる空間ではない。フリックの隣には席を勧めても頑なに座らない男がいる。

 

「ときにカネミツ室長。こんな場でお聞きするのも心苦しいが、室長は今回のバラル団の動きをどのようにお考えですか」

 

 そのような内に秘めたものをいちいち外に出していては市長は務まらない。行政を預かるとはそういうことだ。だからこのように話しかけることもする。

 

「どう、と一言で申し上げるのは難しいでしょうな。しかし一地方の秘密結社という枠に収まらない存在になってしまっているのは間違いない」

 

 まるでその質問を予想していたかのようにカネミツはそう言った。背筋もネクタイも、背広の裾に至るまでピンと伸びている。

 

「とするとなぜラフエルリーグを?」

 わざわざ警備を固めやすいリーグを狙うことに意味があるのか。フリックはカネミツに意見を求めた。

 

「そもそも犯行声明が本当であるという前提で話を進めますが、他地方でもリーグが襲われた例はあります。力を蓄えた悪がその脅威をアピールし、目的を果たそうという段階に移ったと捉えるべきでしょう」

 

 シャルムフリーダムマッチの一件もある。

 手の甲に浮かんだ筋から彼がこの事態を忌々しく感じていることは明白だった。

 

「バラル団は次の段階へ移行する、というわけですか。不吉な予言ですな」

 カネミツの推測はフリックにとって興味深いものだった。だからこそ気持ちを圧し殺してでも会話をする価値を見出だせる。

 

「もしくは」

 続きがあるようだ。

 

「彼らは歴史に選ばれようとしているのかもしれません。これまで悪事を働いてきた他地方の組織はその悉くが若く意志あるトレーナーによって破れ去ってきました。今回もバラル団に対し勇敢に立ち向かったトレーナーたちの報告を聞いていますがそれでも全体的にみればその勢いは留まることがない。だからこそ――」

 

 悪は悪であるからこそ挫かれる。カネミツはそう主張した。

 

「なるほど。そうなるとあなた方はリーグ開催を決定した私や協会幹部をさぞ恨んでいらっしゃることでしょう」

「いえ。ここがなければ別のどこかが、というそれだけの話です。来ると分かっているなら対策もできる。PGも全力を尽くしてくれています。我々には身を滅ぼそうとトレーナーたちの晴れの日を守る責務があります」

 

 バラル団を止めるためならどこまでも無慈悲になれる。彼はそういう男なのだ。

 

「その言葉に救われました。それなら私も安心してトレーナーたちを応援することにしましょう」

 

【予選Aリーグ、決勝進出者はヤシオ選手!】

【予選Bリーグ、決勝進出者はハイネ選手!】

 

 場内アナウンスが響いた。先に開始された予選の結果が出始めているようだ。

 

「どうです。決勝進出者が出揃ったら誰が優勝するか賭けでもしませんか? 大きくベットするのが私の流儀でしてね」

 

 カネミツがきっちり30度頭を下げた。

「すまないが私はこれで。警備については先ほどお話しさせていただいた通りですので」

 

 もう一度頭を下げ、カネミツは足早に部屋を出ていった。フリックが話を振らなければとうにそうしていたのだろう。

 

 一人きりになった。

 艶消しブラックの瞳は再びスタジアムへと落ちていく。

 

「歴史に選ばれる、か。面白いことを言う。そんなものに価値などないだろうに」

 

 開会式の時には晴れ渡っていた空が曇り始めていた。

 

 

 

 

 

 初日の全行程を終えて夕方。ヤシオは早めのディナーのためにスタジアムのフードコートに来ていた。

 トレーにはホットドッグが鎮座しているのだが、ヤシオはそれよりも通話を優先した。

 

「おっミオすけ? オレだよオレオレ。や、イズっちじゃなしに。今ラフエルリーグにいんのよ――そりゃあもう。予選はもうバッチシだ。ガーりやって勝ったからな。ここをホップとして次でステップてわけ。え? ストップしないように、ってウマイこと言うんじゃねぇよ。そんじゃあな。決勝トーナメントはよそでも中継するみたいだし応援してくんなね」

 

 相手の声は聞こえないがよく知った相手なのだろう。

 

 ポケギアのライブキャスターアプリを切った。そしてホットドッグにありったけのチリソースをぶちまける。そして大口をあけてかぶりつこうとしたその瞬間、見知った顔を認めた。

 

「シンジョウさーん! こっちこっち!」

 

 どうぞどうぞとヤシオは隣の席を勧めた。

 トレーの角度を一定に保ちゆっくりと歩いてきたシンジョウはヤシオのトレーを見て目を丸くした。

 

「相変わらず凄いものを食べてるな」

「大味こそ正義だんべ。それよりその糖分の暴力みたいなのは何ですか?」

「ヒメリパフェのホエルオーサイズだ」

「なんて?」

「ヒメリパフェのホエルオーサイズだ。大きい。うまい。以上だ」

 

 暫し沈黙の妖精が二人の間を飛び交った。

 賑わうフードコートの喧騒も初日の戦いを終えた二人には心地よい。

 

「お互い無事に予選を突破できてよかったな」

「そっすね。オレ途中からですけど試合見てましたよ。タイプ相性の悪い相手なのにあっさりひっくり返しちゃって」

「かえってそういう相手の方が慣れているんだ」

「えっぐいなぁ」

 

 ジムリーダーとしての経験の賜物ということらしい。

 

「そっちはどうだったんだ? 正直そんなに心配はしていなかったが」

「いやあ、強かったですよ。決勝トーナメントで当たってもいいくらいの相手でした」

 

 自分の強さを誇るでもなく、かといって卑下することもない。どこか通じ合うところがあった。

 

 ここでヤシオは何かに気がついた。

「そういやアルナは? 一緒じゃないんけ?」

「このタイミングでか」

 

 砂漠で自らを発掘してくれた恩人のことを忘れるはずがない。もっともこの場に本人がいたら『こないだ名前を忘れてただろーが!』と言うだろう。

 

「アルナはあの後別の調査に行くとかで出かけていった。『リーグは絶対応援に行く! 二人とも全勝してね!』と言っていたんだが予定より難航しているんだろうな」

「無駄に声真似上手いっすね……っていうかさらっと物理的に不可能なことを要求してきたな」

 

 ヤシオは知り得ないことだが、アルナにもバラル団とのちょっとした因縁ができてしまっている。しかし彼女の旅路についてシンジョウは心配していなかった。

 

「他の予選で凄そうな人いました?」

「目の届く範囲だと隣のリーグにいたパンデュールだな。あのガブリアスは相当厄介だ」

「うわぁガブリアスけ」

 

 トレーナーが揃えばバトル談義に花が咲く。ヤシオもシンジョウも予選の戦いや他のトレーナーについて熱く語り合っていた。

 

 そしてトレーナーが揃えばさらにトレーナーが引き寄せられる。 

 

「あらあら。聞き覚えのある声がするかと思ったらこないだの二サス男にイリスの友達じゃないの」

「おっ! タカビーだけどめちゃくちゃ強いミントさん!」

 

  特に席を勧められたわけではないがミントはのっしのっしとこちらへ来てヤシオとシンジョウの対面にどっかりと腰をおろした。いつの時代も遠慮や奥ゆかしさといったものから解き放たれた者は強い。

 

「タカビーってなによ。それはもうめちゃくちゃ神憑り的に強い勝負の女神の化身というのは認めるけど」

「いやそこまでは言ってねぇべ。あと神を重ねがけすんなし」

 

 スルーしてパフェと格闘していたシンジョウだったが諦めて闖入者に目をやった。

 

「ミントも相変わらずだな」

「もちろん。私の強さは永久不変よ」

「そういうことじゃないんだがまあいいか」

 

「あんれそっちもお知り合いで?」

 

 聞けば共通の知人を通して付き合いがあったとのこと。ヤシオは世間の狭さとチリソースの旨味を感じた。

 

 そしてそんな男二人の乱れた食生活を見逃すミントではない。

「二人とも食生活がなってない。その真っ赤な塊と糖分の交響楽団はなに!? 私を見てみなさい。このバランスの取れた食事! 最強は体の内側からも作れるの!」

 

 尊大なだけではないストイックさも彼女の魅力なのかもしれない。

 

「サンキューオカン」

「ありがとうオカン」

「オカン言うな!」

 

 バランスの取れた食事は人を饒舌にするようで、火がついたミントは自分の優勝について既に確定したかのように語りだした。さらに過去の大会の思い出話を挟むものだから止まらない。

 

「どうよ?」

 ひとしきり捲し立ててどん、と胸を張った。彼女のライバルもよくやる仕草だ。

 

「やっぱミントさんはすげぇ。あんだけベラベラ話してて一回も噛まねぇんだもん」

「そこ!?」

「そういやキャモメーズがエテベリア選手を獲得してましたけどどうみますか」

「私に聞かないで!?」

 

 シンジョウがスプーンを休ませた。

 

「まあ話は長いがミントの強さは本物だ。鍛えあげられたポケモンたちと個々の長所を活かした的確な戦術は新人トレーナーたちのいい見本だと俺は思ってる」

「うんうん。たしかにあのサンダース強かったもんなぁ。電気タイプの王道ってかんじ」

「そう! そういうのもっとちょうだい!」

 

 褒めて褒めて地獄に福音が鳴り響いた。

【お待たせいたしました! 決勝トーナメントの組み合わせを発表いたします!】

 アナウンスが流れた。そして各テーブルに設置されたモニターに決勝進出者十六人の名前が横一列に表示された。

 

【組み合わせは抽選ソフトにより厳正に行われます】

 

「このノリ、町内会のビンゴ大会を思い出しますね」

「なんか冷めるからやめなさいよ」

 ヤシオとミントが小声で言い合う。

 

【それではご覧ください!】

 

 予選リーグ順に並んでいた名前がシャッフルされる。そして並びが変わったところでトーナメント表として浮かび上がった。

 

【ご覧の組み合わせで決勝トーナメントを行います! 試合は明後日から行います。出場選手の皆さん、今日はゆっくり休んでトーナメントに備えてください】

 

 再びフードコートが賑やかになった。決勝トーナメントに出場する者もそうでない者も組み合わせに興味がないはずがない。

 

「席替えみたいでドキドキしますね」

「なんか冷めるからやめなさいよ。えっと、私は第一試合。相手は――誰でもいいか。勝つんだから」

「俺は第五試合だ。ミントとは別の山だな」

「オレは第八、って最後じゃんか。うわぁ、対戦相手のジュリオって人予選をこんな短時間で片付けてるんかよ」

 

 とはいえ予選が最初だっただけに最後の試合というのは少し拍子抜けではあった。

 

「またお預けになったが準決勝で勝負だ。ヤシオ」

「燃えてきたなぁ。試合できるのを楽しみにしてます」

 

 大きなパフェ(シンジョウ)真っ赤なホットドッグ(ヤシオ)火花(カロリー)を散らす。

 

「けっこうけっこう。勝った方が決勝で私にボッコボコにされる権利を得られるのよ」

 ここまでくるとミントの操縦法も分かってくる。経験に学ぶものは多い。

 

「じゃあ初戦の相手の情報収集と調整があるので俺はこれで失礼する」

「そっすね。オレも宿舎に戻ります。お二人ともちっと早いけどおやすみなさい」

「ちょっと!?」

 

 いつの間にかそれぞれ完食しシンジョウとヤシオは帰っていく。

 

「もう行っちゃうの。まだ話は終わってないのに」

 一瞬のうちに二人の背中は遥か遠くへ。これは諦めるしかない。さすがのミントも話し相手がいなくなってしまったことに意気消沈してしまった。

 

「ここいいかな」

 しかし救いはあった。

 

「もちろんオッケー! 座って座って」

 

「悪いな。他の席はみんな知り合い同士で座ってるからなんか入りづらくて」

 目の前にトレーを置いて一人の男が腰かけた。年の頃は先ほどの二人と同じくらいに見える。その手の道に明るいとはいえないミントでも彼の服の下の鍛えあげられた肉体を感じ取った。

 

(まあ人間が戦うわけじゃないけど)

 

 黙って食事を始めた男だったが不意に顔をあげた。

「あんた、ミントだろ?」

「有名人は辛いわね! サインしてあげようか?」

 

 男の目付きが鋭くなった。

 

「さっきここに座っていたのがヤシオで合ってるか?」

「え、そうだけど」

 

 ヤシオのサインを欲しがるとは物好きを通り越して変人や変態の域だ。しかしラフエルは多様性を受け入れる場所。あえて何も言わなかった。

 

「そうか……あれが……楽しみだ」

「もしかしてあんた」

 

「ジュリオだ。明後日の試合俺はあいつに勝つ」

 

 

 

 

 

 時間は少し遡り、テルス山。この場所を久しぶりに訪れる者がいた。

 サンバイザーにタンクトップ、膝丈のズボンと動きやすさを重視したまさに探検に特化したお馴染みのファッション。

 

「原点回帰!」

 アルナがテルス山に帰ってきた。しかし今回の目的は砂漠ではない。

 

 6匹のポケモンたちをフルオープンにしてともに歩いていることからも普段とは違うものが窺える。

 

「このあたりかな」

 地面に触れて土の柔らかさを確認した。帳面にメモを取り、端末にもデータを送信しておく。

 

「湿性砂質未熟土ちょい粗め。ここなら掘りやすいかな。ワルビルおねがいね」

 ワルビルの首に小型カメラを取り付ける。こうなると慣れたもので、ワルビルはこくりと頷いて地中へ消えていった。

 

 ルシエでヤシオのジム戦を見届けた後アルナは再びラフエルの遺跡を巡る旅をしていた。

 砂漠マニアであると同時に考古学の徒である彼女には過去からのメッセージを受けとることが現代を生きる者の使命であるという考えがあるのだが、それ以外にも調査を進めなければならない理由があった。

 

「やっぱりラフエルで何かが起ころうとしてる。悪い奴らっていつもそう。こういう時だけ昔の人を頼ろうとしちゃって。ねぇ?」

 

 地上待機の5匹ともそうだそうだとでも言いたげにアルナに同調した。

 

 あの後訪れたラフエルの遺跡の全てでバラル団もしくはその痕跡に遭遇した。その度に撃退したりPGに通報したりと善良な市民として振る舞ってきたアルナだったが、それは彼女の愛する過去の遺産が侵されつつあることを意味していた。

 

「あの日、ここにもバラル団がいた。何かやる前に逃げちゃったしその後PGの捜査も入ったはずだけど今はほったらかし。だったら今回はあたしがなんとかする! えいえいおー!」 

 

 自分一人でどうにかなる相手だとは思っていないができることはやっておきたいと思う正義感は持ち合わせていた。

 

 ワルビルが戻ってきた。カメラ映像を確認する。読みが当たっていたようだ。

「ありがと。そんじゃ行きますか」

 

 アルナはヘッドライトを装着し、ポケモンたちをボールに戻してからワルビルが大きめに掘った穴に飛び込んでいった。

 

 嫌な予感ほどよく当たる。

 

「やっぱりそうだ。山の地下にしては不自然に歩きやすい。誰かが大掛かりにここを掘ってる」

 

 本来地中というより砂と土に埋もれた洞窟のような場所というイメージで、当然整備などされていないため入ることはできてもこのようにスムーズに動くことはできない。

 

 壁面や足元を観察する。一般人なら見落としているわずかな痕跡もその目は見逃さない。

 

(見っけ)

 

 爪のようなもので掘った跡があった。誤魔化そうとカモフラージュされているがその部分だけ下の層が薄く見えている。

 

(かなり新しい。この先にまだいる可能性が高いね)

 

 足音を消して慎重に進む。どちらへ行くべきかは点々と続く痕跡と蓄えた地学の知識が教えてくれる。

 

 行き当たるのにさほど時間はかからなかった。開けた空間の手前でアルナは足を止め物陰に隠れた。中から漏れてくる明かりが緊張を掻き立てた。もちろんその光源は人工のものだ。

 

 そっと覗くと柄の悪い男が二人何やら作業をしている。スキンヘッドとモヒカンが妙に似合っていた。

 

「それにしてもよ、バラル団の連中も好き勝手してくれるよなぁ!」

 

 スキンヘッドが大声を張り上げた。アルナは慌てて耳を塞いだ。

 

「まったくだ。俺らの名前で予告を出すだけならまだしも出すだけ出して何もしないってのはいただけねぇよ。こっちだって信用商売なんだからな」

 

 スキンヘッドもモヒカンも口ぶりからしてバラル団ではないようだが堅気の者でないことも明らかだった。

 

 それにしてもよく喋る。静かな空間に二人なのでそうでもしないともたないのだろう。

 

「依頼でもないことをやるのは屈辱だがそれでもバラルの天下よりはマシだってのがリーダーのお考えだ。分かりやすくて助かるぜ。今ごろはもうリーグに向かってるだろうから俺らもここでやることやってさっさとリーダーたちに合流しようぜ」

 

 心拍数が跳ね上がった。

 バラル団以外にもリーグを狙う存在があって、そのトップが直々に出ようとしている。

 

 早鐘を打つ胸を押さえつける。そして脳内に選択肢を並べ結論を出した。

 

(やるしかない!)

 その行動に明確な理由はなかったがだからこそそれが理由だった。

 

「おいこら! ここは悪巧みをする場所じゃないぞ! 見た目通り悪そうな奴ら、とっとと自首しろー!」

 

 男たちは一瞬ぎょっとしたが、すぐに下卑た笑みを浮かべた。

 

「退屈な仕事かと思ったら神様も粋なことをするじゃねぇか」

「まあ連れ帰るとしてだ。ここは俺が先に味見をしてやる」

 

 彼らの狙いがその若い肢体にあることを悟ったアルナだがここは冷静に動いた。

 

「もっかい言う。あんたらがここで悪いことをしようとしているならあたしが許さない」

 

「そりゃおっかねぇ。是非とも許してもらいたいところだなぁ」

「そうだな。なんならそっちが許して~って泣いてもいいんだぜ?」

 

 男たちはガマガルとアイアントを繰り出した。やる気のようだ。閉じた空間、逃げ場はない。

 

「イシズマイおねがい!」

 アルナはイシズマイで迎え撃つ構えだ。

 

 男たちはまた笑い出した。

「ププッ、おい見たかイシズマイだってよ。ガマガル、『ハイドロポンプ』!」

「アイアント、『アイアンヘッド』だ!」

 

「『てっぺき』!」

 イシズマイは殻の硬度を高め『アイアンヘッド』を防いだ。元から高い防御力がさらに高まっているためまさに鉄壁の守りといえる。

 

 アイアントは怯んだが今度はガマガルが前に出た。

「バーカ! 一番痛い『ハイドロポンプ』は防げねぇぞ!」

「そうかな?」

 

 スキンヘッドには強力な水流がイシズマイを飲み込むビジョンが見えていたがそうはならなかった。

 

「なに!?」

 

 イシズマイにヒットする直前で水流が大きく逸れていった。そして別のところに命中する。

 その理由が水飛沫をあげて登場した。

 

「水分補給バッチリ! マラカッチ、『エナジーボール』!」

「『よびみず』か! ガマガル、『ようかいえき』!」

 

 特攻が上昇していれば打ち負けることはない。渾身の『エナジーボール』がガマガルを一撃でノックアウトした。

 

「調子に乗るなよ! 『シザークロス』」

「『がんせきほう』」

 

 マラカッチを狙ったアイアントも岩タイプ最高火力に沈んだ。

 

「どーだ参ったか!」

 予想外の反撃に男たちは揃って尻餅をついた。

 

「参った。降参だ」

「とても敵わねぇ」

 

 俺達では。

 そう呟くと同時にアルナの背後に何かが猛スピードで迫った。

 

「『ニードルガード』」

 アルナの窮地を何度も救ってきたマラカッチの得意技が攻撃を弾き返した。

 

「今のを防ぐとは。誰だか知らんが喧嘩を売ってくるだけのことはあるじゃねぇか」

 アルナが隠れていた反対側から男がもう一人現れた。金の首飾りをじゃらつかせた目つきの悪い小男だ。

 

「先輩!」

「これもう勝ったわ!」

 敗北したにも関わらず二人とも威勢がいい。

 

「ガマガルもアイアントも『あなをほる』ポケモンだけど手や足にその跡がなかった。つまり穴堀りをするポケモンともしかしたらそのトレーナーがいるって思ってたんだ」

「素晴らしい洞察力だ。気に入った。そんなトレーナーを慰み者にしようとはお前たち、迂闊だったんじゃねぇか?」

 

「へぇ……」

「返す言葉もねぇ」

 

「まあ関係ないことだ。『ドリルライナー』」

 

 先ほどは目で追えなかったが今回は見えた。トゲの塊がまっすぐに突っ込んでくる。

 

「イシズマイ、『てっぺき』!」

 

 火花が散った。

 くるくると回転しながら降り立ったのはサンドパン。

 

「あの爪の跡。やっぱり!」

「おっと、誰が一発って言ったよ?」

 

 『ドリルライナー』のおかわりがイシズマイを弾き飛ばした。さすがにこれは予測ができなかった。

 

 サンドパンの隣にもう1匹が並び立つ。こちらも鋭い爪を武器とするポケモンだ。

 

「ドリュウズ!?」

「そうだ。こいつらを組ませれりゃシンプルに強い。ガキでも分かるカンタンな理屈だ。ドリュウズ『すなあらし』!」

 

 途端に砂嵐が吹き荒れた。地上と違い抜けていく場所がないため、視界もほぼ効かずいつもより激しくトレーナーとポケモンを襲う。

 

「マラカッチ戻って。ノクタスお願い!」

「砂を食らうマラカッチを下げるか。妥当な判断だ。サンドパンやれ!」

 

 サンドパンはその鋭い爪をイシズマイに向けた。

 

「『シザークロス』!」

 

 爪と鋏の応酬はリーチの差でサンドパンに分があった。さらにイシズマイの攻撃がサンドパンを捉えきれていない。

 

「『すながくれ』。便利な特性だよなぁ?」

「くっ」

 

 馴染みの深いものにやられる展開は辛い。

 

「おっとこっちがお留守だ。『アイアンヘッド』」

「ノクタス!」

 

 ドリュウズの技は先ほどのアイアントと比べ物にならないほどの威力があった。なんとか視認できるくらいの砂嵐の中、その緑の体がすっ飛んでいった。

 

「どうしたどうした! 『ブレイククロー』!」

 サンドパンの爪が連続でイシズマイを捉えるたびにダメージが増していく。

 

「『てっぺき』だかなんだか知らんが今のイシズマイは豆腐より脆い。次のポケモンを出そうがこっちの砂嵐ゴールデンコンビは破れねぇぜ?」

 

「さっすが先輩!」

「やっちまえー!」

 

 ギャラリーと化した三下たちも有利を察して楽しそうに声援を送る。

 

「砂嵐ゴールデンコンビか。悪者のくせにいいことを考えるね」

「はぁ?」

「それならこっちは砂嵐ゴールデンチーム! 天然物の砂嵐に打たれてきたキャリアが違うんだ!」

 

「自棄でもおこしたか? こっちのポケモンはまともに攻撃を食らってない。もうお前は負けてんだよ」

 

「そうだそうだ!」

「先輩ニヒルでかっこいいですぜ!」

 

「やれ」

 ドリュウズとサンドパンが今度はアルナを直接狙った。

 直ぐにでも逃げなければ危ない場面だが、アルナはその場に仁王立ちしている。

 

「ダブルで『ドリルライナー』!」

「……あたしの勝ちだ! 『がむしゃら』!」

 

 サンドパンとドリュウズが地面に叩きつけられた。たった一度の攻撃で2匹とも大ダメージを受けたようだ。

 

「クソッ、イシズマイはボロボロのはず。新手を出しやがったのか!」

「違うんだなぁこれが」

 

 砂嵐が晴れた。アルナの前に立っていたのは。

 

「マラカッチだと!? いつの間にまた出した!? お前はあの後ボールに手をやらなかったはずだ!」

 

「悪者の癖に変なところで素直なんだね。あたしはマラカッチを引っ込めてない。ノクタスはフェイク。だいたいあんた、ノクタスがいるのをちゃんと見たの?」

 

 言われてみれば男は激しい砂嵐で相手のポケモンを輪郭と色で判断していた。

 

「マラカッチだからなんだってんだ! サンドパン『きりさく』だ!」

 

「『がんせきほう』」

 サンドパンは岩の塊をぶつけられて倒れた。

 

「まだだ! ドリュウズ『つのドリル』!」

 

 アルナとマラカッチとで目が合った。両者頷く。

「できるもんなら避けてみな! マラカッチ、『ニードルアーム』!」

 

 金属質な打撃音で勝負に幕が降りた。

 

「先輩が」

「嘘だろ先輩」

 

「……こんなことがあっていいわけがねぇ。俺が負けるなんてことはねぇんだよ!」

 男は上着の胸ポケットから何かを取り出した。小型の装置のようだ。

 

「このオモチャを預かっておいてよかった。俺がこれを押せば天井が崩れてお前ら皆生き埋めだ」

 

 二時間サスペンスでよく見る爆弾の起爆装置だ。作るのにはさほど難しい技術はいらないとテレビでとりあげられていたが、アルナも本物を見るのは初めてだった。

 

「先輩!?」

「それはまずいですよ!」

 

「るせぇ! 元はといえばお前らがこいつの侵入を許したのが悪いんだ!」

 

 説得しようにも今しがた勝負で打ち負かした相手をどうにかできる文句の用意はなかったし、取り押さえようとしてもその前にボタンを押されてしまうだろう。

 

「こういうのは躊躇なくやるに限る。地獄でまた会あらららら」

 

 装置が男の手を離れて宙に浮いた。

 さらに不幸は続く。男三人の体にロープのような糸が巻きつきそのまま捕縛してしまった。

 

 面食らうアルナの元に女性が駆け寄った。そして先ほどの装置の配線を切り、鞄にしまった。

「よかった。間に合ったみたいね」

 

 事態が飲み込めなかった。

 

「えーっと?」

「私はラフエルオフィスサービスのミヅ、いやホヅミといいます。暴獣構成員の逮捕へのご協力、感謝します」



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インファイターズ・メソッド

『近くにスーパーがあるといい。ドラッグストアもあるといい。もっというなら駅も病院も近くにあってほしい』


(パイク=マディソン)


 リーグに出るようなトレーナーたちにとって闘志の薫りとは心地のよいものである。

 一般に伝わりやすいように言えば『より強く、高みを目指そうとする者たちの熱意がぶつかる空間は心地よい』といったところか。

 

 そしてそれは中一日で試合当日を迎えたヤシオも例外ではない。気持ちが高ぶったまま歩いているところに暗がりから男が現れ声をかけてきた。

 

 派手な服装ではないがギラギラとした印象のこの男はラフエル地方における影のお祭り男として知られているのだが、イッシュから来ているヤシオは当然知らない。

 

「やぁお兄さん! この後の試合に出るんだろ?」

「そうですけど。関係者の方ですか?」

 

 ヤシュウ節も咄嗟には出ない。

 

「俺はメリウス。通りすがりの博徒だ。どうだろう、誰がこの大会の優勝トロフィーを手にするか賭けてみないか? 一攫千金も夢じゃないぜ?」

「えぇ。こないだゼルドスさんに勧められて勝ったトキワ記念の馬券で大負けしたばっかなんだよ。やるわけねっぺや」

 

 負けたといっても小銭をスッただけのことなのだが負けず嫌いのヤシオはそれを引きずっていた。

 

「そこをなんとか」

「つってもなぁ」

 埒があかないところだが調度よく予選A組の2人がやってきた。テスケーノもプリスカも試合直前のヤシオを応援するために駆けつけたのだ。

 

「俺は賭けるぜ! たくあんコーラ代の120円、もちろんヤシオの優勝にベットだ」

「私もです! ヤシオさんに夕飯代50円賭けます!」

 

「いや夕飯もっといいもん食いなね! テスケーノのおっちゃんはよく分からんもんを飲んでないでプリ嬢になんか食わしてやってくれよい……ってなんか2人ともオレが負けたときのために保険かけてっぺ!?」

 

 ワチャワチャとした騒ぎがもう1人を引き寄せた。

「楽しそうな話をしているな。俺も混ぜてくれよ。賭け先は中に書いていれておいたからさ」

 

 目付きの鋭い男が現れ封筒をメリウスに手渡した。

 

 封筒の中身を確認してメリウスは上機嫌になった。

「勝負に出たね。いいよいいよ! そういう度胸、俺は大大大好きだ! お兄さんもこのあと試合かい?」

「あぁ。このヤシオと戦うんだ」

 

 

 

 

 それから時間が経ち、トレーナーズサークルに入ってからもヤシオには気になることがあった。

「ジュリオさん、あん時どんな賭け方をしたんです?」

「秘密だ」

「けちぃ。まあいいや。よろしくお願いします」

「あぁ。お手柔らかに」

 

 フィールドの両側でのんびりと会話する2人だが、その様子は観客席及び中継を見ている者全てに晒されている。

 

 試合開始を控え、レフェリーがトレーナーズサークルの2人に呼び掛けた。

「この試合の使用ポケモンは5体。それ以外は予選同様にリーグ公式ルールに則って行います。それでは両者最初のポケモンを決めてください」

 

「カイリキー、頼むぞ」

「いってみんべマッギョ!」

 

 ジュリオはカイリキー、ヤシオはマッギョを繰り出した。特に相性の有利不利はない対面だ。

 

「試合、はじめ!」

 

「『ほうでん』!」

 マッギョの放つ電撃がカイリキーを捉えた。ジュリオは何を思ったか回避の指示を出さなかった。それどころかカイリキーをそのまま突撃させる暴挙に出た。

 

「ほ、いや『どろばくだん』!」

 今度は弾丸のような泥がカイリキーに直撃した。それでもカイリキーは止まらない。

 

「『クロスチョップ』だ」

 腕が4本なら威力も倍加する。『どろばくだん』の構えを解かなかったマッギョはフィールドにめり込むほどの大ダメージを受けた。

 

 

「あーもう、ヤシオ何やってんの!」

 観客席にはA組以外にもヤシオをハラハラしながら見守る者たちがいた。

 ヤシオの試合より先に圧倒的な実力で決勝トーナメントの1回戦を突破したミントとシンジョウだ。

 

「これはジュリオが一枚上手だったな。彼はヤシオをよく研究している」

「どういうこと?」

「ヤシオはああ見えて慎重で生真面目な奴だ。カイリキーの特性が『こんじょう』か『ノーガード』かで対策を考えているんだろう。ジュリオはヤシオがそういうものの考え方をすることを予習している。もちろんどちらも強力な特性なのは間違いないしその発想は至極全うではあるが……つまりはポケモンというよりトレーナーを対策しているということだ」

 

 昨今、複数の特性を持つポケモンはカプセルによってその入れ替えが可能になった。前回の戦いでどうだったかはもはや参考にならないのだ。

 

「ふーん。まあどうなろうと最後にガツーンとかましてやればいいのよ」

 ミントは横綱相撲に理解のあるタイプのようだ。

 

 

 そしてシンジョウの指摘通りヤシオは冷や汗を流していた。

 

(もし『こんじょう』ならマッギョの状態異常を絡めた戦法はまじぃ。かといって交代してやっぱり『ノーガード』でした、じゃ目もあてられんし)

 

「『クロスチョップ』」

「『どろばくだん』で凌ぎきれ!」

 

 腕の振りを至近距離からの『どろばくだん』連発でなんとか抑えた。

 

 しかしカイリキーはそれでも止まらない。

 

「『ばくれつパンチ』!」

 パンチならチョップのさらに倍になる。4つの拳が正確無比にマッギョに遅いかかった。

 

「マッギョ!」

 最初のクロスチョップに加えてかなりのダメージを受けてしまっている。混乱してしまっていることもあり戦闘の継続もなかなか厳しい状況だが、得るものもあった。

 

「4発全部当てたな。そのカイリキー、『ノーガード』だべ。それさえ分かっちまえばやりようはある」

 

 ジュリオが笑った。

「正解だがもう少し早く分かっていればよかったな。『ばくれつパンチ』」

「今だ! 『じわれ』!」

 

 幸運なことに混乱はすぐに解けた。

 満身創痍のマッギョが迫るカイリキーに一撃必殺を放った。『ノーガード』では回避できない。

 

 誰もがマッギョの大逆転を想起した。

「カイリキー、危なかったな」

 

 なんとカイリキーはフィールドに『ばくれつパンチ』を連打して『じわれ』を食い止めていた。

 

「あれを防ぐか。馬鹿力すぎんべ」

「カイリキー、いったん戻ってくれ」

 

 ここでジュリオはカイリキーを引っ込めた。慌ててヤシオもマッギョをボールに戻す。

 

「ムクホーク。このまま流れを作るぞ」

「させっかい。トゲキッス!」

 

 一転飛行タイプの対決となった。

 

「『ブレイブバード』!」

「『エアスラッシュ』!」

 

 飛行タイプの物理と特殊がぶつかり合った。それだけに素の威力の高い方が押し勝つことになった。

 

「トゲキッスだいじか?」

 ダメージを抑えることはできたようで、翼を振るって応えた。

 

「休む暇を与えるな。ムクホーク、『すてみタックル』!」

 トレーナーもポケモンも反動を全く考慮していない。よって技に迷いがない。

 

「食い止めるべ! トゲキッス着陸!」

 空中では攻撃の軌道が読みにくい。ヤシオはムクホークの動きを捉えることを最優先に考えていた。

 

 地上のトゲキッスに対してムクホークは急遽照準を修正した。

 

「『マジカルシャイン』」

 その隙を見逃さなかった。虹色に輝く光の束がムクホークを軽く弾き飛ばした。

 

「いい技だ!」

「あざます!」

 

 トゲキッスは再び上昇してムクホークを追った。なんとか背後をとって攻撃しようというのだ。

 しかしムクホークは飛行の軌道が自在でなかなか追うことができない。

 

「『ブレイブバード』」

「『エアスラッシュ』」

 

 次の激突は互角だった。

 

「今だ! 『はどうだん』!」

 

 波導によって放たれるエネルギー弾がムクホークを襲った。タイプ一致でこそないが必中の技が決まった。

 

「飛び道具では向こうに分がある。ムクホーク、トゲキッスを追うんだ」

「なら振り切る! 『マジカルシャイン』」

「それを待っていた」

「ぷぇっ!?」

 

 ムクホークはトゲキッスの真上でわざと『マジカルシャイン』を受けた。虹色の光でムクホークの姿が見えなくなる。

 

「『ブレイブバード』!」

 今度はトゲキッスがまともに技を受けてしまう。

 

「そのままの距離を維持しろ!」

「来てくれるなら待つまで。土手っ腹に『エアスラッシュ』!」

 

 眼前に迫るムクホークに渾身のエアスラッシュが決まった、かのように思えた。

 

「『とんぼがえり』」

「な!?」

 当然ここは『ブレイブバード』もしくは『すてみタックル』がくると踏んでいた。

 

 ムクホークはふわりと宙返りをし、紙一重で攻撃をかわした。そしてそのままの華麗な動きでトゲキッスの頭を蹴り飛ばしてボールに戻っていく。もはや追撃は不可能だった。

 

「トゲキッス戦闘不能。ムクホークの勝ち」

 

「トゲちゃんありがと。次の試合もあるからゆっくり休んでな」

 ヤシオはトゲキッスをボールに戻した。

 

 

「頼むぞぉ、ハッサム!」

「ドータクン!」

 

 次は鋼タイプが並び立った。

 

「『バレットパンチ』」

 目にも止まらぬ速さで突き出された鋏が鈍い金属音を響かせた。

 

「『どろぼう』! おかわりも狙え!」

 ムクホークにやられたことをハッサムがやり返す。相性を突いた技のラッシュがさらにダメージを上乗せした。

 

「よしここでもっかい――」

 突然ハッサムの動きが遅くなった。先ほどまでの連撃が嘘のように体の冴えがなくなってしまっている。

 

 不可解な現象だが跳ねた石がゆっくりと落ちる様を見れば嫌でも分かる。

「『トリックルーム』か。どうも素直にやられてくれると思ったら仕込みがあったんけ」

「摩訶不思議空間へようこそ。家主のドータクン共々歓迎しよう」

 

「嫌な物件なこって。『バレットパンチ』」

「『てっぺき』」

 

 今度の『バレットパンチ』は満足なダメージにならなかった。

 

「かってぇ!」

「それだけじゃない。『ボディプレス』!」

 

 再びの金属音はさらに重く響き、一撃でハッサムは膝をついた。

 

「『トリックルーム』で素早さを逆転して『てっぺき』で攻防一体。あとはタコ殴りにして隙を見て『トリックルーム』を再展開する。ドータクンより遅い特殊型のポケモンを出さない限りパターンにハメられることになる、か」

「悪くない戦法ね。まあ私には通用しないけど」 

 タカビーとはこういうことを言うんだろうなと思ったシンジョウだが女難の経験からそれを口に出すことはしなかった。

 

 

「『バレットパンチ』!」

「『てっぺき』!」

 ハッサムは出の早い技でなんとかドータクンに食らいついていく。しかし攻撃はなかなか通らず、逆にダメージを受け続けていた。

 

「『バレットパンチ』!」

「効果が薄いことは分かっているだろう。いい加減交代したらどうだ」

 

 ひたすら同じ指示を出し続けるヤシオにジュリオも呆れていた。

 

「オレはあまのじゃくなんだ。交代しろーり言われたら絶対やんねぇ」

「ならばせめて楽にしてやる。『ボディプレス』」

 

 

「あー。あれをもらったら終わりね。ヤシオ、完全に浮き足立っちゃってる。口だけの男じゃない」

「いや。そうでもないかもしれないぞ」

 

 ハッサムがドータクンにしがみついた。

「いいぞ! そのまま放すなよ!」

「『トリックルーム』の時間切れを狙うつもりか? 無駄なことだ!」

「そこじゃないんだなぁ」

 

 ドータクンがぷるぷると震え出した。よく見るとしがみつくハッサムの体から煙があがっている。これはたまらない。

 

「ハッサムは体も筋肉も金属でできてんだ。その羽は飛行じゃなくて熱を逃がす体温調節のためのものだんべ。つまり羽ばたかずに戦ってれば体はどんどん熱くなる。その熱ならカチカチになったドータクンにも有効ってことだがな」

「ドータクン振り切れ!」

「ムクホークの時はそっちが引っ付いてきたのに都合のいいこったな」

 

 ここで『トリックルーム』が消えた。

 

「鬱憤を晴らすぞ! 『どろぼう』!」

「『トリックルーム』」

 

 摩訶不思議空間の再展開とはならなかった。 

 高熱で体力を奪われていたところに『テクニシャン』補正のかかった悪タイプの技。

 これは勝負あった。

 

「ドータクン戦闘不能。ハッサムの勝ち」

 

「ドータクン。すまなかった。ゆっくり休んでくれ。カイリキー、また頼む」

 

「ハッサムはいったんクールダウン。ここで目立ってやれスターミー!」

 

「『ストーンエッジ』」

「『ハイドロポンプ』」

 

 回避の許されない技のぶつかり合いとなった。スターミーのコアが早くも点滅を始めた。一方のカイリキーも肩で息をしている。

 

「粘られると面倒だ。『ばくれつパンチ』!」

 『ストーンエッジ』が急所に当たったのかスターミーは動けない。

 

「あれ?」

 ここでカイリキーも停止した。体からパチパチと音がする。

 

「麻痺!? 『ほうでん』が効いていたか!」

「しめた、『じこさいせい』!」

 

 スターミーは奪われた体力を急速に回復した。ダメージを受けやすい分回復も早い。

 

「今度こそ『ばくれつパンチ』だ!」

「『サイコキネシス』!」

 

 回避ができなくても当たる前に攻撃してしまえば問題ない。ヤシオはエスパータイプの技でごり押すことだけを考えた。

 

「カイリキー、戦闘不能。スターミーの勝ち」

 

 

「スターミー。このままいくぞ」

「ならこっちは……」

 

 ジュリオはカイリキーを戻して再びムクホークを繰り出した。

 

「『ハイドロポンプ』」

「縦に宙返り」

 

 高速で飛行するムクホークはなかなか的を絞らせない。

 

「『れいとうビーム』!」

「360度ロール」

 

 同じく飛行タイプを併せ持つトゲキッスならともかく点の攻撃ではなかなか捉えられない。

 

「『ブレイブバード』」

 そして回避から攻撃へと転じた。スピードのあるスターミーでも反応できなかった。

 

 しかしヤシオはそれも覚悟のうえだった。

「捕まえたぞ! 『サイコキネシス』!」

 カイリキーの時のように強い念力がムクホークを押さえ込む。

 

「『インファイト』」

 しかし翼と足を激しく振るうことであっさりと抜け出した。

「そんな使い方ありかよ!?」

 

 

「距離をとれば技が当たらない。近づけば強力な技で攻められて搦め手も通用しない。ヤシオにとって苦しい相手だな」

「わざと攻撃を食らって反撃するとかしかないんじゃない? 残りの体力だと厳しいかもしれないけど」

 

 

「『ハイドロポンプ』」

「そのまま急降下」

 

「『れいとうビーム』!」

「真横に、いや今のはフェイントだ。構うな『ブレイブバード』!」

 

 一直線に突っ込んで来るムクホークに氷の塊が降ってきた。

 

「先に放った『ハイドロポンプ』を『れいとうビーム』で凍らせたか。いいぞ、あれならムクホークの動きを止められる」

「あんたヤシオとシンクロしてんの?」

 

「よし、『れいとうビーム』」

 しかしヤシオの指示がスターミーに届くことはなかった。

 

 『ブレイブバード』がヒットする鈍い音がスターミーの幕を降ろした。

 

「スターミー戦闘不能、ムクホークの勝ち」

 

「そんな。今のは」

 氷の塊が体に当たったにもかかわらずムクホークは技を当てることを優先した。

 

「見くびるな。俺のムクホークはそのくらいじゃ止まらない」

 

 次のボールを手に取った。

「そっけ。スターミーの敵討ちだハッサム!」

「ならこっちはドータクンの敵討ちだ」

 

「『バレットパンチ』」

「『ブレイブバード』」

 

 真っ向からのぶつかり合いになった。その力は互角。

 

「『すてみタックル』」

「そのまま投げ飛ばせ!」

 

 攻撃を受けつつもハッサムはムクホークと組み合った。そして地面に叩きつけた。

 

「『インファイト』」

「『バレットパンチ』」

 

 鋏が翼を掻い潜ってムクホークに届いた。

 

「垂直に上昇して距離をとれ!」

「ハッサム戻れ! マッギョ、もっかい!」

 

 ヤシオはここで交代を決断した。

 

「『ほうでん』」

「垂直降下から『すてみタックル』!」

 

「『あくび』!」

 予想外の技が命中した。ムクホークは時間差で眠ってしまうことになる。

 

 上空に逃れさせようとしたジュリオだったがよりよい解決策を捻り出した。

 

「『とんぼ」

「『ほうでん』!」

 

「『あくび』による眠り状態は時間差で訪れる。そして『とんぼがえり』なら眠る前に攻撃しつつ交代できる。そこを突いたいい読みだ」

「それなりに考えているってことか。うんうん、それでこそトレーナーよね」

 

 

 苦手な電気タイプの技をまともに食らったムクホークはついに力尽きた。

 

「ムクホーク戦闘不能、マッギョの勝ち」

 

 

「ムクホークお疲れさん。いい手だと思ったがあそこのとんぼは甘えだったか」

「いやこっちもアドレナリンが耳から漏れそうですがね」

 

 

「エレキブル、スタンバイだ」

 ヤシオはマッギョを戻さない。互いに相手に対しての手はあった。

 

「『どろばくだん』」

「『れいとうパンチ』」

 

 大きくジャンプしたエレキブルが冷気を纏った拳でマッギョを打ち据えた。

 

「『じわれ』」

「『じしん』」

 

 地面の亀裂同士がぶつかって消えた。

 

「電気タイプが地面技使うの反則じゃないんけ?」

「ブーメランだ」

 

 エレキブルの攻撃を跳ねて回避しつつ反撃を狙おうとはしているが、コスモスのサザンドラの時のようにマッギョは防戦一方だった。

 

「ヤシオはマッギョにもう4種類の技を指示している。ダメージは『どろばくだん』か『じわれ』でしか与えられない」

「もうマッギョはヘロヘロでしょ。私なら交代するけど」

「残す手持ちはヤシオが3体でジュリオが2体。数では有利だがマッギョとハッサムは連戦でかなり消耗している。だから最後の1体は少しでも温存したいということなんだろう」

 

「『れいとうパンチ』!」

「『どろばくだん』!」

 

 苦手な技に構わずエレキブルがマッギョに決定打を叩き込んだ。

 

「マッギョ戦闘不能、エレキブルの勝ち」

 

「マッギョ。無理させてごめんな。うまくやるからゆっくり休んでくんな」

 

 ヤシオは残りのボールに目をやった。

「ニィニィのタイだ。気張るぞハッサム!」

 

 再びハッサムを繰り出した。ドータクンとの戦いで相当体に負担をかけてしまっているためかなり辛そうだ。

「『バレットパンチ』!」

「『まもる』」

 

 反応が難しい速度での攻撃も『まもる』の前には形無しだ。弾かれたハッサムはよろけてしまう。

 

「ハッサムを捕まえろ」

 エレキブルの2本の尻尾がハッサムに絡み付く。自慢の鋏もこれで使えない。

 

「抜け出すんだ! 『どろぼう』!」

「無駄だ。エレキブルの体内には街1つ分の電力が貯まっている。それが高圧電流として流れる尻尾がこいつの武器だ。金属でできているハッサムには効果覿面だろうな」

 

 さらにドータクンとムクホークから受けたダメージも大きい。想像もできないレベルでの感電にハッサムは苦しめられている。

 

「もっと電圧を上げろ! そのまま倒しきるぞ!」

 

 唇を噛んでいたヤシオだったがここで顔をあげた。

 

「逆に考えりゃチャンスだ! そのまま投げ飛ばせ!」

 エレキブルの体が持ち上がった。

 

「焦ることはない。エレキブル、電圧を上げろ。ハッサムの体力はもう限界だ」

「そっけ。じゃあ見ててくんな」

 

 ハッサムはフルパワーでエレキブルをフィールド反対側の壁まで放り投げた。

 

「なんだと!?」

 

「『バレットパンチ』! ボコってやれ!」

 今度こそ鋏の一撃が決まった。そしてハッサムは連続攻撃の手を緩めない。

 

「畳み掛けっぞ!」

「攻撃に備えるんだ! 『まもる』!」

 

「そこだ! エレキブルの足元に『ぎんいろのかぜ』」

「『ぎんいろのかぜ』!?」

 

 ミントが吹き出した。

「ラフエルリーグはいつからコント大会になったの?」

「俺も公式戦でハッサムに使わせるトレーナーはネットの動画でしか見たことがなかった。ある意味貴重な経験をしているのかもしれないな」

 

 ダメージにこそならなかったが牽制にはなった。

 

「『バレットパンチ』!」

「『ワイルドボルト』!」

 

 先制技のスピードと反動ダメージが味方した。

 エレキブルの巨体が倒れた。

 

「エレキブル戦闘不能、ハッサムの勝ち」

 とはいえハッサムも鋏を杖にしてなんとか立っているにすぎない。

 

「さすがに強いな」

「いやいやジュリオさんの猛攻もしんどいですよ」

 

「そうか。でも勝つのは俺だ。とっておきでいかせてもらう」

 ジュリオはバシャーモを繰り出した。

 

「ほーん。バシャーモか。ハッサムどうする?」

 ハッサムは眼差しで戦闘の継続をアピールした。

 

「そっか。まあそうだんべな。ならやっぺ。『バレットパンチ』!」

 鋏が空を切った。技を放つ前にかわされたような感覚という無茶な表現でしか言い表せない。

 

「はっやいな。それなら『つばめがえし』!」

 これなら狙いを外すことはない。

 

 残りの体力からは信じられないスピードで鋏がバシャーモを捉えた。

「いい技だ。それに適格な判断だ。だが――」

 

「そこは、俺たちの距離だ」

 フィールドを転がったのはバシャーモではなかった。

 

「ハッサム戦闘不能、バシャーモの勝ち」

「嘘べ!?」

 

 

 

「あの『つばめがえし』は最善手だった。しかしバシャーモはそれを捌ききった。相性じゃない、体術でハッサムを上回ったんだ」

「ふぅん。面白いじゃない。ジュリオが決勝に勝ち上がってくるってのもアリかもね」

「ナチュラルに俺を敗退させないでほしいが」

 

 

 

「くぅ~っ! やっぱりリーグってのはこうでなくちゃあ!」

「楽しそうだな」

「そりゃあもう! ジュリオさんもそうでしょ?」

「まあな」

 

「こうなったらこっちも出すしかない。いってみんべ、バシャーモ(・・・・・)!」

 

 

「なるほど。ヤシオから感じる不思議な炎タイプの気配はバシャーモだったか」

「私からしたらその探知能力のほうが不思議なんだけど」

 満足げに頷くシンジョウをミントはナゾの実でも見つけたかのような視線で刺した。

 

 

「まさかバシャーモ対決とはな」

「オレもびっくりですよ。心置きなくやりましょうや」

 

「『ほのおのパンチ』!」

「『ブレイズキック』!」

 

 炎を纏った拳と蹴りが交差した。爆ぜるような匂いが漂う。

 

「距離を離すな! 打ち続けろ!」

「こっちも打ちまくれ!」

 

 至近距離での打ち合いが続いている。互いにパンチとキックをかわしつつ、しつこく有効打を狙っている。本来なら僅か数寸の間合いではこのように技に勢いを乗せることができない。体重移動と関節の捻りを巧みに操ってありったけの力を込めているのが見てとれた。

 

 

「ヤシオのバシャーモはダッキングでジュリオのバシャーモはウェービングか。見ていて飽きないな」

 漫画ならば目がキラキラと輝いていたことだろう。

「この格闘オタク」

 

 

 

 ここでヤシオがキックの打ち止めを指示した。

「『じしん』!」

「『ブレイブバード』」

 

 今度は相性を突いた技がぶつかった。2体のバシャーモはそれぞれ後方に回転し、間合いをとった。

 

「『ブレイズキック』!」

 ヤシオのバシャーモの右脚が空を切った。

 

「遅い! 『ブレイブバード』!」

 ジュリオのバシャーモの反撃が決まった。反応できるスピードではなかった。

 

 

「『かそく』か。あれは厄介だぞ」

「私のサンダースより速くなってから粋がってほしいけどね」

 

 

「もっかい『じしん』」

「地上に留まるな。飛べ!」

 

 バシャーモが大きく飛び上がった。もう1体もそれを追う。

 

「そこだべ! 『ブレイズキック』!」

「叩き落とせ! 『インファイト』」

 

 ヤシオのバシャーモが連続で見舞った蹴りを全てかわし、逆に拳と蹴りの応酬を浴びせる。

 たまらず墜落しかけたところでなんとか立て直して着地した。

 

 ヤシオは頭をかいた。

「どんどん速くなってんな。参っちまうねこりゃ」

「それだけじゃない」

 

 急降下するやいなや一瞬で間合いを詰めてきた。

「『ほのおのパンチ』」

 

 ノーガードの腹にまともに入った。地面を蹴って制動を掛けることで追撃を逃れた。

 

「バシャーモ! やっべぇ殺される」

「えらくビビるな」

「こっちにも事情があるんで。『ブレイズキック』!」

 

 しかし当たらない。ジュリオのバシャーモは止まっていないと目で追えない程になっていた。

 

「『インファイト』!」

 虚空から拳や脚が生えてくるようなラッシュ。ヤシオのバシャーモは僅かに軌道をそらすのがやっとだった。

 

「俺は武道を嗜んでいる。戦いの基本は単純な動きの反復にある。そしてそれを近距離で正確に再現することをポケモンたちと徹底的に鍛えてきた」

「でしょうなぁ。5体ともボコスカ殴ってくるんでたまんねぇ。なんかトレーナーのオレも体バッキバキですもん」

 

「光栄だ。それなら最後までボコスカさせてもらおうか。『ブレイブバード』!」

 

 ムクホーク戦から何度も見ている技だがやはり反応できなかった。

 

「バシャーモ!」

 ヤシオのバシャーモは仰向けに倒れた。ノックアウトは免れたようで小さく震えながらなんとか起き上がろうとしている。

 

「バシャーモの怖いところはまさにアレだ。『かそく』でどんどん速くなるんだ。敵の攻撃をかわしつつ一方的に攻めることができる」

「ヤシオこそ『トリックルーム』を使うべきだったってことね」

「それができない以上スピード以外の方法を探るしかない。炎タイプが持ち合わせている熱がカギになるだろうな」

 

 

「ヤシオ。俺は最後まで手を抜かない。そっちのバシャーモが倒れるまで徹底的にやる」

「だってよ。バシャーモ、そろそろいいんでねーの」

 

 バシャーモがすっくと起き上がった。

 その体から青白い炎がオーラのように立ち上る。

 

「これを待ってましたよい、と。発動に条件があるってぇのが難ありだいね」

 

 『かそく』でないヤシオのバシャーモは『もうか』。ピンチの時の炎タイプの技の威力が桁違いになる。

 

「そっちも全開か。でも『もうか』が発動したということは限界が近いはずだ。それに技の威力は上がってもスピードとは無関係だ。俺のバシャーモに攻撃を当てられるか?」

「まあ無理でしょ。だからこうする。『ブレイズキック』!」

 

 今度は一味違う。バシャーモの脚からさらに炎が太く伸び、フィールド全体を焼き払った。

 

「さすがの火力だ。飛べ!」

 先ほどと同様にジュリオのバシャーモは高く飛び上がった。

 

「どうする。さっきの再現をするか?」

 

 ヤシオに逡巡の色はなかった。

 

「バシャーモ、『スカイアッパー』!」

「受け止めろ!」

 

 元は空中の相手を狙うための技だ。地上では難しくともこのような場面なら当てられる。今回ばかりはジュリオも回避は厳しいと判断した。

 

 ジュリオのバシャーモは『スカイアッパー』をブロックし、さらに高く飛び上がった。

 

「いけっぺや! バシャーモ!」

 

 青白い炎が螺旋を巻いて、燃え上がる。ヤシオのバシャーモもロケットのような勢いでさらに上空へと飛び上がった。

 

「決めにいぐぞ! 『Flare Blitz』!」

「迎え撃つ! 『フレアドライブ』!」

 

 トレーナーの叫びが木霊して全身全霊の大技同士が炸裂した。

 スタジアムは轟音とともに青と赤の炎に包まれた。

 

 

 観客席も、そしておそらく中継の向こう側の人々もこの対決を口をあんぐりと開けて見守っていた。

 

「さっき言ってたカギってこういうこと?」

「いやさすがにここまでやれとは」

 シンジョウが言いたかったのは彼が得意とする熱気を利用した防御壁のことだったのだが、別解があったようだ。

 

 

 炎と煙が晴れ、2体のバシャーモが地上へ降り立った。そしてそれぞれトレーナーへ歩み寄る。

 

 ヤシオのバシャーモはゆっくりとヤシオの方へ向かったが途中でその歩みが止まった。

 

「よく頑張ったな。次の試合もお前に」

 ジュリオはそれを横目で確認した。そして戦い抜いたバシャーモを労る。その労いの言葉をにこにこと聞いていたバシャーモだったが、笑みを浮かべたまま崩れ落ちた。

 

「バシャーモ戦闘不能、バシャーモの勝ち。よって勝者、ヤシオ選手」

 

 長く張り詰めていた緊張の糸がぷつりと切れた。

「よっしゃあ!」

 

 ヤシオは喜びを爆発させてすぐさまフィールドのバシャーモに駆け寄った。そしてボールに戻した。

 

「バシャーモ、マッギョ、トゲキッス、スターミー、ハッサム。ナイスファイト! アーボックも応援ありがとな。次はお前の力が必要になるからよろしく」

 

 バシャーモと、そしてボールの中のポケモンたちと喜びを分かち合った。

 

 そこへ最後のボールを手にしたジュリオが歩み寄ってきた。

「ありがとう。いい勝負だった」

「こちらこそありがとうございました」

 

 敗退にも関わらずジュリオの表情は晴れ晴れとしていた。自分はそのように振る舞えるかヤシオは少し考え込んでしまう。

 

「まさか『フレアドライブ』一撃でもっていかれるとはな。近接戦では負けないつもりでいたんだが」

「オレもジュリオさんと戦うための作戦を考えてたんです。技が当たらないなら面積も体積も根こそぎ焼ききるしかないんじゃないかって。あとは『インファイト』を耐えてくれたバシャーモのおかげですよ」

 

「磨いてきた近距離戦が仇となったか。俺ももっともっと修行しなければいけないな。ヤシオ、改めてありがとう。君と君のポケモンなら優勝だって夢じゃない。いつかまた勝負しよう」

「はい!」

 

 がっちりと握手する両者に観客席から惜しみ無い拍手が送られた。

 

 こうしてヤシオはなんとかベスト8入りし、準々決勝に駒を進めることとなった。

 しかし彼はまだ知らない。このスタジアムを取り巻くのが熱気の渦だけではないことを。そして、彼を捉えて放さない狂気じみた視線を。



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饗応の牙

自分の常識が通じない相手がいる。妻はシーツを毎日洗おうとするのだ。


(カワツル=イタヤ)


 その日の試合を終えたヤシオは会場近くのバーで食事をしていた。

 壁に埋め込まれたテレビは彼が楽しみにしていたラフエルの報道番組の時間となった。

 

 

 若手アナウンサーがスタジアム内の特設スタジオから呼び掛ける。

「ここからは現在開催中のラフエルリーグのコーナーです。今夜も素敵なゲストが熱戦を解説してくれますよ! 今日担当してくださるのは熱いキャラクターでお馴染み、ダンデ・ローズさんです!」

 

「やぁどうも! ダンデ・ローズだ! 現地に呼んでくれるとはありがたいかぎりだ!」

 

 がっしりとした体つきの中年男性が登場した。一言二言くらいで血管が切れそうなくらいのテンション。ラフエルでは有名人らしい。

 

「やはり予選を突破したトレーナーの皆さんには鬼気迫るものがありましたね」

「そうだな! 目的はそれぞれ違うにしても、リーグに出るからには勝ちたい! 1番高い場所に立ちたい! それがトレーナーの性だ!」

 

「ではさっそくまいりましょう。Vのフリをお願いします」

「任された! ポケバトゥゥゥゥレディィィィィゴォォォォォ!」

 

 画面が切り替わりミントの顔写真が表示された。

「やはり話題となったのはミント選手の試合ですね」

「うむ! 彼女はとにかく強い! わしの見立てでは対戦相手のロウ選手も綿密な作戦のもと臨んでいたが、それでも押しきれなかったな!」

 

 また画面が切り替わった。

 

「ここを見てほしい! ミント選手のギャロップがロウ選手のオーダイルに攻め込まれている……ように見えるが! ギャロップは攻撃をあえて受けながら敵に狙いを定めている! そしてドン!」

 

 ギャロップが『つのドリル』でオーダイルをねじ伏せた。スタジアムが一瞬静まり、そして爆発のような歓声があがった。

 

「とかく一撃必殺は当てるのが難しい! 10回やって3回当たれば上出来ってとこだろうな!」

 

「ではなぜミント選手は『つのドリル』を? 一部メディアでは圧勝を確信したためなんて声もあるみたいですが」

 

「それは違う! むしろ逆だ逆! まずは相性だ! もちろん交代してもいいがそれだと後続に負担をかけてしまう! あとは他の選手に一撃必殺を戦略としてちらつかせる狙いもあっただろう!」

 

「次はシンジョウ選手の試合だ! 炎タイプのエキスパートである彼に対抗するなら水・地面・岩といった相性を突いた攻撃が有効だし、実際パリッシュ選手もそう考えていたのだろう!」

 

「しかしシンジョウ選手の試合運びは危なげなかったという印象ですね」

 

「いわゆるタイプ統一パの妙だ! 相手は当然相性のよいポケモンを固めて攻めてくる! それは脅威ではあるが逆に考えれば『相手の思惑が読める』ということだ! あとはそこをケアできれば統一パが脆いなどということはない!」

 

「なるほど。メンバーの選出から戦いが始まっているんですね」

 

「次はわしの知り合いでもあるコウヨウ選手だ! 実は彼女はあるバトル施設の元締めなんだが、日々たくさんのトレーナーを見ているもんでよく情報交換をしているんだ!」

 

「なるほど。ダンデ・ローズさんはポケモンバトルのトレンドの研究でも有名ですものね。情報網を他地方にも張り巡らせていると」

 

「わはは! 彼女の試合の特徴は勝ちパターンの多さだ! 経験に由来する引き出しの多さが武器でどんな状況からでも豪快に攻めていけるのが強みだな!」

 

 映像が切り替わった。メガシンカしたフシギバナがスワンナを『やどりぎのタネ』で絡め取っている。『エアスラッシュ』による反撃を受けてはいるがまるで意に介していない。

 

「これは彼女が得意とする持久戦だ! この少し前に放った『はっぱカッター』に『やどりぎのタネ』を紛れ込ませることで作戦を気取られないようにするという戦術だ! この映像だと飛行タイプの技を食らってはいるが、フシギバナは体力を回復する手段を豊富に持っている! それにタフに鍛えられてる!」

 

「なるほど……」

 

「それだけではない! 火力でゴリ押したりスピード勝負を仕掛けたりもできる! 破天荒というほかない!」

 映像が切り替わる。コウヨウの他のポケモンたちも対戦相手に同情するレベルで大いに暴れていた。

 

「様々な組み立てができる柔軟性がコウヨウ選手の武器というわけですね」

 

「うむ! この後の試合も楽しみだな!」

「それにしても今日は一段とテンションが高いようですが」

 

「そりゃそうだ! ここには強いトレーナーがたくさんいる! わしの考えとしてポケモンと同じくらいトレーナーも強くならなければいけない! その手段は色々あるがわしの道場で体を鍛えるのがいちばん! 何かあった時に備えて強い体と心を育むのだ! そしてわしの道場ならそれができる! 見学も体験も年中無休で受け付けているぞ! 画面の下に表示されている番号にすぐ電話だ!」

「生放送なので番号は出ませんがありがとうございました。他に気になった試合はありましたか?」

 

「うむ! そしてもうひとつ紹介したいのはヤシオ選手とジュリオ選手の試合だ! 接戦をなんとかものにした形ではあるが特にわしが注目したのは」

「すみませんここでお時間です。スタジオにお返ししまーす」

 

「あぁん」 

 ヤシオはがっくりとうなだれてグラスになみなみと注がれたボーリック・ナイトを飲み干した。

 

「まーたオレんとこはカットかい。プロフェッショナルも再放送されねぇしついてねぇべ。どーせオレなんてカットの申し子なんだ。カット太郎なんだい」

 

 そんなヤシオの肩を叩く者があった。

「まあまあ。次の試合で目立てばいいじゃない?」

 

 このようなバーに似つかわしい赤を凌駕する燃えるような紅髪の女性だった。

 しかしムーディーな雰囲気にならない理由がある。ヤシオがちょうど今見ていた人物だったのだ。

 

「あんら。あーたコウヨウさん?」

「ご名答! 君はヤシオくんだよね。こっちで一緒に飲まない?」

「せっかくだしそうすっぺや」

 

 コウヨウのテーブル席には先客がいた。

 

「オトギリくん、ヤシオくんを連れてきたよ」

「あぁ……」

 

「ども。オレヤシオっていいます」

「オトギリだ……」

 

 どうにもこのオトギリ、元気がない。

 

「ごめんね。オトギリくんも準々決勝進出者なのにさっきのリーグ特集で名前を出してもらえなかったからいじけちゃったの」

「俺はいじけてなんかない……」

 

「なるほど。オトギリさん、そんなことで悩んだってしょうがないですよ。生きていれば大変なことだってたくさんあるべ?」

 先ほどまで同じことでいじけていた者の台詞とは思えない。

 

「オトギリくんの次の相手はミントちゃんでしょ? 優勝候補に勝ったらオトギリくんで1コーナー作れちゃう勢いなんじゃない?」

「それもそうだな。ほら、コウヨウさん。たんと飲んでくれ」

「立ち直りはっや」

 

 オトギリが復活しコウヨウのジョッキを口切りいっぱいまで満たしていく。

 

「ぷっはぁ! そうだそうだ、若人よ元気であれ! 私も四捨五入すれば若人! 次の試合ラガルドさんに絶対勝ーつ!」

 

 ラガルドは確かな実力をもつプロトレーナーとして有名な人物だ。そちらも激しい勝負になるだろう。

 

「ヤシオさん、といったか。次の相手は?」

「パンデュールだ。今から楽しみでしょうがねぇ」

 

「パンデュールくんか。試合を見てたんだけどあの子も凄いよね。執念で戦ってるっていうのかな、他の人たちとはちょっと違う雰囲気があるのよね」

「そうだいね」

 

「でもあの子はよく分からないんだよね。私、決勝トーナメントに出てる人みんなと仲良くなろうとしてるんだけど、パンデュールくんは話しかけようとしたらすすーっといなくなっちゃって」

「きっとシャイなんだろうな」

 

 オトギリは自分の言葉を噛み締めるように頷いたがヤシオは別のことを考えていた。

 

 その日眠りにつくまで。

 

 

 

 

「しゃあ! やんべ!」 

 日がやや傾いた昼下がり、最終調整を終えたヤシオは足取り軽く準々決勝に向かおうとしていた。

 

 周囲に人影はない。この時間は誰もが観客席か関連施設のライブビューイングで観戦をしているのだ。

 

 しかし例外もいた。

 暗がりから現れた人相の悪いスキンヘッドの男がヤシオに話しかけた。

 

「おい。メインスタジアムはどっちだ?」

「あっちですよ。これからオレが試合すっから応援してくれっと嬉しいです」

 

 迷子対策にとシンジョウとミント、さらには初戦終了後のジュリオからもメインスタジアムまでの道のりを繰り返し叩き込まれていた。

 そしてヤシオ自身は気がついていないが服のポケットというポケットに地図のメモを入れられ、万全の体制が整っていた。

 

「そうか。じゃあそうするか」

 

 その手のことには疎いヤシオですら分かる筋肉量に内心驚いたが、テスケーノ然り厳つい見た目であっても勝負を愛する者に悪人はいないというのが彼の信念だった。

 

「そんじゃ行きますか。オレは選手通用口つーとこから入るんで途中まで案内しますよ」

「それには及ばないな」

 

 ヤシオの足下が崩れ、何かが飛び出してきた。

 

「うぉい!? なにすんだ!」

 大顎がヤシオを掠めた。咄嗟にボールから飛び出したハッサムが彼を突き飛ばしていなかったら胴と脚が泣き別れしていたことだろう。

 

「仕留めにいったんだが。そいつに感謝するんだな」

「サンキューハッサム。ったく、試合前なのについてねぇべ」

 

 大顎の主、いかくポケモンのワルビアルがこちらを睨み付けている。その巨体に似合わず地中を猛スピードで移動するポケモンだ。

 もちろん野生の個体ではないことは明らかだ。

 

 さすがのヤシオも状況を把握した。目の前の男は悪意をもってワルビアルに自分を襲わせている。理由に心当たりはないが敵であることは間違いない。

 

「『かみくだく』!」

「『バレットパンチ』!」

 

 試合に向けて調整を済ませていた鋏であれば大顎とも十分にやりあうことができる。

 

 ワルビアルは深追いせず、後退した。

 

「今のでなんとなく分かっただろ? 言葉より行動で示すってのが俺の主義でな」

「わけわかんねぇよ。あんたなにもんだ?」

 

「オレはアバリス。『暴獣』のトップだ。こうして直接名乗ってやることは二度とない。覚えておいて損はないぞ」

 

「オレはヤシオ。何度でも名乗ってやるがトレーナーのトップ志望だ」

 

「ほう。お前も自分のペースを崩さねぇってか。いいねぇ、そういう奴のほうが潰しがいがあるってもんだ!」

 

 それに呼応するかのようにワルビアルが動いた。今度はヤシオたちにも構えがあった。

 

「ハッサム、『いわくだき』!」

「穴に飛び込め!」

 

 攻撃をかわしてワルビアルは先ほど飛び出してきた穴に身を潜めた。

 

「どこから出てくるか分かんねぇべ! 足下に気をつけろ!」

「ほう、素直なんだな」

 

 なんと、飛び込んだ穴からそのままワルビアルが飛び出してきた。そしてハッサムの胴に噛みついた。

 人間には計り知れない痛みに見舞われハッサムは身をよじらせて苦しんでいる。

 

「その顎はやべぇぞ!」

「それだけじゃねぇ」

 

 突然ハッサムの体が燃え上がった。

 

「『ほのおのキバ』か! 頑張れハッサム、『いわくだき』だ!」

 

 力が完全に入らないながらも両腕の鋏からの『いわくだき』がワルビアルを強かに打った。

 これにはたまらず牙の拘束が解かれ、互いに敵のリーチから逃れる格好となった。

 

 スタジアムに向かうこの平坦な道。しかし地中というフィールドを活かせるのがワルビアルだ。

 

 4倍の弱点を突かれたのと同時に弱点を突いた攻撃を連続で当てることができたが、先制され本来の威力を出せなかった分どちらが有利かは歴然だった。

 

「『じしん』!」

 アーボックがサンダースに仕掛けようとして阻止された時の記憶がまだ新しい。

 

「させるな、押さえるんだ!」

 ここはミント戦の経験が活きた。ハッサムは鋏で体を押さえつけて上下の体重移動を封じる。しかしそれはワルビアルのリーチに入ることを意味した。

 再びワルビアルの大顎がハッサムを掠めた。

 

「『バレットパンチ』!」

 完璧なタイミングで技を放ったがワルビアルはヤシオたちの予想以上に俊敏に動き、鋏を踏みつけた。

 

「『いわくだき』!」

「甘いな」

 空いているほうの鋏は両腕で抱え込む。攻撃の手段を絶とうというのだ。

 

「『ほのおのキバ』!」

 

 これも大ダメージとなった。

 

「炎への弱さがハッサムの泣き所ってのはガキでも知ってる。甘かったな」

「オレにとってはおっさんのがよっぽど甘ぇ。糖尿に気をつけたほうがいいがね」

 

「負け惜しみを、なっ……? どうした!?」

 ワルビアルが地面に足をとられて動けなくなっていた。否、足下の砂が渦を巻いてワルビアルを引き込んでいる。

 

「『すなじごく』だと!?」

 

「そう。こっちに来てから砂漠のエキスパートと知り合ったんだけどもな。道案内のついでに色々レクチャーしてもらってたんだ」

 

 威力は低いがバインド効果のある技だ。すぐに抜けることは難しい。

 

「そのまま『むしくい』!」

 本来ハッサムの顎の力など知れている。しかしこの場では非常に有効な攻撃だった。

 相当効いたようでワルビアルは膝をついた。

 

「テクニシャンか。ご丁寧なこった。ワルビアル、立て!」

 意地を見せなんとか起き上がり『すなじごく』から脱した。

 

「まあいい。こうなったら力比べだ。ワルビアル『かみくだく』!」

「こっちも決めにいぐぞ! 『ばかぢから』」

 

 両者がぶつかろうとした瞬間、突如として地面から光が溢れた。渦を巻くそれはアバリスとワルビアルを包みこみ虹色に輝いた。

 

 ホヅミから聞いていたし、何よりヤシオにとっては忘れられるはずもないものだった。

 

「Reオーラ! 峡谷でクロックがやったアレか!」

「お前も知っているのか。俺にも経験がある。そういえばあの男はキセキシンカがどうとか言っていたな」

 

 もはやアバリスの言葉はヤシオに届いていない。

 ヤシオは無我夢中で光に向かって手を伸ばしたが、その手に輝きが呼応することはなかった。

 

「滑稽だな。お前は選ばれなかったんだ。正しい心を持ったトレーナーが聞いてあきれるぜ」

 

 ワルビアルが真っ直ぐに突っ込んでくる。その能力が大幅に上昇していることはもはや疑いようがない。

 

「『ばかぢから』!」

 全身の力を集中しようとしたハッサムだったが動き出すことができなかった。

 

 ポケモンはトレーナーと呼吸を合わせて戦っている。それは指示を出す側と受ける側といった単純な問題ではなく、両者の意思の疎通が様々な方法でなされることで互いの良さを引き出し合うということに他ならない。

 

 ハッサムはその呼吸の乱れを感じ振り向いた。そしてそのまま固まってしまう。

 

 無理もないことではあるが彼らはReオーラが人間に与える作用について無意識のうちにその可能性を排除していた。

 ヤシオの腹にいつの間にか肉薄したアバリスの拳がめり込んでいた。

「おっ……何すんだ……」

 

 最後の食事からしばらく経っていたが、それでもヤシオは口内が酸っぱい何かで満ちていくのをぼんやりと感じた。

 

 トレーナーはただポケモンに指示を出すだけの存在ではない。ポケモンとともに戦う存在だ。

 この言説は間違っていないが、だからといって腕まくりをして自分のポケモンに加勢しようとする者はいないだろう。人が鍛えたところで上限は知れているし、それを超えようと鍛えるのであればその時間をポケモンとの特訓に割くのが普通だ。

 ポケモンにトレーナーを襲わせようとする連中と向き合わなければならないPGであればその限りではないが、それでもポケモンを戦わせながら自分も相手トレーナーを攻撃しようとする敵というケースはそうそうあるものではない。

 

 そしてそんな暴力に裏付けられた強さを理解するにはヤシオの世界はまだまだ狭かった。

 

「予定ではさっさと片付けるつもりだったんだがな。こんなに粘られるとは思わなかったぞ。確かにお前の勝負の腕はそれなりだ。あのまま続けてりゃこっちも痛手を負う可能性だってあった。リーグに出てくるだけのことはあると認めてやるさ。……だが、それだけ(・・・・)だ」

 

 アバリスの手刀がヤシオのこめかみを打ち据えた。

 

 呼吸もできなくなるほどの痛みが身体中に走った。そのまま立っていることもできず、ヤシオはうつ伏せに倒れてしまった。

 

「あいにくだがこれはトレーナーどうしがお行儀よくやるポケモンバトルじゃねぇ。強さだけがモノをいう殺し合いだぜ。ったく、なーにがトレーナーの祭典だ。まあだからこそ壊してやらなきゃなあ?」

 

 ヤシオを見下ろすアバリスの瞳が残虐の色に染まる。

 バラル団とは違う。荒淫と放蕩を肴に隅から悪事を貪ってきた色だ。

 

「やらせねぇぞ、オレはこの大会――」

 盛り返そうとしたヤシオだが頭を踏みつけられ、そのまま動かなくなった。

 不測の事態にハッサムはヤシオを庇おうとしたがトレーナーの指示がなくてはそのパフォーマンスはどうしても落ちてしまう。おや(・・)に辿り着くことは叶わずワルビアルに尻尾で撥ね飛ばされた。

 

 握力が失われたのかヤシオの手からハッサムのボールが離れ転がった。懐からも5つのボールがこぼれ落ちた。

 

「さあどうするよ。哀れお前のご主人様はのびちまった。他の手持ちも聞いとけ。まとめてかかってきてもいいが俺のワルビアルはちょいと凶暴でな。そのままボールに戻らないならこいつのやわい喉なんざ一噛みで砕いちまうぜ?」

 

 トレーナーを人質にとられてはどうすることもできない。ヤシオのポケモンたちはボールの中で沈黙し、ハッサムも自らボールに戻った。

 

「さーてと」

 アバリスは小刀を取り出しヤシオのボール全てに細工を施した。

 

「ボールの開閉スイッチはもう作動しない。これで抵抗はできねぇなぁ?」

 そのまま小刀を振り上げる。ボールがカタカタと揺れた。

 

「約束が違う? 俺は慈悲深いんだ。ワルビアルの手をわざわざ汚させねぇしお前らには特等席での見物を許してやる。まあ、ただこいつをブッ刺してぇだけなんだけどなぁ!」

 

 人間もポケモンも己の存続を自然に考える。それが命あるものの原理だからだ。しかし他者の原理を曲げようとする存在についてヤシオは真に理解していなかった。

 

 最後の一刺しを食らわせんとアバリスが踏み出す。その足が踏みつけているのは地面ではない。

 己の絶望だ。或いは己の卑劣だ。

 

「お前は何でもない。俺がそう決めた」

 

 その言葉を否定するかのように複数の気配がこちらに近づいてきた。

 

「おーいヤシオ。そろそろ試合の時間だぞー。こっちにいるのか?」

「ヤシオさーん?」

 テスケーノとプリスカの声がした。大会スタッフと思われる複数の足音を伴っている。

 

 アバリスは腹立たしげに小刀を懐にしまった。

 

「時間をかけすぎたか。ワルビアル、雑魚に構うな。本来の仕事に取りかかるぞ。そいつはお前が掘った穴にでも落としとけ。土葬に早すぎもへったくれもねぇ」

 ワルビアルがヤシオと彼のボールを穴に蹴り込んだ。

 そして穴の上に備品の入った段ボールを山盛りに積んで完全に塞いでしまった。

 

「やり手には程遠いな。あばよ、選ばれなかった(・・・・・・・)ヤシオ」

 

 

 

 

 メインスタジアムでは準々決勝最後の試合がまさに始まろうとしていた。

 

【どうしたことでしょう! ヤシオ選手、試合開始時刻を過ぎているにもかかわらずまだ会場に姿を見せません!】

 実況の声が虚しく木霊する。

 既にパンデュールはトレーナーズサークルでその時を待っている。不思議なことに苛立った様子はない。

 

「だからあれだけ言ったのに。あの方向音痴、首に紐つけとけばよかったのよ」

「いや、それはさすがに」

 自分達の試合を終えて観客席に陣取るミントとシンジョウにとって、本日最後の楽しみであるヤシオの試合が彼の不戦敗で終わることは由々しき事態だった。

 

「あぁもう! 私、探してくる!」

「よし、俺も――ちょっと待て。来たみたいだ」

 

 フィールド反対側の入口が開いた。これでやっと試合が始まる。遅れてきた挑戦者にスタジアムが沸いた。

 

 そしてその歓声はすぐにざわつきへと変わった。ジュリオと熱い勝負を繰り広げたヤシオの姿はなく、そこに現れたのはアバリスだった。

 

「遅くなったな。ラフエルリーグは俺達がぶっ壊す」

 

 スタジアムの音響がアバリスの声を会場全体に広げると同時に似た風貌の柄の悪い集団が雪崩れ込んできた。

 

「せっかくのお祭りに華を添えてやろうってな。さあ野郎共、破壊だ! 略奪だ!」

 

 野太い声に音響がハウリングを起こした。

 そしてそれはラフエルリーグが壊れる音だった。



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あらし

後で分かったことだが、私がスシだと思っていたものは実はオニギリだった。


(ホール=ブンポン)


 誰が、どのような判断をした結果なのかを知る者はいない。しかしそこは阿鼻叫喚の地獄だった。

 

 避難誘導に慣れているPGたちがなんとか観客たちを非常口のほうへ誘導していく。バラル団事件で培われた彼らのスキルが混乱する人々を導き、将棋倒しの危機を回避した。そこまではまだいい。

 

 問題は彼らの預かり知らないその後だった。

 会場の外にはライブビューイングに集まった観衆が大勢いた。彼らはこの騒ぎにパニックになり、ある者はその場から離れようと、またある者はスタジアム内に様子を見に行こうとする。

 そこへ野次馬や取材クルーも集まり、スタジアムの外に人の渦ができる形になった。そうなるとせっかく誘導されてきた避難者たちとぶつかって狂乱を巻き起こす。

 

 PGたちもそこにまで対処する余裕はなかった。暴獣たちは待ってはくれないのだ。

 

 炸裂音が爆風を呼ぶ。

 アバリスの攻撃命令とともに『はかいこうせん』の帯がフィールドから観客席に向かって伸びた。その一つ一つからPGと彼らのポケモンたちが『まもる』や『ひかりのかべ』を駆使してなんとか観客たちを守っていた。

 

 しかしそれらが有効なのは対面での勝負の場合だ。今回のように敵から一方的に攻められるのを防ぐというのには限界がある。当然消耗も激しくなる。

 

 それでも戦線を維持できているのはミントやシンジョウ、コウヨウなどといった腕利きのトレーナーたちがPGの助太刀に入っているからだ。

 周囲の味方を巻き込まないよう窮屈な戦いを強いられつつも彼らは目の前の敵を押し返していた。

 

 

 大会委員長特別室ではフリックとその警護担当たちがモニターを見守っていた。

 

「賊の一部は観客席にまで来ているようですね。一般の方の避難が間に合えばよいのですが」

 

 モニターには人々が置いて逃げた荷物を物色する姿が映っていた。

 

「なんと忌々しい。奪うことで足りることはないというのに」

 フリックは眉を寄せたが冷静だった。

 

「観客席側に人員をまわしてください。こうしてはいられない、私が指揮をとります」

 

 もちろんそんなわけにはいかない。

「フリック市長。ここなら安全です。今しばらく辛抱いただき、安全が確認でき次第避難していただきます」

「うむ、みなさんの邪魔になっては元も子もない。分かりました。私のことよりとにかくご来場の皆様の安全を優先してください」

 

 警護担当が感心するくらい、フリックからは怒りや苛立ち、焦燥といったものは感じられなかった。

 

「そういえば」

 口を開いたついでとばかりにフリックが続けた。

 

「カネミツ室長はどちらに? さっきからいらっしゃらないようですが」

「えーっと、連中が現れる数分前にここを出ていったみたいですね。話しかけられないような何か物々しい雰囲気でしたよ」

「一番最初に乗り込んできた暴獣頭領に向かっていったのを見たって無線連絡もあったみたいですが……」

 

 警護担当者たちは顔を見合わせた。そういえばタイミングが良すぎるよな、と小声で話しているのがフリックの耳にも届いていた。

 

「ははは。それだけ彼は持っている(・・・・・)ってことでしょうな。羨ましいかぎりだ」

 笑いながらフリックの指はポケットの中の携帯端末を探っていた。

 

 

 

「ツキミ警部補、後ろきてます!」

「うわっ、マジ!? えっとえっと、ブーバーン、『かえんほうしゃ』!」

 

 ブーバーンが迫る敵のポケモンたちを一掃した。警部補昇進を助けてくれた火力はこの状況でも頼りになった。

 

 ツキミとフランシスカのコンビはシャルムの一件に引き続いてラフエルリーグの大会警備に派遣されていた。

 

「サンキューフラン。あっ、そっちもきてる!」

「ニャオニクス、『サイコキネシス』」

 

 冷静な指示とともに放たれた強力な念力が敵を退けた。PGの上層にはこのようなフランシスカの手腕に期待をかけている者も少なくない。

 ゆっくり時間をかければどんな人間でも最適解を導くことができる。フランシスカはそのための時間を常人より節約できているというのがツキミの見立てだ。

 

「それにしてもさ、バラル団に備えて張ってたのに暴獣って。偉い人たちはこうなることを知ってたのかな」

「いずれにしても超過勤務ですね。次の賞与査定にプラスに働くことを祈りましょう」

 

 本来の業務に戻れたのは果たして喜ばしいことかどうか。ブラックな勤務環境に慣れつつあるツキミとフランシスカには判じ物のようにしか思えなかった。

 そして後輩かつ部下にもかかわらず自分よりも落ち着いているフランシスカに対しツキミはもはや諦めと憧憬のようなものすら感じていたのだ。

 

 その感慨を断ち切るかのように、ツキミの第六感が危機を告げた。

 

「フラン足元! 何かいる!」

 

 歳の功かフランシスカよりも素早く反応したが、それでも間に合わなかった。 

 地面を突き破って、ドリルがニャオニクスとブーバーンを吹き飛ばした。予想外の攻撃をもらってしまった2体はそのまま動くことができない。

 

 2人は戦闘不能となったポケモンたちをすぐさまボールに戻し、新手の登場に備えた。

 

「『つのドリル』。一撃必殺ってのは、分かりやすくていい。単純な破壊こそ至高だ」

 

 ドリルの主、サイドンが姿を現した。もちろんトレーナーを伴っている。

 見た印象は他の有象無象と変わらない暴獣構成員だった。しかし雰囲気が違う。

 

「わざわざ不意打ちとは天下の暴獣も堕ちたものだな」

 言おう言おうと思っていたことを先にフランシスカに言われ、ツキミは間の悪さに下唇を噛んだ。

 

「PGも、むさい連中ばかりじゃないってことか。百聞は、一見に如かずだな」 

 その下卑た目が品定めするように2人を見つめていた。

 

 嫌悪感は言うまでもないが、とはいえブーバーンとニャオニクスをまとめて撃破した相手だ。これまでの敵とは一線を画している。

 

「俺たちは依頼されたことを、やる。やりさえすれば、途中で拾ったもんは全部自分たちの好きにできる」

 

 その口が紡ぐ言葉は不気味に辿々しい。

 そしてここでいう全部、にはツキミとフランシスカも入っている。それを察することのできない2人ではない。

 

 内心ビビっていたツキミだが、優秀な部下が彼女をカバーした。

「生憎だがこの世に悪を為す者の好きにできるものなどない。哀れなものだな」

 

「言うじゃねぇか。サイドン!」

 

 ツキミもフランシスカも次のボールを手に取った。

「フライゴン!」

「リーフィア!」

 

 観客席には逃げ遅れた一般人と彼らをなんとか逃がそうとする同僚たちがいる。彼女たちからみて、荷の重い相手だが援軍を期待するのが厳しい以上なんとか乗りきらねばならない。

 

「『だいちのちから』!」

「『リーフブレード』!」

 

 数ではツキミたちが有利だ。先手から相性のよい技を次々に浴びせるというシンプルな作戦をとった。

 まともに対面してしまえばサイドンの素早さなど知れている。フライゴンとリーフィアの連撃が決まった。

 

「たしかによく鍛えられてる。必死さも感じる。だけどよう、それだけじゃちいとも恐くない」

 

 強がりではなかった。攻撃は通ったものの、思ったようなダメージは入っておらず、サイドンは即座に『ロックブラスト』で反撃してきた。

 

「『りゅうのはどう』!」

「『アイアンテール』!」

 

 フライゴンが『ロックブラスト』を相殺し、リーフィアがサイドンを打ち据えた。

 

「まさか!?」

 

 これも効果は抜群のはずだが、サイドンに怯んだ様子はない。

「しんかのきせきって知ってるか。サイドンは進化の余地を残している。それと引き換えに防御を固めるって寸法だ」

 

 サイドンの元から高い防御力を高めると同時にやや心許ない特防を補うことができる便利な道具だ。

 

「そんな貴重なものをどこで!」

「俺たちには俺たちのつてがある」

 

 フライゴンとリーフィアの2体がかりでも圧されてしまう。さらにサイドンのリーチに入れば『つのドリル』もある。そうなれば中長距離を保つしかない。

 

「『ロックブラスト』」

 

「フラン、くるよ!」

「はい!」

 スピードならフライゴンとリーフィアに分がある。直線的軌道の攻撃ならば回避の指示も出しやすい。2人のコンビネーションなら容易だ。

 

「かかったな」

 その連携が仇となった。

 雑に放たれた『ロックブラスト』はトレーナーとポケモンを分断するための罠だった。

 

 もはやサイドンはフライゴンもリーフィアも歯牙にかけていない。

 

「ポケモンを相手にしなきゃいけない道理は俺たちにはない。『つのドリル』!」

 なんとトレーナーを直接狙う暴挙に出た。

 

 屈強なポケモンでさえ一撃で倒れ伏すような技を人間が食らえばそのダメージは計り知れない。

 サイドンがじりじりと迫る。ツキミもフランシスカもボールを手にしつつ後退せざるをえない。

 

 冷や汗を垂らすフランシスカの脳内に転職の文字がネオンの点滅に照らされた。

「ツキミ警部補、こういうのって公務災害に入るんでしょうか」

「冗談きついよー!」

 

 しかし転職よりも天職の女神が微笑んだ。

 2人にとって幸運なことに本当に冗談になったのだ。

 

「ナットレイ、『パワーウィップ』」

 嫌というほど聞き覚えのある声がした。

 ロープのように太いツタに打たれたサイドンの巨体がぐらりと傾き、そして仰向けに倒れた。

 

 その声の主はナットレイの陰から現れた。

「おや、これは悪いことをしたな。バラル団かと思ったらとんだ小物だったようだ」 

 パンツスタイルの黒いスーツに、似つかわしくない継ぎ接ぎだらけのコートを纏った長身の女性がそこに立っていた。

 

 その姿を見てツキミが目を輝かせた。

「フィール警視! (珍しく本当に来てほしい時に)来てくれたんですね!」

 上司に対する部下のような対応だが、実際フィールはツキミとフランシスカの上司にあたる。

 

 喜ぶツキミに対してフランシスカは嫌な予感に冷や汗を垂らしていた。

「あのフィール警視。ハロルド氏の警護は……?」

 

 今回の彼女の本来の任務は要人警護。つまりこの場に現れたということはあまり喜ばしい事態ではない。

 

 フィールはカラカラと笑った。

「ああ、あの成金ダルマのことなら問題ない。無駄に高そうなジャケットなんか着て、いけ好かない輩とは思ってはいたがこの騒ぎに乗じて私のありがたい脚を触ろうとしてきたからスタジアムの外に放り出してやった」

 

 さながらドラッグストアで台所洗剤が安かったから買ってきたと語る主婦。フランシスカは口角泡を飛ばす。

 

「いや問題しかありませんが! どうしてくれるんですか、書き終わってない警視の始末書がまだたくさんあるんですよ! 代筆はもう勘弁ですって!」

「そこは逆に考えろ、フランシスカ」

「ストレートに考えてください警視!」

 

 このフィール、優秀な人物なのだがとにかく出世欲がない。表彰よりその強引な実績の積み上げによる始末書の枚数が多いのはそのせいである。

 

「数が集まってきたか。仕方がない」

 男はサイドンの背に股がった。サイドンは自慢のドリルを今度は地面に向けた。その巨体が地中に消えるのに数秒もかからない。

 

「おっ逃げたか」

「逃げたか、じゃないですよ!」

 

 フィールは誤魔化すように咳払いした。

「安心しろ。さっき観客席に乗り込んできた奴はちょうど手元に無駄に高そうなジャケットがあったからそれで捕縛してやった」

「それハロルド氏のやつ!」

 

「……とにかく私が来るまでよく堪えた。とりあえずこの辺の連中は粗方片付いたようだな。ツキミ、他に手応えのありそうな奴はいるか?」

 過激なまでの現場主義であるフィールはとにかく好戦的だ。もしもPGではなく暴獣に所属していたらと考えツキミは恐ろしくなった。

 

 ワルビアル使いの一際人相の悪い男が頭をよぎった。何事においても面倒なものには面倒なものをぶつけるに限る。

「あっちに頭領格がいます。本部のデータにあった暴獣頭領のアバリスと思われます」

 

 フィールが分かりやすく喜んだ。

「でかしたフラン。暴獣からは聞き出したいことが山ほどある。この際だ、頭領もフルコースで締め上げて吐かせてやるとするか」

 

 

 

「『じしん』」

 そのアバリスが今まさに周囲のPGを一掃した。

 

(だいぶ数が減ったな。まあ関係のないことだ)

 三下たちには自分の判断で逃げるよう伝えてあった。いたところで大きな戦力にはならないし、自分だけで済む作戦だとすら考えていた。

 

 遠くで炎が巻き上がるのが見えた。シンジョウだ。

(雑魚どもを相手にせず、俺を狙ってくればいいものを。秩序に縛られる奴らが気の毒でならねぇ)

 

 加勢に来たPGたちも返り討ちにし、吼えた。

「歯応えがないぞ。大方モンスターボール級とスーパーボール級下位の寄せ集めってとこか。こんなんじゃ暴れがいがねぇなあ!」

 

 彼の読み通り、役職の高いPGたちは主に来賓や客席の警護についている。人命を最優先にするという運営サイドの意向が反映されているということなのだが、配備が極端だったのかもしれない。

 

 次の獲物を探そうとフィールドに目をやったアバリスは、トレーナーズサークルに棒立ちしているパンデュールに気がついた。

 

 奇妙。

 こういった場面なら逃げるのが普通だし、そうでないならシンジョウらのような使命感をもって自分たちに立ち向かうのがこれまで彼が経験したお約束だった。

 

 にやりと笑った。

「どうした。ビビって動けないか?」

 

 パンデュールはアバリスを見ていない。その視線は彼の向かいの選手入場口に向けられていた。

「僕が今戦いたいのは1人だけだ」

 

 暴力の矛先を向けるにはあまりにも拍子抜けする態度に、アバリスは逆に興味をもった。

 殴れば一発で沈みそうな体格。ポケモンを繰り出しての勝負でも負ける気がしなかった。だからこその余裕が彼を饒舌にした。

 

「対戦相手か。たしかヤシオとかいったか? 残念だがそいつは来ないぞ。なにせ俺が埋めてやったからな。多少抵抗はしたが大したことない奴だった」

 

 アバリスはスタジアム外での一件について語った。何を思ったかパンデュールはそれを黙って聞いていた。

 

「よかったじゃないか。お前の不戦勝だ」

「僕はあいつを捩じ伏せる」

 

 パンデュールは入場口から目をそらさない。

 それをアバリスは蛮勇と結論付けた。

「話の通じねぇ奴だな。お前、この状況が分かっているのか?」

 

 ここで初めてパンデュールがアバリスを見つめた。

「分かっていないのはどっちだ?」

 

 その黒々とした瞳はアバリスを貫通してどこか遠くを見ているかのようだった。

 そしてこの場でのそれは宣戦布告と受け取られた。

 

「はぁ? 度胸に免じて見逃してやってもいいと思ってたのにやっぱり俺とやろうってか。いいぜ、結局予定通りだ」

 

 抑えられていた嗜虐の匂いが漂い始めた。アバリスの横に控えていたワルビアルが前に進み出て、その牙と爪をアピールした。

 

 そこへフィールら3人が救援に駆けつけた。

「貴様、暴獣頭領のアバリスだな! その人に手を出してみろ、臭い飯すら食えない体にしてやる!」

「警視煽らないで……」

 

 ツキミがパンデュールを背中で庇い、フィールとフランシスカがアバリスと対峙する形となった。

 

「お前ら、少しは遊べそうだな」

 

 その瞬間、その場にいた全員の耳朶を爆音が叩いた。

 

「なんだ!?」

 

 スタジアムの上空に複数の飛行物体が現れた。飛行機でもヘリコプターでもない。昨今では珍しくなりつつある飛行船だ。

 

 そしてそれらに護衛されるかのように一際大きい飛行船が人々を見下ろしていた。

 2つのガス袋と4つのプロペラで浮かぶその姿は飛行船というより巨大な建造物がそのまま浮遊しているかのようだ。そしてその側面には特徴的な”B”の文字。

 

「あれは……バラル団の飛行船か!」

 説明されるまでもない。フィールにとっては忌々しさの象徴ともいえる存在だった。

 

 驚きをストレートに表現していたアバリスだったが、何かに気がつき、笑いだした。

「ははははは! なるほどまんまと一杯食わされたというわけか! やっぱりあいつが、いやそれどころか――おいお前ら! 退くぞ!」

 

 暴獣からしても目的を果たすことができていたようだ。それにあれだけの上空に構えられたのでは打つ手はない。

 

 ワルビアルの背中に掴まりアバリスは地中に姿を消した。そしてそれに追従するかのように残っていた暴獣構成員たちもその場から逃亡した。

 

 

「パンデュールさん、逃げたほうがいいですよ。バラル団まで出てきたんじゃ保護にも限界がありますし」

「別にいい。僕はヤシオを待つ」

「いやそんなこと言わずに」

「ここを動くつもりはない」

 

 ツキミとパンデュールが押し問答を繰り広げる。

 

 腕組みしながらそれを眺めていたフィールだったが、パンデュールの腕を掴んで引っ張ろうとする部下を止めた。

「ツキミ、その手合いに余計な体力を使うな。よし、パンデュールといったな。今この瞬間から特・特・特別にPG見習いに任ずる。リーグに出るくらいだし自分の身だけなら守れるだろう。ここにいて構わないが、自分の言葉には責任を持て」

「分かった」

 

「始末書チキンレースやめてください! パンデュールさんも、ひとつしかない命を大切にして!」

 

 ヒトは自らを突き動かすものについて考えずにはいられない生物だとフィールは思っていた。

 自分であれば悪を排除する不屈の精神。ツキミには悪を憎む心。フランシスカには秩序を保とうとする想いがあるというのが彼女の見立てだ。

 

 ではパンデュールは?

 考えがまとまらないうちに飛行船に動きがあった。

 

「フィール警視、何かきます!」

 ゴンドラから青い鳥ポケモンが大きく羽ばたきながら舞い降りてきた。その翼をはためかせるたび、ひんやりとした冷気が降り注いでくる。

 ツキミもフランシスカもその姿を直接目にするのは今日が初めてだった。

 

「フラン、あのポケモンって」

「はい。小さい頃デコキャラシールで出たことがあります」

「今その情報いるかな!?」

 

「フリーザーか。イズロードめ、ノコノコ出てきたな」

 フィールの推察通り、目を凝らして見るとフリーザーの脚に掴まれて誰かが地上を見下ろしている。

「お集まりいただき恐縮だ。ポケモンリーグなどよりも心踊る催しをご覧にいれよう」

 

 特殊な音声機器を仕込んでいるのか、その声は遥か下へと響く。そしてその声にも聞き覚えがあった。

 

「私はイズロード。バラル団の幹部を代表してご挨拶申し上げる。PG諸君、その節は世話になった」

 

 地上から顔は見えないが、その表情には察しがつく。

 今度は飛行船の底面が開き、さらに何かが飛び出してくる。

 

「さて、ご覧いただく演目は豊穣の神による人間への戒めだ。これは天の配剤ともいえるだろう」

 

 『何か』が地上でも視認できるほどになった。

 

 地震雷火事親父という言葉がある。

 恐ろしいものを七五調で列挙したものだが、ここでいう親父は大山風(おおやまじ)が転じた説と文字通り頑固親父をユーモアを交えて並べたという説がある。

 

 どちらの説が正しいかはどうでもいい。問題は大山風を司る親父然としたポケモンが存在することだ。

 さらに都合がいいことに、ご丁寧に地震や雷を担当する親父もいる。

 

「あれは、また伝説のポケモン!?」

「フリーザーだけでも相当なのにこれは……」

 

 慌てる部下たちを尻目にフィールが無線機を手にした。そして腹式呼吸で全PGにむけてがなりたてる。

 

「聞こえるか。バラル団は戦力としてボルトロス・トルネロス・ランドロスを加えている! しかし怯むな! イズロード含め逮捕の好機だ! フィール班4人、連中の無力化を目的とし行動開始する!」

「ナチュラルにパンデュールさんを数にいれないで!」



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凍てつく熱気、燃える凍気

『年賀状をクリスマス前に書いたのに普通の葉書で出してしまった』


(コフ=マカッツァ)


 暴風雨がスタジアムを覆うなか、ボルトロスの『かみなり』が地上を襲った。

 

「来るぞ!『つららばり』!」

「『ラスターカノン』!」

「『タネばくだん』!」

 

 オトギリのツンベアー、ジュリオのドータクンに加えてテスケーノのキノガッサがなんとか攻撃を凌いだ。

 

「嫌な雨だ」

 

 降り注ぐ雨は雷を導く羅針盤となる。このフィールドで放たれる『かみなり』は必中で敵を捉えるのだ。

 

 オトギリは袖で額の汗を乱暴に拭った。

「さすがに伝説のポケモンは手強いな。三人がかりでも軌道を逸らすのがギリギリってとこか。二人とも、恩に着る」

 

 ジュリオはカラカラと笑い、テスケーノは膝が笑っていた。

「お互い様さ。それよりもこの暴れ雷をどうするかだ」

「そそそその通り。こういう場に暴力を持ち込むのは許せないしな」

 

 バラル団を見て真っ先に突っ込んでいったオトギリだったが、さすがにイッシュの神話に語られるボルトロスを相手取るのは苦しかった。

 そこへヤシオ戦の反省会を通して意気投合したジュリオとテスケーノが助けに入る形となったのだ。

 

 決勝トーナメント出場トレーナーたちと肩を並べて戦っていることに感激の涙が溢れそうになったが、テスケーノは年長者らしく胸を張った。

 

「ここはキャリアの長い俺が突破口をひらいてやる。キノガッサ、もっかい『タネばくだん』だ!」

 命中したがボルトロスは怯みすらしなかった。

「現実見せるのやめろよな!」

 

 

 周囲を見渡すとトルネロスとランドロスの他に飛行船から降下してきたバラル団のしたっぱたちがPGと交戦している。

 

 本来であれば難なく撃退できるはずなのだが、彼らは暴獣の攻撃から民間人を守るためかなり消耗してしまっている。伝説のポケモンにまで構っている余裕がないのだ。

 

 空気そのものが凍る音がした。

 ポケモンの技『ぜったいれいど』の恐ろしさについてはもはや語るまでもない。

 いわゆる一撃必殺として知られる技で、冷気によってエントロピーとエンタルピーを最低値に調整し絶対温度の下限を擬似的に再現するというものだ。

 範囲が限られるため狙って当てるのは難しいが、対象が密集した場所でならその限りではない。

 

 特にこの通路なら。

 

「他愛もない」

 大会委員長特別室前のフリックの護衛とそのポケモンたちが折り重なるようにして倒れた。

 彼らは突然乗り込んできたイズロードに対して勇敢に立ち向かったが、それすら敵の思惑通りだった。

 

 自分に向かって倒れかかってきた護衛を突き飛ばし、イズロードは扉を蹴破った。

 

「失礼する」

 部屋の中央でフリックは動じるでもなくかといって抵抗するでもなく賊を見つめていた。

 

「こちらの自己紹介は不要だろう。さて、フリック市長。我々のボスが貴方との会談を求めている。これからのラフエルの話を御所望だそうだ。付き合ってはもらえないだろうか」

 

「断るといったら?」

 

 イズロードは大げさに肩をすくめた。

「手荒な真似は私の好むところではないが、人体の氷像をご覧にいれようか。今なら製作サイドにフリーザーもいるのでな」

 外に倒れている者たちに目をやる。

 

 命は何事にも代えがたいというのがフリックの持論だった。彼は彼を守ろうとした者たちを逆に守ることでその地位を築いてきた。

「分かった。抵抗はしない。連れていきなさい」

「そうこなくては」

 

 投降の意思を示し、フリックはイズロードに促され部屋を出た。

 

 

 

 裏手の非常口からスタジアム外に出たフリックとイズロードに待ったをかける者があった。

「そう易々とはいかんぞ!」

 

 カネミツだ。その右手にはいつでも相棒を呼び出せるようボールが握られている。

 

「フリック市長。申し訳ないがあと少し堪えてください。ここは私がなんとかします」

 

 存在を忘れかけていた最後の砦の登場にフリックの表情も和らいだ。

「カネミツ室長。警備の方も護衛の方も皆やられています。周囲にこの男のポケモンが潜んでいるようです。気をつけてください」

 

 言うまでもないが裏口の警備にあたっていた者たちもフリックの護衛と同様にイズロードがこの裏口から侵入する際に軽く捻られており、今もカネミツとイズロードたちの間に倒れている。

 

「これはこれは室長殿。PG以外にも我々の熱烈なファンがいるとは聞いていたがこんなところで会えるとは」

 

「暴獣を利用して警備の混乱と消耗を誘うとはよく考えたものだ。しかしそれももう終わりだ。お前もそろそろネイヴュに帰りたいだろう? 私が送ってやる」

 

「面白い。やってみろ」

 

 マニューラがカネミツの目前に現れ、その鋭い爪を突き立てんとする。

 それを良しとするカネミツではない。即座にノクタスを繰り出し『ニードルガード』で防御した。

 

「不意討ちか。悪党らしい手だな」

「それがこちらのやり方なのでね」

 

 イズロードにはボールを手に取る動作がなかった。つまりフリーザーを含む彼のポケモンたちはボールを介して彼と繋がっていないということになる。

 ポケモンを悪事に利用するイズロードがなぜそのように信頼されているのかカネミツには理解ができなかった。

 

 ノクタスの『ニードルアーム』をマニューラは後方への宙返りで回避する。そして返しの爪の一振りでノクタスを弾き飛ばした。

 

 この間イズロードは一切発声していない。

 

「ぺガスの遊園地でお前と交戦した少年の記録があった。直接の指示以外にもポケモンとスムーズに意思を共有する手段を持っている、と」

「研究熱心なことだ」

 

「だが悪党との読み合いならこちらに分がある。ノクタス!」

 

 いくらカネミツに鍛えられているとはいえノクタスとマニューラでスピードを競えばどうしてもマニューラのほうが速い。

 足運びにも無駄がない。マニューラにとってノクタスは止まっている的に等しい。

 

「『ニードルガード』!」

 『れいとうパンチ』がノクタスを打ち抜く直前、ノクタスは再び『ニードルガード』の展開を試みたが技を発動することができなかった。

 

 『ちょうはつ』。相手に補助技を出せなくする技だ。これによりノクタスは防御の術を欠いたまま戦わなければならなくなる。

 

「堅実な戦いもできるというわけか」

「敵のやりたいことを封じるのは定石だろう?」

 

 連続で攻撃を受けたことでダメージが蓄積し、ノクタスの重心が安定しなくなってきた。好機とみたマニューラがさらに『れいとうパンチ』を見舞う。

 

「今だ。『ふいうち』!」

 予想外の攻撃にマニューラも対応が遅れた。殴り付けられ、尻餅をついた。

 

 イズロードが嗤う。

「思わぬところに悪党がいたな。だがそう何度も使える手でもあるまい」

「なんとでも言え。これが悪タイプの戦い方だ」

 

 体勢を立て直し、マニューラが再びノクタスに迫る。先ほどの場面の再現に思えたが――――

 

「ノクタス、『きあいパンチ』!」

 ノクタスが集中力を高める。一方のマニューラは攻撃と見せかけて『かげぶんしん』を使った。

 

 高まった集中力が拳に収束し、ノクタスは超威力のパンチを繰り出した。これは効いた。

「なっ!?」

 

 効果は抜群だ。さすがにマニューラの戦闘継続は困難だろう。

 

「『ふいうち』を嫌うことくらい読める。『きあいパンチ』は攻撃を食らうと失敗する技だ。どうする? まだ続けるか?」

「そうか。ならプランBだ」

 

 フリーザーが一声鳴くと、倒れた警備員たちの真上に巨大な氷塊が生成された。

 

「何だと!?」

 

 カネミツは自身の吐く息が白くなっていることに気がついた。

 マニューラの放つ氷タイプの技によって周囲が冷えていたのだろうと考えていたが実際はそうではなかった。

 

「マニューラしか姿が見えないとは思っていたが、そうか。他のポケモンたちがじわじわとこの場を冷やしていたんだな」

「その通りだ。だが気がつくのが遅かったな。ではさらばだ」

 

 フリーザーはフリックとイズロードを掴み、そのまま飛行船へ飛び去っていった。

「待て!」

 

 創造主を失った氷塊は重力に従うほかない。

 カネミツは追跡を諦め、対処にあたった。

 

「サザンドラ『だいもんじ』! ドンカラスは『ねっぷう』!」

 

 晩酌のロックアイスとは比べ物にならないほど質の高い不純物の少ない氷だ。炎タイプの技を浴びせてもなかなか溶けない。それでもそこで防ぎきらなければ人命に関わる。

「ゾロアーク、『かえんほうしゃ』」

 いずれもタイプ一致ではない。それでもこの場では有効であることに代わりはない。

 

 3体の投入をもって氷塊がようやく溶けていく。

 最後の一欠片まで溶けきったのを確認して、カネミツは空を見上げた。フリーザーはとうに豆粒ほどの大きさになっている。

 

「読まれていたのはこちらだったか……」

 

 サザンドラもドンカラスも、そしてゾロアークも継続して技を出し続けていたこともあり、一時的なスタミナ切れを起こしてしまっている。

 

 炎技を扱える手持ち3体を費やしてなんとか氷塊を溶かしきったが、それは同時に空を飛んでフリーザーを追うことができるポケモンたちを地上に留まらせ逃げる時間を献上することを意味していた。

 

 無線を会場スピーカーに接続し、スタジアム全体の音響を使って訴えかける。彼にはそれしかなかった。

「こちらカネミツ! フリック市長がイズロードに拐われた! フリーザーで空に逃げるつもりだ! 誰か動ける者はいないか! 誰か!」

 

 

 スタジアムでカネミツの声を聞いた者たちはそれぞれが思う行動をとった。

 

「フシギバナ、『つるのムチ』!」

「ピジョット、『ぼうふう』!」

 

 コウヨウとミントの猛攻がランドロスとトルネロスを押し戻した。

 

「シンジョウくん、ここは私たちに任せてフリーザーを追って!」

「トルネロスごとき次期チャンピオンの私だけで十分。とっとと市長を取り返してきなさい」

 

 伝えたい内容は同じなのにこうも受ける印象が違うものか。シンジョウは何か言おうとして、やめた。

 

「分かった。二人ともくれぐれも無理はしないでくれ」

 

 リザードンに飛び乗りフリーザーを追う。

 人間二人を抱えて飛んでいることにくわえて、リザードンも飛行能力にかけては相当の自信がある。ぐんぐんと距離を詰めてついに近くまで迫った。

 

「イズロード、待て!」

 

 返事よりも先に『れいとうビーム』が飛んできた。フリーザーの背に乗ったオニゴーリの仕業だ。

 

 新たな挑戦者をイズロードはどこか面白がっているように見えた。

「つくづく人気者だな。ただ今はタクシー役に徹せねばならんのでな。ここらでお帰りいただこうか」

 

 フリーザーは振り向くことなく強烈な冷気を尾羽から放った。技というほどではないが生身のシンジョウには相当堪えた。

 

「くっ!」

 手足の関節が凝り固まり、リザードンの背中から振り落とされてしまった。

 

 主人(おや)を助けようとしたリザードンだが『れいとうビーム』の軌道に邪魔をされてしまう。

 

 リザードンの助けが間に合わない以上、別の手持ちを繰り出して地上に技を放つことで着地の衝撃を和らげるという方法がシンジョウの脳裏をよぎった。

 しかしそれは無理な相談だった。この暴風雨は炎技のクッションをかき消してしまう。

 

「そのまま落ちろ。跳ねっ返りが」

 

 しかし道理に背かない者が見捨てられることはない。

 シンジョウの自由落下は何かに受け止められることで終わった。

 

「おー間に合った!」

 その声には聞き覚えがあった。赤いサンバイザーにも見覚えがあった。

 

「アルナ!」

 アルナがニッと笑った。

 

「今度はあたしが助ける番ってね。あっ、リザードン! こっちこっちー!」

「すまないな」

「いいんだよ! ジム戦を観戦した仲でしょ!」

 

 もちろん空中に突然アルナが現れたわけではない。

 

「すごいでしょ。この子、私がプレゼントした化石から復元したプテラ。ホヅミさんの知り合いでそういうのをやってる人がいてね」

「ホヅミさん?」

「あー、紹介はあとで」

 

 前回アルナの手持ちにはいなかったポケモンだ。ここに至るまでには語るべきことが大いにあったことが予想される。色々と聞いてみたいことはあったがそれはこの状況を打開してからだ。シンジョウはそう脳内を切り替え、迎えにきたリザードンに再び飛び移った。

 

「よーし、プテラとの実戦だ!」

「悪いが別に頼みたいことがあるんだ」

 

 張り切るアルナだったが一瞬で肩を落とした。

 

「そうだよね。あたしが行っても戦力にはなれないよね……」

「そういう意味じゃない。アルナにしかできないことなんだ」

 

 シンジョウはアルナに非常にシンプルな注文をした。何を言われるか身構えていたアルナだったが、逆に拍子抜けした様子で地上へ降りていく。

 

「任せて! そうだ、助っ人も来てるからこっちは大丈夫だよ!」

 ドップラー効果とともに声が離れていく。

 またしてもクエスチョンが沸き上がったがそれはそれ。シンジョウはもう一度イズロードを追った。

 

「しつこいぞ――――だがいいことを教えてやろう。君にも熱烈なファンがいるようだ。ここはそちらに譲ろう」

 フリーザーは飛行船の収容口から中へ飛び込んでいった。

 

 リザードンもそこから中へ侵入しようと試みたが、『りゅうせいぐん』に阻まれた。

 

「御挨拶だな」

「あら。ジム戦を観戦した仲でしょうに」

 

 サザンドラに乗ったハリアー(破滅の令嬢)がにんまりと笑みを浮かべた。

 

 

 

 パンデュールにとって暴獣もフリックも豊穣の神もどうでもいいことだった。つい今しがたプテラに乗って降りてきた少女も大した問題ではなかった。

 

「よーし! みんな出ておいで!」

 アルナが6つのボールを放り投げると彼女の手持ちが勢揃いする。

 

「じゃあいくよ。最大パワーで『すなあらし』! あっ、マラカッチは『おさきにどうぞ』ね」

 

 パンデュールには彼女が砂のエキスパートであることなど知る由もない。

 突如巻き起こった砂嵐がスタジアム規模で暴風雨を吹き飛ばしたことも、飛び交う砂が若干不快に感じたくらいで気にならなかった。

 

 しかし砂嵐と暴風雨が晴れたあと反対側の入場口から駆け込んできた者には目を剥いた。

 

 そこにはパンデュールが待ち続けた男がいた。

「あれ? オレもう不戦敗け? やーこれはいかんね。いちちち……くっそあのハゲ茶瓶……」

赤帽子(ヤシオ)!」

 

 恐縮していそうでそうでもなさそうに男は頭をかいた。

 泥だらけなうえに包帯と絆創膏でやや分かりにくいが紛れもなくそこに立っているのはヤシオだった。

 

「待たしちまって悪いんね。パンデュールくん。いや、バラル団幹部のクロックくん(・・・・・・・・・・・)

 



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ラフエルリーグ準々決勝最終試合 ヤシオ対クロック

『君が得意なことで勝負しよう。そうすれば絶対に勝てる』


(ジェフ=クベンカ)


 パンデュールは顔に薄く張っていたマスクを剥がし、丁寧に畳んでケースにしまった。

 

 そしてそこに立っていたのはもはやパンデュールではなかった。

 

「よう、久しぶり」

 予想通りと言わんばかりにヤシオが笑った。そしてまるで仲の良い友人にするようにひらひらと手を振った。

 

「ちょっと君を勘違いしていたみたいだ。思ったよりよく見ているんだね」

 クロックは大仰なジェスチャーでヤシオへの賛辞を露にした。

 

「それにしてもよく分かったね。どこで気がついた?」

「試合を見た時。そりゃ分かるって。あんた、変装はしてっけどパンデュールというまっさらのトレーナーを演じる気がなかったべ? ガワだけ誤魔化してそれだけって感じ」 

 

 ヤシオにとってはたいした問題ではなかった。猜疑もペテンも彼の世界にはさほど必要のないものだったから。

 

「ならPGにでも通報すればよかった」

 

 反射的に何かを言おうとして、ヤシオの唇は動いて、別の言葉を紡いだ。それは彼が口にしてはいけないことだった。

 

「怪しい動きをしたらすぐにでもそうしたろうね。でもパンデュールはただのリーグ挑戦者でオレの対戦相手だ。リベンジの機会は逃したくないしな」

 

 クロックはリーグに挑戦に来たトレーナーという役を演じている。ヤシオも同じだ。

 そしてそれはあてがわれた役ではない。だからこそ裏切ることはできないのだ。

 

 何処かで何かが弾けるような音がした。

 ヤシオはリーグ会場のあちこちで戦っているバラル団とPGたちに目をやる。

 

「部下を手伝わなくていいんか? いや、オレが言うのも変な話だけど」

 

 その瞳は真っ直ぐにヤシオを見据える。

「いい。僕の目的は君だ。他の団員にも手を出さないように言ってあるから安心してほしい」

 

「いやオレそういう趣味はねぇんで」

 

 気まずい沈黙が流れた。

「ここに来たということはやることはひとつだろう?」

「そうだいね」

 

 互いの視線が交差した。

 人間をコンピューターで例えるなら目はマウスでありキーボードだ。自身を構築するものに直接働きかける。

 

 お互いの肩書きも演じる役も今は関係ない。クロックもヤシオもボールを手に取った。 

 

「オレは勝つ。そのために来た」

「奇遇だね。僕も君を全力で叩き潰すために来たんだ」 

 

 正面の相手を全力で倒すべき存在と認めた者同士の滾りが周囲にまで作用する。身体中の血がピリピリと泡立つような感覚にヤシオもクロックも高揚した。

 

 しかし見ている側はたまったものではない。物陰から眺めていたバラル団たちは思わず姿勢を正した。 

 

 2つのモンスターボールが投じられた。

 

「いけ――ジャローダ!」

「アーボック、いってみんべ!」

 

 

 

 ホヅミが暴獣によるリーグ急襲の一報を受けたのはアルナと合流してすぐのことだった。すぐにでも会場に向かおうとしたが残念ながら彼女には高速で移動する手段がなかった。

 

 唇を噛み締めていたところ、思わぬ助け船がアルナからもたらされた。彼女は峡谷で発掘した『ひみつのコハク』を持っていたのだ。プテラの力を借りるためガラルで化石の復元に関する研究を行っている知り合いに連絡をとったというわけだ。

 

 生まれたてのプテラによるしばしのフライトの後、会場の外でヤシオを探しているプリスカに遭遇したのも幸運だった。

 

 地中にいたとしてもアルナのポケモンたちなら容易にヤシオを発見することができた。簡単な治療を施し、壊れたボール開閉スイッチを直してやるところまでできたのだ。

 

 運にも助けられて珍しくキレのある動きを見せたホヅミだが、今は頭を抱えていた。

 

(やられた!)

 イズロードの手際が良すぎたのだ。会場内でも警備が薄い場所をピンポイントで狙い、そしてまんまとフリックを誘拐せしめた。

 カネミツから断片的に得た情報も頭痛の種となった。

 

 アルナによってリーグ会場を覆っていた暴風雨は払われた。これで豊穣を司るポケモンたちともなんとか戦えるだろう。PGの援軍も向かっていると報告があった。そうなれば会場内のバラル団も片付く。

 

 しかしそれだけでは根本的な解決にならない。敵の飛行船に乗り込んでフリックを救出する必要があるうえに、存在が確認されているバラル団幹部を可能な限り撃退・捕縛しなくてはならないのだ。

 

 つまり敵は逃げを打つだけで勝ち。こちらはそれを阻みつつVIPを取り返さなくてはならない。状況は依然不利に違いなかった。

 フリックの救出はリザードンに乗って飛んでいったトレーナーとPGの空挺部隊に頼るほかない。

 

 だからこそホヅミの願いは今まさにクロックと戦おうとするヤシオにあった。

 

「相手は幹部。勝てるの……?」

 

「勝つよ!」

 アルナだ。会場全体に吹き荒らした『すなあらし』を終えて肩で息をするポケモンたちを連れてホヅミのところに引き返してきた。 

 

 口の横に両手をあて、力いっぱい叫んだ。

「ヤシオーっ! リーグで優勝するんでしょ? 絶対に勝ってー!」

 

 その声は戦闘に脳が切り替わったヤシオに届かない。

 

 

 

「『リーフストーム』!」

「『ダストシュート』!」

 

 いきなり大技の撃ち合いとなった。尖った葉と毒の塊が互いに相殺し合う。

 

 クロックは何が面白いのか笑っていた。

「前に見た時よりも技が磨かれているようだね」

 

「そいつはありがサンキューだ。モッさんとの試合でもよく頑張ってくれたし――」

「『リーフストーム』だ」

「こんにゃろ人がいい気になっているのに、『ダストシュート』!」

 

 相性でいえばアーボックに分があるが、『リーフストーム』の威力が上がっており今回は圧されてしまった。

 

「『あまのじゃく』け。そんならフストムは撃ち得ってわけだ」

「フストム?」

 

  元よりスピードでアーボックを上回るうえに、今のジャローダは特攻が4段階上昇した状態ということになる。もはや相性の不利など問題にならないだろう。

 

「そんなら。『ほのおのキバ』!」

 普段はあまり使わないが、アバリスがワルビアルに指示するのを見てこの技のイメージは掴めていた。

 

 燃える牙がジャローダの胴を狙ったが、そうやすやすと捕まる相手ではない。ひょいと飛び上がり決死の一撃を難なくかわしてしまった。 

 

「ジャローダ『へびにらみ』!」

 

 アーボックもジャローダも視線だけで相手を麻痺させてしまうこの技を持ち合わせているのだが、先にカードを切ったのはクロックだった。

 

 目が外界との窓口なのはポケモンも同じだ。そこを支配されてしまえば生物など脆い。

 かわす余裕はなかった。アーボックの体が麻痺し強張ってしまった。

 

「かぁーっ。そうきたか」

 悔しがると同時にヤシオはどこか嬉しそうだった。

 

「交代したらどうかな。そっちにはハッサムもいるだろうに」

「オレもそのジャローダと同じくあまのじゃくなんでね。言われたら逆のことがしたくなんのよ」

 

 鼻息荒く強がるが、タイプ相性を加味してもクロックの言うとおりではあった。

 

「それならいいさ。ジャローダ、『みがわり』」

 

 ジャローダは体力を削って分身を作り出した。こうなると麻痺も相まって本体に攻撃を通すのは難しくなる。

 

「代理を立てるなら専用番号にコールして担当者を引っ張り出すまでだべ。なぁアーボック?」

 再び『ダストシュート』を放とうとするアーボックだが技が途中で止まってしまった。

 

 麻痺、ではなく体力の消耗によるものだった。

 一方のジャローダは『みがわり』で体力を削ったはずなのにあまりそれを感じさせない。

 

「どったの、急にバテちまって……いや違ぇ。『やどりぎのタネ』か!」

 

 アーボックの胸の模様に重なるようにやどりぎが展開していた。これではトレーナーが気がつくのが遅れるのも無理はない。

 

「君にしては気がつくのが遅かったね。僕たちは最初の撃ち合いから『タネ』を仕込んでいたんだよ」

 『リーフストーム』のごり押しが主戦と見せかけたクロックの巧さ。

 

 ヤシオは乱暴に頭をかいた。

「始末が悪いべ……」

 

 

「なんというか疲れる戦い」

 ホヅミはあくまで犯罪者の確保のためにポケモンを鍛えている。公式戦については一般的な知識がある程度だった。

 

「特性を利用して技の威力を上げる作戦と見せかけてスリップダメージを稼ぎながら体力を回復する作戦だったんだね。『へびにらみ』もアーボックに対抗するためではなく効果のカモフラージュのため。実況も審判もいないからこそとれる認知のズレを利用したってこと」

 指をピンと立ててアルナが語った。

 

「アルナさん詳しいのね」

「まあこないだはあたしが解説してもらう側だったし」

 

 ヤシオは交代をしない。あくまでもアーボックでジャローダを相手取るつもりのようだ。

 痺れて動きが鈍くなったアーボックの体力がじわじわと削られていく。

 

「痺れてるとこすまん! アーボック、『ほのおのキバ』!」

 苦し紛れの攻撃だが『みがわり』を破壊するには十分だった。分身は掻き消え、やっと本体に攻撃が通る状態にもってこれたが麻痺かつ体力が削られ続けるアーボックに対してジャローダはほぼ全快にまできていた。

 

 クロックは一瞬で思考を巡らせる。

(『みがわり』でもいいがあまり長引かせてハッサムやトゲキッスが出てきてもつまらない)

 

「ガーり突っ込め!」

 

 指示に愚直に従い、アーボックが突っ込んでくる。平常時の半分のスピードしか出ていないが毒タイプの技が驚異なのは間違いない。

 

 直線的に向かってくるのであれば狙うのは容易だ。

「自棄になったか。『リーフストーム』」

 

 しかし技が出ない。

 

(まさかジャローダも麻痺、いやそれはない。連発していないから『いちゃもん』でもない)

 

「『ダストシュート』!」

 

(そうか、これは)

 クロックの第六感が悲鳴をあげた。

 

「ジャローダ、『みがわり』で立て直すんだ!」

 しかし距離が詰まっていた分、『みがわり』の生成が間に合わなかった。渾身の『ダストシュート』が決まった。効果は抜群だ。

 

「ジャローダ!」

 どさり、とジャローダが崩れ落ちた。誰の目にも戦闘の継続は不可能だった。

 

 クロックはジャローダをボールに戻した。そしてそのボールに語りかける。

「ごめん。一番手を買って出てくれたのに」

 

 アーボックを、そしてヤシオを順番に見つめた。

 

「まさか『かなしばり』を仕込んでいたとはね」

「そういうこと。アーボック、ナイスファイトな。休憩してくれ」

 

 アーボックはボールに戻っていく。

 

「多分タイミングは2回目の『リーフストーム』の時かな。『やどりぎのタネ』を受けたけど、アーボックは『かなしばり』で『リーフストーム』を使えなくしていたということか」 

 

 ヤシオは小さく頷いた。

「相性にあぐらかいてちゃあ無理な相手だってのは分かってっからね。ちーっとコスい気もすっけど峡谷でもずいぶん手酷くやられてっからこれでトントンだべ」

 

 一瞬目を丸くしたクロックだが、くつくつと笑みを漏らした。

 

「そうか。じゃあもっと楽しませてもらおうかな」

「そうこなくっちゃ!」

 

 またそれぞれボールを手に取った。

 

「チャーレム!」

「いぐべ! バシャーモ!」

 

 蛇対決から格闘対決となり、第2ラウンドのゴングが鳴った。

 

「『フレアドライブ』!」

 

 先手を譲る道理はない。

 バシャーモの体が高熱に包まれ、一気に燃え上がる。トオルのブースターには及ばないが着火の瞬発力は相当のものだった。

 

 地面を蹴ってチャーレムに迫るまでわずか一拍。技が決まったかに見えた。

 

「これもいい技だね。当たっていたらチャーレムでも危なかった」

 チャーレムは寸前で信じられないような柔軟さで仰け反り、攻撃を回避した。

「えっそれ避けちゃだめだがね」

 

 バシャーモは慌てて飛び退くほかない。

 

「そこだ、『バレットパンチ』!」

 

 今度はチャーレムが動いた。残心を超える速さと精度で一撃を見舞ったのだ。

 

「受け止めろ!」

 ブロックしようとしたバシャーモだが、そのまま地面に叩きつけられた。

 

「チャーレム深追いはするな!」

 クロックはこれを好機とみなさない。

 

 腕の炎を地面に噴射することでバシャーモは崩れた体勢を立て直した。

「『ブレイブバード』!」

 

 スピードは互角。今度はバシャーモがチャーレムを弾き飛ばした。

 

「前の試合では出していたのに。峡谷では戦わなかったポケモンだ。あの時は温存していたのかな?」

「出す前にオレはドンブラザーズしちまったんだよ!」

 

 納得したかどうか。

「『とびひざげり』!」

「シンプルに殴りに来たか。『フレアドライブ』!」

 

 互いに全力をかけてぶつかり合った。威力は互角、もしくはバシャーモに分があった。

 

「えっ!?」

 大ダメージを受け、バシャーモはフィールド反対側の壁に叩きつけられた。

 

 

 ホヅミは拳を握り締める。

「全然歯が立たないじゃない。あのバシャーモ、相当鍛えられてるのに」

「チャーレムは第六感がとても発達してるから、オーラを察知して攻撃を読めるんだ」

 

 ただぶつかっているように見えて、実は敵の攻撃の威力を逃がすことができる角度から膝をいれている。だから打ち負けることがない。

 バシャーモ決死の反撃もチャーレムはその全てをひょいひょいとかわしていく。

 

「じゃああんなにパワーが出るのは?」

 ホヅミはプライドを捨て、教えてアルナ先生モードを展開した。

 

「チャーレムの『ヨガパワー』は物理攻撃の威力を倍にする特性。相手の攻撃を先読みでかわしつつどえらい高威力の技を刺していけば自然と勝てちゃうってわけ」

 

 ホヅミは目を覆った。

「そんなの無理じゃない。攻撃が当たらないうえに大ダメージを受けちゃうなら打つ手なしでしょ!?」

 

 ダメージを受けてふらつくバシャーモをクロックはもう驚異と捉えていなかった。

「前の試合では大活躍だっただけに実に惜しいね。僕のチャーレムは特別なことはしない。ただ、元々できることを極限まで磨いた」

 

 チャーレムが尻餅をついたバシャーモの額を指で押さえた。体格では勝っているはずなのに立ち上がることができない。

 

「重心をとられればそんなもんだよ。チャーレム『サイコカッター』」

「っ! バシャーモ戻れ!」

 

 ジャローダを倒したことで勢いに乗れるかと思ったがそうはいかなかった。 

 ヤシオのアドバンテージは崩れ、焦りが見え始める。

 

「マッギョ! いぐべ!」

 戦いは続く。続いてマッギョを繰り出した。

 

「『ほうでん』!」

 ここは攻めるしかない。

 

 アルナはうんうんと頷いた。

「これはいい判断だね。平べったいマッギョなら攻撃をもらいにくいし、遠距離からバチバチできるよ。なんせ、コスモスのサザンドラとも渡り合ったんだから」

「なんだか海外のラジオを聴いてる気分ね」

 

「『あくび』!」

「『サイコカッター』」

 搦め手すら捌く。ヤシオはため息を漏らした。

 

「『あくび』ってなんかのんきな技ね」

「あっそれにはちょっと同意かも」

 ギャラリーがのんきなやりとりをしている間にもクロックとチャーレムは敵の先を読む。

 

「マッギョから離れるんだ!」

「逃がすかよ。『ねっとう』!」

 

 水流を逆方向に放つことで得難い推進力を生む。ぐんぐんと距離を詰めて本来埋められない速さの壁を超える。

 

「『バレットパンチ』!」

 追いつかれるのは計算のうちだった。振り向き様の拳がマッギョを狙う。

 

「『どろばくだん』!」

 泥の塊で即席のクッションを用意した。

 

「甘いなぁ」

 チャーレムのヨガパワーが『どろばくだん』ごとマッギョを打ち抜いた。泥が弾け飛ぶ。

 

「馬鹿力すぎんだろ!? 嘘べ!?」

「ならもっと見せようか。『とびひざげり』!」

「真下に『ねっとう』!」

 

 今度はマッギョが完全に攻撃をかわした。

 勢いあまってチャーレムは地面に激突し、膝を押さえて苦しんでいる。

 

「うまい! 『とびひざげり』は外したら自分が大ダメージを受ける。チャンスだよ」

 

 アルナの声は聞こえていないはずだが、ヤシオも当然同じことを考えていた。

 

「今だ! 『ほうでん』!」

 

 電気を体一杯に溜め、マッギョのフルパワーがチャーレムを倒さんと収束していく。

 

「撃て!」

 

 ヤシオも、アルナたちも勝利を確信した。

 ところがそうでない者もいた。クロックがほくそ笑む。

 

「『とびひざげり』!」

 無事なほうの脚で地面を蹴ったチャーレムがそのまま膝を叩き込んだ。

 

 強力な一撃はマッギョの体力を天蓋へと運び去った。もう跳ねる力すら残っていない。

 

「マッギョをワンパン。いやこの場合ワンキックか。今のは逆の膝で打ったんだべ?」

「そう。僕のチャーレムは両脚で『とびひざげり』を出せる。もちろん同じパワーでね」

 人間と同じようにポケモンにも利き手・利き脚がある。つまりこれはとんでもないことなのだ。

 

「峡谷でやんなかったことすんなよなぁ」

 ぼやきながらもヤシオはマッギョを優しく撫で、ボールに戻した。

「仇はとってやるから。ゆっくり休んでくれな」

 

 これで互いに1体ずつ倒した形になる。

 

「チャーレム。いったん休もうか」

 クロックは続投を避け、次のポケモンを繰り出すようだ。

 

「えぇ。チャーレム対策考えてたのに」

「そうはいかないよ」

 

 観念してヤシオも次のボールを手に取った。

 

「トゲキッス! いってみんべ!」

「ムクホーク」

 

 飛行タイプのマッチアップになった。

 

「こっちからいくよ。『すてみタックル』!」

 ムクホークは翼をすぼめてトゲキッスに向かって飛び込んでいく。

 

「もらうな! 上昇!」

 回避に専念することでトゲキッスはなんとか攻撃をかわした。

 

「『エアスラッシュ』!」

 空気の刃がムクホークを突き刺していく。

 

「『ブレイブバード』」

 灰翼の猛禽の全身全霊がくる。トゲキッスは攻撃の直後でかわす余裕がない。

 

 しかし手がないわけでもない。

「受け止めろ!」

「くっ」

 

 『ブレイブバード』を受けたトゲキッスだが、そのままムクホークを両翼で捕まえた。

 

 それを見たアルナが手を叩いて喜んだ。

「このパターン見たことがある!」

「えっ」

 

「『マジカルシャイン』!」

 強い光がムクホークを包む。

 

「『インファイト』」

 技を食らう寸前で翼と爪の連打を浴びせ、ムクホークは拘束から脱出した。

 

「『とんぼがえり』」

 そのままトゲキッスを蹴飛ばしクロックのもとへ帰っていく。

 

「あっ! ずりぃぞ!」

「ズルなもんか。ジバコイル!」

 

 ジバコイルが登場し、挨拶代わりの『10まんボルト』を放った。

 

「距離はある。よく見てかわせ!」

 さほど難しいことではなかった。トゲキッスは旋回し苦手な電気技から逃れた。

 

「『ラスターカノン』!」

 今度は鋼タイプの技だ。フェアリータイプを併せ持つトゲキッスにはこちらも痛手となる。

 

 再び回避に集中するしかなくなってしまう。

 

「トゲキッス『はどうだん』」

 

「よっしゃ! 『はどうだん』なら必中! 体勢が整わなくても当てられる!」

 テレビで相撲を観ている時の祖父に似ていると思ったがホヅミは言葉にしなかった。

 

 相性をついた攻撃だったがジバコイルは冷静に『10まんボルト』で『はどうだん』をかき消した。

 

「『アナライズ』け! デタラメな火力してら!」

「ジバコイルはあえてスピードを伸ばさない育成をしているんだ。速いポケモンを全部まとめてカモにするためにね」

 

 それを聞いたヤシオが手を腰にやったのをクロックは見逃さなかった。

 

「トゲキッス、戻っ――」

「『ボルトチェンジ』だ」

 

 トゲキッスに代わり現れたバシャーモに一撃を与え、ジバコイルは引っ込んでいった。

 

「読まれたか」

「交代先に圧をかけるのは定石だよ」

 

 再び現れたムクホークがバシャーモを睨み付けている。

 

「さっき見た顔だな」

「そっくりそのままお返しするよ『ブレイブバード』」

「っと、『フレアドライブ』!」

 

 複数回の激突はいずれも互角。反動を嫌わず持てる火力をぶつけ合った。

 

「『すてみタックル』!」

「『ブレイブバード』!」

 飛んでいる相手には飛行タイプの技のほうが都合がよいこともある。スピードでは遅れをとっているがなんとか対応していく。

 

「このムクホークは『すてみ』だ。反動の分攻撃力が上乗せされる」

「だろうな。『いかく』じゃなくてよかったべ」

 

 バシャーモがムクホークを蹴りあげた。

「まずい、『ブレイブバード』!」

 

「飛びものなら用意がある。『オーバーヒート』!」

 

 地上より空中を攻めるのに適した技だ。

 凄まじい勢いの火炎が空に逃れたムクホークを焼き、バシャーモにKO勝ちをもたらした。

 

「ムクホークもやられたか」

「いよいよ本気ってか?」

「僕はもとから本気だよ。そっちも同じはずだ」

「まあな」

 

 再び勢いに乗りたいところだが無理はしない。

「バシャーモ、もっかい休憩な。シフトまでどうぞごゆるりと」

 

「アーボック! もっかい頼むぞ!」

「ジバコイル。ここからだよ」

 

 最初のジャローダもそうだが、特殊攻撃で攻めてくる相手に対してとくせい『いかく』のアーボックはどうしても苦しくなる。そのうえジャローダ戦の傷も癒えていない。

 

「押せ押せだべ、『ほのおのキバ』!」

 

「なんとまぁ……」

 ホヅミは驚嘆を過ぎてもはや呆れの境地にいた。

 

(相手は幹部。技の出し惜しみなんかせず使えるものは片っ端から出せばいいのに)

 

「地面に『めざめるパワー』」

 ジバコイルから放たれたエネルギーがフィールドを凍結させた。

 

「うぇぇ。そっちのめるパは氷け」

「めるパ?」

 

 這って移動するアーボックにとってフィールドのコンディションはかなり大きい。ただでさえ麻痺している。ジバコイルに近づいたところで滑ってしまった。

 

「『10まんボルト』」

 かわす余裕はない。まともに食らってしまった。黒焦げになったアーボックがばたりと倒れる。

 

「油断ならないね。ここまで食い下がるとは」

「じゃあそれこそ油断だっぺよ」

 

 アーボックがジバコイルに巻き付いた。

 

「どういうことだ!?」

 黒く焦げた方のアーボックの体がパリパリと崩れていく。

 

「『みがわり』でも『かげぶんしん』でもない。これは脱皮だ。ジャローダの時に始まるかと思ったけどちょっと後ろにずれちまったな」

「だから交代しなかったのか」

「そそ」

 

「っ、『10まんボルト』!」

 ジバコイルの高圧電流にもかまわず『ほのおのキバ』がクリーンヒットした。さらに地面に突き落として『じしん』。攻撃の手を緩めない。

 

「『ボルトチェ』」

「させっかい。『ほのおのキバ』!」

 

 アーボックの牙が炎を纏う。

 

「いげ!」

 

 しかし『ほのおのキバ』が炸裂することはなく、アーボックはそのままのびてしまった。

 

「アーボックごめんな。お前に甘えちまった。でも活躍は無駄にしないからな」

 ヤシオはアーボックを戻し次のボールを手に取った。

 

「いやあ、危なかったよ。ダメージの蓄積がなかったらかき乱されていたのは間違いなかった。とはいえジバコイルに無理はさせたくない。こっちも交代としよう」

 

「スターミー! 巻き返すべ!」

「叩き潰せ、シザリガー!」

 

 水タイプながら対極に位置する2体の対決となった。

 

「『アクアジェット』!」

 鈍重そうな見た目に反してシザリガーは出の早い技を備えていた。

 

「『ちいさくなる』」

 今一つとはいえわざわざ当たりたくはない。スターミーは文字通り体を小さくして攻撃をかいくくった。

 

「あれ。フルアタでこないんだね」

「オレはニシキノ先輩をリスペクトしてんだ。完全には真似できんからオレなりのアレンジをくわえてだな――」

「『りゅうのまい』」

「ここにきて積むか! 『10まんボルト』!」

 

 ジバコイルほどの威力はないがそれでもシザリガーにとって苦しい攻撃であることには間違いない。

 

「嘘べ!?」

 シザリガーは『りゅうのまい』を止めない。その表情は苦しげだが技を止める素振りがない。

 

「荒々しい気合い注入をどうも。シザリガー、『はたきおとす』だ」

「やべぇ、『ちいさくなる』!」

 

 攻撃力とともに素早さも上昇していたシザリガーの動きにスターミーはついていけなかった。

 

「水タイプなのに!」

「『てきおうりょく』だよ。シザリガーの水と悪の技は威力が跳ね上がるんだ」

 このヤマが終わったらバトルの勉強をしようとホヅミはひそかに決意した。

 

 スターミーはなんとかこらえたがコアにヒビが入り、体に力が入らなくなっている。次にかすりでもしたら一巻の終わりだろう。

 

「スターミー戻れ!」

 交代の判断をし、ヤシオはトゲキッスを繰り出した。

 

「『マジカルシャイン』!」

「いけ――ジバコイル!」

 まさかの交代合戦となった。クロックはシザリガーを下げてジバコイルを送った。

 

「なんで!? 能力を上昇させたんだからそのまま戦ったほうがいいのに」

「多分ヤシオもそう考えると読んだからだよ」

「えっ」

「ジバコイルの電気技のほうがここは攻めやすいんだよ。マッギョはやられちゃったから全員に効くしね」

 

 

 シザリガーを狙った『マジカルシャイン』がジバコイルに命中したが、ほとんどダメージはない。

 

「『はどうだん』!」

「それしかないんだな! 『ラスターカノン』!」

 有効打も相殺されてしまったら意味がない。

 

「めげるな! 撃ちまくれ!」

 トゲキッスは『はどうだん』を連射ししつこくジバコイルを狙う。

 

「『10まんボルト』」

 そしてその悉くが打ち消され、煙となって消えていく。

 

「まだまだ! おかわりをくれてやれ!」

「ここにきてワンパターンだね」

 

 しかしクロックもそこまで能天気な性格ではない。

 

(ジバコイルのスタミナ切れを狙っている? いや、それならタイプ一致でない技を連発しているトゲキッスのほうが先にバテるはず。ということは適当なタイミングで交代するつもりか。ならばそこを狙って『ボルトチェンジ』を入れれば……)

 

「トゲキッス、正面に回り込め!」

「10ま、いや『ボルトチェンジ』!」

 

 トゲキッスは攻撃をギリギリでかわし、ジバコイルの視界から消えた。しかしジバコイルが対象を見失うことは絶対にない。

 

(『はどうだん』は目眩ましか。でもジバコイルにはレーダーが備わっている。どこに隠れようがこっちが先に見つけられる!)

 

「別にジバコイルとかくれんぼしようってんじゃねぇよ。でも、トレーナーにはレーダーなんて搭載されてないべ?」

 

 ジバコイルはトゲキッスを補足しているようだがクロックは肉眼で追いきれない。

 

「灯台もと暗しってな。トゲキッス、ぶちかませ!」

 トゲキッスは相手の底面に潜んでいた。強力な一撃でジバコイルの巨体が真上に吹っ飛んでいく。

 

「ジバコイル!」

 墜落したジバコイルはそのまま倒れ付した。

 

「『はどうだん』じゃああはいかない。今の技は『きあいパンチ』か。ポケモンとトレーナーの認知のズレを利用されるとはね」

「オレだってライブキャスターは7年前のモデルを使ってる。便利すぎるとそれはそれで合わないもんだべ」

「それとこれとは別の話だけどね」

 

 クロックはチャーレムを繰り出した。

 

「そうだまだチャーレム残ってんじゃん。終わしといた妄想をしてたのに」

「じゃあ現実を見てもらわないと。チャーレム『サイコカッター』」

 

「かわして『エアスラッシュ』!」

 トゲキッスが放つ技はチャーレムに届かず、距離を取れば『じこさいせい』で回復してしまう。

 

「『きあいパンチ』!」

 回復している隙を狙ったが、チャーレムの動きのほうが速かった。

 

「『バレットパンチ』!」

 猛スピードの一撃がトゲキッスを地面に叩きつけた。

 なんとか起き上がろうとしたトゲキッスだが、ついに力尽きてしまった。

 

「トゲキッスお疲れさん。ゆっくり休んでくれな。スターミー、仇を討つべ!」

 バシャーモを読んでいたクロックには少々意外な選出だった。

 

「『じこさいせい』」

「『サイコカッター』」

 

 コアを修復しようとするところを『サイコカッター』が襲うが、ここはスターミーの回復のスピードが上回った。

 

「『10まんボルト』!」

「『バレットパンチ』」

 

 このスピードの厄介さについて痛感していたヤシオだがそれでもここは退けなかった。

 

「『れいとうビーム』!」

「やけになったか。かわせ!」

 

 直線的な攻撃であれば難なく回避できる。チャーレムの背後に氷の塊が精製された。

 

「『バレットパンチ』!」

 やはりスターミーはかわすことができない。威力こそ抑えられたがバウンドしながら転がっていく。

 

「『れいとうビーム』!」

 それでもスピードなら上だ。チャーレムの背後に回り込んで放ったがこれも空振りに終わった。新しい氷塊をこしらえただけ。

 

「『サイコカッター』!」

 これもまともに受けてしまった。

 

「スターミー、いったん氷の陰に隠れて回復すんべ!」

「させないよ。『とびひざげり』」

 

 よろよろと氷の陰に逃れようとするスターミーをチャーレムの膝が粉々に打ち砕いた。

 

「粉々!? チャーレム、そっちは氷に映った偽物だ!」

 

 チャーレムがまた膝を押さえて苦しんでいる。

 

「受けてみろ。担当者本人の『れいとうビーム』だ!」

 チャーレム自身も氷像となってその場に倒れた。ダメージも相当で戦闘は不可能だろう。

 

「あとはなんとかする。よく頑張ったよ」

 クロックはチャーレムにラムの実を与え、ボールに戻した。

 

「シザリガー、いけ」

 登場するなり鋏を大きく振り上げて力をアピールした。トレーナー同様昂っている。

 

「『10まんボルト』」

 相性を突くセオリー通りの攻撃だがシザリガーは避けようとすらしない。

 

「『クラブハンマー』」

 大きな鋏が電気を振り払った。

 

「そんなんありけ!?」

「もちろん。『アクアジェット』」

「『ちいさくなる』!」

 

 一瞬で体を極小まで縮めた。

 

「それを待ってたよ。『りゅうのまい』」

「えっ」

 

 シザリガーの舞が渦を巻き、小さくなっていたスターミーを掬い上げた。

 

「『りゅうのまい』は攻撃技じゃない。でも体が小さくなったポケモンが巻き込まれれば……」

「さらに能力上昇もある。どえらい作戦だね」

 

 『クラブハンマー』が今度こそスターミーのコアを砕いた。こうなってはもう戦えない。

 

「くーっ。なんとも憎たらしい鋏だ」

「そりゃどうも」

 

「まあ赤い鋏対決ってんならあえて乗ってやる。ハッサムいってみんべ!」

 

 最後の1体を投入した。

 これでヤシオの手持ちはフルオープンとなった。

 

 ハッサムとシザリガーが睨み合う。

「予想はついてたけどあの時と同じ面子なんだね」

「同じってことはねぇな。オレたちはあん時より強くなってる」

 

「そうか。『クラブハンマー』」

 素早さが上昇している。大振りな攻撃が最短距離で飛んできた。ハッサムはなんとか両腕で受け止めた。

 

「避けないとは舐められたね。シザリガー、そのまま潰せ!」

「投げ飛ばせ!」

 

 シザリガーの体が持ち上がり、浮き上がった。そして反対側の壁まで放り出された。

 

「馬力は認めよう。シザリガー、『アクアジェット』!」

「ハッサム、『バレットパンチ』!」

 

 先制技どうしの勝負は一瞬でついた。

 赤い鋏を大きく掲げたのはハッサムだった。

 

 喜ぶ間などない。

「ハッサム、交代な。バシャーモ頼んだ」

 

 現れたバシャーモは見るからに様子が違った。

 体の炎が青白く燃え盛っており、離れているクロックにもその熱気が伝わるほどだ。

 

「なるほど。バシャーモは『もうか』が発動している。いよいよ追い詰められてしまったわけだ」

「そんな気なんかないくせによく言うべ!」

 ヤシオは目を二等辺三角形にして捲し立てる。

 

「疑り深いね。僕は悪人にはなれない質みたいなんだ。嘘はつけないんだけどな」

 

 クロックが握る最後のボールから何が飛び出すのか、ヤシオはもう考えることすらしなかった。

 

「どっちでもいい。オレはあんたに勝つ!」

 その目には確固たる意志の姿があった。

 まごうことなき、それは勝利への渇望に満ちた表情だった。

 

 自分も同じ表情をしているのか気になったクロックは頬に手を当てた。

 結論は出ない。しかし意味がないわけでもない。

 

「こんなに楽しい勝負、終わらせたくないんだけど。まあしょうがないよね」

 

 クロックがボールを放った。

 

「いけ――ガブリアス!」



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ラフエルリーグ準々決勝最終試合 クロック対ヤシオ

『君が苦しい時、敵も同じように苦しいのだ』




(ヨシノ=ヤイコー)


「それにしても解せんな」

 イズロードの視線はここしばらくスタジアムの様子を捉えたモニターから動いていない。

 

「どうしたよ?」

 記者の変装を解いたワースはそれがどうにも面白いようだ。

 

 ワースは幹部ではあるが事務方を自称していた。積極的に表に出ることを良しとせず現場で他の幹部とやりとりすることは珍しい。

 

 だからこそイズロードも彼に応じた。

「クロックの奴だ。どうにもあれからはバラル団幹部としての矜持を感じない。正直したっぱ以下だろう。交渉要員としてもせいぜい班長がいいところだ。ボスに意見するつもりは毛頭ないが、なぜ幹部が務まるのか皆目見当もつかん」

 やむをえないことだ、と一定の理解はある。

 投獄期間があったことからイズロードは他の幹部と比べてクロックとの接点が薄い。

 

「それなら簡単だ。あいつの価値は『強いこと』だ」

 

「確かに腕はある。それでも強さだけで幹部というのは……」

「あんた、俺が思っていたより真面目なんだな」

 

 モニターの中でガブリアスがバシャーモの攻撃をかわし、手痛い反撃を食らわせた。

 

「俺達は全能でも万能でもない。ガキの頃言われただろ? 助け合い補い合いましょうってな」

 

 イズロードがフンと鼻をならした。

「もし旦那がクロックと戦ったとして勝てると思うか?」

「無論だ。トレーナーとしての実力が高くとも、いなすのは容易い」

 イズロードの脳裏に先程のカネミツとの小競り合いがよぎっていたのは想像に難くない。

 

「俺も同意見だ。ハリアーもグライドもそうだろうな」

「それなら」

「じゃあここでもうひとつクエスチョンだ。今奴がプライベートで楽しんでやがるラフエルリーグのルールでと戦ったらどうだ?」

「それは無意味な質問だ。我々が行儀よく戦ってやる道理などない」

 

 今度はバシャーモがガブリアスを撥ね飛ばした。

 

「ちっちっち。それは答えになってないぜ旦那。ちなみに俺はノーだ。申し訳ないがあんたを含め他の幹部連中もそれに近いだろうな」

「何を根拠に」

「執念だ。それも超弩級のな」

 

 

 

 

「まさかここまで追い詰められるとはね」

 クロックは両手を広げた。

 

「見事なものだよ。ジャローダも、チャーレムも、ムクホークも、ジバコイルも、シザリガーも。みんな君との再戦を見越して鍛えていたのに」

 

 クロックの言葉に呼応するかのようにガブリアスが吼えた。一本一本の毛先がびりびり震え上がる咆哮を受け、バシャーモも静かに全身を纏った炎を揺らめかせる。

 

「褒めるのはオレが勝ってからにしてもらいたいね。バシャーモ! 『フレアドライブ』!」

「寄せ付けるな! 『いわなだれ』!」

 

 タイプ相性の有利こそあれ『もうか』が発動した状態で技を受ければ危ない。ガブリアスは岩をぶつけてバシャーモの進路を妨害する。

 

「モッさんのガブもそうだったけど岩ぶつけ作戦には参っちまうね」

 このような場合において進路を塞ぐというのは最もシンプルかつ有効な手段だ。コスモスもクロックも近しい見解に至ったのだろう。

 

「『じしん』!」

「まじぃ、こっちも『じしん』!」

 

 バシャーモも強く地面を揺らすが、ガブリアスのそれをなんとか防ぐのが精一杯だった。

 

「どうした? 守りに入っている余裕はないんじゃないのかな」

「だったら素直にやられてくれよな」

 

 今度は『ブレイブバード』で重い一撃を狙う。しかしそもそものスピードに差があった。

 

 ガブリアスは攻撃を紙一重でかわすとその両腕をバシャーモの背中に突き立てた。

「『どくづき』だと!?」

 

 回避と攻撃、その両方が組み合わさった無駄のない動きだった。ヒトがその動作を再現しようとすれば体が千切れてしまうだろう。

 

「フェアリー対策もあるけどこういう使い方もあるんだよ。特性が発動したバシャーモは厄介だけど逆に考えれば体力はもうない。交代するかな?」

 

 相性を突かれたわけではないが苦しみ具合から毒をもらったことは疑いようがない。

 

「今だ、『フレアドライブ』!」

「そうくるか」

 さすがのガブリアスも触れた状態からの攻撃には対応できない。至近距離からの技が決まった。

 

「フィールドごといぐぞ! もっかい『フレアドライブ』」

 

 しかし流れがヤシオに傾くことはなかった。スピードに勝るガブリアスはすぐさまバシャーモから距離をとる。毒状態になった今、同じ速さで追う体力はもうない。

 

「さっきの反動も相当なはずだよ。そのバシャーモ、まだ立っているのが信じられないくらいだ」

「そこはワカチコンだべな。ガブには申し訳ないけど相討ち上等で詰めさせてもらうかんね」

 

 互いに互いが戦況をどのように認識しているのか探りあっている。ヤシオにも、クロックにもある結論が出たようで。

 

「それは違うな」

 クロックの左腕のブレスレットが激しく輝きだした。そしてそれはヤシオには馴染み深い光景だった。

 

「メガシンカか。まあ切るならここだんべな」

 正午の鐘を聞くかのようなテンションで呟いた。

 

 バシャーモは立ち上がろうとするが足腰に力が入らないとみえ、もがき続けている。それはクロックにとってヤシオの作戦に思われた。

「どれほどの策を講じてこようが、その悉くを挫くのがこのガブリアスだ――」

「そっけ。そんなら是が非でも倒さなきゃな」

 

「言っていろ。君の熱意、夢、誇り……すぐにその全てが僕にとっての冗談となる」

 ブレスレットから溢れた光がエネルギーとなってガブリアスと共鳴する。それは何色でもあると同時に何色でもない。

 虹を一色で表現したような光の膜がドーム状になってガブリアスを包む。トレーナーとポケモンとがシンクロする瞬間だ。

 

 クロックが左腕を突き上げる。

「我が呼び声に応え()(なら)せ、ガブリアス――!」

 ガブリアスが今日一番の雄叫びをあげた。

 

「今こそ叶え! “メガシンカ”!」

 光が弾けて消えた。そしてそこに立っていたのは先ほどまでのガブリアスではなかった。

 

「ほー。大迫力だべな」

 これはシンカであって進化ではない。種族として最終形態となったガブリアスのリミッターを外なる力によって解放した生命エネルギーの極致だ。さらにトレーナーと感覚をリンクすることで両者の結びつきが最大となる。

 

 元々頑強だった全身の筋肉がさらに滾り、体を覆う鎧となっている。両腕の爪は翼と一体化してさらに巨大化しその姿はまるで――

 

「死神の大鎌」

 陰から見つめるホヅミの呟きはアルナにしか響かなかった。

 

 ヤシオは頬を掻いた。

「とんでもねぇのが出てきちまったな。シンカ取消を要求したいんだけど」

「それはできない相談だよ。『じしん』!」

「『オーバーヒート』!」

 

 炎ポケモンが使う炎技は体内のエネルギーを直接熱に変換して放つものだが、『オーバーヒート』はそのなかでも異色な技だ。それはどういうことかというと、技を放つ過程で多量のエネルギーを急激に変換するため体に負担がかかり、特攻が大きく下がってしまうのだ。

 

 凄まじい炎がフィールドを捲り上げながら唸りをあげる。ここは『オーバーヒート』がわずかに上回り、ガブリアスにしっぺ返しを食らわせた。

 

 一撃ノックアウトすら狙える技だが、ガブリアスは倒れてすぐに起き上がった。

 

「いい技だ。それを連発されたら正直しんどいかもしれない」

「それができないのを分かってるくせによく言うぜ」

 特攻ダウンの都合上あの威力で『オーバーヒート』が撃てるのは1度きりだ。

 能力の低下を戻すには交代するしかないが、バシャーモの体力を考えると悠長な手はもうとれない。

 

「こんままだ! 『フレアドライブ』!」

「『ドラゴンクロー』!」

 空気が裂けるほどの衝撃と熱が技の威力を物語る。ここまで火力では押されつつあったガブリアスが逆に押し返す展開となった。

 

「やっべぇパワーだ。もうかすら押し返されちまうか」

 

 幾度の激突のあと、再び『フレアドライブ』を撃とうとしているのかバシャーモは炎を起こそうとするが、その体からは白煙が激しく噴き出すだけだった。

 

「それにしても残念だよ。今回こそは君の本気が見られると思ったのに」

「や、オレ超本気なんだけど! 本気と書いてホンキと読むくらいにはマジなんだけど!」

 

 ホンキなのかマジなのか統一することから始めたほうがよいだろう。当然クロックは無視。

 

「その首のチョーカー。僕には分かるよ。そこに仕込んでいるのはキーストーンだ。君も使い手(・・・)なんだろう?」

 

 ヤシオは口を尖らせた。そして悪戯がバレた子どものような顔をした。

「よく見てんな。バレてるなら仕方ないか。やってくる相手にだけ使うと決めてんだけど、そっちがやるなら伏せとく理由もねぇべ」

 

 首に手をやった。さっき見たことを自分でもやろうという腹積もりのようだ。

「こうしてやるのは照れちまうけどこっちも切り札を出すぜ。使える手は全部使う主義なんでね」

 

 クロックの左腕と同じようにヤシオのチョーカーが輝きだした。光が渦を巻いて煙の中へと流れていく。

 

「メガシンカ!? ヤシオも継承者だったの?」

 だったら砂漠で使っておけよという言外のニュアンスを滲ませつつアルナが驚嘆を漏らす。

 

(メガバシャーモならガブリアスのスピードを素で超えられる。体力がもうないのがネックだけど……)

 ホヅミは黙って見守ることしかできなかった。

 

 フィールドは一瞬の逡巡。過去には黙々とメガシンカを行っていたが、男子のロマンを心から愛するヤシオとしてはクロックに対抗する意味も込めてメガシンカの口上にはこだわりたいところだった。

 

 脳内に広げたくしゃくしゃの原稿用紙に文字が浮かんだ。

「我が剛き理想、冴ゆる真紅の闘魂よ!」

 

 少々置きにいった感は否めない。

 

「いってみんべ! メガシンカ!」

 

 ガブリアスに起こったのと同じ現象が発生したことが煙の中でも気配で分かった。しかし、メガシンカを果たしたバシャーモが飛び出してくる様子がない。

 

「あり? 不発?」

 アルナはコガネで人気の新喜劇もかくやというポーズでずっこけた。

 

 クロックが嗤う。

「バシャーモはメガシンカしたものの、ダメージの蓄積で動くことができないか。せめてもの情けだ、ガブリアス、楽にしてやるんだ」

 

 『ドラゴンクロー』を展開したガブリアスが煙の中へ飛び込んでいく。

 もはや攻撃が当たらなくとも戦闘不能になるくらいの状態だ。それでもクロックは手を抜かない。

 

「これで勝負はこちらに」

「……決めつけるのはいぐねぇべ」

 

 ガブリアスが煙の中から弾き飛ばされてきた。

 

「ッ!? 煙の中に何が」

「だから、思い込みはダメってこと」

 

 晴れた煙の中に立っていたのはバシャーモではなかった。たしかに体は紅いが――

 

「そいつは……」

「宣言通りメガシンカしてやったぜ。なぁハッサム?」

 

 メガハッサムが鋏を振り上げていた。

 

「なるほど」

 クロックはこのカラクリを理解した。

 

「今手に持っているのはバシャーモ入りのボール。そしてそれは能力ダウンを補う交換ではなく、戦闘継続不可能による選手交代というわけか。戦闘不能のバシャーモを目隠し役にするとはなかなか悪いことを考えるね」

「ずっと前からこの作戦については手持ちのみんなと話し合ってたさ。それにバシャーモはあくまでレンタル移籍だし無理はさせらんねぇ。メガストーンも持ってねぇんだもん」

 

 種明かしをするヤシオは心底楽しそうだ。

 

「だから君はバシャーモのポテンシャルをうまく引き出しきれなかった、と」

「そんなに褒めんなって。『バレットパンチ』!」

 

 鋏が最短距離で虹の軌道を描く。そのまま弾丸のような速さで鋏がガブリアスの顎を打った。

 

「『ドラゴンクロー』」

 

 ただでやられるガブリアスではない。今度は大鎌が連撃でハッサムの胴を据えた。

 

 

「砂嵐はもう止んでる。『すなのちから』は発動させねぇぞ」

「分かっていないね。メガガブリアスの強さを」

 

 『いわなだれ』がハッサムを襲う。『いわくだき』でもギリギリ防ぐのがやっとだ。次の弾丸を放つ余裕はない。

 

「メガガブリアスにとってとくせいはおまけだよ。スピードを削ってまで実現したこの破壊力こそ真骨頂なんだ」

 

 たしかにバシャーモとぶつかり合っていた時よりもいくらか動きは見えるようになっている。しかし、技の威力は桁違いになっておりヤシオたちにとってむしろ対処が難しくなっているのだ。

 

「『バレットパンチ』!」

「『ドラゴンクロー』!」

 力と力がぶつかり合い、生まれたインパクトが離れたスタジアムの壁面をも凹ませた。

 

 

 そしてその余波は離れた場所にいるホヅミとアルナにも及んだ。

「『リフレクター』!」

「『ニードルガード』!」

 ゴチルゼルとマラカッチの力を借りてそれぞれ飛散する瓦礫を防ぐ。

 

 

 

「警視、どうするんですか。パンデュールの正体はバラル団幹部のクロックですよ!」

 飛んできたパイプ椅子で頭にたんこぶをこしらえたツキミが喚く。

 

「もちろん最優先で確保しなくてはならんが……」

 戦いが激しすぎて近づけない。さらに飛行船から送られてくる敵の新手にも対応しなければならない。

 

「フラン。とりあえず奴らに戦いを止めるよう言ってこい。お前なら『ドラゴンクロー』は乱数2発ってとこだろ」

「戦いより先に私の心臓が先に止まってしまいますが」

 

 

 

 豊穣を司る3体との戦いは熾烈を極めていた。その中でもミントはフィールドでの戦いが気になるようだ。

 

 ピジョットが、フシギバナが、ドータクンが、ツンベアーが、キノガッサが絶え間なく技を放ちフィールドのほうへ敵を通さないよう抑えている。

 

「ヤシオ、思ったよりやるわね」

「そりゃまあ俺に勝ったトレーナーだしな」

 ジュリオが胸を張る。

 

「パンデュールくんもイイ感じ。若いトレーナーが躍動するっていいわねぇ」

「若いってあんたいくつだヒィッ!?」

 コウヨウに睨まれるテスケーノをオトギリは黙ってやり過ごした。

 

 

 

 ヤシオの額の包帯に血が滲んでいる。アバリスにやられた傷が開きつつあるようだ。それすら意に介さずクロックはたたみかける。

「この状態のガブリアスに加減なんてものはない。『じしん』!」

「やべぇ、飛ぶんだ!」

 飛行タイプでないハッサムは羽ばたいて空中に逃れるしかないがそうなると当然無防備になる。

 

「逃げ切るのは無理だべ。『いわくだき』!」

 とくせいが『さめはだ』でなくなったのは物理的直接攻撃を得意とするハッサムにとっては追い風かもしれない。

 

 威力こそ『バレットパンチ』に劣るがこちらには防御力を下げる追加効果が見込める。ガブリアスは迎撃態勢を整えていたが、それでもまともに食らってしまった。

 

 きりもみしながら後方へすっ飛んでいく最中に『いわなだれ』で牽制する。追撃を狙うハッサムは体よりも大きな岩をぶつけられ、後退を余儀なくされた。

 

「『ドラゴンクロー』」

 踏み込みや腕の付け根の筋の動きから大鎌の動きを読み、ギリギリのところでかわしていく。

 ルシエジムでコスモスのジャラランガがやってのけた絶技の一部をハッサムが再現していた。

 

「いいぞハッサム! 経験が活きてるべ!」

「本当にそうかな?」

 ガブリアスの膝がハッサムの重心を僅かにずらした。そしてそれだけで十分だった。

 

 『ドラゴンクロー』がハッサムを袈裟斬りにした。

 

 少し気を抜けば意識が飛びそうになるほどの痛みが駆け抜ける。

「はーっ! そうこなくっちゃ!」

 目が充血しているのか額の血が垂れてきているのかもはやヤシオ自身にも判別が突いていない。

 

「痛すぎて気持ちのいい一撃だ。覚めた目がまた覚めちまった」

 

 続く『ドラゴンクロー』をガブリアスの股下をくぐって回避し、その背後に回り込む。

 

「『じしん』!」

「そうくると思ったぜ! 『ダブルウイング』!」

 重い羽根の連撃が炸裂した。

 

「『バレットパンチ』!」

 ガブリアスは大鎌をスキーのストックのように使いあり得ない姿勢から回避した。

 

「あと一歩だったんになぁ!」

「それなら歩んで見せろ。そのあと一歩とやらを」

 ガブリアスがハッサムの脚を踏みつけた。

 

「『ドラゴンクロー』!」

「『バレットパンチ』!」

 片足を封じられては力も半減してしまう。大鎌がハッサムをズタズタに切り裂いていく。鋏でガードしているがそれでも攻撃の全てを防ぎきれていない。

 

「君は十分強かった。僕にメガシンカを使わせ、あまつさえ制御すら危うくなるほどの全力を引き出したんだ」

 大健闘だよ、と呟いた。語気が強いあたりクロックも昂っているようだ。

 

 大鎌を力任せに振るいつづけるガブリアスと攻撃を受け続けるハッサム。それがそのままクロックとヤシオに重なる。

 

「でも、君がどれほどの高みを目指そうと絶対に超えられないものがある。君だけじゃない、誰だってそうだ。大きくても、強くても、抗えない凄まじい力というものが確かに存在する。真にどうにもならないことは、立ち向かおうとする気すら起きないものだよ」

 

「だから――勝利を前提として」

「やっかましいわ」

 

「ペラッペラペラッペラと。よくもまあそんなしゃべれるもんだ。あんちょこでも用意してんのか」

 

「こんなに楽しい勝負、しょっぺぇ終わらせ方はさせねぇぞ!」

 ヤシオの瞳が何かを捉えた。そしてそれはここまでクロックが何度か味わった彼が何かを仕掛ける時の目だった。

 

「まずい! ガブリアス、一旦距離をとれ!」

「逃がすかい。ハッサム、『ものまね』!」

 

 飛び退いたガブリアスを追いかける。そして鋏を振りかぶった。

 

「いってみんべ!」

 鋏のスイングから繰り出されたのは『バレットパンチ』でも『いわくだき』でもない。

 

「散々味わって体で覚えた成果を見せてやれ! ハッサム、『ドラゴンクロー』!」

「何ッ!?」

 

 ガブリアスにとって予想外の方向から弱点を突かれる形となった。フィールドを見渡す高さから一瞬で地面に叩き落とされた。

 

「『いわなだれ』!」

「もっかい『ドラゴンクロー』だ!」

 完全に読みきっていたハッサムはガブリアスの胴体をポールのように掴んで攻撃をかわし、『ドラゴンクロー』のダメージを倍加した。

 

 さらにおかわりを狙ったが今度はガブリアスが大きく跳躍してかわした。

 

「いやいや、今のは効いた……いや、本当に」

「こいつは芸達者(テクニシャン)だかんな」

 

「たしかに『ものまね』は誤算だったよ。でもかくし球ってのはそうそう使える手じゃない」

 

 ハッサムが顔をしかめた。鋏から熱した金属を急激に冷やしたようなピシピシと音がする。

 

「本来覚えることのできない技は使うだけで大きな負担となる。決着を早めたい時や格下の相手を千切る時に使うのが定石だろうね」

「あんたには隠せないか。オレのハッサムには氷技とフェアリー技の持ち合わせがねぇんだもん、これしかなかったんだ」

 

 『いわなだれ』を牽制に放たれた『じしん』をかわすことができず今度はハッサムが地を這う。

 

「そこまでして勝とうとは恐れ入るよ」

「どの口が言ってんだい。だいたい、オレたちにとっても苦渋の選択だったってことは分かってもらいてぇとこだな。これくらいしないとダメージレースでの不利はひっくり返せないがね」

 

「『じしん』!」

「『ダブルウイング』!」

 素早い動きでハッサムがガブリアスを叩き伏せた。しかし『いわなだれ』による反撃を受けた。

 

「食い下がるか。君にはまだ分からないのかな。絶対的に至れないと確信する瞬間が、弱さを自覚する瞬間が、自分を蝕んでいくことを」

「うっせぇ! ダメな部分があるならそれは伸び代だ! 若いくせにじじむさい感傷に浸ってんじゃねぇぞ!」

 

 『じしん』を食らったハッサムが『いわくだき』で反撃した。

 

 そしてトレーナーたちも覚悟が決まったようだ。それはこのやりとりののちに立っていたほうが勝者となることを意味していた。

 

「決着が近いようだ、赤帽子(ヤシオ)!」

「ずりぃぞ、それこっちが言おうと思ってたのに!」

 

 両者地面を抉れるほど強く蹴り一直線に相手を目指す。今回は回避や防御など一切考慮していない。

 

「これで終わらせる! 『ドラゴンクロー』!」

「決めるぞ! 『バレットパンチ』!」

 

 鋏と大鎌が相手を刈り取らんと最後の唸りをあげた。一番シンプルな攻撃こそ最大最強の必殺技となりえる。

 

 トレーナーたちの視覚がポケモンと結び付く。

 

 ガブリアス(クロック)は見た。ハッサムの動きが徐々にゆっくりになるのを。

 ハッサム(ヤシオ)は見た。ガブリアスの動きが徐々にゆっくりになるのを。

 

 どちらもトレーナーとの勝利のため最後の一歩を今まさに踏み出そうとしていた。そして思考を巡らせる。

 

 遅い。目の前の相手よりも加速しろ。なんでもいい。体の中に残っている力を一滴残さずまだ動く腕に集中しろ。力だけでは足りない。関節の捻りだ。相手を貫く為の理想的な力の流れだ。加速だ。回転だ。

 

 これは勝利のための一撃だ。

 

 ――叩き込めッ!

 

 

 

 爆発のような衝撃がフィールドを根こそぎ吹き飛ばした。砂埃の陰でガブリアスとハッサムの体が力なく宙を舞う。

 

 アルナがホヅミの体を揺する。

「ハッサムは!? ヤシオは勝ったの!?」

「分からない。でも最後のは……」

 

 

「ハッサム!」

「ガブリアス!」

 ヤシオもクロックも結論を見届けるためにそれぞれのポケモンのもとへ駆け寄った。

 

 ガブリアスとハッサムが倒れている。

 しかし相討ちではない。

 

「ハッサム!」

 ハッサムはメガシンカが解けている。つまり完全な戦闘不能だ。

 

 メガガブリアスがゆっくりと起き上がった。そしてスタジアムが震えるほどの咆哮で勝ちどきをあげた。

 

 これが初めての敗北ではない。しかし受け入れるのには多少の時間を要した。トレーナーの性だ。

 

「ごめんな。ぜんぶオレのせいだ。みんなあんなに頑張ってくれたんに……」

 ヤシオは6つのボールを抱き抱え、がっくりとうなだれた。

 

 ガブリアスのメガシンカが解けた。

「まさかここまでとはね。君のことは嫌いだけど僕に倒されたトレーナーの中では最上位かもしれないな」

「そんなん嬉しくねぇよ。あーあ、まともにやって負けちまった。やっぱりあんたは強くてすげぇよ。悪者なんかしなくても十分やっていけるだろうに」

 

「君こそバラル団に入ればそれなりの待遇で迎え入れられる。僕だけじゃない。永遠に望む強敵と戦い続けられるよ」

「オレはそっち側にはいかねぇよ。やるようにやって強くなるのが清く正しいトレーナーだ」

 

 

「なぁ、あんたはなんでそんなに強くなりたいんだ?」

「変なことを聞くね。世界最強、誰もが憧れる響きだと思うんだけどな」

「そりゃそうだ」

 

「……昔カントーを旅していた時に赤い帽子のトレーナーにそれはもう酷くやられたことがあってね」

「なんだ帽子にこだわるのはそのせいか。フラれた女の子の特徴だとばかり。そんじゃあオレに何かあったとかいうわげじゃねぇんだな」

「いや君のことは大ッ嫌いだ」

「あんれま」

 

 吐き出すだけ吐き出してクロックはヤシオに背を向けた。

「――僕はもう行く」

「そっけ。とっとと行っちまえい」

「認めたくはないがいい勝負だった」

「ああ、そうだな。対戦ありがとうございました」

 

 会釈するヤシオに頷き、クロックがガブリアスに掴まった。そのまま上空の飛行船へ飛ぶつもりなのは明らかだった。

 

「バラル団は次の段階に入る。まあ、君にとっては関係のないことかもしれない」

 

 ここでやっとフィールとホヅミがクロックを確保するために動いたが、その顛末はやはりヤシオにとってもはやどうでもよいことだった。

 

 

 

 

 

 

「ただいま戻りました」

 そろばん教室から帰ってきた子どものような気楽さでクロックが帰還した。

 待機していた幹部たちは思い思いに過ごしている。

 

「戻りました、じゃねぇよまったく。こっちが超過勤務してるってのに趣味を満喫しやがって。どんだけあの赤帽子と遊びたかったんだよ」

「まあまあ。それで、みなさんの首尾はどうです?」

 

 これ以上は無駄と察したワースが状況を伝える。

「フリック市長は例のリザードン使いに奪還された。あいつ、相当派手に暴れたぞ。高ぇ機材もいくつかやられた」

「それなら作戦は成功じゃないですか」

 

「そりゃそうだが……つーかあいつ準決でお前と対戦するんじゃないか?」

「次の試合にノコノコ出ていったらお縄ですよ」

 

「気楽なものですね。まあ私も束の間の逢瀬を楽しめたので良しとしますが。あぁ、今度は私が焼いて差し上げたいもの」

「わぁついていけない世界」

 ハリアーの嘆息は先が焦げた髪のせいだろうか。

 

「私も姫を拐う大魔王の役ができたのはよかったな」

「オッサンがオッサンさらっただけじゃないかな」

 イズロードもどこか楽しげだ。

 

「おいおい! お二人さんも思わぬストレス発散かよ。バラル団幹部の福利厚生の充実具合たるや」

 

 最後の1人が指令室にやって来た。

「そういうお前が一番楽しんでいたのではないか?」

 

 グライドの一言に何やらモゴモゴと呟き、ワースは静かになった。

 

「いよいよ俗世の愚かな者共も我々の崇高な志を理解することとなるだろう」

 

 

 

 こうしてラフエルリーグは準決勝を残して大会継続が不可能になったため終了した。

 ベスト4にはミント・コウヨウ・シンジョウが確定することとなったが、準々決勝最終試合に関しては正体が露呈したクロックが失格扱となりヤシオが準決勝進出を決めた。

 

 しかしヤシオから運営へ自身の敗北とパンデュール(・・・・・・)の勝利の申告があった。緊急事態で審判すらその場にいない状況ではあったがホヅミが残していた映像記録が彼の申告を裏付けた。

 

 優勝者のない大会は前代未聞のことであるが世論はそれどころではなかった。

 

 飛行船から戻ってきたフリックは暴獣とバラル団の脅威から自身の危険を顧みずに一般人を守りきったことで評価をさらに高めた。

 政府は彼にバラル団対策における非常時大権を認める法案を可決し、フリックの権勢は市制の域にとどまらないものとなった。

 

 逆にPGとバラル団対策特別室はみすみす計画の実行を許したことで厳しい視線に晒されることとなる。



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自由の翼、その羽ばたき

『空を飛べるなら星にも手が届くだろう』




(カッシーニ=ペペロ)



 人が求める自由は空にある。少なくともランタナはそう考えていた。翼はなくともポケモンの力を借りれば空へ繰り出すことができる。本来空路に頼った旅を良しとしない彼にとっても、それは生への彩りそのものだった。

 

(今日はいい風が吹いてる。どこまでも飛べそうだ)

 彼の価値観は故郷アローラの風土と島めぐりによって形作られた。ジムリーダーをしながら旅人としてラフエル各地を巡っているのもその価値観に突き動かされているということなのだろう。

 

 いつもそうするように、手のひらを空へと伸ばす。そして高く、遠くへ飛ぶ自分たちの姿をイメージする。そしてその隣ではムクホークがランタナ(おや)の真似をして翼を伸ばす。これが彼らのルーティンだった。

 すぅ、とひとつ深呼吸をした。

「そんじゃ行くか」

 

 今この瞬間だけは彼の目は蒼穹のその先を見据えるためにある。脚は羽ばたきに振りほどかれないために、腕は風を感じるために。

 

 ランタナを背に乗せたムクホークが強く地面を蹴り、一瞬で空へと舞い上がった。そして矢のように彼方へとすっ飛んでいく。

 

 名誉のために補足する必要があるだろう。

 自由人と呼ばれるランタナではあるがなにも無責任な人間というわけでない(ジム不在に関するリーグからの叱責にはこの際目をつぶる)。本人なりにジムリーダーの責務には真摯に向き合っていたしそのためにできることは全てやる気概もあった。皮肉なことに今はそんな彼の熱意が試される情勢になりつつある。

 

 先日のラフエルリーグでの一件からこの地方は少々物騒になってきたようにランタナは感じていた。

 懸念されたようにバラル団がリーグを襲い、救出こそされたがフリック市長が敵の手に落ちかける事態となってしまった。PG含む警備体制の脆弱性が連日報道され、開催を強行したリーグへも批判が集まることとなった。

 

 悩みの種は他にもあった。バラル団を筆頭によからぬ者達がその活動を少しずつ強めているのだ。そしてそれらは社会に暗い影を落としている。

 しかしそんな時でもポケモントレーナーの熱が冷めることはない。リーグでの名勝負の数々は彼らを熱狂させこんな時勢にあってもバッジを求めて打倒ジムリーダーへと駆り立てる。

 

「なあ、今週の俺らってけっこうよく働いたよな?」

 問い掛けられたムクホークが一声鳴いた。ランタナが育てたポケモンたちは例外なく上空での相槌に慣れている。

 

 育成の成果を感じてかランタナは満足げだ。

「そうだよな。ここ最近強いチャレンジャーが増えた気がしてさ。どいつもこいつもこっちの弱点を的確に突いてくるし」

 それでも今週のランタナは負けなしである。自慢の飛行ポケモンたちと並み居る挑戦者を押し返してきた。

 

「そろそろテルス山か。ムクホーク、高度上げてくれ」

 

 ラフエル地方は、東西をテルス山で分断されている。

 ──言葉で何度伝えられようがそれはランタナたちにとって大した問題ではない。天下の険すら見下ろして彼らは飛び続ける。

 

「天候よーし。ハルビスにもすぐ着けそうだ」

 今度はムクホークが太く声をあげた。

 

「ふう。上々のフライトだったな」

 その言葉に偽りなく本当にすぐ着いてしまった。

 今回の目的地ハルビスタウンはラフエル地方のなかでも緑豊かな景勝地として知られている。そして先人たちが築いたポケモンたちとの共存を未来に繋ぐ場所でもあるのだ。

 

「ランタナさんこっちです」

 ムクホークから降り立ったランタナに声をかける者があった。

 

「サリーナ。遠いところ悪いな」

 遅刻しないように到着したが、それでもサリーナのほうが先に着いていたようだ。

 彼女は民間協力型武装組織VANGUARDのランタナ班ことTeam Freedomの副リーダーを務めている。

 登用試験を突破する実力もそうだが、ランタナ不在時のジムの番人を全うしていることもリーグから高く評価されている。

 

「相変わらずのどかなところですね」

「そうだな」

 

 見渡す限りの緑が目に眩しい。そして点在する池は大昔に人間とポケモンの共存の象徴として作られたものという。人口が多いわけでも目立った歴史上の遺物があるわけでもないが、ある意味この地方の過去と未来を繋ぐ場所といえるだろう。

 

 来るのが久しぶりでも町の様子が変わることはない。今日も穏やかな時が流れている。

 

「へいワタ公たち集合すっぺ! オレが見本を見せっからよ~く見とくんだぞ」

 

 否、流れていなかった。 

 

「ヘソの上らへんを意識して……そうそう、分かってきたがね!」

 あまり聞きたくはないが聞き覚えのある声がした。

 見ると、草原の中央で赤い帽子の男がワタッコたちを集めて何かを指示している。

 

「そうそう。そこで腕を振って脚を曲げ伸ばす運動な。これやっとくと肩凝りの防止になっからな」

 男のクニャンクニャンとした奇怪な動きをワタッコたちが真似している。

 

「みんな飲み込みはえぇな。よし、ご褒美にマトマの実を応募者全員サービスだ。順番に配るからみんな一列に並んでな」

 差し出された見るからに辛そうな木の実を見た途端にワタッコたちはいっせいに逃げ出した。どうやら野生の群れだったようだ。

 

 さすがにスルーの限界だった。 

「なんでここにいるかはいったんおいとくとして、何やってんだお前」

 

「ヤシオ」と呼ぶくらいには顔馴染みだ。

 

「いんやぁ、ひさひさ、ランタナさんにサリーナさん。オレはワタ公たちにラジオ体操を指南してやってたんです」

「なぜに!?」

 

 相変わらずのヤシュウ節の青年にしてラフエルの旅人なのだがさらに肩書きが加わった。先日のラフエルリーグの本戦にも出場したトレーナーということになる。

 

「あっそうだ。オレのリーグ戦見てくれました?」

「ああ、みんなで応援してたぜ」

 

 ヤシオの顔が少し曇った。

「ありがたいこって。……どうせならもっといいところを見てもらいたかったんだけどな」

 

 リーグでの戦いについて労おうとしたが言葉が出なかった。あれだけ目標としていた大会での敗北だ。触れられるほど傷口が乾いていない可能性に思い至らないランタナではない。

 

「まあその、なんだ。お前には実力があるんだ。笑って戦え。そんで負けたら、思いっきり悔しがれ。次があるって、相当幸せな悩みだぜ」

「はい!」

 

 そんなランタナの顔を覗き込んだヤシオが目を丸くした。

「ん? しばらく見ない間に背ぇ伸びました?」

「伸びるかよ! 法事の時だけ会う親戚のガキか俺は。とにかくなんでお前がここにいるんだよ」

「結局聞いてんじゃんか。なんでとはご挨拶なこって。ほら」

 

 おもむろに左肘を突き出して見せた。

 その上腕部に補助員と書かれた腕章をつけている。ランタナには馴染み深いものだった。

 

「バイトか。お前も色々やってんだな」

「んだべ。ラフエルリーググッズを買い漁ってたらまあ金が飛ぶ飛ぶ。Moneyって飛行タイプですがね」

「それを飛行タイプのジムリーダーに言うかい」

 

 リーグ終了後それなりの入院をした後に再び特訓に励もうとしていたヤシオだが、うっかり高い個室に入ってしまったことでその請求額にクロック戦を超える緊急事態を迎えることとなった。

 

「そんで大会で知り合ったミントさんに相談したらライバルの知り合いの親戚の職場の上司の弟の友達がリーグ関係者らしくてこのバイトを紹介してもらったんです」

「もはや他人じゃねぇか」

 

「今は物騒なもんで、募集かけても補助員の集まりがよくないとかであっさり決まりましたよ」

「えぇ……そりゃそうだけど」

 

 ここでランタナは驚いているのが自分だけであることに気がついた。

 

「あれ、ヤシオさんが補助員に来る旨はメールしておきましたが」

「やっべ見てなかった──その目で俺を見るな!」

 サリーナの視線が痛い。

 

 そして何を隠そうランタナがハルビスタウンにやって来たのもこのためである。

 

 リーグが定期的に開催するタイプ別強化講習はそのタイプのエキスパートであるジムリーダーが講師を務め、トレーナーたちのレベルアップを図る催しだ。

 さらに、あえてジムのある町から遠い場所で行うことで交通面で不利な部分のあるラフエルのトレーナーたちに満遍なくステップアップの機会を与えることに加え、その町にトレーナーたちを誘致することで新たな消費を促すという涙ぐましい狙いもある。

 

「補助員を引き受けたはいいけんど、早く来すぎちまったからワタパチ軍団に教えを授けてたってわけでぇ」

「なるほど、わからん」

 

 からからと笑うヤシオ。悩みとは無縁な存在に思えて羨ましくさえ映った。

 

 そしてイッシュ地方にはこのような理解不能な連中がウヨウヨしているのかと思うと頭が痛くなったのでランタナは深く考えるのをやめた。

 

「それにしてもよくハルビスまで来れましたね。金欠じゃポケット・スカイカーゴにも乗るわけにもいかないでしょうに」

「たしかに俺もそれは気になってた。方向音痴だし」

「2人とも辛辣だべな!?」

 

 ヤシオの方向音痴っぷりを熟知しているランタナにはトゲキッスに乗って飛んできたという発想がない。

 

「このバイトが決まってすぐにおシズにマインしたんです。そしたらテルス山が見えたらお茶碗を持つ方へ進めって」

 

 ライブキャスターのマイントーク履歴を見せる。そこには今日の留守を任せたシャルムジムのシズノの名前があった。

「もうツッコまねぇぞ」

 

 

 様々な理由から飛行タイプのポケモンを手持ちに入れるトレーナーは非常に多い。

 もちろん空中からの攻撃が有効な場面が多いこともあるが、遠くのものを探したり何より掴まって『そらをとぶ』移動方法をとることもできる。交通網が発達しているとは言い難いこのラフエル地方では特に有用だ。

 

 しかし空中にいるポケモンに指示を出すのは難しい。基本的な目線が異なるうえに人間には空を飛ぶ感覚がないためポケモンの動きをイメージすることができないのだ。だからこそタイプのエキスパートの指南による伸び代は大きいともいえる。

 

 時間になり、受講生となるトレーナーたちが集まってきた。

 

「大盛況ですね」

「いやどこがだよ。教えるにはちょうどいいけどな」

 

 ランタナは紙一枚で済んでしまった名簿を眺めた。

(バシアラ、キスイ、フリュウか。この時期にこれだけ集まりゃ上出来だな)

 

 社会情勢もあり参加者は3人と想定よりも少ないがそれでもこうして参加した者たちを無下にはできない。ランタナは密かに気合いをいれた。

 

 隣にサリーナとヤシオを控えさせ特別講義が始まった。

「そんじゃ始めるからな~。他のジムリーダー連中がどんな形式でやってるかは知らんが、俺は体で覚えさせるスタイルなので覚悟するように」

 さらさらとペンが走る音がした。見ると隣でヤシオが直立したまま分厚いノートに何事か熱心にメモをとっている。

(こいつは何気にこういうタイプなんだよな)

 

「まずみんなに聞きたいんだけどさ。飛行タイプってどうよ?」

 あまりにも抽象的な問いにトレーナーたちはざわめく。ヤシオが垂直に挙手したが、今回彼はあくまでも補助員なので無視された。

 

「オーケー。こういうのは考えるよりも感じてみるのが一番だ。よし、誰か模擬戦に協力してくれ」

 

 再びヤシオが挙手したが趣旨に反するのでスルー。

 

「そうだな。じゃあそこの帽子の君、頼めるか?」

「帽子? オレの出番だべ?」

「サリーナ、そいつ(ヤシオ)縛っといてくれ」

 

 参加者が1人前に出る。カンカン帽にアロハシャツ姿の少年だ。今日の参加者のなかでは最年少だろう。

 

「オレントから参加のバシアラくんですね。紺のインナーに発色のいい単色のアロハがいいアクセントになってます。少し背伸びしつつも健康的な少年らしさを損なわない絶妙な併せといえるでしょう」

「オレの地元の服屋の店員さんみたいだ」

 サリーナのまだ見ぬ一面が垣間見えた。

 

 

 ランタナはムクホークを繰り出した。

「俺はこいつでいく。そっちは?」

 

「それならぼくは……」

 少し迷ったのちバシアラが繰り出したのはオオスバメだった。

 

「オオスバメか。相手にとって不足なしだ。それじゃあサリーナ、審判よろしく!」

 

「うぇ」

 審判をやるつもりでいたヤシオがずっこけた。

 

「両者準備はよろしいですか? それでは、はじめ」

 

 『め』の音が消える前に動いたのはオオスバメだった。一呼吸の間にムクホークの眼前に迫り、そのまま『つばめがえし』を見舞った。

 

「よしっ!」

 ジムリーダーのポケモンに先手を浴びせたのだ。当然ガッツポーズも出る。

 

 ランタナは拍手しオオスバメとそのトレーナーを称えた。

「みんな見てたか? 今みたいなスピードを活かした奇襲も有効だな。飛行タイプならどの角度からでも相手に迫ることができるっていうのはアドバンテージだ」

 

 しかしムクホークには堪えた様子がない。そのままオオスバメとムクホークの応酬が始まり、ランタナは指示を出しつつ動きのひとつひとつを解説していった。

 

「『つばめがえし』、いい技だったように見えたけど。やっぱりランタナさんは鍛え方が違うのか」

 頷きつつ感心するサリーナにヤシオが語る。

 

「それもあるけども。あれはオオスバメにパワーを出させないようにしてるんだべ。特性の『いかく』に加えて攻撃を当てられる前に速業の『フェザーダンス』でオオスバメの翼のキレを削いでたんだ。やることえげつねぇべ」

 小声で話しながらも彼のペンはノートの上で走り続けている。サリーナは彼が一応フリーダムバッジを持っていることを思い出した。

 

 戦いはさらに激しくなり、ムクホークが『どくどく』で反撃に出ようとしたオオスバメを苦しめている。

 シンプルな作戦に終始しがちな空中戦においてランタナのような搦め手を使いこなせるトレーナーは珍しい。

 

「さぁ、猛毒状態になったぞ。どうする?」

「オオスバメ! 『からげんき』!」

 

 今度はムクホークを怯ませるほどの威力があった。

 

「いいぞ! ノーマルタイプを持つ物理型飛行ポケモンなら覚えておいて損はない技だ。相手に状態異常技を使わせるのを躊躇させることもできるな」

 

 ムクホークはそのまま『そらをとぶ』で上空へと羽ばたいていく。一方のオオスバメの体力は限界に近く、空中戦を対等に仕掛ける余裕はないことが見てとれた。

 

「決めるぞムクホーク!」

「オオスバメ! 『ばくおんぱ』!」

 

 矢のような勢いでオオスバメに突撃するムクホーク。隠し球の『ばくおんぱ』を難なくかわしてこの模擬戦は決着となった。

 

「くーっ。やっぱジムリーダーは強いなぁ」

 悔しそうだがどことなく満足げにバシアラはオオスバメをボールに戻した。

 

「飛行タイプのいいところが出た試合だったろ? 見学のみんなもぜひ参考にしてくれ。補助員1号、どうだった?」

 

 1号もなにも補助員はヤシオしかいない。

 

「オオスバメの動きがとにかくよかった。同じ飛行タイプのムクホークが相手だからこそ適切な間合いを維持しつつ攻撃のチャンスを窺うというベースがきちっとしてたな。技だと『つばめがえし』。ありゃ凄かったなぁ。『いかく』と『フェザーダンス』がなけりゃムクホークにも相当のダメージだったんじゃねぇかな。状態異常もらってからの『からげんき』もだ。これも本来のパワーが出ないなかであそこまでの威力を出せたのは日頃からカンカンボーイとオオスバメがよくやってるんだべな。あとびっくりしたのは『ばくおんぱ』だ。あれって攻撃力が下がったから特殊技でっていうのもあると思うんだけど、本当の狙いは『がむしゃら』の目眩ましだんべ? 出す前にオオスバメがダウンしちまったけど決まってたら勝負自体がひっくり返っていた可能性すらあるべ。あとは」

「ストップ!」

 

 放っておくと何時間でも話し続けそうなのでサリーナに合図し口を塞がせた。

 

「いい試合だった。また特訓してぜひシャルムジムに挑戦に来てくれ。そん時は本気の勝負をしようぜ」

「でもランタナさんが旅行に出て留守の可能性も?」

「うるせぇぞ補助員!」

 

「次は飛行訓練だ。実際にポケモンに乗って飛んでもらうぞ」

 待ってました、とヤシオが拍手した。

 

「ちなみに今日ここまでポケモンに乗って来たやつ?」

「はい! はいはーい!」

「やかましいぞ補助員!」

 

 ヤシオ以外に先ほどの少年の手も挙がった。残りの2人は陸路でハルビスに来ているようだ。

 

「なるほど。じゃあ今回は2人に頼むか」

 ランタナはグライオンを繰り出した。

 

「応用編だ。実際に飛びながらポケモンに指示を出してみよう。今回は教材としてこれを使う」

 

 両腕を通しても余裕がありそうなほどのリングを見せた。

 

「ラフエルじゃ流行ってないんだが、ポケリンガっていう競技があるんだな。それをやってみようじゃないかって話だ。ルールは簡単でポケモンに指示を出しながら先にリングをゴールに通したほうが勝ち。要するに空中輪投げだな」

 

 すかさずサリーナがタブレットで実際のプレイ映像を見せる。実によいアシストだった。

 

「面白そうだべ。そんでランタナさん。ゴールは?」

 

 輪投げには棒がつきものだ。しかもポケリンガともなればそれなりの高さが必要となる。

 

「これだ」

 ヘルメットをヤシオに手渡した。

 

「唐突にオレの頭部の心配をしてくれるのはハートフルゆえ?」

「補助員だしな」

 

「ルールを説明するぞ。ここにいるヤシオの体に先にリングを通せば勝ちだ。初心者ルールということでポケモンに『わざ』を指示するのはなし。純粋な飛行の指示のみで勝負してもらう。トレーナー自身の飛行はグライオンとムクホークに掴まってもらうものとする。2匹ともその辺はプロだから安心してくれ」

 

「ちょっ、オレがゴール?」

「そうだ。リーグ出てんだからいけるだろ。トゲキッスに乗って飛ぶのも問題ないだろうしな」

「いやそれとこれとは……」

「あとはちょっとした私怨だな。ステラの件、忘れてないからな」

「ちっちぇ大人だなおい!」

「けたたましいぞ補助員!」

 

 ヤシオはさりげなく風景に溶け込もうとしたが、通用するはずもなくサリーナに捕まった。観念したようでトゲキッスを繰り出した。

 

 残り2人は顔を見合わせたのち、先に白と黒で身を固めた女性が進み出た。

 

 サリーナとヤシオがまた小声でやりとりする。

「彼女はクシェルから参加のキスイさんです。あのワンピ、相当高いやつですよ。ゴスロリは敷居が高いけどよく着こなしてますね。パニエは控えめだけどデザインは大胆だなぁ。アシンメトリーなのも凝ってる」

「あーたファッションセンターのまわしもんすか?」

 

 グライオンに抱えられてキスイはふわりと地上から浮き上がった。

 

 そしてもう片方の男性もムクホークに乗る。

 

「あっちはぺガスから参加のフリュウさんですね。とになく派手ですね。黒ベースに赤とシルバーのV系がとにかく目立ってます。身長もありますし、タイトになりがちな服装も難なく着こなせてますね。ファンデーションにアイラインとメイクにもこだわりを感じます。レザーのスキニーもらしさを演出していますしバラがあしらわれたネックレスもトップスに合ってますね」

「サリーナさんもうそれで食っていけるんじゃないですか?」

 

 キスイはメガヤンマを、フリュウはオンバーンを繰り出した。

 

 位置に着いた両者を見てランタナは頷いた。

「よし」

「よしじゃねぇがね!?」

 

「というわけで頼んだぞ。人間ゴール」

「この恨み晴らさでおくべきか」

 捨て台詞を遺してヤシオがトゲキッスに飛び乗った。そして地上を離れていく。

 

「それじゃ、はじめ」

 

 リングの奪い合いが始まった。

 容易に予想できたことではあるがほどなくしてヤシオの悲鳴が遠くから響き渡った。

 

 

 休憩を挟んで講習が再開された。

 

「なんとなくイメージが掴めてきたんじゃないかと思う。立体的な視野を持つことは何事においても役に立つからな。少しでもその感覚を掴んでいってもらえれば万々歳だ」

 

 その後対戦カードを変えつつ行われたポケリンガは大いに盛り上がった。

 しかしその代償は大きい。先ほどからヤシオは体育座りで虚空を見つめており、いたたまれなくなったのかトゲキッスは木の実を採りに森の方へ飛んでいった。

 

 ここまでのタイムテーブルがイメージ通りに進み気分がよくなったのか、ランタナが受講生たちに語りかけた。

「今日来てくれたみんなはトレーナーとしてさらなる高みを目指しているんだと思うんだ。つっても俺に言わせりゃ天才なんてこの世にそうはいない」

 

 いつか、どこかで聞いた話だ。

「だからその方法を手にするには、まずは自分の『色』を知ることから始めるといい。それが第一歩だ」

「受け売り臭がしますがね」

「騒がしいぞ補助員!」

 

「ここまでのカリキュラムをこなしてきたうえで何か質問はあるか?」

「地方営業の芸人みたいなことやってんな」

「シャラップ補助員!」

 

 フリュウの手が挙がった。

「それじゃあ俺から」

「おっその積極性は素晴らしいな。何でも聞いてくれ」

 

 その手がランタナの腕を指す。

「そのZリングを俺にくれないか? ぶっちゃけ今日来たのはそのためなんだが」

「正直な奴だな。価値があるもんだから欲しい気持ちは分からんでもないが……こればっかりは無理だ。島の守り神に認められたトレーナーだけがZリングとクリスタルを扱えることになってる」

 

「分かってる。だから欲しいんだ」

「マラサダひと口くれみたいに気楽に言うなよな。どうしても欲しいならアローラで島巡りに挑戦すりゃいいだろ」

 

「どうしても?」

「悪いな。代わりといっちゃなんだがミックスオレくらいなら奢るぜ」

 

 この場にもう少しだけ敏感な者がいればフリュウの目が赤く濁ったことに気がついたかもしれない。

「それならしょうがないな」

 

 フリュウの隣に立っていたキスイの首にオンバーンの尻尾が巻き付いた。一瞬のことに身動きはおろか声を発することさえできず、キスイは自由を失った。

 

「おい何の冗談だ」

「冗談とは失敬だな。俺はZリングとクリスタルを必要としている。だから奪う」

 

 目の前の相手には言葉こそ通じるが話が通じない。

 

「くぅ~っ! チョロネコ被ってやがったか!」

 ヤシオが苛立ちを露にするが状況に対してそもそもワンテンポ遅い。

 

「渡さないならこいつを締め上げるだけだ」

 首を締め上げられたキスイが小さく呻き声をあげた。

 

「その人を離せ!」

 若さゆえに、バシアラが動いた。オオスバメの『ねっぷう』が人質を避け、敵をピンポイントで狙った。

 

 危機的状況にも関わらずフリュウの態度は変わらない。

「分かるか? これからは力がモノをいう時代だ。こいつもそう言ってる」

 

 理由は明らかだった。突如フリュウの前に現れた氷塊が攻撃を防いだのだ。

 

 2メートルを優に超える巨体に大きく発達した背鰭。そして何より──

 

「いっきし!」

 ヤシオが大きなくしゃみをした。

 それもそのはず。あたりが急激な冷気に包まれたのだ。

 

「ひょうりゅうポケモンのセグレイブ。主な分布はパルデアだったはず。ラフエルじゃ珍しいっけぇな」

 棲息地という意味でもそうだが、そもそも氷とドラゴンというタイプの組み合わせが珍しい。

 

「おい。本当に冗談じゃすまなくなるぞ」

「だから冗談じゃないって言ってるだろ」

 

 その言葉に応えるようにセグレイブが口から強烈な冷気を放った。

 ランタナとサリーナは咄嗟に回避しバシアラもオオスバメを戻して物陰に隠れたが、その場で最も鈍臭いトレーナーが氷像と化した。

 

「ヤシオ!」

 驚愕の表情を浮かべたまま、ヤシオが凍りついた。

 

 セグレイブは『ねつこうかん』の特性を持つ。炎タイプの技を受けることでパワーアップしてしまう。

 

 フリュウが嗤った。

「聞いたところじゃそいつはラフエルリーグに出てたらしいな。厄介な奴は早々に排除するに限る。ジムリーダー、交渉に応じないならここいらを氷河期にしてやってもいいんだぞ?」

 

 セグレイブならそれも不可能ではないだろう。助けを呼ぼうにもあまりの冷気に電子機器のリチウム電池の電圧が低下してしまっている。

 締め上げられているキスイも凍結したヤシオもこのままでは非常に危険だ。状況は非常に厳しいと言わざるをえない。

 

 ここは決断するしかなかった。

 

「……持っていけ」

 Zリングとクリスタルを投げて寄越した。

 

「最初からこうしていればよかったものを。これさえあればお前らは用済みだ」

 

「待て! キスイと交換のはずだ!」

「何の話だ?」

 

 フリュウが新手を繰り出した。

 平べったい頭部に戦闘機を思わせるフォルム。こちらもラフエルでは珍しいポケモンに該当する。

 

「ドラパルトか」

 器用万能型で、ポケモンどうしの比較でも屈指のスピードを誇る。今この場で見たくない相手だった。

 

「俺は次に行く」

 フリュウがドラパルトの背中に掴まった。そしてオンバーンはキスイを抱えた。逃げを打つ流れは明らかだ。

 あっ、という間もなくドラパルトとオンバーンが飛び去っていく。

 

「逃がすか! ムクホー…」

 ムクホークがゼェゼェと肩で息をしている。よく見ると翼の付け根に何かがくっついていた。

 

 サリーナがそれを取り、投げ捨てた。

「『くっつきバリ』。さっきのポケリンガの時に仕掛けていたようです」

 身につけていると時間差でじわじわとダメージが入る道具だ。この状態で人間を乗せて飛ぶことはできないだろう。ランタナはムクホークをボールに戻した。

 

 そしてグライオンもダメージこそないが地面と飛行の複合タイプのため、この冷気の中では力を十分に発揮することができない。

 

 それならばできることを任せるしかない。グライオンは短距離の飛行であれば問題ないとランタナは判断した。

 

「サリーナ今すぐここを離れろ」

「しかし!」

「いいか、無理はするな。迷わず逃げろ。奴を倒そうなんて思うな」

 

 敵を倒すのと同じくらい味方を守ることは大切だ。

 

 

「グライオン、ヤシオたちを連れて距離をとってくれ! バシアラ! さっきの『ねっぷう』でヤシオの氷を溶かしてくれ。サリーナはみんなの手当てを頼む!」

 その言いつけ通り、グライオンがヤシオ・サリーナ・バシアラを掴んで離脱していく。

 

 

 ヤシオに関してはすぐに氷を溶かして応急処置を施さなければ命に関わる。サリーナならその分野にも強い。戦力を失うのは辛いが、ここは人命を優先しなければならない。

 

 なんとかフリュウの追跡に移りたいがセグレイブがそれを許さない。

 

(まずはこいつをなんとかしないとダメだ。しかしその間に奴に逃げられちまう)

 

 続いてセグレイブが放った『つららばり』をファイアローがなんとか弾いた。続けて繰り出したヤミカラスも『ふいうち』で攻撃しているがあまり効いていない。

 

(こんなに鍛えられているなら逃げ出す必要もなかったんじゃねぇのか?)

 

 指示を出すトレーナーがいないのは好都合だがその分逃走のための時間を与えることにもなる。

 

 『つららばり』がランタナの体を掠めた。

「っ! 考えてる余裕はないか!」

 

 ファイアローの『はがねのつばさ』が命中するが、これもセグレイブを止めるには至らない。

 

(どうする……? 相性のいい鋼タイプの技も効果が薄い。炎が効かないから火傷にもならないし搦め手も通用しない)

 ただでさえ周囲は超低温の環境下にある。ランタナですら歯の根が合わないほどだ。

 

 セグレイブの尾がファイアローを打ち据えた。このままではじり貧だ。

 

 ふと、こんな時ヤシオならどうするかという考えが頭をよぎった。

 

 

「ヤミカラス、『ちょうはつ』だ!」

 ここまでセグレイブは攻撃技しか使用していない。一見意味のない指示に思えた。

 

「ファイアロー『ブレイブバード』!」

 スピードで上回るファイアローが攻め立てる。

 

 これだけやれば言葉を発することがなくとも、セグレイブの苛立ちが募る。

 

 そして苛立ちは目の前の敵をまとめて蹴散らす大技の使用に踏み切らせる。

 セグレイブが飛び上がり、頭から落下していく。

 

「来るぞ!」

 

 もちろん混乱による自傷などではない。セグレイブが吐き出す冷気がジェット噴射となり、背鰭からこちらに突っ込んで来た。

 

「ファイアロー! 『はがねのつばさ』! ヤミカラス! 『ナイトヘッド』」

 相性を優先して技を放ち、少しでも衝撃を吸収しようとしたがセグレイブのパワーに弾かれてしまった。ダメージの蓄積は大きい。ファイアローの戦闘の続行は不可能だろう。

 

「無理させてごめんな。この埋め合わせは必ずする」

 ランタナはファイアローをボールに戻した。

 

 まだ気が立っているのかセグレイブがヤミカラスに向かって吼えた。ヤミカラスもそろそろ限界が近い。

 

 ヤミカラスが仲間をやられた怒りを瞳に携えてランタナを見つめた。

「キレてるのは俺も同じだ! ヤミカラス、『オウムがえし』!」

 

 さっきの技の再現となる。ヤミカラスが上下逆さまの状態でセグレイブの腹に一撃をかました。

 

 再び『つららばり』を放とうとしたセグレイブだったが、ついに力尽きその場に倒れ付した。

 

「ふう。『きょけんとつげき』は威力こそ高いが、次に自分が受けるダメージが倍になるリスクがある。的確に指示を出すトレーナーがいてこその技なのにな」

 

 ヤミカラスもボールに戻し、ランタナは手持ちの最後の1匹に飛び乗った。

 

「まだ遠くには行ってないはずだ。奴を追うぞ! ドデカバシ!」

 

 肉眼では見えないほどの距離だが、鳥ポケモンなら僅かな音と空気の揺らぎを翼で感じて追跡することができる。ランタナにとっては動ける最後のポケモンだ。

 

 ドデカバシは一声鳴くと、猛スピードでフリュウを追った。

 

 

 ほどなくしてオンバーンとドラパルトが待ち構える空域に辿り着いた。

 

「セグレイブを倒したか」

「もう気は済んだだろ。キスイとZリングを返せ」

 

 返事は言葉ではなくドラメシヤとなって飛んできた。

 

「『ドラゴンアロー』。受けといて損はないだろ?」

「お断りだ!」

 この高度での被弾は騎乗するトレーナーにとって命取りになりかねない。

 

「『ロックブラスト』!」

 ドデカバシが発射した岩の弾丸をドラパルトがかわしていく。

 

「『10まんボルト』!」

 強力な電撃が襲った。ドデカバシはなんとか回避したがドラパルト(フリュウ)オンバーン(キスイ)の面倒を同時に見るのは苦しい。

 

 オンバーンの『ばくおんぱ』を『タネマシンガン』で相殺し再び距離をとる。

 

「いい加減諦めろ。まあ、この高さまで助けに来たのは評価に値するが」

「じゃあ講習の成果が活きてるってことだべな!」

 

 この場にいない筈の者の声がした。

 ランタナもフリュウも声がしたヤシオを探す。

 

「こっちだ! こんのでれすけが!」

 アーボックにしがみついたままヤシオが落下してきた。

 

「お前、いつの間に!?」

「うっせぇ! オレは凍るのには慣れてんだ!」

 慣れちゃダメだろという感想を抱いたのはランタナだけではあるまい。

 

「ヤシオ! どうして!」

「こういうこった。補助員舐めてっと舌溶けッぞ!」

 スターミーがドラパルトに迫った。『ほごしょく』でギリギリまで姿を隠していたようだ。

 

「舐めてるのはどっちだ! ドラパルト、『10まんボルト』! オンバーン、『ばくおんぱ』!」

 

「おわわっ!」

 アーボックとスターミーがあっさりと退けられた。ヤシオは彼らをボールに戻し、今度はトゲキッスに飛び乗った。

 

「口ほどにもない奴が」

「おいおい。口が閉じなくなるのはそっちだべ」

 

 オンバーンが戸惑ったような鳴き声をあげた。それもそのはず、捕まっていたキスイがいなくなっている。

 

「なんだと!?」

「1名様お帰りです」

 眼下にハッサムに掴まれて地上へ降りていくキスイが見えた。

 

「アーボックの『すりかえ』。プレゼント交換だべ」

 オンバーンの動きが急に鈍くなった。その背中に何かが乗っている。

 

「『くろいてっきゅう』だと!?」

「ランタナさん、今です!」

「おうよ!」

 

 ヤシオがフリュウとやりとりしている間にドデカバシは嘴を加熱していた。

 

「『くちばしキャノン』!」

 もうかわすことはできなかった。ノックアウトされたオンバーンはフリュウのボールに戻っていった。

 

「あと、これも返してもらっからな」

 ヤシオの手にはZリングとクリスタルがあった。

 

「ほら、これはあーたが持っててください」

 そのままランタナにZリングとZクリスタルを手渡した。

 

「サンキュー。でもどうやったんだ?」

「白黒ねーちゃんを取り返したのと一緒ですよ。さっきスターミーを突撃させた時に『トリック』を指示したんです」

「だからアーボックとスターミーだったのか……」

 

 何はともあれ闖入者によって人質と物質が同時に片付いてしまった。

 

「形勢逆転だな。観念しろ! 講師のランタナさんと補助員のオレのcombinationは破れねぇぞ! 名付けてスペシャルトルネード──」

「まだだ!」

 

 今度はドラパルトがフリュウごと透明になった。

 

「まるでステルス戦闘機だ」

「野郎、逃げる気か!」

 

 

「なぜ逃げる必要がある!」

 はるか上空からフリュウの声がした。

 

「ブツを奪えなかったのは痛いがただでは帰らない。ここがお前らの最後だ」

「ヤケでも起こしたか!」

 

「言ってろ」

 フリュウが握ったボールが鉱石のように輝きだす。新手を繰り出すかと思いきやそのボールをドラパルトの体に当てた。

 

 一瞬辺りが眩い光に包まれた。

 再び視界が明瞭になった時、ドラパルトに変化が顕れていた。

 

「頭部にイナズママークの宝石。テラスタルか」

「はえ~っ、ラフエルでも使えたんですね」

 

 テラスタルはパルデア地方で観測される現象だ。ポケモンのタイプが変わるというバトル好きが泣いて喜ぶ神秘である。

 

「これでこいつは電気タイプだ! 翼に頼るお前らには堪えるだろう!」

 

 再び『10まんボルト』が飛んでくる。先程のものとは比べ物にならない威力だ。

 

「気をつけろヤシオ! あんなの食らったら真っ逆さまだぞ!」

 

 トゲキッスとドデカバシが降り注ぐ攻撃の雨を紙一重で回避していく。

 

「ヤシオ! イケるクチだな!」

「そいつはどうも!」

 

 旋回、宙返り、ローリングと空中で自在の動きを見せるドデカバシにトゲキッスもなんとかついていく。

 

「『シャドーボール』!」

「『エアスラッシュ』!」

 技がぶつかり合い爆発した。煙が立ち込める。

 

「ナイスヤシオ!」

 煙に紛れてドデカバシがトゲキッスに寄る。

 

「ランタナさん、どうするんですか? ぶっちゃけこっからの策はないですよ」

「心配には及ばねぇよ。ここはアレを使う」

「アレ?」

 ランタナは腕のZリングを見せた。

 

「ああ、トルネードスピンジャイロですか」

「そんな技ねぇよ!? どんだけ回しゃ気が済むんだよ」

 

 とはいえランタナの意図はヤシオに伝わったようだ。

 

「それなら勝てるべ。よし、風呂入ってきます」

「待て待て」

 

 ランタナはさらに続けた。

「たしかに撃てさえすりゃなんとかなるだろうが……問題が2つある」

「じゃあ2人で分けっこしましょ」

 

 指を2本立てた。

「まずは高さだ。アレは相手より高い所からじゃないとうまく決まらない。そしてそれは奴も承知の上だろう。意地でも俺らを抑え込もうとするに決まってる」

「そこは頑張って飛んでもらうしかないですね」

 

「もちろんそこは俺がなんとかするんだが、あとは時間だな。アレをやるにはどうしても俺が完全に無防備になる瞬間ができちまう。そこをなんとかしてほしい」

「モッさんがやった時は興味本位でつい眺めちゃったけどたしかに隙だべな。時間はどんくらい稼げばよろしい?」

 

「そうさなぁ、奴なら……5秒だ。5秒でケリをつけてやる」

「責任重大ですね。頑張ってみます」

「前から思ってたけどお前、普通に喋れるだろ」

「ノーコメント、だべ」

 

 煙が晴れた。再びドラパルトが2匹を撃ち落とそうと技を連発してきた。

 

「飛べ! ドデカバシ!」

 もっと高く。もっと遠くへ。

 視界の端で空と陸と海が地平線で溶け合って、青と緑のパノラマが構成されていく。太陽の光が大気で屈折しその色合いを変えていく。

 

「!」

 コンマ数秒前まで自分達がいた場所を『10まんボルト』が貫いていく。

 

 フリュウにとっても急上昇するランタナが何を考えているかは手に取るように理解できた。

 

「『マジカルシャイン』!」

 ヤシオのトゲキッスからの攻撃をかわし、さらに上空のランタナに狙いを定める。

 

 ランタナがドデカバシの背の上で立ち上がった。そしてたおやかで、それでいて力強い舞を天に奉納し始めた。

 

「墜ちろランタナ! 『テラバースト』!」

 さらに威力の高い電撃が無防備なランタナを襲う。

 

「させねぇべ!」

 そこへトゲキッスに乗ったヤシオが回り込んだ。そして自らの体で技をまともに受けた。マッギョがヤシオを守っているため直撃こそしていないが、受けきれなかった電圧によってトゲキッスはふらふらと墜落していく。

 

「ヤシオ!」

 思わず助けようと動作に移った。

 

「オレに構うな! 今やれるのはあんただけなんだぞ!」

 トゲキッスとともに落下しながらヤシオが叫ぶ。その目には確固たる意思が宿っていた。それは自己犠牲などという安い言葉では片付けられない。

 

 準備はできていた。

「悪いなヤシオ。今だけジムリーダーじゃなくてただのトレーナーをやらせてくれ」

 小さく呟いてフリュウを見下ろす。

 その技は、Zクリスタル『ヒコウZ』とランタナとZリングの共鳴によって放つことができる。

 

「くらいやがれ! 『ファイナルダイブ──!!」

「てっ、『テラバースト』だ!」

 

 その技は、自由を求め風に乗る全ての者の渇望を秘めた御業だ。

 

「『クラァァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッシュ』!!!!」

 

 遠かった大地が眼前で大きくなっていく。この広いラフエルで自分達がいかにちっぽけな存在であるか改めて思い知らされる瞬間だが、今のランタナにとってそんなことはたいした問題ではない。

 

 その技は、放たれれば最後。いかなる手段を用いても防ぐことは叶わない。

 『テラバースト』の電撃を引き裂きながら、ランタナとドデカバシが全力の突撃の形を成す。

 

 

「あれは……?」

 地上で見守るサリーナとバシアラの目に、青空を線で分かつ一条の光が映る。そして光が弾けていく。

 

 

「サンキュー、ドデカバシ。気持ちのいい一撃だったぜ」

 勝負の最後はいつも一瞬だ。力尽きたドラパルトとフリュウを捕らえ、ランタナは皆が待つ地上へと降りていく。

 

「やっべ。ヤシオ放ったらかしだった」

 本気で心配しかけたが地上を見下ろして胸を撫で下ろした。

 

「俺らもトレーニングに取り入れてみるか? ラジオ体操」

 ワタッコの群れがクッションとなってヤシオとトゲキッスを受け止めていた。

 

 

「ランタナさん!」

「凄かったです!」

 降り立ったランタナをサリーナとバシアラ、さらに通報によって駆けつけたPGたちが迎える。

 

「おふたりさん、オレもけっこう頑張ってて」

「ランタナさん! 最後の技かっこよかったです!」

 バシアラが目を輝かせる。

 

「これでまたジムにも講習にもさらに人が集まるようになりますね!」

「サリーナ、盛り上がってるところ悪いがあまり忙しくなると旅行がだな」

「なりますね!」

「はいすみません」

 

「あれ? そういやキスイは?」

「念のため病院に行くそうですよ」

「そうか。まああれだけのことがありゃそうなるよな」

 

 ランタナは風と自由を抱いて飛ぶ伊達男だ。

 誰もがその認識を新たにしたことだろう。

 

「あのぅランタナさん。バイト代のほうは」

「こまけぇこたぁ気にすんな。この後暇だろ? 飲みに行こうぜ」

 いっそのことステラも呼ぶか。と笑うとヤシオがひっ、と声を漏らした。

 

 

 

 ラフエルに来てからヤシオにも長電話の習慣が馴染みつつあった。

【ヤシオ君も災難だったね】

「いやあホントですよ。あんな奴が紛れ込むなんて」

【それで、フリュウの件なんだけど。あれから容疑を否認しているらしいの】

「はぁ? あんだけやっといてあいつ何言ってんだ」

 

 あれだけ暴れておいて知らぬ存ぜぬが司法に響くはずがない。ヤシオのしょぼくれた正義感ですら怒りを覚えた。

 

【自分は指示を受けただけだって。話も要領を得ないし、当時マインドコントロールのような状態にあったんじゃないかとされているのよね】

「オレはあいつのセグレイブにカチンコチンにされたんですよ!? 次あったらケツバットの刑だべ」

【そのセグレイブなんだけど。例の指示を出してきた相手から譲り受けたって言ってる。なんでも作戦のための個体の余りだとか】

「作戦? それってまさか」

【フリュウの証言を総合するとバラル団とみて間違いないでしょうね。セグレイブは氷とドラゴンという珍しい複合タイプ。彼らがそこに目をつける何らかの理由があると私達(・・)はみている。PGたちはあまり重要視してないみたいだけど】

 

 逃走のためとはいえ、あれだけの強さのポケモンに指示を出さなかったのはその場にいた全員が不自然に感じていた。

 それが人のポケモンで自分の指示を聞かないからと仮説を立てればあり得る話ではある。バラル団の動向についてはこの地方にいる以上もはや無視できない。

 

【それより気になるのはもう1人の講習参加者ね】

「ゴスロリのキスイ氏のことけ?」

【そう。彼女、クシェルに実家があるみたいだけど】

「そう聞きましたけど」

【でも彼女の戸籍データに最近書き換えられた形跡があるの。本当にあの場にいたのはキスイだったのか? そもそもキスイという人物は存在するのか?(・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 なぜクシェルの行政システムについてそこまで知っているのか。あえてヤシオは追及しなかった。

 

「そりゃ住所変更とか登録の印鑑が変わったりとかあるでしょうよ」

【そうじゃなくてね。明らかに行政のシステムの外から手が加えられているのよ】

「……なんとも穏やかじゃねぇべな」

【そういうこと。巻き込んでしまって申し訳無いけど引き続き協力をお願いしてもいい?】

「もちろんです。ホヅミさん」

 



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