Fate/Puella magica (種好き)
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英霊召喚

タイトルは某支部を参考にしました。
処女作につき、稚拙な部分が多く見受けられます事、ご容赦ください。

あとがきに注釈追加しました。
(※Fateシリーズのネタバレがあります)


――――どうして。

 

黄昏の空。

廃墟と化した街で彼女は問う。

 

「本当に物凄かったね。変身したまどかは」

 

場に似つかわしくない、呑気な声。

否、声だけではない。

兎とも猫ともつかぬ白き輪郭から、愛らしいマスコットキャラクターを想起させる無垢な容貌に至るまで。

その全てが、今この時においては最も場違いなモノであった。

 

「彼女なら最強の魔法少女になるだろうとは予想していたけれど――――まさか、あの“ワルプルギスの夜”を一撃で倒すとはね」

 

感心したかのように言葉を放つソレにはおおよそ、感情という概念が無い。

 

最早立ち上がる気力さえ無いのだろう。

地に膝を着いたまま廃墟には視線もくれず、少女は呟くように白い獣に問いかけた。

 

「その結果どうなるのかも……見越した上だったの?」

「遅かれ早かれ、結末は同じだよ」

 

淡々とした口調、抑揚のない声でソレは言葉を続ける。

 

「彼女は最強の魔法少女として、最大の敵を倒してしまったんだ。もちろん、後は最悪の魔女になるしかない。今のまどかなら、おそらく十日かそこいらでこの星を壊滅させてしまうんじゃないかな?」

「――――」

 

黒く凜とした美しさを誇る長髪が悲壮感に揺れるのも厭わず、少女は彼方を見つめる。

街一つを飲み込んで尚余りある異形は、まさに星を覆う万物の呪詛、絶望の具現に相違なかった。

「化け物」という表現さえも霞む程に歪で、巨大な絶望の権化。

それが、彼女のたった一人の友人――――“鹿目まどか”の成れの果てだった。

 

「まあ、あとは君たち人類の問題だ。僕らのエネルギー回収ノルマは概ね達成出来たしね」

「――――っ!“インキュベーター”……ッ!!」

 

意味がない。

そう彼女が悟ったのは、手繰り寄せたベレッタの銃口が火を噴いてからの事だった。

瞬く間さえ無いまま眼前へと迫った十五発もの弾丸を避ける術など、当然在ろう筈もない。

鉛の弾を総身に受けた白い獣は、末期の叫びを上げる事もなく視界から消滅した。

 

しかしソレには感情はおろか、個体死の概念さえ存在しない。

彼女にはそれが解っていた。

一個体が破壊されたところで、また新たな器にすげ替えればいいだけ。

それを知っていながらも怒りに身を任せた彼女の行為は、まさしく無意味といえよう。

 

だが、本来現れるはずの別個体が姿を見せる気配はなかった。

否、もはやその必要すらないのだろう。

先の彼の言葉通り――――地球人類に利用価値は無くなった。

ただ、それだけの事だろう。

 

「はぁ……、はぁ……」

 

怒りと共に手にしていた銃を左手のバックラーにしまい込み、残された僅かながらの力で立ち上がる。

そして、不意にフラッシュバックした光景……既視感を前に、思わず自問する。

 

――――あと何度繰り返せばいいのだろう?

 

答えなど無い。

考えるだけ、意味の無い問いだ。

けれど、問わずにはいられない。

あと何十、何百――――或いは何千回繰り返せば、望む結末を得られるのか。

答えの代わりに、言い知れぬ焦燥感ばかりが彼女の脳裏を去来する。

 

彼女……暁美ほむらは、“時間遡行者”である。

幾多の平行世界を彷徨い歩き、同じ時を延々と遡る“背徳”の少女。

当然、生まれながらにしてそのような存在であったわけではない。

本来なら叶うべくもない奇跡に縋った代償である。

願いの対価、報われる事のない祈り……それは何も、彼女に限った話ではない。

“魔法少女”となった者には例外なく与えられる、逃れ得ぬ宿命――――それでも。

 

「……私の戦場は、ここじゃない」

 

覚悟を新たに、彼女はまた旅立つ。

果てなく続く、可能性の旅に。

報われないと知りながらも、諦める事は叶わない。

 

 

最初はただ、守りたかっただけだった。

 

そのために悪魔に魂を売った。

何度も、何度も、繰り返して、繰り返して。

 

慟哭も枯れ、信頼も情愛も棄て、手段の是非も問わず、ただ、繰り返して、繰り返して、繰り返して。

 

いつしか、目的は手段となり、ただ、目の前の拠り所を救うがために、繰り返して、繰り返して、繰り返して、

繰り返して繰り返して繰り返して繰り返して繰り返して繰り返して繰り返して繰り返して繰り返して繰リ返シテ繰リ返シテ繰リ返シテ繰リ返シテ繰リ返シテ繰リ返シテ繰リ返シテ……繰り返して。

 

立ち止まる事は赦されない。

いつか何処かに在るはずの救いだけを希望に。

彼女は運命の砂時計を反そうとして――――、

 

「――――っ!」

 

右手の甲の、鈍痛に阻まれる。

痛みの先に目を向け、彼女は驚く。

 

……痣が有る。

如何とも形容し難い――――強いて例えるなら、羅針盤の形状に近い、だろうか。

痣は痛みと同じように鈍く、そして微かに、赤い光を放っていた。

今までに無い、明らかな異常事態(イレギュラー)

されど、それを不思議に思う間さえなく、

 

――――彼女の前にあった空間は突如として。

文字通り、音を立てて崩れ去った――――

 

 

 

「――――オレもこれから、頑張っていくから」

 

役目を果たした男は消える。

胸に一つ、その場限りの安堵を抱いて。

理想に殉じ、その果てに摩耗し、朽ち果ててゆく己。

一度“守護者”という容で世界に融けた彼は答えを得てなお、その環を廻り続ける。

永劫続くその輪廻の輪を、地獄と言わずしてなんと言おう。

 

――――でも、それでも。

 

“それでもオレは、間違ってなどいなかった”

 

後悔はない。

希望もない。

あるのはただ、胸に刻んだ新たな誓いだけ。

それだけを頼りに、赤き騎士は、本来在るべき守護の御座へと還ってゆく。

その表情(かお)は生前同様、安らかな笑みを浮かべていた。

 

 

 

仮にこの虚無を一つの空間であると定義しよう。

その空間には何もなく、ただ言葉通りの虚空が拡がっていた。

そういう絶無の中において、唯一、彼だけはそこに在った。

しかし男はただ在るのみで、人格、思弁はもとより意識さえ持ち得ない。

 

生きているのか、死んでいるのか。

そんな事すらも定かではない、がらんどう。

 

それでも確かに、彼はいた。

存在する以上は無ではなく。

無ではない以上、きっとそこにいる理由(イミ)はあるのだろう。

 

一体、どれほどの時が経ったのか。

或いは此処が何処なのか、そもそも……自身は何者なのか。

本来抱くべき疑問の代わりに彼は、聞こえる筈のない“声”を聴いた。

 

「――――けて」

 

か細い叫びのように聴こえるその声は聴覚で捉えられるものではなかった。

もとよりそんな余計な機能(モノ)を、今の彼は持ち合わせていない。

その叫びは、今や在るはずのない彼の魂に直接語りかけるものだった。

 

「――――助けて……!」

「――――」

 

意思の有無などさして重要な事ではない。

この場において必要なのは、確固たる意志。

助けを求めるその叫びは“正義の味方”たる彼にとって、最も見過ごせないモノだった。

 

――――たとえそれが、世界に否定されようとも。

――――たとえそれが、理想を追い求めた先で磨耗しきっていたとしても。

――――たとえそれが、絶望と後悔に塗れたモノであろうとも。

 

――――魂に深く刻まれた信念を、

無かった事には出来ない――――。

 

抜け殻同然の血肉を、ただ、己が殉じた正義の一念だけが突き動かす。

 

「――――I am the bone of my sword(我が骨子は捩れ、狂う).」

 

無意識の内に、男は弓を手にしていた。

つがえるは、かのアルスター伝説に纏わる名剣。

ひとたび放てば空間さえも捩り、引き裂く螺旋状の刃。

何もかもが存在し得ない筈のこの世界において、今、一つの伝承が再現される。

 

「“偽・螺旋剣(カラド、ボルグ)”」

 

真名が明らかになった瞬間、その名立たる刃は“矢”と化し、虚空へと放たれた。

――――伝説にその名を刻む魔剣、カラドボルグ。

複製品でありながらも、放たれた鏃は回転を伴いながら空間を捩じり、穿っていく。

 

切り拓かれた、虚空の涯て。

だが、男の表情はそこにどんな感慨も浮かべる事がなかった。

彼の眼はただ、眼前に拡がりゆく新たな世界を見据えていた。

 

 

 

例えるならそれは、掘削機(ドリル)の旋回音のようであった。

もはや破壊的とも言えるその音に同調するかのように、大気は軋み、唸りを上げて崩れ去る。

巻き起こる旋風に目を開ける事が適わず、ほむらは必死に両の手で顔を覆った。

 

――――からん、と足下に何かが落ちる音がした。

未だ止み間の無い烈風の中、薄く開けた片方の瞳でそれを確かめる。

そこには、先程まで耳をつんざくかのような轟音を上げていたモノの正体があった。

 

あまりに華美な柄。

そして、剣……と言うには、あまりにも歪に過ぎる刃。

僅かばかり残っていた魔力の残滓に気付くが先か。

それは幻想が如く、役目を終えたとばかりに砕けて霧散した。

 

……徐々に弱まる風。

それと同程度の速さで、虚無を映していた次元の隙間が閉じてゆく。

 

――――そこで、一人立ち尽くす長身の男を見た。

見た目の年齢は、二十代後半、といったところだろうか。

 

その外観の齢とは不釣り合いな白髪と、それとは対照的に黒みがかった肌。

そして……一際目に付く赤い外套。

何者であるかを問う前に、その男は挑発的な笑みを浮かべつつ言葉を発した。

 

「やれやれ。私のような役立たずを引き当てる大馬鹿者など、もう二度と現れないと思っていたのだが。いつ、如何なる時代にも物好きな輩はいるらしい」

 

いきなり現れて自己紹介どころか、男はまったく身に覚えの無い嫌味を言い放った。

ほむらが意図を察するよりも先に、彼はさらに言葉を紡ぐ。

 

「さて、一応は義務なのでね。尋ねよう」

 

――――それは、運命を変える問い。

 

「サーヴァント、アーチャー。召喚に応じ参上した。君が、私のマスターか?」

 

 

 

私は眼前の状況を読み込めず、ただ唖然とするばかりだった。

見知らぬ男に突然、主人であるかどうかを問われたのだ。当然だろう。

彼が何者で、一体どんな目的で、どのような手段を講じて此処に馳せ参じたのか。

……気になる事が多すぎる。

 

私がどのように対応すべきかで悩んでいるのを他所に、男は辺り一帯の惨状を見回していた。

そして幾度か目を閉じ……かと思うと、今度は何かを察したかのような顔で呟いた。

 

「これは――――どうしたものか。どうやら今回は“聖杯戦争”に参ずる“英霊(サーヴァント)”として此処に喚ばれた訳ではないらしい。とはいえ、“令呪”の縛りは健在と見える。システムの模倣か……?」

「……サーヴァント?一体何なの、あなた」

 

何がなんだかわからない。

とりあえず置かれた状況を把握すべく、問いを投げる事にした。

……場合によっては、この男の始末も考えなくてはならないかもしれない。

 

すると、男は忘れ物を思い出したような顔で此方を見た。

思索に耽るあまり、私の存在などは蚊帳の外だったのだろう。

どうやら、この事態は彼にとっても予想外の事らしい。

 

「おっと、すまないな。ああ、そうなると……君は何も知らない、という事になるのだな」

「ええ、そうなるわね」

「そうか。では少しばかり長くなるが、順を追って話すとしよう」

 

表情を変える事無く、彼は話を進める。

 

「まず、質問に答えるとしよう。私はサーヴァントだ。言ってしまえば普通の人間ではない。サーヴァントというのは、現世へと呼び出された英霊――――つまり神話や史実で武勇を刻み、世にその名を残した英雄の写し身だ」

「……」

 

出だしから理解する気を喪失させるこの回答に、正直目眩を禁じえない。

……思考を無理矢理、整理する。

つまり眼前のこの男は人間ではないらしく、加えて自身が英雄豪傑の類であるという。

 

難解かつ現実離れした答えを前に、脳が理解を拒絶しかかっているのが分かる。

だが、ここで話を止めている場合ではない。

ただ一刻も早く――――そんな焦りが、私を駆り立てる。

だから、解らない単語はそのままに、気になった点を尋ねる事で心を落ち着ける。

 

「なら、あなたも、その……何処かの英雄なの?」

「……いや。私の場合は少し特殊でね。要するに、真っ当な英雄ではない異端だよ」

 

男は苦笑を浮かべつつ、歯切れの悪い調子で言った。

……なんとなくだが、あまり追及しない方が良いような気がした。

それに、彼が本物の英雄であるのか否かの真偽など、この際どうでもいい。

ここは切り上げ、話題を次へと促す事にする。

 

「では次だ。“聖杯戦争”とは選ばれた魔術師が各々サーヴァントを召喚、使役して、万能の願望機たる“聖杯”を求めて争う殺し合いの事だ。この世界ではあまり関係無い話だろうが、これからの説明においては基本となる事柄だ。もののついでに知っておくのも良いだろう」

 

これもまた、にわかには信じがたい。

“魔法少女”とて十分、常軌を逸している存在ではあるが、しかし。

魔術師の存在、万能の願望機、英霊を使役しての殺し合い。

そこで話された事柄は、この世界とはあまりにも隔絶されたものだ。

つまり――――彼とは文字通り、住んでいる世界が違うという事になる。

 

普通ならば妄言として一蹴するところではある。

しかしなまじ自らも常軌を逸した存在であるせいか、すぐさまそれが嘘だと断じることはできない。

むしろその話には、どこか惹きつけられるものさえ感じた。

 

「ここからはいよいよ、現状に直接関係する話だ。君の右手にある紋様……それは“令呪”と呼ばれる。それは我々サーヴァントの使役に必要不可欠な、三度限りの命令権だ。抽象的な内容であれば効果は弱まるが、それを使って命じた事なら基本的に不可能は無くなる。例えば、深手を負っても“死ぬまで戦え”と命じられればそうするし、“一瞬で移動しろ”と言われれば、瞬間移動さえ可能となる。マスターとサーヴァントの主従関係の象徴だ。つまり」

「これが有る限り、あなたは私に逆らえない……という事かしら?」

 

右手の甲に刻まれた紋様を差し出しながら、確認を取る。

 

「ふ、やけに物分りが良いじゃないか。そういうことだ」

 

彼は先ほどとは打って変わって、心底愉快そうな笑みを浮かべた。

……それがいちいち癇に障るのは何故だろうか。

 

「では、まとめよう。つまり私は、何らかのイレギュラーで聖杯戦争とは無関係に呼ばれた君のサーヴァント、という事だ。納得してもらえたかな」

「……まだ一つ、大切な事が残っているわ」

「む、何だ?」

 

動揺して流れに任せてしまったが、思えば普通、これが最初に訊ねるべき事だった。

しかし、話すべき事は話しきった、と油断していたのか。

彼はそれこそ“鳩が豆鉄砲を喰らったような”、という慣用句に最も適した顔をしている。

自分も忘れていた、なんて失態は棚に上げ、わざと呆れた素振りを見せて続ける。

会って間もないにも関わらず、人を小馬鹿にしたような態度で早くも辟易させてくれた事へのお礼――――ほんのささやかながらの意趣返しだ。

 

「貴方の名前よ。何と呼べばいいのかしら?」

「ああ、これは失礼。私とした事が、うっかりしていたな。――――ふむ」

 

そうすると彼は顎の辺りを撫で、何やら考え始めた。

名前を訊ねられただけにしては不自然な挙動だ。

まさか、この期に及んで記憶喪失だ、などと言い出すんじゃないわよね……?

そう危惧し始めた数秒後、

 

「では、私の事はひとまず、“アーチャー”、とでも呼んでもらおうか」

「“弓兵(アーチャー)”?」

 

それは明らかに本名ではない、役職を表す記号に過ぎないモノだった。

弁解するかのように彼――――アーチャーは言う。

 

「先の通り、私は特殊な事情で英霊の座に就いたものでね。生前の名など意味を成さないと判断した。だから、かつて呼ばれていた役名を、そのまま拝借させてもらったというわけだ。呼び辛いというのなら考慮するが」

「……いいえ、それで構わないわ」

 

今、憂慮すべきはそんな事ではない。

考慮するべきなのは、彼の処遇を含めた今後の事だ。

考えてみれば、今の状況はあまりにもイレギュラーなのだ。

現状以上に頭痛の種を増やす気は無い。

ましてや、それが呼び名の一つともなれば尚更だ。

 

「では、そのように。……さて、今度はこちらが質問する番だな」

 

改めて、アーチャーが話し始める。

その顔は薄く微笑を浮かべている。

 

「君の事に関してだ、マスター。最低限の事で構わない。自己紹介を頼む」

 

……教える義理はないといえば、ない。

しかし一方的に自己紹介をされたまま、というのもなんだか気色が悪いと思った。

未だ得体の知れない相手に迂闊な気はするものの、言われた通り簡素に済ませる事にした。

 

「……私は、暁美ほむら。“魔法少女”というのをやっているわ」

 

魔法少女……改めて自称するのは、なかなかに恥ずかしいものだ。

しかしこの状況下で普通の中学生と名状するのは、あまりにも無理に過ぎる。

 

まず、黒、白、灰色の三色を基調とした、所謂、コスプレイヤーを思わせる服装。

アクセントには、左手に装備されている盾。

ついでというか仕上げには、右手に先ほど得た令呪の痣。

 

そんな身なりをした女子中学生というのは、常識的に有り得ない。

ましてや、今はそれさえも瑣末事に過ぎないほどの破壊状況の真っ只中に居るのだ。

ならばいっそ、こうして率直に見たままを名乗ってしまった方がかえって自然であるといった有様だ。

 

「ほう。なにやら尋常ではないとは思っていたが“魔法少女”、ときたか。……いや、そのフレーズにはもう少しこう、ファンシーなイメージがあったのだがね」

 

それは仕方の無いことだ。

自分だって、幼少の頃や、それこそ契約する以前までは、そんな幻想を抱いていたのだから。

 

とはいえ、そんな存在は彼にとっては特に珍しくもないのか、思ったよりは淡白な反応だった。

話す身としては助かるのだが、事前にリアクションに対して多少気を揉んでいた分、拍子抜けな気もした。

当然ながらそんな此方の意を解する事もなく、アーチャーは続け様に問いを投げる。

 

「それで、その“魔法少女”というのは一体どういうものなんだ?まさかアニメよろしく、喋るステッキを振って敵を蹴散らすというのではあるまい」

「……そういうのも探せばいるかもしれないけれど。まあ仕事に関しては当たらずも遠からずね。私たちの仕事は、願いの成就を対価に絶望の象徴である“魔女”を狩る事よ」

 

たった一つの祈りの為に、他の全てを諦める。

幾多もの同輩の末路を省みての結論――――夢も希望も無い。

魔法少女というのは得てして、そういうものだ。

 

だが、ここで彼が尋ねたのは、その概要やシステムについての事だろう。

その労苦を事細かに言って聞かせたとて、真相を知る同業者――――少なくとも知り合いにはないが――――にならともかく、今、目の前にいる外来の人間に対しては、ただ戸惑わせるだけの徒労に終わる。

つまりは、どうしようもなく詮無い事だ。

胸の内にある真相を伏せつつ、ごくシンプルな概要だけを答えた。

 

「願望の成就、ときたか。いずこに居ようと人の世は変わらぬものだな」

 

思うところがあるのか、アーチャーはため息混じりに皮肉をこぼした。

 

「とはいえ、これで私のすべきことが見えてきたな。戦う相手がいるのなら話は簡単だ。どうやら今後の私は、いわば魔女狩りに徹する羽目になるわけか」

「あなた、戦えるの?」

「もとよりその為のモノだ。その魔女とやらがどの程度の脅威なのかは知らんが、聖杯戦争はマスターの代わりにサーヴァント同士が戦う代理戦闘が基本だったからな。私とて、それなりの戦闘能力は持ち合わせているつもりだよ」

「……」

 

此方が向ける疑惑の視線に気付いたのか。

アーチャーは一瞬、むっ、とした顔で此方を見て、

 

「私の能力に疑いがある、と?……いい機会だ。実戦の前にお互いの能力を把握しておくのも悪くはない。どうやら君は、本来与えられるべき“透視力”の恩恵も受けていないようだからな」

 

そう言うや否や、彼はこちらに聞こえるかどうかの声で何かを唱えた。

 

「――――投影、開始(トレース・オン)

 

……魔力の奔流。

彼の両の手が光り、そこから二本の、

――――否、つがいの双剣が錬成されていく。

 

「英霊には“宝具”というものが存在する。その英雄が伝承で使用していたとされる武具や、伝説で語られる偉業が形を成したモノがそれだ。尤も、私のはそう高尚なものではないが」

 

そう言っている内に彼の両手には、中華の意匠が感じられる二対一体の剣が握られていた。

 

――――ほむらは知る由もなかったのだが、“干将莫耶(かんしょうばくや)”という、中国の故事成語がある。

 

春秋時代の折、五覇の一角を担った呉の国の刀匠“干将(かんしょう)”が、己が妻“莫耶(ばくや)”の毛髪と爪を用いて鍛ち、また、それぞれに自らの名を刻んだとされる陰陽の双剣。

そこから後、現在に至っては広く、名剣の喩えとして用いられている。

 

その逸話の基となった名刀『干将(かんしょう)莫耶(ばくや)』というのが、今まさに、アーチャーの手にしているソレだった。

 

「私の能力はこのように、“刀剣を投影して使用する”というものだ。一応、他に“切り札”と呼べるものもあるが……それは然るべき時、披露する機会があれば見せよう」

 

説明を終えると同時に、彼の手にあった双剣はあっさりと砕け散った。

先程、空間を穿ったあの剣のように、後には欠片さえ残らなかった。

 

確かにこの男の能力はわかった。

しかしそれでも、彼の実力には未だ底知れないものがあるのを感じた。

……気圧されるまい、と少しばかり身構える。

それに気付いたのか、彼は肩を竦めて呆れた表情を浮かべる。

 

「それで、君の能力は何だ?……私は君のサーヴァントだぞ。突然の事で多少警戒するのも頷けるが、もう少し信用して欲しいというものだ。最低限、お互いの手の内を把握しておかなければ、いざという時に対応できる保証がないからな」

「……ごめんなさい。私の能力は今、使用することは出来ないの。それに仮に知っていた所で、連携等の応用に活かす事は出来ないでしょうね。それこそ然るべき時に」

 

まんざら、嘘偽りというわけでもない。

確かにこの男への警戒は棄てていない。

それに伴って、信頼を置くなどという事も、現時点では言うまでも無く有り得ない。

しかしそれ以上に、こちらの能力には一定の制約があった。

簡単に言えば――――、“時間切れ”である。

 

「……そうか。まあ、他でもないマスターの言葉だ。信用するのもサーヴァントの務めか」

 

おそらく彼は「未だ信用するに足りない」、というのが此方の意思だと受け取ったのだろう。

そんなマスターを賢しいと思い尊重してか、或いは警戒心の強さに呆れてか……ああ、あの顔は間違いなく後者だ。

……とはいえ、彼はその皮肉一つ以上には、特に食い下がろうともしなかった。

 

「では、次の質問といこう。君の目的についてだ」

「……私の目的?」

「ああ。此処に聖杯は存在しない。しかし君は令呪を有し、私のマスターとなった。つまり私は君に協力すべく、聖杯の在り方を模倣した何者かに召喚された、と考えるのが妥当だろう。それで根本の目的も定まらないとあらば、私はいつまで経っても縛られたまま中世よろしく、悪趣味な異端狩りに延々と興じる羽目になる」

 

確かにアーチャーの言い分はもっともだ。

もっともなのだが……この男はいちいち人に悪態を突かねば生きていられない呪いにでも罹っているのだろうか?

 

さておき。

どうやらアーチャーは既に曲がりなりにも私を、仕えるべき主人と認識しているらしい。

しかし、当の私にはまだその気が無い。

 

たしかにこの逼迫した状況を打ち破るためには藁にも縋りたいところではある。

彼の底知れぬ力量があれば……もしかすると、あの“ワルプルギスの夜”すら打倒し得るかもしれない。

 

だがそれでも、彼を頼る気にはなれない。

何故なら、そう――――彼が今、私に問うたのと同じことだ。

 

アーチャーの目的というのも、私には分からないのだ。

いくら令呪とやらの縛りがあろうと、私のような得体の知れない娘に付き従うメリットは彼にはないはずだ。

私が何を求めたとしても、それを助ける事に関して、アーチャー自身に還るものなど何も無い。

ましてや、この世界には彼の言う願いを叶える聖杯もないのだから、なおさらだ。

 

彼がいつの時代で活躍した英霊かは知らない。

だが現れた際の口振りからしても、まさかこの世に未練があるというわけでもないだろう。

……内に秘めた力よりも、見えない目的の方が余程脅威に思える。

いつ足下をすくわれるか、分かったものではないから。

 

「……私は、私の願いを叶えるだけ。その為に誰を頼るつもりもないし、あなたを召喚した憶えもないわ。勿論、あなたを拘束する気もない。だから私の前から消えて」

 

かぶりを振る私に対して、彼はやれやれとでも言いたげな表情を少しも憚る事なく此方に向けた。

 

「残念だが、私の意志でここから消える事は出来ん。でなければわざわざ、ここまで面倒なプロセスを踏んでまで小娘の信用を得ようとは思わんよ。まあ、その令呪で“自害せよ”とでも命じられれば、応じない訳にもいくまいがね」

 

……いっそ本当にそう命じてしまおうか、と一瞬考えるくらいには苛立ちを覚えた。

だが、そうはいってもやはり、自害を強いるのは憚られる。

迷惑な話だが、どうやら彼は私のもとを去る気はないらしい。

ならばここは核心には触れぬよう、適度にそれらしい事を言って誤魔化す事にする。

 

「……私は、この世界を絶望で終わらせたくない。だから私は、戦い続ける」

「――――なに?」

 

アーチャーは改めて、かつて栄えた面影を一つとして遺さぬまま、灰燼と帰した都市の無残な瓦礫……そして、その遥か果てを見て顔を顰めた。

 

……そう、この光景を見た瞬間、おそらく誰もが思うだろう。

“この世界は既に終わっている”、と。

事実、目の届く範囲には、希望も未来も閉ざされた風景だけが存在していた。

 

「それは――――あの黒いのを倒すのが目的、という事か?」

「まさか。アレを倒したところで、この惨状は変わらない。何の解決にもならないわ」

 

“救世の魔女”。

その性質は慈悲。

彼が黒いの、と形容したソレはまさしく最悪の魔女であり、魔法少女最大の敵と言えるだろう。

しかし、それでも、アレの相手をする気など毛頭無い。

それはつまり――――親友を殺し、殺される事と同義なのだから。

 

「話が見えないな。君はこの世界を救うのに、アレを斃す以外に道があると?」

「……その表現は厳密には正しくなかったわね。けれど、同じことよ」

 

明らかに納得がいかないという表情のアーチャー。

ここまで来ては、もう隠し通せないだろう。

服従するというのなら……サーヴァントというくらいだ、せいぜい小間使いにでもしておこう。

まだ少し不安が残るが、いざとなれば令呪がある。

尤も、その性能の程も真偽さえ確かではないのだが――――細かい事はもう、後だ。

 

――――あの子を、助けなくては。

今度こそ、必ず――――

 

そう、心に決めて提案する。

 

「……いいわ、一緒に来てもらえるかしら?アーチャー」

 

――――そうして翻した歯車は、時間の理に叛逆するかのように廻った。

 

 

 

アーチャーが次に意識を外へと向けた時、目の前の廃墟は朝日の差し込む近代的な病棟の一角へとその姿を変えていた。

一体、どうしたことか。

そう思い、ふと、アーチャーが室内を見回すと、

 

「……ほむら?」

 

彼の視界に入ったのは、寝巻き姿でベッドから起き上がる暁美ほむらの姿であった。

服装の変化はおろか、髪もいつの間にか三つ編みに結われている。

たったそれだけの変化でも、アーチャーには彼女が先程までの凛とした雰囲気の持ち主とはまるで別人のように思えた。

 

「おはよう、アーチャー」

 

しかしほむら自身はこれといって慌てた様子もなく、いたって冷静に朝の挨拶を返してきた。

 

「……これは、どういう事だ?我々は先程まで廃墟にいたはずだが」

「そうね、その通りよ」

 

ほむらは手馴れた様子で三つ編みを形成していたリボンをしゅっ、と解きつつ、これまた冷静に答える。

 

「ある一定期間にまで時間を遡った世界へと移動する――――これが、私の能力」

「……これは流石に驚きだな。まさかこのような娘が“第二魔法”の真似事とは」

 

第二魔法。

簡潔に言えば、“並行世界(パラレルワールド)”間の移動である。

かつてアーチャーの居た“魔術”が存在した世界においても、使い手はただ一人の魔法使いしか存在していなかった奇跡の業。

それは魔導を極めた神代の魔女といえども、ついぞ届く事のなかった極致を意味する。

“魔法少女”とはよく言ったものだ、とアーチャーは内心で独りごちた。

 

「――――で、アーチャー。今後の事だけれど」

 

ほむらは聞く耳持たず、といった具合にアーチャーの感嘆を聞き流し、今度は宝石のような物を目元に翳していた。

そこからは微かに、だが確かな魔力の波動を感じる。

 

――――“ソウルジェム”。

因果を持つ者が契約を交わす事で生成される、魔法少女の力の根源。

一度これを得た者は、自らの願望を叶え、魔術さえ凌駕した魔法の行使を可能とする。

その見返りとして、彼女たちは絶望から産まれ出でた異形の怪物、魔女との命懸けの戦いに身を投じる生涯を約束される事になる。

 

弛まぬ努力と経験から培った高い分析力と、もとより持ち得た人並み外れた物質の構造把握能力。

アーチャーはこれらの概要を、その宝石から発せられる妖艶な輝きを通じて瞬時に読み取る事ができた。

そのような事をつゆとも知らず、ほむらは続ける。

 

「当面は誰にも悟られないよう、必要な時に応じて行動してもらうわ。さしあたってはまず、この病室から抜け出す方法なのだけれど……」

「ああ、それなら心配要るまい。容易いことだよマスター」

 

アーチャーの身体が先ほど、彼自身の投影した武具と同じように霧散した。

エーテルを基に構成された肉体を持つとはいえ、本質的には霊体故に、サーヴァントは非実体化という形で己の姿を眩ませる事が出来た。

 

「……なら、話が早いわね。いい?私がここを退院して動き出すには、まだ時間が掛かる。その間、この世界に慣れておいて。それと――――」

 

ほむらは一瞬、躊躇うように言い澱むも、すぐさま一枚の写真を取り出した。

アーチャーは霊体化を解き、それを手に取る。

その写真には、一人……彼女と同じ年頃の少女の姿があった。

 

「この女の子……鹿目まどかに注意して」

「どういう事だ?」

 

注意しろ、という物言いからはおおよそ二つの意味が考えられる。

一つはその対象、もしくは対象の取る行動が自身の目的にとって害となる場合。

そしてもう一つは、対象が目的遂行に必要不可欠な鍵となる場合である。

 

写真を見る限り、そこに写っている華奢な少女は悪意ある人物には到底思えない。

つまりは後者なのだろう、とアーチャーは推考した。

 

「彼女、狙われているのよ。“キュゥべえ”に」

 

狙われている。

そんな由々しき状況とは裏腹に、彼女の口から出たのは些か以上にシリアスさを欠いた固有名詞だった。

 

「……ふざけているわけではないようだが。何なのだ?その“キュゥべえ”とやらは。ずいぶんと気の抜けた名前だが」

「私と契約で繋がっている以上、貴方にも見えるはずよ。白くて、猫だかなんだか判らない様な……とにかく、そういう変な生き物を見かけたら、まず間違いなくソイツよ。問答無用で仕留めて」

 

アーチャーはほむらの言葉に静かながらも明確な敵意がある事を感じ取った。

女性特有の、内に秘めた剣呑な雰囲気を彼は苦手としていた。

 

“……どうにもまた、厄介なことに巻き込まれたらしい”

そう、心の内で嘆息しつつも、アーチャーは従者(サーヴァント)として主からの勅令(グランドオーダー)を承った。

 

「……やれやれ、君がそこまで言うからには余程の災厄で間違いなさそうだな。せいぜい気を付けるとしよう」




※注釈

サーヴァント:大まかな概要は本文参照。
剣の騎士(セイバー)弓の騎士(アーチャー)槍の騎士(ランサー)の三騎士を筆頭として、他に騎乗兵(ライダー)魔術師(キャスター)暗殺者(アサシン)狂戦士(バーサーカー)と、それぞれ七つのクラスが存在する。

アーチャー:錬鉄の英霊。「Fate/stay night」のアーチャーと基本的に同一人物。
本作においての彼のステータスはEXTRAシリーズとほぼ同条件。

偽・螺旋剣(カラドボルグⅡ):アルスター神話の武器、カラドボルグの複製宝具。
アーチャーによるアレンジが加えられている。

魔術:TYPE-MOON作品に共通の概念。
神秘の再現、根源への到達の手段とされている。
アーチャーの刀剣複製も“投影”といわれる魔術の一種。

魔法:上記と同じく、TYPE-MOON作品に共通の概念。
魔術との違いは簡単に言うと「科学等の技術で再現できるかどうか」。
ちなみに第二魔法の使い手はキシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグ。

“神代の魔女”:ギリシャ神話に登場する魔女、メディア。
「Fate/stay night」では魔術師(キャスター)のサーヴァントとして現界。


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始動

黒のTシャツに、これまたシックなジーパン。

何処で揃えたか、おまけに伊達メガネまで誂えた、普遍的な男性の当世衣装。

それを違和感なく着こなしてみせたアーチャーは近年、飛躍的急成長を遂げる見滝原の街中を闊歩していた。

 

……まさかこんな街が、そう遠くない将来において世紀末さながら、荒廃しきっているなどとは。

並み居る群衆は勿論の事、アーチャー自身ですら実際に目の当たりにしていなければ、到底信じる事は出来なかっただろう。

 

本来、サーヴァントは他の英雄豪傑(サーヴァント)と矛を交え、殺し合う為の兵器に過ぎない。

その兵器たる彼が何故、このように平和を象徴するかのような近代都市を散策しているのかといえば、それが現在の主人から直々に仰せつかった命令であるからに他ならない。

 

現代の生活に馴染む事。

これが目下、彼に為すべきと与えられた指令である。

しかし実を言えば、彼にはその必要がほとんど――――否、全くなかった。

 

まず、サーヴァントは現界の際、現代において必要な最低限度の知識を聖杯から与えられる。

これは当然、現代の理が通用しない遥か太古の時代や神話より呼び出された英霊に対しての配慮である。

今回、聖杯戦争に際して呼び出された訳ではないアーチャーに対しても、その恩恵は何の不具合も無く適用されていた。

聖杯戦争のシステムを継承、もしくは応用した形がとられているのだろう。

 

しかし、こと彼の適応力に関して言えばそれ以上の理由があった。

そもそもアーチャー自身は真っ当な英霊(・・・・・・)ではない。

古代において為政者として栄えたわけでもなければ、神々が相争う苛烈な神話の中で一騎当千の武勇を成し得たわけでもない。

 

生前の彼は、現代における魔術師でしかなかった。

そんなものは一般社会においては、ごく普通の一人間と大差はない。

故に彼はこの現代の社会にかえって不自然な程、ほぼ完璧に適合出来たのである。

 

――――それは彼が現在、スーパーマーケットの食材を広告片手に、安価かつ鮮度の良い物に厳選している事からも伺える。

タイムセールにおいて、さながら悪鬼の如き形相をした百戦錬磨の主婦とタメを張り、目当ての品を掻っ攫っていく様子など、見る者はさぞ瞠目した事であろう。

 

曲がりなりにも英霊であるはずの彼が、何故こうも所帯じみた真似をしているのか。

というのも、事は数時間前に遡る。

 

 

アーチャーはひとまず、郊外にある主……暁美ほむらの拠点へ赴いた。

その際、彼はその生活感の無さに愕然とした。

 

仮にも年頃の女性の住まいだというに、可愛らしい小物の一つも無い。

どの部屋もデフォルトが灰色で、殺風景に過ぎた。

歯車的オブジェクトが立ち並ぶ客間と思しき一室には……なんというか、もう言葉も無い。

 

……まさか魔術師の工房ではないだろうに。

しかし、思い返せば生前の彼自身も殺風景という点ではここと大差はなかった。

そう考えると、この無機質かつ悪趣味に近い部屋についても多少目を瞑ることは出来る。

 

それより問題なのは、冷蔵庫や物置にある栄養食品やインスタント食品の数々。

そして何より、使われた形跡も無く埃を被った調理器具……。

こればかりはどうしても、彼の性分として看過し得なかったのだ。

 

 

そうして買い物を終えたアーチャーの視界がふと、すれ違いざまに見覚えのある女性の姿を捉えた。

 

桜色の髪を二つに纏めた小柄な少女。

彼女は友人と思しき青いショートヘアでボーイッシュな少女と、ソフトクリームを片手に談笑していた。

 

鹿目まどか。

現世でのマスターたる暁美ほむら曰く、彼女こそが現状での最優先保護対象である。

 

……とはいえ、観察は観察。

現状での不用意な接触はマスターの意図するところでもないだろう。

とりあえずは、この両の手を塞ぐ荷物を持ち帰って――――、

 

「きゃっ!?」

「……っと!」

 

彼女は、不意に足を躓かせた。

接地を回避させるべく、それを支えるアーチャー。

この時、彼は改めて自分の幸運値(ラック)の低さを嘆いた。

 

「ご、ごめんなさいっ!え、えっと、大丈夫ですか……!?」

「ああ、私は大丈夫だ。……この一張羅以外は、だが」

 

見ると、アーチャーの衣服の胸元にはべたり、と苺フレーバーのクリームが付着していた。

 

「あっ……ご、ごめんなさいっ!」

「いや、気にしないでくれ。それより、君の方に怪我が無くて何よりだ」

「で、でも……そ、そうだ!」

 

まどかはポケットからハンカチを取り出し、アーチャーの胸元を拭おうとした。

そこに、先ほどまで彼女の傍らに居た青い髪の少女が駆け寄った。

少女はまどかを庇う素振りを見せつつ、何やらたどたどしく言葉を紡いでいる。

 

「ごめんなさ……あ!そ、そーりー!えー……まいねーむ、いず、さやか……えっと」

 

……どうやら、この「さやか」という娘はアーチャーを外国人だと勘違いしているらしい。

たどたどしい英語から察するに、異国の観光客と揉め事を起こした友人を弁護しようと考えたようだ。

 

「……謝罪は痛み入るが、日本語で構わんよ。加えて、私はさほど気にしていない」

「えーーーーっ!?嘘、日本の人!?」

 

長身に白髪、加えて浅黒い肌。

たしかに、容貌はいくらか日本人離れはしているが……

いくら国籍、人種の関係が無くなった身とはいえ、少しばかりの寂寥の感はある。

それより、とりあえずこれ以上ややこしい事にならないよう、事態を収拾せねば。

 

「私は……エミヤ、衛宮という。こちらこそ済まなかったな。原因は私の不注意だとも。お詫びとして、そのソフトクリームは弁償しよう」

「え、い、いや、いいですよ!その、躓いちゃったの、私だし……」

「まあまあ、まどか!せっかく向こうがくれるってんだから、素直に貰っときなって!」

 

遠慮するまどかを、明るい笑顔で諭すさやか。

……たしかに言い出したのは此方だが、当人でもないのに厚かましい事だ。

 

――――そう思った瞬間、頭に靄がかかった様な気がした。

どこか懐かしい……デジャヴ、だろうか。

以前にもこんなタイプの女性に逢った、ような……?

 

「いやー、ほんとすいません!あたし、見滝原中学二年の美樹さやかっていいます!こっちはあたしの友達。同じく見滝原中の……」

「か、鹿目まどかですっ。えっと、衛宮さん、ほんとにごめんなさいっ!その、弁償とかはホントに大丈夫ですから……!」

「そうか。いや、謝罪には及ばんさ。だが鹿目君、次からは足元にもう少し気を払う事を奨めるよ。では、私はこれで」

 

これ以上の干渉は無用、と、アーチャーは足早にその場を立ち去ろうとした。

だが、その際に彼のジーンズのポケットから、紅いペンダントがこぼれ落ちた。

 

「あ、落としましたよー……って、うわっ、キレー!これ、もしかしてルビーとかじゃない?」

「――――!」

 

煌々と鈍く輝くペンダントを前に、アーチャーはしばし絶句した。

身に着けた覚えなどはまるで無かった。

だというのに、何故。

生前の記憶は当に磨耗していた彼も、この宝石にだけは見覚えがあった。

 

かつて己を死の淵から救い、生涯持ち続けた――――、の。

 

朽ち果てていたはずの記憶の残滓が、走馬灯のごとく脳裏を掠めては消えていく。

 

「衛宮さん?」

「……済まない。――――大切な人の、形見でな。少し、思い出しただけだ」

「あ、そうなんですか。なら、ちゃんと大事にしとかないと」

「ああ、気をつけよう。……では、今度こそ失礼する」

「あ……」

 

アーチャーは動揺を隠し切れず、気付けばその場を後にしていた。

彼がはたと我に返る頃にはもう、二人の少女たちの姿はどこにもなかった。

 

 

 

 

その獣は何の感情も抱かず、ただ目の前の事象を観測する。

 

目的:資質ヲ持ツ少女“カナメ マドカ”及ビ“ミキ サヤカ”両名ノ観察。

経過:強力ナ魔力反応ガ観測対象ト接触、当該ノ魔力反応ニ前例無シ。

対応:現状デノ脅威度ハ低イト推定、警戒事項ヘノ追加ノ必要性――――審議。

 

 

 

 

「……このあたりか」

 

夕刻、アーチャーは先とは打って変わって、いつもの赤い外套姿で外に繰り出していた。

場所も見滝原市からは少し離れた風見野市。

その閑静な街の中でもさらに人通りの少ない路地裏に向かっていた。

 

“魔力探知”。

アーチャーのいた世界に存在した“魔術”における基礎中の基礎。

彼はこれを足がかりとして用い、魔女の反応を追っていた。

 

疑り深いマスターの為に肩慣らしを兼ね、敵の首級をあげて取り入るのが目的だ。

この献身ぶりときたら、帰らぬ主人を待ち続ける忠犬のようで、我が事ながら落涙を禁じ得ない。

とはいえ、単身での索敵から戦闘行動――――これに関しては偏に、アーチャークラスのサーヴァントが有する“単独行動”のスキルに依るところが大きいだろう。

その恩恵に感謝しつつ、早急に用件を片すべく道を急ぐ。

 

話は前後するが、サーヴァントの中には魔術が不得手である者も少なくない。

ましてや“魔術師(キャスター)”のクラスでもなければ尚更の事だ。

無論、一流の英霊ともなると“直感”や“心眼”といった特殊技能(スキル)で当たりをつける者もいれば、潜ってきた修羅場から得た経験で補う者も存在する。

だがそれでも、こと魔力反応を捜索するだけならば、これが最も手っ取り早い方法である事に変わりは無い。

弓の騎士(アーチャー)”でありながらも、生前は“魔術師(メイガス)”であった彼には、この程度の魔術行使は造作も無い事だった。

 

反応が強力になっていくにつれ、しだいに周囲の空間が歪み始めた。

それは、現実を侵食してゆく怪異。

 

「なるほど、結界か」

 

そうして現れた空間は、もとの夕暮れの路地裏とは懸け離れていた。

天蓋は目いっぱいに拡がる青空。

対して足下には、夥しいまでのセーラー服を吊った無数のロープが張り巡らされている。

まさに綱渡り、といった具合だ。

現実を飲み込むその景観の再現は、神秘に準えて言うところのまさしく“結界”であった。

 

アーチャーは即座に夫婦剣を手にし、限られた足場のロープを臆することなく渡り歩いた。

その都度、現れる使い魔もにべもなく鮮やかに両断していく。

 

空間の最奥に控えるは、それらを使役する大本。

 

“委員長の魔女”。

その性質は傍観。

頭部を欠き、脚が腕と化した制服姿の異形は魔女というよりも、まつろわぬ女学生の霊を思わせる。

 

「……まったく。何処に居ようと、あのようなモノの相手をさせられるのは変わらないか」

 

押し寄せる有象無象を事も無げに切り捨てる剣捌きが二十を超えた辺りで、アーチャーは嘆息を洩らしつつ、自嘲気味にそうひとりごちた。

 

世界には“抑止力”というものが存在する。

集合した無意識によって創り出され、世界を破滅に導く要因を排除する概念。

とりわけ、人々の祈りから生み出され、“人類の存続”を最優先として世界に使役される英霊は“霊長の守護者”と呼ばれる。

死後の信仰心の薄い英霊や、生前に世界と契約を交わした人間(・・)がそれに該当する。

アーチャーはまさに後者の典型例だった。

 

――――救えぬはずの百人を救うべく、世界にその身を捧げた元人間。

故に、このような悪霊の類との戦闘は彼にとっては何ら驚くに値しない。

言ってしまえば、ただの掃除にも等しかった。

 

そんな彼の心境などは意に介す事もなく、闖入者の存在を知覚した魔女は、やにわに胴側の腕を振り上げる。

 

それが号令だったのか。

満天の彼方から何処の教室にもある学習机や椅子が、魔弾のごとく雨霰とアーチャーに向けて放たれた。

外敵の排除――――その一念にもはや敵味方の判別はなく、天より降り注ぐ教室備品の雨は、射線軸に乗った有象無象をもろともに吹き飛ばすだろう。

 

さりとて臆する様子など微塵も見せず、彼はそれをにべも無くも避け、或いは迎撃しながら敵との距離を詰めていく。

 

そうして何撃か退けた後、ふと足を止めた。

そして彼はあろうことか、手にしていた得物をあっさりと投げ捨てた。

丸腰となったアーチャーに、ここぞとばかりに押し寄せる使い魔の多群。

だがついぞ、ソレらの内の一つとて、彼の懐にまで辿り着くことはなかった。

 

放たれた双剣は布石だった。

“剣を取るのは、必殺を誓った時のみ”

その必殺の間合いを取ったアーチャーが今、詰めに向かって王手をかけたのだ。

 

彼の手に再び、放棄したはずの『干将(かんしょう)莫耶(ばくや)』が顕れる。

――――瞬間。

虚しく空を切ったかに思われた双子剣は突如として楕円を描き、そのまま前方のロープを切断した。

 

干将(かんしょう)莫耶(ばくや)』にはさながら夫婦の絆が如く、互いに引き合う性質が存在する。

故に先に空を舞ったニ双は後に錬成された剣に反応し、ブーメランのように軌道を変えたのだ。

 

足の踏み場を失った使い魔達は、為す術も無く奈落の底へと飲まれていく。

しかし唯一の進路であり、同時に退路でもあったそれを断たれたのは、アーチャー自身とて同じ事。

それを勝機とみた魔女は六本の魔手を余さず、眼下の騎士へと叩きつける――――!

 

だがロープの切断を確認し、それに見切りをつけたアーチャーは迷う事無く跳躍していた。

 

「――――鶴翼(しんぎ)欠落ヲ不ラズ(むけつにしてばんじゃく)

 

振り上げられた双刃はその真なる容を成さん、と光を発する。

その求めに呼応するかのように、彼はさらなる詠唱を紡いでいく。

 

「――――心技(ちから)泰山ニ至リ(やまをぬき)

 

己を叩き伏せんと迫る魔手。

その隙間を掻い潜って、さらに躍進する。

同時になおも追い縋るソレを阻むように、滑空していた双剣が爆ぜた。

 

壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)

英霊の半身ともいえる宝具。

そこに溜め込まれた魔力を炸裂させる、いわばサーヴァントの最終奥義だ。

己が象徴――――英霊を英霊たらしめる“貴き幻想(ノウブル・ファンタズム)

それを破棄する行為を、彼は平然と、何の未練も無く発動させた。

 

――――否。

なるほど、たしかに並みの英霊であれば、それは誇りの全てを擲った最終手段といえるかもしれない。

だが、アーチャーにとっての宝具は“宝具であって(・・・・・・)宝具ではない(・・・・・・)

所詮は記憶から毀れ落ちた紛い物。

元来の担い手が持ち得る本物とは較べるべくも無い“贋作”である。

それが唯一無二というわけでもなければ、そこに誇りが生じる道理も無い。

“投影宝具は替えが利く”、という彼ならではの利点を最大限に活かした十八番である。

 

幻想の破却。

その爆風で生じた衝撃をも利用し、押し上げられる形で最後の飛躍。

赤い騎士はついに、何も隔てるもののない魔女の頭上にまで達した。

そして、手にした刃は形を成して――――、

 

「――――心技(つるぎ)黄河ヲ渡ル(みずをわかつ)――――ッ!」

 

陰陽の“鶴翼(かくよく)”は振り下ろされ、その一刀の下に魔女を断つ。

 

刃渡り一メートルにも及ぶ優美華麗な刀身。

かの大英霊“ヘラクレス”の命をも削った、その鋼の銘は『干将(かんしょう)莫耶(ばくや)オーバーエッジ』

“あまねく怪異を絶つ”と謳われた『干将(かんしょう)莫耶(ばくや)』の真骨頂。

その十全にして余りある威力に身を裂かれた呪いの具象は、末期の叫びを上げる事もなく事象の果てへと消え失せた。

 

今度こそ抗いようもなく、空間から落下していくアーチャー。

しかし、担い手が消滅した以上は、それが持ち得た世界でさえ末路は同じだ。

事実、自由落下は一秒にも満たず、もとの夕闇へと帰還する。

何事もなく着地した彼は、近くに転がった黒く濁る物体を拾い上げた。

 

――――“グリーフシード”。

魔女を倒すことによって得られる魔力の塊。

曰く、RPGにおける、回復アイテム(エリクサー)のようなものらしい。

 

その得体の知れぬ物体に違和感を覚えたアーチャーだったが、目的を達した以上、いつまでも長居をする理由はない。

すぐさま背を向け、霊体と化した体で夜の街を駆けていった。

 

「ちっ、イキナリ何さ、アイツ――――」

 

事の顛末を、怒れる赤き双眸を以ってして見つめていた少女の存在などには気付かずに。




※注釈

スキル:サーヴァントが個々に持つ特殊能力。
クラスで固定されたものや、伝承に応じたものがある。

魔術師(キャスター):聖杯戦争で呼び出される七つの英霊の座(クラス)の一つ。
基本的には生前、魔術を得意とした英霊がこのクラス適性を持つ。

単独行動:マスターからの魔力補給無しで一定期間の現界を可能とするスキル。
主にアーチャークラスに固有の能力。

直感:戦闘時、自身にとって最良の展開を感じ取るスキル。
Aランク相当にもなると、もはや未来予知に近い。

心眼:経験から得た戦闘倫理、或いは虫の報せのような天性の危険予知のスキル。
アーチャーは前者のスキルを有している。

ヘラクレス:“十二の試練”で有名な、知らぬ者なきギリシャ神話の大英雄。
「Fate/stay night」では狂戦士(バーサーカー)のサーヴァントとして召喚された。


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夢の中で逢った、ような(前編)

原作の独自解釈が多いので注意。


――――灼熱に包まれる街を見た。

その日まであった人を、建物を、その営み何もかもを。

それら総てを、まるで無価値だったと否定するように、分け隔てなく包み込む炎。

それは災害と呼ぶにはあまりにも凄惨な、まさに地獄の再現だった。

 

煉獄の中、地に伏して死を待つばかりの少年が居た。

彼は泣き叫ぶでもなく、ただ、ここで死ぬんだなあ、と確信していた。

 

彼はここに至るまでに、多くのものを見捨ててきた。

助けを請う声も、泣き叫ぶ声も、断末魔にさえ耳をふさいで。

そうして、力尽きた。

誰かの命を見捨てておきながら、何もなせないままに、自分もまた死んでいくのか。

……空に向かって手を伸ばし、少年はぼんやりと空の遠さを憂いた。

 

そこに、今にも倒れてしまいそうな覚束ない足取りで駆け寄る男がいた。

男は、必死だった。

ふらつき、折れそうな足とは裏腹に、その瞳には鬼気迫るものがあった。

男は自身の危険が迫っているこんな時にまで、自分以外の誰かを探していた。

そうして彼は少年を見つけ、その手を力強く、いとおしげに握り締める。

 

……雨が降り始めた。

それはまるで、理不尽な死を悼む涙のように見えた。

 

男は、泣いていた。

ありがとう、と。

生きていてくれてよかったと。

まるで我が事のように。

救われた少年自身よりも嬉しそうに。

男はこの上ないほどの笑顔と涙を浮かべて、少年を抱き寄せた。

 

それが彼の、最初の記憶だった。

 

 

――――月が綺麗な夜だった。

少年は成長し、男は老いた。

男はふと、呟くような声で言った。

正義の味方になりたかった、と。

そう語る彼の表情は諦観に満ちたもので、少年には納得できなかった。

 

少年は憧れていた。

自身を救ったその男を、その信念を、綺麗だとさえ思っていた。

だから、少年は言った。

だったら、俺が代わりになってやると。

 

「爺さんはオトナだからもう無理だけど、俺なら大丈夫だろ。まかせろって、爺さんの夢は――――」

 

……月が綺麗な夜だった。

 

「そうか。ああ――――安心した」

 

言葉の通り、心からの安堵を浮かべた顔だった。

月下の輝きに照らされ、男は永久(とこしえ)の眠りにつく。

 

“オレがちゃんと、形にしてやるから――――”

 

それが彼の、最初の夢だった。

 

 

――――少年は、いつしか青年となり、大人となった。

それでもなお、彼は、男が果たす事の出来なかった夢を追っていた。

 

“正義の味方”になる。

せめて目の前にある全てを救おう、と。

その為には、自己の犠牲などは厭わなかった。

百から溢れた一を、人に仇なす“悪”を排除する。

それを正義と信じて疑わず、ただひたすらに事を為した。

そこに人間としての彼はない。

その体は、きっと剣で出来ていた(、、、、、、、、、、、、、、、)

 

 

――――澱んだ空、在るのは剣の丘だった。

無数に刃が突き立った身体は、それ自体が墓標のようでもあった。

落陽と共に沈みゆくそれは、理想(ゆめ)に生きた彼のものだった。

故に、その生涯に意味はなく(、、、、、、、、、、、、、、)――――

 

それが彼の、最期だった。

 

 

 

 

――――誰かの人生を巡るような奇妙な夢から、ほむらは目覚めた。

起きた時には訳もわからず、目には涙が溢れていた。

別に悲しかったわけではないし、泣こうと思って泣いているわけではない。

けれどどうしても、眼から零れ落ちる滴を止める術はなかった。

 

あんな終わり方でいいのか。

それで彼は満足なのか。

そんな問いかけようのない疑問に、ただ煩悶とするばかりだ。

ひたすらに個を捨ててまで理想に縋り、それでも最期には……裏切られて。

なにより、いつか自分も報われないまま、そんな末路を辿るのかと。

そう考えるのが恐ろしかった。

 

……涙を拭い、深呼吸する。

そうだ、泣いてなどいられない。

この世界はまだ、始まったばかりなのだから。

 

 

平常心を整えて、朝のたしなみを済ませる。

ほむらが退院の手続き諸々を終え、この拠点に帰還したのは昨夜の事だ。

彼女は事前に向かわせておいたはずのアーチャーの不在を別段気に懸けることもなく、今後の準備等を簡潔に済ませて寝床に着いていたのだった。

 

そうして適当に何か腹に収めようとダイニングに出ると、この家には滅多となく、それでいて芳しい香りが鼻腔を刺激する。

そこにはフレンチトーストやスクランブルエッグ、オニオンスープにサラダといった洋風の朝食が一式用意されていた。

 

「ん、起きたか。おはよう、ほむら」

「ええ、おはよう……って、アーチャー?」

 

朝の挨拶を投げてきたのは、前回の対面から変わらない様子のアーチャーだった。

……否、服装に関しては、以前より少しばかりアクセントが加えられていた。

 

――――エプロンだ。

目の前に、愛らしいウサギのアップリケ付きエプロンを着けた長身の男(へんしつしゃ)がいた。

 

「待て。変質者はないだろう、変質者は」

「……これ、もしかして、貴方が?」

 

アーチャーの反論を封殺する形で質問を被せる。

 

「ん?ああ。朝食は一日の活力だからな。それに見たところ、君の食生活は……有り体に言って酷過ぎる。是正の余地ありだ。なんというか、花の女学生として致命的に破滅している」

 

コイツ、さりげなく気にしている事を……!

 

たしかに自炊した方が魔力等の節約に繋がるのかもしれない、とは常々思っていた。

それを抜きにしても、この年頃で料理の一つも出来ないのは流石にマズい、という危機感もあった。

けれど、そのスキルを獲得するのに無駄な時間は使えないと思って、渋々こうして妥協しているのだ。

それをこの男は、何のデリカシーもなく……っ

 

「……余計なお世話よ。だいたい貴方、曲がりなりにも英霊なのでしょう?本当に従者(サーヴァント)をしていてどうするの」

 

先程とは違う涙が出てきそうではあったが、そんな朝の低血圧を抑えて言葉を選ぶ。

ここは耐えるのよ、暁美ほむら……。

 

「生前からの悪癖でな。お人好しもいいところだと思って矯正を考えてはいたのだが……これがまた厄介な事に半ば呪いめいていてね。まったく馬鹿は死んでも治らない、とはよく言ったものだ」

 

イマイチ納得出来ない。

一体どんな英雄譚を開けば、こんな性根の腐ったような英霊に出会えるのだろう。

とはいえ、目の前に用意された食事に一切手をつけないというのは、自身としてもきまりが悪い。

 

……幸い、見た目や香りはさほど悪くない。

警戒しながらも、口に運んでみる事にした。

 

………………!

 

「どうだ?口に合わないか?」

 

いつもの嫌味は抜きで、むしろ出会って以来の真剣な面持ちで訊ねてきた。

あまりに真摯な態度に折れ、若干の悔しさを覚えながらも率直な感想を述べる。

 

「いえ、そんな事は無いわ。……美味しい」

 

アーチャーは一瞬だけその目を見開き、満足気な微笑を浮かべた。

ああ――――あれは、仕事をやり遂げた男の目だ。

 

「そうか、それはよかった。ああ、今、紅茶を淹れる。ハーブティーでいいか?」

「え、ええ。構わないわ」

 

アーチャーは、これまた出会って以来の上機嫌でキッチンへと下がっていった。

口は悪いが、もしかするとこの穏やかさこそが彼の本性なのかもしれない。

 

……それにしても、さっきの料理はかなりのものだった。

その辺にある下手な喫茶店や洋食屋程度であれば、シェフが裸足で逃げ出すに相違ない。

サーヴァントというのが、まさかそんなところにまで長けている存在だなんて。

まさか、こういった技能も選定基準の一つなのだろうか?

そうなると、選ばれるのは余程の芸達者に限られると思うけれど……。

 

――――そこでふと、入院中に読んでいた“アーサー王伝説”の事を思い出す。

物語の主人公、大ブリテン国の王であった“アーサー・ペンドラゴン”の下には、いずれも誉れ高き“円卓の騎士達”が集っていた。

その内の一人にもたしか、武芸百般で名の通った忠節の騎士がいたはずだ。

 

――――“サー・ランスロット”。

もしかするとアーチャーの真名というのは、かの“湖の騎士”なのだろうか?

 

……いや、それはあるまい。

というか、あってほしくない。

それに如何に共通項があろうと、彼とランスロットの間には致命的な相違点がある。

 

まず、ランスロット卿には“武器の投影”に纏わる伝承は無い。

伝説の中で彼は、武器を持たぬまま襲われた際、その場にあった木の枝を得物に敵を返り討ちにしたという。

しかしそれは罷り間違っても、あらぬ処から武器を取り出す能力には転じ得ないだろう。

その場にあるモノを武器とする事(、、、、、、、、、、、、、、、)と、その場にないから創り出す(、、、、、、、、、、、、)のとでは、いくらなんでも勝手が違いすぎる。

 

そして何よりも――――完全なる騎士とまで謳われた彼が、主君に礼を欠いた対応をするとは思えない。

ましてや常時、嫌味や皮肉を投げかけるなどは論外だ。

 

「出来たぞ。こちらも口に合えば良いのだが」

 

余計な勘繰りをしている内に、アーチャーは淹れ終えた紅茶を運んできた。

飲んでみて、またしても目を見開く事になった。

料理についてはいざ知らず、こと紅茶に関しては、あの巴マミさえ上回っていたからだ。

 

「美味しい。今まで飲んだ紅茶の中でも一番……貴方、本当に何者なの?」

「なに、ただの弓兵だよ。私には元来、そう取り柄が無くてな。一つを極めるよりも多くを収める道を選んだ。これもその一環だ」

「弓兵ね……そもそも私、貴方が弓を使っているところなんて見たことが無いのだけれど」

「必要が無いだけだ。……心配するな。自分で言うのもなんだが、腕はたしかだよ。狙った的には確実に当ててみせよう」

「そう。なら、構わないわ」

 

普段は自他とも皮肉げに評する彼が言うのだから、余程の自信があるのだろう。

それに、その後の話でわかったことだが、どうやら彼は魔女を仕留めてきたらしい。

事実、物証としてグリーフシードを三つ、私に差し出してきたのだ。

弓の使用如何はさておき、その実力は申し分ないと言えよう。

 

 

そうやってつい悠長に紅茶を飲んでいると、いつの間にか登校時間ぎりぎりになっていた。

手早く彼にやるべき事を伝え、様にはならないが、急ぎ自宅を飛び出した。

転入早々に遅刻などという失態こそなんとか回避したが……恐るべし、アーチャー……。

 

 

 

 

――――ずっと、朝に見た夢の事が、頭から離れません。

それは、とっても怖い夢でした。

 

わたしはずっと、訳のわからない、見た事もないような場所を無我夢中で走ってて。

その先の扉を開けると、そこには、滅茶苦茶になった見滝原の街があって。

でも空には、そんな景色よりもずっとおかしな怪物がいて。

そんな怪物と一人で戦う、同い年くらいで、黒い長髪の女の子がいました。

 

わたしは逃げたくて、でも、動けなくて……

そうしている内にも、戦っている女の子は吹き飛ばされて、叩きつけられて。

それはもう――――戦いにもならないくらい、一方的でした。

 

「ひどいよ……どうして、こんな……」

 

それなのに、わたしには、そうやって呟く事しか出来なくて。

それが、とっても悔しくてたまりません。

 

「仕方ないよ。彼女一人では荷が重すぎた。でも、彼女も覚悟の上なんだろう」

 

見ると、いつの間にか、足元に白くて、不思議な生き物がいます。

それと同時に、かつてビルだったコンクリートの塊が、どっと爆音をたてて、女の子に押し寄せました。

 

「こんなのってないよ!あんまりだよ……!」

 

わたしはそれが見ていられなくて、思わず泣き出してしまいます。

……そんな事、してる場合じゃないのに。

助けないと、いけないのに……。

 

「――――諦めたら、それまでだ」

「……えっ?」

 

傍らの白い生き物は、表情を変えずに言葉を続けます。

 

「でも、君なら運命を変えられる。避けようの無い滅びも、嘆きも、全て君が覆せばいい。――――その為の力が、君には備わってるんだから」

「……本当なの?」

 

にわかには信じられません。

何の取り柄もなくて、今この時でも、泣いてる事しか出来ないわたしに、そんな力が……。

 

……でも、それでも、藁にも縋る気持ちで訊ねます。

 

「わたしなんかでも、本当に何か出来るの?こんな結末を――――変えられるの?」

「もちろんさ」

 

白い生き物は、わたしの決意を歓迎するように飛び跳ねました。

そして――――、

 

「君なら全てを変えられる。だから――――僕と契約して、魔法少女になってよ!」

 

――――そこで、目が覚めました。

わたしが契約……したのかどうかは、わかりません。

ただ、その時、遠くで戦っていた女の子が、悲痛な面持ちでわたしに何かを叫んでいた事だけは、はっきりとわかりました。

 

 

「おーい、まどかー?」

「はわっ!?な、なに?さやかちゃん」

 

……そうやってぼんやりと夢の事ばかり考えていたら、いつの間にか周りが見えなくなってたみたい。

親友の美樹さやかちゃんの声ではっと我に返ります。

 

「ったく、ちゃんと聞いてた?仁美のヤツ、昨日またラブレター貰ったんだって。今月は早くも三通目よ、三通目!もう羨ましいったらないわー」

「羨ましいだなんてそんな……。わたくし、こういうのにはどうお返事すればいいか、真剣に困ってますのよ?で、まどかさん、その……訊いていただけましたか?」

 

妬ましげなさやかちゃんの発言を上品な言葉遣いで切り返したのが、わたしのもう一人の親友、志筑仁美ちゃんです。

仁美ちゃんの言葉には当然、心当たりがありました。

けど、さっきまで、夢の事で頭がいっぱいだったから……結局、言われた通りを伝えることにしました。

 

「あのね、やっぱり、直に告白出来るようでなきゃダメだって」

「はぁ……。そうですよね……」

 

仁美ちゃんはわたしを通じて、ママに恋愛相談を頼んでいたのでした。

結果を聞いた仁美ちゃんが困った顔でため息をこぼすと、

 

「いやー、詢子さん、相変わらずかっこいいなー!美人だしぃ、バリキャリだし!」

 

それとは裏腹に、さやかちゃんはママの事を褒めてくれます。

嬉しいんだけど、今の自分と比べてしまって……ちょっぴり、複雑な気持ちになります。

わたしはママと違って気が弱くて、どんくさくて。

憧れてはいるんだけど、きっと、一生届かないんだろうなって。

たまに、ぼんやりとそう思ってしまうのです。

 

「わたくしも、そういう風にきっぱりと割り切れればいいんですけど……」

「かぁーっ!羨ましい悩みだねぇ」

 

わたしも一通くらい貰ってみたいなぁ……ラブレター。

 

「お?まどかも仁美みたいなモテモテ美少女に変身したいと?そこでまずはリボンからイメチェンですかな~?」

 

……心の声のつもりが、口に出しちゃってたみたい。

それはそれで恥ずかしいんだけど……!、

 

「ち、違うよっ、これはママが……」

 

昨日まで黄色だったわたしのリボンですが、今日からはママのアドバイスで赤色に変えてみる事にしたのです。

なんでも、これでわたしの隠れファン(いないと思うけど)もイチコロ……なんだとか。

……えへへ。

そんな些細な変化に目敏く気付いたさやかちゃんは、

 

「さぁーては、ママからモテる秘訣を教わったな!?けしからーん!!そんなハレンチな子はこうだーーー!!!」

「ひゃっ!?さやかちゃん、ちょっとやめ……きゃははは!」

 

このさやかちゃんの必殺くすぐりの技には最近、毎日のように苦しめられています。

……って、さやかちゃん、そ、そこは……だ、だめぇ……っ!!

 

「男子にモテようだなんて許さんぞー!!まどかはあたしの嫁になるのだぁー!!!」

「……こほんっ」

 

仁美ちゃんの咳払いで、さやかちゃんもわたしもはっとしました。

いつの間にかわたしたちの周りには他の登校中の生徒がたくさんいて。

その人たちの視線のいくつかは、わたしたちに向いていました。

さやかちゃんは途端にわたしから離れて、笑ってその場を誤魔化しています。

は、恥ずかしいよぉ……!

 

――――けれど、そうやってわたしは、いつの間にか夢の事も忘れていて。

今日もまた、いつもの日常が始まっていくんだなって。

 

そう、思っていました。

 

 

 

 

暁美ほむらにとって、転校というものは初めてではなかった。

むしろ彼女にとってのそれは、永劫繰り返す呪いも同然だった。

彼女は生まれつき心臓を患い、各地の病院を転々とする日々を送っていた。

無論、そういった意味でも慣れたものではあったのだが、この場合はそれともまた趣を異にしていた。

 

「――――はい、それから。今日は皆さんに転校生を紹介しまーす」

 

担任、早乙女教諭の朗々たるアナウンスは教室から扉で隔てた廊下にまで届いていた。

一字一句も違わぬお決まりの台詞(、、、、、、、、、、、、、、、)に、つい苦笑してしまう。

 

「じゃあ、暁美さん、いらっしゃーい」

 

ここまではもはやテンプレートだ。

自分もまた、課されただけの役を果たすように、毅然とした態度で教室に躍り出る。

 

教室にちょっとしたどよめきが起こる。

最初こそ面映さを感じたけれど、これも慣れてしまえばどうということはない。

――――そう、私は知っている。

この光景を、その何もかもを。

 

前方の席、呆けた顔で此方を見ているのは中沢君。

失恋直後の早乙女先生による、半ば理不尽な質問の矛先を、スレスレのところで回避する事に定評のある男子生徒だ。

 

驚いた表情を垣間見せつつ、上品に口元を隠しているのが志筑仁美さん。

上流階級のご令嬢らしく、文武両道、品行方正を体現したような今どき珍しい女の子。

 

すげー美人、と大きな声で此方を囃し立てたのが美樹さやかさん。

彼女については……ノーコメントで。

 

けれど、私がこの場で気に懸けるべき相手は、たった一人(鹿目まどか)だけだった。

 

こちらが向けた視線に気付いたのか、彼女(まどか)は驚くような、戸惑うような顔で目を伏せた。

……それがどうしようもなく哀しくて、挫けそうになる。

けれどもう、こんな事は終わらせてみせる。

今は何とか自分を鼓舞してでも、最後までこの茶番の役を演じ切ろう。

 

「はぁい、それじゃ自己紹介いってみよー」

「暁美ほむらです。よろしくお願いします」

 

 

――――休み時間になった。

私の周りには転校生に興味津々といった感じのクラスメートがやってくる。

前はどこの学校だったの、とか。

シャンプーは何使ってるの、だとか。

そんな質問責めに愛想もなく返答していくのも、もはや決まりきった仕事(ルーティーンワーク)と成り果てていた。

 

……タイミングを見計らって切り出す。

 

「ごめんなさい。なんだか緊張しすぎたみたいで、ちょっと気分が……保健室に行かせてもらえるかしら?」

「え?じゃあ、アタシが案内してあげる!」

「私も行く、行く!」

「いえ、お構いなく。係の人にお願いしますから」

 

かぶりを振って丁重にお断りする。

当然、私が用があるのは保健室などではないからだ。

目的は、歩み寄る私に警戒心を見せる彼女――――鹿目まどかにあった。

 

「鹿目、まどかさん」

「は、はい……!」

「あなたが、このクラスの保険係よね?」

「え、えっと、あの……」

「連れて行ってもらえるかしら――――保健室」

 

 

建前とはいえ、案内してもらっているという状況であるにも関わらず、なぜか私が前方を歩いていた。

それでいて、後ろを歩くまどかはおどおどした様子で、傍目から見れば完全に役割が逆転していた。

すると、気まずい雰囲気に耐えかねたのか、まどかは振り絞ったような声で私に質問を投げかけた。

 

「あの、私が保険係って、どうして……?」

「……早乙女先生から聞いたの」

 

――――あなたが、自分でそう言ったのよ。

……なんて。

そんな事、言えるはずもなく。

 

「あ、そうなんだ……そうだよね、あはは……」

 

苦し紛れに笑う彼女を見て、また、心が痛む。

……保健室のある校舎へと向かう渡り廊下が見えてきたところで、再びまどかが話を切り出す。

 

「えっと、さ。保健室は……」

「こっちよね」

「や、うん、そうなんだけど……いやだから、その……もしかして、場所知ってるのかなって……」

「……」

「……」

 

気まずい沈黙。

まどかは私を警戒している。

……当然の事だ。

当然のことなのに、泣いてしまいそうになる。

 

――――違う、そうじゃない。

私にとってのまどかは……

 

「あ――――暁美さん……?」

 

苛立ちが表情に出てしまっていたのか。

まどかはさらに戸惑う様子で私を呼び掛ける。

 

――――違う、そうじゃない。

まどかにとっての私は……

 

「……ほむら、でいいわ」

「えっと……じゃあ、ほむら、ちゃん……?」

「……何かしら」

「あ、う、えっと――――変わった名前だよねっ」

 

立ち止まる。

 

――――違う、そうじゃない……!!!

まどか、私はあなたに――――!

 

“私、その、あまり名前で呼ばれたことってなくて……すごく、変な名前だし……”

“そんなことないよ。なんかさ、燃え上がれ~って感じで、かっこいいと思うなぁ”

 

「い、いや、だから、あのねっ、変な意味じゃなくてねっ!?その……か、かっこいいな、なんて」

「――――鹿目まどか」

 

彼女の言葉を遮る。

……あり得ないと解っていながらも、期待していたのかもしれない。

初めて逢った時のような、強い彼女でいてくれる事を。

 

「鹿目まどか、あなたは、」

 

けれど、違う。

彼女は弱い。

守ってあげないと、容易く壊れてしまうほどに。

……もう、あの頃とは違うのだ。

 

“彼女に守られる私じゃなくて、彼女を守る私になりたい――――!”

 

……決心して、告げる。

 

「――――あなたは、自分の人生が貴いと思う?家族や友達を、大切にしてる?」

「わ、わたしは……」

 

咄嗟の問いにたじろぎつつも、まどかは答える。

 

「――――大切、だよ。家族も、友達のみんなも、大好きで、とっても大事な人たちだよ」

「……本当に?」

「本当だよっ、嘘なわけないよ!」

 

無意識にだろうが、先程までの態度とは裏腹に彼女は語気を強めた。

……彼女は、優しい。

きっと今の言葉も、真実そう思ってのものだろう。

けれど、それゆえに致命的だ。

彼女の優しさは他の誰かを守るためなら、自分自身をも蔑ろにしてしまう危うさを秘めている。

もう何度も、それを見てきた。

 

「……もしそれが本当なら、今とは違う自分になろうだなんて、絶対に思わない事ね」

「……え?」

「さもなくば――――全てを失うことになる(、、、、、、、、、、)

「あ……」

 

忠告を終え、捨て置くようにまどかから離れる。

背後で呆然と立ち尽くしていた彼女からの視線は、その姿を消してなおも私の心を苛んだ。




※注釈

アーサー王伝説:中世の騎士道物語でも最も有名とされるイギリスゆかりの伝承。
選定の剣を抜いたアーサー王の治世や円卓騎士達の冒険が描かれ、その最後はブリテン国の滅亡で幕を閉じる。
聖杯伝説とも浅からぬ関係がある。

アーサー・ペンドラゴン:聖剣『約束された勝利の剣(エクスカリバー)』で有名な、伝説の騎士王。
「Fate/Zero」「Fate/stay night」では剣の英霊(セイバー)として現界した。
伝承では男性だが、Fateシリーズでは女性でメインヒロインの一人。
真名はアルトリアとされている。

円卓の騎士:アーサー王に忠誠を誓った誉れ高き騎士達。
序列闘争を防ぐ為に置かれた円卓に席を有した事が呼称の由来。
Fateシリーズではランスロット卿、ガウェイン卿、モードレッド卿などがサーヴァントとして登場している。

サー・ランスロット:円卓の中でも最強とされる騎士。
忠節に厚い完全な騎士と謳われたが、王妃ギネヴィアとの不義が発覚して王都キャメロットを追われた。
「Fate/Zero」では狂戦士(バーサーカー)として現界。

湖の騎士:ランスロット卿の二つ名。
彼が湖の乙女に育てられた事に由来。


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夢の中で逢った、ような(後編)

「あははははははは!すげぇ!まどかまでキャラが立ち始めたよ!」

「ふふふふふ……っ!」

「わ、笑うなんてひどいよぉ……!」

 

とあるファーストフード店の一席。

わたしの発言でさやかちゃんも仁美ちゃんも、ツボにはまったように笑っています。

 

――――どうしてこうなったのかというと。

放課後になってわたしとさやかちゃん、それに仁美ちゃん――――要するにいつもの三人で、寄り道をしていました。

そこで立ち寄ったのが、さやかちゃん御用達のファーストフード店でした。

わたし達が寄り道する時は大抵、ここに来てお喋りしています。

 

話題はもちろん、転校生の暁美ほむらちゃんの事です。

これ以上はないと言う位、さらさらの黒いロングヘアー。

肌は教卓前から少し離れたわたしの席からでも透き通って見える、美人さん。

……うわさでは、もう告白して撃沈した男子もいるのだとか。

加えて転入初日にして、わたしでは手も足も出なかった数学の問題をあっさり解いて。

しかも体育の棒高跳びで出した記録に関しては、先生曰く県内記録だそうで……そんな子が、話題に上がらないはずはありません。

 

そこでわたしは思い切って、至って真面目に、休み時間で受けた警告(?)の事と……今朝に見た夢の少女がほむらちゃんに似ていた事を、二人に話したのです。

……結果が、今のこの反応です。

た、たしかに、自分でもちょっと現実離れしてる気はしたんだけど……うぅ。

 

「まどかとあいつは夢の中で逢ってたって事?あー、もぉキマリだ!ソレ、前世の因果だわ。あんた達、時空を越えて巡り会った運命の仲間なんだわー!」

「……わたし、真面目に悩んでるのに……」

 

なんかもう、泣いてしまいそうでした。

そんなわたしに仁美ちゃんからのフォローが入ります。

……ちょっと、笑いを堪えた顔してるけど。

 

「でも、まどかさん。もしかしたら、本当は暁美さんと会った事があるのかもしれませんわ」

「……えっ?」

「まどかさんは憶えていないつもりでも、深層心理には彼女の印象が残っていて、それが夢に出てきたのかもしれません」

「それ、デキ過ぎてない?どんな偶然よー」

 

さやかちゃんがすかさずツッコミを入れます。

……まだ少し、笑ってるけど。

でも、わたしもちょっと信じられない……というか、なんというか。

そういうのって、ドラマとかでしか見た事ないし……ありえるのかなぁ?

 

「前世の因果なんて説よりはずっと現実的だと思いますわ。……あら、もうこんな時間?」

 

仁美ちゃんはふと時計に目をやって、それから申し訳なさそうに立ち上がりました。

 

「ごめんなさい、お先に失礼しますわ」

「今日はピアノ?日本舞踊?」

「お茶のお稽古ですわ。まったく、もうすぐ受験だっていうのに、いつまで続けさせられるのか……」

 

仁美ちゃんは家の方針で、いろいろなお稽古事に手を出しているそうです。

学習塾はもちろんの事、さっきさやかちゃんが挙げたピアノに日本舞踊をはじめとして。

お茶のお稽古や琴に英会話……果ては護身用に合気道までやっているのだとか。

 

「うわー……、小市民に生まれてよかったわぁ……」

 

引き気味に答えるさやかちゃんですが、気持ちとしては同感です。

どんくさいわたしはきっと何一つ続かないだろうし、両立も出来ないと思います。

でも、だからこそ、わたしは仁美ちゃんの事を、結構尊敬しているのです。

 

「じゃあ、わたしたちも行こっか」

 

せっかくだし、途中まで仁美ちゃんを送っていこう。

そう思って、さやかちゃんに促します。

 

「うん。……あ、まどか。帰りにCD屋寄ってもいい?」

 

照れくさいのか、ちょっと小声になるさやかちゃん。

こういう時のさやかちゃんの目的は――――決まっています。

 

「いいよ。また上条君の?」

「へへ……まあね」

 

上条君とは幼馴染なんだ、あくまでもそのよしみで、と。

毎回、訊いてもいないのに釈明するさやかちゃんです。

それをはいはい、と宥めるのがわたしが唯一さやかちゃんに対して優位になれるタイミングでした。

その度に拗ねるさやかちゃんは、誰がどこからどう見ても、恋する女の子でした。

いつかわたしも、こんな風に誰かを想える日がくるといいなぁ……

 

 

 

 

ビルからビルへと飛び移る人の影。

その人影は屋上から眼下の景色を一瞥するや、すぐにまた別の屋上への移動を繰り返す。

そんなハリウッドのアクション映画さながらの行為も、人外の能力を有する英霊にとっては驚嘆に値しない。

 

影の主は、アーチャーだった。

彼はとあるモノの捜索、排除を最優先せよ、との厳命を受け、朝からこのような真似を繰り返している。

だが、いかに人並み外れた英霊の身とはいえ、魔力反応の無い対象の捜索は“鷹の目”を持ち得る彼をしても発見を難航させていた。

 

そうして夕刻。

魔力供給が滞りなく行なわれている以上、サーヴァントの肉体への疲労は皆無といっていい。

しかし流石のアーチャーとて、これほどの単調な作業の繰り返しにはほとほと辟易しかかっていた頃。

 

彼の眼光は、ついに対象を捉えた。

探索開始から六時間。

ようやくこの労苦が報われる時がきた。

その、肝心の対象――――白い小動物(キュゥべえ)は、誰もいない公園のベンチで佇んでいた。

 

アーチャーの体が量子となって瞬時に霧散する。

霊体化したサーヴァントは物理干渉を行なえない代わりに高速での移動、および感知の危険性を抑える事が出来る。

同じくサーヴァントや魔力を探知できる魔法少女を相手取っては、この行動も苦肉の策以上の意味を成さない。

しかし相手がそうでない以上、この場に限っての彼は“暗殺者の特性(けはいしゃだん)”を付加されたようなもの。

故に気付きようがない。

 

白い魔物――――キュゥべえの眼前を赤い外套の長躯が阻む。

表情ひとつ変える事なく……否、変えるべき表情(それ)を持ち得ない彼はただ、純粋な問いを投げる。

 

「君は――――何者だい?」

「問答無用。お前のような妖物に答える必要はない。怨みは無いがここで消えろ――――」

 

瞬く間もなく、アーチャーの手には例の双剣(かんしょう・ばくや)が握られていた。

そして、その一連の動作より尚迅く。

 

――――一閃。

まさしく閃光のごとき一撃が魔物の身体を横一文字に両断していた。

 

 

……何か、おかしい。

いくらなんでも呆気無さ過ぎる。

この程度で事態が収拾されるのなら、ほむら一人でも充分に事足りるはずだ。

 

その違和感の正体はすぐに形となって現れた。

目の前には頭部と胴が綺麗に分かれたキュゥべえの屍骸。

だがその傍らにはいつの間にか、もう一体のキュゥべえの姿があった。

 

「貴様――――」

「いきなり切りつけてくるなんて酷いじゃないか。おかげで一つ、無駄(、、)になってしまった」

 

それだけ言うと、彼は猟奇的な行動に出た。

 

……喰ったのだ。

自らと同じ姿をした亡骸を。

まるで、そうする事が当たり前の供養であるかのように。

 

「……きゅっぷいっ。さて、無駄なんだろうけどもう一度訊こうか。君は一体何者だい?」

「それはこちらの台詞だ。よもや今ので仕留められないとは――――、……貴様、この星のモノではないな」

「それが解るということは、少なくとも君もただの人間ではないね。素質が無いにも関わらず僕を知覚し、あまつさえ途方も無い魔力を感じる。そんな存在は有史始まって以来のイレギュラーだ」

 

アーチャーは返答の代わりに次なる必殺の一撃を繰り出す。

今度はキュゥべえが身を置いていたベンチごと粉砕する。

哀れなるや、ベンチは原型を留める事無く木屑と化した。

 

……だが、それが先の光景の焼き回しとなることはなかった。

キュゥべえの姿は、既にない。

 

“――――話は通じないみたいだね。ここは退かせてもらうよ。そろそろ契約(、、)も頃合だしね”

 

いつの間に移動していたのか。

彼は木陰の下でそう言い残し、またすぐに姿を眩ました。

 

「――――チ」

 

これまで守護者として、人類滅亡の引き金となり得る多くの要因を排除してきたアーチャー。

しかしその彼にとっても、ここまで得体の知れないモノはなかった。

 

彼は去り際に“契約”という言葉を残した。

マスター、暁美ほむらは先のキュゥべえと鹿目まどかの接触を嫌っている。

……答えはもう、明白だ。

この“契約”が召喚した英霊との間で交わされるものではない以上、意味するところは一つだけ。

そうなると事情はどうあれ、暁美ほむらの目的は“鹿目まどかを魔法少女にさせない”という事になる。

 

ピースが填まった。

とある仮定のパズルを埋める、ピースの一つが。

だが、それはまだ仮定に過ぎない。

今はただ、主の意向に従うまでだ。

 

アーチャーは主からの理不尽な叱責を覚悟して、その目蓋を閉じた。

 

 

 

市内にあるショッピングモール。

その改装中である七階のフロアに、暁美ほむらは居た。

この下の五階、CDショップに鹿目まどかと美樹さやかが居る事は承知の上だった。

むしろ経験上、彼女ら二人も程なくこのフロアに現れるとまで踏んでいた。

それが読めていたからこそ、アーチャーを午前から警戒に当たらせていたのだ。

 

しかし、現在に至るまで彼から芳しい報告は届いていない。

万全を期すべく、臨戦態勢を整えて待機していた。

それほどまでに彼女が恐れる最悪の事態――――インキュベーターと鹿目まどかの接触。

 

“すまない、しくじった。まさか相手が死の観念もない化け物だったとはな。いや、恐れ入ったよ”

 

アーチャーの嫌味たらしい声が、最悪の報せと共に脳に響く。

魔法少女、そしてサーヴァントは共に念話を可能とする。

 

……しくじったのは、此方だ。

なんて迂闊だったのだ、私は。

インキュベーターに死の概念は無い。

そんなのは明白だったのに。

にもかかわらず、英霊の武具なら或いは、と過信していた。

アーチャーには始末ではなく、捕縛を最優先に命じるべきだったのだ。

 

“おそらく、ヤツは鹿目まどかの元へ向かっている。君もそこに居るのだろう?位置を知らせてくれ”

「……ショッピングモールの七階、改装中のフロアよ」

“ち、離れているな。なんとか時間を稼いでくれ”

「わかったわ。とにかく、急いで」

 

アーチャーとの交信を終えた直後に立った微かな物音を、ほむらは聞き逃さなかった。

振り返った先にいたのは――――キュゥべえ。

彼はその辺りにのさばる野良猫と変わりない様子でじっと、留まっていた。

 

「……っ」

 

ほむらは再び、自らの浅はかな行いを責めた。

今の様子ではもしかすると、アーチャーとの交信を悟られてしまったかもしれない。

そんな彼女の胸中を知ってか知らずか、キュゥべえは口さえ開かずに物を言う。

 

「意外に早かったね、暁美ほむら。――――いや、最初からここに居た、と見るべきかな?」

「……お前の目的は知っている。やらせないわ」

 

ほむらは盾から取り出したベレッタの撃鉄を起こす。

 

「やっぱりこうなるのか」

 

キュゥべえは身を翻し、まさに脱兎のごとく走り去ろうとする。

獣の本能、というわけでもあるまい。

狩猟(ハンティング)の獲物と化してさえ、彼らの逃走は合理的判断に基づいての行動でしかないのだ。

 

発砲。

初弾はキュゥべえの足下を掠める。

走りながらでの狙撃のせいか、決定打には程遠い。

今度は続けざまに数発撃った。

何発かは空を切り、少し離れた場所で鈍い音を立てた。

だが残りの弾丸は容赦なく、逃げ惑う獲物の胴を抉り抜く。

 

よろめき、吹き飛ばされていくキュゥべえ。

放たれた鉛の弾は白い小動物を満身創痍へと追いやっていた。

 

「知っているんだろう?いくら撃っても僕には無意味だ」

「そうね。――――ただ撃つだけなら(、、、、、、、、)、ね」

「………………!」

 

キュゥべえの身体は肉が削げ落ち、白みがかった総身は、いまや血の赤がその面積の大半を占めている有様だった。

あの様子ではもう、動くことさえままならないだろう。

だがそれでも、致命傷には至っていない。

そう、彼はまだ生きている。

 

――――退路は断った。

先へと続く道もコンクリートの壁に阻まれている。

殺さずに袋小路に追い詰めてしまえば、彼にはもうどうする事も出来ない。

これこそが彼女の狙いだった。

 

「ここまでよ。こうしていれば、あなたは鹿目まどかに接触出来ない」

「……なるほど、発想は悪くない。でも、一つ見落としていたね。時間切れ(、、、、)だ」

「な――――なんですって……!?」

 

経験則から考え出された彼女の策は、しかし、唯一にして最大の誤算があった。

それは、誘い込まれたのは(、、、、、、、、)キュゥべえの方(、、、、、、、)ではなかった(、、、、、、)という、ただこの一点に尽きる。

 

ほむらはこの時、三度目の失態を知った。

 

――――そう。

彼女が放ち、空しく外れたかに見えた弾丸は、彼の意図した位置を正確に(、、、)撃ち抜いていたのだ。

魔力を込めて放たれた9mm軍用弾(パラベラム)が、エアダクトの蓋、その支点を穿つのは容易だった。

キュゥべえは残された最後の力でそこに飛び込む。

後はただ、重力作用に従って彼の身体は、支えを失った蓋を破って落下するのみ。

これこそが彼の狙いだった。

 

狡猾。

万事が彼の思惑通りなら、もう間もなく、懸念したとおりの状況が起こるだろう。

……この後の展開はもう、判りきっている。

 

「………………まどか」

 

行き場をなくした怒りを全身に纏い、悔しさのあまりに唇を噛む。

口の中を満たす鉄の味を感じながらも、ほむらはさらに足を速めた。

 

 

「ほむらちゃん……!?」

「……そいつから離れて」

 

改装中であるはずの、七階のフロア。

まどかの目の前に現れたのは、彼女の見慣れない――――けれど、どこかで見たような――――服装の、暁美ほむらだった。

ほむらはまどかが胸に抱く傷だらけの生き物に冷淡な眼差しを向けて、そう言った。

 

「だって、この子ケガしてる……」

 

彼女は冷たい靴音を立てて、まどかの方へと近付いてくる。

 

「だ、ダメだよ!ひどい事しないで……!」

「あなたには関係ない」

 

まどかが震えながらに発した拒絶の言葉を、否応無しに遮るほむらの声。

そいつを渡す以外に、あなたの自由意志など存在しない。

……そんな、最後通牒のようだった。

 

「だ、だってこの子、わたしを呼んでた……!聞こえたんだもん、『助けて』って……!!」

 

平和だったはずの日常。

そんな彼女の耳朶に響いたのは、助けを求める言葉だった。

他の誰にも聞こえていない、自分だけに宛てられたSOS。

どうして自分なんかに、と。

そう思いながらも、導かれるままに辿り着いたこの場所には、たしかに守られるべきものがいた。

ならばどうして、ここで自分だけが逃げ出す事が出来るだろう。

 

「そう……」

 

それが最後だった。

まどかは後ずさりながらも、彼女からの要求に対して「NO」を突きつけた。

 

――――その瞬間。

まどかには、ほむらの冷気を帯びた、刺さるような視線がさらにその鋭利さを増したように思えた。

……だが、その視線の対峙が長く続く事は無かった。

 

「まどか、こっち!」

 

声と共に、辺りは白い世界に包まれた。

その声の主は、美樹さやかだった。

とっさの白煙に、ほむらは思わず目を覆う。

そこで生じた隙にさやかの誘導に従って、まどかは重傷の小動物を抱えて走った。

噴射し終えた消火器を捨て置き、さやかもまどかに続いてその場を離れる。

 

「何よアイツ!こんどはコスプレで通り魔かよっ!?」

 

さやかは叫びながらもまどかに追いつき、不安げなその手を掴んだ。

まどかはそれをすぐさま握り返す。

……ここで手を離せば、もう二度と、彼女の手に触れられないような気がした。

 

「……っつーか何ソレ?ぬいぐるみ……じゃ、ないよね……?」

「わかんない!わかんないけど……でも!」

 

不可解な状況に言いようの無い不安は収まらず、二人は息が切れるまで走り続けた。

 

……なのに、どうして。

どうして、出口が見当たらないのだろう(、、、、、、、、、、、、、)――――!!?

 

――――空間が歪む。

この瞬間、二人はこのまま、元の平和な日常へは二度と回帰できないのだと。

そんな確信と喪失感に苛まれた――――

 

 

募る苛立ちを当り散らすように、白煙をかき消す。

 

落ち着け。

鹿目まどかとキュゥべえの接触こそ避けられなかったが、まだチャンスはある。

 

……いや、もう何度目だろうか。

こんな気休めにもならない慰めは。

 

ほむらの中には自分自身への呆れと――――早くも、諦観があった。

人は百年の時にさえ耐えられない。

その中で彼女はもう既に、少女としてはあまりにも多過ぎる時を生き。

人間として許容不可の痛みを知ってしまったのだ。

一千年の悲願にも匹敵するその妄執は、確実に少女の心を腐らせ始めていた。

 

……それでもほむらは、止まれない。

他の全てを諦めた彼女にとってはもう、鹿目まどかを救う事だけが、残された唯一の存在価値(レゾンデートル)だった。

 

「状況はどうだ?」

 

いい加減に聞き慣れたその低い声は、アーチャーのものだった。

 

「……最悪よ。彼女はキュゥべえと接触してしまったわ。もう、手遅れに近い」

 

偽る事なく、ほむらは告げる。

その声色はいつになく弱っているように感じられた。

だが、それとは対照的に、アーチャーは不敵な笑みを浮かべる。

 

「諦めるのは早いんじゃないか?要は鹿目まどかを“契約”させなければいいのだろう」

「な――――、あなた、どうして契約の事を……?」

「その話は後だ。――――来るぞ」

 

目をやると、そこは既に工事中の区画ではなかった。

捻じ曲がる世界に黒い蝶の群衆が舞い、髭を生やした有像無像が(ひし)めき合っていた。

間違いない。

ここはもう、結界の中だ。

 

「……こんな時に」

 

ほむらは舌打ち混じりにその醜悪な空間を一瞥し、障害の排除に乗り出す。

 

「いや、その必要はない。ここは任せろ、マスター」

 

主を制止すると同時に、アーチャーは既に戦闘態勢に入っていた。

少し逡巡するも、ほむらはそれに無言で応じ、振り返る事無く走り去る。

 

直後、響き渡る剣戟。

――――彼女自身は気付かなかったが。

背中を預けた相手は、これが生涯で三人目だった。

 

 

歪んだ空間は、映画の音響効果のように、誰かの哄笑を響かせる。

 

がしゃん、がしゃん、がしゃん。

ガシャン、ガシャン、ガシャン。

ギイイイイイィィィィィィィ――――ッ……

 

朽ちた枝木の漆黒の連なりが、鋏を携え、喉元に迫りくるような気持ちの悪い感触がした。

 

「じょ、冗談だよね……?あたしたち、何か悪い夢でも見てるんだよね……?」

 

先程、まどかの手を力強く握っていたさやかの手だが、今は見る影も無く震えて、怯え切っていた。

一方のまどかは、もはや立つことさえ出来ず、その場にへたり込んだ。

立とうにも、足が竦んで言う事を聞かない。

 

「ねぇ、まどか――――……!!!」

 

さやかの悲痛な叫びも、鎖が弾ける轟音に掻き消される。

一秒後に迫る死の実感を受け入れられないまま、彼女達の心は砕けた。

 

――――はずだった。

瞬間、千切れ飛んだ鎖が円陣を描き、陽光を思わせる輝きを放った。

その光からは、絶望に満ちた嗤い声すらもかき消すような暖かさが感じられる。

 

「危なかったわね――――でも、もう大丈夫」

 

呆然と振り返るしか出来ないまどかとさやかを他所に、落ち着きのある優しい声は続く。

その声の主は、まどか達と同じく見滝原中学の制服に身を包んでいた。

 

縦ロールの明るい髪。

穏やかそうに見えながらも、確かな気品を感じられる整った顔立ち。

そして、年不相応にも思えるグラマラスな体型。

その大人びた印象の少女に、二人はまるで見覚えが無かった。

少女は優しく微笑み、言葉を続ける。

 

「キュゥべえを助けてくれたのね。ありがとう。その子は大切な友達なの」

「わ、わたし、呼ばれたんです。頭の中に直接、この子の声が……」

 

まどかの説明を聞くと、彼女は何か嬉しいことでも察したかのように、また微笑んだ。

 

「なるほどね。……その制服、あなた達も見滝原の生徒みたいね。二年生?」

「は、はい。あの、あなたは……?」

「そうそう、自己紹介しないとね。――――でも、その前に」

 

彼女は光り輝く宝石を暗闇を払うように突き出した。

見る者に安らぎを与える微笑を浮かべていた表情は、今度は勇気を示す凛とした顔つきへと趣を変える。

 

「ちょっと一仕事、片付けちゃっていいかしら」

 

宝石から溢れ出る光は、瞬く間に持ち主の身体を覆い尽くす。

そして、それが次に解き放たれた時、彼女の姿は宝石以上に燦然と輝いていた。

 

ベレー帽にブラウス、コルセットの絶妙な組み合わせは、慈母神さながらに母性溢れる彼女の体型、その美しさをより際立たせる。

下半身はショートガードのスカートに立派なブーツ。

先の、制服姿の学生らしい面影は一つも見当たらない。

この中世の三銃士を思わせるクラシカルな装束は、これ以上はないというくらいに彼女の魅力を引き出していた。

 

まどかとさやかは、先程まで自身を支配していた恐怖を忘れ、目の前の少女の姿にただ見蕩れていた。

すると、いつの間にか少女の背後に、銀色で重厚な火器が数多出現している。

 

――――マスケット銃。

主に17世紀以降のヨーロッパ諸国の主力火器として用いられた先込め式単発銃。

それら無数の銃口が戦列を組み、今や晩しと号令を待っている。

 

そうして魔弾の奏者は、躊躇う事無く勅令を下した。

そこから降り注ぐ光はその一つ一つが、流星のように一瞬で煌めき、爆ぜて消える。

圧倒的物量の前に為す術もなく、薔薇園は蹂躙され、まさしく焦土となって荒廃した。

 

「す、すごい……」

「も、戻ったーーーー!!」

 

絶望を象徴していた世界が払拭され、二人は感嘆の声を上げる。

ふわりと優雅に宙を舞い、少女は事も無げに着地した。

 

 

降り注ぐ光の雨を見て、遅かった、とほむらは悟る。

否、手遅れというなら、キュゥべえの計画の全容を知った段階で既に手遅れだった。

誘い込まれたのは、何もまどかやさやか、それにほむらばかりではない。

煌びやかに舞う彼女でさえ、インキュベーターの掌で踊らされたに過ぎない。

 

彼には分かっていたのだ。

ここに結界が生じることすらも。

そして、たとえそれがグリーフシードを孕んでいない“使い魔”程度のものだとしても……それに誘き出される魔法少女が、この街にはいるという事を――――。

 

「魔女は逃げたわ。仕留めたいならすぐに追いなさい。今回は貴女に譲ってあげる」

 

ほむらは薄暗い影の元から、自身に向けられる声の方へ姿を見せる。

厳しい表情をこちらに向けていたのは、同じく魔法少女、巴マミだった。

無論、今は魔女などどうでもいい。

 

「私が用があるのは――――」

「飲み込みが悪いわね。見逃してあげる(、、、、、、、)って言ってるの」

 

ほむらの要求を、マミは遮る。

……緊張が走る。

一触即発の雰囲気に、まどかとさやかは息を飲んで不安げに見守る。

 

「お互い、余計なトラブルとは無縁でいたいと思わない?」

 

背後の二人に気を遣ってか、マミの声は多少の穏やかさを取り戻した。

しかし言葉から察するに、それが最後通牒である事実に揺らぎは見られない。

 

“マスター、ここは私からも撤退を進言する。ここで事を構えるのは賢くない”

 

結界が消えて移動してきたのだろう。

アーチャーは霊体化して、ほむらの背後に回っていた。

別の魔力反応に気付いたのか、マミの表情に若干の険しさが表れる。

 

「………………」

 

ほむらはまどかの傍らで弱りきった生き物を冷徹な視線で見据え、踵を返して闇へと消える。

去り際のその瞳に、どこか悲哀に近いものが満ちていたのを、まどかは感じた。

 

 

 

 

「………………はぁ」

 

帰宅してから、ほむらは十分に一度はこうしてため息を吐いていた。

無視して家事に勤しんでいたアーチャーだったが、ここまでくるとさすがに見兼ねる。

あの場を退いてから今に至るまで、一度も会話は発生していない。

 

「ほむら。過ぎた事よりも今後の事だ。まさか、本当に手遅れというわけでもあるまい」

 

堪えかねて口を開いたのはアーチャーだった。

ほむらはどこか気だるそうに彼を一瞥し、またため息を一つ吐いて、

 

「そうね……一番に避けたかった事ではあるけれど、叶わなかった以上は仕方のない事ね」

 

そう呟いて、本題に入る。

 

「こうなってしまったら、恐らく、巴マミはあの二人を魔法少女に勧誘するでしょうね」

「巴マミ、というと、あのやけにグラマラスな少女か?」

 

グラマラス、という単語をネイティブ並に滑らかな発音で強調するアーチャーを横目で睨み付ける。

これだから、男は……

 

「……そうよ。彼女はこれまでずっと孤独に戦ってきた。素質のある子を仲間に迎え入れようとするのは当然の流れ、なのでしょうね」

 

そこに小さく一言、

 

「……まだ、懲りていないのね」

 

と呟く声に、アーチャーは聞かなかった振りをした。

 

「……無駄だとは思うけれど、彼女へは警告しておくわ。それで駄目なら彼女達の動向を監視していくしかない。最悪の時は、あなたの力を使うわ。幸い、まだあなたの存在は誰にも気付かれていない」

 

……つい先日の鹿目まどかとの接触を思い出したアーチャーは、今の発言にも聞かなかった振りをした。

 

「……了解した。私は必要な時まではなるべく巴マミとの接触は避けよう。私の魔力を探知でもされれば、せっかくの利点が台無しだからな」

「そうね」

「………………」

「………………」

 

会話、終了。

必要な話だけ終えると沈黙に包まれるこの家の雰囲気を、アーチャーは苦手としていた。

そもそも彼は合理主義者で、無駄を嫌う性格ではある。

しかしそんな彼ですらも、暁美ほむらの人間性の希薄さというものが気になってしょうがない。

彼は英霊ではなく、彼女に従うサーヴァントとして、この点を心配していた。

 

なんとか話題を考えるアーチャー。

だが意外にも、次に沈黙を破ったのはほむらの方だった。

 

「お風呂に入ってくるわ。……覗いたらどうなるか、解るわよね?」

 

――――好機。

話の種を求めていたアーチャーは、ここぞとばかりに畳み掛ける――――!

 

「は、心配せずとも君みたいな子供体型には興味はない。安心したまえ。私はもっとこう、ふくやかなボディがだな……」

「――――――――――――」

 

そうして、女性のボディラインをイヤらしい手つきでジェスチャーした瞬間が、彼の最期だった。

 

――――気付いたときには、ありとあらゆる物がゼロ距離だった。

洗面器、洗面台、石鹸、シャンプーの容器。

鉛筆、コンパス、ボールペン、ホッチキス。

ベレッタM92F、IMIデザートイーグル、レミントンM870、トンプソン・コンテンダーやエトセトラ……

 

その圧倒的な物量による全方位からの奇襲の前に。

アーチャーの意識はブラックアウトした――――。




※注釈

鷹の目:アーチャーの持つスキル“千里眼”の事。
端的に言えば視力の良さで、4km先の人物の顔まで認識可能。

気配遮断:暗殺者(アサシン)のサーヴァントの固有スキル。
その名の通り、自分の気配を遮断する効果があるが、臨戦時は大きく劣化する。

一千年の悲願:聖杯戦争始まりの御三家の一つ、アインツベルンの妄念。
内容は失われた第三魔法“魂の物質化(ヘブンズフィール)”の再現。

トンプソン・コンテンダー:主に狩猟用として用いられる中折れ式単発銃。
「Fate/Zero」においてマスターの一人、衛宮切嗣が主力武装兼魔術礼装として使用。


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運命はきっと変えられる(前編)

夕焼けの陽が差し込む病室は、都市の近代化に伴って高層化された見滝原病院のもの。

その出入り口の壁を背に、美樹さやかは上がり続ける身体のボルテージを抑えるのに必死だった。

 

部屋の主は彼女の幼馴染――――尚、絶賛片思い中――――の上条恭介。

今年の春に事故に遭い、命に別状こそなかったものの、身体機能への影響は大きく、今もこうして入院している。

さやかは、ほぼ毎日のように彼の見舞いに来ていた。

まるで通い妻のようだと胸中で自負しつつも、入室間際のこの緊張には未だに慣れないでいた。

 

深く息を吐き、今こそは、と思う。

しかしそれでもまだ、彼女の足は動かない。

それどころか、聞こえるはずのない高鳴る心音が彼に気取られるのではないか、という疑念さえあった。

 

風に煽られ、部屋の中のカーテンが揺らぐ。

その瞬間、不意に足が出た。

テコでも動じなかったであろうその足は、今度は留まる事を忘れて歩みを始めたのだ。

それはまるで導かれでもするかのように、彼女自身、驚くほどの自然な足運びだった。

どうやら風は、彼女の葛藤を春の綿毛のように吹き飛ばしていったらしい。

観念したのか、恥じらいを潜めた苦笑でもって、さやかは想い人の待つ病室へ足を踏み入れた。

 

「やあ……!」

 

それに気付いた上条は、窓に向けていた眼差しをさやかの方へと向ける。

応えるように、さやかは微笑みながら彼の傍らに寄り添うようにして座った。

 

「えーっと……はい、これっ」

 

彼女は持っていた鞄から一枚のCDを取り出した。

内容はヴァイオリン奏者がパッケージを飾るクラシック音楽。

上条はそれに感嘆したのか、いささかばかり興奮した調子で言った。

 

「いつも本当にありがとう。さやかはレアなCDを見つける天才だね」

「えへへ……、う、運が良いだけだよっ、きっと」

 

上条の家は音楽家系で、彼自身も幼少からヴァイオリンの英才教育を受けていた。

周囲から天才的だと持て囃された彼の演奏は、当時、幼かったさやかの心にまで感銘を与えた。

……それが次第に恋心へと発展していくのに気が付いたのは、はたしていつだったか。

以来、クラシック音楽は知る人ぞ知る、彼女の意外な趣味の一つとなっている。

 

ちなみにさやかは決して、レア物を見つける天才、というわけではない。

彼女は、上条が気に入るだろうCDを時折こうして見繕っており、ある時は休日をまるまる費やし、電車を使って隣町のコアな専門店にまで赴いた事もある。

……その内に勝手を掴み、慣れてきたのもまた事実ではあるが。

 

「この人の演奏は本当にすごいんだ。さやかも聴いてみる?」

 

音楽プレイヤーをセッテイングしながら、上条は片方のイヤホンをさやかに差し出す。

乙女心を燻ぶる彼の行為は、無意識なのかそれとも……、なのか。

どちらにせよ、彼女の頬を夕日に匹敵、或いはそれ以上に赤らませた。

 

「い……っ!……いいの、かな……?」

「ホントはスピーカーで聴かせたいんだけど、病院だしね」

 

薄く笑みを浮かべて、彼女の方に身を寄せる上条。

その際のさやかの緊張は先の入室前の時などまったく比べ物にならなかったが、それも曲が始まるとすぐに落ち着いた。

 

小さな頃に聴いたあの、彼の素晴らしかった演奏を思い出し、今あるこの幸せを噛み締める。

……けれど、そんな穏やかな気持ちを、咽び泣く声が現実に引き戻す。

 

必死に抑えているのだろう。

気付けば彼は、窓の方へと目を背けていた。

頬を伝う涙がぽたりと彼の右腕の包帯に落ち、染み込んでいくのが微かに見える。

その右腕は曲に呼応してわずかに震えるだけだが、さやかにも、それが精一杯の動きなのは解っていた。

 

彼の右手はもう、動かない。

人々の心を震わす演奏を生んだ彼の手は、ある日、神の気まぐれによって永遠に失われた。

 

漏れ出す彼の嗚咽は、弦楽器が奏でる悲しい曲調と相俟って、二人の空間を悲愴感で支配する。

そのやり場のない哀しみと怒りに、さやかはただ、目を伏せることしか出来なかった。

 

 

 

 

 

「ティロ・フィナーレ――――!」

 

白銀の大砲から放たれた極光は、瞬く間に敵を飲み込む。

暗闇を司る魔女の使いも身を包む閃光の前に抗う事はせず、その存在を静かに昇華させた。

それと同時に、辺り一面を支配していた暗黒も払われ、夜の公園はその景観を取り戻した。

安心したのか、遊具に身を隠していたさやかとまどかが顔を出す。

 

「いやぁ、やっぱマミさんってかっこいいねぇ!」

「もう、見世物じゃないのよ?危ないことしてるって意識は、忘れないでおいてほしいわ」

 

百戦錬磨のマミの実力に感嘆の声を上げつつ、はしゃぐさやか。

それをマミは苦笑混じりに諌める。

しかし、さやかと違って声にこそ出さなかったものの、まどかもまた、興奮冷めやらぬといった面持ちでマミを見つめていた。

 

初めて使い魔に襲われて以来、二人はマミから多くの事を聞かされた。

魔法少女の事。

魔女の事。

ソウルジェムやグリーフシード……それを巡る対立の事。

そしてそれらを踏まえ、白い生き物――――キュゥべえ曰く、まどかとさやかには魔法少女の素質があるという。

そこでしばらくの間、彼女たちはマミの提案で“魔法少女体験コース”と称した彼女の魔女退治に同行する運びとなった。

 

今宵はその三回目。

マミと同じ魔法少女である暁美ほむらからの干渉はあったが、それでも回を追う毎に二人の眼はマミに対しての憧憬の色を強くしていた。

 

 

「二人とも、何か願い事は見つかった?」

 

帰る道すがら、マミは二人に尋ねた。

二人は顔を見合わせ、俯きがちに黙り込む。

概ね予想通りの反応にマミはくすくすと笑う。

 

「まあ、そういうものよね。いざ考えろ、なんて言われたら」

「……マミさんは、どんな願い事で魔法少女に……?」

 

今度は躊躇いがちに、まどかが訊ねる。

その問いにマミは一瞬立ち止まり、その表情には少しばかり影が差したように見える。

 

「あ……いや、あの、どうしても聞きたいってわけじゃなくて……」

「ううん、いいの。……私の場合は――――」

 

 

幸せな家庭があった。

父もいて、母もいて。

兄弟や姉妹こそなかったが、彼女にはそれで十分だった。

何一つとして不自由はなくて、何物にも代えがたい、暖かな日常。

 

――――けれど、それらは何の前触れもなく、突如として喪われた。

 

もう、何年前になるだろう。

家族とドライブに出かけた帰りの事だ。

それは繁多な父がようやく合間を縫って得た、久しぶりの家族の団欒の時間だった。

彼は寂しい思いをさせてきた娘に対して、精一杯の愛情を注ごうとした。

――――その為に一瞬、ハンドルを握るべき手を離したことが仇となった。

 

……気付いた時には、全てが手遅れだった。

反対車線の乗用車の横転が視界に入り、次に目を開けた時にはそれが火の海に変わっていた。

 

つい先ほどまで、自分に笑顔を振り撒いていた父も母も、既に事切れていた。

けれど、悲しみに暮れるよりもまず先に、彼女が思った事は一つだけ。

 

“死にたくない――――……!!!”

 

彼女は何かに縋るような、必死の思いで手を伸ばして――――、

 

 

「考えてる余裕さえ、なかったわ」

「――――――――――――」

 

自分と年端の変わらぬ少女が、憧れの的に至るまでの壮絶極まる経緯に、二人は絶句するしかなかった。

 

「後悔してるわけじゃないのよ?今の生き方だって、あそこで死んじゃうよりは余程よかったと思ってる」

 

そう言いながら、マミはどこか寂しげに微笑む。

 

「……でもね、ちゃんと選択の余地がある子には、きちんと考えた上で決めてほしいの。私には出来なかった事だからこそ、ね」

「……ねぇ、マミさん。願い事って――――自分の事柄でなきゃ、駄目……なのかな?」

「……?」

 

普段の明るい様子とはかけ離れた真剣な、さやかの声色。

 

「たとえば――――たとえばの話なんだけどさ。あたしなんかより、よほど困ってる人がいて、その人の為に願い事をするのは――――」

「それって、上条くんの事?」

「た、たとえ話って言ってるじゃんか!」

 

まどかが尋ねると、それが図星だったのか、露骨に狼狽するさやか。

そこにマミの傍らにいたキュゥべえが平然とした様子で口を挟む。

 

「別に契約者自身が願いの対象になる必然性はないよ。前例もないわけじゃないし」

「でも、あまり感心できた話じゃないわ。他人の願いを叶えるのなら、なおさら自分の望みをはっきりしておかないと」

 

マミは少し難しい表情を浮かべながら、言葉を続ける。

 

「――――美樹さん。あなたは彼に夢を叶えてほしい(、、、、、、、、、、)の?それとも、彼の夢(、、、)を叶えた(、、、、)恩人になりたい(、、、、、、、)の?同じようでも全然違う事よ、これ」

「……その言い方は、ちょっと酷いと思う」 

 

苦々しく憤るさやかを宥めるような声で、しかしはっきりと、マミは言う。

 

「ごめんね。でも今の内に言っておかないと。そこを履き違えたまま進んだら、あなた、きっと後悔するから……」

「……そうだね。あたしの考えが甘かった。ごめん」

「ううん、いいの。……やっぱり、難しい事柄よね」

 

そう呟いたマミは懐かしげな、けれどやはり、寂しげな表情を見せて、

 

「……昔ね、いたの。美樹さんが言ったみたいに、他の人の為に、魔法少女になった子」

「……マミさんの友達に、ですか……?」

 

まどかが尋ねると、マミは苦笑いを浮かべて続けた。

 

「うーん……、友達、なのかな。私が初めてパートナーを組んだ子だったわ」

「マミさんの、パートナー……」

「今はちょっと、けんか別れになっちゃってるんだけどね。根はとっても優しい子だったの。……今でも、きっとそう……」

 

思い出に浸っているのか、彼女はその目を遠く虚空へと向ける。

二人には、その目からきらりと、零れるものが見えたような気がした。

 

「……その子は?」

「その子は家族の為の祈りで魔法少女になった。けれどある日……その願いのせいで、彼女の家庭は破滅したの」

「………………!」

「それから、彼女は荒み始めた。自分の利害の為だけに、行動するようになってしまったの。……私とのコンビもそれで解消になったわ」

 

事故で家族を失ったの(、、、、、、、、、、)と、自分の(、、、)せいで家族が(、、、、、、)死んだの(、、、、)じゃ全然違うだろ……!!!?”

 

「……そんな、事が……」

 

やり切れない思いが場を満たし、しばしの間、誰も口を開く事が出来なかった。

 

……~~~♪

 

沈黙を破ったのは、あまりメジャーではない多重奏の着信音だった。

 

「……あら?何かしら」

 

鳴り響く着信メロディーは、巴マミの端末から発せられていた。

電子メールを確認した彼女は予想外の内容が記されていたのか、少し目を見開き、手短に返信を済ませ、

 

「ごめんなさい。少し急用が入っちゃった。二人だけでも大丈夫?」

「大丈夫ですよっ。まどかの家はもうそこだし、あたしは……ほら、キュゥべえがいますから!」

 

心底、申し訳なさそうに断りを入れるマミに、さやかは先の暗い表情が嘘であったかのような笑顔を浮かべ、キュゥべえを抱き寄せる。

まどかも、流石にさやか程ではないにせよ、明るい面持ちでもって快くマミを送り出した。

 

 

 

 

 

 

マミは一人、先の公園の広場へと踵を返していた。

その手にあるソウルジェムは魔力反応を鋭敏に捉えている。

この傍目からは奇怪に見える行動の理由は、先ほど届いたメールの文面にあった。

 

『話がある。事が済み次第、一人で広場まで来て。暁美ほむら』

 

いったい、どうやってこちらの連絡先を知り得たのかは定かではない。

だが事ある毎に干渉してくる彼女とは、一度話をつけなくてはならないだろう。

それはマミ自身も考えていた事だ。

 

――――ソウルジェムの輝きが増す。

初めて彼女と対峙した時と同じく、魔力の反応は二人分(、、、)

辺りを見回し、警戒を厳とする。

ここまで来て、闇討ちなどされてはたまらない。

 

「――――わかっているの?」

 

……だが、それも徒労に終わった。

ここまで完璧に気配を殺して背後に立たれては、そう言わざるを得ない。

とはいえ、ほむらが初手での奇襲という選択肢を殺したあたり、話し合う余地は十分にあると踏んで、ひとまずマミは安堵した。

尤も、この後の返答次第では戦闘も止む無しという事もまた弁えていた。

 

「自分が何をやっているのか……」

「ええ、解っているわ。未来ある後輩に魔法少女の心得を教えてあげているだけ」

 

ほむらからの静かな叱責に、挑発的な口調でもって返す。

彼女がどうやら二人の契約を厭っているようだが、明確な目的が見えてこない以上、黙って屈するわけにはいかない。

 

「――――いい加減にして。“正義の味方ごっこ”に文句を言う気はないけれど、あなたの勝手にこれ以上、無関係の子を巻き込むのは止めなさい」

「彼女たちはキュゥべえに選ばれた。もう無関係じゃないわ。それに……何も知らないあなたが、知った風な事を言わないで」

 

怒りの琴線に触れられたのか、マミは少しばかり荒げた声でほむらを睨む。

対するほむらは冷静に髪を掻き上げる素振りを見せ、

 

「……交渉は決裂、かしら?」

「交渉?馬鹿を言わないで。あなたが一方的に要求してきただけじゃない」

「鹿目まどかを魔法少女にさせない……それさえ守ってくれるなら、今すぐこの街から出て行くわ」

「……へえ、あなたも気付いていたのね。彼女の素質に……」

 

不敵な笑みを浮かべるマミ。

そう、彼女も気付いていた。

最初こそ信じられなかったが、鹿目まどかの中には、自分をも凌駕するであろう程の魔力係数が秘められているという事に。

 

「あの子だけは契約させるわけにはいかない……」

「自分より強い相手は邪魔者ってワケ?いじめられっ子の発想ね」

 

今度はマミが意趣返しとばかりに、ほむらを責め立てる。

流石の彼女もやや眉を顰め、再びその長髪を掻き上げて言う。

 

「――――あなたとは戦いたくはないのだけれど」

「二対一でかかってくる気?数でどうにかなると思っているのなら、あまり私を侮らない事ね」

 

姿を見せない第三者の存在を看破してみせても、ほむらに動揺はなく、その人物が現れる様子もない。

しばしの剣呑な雰囲気の中、嘆息混じりに先に剣を収めたのはマミの方だった。

 

「どうやら、これ以上の話し合いは無駄みたいね。……もう二度と、私に会わないよう努力して。言葉だけで事が済むのは今夜で最後でしょうから」

 

そう言ってマミはほむらに背を向け、その場を去っていく。

その背中は一見、無防備に見えながら、追い縋るものなら容赦はしないという殺意めいたものを内に潜めているようにも思えた。

 

 

 

 

「やれやれ。君たちは穏やかに話し合うことも出来ないのかね。見ていて胃が痛む」

 

巴マミの姿が見えなくなってからようやく、アーチャーの身体は現に解き放たれた。

 

「しかし、私が居て良かったのか?彼女に気取られないようにと警告したのは君だったはずだが」

「彼女とは相性が悪い。いざ戦闘となれば、まず敵わないわ。それに……」

「……?」

 

そこで言い澱み、アーチャーの方へと振り返るほむら。

彼女は時間にして一秒ほど、彼の顔をじっと見て……そしてまた、背を向けて言った。

 

「……知っておいてもらおうと思ったの。彼女の“戦う理由”」

「――――――――――――」

 

沈黙。

しかし、それもまた、時間にしてみれば一秒にも満たない。

静寂は、くっくっ、と笑うアーチャーの声に破られた。

 

「そうか。見たのか、アレ(、、)を」

「………………」

 

マスターは稀に、契約した己がサーヴァントの半生を夢という形で追体験する事がある。

そして……今、確信を持った。

 

ほむらが以前に見た、理想に殉じ、荒野に果てた男の一生。

それは紛れもなく、彼女の傍らに立つ彼のモノだと。

当のアーチャー本人は未だに口元を歪めたまま、呟く。

 

「正義の味方……ときたか。確かにこれはなかなか、因縁を感じずにはいられんよ」

「彼女は事故で両親を亡くして魔法少女になった。以来、彼女は正義の味方としてこの街を守っている。……魔女も使い魔も、隔てなく倒す事によってね」

「それを私に言ってどうする気だ?」

「あなたも……とてもそうは見えないけれど、正義を信じて生きてきたんでしょう?なら、彼女に対して何か思うところがあると思って」

「馬鹿馬鹿しい話だ」

 

アーチャーは、平然とそう言ってのけた。

まるでそれが当たり前であるかのように、自らの生涯を否定した。

 

「どのような形であれ、他人の為に自身を犠牲にしてまで抱く祈りは贋物だ。もしくは壊れているかのどちらかだな。人は自らの欲望の為に生き、その欲は自分自身に回帰するものだ。だから正しい行いかどうか以前に、それは人間の在り方として間違っている」

「……っ!」

 

ほむらは衝動的に、自分よりずっと身長の高い男の胸倉を掴みにかかった。

抵抗する様子もなく、アーチャーは続ける。

 

「ほう。まさか、君が掴みかかってくるとはな。私が知る限り、君は他者が詰られていたところで義憤するようなお人好しではないはずだが……くっくっ。なるほど、道理でオレ(、、)のような外れを掴まされるわけだ。君も十分、破綻しているというわけか」

「………………っ」

 

ほむらは、きっ、と鋭い眼光でアーチャーを睨みつける。

その鋭利さたるや、よく研がれた刃物のように、それだけで人をも殺せようほどだ。

それでも動じない彼に対してようやく無駄だと判ったのか、彼女は黙って手を降ろし、踵を返した。

 

「そういえば君はずいぶんと、鹿目まどかにご執心だったな。悪いことは言わん。やめておけ。世界の為にしろ、彼女個人の為にしろ、その願いは君という存在を破滅に導くだけだ」

 

彼の諫言はほむらに届くことはなく、ただ空しく、夜の闇へと消えていった。




※注釈

ティロ・フィナーレ:魔法少女、巴マミの必殺技。
「繋ぎ止める」という祈りから生まれた魔法を応用して完成した大砲による一撃。
イタリア語の直訳で“究極の一射”を意味する。
ちなみに戦闘の恐怖を拭い去り、自身を鼓舞するという目的で巴マミ当人に命名された。

着信音:イメージは劇中サントラ「Credens justitiam」


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運命はきっと変えられる(後編)

ひとつの世界が崩れ去るのを、これならば安物のSF映画でも見ている方が幾分かマシだろう、といった気分でアーチャーは傍観していた。

せめて存在の痕跡を遺そうと躍起になっていた異界も、陽炎にも似た揺らめきを一瞬浮かべた後は完全に消滅した。

あとには何ら変わり映えのない、それこそ冠詞でも付きそうなほどに模範的な団地が、在るべき場所に戻っただけ。

そうして彼は、いかにもつまらなげな表情を浮かべつつ、いつものように異常の残留物(グリーフシード)を拾いあげる。

異常の存在を認めない世界に唯一遺された種は、或いは彼女らにとっての救いなのかもしれない。

 

暁美ほむらと巴マミの交渉があえなく破談に終わって一夜が経ち、時計の針が午後の三時を指す頃。

アーチャーは風見野町に赴き、今また、魔女を仕留めたところであった。

もとより静かなこの町は平日の昼間という事も手伝って、まるでゴーストタウンさながらの様子である。

人目につく事を良しとしない神秘の具現(サーヴァント)には好都合な場所であり、彼も狩り場としては気に入っていた。

 

マミとの縄張り争いを懸念した彼は見滝原よりも、その隣接した町を拠点にしていた。

結果、当初の目論見に限った話として言えば、ひとまずそれは功を奏したようで彼女との衝突はこれまでに一度もない。

 

……だがそれゆえに、彼はもっとたちの悪い相手を敵に回してしまった事など知る由もなかった。

 

しかし今にして思えば、これは初めて魔女という未知の存在を相手取ったところから既に始まっていた事だと言えるだろう。

まるで、餓えた野獣のテリトリーに足を踏み入れてしまったかのような緊張感。

彼はこの風見野町を狩り場とする時だけは必ず、第三者の魔力反応を感じていた。

見られている感覚も監視というより、むしろ舐め回すような――――獲物を観察する獰猛な獣のソレに近い。

 

そして今、この場に漂うのは闘気というにはなお荒々しく、殺気というには清澄さに欠ける――――そんな気配だった。

或いは覇気と呼ぶのが正しいだろうか。

そこでアーチャーはこれまで幾度となく向けられていた敵意が、初めて明確なものとなるのを感じた。

 

――――むしゃむしゃ、と何かを咀嚼する音。

夕刻近いとはいえ、未だ昼間の様相を浮かべる空に対して、不釣合いなまでに薄気味暗い路上の物陰。

その仄暗い闇の底から、一人の少女が四色団子を喰らいながら現れた。

 

黒いリボンでポニーテールを仕上げ、薄い青のパーカーを羽織った、一見してごく普通の少女の姿。

 

――――ただひとつ、特筆するのなら。

その髪も眼も、獲物を喰らった獅子の口から滴り落ちる血のように朱かった。

 

 

 

 

間に合って、と駆ける両足は市立見滝原病院へと向かっていた。

これまでの統計通りならば、今日が運命の転換点(ターニングポイント)のひとつだ。

 

――――今日が今まで通りなら。

巴マミは魔女との戦闘の末、まどか達の前で命を落とす。

そうなってしまえば、対ワルプルギス戦の勝率が一気に低下してしまう。

 

そうまで考えてから、私は彼女を守る理由に“彼女が大切な先輩であるから”、という最も人間らしい回答の用意を忘れている事に気付く。

それはつまり、どうせ助けられないと諦めてるからなのだろうか――――?

 

足は止まらない。

止まってはくれない。

きっと考えれば、答えを出せば、壊れてしまうと知っているから。

だから私は考えることをやめて、向かう先にだけ意識を同調させる。

目的を忘れた足はただ、最後の(よすが)に縋るように、惨めなままで駆けていった。

 

 

 

 

魔窟はどす黒い瘴気を帯びて、その口をがっぽり、と開けていた。

 

市立見滝原病院の駐輪場。

その物陰に突き立っていたのは魔女の卵、グリーフシードに他ならない。

上条恭介の見舞いに来ていた美樹さやかと、それに同伴していた鹿目まどかが帰りがけに見つけたものである。

 

魔女は“口づけ”と呼ばれる刻印を人々に植え付け、人の内にある衝動を喚起させる。

――――あらゆるモノの内面に介在する、“起源”と呼ばれる混沌衝動。

魔術師の中にもその衝動を覚醒させる者が存在するが、この口づけはまた別のカテゴリに属する。

 

そも起源とは、表層化された人格の裏に潜んで、その存在を束縛する始まりの因。

故に生半可な者が自身の起源(ほんのう)を自覚してしまうと、人格(たてまえ)など簡単に崩壊してしまう。

存在の根源――――その核たるものに、たかが数十年程度の積み重ねで構成されたものが及ぶべくもないのは道理である。

 

しかし、口づけに犯された人間は、あくまでも人格を保ったままだ。

言うなれば、一時的に本能(しょうどう)人格(りせい)の優先順位がスウィッチするだけなのである。

故に魔女に眷属の烙印を押されたモノは、自覚する事無く“目的”を達し、憶えの無い罪科に耐えかね、最後には“絶望”という餌を彼女らに献上する事になる。

 

病院という施設は、もとより心身を弱めた者が多く集う場所。

そんな場所が一度、魔女の糧となったなら――――?

 

措置として、さやかとキュゥべえが場に残り、その間にまどかがマミに救援を求める運びとなった。

まどかに連れ立って現場に到着したマミはテレパシーを用い、先立って結界に取り込まれたさやか達と連絡を取る。

 

(キュゥべえ、状況は)

(まだ大丈夫。すぐに孵化する様子はないよ。急がなくていいから、なるべく静かにきてくれないかい?)

(わかったわ。……美樹さん、大丈夫?)

(へ、へーきへーき!退屈すぎて居眠りしちゃいそっ)

 

まどかはひとまず二人の無事を確認できたことに安堵して、大きく息をついた。

だが、依然予断を許さない状況にあるのは、魔女退治のエキスパートであるマミの表情から見て取れる。

マミはまどかの手を引き、結界へと足を踏み入れた。

 

「無茶しすぎ、って怒りたいところだけど……今回に限っては冴えた手だったわ。これなら、魔女を取り逃がす心配も――――、」

 

そう言い切る前に、敵と遭遇したかのような険悪な顔つきで振り返るマミ。

臨戦状態特有の緊張感を前に萎縮しながら、まどかも恐る恐るそこに目を向け、

 

「ほ、ほむら、ちゃん……?」

 

と、血まで凍っていそうなほどの冷たさを感じさせる少女の、名前を呼んだ。

 

 

「……言ったはずよ。二度と会いたくない、って」

 

マミはまどかを庇うようにほむらの方へ一歩乗り出し、牽制する。

その時、彼女の冷え切った双眸が動揺故か、一瞬何かを言い淀むように逸らされたのを、まどかは見た。

しかしすぐにマミへと向き直ったその瞳は、さらに冷徹さを倍加させていた。

 

「今回の獲物は私が狩る。あなた達は手を引いて」

「そうもいかないわ。美樹さんとキュゥべえを迎えに行かないと」

「その二人の安全は保証するわ」

「……信用すると思って?」

 

真っ直ぐにマミを見据えて放たれたほむらの言の葉は、けれどもマミには届かない。

……マミには珍しい、奸計を謀るかのようなあくどい微笑。

彼女はさらに、挑発するようにほむらの癖を真似て髪をかき上げる仕草をしてみせた。

 

――――それが、発動の引き金(トリガー)だった。

魔力の奔流を察知したほむらの反射的な離脱行動も間に合わず。

彼女の四肢は何処からともなく顕れたリボンの前に封殺された。

ほむらは苦しげに藻掻くも、リボンは一向に緩まない。

それどころか、逆にその拘束力を増していく。

 

「ば……馬鹿……っ!こんなこと、やってる場合、じゃ……っ」

「もちろん怪我をさせるつもりはないけど……あんまり暴れたら保証しかねるわよ?」

 

そう言い放つマミの表情に慈悲の類は感じられない。

まどかの手前、オブラートに包んではいるが、このまま抵抗を続ければ最悪、圧殺の可能性すら有り得るだろう。

経験を経た者ほど、敵となった相手に情け容赦がないのがこの世界の宿命。

その点で言っても、彼女もたしかに“魔法少女”らしかった。

しかし、それを重々承知していながらも、ほむらは叫ぶ。

 

「今度の魔女は、今までとはワケが違う!あなたに勝ち目なんて、ない……!」

「ご忠告ありがとう。お礼に、帰りにはちゃんと解放してあげる。……大人しくしていれば、だけどね。――――行きましょう、鹿目さん」

「待――――っ……!」

 

ほむらは苦悶の声を押し殺しながら、それでも必死に叫び続けている。

マミとて容赦はなかったが、そこに何の呵責も無いわけではない。

 

……もしかしたら、彼女とも志を同じくして共闘できたかも――――、

そんな、唐突に浮かんだ既視感めいた理想に背を向け、マミはまどかを伴って先を急いだ。

 

 

「は、ぐッ……っ!」

 

藻掻く度に四肢を寸断されているかのような痛みが走る。

そうして次第に抵抗する気力すら刈り取られ、さながら死刑を待つ罪人のように項垂れていた。

……そこで諦めかけた瞳がふと、手の甲に刻まれた紋様を認識する。

 

――――“令呪”。

魔術師が自らの力量をも凌駕する最高位の使い魔、英霊(サーヴァント)を使役するために用意された絶対命令権だという。

 

……馬鹿馬鹿しい。

嫌悪感を持って、そう思った。

 

だって、そうじゃない。

それは誰が用意したのかも解らないモノ。

しかも、肝心の効果があるのかどうかさえも疑わしい。

そんなものを――――自分は今、最後の希望だと思って縋ろうとしているのだから。

 

けれど、もうそれしか手段は残っていない。

このまま、みすみす彼女を見殺しにして失敗するくらいなら――――、

 

――――自身に危険が及ぶかもしれない。

――――効果があるかどうかもわからない。

――――使えるのは三回だけ。

 

……もう、そんな事、知らないわよ。

どのみち、まどかを助け出せなければ、私は死んだも同然なのだから――――!

 

「――――――――――――、告げる(セット)

 

迸る魔力の波動。

それは仮にソウルジェムを介して全開の魔力を引き出したとしても、なお遠く及ばないほどの密度を有していた。

紋様は発現した時と同じ輝き、鈍痛をもたらす。

ほむらは三度限りの強権――――その一画を、発動した。

 

 

 

 

「待ちなよ。アンタ、まさかこのまま帰れるとは思ってないよね?」

 

団子の串を咥えたまま笑みを浮かべて、少女は言った。

口元から覗かれる八重歯は獅子の牙と一体、どこが違おうか。

 

「このままでは、と言ったか。では、どんな風に帰してくれるんだ?」

「……はぁ?ナニいってんのさ、アンタ。言葉の綾、ってヤツじゃんか。……ったく、人様の縄張りを荒らしまわるようなハイエナ野郎ってなると、性格の方もひねてるってわけかい」

 

呆れた顔でぼやく声に対し、否定はせんがね、と一言添えるアーチャー。

すると、仕切り直しとばかりに向き直った彼女は、

 

「……ま、いっか。どのみち、アンタは無事じゃ済まないんだしさ」

 

――――瞬間。

アーチャーの頬をナニかが掠め、背後の壁面に罅を穿った。

交差の際、彼の鷹の眼が捉えていたのは、先ほどまで彼女が咥えていた団子の串。

なんの変哲もない木の棒は、しかしあまりに鋭く、弾丸にも匹敵しよう速度を有していた。

 

これは彼女なりの警告であり、同時に余興なのだとアーチャーは理解する。

さりとて、常人ならざる少女の存在は、彼にとっては既知のもの。

そこに今更、驚きはない。

 

冷徹な宣告に呼応し、彼女の指輪が真紅の輝きを放つ。

 

――――凄然と周囲に拡がった赤き閃光は、消える時もやはり弾け飛ぶ鳳仙花のごとく凄絶だった。

迸る閃光の残滓と、この世の境界線。

そこに居たのは、爪を、牙を、全て剥き出しにした捕食者だった。

 

ノースリーブの下にスカートをあしらい、持ち手の身長を優に超える長柄の槍を得物とする少女の姿。

その華奢な身体を覆う紅の意匠はまるで、彼女がこれから浴びる事になるであろう返り血を暗示するかのようだ。

 

「だいたい、アンタ一体何者さ?どう見ても女じゃあない、よねぇ?」

 

軽々と槍の穂先をアーチャーに向け、彼女は問う。

 

「あいにくだが、名乗るほどのモノは持ち合わせていないのでね。つまらない返しの詫びに、君の名を訊いておこう」

 

アーチャーは応戦の意志を示す形で『干将(かんしょう)莫耶(ばくや)』を手繰り寄せる。

彼女はそれに対して、可憐な少女には不適な、

――――されど、狩りの高揚感に猛る獅子にはやはり似合いの不敵な笑みを覗かせ、

 

「……ふん、佐倉杏子だ。覚えなくていいよ。どうせ――――スグに何もわからなくなるだろーしねぇッ!」

 

言うが早いか、少女の振るったモノとは思えない、稲妻めいた槍の刺突がアーチャーに向かって繰り出される。

研鑽された槍術をもって放たれたその一撃は、そこに至るまでの動作全てがまるで無かったかのように唐突な、言い表すのならば点の一手。

それでも臆せず、アーチャーはすぐさま、流れる線のような体捌きでもってこれを回避する。

 

――――交差する、点と線。

杏子の視線の先には、熾烈な戦闘の予感がある。

長らくヒトガタ(、、、、)は相手にしていなかったが、今回も例には漏れず、後に原形は残るまい。

肉食獣の爪は一切の呵責もなく、獲物の肉を抉りにかかった。

 

――――交差する、点と線。

アーチャーの思考にあったのは、いかに手早く相手を振り払うかだけだった。

無益な殺生を好まない彼はこの期に及んで尚、まともに剣を取ろうとはしない。

使い慣れた双剣のつがいは刃先を彼女に向けることなく、その動きを止めにかかった。

 

 

――――だが、誰の予想にも反して、決着は一瞬だった。

槍の穂先が男の喉笛を裂くより先に。

短剣の峰打ちが少女の意識を刈り取る前に。

赤い外套を纏った男は、何の前触れもなく世界から消失した。

 

 

 

 

光の粒子は瞬く間に赤い外套へと姿を変える。

アーチャーがまさしく瞬間移動の勢いで転移した先は、魔女の胎内だった。

 

――――令呪の行使。

隣町の外れから、この得体の知れない異界までの距離。

そんな隔たりを一瞬にして縮める、などという魔法めいた神業を現代――――この世界において再現しうるのは、それ以外に考えられなかった。

 

「アーチャー」

 

振り絞るような声で彼を呼ぶほむらは、リボン状の拘束具で締め上げられている。

切迫した場面でなければ、鼻で笑いながら嫌事が口を突いて出ていただろう。

しかしたった三度限りの、彼女にとっては本当に効力があるのかも定かではない“切り札”にまで頼らざるを得なかった状況を鑑みれば、当然そんな暇はない。

 

「状況は?」

 

アーチャーは現場の変化に驚く事なしに問う。

よほど苦しいのだろうか、彼女は呻くような声で絶え絶えに報告する。

 

「巴マミが、魔女の元へ向かったわ。けれど……今回は、彼女に勝ち目は無い。命を落とすわ」

 

おそらくは、こうして彼女を拘束しているのは、その巴マミ本人なのだろう。

けれど、ほむらは悲痛の表情を浮かべて、自らを辱めている相手を慮っていた。

アーチャーは、静かに背を向けて言う。

 

「――――マスター、命令を」

「……えっ?」

「早くしろ。サーヴァントはマスターの命令(オーダー)で動くものだ。……君の願いを言ってくれ」

 

背中を向けているアーチャーだったが、不思議とほむらには、彼が笑みを浮かべているような気がした。

そうして彼女は深く息をひとつ吐き、確固とした決意を顕わにした顔で従者に命じた。

 

「――――彼女を、助けて。皆、死なせないで……!」

「了解した。期待に応えるとしよう――――!」

 

英霊は誇らしげな赤の輝きを発し、流星めいたスピードで駆け抜けていった。

 

 

 

 

「今日という今日は、速攻で片付けるわよ――――!」

 

燦然と輝くマミの魂の輝きは、今この時にだけは、この世のどんなものよりも眩しかった。

いつもと変わらぬはずの衣装も、その華麗な光に調和して美しく映える。

今の彼女を前にしては、いかな絶望も死の不安さえも焼き尽くされよう。

 

後ろで自分に憧れている後輩がいる。

後ろで自分を認めてくれる友達がいる。

――――もう独りではなくなったのだ、と。

そんな希望こそが彼女を強くする原動力だった。

彼女は満ち足りた笑みを浮かべて、目の前に巣食う絶望の闇を振り払う。

 

(――――もう、何も恐くない!わたし、独りぼっちじゃないもの――――!)

 

 

そこはまるで、どこかで聞いたような童話の世界だった。

チョコレート、メイプルシロップ、クッキーにドーナッツ。

子供なら誰もが一度は望むであろう光景が広がっている。

たくさんのお菓子が立ち並んで初めて、その世界は成り立っていた。

そこはきっと、少女のユメが創り出したお菓子の家なのだ。

 

少女は望むものを手に入れた。

けれど彼女は、こうも考えた。

“これはわたしだけのモノ――――ひとりじめしてしまおう”、と。

 

そんな無邪気な子供のちょっとした執着心は、けれども明確な憎悪の塊となってマミに押し寄せた。

しかし、それらはまさに取り付く島もないままに鏖殺されていく。

無数に召喚されたマスケット銃を匠に使いこなし、敵をいなして撃ち抜くマミの姿は舞踏場での優雅な舞いによく似ていた。

 

(身体が軽い――――こんな気持ちで戦うのは初めて――――)

 

ちら、と背後を覗く。

そこにあったのは、自分に向けられている期待と憧憬の眼差し。

……感極まって泣きそうになってしまう。

けれど、まだダメだ。

今、目の前のこの敵を倒した時こそ、自分はまた――――

 

そうして彼女達は結界の最奥へとたどり着いた。

鼻孔が砂糖を何倍にも濃縮したような甘ったるい香りを捉え、マミもまどかも少し顔を顰める。

それも束の間、彼女達は、その場に佇んで状況を静観していたさやかとキュゥべえを発見した。

しかし再会を喜ぶ暇もなく、異界の主の胎動は疾うにその最高潮を迎えていた。

 

「気をつけて――――出てくるよ!」

 

茶会を飾るに相応しい、長い脚の椅子と机。

けれど、そこに降り注ぐのはティーカップの紅茶ではなく、ヌイグルミめいたナニカ。

今まで見てきた異形とはまた違った趣のソレは、かえって空恐ろしい何かを感じさせる。

 

「せっかくのところ悪いけど、一気に決めさせて――――もらうわよっ!」

 

得体の知れない恐怖を跳ね除けるように、マミは威勢良く声を上げる。

同時にマスケット銃の銃床が大木を薙ぐ鉄斧のように振るわれ、魔女の鎮座する椅子の脚を砕く。

衝撃で宙に放り出されたヌイグルミは間髪入れずに放たれた一斉射撃の雨に蹂躙され、あっけなく地に堕した。

そして一切の抵抗なく倒れ伏すソレを、しかしマミは無情にも撃ち抜く。

ヌイグルミは魔銃に穿たれた穴から顕れたリボンに絡め取られ、再び空へと押し戻される。

 

「ティロ・フィナーレ――――!」

 

慢心なくして放たれる、必滅の一撃。

それは今まで数多の魔女を葬ってきた、浄化の業火。

魔砲に呑まれたヌイグルミは、その原形を留める事なく果てた。

 

まどかとさやかは手を取り合って、歓喜の声を上げる。

長年の経験を持つマミですら、獲物を仕留めたという確かな手応えを感じていた。

 

――――それこそが慢心だったと、一体、誰が責められるだろう。

勝利の喜びに浸る彼女達の瞳はついぞ、ヌイグルミの異形が今際の際に遺した呪いを捉えることがなかった。

 

「――――え、」

 

ばくん、と大きく開かれた口がマミに向かう。

噛み、砕き、咀嚼し、呑み込む。

純粋に一つの事だけを成し得んとする執念。

その一点において、この“執着”の性質を持つ彼女を超える怪物(まじょ)はいない。

目の前のモノを喰らう悦び以外の感情を持たないソレは、今この時も無邪気な笑みを浮かべていた。

 

 

――――縮まる闇と自分の距離。

それが、巴マミという存在が地上から消えるまでに掛かる時間に等しいものだと、彼女自身が理解した。

 

 

「チ――――、久々に本職に戻るか……!」

 

疾走する脚を止め、彼が手にしたのは黒い洋弓だった。

続け様に彼はつがえるべき矢を投影する。

 

赤原猟犬(フルンディング)』。

その銘は龍殺しの伝説を持つ英霊“べオウルフ”の持ち得た剣。

魔剣は、アーチャーという工房を経て、鏃へと生まれ変わる。

 

――――鷹の目を以て見据える先は、ただ一点。

 

「赤原を往け、緋の猟犬――――!」

 

弓に置いていた指が、離れた。

緊張による筋肉の弛緩、それによって生じる手の震えは一切ない。

弓の英霊(アーチャー)は見事、その名に恥じぬ一矢を放ち切った。

音速さえも超越した赤光を見届ける残心も僅かに、彼はその場から消えていた。

 

 

まどかとさやかは、ただ迫る死の臭いを前に竦み上がる事しか出来なかった。

 

その先の光景を、見たくない。

見たくないのに、目をそらすことさえもできない。

戦慄する二人を必死に呼びかけるキュゥべえの声も上の空。

だからその時の彼がどのような表情をしていたかも、彼女たちにはついぞ分からないままだった。

 

「まどか、さやか、今すぐ僕と契約を――――」

「――――それには及ばんさ」

 

響き渡る男の声(、、、)

――――少女を包み込まんとしていた無間の闇は、しかし。

怪物の腹を破り壁面に叩きつけた、一つの赤光を前に敗北した。

 

 

一秒――――或いは、コンマ数秒単位の差だったのかもしれない。

その時までそこに居合わせた誰もがそれを絶対視し、当人でさえ世界に見放されたのだと確信していた。

そんな巴マミが死に至る未来(イマ)は、赤い外套のもたらす現在(イマ)に書き換えられた。

 

轟音の後に舞う粉塵は、隕石落下直後さながらの様相を呈していた。

向かってきた鏃との接触がなかったはずの地表さえ、その余波によって見るも無残なクレーター状に抉られている。

英霊の宝具がもたらす破壊の痕跡はもはや、近代兵器による爆撃の類と何ら変わりなかった。

 

「間一髪、といったところだな。私の幸運もあながち捨てたものではないらしい」

「あ、あなたは……」

「え、衛宮さん……?」

 

呆然と男を見るマミ。

そして、信じられないモノを見たとばかりに困惑するまどかとさやか。

 

「話は後だ。死にたくなければそのままでいろ」

 

アーチャーは未だに巻き上がる白煙の方へと目をやる。

 

魔女は、未だ健在だった。

ただの魔女が、都市区画をも立ちどころに焼き払う威力を秘めた宝具の一撃に耐え切れるはずはない。

正確に言うのならば、ソレは確かに一度果てていた。

しかし、執着の想念を体現するその怪物は現世の残留にすらしがみつく。

魔女はだらしなく開き切った大きな口からマトリョシカ人形のように、先ほどと寸分違わぬ姿で再度現れたのだ。

 

じろり、とソレは乱入者であるアーチャーを睨む。

その視線はコミカルな表情とは裏腹に、確かな殺気を宿していた。

 

「向かってくるか。戯け」

 

怪物は、見た目の巨躯に反した驚異的な速度でアーチャーの頭部に迫り寄る。

だが、そこまでの接近を許すほど彼もまた尋常ではなかった。

アーチャーはすかさず高台に逃れ、自身に語りかけるような声で呪文を詠唱する。

 

I am the born of my sword(体は剣で出来ている).」

 

怪物は突如として消えたアーチャーを探すように辺りを見回す。

次にその視界が彼を捉えた瞬間――――それが、最期だった。

 

剣があり、鎚があり、槍があった。

斧があり、鎌があり、矛があった。

曲刀や用途も想像できないような得体の知れない形状の武具に至るまで。

そうした夥しいまでの武具が怪物の周りで静止し、牢獄を形成している。

膨大な魔力の波動を内に漲らせるそれらは全て、掛け値なしに伝説級の宝具だった。

 

停止解凍(フリーズアウト)――――全投影、連続層写(ソードバレル・フルオープン)

 

アーチャーによる号令の下、無数の刀剣宝具は雨霰と怪物に殺到した。

絶え間なく炸裂する魔力の塊を前に黒の巨体は一瞬にして蒸発し、その度にまた自らの肉をすげ替える。

 

だが生に執着する一心も、立て続けに迫り来る宝具掃射の速度を前にしては敵うべくもない。

破壊される身体を新たな器で埋めようとするその代償行為は、この場においてはただ終わりの見えない拷問でしかなかった。

そうしてついに限界を迎えたソレは、最期の最後まで未練がましい表情を浮かべたまま、この世界から追放された。

 

 

「す、すごい……」

 

そのあまりに圧倒的な光景を前に、全員が息を呑んだ。

ただ一人、当事者であるアーチャーだけは何事もなかったかのように悠然と地に下り立ち、怪物の遺産を拾い上げる。

 

「あ、あなたは……?」

 

状況の変化に理解が追い付かないといった様子でマミは誰何の声をあげる。

 

「敵対するつもりはない。だが詳しい話をするのは許可が下りていなくてね。そうだな、たしかそこの娘達にはエミヤと名乗ったが」

 

アーチャーはちらり、とまどか達の方に目を向けた。

彼女達は未だに当惑している様子だが、この状況では仕方のない事だろう。

後始末のフォローを怠った事を嘆きつつ、最低限、話し合う場所を設けようと口を開きかけた時、

 

「――――どう、なったの?」

 

 

不安げな表情でその場に現れたのは、マミによって拘束されていたはずの暁美ほむらの姿だった。

彼女を縛っていた魔法はマミが自らの死を確信したショックで解除されていたのだ。

 

ほむらの視線の先にあったのは、絨毯爆撃もかくやという現場の惨状。

そして――――その渦中においても無傷のまま健在の、鹿目まどか達の姿だった。

この分だと、きっとアーチャーが上手くやったのだろう。

 

今までどんなに足掻いても、変えられなかった運命(フェイト)

今回の事は巴マミを救えただけでなく、ほむらにあるひとつの確証(きぼう)をもたらした。

 

――――決して覆りようのない運命なんてない。

運命は、きっと変えられる――――

 

「あ、あいつは……!」

「ほむら、ちゃん……?」

「暁美、さん……?」

「……」

 

ほむらの胸に湧く希望を他所に、三人と一匹の困惑はここに極まっていた。

全員の視線がほむらへと向き、そして彼女自身もまた、状況を掴めずにいる。

 

「……ところで、アーチャー。これって……」

「――――後を頼む」

 

責務を終えたとばかりにアーチャーは、いつも通りのシニカルな笑みを浮かべて霊体化()げた。




※注釈

起源:Type-Moon作品共通の概念。
万物に存在する始まりの基となり、そのモノの方向性を決定づける。
(“禁忌”が起源の者は倫理道徳に反するものに魅力を感じる、など)
簡単に言ってしまえば本能で、自覚がなくとも多少はそれに引っ張られている。
アーチャーは生前、とある宝具の影響で“剣”の起源を持つに至った。

赤原猟犬:フルンディングと読む。
「Fate/hollow ataraxia」、「Fate/EXTRAシリーズ」においてアーチャーが矢として使用。
特に前者では発射後に軌道変更を行なう離れ業を見せた。
叙事詩「ベオウルフ」の主人公、ベオウルフが持つ剣の一つとして登場。


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