コードギアス 二度も死ぬのはお断り (磯辺餅太郎)
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だからどうしてこうなった。

 ──どうしてこうなった。

 KMFのコクピットは狭い。さらに言えば、身の丈だけはやたらと恵まれてしまった男にとって、そこは棺桶並の狭苦しさである。

「きゃっ」

 瓦礫に大きく揺れた瞬間、可愛らしい悲鳴が上がる。

 そう、ただでさえ狭苦しいそこには、もう一人乗客がいた。

「悪いな嬢ちゃん、ここさえ切り抜ければ先行してる連中と合流できる」

 背中越しの男の言葉に、少女はこくこくと頷き男の背に掴まりなおす。

 目も見えない、足も利かない、その上見知らぬ男に連れ回されている割に落ち着いて見えるのは、案外胆力があるのかもしれない。

 『もう一人』に比べれば。

『いーやーだー!! 戦争反対!! 帰る帰る帰ってお布団入ってプレミアガチャ軽率に回して爆死するーー!!』

「ええいくそ、頭ん中で喚くな!!」

 ほとんど八つ当たり気分で進路に現れたグラスゴーの駆動部をスラッシュハーケンで難なく潰し、男は再度思った。

どうして、こうなった。

 

 

 

 

 

 

 死ぬのは死ぬほどクソ痛い。

 彼が実感したのはその瞬間だった。

 連日の残業で疲れていたからか、歩きスマホが悪かったのか、週末の浮かれ気分の酔漢の横を不用意に通ったのが悪かったのか。

 強いて言うなら全部だろう。

 ふにゃりとよろけた酔っ払いに押されたかたちでたたらを踏んだその先に、あるべき地面が無く、かくして彼はホームに入ったばかりの電車の運転手とまともに目が合い──死ぬのは死ぬほど痛いと、知った。

 痛い、そう、痛みが全てだった。痛い、苦しい、痛い、ひたすら痛い。

 必死で「そこ」からぬけ出ようともがく。どれくらいもがいていたのか、その先で──ふわりと何かが触れ、痛みが、消えた。

 これは、いわゆるお迎えというやつだろうか。笑える体がまだあるならば多分笑っていたであろう彼に、語りかける声が響いた。

「へえ、面白い混ざり方だね」

 意識がその声に向くと、茫洋とした視界に少女の姿が浮かぶ。どことなく現実離れした服装に、セミロングの黒髪は毛先だけほんのりと赤い。その目は全てを見通すように静かだった。

 彼は、その少女の姿に痛みも何もかもを忘れ、驚きをにじませ叫んだ。

『ア、アニメのキャラだーーー!?』

 

 見覚えが、あった。

 映画館にわざわざ見に行って「赤根監督ほんと量子力学ネタ好きなのな……」などとオタク友達と愚痴りあったアニメーションの、その登場人物そのままだった。

 いや、アニメ絵ではないのだ。実写版とでもいうべきなのだろうが、違和感がない。時空の管理者、人ならざる超常の存在、そう「コードギアス」というアニメの、フィクションの、作り事の中の少女が彼の前にいた。

「そう、今までの君のいた世界では物語として存在してる。うん、合ってるよ」

 少女がわずかに笑ったように見えたが、彼には聞き捨てならない言葉にそれどころではなくなっていた。

『今までって、やっぱ俺死んじゃったんだ!!』

 呆然とする頭のどこかで、そりゃそうだと納得する部分がある。電車とまともにこんにちはして無事なはずない。多分あの勢いでは、ミンチだ。

 死んだ、あんなしょうもないことで痛い思いして死んだ。おまけに走馬灯かと思ったらアニメキャラと対談、これはつらい。つらいというかイタい。

「ちょっと違うよ」

 声が、彼の意識を引き上げた。

 そうだね、と少女が少し間を置いて口を開く。

「体は死んだよ、間違いなくね。ただ、たましいが混線してる」

 意味がわからず言葉を失っている彼に、彼女はいたずらっぽくー笑った。

「もう少し先に死ぬはずの、同位体に引っ張られてる。よかったね、がんばればもう少し長生きできるよ。もちろん気を抜いたら、今度こそ本当に死んじゃうけどね」

 笑みを含んだ少女の声が遠のき、視界がぼやけ、今度は急速に落ちていく感覚にとらわれた。

 落ちて、落ちて、どこまでも落ち─────

 

 彼の目は、覚めた。

 

 夢だった。生きてる。

 そりゃそうだ、電車に轢かれてアニメキャラと対談とかアレじゃないか。

 覚醒していく意識が気恥ずかしさを覚える頃、床の冷たさに気づく。

 打ちっ放しのコンクリートのそれに寝袋、この状況に覚えはない。

 ここは、どこだろう。線路なんかじゃないのは確かだ。そう思う一方で無意識に体を起こし立ち上がり、彼は違和感に気づいた。

 視界が、高すぎる。薄闇の中でもなんとなくわかる、明らかに自分の体ではない。

 夢の中の言葉が頭をよぎる。

 

『物語として存在する世界』。

 

 いやいやまさかと首を振りたいところだが、浮かんだ考えは消えてくれない。

 もしかしたらもしかして、物語では「ない」世界も、あると。

 続けてさらにろくでもない方向に思考は走る。

 そう、もしかして、これはいわゆる──ある可能性にたどり着きそうになった瞬間、声が響いた。

「何か、あったのか?」

 男の声だ。落ち着いた渋みのある声には、聞き覚えがあった。面識は全くないが、聞き覚えだけはある声だ。可能性が嫌な確信に変わる。

 薄闇の中でこちらをうかがう姿は影だけでもなんとなくわかる、知っている。

 先ほどの夢と同じだった。平面的なアニメの絵じゃないのに、彼はその男が誰なのかわかってしまった。

 やばい、答えなくちゃ、ぐるぐると混乱する彼を置いて、事態は動いた。

「いえ中佐、急に目が覚めちまって」

 口から勝手に声が出ていた。あまつさえ体もだ。

 驚きで動けない、そのはずなのに、自分は落ちた上着をひっかけすたすた歩き出す。

「ついでに代わりますから、中佐も少しお休みになってください」

 また体は彼の意思とは関係なく喋り、水場へ向かってしまう。

 混乱しながらも彼はある結論にたどり着いていた。

 ある意味、ある意味いわゆる──転生系ってやつだこれは。

 だが。

 バシャバシャと顔を洗い、さっぱりした感覚が伝わる。

 さっきから体は指一本自由にならない。そう、意識だけだ、ここにあるのは。

 顔を拭く体の主が水たまりを見た。水面は月明かりで鏡面になっている。

 薄々予想はついていた。先ほどの男を気の置けない調子で中佐と呼ぶ、背の高い男。

 かなり絞り込まれる。

 駄目押しは水面に映った目つきが悪くて微妙にパッとしない風貌だ。

 彼には心当たりがありすぎた。だが目の当たりにするのは、話が別だ。

 

『これ、卜部じゃねえか!!』

 

「うわぁっ!?」

 元日本解放戦線の卜部巧雪は突如響いた絶叫に思わず声をあげ、さらにバランスを崩して尻餅をついた。瓦礫が地味に痛い。

 尻をさする卜部に気配が近づく。彼の上官である藤堂だ。

「中佐、いっ今の声」

 聞き覚えのない声に慌てて見上げた先で、卜部は上官の怪訝な表情とぶつかった。

「あのう……今、すげえ声が」

 聞こえませんでした?と尻すぼみに小さく尋ねる卜部に、藤堂はどちらかといえば気遣わしげな目になる。

 かなり表情がわかりにくい部類の藤堂だが、四聖剣などと呼び称されるほどに付き合いの長い卜部には、そういう表情の機微はたやすく伝わる。

「卜部、やはりもう少し休め」

 有無を言わさぬ声に、小さくはい、と返す。こういう時に藤堂が決して譲らないのもよく知っていることだった。

 それに確かに疲れているのかもしれない。トウキョウ攻略のための計画が、ユーフェミアという少女の一声で風前の灯火になってしまったのだから。

 もっともそれをいえば、中佐の方がよほど気苦労が多いはずだが、あの調子では言っても聞いてもらえるかどうか怪しい。これも長い付き合いで身に染みている。

 とぼとぼと元いた場所に戻り、卜部はいつの間にか二人分の空間を占拠して眠りこける同僚の朝比奈を蹴飛ばし、隙間を確保してから寝袋に潜る。

 妙に目が冴えているが、眠れるだろうか。

 無理やり目を閉じた卜部に、再び見知らぬ声がした。

『悪い、大声出したのは謝る。声が聞こえると思わなくて』

 やっぱり自分は疲れ切っているんだろうか。

 今度は声を上げることすらできずに卜部は固まっていた。

 

 黒の騎士団は神聖ブリタニア帝国にとって、反政府組織である。であるからその構成員の中でも名の知れているものは所在に気を使う。視覚的な意味でも、社会的な意味でも人目につきにくい死角が唯一のくつろぎの場となる。

 ここもそんな場の一つだ。

 卜部巧雪はひとり階段の踊場で手すりにもたれ、重たいため息をついた。

「つまりなんだ、俺の頭がイカれたんじゃなけりゃ、お前は俺のここにいるってのか」

 トントンと指先で己の頭を叩けば軽い調子の『声』が返ってくる。

『うん、何考えてるかはこっちはわかんないけど、感覚は共有してるみたいだ』

 呑気な調子に少しだけむかっ腹がたつ。結局あれから眠ることなどできなかった。

 生あくびで返事をしかけ、ふと嫌な可能性に突き当たる。

「……待てよ、それじゃお前と話すには延々独り言を」

『だね、いやーまいった。俺もこんなん知らなかったから』

 ズルズルとだらしなく手すりに背中を押し付けて、卜部は座り込み、頭を抱えた。

『とっとにかくさ、命大事っていうか死なないように、お互い頑張ろ!!』

「……俺、そこまで追い詰められてたのか」

『妄想扱いやめて!! とにかく一年後の死亡イベント乗り切れば、きっとなんとかなるって!!』

 一年後という言葉に加え、イベント、という方はともかくとして、死亡という言葉に卜部は眉間に皺を寄せた。

「嫌に具体的だな、おい」

『だって今、特区の式典直前なんでしょ?』

 卜部は虚空を睨む。はじめに『声』がやたらと気にしていたのは、今がいつかということだった。おおよそ伝わったあたりで、『声』はじゃあ間に合う、まだ間に合うなどと喜んでいるようだったのは記憶に新しい。

『確かこれから特区で虐殺が始まって、蜂起して、そんで負けて逃げ回って一年後に』

 早口でまくし立てられた言葉に、卜部はばね仕掛けのように跳ね起きた。

「待て!! 蜂起が失敗って、いやそもそも特区で虐殺って、お前!?」

『えっ、きっかけは本当にしょうもないけど、バタバタ死んですごかったじゃん血染めのユフィ』

 卜部は無邪気な声にぞっするものを覚える。まるで人ごとのように縁起でもないことを軽く口にする『声』。これが己の内面の一部なら吐き気すら覚えるものだ。

 確かに、他人であってほしい。卜部は、ぐっとこみ上げてくる感情を抑え、そもそもの疑問を口にした。

「おい、お前、本当になんなんだ?」

 『声』が息を飲む気配に、卜部は自分が思ったより感情を殺しきれなかったことを悟る。

 まだ、藤堂のようにはいかない。

『……さっき違う世界って言ったけど。もう少し正確には、こっちの世界がアニ……物語だった世界から来た、と思う』

 横道に逸れかけた卜部の意識を、決まり悪そうな『声』が引き戻した。

 その声に卜部はふと思った。

 年齢不詳と思っていた『声』は、もしかしたら相当幼いのでないだろうか。

 あえていうならものの考え方が、だ。

 卜部は疲れ気味に尋ねた。

「で、その物語の俺は?」

 答えは、返ってくるまでに随分と時間がかかった。

『あんたは、それまで地味だったのに急に活躍して、そんで……死ぬ役だった』

 

 

 

 卜部は苛立たしい気分である人物が現れるのを待っていた。

 さっきから『声』は何をする気だと喧しいが、返事をしてやる気は微塵もない。

 暗く、見通しのきかない通路は目的の人物がよく使う。

 もう間も無く姿をあらわすはずだった。

 カツ、カツ、と硬質な音が響く。体格と、その特徴的な影が、卜部に目当ての人物であることを告げる。

『はぁ!? ちょっと何する気!?』

 慌てふためく『声』を無視し、卜部は現れた男の進路を塞ぐ形で向き直った。

「ゼロ、あんたに話がある」

 ゼロ──仮面の男は値踏みするように卜部を見ると、頷きで返した。

 そんな仕草ですら芝居がかっているが、これには慣れつつある。

 示されるままにつき従い進めば見慣れたトレーラーが待っている。

 どこぞの貴族が持っていても不思議ではないそれは、黒の騎士団でのゼロの城だ。

 招き入れられた先にC.C.とかいう女の姿もないことを確認すると、卜部はようやく息を吐いた。

 ゼロはといえば、卜部が中に入っても終始無言だ。無言だが、傲然としたその態度は言いたいことをさっさと言えばどうだと言わんばかりである。

 卜部はぎゅっと拳を握る。これから聞くことには、それなりの覚悟がいる。

『ちょっと!! ゼロと二人きりになるのは絶対まずいって!!』

 声はますますやかましい。そうすれば聞こえなくなる、そんな風に一度目を閉じてから、再びゼロを見る。そして、尋ねた。

「ゼロ、あんたは……ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアなのか」

 

 『声』は焦っていた。うっかり勢いに押されてベラベラ喋るうちゼロの正体を口走ったら、まさかの本人直撃である。思い返して見ると、この頃の卜部がどうしてたかなんて、アニメじゃほとんどわからない。当然ゼロにどういう目を向けていたかもだ。

 実感した。させられた。はっきり言って、友好的には程遠い。

 そしてこの、ゼロにぶっちゃけた質問。やばい、詰んだ。混乱する『声』がオロオロするその視界で、仮面の目が、開いた。

『死ねギアスだけはやめてえ!!』

「その疑惑は、忘れろ!!」

 響いたのは、『声』にとって穏便な内容だった。だが別の驚きで思考はさらなる混乱に陥っていた。

 ゼロの持つ異能の力──ギアスが、『声』には効いていない。

 そう、かつての物語通りならば、ゼロの絶対遵守の力は使用前後を含めて対象の記憶に欠落が生まれる。だが『声』はまったく影響がない。

 とはいえ卜部自身には効いてしまったようだった。

「ああ、忘れる。それでいいんだな」

 平坦な声は確実にギアスに支配された声だった。

 『声』が事態を見守る中、ゼロのつぶやきが漏れた。

「今、藤堂の部下を削るわけにはいかん、だがこいつどこから俺の情報を……」

 ネット配信全話視聴で久々に、などという真実を伝えたら憤死しそうなほど真剣に悩むゼロに『声』はいたたまれなくなる。元々ゼロというかルルーシュというキャラは好きな方だった。変なミスをするとこ含めて。

「あー…ゼロ、何の話だったか」

 不意の卜部の声に『声』は飛び上がる思いだった。ギアスが効いてから正気に返るくらいの時間は過ぎている。

「お前が話があると言っていたんだろう、ちゃんと寝てないんじゃないのか?」

 卜部から、うぐ、という声が一瞬漏れたのは図星でもあったからだろう。

 『声』がおろおろし、ゼロが見守る中、卜部は首をかしげた。

「すまん、本当に思い出せん」

「……本当に寝不足なんじゃないのか卜部」

『ハイ実際寝不足です! おうち帰して!!』

 そう叫びたい気持ちを『声』はぐっと堪えた。さっさとこの場を立ち去りたい。

 後悔しかない。不幸中の幸いは、『ギアス』についてはこれから先に起こるユーフェミアの件も含めてまだ伝えていなかったことだろう。あれを知っていたらはるかにまずい事態になっていたはずだ。

 なにごとか口にしかけて、卜部はかぶりをふった。

「そうかもしれん、悪い、思い出したらまた訊く」

 腰を上げた卜部に、いやそれ思い出せないからと内心でツッコミを入れつつ、『声』は沈黙を守った。

 背中にあたるゼロの視線が、怖すぎたからである。

 

「お前、途中で急に黙ったな」

 一人になるや卜部は声を潜め気味に囁いた。

『………こっちも聞くけど、あんたほんとに何しにゼロに会ったか覚えてないの?』

 卜部は少し眉間に皺を寄せ、歩きながら呟く風に応える。

「わからん、妙だな。確かに訊きたいことがあった気がするんだが、はっきりしない」

『ああうん……やっぱりかあ』

 落胆の含まれた響きに卜部は足を止めた。

『ちょっと今は、言えない』

 雰囲気を察したのか、『声』は先んじて卜部の疑問を封じる。

『次はないし、俺は二度も死にたくないから』

 二度、という声に疑念を口にする。

「俺が死んだら、お前はまた誰かに移るってことか?」

『ないよ、おしまい。今回はボーナスステージってことみたい』

 『声』は軽く言ったが、卜部の耳には取り繕った軽さとして響いた。

 

 

 

 

 

 

 思えばそこで、妙な哀れみなど覚えなければ良かったのだ。

 今更ながら卜部は激しい後悔に襲われていた。

「ナイトポリスがしゃしゃり出る幕じゃねえ!!」

 囲みにかかったブリタニアのKMFを、ランドスピナーで加速した勢いのまま雑に体当たりでひきたおし、走った動揺を見逃さず残りも駆動系を狙ってスラッシュハーケン、ときには回転刃刀で切り捨て走り抜ける。

 エナジー切れにはまだ間がある。合流地点はすぐだった。

「よし、ポイントに近づいた!!」

 ぎゅ、と卜部の背中にしがみつく小さな手に力がこもる。

『これは!! これで!! こここここれは!! これで!!!!』

 さっきまで死ぬ死ぬ喚いていた『声』の、嫌な方向に上がったテンションにくじけそうになりながらも卜部は目を凝らし、目的のトレーラーを見つけて声を張り上げた。

「トレーラーに飛び移るぞ、しっかり掴まってろ!!」

「きゃ『ギャ────!!』

 可愛い悲鳴をかき消す野太い悲鳴を黙殺しながら、コンテナを開けて走るトレーラーの後部に卜部の乗機、月下は着地を決めた。

 手薄な一帯を選んだのが功を奏したのだろう。追撃部隊は卜部たちの前に今のとこは現れる気配はない。

 エナジーフィラーの補給を簡潔に指示してから、ようやく卜部は息をついた。

『い……生きてるって素晴らしい』

 『声』は無視する。これから先、どの程度残存する戦力を拾えるか、拾った先でルートの安全は確保できるのか、問題は山積みだがこの刹那くらいは少し休みたかった。

「さて、とりあえずはこれでしばらく安心だ。ええと……」

 背中にしがみつく少女は卜部に、初対面よりはいくらか柔らかい声で応える。

「ナナリーです。ナナリー・ランペルージ、です」

 ゼロの妹は、にこりと笑った。

 

 ──本当に、どうしてこうなった。

 



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人は見かけに騙される生き物です。

 月下から少女を抱えて降りれば当然の如く周囲から訝しげな視線が突き刺さる。

 当たり前だ。卜部はひとりごちる。

 制服の少女は明らかにブリタニア人だ。

 ついでにいえば、多分、少し頭の痛い想像だが、お世辞にも人相が良い方ではない自分が人形のような容姿の少女を抱えているのは、人種関係なく妙な方向で訝しまれている可能性が大いにある。

『こりゃようじょ誘拐犯を見る目ですわ』

 どなり返したい気持ちをぐっとこらえ、卜部は投げやりにあたり一帯に爆弾を投げた。

「この子はゼロの妹、つまり保護対象だ」

 

 

 

 

 

 

 『声』との初問答からそれほどの間を置かず、特区の式典が虐殺の場に変わるのを卜部は目の当たりにした。

 『血染めのユフィ』。言葉通りのそれを目の当たりにした時、ぞっとしなかったといえば嘘になるだろう。

 だが事態は止まってくれない。あっという間に蜂起へと煽り立てたゼロにより、トウキョウ租界への侵攻が始まった。

 そんな時だ。

『エナジーフィラー保管庫の確保って、抜けられる?』

 妙な問いを発したのは『声』だった。

「おい、例の『死にたくないから逃げろ』ってのか」

 卜部は正直『声』にはうんざりしていた。なにしろ心底根性がないのだ。

 特区の惨状にパニックを起こしたのは、まあ理解できなくもない。

 だが、ちょっと戦闘にでもなろうものなら神仏なんでも良いから祈りまくり悲鳴をあげ怯えまくる。体があったら上から下から漏らしてそうな勢いで、だ。

 そこまでされれば逆にこちらの頭は冷えに冷える。

 隙だらけのグラスゴーのコクピットブロックを貫きながらの今の言葉も、冷たいものがありありと浮かんでいた。

『ちがう!! これからのため!! 今動かないとゼロがやばいんだってば!!』

「あ?」

 卜部はここで耳を傾けたのが、後々まずかった気がしている。

 この時は想像もしなかったのだが。

 

 

 

 アシュフォード学園、そこに司令部を置くと聞いた時からどこかで覚えがあるのは紅月の通っている学校がそんな名前だったからだと思い出す。

 ついでにどことなく見覚えのある校舎に、卜部は顔をしかめた。

 ここが、ユーフェミアの特区宣言の場だと思い至ったからだ。

「俺、何やってんだろうなあ……」

『卜部、卜部、クラブハウスあっち!!』

 急に元気を取り戻した『声』に導かれるまま、卜部は不慣れな学園を進む。

 さきほどからあたりが妙に騒がしい。司令部のそれというには、かけ離れた騒然さというべきか。

 下手に顔見知りに出会ったら妙な疑いを持たれかねない。そんな気がしてくると、卜部は己のハンドガン一つという武装がかなり頼りなく思えてきた。とにかく誰にも見つからないように目的地のクラブハウスを目指す。

 KMFは校外だ。『声』曰く、とにかく外の方が良いの一点張りだった。

『とにかくV.V.より先に、ナナリー見つけないと!!』

「ゼロの妹、ねえ。そんなもんとっくに保護してるだろ?」

 すでに黒の騎士団が占拠してはいるのだ。わざわざ保護する必要があるのだろうか。

『ここ全っ然、安全じゃないから!! どっか連れ出さないとまずいんだよ!!』

 言い切られて黙る。『声』を完全に信じているわけではない。とはいえ特区の虐殺と武装蜂起、それに伴うゼロによる租界外壁のパージなど、言葉足らずながらもぴたりと当たってはいるのだ。

「わかった、わかった。ガーガー喚くな」

 目当ての建物にようやく見え、卜部はほっとため息をついた。

 最もこれからの方が、より面倒が待ち構えている。確実にいるだろう見張りとはあまり揉めたくない。一応目的を同じとする仲間ではあるのだから。

 少しだけ考え、卜部はあっさりと面倒ごとを投げた。

『正面から行ったァ!?』

 動揺する『声』をよそに、すたすたとクラブハウスへ向かえば、すでに裏口が開いている。

「手間、省けたな」

『あーうん、どうしよう……間に合うかな』

 『声』の焦りに加えてこの状況、これはかなりまずいんじゃないのか、そう思いながらも卜部はそっと中へと進む。

 たぶんこの先、といった頼りないナビゲーションに従い進んだ先で、『ここ!』という『声』とともに扉は勝手に開いた。

『バリアフリーだもの、自動ドアだよー』

 呑気な響きの『声』に苦虫を噛み潰したような顔になりながらも、室内へと足を踏み入れた。

 明るい室内は、妙にがらんとしている。

 そこだけ切り抜いたような空間に、一人きりで車椅子の少女が佇んでいた。

 音で気配に気づいたのかこちらへ体を向けているが、その目は閉ざされている。

 亜麻色の髪は、ふわりと波を描き柔らかに見えた。実際触れればそうなのだろう。

 

 人形じみた、少女。

 

 それが卜部の第一印象だった。後々盛大に訂正することになるのだが、知らぬが仏だ。

『うわあ……本物は本当にマジでかわいいなあ』

 やにさがった『声』で現実に引き戻される。

 本物ということは、彼女こそが目的の人物ということだ。

 戸惑い気味にこちらの様子をうかがう少女に向かって卜部は口を開いた。

 

「あんたが、ゼロの妹か」

 

『だから…なんで直球で行くのォ!?』

 『声』は自由になる体があれば頭を抱えてうずくまっていただろう。

 こうして脳内寄生生活を続けてみると、卜部は思い切りがいいという見方もできるが、頭より先に動くタイプの様な気がしてくる。

 己の中の卜部巧雪という男のイメージがガラガラと音を立てて崩れる気分だった。

 少し前のルルーシュ直撃事件もそうだ、今だってそうだ。もしかしたらこの先訪れてしまうかもしれないバベルタワーの一件だって、単に体がとっさに動きまして、なんてオチだった気すらしてくる。

 そういえばチョウフでは、ゼロの制止を無視してランスロットに仕掛けてすっ飛ばされていなかったかこの男。

 

 そんな『声』をよそに、卜部と少女の間には静かな緊張が張り詰めていた。

 車椅子の少女はぎゅっと膝の上の手を握りしめる。

 震えを堪えるためか。

 あくまでも弱みを見せまいとする姿に卜部が少女への評価を二、三段上げる一方、『声』はその仕草に舞い上がっていた。

「あなたは……なにか、思い違いをされているのではありませんか」

「いや、あんたがルルーシュ・ランペルージの妹だろう。なら間違いない」

『ひゃああ仕草も声もかわいいよぉう!!』

 自分の発した言葉が男の聞き苦しい黄色い悲鳴にかき消され、卜部はぐっと拳を握りしめていた。

 野郎、目の前にいたらぶん殴るだけじゃすまさねえ。

 こみ上げてくる憤りを抑えながら、卜部は少女の元へつかつかと歩み寄るなりその体を抱き上げる。

「悪いな、問答する時間も惜しい。このまま後方部隊に合流させてもらう」

 息を飲む少女は言葉もない。大声をあげればよかったのかもしれない。

 だが、彼女の中の疑念がそれを妨げてしまった。

 

 

 

『君も大変だね、兄貴の馬鹿げた道化芝居のダシにされてさ』

 

 かつて、そう告げた男の名は、マオといった。

 異様な男だった。他者を嘲り嗤いながら、どうしようもないほどにその他者に怯えきっている、不安定な男だった。

 そんな男の囚われの身になった時に告げられた、その言葉だけがざらりと心に染みついてしまっていた。

 

 兄であるルルーシュは、彼女にとってこの上なく優しく愛しい人間だ。

 だが、ここしばらく──そう、ゼロという男が現れたあたりからだ──兄は、変わった。

 以前から賭博に手を出して帰りが遅くなることはあった。とはいえそういう時の兄は、危なっかしいながらも どこか陽気で得意げですらあった。

 だというのに最近はどうだったか。

 いつもと変わらぬ晩ももちろんあったが、それ以上に、塞ぎがちであったり苛立ち気味になり、それを取り繕う様に殊更に優しく振舞おうとすることが増えた。

 特に、枢木スザクが彼女の姉の騎士に選ばれた直後の兄は、明らかにおかしかった。

 見て見ぬふりで、『いつも』を取り繕ったのは、今でも正しい振る舞いだったのか、彼女にはわからない。

 それでも、いくらなんでもゼロと──クロヴィスを、ユーフェミアを殺したゼロ、今しがたもスザクを罠にかけコーネリアの元へ、おそらくは殺しに向かった男と、兄を結びつけて考えることは心のどこかで拒否していたのだ。

 だが、様子のおかしかったシャーリー・フェネット。あれは、もしかしたら。

 あるいは──こんな状況になってもなお、疑念は消えてくれなかった。

 

 そして今、現れた男は迷いなくゼロを『ルルーシュ・ランペルージ』と言った。

 すでにヒビの入った少女の日常を壊すにそれは十分な言葉だった。

 

 

 

 少女が大声をあげたり暴れ出すこともない様子に内心ホッとしながら、卜部は音を立てぬよう注意を払い入ってきたときと同じように表へ出る。

 月下の元に向かう間もこれといった騒ぎに巻き込まれることもなかったのは、幸運だった。実に静かにことは運んだ。

 頭の中で『よっしゃあお姫様抱っこ!!』などとテンションを上げている『声』を除けば、だが。

「大人しいのは助かるが、何も訊かないのか」

 月下に乗せても心ここにあらずといった様子の少女にさすがに心配になって卜部は声をかけた。

「えっあ、はい……あの、これからどちらへ?」

 思い描いた中でもっとも無難かつ当たり前の問いに、少しだけ視線を宙にさまよわせてから卜部は答える。

「さっきも言ったとおり、後方の部隊に合流する。しばらく窮屈だが我慢してほしい」

 はあ、とも、はいともつかない小さな返事はよほど気がかりが他にあるということなのだろうが、これ以上の単独行動は拙いだろう。

「そういうわけで移動する間は、そうだな、俺に掴まっててくれ」

 半ば言い捨てるように告げ月下を起動させる。

 機体に異常がないことを確認する卜部の背に、そっと少女が掴まった。

『ひゃっほう!!』

 瞬間響いた声に、色々と台無しにされながら月下は走り出した。

 走りながらも入ってくる通信に、元々さしてよくない卜部の人相がより苦味を含んだものとなる。

 不幸中の幸いか、この盲いた少女には見られずに済んでいるが。

 扇が撃たれたとか妙な機体が現れたとか、どうも「良くない流れ」だ。

 軍人になってからの卜部のこういう勘はしばしば当たる。

「……急ぐぞ」

 返事を待たずに加速させた月下は、戦場を進んでいく。

 悪い予感を、振り払うように。

 

 

 

 

 

 

 少年というよりは、子供といっていいだろう。

 丁寧に手入れされたプラチナブロンドを長く伸ばしたその子供は、足を踏み入れるなり小首をかしげた。

 探し人がいるはずの部屋はがらんとしている。

 主を失った車椅子が取り残されているだけだ。

 子供は車椅子に触れ、わずかに眉をひそめる。

「なんだ、この気配……気持ち悪い」

 彼という存在と似て非なるそれの、ざらざらとした不快感。

 コードを得た者──V.V.にとって、それは歓迎すべからざるものだ。

「気に入らない、な」

 つぶやきは、誰もいない部屋に静かに吸いこまれた。

 

 

 

 

 

 

 彼らをこのトウキョウ租界へ駆り立てた男、ゼロの妹。

 その驚きからほどなくして、戦況の変化に団員たちはそれどころではない空気に包まれていた。

 ゼロが奇妙な機動兵器に追撃され乱戦になるうちに海上へ向かい通信も途絶したという知らせは、卜部でなくても頭の痛くなるものだ。

 急遽ゼロから指揮を投げられた藤堂は、コーネリアの肝いりの部隊と交戦中で、全体を指揮できるほどの情報が得られる場所にはいない。

 トップが負傷したのがかえって闘志に火をつけたのかブリタニアも硬いうえに、彼らの援軍がこちらへ到着するのも時間の問題だ。この状況でゼロが消えたのは、勘でもなんでもなく完全に「悪い流れ」だ。

 トレーラーの空気は、重い。戦線は、維持などできないだろう。

「卜部さん、つながりました」

 不安げな部下に、軽く感謝を伝えながら通信に出る。

 相手は藤堂だった。

 話しているだけでも、余裕の一切ない状況がこちらにも伝わってくる。それでもいくつかのやり取りを済ませると、卜部は通信を切った。

 切る間際に「決して馬鹿な真似はしないでくださいよ」と釘をさすのを忘れなかったのは、ぎりぎりの卜部の意思表示だ。

 

 藤堂の指示は、シンプルだった。

 残存する戦力を出来る限り逃がせ。

 それは前線にいる藤堂を見捨てることを意味していた。

 

 卜部は淡々と周囲に指示を飛ばしていく。人を使うことには慣れている。

 やるべきことがそれなりに片付いてしまうと、不意に憤りがこみ上げてきた。

 間違いなく、日本解放戦線が崩壊したあのナリタの後より状況は悪くなる。

 卜部は衝動のままに壁を殴りつけようとして、ふと、視線を感じた。

 傍らで少女が自分を見上げている。

 見上げるとはいっても、音を頼りに顔を向けているだけなのだろうが、見られているという気がした。

 ゼロの、妹。

 目は見えず、その上歩くこともできない少女。

 『声』にそそのかされるまま連れてきてしまったが、結局は負け戦に向かっている。

 その肝心の『声』はといえば、ぶつぶつと何かを確認するように小さくつぶやいているが、よく聞き取れない。

 ふっと軽いため息が卜部の口から漏れた。

 資材に座らせた少女の目線にあわせてしゃがみ、語りかける。

「悪いな、嬢ちゃんの兄貴に会わせられんかもしれん」

 ことさらに明るく言えば、さきほどの衝動も少し落ち着く気がした。

「あの、卜部さん、でしたよね。あなたは……あの仮面の下を、見たのですか」

 もっともな質問に言われてみれば自分の根拠は『声』の主張だけたったということに気付かされる。とはいえここまできたら取り返しのつけようもない。

「いいや、だから確かめる意味でも嬢ちゃんを連れてきたんだが……正直それどころじゃなくなってきた」

 落ち着いた分、今度は先行きへの不安に苦笑いがこみ上げてくる。

「とりあえず、嬢ちゃんはそこにいてくれればいい。こっちも何かする気はないから」

『気がないんじゃなくて、余裕がないの間違いだろ』

 ここにきて『声』のツッコミに、おう、と卜部は小さく呻いた。

「あの」

 弱さのない声は、一瞬誰のものか卜部にはわからなかった。

「嬢ちゃんはそろそろやめてください。私は、ナナリーです」

 この場にいる人間の中で一番弱いはずの少女が、にこりと笑った。

 

 強い、笑顔だった。

 




マオが少し余計なことを言ってました、という捏造設定。


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彼女のはじまり。

 紅蓮の機体と紅月カレンを回収したという報告に、卜部はようやく息をついた。

 状況は楽観視できるものではない。

 ブリタニア軍に見つかれば、洋上で出来ることなどたかが知れている。

 日が沈み、海面は暗い。先行きも暗いが、それでも船上の彼らはまだマシな方だった。

 

 黒の騎士団の蜂起は失敗した。突然現れた機動兵器と、一度は捕らえたランスロットからの鬼神さながらの猛攻でゼロが前線から離脱し通信も途絶えたことによりほころびが生じ、戦局は一気にブリタニアの優勢に傾き──そして、敗走が始まった。

 殿に徹した藤堂が捕らえられたことは、ブリタニアの誇らしげな報道ですぐに知れた。

 それを目にしても卜部はずっと撤退の指揮に当たっていた。取って返したい気持ちを殺しながら。

 神楽耶にラクシャータ、それにこちらは正直どうでもいいがディートハルトは真っ先に手配して逃している。

 話はついているとはいえ、彼らを中華連邦が受け入れるかどうかは正直予測はつかない。

『……ナナリーの誘拐が、きっかけだと思ってたのになあ』

 疲れた『声』が頭に響く。卜部の頭に住み着いた、この奇妙な同居人の言うところ「流れ」はこうだった。

 妹の誘拐に我を忘れたゼロはすべて放り捨て神根島へ向かい、藤堂では指揮系統を支えきれず黒の騎士団は敗走。幹部のほとんどは捕らえられ、神根島では件の機動兵器──ナイトギガフォートレスの追撃を受けてガウェインとC.C.を失い、肝心のゼロはあっさり枢木スザクの手によってブリタニア本国へ連行されたという。

「枢木スザクにジェレミア・ゴッドバルト、そっちの方が問題だったか」

 KMFの乗り手として、ゼロはレベルが低いわけでは無い。ガウェインという複座式の機体に移ってからはC.C.が機体の制御を担っていたようだが、彼女とてそう悪いもので無い。

 相手が、悪すぎたのだ。

 ランスロットだけですら罠を仕掛けてようやくの相手だ。元々正攻法で敵うものでは無い。さらに新型の機動兵器だ。どう考えてもゼロには荷が重い。

 おそらく目先の戦闘で手一杯で指揮どころではなかっただろう。

 紅月カレンをゼロの救援へと送り出した扇の判断も、あながち間違っていなかったのかもしれない。機体が万全で、間に合っていれば、の話だが。

 そもそも、黒の騎士団の戦力は危ういバランスで成り立っていた。

 その一角、なかでもゼロという肝心の旗印が機能せず、虎の子の紅蓮弍式も輻射波動の右腕を失い、藤堂はあのギルフォードらと戦闘を続けながら突然指揮を投げられた状態で、その均衡は失われていたのだ。

 負けるべくして負けたと、言い捨てるのは簡単だ。

「ゼロの妹のことはともかく、それ以外はだいたい言った通りの流れだったな」

 ゼロは、『メディアでは』枢木スザクの手によってブリタニア本国へ連行され、すぐに処刑されと報じられている。

 『声』曰く、ブリタニアのどこかに『ジュリアス・キングスレイ』としているのだろうということだが、その通りなのかはわからない。ただ、卜部にもゼロの仮面の中身について何も公表されないのは不自然といえば不自然に思えた。

「肝心のゼロ、いや今はジュリアス・キングスレイだったか?……の安否はユーロの情報次第か」

『その通りに事が運ぶのか、俺もよくわかんないけどねえ』

 今はまだ材料が足りない上に、目の前の問題の方が多い。

『カレンは追いつけたのかなあ…』

「追いついていたら、紅月も確実に顔を見てるだろうな」

 カレンのことは合流してから様子を見れば判断がつくだろう。

 彼女はあまり隠し事がうまくない。

 少しの付き合いでも卜部にもそれはよくわかった。あれで学校でうまくやれていたのが不思議だ。

 卜部は疲れていた。疲れ切っていたからだろう、すっかり頭から抜け落ちていたことがあった。

「どなたとお話されているんですか?」

 軋む音が聞こえそうなほど、ぎこちなく卜部は振り返った。

 その先にはゼロの妹、ナナリーが積まれた荷のひとつに腰かけている。

 外の空気が吸いたいと言い出したのは、彼女だった。

 そのタイミングはまさに卜部が少し疲れを意識した時だったから断る理由もなく、彼女を抱えて甲板に出て気がゆるんだのだろう。

 卜部も、『声』も。

『恥ずかしい!! これは恥ずかしい!!』

「……つ、通信、通信してただけだ」

 苦しい。我ながらそう思いながら少女の様子を卜部はおそるおそるうかがう。

 わずかに顰められた眉は、納得がいってないことをはっきり伝える。

 彼女の閉ざされているはずの目にじっと見つめられている気すらして居心地が悪い。

「お兄さまのことも、その方から聞いたのですか」

「ん、あ、まあ」

 いきなり核心を突かれ、つい認めてしまった卜部に即座に『声』が非難の声をあげた。

『押しに弱過ぎるぞ四聖剣!!」

 うるせえ。内心毒づきながら今度は黙殺する。

「そ、そろそろ中戻るか。少し冷えただろう?」

「……そうですね」

 この子、なんか怖い。

 少女を抱き上げながら思ったそれは、後々何度も味わうことになるのだが今の卜部には知る由もないことであった。

 

 

 

 

 

 

 紅月カレンは思った。

 世の中には落ちこんでいる暇すらないのかと。

 

 カレンの視線の先で、用途が皆目見当もつかない機器の前を陣取って何事かやりとりしているのは、よっぽどの他人の空似でなければ、ここにいるはずのないよく知っている少女だった。いや、閉ざされた目に長く伸ばしたふわふわとした亜麻色の髪を備えたあの姿は、空似など、あるはずがない。

 その少女と何事かやりとりしながら、ラクシャータが笑っている。あれは自分の得意分野で何か興味をそそられた時の笑いだ。あの少女が、ラクシャータの気にいるような話をできるのか。

 呆然としていたその背中を軽く叩かれた。

「紅月、そこ突っ立ってると邪魔だぞ」

 振り返ったカレンは見上げ直す。やたらと背の高いその男はこの場で一番事情を把握しているはずの人間である。

「なんでナナリーが、ここにいるんですか!?」

 いまや数少ない黒の騎士団残党をどうにか取りまとめている男、卜部巧雪はカレンの勢いに目を瞬いている。

 口を開きかけ、少しつぐみ、もう一度。

 妙な間を空けてから卜部は答えた。

「ゼロの、妹だって聞いてる」

「誰から!!」

 食ってかかるカレンに、卜部は少し目を泳がせてから苦笑いを浮かべた。

「すまん、紅月、荷物運び終わってからでいいか」

 あらためて見れば、卜部は片腕にそれなりの大きさの箱を二つ積んで抱えている。

「じゃあ一個運びます」

 有無を言わせず卜部から箱を一つ奪い取ると、話の続けたさも手伝ってカレンはスタスタと歩いてから立ち止まった。

 気持ちが急き過ぎて、運び先をまだ聞いていない。

「これどこ持ってけばいいんですか?」

 卜部は変なものでも飲み込んだような顔をしていたが、やがて同じような箱が積まれた一角を指差した。

 

 カレンが箱を一つ奪い取った途端、卜部の腕の負担は急に軽くなった。

 まとめて二個抱えたうちの上の箱の方が重かったらしい。悪い積み方の典型だ。

 それはいいのだが、なぜその重さをあの娘は軽々扱えるのだ。

『……ゴリラパワー』

 不意に呟かれた一言に必死でこらえながら、卜部は倉庫兼隠れ家の一角を指差すのが精一杯だった。

 もっともこの後の方が問題だった。

 ここに来るまでの心ここに在らずといった様子に加えて先ほどの問い。

 おそらく彼女はゼロに追いつき、その顔を見ている。

 当然卜部がどこまで知っているか、いや、どの範囲の人間がどこまで知っているのかはっきりさせたいところだろう。

 とはいえ自分の最大の根拠は頭の中の妙に軽い調子の『声』なのだ。

 気は咎めるが適当にごまかすしかない。卜部は頭が痛くなるばかりだった。

 

 

 

 ゼロが学生であること、ナナリーがゼロの妹であること。

 この二点は脱出組の共通認識だと、カレンは知らされた。

 出どころと、そもそもナナリーをわざわざ連れ出したのは卜部なのだが、その卜部自身の情報元についてははっきりしない言葉で完全にごまかしに入っていた。

 かなりきつめに問い詰めても、その度に何か堪えるような顔になりながら今は言っても信じてもらえないの一点張りで卜部は逃げた。

 それにしてもだ。

 カレンは思い返す。

 卜部の言葉は明らかに妙だった。

 それは先ほどのやりとりではない、合流してすぐのことだ。

 気持ちの整理がつかないままの彼女に、卜部は言った。

『ゼロにあんなこと言われちゃ、誰だって逃げ出したくなるさ』

 その場では、確かに欲していた言葉だった。

 仮面の奥を知った。そして、ルルーシュの言葉、殺意に溢れたスザク。

 一度に受け止めきれずに逃げ出した後ろめたさに、少しでも慰めが欲しかったのは事実だ。

 だが、ゼロが言ったことは彼が知っているはずのないことだ。

 あの場には自分とスザクと、そしてルルーシュしかいなかった。

 逃げ出したことを知ることができ、かつ卜部にそれを伝えることができた何者かは、一体『何』なのか、正直得体が知れない。

 だからといって先ほどの様子では、何度問い詰めても同じように逃げるのだろうことは想像がついた。

 さしあたっては目の前のことからコツコツとだ。

 カレンは物思いにふけるのをやめ、ちらりと横目でナナリーの様子をうかがう。

 車椅子のない彼女は、誰かに運んでもらわないことには身動きが取れない。積まれた荷の柔らかいものを椅子がわりに腰かけている彼女をここまで抱えてきたのは卜部だ。半ばカレンの追求を逃れるための方便でもあったのだろう。

 少し休ませたいが知り合いのそばの方がいいと思う、などという言葉により強制的にカレンもしばしの休憩ということになった。

 ナナリーはといえば、お話ししたいことがあるんですが、これ聞き終わってからでいいですか、と画面付きの小型端末を指した後、しばらく何かを熱心に聞いている。

 イヤフォンをしているため音は外に漏れないが、画面を見れば読み上げソフトでラクシャータが渡したらしき資料に耳を傾けているのがわかった。

 意外だった。この少女はもっと大人しいイメージがあったのだが、今はなんというか──貪欲に、見える。

 そのナナリーが、こちらを向いた。すでにイヤフォンは外している。

「カレンさん」

 閉ざした目は、本当に見えていないのだろうか。まっすぐに視線が刺さっているような居心地の悪さにカレンは曖昧な返事をした。

「なに、かしら」

 少女の膝に置かれた小さな手に視線をさまよわせるカレンは、ついにくるぞと思った。予感は、あった。

 

「ゼロは、お兄さまでしたか」

 

 視線をあげれば目の閉ざされた少女がまっすぐこちらを『見て』いる。

 逃げ場はなかった。

 紅月カレンは、事実を告げた。

「ええ、あの仮面の下はルルーシュだった。私は……怖くなって逃げた」

 ゼロ、ルルーシュ、真意がどうであろうと、彼女の兄を見捨てて逃げ出したのは事実だ。

 告げられたナナリーは、少しうつむく。

 強い視線から解放された気になって、カレンは小さく息をはいた。

 しばらく、両者の間には沈黙が横たわっていた。

 それを、ナナリーが破る。

 何かを振り切ったような、力のある声で。

「カレンさん、ひとつお願いしてもいいでしょうか」

 

 

 

 卜部はカレンに抱えられて現れた少女の姿に、一瞬言葉を失った。

「長いと、邪魔ですから」

 いたずらっぽく笑う少女の髪は肩より少し上まで短く切り整えられていた。

「紅月、お前が?」

 問われたカレンは少し決まりの悪い顔をする。

「揃えてたら、思ってたより短くなっちゃって……」

 言われてみれば揃ってはいるが、確かにどこか素人っぽさが漂っている。

「私はちょうどいいと思いますけど」

 笑う姿には屈託がない。

 本人が満足と思うのならいいのだろう。

 なお先ほどから『なっくっらっ!!なっくっらっ!!』と謎のコールを繰り返す『声』は完全にスルーしている。

 そういう部分では卜部もだいぶ慣れた。

「へえスッキリしていいじゃない」

 独特のイントネーションで会話に加わったのはラクシャータだった。

 彼女はナナリーに会ってから妙に機嫌がいい。

 髪を切った少女の姿を見る目は、どちらかというと彼女なりの面白いものを見つけた時のそれだ。彼女との会話でよほど興味を惹かれるものでもあったのだろうか。

「そろそろ時間じゃないのか?」

 何があったのか気になりつつも、卜部はこれからのことに思考を戻した。

 ラクシャータをはじめとする技術者が、先行していたにも関わらずわざわざここに残っていたのは紅蓮弍式の調整のためだ。

 ある程度目処がついた今となっては神楽耶らと合流してもらった方が安全だった。そこからインド軍区まで行くかどうかは本人次第だ。

 輻射波動の紅蓮の右腕はこの状況ではどうしようもなかった。手に入るパーツで代用するしかないが、その程度のことならラクシャータの手を煩わせるまでもない。

 くわえていた煙管を離し、ふわふわと横に振る。ラクシャータのそういった仕草は様になっている、とは思うがそれは雑念である。

 目だけで問う卜部に、ラクシャータは笑みを浮かべる。

「ナナリーちゃんにお土産用意し終わったら、ちゃぁんと動いてあげる」

 

 

 

 彼女はとらえどころのない空気のようだった。

『なるほどー巧雪ちゃんはラクシャータ推しですか、やっぱなー』

 背中を見送っていた気分が台無しである。おまけに下衆の勘ぐりもいいところだ。

 言い返したいが、カレンとナナリーの目がある。つらい。

 気分を切り替えるためにも、卜部はカレンからナナリーを預かりながらたずねた。

「ラクシャータのお土産って、なんかあったのか?」

「私でも扱いの楽な端末を下さるって」

 機械いじりが好きなタイプには見えなかったが、人は見かけによらないものらしい。

 そうか、と返した卜部はふと、カレンの視線に気がついた。

「卜部さん、どっかで車椅子手に入れましょうなるべく早く」

「いや、嬢ちゃ……ナナリーは軽いから急がなくても」

 ふーっとため息をついてカレンは首を横に振った。

「言っちゃなんですけど卜部さん、割と絵面がまずいです」

『ワーオ辛辣ゥ』

 

 

 

 

 

 

 「あーそう」と不機嫌に答える卜部をよそに、ナナリーはにこにこと見えない目で両者を見守っていた。

 先行きは明るくない。だが、それまでははじまりにすら立てていなかった。

 今は違う。

 兄を知る、これはそのはじまりなのだ。

 卜部の態度はゼロの──兄の処刑の報道をあまり真に受けているようには感じられなかった。そういう人間がいるからだろうか、彼女も兄が死んだとは思えなかった。

 すべては、知ることからだ。まず、その手段を手に入れなければならない。

 そして。

「お兄さま、わたし、お兄さまを必ず……」

 誰にも聞かれることなくひっそりと、少女の決意を含んだつぶやきが空気に溶けた。




「俺たちの戦いはこれからだ」エンドじゃないですよ。
もうちょっとだけ続くんじゃ。

てにをはの誤字発見したので修正。


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そして燕はやってくる。

 こらえきれなくなった涙が、兄の目の端から雫になって頬を伝い落ちていく。

 ロロは素直に、それは綺麗なものだと思った。

「ロロ!! お前よく無事で!!」

 ぎゅっと抱きついてすぐに看護師に引き剥がされた兄は、弟の無事を喜び、そして自分の軽率さを詫び続けている。呆れ顔の看護師が気を利かせて立ち去ってくれたことにも気づいた様子もなく、ずっとそれだ。

 さすがに苦笑いしかできない。

「大丈夫だよ兄さん、怪我なんて特にないし」

 兄はとにかく弟である自分しか目に入っていないようだった。

 繰り返しテレビの中で報道されるゼロの姿などまったく気にならないほどに、ロロの左手を両手で包むように握っている。

 ルルーシュ・ランペルージはロロ・ランペルージの兄として、確かにここにいた。

 

 

 

 

 タッチパネルの上を迷いなく滑るように指が動く。

 指がより速さを増していけば、あたりには規則正しく滑らかな旋律が広がった。

 コードが洗練されればされるほど、奏でられる音はより雑味のない旋律に近づく。

 飽きることなくナナリーの指から延々と打ち込まれるそれは、音楽ではない。

「タネの割れた手品なら、いくらでも手を打てます」

 読み上げ機能の備わった端末、それはラクシャータの提供したものだ。

 とはいえ今の情勢では一級品とはいかない。

 だが、足の動かないナナリーにとって、それは第二の足であり翼であり武器となった。

 ふわりと花がほころぶような笑顔の少女に、卜部はいくらかこわばった笑顔でぎこちなく応じる。

「ユーロのドローン技術か、出所は聞かない方がいいんだろうな」

 カレンはその横で別の端末で仕様を眺めながら唸りだしそうな顔だ。それなりに頭は回るが、ギークといっていい範囲のことは理解しようとする方が無理だと思うのだが。

 現に変わった毛色で猫みたいな性格の女の方は、すでに飽きて毛先を指でいじってくるくる回している。こっちはもう少し聞く耳を持って欲しい。

「まあ、ちょちょいのちょいでしたから」

 人差し指を曲げて見せてナナリーは言うが、それで済むレベルではない。

 彼女は動けないし、見えないのは確かだ。

 だが、音に関しては常人より鋭い。

 そこから音を利用した端末があればいいという発想になるはわからなくもない。

 とはいえこの一年近くでその技術力は洒落にならないものになりつつあった。

 ゼロという男の妹だからなのか、彼女の意志の強さか、あるいは両方か。

 妄執すら感じる勢いで彼女は力をつけ、こうしてユーロからの技術、恐らくは盗み出したそれを目的に合うように組み替えている。

 『ハンニバルの亡霊』と噂されたある一部隊の技術は、普通ならば手に入るはずのないものだ。彼女いわく、すべては手に入らなかったが目当ては手に入ったから満点です、という事らしい。

 会話をしながらも、ナナリーの指は滑らかに踊り、コードが奏でられる。

 組み上げているのはそのユーロから頂戴したドローン技術を、より簡易にしたものだ。

 これを、紅蓮と月下に仕込む。

 

 ブリタニアの機密情報局に『数秒相手の意識を失わせる能力を持った者』がいる。

 卜部は正直、確実に自分の正気が疑われると思いながら今この場にいる三者にそれを打ち明けていた。

 ナナリーは、ごくあっさりと受け入れた。

 カレンも『そういうのもあるかもしれない』などと同意し、この時ばかりは協調性のかけらもないはずの女も異を唱えなかった。

 ユーロで起きた件や今まさに学園にいる少年の影響かもしれないが、思いのほか簡単に受け入れられたばかりか対策まで練られはじめたのには、むしろ卜部の方が置いていかれかねない流れだった。

 機情の庭から『ゼロ』を奪還しようとすれば、必ずその異能の力を使う者が障害になること、そして何より脱出経路と脱出先。

 ほとんど少女たちの主導で物事が流れていくことに、内心で冷汗をかく思いだったのは秘密だ。

 

「脱出経路の方は流れ次第なのが不安といえば不安だけど、中華連邦とは話がついてるからそこは気が楽ね」

 ドローンの概要だけつかむことに頭を切り替えたらしいカレンが、端末から目を上げずに言う。

「それと、あいつにうまく接触できるか、か……」

 珍しく少しばかり物憂げに、かつてゼロの愛人と噂された女、C.C.が呟いた。

「あからさまに誘うための入り口が設えてありますから、そう難しくはないでしょう」

 ユーロと違って、とナナリーは最後に付け加える。

 

 ユーロでの動乱は、卜部とカレンがインド軍区で紅蓮の修理に四苦八苦していた頃だった。結局得られたのは事が終わってからの情報だけで、ナナリーが得た技術情報はともかく、『ジュリアス・キングスレイ』という男の情報は輪郭のぼんやりとしたものだけで終わった。

 ただ、恐らくはブリタニア側の工作であろう『方舟の船団』を名乗ったテロリストとされる者の手段が、妙にゼロの劇場型の手口を思わせるものであったり、かの男に枢木スザクが随行していたというのは嫌な符号だった。

 その彼の記録はユーロ・ブリタニア内部での混乱の際にふっつりと途絶えている。まるでそんな人間などいなかったように。

 代わって現れたのが、一人の学生だった。

 

 ルルーシュ・ランペルージ。

 

 部下の一人がどうにか手に入れた画像は、確かにゼロだとカレンはいう。

 だが、彼のそばにいるのは車椅子に乗っているわけでも盲目でもない、弟だ。

 彼はごく普通に暮らし、弟や友人たちとブリタニアの学生としてはありふれた、穏やかな日常を送っていると言えるだろう。

 彼の行く先々に監視の目が張り付いていなければ、であるが。

 本人はそれに気づいている様子はない。知らず鳥籠の鳥になっている。

 年相応の青さと監視に気づかない程度に凡庸なその姿は、ゼロと呼ばれた男には程遠く、『ブリタニアの皇帝は他人の記憶を弄ることができる』という『声』の情報を裏付けるに足るものだった。

 さて、『弟』の存在を聞かされた時のナナリーである。

 彼女は『私にとっては、兄になるんでしょうか、弟になるんでしょうか』と見たこともないくらい満面の笑みを浮かべた。

 その笑顔をまともに目にした卜部は背中に氷でもつっこまれたような気分に陥ったが、それは余談だ。

 

「まあ、なるようになれ、か」

 ふっと息を吐いた女の横顔はわずかに笑いを刻んでいる。

 この女も卜部にはよくわからない。

 中華に渡り、時としてインド軍区まで足を伸ばし、各所を転々としてやっと日本に戻ったタイミングでC.C.は突然卜部たちの前に現れた。

 

 幽霊でも見たような顔をしたのはカレンだった。

 彼女はガウェインの信号がどこで途絶えたかを知っている。脱出したのがルルーシュ一人だということも。そうでなければあの対決の場に彼女がいなかったことに説明がつかない。だからしばらくは距離があったのだが、C.C.はあまりにもいつも通りにC.C.であり過ぎた。

 三食どころか、たまのお茶の時間ですらピザを強引に推すスタイルに一度切れてからは、すっかりコントのようなやりとりをするくらい、慣れた。

 ナナリーに対しては、むしろ驚きを見せたのはC.C.の方だった。

 誰が連れてきたと食いついた彼女に、カレンはあっさり卜部を指差し、ナナリーもニコニコ笑いこういう時だけ名前呼びで『巧雪さんですね』と朗らかに告げ、たちまち彼は売られた。

 彼女たちも常々卜部の情報源に疑問を持っていたせいもあるのだろうが、それにしても微妙に楽しげな様子だったのを卜部は覚えている。

 とはいえそこでも少し妙なことが起きた。

 

 彼女が噛み付かんばかりの勢いで迫った時、どう誤魔化すかで必死だった卜部をよそに『声』はテンションを上げに上げまくっていた。

『やったーー!!C.C.だぁーー!!本物だーーー!!ゆっかなぁーーー!!』

 もう何度目ともしれない男の聞き苦しい黄色い声に、眉間のしわがますます深くなった、その瞬間だ。

 C.C.から表情が抜けた。

 つと、一歩引き眉をひそめ卜部を見上げ沈黙する。

 警戒すら含んだそれにどう返したものかと考えあぐねている間、『声』も様子がおかしいことに気づいたのか口を噤んだ。

 奇妙な沈黙が数秒続き、C.C.がかぶりをふった。

「まあ、お前に限って……ないな」

 なんとなくものすごく失礼なことを言われた気がしたが話の矛先がそれた以上、藪をつついて蛇を出すまいと卜部も話の流れがわからないふりを通した。

 

 それから『声』は彼女がいる場ではあまりしゃべらなくなった。本人曰く『なんか言うたびに、C.C.が変な顔でこっち見るんだもん……』だそうだが、内容が聞こえているようでもないという。

 おかげで以前よりは卜部は静けさを手に入れたが、代わりにC.C.の理不尽なわがままに、それにつられてちょっと自分への扱いが雑になったカレンに、ある意味平常運転で無茶振りを投げるナナリーと、対価としては釣り合っていない気苦労が増えた。

 世の中は本当にままならない。

 

 物思いにふけっていた卜部の耳に、少女の声が響いた。

「みなさん、機情に動きがありました」

 ドローンの組み替えをしながら情報も漁っていたらしい。端末をいじる指は踊るように軽やかな旋律とともにディスプレイに塔を描き出す。

「やはり例の賭場を使うようです。お兄さまのチェス好きにも困ったものですね」

 

 くるくると回転する塔の姿に、『声』が息を飲んだのが卜部にはわかった。

 この一年散々言われていた場所だ。

 バベルタワー、ルルーシュ・ランペルージ、時間停止──いや、感覚の停止能力を使う、ロロ・ランペルージという名の死神。

『あのさ、こんだけ対策してるんだから』

 少しの間をおいて、『声』は低く呟く。

『死ぬなよ』

 言われるまでもない、卜部もそんな気は微塵もなかった。

 

 

 C.C.は泡が浮き上がってくるような、奇妙な気配に顔を上げた。

 視線の先では四聖剣で唯一自由の身の卜部がいる。

 まただ。

 黒の騎士団の残党に合流してすぐ、彼女はあの男からおかしな気配を感じることがしばしばあった。コードやギアスに類するものにどこか似ているが、何かが違う、妙な感触だ。

 そもそも言動を振り返っても不審な点は多い。まずブラック・リベリオンの最中に卜部の立ち位置で、ゼロがルルーシュ・ランペルージという学生であるという発想にたどり着けるだろうかといえば、疑問だ。ましてやあの動乱の中でナナリーを押さえに行くというのも、不可解だった。実際は現場は混乱していたとはいえ、アシュフォード学園は黒の騎士団の拠点になっていたのだ。そこから連れ出したということはあの学園がもう安全ではないと()()()()()ことになる。

 他にもC.C.には疑問があった。自分が姿を見せた時の態度だ。カレンの態度はわかる。どこでガウェインが落ちたかを知っていれば、あんな顔もするだろう。だが、その彼女から話くらいは聞いていただろうに、あの男は少し驚きを見せたもののまるで遅かれ早かれ顔を出すと思ってでもいたような態度ですんなりと受け入れた。

「まあ、あんたなら無事だろって思ったよ」

 案内がてら卜部が言ったそれは、ただの軽口だったのか、あるいは彼女の不死をさしての言葉だったのか。後者だったのではないかというのが今の考えだ。

 根拠はある。一番の問題でもあるのだが、この男がギアスの──異能の力の存在を知っていることだ。

 『ジュリアス・キングスレイ』という存在を最初に口にしたのは卜部だったと、彼女はナナリーから聞いていた。何かの拍子に耳にしていたからその存在に気づけたのだとも。そして『現在の』ルルーシュ・ランペルージである。

 この二者を記憶が操作されていると指摘したのが卜部だ。

 さらにルルーシュ・ランペルージの『弟』には、人の感覚を数秒停止させる能力があるとも言った。それはギアスという名を口にしなくとも、王の力を知っているということになる。とはいえゼロの、ルルーシュの絶対遵守の力にも気づいているかと思えば、そうでもないらしい。ユーフェミアの虐殺の件ではまわりと同じようにごく普通に憤りを見せていた。

 用心すべきなのかも知れないが、妙な知識を持ち合わせていたり時折泡が浮かぶように『気配』が感じられても、卜部巧雪という存在自体はちょっと他より使える程度のごく普通の凡庸な男だった。

 男の知識は今のところは益はあっても害はない。

 C.C.は軽く結論づけると、ナナリーからの指示を元に団員たちとせわしなく準備に取り掛かった男に傲然たる態度で歩み寄った。

 とりあえずは、ピザを要求するために。

 

 

 

 

 

 バベルタワーと呼ばれるそこは、黒のキングと呼ばれる男のご自慢の城だった。娯楽ならば何でも、ブリタニア人のために用意されたそこは今混乱の只中にあった。

 その混乱の主であるテロリスト──黒の騎士団は的確に飛ばされてくる指示に従って冷静に動いていた。彼らの当面の敵と同様に。

「はい、ブリタニア人でも日本人でも学生服以外は威嚇射撃で追い払ってください。目標以外は邪魔です」

 まっさきに押さえたコントロールルームから指示を飛ばす声は少女だが、その能力を疑うものはここにいない。血なのか本人の才だったのか、これまで何度も彼女の指揮で窮地を脱してきたのだ。それがかなり薄情でも、だ。

 自分やカレンだけではこうはいかなかっただろう。

 卜部は月下でカレンとの合流地点へ向かいながら思う。

 ナナリーやC.C.ほどには割り切れずどっちつかずの判断になる場面がきっといくつもあったはずだ。何しろ彼女たちは基本的にシンプルだ。

 ルルーシュという少年の身の安全。

 これだけ目的が純化されていれば、迷いもなくなるというものだ。

 現に同胞が虐げられているこの場で、それが犠牲になるのを知りつつ作戦を遂行して行くことは覚悟はしていたこととはいえ、やはり胃の腑が重くなるものだった。

『うう……また死体が転がってる。これやったの、うちかな機情かな』

 今にも意識を失いそうな『声』はうんざりもさせられるが、かえって気が楽になる。

「どっちでも一緒だが、ここで踏ん張らないと俺もお前もこうだぞ」

『知ってるよ!! とにかくハラキリ禁止だからね!!』

 急に威勢が良くなった『声』に卜部は喉の奥で笑った。『声』は真剣に聞けなどとやかましく怒鳴りつけていたが、不思議と不快感はない。

 赤い機体が待っているだろう数ブロック先へ、卜部は月下を走らせた。

 

 

 

「……C.C.さんはまだお兄さまに接触できないようですね」

 カジノでは潜入任務だったカレンがその所在を確認していた。ただ、突入直後に確かにおかしな感覚の欠落があり、そのせいでルルーシュを見失ったとも報告があった。

 それは、例の『弟』の力は確かに情報通りのものだったのだと、裏づけるものだ。

 目標は兄弟揃って下層へとタワー内を逃走しているという報告は上がっている。

「タワー上層の一般客が逃げ込む先、お兄さまは出遅れたようですから……」

 ナナリーは呟きながらも手を止めない。すでにコントロールルームと接続した端末は、高速化された音声で彼女に塔の構造を雄弁に語る。

 ルルーシュ・ランペルージ、彼女の兄は体力がない。

 『弟』が急かしたところで移動速度はさほどではないだろう。本来は欠点というべきそれに愛しさを感じながらも冷静に位置と時間を割り出して指示を出した。

 「猫さん犬さんキリンさん、送った座標に向かってください。そうですね…お魚さんの足なら15分後くらいがちょうどいいでしょう」

 幸いにして、機密情報局は兄に食いつくであろうC.C.に夢中で他に気が回っていない。他の人員にすばやく命じる。

「上部のみなさんは正規軍が入る前に準備の方、進めてください」

 退路を作るための策、兄ならば取るであろうそれも進めておく。時間は使えるうちに使った方がいい。

 あとは、兄次第だった。

「お兄さま……見極めさせてくださいね」

 

 

 

 C.C.は空を切った手もそのままに、呆然としていた。

 確かに彼女の知るルルーシュは身内にとことん甘い男だ。それは溶けきらないほどに砂糖を加えた紅茶のように度を超えた甘ったるさだ。

 わかっては、いたはずなのだ。

 だが、今目の前で起きたことは心底想定外過ぎた。

 ルルーシュが一人きりであることに好都合だと思いながら、コクピットから姿を現した彼女への第一声がこれである。

『弟を!! 俺と同じ制服を着た弟を見なかったか!?』

 シスコン転じて超ブラコン。

 虚を突かれた。

 会ったら言おうと思っていたことも何もかも吹っ飛んでしまった彼女は、つい素直にこの階層では見ていないと答えてしまったからいけない。

 途端である。

 彼女の魔王は、日本人最後の希望の星であるゼロは、彼らしくもない速さで取って返して下層へ向った。

 躊躇なく、得体の知れない相手に背を見せることに微塵も恐れず、彼は目の前から消えた。

 それが、ほんの数瞬前である。

「ありえん……」

 差し出した手を力なく下ろした彼女の背後で気配が動く。

 機密情報局だろう。

 彼らとて接触を図ろうとする瞬間を狙って網を張るのだろうから、それは正しい。

「犬さん、キリンさん、殺れ」

 振り返りもせずに彼女は低く小さく、インカムで指示を飛ばした。

 背後からの輻射波動の赤い輝きが彼女に影を落とす。

 彼女の背後に潜んでいたKMFは壁越しの輻射波動で吹っ飛んだ瓦礫に反応が遅れた。

 そこを浅葱色の機体がハーケンで貫き、それが戻り切るかきらぬかのうちに刃でコクピットブロックを刺し貫き横へなぎ払って両断しとどめを刺す。

 爆風にC.C.の髪がそよぎ、機銃の音が響く。

 かすめるように飛んできた、ところどころに焼け焦げのある手帳をその手が捕まえる頃には、生きる人間の気配は消えていた。

 

 

 

 機情の部隊だけは始末した、という報告にナナリーはこめかみを抑えた。

 彼らの存在が消えたということは、これから時を置かずしてブリタニアの正規軍が投入されることを意味していた。あの頭におがくずでも詰め込んだような総督は、確実に正規軍を動かし自分ものこのこやってくる。

 とはいえ、兄の身の安全という意味では正規軍は問題はないだろう。だが機情の『弟』と兄が合流した場合は面倒だ。脱出してくれるならいいが、再度接触を図ろうとするかも知れない。

「正規軍のKMF、一機はシステムが生きた状態で確保できますか?」

 ナナリーからの通信に少し目を泳がせたのはカレンだった。機体の特性上、彼女は手加減が難しい。

「誰かが注意引いてくれればなんとかするが。なあ猫さん」

 付け加えた一言に少し意地の悪さをにじませたのは卜部である。ナナリーはしかしその提案に特に問題がないことに気づき首肯する。

「そうですね、猫さん今はパイロットスーツでしたか?」

 仮にその場にいたとしても見えない彼女にC.C.はそうだと答える。わざわざしつらえなおした、あの別れの日の装いだ。本人にはまるで無視されたが。

「じゃあ適当に着られそうな服、調達して着替えてください。猫さんならブリタニア人で通りますから」

 ルルーシュ、お前の妹はお前より悪辣だぞ。

 C.C.はどう考えても死体から服を探さないとまずい状況に、頭痛を覚えながら続くナナリーの指示に生返事で答えていた。

「じゃあ後はそちらに向かっている機体、お任せいたしますね!!」

 朗らかな声でナナリーは告げて通信を終えると、護衛についてくれた団員に集合地点への移動を頼む。兄の無事を確認すること、自分たちの身の安全を確保すること。やるべきことはなかなか終わりが見えてくれそうになかった。

 

 

 

 鹵獲されたサザーランドから、難なく通信系を掌握したナナリーの指示は明確を極めた。同乗した団員は確かにそこにゼロの片鱗があると見せつけられ圧倒されていた。

 一方で、コクピットブロックがちゃんと閉じられていることに安心感を覚える。

 サザーランドは当然ながら複座式ではない。だからはたから見れば親が子を膝に座らせているような体勢なのだ。

 彼は状況はどうあれ、同僚たちに今の姿が見られなかったのは本当に良かったと胸をなでおろしていた。

 

『うう、ナナリーちゃん膝に乗せてるんだよなアレ……』

 みっともない『声』に卜部は脱力しそうになる。

 彼女を乗せたサザーランドが合流し、C.C.と別れてこの吹き抜けへ移動した時は半ばパニックを起こしていたというのに、落ち着いたらこれだ。

「おいおい、んなことよりここなんだろ例のロロとかいうのが出たって場所」

『いや、状況が違いすぎて自信なくなってきた……ゼロいないし来るかどうか』

 来ないなら来ないでそれでいい、だが問題は本物のゼロだ。

 まだタワー内部にいるのならまずい、作戦を実行すれば彼が死ぬ。

 だからこそナナリーも配置こそ急がせているものの、実行のタイミングを計りかねているのだろう。

「卜部さん、ルルーシュ無事ですよね」

 不安げな声はカレンからの通信だ。

 自分が見捨ててしまったから今日がある、いくら気にするなと言い聞かせたところでそれは彼女から消えない罪悪感だ。

「落ち着け紅月、今騒いだとこでどうにもならん」

 カレンに通信を返した、まさにその瞬間だった。

 

「見つけました、お兄さまです!! お兄さまが軍に保護されました」

 

 混ざりけなしの感情だけの少女の声を聞くのは、初めてかもしれない。卜部はふとそんなことを思った。

「機情からお兄さまの情報が伝わってないおかげでしょうね、他のブリタニア人ともども病院に搬送される最中です」

 それはつまり、籠に戻ることを意味するとはいえゼロの安全が確保されたということだ。

()()()()()()にすむまで、何分だ?」

「一般車両はいませんから多く見積もっても……五分といったところですね」

 五分、普通に考えれば持ちこたえられるだろう。

『ロロにはそれ、伝わってるのかな……』

 そう、問題は例の能力持ちだった。件の機情──どうやら男爵だったらしい──の部隊の死体を見つけていたとしたら、ゼロが中にいると判断してもおかしくはない。

 彼らはルルーシュ・ランペルージを監視していたのだから。

「例のやつが来る用心も含めて、五分か……」

 卜部の独り言に、通信越しにカレンが息を飲む気配があった。

「卜部さん、カレンさん、例のシステムが稼動するか確認してくださいね」

 再び緊張をまとったナナリーの声が応じる。

 長い、五分の始まりだった。

 

 

 

 初めの違和感は、一機目を仕留めた後だった。二機、三機と続けて進路上の障害物を排除しようとする前に、それらは牽制程度の射撃をしながら次々と退却していった。

 進むうちにそれは露骨になった。あらかじめそうであるように彼らの姿はなく、道が開けられている。

 それまでの軍の動きと彼らが撃破された情報から導き出した配置は、指揮する者の存在がこの奥であることを示していた。

 誘い込まれている、わかっていても進むしかなかった。彼は確かめなければいけないのだ、この先にいる者が誰かを。

 まだ幼さの残る面立ちの少年──ロロ・ランペルージは忌々しげに通路の奥を睨んだ。

 

 

 

 金色の機体が出た、その一言とともに僚機の信号が途絶すると行動は早かった。

「みなさん手出し無用です、手筈通りに撤退してください」

 鋭さを含んだナナリーの指示で次々と配置されていた部隊が撤退する。例の機体ならば、通常の機体では太刀打ちできないからだ。

 ただのヴィンセントなら、この場の卜部とカレンで容易に討ち取れる。

 問題の相手ならば──ナナリーの思考を打ち切るように、上層階の壁がやぶられ、金色のナイトメアフレーム、ヴィンセントが舞うように吹き抜けの広場へと降下した。

 

『出た……』

 怯えた声が、卜部の頭に響く。予言された死神、これがそれならなおさら退くわけにはいかない。

「測ります、始めて下さい」

 少女の声が合図だった。

 紅蓮弐式はMVSを二刀構えるヴィンセントへ仕掛けた。

 近距離の間合い、通常ならカレンでも余裕で仕留められる程度に相手の動きは卓越したものではないように見えた。

 だが。

 ヴィンセントが消えた。

「5秒……こいつです!!」

 ナナリーの鋭い声が響くと同時に一気にナナリーの機体の前に立つ月下へヴィンセントが距離を詰めて現れていた。

 廻転刃刀はとうに構えている。

 ヴィンセントがこれ見よがしにMSVをランス型へ切り替えるや否や、月下は加速をかける。後ろからは紅蓮弐式も追撃に入り、挟撃した形になった。

 さっきと同じならばその動きは再びかわされるはず、だった。

 

『やっぱおっかないわ、あの子』

 静止するはずだった5秒の中で『声』が怖々と呟く。もっとも相対したロロはそれ以上の驚きに襲われていただろう。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 それでも紙一重でスラッシュハーケンを避け、刃を左腕で受けたのは、乗り手の腕が意外に悪くなかったということだろうか。

 

 卜部は仕掛けにいった次の瞬間に、自分の刃が相手の左腕を破壊したことに気がついた。狙いはコクピットブロックだったが、流石にそこまでは届かなかったらしい。

 だが、これで実証された。

 ナナリーの組んだ、簡易ドローンシステムはこの相手に通用する。

 とはいえこれは諸刃の剣だ。システムが有効になっている間はこちらの入力が絶えた途端にドローンが機体を動かすのだ。それは時としてこちらの意図しない動きを誘発することに他ならない。

 さらに言えばエネルギー消費が激しい、長時間使用することは不可能だ。

 ではあるが、この相手にはこれ以上ないほどの武器だった。

「あいつ、ナナリーを!!」

 カレンが叫んだ先で、ヴィンセントが使い物にならない左腕をパージし、まっすぐサザーランドへ向かおうとする。

「させるか!!」

 ナナリーの機体は鹵獲したサザーランドで当然ドローンは無い。ヴィンセント相手では丸腰も同然だ。

 月下は勢いよくサザーランドを弾き飛ばし、ヴィンセントのランスをその刃で受け止めた。

 片腕のヴィンセントでは当然月下に押し負ける。勢いよく刃で弾きあげれば、ランスは弧を描いてヴィンセントの手から離れる。

 獲った。

 卜部は獰猛な笑みを浮かべ構え直そうとした瞬間だ。

 再び『能力』が発動した。

 もちろんシステムは稼働している。月下はその直前の攻撃の動作の続きを問題なく取ろうとしてた。

 対するヴィンセントは残った右腕の肘をこちらに突き出す構えをとった。

 コクピットブロックをまっすぐに捉えたそれは、『声』にとって最悪の瞬間だった。

 確かに自分はロロ・ランペルージの能力は伝えていた。

 だが、うっかりしていた。

 生き残るためには、機体の情報だって大いに関係あったのだ。

 ニードルブレイザー。

 肘から打ち込まれるそれは、近接では凶悪な武器だった。

 ドローンは直前の攻撃の続きに入るだけで、回避なんてしてくれない。そこまで柔軟なシステムでは無い。このままでは、あれでぶっすりやられて『声』の人生は再び終わりだ。

 

『冗談じゃねえよ!! 二度も死んでたまるか!!』

 

 無我夢中だった。

 だから『声』はしばらく自分が()()()ことに気づけなかった。

 激しい衝撃に機体が揺れ大声が響いて、やっと、事態を知った。

「おい、何が起きたんだ!?」

 卜部だった。生きている。

 

 月下はその瞬間、()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 

 素人丸出しのそれはあまりうまくいったとはいえず、ヴィンセントとお揃いに綺麗に左腕を吹き飛ばされたのだが、コクピットへの直撃は避けていた。

『動けた……』

 呆然と『声』が呟く。今まで当然のように自分は声を卜部に送るだけで何もできないのだと思い込んでいた。だが、一つわかったのだ。

 卜部がギアスにかかっている間は、自分が体を動かせる。

 よくよく考えると使い道が狭い、今以外に使うとこあるのだろうか。

 だが無いよりはマシ、のはずだった。『声』は頭を切り替える。

『肘に武装があるんだあいつ、ごめん忘れてた』

「忘れてたじゃねえよ!! って、あぶねえ!!」

 必殺の一撃を避けられて焦ったのか、雑な動きで仕掛けてきたヴィンセントのハーケンを月下はかわす。口ぶりの割に動きに無駄がないのは『声』との技量の違いだ。

「カレンさん、そいつフロアの端に弾き飛ばせますか?」

「任せて!!」

 かわされてよろめいたヴィンセントに紅蓮がランドスピナーを加速させ、勢いよく体当たりをかける。

 横合いからのそれにギアスを使う暇もなかったのか──そもそも加速の動作に入った彼女を固定しても意味はないが──ヴィンセントは押し負け、そのまま弾き飛ばされた。

「さて時間です……はいカチカチ、と」

 引き気味の団員の膝の上で、やけに楽しげにナナリーが仕掛けを作動させると同時にあちらこちらで爆発が起きる。弾き飛ばされたヴィンセントも大きな瓦礫に遮られ、姿が見えなくなった。

 

「まったくよくやる……」

 別のフロアで退避していたC.C.は崩壊するタワーの中で苦笑いだ。

 これで内部のブリタニア軍に、馬鹿正直に出張って真正面に陣取っていた総督も一挙に排除できる。さらに中華連邦までの脱出経路のおまけ付きである。

 今頃あの電子の悪魔はさぞかしご機嫌だろう。

 

 ハックした通信系は、次々とブリタニアの機体信号が消えていくことを彼女に伝える。もちろん総督もしっかり予測通りの位置で律儀に潰されてくれたのは気分がいいなどというものをはるかに通り越している。

 ナナリーは花がほころぶような笑みを浮かべた。

「うわぁ……」

 呟きは、カレンのものか、卜部のものだったか。

 この一年卜部もカレンも少し思っていたのだが、彼女はどうも、爆破という手段がかなりお好みらしかった。やはり血なのだろうか。

『やだあの子怖い』

 今更な『声』の呟きに、卜部は軽く笑った。

 

 

 

 

 

 運が良かったのだ。

 いくら衝撃に備えた作りをしていても、コクピットブロックの耐久性など倒壊するタワーの中ではたかが知れている。

 瓦礫に押しつぶされればそこで終わっていただろう。

 ロロは大きく息を吐いてから計器をチェックしていく。

 おおむね通信系の機能は無事だ。どうやらとことんついているらしい。識別信号を出しながら携帯電話を取り出す。

「ヴィレッタ、そちらの状況は」

 応じた声は戸惑いが強い。

「ロロ、お前無事だったのか。どこにいるんだ!?」

「ゼロが出ましたか」

 指令を出していたらしき機体はまだいい。護衛の二機はロロのギアスの範囲内でも明らかに動いていた。それも片方は確実に能力下でも能動的な動きを見せた。どういうことなのか、わからない。

 順当に考えれば、あの場にはゼロ──監視対象であったルルーシュと、ギアスの効かない魔女がいたはずだ。

 来るべき日が来た。それだけのはずなのに、内臓が捻れたような不快感が強い。

 わかっていたはずのそれが、ひどく重い。

 それを、女の声が打ち砕いた。

 

「ああ、ゼロが出たには出たんだが、ルルーシュだ!! ルルーシュが軍に保護されたと」

 

 機密情報局でほぼ半年以上共に監視任務に従事してきたヴィレッタ・ヌゥという軍人は、そのもとの立場の割には柔軟性のある対応を取れるとロロは評価していた。

 その彼女が明らかに困惑し判断に困っているようだった。

 だがロロ自身も混乱していた。

「いつですそれは、僕は確かにさっきゼロと交戦して……」

 あれがゼロでなければなんだというのだ。それにヴィレッタは確かに今『ゼロが出た』とも言った。

「正規軍が突入して、すぐだ。弟が保護されていないかと、食ってかからんばかりの勢いだったらしい」

 すぐに軍の管理下の救急病院に運ばれたが、局員が軽く調べた範囲では記憶に欠落のある者はいなかったという。

「ゼロは、どう現れたというんです」

「領事館だ。タワーが倒壊してすぐに中華連邦の領事館から、放送をジャックして声明を出した」

 ロロは考える。

 放送はどうにでもなるだろう。だが、まるで彼の能力を読みきったような作戦を取るには遠隔からでは無理だ。例えどんなに軍の目をごまかすことができたとしても、正規軍の突入からすぐに保護された兄では不可能なはずだった。

 ──あのゼロは、誰だ。

「おいロロ、それでお前はどこなんだ」

 焦りをにじませた女の声で現実に引き戻された。

「バベルタワーの……ああ、倒壊したって言ってましたっけ、その瓦礫の下です」

 平然としたロロの声にますますヴィレッタの声のトーンが変わるが、構わず続ける。

「識別信号も出してますし通信も繋がるようなので、そちらからも根回しをお願いできませんか」

 相手が空回りしそうな時は先んじて指示を出せば案外すんなり行く。それは普段の兄の振る舞いからロロが学んだことだ。そう、この短い日々の中でロロが兄から与えられたものは、あまりにも多い。

 二、三指示を追加して通話を切る。

 薄暗い一人きりの空間で、ロロは携帯からぶら下がるストラップをしばらく見つめ、そっと手のひらで握り込んだ。

 

 あのゼロは──兄では、ない。

 福音だった。

 

 ロロは救援が来るまでの間、奇妙な安心感と共にしばしの眠りについていた。

 目が覚めれば面倒はあるだろうが、兄がいる。

 それで、十分だった。




盲目の天才ハッカーとかCLAMPキャラならアリだろうという方向性で。


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ゼロはいないがゼロはいる。

 使われたのは、かの混沌の王のために自分が用意した仕掛けだ。

 ラインオメガ。

 突如始まったショウは待ちに待ったはずのものだったのだが、男は目の前のやりとりに少し心がくじけそうになっていた。

「どうして神楽耶はゼロでも良いと思うの? 神楽耶はゼロを好いてるのでしょう?」

 ことりと首をかしげた幼い少女は、本来ならば彼が今この状況下で直接会うことなど叶わないはずの立場の存在だ。

「私はゼロ様とは心で繋がっていれば十分ですもの」

 一見綺麗事を口にするもう一人、これがとんでもない曲者だった。

 立場を使うことだけではない、他者が見たときに自分がどの程度に見られるか、そういった点にも恐ろしく知恵が回る彼女は日本から亡命してあっという間に中華連邦の象徴たる存在、天子と民衆に慕われるこの少女の友人として宮廷内に自分の位置を築き上げてしまっていた。 

 最初の頃にはべったり天子に張り付いていた宦官はなぜかここ最近は遠巻きにこちらの様子を伺うばかりで近く様子もない。うっすらと怯えの色があるのはどういうことなのだろうか。

 流石に女官はいるものの、彼女たちはどうも神楽耶と通じている節がある。

 神楽耶の暗躍以外思いつくもののないディートハルトとしては、正直あまりこの場にいたいものではないのだが、ではどこに居場所があるかと言えばそこにも答えはない。

 かくして部下の篠崎咲世子共々付き人という立場に置かれてこうして少女二人のおしゃべりを聞き流す羽目になっている。

 再び画面に集中すれば、繰り返し見る映像の中で、黒い仮面の男が大仰なポーズで神聖ブリタニア帝国を挑発する。中華連邦の領事館の小さな一室で。

 本来ならば、踊り出したいほどに歓喜の念でいっぱいなのだが、いかんせん彼にもそれなりの一般常識というものがある。

 ぐっとこらえながらもうっとり画面を眺める、そんな器用な真似をする男をよそに少女たちはふわふわと花が咲き溢れるように笑い合う。

「でも、年の離れた殿方はそんなに便利なのですか」

「ええ、取り繕いたい体面や立場のある殿方ほど、ですわ」

 何一つ聞き逃すまいとするように、天子はこくこくと頷きながら神楽耶の言葉に耳を傾ける。

「良き大人ぶりたいからでしょうね、たいていはこちらの『やんちゃ』に逆らえませんもの」

 にっこり笑う神楽耶はさらりと天子に教えを説いた。

「中には本当に、単に子どもに甘い殿方もいらっしゃいますけど」

 邪悪だ。

 日頃の自分を棚の最上段にあげ、ディートハルト・リートは頭を抱えた。

 ちらりと横目で咲世子の様子を伺えば、こちらはわかっているんだかわかっていないんだか、よくわからない笑顔で少女らを見守っている。これだから天然は。

 早々に研究に引っ込んだラクシャータがいっそ憎々しく思えてくる。

 ディートハルトの苦行はお茶の時間が終わるまで延々と続いた。

 

 

 

 

 

 

 ゼロの衣装を脱いだC.C.は憮然としていた。

「連中を挑発してやったは良いが、これからどうする気だ?」

 当たり前の疑問である。ルルーシュ・ランペルージとの接触は失敗したのだ。

 今の今まで仰々しくゼロを演じたのはC.C.で、その台本はナナリーによるものだった。ハッタリ具合は本物と遜色ないものであったから、ゼロの復活を信じるものは多いだろう。

 とはいえ、さてどうしたものかと卜部は室内を──中華連邦領事館の中のたった一室の日本を見回す。

 カレンは風呂である。笑顔で卜部やC.C.を押しのけて今頃さっぱりしているはずだ。正直羨ましい。

 ナナリーはといえば、かいつまみながらではあるが兄を監視していた機密情報局の手帳を団員に音読してもらって、時折頷いている。

「俺か、俺に言ってるのか」

 壁に寄りかかったまま自分を指差せば、C.C.の大きなため息が返ってきた。

 卜部は頭をばりばりとかいた。カレンはまだ風呂を占拠している。いい加減代わってほしい。

「そうは言ってもなあ、今あちらさんの指揮とってるのはギルフォードだろう。あの堅物の動き次第だろ」

 先のことをベラベラといい加減に喋る『声』は、タワーでの戦闘の後、妙に疲れたからちょっと寝るなどと言い出して以来静まり返っている。卜部には圧倒的に情報が足りなかった。

 門前に押しかけたブリタニアの部隊はあっさりと中華連邦の武官、黎星刻があしらって追い払っている。あれはあれで食えない上に読めない男であるから、あまり借りを作りすぎたくはない。

「一度、お話しするのはどうでしょう」

 不意に会話に割って入ったのはナナリーだった。

 手帳は概ね頭に入ったらしい。団員から受け取ると大事そうにしまい込んだ。

「ギルフォードと?」

「いえ、そちらは放っておいても動きます」

 少女は未だゼロの衣装のままのC.C.に顔を向けた。

「そろそろピザ、恋しくなってきましたよね」

 

 

 

 黒の騎士団の亡命は好機だった。

 それ自体は元々一年前からの密約でもある。交渉自体はゼロから皇神楽耶に代わっていたが。

 黎星刻、武官として領事館に遣わされた男は刃を収め、今しがた切り捨てた躯を見下ろしていた。

 骸は国を蝕む宦官の一人だ。少しは溜飲が下がるかと思ったが、案外何もないものなのだな、と自分に拍子抜けする。

 とはいえ進めるべきことは進めなければならない。星刻は部下に指示を与えていく。特に後任との入れ替わりはタイミングが重要だった。

 そこに、女が現れた。

「掃除の最中だったか」

 転がっている死体にも眉ひとつ動かさない女に、わずかに警戒心を引き上げる。

「怖い顔をするな。こちらは吹けば飛ぶよな居候の身なんだ」

 肩をすくめてみせるその女は、日本人たちからはC.C.と呼ばれていた。

 死体をまたいで数歩、星刻の間合いの手前で止まり女は笑う。

()()は黒の騎士団と揉めた結果、そういうことにしてもらってもかまわない。元からこちらは無法者だそうだからな」

 女は先ほどまでのゼロの装束ではなく、ごくありふれた装いに変わっている。

「出るつもりか」

「久しぶりにピザにありつける、そのぶん働かないと後が怖い」

 この女流の冗談なのだろうか、よくわからない。

 星刻はため息まじりで隠し通路の一つを教えた。

「ナイトメアを持ち出すわけでは無いのなら、この通路が一番楽だろう」

「ご厚意痛み入る、だな」

 猫みたいな女だ。するりと去る背中に、星刻はふとそんなことを思った。

 

 

 

 ルルーシュ・ランペルージとその弟は、あのゼロが現れ倒壊したバベルタワーに居合わせながらも幸いにして怪我もなく、日常に戻っていた。

「でも帰還祝いだって言って、その買い出しを本人にやらせますかあの人は」

 ルルーシュの弟、ロロはあの祭り好きの生徒会長の満面の笑顔を思い出して頬を膨らませる。ルルーシュにしてみれば、買い出し自体は別にどうということもない。彼女には慣れている。それよりも最近とみに表情豊かになってきた弟に喜びしかない。

 ゼロが引き起こした武装蜂起も無事収束した後、学園に戻ってからしばらく弟は明らかに殻に閉じこもったような有様だった。それが今ではころころと表情を変え喜怒哀楽をはっきり表に出すようになっている。

 いい傾向だと思う。

「そうだロロ、せっかくモールまで来たんだし映画でも見ていかないか」

 見せられた携帯の画面に、ロロが眉間にちょっとシワを寄せる。

「またそういう長そうな戦史もの……」

 映画館の上映カレンダーは明らかに三時間超であることを示している。

 監視の仕事としては手を抜けるが、普通に兄と街をぶらぶらする方が正直楽しい。

 とはいえロロとしても、せっかくの兄の誘いを無下に断るのも気が引けた。

「買い物はすぐ済むし、いいじゃないか」

 そんな弟の事情や気持ちをまったく知らないルルーシュにしてみれば、こういうジャンルに付き合ってくれそうなのがロロしかいないというのもあるが、あの映画館の暗闇で画面にだけ集中する、そんな時間が欲しかった。

 バベルタワーで目撃したものが、ショックではなかったといえば嘘になる。あの賑やかで優しい日常に戻るにも、少し間が必要だった。

 言い訳を付け加えるなら、多分ロロだってそうだろうという思いだ。

 ルルーシュと違いロロはあまり悲惨なものは目にしなかったようだが、瓦礫の中から救出されるまで数時間は闇の中に取り残されていたのだ。

 お互い外傷がなかったのは幸運以外の何者でもないが、心の方に何かあってもおかしくはない。

 そんなことがあっても両親は電話ひとつよこさない、あの人たちはいないも同然だ。だから弟を守れるのは自分なのだ。自分しか、いないのだ。

 ルルーシュは弟の手を取った。

「兄さん、ちょっと!!」

 言うほどロロは困っていない、むしろ笑顔だ。この笑顔のためなら、なんだってできる。ルルーシュはいたずらっぽい笑顔のまま弟と手を繋ぎながら映画館へ向かう。今度は、離れないようにと。

 

 

 

 かつてゼロであった少年の監視の任に就いた女は大きなため息をついた。対象は、よりにもよって監視の目のあまり行き届かない施設へ向かっている。

 ここで観客に紛れてC.C.が現れたら。手間と根回しを考えただけで頭が痛くなる。

「監視は張り付いてますから、大丈夫ですよ」

「ああ、そうだな……」

 言いながらもう一方の憂鬱な仕事も再開する。ちらりと横からのぞいた局員はあまり行儀がよくない。とはいえ見られて困るものでもない。

「また体育だけ追試ですか……」

「やればできるんだ。せめて授業くらいおとなしく受けてほしいんだがな」

 機密情報局と教師の二足のわらじに苦労しつつも、彼女はどちらにも手を抜けない。野心はあれども根が生真面目なのだ。

「うちもできるわりにサボる奴がいるから、なんとかしないとなあ」

 アンダーカバーながらもどこか楽しげに苦労する者は多い。異様に扱いにくいロロがこの場にいないせいもあってか、場の空気は和やかだ。

 ヴィレッタ・ヌウは苦笑いを浮かべると、追試の問題を作りながらショッピングモールのモニタをチェックする手伝いに加わった。

 

 

 

 ショッピングモールの吹き抜けで頬杖をつくC.C.の横顔は、わずかに不満げである。いつぞやのロリータファッションに比べれば、その服装は大人しく、モールでも浮くものではない。だが、それは彼女のお好みではないようだった。

「いいじゃないか、マオは似合うと言ってたんだぞああいうの……」

 ぷっと口を尖らせる横顔は見た目通りの少女のそれである。

〈餌らしく、ほどほどに目につけば充分なんです〉

 通信機越しに聞こえてくる声は、やや呆れ気味だ。

「わかってる、それよりいいんだな最低二枚は完食させてもらうぞ」

 今日の彼女の主目的である。デリバリーではなく、釜の焼きたてのピザだ。二枚と譲歩したのはデリバリーで埋め合わせさせる算段ではあるが、本音を言えば心ゆくまで堪能したい。

 とはいえおまけの任務の都合でそうも言っていられないのがつらいところだ。

 モール内をさらりと観察し、素早く目当ての店を見つける。

〈カメラの偽装時間はだいたい四枚ぶんくらいですから、その間はゆっくり味わってくださいね〉

 持つべきものはハッキングの才のある魔王の妹である。

 軽い足取りでC.C.は彼女の桃源郷へ向かう。チーズの香りの充満するこの世の楽園に。

 

 

 

 楽しげな人々が行き交うショッピングモールの中を、同じようにひやかしているように見せながら機密情報局の局員らは職務に励んでいた。監視対象は映画館でまさにチケットを購入しているところだ。館内と出入り口に監視を置けば、充分と言えた。なにしろ本人の隣にあの『弟』がいるのだから。局員らにとって、扱いづらい少年ではあるが、ことルルーシュ・ランペルージの監視としてはほぼ満点といえる。先日のバベルタワーの件を除けば、だが。

 あれについては、結局あれだけの騒ぎにもかかわらず空振りの上、仮にうまくいったとして本国からしゃしゃり出てきた貴族どもの手柄だったのだと思えば、彼らにしてみるとあまり失点という気分ではない。むしろこちらで押さえるチャンスが増えた、そう思う者がほとんどだ。バベルタワー倒壊後のルルーシュへの軍の聞き取り調査には明らかにC.C.から接触を図ったフシがある。再びチャンスが巡ってくる可能性は高かった。

 

〈対象らしき人物を確認、レストランフロアだ〉

 

 チャンスが、やってきた。

 昼の休憩に入ろうとしていた者はにわかに殺気立ち、休憩から戻ったばかりのものは量を調節すればよかったと嘆きつつも、彼らは行動を開始した。

 

 ゆったり味わうなら三枚まで。あの妹の口ぶりからそう判断し、もう一枚いきたいところをぐっとこらえる。

 デリバリーではない窯焼きの芳ばしいピザは最高だった。デザートのすすめを断るのも断腸の思いだったが、これでも囮の自覚はある。黒の騎士団がトウキョウ租界を占拠したその暁にはぜひこの店を贔屓にしたい。残っていればの話だが。

 上機嫌で会計を済ませ、その足でふらりとC.C.はモールをひやかし歩く。

 やはり気になるのはピザだが、こうやって歩いてみると、パエリアも魅力的だしドーサとカレーの組み合わせもそそる。チミチャンガはジャンクフードかもしれないが、これも惹かれるものがある。日頃生き飽きた顔をしていても、こういう時ばかりは生きてみようかなという気分に傾くのも無理はない、はずである。

〈食いついてきましたよ〉

 C.C.を現実に引き戻したのはナナリーからの通信だ。

「三分振り回して、例の経路で逃げればいいんだったな」

 楽しい時間の終わりに食い道楽の魔女は重い重いため息を一つついた。

 働かざる者食うべからず、世間は兎角世知辛い。

 

 映画館の闇の中でロロはヴィレッタからの通信を受け取っていた。

 横に兄がいる以上返信はできないが、幸いにして指示は簡潔だった。姿を見せた魔女がこちらに現れるまでは、ルルーシュ・ランペルージに張りついていろというものだ。

 つまり、時折ポップコーンをつまみながら兄の横顔をちらちら見ていればいいわけである。実に気楽だ。

「お前、もう少し画面見ろよ」

 ささやく兄は呆れ顔をしているが、今まさに彼を魔女がさらいに来ているのだ。実に呑気なものである。その口にポップコーンを押し込めばいささか納得いかない顔ながらももぐもぐとおとなしく食べる。

 家ではもっぱら自分が餌付けされているような気になるが、今は逆だと思うとそれも楽しい。C.C.が接触してしまえば終わりとわかっていても、楽しいものは楽しい。

 すべてが自分たちの上を何事もなく通り過ぎてくれればいい。虫のいい話だが、そんなことさえ思う。

 ロロ・ランペルージは己が暗殺者としては、もう使えなくなっている自覚がうっすらあった。

 当たり前だ。こんな家族をあてがわれたらあの嚮団の子供の誰だってこうなる。

 我ながらよくわからない開き直りに浸っていると、興を削ぐ振動音が響いた。

「携帯、切り忘れたろ」

 兄の指摘に肩をすくめる。実のところ切り忘れたのではなく、切れなかっただけだが仕方がない。そっと着信者を確かめて、ロロは小さくため息をついた。

「会長だよ兄さん、僕ちょっと出てるから」

 館内の客は少ない。さりげなく目を配ればすでにうっすらと見覚えのある顔の局員も客席にいる。

 目で合図を送り通路へ出る。出入り口も固めているだろうから、多少離れても心残りなだけで問題はない。

 さて、あのお騒がせ生徒会長である。あきらめを知らぬ様子で振動し続ける携帯に呆れながら彼は応じた。

『はじめまして、ロロ・ランペルージさん』

 声は未知の少女のものだった。

「だ……」

 誰、という声は喉の奥に引っかかってうまく出てこない。

『今日はご挨拶とお願いに失礼しました』

 携帯の向こうの声の響きはやけに楽しそうで、その実ぞっとするほど冷え冷えとさせられる。

『あの魔女はお兄様には近づけさせません、ですからどうぞ()()()()お兄様を、これからも守ってくださいね』

「君は、誰だ」

 やっと絞り出せた声は、自分の声ではないように低い。

 どこにいるかもわからない少女の声がくすくすと笑う。

『ナナリーと申します。ロロ・ランペルージさん、いつかお会いできると素敵ですね』

 通話は一方的に断ち切られた。

 何が素敵なものか。

 間抜けなほど明るい通路の壁に背を預け、そのままずるずるとうずくまる。

 ロロは、ルルーシュ・ランペルージのかりそめの弟は、携帯を握りしめることしかできなかった。

 モール中に警報が鳴り響いても、彼はただ、うずくまっていた。

 

 

 

 C.C.が外に出てから大して時間がたたないうちに、その放送が流れた。

 人質を使ってゼロに出てくるように迫るそれは、予想していなかったかと言えば嘘になる。とはいえさてどうしたものか、ゼロの代役の彼女は今租界のどこぞにいるはずで、ここにはいない。カレンでも代役自体は務まるだろうが、彼女は紅蓮弍式に乗せた方が実力が発揮できる。そして、残念ながら自分では体型が違いすぎる。

『大丈夫だよーゼロがこう、ドーンずざざーってやってくれるもん』

 あくび混じりの『声』が頭の中で響いた。

 やっと起きたと思ったら、こいつ完全に寝ぼけてやがる。

 卜部は目につかないようにそっと部屋の隅へいくと、聞きとがめられない程度の声で毒づいた。

「アホか、いねえよゼロ。それ以前に全く意味がわからん、勘弁しろ」

『……ドウシマショウ巧雪クン』

 やっと起きたと思ったら、心底頼りにならない。ぐったりしながら卜部は画面に目をやった。

 中継の画面では領事館の前に護送車が次々と姿を現わしている。特別目につくように拘束されている者らには明らかに暴行の名残があった。その中に藤堂の姿を見つけ、卜部の口がへの字になる。

「あのコーネリアの犬が、やってくれたもんだな」

『せめて千葉ちゃんの心配もしてあげようよ、この中佐バカ』

 即座に入った指摘を卜部はさらりとスルーした。視界を共有しているとこういう厄介が生じる。

 楽器を奏でるように端末を操りながら、ナナリーが振り向きもせずに口を開く。

「これだけの騒ぎなら主人の目に入るかもしれない、そういう部分もあるのでしょう。あるじを失った騎士は、無茶をしますから」

 少女の言葉にカレンが少し怯えた色を浮かべながら画面に視線を戻した。

 思い起こしたのは最後に見た生身の枢木スザクだ。あれは、まさしくあるじを失った騎士だった。だがギアスで操られ罪を犯し血にまみれて死んだユーフェミアとは違い、コーネリアは生きている。行方をくらませただけだ。その点に関してはギルフォードは枢木スザクよりはるかにマシだろう。

「それでもおおむね予想通りでしょうか、まさかご丁寧に全員連れて来てくださるとは思いませんでしたけど」

 ナナリーに侮蔑の色は無い。淡々と映像からわかる範囲のことをまわりの者に聞き、端末にすばやくデータを入力していく。

 何事かを耳打ちされた団員は慌てて部屋を出て行く。彼女は的確だが、意外に猶予のない指示を出すことが多い。

 何をお願いされたのやら、少しばかり恐ろしげに思いながらちらりと卜部がのぞいた画面は凄まじ勢いで移り変わっていた。その中には租界の基盤構造図まで紛れていたようにも見えた。

「C.C.さんにはもっとピザを用意してあげないと、私大目玉食らってしまいますね」

 くすくす笑うナナリーはひたすら楽しそうだ。

『……ゼロはいないけど、もっとえげつないのがいる』

 卜部の気持ちを代弁するように、引き気味の『声』が響いて消えた。

 

 

 

 

 

 

 ショッピングモール内に警報は誤作動だったと放送が流れた。

「映画の方は配信を待つか」

 おどける兄に、ロロは困ったような笑顔で応える。表面上はここでは警報でちょっとした騒ぎになっただけで、何も起きていないのだ。兄の態度は当然のものといえる。

 握りしめた携帯にはどういうわけか、先ほどの通話履歴は残っていなかった。そう、表面上は何もないのだ。

 避難誘導された人々から緊張感が徐々に抜けていく中、ロロはその空気から一人取り残されていた。

 ナナリーと名乗った少女は『()()()()()を守れ』と言った。それは彼の利害と一致するものでは、ある。命じられたことと、彼女の言葉と、ある程度までは齟齬もない。C.C.が兄に接触しない限りは。

 その意味ではあの提案は魅力だった。兄の『本物の妹』からの、魔女からの接触はない、という言葉は。

 問題は、彼女の真意だった。

 ロロは確信していた。ゼロを演出するものたちの中心にいるのは、間違いなくあの妹だ。

 その彼女にとって、兄をゼロに戻すことよりも、兄の無事が重要なのだろうか。だが、いくらロロ一人が彼女に協力しても、これは人質に取られているも同然の立場だ。皇帝や、あの嚮団の主の気まぐれでいくらでも()()()()()しまう駒であることに変わりはないのだ。

 それでも、兄が無事であれば、それでいいのか。

 あの『妹』は、ロロにとって得体の知れない生き物だった。

 不意に固く握りしめていた携帯が震えた。

「ロロ、電話じゃないのか」

「あ、うん」

 ロロ・ランペルージとして取り繕いながら、彼は発信者も見ずに電話に出た。

 

「やあ、また君に頼みたいことができちゃったんだ」

 

 声は、どろりと飲み込む闇だった。

 

 

 

 

 

 

 ルルーシュ、お前の妹は悪魔だ。

 C.C.はいやに手際よく用意されていた無頼の中で大きなため息をついた。

 彼女に言われるままにポーズを取れば、オープンチャンネルと外部スピーカーからは実にかつてのルルーシュっぽい口上が垂れ流され、茶番は開幕となった。

 護送車の人質が向ける視線が重い。

 お前らその困惑と憧憬目線やめろ、特に玉城。涙ぐむな、鼻水たらすな。

 こっちはお前が散々胡散臭そうに見ていた『妖怪ピザ食い女』だぞ、気づけ。

 C.C.は彼が叩いていた陰口はしっかり記憶している。報復しなかったのは、当時ルルーシュに『なんだ事実じゃないか』などと鼻で笑われて即座に蹴倒したから、ちょっと溜飲が下がってしまっただけのことである。

 今思い出すと普通に腹がたつ。放っておきたくなってきた。

〈いいですか、合図でちゃんと動いてくださいね〉

 彼女を現実に引き戻したのは盲目の悪魔だ。

 小さく息を吐いて、気を引き締める。ピザだ、すべてはピザのためだった。

 

〈にゃーん〉

 

 ナナリーの合図で、一気に囚人護送車周辺の大地が揺らぐ。

 正確には地上部分のパネルが次々とパージされ傾いていったのだが、それによって護送車は一気に領事館の領内へと滑り落ちていく。

 その中で、C.C.は──死ねないとはわかっているが──死ぬ気で無頼を動かしハーケンを、ランドスピナーを駆使して走り回っていた。

 ギルフォードが卑怯だなんだと詰っていたが、こちらはそれどころではない。

 揺らぎ傾いた地表を走り抜けるだけで必死だ。話を受けた時の『ゼロっぽく』などというオーダーなぞ知ったことではない。だいたいルルーシュの腕前だって中の中の上くらいだから自分とどっこいのはずである。あの妹は兄を美化し過ぎだ。

 ゼロの仮面などすでに放り捨てている。あんな視界でこの状況に対応できるわけがない。

「わ……割に合うかこんな取引!!」

 それでもなんとか着地を決めた瞬間である。さも彼女の無頼からのように、『勇ましいゼロの言葉』が流れ出した。

 ──日本の領内の日本人を救出せよ。

 中華連邦の領事館の黙認を盾にやりたい放題か。

 策といい弄する言葉といい、いかにもゼロがやりそうなことである。

 あの妹、兄のエミュレーションが完璧すぎやしないか。

 コクピットハッチの中でぐったりとコンソールに前のめりになってるC.C.の無頼と入れ違いに、カレンの紅蓮弐式と卜部の月下が現れた。

「さて、これでも手を出してくるなら仕方ないよな」

 卜部の笑いは獰猛さが滲み出ている。藤堂らが一年間やられた分をやり返す気でいるのだから無理もない。不用意に攻めてきたブリタニア機のランスを避け続けざまにスラッシュハーケンでその腕を奪う。続けて現れた二機目は廻転刃刀でそのコクピットブロックを切り捨てランドスピナーで駆け抜け次の障害物へ向かった。

 

 半ば呆れ気味に『声』は状況を眺める。

 さっきまでアクロバティックに無頼で駆け巡っていたC.C.扮するゼロがひっそりとよろけながら屋内へ入っていくのが見えたのだ。

 十中八九、酔ったのだろう。

 彼女は卜部やカレンほど、この鉄の騎馬に関しては腕が立つわけではない。おそらくあの動きも死に物狂いでやったはずである。

 少しは労ってやれと思うが、卜部もカレンもノリノリで、彼女のそんな様子などまったく意識にないのだろう。次々と楽しげにブリタニアのナイトメアを撃破していく。

 さすがにちょっと、かわいそう。

 今ごろトイレに駆け込んでいるだろうC.C.に、『声』は意識の中だけでそっと十字を切った。

 一方で、待機していた団員達の手により次々とかつての仲間が解放されていく。

 護送車に手出ししようとした不幸なナイトメアは、紅蓮の輻射波動の餌食になり爆散した。

 ここでようやく指示が出たのか、ブリタニアの動きが明らかに鈍った。

『チャンスじゃん、もう一機いっとく?』

 『声』が卜部を茶化す。

「バカ、撤退命令が出たんだよ、放っておくさ」

 卜部の言葉通り、そそくさとブリタニアのナイトフレームたちが退いていく。

 警戒は必要だろうが、とりあえずの危機は去ったのだ。

 視界の隅で軍時代からの上官である藤堂が救出される姿を認め、卜部はふうっと大きく息をついた。

 

 

 

 領事館の中庭にざわざわと人の声が行き交う。その声はみな明るい。

 ほんの少し前の、解放された仲間に飛びついて喜んでいたカレンの姿を思い出して卜部は声を立てずに笑った。

「卜部さん、嬉しそうですね」

 車椅子に乗り、卜部に押されていた少女も妙に機嫌が良いように見える。

「そういう君は良かったのか? 兄貴は」

「兄は大丈夫です、心強い味方がいますから」

 話をすると言っていた『弟』との交渉がうまく運んだということだろうか。

 どうもただの任務や損得ではないらしいあの『弟』の機微は、卜部には見当もつかない。ナナリーが言うのならそうなのだろうと思うしかない。

 向かう先ではこちらが声をかける前に気づいたようだった。

 藤堂がはじめに、続いて朝比奈、仙波、千葉と、ブラックリベリオン以来の再会になる顔ぶれが軽い喜びと、そして車椅子の少女に気づいて怪訝なものを顔に浮かべる。

『おまわりさんこいつですって顔だ』

 うるせえよ馬鹿。口には出さずに胸中で『声』を罵ると、卜部は軽い調子で声をかけた。

「藤堂中佐、遅くなってすみません」

 あとみんなも、とおまけのように言えば朝比奈が口を尖らせてぶうぶう言う。ずいぶんと久しぶりのそれには笑いしか出てこない。

「卜部、まずは礼を言うべきなのだろうが……」

 朝比奈をたしなめながら、藤堂が喜びと戸惑いをあらわにしたまま口ごもった。何かを言いかけてやめたのだと、卜部が気づいた瞬間だった。

()()()()ご無沙汰しておりました、ナナリー・()()()()()()です」

 ナナリーが、先んじて藤堂に名乗った。

「そうか、やはりあの時の」

 藤堂の中では彼女について納得がいってしまったらしい。四聖剣は卜部も含め置いてけぼりだ。

 続いた言葉には、卜部ですら目を剥いた。

「……つまりゼロは彼か、なるほどな」

 何かが腑に落ちた顔で藤堂がわずかに俯く。

 誰も口を挟めないまま、ナナリーが応じた。

「はい、一年前は」

 わずかに藤堂が眉をあげた、瞬間である。

 

「ゼロだ!!」

 

 誰ともなしに歓声が上がる。

 中庭に現れたのは、確かにゼロの姿をした者だった。

 慌てた様子でカレンがゼロのそばへ駆け寄る。

「卜部さん、私もあちらへ」

「えっああ、すみませんちょっとまた後で」

 ナナリーに促され、卜部も二人の元へ向かう。ちらりとまわりを伺えば、彼と同じ逃亡組の人間は戸惑いをその顔に浮かべている。

 それはそうだ。

 間違いなくあのゼロは、さっきまで無頼で駆け巡っていたC.C.なのだから。

『どうすんだこれ』

「ほんとどうするんだこれ」

 つられてもれたつぶやきに、ナナリーがふわっと笑った。

 それは柔らかいものだったが、刹那、卜部はなぜかそこに得体の知れない生き物を見た気がした。

 

 ナナリーがゼロに扮したC.C.の前に姿を現わせば、場の空気がわずかに静まり困惑の声がさざめく。

 無理もない、一年間囚われていた者たちは彼女の存在を知らない。

 盲目の車椅子の少女、そして当たり前のように受け入れている再会した仲間。

 それは、未知のものだった。

 その未知の少女がなんでもないことのようにゼロに言う。

「仮面を、渡していただけますか?」

 静まり返った人々の中心で、ゼロは──あっさりと仮面を脱いだ。

 ふわりと広がる若草色の髪、射抜くような琥珀の瞳、それはゼロの傍らにあったもので、ゼロでは、ない。

 

「……ゼロじゃ、ない」

 

 誰かのつぶやきに、ゼロの仮面を受け取ったナナリーが応じた。

「はい、ゼロは…一年前のあの日までゼロと呼ばれていた人はもういません」

 それは群衆から少女への疑問などわきへ押しやる言葉だった。

 

 カレンと卜部がわずかにぎょっとした顔で少女に目を向けたが、それに気づけたのは群衆の中で黙って成り行きを見守っていた藤堂だけだった。

 C.C.は表情を動かさない。元々彼女は読みにくい人間だ。

 藤堂はさりげなく周囲を観察する。

 皆がこの車椅子の少女の言葉に、その膝の上の仮面に目を奪われていた。

 さっきまで、確かに彼らはそこにゼロを見ていたのだ。

 だが、それが突然幻想だと告げられた。

 空っぽの仮面は彼らから言葉を奪っていた。

 少女の声が響き渡る。

「ですが、ゼロは()()()()()()

 少女が大事に抱えるのは、仮面だ。

 主人のいない仮面、空の仮面だ。

「ゼロは、願う人、憎む人、焦がれる人、求める人それぞれの中に」

 そっと壊れ物を扱うように、少女は仮面を戸惑う群衆に向ける。

 仮面は艶やかな鏡のように、それを見ようとする人々を映す。

 それぞれのゼロが、そこにある。

 彼らの中に少女の言葉が染み込んでいく。

()()()()()、みなさんひとりひとりに、そして私にも」

 たおやかな少女の声に、静かではあるが力がこもった。

「だから、できたんです。()()()で小さくても日本を、あなたたちを取り戻すことが」

 カレンがそっと彼女の傍らに歩み寄った。彼女の穏やかでどこか誇らしげな顔はその言葉を肯定するものだ。

 その気配に少女は少し笑いかけ、再び群衆に向き直る。

「力無き者の力を、この理不尽な世界に少しでも届かせる、それができたのは──()()()()()()()()からです」

 それは耳当たりのいい、優しい甘い誘惑だった。

 目も足も効かない少女はまさに無力を、力無きものを象徴する存在だ。

 だがその彼女が言う通り、()()()()がいなくても彼らを救ってみせたのだ。

 力無き者が、ブリタニアの理不尽を覆した。

 あのゼロはいない、だが彼らは『ゼロ』をやってのけた。

 皆がゼロで()()こと。それを信じこませるものが、その姿にはあった。

 

「……ゼロ!!」

 

 熱に浮かされたように、誰ともなしにゼロを呼ぶ声が上がり、それはいつしかまわりにも伝播していく。

 ナナリーが供物のようにゼロの仮面を再び捧げ持てば、熱狂はさらに高まっていった。

 藤堂は、彼らのようにはなれなかった。

 周囲が熱に飲み込まれていく中でただ一人、漠然とした不安だけが胸に広がっていくのを感じていた。

 

 一団から少し離れた場所で卜部は座り込んでいた。そっと抜けても気がつかれないほどに、ゼロを呼ぶ声は熱を帯びている。

 正直なところ、あの空気は少し恐ろしい。

『ワーオ、なんかカルトみたい』

「そのものズバリな感想ありがとよ」

 あの場にとどまって、それでも飲まれる様子もない藤堂は大したものだ。

 自分では朝比奈や千葉同様、雰囲気に乗せられていただろう。

 仙波がこちらにちらりと目を向けたのは、彼もどちらかといえば乗りきれない方ということか。あの男は元々そういう気質がある。

 それにしても、ナナリーという少女が実際のところどう思っているのか卜部にはわからなくなった。

 兄を取り戻したいのだと思っていた。

 だが、一度目は奪還に失敗し、今度は強引に行けば少なくとも兄との再会は果たせたかもしれない機会だったというのに、こちらを優先した。

 その上での、ゼロが、兄がここにいなくても良いと言ったも同然の今の宣言だ。

 彼女の目的はなにか──そこを見誤ると足元をすくわれる、そんな気がしていた。

 

 

 

 

 

 

 やはりゼロは本物だった。

 鮮やかに詭弁と奇策を用いて虜囚を解放したそれは、まさしくゼロの手だ。

 ディートハルトはぐっとステップを踏んでしまいそうになるほどの高揚感を抑えた。大人には守らなければならない体面というものがある。

「藤堂鏡志朗、このおじさまですか」

 少女の小さな指は画面をズームしたり引いたりを繰り返す。あまりぴんとこないようだ。

「ゼロ様もよろしいかと思いますけど、一番有望でしょうね」

 神楽耶の言葉にディートハルトは上がったテンションが急降下していく自分を意識した。少し前からどうも、きな臭い会話の流れだとは思っていたのだ。

「素性ははっきりしてますし、ネームバリューに扱いやすさ、他にない優秀さですのよ」

 取らぬ狸の皮算用という気がしないでもないが、日本と中華が手を結ぶ未来が訪れるならば対外的にわかりやすい手段がある。

 婚姻である。

 かつて神楽耶がゼロに迫ったように、天子もまたこれ以上ないブランド力があるのだから、その立場と存在を利用しない手はない。つまり彼女たちは婿候補を品定めしているのだ。しかも確実に神楽耶の意向に逆らえなさそうな人材で。

「稽古ごとでもなければ基本的に子供に甘い男ですから、いくらでも天子様の大事な星刻様と一緒にいられますわ」

「もう神楽耶ったら」

 顔を赤らめて恥じらう少女の姿ははたから見れば、可憐だろう。

 はなから愛人を作りますよ、という言動でなければ。

 救いとツッコミを求めても、今日も今日とて宦官どもははるか彼方で愛想笑いを浮かべているだけ、ラクシャータは逃げ出したし、咲世子は相変わらずの笑顔でお茶のおかわりを注いだりしている。

 ああ、これだから天然は。

「あらディートハルト、お行儀の悪いこと」

 まさか、自分が他人のモラルを疑う日がくるとは思いもよらなかったディートハルト・リートは机に突っ伏していた。思いもよらないところで縁談が進みつつある藤堂鏡志朗に、ほんの少しだけ同情しながら。

 




誤字があったのでちょい修正。


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その感情に名前はない。

 話があると切り出した男の、どことなく歯切れの悪い様子にナナリーは確信した。

 利害は対立しない、問題は無いと。

 続いたやり取りもそれを裏付けるものだった。

 ならばこの男は──共犯足り得る。

 会話の切れ目に、少女は笑顔とともに賭けに出た。

「私たちは、力を合わせていけると思いませんか?」

 空気がわずかに揺らぐが、返る言葉はない。

 だが閉ざされた目でもわかる、この沈黙は肯定だ。

「手伝っていただきたいことは簡単です」

 多くを語る性質ではない男に、少女は含めるように言った。

 

「魔女の願いを叶えない、それだけです」

 

 

 

 

 

 連日の報道をうんざり顔で眺めているのはカレンだった。

 時折見慣れた校舎が画面に映るとなんともいえない気分にさせられるのだが、それにしても報道機関は降ってわいた『奇跡の』皇族兄弟に食いつきすぎである。

 

 エリア11の新総督、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。

 その弟であるロロと揃って身柄が保護されたのはほんの少し前のことである。

 きっかけはゼロが復活を宣言したあの日に倒壊したバベルタワーだった。

 現場から救助された民間人の身元確認に当たっていた軍人に、かつての純血派の者がいた。そこに現れた兄弟の身元引き受け人が、やはり純血派出身のヴィレッタ・ヌウであったことから彼らの本当の身元が知れるに至ったのだ。

 そこから急転直下でエリア11の新総督となったのは、どういう流れなのかはわからない。

 とはいえ、今現在中華連邦の領事館から姿をくらました黒の騎士団とゼロそっちのけで、報道は連日新総督とその数奇な半生とやらをこれでもかこれでもかと流している。

 

「あ、ミレイ会長だ」

 見知った顔の困り顔にちょっと反応すれば、周りがなんだなんだと寄ってくる。

「美人だなあ」

「黙って立ってれば、そうなんですけどねえ……」

 野次馬の言葉に相槌を返すカレンの苦笑いは柔らかい。

 今さら生徒会の彼らには合わす顔などない。ブラックリベリオンのあの日、確かに道は分かれたのだし、それまでの日々でも彼らを裏切り続けたことはまぎれもない事実なのだから。

 それでも、画面の中で戸惑いながらもインタビュアーを茶目っ気たっぷりに翻弄するミレイの姿に、カレンは暖かいものを感じていた。

「にしてもよ、例のルルーシュって奴と弟が皇族ってことはよ、あのナナリーってガキもブリタニアの皇族ってことになるんじゃねえの?」

 棒付きの飴をくわえながら首をひねるのは玉城だ。彼の疑問はもっともである。

 報道はあくまでも八年前に日本へ送られたのはたった二人の幼い()()であり、今日までひっそりと身分を偽り生き延びていたという論調なのだ。

 そこに盲目で車椅子の少女の存在はない。

 だが、彼女はしばしばルルーシュを『お兄さま』と呼ぶ。

 そう、この皇族の兄がエリア11の総督に就任すると報道された時も彼女は彼をそう呼んだのだ。

「んー……色々事情が複雑なのよあの子。あとガキはないでしょガキは」

 半ばごまかしの言葉でカレンは追求をはぐらかした。

 元々『ルルーシュ・ランペルージ』が学園に再び現れた時点で、ナナリーに関する記録は懇切丁寧に拭い去られていた。今回の『ルルーシュ・ランペルージはルルーシュ・ヴィ・ブリタニアである』というすり替えは、そこに八年前の情報を継ぎ足す程度の細工であるからさほど困難なものではなかったのだろう。

 さらに、今回の記憶操作は皇族にもしっかり施されているらしかった。

 ほんの数日だけ本国に戻った彼ら兄弟と、シュナイゼル・エル・ブリタニアが再会を喜ぶ場面、などというものまで報じられているのだ。これでは下の者にまで記憶操作が行き届いていなくとも、疑問の声を上げること自体が自身を危うくするのは想像にかたくない。

「まあ、他に行くとこねーってのは聞いてんし、ああだしよ。どうこうしろってわけじゃねーけど……わけわかんねえよなあ」

 頰をかく玉城は飴の棒をゆらゆら揺らす。ナナリーという少女は正体不明ではあるが、目が見えず足も動かないというハンデが彼らの同情心に訴える。結果として日本人ではなくとも共にいることに異議を唱えるものはほぼいない。

 ついでにいえば、逃亡組にしてみれば今まであの少女の化け物じみたハッキングと判断力で何度も窮地を救われている。そんな彼女を手離す気にはまったくなれないという共通認識がある。『ゼロの妹』という卜部の言と、『ブリタニアの皇族を兄と呼ぶ』という不穏な符号を敢えて言い立てるものもいないのは、そこが大きい。

 カレン自身はといえば、自分が逃げた結果が今の状況の一因であるという負い目もあってなおさらだった。ここで彼女まで見捨ててしまったら本当の敗者になってしまう。

「そうだぞ行き場のない者には優しくするのが正義の味方だ。わかったらピザよこせ玉城」

 いつからいたのか、ぬっと手を突き出すC.C.に玉城の顔がひきつった。

「……打ち合わせに混ざってたんじゃないの?」

 まったく取り合わずに疑問を投げるカレンは彼女のあしらいにだいぶ慣れてしまっている。

「ややこしいことは性に合わん、あと腹が減った」

 逃亡生活中にちらりと思ったことだが、それをカレンは確信した。

 この女、明らかにルルーシュといた時より言動が雑になってる。

「カレーで我慢しなさいカレーで、ほら今用意するから」

 またカレーかよ、というつぶやきを漏らした玉城に紙くずを投げつけるのもしっかり忘れず、カレンは炊事の手伝いに加わった。

 

 

 

 新総督のフジの慰霊訪問への襲撃作戦にまっさきに不満を口にしたのは卜部だった。

「それ、確実に『俺の』月下使い潰しますよね?」

 実のところ航空艦で移動する最中を襲撃する案そのものに、卜部とてさほど反対する理由はない。そして所詮ナイトメアフレームも道具である。時として使い潰すのも必要な場面はあるだろう。とはいえ、この一年辛苦を共にしてきた機体なのだ、こだわりがないと言ったら嘘になる。

「俺は卜部のこだわりはどうでもいいけど、洋上で襲撃かけるのはずいぶん博打が過ぎるんじゃないのかな。いや本当に卜部のこだわりは心底どうでもいいけど」

『イエー朝比奈さん超正論ー』

「うるせえ馬鹿野郎、月下かっけえだろ悪いかこの野郎」

 うっかり『声』と朝比奈をまとめて罵ってから卜部は失態に気づいた。

 まじまじと自分を見る藤堂とばっちり目が合う。その横では仙波が青筋を浮かべながらの笑顔をこちらに向けている。千葉の様子は見たくもない、見る前からわかっている。

 扇が目を丸くしているのはなかなか新鮮な反応だ。

 いや変なところで感銘を受けている場合ではない。

 卜部はこれまで、多少粗い言葉を使うことがあっても藤堂の前ではそれなりに気をつけていた。それがこの一年、わがまま放題の魔女に、人をおっさん呼ばわりするカレンに、さりげなくホイホイなんでも投げてくるナナリーらに囲まれ、頭の中のアホというおまけ付きの生活でつい気が緩んでしまっていた。

 さらにいえば朝比奈相手に払う敬意がないのも拍車をかけた。朝比奈とは元々そんな間柄である。

「卜部、ずいぶん苦労をかけてしまったようで、すまない……」

『なんでこの人、時々微妙にこう……』

 言ってくれるな頼むから。

 藤堂の斜め上のオカンの如き憂い顔に『声』につっこむこともできず、身を縮こめることしかできない。

 その肩を叩くものがいる。恐る恐る目を向ければ案の定千葉である。

「……後でちょっと話そうな」

 美人なだけに、ものすごく目が怖い。

「漫才はそれくらいにしていただいて、こちらの物資の受け取りの都合もありますし……洋上の方が向こうも想定していない分、目があると思うんです」

 少女に漫才の一言で片付けられ引きつった笑いを浮かべた卜部を横目に、仙波がそっとため息をついた。四聖剣が虚名に過ぎる。

「とはいえ例の紅蓮の新装備を受け取る前提というのは……」

 言葉を濁した扇も、朝比奈といわんとするところは同じだ。もっとも彼の場合は、身内同然の少女の役割が博打めいているせいもあるだろう。

 良くも悪くも普通の感覚でものを言う男なのだ。

「ラウンズが三名、これから赴任するという情報があります。総督に直接アプローチをかけるならおそらくこれが最大のチャンスでしょう」

 千葉に抑えられ、逃げることもままならない卜部に、ちらりとナナリーが顔を向けた。癪ではあるが、ラウンズについては『声』の警告からつかむことができた情報である。

「ランスロットにトリスタン、モルドレッド……どれもフロートユニット装備だったな」

 藤堂の声に卜部は渋い顔をする。

「トリスタンは下手すると、単機で洋上から合流できる機動力がありますよ」

 今エリア内でルルーシュ新総督の警護に当たっているのは、ブラックリベリオンで命を落としたダールトンの義理の息子らである。彼らも侮れない実力ではあるが、判断や指揮に柔軟性に欠けるきらいがあるので、付け入る隙はないわけでもない。

 だが、ここにナイツ・オブ・ラウンズが加わるとなれば話は別だ。特に枢木スザク、かつてのユーフェミアの騎士だった男は確実に脅威となる。

 そして作戦上ではトリスタンという不確定要素が懸案だった。

 藤堂は卜部に目を向ける。

「ジノ・ヴァインベルグか……来ると思うか?」

「好奇心が強いんで、間に合いそうだと判断したら突っ込んできますよ。残りの二人も来るでしょうが、なにしろ機体のスピードが違うんで」

 これは『声』の受け売りだ。『声』にしてみれば、現れることがわかっていれば多少用心もできるだろうという希望的観測を込めての忠告だったのだが。

 卜部の言葉をナナリーが次ぐ。

「まず、用心すべきはやはりトリスタンでしょうね。機体性能からも確かに彼らの予想航行ルートからこちらの作戦行動時間内に現れる可能性があります。それに卜部さんのおっしゃる通りの人となりなら、間違いなくやって来るでしょう」

 短期で実行と撤収。それだけでも大博打であるが、さらにラウンズが最低限一人は付いてくるという。今までのナナリーらしからぬ、勇み足にも思える提案だった。

「リスクは大きいが、総督の防備がここまで薄いのも今だけか……」

 顎に手をやり藤堂はわずかに眉間のしわを深める。

 藤堂にとって、()()の目的が兄であることはわかる。そしてエリア11の総督の身柄を確保することは自分たちにとっても利益がある。

 前任者のカラレスなどではこうはいかない。あれだけメディアに喧伝された『皇族の総督』だからこその価値がある。

 理は通っている。

 だが、先日の領事館の一件以来、藤堂はこの少女に対してどこか信用しきれないものを感じていた。そしてもう一点、確かめておかねばならないことがあった。

 だが、それはこの場で口にすべきことではない。

「仙波、紅月抜きで突撃部隊の人選を頼む」

「珍しいよね、あの子が後詰とか」

 朝比奈に苦笑いで返す扇の姿を横目に、ナナリーという少女への疑問をこの場でぶつけることはこらえて藤堂は賭けに乗った。

 

 

 

 車椅子を手に入れてから、ナナリーは一人で動ける時は動くように気をつけていた。

 かつての学園暮らしは恵まれすぎていたのだ。そうではない状況に陥った時に、多少なりともどうにかできる方法を増やしておくに越したことはない。

「ナナリーくん、少しいいだろうか」

 落ち着いた声は藤堂のもので、彼女はやはりと思う。

 ここ何日かの『ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア』の報道は、彼ならば確実に疑問を持つのは間違いなかったからだ。

 それに、聡い男である。自分の行動に対して何か引っかかりを感じたとしても不思議ではない。

「ここで、お話しされても大丈夫でしょうか」

 彼女の感覚は藤堂以外の気配はないことを伝える。だが、通路である以上誰かが通りかかる危険はあった。

「そうだな、少し場所を移そう。椅子は私が押しても?」

 こんなことに気を使う藤堂は、八年前とあまり印象が変わらない。道場で稽古をつけている時以外は不器用ながらも子供に甘い大人だった。

 知らず知らずのうちにナナリーは微笑みを浮かべていた。

 こういうところは、嫌いではない。

「ありがとうございます、お願いいたします」

 

 

 

 千葉の小言から解放された卜部はぐったりとだらしなく椅子にのびていた。

 朝比奈などは彼女が藤堂を軽んじる者にことさらきついのは恋情故のことだというが、卜部からするとそこまで整理のついたものではない気がしている。

 あれはもっと未分化の、全部ないまぜになったものだろう。

 しかし、そこから被るお小言は別ものだ。実際に食らうと気が滅入る。

 今回は自分の落ち度でもあるからなおさらである。

 共用のスペースだというのに他に人の姿がないのは、卜部を見て引き返す者がほとんどだからである。なにしろいかにも愚痴に巻き込まれそうな瘴気が漂っているのだ。誰だって巻き込まれたくはない。

 そんな周囲の事情はつゆ知らず、卜部はだらしない姿勢のまま空を仰いだ。

『ああいう時はね、なんとなーく悟られない程度におっぱいだけ見ていればいいんだよ』

「拾った命がもういっぺん転がり落ちるっつうのこの馬鹿野郎」

 自分が説教を受けている間、『声』が千葉が腕を組み替えるたびに『ヒュー!!』などとよくわからない歓声を上げていた理由が察せられて疲れがどっと増える。自分の生死以外のことに関しては、『声』は基本的に人ごととしてはしゃいでいるので鬱陶しい。

 それでも多少は役に立っている。先ほどのラウンズの機体にしてもその名称と武装からナナリーが情報を見つけ手に入れていた。それぞれの人となりについても、知っているのといないのとでは大違いだ。

 情報は、力だ。

 とはいえ頭の痛いことが一つある。

「卜部、もう千葉の話は終わったのか」

 予期していなかったといえば嘘になる。

 果たして、顔を上げた先にはあまり浮かない顔の藤堂がいた。

「俺は、()()()()()しかわからないですよ」

 わずかに表情を緩めた藤堂が共用の茶を取りに行く。しまったと思う間もない。

 慌てて腰を浮かしかけた卜部を軽く手で制して藤堂は茶を淹れながら口を開いた。

「お前の『情報源』については今のところはいい」

 なんとなくだがと、わずかに笑いめいたものがその顔に浮かぶ。

「お前自身、扱いに困っているようだからな」

『さすが四聖剣のおかーさん』

 なんてこと言いやがる。罵倒をぐぐっと堪えて卜部はへらりと曖昧な笑みで返した。実のところ真実を口にした場合、藤堂は医者にかかることを勧めてくるだろうし、朝比奈あたりは指差して大笑いするのが目に見えている。

 笑いをおさめ、藤堂の目がわずかにさまよった。

「ひとつ、確認したいことがある」

 表情は穏やかだが、ためらいが見える。藤堂にしては珍しい。

「……お前や紅月のいう通り、記憶を操作できる者、感覚を止める者がいるとしたら」

「後者はこの前やりあったばかりですよ、できれば二度と相手にしたくはないですね」

 来るとわかっていたからあの備えができたのだ。不意打ちでもされれば次はないという自覚はある。

 思い出して苦い顔になった卜部の前に、茶が置かれた。

「記憶の方は、まさしく今のルルーシュ・ヴィ・ブリタニアだな」

 対面の椅子に腰掛け藤堂は視線を落とす。

「私が知るルルーシュという子供にはナナリーという名の妹がいたが、弟はいなかった」

 大したこともしていない、八年前の自分はただの傍観者だった。それでも幼い兄妹がそこにいたことは覚えている。

 藤堂の記憶に、ロロ・ヴィ・ブリタニアという子供はいない。

「まあいい、問題はそこからだ。ならば、他にも異能の力を持った者がいるのではないか──例えば一年前のチョウフで()の前に現れたあの、ゼロ」

『やっぱ、そう思うよなあ……』

 不意の『声』に卜部はわずかに身動ぐ。

 一年前、ゼロへ何かを問い詰めに行ったあの時の──奇妙な記憶の欠落。

 あのやりとりの直後、明らかに『声』は何かを知っていながら口を閉ざした。

「……ええと、中佐はゼロに会って、その、急に記憶が欠けたことがあるんですか」

 藤堂の目つきがわずかに鋭さを増したが、湯飲みから立ち上る湯気を目で追っていた卜部は気づけなかった。

「卜部、お前は……そうだな、ユーフェミア・リ・ブリタニアの乱心をどう思う」

 式典の会場に転がっていた無数の死体を思い出し、卜部はわずかに顔をしかめる。だが、藤堂が聞いているのはそういうことではないのだろう。

「俺たちには『好都合』でした、か」

 藤堂の言わんとするところを察し、知らず歯を食いしばっていた。

 手品には必ずタネがあるものだ。奇跡にも、タネがあるとしたら。

「あの妙な機動兵器とスザクくんがいなければ、それこそうまくことは運んでいただろうが、そういう意味では万能ではないのかもしれんな」

 冗談めかして言い、藤堂はわずかに表情を緩めた。

「さっきの問いだが、私にはゼロがいる場での記憶の欠落はない。もしそれが証だというのなら、おそらく使い所は絞っていたのだろう」

 藤堂が茶を一口飲む。そういえばせっかく淹れてもらいながら自分は口をつけていない。なんとなく勿体無いような気がしながらも卜部も茶を飲む。

 どうということのないほうじ茶だ。それでもそのちょうどいい暖かさで少し緊張が抜ける。

()()()()を奪還できた場合は用心がいるでしょうが……」

「そもそも成功するかどうか、博打だ」

 ゼロに異能の力があったとして、そして現状があるにしてもだ。

 起きてしまったことや起こしてしまったことはひっくり返せない。

 ユーフェミアは虐殺皇女であり、ブラックリベリオンは失敗した。

 そして不安だらけで洋上の襲撃作戦である、藤堂にしても賭けなのだろう。

 賭けついでに卜部は湯呑みを置いて顔をあげた。

「ところで中佐、俺の月下」

「お前はナナリーくんと無頼だ、諦めろ」

 駄目だった。

 

 案外あっさりした反応に『声』は拍子抜けしていた。彼はアニメとしてのこの世界の物語しか知らない。その中ではゼロが異能の力を持っていることは、忌むべきものとして排斥されていた。

 カレンはともかくとして、今の藤堂の反応はせいぜいちょっとした疑問の答え合せくらいの感覚にしか見えない。もちろん『声』は卜部と違って藤堂についてさほど知っていることなどない。表面上の態度とは裏腹にあれこれ思っているのかもしれないが、それこそ見当もつかないことだ。

 ゼロ奪還の失敗、領事館でのナナリーの扇動、それにこの藤堂のギアスに対する反応。

 ある程度の事象はともかく、自分の知る物語の知識は、死を避ける上であまり優位を持てなくなっているのではないか。

 藤堂と卜部が和やかに語らう一方、『声』は徐々に不安を感じ始めていた。

 

 

 

 

 

 

 輸送機に吊るされた無頼の中で卜部はある一点を睨みつけていた。

「なんで、よりにもよって玉城なんだ………」

 視線の先には輸送機に吊るされた月下の姿がある。卜部が慣れ親しんできたそれのコクピットブロックに収まっているのは、お調子者の団員玉城である。

 さようなら俺の月下、確かにガタはきていたけどお前は本当にいいやつで、多分初恋だった。これは言い過ぎだ、初恋ってどこから出てきた。

〈カナリアが目立たなかったら役にたたんだろうが〉

 繋がっていた通信から仙波の無情な声が響く。さりげなく玉城にも薄情なのだが、そこには頓着しない卜部だった。

「まあ、中佐に随伴するのがまさか素人に毛が生えたような奴とは誰も思わんだろうが、それにしたってなあ」

「新しい機体が待ってるんですから、いいじゃないですか」

 からりと明るくナナリーが言う。先だってのバベルタワー同様彼女は膝に乗っている。今回は卜部の、である。

「参謀がわざわざ前線に出る意味がわからん……」

『俺はこのポジション超サイッコー!!』

 少し前は変に元気がないと思ったら今日はこれだ。玉城といい『声』といい、地味に卜部の気力を奪っていく。

「私、参謀なんて大それた立場じゃありません」

 しゃあしゃあとナナリーは言うが、総督の乗った航空艦の航路に加え、その警備体制を探り出したのは彼女である。そこから藤堂や仙波らが肉付けをしていったのは確かだが、総督への接触、あわよくば奪取を提案したのだって彼女だ。

「はいはい、俺はおとなしく『お兄さま』のところまでエスコートいたしますよ」

「頼りにしてます、卜部さん」

 にこりと笑うナナリーに、先日の扇動家じみた不穏さはない。心なしかはしゃいでいるようにさえ見えるのは、やはり兄との再会を期待してのものなのだろうか。

『安全運転でお願いしまーす』

 なるように、なれ、か。

 お客を()()乗せた道行きに卜部はふっと息を吐くと無頼の操縦桿を握った。

 

 

 

 団員の何機かは離脱したものの、主だった顔ぶれが護衛艦を落としギルフォードらの護衛部隊と戦闘に入ったの見届けると、卜部はナナリーを折りたたみ式の車椅子に乗せて艦内を進んでいた。

 面食らったのはいつの間にか部隊に紛れていたC.C.の存在だった。ちゃっかりと卜部らに続いてゼロの扮装で付いてきたのだから焦るなという方が無理な話だ。

「いえ、私はお願いしていましたよ?」

 既定路線ですよと言わんばかりのナナリーの態度に、なんとなく犯人に察しがついた卜部は唸った。

「朝比奈の野郎、絶対面白がって黙ってたな……」

 こういう時に茶々を入れてきそうな『声』はおとなしい。C.C.を用心しているのだろう。

「仲良いなお前ら」

 仮面の奥で絶対に小馬鹿にした笑顔を浮かべているであろう女に、どこがと言い返したい気持ちをぐっとこらえて先を急いだのはいうまでもない。

 

 

 

 内部に侵入してからは、ほぼナナリーの独壇場だった。

 新たに受け取った物資に入っていたのだろうか、いくらか小ぶりになった端末は見かけとは裏腹に今までとは比べ物にならない速さでネットワークに侵入し、掌握していく。

 だからといって卜部のすることがなくなったわけではない。

「では扉の向こう……三人ですね、お任せします」

 にこやかに告げられると同時に隔壁が開く。

 その先でポカンとする男を素早く蹴たおし、もう一方は殴り、最後の一人は銃を取り出しかけたところにナイフを投げつけ、動きが止まった三者に銃でとどめを刺す。

 一通り終えナイフを回収してから卜部は小さく息を吐いた。

「頼む、そういうのはもう少し早いタイミングで言ってくれ」

「やればできる子だろお前は」

 カツカツと靴音をさせながら遅れて現れたのはC.C.だった。

 入ってからはずっとこの調子である。隔壁を次々とこともなげに開けていくナナリーの技能は凄まじいのだが、その先にいる人間に関してはひたすら卜部が黙らせる役目だ。

 C.C.も多少なりとも動けることを知っている身としては、一番彼女がサボっているように見えて仕方がないのだが、本人にやる気がないのだから仕方がない。

「さて、お兄さまと久しぶりの対面ですわ」

「上も派手にやってるみたいだからな、さっさと行きますかね」

 艦の振動が徐々に派手になっている。急いだ方がいいのは間違いないだろう。

 軽く肩をすくめながら卜部はナナリーを車椅子から抱き上げる。コントロールを失いかけている艦では、もうこの方が早い。

 ルルーシュとやらの反応がどうなるかは神のみぞ知る、だ。

 それともう一つ、カレンの新しい翼がちゃんと定刻に現れるかどうか、これとて結局運任せである。卜部にとって、このナナリーという少女はとんでもない博徒に他ならなかった。

 

 

 

 次々とモニター上に表示されるパネルはすべて、カレンの翼が万全であり紅蓮という機体が生まれ変わった証だ。

 これからは、このすべてが紅蓮の力になる。

 カレンの顔に知らず笑みが浮かんでいた。

〈さーて、そろそろお迎えの時間だねぇ〉

 通信越しの声に、改めて操縦系を確かめる。

「ナナリーも、無理難題言ってくれるんだから……」

 浮上した潜水艦の上部ハッチが開き、青空が広がる。

 いよいよ、あの空を紅蓮と自分が駆け上がるのだ。

 日は、また昇る──そんなカレンの感慨を吹き飛ばすような言葉が紅蓮の母から放たれた。

〈あ、後数分であの船落ちるわ〉

 だからなんであの子の作戦はこうも猶予というものがないのだ。

「いいいいい今すぐ行ってきます!!」

 赤い機体が勢いよく空へ飛び出す。

 最初に思い描いていた爽快感とはかけ離れた慌ただしさで。

「頑張ってねぇ〜その子、ロイドのオモチャなんか目じゃないんだから」

 ラクシャータ・チャウラーは煙管をくゆらせながら飛び立った我が子へ手を振った。

 

 

 

 いくら指揮を取るものが優秀でも、末端に生まれた恐怖心を完全に制御するのはたやすいことではない。藤堂は己が誘いをかけたとはいえあまりにも相手が易々と乗ってしまったことで、指揮に当たっているギルフォードに少し同情した。

「まさかこうも素直に自分の艦を撃ってくれるとはな」

 艦橋間近に迫ったナイトメアに恐慌にかられた誰かが放ったらしき一撃は、左翼を撃ち艦を傾けている。

 撹乱のつもりがやり過ぎの感もある。まだ内部に侵入した彼らは戻った気配はない。

 いくら()()()()()()()()()()()()()()()とはいえ、短過ぎては意味がない。

「まあ、紅月が時間通りに来てくれれば間に合うか……」

 つぶやきながらハーケンを器用に使い藤堂は一気に航空艦の上に出る。

 上で待機していた玉城が合流する姿に、悪いと思いながらも藤堂は意外な思いを抱いた。

 待っている間にとっくに破損させて離脱しているかと思った、などと言えばこれで案外泣きもろいこの男は本気で泣き出しかねない。笑みだけにとどめ、藤堂は迫っていた敵機のハーケンを振り向きながら横滑りに走りすべて躱していく。

「直接やり合うのは一年ぶりだなギルフォード」

 フロートユニットを備えた紫の機体が勢いよく迫る。

 時間まで粘れば良いだけの自分は気楽だ。艦を落とされる焦りで動きに粗があるギルフォードに藤堂は皮肉げな笑みを受かべ相対した。

 

 

 

 一方で玉城は生きた心地がしなかった。不安定な足場で楽しげにブリタニアのナイトメアをあしらう藤堂の気が知れない。

 この艦は確実に落ちる。おろおろするばかりでどんどん藤堂とも離れていく。

 いや、藤堂は戦闘の真っ最中なのだから離れていた方がマシだ。

「やっぱ空も飛べねえナイトメアでこんなとこ上がるのが無理なんだよぉ……」

 とうとう泣き言がもれた。こうなってくると輸送機でとうに離脱している扇たちが恨めしい。どこも壊れてなどいないが、もう逃げ出してしまおうか。

 完全に弱気にとりつかれた玉城に、ある意味救いの神が唐突に現れた。

「なんだぁ!?」

 衝撃で機体が一気にバランスを失い傾いた航空艦の上を滑り落ちていく。その先は空と海が広がっていた。モニタ上のいたるところに表示された警告が脱出を促す中で、玉城は呆然と()()を見上げた。

 話にはきいていた。飛行形態では、おそらく単機で到達できる速度を持ったナイトメアがいると。

 大破した月下から排出されたコクピットブロックの中で、玉城は呆然と呟いた。

「あれが、ラウンズ……」

 子供が思い描く「ロボット」の色彩のそれは一顧だにせず次の獲物へ向かっていき、玉城の視界から消えた。

 

 

 

 カナリアが、鳴いた。

 玉城の月下から何かに驚いたような声が上がった瞬間に、四聖剣が一、千葉凪沙は藤堂機の元へ走った。

 仙波は護衛艦と護衛のナイトメアを何機か落とした時点で機体が損傷し離脱している。朝比奈は距離がある。

 自分が藤堂に一番近い。

 猶予はない、すでに藤堂は指揮官機と交戦中のはずだ。

 走る千葉はふと思う。

 朝比奈などに時折揶揄されるものは、恋情なのか。

 藤堂へのそれが、恋情なのか敬愛なのか単なる依存なのか、考えても結論が出たことは一度もなかった。

 だが、これだけは確かなことが一つある。

 藤堂鏡志朗という存在を失うことなど、自分は耐えられない。

 たとえ身の破滅を招いても、だ。

 千葉凪沙の月下は戦場を駆け──藤堂の月下の姿を見つけほっと息を吐き、次にそれに気がついた。

 戦闘機を派手にしたような外観のそれは半ば突っ込むように艦上に現れ、玉城の月下を弾き飛ばしそのまま艦上から突き落とす。

 千葉が聞かされた通りにそれは素早く変形し、ナイトメアフレームへと姿を変えた。

 トリスタン、ナイト・オブ・スリーのジノ・ヴァインベルグの可変機能を持つナイトメアフレーム。

 紫の指揮官機と交戦中の藤堂も存在に気づいたのか、構えを変える。

 だが、あれでは間に合わない。

 

 咄嗟に動いた瞬間、彼女は自分の感情が何かなど微塵も考えなかった。

 

 

 

 藤堂の目に、すべてが不思議なほどゆっくりと見えた。

 突然現れたナイトメアからの、大型のスラッシュハーケン。

 回避は間に合わない。

 視界を遮った見慣れた浅葱色の機体。

 それが貫かれ、爆発する瞬間、引き抜かれた敵機のハーケンに付着した──赤い、色。

 

 とっさに牽制の射撃を加え、相手の動きにほんのわずかでも隙ができた瞬間にハーケンを駆使して一気に距離を取る。

 オープンチャンネルでギルフォードがなじる声も遠い。

 ラウンズの脅威を忘れたわけではなかった。機体こそ一年前とは違うものとはいえ、あのブラックリベリオンの増援に現れた彼らは、確かに円卓の騎士を名乗るだけの力を持っていたのだ。

 

 消えた機体信号は、解放戦線時代からの部下である千葉のものだった。

 千葉が、死んだ。

 これまで部下の死は嫌になるほど目にしてきた藤堂は、自分が半ば呆然としていること自体に驚きを感じていた。

 それでも月下は立ち止まらない。頭とは別物のように、トリスタンとヴィンセントを相手どりハーケンを、刃を、機銃を駆使して距離を取り、躱し、防戦一方でありながらもますます不安定になる航空艦の上を駆け巡る。

 止まってしまえば、事実に捕まってしまいそうだった。

 

 自分にとって、彼女はなんだったのだろうか。

 千葉が自分に対してなにがしかの感情を抱いていることには、藤堂自身も気づいてはいた。

 だが、自分はどうだった。

 失ってしまったことで、かえって答えが見えなくなってしまっていた。

 そして、答えが出たところでどうしようもない。

 千葉凪沙は、死んだのだ。

 

 事実が、藤堂の動きをわずかに止めた。

 

「終わりだ、藤堂!!」

 ギルフォードの声とともに、月下の腕が斬り飛ばされた。退路は既にトリスタンが塞いでいる。詰みだった。

 いくら藤堂が戦い慣れていてもただでさえ苦戦する相手が二人もおり、機体の性能差は比べるまでもない状況だ。

 ここまでもった方が、異常と言えた。

「千葉、犬死させてすまんな……」

 自らを嘲る笑いは自然と浮かんでいた。

 ふと、少女との密約を思い出す。

 『あのゼロを取り戻さないこと』、それはこの作戦に従事する者すべてへの裏切りだ。

 だが藤堂にとって、得体の知れない力を持った者が君臨するよりは無害化されて鳥籠に収まってくれていた方がマシに思えた。

 己の意思に反して虐殺へ突き動かされたであろうユーフェミアの二の舞になるのはごめんだった。

 だから少女の共犯者となった、そのこと自体に後悔はない。

 しかし部下を死なせ今まさに終わろうとしている以上、それらは滑稽にも裏切りにすらならずに潰えるのだ。

 それでも、と思う意思が藤堂には残っていた。

 ──せめて、一矢。

 藤堂がコンソールに起爆のコードを打ち込もうとした瞬間だった。

 

 赤い疾風が、駆け抜けた。

 




前後編になってしまいました。


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輝く紅、その名は。

 一瞬だった。

 ギルフォードは己の目を疑った。

 ヴィンセントがランスを構えた右腕から泡立つように歪んでいく。

 彼はそれがなんであるか、知っていた。

「……申し訳ありません、姫様!!」

 右腕のパージは間に合わない、全体に損傷がまわりきる前に脱出機構を作動させる。

 音を立ててコクピットブロックが射出されると同時に機体が爆散する、際どいタイミングだった。

 判断が遅れていたら、機体もろとも焼き殺されていただろう。

 ギルフォードは、爆発したヴィンセントのあげる煙に向うの赤い機体を忌々しげに睨んだ。

「黒の騎士団、奴らもフロートユニットを手に入れていたか……!!」

 

 ジノ・ヴァインベルグはその赤を目にした瞬間、それまで追っていたイツクシマのトードーの存在も、離脱したギルフォード卿のことも忘れた。

 やっと、ここまできた甲斐のある相手が現れた、そんな直感があった。

「さあ楽しもうじゃないか!!」

 MVSを長槍に持ち替え、滑るように赤い機体に迫り振り下ろす。

 赤い機体は足場の悪さも物ともせず、ランドスピナーで器用に避けハーケンを放ってくる。

 機体ではなくMVSを狙っている。

 ジノは素早く距離を取った。さらに機銃の追い打ちに下がりながら、あの機体はあくまでも味方機から自分を遠ざけていたのだと気づかされる。

「片手間か、つれないなあ」

 それにしても、腕がいい。移動も牽制もジノが直線ではあの片腕を失った機体には近づけない位置に追い込んでいるのだ。

 頭が切れるのか、勘がいいのか、どちらにしてもイレブンというものへの見方が変わった。

 

 藤堂の機体は右腕にかけての損傷がひどいが、コクピットは無事だ。

 生きている。

 ほっとしつつもカレンは慌ただしく通信を送る。

「藤堂さん!! 離脱してください、脱出機構は動きますか!?」

〈……すまない紅月、彼女たちを頼む〉

 返ってきた声はいつもとは違う硬い声ではあったが、コクピットブロックは正常に射出され海上へ向かって落ちていく。

 警戒はしていたものの邪魔が入らなかったことに安堵し、あらためてカレンはブリタニアのナイトメアの様子をうかがった。

「あいつ、なんのつもりよ」

 トリスタンといったか、そのナイトメアが待ってやったと言わんばかりに、物陰から姿を現し構えを取る。

 その武装に血がこびりついているのに気づき、カレンに嫌悪が走った。

 藤堂のいつもと違った声音、駆けつける直前に消えた味方機の識別信号。

 厳しさの中に、時折藤堂へなにがしかの思いのこもった目を向ける女性の面影が浮かんで、消えた。

 こいつが、このふざけた態度の()()()()()が。

「ああそう遊びなわけね、『イレブン』殺しは楽しい楽しいお遊戯ってわけね!!」

 もう遠慮はいらない。さっさと片付けてナナリーたちを迎えに行く、それだけだ。

 ラウンズだろうが関係ない、この紅蓮で押し通るのだ。

 

 

 

 ロロはため息をついた。兄は庭園ブロックに押し込められてから動こうとしない。文官にはさっさと脱出を指示して追い出した上で、である。

「あのね兄さん、確かに僕のヴィンセントだってあるよ、けどもう逃げた方がいいことに変わりないんだけど」

「なぜだロロ、どう考えてもこの隔壁を開けてる連中はゼロじゃないか」

 記憶操作は大まかな書き換えは任意とはいえ、細かな食い違いはその本人が無意識のうちに辻褄を合わせてしまう。その影響だろうか、今回の操作後の兄はゼロに対して何かこだわりがあるようだった。

「余計困ります殿下、いいですか荒事は私に任せていただきたい」

 ヴィレッタは仕事一途で真面目だ。ロロは内心ちょっとだけ見直していた。

 あれだけ兄が強気で押し切っても、頑として動かず残っているのだから。

 もちろんC.C.の確保という目的があるからこそだが、ここまで居残るとは流石に思ってはいなかった。

「はいはい、いざとなったらお任せしますよヴィレッタ先生」

「それは学校での仮の……ああもう、とにかく連中の顔を見るだけだぞ! いいな!?」

 やはり一年間は短いようで長かったのだろう、ヴィレッタの態度には時折こういったちぐはぐさが出る。といってもルルーシュも教師の顔が出ている時のヴィレッタが嫌いではないらしい。堅苦しさがないぶん気楽なのかもしれない。

 しかしローマイヤといったか、あの女官がこの場に残っていたらえらい剣幕でヴィレッタに食ってかかっていたかもしれない。ロロは彼女を思い出し少し憮然とする。

 あれは明らかに兄に絆されている。

 無理はない部分もある。何しろゼロであった時の険はなく、身分を偽っている緊張もないルルーシュは、多少プライドの高さをうかがわせるもののえらく人当たりが柔らかい。

 その上総督としての職務の飲み込みも早く、かつ、お飾りの人形どまりではない頭を持っている。

 これが嚮団の仕込みではなく正真正銘の事実であったなら、彼女にとってどれだけ幸福なことだったろうか。

 とはいえ不満なものは不満である。

 兄が優しいのはできれば自分だけであってほしい。

 いや、これはいくらなんでも欲深すぎるか。

 んんっと咳払いで邪念を振り払い、明らかに不安定になりつつある艦の中でロロはゼロが現れるのを待っていた。

 

 

 

 赤い機体は苛烈だった。

 速さには自負があったジノにとって、初めて見る速さと、そして激しさで攻め立てて来るこの敵は未知のものだ。

「参ったな……スザク並みじゃないか」

 気づけば自分が追い立てられ艦上から弾き飛ばされたいた。

 本気でいくべきか──判断に迷った瞬間、赤黒い閃光が頭上を走る。

「アーニャ!! もう追いついたのか」

 同じラウンズのアーニャ・アールストレイムのナイトメア、モルドレッドの姿がそこにはあった。

〈なにあいつ…〉

 その同僚の不機嫌な声に射線の先を見る。ある程度は直撃を避けたのだろうが件の輻射波動による障壁か、赤い機体は無傷で飛び出して来る。

「ラウンズ二人に真っ向勝負か、いい度胸じゃないか!! ますます気に入った!!」

 速さに特化したトリスタン、一方は防御と火力に特化したモルドレッド。

 それを相手取って退かないのはただの蛮勇にも見えた。

〈ジノうるさい〉

 赤い矢が駆け抜ける。舞台が空となってもやはり速い。

「だが私たち二機なら!!」

 瞬間だった、赤い機体の後部から何かが多数発射される。

〈なに? 全部外れ〉

 拍子抜けしたような声が終わりきらないうちだった。

 それらが一斉に連結しなんらかの力場を形成する。

 たちまち機体のコントロールが失われていく。

「くそっ!! 例のゲフィオンディスターバーとやらか!!」

 赤い機体はそれ以上攻撃するでもなく、加速して艦の後部へ向かっていく。

「あいつナイトメアで総督を襲う気か!?」

〈そっちはスザクが行ってる……問題は私たち〉

 はやる気持ちに水をかけられ、ジノはうなだれた。

「はい……」

 

 

 

 開いた隔壁の向こうに立つ人影に、ルルーシュはやはりと思う。

 ゼロ、黒の騎士団のトップ、死んだはずの男。

 この男を相手に自分は()()()()()()()()を償うための一歩を踏み出さなければならない。ロロとヴィレッタに目配せする。

 相手がよほど何かを仕掛けてこない限り手出しはするなと言い含めてあったが、それでも念には念をだ。

 両者ともに何かあればかけつけるだろうが、とりあえず動く気配はない。

 あらためて決意を込めた眼差しでゼロを見たルルーシュは、その横にスッと視線を動かし、顔を強張らせた。

 少女である。

 ふわふわとした髪を肩より少し上に切りそろえたその少女になぜか胸がしめつけられるような感傷を覚えた瞬間、彼女がやけに背の高い男に抱えられていることに気がついた。

 ナイトメアのパイロットスーツらしき服はその男も黒の騎士団の一員であることを示しているのだが、そんなことはどうでもよかった。

 なぜかわからないが、あの少女を男が抱えているという、それ自体が無性に苛だたしい。いや、苛だたしいを通り越している。

 死ね、ていうか死ね。お前何様のつもりだふざけるな死ね、彼女はお前ごときが、いやとにかく死ね今すぐ死ね。

 ヒートアップしかけたところでルルーシュは我に返った。

 面識もないロリコン男になぜここまで熱くならなければいけない。

 今考えるべきはゼロだ、ゼロである。

 とはいえ知らず知らずのうちに、気づくとあの男を睨んでしまうのをやめられなかった。

 理由はよくわからない、仕方がないものは仕方がない。

 

 卜部は蛇に睨まれたカエルの気分に陥った。

 睨んでいる。

 どう考えても皇族の総督として仕立て上げられた『ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア』は、卜部を睨みつけている。

 なんでだ、C.C.もといゼロは良くてなんで俺が睨まれる。

『ねえほんとにルルーシュの記憶なくなってんの? めちゃくちゃ怖いんですけど』

 俺だって怖えよ馬鹿野郎。

 卜部は冷や汗混じりで『声』を黙殺する。

 殺気丸出しの視線をいきなり浴びせられるのははっきり言って、嫌なものである。

 ましてや相手は記憶を変えられていても、本物のゼロである。

 ナナリーを抱えたまま固まる『声』と卜部をよそに、ゼロに扮したC.C.が口を開く。

「初めましてルルーシュ総督、今日はあなたを迎えに参上した」

 

 それはゼロの声音であろうとも、たしかにC.C.の本音の言葉だった。

 バベルタワーでの「ルルーシュ・ランペルージ」との接触の失敗、あれから大して日は経っていない。それでもやっと、という思いが強かった。

 やっと、自分は共犯者を取り戻せるのだと一歩踏み出したその瞬間だった。

「やはり、力づくですか」

 かつて彼女が魔女ならば魔王になると言った少年の言葉に、C.C.の足が止まった。

「ゼロ、力で道を切り開くあなたのやり方を完全に否定する気は無い」

 言葉を切り皮肉げな笑顔をルルーシュが浮かべる。

「なにしろ我らが神聖ブリタニアの国是ときたら『弱肉強食』だ、人のことは言えん」

 ルルーシュの言葉は不思議と周囲を飲む。

 それはゼロとしての経験がそうさせているのか。

 だがそこにゼロが持っていた苛烈さはない。

 C.C.は見たことがないルルーシュの姿に、打つ手を見失いかけていた。

「それでも敢えて言おう。日本人を救うのならば、我々はもっと違う道を選べるはずだ」

「ほう、新総督殿は日本人を救うおつもりか」

 やっと挟んだ声は、ゼロらしく振る舞えただろうか。

 彼女の困惑をよそに、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアは優雅に笑んだ。

「私のやり方ではありませんがね……かつて潰えた、ユーフェミア・リ・ブリタニアの優しい願いを叶えるために」

 

 耳を疑ったのは、C.C.たちだけではない。ヴィレッタもロロも思わぬ名に驚嘆を隠せなかった。

「馬鹿な! あの虐殺皇女の願いだと!?」

 C.C.はユーフェミアという少女が本来虐殺に走る謂れなどなかったことは知っている。

 それでも理解不能だった。今のルルーシュが、何を考えているのかまるでわからない。

「違う、間違っているぞゼロ!! 彼女は虐殺など望まなかった!! ()()()()()()が彼女の道を、心を狂わせる原因を招いたんだ!!」

 辻褄合わせに何が起きたのか、ロロもヴィレッタも言葉を失っていた。

 ルルーシュは確かに自分を皇族だと思っている。ゼロとはならず、学園に身を潜め先だっての事件でその身が世に知れた。ここは合っている。

 だが、ブラックリベリオンの──ユーフェミアについては()()()()()()()

 

 『声』もまた、呆然としていた。

 メディアの報道の様子だと、ブラックリベリオンまでの『ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア』の行動はゼロであること以外はそのままとなっているようだった。

 そこにユーフェミアへのギアスの記憶はないはずだ。

 接点があるとすれば枢木スザクを通じての接触だろうが、そこで何があったことになっているのか。あるとするならば、特区宣言の場か。

 本来ならばあの瞬間、黒の騎士団を無力化されること、己が築き上げてきたものを奪われることにルルーシュは激しい怒りを覚えていた。

 だが、このルルーシュの中では()()()()()のか。

 

「ルルーシュ……お前は」

 ゼロからもれた、ゼロらしからぬつぶやきは混乱する彼らの耳には届かなかった。

「だからゼロ、これは私の身勝手だ、身勝手な贖罪だ。だが、力を貸して欲しい、ユーフェミアの……ユフィが描こうとした優しい世界のために」

 ルルーシュから差し伸べられた手を、C.C.は取ることができなかった。

 むしろ、後退っていた。

 とん、とナナリーを抱えた卜部にぶつかっても、呆然としていた。

「おにいさま……ユフィ姉様……」

 ナナリーの呟きも小さく弱々しい。雰囲気に飲まれていた卜部は、少女の体が震えていることにようやく気付いた。

 その瞬間だった。

 轟音が一帯に響き、激しく揺れる。

「きゃっ」

 小さく悲鳴をあげたナナリーを卜部は抱え直す。

 いくら日頃は悪魔じみたハッカーとはいえ、結局のところ彼女は子供なのだ。

 C.C.に目をやれば、どうにか立っているそんな有様だったが、事態はさらに動いた。

 外壁が破られた。

 一気に外へと空気が排出されていく中、それは姿を現わす。

 ブリタニアの白い悪魔、裏切りの騎士の名を冠した黒の騎士団の敵。

 

「ランスロット……!!」

 時間を取りすぎたか、卜部は内心で計算違いに焦った。

 ラウンズは来る、それはわかっていたが白兜が現れるまで時間をかける気はなかったのだ。

「くそ、じゃあモルドレッドも来てるってことか……!!」

 火力と装甲に特化したもう一機は、離脱の際に確実に大きな障害になる。

『アーニャちゃんは可愛いけどモルドレッドやだー!!』

 上がった悲鳴は卜部にとって余計な情報付きだった。

 前々から思っていたが、こいつ確実にロリコンだ。

《総督、こちらにお乗りください!! ロロ、君はヴィンセントでヴィレッタと脱出しろ!!》

 必死さをにじませた声は間違いなく枢木スザクのものだった。

「スザクさん、あなたがお兄様を守るというのですか……」

 少女の声の震えは怯えではない。

『あ、怒ってる……って無理ないわコレ』

 こればかりは卜部も『声』に同意である。一年前にキレにキレた枢木スザクの気持ちは今になってみればわからなくもないが、そもそもこのややこしい状況の主な原因はこいつである。

 とはいえ今やそれどころではない。

「おい、シー……ゼロ!! 吹っ飛ばされないように何かに……ああもう俺でもいいから掴まっとけ!!」

 片手でナナリーを抱え、もう一方で出入り口のわずかな突起に掴まりながらゼロの姿のC.C.に大声で呼びかける。

 それでも、不安定な足場で彼女はただ突っ立っているだけだ。

 一方でルルーシュをその手に乗せたランスロットは遠慮なく音を立てて離脱していく。

 さらに隔壁を内側から破って現れたヴィンセントは、おそらくロロという少年が遠隔操作で起動したのだろう。そちらも機密情報局の顔ぶれに混じっていた女を連れ続けて離脱する。

 卜部はじりじりと救援を待つしかない。

 頼みの綱である紅蓮は来る、必ずやって来る。

 紅月カレンはこの一年、そういう意味では期待を裏切らない女だった。

 だがそれ以前にこちらが風圧で艦外に放り出されてしまっては意味がない。

「悪いなナナリー、俺らもやばいかもしれん」

 掴まっていた方の手を離し、ナナリーを抱え直す。

「……いつもそうじゃないですか」

 卜部に掴まりなおした少女の強がるような声にどこかほっとさせられる。

 たちまち風圧で吹き飛ばされそうになるが、一歩、二歩と風に押されたたらを踏みながらもC.C.へ近づいていく。

 その時だった、二機の離脱で一気に動いた空気が彼らの体を巻き上げた。

『いーやー!! 死にたくなーい!!』

 大声で喚いた『声』に何か感じたのか、C.C.がこちらを向いた。

 伸ばした手が彼女に届き、その腕を掴んで引き寄せる。

 いや、だからといってどうなるというのだ。

 ただこのまま放り出されて死ぬだけだ。

 

《みんな、もう大丈夫だから!!》

 

 耳慣れた声が響き、ふわっと体が浮いてから硬い感触の上に落ちた。

 続けてぐっと二人分の重量と推進力の重みが卜部に加わる。

「お……重い」

『あ、禁句を』

 呻いた途端に遠慮のない拳が顔に、あまり大したことはないがぽかぽかと胸も叩かれる。

 あんまりではないだろうか。

 寝転がって二人を抱えたまま、大きなため息とともに卜部は救いの主を見上げた。

 赤いナイトメアフレーム、紅蓮可翔式。

「助かったよ紅月、死ぬかと思った」

 だがそれに応じた声はなかなかに激しい言葉を浴びせる。

《卜部さん、一気に加速しますんで二人を落とさないでくださいよ、ていうか落としたらぶっ殺しますからね!!》

 なぜ世界はこうも俺に厳しい。

『巧雪クンあの子になんかしたの』

「何もしてねえぞ俺は……」

 泣きたい気分で卜部はなぜか機嫌を損ね気味の女性陣を支えながら紅蓮に掴まる。

 加速する中、卜部は思った。

 なんで俺のまわりの女って、千葉といいこいつらといい、こういうのばっかなんだろう。

 

 

 

 ランスロットとヴィンセントが航空艦から飛び出し、さらに落ちる寸前になってそれら二機を凌ぐ速さで赤い矢が走った。

 やっと機体の制御を取り戻したジノとアーニャはそれを見上げる。

〈ジノ、あれ落とす?〉

 淡々と問う同僚にジノは笑う。

「やめとけ、この射線じゃスザクに当たる。それより総督の方が大事だろ」

〈そう、つまんない〉

 ジノは機体をランスロットへ向かわせながら、空を見上げた。

 離脱していく機体は、太陽に飲まれるように小さくなっていく。

 深追いは禁物であるという理性と、ただそれを見続けていたいという思いから多少目が眩んでも目を離せなかった。

 

 ジノの実家には幼い頃の他愛もないらくがきがある。どういうわけか母が気に入ってずっと取っておいているらしいそれは、太陽が黄色く塗られていた。

 今もあの機体を飲み込んだ太陽は、彼の感覚からすれば黄色い。

 さっきからせわしなく脱出した者の護衛に付くように告げる枢木スザクの生まれた国では、一般的に太陽は赤く塗る子供が多かったと聞いている。その時はただの雑談として流したそれが、不意に脳裏に蘇った。

 

 赤。イレブンの太陽。

 あのトードーの窮地を救い、空を跳ねまわるように駆け抜けた赤いナイトメア。

 もう一度、あの赤を。

 何を望んでいるのか自分でもわからないまま、ジノは太陽へ手を伸ばしていた。

 

 

 

 紅蓮の手のひらから降り、まず卜部がその場にへたり込んだ。それでもナナリーをしっかり抱えているのは見上げたものである。

「なかなか快適な空の旅だったぞカレン」

 ゼロの扮装のままで無意味にふんぞり返る自称ルルーシュの共犯者の発言はさらりと流し、カレンはコクピットの中でナナリーの様子をうかがった。

 横顔は思いつめているようにも、放心しているようにも見える。

 声をかけようか、迷ったその時だ。つぶやきを、紅蓮のマイクが拾った。

「あなたは、ユフィ姉様にしたことを覚えているんですか……」

 問いかけは、ルルーシュに向けてのものだ。ユーフェミア・リ・ブリタニアが()()なったのは、今となってはルルーシュによるものだとカレンもわかっている。

 だが、今の彼は記憶を操作されているはずである。

 その操作された記憶に、ユーフェミアのことも刻まれているということなのか。

 ナナリーと彼の間に何があったのかはわからない。卜部が何か言いかけたものの、口を閉ざしてしまった。

 いつもと変わらないのは魔女だけ、そう思いかけてからカレンは考えを改める。

 

 仮面の下は、笑っているとは限らないのだ。

 

 

 

 

 

 

 艦は沈んだものの総督を守ったことで、正規軍に割り込みをかけた形のラウンズは一定の評価を受けていた。独断専行自体はあまり褒められたことではないのだが、結果がすべてである。実力主義がこういう時に物を言う。

 とはいえ手続きというものとは無縁ではいられないのも現実である。

 スザクはやっとケリがついたそれらから解放され、ねじのきれた人形のように自室のベッドに倒れこんだ。

 頭に焼き付いているのは、ルルーシュを連れて離脱する直前に見たものだ。

 ゼロは言うまでもない、藤堂鏡志朗直属の四聖剣、数少ないブラックリベリオンで投獄されなかった男──その彼に抱えられていた少女。

 彼女は明らかに日本人ではなかった。閉ざされた目はその身体がかなりの制限を受けていることを意味している。

 その姿を目にした瞬間、己が奇妙なことを思ったのを覚えている。

 

 ──()()()()()()()()()()()()()()()

 

 だが、スザクの知る顔に彼女はいない。

 あれほど特徴があれば、わからないはずがない。

 本当に、初めて見る顔のはずだ。

 ごろりと寝返りを打ち、壁を見るともなしに眺める。

 ルルーシュがいるのにゼロがいたことよりも、彼女の存在が引っかかっていた。

「……君は、誰なんだ」

 物の少ない部屋の中にぽつりと呟きがこぼれたが、答えはなかった。

 



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タネも仕掛けもあるキセキ。

 無数のゼロを乗せた海氷船が海上を行く。

 渋面のローマイヤをはじめとして誰もがしてやられたことに歯噛みする思いだった。

 そんな場に、弾けるような笑い声が響いた。

「やられたな、スザク」

 笑うのは、してやられた張本人であるエリア11の総督、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアだ。

 笑いすぎたのか、涙を拭ってすらいる。

「ルルーシュ、君笑いすぎだよ!!」

 あまりのルルーシュの笑いっぷりに、枢木スザクも若干素に戻っている。

「こういう手は考えなかったかといえば嘘になる。だがなスザク、本当にやるバカがいるとは思わなかったぞ!! それも百万人もだ!!」

「返せ!! この前ちょっと感動した()の純情を返せ!!」

「いや無理だ無理無理、考えてもみろ、あの中に確実にあのいつもしかめっ面してた藤堂だのがいたんだぞ、あのコスプレで!!」

 総督の一言で、警備の兵に指示を出していたギルフォードが一瞬むせたのを咎められるものはいなかった。

「あー殿下、一応ですね公式の場ですから、殿下、聴いてます? 殿下? ……おい、ルルーシュ!!」

 歯止めになるかと思ったヴィレッタもまるで役に立っていない。

〈記録……〉

 壇上のコントをアーニャは淡々と写真に収める。

〈それブログにアップするなよ〉

 苦笑いでジノが彼女を嗜めるが、効果があるかはわからない。

 ローマイヤと並び待機していたロロは彼女にそっと尋ねる。

「放送は」

「彼らが『国外追放』されたあたりで中継は止めました」

 確かに大ウケして笑い転げる今の兄はお茶の間にはお見せできない。

「最初はお怒りのあまり震えているのかと思っておりましたが」

「笑いをこらえてただけでしたね、アレ」

 まあ百万人に逃げられたとしてもだ、黒の騎士団が不穏分子をまとめて連れて行ってくれたのは事実である。エリア11は確実に安定する。

「そろそろ枢木卿が本気でキレそうなので、止めてきます」

「よろしくお願いいたします……」

 疲れをにじませたローマイヤの言葉を背に、ロロはため息をつきつつ兄の元へ向かった。

 

 

 

 

 

 卜部はぼんやりと海面を眺めていた。

 潜水艦と港湾地区の一角が今の彼らの隠れ家だ。

 今頃は方針を巡っての会議でもしているのだろうが、戻る気になれなかった。

 

 千葉が、死んだという。

 

 こういう立場なら、死は珍しいものではない。ましてや日本解放戦線で抵抗活動を続けていたのだから、それはいつかあり得ることだった。

 それでも、実感がわかないことが逆にこたえた。

 作戦前に散々お小言を食らった、その彼女が死んだというのが現実味がない。

 今も後ろから突然現れて、『何をサボっているのか貴様は!!』とえらい剣幕で尻を蹴りつけてきても不思議ではない。

 だが、彼女は現れない。もう、いない。

『あの作戦、死んでたのは仙波さんだったんだ』

 呟く『声』にも日頃の勢いがない。

『おかしいだろ、トリスタンは来るのがあらかじめわかってて、藤堂さんには玉城がくっついてて、仙波さんだって生きてて、なのに、なのに……なんでこうなっちゃうんだよ』

「そんなもん、運だろ」

 死そのものに動揺を受けている『声』が、卜部は少し羨ましかった。そういう部分が、自分はかなり磨り減ってしまっている。

『それでいいのかよ!? 俺は嫌だよ、だってこの前までちゃんと、怒って、笑って』

 泣いているのだろうか、『声』が途切れる。

「いいわけねえ、ただ……」

 ふと、脳裏に卜部に千葉の死を告げた時の藤堂の姿が浮かんだ。

「俺は中佐が心配だよ」

 

 

 

 ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアの施策は穏健路線だった。

 襲撃を受けたにもかかわらず、黒の騎士団への追求もおざなりであったことからもうっすらと察する者は多かったが、それは数日もしないうちに明らかになった。

 矢継ぎ早に打ち出された施策は、ナンバーズに対して苛烈であった前総督とは明らかに異なるものだ。戸惑いを隠せない者も多かったが、逆に納得する者もいた。

 前総督が燻らせた不満の結果がゼロの復活であると見る者たちには、ナンバーズへの懐柔ともいえる政策がその牙を抜くためのものに見えたのだ。

 その中で、大きな発表があるという。

 

 アシュフォード学園の生徒会室では少年少女たちが集まってテレビに注目していた。

「ルル、ほんとにほんとの皇族だったなんてなぁ……」

 何度目ともわからない愚痴を漏らすのはシャーリーという少女だ。彼女の淡い恋心は当人に告げる前に宙に浮いてしまっている。

「会長も人が悪いよ、俺バベルタワーの件で芋づる式に偉い人にすっげえ怒られたんだぜ」

 恨めしげに生徒会長であるミレイを見上げるのはリヴァルという、誰からも『ああ、いいやつだよね』と言われるタイプの人間である。

「それはルルちゃんを悪い遊びに付き合わせたリヴァルの責任でしょ?」

 立場を黙っていたこととは別物、と笑うミレイは屈託がない。皇族の立場に戻されてしまったことには寂しさがあるが、ロロやスザクがまめに送ってくれるメールや写真を見る限り、彼は彼なりにそこそこ小狡く、そこそこしっかりやっているようだからだ。

「ニーナもこれ、見てるのかしらね……」

 ポツリと落ちた呟きに、シャーリーとリヴァルは口をつぐむ。ブラックリベリオンで取り乱した級友の姿は、あまり後味の良いものではない。

 おまけに軍事機密に関わっているとやらで、どこにいるのかすらわからない有様だ。

「俺らのことなんか忘れてるかもしれないけどさ……元気だといいよな」

 リヴァルの頭をポンポンと撫で、ミレイは再び画面に目を戻した。

 

 

 

 画面の中のルルーシュをスザクは複雑な気分で眺めていた。中継はあらかじめチェックが入った原稿に従って進む。とはいえその原稿を練り上げるまでが大騒ぎだった。

 経済特区『日本』、よりにもよって虐殺事件で極めて印象の悪い名称をそのまま使うその施策はもめて当然のものだ。

 それでも皇帝の許可は降りてしまっている上に、ルルーシュの提案はかつてのユーフェミアのそれを踏襲しながらも地に足がついていたのだから官僚たちもその方向で動かざるを得なくなってしまった。

「ルルーシュ、君は何を考えている……」

 三度にも渡る記憶の操作で何か齟齬が起きているのではないか。スザクにはその懸念を拭い去ることができなかった。

 さらに()()()()の存在である。ヴィレッタの報告を見るまでもない、あのゼロはルルーシュではない。

 だというのに、手口はまるでゼロだ。スザクには、ルルーシュを知る何者かが巧みにゼロを演出しているようにしか思えないのだが、そんな者が果たしているのだろうか。

 弟のロロはルルーシュをわかっている人間の一人だが、彼とてまさか兄がかつてのゼロだなととは思ってはいないだろう。

 一方で黒の騎士団はといえば、彼らはゼロしか知らない。カレンの場合も、正体を知っていることと、ルルーシュを知っていることは別物で、その意味では彼女はルルーシュから遠い。

 C.C.は、どこまでルルーシュをわかっているのか。ただの直感だが、彼女はルルーシュをわかっていたとしても、ゼロ足りえる人間ではないという気がしている。

 何かが欠けている。

 ゼロにしても、ルルーシュにしても考えるためのピースが欠けている気がしてならなかった。

 それにしても、経済特区日本とは。数日前の慰霊訪問で、ルルーシュの考えを多少なりとも聞かされてはいたものの、スザクはますます今のルルーシュをどう受け止めれば良いのかわからなくなっていた。

 

 ルルーシュはフジの霊廟で慰霊のキャンドルに臆することなくユーフェミアの名を刻んで水に浮かべた。その時の横顔を覚えている。

「スザク、彼女は確かに夢を持っていたんだ、俺とは違う優しい夢を」

 皇帝のギアスは、細かな記憶は辻褄合わせの働きに任せてしまうものなのだと聞いている。そのせいだろうか、ルルーシュはいつのものともしれないユーフェミアとの会話を覚えているらしかった。そしてもう一つ、彼は聞き捨てならないことを口にしていた。

「これは俺がユフィにできる数少ない償いなんだ、だから」

 その先の言葉を思い浮かべた瞬間、テレビはルルーシュの特区宣言を放送した。

 

  

 

 藤堂は複雑な気分で放送を見る。

 一年前、血の中で潰えた夢を語る『ゼロ』の姿を。

 もし、あの時ユーフェミアがああならなかったら、世界はどうなっていたのだろうか。

 考えてみたところで詮無いことだ。夢は血にまみれ、ゼロは消え──千葉は死んだ。

 時は戻らない。もしもは、無い。

「では、はじめますね」

 少女の声に、一同に緊張が走る。

 潜水艦内に少女の操る端末の奏でる旋律が響く。

「よかったぁ、気に入ってくれたみたいで」

 笑うラクシャータには、情勢などどうでもいいこだ。

 ただ、自分の()()()()()が生き生きとしていることが喜びなのである。

「ええ、前の子も力になってくれたんですが、この子すごいです。処理速度はもちろん読み出しは圧縮音声で──」

「繋がったみたいだ」

 急に早口になったナナリーを遮るように扇が画面を指した。

 ゼロの、放送ジャックだった。もちろんナナリーの仕込みである。

 ちらりとカレンがナナリーの様子を伺うと、案の定不貞腐れている。そっと頭を撫でると服の裾を掴まれた。

 こういうところは、ここ一年の間に見せるようになった姿だ。

 学園ではもっと大人しい印象が強かったが、ルルーシュの前ではこんな面も見せていたのかもしれない。

 人は、色々鎧っていなければ生きていけない。

 多少なりともそれを解いてくれているのは、少しは信じてもらえているからなのだろうか。

 カレンはケレンたっぷりに語る画面の中のゼロを横目に、ナナリーに微笑んだ。

 それは、柔らかなものだった。

 

 

 

 卜部が戻った頃には両者の放送は終わっていた。

 内容は『声』の想像通りでルルーシュの特区の宣言とゼロによる放送をジャックしてのそれへの参加表明だったらしい。

 睨む仙波に素知らぬ顔をしながら卜部は藤堂に尋ねた。

「中佐、例の船もですけど、黎星刻はちゃんと本国行きの便に乗ってます?」

「ああ、どちらも問題ない」

 中華連邦の海氷船に、それの責任者の所在をぼかすための領事の交代、どちらも仕込み自体は前々からのものだ。『声』曰くルルーシュも使った手だそうだが、普通に思いついたナナリーはやはり発想が兄に似ているのだろうか。

「……会談は、総督引っぱり出せそうですかね」

 気になったのはそれだった。『声』の知る世界では総督はナナリーで、特区参加表明後の会談は彼女抜きだったという。だがルルーシュはそういう立場を甘んじて受け入れるタイプには見えない。

「あ、ああ」

 どこか面食らった顔の藤堂に卜部は首をかしげた。そんなにおかしなことを訊いただろうか。

『アホ!! それ俺が言ったことだよ!!』

 頭に響いた『声』で、いっぺんに肝が冷えていく。

 自分はついさっきまで外でサボっていたのだ。今のは完全に『声』から聞いた話でしかない。

「あ、えーと……俺、C.C.の様子見てきます、はい」

 

 そそくさと部屋を出ていく卜部の背中を眺めながら、朝比奈が顎に手をやる。

「なるほどねー、カレンが言ってた卜部の妙なことってこういうことかぁ」

「紅月が何か言っていたのか?」

 仙波の問いに、朝比奈は肩をすくめた。

「眉唾だと思ってたんですけどね、知ってるはずのないことを時々知ってるって不思議がってましたよ」

「あの情報音痴がか……」

 ひどい言われように思わず藤堂は苦笑いを浮かべ、ふと視界の隅に扇のもの言いたげな顔を見つけた。

「扇、何か話があるのか」

 扇はちらりと朝比奈と仙波に目をやる。聞かれたくない話らしい。

「仙波、朝比奈、すまんが少し席を外す」

 扇を促し藤堂は部屋を後にした。

 

 

 

 座り込み、仮面を眺める横顔に日頃の傲岸さはかけらもない。

「おい、C.C.大丈夫か?」

 卜部の声に顔を上げたその表情も、およそ魔女だと言ってはばからぬ彼女らしからぬぼんやりとしたものだった。

「ああ、この後はまた適当に振り付けて喋っているフリだ、問題ないさ」

 投げやりな調子だが、無理もないことだろうとも思う。この策がうまくいったところで、それはルルーシュからますます離れることを意味している。彼女には何の得もない。

「なあ、そんなもん誰かに投げちまえば良いんじゃないか?」

 そう、別に仮面の中身は体格さえ合えば誰だって済むことなのだ。

 嫌な言い方をすれば、機密情報局以外に彼女を必要としているものは、誰もいない。

 V.V.とやらの追求さえかわせれば、彼女は好きに生きていける。

 もっともルルーシュをゼロに戻すためには彼女は必要だが、それを知る者は限られている。

 そして今の黒の騎士団にあのゼロが必要なのかといえば、卜部にはそうだと言い切れる自信がなくなっている。

 そう、ゼロも必要でなくなってしまえば──彼女は本当にいてもいなくてもいい人間になってしまうのだ。

 答えのない空気になんとなく頭をかいても埒があかない。

「そうだな、オーストラリアあたりに引っ込んで、素知らぬ顔で暮らすのも良いかもしれないな」

 ぽつりと落ちた呟きはかなり飛躍がすぎている。

 そこまで投げろといった覚えはない。

 卜部はまじまじとC.C.を見た。

 そこに浮かんでいたのはいつものような小馬鹿にしたような笑みだ。

「バカか、これはルルーシュのために作ったんだ」

 声の調子とは裏腹に、仮面をそっと抱きしめるその仕草は愛しさが込められている。

「そこらの有象無象にくれてやるわけあるか」

「……確かに玉城あたりが被ってたらぶん殴るわ俺」

 C.C.は、ふんと鼻で笑うと追い払うように手を振った。

「言ったろ、これから着替えるんだお前はさっさと出ていけ」

 

 

 

 追い出された先の階段の踊り場で、卜部は腰を下ろした。

 藤堂らとは顔を合わせづらいし、戻れば調子の戻ったC.C.に確実にぶん殴られる。

『……ナナリーってさ、C.C.をルルーシュに会わせる気あるのかな』

「何言ってるんだ、バベルタワーでも航空艦でも散々苦労しただろうが」

 そう口にしながら卜部もまたその疑惑を捨てきれなかった。

 ナナリーという少女と、C.C.という女の利害は本当に一致しているのか。

 彼女のいう兄と、C.C.の言うルルーシュ、それが相入れないものだとしたら。

 卜部は両手で顔を拭った。

「ダメだ、考えてもさっぱりわからん」

 そもそも卜部はルルーシュという少年のことなど知らない。情報のことではない、どういう人間であるか、だ。

 そしてゼロについてもわからない。そんな自分に何がわかるというのだ。

「卜部さんまたサボってるんですか」

 呆れ声はカレンのものだった。

 両手いっぱいに黒い布を抱えて階段を降りてくる。

「おいおい大丈夫か」

『ゴリラパワーを舐めてはいけない』

 おいやめろ馬鹿。喉元までこみ上げたツッコミをこらえ、半分奪い取るように荷物を持つ。

「……これアレか」

「はいアレです、卜部さんも手伝ってくださいよ。後はひたすら人海戦術なんですから」

 長いゲリラ生活で、繕い物は別に苦手というわけでもない。黒い布をひたすらゼロの衣装に仕立てていくことも、まあやれないわけでもないだろう。

「なあ紅月、お前はこれでいいのか?」

 ふと、先ほどの延長で問いが口をついて出ていた。

「日本を……母の元を離れるのは、そりゃ嫌ですよ。でもそれ言ったらこの一年それこそあっちこっち行ったじゃないですか」

 今さらでしょうとカレンは笑う。確かに逃亡中はインドやら中東やらあちこち移動させられた。そういう意味では中華連邦はお隣さんレベルではある。

「そうか……」

「そうですよ、ただ……今度戻る時はエリア11じゃなくて、日本だといいんですけどね」

 くすりと笑うカレンに戸を開けてやり、卜部も笑い返した。

 ゼロのことは考えても自分ではわからない。

 それはそれとして、確かに──帰る国は、日本であってほしい。

 

 

 ペテンである。

 『ゼロ単独という名目の会談』を見届けた藤堂は小さくため息をつく。

「あの態度は、こちらの手を読んでいるとは考えられないか」

 ルルーシュという少年は昔も敏かった。そして『ゼロ』の申し出にも周囲ほどには驚いた様子もないように藤堂の目には映った。

「そうだな、藤堂のいう通り、こっちのことはお見通しかもしれんぞ」

 外した仮面をくるくる回しながらC.C.が笑う。

 両者に対してナナリーは穏やかに口を開いた。

「ええ、お兄さまには読んでもらわなくては困ります」

 いたずらっぽい笑顔は心底楽しんでいる時のそれだ。

()()を国外に追放するデメリットとメリット、お兄さまならすぐに気がつくはずです」

「……労働力は逃げるが、エリアの安定化を図れる、か」

 藤堂の模範解答にナナリーはにこりと笑い、カレンはぽかんと口を開けた。

「ルルーシュがわかってて見逃すってこと?」

「はい、お兄さまを信用したくても信用しきれない立場のナンバーズ…それに名誉ブリタニア人にしてみれば、約束を反故にしない総督となりますから」

 藤堂が腕を組み替え、皮肉げに笑う。

「彼のお膳立てをしてやるということにもなるが、我らとしても日本に留まり続けるのはそろそろ限界だ」

 背に腹は変えられん。そうしめくくった藤堂の言葉は実感がこもっていた。

 一国の反政府組織でブリタニアに抗うには限界がある。中華連邦をはじめとする諸外国を巻き込んで、やっと対抗できるものだろう。

「そうです、私たちもお兄さまも、ええと……うぃんうぃんですわ」

「う……うぃんうぃん?」

 首をかしげた藤堂にラクシャータがむせた。

 カレンはなんとか堪えつつそっと四聖剣の様子を伺う。

 仙波は壁を向いているが肩が小刻みに震えているし、卜部は宙に目をさまよわせている。

 朝比奈は、こっそりと携帯で動画を撮っていた。

 ディートハルトかこいつは。

 呆れながら室内を見回し、カレンは揃った面子に足りない顔があることに気づいた。

 玉城は締め出されていたからいないのは当たり前なのだが、扇の姿がない。

 さっきのテレビ放送の時は確かにいたはずだが、今この場にいないのは、少し奇妙なことだった。

「ところで衣装の方は間に合うのか?」

 藤堂の問いに仙波が答えている。

 カレンも多少なりとも関わっているので慌てて話に加わる。

 扇のことは、頭の片隅に追いやられてしまっていた。

 

 

 

 

 

 ジノは経済特区日本の式典会場を見下ろして、思わず笑い声をあげていた。

 百万の行政特区参加希望者が、たった今国外退去処分を公に命じられたゼロに姿を変えたのだ。

「なるほどそういう手か……ルルーシュ殿下、わかってて乗ったなこれ」

 おあつらえ向きに中華連邦船籍の海氷船がやってくる。恐ろしく用意がいい。

 完全にゼロの奇策にやられた格好ではある。

 だが、これで大衆には印象づいたはずだ。

 ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアはユーフェミア・リ・ブリタニアとは別物であると。

「損はしてるが、得もあるか……ゼロってやつも謎な男だ」

 ブリタニア軍に手出しさせることなく百万のゼロを見送るルルーシュの姿は、失態であると同時に約束を違えないという姿勢を強烈に打ち出す。

 態度を決めかねていたナンバーズや名誉ブリタニア人に与える影響は大きいだろう。

「まあ、揉め事はないに越したこと、ないよな……」

 大小様々のゼロを見送りながら、ジノは小さくあくびをもらしていた。

 

 

 

 海氷船が洋上を進みしばらくして、朝比奈はようやくゼロの仮面を取った。

 大慌てで作ったそれは紙の貼り合わせの割には意外に似ている。

「藤堂さん、扇のこと本当に良かったんですか?」

 ゼロの衣装のタイを緩めている藤堂に声をかければ、微かな笑みを返される。

「彼の選択だ。我々がどうこういうことではない」

 藤堂はそうは言うが、朝比奈は不満がないわけはない。

 扇要はこの場にいない、特区へ参加するのだ。

 朝比奈にしてれば、それはブリタニアに情報を流すことにつながるだろう懸念を拭い去れない。

 ましてやその理由ときたら、女である。

 こっそりと扇と藤堂の密談を聞いた朝比奈は、正直呆れかえっていた。

 ブラックリベリオンではぐれたブリタニア人の女がいるから、残って特区に参加したいという。朝比奈には理解不能な話だった。

 だが、藤堂はそれを認めた。

「目当ての女にべらべら情報漏らすって思わなかったんですか」

 朝比奈の咎め立てる調子に、藤堂は笑みを引き締める。

「……あのナナリーという少女の件だけは漏らすなとは言ってある」

「あの子は確かにすごいけど、そんなに隠すほどのことなんですか?」

 ハッキングとその発想は凄まじいあの少女だが、素性となると卜部もカレンも微妙に言葉を濁す。一方で少女はあの総督を兄と呼ぶ。

 藤堂もまた何かを知っているようだが明かす気配はない。

「わからん、だがブリタニアの今の状況が異常なのは確かだ。彼女の手がかりを与えるのは避けたい」

 藤堂は言葉を選んで答えた。ゼロを総督に据え、彼の妹の存在を消し去っているその狙いがわからない。そこにナナリーという少女の存在を知られるのは、藤堂にはあまり都合のいいことではない予感がしていた。

「藤堂さんの言うことですから従いますけど……」

 朝比奈からすれば、彼女に関してはゼロ並みにわからないことだらけだ。

 一人で考えても答えが出るはずもない。

 軽く心の棚に放り投げ口をつぐんだ。

 それにもう一つ気づいていることがあるのだ。

 たかだか女一人のためにすべて放り捨てる扇の選択に、藤堂が異を唱えなかったのは──千葉が、いなくなったからだと。

 

 

 

 ヴィレッタ・ヌウは特区への参加希望者含まれる減刑者のリストに目を疑った。

「総督、この男は……」

 本来は事務方レベルのものだ。だが、確実に黒の騎士団と関わりがある者の情報は上がってくるようになっている。

「扇要、先だっての領事館のゼロの騒動で逃亡した男だな」

 かつてはあの組織で副司令を任ぜられていたそうだが、と続けるルルーシュに興味の色は薄い。

「ご存知だったのですか」

 ヴィレッタの問いにルルーシュはこともなげに答える。

「立場が立場だからな、鏡越しとはいえ聴取に立ち会った。残念ながら逃亡後は組織で大した役割は与えられていなかったようだ」

 随分と凡庸な男だったからな、と付け加えられた言葉でルルーシュの評価が知れた。

 確かに、ヴィレッタの知る扇という男は突出した才覚のある男ではない。

 客観的に見れば、ルルーシュの評価は妥当なのだろう。

「監視は……つけておきます」

「ああそうだな、それくらいは必要だろう」

 あっさりと片付けられ、扇の名は業務の片隅に追いやられていった。

 あの百万のゼロ事件以来、行政特区への参加希望者は多くもないが少なくもない。

 ルルーシュという総督が、ゼロとの約束を守ったことが効いているのだろう。

 おかげで事務方含め仕事はきりがない。

 ヴィレッタも本分を忘れかけるほどに忙殺されていた。

 だから、いつか調べよういつか調べよう、そんな風に扇のことは後回しになっていった。

 

 

 

 

 

 

 いよいよ、いよいよゼロとの再会を果たせる。

 ディートハルト・リートは絶頂の極みにあった。あまりに喜びが溢れすぎて、遠巻きにこちらの様子を伺う宦官どころか女官や天子にも半目で見られているのだが、もはや気に留めるような神経が残っていない。

「咲世子を迎えに送ったのは失敗でしたわね……」

 こめかみをおさえて神楽耶がぼやく。こういう時、容赦ない一撃で正気に戻す彼女がいないのは痛手であった。

「それより神楽耶、星刻も戻ってくるけれど打ち合わせの通りでいいの?」

「ええ、あの連中必ず仕掛けてきますもの、準備だけはお忘れにならないでくださいね」

 宦官たちを横目に少女たちは笑う。

 狂喜する男をよそに、少女たちは花がほころぶように笑っていた。

 

 海上に大きなくしゃみが響く。

「中佐、風邪かもしれませんよ中に戻られては」

 卜部の気遣わしげな声に藤堂はうなずきかえした。

「ここで風邪など引いたら、神楽耶様にもご迷惑をおかけしてしまうな」

 この海の先で待つ、たった一人となった皇の血を引く少女を思い浮かべる。

 欠けたものもある。だが、やっと踏み出せるのだ。

 船内に戻ろうとした藤堂はもう一度大きなくしゃみをした。

 朝比奈が眉をへにゃりと下げてぼやく。

「藤堂さん、やっぱそれ風邪ですよ……」

 



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大人をからかってはいけません。

 アーニャは珍しく困惑していた。

 はたから見れば日頃とそう変わらないが、いつもよりほんのわずかに目を見開いているのがその証拠だ。

れんふぁ(でんか)らりは(なにか)?」

 やっと口に出せたのはそれだけだ。

 結い紐を口にくわえていたせいで、もごもごとしか喋れない。

 髪の乱れが気になったからといって、そこらで結い直していたのは確かに迂闊だったかもしれない。

 通りかかった総督であるルルーシュとその弟がぽかんとした顔でこちらを見ている。後ろでは女官のローマイヤとかいう名前だったかが、ぴくりと眉をあげた。無作法を咎める目だあれは。

 正直気恥ずかしい。

 そんな彼女の気持ちを知ってか知らずか、ルルーシュがまじまじと見る。

「アーニャ……アールストレイム」

 名前をゆっくりと呟き、ぽん、と手を叩いた。

「思い出したぞ!! どうも見覚えがあると思ったんだ!!」

 記憶の符号の高揚感なのだろうが、アーニャの目にその笑顔は一瞬輝いて映った。

「思い……だした?」

 ポロリと口から結い紐が落ちたがそんなことは気にならなかった。

 ルルーシュもかまわずアーニャの肩を軽く掴み、目を細めて笑う。

「八年前、行儀見習いに来ていたアーニャだろう!! そうだ髪はこんな感じで、でもあの頃はあんなに小さかったから……いや、それは俺もか」

 アーニャの記憶にルルーシュは無い。だが、彼の言葉はあることを確かめずにいられない気にさせた。

 ごそごそと端末を取り出し目当ての画像を出す。

「これ、殿下?」

 そこには黒髪の幼い少年が映っていた。アーニャの記憶には無い、記録のひとつ。

 画像を見たルルーシュは目を丸くする。それが子供の頃の自分の姿だったからだ。

「懐かしいな……これはアリエス宮の庭園だな」

 ふわりと笑うその背後で、ロロはわずかに身を強張らせていた。

 ナナリー・ヴィ・ブリタニアの記憶は消されていても、ロロとしての記憶はそれを大雑把に塗り替えただけのものだ。そして彼には彼の記憶しかない。補完された彼女の記憶の中で自分がどういう役割なのかわからないのだ。

「そう、殿下は覚えてるの」

 ロロの懸念をよそに、アーニャがルルーシュにつられたように笑う。

 続いた言葉はロロにとっても、ルルーシュにとっても、予想外のものだった。

「私、なにも覚えてない。だから……嬉しい」

 

 

 

 

 

 

 ざわざわと人が行き交う空気は明るい。

 海上の旅を終え、蓬莱島という拠点を得て少し展望が開けた気分の者の方が多いからだろう。その空気の中、真新しいマニュアルとにらめっこをしている一団があった。

「フロートユニットか……紅月は使いこなしていたが」

「藤堂さんなら扱えないってことはないですよ、もちろん俺もね」

 慎重な藤堂に朝比奈の楽観主義がかぶる。

 一方で、スーツケースを開けて顔をしかめているのは仙波である。

「このデザイン……誰か止めなかったのか?」

 ちらりと覗きこんだ卜部も顔をひきつらせる。

「俺、今までのじゃダメですかね……」

「ダメですよ!! 前より安全性上がってるんですから!!」

 彼らに先行して機体データのテストに協力していたカレンが大人二人を叱りつけた。

 彼女も身につけているその新しいパイロットスーツは、仙波や卜部が難色を示したように確かに三十、四十過ぎにはつらいデザインである。

『仙波さんのは、特につらいというか、いたたまれないよ……』

 こればかりは同意せざるを得ない『声』に、頷くことができない状況がさらに卜部のつらさを増す。

「せめて黒、黒で……」

 絞り出したような仙波の声には必死さが滲み出ている。

「仙波、私は黒だから取り替えるか?」

 藤堂が労わるように声をかけるも、仙波は横に首を振った。

「お言葉ですが将軍、サイズが合いません……」

 うなだれる仙波の姿に、カレンはちょっと思う。

 普通に着ている自分がこれではおかしいみたいじゃないの、と。

「ほらほら、あんたらもさっさと着替えてちょうだい。こっちは他にも色々あんだから」

 煙管をくゆらせながら現れたのはラクシャータだ。

 うなだれる男どもを無情にテストへ追い立てる。

 ふえーいと気の無い返事をする卜部の尻を蹴りつけると、鋼の騎馬の母はふんと鼻を鳴らした。

「それにしたって、こんなもんまで必要になるのかねぇ」

 ラクシャータの手元には、再会したナナリーからの様々なお土産があった。

 その中の一つはいずれ必要になると言い含められたものだったが、今は到底着手できる余裕はないし、ラクシャータ自身もまだその局面が思いつかなかった。

「『アポロンの馬車』、か……」

 

 

 

 ディートハルトはこの世の終わりのように、崩折れている。

「……とてもにぎやかな方とうかがっていたのですが」

 紹介されたもののまるで口を開かない男は、ナナリーにしてみると所在すらつかみにくい。

「オブジェのようなものですわ、ささ、お気になさらずお茶のおかわりはいかがですか?」

 神楽耶は上機嫌で咲世子を呼ぶ。ここの女官たちも気心が知れてはいるが、やはりなじみの者の方が話はしやすい。

「ありえません……ゼロが、ゼロが……」

「衣装の余りで今からでもあなたもゼロになれますよ?」

 ナナリーの言葉にのろのろとディートハルトは顔を上げる。

「私はカオスの権化になりたいのではなく、カオスの権化の記録者になりたいんです……ッ」

 お茶のおかわりを楽しみながら、ナナリーは神楽耶に向き直った。

「困った性癖ですね」

「ですわ」

 それはそれとしてである、ナナリーには神楽耶と話すべきことが山ほどあった。

 これからが大変なのだ。神楽耶も読みきっていたことには驚かされたが──ブリタニアが今後打ってくる手である。

「ナナリーさんはどなたがいらっしゃるとお考えですの?」

「候補としては、オデュッセウス兄さまでしょう。シュナイゼル兄さまの考えそうなことですから」

 神楽耶はふむ、と資料に目を落とす。少し前に天子におすすめ物件としてプレゼンした藤堂に輪をかけておっさんくさい。

「これなら勝てますわね、シュナイゼル本人でしたらかなり危ないところでしたけど……いえ、これもこれで逆に引き立ちますわね」

 一人で納得してうんうん頷く神楽耶にナナリーがたずねる。

「……オデュッセウス兄さま、そんなに冴えない見た目でしたか」

 ナナリーにはうっすらとした幼少の記憶と、報道で耳にする声の印象しかない。頼りにはならない人間ではあるが穏やかな雰囲気の長兄は、少なくとも感じは悪くないように思えたのだが。

 しかし神楽耶は一刀両断である。

「ええ、藤堂で余裕ですとも」

「差し出がましいようですが神楽耶様、この話藤堂には伝えたのでしょうか」

 少し復活したディートハルトが口を挟む。さすがに本人不在でこの手の悪だくみが進んでいくのは、いくら相性は最悪とはいえ同じ男として気の毒な気がしていた。

「あら、人生にはサプライズが必要ですわ」

 にっこり笑う神楽耶に屈託はない。

 ナナリーもはしゃぎ気味に両手を顔の前で合わせて笑う。

「あの藤堂先生をびっくりさせられるなんて、楽しみですね!!」

 ああ、この少女もこの手合いか。

 確かにカオスではあるのだが、期待したカオスとちょっと違う状況に再びディートハルトは頭を抱えた。

 

 

 

 神楽耶曰く『案の定』ナナリーに言わせれば『順当に』、宦官たちとブリタニアはオデュッセウスと天子の婚姻を進めようとしていた。

 その祝いの席で、オデュッセウス・ウ・ブリタニアは思いっきり困惑していた。

 もともとあまり小さな子の相手は得意な方ではない。何年か前に末の兄弟姉妹の誰かを大泣きさせてしまった記憶がある程度に、苦手である。

 あの子は誰だっただろうか、そんなに物覚えの悪い方ではないはずなのだが大泣きしていた亜麻色の髪の女の子の顔と名前がどうしても思い出せない。

 だが泣かせてしまった罪悪感だけはくっきりと残っている。

 そんな苦い思い出のある上に、である。

 明らかに、あからさまに、大変はっきりと、天子と呼ばれている少女はさっきから静かにぽろぽろと涙をこぼしてはハンカチで拭っている。

 確かにどこからどう見ても言い訳のしようもないほどに政略結婚だが、ここまできっぱりと拒絶を態度で示されるのは胃が痛い。ついでに言えば挨拶に訪れる客人への返しもかなり困る。というか客も困っている。

 助け舟を求めて弟を見れば、パートナーらしい所在なさげな娘に何事かを語りかけてばかりでまったく頼りになりそうにない。

 誰か、誰か空気を変えて欲しい。そんな彼の願いが通じたのかどうか、その招かれざる客は現れた。

「ゼロ……」

 どよめきが広がる。

 今まで何度も映像で見てきた仮面の魔人がそこにいた。

 エスコートされているのが皇神楽耶という時点で、どういうごり押しをしたのかは察せられる。だがその黒い魔人の姿はオデュッセウスにとってまさしく救いの神だった。

 空気を変えてくれるだけで、テロリストだろうがなんだろうがかまわない。

「ほら見てごらん、ゼロまでやってきたよ」

 天子ににっこり笑いかけながら指をさす。

 動物園で子供に『ほらキリンさんだよ』と興味を引こうとする父親のノリである。

「……変な格好」

 ようやくベソをかくのはやめてくれたものの、上目づかいでゼロを見たその一言は大変辛辣だった。

 この子とうまくやっていく自信、ない。

 オデュッセウスは笑顔のまま、冷や汗を流すほかなかった。

 

 C.C.はまわりに聞こえない程度の声でそっと神楽耶に囁いた。

「おい、お前のお友達とやら、ずいぶんな目でこっちを見てるんだが」

「まあ、ゼロ様のファッションにはかなり首をかしげてましたから」

 私じゃない、これはルルーシュのセンスの問題だ。

 そう言い返したい気持ちをC.C.はぐっと堪える。あくまでもこの場で彼女はゼロとして振舞わなければならない。

〈いいですか、シュナイゼル兄さまの相手は私がやりますから、C.C.さんは指示通り動いてくださいね〉

 また人形劇か。

 ナナリーの声にうんざりしながらも、そうせざるを得ないのも彼女はわかっていた。

 はっきりいって、シュナイゼルみたいな男は苦手だ。あの何を考えているのかわからない態度もだが、そもそも完全にタイプじゃない、育ちすぎである。

〈ああナナリー、お前に任せるよ〉

 投げやりな返事とともに、C.C.はシュナイゼル・エル・ブリタニアへ向かって歩き出した。世が世なら役者としてやっていけたかも、などと思いながら。

 

 

 

 ルルーシュによく似ているが、確かにルルーシュとは違う。

 対局してシュナイゼルはあらためて実感していた。

 戯言のように枢木卿を賭けて始まったゼロとのチェスは、彼に多少なりとも今のゼロを考える上でのヒントを与えようとしてくれていた。

 ゼロは、シュナイゼルの兄弟の一人であるルルーシュ・ヴィ・ブリタニアによく似た思考の持ち主のようだった。その駒の動かし方は彼の傾向に非常に近い。

 だが、違う。

「君は……私が知る人間より、苛烈だね」

 ルルーシュが持つ人間味と言っていい一種の甘さが、無い。

 ゼロが盤面から顔を上げゆっくりと手を組み、肩をすくめる。

「優しい世界を望むなら、今の世界に挑まざるを得ない。違うかな?」

 シュナイゼルはほんのわずかに眉間にしわを寄せた。

 盤面から読み取ったこととのギャップもある、だがそれ以上に『優しい世界』、そのひと言がある人間を思い起こさせたからだ。

 かつて彼の前で勢いよく夢を語った、今はいない妹。

「ゼロ、君はユフィの」

 言葉は最後まで続かなかった。

 

 カレンはほぼ反射で動いていた。

 スザクのぽかんとした顔に、こいつより早く動けたのかという優越感がちょっとだけわいたがそれどころではなかった。

「ニーナ、落ち着いて」

 かつて学園の生徒会にいた少女、ニーナ・アインシュタインを取り押さえながらカレンは彼女の手から落ちたナイフを足で遠くへやった。

 とっさに掴んだものらしいそれは、テーブルウェアだから大したものではないが、習慣的なものである。

 衝動的なものだろうが、彼女がこんな行動に走った理由をカレンは察していた。

 ユーフェミア・リ・ブリタニア。

 ニーナは彼女に崇拝めいた感情を持っていた。

「離してよカレン、ゼロは、ゼロはユーフェミア様を殺したのよ!?」

 血を吐くような声に、カレンは口をひき結ぶ。

 本当は、殺す以上に酷いことをしている。知った上で黙っている自分も自分だ。

 

「そうだ、ユーフェミア皇女を殺したのは私だ」

 

 有無を言わせぬ声が響いた。

 すっとゼロが立ち上がり、カレンに取り押さえられたニーナへ歩み寄る。

 カレンの腕の中で、ニーナの体に震えが走ったのが伝わった。

「だから君にはこう言おうニーナ・アインシュタイン。私の知るユーフェミア・リ・ブリタニアは、憎しみで刃をふるう人間ではない」

 ばっと芝居じみた動作でマントを翻し、さらにニーナへ顔を近づける。

 カレンは、これはナナリーの言葉なのか、それともC.C.が喋っているのか判別がつかず少し混乱していた。

 そんなはずはないのに、メフィスト・フェレスじみたそれが本物のゼロにさえ思えてくる。

 その悪魔は怯えを浮かべるニーナへ囁く。

「ましてや、鞘のない刀を振るう事をよしとする者ではない。……それだけは覚えておきたまえ」

 言うことは言い終わったのか、ゼロはくるりと振り返りシュナイゼルに勝負は預けると告げている。

 ふっと体から力が抜けたニーナを、カレンはもはやおさえるというより支え、抱きしめていた。

 たいして親しかったわけではない。それでも、生徒会の片隅で曖昧に笑っていた姿を覚えている。

「ニーナ、大丈夫、大丈夫だから……」

 ニーナはカレンの声にのろのろと顔を上げる。その目は戸惑いで揺れていた。

「ねえカレン、あのゼロは……私が憎んだゼロなの……?」

 それは、カレンには答えられない問いだ。

 言葉を探しあぐねているうちに、ニーナが笑う。

 弱々しく、泣き出しそうな笑顔だった。

「……私、何やってんだろう。みっともないよね」

 

 スザクに連れられていくニーナに後ろ髪を引かれる思いで振り返ったカレンは、客の顔ぶれに知己を見つけて軽く目を見張った。

 当の本人はとっくに気づいていたらしく、小さく手を振っている。

 アッシュフォード学園の名物生徒会長、ミレイだ。その傍にいるのが例のランスロットの開発者、ラクシャータの言う『プリン伯爵』とやらだろう。

 周りに悟られない程度に笑みで返すとカレンは魔女と神楽耶のお供に戻った。

 スザクもニーナもミレイもかつては同じ生徒会室にいて、今も同じ空間にいるのにまるでバラバラで、元からそうだったのだと言われてしまえばそれまでなのだろうが、それが少し寂しい。

 まだいくらか騒然としているホールを後に、カレンはわずかにうつむいた。

 これから先、きっとこんなことがいくらでも増えていくのだろう。

 

 

 

 卜部は口をややへの字にしてモニターを睨む。

 画面はこれから始められる婚礼のために集まった人々を映している。

 そこに不満があるわけはない、作戦内容にも大きな不満はない。

「案外子供っぽい方ですね、あなたは」

 見透かされたようにディートハルトに鼻で笑われムッとするも、事実なので言い返せない。

 そう、卜部の不満は新型のナイトメアにあった。

 月下の発展系の機体のマニュアルは、先だってのテストの前にラクシャータの手で取り上げられた。

 かわりに渡されたそれは卜部の顔をひきつらせ、C.C.のニヤニヤ笑いを引き出すものだった。

「……あの機能なら、嬢ちゃんとゼロが乗るのが順当だろ」

『ていうかあの子怖い』

 否定できない部分がちょっとある『声』に胸の内で頷きつつ、幾度となく繰り返した主張を卜部は引っ込めない。

「あなたの技量を判断しての、最適な配置でしょう」

 ディートハルトはにべもない。卜部が思うにこの男、中華に渡っている間に何かあったのか、疲れた目で他人を突き放す物言いが増えた。

「あんたはゼロが出張る方が面白いんじゃないのか?」

 卜部の言葉にディートハルトは目を見開き笑う。

 乾いた笑いだった。

「ゼロ、ゼロですか、聞けばゼロは誰でもゼロだそうじゃないですか、あなたがゼロの扮装をすれば円満解決ですよ!!」

 目つきも虚ろで正直なところちょっと怖い。

『お疲れでいらっしゃる……』

 ヒキ気味の『声』に卜部はこっそりと同意した。

「……疲れすぎだろいくらなんでも」

 

 

 

 

 

 

 秘め事は密やかに、少女と魔女は声を潜める。

 いつまでも尻尾をつかませない狐はどうしたらいいか。

 犬をけしかけ追い立てて、巣穴を突き止めればいい。

「これが揺さぶりになるのか?」

 魔女の問いに少女は笑う。

「ええ、だって中華連邦(ここ)は彼のなわばりですもの」

 洛陽からはずっと離れた──例えば砂漠地帯、山岳地帯、この広大な国は彼らが人を避けて潜むにうってつけの土地が揃っている。

「きっと、仕掛けてくるでしょうね」

 それが狐自身を破滅に導く選択だとも気づかずに。

 少女は嗤う、心から。

 魔女は沈黙する、かつて捨てたものへの罪悪感で。

 

 

 

 

 

 

 婚礼の儀式は滞りなく進んでいく、はずだった。

 それを止めんと待機していた黎星刻も、縁者として列席していたシュナイゼル・エル・ブリタニアも、主役であるオデュッセウス・ウ・ブリタニアも呆然とせざるを得ない事態に直面していた。

 泣いている。

 天子と周囲に呼ばれる少女、蒋麗華が花嫁の象徴であるベールをはたき落とし、ボロボロと涙を流している。

 宦官らもこんな事態は想像もしていなかったのか、皆一様にオロオロとするばかりで指示を出すことも忘れていた。

「……こんな婚礼、拒否します!!」

 決定的な一言は、ぎりぎりで公の放送に乗ってしまっている。

 打ち切られた放送はたちまちネットを介したそれに取って代わられ、好奇心でいっぱいの大衆がそちらに飛びついたのは余談だ。

 綺麗さっぱりと拒否されたオデュッセウスは、やっぱりなあと思いながらもなだめようと口を開きかけた、瞬間だった。

「婚礼とは、心に決めた方とすることでしょう!!」

 こっちが泣きたい。かけるべき言葉を見失ったオデュッセウスは曖昧な笑顔を浮かべたままかたまった。

 少女はまるっきり彼を無視して続けざまに爆弾を投げた。

 

「わたしは、あの方以外との誓いなど、嫌です!!」

 

 その言葉を耳にした星刻は、知らずガッツポーズを取っていた。

 無理からぬことである。

 誓いといえば、彼の記憶にもあるあの日の永続調和のそれしか思い当たらない。

 あの小さく幼い少女は覚えていてくれたのだ。

 さあ今こそ彼女のために、そう一歩踏み出そうとしたその時だった。

 

《その声、確かに聞き届けた!!》

 

 式場の天井が崩れ、黒い影が彼女を覆う。

 赤い髪状の放熱器をなびかせた黒いナイトメアフレーム、それは黒の騎士団の機体の特徴を備えていた。

 だがそれは一番の問題ではない。

 その機体の手から降り立った者こそが、重要だった。

「我が名はゼロ!! 天子よ、あなたの秘めたる願い、叶えて差し上げましょう!!」

 優雅に、大仰な仕草で仮面の魔人は幼い少女に言い放つと同時に、黒いナイトメアのコクピットが開き、それを駆るものの姿があらわとなる。

 瞬間、ぱあっと花が咲いたかのような笑みが天子の顔に浮かんだ。

「……鏡志朗さま!!」

 その視線の先のコクピットには、日本人には厳島の奇跡と讃えられブリタニアには恐れられた武人──藤堂鏡志朗の姿があった。

 

 申し訳ありません天子様、何ですか、それ。

 黎星刻は、踏み込もうとした姿のまま軽く咳き込んで血を吐いた。

 

 藤堂は、凍りついていた。

 作戦は、あくまでも天子の──花嫁の強奪だったはずだ。

 ゼロを連れての突入と離脱、そこにこんな小芝居が入るとは聞かされていない。

 それ以前に、なぜ面識のまったくないはずのあの幼い少女はこちらへ期待に満ちた笑顔を向けているのか。いやそもそも、なぜ操作もしていないハッチが勝手に開いたのか。

 不幸中の幸いというべきだろうか、藤堂鏡志朗の表情は日頃からあまり変わらない。

 完全に動揺しまくりぎこちなく少女へ目を向けたその姿も、周囲には落ち着き払ったものとして映る。

 一方ゼロは危うげなところなど一つもなく、軽々と天子を抱き上げた。

「さあ天子よ、あなたの想い人とともに参りましょう」

 そのままひらりと藤堂に少女を預ける。

 とっさに少女を抱えようとした藤堂はさらに次の動きで完全に思考が混乱した。

 彼女がぱっと藤堂に飛びつく。

 感極まったように頰に顔を寄せ、そして言い切った。

「覚えていてくださったんですね!! いつか……必ず外の世界を見せてくださると!!」

 初対面な上に初耳である。

 思わずゼロを横目で見る。どうしたらいいのかさっぱりわからない。

「藤堂、離脱だ。天子はコクピットで守れ、私は予定通りコンテナに乗る」

「し、承知した」

 人間混乱の極みにあると、具体的な指示にはとことん弱くなる。

 つい飛びつくように従ってしまう。

 少女を抱えたまま藤堂がコクピットを閉じる間に、仙波のナイトメアがコンテナを抱えて現れた。

 カレンはコンテナの紅蓮に乗り込み、ゼロが悠々と神楽耶とともにコンテナへ収まる。

 やっと作戦通りの流れに戻ると、藤堂の頭はようやく働きだした。

 

 式場でオデュッセウスとシュナイゼルら皇族を守るラウンズは、一人だった。

 ジノ・ヴァインベルグ、トリスタンの乗り手だけで、昨日のレセプションにいたはずの枢木スザクの姿はない。

 つまり、もう一人の円卓の騎士は──反射的に藤堂は飛んで来たハーケンを絶妙に位置をずらして弾く。

「きゃっ」

 上がった声が先ほどまでの妙に芝居っぽい調子ではないことにどこか安堵しながら、藤堂は軽く詫びる。

「すまない、しばらく怖い思いをするだろうが……君は守ってみせよう」

 少女の返事を待たずに空へと飛び出す。

「やはり君か、枢木スザク!!」

 空を駆けるブリタニアの白い悪魔、ランスロットの姿がそこにはあった。

 容赦無く銃弾を放つ姿に、彼はまだ()()()()のだと気付かされる。

 輻射障壁で銃弾を防いで距離を取れば、ランスロットはさらに大型の火器まで構えた。

「なるほど、ブリタニアにとって彼女はその程度の存在だったか」

 オープンチャンネルで告げた一言で、たちまちその動きに迷いが生じる。枢木スザクのそういうわかりやすいところは、あまり変わっていないのだろう。

 どこか安堵を覚えながらも藤堂は己のナイトメア──斬月の刃を構える。

〈藤堂さん、あなたは何を言って……〉

「鏡志朗さま、わたしは殺されるのですか?」

 心細げに藤堂へたずねる天子の声に、スザクが息を呑む気配が伝わった。

 半ば彼へ畳み掛けるつもりで藤堂は少女に声をかける。

「そうはならない、安心しなさい」

 子供を相手に語るそれに、ふと八年前を思い出しながらも機体を繰ることは忘れない。

「君は外の世界を見せろと言った。ならばその願いは必ず果たそう」

 

〈おいスザク、絶対に撃つなよ…! そこに天子も乗ってるんだ!! えーと……その、駆け落ち、駆け落ちだよ!!〉

 藤堂の言葉に少女の声、そして焦りをにじませたジノからの通信。

 スザクは呆然とするほかなかった。

「あの藤堂先生が、駆け落ち? あんな小さい子と、駆け落ち? ……あの藤堂先生が?」

 今も昔も藤堂の印象はスザクの中でぶれることがなかった。

 敵として相対することに迷いが生じないほどに芯が通っている、そういう男だ。

 それが、どう見ても子供にしか見えない少女と駆け落ち。

 あのド天然の先生が、駆け落ち。

 しかも目の前の黒いナイトメアに今まさに同乗している。

 動揺が、仇となった。

「え? ああっ」

 藤堂は容赦なく動き、斬撃を浴びせてきた。

 一の太刀、二の太刀、ここまではほぼ反射でかわす。

 それらが可能な枢木スザクは確かに尋常ではない乗り手である。

 だが陰の太刀はわかっていても、他に気を取られていて手に負えるものではない。

 三の、太刀。

 気づけばフロートユニットの片翼が断ち切られていた。

「そ、その状況で攻めますかあなたは!!」

 半分泣き言である。

 当たり前だ。

 まず間違いなく黒の騎士団の仕込みだろうが、あの元師匠が幼女と駆け落ちした上に、なんだかほだされている雰囲気で、ここで撃ったら確実に国際問題でもあるから手出しもできない。詰んでいる。

 なのにいつもの調子で攻撃されれば、泣き言の一つも言いたくなる。

 ランスロットは高度を落としていく。

 藤堂の背後を通り過ぎていく紅蓮らの姿をコクピットの中で見送りながら、スザクは疲れた笑いをもらした。

 すべてが周到な上に、妙におふざけが過ぎている。

「今のゼロが誰だか知らないけれど……神楽耶だ、絶対これ神楽耶が絡んでる……」

 昔から苦手だった少女の勝ち誇った顔が浮かび、スザクは無性に泣きたい気分に陥っていた。

 

 

 

 ナナリーは通信や報告を受けるたびに笑顔を振りまいている。

 リモート操作で藤堂のコクピットを強制的に開けた時など、笑いをこらえて少し滑稽な顔つきになっていたほど、始終ご機嫌であった。

 一方でディートハルトの目はどんどん生気を失う。

『CHABAN過ぎるんだ……』

「藤堂さん、基本的に子供に甘いからな」

 

 『声』に相槌を打ちながら、卜部は思う。

 完全に騙し討ちではあるが、これは案外藤堂には悪くない状況かもしれない。

 藤堂という男は、ああやって『お荷物』を抱えている以上、決して馬鹿な真似はしでかさないだろう。

 日本解放戦線崩壊直後に彼がブリタニアに捕らえられた経緯を、卜部は後になって朝比奈から聞いている。藤堂は朝比奈と千葉を庇って捕らえられたのだ。

 その後のチョウフでもゼロが現れなければ死を受け入れる気だったということは『声』がぽろりと口を滑らせたことで知った。

 曰く『師弟揃って死にたがり』、ぞっとしないが真実だと思う。

 そして先だっての千葉の死。

 藤堂が彼女をどう思っていたのかはわからないが、卜部はあれから何か()()()()感じがしていた。

 だからだろうか、茶番劇の只中で真面目に少女をなだめる藤堂の姿は、歓迎すべきものとして目に映る。

 生きている、そう思えたからだ。

 

 思索を打ち切ってちらりと横目でうかがえば、やる気がなさそうに見えてもディートハルトは果たすべき仕事はきっちり果たしている。

 藤堂は気づいていないが、先程からのコクピットでのやり取りはしっかりとネットに放流されている。視聴数はとんでもないことになっているらしい。

「こういうのウケが……いいんですよね……大衆はわかりやすい物語を好……ううっ」

 顔を覆ったのは泣いているからなのだろう。そこまで嫌かとディートハルトに軽くヒきながら卜部はナナリーに尋ねた。

「陽動に使わせてもらった連中は本当に放置でいいのか? 対立するもんでもないだろ」

 事情を知らない星刻が気の毒すぎての言葉だ。

 向こうも打算ありきだろうが、領事館では散々世話になったというのもある。

 加えてここまで大胆な登場ができたのは彼らの蜂起を利用したからこそのもので、その後ほったらかしというのはどうにもおさまりが悪い。

「最初から協力していただく手もありましたけど……あの星刻という方に確実に反対されそうでしたから」

 切れものではあるが、天子のこととなるとやばい。

 『声』の言っていたことを思い出す。

 ついでに式場外で捕縛されていた彼の、気落ちしすぎて今にも死にそうな顔も。

「ああ、偽装って言い聞かせてもあれはダメだったろうな……」

 頷く卜部にナナリーはにこにこと上機嫌に語る。

「それに、あの宦官たちにはもうちょっと悪役をやっていただかなくてはいけませんので」

 彼女は星刻たちに恩を売りたいのだ。後々のパワーバランスを調整する、来るべき日のための下準備である。

「あと神虎でしたっけ、あれも戦場に引っ張り出したいところですね」

「あれが欲しいのか、そうか」

 卜部の呆れ声に、できればその乗り手ごとです、などと言いながらナナリーは見えない目で巧みにタッチパネルを駆使する。

 伏せ札はとっくに揃っていた。火をつけられれば即座に爆発しそうなほどに燻った大衆、うってつけに宦官らに手を貸すブリタニア、そして撃ってくださいと言わんばかりに保身しか考えていない宦官。

 一気に事態を転がすには演者の踊り具合だけなのだが、藤堂に関しては期待以上の成果を出しつつある。

 『少女の小さな願いのために、立場のあるはずの他国の男が身一つで戦っている姿』はウケがいい。藤堂があくまでも保護者然としているのも印象がいいのだろう。

「さて、私たちも準備を始めましょうか」

 車椅子を押して場を移そうとする少女に手を貸す。

 楽しいショーに新しいおもちゃ、ナナリーはご満悦だ。

「宦官のもう一味、これなんですよね。早く動いて欲しいものです」

 シュナイゼルはゼロを苛烈と評したが、なかなかいい指摘だった。

 あれは人を見る目を持ち合わせている。

 楽しげな少女の車椅子を押してやりながら、卜部は小さくため息をついた。

 

 

 

 黎星刻という男はとことんついていないらしい。

 宦官らが彼の部下を人質に、虎の子のナイトメアを与えて彼に指示を出している真っ最中と聞き、シュナイゼルは体を寛げた。

「優秀なのも、大変だね」

 とはいえども今のあの男は宦官の期待ほどには動けない、そうシュナイゼルは確信している。

 天子である。

 彼女は望んで黒の騎士団の手を取ったのだ、それも実にメロドラマ的に。

「……気の毒なことだ」

 頬杖をつき、ぽつりと呟いたシュナイゼルに副官であるカノンがちらりと目を向ける。

「どなたのことでしょうか」

 副官の言葉に、ナイトメアのハッチが開いた瞬間の藤堂の姿が浮かぶ。

 微かなものだったが、そこに動揺があったのをシュナイゼルは見逃さなかった。

 花嫁に逃げられた立場の兄も相当なものだが、()()()()()()()()()思慕を向けられるのもなかなかしんどいことだろう。あれはとても生真面目そうな男に見えた。

「言うね、君も」

 シュナイゼルに浮かんだ笑顔はうわべ以外のものもほんの微かに含んでいる。

 気づいたカノンはにっこりと笑い返した。

 

 

 

 

 

 

 スザクもジノもなんだかんだ言って、こういう時は悪い意味で『男の子』だ。

 アーニャは執務の合間に中華連邦に行っている同僚の状況をチェックしながらため息をついた。

 眉間をちょっと揉んで目をつぶれば、少し楽になったような気にはなる。

「悪いなアーニャ、本来ならラウンズの手を借りるべきことじゃないんだが」

 申し訳なさそうなルルーシュと、少し自分に警戒の目を向けているその弟に苦笑いしながら首を横に降る。

「いいの、気にしないで。私がやりたいからやってる」

 そもそもはスザクである。彼がルルーシュの護衛に名乗りを上げ野次馬的にジノがのっかりついでのように巻き込まれたのがアーニャだった。

 そう、本来ならここにはスザクがいるはずなのだが、彼はゼロ絡みになるとどうも判断がおかしくなる。護衛も忘れて鉄砲玉のようにシュナイゼルに着いて行ってしまった。

 ジノまで行ってしまったのは、おそらくあの赤いナイトメアとの再戦が目当てだろう。

 これだから『男の子』は。

 とはいえルルーシュという総督の傍らで、多少なりとも手伝うことができるのは彼女にとってそう悪いものではない。時折昔の話もしてくれるし、いちいち毛を逆立てた猫みたいな反応をする弟も面白い。いまも相変わらずこちらを不機嫌そうにチラチラと見ている。

「……兄上たちには悪いが、さっきのは傑作だったな」

 思い出し笑いだろうか、ルルーシュがくすくすと笑う。

「駆け落ち?」

 さらににやりと笑うルルーシュはちょっと悪い顔をしている。

 ヴィレッタの軽い咳払いは、嗜めるものだろう。

「いや、藤堂もオモチャにされてるなあれは。……犯人は皇神楽耶だろう」

 アーニャはちらりと横目でミス・ローマイヤの様子をうかがう。一心不乱に書類や端末のファイルを片付けているが、あれは見ないふり聞こえないふりだと気付いた。彼女なりに苦労は多そうだ。

「八年前でもあの女を時々扱いあぐねていたからな、もはや今の藤堂に勝ち目などあるまい」

 堪え切れなくなったのか、とうとう声を立てて笑い出したルルーシュにアーニャはちょっとだけ思った。

 

 この悪い笑い方。なんだか殿下、ゼロみたい。




中華も前後編になってしまいました。


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もう一度、誓いを

PC乗り換え時に見失っていたファイルを先日見つけたので。


 その子供は足元に横たわる女を見下ろしていた。

「君はいつもそうだ、肝心のところで運に見放される」

 倒れた女から広がった出血は大きな赤黒い水たまりになり、その瞳は虚ろなものになっている。

「残念だったね、コーネリア」

 コーネリア・リ・ブリタニアと呼ばれた女はもういない。

 死体がひとつ、あるだけだ。

 振り返ればそこにも魂を失った肉塊が転がっている。バトレーと呼ばれた男と、その部下たちである。

 彼らとコーネリアが表に出ることがなくなったのはいいが、頭痛の種はつきない。

()()()を逃したか……面倒だね」

 手駒のひとつを台無しにされたのは、正直なところ痛手だった。

 あれの能力はこの子供にとって、懸案事項を潰すのにうってつけの存在だったのだ。

 とはいえ何もしないわけにもいかない。

 軽く手招きをすれば、すっぽりと布で全身を覆い隠した嚮団員が彼の言葉をひとことでも聞きもらさんとばかりに屈む。

「使える子を……そうだね、四人くらいかな。オデュッセウスのおまけの連中にでも紛れ込ませて送っておいてよ」

 魔女にギアスは通じないが、まわりは違う。

 恐らくは彼女のそばにいるであろう、()()()の子も例外ではない。

 ナナリー・ヴィ・ブリタニア。

 あれは間違いなく母親と同じ、禍を呼ぶ女だ。

 C.C.の情報もあっただろうが、黒の騎士団が中華連邦の内部であれこれ細工をしているふしがあるのはこちらへの威嚇の意味もあるのだろう。本当に手を出してくる前に、潰さなければいけない。

 子供は長いため息を吐いた。

 夢を叶えることは、こんなにも面倒が多い。

 目を落とすと、魂を失ったコーネリアの肉体と目が合う。

 終わってしまったものは、どうにも気楽なものだ。

「大丈夫すぐ会えるよ」

 子供の顔に笑みが浮かぶ。

 それは、どこか疲れを感じさせるものだった。

 

 ──オデュッセウスの婚礼がご破算になる、数日前の出来事である。

 

 

 

 

 

 

 少女が外の世界を見るのは、言葉通り初めてなのだろう。

「洛陽がもうあんなに遠くに……」

 驚きで見開かれたその目は新しいものへの好奇心できらきらと輝く。

 ナイトメアから降りる少女へ手を貸しながら、藤堂はその横顔にいくつもの感情が浮かぶのを見守っていた。

 それを目にするのが自分であることにいささか後ろめたさを感じながら、ではあるが。

 事情こそ何一つ知らされていなかった藤堂ではあるが、決して察しが悪いわけでもない。

 彼女が口にした約束、それは全くの絵空事から出てきたものではない、そんな気がしていた。

 彼女がそれを口にした時の表情の柔らかさは、演技というにはあまりに素に近いものだった。

 多分、自分は『誰か』──恐らくはかの武官であろう──が果たすべきであった約束を横からさらってしまったのだ。

 己の考えに沈みかけた藤堂を、少女のつぶやきが現実に引き戻した。

 

「わたしのせかいは、あんなに小さかったのですね」

 

 笑顔というには子供らしからぬ自嘲を含んだ色を含んだそれに、藤堂は返すべきことばにひととき迷う。

 天子という地位が、この少女にとってどういうものか想像はできても理解はできない。

 正しく理解しているであろう男は残念ながら宦官らの手に落ちている。

 本来ならば、告げるべき人間は自分ではない──藤堂はそれでも口を開いた。

「世界は……いくらでも変わり、広がっていくものだ」

 それは藤堂の実感だ。

 八年前、最先端の兵器であったナイトメアフレーム部隊に対して早々に戦いを諦めていたとしたら、日本解放戦線と名を変えた旧組織の中で一歩引かず声をあげていたとしたら、ゼロに手を取らずあくまで死を選んでいたとしたら、千葉凪沙という人間にはじめから向き合っていたとしたら──選択にせよ偶然にせよ、自分の世界にはいくらでも姿を変える通過点があった。

 自分に限ったことでもないだろう。この少女は目隠しを取り、籠から一歩足を踏み出した。

 彼女の世界はすでに変わったのだ。

 籠に戻ったところで、すでに広がりを知ってしまった彼女の世界は小さくなってはくれない。

「怖くは、なかったのですか?」

 少女の思わぬ問いに藤堂は目を見張った。

 まっすぐに見上げる少女は為政者としては確かにお飾りのものに過ぎないのだろう。

 だが、その目は童のころを捨てようとしている。

 世界に踏み出し、世界に目を向けはじめた『人間』の目だ。

 

 ──それでも、恐れは捨てられない。迷いは捨てられない。

 せかいは──こわい。

 

 藤堂とて、それは馴染みのものだった。

 そうでなければ()()()()()()()()()()()()

 ぎこちない笑顔しかできない自分を自覚しながら、見上げる少女の目の高さに合わせるように藤堂は身を屈め笑いかけた。

「今でも怖いし、迷っているとも。きっと、この先もだ」

 それでも、進むしかない。止まってはいられない。

「だから、君も安心して迷って悩みなさい……その分頼りないかもしれないが、私も君の力になろう」

 できることがどれだけあるかなど、正直なところを言えば藤堂自身にもよくわからない。

 成り行き次第では明日をも知れぬ身だ。

 だが、心を決めかね状況に流された末に失うのはもう終わりにしたかった。

 少女はしばし藤堂の目をまっすぐに見つめ、やがて柔らかく微笑んだ。

「麗華、蒋麗華です。鏡志朗様……次からは、名前で呼んでください」

 

 

 

 神虎、追撃に現れたその青いナイトメアフレームは確かに強力ではあった。

 乗り手も万全であったなら──例えば本気で怒りにかられていたなら、必死であったなら、黒の騎士団のエース機もただでは済まなかっただろう。

 だが、そうはならなかった。

 皇神楽耶の入念な仕込みが功を奏し、天子の協力が得られたことが大きい。

 もちろん乗り手は並以上だ。だが、心が全力で戦いに向いていなければ、あの赤い戦鬼と渡り合えるはずもない。

 紅月カレンは──日頃と異なり頭に血が上っていない彼女は、恐ろしく的確に隙をついては堅実に神虎の力を削いでいく。それもあまり露骨ではない程度に、だ。

 神楽耶にあらかじめ強く言い含められていたせいもあって、抑制の効いた彼女は常とは違う強さを発揮している。それがどこか藤堂に似た動きであるのは偶然ではない。日頃の戦闘シミュレーションで相手になるのが藤堂くらいだったという積み重ねがある。

 彼女はやろうと思えばそういう戦い方ができる程度に日々学んでいるのだ。あまり日頃は要求されないだけで。

 

 そんな彼女を相手にせざるを得ない上に、おそらくかなり気落ちしているだろう黎星刻という男の、あまりの星の巡りの悪さに卜部は軽く天を仰いだ。

 かくいう卜部自身もあまり人ごとではない。

 まず、現在も調整の真っ最中であるこの新しい機体が気に入らない。とにかく落ち着かないのだ。

 かつてゼロがブリタニアから奪った機体、ガウェインをベースに改良を加えた蜃気楼という名のそれは、ご丁寧にも複座式という点も踏襲していた。

 つまり、卜部がナイトメアの騎手としての動きを担当するその後方には──淡々と指示を飛ばす盲目の少女が陣取っているのである。

 これで落ち着けという方が、無理だ。

 どういうわけか彼女に関する面倒ごとは、妙に自分に押し付けられることが多い。

 そもそも今の状況に引き込んだのが自分のせいであるのかもしれないが、それにしたってこのいかにもゼロ向きの機体に自分が乗るのは場違いだろうという気がする。

 どうせナナリーの駆使する絶対の防壁があるのだからゼロの扮装をしたC.C.でなんら支障はないはずなのだ。

 好みではない機体に、気が重くなる同乗者。

 空を駆ける紅蓮や月下の面影を残した機体──暁を羨ましげな目で眺めながら、卜部はため息をこらえた。

「カレンさん、ほどほどのところで仙波さんたちと交代して補給受けてくださいね」

 まだラウンズも出てきていない。一気に畳み掛けられそうな場になったらシュナイゼルはその札を切るのだろう。

 負けない勝負しかしない男だというのはナナリーの評であるが、負けても払わない系の『負けない』かもしれない。朝比奈が麻雀でよくやる──払え。

 まだ待機でほとんどすることのない卜部は益体もないことを思う。

 何しろこの状況に加えて、さっきから『声』は神楽耶も天子も見られない状況に不平をもらしまくっていて聞き苦しいのだ。

 同じように見た目は可憐な少女であるナナリーについてだが、最近は『おっかないからパスワン』とのことである。

 そこは卜部も同感であるが、現実はこのありさまである。

「はい、右翼の部隊はガンルゥが攻勢に出たら、あまり露骨ではない程度に下がってください」

 任せとけ、と威勢良く答えた玉城が真っ先に機体を大破させて離脱するのはいつものことである。扇が去った時こそ少し落ち込んでいたが、すぐに調子を取り戻したのはいいことである、多分。

 歩く砲台とでも形容すべき中華で多用される機体は、火力だけは侮るべきではないのだが小回りがきかない分動きが読みやすいし誘導もしやすい。

 そして機体のせいもあるが、何しろ指示を出す者が凡庸なのだ。彼女にしてみると数で押してくるだけで面白みも何もない相手なのだろう。声に物足りなさそうな響きがある。

 ふと、ナナリーがポツリと呟いた。

「こういうの、世間的には『ヌルゲー』って言うんでしたっけ」

『……やだもうこの子』

 卜部にはよくわからなかったが、『声』の反応からしてあまり良い表現ではないのだろう。やや険しい目で後部を振り返る。

「その物言い、絶対外で使うなよ」

 

 そこで釘をさす程度で止まるのは卜部がどうにも人がいい証拠なのだが、『声』は敢えてそこは指摘しない。関わるべき『フラグ』以外はどう転がるかわかったものではない。

 そもそも今の状況だって、干渉してすらいないのにアニメとはまるで違う。

 神楽耶はここまで悪質な根回しなどしていなかったし、天子も一時的とはいえ星刻に明らかに誤解を与えるであろう芝居を平然と打てるような少女ではなかった。だいたい彼が駆る神虎はもっと脅威であったはずである。

 いや、黎星刻という男は単なる一パイロットしてではなく、計略でもルルーシュを振り回したはずの男だったのだが、彼を大きく利したはずの地が、完全にナナリーに把握されていたのだ。

 一年ほどの逃亡生活で彼女は卜部らとともに各地を転々としたのだが、その期間を全く無駄にすることなく情報のすべてを力として蓄えていたのだから空恐ろしい。

 逆に彼の策を逆手に取り、さも不慣れな地で追い詰められているかのように装いながら斑鳩は陵墓へと進んでいる。

 ただし手段は贅沢である、無人操作の暁を犠牲の羊としているのだから。

 おかげでラクシャータがいささかご機嫌斜めだったのは『声』でもわかりやすいけどわかってしまったことなのであるが、それは余談である。

 彼をよそに少女がおどける。

「でも歯ごたえがないのは事実でしょう?」

 卜部が喉の奥で笑った。『声』にはない種類の笑いだ。

 肯定を含んだそれは、どんなに彼が平素は人が良かろうが──結局のところ、戦いを好む人間であることを示していた。

 信念やあの上官への忠誠、そういったものもあるだろう。だが八年間折れずに戦い続けられたのは、そういうことだ。

 かつてあのふわふわした世界で『彼女』は自分と卜部を『たましいの同位体』だと言った。

 どこが、というのが『声』の実感である。

 自分と卜部は──違いすぎた。

 

 演出は滞りなく進んでいる。

 ナナリーは安堵とともに次の段階へと策を進める。追いつめたという実感が生まれて初めて、あの兄はナイツ・オブ・ラウンズを投入してくるだろう。

 それは確かに黒の騎士団をいよいよ劣勢に立った()()()見せ、舞台をより盛り上げてくれることは想像に難くない。

 本当に、ディートハルト・リートという男は優秀だ。

 メロドラマの配信では無気力な様子だったが、一連の『提案』をした時は声を弾ませ意気揚々とこちらにはなかったアイディアまで次々と盛り込んでいったのは彼である。

 信頼はできない男だ。他に興味を惹かれる対象があればあっさり姿を消すだろう。

 だが、彼の満足する混乱を与える限りでは信用に足る。

 これからの仕込みも、その彼の働きが大きい。

 何事も、情報。

 一年前に知らなかったことで一番失いたくないものを失ってしまった彼女にとって、それは大きな教訓となっていた。

 

 

 

 黎星刻には世話になった義理がある。とはいえどもカレンにとって神虎というナイトメアフレームはほどよく落とすべき相手であった。

 ただし大破させず命はとらず、という難題付きであるが。

「まあ、カタログスペック通りのことしかしてこないから……いいけど」

 噂に聞いていたほどの手強さを感じないのは、間違いなく天子の『鏡志朗様』発言のせいだろう。気の毒ではあるが、おかげでことは順調に運ぶ。

 このままいけば、なんとなく拮抗しつつも押され気味になったように見える紅蓮ともどもこの青いナイトメアは斑鳩の甲板上に落ちるだろう。

「お風呂も借りたしご飯もご馳走になっておいて、ほんっと悪いんだけど、ごめんねー」

 領事館での諸々を思い起こし軽く手を合わす。あれは本当にありがたかった。

 ゆっくり入れる風呂など感謝してもし足りないほどだ。

 とはいえこちらにも事情がある。

 果たして紅月カレンは予定通りに神虎を巻き込みながら斑鳩上で派手に転倒した。

 そしてここが終点──天帝八十八陵だった。

 

 

 

 紅月カレンの芝居はそこそこのものだった。

 とはいえ、シュナイゼルにはある程度見透かされているかもしれない。ラウンズというカードを切ってくれるかどうかは完全に博打だ。

 藤堂はため息をつきそうになるのをぐっとこらえた。

 仙波からは、詫びの言葉とともに己のコクピットでの会話が、恐らくは映像つきで津々浦々に配信されたことを知らされている。

 天子を降ろしてやってからの会話まで配信されていたならば、もう逃げ出したい勢いだったが、幸いそこまではやられずに済んだらしい。

 見れば潰し合いになったとでも思いこんだのか、中華連邦の攻勢が一気に強まる。

 あまりにも単純に踊ってくれる相手に呆れながら、その中に毛色の違うナイトメアフレームを見つけ藤堂は気を引き締めた。

 全力ではないかもしれないとはいえ、()()のそれは十分に脅威であった。

「仙波、朝比奈、あしらう程度でいいことを忘れるなよ」

〈まあ許してくれる相手ではありますまい。ですが……承知!〉

〈中佐はそっち、ちゃんとやってくださいね!〉

 阿吽の呼吸で応じる部下に続いて僚機が数機飛び立つ。

 ここは時間稼ぎでいいのだ。なるべくならば犠牲は出したくない──ラウンズ相手では虫の良い願いではあるが。

 

「星刻……」

 少女の呟きに残った課題をどうにかこなさなくてはいけないことを思い出す。

 ナイトメアフレームから降ろした後はいくらお題目がお題目とはいえお役御免かと思いきや、「鏡志朗はちゃぁんと想い人に付いてあげるべきですわ」という神楽耶の圧のこもった()()()により、藤堂は麗華と供に斑鳩のメインブリッジにいる。

 周囲の目が優しいのが逆に居づらいのだが、神楽耶の命令もといお願いである、藤堂に逆らえる余地はなかった。

 それはさておきである。

 おそらくは本当の想い人であろう青年の窮地に、少女は芝居も忘れて駆け出してしまった。

 久しぶりに見る人間的な行動に、藤堂はどこか安心感を覚えながらもすぐにその後に続く。

「まったく、神楽耶様もナナリーくんも人が悪い……」

 そう、これも予想されていた展開ではある。だからこそ本来指揮に努める立場の藤堂が追うことができるのだ。

 あの二人も歳だけならば、頑是ない子供らしさがまだ少しはあっても良いはずなのだが──人の感情をきちんと理解できるというのに、それを利用することに躊躇がない。

 かの少女たちに空恐ろしさを覚えながら藤堂はあまり早すぎず、かつ助けが間に合う程度に小さな駆け落ち相手の背を追った。

 

 

 

 星刻は視界に入ったその姿に、少しばかりの喜びと最悪が訪れてしまったことを知った。

 天子が、まっすぐに自分だけを見て駆け寄ってくる──感情では喜んでしまう己がいる。だが、状況は最悪だった。

 戦場、なのである。現に今も、距離でいくらか弱まっているとはいえ着弾した砲撃の熱波がぶわりとその体を包む。

「天子様! なりません!! 御身は安全な場所に」

 言葉は抱擁によって遮られた。

「いいえ、いいえ、いいえ! 退きません、わたしは星刻を! 民を、この国を!! 見捨てたりなどしません!」

 言葉こそ勇ましいが声は震えていた。手も体も震えている。

 当たり前だ、天子は──蒋麗華という少女はただの子供なのだ。

 その、ただの子供はそれでもなお、留まり星刻の体をさらに強く抱きしめる。

「見捨てなど、するものですか……!」

 震えてはいる、だが、退くなどという選択肢ははじめから存在しないが如くに。

 

 弱く、そしてどこまでも強いその姿を嘲笑う声が響いた。

「愚か、愚か、所詮は血筋だけの小娘よ」

「駒としての価値すらもはやない、黒の騎士団ともども塵に帰してくれようぞ」

 宦官らである。情勢が有利と判断し、もはや天子がいようとも関係なく、一気に砲撃で仕留めるつもりなのだろう。オープンチャンネルで隠すこともなくただ欲に基づいただけの主張を垂れ流す。

「奸物どもが……国を食い荒らすだけの貴様らが天子様に弓を引くというのか……!」

「力こそ正道、力なきものがいくら吠えようが無駄、無意味極まりないわ」

「我らはもはや天子など必要ない、ブリタニアとはすでに約定が結ばれた、この国は、いや我らはブリタニアのもとでさらなる力を手に入れるのだ!」

 嗤いは不快なものとしてあたり一帯に響いた。

 

 

 混じり気なしの殺意を込めた目で睨み上げる星刻を、少し距離を置いて藤堂が少しばかり後ろめたい気持ちで眺める。

 彼は知っている、まったくもって窮地ではない。すべて仕込みである。

 シュナイゼルには見透かされていると思うのだが、止めようともしないあたり興味を失っているのかもしれない。

 なにしろ想像以上に宦官らが馬鹿過ぎる。わかっていないのだろうが、天子がデッキに上がってから、数こそ多いものの元々さほど高い士気が感じられない敵軍の動きが、輪をかけて精彩を欠いているのだ。囮の暁の損耗率も下がっている。

 ラウンズも牽制程度しか仕掛けてこない。こちらはゼロも紅蓮も出てこないというのが大きいのかもしれないが。

 それでもデッキは被弾の熱波が届く程度に危険ではある。星刻の警句はもっともであり、天子の怯えは本物である。

 上手な嘘をつくには、真実をひとかけら混ぜてあげることです──盲目の少女が告げた言葉が脳裏をよぎる。

 そしてその気の毒な二人の舞台はまさに最高潮を迎えていた。

 

「天子様、お願いです! どうか、どうかお逃げください!」

 そしてどちらかというと殺意のこもった目で藤堂を睨み上げ、星刻が吠える。

「藤堂鏡士朗! 貴様が天子様の思い人だというのなら、今すぐお連れして守りきれ!!」

 もっともである、もっともな言い分なのであるが、藤堂はぐっと堪えた。

「いや、私はここに留まり彼女の選択を守る。退かぬと、見捨てぬと言ったのだ…それを蔑ろにすることはできん」

 ある程度までは本心である。少女の決意そのものは本当に尊いものだと思っている、思ってはいるのだが。

 

 

(ちから)(ちから)(ちから)!いつでもついて回るのは(ちから)か!》

 ひときわ大きく響いたその声の主は──まさに舞台の奈落からせり上がるようにデッキに現れた。その背後に威容を従えて。

 

 

「ゼロ!」

 煮え切らない戦闘を続けていたスザクは声を荒げた。

 案の定時間を稼いでいただけだったじゃないかと思う程度に、準備万端と言わんばかりの真新しくどこか悪辣さを感じさせる黒いナイトメアフレームを従え、ゼロがそこにいる。

「スザク、突っ込むのはナシだぞ」

 ぐ、とスザクは呻いた。わかっている、この戦場は見せかけとは裏腹にすでに情勢はあちらに傾ききっている。報告が上がるたびにシュナイゼルが憂い顔になっていたのをスザクとて気づいていた。

 それすらわかっていなかったのはあの宦官たちくらいだろう、ある意味幸せな人々である。

「泥舟に乗る趣味はないよ……」

「なに、退く口実はこれからゼロが作ってくれることだろうさ」

 ジノの軽口にスザクは乾いた笑いをこぼした。

 

 

 ディートハルトは少し物足りなさそうな顔であれこれと指示を出している。

「仕掛けの時は楽しそうだったのになあ」

 スタッフの一人が不思議そうにディートハルトをちらりと見る。

「捨て策も全部ひっかかってくれたからな、やりごたえがないんだろう……」

 同僚の言葉にああ、という相槌と共にモニターの一つに視線を戻す。

「もうかなりの範囲で始まってますね」

 宦官らの暴言はすでにネットワークを通じてこの大国全域にばら撒かれている。

 天子という存在でかろうじて蓋されていた不平不満が、蜂起という形で溢れ出るのは当たり前の道理だった。

「すごいよな、まあそこからさらに油を注ぐのが俺らの仕事だけど」

 各地にゼロの演説が届くように、ネットワークは入念に構築されている。

 あとはゼロ次第だった。

 

 

 ゼロは──否、ゼロに扮したC.C.は肩を震わせる。

 それは怒りではない。あまりにもナナリーが予想した通りに宦官たちが愚かしいことを口走った、その滑稽さに笑いがこみ上げていたからだ。

「力こそ正道? 違うな、間違っているぞ!」

 大袈裟な身振りで彼女は演じる。仮面の魔王を──彼女のたった一人の共犯者を。

「教えてやろう正道あってこその力だと、正道なき力など……民は求めぬ!!」

 

 未だに何が起きようとしているのかわかっていない宦官たちは仮面の魔人を嗤った。

「ゼロよ、ずいぶんと青臭いことを」

「そのような単騎を従えただけで我らに対抗できるとでも?」

「もうその滑稽な仮面も見飽きたわ、さあ消えるがいい!」

 嗤い、そして砲撃を命じた。それこそが彼らの終わりの号令だった。

 

 

 絶対守護領域──名付けられたそれは、華美といえるほどの姿でパネル状のシールドを展開した。

「なんと……」

 戦闘艦の主砲を耐えきるそれに星刻は言葉を失っていた。

 

 一方、蜃気楼の中で卜部はそれでも少し背中に汗をかく。

「これ、角度が意外にシビアじゃないか……?」

『だよな、少しズレたらかなりやばい気がする』

 引き気味の『声』に同意しながら、拡散され無力化される敵艦の主砲を目の当たりにしている卜部はナナリーの反応を伺った。

「ドルイドシステムはお間抜けさんじゃありませんよ?」

 見えていないからでは、いや、この少女は見えていてもこの態度だろう。卜部は思い直し肩を落とした。

「拡散構造相転移砲……これはC.C.の合図に合わせるんだったな?」

 くすくすと笑い声が響く。

「ゼロの合図、ですよ、卜部さん」

 

 

 

「とことん救えんな……わかるか、貴様らはたった今、己の破滅を()()()()()

 

 ──見ているか、ルルーシュ。

 ──私はここにいる。お前の魔女は、ここにいる。

 

 C.C.は声を張った。

「大宦官……いや、国を食い荒らす害虫どもよ、お前らは終わりだ。ここで消えるがいい」

 それが、合図だった。

 

 

 

 ゼロの言う通り、とことんまで救えない者たちだった。

 黒い機体から発せられた砲撃により、あれだけ展開されていた部隊も宦官たちの旗艦もあっさりと沈黙させられてしまった中で、シュナイゼルはため息をついた。

 元々期待などないのだが、それにしても、どこで傍受されているかもわからないというのにああもべらべらといらぬことを捲し立て、見せかけの勝利に目を奪われ現実を判断できない愚鈍さでは生きていたところで宦官たちに未来などなかっただろう。

 シュナイゼルは背もたれに身を任せ、カノンをちらりと見る。

「枢木卿とヴァインベルグ卿はすでに帰投しました」

「ありがとうカノン、彼らは父上からの大事な預かりものだからね」

 カノンに微笑みながら、シュナイゼルはひとつため息をついた。

 そうあれと望まれたことをこなすのが彼だ。

 習慣付いたそれは野心でもなんでもない。

 今回は特段自分の負けでは無い、彼にとってそれで十分だった。

 大体、オデュッセウスについてきた姉妹らもこれ以上戦場に興味など持たないだろう。

 撤退の準備を始めながら、ふと彼は思う。

 そもそも、初めからあのゼロは自分を相手にした勝負などしていたのだろうか。

 諸外国へのアピール、それはもちろん含まれているだろうが、もっと──そう、もっと()()()()()()への示威に利用されたのでは、そこまで考えてからシュナイゼルはかぶりを振る。

 あり得なかった。

 ここまでのことをゼロは仕掛け自分は退き、世界はゼロと中華が手を結んだと知った。

 それだけの、はずだった。

 

 

 シュナイゼルはとっくに察しがついていたのだろう、ブリタニア機は撤退をはじめていた。ラウンズの姿もすでに戦場にはない。

 そしてディートハルトの仕込みは完璧だった。

 宦官自身の言葉が決定打だったのだ。ネットを、そして乗っ取ったメディアを通じて届けられたそれはくすぶっていた火薬を一気に炸裂させた。

 各地の蜂起は絶妙なタイミングで始まり広がっていき、ブリタニアへ恭順の姿勢を見せようとした体勢側を覆していった。

 元から不平を隠していた者は多い。

 そこに天子を不要と断じた宦官と、ゼロという劇薬。

 ゼロの言葉と圧倒的な力に人々は完全に魅せられ、流された。

 ()()()()()は気持ちが良い。民衆を止めるものは無くなっていた。

 

 

 

 星刻の部下の救助が済んだという報告をデッキのゼロに伝えに行ったカレンは少し思い直した。

 今のゼロはC.C.が演じているに過ぎない。

 頭ではわかっていながらも、カレンはその仕草のひとつひとつにゼロを見てしまう。星刻らと相対するその姿も、やはり彼女の知るゼロのように大仰で芝居がかっている。

 本当にこれはC.C.なのだろうか、そう思うカレンの目の前でゼロはくるりとマントを翻らせながら星刻に問いかけた。

「黎星刻よ、さて、お前はどうする」

 青年の傍で幼い少女が少し怯えた顔をする。

「天子は言ったな、国も、民も、お前もまた見捨てぬと」

 天子、という言葉で星刻の目が揺れた。

「私は、天子様に救われるにはふさわしくない…弓を引いたも同然の身だ」

 絞り出された声に、天子がなにか言い募ろうとするがその星刻当人に止められてしまう。

「お守りするのであれば、あの…藤……堂、鏡志朗、がい……るだろう」

 物凄い歯切れの悪さで指しされた藤堂をカレンがちらりと見れば、静かに瞑目していた。

 なんとなくだが、最近彼女にもわかってきたことがある。

 おそらくだが、藤堂は今相当居心地が悪く、できれば逃げたいとか思っていのだろう。

 ダメですよ、と心のうちで釘をさしつつ成り行きを見守る。

「逃げるのか、彼女の決意から」

 痛いところをつかれた星刻が押し黙る。

「彼女は籠を自らの意思で飛び出し、捨てないために、ありとあらゆる手段で行動した、それをお前は……捨てるのか?」

 それはカレンの耳に、ゼロのようでもありC.C.自身の言葉のようにも響く。

 反論しようとした星刻を遮って、天子が声を上げた。

「違うの、そうじゃないの!」

 ぽろぽろと少女の目から涙が溢れる。

「わたしは、わたしは……星刻の荷物になりたくなんかないの、星刻には……笑ってほしいの、そんな顔してほしくないの!」

 なおも言葉を紡ごうとして叶わず、少女はしゃくりあげる。

 それはもうただの泣き出してしまった子供の姿だ。

 だが、それでいいのだろうとカレンは知らず微笑んでいた。

 現に、かの青年は少女の目線までしゃがみ、優しく声をかけている。

 傍らの藤堂が穏やかに見守っているのは、この人ならそうだろうという思いがある。ゼロ、否、C.C.からもどこか穏やかな気配が感じられるのは自分の買いかぶりかもしれない。

 だが、それでも──『優しい世界』、カレンはどこかで聞いた言葉を思い出していた。

 

 

 

 

 

 

 ディートハルトの策は完全に成功、星刻の部下もほぼ全員救助。

 撤退していくブリタニア軍を見送りながら卜部は大きく息をついた。

 特に黎星刻の直属の部下を保護できたというのが大きい。散々振り回したのだ、これくらいの義理を果たせなくては立つ瀬がない。

 ずるずるとコクピットブロックの背もたれに体を預け力を抜いた卜部に、ナナリーが声をかけた。

「これでほぼ、一件落着でしょうか、これからも蜃気楼をお願いしますね」

 うぐ、と卜部は声を詰まらせる。実戦で動かしてみても印象は変わらなかった。もっと小回りがきいて自分の判断で動かせる機体の方が好みなのだ。

「卜部さん?」

『逃げられんよこれは……』

 『声』の追撃も元気がない。付き合わされるのは一緒だからだろう。

「……努力する」

 かろうじて絞り出した返事と共に顔を上げる。デッキではC.C.演じるゼロに藤堂とカレン、星刻とまだべそをかいている天子の姿がある。

 そう、この先忙しくはなるだろうが悪い方向ではない。いや藤堂は多少苦労させられるだろうが。

 ふっと笑いにも似たため息を一つこぼしてから卜部はそれに気づいた。

 

 いつからいたのか、広いデッキの目立たぬ場所に見慣れぬ子供たちの姿があった。

 ぱっと見て四人ほどだろうか──日本人では、ない。

 その子らの目がこちらをまっすぐに見据え、そして赤い輝きを、放った。

 まずい、そう思った瞬間に卜部の体は自由を失った。

 

 

 片目を赤く輝かせた子どもたち。

 名前は知らない、顔だってろくに覚えていない。

 だが、『声』はその力を知っている──視認だけで発動するほどの能力者がいることまでは知らなかったが──指をこちらへ向ける行為は何を意味するかも。

 卜部は勝手に動く体に焦っている。ナナリーは見えないながらも異常を感じ取っているのだろう。彼らの意思をよそにぎこちなく蜃気楼が動き出す、天子に星刻、カレンに藤堂、そしてC.C.扮するゼロ──要となる人間が集まったデッキへ牙をむこうと。

 自分は、どうすればいいかを知っている。

 今ギアスに支配された卜部の体なら、動かせるとわかっている。

 方法は、簡単で──。

 

 

 急に蜃気楼が、脚部からスラッシュハーケンを放った。

 卜部は直前までとはまるで違う感覚が自分の体を突然動かしたことに遅れて気づく。

「な……」

 言葉を失った先では、血と肉片が飛び散っていた。

 さっきまでいた子どもたちが、一人を除いて残骸に成り果てている。

 残った一人も意図されたものかどうかは怪しい。状況を把握できずに、ぽかんとしていたが、やがて手から何かを振り落とした。

 床で跳ねたそれは、子どもの小さな手。

 気づいた瞬間に胃の腑から何かがこみ上げてくる。

 手が、震えている。

 おかしい。

 これは──自分の感覚では、ない。

「おい……」

 胃の腑がひっくり返るような感覚も、吹き出る汗も、何もかも、自分の感覚ではない。

 だが、これを卜部は知っていた。

 ずっと昔、実戦というものを初めて経験した時──初めて、人を殺した時のそれ。

 ()の感覚かなど考えるまでもない。

 たったいま子供を肉片に変えた『声』のそれだ。

『ギアスが止まればいいって、思っただけなんだ、あんな……人が、あんな』

 ぶつぶつと呟く『声』はおそらくまわりの状況など見えていない。

 卜部はかける言葉も思いつかないまま、ただ『ギアス』という耳慣れぬ単語だけ記憶に刻みつける。

「南さん、あの区画の生き残りを確保してください。ブリタニアの工作員です」

 淡々と指示を出すナナリーの声でようやく卜部は我に返った。

 肉片と血を浴びたまま呆然としている子供が指示を受けた団員に連れて行かれるのを視界の隅におさめながら、卜部は込み上げてくる不快感を押し殺す。

 これは、自分のものではない。

『だって、ああしなきゃ、俺は……』

 呟きつつける『声』を振り払うように卜部はナナリーを振り返り、顔を強張らせた。

 

 笑って、いる。

 

「卜部さん、狐狩りを知っていますか?」

 己の手を確かめるようにさすっているのは、おそらく彼女もまた『力』の影響下にあったということなのだろう。

「こんなにうまくいくとは思いませんでしたけど。もう、巣を突き止めたも同然です」

 血にまみれ呆然としていた異能の力を持つ子供、人を殺して震える『声』。

 目の前の盲目の少女は、人ならざる彼らより──人でありながら、化け物だった。

 化け物が、卜部を()()

「ねえ卜部さん、あなたのお話し相手……『ここ』にいらっしゃるんでしょう?」

 ナナリーは、笑っている。

「そろそろ、私にもお話しさせてくれませんか?」

 

 

 

 

 

 

 蜃気楼とその周辺の慌ただしさに藤堂は通信を入れた。

「卜部、何があった?」

 激しい衝撃音は耳にしていたが、それはちょうど目を離した瞬間だったので状況がつかめない。

〈いえ……もうカタはついてますから、それより嫁さんの面倒見てやってくださいよ〉

 少し硬い声だと思ったのも一瞬で、すぐにからかうような声音に変わった卜部に藤堂はむっと口を引き結ぶ。

「お前までそういうことを……」

〈腹ァくくってくださいよ、世界中に配信されちまったんですから〉

 ため息をもらす間に通信はむこうから切られ、半ば諦め気味に藤堂は花嫁姿の少女と彼女と目が合うようにしゃがんでいる青年に目を向けた。

 少女はさっきからずっと泣き通しで、青年は穏やかに優しく彼女の言葉に頷きで返す。

 彼女の本当に欲していたもの、そのささやかではあるが叶えることができなかったそれが今ここにあるのだろう。

 藤堂は知らず笑みを浮かべていた。

 

 蒋麗華、天子と呼ばれるその少女は今度こそ本物の涙をぽろぽろこぼしている。

 ぬぐってもぬぐっても止まらない、きりがない。

 こんなことはもっと幼い頃以来だ。

「いやなの……」

 自分の目に高さにしゃがんでいる星刻の顔が涙で歪む。

 きっと困った顔をしている。

 彼女はよく知っていた。

 この青年は困った顔をして、それでもあの日──永続調和の誓いを立ててくれたのだから。

「わたしはもう、わたしのせいで星刻が苦しいのは、いやなの」

 だから考えたのだ。あの檻を壊す方法を、手段を。

「でも、そばにいて欲しくて、そばにいたくて、だから、だから」

 本当に側にいられるために、一度離れ離れになっても大丈夫、そう思い込もうとした。

「神楽耶といっぱい考えたの、一緒で、苦しくなくて、笑って、楽しくて、一緒で」

 大丈夫、うまくいく。そう思っていたけれども不安だった。

 民のため、という言葉はまださほど実感があるわけではない。

 だが自分のためだけではないことのために立ち上がった星刻に力を、そうなることをわかっていても。

 苦しむ姿を見るのは、苦しむ声を聞くことには、耐えられなかった。

「わたしは、わたしは……やっぱり難しいことはよくわからないけど、星刻に笑って欲しかったの」

 今、自分はどんな顔をしているのだろうか。きっと涙でぐしゃぐしゃでみっともない。

 涙を止めることもできない彼女の手を、大きな手が優しく包むように握った。

「ご安心ください、天子様」

 星刻は彼女をまっすぐに見る。

「私は天子様が望むなら、いくらでもおそばに仕え、笑ってみせます」

 優しい言葉だ。だが、その優しさだけでは──また彼が傷ついてしまうだろう。

 少女もまた、青年をまっすぐに見つめる。

 できること、はじめるべきことが自分なりにあるはずだった。

「星刻、じゃあわたしは……わたしはあなたが笑ってくれる世界にできるよう、がんばる」

 ほんの少しの驚きが星刻の表情に浮かび、それはたちまち心からの笑顔に取って代わられた。

 そして互いの手が束の間離れ、いつかのそれに変わる。

 互いの親指と小指を合わせる、かつてと同じ、けれどももっと晴れやかな笑顔で結ばれる──永続調和の、契り。

 

 

 少女の言葉はさっきまでのお芝居などとは違う要領を得ないたどたどしいものだった。

 だが、誓いは明確だった。

 あれが蒋麗華という少女の姿なのだ。

 言葉で伝え切れるものなどないが、伝えようとすること、受け止めようとすること、それ自体に意味があるのだ。

 誓いを交わす二人の姿が藤堂には眩しかった。

 自分と千葉は、それぞれ感情を言葉にすることすらできなかった。できないまま、終わってしまった。

 

 

「……黎星刻、君には私からも謝罪しよう」

 天子へ見せていた柔らかい笑顔をたちまち引っ込め、こちらを睨み返す青年の姿に藤堂はおかしみを覚えたが押し殺す。

 彼もまた、想いに関しては実に素直な人間だ。

「だまし討ちのようで心苦しいが、約定は約定だ。私は立場を受け入れる」

 本音の部分はともかく、建前の方はしっかりと公になってしまっている。名目上、天子の夫という立場からの逃げ道は完全に塞がれている。

 まったくもって、皇神楽耶はうまくやったものである。

 藤堂の顔に、穏やかな笑みが浮かぶ。

 憑き物が落ちた気分だった。

「だが、私は命をかけて君と蒋麗華の誓いを……いや、君たち二人を守ろう」

 二人の約束は最初は他愛のないものだったのかもしれない。それでも今に繋がったそれが、尊いものに思えて、藤堂も己に誓いを立てた。

 嘘でも偽りでも何でも利用して、その中の輝くものを守ろうと。

 

 

 天子はさりげなく名前で呼ばれたことに気づいた。

 確かに名前で呼べと言ったのは自分ではある。

 さっきは段取りに必死であまり意識していなかったが、落ち着いてみると気恥ずかしさが込み上げ、少女は頬を赤く染めうつむいた。

 一方で元々敵意しかない星刻は殺気を隠す気もなくなっている。

 頭ではわかっている、頭ではわかっているのだ。藤堂鏡志朗は誠意で応える気だと。

 だが敬愛する天子をフルネームで呼ぶのはそれとこれとは別である。普通に腹が立つ。彼女が照れているのに気づいてしまったから尚更である。

 大体こちらは守られるほど弱い人間ではない。いや天子様はお守りしなければならないが。

 それは自分の、そう、自分の役割である。

「……貴様に守られんでも我らは」

 星刻がいきり立った感情を言葉にそのままのせかけたところで邪魔が入った。

「はいはい、キリないからそこまでにしてくださいよ」

 すっぱりと打ち切って仲裁に入ったのは朝比奈だった。面倒臭そうに頭を掻いている。

 星刻の部下である香凛も慣れた様子で間に入る。すでに保護されて時間は経っている。だいたいの事情は飲み込めている。

 そして彼女もまた、星刻の『こういうところ』とは付き合いが長い。

「星刻様、天子様も今日はお疲れですし、ひとまず中へ」

 天子の名を出されるとぐうの音も出ないのが星刻という男である。

「さあ、咲世子の温かいお茶もありますから、こちらへどうぞ」

 落ち着くのを待っていたらしい神楽耶が要領よく彼らを斑鳩の中へと導いていく。

 彼らが斑鳩の中へ消えると、朝比奈が口を開いた。

「少し、安心しました」

 その視線はまだ彼らを追ったままでこちらを見るでもない。藤堂は朝比奈の言葉を待った。

「藤堂さん、今は生きてる顔してますよ」

 いつもは懐いた犬のようにまっすぐこちらを見る朝比奈が、珍しくこちらを見ない。

 その耳が少し赤い。

 藤堂はわずかにうつむき小さく笑みを浮かべた。

 朝比奈の言う通りだった。

 少女たちの悪戯めいたはかりごとの結果だとしても、そこで得たものはあった。

 

 

 自分は今、生きている。

 

 




発掘したファイルに少し手を入れただけなので、おかしい点が多々あるかと思います。
とりあえず残っているファイルも合間合間の『いい感じの戦闘が挟まってから場面転換』などのテキストを文章に置き換えたりして、おいおい追加していく予定です。


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