黄昏時の約束 (ナナシの新人)
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Prologue
Prologue ~初恋~


都合上、主人公を含めた数人の視点で進みます。
なお、一話の中で視点が切り替わることはありません。あくまでも話数によって変わります。その際は、前書きに誰視点かを記載します。


 彼女と初めて言葉を交わしたのは、小学六年の卒業間近の頃だった。放課後の下校時間が迫り、教室へ忘れ物を取りに行った俺は、校舎に残っている生徒も誰も居ない廊下を一人歩いていた。

 季節は、冬。冬至を過ぎたとはいえ、まだ早い時間から沈み始めた太陽は陰り、徐々に気温を下げていく。暗くなる前に帰宅しようと廊下を早足で歩いていると、誰も居ない教室で人影を見た気がして少し廊下を戻り、教室の前のドアから中を覗いてみた。

 オレンジ色の日差しが差し込む教室、その窓際の席の前で、彼女は一人何かを見つめて佇んでいた。

 

「どうしたの?」

「――っ!?」

 

 切なさを感じる後ろ姿が気になって、声をかけた。誰も来ないと思っていたのだろ、突然の声に驚いた彼女は、若干身体を震わせた。

 

「なんでもない......」

 

 小さな声で言った彼女の足下にはノートや教科書が散乱していて、黒いインクで醜く汚い言葉の羅列が書き殴られていた。

 ――胸くそが悪い。

 子どもながらに感じたことを、今でもよく覚えている。

 

「触らないで......!」

 

 無残に散らばったノートを拾おうとしたところを、大声で拒絶された。しゃがんだ彼女は、両手で隠すようにして散らばったノートや教科書を抱え込む。

 

「こんなの何でもない。いつものことだから」

 

 そう言った彼女の表情(かお)は前髪で隠されて見えなかったが、強がっていることは容易に想像できた。

 ごめん、と反射的に謝って教室を出た俺は、職員室で教師に許可をもらって資料室に備蓄されている予備の教科書を持ち、彼女が居る教室へ戻った。彼女は膝を抱えて座ったまま、使い物にならなくなった教科書を片付けていた。

 

「これ」

「......なに?」

 

 彼女は、俺が持ってきた新しい教科書を見つめ黙ったまま受け取ろうとしない。

 

「新しい教科書。もうすぐ卒業だけどさ、まだ授業あるし、ないと困るでしょ? 理由は掃除の時間にバケツをひっくり返したことにしてあるから」

「......余計なお世話」

 

 タメ息に近いような呼吸をひとつして、教科書を机の上に置いてから彼女に背を向けて、教室のドアへと歩き出す。

 

「......あの!」

「ん? なに」

 

 彼女の声に身を翻して、向き直す。

 オレンジだった日差しは、いつの間にかスミレ色に変わり始め、夜の訪れを告げる。そんな、ある冬の日の黄昏時、二人きりの教室。

 

「......ありがと」

 

 教科書を胸に抱いて、少しうつむき加減でお礼を言ってくれた彼女の頬には、大きく綺麗な瞳からこぼれた落ちた涙の跡と残っていて。それが、とても印象的で――。

 目を奪われて動けないでいた俺を見た彼女は「どうしたの?」と、不思議そうに首を傾げた。

 

 この時、俺は――彼女に恋をした。

 

 

           * * *

 

 

 ジリジリと肌を焼く強烈な日差し、滝のように流れ出す汗、鮮やかな緑色の手入れの行き届いた、鮮やかな萌葱色の芝生のフィールドに真夏の生温い風が吹き抜ける。息を吐いて顔をあげる。スタンドには、「全国制覇」と書かれた横断幕が掲げられている。

 フィールドでは、二種類のユニフォームを着た選手たちが声を張り上げながら、白いボールを追いかけ攻防を繰り広げている。

 俺も、その中の一人だ。

 中学最後の大会、全国中学サッカー大会決勝戦のピッチに俺は立っている。ゴール裏スタンド上部に設置巨大なスクリーンには、2-1とスコアが映し出されている。

 

「裏!」

「頼むッ!」

「オーライ! ナイスパスッ!」

 

 一点リードで迎えた後半アディショナルタイム。チームメイトからの絶妙なタイミングのスルーパスが出た。相手ディフェンダーの裏に抜け出し、ペナルティーエリア内でボールを受ける。ゴールキーパーとの一対一飛び出して来たキーパーを冷静にかわして、軸足の右足に体重を乗せシュート体勢に入る。

 ゴールまで、あと五メートル。

 目の前に妨げる者は居ない、無人のゴール。完全にフリー、打てば確実に決まる、残り時間的にダメ押しの決定打。

 俺は、左足を振り抜いた――。

 

「――ッ!? ハァハァ......」

 

 気がつくと、ベッドで横になっていた。

 カーテンの隙間から差し込む朝日が眩しい。枕元で、スマホの目覚ましアラームが鳴り響いていた。

 ――また、あの時の夢か......。

 寝汗でべっとりと湿ったシャツが気持ち悪い。ひとつ息を吐いて右手を伸ばし、手探りで今なお鳴り響き続ける目覚ましアラームを止める。

 

「ほっ、はぁ~......」

 

 上半身を起こして思い切り腕と背中を伸ばす。ベッドを降りてカーテンと窓を開けると、まだ少し肌寒い春の風が部屋に流れ込み、寝苦しさでほてった身体を冷やしてくれた。

 窓の外に広がる街並みを眺める。自然の少ない密集した住宅街。遠くにはコンクリートのビルが建ち並び、赤と白の一際大きな二本のシンボルタワーが、ここが東京であることを実感させてくれる。

 一月前に住んでいた街とはまるで正反対で環境に若干の戸惑いを覚えながら、シャワーで寝汗を流して、手短に朝食を済ませ。クローゼットにかけてある、真新しい制服に身を包み、身支度を整えてから部屋を出る。

 爽やかな朝の空気。どこからか舞ってきた薄桃色の桜の花びらが始まりの季節を告げている。

 

「行ってきます」

 

 挨拶をしても当然ながら誰も居ない家からは、返事は返ってこない。なぜなら、この春から高校進学に伴い東京都内のとある街のアパートで一人暮らしを始めたから。

 新しい学校生活に胸が踊る――と言うことは特にはなく。高層ビルとアスファルトで固められた地面と、人工物に囲まれた都会の風景が続く、以前住んでいた街とは正反対の通学路をゆっくり歩いて20分弱の登校時間で、校門前に辿り着いた。

 門に刻まれた校名――私立朱雀高校。

 東京都内でも有数の名門進学校。今日からここが、三年間通うことになる新しい学校。校門を潜り、生徒会役員と思われる上級生の案内に従って、昇降口前に貼り出されたクラス分けを左から順番に確認。

 

「えーと、み、み......あった......」

 

 ――宮内(みやうち) 結人(ゆいと)。自分の名前が1-Aの欄にあるのを確認し、手入れの行き届いた自然の多い敷地を歩き、入学式が執り行われる体育館へ向かう。クラス別の出席番号順に用意された自分の席に腰を掛けて、入学式が始まるのを待つ。入学式は時間通り始まった。

 中学時代サッカー部で静岡県の代表校として全国制覇を果たした俺は、とある理由で県内外の名門強豪校の誘いを全て蹴り、この朱雀高校への進学を決めた。この学校を選んだ理由は幾つかあるが、主な理由は進学率の高さ。俺の将来に関わる知識を得るために、この学校を選んだ。

 そして――。

 

『理事長先生ありがとうございました。それでは、新入生のみなさんは、先生方の指示に従い教室へ移動してください』

 

 学園長の長いありがたい話が終わり、眼鏡をかけた美人生徒会長の指示通り、クラス担任の誘導の元移動を開始。クラス担任の先導で、講堂を後にするため席を立ち歩き出した時だった。

 同じ様に移動している新入生の中に――。

 あの冬の日、黄昏時の教室で恋をした彼女が、目の前に居た。




第一話拝読ありがとうございます。
感想等、お気軽にどうぞ。


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Episode1 ~エール~

若干のネタバレを含みますのでご了承ください。
キャラの一人称は原作漫画を参考に書いています。
例。
宮村(みやむら)→オレ
山田(やまだ)→俺


「あ、宮内(みやうち)くんおはよー」

「おはよう」

 

 今日も、いつものように時間に余裕を持っての登校。教室に入り、先に登校しているクラスメイトと挨拶を交わしてから、席に着く。

 入学式から、おおよそ二週間あまり。慌ただしい時が過ぎ去り、綺麗に咲き誇っていた桜の花も散り、校庭の木々は鮮やかな黄緑色の新しい葉が芽吹き、新緑の季節が近づいてきた。徐々に新しい学校生活にも慣れ始めた、四月下旬。

 

「ねぇねぇ、昨日の数学なんだけど」

「ん? どこ? ああ、これね。ペン借りるね」

「あっ、あたしにも教えてー」

 

 一時間目の準備をしていると、近くの席の女子たちが教科書とノートを持って話しかけてきた。進学校というだけのことはあり、普段の会話も勉強中心の話題が多く、お互いの苦手な教科を教え合うことも少なくない。

 ただひとつだけ、俺はに彼女たちにだけではなくクラスメイト全員に申し訳なく感じていることがある。

 それは――。

 

「おーい。宮内(みやうち)、三年生が呼んでるぞー」

「わかった。ごめん、ちょっと行ってくるね」

 

 ――またか。漏れそうになったため息を堪える。

 教室のドアの前に居る見覚えのある体格の良い男子生徒は、入口を塞ぐ形で、スライドドアの側面に腕を組んで寄りかかっていた。ホームルームの時間が近づき、次々に登校してくるクラスメイトたちは、その厳つい体格に怯み、仕方なく後ろのドアに回って教室に入ってくることを余儀なくされる状況になっていた。

 いかんともし難いこの状況を打開するため、彼女たちに断りを入れて席を立ち、教室前方の入口でクラスメイトの登校の邪魔になっている三年の男子生徒の元へと向かう。

 

「朝から呼び出して悪いな。気は変わったか?」

「とりあえず、廊下へ出ましょう。迷惑になります」

「あ、そうだな。すまん......」

 

 少し語気を強めにいうと、彼は素直に廊下へ出て、廊下の壁に寄りかかり腕を組み直して、さっそく本題を切り出した。

 用件は――サッカー部への勧誘。

 サッカーのキャプテンを務めるこの男子生徒は、既に何度も断っているにも関わらず、入学初日から毎日教室へ足を運び続け「サッカー部へ入部してくれ!」と、もう聞き飽きるほど勧誘をしてくる。だから昼休みになると、捕まる前に教室を抜け出し、階段を昇って校舎最上階に設置されている扉を開き、屋上へ足を運ぶのが日課になった。

 初夏のような穏やかで暖かい日差しと、爽やかな風が頬を撫でる。心地よく過ごしやすい空気を感じながら空を見上げる。空には雲ひとつない青空が広がっていた。

 目をつむり、大きく、そして深く、ゆっくりとひとつ深呼吸をしてから扉付近の外壁を背もたれに座り、自炊した弁当と登校途中に購入したお茶のボトルで昼食を食べる。

 そして、食べ終わる頃になるといつも――キィ......と金属製の扉が擦れる音を鳴らして開き、髪を二つのおさげに結んだ眼鏡をかけた少女が本を片手に、校舎から屋上へ出てくる。

 

「こんにちは、いい天気だね」

「......あなた、今日も居るのね」

 

 彼女は扉を挟んで俺とは反対側へ座り、いつも通り本に目を落として答えた。

 この子は今、俺が一番気になっている女の子。

 クラスメイトで、過度な馴れ合いはせず、クラスではいつも一人ぼっち。俺と同じで、別の中学校出身。それも、超名門女子校から朱雀高校へ進学して来たためか、中学の頃の友人はひとりおらず、新しく友だちを作るのも苦手なタイプようだ。

 さらに彼女の寡黙な性格に加え、朱雀高校は幼稚園から大学まであるため、既に仲のいいグループが出来上がっているのも要因のひとつだと言える。

 

「今日は、何を読んでるの?」

「......公民」

「次の予習だね」

「ええ、そう」

 

 いつも、これだけで会話が終わってしまう。むしろ話しかけるなとも感じるほど、彼女の声は冷めている。だけど、今日は違った。彼女は教科書から目を落としたまま、俺との会話を続けてくれた。

 

「さっき、三年生があなたを探していたわ」

「ああ~......うん、ありがとう」

「戻らなくていいの?」

「今朝と同じ用事だから」

「......部活、しないの?」

「俺、一人暮らししてるから放課後はバイトがあるんだ」

「そう......」

 

 どうやらこれで、彼女との会話は終わりのようだ。けど、こんなチャンスは二度と訪れないかも知れない、だから今度は、俺から話を振ってみた。

 

「部活入らないの?」

「放課後は塾があるから」

「そっか、お互い大変だね。教えてくれてありがとう」

「別に。()()、どうしたの?」

「ん? ああ、()()?」

 

 彼女が見ている視線の先を確認して指を差すと、小さく頷いた。正直に話しても良かったけど、これがもう一度話すきっかけになるのではないかと思ったから、あえて違う返し方をした。

 

「もう少し親しくなったら教えてあげる」

「......なら、別にいいわ」

 

 期待通りの返事が返ってきて、何となくほっとした。

 

「あははっ、そうですか。そうだ、ここに俺がいるの内緒にしておいてくれると助かる」

「別に話す必要ないし」

「うん、ありがとう。またね」

 

 彼女からの返事は返って来なかった。

 でも、翌日から少しづつ俺たちの関係に変化が訪れた。といっても大きなことじゃない。少し会話が増えた程度だった。それでも着実にいい方へ向かっている。彼女はどうかわからないけど。少なくとも俺は、そう感じていた。

 

「俺、明日からしばらく学校を休むことになりそうなんだ」

「そう」

「だから。はい、これ」

「なに?」

「電話番号とアドレス。何かあったら、いつでも連絡してきて」

 

 彼女は、戸惑いながらも連絡を書いた紙を受け取ってくれた。

 それは季節が梅雨に入る、数日前の出来事だった。

 俺はこの日、午後から学校を休んで都内の有名病院に足を運んだ。受け付けの看護師に名前を伝え、呼ばれるのを待っていると、スマホのバイブが振動してメッセージが届いた。

 

宮内(みやうち)さん、どうぞ」

「あ、はい」

 

 俺は一度病院を出て、返事を送信してから診察室へ入る。

 四十代前半の男性医師が、ボードに貼ったカルテを見ながら容態を解りやすく説明してくれた。

 

「今後のことは、ご両親と相談の上で......」

「許可はもらっています。お願いします」

 

 右足の手術に対する同意書を、これから主治医となる医者へ手渡す。

 あの日、中学最後の大会のアディショナルタイム。

 視界には青い空が広がり、遠くに夏の象徴である巨大な入道雲。まるで米粒のように小さな旅客機が、青いキャンバスに白い線を引いて流れていた。

 どうやら、ピッチ上に仰向けで倒れているようだ。心臓の音が、やたらと大きく聴こえる。呼吸も荒い。

 ――いったい、どうなったんだ? ゴールは決まったのか。

 ままならない呼吸を整えながら、顔を横に向ける。蹴ったハズのボールが少し離れたところに転がっていた。近くでチームメイトが、相手選手の胸ぐらを掴み上げ、険しい剣幕で怒鳴りつけている。主審や別のチームメイト、相手選手が止めに入るも、どんどんヒートアップしてまるで収まる気配はない。

 止めに入ろうと身体を起こそうと試みた直後、そこで意識を失った。

 そして次、目を覚ました時――俺の右足は動かなかった。

 シュート体勢に入っていた俺は、体重が乗った軸足に悪質なチャージを受けて右膝を壊した。場所が場所だっただけに一度の手術では完治せず、今なお、後遺症が残っている。

 

「わかりました。それでは、手術の日程を決めましょう」

「はい。学校側とは話はついていますので」

「そうですか。では、なるたけ早めにしましょう」

 

 主治医がスケジュールを調べている間、先ほどのメッセージの内容を思い返していた。着信相手は、電話帳に登録していないアドレス。屋上の、あの子だった。メッセージの内容は「ちょっとだけ、気になる人が出来ました」と、ひとことだけ綴られていた。「そっか、頑張れ!」とすぐに返事を返した。

 

「この日でいかかがでしょう?」

「あ、はい、お願いします」

「それでは、その方向で調整します。手術にあたっての入院についてですが――」

 

 主治医の話を聞きながら、俺は窓の外に目を向ける。

 どこまでも続く青空は、彼女との距離が少し縮まったあの日と同じだった。

 窓の外に広がる青空へ向かって俺は、あの子に心からのエールを送る。

 

 ――がんばれ、白石(しらいし)



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Episode2 ~レモン色の月~

 病室のベッドから、窓の外へ目を向ける。

 時刻はもう16時を回っているのにも関わらず、まだまだ太陽は高く、気温も蒸し暑い。ビルが多い東京の街の中でも多くの木々が茂る病院の中庭では蝉時雨が響き、季節はすっかり夏の様相を呈してきた。

 右膝の手術はあらかじめ、カルテを提出していたことで診察からトントン拍子に話が進んだ。手術日程が決まり、術前の精密検査の結果を受け、右膝の手術は段階的に経過を見ながら複数に回分けて行うことになった。日本有数の整形外科医師の執刀のもと一回目の手術は無事成功を納めたのだが、代償として、大きなモノを支払うことになってしまった。

 それは――。

 

「......暇だ」

 

 枕を背もたれにして読んでいた本を、ベッド脇のパイプ椅子に積んである本の上に重ねて置く。

 支払った代償――それは、充実感。

 手術から一月弱。当然のことながら、術後は入院生活を送ることとなり、加えて右足は絶対安静。右足はギプスで固定され、動きにも制限がかけられている。そんな訳で出来ることと言えば、本を読むことと勉強くらいなもので。自習に関しては既に一学期分の授業内容を、梅雨の季節が過ぎる頃には全て終わらせてしまい、今は二学期の内容に入っている。

 入院して最初の頃は、男女問わずクラスメイトが毎日のように見舞いに訪れてくれていた。だが、彼らの学業の妨げになり兼ねないと担任に進言し、学期末の試験を終えるまで遠慮してもらうことにしたため来客も殆どいない。代わりにスマホへメッセージが増えたけど、それも徐々に落ち着きつつある。

 メッセージの返信を終え、充電器に携帯を差し込むとほぼ同時に控えめに扉がノックされた。時間的に、看護師ではない。どうやら、来客のようだ。

 

「はい、どうぞ」

 

 来客は、あの日のメッセージ以来一度もやりとりをしていない同じクラス女子生徒、白石(しらいし)うらら。彼女は、溜まっていたプリントをクリアファイルにまとめて届けに来てくれた。

 

「ありがとう。助かるよ」

「別に。日直だから」

「そっか」

「......なに?」

 

 事務的な対応が以前と同じで思わず笑ってしまう。白石(しらいし)は、若干面白くなさそうに目を細めた。それでも帰ろうとしないということは、何か用事があるのだろう。

 

「いや、時間があるなら話しに付き合ってくれるとありがたいなって。入院生活って退屈なんだ」

「塾の時間までならいいわ」

 

 白石(しらいし)は、本が積まれていない別のパイプ椅子に腰を下ろす。俺は彼女と反対側の窓を閉め、冷房を作動させてから、身体を冷やさないために長袖の上着を羽織る。

「別に、つけなくていいわ」と、白石(しらいし)は言ったが、彼女の額にはうっすら汗が滲んでいる。来週からリハビリが始まる前ということもあり、過度に筋肉や靭帯を冷やさないため普段から使用を控えているのだが、親が来た時もこうしていると、話すと無駄だと判断したのか「そう」と一応納得してくれた。

 

「それで、この前の件は進展はあった?」

 

 無表情のまま返事をしない。

 

「無いわけですか」

「......ん」

 

 表情を崩さず、小さく頷いた。彼女の性格上、こうなるのではないかとある程度予想してはいたが見事的中してしまった。白石(しらいし)なりに、さりげなく視界に入ったり、物影に隠れながら遠巻きに行動を観察する等、一応アプローチをしているつもりらしいのだが。話を聞く限り、不審者やストーカーとしか思えない。さすがに、面と向かって口には出来ないけど。

 

「遠くから見てるだけじゃなくて、普通に話しかけてみれば?」

「普通にって。どうやって話しかければいいの?」

「どうやって、て。今してるみたいにすればいいんだよ」

「あっ......、そっか。私、あなたとなら普通に話せているのね」

 

 ハッとした表情(かお)を見せた白石(しらいし)の表情が緩んだ。そのとても穏やかな微笑みを見れば、きっと誰でも彼女のことを好きになる、心からそう思えた。人付き合いが苦手な白石(しらいし)がどうすれば、意中の相手と普通に話を出来るようになるかを考えるため、先ずは根本的なことを尋ねる。

 

「気になる相手は、男子でいいんだよな?」

「ええ、そう」

「同級生?」

「たぶん」

 

 となれば話は早い、手っ取り早く確実な方法がある。白石(しらいし)に対して好意を持たせてしまえばいいと思ったのだが、本人の話によると、相手の男子は彼女の存在を認識している。しかも、いきなり怒鳴り付けてしまい、マイナスな印象を植え付けてしまったらしい。

 今さら普通に話かけたとしても警戒されており、色眼鏡なしで彼女を見てもらうことは難しいだろう。

 

「あなた、医学書読んでいるのね」

「え? ああ、うん。今後のリハビリとか再発予防に役立つんじゃないかと思って」

 

 何かいい方法はないか策を講じていると、白石(しらいし)は隣の椅子に積んであった一番上の本を手に取って開いていた。興味があるのだろうか、ペラペラとページを捲って左右に目を動かし、視線は徐々に下へと向かって降りていく。

 

「ふーん」

「ん?」

 

 俺の視線に気づき、顔を上げた彼女は小さく首をかしげた。

 時おり目にかかる前髪を気にしながらも集中して本を読む白石(しらいし)を見て、ふと気づいたことがある。

 

「時間、大丈夫?」

「......そうね。そろそろ行かないと間に合わないわ」

 

 腕時計で時間を確認すると医学書を元のパイプ椅子に置き、スクールバックを肩にかけて席をたった。

 

「それじゃ、お大事に」

「プリント、ありがとう。白石(しらいし)さん」

「なに?」

 

 ドアへ歩き出そうとした白石(しらいし)が振り向く。

 今から口に出そうとしているセリフは、かなり気恥ずかしい。正直、キャラじゃない。でも、可能な限り引かれないように平静を装い、爽やかなキャラを演じて自然な感じに、先ほど彼女に思ったことを伝える。

 

「前髪は分けた方がかわいいと思う。それと、眼鏡をかけてない白石(しらいし)さんを見てみたいな」

「......そう」

 

 身を翻した白石(しらいし)は、ドアノブに手をかけてながら半身で振り向き俺を見る。

 

「いつから学校に来られるの?」

 

 来週から、リハビリ開始予定。おそらく、夏休みを全て費やすことになるだろう。

 

「うーん、早くて二学期の初めくらいかな?」

「そう。じゃあ、また学校で」

 

 白石(しらいし)が病室を出たのを見届け顔をふせた俺は、あの恥ずかしいセリフに自己嫌悪に陥った。彼女に引かれなかったことだけが、せめてもの救いだと思いたい。

 深く大きなタメ息をついてから、冷房を止め窓を開ける。

 窓の外はいつの間にか日は傾き出し、西の空はオレンジ色に染まり、東の空はレモン色した月が登り、星の見えない夜空がビルの上に広がっている。

 まるで、あの日と同じような黄昏時だった。

 そして、彼女の想いが実ったのかどうかは、俺には知ることが出来なかった。



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7人の魔女編
Episode3 ~始まりのキス~


いきなりですが二年に飛びます。



「みーやーうーちッ!」

 

 放課後、廊下を歩いていたところへ後ろから勢い良く首に腕を回された。犯人の目星はついている、と言うより下校する生徒が多い中周りの迷惑を考えずに、こんな暑苦しことをしてくる奴はひとりしかいない。その面を拝んでやろうと首を動かして見ると、思った通りの人物の仕業だった。

 同じクラスの男子生徒――宮村(みやむら)虎之介(とらのすけ)。二年に進級してから同じクラスになり、出席番号順で席が前後だったことで、何かとちょっかいを出してきた。ただ、本命は別にあって、その理由は後にすぐにわかることになった。

 

「で。なんだよ?」

「帰るならひと言かけてくれてもいいじゃねぇか。ツレねぇなぁ~」

 

 組んだ肩を離そうとしない。仕方なく、そのまま廊下を歩く。

 

「きゃーっ、宮村(みやむら)くんと宮内(みやうち)くんよっ」

「二人の空間に薔薇が咲いてるわっ」

 

 宮村(みやむら)は、一年の冬に他校から転入して来た。

 転入早々、生徒会副会長に抜擢される程の頭脳と、端整な顔立ちから女子生徒からの人気も高く。こうして歩いていると、多感な時期の同級生たちの妄想のネタにされてしまう。「諦めろ、相手にするとキリがない。むしろ楽しめ」と、宮村(みやむら)は笑っていた。

 バイト先近くのカフェのテラス席で、用件を伺う。

 

「で、用件はなんだ? また、部活の件か」

「いや、オレはもう諦めた。お前の、あの膝を見せられてやれなんて言えねぇよ」

 

 宮村(みやむら)が何かとちょっかいを出してきた理由は、現生徒会長の命令で、俺をサッカー部に引き込もうと動いていたから。進級してから毎日のようにあまりにもしつこく付きまとってきたため、手術跡を見せると、バツの悪そうな顔をしておとなしく帰った。だが翌日からはまた、今と同じように何事もなかったかのように話かけてきた。勧誘の話しを除いて。

 まあ、諦めてくれたのならそれでいいんだけど。

 汗をかいたアイスコーヒーのグラスを持って、ストローを口に運ぼうとすると、宮村(みやむら)は頬杖を突きながらニヤニヤと笑みを浮かべた。

 

「なんだよ?」

 

 グラスを置いて、話に耳を傾ける。

 

「お前、白石(しらいし)さんと仲いいんだなぁ~」

白石(しらいし)? 白石(しらいし)うららのこと?」

「そっ。さっき仲良さそうに談笑してただろ~?」

 

 どうやら、絡まれる前廊下で白石(しらいし)と立ち話をしていたのを見られていたようだ。見られて困るようなことでもない。ただ普通に、ケガの具合や勉強などの取るにたらない世間話をしていただけにすぎない。

 

「お前ら、男女(そういう)の関係なのか?」

「違う。一年の時、同じクラスだっただけだ」

「ふーん、オレが見た限り、ただの元クラスメイトって雰囲気じゃない気がしたんだけどな~」

 

 頭の後ろで両手を組み直し、背もたれに体重をかけて体を預け、長い足を見せつけるように組んだ。俺は再び、グラスに手を伸ばす。

 

「残念だったな、その勘はハズレだ。正真正銘ただの元クラスメイト。気になるのなら本人に聞いてみればいい」

 

 友人、と同じ答えが返ってくるだけだ。しかし、宮村(みやむら)はなぜか固まっていた。視線の先には、店の時計がある。あと三十分ほどでバイトの時間。宮村(みやむら)も何か用事でも思い出したのだろうか、軽い感じに聞いてみる。

 

「どうした? デートの約束をすっぽかしたのを思い出したのか」

「ちげーよ。オレさ、白石(しらいし)さんに無視されてんだよ」

「はぁ?」

「ほら、二年に進級してすぐ進路希望調査やっただろ。その件で、生徒会として話したんだけどさ。“別に。あなたには関係ないわ”って、スゲー冷めた顔で言われた。それからは、目も合わせてもらえなかったぞ」

 

 意外だ。確かに、初対面の頃の白石(しらいし)の態度は素っ気ないものがあったけど、そこまであからさま拒絶を、俺はされたことはない。と言うことはつまり、原因は宮村(こいつ)にあるのだろう。

 

「お前の容姿が、よっぽど嫌い嫌いゾーンにストライクだったんじゃないのか?」

「んだよ、そのゾーン。自分で言うのもなんだが、オレはモテるぞ!」

「いや、知ってるけどさ」

 

 あれはバレンタインデーこと、宮村(みやむら)の机がチョコレートで埋め尽くされたという噂は記憶に新しい。あの日教室中が、大量のチョコレートやクッキーなんかの甘ったるい匂いで包まれ授業に集中できず、窓を全開にして行ったため、翌日クラスの半数近くがインフルエンザや風邪を引いて学級閉鎖を引き起こし「通称チョコテロ事件」と呼ばれ伝説になっている。

 

「なら、なんか気に触れることでも言ったんじゃないか?」

「特に心当たりはねぇーけどな。話したのも進路のことと、あと機嫌が悪そうだったから、女の子の日なのか聞いたくらいだぜ?」

 

 すべては、宮村(こいつ)のセクハラが原因だった。

 バイトの時間が迫ってきた。宮村(みやむら)と別れて、俺はひとりバイト先へと向かう。バイト先への道を歩いていると、ふと後ろから視線を感じた気がした。荷物を持ち直し、さりげなく振り向いて見るも、朱雀高校の生徒を含む数人の通行人がいただけで特に変わった様子はない。

 気のせいか、と思い再び歩き出す。赤信号で一度止まって青に変わるのを待ち、横断歩道を渡った先にあるフットサルコートに入る。

 ここが、この春から勤めているアルバイト先――。

 

「おつかれさまです」

「あいよ、おつかれさん。今日も頼むよー」

 

 クラブハウスのレジに立つ店長に挨拶を済ませ、更衣室で着替えと、靴を人工芝用のシューズに履き替える。コートへ出ると、多くの子どもたちがボールを蹴りながら待ち構えていた。

 

「お待たせー」

「あ、コーチだ。みんなーしゅーごー!」

 

 バイト内容は、子どもたち相手のフットサル指導。

 担当医からは今の回復具合を観て、全力を出さない程度の軽い運動なら、むしろ動いた方が良いと許可を得ている。リハビリにもなって、おまけに生活費も稼げる。俺にとっては、正に一石二鳥のアルバイト。ここでほぼ毎日二時間、子どもたちのコーチと、グラウンド整備や片付けなどをして、計三時間の仕事を終え、事務所兼受付が入るクラブハウスへ戻る。

 

「あっ、やべぇー。コートにホイッスル忘れた」

「取ってきますよ」

「おおーっ、サンキュー。あとで飲み物奢るから」

「どうせ、消費期限が近い在庫のプロテインドリンクでしょ?」

「にっひひっ。Aコートのゴールネットにかかってるから、よろしく~」

 

 独特な笑い方をする店長の言った通り、Aコートのゴールネットにホイッスルが巻き付いていた。手にとって戻ると途中、フットサルコート隣接のファミレスの窓辺の席に、朱雀高校の制服を着た男女が座っている。

 ――まだ居るんだ。

 指導を始めた時から居る。片付けをしていた間も男子の方がコートを見ていた。もうかれこれ三時間ほど。勉強をしている様子もないが、まあ俺には関係ないけど。クラブハウスに戻って、素早く着替えを済ませてロビーに出る。

 

「おつかれさん。ほれ、ココアにチョコ、バニラ、コーヒー、ストロベリーといろいろ用意しておいたぞ、好きなのを選んでくれ。何なら全部持っていってくれてもいいぞ」

「全部プロテインじゃないですか」

「いやいや、これなんてミルクだぞ?」

「俺、ソイ派なんで。これ貰います、おつかれさまでした」

 

 カロリーオフのソイプロテインドリンクコーヒー味を一本貰って挨拶をして外に出る。辺りは暗くなって、夜空には月が出ていた。時間は20時を回っている。腹も空いた。急いで帰ろうと歩き出した時だった。

 

「ねぇ、あなた。ちょっといいかしら?」

「ん? あっ......」

 

 声をかけてきたのは、ファミレスに居た男女の女子生徒。彼女の白いセーターの襟元には、宮村(みやむら)と同じ生徒会の役員であることを表すバッジが光っていた。

 ――なるほど、そういうことか。

 どうやら、バイトが終わるのを待ち伏せしていたようだ。

 

「突然で悪いけど、話をさせてほしいの。私の名前は――」

小田切(おだぎり)さんだよね? 宮村(みやむら)と同じ生徒会の」

 

 彼女の名前は、小田切(おだぎり)寧々(ねね)

 宮村(みやむら)と、次期生徒会長の座を争っている。おそらく、勧誘失敗の報告を受けたことを現生徒会長から聞き付け、ポイント稼ぎに来たのだろう。

 

「そっ。なら話は早いわ。だいたい検討はついていると思うけど、サッカー部に入部してもらえるかしら?」

「無理です。それじゃあ」

 

 予想通りの質問に即答で返して、小田切(おだぎり)の横を通りすぎる。

 

「ちょ、ちょっと待ちなさいよっ! 理由はっ?」

 

 追いかけてきて、俺の右腕を掴んできた。振りほどくのは、さすがに気が引ける。というか、それはしたくない。

 

宮村(みやむら)から聞いてるでしょ? 右膝が完治してないから、サッカー部には入らない」

「今、やってたじゃない」

 

 少し不機嫌そうな表情(かお)で、バイト先のフットサルコートを指差した。

 

「フットサルとサッカーは違う。それに、相手は小学生。同世代相手とは、身体への負荷のかかり方が段違いなワケ」

「......何が違うのよ。やってることは同じじゃない」

 

 ぼそっ、と呟く。それに、手を離そうとしない。仕方なく話を聞くことを条件に、公園のベンチへ移動した。

 

「どうしても無理なの?」

「無理をして再発させたくない。今また壊せば、最悪まともに歩けなくなることもある。そこまでのリスクは取れない」

「そのケガは、いつ完治する予定なの?」

 

 真剣な眼差し。そこまでして、生徒会長になりたいのだろうか。大変そうだけど。

 

「お願い。教えて」

「......順調に回復すれば、来年の春」

「......そう」

 

 どうしてか小田切(おだぎり)は、少しほっとしたような表情を見せ、一度うつむいてから顔を上げた。

 

「それなら来年のインターハイには間に合うわね。その時でいいわ、入部して!」

「今話した完治は、あくまでも一般的なレベルでの完治。選手としての復帰を視野に入れた場合は、基礎体力や試合勘を戻すのに最低プラス六ヶ月はかかる。夏は間に合わないよ」

「......根性で、何とかしなさいよっ」

「出来れば苦労はしないし、医者もいらない。まあ、そういうワケだから諦めて」

 

 話しは終わった。荷物を持って、ベンチを立つ。

 ため息をついた小田切(おだぎり)は「......仕方ないわね」と呟き、前に回り込み道を塞いだ。

 そのままじっと俺を見つめ、つま先立ちで顔を近づけてきた。

 

「おまじないよ」

「えっ......?」

 

 次の瞬間――。

 とても柔らかく温かい何かが俺の口を塞いでいた。



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Episode4 ~美少女の祝福~

 連続した電子音が耳元で聴こえる。まぶたを閉じているのに、目の前が眩しい。どうやら、朝みたいだ。ベッドから降りてカーテンを開け、降り注ぐ朝日を受けながら大きく伸びをして、ふわついている頭を半ば強引に起こしてから、朝食と弁当の支度に取りかかる。

 コーヒーメーカーのスイッチを入れ、フライパンに火を入れる。弁当のおかずを作りながら、昨夜の出来事について思い返した。

 

「えっと、なんで......?」

「だ、だから、おまじないよ、おまじない。美少女の祝福(キス)、健康と安全祈願のおまじないっ。それじゃあね......!」

 

 身を翻し、逃げるように早足で行ってしまった小田切(おだぎり)の背中を俺は、ただ呆然と見つめる事しか出来ないでいた。

 家に帰ってからスマホで調べてみたが、「美少女の祝福(キス)」というおまじないはヒットしなかった。

 結局、あれは何だったのだろうか? どうして、唐突にあんなことを。考えても仕方がない、答えは出ないのだから。朝食と着替えを済ませ、顔を水で流して頭を切り替えて、登校。いつもとほぼ同じ時間に教室に到着。ひと通りクラスメイトと挨拶を交わして一時間目の授業の準備を始める。するとそこへ、宮村(みやむら)が登校してきた。

 

「おはよーっす」

「ああ、おはよう」

 

 手を止めず、小田切(おだぎり)のことを尋ねる。

 

「昨日さ、生徒会役員にあった。ショートボブの子」

「ああ~、小田切(おだぎり)か。どうせ、勧誘されたんだろ?」

「ご明察。生徒会はどうして、ブランクのある俺に拘るんだ?」

 

 ようやく軽い運動ができるようになったが、ケガの影響でまともには動けず、長期間実戦を離れていて試合勘もない。何よりチームプレーが大事な集団競技でブランクのある人間に拘る必要性を、俺は感じない。

 宮村(みやむら)にしては珍しく、少し話しづらそうな表情(かお)を見せた。

 

「今年、渋谷(しぶたに)って有力な一年がサッカー部に入部した。学校としては、こいつを生かさない手はない」

「ふーん。つまり、部活動でいい成績を残して受験者を増やしたいってところか」

「まーな。このご時世だ、学校としては学力だけじゃなくて、運動部関係でも名前を売っておきたいのさ。お前、バイトの申請で書類提出しただろ?」

 

 新年度になって、主治医からも許可をもらえたためアルバイト先の変更を知らせる書類を学校側に提出した。宮村(みやむら)によると、その書類を見た生徒会長が、俺のバイト先のフットサルコートへ秘書を送り込み、実際の動きを見て全盛期には程遠いがある程度回復しているとの報告を上げ、男同士の方が話しやすいだろうという理由で、次期会長候補の一人宮村(みやむら)を俺の説得に向かわせた。

 しかし、断念の意向を伝えたため、今度は小田切(おだぎり)に指示を出したのだろうと、宮村(みやむら)は推測している。

 

朱雀高校(うち)の会長......山崎(やまざき)は狸だ。気をつけろよ? 計算通りにならないとなれば、どんな手段を使ってくるかわからねぇヤツだ」

 

 宮村(みやむら)は、いつになく真剣(マジ)表情(かお)で忠告......いや、警告をした。となれば、昨日の小田切(おだぎり)行為(アレ)も戦略の一部なのだろうか。

 

「とまあ、オレが知ってるのはそれだけ。一時間目なんだっけ?」

「ああー......物理だな」

「マジかよ......。登校一発目の教室移動はダルいなー......って、オレたちしか居ねえじゃねぇか!」

 

 話し込んでいたため、教室には既に誰も居ない。急いで教科書を持って移動。

 階段へ差し掛かった時、悲鳴と何かが落ちるような大きな物音を聞き付けた俺たちは、急遽方向転換して悲鳴が聞こえた階段下へ向かった。

 

「おいおい、マジかよっ!」

白石(しらいし)さん......!?」

 

 男女が階段下で倒れ込んでいた。ひとりは、俺がよく知っている女子生徒、白石(しらいし)うらら。彼女の近くでうつ伏せに倒れている男子は、宮村(みやむら)が介抱。

 

「って、山田(やまだ)じゃねーか」

白石(しらいし)さん、大丈夫? ダメだ、気を失ってる。そっちは?」

「こっちもだ。外傷は見当たらねーけど」

 

 白石(しらいし)の方も気絶してるだけで、外傷は見当たらない。ただ、頭を打っている可能性を否定できない。

 

「仕方ねえ、保健室に運ぶぞ。つーことで、白石(しらいし)さんはオレに任せろ!」

 

 両手をワキワキして白石(しらいし)の身体に触れる仕草を見せる。白い目で軽蔑の眼差しを向けると、ふぅ......と息を吐いて、俺の肩に手を置いた。

 

「冗談だって。白石(しらいし)さんは、お前に任せる。山田(こいつ)重そうだからな」

「ああ、頼む」

 

 膝を考慮してくれた宮村(みやむら)は、山田(やまだ)の肩を抱きかかえた。俺も白石(しらいし)を担ぎ、二人を保健室へ連れいく。保健教諭の指示で、二人をベッドへ寝かせる。簡単な診察の結果、二人とも軽い脳震盪で心配はいらないということだった。一安心。白石(しらいし)山田(やまだ)を保健教師に任せ、改めて物理室へ向かった。

 その後は特に問題もなく、昼休みを迎える。いつものように弁当を持って屋上へ足を伸ばす。ただ今日は、飲み物を用意するのを忘れていたため少し遅れた。ドアの横の壁に背を預ける形で腰を下ろす。午前中日差しに当たっていた壁が程よく温かく気持ちいい。ほんのり蒸し暑さを感じ始めた初夏の陽気の中昼食を食べ終え、転落防止用のフェンスの手すり両腕に乗せ、遠くに広がる高層ビル群を眺める。ふと、中庭を視線を落とすと、白石(しらいし)が三人の女子と弁当を食べていた。どうやら無事に目を覚ましたみたいだ。

 そして授業も終わり放課後は、今日もバイト。教室を出たところで、白石(しらいし)らしき後ろ姿を見つけた。容態を聞くため彼女の隣に並んで顔を見る。思った通り、白石(しらいし)だった。

 

白石(しらいし)さん」

「へっ!?」

 

 妙に驚いた様な表情(かお)見せた。まだ体調が戻っていないのか目が大きく泳いでいる。

 

「大丈夫? もしかして、頭打ったから目眩があるとか?」

「う、ううん。もう全然だいじょうぶよっ」

「そう? ならいいんだけど」

 

 変に腰を動かしたり、不自然な作り笑顔だったりと、いつもの白石(しらいし)らしくない気がするが、まあ本人が大丈夫というのだから心配ないだろう。

 

「ああ、そうだ。一緒に倒れてた、山田(やまだ)だったけ? あいつは、どうなった? 一緒のクラスって聞いたけど」

「え、ええっ。山田(やまだ)くんも平気よっ」

「そっか、そらよかった。じゃあ俺バイトだから、また明日」

 

 やや挙動不審気味な白石(しらいし)と別れて、校舎を出る。昨日と同じく事務所で着替え、子ども相手にフットサルのコーチを勤め午後八時。フットサルコートを出ると、小田切(おだぎり)と昨日彼女とファミレスに居た男子生徒が、待ち構えていた。

 

「もう一度聞くわ。サッカー部に入ってくれるわよね?」

 

 少し不機嫌な小田切(おだぎり)は、どこか自信有り気な表情(かお)で改めて聞いてきた。

 彼女の質問に対する俺の返事は――。

 

「いや、入らないけど」

「な、なんでよっ! 昨日、キスしたじゃない......!」

 

 小田切(おだぎり)が上げた大声に通行人はざわつき、隣の男子生徒が不機嫌な表情(かお)に変わる。正直、この状況は芳しくない。はたから見たら、完全に修羅場。小田切(おだぎり)を宥めて、昨晩と同じ公園で話を聞くことに。

 

「もう一度聞くわ......。私のために、入ってくれるわよねっ?」

「はぁ......」

 

 一体なんなのだろう。何度聞かれても俺の返事は変わらない。

 

「入りません」

「なっ!? (うしお)くん、ちょっと来て!」

「お、おお......」

 

 小田切(おだぎり)は、(うしお)と呼んだ男子を連れて少し距離を取って話し出した。小声だが、所々二人の会話が漏れ聞こえてくる。

 

「これは、一体どういうことなのかしらっ?」

「さあな、わからん。だが、お前の――は人を選......」

「――そうね......」

 

 話がまとまったのか、俺が座るベンチへ戻ってきた。

 

「今日のところは一旦これで引くわ。でも......私は、絶対にあきらめないからっ! 行きましょ、(うしお)くん」

「うむ。時間を取らせて悪かったな」

 

 男子生徒は軽く謝罪すると、先を行く小田切(おだぎり)を追いかけて行った。結局、なんだったのだろう? 訳がわからない。ただ、小田切(おだぎり)がなぜか、宣戦布告をしたことだけは理解できた。



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Episode5 ~お互いさま~

 午前の授業を終えて、昼休みを迎えた。いつものように、弁当箱と飲み物を持って屋上へ行こうとしたところを見計らったように、宮村(みやむら)に呼び止められた。何やら教室で話難いことらしく、二人で屋上へ移動。俺は自炊した弁当を食べながら、宮村(みやむら)は購買で調達した惣菜パンを片手に話し出した。

 

「最近、校内で盗撮騒動があること知ってるか?」

「ああ~。そういえば、クラスの女の子から聞いたことがあるな。確かまだ、犯人の目星はまだついていないんだろ?」

 

 最近朱雀高校で多発している、女子生徒を狙った盗撮事件。

 窓から人影を見たり、体育の授業後戸締まりをしていた更衣室のカーテンや窓が開いているなど、クラスの女子から聞いたことがある。

 

「女子の間では、犯人は山田(やまだ)じゃないかって噂されてる」

山田(やまだ)って、白石(しらいし)さんと一緒に階段で倒れてた奴だよな?」

「そうだ」

 

 制服をだらしなく着崩したり、耳にピアスを着けていたりと見た目は不良っぽいが。隣に座る宮村(みやむら)に目を向けて思う。

 こいつも左耳にピアスしてるしな、しかも三カ所も。これで生徒会副会長というのだから、俺は人を見た目で判断することは止めている。

 

「で。犯人は、山田(やまだ)なのか?」

「授業はサボるし、ケンカはする。マークしてる一人ではあった」

「じゃあ別にいたんだな」

「ああ。昨日2-Bの体育の授業中他校の生徒三人が、職員室へ連行された」

「へぇ......」

 

 連行された他校生のスマホには、被害にあった女子生徒の写真が保存されおり、盗撮写真を売買している証拠が保存されていたことが発覚、即座に警察へ引き渡された。

 これで山田(やまだ)への疑惑も晴れて一件落着と思われたのだが、宮村(みやむら)の話には続きがあった。

 

「だがな、どうも妙なんだ。教師の話によると、盗撮犯を連行してきたのは、あの白石(しらいし)うららだって話だ」

白石(しらいし)さんが?」

「相手は不良の男子が三人、しかもボコボコだったらしい。白石(しらいし)さんをよく知るお前なら、妙だと思うんじゃねぇか?」

 

 確かに、妙だ。俺の知っている白石(しらいし)は、物静かで真面目な性格。話のような行動をするタイプではない。

 

「それと、もうひとつ引っ掛かることがある。白石(しらいし)さんが盗撮犯を職員室へ連れていった時間、山田(やまだ)は追試を受けていた」

「それが?」

「アイツ、退学寸前なほど成績が悪いにも関わらず、全ての教科で100点満点中99点をとって退学の危機を免れた」

「全教科? もしかしてカンニング?」

 

 俺の疑問に、宮村(みやむら)は首を横に振った。

 同じ教室で追試を受けていたのは山田(やまだ)だけではなかったが、他の生徒は試験を体調不良で欠席した者たちで、山田(やまだ)が受けていた追試用とは違う内容の問題が出題されていたため、カンニングは不可能。 

 

「奇特なことが二件同時に起きた。これは何かあるんじゃねぇか、と俺は思ったワケよ」

「で? 俺にどうしろと」

 

 ニヤリ、と気色悪い笑みを浮かべると俺の肩に腕を回してきた。

 

「ちょっと探りを入れようと思ってな。ってことで頼む、白石(しらいし)さんに取り次いでくれ!」

 

 そういえば宮村(コイツ)は、白石(しらいし)にセクハラ発言をして絶賛シカト状態だった。果たして近づけていいものなのだろうかと思ったが、手を合わせてお願いされたため条件をつけて協力することにした。ただし、条件付きで。

 提示した条件は――セクハラ発言厳禁。

 二つ返事で快く条件を飲んだ宮村(みやむら)に対して、逆に一抹の不安を残しながらも、白石(しらいし)に電話をかける。反応はすぐに返ってきたが、電源が入っていないことを伝える機械音声だった。

 

「電源が入ってないみたいだな」

「マジか。まあ、白石(しらいし)さんは優等生だから学校じゃ電源切ってるか」

 

 立ち上がって、白石(しらいし)が先日、女子生徒たちと弁当を囲んでいた中庭を見てみる。今日は居ないようだ。仕方なく、彼女と同じクラスの知り合いにメッセージを送ると、教室で女友達と昼食を食べていることがわかった。

 

「教室に居るってさ」

「よっしゃ、じゃあ行こーぜ」

 

 弁当箱を片付けて、白石(しらいし)の教室2-Bへ赴く。情報通り彼女は、クラスメイトの女子たちと机をテーブル代わりに囲んで昼食中だった。

 

白石(しらいし)さん」

「んぐっ......!」

 

 背中から声をかけたことで驚かせてしまった。彼女の机にある飲み物を手渡す。

 

「あっ! C組の宮内(みやうち)くんと、生徒会の宮村(みやむら)くんよっ」

「二人ともカッコイイよね。宮村(みやむら)くんは、ちょっと怖いけどっ」

 

 一緒に昼食を食べていた女子たちのことは一先ず置いておいて、白石(しらいし)が落ち着いたところで用件を話す。

 

宮村(みやむら)が話があるみたいなんだ。聞いてあげてもらえる?」

「メシ食ってるところ悪ィけどさ。ちょっとツラ貸してくれよ」

 

 一瞬躊躇したように見えたが、立ち上がった白石(しらいし)は、作り笑いで振り向いた。

 

「え、ええ。いいわよー! さあ行きましょうっ」

 

 2-B教室を出て廊下を歩きながら宮村(みやむら)は、声を潜め話しかけてきた。

 

「お前から見て、今の白石(しらいし)さんはどうだ?」

「......正直、違和感しかない」

 

 一昨日、小田切(おだぎり)に宣戦布告を受けた日の放課後に話したように妙な作り笑顔で、変なテンションの白石(しらいし)。俺の言葉を聞いた宮村(みやむら)は、何かを確信したように意味深な笑みを浮かべる。

 

「なるほどな。じゃあ、ここまででいい。後は自分でやる。とりあえず放課後に誘ってそれとなく探り入れる。いいよな?」

「何で、俺に聞くんだよ。まあ、あれだ、セクハラは犯罪だからな?」

 

 にぃ、と白い歯を見せて親指を立てた。宮村(みやむら)白石(しらいし)と別れた俺は一人、教室へ戻った。

 さてさて、どうなることやら。

 そして、放課後を迎える。俺はいつも通り、バイト先のフットサルコートで子どもたちを相手にコーチ。今日は、16時からとやや早めのシフト。 そこへ例の二人が、車道を挟んで向こう側の歩道に通りかかった。俺に気づいた宮村(みやむら)は、白石(しらいし)に気付かれないように背中の後ろで親指を立てて合図を出した。

 

「アイツ、本気だったんだな......」

「コーチ、危ない!」

「おっと」

 

 死角から飛んできたボールを胸で落とす。

 

「ナイスパス。今度は相手へ蹴ってみて、今みたいな感じにね」

「はーい。行くよー!」

 

 もう一度歩道を見ると、もう二人の姿は見えなかった。小学生二組の練習計二時間の仕事を終えて、コート内に散らばった練習道具の片付けて回る。今日はこの後、別の予定が組まれているから忙しい。

 

「ねぇ、ちょっといいかしら?」

「はい?」

 

 背中に声をかけられて振り返る。ボールの飛び出し防止のネットの向こうに小田切(おだぎり)と、彼女に(うしお)と呼ばれていた男子が立っていた。

 

小田切(おだぎり)さん? それと......」

五十嵐(いがらし)(うしお)だ」

「俺は、宮内(みやうち)結人(ゆいと)

 

 お互いの自己紹介を済ませてから、用件を尋ねる。今度は、予め予防策を講じて。

 

「また勧誘ですか? 答えは変わらないよ。ところで、その格好は?」

「今日は、勧誘じゃないわ。お客として来たのよ」

 

 小田切(おだぎり)は、お洒落なウェアの裾を両手で持ってウェア姿を見せつけてきた。五十嵐(いがらし)は彼女と対極で、学校指定のジャージ姿。ウェア姿の小田切(おだぎり)に見とれているのか、彼女を注視している。

 突然のことにあっけにとられていると、小田切(おだぎり)は可愛らしく頬を少し膨らませて批難めいた声で言う。

 

「あなたが、サッカーとフットサルは違うって言ったから確かめに来たのよっ!」

「あ、ああ~、そうですか。では、こちらへどうぞー」

 

 二人をクラブハウスのロビーに案内して、空いている席に座ってもらう。カウンターにある会員登録書を用意してテーブルに戻る。

 

「うちは会員制だから登録が必要なんだ。面倒だと思うけど、お願いするよ」

「そう、わかったわ」

「うむ」

 

 書き終えた登録書に記入漏れがないか確認。

 

「女性は、一時間700円。あら、思ったより良心的なのね」

「......男は1400円か。思ったより高いな」

「それは、一般価格だから。学生割引とかあるから安くなるよ。生徒手帳持ってる?」

「今は、持ってないわ」

「俺も家だ」

 

 二人とも生徒手帳は制服に入っているため持っていないらしい。とりあえず、記入漏れがないことは確認出来た。紹介者の項目に自分の名前を記入し、店長に確認を取る。

 

「店長。同じ学校の友達が二人来てくれたんですけど、スタッフ割引と学生割り適応して良いですよね?」

「いいよー」

 

 カウンター裏から声だけが聞こえてきた。トップの許可をもらえたことで、割引適応で無事に登録完了。 二人を連れて、初心者が集まるエンジョイクラスのコートに入り、先に来ているお客さんと挨拶を交わして、三人でボールを回す。

 

「始まるまで少し時間があるから少しボールを蹴ろうか。二人ともフットサルの経験は?」

「ないわ。けど、サッカーなら体育の授業でしたことあるわよ。ゴールを決めたこともあるんだからっ」

 

 小田切(おだぎり)は得意気に神に触れた。五十嵐(いがらし)の方も、体育で少しサッカーをしたことがあるだけとのことだった。ほぼ完全な素人の二人に基礎的な知識(ルール)を説明して、開始時間を迎える。ピッチの中央で輪になって並び、俺は司会進行を務める。

 

「参加人数的に中途半端に別れることになるので、人数が少ないチームにはスタッフの自分が入ります。ケガには十分注意してください。それでは始めましょう」

 

 俺は、タイマーをセットして試合開始を告げるホイッスルを吹いた。

 

「はぁはぁ......。な、なによ。これ......? 授業のサッカーより全然大変じゃないっ」

「くっ......!」

 

 7分プレー5分休憩を挟んで計五試合のインターバル。一時間のプレーを終えた二人は、息絶え絶えといった様子。ぺたんと座り込む小田切(おだぎり)と、両膝に手をつき辛うじて持ちこたえている無言の五十嵐(いがらし)に、スポーツドリンクを差し入れる。

 

「お疲れさま。はい、どうぞ」

「すまん......」

「あ、ありがと......」

 

 水分補給をして息を整えている間にコートの片付けを済ませ、二人の元へ戻る。

 

「あなた、なんで息どころか、汗一つかいてないのよ......?」

「まったくだ。バケモノか......」

 

 酷い言われようだ。

 

「いや、だって俺、ほとんど動いてないし」

 

 やや後方のポジションに取って、極力動き回らずにパスを出す役目、パサーに徹していたため殆ど動いていなかった。

「結構ボールに触ってたじゃない」と、納得いかない不満表情(がお)だったが次の使用時間が詰まっている。コートを空けるため移動してもらう。

 

「ねぇ、手貸して」

「はいはい。どうぞ」

 

 自力で立ち上がれないのか、近くに居た俺に手を差し出した。小田切(おだぎり)の手を掴んで起こすと彼女の足がよろけた。慌てて抱き止める。密着した彼女の体から、凄く良い香りがした。

 

「大丈夫?」

「え、ええ。もう平気よ」

 

 抱きかかえていた身体を放して、クラブハウスのロビーへ三人で移動。疲れが少し和らぐのを待って、二人は帰っていった。よほど疲れたらしく、サッカー部への勧誘はなかった。俺としてはありがたい。帰り支度を済ませて家路を歩く。角を曲がったところで見知った後ろ姿を見つけた。

 隣に行って、声をかける。

 

白石(しらいし)さん」

「えっ? あ、宮内(みやうち)くん」

「塾の帰り?」

「ええ、あなたはアルバイトの帰り?」

「うん、そう」

「こんな遅い時間まで大変ね」

「それは、お互いさまでしょ?」

 

 ――そうね、と小さく微笑んだ白石(しらいし)は、昼休みと違って俺の知っているいつも彼女の表情(かお)

 

宮村(みやむら)とは、どうだった? あいつ変なこと言わなかった?」

「ええ、平気よ」

「そっか。それなら、よかった」

 

 とりあえずひと安心、と思っていると彼女の家の前に到着。家の中には入ったことはないが、三階建ての立派な家。

 

「じゃあお休み。また明日」

「ちょっと待って」

「ん? なに?」

「ねぇ、宮内(みやうち)くん」

 

 振り返ると白石(しらいし)は俺の前までやって来て、真剣な表情(かお)で言った。

 

 ――あなた、キスしたことあるかしら、と。



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Episode6 ~選択の時~

「はい、もういいよ」

「ありがとうございましたー」

 

 体操着姿の女子生徒は、救護と記された白い屋根の仮設テントを出ると、元気よくグラウンドへ駆けていった。

 五月下旬、梅雨の季節に入る前のある晴れた日。吹き抜ける風が涼しく過ごしやすい気候の中、グラウンドを駆け抜ける体操着姿の生徒たちへの声援と歓声が沸き起こっている。

 今日は、朱雀高校の体育祭。

 故障を考慮して競技に参加しない俺は、各学年の保健委員と共に救護係を担当。グラウンド脇に設営された仮設テントの下で、ケガをした生徒の手当てを担当している。先ほどの女子生徒も患者の一人。

 

「よう。久しぶりだな」

「ん? ああ、朝比奈(あさひな)か。ケガでもしたか」

「いや、部活のことでちょっとな」

 

 救急箱を整理していると、よく知る男子生徒――朝比奈(あさひな)は、近くのパイプイスを引き寄せ、作業の邪魔にならないようにやや距離を取り斜め前で腰かけた。

 彼は中学時代、全国大会で対戦したチームで主将を務めていた人物。読み、統率力に優れ、高い守備力を誇る鉄壁のディフェンダー。

 

「生徒会が、お前の動向を探ってる。小田切(おだぎり)だ、知ってるよな?」

「ああ、知ってる。サッカー部に入れって話しだろ。一応、事情は話したけどね」

小田切(おだぎり)の話だと、三年の高校総体(インハイ)までに説得するって息巻いてた。結構、意地悪だな」

 

 作業の手を止めて、向き合う。そいつは、クスクスと含み笑いを浮かべていた。

 

「あれは気づいていないな、教えてやらないのか? オレたちの本番は、()じゃないってことを」

 

 高校サッカー最大の大会は、夏のインターハイではない。冬の選手権大会こそが、高校サッカーの集大成。順調に回復すれば、右膝の完治は来年――三年の春。選手としての復帰を視野に入れた場合、基礎体力、試合勘を取り戻すのに最短でプラス六ヶ月は掛かる。つまり、順調に行けば本格的な復帰時期は来年の秋――選手権の予選にギリギリ間に合う計算。

 俺は、最後の大会での復帰に向けて全てをかけている。フットサルのバイトも少しでも衰えを戻し、ミリ単位でのタッチプレーテクニックを身に付けるためのもの。店長も事情を知っているから、全面的に支援してくれている。だが、これは理想であって全てが上手く順調に行くとは限らない。

 

「希望的観測はダメだった時の失望感を生む。無責任なことは言いたくないだけだよ」

「まあ、そうだな。賢明な判断だな」

宮内(みやうち)くん、いいかしら?」

 

 その声に顔を上げると、白石(しらいし)と女子生徒が三人居た。彼女たちの中の真ん中にいる女子が、両サイドの二人に支えられている。ケガ人のようだ。右足をついていない、おそらく捻挫。

 

「足を捻ったみたい。見てあげてほしいのだけれど」

「どうぞ」

「さてと、じゃあオレはお暇しよう。邪魔して悪かったな」

「いや。またな」

 

 席を立ち、手を上げてグラウンドへ戻っていった。彼女には空いた席に座ってもらって、痛みが走る角度を確かめる。患部は足首、軽い捻挫。アイシングをして、テーピングで固定する処置を施す。治療の様子を興味深く観察している白石(しらいし)の横顔が、ふと目に入った。

 ――キスしたことある?

 先日、白石(しらいし)にされた質問がよみがえる。

 答えは「ある」。正確には“された”というのが正しい表現だけど。答えのあとも、突っ込んで聞かれた。

 

『相手は、朱雀高校(うち)の生徒?』

『そうだけど、それがどうかしたの』

 

 まあ、こんな感じの受け答え。すると彼女は、やや視線を落として手を口元へ持っていき、少し考え込むそぶりを見せてから顔を上げた。

 そして続いた台詞は――その時、何か変わったことはなかったかしら?

 あの言葉は結局、何を意味していたのだろう。俺の視線に気づいた白石(しらいし)は、不思議そうに小さく首をかしげた。とりあえず、微笑んでごまかしておこう。

 

「はい、おしまい。捻挫はクセになりやすいから、今日は絶対安静。明日になっても痛みが引かないようなら、病院へ行ってね」

「はーい。ありがとー」

 

 礼を言うと、二人の手を借りて椅子を立つと、支えてもらっていた手を放して自力で立ち、テーピングで固めた足の感覚を確かめている。少し歩き難そうだけど、しっかりと自分の足で歩いているから大丈夫だろう。

 

「すごく手際いいのね」

「こういった類いの故障の処置は慣れてるから」

「そう。ん? なにかしら?」

 

 白石(しらいし)が後ろを振り向く。同じ方を見ると、何か問題でも起こったのだろうか、体育祭運営本部周辺に人だかりが出来て、何やら物々しい空気が漂っている。

 

宮村(みやむら)

「あん!? なんだ、宮内(みやうち)か。白石(しらいし)さんも一緒か」

 

 ちょうど近くを通りかかった宮村(みやむら)に声をかける。何やら、イラだっているご様子。

 

宮村(みやむら)くん。何かあったの?」

「ああ、一年の一部が体育祭ボイコットを企てやがったんだ」

 

 俺と白石(しらいし)は、顔を見合わせる。

 

「ボイコット? 理由は?」

「さーな。そいつを今、調べるのさ」

「期待しているよ、宮村(みやむら)くん」

「会長......!」

 

 救護テントにやって来た一組の男女。眼鏡をかけた男子生徒――朱雀高校現生徒会長三年の山崎(やまざき)宮村(みやむら)が、(タヌキ)と称した食わせ者。もう一人は確か、生徒会長の秘書を務めている三年の女子だったはず。

 

飛鳥(あすか)くん、状況を」

「はい。ボイコットを先導している生徒ですが、1-Fの渋谷(しぶたに)敬吾(けいご)と思われます」

渋谷(しぶたに)......!?」

 

 主犯格の生徒の名前には、聞き覚えがある。眉をひそめた宮村(みやむら)に確認。

 

渋谷(しぶたに)って、確か」

「ああ......サッカー部の新人だ」

 

 思った通りだ。以前宮村(みやむら)から聞いた、今年サッカー部に入ったという逸材の名前だった。

 

「ふむ。サッカー部か......」

 

 アゴに手を持っていった山崎(やまざき)は、考え込むそぶりを見せ、横目で視線を送ってきた。表情からは読み取れないが、わざわざここへ来たことを鑑みれば何かを企んでいることは明白。何より、宮村(みやむら)と違って、声や表情に苛立ちや焦りのようなものが感じない。それどころか、まるでこうなることを予め予期していたかのような冷静さを感じる。

 

「このままでは、サッカー部は監督不行届により連帯責任で何かしらの処分を課すことになりかねないね」

「そうですわね」

「うーん、では、こうしよう」

 

 右手の握り拳を左の手のひらにポンっと軽く置く仕草をして、名案だと言いたげなしたり表情(かお)

 

「午後の種目を変更しよう。変更後の種目は、全学年対抗男女混合フットサル大会でどうかな? 彼もサッカー部だ、これなら出場するだろう」

「さすがは、会長。体育祭の枠を越え、球技を取り入れるなんて。素晴らしい発想ですわ」

「はっはっは、そう褒めないでくれたまえ、飛鳥(あすか)くん。では、さっそく競技変更を伝えに行こう」

「それでは、失礼いたしますわ」

 

 秘書の飛鳥(あすか)と共にきびすを返した山崎(やまざき)は、思い出したかのように足を止めて振り返り、眼鏡に触れ、俺に向けて言う。

 

「キミは、フットサルコートでアルバイトをしているんだったね。()()()()()()()

 

 それだけ言って、大会運営本部前の人込みの中へ消えていった。

 

「わかってると思うけどよ。この騒動は全て、山崎(アイツ)が仕向けた策略だ」

「だろうね。あからさまなプレッシャーをかけてきやがった」

 

 顔は穏やかに微笑んではいたが、あの威圧感のある目。もし出場しなければバイトはもちろん、サッカー部もろとも潰す。そんな意思を感じる冷徹な目をしていた。

 ――なるほど、これが宮村(みやむら)が言っていた、手段を選ばないってヤツか。

 

宮村(みやむら)くん。ボイコットは、生徒会長が仕組んだことだって言っていたけど。どういう意味?」

白石(しらいし)さんは去年の十二月、男子陸上部が休部になったことを知ってるか?」

「え? ええ、確か、部員の一部が傷害事件を起こしたって聞いたわ」

「その事件の黒幕が、山崎(やまざき)だ。アイツが裏で糸を引いて、意図的に事件を起こさせたのさ。自分の手を一切汚さずにな」

「そんなことが出来るの?」

「それを出来るのが、校内最高権力を持つ朱雀高校生徒会長なのよ」

 

 三人で話していたところへ、もうひとりの生徒会副会長の小田切(おだぎり)と、彼女の取り巻きの五十嵐(いがらし)が会話に加わってきた。小田切(おだぎり)宮村(みやむら)と同様に、険しい表情(かお)で苛立ちを感じさせる声色で話す。

 

「だけど。今回の件は、私たちへの当て付けよ」

「だろうな。宮内(みやうち)を口説き落とせなかったことに対するペナルティだ」

「そうね......」

 

 事態を把握出来ないでいた白石(しらいし)に、かいつまんで説明する。宮村(みやむら)小田切(おだぎり)は、次期生徒会長の椅子を争っていること。朱雀高校は選挙ではなく、現生徒会長からの指名で次期生徒会長が選ばれるため、二人は御用聞きという名目のミッションをクリアし、貢献度を競っている。

 俺をサッカー部へ引き込むことも、ミッションのひとつ。

 

「そう。そういうことなのね」

「ハァ、さて、どうっすかね~」

 

 腕を組んでパイプ椅子に座った小田切(おだぎり)と、一瞬目が合った。気のせいだろうか、彼女がどこか申し訳なさそうな表情(かお)をしているように思えたのは――。

 

「ひとつ、方法があるわ」

「マジかよ、白石(しらいし)さん!」

「ええ。会長は、午後の競技を変更すると言ったわ。今行われている短距離走が午前最後の種目だから、お昼休みが終わる前までにボイコットを止めればいいのよ」

「なるほどな。実際にボイコットの影響がなけりゃ現行のプロローグのまま進むってことか......!」

「しかし、どうやって止める? 山崎(やまざき)が裏で操っているということは、渋谷(しぶたに)は冤罪なんだろ?」

 

 五十嵐(いがらし)が上げた懸念のように、ボイコットは生徒会長の策略だとすれば、渋谷(しぶたに)は主犯に仕立て上げられているだけで、別に扇動している奴がいるとみて間違いないだろう。タイムリミットの昼休み終了まで、あと一時間と少し。今から真犯人を見つけて説得、もしくは強行手段を取るとしても時間は少ない。

 

「やるしかねぇだろ? 見ろよ」

 

 宮村(みやむら)が指を差したグラウンドでは、真剣な表情でトラックを駆け抜け、各クラスの応援団が大きな声で声援を送っている。みんな、本気で競いあっている。

 

「策略を阻止したとなりゃ逆鱗に触れるかも知れねぇが、そう思い通りにはさせねぇよ」

「そうね。私も、こんなことで体育祭にケチをつけさせたくないわ」

「珍しく意見があったな。ここは一時休戦といくか?」

「いいわ、手を組んで上げる。でも、今日だけだからっ」

 

 会長の座を争う二人は一時的な停戦協定を結び、協力してボイコット主導者の調査を行う約束。俺も、二人に協力を申し出る。

 

「俺も手伝うよ。原因は、拒んだ俺にあるんだし」

「なに言ってんだ。凄腕の救護係が居なくなったら困んだろ?」

「そうよ、私たちに任せなさい。あなたは巻き込まれただけよ、気にやむことはないわ。行きましょう、(うしお)くん」

「ああ」

 

 それぞれ調査へ出掛けていき。救護テントの脇で、俺と白石(しらいし)が残された。

 

「そろそろ戻った方がいいんじゃない?」

「うん、そうね」

「すみませーん! 急患です!」

 

 ケガ、体調不良含めて三人同時に患者が訪れた。保健教師と保健係二人が担架を使い、体調不良を訴えた生徒を保健室へ連れて行き、比較的軽傷の二人を捌くことに。

 

「手伝うわ」

「ありがとう。助かるよ」

 

 擦り傷の軽いケガをした生徒を白石(しらいし)に任せ、捻挫の生徒を俺が看る。その後も何人かケガ人が来て、気がついたら昼休みはあと十分ほどになっていた。ひと段落ついたところで、ボイコットを未然に阻止するために行動していた宮村(みやむら)たちが戻ってきた。さっそく成果のほどを尋ねる。

 

「どうだった?」

「......シャレにならねぇ。扇動していたのは、飛鳥(あすか)先輩だ」

「それって、さっきの秘書の人だよな?」

「ええ、朱雀高校の実質No.2よ。あの人の発言力は、副会長の私たちよりも上なのよ」

「しかも、オレたちがボイコットを潰そうとしていることに気づいてやがった」

「うむ。見下すような表情で、俺たちをせせら笑っていた」

 

 ――上手いな。一般生徒が相手なら、最悪力づくという強行策もあり得たが、相手が悪すぎる。生徒会長最側近となれば強引な口封じは行えず、軽はずみに手出し出来ない。

 

「くそっ!」

「このままじゃ関係のないサッカー部まで......」

「くっ......」

 

 三人とも、悔しそうに地面に目を落とした。

 

『体育祭実行委員会よりお知らせです。午後の競技に変更が――』

 

 競技変更を告げる校内放送が始まった。

 どうやら、選択の時が来たらしい。

 

宮村(みやむら)。悪いけど、急ぎで教室から荷物持ってきてくれないか? バイト道具が入ってるんだ」

「はあ? お前、まさか......!」

「俺が出場すれば、丸く収まるんだろ?」

「そりゃそうだけどよ」

 

 テーピングを拝借し、救急箱の蓋を閉じる。

 

「いいのっ? あなた、ケガしてるから入部を拒んでたのに――」

「大丈夫だよ。期待に応えるだけだから、あの人の」

 

 心配してくれた小田切(おだぎり)から、運営本部が置かれたテントの下で、涼しい顔をしている山崎(やまざき)に目を向ける。

 ――悪化しない程度にね。



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Episode7 ~開会宣言~

 宮村(みやむら)が教室へ荷物を取りに行ってくれている間に、もろもろの準備を進めておく。着替える場所がなかったため、テントの中でジャージの下に手をかけると、小田切(おだぎり)が頬を染めて慌てふためいた。

 

「ちょ、こんなところで脱がないでよ!」

「いや、下穿いてるから。ほら」

 

 ジャージの下は、膝下まで覆うスパッツと日常生活用のサポーターを着用済み。いくらなんでも、女の子の前で下着を見せつける公然猥褻罪になるような真似はしない。右足のサポーターを太ももまでまくり上げる。右の足の膝小僧の皿を挟むように、真っ直ぐ引かれた長い二本の線が周りは内出血の跡が残り、青黒く滲んでいる。

 

「これが、手術の跡?」

「そ。なかなかにグロいでしょ? これでも、だいぶ薄くなってきたんだ」

「これで? 凄く痛そうだけど......」

「触っても平気?」

「どうぞ」

 

 軽く触れる程度なら特に痛みはない。常に麻酔が効いているような感覚。ただ、他人に触られるのは若干くすぐったい。二人が膝を観察している間に、体育祭本部へエントリー用紙を取りに行ってくれていた五十嵐(いがらし)が戻ってきた。

 

「貰ってきたぞ」

「あら、ありがとう。えーと......」

 

 受け取ったエントリー用紙の注意事項を、小田切(おだぎり)が要点をまとめて読み上げる。

 

「試合は、五人制。必ず女子が一人以上ピッチにいること。ひとチーム最大七人までエントリー可能で選手交代は自由。ただし、選手交代の際は指定の位置で行うこと。大会はトーナメント方式を採用、対戦相手は全ての学年からくじ引きでランダムに決めるみたいね」

 

 総当たりだと時間が掛かるためトーナメントの一発勝負。これなら初戦でわざと負けるという手も使える。

 

「ねぇ、本部に大勢集まってるわ」

「あ、本当だ」

 

 エントリーを受付ける体育祭本部に行列が出来ていた。しかも、体育祭一番の目玉競技クラス対抗リレーがなくなった割りには落胆どころか、むしろヤル気満々といった感じだ。

 

宮内(みやうち)

「ん? 宮村(みやむら)か」

 

 木の影から宮村(みやむら)が小声で俺を呼び、なにやら手招きをしている。

 

「なんだよ? 荷物は?」

「ちゃんと持ってきてるって。とにかく、こっちへ来い」

 

 仕方なしに後に続いて、テント裏の木が繁る中へ入っていく。少し入ったところで、柔らかな木漏れ日が射し込み、爽やかな風が吹き抜ける広場に出た。広場には、体操服をだらしなく着崩したガラの悪い男子がダルそうに、木の樹に寄りかかって座っている。

 

「待たせたな」

「チッ!」

「いきなり舌打ちするなよ、ったく......」

 

 会うなり舌打ちされた宮村(みやむら)は、呆れ顔でひとつ大きなタメ息をついた。

 

「こいつは、山田(やまだ)白石(しらいし)さんと倒れてたヤツだ」

「ああ、覚えてるよ」

「んで。こっちは、宮内(みやうち)な。オレと一緒に、階段の前で気絶してたお前らを保健室まで運んだ。つまり、恩人ってことだ」

「......ああ、そうかよ」

 

 何か気まずいことでもあるのか、山田(やまだ)は、あからさまに顔を背けた。その行為を若干不思議に思うも、なぜ今さら、俺たちを引き合わせて何を考えているのだか、まったく見当もつかない。

 

「素直じゃねぇな~、まあいいや。でだ、二人をここに呼んだ理由(わけ)だが......」

 

 俺と山田(やまだ)の両方が視界に入るように立ち位置を変えた宮村(みやむら)は、ニヤリと悪巧みを考えていそうな笑みでとんでもないことを言い出した。

 

「お前ら、キスしてみろ」

 

 言葉を理解出来ずに固まる。先に反応したのは山田(やまだ)。勢いよく立ち上がると宮村(みやむら)を指差して、怒鳴り付ける。

 

「ふ、ふざけんなッ!! 何で男と......キ、キスしなくちゃいけねーんだよッ!?」

「まあ、落ち着けって」

「俺も、男とする趣味はない。話がそれだけなら先に戻るぞ」

 

 木の根元に置かれたバイト道具の入ったバックに手をかける。

 

「お前も待てって、これには理由があるんだよ」

「理由?」

 

 面識のない男子とキスをしなければならない理由なんてものは、聞いたことがない。そもそも、聞いたところで答えは変わらない。

 

「なにしているの?」

「し、白石(しらいし)!?」

 

 山田(やまだ)が真っ先に反応し、声をかけてきた人物の名を呼んだ。声をかけてきた白石(しらいし)は、不可解に林に入っていった俺たちを見かけて追いかけて来たらしい。

 

「ちょうどよかったぜ。白石(しらいし)さんも、こいつら説得してくれよ!」

「説得? どういうこと?」

 

 宮村(みやむら)白石(しらいし)の近くに行き、何やら彼女に耳打ちをしている。

 

「そう。わかったわ。山田(やまだ)くん」

「な、なんだよ......」

「お願い。宮内(みやうち)くんとキスしてみて」

 

 なぜか白石(しらいし)まで、宮村(みやむら)と同じことを言い出した。けど、たとえ白石(しらいし)に頼まれたところで、俺の意思は変わらない。もちろん山田(やまだ)も同じ考えだろう。

 

「うっ、わかった......」

 

 一瞬で山田(やまだ)が陥落した。まさかの事態、意味不明かつ理解不能だ。あまりの衝撃に唖然としていると、いつのまにか目の前に山田(やまだ)が迫っていた。

 

「......行くぞ?」

「行くぞ、じゃねえよ。来るな、しねぇーよ!」

 

 何をトチ狂ったのか。近づけて来た顔を手で押し戻し、さっと背を向ける。

 

山田(やまだ)くん」

「あん?」

 

 背中越しに二人の話声が聞こえた直後「ちょっと待て!」と、白石(しらいし)が呼び止めてきた。振り返る。すると突然、ぶつかりそうな勢いで飛び込んできた白石(しらいし)の口で、口を塞がれた。

 

「んっ......!」

「――なっ!?」

 

 小田切(おだぎり)の唇と同じくらい柔い唇の感触と、少し違った凄く良い香りがした。ゆっくりと彼女の顔が離れて行く。あまりにも唐突な出来事に身動きが取れないでいた俺から少し距離を取った白石(しらいし)は大きな目を丸くして、俺を指差した。

 

「な、なんで、どうしてっ!?」

「......それ、俺の台詞だから。いったい何のつもり?」

「お、おいっ! どうなってんだよ!?」

 

 白石(しらいし)は後ろを向いて、彼女と同じように目を丸くしている宮村(みやむら)山田(やまだ)に詰め寄っていく。

 

「ふむ。よし、オレとしよう!」

「しねーよ!」

 

 また俺の知らない、白石(しらいし)らしからぬ行動と態度。いったい何がどうなっているのやら。小田切(おだぎり)といい、白石(しらいし)といい。この学校に通っている女の子は、キス魔なってしまう魔法でもあるのだろうか。

 

「ちょっと、どこ行っていたのよっ!」

 

 集まって話し合いを始めた三人を広場に置いて、一足先にテントへ戻ると、少し頬を膨らませた小田切(おだぎり)が抗議してきた。

 

「ごめん、ちょっと荷物を取りに......」

宮村(みやむら)が取りに行ったんじゃなかったかしら? それにあなた、なんか疲れてる?」

「いや、まあ......。えっと、準備するから」

 

 彼女が座っていた椅子を借り、別の空いている椅子に膝を曲げて乗せテーピングを巻いている間に、小田切(おだぎり)から話の続きを聞く。

 

「みんなが、やる気になった理由がわかったわ」

「なに?」

「六位まで入賞賞品が贈呈されるのよ。ここを見て」

 

 見やすい角度でエントリー用紙を掲げ、彼女が指をさした項目には、優勝から六位入賞までの賞品が記されていた。

 

「二位から六位入賞まで順位に応じて、食券か。優勝チームは、朱雀高校クラブハウスへ無料招待豪華ランチディナー付き一泊二日の旅にご招待......クラブハウス?」

「部活に入っていないあなたには馴染みがないと思うけど。主に部活動の合宿や補習、夏期講習希望者が使う宿泊施設よ。今回の優勝チームは生徒用じゃなくて、来賓用の部屋を使わせてもらえるみたい。私も入ったことはないけど、噂ではホテルのスィートルームに匹敵するという話よ」

 

 更に料理も豪華ということで、基本食券が貰える六位入賞を目指しつつ、あわよくば優勝を狙って本気出している生徒たちが、大会本部へ押し掛けていたと。

 

「へぇ~、そうなんだ。よし、と」

「どう?」

 

 巻き終わったテーピングの端をハサミで切り落とし、まくり上げたスパッツを膝下まで下げ、右膝にスポーツ用サポーターを着けて立ち上がり、軽く曲げ伸ばしをして感触を確かめる。

 

「うん、大丈夫。それで、五十嵐(いがらし)は?」

「メンバー集めに行ったわ。今のところ、私たちを入れて五人だから、残りのふたりを探しにね」

 

 エントリー用紙のメンバー表を見る。

 一番上の欄に小田切(おだぎり)の名前がかかれ、俺、五十嵐(いがらし)白石(しらいし)宮村(みやむら)の順番で参加者名が書き記されている。

 

「あれ? 白石(しらいし)さんも参加してくれるんだ」

「ええ、彼女の了解は得たわ。メンバーが足りなかったら出てくれるそうよ。ところで、その白石(しらいし)さんと宮村(みやむら)はどこ? さっきから姿が見えないんだけど」

「なんか話し合いをしてるよ」

「あら、そう」

「おい、連れて来たぞ」

 

 五十嵐(いがらし)が後ろに男子二名を引き連れて戻ってきた。その二人は、俺がよく知っているヤツらだった。

 

「また会ったな」

「よっ、膝はどうだ?」

朝比奈(あさひな)と、森園(もりぞの)じゃないか」

 

 ひとりは午前に話した、朝比奈(あさひな)

 もうひとりは、中学時代に朝比奈(あさひな)と同様に全国大会で対戦した相手、森園(もりぞの)。キーパー以外の全ポジションをそつなくこなせるオールラウンダー。ただ当本人は、トップが性に合っていると言っていた。

 

「サッカー部で、チーム組まないのか?」

小田切(おだぎり)が持ってる用紙に書いてあるだろ。サッカー部の二年と三年は、ひとチーム二人までの制限があるんだ」

「あら、本当だわ」

 

 見せてもらうとエントリー規約に、公平を期すための処置と記されていた。二人の名前をエントリー用紙に書き記した代表者の小田切(おだぎり)は、五十嵐(いがらし)と共に本部へ提出に行った。

 

「で、どういう風の吹き回しだ? お前たちが揃って来るなんて」

「サッカー部の一年に、渋谷(しぶたに)ってのがいるんだが。そいつが、部の一年でチームを組んで出場する」

 

 どうやら、山崎(やまざき)の目論見通りことは進んでいるらしい。

 

「一年にしてはそこそこだが、なまじ出来るから驕ってる部分があるんだ。このままじゃいずれ壁にぶち当たる。五十嵐(いがらし)から、お前が出場せざるを得ない状況になったって聞いて。だから、俺たちとしてもお前のプレーを渋谷(あいつ)に見せてやるいい機会になるんじゃないかと考えたのさ」

 

 いくら中学を出たばかりの一年生とはいえ、故障してる人間に無茶な要求をしてくれる。

 

「万全じゃないんだけど?」

「連中と当たるまで、俺たちで勝ち上がるから心配すんなって」

「さほど脅威になる相手はいないからな。当然、悪化させるほど無茶をさせるつもりはない。()()()()()()出来ることをしてくれればいい、お前はな。そいつを見せてやってくれ」

「やってやろうじゃねぇかッ!」

「ん?」

 

 会話に割って入ってきた、突然の声――。

 声の主は、宮村(みやむら)白石(しらいし)と一緒に戻ってきた山田(やまだ)だった。

 

「調子乗った一年をシメるんだろ? そういうことなら、俺も協力してやるぜ!」

「誰だ? このヤンキー」

「同学年の山田(やまだ)だ。度々校内放送で呼び出しを受けてるだろ」

「ああー......」

 

 やる気満々で拳を鳴らす山田(やまだ)に、協力の申し出の答えを伝える。

 

「無理だよ」

「即答!? なんでだよッ!?」

「まあ落ち着け、山田(やまだ)

 

 山田(やまだ)の肩に手をポンと叩き宥めながら、宮村(みやむら)が前に出てきた。

 

「素人だけどよ。コイツ運動神経いいから、戦力になると思うぜ?」

 

 宮村(みやむら)の後ろで腕を組んで、得意気な表情(かお)をしている。確かに、ケンカでは負けなしって噂を耳にしたことがあるから運動能力は申し分ないだろう。けど、問題はそこじゃない。もっと根本的な理由がある。

 

「そういう問題じゃないんだ。小田切(おだぎり)さんが、手続きに行っちゃったんだよ」

 

 既にエントリーを済ませたことを知った宮村(みやむら)は、山田(やまだ)の肩に手を置いて、ドラマのワンシーンのように首を横に振った。

 

「手遅れだ。諦めてくれ」

「お前が出てくれって言ったんだろ!?」

「だって、しかたねぇーじゃん」

「大丈夫よ。山田(やまだ)くん、こっちへ来て」

白石(しらいし)?」

「おおー、そっか、その手があったな」

 

 何かに納得したように宮村(みやむら)が頷くとほぼ同時に、大会開幕を告げるアナウンスが流れた。

 ――支度したいから先に行っていて、と言った白石(しらいし)と参加を断念した山田(やまだ)と別れ、開会式が行われる本部へ向かう。多くの参加チームが集まる中、真ん中を陣取っていた小田切(おだぎり)たちと合流。

 

白石(しらいし)さんは?」

「......言わせんなよ?」

「アンタ、ほんとサイテーね」

 

 頬を染めて意味深に言いよどむ宮村(みやむら)は、蔑むような視線を向けれてた。懲りないやつだ。

 

『ええー。それでは、本大会のルールを説明します』

 

 マイクの前に立った秘書の飛鳥(あすか)が、おおまかなルールの説明を始める。試合はハーフ制を採用せず、ひと試合10分、引き分けの場合はジャンケンで勝敗が決まる。故意のスライディング、チャージなどの接触プレーは原則禁止。トーナメントは六つグループに別れ、上位ひとチームのみが決勝トーナメントに進出。予選トーナメントの得失点差上位二チームが、決勝トーナメントにおいてのシード権を獲得出来る。

 

『――以上となります。審判は大会不参加及び、自身の試合出場がないサッカー部の方々に行っていただきます。組み合わせは、エントリーシートを確認してください。会長、お願いします』

 

 飛鳥(あすか)が下がり、生徒会長の山崎(やまざき)が入れ替わりマイクを持ち、開幕宣言が行われた。

 各予選トーナメントが行われるピッチへ移動、審判を務めるサッカー部員の指示の元、第一回戦の試合が幕を開けた。



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Episode8 ~全貌~

 遠くまで響く笛の音が鳴り、初戦終了の時を告げる。

 各ピッチでは、勝利を収めたチームがハイタッチを交わしたりして、仲間たちと勝利の喜びを分かち合い。逆に敗者側は、その場に座り込んだり、腰に手を当てて天を仰いだり。まあ、中には参加だけで勝敗には拘っていない人も少なくないけど。それでも、やっぱりどこか悔しそうにしている。

 

「先ずは、初戦突破ね。ま、当然だけど!」

「あ、うん」

 

 うちのチーム......「小田切(おだぎり)チーム」の初戦のスコアは4対0、被シュートは枠外二本、と危なげない試合運びで勝利を収めた。隣に座っている小田切(おだぎり)は、とても上機嫌。試合に出場していた五人が、ベンチへ戻ってくる。

 

「ナイスゲーム」

「まあ、こんなものだろう。本職は一人だったからな」

「内訳は、俺が二得点だろ。で、相手のオウンゴールと......白石(しらいし)だっけ? あの子」

「ああ。しかし、運動もいけるとは知らなかった」

 

 朝比奈(あさひな)と同意見。一年の頃の白石(しらいし)は、取り立てて目を見張るほどの成績じゃなかった。けど今の試合では、アグレッシブにピッチを動き回っていた。まるで別人だな、と目で彼女を追っていると、スポーツドリンクのボトルを手にした五十嵐(いがらし)が目に入った。眉間にしわを寄せて、何やら面白くなさそうな顔をしている。

 

「お前たち、少し近いんじゃないか?」

「これ、二人がけのベンチだし」

「あら。(うしお)くん、妬いているのかしら?」

「な、なにを、バカなことを......!」

 

 小悪魔のようにくすっと笑った小田切(おだぎり)に、五十嵐(いがらし)は照れくさそうに顔をそむけた。わかりやすい。けど、意中の相手を前にして、ここまで感情を出せるやつは珍しい。きっと、スゴく純粋なやつなんだと思う。

 

「おーい、情報仕入れてきたぜー」

 

 試合終了直後に他のコートへ情報収集へ行っていた宮村(みやむら)が戻ってきた。さっそく、別ブロックの情報を聞く。サッカー部が居るチームと、運動部中心のチーム、フィジカル面でアドバンテージがある三年のチームが順当に初戦を勝ち抜いている中、一年も運動部で固めたチームが上級生を相手に、下剋上の番狂わせもそこそこ起きている。

 そして、例の相手もその中のひとつ。

 

渋谷(しぶたに)のチームも勝ち上がっているぜ。三年相手に4-1だってよ」

「順当だ、驚くまでもない。アイツらは、女子も含めて全員サッカー部で固めてる。別ブロックだから最短で5試合、決勝トーナメントの初戦だな」

「ねぇ、朝比奈(あさひな)くん。その一年は、どんな感じなの?」

「そうだな。ひとことで表現すれば、今時のチャラ男だ」

「ふーん、そういうタイプなのね」

 

 興味がなくなったようだ。 足を組み直して、小さく息を吐いた。

 

「それはそうと、驚いたぞ。白石(しらいし)もだけど、お前も結構動けるんだな。知らなかった」

「ふふーん、私ほどになれば何でもそつなくこなせるのよっ」

 

 得意気な顔で、頬にかかる髪を軽くかき上げた拍子にふわりと、いい香りが風に乗ってくる。

 

「おーい、そろそろ二回戦始めるぞ。準備しろー!」

「時間か。じゃあ行くか」

「あいよ。んじゃあ、応援よろしくな!」

 

 10分間の休憩の後、二回戦。続く三回戦、四回戦も危なげなく勝利し、準決勝に駒を進めた。同じ二年の運動部集団を撃破し進んだ決勝戦は、サッカー部のレギュラーが二人所属する上級生が相手。勝ち上がる度に相手も強敵になっていくが、ここもきっちり無失点で予選突破を決めた。

 

「なあ、山田(やまだ)

「なに?」

 

 他試合の結果が出るのを待つ間、木の根元の日陰に入り女座りで、古文の教科書を読んでいた山田(やまだ)は、本を閉じて顔を上げた。いきなり舌打ちをされた時とまったく違う態度に戸惑いを感じるが、気になっていることを尋ねることを優先させよう。

 

「てか、オレらマジで強くね? このまま優勝掻っさらうか」

「上手く出来すぎな気がして、なんだか落ち着かないがな」

「もう、(うしお)くんってばぁ、顔に似合わず心配性なんだから~っ」

「な、なんだ......?」

 

 ベンチ前で宮村(みやむら)たちと談笑している白石(しらいし)に視線を向けつつ尋ねる。

 

白石(しらいし)さんって、教室でもあんな感じ?」

 

 三人のやり取りを見た山田(やまだ)はすっと目を細め、無機質な冷たい表情で答えた。

 

「あんな不気味なことしないわ」

「そうか、だよな。だけどな~、うーん......」

「気になるの?」

「それはまあ、友だちだし」

「そう」

 

 短くひとことだけ言うと、再び本に目を落とし続きを読み始めた。それはまるで、初めて出会ったときの白石(しらいし)を見るいるようで、言葉遣いもよく似てるし。山田(やまだ)もエントリー前とは、別人みたいだな。と思っていると、校内放送が流れた。予選トーナメント全ブロックの集計が終わり、決勝トーナメントの組み合わせが決まったことを知らせる内容。大会運営本部のテント前へ行き、トーナメント表が貼り出されたボードを見る。

 

「おっ、オレらシードじゃん!」

「当然ね!」

「アイツらは――同ブロックか。勝ちあがってくれば、準決で当たる」

 

 シード権は、得失点差。無失点の小田切(おだぎり)チームは全体の一位でシード権を獲得。反対側のシード権は、サッカー部の三年が率いるチームが獲得。渋谷(しぶたに)たちのチームは、得失点差僅か2点差でシード権を逃した。しかし、得点力は六チーム中ダントツでトップ。サッカー部で固めただけのことはある。

 偵察をがてら、決勝トーナメントの初戦の試合を見学。決勝トーナメント進出唯一の一年チームということもあって、同級生が数多く応援に集まっている。やや遠い位置から、動きをチェック。

 

「どうだ? アイツの動きは」と、朝比奈(あさひな)が聞いてきた。目立つ明るい茶髪の男子、他を圧倒するプレーに周囲の女子からは黄色い声が飛んでいる。あれが手を焼いているという、渋谷(しぶたに)敬吾(けいご)

 

「センスはあるよ。経歴は?」

「都大会ベスト8、試合数のアドバンテージがある中得点ランキングで3位につけた。足のある典型的なストライカータイプ。去年は、都道府県トレセンの最終選考まで残ったそうだ」

 

 ――なるほど。プロの下部組織(ユース)から声はかからずとも、ある程度の強豪・中堅校なら複数声がかかってもおかしくはないレベル。これだけ出来るのなら、多少驕ってしまうのも不思議じゃない。

 試合の行方が見えたところで、準決勝が行われるベンチ前へ戻り、軽くアップを行って待機。10分間の休憩を挟んで、勝ちあがってきた渋谷(しぶたに)が率いる一年のサッカー部チームと相まみえる。

 こちらのスタメンは、初戦と同じ顔ぶれ。小田切(おだぎり)宮村(みやむら)五十嵐(いがらし)朝比奈(あさひな)森園(もりぞの)の五人。

 

「先輩、悪いっすけど、この試合勝たせてもらいますよ?」

「口ではなく、結果で示せ」

「ちっとは根性みせろよ? つまんねーかんな」

「なんすか、それ......チッ」

 

 二人の上からの返しに、面白くなさげに軽く舌打ち。見かねた審判を務める同部の三年生が、三人の間に割って入り、半ば強引に試合を推し進める。

 

「ったく、お前らなぁ。始めるぞ! 一年ボールだ」

 

 ピィッ! と、口に咥えたホイッスルを吹き鳴らし、いよいよ準決勝が始まった。味方からボールを受けた渋谷(しぶたに)がさっそく仕掛ける。

 

「うおっ、速えーぞ! 五十嵐(いがらし)!」

「くっ!」

「よっしゃ!」

 

 持ち前のスピードで宮村(みやむら)五十嵐(いがらし)を振り切り、小田切(おだぎり)に向かって突進していく。よほど自信があるのだろう。自分よりも体格のいい相手に対しても臆すことなく、一対一(デュエル)を仕掛けていける度胸がある。

 

「きゃ!?」

 

 迫力に気押され、小田切(おだぎり)が尻餅をついた。完全フリーになり、右足を振り抜く。スピードに乗ったシュートはゴールマウスを完璧に捉えるも、ゴールキーパーの朝比奈(あさひな)が足で弾き出し、コーナーキックに逃れた。

 

「ったく、何ビビってんだよ。おい、交替だ!」

「うーん......?」

 

 またしても、白石(しらいし)らしからぬ言動。疑問に感じている間に、うつむき加減の小田切(おだぎり)がベンチに戻って来た。何も出来なかった悔しさで顔を伏せたまま、膝の上で手を握り閉めている。置いてある彼女のタオルをそっと、肩にかける。

 

「お疲れさま」

「ええ......」

 

 試合の方は、想像以上に苦戦を強いられている。何より肝なのは、渋谷(しぶたに)以外もサッカー部で固められていること。体格差(ミスマッチ)を埋める経験の差が徐々に広がっている。

 おそらく、このままでは――。

 波状攻撃を受け続け、ゴール前でのルーズボールが相手の目の前に転がった。そのまま押し込まれて、今大会初失点を喫する。先制点を奪い盛り上がる一年チームと、応援に集まっている下級生たちから大歓声が上がる。ゴールネットを揺らしたボールを拾い上げた朝比奈(あさひな)から、合図が来た。

 

「じゃあ、行ってくるね」

 

 サポーターを付け直してベンチから立ち上がり、小田切(おだぎり)の肩をぽんっと軽く触れ、指定の交替エリアに立つ。

 

「すまん......」

「上出来上出来」

 

 肩を落とした五十嵐(いがらし)を労い、替わりにピッチに立つ。フットサルコートの人工芝とは違う、天然のピッチ。ふかふかの感触が、シューズ越しに伝わってくる。この感触も、少し青ニオイも二年ぶりの感覚。何とも形容しがたい懐かしさがこみ上げてくる。

 

「ボールを」

「ああ」

 

 放り投げられたボールをトラップと同時に掬い上げ、リフティングで足の感触を確かめる。テーピングで多少動きづらいが大丈夫だ、問題ない。ダイレクトで、森園(もりぞの)に送る。

 

「膝は?」

「問題ない」

「うっし! んじゃあ俺、前行くから!」

 

 審判の笛で試合再開。白石(しらいし)からパスをヒールで後ろへ叩いた森園(もりぞの)は、前線へ上がって行く。軽くボールを転がしながら、ゆっくりと敵陣へ攻め込む。さっそく、相手が進路を塞いできた。

 

宮村(みやむら)

「おう。って、こねーのかよ!?」

「なっ!?」

 

 左サイドの宮村(みやむら)にパスを出す見せかけ、右足で蹴り出したボールを左足で切り返し、バランスを崩した相手の逆を抜き、相手の左サイドで展開。そこに、渋谷(しぶたに)が居る。

 

「行かさねーっすよ?」

「もっと腰を落として、斜めに構えろ。でないと――」

「はあ? えっ......!?」

「簡単に狙われるぞ」

 

 またぎフェイントをひとつ入れ、大きく開いた股の間を射抜く。一対一で強さを見せていた渋谷(しぶたに)がパスされたことで、相手の陣形が崩れた。慌て寄せてきたディフェンダーを引きつけて、タイミングを見計らいゴール前へスルーパスを送る。相手キーパーがセーブする前に、ボールウォッチャーになっていた逆サイドのディフェンダーの裏から飛び込んで来た森園(もりぞの)が一足先に追いつき、冷静に浮かせて、ゴールネットを揺らした。同点。軽く拳を合わせ、自陣に戻る。

 

「――ボール! 今度は、こっちの番だ......!」

 

 余裕の顔が一転、表情が締まる。

 仕切り直しのキックオフ、いったん後ろでボールを回して、仕掛けるタイミングを計っている。同じことの繰り返しに業を煮やした白石(しらいし)が奪いに行ったすきを突かれ、フリーの渋谷(しぶたに)にボールが渡った。

 しかし、ゴールへは向かわずわざわざこちらへ向かってきた。テクニックよりも、スピードで勝負するタイプ、一対一の駆け引きの最中軽く身体を引くと、そこを見逃さず突いてきた。一対一に気を取られ、朝比奈(あさひな)が待ち構えていることに気づかずに。

 

「もらった......なんで、ここに!?」

「甘いな。宮内(みやうち)!」

「オーライ」

 

 寄せてくる相手を身体でブロックし、軸足の後ろで叩くフットサル仕込みのトリッキーなダイレクトパスで、逆サイドの宮村(みやむら)へ流す。素早く白石(しらいし)に渡り、相手の女子を引きずりながら強引にシュート。惜しくも、キーパーに阻まれはしたが、コーナーキックを得た。キッカーは、森園(もりぞの)。ゆっくりとゴール前へ上がると渋谷(しぶたに)と、もうひとりマークが付いた。

 

「いいのか?」

「何が!」

 

 イラだちと戸惑いが混在していて、まったく周りが見えていない。そして、誰もが予想しなかった場所へ送られる。ゴールから離れたセンターサークル付近へ転がるボールを、自軍ゴールを離れ、オーバーラップしてきた朝比奈(あさひな)が振り抜いた一撃はゴールバーに当たり、ゴールネットを揺らした。痛烈なシュートが直撃したゴールバーの揺れは中々収まらない。そのあまりにも衝撃的な一撃を目にした相手チームも、ギャラリーも騒然としている。

 ここからは、一方的だった。

 どこからでも狙ってくるという意識が芽生えた相手の守備は、めちゃくちゃ。混乱に歯止めがかからず、もう揺さぶりをかけずとも勝手にスペースが生まれ、そこへパスを出すだけでいい。宮村(みやむら)が追加点を上げて、さらに試合終了間際に得たコーナーキックから、朝比奈(あさひな)のオーバーラップを警戒してフリーになった白石(しらいし)がダメ押しのゴールをたたき込み、試合の勝敗は完全に決した。

 

「よっしゃ! 勝ったぜー!」

「やったな!」

「お、おいっ、止めろ! 変なとこ触んじゃねー!」

 

 試合終了を告げたホイッスルが鳴り響くのと同時に、抱きついてセクハラ行為を行おうとする宮村(みやむら)を、白石(しらいし)は必死に拒絶している。

 

「おつかれさん」

「ああ、おつかれ。どうだった?」

 

 ベンチに座り、念のためアイシングをしているところへ、渋谷(しぶたに)の様子を見に行っていた朝比奈(あさひな)森園(もりぞの)が戻ってきた。

 

「あれ程の差を見せつけられると思わなかったんだろうな、かなり堪えてた」

「大丈夫そうか?」

「ああ、お前のプレーを見て感じるモノはあったみたいだ」

「お前のことが気になって仕方ないって感じだったぞ? あの人、何ものっすか? ってよ」

「そっか」

 

 どうやら、期待に応えることは出来たようだ。

 準決勝の勝利し、ついに決勝戦に駒を進めた。相手チームは、サッカー部主将と正ゴールキーパー。更に、各部キャプテンで固められた、まさに反則のようなチーム相手に2-1で惨敗、準優勝という結果で体育祭は幕を閉じた。

 

 

           * * *

 

 

 体育祭後の昼休み。生徒会長の秘書を務める飛鳥(あすか)に、山崎(やまざき)が呼んでいると捕まり、半ば強制的に生徒会室へ連行された。両開きのドアを開けた正面の会長の席、小洒落た黒い羽ペンの万年筆で、山崎(やまざき)は書き物をしていた。

 

「会長。宮内(みやうち)さんを、お連れしましたわ」

「そうかい。ありがとう、飛鳥(あすか)くん。ちょっと待っていてくれるかい?」

「あ、はい」

 

 生徒会が会議を行う席に設けられたソファーに通され、飛鳥(あすか)が淹れてくれた紅茶をいただきながら、山崎(やまざき)を待つ。

 

「お待たせ」

「いえ。それで、俺になにか?」

 

 丸テーブルを挟んでソファーに座り、足を組んだ山崎(やまざき)は意味深に微笑むと、ティーカップに手を伸ばした。

 

「いやー、期待通り見事なプレーだったよ。ところで、膝の具合はどうだかな?」

「問題ありません」

「それは良かった。正直、キミがピッチに立っている間は気が気でなかったよ。はっはっは!」

 

 妙なことを言う。今回の発案者であり、俺を出場させるよう仕向けたのは、生徒会長(やまざき)の策略のハズ。けれど今の言い方はまるで、別に黒幕が居て、委託を受けただけとも取れる。

 

「戸惑っているみたいだね」

「ああー、まぁ、そうですね。あの今回の件は......?」

「そうだね、キミには知る権利がある。飛鳥(あすか)くん、例の物を」

「はい、どうぞ」

 

 秘書の飛鳥(あすか)は、棚から持って来たクリアファイルを山崎(やまざき)に渡す。ファイルの中か一枚の書類を取り出し、俺に見えるようにテーブルに置いた。

 

「これは......」

「そう、例のボイコット計画の全貌だよ。一年生の一部の男子が、人気者の渋谷(しぶたに)くんを面白く思わなかったんだろう。僕の推測になるけど、罪を擦り付けて名声を落とすことが狙いだったんだろうね」

 

 書類には計画を企てた主犯格と、共犯者の名前とクラスが明記され。さらには、当日の役割分担等の細かな部分まで記録されている。

 

「事前に計画を察知した僕たちは以前、部活動の予算委員会でサッカー部の主将から、渋谷(しぶたに)くんに手を焼いていることを聞いていたから、今回の体育祭を利用したんだよ。ボイコット計画を未然に防ぎ、渋谷(しぶたに)くんの鼻をへし折る。正に一石二鳥だったというわけさ」

「......じゃあ、宮村(みやむら)小田切(おだぎり)さんが見た飛鳥(あすか)先輩は、ブラフですか?」

「察しがいいね、その通りだよ。今回の計画を知っていたのは、僕と飛鳥(あすか)くん」

 

 山崎(やまざき)が後ろで立つ飛鳥(あすか)に視線を向けると、彼女は小さく微笑む。

 

「そして、サッカー部主将、体育祭実行委員長、その他一部生徒、教職員の方々の協力の元計画を遂行した。キミに話が漏れると困るから、親交のある宮村(みやむら)くんと、小田切(おだぎり)くんには内密にことを運んだということさ」

 

 なるほど。道理で、スムーズにことが進んだワケだ。宮村(みやむら)小田切(おだぎり)は、生徒会長には絶対の権限と言っていたが、すべては根回しがあってのこと。予め用意されたエントリー用紙、細かいルールもすべて最初から決められたシナリオとすれば納得がいく。

 更に山崎(やまざき)は、「キミたちのチームが想定外に強かったから、ちょっと卑怯な手を使わせてもらったよ」と声を出して笑った。つまり、最初から優勝商品のクラブハウスへの豪華宿泊に関しては出すつもりはなかったようだ。

 

「だけど、小田切(おだぎり)くんがキミに拘る理由が少しわかったよ。サッカーはよく知らないけど、キミがボールを持つと次は、いったい何をするのだろう? とワクワクしたよ」

「私もですわ」

 

 席を立った山崎(やまざき)は、光が差し込む窓のサッシに腰かけ腕を組んだ。

 

朝比奈(あさひな)くんから聞いている。来年の冬に照準を合わせているとね。僕たちは卒業しているけど、卒業生としてキミたちの活躍を期待しているよ」

「お二人の期待に答えられるよう最善は尽くします」

「うん、いい返事だ。さて、では本題に入ろう。飛鳥(あすか)くん、アレを」

「どうぞ、こちらお受け取りください」

 

 生徒会長特別賞、と記された目録を手渡された。

 

「キミにリスクを背負わせる形になってしまったことは、申し訳なく思っている。そこで、どんな願いでも一つだけ聞いてあげる。ただ、生徒会長(ぼく)に出来る範囲でね」

 

 人差し指を顔の立ててウインク。男のウインクはどうかと思うが、この人の場合は迷いがない分嫌みを感じない。それにしても――願いね。

 生徒会長の出来る範囲なら、膝を治してくれ。何て願いは無理だ。

 

「うーん、特に何もないです」

「はっはっは、焦る必要はないよ。僕が生徒会長で居る間に、ゆっくり決めればいいさ。それでも何もないのなら、きっとキミの学校生活が充実しているんだと、僕は嬉しく思う」

 

 ぐっ、と反動をつけてサッシから離れて、笑顔を見せる。

 

「そろそろ、昼休みも終わりだね。時間を取らせてすまなかったね。今度はゆっくり話せる機会を楽しみにしているよ」

 

 頭を下げた俺は、生徒会室の入口へ向かう。ドアノブに手をかけた時、山崎(やまざき)に呼び止められて振り返る。

 

「ところで、小田切(おだぎり)くんとキスしたね」

「――えっ!?」

「はっはっは! 生徒会長(ぼく)は、何でもお見通しだよ」

 

 ――どこから洩れた? キスをされた公園に、それらしき人影はなかった。なら、フットサルコート前の歩道で小田切(おだぎり)本人が暴露したのを聞かれた? いろいろな可能性が頭の中を駆け巡る。

 山崎(やまざき)はひとしきり笑った後、座っている生徒会長の席で肘を突き、組んだ手の甲にアゴを乗せて真剣な表情(かお)で、どこか探るような声色で聞いてきた。

 

「キミは、小田切(おだぎり)くんと宮村(みやむら)くんのどちらが、次期生徒会長に相応しいと思うかな?」

 

 目を落として考え、率直に答える。

 

「正直、答えかねます。どちらとも付き合いが長いとは言えないので、簡単には判断できません」

「ふむ、なるほど。冷静な判断だね、実に興味深い。どうだろう? 次期生徒会長に立候補してみないかい?」

「謹んで遠慮させていただきます。(コレ)と、バイトがあるんで」

「それは、残念。ではまた、機会があれば話そう」

「はい、失礼します」

 

 一礼して、生徒会室を後にする。教室へ戻る途中で俺は一度振り返り、生徒会室のプレートを見つめる。最後の質問時に見せた、生徒会長の表情(かお)を思い返してた。

 ――まだ、何か重大な秘密を隠している。

 なぜか、そんな気がしてならなかった。



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Episode9 ~忘れ物~

 生徒会長に呼び出された翌日の昼休み。ここ数日、屋上へ顔を出さなかった宮村(みやむら)が、売店のパンの袋を片手に姿を現した。

 

「ちょーけんぶ?」

「そっ。超常現象研究部、略して超研部」

「超常現象ねぇ。ここのところ来ないと思ったら、そんなことしてたんだな」

 

 個人的な印象だが、生徒会長を目指している宮村(みやむら)は現実的なタイプで、超能力や心霊だのそういった類いの話に興味があるとは思いもしなかった、意外な一面を垣間見た。

 

「ま、最近まで部員がオレひとりだったから、実質休部状態だったんだけど。とある事情で復活させたのさ」

「へぇー」

 

 聞き流しながら箸を進め、自炊した弁当を食べる。自炊は手間はかかるが、その日の体調に合わせてメニューを変更することが出来る利点がある。今日のメニューは数種類の野菜と、高タンパク低脂肪のおかず中心の健康メニュー。自分で言うはあれだけど、我ながら上出来の味。

 

「もう少し興味もってくれよ、話が始まる前に終わっちまうだろ?」

 

 ひとつ大きなため息を吐いた宮村(みやむら)は、どこに忍ばせていたのか、一枚の用紙を差し出してきた。

 

「ほれ」

「んー?」

 

 箸を一旦弁当箱の上に置いて、受け取った用紙に書かれた内容を確認する。用紙の一番上に、部活動入部届けと記されていた。

 

「前に、小田切(おだぎり)がバイト先にまで勧誘に来たって言ってただろ? だから、先に別の部活に入っちまえば断る口実が出来るってワケよ」

「なるほどね」

 

 ついでに部員が増えれば、割り当てられる部費も増えて、超常現象研究部にとっても願ったり叶ったり。むしろ、そっちが本命だろう。受け取った入部届けを四つ折りにして胸ポケットにしまって、再び食事に戻る。

 

「って、入らねえのかよ!」

「とりあえず、保留。バイトもあるし。そもそも、超常現象を研究って何をするんだ?」

「そいつは、入部してからのお楽しみってやつさ!」

 

 含みを持たせ、興味を持たせようという魂胆が見える。

 

「あっそ。なら、別にいいや」

「一秒でいいから悩むそぶりくらい見せろよ。まったく、友だちがいのねぇーヤツだなぁ~。うっま!」

 

 正面に立った宮村(みやむら)は、膝を曲げひょいっと俺の弁当箱からおかずを一つ摘まみ、口の中へ放り込んで隣に座った。

 

「ああ、そうだ。話は変わるけどさ。明日から、林間学校だろ? オレらの班の班別自由行動って、結局何すんだ?」

「寺で、座禅」

「はぁ!? っんだよ、それ!」

「一昨日の放課後お前がめんどくさがって『オレ、生徒会だから先にあがるわ。あとは、よろしく~』って、逃げる前に遊び半分で出した提案(やつ)だろ? あのあとも結局意見がまとまらなくて、くじ引きになったんだ。中には滝業とか、吊り橋からバンジーってネタもあったから、座禅は比較的マシな方だぞ」

「マジかよ。うちの班エキセントリック過ぎるだろ......?」

 

 ――やっちまった、と頭を抱えてうなだれる宮村(みやむら)。けど実際、宇宙人と交信なんてぶっ飛んだ案もあったから本当にマシな意見だ。

 林間学校の件を話題にテキトーに時間を潰し、授業終わりの放課後は、いつものようにバイトなのだが、その前に近くのショッピングモールで、明日の林間学校に必要な物の買い出しをして、一度家に返って準備を済ませてから、改めてバイト先へと向かう。

 

「おつかれさまです」

「おう、おつかれー。今日もよろしく~」

 

 店長と、同僚のスタッフと挨拶を交わして、更衣室で着替えを済ませ、子どもたちが集まるコートへ向かう。

 

「お待たせー。ちょっと早いけど、もうみんな居るし始めよっか?」

「はーい。せーれつー!」

 

 待ち構えていた子どもたちの練習を開始。一組目が終わり、二組目の練習時間も終わりに近付いた時だった。フットサルコートの敷地の外に朱雀高校の男女――小田切(おだぎり)五十嵐(いがらし)が、歩道の柵に寄りかかりながら、ボールの飛び出しを防ぐ防球ネット越しに中の様子を伺っていた。

 ミニゲームのチーム替えをしている間に、二人に声をかける。

 

「入らないの?」

「いいのか?」

「どうぞ」

「お邪魔するわ」

 

 ピッチ横のベンチに座った二人は、共に制服姿。どうやら今日は、客ではないらしい。ピィッ! と短くホイッスルを吹き鳴らし、ミニゲームを再開させる。子どもたちのプレーを見ながら用件を尋ねる。

 

「それで、今日は? また勧誘?」

「まあ、そんなところよ」

「それはそれはごくろうさまです。はい、フォロー来てるよ! 周り見てー!」

 

 基本的にあまり声をかけずに見守りながら、要所要所で指示を出し、今日最後のミニゲーム。

 

五十嵐(いがらし)、暇だったら入って」

「なぜだ?」

「一人、面子が足りないんだよ」

「だが、何で俺が......」

「あら。別にいいじゃない。入ってあげたら?」

「......仕方ないな」

 

 小田切(おだぎり)に言われ、上着を脱ぎ臨戦態勢が整った五十嵐(いがらし)にビブスを渡してから、試合開始を知らせるホイッスルを手に持つ。

 

「みんな、そのお兄ちゃん初心者だから手加減してあげてねー!」

「はーい!」

「なんだと......!? ナメやがって!」

 

 見事に挑発に乗ってくれた。五十嵐(いがらし)が座っていた、小田切(おだぎり)の隣に座る。

 

「それで、今日は勧誘しないの?」

「どうせ、引き受けてくれないでしょ? それより宮村(みやむら)のヤツ、部活を始めたんですって」

「ああ、うん、昼休みに聞いたよ。確か、超常現象研究部」

「そっ、それそれ。しかも部員は白石(しらいし)さんと、あの山田(やまだ)って話よ?」

「へぇー、そうなんだ」

 

 それはまた奇妙な組み合わせだと一瞬思ったが、体育祭の時にも三人で集まっていたし。俺が知らないだけで、存外仲は良いのかもしれない。

 

「今さら、また部活だなんて......。あの男いったい何を考えているのかしら?」

「さあ? あ、でも俺も勧誘されたよ。先に別の部活に入っていれば、小田切(おだぎり)さんが勧誘しにくくなるってさ」

「......考えたわね。それであなたは、超常現象研究部に入ったわけ?」

「ううん、一旦保留してある」

 

 アゴに手を添えて険しい表情(かお)をしていた小田切(おだぎり)は、俺の方に視線を向けた。

 

「別に迷惑とか思ってないしね。それに――」

「ん? 何かしら?」

「もし入部したら、こうして会いに来てくれなくなるでしょ?」

「なっ!? あ、あっ、あなた、いったい何を言っているのかしらっ? い、今さら効いてきたっていうのっ? でもでも......」

 

 ――効いてきた。何のことだろうか? 小田切(おだぎり)は体半分距離を取って、チラッチラッと俺を見ながら何やら葛藤している。するとそこへ、汗だくの五十嵐(いがらし)が、息を切らせて戻ってきた。

 

「すまん......」

「ひゃぁっ!」

「おっと」

 

 突然目の前に現れた五十嵐(いがらし)に驚いた小田切(おだぎり)が体勢を崩し、後ろに倒れそうになった背中を手で支える。

 

「大丈夫?」

「え、ええ、ありがと......。どうしたのよ、(うしお)くん?」

「......代わってくれ、限界だ」

 

 大量の汗を流し、今にも倒れそう。

 

「なーに? だらしないわねー」

「そう言われても......あのガキども上手すぎるぞ?」

「あっはは。あの子たち月に一度大人の大会に出てるから無理もないよ。サンキュー、ビブス借りるよ」

 

 五十嵐(いがらし)にお礼を言って交替、ピッチに上がる。ポジショニングや相手との距離の取り方を教えながら、残りの時間を消化して試合終了。片付けを済ませてクラブハウスへ戻り、テーブルに座っている五十嵐(いがらし)に、お礼のスポーツドリンクを渡して、空いている二人の両隣の座る。

 

「今日は、これで終わりなの?」

「もう一時間あるよ。この前二人が参加したのと同じ、初心者クラスの個人フットサル」

「ああ......。あの初心者(エンジョイ)とかいう、上級者(じごく)のヤツか......」

「地獄って、大袈裟だな」

 先日経験した疲労感を思い出したのか、二人とも表情(かお)が青ざめている。

 

「明日から林間学校だけど、二人とも帰らなくていいの?」

「私は、既に準備万端だから平気よ!」

「俺もだ」

「そっか」

 

 時計を見て席を立つ。そろそろ時間だ。

 

「じゃあ、一緒にやっていく?」

「そ、そう言えば、洗顔フォームを買い忘れていたかも知れないわっ」

「お、俺も念のため、もう一度荷物を確認しておこう」

「あはは、それは残念。そう、じゃあまた明日」

 

 慌てて席を立った二人は荷物を持って、急いで帰り支度を始めた。挨拶をして、コートへ出る。個人フットサルのレフェリーを務め、忘れ物を確認して今日の仕事を終えた。シャワーと着替えしてからクラブハウスを出る。

 すると、フットサルコート前の横断歩道を渡ったところの建物の影から意外な人物が、さっき帰ったハズの小田切(おだぎり)が姿を現した。

 

「おつかれさま」

「あれ? どうしたの? 何か忘れ物でもあった」

「ええ、ちょっと忘れ物をしたの。少しかがんでくれるかしら?」

「え? ああ、うん」

 

 言われたまま、軽く膝を曲げる。すると小田切(おだぎり)は俺の肩に手を添え、あの日と同じように顔を近づけて来た。

 ――二度目のキス。

 一瞬ぴったりと合わさっていた彼女のぬくもりが、ゆっくりと離れて行く。顔を上げた小田切(おだぎり)は少し赤く頬を染めながら、何かを確かめるように真剣な眼差しを向けてきた。

 

「どうかしら......?」

「えっと......どうって、何が?」

「その、何も変わらない?」

 

 彼女が何を言っているのか、いまいち理解できない。

 ただ一つ分かるのは、キスされたとわかった時から鼓動がものすごく速いということだけ。

 

「そう......そうなのね。さあ、帰りましょ」

「へっ?」

 

 何かに納得したように伏せたていた顔を上げた小田切(おだぎり)は、くるっと踵を返して背を向けて、まるで何事もなかったかのように歩いて行く。

 

「ちょっと、早くなさいよ。あなた、こんな時間にか弱い女の子を一人で帰らせるのかしら?」

「はいはい、今行くよ」

 

 ひとつ大きく息を吐いて呼吸を整えてから、数歩先で振り向いた彼女の隣を歩く。明日から始まる林間学校のことを話しながら、最寄り駅の改札前まで彼女を送り、ホームへ向かう背中を見送った。



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Episode10 ~理解不能~

 林間学校当日の朝、普段よりも一時間ほど早い起床。丸一日部屋を空けることになる。しっかり戸締まりを確認し、着替えなどを詰めた大きめのバッグを担いで、家を出る。初夏の涼しさを感じる、いつもより少し早い登校は、人通りも少なく、どことなく心地よさを覚えた。

 学校へ続く住宅街を歩いていると、三階建ての戸建て住宅の玄関から、見知った女子生徒が出てきた。

 

白石(しらいし)さん」

「あ、宮内(みやうち)くん」

 

「おはよう」と、お互い朝の挨拶をして一緒に登校。一年の頃は、時々同じ時間になったこともあったけど。進級してからは、初めてかもしれない。

 

「そういえば、昨日の放課後宮村(みやむら)くんが残念がっていたわ。あなたの勧誘に失敗したって」

「ああー......確か、超常現象研究部だっけ? 白石(しらいし)さんも入ってるって聞いたけど」

「ええ」

 

 白石(しらいし)は前を向いたまま、小さくうなづいた。昨夜小田切(おだぎり)が話していた通り、彼女も超常現象研究部に所属しているようだ。

 

「そうなんだ。だけど、知らなかったよ。白石(しらいし)さん、超常現象(そういうの)に興味あったんだ」

「別に。取り立てて興味はないわ。だけど――」

 

 一呼吸間を開けて、俺に顔を向けて微笑んだ。

 

「部活って、何だか楽しそうでしょ?」

「......うん、そうかもね」

 

 少しだけ、中学の頃を思い出した。ひたすらボールを追いかけ続けた日々。正直、楽しいことよりも苦しいことの方が多かった。だけど、試合に勝つ度に得られる高揚感や達成感、チームメイトと喜びを分かち合えたことは、何物にも代えがたい充実した時間だった。

 不意に、空に視線を移す。青空の中に、あの日......中学最後の試合と同じ、夏の訪れが近いこと知らせる大きな入道雲が浮かんでいた。その何処までも広がる青空と、入道雲を見てふと想う。また、あの日々のような想いを感じることが出来るのだろうか。

 

宮内(みやうち)くん?」

「えっ?」

 

 彼女の声に呼び戻された。気がつくと立ち止まっていて、数歩先で白石(しらいし)が不思議そうな顔をしていた。目をつむり、ゆっくり息を吐いて顔を上げる。

 

「大丈夫?」

「うん、大丈夫。ちょっと日差しが目に入っただけだから」

「そう? じゃあ、行きましょう」

 

 少し早足で白石(しらいし)の隣に並び、超常現象研究部の活動を聞きながら、朱雀高校へ向けて再び歩き出す。立派な造りの校門を潜り、いつもなら正面の昇降口へ直行するところなのだが、今日は勝手が違う、校舎隣接の駐車場へ向かう。

 クラスの女友だちに声をかけれた白石(しらいし)とはここで別れて、自分のクラスメイトたちが集まっているエリアに荷物を置き、邪魔にならないようにバス移動に備えて手荷物をチェック。そうしていると、宮村(みやむら)が眠そうな表情(かお)をしてやって来た。

 

「悪ぃ、先に乗っててくれ。席の確保よろしく頼むわ」

「希望は?」

「ゆったり出来るとこで」

「了解」

 

 各クラス林間学校へ向かうバスへの搭乗が始まる寸前どこかへ行ってしまった宮村(みやむら)の分の席も確保して、窓際の席に腰を落ち着ける。

 肘掛けに腕を預け、頬つえを突きながら窓の外を眺めていると。宮村(みやむら)と、俺たちと同じ班の女子――伊藤(いとう)(みやび)の二人が一緒にバスに乗り込んだ。

 

「おっ、一番後ろじゃん。サンキュー」

 

 宮村(みやむら)は俺の隣に座り、伊藤(いとう)はその宮村(みやむら)の隣の席に座る。二人の搭乗が最後だったようで、大型バスは林間学校へ向けて走り出した。

 

「じゃあ、伊藤(いとう)さんも超常現象研究部なんだ」

「そうなのよー。でも宮村(みやむら)山田(やまだ)ったら、まったくやる気がなくて困ったものよ」

「ひでぇーな、伊藤(いとう)さん。会長と話をつけて、ちゃんと部費をゲットしただろ?」

「そこへ至るまでのプロセスがサイテーなのよっ!」

 

 また白石(しらいし)にしたようなセクハラ発言、あるいはセクハラ行為を働いたのだろうか。紅く染めた頬を膨らませ、伊藤(いとう)宮村(みやむら)に抗議している。

 

「お前、今度は何をやらかしたんだ?」

「なにって。ただ部費を調達するために、胸チ――」

「それ以上言うなー!」

 

 ――胸チ? 何のことかよく分からないけど、これ以上の追求はよした方がよさそう。話しを切り上げ、手札最後の切る。

 

「ふーん、まあいいや。はい、7であがり」

「げっ、マジかよ! いつの間に......」

「ダウトよ、ダウトっ!」

 

 座席テーブルに捨てたトランプの山の一番上のカードを、伊藤(いとう)が捲る。カードは宣言通り、スペードの7。

 

「負けたー......次は、ババ抜きで勝負よ!」

「ババ抜き......ふむ、伊藤(いとう)さん抜きか」

「誰が、ババよっ!」

「あっははっ!」

「アンタも笑うなーっ! むぅ~、アンタたち覚えておきなさい......。こてんぱんにのしてやるんだから!」

 

 その後も定期的にルールを変えながらゲームを続け、長時間のバス移動を有意義に過ごした。

 そして、出発から数時間後。山の(ふもと)に看板を掲げる宿舎「松の宿」に到着。駐車場に停止したバスを降り、割り当てられた部屋に荷物を置いて、各クラス各班ごとに宿舎のロビーへ集合。

 

「さて。予定だと、これから周辺散策だけど。どうする?」

 

 班長の宮村(みやむら)が一応といった感じで、班のみんなに意見を求めた。伊藤(いとう)は顔を見合わせ、軽く肩をすくめる。

 

「どうするって言われても。ねぇ?」

「しない訳にはいかないわよね」

「まあ、そうなんだけど。めんどうだけど行くか?」

 

 やる気のない班長を先頭に、宿舎の周りを散策。周囲は高い山の囲まれ、樹木も多いためか、東京よりも空気が澄んでいて気持ちがいい。いつも見ている都心の高層ビル郡とは、正反対の森林郡に整備されたハイキングコースを進む。少し歩いたところに明日、朝座禅体験させてもらう予定の山寺を偶然見つけ、参道の掃き掃除をしていた住職に挨拶をしてから宿へ戻った。

 

「おっ、時間だ。風呂いこうぜー」

「ああ」

 

 ビュッフェスタイルの豪華な夕食を食べ終えて、部屋に戻りひと休みしていたが、すぐに割り当てられた風呂の順番がやって来た。スケジュールは分刻み、休まる暇がない。ただ、料理も豪華なら風呂も豪華。まるで日本庭園のような庭の中に造られた、大きな露天の岩風呂に浸かって汗と疲れを洗い流す。

 

「先に行ってて。飲み物買っていくよ」

「じゃあ、オレも同じヤツで!」

「はいよ」

 

 ピンッ! と親指で弾かれた硬貨を受け取り、自販機で伊藤(いとう)の分も含め計三人分の飲み物を購入。二本目を取り出し口から出した時だった。

 

「こんばんは」

「ん? ああ、こんばんは」

 

 白石(しらいし)が、廊下を通りかかった。彼女も風呂上がりらしく、ラフな私服姿で長い髪を首の後ろで一本に結んでいる。彼女は、部活のことで山田(やまだ)を尋ねた帰りで、男子の部屋から自分の部屋に戻る途中だった。

 

「そうだ。聞いてもいいかしら?」

「なに?」

「同じ部屋の子たちが、徹夜(オール)で女子トークするって言っているのだけど。いつ寝ればいいのかしら?」

 

 オールで女子トーク。白石(しらいし)の口から発せられた予想していなかったまさかの言葉を聞いて、思わず笑いそうになったのをこらえ、疑問に答える。

 

「そんなの難しく考えなくていいんだよ。眠くなったら、そのまま寝落ちしちゃえばいいんだから」

「寝落ち? つまり、話の途中でも寝ちゃっていいのね」

「そういうこと。はい、差し入れ」

「あ、ありがとう。じゃあ行ってくるわ」

 

 飲み物を手渡して白石(しらいし)を見送り、新しく一本買い直して部屋に戻る。長い廊下を行った先の広いロビーで今度は、パジャマ姿の小田切(おだぎり)に出会した。

 

「あら、奇遇ね。お風呂上がり?」

「そう。外から来たみたいだけど、夕涼み?」

「ええ、そんなところよ。あなたは......?」

「飲み物を買って、部屋に戻るところ」

 

 指の間に挟んだ二本のスポーツドリンクのボトルを軽く持ち上げて見せる。部屋が同じ方向ということで話ながら戻る。小田切(おだぎり)の話のほとんどが、生徒会や会長選に関わるモノだった。時おり、宮村(みやむら)山田(やまだ)に対する愚痴が混ざっていた気がしないでもないけど。話を聞いていて、ふと疑問に想ったことを彼女に尋ねる。

 

小田切(おだぎり)さんは、どうして生徒会長になりたいの?」

「改めて聞かれると難しいわね。そうね......、あっ、ここよっ」

 

 部屋のドアに「2-A女子A」と貼り紙がされていた。

 

「送ってくれて、ありがと。この話の続きは、また今度しましょ。それじゃあねっ」

 

 部屋に入った彼女に背を向け、来た廊下を自室の方向へ戻る。両手がふさがっているためノックはせず、ボトルの重みを利用してドアノブを下ろし、左足をドアの隙間に入れて扉を開く。

 するとそこには、とんでもない光景が広がっていた。

 部屋の中で、宮村(みやむら)山田(やまだ)が顔を近づけ、男同士でキスする寸前というとんでもない状況を目の当たりにした俺は、黙ったまま何事もなかったかのように扉を閉めた。

 そうだ、きっと疲れているんだ。おそらく今見たのは、バス移動とか散策とか、疲労からくる幻覚だろうと自分に言い聞かせる。混乱する頭を冷やそう思い踵を返した時だった。

 

「待ってくれー! 誤解だあぁーっ!!」

 

 勢いよくドアが開き、血相を変えた山田(やまだ)が顔を出した。廊下で騒ぐのは迷惑になると判断し、部屋に入って弁解を聞くことに。

 

「だから、さっきのは誤解なんだって!」

「なんだよ、それ。オレは、本気だったんだぞ......?」

「テメェは、余計なこと言うんじゃねぇーッ!」

「......わかったから。言い分があるならさっさとしてくれ」

 

 山田(やまだ)の言い分を一通り聞く。山田(やまだ)の話は、正に超常現象研究部に相応しい内容だった。

 

「つまり、山田(やまだ)には人格を入れ替えることが出来る特異な能力があって。それを発動させる条件が他者との“キス”だと?」

「ああ、そうだ! わかってくれたか! ふぅ、物わかりが早くて助かったぜ」

「ああ、よくわかった。理解不能だ」

「な、何でだよ!?」

 

 今の話を一切の疑いもなく信じられる人間がいるとしたら、それはおそらく聖人だろう。

 

「よし、なら証拠を見せてやろう」

「――なッ!? ぶはッ! 宮村(みやむら)テメー、いきなり何しやがるんだ!」

 

 宮村(みやむら)が強引に、山田(やまだ)にキスをした。スゴいモノを見てしまった。夢に出てきそうだ、悪い意味で。ただ、肝心なことを確認しなければならない。たとえそれが、予想通りの結果であろうとも。

 

「で。お前らは、入れ替わったのか?」

「あん? あ、あれ? 入れ替わってねぇ......?」

「あ、ああ......!」

「じゃあ、アタシはっ?」

 

 今度は、伊藤(いとう)山田(やまだ)とキスをした。小田切(おだぎり)といい、白石(しらいし)といい、やはり朱雀高校の女子はキス魔になるのだろうか。

 

「あれ? 入れ替わってないわ。へ、変ねぇ。いつもならちゃんと入れ替わって、股間が超常現象なのに......!」

「毎回見てんのかよ!?」

「まあ、見ての通りだ。どうやら、山田(やまだ)から入れ替わりの能力が消えちまったらしい」

「ま、マジかよ。でも、さっきまで入れ替わってたんだぜ?」

 

 何がなんだかよく分からないが、どうやら異常事態が発生しているようだ。しかし、三人の話が本当どとすれば全ての疑問が解き明かされる。体育祭も、白石(しらいし)の異変もすべて。けど、簡単に信じられるワケがない。そんな漫画みたいな、非現実的なことは。でも、話しが進まないのも事実、ここは引くがベスト。

 

「まあ、一応事情はわかったよ」

「おっ、信じてくれるのか?」

「体育祭でキスしろってのは、俺と山田(やまだ)を入れ替えるためだったんだろ? 内容的にさ」

「さっすが、察しがいいなー!」

 

 やはり、俺と山田(やまだ)を入れ替えてプレーさせるというのが、宮村(みやむら)が描いたシナリオ。だが、俺が山田(おとこ)とのキスをかたくなに拒絶したため別の手段として、白石(しらいし)と入れ替わった山田(やまだ)がキスをした。

 しかし、宮村(みやむら)の目論見通りとはいかず。どういうワケか、今と同じように入れ替わることはなかった、と。

 

「ふむ。きっと、お前疲れてんだよ」

「そうねぇ。今日は朝から晩まで、うららちゃんと入れ替わってたんでしょ?」

「た、確かにそうだけどよ......。腹も減ったし......」

 

 とりあえず、今日のところ解散。山田(やまだ)伊藤(いとう)は、それぞれ自分の部屋へ戻っていった。

 

「ほら」

「おっ、サンキュー」

 

 俺は、宮村(みやむら)にスポーツドリンクを渡して話の続きを聞く。

 

「それで?」

「んー?」

「結局のところ、山田(やまだ)能力(チカラ)ってのは本物(ガチ)なのか?」

「ああ、ガチだ。実際オレは、山田(やまだ)とキスして体が入れ替わったことが何度もある」

 

 もちろん話の全てを信じている訳ではないが、宮村(みやむら)は、こんなくだらない嘘をいうようなタイプじゃないことも、ある程度理解している。

 

「実はさ。お前を超研部に誘おうって提案したの、白石(しらいし)さんなんだぜ?」

白石(しらいし)さんが?」

「本人は、体育祭で山田(やまだ)と入れ替わらなかったのが興味深いからって言ってたけどよ~」

 ニヤニヤと笑みを浮かべる。無駄に爽やかなところがムカつく。

 

「何だよ、その含み笑いは?」

「いーや、なんでもねぇーよ。さて、オレらも寝ようぜ。明日は朝から座禅だ」

 

 そういった宮村(みやむら)は、部屋の隅に重ねられていた布団を敷き、部屋の照明を落として横になった。

 

「んじゃ、おやすみ~」

「はぁ......。おやすみ」

 

 布団に横になって、窓の外に浮かぶ金色の月を眺めながらゆっくりとまぶたを閉じる。普段とは違う環境で中々寝付けない、なんてこともなく。散策や、山田(やまだ)の件で肉体的にも精神的にも疲れていたのか、すぐに眠気はやって来た。



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Episode11 ~実験のキス~

 林間学校、二日目の朝。

 設定変更をし損ねた目覚ましアラームに起こされて起床。まだ眠っているルームメイトを起こさないように注意して、大部屋の外へ出て、朝日が差し込む廊下の窓を開ける。少し肌寒さを感じる風を受け、深く深呼吸。周囲が山々に囲まれているためか、空気がとても澄んでいて清々しい朝の目覚めだった。

 

「はえーな......」

「お前はまだ、眠そうだな」

 

 だらしなく腹を掻きながら寝ぼけ眼の宮村(みやむら)が、部屋を出てきた。アラームで起こしてしまったかと思ったけど、どうやらそうではないようで、なかなか熟睡出来なかったらしい。

 

「枕か?」

「いや、なーんか妙に目が冴えちまって。こう、神経が高ぶるっつーか」

「朝飯まで時間あるけど、どうする?」

「ああー、山田(やまだ)んとこ行ってくるわ」

 

 二度寝するかと思いきや、宮村(みやむら)は寝間着のまま廊下を歩いていった。俺の方は、眠気覚ましの散歩に出かけることにした。外はまだ肌寒い、一度部屋に戻って上着を羽織り、階段を下りた先のロビーに出ると、テーブル席で開いた参考書を前に、白石(しらいし)が座っていた。

 宿舎周辺に整備されている散歩道は、周囲の山々から降りてくる風の通り道で、より肌寒さを覚えた。どうやらこの辺りの夏は、もう少しのんびりやって来るみたいだ。

 

「早かったけど、眠れなかったの?」

 

 ロビーで偶然会い、話しの成り行きで一緒に散歩している白石(しらいし)に尋ねる。

 

「ええ。昨日は、ずっとおしゃべりしてて」

「ずっとって、オールで?」

「寝落ちするタイミングがわからなくて、だから......」

 

 両手で口を隠してした欠伸が、本当に完徹したことを物語っている。枕が変わって程度のレベルのではなかった、女子トーク恐るべし。よく話題が絶えないものだ、と思わず感心してしまう。

 

「でも、少しスッキリしたわ」

「それはなりよりで」

 

 昨日の朝の通学時と同様、明日行われる模試、彼女が新しく始めた部活動などの世間話をしながら散歩道を歩き、朝食の時間に合わせて宿舎に戻った。

 朝食後しばしの休息を挟んでからの班行動は、事前の予定通り、近くの山寺で座禅体験。両隣で座禅を組んでいた宮村(みやむら)伊藤(いとう)の二人はよほど煩悩が溜まっていたのか、住職が振るう警策で何度も肩を打たれていた。

 昼食はクラスごとに、キャンプ場がある河原でバーベキュー。一度宿で帰り仕度をして、行きと同じくクラス別のバスで朱雀高校へ帰る。

 

「足と肩がいてぇ......」

「アタシも......」

 

 行きと同様の一番後ろの席で、宮村(みやむら)伊藤(いとう)は精魂尽き果てた、といわんばかりにぐでぇーと座席から落ちそうなほど、だらしなくシートにもたれ掛かっている。

 

「二人とも、どうしたの? 朝からずっと落ち着きがないんじゃないか?」

「ああー......なんか、こう妙に体が火照るっつーか」

宮村(みやむら)も? もしかして、心がザワザワ騒ぐとか?」

「おおーっ、まさにそんな感じだ! 伊藤(いとう)さんもか!」

 

 どうやら二人とも同じ症状みたいだ。悪いものでも食べたのだろうか? と思ったが、全員同じ食事を食べているのだから、その可能性は低い。となれば、考えられるのは入れ替わりの検証のため、キスのし過ぎで可笑しなテンションになっているのだろう。周りに悟られないように主語を隠して、検証結果を聞く。

 

「で、どうだったんだ? 例のヤツ」

「......ダメだった。昨夜と同じで、何も起こらなかった」

「いったいどうなっちゃったのかしら? 昨日の夕方までは普通に使えたのよね?」

 

「朝から、うららちゃんと入れ替わっていたんだし」と、伊藤(いとう)は小さな声で付け加えた。腕を組んだ宮村(みやむら)は、神妙な面持ちで自身の見解を述べる。

 

「まあ、もともと使えてたのが不自然だっただけで。自然に戻ったってことで納得するしかねぇーだろうよ」

「でも、何か原因があるはずよっ。使えたのも、使えなくなったのも! アタシ、学校についたらまた試してみる!」

「いやいや、それなら先ずはオレだろ?」

「何でアンタなのよ、アタシよ。アンタ、今納得するって言ったでしょ」

「そんなの一般論を言ったまでさ。オレだって、原因を解き明かしたいに決まってるだろ」

 

 ――な、なんだ......? 山田(やまだ)の入れ替わりの能力の実験を巡って、宮村(みやむら)伊藤(いとう)の激しい言い争いが唐突に始まってしまった。慌てて止めに入るも、どっちが先に山田(やまだ)とキスをするべきか答えを求められて詰め寄られた。あまり剣幕に軽く引きながら口ごもってしまっていると「少し静かにしなさい」と、担任に注意をされて。二人は、渋々ながら言い争いを止めた。

 その後も高速道路を走るバスが朱雀高校へ到着する迄の間、小声で山田(やまだ)の入れ替わりの話を二人から延々と聞かされたことは言うまでもない。行きの倍は疲れた。

 林間学校の翌日の登校日は、全国模試で一日中試験。試験後のホームルームも簡略で終わり、帰りの準備をしていると、宮村(みやむら)が声をかけてきた。

 

「ん、なに?」

「ちと頼みがあってな。お前、弁当自分で作ってるんだよな?」

 

 バイト前に本屋へと立ち寄る。

 料理本を探しに来た、宮村(みやむら)と共に。

 

「料理本って、こんなに種類あんのかよ」

 

 平積みにされている中の一冊を手に取った宮村(みやむら)は、パラパラとページをめくって内容を流し読み始めた。

 

「どうしたんだ? いきなり、弁当作りだなんて」

「いやまあ、ちょっとな......」

 

 詮索されたくないのか、言葉尻を濁した。まあ、いいや。聞かれたくない事情もあるだろうし、その辺りを深く詮索するのは野暮。

 

「初めてなら、この辺りが分かりやすいかも」

「おっ! 結構良さげじゃん」

 

 しかし、料理本の弁当を主に取り上げているコーナーで男子が二人並んでいるのは、端から見たらどう思われるのだろうか? 横目で、参考書のコーナーを見る。四角いレンズで黒縁眼鏡をかけた朱雀高校の制服を着る女子生徒が、逆さに持った参考書で顔を隠しながらチラチラとこちらの様子を伺っている。うん、考えないようにしよう。自分に言い聞かせてる。

 

「じゃあ俺、医学書の方にいるから」

「おう。てかこれ、どうやって作ってんだ?」

 

 最新のフィジカルケアの本をチェックしていると、しばらくして宮村(みやむら)が、買った本の袋を下げて来た。

 

「良いのは見つかったのか?」

「バッチリだ」

「そらよかったな」

 

 付き合ってくれた礼ということで、近くのカフェでテイクアウトのコーヒーを奢ってくれた。今日は、長居することなくその場で解散。そのままバイトへ先へ向かう。

 

「コーナーです!」

 

 ピッ! と短くホイッスルを吹いて、コーナーアークを指差す。子どもたちのスクールが終わって、今は初心者クラスの審判をピッチの外から務めているのだが――。

 

「ねぇ、ちゃんと聞いてるかしらっ?」

「えっと......。うん、聞いてるよ」

 

 ボールがラインを割り、プレイが止まる度に小田切(おだぎり)が話しかけてくる。店長の話によると昨日も来たらしい。

 しかし、林間学校帰りと、更には全国模試前日が重なったためシフトに入っていないことを知り、無駄足を踏んだ小田切(おだぎり)は大変ご立腹の様子。

 とは言え、審判を務めながら話を聞くのは非常に困難。とりあえず終わるのを待ってもらい話を聞くことで納得してもらった。残りの仕事を片付け、小田切(おだぎり)を待たせているクラブハウスの外に設置してあるガーデンチェアで、彼女と向かい合う形で座る。

 

「お待たせ。それで話って?」

「何よ、話がなきゃ来ちゃいけないのかしら?」

 

 試合中に聞き取れなかったことを改めて尋ねたつもりが、カンに障ってしまったのか、やや口をとがらせた。

 

「いえ、むしろ大歓迎です。はい」

 

 不機嫌そうに頬を膨らませていた小田切(おだぎり)だったが、小さく息吐くと話してくれた。

 

「まあ、いいわ。それでね、さっきスーパーの前で宮村(みやむら)に会ったのよ」

 

 スーパーならきっと、明日の弁当の買い物でもしていたんだろう。

 

「ちょっと話を聞こうと思ったのに。アイツ、何て言ったと思う!?」

「さ、さあ、ちょっとわからないかな? 何て言ったの?」

「アイツ......。宮村(みやむら)のヤツね......『悪ぃーけどよ。今日は、お前で遊んでるヒマはねぇーんだ』ですって! 私で遊ぶって、どういう意味かしら!?」

 

 バンッ! と、壊れそうなほど勢いよくウッドテーブルを両手で叩いた。

 

「私はただ、山田(やまだ)の様子を確かめたかっただけなのに。もうっ!」

「え? 山田(やまだ)? 山田(やまだ)が、どうかしたの?」

 

 突然、何の脈絡もなく出てきた山田(やまだ)というワードに聞き返す。すると小田切(おだぎり)は、一瞬はっとした表情(かお)を見せたあと、まるで取り繕うように慌てて何度も手を顔の前で交差させながら言った。

 

「ち、違うのよっ。ほら、宮村(みやむら)山田(やまだ)って同じ部活じゃない? 林間学校の時、ちょっと様子が変だったから気になっただけよっ」

「ああ~、それね。バスの移動で体調を崩して、昼飯を抜いてたからだよ」

「あ、そうなの。なら、安心したわ」

 

 胸元に手を添えて肩を撫で下ろした。これ以降の話はこれといって特別なこともなく、先日と同じく駅まで送っていった。小田切(おだぎり)は駅に入る前に「また居なかったりされると、二度手間になるから」と、お互いの連絡先を交換して、改札の前で別れた。

 

           * * *

 

 そして、翌日の昼休み。果たしてどんな弁当を作ったのか、宮村(みやむら)に見せてもらおうと思ったのだが、授業が終わると同時に教室から忽然と姿を消した。

 仕方なく今日も一人で、屋上で弁当を食べる。

 別に宮村(みやむら)の他に一緒に食べる相手がいないと言うわけでもないけど、何となくここで食べるのが一年の頃からの日課になっていた。

 キィー、と校舎へと続く鉄の扉が開く音が聞こえた。今は初夏で、日差しも暑いからあまり来ないが。実は、たまにこうして来客も来る。

 

「隣、いいかしら?」

「どうぞ」

 

 顔を上げずとも声で分かる、白石(しらいし)。静かに腰を降ろした彼女と、食べ終わった弁当箱を片付けながら言葉を交わす。

 

「最近よく一緒になるけど、久しぶりだね。こうして、屋上(ここ)で会うのは」

「そうね。一年生のいつ以来かしら?」

「さぁ、どうだったかな?」

 

 白石(しらいし)は体育座りをして、空を見上げた。足は崩したまま、同じように空を見上げる。青い空を切り裂くように、一筋の真っ白な飛行機雲が横切っている。

 

「それで、どうしたの? 悩みごとだよね?」

「わかるの?」

 

 頷いて答える。もちろん、わかる。

 最後に、ここであったあの日。何か大切な物をなくしてしまった子どものように、とても悲しげな表情(かお)をしていた三学期終了間際に見たのと、同じ表情(かお)をしているのだから。

 

「話なら聞くよ。悩みに答えられるかわからないけどね。山田(やまだ)の“入れ替わり”関連もいけるよ」

「知ってるのね」

「うん。宮村(みやむら)から聞いた」

「そう」

 

 一呼吸間を置いてから、白石(しらいし)は話し出した。

 白石(しらいし)は個人的な事情で、山田(やまだ)に入れ替わってもらいたいと朝から頼んでいるそうなのだが、何かと理由をつけて断られ続け避けられている。そのため、自分と入れ替わることを嫌がっているのではないかと疑念を覚えた、と。

 

「たぶん、それ勘違い」

「勘違い......?」

 

 キョトンとした顔で首を傾げた白石(しらいし)の反応から見て、入れ替わりが出来なくなったことを隠している。どうしようかと一瞬頭を過ったが、どうせいずれはバレるのだから今教えても同じだろう。何より、彼女の不安が解消されるならその方がいい。

 

「林間学校の夜。白石(しらいし)さんと入れ替わったのを最後に、能力が使えなくてなったんだって。必死に取り戻そうとしてるけどね」

「入れ替わりの能力が消えた......? そう、それで断られていたのね。納得がいったわ」

「それでさ。一応、山田(やまだ)から話すまで知らないフリをしてやってほしいんだ。能力が消えたこと、結構悩んでたみたいだからさ」

「ええ、わかったわ」

 

 前を見て頷いた白石(しらいし)表情(かお)は、普段の彼女に戻っていた。

 そして、そのまま俺に顔を向ける。

 

宮内(みやうち)くん、聞きたいことがあるのだけれど。あなた、体育祭から誰かとキスをした?」

 

 また答え難い質問を。正直誤魔化してもいい、だけど白石(しらいし)には嘘をつきたくない自分がいる。

 

「――したよ」

 

 結局、正直に答えてしまった。

 

「その相手は、前にいっていたのと同じ人?」

「そうだけど......?」

 

 口元に手を持っていき、目を落として深く思案している。そして、考えがまとまったらしく顔を上げた。

 

「実験したいことがあるの」

「実験?」

「ええ」

 

 頷いた白石(しらいし)は、俺の目を逸らさず真っ直ぐ真剣な表情(かお)で言った。

 ――キスしていいかしら? と。

 沈黙は肯定と言わんばかりに、返事を待たずに近づいて来る白石(しらいし)の顔に、思わず目を閉じた。

 そして、次の瞬間とても柔らかいモノが一瞬触れて離れていく。目を開けた次の瞬間、信じられないモノが視界に飛び込んできた。

 それは、鏡に映る姿よりも立体的な自分の姿だった。



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Episode12 ~幼き日の想い出~

修正作業中のミスで消えてしまったため、再投稿となります


 ただ、軽く触れるだけの一瞬のキス。

 まさかの行動に出た白石(しらいし)に真意を伺うため閉じていた目を開けると、目の前に鏡の中から出てきたかのようなリアルな姿の自分が居た。

 

「なっ、なにが......っ!?」

 

 喉から発せられた思いもしない高い声に驚き、更に身体にあり得ない異変があることに気がついた。

 右膝に懐かしい感覚がある。長い間感じられなかった感覚の正体を確認するため目を落とす。すると、まるで女子の制服のスカートと同じ柄の生地の裾から、あるハズの手術跡も内出血もない、白く細いキレイな足がスラリと伸びていた。

 

「これは......?」

「これが、宮内(みやうち)くんの体なのね。山田(やまだ)くんの体よりもスムーズに動くわ」

 

 聞こえた声に、自分のモノとは思えない足を注視いた顔を上げる。自分と思しき男子が目線まで上げた両手を確かめる様に、何度も開いたり閉じたりを繰り返したり、無駄に腕を回したりていた。身に覚えのある言葉遣いと柔らかな物腰に、ついさっきまで目の前に居た少女の顔と、名前が頭の中に浮かんだ。

 

「......白石(しらいし)さん?」

 

 声にして、確認を求める。この俺は......いや、彼もしくは彼女は、俺に視線を移して頷いた。

 

「実験は思った通りの結果だったわ」

「実験......まさか、これが入れ替わり?」

「ええ、そうよ」

 

 ――本当に、キスで互いの身体が入れ替わったのか......? にわかには信じがたいが、確かに今、目の前には白石(しらいし)を名乗る俺と同じ姿の人間が実在している。そして自分の体に起きた異変を総合すれば、この不可思議な現実を受け入れる他ない。

 それと、少し冷静になって気がついたことがある。本当にお互いの体が入れ替わっているのであれば、今俺が動かし感じているのは白石(しらいし)の体ということ。彼女の体は右膝だけではなく、様々な部位で普段の体とは違う感覚が存在している。主なのは胸付近の膨らみと重さ、下半身のとある一部分の猛烈な違和感。

 

「......山田(やまだ)くんよりも――」

「それより、今は話の続きを」

「ん? ええ、それもそうね」

 

 下半身に視線を向けていた白石(しらいし)の言葉を遮り、検証結果の続きを促す。

 

「先ず、入れ替わりについてだけど。山田(やまだ)だけの能力(チカラ)じゃなかったってことだよね?」

「ええ。私にも入れ替わりの能力があったということになるわ。だけど――」

 

 白石(しらいし)の言いたいことは分かる。俺は以前、体育祭で白石(しらいし)と入れ替わった山田(やまだ)にキスをされた。しかし、今回のように体が入れ替わることはなかった。

 

「考えられることは、二つあるわ。山田(やまだ)くんは私と入れ替わった状態においても、宮村(みやむら)くんや伊藤(いとう)さんとキスをして入れ替われた。もしかすると、女子のキスにしか反応しない体質なのかも」

 

山田(やまだ)くんの能力が戻ったら試してみましょう」と、白石(しらいし)は目を輝かしている。どうやら彼女の探求心に火がついてしまったみたいだ。けど、山田(やまだ)とのキスに乗り気じゃない俺は、はっきりとした返事は返さず別の可能性について聞く。

 

「......二つ目は?」

「まだ確信はないのだけれど、あなたがキスをした相手に要因があるのかもしれないわ。前にも聞いたけど、何か心当たりはない?」

「心当たりかぁ。う~ん......」

 

 特異な能力を持つ二人以外でキスをした相手は、小田切(おだぎり)だけ。となれば、小田切(おだぎり)に関係があるのかもしれない。

 

「えっ......?」

 

 彼女と初めてキスしたときからの記憶を辿っていると突然、目の前の俺が倒れ込んで来た。とっさに支えようとしたが、体格差で支えることは出来ず押し倒される形になってしまった。

 

「大丈夫? とりあえず戻ろう」

「え、ええ......」

 

 そのままをキスして、お互い元の体に戻って座り直す。白石(しらいし)は乱れた髪を手櫛で整えながら、申し訳なさそうに目をふせた。

 

「普段と右足の感覚が違うから、どんな感じなのか立ってみたのだけれど。ごめんなさい......」

 

 右足に上手く力が伝わらず踏ん張りきれずにバランスを崩して倒れしまった、と。まあ俺も、慣れるまで同じだったからよく分かる。

 

「ケガしなくてよかった」

「そうね」

 

 気にしなくていいと微笑みかけると、ふせていた顔を上げてくれた。

 しかし、いくら入れ替わるためとはいえ、女友だちと二度もキスをしたことにこの上ない気まずさを覚える。そんな複雑な心境も、白石(しらいし)はまったく気にする様子は見せず平然と立ち上がった。

 

「じゃあ、さっそく山田(やまだ)くんのところへ行きましょう。能力が使えなくなった理由を検証したいわ」

 

 どうやら彼女の中では、一緒に行くこと前提のようだ。移動にかさばる弁当箱を片付けてから行くことを伝え、校舎に入ろうとしたところで、白石(しらいし)山田(やまだ)を見つけた。

 

「居たわ。中庭」

「あ、ホントだ」

「どこへ行くのかしら?」

「あっちは......たぶん、旧校舎かな?」

 

 中庭に目をやると制服をだらしなく着崩した山田(やまだ)らしき男子生徒が、今は運動部の部室棟と使われている旧校舎の方へ歩いていく姿を確認出来た。白石(しらいし)山田(やまだ)の後を追いかけて、一足先に旧校舎へ。俺も、教室に弁当箱を片付けに戻ってから旧校舎へと向う。下駄箱で革靴に履き替え、昇降口を出て、多くの木々が茂る旧校舎へと続く中庭の通路を歩いていると、前方から、うつむき加減の女子生徒が、肩を落としてとぼとぼと歩いて来る。

 けど彼女は、近くまで来ても存在に気づかない。声をかける。

 

小田切(おだぎり)さん」

「――っ!?」

 

 驚かせてしまった。ビクッ、と小さく肩を振るわせた。おそるおそる顔を上げた女子生徒――小田切(おだぎり)の瞳には、うっすらと涙が浮かびあがり、静かに流れ落ちた。

 

「ち、違うっ、これは違うの......!」

 

 手で涙を拭いながら、何かを必死に否定している。

 しかし、小田切(おだぎり)の大きな瞳から流れ出る涙は枯れるどころか、どんどん溢れていった。

 あの黄昏時の教室と同じで、必死に強がりながらも目の前で涙を流したあの涙とダブって見えて、どうしようもないやるせなさが込み上げて来る。

 この溢れ落ちる涙を止めるにはどうすれば――次の瞬間、俺は無意識のうちに、彼女の頭に手を置いて撫でてていた。

 

「......なによ?」

「なんとなく。こうしたら泣きやんでくれるかなって」

 

 幼い頃、こうしてあげると泣き止んでくれた。

 胸に軽く衝撃が走る。

 

「......バカ」

 

 俺の胸に一瞬だけ顔を押し付け、小さな声で呟いた小田切(おだぎり)は、両手で俺の身体を押し一歩離れて顔を上げた。頬に涙の跡は残っていたが、再び流れ出すことはなかった。

 

「はい、どうぞ」

「ありがと」

 

 日陰になっている中庭のウッドベンチで待っている小田切(おだぎり)に、自販機で買ってきた飲み物を手渡して、彼女の隣に座る。

 

「......聞かないの?」

 

 風に揺れる木々のざわめきに耳を傾けていると、小田切(おだぎり)は両手で持った封がされたままの缶ジュースに目を落としたまま、恐る恐る聞いてきた。

 

「話して楽になるなら聞くよ」

 

 しばしの沈黙、そして――。

 

「あのね、私――」

小田切(おだぎり)ー!」

 

 小田切(おだぎり)が何かを言おうとした時、旧校舎の方から血で顔や服が汚れてボロボロになった五十嵐(いがらし)が走ってきた。俺たちの前で立ち止まって膝に手をつき荒い呼吸を繰り返して、時おり咳き込む。

 

「ゴホッゴホッ、ハァハァ......」

「ちょ、ちょっと大丈夫なの? キズだらけじゃない」

 

 小田切(おだぎり)はベンチを立って、肩で息をする五十嵐(いがらし)の前へ出る。

 

「......いや、大丈夫だ。小田切(おだぎり)、よく聞いてくれ、お前の気持ちは偽りだったんだ!」

「えっ? どういうことなの?」

「いいか、よく聞け。お前は、自分の――」

「ちょっと待って!」

 

 振り向いた小田切(おだぎり)の視線が、俺の姿を捉えた。ここでようやく、五十嵐(いがらし)も俺の存在に気がついた。二人の気まずそうな表情からして、俺がいると話づらい事情のようだ。

 

「じゃあ、行くよ」

「え、ええ......。ジュース、ありがとう」

「どういたしまして。五十嵐(いがらし)は、あとで保健室行きなよ」

「あ、ああ、そうする」

 

 ベンチに二人を残し、本来の目的である旧校舎へと再び足を進める。目的地の旧校舎の昇降口に白石(しらいし)と、頬に真っ赤な紅葉の跡がついた山田(やまだ)、それから――。

 

「よう、宮内(みやうち)!」

「アンタも来たのね」

「どうも」

 

 宮村(みやむら)伊藤(いとう)も含め、超常現象研究部が昇降口の前で全員集合していた。それにしても、まるでバトルマンガでも勃発したかの如く、周囲に物や瓦礫が散乱している。殴り合ったのはおそらく、あの二人。

 

山田(やまだ)と無事に合流出来たんだね」

「ええ。ちょっと遅かったみたいだけど?」

「ごめん、ちょっと友だちと話してた。それで、どうだった?」

「うん。やっぱり思った通りの結果だったわ」

「んー? 何の話よ?」

 

 俺たちの会話に頭にクエスチョンマークを浮かべている山田(やまだ)たちには申し訳ないが、白石(しらいし)が導き出した検証結果を聞かせてもらう。

 

「つまり、山田(やまだ)の本当の能力は“複製(コピー)”で、“入れ替わり”の能力を持つ白石(しらいし)さんからコピーして使っていたってことか......。じゃあ、林間学校で入れ替わりの能力を使えなかったのは、別の能力をコピーしていたから?」

「そうなるわ。山田(やまだ)くんがコピーした能力は、キスした相手を自分の“(とりこ)”にする能力だったの」

「なるほど......」

 

 林間学校二日目以降宮村(みやむら)伊藤(いとう)が、妙に山田(やまだ)を取り合っていた理由が解明された。二人とも山田(やまだ)とキスをしたことで、知らずのうちに“(とりこ)”の能力にかかってしまっていた、と。

 

「それで、山田(やまだ)くんが能力をコピーをした相手だけど――」

小田切(おだぎり)さん?」

 

 白石(しらいし)は、目を大きく丸くして頷いた。

 

「その通りよ」

「おお~、すげぇーな、お前」

「どうしてわかったのよっ?」

「まあ、なんとなくね」

 

 昨夜と、今しがたの小田切(おだぎり)の様子。そして、つい先ほど五十嵐(いがらし)が言った「お前の気持ちは偽りだったんだ。お前は自分の――」この言葉で確信した。

 あの言葉の続きは――自分の能力に捕われているんだ、とまあ、おそらくこんなところだろう。大きく外れてはいないと思う。

 

「噂をしたらみたいね」

小田切(おだぎり)(うしお)......!」

 

 二人が、俺たちの前へやって来た。険しい表情(かお)山田(やまだ)を見ていた小田切(おだぎり)と目が合う。

 

「どうして、あなたがっ!?」

「また会ったね。もういいの?」

「え、ええ、平気よ。それより、話は(うしお)くんから聞いたわ。さっそくだけど山田(やまだ)、ちょっと着いてきてくれるかしら?」

「はぁ!? 何でだよ、別にここでいいじゃねぇか!?」

 

 着いていくこよを拒否しようとする山田(やまだ)に、宮村(みやむら)伊藤(いとう)が何か耳打ちをしている。

「チッ! しょーがねぇな、さっさと済ませよーぜ」

「それはこっちのセリフだわ。さあ、こっちよ」

 

 旧校舎の中へ入りものの数秒で戻ってきた小田切(おだぎり)は、不機嫌な表情(かお)をしている山田(やまだ)とは違い。まるで憑き物が取れたような、どこか清々しい表情(かお)をしていた。

 

 

          * * *

 

 

 バイトを終えて、フットサルコートを出る。

 既に午後八時を回っているが、今日は真っ直ぐ帰らずに隣のファミレスに立ち寄る。応対してくれた店員に待ち合わせをしていることを伝え、ついでに注文を済ませてから待ち合わせ相手がいるテーブルに着く。

 

「お待たせ。それで?」

「......聞いたんでしょ? ぜんぶ」

 

 待ち合わせの相手――小田切(おだぎり)は、とても気まずそうに言った。

 

「うん、聞いたよ。元に戻れてよかったね」

「......怒ってないの?」

「どうして?」

「どうしてって。だって私、あなたを......!」

「虜の能力をかけて、利用しようとしたから?」

「そ、そうよ」

 

 目を逸らした。

 今まで能力を使って次期会長戦を戦っていたことを宮村(みやむら)に指摘された小田切(おだぎり)は、あくまでも能力は自分の力で今の地位を築き上げたとは言っていたが、やはり罪悪感は感じているみたいだ。けど、俺の場合はというと。

 

「だって、別に利用されなかったし」

「......あっ! 確かに言われてみればそうね。だけど、どうしてあなたには能力が効かなかったのかしら?」

「さあ~? どうしてだろうね」

 

 適当に返事を返しながら、運ばれてきた飲み物を口に運び乾いた喉を潤す。

 

「う~ん......まあ、いいわ。それで、今日のお礼をしたいのだけれど」

「お礼?」

「ジュースくれたじゃない」

「あれくらい別に――」

「借りを作るのはイヤなの! それに、一応お詫びの意味もあるから......」

 

 お礼と能力を使って利用しようとしたことの詫びも含めて、か。スマホを立ち上げて、スケジュール表を開く。明日は、バイトが入っていない。

 

「じゃあ明日、買い物に付き合ってもらえる?」

「へっ? 買い物。それって......」

 

 若干動揺しながら聞き返す小田切(おだぎり)に、俺は微笑みかける。

 

「デートしよう」

 

 動揺してながらも「い、いいわ。デートしましょ」と、頷いてくれた。




次回も同時に修正しています


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Episode13 ~ナンセンス~

「んで、いつ入部するんだ?」

 

 入れ替わり虜騒動翌日の昼休み。いつものように屋上の日陰で昼食を済ませひと休みしていると、コーヒー牛乳のパックを片手にグラウンドを眺めている宮村(みやむら)が問いかけてきた。

 

「んー?」

「お前だって、能力には興味あるだろ?」

「まあ、なくはないけど」

 

 つい昨日、非現実的なことを実体験したばかり。正直、興味がゼロと言えば嘘になる。なぜ特定の生徒が、キスした相手と互いの身体を入れ替わったり、自身の虜にしたり出来る能力(チカラ)を有するのか、非常に興味を引く題材であることは確かだ。

 

「で、どうだったよ? 白石(しらいし)さんの身体に入ったご感想はよ?」

 

 いつの間にか隣に座った宮村(みやむら)は、ニヤニヤと卑猥なことを言わせる気まんまんな悪い笑みを浮かべていた。

 

「どうして知ってるんだよ?」

「っんなもん、白石(しらいし)さんから聞いたに決まってるだろ」

 

 それは、そうなんだろうけど。白石(しらいし)と入れ替わったことは、宮村(みやむら)にはもちろん他の誰にも話していないのだから、彼女(しらいし)本人以外から漏れる可能性は皆無に等しい。

 

白石(しらいし)さん、体育祭でお前と山田(やまだ)が入れ替わらなかったことが気になってるみたいだぜ?」

「知ってる。検証させてって目を輝かせて言ってたからな」

「ふむ、美少女にそこまで懇願されても協力しないってのは、お前の中ではある程度の予測がついてんじゃねぇーの?」

「さあ? 実際にやってみないとわからないよ」

 

 頭の後ろで両手を組んで横目で疑惑の視線を向けて来た宮村(みやむら)は、やがて小さく息を吐いて足を組み直した。

 

「ふーん。ま、いいけどよ。実際にやってみればわかるんだし。とりあえず、部室に顔を出せよ。入る入らないは別にしても、白石(しらいし)さんは喜んでくれると思うぜ。伊藤(いとう)さんもな」

伊藤(いとう)さん?」

 

 どうして白石(しらいし)だけではなく、伊藤(いとう)もなのか思っていると「伊藤(いとう)さんは、超研部(うち)で唯一のガチのオカルト好きなんだよ」と、補足を付け加えた。本来のオカルト好きも合間って、不思議な能力の研究にも人一倍熱心に取り組んでいるそうだ。

 

「そうだな。そのうち行くよ」

「今日の放課後でいいじゃねーか。休みなんだろう?」

「今日は無理。先に予定が入ってる」

「デートか?」

「そう。デート」

「マジ?」

 

 頷いて答える。真顔で固まったが、その後すぐにいつもの調子に戻った宮村(みやむら)は、悲壮感を漂わせる表情を見せながら自分の体を両手で抱いた。

 

「オレとは遊びだったのかよ......?」

「気持ち悪いこと言うな」

 

 最初は乗ってやろうと思っていたのだが、あまりにも身の毛のよだつ発言に背中がゾクゾクッと寒気を感じて、素で返してしまった。

 

「なんだよ、ノリ悪ぃな~」

「今のは、さすがにないぞ? せめてデートの相手はオレだったくらいのノれるネタにしてくれ」

「じゃあ、今度はそれで行くわ」

 

 アホなやり取りをしながらテキトーにダベり、午後の授業を終えて放課後を迎えた。掃除当番のため少し残り、帰りの支度を済ませる。

 

「んじゃあ行こうぜー」

「どこへ?」

「どこって、今日はデートだろ? みなまで言わせんなよ......」

 

 口元に手を添え、恥ずかしげに目を逸らしながら言う。まさか、たった数時間前のネタを溜めずにブチ込んでくるとは思わなかった。まあ、言った手前ノってやらないワケにはいかない。

 

「悪いそうだったな。じゃあ行くか?」

「おう!」

 

 教室に残っているクラスメイトの冷ややかな視線と微妙な空気を背中に受けながら、教室の入り口付近まで並んで歩き立ち止まる。

 

「って、行かねえよ。ネタぶっ込むの早すぎだろ」

「意外性があってよかっただろ?」

「いや、求めてないから」

 

 どうやら満足したようで、軽く笑顔を見せた宮村(みやむら)は俺の肩をぽんっと軽く叩いた。

 

「じゃあオレ、部活に行くわ」

「ああ、また明日。次の機会には顔出すよ」

「おう、じゃあな。詳細聞かせろよ~」

 

 片手を上げ、白い歯を見せながら教室を出て行った。持っている鞄を担ぎ直し、宮村(みやむら)とのデートがネタだったことを知って元の空気に戻ったクラスメイトたちと挨拶を交わし、教室を出る。少し急ぎ足で階段を下って昇降口へ、下駄箱で靴に履き替えて、待ち合わせの約束をしている正門へ急ぐ。

 レンガ造りの立派な正門。

 その石柱に背中を預け、誰かを待っているように女子生徒が一人佇んでいた。掃除当番であることは事前に伝えておいたけど、宮村(みやむら)との漫才に時間を割き過ぎてしまい、待たせてしまったようだ。早足で彼女の元へ行き声をかける。

 

小田切(おだぎり)さん」

「ちょっと、遅いじゃない。自分で誘っておいてどういう了見なのかしらっ?」

「ごめんなさい」

「......まあ、いいわ」

 

 言い訳をせずに素直に謝罪したのがよかったか、許してくれた。

 

「さあ、デートへ出掛けましょう。楽しませてくれるんでしょうね?」

 

 小田切(おだぎり)はフェイスライン付近の髪を左手で軽く触れながら、昨日とは打って変わって余裕ありげな表情(かお)を見せた。

 まだ高い初夏の少し汗ばむ日差しの下、街の商店街を並んで歩く。

 

「それで、どこへ連れて行ってくれるのかしら?」

「そうだね。雑貨屋に行こうか」

「あら、ちょうど小物をチェックしたいところだったの。行きましょ」

 

 ちょうど目に留まった雑貨屋は、小田切(おだぎり)がよく訪れる行きつけのショップだった。さすが勝手知ったる店、迷うことなく女性物の小物の陳列されているコーナーへ連れていかれた。

 

「う~ん、どれにしようかしら?」

小田切(おだぎり)さんは、どういう時に使うの?」

 

 シュシュ、ヘアバンド、ヘアピンなどヘアアレンジに使用するグッズを手に取りながら見比べていた手を止めた。

 

「そうねぇ。テスト前に勉強する時とか、気合いを入れたり気分を変えたい時にね。あとは、お風呂上がりかしら」

「へぇ、そうなんだ。普段と違う小田切(おだぎり)さんも見てみたいかも」

「み、見てみたいって、あなた......! お風呂はダメよっ」

 

 いつもの肩に掛からないショートボブ以外のヘアスタイルを見てみたいと言ったつもりが、別の意味で捉えられてしまったらしい。恥ずかしさに頬を染めて言った小田切(おだぎり)の爆弾発言に、周囲の女性客の注目を全て集めてしまう。女性客に中に、同じ朱雀高校の生徒が居なかったことがせめてもの救いだった。

 

「あ、あれ! あれ、何かしらっ?」

「ん? どれ?」

「あれよあれ、行ってみましょ!」

 

 すぐにその場を退散し、別の売り場へ移動。「あんな紛らわしいことを言うから!」と少々理不尽に責められたが、機嫌はすぐに直り、買い物再開。小一時間ほど店内を見て回った後、近くのカフェでお茶をすることにした。

 注文した商品を受け取り、店の外に設置されているテラス席で向かい合って座る。

 

「気に入った物はあった?」

「ええ、良い買い物が出来たわ」

「そう、よかった」

「あなたは、何を買ったの?」

 

 空いている席に置いたショップの紙袋に、小田切(おだぎり)は目を向けた。

 

「これ? ノートだよ。期末近いからね」

「あら。ちゃんと試験勉強してるのね」

 

 感心した様子で、アイスティーに手を伸ばした。コップを置いたのを合図に、小田切(おだぎり)を誘った理由のひとつを切り出す。

 

「聞きたいことがあるんだけど」

「なーに?」

五十嵐(いがらし)山田(やまだ)って、いつから仲悪くなったの?」

(うしお)くんと、山田(やまだ)? 私に言わせれば、山田(やまだ)の一方的な逆恨みね。あいつが他校の生徒と暴力沙汰を起こしたことは、知ってるでしょ?」

「え、そうなの?」

 

 詳しい時期を聞いたところ、手術で入院していた頃に起こした事件。道理で知らないハズだ。一部始終を見ていた小田切(おだぎり)五十嵐(いがらし)は後日、通報を受けた学校に呼び出され見たままを証言した。結果、謹慎処分を言い渡された山田(やまだ)は学校内で孤立してしまい、そして現在に至る。

 

(うしお)くんが何度か接触を試みたけど、その度酷い態度で拒絶を受けたわ。私が同伴した時もね」

「そうなんだ......」

 

 頬杖を突いて、視線を空に向ける。暑さをもたらしていた日が傾き始め、生ぬるかった風もやや涼しくなってきた。

 今から一年とひと月前に起きた事件。俺の記憶では一年の頃、山田(やまだ)たちがよく行動を共にしていた気がしたが、彼女が言った場面を見て勘違いしただけなのかも知れない。

 

「ん?」

 

 視線を感じ顔を上げる。小田切(おだぎり)は、やや不機嫌そうに目を細めていた。

 

「なんでしょうか?」

「あなた、目の前にこんな可憐な美少女が居るのに、聞きたいことが男の話なんて......。もしかして、そっちの――」

「それはない。昨日二人がボロボロだったから、少し気になっただけだよ」

 

 言われる前に否定して昨日、伊藤(いとう)から誘われた部活働の話題に変える。

 

「超常現象研究部、入らなくてよかったの?」

「ま、確かに能力のことは気にはなるわ。あなたも気になるでしょ?」

「まーね。理由は、宮村(みやむら)?」

 

 建前か本音から定かではないが、次期生徒会長の座を争う宮村(みやむら)と馴れ合うのは嫌だ、と言って小田切(おだぎり)は入部を断った。

 

「正直言うと、私は劣勢なのよ」

宮村(みやむら)の方が優勢なの?」

 

 彼女は、首を横に振った。

 

宮村(みやむら)とは、おそらく五分五分。でもライバルは宮村(みやむら)だけじゃないの、もう一人居るのよ」

 

 候補者は二人だけじゃなかったのか。つまり、そのもう一人のライバルが二人よりも優勢に立っている。

 

「そいつ、生徒会に所属してるワケでもなしに、妙に会長に気に入られてるのよねぇー」

「生徒会長になるって大変なんだね」

「そうなの、大変なのよ。だから、部活に時間を割くのも惜しいのよ。ハァ......」

 

 大きくタメ息を漏らした。普段から強気の小田切(おだぎり)にしては、珍しく弱気に見える。

 

「あら、電話だわ」

 

 テーブルの上に置いたスマホから、着信音が流れた。小田切(おだぎり)は席を外し、電話に出てから数分で戻ってきた。

 

(うしお)くんだったわ」

五十嵐(いがらし)?」

「旧校舎で、何か重要なモノを見つけたみたい」

「そうなんだ。行かなくていいの?」

「ええ、明日にしてもらったわ」

 

 ――どうして? と首をかしげて尋ねる。すると小田切(おだぎり)は少し口を尖らせ、やや上目遣いで言った。

 

「......だって、今日はデートでしょ?」

 

 その言葉に、ハッとする。

 ――ああ......そっか。彼女は、今日の買い物をちゃんとデートだと思ってくれていたんだ。それなのに俺は......デートの最中に相手のこと以外を聞くなんて、ナンセンスだった。しっかり反省しつつ本来の目的である、小田切(おだぎり)との会話(デート)を楽しもう。

 

「......うん、そうだね。じゃあ、この話しはおしまい。期末が終わったら夏休みだけど。小田切(おだぎり)さんは、何か予定あるの?」

「八月に入ってからだけど、家族で旅行を計画してるわ。それから――」

 

 ここからは能力とか、会長戦等の学校の内容を避けての会話。趣味や休日の過ごし方、内容はたわいのない世間話だったが、時間が許す限り話をして、充実した初デートを過ごした。



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Episode14 ~アイコンタクト~

 学期末の試験を無事に終え、夏休みまで後一週間に迫った梅雨の晴れ間の七月中旬。宮村(みやむら)伊藤(いとう)と共に、放課後の廊下を超常現象研究部が部室を構える部室棟へ向かって歩いている。

 

「う~ん、やっとテストから解放されたわ!」

「安心するのはまだ早いぜ、伊藤(いとう)さん。テストは返却されて、初めて終わりなんだからな。もし、赤点なんてとった日にゃ......」

「わ、わかってるわよっ。アンタたちこそ、どうなのっ?」

 

 宮村(みやむら)に指摘された伊藤(いとう)は、俺たちに矛先を向けた。どうやら、学業は取り立てて得意な方ではないようだ。そんな伊藤(いとう)に向けて、宮村(みやむら)は澄まし顔で答える。

 

「オレ、中間学年36位。宮内(みやうち)も、同じくらいだったよな?」

「ああ、確かそのくらい」

「う、ウソよねっ?」

 

 中間の順位を知りショックを受けた伊藤(いとう)に「今回は易しかったなぁ」と、チラっと彼女を横目で見ながら追い討ちをかけるように、宮村(みやむら)は付け加えた。

 

「う、ううっ、このミヤミヤコンビがぁーっ!」

 

 悔しそうな表情(かお)で捨て台詞を残し、廊下を走って行く伊藤(いとう)

 

「あ~あ、イジメるから行っちゃったぞ?」

「いいって。逃げてもどうせ、目的地は同じなんだからさ。それよか、学食寄ってこーぜ」

 

 まったく悪びれる様子は微塵も見せず、それどころか逆にさわやかに笑った宮村(みやむら)と共に、学食の購買で期末試験の打ち上げ用の菓子や飲み物を袋いっぱいに買い求め、超常現象研究部の部室へ。

 

「アタシは、お菓子なんかで吊られる軽い女じゃないんだからっ」

「いや、めっちゃ食ってるじゃん。ところで、山田(やまだ)は?」

 

 伊藤(いとう)と一緒にプリンを食べている白石(しらいし)が、透明の小さなスプーンを持った手を止めて顔を上げた。

 

山田(やまだ)くんなら、教室で突っ伏していたけど」

「期末最終日に燃え尽きたか」

「もう、しょうがないわねぇ~。行くわよ、宮村(みやむら)

「え? オレも?」

「あたりまえでしょ、早くしないと二人は予定あるんだし。力ずくでも連れてくるんだから」

 

 ダルそうな宮村(みやむら)を従えて、伊藤(いとう)山田(やまだ)の捕獲に向かった。四人の内の二人が居なくなったことで、必然的に白石(しらいし)と二人きりになる。部室の中央に設置された長机の斜め向かい側に座っている白石(しらいし)は再び、スプーンを進めていた。

 二人が山田(やまだ)を連行してくるのを待つ間に、改めて超常現象研究部の部室を観察。部屋の中央には、俺と白石(しらいし)が居る長机とパイプ椅子が六脚。右手側の本棚には幽霊、宇宙人、未確認生物、超能力など超常現象研究部に相応しい書物が並んでいて。反対側は、ホワイトボードが埋め込まれた壁、木枠で仕切られたロッカーの上には、ハニワやピラミッドの模型などが置かれている。それから、超常現象と何か関係があるのかは定かではないが、電子レンジが設置されていた。

 

「ごちそうさま。ところで宮内(みやうち)くん、あれから前にキスした子とキスした?」

「いや、残念ながら」

「そう。じゃあ山田(やまだ)くんが来たら、すぐに検証出来るわね」

 

 やはり、実験するつもりでいるらしい。探究心に満ち溢れた表情(かお)をしている。

 

「それにしても、いろんな物があるんだね」

 

 席を立ち、窓際に置いてある円盤状の未確認飛行物体の模型を手に取る。円盤の上部は透けた素材が使われていて、中に地球外生命体のパイロットらしき生物が座っている。

 

「それ、伊藤(いとう)さんの私物よ」

「そうなの?」

「ええ。この部室にある物はほとんど彼女が持ってきた物なの」

 

 白石(しらいし)は俺の隣に来て、大きめの箱二つに保管されている別のグッズを見せてくれた。飾ってある物よりも、よりマニアックなグッズが保管されている。以前宮村(みやむら)から、伊藤(いとう)はオカルト好きとは聞いていたけど、ここまで本物(ガチ)なマニアだとは思わなかった。

 

「パソコンには、動画があるわ」

 

 机に戻った白石(しらいし)は、テーブルに置かれているノートパソコンを立ち上げる。隣の席に座って、ファイルに保存されている動画を見せてもらうことに。

 

「どうかしら?」

「ここまで来ると逆に面白いかな」

 

 ヤラセ全開で隠す気すらないところが、逆に清々しい。白石(しらいし)は「そうね」と、少しおかしそうに笑って、別のファイルを開いた。

 

『ちょっと、山田(やまだ)!』

『あー? なんだよ?』

『アンタ、アタシの焼きそばパン食べたでしょ! その唇についたソースの跡と、葉の青のりが動かぬ証拠よっ!』

『......な、なんのことだ?』

『そう、あくまでもシラを切るつもりなのね。この電子レンジ返品しちゃおうかしら~?』

『それだけは勘弁してくれー! 冷めた昼飯には、もう戻れねぇーんだよ!』

『お前、どこまで食にうるさいんだよ? なあ、白石(しらいし)さん』

『ふふっ、そうね』

 

 表示された動画は、超常現象研究部で撮影された動画。宮村(みやむら)が写っていないことから、彼が撮影しているのだろう。伊藤(いとう)山田(やまだ)のやり取りを眺めながら、画面の中の白石(しらいし)は楽しそうに微笑んでいる。こんな彼女を見るのは、初めてかもしれない。

 

「あ、思い出したわ。この後山田(やまだ)くん、土下座して伊藤(いとう)さんに謝るの」

「それで許して貰えたんだ」

「ええ。サーティンツーのアイスと引き換えにね」

「それは、高い代償だねぇ」

 

 別の動画を見せてもらっていたところ、白石(しらいし)が何かに気づいたようにふと顔を上げた。同じように、部室のドアを見る。超研部の三人が入り口から、こちらの様子を伺っていた。覗き見していたことがバレた山田(やまだ)は、気まずそうにして頭をかき。宮村(みやむら)伊藤(いとう)は、ニヤニヤと笑っていた。

 ――まったく、何を考えているんだか。

 思わず、漏れるタメ息。部室に入ってきた三人は、空いてる席に座ったのだが。

 

「ねぇ、山田(やまだ)~。あの二人、良い感じだったわよね~? まるで、アタシたちみたいねっ!」

「オレと山田(やまだ)だろ? なっ、山田(やまだ)?」

 

 これが、小田切(おだぎり)の虜の能力(ちから)なのだろか。山田(やまだ)を挟んで密着して抱きつきながら過激に愛情を伝えている。普段の二人の振る舞いを知っている身としては、実に異様な光景に映る。

 

「だあぁーッ! テメェーら、いい加減にしやがれ!」

「いやんっ」

「おい、待て......!」

「よし、これで解けたな!」

「なんで、キスすんのよ......?」

「元に戻っちまったじゃねぇーか......」

 

 青ざめた表情(かお)をしていた山田(やまだ)がキレ、絡みつく二人の唇を強引に奪う。すると、キスされた二人のテンションは見る見るうちにだだ下がり冷静さを取り戻した二人だったが。納得せず、山田(やまだ)への抗議がしばらく続いた。

 三人が席に付き、仕切り直し。白石(しらいし)は、さっそく本題を切り出した。

 

「じゃあ、さっそく検証を始めましょう。山田(やまだ)くん、宮内(みやうち)くん」

 

 無言のまま、山田(やまだ)と目を合わせる。一瞬のアイコンタクトで、お互い同じことを考えていることが同じことは瞬時に理解した。躊躇している俺たちに、白石(しらいし)が首をかしげる。

 

「どうしたの?」

「いや......。山田(やまだ)って今、虜の能力を持ってるんだよね?」

「ええ、そうよ」

「せめて入れ替わりにしてくれないかな、と。虜は嫌だ」

 

 先程の宮村(みやむら)たちの狂い具合を見たら、どうしても踏ん切りがつかない。万が一能力を受けたとしても入れ替わりなら、あの地獄絵図を回避できる。

 

「俺も同感だ。頼む、白石(しらいし)!」

 

 両手を合わせて必死に懇願する、山田(やまだ)

 

「わかったわ」

「あ! ちょっと待って!」

 

 入れ替わりをコピーするため、机から身を乗り出しキスしようとした山田(やまだ)白石(しらいし)を、伊藤(いとう)が止めに入る。

 

「なんだよ?」

「入れ替わりをコピーする前に、実験したいことがあるのよ」

 

 ノートパソコンを手繰り寄せて、キーボードを叩く。準備が出来たのか、伊藤(いとう)はパソコンから目を離し、再び山田(やまだ)とキスをした。

 

「なっ!? テメェは、また......!」

「キタキタ! 山田(やまだ)が、カッコよく見えてきたわっ! さて、うららちゃん、アタシとキスして!」

「えっ......私?」

 

 返事も聞かず伊藤(いとう)は、白石(しらいし)にキス。女子二人の顔が、ゆっくり離れていく。

 

「あれ? 入れ替わってないわっ!」

「え、ええ......。能力は、二重にかからないんだわ......!」

「これは、大発見よ! さっそく記録を残さなくちゃっ!」

 

 大興奮の伊藤(いとう)が、パソコンに実験結果を打ち込んでいると。山田(やまだ)に不意討ちでキスした宮村(みやむら)が、白石(しらいし)に迫る。

 

「よし。オレも虜にかかったから試してみよう!」

「それは絶対にイヤ」

 

 近づけた顔を腕で遠退けられていた。そして伊藤(いとう)が記録を終えると、虜の能力に捕われた宮村(みやむら)伊藤(いとう)による、山田(やまだ)争奪戦が再び始まった。

 

 

           * * *

 

 

「ほっといてよかったの?」

 

 三人を部室に残し学校を出た俺は、隣を歩く白石(しらいし)に尋ねた。

 

「ええ、実験結果は得られたから。宮内(みやうち)くんがキスした相手は、小田切(おだぎり)さんでしょ?」

「......わかるんだ」

 

 さすがというべきか。白石(しらいし)は、先の実験――能力は二重にかからない、という検証結果から答えを導き出した。

 

「でも、わからないことがあるの。あなたは、小田切(おだぎり)さんの能力が掛かっているとは思えなかったわ」

 

 山田(やまだ)に対する宮村(みやむら)たちとは違う、と言いたいのだろ。確かに俺は、小田切(おだぎり)とキスをしても二人のように取り乱すことはない。その理由は、確証はないとはいえ自身の中では答えが出ている。正解・不正解は別として。今、話せることは――。

 

「たぶん、性格で多少の差が出るんじゃないかな?」

「性格?」

 

 五十嵐(いがらし)が虜の能力にかかっていることは、人前で嫉妬心を燃やすほどだから、おそらく間違いないと思う。けど、宮村(みやむら)たちの様に人目をはばからず迫るような極端な愛情表現を取るような行動はしない。

 それに、フットサルコートで会った時のあの言葉「お前の――は人を選ぶ」

 もし、あの聞き取れなかった部分が「能力」だったのなら、たとえ虜にしても思い通りにならない人も中には居るということなのだろう。

 

「なるほど。それで、あなたは?」

「うん?」

小田切(おだぎり)さんの思い通りにならなかった理由はなに? 性格以前に、そもそも彼女に対して虜になっている感じがしなかったわ」

「うーん、そうだねぇ~」

 

 空を仰ぎ見る。先ほど梅雨開け宣言が発表されたばかりの夏の青空の向こうにそびえ立つ高層ビルの上には、暗くどんよりした大きな積乱雲が乗っかっている。きっと、何処かの街で都市特有のゲリラ豪雨が降っているんだろう。もしかしたら、この辺りにも流れて来るかもしれない。そんな心配をしつつ顔を戻して、白石(しらいし)に微笑みかける。

 

「ないしょ。もう少し親しくなったら教えてあげる」

「私たち、まだ親しくないの?」

「あははっ、一年の始めよりは相当親しくなったと思うよ。じゃあ、特別にヒントあげる。どうして態度が変わらないのかが分かれば、答えは導き出せるかもね」

「それが分からないのだけれど?」

「誰かを思う気持ちは簡単には操れないってことなのかもね。じゃあ、俺はここだから」

 

 バイト先のフットサルコートに到着。足を止め、白石(しらいし)と向き合う。

 

「気をつけてね」

「ええ、ありがとう。宮内(みやうち)くんも、バイトがんばって」

 

 少し先に行ったところある名門塾に通う白石(しらいし)は、歩きながらアゴに手をやり難しい表情(かお)をしながら歩いて行った。大丈夫かな? と思いながらも、クラブハウスの更衣室で支度を整え、教え子たちが集まるコートへ向かった。



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Episode15 ~魔女伝説~

「う~ん、さっぱりしたわ! ここ、シャワーもあるのね」

 

 ロビーの掃除をしていると、完備されているシャワーで汗を流した小田切(おだぎり)がスッキリした表情で女子更衣室から出てきた。

 白石(しらいし)と別れてから程なくして、フットサルコートに小田切(おだぎり)がやって来た。期末試験期間中はシフトを外れていたから、デートの折に交換した時折メッセージでやり取りはしていたが、こうして彼女と直接会うのは一週間ぶり。

 久しぶりに会った彼女は、どこかフラストレーションが溜まっているように思えて。そこで、汗を流せば少しは気が晴れると提案したところ、渋々ながら、初心者クラスの個サルに参加した小田切(おだぎり)は、苛立ちを思い切りボールにぶつけてストレスを発散しているように見えた。

 

「ちょっと待っててもらえる。もうすぐ上がるから」

「ええ、わかったわ」

 

 カロリーオフのスポーツドリンクを自販機で購入した小田切(おだぎり)は、近くの席に腰を落ち着けて、スマホを操作し始めた。数分後、掃除を終わらせて私物の荷物を持ち、彼女が待ってくれているテーブルへ行く。

 

「お待たせ」

「あら、早かったのね。さっそくだけど、これを見てもらえるかしら」

 

 スマホをテーブルの隅に置き、代わりに古ぼけた一冊のノートをテーブルの中央に置いた。手に持って、表紙に記されたタイトルを見る。上部のタイトル欄には「朱雀高校の七不思議について」と記され。中心部に「上巻」、下部の著者には「朱雀高校超常現象研究部」と書かれていた。

 

「これが、(うしお)くんが見つけてくれたお宝よっ」

 

 胸を張って得意気に言った。先日のデートの時、五十嵐(いがらし)から電話を受けた小田切(おだぎり)から聞いた代物は、このノートのようだ。

 とりあえず、内容を流し読む。トイレの花子さん、屋上のA子さん、放課後の階段、音楽室の喋る肖像画等、どの学校によくある七不思議的な内容が書き記されているが、特にこれといった内容ではない。

 

「これが?」

「もっと後ろよ。貸してみなさい」

 

 小田切(おだぎり)はノートを裏表紙の方から捲り、目当てのページを、俺に見やすいように広げて置く。

 

「朱雀高校の魔女伝説?」

 

 今までに聞いたことのない、初めて聞く話しの内容。朱雀高の固有名詞が書かれていることから、他の学校にはない独自の七不思議のようなもののようだ。

 ――それにしても、魔女ねぇ......。連想されるのは、リンゴかな。

 あまり興味はないが、小田切(おだぎり)がただのオカルト話を本気で俺に見せることは考え難い。とりあえず、ノートを手に持って書かれている記述を詳しく読む。

 

「ついに、私は一つの結論に達した。この朱雀高校には、“魔女”と呼ばれる不思議な能力を持つ生徒が複数人存在していたのだ。各々の“魔女”は、それぞれ違う特殊な能力を持ち合わせている」

 

 ノートから目を外し、小田切(おだぎり)を見る。彼女は、真剣な顔で力強くう頷いた。

 

「そのノートに書かれていることが事実なら、私たちの学校には“魔女”と呼ばれる不思議な能力を持つ生徒が昔から居たということになるわ......! 続きを読んでみて」

「あ、うん......。えーっと、魔女の能力は私の研究結果に基づき下記のものが明らかになった。虜の能力、思念の能力、以下下巻へ続く。下巻は?」

「それが、まだ見つかっていないのよ」

 

 頬杖を突き、小さく息を吐いた。

 

「でも、(うしお)くんが探してくれてるわ。さっき連絡があったから、もうすぐ報告に来てくれるはずよ」

「そっか......。ところで、ここに書かれてる虜の能力は、小田切(おだぎり)さんと同じ能力だよね?」

「ええ、そうよ」

 

 と、いうことはつまり。ノートに書かれている通り、魔女の能力は朱雀高校内で継承されていると考えられる。それも、ノートに書かれている「思念の能力」は、虜の能力を持つ小田切(おだぎり)。更には、入れ替わりの白石(しらいし)、コピーの山田(やまだ)にも該当しない能力。三人以外にも少なくとも、もう一人魔女が存在しているということを表している。

 

「どうかしら?」

「なるほど、確かにお宝だね」

「でしょ?」

 

 今日一の笑顔を見せてくれた。

 どうやら、すっかり機嫌は直ったらしい。

 

「このノート、著者が超常現象研究部って書いてあるけど?」

「旧校舎に、超常現象研究部が以前使っていた部室があるのよ。私たちは、それを知らず選挙戦の対策本部に使っていたの。だけど、夏休みに旧校舎の解体が決まって。部室を片付けてくれていた(うしお)くんが見つけたのよ」

 

 上巻を見つけた迄は良かったのだが、部屋の全てを探す前にちょうど期末試験と重なってしまい。試験が終わった今日、五十嵐(いがらし)は再び下巻を探しを再開したそうだ。それが気になって、落ち着かなかったのかもしれない。

 そして、その五十嵐(いがらし)が、フットサルコートへやって来た。

 

「すまん......」

 

 小田切(おだぎり)を見るなり謝罪の言葉を述べる。目当ての品は、見つからず終いだったようだ。

 

「いいのよ、ありがとう。(うしお)くん、あなたも座りなさい」

「ああ」

「話しは聞いたよ、おつかれさん。これあげる」

「悪いな......って、プロテインドリンクじゃないか!」

「ソイだぞ?」

「だからなんだ......?」

「話の続きをしてもいいかしらっ?」

 

 アホな会話に痺れを切らした小田切(おだぎり)が、勢いよく止めに入ってきた。気を取り直して、消息不明の下巻についての話題に戻る。

 

「さて、話を戻すわよ。(うしお)くん」

「旧校舎の部室だが。やはり、ノートの下巻は見つからなかった。考えられるのは現在山田(やまだ)たち使用している部室だが......」

「たぶん、そこにはないよ」

 

 以前宮村(みやむら)が、伊藤(いとう)が入部した時に山田(やまだ)が部室の掃除をさせられていた、と言っていたし。そもそもオカルト好きの伊藤(いとう)が、魔女の存在を知ったら黙って見過ごすワケがない。

 

「そう。それなら、もうあそこしか残っていないわね」

「そのようだな」

「あそこ?」

「朱雀高校のクラブハウスよ」

「ああ~......確か、夏期講習とか、部活動の合宿に使ってる宿舎だっけ?」

 

 体育祭の時に小田切(おだぎり)から聞いた話しを思い出した。

 

「そう。超常現象研究部の部室もあるのよ」

「今は、倉庫になってモノで溢れているらしい」

「そこの捜索に当たるわ。そこで、これを利用する」

 

 小田切(おだぎり)は、鞄の中から夏期講習参加希望書をテーブルに置いた。

 

「部活に所属していないから私たちが、正当な方法でクラブハウスへ行くにはこれしか方法がないわ」

「それはわかったけど、関係ない部活の部室に入れるの?」

「そこは、生徒会役員の特権を使わせてもらうわっ」

「なるほどね」

「だけど、ひとつだけ問題があるのよ......」

 

 小田切(おだぎり)の言葉に、五十嵐(いがらし)も腕を組んで頷いた。

 

「探す時間がほとんどないのよ。午前、午後、夜とスケジュールが組まれているわ」

朱雀高校(うち)は、超進学校だからな」

 

 参加希望用紙の裏に記された大まかなスケジュール表を見る。食事、入浴を時間を除くと、一日二時間ほどの余裕しかない。

 

「消灯時間後に探してもいいが......」

「無理よ。見回りの先生が、常に廊下を巡回しているわ」

「もし教師に見つかれば、結果としてお前の迷惑になるしな」

 

 小田切(おだぎり)と行動を共にしている五十嵐(いがらし)が、不祥事を起こせば選挙戦にも影響が及び兼ねない。俺に話すということは、人手不足で手伝って欲しいってことだろうか。もう一度、夏期講習の日程を確認する。

 

「手伝ってあげたいけど、バイトと被るな」

「そうか......」

「私たちでやるしかないわ......ね?」

「どうした? 小田切(おだぎり)

 

 何か気になる物を見つけた小田切(おだぎり)は、窓の方を見て固まった。

 そして――、窓にテープで止められているポスターを指差した。

 

「これよ、これだわ......!」

 

           *  *  *

 

「失礼します」

 

 翌日の放課後。昨日小田切(おだぎり)が見つけた秘策を実行するため、俺は生徒会室を訪れていた。

 

「おや。誰かと思ったらキミか」

 

 扉の正面奧の机で書き物をしていた生徒会会長――山崎(やまざき)が顔を上げた。

 

「どうしたんだい? 僕に何か用かな?」

 

 手を止めずに用件を聞いてきた。俺は彼の元へ向かい一枚の書類を、空いているスペースに置く。

 

「新規に部活を立ち上げたいんですが」

「部活?」

 

 羽根ペンの万年筆を置いて、提出した書類に目を通し出す。

 

「ふーん......フットサル部ね。どうして、また今になって?」

「これです」

 

 昨夜、小田切(おだぎり)が見つけたポスターと同じモノを見せる。

 

「ビーチサッカー日本代表強化試合。開催場所は朱雀高校(うち)のクラブハウスの近くか」

「はい。それと、今後のサッカー界発展のためサッカーに関係する部活動に所属していると、入場料が無料なんです」

「それこそ、サッカー部じゃダメなのかい?」

「まだ回復の目処が立っていないですし。八月の頭には、もう一度手術予定があります」

「来期の復帰は目指してはいるが、今の状態ではサッカー部に迷惑はかけられないと言うわけだね」

「はい」

「なるほど。飛鳥(あすか)くん」

 

 山崎(やまざき)が声をかけると何処からともなく、秘書の飛鳥(あすか)が現れた。

 

「何でしょうか? 会長」

「この書類の二人は、どうかな?」

 

 部員のところに書かれた、二人の名前。小田切(おだぎり)五十嵐(いがらし)について意見を求めた。

 

「お二人とも、宮内(みやうち)さんが働いてらっしゃるフットサルコートへ頻繁に出入りしていますわ。見学だけの場合もありますが、試合参加の経験もあります」

「ただの数会わせというわけもないわけだね」

「はい。そうそう、五十嵐(いがらし)さんが小学生に遊ばれていたのは、とても愉快でしたわ」

「はっはっは! それは、僕も見てみたかったな」

 

 選挙戦あってのことなのかもしれないが、次期生徒会会長候補の小田切(おだぎり)たちは、監視対象になっているらしい。

 ――この人たちマジで怖いな......。

 朱雀高校絶対権力者と、その秘書の二人にやや恐怖を覚えた。

 

「しかし、ビーチサッカーは何か経験になるのかい?」

「サッカーとフットサルって似ているようで全然違うんです。フットサル特有のボールタッチとか、身体の使い方はサッカーでも武器になります。正直、ケガがなければ知らないままでした」

「ケガをして、初めて別の角度から物事を見れたワケだね」

「はい」

「なるほど、少なからず経験になるわけだ」

 

 山崎(やまざき)は、両肘を突いて顔の前で組んだ手の甲にアゴを乗せて目を閉じ、数秒後目を開けて微笑んだ。

 

「いいよ。許可を出そう!」

「......あ、ありがとうございます」

飛鳥(あすか)くん、バスと宿泊の手配をお願いするよ」

「はい。承知いたしました」

 

 飛鳥(あすか)は、棚のファイルを取り出して作業を始めた。

 

「部室だけど。今空きが無いから、空きが出来次第連絡するよ」

「いえ、どうせフットサルコートで集まるだけですから。今回の件だけで十分ありがたいです」

「そうかい? 欲がないね。ところでまた小田切(おだぎり)くんとキスしたんだね」

「――えっ!?」

「はっはっは! キミは素直だね。じゃあ僕は仕事があるから、また次の機会に話そう」

 

 俺は追い出される様に生徒会室を出た。

 いや、小田切(おだぎり)とのキスした事を指摘され逃げ出した、が正しかったのかもしれない。何はともあれ、部活の新規立ち上げの申請は無事に通った。スマホで、小田切(おだぎり)にメッセージで連絡を入れる。すると、すぐに着信が来た。通話ボタンを押して耳へ持っていく。

 

「もしもし」

『私よ、メッセージ見たわ。うまく行ったのねっ』

「うん。無事認めてもらえたよ」

『そう。今日、バイトは?』

「ん? 休みだけど」

 

 今日は、人工芝の張り替えのためバイトは休み。

 それを知った小田切(おだぎり)は「じゃあ合宿の買い物へ行きましょ!」と、どこか嬉しそうな声で言った。



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Episode16 ~雨音~

 生徒会室がある特別教室棟から渡り廊下を通り、昇降口を出る。屋外なのに視界が暗い、空は曇り空。今にも泣き出しそうなどんよりとした分厚い灰色の雲が、夏の空を覆っていた。予報では雨が降りだすのは夜だったが、買い出しにどれだけ時間がかかるかわからない。少し急いで、小田切(おだぎり)と待ち合わせをした正門前へ向かう。彼女は、初デートの時と同じ位置で同じように、背を預けて待っていた。

 

「お待たせ」

「あら、思ったより早かったわね。それじゃあ、さっそく行きましょ」

 

 辺りを見回してから、彼女の隣へ。合宿に向けた買い出しに行くと言っていたため、当然居ると思っていた五十嵐(いがらし)の姿が見当たらなかった。

 

五十嵐(いがらし)は?」

(うしお)くん? (うしお)くんなら、例のノート以外に魔女に関する手がかりがないか、山田(やまだ)に探りを入れに行ったみたいよ」

「そうなんだ。待ってなくていいの?」

「ちゃんと連絡したわよ。それに、四六時中一緒に居るわけじゃないわ。それとも――」

 

 小田切(おだぎり)は、不意に足を止めた。そして、眉を寄せて少し唇を尖らせながら不満気な表情(かお)で、上目遣いで俺を見る。

 

「私と二人きりじゃ不満なのかしらっ?」

 

 口には出さなかったけど「デートに誘ったクセに!」と言いたげなのが、表情と台詞から容易に察しがつく。

 

「もちろん、不満はないっすよ。ただ、荷物持ちは多い方がいいかなって思っただけで」

「あら。それはあなたが、(うしお)くんの分も持ってくれるんでしょ?」

 

 やや首をかしげながらふふっと、あざとく微笑んだ。

 そんな小悪魔のように言った小田切(おだぎり)に「はいはい、よろこんで」とテキトーな返事を返し、ひと言小言をもらいながら再び足を進める。

 

「どこへいくの?」

「そうね。先ずは、ディスカウントショップへ行きましょう」

 

 必要なものをリストアップしたメモ帳を手に、ショッピングモール内に店を構えるディスカウントショップで、トラベルセットなどの旅行の必需品、五十嵐(いがらし)から頼まれたものなどを購入し。続けて、同ショッピングモール内のドラッグストアへ移動。小田切(おだぎり)は待っている間にチェックしていた化粧品やサンオイルを、定員の説明を聞きながらやや時間を掛けて真剣に選んでいた。現地調達に向かないものを買い揃え、インフォメーション付近のベンチで確認作業。

 

「一通り揃ったかな?」

「まだ買い残したモノがあるわ」

「ん?」

 

 両手に持った買い物袋をもう一度確認する。さっき見せてもらった買い物リストと照らし合わせるが、買い漏れは見つからない。荷物から目を離し顔を上げて、小田切(おだぎり)を見ると、まるで何か企んでいるようなそんな表情をしていた。

 

「夏の合宿にとっても重要なモノよ。さあ、行きましょう」

 

 コインロッカーに一旦荷物を預けて、連れてこられたショップは――。

 

「これなんてどうかしら?」

 

 夏のレジャー用品を取り扱うセレクトショップの陳列棚から、かなり大人びたビキニタイプの水着のハンガーを持ち、制服の上から体に合わせてポーズを取る。彼女が言った、夏の合宿に重要なモノは、水着(コレ)のことだった。合宿所のクラブハウスとビーチは目と鼻の先という話しは聞いた、水着を新調するのは不思議ではないのだけれど......。

 

「え~と......」

「あら、この水着を着た私の姿を想像してテレてるのかしら?」

 

 クスッ、と勝ち誇ったように満足そうな笑みを浮かべてた。言いあぐねている理由は、小田切(おだぎり)が持っている水着がどうのこう話しじゃない。ただ単に、女性物のフロアには女性客しか居ないし、制服姿の学生も少なくないから若干居心地の悪さを感じている。

 

「ちょっと大胆じゃない?」

「生徒会役員たるもの、このくらいの水着は容易に着こなせるのよ」

 

 確かに、制服の上からでも分かるくらいスタイルは良いと思う。生徒会どうのこうのが水着どう関係あるのかは、ツッコまないでおこう。

 

「でもまあ、あなたがどうしてもと言うのなら別のにしようかしら」

 

 どうやら最初から、反応を楽しむためのブラフだったみたいだ。水着を戻すため、くるっと身を翻したその時、別の棚の水着を掛けているハンガーフックが、身を翻した時に僅かに浮いた彼女のスカートの裾を引っ掛け、戻ろうとする重力の邪魔をした。

 ――ピンク......って、違う。いや、違わないけど。

 幸いにも他の男性客は居ないが、このまま動けば更に悲惨なことになりかねない。

 

「お、小田切(おだぎり)さん!」

「なによ?」

 

 呼び止め、目を背けながら現状を伝える。

 

「その......スカートが......」

「スカート? スカートがなに――」

 

 自分のスカートに起きていることを認識した小田切(おだぎり)は、まるでリンゴのように顔を耳まで真っ赤に染め、直後、エリア中に大きな悲鳴が響き渡った。

 

「......い、い、いいっ、いやあぁーっ!」

 

 

           * * *

 

 

「まったく、もうっ!」

 

 あのあと一部始終を見ていたショップ店員から、微笑ましそうな顔でやんわりと注意を受けた。結局、水着は買わずに初デートの時に訪れたカフェに場所を移動。俺は頼んだ飲み物を無言で口に運び、小田切(おだぎり)は悪態をつきながら不機嫌そうに、ケーキをほうばっている。

 そんな俺たちを、つい先ほど合流した五十嵐(いがらし)は不思議そうに見ている。

 

「虫の居所が悪いようだが、何かあったのか?」

「まあ、ちょっとしたハプニング?」

「ちょっと? あ、あんな辱しめを与えておきながら、ちょっとですって......?」

 

 完全に自業自得で八つ当たりな気がしてならないけど、こうして一緒に居るわけだから、本気で怒っている訳ではないのだろうけど。だが、冗談にならないヤツが隣で、テーブルに握り拳を思いきり叩きつけた。

 何事か、と近くの席の客の視線が俺たちの居るテーブルに向く。

 

「貴様ァ! 小田切(おだぎり)に何をした!?」

「いや、何もしてないけど」

「今、されたと言っただろうがッ!」

「お、落ち着いて、(うしお)くんっ。他のお客の迷惑になるわ」

「むぅ......。だが、しかし......」

「いいのよ、私にも落ち度がない訳じゃないから」

 

 納得いかない様子だが五十嵐(いがらし)は、小田切(おだぎり)の説得で渋々ながら拳を収めた。

 

「それで、どうだったの?」

「あ、ああ。やはり、ノートの下巻もそれ以外の資料も存在しないようだ。そもそも、山田(やまだ)は“魔女”という言葉も知らなかった」

「そう。なら、ますます期待が高まったわねっ」

「そうなるな。ああそうだ、生徒会長の秘書からコイツを預かってきた」

 

 スクールバッグからプリントを複数枚を出して、テーブルに広げる。書かれていた内容は、合宿に関する資料だった。合宿を張る各部活事の出発時間や、クラブハウス到着後の部屋割り、注意事項等が各項目ごとに記載されている。

 

「へぇ、超研部も合宿張るんだ」

「あら、ホントね。日付も何日か被ってるようね」

「そのようだな。超研部の部室のカギを手配する手間が省けたな」

「......そうね。宮村(みやむら)に頼むのはしゃくだけど」

 

 超常現象研究部の方が一日早く、クラブハウスへ出発予定。

 それにしても、超常現象研究の合宿っていったい何をするのか、少なからず興味が沸く。来週にでも、宮村(みやむら)に聞いてみるとしよう。

 

「さてと。そろそろ時間も時間だし、お開きにしましょう」

「そうだね」

 

 店内の掛け時計は、18時を指していた。外は夏にも関わらず、雨雲がかかる曇り空のおかげで、普段の晴れの日と比べると幾分薄暗い。

 

「荷物は、俺が預かろう」

「いいのか?」

「ああ、買い出しには付き合えなかったからな」

「そっか。じゃあ、お願いする」

「ありがと」

 

 私物を取り除き、買い物袋二つ分の荷物を五十嵐(いがらし)に預ける。

 

「そういえば、来るの遅かったけど?」

「連絡はしたんだけどな。おそらく、人混みで着信に気がつかなかったのだろう」

「あら、ホントだわ。ごめんなさいね」

「気にするな」

 

 手を合わせ微笑みながらの謝罪に、五十嵐(いがらし)は不自然に顔を背けて席を立ち、荷物をもっと店の外へ。俺たちも仕分けた私物をスクールバックにしまって、席を立つ。

 店の外に出た瞬間、小さく冷たい水滴が頬に当たった。空を見上げる。空を覆っている分厚く暗い雲から無数の水滴が落ちてきた。

 

「雨か?」

「そうみたいね。天気予報じゃ夜からって話しだったけど」

「二人とも、傘持ってる?」

「もちろん、持ってるわ」

「俺は持ってない。まあ、この程度の小降りなら問題ないだろう。本降りになる前に行く。じゃあな」

「ええ、また明日」

 

 小田切(おだぎり)は折り畳み傘をさし、五十嵐(いがらし)は、商店街をやや早足で歩いていった。

 

「あなたは、持ってないの?」

「持ってるよ」

「そ。じゃあ帰りましょう」

 

 折り畳み傘をさす。薄い生地に雨粒が当たり、ポツポツと水が弾ける音が不規則に耳に入ってくる。目を閉じて聞き入りたくなる、どこか懐かしくて落ち着く音色。

 

「どうしたの?」

「ううん、なんでもない。行こう」

 

 数歩先で小田切(おだぎり)は振り向き、こちらを見ていた。彼女の隣で歩幅を合わせ、先日のバイト終わりと同じく、駅までの僅かな時間を話しをしなながら商店街を歩いた。

 

 

           * * *

 

 

 翌日。翌週から夏休みということもあり、授業は午前のみの自習。そして、担任が席を外していることを良いことに、椅子を引っ張って来た宮村(みやむら)は、横につけて長い足を見せつけるように投げ出して座る。

 

「お前、ツレねぇよな~」

「んー? 何が?」

 

 ペンを止めずに用件を聞く。

 

「部活だよ、部活。オレが勧誘しても頷かなかっただろ? なのによりによって、次期生徒会長を争う小田切(おだぎり)と部活を新設しちまいやがって」

「成り行きだよ」

「ふーん、成り行きねぇ~」

 

 周囲に注意を払いながら、宮村(みやむら)は口元を手で隠して「魔女だろ?」と、漏れ聞こえないように小声で言った。手を止める。

 

山田(やまだ)から聞いた?」

「まーな」

「何の話ししてんの?」

 

 近くの席の伊藤(いとう)も、椅子を持って会話に入ってくる。

 

「例の話しだ」

「例の? ああー、魔じょ......むぐぐ~っ!」

 

 二人して、伊藤(いとう)の口を塞ぐ。ついでに鼻も塞いでしまったらしく、苦しそうにもがいたため解放。

 

「ぷはーっ! ちょっと何すんのよっ!」

「内密にって言っただろう?」

「あっ! そうだったわね......」

 

 改めて、魔女の件について自習のふりをしながら三人で小声で話す。

 

「それで、小田切(おだぎり)はどこまで掴んでるんだ?」

「そっちと同じで、例のノートの上巻の情報だけだよ」

「五分か」

 

 頭の後ろで両手を組んで、背もたれに寄りかかり天井を見上げる宮村(みやむら)

 

「新規に部活を作ったってことは、お前らもクラブハウスに探しに行くんだろ?」

「二人は、そのつもりだね」

「二人は? じゃあ、お前は?」

「これ」

 

 部活設立時に用いた、ビーチサッカー日本代表のポスターを見せる。

 

「へぇ~、ビーチサッカーなんてあるのね」

「で、本命は?」

「探すのが大変そうだから、手伝いを兼ねて」

「なーる。あそこは今、物置になってるらしいからな。人出が多いにこしたことはねぇ」

「そうなの? 掃除道具も持っていかなくちゃね......」

「ところで、申請早かったみたいだけど?」

 

 先日五十嵐(いがらし)が預かってきた合宿に関する資料には、各部の届け出順に部活動名が記載されていて、超常現象研部の合宿申請はかなり早い段階で申請されていた。

 

「もともと、合宿の予定組んでたんだよ。オレの独断でな」

「アタシ、聞かされたの昨日なんだけど!」

「サプラ~イズ。それに、どうせ暇だろ?」

「うぐっ......。言い返せないのがムカつくわ」

「結果オーライだろ?」

「まあ、否定はしないわ。うららちゃんも楽しみにしてるみたいだしね、塾も休むって気合い入ってたし」

 

 両手を組んで、うんうんと頷く宮村(みやむら)

 

白石(しらいし)さんが?」

 

 しかし、白石(しらいし)が塾を休むなんて一年の頃から病欠以外の理由を聞いたことがない。

 

「意外だったろ? 実は今回の件も、白石(しらいし)さんが一番熱心なんだぜ」

「確かにねぇ。行くのを渋った魔女発見器の山田(やまだ)の説得もしちゃうし」

 

 俺はいつか聞いた、白石(しらいし)の言葉を思い出した。

 

「部活って何だか楽しそうでしょ」

 

 もしかしたら、魔女のことだけじゃなくて。部活動を、友だちと過ごす時間を楽しんでいるのかも知れない。俺も、その中のひとりに入れるのだろうか? ふと、柄にもなくそんなことを思いながら、二人の超研部での話に耳を傾けつつ、再びペンを走らせた。



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Episode17 ~映し鏡~

 ほぼ真上に位置する太陽からの日差しも厳しくなり、季節は本格的な夏の様相を呈し始めた七月下旬。朱雀高校でも他校と同様一学期の終業式が執り行われ、夏の長期休暇に入った。

 そして、夏休みに入って数日後の朝。

 

「おい、そろそろバスが来るぞ」

 

 中庭のベンチの木陰の中で、小田切(おだぎり)と話しをしていると、五十嵐(いがらし)が知らせに来てくれた。荷物を持ち、バスの停留所になっている学校の駐車場へ移動。駐車場に停車している大型のバスは、先に合宿を張っていた部活動の生徒たちが降り、運転手、引率の教員の引き継ぎなどでしばしの休息を挟んで折り返しのバスに変わり、クラブハウスへ向けて発車。林間学校の時と同じく、一番後ろの席に三人で座る。

 

「クラブハウスって、遠いの?」

朱雀高校(ここ)から、二時間弱くらいね」

 

 直線距離では林間学校の宿舎より遠いが、林間学校のような山道ではなく、都内からほぼ直通で湾岸線を通る高速道路が整備されているため所要時間でいえば、クラブハウスへ行く方が幾分速いとのこと。

 

「それにしても、納得いかないわ。どうして、超研部と同室なのかしら?」

「お前は、まだいいだろう。俺なんて、山田(やまだ)と三日間も寝食を共にしなければならないんだぞ」

 

 部屋割りのプリントを見ながら、小田切(おだぎり)は若干口を尖らせて不満を漏らした。五十嵐(いがらし)によると、合宿の資料を渡された時に生徒会長秘書の飛鳥(あすか)から「あなた方は仲がよろしいようですので、特別に同室になるよう調整しておきましわ」と、含み笑いで言われたらしい。

 

「まったく、何の嫌がらせだ」

「でもさ。別に、嫌いって訳じゃないんだろ?」

 

 山田(やまだ)五十嵐(いがらし)は、六月中頃の他校生との暴力沙汰以来関係がギクシャクしているらしいが。本当に嫌悪感を持つ相手なら、極力関わらないように接触を絶つ方向へと向かうはず。けど、孤立後も気にかけていたと小田切(おだぎり)からは聞いた。

 

「......フンッ! アイツが、いつまでもつまらない意地を張っているだけだ」

「ふーん、そっか」

 

 彼女が教えてくれた通りのようだ。ただ、それはあくまでも二人の言い分であって、山田(やまだ)の意見を聞かないことのは判断はしかねる。

 しかしそれ以前に、二人の話し......特に、五十嵐(いがらし)の態度は、どうにも腑に落ちない部分がある。まあ、機会があれば、山田(やまだ)にも聞いてみるとしよう。

 

「時間かかるみたいだから、トランプでもやろうか?」

「あら。私に勝てると思って?」

「まあ、暇つぶしにはなるな。ルールは、どうする?」

 

 バスが代わり映えのしない都心の高速道路から、クラブハウス付近を通る湾岸線へ抜けるまでの間、何度かルールを変えながらトランプをしたり、話をしたりして有意義な時間を過ごした。

 そして、朱雀高校を出発して二時間あまり、小さな渋滞には何度か引っかかりもしたが。無事、朱雀高校クラブハウスに到着。小田切(おだぎり)は大きくのびをして、五十嵐(いがらし)は軽く腰を叩く。

 

「ん~っ! ようやく着いたわね」

「フゥ、さて、行くか」

 

 バスを降りて、荷台に積んだバッグを受け取り、クラブハウスに入る。まるで、ホテルのような豪華な造りの内装。体育祭に聞いた、ホテルに負けないというのも納得。

 

「じゃあ、部屋に荷物を置いて。ここに集合しましょ」

 

 当然の事ながら男女で部屋割りが違うため、小田切(おだぎり)とはエントランスで一度別れ、同室となった超常現象研部の宮村(みやむら)山田(やまだ)が先に宿泊している部屋、301号室へ。軽くドアをノック。返事は、返ってこなかった。

 

「なんだ? 居ないのか?」

「そうみたいだね。鍵はかかってないし。とりあえず、荷物を置いていこうか」

「不用心だな」

 

 部屋は、四人で雑魚寝しても十分な広さの洋室。ドアを入ってすぐ靴箱があり、段差を上がった床はカーペットが敷かれている。ちょっとしたタンスや、クローゼット、冷暖房も完備されていて、大人数で集まってもゆったりと過ごせる空間が確保されている。

 ひとまず、空いているスペースに荷物を置いて貴重品を持ち、エントランスへ戻る。

 

「ちょっと、宮村(みやむら)に連絡入れてくるよ」

「わかった」

 

 小田切(おだぎり)がまだ来ていなかったため、待っている間に同室の宮村(みやむら)に電話をかける。しかし、数回のコールの後留守番電話に接続されて、宮村(みやむら)が電話に出ることはなかった。無事到着したこと伝えるメッセージを送ってからエントランスに戻ると、私服に着替えた小田切(おだぎり)がベンチに座っていた。

 

「連絡取れた?」

「ううん、留守電だったからメッセージ入れておいた」

「そう。これから、どうしようかしら?」

 

 掛け時計を見ると、時計の針は11時を少し過ぎた辺りを指している。昼食までは少し時間があるし、ビーチへ行くにしては中途半端な時間。昼食までの一時間あまりで出来ることといえば......。

 

「超常現象研部に行ってみる?」

「そうね。さっそく行きましょ」

「場所は分かるのか?」

「ここへ来る前に、ロビーの見取り図で調べておいたわ」

 

 得意気な表情(かお)をして「ついてきなさい」と、意気揚々と歩き出した。彼女の後について行く、そして、二階のとある部屋の前で立ち止まった。

 

「ここよ」

 

 小田切(おだぎり)は、ドアノブに手を掛ける。

 

「あら、カギがかかってるわ」

 

 耳を澄ましてみたが、部屋の中から物音はしない。片開きのドアに小窓がついているけど、曇りガラスのため中の様子はうかがい知れない。けど、人影のような動くものはなかった。

 

「誰も居ないみたいだね」

「まったく、どこへ行ってるのかしら?」

 

 愚痴を漏らしたところで、居ないものはどうしようもない。

 とりあえず、宮村(みやむら)たちも来るであろう昼食まで時間を潰すことして、エントランスへ戻るため廊下を歩いていると。前方から、超常現象研部の部員のひとりである山田(やまだ)が歩いてきた。五十嵐(いがらし)と一触即発になる前に、声をかける。

 

山田(やまだ)

「あ、宮内(みやうち)くん」

 

 声をかけた山田(やまだ)は、俺を「くん」付けで呼ぶ暴挙に出た。

 

「それじゃあ、山田(やまだ)と入れ替わって、代わりに白石(しらいし)さんが補習を受けてるってこと?」

「ええ、補習が終わらないと超研部の部室の鍵を持った先生がクラブハウスへ来ないらしいの」

「それで白石(しらいし)さんと入れ替わった山田(やまだ)は、宮村(みやむら)伊藤(いとう)さんと一緒に、海へ遊びに行ったってわけね。あの男、女子に補習受けさせて何やってるのよ」

「まったく、呆れたヤツだな。能力の無駄遣いもいいところだ」

「別にいいの。塾のかわりのようなモノだから」

 

 小田切(おだぎり)たちの反応に対して、白石(しらいし)は気にする様子は微塵も見せなかった。話をしているうちに、12時を知らせる放送が流れる。成り行きで、四人で昼食を食べていると、宮村(みやむら)たちが揃って食堂にやって来た。

 

「わりぃ、スマホ、部屋に置きっぱなしだった」

「いや。それより補習が終わらないと鍵が開かないんだって」

「ああ、そうなんだよ。しかも、合宿期間までにクリア出来る保証もねーときた」

「マジか。どうするんだ?」

「まあ最悪、ピッキング?」

「それは、ダメだろ。倫理的に」

「冗談だって。まっ、いざとって時は、生徒会副会長の権限を使うまでさ」

 

 そう言ってウインクをした宮村(みやむら)は、食べ終わった食器を返却口へ返し、代わりに色とりどりのフルーツでデコレーションされたデザートが乗った皿を持って戻ってくる。

 

「そういうワケだから、気長に待とうぜ」

「まったく、悠長なことね」

「んなこと言ったって、仕方ねぇだろ?」

 

 俺の隣には、山田(やまだ)と入れ替わっている白石(しらいし)が居たハズが、いつの間にか小田切(おだぎり)が座っていた。

 

白石(しらいし)さんならもう、午後の補習を受けに行ったわよ」

「あ、そうなんだ」

「お前らは、これからどうすんだ? オレらはまた、海に行くけど」

「そうねぇ。補習が終わらない限り動きようもないし、海へ行くのも悪くないわね」

「んなこといって、ホントは遊ぶ気満々なんだろ~?」

 

 たんたんとあまり興味がなさそうに話す小田切(おだぎり)に、宮村(みやむら)は長いスプーンを使ってパフェを口に運びながらニヤニヤと笑う。

 

「なによ、その笑い方っ!」

「だってよ~、小田切(おだぎり)さん、今回の合宿に合わせて水着新調したんだろ? それも、結構大胆なヤツによ?」

「なっ!?」

 

 ガタッ! と音が出るほど椅子が大きく動いた。相当動揺したことが見受けられる。もしかして後日、買い出しの日の水着を購入したのだろうかと思っていると。

 

「あの水着じゃないわよっ」

「あ、はい、そうですか」

「って、どうしてあんたが知ってるのよっ?」

「はーい、アタシが見ましたー」

 

 伊藤(いとう)が、横からひょいっと手を上げながら顔を出す。

 

「あんなスタイルに自信がないと着れない水着買っちゃうなんて、悩殺したい男子でもいるのかしらねぇ~」

「マジかよ。小田切(おだぎり)さん、オレのことを悩殺する気だったのか......」

「誰が、あんたなんかっ!」

 

 ムキになると余計に面白がってイジられるのにな、と思いながら食器を返却口へ返しに行き、午後の仕度を整えるため一度部屋に戻った。

 

 

           * * *

 

 

「へぇー、結構観客多いのな」

「代表戦だからね。それに強化試合っていっても、相手は強豪国だし。それと、あの選手――」

 

 砂浜の一画でアップをしている、対戦国の選手を指差す。

 

「元プロサッカー選手だよ。それも、世界最高のリーグで得点王にも輝いたこともあるね」

「マジか」

 

 ビーチサッカーは、プロで活躍した往年のスター選手が普及活動に参加したりしている。彼らのプレーを再び観れるということもあって、当時のファンが足を運んだりと、数多くの観客がビーチに設営された仮設スタンドで試合開始の時を心待ちにしている。

 

「ほら」

「ありがとう」

「あら、ありがと。さすが(うしお)くん、気が利くわね」

 

 五十嵐(いがらし)が売店で飲み物を買ってきてくれた。

 あのあと結局ビーチへ泳ぎに行くならびで話はまとまったらしいのだが、俺がビーチサッカーのレポートを書くため試合を観に行くと知った宮村(みやむら)が面白がって、一緒に行くと言い出した。結局、山田(やまだ)の代わりに補習を受けている白石(しらいし)を除いた全員で、試合を観戦することに。

 

「みんな、裸足なのね」

「砂地だからね」

「ああ~、靴にはいるからかぁ」

 

 ぽんっ! と、納得した様子で手を合わせた伊藤(いとう)の前で、だらしなく足を投げ出した山田(やまだ)がダルそうにしている。

 

「こんなのが、おもしれぇーのか?」

「始まればわかる。サッカーとの違いでもあり、最大の見所でもある空中戦をね」

「空中戦って、野球かよ」

 

 うちわであおぎながらタメ息をついた山田(やまだ)だったが、試合が始まると、その態度は一転した。

 

「スゲー! おい何だよ、今の!」

 

 ビーチに砂で作られたピッチの上で繰り広げられる、アクロバティックなプレーの数々に興奮している。サッカーとの最大の違いは、地面が柔らかい砂地のためボールを極力転がさず空中でダイレクトで繋ぎ、ヘディングやボレーシュート、オーバーヘッドキック等のアクロバティックな魅せるプレーが多用されること。見ている方も、サッカーの試合では中々見られないプレーに歓声を上げ、観客と選手の間には一体感が生まれる。

 

「よう」

「ん? 朝比奈(あさひな)?」

 

 試合がハーフタイムに入るのとほぼ同時に声を掛けてきたのは、サッカー部の朝比奈(あさひな)だった。合宿に来ているサッカー部の練習の合間に、ここへ足を運んだきたらしい。

 

「あら。誰かと思えば、朝比奈(あさひな)くんじゃない。どうしたの?」

「それは、オレのセリフだ。無関係のお前たちが居る方が、不自然だって」

「そりゃそうだわな」

 

 宮村(みやむら)が笑う。確かにこの場合、サッカー部と関係のない生徒会役員の方が場違いだろう。

 

朝比奈(あさひな)くんも、合宿よね?」

「ああ。サッカー部は、終業式の終わりから来てるから今日が最終日だ。夕方の便で帰る」

「そう。そういえば、都大会16おめでとう」

「ありがとう。と言いたいところだけど、全然ダメだ」

「どうしてよ? 快挙じゃない」

 

 今年のインターハイ予選、朱雀高校サッカー部は決勝トーナメントに進出し、実に数十年ぶりのベスト16と結果を残した。

 

「オレも聞いたぞ。何でも、参加校の中で最少失点だったらしいじゃん」

「ゼロで抑えても、点を取れなきゃ勝ち上がれないからな。今年は去年より得点力は上がったが、やっぱりベスト8からの壁は厚い」

 

 お手上げといった感じに、肩をすくめた。中盤の選手からの絶妙なノールックのピンポイントパスを、空中で反転したストライカーがダイレクト捉えで、ゴールにたたき込んだ。スーパープレーに大歓声が沸き起こる。

 

「まあ、うちはウィークポイントがはっきりしているからな。改善出来れば、ベスト4は堅い。ああそうだ、宮内(みやうち)。今年ベスト8に入った帝王学園に面白いのがいる。見たら絶対驚くぞ」

「帝王? どんなタイプのプレイヤー?」

 

 前半のレポートを書きながら、話に耳を傾ける。

 

「ひと言で表せばば、お前だな」

宮内(みやうち)くんと似たタイプなの?」

 

 隣で、小田切(おだぎり)が聞き返した。

 

「左右の違いはあるが、試合の組み立て方といい、パスを出すタイミングといいよく似てる。まるで鏡に転写したみたいにな。ただ、チームメイトとはあまり上手くいってないのか連携ミスも少なくなかった。確か、ジュニアユース出身で――」

嘉納(かのう)

「そうだ、嘉納(かのう)だ。って、お前知ってるのか?」

「ああ、知ってる」

 

 手を止めて、疑問に答える。

 

「元チームメイトだ」

 

 

           * * *

 

 

 夕日が海に沈み始め、空がオレンジ色に染まり始めた夕暮れ時。部屋に集まってカードゲーム等で盛り上がっている部屋を出た俺はひとり、ベランダでスマホの画面に写るサッカーの試合を見ながら、生ぬるい風に当たっていた。すると、すぐ後ろに人の気配を感じた。

 

「みんなとゲームしないの?」

「うん、ちょっと試合観てた。すぐに行くよ」

「試合?」

 

 声の主は、いつの間にか山田(やまだ)と入れ替わり、元の姿に戻った白石(しらいし)。部屋には戻らず隣へ来た彼女は、スマホを覗き込む。

 

「今年の、インターハイの試合だよ」

「そう。これ、ケンカかしら?」

 

 画面はちょうど、帝王学園の選手同士が今にも掴み合いを始めそうな険悪な雰囲気になっている場面を捉えている。

 

「相変わらずだな、コイツ」

「この人、知ってるの?」

「うん、同じ中学でプレーしてた」

「よく分からないけど、この人上手なの?」

「相当上手いよ、技術(スキル)もある。ただ......」

「ただ?」

 

 白石(しらいし)は、小さく首をかしげる。

 当時はいろいろ思うところもあったけど、今のプレーを見て考えが変わった、つまらないヤツだったんだなと。その言葉を飲み込み、目を閉じて、一度大きく息を吐き出す。

 

「いや、何でもないよ。ゲームやろっか?」

「うん、そうしましょう。そうだわ、新しい魔女が見つかったの」

「えっ、ホント?」

「うん、その魔女なんだけど――」

 

 新しく見つかったという魔女について話しをしながら、俺たちは賑やかな部屋へと戻った。




相手選手の名前を変更しました。
旧→金貞
新→嘉納
以降は、嘉納で統一しますが。修正までは混在します、ご了承くださいませ。


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Episode18 ~疑念~

 白石(しらいし)から聞かされた新たな魔女の名前は、大塚(おおつか)芽子(めいこ)。新しい魔女の名前は、聞き覚えがあった。同じクラスの、黒縁のメガネをかけた巻き髪の女子。以前、虜の能力にかかった宮村(みやむら)と本屋へ行った時に見かけたから、記憶に新しい。ただ、記憶の中の大塚(おおつか)と、白石(しらいし)のいう魔女の大塚(おおつか)が同一人物かどうか確認するため、彼女の特徴を聞いてみたところ、やはり同一人物であることが判明した。

 

大塚(おおつか)さんって、アタシたちのクラスよね?」

「ああ。ふむ。しかし、クラスでも影の薄い物静かな大塚(おおつか)さんが魔女、か......」

 

 腕を組んで神妙な表情(かお)をしながら宮村(みやむら)は、白石(しらいし)小田切(おだぎり)の二人の魔女に目をやり、最後に伊藤(いとう)の胸付近に視線を移した。

 

「ちょっと、なんなのよ? じろじろ見て」

「魔女ってのは、おっぱいが大きい女子ばっかだなって思って」

「死ねぇっ!」

 

 間髪入れず、伊藤(いとう)渾身のビンタが炸裂。パァンッ! と気持ちの良い響きと共に横たわる男子がひとり。それは、伊藤(いとう)にセクハラ発言をした宮村(みやむら)ではなく、無関係の山田(やまだ)

 

「なんで、俺が......?」

 

 気の毒なことに、宮村(みやむら)がビンタを避けたため、横にいた山田(やまだ)がとばっちりを受けていた。

 

「うららちゃーん、宮村(みやむら)に犯されたぁーっ!」

「でも、宮村(みやむら)くんの意見は興味深いわ」

「ど、どういうことだよ......?」

 

 泣きついている伊藤(いとう)を慰めながら言った白石(しらいし)の言葉に、ビンタを食らった頬をさすりながら山田(やまだ)は尋ねた。答えたのは、小田切(おだぎり)

 

「鈍いわね、アナタ。魔女には何かしらの共通点があるかもってことよ」

「ああ~、なるほど。で、お前らと大塚(おおつか)の共通点ってのは?」

「おっぱい」

 

 即答する宮村(みやむら)。しかし、本人たちを目の前にして躊躇することなく言ってのけるのはある意味スゴいなと思えてきたのは、感覚がマヒし始めているのかも知れない。気をつけよう。

 

「巨乳」

「く、悔しくなんてないんだからっ!」

「それは関係ないと思うけど。とにかく、山田(やまだ)くんは試験を受けて来て。話はそれからよ」

「......わーったよ」

 

 筆記用具を持って、渋々部屋を出ていった山田(やまだ)の追試試験が終わるまで約一時間あまり。テキトーにゲームをしながら、帰ってくるのを待つことになった。

 

「う~ん、トランプも飽きたわねぇ」

「そうねぇ、行きのバスでもやったし。他に何かないの?」

「JUMBOならあるようだ」

 

 部屋の隅に放置されていたのを見つけた五十嵐(いがらし)が、輪の中央に置く。

 

「積み木を重ねて、倒した人が負けのヤツね」

「動作は単純だけど、結構熱中するのよね。これ」

「私も、それでいいわ」

「じゃあ、女子はそれで」

「女子は? アンタたちは何すんのよ?」

「よくぞ聞いたな、伊藤(いとう)さん。オレたちは、コイツで勝負する......!」

 

 宮村(みやむら)はまるで悪役ようにニヤリと笑い、バッグから二種類の長方形の箱を取り出した。箱に書かれている文字を、五十嵐(いがらし)が読み上げる。

 

「カード麻雀?」

「そんなの持ってきてなかったわよね?」

朝比奈(あさひな)に貰った」

 

 そういえば、試合を見終わったあと二人で何か話していた。どうやら、これを譲り受ける話をしていたようだ。宮村(みやむら)は二つの箱の中からサイコロと点棒を出して、麻雀牌代わりのカードを切る。

 

「ルール、わかるか?」

「俺は分かるよ」

 

 入院中、暇をもて余した歴戦の勇士たちと何度も手合わせをしてきた。目を閉じると、何時間も駆け引きを駆使し勝負したあの時の光景が、まるで昨日のように甦る。何度看護師さんに静かにしろと叱られたことか。

 

「くだらん」

「あれ~、もしかして(うしお)くん、麻雀打てないのかな? それとも自信がないだけなのかな~?」

「......そんなわけないだろ」

 

 宮村(みやむら)とアイコンタクトで意思疎通を行う。どうやら俺たちは、同じ結論に至っているようだ。五十嵐(いがらし)は、カモだ。

 

「......ただいま」

 

 適当な安い挑発で五十嵐(いがらし)を勝負へ引きずり出し麻雀を打っていると、山田(やまだ)が帰ってきた。覇気を感じない表情(かお)と声色から、結果を聞かなくても追試を突破できなかったことは容易にわかる。

 しかし、追試を突発してもらわないことには、超常現象研究部の部室の鍵を持った教師がクラブハウスへ来ない。宮村(みやむら)たち超研部は週末まで予定を組んでいるが、俺たちフットサル部のタイムリミットは明後日の夜。正直、時間に余裕があるとはいえない。小田切(おだぎり)は、若干焦りの表情を覗かせる。

 

「何か、いい方法はないかしら?」

白石(しらいし)と入れ替わって、全員でカンニングするしかないんじゃねーか?」

「教師が目の前にいるんだからできるワケねぇーだろ、バカ」

「なんだと......バカにバカ呼ばわりされる筋合いはない! そもそも、追試になったテメーが悪いんだろうがッ!」

「ああん? やんのかコラ!」

「上等だ、表出ろ!」

 

 今にも殴り合いを始めそうな険悪な空気になってしまった。

 山田(やまだ)五十嵐(いがらし)は、本当に上手くいっていないんだな、と思ったが。今は、言い争ってる時間も惜しい。五十嵐(いがらし)のことは小田切(おだぎり)に任せて、山田(やまだ)を落ち着かせる。

 

「魔女のことは別にしても、追試をパスしないといけないんだろ?」

「そりゃそうだけどよ......。期間内に合格しねーと、とんでもねー量の課題を出されるって話しだし」

「なら、追試の合格が優先ね。山田(やまだ)くん、何か気になったことはないかしら?」

「気になること? あ、そういえば――」

 

 落ちつきを取り戻した山田(やまだ)は、試験前に大塚(おおつか)が「一緒に追試を乗り越えましょう」と話したことを思い出した。その追試を乗り切る方法が、魔女の能力である可能性が高いと思われる。

 

「試験をパス出来る能力ってことだよな? そんな都合のいい能力――」

山田(やまだ)くん、大塚(おおつか)さんとキスをしてきて。そうすれば、解るわ」

「はあ!? カンベンしてくれ、そう簡単にできるワケないだろ......!」

「それは大丈夫よ。さっきは彼女からしてきたんだから、悪い印象は無いハズだわ」

「ぐっ!」

 

 結局、白石(しらいし)に説得された山田(やまだ)は、大塚(おおつか)とキスをして、彼女の能力をコピーするため再び部屋を出ていった。そして、思い切り肩を落とし、重い足取りで出て行ったきり戻ってこない。

 

「遅いわねぇ~」

「そうね。先に、お風呂を済ましておこうかしら」

「あ、アタシも行くっ。小田切(おだぎり)さんも行くでしょ?」

「まあ、いいわ。付き合ってあげる」

「オレたちも行くか?」

「そうだな。ただ待っていても埒があかない」

「先に行ってて。レポート仕上げとく」

「あいよ。後でな」

 

 着替えを持って部屋を出た五人を廊下で見送り、部屋に戻る。部屋の隅に置かれた折り畳み式の机を組み立てて、ビーチサッカーのレポートをまとめていると、ノックもなしにドアが開いた。部屋に入ってきたのは、先程出ていった白石(しらいし)だった。

 

「どうしたの? 何か忘れ物......山田(やまだ)か?」

「おう。よくわかったな」

 

 戻ってきたのは白石(しらいし)ではなく、彼女と入れ替わった山田(やまだ)山田(やまだ)は、着替えの入ったバッグを置いてからあぐらをかき、正面に座った。

 

「なんで、白石(しらいし)さんと入れ替わってるんだ?」

大塚(おおつか)とキス出来なかったんだよ......」

「はあ?」

 

 レポートをまとめていた手を止めて、顔を上げる。

 

「仕方ねぇだろ? 妹以外の女の扱いに慣れてねぇんだからよ」

「いや、その言い訳はないんじゃないのか?」

「言い訳じゃねぇって! だってよ、実際に俺、部活に入るまで殆ど女子と話したことなかったんだぜ?」

「ん?」

 

 五十嵐(いがらし)の話を聞いた時もそうだったが、山田(やまだ)とも上手く会話が噛み合っていない気がする。

 ――何かが、おかしい。俺の中で、そんな想いが沸々と大きくなっていく。まるで話の前提が違っている、そんな感じだ。

 そこで、五十嵐(いがらし)に聞いたことを山田(やまだ)にも尋ねてみた。

 

山田(やまだ)五十嵐(いがらし)って、一年の頃よくツルんでたよな?」

「なんだよ、急に」

「頼む、教えてくれ」

「......まあ、入学当初はな」

「入学当初?」

「ああ、六月の頭くらいまではよく一緒に居た。俺も(うしお)も、学校に居場所がなかったんだ」

 

 二人とも中学の頃は、地元で有名な不良。そして二人ともが、そんな自分を変えたくて、自分たちのことを誰も知らない名門進学校の朱雀高校に進学したのだが、元不良と根っからの優等生とは中々話も合わず。自然と二人は、一緒に居る時間が増えた。

 しかし、ある日事件が起きた。

 下校中に、朱雀高校の女子生徒――小田切(おだぎり)が、他校の不良に絡まれていたところを二人で助けたまではよかったのだが、やられた他校生の逆恨みの告げ口で、山田(やまだ)は謹慎処分を受けた。しかし、一緒に行動していた五十嵐(いがらし)はおとがめなしだった。

 

「アイツらは、俺を売って逃げやがったんだ」

 

 ――妙だ、やっぱりおかしい。山田(やまだ)の話と、小田切(おだぎり)五十嵐(いがらし)から聞いた話が一致していない。そもそも、あの二人はそんな卑怯なことをするように思えない。

 そして、何より......。

 

「でもさ」

「なんだよ?」

「お前ら、去年の秋頃よく一緒に居ただろ?」

「はあ? んなワケねぇだろ。何でアイツなんかと......チッ!」

 

 面白くなさそうに舌打ちをしたが、この時俺は、あり得ないことが頭に浮かんだ。馬鹿げているが思い切って言葉にする。

 

「もしかしてお前、覚えてないのか......? 自分に彼女が居たってことも」

「は......はぁ!? 彼女!? お、オマエ、マジで大丈夫か......?」

 

 思いきり引かれた。むしろ可哀想なモノを見るような目で心配されてしまった。

 しかし、今の返事で俺の疑念は確信に変わってしまった。

 山田(やまだ)は......いや、山田(やまだ)だけじゃない。小田切(おだぎり)も、五十嵐(いがらし)も、記憶の一部を失っている。けど、現実にそんなことがあり得るのか? 記憶喪失の類い......自問自答しながら深く深く考え込む。

 

「おーい」

「ん、何だ? おっと」

 

 気がつくと目の前に白石(しらいし)の顔があって、少しドキッ! とした。身を乗り出した山田(やまだ)は、元の位置に戻って首をかしげる。

 

「何だ、じゃねぇよ。急に黙っちまってよ」

「あ、ああ......。悪い」

「お前、疲れてるんだろ? それは小田切(おだぎり)にでも任せて、寝ろよ」

「ああ......そうだな。そうさせてもらうよ」

 

 書きかけのレポートを片付けて、宮村(みやむら)たちがいるであろうクラブハウスの露天風呂ではなく、主に運動部が使うシャワールームで汗を流して、部屋に戻る。

 

「あら、宮内(みやうち)くん」

「あ、小田切(おだぎり)さん」

 

 シャワールームを出たところでバッタリと、風呂上がりの小田切(おだぎり)と出会した。一緒に風呂に行った伊藤(いとう)は、夜食を調達に売店に寄っているらしい。

 

「髪、濡れてるじゃない。ちゃんと乾かさないと風邪引くわよ?」

「あ、うん、後で乾かすよ」

「何か、あったの?」

 

 心配そうな表情(かお)で一歩踏み込んで、顔を覗き込んできた。「大丈夫、何でもないよ」と、そう言おうと思っていたのに違うことを言葉にしていた。

 

「ねぇ、小田切(おだぎり)さん」

「なに?」

 

 ――去年のこと、どれだけ覚えている。

 どうしても、確かめずにはいられなかった。



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Episode19 ~オフレコ~

 夏休みが明けて、二学期が始まった。しかし、俺はまだ入院生活を強いられていた。手術を受けた右膝のリハビリは想像以上にキツく、長期に渡って段階的に行われた。

 そして、二学期の始業式から数日後の定期検診で、ようやく退院の許可が下りた。ただ、しばらくの間は通院の日々。中間試験後には、固定したボルトを取り除く手術の予定が決まっている。まだまだ全快にはほど遠い。

 翌朝、松葉杖を突きながらの登校は思った以上に大変だった。ぶっちゃけ、使わない方が歩きやすい。復学そうそう遅刻。職員室で担任に事情説明と退院の報告を済ませ、休学中に片付けた課題を提出し、休学中の学力を測るための試験を別室で受けた。結果は、無事クリア。今日のところは、結局これだけで一日を費やした。

 休日を挟んで、週初めの月曜日。先日の反省を踏まえて、先日より30分早く登校。学校前の通学路につく頃には、ちょうど良い時間帯。昇降口の下駄箱で、靴を履き替える。松葉杖を突きながらの履き替えは、やっぱり手間が掛かる。まあ、持って行けと言われた代物。一旦下駄箱に立てかけようとした時、横から手が伸びた。

 

「大丈夫?」

 

 突然かけられた声に顔を向ける。手を貸してくれたのは、背中まで伸びたロングヘアの女子生徒。知っている姿と違ったから一瞬、見間違いかと思ったけど、両サイドのバッテンの髪留めは変わらない。それに、彼女の横顔は印象に残っている。

 

「ありがと。白石(しらいし)さん」

「ううん。退院できたんだ」

「先週末にね」

「先週末? 見かけなかったけど?」

「補講で、学力テスト受けてたんだ」

 

 廊下を教室に向かって会話しながら歩く。松葉杖のせいか、他の生徒たちは気を遣って道を譲ってくるのだが、何とも居心地が悪い。脇に挟んで、自分の足で歩く。すると、白石(しらいし)は少し心配そうな声色で聞いてきた。

 

「......平気なの?」

「歩くだけならね」

 

 ズレた骨を固定するためにボルトが埋め込まれているから走ったり、激しい運動は出来ないけど、歩くことくらいなら出来る。中間試験後の経過次第で、ボルトを抜く予定。そうしたら、またリハビリが待っている。今回ほど長期じゃないけど、ひと月くらいはかかるだろう。

 

「髪、おろしたんだ」

「......うん、今日から。前髪も、少し切ってみたんだけど。変じゃない?」

「似合ってると思うよ。メガネも」

「ないから変な感じ。それに、まだちょっと怖い、コンタクト」

 

 思わず笑いそうになったのを堪えるが大変だった。ただ、そのおかげで柄にもなく感じていた緊張が解けた。その勢いに任せ、久しぶりに教室に入ると、まるで動物園のパンダにでもなったかの様な扱いを受けて、気が休まる暇は殆どなかった。ただ、白石(しらいし)のイメチェンの方が好評だったことは言うまでもない。

 昼休み。これまた久しぶりに屋上へ足を運んだ。屋上に続く途中の階段で、危ない場面に遭遇したりもしたけど。事前に連絡いれておいた別のクラスの友人、朝比奈(あさひな)森園(もりぞの)と、右膝の状態と回復具合を話しながら昼食を取り、フェンス近くのベンチに松葉杖を立てかけ、久しぶりに見る屋上からの景色はとても懐かしく感じた。

 

 それから、ひと月ほどが経過して――。

 

「その頃なんだよな? お前が、山田(やまだ)たちをよく見かけたってのは」

 

 一年の頃のアルバムを開きながら話しを聞いて腕を組んだ宮村(みやむら)は、小難しい表情をして深く考え込んでいる。

 二泊三日の合宿という体の魔女調査を終え、膝のクリーニング手術を翌日に控えた七月末日。バイト終わり俺を、近所のコンビニで宮村(みやむら)がアイスを食べながら待ち伏せしていた。用件は、新たに見つかった魔女の件......と思いきや、ただの暇つぶし。

 大塚(おおつか)は、ノートの上巻に記載されていた“思念(テレパシー)”の魔女だった。相手の顔を思い浮かべることで、無言で会話出来るという能力。スマホとかわらない揶揄されたりもしたが、この能力の利便性を駆使して山田(やまだ)たちは補習組は、追試験を突破。やっとのことで辿り着いた、目的のクラブハウスの超常現象研究部の部室は、もぬけの殻。鍵を管理していた教師によれば、五月の連休中に他部への引き渡しのため、生徒会が整理したという話し。

 

「副会長のオレと小田切(おだぎり)は知らされてねぇ。何より妙なのは――」

「聞いたよ、明け渡し先がないんだろ?」

 

 今年に入って新設された部活は、フットサル部のみ。既存の部活は、既に部室を保有しているため、新しく部室を用意する必要がない。

 

「あの狸ことだ、何か必ず裏がある。臭うぜ......」

 

 無意味なことはしないだろうから理由があるのは間違いないだろう。体育祭の時の様に。けど、待ち伏せしていた挙げ句、来てそうそう家主の目の前で家捜しをしていたヤツが、本棚から引っ張り出した一年の頃のアルバムを捲りながら凄んでも締まらない。

 

「にしても、白石(しらいし)さん。前は、メガネかけてたんだな。何かスゲー新鮮。メガネがあるとより知的に見えるな」

「知的だろ、実際」

 

 この学校唯一の学業特待生にトップを攫われることが稀あるが、基本的に成績は学年トップで、容姿端麗。少々人付き合いが苦手だったり、時折感情に浮き沈みがあることを差し引いても、才色兼備という言葉がぴったり当てはまる。

 

「やっぱ仲良さげだよな~、一緒に写ってる写真多いし。こんな楽しそう白石(しらいし)さん、オレみたことねーぞ?」

「セクハラ発言ばっかりするからじゃないか?」

 

 悪びれる素振りも見せず、それどころか逆に爽やかに笑った。まったく、困ったヤツだ。本人に悪意はないし、嫌味もないからタチが悪い。だから、好かれるんだろうけど。

 

「それで、猿島(さるしま)さんの方はどうするんだ?」

「ぶっちゃけ、ぶっつけ本番だな」

 

 猿島(さるしま)マリア、新たに見つかった魔女の名前。

 テレパシーの魔女の大塚(おおつか)が、彼女とキスしたにも関わらず能力が掛からなかった、と山田(やまだ)が聞き。宮村(みやむら)たちが調べたところ、“未来予知(プレヴィジョン)”の能力を持つ四人目の魔女であることが判明した。先日見せてもらった超常現象研究部のノートの上巻に書かれていない、新たな能力を有する魔女。

 

「まあ、入れ替わっておけば未来に変化が起きることがわかったからな。原因にも目星がついてる。お前は、安心して手術受けろよ」

「ああ、そうさせてもらう」

 

 明日、8月1日に右膝のクリーニング手術を控えている。今までのような大がかりな手術ではないが、同日に起こると予知された旧校舎の火災。小田切(おだぎり)たちも探ってはいるけど、主に超常現象研究部が対応している。とはいえ、手を貸せることがないのは何とも歯痒い。

 テーブルに肘をついて、窓の外に目を向ける。カーテンの隙間から、住宅地の向こう側に建ち並ぶ都心のビル群の灯りが夜空を明るく照らしている。火事も、あんな風に空が明るく......ふと、疑問が浮かんだ。

 

「そういえばさ。どうして、放火になるんだろう」

「あん?」

「予知された未来は、山田(やまだ)猿島(さるしま)さんが燃えてる旧校舎を見て、中庭で立ち尽くしてる映像なんだろ?」

「ああ。猿島(さるしま)が見た未来は、椿(つばき)ってヤツの視点から見た未来だ。つまり、現場には三人でいたってことだわな。そいつ落ち込むと、旧校舎の調理室で天ぷら揚げるクセがあるらしい。たぶん、それが原因なんじゃねーかって」

「で?」

「ふむ、おかしいな......」

「だろ?」

「ああ、よくよく考えれば不自然だ。鎮火後に実況見分が入るわけだから、料理油が原因で火災が起こった場合、通常は“事故”として処理されるハズだ。なんとなーく見えてきたぜ、この件の本質がな......!」

 

 ニヤリと白い歯を見せた。

 どうやら、同じ考えに至ったようだ。光が洩れるカーテンを閉じて、座り直すと。

 

「んじゃあ、もうひとつの謎の解明といこーぜ」

 

 頬杖をつきながらウインクした宮村(みやむら)は、話題を変えた。

 俺と、三人の記憶の相違について。

 

「お前の記憶では、三人は特に仲違いしてた様子はなかったんだな?」

 

 改めて、記憶を思い起こす。

 あれは一年の初秋頃、中間試験前後に部室棟の一室で三人を含めた数人で昼食を食べているところを何度か見かけた。けど、山田(やまだ)五十嵐(いがらし)も覚えがないような態度だったし。クラブハウスで小田切(おだぎり)に尋ねた際も、そのことは一切話題にあがらなかった。何より、隠す理由がない。

 

「確認するけどよ。間違いなく、山田(やまだ)たちだったんだな?」

「ああ......。屋上で昼食べるだろ? フェンス際から、部室棟が見えるんだ。どの部室かまではわからないけど」

「ナルホド。けど、三人が三人とも身に覚えがない、と......おもしれーじゃねーか!」

 

 まるで、新しい玩具を買ってもらった子どものみたいな顔。

 

「俺の方を信じるのか?」

「いーや、まだ決めかねてる。三対一だし、見間違いの線が消えないからには断言出来ねぇ。けど、そんな嘘をつく理由がないのも事実。そこでだ、信用させてくれ」

 

 今度は意地悪そうな表情(かお)で、ニヤリと片方だけ口角を上げる。

 

「お前が、小田切(おだぎり)の虜にならなかったワケを教えてくれるのなら。オレは、100パーセントお前の言葉を信用する」

「どうしてわかった?」

「ピンときたのは、超常現象研究部の部室に初めて来た日、魔女の能力実験で伊藤(いとう)さんが、白石(しらいし)さんとキスした時だ。体育祭でお前が山田(やまだ)と入れ替わらなかったのは、既に別の能力に掛かっていた以外考えられない。宮内(みやうち)の一番近くに居た魔女は、小田切(おだぎり)しかいない」

「正解、その通り。さすがに頭の回転がいいな」

 

 賛辞の言葉を贈ったが、宮村(みやむら)は頭の後ろで両手を組んだ。

 

「オレが山田(やまだ)の虜になった時は、意思に関係なく逆らうことが出来なかった。けど、お前からは能力にかかってる様子はまったく感じなかった。謎を解くヒントを貰ったっていう、あの白石(しらいし)うららをもってしても未だ解けない謎だ」

 

 左肘を机に突いて、グイッと身を乗り出した。

 目を閉じて、思考を巡らせる。正直、宮村(みやむら)になら無条件で教えてやってもいい。けど、それじゃつまらない。

 そこで、交換条件を持ちかけることにした。

 

「教えてもいいけど、俺からも質問がある」

「なんだよ?」

「朱雀高校へ転校してきた理由」

 

 宮村(みやむら)が転校してきたのは一年の後半と、凄く中途半端な時期だと聞いている。そんな時期に入試試験よりも高難易度の編入試験を受けてまで転校してくるのは、何か特別な事情があってのことだと推察出来る。

 

「んなもん。ただ単に時間ギリギリまで寝てたいから、家から近い学校に転校しただけさ。じゃダメか?」

「いや、別にそれでもいいよ」

 

 俺が答えてから、まるで時間が止まったかのように部屋は静寂に包まれた。時おり聞こえる、気が早い秋の虫の鳴き声と掛け時計の秒針が刻む音は、この静かな部屋中ではより存在感を増す。そして時計の針が夜の九時を差した頃、宮村(みやむら)は重い口を開いた。

 

「......わかった。正直に話す」

「別に、無理しなくていいぞ?」

「いや、お前には嘘つき野郎と想われたくねぇからな」

 

 大きく息を吐き、いつにもなく真剣な表情。真面目な話しだと瞬時に察し、身を引き締めて聞く。

 

「......オレには、ひとつ違いの姉貴が居る。その姉貴を助けるために、朱雀高校へ転校してきたんだ」

 

 宮村(みやむら)の姉は、超常現象研究部の元部員。家では、いつも楽しそうに部活の話をしていて。その時、魔女の話題も出ていたらしい。宮村(みやむら)は、話し半分に聞いていた。

 しかし、ある日突然変わってしまった。

 彼女は、呆れるほど嬉々として話していた部活や魔女のことを一切話さなくなり。そして、何かに怯えているかのように、学校にも行かなくなった。

 

「姉貴が口走った“7人目の魔女”ってのが、姉貴に何かをしたんだ。だからオレは、朱雀高校へ来た。もう一度、姉貴が笑顔で学校へ通えるようにするためにな」

「そっか」

 

 なるほど、そのために一番手っ取り早いのが朱雀高校の全権を所有する生徒会長になること。生徒会長なら、7人目の魔女の存在を把握している可能性がある訳か。しかし、自分の姉を救うためだけに転校してくるなんて、とんだシスコンだ。だけど――。

 

「スゴいな、お前」

「よ、よせっての!」

「ははっ、テレるなよ」

「そ、それよか。次は、お前の番だぞ!」

 

 照れ隠しで強引に話題を替えた。

 宮村(みやむら)も本音をぶちまけたんだ、答えない訳にはいかないな。

 

小田切(おだぎり)さんの虜の能力にかからなかったのは、“好きな人”がいるからだよ」

「......はあ?」

 

 何言ってるんだ? コイツ、と言いたげな表情(かお)。だけど、事実は事実なのだから仕方がない。俺には好きな人が居るから、能力にかかっても変わらなかった。ただ、それだけのことなのだと思っている。

 

「マジ?」

「おおマジ」

「マジなのか。って、誰だよ!?」

「知りたい?」

「当然! やっぱ白石(しらいし)さんか? 白石(しらいし)さんだよな? 白石(しらいし)さんなんだろ? 白状しろよ、ネタは挙がってんだよ。カツ丼食うか?」

 

 スゴい決めつけだ。記憶喪失の話以上に食い付いてきた。

 宮村(みやむら)は口が堅いし、他言するようなヤツじゃない。

 

「仕方ないな。オフレコで頼むよ?」

「任せとけって。オレの話もオフレコな」

 

 拳同士を軽く合わせ、お互いにこの話は二人だけの秘密だと誓う。

 そして俺は宮村(みやむら)に、恋をしている相手の名前を告げた。すると、相手の名前を聞いた宮村(みやむら)は驚きのあまり目を大きく見開いてた、と思ったら今度は一転、テーブルに突っ伏した。ゴン! とても痛そうな鈍い音が聞こえたが、大丈夫だろうか。

 

「マジか......そういうことかよ。小田切(おだぎり)の能力が効かねぇワケだな」

「まあ、そういうことだね」

「なるほど、まあ頑張れや。親友」

「ああ、お前もな。親友」

 

 今度は笑い合って、拳を合わせる。

 

「よっしゃ前祝いだぁ! 今日は騒ぐぞーッ!」

「いや、近所迷惑だから。それに明日、手術なんだけど?」

「んなもん知るか! 山田(やまだ)呼ぼうぜ~」

(うち)知らないだろ?」

 

 スマホを弄る宮村(みやむら)に冷静に突っ込みを入れて、俺はすっかり冷えてしまった遅い夕食を食べ始めた。そして、結局宮村(みやむら)は家に泊まり、帰ったのは手術当日の朝だった。

 眠そうな宮村(みやむら)を見送り、朝食を済ませて身仕度を整える。玄関で靴を履きドアノブに手をかけると同時に、メッセージが二通届いた。スマホを見る。送信者は白石(しらいし)小田切(おだぎり)の二人。内容は、二件とも手術の無事を祈るメッセージだった。

 二人に返信をしてから部屋を出た俺は、ひとつ大きく深呼吸をして手術予定の病院へ向かった。



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Episode20 ~アウェイ~

 梅雨が明け、肌を焼く強烈な日差しが燦々と青空から地上へと降り注ぎ、湿度も高い都会の蒸し暑さ。高層ビルの遥か遠くの空高く広がる積乱雲、公園や街路樹の僅かな緑の中で、短い命を燃やしながら奏でる蝉時雨が本格的な夏の始まりを告げる。

 そんな真夏の八月初旬、四度目の右膝の手術は無事終わり、日帰り手術で退院。退院から三日、現在自宅療養中なのだが、家に居ても暇なため気分転換を兼ねて、近所の図書館に足を運んだ。

 朱雀高校の次に緑の多い図書館の敷地内の歩道を通って低い階段を数段上り、両開きの自動ドアを潜る。途端に夏とは思えない冷たい空気に身体が包まれた。寒いくらいの人工的な冷気は、一瞬で額の汗を乾かす。筆記用具と一緒に持ってきた薄手の長袖上着を羽織り、館内に完備されている自習室の空いている席に腰を落ち着け、課題を開く。夏休みの課題と向き合ってしばらく、切りのいいところでペンを置く、軽くのびをして掛け時計を見ると、勉強を始めてからちょうど二時間が経過していた。

 

「やっと止まったわね」

「え?」

 

 すぐ隣で、女子の声が聞こえた、聞き覚えのある声。顔を動かして隣を見る。やや呆れた表情(かお)伊藤(いとう)と、どこか可笑しそうに微笑んでいる白石(しらいし)がいた。

 ちょうど昼時だったこともあり、二人と一緒に近くのファミレスに場所を移す。店内は夏休みということもあってか、俺たちと同じ学生が大半をしめていた。知り合いも何人か居て、綺麗な小麦色に日焼けした肌からみんな、充実した夏休みを過ごしていることが容易に想像できる。

 

「うららちゃんの言った通りね。アンタ、アタシらにぜんぜん気づかないんだもんっ」

「ごめんごめん」

「ふふっ、一年生の頃から変わらないわ。集中してる時の宮内(みやうち)くん」

「そういえばアンタ、さっき普通に歩いてたけど、手術したのよね?」

 

 氷たっぷりの透明なグラスいっぱいに注がれたオレンジジュースのストローをくわえる伊藤(いとう)は首をかしげて、松葉杖なしに手術前と変わらず歩いていたことを不思議そうに見ている。

 

「したよ。みんなが、旧校舎の火事を阻止した日にね」

 

 今回の手術は、遊離した骨を除去するクリーニング手術。スポーツで使われる「ネズミ」を取る手術。開いた膝の傷痕は一センチに満たない小さなもの、骨や靭帯でもなく血が巡る場所のため、回復も比較的早く、手術箇所も小さいため松葉杖の必要ない。

 膝の手術をした八月一日の夜、猿島(さるしま)の予知能力で旧校舎の火事を知った超常現象研究部は、火事の原因と思われる旧校舎で天ぷらを揚げる事が趣味の男子生徒――椿(つばき) 剣太郎(けんたろう)と、火事が起こる予定の時間に山田(やまだ)が入れ替わり、火事を未然に防ぐ事に成功したと、宮村(みやむら)から連絡を受けた。

 

「でも、ホント良かったわ。うららちゃんが放火犯にされなくて」

白石(しらいし)さんが?」

「そうなの。猿島(さるしま)さんとキスして変わっていく未来の中に、うららちゃんが放火犯にされちゃう未来があったのよ。山田(やまだ)椿(つばき)と入れ替わったから、その未来も変わったんだけどね。はい、これ」

 

 伊藤(いとう)は、小型のノートパソコンを立ち上げて超研部の部員らしき人物たちが描かれた漫画風のイラストを見せてくれた。

 

大塚(おおつか)さんが、山田(やまだ)猿島(さるしま)さんが見た未来を分かりやすくイラストにしてくれたものよ。あの子、漫画研究部だから」

「へぇ~、この女子が白石(しらいし)さんだよね?」

「ええ、そうよ。美化され過ぎだけど......」

「そんなことないわよっ」

 

 画像をスライドさせる。前半はギャグテイストと下ネタ系のイラストが大半を締め、後半に行くにつれて例の火事に関するイラストが増えていった。

 

「お、おう......な、なに? この一枚だけ創造センスが爆発してるイラストは」

「ああ、それね。最初に見た火災現場を、山田(やまだ)本人が書いたヤツよ。酷いったらないわよねぇ」

山田(やまだ)画伯の作品か。まあ、火災現場と見えなくもないけど」

 

 山田(やまだ)猿島(さるしま)と思われる二人の人物が、旧校舎らしき縦型の長方形の物体が燃えている横に立っているイラストは、大塚(おおつか)のイラストを見た後だとよりインパクトを感じる。

 けどそれ以上に、山田(やまだ)が描いたイラストを見て気になる点があった。パソコンを操作して、大塚(おおつか)が書いたイラストと照らし合わせて見る。

 

「20時2分37秒......? うーん......」

 

 確か、宮村(みやむら)の報告によると三人が旧校舎に入ったのは、火災発生予知時刻の20分ほど前。空き教室に立て籠った椿(つばき)を説得して、山田(やまだ)と入れ替わるまで未来は変わらなかった。イラストの時間まで、10分そこそこ。旧校舎は本校舎に比べると木材を多く使っている分、防火対策は万全。正式に解体が決まっているとはいっても、解体工事が始まるまでスプリンクラー、消火器、消火栓も生きているはず。灯油や、ガソリンみたいな可燃性の高い液体燃料でも使わない限り、短時間で校舎全体に火が回るとは考えづらい。

 何より、猿島(さるしま)が見た未来で火事ではなく、放火犯として疑われたこと。つまり、火事は事故ではなく、放火と断定されるだけの証拠が挙がった。

 火をつけた人間は、別に居る。

 それが事件前日の夜、俺と宮村(みやむら)が導き出した答え。実際火をつけなかったのは、三人が校舎に入っていく姿を見て、しばらく時間を経っても校舎から出てこなかったから思い止まった。もしくは、放火を警戒していた宮村(みやむら)が周囲を見回っていたからあたりだろうか。後日実行に移さなかったのは、衝動的な犯行......。 

 

宮内(みやうち)くん、どうしたの?」

「ああ、うん、ちょっと考えごとしてた。あ、ごめん、メッセージ」

 

 真相はどうあれ未然に防げたからいい、考えたところで推察の域を出ないと頭を切り替えて、ポケットから取り出したスマホを開く。送信者は、宮村(みやむら)だった。

 

「おつかれ~。お前、歩けるんだよな? 明日の夜みんな誘って、近所の花火大会いかねぇか? だってさ」

「行くー! うららちゃんもいいよね?」

「ええ、明日は塾もないから大丈夫よ」

「やったー!」

「じゃあ、宮村(みやむら)に伝えておくよ」

 

 白石(しらいし)伊藤(いとう)も行けることを宮村(みやむら)に伝える。するとすぐに「さっすが! んじゃ明日な。男連中には声かけとくから」と返信が来た。

 

「あ、アタシにも宮村(みやむら)から来た。魔女に声かけといてだって、もう仕方ないなわね~」

 

 そういいながらも、とても嬉しそうにスマホを操作している。

 

「花火大会、楽しそうね」

「そうだね」

「よーし、送信完了。うららちゃん、浴衣ある?」

 

 白石(しらいし)は、首を横に振った。

 

「じゃあ、ご飯食べたら一緒に買いに行こっ」

「ええ」

 

 昼食の残りを片付け、会計を済ませて店の外に出る。

 

「じゃあ、また明日の夜に」

「何言ってるのよ、アンタも来るのよ!」

 

 図書館へ戻って、残りの課題を片付けてしまおうと思った矢先「女子だけだと無難なの選んじゃうから、男子の意見を聞きたいのよ」と言われ、結局押しきられる形で、二人の買い物に付き合わせされることに。ファミレスからほど近い、近所のショッピングモールへ。ここには、彼女たちのお目当ての浴衣はもちろんのこと、小田切(おだぎり)とデートした時に立ち寄った雑貨屋、カフェなど多くのショップが展開されている。

 

「この花柄デザインの浴衣、うららちゃんに似合いそう」

「そうかしら? 伊藤(いとう)さんの方が似合うと思うけど」

「そっかなぁ? あ、そうだ! じゃあお互いに選びっこしよっ」

「面白そうね」

 

 二人は別々に、ハンガーで陳列されている浴衣を手に取りながら品定めを始める。どちらに着いていけばいいのか迷っている間に必然的に放置状態、女性物の浴衣が並ぶ店内に取り残されてしまった。どうやら、ここに居る存在意義はなくなったらしい。

 しかし、水着の時はまだ小田切(おだぎり)が居たからマシだったけど、今回は完全にアウェイ。周りには女性客しかいないし、しかも同世代の女子が多い。逃げ出すように居心地の悪いショップを脱出、店先のベンチで二人の買い物が終わるのを待つことにした。

 その前に、同じモール内のカフェで食後のアイスコーヒーを買いに行く。すると、カフェのテラス席でノートを広げ、季節のフルーツをふんだんに使ったデザートドリンクを飲んでいる、小田切(おだぎり)が居た。

 

小田切(おだぎり)さん」

「あら。宮内(みやうち)くんじゃない」

 

 顔を上げた小田切(おだぎり)は、俺に近い丸テーブルの椅子の上に置いてあるバッグを反対側の椅子に移動させた。お邪魔してもいい、ということだろう。彼女の行為に甘えて、小田切(おだぎり)の右隣の椅子を引いて失礼する。

 

「夏休みの課題?」

「そうよ。家だと、弟がお友達と遊んでるから。あなたは?」

「俺も同じ。近所の図書館で課題を片付けてたんだ」

「あら。だらけてないでちゃんとやってるのね」

「まあね。あ、そこ小数点の位置ずれてるよ」

「え? ホントだわ......」

 

 どことなく悔しそうな表情(かお)をして、指摘された問題の答えを修正した彼女はペンを置き、両腕を大きく上げてのびをした。

 

「う~んっ。そろそろ休憩にしようかしら?」

「おつかれさま。何か買ってこようか?」

「いいわ、まだ残ってるから」

 

 ノートの横にあるドリンクを持ち上げて見せる。自分の分のアイスコーヒーを購入してから席に戻り、お互いどんな夏休みを過ごしているのか他愛ない世間話。

 

「前に言ってた家族旅行は、来週末なんだ」

「ええ、お盆休みを利用して行くのよ」

「そうなんだ、楽しんでね」

「ありがと。お土産は覚えてたら買ってきてあげるわ」

「ははは、期待しないで待ってるよ。じゃあ、そろそろ行かないと」

「用事?」

「うん。ツレが......って、噂をしたらってヤツだ」

 

 汗をかいたアイスコーヒーの容器を持って席を立ったところで、白石(しらいし)伊藤(いとう)が、目の前のショップから出てきた。店先へ出て、二人に呼び掛けるとすぐにやって来た。

 

「アンタ、どこ行ってたのよ! って、小田切(おだぎり)さん?」

「あなたのツレって、伊藤(いとう)さんたちだったのね」

「図書館で偶然会ったんだよ」

「ふーん、そう」

「ちょうどよかったわ。小田切(おだぎり)さん、明日の花火大会どうする?」

「花火大会? 何よ、それ?」

 

 小首をかしげた小田切(おだぎり)に、伊藤(いとう)が先ほど誘いのメッセージを送ったことを伝えると、彼女はバッグからスマホを取り出して画面をチェック。

 

「あら、ほんと。気がつかなかったわ」

「それで、どうするの?」

「そうねぇ~。まっ、時間作ってあげてもいいわよ」

「はい、決まりっ! じゃあ、寧々(ねね)ちゃんも一緒に浴衣選びましょっ」

「えっ、ちょ、ちょっと待ちなさいよっ! バッグが......!」

寧々(ねね)ちゃんの荷物持ってきてーっ!」

「はいはい、仰せのままに」

「ふふっ、伊藤(いとう)さん嬉しそう」

 

小田切(おだぎり)さん」から「寧々(ねね)ちゃん」へと一瞬で呼び方を変えた伊藤(いとう)の言葉に頷いてドリンクの空き容器を片付け、テーブルに放置された課題とバッグは白石(しらいし)が持ってくれた。

 ショップへ戻り、今度は四人で浴衣を選ぶ。品定めを始めてから二時間ほどで買い物は終了、三人とも新しい浴衣を新調した。だけど、それぞれ幾つかの候補は見たけど最終的にどの浴衣にしたのかは、教えてはくれなかった。伊藤(いとう)いわく「明日を楽しみにしていなさいっ」ということ。小田切(おだぎり)を最寄り駅へ送り、伊藤(いとう)とは途中の交差点で別れて、同じ帰り道を白石(しらいし)と並んで歩く。

 

「私、友だちと花火大会へ行くの始めてなの。だから、今からスゴい楽しみ」

「そっか。きっと......絶対楽しいと思うよ」

「うん。それでね、浴衣を着るのも子どもの時以来だから。明日、(みやび)ちゃんのお母さんに――」

 

 伊藤(いとう)のことをいつの間にか下の名前で呼び、楽しそうに饒舌で話す白石(しらいし)の話に相づちを打ちながら歩いていると、すぐに彼女の家の前に到着。

 

「じゃあ、また明日」

「うん、また明日」

 

 新しい浴衣が入った紙袋を抱いて玄関へ向かう白石(しらいし)の笑顔は、とても印象的だった。



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Episode21 ~ひと筋の汗~

 花火大会当日、午後6時過ぎ。

 天候にも恵まれ、空には雲一つない青空が広がっている。時刻でいえば夕刻にも関わらず、このまま沈まないのではないかと思うほど、真夏の太陽はいつまで高い位置に留まり。今なお、焦がすような熱い日差しを燦々と地上へ降り注ぎ続けている。

 そんな夏空の下、宮村(みやむら)と、火災未遂事件後超常現象研究部に新しく入部した椿(つばき)と共に、山田(やまだ)の家を訪ねていた。宮村(みやむら)が玄関横の呼び鈴を鳴らす。すぐに、小学生くらいのおさげ髪の妹さんが、とても丁寧な応対してくれた。

 

「お二人も、お兄ちゃんのお友だちですかっ。妹の巽美(たつみ)です、兄がいつもお世話になっていますっ!」

巽美(たつみ)ちゃん、山田(やまだ)居るか?」

「いるよー。呼んできますから、ちょっと待っててくださいっ」

 

 妹さんは面識のある宮村(みやむら)には砕けた態度で接し、初対面の俺と椿(つばき)に対しては礼儀正しく、と良くできた妹さん。パタパタと早足で、奥の部屋へ消えていく。すると「お兄ちゃんお兄ちゃんっ、イケメンきたーっ! みやむーも入れて三人もきたーっ!」 と、ハイテンションな声が聞こえて。彼女の声から程なくして姿を現した山田(やまだ)は、黒いティーシャツに膝下丈の短パンと、非常にラフな格好をしている。まあ、俺と宮村(みやむら)も同じような服装だけど、椿(つばき)だけはグレー系の浴衣を着て、気合い十分といった感じで決めている。

 

「夜なのにアチィ~なぁ、やっぱ行くの止めようぜ。人混みダリィーしよ」

「強がるなって。んなこと言って、ホントは楽しみなんだろ~?」

「バッ......! ち、ちげぇーし!」

 

 うちわを扇ぎながら愚痴を漏らした山田(やまだ)の肩を抱いた宮村(みやむら)が何やら耳打ちすると、突然山田(やまだ)は慌てふためいて、一人で先に行ってしまった。

 

「相変わらず分かりやすいヤツだなぁ。お、五十嵐(いがらし)からだ」

 

 意地悪く笑っていた宮村(みやむら)は、ポケットからスマホを出して、メッセージ画面を開く。

 

「家の用事で遅れるそうだ。先に行ってていいってよ」

「そっか。じゃあ行こう」

 

 五十嵐(いがらし)との待ち合わせ場所を素通りして、花火大会が行われる河川敷へ向かう。

 

「なぁ、みやむー。今日来る女子はみんな、浴衣なんだよな?」

「おうよ。今日に合わせて新調したって、伊藤(いとう)さんが自慢げにメッセージ送ってきたからな」

「ってことは、白石(しらいし)さんも浴衣なんだよな? 楽しみだぜ~!」

 

 椿(つばき)が口にくわえている爪楊枝が、彼のテンションと同調するようにピコピコと上下に揺れ動いている。今のでの分かるように、椿(つばき)白石(しらいし)にホレているのだが。宮村(みやむら)の話によると、彼女には相手にされていないそうだ。因みに料理が趣味だそうで、爪楊枝はいつでも油の温度を計れるようにと標準装備。

 会場の河川敷に近づくにつれて、人数が多くなってきた。橋の欄干に寄りかかっている山田(やまだ)と合流してから橋を渡り切り、打ち上げ場所の反対側、多種多様の露店のが建ち並ぶ通りの入り口で、女性陣の到着を待つ。

 

「お待たせー」

 

 待つこと数分、女子の声に顔を向ける。

 制服マジックというやつだろうか。いや、制服じゃないから正確には違うけど。まあ、細かいことは隅に置いて。とにかく、普段目にしている学校の制服とも、私服ともまったく違う雰囲気の見目麗しい五人の少女たちの浴衣姿に、俺たち男連中は計らずも揃えて声をあげた。

 

「どう? 似合うっしょ?」

 

 伊藤(いとう)はこれ見よがしに浴衣の袖を持って、軽く腕を上げて浴衣姿を見せつける。元々おとなしい大塚(おおつか)は、少し気恥ずかしそうに控えめに。白石(しらいし)小田切(おだぎり)は、普段とあまり変わらずといった感じだ。

 そして、もうひとりの女子。話では聞いていたけど、彼女とは初対面。ナチュラルウェーブのポニーテールの猿島(さるしま)は、持ち前のスタイルの良さで回りの男性客の視線を独り占めにしている。

 身長は、山田(やまだ)と同じくらいかな? と思っていると不意に袖を引っ張られた。顔を向ける。袖を引っ張った犯人は、小田切(おだぎり)だった。

 

「ねぇ、(うしお)くんは?」

「家の用事があるみたいで後から来るって」

「あら、そう。ところで、何か言うことがあるんじゃなくて?」

 

 自分の浴衣姿を褒め称えろと言わんばかりに小田切(おだぎり)はくるりと、その場で一回転、青白い生地に淡い紫色の花柄の浴衣の裾がほんの少しだけふわりと浮いてから、遅れて元に戻る。

 

「すげー似合ってる可愛いぜ、小田切(おだぎり)さん......!」

「ふふーん、まあ当然ね。って、アンタに言われてもまったく嬉しくないわ!」

 

 やたらと恥ずかしいセリフを軽々と言ってのけた宮村(みやむら)に、小田切(おだぎり)は眉間に皺を寄せた。

 

「何でだよ。本心だぜ?」

「どうかしらね? 普段のアナタの振るまいをみてるから信用できないわ」

「ヒデェーなぁ、とんだ偏見だ。んじゃあ、宮内(みやうち)の誉め言葉なら信用できるってか?」

「そうね。少なくとも、アナタの軽いノリの言葉よりは信用できるわ」

「だそうだぜ?」

 

 宮村(みやむら)はぽんっ! と俺の肩に手を置いた。言ってやれと言うことなのだろうけど、この空気の中では余計に言いづらい。何て錆びたパイプだ。ここは素直に褒めておいた方が良さそうな気がするが、無難な言い回しは宮村(みやむら)が先に言ってしまった。

 ――さて、どうするかな? と小田切(おだぎり)の浴衣姿を見ていると、普段のショートボブをアップにするのに使っている髪止めが、見覚えがある物だと気がついた。

 

「その髪止め、似合ってるね」

「あら、ありがとう。わかってるわね」

 

 左頬にかかる髪をそっと触りながら、嬉し混じりの満足げな表情(かお)を見せてくれた。思った通り、デートの時に買った髪止めだった。

 

「さて、社交辞令も終わったし、屋台見て回ろうぜ」

「社交辞令ですって? やっぱりからかってたのねっ!」

 

 ニヤニヤと俺たちのやり取りを見ていた宮村(みやむら)は、声をあらげる小田切(おだぎり)をテキトーにあしらいつつ、みんなに声を掛けて屋台が建ち並ぶ通りの中へ入って行った。焼きそば、フランクフルト、綿菓子、チョコバナナ、りんご飴、と定番の屋台(モノ)から。タンドリーチキンやら、ケバブなんて変わり種まで多種多様の屋台があり、多くの花火の見物客で賑わっている。各々好きに見て回り、花火打ち上げ開始時間が迫ってきた頃、用事で遅れていた五十嵐(いがらし)が合流。

 すると宮村(みやむら)は、おもむろに割り箸を取り出した。

 

「よし、全員揃ったことだし。ここいらで余興といくか」

 

 先端を隠して両手に五本づつ分けて持ち、余興の趣旨の説明を始めた。

 

「この割り箸の先には、それぞれ1から5までの数字がふってある。で。同じ数字の割り箸を引いたペアで、しばらく二人で見て回るってワケさ」

 

 つまりは、浴衣姿の女子と二人きりで花火見物をするための下心満載の下世話な企画。だが、面白そう、と意外にも女子も乗り気。宮村(みやむら)の思惑通りにことは進んでいく。女性陣が先に引き、続けて男子が引く。テンションが高い椿(つばき)がいの一番に引き、続いて五十嵐(いがらし)山田(やまだ)と順番にくじ代わりの割り箸を引いていく。残りの二本から、俺が選ぶのだが......。

 

「右引け」

 

 自分の番号を確認しているみんなには聞こえない様に宮村(みやむら)は、小声で言ってウインクした。とりあえず言われた通り、右の割り箸を引く。これで全員が引き終わり組み合わせが決まった。集合時間を決めて、ペアで行動開始。

 

「俺たちも行こっか」

「ええ。あ、ワタシ喉乾いちゃったんだけど」

「じゃあ、スムージーの屋台に行こうか。向こうで見かけた」

「うんっ」

 

 俺は、猿島(さるしま)とペアを組むことになった。入り口付近のスムージーを売っている屋台まで話をしながら、猿島(さるしま)の歩幅に合わせてゆっくり歩く。花火の打ち上げ始まったためか幾分人も少なくなっていて歩きやすい。目当ての屋台でスムージーを二つ買い、見物客の少ない土手に座って、ようやく夜を思い出して暗くなった空に目を向ける。

 

「たまや~っ、あっはっは!」

 

 雲ひとつない夜空にきらびやかな大輪の花が咲く度に、猿島(さるしま)はハイテンションで手を叩きながら楽しそうに笑っている。しばらくして打ち上げは一時的に止み、中休みに入った。

 

「あっははっ! 花火って、キレイだよね。ホント来てよかったわ」

「ん?」

 

 隣を見ると猿島(さるしま)は、膝を両腕で抱えた体育座りで微笑んでいた。

 

「ふふっ、宮内(みやうち)も、ワタシの能力知ってるんだよね?」

「予知能力だよね」

「そ。旧校舎の解体作業を(みやび)ちゃんと見たあと、事故チューしちゃったんだ。それで、また未来を見たの。浴衣を着たワタシが、キミと二人でこうして話してる所をね。あ、居たわ」

 

 彼女が手を振った先で、食べ物を大量に持った伊藤(いとう)椿(つばき)が、こちらに向かって手を振っていた。

 

「おーい、二人ともー、そろそろ時間よー!」

「はーいっ!」

 

 時計を見る。確かに待ち合わせの時間まであと少し。先に立って、着なれない浴衣で立ちにづらそうな猿島(さるしま)に手を差し出す。

 

「ありがとっ。あ、そうだ、すっかり聞くの忘れてたわ」

「なに?」

 

 手を取って立ち上がった猿島(さるしま)は、着物の埃を払いながら聞いてくる。

 

「ワタシのクラスで話題になってたんだけど。体育祭の決勝戦出てなかったのは、どうして?」

「ああ、ちょっと怪我してて時間制限があったんだ」

「へぇ~、そうだったんだ。もう平気なの?」

「うーん、今後の経過次第だね」

「そうなんぁ。ねぇ、キスしよっか?」

「......はい?」

 

 唐突な提案に思わず、すっとんきょうな声を上げてしまった。何を言ってるんだ、この子は? 突然のことで思考がうまく回らない。

 

「ほら。キスしたら、キミのケガがいつ治るか分かるかもじゃん」

「じゃん。って、そんな軽いノリで......」

「だって、キスなんて挨拶みたいなモノだし。ほら、ワタシ帰国子女だから」

 

 ――ここ、日本ですから。過激なスキンシップはしません。

 説得力が有るのか無いのかよくわからないけど......。それに、そんな都合良く、ピンポイントで知りたい未来を視えるモノなのだろうか? と、想いながら地面目を落として考えていると、不意に良い香りがして、とても柔いモノが口に触れた。完全な不意打ちで、彼女にキスされた。猿島(さるしま)の顔が離れて行く、そのまま一点を見つめ、しばらく固まっていた猿島(さるしま)の目に光が戻る。

 

 そして「....視えたわ!」と、猿島(さるしま)は俺を見て言った。

 

 最後の花火が打ち上がり、花火大会は滞りなく終了を告げた。帰宅をする大勢の人波の中を、みんなで歩いていると宮村(みやむら)が隣に来た。

 

「ちゃんとキス出来たか?」

「やっぱり、お前が仕組んだんだな」

「まーな」

 

 悪びれる様子は微塵も見せずに笑う。

 

「で、どうだったんだよ?」

「視えたらしい。みんなで、スタジアムのスタンドから朱雀高校サッカー部を応援してる姿が」

「おおー、やったじゃん! じゃあ来年のどっちかには間に合うんだな」

「たぶん、な」

「どうした? 何か浮かない表情(かお)してるな」

 

 先を歩くみんなの後ろ姿を眺める。

 

「後で話すよ」

「ふむ、ワケありだな。山田(やまだ)ー!」

「止めろ! 暑苦しい!」

「なんだよ、ツレねぇな~。おーい、置いてくぞー」

 

 一足早くみんな輪の中へ戻っていった宮村(みやむら)が、俺を呼ぶ。輪の中へ入り、二学期になったらすぐに準備が始まる文化祭の話をしながら賑やかに帰り道を歩いた。

 

「じゃあ、聞かせてくれ。猿島(さるしま)さんが視た未来で、お前が感じた懸念をよ」

 

 自宅に着き、テーブルを挟んで宮村(みやむら)と対峙。

 一呼吸置いてから話し出す。猿島(さるしま)が視た未来を。

 

「応援スタンドに居なかったんだってさ」

 

 猿島(さるしま)が視た未来には、宮村(みやむら)も、伊藤(いとう)も、五十嵐(いがらし)も一緒に応援してくれていた。だけど、白石(しらいし)小田切(おだぎり)、そして、山田(やまだ)を加えた三人は、スタンドの何処にも居なかったんだ。

 

 

           * * *

 

 

 右膝の抜糸が済み、バイトへ復帰した八月の半ばのある日の夜、一人の女性が自宅アパートを訪ねて来た。

 

小田切(おだぎり)さん?」

「あなたに聞きたいことがあるの。教えて......あなたは、何を知っているの......?」

 

 一枚の写真を差し出し、とても真剣な表情(かお)で言った小田切(おだぎり)の額からすっと、ひと筋の汗が流れ落ちた。



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Episode22 ~心強い言葉~

小田切(おだぎり)視点になります。


 お盆休みを利用した二泊三日の家族旅行。滞在先は、沖縄。

 オーシャンフロントのリゾートホテルの部屋から見える真っ白な砂浜と、どこまで澄み渡る蒼い空と海。カラッとした爽やかで気持ちの良い暑さは、じめじめした湿気が肌にまとわりつくような東京の夏と違って、とても過ごしやすい。

 海、観光、ショッピングと充実した時間を過ごして、帰宅日の昼過ぎ。私は、二人居る弟の下の弟にせがまれて、ホテルと空港のちょうど中間地点に位置する動物園を訪れていた。園内の動物たちは暑さのせいか殆ど動かない、夏バテのみたい。

 弟は、日陰で伏せているライオンの檻の前のベンチに座って、スケッチブックを開いた。どうせなら、水族館にしておけば涼しいのにと思いつつ「他の子じゃなくていいの?」と、聞くと「描きやすいから」と、弟は答えた。スケッチするには動かない方が都合がいいみたい。初日に行った水族館で描かなかった理由が判明した。

 隣に座って、スケッチしている弟も一緒に日陰に入る様に日傘をさして、開いている右手でスマホを操作しながら、弟の夏休みの宿題が終わるのを待った。一時間弱でスケッチを終えると今度は、友だちにお土産を見たいという弟を連れて、園内の土産屋に入った。冷房の効いた涼しい店内を見て回っていると、ふと目に留まった、この動物園には居ない人気動物の縫いぐるみを手に取る。

 ――どうして、パンダの縫いぐるみがあるのかしら? と思っていると。まったく身に覚えのことを、弟が聞いてきた。

 

「お姉ちゃんの友だちって、パンダ好きなの? 去年もパンダの縫いぐるみお土産に買ってきてたけど」

「それ、いつの話よ......?」

 

 突然のことに戸惑いを感じながらそう返すと、弟はとても不思議そうに首を傾げた。

 

 

           * * *

 

 

 帰りの飛行機の中、心がずっとざわざわと落ち着きなく騒いでいた。理由はわかっている、動物園で弟から聞いた話――。

 

「ほら、去年の秋だよ。友だちが用事で来られなかったからって」

 

 弟の言ったことは、記憶にない内容の話し。買い物を済ませた私たちは動物園発のバスで、家族と待ち合わせをした空港へ向かった。先に空港に着いて、ロビーで待っていた母にそれとなく尋ねる。

 

寧々(ねね)が友だちと遊びに行くって言った時ね。確か、二学期の中間テストの後くらいじゃなかったかしら? それが、どうかしたの」

 

 弟と同じように、不思議そうな表情(かお)の母。

 

「久しぶりだったから、いつだったかなって思っただけよ」と、私はそれらしいことを言ってごまかした。母と弟の話には整合性が取れている。だけど、当事者の私の記憶にないというのは、どういうことなのだろうか。 

 そんな疑問が、私の心を支配していた。

 沖縄の空港から飛び立った飛行機は、特にトラブルもなく定刻通りに無事に東京へ到着。空港の近くのレストランで夕食を食べて、電車を乗り継いで、久しぶりに帰宅。荷物を部屋のテーブルに置いて、替わりに着替えを用意してシャワーで汗を流す。濡れた髪をドライヤーで乾かし、ベッドに倒れ込んだ。

 ――今日は疲れたわ。このまま眠ってしまおうかしら?

 お気に入りの抱き枕を抱きながら寝返りを打つ。ふと、足の先の棚が目に入った。両手を付いて、ベッドの上で体を起こす。

 

「そうよ、そうだわ! 去年のことなら手帳に何か書いてあるかも......!」

 

 ベッドを降りて、棚にしまってある一年の時に使っていた教科書などをしまってある収納ボックスの中から、当時使っていた手帳を探す。

 

「あったわ。えっと、二学期の中間だから去年の秋頃よね......」

 

 手帳のカレンダーのページを開いて、母から聞いた中間テストの終わり頃のスケジュールを確認する。

 

「そ、そんな。何よ、これ......?」

 

 自分の目を疑った。中間テスト終わりの週末の日曜日の欄に「みんなと遊びに行く!」と、赤いペンで書き記されていた。

 その文字を呆然と見つめていると指先に尖った何かが触れた。確認してみると、裏表紙と最後のページの間に何かが挟まっていた。手帳の裏表紙を開いて取り出す。手に触れた物の正体は、光沢のある印刷紙――写真だった。

 それも、私と(うしお)くん、そして山田(やまだ)の三人が仲良さそうに写っている写真。

 私は考えるよりも前に上着を羽織って、部屋を飛び出していた。階段を降りて、玄関でミュールを履く。玄関を出ようとしたところで、母から声をかけられた。

 

寧々(ねね)、どこに行くの?」

「友だちに、お土産を渡してくるわ!」

「こんな時間に? ちょっと」

「すぐに戻るわ!」

 

 家を飛び出した私は電車に揺られながら、あの時の宮内(みやうち)くんの言葉を思い返していた。

 

五十嵐(いがらし)山田(やまだ)って、いつから仲悪くなったの?」

 

 デートの時も――。

 

「去年のこと、どれだけ覚えてる......?」

 

 クラブハウスでの夜も――。

 彼は、(うしお)くんと山田(やまだ)の関係を知っていた。だから、二人の今の関係を気にかけて、あんなことを聞いてきたと思えば納得がいく。

 何より、もしかすると当時の私のことも、知っているのかもしれない。それが頭を過った瞬間、いてもたってもいられなくなって、気がついた時には家を飛び出していた。

 電車でひと駅の朱雀高校の最寄り駅で電車を降りて、まだ人も多い改札を潜り抜ける。けれど、駅を出たところで、今になって、とても重大なことに気づいていしまった。

 ――まずったわ......。

 そう、私は、彼の家を知らない。ひとまず電話をしたみたけど繋がらない。バイト先のフットサルコートへ行ってみたけれど、宮内(みやうち)くんらしき人の姿は見当たらなかった。

 

「ハァ......」

 

 大きなため息が出る。

 正直、アイツには頼りたくないけど、仕方ない。電話帳を開いて、タップ。数回のコールで繋がった。

 

『あいよ~』

宮村(みやむら)? 私よ」

『おお。その声は、小田切(おだぎり)さんか。珍しいな、てか初めてじゃね?』

 

 確かに、生徒会の連絡事項以外の件で電話することは初めてねって、今はそれどころじゃないわ。

 

「あなた、宮内(みやうち)くんのお家分かるかしら?」

『......夜這いか?』

 

 わざとためて声を潜めて言った宮村(みやむら)に対して、反射的に大声を上げてしまった。

 

「ひっぱたくわよ!」

 

 大勢のひとたちが行き交う駅前の大声を上げてしまったことで、何事かと周囲の注目を集めてしまった。歩きながら場所を移す間も、電話口からいつも通りの軽口が聞こえてくる。

 

『はっはっは、冗談だってー』

 

 まったく、この男は......人の気も知らないで。もう一度、宮内(みやうち)くんに電話してみようかしら。タイミングが合わなかっただけで、今度は繋がるかもれないし。

 

「口で説明するの面倒だから住所送るわ。こっちから連絡入れとく」

 

 と言った途端通話が途絶え。そして代わりに、メッセージが送られて来た。送信者は、宮村(みやむら)。メッセージの本文には、宮内(みやうち)くんの住所とアパートの名前が書かれていてた。「ありがと。助かったわ」とお礼の返事を返すと「ガンバレよ......!」と、ひと言添えられた返事がきた。

 

「何をよ......?」

 

 思わず心の中の言葉が漏れた。沖縄でも使ったスマホのナビゲーションアプリに住所を入力して、ナビの指示に従って宮内(みやうち)くんのお家へ向か途中でナビゲーションを一度止めて、偶然見つけたコンビニに立ち寄り、再び歩みを進める。

 そしてほどなくして、宮内(みやうち)くんが一人暮らしを送っているアパートに到着。宮村(みやむら)のメッセージに書かれていた番号の部屋は電気が灯っていた。どうやら留守ではないみたい。

 部屋の玄関のドアの前で、コンビニで買った汗拭きシートで身体を拭き、上着のポケットに入っていた香水を手首と首筋に吹き掛けて身だしなみを整えた。けど、私は呼び鈴を押すのに躊躇している。

 ――夜も遅いこんな時間に、突然家を訪ねるなんて......どう思われるかしら?

 

 それでも、私は......あの写真のことを知りたい。

 その想いが、私の背中を押した。

 

 緊張しながら呼び鈴を鳴らす。「はい」と、短い返事が聞こえ、カギが開く音の後ドアが開いた。

 

「あれ? 小田切(おだぎり)さん?」

「こ、こんばんは......」

 

 ――もう、宮村(みやむら)のせいだわ、あいつが変なこと言うものだから。私、変に意識しちゃってる。挨拶はしたけど、声は上ずってるし、顔もまともに見れない。

 

「どうしたの? こんな時間に。何か急ぎの用事?」

「え、ええ、ちょっと聞きたいことがあって。電話したんだけど」

「ゴメン、シャワー浴びてた」

「いいの、気にしないで」

「とりあえず、どうぞ」

 

 宮内(みやうち)くんは玄関に上げてくれて、私が落ち着くのを待ってから話を聞いてくれた。

 

「あなたに聞きたいことがあるの......!」

 

 大きく深呼吸をして、あの写真を宮内(みやうち)くんに渡して尋ねる。

 

「教えて......あなたは、いったい何を知っているの?」

「俺が、小田切(おだぎり)さんたちについて知っていることは、前に話したことだけだよ」

「......そう」

 

 前に聞いたのは、私が写真に映る男子二人と、他数人の女子たちとよく行動していたのを、去年の秋頃に見かけたという話し。あの時は、当事者の誰も記憶になく、彼の見間違いだろうと結論付けた。でも、今は違う。母も、弟も、そして何よりこの写真がある。

 

「もう遅いし。駅まで送っていくよ」

 

 顔を伏せたままの私を気遣って、最寄り駅まで送ってくれた。

 

「送ってくれて、ありがとう」

「あのさ、小田切(おだぎり)さん、もしかしたらだけど――」

 

 ――そうよ......。私の記憶喪失が魔女の能力によるものなら戻るかも知れないじゃないっ。さっそく、みんなを集めなくっちゃ。

 家に帰った私は、ベッドに座ってメッセージを打った。

 帰り際に言ってくれた彼の言葉「もしかしたらだけど、もし魔女の能力が関係しているなら記憶を取り戻せるかも知れない。手伝えることがあったらいつでも言って」。

 あの言葉は、記憶を思い出せないことの不安を払拭してくれるには十分すぎる、とても心強い言葉だった。



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Episode23 ~選択~

 夏休みが残り一週間を切った、八月下旬。記憶について相談したいことがある、と小田切(おだぎり)から連絡を受け、近所の屋内プール施設を訪れた。スタンダートな25メートルプール、大型スライダー、流れるプール、飛び込み台と様々な施設がある中、大勢の客がはしゃいでいる波のプールの傍らのフードコートで、小田切(おだぎり)は例の写真をテーブルに置いた。

 

「んだよ、これ? 俺、こんな写真撮った覚えねぇぞ!」

「オレもだ。にわかには信じ難い」

「知らねぇウチに面白いことになってんな!」

「どうして、あなたが話に入っているのかしら? 白石(しらいし)さんたちと遊んでればいいじゃない」

 

 例の写真に映る当事者の山田(やまだ)五十嵐(いがらし)は、身に覚えのない写真を前にして戸惑いを隠せず。頭の後ろで手を組んだ宮村(みやむら)は、笑顔を見せた。

 

「まあ確かに、白石(しらいし)さんと伊藤(いとう)さんの水着姿は捨てがたい。けど、こっちの方が面白そうだからな。小田切(おだぎり)さんの悩殺水着姿も堪能出来るしよ!」

「......サイテーね」

「まあ、そんな冗談は置いておいて、と」

 

 腕で胸を隠して身体を背ける小田切(おだぎり)に軽蔑の視線を向けられようがお構いなしに、宮村(みやむら)は仕切り直して真面目なトーンで改めて、三人に写真について尋ねる。

 

「この写真に、心当たりは本当にないんだな?」

「ああ、ねぇよ、あるわけねぇ......!」

 

 山田(やまだ)の返事に同意した五十嵐(いがらし)も、険しい表情で頷いた。

 

「私もないわ。けど、じゃあこの写真はいったいなに? どうして、私の手帳に挟んであったの?」

 

 小田切(おだぎり)の疑問に対して、一緒に写真に写る山田(やまだ)たちは答えられないでいる。その二人の様子を見た宮村(みやむら)は、俺に視線を移して意見を求めた。

 

「お前は、どう思う?」

「......そうだね。ひとまず整理してみようか」

 

 この写真に触れる前に、山田(やまだ)五十嵐(いがらし)が仲違いしてしまった去年の暴力事件について、お互いの言い分を改めて照らし合わせることから始める。先ずは、長期間校内で孤立していた山田(やまだ)の言い分から聞く。

 

「私たちが、あなたを陥れたですってっ!?」

「そんな卑劣な行為(マネ)はしないッ!」

 

 小田切(おだぎり)は両手をテーブルに突いて勢い良く立ち上がり、五十嵐(いがらし)は怒りのまま右の拳を叩きつける。

 

「だ、だけどよ......」

 

 当事者の二人にものすごい剣幕で言い分を否定された山田(やまだ)は、たじろぎながらも主張を続ける。

 

「俺の記憶だと、不良に絡まれてた女を助けるために......」

「あの日の放課後確かに私は、他校の不良たちに絡まれたわ。でも、自分で追っ払ったし。そもそも、あなたを陥れて何の意味があるのよっ?」

「うむ」

「ああ~、そうだな。何のメリットもねぇな」

「た、確かに......」

 

 小田切(おだぎり)の言い分については、若干気押されながも山田(やまだ)も納得した。山田(やまだ)の記憶通りなら、情状酌量を認められる事案。二人は、結果的に孤立してしまった山田(やまだ)を気にかけていたと言っていた。わざわざ虚偽報告をする理由がない。

 それでも、当然のことながら互いの記憶に相違があるため、自分だけが停学処分を受けたことに関しては、山田(やまだ)は納得していない。

 

「そこで、謎を解くカギがコレ」

 

 テーブルの中央に置かれた写真を指す。

 

「この写真を見る限り、二人は和解してると思う」

「ええ、そう思えるわ」

「そのようだが、しかし......」

「この写真、マジでなんなんだ?」

 

 写真を拾い上げた山田(やまだ)は眉をひそめ、難しい表情(かお)で首をかしげる。

 

「記憶になくても、身に覚えはあるんじゃない」

「は? どういう意味だよ?」

 

 山田(やまだ)は顔を上げ、他の三人の視線も向く。

 

「三人が三人とも覚えていないなんてこと。あり得ないだろ? 否定出来ないほどの物証があるんだから。つまり――」

「魔女の仕業ね」

「――魔女ッ!?」

「なるほど、記憶の操作・消去する魔女か。それなら俺たちが、この写真の出来事を覚えていないのも、六月の暴行事件の見解に相違があることも頷ける......!」

記憶消去(デリート)、もしくは記憶操作(リライト)の魔女の仕業か。おもしれぇじゃねーか!」

 

 記憶喪失が魔女の能力の可能性があることを事前に話した、小田切(おだぎり)以外の三人の反応は三者三様。

 

「けどよ。魔女じゃない(うしお)は別として、俺と小田切(おだぎり)は、他の魔女の能力にはかからないんじゃないのか?」

「私が自分の能力に気づいたのは、去年の冬よ。この写真に映ってる樹木は落葉が始まったばかりだから、秋ね。だから、私たちが能力を得る前に、魔女の能力をかけられたと考えれば辻褄は合うわ」

「あっ! 俺も能力を知ったのは、二年になってからだ」

「......私は、記憶を取り戻したいわ」

 

 山田(やまだ)から受け取った写真を再びテーブルの中央に置き、真剣な表情(かお)でうつむき加減で呟いた小田切(おだぎり)は顔を上げて、山田(やまだ)五十嵐(いがらし)に問いかける。

 

「あなたたちは、どうする?」

 

 二人は無言のまま一瞬目を合わせると、すぐにそっぽを向いた。写真があるとはいえ、蓄積された確執があるにだから簡単には割り切れないだろう。

 

「まっ、今すぐに決めなくてもいいだろ。どうせ、新学期にならきゃ調べようもねーんだからよ」

「......それもそうね。ゆっくり考えて決めてちょうだい」

 

 話しは、ここでお開き。それぞれの気持ちの整理をつけるため、いったん解散。みんなテキトーに遊んだあと、人も疎らなスタンダードな25メートルプールをリハビリがてら歩いていると、小田切(おだぎり)に声を掛けられた。

 

「いいかしら?」

「ん? どうしたの」

 

 さっきまで、フードコートで伊藤(いとう)白石(しらいし)と女子だけで集まって話をしていた小田切(おだぎり)が、プール枠の排水路に座り膝から下だけ浸かって水中でゆっくり足を動かしている。プールから上がって、話しを聞きやすい距離感で座る。

 

「もし、(うしお)くんと山田(やまだ)が忘れたままでいいって言っても。新学期になったら、あの写真を撮った人を探してみるつもり」

「そっか」

「それでね、一緒に探すの手伝ってくれるかしら?」

 

 期待半分、不安半分そんな感じの聞き方。その不安を払拭出来れば思って、二つ返事で答える。

 

「手伝うよ」

「ありがと」

 

 彼女は、胸をなで下ろした。

 

「二人とも、少しいいかしら?」

「あら。白石(しらいし)さん」

「どうしたの?」

「私たち、帰ることになったの」

 

 白石(しらいし)の視線の先で、宮村(みやむら)たち超現象研究部の面々の中に五十嵐(いがらし)も加わって、何やら騒いでいた。

 

山田(やまだ)くん、まだ、夏休みの宿題が終わってないんだって」

「はあ? 夏休みって、あと四日よ?」

「ええ。それで今から、勉強合宿することになったの。二人は、どうする?」

 

 みんなに合わせる。俺も小田切(おだぎり)も、この後特に用事もなく空いていたため参加することにした。みんなの元へ行く前に足を止めて、先を歩いている白石(しらいし)小田切(おだぎり)を呼び止める。

 

「二人に話しておきたいことがあるんだ」

「なに?」

「なにかしら?」

 

 正直、伝えるか否か迷った。

 それでも今、伝えておかないと後悔する。

 何故か、そんな想いが頭を過った。

 

「俺、選手として復帰出来るみたいなんだ」

 

 一瞬、二人の動きが止まり。

 

「よかったわね!」

「もう、痛くないの?」

 

 小田切(おだぎり)は微笑んでくれて。白石(しらいし)は、やや心配そうに首をかしげる。首を横に二度振って、猿島(さるしま)が見た、二人が居ない未来を彼女たちに伝えた。

 

 

           * * *

 

 

 俺が一人暮らしということもあり、気兼ねなく過ごせると言う理不尽な理由で異議を唱える機会も与えてもらえず。結局(うち)で、山田(やまだ)の勉強合宿が開かれることになってしまった。

 

「だぁーッ! 集中できねぇーッ!」

 

 俺が普段使っている折り畳み式の机に向かって、夏休み宿題をしていた山田(やまだ)が、突然発狂して後ろを振り向いた。

 

「お前ら、少し静かにしろよ!」

 

 アルバムを見ている女子と、宮村(みやむら)が持参したカード麻雀で盛り上がっている俺たちに向かって苦言を呈した。

 

「なによ、宿題サボってたアンタが悪いんじゃない」

 

 伊藤(いとう)の無慈悲かつ正論で痛いところを突かれた山田(やまだ)は、自身に訪れた不遇を交えながら言い分を話す。

 

「仕方ねぇだろ? 魔女探しで散々な目にあうし、椿(つばき)が泣きついてくるしよー」

「おれのセイにするなよ~。おれ、ちゃんと終わらせてるぜ?」

「何だよ、ただの怠慢じゃねーか。ほい」

「言い訳にもならんな。チー」

「うぐっ......」

 

 一緒に麻雀を打ってる三人に論破された山田(やまだ)に救世主が現れた。手を差し伸べたのは、白石(しらいし)。彼女は山田(やまだ)の隣に座って、うしろで髪をまとめる。

 

「私が見てあげるから、一緒に頑張りましょ」

「お、おう......」

 

 若干戸惑いながらも、|山田(やまだ)は再び机に向かって課題に取りかかった。そして、やや日が陰り出した頃、女性陣が立ち上がる。

 

「じゃあ、アタシたちは帰るから。山田(やまだ)、アンタはちゃんと宿題終わらせなさいよね?」

「わかってるって......」

 

 帰り支度を済ませた伊藤(いとう)に玄関先で釘を刺され、渋々返事を返した山田(やまだ)は、白石(しらいし)の後を継ぐ宮村(みやむら)が待つ部屋へ戻って行った。

 俺と五十嵐(いがらし)は、女子三人を送って行く。自宅から歩いて数分、白石(しらいし)の家の前に到着。

 

「ちょっと待ってて、支度してくるから」

 

 明かりが灯っていない家に入っていった白石(しらいし)を待つ。ここへ来る間に聞いた話によると今日、伊藤(いとう)の家に泊まることになったそうだ。

 

「あ、そうだ。アンタたち、文化祭はどうするの?」

 

 ふと、思い出したように伊藤(いとう)が聞いてきた。

 

「そういえば、私たちも部活に所属してるんだったわね」

「完全に忘れていたな」

「そもそも、部室もないしね。二学期になったら、生徒会長に相談してみるよ」

「ええ、お願いするわ」

 

 という形で話しはまとまり。

 そして、二学期最初の登校日の放課後。

 

「失礼します」

 

 来月の始めに開催される文化祭でのクラスの出し物を話し合うロングホームルームが終わった後、生徒会室を訪ねた。用件は夏休みの終わりに話した、部活動の出し物について。特定の部室を持たないフットサル部の文化祭で活動について、責任者の意見を乞う。

 いつかと同じように、生徒会長の席で書類に目を通している山崎(やまざき)は「ちょっと待っててね」というと、机に積まれた残りの書類に目を落とした。

 そして待つこと数分、羽根ペンを置いて顔を上げた。

 

「お待たせ。それで、僕に何か用かな?」

「文化祭のことで相談したいことありまして」

「ああ~、そっか。飛鳥(あすか)くん」

「はい。現在、空き教室は存在しません。旧校舎の解体及び新校舎建設のため、運動部の部室を空き教室に振り分けていますので」

「うん、そうだね。う~ん、じゃあこうしよう。学校内での活動していないけど、一応運動部ということで模擬店の出店を許可――」

 

「許可しよう」と、山崎(やまざき)が言いかけたところで、生徒会室の扉がノックされた。一呼吸間が開いてから扉が開く。

 

「失礼します」

「おや、小田切(おだぎり)くん」

 

 生徒会室に入ってきたのは、小田切(おだぎり)

 

「会長、ご報告があります」

「何かな?」

 

 俺の隣に立ち、かしこまって山崎(やまざき)に話しかける小田切(おだぎり)の横顔からは、どこか緊張感のようなものを感じる。

 

宮内(みやうち)くんの怪我は、順調に回復に向かっているそうです。このまま順調にいけば、来年はサッカー部で活動出来そうです」

「本当かい。それは、よかった」

「それから――」

 

 小田切(おだぎり)の話には続きがあった。

 彼女は目を閉じて、深くゆっくり呼吸をして、真っ直ぐ山崎(やまざき)を見据える。

 

「私は、生徒会長選を辞退します」

 

 この時の彼女の顔は、悩み抜いた末に選択した覚悟を決めた表情(かお)だった。



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記憶探し編
Episode24 ~言葉の意味~


 バイト終わり、フットサルコート隣接のファミレスで、小田切(おだぎり)と待ち合わせ。二学期始業日の今日は、普段より早めにバイトが入っていて手伝えなかった、抜け落ちた記憶探しの経過を尋ねる。

 

「お待たせ。どうだった?」

「残念ながら詳しい話は聞けなかったわ。今は、文化祭の準備で忙しいからってね」

「そっか」

 

 どこの部活も二学期に入ってひと月足らずで文化祭の準備を済ませなければならないのだから、当然といえば当然なのだろうけど。

 

「文化祭が終わったら、改めて聞きに行ってみるわ。手芸部に」

 

 テーブルの中央に置かれた「NENE」と刺繍されたペンケース。数針のまち針で固定されたレースの生地を、半分ほど縫い付けた状態のまま止まっている縫い針。これは写真の入った手帳と一緒に、棚にしまってあった裁縫箱の中から見つけた代物らしい。ただ、小田切(おだぎり)には授業でも作った記憶はない。

 そこで何か手がかりがあるのではないか、と放課後手芸部へ調査に行ったが、文化祭の準備中のため詳しい話は聞くことは出来ず終い。

 

「じゃあ俺たちも、文化祭の話をしようか」

「はぁ、そうね。会長から許可をもらったんでしょ?」

「うん、部室がないから不参加でもお咎めはなし。もし出店するなら、野外で露店を出店してもいいってさ」

「露店ねぇ。定番は、たこ焼き、焼きそばの惣菜系の屋台辺りかしら?」

 

「どっちもありきたりでつまらないわね」と、左手で頬杖をついた小田切(おだぎり)は右手に持ったフォークでサラダのトマトを転がして、心ここにあらずといった様子。やっぱり、記憶探しの方に意識が向いている。ただこればかりは、文化祭が終わるまで動けないのも事実。夕食を食べながら候補を上げていったが、あまり興味に刺さる案は浮かばず時間だけが過ぎて行った。

 

「お、居た。よっす!」

「ん? 宮村(みやむら)?」

「あら、遅かったわね。来ないと思ったわ」

「ちょっち厄介事が起きてな。お前たちにも関係のあることだ」

 

 何のことだろうと顔を見合わせた俺たちに「魔女についてだ」と、声を潜めた宮村(みやむら)は俺の隣に座って、さっそく話始めた。話しの内容は、新たに見つかった6人目の魔女についての情報。

 

「一年の、滝川(たきがわ)ノアって子が魔女で。クラブハウスの超常現象研究の部室から、例ノートの下巻を持ち出した犯人も彼女なわけなのね」

「ああ。まだどんな能力かまでは解明できてねぇが。滝川(たきがわ)主導して、取り巻きの生徒数人と校内で問題行動を起こしている。山崎(やまざき)は、相当手を焼いているらしい。あいつにとっても、ノートの下巻を持ち去られたことは想定外だったみてーだ」

 

 宮村(みやむら)たち超常現象研究部は文化部でありながら、文化祭で山田(やまだ)発案の焼きそばパン屋を出店するための交換条件として、この問題の解決を命じられた。

 

「ふ~ん、それで? どうしてそれが、私たちに関係あるのかしら?」

「話を聞いた限り、今のところ接点はなさそうだけどね」

「そう焦んなって。ここからが本命さ......!」

 

 わざと焦らした宮村(みやむら)は、ニヤリと笑みを浮かべる。

 

滝川(たきがわ)の目的は、“魔女”を消すこと」

「魔女を消す? どういうことよ......?」

「文字通り、学校から魔女の能力を持つ存在を消す。つまり、退学させるってことだ」

 

 退学というワードに動揺が走った俺たちはお構いなしに、宮村(みやむら)は話を続けた。

 

「何年も前に製作されたノートの上巻には、“(チャーム)”と“思念(テレパシー)”が書かれていた。つまり、魔女の能力は学校内で継承されているわけだ。魔女が消えれば、新たに別の魔女が生まれるってわけだな」

 

 宮村(みやむら)たちが、生徒会長山崎(やまざき)からもたらされた情報はここまで。魔女を消して何をしたいかまでは分からないが、滝川(たきがわ)たちが魔女を狙っている以上、小田切(おだぎり)に危険が及ぶ可能性は否定できない。確かに、俺たちに関係のある話だった。

 

猿島(さるしま)さんの時みてーなことが起こるかも知れない。念のため注意しておけよ?」

 

 山崎(やまざき)の話から、猿島(さるしま)が予知した旧校舎の火事が、滝川(たきがわ)たちによる放火の可能性があったことを臭わすような言い方。宮村(みやむら)は、仕組まれていた可能性が高いと踏んでいる。

 

「ご心配ありがとう。でも私は、大丈夫。もう誰にも能力をかけてないし、二度と使うこともないわ」

「そう、それだよ、オレが聞きたいのは。どうしてお前、会長戦を辞退したんだ......?」

 

 何かと余裕を持って本性を見せない宮村(みやむら)にしては珍しく、マジな顔つきでやや距離を詰めた。宮村(みやむら)と同じで、ずっと気になっていた。生徒会室を出た後に聞いてはみたけど......。

 

「よかったの?」

「記憶探しに専念したいから。そんなことより、新しい物証が出てきたから調べに行ってくるわ。あなた、今からバイトよね? 隣のファミレスで待ってるから終わったら来てもらえるかしら?」

 

 こんな感じで、詳しい理由までは教えてもらえなかった。

 

「それに、オレを次期会長に推薦した理由も分からねぇ。いったい、どういうつもりだよ?」

「別に。特に理由はないわ。山崎(やまざき)のお気に入りよりマシと思っただけよ」

「ふーん。ま、小田切(おだぎり)さんが降りようが降りまいが、はなっから負ける気はなかったけどな!」

「ふんっ、言ってくれるじゃない。そこまで言うなら絶対に勝ちなさいっ」

 

 生徒会室で選挙辞退を告げた時とは打って変わって、彼女はスッキリした表情をしている。会長選を辞退した未練は本当にないように思えた。少しダベり、小田切(おだぎり)を最寄り駅まで送った後、宮村(みやむら)と商店街を歩いている。

 

「お前に頼みがあるんだ」

「なに?」

滝川(たきがわ)ノアの取り巻きに、サッカー部の渋谷(しぶたに)が居る」

 

 渋谷(しぶたに)――確か、体育祭の時にボイコット未遂事件の主導者の冤罪を吹っ掛けられそうになった、サッカー部の一年の名前。

 

渋谷(そいつ)も一緒になって、問題行動を起こしてるのか?」

「いや、そいつ自体は乗り気じゃないらしい。ツルんでる中に、山田(やまだ)五十嵐(いがらし)の後輩で、浅野(あさの)(れん)って元不良が居るんだけど。ベクトルは違えど、二人とも一年の間じゃ一目を置かれてる人気者同士で気が合うらしいんだ。朝比奈(あさひな)に事情を話したら『アイツの交友関係に、直属の先輩のオレが口を出すと後々面倒になる。どうしてもってなら宮内(みやうち)に頼め、渋谷(しぶたに)宮内(みやうち)と話をしたがってたから素直に聞くだろう』だってよ」

「そんなこと言われてもなぁ」

「声をかけてくれるだけでいい。後は、オレたちでどうにかする。頼む。信用出来るのは、お前しかいねーんだよ。ほい、前払い」

 

 自販機で買った缶コーヒーを放り投げた宮村(みやむら)と別れた俺は一人、住宅街の中にある近所の公園のベンチに座って、今回の騒動の重要人物の渋谷(しぶたに)とどう話すかを考えていた。

 

「安い信用だな......」

 

 愚痴のひとつも言いたくなる。別れ際、「もしかしたら、白石(しらいし)さんと小田切(おだぎり)が応援スタンドに居なかったのは、今回の件と関係してるのかもな~」と、渋っていたところに半ば脅しの言葉を投げかけてきた。

 

「どうしろってんだよ、まったく」

「どうしたの?」

「――え?」

 

 突然かけられた声に顔を上げる。すぐ近くに、白石(しらいし)が立っていた。

 

「悩んでいるみたいだけど?」

「少しね」

「じゃあ、話してみて」

 

 そう言って、彼女は隣に腰を降ろした。引き下がりそうにない。

 まあ、聞かれて困るようなことでもない。正直に、宮村(みやむら)に頼まれた依頼内容を話す。

 

「そう。宮村(みやむら)くんが、そんなことを」

「何をどう話せばいいのかなって」

「大丈夫よ」

 

 思い悩んでいる俺とは裏腹に、隣に座っている白石(しらいし)は少し微笑んでいた。その理由を問いかける。

 

「どうして?」

「だって、私が悩んだり困ってる時いつも助けてくれたわ。だから、渋谷(しぶたに)くんにも、私にしてくれたように接してあげて」

「俺、そんな大したことしてない気がするんだけど?」

「そんなことないわ。少なくとも私は、そう思っているもの」

 

 正直なところ俺がしたことと言えば、話を聞いたり、買い物に付き合ったり、その程度のこと。それでも白石(しらいし)は、救われたと言ってくれた。

 ――ああ......そうか、そういう意味だったんだ。

 

「何か元気出た、ありがとう。明日、話してみるよ」

「ええ、どういたしまして」

 

 今、白石(しらいし)が言ってくれたことの意味がわかった気がした。



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Episode25 ~信友~

今回は、白石(しらいし)視点になります。


 勉強合宿からの帰り道を宮内(みやうち)くんと(うしお)くんに送ってもらった私たちは、(みやび)ちゃんの自宅タワーマンションの玄関口で話をしながら、着替えを取りに行った小田切(おだぎり)さんを待っている。

 

「お待たせ」

 

 コンビニの袋とトートバッグを下げた小田切(おだぎり)さんは、プールの時よりも落ち着いた声と表情で「はい。差し入れのアイスよ」と、コンビニの袋を(みやび)ちゃんに差し出した。

 

「わぁ! 寧々(ねね)ちゃん、ありがとー!」

「ちょっと、よしなさいっ。汗かいちゃうじゃないっ!」

 

 (みやび)ちゃんに抱きつかれて、うんざり顔をして抗議しているけど、引き離そうとはしていないから本気で嫌がっているわけではなさそう。彼女とは対照的に、笑顔で案内している(みやび)ちゃんを見ると、私も何か用意してくれば良かった、と少し後悔してしまう。

 

「ただいまー」

「お帰り。お二人ともいらっしゃい、ゆっくりしていってくださいね」

 

 出迎えてくれた(みやび)ちゃんのお母さんに「お邪魔します。よろしくお世話になります」と、小田切(おだぎり)さんと一緒に丁寧に挨拶をしてから、(みやび)ちゃんの部屋へ。部屋の隅に着替えが入った荷物を置いて、(みやび)ちゃんの希望で、みんなでお風呂に入った。

 

「さすがに、三人一緒は狭かったわねぇ~」

「十分広かったわよ」

 

 小田切(おだぎり)さんと、私も同じ感想。髪の毛を乾かすのを手伝い、手伝ってもらって。お風呂上がりの火照った身体を、小田切(おだぎり)さんの差し入れのアイスを食べて冷やしながらのおしゃべり。話題は、二学期最初のイベント文化祭。

 

「参考までに聞きたいんだけど、超研部は文化祭で何をするの?」

 

 プールに行く間のバスの中で超研部のみんなで話していた時に、山田(やまだ)くん発案の、焼きそばパン屋。(みやび)ちゃんと椿(つばき)くんは、別の出し物をやりたかったみたいだけど。採算が見込めない、と山田(やまだ)くんに却下された。

 

「また、ずいぶんと超常現象からはかけ離れた出し物なのね。それに、お客さん来るのかしら?」

 

「焼きそばパンなんて、購買で安価で売ってるわよ?」と、小田切(おだぎり)さんは疑問を呈する。(みやび)ちゃんは、得意気な顔で答えた。

 

「ふふ~んっ、その点は抜かりないわっ。ちゃーんと秘策を考えてるんだから!」

「へぇ、どんな手なの?」

「それはぁ、当日のお楽しみよ!」

 

 (みやび)ちゃんが言った、秘策。いったいどんな方法だろう。十個売れるたびに売り子の私たちが一枚ずつ服を脱いでいく宮村(みやむら)くんの案は、(みやび)ちゃんが却下したから少し気になる。

 

「そう。ちょっと冷えちゃったわ」

 

 小田切(おだぎり)さんはあまり興味なさそうに言って立ち上がり、窓辺へ行くとカーテンを引いた。窓の外には、まるで無数の宝石を散りばめたような、煌びやかな東京の夜景が広がっている。なんだか、秘密の観光スポットを発見した感じ。

 

「あら。ここから、学校見えるのね」

「ホントね」

 

 隣に行って同じように窓の外を見ると、朱雀高校校舎の数ヵ所から明かりが盛れていた。来週から新学期だから、きっと先生方が準備をしているのだろう。

 

「えーっと、うららちゃんのお家は......」

 

 (みやび)ちゃんが、私の家の方へ目を向けた。だけど今は夜、家は住宅街の中だから簡単には見つからないと思う。諦めて今度は、小田切(おだぎり)さんの家を探そうとする(みやび)ちゃんに「無理よ。私の家はあっちだから」と、彼女はベットのある壁を指した。

 

「なーんだ」

「さあ、もういいでしょ。そろそろ寝ましょう」

 

 順番で歯を磨いて部屋に戻る。先に歯磨きを済ませた二人はまた、窓の外を見ていた。

 

「何を見ているの?」

 

 二人の背中に話しかける。

 

「あ、うららちゃん」

宮内(みやうち)くんのアパートを探してたのよ」

「それならきっと、あのアパートね。」

 

 自宅のある住宅街を少し越えた先の橋を渡った、川沿いのアパートを指さす。まだ、明かりが点いている。

 

山田(やまだ)のヤツ、ちゃんと宿題やってるかしら?」

 

 心配そうに言う、(みやび)ちゃん。

 

「大丈夫よ。宮村(みやむら)くんが見てくれてるから」

「だから、不安なんでしょ。何でもテキトーだから」

「さすが寧々(ねね)ちゃん、わかってるわ」

 

 (みやび)ちゃんは腕を組んでうんうんと頷きながら、小田切(おだぎり)さんの意見に同意した。宮村(みやむら)くんは、生徒会長を目指していると言っていたけど、二人からの言われように少し心配になった。テーブルを部屋の壁に立てかけ、カーペットに敷いた布団の中に入って横になる。

 

「じゃあ、消すねー」

 

 ひと言断りを入れて部屋の灯りを消した(みやび)ちゃんは普段使っているベットではなく、私と小田切(おだぎり)さんの間に敷かれた布団に入った。

 

「そういえば、例の写真見せてもらったけど。新学期になったら、魔女を探すんでしょ?」

「ええ、そのつもりよ」

「だったら、アタシたちと一緒に――」

「ダメよ」

 

 小田切(おだぎり)さんは、(みやび)ちゃんの提案をぴしゃりと遮り、断った理由を述べた。

 

「私たちが探す魔女は、記憶に関する能力を持つ魔女。今までの魔女とは別格、魔女の能力が効かない白石(しらいし)さんはともかく、あなたは記憶を消されるかも知れないわ。そうなったら超研部(あなた)たちと出会う前の山田(やまだ)のように思い出を忘れて、忘れられて、忘れたことすら思い出せなくなって。最悪、ひとり孤立してしまうかもしれないのよ」

 

 小田切(おだぎり)さんの言葉は、彼女自身の実態験談だけあってとても説得力がある。記憶を消されたら今、こうしてお泊まり会をしていることも忘れてしまうかも。話を聞いて(みやび)ちゃんも怖くなったみたいで「......別の話にしよっ」と話題を変えた。

 

「女子のお泊まり会の定番と言えば、恋バナ!」

「おやすみ」

 

 薄い掛け布団を被って、小田切(おだぎり)さんは背をそむけた。

 

「ええ~っ、寧々(ねね)ちゃん、ノリわるーい!」

「夜ふかしは、美容の天敵なの。それに夜はちゃんと寝ないと、身体の成長が止まっちゃうわよ」

「うっ、うららちゃんはっ?」

「私も日付が変わる前にはベッドに入るわ。寝ないと記憶が定着しないから」

「ほら見なさい」

「うぅっ、説得力が有りすぎて反論の余地もないわ」

 

 

 間接照明が灯る薄暗い部屋の中で、どこか恨めしそうな目で私たちに交互に目を向けた(みやび)ちゃんは、顔が隠れるくらい深く掛け布団を被った。

 

「そういうことだから。おしゃべりは、二人でしてちょうだい」

「うららちゃんは、平気?」

「大丈夫よ。林間学校で朝まで起きてたから」

「じゃあ、恋バナ! 夏合宿の時に気になる人が居るって言っていたけど、進展あった?」

「どうなのかしら? 悪くなっていないと思うけど」

「とりわけ進展はないわけね。ところで~、気になってる男子って、誰?」

 

 興味津々といった感じで、私の布団の中に潜り込んできた。

 

「フッた椿(つばき)はないとして。やっぱり、ミヤミヤコンビのどっちか?」

「ミヤミヤコンビ?」

 

 初めて聞くワードに首をかしげる。

 

宮村(みやむら)と、宮内(みやうち)のこと。あいつらの頭文字を取って、ミヤミヤコンビね。うららちゃんは、どっちかって言うと、宮内(みやうち)との方が仲良さそうよね? あいつの部屋にあったアルバムでも一緒の写真多かったしぃ~」

 

 口元に人差し指を添えながら、私たちの関係を探るような視線を向けてくる。

 

「一年生の時同じクラスだったから」

 

 私は、正直に答える。人付き合いが苦手だった私に、きっかけを作ってくれた人。

 

「それだけ?」

「ええ、それだけよ。宮内(みやうち)くんは、友だち」

 

 ――いいえ、少し違う。

 私にとって彼は、一番信じられる人......ただの友達以上の、信友(しんゆう)ね。

 その後、去年の今頃の思い出話をしていたはずがいつの間にか「ゾンビと幽霊は、はたしてどちらが強いのか?」と、恋バナとも、思い出話とも無縁な方向へ話題は変わり。時計が午前一時を回った頃、(みやび)ちゃんの寝息が聞こえてきた。

 

小田切(おだぎり)さん」

 

 (みやび)ちゃんを起こさない程度の小さな声で、反対側を向いている背中に話しかける。

 

「......なに?」

 

 背中を向けたまま、返事が返ってきた。

 

「記憶、取り戻せるといいわね」

「そうね。さあ、寝ましょう」

「ええ、おやすみ」

 

 

            * * *

 

 

「校内で暴れてる一年生を大人しくさせないと、お店を出店できないですって!?」

 

 二学期始業日の放課後。生徒会室へ、文化祭で出店予定の「焼きそばパン屋」を申請へ行っていた宮村(みやむら)くんたちから聞かされたのは、文化部の私たち超常現象研究部が部の活動と関係のない「焼きそばパン屋」を出店するための条件を、生徒会長に出されたという話しを聞かされた。

 

「何よそれ。また面倒な条件を突き付けられたわね。ねぇ、うららちゃん?」

「ええ。それにしても、会長が魔女のことを把握していただなんて......」

「今は、そんなのどうでもいいさ。どのみち解決しねーと、出店はおろか、部の存続に関わる話にまで発展しかねねぇんだぜ?」

「廃部って。イヤよっ、そんなのっ!」

「おれなんてまだ、入部してひと月も経ってないぞ?」

「ま、不満を言っても変わんねーよ。とにかく、廃部が嫌ならやるしかねぇのさ。んでだ、暴れてる一年ってのは――」

 

 宮村(みやむら)くんの言う通り。五月の体育祭の時も似たような感じだった。あの時は、宮内(みやうち)くんが身体を呈してくれたおかげで事なきを得たけど。今度は、そうはいかない。

 暴れている一年生のリーダー格は、魔女の能力を有する女子、滝川(たきがわ)ノアさん。夏休み中に他校生と乱闘事件を起こした、浅野(あさの)(れん)くん。期末テストで集団カンニングを主導したとされた学年トップの成績の、深沢(ふかざわ)冴子(さえこ)さんの三人。私たちは手分けをして、彼女たちに話を聞いてみることなった。

 学校からの帰り道。

 

「結局、何の手がかりも見つからなかったわね......」

 

 深沢(ふかざわ)さんに話を聞きに行った(みやび)ちゃんは、落胆した様子で肩を落とした。

 

山田(やまだ)の後輩も、夏休みの暴力沙汰は個人的な事情の一点張りで話にならないし。どうすればいいのよぉ......?」

「大丈夫よ。山田(やまだ)くんが、滝川(たきがわ)さんを説得してくれるわ」

「......でもさ。キスしようとして痛烈な拒絶されたんでしょは? 部室で突っ伏してたけど、本当に大丈夫なのかしら? ハァ......よし!」

 

 大きなため息をひとつ付き、顔を上げた。

 

「じゃあね、うららちゃん。また明日ー!」

 

 交差点で(みやび)ちゃんと分かれて、家路を歩く。

 家の近所の公園でよく知る朱雀高校の男子生徒が、ベンチに座っていた。

 

「どうしたの?」

 

 私は、ベンチで途方に暮れていた彼......宮内(みやうち)くんに声をかけた。

 

「――えっ? ああ、白石(しらいし)さん」

 

 宮内(みやうち)くんは、少し困った笑顔でタメ息をついていた理由を話してくれた。悩みを打ち明けてくれた彼に私は、「大丈夫よ」と答える。だって私が悩んだり、落ち込んだりしていた時いつも助けてくれた。

 一年の三学期の終わり頃もそうだった。

 右膝のリハビリで入院していたのに病院を抜け出して、落ち込んでいた私に、嫌な顔ひとつ見せず付き合ってくれた。

 

 だから今度は、私が力になる。

 だって私たちは、ただ友達以上の――信友(しんゆう)なのだから。



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Episode26 ~信頼と信用~

 全国的に、猛暑日と局地的な豪雨が続いた夏が過ぎ去り、いくぶん過ごしやすくなってきた九月中旬の秋夜。いつかと同じように、帰り道の間にあるコンビニの前で、宮村(みやむら)が待ち伏せしていた。着替えを済ませ、テーブルで向かい合う。コーヒーが注がれたマグカップに息を吹きかけながら、わざわざ待ち伏せしていた理由を話し出した。

 

滝川(たきがわ)ノアの件は、ひとまず片付いた。屋台の出店許可も無事降りて、一件落着。渋谷(しぶたに)の件があるから報告に来たってわけさ」

「メッセージでいいだろ?」

「そういうなって、どこから洩れるかなんてわからねーからな。滝川(たきがわ)は、記憶に関する魔女だった」

 

 記憶というワードから記憶改竄、記憶消去の魔女――と思いきや。

 

「ただ、お前たちが探してる記憶操作類いの能力じゃない。キスした相手のトラウマを夢で見る、過去視の能力だ」

 

 六人......山田(やまだ)を入れて、不思議なチカラを持つ人間が七人も同じ学校に存在している。あまりにも非現実的で不可思議な現状に、夢でも見ているような気分に陥ってしまう。

 

「じゃあ次が、例の“7人目の魔女”になるのか」

「ま、そういうことになるな。“7人目の魔女”の能力は、記憶操作で確定だ。記憶消去(デリート)か、記憶改竄(リライト)か。どっちにしても、タチのわりぃ相手だ」

 

 宮村(みやむら)にとっては、姉を追い込んだ魔女。意気込みはひときわ。冷静に話してはいるが、殺気を帯びたピリピリした凄みのような雰囲気をひしひしと感じる。

 

「捜索は始めてるのか?」

「いや、何もしてねぇ。むしろ動かない方向に向かってる」

 

 それは、また妙な話。“7人目の魔女”の捜索に一番躍起になるはずが、逆の方向へ舵が切られている。むしろ、手を引くことを望んでいるかのような消極的な立ち回り。

 

「本音を言うと、オレはアイツらを信用しちゃいない。“7人目の魔女”と通じてる可能性を否定出来ない以上な。つっても、別に嫌ってるわけじゃねーぞ」

 

「ただ次の相手、“7人目の魔女”は別格だからな」と付け加えた。同じ部活の仲間・友人として信頼は置いているが、完全に信用はしていない。なにせ相手は、他人の記憶を操る魔女。実際、去年の今頃の記憶が抜け落ちている小田切(おだぎり)たちを目の当たりにしたから迂闊には動けない。慎重に慎重を重ねても、まだ足りないくらいなんだろう。

 

「来週末の文化祭が終われば、会長選の結果が出る。それまでは、可能な限りことを荒立てたくねーんだ」

 

 ――なるほど。生徒会長の山崎(やまざき)は、魔女の存在を把握していた。“7人目の魔女”に関しても有益な情報を持っている可能性が高い。生徒会長の座に拘る理由も、すべてはそこへ通ずる。

 

「そっちは?」

「まだ何も。とりあえず今は、文化祭の準備に邁進にしてる」

「そうか。で、結局何を出店するだ?」

「これ」

 

 文化祭で出店する露店の企画書を、テーブルに置いた。

 休日を挟んだ翌日からは、文化祭へ向けた準備期間が設けられ、午前で授業が終わる特別週間に切り替わった。部活に所属している者はクラスの出し物の他に、部活の準備もしなければならない。

 クラスの方はクラス委員に任せて、フットサル部で出店予定の屋台の準備を急いだ。出店予定屋台は、スティック状に加工した野菜を提供するカップサラダの露店。夏休みにいった花火大会で、椿(つばき)が食べていた「冷やしキュウリの一本漬け」からヒントを得た。スムージーも考えたが、コスト面を採算を天秤にかけた結果断念。

 ただ、そのまま出店しても捻りがない上に、文化祭の雰囲気を踏まえて、野菜の種類とドレッシングを複数種類用意する予定。小田切(おだぎり)は生徒会の方で、当日の役割なんかがあるため準備は、俺と五十嵐(いがらし)が担当している。レシピは、市販のドレッシングと小田切(おだぎり)が考案したオリジナルを用意し、食材と冷蔵機材の発注も初動がやや遅れたが何とか間に合った。後は、明日の文化祭当日に合わせて準備を終わらせるだけの状況。

 

「うむ......」

「どうした?」

 

 正門から昇降口に向かう続く通路の一画に組んだ、簡易屋台の「ヘルシーカップサラダ」と記された看板の文字を眺める五十嵐(いがらし)は腕を組ながら、どこか難しい表情(かお)をしている。

 

「これは、売れるのか?」

「まあ、いけるんじゃない? 最近健康思考だし。それに小田切(おだぎり)さんの自信作だから味の方も、ほい」

 

 練習を兼ねてスティック状に切ったサラダが入ったカップを差し出す。きゅうりをひと口に運んだ五十嵐(いがらし)は「確かに、美味い」と納得して頷いた。

 

「あら。準備もう終わったの?」

 

 ちょうど屋台の設営が済んだところで、生徒会の仕事で見回りを行っていた小田切(おだぎり)が戻ってきた。

 

「ああ。今、最後のチェックが終わったところだ。ちゃんと電気も通ってる」

 

 そう言って裏へ回った五十嵐(いがらし)は、台座の下に設置した簡易冷蔵庫を指差した。

 

「そう。二人とも、ごくろうさま」

小田切(おだぎり)さんの方は......」

 

 辺りを見回す。まだまだ、多くの生徒が居残りで作業を続けていた。特に運動部は、普段の練習時間を削らず作業を行わなっているため準備不足は顕著。

 

「まだかかりそうだね」

「ええ。私の方はもう少しかかるから、先に行ってちょうだい」

 

 チェックリストを片手に踵を返した彼女は、校舎の見回りに戻った。残された俺と五十嵐(いがらし)は、まだ空っぽな冷蔵庫の電気を切って正門を出る。俺たちは、同じ目的地へ話をしながら向かった。

 

山田(やまだ)たちが探っていた滝川(たきがわ)ノアは、記憶操作の魔女ではなかったんだな?」

「ああ。記憶は記憶でも、キスした相手の過去を視る能力。それも過去に起きた辛い想い出を、トラウマを夢で見る過去視の能力だってさ」

 

 滝川(たきがわ)と共に生徒会からマークされていた二人の一年生。集団カンニング疑惑の、深沢(ふかざわ)冴子(さえこ)と。夏休みに起きた他校生との暴力沙汰を起こした、浅野(あさの)(れん)の騒動が濡れ衣であることを魔女の能力で知った滝川(たきがわ)は、二人を救うため行動をしていたことが判明。そこで彼女たちと交友のあったサッカー部の渋谷(しぶたに)と、滝川(たきがわ)のトラウマを知った山田(やまだ)の説得により事態は無事終結した。

 しかし事件以降、滝川(たきがわ)山田(やまだ)に惚れてしまい。部室でも人目をはばからず、山田(やまだ)にベッタリ。あまりのうっとうしさに文化祭の準備に支障が出るほどと、別の問題が勃発しているそう。

 

「しかし、山田(やまだ)に春が訪れるとはな。さて、着いたようだな。じゃあ、俺はここで小田切(おだぎり)を待つ」

「了解。また後で」

 

 クラブハウスで着替えを済ませ、子どもたちを相手にスクールをこなす。計二時間のスクールが終了し、コートの片付けを行っていると、見知った二人がコートに入ってきた。

 

「どうしたの?」

「今日は、私たちも参加しようと思ったのよ」

「ただ待つだけも退屈だからな」

「そっか。毎度ありがとうございます」

 

 既に着替えを済ませている二人と軽くボールを蹴りつつ、初心者向けの個人フットサル開始の時間を迎える。休憩を挟みながら一時間のゲームを終え、備え付けのシャワーで汗を流し、二人と共に、隣接のファミレスに移動。

 

「二人とも今日は、余裕あるみたいだね」

「二度も無様な醜態をさらすわけにはいかないからな。それより小田切(おだぎり)、お前ずいぶんと上達してないか?」

「ふふーん、私ともなれば当然のことよっ」

 

 フェイスラインにかかる髪を軽くかき上げて、ドヤ顔。でも実際は、五十嵐(いがらし)が記憶について答えを出すまでの間、夏休みに少し食べ過ぎたとかで、ダイエット目的で何度か参加していた。

 

「それで、何かはわかった?」

 

 ドリンクバーのウーロン茶で喉を潤し、本題の方へ話を持っていく。

 

「生徒会に保管されている部員名簿を調べてみたけど。私も、(うしお)くんも、山田(やまだ)も、今所属している部活以外の名簿には載っていなかったわ」

「ふむ、空振りか」

「名簿はね。でも、新しい物証を見つけたわ。これを見て」

 

 小田切(おだぎり)は、普段使いのスマホとは別の機種の携帯をテーブルに置いた。液晶画面には、キャリアメールのアプリが表示されている。五十嵐(いがらし)が、内容を読み上げる。

 

「パンダのぬいぐるみ、ありがとな! か。これは?」

「去年まで使っていたスマホにデータが残ってたのよ。受信日は、あの写真を撮った二日後、月曜日の夜」

「差出人は?」

 

 彼女は、首を横に振った。差出人は、不明。

 

「機種変更した時に新しい方へデータを移して、こっちのアドレス帳は削除しちゃったみたいなの。このアドレスに返信してみたけど、今は使われていなかったわ」

 

 メールの受信時期は、約一年前。アドレスを変えていても不思議じゃない。今使っているスマホのアドレス帳には、アドレス変更後の新しいアドレスに上書きされているから、アドレス帳に登録している人全員に、確認のメッセージを送る方法もなくはないけど。相手側の記憶が消されていた場合、特定はまず不可能。

 

「もうひとつあるのよ」

 

 古いスマホを操作し、別の人とのやり取りのメールに切り替えた。切り替えと同時に自動的に添付された画像が表示され、俺と五十嵐(いがらし)は同時に声を上げた。

 表示された画像は、継ぎはぎだらけで所々綿が飛び出た、おそらくクマ系と思われる血塗られたぬいぐるみらしき物体。

 

「これは、なかなか......」

「エグいな」

「でしょ? 最初は、何かの嫌がらせかと思ったわ。だけど......」

 

 指先で画面をスクロールさせる。すると「今度の手芸部主催展示会の作品が完成しましたー!」と、本文が表れた。

 

『何よこれっ? ゾンビかしらっ?』

『ヒドいですぅー! 寧々(ねね)ちゃんが、ナンシーちゃんに選んであげたパンダさんをモチーフにした、プリティーパンダさんです!」

『どこがプリティーなのよ、血塗れじゃない! って、そんなの今はどうでもいいわ。明日、山田(やまだ)と二人きりになれるようにしてあげるから。私の言った通り、ちゃんとキスするのよ?』

『は、はい......!』

 

 こんなやり取りが続いて、最後に「寧々(ねね)ちゃん、ありがとう」と、彼女へのお礼の言葉で締められていた。

 

「......まさか、こんなことが」

 

 小声で呟くように漏らし、絶句している五十嵐(いがらし)の代わりに、メールの内容について触れる。このメールの内容から読み取れる情報は、大きく分けて二つ。ひとつは去年、動物園の土産物屋で買ったパンダの縫いぐるみを、ナンシーという名の女子に贈ったこと。もうひとつは、手芸部に所属している女子が、山田(やまだ)を含めた三人と共に行動していたこと。

 

「あの写真を撮ったのは、この縫いぐるみの画像を送ってきた相手みたいだね」

「ええ、間違いないわ。あの後、手芸部を探りにいったんだけど。文化祭と毎年恒例の手芸部展示会の準備で、とても話しを聞ける状況じゃなかったわ」

「文化祭が終わるまでは動けなさそうだね。もうひとりの、ナンシーという名前は?」

「今、生徒名簿を調べているところよ。ただ、ね......」

 

 一学年1000人前後の超マンモス校。調べるだけで途方もない時間がかかる。名前からして、留学生の可能性もある。さすがに卒業生の可能性は低いだろうけど、あだ名だった場合はまず見つからない。

 

「手伝ってあげたいけど」

「無理よ。生徒会に所属していないと、名簿の閲覧は出来ないわ」

「だろうね。名簿なんて個人情報の塊だし」

「とにかく、明日の文化祭本番が終われば次期生徒会発足まで割りと自由時間を取れるから、本格的な調査はそれからになるわ」

「だね。ところで時間の方は大丈夫?」

 

 店内に設置された掛け時計の針は、既に22時を回っている。

 

「もう少し大丈夫よ。この次期帰りが遅くなるのは毎年のことだから。それじゃ、明日の文化祭の話をしましょ。(うしお)くん、いつまで呆けてるのよっ」

「あ、ああ、すまん......」

 

 気を取り戻した五十嵐(いがらし)も交え、俺たちは時間が許す限り明日の文化祭当日のスケジュールを話し合った。

 そして迎えた、文化祭当日。

 小田切(おだぎり)考案の「カップサラダ」は、彼女の狙い通り盛況だった。正門から校舎までの歩道は順番に、たこ焼き、焼きそば、お好み焼き、フランクフルト等の濃い味付けの定番な露店が並び。それらを食べ終わった頃にちょうどあっさりしたサラダ、といい感じに客が流れて来る。

 お陰で俺と五十嵐(いがらし)は決めていた交代時間も関係なく、生徒会の見回りで席を外した小田切(おだぎり)の分も、二人で休む暇もなく接客業に追われていた。

 

「いいかい?」

「あ、はい、どうぞ」

 

 背中を向けて商品を補充していたところで声を掛けられた。

 一旦手を止めて、振り向く。ドクロがあしらわれたリボンでまとめられた短めのツインテール、やや着崩した制服、三段フリルにアレンジされたスカートと気合いの入った感じの朱雀高校の女子生徒が、どこか険しい顔つきをしていた。

 

「どうした?」

 

 異変を察知したのか、屋台裏に居た五十嵐(いがらし)も店頭へ姿を見せる。

 

「アンタたち、ちょっとツラ貸しな......!」

 

 彼女は威圧するような声色で、敵意を向けるように言った。



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Episode27 ~手がかり~

「注文二つ入ったよっ!」

 

 屋台裏で作業する俺と五十嵐(いがらし)に替わって、カウンターで接客をしている先ほど絡んできた女子生徒が、気っ風のいいの声でオーダーを伝えてきた。

 

「どうしてこうなった?」

「まあ、ありがたいんじゃない。猫の手も借りたいくらいだったし」

「それはそうだが。ただこき使われてるだけのような気が......」

「オマエら、客を待たせるんじゃないよ! ボサっとしてないで急ぎな!」

 

 五十嵐(いがらし)と話ながら準備していたところへ罵声が飛んできた。どうやら、サボっていると思われてしまったみたいだ。

 なぜ、この女子が手伝いをしてくれているのかというと。今から一時間ほど前まで遡る。

 

 

           * * *

 

 

「アンタたち、ちょっとツラ貸しな......!」

 

 敵意を剥き出しの声で言い放った女子に、俺と五十嵐(いがらし)は同じ意見を共有し、返答をする。

 

「悪いけど、今忙しいから」

「冷やかしなら、(よそ)でしてくれ」

 

 後ろに並んでくれている客が居る。絡んできた女子はテキトーにあしらい、何ごともなかったかのように接客へ戻ることにした。

 

「ちょっ!? 逃げるんじゃないよ!」

 

 ベニヤ板で作ったカウンターから身を乗りだした女子は、近く居た五十嵐(いがらし)のエプロンの裾を掴んで引っ張った。

 

「お、おい、離せ......!」

「離して欲しかったら、おとなしくツラ貸しな!」

「忙しいと言っているだろ! 営業妨害で、生徒会に通報するぞッ!」

「上等だっ、やってみな!」

 

 五十嵐(いがらし)は必死で振りほどこうと試みているが、女子生徒の方も必死にしがみついて離さない。まるでスッポンだ、なんて言っている場合じゃない。店先で言い争う二人の騒ぎを聞き付けて、野次馬が集まってきた。どうにかして二人を宥めようと試みるも、一向に収まる気配はない。

 

「ちょっとそこっ! 何を騒いでいるのかしらっ?」

 

 男女関係のもつれではないか、と根拠のない憶測が出回り始め。いよいよ事態の収拾がつかなくなりだしたところへ、見回りをしていた小田切(おだぎり)が駆けつけた。

 

「これは、いったいなんの騒ぎっ?」

小田切(おだぎり)! いいところへ来てくれた、コイツをどうにかしてくれ!」

「え? (うしお)くんだったの?」

「チッ......!」

 

 安堵の表情をして助けを求める五十嵐(いがらし)とは正反対に女子生徒は、生徒会役員の小田切(おだぎり)が登場したためか、軽く舌打ちをして気まずそうに顔を背けた。

 

「ハァ、この件は生徒会で預かるわ。ほら、あなたたちは散りなさい」

 

 小田切(おだぎり)は小さくタメ息をつき、店の回りを囲むように集まっていた野次馬を解散させてから店の前へ来て、事情聴取が始まった。

 

「それで、どうしたの? 騒ぎの原因はなに?」

「ああ、実は――」

「ちょうどよかった。あんたにも話があったんだよ」

 

 女子生徒は五十嵐(いがらし)の言葉を遮り、小田切(おだぎり)の前に出る。すると彼女、何か勘づいたようにやや目を細めた。

 

「アンタら最近、手芸部に......」

「待ちなさい。今は、文化祭の真っ只中よ。あなたの話しは、後夜祭で聞いてあげるわ。それより宮内(みやうち)くん、お店の方はどう?」

「予想以上だね。猫の手も借りたいくらいに」

 

 収支報告をまとめた伝票を手渡す。

 

「さすが、私ね! でも、これじゃあ休憩も取れないでしょ? ねぇ、あなた、私の代わりにお店手伝ってくれないかしら」

「はぁーっ!? どうして、アタシがッ!」

「あーら。何か不満があって?」

「ああ、不満しかないねっ!」

「そう、それは困ったわ。ところで、あのパンダのぬいぐるみは大事してくれているかしら? ねぇ、()()()()?」

 

 小田切(おだぎり)が言い放った言葉に驚いた俺と五十嵐(いがらし)は、示し合わせた訳でもなくお互い同じタイミングで顔を見合わせる。しかし俺たち以上に、盛大に慌てふためく少女が目の前に居た。

 

「なっ!? お、おまえ、アタシのこと覚えて......?」

 

 してやったりと言った感じに小田切(おだぎり)はクスッと笑った。どうやらカマをかけたらしく、取り乱している女子生徒――ナンシーは、見事に引っ掛かった。

 

「詳しい話は、また後でしましょ。じゃあお願いするわね。宮内(みやうち)くんと(うしお)くんも、何かあったら連絡して」

「あ、ああ......わかった」

「了解」

 

 ナンシーは見回りへ戻っていった小田切(おだぎり)の背中を、人混みに紛れて見えなくなるまで見つめていた。

 そして、現在に至る。

 

「カップサラダ二つお待ちどうさま、普段からちゃんと食べるんだよ!」

 

 絡んできた女子生徒......ナンシーの元気な声が辺りに響いている。彼女とは、まだ一時間ほどの付き合いだけど。顔立ちは整っているし、話をするとサバサバしていて気持ちの良い性格をしている。前に出れば、男女共に人気が出るタイプだと思う。裏付けるように、ナンシーが接客をしてくれているおかげで客層にも変化が生まれた。今までは、販売している商品がサラダということもあって、ほぼ100パーセント女性客だったが、ナンシーが来てくれてからは男性客が明らかに増えた。

 

「ナンシー!」

 

 と言ったそばから、彼女目当ての男子が店先に現れた。ナンシーと同じ系統で、学校指定の制服をアレンジして着崩している。

 

「ん? シドじゃないか、どうしたんだい?」

「どうしたじゃないぜ。中々帰って来ないから様子を見に来たんだよ。そうしたら、エプロン着けて売り子やってるじゃねぇか」

「ああ~、そいつは悪かったね。この店案外忙しくってさ。おっ、お客さんだ。ほら、退いたどいたっ!」

 

 ナンシーは、シドと呼んだ男子を横に押し退けて他校の女子生徒三人を相手に接客を始める。彼女から送られてくる注文を、俺と五十嵐(いがらし)の二人で捌く。

 

「コイツをナンシーに渡せばいいだよな?」

 

 知らぬ間にカウンターのこちら側に来たシドが、出来上がったカップサラダを両手に持っていた。聞いたところ、ナンシーに手伝えと言われたらしい。俺たちとしても運ぶ手間が省けてありがたい。好意に甘えて、手伝いをお願いする。

 当初売れ残ることを計算に入れていたが。ナンシーとシド、二人のお陰で販売効率は格段に上がり、午後3時前には商品は全て完売。結局二人は、その後の店の片付けまで手伝ってくれた。

 

「じゃあ俺は、銀行へ行ってくる」

「うん、よろしく」

 

 

 売上金の両替するため、近くの銀行へ向かう五十嵐(いがらし)を正門で見送った俺は、二人が待つ中庭のベンチへ足を運んだ。

 

「お疲れさま。はい」

「おっ、気が利くじゃないかい」

「オレにもくれるってかッ! オマエ、いいヤツだな~」

 

 手伝ってくれたナンシーとシドにお礼の飲み物を渡す。好みは分からなかったから無難な炭酸飲料を選んだけど、特に嫌な様子もない。正解だったみたいだ。ハズレを選ばずに済んでほっとした俺も、中身が半分ほど残ったペットボトルの蓋に手を伸ばしたその時、ポケットのスマホが震えた。一旦ペットボトルをベンチに置いて、画面を確認する。

 

小田切(おだぎり)さん」

寧々(ねね)かっ! 何だって!?」

「悪いけど、もう少し時間がかかるから。時間と場所を決めて落ち合うことにしましょう。だってさ」

「なんだいもったいぶって!」

「なあナンシー、いったいどういうことなんだ? オレ、何が何だか......」

 

 ナンシーを呼びに来た途端いきなり手伝わされたあげく、ちゃんとした事情を知らされていないままのシドは、状況を飲み込めず腕を組んで頭を傾げている。

 

「とりあえず、寧々(ねね)に伝えてくれるかい? 17時に軽音楽部で待ってるって」

「了解」

 

 ナンシーの伝言を打ち込み送信ボタンをタップ。すぐに「わかったわ」と、小田切(おだぎり)から返信が返ってきた。

 

「サンキュー」

「いえいえ、外そうか?」

「ああ、知らないあんたは関わらない方がいい。もしもの時は――」

 

「消さなきゃいけなくなる」と、ナンシーは語気を強めて警告してきた。

 

 

           * * *

 

 

 ナンシーたちと別れた俺はひとり、各クラス・部活動の催し物を見物しながら校内を、超常現象研究部の焼きそばパン屋へと向かって廊下を歩いていた。

 

「ねぇ、例の占い行ってみない?」

「ああ~、あの絶対当たるってやつね。あれもう店じまいみたいだよ」

「ええ~っ、そうなのー?」

「お前、占ってもらったんだろ? なんて言われたんだ?」

「強く生きてください」

「は? なにそれ」

 

 すれ違う人たちから時おり聞こえてくる占いの噂。会話の内容から、かなり高い確率で当たっているようだ。まるで猿島(さるしま)の予知能力だな、と思っている間に超常現象研究部へ到着。

 

「あれ、売り切れ?」

 

 部室の前には、メイド服姿の売り子がウェルカムボードの片付けをしているだけで。ドアには「完売しました!」と貼り紙がしてあった。

 

「あ、ごめーん、もう売り切れたの......って、宮内(みやうち)じゃない」

 

 メイド服の売り子は、伊藤(いとう)だった。ちょうど良かった。用件を伝える。

 

伊藤(いとう)さん、山田(やまだ)居る?」

山田(やまだ)なら居ないわよ。パンが売り切れた途端、疲れたって言ってどこかへ行ったきりなのよー」

「そっか、ありがとう」

 

 ナンシーの件を伝えておこうと思ったけど、居ないのなら仕方ない。伊藤(いとう)にお礼を言って、来た廊下を帰ろうと振り返った時だった。

 

「ちょっと待って! あんた今、ヒマ? ヒマよね? 片付け手伝って欲しいな~っ」

 

 呼び止められ、普段の伊藤(いとう)からは考えられないほどの不気味なほどの甘ったるい猫なで声で手伝い頼まれてしまった。

 

「みやむー、反対側もってくれ」

「おう」

 

 部室では椿(つばき)と、着ぐるみを着た宮村(みやむら)が机を運んでいた。17時まで時間があるし、特に断る理由もなかったから伊藤(いとう)の言葉に頷き、部室へ入った直後に違和感を感じて疑問が浮かんだ。超常現象研究部の催し物は焼きそばパンの販売だったハズが。部室の中には、なぜか暗幕で仕切られた空間の中央のテーブルに、水晶玉が置かれていた。

 

「これよ」

「100%アタル占いつき焼きそばパン屋?」

 

 異質な光景に立ち尽くしていた俺に、伊藤(いとう)と同じくメイド服を着た白石(しらいし)が、店の看板を見せてくれる。

 

猿島(さるしま)さんの能力をコピーした山田(やまだ)くんが、焼きそばパンを買ってくれたお客さんを占ってたの」

「ああ~、なるほど」

 

 さっきすれ違った人たちが話ていたのは、看板(これ)の事だったのか。白石(しらいし)の話によると、山田(やまだ)渾身の焼きそばパンは価格設定が高すぎて、まったく売れず。そうなることをあらかじめ予期して保険をかけておいた伊藤(いとう)の提案で、占いのサービス付けたところ大ヒット。即完売したらしい。

 

「内装終わった~! 手伝いありがと。はい、これ」

「焼きそばパン?」

「そ。打ち上げように取っておいたやつよ」

山田(やまだ)の分だけどなー」

 

 テーブルに広げたお菓子を、宮村(みやむら)は笑いながら摘まんでいる。

 

「後が怖そうだから遠慮しとく」

「正解、あいつ食にうるせーからな」

 

 外の装飾品を外しに行った白石(しらいし)たちを見送り、宮村(みやむら)の対角線上に座る。

 

「例の件は?」

「前に言った通り停滞中。そっちは?」

「もしかしたら進展あるかも」

「マジか?」

 

 返事の代わりに頷いて答える。宮村(みやむら)は両手を頭の後ろで組んで、そのまま寝転んだ。

 

「そっか。それでお前は、山田(やまだ)を探してたってわけか」

「ああ、山田(やまだ)も当事者だからね」

 

 スマホを立ち上げ、宮村(みやむら)に向けてメッセージを打つ。“7人目の魔女”に繋がる手がかりを掴んだかも知れない、と。宮村(みやむら)は、スマホを確認すると一瞬視線を向け、山田(やまだ)にメッセージを送った。

 

「......だな。んじゃ、連絡入れとくわ」

「頼む。さて、そろそろ行くよ」

「おう、またな」

 

 礼を言って、部室を出る。片付けをしている白石(しらいし)たちとも幾つか言葉を交わして、小田切(おだぎり)五十嵐(いがらし)と待ち合わせをした中庭へ行く。見回りを終えた小田切(おだぎり)も、既に待っていた。

 

「お待たせ」

「来たか」

「お疲れさま。さ、軽音楽部へ行きましょう」

 

 俺たちは三人揃って、ナンシーに指定された軽音楽部の部室へと向かった。



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Episode28 ~乙女心~

 下駄箱で靴を履き替えて、ナンシーに指定された軽音部の部室へ向かう。校舎の中は今、出し物の片付けの真っ最中で廊下は物と人で溢れ返っている。廊下に放置されたゴミを避けながら、各階にある渡り廊下を使って、軽音部が部室を構える部室棟へ移動。

 

「ナンシーのことだけど」

 

 人気の少ない運動部の仮部室が並ぶ廊下に差し掛かった頃、俺は話を切りだす。一歩前を歩いていた小田切(おだぎり)は隣に並び、歩幅を合わせた。

 

「なに?」

「ナンシーは、記憶操作の魔女。あるいは、彼女に近い女子が記憶操作の魔女だと思う」

「私も、その可能性は高いと思っているわ。あの子、私のこと覚えていたみたいだし。でも、どうして?」

 

「自信があるみたいだけど?」と、小田切(おだぎり)は小さく首をかしげる。

 

「何か確信でもあるのか?」

「警告された。消さなきゃいけなくなるって」

「消すだと!?」

「なによ、それっ!」

 

 軽音部の部室がある階へと続く階段の目の前で、小田切(おだぎり)五十嵐(いがらし)の歩みが止まった。真相を知りたがっていた二人にとって、それだけ衝撃的な台詞。

 

「......やっぱり、あの子が魔女? でも、それなら記憶を消したのに、どうして今さら姿を見せたのかしら......?」

「むぅ......」

 

 小田切(おだぎり)は左手で右肘を抱えて口元に手を当てながら、疑問を呟き。五十嵐(いがらし)干足元へ視線を向け、腕を組ながら首を捻って熟考している。

 もし仮にナンシーが魔女なら、宮村(みやむら)が探している「7人目の魔女」は、ナンシーということになる。だけど、どうにも腑に落ちない。成り行きとはいえ一緒に屋台を運営して、片付けも小言を言いながらも最後まで投げ出さずに手伝ってくれた。ナンシーも、シドも、攻撃的な見た目とは違って悪いヤツじゃない。むしろ良いヤツらだと個人的に感じた。

 そんな二人が、宮村(みやむら)のお姉さんに何かするとは到底思えない。ただ、小田切(おだぎり)たちが記憶を失った時期と近いことが引っかかる。

 

宮内(みやうち)くんっ!」

「えっ?」

 

 大きめの声に気がついて、顔をあげる。さっきまで近くに居た小田切(おだぎり)五十嵐(いがらし)が、階段の踊り場まで移動していた。二人のあとを追って階段を上り、合流。

 

「何か考えごとか?」

「まあ、ちょっと......。二人は?」

「考えても仕方ないから。直接、問い詰めることにしたわ」

「結局それしかないからな。さあ、行くぞ」

 

 階段を上りきり、文化部の部室が多くある階に到着。順番に、軽音部を探す。部室は見つかったのだが、宮村(みやむら)から連絡が入っているハズの山田(やまだ)の姿は見当たらない。約束の時間まであと10分、5分となっても、山田(やまだ)は姿を現さなかった。

 

「ハァ、時間切れね」

「まったく、アイツは......!」

「後で教えてあげればいんじゃない?」

「そうね、行きましょ」

「行ってらっしゃい」

 

 廊下で、二人を見送る。部室のドアノブに手をかけた小田切(おだぎり)が、意外そうな顔で振り向いた。

 

「えっ? 一緒に来ないの?」

「いや俺、記憶の件に関しては部外者だし。無関係の俺が居ない方が、ナンシーも話やすいんじゃないかなって」

「ダメよ。あなたも一緒に来て」

 

 部室の前を離れた小田切(おだぎり)は、理由を話し出した。

 

「部室に居るのが、ナンシーひとりとは限らないわ。ナンシーと一緒にお店を手伝ってくれた、シドって男子も居ると思うの」

「ふむ、なるほどな。相手がナンシーひとりなら、俺自身で振り払うことも可能だが。二人がかりで襲われたら、磐石とはいかんか」

「ええ、その通りよ。同じ魔女の私には能力は効かないけど、(うしお)くんは魔女の能力に掛かってしまうわ。念には念を入れていきたいのよ」

 

「それに......」と、小田切(おだぎり)は更に続ける。

 

「私は、私たちは、あなたの言葉をきっかけに失われた記憶を探しを始めたの。だからあなたは、部外者なんかじゃないわ」

 

 まっすぐ俺の目を見て言った小田切(おだぎり)は、目を逸らすことなく、返事を待っている。まっすぐな眼差しで、思い出した。約束をしたことを、記憶探しを手伝うという約束。

 

「わかった。一緒に行こう」

 

 答えを聞いた小田切(おだぎり)表情(かお)が、少し柔らかくなった気がした。

 

「ええ、じゃあ行くわよ......!」

五十嵐(いがらし)?」

「あ、ああ......、悪い。すぐ行く」

 

 一人来るのが遅れていた五十嵐(いがらし)が、早足で追いかけてくる。小田切(おだぎり)は、五十嵐(いがらし)が来るのを待ってから再び、軽音部部室のドアノブに手をかけた。

 

「......時間ピッタリだね」

 

 照明もついていない薄暗い部室。窓辺から差し込むオレンジ色の西日に照らされ、窓際に無造作に置かれた学習机と椅子に座る、二つの人影を確認出来たが。とりあえず、扉横のスイッチを押す。

 天井の蛍光灯がいっぺんに点り、室内は見違えるように明るくなった。机にあった二つの人影の正体、ナンシーとシドの顔もちゃんと視認出来る。

 

「ちょっ、ちょっと空気読みなよっ! せっかくの演出が台無しじゃないか!」

 

 机を飛び降り文句を言いながら詰めよって来たナンシーを、シドがなだめる。ひとしきりの不満は出しきったらしく、落ち着きを取り戻したナンシーは、最初に椅子代わりにしていた机に寄りかかるようにして腰を落ち着けて腕を組み、俺を見据えた。

 

「で。どうして、あんたも居るんだい? 招待した覚えはないよ」

「あら。そっちにも、部外者が居るじゃない」

 

間髪入れず、小田切(おだぎり)が言い返す。部外者と名指しされたシドが、ずいっと前に出て来た。

 

「オレは、ナンシーの!」

「よしな、シド! わかった。同席を認めたげるよ。悪いヤツじゃないみたいだし」

 

 ――フゥ、とひとつ息を吐いたナンシーはこちらに向かって歩いてきた。

 

「ただ! 出すぎたマネをするようなら容赦しないよ......!」

「あら、あなたはそんなこと言える立場じゃないのよ? ナンシー」

「どういう意味だい......?」

 

 くすっ、と笑った小田切(おだぎり)は一歩前に出て、ナンシーと対峙。見つめ合っていた顔を横に向けて、部屋の中を観察している。

 

「見たところ軽音部(あなたたち)は、真面目な活動を送っているようには見えないわ」

 

 ざっと部屋を見渡してみる。彼女の言った通り、軽音部の部室は荒れていた。カーテンは破れ、楽器やアンプなんかも無造作に置かれて埃を被り、ギターに至っては弦が切れた状態のまま放置されていた。

 

「この有り様じゃ新学期以降、軽音部の存続は認められないわね」

「なっ!? そ、それは困るぞっ!」

「そうだぜッ! そんなことになったら、オレらの居場所がなくなっちま――」

「部費でカラオケに行けなくなるじゃないかっ!」

「って、そっちの心配かーッ!?」

 

 お互いの主張を言い合っているナンシーとシドに向けて、小田切(おだぎり)は「とにかく、生徒会役員の力を見くびらないことね。話の前に、まずは掃除よっ!」と、部室の後方のロッカーに完備された掃除用具を、半ば強引に二人に押し付けた。

 

「ちっ! 仕方ないね。さっさと片付けるよ!」

「オ、オウ!」

 

 二人は素直に従い、部室の掃除を始めた。

 どうやら初手の主導権は、完全に小田切(おだぎり)が握ったようだ。五人で手分けして、荒れ果てた部室の掃除を始める。

 

「ま、こんな所かしら」

 

 見違えるほど綺麗になった部室で小田切(おだぎり)は、クッションを敷いた椅子に座り。俺たちも適当な距離を保ち、対峙する形で腰を落ち着ける。

 

「さあ、さっそく始めましょ。今さら私たちに声をかけたのは、どうしてなのかしら?」

 

 ――巧い。記憶を失っていることを悟らせないように注意を払いながらも、核心に迫る質問をした。しかし、ナンシーは答えることなく切り返した。

 

「それは、こっちのセリフだね。お前らこそなぜ、手芸部を探っている?」

「質問を質問で返さないでくれる? それやられちゃうと話が進まないじゃない」

 

「もぅ、仕方ないわね」と、このままでは埒があかないと判断した小田切(おだぎり)は、一問一答形式で交互に質問することを提案。その提案に、ナンシーもうなづいた。

 

「じゃあ先ずは、アタシから質問させてもらうよ」

「まあ、いいわ。どうぞ」

 

 あくまでも余裕を持っているように見せかけた応対。ナンシーがどう出るか見極めつつ、いくつかの返答を想定している。

 

「もう一度聞くよ。手芸部に何の用があるんだい?」

「生徒会の見回りついでに、毎年恒例手芸部主催の展示会の進行具合を聞いていただけよ」

 

 古い機種に入っていたメッセージの内容を絡めて返答を持ってきた。しかも暗に、ナンシーからの情報を誘う上手い言い回し。やはり、この手の質問を想定していたのだろう。

 

「本当にそれだけなのかい?」

「今度は、私の番よ」

 

 目論見通りの返答は得られなかったが、ナンシーの態度から手芸部が何らかの形で関係することはほぼ確定。あの作りかけのペンケースと繋がった。

 そして今度は、小田切(おだぎり)からの質問。計三回の一問一答が繰り返され、小田切(おだぎり)は記憶と魔女に関しての質問。ナンシーの方は一貫して手芸部についての質問を、お互い繰り返した。ただ、小田切(おだぎり)の方は記憶がないことを悟らせないため中途半端な質問しか出来ず、未だ核心をつく質問を出来ないでいる。騙し騙しでは、ここらが精一杯。核心をつくには、ある程度のリスクを負った上で踏み込む必要がある。

 

(うしお)くん、宮内(みやうち)くん。次の質問は、あなたたちに任せるわ」

「はあ?」

 

 想定外の無茶ぶりに、俺と五十嵐(いがらし)は揃ってすっとんきょうな声をあげてしまう。ナンシーも、怪訝な顔で眉をひそめる。

 

「どういうつもりだい?」

「別に。ただ、このままじゃあ平行線のまま終わりそうだからよ」

「だったら、こっちも次は、シドがいくよ!」

「お、オレッ!? いきなり言われてもよぉ......」

「なんだい、ビビってんのかいっ? パンクじゃないねぇ!」

「......んなことねーぜ! オレに任せとけッ!」

「はいはい、どっちでも構わないわ」

 

 小田切(おだぎり)とナンシーたちが話している間に、俺と五十嵐(いがらし)は相談してひとつの結論に辿り着いた。結局のところコレしか方法はない。代表して、五十嵐(いがらし)が話す。

 

「俺たちからの質問は、お前たち二人への質問だ。お前たちが、“何を隠しているのか”だ」

 

 ナンシーは眉尻を上げ、小田切(おだぎり)は意図を察してくれたらしく「なるほどね」と微笑んだ。

 

「どういう意味だい? その質問は......」

「言葉通りの意味で捉えてくれて構わない。やり取りを見ていた限り、どっちも主語がないから平行線を辿っている」

「確かに、そうね。わかったわ」

寧々(ねね)!?」

「このまま続けても意味ないでしょ。だから、ここは腹を割って話そうってこと。シドも、同じこと思っていたんじゃないか?」

 

 五十嵐(いがらし)の言葉に付け加え、ついでにシドに振ってこちら側に引き込む。助かった、と言わんばかりに乗ってくれた。

 

「お、おうよ。オレも、そう言おうと思ってたんだぜ......!」

「ウソ吐くんじゃないよっ!」

「どっちでもいいわ」

 

 仲間割れになりそうになっている二人を制した小田切(おだぎり)は、記憶を探すきっかけになった例の写真を裏返しの状態で、ナンシーに手渡した。

 

「これは?」

「私が今、ここにいる理由よ」

 

 写真を裏返し、小田切(おだぎり)五十嵐(いがらし)。そして、今この場にいない山田(やまだ)の三人が仲良さそうに写る写真を見たナンシーは口をぎゅっと結び、写真に見入っている。

 

「正直に話すわ。私、本当は覚えてないの。その写真も、あなたのことも......」

 

 顔を上げたナンシーは、驚いた......と言うよりも、どこか悲しそうな表情(かお)をしていた。

 

「......そうかい。そうだよな、当たり前だ。無理もない、いいんだ」

 

 先ほどまでとは一転してしおらしい態度に変わったナンシーは写真を、小田切(おだぎり)に返す。

 

「それで。嘘をついてまで、何を知りたかったんだ?」

「私は。私と(うしお)くんは、この頃の気持ちを取り戻したいだけなの!」

 

 小田切(おだぎり)の思いを聞いたナンシーはうつむいて、しばらくして口を開いた。

 

「ひとつ条件がある」

 

 ナンシーが出した条件。

 それは――今から話すことは、山田(やまだ)に秘密にして欲しい。

 

           *  *  *

 

「何飲む?」

「アタシ、コーラ!」

「オレも!」

 

 軽音部での話し合いが済んだあと、俺たちは文化祭の打ち上げを兼ねて食べ放題の焼き肉屋に来ていた。席に備え付けのタブレット端末でソフトドリンクのページを開き、ナンシーとシドの二人分のコーラを注文欄に追加。五十嵐(いがらし)は冷茶を、俺は烏龍茶をそれぞれ選択。

 

「お待たせ」

 

 自宅に連絡を入れるため席を外していた小田切(おだぎり)が、店内に戻ってきた。空いている右隣に座った彼女にも尋ねる。

 

小田切(おだぎり)さんは、何にする?」

「見せて。そうねぇ、ルイボスティーにしようかしら」

「了解」

 

 端末を操作。とりあえず、飲み物を注文してから各々が食べたい品を注文していく。飲み物が揃ったところで、食材や料理が運ばれてくる前に乾杯。屋台の責任者という理由だけで音頭を取らされることになってしまった。奇をてらわず無難に済ます。

 

「それじゃあお疲れさまでした。乾杯!」

 

「カンパーイ!」とグラスを合わせてひと口運び、コップを置いて話をしながら、運ばれて来た食材をテーブルの中央に埋め込まれたコンロで焼く。

 

「うっま! やっぱ、カルビだよなっ!」

「そんなにがっついて食べると太るわよ」

「そんなの気にしてたら何も食べれないぜっ。シド、追加しな!」

「おおよッ!」

 

 サラダを中心にバランス良く食べている小田切(おだぎり)とは対照的に、ナンシーとシドは脂身(サシ)の多い肉を中心に食べている。

 

「まったく。ところで二人は、何を食べてるの?」

「砂肝」

「オヤジか!」

 

 ナンシーから、五十嵐(いがらし)に間髪入れず突っ込みが飛んだ。言われてみれば五十嵐(いがらし)の前には、日本酒の肴になりそうな一品料理ばかりが並んでいる。将来、酒飲みになる気がする。

 

「アンタも、偏ってるみたいだねぇ」

「ん? そうかな」

 

 肉、野菜とバランスを考えて食べているつもりだったんだけど。

 

「確かに、お肉は赤身と鶏肉ばかりね。脂が多いのは好きじゃないの?」

「そうでもないよ。でも一応、復帰に向けて身体を作り始めてるから」

 

 脂身の少ない赤身、ビタミンが豊富な豚、高タンパク低脂肪の鶏肉は筋肉に変わりやすい。栄養をしっかり摂りつつ、体重を維持しながら余分な体脂肪を落とすのに効率がいい。

 

「脂肪と筋肉って同じ重さでも、二割位体積が変わるから引き締まって細く見えるんだよ」

「ほう、そんなに変わるものなのか」

「まあね」

 

 太くなるからやりたくない、という人もいるけど。アスリート並の負荷トレーニングと食事制限しない限り、筋トレをして太くなることはあり得ない。逆に筋力量が増えれば、基礎代謝が上がる。当然、体型の維持もしやすくなるし、食べ過ぎも消費してくれるメリットがある。

 五十嵐(いがらし)との会話を聞いていた、隣の席とテーブルを挟んで斜めに座る女子の目の色が明らかに変わった。

 

「よーし、とりあえず、カルビを五人前追加......」

「待ってー!」

「そうだ、待て!」

 

 シドの隣に座っているナンシーは端末を取り上げる。 端末を託された小田切(おだぎり)は、すぐに注文欄を確認した。

 

「えっと、まだ確定はしてないわねっ。キャンセルキャンセル......!」

寧々(ねね)、赤身だ! 鶏肉だ!」

 

 どうやら、乙女心に火をつけてしまったらしい。

 健気な女子二人を見ていると、左隣の五十嵐(いがらし)が不意に笑った。

 

「どうした?」

「いや、去年の今頃もこんな感じだったのかって思ってな」

「そっか。またいつか戻れるといいな。山田(やまだ)たちともさ」

「......ああ、そうだな」

 

 目を閉じて冷茶を口に運ぶ五十嵐(いがらし)の横顔は、どこか物哀しげだった。今、この場にいない山田(やまだ)のことを気にかけてることは、きっと間違いないだろう。




次回は、小田切(おだぎり)視点の予定です。
現在製作中なるたけ早く出せるように出来たらと思います


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Episode29 ~8人目の魔女~

寧々(ねね)、ちょっといいかい?」

 

 文化祭の打ち上げの後、最寄り駅の改札を潜る直前を狙ったようにナンシーに話しがあると呼び止められた。さすがに焼き肉のニオイがついた服じゃあ、おしゃれなカフェには入れない。近くの公園で、ベンチに座って話を聞くことに。

 

「まさか、寧々(ねね)が魔女だったなんて思いもしなかったよ」

「それは、お互いさまよ。で、なによ? そんなことを言うために、わざわざ追いかけて来たのかしら」

 

「相変わらずだねぇ」と、どこかあきれ気味に、そして懐かしむように言ったナンシーは、足を前に投げ出した。

 

「ひとつ、思い出したことがあってね。寧々(ねね)、アンタはよく、窓の外を見てたよ」

「窓の外?」

「ああ、手芸部の部室で。昼とか、放課後とかにね」

 

 まったく、身に覚えはない。それも、そのハズ。去年の秋の記憶は、すべて消されてしまったのだから。記憶操作(リライト)の能力を持つ“7人目の魔女”、ナンシーから聞かされた真実は、とても衝撃的な話だった。

 

 

           * * *

 

 

「アタシは、お前たちに謝らなければならないことがあるんだ......」

 

 ナンシーの突然の告白に、私と(うしお)くんはわけもわからずただただ顔を見合わせた。窓際の椅子に座ったまま膝の上で両手をぎゅっと握りしめながら顔を伏せたナンシーは、申し訳なさそうに話を続ける。

 

「理由は言えない。けど、お前たちの記憶が抜け落ちているのは全部、アタシのせいなんだ」

 

「どう言う意味よ?」と問い掛けても、ナンシーは口をきゅっと結んで答えてくれない。腹を割って話すと言っても、言えることと言えないことがあるのは理解出来る。だけど、それを知るために、抜け落ちた記憶を、失った想い出を探してきた。

 

「飲み物買ってくるよ。シド、手伝って」

「ハァ? なんでオレが......」

 

 急に頼まれて、困惑するシド。

 ――ああ、そう言うこと。宮内(みやうち)くんの提案の意図を理解した。当時私たちと一緒に居なかった彼には、魔女の存在を隠しておきたい。同時に当時、シドも一緒に行動していなかったから、何が起きたのか聞かれたくない事情がある。

 でも私は「いいの。居てちょうだい」と返事を返して、ナンシーに向き直して改めて問いかける。

 

「あなた、記憶を操る不思議な能力(チカラ)を持っているんじゃないの?」

 

 勢いよく顔を上げたナンシーは、目を丸くして私を凝視。

 この反応は、アタリ。宮内(みやうち)くんの予想通り、ナンシーが記憶操作(リライト)もしくは、記憶消去(デリート)の魔女で間違いない。

 

「やっぱり、あなたは魔女なのね」

「――なっ!? ど、どうして、魔女のことを知っている!? 覚えてないって言ったじゃないかっ」

 

 血相を変えて詰め寄って来た。ちょっと落ち着きなさい、と諭してから彼女の疑問に答える。

 

「確かに、あなたのことは覚えていないわ。嘘じゃない。でも、私たちは魔女の能力のことは知ってる。だって私は、あなたと同じで不思議な能力を持つ魔女だもの」

「ウソだね!」

「なぜ、そう言いきれるのかしら?」

 

 嘘じゃないと予め伝えた上での回答したにも関わらず、間髪入れずに断言されてちょっと面を食らった。けど、彼女の断言の仕方からは絶対の自信を伺える。いったいどういうことなのだろう。

 

寧々(ねね)は、魔女じゃない。アタシには、魔女が()()()のさ!」

「魔女が、見える......?」

「オレが、解説するぜ!」

 

 私たちが魔女の存在を知っていたことで隠す理由がなくなったと解釈したようで、ナンシーの能力について説明を始めた。

 “7人目の魔女”の能力は、記憶操作と自分以外の他の魔女6人を識別(みる)ことが出来る。ただし、記憶を操作を行うと代償として、自身が朱雀高校の全生徒から忘れられてしまう。ただし、7人目の魔女には「観測手(スポッター)」というポジションがあり、その人にだけは忘れられられることがない。さらに観測手(スポッター)は、7人目の魔女を含む、他の6人の魔女全員の居場所を把握出来る能力が備わっている。

 

「つまり、ナンシーにも、シドにも、小田切(おだぎり)さんを魔女だって認識出来てないってこと?」

「ああ、そういうことだ。アタシには、寧々(ねね)()()の生徒にしか見えないね」

「でも、私は魔女よ!」

 

 そんなこと言われても納得いくわけない。だって私は、実際に虜の能力を使っていたんだから。そのことは、ずっと能力にかかっていた(うしお)くんが証明してくれる。宮内(みやうち)くんの態度が変わらなかったのは、ちょっと不安要素だけど。

 

「そこまでいうなら証拠を見せてみな。そうすれば、信じてあげるよ」

「証拠って、どうすればいいのよ......?」

「簡単なことさ。アイツらのどっちかとキスすればいい。アタシには、魔女の能力に掛かっている生徒を見分けることもできるのさ」

 

 もう一度、私に能力を使えってことね。

 でも私は、もう――。

 

「もしかして......。ねぇナンシー、生徒会に協力してたりする?」

「生徒会だぁ~?」

 

 他に証明出来る方法がないか模索している私を後目に、宮内(みやうち)くんが、ナンシーに生徒会との関係を尋ねた。

 

「はっ! 冗談じゃないね。アタシらは、決して権力には屈しないよ!」

「やっぱりそうか......」

 

 答えを聞いた彼は、何やら納得した様子。

 

「どういうことなの?」

「ああ、うん。前、生徒会長に呼び出されたんだけど、その時――」

「ったく焦れったいねぇ! シド、やっちまうよ!」

「おうよッ!」

「は? ぐっ......!?」

「えっ? ちょ、何よっ!?」

 

 隣で何かを言いかけていた宮内(みやうち)くんは、シドに頭部と首を掴まれて。私は、ナンシーに頭をがっしりと抑えつけられた。あまりにも突然のことに抵抗することもままならず、私たちの距離は縮まって、お互いの唇がピッタリと重なって触れ合った。

 

「なッ......!?」

「どうだ、ナンシー?」

 

 私たちを抑え込んだまま、シドがナンシーに結果を求めた。すると、ナンシーに押さえられていた手の力が弱まる。

 

「ウソだろ? 本当に掛かったよっ!」

「マジかよ!?」

「ぷはぁ~っ、はぁはぁ......」

 

 私も宮内(みやうち)くんもようやく解放されて、お互いの唇がゆっくりと離れる。私は背もたれに寄りかかって、彼は床に左膝をついて呼吸を整えている。ドア付近で腕を組んでいた(うしお)くんが、心配して駆け寄って来た。

 

「お、おい、大丈夫か? 思い切り首を極められていたように見えたが......?」

「し、死ぬかと思った......」

 

 私は頭だけだったから平気だったけど、首を絞められていた宮内(みやうち)くんは、呼吸もままならなかったみたい。

 ――それにしても、キスしたのは能力を解いた時以来......。

 それに何よりも自発的じゃないキスが、こんなにも胸の鼓動が速くなるものだったなんて知りもしなかった。みんなも、今の自分と同じ気持ちだったのだろうか。

 

「――小田切(おだぎり)!」

 

 (うしお)くんの大きな声に顔を上げる。声をかけてきた彼は、どこか小難しい表情(かお)をしている気がした。

 

「ど、どうしたの? いきなり大声なんて出して?」

「......さっきから呼んでいたぞ。それより顔が赤いが、大丈夫か?」

「え、ええ、平気よ。押さえ付けられてたから、ちょっと苦しかっただけよ。そんなことより......」

 

 いつの間にか元のポジションに戻ったナンシーに、批難の眼を向けて問いただす。

 

「いったい、どういうつもりかしらっ?」

「キスしちまうのが一番てっとり早いだろ? その証拠に、寧々(ねね)が魔女だってハッキリしたしね!」

「そうそれはよかったわ!」

 

 目を細めて、思いきり嫌みを込めて返事を返す。

 するとナンシーは腰かけていた机から降りて、私の前までやってきて白い歯を見せて笑った。でもその笑顔が、どこか悲しそうに感じたのは、気のせいじゃない気がする。

 

「しっかし、まさか寧々(ねね)が“8人目の魔女”だったなんてね」

「なあ、ナンシー。魔女って、必ず7人じゃなかったのか?」

「アタシもそう思ってたけど。実際、こうして存在しているワケだから認識を改める必要があるね。で、寧々(ねね)はどんな能力を持ってるんだい?」

 

 7人目の魔女は、魔女の存在を把握出来るけど保有する能力までは分からない。そのため観測手(シド)が常に捜査・監視を行っている情報収集を行っているそう。

 

「私の能力は、チャーム。キスした相手を、自分の虜にする能力よ」

「ふーん、虜ねぇ......」

 

 息を整えている宮内(みやうち)くんに一瞬目をやって、やや疑いの眼差しを向けられた。

 

「虜になってるようには、見えないけどねぇ」

「わ、私の能力は、人を選ぶの! 個人差でアプローチに差が出るのよ!」

「へぇ、絶対服従させられるワケじゃないのか。なら、いくぶんマシか......」

「マシ? マシって、何がよ?」

「いいや、何でもないよ。それで、去年の記憶を取り戻したいんだったね」

 

 ようやく、話が本題に戻った。ナンシーの質問に、私は力強く頷いて答える。

 そして、彼女の返答は――。

 

「どうすることも出来ないのよね?」

「すまない。今は、どうしようも出来ないんだ......」

「別に、あなたが謝ることじゃないわ。記憶を消したのは、山田(やまだ)なんでしょ?」

「結果を言えば、そうなるんだけどね......」

 

 明かされた真実。

 去年の秋頃、私たちとよく行動を共にしていた手芸部に籍を置く女子、姫川(ひめかわ)そら。あの写真を撮影したのは、彼女。ナンシーの話では、私たちは去年の今頃も今と同じように、魔女の調査をして過ごしていた。

 でも、そんなある日のこと――。

 姫川(ひめかわ)さんが「何も聞かずに、夏休みからの記憶を全員から消して欲しい」と、青ざめた顔で懇願してきた。彼女の鬼気迫る表情に深刻な事態を起きた、とナンシーは確信して願いを叶えることにした。でも範囲が広すぎて、魔女の能力を持ってしても手に終えなかった。

 そこで、全員の記憶を()()するためある方法を用いた。

 それは、儀式と呼ばれるもの。

 にわかには信じられない話し、魔女が7人揃えればどんな願いでも叶えられるという儀式。当然、二つ返事で受け入れられる事案じゃない。でも、実際記憶が抜け落ちている身としては信じる以外の選択肢もない。

 

山田(やまだ)は、そらの願いを叶えた。五十嵐(いがらし)と和解したことも、皆で笑い合って過ごした日々の記憶を全て失うとも、再び孤立してしまうことも、全て承知した上でね」

 

 ナンシーが私たちの前に、山田(やまだ)の前に現れなかったのは、同じ道を歩まないため。姫川(ひめかわ)さんと再び接点を持たないように細心の注意を払って、監視を続けていたそう。

 

姫川(ひめかわ)さんに、何があったのかしら......?」

「さぁね。それは、そらにしか分からないさ。力になれなくてすまない」

「言ったでしょ? あなたが謝る必要はないって――」

 

 ベンチから立ち上がって、数歩前へ歩いてから振り返る。

 

「これから、どうするつもり?」

「今まで通り、魔女の監視と保護を続けるさ。寧々(ねね)は、どうするんだい?」

「そうねぇ......」

 

 夜空を見上げて、少し考える。

 儀式以外で記憶は戻らないし、会長戦も辞退しちゃったから。これといった目的もない。会長戦が終わったら、次期生徒会が発足するから考える時間も持てる。

 

「ゆっくり考えるわ。時間はいっぱいあるからっ」

「そっか......」

 

 そう言うとナンシーは、どこか安心したように微笑んだ。

 

 

           * * *

 

 

 文化祭の振り替え休日を挟んでの、お昼休み前。

 教室移動から教室に戻っている途中で、宮内(みやうち)くんからメッセージが届いていた。メッセージの内容は、宮村(みやむら)が話があるとのことで、放課後に超常現象研究部の部室へ来て欲しいというものだった。

「まったく、アドレス知ってるんだから、そのくらい自分で送ってくればいいのに」と、思いながら返信を送り、放課後を迎えた。

 

「お待たせ」

「ぜんぜん、じゃあ行こうか」

「ええ」

 

 教室棟と部室棟を繋ぐ渡り廊下で待ち合わせをした私たちは、宮村(みやむら)に呼び出された超研部の部室へ向かう。

 

「アルバイトは、いいの?」

「今日は17時からだから。まだ余裕あるんだ」

「そう。あ、そうだわっ」

「ん? なに?」

 

 超研部まで後数歩のところで立ち止まって、宮内(みやうち)くんに「姫川(ひめかわ)さんのことだけど......」と耳打ちすると「ああー、了解」と、すぐに察してくれた。

 改めて歩みを進めて、ドアを軽くノック。すぐに宮村(みやむら)が出てきた。

 

「来てあげたわよ。なんの用よ?」

「そう急かすなって。とりあえず、入ってくれ」

 

 周囲を警戒している宮村(みやむら)に促され、超常現象研究部の部室へ足を踏み入れた。するとそこには、思いがけない人物が待ち受けていた。

 

「あなた......!」

 

 それはかつて、宮村(みやむら)と共に生徒会長の座を争っていた男子だった。



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Episode30 ~魔女殺し~

「イ・ヤ・よ!」

 

 小田切(おだぎり)を連れて、超常現象研究部部室に入って早々「次期会長が誰になるか知りたいから、お前の能力をコピーさせてくれ」と山田(やまだ)に頼まれた彼女は、山田(やまだ)に向かって不機嫌そうな表情(かお)で拒絶の言葉を言い放った。

 

「何でだよ! 別に、お前に調べて来てくれって頼んでるワケじゃねぇよ。お前の能力をコピーさせてくれるだけで......」

「お断りよ! 私は、会長戦を辞退したの。だから、次期会長にどっちが近いかなんて興味もないし、あなたたちに協力する理由もないわっ」

「うぐっ......」

 

 これ以上無いほどの正論を叩きつけられた山田(やまだ)は、彼女の迫力に一歩後退り。そんな山田(やまだ)の肩を軽く叩いた宮村(みやむら)が、入れ替わる形で前に出てくる。

 

「そう邪険に扱ってやるなよ。山田(やまだ)が泣いちゃっただろ?」

「泣いてねぇーよッ!」

「それに、ちゃんとした理由もあるんだぜ」

 

 自分でイジっておきながら無視して話を続ける辺りは、さすが宮村(みやむら)。堂々と我が道を貫いている。ある意味で感心してしまう。

 

「理由? 別に知りたくもないわ」

「身も蓋もねぇーな。話聞くくらいいいだろ?」

「聞いても変わらないわ。私は、もう二度と私利私欲で能力は使わないって決めたの!」

 

 腕を組んでぷいっと顔を背け、聞く耳を持つ素振りを微塵も見せない小田切(おだぎり)の説得を諦めたのか、宮村(みやむら)は小声で耳打ちしてきた。

 

「おい、宮内(みやうち)。お前からも頼んでくれよ」

「いや、本人が嫌だって言ってるし。無理強いは良くないと思うぞ?」

「深い理由があるんだって。実はな――」

「何を話しているのかしら......?」

 

 小声で話している俺たちに、小田切(おだぎり)が気づいた。すると宮村(みやむら)は、いきなり肩を組んできた。

 

「連れション行こうーぜって話。小田切(おだぎり)さんも、一緒行くか? ツ・レ・ショ・ン」

「行かないわよ、行くわけないでしょ! ほんとサイテーねっ!」

「はっはっは、そう目くじら立てんなって。そう額に青筋立ててると美人が台無しだぜ? おい山田(やまだ)玉木(たまき)も行こーぜ」

「みやむー、俺は!?」

 

 部室に小田切(おだぎり)と、トランプで遊んでいた超研部の三人を残して外へ出た。廊下へ出るなり、宮村(みやむら)玉木(たまき)と呼んだ真ん中分けの男子が口を開いた。

 

小田切(おだぎり)くんはなぜ、あそこまでかたくなに拒否するんだ?」

「さーな。小田切(おだぎり)なりの理由があんじゃねぇの」

 

 チラっと俺に目を向けてきたけど、俺にだって理由は分からない。ただ前に、もう使うつもりはないって言っていたから、よほどの事情がなければ能力は使わないと思う。

 

「それで、理由ってなんなの?」

「ああ、それな。山田(やまだ)、お前から話せよ」

「おう、実はな。魔女の能力を消すためなんだ」

「魔女の能力を消す?」

猿島(さるしま)がさ。魔女の能力があると不便だから、消す方法を探してたんだ。それで、見つけたのが......」

「魔女殺しの能力を持つ僕というわけさ」

 

 ――魔女殺し。

 玉木(たまき)曰く、魔女殺しは魔女の能力が一切効かない。更に、魔女自身に影響を与えることが出来る能力を持っている。山田(やまだ)は、複写(コピー)玉木(たまき)は、魔女の能力を奪い取ることが出来る削除(カット)の能力を保持している。

 昨日、猿島(さるしま)から相談を受けた山田(やまだ)は、魔女についての情報が記録されているノートの下巻を持つ滝川(たきがわ)に、退学以外で能力を消す方法がないか聞きに行った。先日、軽音部に顔を出さなかった事情はこれ。そして、そこで玉木(たまき)の存在を知った。

 しかし現在、玉木(たまき)は別の能力――透明人間(インビジブル)を保有していたため一度は拒否したが。山田(やまだ)も、自らと同じ魔女殺しと知り条件を提示した。

 その条件が、次期会長戦の現時点での評価を調べること。そこで、虜の能力を会長に使って聞き出そうと、小田切(おだぎり)に協力を求めた。

 

「なるほどね。要するに会長選の情報さえ手に入れば、小田切(おだぎり)さんに無理に頼む必要は無くなるわけだよな?」

「まあ、そりゃそうなんだけどよ」

「フゥ、どうやらキミも山田(やまだ)くん同様分かっていないようだね。次期生徒会長戦は、重要機密事項なんだ。そう容易く入手出来る情報ではないのさ」

「だから、小田切(おだぎり)の能力が必要なんだ。コピーさせてもらえりゃ、あとは俺が聞き出せる!」

「ふーん......」

 

 二人の話しを一通り聞き終え、背中を向けて、生徒会室へ行くため廊下を歩き出す。するとすぐに、宮村(みやむら)が追ってきた。

 

「ちょっと待て。お前、どうするつもりだ?」

「要はどっちが優位かわかればいいんだろ。まあ、なんとかなるよ」

「オレも行く」

 

 宮村(みやむら)が、山田(やまだ)玉木(たまき)に部室で待ってるよう伝えている間に、俺は一足先に生徒会室へ向かった。

 

 

           * * *

 

「失礼します」

 

 差し向けたと誤解を生まないよう、宮村(みやむら)は部室へ戻らせ、俺は一人生徒会室の扉をくぐった。

 

「あら、宮内(みやうち)さん。お久しぶりですね、何かご用かしら?」

 

 部屋に入ってすぐ応対に来てくれたのは、秘書の飛鳥(あすか)。生徒会長山崎(やまざき)の姿は見えない。どうやら、今は席を外しているようだ。山崎(やまざき)に用事があることを伝えると、会長席のすぐ隣にある生徒会役員が会議に使うテーブルへ案内してくれた。

 

「すぐに戻って来ますので、少々お待ちください。お茶でよろしいですか?」

「いえ、お構い無く。お心遣いありがとうございます」

 

 かしこまった受け答えで返すと、飛鳥(あすか)は可笑しそうに微笑んだ。

 

宮内(みやうち)さんは、将棋はたしなまれますか?」

「将棋ですか。一応、指せますけど」

 

 麻雀と同様に入院生活中、歴戦の猛者たちを相手に花札、麻雀、囲碁・将棋と一通り経験済み。将棋を指せると知った飛鳥(あすか)は、どこからか折り畳み式の簡易将棋盤と駒の入った桐箱を用意して、俺の正面に腰を降ろした。

 

「では、会長が戻ってくるまで一局お手合わせお願いできますか?」

 

 こんな成り行きで、彼女と将棋を指すことに。

 

「まあ、なんていやらしい責め方。きっと女性に対しても同じ扱い方をするんでしょうねっ」

「......人聞きの悪いこと言わないでください」

 

 ふふっ、と上品に笑って優しい笑顔を見せる。

 それにしてもこの人相当強い。入院生活で対戦して来た、経験豊富な猛者たち以上だ。

 こちらが数手後に王手を狙える位置へ誘い込もうと、攻めやすいようにわざと隙を作り、こちらが駒を移動させたあとのスペースを虎視眈々と狙っている。一手間違えれば、即詰みまで持っていかれ兼ねない。けど、勝利はリスクと等価交換、攻めっ気をなくせばそれこそ相手の思うつぼ。

 

「おや、ずいぶんと楽しそうだね」

 

 対局に夢中になっていると、いつの間にか山崎(やまざき)が戻って来ていた。「続きは、次の機会に」と、飛鳥(あすか)はすぐに将棋盤を片付けて席を立ち、お茶を淹れにいく。

 山崎(やまざき)飛鳥(あすか)が座っていた席に腰を下ろし、淹れたてのお茶を一口すすって、湯飲みを置く。

 

「ふぅ。それで今日は、どうしたんだい。僕にどんな用事なのかな?」

「はい。生徒会長戦についてお尋ねしたことがあります」

「会長戦? ああ、そうか。ついにキミも、生徒会長になる気になったのかな? 僕、個人としては賛成だよ」

「いえ、それはないです」

 

 きっぱりと答えると、つまならそうに背もたれに寄りかかった。山崎(やまざき)は湯飲みを手に持って「それは残念。じゃあ何かな?」と改めて理由を尋ねた。

 

「次期生徒会長の最有力候補を教えていただけたらと」

 

 空気が、一変。

 山崎(やまざき)の傍らに立つ、飛鳥(あすか)の目からは優しさが消え。山崎(やまざき)は口に運ぼうとしていた湯飲みを置き、眼鏡に軽く指先で触れて、威圧する様な目付きに変わる。

 張り詰めるような緊張感が、生徒会室を包み込んだ。

 

「なぜ、そんなことを知りたいのかな?」

「実は、女友達の悩みを解決してあげたくて」

「......女の子?」

 

 彼らにとっては意外な返答だったようで、山崎(やまざき)飛鳥(あすか)は顔を見合わせて不思議そうな表情(かお)を覗かせた。

 かいつまんで事情を話す。魔女の存在を把握している二人は、すぐに状況を把握して納得してくれた。

 

「魔女の力を消したい、か。なるほどね~」

「会長、私からもお願いします。猿島(さるしま)さんの気持ちは、痛いほど理解できますから」

飛鳥(あすか)先輩が?」

「実は、彼女も魔女だったんだよ。宮村(みやむら)くんと次期会長を争っている玉木(たまき)くんに能力を奪って貰って今は、普通の女子生徒......いや、優秀な僕の秘書だね」

「お恥ずかしいですわ」

 

 ということは今、玉木(たまき)が保有している透明人間(インビジブル)は、飛鳥(あすか)の能力なのか。

 

飛鳥(あすか)くんの頼みとあっては仕方ないかな。本当は、超極秘事項なんだよー?」

「あ、教えていただけるのであれば。今回の件で、体育祭の目録を使用した体で構いません」

「ああそうか、それがあったね。それじゃあ無下には断れないね」

 

 これで一応の体裁を保てたという事なのだろう。嫌々だった雰囲気が薄れた。そして、本題の会長選について語り始めた。

 

「実は正直、まだ決めかねているんだ。どっちも決定打が無くてね」

 

 玉木(たまき)には、奪った能力を使っての情報収集などの汚れ仕事を。一方の宮村(みやむら)は、無理難題な指令でもコンスタンツに成果を残しているらしい。

 

小田切(おだぎり)くんの推薦の分を考慮して、五分五分だったんだけど。今回の一件で、宮村(みやむら)くんがやや優位になったかな?」

「そうですか。では、五分五分として伝えておきます」

「うん、そうしてくれると助かるよ。緊張感は重要だからね」

「ええ」

「ところで目録の件、本当に今ので良かったのかい? 私利私欲じゃないから、別のことでもいいんだよ。例えば、次期生徒の推薦とかね?」

「ああ......まあ、別にいいです。自力で勝ち取れないようなら所詮その程度、はなっから人の上に立てる器じゃない。そんなヤツには誰も着いて行かないですよ」

「あっはっは! キミは、クレバーだねぇ。やはりいい素質を持ってる、もったいないな~」

「謹んで遠慮させていただきます。じゃあ、失礼します。ありがとうございました」

 

 席を立ち、頭を下げて礼を述べて扉へ向かう。

 扉横で待っている飛鳥(あすか)がドアノブに手を伸ばした瞬間、山崎(やまざき)に呼び止められた。

 

宮村(みやむら)くんと玉木(たまき)くんに伝えてくれるかな? 最後の魔女を、“7人目の魔女”を見つけた方が次期会長だとね!」

 

 

           * * *

 

 

「ふむ、なるほど」

「7人目の魔女を......。残り一人の魔女を見つけた方が、次期会長か。分かりやすくていいな」

「そういうことだから。じゃあ、俺はバイトあるから」

 

 超常現象研究部の部室へ戻り、二人に頼まれた条件を伝えた俺は、スクールバッグを持って部室を後にする。今から塾へ行く白石(しらいし)と、宮村(みやむら)も一緒に部室を出た。急遽生徒会の仕事が入った小田切(おだぎり)とは、入れ替わりになってしまった。

 

「しかし、どうやって聞き出したんだ? あの狸が、そう易々と口を割るとは思えねぇんだけどよ」

「素直に、女の子が困ってるって言ったら教えてくれた」

「......は?」

 

 別に嘘は言ってない。猿島(さるしま)が困っているのは本当のことだし、実際それを相談しに行った。

 

「その手があったかぁーっ! 会長が無類の女好きだったのを忘れてたぜっ!」

「悔やんでる暇があったら、魔女探しをした方が有意義じゃないの? 勝負はもう、始まってるんだからさ」

「ああ、そうだな。また夜に連絡する、じゃあな。白石(しらいし)さんも」

「ええ、また明日」

 

 部室へ戻って行く宮村(みやむら)を見送った俺たちは、校舎を出てお互いの目的地がある、商店街の歩道を歩幅を合わせて歩いていた。

 

「大丈夫だった?」

「ん、何が?」

「体育祭のこともあって、みんな心配していたから。小田切(おだぎり)さんなんて『どうして、一人で行かせたのよ!』って、凄い剣幕だったわ」

「そっか。あとで連絡しておくよ」

「うん、そうしてあげて。心配してると思うから」

 

 その後は白石(しらいし)らしく、再来週に迫った中間テストの話題に。話をしながら歩いて数分、バイト先のフットサルコート前の交差点に到着。

 

「じゃあ俺、こっちだから。気を付けてね」

「ええ、ありがとう。また明日」

 

 歩行者信号が青に変わるのを待つ間に小田切(おだぎり)に、メッセージを打つ。送信してすぐに返信が来た。信号が青に変わる。横断歩道を渡りきってから届いたメッセージを読む。「別に、それより何があったか教えてよね?」と、一言だけ書いてあった。

「了解。バイトが終わったら送るよ」と返事を打って、俺はクラブハウスの扉を開いた。



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Episode31 ~もうひとりの7人目の魔女~

 人工芝のピッチ外に設置されたベンチに座っている小田切(おだぎり)と、腕を組ながら防球ネットを支える石柱に背を預けて立つ五十嵐(いがらし)に、生徒会室でのやり取りを片付けをしながらの会話。

 

「“7人目の魔女”を探せ、ね。また無理難題を突きつけられたものね」

「それもノーヒントでね」

「会長戦辞退して正解だったかも」

「だが、しかし......いや、やはりと言うべきか」

 

 神妙な面持ちを見せる五十嵐(いがらし)は、ことの核心に触れる。生徒会に一切協力はしていないと断言したナンシー以外に、もうひとり別の“7人目の魔女”が存在していることに――。

 

「もうひとりの“7人目の魔女”の能力も、ナンシーと同じ記憶操作(リライト)の能力なのかしら?」

「さあ、どうだろう。だけど、会長の手の内にいることは間違いないと思うよ」

「なぜだ? “7人目の魔女”の存在を把握していることは理解出来るが、直接繋がっているとは限らないだろう」

 

 ピッチの片付けと整備を終わらせて、場所をクラブハウスに移動。今は、個サル上級者に試合にスタッフが加わっているためロビー内には、俺たち三人以外誰も居ない。魔女の話をするにはうってつけの環境。自販機で三人分の飲み物を用意してからテーブルに着き。改めて、五十嵐(いがらし)の疑問に答える。

 

「体育祭のあと、会長に呼び出されたんだ。その時俺が、小田切(おだぎり)さんの能力にかかってることを指摘されたんだよ」

「ふむ、そうか。ナンシーの話では、“7人目の魔女”は魔女の能力にかかった生徒を識別出来るんだったな。山崎(やまざき)の近い関係にある女子が、もうひとりの“7人目の魔女”である可能性が高いということか。小田切(おだぎり)

 

 同じ生徒会に所属し、生徒会副会長を務めている心当たりがないか尋ねる。小田切(おだぎり)は「そうねぇ~」と頬杖をつきながらやや目線を足下に落とし、記憶を辿っている。

 

「私が知る中で可能性があるのは、同じ生徒会に所属している一年生の猪瀬(いのせ)さん。もしくは、生徒会直属のボランティア部の女子辺りね」

 

「正直、一番怪しいと思ったのは飛鳥(あすか)先輩だったけど」と、彼女は続けた。俺もナンシーの話を聞いた直後、最初に頭に浮かんだのは、小田切(おだぎり)と同様山崎(やまざき)の側近、秘書を務める飛鳥(あすか)だった。でも彼女は、“7人目の魔女”ではなく、玉木(たまき)が保有する透明人間(インビジブル)の元魔女。

 となれば今、一番怪しいのは生徒会一年生の猪瀬(いのせ)という名の女子だけど。その一年生の特徴を聞いても、俺には覚えがない。小田切(おだぎり)宮村(みやむら)しかり、常に生徒会室へ顔を出している訳では無いらしい。

 

「だけど。会長がいう“7人目の魔女”が誰でも。もう、私たちには関係のないことよ」

「それもそうだな。小田切(おだぎり)は会長戦を辞退したし、俺たちの記憶が消えた理由も判明したことだからな」

「そうよ。だから私は、これからのことを考えることにしたわ。先ずは、再来週の中間試験ね」

「そっか、もうそんな時期だっけ」

 

 カレンダーは、10月。今年もあと、二ヶ月あまり。ちょうど去年の今頃、何かが起きた。仲が良かった五人の間に、記憶を消してしまいたいほどのことが――。

 

「フフーン。実は、会長戦を辞退したお陰で勉強に時間を費やせたから、今回は自信あるのよねっ」

 

 得意気な顔で髪に触れる小田切(おだぎり)に、五十嵐(いがらし)がやや意地悪そうに鼻で笑う。

 

「ほう。ならば、毎回鬼門の現代文もいけそうなんだな」

「と、と、当然じゃない......!」

「あっはは!」

「ちょっと、笑わないでよっ!」

 

 軽く叩かれながら、手を合わせて許しを請う。

 

「もう!」

「あ、ごめん時間だ。外すね」

 

 夜勤のスタッフが出勤して来た。席を立って、事務所の中で引き継ぎを済ませ、定時ぴったりにクラブハウスを出る。外は、暖房が効いて温かかったロビーとは打って変わって、秋らしい冷たい風が頬を撫でる。

 

「ずいぶん涼しくなったわね。明日からは、もう少し厚着しようかしら?」

「俺も、防寒着の用意をしておくか」

 

 五十嵐(いがらし)は、ズボンのポケットに両手を突っ込み。小田切(おだぎり)は自身を抱くようにして体を縮込ませている。このまま長居したら、風邪を引きかねない。少し急いで、最寄りの駅まで彼女を送っていこうと思ったところで、ポケットの中で、スマホが振動した。発信者は、宮村(みやむら)。通話ボタンを押して電話に出る。

 

「はいよ」

『おう、お疲れさん。いいか?』

「どうしたの?」

『“7人目の魔女”のことで話してーことがあってな。今、お前んちの近くまで来てんだけど居るか?』

「悪い。今から帰るとこだから、あと20分くらいかかると思う」

『そっか。じゃあ、コンビニで時間潰しとくわ』

 

「じゃあな」と、宮村(みやむら)は返事も聞かず一方的に通話をぶった切りやがった。スマホをしまう。

 

宮村(みやむら)?」

「そう。うちの近くまで来てるって。“7人目の魔女”の件で何か話があるみたい。悪いんだけど......」

「ねぇ。私も、同席させてもらっていいかしら?」

 

 玄関の鍵を回して扉を開けて、客人三名を招き入れる。

 

「で。どうして、お前らが居るんだよ?」

「別にいいでしょ。“7人目の魔女”については、私たちにも関わりがあるんだから」

 

 さっきと言っていることが真逆。だけどこれは、ナンシーの件を隠しておく必要があるからだろう。

 

「ふ~ん。まっ、そう言うことにしておいてやるよ」

「何よ、その言い方。ムカつくわね......」

 

 テーブル越しにいがみ合う二人。端から見ると、小田切(おだぎり)が一方的におちょくられてるだけだけど。口には出さずに俺は、宮村(みやむら)に用件を尋ねることに。

 

「それで?」

「オレたち超研部は総力を上げて、“7人目の魔女”を探すことになった」

 

 放課後、部室へ戻った宮村(みやむら)は“7人目の魔女”を探そうと提案したが。超研部は特別乗り気ではなく、ひとりで探せ的な空気だったらしい。しかし、猿島(さるしま)に報告に行った山田(やまだ)が帰ってきた途端、どういう訳か魔女探しに躍起になったことで状況が一変。

 その理由(わけ)は――。

 宮村(みやむら)が選挙戦で敗退した場合、白石(しらいし)が、玉木(たまき)の秘書になってしまう未来を視たから。

 

「まさか。山田(やまだ)が、あの白石(しらいし)うららとは......無謀だな」

「そうか? オレはちょっと、脈アリだと思ってっけどな~」

山田(やまだ)が誰に好意を寄せていたとしても今はいいわ。それで、アナタが宮内(みやうち)くんに報告に来た理由は?」

「そりゃあもちろん、選挙協力に決まってるだろ? 小田切(おだぎり)さんたちも居てくれて手間が省けた。一緒に、“7人目の魔女”を探そうぜ......!」

 

 俺たち三人は「どうする?」と、無言のままアイコンタクトで語り合う。

 

「おい、なんだよ。この、オレがスベってるみたいな空気はよ?」

「私たちさっき、魔女探しから一旦手を引きましょうって話合ってたところだったのよ」

「は? なんで? 消された記憶を取り戻すんじゃなかったのか?」

 

 宮村(みやむら)が疑問に思うのは当然。ただ、“7人目の魔女”がナンシーと同様に記憶操作の能力を有していることを念頭に置けば、これ以上の深追いは禁物。会長と“7人目の魔女”が近いところで繋がっていたら、せっかく辿り着いた記憶を取り戻すことが出来る「儀式」のことも忘れさせられてしまう可能性がある。

 お姉さんの件があるとはいえ、宮村(みやむら)には悪いけど選挙戦が終わるまでは、穏便にしておきたい側面がある。同時に、宮村(みやむら)が会長になれば、もうひとりの“7人目の魔女”についても何か分かるかも知れない。ただ、今は......。

 

「ほら。そろそろ、中間テストがあるだろ。だから、本格的な調査はそれが終わってからにしようって」

「ああ~、中間か。ならしゃーねぇーか」

 

 どうやら上手く、こちらの思惑は伝わった。

 

「じゃあ、宮内(みやうち)だけでいいや。頼むぜ」

宮内(みやうち)くんの話を聞いていたのかしらっ?」

「大丈夫だって。オレと同じくらいの学力あんだし。てか、どうして小田切(おだぎり)さんが怒るんだぁ~?」

「あんたの無責任な言動に苦言を呈してるのよ!」

 

 宮村(みやむら)は、ニヤニヤと笑みを浮かべながら毎度のように安い煽りをして。小田切(おだぎり)も人がいいから、律儀に相手にするいつものパターン。

 

「まあまあ。バイトもあるから相談相手くらいにしかならないぞ」

「それで十分さ。頼むぜ、相棒」

「はいはい」

「まったく......」

 

 話はまとまった。

 とりあえず、現状どこまで掴んでいるか尋ねてみたが、今のところこれと言った手がかりは掴めていないらしい。最後の手段として以前、“7人目の魔女”を恐れて登校出来ないでいることを話したお姉さんについて、山田(やまだ)と共に真相を尋ねに行ったそうだが、あえなく門前払いを受けてしまったそうだけど――。

 

「なに? あなた、お姉さんが居たの?」

「ああ、ひとつ上にな」

「へぇ~、なんか意外かも。ひとりっ子だと思ってたわ」

「いいのか?」

「構わねぇよ。山田(やまだ)にも話しちまったことだからな」

 

 宮村(みやむら)は、笑顔を見せた。部を上げて大々的に“7人目の魔女”を探すことになった以上、いずれ話さなければならなくなることを覚悟していたようだ。

 

小田切(おだぎり)さんは、兄弟姉妹(きょうだい)居ないのか?」

「弟が、ふたり居るわ。(うしお)くんも兄弟が居るって言ってたわよね?」

「ああ。俺もひとり、弟が居る」

 

 話題は魔女から大きく脱線して、兄弟の話題に変わった。それぞれ兄弟が居ることが分かり、小田切(おだぎり)は俺にも兄弟が居るか尋ねた。

 

「面倒見いいから、弟か妹が居そうだけど?」

「ご明察。みっつ下に妹が居るよ」

「巨乳か!?」

「サイテーね!」

 

 間髪入れずに小田切(おだぎり)がツッコミでくれたお陰で手間が省けた。写真が無いか聞かれて、今年の正月に帰った時に撮った写メが、妹から送れて来たいたのを思い出した。

 

「あら。すごくかわいい子ね」

「どことなく似ているな」

「巨乳じゃねぇのか」

 

 妹の写真を見た三人の反応は、三者三様。しかし宮村(みやむら)は、どんな時でも平常運転である意味で感心してしまう。

 

「妹さんは、静岡に居るんだよな?」

「ああ、朱雀高校に進学を決めたとき引っ越すって話もあったんだけど。中学に上がるタイミングだったから遠慮したんだ」

「それで、ひとり暮らしなのね。でもどうして、遠く離れたうちの学校に進学したの?」

「だな。その足じゃ不便だろうしな」

「うむ。親元に居た方が安心だろう。家族も」

 

 よくあることで、たいして面白味もない話しだけど。三人は興味があるらしい。別に、隠す理由もないし話すことにした。

 

「腕の良い整形外科医が居たのが一番の理由。それに知らない土地って訳でもないから」

 

「どういうこと?」と、小田切(おだぎり)は首をかしげる。

 

「小学校まで、この辺りに住んでたんだよ」

「おいおい、マジかよ?」

 

 揃って驚いた顔を見せる、宮村(みやむら)たち。

 中学に上がる直前、親の都合で静岡に引っ越しが決まった。俺自身、誰一人知り合いの居ない学校でゼロから始める難しさを身を持って知っている。だから、同じ思いを二度もさせたくなかった。

 ただ、俺は恵まれていた。

 さすがは、サッカー王国と謳われる静岡。中学に上がってすぐ、プロリーグで活躍していたプロサッカー選手が卒業したうちの中学校を訪れて、トークショーを開いた。学生時代の苦労話、挫折を乗り越えての成功体験。最後に、グラウンドでボールを蹴る機会があった。

 その時ふと気がつくと、その人を中心にたくさんの笑顔が溢れていた。俺も、その中の一人。誰ひとり顔見知りがいないのに、自然と仲間が出来た。

 そして、いつの間にか俺はサッカーに魅了されていた。

 元々運動は得意な方だったし、プロ選手を輩出した学校だったこともあって練習環境にも恵まれていた。当然大変なこともたくさんあったし、選手生命に関わる大ケガも負った。

 それでも、やらなければ良かったと後悔をしたことは一度もない。それだけは、決してありはしない。

 

 

           * * *

 

 

「送っていかなくて、大丈夫?」

「平気よ。それより長居しちゃってごめんなさいね」

「それは別にいいけど、気をつけてね」

「安心しろって。オレがついてるんだぜ?」

「じゃあ、また明日。行きましょ、(うしお)くん」

「邪魔したな」

 

 ウインクする宮村(みやむら)を無視して振り返った小田切(おだぎり)五十嵐(いがらし)は、すたすたと街灯と月明かりが照らす夜道を歩いていく。

 

「ったくよー。相変わらずツレねぇよな~」

「まあ、認められてるからキツく当たられるんだろ」

「分かってるって。さて、本題といこうぜ」

 

 公園の自販機で缶コーヒーを買い求め、いつになく真面目な顔でベンチに座る宮村(みやむら)。俺は、彼に背を向ける形で、ベンチの手すりに腰を降ろす。

 

「去年のことを知ってただけで、お姉さんとは関係なかった」

「なら、会長が探せっつー“7人目の魔女”が本命か。しっかし、お前以外にも覚えてるヤツがいたってことは記憶が正しいって証明されたってわけだ」

「......けど、詳しい事情までは分からず終いだった」

「ふむ。事情はどうあれ、どうするよ?」

「さっき話した通り、一旦区切り。山田(やまだ)は......まあ、連絡も来ないからそれどころじゃないんだろ」

「だろうよ。白石(しらいし)さんが秘書になるって知って以来、最後の魔女探しに躍起になってるからな」

 

 全校生徒3000人前後の超マンモス校。お姉さんと関わりのない一年生と、魔女に該当しない男子生徒を除けば、三年と二年の女子生徒を合わせて、1000人ほどにまで絞れる。いや、おそらくは、もう――。

 

「掴んでるんだろ?」

「ああ......姉貴が知ってるハズだ。何せ、そいつから逃げてるんだ。顔も、名前も、知らぬ存ぜぬなわけがねぇ......!」

 

 そうだ。お姉さんは、“7人目の魔女”の存在を認識している。

 直接聞き出せることが出来れば、あらゆることに片がつく。会長選も、白石(しらいし)玉木(たまき)の秘書になってしまう未来も、宮村(みやむら)のお姉さんのことにも。

 

「もう一度、姉貴を問い詰める。出たとこ勝負だな」

「そっか。ああ、そうだ俺、明日と明後日病院に寄ってから登校するから」

「おう、了解。いつも通り、担任には伝えとく」

「悪いな」

「いいって。さてと」

 

 ぐっと反動をつけて、ベンチから立ち上がった。

 

「んじゃあ、帰るわ」

「ああ、お休み」

「おやすみ~」

 

 背を向けたまま軽く手を振って歩いて行く宮村(みやむら)と反対方向へ歩み出し、自宅アパートへ帰る。

 そして、二日後の朝。先日話した通り、朱雀高校へは登校せず朝一で病院で、昨日の午前中に受けた定期検診の結果を聞く。

 主治医から下された診断結果は、順調に回復している。

 仮に今のペースで順調にいけば、時間制限付きで夏のインターハイ出場も見えてくる可能性もあるとのことだ。ただし、それも年末に本格的な検査をして問題が無ければの話で、油断大敵としっかり念を押された。主治医に礼を言って、病院を出る。

 すると、病院前のロータリーのバス乗り場付近のベンチに思いがけない人物が座っていた。

 

小田切(おだぎり)さん?」

「あら、思ったより早かったわね。検査結果どうだったかしら?」

 

 ベンチに座っていたのは、制服姿の小田切(おだぎり)

 既に授業が始まっている時間のはずだけど。とりあえず、学校への通学路を歩きながら話しを聞く。

 

「そっか、わざわざ届けてくれたんだ。ありがとう」

「別にいいわ。一時間目は、自習だったから」

 

 小田切(おだぎり)宮村(みやむら)に頼まれて、届け物に来てくれた。宮村(みやむら)には「急ぎの連絡だから」と聞かされたらしいのだが、受け取ったプリントの内容は取り急ぎの物ではなかった。お礼に近くのコンビニで飲み物をご馳走して、再び通学路を行く。

 普段の日常であれば、お互い授業を受けている時間帯にこうして隣に並んで歩いているはなんか変な感じ。

 

「あら。あれって、山田(やまだ)じゃないかしら?」

「え? あ、ホントだ」

 

 商店街に差し掛かった時、神妙な面持ちをした山田(やまだ)が肩を丸めて前方から歩いてくる。声をかけると、驚いた様子で一歩飛び引いた。

 

「おわっ!? な、なんだ、お前たちかよ......」

「なんだとはご挨拶ね。あなた、授業をサボって何をしているのかしら?」

「お前たちこそ、何やってんだよ?」

「私たちは、それぞれ用事で外に出てただけよ。それで?」

「俺は......」

 

 山田(やまだ)から語られたのは、“7人目の魔女”についてだった。

 昨夜、宮村(みやむら)の姉――宮村(みやむら)レオナの説得に成功し、魔女の名前を聞いた山田(やまだ)は今朝早く、山崎(やまざき)に7人目の魔女の名前を告げた。それにより、宮村(みやむら)が次期生徒会長に決まった。これで、白石(しらいし)が秘書になる未来も変わって一件落着......とは行かなかった。

 

「それで、7人全員の魔女を知ってしまった山田(やまだ)は、“7人目の魔女”の能力で記憶を消された、と」

 

 記憶操作(リライト)の能力。これで、もうひとりの“7人目の魔女”もナンシーと同じ能力と判明。

 

「でもあなた、私たちのこと覚えてるじゃない」

「渡された注意事項に効果が出るまで最長で24時間かかるんだってよ」

「じゃあ明日の今頃には、全部忘れてるのね」

山田(やまだ)、大丈夫か?」

「心配すんなって。じゃあ俺は、注意事項に従って帰って寝るわ。()()()

 

 どこか強がりにも思えた山田(やまだ)の姿が見えなくなるまで、俺と小田切(おだぎり)は、商店街の人混みに消えていく背中を見送った。



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Episode32 ~失った物~

今回は、白石(しらいし)視点となります。


 黒板に数学の新しい公式を書き綴っていた先生が振り返り、ここまでで質問があるかを尋ねる。いくつか上げられた疑問に答えたあと、呆れ顔で息を吐くと再び背中を向けて、授業の続きに入る。

 ため息の理由は、私の隣の席の山田(やまだ)の授業態度。頬杖を突いて、窓の外を眺めている。今日は、朝からずっとこんな感じで上の空。だけど、休み時間になる度にクラス委員の土生田(とちうだ)さんに提出物を求められても、テキトーにやり過ごしているから体調不良とかではなさそう。 

 三時限目、四時限目も授業は滞りなく進み、お昼休み。宮村(みやむら)くんに呼び出されている私と(みやび)ちゃんはお弁当を持って、おしゃべりをしながら一緒に超常現象研究部の部室へと向かった。超研部の部室に入ると、宮村(みやむら)くんと椿(つばき)くんの二人が先に来ていて、パイプイスに座ってテーブルにお弁当を広げていた。けれど、もうひとり男子が見当たらない。

 

「あれー? 宮内(みやうち)は、まだ来てないの?」

 

 (みやび)ちゃんが、その男子の名前を――宮内《みやうち》くんの名前を呼んだ。

 

伊藤(いとう)さんが、白石(しらいし)さんを連れに行ってすぐ話したんだけど。遅刻してきた関係で、職員室に用事があるから無理だってさ」

「そう」

「あれ~、うららちゃん、ちょっと残念?」

「別に、そんなことないわ。それより宮村(みやむら)くん、話ってなに?」

 

 (みやび)ちゃんからの詮索が始まる前に私は、宮村(みやむら)くんに用件を伺う。宮村(みやむら)くんが真剣な表情(かお)で話したのは、中間試験が終わったら次期生徒会長戦が決着するという話。

 

「そっか。寧々(ねね)ちゃんが会長戦を辞退したから。今は、アンタが最有力候補なんだっけ?」

「ほぼ決まったようなもんだけど、もう一押しして起きたいけどな。そういうワケだから、正式に次期会長に決まったら超研部(ここ)に顔を出す頻度が著しく減ると思うんだよ」

「それは、しょうがないんじゃねぇの。ウチの生徒会長って大変なんだろ?」

 

 頭の後ろで手を組んでパイプイスの背もたれに体を預けている椿(つばき)くんに、(みやび)ちゃんは懐疑的な視線を向けた。

 

「あんた、うららちゃんと二人っきりで話せるチャンスが増えるかもとか。よこしまなこと思ってるんじゃないでしょうね?」

「そ、そんなことねぇーぜ? なあ、みやむー」

「マジかよ、椿(つばき)......オレと誓った愛は偽りだったのかよ......」

「うわぁ~、椿(つばき)サイテーだわ」

「んなこと、1ピコグラムも誓ってねぇーから!」

 

 普段一緒で居ることの多いクラスの友だちとお昼の時とは、また少し違う賑やかなお昼。こんな時間を過ごせるようになったのも、全部――。

 

「うららちゃんも、そう思うでしょ?」

「――えっ?」

 

 突然話を振られて、戸惑ってしまった。こういう時は無理に話を合わせようとするよりも、素直に謝って聞き返すのが一番建設的ね。

 

「ごめんなさい。ちょっと考えごとしてて聞いていなかったわ。なんの話をしていたの?」

「へぇ、白石(しらいし)さんにしては珍しいな」

「だな。いつもは本読んでても話の受け答えはちゃんとしてくれるし。スゲー冷たい返事の時があるけど」

「それは、あんたがしつこいからよ」

 

 (みやび)ちゃんがフォローしてくれたけど、椿(つばき)くんの言う通り、読書とかに集中している時は生返事なことが多いかもしれない。少し気をつけようと思う。

 

「それでね。さっきの話なんだけど」

「ええ」

 

 話が元に戻った。(みやび)ちゃんが聞こうとしていたことは、次期生徒会長について。宮村(みやむら)くんが次期生徒会長に正式に決定する条件として、“7人目の魔女”を見つけることが現生徒会長から出された条件だと。先日宮内(みやうち)くんが、生徒会長から聞き出してくれた。

 その魔女を勢力を上げて探しているのだけれど、未だ手がかりも見つかっていないわ。(みやび)ちゃんの話では、仮に“7人目の魔女”が見つからないまま現生徒会長が任期を終えてしまった場合の話。順当に行けば、宮村(みやむら)くんが生徒会長になると思うけど。宮村(みやむら)くんと(みやび)ちゃん曰く、生徒会長は一癖も二癖もあるから、そうすんなりとは決まらないのではないかと推察している。

 

「やっぱ、みやむーじゃね? 他に立候補してるヤツ居ねぇんだし」

「アタシは、寧々(ねね)ちゃんだと思うなぁ。最近、雰囲気が柔らかくなったって評判だし!」

「でもよ。小田切(おだぎり)ちゃんは、もう辞退したんだろ?」

「甘いわね、椿(つばき)。あの会長よ? 強引に任命することもあり得るわ」

「確かに、やりかねねぇーな。絶対権力には逆らえないワケだし」

「それで、うららちゃんは? 誰だと思う?」

「そうね。私は......宮内(みやうち)くんかしら?」

「おっ、オレと同じだ」

宮村(みやむら)くんも?」

 

 肯定して頷いた宮村(みやむら)くん。その理由も私と殆ど同じだった。成績優秀で、人当たりも良い。なにより宮村(みやむら)くんが曲者と呼ぶ生徒会長を相手に、真っ向から話を聞き出せる数少ない人。抱えている故障の都合上、遅刻・早退・欠席が少し多いのが唯一の減点要素。でも、それについては「学校の許可をちゃんと取っているから、大きなマイナスにはならないんじゃないか」と、宮村(みやむら)くんは分析している。

 

「どっちにしても、おれたちは、“7人目の魔女”を見つけることが最優先事項なんだろ?」

「まあ、仕方なくね。シスコンの宮村(みやむら)のために」

「オイッ、オレはシスコンじゃねぇーぞッ!」

「はいはい、そうですねー」

「ふふっ」

 

 お弁当を食べながら、魔女探しの話をして昼休みは終わりを告げた。中間試験が近いこともあって、放課後は部活もそこそこに塾に通う。日暮れ前に入った塾を夜の帳が降りた頃、同じ塾の入り口で、サッカー部の朝比奈(あさひな)くんと出会った。

 

白石(しらいし)じゃないか。お疲れ」

朝比奈(あさひな)くんは、今から授業?」

「今は、二次トーナメントの真っ只中だからな。どうしても、この時間になるんだ」

「大変なのね」

「好きで選んだ道だ、仕方ないさ」

「......そう。がんばってね」

「サンキュー。じゃあ道中気をつけろよ。いくら明るいと言っても夜道だからな」

「うん、ありがとう」

 

 入れ替わる格好で塾を出て、朝比奈(あさひな)くんと別れた私は、いつも通り街灯で明るい商店街を歩いている。その途中、ひときわ明るく賑やかなフットサルコートの前を通りかかった。普段ここでアルバイトをしている宮内(みやうち)くんの姿は、コート上のどこにも見当たらなかった。今日は、お休みみたい。立ち止まっていた足を再び動かして、私は家路に着いた。

 

           *  *  *

 

 中間試験を来週に控えた、火曜日の放課後。大きな大会を控える、または大会参加中の部活以外の部は活動を一時休止して、中間試験に向けてテスト勉強に集中することとなる。それは私たち超常現象研究部も例に漏れることない。私も放課後は、部室に顔を出さずに図書室内に完備されている自習室へ足を伸ばした。

 テスト前と云うこともあって、自習室は学年問わず多くの生徒が真剣な表情(かお)で机に向かいペンを走らせている。空いている席を探して腰を落ち着けて、ノートと参考書を開いて、塾の時間まで授業の復習を行う。

 復習に集中していると、ポケットに入れておいたスマホが振動した。画面を確認。バイブの理由は、予めセットしておいたアラーム。机の上を片付けて、スクールバッグを肩に担いで席を立つ。

 

「あら。白石(しらいし)さんじゃない」

白石(しらいし)さんも、自習してたんだね」

 

 個人で勉強出来る机とは別の四人掛けのテーブルで、小田切(おだぎり)さんと(うしお)くん。それから、宮内(みやうち)くんの三人がテーブルに教科書とノートを広げて、中間テストの勉強をしていた。

 

「ええ。塾の時間まで課題と復習をしていたの」

「えっ? これから塾なの?」

 

 夏に比べて見るからに日が短くなった、秋の午後。窓の外は一週間前よりも遥かに暗く、既に夕焼け空が広がっている。塾に着く頃には、もっと夜空に近づいているだろう。

 

「平気。いつものことだから。みんなも勉強してるのね」

「中間が近いからね」

「まあ今日は、主に小田切(おだぎり)が不得意な現代――」

(うしお)くん、私が何かしら......?」

「な、何でもない」

 

 凄むような声と共に笑顔を向ける小田切(おだぎり)さん。(うしお)くんは、顔を背けながら若干うつ向きかげんで眼鏡に触れた。そんな二人のやり取りを見て、宮内(みやうち)くんは愉快そうに顔をほころばせる。

 小田切(おだぎり)さんは「ちょっと笑わないでって言ったでしょっ?」と、少し唇を尖らせながら小声での抗議するも「ごめんごめん」と、微笑んだまま素直に手を合わせて謝った彼をこれ以上責めない。

 

「もう! って、白石(しらいし)さん、どうしたのよっ?」

「え? なに?」

 

 突然大声を上げた小田切(おだぎり)さんは、勢いよく椅子から立ち上がって心配そうな表情(かお)で、私の目の前まで来た。

 

「涙が出てるわよ」

「あっ......」

 

 本当。指摘された頬に触れると、左の目元が僅かに濡れていた。ポケットからハンカチを出して、涙で濡れた頬と目元を拭う。

 

「ちょっと大丈夫なの?」

「ええ、最近ちょっと無意識に涙が出ることがあって。コンタクトがあってないのかも」

「あるいは勉強のし過ぎやもしれんな。コンタクト用の目薬を小まめに差した方がいいだろう」

「そうね、そうすることにするわ。それじゃあ私は、そろそろ――」

白石(しらいし)さん」

 

 塾へ行くため自習室を出ようと三人に背を向けるたところで今度は、宮内(みやうち)くんに呼び止められた。振り向いて、彼と向き合う。

 

「えっと......」

 

 どこか言い難そうにしている彼の様子を横目で見た小田切(おだぎり)さんは、机の筆記用具の片付けを始めた。

 

「生徒会の仕事があったの忘れてたわ。(うしお)くん、手伝ってくれるかしら?」

「ん? ああ、それは構わないが......」

「じゃあ私たちは、先に行くわね。宮内(みやうち)くん」

 

 スクールバッグを肩に担いだ小田切(おだぎり)さんは、自習室のドア付近で足を止めて、振り向かずに言う。

 

「また、明日――」

「うん、また明日。気をつけてね」

「ええ。行きましょ、(うしお)くん」

 

 二人が自習室を出たところで「ちょっと待っててくれる?」と言って、宮内(みやうち)くんも、ノートや教科書を片付け出した。

 

           *  *  *

 

「気に入ったのが見つかってよかったね」

「うんっ」

 

 私の手には、よく通っているお気に入りの文具店で買った新しい文房具。頬が緩んでいるのが自分でもわかる。一緒に学校を出た私たちは、お互いの目的地が同じ方角ということで、そのまま商店街を中間試験の話をしながら歩き。しばらくして、宮内(みやうち)くんのアルバイト先向かいの横断歩道の前で別れた。

 ――そう。帰りが一緒になった時は、いつもここで別れていた。でも、今日は......。

 

白石(しらいし)さん。よかったら、買い物に付き合ってくれないかな?」

 

 アルバイトがあるハズなのに、こんなこと言うのはおかしい。直感的にそう思った私は、返事を返す前に塾へ欠席の連絡を入れていた。

「自分の買い物はあとでいいから」という言葉に甘えて、まずは私の買い物に付き合ってもらった。最初は本屋さん、来月発売予定の新刊と、改訂版の参考書をチェックしてから隣接の文具店で筆記用具をチェック。今日発売の棚に、何年も愛用しているシリーズの新商品を発見した時は胸が踊った。

 

「久しぶりだね。こうして、二人きりで買い物するの」

「ええ、そうね」

 

 こうして二人きりで買い物をするのは、一年生の三学期以来――。

 あの日、どういうワケかすごく気が沈んでいた私を、宮内(みやうち)くんがリハビリ中にも関わらず病院を抜け出して、励ましてくれた時以来。

 

「それで、宮内(みやうち)くんの買い物は?」

「ああ、うん。実は――」

 

 ちょっと気まずそうな苦笑いを見せた。

 なにか言い難い物なのだろうか、と思っていたけれど。その予感は、まったくの見当違い。予想外の返事に面をくらって足が止まってしまう。

 

「これといってないんだ。ちょっと場所替えようか?」

 

 人通りの多い商店街を離れて、家の近所の公園へ場所を移した。手に持っていた文房具は、温かい飲み物に換わり。私たちは今、外灯が照らす私たち以外には誰もいない公園ベンチに並んで座っている

 

「今日は、塾までサボらせちゃってゴメンね」

「いいわの。勉強は、家で出来るから。それより大丈夫なの?」

「ああ、バイト? 大丈夫だよ、今週は試験休みを貰ってるから」

 

 と言うことは、嘘をついてまで――。

 

「どうして?」

「うーん、どうしてかな? 何となくなんだけど、落ち込んでたみたいだから」

「えっ?」

 

 ――私が、落ち込んでる? そんな自覚は無いのだけれど。

 そう反論する前に、宮内(みやうち)くんが言った言葉が心を揺らした。

 

「さっきの白石(しらいし)さん。去年の春先と同じ顔をしてたから」

 

 その言葉を聞いた瞬間、自習室の時と同じように自然と涙が流れた。まるでそれを合図にしたかの様にここ一週間の間の心のどこかで、ずっと感じていた喪失感が一気にこみ上げて来て、溢れ出して、止めよにもどうにも止まらなかった。

 頬を伝う涙は枯れる気配を微塵も見せない。一枚のハンカチではとても収まりきらないすると、大きなスポーツタオルを差し出してくれた。

 

「使ってないから、よかったら使って」

「......ありがとう」

 

 優しさに触れて、落ち込んでた理由がわかった。

 昨日の放課後、山田(やまだ)くんに告白されたからだ。

 私のことを「好き」と言ってくれた山田(やまだ)くんに、私は「他に好きな人が居るから」と返事をして、彼の告白を断った。

 だけど――。

 顔を上げるとすぐ隣には、あの日と同じ優しい表情で私を見守ってくれている人が居る。

 

「どうして......」

 

 どうして、私の好きな人は――この人じゃないんだろう。



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Episode33 ~矛盾~

「今日は、ありがとう。なんだかすっきりしたわ」

「それは何より。じゃあ、また明日」

「ええ。あっ、そうだわ」

 

 玄関のドアノブに手をかける直前、何かを思い出したように振り向いた白石(しらいし)が戻ってくる。

 

「誘っても部室へ来てくれないって、宮村(みやむら)くんが嘆いていたわ。(みやび)ちゃんも、椿(つばき)くんも退屈そうにしているわ。私も」

「え? あ、ああ、ちょっとテスト勉強で忙しくて。中間が終わったら一度顔出すよ」

「うん、待ってる。おやすみなさい」

 

 どこか嬉しそうに期待するような笑顔で頷いた、白石(しらいし)。玄関の扉が閉まったことを見届けたあと、すぐにスマホを手にしてホーム画面を立ち上げる。電話帳のアプリを起動させ、あいうえお順に並ぶ欄から小田切(おだぎり)のページを開き、発信ボタンをタップ。数回のコールのあと、電話が繋がった。

 

小田切(おだぎり)さん。今、大丈夫?」

『ええ、平気よ。ちょうど休憩を入れようと思ってたところだったら。それで、白石(しらいし)さんとの()()()はどうだったかしら?』

 

 デートの部分に力が入っている気がしたが、そんなことより今は、確かめたいことがある。返事は返さずにさっそく、本題を切り出した。

 

「聞きたいことがあるんだ」

『......なによ?』

「先週、病院までプリントを届けてくれた時のこと覚えてる?」

『覚えてるわよ。商店街で山田(やまだ)に会った時でしょ。なに? それが聞きたいことなの?』

「覚えてるんだね、山田(やまだ)のこと」

『......今から、会えるかしら?』

 

 一旦通話を終え、最寄り駅近くのファミレスで小田切(おだぎり)と待ち合わせ。店員に窓際から離れた席に案内してもらってから十分ほどが経ち、待ち人が現れた。

 

「ごめんね、こんな時間に」

「どうして、あなたが謝るのよ。呼び出したのは、私の方じゃない」

 

 小田切(おだぎり)は上着を脱いで、正面に腰を降ろした。テーブルの呼び出しボタンを押して、二人分のフリードリンクを注文。お互い飲み物をテーブルに用意して、電話の続きを話す。

 

「それで、さっきの話だけど。いったいどういうことなの? 白石(しらいし)さんが、山田(やまだ)のことを忘れているかもって」

「話してて一度も出なかったんだ。山田(やまだ)の名前が――」

 

 白い湯気の立つティーカップが唇に触れる寸でのところで手を止めて、そのまま手元のソーサーに置いた。

 

「偶然じゃないの? それに記憶を操作されたのは、山田(やまだ)の方なんだし」

 

 確かに、その通り。あの日山田(やまだ)は、“7人目の魔女”に記憶を消されたと自分で話した。超研部のことを忘れるのなら、山田(やまだ)の方のはず。白石(しらいし)が、記憶を失った山田(やまだ)のことを放って置くとは考えづらい。もし問題があるのなら、宮村(みやむら)伊藤(いとう)から愚痴のひとつでもでるだろうけど、今日まで一度も聞いていない。本当に偶然、名前が出なかっただけなのかもしれない。

 それになにより、魔女同士はお互いの能力には干渉できないルールがある。“7人目の魔女”の記憶操作も、山田(やまだ)のことを覚えている小田切(おだぎり)と同じく、白石(しらいし)には効かないはず。

 でもだとしたら、白石(しらいし)の涙は何を意味していたのか。それがどうにも、俺の脳裏に焼き付いて離れないでいた。そして、別れ際のあの態度、表情、仕草、言葉、その全てに妙な違和感を覚えたことも。

 

「なにしてるの?」

 

 いくぶん温くなった黒いコーヒーを見つめながら考え込んでいたところ、小田切(おだぎり)がスマホを操作していた。

 

山田(やまだ)に、メッセージを送ったわ。本人に確認しちゃえば早いでしょ」

「ああー、だね」

 

 簡単かつ確実な方法。ちょっと冷静になれば気がつく方法だった。

 

「それで......って、返事はやっ!」

 

 メッセージを送信し終えたスマホをテーブルにほぼ同時に、着信音が鳴った。相手はもちろん、山田(やまだ)。画面を確認した小田切(おだぎり)は、信じられないといった感じで口元を手で覆う。

 

「なによ、これ? 見てっ!」

 

 スマホの画面に表示されたメッセージは、打ち間違いや変換ミスがあって相当慌てて返信したことが分かる。誤字を正しく変換して紡ぎ出した本来の内容は――俺のこと覚えているのか。

 

「あなたの予想通りみたいね。とりあえず呼び出して、詳しい話を聞いてみましょ!」

「ちょっと待って。場所を変えよう」

「どうして?」

「大丈夫だとは思うけど......」

 

 ざっと店内を見回して見る。それらしき姿は見えないが、このファミレスは駅の近く。客、店員の中に“7人目の魔女”がいる可能性はゼロじゃない。スクールバッグからノートを出して、理由を筆談で伝える。すると彼女は、黙ったまま頷いてペンを手に取り「そうしましょう。あなたのお家でいいかしら?」と書き記した。

 俺たちはファミレスを出て、自宅アパートへ向かった 途中コンビニに立ち寄り、まだ食べていない夕食の材料を調達。少し急ぎ足でアパートに着いたが、まだ山田(やまだ)の姿は見当たらなかった。

 外で待つのには、秋の夜は肌寒い。玄関のカギを開けて、先に小田切(おだぎり)を招き入れる。

 

「どうぞ」

「お、おじゃまします」

 

 初めて上げたわけじゃないけど、二人きりなのは初めて。若干の気まずさを覚えながらも部屋に上がって灯りを点け、スクールバッグを下ろし、コンビニで買った食材をビニール袋を台所に置く。別のことに意識をずらせば、緊張も和らぐだろうと遅めの夕食の準備に取りかかることにした。

 

小田切(おだぎり)さんは、夜ごはん食べた?」

「もう食べたわ。でも、少しいただこうかしら」

「じゃあ――」

「私が作るわ。その間にあなたは、着替えておいて」

「え? でも」

「私も食べるんだから遠慮しないの。それに、制服にニオイがついちゃうでしょ。焼きうどんでいいのよね?」

 

 小田切(おだぎり)は、ハンガーに掛けてあったエプロンを着けて台所に立ち、有無を言わせず夕食の焼きうどんを作り出してしまった。

 ――ああ、そういうことか、と小田切(おだぎり)が食べると言い出した意図を察し、彼女の優しさに甘えさせてもらうことにした。制服から部屋着に着替えを済ませている間に出来上がった焼きうどんから立つ、香ばしいソースの匂いがよりいっそう食欲をそそらせる。お好みで、と一緒に用意してくれたチューブマヨネーズを少し皿の縁に足して、まずはそのまま口に運ぶ。濃すぎず薄すぎずの程よいソースの味と野菜の食感と甘味が、口の中に広がる。

 

「うまい......!」

「そう、ならよかったわ。それにしても遅いわね」

 

 小田切(おだぎり)が向けた視線つられて、部屋の掛け時計を見る。確かに遅い。もう着いていてもおかしくない時間。スマホを見ても、特に遅くなるなどの連絡は入っていない。

 小田切(おだぎり)のスマホに返って来た返信の内容からは、なにを置いてもすぐに来る。まるで鬼気迫るような感じがしたが、なにかあったのだろうか。そんな心配を感じ始めた頃、部屋の呼び鈴が鳴った。箸を置いて応対に向かう。内側のカギを回して、玄関を開けると山田(やまだ)の他にもう一人、見覚えのある男子が玄関の外に立っていた。

 

「遅いじゃないっ。いったい、なにをしてたの......よ?」

「やあ、小田切(おだぎり)くん」

「......あなた、どちら様かしら?」

 

 山田(やまだ)と一緒に来た玉木(たまき)の姿を見て、小田切(おだぎり)は頬杖をつきながら、やや不機嫌そうに顔を背けた。彼女の態度に玉木(たまき)は盛大に取り乱して、山田(やまだ)に詰め寄る。

 

「ど、どういうことだい!? 山田(やまだ)くんッ!? 小田切(おだぎり)くんは、僕のことも覚えているんじゃなかったのか!?」

「知らねーよ。元々存在が薄いんじゃねぇーのか?」

「それは、どういう意味かなッ?」

「うるさいわね、ご近所迷惑でしょ。山田(やまだ)玉木(たまき)も、さっさと座りなさいよ」

「からかっていたのか!? まったく、キミという女性は......!」

「まあまあ、飲み物用意してくるから。二人とも、とりあえず座りなよ」

 

 台所で二人の分の飲み物を用意して、奥の部屋に戻る。彼らの前にコップを置いて、元居た場所に腰を落ち着ける。

 

「さっそくだけどよ。お前ら、本当に俺たちのこと覚えてるのか......?」

 

 真剣な表情。それも、不安が入り混じる表情。返事は、その不安を払拭させられるだろう。

 

「もちろん覚えてるよ。山田(やまだ)のことも、玉木(たまき)のこともね」

「マジかよ......!」

「信じられない、夢じゃないか......!」

「そもそも、どうしてあなたたちが、みんなに忘れられてるのよ? “7人目の魔女”に記憶を消されたのは、山田(やまだ)のはずでしょ?」

 

 その通り、ごもっとも。

 あの日。小田切(おだぎり)が、プリントを届けてくれた日。山田(やまだ)は、“7人目の魔女”に記憶を消されたと自ら語った。だが蓋を開けてみれば、忘れているのは白石(しらいし)の方で――。

 たぶん他の超常現象研究部の全員も、山田(やまだ)のことを忘れているのだろう。だから、俺たちの耳に入ることはなかった。

 

「そこは、僕から説明しよう。そもそもの話し、7人全ての魔女の存在は、生徒会長以外は知ってはならないことだったんだ。最後の魔女の名前を知ってしまった、僕と山田(やまだ)くんは、タブーに触れてしまったきとで記憶を消されることになったのだけれど。僕たち魔女殺しの能力者には、“7人目の魔女”の能力も効かなかったのさ。そこで正規な方法ではなく、ある種特例的な処置で記憶操作を行った。それは、“7人目の魔女”が僕ら魔女殺しにではなく、周囲の人間の記憶を操作することで、僕たちを学校から孤立させたのさ......!」

「それ俺が、お前に教えてやったことそのままじゃねぇか!」

「いいじゃないか。キミは説明をはしょりかねないからね。なにせキミは、記憶を失った宮村(みやむら)くんたちに取り入ろうといきなり、女性に穿いて欲しい下着の好みの話題を、女性が居る前で振るような輩だからね」

「お、オマエ、聞いてたのかよッ!?」

「だから、静かにしなさいって言ってるでしょ。次騒いだら、もう本当に知らないわよ......?」

 

「すみません......」と、二人して深々と頭を下げた。まあここで小田切(おだぎり)に見捨てられたら、また孤立を深める訳だし、素直に従う以外の選択ないだろうけど。

 

「で。あんたたちは、これからどうしたいのよ?」

「この一週間、ただ過ごしてた訳じゃないんだろ。超常現象研究部に顔を出したみたいだしさ」

「下着の件はサイテーだけど、宮村(みやむら)が食いつきそうなネタではあるわね。サイテーだけど」

 

 目を細めて、二回言った小田切(おだぎり)に対し、大変気まずそうに顔を逸らした山田(やまだ)に代わって、玉木(たまき)が挙手。

 

「そのことなんだけど。記憶を失った魔女が暴走を始めて要ることを、キミたちは聞いているかい?」

「魔女が暴走? どういうことよ?」

 

 同じく初耳。

 

「前の状態に戻っちまったのさ。俺たち超研部が、魔女の抱えていた問題を解決する前の状態にな」

「へぇ、そんなことになってたんだ」

「確かに、それは厄介なことね」

 

 ここ最近、昼休みも放課後も、中間試験の勉強で忙しかった間に深刻な事態になっていたなんて――。

 

「魔女の暴走には、会長も頭を抱えているようでね」

「ふーん。つまり、魔女たちの暴走を上手く解決出来れば事態が好転するかもってわけね」

「そんなことどうでもいいんだよ。俺はただ、アイツらをなんとかしてやりたい。それだけだ......!」

「記憶を取り戻すことを後回しにしても?」

「ああッ!」

 

 俺の質問に力強く頷いた山田(やまだ)の目は、本気だった。隣に目をやる、小田切(おだぎり)も俺に視線を向けていた。どうやら同じことを考えていたらしい。無言でアイコンタクトで意思の疎通を交わす。

 

「ハァ、まったく仕方ないわね。私たちも協力してあげるわ」

「マジかっ!?」

「あら。必要ないのなら、お好きにどうぞ。私たちも暇じゃないんだから」

「イヤイヤ、マジで頼む! 記憶がないアイツらを説得すんのは、マジで骨が折れるんだって!」

 

 山田(やまだ)の必死の訴えに、玉木(たまき)も大きく頷いている。実は今日の放課後、一度説得に行ったらしいのだが。記憶を失った魔女たちには、何を言っても信じてもらえず終い。特に元々過激な行動を取っていた滝川(たきがわ)ノアに関しては、以前よりもさらに攻撃になっているらしく、探りに行った玉木(たまき)は返り討ちにあった。顔や首筋の引っかき傷は、どうやらその辺りことが関係しているようだ。

 

「それなら、滝川(たきがわ)さんは一旦後回しにして他の魔女の説得に当たってみようか?」

「ええ、それが無難ね」

「よっしゃ! じゃあ、さっそく......」

「ダメよ、今日はもう遅いわ。続きは帰ってから、チャットメールでやり取りしましょ。アプリ入れてるわよね?」

 

 時計の針は、21時を回っている。

 女子を、これ以上遅くまで付き合わせるわけにはいかない。小田切(おだぎり)の提案に頷き、玉木(たまき)とアドレスを交換してから上着をはおって、部屋を出る。冷たい秋の夜風の中を話しながら歩く。

 

「しかし、どうしてキミたちは、僕や山田(やまだ)くんのことを覚えているんだい?」

「さあ? 私たちにだって分からないわ」

「あっ! 記憶を消されたあとに俺たち会っただろ。だからじゃねぇかっ?」

「それだと、玉木(たまき)を覚えていることに矛盾する。俺たちあの日、玉木(たまき)には会ってないし」

「ああー、そっか......」

「ふむ、謎は深まるばかりというわけだね。じゃあ僕はこっちだから、また後で――」

 

 住宅街の交差点で玉木(たまき)と別れ、二つ先の道で山田(やまだ)とも別れて、最寄り駅のある歩き慣れた商店街へ向かう。

 

「もし......」

「ん? どうしたの」

 

 まだ明るい商店街を駅へ歩いていると、不意に小田切(おだぎり)の足が止まった。

 

「私たちの記憶が消えていないことが“7人目の魔女”に知れたら、記憶を消されちゃうのかしら? もしそうなったら――」

「大丈夫だよ」

 

 うつむき加減だった小田切(おだぎり)が、顔を上げる。

 

「例え記憶を消したところで、人の想いまでは操れないよ」

 

 白石(しらいし)の涙で確信した。魔女の能力は、万能なんかじゃない。本当に全てを忘れているのなら、あんな悲しい表情(かお)をするハズがないんだ――。

 

「......そうね。私、絶対に忘れないわっ」

「俺も忘れないよ。さあ、行こう」

「ええ」

 

 決して忘れない、とそう心に誓い。再び歩みを進めた。



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Episode34 ~眠り魔女~

 小田切(おだぎり)を駅まで送って行ったあと、スマホを家に置き忘れたことに気づいて急いで帰ったところ案の定、着信を知らせるランプが点滅していた。上着をハンガーにかけてから手を洗い、食べかけだった焼きうどんを電子レンジで温め直している間に、アプリのトーク画面を開くと、未読件数は10件を越えていた。

 グループの招待者小田切(おだぎり)から送信された最初のメッセージは「暴走している魔女についてだけど。問題を起こしているのは、猿島(さるしま)さん、大塚(おおつか)さん、滝川(たきがわ)さんの三人でいいのよね?」と、改めて状況を確認する内容。

 三人の中で特に魔女に詳しい山田(やまだ)と、小田切(おだぎり)の二人のやり取りを読んでわかったことは、大塚(おおつか)は特に魔女の能力を悪用している様子はない。逆に積極的に能力を使っている猿島(さるしま)と、校内で再び反乱を起こそうと企てている滝川(たきがわ)、この二人の魔女を早めに抑えることが重要になるということ。

 一通り読み終え、状況を把握したところで、箸を片手にトークに参加。話の流れで猿島(さるしま)小田切(おだぎり)が、同じクラスの大塚(おおつか)には、俺が話をしてみることになり。その間山田(やまだ)玉木(たまき)は、滝川(たきがわ)と取り巻き三人を監視することに決まった。

 そして話題は、あらぬ方向へと進んでいく。

 

『ところで、白石(しらいし)さんはどうするのよ?』

白石(しらいし)は、別にいいじゃねぇか? 特に問題行動も起こしてねーしよ』

『確かに今のところ、白石(しらいし)くんは問題を起こしてはいないね。()()()ね』

 

 玉木(たまき)が、妙に意味ありげで思わせ振りな書き方で投稿したメッセージは、事情を知らない俺たちの興味をそそらせる。

 

『なんの話よ? 白石(しらいし)さんが、どうかしたの?』

『なんでもねーよ。気にすんなって』

山田(やまだ)くんは、白石(しらいし)くんに告白してフラレたんだよ!』

玉木(たまき)、テメェーッ!』

 

 山田(やまだ)の抵抗もむなしく、口封じが出来ないチャットのやり取りの前では無力。玉木(たまき)によって暴露された事実は、衝撃的なものだった......なんてことはない。俺と小田切(おだぎり)は、山田(やまだ)白石(しらいし)に恋心を抱いていることを、以前宮村(みやむら)から聞かされていたし。何より、彼女に接する際の態度を見れば一目瞭然でわかりやすい。

 

『えっ? あなた、白石(しらいし)さんにコクったの? しかも、フラレたのねっ』

『優等生の白石(しらいし)うららと、問題児の山田(やまだ)くん。さらに今の彼女には山田(やまだ)くんに関する記憶が無いというのにも関わらず、告白するなんて無謀にも程があると、僕は思ったけどね』

『うるせー! あれは、その場の勢いで言っちまったんだよ!』

 

 多少の後悔があるようだ。まあ確かに、白石(しらいし)に忘れられている今、このタイミング想いを伝えるのは少々無茶だとは思うけど、意識してもらうには充分な効果が期待できる。

 

『ふーん、でも意外と男らしいところもあるのね。ちょっとだけ見直したわ』

『えっ? マジか!?』

『ちょっとよ、ちょっと。それで、フラれた理由は何だったの?』

 

 詳細を尋ねた小田切(おだぎり)は、この手の話題に興味津々のようだ。

 

『ああー、悪ぃ、妹に呼ばれた。ってことで、魔女のことは頼んだぜ! じゃあな!』

 

 それから、山田(やまだ)からの返信はピタリと止まった。しばらくして玉木(たまき)も「では、僕も失礼するよ。ラノベの続きを読みたいんでね」と、以降既読が付かないことを理由にトークを抜けた。

 

『今日は、ここまでみたいだね』

『そうね。じゃあ、大塚(おおつか)さんのことよろしく』

 

 俺と小田切(おだぎり)も「おやすみ」と挨拶をして、トークを終える。スマホを充電して、食べ終えた食器の洗い物を済ませる。タオルで濡れた手を拭いて戻ると、不在着信を知らせるライトが点滅していた。どうやら、水道を使用していた音で気がつかなかったようだ。テーブルのスマホを持って、ベッドに横になり確認する。発信者は、山田(やまだ)だった。送られて来た個別宛のメッセージは内容は「ちょっといいか?」と、一言だけ。「どうした?」と返事を返す。山田(やまだ)からの返信は、少し遅れてから返って来た。

 

 ――白石(しらいし)の好きなヤツって、お前なのか......?

 

 

           * * *

 

 

 朝、目覚まし時計とは別の着信音で目が覚めた。寝ぼけ眼で枕元のスマホを探し当て、通話ボタンをタップして耳元へ運ぶ。

 

「はい......」

『おはよう。私よ』

 

 名前を確認せずに取った電話は、小田切(おだぎり)。予想外の出来事に一気に眠気が吹き飛んだ。目覚まし時計を見ると、まだ午前6時前。これはまた、ずいぶんと早いモーニングコール。

 

「どうしたの? こんな時間に」

『その様子じゃまだ起きてなかったようね。よかったわ』

「よかった?」

『ええ、メッセージでもよかったんだけど。それで、今日のお昼なんだけど。(うしお)くんを誘って、一緒に食べましょう』

「え? ああ、うん、それは構わないけど......」

『決まりね。お弁当は私が用意するから、またお昼に連絡するわ』

 

 そして、迎えた昼休み。

 すっかり秋らしくなった寒い北風を避けるように、校舎の外壁を背にして、屋上のひなたにレジャーシートを敷き、シートの中心に広げられた小田切(おだぎり)お手製の豪華な弁当を囲う形で座る。

 

「どうしたんだ? 突然、一緒に昼飯を食べようだなんて」

「あら。私の手作りのお弁当じゃ不満だったかしら?」

「そ、そんなことはないぞッ!」

 

 割り箸を持つと、おかずに箸を伸ばし勢いよくほうばった。

 必死の五十嵐(いがらし)を見て、クスッと笑った小田切(おだぎり)は、俺にも割り箸を渡してくれた。お礼を言って、弁当をいただく。おかずは冷えていても、しっかり味が染みていてどれも絶品。

 

「ところで、(うしお)くん。あなた最近、山田(やまだ)と話したかしら?」

山田(やまだ)? いや、話していないが」

 

 五十嵐(いがらし)は箸を止めることなく、普段と変わらない様子で返事を返した。どちらとも取れる曖昧な回答。確証を得るために、次の質問へ移る。

 

「じゃあ、夏休みに山田(やまだ)たちと花火大会に行ったことは覚えてる?」

山田(やまだ)と? 行った覚えはないが」

 

 今度は、手を止めて顔を上げた。

 どうやら、昼休み前に小田切(おだぎり)から来たメッセージの内容。五十嵐(いがらし)も、“7人目の魔女”の能力にかかっているかも知れない、という仮説は見事的中した。

 

「ハァ、やっぱり忘れているのね」

「みたいだね」

「どういう意味だ?」

 

 眉間にシワを寄せ、腕を組んで首をひねる五十嵐(いがらし)に、昨日の出来事を伝える。最初は戸惑って聞いていたが、花火大会の写真や、プールに行った時の写真を見せるとかなり動揺した様子を見せながらも、俺たちの言葉を信じてくれた。

 

「まさか、俺の記憶が消されていたとは......! しかしなぜ、お前たちは山田(やまだ)のことを覚えているんだ?」

「それが、わからないんだよ。小田切(おだぎり)さん以外の魔女は、“7人目の魔女”の能力にかかってるみたいだし」

「そうなのよね。ねぇ(うしお)くん、どんな感じなの?」

「ふむ......」

 

 右手でアゴに触れながら考え込み、スッと花火大会の写真を指さした。

 

「この花火大会は、確かに行った記憶はある。だが、山田(やまだ)は居なかった」

「じゃあ、男女のペアで花火を見たことはどうなってるの? 山田(やまだ)は、白石(しらいし)さんとペアだったけど」

「俺の記憶では、白石(しらいし)朝比奈(あさひな)が一緒に回っていた」

朝比奈(あさひな)くんが? どういうことなのかしら......?」

「矛盾が生じないように、かな?」

 

 五十嵐(いがらし)の話から推察すれば、山田(やまだ)の存在は記憶から抹消された代わりに、消えた部分が都合よく別の記憶に書き換えられている。山田(やまだ)の記憶を書き換えた生徒会側の“7人目の魔女”もやっぱり、ナンシーと同じ記憶操作(リライト)の能力を持つ魔女――。

 

宮内(みやうち)くん、大塚(おおつか)さんの様子はどうだったの?」

山田(やまだ)たちが話した通りだったよ。まあ、元々物静かだったし。ほとんど変わった感じはしなかったかな。あと話をしてみたら、俺たちのことは覚えてたよ。猿島(さるしま)さんは?」

「私の方も同じよ。能力が原因で悩んでいたことは、キレイさっぱり忘れてるみたいだったけどね」

 

 小田切(おだぎり)五十嵐(いがらし)、そして山田(やまだ)たちの話を総合すると。山田(やまだ)玉木(たまき)が関わった出来事は、記憶操作の能力にかかった側の方で都合よく書き換えられ、補完されていることが判明。白石(しらいし)から部活関係の話しを持ち出された理由もおそらくは、この影響によるものと仮定できる。

 

「それで、その魔女たちをこれからどうするんだ? 山田(やまだ)たちに頼まれたのは、魔女の説得なんだろう」

「そのことだけど。大塚(おおつか)さんは以前と同じで、能力を悪用するって感じはしなかったから、特に心配なさそうかな」

 

 人と関わることが苦手な彼女にとってテレパシーは、山田(やまだ)の記憶を失った今も、重要なコミュニケーションツールになっていることは事実みたいだけど。

 

猿島(さるしま)さんの方は、嬉々として能力を使ってる節があったから、ちょっと厄介だったわ。生徒会の方にカンニングを疑う報告が来てるって釘をさしておいたから、しばらくは大人しくなると思うわ。まあそのお陰で、今日の放課後試験勉強を見てあげるはめになっちゃったけど」

「あっ、それなら、大塚(おおつか)さんにも声かけていいかな? 冬に大きなイベントを控えていて、赤点取ると準備が間に合わないんだって」

「そういえばあの子も、成績良くなかったわね。いいわ、まとめて面倒見てあげましょ。(うしお)くんは?」

「そうだな。俺は、滝川(たきがわ)の様子を探ってみるか。山田(やまだ)玉木(たまき)ってヤツだけじゃ不安だからな。問題を起こしそうになったら連絡する」

「そう、じゃあお願い、頼りにしてるわ。さあ、お昼食べちゃいましょう」

 

 話し合いで止まっていた箸を再び動かし、来週に迫った中間テストの話。それと小田切(おだぎり)の生徒会役員の仕事に区切りついたら、みんなでどこかに出掛けられたらいいねと話ながら、彼女の絶品手作り弁当を美味しくいただいた。

 

           *  *  *

 

 放課後、約束通り四人で勉強会を開くことになった。まあ、それはいいのだけれど。自習室や図書室を使わず、俺の自宅アパートで行うことになったのは少々解せない。

 

「あの~、この問題なんですけど」

「そこは、この公式を使うんだよ」

「は、はあ? それは、なぜでしょう......?」

 

 数学を勉強中の大塚(おおつか)は、教科書の応用問題を解くのに必要な公式を教えても、頭にハテナマークを浮かべて、手に持ったペンは一行に進まない。これは、相当な困ったさんのようだ。

 

「この問題は解ける?」

「あ、はい、これならなんとか......」

「うん、合ってる」

 

 少し時間はかかったけど、一年の一学期の後半に習う公式を使って答えを導き出した。次は一歩進んで、二学期の後半までに習う問題を出す。大塚(おおつか)は、そこでつまずいた。

 本棚から一年の頃の教科書を引っ張り出して、二学期に習うページを開く。

 

「じゃあ、ここからやってみようか」

「あ、あの私、二年生なんですけど......」

「もちろん分かってるよ。このふたつの問題を見て、何か気づかない?」

 

 一年と二年の教科書を広げて見せる。大塚(おおつか)は、教科書の問題を見比べて顔を上げた。

 

「問題の前の方が、同じ公式が使われていますっ!」

「正解。進級して習う授業って、前年度の授業をちゃんと理解してないと解けないんだ。だからただ、公式を暗記してもちゃんと理解できてないと応用が利かないし、意味がないんだよ」

「そうなんですかー」

「そうなんです。じゃあ始めようか、先ずは――」

 

 基礎の基礎からやり直し、深いところで本質を理解する。遠回りに思えることが結局、一番の近道だったりすることはよくあること。特に習い事に関しては、それが顕著だったりする。

 

「出来ました」

 

 ノートに書かれた解答に目を通す。

 

「ふむふむ」

「あの、どうでしょうか......?」

「全問正解。よく出来ました」

「ほ、ホントですかっ? 小田切(おだぎり)さんよりも、分かりやすいです!」

「あら、何か言って......?」

 

 俺の隣で、テーブルを挟んで猿島(さるしま)の勉強を見ている小田切(おだぎり)が目を細めて、大塚(おおつか)に冷たい視線を向ける。

 

「な、なんでもありません!」

「あっはっは! 寧々(ねね)、落ちついてぇー」

「落ちついてるわよっ。それよりあなた、問題は解けたのかしらっ?」

 

 勉強を開始して一時間、切りのいいところで休憩を入れる。

 台所で飲み物を用意していると、来客を知らせる呼び鈴が鳴った。訪ねてきた客人は山田(やまだ)玉木(たまき)五十嵐(いがらし)の三人。彼らの手には、それぞれ買い物袋が握られている。袋の中は今、ここに居る全員分の夕食。

 

「えっ? じゃあ、ワタシと芽子(めいこ)の記憶が消されてるって言うのっ?」

「私、ぜんぜん実感がないんですけど......」

「そうでしょうね。(うしお)くんも、あなたたちと同じだったわ。だけど、これを見て」

 

 夕食を食べる前に、五十嵐(いがらし)の時と同様に小田切(おだぎり)は、山田(やまだ)も写っている花火大会の写真を見せて、記憶を操作された二人の魔女に事情を説明。

 

「ホントみたいね」

「は、はい......」

「信じてもらえて良かったぜ!」

 

 山田(やまだ)は、心底嬉しそうな表情(かお)を見せた。

 

「でも、なんで記憶を消す必要があるんだろうねー?」

「それは、生徒会長以外に魔女の存在を知られたくないからさ。魔女の能力を使い、クーデターでも起こされた堪らないからね」

「じゃあどうして、今まで消さなかったの?」

 

 素朴な疑問を述べた猿島(さるしま)は、玉木(たまき)の解答に更に質問をぶつけた。そしてそれは、核心をつく疑問。

 

「そうだよな。“7人の魔女”全員の名前を知ってから記憶を消す理由って、何なんだ?」

「......言われてみれば。会長は、魔女の存在を把握している訳だから。問題が起これば、そのつど記憶を消してしまえばいい」

「何か出来ない理由があるんでしょうか?」

「どんな理由?」

「そ、それは分かりませんけど......」

 

 山田(やまだ)たちが意見を出し合う中、ナンシーから儀式のことを聞いている俺たちは、極力会話へ参加しないように努める。

 たぶん、このタイミング記憶を消したのは、山田(やまだ)たち魔女殺しには、記憶操作(リライト)が効かないから。それなら利用するだけ利用して、いっぺんに記憶を消した方が効率が良いとか、そんなところかだろうか。

 あとは、7人全ての魔女を集めたらどんな願いでも叶うとかいう、とんでもない儀式を事前に阻止するため。絶対権力を持つ生徒会長が、儀式のことを知らないハズがない。

 

「って、何してるんだ?」

 

 考え事をして気がつくと、目の前で猿島(さるしま)山田(やまだ)がキスをしていた。口同士が離れた二人は、平然としていると猿島(さるしま)と、恥ずかしそうに照れている山田(やまだ)と対照的な反応。

 

「これからどうなるか、山田(やまだ)の未来を占ってあげようと思って。あれ? なにも見えないわ......!」

「あ、当たり前だ! 俺の能力は、コピーだって言っただろ! 未来が見えるのは、俺の方だっての!」

「あっ、そうだったねー。ごめんご、め......ん――」

 

 屈託ない笑顔でだった猿島(さるしま)が突然、テーブルに突っ伏した。慌てて駆け寄った小田切(おだぎり)が、彼女の体を揺さぶる。

 

「ちょ、ちょっと、猿島(さるしま)さん!?」

「こ、これは......!」

「どうしたと言うんだいっ?」

「ちょっと見せて」

 

 みんなが心配している中、小田切(おだぎり)の隣にしゃがんで猿島(さるしま)の様子を確かめる。顔色は悪くない、呼吸も整っているし、熱もなさそう。

 つまり――。

 

「ただ、眠ってるだけみたい」

「眠ってるって、こんな突然?」

「とりあえず、毛布かけておこう。風邪引いたら大変だし」

 

 ベッドの近くにいる大塚(おおつか)に毛布をとってもらい、猿島(さるしま)の背中にそっとかける。

 

山田(やまだ)、どんな未来が見えた?」

「あ、ああ、それがよ。ベッドで寝てる大塚(おおつか)に、俺がキスしてるところ......」

「わ、私にですかっ? どうして私にっ!?」

 

 訳もわからず涙目の大塚(おおつか)

 

「まあなんだ、無理矢理は犯罪だぞ?」

「サイテーね」

「クズだな」

山田(やまだ)くん、キミというヤツは......」

「まだ何もしてねぇーだろッ!」

 

 とんでもない未来予知に山田(やまだ)は、まだ起こっていない出来事を弁解しようと必死。その騒がしい声に、眠っていた猿島(さるしま)が目を覚ました。

 

「んぅ? あれ、ワタシ、寝てた?」

「ええ、そうよ。突然寝ちゃったけど、大丈夫なの?」

「うん、なんかスッキリしたわ。あっ、山田(やまだ)っ!」

「だから、未遂だって言ってんだろ! あん? なんだよ」

芽子(めいこ)にキスして!」

「......は?」

 

 目を覚ました猿島(さるしま)は、山田(やまだ)の記憶を思い出した。そして大塚(おおつか)は今、ベッドで熟睡中。留守を小田切(おだぎり)たちに任せて、俺と山田(やまだ)は買い忘れた飲み物を調達するため、近所のコンビニへと向かっている。

 

「だけど、まさか()()で魔女の記憶が戻るなんて......」

「魔女に消された記憶を、キスで目覚めさせるなんて。まるで、どこぞのお姫様の物語みたいだな」

 

 正確には、ちょっと違うけど。一定の間隔で設置された街灯が照らす住宅街を歩いていると不意に、山田(やまだ)の足が止まった。明かりの点いていない白石(しらいし)の家を、どこか寂しそうに眺めている。

 

「連絡してみる?」

「ま、待ってくれ! ちょっとまだ心の準備が出来てねぇって言うか、なんつーか......」

 

 戻そうと思えば今すぐにでも、白石(しらいし)の記憶を取り戻せる。でも一度フラレているからか、なかなか踏ん切りがつかないみたいだ。スマホをポケットにしまう。

 

「そっか、じゃあ行くか」

「お、おう」

 

 俺たちは、再び歩き出す。

 

「安心していいよ」

「なにが?」

 

 聞き返してきた山田(やまだ)に、昨日の夜返した返事をもう一度伝える。

 白石(しらいし)の好きな相手は、俺じゃない。

 それだけは、間違いない。



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Episode35 ~夜空の誓い~

 昼休み。弁当と、自販機で購入した温かいお茶のボトルを持って、宮村(みやむら)と話をしながら階段を昇り、校舎最上階の踊り場の扉を潜って、屋上へ出る。屋上には、先客が居た。

 秋らしい雲が広がる青空。昨日よりは暖かいが、やや肌寒さを覚える風が通り抜ける秋空の下、転落防止の手すりに身体を預けて、東京の街並みを眺めている。

 

伊藤(いとう)さんじゃん」

「あれー、なんでアンタたちがいるのよ?」

 

 宮村(みやむら)に声をかけられた伊藤(いとう)は、顔だけをこちらに向けて、不思議そうな表情(かお)をして小さく首をかしげた。

 

「じゃあアンタたちはよく、屋上でお昼食べてるってわけ?」

「オレは時々な。宮内(みやうち)は、ほぼ毎日だよな」

「一年生の頃からよね。屋上へ来ると、いつも居たもの」

「ああー、うん。もう、半分日課みたいなものかな」

 

 昨日と同じ場所、校舎の外壁のひなたに座り、日直の用事で遅れて屋上へやって来た白石(しらいし)を加えて、四人での昼食。同じクラスの伊藤(いとう)宮村(みやむら)とは、雨の日なんかに教室で一緒になるけど。白石(しらいし)と一緒に食べるのは、いつ以来だろうか。

 

「うーん、うららちゃんと宮内(みやうち)ってさー。一年の頃から仲よかったんでしょ? アルバムも一緒に写ってたし」

「同じクラスだったからね」

「ええ」

「ふーん。それだけ?」

 

 パックジュースをひとくち口にして、伊藤(いとう)は探るような視線を俺たちに向けてくる。白石(しらいし)には、好意を抱いている相手がいる。一年の初夏の頃、彼女本人から聞いた話。その相手は、俺じゃない。

 だから、俺の答えは当然――。

 

「友達。それ以上でもそれ以下でもないよ」

「少し違うわ。友達じゃない」

 

 隣に座っている白石(しらいし)から、まさかの否定。彼女を見ると、いつもと変わらぬ表情で食べ終わった弁当箱を丁寧に片付けている。伊藤(いとう)宮村(みやむら)も、白石(しらいし)の次の言葉に注目している。片付けを終えた白石(しらいし)は、弁当箱を横に置いてから答えた。

 

「だって、ただの友達じゃないから――」

 

 顔を上げると、彼女は小さく微笑んだ。

 

「私たちは、親友だもの」

 

 

           * * *

 

 

「終わった~」

 

 午後の授業の終わりを告げるチャイムが鳴り、授業担当の教師が教室を出ていくと、斜め前の席の伊藤(いとう)が、机に突っ伏した。

 

「お疲れさま」

「ホントよぉ、ここんところ小テストばっかりでイヤになるわ」

「なに言ってんだよ」

 

 伊藤(いとう)の隣で帰り支度をしてる宮村(みやむら)が、意地悪そうな笑みを浮かべる。

 

「本番は、来週なんだぜ。小テスト程度でへばってるようじゃ先が思いやられるな~」

「わ、わかってるわよっ」

「あはは」

 

 二人のやり取りに笑いながら、サイレントモードにしておいたスマホをバッグから取り出すと、不在着信を知らせるランプが点滅していた。不在着信は例のチャットメッセージ、山田(やまだ)から始まっていた。

 

大塚(おおつか)の記憶は戻ったし。あとは、ノアだけだな!』

『その彼女が一番厄介なのだけどね』

『まあ、そうね。(うしお)くん、滝川(たきがわ)さんの様子はどうかしら?』

『昼休みに空き教室を覗いてみたが。四人で、何やらモメているようだったぞ』

『モメごとね。ちょっと気になるわね』

 

 小田切(おだぎり)のメッセージの後に打ち込み、送信をタップ。

 

渋谷(しぶたに)に聞いてみるよ』

『おおーっ! そういえばお前が前の時も、渋谷(しぶたに)と話をつけたって、宮村(みやむら)が言ってたな!』

『それなら期待できるね。じゃあ僕は図書室で、ラノベの続きを読みながら報告を待つことにするよ』

『そのノアって子、前は、魔女を退学させるのが目的だったんでしょ? 猿島(さるしま)さんと大塚(おおつか)さんに注意を促しておくわ』

『俺は、そうだな。もう一度、(れん)と話してみるか』

『俺は、どうすっかなー?』

『おとなしく勉強しておけ。また、赤点を取って補習になるぞ』

『うっせー!』

 

 各々することが決まり、やり取りを終える。サイレントモードからマナーモードへ切り替えて、ポケットにスマホをしまおうとした時、着信を知らせる震動が手に伝わった。着信は、個人宛のメッセージ。送信者は小田切(おだぎり)で、内容は「自習室に居るから」と一言だけ綴られていた。

 

「おーい、聞いてるー?」

 

 画面から目を話すと、目の前に伊藤(いとう)の顔があった。目を細めて、不服そうな表情をしている。

 

「ごめん。返事返してた」

「アンタ、さっきから誰とメールしてんのよ。いっぱい着てたみたいだけど」

「女か?」

「正解、女の子」

「マジかよ! 誰だよっ?」

「わかった、うららちゃんでしょっ!」

「残念ハズレ、小田切(おだぎり)さん」

 

 了解と返事を返し、改めてスマホをしまう。

 

寧々(ねね)ちゃんかぁ」

「そう。自習室で、中間の勉強しようって話」

「なら、ちょうどいいじゃねぇか」

「アタシたちもみんなで、勉強しようって言ってたのよ」

「ああー、そうなんだ」

「ってことで、小田切(おだぎり)も呼んで超研部行こーぜ」

 

 宮村(みやむら)は席を立ち、伊藤(いとう)はスマホをいじる。予定外の展開だけど、夜に話せばいいと思い。二人と一緒に教室を出て、階段に差し掛かったところで、俺は足を止めた。

 

「ちょっと用事があるから、先に行ってて」

「おう」

「おっけー。じゃあアタシたちは先に、部室に行ってるから」

 

 二人は部室棟への渡り廊下へ。俺は昼休みに四人が居たという空き教室へ向かうため、階段を下ろうと背を向けた時だった。突然背中に、ドンッと軽い衝撃が走った。

 何事かと思い振り返ってみると、そこにはついさっきまでチャットで話題に上がっていた魔女――滝川(たきがわ)ノアが居た。彼女はどこか怯えた様子で俺と階段の陰に、小さな体をさらに小さく丸めて隠れる。

 

「えっと、キミは――」

「センパーイッ!!」

 

 どうすべきか思考を巡らせていると、大声と共に宮村(みやむら)伊藤(いとう)を避けて、渡り廊下から走ってくる男子生徒。

 

渋谷(しぶたに)か?」

「センパイ、助けてください......!」

「は?」

「ちょっとアンタねっ、危ないでしょ!」

 

 伊藤(いとう)がやや眉をつり上げながら、渋谷(しぶたに)に文句を言うため戻ってきた。

 

「ケガしたわけでもねぇし、許してやれよ。それに何か、ワケありみてーだしな......!」

 

 少し遅れて来た宮村(みやむら)は、伊藤(いとう)とは対照的にニヤリと笑みを浮かべている。

 

「で、どうしたの?」

「た、助けてください......」

 

 滝川(たきがわ)も、渋谷(しぶたに)と同じ言葉を口にした。

 

「いったい、何があったのよ?」

「オレたち追われてるんです。オ、鬼に......!」

「鬼? 鬼って、童話とかに出てくる、あの鬼のこと?」

「ワケわかんねぇーな」

 

 渋谷(しぶたに)の話は要領を得ないが、。どうやら二人とも、何かから逃げて来たことは間違いないようだ。

 

「き、来たぁーッ!」

 

 渋谷(しぶたに)が鬼と称した人物が、渡り廊下をこちらへ向かい歩いて来る。まだ遠目のため顔は認識出来ないが、その制服から男子生徒と判明。彼の後ろに、数名の生徒が重い足取りで歩いている。

 そして、鬼と呼ばれた生徒の正体が明らかになった――。

 

「って、朝比奈(あさひな)じゃないか。どうしたんだ?」

 

 渋谷(しぶたに)を追ってきたのは、普段の裸眼とは違い黒縁眼鏡をかけたサッカー部の朝比奈(あさひな)。後ろに居るのは、滝川(たきがわ)の友人の様子を見に行った五十嵐(いがらし)

 

「誰か居ると思えば、宮内(みやうち)か。悪いが今は、そこで逃げようとしているバカに用があるんだ」

 

 朝比奈(あさひな)は、こっそり階段を下りよう試みていた渋谷(しぶたに)の肩をガッツリホールド。

 

「貴様、逃げられると思うなよ?」

「......は、はい」

 

 スケープゴートに失敗した渋谷(しぶたに)は重い足取りで、朝比奈(あさひな)の後ろを滝川(たきがわ)たちと一緒に着いて歩く。

 

「暇なら、お前たちも来るといい」

 

 そのまま成り行きで着いて行くことになり、白石(しらいし)椿(つばき)にも連絡して合流。着いた先は、生徒会室近くの会議室。会議室内には、サッカー部の部員が学年問わず十名ほど居て、用意された席でノートと教科書を広げて、勉強していた。この場合はさせられているが適当な表現だろう。

 二次予選まっただ中のサッカー部は今週末、ベスト8進出を賭けた一戦に望む。

 しかし朱雀高校は、東京都内でも指折りの進学校。試験で赤点を取った生徒は、補習が終わるまで部活動禁止と規定されているため。一学期の期末試験の結果から平均以下だった部員が、ここ一週間この会議室へ集められている。

 

「さて、では始めるとしよう。今日は、数学だ」

 

 監督役の朝比奈(あさひな)は、ホワイトボード前の机に用意されたプリントを配り出した。配られたプリントとは、中間テストの範囲から厳選された問題用紙。

 

「なんで、アタシたちまで......」

「まあ、良いじゃねぇか。どうせ、勉強する予定だったんだしよ。問題集用意してくれるなんてラッキーじゃん」

「まあ、そうだけどね~」

「私語は慎めッ!」

「は、はいっ!」

 

 注意されて、かしこまる伊藤(いとう)。その様子を見た宮村(みやむら)が、小声で話しかけてきた。

 

「おい。なんか朝比奈(あさひな)の奴、キャラ違くねぇか?」

「眼鏡掛けるとスイッチが入るんだよ」

「そんなマンガみたいなヤツなのかよ!? おっと......」

 

 ホワイトボード前の机に戻っていた途中の朝比奈(あさひな)が振り返った。俺たちは、すぐさま話を止め問題用紙に向き合い問題を解き始めて、しばらく――。

 

「う、うぅ~......これ、ムズすぎよぉ......」

「確かに、こりゃかなりイヤらしいな。基礎を完璧に理解してないと解けねぇ問題ばっかりだ」

「やべぇ、おれ、半分位しかわかんねぇかも......」

 

 朝比奈(あさひな)が用意した問題は、出題範囲の中でも特に難しいところが厳選されている。たぶん、実際に出される中間テストの問題よりも、ずっと難問だと思う。

 

「出来たわ」

「うららちゃん、はやっ!」

 

 皆が悪戦苦闘する中、白石(しらいし)が全問解き終わってから五分後。

 

「そこまで! 答案用紙を持って来い、採点はオレがする」

 

 

           * * *

 

 

「疲れた~......」

 

 俺のバイト先、フットサルコート隣接のファミレステーブルに突っ伏した伊藤(いとう)を見た小田切(おだぎり)は、どこか面白くなさそうに頬杖をついた。

 

「なかなか来ないと思ったら、そんなことをしていたのね。連絡くらいしてくれてもいいんじゃないかしらっ?」

「すぐに終わると思ったんだけど、時間かかっちゃって。ごめんね」

「まあ、いいわ」

「けど、来ないで正解だったと思うぞ。おれは」

「どういう意味よ?」

椿(つばき)の言う通りよっ。アイツ、鬼よ......!」

 

 窓の外、ナイターの灯りに照らされた鮮やかなグリーンの人工芝のピッチで、サッカー部の面々とフットサルをプレー中の朝比奈(あさひな)に恨めしそうな視線を、これでもかと伊藤(いとう)は向ける。

 

「アイツ、ほんと容赦ないんだからっ。合格点に1点でも足りないと問答無用でやり直しさせるのよっ。それも問題を変えて、何度も何度も!」

伊藤(いとう)さん、苦労してたもんね。それに、あの子たちも――」

 

 隣のテーブルで脱け殻のようになっている滝川(たきがわ)と友人二人。もう一人の友人渋谷(しぶたに)は、フットサルコートで練習中。

 

「巻き込まれたあの三人は悲惨だよなー。特に、深沢(ふかざわ)ちゃん」

「成績学年トップのプライド、ズタズタにされてたもんねー」

「学年一位? だからなんだ。戯れ言は、最低でも全国で二桁以内に入ってからほざけ。だもんな」

「うららちゃんに聞いたんだけど。同じ塾に通ってて、成績は常に5位以内。全国模試でも30番落としたこと無いんだって!」

 

 伊藤(いとう)たちの話を聞きながら、隣のテーブルに目を移す。

 

五十嵐(いがらし)せんぱーい。ノア、チョコレートパフェが食べたいですぅ」

「頼めばいいだろう。自分のこづかいで」

「は? なにそれ、ウザイんですけど。じゃあ、宮村(みやむら)先輩でいいです」

「よし、なら脱いでもらおうか!」

「ちょーキモい!」

 

 同じテーブルの五十嵐(いがらし)たちが、滝川(たきがわ)にたかられていた。山田(やまだ)たちから聞いていた印象と、だいぶ違う。とても問題行動を起こしそうな雰囲気は感じない。多少口は悪いけど。まあ、あとでちゃんと話してみよう。

 そう思っていると、テーブルに置いたスマホが鳴った。朝比奈(あさひな)からの呼び出し、フットサルコートへと向かう。

 

「おつかれ」

「ああ、サンキュー」

 

 朝比奈(あさひな)からホット缶コーヒーを受け取り、歩道沿いの飛び出し防止ネットを支える石柱に寄り掛かる。

 

「あと、これ」

「解析か」

「ああ、今週末ベスト8を賭けた対戦相手。帝王学園の試合」

 

 ――帝王学園。中学時代のチームメイトが居る高校。

 

「目を通してくれると助かる。お前の感想を聞きたい」

「了解、見ておくよ」

「サンキュー。じゃあオレ、塾だから」

「おう」

 

 DVDに目を落とす。アイツの試合か、前の動画を見る限り、今さら観ても――。

 

「何か考えごと?」

「え?」

 

 突然声をかけられ振り向くと、歩道に白石(しらいし)が立っていた。どうやら、塾帰りのようだ。

 

「それは?」

「サッカーの試合だよ。次の対戦相手の感想を聞かせてくれって、朝比奈(あさひな)が」

「そう。私も一緒に見てもいいかしら?」

 

 クラブハウスへ移動し。店長の許可を貰って、プレーヤーにセットして再生ボタンを押す。テレビ画面に、帝王学園の試合映像が映し出された。前半5分に早々と先制点をあげると、試合は一方的に進んでいった。前半のアディショナルタイムを迎えた時点で、既に3点のリード。後半始まってすぐに追加点を加え、一気に勝負を決めた。

 

「これが、次の対戦相手なのか」

「めちゃくちゃ強いんじゃねぇの?」

 

 感想を述べたのは、なかなか戻って来ない俺の様子を見に来た五十嵐(いがらし)宮村(みやむら)

 

「この人が、宮内(みやうち)くんに似てるって人?」

 

 小田切(おだぎり)が、司令塔ナンバーの10番を背負う選手を指差す。

 

「そう。中学の時のチームメイト」

「ふーん、あんまり似てないと思うけど」

「私も、そう思うわ。それになんだか。この人たち――面白くなさそう」

 

 最初から一緒に試合を観ていた白石(しらいし)が言い放った言葉は、俺が抱いていた感想と全く同じだった。

 

 

           * * *

 

 

 小田切(おだぎり)滝川(たきがわ)を駅へ送り、白石(しらいし)と一緒に家路を歩く。

 

朝比奈(あさひな)くんたち、勝てそうなの?」

「そうだねぇ」

 

 夜空を見上げて考える。

 フットサルコートで見た練習と試合風景、帝王学園の試合を思い返しながら客観的に戦力分析。

 

「限りなく五分に近い四:六ってところかな」

「じゃあ、宮内(みやうち)くんが入ったら?」

「どうかな。サッカーは、個人競技じゃないから」

「そう」

 

 なんとなく少し元気のない返事に感じた。

 

「やっぱり、前言撤回。勝つよ。今年は出場出来ないけどね」

「じゃあ、来年応援に行くわ」

「うん、待ってる」

 

 夏から冬の星座へ移り変わり始めた、初秋の夜空の下。

 お互い声には出さなかったけど、それでも心の中で約束を交わした。



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Episode36 ~未知数~

授業と連絡事項のみのHRが終わり、放課後を迎えた。

 帰り支度もそこそこに立ち上がった伊藤(いとう)は教室のドアから顔を出して、警戒するように廊下の様子を伺っている。

 

「今日は、居ないわよね?」

「何やってんだ?」

 

 一足先に帰り支度を済ませた宮村(みやむら)が、声をかける。振り向いた伊藤(いとう)は、眉をひそめていた。

 

「昨日みたいに巻き込まれたくないから、ノアちゃんたちが居ないか確かめてたのよ」

「んなことかよ。アホやってないで、行くぞ」

「アホって! ちょっと、待ちなさいよぉー。ほら、アンタも行くわよっ!」

「先に行ってて。購買で飲み物買ってから行くよ」

「じゃあアタシ、オレンジジュース!」

「はいはい」

 

 スクールバッグを取りに戻った伊藤(いとう)と一緒に教室を出て、階段と渡り廊下、それぞれ別々の方向へと歩き出した。

 学食と一緒に完備されている購買で、人数分の飲み物を購入してから近くに空いているテーブルに腰を下ろし、ポケットからスマホを出して、昨日渋谷(しぶたに)からそれとなく聞いた内容のメッセージを送信。

 

『じゃあノアも、猿島(さるしま)と同じで、能力を消す方法を探してたってことか!』

『そうみたいね。“7人目の魔女”の能力で、玉木(たまき)のことを忘れているから、別の方法を探っていたということね。図書室とか、資料室を荒らしてた理由と繋がったわ』

『全部、玉木(たまき)のせいじゃねーか』

『なぜ、僕のせいなんだい!?』

『あら。あなたが、山田(やまだ)と会長の話を盗み聞きなんて姑息なマネしなければ、“7人目の魔女”の名前を知ることもなく、記憶を消されることもなかったんじゃなくて?』

 

 小田切(おだぎり)からのぐうの音も出ないほどの正論に対して、玉木(たまき)の返事は――。

 

『まだー? もうみんな、来てるわよー』

 

 ――わよ? いきなりどうした、と思ってよく見ると。届いたメッセージは、伊藤(いとう)からだった。画面上部に表示されているデジタル時計は、購買に来てからそこそこの時間が経過していた。どうやら少しのんびりし過ぎたようだ。

「用事があるから一旦抜ける」と、玉木(たまき)からの返信が届く前に打ち込み、スマホをポケットにしまって、超研部の部室へ急ぐ。

 

「おそーいっ。どこで油売ってたのよぉ」

 

 教科書を広げたテーブルでダレていた伊藤(いとう)が顔を上げて、口を尖らせた。ひと言謝って、ご所望のオレンジジュースの紙パックを置く。

 

「ごめん、これで許して」

「ありがとー、許してあげるっ。はい、うららちゃん」

「私も、もらっていいの?」

「どうぞ、みんなの分あるから」

「ありがとう」

 

 残りが入った袋をテーブルに置いて、空いている席に腰を下ろす。久しぶりに来た超研部の部室は、以前よりもヘンテコなグッズが増えていた。これらも全部、伊藤(いとう)が持ち込んだコレクションとのこと。その彼女の正面に座る椿(つばき)が、パックにストローを刺しながら聞いてくる。

 

小田切(おだぎり)ちゃんは、一緒じゃねぇの?」

寧々(ねね)ちゃんなら、家の用事があるから今日は来れないってー」

「へぇー、そうなのか」

「なに? アンタ。うららちゃんにフラれたからって、寧々(ねね)ちゃんに乗り換えるつもり?」

「マジかよ、ケンケンくん」

「ちげーよ! 宮内(みやうち)ってよく、小田切(おだぎり)ちゃんと一緒に居るだろ?」

「別に、いつも一緒に居るわけじゃないけど」

 

 確かに最近、“7人目の魔女“の件を話すために連絡を取り合うことは増えた。ただ、前に勉強してたのも廊下で偶然会ったからで。そもそも、クラスが違うし。休み時間に会いに行ったりもしない。放課後も、生徒会やらクラスの用事で一緒にならないことの方が多いし。椿(つばき)が言うほど、一緒に居る訳ではない。

 今日も昼に、朝比奈(あさひな)と週末の試合について話している時、五十嵐(いがらし)が「一応、滝川(たきがわ)の様子を見に行く」と昼休みに送ってきた三人でのチャットメッセージに「おねがいするわ」と返しただけで、他には特に何もない。

 と、事実を言ったところで簡単にはいかないことは想定内。

 期待通り、伊藤(いとう)は疑念と好奇心が混じった視線を向けてくる。

 

「怪しいわね」

「まぁ、どうでもいいじゃねぇか。それよか――」

 

 追及を受ける前に、宮村(みやむら)が、助け船を出してくれた。

 そして、次に続く言葉で部室の空気がいっぺんすることとなった。

 

 

           * * *

 

 

「最近、日が沈むの早くなったね」

 

 隣の白石(しらいし)の歩幅を合わせて、学校帰りの学生や、買い物客で賑わう。眩しいほどキレイな茜色の夕焼けが染める、街の商店街を並んで歩く。

 

「ええ、本当。みんなでプールに行ったのも、花火大会に行ったのも。つい、この間だった気がするけど」

「早いね」

 

 気がつけばもう、10月も半ば過ぎ。日に日に早まる日の入りと比例して、外の気温も低くなり出し、来週のテストが終われば11月。そろそろ冬支度を始める時期に入る。今年もあと、残り二ヶ月余り。

 そしてそれは、俺たちの高校生活も半分を切ったということ。

 あと半分もある、もう半分しかない。どっちの感情を抱くかは人によるだろうけど、今の俺にとっては後者。もう、半分を切ったという思いの方が圧倒的に強い。特に、二年に進級してからは顕著に感じている。

 

「あっ、そうだわ」

 

 ほぼ毎日通っている塾の前に着くと、白石(しらいし)は思い出したように顔を向ける。

 

「テストが終わったら、文化祭の打ち上げをやることになったの」

「へぇ、そうなんだ」

「ええ、だから――」

 

 一瞬、ひんやりとした風が商店街を抜けた。

 背中まで伸びる、綺麗で艶やかな長い髪を風に揺らす。乱れた前髪を直しながら、白石(しらいし)は――。

 

「必ず参加してね。それじゃあここで、また明日」

 

 微笑んだ白石(しらいし)は返事を聞くことなく、くるりと背を向けると、少し早足で塾の中に入っていった。彼女の背中を見送りながら、今の柔らかな微笑みは本来俺に向けられるハズのない笑顔(モノ)のだと、それは痛いほど感じている。

 

「――何やってんだよ」

 

 小さく呟いた声は、街の雑踏に紛れ、人知れず消えていった。

 

 

           * * *

 

 

 白石(しらいし)と別れた後、朱雀高校の最寄り駅に足を運んだ俺を、ベンチで待っている影。

 

「ごめん、待たせちゃった」

「私も今、着いたところよ」

 

 待っていた小田切(おだぎり)は、私服姿。デコルテの広いニットのトップスに、花柄がアクセントの膝上丈のスカートと秋らしいファッション。

 

「それじゃあ、さっそく行きましょ」

五十嵐(いがらし)は?」

朝比奈(あさひな)くんに捕まって、試験勉強しているみたい。滝川(たきがわ)さんたちと一緒にね」

「また、捕まったんだね」

 

 超研部で話をしている時小田切(おだぎり)からグループチャットではなく、個別にメッセージが送られて来た。玉木(たまき)が、能力を消すことを一旦保留したという内容。未読のままだったメッセージを確認すると、生徒会長山崎(やまざき)の許可無く独断に行動すると逆鱗に触れる恐れがあるため、宮村(みやむら)が正式に就任するまで待って欲しい、というむねが記されていた。

 待ち合わせした駅から歩くこと数分、目的の店舗に到着。カラオケ、と記された大きな看板が一際目を引く。自動ドアを通り、カウンターで受付を済ませ。いくつもの扉が列なる長い廊下は防音対策がとられているとはいえ、漏れた楽曲と歌声があちらこちらから響いていくる。受付で指定した部屋を素通りし、大音量が響く隣の部屋に入る。

 部屋の中には、朱雀高校の制服を着た男女。ナンシーと、シドの二人が居る。マイクを手にノリノリで歌うナンシーは、俺たちが入って来たことに気づいても構わず歌い続ける。シドは座って待つようにと、ソファーのスペースを開けてくれた。曲が終わりマイクをテーブルに置いて、コーラが注がれた汗をかいたグラスを口に運ぶ。

 

「ぷはぁーっ、スッキリしたー!」

「いいかしら?」

「ああ、いいよ。それで、なんだい? アタシに聞きたいことってのは」

「あなたに聞きたいのは――」

 

 玉木(たまき)に奪って貰う以外で、能力を消す方法。

 

「能力を消す方法ねぇ......」

 

 ナンシーは腕を組んで、難しい表情(かお)を見せる。

 宮村(みやむら)が、生徒会長に就任すれば玉木(たまき)が魔女の能力を奪ってくれる約束はしている。けど、それは早くて来月以降の話し。待てば済む話なのだが、他に方法があれば、より早く能力を手放すことが出来るかもしれない。

 そこで、“7人目の魔女”で魔女のことを熟知しているナンシーに会いに来た。

 

「まあ、無くはないよ」

「えっ、ほんと!?」

「ちょっと落ち着きなよ」

 

 身を乗り出した小田切(おだぎり)が座るのを待って、ナンシーは続きを話し出す。

 

「アタシが知る限り、魔女の能力を消すには、儀式しかないだろうね」

「儀式? ああ、あのどんな願いでも叶うってやつね」

 

 後夜祭で聞いた、7人の魔女を集めると願いが叶う儀式の話。ナンシーは以前儀式を行って、当時1年だった小田切(おだぎり)たちの記憶を消したと話していた。

 

「じゃあ、儀式を使えば、魔女の能力を消すことが出来るのねっ」

「そいつは分からないね。魔女は常に7人、儀式を行うには7人の魔女全員の協力が必要なのは前にも話したろ。だけど実際、魔女は全部で14人存在していた。つまり、アタシが把握している残りの魔女6人と、寧々(ねね)側の魔女は別グループってわけさ」

 

 つまり、“7人目の魔女”が二人存在することから、どこまで干渉出来るかは不鮮明、未知数。ナンシーのグループで儀式を行っても、お互いが干渉出来なかった場合は、儀式が無意味に終わることも考えられる。。

 

「そうなると確実に能力を消すためには、小田切(おだぎり)さん側の“7人目の魔女”の協力が必要不可欠なわけだ」

「そういうことさ。それで、もう一人の“7人目の魔女”ってのは、どんなヤツなんだい?」

「さあ、知らないわ」

 

 山田(やまだ)の話を聞いて、記憶を操作される可能性を考え、“7人目の魔女”の名前をあえて聞かない判断をした。だから、山田(やまだ)玉木(たまき)の記憶を操作した魔女の名前も、外見も一切分からない。

 

「他の魔女ために活動してねぇのか?」

「少なくとも私は、助けられた覚えはないわね」

「薄情な魔女だな! ナンシーなんて――」

「よしな、シド! 考え方は人それぞれさ」

 

 不意に、ナンシーと目が合う。どうやら、ここは居ない方が円滑に事が進みそう。テキトーな理由付けでシドを連れだし、魔女同士の時間を作る。退出時間を待たずしてカラオケを出ると、茜色だった街は人工的な光が照らすネオン街に様相を変え、すっかり夜の繁華街。

 

「ごめんね」

「どうして、あなたが謝るのよ?」

「結局、一曲も歌えなかったし」

「別にいいわよ。今日は、ナンシーと話をするのが目的だったんだから」

 

 飲み物を用意するためドリンクバーに向かっている途中、宮村(みやむら)からメッセージが来た。文面から何やら緊急の用事らしく、駅で待ち合わせをすることに。

 

「悪いな。呼び出してって、小田切(おだぎり)も居るじゃねぇか」

「何よ、何か文句あって?」

「イヤ、文句はねぇけど。むしろ、オレが邪魔した感じじゃね? デートしてたんだろ? 服も気合い入ってるしよ!」

 

 いつもの調子でおちょくる宮村(みやむら)。どうやら思っていたほど、事態は切羽詰まった用件ではないみたいだ。普段と変わらない軽口に、小田切(おだぎり)もいつものように食って掛かる、と思っていたら――。

 

「そうよ、せっかくのデートが台無しだわ。ふんっ!」

 

 想定外の返しに、宮村(みやむら)は口を手で覆って顔を逸らす。

 

「......マジだったのかよ。なんか、悪かったな」

 

 宮村(みやむら)が謝った瞬間、小田切(おだぎり)は勝ち誇ったような笑みを一瞬見せるとくるっと身を翻し、改札の方へ体を向けた。

 

「それじゃ、私は――」

「ちょっと待て。ちょうど、お前にも話しておきたいことがあったんだよ」

 

 商店街のスーパーで夕食の買い物(宮村(みやむら)の奢り)をして自宅アパートへ帰る途中ばったりと出会した、塾帰りの白石(しらいし)も一緒に夕食を食べることになった。

 女子二人が作ってくれた夕食を、四人で囲む。

 

「でさ。家でDVD見てたら急に、山田(やまだ)のヤツが来て。いきなり、姉貴に会わせろってよー」

山田(やまだ)くんが、宮村(みやむら)くんのお姉さんを訪ねて?」

「ワケわからねぇーだろ。そもそもオレ、アイツに姉貴のこと話した覚えはねぇし」

 

 宮村(みやむら)の愚痴を聞きながらさり気なく、小田切(おだぎり)に視線を送る。一切の相談もなく取った山田(やまだ)の単独行動を聞いてか、呆れた様子でタメ息をついていた。テーブルの下でスマホを操作して「二人に伝えようか? このまま不信に思われてたら、面倒なことになりそうだよ」と、彼女にメッセージを打つ。返信は、すぐに返ってきた。

 

『そうね。山田(やまだ)の行動が、会長の耳に入ったら困るわ』

 

 互いにスマホから目を外して頷き合い。宮村(みやむら)白石(しらいし)と向き合う。

 

「二人に話があるんだ」

「ん?」

「なんだよ、改まって? まさか――!」

 

 ニヤニヤと笑みを浮かべる宮村(みやむら)を、小田切(おだぎり)が咎める。

 

「黙って聞きなさい。あなたたちに取って重大なことよ」

「へいへい。で?」

「これだよ」

 

 猿島(さるしま)大塚(おおつか)の説得にも使った花火大会、プールで取った写真を見せ、二人が“7人目の魔女”の能力の影響を受けていること、山田(やまだ)とキスをすることで記憶を取り戻せることを伝える。

 宮村(みやむら)白石(しらいし)は、自分のスマホを手にしてメールや発着信履歴などを確認して――。

 

「ふむ。マジみたいだな。道理で、超研部(オレたち)のことに詳しかったワケだぜ」

「ええ、納得がいったわ」

 

 最初は半信半疑で戸惑っていたが。山田(やまだ)が、超研部に積極的に関わろうとしていたことに疑問と違和感を感じていた二人は、すんなりと信じてくれた。

 

「それで、あんたの話ってなんなの? 私にもあるんでしょ?」

「おお、そうだったな」

 

 メッセージで呼び出した山田(やまだ)を待っている間に、駅で宮村(みやむら)が言っていたことを、小田切(おだぎり)は尋ねる。

 

宮内(みやうち)白石(しらいし)さんには、部室で言ったけど。オレ、正式に次期生徒会長に指名されたぜ......!」

「あっそ」

「もうちょい興味持てないのかよ? ツレねぇなー」

 

 どうでもよさそうにスマホを手にして、小田切(おだぎり)はめんどうそうにタメ息をつく。

 

「で。それがどうして、私に関係あるのよ?」

「そりゃ決まってんだろ? 小田切(おだぎり)さんを、次期生徒会役員に指名するつもりだからさ」

「イヤよ! どうして、あなたの下で働かなきゃならないのよ!」

 

 宮村(みやむら)は拒否されたにも関わらず、腕を頭の後ろで組んで笑った。それはまるで、小田切(おだぎり)が役員になることを了承する確信を持っているような笑顔に思えた。

 

「言っておくけど。何度頼まれても引き受けないわよっ」

「まっ、その話の続きは今回の件が決着してから改めてしよーぜ。出来れば、今週中に終わらせたいな......」

 

 来週から、中間試験が始まる。

 宮村(みやむら)が言ったことは、ここに居る全員の共通する思いだった。



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Episode37 ~進展~

「あなた、いったい何を考えているのかしらっ?」

 

 小田切(おだぎり)の叱咤を甘んじて受けているのは、気まずそうな顔で正座をしているのは、白石(しらいし)......と入れ替わった山田(やまだ)。やむを得ず、白石(しらいし)宮村(みやむら)に真実を話したことを伝えると、白石(しらいし)の記憶を取り戻すことを決意。消された魔女の記憶を取り戻すためにしたキスの影響で、互いの体が入れ替わり、元の体に戻る前に白石(しらいし)は、大塚(おおつか)たちと同様に眠りについていた。

 

「慎重に行動しなさいって言っていたわよね? いったい何のために秘密裏にことを進めて来たと思っているのよ。記憶を操作されないためでしょ、違うっ?」

「は、はい、そうです」

 

 彼女がここまで怒っている理由は、説教を受けている山田(やまだ)がやらかした失態が原因。生徒会長の山崎(やまざき)が手を焼いていた、魔女の暴走を一先ず食い止めた報告と、魔女の能力を消す許可を得ようとした山田(やまだ)だったが、滝川(たきがわ)の記憶を校内で戻したことを“7人目の魔女”に勘づかれ、再び記憶を消されてしまった。

 ひとしきりの不満を言い終えた小田切(おだぎり)は、大きなタメ息をついて理由を尋ねる。

 

「そもそも、どうして校内で記憶を戻したのよ? リスクが高いのは、あなたにだって分かっていたでしょ」

「そ、それは、ノアのヤツを少しで早く安心させてやりたかったっつーか」

「どういうこと? 私が見た限り、すぐに問題行動を起こしそうな様子はなかったわよ、あの子」

 

 確かに。昨夜訪れたファミレスでも、宮村(みやむら)たちと軽口を言い合っていた。さほど切羽詰まっているようには思えなかった。

 

「放課後、ノアの様子を見に行ったんだよ。表向きには元気だったけど、たまにキツそうな表情(かお)するっつーか......。やっぱ、悩んでんだなって――」

 

 滝川(たきがわ)過去(トラウマ)を知っている山田(やまだ)だからこそ感じ取れた感覚。そういうことなら、これ以上強く批難は出来ない。

 

「ハァ、仕方ないわね。とにかく、会長の任期満了まで大人しくしていなさい。宮村(みやむら)が就任すれば、魔女の能力は消せるんだから」

「あ、ああ、分かった」

 

 素直に頷いた山田(やまだ)に、今度は宮村(みやむら)が質問をぶつける。

 

「お前の言い分は分かったけどよ。それがなんで、姉貴と関係あんだよ?」

「それな。一昨日猿島(さるしま)が、どうして記憶を消す必要があるんだって言ったんだ」

 

 ――覚えてるよな? と、俺たちに目を向ける。頷いて肯定すると、どこか安心した様子で続きを話す。

 

「だからさ。超研部のOGで、魔女の調査をしてたレオナなら何か知ってるんじゃないかって思ってよ。もしかしたら、7人の魔女全員の名前を知られちゃいけねぇ答えがそこにある気がするんだ......!」

「ふむ。山田(やまだ)にしては、意外と的を射てる考察かもな」

「俺にしてはって、どういう意味だよッ!」

「だって、オレの中じゃお前は学校一の問題児で、突然、超研部に入部を申し込んできたあげく、白石(しらいし)さんにフラれて、部活に顔出さなくなったヘタレだぜ?」

「ぐっ......」

 

 指摘が的中したらしく、顔を背けた山田(やまだ)を見て笑う宮村(みやむら)を横目に、充電中のスマホを起動させ時計に目を落とす。

 

「あのさ。行動するなら、早くした方がいいんじゃない」

「あん? なんだよ、急に」

「記憶を操作されたんだったら早くしないと。今の話も、いつ書き換えられるか分からないんだから」

 

 時刻を確認するのに使ったスマホを、三人に見やすいようテーブルの中央に置く。時刻は既に21時近くを表示していた。

 以前山田(やまだ)は、“7人目の魔女”から「効力が現れるまで最長24時間かかる」と注意を受けたと話していた。逆に言えば、24時間以内に効力が現れるということ。つまり、次の瞬間記憶を書き換えられても何らおかしくはない現状。

 

「今度は俺たちも、覚えていられるか分からないし」

「そうね。みんな、あなたの素行については覚えているみたいだから、きっと信じないわ」

「記憶を戻す方法を知ってても信じてもらえなきゃキス出来ねぇーワケだし。記憶は戻せないわな」

「......だよな」

 

 同じ超研部の仲間でさえも、山田(やまだ)を受け入れることはなかった。宮村(みやむら)たちよりも関係の薄い俺と小田切(おだぎり)は、なおさらだろう。今後、高確率で陥るであろう状況を憂い、うなだれる山田(やまだ)

 そこへ、安心させるような優しい言葉。

 

「大丈夫よ、山田(やまだ)くん」

白石(しらいし)!?」

「あら、起きたのね。気分はどうかしら?」

「平気。全部思い出したわ」

 

 横になっていた体を起こした白石(しらいし)は、山田(やまだ)と向き合う。

 

「もう一度記憶を失っても確実に思い出せる方法があるわ」

「ま、マジかよ、どうすりゃいいんだ!?」

「簡単よ。記憶を失った時、キスせざるを得ない状況であればいいの」

 

 ――キスせざるを得ない状況......ああ、そういうことか。

 とある方法を思いついた。でも仮に、思いついた方法が的中していたとしても、結構難題な気がしないでもないけど。山田(やまだ)に目をやる。スカートにも関わらずあぐらをかいて腕を組んで、首をかしげていた。どうやら、察していないようだ。

 

「キスせざるを得ない状況ってなんだよ、それ?」

 

 山田(やまだ)の問いかけに答えたのは、宮村(みやむら)

 

「なんだよ、わかんねぇのか? 簡単じゃねぇーか。今のうちにエロ写メ撮って脅すんだろ!」

「なッ!? っんなことしねーよッ!」

「サイテー! 絶対協力しないからっ!」

「だから、撮らねぇっての!」

 

 否定しても疑いの眼差しを向ける小田切(おだぎり)に、必死に弁解する山田(やまだ)を見て、宮村(みやむら)は愉快そうに笑い。白石(しらいし)も、懐かしむように微笑んでいる。

 ほんの少し前まで、よく見た光景。

 今回の件がすべてが片付いたら......今、ここに居ない伊藤(いとう)たちも一緒に、前と同じような賑やかな日々に、戻れるといいなと思った。

 

 

           * * *

 

 

 あの後すぐ、行動に移すために、宮村(みやむら)の家にお邪魔している。高級住宅が建ち並ぶ中でも一際目を引く、大きく立派な洋館。内装も外観の印象そのままに、とても豪華な造り。玄関を入ってすぐの吹き抜けの天井、一流ホテルにありそうなシャンデリアは広間を明るく照らし。壁には、ランプ型の間接照明やら、有名な画家の絵画などの美術品が飾られていて、ちょっとした美術館のような家。宮村(みやむら)の案内で、木造の手摺つきの階段を二階へ上がる。上りきった先の廊下で、山田(やまだ)は立ち止まった。

 

「じゃあ俺は、レオナと話をしてくる」

「待って。私も行くわ」

「気を付けろよ、白石(しらいし)さん。今は、山田(やまだ)の身体なんだからよ?」

「わかってるわ。行きましょ、山田(やまだ)くん」

「お、おう!」

 

 入れ替わったままの二人は、宮村(みやむら)の姉レオナと話をするため、彼女の部屋へ向かい。俺たちは、宮村(みやむら)の部屋で寝支度を始める。これが白石(しらいし)の言った記憶を失ったとしても、キスせざるを得ない状況を生み出す秘策。

 簡単にいえば、目を覚ましたときお互いの身体が入れ替わったままなら必ず戻ろうとする、と寸法。

 

「これで、最後のひと組ね。それにしても――」

 

 客間から持ってきた人数分の布団を敷き終えると、小田切(おだぎり)は部屋の中を見渡す。

 

「ほんっと広いわね。これだけお布団を敷いても、ぜんぜん余裕じゃない」

 

 ――まったくだ。

 宮村(みやむら)の自室は、自宅(うち)のアパートの間取りより広いと思う、でも――。

 

「物は、少ないね」

「それに意外と片付いてるわね。生徒会の仕事は、いつもテキトーなのに」

 

 部屋に設置してある冷蔵庫の缶ジュースを俺たちに差し出て、宮村(みやむら)はベッドに腰を下ろす。

 

「家政婦さんが、完璧こなしてくれてるからな。まっ、オレ自身あんま、部屋にいねーからってもあるけど」

「家政婦さんが居るって。どれだけお坊っちゃんなのよ......?」

 

 ごく普通の一般家庭では考えられない別世界の生活に、少し頭が痛くなってきた。ノックもなしにドアが開いて、レオナの部屋へ行っていた山田(やまだ)白石(しらいし)の二人が、どこか神妙な面持ちで戻ってきた。

 

「姉貴から、話は聞けたのか?」

「あ、ああ......一通りな」

「何よ? ハッキリしなさいよ」

「仕方ねぇだろ。よくわかんねーんだよっ」

「私も同じ。少し整理する時間が欲しいわ」

 

 二人はよほど衝撃的なことを聞かされたのか、動揺している。

 

「それなら先に、お風呂にしましょ」

「おっ、いいな。よし、山田(やまだ)、一緒に入ろうぜー!」

「ああ......って、ふざけんな! 俺は今、白石(しらいし)の身体なんだぞ!」

「だからじゃねーか」

 

 両手を胸の高さで前に出して、ワキワキ動かす宮村(みやむら)のいつもの悪ふざけに、小田切(おだぎり)は呆れ表情(かお)で大きなタメ息をついた。

 

「お風呂は1階にもあるみたいだから、私たちが先に使わせてもらうわ。行きましょ、白石(しらいし)さん」

「ええ、山田(やまだ)くん、着替え借りるわね」

「って、入れ替わったまま入る気かよっ!?」

「お風呂で記憶を失ったら困るでしょ?」

「それは、そうだけどよ......」

 

 躊躇する山田(やまだ)をよそに白石(しらいし)は、小田切(おだぎり)後に続いて部屋を出ていった。しばらくして戻ってきた女子二人の後、風呂を済ませて布団に入る。

 

「んじゃあ、電気消すぞー?」

 

 宮村(みやむら)がリモコンを使って、部屋の灯りを淡い間接照明に切り替える。静かで薄暗い部屋の中、白石(しらいし)が小さな声で「なんだか、合宿みたいね」と、ぽつりと言葉にした。

 

「......そうね。普通は、男女別々だけど」

小田切(おだぎり)さんが、一緒に泊まるって言ったんだろー?」

「そ、それは、三人だけだと危険だからよ。あんた、白石(しらいし)さんと入れ替わった山田(やまだ)に手を出すかもだし......!」

「いくらなんでもそれはねーよ。寝込みを襲うのは、オレの美学に反するからな。行くなら真っ向から行くぞ」

 

 ――それは、それでどうかと思うぞ。

 目をつむったまま、心の中でツッコミを入れておく。

 

「うっせーな。寝れねえだろー」

「へいへい、悪かったな。じゃあ、おやすみ~」

 

 深夜0時を過ぎに就寝。眠りについてからしばらく経って、ふと目が覚めた。周りからは、小さな寝息が聞こえる。枕元のスマホを手に取る。

 

「四時か......」

 

 環境が違うせいか。普段起きる時間より二時間も早く目が覚めてしまった。

 

「何だ、お前も起きたのか」

「ん? ああ、お前も早いな」

 

 小さな声で話かけてきたのは、宮村(みやむら)

 

「何か目が覚めちまってさ」

「俺も同じ」

「そっか。そう言えば、どうなったんだ? 例の子とはよ......!」

 

 また唐突もいいとことに、俗な話題を持ち出しやがった。

 

「別に、特に進展はないよ」

「仲は良いだろ?」

「そりゃまあ、悪くはないと思うけど」

「なんだよ。意外と奥手なんだな~」

「どっちが?」

「どっちもだろ?」

 

 声を殺して笑った宮村(みやむら)は、息を整えてから「ここはひとつ、オレが一肌脱いでやるよ」と、また笑った。

 

「何するつもりだよ?」

「まっ、そのうちわかるって。安心しろよ、悪いようにはしねぇからさ」

 

 そう言うと背中を向けて、毛布を深くかぶり直した。

 ただ面白がっているようにも思えなくない笑顔に一抹の不安を覚えながら、俺も再び目を閉じた。

 

           *  *  *

 

 週末。俺は一人、都内のスタジアムに足を運んだ。

 緑色の鮮やかな芝のピッチでは、これからここで試合を行う選手たちが、芝の状態を確かめるようにボールを蹴り、アップを行っている。ゴール裏の大型ビジョンに表示された、朱雀高校と帝王学園の文字。

 そう、今日は朱雀高校サッカー部がベスト8をかけて戦う試合が行われる日。

 ただ、明日から中間テストが始まるため、朱雀高校の応援席には部員の保護者と関係者が居るだけで、学校の生徒の姿はほとんど見当たらない。

 

「どうやら、間に合ったようだね」

「はい。ちょうど今から、試合開始のですわ」

「さて。隣いいかな?」

 

 両校の選手が入場し、試合が始まろうとした、正にその時――。

 朱雀高校生徒会長の山崎(やまざき)と秘書の飛鳥(あすか)が、スタジアムの客席に姿を現した。



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Episode38 ~仮説~

 蒼く晴れ渡る秋の空。選手権大会東京都大会決勝トーナメント二回戦、朱雀高校対帝王学園の試合。勝てば数十年ぶりのベスト8進出が決まる一戦は、天候にも恵まれ、緑色の鮮やかな芝が映えるスタジアムで行われている。

 試合は両校共に決め手を欠き、前半を0対0で終えて、ハーフタイムに入った。ピッチから戻って来た選手たちとベンチ入りメンバー、監督がベンチ裏の通路を歩いて、控え室へと入っていった。応援席から選手たちに拍手を送っていた応援団も席に座って、暫しの休憩に入る。

 それは、俺たちも同じ。通路の自販機で温かい飲み物を買って、朱雀高校側の応援スタンドへ戻ると、隣の山崎(やまざき)が大きく息を吐いた。

 

「やれやれ、どうにか凌いだといった感じの展開だったね。息が詰まりそうだよ」

「いえ。むしろ、朱雀高校(うち)のペースで試合は進んでます」

「そうなのかい? 僕には、ずいぶん攻め込まれていたように思えたけど」

「私も、会長と同じように思いました」

「劣勢に見えるは、両チームの戦術(スタイル)によるものです」

 

 よくわからないと言った様子の二人に、前半戦を記録したスコアブックを開いて説明。前半戦両校のボールの支配率は3:7の割合で終始ボールを支配され、寸でのところを辛うじて耐え忍ぶ、端か見れば圧倒的に劣勢な試合展開。だけど、こういう試合展開になることは、想定済み。

 なぜなら、帝王学園はパスを多用してボールを支配するポゼッションサッカー。対する朱雀高校は、ディフェンスの要朝比奈(あさひな)を中心とした、高い組織力の守備型のチーム。

 

「相手は、中盤に高い技術を持つ選手を中心にボールを回して、守備を崩す攻撃を仕掛ける。自陣の低い位置で守る守備型の朱雀高校(うち)との戦術(スタイル)の違いから、必然的にボールの支配率で劣って見えるんです」

「ふむ、なるほどね。でも終始攻め込まれているのは、事実ではないのかな?」

「それは、そんなに気にすることじゃないです」

 

 ハーフタイムのミーティングを終えた両軍の選手たちが出てきた。朝比奈(あさひな)はこちらを見て余裕の笑みを見せると、キャプテンマーク付け直し、チームメイトが待つピッチへ早足で駆けて行く。主審が腕時計に目を落とし、ホイッスルが吹かれ、後半戦キックオフ。

 エンドが替わった後半も前半と同様、帝王学園が圧倒的にボールを支配してゲームが進む。時間が経過するに連れて、元々低い朱雀高校のディフェンスラインが徐々に後ろに下がって行き、ゴール前まで攻め込まれる回数が増えていった。

 ――あと1メートル。あと、50センチ。もう少し、耐え抜け。

 スタンドから、ピッチ全体の動きを注意深く観察。

 ゴール前の混戦、ディフェンスが大きく前線へ蹴り出した。

 

「今のは、危なかったね」

「あっ。また、相手に取られてしまいましたわ」

 

 クリアボールはタッチラインを割らず、相手のサイドバックがライン際でキープ。ディフェンスラインでパスを回し、ゴール前からセンターサークル付近まで戻って来た十番嘉納(かのう)にボールを預け。ボールを受けた嘉納(かのう)は、ディフェンスにも攻撃参加するように指示を出し、自らドリブルで上がって行く。

 ――よし、かかった。

 左手を上げて、朝比奈(あさひな)にサインを送る。サインを確認した朝比奈(あさひな)は声を出して、中央突破を目論む嘉納(かのう)に一人付くように指示を出し、ダブルボランチの一人が指示通り、行く手を塞ぐように立ちはだかった。

 

「ここで、バックパス」

「ん?」

「はい?」

 

 読み通り、ヒールでボールを真後ろへ叩き、フォローに来ていたセンターバックの一人にボールを預け、ダッシュ。ボールを受けた選手はフワリしたフライボールで、ディフェンスの頭を越すパスを出し裏のスペースへ送った先に走り込んだ嘉納(かのう)は、守備陣を切り裂くスルーパスを出し、サイドへ展開。オーバーラップして来たサイドバックはダイレクトでアーリー気味のクロスをゴール前へ放り込む。クロスボールは、ペナルティエリア内で待ち構えていた長身フォワードの頭目掛けて、ピンポント。

 

「これは不味いのではないですか?」

「頭ひとつ分競り負けているね。これは、やられたかな」

「問題無いですよ。相手の本命は、別ですから」

「本命?」

 

 空中の競り合い。帝王のフォワードが持ち前の長身を活かし競り勝ったが。ヘディングはシュートではなくポストプレイ、狙いは最初から左右に振られたディフェンスの間に出来たゴール正面のオープンスペースへ走り込んで来た、別のフォワードへのラストパス。

 ゲームメイカー嘉納(かのう)は、この流れるようなパスワークでゴール前のチャンスを作り出した。しかし、どんなに鮮やかな連携でも分かっていれば止められる。ラストパスを狙い済ましたように朝比奈(あさひな)がインターセプト、そのまま大きく前線へ蹴り出した。敵が群れをなす中盤をすっ飛ばし、サイドバックのオーバーラップで出来たディフェンスラインの更に後方、センターライン一歩手前の位置で前線に残っていた渋谷(しぶたに)が相手陣で拾い、カウンターの形となった。

 帝王学園のディフェンス陣は手を上げてオフサイドだとアピールするが、線審は首を横に振る。相手キーパー以外の選手全員がセンターラインを超えていため、線審のオフサイドを宣言せず、プレイは続行。

 

「完璧」

「完璧って。まさか、この一連の流れを狙って作ったのかい?」

「当然ですよ、今までの劣勢は全て布石。相手選手を全員自陣へ引き込み、一瞬の隙を突くカウンターアタック」

 

 独走する渋谷(しぶたに)を止めようと、ディフェンダーは必死に戻るが追い付かない。これも計算通り。ここ数日、サッカー部の部室で動画を観て、ストップウォッチを片手に何度もシミュレーションを重ねて来た。あの位置からでは、足のある渋谷(しぶたに)には追い付けない。

 試合時間は残り10分。この時間帯で先取点を奪えればグッと勝利を手繰り寄せられる。そう思った矢先、予想外のことが起きた。捨て身覚悟でペナルティエリアを飛び出した相手ゴールキーパーが手を使って、渋谷(しぶたに)の腰に抱きつき引き倒した。もちろん、ファールの判定。そして、明らかに故意による悪質な行為とみなされ、一発レッドカード。退場を宣告された。まさかの出来事に、ざわつく場内。

 

「......やられた」

「相手が一人居なくなって、有利になったのではないのですか?」

飛鳥(あすか)くんと同意見だったけど、どうやら違うみたいだね。彼らも、キミと同じように思っているようだし」

 

 渋谷(しぶたに)が倒されたペナルティエリアのすぐ外に置かれたボールの前で集まっている朱雀高校の選手たちは、神妙な面持ちで話合いをしている。

 

「あの場面、抜かれていたら失点はほぼ確定。でも、フリーキックは守備が戻り、体勢を整えられる。それに加えて距離は20m弱、この距離なら止めれる可能性も十分にあるんです」

「なるほど、どうしても取っておきたかったワケだね」

「ええ。控えのキーパーを入れて、ディフェンスが一枚減っても攻撃力は変わらない」

 

 地力では、帝王学園(向こう)が一枚も二枚も勝る。勝つには隙を突いて一点を奪い守り抜く。これしかなかった。すぐに選手交代が行われ、朱雀高校のフリーキックで試合再開。

 キッカーの森園(もりぞの)は、直接狙うも高い壁を意識し過ぎたか、ボールはクロスバーを叩いた。

 

           *  *  *

 

「何だか、スッキリしない結末だったね。ところでアレは、アリなのかい?」

 

 試合終了後スタジアム内の通路を歩きながら、決勝点のプレーについて聞かれた。両校無得点で迎えた後半アディショナルタイム。ここまで辛うじてゴールを守ってきた朱雀高校は、ペナルティエリア内で相手選手を倒してしまい、ペナルティキックを与えてしまった。キッカーはファールを貰った嘉納(かのう)。キーパーの逆を冷静について失点、試合終了間際に均衡が崩れた。結局、この一点が決勝点となり敗戦。インターハイに続き、ベスト8の壁を破ることは出来なかった。

 あのファールは、誤審。目の良い飛鳥(あすか)は、すぐに気づいた。ディフェンダーの足は、ペナルティエリア内で倒された嘉納(かのう)の足には届いていておらず、自ら倒れてファールを貰う、南米の選手が得意とする「ズル賢さ(マリーシア)」というテクニック。

 

「テクニックのひとつではあります。まあ俺は、好きじゃないですけど。あれは、美しくない」

「騙される方も悪いか」

「ふふっ、会長の得意技ですね」

「はっはっは、いやー、飛鳥(あすか)くんは手厳しいな」

 

 まったく否定しないところが、会長(この人)らしい。

 

「おっと、噂をすればだね」

 

 スタジアムの入場口で帝王学園サッカー部とバッタリ出くわした。ユニフォームと同様威圧的な黒系統のジャージ姿の部員たちが列をなして、横付けされた大型バスに乗り込んで行く。その中の一人が立ち止まり、歩みを変え、俺たちの前で止まった。

 

「久しぶりだな」

「ああ、しばらく」

 

 そいつは、噂をしていた嘉納(かのう)

 

帝王(ウチ)の特待蹴って、朱雀になんて行ってたのか。落ちぶれたな」

 

 一緒に居た制服姿の山崎(やまざき)飛鳥(あすか)を見て、俺も朱雀の生徒だと察したようだ。相変わらず、観察眼はずば抜けて高い。

 

「お前も、相変わらずだな。いつまであんなくだらないマネを続けるつもりだ?」

「フン、もうお前は、終わったんだよ」

 

 嘉納(かのう)は見下すような目をして鼻で笑い、背を向けると、バスに乗り込んだ。過ぎ去るバスを見送ることなく、俺も再び歩みを進める。

 

「いいのかい? あんなことを言われたままで」

「別に。中学レベルで満足してる奴の戯れ言ですから」

「中学レベル?」

「それより、俺に何か用事ですか?」

 

「さすが察しがいいね」と、山崎(やまざき)は眼鏡を触り、小さく笑みを見せた。

 

 

           * * *

 

 

「うん、雰囲気のいい店だね。進学したらここで、バイトするのも悪くない」

「期待してますわ」

飛鳥(あすか)くんに言われたら、頑張らない訳にはいかないなー」

 

 おしゃれな和風カフェに場所を替えて。それぞれ注文した品が運ばれて来てから、改めて用件を訊ねる。

 

「もし仮に、どんな願いでも叶うとしたら、キミは何を願うかな?」

「はあ?」

 

 あまりにも唐突で突拍子のない質問に思わず、すっとんきょうな声を上げてしまった。

 

「心理テストの類いですか?」

「はっはっは、まあ、そんなところかな。で、どうだい?」

 

 まるで探りを入れるような視線。きっと嘘は簡単に見破られる。そう直感したから、真面目に答えた。

 

「特にないです」

 

 すっと視線を外し、隣の飛鳥(あすか)を見る。彼女は、うなづいて答えた。

 

「ふむ、本当にないみたいだね」

 

 山崎(やまざき)は、湯気の立つティーカップを持ったまま背もたれに深く体を預けて、ひとつ息を吐く。

 

「話と言うのは、魔女についてだよ」

 

 この二人が揃って来たんだ。まあ、そうではないかと思っていたから、特に驚きも戸惑いもしない。

 

「魔女には固有の能力以外にも、ある秘密が存在するんだよ。それは本来、朱雀高校の生徒会長以外知ってはならないタブー」

「......どんな願いでも叶うって、ヤツですか?」

「そう、その通り。7人の魔女を集めると、どんな願いでも叶えることが出来るんだよ」

 

 ティーカップをひとくち運んでテーブルに置いた山崎(やまざき)は、両肘をつき威圧するように組んだ手にアゴを乗せる。

 

「しかし、その重大な秘密を知ってしまった困った生徒が現れてしまった。彼は7人の魔女の力を使い。失われた記憶を取り戻そうと試みている。けれどそれは、必ず阻止しなければならない、なぜだと思う?」

「さあ? でも、学校ためだと言うことはわかります」

「正解。この話が校内に漏れれば、学校の秩序は崩壊してしまう。しかも、同じ魔女では一度しか儀式は行えない。そうなれば、以前の滝川(たきがわ)くんのように強行に出ることもあり得る。それだけは絶対に避けなければならない事案なんだよ」

 

 確かに、儀式のことが知れ渡れば悪用する輩は必ず出てくるだろう。ナンシーが躊躇する訳も、似たような理由なのかも知れない。

 

「けど、どうして俺に......?」

 

 すると山崎(やまざき)は、手を崩して――。

 

「キミから伝えて欲しくてね、山田(やまだ)くんに」

 

 ――やっぱり、恐ろしいわ。この人たち......。

 正面に座る朱雀高校生徒会長と秘書は、二人して微笑んでいる。どうやら、俺たちが山田(やまだ)のことを忘れていないことは既にバレているようだ。

 先日、宮村(みやむら)の家に泊まった翌日。俺たちは誰も、山田(やまだ)のことを忘れていなかった。

 その時、おそらく“7人目の魔女”の能力には一定の制限が存在するという仮説を立てた。

 

「僕の話は信用して貰えないからね。はっはっは!」

「日頃の行いが祟りましたね」

「おっと、痛いところを突いてくれるね。飛鳥(あすか)くんは」

「事実ですから」

 

 話が終わり、会計を済ませて店を出る。

 

「ごちそうさまです」

「いや、構わないよ。ところで、さっきの件だけど」

「はい、伝えておきますよ」

「いや、その話じゃなくて。最初の話だよ」

 

 ――最初の話......叶えたい願いがあるかって話か。

 

「儀式を使えば、キミの足を治すことも出来るんだよ?」

 

 なにを言うかと思えば、そんなことか。

 

「そんなことをして、何の意味があるんです」

「......やっぱり、キミを指名すべきだったと後悔しそうだよ」

「会長」

「分かっているよ。次期会長は、宮村(みやむら)くんだ。引き留めて悪かったね、それじゃあ、また......!」

「失礼いたします」

 

 どこか愉快そうに歩いて行く山崎(やまざき)と、軽く会釈してその後を歩く飛鳥(あすか)の背中を見送り。俺は、山田(やまだ)たちに向けて、メッセージを送った。



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Episode39 ~果たせなかった約束~

 同じ魔女の組み合わせで儀式を行えるのは、一度限り。

 再び儀式を行うためには、魔女を以上入れ替える必要がある。魔女の入れ替えは、魔女が学校を卒業・退学、もしくは玉木(たまき)が能力を奪っている状態で別の魔女の能力を奪い、前の魔女から奪った能力の上書きを行うことで発生する。

 しかし、魔女の能力を得ることが出来るのは現状に問題を抱えている生徒のため、場合によっては、新たな魔女がしばらくの間生まれない可能性がありうるため、安易に儀式を行うことは出来ず。一刻を争う重大な事案が発生した場合にのみ、生徒会長の権限において儀式を執り行う。

 これが、山崎(やまざき)から聞かされた“7人の魔女”の真実――。

 とは言ったものの。儀式については以前、ナンシーから聞いていたこととほぼ酷似していたから正直、そこまで驚きはしなかった。山田(やまだ)も、あまり驚いていない。宮村(みやむら)の姉レオナから、儀式のことを聞いていたらしい。ただ、一緒に呼び出した宮村(みやむら)玉木(たまき)の二人は、戸惑いながらも事実を受け止めていた。

 

「......儀式か。魔女には、特別な能力以外にも秘密もあったなんてな」

「確かに。けれど、記憶を操作してまで、魔女の存在をひた隠しにしてきた理由も理解できたね」

「ああ。このことが生徒に知れ渡れば、学校の秩序は崩壊するだろうな」

「ふぅ。正直、会長選に負けて少しほっとしているよ。宮村(みやむら)くんには悪いけどね」

「まっ、オレはお前が、会長戦に立候補してたことも覚えてねぇけどな!」

 

 まったく悪気なく笑う宮村(みやむら)を見た玉木(たまき)は、小さくタメ息を漏らした。実のところ宮村(みやむら)は、玉木(たまき)だけではなく、山田(やまだ)との記憶も思い出せていない。キスをしても、記憶が戻るのは魔女限定の方法だった。

 

「それはそうと。約束していた魔女の能力を奪う件は、宮村(みやむら)くんが生徒会長に就任しても。しばらくの間は延期せざるを得なくなったわけだね」

「はぁ? 何でだよ?」

 

 宮村(みやむら)が会長に就任すれば魔女の能力を奪うと約束していたのにも関わらず、再度延期を申し出た玉木(たまき)に対して、山田(やまだ)は納得いく理由を求める。

 

「やれやれ。少しは、頭を使って考えてみたらどうなんだい? 会長は、7人の魔女全ての存在を把握していたんだ。それは、“7人目の魔女”の協力があってのことだろう。魔女が能力を失えば、新たな魔女が現れる、その魔女を把握出来るのは“7人目の魔女”だけ。つまり、“7人目の魔女”を味方に出来なければ、新たな魔女を探すのは至難の業とうわけさ」

「それが何だよ?」

 

 玉木(たまき)の話を聞いても、山田(やまだ)は事態を把握できていない。若干呆れている玉木(たまき)に代わりに、簡単な補足を加えて説明する。

 

「簡単に言うと。宮村(みやむら)が生徒会長になったら、“7人目の魔女”は、新しい生徒会と協力関係になるとは限らないってことだよ」

 

 生徒会長就任後も仮に協力を得られなかった場合、超常現象研究部のみんなや、五十嵐(いがらし)の記憶を取り戻す儀式を行うことは絶望的。さらに玉木(たまき)の能力で猿島(さるしま)の能力を奪えば、今持ってる透明人間の能力は上書きされて、新たな魔女が生まれる条件が整う。

 “7人目の魔女”の観測者(スポッター)は、会長で間違いない。その証拠に、会長から魔女に関するヒントがあったりして比較的スムーズに見つけられた。そのツテがなくなれば、今まで通りとはいかないだろう。

 結局のところ儀式も、記憶も。どちらにしても、“7人目の魔女”の協力が必要不可欠であることに変わりはない。

 

「会長は、儀式を最後の最後。いざって時の奥の手だと考えてる。もし山田(やまだ)がみんなの記憶を戻すことを諦めて、また、新しく関係を築いていくことを選べば。会長も、“7人目の魔女”の説得を手伝ってくれるかもしれない」

「なるほど。会長を味方につけて話が上手くまとまれば、猿島(さるしま)くんの能力を奪ったあとも滞りなくことは進むと言うわけだね」

「そんな面倒なことしなくてもよ、生徒会長になった宮村(みやむら)が、言うことを聞けって命令すれば済む話じゃねーのか?」

 

 確かに、山田(やまだ)の言うように朱雀高校の生徒会長は絶対権力者。その命令には絶対逆らえないという話は、宮村(みやむら)から聞いている。でも、それは模範的な一般生徒に対してのみだろう。

 

「もし山田(やまだ)が、生徒会長になった宮村(みやむら)に『今日から、オレの言うことに忠実に従え。返事はYES以外認めない』って命令されたら、素直に聞く?」

「ゼッテー聞かねぇ!」

「おいコラ」

「つまり、そういうことだよ」

 

 特に“7人目の魔女”は、記憶を操作出来る能力を持っている。宮村(みやむら)の記憶を操作して、自分の存在を消してしまえば終い。

 

「結局のところ、宮内(みやうち)の提案が無難ってことだな。少なくとも今までと違って、白石(しらいし)さんはお前の記憶(こと)を思い出してんだ。伊藤(いとう)さんと椿(つばき)も信用するだろうさ」

 

 玉木(たまき)も腕を組んだ状態で、宮村(みやむら)の意見にうなづいた。

 

「うむ。約束通り、猿島(さるしま)くんの能力を奪い去るもことも可能になるね。あとそれから僕が、超研部に入部する約束も果してもらわないとね」

「はあ? お前ら、そんな約束してたのか?」

山田(やまだ)くんが、どうしてもと言うものだから――」

「......いや、やっぱダメだ」

 

 黙ったままうつむき加減で何かを考え込んでいた山田(やまだ)は顔を上げて、宮村(みやむら)玉木(たまき)の会話を遮り割って入った。

 

「き、キミは、僕との約束を反故にするつもりなのかい!?」

「その話じゃねぇよ、記憶の話だ。やっぱり、儀式を使って記憶を取り戻す......!」

 

 山田(やまだ)の力強い決意を聞いて、玉木(たまき)は再び呆れ表情(がお)でタメ息をついた。

 

「もう呆れて言葉も出ないね。山田(やまだ)くん、キミは話を聞いていなかったのかい? キミとの記憶を呼び覚ますためだけに......」

「違うっての。超研部(アイツ)らだけじゃねーんだよ!」

 

 超研部のみんなだけじゃない、どういうことだろう。宮村(みやむら)たちと顔を見合わせる。

 

「実はな......」

 

 真剣な表情(かお)をした山田(やまだ)が言ったことは、思いがけない言葉だった。

 

 

           * * *

 

 

 中間試験初日の放課後。俺は一人、屋上のいつもの場所に座って、空を眺めていた。雲ひとつない空、どこまでも続く青。今日は風も穏やかで、降り注ぐ暖かい日差しが心地いい。

 ゆっくり目を閉じて、昨夜、山田(やまだ)の言っていた言葉を思い返す。

 

『“7人目の魔女”に記憶を操作されてるのは、アイツらだけじゃねぇ。山崎(やまざき)も操作されてんだよ......!』

 

 まさか、会長に就任する以前に魔女の能力にかかっていたなんて考えもしなかった。

 

「隣いいかなぁ?」

 

 突然掛けられた声。目を開けて最初に視界に飛び込んで来たのは、チェック柄のスカート。そのまま視線を上に向けると、見知らぬ女子生徒が微笑んでいた。

 どうやら、待ち人が訪れたようだ。

 毛先を外へカールさせたセミロングヘア。ぐるッと渦を巻いた柄のフリルが装飾された日傘、白い手袋を身に付けて、紫外線対策は万全といった感じだ。

「どうぞ」と返事をして、校舎出入り口の方へ一歩移動して作ったスペースに彼女はしゃがみ。そして、まじまじと観察するような眼差しを向けてきた。

 

「ふ~ん」

「何か用事ですか? 7人目の魔女さん」

「へぇ、分かるんだね」

 

 特に驚いたようなしぐさも見せず、自分が“7人目の魔女”あることをあっさり認めた。

 

「まあ、なんとなく」

 

 彼女が屋上(ここ)へ来た理由は、大方察しがついている。だから、あえてこちらから話題を切り出した。

 

「記憶を操作しに来たんですよね?」

「うん、そうだよ」

 

 初対面で喧嘩腰だったナンシーとは正反対。優しく、穏やかな口調に、ちょっと拍子抜け。

 

「でも、その前に自己紹介がまだだったね。私は、三年の西園寺(さいおんじ) リカ。キミのいう通り、“7人目の魔女”だよ。リカちゃんって呼んでねっ」

「二年の、宮内(みやうち)です」

 

 どうせ、すぐに忘れてしまう無意味な自己紹介。

 

「うん、知ってるよ。キミのことは、はるちゃんから聞いてるからね」

「はるちゃん?」

 

 知らない名前だ、誰だろう? と思っていると、山崎(やまざき)の下の名前春馬(はるま)から取って、はるちゃんと呼んでいるそうだ。

 

「さて、それじゃあ......」

 

 何かを言いかけて、リカの動きが止まった。彼女は一瞬遠くを見てクスッと笑い、そして何事もなかったかのように、手袋を付けたまま俺の左右の頬にそっと両手を添えて、少しだけ顔を横に傾けた。

 

「ひとつだけ聞いてもいいかな?」

「なんですか?」

「キミは、魔女の能力についてどう思うかな?」

「特に、なにも」

「う~ん、自分も欲しいとか思わないの?」

「思わないですね」

「ふ~ん、そっか。叶えたい願いもないって言ってたんだから、そうだよねー」

「会長から聞いたんですか?」

 

 リカは言葉の代わりに、笑顔で答えた。

 これでリカの観測手(スポッター)が、山崎(やまざき)であることを確信した。

 

「最後に、もうひとつだけ。どうして、儀式を使ってケガしてる足を治そうと思わないの?」

 

 今までの雰囲気とガラリと変わった。彼女の表情(かお)から優しい微笑みが消え、声色も真面目なものに変わった。

 ちゃんと答えた方がいい、どうしてかそう思えた――。

 目を閉じて、頭を整理し、口にする言葉をしっかりと吟味して目を開く。

 

「意味がないから......」

「意味?」

 

 小さくうなづく。

 

「もし本当に都合のいい儀式なんてものがあったとして。仮にケガが治ったら、みんな喜んでくれると思う。でも、そんな夢みたいな方法を使ってまで治す意味を、俺には見出だせない。ずっと支えてくれた人たちを、俺自身がやって来た二年間を全部否定するようなことは絶対しない。そんな頼るつもりもないし、頼るくらいなら諦める」

 

 青臭いことを言っている、そんなこと自分でもわかっている。それでも俺は、アイツらを裏切るようなマネは絶対にしない。

 

「......刺さるなぁ」

「はい?」

「ううん、何でもないよ。はるちゃんが、キミを気に入った理由(ワケ)がわかった気がするよ」

 

 手を引っ込めると、何もせずに立ち上がった。

 

「話、聞かせてくれてありがと」

「あの、記憶は?」

「あれー? もしかして山田(やまだ)くんから聞いてないの? リカの能力は、記憶を操作するのに()()は必要ないんだよー。それじゃあね、バイバーイっ!」

 

 やって来たときと同じ笑顔で手を振りながら、俺たちが話をしていたすぐ近くの扉を開けて、校舎へ入っていった。

 これで本当に、記憶を操作されたのだろうか。今のところ違和感の類いはない。確か山田(やまだ)は、効果が現れるまで最長で24時間かかるとか言っていた。まあ、明日になればわかることだ。

 ただ、ひとつだけ気がかりなことがある。

 

「約束、守れなかったな......」

 

 あの時交わした約束。

 最低だな、ホント最低だな。



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Episode40 ~素直な気持ち~

今回は、寧々(ねね)視点です。


 下校途中の生徒たちで溢れかえる長い廊下を、人波を縫うように避けながら早足で進む。何度も、何度もぶつかりそうになった。それでも歩くスピードは落とさず、私は急いだ。

 間に合わなくなる前に、あの人に会うために――。

 

           *  *  *

 

 中間試験初日の放課後、帰り支度を済ませた私は、スクールバッグを肩にかけて教室を後にする。今日は少し気分を変えて、校内の自習室に向かって歩みを進める。家だと弟たちが騒がしいし。特に明日はちょっと苦手な、現代文の試験。集中して復習しておきたいから気分転換も兼ねて。

 そんなことを考えながら図書室に完備されている自習室へ向かって廊下を歩いていると、知り合いの男子三人が休憩スペースで集まって話をしていた。

 ――まったく、いったい何を考えてるのかしら。

 足を止めて、男子たちのところへ向かい。どういうつもりなのか問いかける。

 

「アナタたちっ!」

「げっ、小田切(おだぎり)!」

 

 三人のうちの山田(やまだ)が、私を見るなり失礼な声を上げた。

 

「その反応、どういうことかしら? 何かやましいことがあって」

「べ、別に、なんでもねぇよ......」

 

 すっと目を逸らした。あとの二人、宮村(みやむら)玉木(たまき)も気まずそうにしている。一応やましいことをしている自覚はあるみたい。

 ――それにしても、つい先日忠告したことをもう忘れたのかしら。

 滝川(たきがわ)さんの記憶を学校で戻したことで、“7人目の魔女”にまた記憶を操作されたばかりだと言うのに。いくら昇降口から離れた場所で、人通りは少ない場所とは言っても、いつどこで監視されているかわからない。どうも緊張感が欠ける男子たちに呆れ果てて、大きなタメ息が漏れた。

 

「ハァ、いったい何を考えてるのかしら?」

「まあ、いいじゃねぇか。茶しながらちょっと話すくらいよ」

「それに面向かって話している訳でもないしね」

 

 いつものようにテキトーな感じに言ってのける宮村(みやむら)と、壁に寄りかかりながら文庫本に目を落としている玉木(たまき)

 

「そうだぜ。それにもう、バレ――」

「おい、バカ!」

「あっ......!」

 

 何かを言いかけた瞬間、宮村(みやむら)に咎められた山田(やまだ)は慌てて口をふさいだ。私に知られたくない何か隠していることは明白。一歩詰めより、問い詰める。

 

「今、何を言おうとしたのかしら?」

「別に、なんでもねぇーよ......?」

「ふ~ん、そう、あくまで隠し通すつもりなのね。じゃあ、これでどうかしら?」

 

 隠し事を引き出すため、ポケットからスマホを出して操作。

 フォトアルバムのアプリを開いて、林間学校の時に撮影した、山田(やまだ)白石(しらいし)さんのバックから、彼女の下着を取り出している場面を撮影した写真を見せつける。

 

「なーッ!? お前それ、まだ消してなかったのかよッ!」

「マジかよ、山田(やまだ)。これは擁護できねーわ」

山田(やまだ)くん、キミという男は......」

「イヤ、違うっての! 写ってるのは俺だけど、中身は白石(しらいし)なんだよ! 能力で入れ替わってるんだ!」

 

 二人から軽蔑の眼差しを向けられた山田(やまだ)は、必死に弁解をしてるけど、この写真だけを客観的にみれば、山田(やまだ)白石(しらいし)さんの下着を盗んでいるようにしか見えない。

 

「つーか、消せ!」

「イヤよっ」

 

 くるっと背中を向けて、スマホに向かって伸びた手を避ける。

 

「でもまあ、消してあげてもいいわよ。その代わりに、私に隠していること教えなさい」

「チッ、仕方ねぇ......」

「おい、ちょっと来い、山田(やまだ)

「あん? なんだよ?」

 

 輪になった三人は、コソコソと話合いを始めた。それにしても出回れば停学、最悪退学もあり得る致命的な写真と引き換えでも言えないことってなんなのかしら。なんてことを想っていると、三人の会話が漏れて聞こえてきた。

 

山田(やまだ)、諦めろ」

「なんでだよ!?」

「そもそもキミが、リスクも考えず迂闊に何度も入れ替わったりするから、こういった事態を招いたんじゃないのかい」

「ぐっ、そ、それは......」

「つっても、まあ、仕方ねぇーか」

 

「どうせ、いずれは話さなきゃいけねーんだし」と言って、輪を離れた宮村(みやむら)は一人、私の前に来て向き合う。いつになく真剣な宮村(みやむら)から聞かされた話しは――。

 

「どうして、私に声をかけなかったのよっ!」

 

 宮内(みやうち)くんが会長に頼まれて、“7人の魔女”の真実を今、ここ居る三人に伝えたという内容。話を聞いた私は、思わず声を荒げてしまった。それは自分でも、ビックリするくらい大きな声で。

 

「お前が知っちまったら、魔女に記憶を操作されるからに決まってだろ」

「そんなこと......」

 

 “7人目の魔女”の能力は、魔女に対して二度は効かない。これは先日、二度目の記憶を操作された山田(やまだ)の記憶が私たちから消えなかったことから、猿島(さるしま)さんたちにも確認して判明した事実。

 それから、魔女の能力には有効範囲が存在する。

 まだ仮説の段階だけれど、おそらく、学校内に居ることが条件。初めて山田(やまだ)の記憶を操作された日、私と彼は学校内に居なかったから記憶操作の難を逃れられた。二度目の記憶操作が行われた日も、学校に居なかった私たちの記憶が消えなかったことを考えれば納得いく。だからまだ、能力にかかってない私の記憶は操作が可能なハズ。そんなこと――。

 

「わかってるわよ......!」

「あっ! おい、ちょっと待てって!」

 

 宮村(みやむら)の制止を振り切って、私は駆け出した。階段を駆け上がり、二年生の教室が集まる階に着くと、廊下に大勢の生徒が残っていた。下校途中の生徒たちで溢れかえった長い廊下を人波を縫うように避けながら、早足で進む。何度も、何度もぶつかりそうになった。それでも、歩くスピードは落とさず、先を急いだ。

 

「あれー? 寧々(ねね)ちゃんだー」

伊藤(いとう)さん! 宮内(みやうち)くんはまだ、教室に居るかしらっ?」

 

 2-Cの教室から少し離れた廊下で出くわした、彼と同じクラスの伊藤(いとう)さんに尋ねる。まだ教室に居てくれれば、魔女に消される前に話が出来る。

 

宮内(みやうち)? アタシが出たときにはもう、居なかったけど?」

「そう、ありがとう」

 

 入れ違いになった。もう、学校を出てるかも知れない。でもテスト期間中は、シフトを入れてないって言ってから、もしかしたら自習室に――。

 

「あっ、待て。前によく、屋上に居るって言ってたわよ」

「屋上?」

 

 もう一度伊藤(いとう)さんにお礼を言って、廊下を来た方へ戻る。ひとえに屋上といっても教室棟に二ヶ所、特別教室棟、部室棟の計四ヶ所がある。直接聞くのが一番確実。出てくれればいいのだけれど。でももし、既に記憶を操作されていたら。通話ボタンをタップしようとする指先が、なかなか思うように動かない。一旦心を落ち着けて窓の外を見る。隣の校舎の屋上が見えた、反対側の窓からも屋上を見てみる。どちらの屋上にも、人影は見当たらない。

 

「......そうよ」

 

 前にお弁当を食べたのも、今居る校舎の屋上だった。スマホをポケットに入れて、屋上へ出られる階段を登って行くと、屋上へ繋がる扉がある踊り場に見たことのない女子生徒を見かけた。彼女は屋内で日傘を差してからドアノブを回し、屋上へ出て行く。

 ――胸騒ぎがする。

 この時、私は直感的に想った。今の女子が、“7人目の魔女”だと。今ならまだ間に合うかも。急いで後を追い、ドアノブを回して静かに、ドアを開ける。少し開いたドアの隙間から、探していた後ろ姿の彼と、さっきの女子生徒が向かい合って座っているのが見えた。

 ――って、なによ、今のっ!

 日傘を差した女子は私の存在に気づいたのか、まるで挑発するように一瞬笑ったと思ったら今度は、これ見よがしに彼の両頬に手を添えた。無意識に、ドアノブを持つ手に力が入る。

 

「ひとつだけ聞いてもいいかな?」

「なんですか?」

「 キミは、魔女の能力についてどう思うかな?」

 

 ドアを思い切り開けようとした手が、止まる。

 魔女の能力......やっぱり、“7人目の魔女”。でも、それ以上に気になったのは、二人の会話の内容。盗み聞きはダメだって頭ではわかってるけど、私たち魔女のことをどう想っているか気になって仕方がない。

 耳をすませて、質問の答えを待った。

 

           *  *  *

 

 手すりをつかんで一歩一歩、慎重に階段を降りる。そうしていないと今にも、倒れしまいそうなほど酷く気持ちが悪い。

 

小田切(おだぎり)さん?」

白石(しらいし)さん......」

「あの時とは、正反対ね」

 

 昇降口で声をかけてくれた白石(しらいし)さんは、どこか懐かしむように優しい表情(かお)で微笑んだ。静かに話を出来る場所を探して、学食のラウンジへ移動。テスト期間中の今、ここを利用する生徒もほとんど居ないから気兼ねなく話せる。

 

「そう。宮内(みやうち)くんの記憶が、消されてしまったのね」

「ええ......。きっと明日には、魔女に関する記憶を全て失っていると思うわ」

「それで、他に何があったの?」

 

 一瞬で見破られた。やっぱり、誤魔化せないみたい。温かい紅茶が注がれた紙コップに目を落としてながら、屋上で聞いた言葉を思い返す。誰よりも誠実で、何よりも真摯な想いを。

 私の能力が効かなくて当然よね。だって私がしていた行為(こと)は、あの人が一番嫌悪していた行為(こと)だったんだもの。虜の能力にかかるハズがなかった。

 

「違うと思うわ」

「えっ?」

「本当に嫌いだったら拒絶していると思う。少なくとも私なら、積極的に関わりを持とうとは思わないわ」

 

 私もきっと、白石(しらいし)さんと同じだと思う。だったら、どうして――。

 

「きっと、覚えていて欲しかったのよ。だって二人は、魔女の能力があったから知り合えたんだもの」

 

 ――そうよ、山田(やまだ)の場合とは違う。二人とも記憶を書き換えられたら、儀式を使って失った記憶を取り戻さない限りもう二度と、今の関係には戻れない。でも、魔女全員の協力が必要だから、きっとそれは出来ない。

 だとしても――。

 

「決めたわ。宮村(みやむら)には悪いけど、玉木(たまき)に頼んで今すぐ、能力を消してもらうわ!」

 

 椅子から、勢いよく立ち上がる。

 魔女のことなんて関係ない。私は、正直になる。たとえ最初からでも、もう一度しっかり知ってもらいたい。

 

「そうね。私ももう、能力には頼らない。私も一緒に消してもらうわ」

 

 うなづいて、スマホの電話帳アプリを開いて通話ボタンを押そうとした、その時だった。

 

「それは、困るなぁ」

「会長......!」

 

 私たちの決意を見透かしたように、生徒会長山崎(やまざき)が不敵な笑みを浮かべて、私たちの前に姿を現した。



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Episode41 ~偽りの告白~

今回は、白石(しらいし)視点です。



 帰宅途中の学生、買い物客などの大勢の人たちが行き交う商店街を通っての帰り道。難しい表情をして私の隣を歩く小田切(おだぎり)さんの手には、朱雀高校生徒会の印と綺麗なデザインが施された封筒が握られていた。

 これは今から数十分前、学食のラウンジで話をしていた私たちの前に突如現れた、山崎(やまざき)生徒会長から受け取った封書。私の鞄の中にも同じ封書が入っている。

 

「それにしても、いったい何を願うつもりなのかしら?」

 

 ――願い。それは私たち、魔女7人を全員を集結させると、どんな願いでも叶えることが出来るという話。

 まるでおとぎ話のようなこの話は、先日、宮村(みやむら)くんのお姉さんから聞いて知っていたけど。正直なところ、会長から直接儀式の話を聞かされるまでは、半信半疑だった。

 

 

           * * *

 

 

「会長......!」

「お邪魔させてもらうよ」

 

 意味深な笑みを浮かべながら私たちの前に現れた会長は、隣のテーブルの椅子を引っ張って来て座り、手と足を組んだ。小田切(おだぎり)さんは会長から目を外し、周囲を警戒している。きっと、宮内(みやうち)くんの記憶を消した魔女の存在の確認。私も学食内を見渡して見たけど、会長以外の人影は見当たらない。

 

「警戒しなくていいよ。“7人目の魔女”、西園寺(さいおんじ)くんは居ないからね」

 

 そう告げると、さっそく本題に入った。

 テーブルに差し出された、私たちの宛名が記された二通の封書。封を切って、手紙の内容を確認したところ、明日、代表生徒による特別集会を行うむねと、集合時間と集合場所が記載されていた。

 

「特別集会とは、なにをするんですか?」

「二人とももう、儀式のことは知っているかな?」

 

 静がに頷いた小田切(おだぎり)さん。私も、同じようにうなづく。儀式のことは、レオナさんが教えてくれた。魔女を全員集めると、どんな願いでも叶えられるという、おとぎ話のような話し。

 

「それなら、話は早い。招待状に書いてあるとおり明日、急遽、儀式を執り行うことが決まった。だから今、魔女であるキミたちに能力を失ってもらっては困るのさ」

 

 テーブルに両手をついて、小田切(おだぎり)さんは勢いよく立ち上がる。その拍子に、床へ倒れた椅子がラウンジに大きな音を響かせた。

 

「儀式の協力をしろと言うのっ!?」

「儀式を行うには、魔女七人全員の協力が必要だからね」

「イヤよ! 絶対協力しないわ!」

「ふむ、それは困ったな。これは、生徒会長の権限に基づく正式な要請だからね。拒否するとなると、それなりの処罰を受けてもらうことになるよ」

「謹慎でも、停学でも、好きに処罰すればいいわ! あなたの願いを叶えるための儀式に協力するくらいなら、罰を受けた方がマシよ!」

 

 怒気を込めた声で言い放った小田切(おだぎり)さんは、倒れた椅子を直し、スクールバッグを肩にかけると早足で、食堂の出入口へ歩いて行く。バッグを持って、席を立つ。

 

小田切(おだぎり)くん」

「何を言われても改めるつもりはないわ」

 

 呼び止められた小田切(おだぎり)さんは背を向けたまま、強い言葉で言い放つ。会長は不快感を示すどころか、逆に愉快そうに笑った。

 

「いい女になったね。以前も魅力的だったけど、今のキミになら、僕のあとを任せてもいいと心から思えるよ」

「ふんっ!」

「やれやれ、ずいぶんと嫌われてしまったみたいだ。まあ、今までの行いからすれば自業自得かな」

 

 聞く耳持たず立ち去ってしまった小田切(おだぎり)さんの背中を見送り小さく肩をすくめた会長は、背もたれに身体を預けた。

 

「会長」

「ん? 何かな」

「私たちの記憶は、消さなくていいんですか?」

 

 一度記憶を消された私には効かないとしても、“7人目の魔女”と儀式のことを知った宮内(みやうち)くんの記憶は消したのに。このまま、私たちを放置しておくとは思えない。

 

「もう、その必要はなくなったんだ」

 

 ――必要なくなった。言葉からすると、儀式を使って魔女全員の記憶を消すつもりなのかもしれない。それなら、必要なくなったという理由にも説明が付く。

 

「それは、どういう――」

「会長」

 

「意味ですか?」と尋ねようとしたところで、小田切(おだぎり)さんとは別の女子の声がした。飛鳥(あすか)先輩と、制服の下に白いパーカーを着用したおさげの女子が、こちらへ向かってくる。

 

「招待状、配り終わりましたわ」

「こっちも終わりましたー」

「そうかい、助かったよ」

「いいえ、とんでもないです」

「もう、帰っていいですか? 試験勉強したいんですけど」

「ごくろうさま」

「それじゃあ、お先に失礼しまーす」

 

 おさげの女子は会釈して食堂を出て行き、会長は座っていた椅子を元の席に移動させて、テーブルに付く。

 

「さてと。飛鳥(あすか)くん、ペンと便箋をお願い出来るかな」

「どうぞ」

「ありがとう。さて、話の途中だったね。理由は、明日になればわかるさ」

 

 手紙にペンを走らせながら、私の言いかけだった質問に答えてくれた。とは言ってもやっぱり、核心の部分は濁して教えてくれない。

 

「安心したまえ、決して悪いようにはしない。キミも、小田切(おだぎり)くんも、誰一人としてね。これが、彼女の願いだからね」

 

 ペンを置き、書き終えた便箋を生徒会の印が押されていない封筒に入れて、私に差し出した。

 

「頼まれてもらえるかな? これを、小田切(おだぎり)くんに届けてもらいたい。この手紙で、納得してもらえるとありがたいんだけどね」

「わかりました。お届けます」

「お願いするよ。では、僕たちは戻るとしよう。飛鳥(あすか)くん」

「はい。それではまた明日、生徒会室でお会いしましょう」

 

 預かった封筒をスクールバッグにしまって、急いで小田切(おだぎり)さんのあとを追う。昇降口で靴に履き替えて、駆け足で校門をくぐり、途中まで同じ通学路の商店街を少し入ったところで、元気がなさそうに少し肩を落として歩く小田切(おだぎり)さんを見つけた。人混みをかき分けて、彼女の元へ向かい、背中越しに声をかける。

 

小田切(おだぎり)さん」

「えっ? ああ......どうしたのよ? 汗かいてるじゃない、髪も乱れてるわよ」

 

 近くのベンチに座り、指摘された汗をハンドタオルで拭いている間に、走って乱れた髪を小田切(おだぎり)さんが整えてくれる。

 

「もう、いいわよ」

「ありがとう」

「別に。それで、なに?」

「これを預かったわ」

 

 会長から預かった封筒を見せると、小田切(おだぎり)さんは不機嫌そうに表情(かお)をしかめた。

 

「手書きの手紙、ね」

「さっき、ラウンジで書いた物よ」

 

 あらかじめ用意した代物じゃないから、きっと何か重要なことが書いてあると思う。

 

「......納得出来るの? 山崎(やまざき)の願いを叶える儀式に協力することに」

「私は......、小田切(おだぎり)さんが協力するなら、私も協力するわ」

「なによ、それ。ちょっとズルいんじゃない?」

 

 ――私も、そう思う。

 でも、小田切(おだぎり)さんが納得出来る内容が書かれているのなら、それはきっと私も納得出来る内容だと思う。

 最初は仕方なしに渋々といった感じだった小田切(おだぎり)さんは、会長の手紙に目を通し始めて間もなく、目の色を変えて真剣な表情(かお)で読み出した。

 そして、手紙を読み終えた彼女と、駅前の広場で別れる。

 

「じゃあ私は、電車だから。また明日」

「ええ、また明日」

 

 彼女は改札へ向かい、私は、塾へ足を運ぶ。

 会長直筆の手紙を読んだ小田切(おだぎり)さんは、儀式への協力を決めた。手紙に書かれていたことは「記憶は、消さない」こと「儀式後に、能力を消す」ことの二つの約束を条件にした、儀式への参加要請。

 この条件は手紙を受け取った小田切(おだぎり)さんだけではなく、私を含む魔女全員にも同じ条件を提示することが記されていた。

 

「信じるの?」と問いかけると「100パーセントは信用しないわ、あの会長だもの。でも今回だけは、信じてみる。......信じたいの」と言った声、表情からは、他にも別のことが書かれていたことを示唆していた。

 だって、その話をしていた時の小田切(おだぎり)さんは、食堂で気落ちしていた時とは全然違って。同じ女の私から見てもドキッとするくらい、すごく可愛かったから――。

 

 

           * * *

 

 

白石(しらいし)!?」

山田(やまだ)くん?」

 

 翌日の放課後、元魔女の飛鳥(あすか)先輩を含む魔女6人で会長の到着を会議用のテーブル席でお茶をいただきながら待っていると、山田(やまだ)くんと玉木(たまき)くんが、生徒会室へやって来た。

 

「どうして、生徒会室(ここ)に来たのよ?」

「それは、僕たちのセリフだよ。小田切(おだぎり)くん」

小田切(おだぎり)も居んのかよ......てか、魔女が勢揃いじゃねーか!」

「お、お久しぶりです、山田(やまだ)さん」

「ヤッホー、山田(やまだ)!」

「せんぱ~いっ、ノアを心配して会いに来てくれたんですねー!」

「ちげーし! つーか、離れろ!」

 

 滝川(たきがわ)さんが、山田(やまだ)くんに飛びついた。時おり私を気にするような視線を送りながら必死に抵抗している。

 ――どうして私を気にするのかしら? 記憶を失っていた時に受けた告白は、私を説得するためにした偽りの告白なのに。

 

「あなた、完全に空気ね」

「ハッキリ言わないでくれるかなっ!?」

「つーか、お前らこそ、なんで居るんだよ?」

 

 滝川(たきがわ)さんに腕を抱きつかれたまま山田(やまだ)くんは、私たちに尋ねる。どうやら二人は、儀式を行う話は知らされていないみたい。

 

「会長は、儀式を行うつもりなのかい!?」

「ええ、そうなの。山田(やまだ)くんと、玉木(たまき)くんは?」

「リカに頼まれたんだよ。どうしても話がしたいから、レオナを学校に連れてきてくれ」

「レオナさんを? 居ないみたいだけど?」

 

 宮村(みやむら)くんのお姉さん、レオナさんの姿はどこにも見当たらない。気まずそうに顔をそむけた山田(やまだ)くんの代わりに、玉木(たまき)くんが事情を説明。

 

「それが、どこかへ消えてしまったんだ。二人だけで合わせるのは危険だから、試験終わりに教室へ迎えに行くと伝えたんだけどね」

「ちょっと、無責任にも程があるわよ!」

「だ、だから、山崎(やまざき)なら何か分かるんじゃないかってよ!」

 

 声を荒げた小田切(おだぎり)さんを、必死になだめようとする山田(やまだ)くん。その時、生徒会室の奥にある、古い扉が開いた。

 

「やあ、お待たせ」

 

 出てきたのは私たちを呼び出し、山田(やまだ)くんたちが訪ねて来た会長だった。会長は、右から左へと部屋全体を見渡して微笑み、眼鏡のフレームを右手で軽く触れる。

 

「どうやら、役者は揃っているようだね」

「おい、山崎(やまざき)!」

「ああ、山田(やまだ)くん。ちょうどよかった、キミたちに使いを出すところだったんだよ」

「......あん?」

 

 私たちは、会長に案内されて別室へ入った。

 まるで古い教会のような造りの部屋。部屋の奥でレオナさんと、知らない女子が木組みで作られた祭壇を動かしている。小田切(おだぎり)さんから教えてもらった特徴と重ねると、おそらく彼女が“7人目の魔女”、西園寺(さいおんじ)リカ先輩。見た感じ、記憶を操作されているようには見受けられない。

 

「遅いぞ、山田(やまだ)! 手伝え!」

「心配して探してたってのに、いきなりかよ!?」

「みんなも手伝って~」

 

 手伝いをする間に、会長や西園寺(さいおんじ)先輩から儀式について説明してもらった。

 この部屋は「儀式の間」といわれ、文字通り魔女の儀式を行う部屋。祭壇を退かして現れた五芒星の魔方陣を囲んで付けられた目印に、七人の魔女が輪になって立つ必要があるらしく、これはその準備。そして、玉木(たまき)くんの能力は魔女の能力を奪うだけではなく、奪った能力を元の魔女に返還することも可能で、飛鳥(あすか)先輩に能力が戻された。

 これで、七人の魔女全員が儀式の間に集結。

 

「準備も済んだし、始めよっか」

 

 西園寺(さいおんじ)先輩の指示で私たちは、輪になって五芒星を囲み。会長たちは椅子に座って、これから行われる儀式の立会人に。

 

「じゃあ山田(やまだ)くん、真ん中に立って」

「はぁ? 俺? なんで俺が?」

「願いを叶えるには、もう一人協力者が必要だからだよー」

「だから、なんで俺なんだよ? 別に山崎(やまざき)でも、レオナでも、玉木(たまき)だっていいじゃねーか」

「やれやれ、キミは女心と言うものを理解できないみたいだね。山田(やまだ)くん」

「ああ、まったくだ」

 

 会長とレオナさんは、タメ息をついた。

 

「あん? どういう意味だよ?」

「いいからさっさと行け!」

「おい、刃向けなって! チッ......!」

 

 レオナさんにハサミの刃を向けて脅された山田(やまだ)くんは渋々、祭壇に上がり五芒星の中心に立つ。

 

「これで、いいのか?」

「オッケー。じゃあみんなは、手を繋いで目を閉じてね」

 

 私たちは、言われた通りに目を閉じる。

 一瞬、不思議な感覚に見舞われたと想った次の時には、西園寺(さいおんじ)先輩から無事、儀式が終わったことを告げられて、理由も分からずに解散になった。

 儀式の間を片付けが終わり生徒会室に戻った私は、帰り支度をしている小田切(おだぎり)さんに声をかける。

 

「変わったことある?」

「特に違和感は感じないわ。みんなのことも覚えているし、あなたは?」

「私も同じ」

「そう......いったい、どんな願いを叶えたのかしら?」

白石(しらいし)、ちょっといいか?」

山田(やまだ)くん?」

 

 スクールバッグを肩にかけたところで、山田(やまだ)くんに声をかけられた。二人で話したいことがあると告げられて、私たちは中庭に場所を移す。

 

「それで話って、何かしら?」

「お、おう......」

 

 どこか言いにくそうに、頭をかきながらそわそわしている。

 

「どうしたの?」

「さ、さっきの儀式だけどよっ!」

「うん」

「願いを叶えたのは、実は俺なんだ......!」

「え? そうなの?」

「おう。真ん中に立ったヤツの願いを叶えるだってさ」

 

 じゃあ、会長は自分の願いじゃなくて、山田(やまだ)くんの願いを叶えるために儀式を開いてくれたということになる。

 

「もしかして、みんな記憶を?」

「ああ、たぶん戻ってるハズだぜ」

「そう」

 

 ――よかった。それならきっと、宮内(みやうち)くんの記憶も......。

 

「そうだ、山田(やまだ)くん。テストが終わったら、みんなで文化祭の打ち上げをするの。山田(やまだ)くんも参加してね」

「お、おう!」

「うん、じゃあ、帰りましょ」

 

 早くみんなに教えてあげたい、小田切(おだぎり)さんにも。

 

「――待ってくれ!」

「なに?」

「こ、この前の告白だけどさ」

 

 ――告白。あの、偽りの告白。だから、言いにくそうにだったのね。

 

「うん、わかってるわ。あれは、私を説得するために必死でしてくれた嘘の告白......」

「違う、嘘じゃねぇ!」

 

 大きな声で、否定された。

 ――嘘じゃない? 嘘、じゃない。

 頭の中で今の言葉を反復して繰り返す。じゃあ、あの告白は......。

 

「あれは、嘘なんかじゃねぇ。だから、全部終わったら、もう一度言おうって思ってた......!」

 

 山田(やまだ)くんは大きく深呼吸をしてまっすぐ、私の目を見つめる。

 

「俺、本気で白石(しらいし)のことが好きなんだ! 俺と、付き合ってください......!」

 

 ――山田(やまだ)くんは、最初から本気だった。

 それなのに私は、記憶を取り戻した後も信じられなくて。そんな私に、この人はもう一度、真摯な想いを伝えてくれた。

 だけど私に、この人の想いに答える資格はあるの?

 私の、返事は――。



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Episode42 ~残された謎~

「そこまで。鉛筆を置いて、解答用紙は後ろから集めるように」

 

 試験官を務める教師は腕時計の針を確認して、試験の終了を告げる。各列の最後尾の席で試験を受けていた生徒が解答用紙を回収して、教師が待つ教卓へ持っていき。回収し終えた解答用紙を教卓で整えた教師が、教室を出ていった。直後、後ろから声をかけれた。声の主は、宮村(みやむら)

 

「やっと、終わったなー」

 

 試験は、中間・期末共に出席番号順に席を振り分けて受ける。二学期始めの席替えで、ひとつ前の席で授業を受けている宮村(みやむら)に後ろの席から声をかけられるのは、なんとも新鮮な感じ。

 

「ああ、長かった」

 

 机の筆記用具を片付けながら返事をかえす。都内屈指の進学校だけあって、試験科目も多く、比例して試験期間も長い。それに今回は、それだけじゃない。

 

「ホントに、な!」

 

 試験のことだけじゃなく、言葉の本質を汲み取った宮村(みやむら)は、言葉尻をやや強調して笑った。

 テスト期間中......いや、今回はテスト前から色々なことがあった。山田(やまだ)の記憶、サッカー部の試合。そして、“7人目の魔女”との対面。

 結論を話すと、結局、俺の記憶は消えなかった。

 記憶を失う前に生徒会主催の儀式が行われ、消えてしまった全員の記憶を取り戻すことを、山田(やまだ)が願ったと聞いた。

 儀式を行うことに慎重な態度を取っていた山崎(やまざき)がなぜ、儀式を開いた真意がわからないけど。お陰で、魔女に関する記憶を失わずに済んだことは確かで。でももう、心変わりの理由なんてどうでもよかった。不思議なチカラを持つ魔女たちと出会ってからの日々を忘れずに済んだのだから。

 

「さっ、部室へ行くわよー」

 

 普段の席で連絡事項だけのホームルームを終えた担任が教室を出ていくとほぼ同時に、伊藤(いとう)はバッグを持って席を立つ。

 

「オレら、購買で飲み物を調達して来る。伊藤(いとう)さんは、先に行ってくれよ」

「アタシ、オレンジジュースね。100パーセントのっ!」

 

 分かれ道の階段までは一緒に行き、伊藤(いとう)は部室へ向かう。俺と宮村(みやむら)は売まれたオレンジジュースを自販機で買ったあとも超研部へは向かわず、食堂完備のラウンジでいっぷく。ホットコーヒーが注がれた紙コップを置き、正面の席で足を組む宮村(みやむら)に尋ねる。

 

「それで? 話があるから、ここへ来たんだろ?」

 

 今日の放課後超常現象研究部の部室では、文化祭の打ち上げを兼ねた山田(やまだ)の超常現象研究部復帰パーティーを行う予定。後者の方は、主役の山田(やまだ)には内密にことを進め、大まかな準備自体は昨日のうちに済ませてある。パーティーだから当然、飲み物の類いも既に用意している訳で、ここへ来る理由は別にある。

 

「察しが良くて助かるぜ。実は、折り入って頼みたいことがあってな......!」

 

 目線の高さまで紙コップを持ち上げた宮村(みやむら)は、何かを企んでいるような笑みを浮かべ、爽やかにウインクしてみせた。

 

 

           * * *

 

 

 超研部の戸を開けて入るなり、先に来ていた伊藤(いとう)は不機嫌そうに口を尖らせた。

 

「おそーい。ジュースを買うのに、どれだけ時間かかってるのよー」

「まだ来てねーんだからいいだろ。ほらよ」

「あっ、ありがとー」

 

 オレンジジュースの紙パックを伊藤(いとう)に手渡し、宮村(みやむら)は中央のテーブルにつくと、種類ごと並べられた菓子へ手を伸ばす。しかしその手は、伊藤(いとう)にパシッと叩かれ阻止された。

 

「イテ」

「ダーメ、主役が来てからっ。それよりアンタたちも、椿(つばき)を見習って手伝いなさいよー」

「おっし、これでどうだ? 白石(しらいし)さん」

「ええ、ちゃんとまっすぐ揃ってるわ。ありがとう」

 

 教室の後方へ目をやると、昨日まで「文化祭、中間テストお疲れさま!」と書かれていたホワイトボードの文字が「山田(やまだ)くん、復活パーティー」に変わり。その周りを椿(つばき)白石(しらいし)が、色紙で作った輪飾りと色とりどりのモールで飾り付けをしている。俺たちはパーティーグッズの準備をしてから、主役の山田(やまだ)が来るのを話しながら待った。

 

「でもまさか、アタシたちの方が記憶を消されちゃうなんてね。全然気がつかなかったわ」

「おれもおれも。つーか、知ってたなら教えてくれよ」

「ごめんなさい。西園寺(さいおんじ)先輩に知られてしまったらまた、記憶を消されると思ったから......」

「うららちゃんは、悪くないのっ。悪いのは全部、宮村(みやむら)なんだからっ!」

「ヒデーな、伊藤(いとう)さん」

「だって、シスコンだし~」

「オレは、シスコンじゃねーッ!」

 

 理不尽な責任転嫁をされた宮村(みやむら)も含めて、みんな笑っている。こんな顔を見るのは久しぶり。あとは......。

 

「それにしても、山田(やまだ)のヤツ遅いわね」

「だな。白石(しらいし)さん、何か聞いてない?」

山田(やまだ)くんなら、日直日誌は真面目に書きなさいって先生に言われて、書き直しさせられていたわ」

「ハァ、なんか、山田(やまだ)ね」

「ああ、いつもの山田(やまだ)だな」

「けど、それにしちゃ遅すぎないかー?」

 

 椿(つばき)の言う通り、集合時間を二十分近く過ぎている。山田(やまだ)の様子を見に行くため、俺は席を立つ。

 

「ちょっと見てくるよ」

「私も、行くわ」

「大丈夫。入れ違いになったら、サプライズにならないでしょ」

「そうね。じゃあ、お願いするわ」

 

 立ち上がろうとした白石(しらいし)を制止して一人、部室を出る。部室棟から教室棟へ続く渡り廊下を歩いていると、探していた山田(やまだ)が、こちらへ向かって歩いてきた。女子を、三人も引き連れて。

 

山田(やまだ)

「おう、お前か。まだ行ってなかったのかよ」

「遅いから様子を見に来たんだよ。日直って聞いていたけど、お邪魔しちゃったみたいだね」

 

 後ろに居る大塚(おおつか)猿島(さるしま)、隣に居る滝川(たきがわ)の魔女三人。

 

「チゲーよ! これは、そう言うんじゃ......」

「そうですよ~。先輩の本命は、ノアなんですからっ。ねぇ~、せーんぱいっ」

「だから、違うっての!」

 

 腕に抱きついた滝川(たきがわ)を振りほどこうと試みている山田(やまだ)の言い分は、儀式の件で魔女たちに伝えることがあるらしく、立ち会った魔女たちに声をかけて回っていたため、約束の時間を過ぎてしまったということらしい。

 

小田切(おだぎり)さんたちは?」

玉木(たまき)は、図書室で用事を済ませてから。山崎(やまざき)たちには、レオナから話が行ってるハズだ。けど、小田切(おだぎり)にはまだ、連絡が取れねーんだ。てか、既読もつかねぇ」

 

 山田(やまだ)はスマホを取り出して、もう一度画面を確認。三十分近く前に送ったメッセージは、未読のまま。

 

「そっか、探してみる。みんなは先に、部室に行ってて」

「いいのかよ?」

「これ以上待たせると、伊藤(いとう)さんに怒られるぞ」

 

 一瞬めんどくさそうな表情(かお)を見せた山田(やまだ)を見て、猿島(さるしま)が笑う。

 

「あっはっは! 山田(やまだ)、顔に出すぎー。(みやび)ちゃんに言っちゃうよ~」

「マジで勘弁してくれ! アイツ怒らせると、電子レンジ没収されちまう!」

「あのー、山田(やまだ)さん。私、部活が......」

 

 大塚(おおつか)が控えめに挙手、前に聞いた冬のイベントの準備が終わっていないそうで、部活動へ向かいたいとのこと。

 

「そうだったな。小田切(おだぎり)と連絡ついたらメールすっから、頼んだぜ!」

「こっちも連絡取れ次第知らせる。また、後で」

 

 四人と別れて、スマホを取り出し「もうすぐ、山田(やまだ)が部室に着く」と伊藤(いとう)に連絡を入れてから、小田切(おだぎり)にメッセージを送る。すると、数秒後に彼女から返事が届いた。どうやら、送ったタイミングが良かったようだ。内容は、今日をもって現生徒会は任期満了となることから、生徒会室の整理をしているそうで、山田(やまだ)が送ったメッセージには気付いていなかった。

 まだ時間がかかるそうで、大塚(おおつか)の事情を踏まえ、片付けを手伝うため、生徒会室を訪ねると、次期会長の宮村(みやむら)以外の生徒会役員の四人が手分けして、資料や私物の整理を行っていた。

 

「いやー、来てくれて助かったよ。猫の手も借りたいくらいだったからね」

「会長、手を動かしてくださいね。このままのペースでは、下校時間までに片付きませんわ」

「私、友達と約束をしてるから急いでもらいたいんですけどー」

「わかっているよ、飛鳥(あすか)くん、猪瀬(いのせ)くんもね。さっそくだけど、これを焼却炉へお願いできるかな」

 

 山崎(やまざき)の視線の先にある机には、廃棄資料の束がいくつも重なりまとめて置かれている。束の一つを持つ。見た目通りずっしりとした重み、女子が校舎裏の焼却炉まで運ぶには大変な重労働だろう。

 

「はぁ~」

 

 廊下を歩いていると、隣で小田切(おだぎり)が小さくタメ息をついた。

 

「重い? 持つよ」

「大丈夫よ、ありがとう。いつになったら能力を消してくれるのか考えていただけだから」

「ああー、そっか」

 

 小田切(おだぎり)も、他の魔女たちも、能力を保有したままの状態が続いている。この状況が続いている原因は、山田(やまだ)にあった。儀式を行ったあと、能力の使用と消去に待ったをかけたため。理由を問い詰めても口を固く閉ざし、「今は、まだ言えない」の一点張りを貫いた。

 

「もしかしたら山田(やまだ)は、そのことで魔女(みんな)を集めようとしてるのかもね」

「そうだといいんだけど。とにかく、片付けちゃいましょ」

「だね」

 

 生徒会の片付けを済ませ、俺たちは超研部へと急いだ。

 そして、山田(やまだ)が魔女を超研部へ集めた本当の理由を知らされることになる。儀式で叶えた願いは山田(やまだ)に関する記憶の復活ではなく「朱雀高校から魔女の能力を消してくれ」という願いだった。

 

「まさか、私たちの能力が既に消えていただなんて、夢にも思わなかったわ。でも、もっと早く教えてくれてもよかったんじゃないかしら!」

 

 大勢の人が行き交う商店街を歩きながら、ちょっとだけ口をとがらせる小田切(おだぎり)

 

「まあ、山田(アイツ)なりの気遣いだろう。中間の真っ最中だったからな、突然、能力を失ったと知れば少なくからず動揺が走る」

「私は、むしろ気になって集中できなかったわよ」

 

 五十嵐(いがらし)のフォローもむなしく、山田(やまだ)の気遣いも、小田切(おだぎり)にとっては逆効果だったみたいだ。

 

「ところで山田(やまだ)は、学校から魔女の能力を消したと言ったんだよな?」

「ええ、そうよ。それが、どうかしたの?」

「......俺も儀式が行われた日に、山田(やまだ)との記憶を思い出した。だが、去年の今頃のことは思い出せていない」

 

 五十嵐(いがらし)の言葉を聞いた小田切(おだぎり)は、その場で立ち止まり眉をひそめ目を伏せる。

 

「......私も、思い出せないわ」

「これは、どういうことだ......?」

「そうね......前に、ナンシーが言っていたわ。ナンシーの魔女のグループと、リカ先輩のグループはお互い干渉出来ないかもって」

「それだと、二人が記憶を取り戻すには、ナンシーのグループの儀式じゃないと無理ってことなのかもね」

「そうなるわね、きっと」

「そもそも、ナンシーは今も、魔女の力を持っているのか?」

 

 五十嵐(いがらし)の疑問はもっとも。相互不干渉はあくまでも仮定の話で、実際にはわからない。今回の儀式で、ナンシーたちも能力を失っている可能性はあり得る。

 

「連絡もないし、消えていないと思うけど。念のため確認してみるわ」

 

 再び歩みを進め、いつもの駅前へ到着。この駅から電車に乗る小田切(おだぎり)は改札へ向かわずに、俺たちと向き合った。

 

「二人はこれから、予定はあるかしら?」

「いや、特にないが」

「俺、バイトが入ってる」

 

 試験でもらっていた休暇も終わり、今日から復帰。ボールに触れるのも、約二週間ぶり。

 

「そう、じゃあ私も、久しぶりに寄っていこうかしら。(うしお)くんは、どうする?」

「まあ、構わないが」

「じゃあ、行きましょ。使用料も部費でまかなえるわ」

「毎度ありがとうございます」

 

 二人に向かって丁寧に頭を下げると珍しく、五十嵐(いがらし)が軽く笑みを見せた。

 

「そういえば俺たちは、フットサル部だったな」

「そうよ。ちゃーんと活動しないと部費を削られるんだから」

「それは、大問題だね。部室ないけど」

「お前の家があるだろう」

「あら、(うしお)くん、それ名案だわ。これから集まるときは、宮内(みやうち)くんのお家にしましょ」

「いやいやいや......」

 

 冗談半分で話をしながらバイト先のフットサルコートへ。

 疑問は残ったものの、魔女の件が一旦終わりを迎え、俺たちは、久しぶりの部活動を楽しんだ。



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新たな魔女編
Episode43 ~始動~


 日を追うごとに、頬を撫でる風は厳しさを増し、通学路の樹木が赤や黄色に色づき始め、少しずつ姿を変えていく東京の街並み。校庭に舞う、黄色く染まったイチョウ葉。木枯らしに紛れ、微かに香る金木犀の花の匂いが本格的な秋の訪れを感じさせる。そんな、連休明けの月曜日。

 中間試験も終わり、11月に入った。授業も通常の時間割に戻り、今学期も残すところ二ヶ月あまり。残す行事は期末試験と、終業式だけになった。そのため、授業後のホームルームも連絡事項の普段より早い放課後を迎える。

 今日付けで正式に生徒会長に就任した宮村(みやむら)の代わりに、日直を引き受けた俺は、掃除当番のクラスメイトが残る教室で役割の雑用を片付け、日誌を職員室に居る担任へ届け終えたあと、宮村(みやむら)の頼まれごとを果たすため、生徒会室が軒を構える特別教室棟へ足を運んだ。

 宮村(みやむら)の頼みごとは、ふたつ。

 ひとつは今日のように、日直や係りの代行。そして、もうひとつは――。

 

「あれ、白石(しらいし)さん」

「あっ、宮内(みやうち)くん」

 

 特別教室棟の廊下でバッタリ出会った白石(しらいし)は、同じ場所へ行く途中だった。それなら、と一緒に生徒会室へ。

 

「あなたも、宮村(みやむら)くんに呼ばれているのね」

「新生徒会発足に当たって頼みたいことがあるからって」

「私も同じよ。部室へ行く前に来て欲しいって」

『どういうつもりかしらっ?』

 

 生徒会室の近くまで来ると、部屋の中から大きな声が漏れ聞こえてきた。よく知っている女子の声、小田切(おだぎり)の声。白石(しらいし)と顔を見合わせる。トーンが下がったためか話の内容までは聞き取れないけど、最初に聞こえた言葉から何かを訴えていることは想像出来る。

 

「どうしたのかしら?」

「さあ? とにかく入ろうか」

「ええ」

 

 両開きの戸を軽くノックをし、ドアノブに手をかけて、生徒会室の扉をくぐる。入ってすぐに、生徒会長の椅子に座って頭の後ろで手を組んでいる宮村(みやむら)だけが、俺たちの存在に気付いた。生徒会室には、新生徒会長の宮村(みやむら)の他に三人の生徒が居る。外から声が聞こえ、今も宮村(みやむら)に詰め寄っている小田切(おだぎり)。彼女から少し離れたところで、腕を組んでいる玉木(たまき)は二人のやり取りを静観。それから、部屋の隅で山田(やまだ)が不馴れな手つきでお茶を淹れている。

 

「ちょっと、聞いているのっ?」

「ああ、聞いてるって。つーか、いったん中断」

「中断って、アナタねぇ!」

 

 テキトーな返事を返した宮村(みやむら)と向き合っている小田切(おだぎり)は、その軽い態度にややイライラを募らせていることがうかがい知れる。

 

「おつかれー、これで全員そろったな!」

「全員? どういう意味よ。そもそも誰に......って、宮内(みやうち)くんと白石(しらいし)さんっ?」

 

 振り向いた小田切(おだぎり)は、驚きの表情を見せた。それはそうだろう、予想していなかった人が居るのだから。仮に立場が逆だったなら、俺も同じリアクションを取っていたと思う。

 

「し、白石(しらいし)!? 何で、白石(しらいし)が居るんだよ!?」

「これはいったい、どういうことなんだい? 宮村(みやむら)くん」

「そ、そうよっ!」

「それを、今から説明するのさ。山田(やまだ)くん、全員分のお茶の用意を」

「......チッ!」

 

 命令を下された山田《やまだ》が小さく舌打ちしたのを、宮村(みやむら)は聞き逃さない。

 

「んー? 返事が聞こえないなー、これは困ったなー。仕方ない、秘書はしら――」

「わ、分かりましたーッ!」

 

 何か弱味を握られているのか、山田(やまだ)は大声で返事をするとテキパキと人数分のお茶を用意し出した。俺たち四人は宮村(みやむら)に促され、普段生徒会役員が話し合いに使っているソファーに付く。

 

「会長、どうぞッ!」

 

 テーブルに置かれた湯気の立つお茶をひとくち運び口に含むと、静かに湯飲みを置いた。

 

「ヌルいな。山田(やまだ)くん、淹れ直し!」

「な、なァーッ!?」

「茶番はいいから、ちゃんと説明しなさいっ!」

小田切(おだぎり)くんの意見に、僕も同意させてもらうよ」

「へいへい。山田(やまだ)、お前にも関係ある話だ、座れよ」

「あん? んっだよ......?」

 

 山田(やまだ)は渋々、空いている白石(しらいし)の隣に腰を下ろした。

 

「じゃあ、説明するぞ。今、生徒会室(ここ)に居るのが、新生徒会メンバーさ......!」

「生徒会の? 私も?」

 

 不思議そうに首をかしげる白石(しらいし)。どうやら彼女は、詳しい説明は受けていないらしい。

 

白石(しらいし)さんにはまだ、話してなかったな」

「待ちたまえ、宮村(みやむら)くん。生徒会役員は多くても、5人前後というのが通例ではないかい?」

 

 玉木(たまき)は、壁に飾られている歴代生徒会役員の写真郡を指す。確かに、先代の山崎(やまざき)の代は5人。その他の代も多くて6人と、常に少数精鋭で生徒会を運営されてきたことが分かる。

 

「仮に今、ここに居る全員が生徒会役員になるとするなら現時点で6人。更にここから次期会長候補を二人立てると仮定すると計8人。これは、歴代最多の数字だよ」

「あら、ずいぶん詳しいわね。生徒会役員じゃなかったのに」

「会長を目指していた身だからね、この程度のことは予備知識の範囲さ」

 

 得意気に歴代生徒会のあり方話す玉木(たまき)は、続けて疑問を投げ掛けた。

 

「それに、役職はどうなるんだい? 山田(やまだ)くんは、秘書。僕と小田切(おだぎり)くんには、会計と書記......」

「それに関しては問題ねーよ。白石(しらいし)さんと宮内(みやうち)は、正式な役員としてのオファーじゃないのさ」

 

 宮村(みやむら)の言葉通り、俺が頼まれたのは生徒会役員の要請じゃない。白石(しらいし)のさっきの様子から、俺と同じ理由じゃないことは明白。たぶん彼女の場合は、山田(やまだ)を秘書に置くための策略と言ったところだろう。

 

「二人にはオレの、エクスターナルアドバイザー。つまり外部相談相手を務めてもらいたい」

「私たちが、アドバイザー? 具体的にどういうことをするの?」

「読んで字の通り、オレの相談役さ。基本的には生徒会の会議で方針を決めるけど、どうにも意見がまとまらない場合に意見を仰ぐこともある。オブザーバー的にな。あとは、学校行事の協力を頼んだりだな」

「お手伝いなら、生徒会直属のボランティア部があるじゃない」

「言っちゃ悪いが、ボランティア部は部下だ。けど二人には、あくまでオレと対等に近い関係で意見を仰ぐ」

「しかしなぜ、今になって、今まで存在しなかったそんな役職を?」

「それにも、ちゃんとした理由がある。歴代の生徒会は魔女たちの協力の元、学校秩序を守り、体制を維持してきた。けど、山田(やまだ)が魔女を消しちまったお陰で、いざと言うときの強硬手段を取れなくなった。正直、こいつは緊急事態だ。生徒会の絶対権力は、“7人目の魔女”の協力があってこそ権力だからな」

「協力を約束してくれていた西園寺(さいおんじ)リカの能力をも消してしまった弊害と言うことか。山田(やまだ)くん」

「うぐっ、し、仕方ねーだろ? リカも、能力に苦しんでたんだからよ!」

 

 儀式で記憶を戻すことを願わずに、魔女の能力そのものを消しさったのは、それが理由だったんだ。山田(やまだ)の言葉を聞いて、白石(しらいし)はどこか嬉しそうに微笑み、小田切(おだぎり)は小さく息を吐き、玉木(たまき)は腕を組んだまま目を閉じた。

 そして、宮村(みやむら)は白い歯を見せて笑った。山田(やまだ)を秘書に置きたがった理由が、少し分かった気がした。

 

「まあ、そう言う事情だ。生徒会だけじゃ対処出来ないことが起きる可能性がある。さすがに、生徒会と無関係な奴に助言を求めるワケにはいかねーから。客観的な立場で意見を仰げるオブザーバー的にな存在を置きたいってワケさ」

 

 それらしいことを言っているけど、結局のところ今までとあまり変わりない気がするのは、俺の気のせいだろうか。

 

「......そう。宮内(みやうち)くんは、どうするの?」

 

 ややうつむき加減で考えながら聞いていた白石(しらいし)は顔を上げて、俺に意見を求めた。彼女にだけではなく、小田切(おだぎり)たちからも注目される。

 

「俺は、構わないけど。バイトとかはいいんだよな?」

「もちろん、プライベートを優先してくれて構わないぞ。用事があるときに連絡する」

 

 先日あらかじめ聞いていたとは言え、念のために確認すると宮村(みやむら)は二つ返事で了承した。その返事を聞いて改めて思う、やっぱりいつもと変わらない気がする。

 

「部活も、塾も、今まで通りでいいのね。だったら、私もいいわ」

「サンキュー! それから、まだ先の話にはなるけど、クリスマスイヴに生徒会の冬合宿を予定してる。それには参加してくれ!」

 

 特に予定も入っていないし、今の時期ならシフトも融通が利くから大丈夫だろう。

 

「わかった、バイトは入れないでおく」

「ええ、勉強なら合宿所でも出来るから。私も平気よ」

 

 宮村(みやむら)は満足気にうなづいて、今度は小田切(おだぎり)たちに問いかける。

 

「それで、お前らはどうするんだ?」

「ふむ。いや、やはり戦敵(ライバル)の下で――」

「そこまで言うなら、協力してあげるわ。仕方なくね」

小田切(おだぎり)くん!? あれほど嫌がっていたのに、いったいどう言う心変わりだい?」

「あら、そうだったかしら?」

「さあ、オレは身に覚えねーけどぉー」

「......ふんっ!」

 

 白い歯を見せて笑いながら惚ける宮村(みやむら)に、小田切(おだぎり)はやや口を尖らせプイッと、そっぽを向いた。その仕草が、可愛らしい。

 

「あとは、玉木(オマエ)だけだぜ。生徒会(オレたち)()()にならねーか......!」

()()......。そうだね......生徒会役員という身分も悪くないか」

「よーし、決まりだな!」

 

 グッと膝に力を入れて立ち上がった宮村(みやむら)は、一度会長の席に戻り、高さ10cm近くあるA4サイズの紙の束を持って戻ってきた。

 

「さっそく初仕事と行くぜ! もちろん、副会長二名の選出だ。兎にも角にもまずは、ここからだからな!」

 

 副会長の選出は、次期会長候補を兼ねているため正式な生徒会役員の仕事。立場的に部外者の俺と白石(しらいし)は、生徒会室を出て別れた。白石(しらいし)は超研部の部室へ、俺はバイト先へと向かう。

 

「......待ってたよ!」

 

 昇降口で靴に履き替え、校門を出たところで声をかけられた。足を止めて、声の主を確認。アレンジされた制服、どこか不機嫌そうに眉尻を上げた、見知ったツインテールの女子――。

 

「オマエに、ちょっと聞きたいことがある。ツラ貸しな......!」

 

 待ち構えていたのは、もう一人の“7人目の魔女”、ナンシーだった。



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Episode44 ~心情~

 校門を出たところをナンシーに待ち伏せされたが、バイトの時間が迫っていたため、バイト先で話を聞くことにした。ジュニアスクールの子どもたちが休憩している間に話すため、短時間での会話になる。基本的には、ナンシーの質問を答える。そんな形で休憩の合間に数回やり取りを重ね、時刻は19時を回った。定刻通りスクールを終えて、練習で使用したカラーマーカー、中型カラーコーンを片付けて、防球ネット越しの歩道とコートを隔てる安全柵に座って腕を組んでいる、ナンシーの元へ向かう。

 

寧々(ねね)がまた、生徒会役員になるだなんて聞いてないよ!」

宮村(みやむら)に。新生徒会長に指名されたんだ、生徒会に力を貸してくれって」

「指名されても絶対に断るって言い切ってたんだ。それなのに、いったいどうなっているんだい!」

 

 生徒会室の外にまで聞こえ漏れた声は、役員に指名されたことによる抗議。小田切(おだぎり)宮村(みやむら)は惚けていたけど、玉木(たまき)が暴露した通りのことを、ナンシーは小田切(おだぎり)自身から聞いていたようだ。

 

「お前も、生徒会室に居たんだ。寧々(ねね)が、生徒会役員を引き受けた理由を知ってるんじゃないのかい?」

「さあ、俺にも分からないよ。俺は、生徒会の役員じゃないし」

 

 そう、本心なんてものは本人にしか分からないんだから。

 ただ、もし今、俺が思っている理由と彼女の理由が同じだったとしたら――。

 

「ハァ、まあいいさ。ところで、山田(やまだ)が秘書になったってのは本当なのか?」

「ん? うん、引き受けないと、彼女を秘書に任命するって脅されて」

「彼女? ああー、そうかい」

 

 今ほんの一瞬、ものすごく寂しそうな表情をしたように見えて。彼女の想いを察し、半ば強引に話題を変える。

 

「ナンシーはさ。儀式を使って、自分の能力を消そうとか思わなかったの?」

「なんだい? また、えらく唐突な質問だね」

「なんとなく。知り合いの魔女は、能力がなくなってから楽しく過ごせてるみたいだから」

 

 特に“7人目の魔女”だったリカは、今までまともに送って来られなかった学校生活を満喫していると、先日のパーティーで話していた。

 それは、他の魔女たちも同じで。

 最初はみんな、自らが望んで得た能力も、いつしか自らを苦しめる悩みの種になっていたのかもしれない。

 俺の言葉を聞いたナンシーは、声を大にして答えた。

 

「無いね! アタシ以上に、魔女の能力を使いこなせる女はいないさ!」

 

 力強く言ってのけたが、間髪入れずの答えじゃない。本音が別にあることは想像できる。それはきっと、“7人目の魔女”としての使命感だけじゃなくて、魔女の監視役を自ら率先して行える、彼女の自身の純粋な優しさ。

 

「そっか。優しいんだね」

「お、オマエ、バカにしてるだろっ。記憶消すぞッ!」

 

 気恥ずかしそうにほんのり頬を染め、慌てふためきながら手を伸してきた。しかし伸ばしたその手は、俺たちの間を隔てる防球ネットが妨げになり、当然、俺には届かない。だけど、“7人目の魔女”ってのは、対象者にキスしなくても発動出来る厄介な魔女。念のため、決定打を打って守備を万全に固めておく。

 

「どうぞ、小田切(おだぎり)さんに忘れられてもいいなら」

「くっ! お前、卑怯だぞっ!」

 

 伸ばした手を引っ込めたナンシーは、頬を膨らませてわなわなと身体を震わせる。初対面の攻撃的なファッションと言葉使いからは想像出来ないほど表情ゆたかで、ころころ変わる表情(かお)を見てるのは飽きない。これが、ナンシーの一番の魅力なんだと想った。

 

「電話、鳴ってるよ」

「......わかってるよっ。シド、なんの用だい!」

 

 スカートのポケットから取り出したスマホを耳に当て、通話口で怒鳴り付けた。電話相手のシドは完全にとばっちり、気の毒だから今度あったら飲み物でも奢っておこう。

 彼女が通話している間、次にコートを使う個サルの準備を進めておく。ボールを両サイドにひとつずつセットして戻ると、電話をしているナンシーは眉をつり上げ、どこか不穏な雰囲気を醸し出していた。なにか、重大な問題が起こったのかも知れない。

 

「そうか、わかった。とりあえず調査を続けてくれ。明日、対策を考える。ああ、じゃあね」

「どうしたの? 魔女?」

 

 質問に答えずに無言のまま、スマホをポケットにしまった。

 どうやら、アタリのようだ。

 

「キケンな能力だ、関わらない方がいい」

 

 真面目な声色がことの重大さを知らせてくれる。

 いざという時、記憶を操れるナンシーが、それほどまでに警戒する能力。

 

「このことは、寧々(ねね)には絶対に秘密だからね!」

「何を秘密なのかしら?」

 

 ナンシーのすぐ後ろに、生徒会の仕事を終えて帰宅途中の小田切(おだぎり)が、まるでタイミングを計っていたかのように立っていた。正に、噂をすればなんとやらってヤツ。

 

「ね、寧々(ねね)っ? どうして、こんなところに......!」

「部活よ。ここ、部活の活動場所。で、いったい私に何を隠しているのかしら?」

「そ、それは......。そうだ、シドを待たせてるの忘れてたよ! じゃあね!」

「ちょっと、ナンシー! なんなのよ、もう!」

 

 小田切(おだぎり)に迫られ、思い切りたじろいでいたナンシーは、バレバレな嘘をついて逃げるように駆け出した。どうやら、想定外の出来事には弱いみたいだ。

 そして当然のことながら、人混みに消えていったナンシーの代わりに、標的は俺に移った。

 

「まったく。それで、結局、何を話していたの? あの子、スゴい慌てていたみたいだけど」

 

 相手は、ナンシーが警戒するほどキケンな能力を持つ魔女。俺としても、キケンなことに関わらせたくはない。

 

「えっと。今度、遊びに行こうって話をしてて」

「そ、それは、デートかしらっ?」

 

 咄嗟についた嘘は言葉足らずで、勘違いさせてしまったらしい。

 

「ううん、みんなで。ほら、中間も終わって一区切りついたから」

「そ、そう。でも、そうね。たまにはそういうのもいいわね、行きましょう」

 

 どうやら、上手く誤魔化せたみたいだ。一安心して、ほっと胸を撫で下ろす。

 

「あら、お客さんが来たみたいよ」

 

 いつの間にかピッチには人が集まっていた。掛け時計を見ると、個サルが始まる時間が近づいていた。急いで片付けと準備を済ませ、小田切(おだぎり)が待ってくれているクラブハウスへ戻る。

 

「お疲れさま」

「いえいえ。小田切(おだぎり)さんは今、帰り?」

「ええ。面接官って思ってたよりも大変なのね......」

 

 頬杖をついて、大きなタメ息をついた。相当疲れているのが見受けられる。

 

「じゃあ今日は、部活はなしで帰ろう。俺も、もう上がりだから送っていくよ」

「そうね、そうさせてもらおうかしら」

 

 レジ奥の事務所にいる店長に挨拶をして、クラブハウスを出て、歩道に出たところでばったり、山田(やまだ)白石(しらいし)に遭遇した。端から見た二人は、仲良さそうに並んではいるけど、山田(やまだ)の方は、どこか浮かない表情(かお)をしている。

 

白石(しらいし)さんと、山田(やまだ)じゃない」

「なんだ、お前らか。(うしお)は居ねぇのか?」

「今日は居ないわ。用事があるそうよ」

「ふーん」

 

 ――だから、今日は来なかったんだ。

 

「それで、あなたたちはデート?」

「一応そうなるのかしら。山田(やまだ)くんの欲しい本を探して一緒に、本屋さんへ行ってきたの」

「立派なデートじゃない」

「だね。その割りには、浮かない表情(かお)をしてるみたいだけど?」

「ああ......、欲しかった本が売り切れてたんだよ。ハァ......」

 

 山田(やまだ)は、がっかりと肩を落とした。浮かない表情(かお)をしている理由はそれか。

 

「それは、残念だったね。他の本屋は?」

「私の知ってる本屋さん、閉店時間が早いの。近所の本屋さんとか、宮内(みやうち)くんも知ってるでしょ?」

「ああー、あの個人経営の本屋。確かに、あの店は早いね」

 

 朱雀高校からわりと近くて、住宅街の中にある本屋だから、参考書や専門書が豊富で、通っている生徒も多い。

 

「俺は普段、本屋なんて行かねーから、他の店とか知らねーし」

「別に本屋さんじゃなくても、大手レンタルショップならある程度メジャーな本なら置いてあるわよ」

「おおっ、そうか! 盲点だったぜ!」

「私も、本は本屋さんって概念に囚われていたわ。山田(やまだ)くん、行ってみましょう。二人とも、ありがとう」

「おう。じゃあな!」

 

 さっきまで落ち込んでいた様子とは打って変わって、嬉しそうに笑顔で歩いていく二人。今まで見てきた白石(しらいし)の、どの笑顔よりも印象的な笑顔。

 

山田(やまだ)、あんな調子で大丈夫なのかしら?」

「まあ、初めてってワケでもないし、うまくやるんじゃない」

「えっ? どういうこと?」

「あいつ、一年の時、彼女いたから」

「えっ、そうなのっ?」

「噂になってたみたいだよ。相手までは分からないけど」

「ふーん、意外とモテるのかしら」

 

 立ち話は一旦切り上げて、街灯が照らす明るい商店街を白石(しらいし)たちとは反対側の駅へと向かって歩く。

 俺が、山田(やまだ)の噂話を聞いたのは、一年の三学期。

 当時、定期的な検査とリハビリのため一時期休学していた時、日直の女子がプリントと近況を教えてくれた。その時、山田(やまだ)と親しくしてる女子が居るという話しを聞いた。ただその頃は、山田(やまだ)と接点はなかったし。本格的に復学した頃にはもう、誰もその話をしていなかったから気にも止めなかった。

 

「三学期ねぇ......」

「聞いたことない?」

「ええ。ちょうど、生徒会の副会長に任命されたばかりの宮村(みやむら)の教育係りみたいなことをやらされていたし。生徒会長になるために活動していたから」

 

 忙しくて他人に構っている余裕はなかったワケだ。なら、もうこの話をする意味はない。どうせ過去のことなんだから、今、山田(やまだ)白石(しらいし)は付き合っている、それが事実なんだから――。

 

「そっか。そういえば小田切(おだぎり)さんは、どうして、会長になりたかったの?」

 

 話を切り上げ、以前聞きそびれたことを改めて尋ねる。

 

「そうねぇ......」

 

 少し考え込むように口元に人差し指を添えた小田切(おだぎり)は、何かを思いついたのか微笑んだ。

 

「もっと親しくなったら教えてあげるわっ」

 

 どこかで聞いたセリフに思わず笑ってしまう。すると小田切(おだぎり)は、不満そうにやや口を尖らせた。

 

「なによっ」

「ああー......いや、じゃあ頑張らないといけないなって思って」

「そうよ。でも、そう簡単には教えてあげないわよ」

「そっか。それならさっそく、今度遊びに行きませんか?」

「それは、デートのお誘いかしら......?」

「もちろん」

「そう。あなた、そんなに私のことを知りたいのね。仕方ないわね、いいわ、デートしてあげる」

 

 そう余裕綽々と言いながらも微笑んで、デートの誘いを受けてくれた。

 

「じゃあ、決まり。いつが都合いい?」

「あっ、今週はダメ。クラブハウスに泊まり込みで、生徒会の引き継ぎ作業があるの」

「わざわざ、クラブハウスにまで行ってするんだ」

 

 さすがは朱雀高校最高権力機関と言ったとこ、スケールが違う。

 

「引き継ぎといっても、クラブハウスの掃除が主な仕事よ。毎年の恒例行事なの」

「ああ、そうなんだ......」

 

 何か想像していたのとは違った。

 なんてことを思っていたら、いつの間にか、いつもの最寄り駅に到着。

 

「それじゃあ、また明日」

「ええ、また明日。それから、デートプランちゃんと考えておいてよね......!」

「了解、考えておくよ」

 

 改札を潜り、駅構内へ入って行った小田切(おだぎり)の後ろ姿を見送って、デートプランを考えながら家路についた。



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Episode45 ~イチョウの葉~

 休日の朝から、私は、温かい湯船に浸かっている。

 今日は、あの夜約束をしたデート当日。デートの約束をしたのは、もう、ひと月も前のことで。月をひとつ跨いで十二月に入り、日に日に気温が下がっていくのを実感している。気がつけば今年も残りひと月を切ってようやく、新しく発足した生徒会の初仕事の目処が付いて、時間を作ることが出来た。

 

『ふぅ、気持ちいい......』

 

 バスルーム特有の反響する空間が、思わず溢れた小さな声を大きく響きかせる。そのまま温かい湯船に身を任せて目を閉じて、この三週間の間に起こった出来事を振り返る。

 生徒会の引き継ぎのために訪れたクラブハウスで、前生徒会長山崎(やまざき)西園寺(さいおんじ)リカ先輩から聞かされた、まさかの話し。儀式で魔女を消してしまったため、新たな魔女が誕生してしまったという話。そんな話を聞かされてしまっては、生徒会としては調査せざるを得ないワケで。後日、本格的な調査を開始。程なくして、山田(やまだ)が新しい魔女を見つけてきた。正確には、元魔女の滝川(たきがわ)ノアが見つけたんだけど。

 とにかく、見つかった魔女は、女子バスケットボール部の部長。ナンシーに確認を取ったところ、元々存在していたナンシー側の魔女だったことが判明。つまり、新しく生まれた魔女じゃなかった。

 まあ、ナンシーのことを知らない宮村(みやむら)たちは、新しい魔女として扱っていたけど。新たな魔女なんて本当に存在しているのか半信半疑。それにしても......。

 ――もう、せっかく魔女じゃなくなって普通の学校生活を過ごせると思ったのに。問題は山積み、前よりも忙しくて、ほんと嫌になる。

 

『ハァ......』

 

 思わず、タメ息が漏れてしまう。

 ――いけない、これからデートなんだから、こんな姿(かお)は絶対に見せられないわ。

 首を横に振って、両手ですくったお湯でパシャっと顔を流し、しっかりと気持ちを切り替えをして、湯船を上がる。

 洗面台で髪の毛をドライヤーで乾かし、セットをして自分の部屋へ戻る。昨日の夜予め用意しておいた、可愛い清楚系の無難な服と、ちょっぴり背伸びした大人っぽい服、二通りのコーディネートをベッドに並べて見比べる。

 これは重要な問題。だって服装は、その人の印象を決める大事な要素。一歩間違えれば、100年の恋も一瞬で冷めてしまうことも。部屋着のまま何度も見比べて、どちらを着ていくか考えていると、部屋のドアがノックされて、下の弟がドア越しに「行かなくていいのー?」と声をかけてきた。掛け時計を確認してびっくり、乗車予定の電車の時刻が迫っていた。

「もう出るわ、ありがとう」と、弟にお礼を言ってから部屋着に手をかけて、着替えを着替える。とりあえず、事前に決めておいたお気に入りの下着を付けて。今回は無難に、可愛い清楚系の服をチョイスして、最寄り駅へと急いだ。

 発車ベルが鳴るギリギリに電車に乗車。休日だから車内は混雑していたけれど、朝の通学の時ほどじゃない。運良く見つけられた席に腰を落ち着ける。

 マフラーを外して、少し乱れた呼吸を整えていると、ふと、隣から視線を感じた。隣を見る。私に視線を送っていたのは、紺野(こんの)つばささんだった。彼女は気まずそうに目を伏せて、視線を逸らしながら小さな声で、謝罪の言葉を述べた。

 

「ご、ごめんなさい......。その、ヒドいこと言って......」

 

 紺野(こんの)さんは、バスケットボール部の部長。つまり、生徒会が調査していたナンシー側の魔女。

 彼女の能力は「服従」。「虜」は人を選んだけど、服従は読んで字の如く、キスした相手を絶対服従させてしまうというとても危険な能力。紺野(こんの)さんはこの能力を使って、非協力的な部員たちが真面目に部活動に取り組むように命令していた。まあ、それだけならよかったんだけど。彼女は、いつしか自身の能力に取り込まれて、知らず知らずのうちに精神的に追い込まれていた。それに気づいた生徒会は、能力の使用を止めるよう説得を試みたけど、忠告は聞き入れられず拒絶され、私も強い言葉をぶつけられた挙げ句、隙を突かれて能力をかけられてしまう始末。

 

「別に、もういいわ。能力は解いてもらったし。それよりあなた、普段はおしゃれなのね」

 

 白いニットにフレアワンピース、ハーフ丈のダッフルコートを羽織っている。私とは違う系統だけど、とても女の子らしいファッションをしている。今まで体操着と制服姿しか見たことがなかったから、なんだか新鮮。

 

「私、スカートとか制服以外で初めてで......へ、ヘンじゃないかな?」

「ヘンじゃないわよ、もっと自信を持ちなさい」

 

 部活動を見ていて思ったのだけど、紺野(こんの)さんは周りに気を遣い過ぎるところがある。間違いなく彼女の魅力なんだろうけど、気配りが出来ると言えば聞こえはいいけど、見方によっては、八方美人と受け取られ兼ねない。

 前会長の山崎(やまざき)宮村(みやむら)みたいに、人の上に立つ人はある程度多少強引に物事を決めて、結果を残していかないと本当の信頼は得られない。

 

「ほら、ちゃんと顔をあげて。今から山田(やまだ)と会って、大事な相談するんでしょ。そんな表情(かお)していたら、解決出来ることも出来なくなるわよ」

「......う、うん。ありがと」

 

 奇しくも同じ場所で待ち合わせの約束をしていた私たちは、同じ駅で下車して、自動改札で定期券タッチ、駅を出て待ち合わせ場所へ向かう。朱雀高校の最寄り駅前の商店街は、平日と比べて多くの人たちが行き交い賑わいを見せていた。

 私の背中で恥ずかしそうに隠れる紺野(こんの)さんを後目に、待ち合わせ場所の噴水のベンチで話をしている宮内(みやうち)くんと山田(やまだ)に、声をかける。

 

「おはよう」

小田切(おだぎり)さん、おはよう」

「ほら、あなたも出てきなさいよ」

「あ、うん。おはよう、お待たせ」

「おう。まあ、別にそんな待ってねーけどな。つーかお前ら、デートなんだってな」

 

 紺野(こんの)さんのことにはほとんど目もくれず、間の抜けた顔で茶化すようにヘラヘラ笑みを浮かべる山田(やまだ)。締まらない顔。今、自分がおかれている立場を分かっていないみたい。

 

「あら。それは、あなたも同じじゃなくて?」

「あん?」

「あなたも、紺野(こんの)さんとデートなんでしょ」

「デートじゃねーし! 相談は、二人の方がしやすいからだな――」

「事情はどうであれ。男女が二人で会うなんて、端から見たら立派なデートよ。報告しちゃおうかしら?」

 

 山田(やまだ)に、スマホを向ける。

 

「おい、マジ止めろって! そうでなくても微妙な反応されんだからよ!」

「だったら、ちゃんと問題を解決してあげることね」

「わ、わかってるっての。じゃあ、さっさと済ませようぜ!」

 

 そのぞんざいな扱いに、紺野(こんの)さんは無言で不機嫌そうにムッとしていて。宮内(みやうち)くんは、居心地が悪そうに終始苦笑いしていた。

 

 

           * * *

 

「ステキなお店ね」

「そう? よかった」

 

 山田(やまだ)たちと別れた私たちは、商店街で一時間ほど小物を見て回り、表通りを少し外れた路地裏のカフェでランチ。静かで雰囲気も良いし、内装もキレイで清潔。表にはウッドテラスの席もあって、何より料理がおいしい。それに、低糖質のパスタとか、普通のお店にはあまりないメニューも充実している。

 ランチをしながら学校、生徒会、期末試験。それと、魔女のことを少し。ちょっと愚痴を言っちゃったりしても、嫌な顔しないで聞いてくれる。けど、これはちょっとダメ、デートで愚痴はNG。気を付けないと。

 ランチを終えた私たちは電車に乗って、都心まで足を伸ばした。街には目移りしてしまうほど数多くのショップが軒を連ね、地元の商店街よりずっと充実してる。とりあえず、ウィンドウショッピングを楽しみつつ、いくつか気になったお店に立ち寄り、店員さんと彼の意見を聞きながら、気に入った冬物をいくつか購入。時間はあっという間に過ぎて、帰る前に公園のベンチで一休み。頭上の大きなイチョウの木、周囲の木々の赤や黄色、茶色に染まった葉は冷たい北風に吹かれて舞い落ち、忙してあまり部活にも顔を出せなかった晩秋の時間を、少しだけ感じさせてくれる。

 

「お待たせ。はい、どうぞ」

「ありがと、いただくわ」

 

 膝の上にある手荷物を横に置いて、向かいのカフェで買ってきてくれたミルクティーが注がれた紙カップを受け取る。

 

「買い物は、もういいの?」

「ええ、充分堪能させてもらったわ」

 

 新生徒会発足から今日まで、生徒会の仕事や期末試験で忙しくてまともに買い物出来なかったぶんも、今日はめいっぱいショッピングを楽しませてもらった。むしろ、あれこれいっぱい引っ張りまわしちゃって申し訳ないくらい。

 

「なら、よかった」

 

 そう言って微笑んだ彼は隣に腰を降ろして、湯気の立つコーヒーカップを口に運んだ。私も、ミルクティーをいただく。優しい甘さと温かさが、心と体をホッと暖かくさせてくれる。

 

「もう、冬だね」

 

 クリスマスの生徒会合宿の話しの最中、空から一枚のイチョウの葉が彼の膝の上にそっと舞い落ちた。イチョウの葉を親指と人差し指でつまんでクルクルと回転させながら微笑む、その穏やかな横顔を見ながら、私は想う。

 ――私は、一番嫌悪される行為(こと)をしていたのに。どうして、この人は......。

 

「あ」

「へっ!? な、なにっ?」

 

 突然のことで、思わず声が裏返ってしまった。

 

「あれ、五十嵐(いがらし)じゃない?」

「えっ? (うしお)くん? あら、ホントね」

 

 指差した方を見てみると、宮内(みやうち)くんの言う通り、(うしお)くんと思わしき男子が見覚えのある女子、飛鳥(あすか)先輩と一緒に歩いていた。公園内の遊歩道を歩く二人は仲良さそうに言葉を交わしながら、私たちがお客さんがいっぱいで座れなかったカフェに入って行って、窓際の席に居た数人のグループと合流した。

 

「将棋部の集まりかしらね?」

「そうかも」

 

 (うしお)くんは先月の始め、飛鳥(あすか)先輩と一緒に、将棋部を新しく立ち上げた。うちの学校は部活の掛け持ちを認めているけど、生徒会で忙しかった私以上にフットサルコートへはあまり顔を出さなくなった。

 

「やっぱり、将棋の方が面白かったんだね」

 

 宮内(みやうち)くんの顔から、さっきまでの穏やかで優しい微笑みが消えて。(うしお)くんたちが談笑しているカフェを見ながら、どこか寂しそうに呟いた。その寂しげな表情(かお)を見ていると、私も......。

 

「そうだ、買い忘れた物があったわ!」

「ん? なにを忘れたの?」

「冬用のウェアよ。今度、体育でサッカーの授業があるの。だから、ちょっと練習したいの。ほら、行きましょっ」

 

 荷物を持って先に立ち上がり、彼の手を取って半ば強引に立ち上がらせる。

 

「ああ、うん。行こっか、どんなの買うの?」

「そうね。う~ん、あっ、そうだわ。あなたが選んでちょうだい」

「俺が? 別に構わないけど、選んじゃっていいの?」

「ええ、お願いするわ。ステキなの期待してるわ。気に入らなかったら、あなたに着てもらうから!」

「レディースを......?」

「当然じゃない。ピンクの花柄とか似合うと思うわよ、きっとピチピチだけどね」

「うわぁ、マジで選ばないと」

「ふふっ、期待してるわよっ」

 

「どっちの意味で?」と、宮内(みやうち)くんは笑った。私もつられて笑顔になる。

 ――そう、この人と一緒にいると、自然と笑顔になれる私が居る。

 私たちは、スポーツ用意品店を目指して公園を後にした。

 ベンチで取った暖かい手は、繋いだままで――。



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Episode46 ~聖夜の葛藤~

12月24日、クリスマスイブ。

 赤や白、緑のリースで飾り付けられた街の商店街。歩道の木々は青と白のイルミネーションで彩られ、ケーキ屋の店先では、サンタクロースの赤い衣装を身に付けた店員がプラカードを持って、クリスマスケーキの宣伝をしている。

 プレゼントを持つ人、ケーキの箱を持つ人、多くの人びとが行き交う街は正に、クリスマスムード一色。そんなきらびやかな都会とはかけ離れた、深い雪が降り積もる山奥の施設を訪れている。

 今日、明日と、新生徒会発足の時に聞かされた冬合宿の日。

 生徒会が合宿を張って何をするのかと疑問に思っていたが、普段の業務とあまり変わらず拍子抜け。ただ、ひとつだけ違うところがある。それは、山田(やまだ)が一番張り切っているということ。普段あまり真面目に活動していないようだが、畳張りの広い会議室の机に向かって、今日中に処理しなければならないファイルとにらめっこをしながら、山田(やまだ)は休むことなく、鉛筆を動かし続けている。

 真面目な理由は単純明快、今日12月24日は、白石(しらいし)の誕生日だから。仕事を終わらせさえすれば、彼女の誕生日を祝うことが出来るため張り切っている。

 山田(やまだ)の仕事が終わるのを待つ間、宮村(みやむら)玉木(たまき)。それと、新しく副会長に任命された一年の男子、黒崎(くろさき)(じん)と同じテーブルを囲み、宮村(みやむら)が持参したカード麻雀でヒマを潰している。ちなみに女子二人は、こちらも新副会長の一人に任命された一年の女子、有栖川(ありすがわ)(みどり)と、別のテーブルでお喋りをしている。

 

「ふっ」

 

 山札から引いたカードを見た黒崎(くろさき)は、にやりっと笑みを浮かべた。まったく、わかりやすい奴だ。役になる字牌はほぼ場に出ているし、ドラとその周辺は河に捨てている。となれば、鳴きの三色、もしくは断么九(タンヤオ)のみ手あたりが濃厚。ただ、黒崎(くろさき)は親、連チャンされて流れが変わるには厄介。

 河の(チュン)に目を落とし、手札の右端二枚に指先を触れる。それを察知した宮村(みやむら)は、手札から残り一枚の(チュン)を出した。

 

「ポン」

 

 逃さず鳴き、既に二つ鳴いて、役を確定させている宮村(みやむら)への危険牌を切る。

 

「ロン。ノミ手な」

「はいよ」

 

 点棒を渡す。利害が一致した俺たちのコンビ打ちで黒崎(くろさき)の親を蹴り、迎えたオーラス。仕掛けもない静なオーラスの流局間際、俺がリーチしたことで宮村(みやむら)を除く二人は振り込みを避け、安牌とドラ周辺を避けてベタ降りの様相。結局そのまま、誰も和了ることはなく流局で終わった。表向きに牌を倒す。

 

「って、地獄待ちの振聴(フリテン)かよ。ラストでひっくり返されちまったか。二向聴(リャンシャン)までは持ってったんだけどなー」

「リーチが効いたね。しかし危なかった、切っていたら河底(ホウテイ)で直撃だったよ」

「あら。黒崎(くろさき)は、マイナスなのね。玉木(たまき)もギリギリじゃない」

 

 小田切(おだぎり)たちがこちらの来て、テーブルを覗く。

 

「やっぱり黒崎(くろさき)くんが、最下位(ビリ)だったんですねー」

「う、うるせぇ! おれは身を呈して、宮村(みやむら)くんのサポートをだな......」

「ビリなのは事実じゃないデスかー」

 

 口元を隠しながらぷぷっとバカにするように笑う、有栖川(ありすがわ)黒崎(くろさき)は眉尻をピクピクさせながら、まるで苦虫を潰したような屈辱的な表情を浮かべている。

 

「くっ! だったら、有栖川(おまえ)がやってみやがれ!」

「別にいいですけどー。最下位じゃなかったら、ジュースおごってくださいよ?」

「ああ、いいぜ。ドンケツじゃなければな!」

「決まり! と言うことで、小田切(おだぎり)先輩と白石(しらいし)先輩も一緒にやりましょー」

「え? 私たちも?」

「どうして、私たちもやらなきゃいけないのよ。あなたが、黒崎(くろさき)の替わりに入ればいいじゃない」

「ええ~、だって、会長と宮内(みやうち)先輩には勝てる気しないですしー」

「僕には勝てると言いたいのかな!?」

「イエイエ、ソンナコト思ッテナイデスヨ?」

「思い切り棒読みじゃないか!」

 

 やや大きめの声で抗議する玉木(たまき)に、背中を向けて一人仕事をしていた山田(やまだ)が切れた。

 

「だぁー! うるせぇー! 集中出来ねえじゃねーか!」

「ああ~、わりぃわりぃ」

「ったくよー!」

 

 いつものように、笑いながらテキトーに謝る宮村(みやむら)山田(やまだ)はブツブツと悪態をつきながら再び机に向かって、鉛筆を動かし始めた。隣に、白石(しらいし)が座る。

 

「貸して、私も手伝うわ」

「いいのかよ?」

「私も、生徒会の関係者だもの」

「ダーメ。それは、山田(やまだ)の役目。いくら白石(しらいし)さんでも、ダメ。つーか、白石(しらいし)さんに手伝ってもらったら意味ねぇだろ?」

「うぐっ......」

 

 他の四人は、二泊三日の合宿中に終わるよう調整しているが、明日まとまった自由時間を取って、白石(しらいし)と二人で誕生日を祝うために今日中に全て片付ける豪語したのは、他の誰でもない山田(やまだ)自身だけど......。

 

「つーワケでオレたちは、山田(やまだ)の邪魔にならないように風呂でも行ってこよーぜ。晩飯の前によ」

 

 促された俺たちは、山田(やまだ)を一人残し部屋を出た。

 近所の温泉へ行くことにした女子たちと別れて、廊下を歩いていると、玉木(たまき)が「少しくらい手伝ってもいいんじゃなかったのかい?」と、宮村(みやむら)に尋ねる。

 

「オレたちにもやることがあるんだよ。ここでな......!」

 

 立ち止まって親指で差した先の扉には、超常現象研究部と記された札が掲げられている。その扉は触らずとも開き、伊藤(いとう)が部屋の中から顔を出した。

 

「あっ! もう来たんだ」

「よっ、伊藤(いとう)さん。どうよ?」

「ふふーん、だいぶ進んだわよっ!」

 

 部屋の中を覗いてみる。いつかのパーティのようにキレイに飾り付けされ、中央のテーブルには椿(つばき)の手料理を準備されている。

 実は今日、白石(しらいし)にはサプライズで、彼女の誕生日パーティとクリスマスパーティーを開く準備を進めている。

 

「じゃあ私は、うららちゃんたちと温泉に行って来るから」

「おう。上がったら連絡くれ、湯上がり写メと一緒にな......!」

「アンタ、ほんとサイテーねっ」

 

「じゃあ、あとはよろしく!」と、トートバッグを肩にかけた伊藤(いとう)は、早足で廊下を歩いて行く。

 

「なるほど。しかしこういった事情(こと)なら、僕たちに黙っておく必要はなかったんじゃないのかい?」

「そうですよ、会長。おれに命令してくれれば、もっと早く準備出来ましたよ!」

「騙すにはまず味方からって言うだろ。オマエら、すぐ表情(かお)と態度に出るからな」

 

 玉木(たまき)も、黒崎(くろさき)も何も言い返さないで視線を泳がせた、どうやら、図星らしい。宮村(みやむら)は、二人に近所の洋菓子屋に注文してたケーキの受け取りとコンビニで買い出しを頼む。

 

「さて。んじゃあオレらは、仕上げといくか。宮内(みやうち)山田(やまだ)の様子を見ててやってくれ」

「見るだけでいいのか?」

「ああ、見るだけ。()()()はダメな、コンサルタントなんだからよ......!」

 

 宮村(みやむら)は俺の肩をポンっと軽く叩き、さわやかな笑顔でウインクをして部屋に入っていった。手伝いはダメ。ああ、なるほどね。意図を察し、山田(やまだ)が居る部屋へ戻る。

 

「おつかれ」

「あん? なんだ、お前か」

 

 山田(やまだ)は腐らず、真面目に机へ向かっていた。

 

「どう? 片付きそう」

「ぜんぜん終わらねぇ......。つーか、多すぎだろ」

 

「見ろよ、これ」と、机に置かれたファイルの束を叩く。確かに今のペースでは、白石(しらいし)たちが温泉を出て宿舎へ帰ってくるまでには、とてもじゃないが間に合いそうにない。

 

「手伝いたいけど、宮村(みやむら)に釘を刺されてるからね」

 

 ――じゃあ何しに来たんだよ......? と言いたげな視線を向けて来る。

 

「まあ、手伝いは出来ないけど。相談になら乗れるぞ」

「はあ? どういう意味だよ?」

「俺、コンサルタントだから。悩みがあるなら相談に乗るよ」

 

 首をかしげる山田(やまだ)は、少しして気がつき話し出した。

 

「......相談があるんだけどよ」

 

 若干躊躇しながらされた相談を二つ返事で引き受け、さっそく取りかかった。そして――。

 

「助かったぜ、ありがとな!」

「悩みを解決出来てよかったよ」

 

 伊藤(いとう)から連絡が来る前に、残っていた仕事のほぼ全てを片付けることが出来た。まあ、俺がしたことは相談という名目で、書類のチェック漏れの確認、コピー、種別ごとのファイリングと、補助的な手伝いをしただけで根幹は全て山田(やまだ)がこなした。これくらいなら大丈夫なはず。

 

「それより、急いだ方がいいんじゃないか。そろそろ――」

 

 ポケットのスマホが振動した。取り出して画面を確認。

 伊藤(いとう)から、メッセージが届いていた。内容は「今、温泉を出たところよ」という知らせ。

 

白石(しらいし)さんたち、宿舎に戻って来るってさ。土産物屋に寄るって書いてあるから、あと二十分くらいかな?」

「マジか!」

「ほら、急がないと。誕生日プレゼント」

「おう、行ってくる。じゃあまた後でな!」

 

 廊下を走って行く山田(やまだ)のあとを、窓の外に広がるライトアップされた雪景色を眺めながら歩く。すると再び、スマホが振動した。今度は、宮村(みやむら)からのメッセージ。買い出しへ行った玉木(たまき)たちが、飲み物を買い忘れたらしい。「了解、買っていくよ」とメッセージを打ち込み、飲み物を調達するため研修棟を出て、置かれている自販機のメーカーが多い宿舎のロビーへ向かう。

 ロビーに着くとちょうど、温泉から寝巻き姿の女子たちが帰ってきた。伊藤(いとう)に、パーティーの準備がほぼ終わったことを伝えて、人数分の飲み物を自販機で購入して一本ずつ近くのテーブルに置いていく。

 

「あら、まだ居たのね」

 

 白石(しらいし)たちと一緒に、パーティー会場の超研部の部屋へ行ったハズの小田切(おだぎり)が、やや大きめの手提げバッグを持って戻ってきた。

 

「どうしたの?」

「これよ。必要でしょ?」

 

 軽くバッグを持ち上げて見せた。なるほど、確かに飲み物を運ぶのに便利というより、人数分を運ぶには必需品。

 

「助かったよ。何にする?」

「そうね、温かいのがいいわ」

 

 飲み物をバッグへ入れて、俺たちはソファーに向かい合って座り、少しだけ会話。

 あの日から、二度目のデートから、小田切(おだぎり)と二人で過ごす時間が増えていった。生徒会で遅くなった日もバイト先に来てくれて、隣のファミレスで話しをしたり、時には買い物へ行ったりもした。それは、五十嵐(いがらし)が将棋部で活動することが多くなったのも要因のひとつではあるんだろうけど。それでも、前よりもずっと距離が縮まったことは、俺の勝手な思い違いじゃないと思う。

 

「それでね。今度、弟たちが受験なのよ。二人とも、うちの――」

 

 小田切(おだぎり)が言いかけたところで、三度スマホが鳴った。発信者は、宮村(みやむら)

 

「時間切れみたいだね」

「そ、じゃあ行きましょ」

 

 席を立ち、室外へ出たところで小田切(おだぎり)が立ち止まった。

 

「スマホ、部屋に忘れたみたい。先に行ってて」

「じゃあ、向こうで待ってるよ」

 

「ええ、わかったわ」と小田切(おだぎり)は頷いて、宿舎へ戻って行く。俺は、雪の降り積もる道を滑らないように慎重に歩いて、超研部の部室や会議室が入る研修棟へ。宮村(みやむら)にメッセージを打ち、小田切(おだぎり)が来るのを待つ。でも......。

 彼女は、なかなか現れなかった。

 外は、さっきよりも強く風が吹き、降る雪の量も確実に増えている。スマホを見ても、メッセージも着信もない。ここから宿舎まで50メートルもないけど、さすがに心配になる。

 迎えに行こうと、外へ出ようとした時だった。小田切(おだぎり)がやって来た。だけど彼女は、ひどく浮かない表情(かお)をしている。

 

「大丈夫?」

「ええ、平気よ。遅くなってごめんなさい」

 

 ――平気、と言う言葉とは裏腹に、声にはいつも覇気がなく、強がりということは容易にわかる。

 

「みんなが待ってるわ、行きましょ」

「ああ、うん、そうだね」

 

 テーブルに置いたバッグを持つため背を向ける。すると背中に軽い衝撃が走った。顔を見られないように伏せた小田切(おだぎり)は黙ったまま、背中の福をぎゅっと握っている。

 

小田切(おだぎり)さん?」

「――私、間違ってないわよね......?」

 

 この短い時間で、何があったのかは分からない。

 だけど、何か。彼女の心を大きく揺さぶるような何かが起きたことだけは、確かだったーー。



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Episode47 ~潮目~

 クリスマス冬合宿からひと月あまり、年を越して新しい年を迎えた。今年の冬は、最終的に暖冬とだったとされる去年と比べると、かなり寒い。特に新年に入ってからはより、冬らしい寒い日が増えて、都心の交通網に支障をきたすほどの積雪も記録した。ニュースに出演していた気象予報士の話では、日本列島全域で冷たいシベリア寒波が停滞していて、その影響を受けて、全国的に大寒冬となる見込みとのこと。

 この数年に一度の大寒波と同調するかのように、朱雀高校でも、安定を保っていた体制を揺るがす程の冬の嵐が吹き荒れていた――。

 

 

            * * *

 

「はぁ......」

 

 一月下旬、ある日の放課後。バイト先のフットサルコートのベンチに座っている小田切(おだぎり)が、大きなタメ息をついた。今日は、これで三回目。ここ最近は、ずっとこんな調子で心配になる。

 

「大丈夫?」

 

 声をかけると小田切(おだぎり)は、はっとした感じで顔を上げた。相当、重症。声をかけられるまで気づかなかったみたいだ。

 

「えっ? あっ、ええ、平気よ」

 

「それに、こうなったのは......」小声で何かを言いかけた後、淡い薄紅色の唇をキュッと結んで、深刻な顔で目を伏せてしまった。こんな姿で平気と言われても疲れが、特に心労の方が貯まっているのは目に見えて解る。

 年を跨いでから突如として勃発した、とある問題に、小田切(おだぎり)を含めた生徒会一同は、毎日下校時刻まで対応に追われていた。

 その問題は――現生徒会に対するリコール運動。

 現生徒会に不満を持つ一部生徒によるリコール運動は日に日に激しさを増し、既に全校生徒の1/3の署名が集まっていて、リコールに必要な過半数に到達するのも時間の問題になっている。このままの勢いで行けば来週の頭には過半数に届き、リコールが成立する見込み。そうなれば、指名制度を敷いている朱雀高校においては実に、40年振りの全校生徒参加(3年生は、3月で卒業のため不参加)の投票による、選挙戦へと突入することとなる。

 一応、生徒会と関わりのある俺としても、何か力になれればいいんだけど。そんな俺の思いを見透かしたように、いつの間にか顔を上げた小田切(おだぎり)は、心配するなと言うように、俺の右膝へ目を向けて微笑んだ。

 

生徒会(わたしたち)のことはいいから。あなたは、自分のことだけを考えて。ようやく、治ったんだから」

 

 そう、二年半という長い期間を経て、俺の右膝は完治した。

 故障当初の検査結果は骨折、脱臼及び、前十字靭帯部分断裂。骨折した場所が悪く、更に成長期と重なったことで、下手をすれば骨が曲がって再形成される可能性もあって、長い時間をかけての治療を余儀なくされた。しかも、治ったとしてもケガ以前のようなプレーを出来る保証もなかった。

 それでも、希望を棄てなかった。

 それは全て、あの日交わした、約束を果たすために......。

 

「あっ、そろそろ帰らないと」

 

 クラブハウスの外壁に掛かっている時計を見る。いつもよりも、少し早い時間。

 

「今日は両親が遅いから、弟に夕飯を用意してあげるの」

「受験って言ってたね」

「ええ、そうなの。まあ、二人とも、朱雀(うち)の高等部と中等部への内部進学だから、殆ど決まっているようなものだけどね」

 

 前のグループが予定時刻よりも早く切り上げたお陰で準備は済んでいるから、駅まで送って帰ってくる時間は充分あるけど、彼女はそれを望まない。先日同じようなことがあった時「バイト中でしょ。こういうことで迷惑はかけたくないの」と断られたことがあった。だから見送りは、敷地を出た歩道まで。

 

「じゃあ、また明日。気を付けて」

「ええ、ありがと。あっ、そうだわ!」

 

 駅へ向かって歩き出した直後、小田切(おだぎり)は何かを思い出したように、身を翻して戻ってきた。

 

「今日も、バイトが終わってからトレーニングするんでしょ。わかってると思うけど、私が見てないからって無理したらダメだからっ」

 

 やや上目使いでまっすぐ顔を見て、釘を刺された。

 バイト終わり、空いているコートを使わせてもらって、日課のランニングで汗を流していると、防球ネットの向こう側から、声をかけられた。

 

「まだ、続けるのか?」

 

 足を止めて、声の主を確認する。

 声をかけてきたのは、生徒会リコール運動の発起人の一人――五十嵐(いがらし)

 休憩がてら、クラブハウス前のちょうど風が当たらないウッドデッキで、話すことにした。五十嵐(いがらし)と最後に会ったのは12月の始め頃、今年に入ってからは初めて。あの日も今日と同じ、寒さの厳しい夜だった。

 

「久しぶり」

「ああ、しばらく」

 

 簡単な挨拶を交わしたあとベンチコートを羽織り、スポーツドリンクで水分補給、フェイスタオルで額の汗をぬぐう。冬だというのに、汗は拭いても拭いても溢れ出てくる。こういう時は、タオルを巻いてしまう方が楽。熱の通り道を作り、額にタオルを巻く。

 この様子を黙ったまま見ていた五十嵐(いがらし)は、手の中で握っていた緑茶のボトルをテーブルに置いた。

 

「お前、いつもそんなになるまで走っているのか?」

「ん? ああー、まあそうだね」

 

 小田切(おだぎり)が居ると、こうなる前に止められるから、彼女が居ない時限定になるけど。

 

「まだ、病み上がりだろう。少し飛ばし過ぎじゃないか?」

「オーバーワークなのは分かってる。だけど、実力(チカラ)を見せなきゃいけない」

「力?」

 

 うなづいて、逆に尋ねる。

 

「入学からずっと部活を頑張ってきてさ。最後の大会でいきなりレギュラーを奪われたらどう思う?」

「まあ、面白くはないだろうな」

「だろ。だから俺は、見せなきゃいけない。二年間本気でやってきたヤツらの、更にその上を行かないといけない。そうでないと、誰も納得しない。それでもし壊れたら、その程度だったってことだ」

「......なぜ、そこまで賭けられる? 所詮は、部活働だろう」

 

 確かに、学校の部活は教育の一環。もしまた故障したら、次はもっと深刻な状況に陥ることあるかもしれない。そのリスクを考えれば、これほど無謀でバカげたなことはないだろう。だけど――。

 

「譲れないことはある。たとえそれで、誰かを、大切な人を悲しませたり、辛い想いをさせることになったとしても。絶対に譲れないことはある。それは、お前も同じじゃないのか?」

 

 五十嵐(いがらし)は険しい表情で目を伏せ、小さく笑みを浮かべた。それはどこか自虐的に見えて、それでいて儚げで、まるで何かを悟ったような笑みに思えた。

 

「......そうだな。あいつは、小田切(おだぎり)は、俺を恨んでいるだろう。それとも、呆れているか?」

「むしろ逆、自分を責めてる。言葉には出さないけど」

 

 時折、酷く辛そうな表情(かお)をすることがある、見ていられないくらいの。

 

「......そうか、俺のせいだな」

 

 そういうと、黙りこんでしまった。五十嵐(いがらし)にも信念が、何か特別な事情があることは分かる。好意を寄せていたハズの小田切(おだぎり)を悲しませてまで、しなければならないほどの特別な事情が。けど、無神経に踏み込んでいいことじゃない。

 

「さてと、暇だったらちょっと練習付き合ってくれない」

「はあ?」

「ほら。もうそろそろ、球技大会だろ」

 

 毎年恒例、1月末に開催予定の球技大会。リコールが成立して選挙となれば、選挙後にずれ込むことも考えられる。どうなるにせよ、基礎体力強化を開始してひと月、現状どのくらい動けるかチェック出来るまたとない機会。

 

「ちょっと、実戦勘を取り戻しておきたくてさ。最近、フットワークばっかりだから」

「別に、構わないが......」

「サンキュ。あと本気で来てくれて構わないから、どうせ獲れないし」

「......ああ?」

 

 さっきまで辛気臭い顔をしていた五十嵐(いがらし)の表情がいっぺん、狙い通り挑発に乗って、ガチな顔つき変わる。

 

「上等だ、その鼻っ柱へし折ってやる!」

 

 客の居ないコートに入り、コートを脱ぎ捨て、腕まくりをしてやる気満々の五十嵐(いがらし)とやや距離を取って、向かい合う。

 

「じゃあ、行くよ」

「いつでも来い」

 

 センターサークル付近からボールを蹴り出し、五十嵐(いがらし)との距離を詰めてる。腰を落とし、半身に構えて守備体制に入った。挑発した甲斐があった、素速い反応でボールを奪いにくる。緩急にも喰らい付いて来る。

 ――これなら行けるか? 視線、重心、足下、複数のタイミングを計って、試したかった技を仕掛ける。バランスを崩して、片手をついた五十嵐(いがらし)の脇を抜ける。

 

「な、なんだ......今のは? 足が――」

「新技」

「狙ってやったと言うのか!?」

 

 驚いた顔をして、勢いよく立ち上がる。

 

「相当条件が揃わないと使えないけどね」

「条件?」

「そ。相手のフォローが居ない一対一であることと、相当反応の良い相手にしか使えない。五十嵐(いがらし)は、反射神経が良いから上手く嵌ってくれた」

「......褒められているのか、けなされているのか分からんぞ」

「いやいや、褒めてるって――」

 

 突如、右足に激痛が走った。あまりの痛みに、その場で両膝をついてしまう。

 

「つぅ......」

「お、オイ、どうしたッ!」

 

 五十嵐(いがらし)が、血相を変えて駆け寄ってきた。

 

「まさか、膝をやったのか!?」

「ふくらはぎつった......ちょーイテェー」

「......ハァ」

 

 心配して損したと言いたそうに、呆れ顔で大きなタメ息を漏らす。そんな顔されても、痛いんだから仕方ないだろう。

 

「悪いんだけどさ、肩貸してくれないか? マジで立てない」

「まったく、世話のかかるヤツだ」

 

 肩を借りて、コート脇のベンチまで連れていってもらう。

 

「後始末が済んだら、部活に戻る」

「了解。小田切(おだぎり)さんに伝えておく」

「......ああ。それと――俺も、前を見て歩くことにすると伝えてくれ」

 

 どういう意味なのかよく分からないけど、五十嵐(いがらし)は吹っ切れたのか、まるで付き物が取れたかのように、清々しい表情(かお)をしていた。

 そして翌週、潮目は大きく変わった。

 現生徒会のリコールが成立し、生徒の投票による選挙戦が行われることが正式に決まった。



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Episode48 ~告白~

「俺の責任だ。すまない......」

 

 生徒会長選挙前日の放課後、うちのアパートで行うことになった選挙対策は、五十嵐(いがらし)の謝罪から始まった。

 なぜうちで、選挙対策をすることになったかというと、たまたまバイトが休みで部屋にコタツがあるからという、とても安易な理由。それは別に構わないのだけれど、実は、コタツなら超研部の部室にもあるのだが。今は、安易に部室を使えない特別な事情がある。

 それは、白石(しらいし)伊藤(いとう)が、五十嵐(いがらし)と共にリコール運動を主導していた将棋部の男子、一条(いちじょう)政宗(まさむね)によって、“扇動”の能力をかけられてしまったための処置。“扇動”は、相手の不満を増幅させる能力。将棋部はこの能力を利用して、行き場のない不満が溜まった生徒を煽り立て、リコール運動を一気に加速させる手に出た。

 

「とりあえず、顔を上げろよ」

 

 なかなか頭を上げようとしない五十嵐(いがらし)を、宮村(みやむら)が諭す。

 

「しかし――」

「決定したことを、今さら悔やんでも仕方ねぇだろ」

「シドから聞いてるよ。オマエが、将棋部の説得に動いていたことはね!」

「そういうこった。ま、どんな事情があったかは訊かねぇでおくさ」

 

 宮村(みやむら)とナンシーの言葉を聞いた五十嵐(いがらし)は、もう一度「すまん」と謝って、ようやく顔を上げた。キッチンで四人分の飲み物を用意して、仕切り直し。

 

「問題は、明日の選挙本番だよ。勝算はあるのかい?」

「打てる手は打った。あとは、玉木(たまき)次第だな」

 

 宮村(みやむら)はリコールが成立直後に辞意を表明し、明日の選挙に出馬しない意向を表明した。その狙いは、反発が集中していた生徒会長を自ら降りることで、対立姿勢を全面に押し出して活動していた将棋部の思惑を崩し、玉木(たまき)を次期生徒会長に推薦した。

 

「オレの見立てだと、二人の支持は、ほぼ互角。明日の演説会で決まるだろう」

玉木(たまき)の応援演説は、寧々(ねね)がするんだったね。相手は、どんな奴がするんだい?」

「一年の萩原(はぎわら)だ」

「ああー、あのサルみてーに身軽ですばしっこいヤツか。演説が得意なタイプとは思えないけどな」

「おそらく、一条(いちじょう)と同様勢いだけの演説になるだろう」

「攻撃の対象だったオレは降りたんだ、劇的な効果はねぇさ」

「なら、問題なさそうだね」

 

 相手よりも小田切(おだぎり)の方が数段上手く話せると知って、ほっと肩を撫で下ろしたナンシーは、グラスに挿さったストローを口に運ぶ。しかし、五十嵐(いがらし)表情(かお)は相変わらず険しいままで、楽観の色は微塵も見受けられない。

 

「何か、気になることでもあんのか?」

将棋部(むこう)は、詫摩(たくま)が参謀として入れ知恵している。俺が降りたことで、何かしらの策を企ててくるはずだ」

詫摩(たくま)か、確かに厄介な相手だな」

 

 詫摩(たくま)(るい)、二年の男子生徒。並外れた天才的な頭脳の持ち主のため授業は免除、欠席、遅刻、早退も一切問われない特待生。実は、詫摩(たくま)とは少しだけ親交がある。これは今、触れるような関係性でもないから話す必要もない。

 ただ、一番の懸念は、リカの後継者が彼であり、“7人目の魔女”の魔女能力を継承しているということ。強力な記憶操作の能力に加え、並外れた頭脳が合わさる。そんな奴が相手側となれば、苦戦を強いられることは必至。楽観出来ないのは道理。

 

「あーあ、ナンシーが詫摩(たくま)に能力の情報を渡しちまったからなー」

「なっ!? 魔女の能力に関する記憶は消したって言っただろ!」

 

 相変わらずの緊張感のない調子で宮村(みやむら)は、ナンシーをおちょくる。普段と変わらないムダに爽やかな笑顔と軽いノリが、重苦しかった場の空気を変えてくれた。

 

「ま、いざとなればアタシが、一条(いちじょう)の記憶を全員から消してあげるよ」

「そんなことしなくても、奪っちゃえばいいんじゃない」

「はあ? 奪うって、何をだい?」

 

 首をかしげながら頭の上にクエスチョンマークを浮かべるナンシーとは対照的に、宮村(みやむら)は、俺の言いたいことをいち早く理解してニヤリと悪い笑みを見せる。

 

「なるほどな、盲点だったぜ......!」

「ちょっと、どういう意味だい? 分かるように説明しな!」

「思い出してみろよ。萌黄(もえぎ)さんの“読唇”の能力を、五十嵐(いがらし)()()()時のことをな」

「そうか。俺が、一条(いちじょう)の能力を奪えばいいのか!」

 

 そう。どういう訳か五十嵐(いがらし)は、儀式のあと玉木(たまき)と同じ、略奪の能力を得ている。使わない手はない。

 

「能力を奪えば、かけられた能力はリセットされる!」

「そういうこった。“扇動”の能力が消えれば、一条(いちじょう)を推す理由もなくなる。具体的な公約のない勢いだけの演説と、実現可能な目標を掲げる真面目な演説、朱雀(うち)の生徒はバカじゃない」

「けど、いつ奪うんだい? 選挙は、明日だよ」

五十嵐(いがらし)じゃなくて、玉木(たまき)が奪っちゃえばいいんだよ。最終演説会は、立候補者と推薦人以外は壇上に上がれないんだから、能力を奪うチャンスはいくらでもあるよ」

「当日その場でか、大胆な発想だな。けど」

「この上なく効果的だ。五十嵐(いがらし)のことは警戒してるだろうけど、その分玉木(たまき)に対する警戒は薄れてるハズだ。能力を奪われるなんて、夢にも思わないだろうぜ。駆け引きなしの直球勝負、おもしれぇーじゃねーか!」

 

 ま、注目を集まる壇上で男同士がキスするんだから、多感な年頃の女子の妄想のネタを提供することになるけど。玉木(たまき)には悪いけど、確実に当選してもらうために我慢してもらおう。

 

「よし。んじゃあ、さっそく玉木(たまき)に――」

「それは、無理だよ」

 

 明日の作戦が決まり、玉木(たまき)に作戦を伝えようと宮村(みやむら)がスマホを持つと同時に、ナンシーが異を唱えた。

 

「どういう意味だ?」

玉木(たまき)はもう、能力を持っていないんだ。未来予知の魔女、筑紫(ちくし)さんの協力のもと確かめたから間違いないよ」

 

 さらに「きっと儀式の時、一緒に失ったんだろうね」と続けた。まさかとは思ったけど、ナンシーがこんなウソをつく理由はない。

 

「マジかよ......」

「やはり、俺が奪いに行く。これは、俺にしか出来ないことだ」

「つっても、土壇場で寝返ったようなもんだから、簡単にはいかねぇだろ。ここは、三段構えで対処する。先ずは、五十嵐(いがらし)が能力を奪いにいく。成功すりゃ儲けもんだ」

 

「ああ」と、力強く頷く五十嵐(いがらし)

 

「二つ目は、当初の予定通り小田切(おだぎり)玉木(たまき)の演説。7割方行けると思うが、劣勢の場合は......」

「アタシの出番だね。任せときな、キレイさっぱり消したげるよ!」

「悪ぃな、頼む」

 

 その場合は、投票が行われる前に一度校内を出る。これなら、ナンシーのことを忘れないで済む。いざという時は、儀式で取り戻せばいい。

 

「っと、メッセージだ。小田切(おだぎり)?」

 

 宮村(みやむら)は、届いたメッセージを読み上げる。

 

「急に家の用事が入ったから、行けなくなったわ。だってさ」

 

 玉木(たまき)たちとの打ち合わせが終わったら合流するって言っていたけど、そういった事情なら仕方ない。

 

「ふむ」

 

 宮村(みやむら)はスマホをしまうことなく、空いている左手をアゴに添えて、スマホの画面とにらめっこしている。

 

「どうした?」

「いや、考えすぎだな。じゃ、とりあえず今日は解散ってことで」

 

 スマホをポケットにしまい、スクールバッグを担いで立ち上がり。ナンシーと五十嵐(いがらし)も、うなづいて立ち上がる。上着を羽織って、外まで三人を見送って部屋へ戻り、明日に備えて早めの就寝。

 そして、いよいよ選挙戦当日を迎える。

 

「スゲー賑わってんな!」

「お祭りみたいですねー」

「何ていっても、40年ぶりの選挙だからな。無理もねぇさ」

 

 掲示板や廊下には、立候補者二人のポスターが貼られていて。購買部では、サイリュームペンライト、名前を書ける無地のうちわ、装飾用のモール等の応援グッズ売り場が特設され、アイドルのコンサートさながら。行ったことないけど。

 ともあれ、どこもかしこも選挙ムード一色の校内を宮村(みやむら)山田(やまだ)滝川(たきがわ)の四人で一緒に歩いていると、五十嵐(いがらし)から「今すぐ、体育館へ来てくれ!」とメッセージを受け取った。最終演説会が行われる、体育館へ急ぐ。

 

「おわっ、スゲー人だ! こいつらみんな、演説聞きにきてんだろ!?」

玉木(たまき)先輩、一条(いちじょう)と激戦を繰り広げてますからね。クラスでも話題になってるし」

「そっか。遂に来たんだな、この日が......!」

 

 感極まっている山田(やまだ)滝川(たきがわ)を促し、入り口のすぐ近くに居た五十嵐(いがらし)とナンシーの元へ。

 

「来たか、マズイことが起きた」

「ってことは、奪えなかったんだな」

「それどころじゃないよ! 事態は、最悪だ! 寧々(ねね)が、悠理(ゆうり)の能力にかかっている......!」

 

 壇上でパイプ椅子に座っている玉木(たまき)の脇に立つ、小田切(おだぎり)を見る。能力にかかってる? 確か、悠理(ゆうり)ってヤツの能力は、相手を自在に操作出来る能力。

 

「やられた、そういうことかよ。昨夜の違和感の正体は、コイツか。おかしいと思ったんだよ、宮内(みやうち)やナンシーじゃなくて、()()にメッセージを送って来るなんてな! あの時にはもう、小田切(おだぎり)のヤツは操られてたんだ!」

詫摩(たくま)の入れ知恵だろう。おそらく、玉木(たまき)が不利になるような演説をさせるつもりだ」

「だろうな。投票直前の土壇場で裏切れば、浮動票を含めて一気に、一条(いちじょう)に流れるって」

 

 このままじゃ、二人が晒し者に――小田切(おだぎり)に関しては、裏切り者に仕立て上げられる。どうすればいい。どうすれば、この劣勢を打開できる。考えろ、何かあるはずだ。逆転の一手。

 

「先輩! このままじゃ、玉木(たまき)が負けちゃうっ!」

「わかってる! 悠理(ゆうり)を探すぞ! あいつらの思い通りにさせてたまっかよ!」

「でも、探すって。こんな、人混みの中を......」

「ナンシー、“7人目の魔女”の能力を俺にくれ。俺が責任を取る」

「いや、アタシがやるよ。大がかりになる。これだけの人数、アンタの手に負えないよ!」

「おい、お前ら、落ち着けって!」

「......待て。山田(やまだ)、考えがある」

 

 体育館を出ようとしていた、山田(やまだ)たちを呼び止める。

 

「二人は、朝比奈(あさひな)を探して舞台袖に連れて来てくれ。風紀委員長だから、体育館(ここ)に居るハズだから」

「はあ? なんでだよ? そんなことより、悠理(ゆうり)のヤツを――!」

「学校に居るはずないだろう。今ごろどっかのカフェで、余裕綽々にデカフェでも啜って早めの祝杯を挙げてるさ。小田切(おだぎり)さんの瞳を通してな」

「だな。オレがアイツなら、間違いなくそうしてる」

「......わかった、朝比奈(あさひな)を探して連れて行きゃあいいんだな!? 行くぞ、ノア!」

「あっ、はいっ!」

 

 人混みを掻き分けながら、朝比奈(あさひな)を探しに行った。

 

宮村(みやむら)黒崎(くろさき)たちに連絡して時間稼ぎさせて。舞台袖に居るんだろ」

「もう入れた。んじゃあオレは、設備室で暗躍してくるぜ」

「アタシたちは、どうすればいいんだ!?」

五十嵐(いがらし)は、宮村(みやむら)と一緒に下手(しもて)に回って。隙を見て、一条(いちじょう)の能力を奪ってくれ」

「オレが、館内のブレーカー落としてやる。窓には暗幕が貼られてるから一時的に真っ暗になる、そこを狙え。舞台袖に隠れて目をつむっとけよ? 闇に目を慣らすためにな!」

「ああ、わかった」

 

 宮村(みやむら)五十嵐(いがらし)も、準備に取りかかる。

 

「ナンシーは、ここで待機。いざというときは頼む......ゴメンね」

「いいって、また前と同じになるだけさ。アンタは、どうするんだい?」

上手(かみて)に回って、小田切(おだぎり)さんを止める」

「止めるったって、寧々(ねね)は操られてるんだよ?」

「大丈夫、実力行使で止めるから」

「実力行使......?」

 

 三浦(みうら)悠理(ゆうり)、あいつは昨夜、利と損を天秤にかけた。魔女を見分けられるナンシーの存在を恐れて、利を捨てて安パイに逃げた。作戦が漏れていないなら、若干分がある。急いで上手側のステージ前に向かうと、選挙管理委員を務める女子が、プログラムを持って出てきた。急がないと、操られている小田切(おだぎり)が演説を始める前に。

 

『それは、ただ今より――』

 

 司会が始まると同時に、上手の舞台袖に到着。サポート役の有栖川(ありすがわ)黒崎(くろさき)が舞台袖から、小田切(おだぎり)の様子を伺っている。

 

小田切(おだぎり)さんは?」

「あっ、先輩!」

「ダメだ、まったく聞く耳を持たない」

「あっちに行ってなさいって、怒られちゃいました~」

 

 反対側で待機している五十嵐(いがらし)と目が合う。五十嵐(いがらし)はスマホを見せて、首を横に振る。宮村(みやむら)の方は、まだかかりそう。

 

『それでは先ず、玉木(たまき)候補の推薦人、小田切(おだぎり)さん。演説をお願いします』

「はい!」

 

 返事をした小田切(おだぎり)は、ステージ中央の校旗が装飾された演台の前へ移動を始めた。

 

「マズイですよ!」

「くっ! もう、どうしようも出来ないのか!」

 

 まだだ、まだ何かあるハズ。辺りを見回す。見つけた、これだ。「生徒会解散総選挙、演説会」と記された横断幕を吊るしているロープに手をかける。

 

「これを落とす。二人とも、手伝って!」

「横断幕を降ろして、気を逸らすんだな!」

 

 しかしロープは、固定器具にガッチリ巻かれていて、二人がかりでも思うように上手くほどけない。

 

『突然ですが。みなさんは、この学校の――』

「ヤバイ、演説が始まったぞ! 原稿にない台詞だ!」

 

 今、完全に操られている。猶予は、残り僅か。間に合うか微妙なところ。

 

「二人とも、退いてください! えいっ!」

 

 有栖川(ありすがわ)がハサミで、ロープの補助している細めのサブロープを切った。思い切り引っ張った直後、バサッと大きな音と共に横断幕の上手側が傾き、半分ほど落下したところで止まる。

 

『えっ? ちょっとなによっ?』

 

 突然のハプニングに、演説をしていた小田切(おだぎり)だけじゃなく、観覧している生徒たちからもどよめきが起こる。

 

『み、みなさん、落ち着いてください!』

「ナイスだ、有栖川(ありすがわ)!」

「えへへ~」

 

 選挙管理委員があわてて、舞台袖へやって来た。有栖川(ありすがわ)はロープを切ったハサミを背中に隠し、白々しく話しかけ、黒崎(くろさき)も彼女の話に合わせる。

 

「こっちの細い方のロープが切れたみたいですねー。きっと劣化していたんデスよー」

「おいおい、しっかりしろよな。大事な演説だってのに」

「す、すみません、すぐに直しますので。立候補者と推薦人の方は一度、舞台袖へ下がって待機してください!」

 

 傾いた看板を選挙管理委員が直している間に五十嵐(いがらし)から、宮村(みやむら)の準備が整ったと合図が出た。これで五十嵐(いがらし)は、一条(いちじょう)に接近出来る。そして、ステージに居た小田切(おだぎり)たちが各々の陣営がある舞台袖へ戻って来た。

 

「やれやれ、なんだか気が抜けてしまったよ」

「ホントよ。あら、宮内(みやうち)くんじゃない。どうして、ここに居るの?」

 

 舞台袖に戻ってきた小田切(おだぎり)は、いつもと変わらない雰囲気。髪を触るしぐさも見慣れたいつもの小田切(おだぎり)そのもの。本当に操られているのか、疑いそうになる。

 

玉木(たまき)先輩、ちょっとお話がありますので。こっちへ来てください」

「ん、なんだい? 有栖川(ありすがわ)くん」

「いいから、早く来いっての」

黒崎(くろさき)くん。キミは、いつになったら僕を敬うんだい?」

「生涯ねぇーよ」

「キミというヤツは......!」

「まあまあ~」

 

 有栖川(ありすがわ)は、すれ違い様に「小田切(おだぎり)先輩のこと、お願いしますねっ」と小声で耳打ちして、言い合っている黒崎(くろさき)玉木(たまき)を奥へ連れて行った。

 

「ねぇ、なんなの?」

「えっと、二人だけにしてほしいって頼んだんだ。大事な話があって」

「えっ? そ、そう......」

 

 少し気恥ずかしそう目をそらした。

 

「それで、何かしら?」

「うん、実は――」

「お待たせしました。準備が整いましたので、ステージへお願いします」

 

 マズイ、思った以上に復旧が早い。優秀過ぎるも考えもの。山田(やまだ)たちはまだ、姿を見せないし、照明も落ちていないから能力も奪えてない。今は、少しでも時間を稼がないと。

 

「ハァ。話は、選挙が終わってからにしましょ。玉木(たまき)、行くわよ」

 

 玉木(たまき)を待つことなく、先にステージへ行こうと背中を向けた、小田切(おだぎり)の手を捕る。

 

「ちょっと待って!」

「な、なんなの? もう、行かなきゃいけないんだけど!」

 

 少し不機嫌になった。雰囲気も、いつもの小田切(おだぎり)と少し違う。間違いない。彼女の行動を操られている。そう確信を得た瞬間、突然、館内の照明が全て落ちた。いよいよ、作戦決行の時。

 

「今度は、停電? どうなっているのかしら、ちょっと行って来るわっ!」

 

 想定外のハプニングの連続に、悠理(ゆうり)はかなり焦っていると見える。とにかく、ここを離れようと必死。もう少し、もう少しだけここに繋ぎ止める。掴んだ手を半ば強引に引き寄せ、小田切(おだぎり)を抱きしめる。

 

「へっ? ちょ、ちょっと何するのよっ?」

 

 いくら三浦(みうら)の思い通りにさせないためとはいっても、いろいろ柔らかいし、すごく良い匂いがするし。落ちた照明は、一分ほどで戻った。おかげで、気持ちを切り替えられた。そこへ玉木(たまき)が、二人と戻ってくる。

 

「あんたら、なにしてんだよ。こんな時に......」

「分かってないですね、黒崎(くろさき)くんは。時に積極的にされるとキュンってなるんですよ、女の子は。もちろん、好意のある人だけ限定ですけどねー!」

「まったく、君たちは。どう考えても、拘束しているんだよ。悠理(ゆうり)くんに、好き放題させないためにね」

「そんなことわかってますよ。ネタに決まってるじゃないですかー」

「だから、玉木(たまき)なんだよ」

「どういう意味かな!?」

 

 生徒会室でよく目にした、緊張感の欠片もない掛け合い。その間も、小田切(おだぎり)は腕の中で抵抗を続けている。

 

「おい、連れてきた。ぞ?」

「いいなー。山田(やまだ)先輩、ノアのことをぎゅーってしてくださいよー」

「しねぇーよ!」

 

 仲むつまじく戯れる山田(やまだ)滝川(たきがわ)を完全にスルーした朝比奈(あさひな)は、俺たちのもとへ。

 

「悪い。小田切(おだぎり)さんの代わりに、玉木(たまき)の応援演説をして貰えないか?」

「ちょ、何をかってに――んっ......!?」

 

 反論させないため、胸元で軽く口を塞ぐようにする。

 

「訳ありだな。任せておけ」

「頼む」

 

 朝比奈(あさひな)は胸ポケットに差したメガネをかけて、期末試験前の勉強会と同じ戦闘モードに入る。あまりにも遅かったためか、選挙管理委員の女子が様子を伺いにやって来た。

 

「あのー、時間ですけど?」

「待たせたな。推薦人の小田切(おだぎり)が、体調を崩した。今から、保健室へ連れていく。演説は代わりにオレが行うが、構わないな?」

 

 女子は姿勢を正し、緊張した様子で頷いた。

 

「は、はい、風紀委員長、何も問題ありません! それでは、お願いします。玉木(たまき)候補もステージへお願いします」

 

 玉木(たまき)朝比奈(あさひな)は、ステージへ向かい。山田(やまだ)たちは、舞台袖で演説を見守る。

 

『二年の朝比奈(あさひな)だ。諸事情により、玉木(たまき)の応援演説を行うことになった』

 

 演説が始まっても、小田切(おだぎり)は抵抗を止めようとしない。ここまで来ても諦めない。余程の事情があるのだろうけど、俺にも引き下がれない理由がある。彼女の眼と耳を通して聞いているヤツに、感情を込めた強いの口調で語りかける。

 

「おい、聞いているんだろ」

「......えっ?」

「お前が、必死に何かを成し遂げようとしているのは分かる。だけどな――」

 

 抱きしめる腕により一層力がこもる。

 

「俺の女に手出すな」

 

 小田切(おだぎり)は一瞬身体を震わせ、抵抗が一気になくなった。力を緩めて抱いていた腕を離しても、俺の胸に顔を埋めたまま離れようとしない。

 どうしようかと思っていると、朝比奈(あさひな)の演説が終わると同時に、彼女は顔を上げた。

 

「大丈夫?」

「ええ、平気。一緒に行ってほしいところがあるの」

 

 

           * * *

 

 

 まだ演説会が続いている体育館を後に俺たちは、学校を出て最寄りの公園へやって来た。平日の昼前ということもあって、人はあまり居ない。

 

「こんにちは」

 

 ブランコに腰をかけていた朱雀の制服を着た男子が、声をかけてきた。

 

「お前が、三浦(みうら)か」

「はい。ですが、話の前に――」

 

 ブランコを降りると小田切(おだぎり)の前に立ち、側頭部に手を添えて突然、頭突きをした。鈍い音が響き、彼女は額を押さえて、その場にうずくまる。スゴい痛そう。

 

「い......いったぁ~いっ! アンタ、何すんのよっ!?」

「ああ、すみません、加減が上手くいかないもので。とにかくこれで、あなたに掛けた能力は解除しました。ご迷惑おかけして申し訳ありませんでした」

 

 あんなことを仕出かしたヤツと同一人物とは思えないほど、丁寧に頭を下げて謝罪した。

 

「あなた方を待つ間に連絡を受けました。こちらの演説は、目を覆いたくなるほどの酷い有り様だったそうです。この戦いは、僕たちの敗けです」

「認めるんだな」

「事実ですから。『目論見通り、選挙まで持ち込んだ。最後は正々堂々と戦うべきだ、不正で勝ったところで支持は得られない』。五十嵐(いがらし)先輩がおっしゃった通りでした。もう、どうしようもありません」

「......それで、あなたたちは結局、何がしたかったのよ?」

 

 赤くなった額を擦りながら、眉尻を上げた小田切(おだぎり)が尋ねると、三浦(みうら)は俺の方へ顔を向けて微笑んだ。

 

()()()()()()()()ですよ。それでは僕は、これで失礼します」

 

 スクールバッグを肩に背負い、そのまま振り返ることもなく公園を出て行った。

 

「あの子、結局何をしたかったのかしら?」

「さあ」

 

 でも、俺と同じ理由......か。

 

「戻ろう。もう、投票が始まる時間だ」

「待って!」

 

 歩き出そうとしたところで、袖を掴まれた。足を止めて小田切(おだぎり)を見る。

 

「なに?」

「......さっきのこと」

「さっき?」

「ほら、舞台袖で言ったじゃない。その、俺の女にって......。あれは、その、どういう意味で......」

 

 小田切(おだぎり)を見る。薄紅色に頬を染めて、でもどこか不安そうに大きな目を少し潤ませながら。それでも目をそらすことなく、まっすぐ俺を見据えて、答えを待っている。

 俺の答えは、最初から決まっていた。

 

「――本気」

 

 あの時本当は、もっと違うことを言おうと思っていた。だけど実際に口に出た言葉は、全然違う言葉で......。でもあの言葉は間違いなく、そうあれたらいいなという、俺の本心。

 だって俺は――初めて彼女と出会った日からずっと、彼女に恋をしていたんだから......。

 

「あなたのことが好きです。ずっと、好きでした。付き合ってください。友達としてじゃなくて、恋人として――」

 

 小田切(おだぎり)は一度顔を伏せてから戻し、告白の返事をしてくれた。お願いします、と――。

 

「出口調査だと、玉木(たまき)の圧勝だって」

「当然ね」

 

 宮村(みやむら)から送られて来た選挙速報の話をしながら、学校へ戻る。

 

「でもこれから、また大変だね」

「あら。私、生徒会には残らないわよ」

「え? そうなの」

「ええ、やりたいことがあるの」

 

 玉木(たまき)が、放っておきそうにない気がするけど「ちゃんと後任を推薦するから、文句は言わせないわ」と、小田切(おだぎり)は力強く言ってのけた。

 

「そうなんだ。小田切(おだぎり)さんのやりたいことって?」

 

 あまり聞かれたくないことだったのだろか。急に黙り込んでしまった。

 

小田切(おだぎり)――」

「......寧々(ねね)よ」

 

 可愛らしく口を尖らせながら上目使いで抗議。

 

「えっと、寧々(ねね)?」

 

 下の名前で呼ぶ。思わず疑問形になってしまった。

 照れくさそうに頬を真っ赤に染めながら一歩歩幅を詰めて隣に並んだ彼女、寧々(ねね)は、今まで見てきた中で一番の笑顔をだった。



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黄昏時の約束
Episode49 ~誓い~


 焦がすような日差しの夏が過ぎ去り、黄色や赤に色づいた木々の葉が、北からの冷たい木枯らしに吹かれて、茜色に染まる空を儚げに舞っている。いつまでも高い位置に留まり、中々沈まなかった太陽は日に日に短くなり、季節は夏から秋へと巡り。そして、冬へと移り変わり、街は日々様相を変えていく。

 そんな、どこか物悲しさを感じさせる初冬の黄昏時の景色はまるで、今の俺の心を鏡に写したかのようだった。

 

「お兄ぃ、お客さまだよ」

 

 控えめのノックのあと、妹の声。返事をして、窓の外からドアの方へ目を向ける。一呼吸開けて、ドアが開き。妹と一緒によく知った二人の客人が、部屋に入ってきた。三年間、何度も相見えた対戦相手であり、時には同じチームでプレーしたこともある好敵手朝比奈(あさひな)森園(もりぞの)

 

「よう、元気か?」

「先にすることがあるだろう。妹さん、これを」

 

 朝比奈(あさひな)は、色とりどりフルーツが盛られたバスケットを、妹に差し出した。

 

「あっ、すみません。ありがとございまーす」

「悪い、気を遣わせた」

「気にするな、当然の礼儀だ」

「そうそう」

「じゃあ、置いてくるね。ごゆっくりどうぞ」

 

 受け取ったバスケットの代わりに、茶と茶請けをテーブルに置いた妹が、部屋を出て行く。ベッドから体を起こそうとしたところで「そのままでいい」と、朝比奈(あさひな)に制された。二人はテキトーに座り、俺は枕を背もたれに腰かけたまま用件を伺う。

 

「それで、どうしたんだ?」

「見舞いに決まってるだろ」

 

 森園(もりぞの)はそう言ったけど、二人とも違う県出身。わざわざ電車を乗り継いで見舞いに来ただけとは思えないし、簡単な用件なら電話かメールで済む話。

 

「見透かされているな。察しの通り、お前に話があってきた」

「単刀直入に聞くぞ。お前、高校どこへ行くんだ?」

「高校?」

「当然誘われてるんだろ。やっぱ地元の静岡、清水、藤枝、浜松辺りか? それとも、越境か?」

 

 確かに今上げられた地域は、故障する前から誘われている。

 それにどこも、ケガを理由に話しを取り下げられたりもされていない。むしろ、ケガのケアの面倒も見てくれるという学校もあるくらい恵まれている。

 でも、俺は......。

 

「いや、俺は――朱雀に行こうと想ってる」

「ふーん、朱雀かぁ、って、どこだ?」

「俺の地元の名門進学校だ」

朝比奈(あさひな)の地元って、東京かよ! しかも、進学校!? てかそこ、強いのか?」

「いや、正直強いとは言えないな。十数年に一度の頻度で決勝リーグに名前が上がるが、例年は、良くて二次予選リーグ止まりだな」

「マジかよ......」

 

 森園(もりぞの)は、額に手を当てて天井を仰いだ。無理もない。サッカーとは無縁の学校へ進学しようとしているのだから。仮に在学中に膝が治ったとしても、名門から誘われている二人とフィールドで相見える機会はもう、二度と訪れないだろう。

 

「まあ、いいか。オレらで強くすれば」

「そうだな、万年予選止まりの弱小から全国制覇。ケツから捲るシナリオも悪くない」

「むしろ最高にカッコいいだろ。サクセスストーリーってヤツだな」

 

 二人の話は、まったく要領を得ない方向へと進んで行く。

 

「何を言ってるんだ?」

「決まってるだろ。オレたちも、お前と同じ学校に行くって話だ」

「同じ学校に行くって――」

 

 ――何を考えているんだ......?

 

「朱雀は、東京屈指の進学校だからな。親も反対はしないさ」

「そういう問題じゃない! お前ら、名門校から誘われてるだろ!」

 

 俺の心とは裏腹に、二人は笑みを見せて答えた。

 

「愚問だな、決まっているだろう。お前とは、敵として勝負してた時よりも、同じチームでプレーしてる時の方が何倍も面白かった。理由としては充分さ」

「そういうこと」

 

 正直、二人の気持ちは嬉しかった。こいつらとならきっと、どこであろうとも最高に面白い試合が出来る。でも、それは――。

 

「在学中に完治する保証なんてない......」

「ああ、わかってるさ」

 

 朝比奈(あさひな)の言葉に、森園(もりぞの)もうなづく。

 

「わかってない、何もわかってねぇよ! お前たちの三年間が、無駄になるかも知れないんだ!」

「そうかも知れないな、だから――」

 

 朝比奈(あさひな)は、俺の肩に手を置いて、穏やかな声で諭すように言った。

 

「無理矢理出ろなんてことは言わない。しっかり療養して、三年の冬に戻ってくればいい」

「お前が戻ってくるまで、オレたちが強くしとく」

「分かってる。お前の気持ちを無視して身勝手なことを言っているよな。でもな、俺たちはもう一度、お前と一緒にプレーしたいと本気で思ってる。だから、頼む。俺たちの選択を後悔させないでくれ」

朝比奈(あさひな)森園(もりぞの)......」

 

 ――この二人は、本気だ。

 競技者として一番成長出来る高校の三年間を、犠牲にしても構わないという覚悟を決めている。こんなことを本気で言ってくれるヤツは、きっと他に居ないだろう。二人の気持ちに答えたい、今、本気でそう思っている。けど、それは二人のためにはならないことも分かる。恵まれた環境で指導を受けられば、プロに届くポテンシャルを持つ、この二人の可能性を犠牲にしてまで――。

 

「......悪い」

「謝るな。俺たちが勝手に決めたことだ」

「そうそう」

「言っておくが。一番のネックは、森園(オマエ)の学力だぞ」

「ぬっ!?」

「あ、ははは......」

「おい、笑うなよ! オレ、そこまで頭悪くないからな!」

「悪い悪い」

 

 謝りながら思う、手術跡が痛むくらい心から笑ったのは、本当に久しぶりだった。

 

「安心しろ。俺が、マンツーマンで教えてやる」

「いやいや、お前、東京じゃん?」

「東京寄りの神奈川だろ? 静岡に比べれば、ずいぶんと近い」

「いやいやいや......」

 

 この数ヵ月後、俺たちは揃って朱雀高校へ進学が決まった。

 そして、引っ越しの前に誓いを立てた。

 高校生活三年間の間に、二人と同じフィールドに立ち、必ず全国の頂点に立つことを。



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Episode50 ~出会い~

寧々(ねね)視点になります。


 一年生の頃私は、(うしお)くんの願いで、他校生と暴力事件を起こした山田(やまだ)の説得を手伝っていた。山田(やまだ)が事件を起こしたのは、六月の始めのこと。下校中に絡んできたガラの悪い他校生たちを私が追っ払ったあと、その他校生たちに山田(やまだ)が暴力を振るい、乱闘騒ぎへと発展した。後日、乱闘騒ぎを目撃していた生徒からの通報を受けた生活指導の教師に呼び出された私は、あの場で見たことをそのまま報告した。

 結果、山田(やまだ)は、一週間の停学処分。

 だけど私はその、山田(やまだ)の処分が納得出来なかった。手を出したのは確かだけど、先に挑発するような態度を見せたのは他校生の方たちで。私も、他校生たちに絡まれて身の危険を感じたことを訴えたのにも関わらず、それがまったく、処分に考慮されなかったことに少なからず不信感を抱いた。

 先に手を出した方が悪いと言われれば、そうなのだけれど。でもやっぱりち納得出来ない部分があって、謹慎明けの山田(やまだ)が学校で孤立してしまうことを心配していた、(うしお)くんの協力することを決めた。

 そして謹慎明け後、山田(やまだ)と何度も話し合おうと何度も試みたけど、その度ヒドイ態度で拒絶された。理由のちに、実際他校生にしつこく絡まれていたナンシーが私たちの記憶を操作に失敗したことで生じた誤解だと判明したけど、あの頃は、そんなこと夢にも思わなかった。

 乱闘事件から三ヶ月が経ち、今なお、まともに話を聞いてもらえない状況が続いていた。二学期の始業式から一週間後の昼休み、中庭でお昼を食べて教室へ戻る途中で偶然で出会った(うしお)くんと例の件について話をしながら、廊下を歩いていた。

 

「まったく、いつになったらまともに話を聞くのかしら? クラブハウスで補習って聞いてわざわざ、夏期講習の申請してまで参加したのに、すぐにどこかに行っちゃうし!」

山田(アイツ)は、昔から頑固なところがあるからな。誰かが間を取り持ってくれれば話を聞くかも知れんが......」

「誰かねぇ」

 

 私も山田(やまだ)に避けられているから、二人の仲介役は担えない。それに乱闘事件以降、校内で完全に孤立しちゃってるから頼める人も居ない。

 そもそも、(うしお)くん以外に仲の良い友達とかいたのかしら? そんなことを想いながら階段を上っていると、廊下の死角から出てきた女子とぶつかりそうになった。とっさに身を引いて避けた、次の瞬間――。

 

「あっ......」

 

 足に掛かるハズの感触がなく、体が後ろへ大きく傾いた。

 

「――お、小田切(おだぎり)ッ!?」

 

 血相を変えて叫んだ(うしお)くんが、私に向けて手を差し伸べている。私は、その手を取れなかった。伸ばした手は虚しく空を切り、視界に写る二人がゆっくりと遠ざかって行く。

 身の危険を感じると、周りの動き全部がスローモーションに見えるって聞いたことがあったけど、あれは本当だったんだ。階段を転げ落ちるまでの間に、そんなどうでもいいことが頭に浮かんだ。でもそれはきっと、現実逃避のようなモノで......。

 ――私は、次の瞬間必ず訪れる痛みを覚悟してぎゅっと強く目を閉じた。

 直後、カランッ! とカン高い音が響き、その音とほぼ同時にドンっと体に衝撃が走った。だけど、不思議と痛みは感じない。

 

「大丈夫?」

「えっ?」

 

 (うしお)くんのものとは違う男子の声が、すぐ近くで聞こえた。目を開けると、目をつむる直前と同じ天井が視界に入った。私の体は、階段を転げ落ちることなく支えられていた。

 顔を動かして後ろを向く。支えてくれている男子と目が合った。

 私たちは、お互いに「あっ」と小さく声を上げて......。まるで時が止まったかのように、まばたきをするのも忘れて見つめ合った。

 

小田切(おだぎり)、無事か!?」

 

 突然聞こえた(うしお)くんの声で我に返った私は、自分の足で立って、ケガをしてないと伝える。

 

「え、ええ......平気よ。なんともないわ」

「そ、そうか」

 

 すると(うしお)くんはひとつ息を吐いて、安心したようすで胸を撫で下ろた。心配させてしまった。私を受け止めて支えてくれた彼は、階段の踊り場に転がっている松葉杖を拾っていた。

 

「あなた、ケガしてるのっ?」

「ああー、うん、ちょっとね。別に必要ないんだけど、主治医が持っていけって」

 

 私を気づかってくれた。けどこの人は、松葉杖が必用なほどのケガをしているのに、そんな大切な物を投げ出してまで私を受け止めてくれた。

 

「......あの、ありが――」

「あっ、あの、ごめんなさいっ。わ、私、急いでてよく前を見てなくって......!」

 

 お礼を言おうとしたところで、さっきぶつかりそうになった女子がものスゴく慌てた様子で、勢いよく頭を下げた。

 

「別にいいわ、私もちゃんと前を見ていなかったし」

「うむ、出会い頭だった。あれは、俺でも避けられなかっただろう」

「そういうことよ」

「でもでも――」

「ケガもないから気にしないで、いつまでも言っていると怒るわよ。それに、急いでいたんじゃなくて? 行かなくていいの?」

「――はっ! そ、そうでしたーっ、部室で待っていてもらっているんでした!」

 

 もう一度丁寧に頭を下げ、文化系の部室がある部室棟へ続く渡り廊下を早足で歩いていく。

 

「賑やかな子だったわね」

「ああ、そうだな」

 

 ウェーブの掛かった腰まで伸びる長くてキレイな髪を揺らして歩く女子を見送り、私は改めてお礼を言うため助けてくれた男子と向き合う。

 

「ケガがないみたいでよかったよ」

「あなたが助けてくれたおかげよ。ありがとう」

「いえいえ、どういたしまして。じゃあ気をつけてね、小田切(おだぎり)さん」

 

 優しく微笑みながら不意に名前を呼ばれて、胸がトクンとした。そうだったのね。私は忘れていたけれど、私たちは出会ってたんだわ。初めてキスをしたあの日よりも、もっとずっと前に――。

 あの日、階段を落ちそうになった日からひと月が経ったある日の放課後。あの時ぶつかりそうに女子、姫川(ひめかわ)そらさんが、折り入って話があるといって、私たちを手芸部へ連れていった。手芸部の部室には、ずっと話せなかった山田(やまだ)と仲違いになった原因のナンシーが待っていた。そこでナンシーから詳しい事情を聞き、山田(やまだ)(うしお)くんは無事に和解を果たした。

 その後私たちは何となく、手芸部で過ごす時間が増えていった。翌る日の昼休み、ふと、部室の窓から教室棟の屋上を見上げると、屋上のフェンスに松葉杖が立て掛けられているのを見つけた。

 ――もしかして、あの人かしら? 松葉杖があるんだから近くに居るわよね。

 ちょっとだけ探してみる。松葉杖の近くのベンチに、男子が三人いた。その中の一人が立ち上がって、振り向いた。

 あの人だった。私を助けてくれた人。フェンスに腕を預けて、少し眩しそうにして遠くを眺めている。不意に、あの人と目が合った。私のこと覚えていてくれたみたい、前と同じ様に、優しく微笑みかけてくれた。でも私は、予期せぬ再会に妙な気恥ずかしさを感じて、反射的に目を背けてしまった。

 ――って、何してるのよ、私。こんなの印象最悪じゃない。

 

寧々(ねね)、さっきから何を見ているんだい?」

 

 急に声をかけられたから、ちょっと驚いて声が上ずってしまった。

 

「な、何でもないわっ。ちょっと、空を見てただけよっ」

「え? 私ですか?」

 

 そんな私の声に反応したのは、声をかけてきたナンシーではなく、テーブルで裁縫をしている姫川(ひめかわ)さん「空」と「そら」で勘違いさせてしまったみたい。でも私は、姫川(ひめかわ)さんのことを「そら」って名前で呼んだことないんだけど、でも話題を逸らせたから結果オーライ。

 

「それにしても余裕あるね。試験前なのに裁縫なんて」

「半分あきらめてますので、あはは~......」

「そんなことじゃ、また補習になって、遊びに行けなくなるわよ。ほら見てあげるから、教科書出しなさい」

「は、はいっ!」

 

 慌てて机を片付け出した姫川(ひめかわ)さんの準備が整うまでの間に、私はもう一度屋上に目を向けた。だけど、もうそこには誰も居なくて。この日から私は、お昼や放課後に部室(ここ)へ来る度に、あの人を探してよく空を見上げるようになった。

 ナンシーが、私はよく空を見ていたと言っていたのは、そういう理由だったんだ。思い出してしまえば、とても単純な理由で。やっぱり私は、間違っていなかったんだ。

 

 

           * * *

 

 

「......ん、んぅ......こ、ここは......」

 

 気がつくと、白い天井と蛍光灯が見えた。体には布団が掛けられていて、ベッド周りを白いカーテンが仕切っている。さっきまで夢を見ていた私は、保健室のベッドで横になっていた。

 

「あ、起きたみたいだね」

 

 すぐ近くで声が聞こえた。顔を横に向けて見る。ベッド脇の丸パイプ椅子に、夢で見てたあの人が......宮内(みやうち)くんが――ううん、結人(ゆいと)くん......よね。

 実はまだ、ちょっと呼び慣れてなかったり。でも、つ、付き合っているんだもの、下の名前で呼ぶ方が自然よね? って誰に訊いているのかしら? 私っ! 慌てて体を起こして、ベッドに座り直す。

 

「おはよう、寧々(ねね)

 

 私の葛藤なんて知るハズもない彼は、あの時と同じで優しく微笑みかけてくれる。

 

「どうして、ここに居るの?」

「ナンシーが教えてくれたんだ。寧々(ねね)も、山田(やまだ)たちと一緒に記憶を取り戻すことにしたって」

「そう、ナンシーが......」

 

 選挙が終わり後日生徒会の引き継ぎが済むと、ナンシーと六人の魔女、それと山田(やまだ)(うしお)くんが記憶を取り戻す儀式を行うため、生徒会室へやって来た。

 そこで「寧々(ねね)は、どうする?」とナンシーに聞かれて、私も記憶を取り戻すことを決めた。失った真実を知るために。

 

「どう? 記憶を取り戻した気分は」

「そうね......」

 

 急に思い出して、不思議な感じというのが本音。でも、ひとつだけ確かなことがある。

 

「納得いかないことがあったわ」

「え、そうなの?」

「ええ、そうよ」

 

 私の不満はもちろん、一年生の頃に出会っていたことを教えてくれなかったこと。

 

「どうして、教えてくれなかったの!」

 

 身を乗り出して、問い詰める。

 

「だって、俺のこと忘れてるみたいだったし。俺だけが覚えてるのって何か、不公平な感じがして」

「ちょっ! そんな理由で黙っていたのっ?」

「でも、結果オーライだったでしょ」

 

 ――それは、確かにそうね。記憶がないのにそんなこと言われても信じるワケないし。むしろ力説されていたらドン引きしていたわね、間違いなく。

 そういう意味では、教えてもらえなくてよかったって言えるのかもしれない。

 

「それに。今は、こうして一緒に居れる」

「......うん」

 

 思わず、素直に頷いてしまった。

 ここが、二人きりの保健室でよかった。だって、きっと今の私は、恥ずかしさと嬉しさで顔が真っ赤になっている違いない。こんなの他の人には、絶対に見せられない。

 

寧々(ねね)......」

「ゆ、結人(ゆいと)くん......」

 

 私たちは、そのまま見つめ合い、お互いの心が通じ合っているのか、どちらからともなく自然と距離を縮めて行く......そして――。

 

「もう、気は済んだかい?」

 

 唇が触れ合う寸前、突如聞こえた声に私たちは飛び退いて距離を取った。

 ――もう、空気読みなさいよ、いったい誰かしらっ?

 やや不機嫌に返事をすると、一呼吸置いてカーテンが開いて、冷めた目をしたナンシーが入ってきた。

 

「記憶の方は、取り戻せたかい?」

「ええ、お陰さまでね!」

「そう睨まなくたっていいだろ。あのまま放っておいたら、いろいろ()を起こしそうだったからね」

「べ、別にいいでしょ? こ、恋人なんだから......」

 

 ――キスくらいしたって......。

 腕を組んだナンシーはやれやれ、と深く大きなタメ息をついた。

 

「ハァ、とにかく、そういうことは他でやりな。見つかったら、フォローのしようがないからね」

「えっと、ところでナンシー、二人は?」

「ん? 山田(やまだ)五十嵐(いがらし)も、まだ寝てるよ。向こうのベッドでね」

 

 結人(ゆいと)くんの質問にナンシーは、腕を組んだままアゴでカーテンで仕切られているベッドを差した。

 

「そっか、じゃあ頼めるかな? これから、バイトなんだ」

「ああ、任せときな。起きるまで面倒見といてやるよ」

「オレもいるぜ!」

 

 横からひょっこり、シドが顔を出した。

 居たのね、全然気がつかなかったわ。

 

「よろしく。寧々(ねね)は、どうする?」

「一緒に行くわ」

 

 結人(ゆいと)くんと一緒に学校を出て、フットサルコートへ向かった。彼が小学生相手にスクールをしている間私は、クラブハウス内からコートを見渡せるカウンター席に座って、時おり外の様子を見ながら、出された課題を片付けて待った。

 

小田切(おだぎり)

「あら、(うしお)くん」

 

 ここへ来て一時間近くが経ち、スクールも終わりに差し掛かった頃、(うしお)くんがクラブハウスへやって来た。

 

「もう、平気なの?」

「ああ、大丈夫だ。記憶を思い出して、いろいろなことに納得がいった」

「......そう」

「アイツはまだ、外に居るのか?」

「そうよ。でもそろそろ、あっ、終わったみたいね」

 

 スクールを受けていた子どもたちが、コートを出てクラブハウスに戻ってきた。結人(ゆいと)くんはコート上に散らばった、色とりどりのマーカーとコーンを片付けている。

 

「大変そうだな、俺たちも手伝うか?」

「ええ、そうね、そうしましょう」

 

 ノートを片付けて、席を立つ。

 

「あっ、小田切(おだぎり)ちゃーん」

「はい?」

 

 外へ出ようとしたところで、店長さんに呼び止められた。出入りしているうちに、ここのスタッフともすっかり顔馴染みになった。

 

「外に行くなら伝えてもらえる? 予定が変わったから、コート広げてって」

「はい、わかりました。伝えておきます」

「悪いね、あとで飲み物奢るから」

「プロテインならいらないわ」

 

 この人の奢るはいつも、プロテインドリンク。まったく、ことある度に在庫処分しようとするから油断も隙もない。

 

「おっと、じゃあそっちのイケメンくんに......」

「気持ちだけ受け取っておく」

 

 レジ裏で愉快そうに笑う店長を無視して、私たちはコートの結人(ゆいと)くんに用件を伝える。彼は「そっか、ありがとう」とお礼言うと、集めたマーカーコーンやボールをピッチの外にまとめて、コートを区切っている防球ネットを取り外し始めた。手伝って、手分けして外す。するとそこへ他のスタッフが、フットサルのゴールよりも大きいゴールを設置した。あっと言う間に、みっつあったコートが広いひとつコートに様変わり。

 

「ずいぶん広いコートになったが、これもフットサルなのか?」

「ソサイチっていう7人制のサッカー。ルールは、フットサルほぼ同じだけどね」

「へぇ、いろいろあるのね」

「おっ、さっすが仕事早いな。みんな、優秀だねー」

 

 ウェアに着替えた店長さんがコートに出て来た。

 

「店長、お疲れさまです」

「お疲れさーん。今日は貸し切りになったから上がってくれてもいいし、暇なら一緒にやっていってもいいよ。どうする?」

 

 と言うわけで私たちは、試合が始まるまでの間コートの隅を借りて、部活を行うことにした。久しぶりに、三人で部活。ボールを回しながら話題は明後日行われる球技大会に。

 

五十嵐(いがらし)は、球技大会何に出るの?」

「バスケだ」

「あら、フットサルじゃないのね」

「ま、何でもよかったんだが。背が高いという安直な理由でな」

「ははっ、そうなんだ」

「お前は、フットサルなんだろ?」

「実戦で回復具合を確かめる良い機会だからね」

 

 ちなみに私が参加する競技は、バレーボール。女子は、フットサルがなかった。体育館だから、結人(ゆいと)くんの試合に間に合えばいいんだけど。なんてことを話していると、コートには二十人近い人が集まって、各々アップを始めていた。

 

「そろそろ上がろうか」

「そうね」

「そうしよう」

 

 ボールを店長さんに返して、コートを出る。

 

「店長、お先です」

「はいよ、おつかれー。あっ、奥だけ電気消しといてー」

「わかりました。それじゃあ失礼しまーす」

 

 結人(ゆいと)くんが来るのを待ち、駅へ向かって歩道を歩く。

 

「参加しなくてよかったのか。今日なら、わざわざ球技大会で確かめるよりも――」

「いやいや、無理だよ」

 

 やや食い気味で、結人(ゆいと)くんは否定した。

 

「仮に足が万全でも、かなりキツい」

「そんなに上手な人たちなの?」

「ぶっちゃけヤバイね。今の俺なんて、足下にも及ばないよ」

「お前が? それほどなのか?」

「現役のプロはいなかったけど、チームに入っていたり、実業団(ノンプロ)の一部リーグでプレーしてる人も居るからね。高校レベルなんて遥かに越えてるよ」

 

 よくわからないけど、結人(ゆいと)くんがそう言うなら、きっとスゴい人たちが集まっていたのね。

 

「そうなのか。さて、じゃあ俺はこっちだ」

「おつかれ」

「お疲れさま、(うしお)くん」

「じゃあな」

 

 別に道へ入って行った(うしお)くんを見送って、私たちは再び歩き出す。

 

寧々(ねね)は、バレーだよね?」

「ええ、そうよ。応援に行くから、すぐに負けちゃダメよ」

「了解。でももし、A組と当たったら?」

「そんなの決まってるじゃない。クラスの応援をするわ」

「そっか」

 

 ちょっと残念そうな表情(かお)した。なんだか嬉しくなる。

 

「表向きはね」

「ん?」

「だ、だから、こっそり応援してるからっ。だから、絶対勝ってよね......!」

「了解、勝つよ」

 

 そう言うと優しく手を握ってくれた。スゴく温かい。私も握り返す。

 真冬の夜は、風が強くて、痛いほど冷たくて、スゴく寒いけど。繋いだ手から伝わって来る彼のぬくもりは、私の手も、心も暖かくしてくれる。



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Episode51 ~お守り~

 球技大会前日の放課後、日もすっかり暮れて、頬を刺すような冷たい夜風が吹く、バイト終わりの帰り道。冬場限定で青系色のイルミネーションで装飾された商店街を、今日は、部活仲間の二人の他に、宮村(みやむら)滝川(たきがわ)も一緒に歩いている。

 宮村(みやむら)は同じく、フットサルに参戦するため軽めの練習を。滝川(たきがわ)は、バスケの練習で遅れて来た五十嵐(いがらし)に付いてきた。その、理由は――。

 

「にしても。まさか五十嵐(いがらし)が、“7人目の魔女”になったなんてなー」

 

 宮村(みやむら)の話した通り。五十嵐(いがらし)はナンシーの能力を奪取(キャプチャー)して、女子側の“7人目の魔女”になった。それは先日、記憶を取り戻した日の出来事で、選挙戦の騒動と共に、ナンシー側の魔女たちに迷惑をかけたことに対しての、五十嵐(いがらし)なりのけじめ。現場を目撃していた滝川(たきがわ)の話によると、不意打ち同然で奪ったらしく、当然、ナンシーは憤ったそうだが。山田(やまだ)の説得もあって、最終的に彼女が折れた。

 

(うしお)くんのこともびっくりしたけど、私は、あなたが観測者(スポッター)になったことの方に驚いたわ」

「うん、確かに」

 

 寧々(ねね)の意見に同意して頷く。俺や寧々(ねね)宮村(みやむら)も、五十嵐(いがらし)が“7人目の魔女”になったことは今日知ったし、スポッターの件も相談はなかった。

 

「それは、コイツがいきなりだな――」

「そんな......ノアのキスされるの嫌だったんですかぁ~。せんぱい、ヒドイですぅ」

 

 ネコ撫で声でよよよ、とわざとらしさ全開の泣きマネした。

 

「お前の目的は、山田(やまだ)だろうが!」

山田(やまだ)? (うしお)くん、どういうことなの?」

「スポッターになれば、魔女だけじゃなく、山田(やまだ)の居場所も把握できるからだ」

「なるほどね」

 

 観測者(スポッター)になれば、山田(やまだ)を探し回る必要もないし、彼女にとっては都合が良いと。実に合理的な理由だった。

 

「でも、山田(やまだ)白石(しらいし)さんと付き合ってるんだから――」

「ノアは、先輩の妻ですから、夫を管理するのは妻の努めてですので! あの無数の星々がまたたく無限に広がる宇宙の様に心が広いノアは、ちょっとの火遊びくらい容認してあげますよー」

「あ、そう......」

「はははっ、タチの悪りぃーストーカーだな!」

「妻ですって」

 

 まったく臆せず平然と言ってのける滝川(たきがわ)に、寧々(ねね)は呆れ表情(かお)宮村(みやむら)は可笑しそうに笑い、五十嵐(いがらし)はやれやれと深いタメ息をついた。まったく、逞しい子だ。

 

「それは置いておいて、問題が起きたらちゃんと協力しますよー。五十嵐(いがらし)先輩の、スポッターとして」

「......まあ、それに関しては助かるが」

「と言うことで先輩、ノア、おいしいスィーツが食べたいです、先輩のおごりで! そこのコンビニに入りましょー」

「何で俺が――って、オイ放せ、引っ張るな!」

 

 腕を掴まれた五十嵐(いがらし)は強引に、駅の向かいのコンビニへ連行されてしまった。店に入る直前、宮村(みやむら)が声をかける。

 

「おーい、オレたち先に帰るぞー」

「はーいっ、おやすみなさーい!」

 

 返事を返した滝川(たきがわ)は抵抗する五十嵐(いがらし)の背中を押して、コンビニに入り。観念したらしく、滝川(たきがわ)の後を渋々、冷蔵棚が設置されている店の奥へ歩いていく。

 

「さて、じゃあ行くか。小田切(おだぎり)は、(ここ)だろ」

「ええ、そうよ」

「それじゃあな。行こーぜ」

 

 くるっと踵を返し、自分の家とは違う方向へ身体を向けた宮村(みやむら)を、寧々(ねね)が呼び止める。

 

「ちょっと待ちなさい。あなたの家は、そっちじゃないでしょ?」

「オレ今日は、宮内(みやうち)ん家に泊まるからな」

「はあ?」

 

 初耳だ。突然のことに、思わずすっとんきょうな声が出てしまった。

 

「あなたね。明日は、結人(ゆいと)くんにとって大事な日なのよ!」

「わかってるって。んな遅くまで付き合わせねぇよ」

「......ホントでしょうね?」

 

 眉をややつり上げて、疑いの眼差しを宮村(みやむら)へ向け続けている。

 

「そんなに気になるなら、一緒に泊まればいいじゃん」

「――なっ!?」

「おいおい、何を言い出すんだよ」

「別に。つーか、お前ら付き合ってんだから普通じゃね? 安心しろって、ダチの女に手ぇ出したりしねーからさ......!」

「あ、あ、当たり前でしょ!」

「なら、問題ねぇじゃん」

 

「いや、そもそも論点が変わってるから」なんて突っ込みもむなしく、完全に宮村(みやむら)のペースで話は進んで行き、結局――。

 

「着替えどうする? スウェットならあるけど」

「大丈夫だ、家から持ってきてる」

「用意がいいな」

 

 軽く持ち上げて見せたバッグから部屋着を取り出し、お構いなしに着替え始めた。結局宮村(みやむら)は泊まることになり、寧々(ねね)は自宅へ帰った。

 

「とりあえず、おめでとさん」

「サンキュー」

 

 自宅近くのコンビニで買ったジュースで、乾杯。グラス同士が軽くぶつかり、カランッと小気味良い音を奏でる。

 

「で、どうよ?」

「いまのところ問題ない。本格的なトレーニングを始めたけど、痛みもないし――」

「そっちじゃねぇよ。小田切(おだぎり)とのことだっての」

「そっちかよ」

 

 白い歯を見せながらニヤニヤと、茶化す気満々な笑みを見せる。でもそれは僅かな時間で、すぐに爽やかな笑顔に変わった。

 

「よかったな。ずっと想ってた相手に気持ちが届いてよ」

「......ああ、ありがと」

 

 改めて、もう一度乾杯。

 

「最初聞いた驚いたぞ」

 

 寧々(ねね)の虜の能力が効かなかったことに疑問を持った宮村(みやむら)が、その理由を聞きに来た時のことだろう。虜の能力は、好意持っていない相手を強制的に意識させる能力。だから、元々好意を抱いていた相手に対して、改めて“虜”になるも何もない。だから俺は、いつもと変わらなかったんだと思っている。

 

「理由が分かれば、単純なことだったろ?」

「まーな。でもオレ、お前の話を聞いた時、絶対白石(しらいし)さんのことだと思ってたんだけどなー」

「もちろん好意はあるよ。恋とかそういう感情とは、ちょっと違うけど」

「ふーん。それで、小田切(おだぎり)のどこに惚れたんだぁ?」

 

 前言撤回、やっぱコイツ茶化す気満々だ。

 宮村(みやむら)からのセクハラ紛いの追求をのらりくらりとテキトーにやり過ごして、半ば強引に話題を明日の球技大会へ変える。

 

「やっぱ、サッカー部が居るクラスは強いんだろ?」

「ああ。今年の球技大会には、部員のほぼ全員がエントリーしてる。中でも要注意は、エースの森園(もりぞの)が居るD組、レギュラーが三人居るH組、正キーパーが居るF組。それと――」

朝比奈(あさひな)率いる“A組”だな」

 

 そう、一番強いのは間違いなく、A組。奇しくも、寧々(ねね)のクラス。俺たちC組にもサッカー部は居るけど、総合力を比較するとA組の方が一枚も二枚も上、上であげた他のクラスと比べても頭ひとつ抜け出ている。

 

朝比奈(あさひな)を崩すのは至難の業。まともに行ったら、相手にならない」

朝比奈(あさひな)って、そんなにスゲーのか?」

「統率力、的確な読みの一対一の強さ、180オーバーの長身を活かした空中戦。時にはオーバーラップを仕掛けて自ら、得点にも絡む。中学の時は、持ち前の統率力でまとめあげた鉄壁の守備陣は既に中学レベルを遥かに超えてた。そのプレースタイルからスカウトの間じゃ、リベロというポジションを確立した西ドイツの英雄を準えて、“小皇帝”とまで評価されていた程だよ」

「そらまたえらく大層な称号だな」

「そのくらい魅力的な選手ってこと。複数の名門からスカウトがあったし、プロの株組織ユースへ進んでいれば今頃、プロデビューしててもおかしくない」

「マジかよ。けどよ、中学ん時は勝ったんだろ? 全国制覇したってんだから。その時は、どうやって攻略したんだ?」

「簡単に説明すると逃げた」

 

 まともに勝負しても、鉄壁のディフェンス陣を崩すのは至難の業。そこで、ロング・ミドルレンジからシュートを打ち続けて、マークへ行かざる状況を作り出し、デフェンス陣を誘い出した。前のめりになったディフェンスラインの裏を突き、奪い取った虎の子の一点を守り抜いた。

 

「それで、逃げか。作戦勝ちだな」

「ただ、同じ策は通じない。フットサルは、コートも、ゴールも小さいし、オフサイドもない」

「誘い出す程の脅威にはならないってことか。ふむ」

 

 だから、どこかで必ず勝負しないと勝てない。となれば不安はあるけど、五十嵐(いがらし)を相手に成功させた、あの新技を使うことも選択肢に入る。リスクのない勝負に、リターンはない。

 寧々(ねね)と交わした約束を果たすためにも。

 

 

          * * *

 

 

 球技大会当日。フットサルの試合は、体育祭の時と同じ芝のグラウンドで行われている。大会ルールーは少し異なり、クラス対抗戦。トーナメントと、総当たり戦を組み合わせた複合形式で行われる。

 同学年20クラス弱が参加。初戦の組み合わせのみ、クジで決定。勝ったクラスは上へ、負けたクラスは下へと進む。数多く勝ちあがったクラス同士で1位から3位を決める総当たり戦。敗戦したクラスも二つの組みに別れ、最終的な順位が決定。

 初戦、二戦共にサッカー部の少ないクラスに当たったこともあって、午前のトーナメントを無事に勝ち上がった俺たちC組は、午後の1位から3位決定戦に駒を進めた。

 そして、昼休み。中庭の芝生でレジャーシートを敷いて、プロの料理人並みの腕前の椿(つばき)と、女子たちの手作り弁当をいただいて昼食。

 

「ちゃんと勝っているわね」

「クジ運が良かったのもあるけどね」

「オレのお陰だな!」

「なによ、偉そうに」

「事実だしな。うまっ!」

 

 確かに、感覚を確かめつつ徐々に慣らして行くには最高のスタートだった。もし初戦で朝比奈(あさひな)森園(もりぞの)、レギュラー陣と当たっていたらどうなっていたことやら。宮村(みやむら)のクジ運に感謝。

 

「それで、お前たちの相手はどこになったんだ?」

「A組とF組」

 

 五十嵐(いがらし)の質問に答える。すると五十嵐(いがらし)は腕を組んで、軽く首をかしげた。

 

「AとF? 俺のクラス負けたのか?」

「レギュラーが三人居た五十嵐(いがらし)のH組は、F組のキーパーを崩せなくて最終的にジャンケンで負けたよ」

「へぇ、引き分けの場合はジャンケンなのね」

「......呆気ない終わり方だな」

「ところで、優勝出来そうなの?」

「うーん......」

 

 頭の中で分析しながら、寧々(ねね)が作って来てくれた弁当のおかずに箸を伸ばす。うん、冷えててもしっかり味が染みてて美味い。

 肝心な試合の方は午前に見た感じ、キーパーさえ崩せばいいF組はどうにかなる。けど、寧々(ねね)のクラスで朝比奈(あさひな)が率いるA組は厳しい。初戦を8点差つけて圧勝した、森園(もりぞの)たちのクラスを完封した。

 

「やってみないとわからないけど、とりあえず大差はないかな。一点勝負になると思う」

「そう」

「そこは、絶対勝つって言っときなさいよー」

 

 伊藤(いとう)にダメ出しされた。でも、事実なんだから仕方ない。

 

「つーか、二年以上のブランクあるのに良い勝負出来るって言えるのがヤバイな。なあみやむー、宮内(みやうち)ってそんなにスゲーのか?」

 

 野球グラウンドでソフトボールに参加している椿(つばき)が、宮村(みやむら)に尋ねた。

 

「体育祭、見てなかったのか? オレたち、決勝まで行ったんだぜ」

「おれそん時、お前らのこと知らなかったし。早々に負けてふて寝してたからなー」

「そう言えば、椿(つばき)くんが超研部に入ったのは夏休みだったわね」

「そうそう、白石(しらいし)さんの言う通り。だから、よく知らないんだ」

「あーそうか、そうだなー」

 

 宮村(みやむら)椿(つばき)が話している間に、五十嵐(いがらし)山田(やまだ)が席を立った。

 

「そろそろ、時間だ。俺たちは行く」

(うしお)くん、山田(やまだ)に負けちゃダメよ」

「当然だ、ダブルスコアで圧勝してやる」

「なんだと、返り討ちにしてやるからな!」

「フッ、午前の無様なプレーを見る限りあり得んな。まあ、あれが実力といえばそれまでだが」

「ああ゙ん!?」

 

 分かりやすい安い挑発に、山田(やまだ)がキレた。

 

山田(やまだ)くん、お弁当片付けたら応援に行くから」

「お、おう!」

「置いて行くぞ」

「あ、オイ待てよ、(うしお)ッ!」

 

 言い合いをしながら体育館へ歩いていく。そんな二人の後ろ姿を見て、白石(しらいし)は優しく微笑んでいる。

 

山田(やまだ)くんと(うしお)くん、仲直り出来てよかったわね」

「ええ、そうね」

「うーん......ねぇ、うららちゃん」

「ん? なに」

「うららちゃんと山田(やまだ)って、何でまだ苗字で呼び合ってるの?」

「えっ?」

「だって、付き合ってもう4ヶ月くらいでしょ? 寧々(ねね)ちゃんと宮内(みやうち)はもう、普通に下の名前で呼び合ってるし」

 

 何だか分からないけど、飛び火しそうな話題になった。さっさと逃げろ、と俺の勘が言っている。急いで弁当の残りを食べて、お茶で流し込む。

 

「試合見ておきたいから行くよ。美味しかった、ありがとう」

「お粗末さま。終わったら見に行くから」

「了解」

 

 宮村(みやむら)に声をかけて一人先に、試合が行われるグラウンドへと向かった。

 

 

           * * *

 

 

 午後は予定通り、順位決定戦。先ずは下位グループの順位決定戦から行われ。二つのコートで三試合ずつ行い最終順位を決定。続けて、上位グループの試合。俺たちは先ず、レギュラーキーパーが率いるF組と試合に臨んだ。

 さすがは正ゴールキーパー、簡単には崩せなかったが少ないチャンスを確実にモノにして勝利を納めた。先ずは一勝、優勝に王手をかける。

 

「試合終了ー! A組の勝ち」

 

 F組とA組の試合は、A組が勝利。C組とA組が一勝で並び、二敗したF組の三位が決定。次の試合で優勝が決まる。

 

「やっぱ、A組が来たな」

「ああ」

 

 試合を見て、改めて思った。朝比奈(あさひな)森園(もりぞの)も、中学の時より数段レベルアップしている。お世辞にも強いとはいえないこの学校で、ここまで成長するなんて、いったいどれ程の努力を重ねて来たんだろう。

 俺は、コイツらを絶対に裏切らない――。

 

「おっ、小田切(おだぎり)たちが来たぞ。おーい、ここだー!」

 

 宮村(みやむら)が手招きして、寧々(ねね)たちを呼ぶ。

 

「おつかれさん」

「ホント疲れたわー。宮村(みやむら)、このスポーツドリンクちょうだい」

「自分で買ってこいよ」

「あ、私のあげるわ。一本余分にあるから」

「うららちゃん、ありがとーっ」

寧々(ねね)も、お疲れさま」

「ありがと。それで、どうなったの?」

「次勝てば優勝だ。相手は、A組な」

「あら、やっぱりそうなのね」

「んで、どっちを応援するんだー?」

 

 答えは決まっていると分かっているのに、宮村(みやむら)は三人に尋ねる。

 

「もちろん、ウチのクラスに決まってるじゃん! ねー」

「うん、私もC組を応援するわ。寧々(ねね)ちゃんは?」

 

 ――寧々(ねね)ちゃん? 白石(しらいし)寧々(ねね)へ呼び方が「小田切(おだぎり)さん」が「寧々(ねね)ちゃん」に変わっている。

 

「自分のクラスを応援するわ。表向きはね」

「そういうワケだから絶対勝ちなさいよね、ミヤミヤコンビ!」

「もちろんそのつもりだって。んじゃ行こうぜー」

 

 膝のサポーターを巻き直し、準備を整えて立ち上がる。

 

「あ、ちょっと待って」

 

 寧々(ねね)に呼び止められた。

 

「先に、行ってるぞー」

「アタシたちも先に応援席に行くからー。うららちゃん、行こー」

「うん」

 

 伊藤(いとう)宮村(みやむら)が、ニヤつきながら白石(しらいし)を連れて先に行く。

 

「もう!」

「あはは......それで、どうしたの?」

「これよ」

「お守り?」

「足の神様を祀ってる神社の健康祈願のお守りよ。効果は、実証済みだから」

「そっか、ありがと」

 

 受け取ったお守りは、ケガをした右のポケットにしまう。

 

「じゃ行こうか」

「カッコいいところみせてよね」

「了解」

 

 寧々(ねね)は、白石(しらいし)たちが待っている応援席へ。俺は、ピッチ前のベンチ前でストレッチしている宮村(みやむら)たちのところへ向かった。

 

「集合ー!」

 

 審判役のサッカー部員の号令。。

 

「よし、行くかー」

「ああ」

 

 ポケットにしまったお守りに軽く触れて、チームメイトと共に、鮮やかなグリーンの芝に白いラインと映えるピッチに、足を踏み出した。



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Episode52 ~恋人のキス~

 球技大会から休日を挟んだ週明けの登校日、今日は朝から学校中が、普段とは違う雰囲気を漂わせている。特に男子たちはみんな、どこかそわそわして挙動不審に近いやつもいる。

 それは今日が、2月14日所謂バレンタインデーだから。思春期真っ只中の学生にとって、この日は男女共に高校生活三年間の中でも重大なイベントのひとつ。お菓子作りが趣味の寧々(ねね)は、白石(しらいし)たちに教えながら一緒に作ると言っていた。期待していないといえば嘘になる。

 ただ俺は、ひとつだけ懸念が頭を過っていた。それは、チョコを貰えるか否か以前の理由で、去年勃発したあの惨劇が再び繰り返されないかということ――。

 

「すんごい数ねぇ。いったい、いくつ貰ったのよー?」

 

 急遽自習になった四時限目の終わり頃、ノートや参考書を広げた机の上のスペースに頬杖をつきながらやや呆れた様子で、伊藤(いとう)は机の横にかけられた紙袋からはみ出た、キレイにラッピングされている菓子の箱や袋に目を向けた。

 

「さーな、いちいち数えてねぇよ。どうせ殆どが、球技大会の結果に乗じた遊びだからな」

 

 タブレット端末を片手に宮村(みやむら)は、興味なさげに答える。

 

「優勝パワーか、なるほどねぇ。でも、薄情過ぎない? 手作りもあるのに」

「んなこと言われても、本命の相手からは貰えてねーし」

「ん? 何アンタ、好きな子いたの?」

 

 食い付いた伊藤(いとう)宮村(みやむら)は一瞬ニヤっと悪い笑みを浮かべると、口を手で覆い若干流し目で想い人の名前を口にする。

 

「そんなの、伊藤(いとう)さんに決まってんだろ。皆まで言わせんなよ」

「あ、ごめん、シスコンはないわ」

「シスコンじゃねぇよッ!」

 

 弄るつもりが逆に弄られる始末。突然の発狂に驚いたクラスメイトたちに対して、原因の一人である伊藤(いとう)は「ごめんねー」と、手を合わせて謝罪。ほぼ同時に、授業の終わりを告げるチャイムが、教室中に鳴り響いた。

 

「終わったー。さてと、そんなことは置いておいて、お昼にしましょっ」

「とんでもねぇ爆弾投下しておきながら、そんなこと扱いですませんなよ」

「はいはい、お詫びにあとで、チョコケーキあげるわよ」

「安い詫びだな」

「なによ、不満なわけ? 言っておくけど、美味しいんだから。うららちゃんも、寧々(ねね)ちゃんも、美味しいって言ってくれたし!」

「ふーん」

 

 伊藤(いとう)が作ったのは、チョコケーキ。一緒に作った二人は、何を作ったんだろう。何てことを考えながら、弁当を片手に、廊下を歩く。

 

寧々(ねね)ちゃん、気合い入ってたわよ。味見したけど、すんごい美味しかったんだから」

 

 そう聞かされると、ますます気になる。放課後が待ち遠しい。

 

「てゆーか、寧々(ねね)ちゃんって反則よねー」

「反則? 何が?」

「だって、美人だし」

「胸デカイしな」

「料理も、お菓子作りも得意で家庭的だし」

「胸デカイもんな」

「成績も良いし」

「胸――」

「く、悔しくなんてないんだからーっ!」

 

 伊藤(いとう)が発狂した。しかも、ちょっと涙ぐんでるし。どっちに対しても、セクハラ発言。もし寧々(ねね)が今、この場に居たら絶対軽蔑されてたことだろう。階段に辿り着いたところで、別々に分かれる。階段を上がっていつものように屋上へ向かい。二人は渡り廊下を通って、超研部の部室へ向かった。

 屋上へ出る。寧々(ねね)たちは、レジャーシートを敷いて待っていた。今日は、いつも吹いている北風は穏やか。青い空から降り注ぐ日差しは、まるで春の様に温かいとは言っても、もう暦の上では春だから間違ってはいないのだけれど。

 

「へぇー、バンド始めたんだ」

「まーね」

「つーか元々、軽音部だしな。オレたち」

 

 五十嵐(いがらし)がナンシーの役目を引き受けてから、ナンシーとシドはメンバーを二人集めて、バンドを組んだ。バンドを組む前から二人でよく、カラオケに行っていたみたいだし、元々興味はあったんだろう。以前ナンシーの歌を聴いたことがあったけど、音程もほとんど外さなかったし、声も通っててスゴく上手かった覚えがある。来年の高校生活最後の学祭の楽しみが、またひとつ増えた。

 

「真面目に活動していたところ見たことなかったけど、ちゃんと予算は組んでもらえたの?」

「ああ、新しく会長になった玉木(たまき)のヤツ、結構話せるヤツでさ。今までの魔女の監視、問題解決の成果、今回の会長選挙の協力の報酬で、部費を優遇してくれたよ」

「おかげで、壊れてた楽器の修理と調整も出来たぜ!」

「ほう、意外と義理堅いところがあるんだな」

「あら。生徒会でも、生意気な後輩に罵られてもちゃんと最後まで面倒見るのよ、玉木(たまき)は」

「へぇ、そうなんだ」

 

 宮村(みやむら)が、玉木(たまき)を次期会長に推した理由も頷ける。

 

「ところで話しは変わるけど、都合のいい日は決まったかしら?」

「アタシは、いつでもいいよ。そらは、どうだい?」

 

 会話に参加せず一人黙々と弁当を食べていた姫川(ひめかわ)にナンシーが話を振ると、彼女は慌てた様子で目を左右に泳がせる。

 

「何を狼狽えてるのさ」

「えっと、急に声をかけられたから......」

「動揺するようなことじゃないでしょ。予定を聞かれただけじゃない」

「それは、そうなんですけど」

 

 姫川(ひめかわ)の態度を見て、球技大会の後寧々(ねね)に紹介されて、初めて彼女に会った時のことを思い出した。彼女は、かなりの人見知り。儀式で記憶をなくす前は、寧々(ねね)たちと普通に話していたらしいけど。俺とは二度目で、シドとは今日が初対面だからか、結構緊張しているのかもしれない。

 居ない方が話しやすいと考えて「温かい飲み物でも買ってくるよ」と、シドを連れて校内の自販機へ。

 

「なぁー」

「なに?」

 

 聞き返しながら、ナンシーリクエストのコーラのスイッチを押す。ガタンッ! と、音を立てて落ちてきたキンキンに冷えたコーラの缶を取り出し口から取り出す。

 

小田切(おだぎり)と付き合ってるんだよな?」

「ああ、うん、付き合ってるよ」

 

 寧々(ねね)に頼まれたミルクティーのスイッチを押して、返事を返す。

 

「どうやって、口説いたんだ!?」

「はあ?」

 

 取り出し口に伸ばした手を止め、顔をあげてシドを見る。とても真剣な表情(かお)をしていた。とりあえず全員分の飲み物を買って、屋上へ戻るまで間に詳しい話を聞くことに。

 

「そっか、ナンシーをね」

 

 シドの想い人は、ナンシーだった。

 一年以上も魔女関連で行動を共にわけだから、そういう感情が芽生えても何ら不思議なことじゃない。ただ問題なのは、ナンシーには別の想い人が居るということ。想い人は彼女持ちだから、まったくのノーチャンスってワケじゃないとは思うけど。

 

「とりあえず、ナンシーと二人だけで出掛けてみたら?」

「結構行ってるぞ。カラオケだろ、ファミレス、CDショップに、ゲーセン!」

「それ、デートって思ってもらえてる?」

「ああー、思われてねぇかも?」

「じゃあ、意味ないじゃん。告白以前に先ず、ちゃんと意識してもらわないと。ナンシーは、特別なんだよってさ」

 

 ナンシーに頼まれた、コーラの缶を渡す。

 再会した当初、俺のことを忘れていた寧々(ねね)に、俺自身が取った行動。当時の彼女にとっては、生徒会長になるために利用しようとしたお詫びという体だったけど、デートに誘ったことで意識してもらえたんだと思う。

 

「今まで行ったことのないデートっぽいところへ誘ってみると良いんじゃない。ベタだけど、ショッピングとか、カフェ、遊園地、水族館。そういえば去年、寧々(ねね)が動物園で土産に選んだパンダの縫いぐるみをスゴい喜んでたって言ってたから、そういうところも良いかも」

「し、師匠!」

 

 なんか目をキラキラさせながら。もの凄い尊敬の眼差しを向けられた。妙な感じ。とにかくあとは、シドの努力とナンシーの気持ち次第。部外者が口を出すのはよくないから、遠くから見守るとしよう。

 屋上に戻ると既に、レジャーシートの上の弁当は片付けられていて、花柄のペーパーナプキンに上にクッキーやチョコ、カップケーキなどの菓子が替わりに拡げられていた。飲み物を配りながら、姿が見当たらない五十嵐(いがらし)のことを訊ねる。

 

五十嵐(いがらし)は?」

玉木(たまき)に呼び出されて、生徒会室へ行ったわよ」

 

 今後の協力関係の打ち合わせあたりだろう。五十嵐(いがらし)の緑茶は置いておいて、先にいただくことにする。

 

「ウマイ! これ、寧々(ねね)が作ったのか!?」

「そうよ。うららちゃんと(みやび)ちゃんと一緒にね」

 

 球技大会の午後から寧々(ねね)も、白石(しらいし)伊藤(いとう)と同様にお互い下の呼ぶようになった。発案者は、伊藤(いとう)。付き合い始めてからしばらく経つのに苗字で呼び合う二人、白石(しらいし)山田(やまだ)を見かねての提案。白石(しらいし)が呼び慣れないと言うことから、先ずは女同士で練習という提案を再度して呼び方が変わったと、寧々(ねね)が教えてくれた。

 

寧々(ねね)ちゃん、料理もすごい上手いですけど、お菓子作りも上手なんですね」

「このくらいは簡単よ。興味があるなら今度、教えてあげましょうか?」

「わ、私にも作れるでしょうか?」

「材料を混ぜて、形抜きで型取って、時間を設定したオーブンに入れて焼くだけよ。包丁とか使わないから、ケガの心配はないわ。安心なさい」

「そうなんですね。じゃあ。今度教えてください」

「ええ。その時は、ナンシーも来るのよ」

「アタシもか!? アタシは、クッキー作りなんてガラじゃないよっ!」

「あら、格好なんて関係ないわよ。どう思う?」

 

 寧々(ねね)が話を振ってきた。ここは、彼女の意見に便乗して、さり気なく先の件について触れる。

 

「ナンシーが作ったのも食べてみたいかな。なあ、シド」

「お、おう! ロックバンドのボーカルで、その上クッキーも焼けるなんて最高にパンクだぜ!」

「そ、そうかい?」

 

 案外まんざらでもなさそう。シドのはちょっと意味わからないけど。学校生活の中のありふれたいちページのような時間はあっという間に過ぎて、昼休みが終わり午後。二年最後のテストを月末に控えた授業は、期末テストに備えた内容に全て置き換わった。

 

「終わったー」

「さて、帰るか」

 

 午後の授業が終わり、連絡事項だけのホームルームを終えて担任が教室を出ていく。伊藤(いとう)は机に突っ伏し、宮村(みやむら)は、すぐさま帰り支度を済ませた。

 

「何アンタ、部活行かないの?」

「テスト前だからな、今のうちに録画しておいた映画を消化しときてぇーんだ」

「それ、普通逆だろ。テストが終わってから見るんじゃないのか?」

「テスト前になると見たくなんだよなぁ」

「それ、わかるわ。なんだか分からないけど、部屋の掃除とかが捗るのよねー」

 

 確かに、それは分かる。現実逃避のような気もするけど、思いのほか気分転換になったりもする。

 

「お、居た、おーい!」

 

 宮村(みやむら)たちと話をしながら帰り支度をしていると、教室のドア付近から二人の男子に声をかけられた。サッカー部の二人は、教室に入るとまっすぐ俺の元へ。

 

朝比奈(あさひな)森園(もりぞの)。どうした?」

「まだ居てくれて助かったぜ」

「お前に渡すものがあってな」

 

 朝比奈(あさひな)は持っていたビニール袋に手を入れる。

 

「えっ? 何? もしかして、チョコ? アンタたちそう言う関係だったのっ?」

「マジかよ、そういう趣味があったのか」

「きゃー!」

「実は、そうなんだ。オレたちは前世から赤い糸で結ばれて運命を――」

「身の毛がよだつような戯れ言を抜かすな」

 

 悪ノリする三人に朝比奈(あさひな)は、物凄く冷めた声で切り捨てる。

 

「ノリ悪いな」

「ノリ悪いわね」

「ノリわりぃーぞ」

「暇じゃないんだ。用件を済ます」

 

 渡されたのは、引っ越しなんかの引き出物のタオルが入っているような長方形の白い箱。持った感じは、とても軽い。

 

「これは?」

「お前のユニフォームだ」

「ユニフォーム?」

「おうよ。今日の昼休みに届いた出来立てほやほやだ。しかも、新デザインだぜ」

 

 夏、冬と二大会連続でベスト8を阻まれたため、心機一転を計るべくユニフォームを新調。それなりに実績を残して来たから、玉木(たまき)が予算を組んでくれたらしい。

 

「へぇー、見せてよ。宮内(みやうち)

「オレも気になるな」

 

 頷いて箱を開ける。今までの落ち着いた感じのユニフォームとは正反対の、鮮やかなオレンジ色のユニフォームが姿を表した。白く縁取られたの深い紺色で刻まれた番号は「14」と記されている。

 

「すんごいハデね!」

「へぇー、カッコいいじゃねーか」

「だろ~」

「このデザインで『14』か」

 

 またとんでもなく重い番号をチョイスしてくれた。そんな俺の想いを嘲笑うように朝比奈(あさひな)は、軽く笑みを見せる。

 

「シャレてるだろ。お前には、その番号しかない」

「一年の冬に三年が引退してから、ずっと欠番にしてたんだぜ」

「ん? 14番に何か特別な意味でもあるの?」

「サッカーって言えば『10』だよな?」

「そうだな。だがこの番号は、俺たちにとっては10番よりも重要な意味を持っているんだ。俺たちの願いとサッカー部の希望を込めた背番号。かつて『El Salvador(エル・サルバドール)』と謳われた選手が背負っていた番号だ」

「エルサ――? 何それ、英語? 雪だるま作るの?」

 

 雪で作った顔をボール代わりにするのだろうか。

 

「絵面が残酷だな。響き的に、スペイン語じゃね? 確か、英雄とかそんな意味だよな?」

 

 そう、宮村(みやむら)の言う通り「El Salvador(エル・サルバドール)」は、スペイン語で救世主を意味する言葉。

 この14番は、サッカー界に革命を起こした人物が背負っていた番号。今では当たり前になった「オフサイドトラップ」や「スペース」を活用した戦術を生み出し、現代サッカーの礎を創った伝説のプレーヤー。

 ――俺の憧れの選手。

 

 

           * * *

 

 

 時計が午後五時を回り、一旦休憩を入れることにした。

 

「ハデなユニフォームね」

 

 ユニフォームを見た寧々(ねね)の感想は、伊藤(いとう)と同じだった。

 来週から期末テストのため、今日からバイトは休み。今日は寧々(ねね)と二人、うちでテスト勉強をしている。本当は伊藤(いとう)たちも来る予定だったんだけど、超研部の方で何か用事が出来たそうで明日に延期になった。

 

「それにしても――」

 

 ユニフォームから目を外した寧々(ねね)は、部屋の隅に置かれた紙袋に顔を向けて目を細める。

 

「いったい幾つ貰ったのかしら?」

「さあ? 数えてないから。それに大半が、優勝おめでとうってくれたヤツだよ」

「ふーん」

 

 二人分の食器と飲み物を用意してコタツに戻り、寧々(ねね)が作ってくれた、ロールケーキを切り分ける。

 

「じゃあ、いただきます」

「どうかしら?」

「美味しい。これ、蜂蜜使ってる?」

「そうよ。砂糖よりも低カロリーだから、砂糖の代用に生地に練り込んで作ってみたの」

 

 いろいろ考えてくれて、気づかってくれている。ありがたい。

 

「そっか、ありがとう。スゴく美味しい」

「どういたしまして。あら、ついてるわよ」

 

 唇に手を持っていく。

 

「そっちじゃないわ。動かないで――」

 

 隣に座って居る寧々(ねね)は身を乗り出して、反対側の唇に手を触れた。

 

「はい、取れたわ」

「ありがと」

 

 会話が止まってしまった。同時に、時間も止まってしまったんではないか錯覚してしまう程、お互い動かず無言のまま見つめ合う。

 気持ちは、同じだった。止まっていた時間が動き出す。

 どちらからともなくゆっくりと近づき、お互いの唇が軽く触れ合う。そして、ゆっくりと離れて目を開けた。目の前に居る彼女は、横を向いて顔を背けていた。

 

「どうしたの?」

「ちょっと、緊張しちゃったのよ。初めてだったから、その、恋人とのキス」

 

 そ顔を上げた寧々(ねね)は、少し恥ずかしそうに瞳を潤ませながら頬を薄紅色に染めている。

 今日まで、いろんな彼女の表情を見てきた。

 だけど。今まで見てきた中で今の彼女が一番可愛いと、心からそう想った。



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Episode53 ~新入部員~

 近年暖冬が続いた冬とは打って変わって、厳しい寒波に見舞われた冬が過ぎ去り、街の木々たちの新緑の葉が芽吹き、枝の先の小さなつぼみがやや膨らみ始めた春。新しい出会いと別れの季節。三年生は卒業してそれぞれの道を進み、下級生たちは学年をひとつ上げて少し大人になった。

 ――とは言ったものの、実際そう大きく変わらないのが現実。その証拠に、春休み明け最初の登校日で変わったことといえば今日、入学式を迎えた見慣れない新入生たちと、新しい教室、そして、新しいクラスメイトたちくらいなもので。入学式終わりの連絡事項だけのホームルームを終えて帰り支度をしながら、一年の頃に同じクラスだった仲の良い女子、白石(しらいし)と話していると、これまたよく知る大きな目にショートカットがよく似合う快活な女子、伊藤(いとう)が寄ってきた。

 

「ちょっとちょっと! アンタの彼女、ちょー怖いんだけどっ!」

 

 伊藤(いとう)が目を向けた方を見ると、廊下から寧々(ねね)が不機嫌面で目を細めてこっちを見ていた。

 

「まったく、どうしてこうなるのかしらっ?」

「そう言われてもこればかりはねぇ」

「さすがに、クラスは替わってあげられないわ」

 

 話しながら、四人で廊下を歩く。

 三年に進級して行われた最後のクラス替えは、白石(しらいし)伊藤(いとう)と同じクラスだった。一学年につき二十近いクラスがある中から一緒のクラスになれる確率は高くないわけで。残念ながら寧々(ねね)とは、別々のクラスに振り分けられてしまったことが、お気に召さないご様子。

 

「ま、彼氏と一緒のクラスになりたいのは分かるけどねー。うららちゃんもそうでしょ?」

「そうね。一緒のクラスだったら、きっと楽しいと思うわ」

「だよねー。体育祭、文化祭でしょ、それから! 何をおいても、修学旅行!」

 

 二年に修学旅行が組み込まれている学校もあるが、朱雀高校の修学旅行は、三年の初夏。行き先は、その年によって変わる。毎年基本的に海外旅行で、確か今年は――。

 

「グアム! 青い海、白い雲、煌めく太陽、海辺のカモメの声がアタシたち呼んでるのよっ!」

 

 世界有数のリゾート地のひとつ、グアム。

 伊藤(いとう)のテンションが高いのも頷ける。

 

「カモメって、グアムにもいるのかしら?」

「さあ? どうだろう。ナマコならいっぱいいるって聞いたことあるけど」

「ナマコは、ロマンチックじゃないわね。ところであなたたち、パスポートは持っているのかしら?」

 

 寧々(ねね)に訊かれて、パスポートは静岡の実家にあるのを思い出した。自分で取りに帰るか、送ってもらうかしないといけない。

 

「私、持ってないわ」

「アタシもー。寧々(ねね)ちゃんは、持ってるの?」

「ええ。でも、更新手続きしないといけないのよね」

「じゃあ、今度みんなで一緒に行こー」

 

 伊藤(いとう)の提案に、寧々(ねね)白石(しらいし)は快く承諾。

 

「決まり! それじゃあ、アタシとうららちゃんはこっちだから」

 

 階段を降りようとしたところで、二人は立ち止まった。帰らないのか訊ねたところ、新入部員勧誘のため今から、部室で準備をするそう。渡り廊下を部室棟へ向かう二人とはここで別れて、俺たちは階段を下る。玄関のロッカーで靴に履き替えて校舎の外へ出ると、校舎から正門へと続く通路の両側に各部活動の勧誘ブースが設けられ、新入部員勧誘の準備が進められていた。

 

「相変わらず、スゴい活気だね」

「うちは生徒も多いけど、その分部活の数も多いから毎年新入生の取り合いになるのよね」

 

 入学式後のホームルームを終え、まもなく来るであろう新入生を勧誘するため大急ぎで準備している大勢の生徒たちを横目に歩く。すると、ブースの前でファイルを持ってチェックしていた小柄でふたつ結びのおさげ女子が、やや早足で俺たちの前へやって来た。

 

「先輩方」

 

 制服の下に白いパーカーを着た彼女の制服の襟元には、生徒会役員であることを示すバッジが光っている。どうやら、新しい生徒会役員。

 

「あら、猪瀬(いのせ)さんじゃない。どうしたの?」

「会長に頼まれたんです。一緒に来てください。こちらです」

 

 寧々(ねね)を見る。彼女もこちらを見て「何も聞いていないわ」と、小さく首を横に振った。

 

猪瀬(いのせ)さんは寧々(ねね)に頼まれて、生徒会の役員になったんだ」

「はい、どうしてもとお願いされまして。ま、私としても、生徒会に所属していれば受験に有利になるんで異論はないんですけど」

「そうなんだ。だけど一人で、書記と会計を兼任するなんて大変なんじゃない?」

「慣れてますから」

「前会長の時、宮村(みやむら)じゃなくて山崎(やまざき)会長の時ね。書記と会計を完璧にこなしていたのよ。だから今回、彼女を推薦したの」

 

 宮村(みやむら)が会長の時は、寧々(ねね)玉木(たまき)が手を焼きながら、副会長に選ばれた二人を指導しつつ職務を遂行していた。それを一人でこなしているというのだから、相当優秀な子だ。くせ者の山崎(やまざき)が指名した理由もよく分かる。

 

「褒めたって何も出ません。お小遣いピンチですし。あ、着きました」

 

 彼女につられてやって来たのは、校舎裏。

 そこはかつて、運動部の部室として使われていた旧校舎が建っていた場所。つい先日まで、鉄骨の足場と建設シートに囲まれていた場所に、スタイリッシュな建築物が出来上がっていた。

 

「新校舎よね? 完成していたの」

「はい、春休みの間に完成しました。どうぞ、こっちでーす」

 

 彼女の後に続いて、新校舎の中へ足を踏み入れる。入ってすぐの高い吹き抜けで解放感のあるエントランス横の階段を上って、校舎の三階へ行き、南向きの部屋の前で立ち止まった。ドアの上部に設置されているプレートに書かれていたのは――。

 

「フットサル部?」

「そうです。先輩たちの部室です」

「でも――」

「私たち、会長に、部室はいらないって言っていたんだけど?」

 

 寧々(ねね)のいうようにフットサル部は、元々魔女の手がかりを探すために作ったかりそめ部活。だから、他の部活のように新入生の勧誘もしないし、部室も要らない、と元会長の山崎(やまざき)に伝えたハズ。

 

「その元会長が、新校舎完成図の中に先輩たちの部室を書き込んでいたんです」

「会長が?」

「サプライズだって笑っていました。去年の体育祭の後から、先輩のこと気に入っていたみたいですよ」

 

 そういえば、次期会長にならないかとか何度か言われた覚えがある。特に気に入られるようなことをした覚えはないんだけど。

 

「ま、そういうことですので。どうぞ」

 

 書類と一緒にファイルに挟んである封筒を受け取る。封筒の中身は話の流れの通り、部室のカギ。鍵穴に差し込み、ロックを解除、扉をゆっくり開いて、部屋の中に入る。

 

「ちょっと、冷蔵庫と水道もあるじゃない!」

「うちより贅沢だ」

 

 柔らかな春の日差しが白いカーテンの隙間から差し込む、広さ十畳ほどの広い部屋の床にはカーペットが敷かれ、他にもテーブルやら液晶テレビ、オーディオプレーヤー、本棚、冷暖房完備と、とても部室とは思えない環境が整っていた。

 

「気に入って貰えたかな?」

 

 突然背中から声をかけて来たのは、現生徒会長の玉木(たまき)

 

「ご苦労だったね、猪瀬(いのせ)くん」

「いえ。じゃあ、私は見回りに戻りますので」

 

 ぺこっと会釈すると、猪瀬(いのせ)は新入生部活勧誘の見回りへと戻って行った。

 

「なあ、玉木(たまき)。本棚の医学書とかも、元会長が用意してくれたのか?」

「イヤ、それは僕の権限で用意した物だよ。必要な物じゃないかなと思ってね」

「ま、そりゃありがたいけど」

 

 個人で買い揃えようと思ったら、それ相応の金額になる代物だから、嬉しい贈り物なのはそうなんだけど。

 

「金額はついて気にしないでくれたまえ。それらの本は僕たちが卒業した後、図書室に置かれることになっているからね。レンタルと考えてくれればいいよ」

「そっか、それならありがたく使わせてもらうよ」

 

 汚さないように細心の注意を払って使わせて貰おう。因みにこの部屋の家電製品や家具一式は、全て玉木(たまき)が用意してくれたそうだ。

 

「ねぇ、どうしてここまで優遇してくれるのよ?」

「キミたちには選挙戦とかいろいろとお世話になったからね。僕からの感謝の気持ちと言ったところかな」

「ふーん。そう」

「で、本音は?」

 

 釈然としない様子の寧々(ねね)の替わりに訊くと、玉木(たまき)はひとつ息を吐いた。やはり、何か別の理由がありそうだ。

 

「お見通しなワケだね。実は、“7人目の魔女”になった五十嵐(いがらし)くんの待機場として使ってもらおうと思ってね」

 

 合点がいった。生徒会と五十嵐(いがらし)は協力関係dから、いつ問題が起きても対処出来るように下校時刻まで学校に居てもらわないと困る。その見返りとして、この部室を提供すると。

 

「“7人目の魔女”の特権ってことなのね」

「そういうことさ。さて、じゃあ、僕も生徒会室に戻るとするよ」

「ああ、いろいろありがとう」

 

 ドアノブに手をかけた玉木(たまき)が、何かを思い出したように振り返った。

 

「ところで、サッカー部の練習はいつから参加するんだい?」

「一応来週の頭。新入生の仮入部に合わせて本格参加する予定」

「なるほど。球技大会でキミのプレーを見させてもらったよ、球技大会同様に本大会での活躍期待しているよ。()()としてね」

 

 わざわざ、友達の部分を強調したのは生徒会長の立場ではなく、玉木(たまき)自身としての言葉だと伝えたかったんだろう。

 

「じゃあ、俺たちも帰ろうか?」

 

 声をかけても寧々(ねね)は返事をすることなく、テーブルに肘をついて座ったまま、ただただじっと、窓の外を眺めていた。

 

寧々(ねね)?」

「えっ? な、何かしらっ?」

「そろそろ帰ろうかって」

「そ、そうね、帰りましょっ」

 

 戸締まりを済ませて、俺たちは部室を後する。階段を降りてエントランスへ降りると、五十嵐(いがらし)滝川(たきがわ)と出くわした。二人はそれぞれ、副会長の有栖川(ありすがわ)黒崎(くろさき)に新校舎のことを聞いて、ここへやって来たと話した。

 

「話は、玉木(たまき)に聞いた」

「そっか、見ていく?」

「ああ、滝川(コイツ)が見ると言って聞かなくてな」

「ノアのせいにしないでくださいよ。先輩だって気になってるクセにー」

 

 スッと顔を横に背けた。気になってるんだ、分かりやすい。

 

「じゃあ、カギを――」

「いや、必要ない」

「じゃーん、えへへ~」

 

 これ見よがしに滝川(たきがわ)は満面の笑顔で、部室のスペアキーを見せつけてきた。

 

「俺たちは、部室に寄って行く。先に帰ってくれて構わない」

「わかったわ。じゃあ、また明日」

「はーい、また明日でーすっ。五十嵐(いがらし)先輩、早く行きましょー!」

 

 二人と別れた俺たちは校舎の前に戻ってくると、正門へ続く通路は、まるで文化祭の時のように多くの生徒で賑わっていた。どうやら、入学式と最初のホームルームを終えた新入生たちの勧誘という名の争奪戦が本格的に始まったみたいだ。

 

「毎年のことだけど、どの部も必死ね」

 

 部員が増えれば、部費も増える。特に部員の少ない弱小部にとっては死活問題、部員獲得に躍起になるのも道理と言うもの。そんな殺気にも似た熱気が立ち込める中を歩いていると、部活の勧誘とはかけ離れた場違いな魔女を発見した。

 

「何で、魔女なの?」

「あっ、寧々(ねね)ちゃんだ」

 

 魔女は、伊藤(いとう)白石(しらいし)

 

「部活の勧誘よ」

「ほら、超研部(うち)って二年生が居ないから、このまま新入部員がゼロだと廃部になっちゃうのよ」

「ああー、それで魔女のコスプレしてるんだ」

「ええ、この格好なら目立つからって、(みやび)ちゃんが」

「ナイスアイデアでしょ? ところで二人は、部の勧誘活動しなくていいの?」

「別に精力的に活動してる訳じゃないから」

「ふーん、ま、アタシたちとしてはライバルが減ってありがたいけどね。あの部とかすんごい人集まってるしっ」

 

 伊藤(いとう)が恨めしそうに見つめる先にある部活は、サッカー部。閑古鳥が鳴いている超常現象研究部とは対照的に、新入生の注目を集めていた。近くで話していた新入生たちに耳を傾ける。どうやら、去年の総体、選手権とベスト16という結果を残したサッカー部は、学業優先で強豪校を諦めた新入生が両立を目指す受け皿になったようだ。

 

「スゴい人気だったわね、サッカー部」

「そうだね。部員が多いと、それはそれで大変なんだけどね」

 

 練習の統率、試合に出られない部員のモチベーションの維持など他にもいろいろあるけど。一番大変なのは、補助をしてくれる存在、マネージャー。ケガの手当て、ドリンクの補充、テーピング等の消耗品の買い出し、大会前になると全員分のお守りを用意してくれたりもした。献身的なマネージャーが居たからこそ、集中して部活に打ち込めた。いくら感謝しても足りないくらい。

 

「へぇ、いろいろ大変なのね」

 

 そういうと口元に人差し指を添えながら、少し考えるようなそぶりを見せる寧々(ねね)

 

「ところで、今日は?」

「バイトはいつも通りの時間からだから、都心に出て買い物しようと思ってるけど」

「一緒に行ってもいいかしら? 大きい本屋さんに行きたいの」

「もちろん」

 

 昼時とあって、大勢の人たちで賑わう商店街ではぐれないように手を繋いで歩いていた俺たちは、いつも寧々(ねね)が電車に乗る駅から都心へと足を伸ばした。

 

           * * *

 

「で、今年は何人入ったんだ?」

 

 一週間後の放課後、新校舎の真新しいサッカー部の部室のベンチに座って右膝にテーピングを巻きながら、部長の朝比奈(あさひな)に訊ねる。

 

「そうだな、三十人弱ってところだ。中には、中学でそこそこ結果を出してるのも居る」

「へぇー、じゃあ、ある程度期待出来るな。よし、出来た」

 

 巻き終えたテーピングの上からサポーターを着け、立ち上がる。先日寧々(ねね)と一緒に買いに行ったアップシューズの感触を確かめながら、グラウンドへ向かう。

 

「膝は?」

「問題ない」

 

 予防策(テーピング)もバッチリしてる。

 

「いきなり三十人も増えたら大変じゃない?」

「まーな、だが、やりがいはあるさ。予め言っておくが、お前を遊ばせておくつもりはないからな」

「いやいや、俺、新入部員だから」

「フッ、まあ、そう言っていられるのは今のうちだけだ。イヤでも協力することになるさ」

「はあ? どういう意味だよ」

「さてな」

 

 まったく要領を得ない。いったい何のことを指して言っているんだろう? そんな俺の疑問は、グラウンドに出た瞬間に払拭。そして新たに、さっきまでの疑問がバカらしく思えるほどの大きな疑問が生まれた。

 

「な、なんで?」

 

 それは――。

 

「今日から、サッカー部のマネージャーになった、三年の小田切(おだぎり)寧々(ねね)よ。よろしくね」

 

 新入部員の中に、ここには居るハズのない女性が微笑んでいたからにほかならない。



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Episode54 ~温もり~

「――んっ、んぅ~ん......はぁ~」

 

 飛行機を降りて入国審査の順番を待つ間、組んだ両手を前に大きく伸ばして深呼吸。国際空港を飛び立ってからおおよそ4時間のフライトを経て、ようやく到着した修学旅行の目的地、常夏のリゾート島グアム。

 入国審査を終え、クラスごとにバスに乗車して、宿泊先のホテルへ向かう。海岸線を走るバスの車窓から見える澄んだ青い海は、雲ひとつない蒼く澄み渡った空から降り注ぐ陽射しが反射して、まるで一面に宝石を散りばめたようにキラキラと輝いていて、長旅の疲れを忘れさせてくれる。

 でも今も、飛行機に乗っていた時も、読書や同じ班の女子とお喋りをしたりして、それほど苦痛ではなかったけど。やっぱり仲の良い友だち、恋人と一緒に同じ景色を眺めて同じ時間を共有できたら良かったのに、何てやるせない想いばかりが、どうしても頭に浮かんでしまう。クラスが違うから、愚痴を漏らしてもどうしようもないんだけど。

 

「どうしたの? 大丈夫?」

 

 思わず漏れたタメ息を聞いた隣に座っている同じ班の女生徒が、心配そうに気遣ってくれる。私は「平気よ、海がキレイだったから思わずね」と言って、ホテルに着いた後の班行動の話題を振って話を逸らした。

 ――いけないわ。夕食の後は一緒に過ごせるんだから、気をつけないと。

 反省しつつ、今日行く予定の確認をしている間にバスは、ホテルに到着。クロークで、部屋の鍵を代表して受け取り、各自荷物を部屋に置いてから、初日の班行動に出かける。

 

「あら、山田(やまだ)じゃない」

「ああー? あん、小田切(おだぎり)じゃねーか」

 

 近くを散策したあと、休憩がてら自然豊かで鮮やかな緑の溢れる広場へ足を伸ばすと、柔らかな木漏れ日が差し込むベンチで、眼鏡をかけた小柄な男子と一緒に、気怠そうにだらしなく腰掛ける山田(やまだ)が居た。

 こんなところで何をしているのか訊くと、呆れたことに「めんどうだから」という理由で散策をサボって、同じ班の女子たちと別行動を取っていた。今ここ居ない宮村(みやむら)は、近くの雑貨屋(ショップ)へ、明日の使う物の買い出しに行っているそう。

 

「つーか、せっかくグアムに来たってのに何で散策なんだよ。海だろ、海! なっ、中村(なかむら)!」

「僕は、米軍基地に行ければそれでいいです」

「ほらな? 中村(なかむら)も、そう言ってるだろ?」

 

 ――何が、ほらな、よ。結局、自分が海で遊びたいだけじゃない。呆れて言葉も出ない。気持ちは分からなくはないけど。

 

小田切(おだぎり)さん、そろそろ行こー」

 

 班の女子に声をかけらた私は「すぐに行くわ」と返事をして、ポケットから取り出したスマホのカメラアプリを立ち上げて、自然豊かな広場の景色を数枚おさめる。

 

「真面目に散策してんだな、お前」

「あら、分かってないのね。写真は何も、風景を記録するためだけに撮るわけじゃないのよ」

「はあ? どういう意味だ?」

 

 意味をすぐに理解出来なかった山田(やまだ)は、写真を撮る意図を説明してあげるまで、腕を組んで首を傾げたまま頭にクエスチョンマークを浮かべていた。

 

「と、言うことがあったの」

「あはは、そうなんだ。で、これがその時の山田(やまだ)?」

「そうよ、スゴい表情(かお)してるでしょ」

 

 レストランで早めの夕食を食べ終えたあと、班のみんなで遊ぼうという男子たちの誘いを断った私は、ビーチに隣接しているホテル敷地内の屋外プールのテラス席で待ち合わせをした結人(ゆいと)くんと、お互い班行動で撮った写真を見せ合って話をしていた。

 

「さっき、ラウンジで会ったうららちゃんにこの写真を見せたら、考え事をしてる時はいつも、こんな表情(かお)をしてるんですって」

「へぇー、クセなんだ」

「そうみたい。本人には自覚がないみたいって言っていたわ。あなたの方は、なんだか変わった写真が多いわね」

 

 結人(ゆいと)くんがスマホで撮った写真は洞窟とか、碑石とか、鬱蒼とした繁みだったり、何となく観光地らしくない写真が多く写っている。

 

伊藤(いとう)さんの強い要望で、ミステリースポット・パワースポット巡りだったから。でも、これ見て」

「あっ、スゴいキレイ......」

 

 さっきの洞窟内部の写真、澄んだ湧き水で出来た泉を青くライトアップして幻想的な雰囲気を演出している。他にも壮大な滝や、時間は合わなかったけど、私も行った純白の大聖堂、それから――。

 

「やっぱり、素敵ね」

 

 旅行前から一緒に行きたいと話していた、恋人岬。

 沢山の人たちの想いが込められたハート型の南京錠は、まるで満開の花のように岬へと続く長い通路に設置されたフェンスを艶やか彩っている。

 

「あら、これで最後なの?」

 

 恋人岬の写真は、遠くからの写真が一枚あるだけで、岬からの写真は一枚もなかった。

 

「一緒じゃないと行く意味ないから」

「そ、そう......」

 

 ――顔が暑い。不意打ちは反則よ、反則。ホント、今が夕暮れで良かった。絶対顔紅くなってるもの。

 そんな私の気持ちも知らないで彼は、私が撮ったスマホのアルバムを穏やかな横顔で見ている。

 

「今回は予定が合わなくて行けなかったけど。いつか、一緒に行けるといいね」

「......うん」

 

 ちょうど夕食時とあって、私たち以外には誰も居ないプールサイドを照らす幾つものランタンの柔らかな灯火、微かに聞こえる波の音。

 そっと手と手を重ね合わせ、どちらからともなくゆっくりと距離を縮め、ほんの少しだけ触れるだけの短いキス。

 一緒に過ごせなかった時間を、お互いの気持ちを通わせるには十分過ぎる温もりだった。

 

           * * *

 

 修学旅行も無事に終わり、再び通常の学校生活がスタート。

 登校日初日の放課後の部活前、私は、フットサル部の部室に来ていた。

 

海外旅行(グアム)、いいなー」

「来年になれば、私たちも行けるじゃん。グアムかは分からないけど。ていうか、先輩エロすぎー」

「エローい」

「もうちょっと他の言い方ないのかしらっ?」

 

 帰国後すぐに現像した修学旅行の写真を見て好き勝手言ってくれる後輩の女子二人、滝川(たきがわ)さんと猪瀬(いのせ)さん。せっかくお土産買ってきてあげたのに渡す気がなくなる。それに、旅行前にはなかった座椅子やら、クッションやらを持ち込んで、二人ともすっかりくつろいでいる。

 

「あれ。二人とも、もう来てたんだね」

「早いな」

「お疲れさまでーす。私たちのクラス、最後が自習だったんです」

「ですです」

 

 少し遅れて、結人(ゆいと)くんと(うしお)くんがやって来た。二人も靴を脱いで部室に上がり、いつも使っている座布団(ポジション)に腰を落ち着けた。

 

「ああー、修学旅行の写真を見てたんだ」

「はい。水着姿の寧々(ねね)先輩がえっちぃって話を――」

「それは、もういいわよ!」

 

 ――ほら、結人(ゆいと)くんが反応に困って苦笑いしてるじゃない。まったく、もうっ。

 

「ところで、お土産はもう渡した?」

「まだよ。みんな揃ってから渡そうと思って......」

 

 バッグを膝の上に置いて、二人へのお土産を取り出す。

 

「私からはこれよ、ココナッツオイル配合のクリーム。肌荒れと日焼け止めの効能もあって、顔と体はもちろん髪の毛まで全身に使えるわよ」

「さすが寧々(ねね)先輩、女子力高いですね。宮内(みやうち)先輩のは、マグカップですか」

「そう、部室(ここ)で使うのにちょうどいいかなって」

 

 (うしお)くんの観測者(スポッター)滝川(たきがわ)さんは基本的に下校時間までこの部室に居るし、猪瀬(いのせ)さんも生徒会の仕事の合間に息抜きで時々来ているから、専用のコップがあるのは便利。私たちも、それぞれ気に入ったマグカップを買って来た。因みに彼女がここへ来るのは、副会長二人に対する愚痴を漏らしに来ているそう。私も苦労したから、猪瀬(いのせ)さんの気持ちはよく分かる。

 

「デザインもワンポイントが入っててカワイイです。色違いで分かりやすい」

「それに実用性も抜群ですねー。それに比べて、五十嵐(いがらし)先輩ときたら」

 

 滝川(たきがわ)さんは、(うしお)くんからのお土産を持って若干不満そうに目を細めた。

 

「女子へのお土産に量産型チョコとか、そんなだからそうなっちゃったんですよ」

「ど、どういう意味だッ?」

「女心が分かってないって話です。あっ、コレ意外とおいしー」

「ま、確かにそうかもですね。あ、ホントだ、チョコの中にナッツ入ってておいしい」

「だ、だから、どう言う意味だ!?」

 

 後輩の女の子二人から、ダメ出しを受けて狼狽える(うしお)くん。こんな(うしお)くんを見るのは初めてだから、不謹慎だけどちょっと新鮮。意外と年下の女子に弱いのかも。

 

「二年の女子から結構人気あるんですよ。背高いし、そこそこイケメンの部類ですし」

 

 そういえば(うしお)くんは一年生の時も、今年のバレンタインデーも二桁近いチョコを貰っていた。

 

「ノアたちのクラスの女子は、クールな感じが良いって言ってましたよー。けど実際は、クールじゃなくて根暗ですけど」

「――なッ!? 俺のどこが根暗だッ!?」

「いつも本を片手に、解散した将棋部から持ってきた将棋盤で一人で将棋指してるじゃないですかー」

滝川(たきがわ)さんは、五十嵐(いがらし)の相手してあげないの?」

「ノアも最初は、寂しい先輩に付き合ってあげようとしましたよ。でも『基礎(ルール)を覚えろ』って突っぱねられたんですよー」

 

 よよよっと、わざとらしく口元に手を添えて泣き崩れるマネをする滝川(たきがわ)さんに、(うしお)くんは血相を変えて反論。

 

「誤解を招く言い方をするな! お前が、真面目に教わろうとしないからだろ!」

「だって、先輩の説明小難しくて面白くないんですもん。相居飛車とか、穴熊とか、専門用語で言われてもイミフですって」

「将棋おける定番の戦術をだな――」

 

 二人の言い分を聞いた限り、どっちもどっち。そのあともしばらく言い合いを続ける二人をよそに、猪瀬(いのせ)さんは、部室の掛け時計に目向けて立ち上がった。

 

「じゃあ、私は生徒会室に行きます。先輩たちは、部活に行かなくていいんですか?」

「そうね、そろそろ行きましょ」

「だね。じゃあ、俺たちも行くよ」

「あ、ああ」

「はーい、お土産どうもでしたー」

 

 じゃれ合う二人を置いて、私たちは三人で部室を出て廊下を話ながら歩いて、新校舎の昇降口を出た直後、頬に冷たい物が当たった。

 空を見上げる。

 どんよりとした暗い雲が空全体を覆い、小さな雨粒がぽつぽつと地面を濡らして色を塗り替える。

 

「雨、ですね」

「朝の予報だと夜からって言っていたけど」

「とりあえず、朝比奈(あさひな)に訊いてみるね」

「お願いするわ」

「私は、小雨のうちに行きます。お土産ありがとうございました」

「ええ」

「またね」

 

 小雨の降る中を校舎へ駆けて行く猪瀬(いのせ)さんを、私たちは見送った。その間も雨は降り続けて、雨足は徐々に強まっていった。そして彼女の姿が見えなくなった頃、結人(ゆいと)くんのスマホに、朝比奈(あさひな)くんからの返信が届いた。

 

「今日は、部活中止だって」

「そう。じゃあ、どうしましょうか?」

「そうだね......」

 

 今日の部活動は、雨天中止。急遽予定が空いてしまった私たちは部室に戻って、月末の中間試験に備えてテスト勉強をすることにした。

 

「あれ? 五十嵐(いがらし)は?」

 

 部室には、ハート柄のクッションを抱いて退屈そうに転がっている滝川(たきがわ)さんが一人だけ。(うしお)くんの姿は見当たらない。

 

五十嵐(いがらし)先輩なら生徒会室へ行きました。てゆーかお二人は、部活に行ったんじゃなかったんですか?」

「中止になったんだよ、雨でね」

「雨?」

 

 身体を起こして滝川(たきがわ)さんは、窓の外を見る。変わらず雨は降り続いている。菜種梅雨には少し遅く、梅雨にはまだ早い初夏の雨。

 

「ホントだ、雨ですね」

「そういうわけだから今日は、テスト勉強をしようと思って戻ってきたの」

「ええーっ? せっかくの休みなのに、勉強するんですかっ? 遊びましょうよー」

「あのねぇ。私たち今年、受験なのよ」

「毎回成績上位のお二方なら、推薦で朱雀大学(うえ)に行けるんじゃないんですかー?」

「そうなるように、次の中間試験と期末試験の結果が重要なのよ」

 

 推薦を貰えれば、秋に行われる内部進学学力試験を受けずに済む。ただ、朱雀大学への進学を目指す部活動の部員は、推薦を取れなければ事実上の引退勧告。サッカー部三年生の高校最後の大会で集大成の冬の選手権大会に向けて全力でサポートするためにも、今学期の学力考査は絶対に落とせない。

 そんな訳で、あの手この手を使って誘惑してくる滝川(たきがわ)さんをやり過ごして、私は集中して試験勉強に打ち込んだ。

 

 

           * * *

 

 

「記憶を消したのは、当時の生徒会ですって......!」

「ああ、そうだ」

 

 生徒会室から戻ってきた(うしお)くんは、難しい表情(かお)をしていた。場所を結人(ゆいと)くんのバイト先に移動してから詳しく話を聞くと、驚くべき事実が判明。

 

「修学旅行で山田(やまだ)が言っていた、当時一年の三学期の記憶を全校生徒から消したのは、当時の生徒会だったんだ」

 

 修学旅行二日目の夜、山田(やまだ)と同じ班の女子、完全記憶者(アカシックレコード)の話を聞いた山田(やまだ)は、みんなをテラスに集めて、一年の三学期のことを訊いた。

 その結果、私も含めた全員の記憶が不鮮明ということが判明した。ただ一人だけを除いて。

 

「何だか大変なことになってますね」

「ったくお前は、他人事だと思いやがって」

「実際、他人事ですもーん」

 

 悪気なく無邪気に笑う、滝川(たきがわ)さん。(うしお)くんは、やれやれと大きなタメ息をつく。

 

「それで、先輩たちが一年生の時の三学期の記憶を持っているのは完全記憶者(アカシックレコード)と、宮内(みやうち)先輩だけなんですか?」

「ええ、そうよ」

 

 そう、彼だけは、失われた三学期の記憶を保有していた。

 

「ある意味奇跡だな。ケガの治療で入院、退院、通院していたことで、記憶を消す儀式が行われた時をピンポイントで避けただなんて」

 

 防球ネットを支える鉄柱に背を預け、腕を組む(うしお)くんは、私たちが腰掛けているベンチのコートで、店長さんと一対一の勝負をしている結人(ゆいと)くんに目線を向ける。私も彼に目を向ける。額から大量の汗を流し、両膝に手をついて肩で息をしていた。

 

「どうした? もう終わりか?」

「――行きます!」

「シャッ! 来いや!」

 

 パスを受けた結人(ゆいと)くんは顔を上げ、店長さんに向かってドリブルを仕掛ける。でも、何度も抜こうと試みても、素早い反応で行く手を塞がれて抜けない。攻めあぐねる彼は足の裏でボールを引き、一旦距離を取って短く息を吐いて仕切り直し、そして再び、ドリブルを開始。

 さっきまでとは比べものにならないスピードの仕掛け、素速いフェイントで足下のボールを左右に巧みに転がして揺さぶる。素速い切り返しを仕掛けた瞬間、店長さんの体が不意に傾いた。

 

「あれは! 俺と、朝比奈(あさひな)を崩した技だ!」

 

 二月の球技大会、鉄壁を誇った朝比奈(あさひな)くんを抜いて、決勝点をもぎ取るきっかけを作った技。あの時と同じように結人(ゆいと)くんは、バランスを崩した店長さんの脇を抜いて――突然、彼の体が前のめりになった。

 ――危ない! と思った瞬間、咄嗟に地面に手をついて体を反転させて足から着地した。

 

「すっご! サーカスみたい!」

「あの状態から受け身を取って着地するとは、化け物じみた反射神経だな」

 

 感心する二人をよそに私は急いで、しゃがんでいる彼の元へ駆け寄る。

 

「ちょっと、大丈夫!?」

「あ、うん、大丈夫」

 

 ニコッと笑顔で立ち上がり、その場でジャンプ。どうやら、本当にケガは無いみたいでひと安心。

 

「そう、ならいいけど」

「ケガねーか?」

「問題ありません」

 

 奪い取ったボールをリフティングしながら、私たちの元へやって来た。

 

「最後の、アイデアは悪くない。けど、仕掛けまでの時間がかかりすぎだな。もうちょいシンプルじゃねぇと実戦じゃ厳しいぞ?」

「分かってます。本番までに、あと二手は少なくするつもりです」

「そうか。暇な時は、また相手してやる。今日は時間切れだ」

「はい、ありがとうございました。お疲れさまです」

「おう、お疲れさん」

 

 片付けを済ませて私たちは、フットサルコートを後にする。途中までみんなで話をしながら、商店街で歩き、交差点で別れてそれぞれ帰宅の道を行く。私はいつものように、彼と一緒に駅へと向かった。

 

「さっきの、惜しかったわね」

「上手くいったと思ったんだけどね。結局、止められた。もっと速く、もっとシンプルに改善しないと――」

「言っておくけど、無茶はダメよ」

「分かってますって。それに夏は、シード権持ってるから本番まで余裕があるからね」

「それなら先ずは、月末の中間試験ね。そういうことだから、駅前のファミレスへ行きましょ。現代文でちょっと教えて欲しいところがあるの」

「構わないけど、時間大丈夫?」

「平気よ、ちゃんと言ってあるから」

 

 最寄り駅前のフェミレスに入って少し遅い晩ご飯を食べながら、色々な話をして充実した時間を過ごした。

 そして、中間試験は無事終わり、本格的な梅雨の季節の訪れと共に、夏のインターハイが開幕した。



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Episode55 ~感触~

 いよいよ三年夏のインターハイ予選大会が幕を開けた。

 去年の冬の選手権、新人戦で好成績を残したことで今大会のシード権を獲得した朱雀高校は、二次予選からの出場。クジ運にも恵まれ、リーグ戦を順当に勝ち上がっていった。そして、二大会阻まれてきたベスト8の壁を三度目の正直で突破し、明日ベスト4進出を賭けた準々決勝を迎える。

 試合前日の練習を終えていつもの様に、寧々(ねね)と二人で帰宅の途につく。明日の話をしながら、校門までやって来ると、後輩の女子たちに囲まれながらめんどくさそうな表情(かお)で門柱に寄りかっている宮村(みやむら)が、先ほどまでとは打って変わって、爽やかな笑顔をしながらこちらへやって来た。

 

「よっ! お二人さん」

「どうしたんだ?」

「あなた、まだ帰ってなかったのね」

「待ってったんだよ。お前らをな......!」

 

 そういって、また無駄に爽やかにウインクをして見せた。

 と言うわけで途中、商店街で夕食の買い物をしてから三人でアパートに移動。家に着くと、寧々(ねね)が夕食作りをかって出てくれた。厚意に甘えさせてもらって、着替えを先に済ませる。

 

「それで?」

「ああ~、ちょっと待ってくれ」

 

 待っている間、寝転がってスマホをイジっていた宮村(みやむら)は操作を終えると体を起こして座り直し、スマホをテーブルの上に置いた。

 

「とりあえず、ベスト8おめでとさん」

「ああ、ありがとう」

 

 とは言ったものの、実のところ俺はまだ、試合に出ていない。今年は良い一年が何人か入って選手層は厚くなったし、苦戦するような試合運びにはなっていない。

 

「んで。明日の試合だけど、みんなで応援に行くからな!」

 

 スマホをイジっていたのはそれでか、先日中間試験も終わって時間に余裕が出来たから、みんなを誘って応援に来てくれるそうなのだが。

 

「別に来なくていいよ」

「お前、友だちなくすぞ......?」

「そういう意味じゃないって。応援は準決からでいいよってこと」

「準決からって何で? 明日は、楽な相手なのか?」

「そんなことないわよ。明日の対戦相手は去年の秋、朱雀高校(うち)が負けた帝王学園なんだから」

 

 キッチンから三人分の夕食を乗せたおぼんを持って来た寧々(ねね)が、出来上がった夕食をテーブルに並べながら答える。豚のしょうが焼きとキャベツの千切り、味噌汁、と見た目も匂いもとても食欲をそそる献立。しかも、豚肉の脂身をカットしてくれていたり、細かいところまで気づかってくれている。

 

「スゲー美味そう! つーか、厳しい相手っていう割りにはずいぶん余裕みてぇじゃね?」

「そうなのよねぇ。組み合わせが決まってすぐ『4強は確実だな』って、森園(もりぞの)くんが言っていたわ」

「苦労してたベスト8どころか、ベスト4かよ。何でそんなに余裕なんだ?」

「ま、相手の手の内は知れてるから。負けるワケがない。いただきます」

「どうぞ、召し上がれ」

 

 手を合わせてから、料理に箸を運ぶ。豚肉に絡んだ生姜と醤油、みりんの絶妙な塩梅のタレが口の中に広がって、白米も進む。

 

「うん、スゴく美味しい」

「マジで美味いな!」

「ふふーん、当然よ!」

「でもよ、相手もお前のことは知ってんだろ? 前に相手校に居るヤツと同じチームだったって言ってたしさ」

 

 確かにアイツは、古豪・帝王学園で十番を背負う司令塔の加納(かのう)は、俺のプレースタイルをよく知っている。

 そう、“中学時代”の俺のプレースタイルを――。

 

「そういえば、山田(やまだ)と一緒に女子に付きまとってるんですって?」

 

 夕食を食べ終わると思い出した様に話を切り出した寧々(ねね)は、宮村(みやむら)に軽蔑の眼差しを向ける。

 

「まあ、なんだ、ストーカーは犯罪だぞ?」

「ストーカーじゃねぇーし。つーか、何で知ってんだよ?」

「被害を訴えてる女子は、私のクラスの子なの。目撃証言もあるわ。あなたたち、いったい何を企んでるのよっ?」

「お前のクラスだったのかよ......」

 

 否定せず、めんどくさそうに目を逸らした宮村(みやむら)。どうやら付きまとっているのは本当のようだ。

 

「あの子、極度の人見知りなの。姫川(ひめかわ)さんとは比べ物にならないほどのね」

「それはまたずいぶんだね」

 

 姫川(ひめかわ)も最初はかなりの人見知りだったけど、最近になって普通に話せるようになった。宮村(みやむら)たちが付きまとっている女子――火野(ひの)は、教室ではいつもスマホとにらめっこしていて、クラスメイトとも極力接点を持たないように過ごしているとのこと。

 

「私、何度も声をかけてるの。でも全然馴れる様子がなくて、同じ中学の子に聞いたら特に男子が苦手だそうよ。だから、どんな事情か知らないけど、あまりしつこく付きまとわないであげて」

「つってもなー、もう接触しちまったんだよなー」

 

 両手を頭の後ろで組んでニヤッと白い歯を見せて笑い。対照的に、寧々(ねね)は大きなタメ息をついた。

 

「んなデカイタメ息つくなよ。今回の一件は、小田切(おだぎり)さんにも関係あるんだからよ」

「どういう意味よ?」

「その前にだ。そもそも今回の件は、オレたちの消された記憶に関係してんだよ」

 

 先の修学旅行で判明した、驚愕の事実。

 俺たちが一年だった頃の三学期の記憶が、朱雀高校の生徒全員から消されているということ。それは以前、当時の生徒会の儀式によって消されたと五十嵐(いがらし)から聞いた寧子(ねね)が教えてくれた。

 

「更にとんでもねぇことが判明しちまったんだ。実は当時、山田(やまだ)には――彼女がいたんだ!」

「イヤ、知ってるけど」

「知ってるわよ」

「は......?」

 

 まるで、鳩が豆鉄砲を食ったように固まった。

 

「イヤ、なんで知ってんだよ......?」

「俺、当時の記憶あるし。彼女が居たって噂を聞いたことあるから」

「私は、その話を結人(ゆいと)くんから聞いたわ」

「なんだよ、それ。オレ、ピエロじゃねーか......」

 

 ふて腐れた宮村(みやむら)は、背中を向けて横になってしまった。まったく、めんどくさい。それにいつだったか、山田(やまだ)には話したことがあったような気がしないでもない。

 

「もう。それで? それが、私とどういう関係があるって言うの?」

「おう、そうだったな! これ見ろよ!」

 

 一瞬で立ち直った宮村(みやむら)は、スマホを操作してテーブルの上に置いた。画面に表示されている画像は――。

 

「これ、私っ? 山田(やまだ)とうららちゃん、火野(ひの)さんも一緒に写ってるじゃない! どういうことよ!?」

「この画像の写真(オリジナル)は、火野(ひの)が自分の部屋のコルクボードに貼ってあった。つまりお前たちは、一年の頃から仲が良かったってことだ」

「そんな......」

 

 明かされた真実に、寧々(ねね)はしばらくの間絶句していた。

 

「夜飯、ごっそさん。じゃあまたな」

「ああ、また。気を付けて帰れよ」

「おう!」

 

 玄関の外で宮村(みやむら)を見送り、部屋に入る。

 

「ありがとう」

「別にいいのよ。これくらい大した事じゃないわ」

 

 後片付けをしてくれた寧々(ねね)にお礼を言って、彼女の正面に腰をおろす。

 

「やっぱり気になる?」

「さっきの話? そうね、確かに驚いたわ。でも、当時がどうだったか何て興味ないわ」

 

 ――なんでだろう。ナンシーに消された一年の二学期の記憶の時とは、ずいぶんと反応が違う。

 

「仮に記憶を取り戻して、どんな真実が判明したとしても。私は、私の今の気持ちを大切にしたいの。だから――」

 

 一瞬触れるだけのキスを交わし、彼女は隣に移動して寄り添い合う。

 

「私、間違って無いわよね......?」

「うん、間違ってないよ」

 

 もう一度、お互いの気持ちを確かめ合うように。さっきよりも長い時間をかけて、互いの気持ちを重ね合わせた。

 

           * * *

 

 準々決勝当日。今日は、梅雨入り前の最後の晴れ間だと気象予報士が言っていた。その予報通り、蒼く晴れ渡った空から降り注ぐ日差しが手入れの行き届いた鮮やかな緑色の芝のピッチをより鮮明に映えさせている。

 試合前の練習時間、足を止めて立ち止まり目を閉じる。ピッチを抜けるやや生温い風が頬を掠め、土と緑の香りが混ざった自然な匂いを運んでくる。その風と匂いにどこか懐かしさを感じながら、ひとつ大きく深呼吸をして、ゆっくり目を開らく。

 両校の選手たちが声を出し、ちょうど試合前の練習を始めたところ。――よし、行こう。

 

結人(ゆいと)くんっ!」

 

 練習に合流しようと足を踏み出そうとした時、朱雀高校応援スタンドから寧々(ねね)の声が聞こえた。振り返って、応援席を見るとスタンドの最前列に、寧々(ねね)宮村(みやむら)たちが一緒に居た。顧問と戦術を確認しながら軽く柔軟して身体を解している朝比奈(あさひな)に断りを入れてから、駆け足で彼女たちのところへ向かう。

 

「よっす! 応援に来てやったぜー!」

「やっほー、応援に来てあげたわよっ!」

椿(つばき)伊藤(いとう)さん、それにみんなも来てくれたんだ」

 

 超常現象研究部のみんな、五十嵐(いがらし)玉木(たまき)、後輩の女子二人も応援に駆けつけてくれた。

 

「ええ、中間試験が終わったから。それに宮村(みやむら)くんが、今日は絶対に勝つからって」

「お前、スゲー自信ありだったろ。どうせ観に行くなら、勝ち試合の方がいいからな」

 

 宮村(みやむら)は他の人たちにも声をかけてくれたそうけど、用事があったり、俺たちと同じくインターハイを目指す運動部だったりで結局、いつものこの面子に落ち着いたみたいだ。それでも、十分すぎるほど力強い味方。今日は観に来なくていい、何て言ったけど。やっぱり、応援してくれる友だちがいるとなると自然と気合いも入る。

 

「そっか、ありがとう」

「礼なんていいっての。つーかお前、こんなところで油売ってていいのか? 他の連中は、もう練習してんだろ?」

「ああ、それは大丈夫。俺、スタメンじゃないから」

「えっ? 先輩、出ないんですか?」

「先輩が試合に出るって言うから、ノアたち応援に来たんですけどー」

「戦術があるんだろう」

 

 スタートから試合に出ないと知って、みんな少し拍子抜けしたといった感じ。

 

「ま、たぶん途中から出ることになるとは思うから、その時は応援よろしく。じゃあ、そろそろ行くよ」

「私も、サッカー部の応援席へ戻るわ」

「あ、そっか。寧々(ねね)ちゃん、マネージャーだもんね」

「そうよ。じゃあ、また後でね」

 

 俺はグラウンドへ、寧々(ねね)はベンチ入りできなかった部員、マネージャーが居る応援席に戻って行った。

 朱雀高校ベンチ側タッチラインの外に転がっていたボールを足で掬い上げ、リフティングでボールと芝の感触を確かめながらピッチに入り、センターサークル付近まで行く。

 夜に降った雨は止み、日が出ているとはいっても、湿った芝のピッチはややスリッピーな状態。足下には少し気を遣う必要がある。そのまましばらくリフティングを続けていると、背中越し声をかけられた。

 

「まさか、朱雀(オマエ)らが勝ち上がってくるなんてな。正直、ベスト16で消えると思ってた」

 

 誰か確認するまでもない、嘉納(かのう)

 

「まあ、どこが相手だろうと関係ないけどな。帝王(ウチ)は、冬から格段にレベルアップした。パワー、スピード、テクニック全てにおいてな」

 

 ――まったく、よく喋る。それだけ自信があるということなのだろうが、構わずリフティングを続ける。足から伝わる感触は悪くない、いつも通り。

 

「無視するな。こうして話しをしに来たんだから」

「試合前の練習中の対戦相手に話しかけるのは、マナー違反だ」

「そう固いこと言うな。オレは、オマエの復帰を心から嬉しく思ってるんだ。故障したお前とはもう二度と、フィールドで会うことはないと思っていたからな」

「そりゃどうも」

 

「お前の意見を聞きたい、来てくれ」と、ベンチ前で顧問と守備戦術の確認を行っている朝比奈(あさひな)に呼ばれた俺はリフティングを止めて、ベンチへ向かって歩き出す。

 

「お前、出るんだろ?」

「試合展開によってはな」

「フッ。そうか、楽しみにしてる」

 

 自信満々な様子で小さく笑みを浮かべると、練習へ戻って行った。しばらくして練習が終わり、両校の選手共にベンチへ戻って最終ミーティング。ゲームプランの確認と共有をし、円陣を組む。

 

「前半理想はリード、最悪でも同点で後半に入るぞ。そうすれば勝てる。さあ、冬の借りを返しに行くぞ!」

 

 主将朝比奈(あさひな)の言葉に全員が頷き、スタティングメンバー11人がピッチへ駆け出した。応援席から拍手と声援が送られ、ベンチ入りメンバーは大きな声を出してチームを鼓舞。両校のスタメン選手たちはピッチに一列で整列して、主審の合図で移動しながら握手を交わし、各々のポジションに散る。

 主審は腕時計の針に目をやり、試合開始を告げるホイッスルがスタジアム中に響き渡る。

 帝王学園のキックオフで試合開始。

 いよいよ、ベスト4進出を賭けた一戦が幕を開けた。

 

           * * *

 

 前半戦も中盤、試合は終始うちのペースで進んでいる。

 相手の攻撃を確実にシャットアウト、チャンスはおろかペナルティエリア内からのシュートも一本も打たせない鉄壁の守備。そして攻撃面では、完全に引いて守って一瞬のカウンターを狙っていた冬とは違って、高い位置から奪ってのショートカウンターで、相手ゴールネットを揺らせずとも何度かチャンスを作っている。

 

「ここまでは、お前たちの試算通りに進んでるな。あとは、フィニッシュの精度だけか」

「はい」

 

 顧問の言うようにあとはフィニッシュだけ、このペースでいけば、いずれゴールは奪えるだろう。

 しかし、ゲームが進み終盤に差し掛かった時、予想していなかったことが起きた。主審の笛が鳴り響き、ゲームは中断。朱雀高校ゴール前に選手は集まり、ただならぬ異変を感じ取ったスタンドもざわつき出す。慌てて立ち上がった顧問は、監督が指示を出せるテクニックエリアのギリギリまで飛び出し、近くの選手を呼びつけて状況を確認。

 すると主審は、両ベンチの中間地点で待機している第四の審判に担架を要請した。担架を持ったスタッフ四人が走ってピッチへ入り、ゴール前で倒れている選手を担架に乗せ、ベンチ前に連れて戻って来た。倒れていたのは、朱雀の選手。相手のコーナーキックで相手選手との競り合いの際、頭を打ったらしい。本人は大丈夫だと言っているし、意識もしっかりしているが、場所が場所だけに「はい、そうですか」とは無責任に判断は出来ない。

 脳震盪のおそれがあるため、医療スタッフの診察を受ける間も試合は進む。人数が一人少ない状態では必然的に劣勢を強いられる。ひとり欠けた場所を攻め込まれ、フリーになった相手の強烈なシュートがキーパーの腕を弾き、ゴールバーを叩いた。

 それを見た顧問は険しい表情で、俺に顔を向ける。

 

「これ以上は、厳しいか......行けるか?」

「行きます」

 

 上着(ジャージ)を脱ぎ、ユニフォーム姿になる。アクシデントで予定よりも早かったが、準備は整っている。いつでも行けるように試合を見ながら、ストレッチを欠かさなかった。スパイクの紐を結び直し、すね当てを付けて立ち上がる。

 

「はい、頑張ってね」

「ありがと」

 

 ベンチ入りしている同級生の女子マネージャーから貰ったスポーツドリンクをひとくち飲んで、選手交代の手続きを済ませる。ディフェンスのクリアボールが、タッチラインを割った。第四の審判が選手交代のボードを掲げ、主審は選手交代を認めた。

 ひとつ息を吐いて、ピッチに足を踏み出した。



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Episode56 ~決着~

 懐かしい。

 最初に感じたのは、そんな感覚だった。

 スタンドから聞こえる声援を背に踏みしめる芝生の感触、青い空高くから降り注ぐ熱い日差し、両校の選手たちが攻防を繰り広げるフィールド上の張り詰めた空気、一発勝負の緊張感。

 その何もかもが、三年前に感じていたものと同じで酷く懐かしい。ほんの一瞬だけ目を閉じて、想う。

 ――俺は、帰ってきたんだ、ここに......。 

 短く息を吐き、テーピングが巻かれた右膝に軽く触れて、やや速足でフィールドへ駆け出した。直接自分のポジションには行かず、チームを統べる朝比奈(あさひな)の元へ向かう。向こうも小走りで駆け寄ってきた。

 

「来たか、指示は?」

「任せるってさ。残り五分か、どうする?」

「今、流れは完全に向こうにある。守り切ることは当然として、後半戦に向けて流れを変えるきっかけが欲しい」

 

 同意。仮に無失点で守り抜いたとしても、勢いまでは断ち切れない。

 

「アディショナルタイムに入ったら、ボールをくれ。より戻す」

「了解、頼んだぞ」

 

 主審がホイッスルを吹き、相手のスローインで試合再開。

 スローインを受けた一人を経由し、司令塔の嘉納(かのう)に渡る。そして、同じトップ下のポジションの俺たちは、計らずも必然的に対峙、ファーストプレイがマッチアップ。

 

「ようやくお出ましか。しかし、そんな足でまとも動けるのか? ベンチで大人しく座ってた方がいいんじゃねぇのか?」

 

 蔑むように鼻で笑う。まったく、分かりやすい挑発。まともに相手にするのもバカらしいが後のため、敢えて煽り返す。

 

「ハンデにはちょうどいいだろ? ま、俺が出なくても余裕で勝っただろうけどな」

「デカい口を叩くな、身の程を知れ!」

 

 一気にスピードを上げて距離を詰めて来た。ボールを操る嘉納(かのう)とのマッチアップはそこそこに、両サイドに視線を移して周囲の動き出しを観察、相手の攻撃パターンを割り出す。

 中盤の両サイドが司令塔の動きに連動して、前線へ走り出した。司令塔のフォローに来ている選手は居ない。つまり、自らドリブルで仕掛けるリスクの高い中央突破は避けたということ。ここから導き出せるパターンは二つ、両サイドのどちらかを使ったサイドアタック。右足でひとつ、跨ぎフェイントを入れた。

 この形は、右サイド。

 読み通り右足で跨ぎ、左のインサイドで相手側の右サイドのスペースへパスを送り、パスアンドゴーで走り出した。ボールの動きを追わずに逆サイドの選手を見る。パスを受けた選手は徐々に上がりつつ、中の動き出しを待っている。指を二本伸ばした右手をさりげなく掲げて、ディフェンス陣にサインを送る。出したサインに合わせて、リベロの朝比奈(あさひな)を中心した守備陣が動き出し、右サイドから攻め上がる相手に対して二人がかりで潰しに掛かった。いくら技術(テクニック)があったとしても、一人で二人を相手にするのは容易なことじゃない。当然、相手の足は止まる。

 

「くっ、コイツら......!」

「寄越せ、こっちだ!」

「頼む――しまった!」

「カウンターッ!」

 

 苦し紛れに安直に手放したところを見計らってパスカットした守備的MF(ボランチ)が、前線へボールを大きく蹴り出す。

 

「ナイスパース!」

 

 前のめりになっている手薄の中盤を通り越し、ディフェンスラインの裏へ転がったボールを持ち前の快足を飛ばした森園(もりぞの)は、懸命に戻るディフェンダーを置き去りにしてペナルティエリアに侵入、飛び出したキーパーの脇を冷静に抜き、ゴールネットを揺らした。劣勢の中、欲しかった先制点を奪い取り、空へ向かって拳を大きく突き上げた。

 沸き上がる応援スタンド、ベンチ、そして共にピッチに立つチームメイトたち。

 

「ナイシュー。さすが」

「あのドフリー外したらダサいっての。けど、今のでスイッチ入ったみてーだ」

「そうみたいだな」

 

 失点後すぐさま、センターサークルにボールをセットして主審の笛を待つ、帝王学園の選手たちの顔色が変わっていた。優勢に余裕を持っていた顔に緊張感が見え、ようやく本気モード。近年、全国から遠ざかっている古豪とはいえ地力はある。一点差なんてものはあってないようなもの。だからこそ、“種を蒔く”必要がある。

 このゲームを確実に勝利(もの)にするために。

 前半残り2分、帝王学園のボールでリスタート。相手フォワードはすぐさま、自陣の司令塔・嘉納(かのう)にボールを預けて前線へ駈け上がって行く。嘉納(かのう)はさすがの技術で、素早く奪いに来た渋谷(しぶたに)をワンフェイントで簡単にあしらい。そして、再びマッチアップ。

 

「たかが一点でいい気になるな! ここからが本番だ!」

 

 宣言通り、動きが変わった。元々テクニックがある上にキレが加わったとなれば、ボールを奪うことは至難の業。しかし、そんなことは関係ない。なぜなら、はなっから止める気などない。時間を稼ぎながら頃合いを見計らってワザと隙を作り、今度は、左サイドへボールを出させるように誘導。狙い通り、左サイドへパスを出した。先制点を奪った時と同じく周囲を確認し、そこから攻撃パターンを割り出す。

 今度は、逆サイドの選手も走ってる。しかしパスを出した張本人は、さほど前にポジショニングを取っていない。この攻撃は、サイドからのクロスボールにフォワードではなく、今走っている逆サイドの中盤が飛び込んで合わせるパターン。指を一本伸ばし左手を上げてサインを送り、俺はセンターサークルの手前でパスが来るのを待った。

 試合がアディショナルタイムに入るのと同時に、パスカットした朝比奈(あさひな)からの縦パス。ボールを取りに落下点へ走る。近くに居るセンターバックも当然ルーズボールを奪いにプレッシャーをかけに来る。ディフェンダーより一瞬早く先にジャンプ、空中で身体を捻り左胸に当て、後から飛んだ相手の裏へボールを落とし、着地と同時に反転し、ボール落とした方と逆方向から相手を抜き去る。

 

「何だよ、今のは!? クソ!」

「チッ! 病み上がり、あっさりやられやがって!」

 

 攻撃参加せず中盤に留まっていた嘉納(かのう)が、全速力で追いかけて来た。ゴールまで約30m辺りで回り込まれた。

 実は、正確にいうと今からやろうとしていることをより強く印象付けるためワザと追い付かせた。

 

「へい!」

「先輩!」

 

 渋谷(しぶたに)森園(もりぞの)がパスを呼ぶ。警戒する嘉納(かのう)の視線が一瞬動いた隙を逃さず、ドリブルで切り込む。しかし、振り切ったつもりも食らい付いてきた。

 

「どうする? もう、パスは出来ねぇぞ?」

 

 一呼吸置いたことで二人には、ディフェンスが貼り付いている。二つのパスコースは完全に塞がれたが、プレスに来ない。

 

「甘い」

「なに?」

 

 足の裏でボールを止めて、急ストップ。並走していた嘉納(かのう)を振り切り、対応に戻られる前に右足を踏み込み、迷うことなく利き足の左を振り抜く。一直線にゴール左上隅へ向かって飛んでいく。

 シュートコースをケアするため前目のポジションを取っていたキーパーがジャンプして伸ばした手の更に上を越えてゴールバーに直撃、跳ね返ったボールはゴールライン上でバウンド、キーパーが慌ててキャッチして抱え込む。同時に、主審の笛が鳴り響いた。

 その笛の音が示したのは、ゴールの判定ではなく、前半終了を告げるホイッスルだった。

 

           * * *

 

 ハーフタイムに入ったロッカールームは、後半戦へ向けての準備でてんやわんや。スタンドで応援していたマネージャーも総動員でスポーツドリンクの差し入れやケガの手当てなど、いろいろとサポートしてくれている。とてもありがたい。

 

「はい、スポドリよ」

「ありがと」

「すまんな。いただく」

「サンキュー」

 

 前半戦の総括と後半戦に向けての作戦を立てていると、寧々がスポーツドリンクを持って来てくれた。一歩横に移動し、寧々(ねね)はそこへ座った。

 

「どう?」

「スゴい美味い。何個でもいける」

「酸味と甘味のバランスが絶妙だ」

「氷入れて、炭酸で割りてー」

「ハチミツレモンのことじゃないわよ」

 

 訊かれたのは、寧々(ねね)手作りの「レモンのハチミツ漬け」の感想じゃなくて、膝のことだった。

 

「全然大丈夫。ちゃんと抑えてるから」

「そう、それならいいんだけど」

 

 寧々(ねね)は、ほっと胸を撫で下ろした。思わぬアクシデントによる想定外の出場だったから、ちょっと心配させてしまった。

 

「そういえば最後のシュート、惜しかったわね。みんなも言っていたわよ」

「ああー......あれね。あれは別に、ゴールを決めることが目的じゃなかったから外れても構わなかったんだ」

 

 むしろ、奪えなかったことで相手の印象に深く残るだろう。

 

「どういうことなの?」

「あの場面で、シュートを打つことが重要だったってことだよ。この試合を優位に運ぶためにね」

「よくわからないけど、期待していいってことよね?」

「うん、期待して――ないっ!?」

 

 さっきまでタッパーいっぱいにあったハズのハチミツレモンが跡形もなくキレイさっぱりなくなっていた。 ちょっと寧々(ねね)と話していた間に、みんなに全部食べられてしまっていた。しかも、顧問が一番食べてるし。

 

「マジかー......」

「もー、そんなことで落ち込まないで。また作ってあげるわ」

 

 呆れたように言ったけど、その声はどこか嬉しそうに聞こえたような気がした。

 

「ところで、そろそろ教えてくれないかしら? あなたたちが、この試合は絶対に勝てるって言ってた理由」

 

 寧々(ねね)の疑問に答えたのは、朝比奈(あさひな)

 

「簡単なことさ。帝王学園(アイツら)の戦術は全てフォーメーションプレー。攻撃も、守備も、予め決められたパターンでしか動かないんだ。どのパターンで来るのか解れば止めることは容易いだろ」

 

 そう、まるで機械のように決められた動きしかしない。

 そして攻撃時のスイッチを、タクトを振っている司令塔の嘉納(かのう)は、とある選手のゲームメイクを模倣しているだけに過ぎない。

 

結人(ゆいと)くんの模写(マネ)っ!?」

「ああ、そうだ。相手は、宮内(みやうち)が中学時代に試合で実際に行ったゲームメイクを寸分の狂いなく、そのまま模写(コピー)している」

「自分のプレースタイルなんだから、次に何をしてくるか本人には分かって当然だろ。だから、勝てるって言ったんだよ」

 

 それに所詮は、中学時代の俺を模写(マネ)している過ぎない。上積みも全くなく、中学レベルで満足している奴に負けるわけがない。

 後半戦へ向けてのミーティングを終えて、フィールドへ戻る。既に相手チームは、ピッチでウォーミングアップを行っていた。俺たちが戻って来たことに気づくと、明らかに強張った表情(かお)を向けてくる。嘉納(かのう)に至っては、敵意を剥き出し。

 

「見ろよ、あのツラ。想定外のリードされて迎える後半戦。そしてお前のはったり、あのロングシュートが相当堪えていると見える」

「みたいだね」

「全て目論見通りか。つくづく恐ろしいヤツだ」

朝比奈(あさひな)先輩!」

 

 話していたところへ、渋谷(しぶたに)が走ってきた。

 

「何だ?」

「あの、さっきのミーティングで好きに動けって言ったじゃないすっか? あれって――」

 

 ハーフタイムのミーティングで、担任は練習に参加してまだ二ヶ月の俺との連携プレーに対する不安を念頭に置き、極力リスクを冒さず守備に重点を置く作戦をとろうと考えていた。しかし、朝比奈(あさひな)の自信に満ち溢れた進言によって、守りには入らず、より攻撃的な戦術で戦うことに決まった。

 

「心配するな。全部、コイツがやってくれる」

「丸投げするなよ。キャプテン」

「何言ってる。司令塔は、試合(ゲーム)を支配することが使命だろう? 頼むぞ、司令塔」

 

 そういった朝比奈(あさひな)は、やや意地悪く小さく笑い、俺の肩をぽんっと軽く叩き、自分のポジションへ戻っていった。

 

「はいはい、了解。ってことで渋谷(しぶたに)、開始5分以内に追加点を奪う。裏にラストパス出すから飛び込んでくれ」

「えっ、5分で!? てか、マークめっちゃキツイんすよ? 俺、前半もほとんどパス受けられなくて――」

「大丈夫大丈夫、難しく考えなくていいよ。タイミングはこっちで合わせるからさ」

「ういっす、わかりました」

 

 首をひねりながら、ポジションへ戻っていく渋谷(しぶたに)。程なく、主審が試合球を持ってフィールドに姿を現した。センターサークルの中心にボールをセットし、両校の準備が整ったことを確認すると、腕時計を見ながら口にくわえたホイッスルを吹いた。

 朱雀高校のキックオフで、後半戦スタート。

 渋谷(しぶたに)からボールを受けた森園(もりぞの)は、すぐに後ろを向いて軽く出したパスを受けて、前を向く。相手ツートップの二人が血相を変え、後半開始早々プレッシャーをかけに来る。バイト上がりにほぼ毎日、化け物じみた店長を相手に勝負している。言っちゃ悪いけど、この程度の圧は何のプレッシャーも感じない。先に突っ込んできた一人をかわして、サイドに叩き、リターンパスを受けて相手陣内に侵入。そして、前半終了間際とほぼ同じ位置で再び相手司令塔とマッチアップする形になる。

 

「もう、同じ手は喰わない。さっきのプレーを含め、お前のプレーは全て熟知した!」

 

 呆れ果てて、思わずタメ息が漏れてしまう。

 

「お前、ほんとツマラナイ奴になったな。こんなくだらない猿マネを続けて何が面白いんだ?」

「なんだと?」

「お前が、その程度で満足してるなら、それまでだけど――」

 

 跨ぎフェイントを入れてタイミングを崩し、パス。一人を経由してパスを貰う。ゴール前、前半終了間際にシュートを打った位置より更に一歩奥まで切り込み周りを見る。左サイドからは渋谷(しぶたに)、右サイドからは森園(もりぞの)が上がって来ている。先制点を奪った森園(もりぞの)には二人のマークが付き、ミドルシュートを警戒して俺にも当然一人寄せて来る。蒔いた種が芽吹き、渋谷(しぶたに)に対するケアが甘くなった。

 そして、渋谷(しぶたに)を一人でマークせざるを得ないディフェンダーが一瞬目を切った一瞬の隙を見逃さず裏へスルーパスを通す。完全フリーでパス受けた渋谷(しぶたに)が無人のゴールに流し込み二点目。

 ここから試合は、一方的に進んでいった。

 二点のビハインドの焦りより、更に前がかりになった相手の攻撃の隙をついたショートカウンターで三点目を奪う。そして、試合は終盤を迎えた。

 

「まだだ、まだ終わっちゃいないッ!」

 

 これ以上の失点はしまいと完全に守備にまわっている嘉納(かのう)が、最終ラインで俺の行く手を塞ぎに来た。

 ――行けるか? 

 周りにフォローは居ない、試すなら今。店長に指摘されたことを気をつけ、視線のフェイクを入れ、左のアウトサイドでボールを外側に弾き、相手が咄嗟に足を出して来たところをすばやく左のインサイドで切り返す。

 

「エラシコ――な、足が......!?」

 

 素速い切り返しのフェイント引っ掛かり、バランスを崩して尻餅をついて倒れた横を抜き去る。

 これが、ケガでサッカーを離れ、フットサル特有のプレースタイルで身に付けた新しい技術(テクニック)アンクルブレイク。フリーでペナルティエリアへ入り、飛び出して来たキーパーを冷静にかわしてゴールへシュート。試合を決定づける四点目で、勝敗は完全に決した。



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Episode57 ~柔らかな笑み~

 視界に映るのは、真っ白な天井。

 少し硬めの規格ベット、鼻につく消毒の匂い、窓際で揺れる清潔感のある白いレースのカーテンが、入院していた時のことを思い起こさせる懐かしい雰囲気。なぜ今また、医務室に居るのかというと試合後ミーティングを行うロッカールームへは行かず、負傷した足の治療のためスタジアム内に完備されている医務室へ直行したため。治療といってもそんな大ごとではなく、ちょっとつっただけだから大したことじゃない。

 

結人(ゆいと)くん!」

 

 ベットに横になって治療を受けていたところ、血相を変えた寧々(ねね)が医務室に入ってきた。額にはうっすら汗が滲み、呼吸も少し乱れ、相当急いで来たことが伺える。何か、急ぎの用事でもあるのだろうか。身体を起こし、ベッドを椅子替わりにして尋ねる。

 

「どうしたの? そんなに慌てて――」

「どうしたの、じゃないわ! ロッカールーム行ったら、医務室で治療を受けてるって言うじゃない!」

 

 大丈夫だと伝えておいてとは言ったんだけど、それは聞かずに飛び出して来てくれたんだ。不謹慎だけど、やっぱり嬉しい。

 

「大丈夫、ふくらはぎが少し張っただけだよ。だからこうやって、水分補給と患部のアイシング。それと、テーピングで固めとけばすぐに歩けるから」

「ホントなんでしょうね?」

「ほんとほんと、ですよね」

 

 信じてもらうため、患部の処置してくれた女性看護士に話を振ると「ええ、心配ないですよー」と、どこか微笑ましそうにうなづいた。

 

「ほら、大丈夫でしょ」

「そう。ハァ、もう心配させないでよね?」

 

 看護士のお墨付きが出たことで納得した寧々(ねね)は大きく息を吐いて、ベット脇のパイプ椅子に座った。

 

「まだ、走れる筋力(スタミナ)は戻ってなかった」

「仕方ないわよ。本来は、冬に復帰の予定だったんでしょ。それなのに、無理して五点目を奪いに行って、それでケガしちゃ意味ないじゃない」

「はい、スミマセン」

 

 大したことなかったとはいえ、心配させたことは間違いないから素直に謝っておく。

 ――でも、これがきっかけになるのなら安い出費。

 治療が終わったことを告げるアラームが鳴り響いた。患部のアイシングを外した看護士がテーピングを巻こうすると「私がやります」と寧々(ねね)が申し出て、幅と伸縮性の異なる複数のテーピングを巧みに使いこなし、あっという間に巻き終えてしまった。

 

「どうかしら?」

「スゴく動かしやすい。でも、いつテーピング巻けるようになったの?」

 

 教えた覚えはないし、他の女子マネージャーたちにもこれほど手際よく巻ける人はいない。

 

「本とか、動画サイトを見て独学で覚えたわ。部室に入り浸ってる後輩たち二人にも協力してもらってね」

 

 ――あの子たちが練習台になってくれてたのか、今度何か埋め合わせしておこう。

 

「それじゃ戻りましょ。早く戻らないと、ミーティングが終わっちゃうわ」

「あ、そうだね。ありがとうございました」

「はい、お大事に」

 

 俺たちは看護士と医者に頭を下げて、医務室を退室。寧々(ねね)の手を借りて、控え室の前まで行くと、朝比奈(あさひな)がスマホを片手にコンクリート打ちっぱなしの壁に寄りかかっていた。

 

「来たか。ミーティングは、今さっき終わったところだ。今日は解散、明日は一日フリーだ。顧問と何人かのレギュラーメンバーと次の対戦相手が決まる試合を観戦する予定だが、お前たちは休んでいろ」

「たちって。私も?」

「監視を頼みたい。しっかり、療養させてくれ。全国が見えている今、故障で離脱でもされたらシャレにならないからな」

「そういうことなら任せておきなさい。しっかりめんどうを見てあげるわっ」

「俺は、子どもですか」

「痛いと素直に言う子どもの方が幾分扱い易い」

「そうよ。あなたは、もう少し自分の身体を大事にするべきだわ」

 

 自覚があるから、何も言い返さない。二人から、実に耳の痛い有難いお説教をしていただき、デビュー戦を勝利で飾ったスタジアムを後する。すると偶然にも、対戦相手の帝王学園サッカー部とばったり出くわした。大差で負けるなど夢にも思っていなかったのだろう。俺たちの数メートル前を落胆した様子で歩く集団の中に、アイツの姿を見つけた。向こうも俺たちに気がつき、苦虫を潰したような表情で歩いてくる。

 

「そういえば、ドリンクのストックが切れていたな。マネージャー、買い出しに付き合ってくれ」

「えっ? でも――」

 

 気を利かせてこの場を離れようとする朝比奈(あさひな)に言われて、寧々(ねね)は戸惑いながら俺に目を向けた。頷いて答える。

 

「......わかったわ。行きましょ、朝比奈(あさひな)くん」

 

 不満半分心配半分といった感じで渋々、この場を離れて行く。二人が見えなくなった直後、眉間に皺を寄せ憮然とした表情の嘉納(かのう)が、目を合わせることなく俺の目の前を横切った。

 

「この借りは、冬に倍にして返す」

 

 すれ違いざまにそう言い残して過ぎ去ろうとした背中に向かって、言葉を投げつける。

 

「ムダだ、もう勝負はついた」

 

 嘉納(かのう)の足が止まった。

 

「たかが一度勝っただけでいい気になるな。必ず物にしてみせる......」

「何度やっても結果は変わらない。お前だって、本当はもう分かってるんだろ。こんな真似事(こと)を続けたって、意味がないことくらい」

 

 問い掛けに答えることなく、バスが待機している駐車場へ歩いて行くその後ろ姿に、どうしようもないやるせなさを感じて思わずタメ息が漏れる。

 

「どうしたの?」

「――えっ?」

 

 顔を上げると、すぐ近くに白石(しらいし)がいて不思議そうな顔で首をかしげていた。

 

「今の、対戦相手の人よね?」

「うん、少し話してただけだよ。他のみんなは?」

「買い物に行ったわ」

「買い物?」

「ええ、初出場とベスト4進出のお祝いをしようってことになって。電話しても通じなかったから直接呼びに来たの」

 

 そういえば、スマホの電源を切ったままだった。

 

「ごめん。電源切ってた」

「ううん、すれ違いにならなくてよかったわ。寧々(ねね)ちゃんは?」

「ああ、寧々(ねね)は――」

「あら、うららちゃんじゃない」

 

 寧々(ねね)朝比奈(あさひな)が、対戦相手が乗ったバスが発車したのを見計らったように戻ってきた。

 

「心遣いはありがたいが。俺は明日、朝イチで偵察へ行く予定だから、今日は早めに休みたいんだ。気持ちだけ受け取っておく」

「そう、それなら仕方ないわね。お疲れさま。それから、おめでとう」

「サンキュー。お前も早めに上がれよ」

「分かってる」

 

「じゃあな」とスポーツバッグを担ぎ直し、くるりと踵を返して軽く手を上げて、バス停へ向かっていく背中を見送る。

 俺たちは別路線のバスに乗り、パーティが催される宮村(みやむら)の家へ向かった。最寄りのバス停で下車して歩くこと数分、パーティー会場に到着。

 

「相変わらず、大きい家ね」

「だね」

「もう、みんなは来ているかしら?」

「おっ、来たか」

 

 白石(しらいし)がチャイムを鳴らす前に、トングを持った宮村(みやむら)が顔を出した。招かれて後を着いていく。案内された先は屋敷のリビングではなく、隅々まで手入れの行き届いた広い庭。刈り揃えられた芝生の上にレジャーシートが敷かれ、大きなバーベキューコンロと、簡易式のテーブルデッキが用意されている。

 

「スゲーうまそうじゃん。イテッ!」

「ダメ。まだ盛り付けが終わってないんだから!」

 

 料理上手な椿(つばき)のお手製ローストビーフが盛られた皿に伸ばした宮村(みやむら)の手を、伊藤(いとう)が軽く叩いて阻止。

 

「いいだろ、いち枚くれーよ」

「ダーメっ!」

白石(しらいし)、来てたのか。二人も居るってことは連絡ついたんだな」

山田(やまだ)くん。メッセージ送ったハズだけど?」

「えっ、マジかっ? 伊藤(いとう)にこき使われてたから気づかなかったぜ」

「ちょっと、人聞きの悪いこと言わないくれる!?」

「よく言うぜ、バーベキューセット全部運ばせたクセによー」

「平等な対価でしょ。アンタはどうせ、セットし終えたあとは食べるだけなんだから」

「うぐっ......」

 

 理不尽を訴えるつもりが完全に言い負かされていた。しかも、ド正論で。

 

「まったく、キミたちは......」

 

 二人のやり取りを呆れた表情(かお)で聞いていた玉木(たまき)が割って入る。

 

「先ずは、今日の主役を出迎えるのが先じゃないのかい?」

 

 そう諭した玉木(たまき)は、俺と向き合う。

 

「ベスト4進出おめでとう。僕も鼻が高いよ」

「まだ会長として何も実績ねーもんな」

宮村(みやむら)くん、ちゃちゃ入れないでくれないかな!? 僕は、ただ純粋に友達として賛辞を送っているだけで――」

 

 玉木(たまき)の抗議もむなしく、イタズラな笑顔で聞き流す宮村(みやむら)。まあ、俺としては変にかしこまられるよりも、このいつもの調子の方が気楽でリラックス出来る。

 

「まったく、相変わらずね。椿(つばき)、空いてる包丁とまな板借りるわよ」

「おうよ、食材は好きに使ってくれていいぜー」

「手伝うよ」

「テーピングで固めてる足じゃ立ってるのも辛いでしょ。いいから座って待ってて」

 

 確かに、ここはお言葉に甘えさせてもらおう。

 

「あっ、ちょっと待って今荷物退けるから」

「ありがとう、伊藤(いとう)さん。でも足を伸ばしたいから、こっちに座らせてもらうよ」

 

 椅子にある買い物を退かそうとしてくれた伊藤(いとう)に礼を伝え、後輩の女子たちが紙皿などを準備しているレジャーシートの方にお邪魔させてもらうことした。

 

「そう? って言うか、アンタたちはサボってないで手を動かす! 真面目に手伝ってる五十嵐(いがらし)を見習いなさいよね!」

「へいへい」

「言われなくてもわーっているって」

 

 伊藤(いとう)に説教された二人は作業に戻り、レジャーシートの空いているスペースに座って待たせてもらう。

 

「あ、先輩、おめでとうございまーす」

「おつかれさまでーす。ノアの応援のお陰ですねー」

「あはは、そうだね。二人とも応援ありがと」

「いえ。てゆーか先輩、その足......」

 

 猪瀬(いのせ)は、テーピングが巻かれたふくらはぎに視線を向けた。

 

「少し張っただけで大したことないよ」

「そうですか。もしかしてそれ巻いたの、寧々(ねね)先輩ですか?」

 

「そうだよ」と答えると、練習に付き合った甲斐があったと彼女は笑った。

 

「と言っても、一番体張ったのは五十嵐(いがらし)先輩ですけど」

「そうそう、今、先輩のスネちょーキモいんですよー」

「お前が、原因だろうがッ!」

 

 近くで大型ペットボトルを運んでいた五十嵐(いがらし)が、滝川(たきがわ)に噛みついた。

 

「何があったんだ?」

「聞いてくれ。滝川(コイツ)はな、中途半端に余ったテーピングをイタズラで俺のスネに貼って、思い切り逆さに剥がしやがったんだッ!」

「うわぁ......」

 

 シャレにならない、スゲー痛いヤツ。五十嵐(いがらし)がいきり立つのも道理と言うもの。正直想像もしたくない、まさに鬼畜の所業だった。

 

「言っておきますけど、私は関係ないですよー?」

「あ、ずるーい、止めなかったじゃん」

「だって、面白そうだったし」

「お前らなぁ......」

 

 五十嵐(いがらし)には悪いけど、大会が始まってから部室へ行ける時間も少なかったから少し不安だったけど、仲良くやってるみたいで安心した。

 

「料理出来たわよー! ノアちゃん、(じゅん)ちゃん、お皿おねがーい!」

 

 伊藤(いとう)に呼ばれた二人はテーブルへ。滝川(たきがわ)は出来上がった料理を取り分けて、猪瀬(いのせ)は紙コップに飲み物を注いで配る。料理と飲み物が全員に行き渡った。

 

「んじゃあ、宮内(みやうち)の復帰とデビュー戦初勝利を祝して、カンパーイ!」

 

 宮村(みやむら)の音頭で、祝勝会(パーティ)の始まりを告げた。

 

           *  *  *

 

 パーティは夜になって、お開きになった。

 手分けして庭の片付けを済ませ、いざ帰ろうとしたその時、夜空から雨粒が落ちてきた。みんな、すぐに止むだろうと高をくくっていたのだが、雨はいっこうに止む気配はなく降り続けた。帰れない程の雨足ではないのだが、伊藤(いとう)の発案で今日は、宮村(みやむら)の家に厄介になることになった。

 風呂を借り、ベランダに出る。今なお、雨は降り続いている。雨が当たらない壁に寄りかかり、静かに目を閉じる。地面や屋根に当たった雨粒が弾ける音、土と緑の混ざりあうどこか懐かしさを感じるニオイ。雨の日の情景に耳をすます。

 

「あっ、宮内(みやうち)くん」

「ん? ああ、白石(しらいし)さん」

 

 目を開けると、白石(しらいし)がベランダに出てきていた。服がさっきまでと違う。きっと、宮村(みやむら)のお姉さん、レオナに借りた服だろう。

 

「どうしたの?」

「涼んでただけだよ。エアコン苦手なんだ」

「入院していた時もつけてなかったわね」

 

 懐かしそうに微笑んだ白石(しらいし)は隣に来て、街を眺める。俺も彼女に習い、街に視線を移移す。お互い無言のまま雨のカーテンの向こうに灯る幻想的ば雰囲気を醸し出す街の風景を眺める。先に沈黙を破ったのは、彼女の方だった。

 

「試合のあと、相手の人と何を話してたの?」

「大したことじゃないよ。昔の知り合いだったから少し話しただけ」

 

「そう」と、白石(しらいし)はひとことだけ言って再び前を向いた。

 

「でも、あの時のあなた、少し寂しそう見えたわ」

 

 ドキッとした。

 どうやら見透かされてるみたいだ。

 小さく深呼吸をして心を落ち着かせて、白石(しらいし)を見る。変わらず、まっすぐ前を見ていた。前を向き直す。

 

「俺さ......」

「ん?」

「あ、いや。俺、憧れていたんだ」

「憧れ?」

「天才とか、才能とか、そんな簡単に口にしたくないんだけど、嘉納(あいつ)は本当の天才だって思ったんだ」

 

 サッカー部に入部して、初めて嘉納(かのう)のプレーを目の当たりにした時、その圧倒的な実力に衝撃を受けた。同じ一年で三年生と互角......いや、既に凌駕する程の実力を有していた。実力が認められ、一年で唯一夏の大会でベンチ入り果たし、監督の起用に答え、数行の文章のみながらも紙面を飾る程の結果も出した。

 こんなスゴいヤツに追い付きたいと、俺は必死に練習した。猛練習の甲斐もあって、二年からベンチ入りを果たし、試合に出ることが増えてきた。ただその時にはもう、アイツは既にチームの中心選手になっていた。

 だが、ある出来事が嘉納(かのう)を変えた。

 司令塔(ゲームメーカー)の三年が、練習試合を風邪で欠場した。その試合、代わりに司令塔のポジションに入った嘉納(かのう)は持ち前のスキルを見せるも上手くハマらない。敵を切り裂く早く鋭いパスに、誰もまとも反応出来なかった。結果は、惨敗。だけど、誰も責めなかった。むしろ、幾度もあったチャンスを活かせなかったことを悔いた上級生も少なくなかった。

 ただ、唯一許さなかったのは――アイツ自身だった。

 その日から、司令塔に拘り出した。

 自身の練習と平行して、別メニューで練習を続けた。そして、三年が引退して部内で行った最初のミニゲーム。本来ポイントゲッターの嘉納(かのう)が、練習試合以来に司令塔を志願。彼のプレーを目の当たりにして驚愕することになる。ゲームメイク、パスを出すタイミングと強さ、細かな仕草・挙動(クセ)まで、引退した三年のプレーを寸分の狂いなく完璧にコピーしていた。

 その異常さに危機感と恐怖感を覚えてた顧問は、嘉納(かのう)ではなく、司令塔に俺を指命。その判断に納得いかなかった嘉納(かのう)は、本来のポジションでのスタメンを拒絶。顧問やチームメイトの説得にも応じず、今度は当て付けように俺のプレーの模倣(コピー)を始めた。

 追われるプレッシャーは半端なかった。

 必死に練習して身に付けた新しい技術(テク)も、簡単に自分のモノにされてしまう。まるで、お前のプレーなんぞ取るに足らないモノだと言わんばかりに。お蔭で、急激に成長できたのもまた事実で。そんな日々が続いて、中学最後の大会の登録メンバー発表の前日。嘉納(かのう)は突然、退部届けを提出し、地元クラブのジュニアユースへ転向した。

 

「時期が時期だけに動揺は走ったけど、いざ大会が始まれば気にする余裕なんてなくてそれっきり。それで結局、アイツ、今も何も変わってなくて。本当ならもっと出来るのに、くだらないことに拘って、才能を無駄遣いしてる」

 

 本来なら今頃、全国で脚光を浴びててもおかしくないくらいの実力を持ってる。だから俺は、今日の試合でフットサルで培った経験と技術を織り混ぜた中学時代とはまったく異なる新しいプレースタイルで、試合終了の笛が鳴るその最後の瞬間までケガのリスクを犯してでも全力で得点を奪いにいった。

 今なお拘り続けていることがどれだけ無駄なことか、それに気づいてれさえすれば――。

 

「本当に、そうなのかしら?」

「え?」

「何となくだけど。宮内(みやうち)くんに拘っている理由は、別にあるんじゃないかしら」

「別の理由?」

「ええ。だって、前の大会は全国大会に進めなかったんでしょ? それなら、中学生の頃の宮内(みやうち)くんを模写(マネ)しても意味はないと思うの」

 

 確かに、白石(しらいし)の言う通りだ。

 嘉納(かのう)は、人一倍結果に拘るタイプ。高校サッカーでは通用しない中学時代の俺の模写(コピー)に拘り続ける理由なんて、本来なら何もない。負かされた相手のコピーに躍起になりそうななもの。

 ――だったら、どうして今も......。

 思考を巡らせている最中ふと空を見上げると、雨はいつの間にか止んでいた。薄暗い雲の切れ間からは、銀色に輝く満月が姿を見せ、雨上がりの澄んだ夜空を鮮やかに彩る。

 しばらく静かに眺めていたい、そんなことを思っていると部屋の中から「いやあぁーっ!」と静寂を切り裂く大きな悲鳴が聞こえてきた。

 

「今の悲鳴は......」

寧々(ねね)ちゃん?」

「だよね? どうしたんだろう」

 

 頭文字にアルファベットのGがつく昆虫でも出たのかな。

 

「そろそろ、戻ろっか?」

「ええ、そうしましょう」

 

 夜空に浮かぶ目映い輝きを放つ満月に少し名残惜しさを感じつつ、部屋に戻る。

 

「今の話、オフレコでお願い。ちょっと恥ずかしいから」

「それは構わないけど、どうして私に話てくれたの?」

「どうしてだろう。親しくなったからかな? こんなこと知られたら、山田(やまだ)に勘違いされて睨まれそうだけど」

「ふふっ、私もきっと、寧々(ねね)ちゃんに怒らるわね」

「はははっ、お互い大変だね。うれしいけど」

「ええ、本当に――あっ!」

 

 不意に白石(しらいし)の足が止まった。

 

「どうしたの?」

「私、わかった気がするわ」

「なにが?」

宮内(みやうち)くんの模写(マネ)に拘る理由。それは、きっと――」

 

「みんな、楽しそうだからよ」と、白石(しらいし)は確信を持ったような柔らかな表情で優しく微笑んだ。

 



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Episode58 ~彩り~

 厳しい日差しが照りつけるアスファルトに揺れる陽炎、蝉時雨の波、異常な暑さにも負けず、逞しく咲く小さなアザミの花。梅雨らしい長雨もなく、比較的空梅雨だった初夏が過ぎ去り、本格的な夏の様相を見せ始めた七月下旬。高校生活最後の夏休みを数日後に控え、一学期の期末試験を終えた私は、新校舎に構えるフットサル部の部室へ足を運んだ。

 部室は、蒸し暑い廊下とは違って冷房が効いていて、熱のこもった体を冷まし、額や制服の下にかいた汗もすぐに乾かしてくれる。けど、汗が乾いた後臭いとかやっぱり気になるから、デオドラントボディシートは夏の必須アイテム。

 

「その、ボディシート良い匂いですね。なんの香りですか?」

「バラの香りよ。匂いがキツすぎるのが多いけど、これは微香料で保湿成分も配合してるから、冷房が原因の乾燥ケアにもなるわ」

「あ、ほんとだ、すべすべしてる」

「てゆーか、日焼けもほとんどしないし」

「当然よ。部活中も、ちゃんと対策してるもの。女子たるもの常に人から見られていることを意識しなきゃダメよ」

寧々(ねね)先輩が言うと説得力ありますね」

「努力してるんですね、やっぱり。ただエロいだけじゃないんだー」

「ちょっと! その言い方やめてくれないかしらっ!」

 

 宮村(みやむら)の家で執り行われた結人(ゆいと)くんの復帰祝いパーティーでの失態以来、二人はことある度にそっちの話に持っていこうとする。何があったかはもちろん秘密。 まったく、(みやび)ちゃんが男子と入れ替わって色々知っておくのも良い経験になるなんて言うから。ほんと、男子たちに聞かれなかったのが唯一の救い。

 

「どうしたの?」

「あ、宮内(みやうち)先輩、こんにちはー」

「おつかれさまでーすっ」

 

 部室に入るなり、不思議そうな表情(かお)をしていた結人(ゆいと)くんは二人に挨拶を返してから、いつものように私の隣に腰を下ろした。

 

「それで、何話してたの? 廊下まで声が聞こえたけど」

「何でもないわ、他愛のない話よ。それより。(うしお)くん遅いわね」

五十嵐(いがらし)なら、玉木(たまき)に呼び出されて生徒会室に行ったよ」

 

 ここに居る時メールでやり取りしてるのは何度か見たことがあるけど、生徒会室へ直接呼び出されるのは珍しい。何か重要な用件なのかしら? なんてことを思いながら四人で話をしていると、(うしお)くんがやって来た。

 

「受験のことで呼ばれたんだ。そこで、“7人目の魔女枠”ってので朱雀大学へ推薦での進学が決まった」

「あ、そういえば西園寺(さいおんじ)先輩も、五十嵐(いがらし)先輩と同じ理由で推薦もらって短大に進学したんだったわね」

「ええーっ、なにそれ、ずるーいっ」

「何言ってるのよ。(うしお)くんは、それだけ重い役割を背負ってるってことなのよ」

 

 何て言っても、“7人目の魔女”の能力を使うと、みんなに自分のことを忘れられてしまう。魔女の能力を知ってる人には事前に学校の敷地外に出てもらえば忘れられないから、玉木(たまき)もその辺りはちゃんと配慮している。でも結局、魔女を知る知り合いがいない自分のクラスでは、孤立しちゃうのよね。

 

「あっ、そうだ!」

「言っておくが、滝川(おまえ)が“俺の後継者”になっても無条件で推薦をもらえるワケではないぞ。推薦してもらえる必要最低限の学力は必須だ」

「なーんだ、じゃあいいです」

 

 宛が外れたノアちゃんは、露骨に興味を無くした。そんな彼女に対して、呆れ顔で(うしお)くんはひとつ深いタメ息をついた。気を取り直して、今週末から始まる夏休みの話題へ。

 

「サッカー部は、終業式から合宿なんですよね?」

「そうだよ」

「じゃあ、ここはどうするんですか?」

 

 (じゅん)ちゃんの素朴な質問に、結人(ゆいと)くんと(うしお)くんは顔を見合わせる。言われてみれば、フットサル部での合宿申請は出していない。生徒会長が玉木(たまき)だから、頼めば今からでも融通を利かせてくれると思うけど、でもそれ以前に――。

 

「大会に出るとか、何か目標があるわけでもないし」

「部員も、私たち三人だけ」

「そもそもこの部自体、魔女探しのためだけに作った仮初め部活だったからな」

 

 ――そうなのよね、魔女を探すことが目的だったのに。今みたいな関係になるなんて、去年出会った時には夢にも思わなかった。

 

「あん? ここフットサル部の部室じゃねーか」

「つーことは、こん中に魔女が居るのか!?」

 

 ノックもなしに突然、部室のドアが開いて騒がしい声が背中から聞こえてきた。いちいち確認する必要もない、この緊張感のない声の主は、あの二人の男子。

 

宮村(みやむら)先輩と、山田(やまだ)だ」

「俺は、呼び捨てかよ!?」

「せんぱーいっ、ノアに会いに来てくれたんですねーっ!」

「ちげーし! 引っ付くな! おい、宮村(みやむら)、いったい誰が魔女なんだッ? 俺には、(うしお)しか見えねんだ!」

「フム。どうやら、五十嵐(いがらし)の反応だったようだな」

「また、無駄足かよ」

「あんたたちねぇ。いきなりやって来て、いったいどういう了見なのかしら? ちゃんと説明なさい!」

「は、はい......」

 

 私の一喝で、山田(やまだ)宮村(みやむら)はまるで借りてきた猫のようにおとなしく正座して、部室へ来た事情を話し始めた。山田(やまだ)は、リカ先輩の儀式によって失ってしまった一年生の三学期の記憶を取り戻すため、虚弱体質の詫摩(たくま)の代わりに“7人目の魔女”の能力をコピーして、最後の魔女を探してる。山田(やまだ)観測手(スポッター)になった宮村(みやむら)の探知レーダーで、新校舎に魔女が居ることが分かり、この部室に来たという事情。

 

山田(やまだ)が当時付き合ってた人は、うららちゃんだったんでしょ? それなのに、まだ記憶を取り戻そうとしてるの?」

「ま、そうなんだけど。けどよ、全校生徒の記憶を消さなきゃいけねぇほどの事情(こと)があったんだ。やっぱり何があったのか、俺は、それを知りてぇ......!」

「記憶が消されてなきゃ今頃、白石(しらいし)さんともっといちゃいちゃ出来てたかもしんねーもんな!」

「なッ!? んなこと、ちょっとしか思ってねーよッ! 俺はただ純粋にだな――」

 

 ――何が純粋よ、白状してるじゃない。

 焦る山田(やまだ)を見て、宮村(みやむら)が面白がって笑っている。ノアちゃんはノアちゃんで、すごく不機嫌そうに殺気を出して睨んでるし。

 

「ま、そう言うわけさ。猪瀬(いのせ)さんは、何か心当たりないか?」

「あったら、会長に報告してます。生徒会にとっても、7人の魔女全員の把握は最重要案件ですし」

「それもそうだな。しかし、これだけ探して見つからねぇなんて、あと一人はいったいどこに――って居た! 行くぞ、山田(やまだ)!」

「行くって、オイ、宮村(みやむら)! 待てよ!」

 

 二人してどたばたと慌ただしく部室を出ていった。

 

「まったく、騒がしいわね。ドアくらいちゃんと閉めて行きなさいよ」

「あ、私、生徒会室へ行ってきますので」

 

 ドアを閉めようとした私を制止して(じゅん)ちゃんは、長座布団から立ち上がった。

 

「あれー? 今日、休みじゃなかったのー?」

「最後の魔女が見つかったみたいだから」

 

「たぶん、緊急会議の招集がかかる思うし」と、めんどくさそうに答えてからスクールバッグを肩にかけた(じゅん)ちゃんが部室を出る寸前、体育の補習を終えたナンシーからのメッセージを受け取った私たちも一緒に部室を出た。テスト終わりで、生徒もほとんどいない廊下を三人で話をしながら歩く。

 

「先輩方はこれから、デートですか?」

「違うよ。今日はお互い個別の用事があるんだ」

「そうなんですかー、いつも一緒なわけじゃないんだ。あれ?」

「どうしたの?」

 

 不意に階段の踊り場で、彼女が立ち止まった。全面ガラス張りの窓辺から校舎裏のグラウンドを不思議そうに見つめている。同じようにグラウンドを見ると、肌を焼くような強い日差しがさんさんと降り注ぐ夏空の下、対称的な短髪と長髪の制服姿の男子が二人、グラウンドのトラックを走っていた。

 

「今日って、部活ないですよね?」

「そのハズだけど」

 

 テスト終わりで、運動部の殆どが休み。そもそも、制服に革靴で走ってるから運動部でも体育の補習でもなさそう。

 

「あっ、あれ、詫摩(たくま)だ!」

詫摩(たくま)って、男子側の“7人目の魔女”の?」

「はい。あの杖とキザなブレザーのはおり方、間違いありません。生徒会室にふらっと現れては、人をおちょくってその反応を面白がってる問題児なんです!」

 

「でも、誰かと一緒に居るなんて珍しいな、学校ではいつも一人なのに」と続けた(じゅん)ちゃんの話を聞いた結人(ゆいと)くんは、アゴへ手を持っていき少し考え込むようなそぶりを見せた。

 

「......もしかすると、一緒に走っているのが山田(やまだ)たちが探してる最後の魔女かもしれないね」

「行ってみましょ!」

 

 山田(やまだ)たちが探している詫摩(たくま)側の魔女と直接的な関わりはないとはいえ、元魔女としてはやっぱり気になる急遽予定を変更して、校舎裏のグラウンドへと向かうことにした。グラウンド付近の二人の顔がはっきり見えるところまで来て、詫摩(たくま)と一緒に走っているもう一人の男子の顔を確認、それは私たちの知っている顔だった。

 

「って、山田(やまだ)じゃない!」

「魔女を見つけたって言って、宮村(みやむら)先輩と一緒に出ていったのに。何で走ってるんだろ?」

「たんなる気まぐれじゃないの。生徒会(あなたたち)の反応を楽しんでる時みたいに」

「あり得ますね」

 

 山田(やまだ)詫摩(たくま)は私たちに気づくことなく、言葉を交わしながら汗だくになりながら走り続けている。

 

「じゃあ私は、生徒室へ行きます」

「ええ、私たちも行くわ。行きましょ、結人(ゆいと)くん」

 

 けれど、結人(ゆいと)くんから返事は返ってこなかった。もう一回声をかけてみてもどこか小難しい表情(かお)で。トラックを走る二人を目で追い続けている。

 

「ぜんぜん気づかないですね。せんぱーいっ」

「ん? どうしたの」

 

 視界に入るように手を振って、ようやく気がついた。

 

寧々(ねね)先輩、欲求不満みたいですよ」

「はい?」

「そ、そんなことないわよっ!」

 

 ――突然何を言い出すのかしらっ、この子はっ!

「冗談です」と、いたずらっこのように笑って「そろそろ生徒会室へ行きます。また明日」と言って、校舎へ入っていった。私たちもグラウンドを離れて、校門へ向かう。

 

「結構おちゃめさんだよね。初めて部室に案内してもらった時は、真面目でちょっと堅い感じがしたけど」

「実際一緒に生徒会で活動していた時はそうだったわ。元会長の理不尽な命令には不快感を示したし、テキトーに仕事をする宮村(みやむら)を叱ったり。だから、仏頂面でいる印象(こと)が多かったわ」

 

 でも、だからこそ山崎(やまざき)元会長は、入学したばかりだった彼女を生徒会役員に抜擢して、私も真面目な仕事ぶりを知っているから、玉木(たまき)に推薦した。

 

「あ、そういえばお茶の時間になると、いつも嬉しそうだったわね」

「そこは、やっぱり年相応の女の子だね」

「ええ。でも、さっきみたいに笑顔で冗談を言うことは一度もなかったわ」

 

 あんなに楽しそうな表情も生徒会で一緒だった頃には見たことない。

 

「やっぱり、同級生の友だちが居るのが大きいのかもね」

「そうかもしれないわ、生徒会はみんな上級生だったし。だけど! 先輩をイジって楽しむのはどうかと思うわ!」

 

 (うしお)くんも、暇をもて余したノアちゃんに将棋の駒を勝手に動かされたり、いろいろちょっかい出されてると不満を漏らしていた。最近は諦めて、トランプとかオセロとか仕方なく遊びに付き合ってあげてると言っていた。

 

「きっと、二人とも面倒見が良いからだよ。ほら、寧々(ねね)のクラスの留学生の時もさ」

「ああー......アレックスのことね」

 

 アレックス・スペンサーは、アメリカから来た留学生。

 そして、うららちゃんの能力と同じ“入れ替わり”の能力を持つ、詫摩(たくま)側の魔女の一人。

 アレックスは、文化の違いからかどうもコミュニケーションが取りづらくて、クラスで浮いた存在になってしまっていた。玉木(たまき)に相談したところ相手は魔女と言うことで、生徒会の働きかけで山田(やまだ)が問題の解決に努めることに。山田(やまだ)はアレックスと入れ替わり、友だちを作ることを提案。手っ取り早く友達を作るため山田(やまだ)が取った作戦は、アレックスの持ち前の身体能力を活かして運動部に体験入部すること。

 

「だけど、あなたたち容赦なく返り討ちにしてたじゃない」

「あれは、山田(やまだ)が悪い。公式戦じゃないって言っても試合前日に道場破りみたいなことするからいけないんだよ」

「ま、確かにね」

 

 体験入部の最中調子に乗ってサッカー部に来た山田(やまだ)は、結人(ゆいと)くんたちにこてんぱんにのされたわ。読みと経験がモノをいう一対一の勝負では、アレックス自慢の身体能力も通用しなかった。

 それでも山田(やまだ)の活躍で今やクラスでも人気者になって目的は達成された。

 

「ようやく来たね!」

 

 話をしているうちにいつの間にか、ナンシーと待ち合わせした校門に到着。門柱に寄り掛かって腕を組んでいるナンシーが、やや不満気な視線を向ける。連絡しなかった私に落ち度があるから、ここは素直に謝っておきましょ。

 

「ごめんなさい。ちょっと急用があったの」

「ふーん、ま、いいけどさ」

「ところで、大塚(おおつか)さんは?」

 

 今ここ居るのはナンシー、猿島(さるしま)さん、姫川(ひめかわ)さん、シド、それと少し離れた所に火野(ひの)さん。だけど辺りを見渡しても大塚(おおつか)さんの姿が見えない。テスト終わりにみんなで遊びに行く予定だったんだけど、どうしたのかしら?

 

芽衣子(めいこ)は、夏のイベントに間に合いそうにないから今回は遠慮させてって」

「あら、そうなの。そういう事情なら仕方ないわね」

 

 そう言えば、去年の今頃も忙しそうにしていたわ。因みにうららちゃんと(みやび)ちゃんは部活よ。

 結人(ゆいと)くんとシドとはここで別れて今日は、女子だけで遊びに行く。まずはお昼を食べに学校最寄りの商店街の裏通りにあるカフェに入った。

 

「へぇー、こんなところにカフェなんてあったんだね」

「ステキなお店ね。ワタシ、知らなかったわ」

「さすが、寧々(ねね)ちゃんですっ」

「ふふーん、まーねっ」

 

 本当は去年の秋、二回目のデートで彼が連れてきてくれたカフェ。落ち着いた雰囲気で、隣の席とも距離があって静かにゆったりくつろげるから、一人で訪れることも。

 

「ところであなた、いつまでそうしているつもりなの?」

 

 席についてから、ずっとスマホとにらめっこしている火野(ひの)さんに声をかける。

 

「ふぇっ!?」

「今日は女子だけでなんだから、そんなに身構えなくてもいいじゃない」

「そ、それは、そうなんですけど......」

 

 相変わらずの人見知り。火野(ひの)さんの部屋に一緒に写った写真をきっかけに、少しずつだけど普通に話せるようになってきたけれど、やっぱり難しいみたい――と思ったのも束の間。私が想像していたよりもずっと早く、みんなと話せるようになった。

 

「えっ!? 猿島(さるしま)さん、スカウトされたんですかっ?」

「そうなの。ウインドウショッピングしてたら、読者モデルに興味ないかって声かけられて」

「マリアちゃん、すごいですっ!」

「で、引き受けるのかい?」

「う~ん、まだ考え中かな? でも、将来アパレル関係の仕事に就きたいから――」

 

 写真の中の火野(ひの)さんは、男女関係なく楽しそうに写っていたのを思い出した。もしかすると記憶を失っていても、心の片隅にあの時の楽しかった思いが残っているのかもしれない。

 

寧々(ねね)ちゃん?」

「え、なに?」

「進路の話です」

 

 考え事をしていた間に、猿島(さるしま)さんの話から広がって卒業後の進路の話題に変わっていた。

 猿島(さるしま)さんは、アパレルデザインの専門学校。ナンシーは(うしお)くんと同じで、“7人目の魔女”の功績から朱雀大学への推薦入学を確約。姫川(ひめかわ)さんも、大学進学を目指すそう。

 

「私は、女子大に行けたらいいなって」

朱雀大学(うえ)には行かないのかい? 成績は悪くないんだろ」

「えっと、やっぱり男子はまだちょっと......」

 

 火野(ひの)さんはまず、この極度の人見知りを克服することが何より一番の課題。山田(やまだ)が起こそうとしている儀式で失った記憶を取り戻せば、改善の兆しが見えるかも。私みたいに。

 

「私も、進学よ。中間も今回のテストも手応えはあったから推薦をもらえると思うわ」

「さすが、寧々(ねね)ちゃんですっ。学業も部活も両方ともこなしちゃうなんて!」

「あっははっ! 愛の力は偉大だねー」

 

 頬杖をついて、ニコッと微笑む猿島(さるしま)さん。ナンシーはナンシーで何か言いたそうな顔をしている。

 

「何よ?」

「いや、ちょっと意外だと思っただけさ。寧々(ねね)は、男を尻に敷くタイプだと思ってたからね」

 

 ――何よそれ、失礼しちゃうわね。いったい、どういう目で人のことを見ているのかしら。反論する前に、ナンシーは続きを話し出した。

 

「その証拠に自分の身だしなみは二の次みたいだしね」

「そんなことないわよ。どんなに忙しくたって、スキンケアを怠ったことなんて――」

「アタシが言ったのはそこじゃないよ。髪のことだよ」

「髪? あっ......」

 

 指摘されて、意味がわかった。確かに今の私は、以前の私と違う。いつもショートボブだった髪は、いつの間にか肩にまで伸びて後ろで結べるくらいになった。

 今までの私からすれば、こんなに長くなっても切らずにいるのは初めて――。

 

「人一倍気を使ってた寧々(ねね)が、誰かのために尽くすなんて」

「ワタシは、羨ましいな。自分のことは二の次、好きな人の......大切な人のために生きられる。そんな人と巡り逢えるなんて」

「わ、私もそう思いますっ。大学に行きたいと思ったのも、ずっと引っ込み思案だった私が山田(やまだ)さんと出会えて、灰色だった世界をいろんな色に溢れた世界に変えてくれたからなんです。私の想いは届かなかったけど。でも、大学に行けば、またそんな人に出会えるかも知れませんし!」

「......私も、いつかそんな恋が出来たりするのかな?」

「できます、絶対ですっ、一緒にがんばりましょうっ」

姫川(ひめかわ)さん......はいっ」

「なら先ずは、その人見知りを克服しないとね!」

「う、ううっ......」

「あーあ、晴子(はるこ)がいじめたー」

晴子(はるこ)って呼ぶなっ、ナンシーって呼べ!」

晴子(はるこ)ちゃん、大声出すと他のお客さんに迷惑だよ」

「だから、晴子(はるこ)って呼ぶなー!」

「あははっ」

 

 みんな、それぞれの未来へ向かって歩き出そうとしている。

 私は、どうなのかしら? 大学に行って何をしたいのか、自問自答をしてみても正直まだ、答えは見つからない。でも今は、好きな人の力になりたい。その気持ちだけは間違いない。

 だって、あの人は――姫川(ひめかわ)さんにとっての山田(やまだ)のように。

 ――私の瞳に映る世界を彩ってくれた人だから。



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Episode59 ~晩秋愁い~

白石視点となります。


 いつまでも高かった夏の太陽も暮れて、夜の街には灯りが点っている。大通りを行き交う大勢の人たち、夏休みということもあって同じ年代の学生、家族連れの姿も数多く見受けられる。もう、夜も遅いのに活気に溢れるきらびやかな商店街を、塾帰りの私はひとり歩いていた。

 

「お、白石(しらいし)さんじゃん」

「え? あ、宮村(みやむら)くん」

 

 額に汗をかいている宮村(みやむら)くんは、商店街の一画にある歩道とフットサルコートを隔てた防球ネットの向こう側、深い緑色の人工芝の上で両足を投げ出して座り込んでいる。

 同じコートの奥には、スポーツウェア姿の宮内(みやうち)くんと学校のジャージ姿の(うしお)くんが、ボールを持った店長さんと距離を少し取って向かい合っていた。

 

「時間あるなら、寄ってかね? あっちに、小田切(おだぎり)も居るぞ」

 

 支柱の影で見えなかったけど、三人が居るコートのベンチに寧々(ねね)ちゃんが座っていた。

 今日は――今日も、両親の帰りは遅いため、少し寄っていくことに。少しはしたないけど、フェンスを跨いで、宮村(みやむら)くんが教えてくれた支柱脇の出入り口からコートの中に入って、ベンチへ。

 

寧々(ねね)ちゃん」

「あら、うららちゃんじゃない」

「オレが誘ったんだよ」

「そう。塾帰りなの?」

「ええ」

 

 一歩横に動いて空けてくれたスペースに、腰かける。

 

「ルールはさっきと同じ。ボールを奪えばお前たちの勝ち、ゴールを奪えば俺の勝ちな」

「はい、お願いします」

「――来い!」

「おっ、いい目するじゃねーか。んじゃ行くぞー?」

 

 どこか楽しそうな笑顔の店長さんは、ゆっくりと二人の方へ足の裏でボールを転がしながら距離を縮めて行く。

 

「勝負してるの?」

「そうよ。バイトが終わったあとはほぼ毎日、店長さんに手合わせしてもらってるの。今日は、(うしお)くんと――」

「オレもな!」

「ま、そういうことね」

 

 塾帰りにここを通りかかる時は、いつもバイト中。寧々(ねね)ちゃんの話によると、サッカー部は週末に夏合宿を控えているため少し早めに上がっているとのこと。

 

「超研部は、夏休みはどうするの? また、合宿を張る予定なのかしら?」

「まーな。つっても、三年恒例の受験対策講習と平行してだけどな。オレ、殿大(とのだい)狙ってっからさ!」

 

 ――殿様大学。全国各地の成績優秀者が目指す日本最高峰の大学。入るのはもちろん、卒業する方が難しいと言われている。通っている塾からも毎年多くの受験生が殿様大学を目指して受験するけど、合格者は二桁に届かない狭き門。

 

白石(しらいし)さんも、殿大を受けるんだろ? 前の模試で全学科オールA判定だったんだしさ」

「オールA!? さすが学年一位は伊達じゃないわね......」

 

 殿大かは分からないけど、大学進学はすると思う。

 ――でも私は、大学で何をしたいのかしら......? 高校は、自宅から一番近い進学校だったから朱雀高校を選んだだけ。

 足下に目を落として、進学する意味を考えていると宮内(みやうち)くんの声が聞こえた。

 

五十嵐(いがらし)!」

 

 顔をあげる。(うしお)くんが、ボールを奪おうと必死に食らいついていた。

 

「なかなかいい反応するな。けどな」

「――なッ!?」

 

 素速い動きに一瞬左右に振られて足がもつれてしまった(うしお)くんは、バランスを崩して尻餅をついてしまった。店長さんは、その横を悠々と抜いていく。

 

「愚直に奪いに来るだけじゃ止められねぇぞ」

「くっ! 頼む!」

 

 今度は、宮内(みやうち)くんが回り込み行く手を塞ぐ。

 

「あの(テク)使えるな」

「そんな簡単に言わないでくださいよ。苦労したんですから......!」

 

 宮内(みやうち)くんは、一気に距離を詰めて奪いにいく。けれど店長さんは、ボールをまるで体の一部のように操って寄せ付けない。一歩引いて距離を取り、左足でボールを跨いで素早く逆の右足でボールを蹴った。

 

「どうしたのかしら?」

 

 宮内(みやうち)くんの様子がおかしい。顔を動かして、キョロキョロしてる。

 

「もしかしてアイツ、見失ってんじゃねーか!?」

「見失ったって、ボールを? でも――」

結人(ゆいと)くん、ボールは()よ!」

 

 寧々(ねね)ちゃんの掛け声で上を見上げた宮内(みやうち)くんの頭上を飛び越えたボールは、数メートル先の地面に向かって落ちていく。ボールを蹴るのと同時に走り出していた店長は落下地点で待ち構え、そのままシュートと思ったら、軽くボールを転がした。転がした先は、完全に死角の斜め後ろから、必死に伸ばした(うしお)くんの足の間。二人を完全に振り切って、無人のゴールネットを揺らした。

 

「まずまずってとこだな。さて、時間切れだ。続きはまた今度な」

「ありがとうございました」

「クソ......!」

 

 頭を下げる宮内(みやうち)くんと、悔しそうに拳で地面を叩く(うしお)くん。店長さんは、とっても愉快そうに笑いながらクラブハウスの中へ入っていた。

 

           * * *

 

「それで、何の用なの?」

 

 あの後私たちは、宮内(みやうち)くんのアパートに場所を移動。もう遅いからフットサルコート隣接のファミレスで、と寧々(ねね)ちゃんが提案したのだけれど。宮村(みやむら)くんは、人前では話し難いことだからと静かに話せる場所を求めた。

 

「話ってのはな、詫摩(たくま)側の魔女ことだ」

「魔女? ああー、あなたと山田(やまだ)が探してた六人目の魔女のことね」

「そうだ。五十嵐(いがらし)白石(しらいし)さんはもう知ってるけど、お前たちにも話しておこうと思ってな......!」

 

 今日の放課後、遅れて部室にやって来た宮村(みやむら)くんと山田(やまだ)くん。山田(やまだ)くんは、額から血を流していた。肝心なところははぐらかされたけど、探していた最後の魔女に殴られて負ったケガということ。

 

玉木(たまき)渾身のブラフで儀式の協力を約束させたのはいいんだけどよ。二人に......イヤ、オレたちもだな。覚悟つーか、心の準備はしておいた方が良いと思ってな」

 

 ――心の準備。確かに、突然記憶が戻れば多少の混乱はすると思うけど、そこまで身構えるようなことなのかしら、と不思議に思うも。宮村(みやむら)くんはスゴく真面目な顔で、覚悟の理由を言葉にする。

 

「全生徒の記憶が戻れば、山田(やまだ)は孤立する......!」

 

 一年の間に二度も謹慎処分を受けていたことを、宮村(みやむら)くんは案じていた。

 

「この学校で謹慎なんてことはよほどの問題(こと)がなきゃ起こらねぇ。だから――」

「みくびらないでっ!」

 

 眉尻を上げた寧々(ねね)ちゃんが、言葉を遮って割り込む。

 

「今さら態度を変えたりなんてしないわっ!」

「中学の頃は知らないけど、少なくとも俺の知ってる山田(やまだ)は理由なく問題を起こすような奴じゃないし。きっと何か事情があったんだ、他校生に絡まれてたナンシーを庇った時みたいに」

 

 ――やっぱり私、二人のことも大好き。

 寧々(ねね)ちゃんも宮内(みやうち)くんも、偏見も先入観も持たず、ちゃんと山田(やまだ)くんのことを見てくれる。

 

「記憶が戻って問題が起こるとすれば、(りゅう)......山田(やまだ)の方だろう」

「ああー、確かにあり得るな。五十嵐(いがらし)んとこに逃げ込むかもな、アイツ」

「フッ、ヘタレていたら首根っこ掴んででも引き合わせてやるさ」

 

 そう言って、(うしお)くんと宮村(みやむら)くんは小さく笑い合う。

 

「まっ、はなっから何も心配してなかったけどなっ! あーあ、なんか腹減っちまった。小田切(おだぎり)の美味い料理が食いてぇなー!」

「ハァ、相変わらず調子のいい男ね。仕方ないわね、キッチン借りるわ」

「あ、うん」

「あっ、私も手伝うわ」

「じゃあオレたちは、コイツで勝負して待ってようぜ......!」

「また、カード麻雀か」

「あれれー? (うしお)くん、負けるのが怖いのかな~?」

「......上等だ、さっさと配れ!」

 

 手伝いを申し出て、寧々(ねね)ちゃんと一緒にキッチンに立つ。ヘアゴムで髪を後ろで束ねて小さなポニーテールを作った彼女に習って、調理しやすいようにポニーテールにする。

 

「ん? なに」

「髪が伸びたって思っただけ。伸ばすの?」

「合宿前に切ろうと思ってたんだけど、ちょっと迷ってるの。今くらいも似合ってるよって――」

 

 少し照れくさそうに話した寧々(ねね)ちゃんは、三人が麻雀をしているテーブルの方に目を向けた。その気持ち分かる。もし、別の髪形も似合うって言われたら、きっとしばらくは変えられないもの。

 

「さあ、作りましょ」

「何を作るの?」

「鶏の唐揚げにしましょ。冷蔵庫に鶏肉があるから、レンジで解凍してもらえるかしら。ひとつはササミをお願い」

「わかったわ」

 

 寧々(ねね)ちゃんの言った通り、冷蔵庫の中には種類別に小分けされた鶏肉のパックが冷凍保存されていた。もも肉とササミを小皿にのせかえて、電子レンジに掛ける。その間に寧々(ねね)ちゃんは、付け合わせのキャベツの千切りと味噌汁の具を慣れた手つきで調理していく。

 ――包丁とか鍋とか、調味料もどこに何があるのか全部知っているのね。私も、寧々(ねね)ちゃんみたいに詳しく知っているのかしら......山田(やまだ)くんのこと。

 失われた、三学期の記憶。

 当時から私と山田(やまだ)くんは付き合っていたことが分かってからも、一緒に過ごせる時間はそう多くはなかった。明日の儀式が終われば、寧々(ねね)ちゃんたちみたいに一緒に過ごせる時間は増えたりするのかしら、と期待半分に想った。

 翌日の放課後。儀式は約束通り執り行われ、全校生徒の失われた記憶は戻り、私たちは本当の恋人になって――全てを思い出した。

 

           * * *

 

 すべての記憶を取り戻してから数日が経ち、私たちは夏恒例の受験対策講習に参加するため、泊まり掛けでクラブハウスを訪れていた。でも、進学する意味を見出だせない山田(やまだ)くんはみんなに進学する理由を聞いて回り、終業式の放課後から合宿に来ている、宮内(みやうち)くんたちにも話を訊きに行った。

 

「大学に行く理由?」

「おう! 小田切(おだぎり)たちも進学だろ? その理由が知りたいんだ......!」

「理由って言われても将来のためとしか言いようがないわ」

「もっと何かないのかよ? 森園(もりぞの)はっ?」

「オレ? オレはとりあえず、スポーツ推薦が確定してる朱雀大学の体育科に進学するつもりだけど、サッカー強い大学(とこ)の推薦もら得りゃラッキー! みたいな。んで、ゆくゆくはプロ! ダメならクラブチームを持ってる大手企業だな」

 

 山田(やまだ)くんは頷きながら、すかさずメモを取る。

 

「フムフム。サッカーバカ、と」

「オイコラ、誰がバカだ!」

朝比奈(あさひな)は? やっぱ、殿大か?」

「いや、留学予定だ」

「......は? 留学って......あの留学かよ!?」

「他にあるかは知らんが、アメリカの大学へ進学が決まっている。夏休み明けからはリモートで授業を受けつつ、冬の選手権が終われば即渡米だ」

「スケールが違いすぎて参考にならねぇ......」

 

 まさかの答えに、山田(やまだ)くんの手からペンが滑り落ちた。私もビックリ。同じ塾に通っているから、経済学を学ぶために留学したいって話は聞いていたけど、進学先の大学を経由してじゃなくて、まさか、直接留学するだなんて思いもしなかった。

 落ちたペンを拾った山田(やまだ)くんは、最後に宮内(みやうち)くんに進路について問いかける。

 

「俺は、医学部。スポーツドクターを目指したい」

 

 それが、彼の解答だった。

 

           * * *

 

「あ、宮内(みやうち)くん」

山田(やまだ)? ああ、白石(しらいし)さんか」

 

 合宿最終日の夜、やわらかな月明かりが照らすクラブハウスのテラス席にひとりで座って、東京とはまるで違う満点星空を眺めていた宮内(みやうち)くんに声をかけて、向かいの席に腰を降ろす。

 

「また、入れ替わってるんだね」

「自分の課題を片付けてる間にお風呂に入ってもらってて。どうしたの?」

 

 いったいどうしたのかしら。複雑な表情(かお)している。

 

「いや、その、白石(しらいし)さんは付き合ってるからいいかもしれないけど。他の女子の身体を、山田(やまだ)が見ても気にならないの?」

 

 ――山田(やまだ)くんが、他の女子の......? 想像してみた結果、結論はすぐに出た。

 

「自分で入ることにするわ」

「うん、そうした方がいと思うよ。寧々(ねね)が入ってなくてホント良かった......」

 

 宮内(みやうち)くんは小声で呟いて、胸を撫で下ろした。

 少し考えれば当たり前、他の男子に自分の彼女の裸を見られたらイヤに決まっている。時間がなくても、ちゃんと自分で入るようにしないと......。

 

「医学部を受験するって言っていたけど、朱雀大学(うえ)の医学部を受けるの?」

 

 色々と話している間に話題は、また自然と進路の話になった。

 

「そのつもりで、朱雀を選んだんだけどね。玉木(たまき)が、殿大(とのだい)の医学部も受験してくれって。難関大学への進学率がーとかなんとか。内部進学でも医学部は難関なのに、殿大って。ホント無茶なことを要求してくれるよ」

 

 紙コップを口に運び、苦笑いの宮内(みやうち)くん。

 

「それだけ期待されているのよ。それにあなたなら、殿大の医学部だって受かる気がするわ」

「買い被り過ぎだよ」

「そうかしら。私は、そんなことないと思うわ」

 

 去年の秋、絶対勝つと言って、宣言通り勝利を収めた。

 ――ううん、それだけじゃない。いろいろな相談に乗ってくれた一年の時も、山田(やまだ)くんのことを忘れてしまった時も、いつも助けてくれた。

 

「今度の試合も応援に行くわね」

「それは心強いけど、受験勉強大変じゃない?」

「平気よ」

 

 出来ることは、これくらいしかない。それに、参考書を持参すれば十分事足りる。そんなことを考えていると、ふと頭に思い浮かんだ。

 

「そう言えば、猿島(さるしま)さんの占い当たらなかったわね」

「ああー、そうだね」

 

 去年の夏休みの終わり頃、みんなで行ったプールで私と寧々(ねね)ちゃんが、応援スタンドにいないと未来を告げられたことを。だけど、あの占いは当たらなかった。もしかすると、あの時の魔女たちみんなが儀式で能力を失ったから、未来が変わったのかもしれない。

 この時は、ただ単純にそう思っていた。

 でも、本当の理由を後日、私は知ることとなる――。

 

「転校......?」

「ええ。お父さんが急にアメリカの会社に転勤することになったわ。うららも、ちょうど卒業だから向こうの――」

 

 受験本番まであと4ヶ月あまりに迫った秋の中頃、突然母から告げられた衝撃的な話に頭が真っ白になった。次気がついた時、私は真っ暗な自分の部屋のベッドに横になって、天井を見つめていた。

 

「......ゆめ?」

 

 喉がカラカラに乾いていて、上手く声が出ない。それに、酷く頭が痛い。まるで風邪を引いた時のように気ダルい身体で壁伝いに階段を降り、リビングに入る。いつの間にか住み着いた黒猫と自分以外、誰もいない物静かな家。

 夢だったのかもしれない――でも、そんな現実逃避な願いは一瞬で消え去った。ダイニングテーブルに置かれたメモ。母の直筆で「月末に出国するから、荷造りしておきなさい」と書かれていた。やっぱり、夢じゃなかった。

 ――私は、どうすればいいの......? 

 心の中で問いかけても、正解があるテストとは違って答えは導き貸せなかった。誰にも話せないまま、ただただ時間だけが過ぎ去って行く。告げられたあの日からの勉強に身が入らない。引っ越しの準備、海外の大学へ進学するための手続きと想像以上に多忙を極め、成績も必然的に落ちてしまった。

 そして、転校を前日に控えた昼休み。

「俺は、もう一人で大丈夫だからさ......!」と、私の成績が落ちたことを自分の責任と想わせてしまって、寝る間も惜しんで一人で努力した山田(やまだ)くんは、先日の模試で信じられないほど急激に成績を伸ばした。

 

「俺、白石(しらいし)を安心させたかったんだ。だから白石(しらいし)は、もう自分の勉強に専念してくれよ。な?」

山田(やまだ)くん......」

 

 この人には、もう私が居なくても大丈夫。

 きっと......ううん、絶対に殿大に合格する。

 だから私は、別れの言葉じゃなくて、心からの想いを伝えた。

 

 ――大好きよ、と......。

 

 日が暮れ始めた、晩秋が近づく放課後。

 思いを告げた後、部室の私物と教室のロッカーを片付け終えた私は、窓際一番後ろの自分の座って、窓の外に広がるオレンジ色に染まった街をぼんやりと眺めていた。

 別に、今生の別れというわけじゃない。卒業式には卒業証書をもらうために、また朱雀高校(ここ)に戻って来られる。

 でも、その時、私は――。

 

「どうしたの?」

「――えっ!?」

 

 突然かけられた声に驚く。だって、三年生は受験の追い込みで、もうみんな帰っている時間だから。まさか、こんな時間に誰かに声をかけられる何て思いもしなかったから。

 何より、その声の主は――私の、始めての友達だったから......。



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Episode60 ~因果~





 高校サッカー三年間の集大成、冬の選手権大会が始まりを告げた。

 夏のインターハイと新人戦で好成績を残した朱雀高校は、予選リーグ免除のシード権を得た。予選リーグを勝ち上がってきた学校、同じくシードされた学校を相手に全国大会への切符を争う決勝トーナメント戦からの参戦。三年は、負ければ終わりの一発勝負。この最後の大会に向けて、勉学と両立しながら費やしてきた三年間。受験勉強もあって、夏で引退した部員も少なからずいたけど、残った三年と下級生は次戦に向けて集中して練習に励んでいる。

 それなのに今日の俺は、どうしてか心ざわついて集中できないでいた。

 

「おつかれさま。はい」

「ありがと」

 

 練習終わり、ベンチに座って右膝のテーピングを剥がしていたところへ、寧々(ねね)がスポーツドリンクを持ってきてくれた。

 

「考えごと? うわのそらって感じがしたわ」

「うん、ちょっと」

 

 チームメイトはごまかせても、彼女の目はごまかせない。

 

「どこか寄り道して帰りましょ。気分転換も必要よ」

「そうしようか。あれ、メッセージだ。五十嵐(いがらし)から?」

 

 普段であれば片付けをしてから解散だけど、五十嵐(いがらし)から届いていたメッセージが何やら急を要する用件だったため一足早く上がらせてもらい、指定場所の新校舎へと急ぐ。

 メッセージの送り主五十嵐(いがらし)は、神妙な面持ちで腕を組んで、新校舎のエントランスの壁に寄りかかり待ち構えていた。

 

「来たか。詳しい話は、部室でする」

 

 五十嵐(いがらし)はくるっときびすを返して、早足で歩き出す。待ち構えていたのに、わざわざ部室へ誘導。よほど切羽詰まった状況らしい。

 

「どうして、山田(やまだ)が居るのよ?」

 

 部室には、後輩の女子二人と宮村(みやむら)に加えて、受験勉強に専念している山田(やまだ)も居た。それも、まるでこの世の終わりを迎えたかのような表情で深く肩を落としている。

 とりあえず、荷物を部室の隅に置き、いつものポジションに並んで腰を降ろす。窓際に立っている五十嵐(いがらし)は制服のポケットに両手を突っ込んで外を見つめながら、真剣な声で呼び出した理由を話し出した。

 

「話と言うのは、山田(やまだ)にも関係することだ。お前たちは――」

 

 後に続いたのは「白石(しらいし)うらら、と言う名前の女子生徒を覚えているか」と言う言葉。

 

「どうだ? 小田切(おだぎり)

白石(しらいし)うらら......悪いけど、心当たりはないわ」

 

 寧々(ねね)の答えを聞いた山田(やまだ)は、恐る恐るこちらへ視線を動かした。

 

「悪い。俺も、心当たりがない」

「そ、そうか......」

「ふむ、お前ならもしかしてって思ったんだけどな」

 

 そう言ってひとつ息を吐いた宮村(みやむら)もまた、山田(やまだ)から白石(しらいし)うららのことを訊かれ、俺たちに確認することを提案した。

 山田(やまだ)から、山田(やまだ)と出会う前から白石(しらいし)と仲が良かったと聞かされ、宮村(みやむら)寧々(ねね)と一緒に自宅アパートで一年の頃のアルバムを開いた。だけど、当時の記憶から現在までを辿ってみても、どんなに思い出そうとしても、この学校で一緒に過ごした彼女との日々の記憶は何一つとして思い出せなかった。記憶に霧がかかっている、というような抽象的な感覚ではなく。

 それはまるで、そう、最初から存在してなど居なかった、そんな感覚。それでも、アルバムに残る彼女の笑顔は、確かに朱雀高校(ここ)に存在していたことを物語っていた。

 

「う~ん......」

「どうしたの? 寧々(ねね)

「あ。ええ、思ったんだけど、私たちの記憶は能力で消されたんじゃないんじゃないかしら?」

小田切(おだぎり)さんも気づいたか。実はオレも、そうじゃねぇかと薄々思ってた。オレ、昨日の放課後学校に居なかったんだよ。山田(やまだ)が午後の授業をフケたの知ってさ。つまんねーから、オレも早退したんだ。それなのにオレが覚えてねぇのはオカシイだろ?」

「授業はちゃんと受けなさいよ、まったく。私が思った理由は、今の状態が儀式で記憶を消された時と酷似した感覚だからよ」

「そうなんだ」

 

 それなら確かに、寧々(ねね)のいう通りなのかもしれない。ナンシーと旧生徒会主導の元、別々に行われた二度の記憶消去の儀式。“7人目の魔女”の能力“記憶操作(リライト)”は都合の良いように記憶を書き換える能力、記憶そのものを消去することは出来ない。俺の記憶も、白石(しらいし)と過ごしたハズの日々が誰かと置き換わってる訳じゃない。

 しかしそれは、つまり別の問題が浮上すると言うことでもある訳で――。

 

「だけど」

「ええ、そうなのよ」

「ああ、あり得ねぇーんだよ、儀式はな!」

 

 ――そう、儀式はあり得ない。

 詫摩(たくま)側と五十嵐(いがらし)側、両方とも既に一度儀式を行っている。既存の魔女が一人以上入れ換わらない限り、儀式は行えない。

 

「謎は深まるばかりだな」

「そうね」

 

 寧々(ねね)は頬杖をついて、宮村(みやむら)は両手を頭の後ろで組んで寝転がった。

 俺は目を閉じて、山田(やまだ)から聞いた話をひとつひとつ話を繋げてみることにした。

 先ず、白石(しらいし)は自ら記憶を書き換えることを詫摩(たくま)に頼んだ。詫摩(たくま)もそれを受けて、実際に能力を使った。昨日の放課後は部活を早退して、寧々(ねね)と一緒に買い物に出たから、それ以前の可能性が高い。

 仮に儀式だった場合は、放課後前に儀式が行われたとしても、山田(やまだ)だけが彼女のことを覚えているのは矛盾する。そうなると考えられるのは、能力でも儀式でもない別の要因――。

 

「あら。誰か来たみたいよ」

「ちょっと出てくるね」

 

 考えを巡らせているところへ呼び鈴が鳴った。この時間帯の来客は珍しい。まあ、新聞か何かの勧誘だろうけど。部屋の明かりがついているから居留守を使う訳にもいかない。

 

玉木(たまき)?」

「やあ、夜分遅くにすまないね。彼がどうしても、キミの家へ連れていってくれと聞かなくてね」

「彼?」

 

 突然の来客。大きな荷物を担いだ玉木(たまき)と、話題に上がっていた長身の男子――詫摩(たくま)が立っていた。

 

「お前......」

「やあ、久しぶりだね」

 

 俺が知るアイツとは真逆、無駄に爽やかでどこかミステリアスな雰囲気を醸し出している。

 

「誰だったんだ......って、詫摩(たくま)!?」

「やあ、キミたちも居たんだねー」

「ち、ちょっとどういうことよっ? どうして、詫摩(たくま)が来たのっ?」

「......僕も居るんだけど?」

 

 存在を完全に無視されて不満気な玉木(たまき)を促し、俺が座っていた場所に座らせる。詫摩(たくま)は、空いていた場所に座り。二人の分の飲み物を用意して、俺は寧々(ねね)が横に動いて作ってくれたスペースに腰を下ろす。

 

「何よ?」

「熟年夫婦みてーだなって」

「......誰がお年寄りですって?」

「キミの彼女は、そっちに反応するんだね」

 

 とりあえず受け流して、用件を訊ねる。

 

「そうだね。まずは僕から、山田(やまだ)くんの彼女だったという白石(しらいし)さんについて分かったことを伝えさせてもらうよ」

 

 玉木(たまき)の調べによると、白石(しらいし)は親の転勤による都合で昨日づけで海外の学校に転校した。山田(やまだ)には既に伝えているらしいが、部室ではその話は出なかった。あれだけショックを受けていたんだ無理はない。

 

「海外の学校に転校か。それで、詫摩(たくま)に自分の記憶をみんなから消してくれって頼んだのか」

「きっと、みんなとの別れることが辛かったんだろうね。特に、山田(やまだ)くんとは恋人だったと言うんだから」

「......私は、そこまでする理由が分からないわ。だって、今どきメールだって、電話だって出来るし。その気になれば会いに行けるのよ」

「確かになぁ、今生の別れって訳じゃねーし。記憶を消す必要はねぇような気もするけどよ」

「僕は分からないでもないけどね。負担に感じて欲しくないって気持ちはね」

 

 寧々(ねね)の想いも、玉木(たまき)の考えも、きっとどっちも遠からず当たっているんだと思う。でもそれなら、どうして山田(やまだ)の記憶だけ残したのだろうか。詫摩(たくま)が意図的に消さなかった......いや、違う。彼女が、山田(やまだ)にだけは忘れて欲しくなかったんだ。だけど、みんなの記憶は消さなきゃならない理由もあった。

 たぶんその理由を、コイツは知っている――。

 

「お前、何か知っているんだろ?」

 

 俺は、正面でコーヒーをすすりながら澄まし顔で話を聞いていた詫摩(たくま)に真相を訊ねる。

 

「ふむ。キミたちは、魔女ってなんだと思う? オレはね、ずっと考えていたんだ。なぜ、魔女の能力なんてモノが存在するのか。なぜキスで能力が発動するのか。そもそも魔女とはなんなのか」

 

 こういう回りくどい言い回しをする奴は大抵、既に何かしらの解答を持ち合わせている場合が多い。おそらく、コイツもアイツと同じタイプだ。

 

「掴んだんだな」

 

 俺の言葉に、詫摩(たくま)は小さく笑った。

 けどその笑顔は、まるで全てに絶望してしまったかのような、どこか儚げな笑顔に思えた。

 

「オレは既に、魔女の能力を失いかけているんだ」

「はあ? なんだよ、それ?」

詫摩(たくま)くん、それはどういうことだいっ!?」

 

 宮村(みやむら)玉木(たまき)は血相を変えて詰め寄るも、詫摩(たくま)は酷く冷静に、そして淡々と話を続けた。

 

「物事というものは、始まりがあればいつか必ず終焉を迎えるんだ」

 

 ふと、この先に続く言葉がなんとなく判った気がした。

 

「魔女の起源にして終焉をもたらす存在......彼女は――」

 

 そしてそれは、思った通りの言葉で。

 白石(しらいし)うららは、朱雀高校に魔女を誕生させた魔女。

 

 ――はじまりの魔女。

 

 はじまりの魔女は、卒業と同時に周りから自分のとの思い出を忘れられてしまう代わりに、望みのままの学校生活を手にできる“契約”を結んだ魔女の名称。

 契約は本来卒業まで。しかし、白石(しらいし)は転校してしまったため予定よりも早く朱雀高校から魔女が消えようとしている。

 

「おそらく明日には魔女全員の能力は完全に消滅するだろうね」

「はじまりの魔女の契約......まさかそんなことが僕の三代前の生徒会長、雨宮(あまみや)会長の主導の元で行われていただなんて......!」

玉木(たまき)は、何も知らなかったの? 生徒会長は魔女のことも引き継ぐんでしょ?」

「僕は何も。そもそも、会長になる前から魔女のことは知っていたから一切話題に上がらなかったからね」

「そう。じゃあ、宮村(みやむら)も知らなかったわけなのね」

「ああ、何も聞いちゃいねぇよ。あの狸のヤツ......!」

 

 元会長に悪態をつく宮村(みやむら)を後目に、俺は詫摩(たくま)に問いかける。

 

「どうして、山田(やまだ)は覚えているんだ? 契約満了と同時に忘れるはずだろ?」

「それはね、彼女が代償を支払ったからだよ。本来記憶を失うのは、はじまりの魔女以外の全生徒。白石(しらいし)さんは、自分の記憶と引き換えに山田(やまだ)くんの記憶を残すことを選んだんだ。オレも彼女のことは覚えていないけど、それを出来るのもオレだから、彼女たち行く末を見届ける責任がある。とは言っても、山田(やまだ)くん次第だけどね」

 

 記憶がない俺たちがどうこう出来る問題じゃないことだけは確からしい。結局は、山田(やまだ)自身が立ち直れるか否かということ。

 そして、しばしの沈黙――。

 その重苦しい沈黙に耐えかねたのか、玉木(たまき)は話題を変えた。

 

「ところで。キミたちはどういう関係なんだい? 知り合いのように思えるんだけど?」

 

 訊いてきた玉木(たまき)と同じく、寧々(ねね)宮村(みやむら)も興味津々といった様子。

 

「そうだね~。ひと言で言うと熱い夜を過ごした仲かなー?」

「意味深に気色悪いこと言うな。それに()()じゃないだろ?」

 

 食いぎみに突っ込みを入れる。

 俺と詫摩(たくま)の出会いは、一年の三学期。リハビリで一時入院していた病院に、貧血で倒れた詫摩(たくま)が担ぎ込まれてきた。少し横になるとすぐに回復したのだが、念のために入院することになり、同じ病室で退屈そうにしていたところを歴戦の猛者たちとの麻雀に誘った。

 

「今の詫摩(コイツ)と違って、もっと好戦的な感じだった。まさか、二重人格とは思わなかったけど」

「そういう関係だったのね。世間って意外と狭いわね」

「ふーん。で、詫摩(たくま)は麻雀強いのか?」

 

 宮村(みやむら)は俺たちの関係のことよりも、既に麻雀の腕前の方に興味が移っていた。

 

「強いよ。要領をつかむのは早かった。こっちの詫摩(たくま)は知らないけど」

「オレも強いよ。スマホ買ってから時々オンラインで全国ランカー相手に対戦してるからね」

「おっ、マジか、今度勝負しよーぜ!」

 

 宮村(みやむら)の提案に詫摩(たくま)は今日一の笑顔を見せると、玉木(たまき)が担いでいた荷物から麻雀牌を取り出した。

 

「実は、そのつもりで持ってきたんだよねー」

「準備いいな! やろうぜー」

「ダメよっ!」

 

 乗り気の宮村(みやむら)たちを、寧々(ねね)が止めに入る。

 

結人(ゆいと)くんは、サッカー部は明後日準決勝なんだから体調を崩しかねない麻雀(こと)は禁止!」

「えぇ~、せっかくマットも持ってきたのに。これ消音性が高くて結構いい値段したんだよ?」

「担いできたのは僕なんだけど......?」

「とにかくダメよ! 私が許さないわっ」

 

 寧々(ねね)の剣幕に圧された詫摩(たくま)は、しぶしぶ麻雀牌とマットを片付ける。

 

「それにしてもお前、ホント麻雀好きだよな。サッカー部の連中とも勝負してるって聞いたぞ」

「別に、ただ好きで遊んでる訳じゃないって。球技全般にいえることだけど、観察力とか洞察力はもっとも重要なんだ。相手の目線、呼吸、しぐさ、クセ、ほんの僅かな挙動変化を察知して相手の行動を先読みする。将棋とかチェスでもいいんだけど、麻雀は複数人の動きを同時に把握する必要があるから鍛えるのにはもってこいなんだよ」

「なーる。それで朝比奈(あさひな)のヤツ、合宿所(クラブハウス)にカード麻雀を持ち込んでたのか。お前のやたら広い視野にも直結ってワケだな」

「それに関しては一種の職業病みたいなモノ。子ども相手だから絶対安全第一、常に周囲を見るのが習慣(クセ)になって自然と身に付いた副産物だよ。練習中に見失ったことがあったんだけど、どこに行ったかと思ったら股の間を潜って裏取ってた」

 

 ホント、子どもの発想力には驚かされる。毎回教えられてばかりだ。

 

「じゃあ、オレは帰るよ。勝負は予選を突破してからにしよう」

「おうよ」

 

 片付けた終えた詫摩(たくま)は立ち上がり、返事は宮村(みやむら)が返した。と言うか勝ち上がることが前提らしい。

 一瞬白い歯を見せた詫摩(たくま)は背中を向けると、玄関の前でピタッと立ち止まり、くるっと踵を返して振り向いた。

 

「駅までの道教えてくれない?」

 

           * * *

 

「それで?」

「んー?」

「用があるから、わざとらしい演技して連れ出したんだろ。お前が道に迷うなんてあり得ないからな」

「クックック......」

 

 隣を歩いていた詫摩(たくま)は、突然立ち止まり笑いだした。

 

「いつから気づいてた?」

「麻雀牌を取り出した時。あの時、お前からほんの僅かだけど殺気に似た威圧感を感じた」

「へぇ、そいつが身に付けた洞察力ってヤツか。さすがじゃねーか」

 

 今度は、愉快そうに笑った。あの時から何も変わっちゃいない、相変わらず食えないヤツだ。

 

「用件は何だ?」

「急かすなよ。久しぶりの再会なんだからよ」

「俺も暇じゃないんだ」

 

 アパートで、寧々(ねね)が夕食を用意してくれてる。出来るだけ早く帰りたい。まあ、宮村(みやむら)玉木(たまき)もいるけど。

 

「あの女、白石(しらいし)うららのことだ」

白石(しらいし)の......?」

「オレも、あの女の顔も声も姿も覚えちゃいねぇ。けど、代償の移動させた時のことは覚えてる。あの女、最後の最後に微笑みやがった」

「微笑んだ? どうして......」

「さーな、あの女の真意は判らねぇが。吹っ切れたって表情(かお)じゃなかったな。因果まで残していきやがった」

 

 ――チッ! と不機嫌に舌打ち。因果が何を示しているのかは不明。

 

「どうして俺に話した? 山田(やまだ)に教えてやればいいだろ」

「フン、アイツは山田(やまだ)を気に入ってるらしいがオレは気に入らねぇ。だが、オレはお前を気に入ってる。お前は、このオレに本気で敗北の突きつけたヤツだからな......!」

 

 まだ素人同然だった時に負かしただけなんだけど。

 

「とにかくお前は、お前が成すべきことを果たせ。リベンジはその後だ」

「リベンジ、ね」

 

 意外に暑苦しいタイプみたいだ。

 そして、翌日――魔女の能力は跡形もなく消え去り、詫摩(たくま)から話を聞いた山田(やまだ)は、白石(しらいし)の想いを知って立ち直った。更には彼を個人講師を依頼し、殿様大学を目指して再び猛勉強を再開した。おそらく、詫摩(たくま)が口にした因果とはこのことを示唆していたんだろう。もう一度、白石(しらいし)と出会い、切れてしまった縁を結ぶために。

 そして、サッカー部は週末の準決勝を突破し、全国大会出場を賭けた決勝戦へと駒を進め、全国編への切符を手に掴んだ。



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Episode61 ~夕焼け空~

 選手権大会予選決勝戦翌日の放課後、フットサル部の部室で、いつもの四人とまったり久々のオフを満喫していたところへ、生徒会長の玉木(たまき)がやって来た。用件は昨日の決勝戦の結果について。

 

「全国大会出場おめでとう! インターハイに続いての全国大会出場、僕も鼻が高いよ」

 

 そう、サッカー部は昨日の決勝戦で勝利を収め夏のインターハイに続き、冬の選手権大会も全国への出場権を獲得した。

 

「夏は全国ベスト4。今回は、それ以上の成績を期待してもいいのかな?」

「ハードルを上げないくれ」

 

 インターハイのベスト4は、全国常連校を回避出来たくじ運と、前半を鉄壁の守備で耐え凌ぎ後半相手が疲弊したところを速いパスワークで崩す戦術が上手くハマったからに過ぎない。夏になまじ勝ち上がったことで、当然今回は相手も研究と対策を講じてくるだろうし。インターハイと同じ戦術では簡単に勝ち上がれないだろう。マークがキツくなる冬を勝ち上がるには、本番までにもうワンランクレベルを高める必要がある。

 

「でも、よかったですね。任期の最後に、朱雀高校サッカー部史上初のインターハイ全国ベスト4と冬の選手権大会初出場っていう実績を残せて」

「......猪瀬(いのせ)くん。僕はただ、純粋に友人の成果を祝っているんだけどっ?」

 

 生徒会長としてじゃないことを必死に訴える玉木(たまき)を、(じゅん)ちゃんとノアちゃんが面白がって笑っている。半年以上の付き合いになる二人の呼び方はいつの間にか変わった。

 

「ふぅ。しかしまさか、会長と朝比奈(あさひな)くんが話していたことが現実味を帯びてくるとは思わなかったよ」

「会長と朝比奈(あさひな)?」

「うん、去年の体育祭の前だったかな? 生徒会室で、二人が話しているのを耳にしたんだよ」

 

 去年の体育祭は、一年の一部がボイコットを企てていることが判明し、午後のプログラムを急遽変更して自由参加のフットサル大会になった。

 これを知っていたのは教職員と一部の生徒という話だったけど、やっぱり朝比奈(あさひな)も一枚噛んでいた。

 

「また盗み聞きしてたのね。そんなことばかりしてたから、西園寺(さいおんじ)先輩に記憶を消されちゃったのよ」

「......小田切(おだぎり)くん、話の腰を折らないでくれるかな?」

 

 寧々(ねね)にやや軽蔑の眼差しを向けられるも、玉木(たまき)はめげずに続きを話す。

 

「二人は、例のフットサル大会へのプログラム変更と今後のサッカー部について話していた。『今年は良い一年が入った。アイツの回復次第ですが、三年の冬は全国制覇を狙えます』と。会長になってから、キミたちの経歴(こと)を色々と調べてみて、あの時の会話の意味をようやく理解を出来たよ。中学時代世代別代表の中心だったキミたち三人が万全の状態で揃えば、全国制覇も夢じゃないってことがね」

 

 そんなことまで調べたのか、生徒会長は意外にも時間に余裕があるんだろうか。山崎(やまざき)元会長は、相当多忙そうに思えたけど。

 

「世代別代表って......日本代表だったんですかっ?」

「私は、聞いていたわ。海外遠征にも行っていたそうよ」

「へぇ~、先輩ってホントにスゴかったんですね」

「ふむ。しかし、そんなお前でもバイト先の店長には敵わないんだな」

「それはそうだよ。店長は、日本A代表の候補まで上がったことのある元プロだもん。中学の代表とは格が違うって」

「元プロって......あの人、プロのサッカー選手だったのっ?」

 

 このことは話してなかったから、みんなと一緒に寧々(ねね)も驚いている。

 バイト先の店長は、日本A代表候補まで上り詰めた元プロサッカー選手で中学の母校の卒業生。そして、サッカーの楽しさを教えてくれた恩人。全国制覇を成し遂げた後日母校にまで祝いに来てくれた時、わざわざ俺の入院先の病院まで見舞いに来てくれて、東京(こっち)の専門医を紹介してくれた。

 朱雀高校へ入学してからは知り合いのスポーツ用品店のバイトを紹介してくれたり、動けるようになってからは引退してから始めたフットサルコートで雇ってくれて。他にもケガのケア、トレーニング方法、食事面とかいろいろなことを教えてくれた。

 

「でも、店長さんって、まだ若いわよね?」

「八つ上だから、今年で二十六才かな」

「それはずいぶんと若いね。引退するには早すぎじゃないのかい?」

「四年前くらいから腰に違和感があったんだって」

 

 話によると医者にはメスを入れる必要があると診断されたそうだ。けど、学生の一年間とプロの一年間とでは重みが違う。手術を回避して保存治療で騙し騙しプレーを続けて結果を残してきたけど、それに限界と感じた時若くして引退を表明。今もまだ故障を抱えたまま状態で、バイト終わりに指導してくれている。あの人には、どんなに感謝しても本当に感謝しきれない......。いや、店長だけじゃない。いろんな人に支えられて来た。

 だから、俺は、支えてくれた人たちに恩返しをしたい――。

 そして、季節は巡り、東京の街に本格的な冬が訪れた。授業内容も受験対策中心の内容へと変わり、後日行われる内部進学者向けの学力受験を控えた教室にはただならぬ緊張感が漂い、まさに受験モード一色。

 そんな、勝負の二学期も明日で区切りの終業式を迎えると同時に、俺たちサッカー部は年末から年始を跨いで開催される選手権大会へ向けて、学校で強化合宿を張ることになっている。

 そして、その終業式前日の放課後。合宿前に、俺は寧々(ねね)と一緒に校舎の屋上に出ていた。

 

「いよいよね」

「そうだね」

「あら、落ち着いてるのね」

「うん、これを見てるとどうしてか。緊張感よりも頑張らないとって想えてくるんだ」

 

 サッカーをやっている人なら誰でも知っているおまじない。

 左の手首に巻いたミサンガに触れる。

 

「それにしてもハデな色よね」

 

 先月。そう、白石(しらいし)が転校した日の放課後、寧々(ねね)と雑貨屋へ一緒に買い行ったオレンジとスミレ色のミサンガ。ちょうど、今の空と同じ色だ。

 

「だね。寧々(ねね)、聞いてくれる......?」

「ん? なーに?」

 

 まだ16時を回っていないのに、冬場の太陽はもう傾き始めて。青かった西の空が徐々にオレンジ色へと染まり始めた黄昏時の寒空の下。高層ビル群が遠くに広がる大都会東京の街を見つめながら、俺は朱雀高校へ進学を決めた時から誰にも話さずずっと胸に秘めてきた想いを、初めて彼女に打ち明けた。

 

「俺、今までいろんな人に支えられてここまで来たんだ」

 

 東京へ送り出してくれた家族、サッカー部の仲間、バイト先のスタッフ。病院の主治医、看護師さん、学校の友人。

 そして、今も隣に居てくれている――大切な人。

 

「だから......俺のサッカーは高校(ここ)で終わり、今度は誰かを支える側になろうと想う」

 

 ケガをしてから、ずっと考えてた。

 だから、この大会だけは絶対に勝ちたい。勝って、支えてくれた人たちに恩返しをしたい。

 ――初めてかもしれないな。こんなにも結果に、勝ちにこだわるだなんて......。

 

「......そう。それなら私は、あなたを支えるわ。最後の時まで、あなたのそばで――」

 

 そっと繋いでくれた手から彼女の優しさが、温もりが伝わってくる。その心強くも優しく暖かい手を握り返し、感謝の言葉を伝える。

 

「ありがとう」

 

 今一緒に見ている空の境界線が曖昧な夕焼け空は、今まで見てきたどんな夕景色よりも綺麗で、とても美しく、どこか切なさを覚える夕焼け空だった――。



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Episode62 ~夢舞台~

 試合終了を告げる長い笛の音がスタジアム中に響き渡った。

 応援席から聞こえる歓声と拍手、ベンチのチームメイトもみんなで勝利の喜びを分かち合っている。歓喜に包まれるフィールドで、俺は独り立ち尽くしたまま、空を見上げていた。

 雲ひとつない、遠くどこまでも澄み渡る冬の青空。フィールドを駆け抜ける冷たい北風は、走り終えた直後の火照った身体の熱を徐々に奪っていく。

 ひとつ、大きく深呼吸。

 ゆっくりと長く吐き出した息は真っ白で、大気に触れた瞬間に消え去る。

 

「あと、ふたつ」

 

 この試合を勝利したことで、夏のインターハイと同じベスト4進出を決めた。悲願の優勝まで、あと二試合。ベスト8まで勝ち上がってきたチームは、夏のインターハイで上位に名を連ねた有名校、下馬評をひっくり返して勢いに乗っている学校もある。ここから先は、さらに厳しい戦いになる。それでも......。

 

宮内(みやうち)、整列だ」

「ああ、すぐ行く」

 

 朝比奈(あさひな)に促され、緑色が鮮やかな芝のピッチを駆け足で列の最後尾に付いた。審判、線審、対戦相手、スタンドから応援してくれた人たちに頭を下げて挨拶したあと、ベンチに戻って、控え室へ引き上げる支度を始める。

 

「スポドリよ。少しぬるめに作ったわ」

「ありがとう」

「あなたたちのも用意してあるわよ」

 

 寧々(ねね)が用意してくれた、紙コップに注がれたスポーツドリンクをひとくち飲み。スパイクの紐をほどいて、レガースを外す。

 

「他会場の結果が出たわよ」

 

 顔を上げる。ゴール裏の大型ビジョンに同時刻スタートした他会場の試合結果が表示されているスコアに、目を疑った。

 スタジアムを出て、宿舎へと向かうバスでの帰り道。一番後ろの席で、先ほど映し出された試合結果について、森園(もりぞの)を加えた四人での会話。

 

「相手は、インターハイの優勝校よね?」

「そう。まぐれで勝てる相手じゃない」

「だよな。それにあのスコア......夏の覇者を相手に5対0の圧勝だぞ? アイツらが、あんな点差つけて勝つだなんていったいどうなってんだ?」

「さーな。だが、大差で勝利を収めたことは確かだ」

 

 インターハイの王者を大差で敗ったことは間違いない。

 今年の夏、俺たちがインターハイ東京都予選で奇しくも今回と同じ五点差をつけて倒した相手――帝王学園。

 宿泊先のホテルに到着。割り当てられた部屋に荷物を置き、夕食までは自由行動。寧々(ねね)と一緒に、近所のカフェへ出かけた。

 

「おーい、ここだー」

 

 カフェに入ってすぐ、店の奥の席から俺たちを呼ぶ声。声の主は、宮村(みやむら)。彼と同じ席に、二人知っている顔が座っている。

 

「やあ、久しぶりだね」

「ごぶさたですね。寧々(ねね)さん、宮内(みやうち)さん」

 

 宮村(みやむら)のひとつ前の生徒会長の山崎(やまざき)と、秘書の飛鳥(あすか)

 

「お久しぶりです。会長、飛鳥(あすか)先輩」

 

 軽く会釈をして挨拶をした寧々(ねね)に続いて挨拶して、引いた椅子に腰をかける。

 

「じゃあ、次の試合から?」

「ああ、家の用事で来れなかった伊藤(いとう)椿(つばき)、進路が決まってる連中もな。山田(やまだ)詫摩(たくま)は受験に手一杯だから、総体の時と同じでテレビの中継を観るってさ」

「卒業生も、サッカー部のOBを中心に現地へ応援に来ると言っていたよ。西園寺(さいおんじ)くんは、日焼けが気になるから決勝戦なら観に来ると言っていたよ」

「そうですか」

 

 勝ち上がるにつれて応援してくれる人たちが、期待してくれる人たちが増えていくのを実感している。それは朱雀高校関係者だけじゃなくて、中学時代の先生やクラスメイト、ベンチが叶わなかった部員たち。縁もゆかりもない全国各地から学校や放送局に寄せられる数多くの祝電、応援メッセージが物語っている。

 

猪瀬(いのせ)くんは来ていないのかい? 見当たらなかったけど」

(じゅん)ちゃんは今日、学校で始業式の準備があるから来られないそうです」

「そうか、久しぶりに顔を見たいと思っていたんだけどね」

「準決勝からは生徒会総出で応援に来るって言っていたわ」

「じゃあ、挨拶はその時にするとしよう。しかし、彼女も生徒会に所属しているんだね」

 

 玉木(たまき)が任期満了で生徒会長を退いた後も、(じゅん)ちゃんは生徒会に所属している。現在は、生徒会長秘書という役職で。

 

玉木(たまき)のヤツ、ずっと悩んでたもんな。悠理(ゆうり)猪瀬(いのせ)のどっちを次期会長にするかをさ」

 

 宮村(みやむら)が話したとおり、玉木(たまき)は任期ギリギリまで任期を決めかねていた。どちらも仕事をミスなく、そつなくこなし、生徒からの信頼も厚い。悩み悩んだあげく最終的に、秘書の経験がある三浦(みうら)を新生徒会長に指命した。

 山崎(やまざき)玉木(たまき)と二人の生徒会長の元で働いてきた(じゅん)ちゃんは、苦労をよく知っているからか「ぶっちゃけ面倒ですし、選ばれなくてよかったです」と笑っていた。

 

「はっはっは、猪瀬(いのせ)くんらしいね。ところで宮村(みやむら)くん、レオナくんはいつ来るんだい?」

「あ? 姉貴? 姉貴なら来ねーぞ」

「......な、なんだって!?」

 

 好意を寄せている宮村(みやむら)の姉、レオナが応援に来ないと告げられてショックを受ける山崎(やまざき)。手に持つティーカップが傾きコーヒーが滴り落ちる。店員が対応するよりも早く、溢れたコーヒーを拭き取った飛鳥(あすか)は、何事もなかったかのように紅茶を口に運んだ。この二人の関係も相変わらずのようだ。

 

「ど、どういうことだい!? レオナくんは、後輩の応援に行くと言っていたんだけど......」

 

 眼鏡を直そうとする手が、これでもかと小刻みに震えてる。

 この人にとっては、後輩の応援よりも自身の恋愛の方が重要のようだ。同じ立場だったらどうだろう。寧々(ねね)を見ると、少し呆れ顔になっていた。

 

「つまらない意地悪言うのはよしなさいよ。レオナさんも、次の試合から応援に来てくれるって言ってたじゃない」

小田切(おだぎり)くん、それは本当かい!?」

「ええ、ホントよ。今は、ご両親と新年を過ごすためにイギリスへ戻ってるって激励と一緒に受け取ったわ」

「勝手に教えんなよなー」

「いつまでも姉離れしないからでしょ、まったく。シスコンなんだから」

「シスコンじゃねーよ!」

「そ、そうか、そうだったんだね。はっはっは! ここば僕に任せてくれたまえ。僕からの餞別だ」

 

 寧々(ねね)の話を聞いた山崎(やまざき)は途端に上機嫌になった。お言葉に甘え、広げたメニューを彼女と一緒に見て、夕食前のため二人で分けられる軽い物を選び、先に注文した飲み物を運んできてくれた店員さんに追加で注文を頼む。

 

「ところで、何があったんだい?」

「何がですか?」

「店に入って来たキミたちから、まるで危機感のようなただならぬ空気を感じたからさ。今のやり取りから、仲は良好のみたいだからね」

 

 ティーカップを置いた山崎(やまざき)は微笑んで「話して楽になるなら聞くよ」と、会長時代のように両肘をテーブルについて手を組んだ。どこか有無を言わさぬ雰囲気のある懐かしい笑顔だった。

 

「フム、なるほど、帝王学園か」

「帝王学園といえば去年の秋、宮内(みやうち)さんに絡んで来られた方がいらっしゃいましたね」

「うん、居たね。分かりやすい挑発だったけど、相手にしていなかった」

 

 去年の選手権東京都都大会の予選でベスト8を阻まれた試合後の俺を見下した態度は、あの場に同席していた二人の記憶にも残っていた。

 東京都の選手権予選は二つのブロックに別れて、各ブロックで勝ち上がった優勝校が全国大会への出場権を得られる。別ブロックの帝王学園は、苦戦しながらも予選を接戦で勝ち上がり、全国大会でも延長までもつれ込む試合展開を演じ、辛うじて競り勝ってきたという印象だったが......。

 

「けどよ。帝王って、お前がデビュー戦でボコった相手だちゃよな?」

「その時と同じ五点差を今日の試合で、インターハイの覇者相手にやってのけたのよ」

「マジか、まぐれか......?」

「さあ実際に試合を見てみないとわからないけど。ただ、まぐれで勝てる相手じゃないのは間違いないと思う」

「インターハイの覇者となれば、当然今回も優勝候補の筆頭だろうね。圧倒するほどの力を急激につけたりできるものなのかい?」

「ちょっとしたきっかけで化けることはあります。ジャイアントキリングも少なからずありますし。でも、サッカーはチームプレーですから」

「個人競技と比べると、チーム全体が急激にレベルアップするとは考え難いと。フム......」

「でしたら、実力ということではないしょうか? 『能ある鷹は爪を隠す』ということわざもあります」

飛鳥(あすか)くんのようにかい?」

「まあ、春馬(はるま)さまったら。お恥ずかしい限りですわ」

「はっはっは!」

 

 なんだか懐かしいやり取りを見た気がする。

 しかし、それだと疑問は残ったまま。わざわざ敗退のリスクを犯してまで隠す必要性があったか。何故、このタイミングで実力を発揮したのか。それとも、他に別の理由が存在するのか。

 どうにせよ、次の試合ではっきりする。

 さまざま要因が重なって起こった偶然の勝利なのか。それとも本物なのか――。 

 

           * * *

 

 準決勝は同日、同じ会場で時間をずらして行われる。先ずは帝王学園対選手権で優勝経験もある全国屈指の名門校。事前の予想では、プロ内定者が数名いる名門校が優勢という見方が大半だったが――。

 

「二試合連続で五点差ゲームかよ!」

「間違いないな。アイツらの実力(チカラ)は本物だ。しかも......」

「ああ、あれは俺じゃない。昔のアイツでもない。あれは完全なオリジナルだ」

 

 縦横無尽にピッチを駆ける嘉納(かのう)は、夏とはまったく違うプレースタイルを駆使し、チームメイトの能力を最大限引き出し、圧倒的なまでの実力を見せつけて、対戦相手を撃破した。それは、先日の準々決勝の大差での勝利が偶然ではないことを証明した。

 試合後控え室へ続く通路で、試合に勝ち控え室から引き上げる帝王学園と出くわした。

 

「悪かったな」

 

 すれ違いざま、突然の謝罪。

 俺たちは、まるで示し合わせたようにお互いその場で立ち止まった。顔は合わせず、背中合わせでの会話。

 

「なにが?」

「言ったはずだ)借りは冬に返す。思いの外、“調整”に時間がかかった。正直、間に合うか分からなかったが、ここに来てようやく形になった」

 

 新しいプレースタイルをチームメイトとアジャストさせるのに時間がかかった。それで予選から苦戦していたのか。そして、準々決勝で形になった結果が五点差ゲーム。

 

「......オマエが、全国で脚光を浴びているのを見て思い出した。特に、オマエたちが負けた試合の後にな。オレは、オマエのプレースタイルにこだわっていた訳じゃないってことを......。オレは――」

 

 フッ、と小さく笑った。嘉納(こいつ)が、こんなにも愉快気に笑うなんて初めて見た。

 

「決勝で待っている。約束通り、決着をつけよう。最高の舞台でな!」

 

 左手を軽く上げ、徐々に遠ざかっていく背中。

 俺が本気で憧れた、あの時と同じようなオーラを纏っていた。いや、それどころか、もっと凄みのある雰囲気を感じさせた。

 

           * * *

 

 全国選手権大会決勝戦当日。

 先日、準決勝の二試合目で俺たち朱雀高校は、夏のインターハイで惜しくも敗れた相手に競り勝ち、遂に初の決勝進出を果たした。

 

「おーいっ!」

「ん? あ、伊藤(いとう)さん」

 

 ベンチ裏の朱雀高校応援スタンドから、伊藤(いとう)が手を振っている。彼女の周りには宮村(みやむら)椿(つばき)五十嵐(いがらし)に、玉木(たまき)。後輩二人と、ナンシーたち元魔女とシド。それとバイト先のスタッフや、山崎(やまざき)たち卒業生や学校関係者、家族、本当にたくさんの人たちが応援に来てくれていた。練習開始まで、まだ少し時間がある。俺と寧々(ねね)は一緒に、彼女たちの元へ向かった。

 

「今日も応援に来てあげたわよっ」

「ありがと、伊藤(いとう)さん。みんなも!」

「祝勝会用にもう食材仕込んであっから勝ってくれよな!」

「会場は、オレん家な。因みに結構な額を出し合ってから無駄にさせんなよー」

「ちょっと、試合前にプレッシャーかけないでくれるかしらっ!」

 

 寧々(ねね)が叱って、宮村(みやむら)は面白がって笑う。いつも変わらないやり取りで、肩の力が抜けて少し楽になった。

 

「しかし、スゴい観客の数だな」

 

 五十嵐(いがらし)は後ろを振り返って、スタンドを見渡す。世界大会を開催出来る規準を満たした数の客席は、まだ試合開始まで時間があるのに既に2/3に以上が埋まっている。高校サッカーで、これだけの人たちが入るのは数十年ぶり。

 

「それはそうよ。だって、史上初の東京勢同士の決勝戦だもの」

「だから、ゴール裏とスタンドにもカメラとかいっぱい来てるんですね」

「あ、ホントだっ」

 

 (じゅん)ちゃんとノアちゃんの視線の先には、数多くの報道陣がカメラの調整や打ち合わせを行っている。これほどの注目度は、近年で一番かもしれない。

 

「じゃあ、そろそろ行くよ。寧々(ねね)

「ええ、行きましょ。また後でね」

 

 背中に声援を受けながらベンチに戻り、準備を始める。

 両校ともに試合前の練習を終えて、いったん控え室へ下がって、試合開始直前、最終ミーティングを行う。

 知らせに来た会場スタッフの指示を受けて、寧々(ねね)たちは一足先にベンチへ。俺たちはグラウンド中央への通路で、相手校と共に試合開始の時を待つ。

 

「ついに来たな、決勝(ここ)まで」

「ああ」

 

 ケガをした時は、正直、ここに立っているなんて夢にも思わなかった。

 俺は、いろんな人たちに支えられて......今、この舞台に立っているんだ。

 

「つーか、やべぇ、マジでワクワクしてきた! こんなの代表の海外遠征の時以来だぞ!」

森園(もりぞの)らしいな。この場面でワクワクするなんて」

「気負い過ぎるなよ」

「わーってるっての」

 

 朝比奈(あさひな)森園(もりぞの)と言葉を交わしていると「そろそろ時間です。両チームとも整列をお願いします」と、運営スタッフの指示。指示に従って、両校ともにキャプテンを先頭に一列に整列。

 

「約束通り、借りは返すぞ」

 

 俺と同じで、列の最後尾に付いた嘉納(かねさだ)からの宣戦布告。

 

 ――俺だって負けられない。この試合だけは、絶対に。

 

 腕時計を確認して歩き出した主審の後に続いてスタジアムを抜けると、まで浴びたことのない大歓声に包まれた。

 高校サッカー生活において、最高で最後の夢舞台へと足を踏み出した。







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Episode63 ~黄昏色の誓い~

修正のつもりが、操作ミスで消えてしまったので再投稿になります。
主な修正個所は後半部分を全てです。


 選手権大会決勝戦、朱雀高校は序盤から劣勢を強いられていた。

 理想の型にはめようとしていた息苦しいフォーメーションプレーを捨てた対戦相手の帝王学園は、夏の予選よりも少し高いトップ下にポジションを取る嘉納(かのう)を中心に、チーム全体が個々のポジションに囚われず、攻守ともに流動的に動き回るまったくの別チームに生まれ変わっていた。

 ゴールこそ奪われてはいないが、攻守において掴み所のない変幻自在な戦術になす術もなく、防戦一方の時間帯が続く。

 

「両サイド、コース切れ! マーク外すな!」

 

 ゴール前でディフェンスリーダーの朝比奈(あさひな)が指示で動いた守備陣の隙を取り、嘉納(かのう)が中央のスペースへ走り込む。

 

「戻せ!」

 

 右サイドの相手選手はゴール前まで運んだボールを惜しむことなく、あっさりと後ろへ叩いた。選手を一人経由して、キャプテンマークを巻く嘉納(かのう)にボールが渡った。ゴールまで20メートル半ば近い距離があるにも関わらず、大きく腰を落として踏み込み、シュート体勢に入った。

 

「くっ......!」

 

 マークを外して、シュートブロックに行くもあと一歩間に合わず。ゴールまで約25メートル、フリーで右足を振り抜かれてしまった。

 

「跳べーッ!」

「――えっ!?」

 

 守備陣の頭上、ゴールバーの上を越えたシュートにブレーキが掛かり軌道を変えた。急激な変化とスピードにキーパーは反応できず、ゴールネットを大きく揺らし、同時に前半終了告げるホイッスルが鳴り響いた。

 前半戦、終了寸前での失点。一点ビハインドでハーフタイムに入る。今の一連のプレーで悟った――このままでは負ける、と。

 

「クソッ! 訳わかんねー動きしやがって、どうする?」

「既に手は打ってある。マネージャー、頼んでおいたものを頼む」

「はい、どうぞです!」

「スコアブック? スゲー、全員の動き、おおよその走行距離まで測ってんじゃん」

「これほどとはな」

「引退した先輩方も手伝ってくれたんです」

「そうか。お前たちの努力は絶対にムダにしない、ありがとう」

「......はいっ!」

「先生、ホワイトボードを」

「よし!」

 

 応援席から控え室へ手伝いに来てくれた二年生の女子マネージャーから、スタンドで取ってもらっていた相手のデータを受け取った朝比奈(あさひな)と顧問は、データの解析に入った。

 みんなが後半戦へ向けて体を休めながら意見交換をする中、トイレへ行く言って控え室を出た俺は、右膝のサポーターを外して、救急箱から持ち出した医療バサミをテーピングの隙間にあてがう。

 

「何してるのよっ!」

 

 突然ドアが開いて、寧々(ねね)が血相を変えて詰め寄って来た。

 

「テーピング、切ろうと思って」

「だ、ダメよ! そんなことしたら――」

「反応が一歩遅れた」

「え?」

 

 テーピングを巻いた右膝に目を落とす。

 

「あの失点は、俺のミス。あの距離からもあるって解ってたのに、あと一歩が届かなかった。ホントはもう、必要ないんだ。主治医から、お墨付きをもらってる。ただ、テーピングなしで思いきりプレーするのが......怖かった」

 

 ――情けない。こんなものにいつまでも頼っていた自身の弱さが招いた結果。

 

「......貸して。私がやるわ」

 

 顔を上げて見た寧々(ねね)は、どこか申し訳なさそうでいて、少し表情が強張っている。

 

寧々(ねね)?」

「言ったでしょ、私が支えるって。だから......私も、一緒に戦うわ。もしもの時は、私を恨んで。テーピングを切ってあなたを送り出した、私を――」

 

 ハサミを持つ手は小さく震えている。

 人通りのない廊下で彼女を抱き寄せ、心から感謝の想いを伝える。

 

「ありがとう。寧々(ねね)がいつも側で支えてくれるから、俺は今、ここにいられる」

 

 出会った頃よりも伸びた髪にそっと触れる。

 いつも自分のことは二の次にして、ずっと側にいてくれた。三年に上がって、受験生なのに一緒に部活に入ってくれて、休日もほぼ毎日部活で、バイトがある日は夜遅くまで待っててくれた。そんな彼女の優しさに甘えるだけで、恋人らしいことなんてほとんどしてあげられなかった。それでも愛想を尽かさず、今も傍に居て支えてくれてる。

 

寧々(ねね)と出会えて本当によかった。好きになってよかった。好きになってくれて......ありがとう」

結人(ゆいと)くん......」

 

 手の震えはもう治まっていて、腕の中で顔をあげた寧々(ねね)の頬はほんのり紅く染まっていた。

 

「なによ、急に。別れ話の前みたいじゃないっ」

 

 照れ隠しなのか、可愛らしく口を尖らせる。

 

「別れるつもりはないけど?」

「私だってないわよっ」

 

 少しの間見つめ合って、どらからともなく小さく笑い合った。

 

「そろそろ戻らないと。ハサミ、貸して」

「イヤよ、私が切るわ。だって私は、サッカー部のマネージャーで――あなたの彼女なんだからっ!」

 

 そう力強く宣言した寧々(ねね)は、俺の右膝のテーピングにハサミを入れた。

 

「戻ったか」

「悪い、処置してた」

「処置? なるほど......」

 

 足下に目を落とした朝比奈(あさひな)は、すぐに膝の異変に気がつき、確認してくる。

 

「行けるんだな?」

「問題ない、任せろ」

「フッ、そうか。小田切(おだぎり)、頼む」

「わかってるわ。さあ、みんな急いで準備するわよ。手の空いてる人は手伝いなさい」

「はいっ」

 

 後輩のマネージャーたちとベンチ入りの選手たちを従え、治療道具のチェック、ドリンクの補充など後半戦へ向けて準備を始めた。

 

「流石だな。小田切(おだぎり)が仕切ってくれると動きが変わる。正直、マネージャーじゃなかったらと思うとゾッとすることがある」

 

 中学の頃から生徒会に所属していた彼女は、部活のマネージャーは未経験だったけど、それを感じさせない早さで仕事を覚えて、すぐにみんなから頼られる存在になった。実際、寧々(ねね)がいるから安心して夏の大会を最後に受験勉強に専念できると引退した同級生のマネージャーもいた。

 

「そっちは?」

「こちらも見つけた。集まってくれ」

 

 スタートと同じ面子は、相手選手の攻守の動きを番号付きマグネットと矢印で記したホワイトボードの前に集まる。朝比奈(あさひな)は、指示棒を使って解説を行う。

 

「今まで相手の捉えどころのない無造作の動きに惑われていたが、ポジショニングにある種の決まりごとが存在することがわかった。それが、これだ」

 

 ホワイトボードの選手の動きを示す矢印を指す。それを見て俺を含む何人かは、相手選手の動きのある共通点に気がついた。

 

「そうか、そういうことか」

「どういうことっすか?」

 

 渋谷(しぶたに)が、横から顔を出す。

 

「ゾーンだよ」

「ゾーン? ゾーンディフェンスとか、ゾーンプレスとかのゾーンっすか? でも、それって――」

「そうだ」

 

 朝比奈(あさひな)が割って入り、相手の戦術について詳しく話す。

 

「通常ゾーンは予め決められた地域(エリア)で役割を果たす、主に守備に用いられる戦術だ。だが、帝王は攻守ともに地域(エリア)ではなく、“人”に合わせてゾーンを敷いている」

 

 ローテーションでポジションを動かしているワケではなく、役割自体を決めていないから、攻撃も守備も人がいないところへ流動的に動き回るため、ポジションが定まらない。

 

「大袈裟な表現になるが、トータルフットボールにおけるひとつの答えだろう。当然、簡単に出来ることじゃない。どのポジションもそつなくこなせるひとりひとりの高い技量はもちろん、どこへ行けばいいのかを瞬時に導き出せる判断力が求められる」

 

 そしてなにより、試合中常に走り続けられる運動量(スタミナ)を持ち合わせていないと成り立たない戦術。脅威的に感じるが、脆い弱点も浮かび上がった。

 

「んで、結局どうすんだ?」

「単純な戦術だ。相手のポジション変化に惑わされず、マークを切り、従来のゾーンディフェンスで対応する」

「変則ゾーンには正統派ゾーンでってワケだな。攻撃は?」

「決まってるだろ?」

 

 俺の肩に、ポンっと手を乗せた。

 

「うちの司令塔に任せる」

 

 また丸投げかよ、と突っ込む間もなくトアがノックされた。

 ドアの向こうから「朱雀高校、準備をお願いします」と運営スタッフの呼び掛け。

 

小田切(おだぎり)

「いつでも行けるわ」

「サンキュー。集合」

 

 マネージャーたちも加わり円陣を組む。

 

「さあ、歴史を造りに行こう!」

 

 鼓舞し、支度を整え終えた選手とマネージャーたちは、控え室を出て行く。

 目を閉じて、ひとつ深呼吸。

 ゆっくりと目を開けると、ドアの近くで寧々(ねね)が待っていてくれた。

 

「忘れ物よ」

「忘れ物?」

 

 控え室のドアを閉めて、つま先立ちで首に手を回した。

 

「おまじないよ」

 

 初めてキスした時と同じ言葉。

 あの時とは違う、恋人同士のキス。

 

「無事に戻って来ないと許さないから」

「了解。行こう」

「ええ!」

 

 一緒に、決戦の舞台へ向かった。

 後半戦開始直前、ベンチで最後のミーティング。泣いても笑っても試合は後半戦を残すのみ。守備に関する最終確認のあと、最後に顧問と寧々(ねね)からそれぞれ激励の言葉を貰った。

 

「悔いが残らないように持てる力を全部出し切って戦って来い!」

「ここで負けたら初戦で負けるのと同じよ、絶対に勝ちなさいっ!」

 

 朱雀高校の応援席からも。

 

「勝負は、ここからだぞー!」

「そうよ、勝ちなさいよー!」

 

 伊藤(いとう)たちが、みんなが大声で声援を送ってくれている。

 

「こりゃ負けられねぇーな」

「だな。森園(もりぞの)、ボールをくれ」 

 

 センターサークルに向かおうとしていたところへ声をかける。

 

「弱点を突く。ファーストプレーで同点にするぞ」

「オーライ!」

 

 主審の笛がスタジアム中に鳴り響き、後半戦スタート。センターサークル中央で渋谷(しぶたに)とボール交換した森園(もりぞの)は振り返らずに、ヒールキックでボールを後ろへ戻した。

 そのボールを、テーピングとサポーターを外して自由になった右足で受ける。自然な感覚、違和感は微塵もない。

 顔を上げて前を向く。相手が素速いプレスで、ボールを奪いに来ていた。右足で軽くボールを転がし、奪おうと大きく伸ばして開いた足の間を狙い澄まして通す。一人目をかわして相手陣地内に侵入するも、すかさず別の選手がフォローに駆けつけてくる。抜かれた選手は、ポジションチェンジで空いた場所へ移動、敵陣の後方へ回った。

 

「いかせねぇよ!」

 

 フットサル仕込みのステップで二人目をあしらい、更に三人目をかわしたところで、嘉納(かのう)が立ちはだかった。前半は相手の術中に嵌まり、ほとんどボールを持てなかったこの試合、初めてとってもいいマッチアップ。フェイントは使わず、単純な緩急とボールタッチでかわし、そのままスピードに乗った。

 

「速いッ!? くっ!」

 

 地道な走り込みの成果なのか、自分でもビックリするほど思った以上に体が動く。それだけじゃない。今までは、テーピングの存在で逆に無意識の内にセーブがかかっていたのだろう。

 

「誰でもいい、当たってくれ! ペナルティエリアに入らせるな!」

「わかった!」

「任せろ!」

 

 大声で叫んだ嘉納(かのう)の指示で、左右の前方にいた二人の選手が俺に向かってくる。準々決勝、準決勝の対戦相手はこの素速いチェックとポジションに拘らない戦術に嵌まり、自分たち本来のプレーを発揮できぬまま敗れ去った。

 カラクリが解った今、冷静に対処さえ出来れば技量で負ける相手じゃない。距離を計り、チェックに来た相手をあざ笑うようなフライボールで頭上を越すスルーパスを通す。

 これがひとつ目の弱点。フォローが速い反面、他の場所に居た選手がポジションチェンジをするさい僅かなタイムラグが生じる。

 パスを出した俺は、パスアンドゴーでゴール前へ走った。

 

「ナイス!」

 

 パスを受けた選手はダイレクトで、ツートップのひとり渋谷(しぶたに)へ繋いだ。ディフェンダーにユニフォームを掴まれながらもペナルティエリア内まで侵入し、強引にシュートを打った。

 

「もらいッ!」

 

 ゴールキーパーが片手一本で辛うじて弾いたこぼれ球を、俺と同じく走り込んでいた森園(もりぞの)が豪快なジャンピングボレーを叩き込む。ほんの一瞬、静寂が訪れ、われんばかりの歓声が朱雀高校応援席から沸き起こった。

 インターハイと同じ、魔の時間帯での同点ゴール。

 森園(もりぞの)渋谷(しぶたに)とハイタッチを交わしながら、横目で嘉納(かのう)たちを捉える。夏は、ここから総崩れだったけど。今回は......笑っていた。

 

「悪い、どっちかが引きべきだった......」

「謝る必要はない。今のは、簡単にやられたオレのミスだ。それに――」

 

 不意に目が合った。

 

「こうでなければ面白くない。振り出しに戻っただけだ、オレたちが必ず勝ち越すぞ!」

「オオーッ!」

 

 初めて見た。アイツがチームを、仲間を鼓舞する姿。キャプテンマークを巻く理由も納得。

 このあと試合は、両校の攻守が目まぐるしく入れ替わる激しい展開になった。どちらもゴール付近まで攻め込むが、寸でのところで防ぎ合う。

 そして、後半戦の残り時間の半分が経過した頃、先に流れを掴んだのは――帝王学園。ペナルティエリア付近で、嘉納(かかのう)が二人にマークされながらもボールをキープ。

 

嘉納(かのう)!」

 

 走り込んだ相手にマークの意識を奪われたわずかな隙をついて、シュート。大外から巻いて来たボールは、キーパーの指先をかすめてゴールポストに直撃、ゴールマウスには嫌われたがパス要求した相手選手の下へセカンドボールが転がった。無人のゴールへと押し込まれ、失点。残り時間半分を切ったところで、朱雀高校は再び勝ち越しを許してしまった。

 

「まさかととは想うが、今のは......」

 

 朝比奈(あさひな)が、今のプレーについて確認にくる。

 

「ああ、間違いなく狙ってやった」

 

 勝ち越しゴールを決めた選手にはマークがついていた。普通のパスでは通らないし、シュートコースもなかった。あれは、ゴールポストを利用したアシスト。

 

「とんでもないことを考えるな、アイツ」

 

 本当に恐ろしいのは、その無謀な発想を実現させてしまう飛び抜けた実力(センス)。そうだ、これだ。中学入学したての頃本気で天才だと思った、アイツ本来の実力。

 

「あと二十分弱か」

「大丈夫、すぐにとりかえす」

 

 センターサークルから仕切り直し、後半戦開始時と同じようにボールをもらう。そろそろ頃合いのハズ。奪いに来た選手を、両足の足裏を使った細かいタッチのドリブルであっさり抜き去る。

 

「くそッ!」

 

 思った通り、相手の足はかなり重い。

 これが二つ目の弱点。二人目、三人目には追いつかれもしない。前半からあれだけ走り回っていたため必然的に体力の消耗をしている。それも慣れないポジションで複数の役割をこなさなればならないため、疲労は通常の戦術の比じゃない。

 速いパスワークで足が止まったディフェンスを崩し、あっさりゴール前へまで運び、キーパーと一対一の場面を作り出し、ノールックで左にパス。

 

「ごっつぁんっす!」

 

 フリーで受けた渋谷(しぶたに)が、無人のゴールへ流し込み、再び同点。ここで、帝王ベンチが動いた。疲れの見えた選手三人を一度に交代させ、さらにフォーメーションを通常のゾーンに戻した。

 

「勝負は、ここからだ!」

 

 嘉納(かのう)の宣言通り、勝負は総力戦。

 どちらも延長戦は頭に入れず、最後の力を振り絞り、ぶつかり合う。時間が進むにつれて、両校のスタンドボルテージも上がり声援はどんどん大きくなる。

 そして、試合がアディショナルタイムに突入したのとほぼ同時にホイッスルが鳴り響いた。それは、試合終了を告げる音ではなく――。

 

「帝王、フリーキック!」

 

 朱雀高校ゴール前で、痛恨のファール。ゴールまでの距離は22、23メートルほど、十分直接狙える距離。蹴るのは当然、嘉納(かのう)。慎重にボールをセットし、やや短めの助走を取る。

 

宮内(みやうち)、お前は前線に残れ」

「だけど」

 

 壁の上を巻いてくるか、先制点を奪った無回転シュートで来る。壁は、一枚でも多い方がいい。

 

「策はある。必ずお前に送る」

「......わかった」

 

 朝比奈(あさひな)はキーパーの元へ向かい、会話を交わしてから壁を作った。仲間を信じて、ゴール前から離れる。

 ――ピィッ! と主審の短い笛が鳴り、帝王学園のフリーキック。キッカーの嘉納(かのう)は直接ゴールを狙った。予想通り、先制点を奪われたのと同じ無回転シュート。壁の上を越えたが、キーパーが勇猛果敢に前に出て、ボールの変化が小さいうちに投げ出した身体に当ててブロック。

 

「なにッ!?」

「カウンター!」

 

 信じて待っていたところへ、セカンドボールを拾った朝比奈(あさひな)から完璧なロングボール。落下地点でトラップ、即座に前を向き、同じくカウンターに備えて前線で待機していた森園(もりぞの)渋谷(しぶたに)と共に、ゴールへ向かって走り出す。

 守備に残っていたディフェンダーを三人のショートパスの交換で置き去りにするも、選手交替で入ったフレッシュな選手が前線から全速力で戻って来た。

 森園(もりぞの)との壁パスで、背後から回り込んだ一人目をかわし、二人目はインターハイで嘉納(かのう)に膝を付かせたエラシコでの切り返しでアンクルブレイクでバランスを崩させる。

 試合終了間際、残る最後の三人目、最後の攻防。視線のフェイクを入れ、右サイドを駆ける渋谷(しぶたに)へパスを出すと見せかけ、店長にやられたトリックキックでボール前方へ打ち出す。残った三枚のディフェンスを掻い潜り、ペナルティエリアに進入、捨て身覚悟で飛び出してキーパーとの一対一、果敢にセーブに来たところをジャンプして避け、シュートモーションに入った。その時――。

 

結人(ゆいと)くんっ!」

 

 不意に、寧々(ねね)の声が大歓声の中で届いた。全力で戻ってきた嘉納(かのう)が、右後方から必死に足を伸ばして来ていた。

 中学最後のプレーでケガしたあの状況がだぶる。咄嗟にボールを浮かせ、自分は後ろに飛び、スライディングを避けて左足で着地。落ちてきたボールに合わせ、右足を振り抜いた。

 ゴールを告げるホイッスルが鳴り響き、そして同時に試合終了を告げる長い笛の音がスタジアム中に鳴り響いた。

 途中入部の俺を受け入れてくれて、最後まで一緒に戦ってくれた最高の仲間たちは喜びを爆発させ、ベンチやスタンドの応援団も一緒に喜びを分かち合う。

 ベンチ前で涙を拭う寧々(ねね)と微笑み合った俺は、空へ向けて左腕を大きく突き上げた。

 突き上げた左腕の、黄昏色のミサンガが切れて、鮮やかな緑色の芝生の上に落ちた次の瞬間――因果を取り戻した。

 そして、まるであの日と冬の教室のような黄昏色の教室でした誓いを今、鮮明に思い出した。

 

『約束する、必ず守るよ。だから――』

『――信じるわ。だって、あなたは......』

 

 ――白石(しらいし)、届いているか。

 どこまでも、どこまでも続く蒼く澄渡った空の向こうの居る彼女へ問いかけた。



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Episode64 ~黄昏時の約束~

「つかれた~」

 

 短くもとても濃い時間を過ごした冬休みも終わり、卒業までいよいよひと月余りとなった1月末の放課後。(じゅん)ちゃんは、部室に姿を見せるなり、こたつで突っ伏してしまった。ずいぶんとお疲れの様子。今日は......今日も、朝から色々と対応に追われていたのだから無理もない。

 ただ、そうなっている理由の要因でもあるため。ここは、ちゃんと労ってあげよう。

 

「おつかれさま。はい、お茶よ」

「お茶菓子もあるよ」

「あっ、ありがとうございます。先輩方」

 

 背中を丸めたまま、寧々(ねね)が淹れたお茶を口に運ぶ。

 

「あ、このお茶おいしぃ~」

結人(ゆいと)くんの地元のお茶よ」

「先輩の実家って、静岡でしたね。さすがお茶処、お菓子もおいしぃ~」

 

 お茶と一緒に送ってくれたお菓子をほうばり、ご満悦なようす。

 

「ところで、五十嵐(いがらし)先輩は?」

「家の用事で先に帰ったよ」

 

 だいたいここでダベっているノアちゃんは、部活存続のために後任を探していた伊藤(いとう)たちの説得と五十嵐(いがらし)の後押しを受け、超常現象研究部の部長に就任。それに伴い、超研部の方へ顔を出すことが多くなった。思案していた彼女の背中を押した五十嵐(いがらし)が、少し寂しそうにしていたが印象的だった。

 

「う~ん、私、帰りましょうか?」

「そう言うのいいからっ」

 

 苦笑いでやり過ごしていると、ドアをノックする音が響いた。宮村(みやむら)は基本ノックをしない、ノアちゃんの叩き方とも少し違う音。

 

「私が出るわ」

 

 寧々(ねね)は席を立ち、来客の応対に向かう。

 

「誰? あら、あなた......」

「お疲れさまです。宮内(みやうち)先輩は、いらっしゃいますか?」

 

 来客は、生徒会長の三浦(みうら)だった。

 

「あれー? 三浦(みうら)じゃん。なにしにきたの?」

猪瀬(いのせ)さん、キミもいたんだね」

「だって私、()()だしっ」

 

 得意気な顔をして言う。

 そう。(じゅん)ちゃんは先日、俺の後任としてフットサル部の部長に就任した。俺たちとしては、魔女探しのためだけに作った仮初めの部活だったため、今の代で終わりと考えていたのだけれど。「あ、私、入ります。勉強部屋として使えるとありがたいので」と、(じゅん)ちゃんが申し出たことで来年度も継続決定。一応活動実績がないと認められないため、たまにフットサルコートに現れては、寧々(ねね)やノアちゃんとお茶して帰って行く。

 

「そうだったね。呼び出す手間が省けたよ、キミも一緒に来てほしい。先輩、ご同行お願いします。詳しい話は、生徒会室で」

 

 事情はよく分からないけど、断る理由もない。

 とりあえず、話を聞くために生徒会室へ向かう中、寧々(ねね)が訊ねた。

 

「また取材の申し込みかしら?」

 

 全国大会優勝を成し遂げた日から、テレビや雑誌、新聞社などから取材依頼が殺到している。その対応に教職員はもちろん、生徒会の面々も日々追われている。

 

「サッカー部への取材だけではなく、学校案内や受験に関する問い合わせも増加していて、学校や僕たち生徒会にとっては嬉しい悲鳴ですよ」

「私、結構大変なんだけど?」

「報酬は弾んでいるつもりだよ。その証拠に、フットサル部の存続を認めたわけだし」

「報酬なのっ!?」

「当然だよ。有栖川(ありすがわ)さんから報告を受けている。フットサルコートへ出入りしてはいるけど、活動実績はほぼないとね。秘書としての成果がなければ、休部にあってしかるべき案件だよ」

「むむっ、あの計算天然のおばけ巨乳めぇ~。ちょっと胸が大きいからって――」

 

 密告のことよりも別のことに力がこもっているように感じるのはきっと気のせいだろう。なんてことを話している間に、生徒会室に到着。生徒会長直々にドアを開けて、促されるまま生徒会室に入る。

 

「よっ!」

森園(もりぞの)? それに――」

 

 森園(もりぞの)と、顧問が生徒会室内の応接席に座っていた。顧問と対面する形で森園(もりぞの)の隣に座り、書記の有栖川(ありすがわ)がお茶を用意してくれる。

 

「では、役者が揃ったところで本題に入りましょう。先生」

「ああ。実は今日、とあるところから連絡があった」

 

 司会役の三浦(みうら)に指名された顧問は、やや緊張した面もちで話を切り出した。

 

「何すか? 改まって」

「取材じゃないみたいですね」

「ああ、今回は別件だ。来月初め――」

 

 顧問の口から伝えられた話は、まったく予想していないことだった。

 

           *  *  *

 

「どうするの?」

「正直、迷ってる」

 

 部室へは戻らず、そのまま学校を出た俺たちは、住宅街をアパートへ向かって歩いていた。

 生徒会室で顧問から告げられたのは、来月行われる国際親善試合への選出を打診されたという話。東京都で半世紀ぶり開催される世界大会へ向けて若手選手の強化を目的とした、高校生以下の世代で構成されるU-18日本代表メンバーに選ばれたという旨。

 

「時期が、ね」

「受験真っ只中だものね」

 

 強化試合と同月に実施される、朱雀大医学部への内部進学の実力試験。翌月には、選手権後日に行われたセンター試験で足切りをクリアした、殿様大学同学部の本試験も控えている。

 内部進学については、担任と顧問から「問題ない」とお墨付きはもらっているといえ、勉強に専念したいというのが本音。

 だけど、同じく代表に選ばれた森園(もりぞの)朝比奈(あさひな)ともう一度一緒のチームで、世界を相手に戦ってみたいという気持ちがないといえば嘘になる。

 

「もう! もう少し時期を考えてくれてもいいんじゃないかしらっ?」

「まあ、選ばれてたメンツのほとんどはもう進路が決まってるからね」

 

 プロだったり、強豪大学へ推薦入学だったり、社会人チームを持っている企業だったりと卒業後の進路が既に決まってる人が大半で。むしろ今回の場合、普通に受験する俺の方が特殊なケース。

 

「それに――」

 

 言いかけたところで、ふと足が止まる。

 

「どうしたの? あっ......」

 

 住宅街に佇む、三階建ての一軒家。門の向こう側に見える広い庭の草木は伸び、まったく人の気配を感じられない。ただ「白石」と刻まれた表札だけは変わらずにそのままだった。

 

「行こっか」

「ええ」

 

 止まっていた足を前へ踏み出す。歩幅を合わせて歩いている寧々(ねね)が、俺の手を取った。

 

「約束。ちゃんと守れたわね。おつかれさま、かっこよかったわ」

「ありがと」

 

 柔らかい手を握りかえして、空を見上げる。

山田(やまだ)に任せるよ」

 

 吐いた白い息が、少しだけ長くなった冬空に融けていく。昼とも、夜とも、どちらともいえないオレンジ色とスミレ色の幻想的な空がどこまでも広がっている。

 大切な約束をした、あの日と同じ黄昏色の空。

 あの日......白石(しらいし)が海外へ転校した前日の放課後、誰もいない黄昏時の教室で。俺と白石(しらいし)は、大切な約束をした。

 

           *  *  *

 

 寒さが厳しくなり始めた、夕暮れの放課後。

 部室終わり帰り支度をしている最中、スマホを教室に忘れたことに気が付き、教室へと急いでいた。下校時間まで間もなくということもあって、廊下ですれ違う人もほとんどいない静な校舎。人気のない校舎西側の窓から差し込むまばゆい光が、徐々に廊下をオレンジ色に染めていく。

 自然と足が止まり、窓の外に広がる鮮やかな世界に見いってしまう。幻想的で美しい景色の中に、どこか物悲しさを覚えながら、ふと、昔のことを思い出した。

 

 あの日も今日と同じ、とても美しい夕暮れだった。

 

 バイトだったり、部活だったりと、この時間帯に校舎に残っていることは稀で。あまり思い返すことはなかった記憶が頭の中で甦る。

 もう六年も昔の、淡い初恋の記憶――。

 夕日を眺めながら当時の幼い想い出に浸っていると、下校時刻10分前を告げる校内放送が流れた。寧々(ねね)を待たせている、急がないと。止まっていた足を再び動かして、教室へ急いだ。

 後ろのドアから教室に入ると、よく知る女子が自分の席の椅子に座って、窓の外を眺めていた。教室を照らす夕日のせいなのか、それとも昔を思い出して、少しセンチメンタルになっているせいなのか。どこか儚げな雰囲気にも感じた。

 だから俺は、忘れ物を探すよりも先に、彼女へ声をかけた。

 そう、まるであの日と同じように......。

 

「どうしたの?」

「えっ!?」

 

 振り向いた彼女――白石(しらいし)は、とても驚いた顔をしている。きっと、こんな時間に声をかけられるだなんて想いもしなかったのだろう。でも、それは一瞬のことで。すぐに、いつもの白石(しらいし)に戻った。

 

「スマホを取りに来たんだ」

 

 ロッカーに置き忘れた、スマホを見せる。

 

「そういえば、振動音がしていたわ」

「見つからなくて、寧々(ねね)にかけてもらったから」

「そうなの」

 

 窓の外へ顔を戻した白石(しらいし)は「キレイね......」とささやくような声で言って、「そうだね」と俺は答える。

 

 そして、しばしの静寂。

 どちらも口を開くことなく、ただただ高層ビル群の向こう側へと沈んでいく夕日をしばらく眺める。

 手に持ったスマホが振動した。確認すると、着信は寧々(ねね)から。無事に見つかったことと、少し遅くなることを伝えて通話を終える。

 

「帰らないの? 寧々(ねね)ちゃん、待っているんでしょ?」

「待っててくれてる。でも――」

 

 机を挟んで白石(しらいし)の隣に立ち、窓の外を眺めながら答える。

 

「今、このまま帰ったら後悔する。そんな気がするんだ」

 

 彼女に顔を向ける。

 

「あの時と同じ顔してるから」

 

 白石(しらいし)は、小さく息をのんだ。

 いつの間にか夕日は高層ビルの向こうへと消え去り、オレンジ色だった空が、東から徐々にスミレ色に移り変わっていく。

 昼とも、夜とも、どちらとも言えないとても曖昧な時、黄昏時。

 

「私......」

 

 お互いの顔が見えにくくなった頃、白石(しらいし)は意を決したように話出した。

 

「私、転校することになったの......」

 

 告げられた言葉の意味を理解するのに少し時間がかかった。正に青天の霹靂というもので、しばらく言葉を失う。それくらい衝撃的な告白。親の都合とは言え、受験を数ヵ月後に控えたこの時期での転校だなんて思いもしなかった。それも、海外。

 

「じゃあ、明日にはもう......?」

「......うん、早朝の便で出国するわ。ごめんなさい......」

「なんで謝るの?」

「だって、応援に行けないから......」

 

 ――応援......ああ、そうか。だから猿島(さるしま)の未来予知に、白石(しらいし)は居なかったんだ。謎が解けた、だけど。

 

「それは仕方ないよ。事情が事情なんだし――」

「違うのっ!」

 

 俺の言葉を、彼女は強い口調で遮る。彼女らしからぬ力強い否定の言葉。

 そして、そのあとに続いたのは――“はじまりの魔女”なる言葉だった。

 白石(しらいし)は、はじまりの魔女になることで望み通りの学校生活を過ごせることと引き換えに、朱雀高校に不思議な能力を持つ魔女を産み出し、卒業と同時に全校生徒の記憶から存在が抹消されてしまう契約を結んだ。

 

「代償の支払いが、転校で早まるってこと......?」

 

 俺の問いかけに白石(しらいし)は力なくうなづき、今にも消えそうなほど弱々しい声で言った。

 

「もし応援に行けたとしても。あなたは......みんなは、私のことを覚えていないわ。最初から存在していなかったみたいに......」

 

 はじまりの魔女が消えれば、朱雀高校の魔女も力を失う。

 記憶を取り戻す儀式を行うことも不可能。朱雀高校での白石(しらいし)との想い出は、夜中の12時で消えてしまう。まったく、とんだおとぎ話。

 

「......でも、やっぱり私は、忘れられたくない。だから、代償を支払いに行くわ」

 

 代償を支払う。白石(しらいし)は、自分の記憶を引き換えに山田(やまだ)の記憶を残すと話した。七人目の魔女じゃない、もうひとり詫摩(たくま)の能力は、そういうことができる能力だそうだ。

 

「......代償の支払いに条件を加えることはできる?」

 

 白石(しらいし)は不思議そうに首をかしげた。

 

「条件を? たぶん、出来るけど」

 

 それなら、俺にもまだ出来ることがある。

 

「条件は、選手権優勝。それで、失ったみんなの記憶をぜんぶ取り戻す。失敗した場合に支払う代償は、俺の記憶――」

「えっ!? で、でも、そんなこと......!」

 

 血相を変えて、勢いよく席を立ちあがった。

 

「大丈夫。全国で優勝すれば、俺の記憶も消えないから。だから、約束する。必ず守るよ。俺を信じて――」

 

 俺は、そんな彼女に少しでも安心してもらえるような声で話しかける。だけど白石(しらいし)は、顔をふせてしまった。

 

「信じられない?」

 

 うつむいたまま首を小さく横に振り、顔をあげて、日が沈んで暗くなった窓の外に顔を向けた。

 

「信じるわ。だって、あなたは......」

 

 こちらへ向き直す。

 

「名は体を表すって言うけど。私にとって、あなたは本当にそういう人」

 

 彼女の表情は暗くてよく見えない。

 それでも、穏やかな声色でなんとなく分かる。

 

「あなたの周りには、いつもたくさんの笑顔で溢れているわ。私も、そう......。昔から勉強ばかりで、人付き合いが苦手で、いじめられたこともあったわ。そんな私に友だちができて、好きな人ができて、みんなと一緒に笑えるようになったのは、あなたがいたから......」

「俺、そんなたいしたことしてないけど」

「ううん、そんなことない。あなたは、私が悩んでいるといつも助けてくれたもの」

 

 ――それはただ、いつもひとりでつまらなそうに教科書とにらめっこしている白石(しらいし)を、どうしても放っておけなかったから。それだけで......。

 

「あの時も、そう。今日と同じような空だったわ」

「――えっ?」

 

 建物の角度なのか。一瞬オレンジ色の光が照らした白石(しらいし)は、どこか懐かしそうに微笑んでいた。

 

「あなたは、きっと憶えていないと思うけど。ずっと昔、まだ幼かった私は、あなたに救われたの」

 

 ――ああ、そうか、そうだったんだ......。覚えていてくれたんだ。

 

「......憶えてるよ」

 

 あの日、あの冬のことは生涯忘れることはない。

 ――俺の、初恋だ。



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Episode65 ~将来~

寧々(ねね)視点になります。


 例年と比べて比較的暖冬になると予報されていた東京の街に、今年初めての雪が降った。どんよりとした灰色の分厚い雲が空を覆い隠し、閉められた窓を雪と一緒に強い北風が叩く。まるで冬の季節を切り取ったみたいな風景が窓の外、寒空の中に広がっている。

 それは、卒業まであとひと月を切った二月始めのことで。高校生活三年間も、あとひと月。それともやっとひと月なのか、人それぞれに思うところもあるだろう。私にとっては、前者。あとひと月足らずで終わってしまうという思いが強い。そのせいなのか、この雪がどこか、今の自分の気持ちを表しているみたいに思えて、ほんの少しだけ物悲しい気持ちになった。

 

「とりあえず、おめでとさん」

 

 私の気持ちなんてお構いなしに、こたつに入っている宮村(みやむら)は、湯気のたつマグカップを軽く持ち上げた。

 

「サンキュー」

 

 彼の正面に座る結人(ゆいと)くんは、同じようにマグカップを持ち上げて答える。宮村(みやむら)が言った「おめでとう」は先日、結人(ゆいと)くんが受けた内部進学試験の結果について。内部進学の学力試験は無事合格、入学前から希望していた朱雀大学医学部の試験に見事合格した。

 

「でも、本番これからだろ? 特に、お前はさ」

 

 そう、二人にとっての本番はこれから。

 センター試験の足切りをクリアした二人は月末に、国内最難関の殿様大学への本試験に臨む。あと、山田(やまだ)も。でもそれはまだ、本試験を受けられる資格を得ただけで。ここからが本番なわけだから、油を売っている暇はないと思うのだけれど。

 

「まーな。でも、今日ぐらいいいだろ。めでたいんだしさ」

「ずいぶんと余裕なのね。本試験が残ってるのに」

「オレ、A判定取ったし」

「最後の方だけでしょ」

「いいんだよ、本番に強ぇーから」

 

 余裕綽々の宮村(みやむら)は、マグカップに何度か息を吹きかけて、ちょっと熱そうにコーヒーをすする。まったく、相変わらずテキトーというか、自信家というか、緊張感の欠片もない。ま、この物怖じしない性格が、宮村(みやむら)の長所でもあるんだろうけど。

 

「つーかさ。どうして、小田切(おだぎり)さんは受けなかったんだ? その気になれば、殿大だって十分に狙えただろ?」

「あら、私のこと知らないのね。結人(ゆいと)くん、学校案内のパンフレット取ってもらえるかしら?」

「ちょっと待ってね。よっと......はい」

 

 身体をやや捻って、棚に置かれていた朱雀学園のパンフレットの入った封筒を手渡してくれた。

 

「ありがと」

 

 受け取った封筒の中から学校案内パンフレットを取り出して、こたつテーブルの上に目当てのページを開いて置く。

 

「これを見なさい」

「あん? これって......小田切(おだぎり)さんかっ?」

 

 驚きを隠せない宮村(みやむら)。開いたページは、朱雀幼稚園の制服紹介のページ。何を隠そう写真のモデルの女の子は、小さい頃の私。

 

「幼稚園頃から朱雀学園に通っているの。だから、大学も朱雀大学に進学するって最初から決めていたわけ」

「へぇ、純粋培養ってヤツか。けど、なおさら複雑なんじゃねぇーの? 別々の学校になるかもだろ」

「それはそうだけど......。別に、同じ学校じゃなくたって会えるわ」

 

 それに同じ大学に進学しても学部が違うから、同じ講義を受けるわけじゃないし。どっちにしても、一緒にいられる時間はきっと今よりもずっと少なくなってしまう。

 ――もう、そういうこと考えないようにしてたのにっ。ホント、デリカシーの欠片もないわね。

 批難の視線を向けると、片ひじをついてニヤニヤと笑っていた。

 

「なによっ? その笑い方はっ!」

「別に~。ま、色々やりようはあるわなーってな。さてと」

 

 どこか意味深にニヤケ顔で言った宮村(みやむら)は、空になったマグカップを置いて、こたつから出る。ハンガーにかけたコートをはおると、スクールバッグを肩に背負った。

 

「じゃあオレ、帰るわ」

「まだ、5時前よ?」

「雪も降ってるぞ?」

「このくらいなら問題ねーよ。つーか、今以上に酷くなるとマジで帰れなくなりそうだからな。オレも受験生だし。一応」

「傘は?」

「折り畳みがある」

 

 スクールバッグから、折り畳み傘を取り出した。

 

「そんな小さな傘じゃ風に持っていかれるわよ。外、結構吹雪いてるし」

「だね。俺の持っていっていいよ」

「お、いいのか?」

「ああ。どうせ、しばらく使わないから」

「んじゃあ借りる。サンキュー!」

 

 玄関の外まで宮村(みやむら)を見送り、部屋に戻った私たちは、さっきと同じ位置でこたつに入る。

 

「時間、大丈夫?」

「平気よ。今日は、晩ごはんも食べてくるって言ってあるわ」

「そっか」

 

 結人(ゆいと)くんは、窓の外に顔を向けた。

 

「また吹雪いてきたね」

「天気予報じゃ積もるほどじゃないって言っていたけど。帰れなくなったら泊めてもらうわ」

 

 と言うのは、冗談。付き合い始めてから、私は一度も朝帰りをしたことがない。特別門限があるわけじゃないけれど、いつも22時までには家に帰ってる。だから、冗談だってわかっている結人(ゆいと)くんも「うん、いいよ」って笑っている。

 

「ところで明日は、何時に出るの?」

「朝八時に駅前に集合だから、七時には出たいかな」

「準備は?」

「あとは、参考書を入れるだけだよ」

 

 視線の先、部屋の隅には大きめスポーツバッグが既に用意されている。参考書は、筆記用具と一緒にコタツの上。

 

「じゃあ、ちょっと早いけど晩ごはんにしましょ。キッチン借りるわね」

「ありがと」

 

 こたつを出て、台所に立つ。いつかから常備するようになったエプロンを着けながら、参考書に目を落としている彼の横顔を見つめる。

 結人(ゆいと)くんは明日から、U-18日本代表の合宿に参加するため、しばらくの間東京を離れることになった。高校最後の選手権大会でサッカーは終わり。そう決めていた彼にとって代表選出の知らせは、青天の霹靂。完全に受験へ向いていた心と体を、受験勉強と両立してもう一度作り直すのは、本当にすごく大変だったと思う。

 

「ん? どうしたの?」

「なんでもないわ。あっ、明日の朝のぶんの食材は残しておいた方がいいかしら?」

「大丈夫。コンビニ寄っていくから」

「そう。じゃあ使わせてもらうわね」

 

 二人分の晩ごはんを作って、こたつへ持っていく。あり合わせの食材で作ったから凝った料理はできなかったけど「おいしい」と笑顔で言ってくれる。つられて、私も笑顔になる。

 

「ごちそうさまでした」

「おそまつさま」

「ねぇ、寧々(ねね)

「なーに?」

 

 食べ終えた食器を片付けようとしたところで、呼ばれた。

 

「全部終わって落ち着いたら、どこか遊びに行こう」

「......うん!」

 

 思いがけないデートの誘いに思わず返事に力が入る。すぐに洗い物を片付けて、隣に座った。

 

「どこか行きたところある?」

「そうねぇ~」

 

 受験勉強の合間の気分転換で、カフェとかへ行くことはあっても、デートは久しぶり。デートの定番は遊園地、水族館。テーマパーク。それから、ショッピング。でも逆にいえば、行こうと思えばいつでも行けるありきたりなデートスポットでもある。せっかくなんだから、どこか特別な場所がいい。

 ――特別な場所。

 考えていると、ふと、行ってみたいところが頭に浮かんだ。

 

「ちょっと遠くだけど、いいかしら?」

「うん、いいよ」

「えっと、じゃあ結人(ゆいと)くんのお家」

「ウチ? ここ?」

「そうじゃなくて、静岡の実家よ。ダメ、かしら......?」

「構わないけど、特別観光地じゃないよ? 普通の田舎だし、茶畑は多いけど」

「いいの。見てみたいのよ。どんな街で過ごしていたのか。それに――」

 

「それに?」と、彼は首をかしげた。

 

「ほら、あれよ。大会のあと閉会式とか、インタビューとか、祝勝会とか、いろいろばたばたしててちゃんと挨拶できなかったでしょ。だから」

「あぁ~」

 

 ちょっと微妙な反応。

 ――いきなり挨拶なんて言ったから引かれたかしら......? でも私の両親には三年に上がってすぐ、サッカー部に入ること伝えた際、どんな彼氏なのか知りたいから今度連れて来なさいって言われて、ちゃんと紹介してる。将来は、スポーツ専門のお医者さんになるために医学部への進学を目指していること。選手生命に関わる大ケガを乗り越え、親友との約束を果たすために努力して復帰したこと。なにより、結人(ゆいと)くんの誠実な人柄を知って。ちゃんと納得して、交際も、マネージャーになることも認めてくれた。

 

「何してるのよ?」

 

 考えごとをしている間に、彼はスマホを操作していた。

 

「今度、寧々(ねね)と一緒に家に帰るってメール。あっ、日取りが決まったら教えてってさ」

「そ、そう、じゃあ早めに決めないといけないわね」

 

 ――そうよね、ご両親の都合を確認しないでいきなり訪ねたら迷惑になるわ。それに身だしなみもちゃんとしていかないと。

 

「やっぱり、卒業してからの方がいいよね」

「ええ、私もそう思うわ」

 

 とにもかくにも殿大受験が最優先。この話は、落ち着いてからゆっくり決めようと言うことになった。

 

           *  *  *

 

「はぁ~......」

 

 大きなタメ息と同時に、ベッドにうつ伏せで倒れ込む。スマホを見てみるも、着信もメッセージも届いていない。

 

「二週間って、こんなに長かったのかしら......?」

 

 カレンダーの日付を見て、思わず本音が溢れる。

 U-18日本代表合宿に参加する彼を駅で見送った日から、四日の夜。まだ四日しか経っていないのに、会えない時間の切なさが胸に込み上げてくる。付き合いはじめてから一緒に居ない日なんてなかったんだから、無理もないと自己肯定.。

 

「ハァ......」

 

 またひとつ、タメ息。この二回目のタメ息で気づいた。

 ――そうなのね。山田(やまだ)は、今の私と同じ想いを......いいえ、違う。私以上に寂しい想いを、うららちゃんと離ればなれになってからずっとしている。それでも、殿様大学に受かるため寝る間も惜しんで必死に勉強して、彼女との約束を果たそうとしている。

 それなのに私は、たった四日会えていないだけなのに、こんなに......。

 情けない気持ちと同時に、二人には申し訳ない気持ちになった。起き上がって、ベッドに座り直して、ゆっくりと深呼吸。

 気を取り直し、気分転換も兼ねてお風呂に入ろうとした矢先、スマホが鳴り響いた。ディスプレイに表示された名前は、心待ちにしていた人。

 

「も、もしもし」

 

 突然の電話に思わず、なんだか変に緊張してしまった。

 

『あっ、寧々(ねね)。もしかして、寝てた?』

「平気よ」

 

 邪魔にならないようにメッセージで連絡のやりとりはしていたけど、電話は初めて。声を聞けたのも、四日ぶり。

 

『そう? よかった』

「それで、どうしたのかしら?」

『時間が取れたから。寧々(ねね)の声が聞きたくなって』

「そ、そう......」

 

 そう言ってもらえると嬉しいけど、ここまでストレートに言われるのも反応に困る。嬉しいけど。思わず二回も思ってしまうほど。鏡は見れない、間違いなく頬が緩んでる。

 

「合宿は、どうなの? やっぱり、大変なのかしら?」

『そうだね、練習時間は部活よりも短いけど、その分内容が濃い。あとミーティングが長い』

 

『仕方ないんだけどねぇ』と、電話越しで苦笑いしている。サッカーはチームプレー。部活でもフォーメーションの確認はことあるごとにプレーを止めて、何度も何度も繰り返し話し合っていた。日本代表はもっと短い時間で、それも初めて組むメンバーで形にしないといけないのだから大変に決まっている。

 

「受験勉強する時間は取れるの?」

『ちゃんとしてるから大丈夫。ルームメイトから「もうちょい電気絞れ」って苦情が来るけどね』

「ちゃんと寝なきゃダメよ。無理して体調崩したら、元とも子もなんだから」

『はい、気をつけます』

 

「おーい、風呂の順番だぞー」と、ルームメイトと思われる男子の声。

 

『了解。ゴメン、呼ばれた。また連絡するね。おやすみ』

「ええ、おやすみ」

 

 通話が切れたのを確認して、そのまま身体をベッドに預けるように仰向けで寝転がる。久しぶりに聞けた声。

 ――今夜は、きっとぐっすり眠れるような気がするわ......って、お風呂入らなきゃ。浮かれて、忘れていた。

 

「ん? メッセージ?」

 

 着替えを用意していると、電話とは違う着信音が鳴った。メッセージの送り主は、宮村(みやむら)だった。

 

           *  *  *

 

「お、来たか。上がってくれ、こっちだ」

 

「ええ、おじゃまします」

 

 メッセージを受け取ってから数日後のお昼過ぎ。私は、宮村(みやむら)の家を訪ねた。あとに続いて、広いリビングへ入る。

 

「あら。もう、みんな来ていたのね」

「やっほー、寧々(ねね)ちゃんっ」

 

 リビングには私に手を振る(みやび)ちゃんの他に、椿(つばき)(うしお)くん、玉木(たまき)。部活と生徒会の後輩、他にも進路が決まっている知り合いが全部で10人以上も集まっている。これだけの人数が同じ部屋に集まっていても、ぜんぜん狭苦しく感じないのがすごい。

 

「遅いよ、寧々(ねね)!」

「約束の時間はまだでしょ?」

 

 そうナンシーに答えて、空いている彼女の隣の椅子に座り、足元にバッグを置く。

 

「髪、下ろしたのね」

 

 ドクロをあしらった髪飾りで結っていたツインテールの髪を、初めて出会った時と同じように下ろしたナンシーは、少し不安そうに訊いてくる。

 

「ヘンか?」

「似合ってるわよ。シドも、そう思うでしょ?」

「お、おう、イカしてるぜ......!」

「そ、そうかい?」

「おーい、飲み物行き渡ったかー?」

「そんなのあとでいいから早くチャンネル合わせないと始まっちゃうわよっ」

 

 (みやび)ちゃんが、宮村(みやむら)を急かす。

 

「そう慌てんなって、まだ始まんねーよ」

 

 と言いつつも、ソファーに深く腰かけている宮村(みやむら)はリモコンを操作して、家電量販店でしか見たことないような大型テレビの電源を入れると、外部出力の画面を切り替えた。

 

「ん? 専門チャンネルなのかい?」

「地上波も、衛星放送も、ライブ中継はなかったんだよ。夜中に録画放送はあったけどな」

「まさか、宮村(みやむら)くん、この日のためにわざわざチャンネル契約したのかい?」

「当然。なんてたって、親友(ダチ)の晴れ舞台だぜ。やっぱ生で観ねぇーと!」

 

 今日は、U-18日本代表の国際親善試合の日。先日の宮村(みやむら)からのメッセージは、この試合をみんなで観ようというもの。本当は、会場に直接応援に行きたかったけど、開催場所は東京から遠く離れた県だったため嬉しい提案だった。

 

「あれ? まだ、やってないわねぇ」

「練習中ですねー」

 

 (みやび)ちゃんと有栖川(ありすがわ)さんの会話通り、試合はまだ始まっていない。両国の選手たちが、ピッチで練習している風景が放映されている。

 

「言っただろ。試合開始まで時間あるって」

「じゃあおれ、今のうちに何かつまめるもん作るぜ。みやむー、キッチン借りるぞー」

「おう、好きに使ってくれ」

 

 椿(つばき)は買い物袋を持って、ダイニングキッチンへ向かった。テレビ画面に目を戻す。ちょうど練習が終わって引き上げていくところだった。画面が放送席に切り替わり、実況と解説者の紹介、続けて両チームのスターティングメンバーの発表が行われる。

 

「あれー? 宮内(みやうち)、出ないじゃん」

「うむ、森園(もりぞの)も居ない。朝比奈(あさひな)は、先発で出場するようだ」

「へぇ、アメリカから戻って来てたのか。つーか、代表でもキャプテンマーク巻いてんのか」

 

 朝比奈(あさひな)くんが日本に戻って来たのはきっと、これで本当に最後になるから。

 

「ねぇ、寧々(ねね)ちゃん。宮内(みやうち)はー?」

「二試合で全員を試すって聞いたわ。ベンチ内にはいるハズよ。あっ、ほら居たわ」

 

 フィールドに並ぶ選手たちを写していたカメラが、ベンチの映像に切り替わった。結人(ゆいと)くんはベンチに座って、戦術ボードを持った監督と思われるスーツ姿の男性と話をしていた。

 

「なーんだ、じゃあ出たら教えてー」

朝比奈(あさひな)くんが先発出場するじゃないか。彼の応援はしないのかい?」

「だって朝比奈(あさひな)のヤツ、怖いんだもん。ね、ノアちゃん」

「そうそう。あの人、試験前になると鬼ですからっ」

「まったく、キミたちは......」

 

 共感し合う(みやび)ちゃんとノアちゃんに対して、呆れ顔でタメ息をつく玉木(たまき)

 そうこうしている間に試合が始まった。

 試合展開は行ったり来たり、ほぼ互角のぶつかり合い。先に均衡を破ったのは相手チーム。不用意に与えてしまったセットプレーから体格差を活かされ、先制点を奪われてしまった。

 その後もサイド攻撃を起点に何度もゴールを脅かされながらも辛うじて凌いでいたのだけれど、アディショナルタイムに二点目を奪われて、前半戦を終えた。

 

「予想以上に劣勢の展開ですね。特に中盤の力の差が大きいです。てゆーか、相手のフィジカルやばすぎ」

「お、猪瀬(いのせ)さん、分かるのか?」

「これでも、フットサル部の部長ですから」

「ははっ、そうだったな。そういえばお前たちも、入部したんだって?」

 

 宮村(みやむら)が顔を向けた先は、黒崎(くろさき)有栖川(ありすがわ)さん。

 

「い、いや、おれは頼まれて人数合わせなだけ――」

「そうなんですよー。生徒会引退したらぼっち逆戻りになっちゃう黒崎(くろさき)くんが可哀想で、とても見ていられなくって......」

「お、オイッ! 宮村(みやむら)くんにテキトーなこと吹き込むなッ! ウソですからね、宮村(みやむら)くん!?」

 

 ――まったく、騒がしいわね。

 本当は最低三人いないと休部になってしまうため、(じゅん)ちゃんが二人にお願いして、名前を借りたのが真相。三年生の私たちが自由登校になって、学校に登校する機会が減った今では、(じゅん)ちゃん、ノアちゃん、有栖川(ありすがわ)さんの三人で、お昼を食べることが多いそう。

 

「おい、そろそろ後半戦が始まるぞ、ん......? おい!」

「あっ、宮内(みやうち)先輩だーっ!」

「――えっ?」

 

 (うしお)くんとノアちゃんの声に、みんなの視線が集まる。そこには確かに、ベンチコートを脱いで日本代表の青いユニフォームを身に付けた彼の姿が映し出されていた。

 選手交代のアナウンスが場内に流れる。結人(ゆいと)くんと森園(もりぞの)くんに加え、選手権決勝で激闘を演じたライバルも含めた計三人のメンバーチェンジが行われた。

 

「マジだ。背番号は、部活同じ14番か......!」

「てゆーか、本当に日本代表なのよね? 友だちが日本代表で世界相手に戦ってるなんて、なんだか変な感じ......」

「まあオレは、外交官になる予定だから、いずれ世界を相手に戦うことになるけどな......!」

「ええ~、あんたが外交官~? 日本沈没するわね」

 

 宮村(みやむら)に冷ややか視線を向けながらも、(みやび)ちゃんは笑った。

 

「おれもおれも、将来は世界に自分の店を出店するのが夢なんだ。大学で経営学びながら親父の店で修行するつもりだぜ!」

「へぇ、椿(つばき)くんもちゃんと将来を考えているんだね。かくいう僕も、五才の頃から国家公務員になると決めているけどね!」

「つまんなーい」

「無難過ぎて捻りがねぇところが玉木(たまき)だな」

「キミたちは、いつになったら先輩の僕を敬うんだい!?」

「あははっ、伊藤(いとう)ちゃんはー?」

「アタシ? アタシは、学校の先生! 学校は勉強するだけじゃない、楽しいところなんだよって教えてあげるの!」

伊藤(いとう)さんが教師とか、ぶっとんだクラスになりそうだな~」

「むっ、なによ~っ」

 

 みんなちゃんと将来のこと考えている。そんな話している間に、後半戦が始まっていた。私は、会話に参加せずに食い入るようにテレビに見入る。

 

寧々(ねね)ちゃんは?」

「私? そうねぇ......」

 

 テレビ画面越しにプレーしている、彼の姿を見て思う。

 出来ることなら、ずっと側に居て支えになりたい。だけど、私にしてあげられることはあるのかしら......。

 

「お嫁さんだったりしてなっ」

 

 唐突な発言に、一瞬言葉を失ってしまった。

 

「......マジ? アタリ?」

 

 どこか気まずい空気がリビングを包み、実況と解説の声だけが虚しく響く。

 ――どうして宮村(みやむら)は、いつもいつもこうも空気を読まないのかしらっ? それはまあ考えたことないわけじゃないけど......。

 

「でもまあ、女子なら誰でも思いますよ。いつかはって」

「ウェディングドレスは女子永遠の憧れですもんねー」

「確かに、それはアタシも思うわね。うんうん」

「ノアもー、いつか先輩とぉ。えへへ~」

「それ、結婚したいんじゃなくて。結婚式を挙げたいだけなんじゃねーのか?」

「ハァ......黒崎(くろさき)くんは、まだまだお子さまですなー」

「ああん?」

 

 観客席から歓声が沸いた。画面には、結人(ゆいと)と同じタイミングで交代して入った森園(もりぞの)くんが映し出され、彼のもとにチームメイトが駆け寄って行く。どうやら、ゴールを奪ったみたい。今までしていた話は終わり、みんな自然とテレビに釘付けになった。リプレイ映像が流れる。

 

「あの二人のパス交換で完璧に崩したな。相手が綺麗に両サイドに分断されて、最後は裏に飛び出してフリーの森園(もりぞの)がゲットか」

「いつものパターンね。もう失点しないわ」

「追う展開はなっから想定済み、か。選手権も同じだったな。あの時の強敵が味方か、そりゃ心強いわな」

 

 相手チームのキックオフで試合再開。後半戦は劣勢だった前半戦とは打って変わって終始日本のペースで試合が進む、残り10分で同点に追いつき、続けて何度も決定機を作るも相手の必死のディフェンスに耐えきられ、結果は引き分けに終わった。

 そして、全得点の起点になった活躍を見せた結人(ゆいと)くんは、笛の音に耳を澄ませ、空を仰ぎ見て目を閉じた。

 その、すべてをやり終えたのような横顔は、とてもスッキリしたような表情だった。

 だけど私には、どこか儚げで、少し寂しそうに感じて――。

 

 ――本当に、これでいいのかしら......?

 

 私の心の奥に、ずっとそんな想いが残っていた。



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Episode66 ~想定外~

 受験が終わり、合格発表を翌日に控えた昼下がりの午後。

 久しぶりに朱雀高校に登校した俺は、個人的な用事を済ませたあと、超常現象研究部の部室へ足を運んだ。超研部の部室には既に部活を引退した宮村(みやむら)たち旧超研部の部員と、俺と同じく伊藤(いとう)に呼び出された寧々(ねね)五十嵐(いがらし)玉木(たまき)が来ていて。みんな、長方形の長こたつに入って暖をとっていた。

 

「あら、おつかれさま」

「あっ、やっときたー。遅いわよー」

「ちょっと話が長引いちゃって。それで?」

 

 ここへ呼び出した伊藤(いとう)に訊ねると、予想外の答えが返ってきた。

 

「卒業旅行?」

「そっ。記憶を取り戻してから、ずーっと考えてたのよ。卒業式が終わったあと、みんなで遊びに行きたいなーって。あんたたちの受験も終わったことだし、そろそろ話しても言い頃かなって思って!」

「おれは、伊藤(いとう)ちゃんの意見に賛成だぜ! な! みやむー」

「ま、いいんじゃねぇーか。どうせ、しばらく暇だしな」

山田(やまだ)も良いわよねっ?」

「別にいいけどよ」

「私たちも、構わないけど。でも、うららちゃんの都合はどうなの?」

 

 確かに寧々(ねね)の言う通り、それが一番のネック。

 俺たちは、白石(しらいし)との思い出を取り戻したけど、彼女は......。

 朱雀高校の魔女を生み出した“はじまりの魔女”である白石(しらいし)は、自分の学校生活の記憶を代償に差し出し、山田(やまだ)にすべてを託して、朱雀高校学園を去ってしまった。携帯の番号も、アドレスも、全部変わっていて連絡先はわからない。

 白石(しらいし)は、俺たちのように記憶を取り戻せているのだろうか。付け加えてもらった条件は、あくまでも俺たちの記憶を呼び戻すためのモノであって。はじまりの魔女が本来支払う代償とは根本的に違う別のベクトルのはず。だとしたら、記憶を取り戻していない可能性の方がきっと高い。

 

「そこは、あれよ。説得するのよ、山田(やまだ)が!」

「俺かよッ!?」

「当たり前でしょ、あんたの彼女なんだから!」

「そ、それは、そうだけどよ......」

「フッ、怖いのか?」

「ああん?」

 

 五十嵐(いがらし)のあからさま挑発を受けて、山田(やまだ)の顔付きが変わった。五十嵐(いがらし)は指先で軽く眼鏡を直す仕草を見せつつ鼻で笑って、更に安い挑発で煽る。そんな態度を取られた山田(やまだ)は当然挑発だとわかっていても乗っかるわけで。

 

「上等だ、やってやろうじゃねーか! 卒業式には、どうせ迎え撃つつもりだったんだ!」

「いや、撃っちゃダメでしょ」

「先が思いやられるなぁ」

 

 若干空回り気味の山田(やまだ)に対し、伊藤(いとう)宮村(みやむら)は共に呆れ顔を見せる。何はともあれ、卒業式に合わせて一時帰国してくる白石(しらいし)を出迎えるにあたって準備が必要なことは確か。そこで伊藤(いとう)は、棚から一冊のアルバムを引っ張り出し、こたつの天板の上に開いて置いた。

 アルバムには、超常現象研究部での活動が写った写真が収められている。どれもこれも、あの頃の楽しそうな笑顔をした白石(しらいし)の姿が記録されている。彼女が、超研部(ここ)に居たという紛れもない真実を記録した物的証拠。

 

「これだけの証拠があるんだから。うららちゃんも、きっと信じてくれるハズよっ」

「ふむ。そう上手くいくといいけどね」

「ちょっと玉木(たまき)、あんたねぇ、水差すんじゃないわよ。連れていってあげないわよっ」

「僕はただ、いきなり身に覚えのない写真を見せられても、白石(しらいし)くんが混乱するんじゃないかと心配してだね」

「ああ~、そりゃあり得るな。オレも初対面じゃまともに取り合ってもらえなかったしよ」

「それはお前が、セクハラ発言したからだろ」

 

 とりあえず、宮村(みやむら)にはきっちりツッコミを入れておく。その結果、寧々(ねね)伊藤(いとう)に白い目で見られているけど、自業自得だから気にしないでおこう。当の本人は白い歯を見せて笑って、まったく気にしていない。

 

「ふぅ、どうにせよ、山田(やまだ)がどうにかしなけばならないことだろう。所詮は部外者である俺たちではなく、な」

「......(うしお)。ああ、わかってる......!」

「よし。んじゃあ白石(しらいし)さんのことは彼氏(やまだ)に任せるとして。オレたちは、どこへ行くか決めようぜー」

「そうね、そうしましょ」

 

 ということで話題は、どこへ行くか。

 白石(しらいし)の日本での滞在時間がわからないことから泊まりがけ避けて、日帰りで行ける近場にしようということに決まった。

 

「はいはーい! アタシ、おっきなネズミのいる遊園地がいいっ」

「カリフォルニアか?」

「千葉よ! 近場って言ったじゃないっ。これだから帰国子女のブルジョワはっ!」

 

 各々が意見を出し合い。いくつかの候補に絞り込み、白石(しらいし)の都合と意見も聞いて、当日なったら決めようという形で話はまとまった。

 同日の放課後。俺と寧々(ねね)五十嵐(いがらし)の三人は、フットサル部へ顔を出すことに。

 

「いいなー、卒業旅行ー」

「それ、修学旅行の時にも言ってたじゃん」

「気持ちはわかるけどねー」

 

 卒業式が終わったあと遊びに行く話をすると、前回と同様羨ましがるノアちゃんに、片肘をついた(じゅん)ちゃんが指摘し、有栖川(ありすがわ)がノアちゃんをフォロー。

 

「で、どうしてここにいるの? 超研部に行かなくていいの?」

「だって、うるさいんですもんっ」

 

 とうに引退した宮村(みやむら)たちが、部室を占拠してるから逃げて来たようだ。

 

「まあ、アイツらは基本騒がしいからな」

「俺たちも長居しない方がいいかな。引退した身だし。かわいい後輩たちに煙たがれたる」

「そうね」

「あ、先輩たちは大丈夫でーす。こうして差し入れもいただいてますし」

 

 そう言うとノアちゃんは、摘まんだチョコレートを口に運んで、とても幸せそうに顔をほころばせる。

 

黒崎(くろさき)は、どうしたの?」

「卒業式の準備です。会長と次期会長候補二人の四人で、来賓方の席順のチェックとかしています」

「私たちは今日、オフなんですよー。明日から本格的に忙しくなりますけどネー。送辞の原稿もあげなきゃですし」

「まだマシじゃん。私なんて、司会役だから段取りとか全部頭に入れないとだもん」

「いやー、秘書は大変ですなー」

 

 内部事情を話す二人の会話を聞いていると、ああ、本当にもう卒業なんだな、と改めて実感がわいてくる。それは寧々(ねね)も、五十嵐(いがらし)もきっと同じで。そんな俺たちの気持ちが後輩たちにも伝染してしまったのか、少ししんみり空気が部室に流れる。

 

「あら。誰かしら?」

「あ、はーい」

 

 そんな空気を打ち消すように、突然部室のドアがノックされた。ドアに一番近い(じゅん)ちゃんが応対に向かった。開かれた扉の向こう側に立っていたのは――。

 

「やあ、約束を果たしに来たよ~」

 

 来客は、大きめの荷物を背負った、詫摩(たくま)だった。

 

「約束?」

「ほら、麻雀だよ。成すべきことが済んだらリベンジだって約束したでしょ?」

「ああー......」

 

 そう言えばそんな話をしてたな、詫摩(たくま)が一方的にだけど。と言うことは、背負ってる荷物は、麻雀卓と麻雀牌。

 

「ちょっと、殿大の結果発表は明日なのよ。その後じゃダメなの?」

「試験は終わっているんだから、今さら焦っても結果は変わらないよ。それに、ただ待つより気が紛れていいと思わない?」

 

 詫摩(たくま)の口調と表情は穏やかだが、雰囲気は違う。

 この殺気にも似た雰囲気を纏っているのは、あっちの詫摩(たくま)。簡単に引くようなヤツじゃない。それに記憶の件で借りもある。

 

「わかった。いいよ」

「さっすが~」

「えっ? いいの?」

 

 少し不満そうな顔で確認してきた寧々(ねね)に、うなづいて答える。

 

「でも、面子が足りないぞ?」

宮村(みやむら)くんは、打てるんだったね。五十嵐(いがらし)くんは、打てないの?」

「まあ、打てなくはないが」

「あ、弱いんだ」

「......なんだと? 上等だ!」

 

 安い挑発に乗った。狙い通りと言った感じで詫摩(たくま)は、満足そうに笑った。

 

(じゅん)ちゃん、部室(ここ)借りてもいいかな?」

「先輩のお願いでしたら断れないですし。私たちは、生徒会で確認作業に行こっか?」

「やれやれデスネー」

 

 (じゅん)ちゃんと有栖川(ありすがわ)は、生徒会室へ。ノアちゃんには、超研部に居る宮村(みやむら)を呼んで来てもらう。

 

「慕われてるねー。オレと違って」

「それはお前が、仕事中にちょっかい出して邪魔していたからだろ。自業自得だ」

「はっはっはー」

 

 まったく悪びれる様子も見せずに笑いながら(じゅん)ちゃんが座っていた俺の正面に座ると、荷物から麻雀道具を出して準備を始めた。

 しばらくして、宮村(みやむら)が部室にやって来た。ノアちゃんは一緒じゃない。用件を伝えたあとは超研部に残って、山田(やまだ)に一緒に卒業旅行に連れて行けと泣き落としをしているそう。ともあれ。

 

「さて、面子も揃ったことだし、始めよっか。()()から、行かせてもらうよー?」

 

 二つのサイコロを持った、詫摩(たくま)の雰囲気が変わった。これは俺の知る詫摩(たくま)の気配じゃない。二重人格の片割れ、白い方の詫摩(たくま)

 

「言っておくけど、イカサマは禁止だぞ。しらけちまうからな」

「分かってるよー」

「お前じゃない方も、だからな......?」

「大丈夫だって――実力で負かさねぇーと意味ねぇーからな......!」

 

 宮村(みやむら)の念押しに、詫摩(たくま)の雰囲気が変わった。俺が知る詫摩(たくま)本来の気配、黒い詫摩(たくま)

 

「うぉっ、いきなり入れ替わんなよ、ビックリするじゃねーか!」

「そ、そうよっ!」

「クックック......」

「多重人格とは聞いていたが、普段とは本当に別人だな......」

 

 初めて直に見る、本来の詫摩(たくま)の人格に、三人とも凄く驚いている。俺にとっては、こっちの方が馴染みがあるから白い方が違和感を感じるけど。

 

「と言うことで。オレが振るねー」

 

 また人格が入れ替わった白い方の詫摩(たくま)は、何事もなかったかのようにサイコロを振った。サイ振りの結果五十嵐(いがらし)起家(チーチャ)で始まった(トン)一局は、誰も仕掛けることなく様子見の流局で流れた。コタツの天板の上に広げられた防音性の高い麻雀卓で麻雀牌を混ぜていると、唐突に宮村(みやむら)が話を切り出した。

 

「そーいやさ。結局、山田(やまだ)のヤツは受かりそうなのか?」

「自信はありそうだったわよね」

山田(アイツ)のことだ。特に根拠はないだろう」

「フフッ、心配しなくて大丈夫だよ。このオレが、山田(やまだ)くんの講師を務めたんだからね」

「まっ、明日になれば分かる、か。で、宮内(おまえ)はどうなんだー?」

 

 今度は、俺の方へ話題を持ってきた。

 

「よくて五分くらいかな? 正直、自信はないよ」

「大事な追い込みの時期にU-18日本代表へ招集だもんな。落ちたらどうすんだ?」

「――ちょっと!」

 

「少しは言葉を選びなさい」と言うように、寧々(ねね)宮村(みやむら)にやや強い視線を送る。当然のことながら、宮村(みやむら)は気にするような性格(タマ)じゃない。だから俺も、普通に答える。

 

「普通に朱雀大に進学するよ。もともと朱雀大の医学部に進むために、朱雀高校(ここ)を選んだんだから」

 

 主治医が朱雀大出身だったっていうのも、理由のひとつだったりする。

 

「もったいねーな。仮に今年ダメでも、一年マジでやれば楽勝だろ? 殿大医学部B判定は、オレと同じ学部でいうA判定と同等レベルなんだし」

「確かにな。部活と受験を両立してきたんだ、一方に専念すれば――」

「それ、たぶん無理」

 

 若干食いぎみに否定する。

 俺にとっては「部活と受験」という明確な目標があったからモチベーションを保って両方を続けられただけのことであって。そもそもの話し、宮村(みやむら)山田(やまだ)と違って「殿様大学」には拘りはない。つまり俺には、浪人してまで殿大進学を目指す理由がない。

 

「ふむ、意外とドライだな」

「そうでもないとモチベーションを保てなかっただけだよ」

「ふーん、そっか。よかったなっ」

「なにがよっ?」

「なんでもねーよ」

 

 寧々(ねね)の反応に、宮村(みやむら)が笑う。仮に受験に失敗すれば、一緒の大学に通える。それをおちょくっているんだろう。まったく、困ったヤツだ。

 そこへ、またドアがノックされた。このノックの音と仕方は、(じゅん)ちゃんでもノアちゃんでもない。

 

「よう」

「あれ? 朝比奈(あさひな)?」

 

 来客は、代表の試合後アメリカへ戻ったハズの朝比奈(あさひな)。職員室へ挨拶に行った際、俺が学校に居ることをサッカー部の顧問に聞いてきたと言うことだった。

 

「どうして、日本に居るんだ?」

「どうしてって。卒業式に出席するために決まっているだろう」

「言われてみればそうだよな。白石(しらいし)さんも戻ってくるんだし」

 

 納得といった感じで、腕を組んだ宮村(みやむら)はうなずく。

 

「うららちゃんは、いつ帰国するのかしら?」

白石(しらいし)なら、式の前日に帰国予定だそうだぞ」

「へぇ、そうなのね......って、なんで知ってるのよっ?」

「向こうで会ったんだ。オレと同じ大学に進学するらしい」

「――なっ!?」

 

 寧々(ねね)だけじゃなく、部室にいるみんなが言葉を失った。俺も初耳。あの詫摩(たくま)でさえ、面食らってるし。世間狭すぎだろう? 日本の何十倍も広い遠い異国で同じ大学に進学するだなんて......それにしても。

 

「どうして教えてくれなかったんだ?」

「どうも様子が可笑しかった。大学の図書館で見かけて声をかけたが、まるで朱雀にいた頃のことを全て忘れてしまっているような印象だった」

 

 ――やっぱり白石(しらいし)の記憶は戻ってないんだ。

 

「オレのことはもちろん、お前たちのことや魔女の能力のことも覚えていなかった。“はじまりの魔女”の代償は別のようだな」

「そうか......って、はあ?」

 

 予期せぬ発言に思わずすっとんきょうな声が出てしまった。肩を落としていた寧々(ねね)たちも唖然とした表情で、朝比奈(あさひな)を見る。

 

「な、なんで朝比奈(オマエ)が、魔女のこと知ってんだよ......!?」

 

 なぜ魔女のことを知っているのか、宮村(みやむら)に訊かれた朝比奈(あさひな)は、やや呆れ表情(かお)で答えた。

 

「そこの詫摩(おまえ)が、それらしいことを一年の終わり頃に臭わせて学校中を巻き込んで大騒動を引き起こしたじゃないか」

「あ、オレのせいか。あはは~っ」

 

 魔女に関する一連の騒動の原因を作った一人である詫摩(たくま)は、責任を感じているそぶりは微塵も見せない。

 

「けどよ。どうして、“はじまりの魔女”のことまで知ってんだよ?」

「お前ら、本気で生徒会の力だけで学校が成り立っていたと思っていたのか?」

「どういう意味よ......?」

 

 眉をひそめた寧々(ねね)が、小さく首をかしげる。

 

「学校側も馬鹿じゃない。特異な能力を持つ生徒が存在していることくらい把握していた。しかし、そんな非現実的なことを学校側がおおやけに認める訳にはいかないだろ。そこでオレが所属していた風紀委員は学校直属の諜報活動、言うなれば“生徒会の監視役”を担っていたんだ。生徒や生徒会が暴走した場合に備えて、ありとあらゆる権限が与えられていた」

 

「まあオレも、引き継ぎの時に前風紀委員長から初めて聞かされたんだけどな」と、朝比奈(あさひな)は軽く笑った。魔女の情報についても、歴代の風紀委員長だけに秘密利に継承されいたらしい。

 

「じゃあもし玉木(たまき)が、生徒会長選挙に負けていたら......?」

「不正の証拠をでっち上げて握り潰す手はずは整っていた」

「マジかよ......」

「へぇ、そうだったんだ。それはオレも、初耳だね」

「俺が、将棋部が企てていたことは、結局のところ全て無駄だったということか......」

「どうだろうな、あくまでも緊急事態に備えて準備をしていただけだ。風紀委員(オレたち)が動く前に、()()が覚悟を決めていたんじゃないか」

 

 ――たぶん、山田(やまだ)五十嵐(いがらし)のどっちかが、“7人目の魔女の力”を使うことを予め想定した上での保険だったのだろう。

 

「だけど、私たちに話してよかったの?」

「だね、風紀委員長の極秘情報なんだろ?」

「時効だ、卒業だからな。当分の間、新たな“はじまりの魔女”は現れないだろう。白石(しらいし)の前は、数十年前まで遡るそうだ。そもそも条件を満たした生徒が現れても、契約の話を生徒会長が持ち出さなければ、二度と魔女は生まれない。まともな会長なら厄介事は極力避けるだろう」

「だってさ」

 

 宮村(みやむら)を見ると、頭の後ろで手を組んでヘラヘラと笑っていた。どうやら自覚はあるらしい。突然、バタンッと大きな音を立てて部室のドアが開いた。

 

宮内(みやうち)先輩っ!」

「あれ、(じゅん)ちゃん?」

「どうしたのよ? そんなに慌てて」

 

 寧々(ねね)の指摘通り、彼女の呼吸はかなり乱れていて。相当急いで来たことが伺える。

 

「はぁはぁ......急いで、応接室へ来てくださいっ!」

「え?」

「なに? いったいどうしたのよ?」

「えっと、向かいながら説明しますのでっ。とにかく一緒に来てくださいっ!」

 

 立ち上がらせようと、俺の腕を掴んだ。

 何かよほど重大なことがあるのだろうか。

 

「おい待て、オレとの勝負はッ!?」

 

 白を押し退け、黒い方の詫摩(たくま)が出てきた。

 

「行ってこい。オレが代わりに打ってやる」

「あん? テメェがだ? 外野は引っ込んでろ!」

「安心しろ。オレの方が強い」

 

 そう言うと朝比奈(あさひな)は、メガネをかけて戦闘モードに入った。

 

「ほう、おもしれぇ。見せて貰おうじゃねーか......!」

 

 とりあえずこの場は朝比奈(あさひな)に任せた俺は、寧々(ねね)(じゅん)ちゃんと一緒に部室を出た。

 

「それで、いったい何がどうしたのよ?」

 

 校舎の廊下を早足で応接室へ向かう途中、寧々(ねね)(じゅん)ちゃんに改めて訊ねる。

 

「えっと、私もよく分からないんですけど。校長先生が、宮内(みやうち)先輩を急いで呼んで来てくれって――」

「校長先生が? 結人(ゆいと)くん」

「さあ? 特にこれと言って心当たりはないけど?」

 

 校長に呼び出されるほど、何か問題になるようなことをしでかした覚えはない。

 

「先生!」

「お、来たか......!」

 

 応接室の前にはサッカー部の顧問が、どこか落ち着かない様子で待っていた。それも、珍しくスーツ姿。

 

猪瀬(いのせ)、ごくろうだったな。戻ってくれていい」

「いえ......」

「あの、先生――」

「すまん、小田切(おだぎり)、あとで話す。宮内(みやうち)、行くぞ」

「はあ? わかりました。ちょっと行ってくるね」

「え、ええ......」

 

 心配そうな表情(かお)寧々(ねね)に「大丈夫だよ」と微笑んで見せて、顧問と一緒に応接室の中に入る。応接室の中には俺を呼んだという校長と、教頭、学年主任が若干緊張した面持ちで、スーツ姿の男性二人とテーブルを挟んで向かい合って座っていた。

 俺は、この二人を知っている。午前中、応接室(ここ)で会って話をした二人。

 二人は立ち上がって、俺と顧問に向かって会釈。俺たちも会釈を返し、教頭に促されて空いている席に腰を下ろすと、二人のうちの一人が話を切り出した。

 

「時間をとらせてしまって申し訳ありません。午前の件でお伺いにあがりました」

 

 このあと続く男性の言葉に、俺は驚きを隠せなかった。

 

「我々は、提示された先の条件を全て飲みます。ですので、どうか――」

 

 それは、絶対にあり得ないと思っていた想定外の言葉だった



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Episode67 ~触れた優しさ~

 話を終えて、応接室を出たのは入室してから一時間以上が経ってからだった。一緒に部屋を出たスーツ姿の男性二人のうちの一人が代表するかたちで、「今日は、お時間を作っていただきありがとうございました」と言い。二人揃って、校長と教頭、顧問に向かって会釈をした。そして、上げた顔を顔を向ける。

 

「連絡をお待ちしています。願わくば良い返事であることを願って。それでは、私たちはこれで失礼します」

 

 再び会釈をした二人に会釈を返し、廊下を歩いて行く後ろ姿を見送る。

 

「大変なことになったね。突然の事態にいろいろと思うところもあるだろうから、じっくり考えなさい」

 

 そう穏やかに声をかけてくれた校長は、教頭と今後の対応について話をしながら、職員室の方へ歩いて行った。隣で大きく息を吐いた顧問がネクタイを緩めながら壁にもたれ掛かり、腕を組んだ。

 

「こんなに緊張したのは、採用試験の面接の時以来だな」

 

 なんで俺より、この人の方が緊張してるんだか。だけど、おかげで助かった。混乱していた頭を少しだけ整理する出来た。

 

「どうするつもりだ?」

「正直、まだ分かりません」

 

 事実今は、告げられた話の内容を受け止めるだけでやっとで。まだ冷静に判断できる精神状態にない。

 

「ま、そうだろう。まだ時間はある、焦って決める必要はない。校長先生の言った通り、学校として出来る限りのサポートはするからな」

「はい、ありがとうございます」

 

 またひとつ息を吐いた顧問も、職員室へ戻って行く。顧問が廊下を階段の角へ曲がったところで、入れ替わりで寧々(ねね)が現れて駆け寄って来た。待たされて、ややご機嫌ななめなご様子。

 

「もぅ、遅いじゃないっ」

「うん、ごめん」

 

 素直に謝ると、可愛らしく口を尖らせていた寧々(ねね)の表情が戻った。

 

「それで、何の話だったのかしら?」

「ああ......うん、これ――」

 

 受け取った名刺を、寧々(ねね)に手渡す。

 

「名刺? あら、またなのね」

 

 名刺に記されている名前と役職を見て話の内容を察した寧々(ねね)は、顔を上げて小さく首をかしげた。

 

「それで、なにを悩んでいるの?」

 

 どうやら俺の葛藤は、彼女にはお見通しみたいだ。

 

           *  *  *

 

『フッ、そいつだ。二本場18’600。これで終いだな』

『テメェ......』

 

 部室の中から、朝比奈(あさひな)詫摩(たくま)の声が漏れ聞こえてきた。「まだやってるのね」と、寧々(ねね)はやや呆れ顔でため息をついた。とりあえず中へ入ることに。

 

「お、戻ってきたな」

 

 最初に気づいたのは、真正面の宮村(みやむら)。四人は、雀卓で牌を混ぜている。どうやらちょうど、対局が終わったタイミング。

 

「あなたたち、まだやってるの」

「何局目?」

「今から、三戦目」

「三戦目? またずいぶん早いな、半荘(ハンチャン)だろ?」

「二戦とも南場(なんば)のオーラスを待たずに全員飛ばされたんだよ。コイツ、マジで強すぎだろ......?」

 

 朝比奈(あさひな)に目を向けた宮村(みやむら)が嘆く、五十嵐(いがらし)も背中を丸めて肩を落としていた。詫摩(たくま)は、やや居心地(バツ)が悪そう。

 

「あら、あなたも朝比奈(あさひな)くんに負けたの? リベンジとか言って、あんなに強気で自信満々だったのにっ!」

「チッ......!」

 

 さっき脅かされたお返しとばかりにクスッと笑った寧々(ねね)に対して、黒い方の詫摩(たくま)は不機嫌そうに舌打ちをして顔を背けた。因みに一回戦は、白い詫摩(たくま)の方が南場で飛ばされたそう。けど、同情出来る面はある。上家(カミチャ)下家(シモチャ)ならまだしも、朝比奈(あさひな)対面(トイメン)というのは最悪のポジション。どんなに完璧なポーカーフェイスに努めても、ほんの僅かな挙動を読まれるから絶対に勝てない。前に訊いたら、良い牌を引き入れると瞳孔が開くとかなんとか言ってた。

 

「代わってもくれ。俺じゃ数合わせにもならん」

「了解」

 

 二戦とも早々にハコテンにされた五十嵐(いがらし)に代わって、卓に入る。

 

「それで、話は何だったんだ?」

「これよ」

 

 寧々(ねね)は、コタツを出て座布団であぐらをかく五十嵐(いがらし)に、さっきの名刺を渡した。

 

「編成部長......プロのスカウトか」

「マジか、スゲーじゃん」

 

 混ぜた牌を積みながら、宮村(みやむら)はいつもの軽い感じで賛辞の言葉を送ってくれた。

 

「日本代表に選出されただもんな、スカウトが来ても全然不思議じゃねーか。朝比奈(あさひな)には、来てないのか?」

「全部断った。はなっから、海外へ留学するって決めていたからな」

「それはそれでスゲーな」

 

 まったくだ。俺とは、大違い。まったく迷いがない朝比奈(あさひな)を見ていると、こんなにも揺らいでいる自分自身が情けなくなる。

 

「それで、どうすんだ?」

「今までは断って来たんだけどね」

 

 牌を積み終える直前、宮村(みやむら)の手が止まった。

 

「てーと、今回は返事に迷ってるってワケか。何でだ?」

「あなたねぇ、少しはデリカシーを持てないのかしら?」

「言葉を選んでも結局は同じなんだから、ストレートに訊いた方が回りくどくねーだろ」

 

 二人の、この手のやり取りを目にするのは何度目だろうか。

 こんな見慣れた日常も、あと数日で終わりを告げる。少なくとも宮村(みやむら)寧々(ねね)は、お互いに別々の大学に進学することになるから今までみたい会える時間は減るだろう。まあ宮村(みやむら)が、殿様大学に受かればの話しだけど。

 

「別にいいよ、ありがとう」

「もうっ、甘いんだから」

「選手権が終わった直後から話はあった。受験に集中したくて断る時間も惜しかったから、学校を通して予め交渉の条件を提示してたんだよ。条件を全部呑むなら契約を考えるってね」

「条件?」

「そう。引くぐらいの条件」

 

 俺が学校を通して提示した条件は、全部で四項目。

 1、公式戦や練習日と模試や実習の日程が被った場合は、必ず学業を完全に優先させること。

 2、寮生活はしない。東京からの移動費及び宿泊費については、全てクラブ側が負担をすること。

 3、遠征時は、日帰りで往き来出来る範囲に限ってのみチームに帯同。

 4、契約に当たって例外は一切認めない。これらに違反して生じた損害の責任は全てクラブ側が負うこと。

 

「そりゃスゲーな......」

「とんでもない条件を提示したな。そんな条件を認めてしまえば、他の所属選手に示しがつかないだろう。チームに不協和音が広がってもおかしくない」

「こんな面倒な奴、絶対にオファーしないでしょ? 普通は」

 

 そもそもそのつもりで提示した条件。ところが――。

 

「この無茶な条件を全て受け入れてオファーしてきた球団が現れた、と。どこのチームなんだ?」

「所在は......静岡のチームだな」

 

 名刺を持っている五十嵐(いがらし)が、宮村(みやむら)の質問に答え。前局トップの朝比奈(あさひな)が仮親になってサイコロを振り、オファーをしてきたチームの詳しい解説を行う。

 

「昨年、二部リーグとの入れ替え戦までもつれ込んで残留したクラブだ。十数年前までは優勝・上位争いの常連だったが。近年では、一部と二部を何度も往き来していることからエレベータークラブと比喩されてる。現状打開を謀るため思い切った改革をしたいんだろう。フットサル仕込みの宮内(みやうち)のトリッキーなプレースタイルは、日本サッカー界では異色だからな。良くも悪くも」

「なるほどなー。長年低迷してるチームの起爆剤にってことか。地元出身で、中学と高校で全国制覇、世代別の日本代表招集の実績持ちで話題性もあると。とんでもない条件を呑んででも賭ける価値があるとみたってわけだ。返事は、どうすんだ?」

「だから、困っているんだよ」

 

 絶対に呑まれないと思って出した条件。実際この条件を提示した瞬間、名刺を渡して来た他クラブの関係者は、その後一切の音沙汰もなく一斉に手を退いていった。

 だけど、ここだけは違った。

 条件を知った上で朱雀高校まで直接足を運ん来て、一旦は持ち帰ったものの、改めて再度正式にオファーをしてくれた。本気だという熱意は伝わってきた。学校側も、最大限の配慮をしてくれると言っている。

 しかし、学校の部活とプロは違う。生活がかかる真剣勝負の世界。医学の道も、患者の人生に関わる世界。二足のわらじを履いて歩いて行けるような甘い道じゃない。右膝に目を落とす。

 ――俺は、それを身をもって知っている。どちらかを諦めなければならない。

 

「くだらねぇなぁ......」

 

 表情ひとつ変えず黙って聞いていた黒い詫摩(たくま)が、ボソッと呟いた。寧々(ねね)が、キッと目を向ける。

 

「何がよ?」

 

 詫摩(たくま)は、鼻で笑った。

 

「ハッ! くだらねぇって言ったんだよ。テメェ、何をぐだぐだ悩んでやがる、情けねぇな!」

「あ、あなたねぇ!」

「フン、本気で断る気があるなら、朝比奈(そいつ)みてーに片っ端しから全部断りゃいいだけのことじゃねーか。なのに条件とかまどろっこしい言ってよぉ......まだ未練が残ってるからそんなこと言ってんだろ?」

 

 何も言い返せなかった。

 呆れ顔で大きなタメ息をつき、席を立った詫摩(たくま)は、ドアノブに手をかけて立ち止まる。

 

「それらしい理由を作って言い訳にして逃げてんじゃねーよ。逃げんなよ、テメェ自身からな......!」

 

 振り返らずに強い口調で言い放った詫摩(たくま)の言葉は、俺の心に深く、深く突き刺さった。

 

           *  *  *

 

「やっぱり、まだ寒いわね......」

 

 冬の冷たい風を受けて、両腕で自分の身体を抱いてつぶやく。

 あの後すぐに部室を出た俺たちは、校舎の屋上に来ていた。北風が当たらない校舎の壁に背中を預けて、日向に並んで腰を下ろす。

 

「気にしてるんでしょ? 詫摩(たくま)に言われたこと」

 

 見透かされている。割り切ったつもりだったのに。今、もの凄く揺らいでいた。

 

「ねぇ、覚えているかしら? どうして私が、生徒会長になりたいか聞いたこと」

「あ、うん、覚えてるよ。親しくなったら教えてくれるって言ってた」

「そうだったわね」

 

 すっと寄せられた体、寒かった身体に感じる柔らかな温もり。

 

「ずいぶん親しくなったわよね」

「そうだね」

 

 去年の秋から付き合い始めて、もう一年以上が経つ。倦怠期とかも特になくて、今も、こうして隣に居てくれている。

 

「私、愛されたかったの」

「愛されたい?」

 

「誰に?」と思ったけど、「違うわよっ」と慌てて両手を振った。

 

「恋愛感情って意味じゃないわ。どう言えばいいのかしら? そうね......みんなから頼られて、慕われて、尊敬される存在とでも言えばいいかしら。そうなれるように努めてきたわ」

 

 寧々(ねね)の表情が、ほんの少し曇った気がした。

 

「それが原因で、中等部の頃は嫌がらせの対象になったこともあったわ。だから私は、生徒会長になろうと思ったの。自分がしてきたことが正しいことだって証明したくて。でも――」

 

 曇っていた表情(かお)は晴れていて、風になびく髪を軽く押さえながら、小さく微笑む。

 

「意味がないってことに気づいたのよ。それは、あなたと出会ったからよ。だって地位とか、名誉とか、そんなもの関係なしに、あなたの周りにはいつも大勢の人たちが居て、みんな楽しそうなんだもの。あの、黒い詫摩(たくま)ですらね」

 

 何かを企んでいるような詫摩(たくま)のそれは、そういうのとはちょっと違う気がするけど。でも前に、白石(しらいし)にも同じようなことを言われた気がする。

 

「結局は、嫌われたくなかっただけなのかもしれないわ。ああ......だから私は、魔女になったのね」

「ん? 寧々(ねね)が、魔女になった理由?」

「ううん、何でもないわ。ねぇ、結人(ゆいと)くん。私、テレビで日本代表のユニフォームを着たあなたを見て思ったの。試合終了のホイッスルが鳴った時、スゴく寂しそうな表情(かお)をしてるって――」

「寂しそう......」

 

 あの試合が俺の、高校生活最後試合になった。二対二の引き分という中途半端な結果だったけど、あの試合で全てを出し切ったハズなのに......。やっぱり俺は、まだ――。

 

「......寧々(ねね)。今、凄いバカなこと考えてるかもしれない」

「バカなんかじゃないわ。この一年間、あなたを一番近くで見てきた私が保証するんだから自信を持ちなさいっ」

「ありがとう」

 

 今までの、そしてこれから先の分の感謝の言葉を伝えて、立ち上がる。

 

「どこか寄り道して帰ろっか?」

「そうね、温かいものがいいわ」

「コーヒーか、紅茶?」

「そうねぇ、今は、ミルクティーの気分かしら」

「了解。じゃあ、行こう」

 

 差し出した手を握り返してくれる。

 寧々(ねね)の手は冬の寒さで少し冷たかったけど、とても温かかった。

 それはきっと、彼女の優しさに触れたからで......。

 この時俺は、まだ明確な答えは出せなかった。だけど、彼女のお陰で、自分自身で一番後悔をしない道を選ぶ決意を持てたんだと想う。

 そして、卒業の日を迎えた――。

 



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Episode68 ~特別な場所~

 卒業式の当日は、天候にも恵まれて晴れ渡った青空が拡がっていた。

 三年前の春。真新しい制服に袖を通して歩いた通学路を今では着慣れて、やや窮屈に感じる制服を着て歩く最後の登校日。

 三年間通い続けた道に感慨深い思いを抱きながら、いつもよりも少し早く家を出て、ゆっくりな足取りで学校へ向かう途中の住宅街に表札を構える、三階建ての一軒家の前でふと足が止まった。塀で上の方しか見えないけど、ここ半年の間ずっと閉ざされていた雨戸が開いているのが判った。

 卒業式の前日に帰ってくるって聞いたから何ら不思議じゃないけど。彼女はもう、家を出ただろうか? そんな疑問が自然と頭を過る。だけどそれは、ほんの一瞬だけで。ここで立ち止まって考えていても仕方がない。どうせ学校で会うことになるのだから。そう思い直して、再び歩みを進める。

 

「あっ!」

 

 待ち合わせしていた商店街で待ってくれていた寧々(ねね)が、寄ってくる。互いに「おはよう」と挨拶を交わして、肩を並べて学校へ向かう。

 

「髪、短くしたんだ」

 

 昨日、美容室へ行くと話していた彼女のヘアスタイルは、初めて会った時と同じボブカット。懐かしいシルエット。

 

「ひとまず区切りだから。長い方が好みなのかしら?」

「どっちも似合ってるよ」

「そういってもらえるのは嬉しいけど、どっちつかずは困るのよ」

 

 本心なんだけど、乙女心というものはいろいろと複雑。なんてことない普段通りの他愛の話しをしていると、あっという間に学校に到着。正門の門柱には「卒業証書授与式」と記された看板が立てかけられ、馴染みのあるソメイヨシノよりも濃い紅色の早咲きの桜の花びらが、春の風に乗って、まるで雪のようにひらひらと舞っている。

 

「キレイね」

「そうだね」

 

 まるで絵画のような、美しくもどこか物悲しさを覚える風景に足を止めて、舞い散る桜を眺めていると、背中から宮村(みやむら)の元気な声。

 

「お二人さん、ずいぶん早ぇじゃねーか!」

「ハァ、最後くらいしめやかに出来ないのかしら?」

「別に今生の別れってわけじゃねーだろ」

 

 風情も情緒もへったくれもない。まあ、宮村(みやむら)らしいと言えばらしい。いつも通りの変わらない態度のおかげで、少ししんみりしていた気分もさっぱり晴れた。

 

「お前も、十分早いじゃん」

山田(やまだ)に呼び出されたんだ。白石(しらいし)さんを、正門(ここ)で迎え撃ちたいんだとよ」

「撃っちゃ駄目でしょ。ちゃんと迎えてあげないと」

「アイツ、テンパってんだよ。顔を合わせるのは約半年ぶりだからなー」

 

 なにより、白石(しらいし)は朱雀で過ごした日々の記憶を失っている。まともに話せるかどうかも怪しい。不安な気持ちになるのは無理もない。

 

白石(しらいし)さんの家どうだった?」

「雨戸は開いてたけど、出たかどうかまでは判らない」

「そっか。先に来てる伊藤(いとう)さんたちは見てないってメッセージが来たから、まだ登校してないみたいだな」

「それで、当事者の山田(やまだ)はどこにいるの? ここで待つんでしょ?」

山田(やまだ)は今、生徒会室に行ってる。会長の悠理(ゆうり)に呼ばれたんだとよ」

「そう。じゃあ、うららちゃんが来たらサポートしてあげなさいよ」

「なんだよ、お前たちは一緒に待たないのか?」

「大勢で待ち受けていたら、混乱しちゃうじゃない。朝比奈(あさひな)くんの話しだと、私たちとの想い出は全部失ったままなんだから......」

 

 ちょっと不満混じりの悲しそうな表情(かお)で言った寧々(ねね)の意向を汲んだ宮村(みやむら)は、上着のポケットからスマホを取り出すと、伊藤(いとう)へメッセージを打ち出した。

 

「それもそうだな。超研部で一番仲の良かった伊藤(いとう)さんだけにしてもらうか」

「じゃあ俺たち、部室に顔出しに行くから」

「おう、また後でな」

 

 宮村(みやむら)と別れ、先に正門を潜る。校舎へ向かう同級生たち混雑している校庭を運動部の部室が入る新校舎へ向かっていると、校舎の方から山田(やまだ)がこちらへ歩いてきた。

 

「用事は済んだの?」

「ちょっと話しただけだ。でよ、その、白石(しらいし)は......?」

 

 緊張半分不安半分といった感じで表情が硬い。

 

「まだ来てない。正門で、宮村(みやむら)が見てくれてる」

「そ、そうか、まだ来てねーのか」

 

 声が引きつっている、相当テンパってる。

 

「もう、ちゃんとなさいよ。大丈夫、あなたは変わったわ。ちゃんと迎えにいってあげなさい」

「......おう。よっしゃ、いっちょ行って来るぜ!」

 

 寧々(ねね)の言葉に後押しされた山田(やまだ)は息巻いて、白石(しらいし)を迎えるべく正門の向かって歩いて行った。若干空回り気味に見えたけど、大丈夫だろう。なにせ、山田(やまだ)は――。

 

「まったく、殿大に受かったんだから、もっと自信を持てばいいのに」

 

 山田(やまだ)は、日本最難関の殿様大学に見事現役合格を果たした。来月からは、晴れて殿大生の仲間入り。合格の報告を受けた教職員たちは、それはそれはたいそう驚いたそうだ。中には椅子から転げ落ちた拍子にカツラがズレた教師がいたとか、まことしやかに噂になっている。

 

「先輩方、おはようございまーす」

 

 フットサル部の部室に着くと、(じゅん)ちゃんが出迎えてくれた。五十嵐(いがらし)は、まだ来ていない。とりあえず上がって待つことにした。

 

「いよいよ卒業式本番ですね。少し早いですけど、ご卒業おめでとうございます」

「ありがとう。って言っても、校舎が変わるだけよ」

 

 朱雀大学は、朱雀高校の真向かいに校舎を構えている。つまり、通学路も変わらない。それでも(じゅん)ちゃんは「気持ちの問題ですので」と小さく笑った。

 

「よかったですね、寧々(ねね)先輩。また同じ学校に通えることになって」

 

 寧々(ねね)は、少し複雑そうな視線を向けてきた。俺は、気にしなくていいよと軽く返す。

 結果から話すと、俺は、殿大には受からなかった。入試に落ちたことに多少なりともショックを受けなかったわけではないけど。元々ダメ元で受験したこと。そして何より、殿大の医学部へ進むよりももっと険しく厳しい道を進むことを決めた俺には、些細なことだった。

 俺は――朱雀大学に籍を置きながら、プロの世界へ飛び込むことを決断した。

 もちろん、どちらも両立出来るような甘い世界じゃない。朱雀高校入学当初の目標だったスポーツドクターの道は諦めることになったけど、自分自身の身体のケアにも役立つ「アスレティックトレーナー」の資格取得を目標に、朱雀大学医学部で専門知識を学ぶことを決めた。とてもありがたいことに学校側は、講義や実習に関して、オンライン授業などでの最大限のバックアップを約束してくれた。

 

「あ、そうだ。寧々(ねね)先輩、大学に進学したら税理士の勉強と並行して栄養士の資格も目指すそうですよ」

「そうなの?」

「ちょっ!」

「どっちも先輩の役に立つ資格ですし。愛されてますねー」

「も、もう、いいでしょ!」

 

 まるで桜の花のように頬を薄紅色に染めた寧々(ねね)は、強引に話しを切った。満足したのか、(じゅん)ちゃんは席を立つ。

 

「じゃあ私は、先に体育館へ行きます。五十嵐(いがらし)先輩にも『おめでとうございます』と伝えてください」

「了解」

「またあとでね」

 

 卒業式の最終確認のため一足先に体育館へ向かった(じゅん)ちゃんを見送ってから程なくして、五十嵐(いがらし)が部室へやって来た。

 

(じゅん)ちゃんから、卒業おめでとうってさ」

「廊下で聞いた。ちょうどすれ違った」

 

 脱いだブレザーの上をハンガーにかけた五十嵐(いがらし)は、空いている場所に腰を降ろす。そして何故か、どこか浮かない表情(かお)を浮かべて腕を組んだ。寧々(ねね)は、不思議そうに首をかしげながら理由を訊ねる。

 

白石(しらいし)が、登校してきた」

「そう、うららちゃんが来たのね。山田(やまだ)は?」

「......話しかけようとしたが、完全にシカトされた」

 

 浮かない表情(かお)をしていた理由が判明。俺と寧々(ねね)は、自然と顔を見合わせる。

 

「ま、まあ仕方ないわよね? 何も覚えていないんだから」

「そうだね。もしいきなり、付き合ってた、なんて言ったらドン引きされただろうし......」

 

 若干苦しいフォローだけど、最悪の手は引かなかった訳だから、まだ話せるチャンスは残ってる。伊藤(いとう)が持ってくると言っていた白石(しらいし)と一緒に映った写真を納めたアルバム。白石(しらいし)が信じる否かは別として、会話のきっかけとしては充分なアイテム。後は、山田(やまだ)の行動次第。

 集合時間までダベり、体育館へ移動。

 新校舎から体育館へ続く渡り廊下は、大半の卒業生が移動する本校舎からの渡り廊下と比べると、ずいぶん空いていて歩きやすい。廊下で立ち止まって話し込んでいる、朝比奈(あさひな)森園(もりぞの)に出くわした。

 

「お前たちか」

「よう、久しぶり!」

 

 地元神奈川に本拠地を構えるクラブチームのキャンプにテスト生として同行していた森園(もりぞの)と合うのは、U-18日本代表の合宿以来。

 

「今、ちょうどその話しをしていたところだ」

「そうなのね。それで、どうだったの?」

 

 寧々(ねね)の問いかけに、森園(もりぞの)は歯を見せてニッと笑い、力強くグッと親指を立てた。

 

「おおっ、やったじゃん」

「まだ仮契約だけどな」

 

 メディカルチェックで問題がなければ、改めて本契約を結ぶことになるそう。大学の方も俺と同じく、在籍したまま卒業を目指すとのこと。元々実家通いだから、さほど支障をきたさないし。体育課への進学も特待枠ため配慮してくれるそう。

 

「しかし、スポーツとは無縁だった進学校の朱雀(ウチ)から、プロスポーツ選手が誕生するとはな。それも、二人も同時に――」

「いや、三人だ」

 

 五十嵐(いがらし)の言葉を、朝比奈(あさひな)が遮った。

 

「まさか、朝比奈(おまえ)......」

「そのまさかだ。オレも、アメリカでプロテストを受けることにした」

「えっ? 朝比奈(あさひな)くん、本気なのっ?」

「当然さ。お前たちがプロへ行くのなら、オレも行く」

「けどお前、いつか、外資系投資銀行のCEOまで登りつめてやるって......」

「そうだな。だがそれよりも、お前たちと共に世界の化け物を相手に頂点を目指して戦う方が面白いと迂闊にも想ってしまった。どうやら、オレの心の奥底には多少なりとも未練が残っていたらしい。オレもバカだ。今になって、気づくなんてな」

 

 自虐的に、そして平然と言ってのける朝比奈(あさひな)の言葉に理解が追いつかず、その場で固まってしまう。進路のことで悩んでいたほんの数日前まで、まさかこんな急展開を迎えることになるだなんてことは、本当に夢にも思わなかった。

 

           *  *  *

 

 卒業式は滞りなく終わり、教室で担任から卒業証書を受け取って、自分の席に戻る。そして最後のホームルームが終わった。これで、この使い慣れた机も今日で最後......なんてことを考える暇もなく、伊藤(いとう)が話しかけて来た。

 

「ちょっとちょっとっ」

「ん? なに?」

「なに? じゃないわよっ。あんたも、ちょっとは協力しなさいよっ」

 

 いったい何ごとかと思ったら――。

 

「え? まだ話せてないの?」

「そうなのよ~。宮村(みやむら)は、卒業式の前にちょっとだけ話せたんだけど。肝心の山田(やまだ)は......」

 

 伊藤(いとう)が向けた視線の先には、白石(しらいし)の様子を廊下からこそこそと伺っている山田(やまだ)の姿があった。怪しいにも程がある。

 

「アルバムは?」

山田(やまだ)と話してる時に一緒に見せた方が説得力が増すって、詫摩(たくま)が言うから......」

「なるほどね」

 

 だけど、協力としろっていわれても、五十嵐(いがらし)の話しによれば初手は完全に無視されていたそうだし。少し離れた席に座っている、白石(しらいし)へ顔を向ける。不意に目が合った。久しぶりに見た白石(しらいし)は、一瞬驚いたような表情を見せると、すっと顔を伏せて視線を外した。

 

「あれ? 今、避けられた?」

「あんた、何かしたの?」

「いや、何もしてないけど。まともに顔を見たのも、今のが初めてだし」

「怪しいわね」

「いやいや。式の前は、部室へ顔出してたの聞いてるでしょ?」

「まあねー。とりあえず、うららちゃんと話してみるわ。ねぇ、白石(しらいし)さーんっ」

 

 フォトアルバムを片手に白石(しらいし)の席へ行った伊藤(いとう)は笑顔で、彼女に話しかける。白石(しらいし)は少し戸惑うよう顔をしていたけど、話せてはいるみたい。あの様子なら協力するまでもないだろう。

 山田(やまだ)のことは伊藤(いとう)に任せて、教室を出た俺は、廊下で寧々(ねね)と合流して屋上へと足を運ぶ。

 

「ちょっと寒いわね......」

「そうだね」

 

 昼休みや放課後によく来ていた、校舎の屋上へ来るのも今日で最後。暦の上では春、だけどまだ寒さの残る冷たい風が吹き抜ける。進路を決めた時と同じように、日が当たる校舎の温かい壁に背を預けて並んで座る。

 

「うららちゃんの様子は、どうだった?」

「やっぱり何も覚えてないみたい。今は、伊藤(いとう)さんが話してるよ」

「そう。ねぇ、どうしてうららちゃんは、代償を支払ったんだと思う?」

 

 “はじまりの魔女”の代償――望み通りの学校生活を過ごせる代わりに、卒業と同時に全校生徒の記憶の中から自分の存在を喪失する。白石(しらいし)黒詫摩(くろたくま)の能力で自身の記憶と引き換えに、山田(やまだ)の記憶を残すことを選択した。

 

「サッカー部が全国大会で優勝すれば私たちみたいに、山田(やまだ)の記憶も戻ったのに。どうしてだと思うかしら?」

 

 そんなこと考えるまでもない。答えは、簡単。

 きっと寧々(ねね)も、俺と同じことを思ってる。

 

「覚えてて欲しかったんだよ」

 

 もし、山田(やまだ)白石(しらいし)のことを忘れてしまったら、受験勉強を止めてしまうとか、今までの努力が無駄になるとか、打算的な思いも少なからずあったとは思う。

 だけど、白石(しらいし)の本音は、きっと......。

 ――ほんの一瞬でも、一緒に過ごした日々を忘れて欲しくなかった。

 例え自分が忘れてしまうとしても、一番大切な相手にだけは、ずっと覚えていて欲しかったんだ。もう一度出会える、その時まで。

 

「そうよね」

 

 穏やかな声で言って、肩に預けてくれた体の温もりを感じる。

 

(みやび)ちゃんからメッセージだわ。山田(やまだ)も、一応は話せたみたい」

 

 やっぱり、写真が効いたかな。

 

「けど、やっぱり戸惑ってるみたい。ヘルプ頼まれたわ」

「一緒に行く?」

「ううん、いいわ。女子同士の方が話しやすいと思うし」

「そっか」

「そうよ。じゃあ行ってくるから、あとで連絡するわね」

 

 校舎へ入って行く寧々(ねね)を見送り、落下防止の手すりに両腕をついて、少し遠くに見える東京の街へ目を向ける。

 この三年間、登校してきた日にはほぼ毎日のように見てきた景色。入学当初はなかった建物も増え、日に日に姿を変えていく街並み。変わり行く街をここから眺めるのも今日で最後、見納め。

 ただ道路を一本隔てた向かいの校舎へ移るだけなのに、この屋上から見る景色が最後だと思うと、少し切ない気分になった。

 ――そうか。俺にとって、この学校は特別な場所だったんだ。

 

「ん?」

 

 キィ......と背中越しにドアが開く音が聞こえた。

 寧々(ねね)が戻ってきたのかと思って振り向くと、思いがけない人が居た――白石(しらいし)。俺にとっては、まさかの来客。彼女にとっては、まさかの先客。教室でのことも相まって、どことなく気まずい空気が俺たちの間を流れる。

 この空気を先に破ったのは、白石(しらいし)の方だった。

 

「さっきは、ごめんなさい」

「え? あ、ああー、気にしないでいいよ」

「そう......」

 

 会話が、途切れてしまった。

 入学当初のことを思い出した。あの頃も、こんな風に辿々しい拙い会話だった。何だかとても懐かしくて、笑ってしまいそうになった。

 

「あの......」

「ん?」

 

 途切れてしまったと思ってた会話は続いていた。

 うつむき加減だった白石(しらいし)は、静かに顔を上げる。そして――。

 

「ありがとう」

 

 思いもよらない言葉だった。

 

「もしかして、魔女のこと覚えてるの......?」

 

 白石(しらいし)は、小さく首を横に振った。

 

「......知らない。でも、どうしてか分からないけど、教室であなたを見つけて、伝えないといけないって想ったの。だけど、どうやって話しかければいいのか分からなくて......」

 

 それで、顔を背けたのか。だけど、どうして白石(しらいし)は、記憶を失ってしまっているはずなのに。

 

「......足のケガは、もういいの?」

 

 ――ああ......そうか、そういうことだったんだ。

 白石(しらいし)は入学前から、俺のことを知っていたから。

 

「もう、大丈夫だよ」

「そう」

 

 この学校は、俺にとって特別な場所。

 最高の仲間たちと出会い、過ごした場所。

 大切な人と出会えた場所。

 

白石(しらいし)さん、卒業おめでとう。それと、おかえり」

「あっ、ありがとう......」

 

 そして、初恋の人と再会した場所。

 三年間を過ごしたこの学校は、かけがえのない大切な想い出を残してくれた、本当に特別な場所だった。



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Episode69 ~救世主~

白石《しらいし》視点となります。


 あの日から、朱雀高校の卒業式から約半年が過ぎて、暦の上では秋。暦の通り日が陰るのは早くなったけれど、まだまだ真夏の様な暑い日々が続く残暑の初秋のこと。私は、大学の夏期休校期間を利用して、日本へ一時帰国してきた。

 

「あっ、お茶畑だー!」

 

 車窓へ顔を向ける。(みやび)ちゃんが言った通り、半円状の鮮やかな緑色の段々畑が窓の外一面に拡がっていた。

 

「さっき見た富士山もだけど、お茶畑を見ると静岡に来たって感じよねー。ね、うららちゃん」

「ええ、そうね」

 

 私たちは今、東京発の新幹線に乗って、静岡県内を西へ向かって移動している。

 その理由は――。

 

「あっ、寧々(ねね)ちゃんからメッセージ来た。駅ビルのカフェに居るから着いたら連絡してって」

「そういえば小田切(おだぎり)ちゃんは、現地に前乗りしてるんだったっけ。あとどのくらいで着くんだ?」

 

 通路を挟んで三人掛けの真ん中の席に座る椿(つばき)くん聞かれた(みやび)ちゃんは、スマホでおおよその到着予定時刻を調べる。

 

寧々(ねね)ちゃんが待ってる駅まで、あと二十分くらい。在来線に乗り換えて、最寄り駅までだから合わせて三十分くらいね」

「結構かかるんだなー」

「最寄り駅から目的地までシャトルバスが出てるみたいだけど、最終のバスに乗り遅れたら最悪徒歩で一キロ以上歩くことになるわよ」

「うへぇ、今のうちに体力温存しとくか。山田(やまだ)、着いたら起こしてくれー」

「あん? なんで、俺が」

「いいじゃねーか、ついでだろついで。じゃあ頼んだぜ~」

「ったくよ」

 

 通路側の席の山田(やまだ)くんは、面倒くさそうに頬杖をついた。窓側の席でアイマスクをつけて眠っている宮村(みやむら)くんにも頼まれていたから、二人分。

 

「大丈夫よ。私も手伝うから」

「いや、別にただ起こすだけだし。ひとりで出来るって」

「そう?」

「おう。頭ぶっ叩けば一発だろ」

「おい、そりゃねーだろ!」

 

 顔を背けて目をつぶっていた椿(つばき)くんは、慌てて猛抗議。

 

「嫌なら素直に起きてろよ。もうすぐ着くんだから」

「ったく、友だちがいのねーヤツだなー」

 

 ちょっと意地悪に言った山田(やまだ)くんに、椿(つばき)くんは諦めて腕を組んだ。

 

「ふふっ」

「相変わらずね~。ところで、五十嵐(いがらし)

 

 (みやび)ちゃんは座席シート越しに、後ろの席に座っている五十嵐(いがらし)くんに話しかける。

 

「部活の後輩たちは、来ないの?」

「来たがっていたが、何かと忙しいそうだ」

「もう、進学は決まってるようなものなのに?」

「だからこそだよ」

 

 (みやび)ちゃんの質問に答えたのは、山田(やまだ)くんも読んでいるライトノベルを読んでいる玉木(たまき)くん。栞を挟んで閉じた本を備え付けのテーブルに置き、質問に答える。

 

猪瀬(いのせ)くんたちは、生徒会役員だからね。引き継ぎへ向けて、次期会長候補を精査している段階なんだよ。むしろ今が、一番大変な時期なのさ」

「ふーん、そうなんだ。けど、残念よね。せっかくなのに現地で観れないなんて」

 

 今、私たちが向かっている目的地は――プロサッカーの試合が行われるスタジアム。今日は、私たちの友だちのプロデビュー戦。ちょうど長期休校中に行われる試合ということで、ホームのスタジアムまでみんなで応援に行くことに。

 

「現地へは行けなくても、フットサルコートで生中継を観るそうだ。あそこは今期から、サッカー専門の衛星放送チャンネルを契約したらしい。開始時刻に間に合うように終わらせると言っていた」

「ノアちゃんも?」

「ああ。内部進学組とはいえ、生徒会に所属していないアイツは一般受験にようなものだからな。もうじき実力テストがある」

「今が大事な追い込み時期なわけね。何か懐かしいわねー」

「だな。たったの一年前のことなのに。ホント一年なんてあっという間だよなー」

 

 昨年の今頃のことを思い出して、少し物思いにふける(みやび)ちゃんと椿(つばき)くん。それは私が、ちょうど日本を離れた時期とも重なる、とても感慨深い季節。私が記憶を取り戻せたのも、昨晩のことだったから余計にそう感じてしまっているのかもしれない。

 

「それは、今が充実してるってことだろ?」

 

 宮村(みやむら)くんの声。アイマスクを外して、軽く伸びをした。

 

「何? アンタ、起きてたの?」

「まーな。さて、そろそろ降りる準備しとかねーと、降りる寸前になって焦るぞ」

「そうね。そうしましょう」

 

 まだ少し時間はあるけど、お菓子の空き箱を片付けて、下車の準備を始める。ちょうど片付け終わった頃、車内に、間もなく到着を知らせるアナウンスが流れた。忘れ物がないかもう一度確認してから、列車を降りる。

 

「着いたー!」

「思ったより遠かったなー」

 

 新幹線で東京から片道一時間以上の距離を毎週何度も往復三時間近くかけて往き来しているんだと思うと、本当に大変な道を進んだのだと改めて思った。

 

「駅北の広場で待ってるってさ。さあ、行こうぜ」

 

 宮村(みやむら)くんの後を続いて改札を抜けて、駅前へ広場へ。涼しげな噴水前の木陰のベンチに座って待っていた寧々(ねね)ちゃんと合流して、少し遅めのランチ。

 

「えっ? じゃあ、うららちゃんの記憶は戻ったのっ?」

「そうなのよ。ねっ、うららちゃん」

 

 (みやび)ちゃんの言うとおり私は、昨日の夜、朱雀高校での記憶を取り戻した。それは、“七人目の魔女”の記憶操作で失った記憶を取り戻した方法と同じ方法。山田(やまだ)くんとの“キス”。どうしてか理由は解らないけど、キスをしたら転校する前の記憶を取り戻すことが出来た。

 

「もう、だったら教えてくれればよかったのに」

「ごめんなさい。私も、突然のことでビックリしちゃって」

「うららちゃんは、悪くないのよ。山田(やまだ)にもっと甲斐性があれば、もっと早く思い出せたんだからっ」

「う、うっせー!」

「まっ、そこはオレのおかげだろ」

「どういうこと?」

 

 昨夜あの場に居なかった寧々(ねね)ちゃんは、不思議そうな顔で小さく首を傾げた。

 

山田(やまだ)がキススランプになってたのを、オレが直してやったのさ」

「キススランプ? 何よ? その聞き慣れないパワーワード」

 

 アルバム、自分の日記、みんなの話しを聞いてある程度信用は出来たのだけど。宮村(みやむら)くんとキスするものだから、最初はそういう関係なのかと疑った。

 

「今まではほら、魔女の能力のためにしてたからつーかなんつーか......」

「つまるところ、ていのいい理由付けがなくなったことで、シラフになった途端に気恥ずかしさを覚えたんだろ」

「ぐっ......」

 

 (うしお)くんに図星を突かれたらしく、山田(やまだ)くんは言いよどんだ。キスすることに躊躇っていたのは、そういう理由だったのね。日記を読んで付き合っていたことを知ったあとだったから特に気にしなかったけど、山田(やまだ)くんの方はそうはいかなかったよう。

 

「理由はどうあれ、よかったわね。無事に思い出せて。本当に」

 

 まるで自分のことのように喜んでくる寧々(ねね)ちゃん。

 

「ところで寧々(ねね)ちゃん、宮内(みやうち)は?」

「もう、クラブハウスへ行ってるわよ」

「えっ? もう行っちゃったの。試合は、夕方からなんでしょ?」

「ベンチ入りの選手は、試合前のミーティングとかいろいろあるから早く行って準備するのよ」

「へぇー、そうなんだ」

「さてと。噂のハンバーグも食い終わったことだし、オレたちも行くとするか」

「試合開始には、まだ時間あるわよ?」

 

 寧々(ねね)ちゃんは、スマホの時計を見ていった。

 

「ギリギリだと混むからな。道路も、駐車場も」

「駐車場?」

 

 在来線で最寄り駅まで行く予定だから、駐車場は関係ないんじゃと不思議に思っていると、宮村(みやむら)くんはニヤリと笑った。

 

「レンタカー、借りてくんだよ!」

 

 駅近くのレンタカー店でワゴン車を借りた宮村(みやむら)くんは運転席に座って、みんなに着用の確認を取る。

 

「シートベルト付けたか?」

「ちょっと、ホントに大丈夫なんでしょうね!?」

「心配すんなよ。東京の街中も、高速も走って予行練習済みだって」

 

 (みやび)ちゃんの心配をよそに、宮村(みやむら)くんは自信満々の表情(かお)で車のエンジンをかける。目的地へ向けて、安全運転で走り出した。

 そして無事、試合が行われるスタジアムがあるホームタウンに到着。スタジアムから少し離れた場所に空いていたコインパーキングに駐車して、スタジアムまでの道を歩く。

 スタジアムに近づくにつれて人通りが増えていき、スタジアム前のメインゲート付近には試合開始までまだ一時間以上もあるにも関わらず、ホーム・アウェイを問わず既に両チームのレプリカユニフォームやグッズを身に付けた大勢のサポーターたちで溢れかえっていた。

 入場待ちの列が続くメインゲートの人混みを抜けて仮設のオフィシャルショップへ足を運ぶ。陳列されているグッズを眺めていた(うしお)くんは、同じことを思っていた。

 

宮内(アイツ)のグッズは、あまり置いていないようだな」

「本格的なデビュー前だもの。私のスマホケースも、既存のグッズにサイン書いてもらったものだし」

 

 グッズは活躍中の主力選手、人気など需要のある選手の物を優先的に生産・販売されているため、新人や知名度の低い選手の商品はあまり用意されてないそう。そんなわけで私は、比較的安定して造られる背番号入りのマフラータオルを購入、フードコートに寄ってから、ゴール裏に陣取っている応援団から少し離れた場所の自由席にみんなで座って、軽いものをつまみながら試合開始の時を待つ。

 

「けどよ、マジでスゲー人だよな。つーか、ピッチもスゲーちけぇし!」

 

 殿大受験のため夏のインターハイは予選大会まで。冬の選士権はテレビ中継で試合を見ていた山田(やまだ)くんは、陸上競技用のトラックがないサッカー専用に造られたスタジアムに感動している。それは、私も同じ。まだ始まってもいないのに、サポーターからは部活の応援とは比べものにならないほどの熱量が伝わってくる。

 

「これでも、キャパは決勝の時のスタジアムの半分もねーんだぜ」

「これで半分以下!? マジかよ......」

「あっ、横断幕! ああいうのもあるんだ」

 

 (みやび)ちゃんが指を差した方には、期待が込められた熱いメッセージと共に選手の名前が記された横断幕が、スタンド最前列の転落防止のフェンスに括り付けられている。

 

「アイツのは、ないのか?」

「あるわよ。だけど、主力選手じゃないからきっと隅の方に......あっ、ほらあったわ」

 

 アウェイ側のコーナーエリア付近に名前が書かれた横断幕が掲げられていた。

 

「あの横断幕の費用、私も出してるのよ」

「なんだよ、教えてくれればオレたちもカンパしたのによ。なあ?」

 

 宮村(みやむら)くんの問いかけに、私たちはみんな頷く。

 

「小さめだから費用はそれほど掛からなかったのよ。でも活躍すれば、もっと大きなものに新調されると思うから、その時は声をかけるわ」

「任せとけ。おっ、出てきたぞ!」

 

 試合開始予定時刻三十分前、両チームの選手たちがピッチに出てきた。各自ボールを蹴ったり、軽く走ったり、ストレッチしたりと、試合開始に向けてウォーミングアップを始める。みんなで、彼の探す。一番最初に見つけたのはやっぱり、寧々(ねね)ちゃん。

 

「あ、居たわ。ベンチ前でボール蹴ってる輪の中よ、オレンジとスミレ色のミサンガを左手に付けてるから間違いないわ」

「おっ、マジだ。それに、ビブスを着てるってことは――」

 

 先発出場予定の選手は、ビブスを着けウォーミングアップをする。つまり今日の試合、スターティングメンバーとして出場が確定したということ。

 

「だけど、思ったていたよりも遅いデビューだったね。同期の森園(もりぞの)くんは、もう試合に出場しているというのに。クラブ側は、相当に無茶な条件を飲んで獲得に動いたと聞いたけど?」

「正式に契約を結んだのがシーズンが始まってからだったからよ。キャンプには参加していなかったし、プロへ対応出来る身体に作り直したり、チーム内の連携プレーだったり、細かな調整に時間が掛かったのよ。部活は元々朝比奈(あさひな)くんたちが、復帰を前提にしたチーム作りをしていたからすんなりいったけど」

「なるほど。それで、どうなんだい? 肝心のチーム状況は」

 

 寧々(ねね)ちゃんは眉をひそめ深刻そうな表情(かお)で、今現在チームが置かれている現状を話す。

 

「正直、芳しくないわ。二部リーグのチームとのプレーオフ戦圏内の残留争いをしているチームに勝ち点差を6もつけられての最下位。もうシーズンも終盤戦、残留には一戦一戦が必勝の正念場よ」

「てーと、あの横断幕に書かれた文字が、そのまま応援団の願いってことか」

 

 宮村(みやむら)くんの視線の先にある、名前と一緒に記された横断幕のメッセージ。

 それは奇しくも、朝比奈(あさひな)くんと森園(もりぞの)くんが、二年生の秋の予選をベスト8で敗退したのを機に新調したユニフォームの背番号に込めた願いと同じ――救世主。

 

『お待たせいたしました。ここで本日のレフェリー、マッチコミッショナー、両チームのスターティングメンバーの発表です――』

 

 場内に設置されたスピーカーから、アナウンスが流れる。

 主審、主催者、アウェイ側の選手と順番に発表されて、いよいよホームチームのメンバー紹介。ゴール裏の大型ビジョンに壮大な音楽と共にプロモーションビデオが映し出され、ひとりひとりの名前が練習中の姿を捉えたリアルタイムの映像と一緒に読み上げられる度に、大きな声援が応援団から送られた。

 そして、遂に彼の名前が......宮内(みやうち)くんの名が場内にコールされた。

 今日がデビュー戦ということもあってなのか判らないけど、ひときわ大きな声援が送られている。そしてそれは、全選手の紹介が終わって一度ピッチ外へ引き上げても、いっこうに鳴り止む気配はない、地鳴りの様な大声援。

 

「これは、途轍もないな。選手権制覇、世代別代表に選出されたとはいえ、いくら何でも、たかがいちルーキーに対して過度に期待し過ぎじゃないか?」

「そのルーキーに託さなけりゃいけねーほど、切羽詰まった状況ってことなんだろうよ。チームも、サポーターもな」

「私は、判るわ」

白石(しらいし)?」

 

 山田(やまだ)くんの声に合わせたようにみんなが、私を見る。

 

「だって、そうでしょ?」

「ええ、そうね」

 

 寧々(ねね)ちゃんは微笑みながら、小さくうなづく。

 監督と控え選手はベンチへ向かい。そして、両チームのスターティングメンバーが小さな子どもの手を引いて、再びピッチに姿を現した。

 また大声援が送られる。

 そう、あの人は、どんなに確率の低いことでも成し遂げてしまう人。それを私は、私たちは知っている。だから今、一枚の紙のように薄い可能性しか残されていない絶望的な状況下だとしても、きっと必ず応えてくれる。

 それはまるで、映画の主人公のように――。

 

「そうよね! よーしっ、今日は声が枯れるまで応援するわよっ! 椿(つばき)、メガホン取って!」

「はいよ、伊藤(いとう)ちゃん! 山田(やまだ)とみやむーも」

「コレ、いつの間に買ったんだよ? まっ、いいか。ぜってぇー負けんじゃねーぞ!」

「がんばれー」

 

 気合いいっぱいの(みやび)ちゃんと椿(つばき)くん。二人に感化されて、一緒に大声で応援する山田(やまだ)くん。受け取ったメガホンをパカパカ音を鳴らして、テキトーに応援する宮村(みやむら)くん。

 

「ほら! 五十嵐(いがらし)玉木(たまき)! アンタたちも応援すんのよ!」

「ぼ、僕たちもそれで応援するのかい? キャラじゃないんだけど」

「む、むぅ......」

 

 若干気恥ずかしそうな(うしお)くんと玉木(たまき)くんを見て、クスクスと笑う寧々(ねね)ちゃん。

 子どもたちが係員に連れられてピッチから下がり、試合前のセレモニーが終わった。両チームの選手たちはお互い陣地へ散り、自分のポジションに付いて、試合開始の笛が鳴る時を待っている。

 ボールが置かれたセンターサークルのすぐ外に彼が居る。

 スタジアムの照明に明かりが灯り、傾き始めた夕日に照らされる後ろ姿。

 夕日を背に立つその後ろ姿は、まだ幼かったあの日と。

 そして、一年前のあの日と同じ。どこか儚くも幻想的で鮮やかなオレンジ色の綺麗な黄昏色の空に負けないくらい、とても輝いて見えた。



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Episode70 ~サプライズ~

今回は寧々(ねね)視点となります。


 どこかもの寂しさが漂う秋が過ぎ、冷たい風が吹く冬を越え、薄紅色の花びらが舞う春を抜けて、季節は巡り、幾度目かの夏を迎えた。

 夏空から降り注ぐ、まるで肌を焼くような強い日差しを避けるため、シックな傘の広いパラソルが設置されたカフェテラスの日陰の中で、後輩の女子三人が賑やかにお喋りしている。その中の一人が、私に気がついた。

 

「あ、寧々(ねね)先輩」

 

 私の呼んだのは、(じゅん)ちゃん。

 

「あなたたち、相変わらず仲が良いわね」

「ただの腐れ縁ですよ」

「ええーそんな~、(じゅん)ちゃん、ひど~い」

「私に、ぶりっ子使っても意味ないから。てゆーか、いいかげん猫被るのやめたら?」

 

 とてもわざとらしく身体をくねらせて抗議する(みどり)ちゃんに対して、澄まし顔の(じゅん)ちゃんは、汗をかいたアイスティーを口に運ぶ。

 

「ところで、もうひとりは居ないの?」

冴子(さえ)ちゃんは今日も、模試ですよ。長期休校の前は模試続きで大変って、目元にスゴいクマ作ってました」

 

 ノアちゃんの友だちの深沢(ふかざわ)さん。彼女は四人の中で唯一、殿様大学へ進学した。一年生の時、朝比奈(あさひな)くんに学年トップのプライドをズタズタにされて以来、彼を見返すためより一層勉強に打ち込んでいたそう。この間会った山田(やまだ)も話していたけど、殿様大学は外国語オンリーでの授業があったり、毎日何かしらの模試があると弱音を吐いていた。

 なにせあの、山崎(やまざき)元会長が留年するほどだから、さすが日本一の大学と云う称号は伊達じゃない、とも言い切れない。宮村(みやむら)いわく、遊びすぎの留年と言っていたから。

 

寧々(ねね)先輩は......聞くまでもないか、野暮でしたね」

「ちょうど、ランチ時だし~」

「デスネー」

 

 これは、絶対勘違いしてる表情(かお)。しかもノアちゃんは、解ってて悪ノリしているからタチが悪い。

 

「残念、大ハズレ。ランチの約束は、ナンシーたちとよ」

 

 朱雀高校を卒業して、それぞれ違う道を進んだみんなが久しぶりに顔を合わせて集まれる機会。ちょうど今、うららちゃんが殿様大学への短期留学で帰国しているから、本当の意味で貴重な機会。

 

「へぇ、珍しいですね。元魔女の同窓会」

「ま、そんなところね」

「ノアは、行かなくていいの?」

「先にこっちの約束入ってたし、山田(やまだ)先輩は来ないしー。それにどうせ、すぐに集まるじゃん?」

「まーね」

「本当に良かったんですか? 頼めば、開会式のチケット用意出来ましたよ?」

「さすが、大会スポンサー企業・天下の有栖川グループの御令嬢。景気の良いお話ですね」

「おかげさまで。お小遣いもたんまりデスヨー」

「うわぁ~、感じわるーい」

 

 三人は、楽しそうに笑い合っている。日本を代表する大企業を経営する多忙なご両親との確執、一種の反抗期のようなものも過ぎて、進学する際に一度しっかり話し合って和解することが出来たと言っていた。少なくとも、こうして笑い話に出来るくらいに。

 

「お待たせ」

「遅いよ、寧々(ねね)!」

 

 先に来て、猿島(さるしま)さんたちと話していたナンシーが少し不満そうに口を尖らせた。

 

「はいはい、ごめんなさい」

「あははっ! 晴子(はるこ)、一番乗りだったから。ワタシが着いた時には、もう――」

「こ、コラ、余計なこと言うなっ。それから、ナンシーと呼べって言ってるだろっ!」

「おまた~っ!」

「何だか、賑やかね」

 

 うららちゃんと、(みやび)ちゃんが揃って到着。リカ先輩は就活のため欠席、飛鳥(あすか)先輩は多忙な中顔を出してくれた。これで全員が集合。予めオーダーしていたランチをいただきながら、それぞれ違う道を進んでいる現在の近状を話す。

 

「えっ? 漫画家デビュー決まったの!?」

「はい! と言っても、連載作家の休載を埋める読み切り作品ですけど」

「それでも、スゴいことじゃない。どんな内容なの?」

 

 私の質問に、大塚(おおつか)さんのメガネがキラリと光った。

 

「よくぞ、聞いてくれましたっ。男子の友情をテーマにした内容でして。主人公は落ちこぼれの不良少年、学園の人気者のイケメン男子と友情を育みながら数々の苦難を乗り越え、国内最難関の大学を一緒に目指すという物語で――」

 

 それ、山田(やまだ)宮村(みやむら)がモデルじゃない、とみんなが呆れ顔を見せる。猿島(さるしま)さんは、モデル兼アパレルデザイナー見習い。少し人見知りだった姫川(ひめかわ)さんと火野(ひの)さんも今では、楽しく過ごせているみたい。学校も、学部も違うと校舎も別々になって、なかなか会える機会も減ったけど、みんな、充実した生活を送っているみたいでなんだか安心した。

 

寧々(ねね)は?」

「私は、予定通りよ」

 

 椿(つばき)の紹介で、彼の実家が経営する料亭で手伝いをさせてもらいながら、たくさん為になることを教わった。栄養士は、税理士の方を優先して学部を選んだから、卒業後、専門学校へ通うことも考えたけど、独学で学びつつ余裕が出来てからゆっくり考えようと思っている。

 

「その話しじゃないよ。もう付き合い始めてから三年以上になるだろ? 卒業した後のこととか話してないのかい?」

「特には、話していないわ」

「あら、それはいけませんね。相手の気持ちを知ることは大事なことですよ、寧々(ねね)さん」

「ワタシ、この間偶然、番組のゲスト出演で一緒になったんだけど。本番前にちょっと親しく話していたら、噂になってる高校時代からの彼女がワタシじゃないかって、MCに勝手に話しを盛られちゃうし、周りの人たちにも茶化されてはやし立てられるし。あまりにしつこいから、付き合ってる相手は共通の友だちだって思わず口走っちゃって大変なことになっちゃった」

 

 オンエアではカットされてたけど、何週間か前にスゴく疲れた顔で帰って来たのはそれが原因だったのね、まったく。特定の事務所に所属している芸能人じゃないんだから、プライベートはそっとしておいてくれればいいのに。

 

「ああ~、でも疑われても致し方ないんじゃない? マリアちゃん、美人だし、スタイルも抜群だし。て言うか、特定の彼氏いない方が不思議だもん」

「今、スゴい充実してるから。正直、そういうことを考えてる余裕なんてないんだよねー」

「それは、アタシも分かる。バンド活動が楽しくて仕方ないからね。ライブにも招待されたしな!」

「それはいいけど、単位平気なの?」

晴子(はるこ)ちゃんは、真面目さんですから。ちゃんと真面目に出席していますよ」

「そら......お前もう、わざと言ってるだろ?」

 

 何度注意されてもナンシーを本名で呼ぶ姫川(ひめかわ)さんは、不思議そうに理小首をかしげる。屈託のない彼女の笑顔に、ナンシーは諦めた様子で大きなタメ息をついた。

 

「だけど、せっかくのキャンパスライフなんだから楽しまないと損なのは確かよね。アタシこの前、バイト先の人に誘われて、初めて合コンに行ってモテモテだったんだからっ!」

 

 合コンという名の地獄絵図。(みやび)ちゃんと一緒に初めて参加した合コンは、彼女のワンマンショーで幕を閉じた。相手側の男子たちは全員タジタジで、自分たちから趣味の話題を振ったとはいえ、少し気の毒だった。

 

寧々(ねね)ちゃんも一緒に、合コンに行ったの?」

「仕方なくよ。初めてで不安だからどうしても一緒に来てって聞かないんだもの」

「だって、寧々(ねね)ちゃんしか頼れる人いなかったんだもん。彼氏いるから安心だし。実際、馴れ馴れしくアプローチかけてきた男子を一蹴してたわ」

「最初にちゃんと、私には彼氏がいて、女子の数合わせって言ってあったじゃない」

 

 仮にフリーでも、ああいったタイプに惹かれることはないけど。殿様大学ほどではないにしろ、通っている大学の偏差値がどうとか。結局のところ、どこへ進学するかじゃなくて、何を目的に通うかが一番大事。私が惹かれた人は、他の人よりも遥かに険しい道であることを覚悟した上で進む人だから。

 

           *  *  *

 

「いらっしゃい。早かったね」

「みんな予定があって、一次会だけで解散になったの」

 

 うららちゃんと(みやび)ちゃんは、夕方から塾講師のアルバイト。他のみんなも、それぞれ予定が入っていたりと忙しいみたいで、やっぱり、昔と同じようにはいかない。

 

「お客さん、来ているの?」

 

 玄関に列んだ男性物の靴のことを訊ねる。

 

「ああー、うん、宮村(みやむら)たち。激励に来てくれたんだよ」

「あら、そうなの。お邪魔するわ」

 

 何だか、ちょっと歯切れが悪い気がしたのだけど気のせいかしら? と、ちょっぴり不思議に想いつつ、とりあえず部屋に上がらせてもらうことに。リビングに入ると彼の話し通り、締まりのないニヤけ顔の宮村(みやむら)、澄まし顔の(うしお)くん。それと、詫摩(たくま)の三人で、テーブルを囲んでいた。

 

「よっ!」

「邪魔してる」

「やあ、久しぶりだね」

「あなたたち、お酒飲んでるの?」

 

 まだ日も暮れていないというのに、テーブル上には酒類の缶や瓶が数本、封が切られた状態で置かれていた。

 

「心配すんなって、飲んでるのはオレたちだけだからよ。いつも通りな」

「少々気が引けるがな」

 

 結人(ゆいと)くんは、お酒を飲める年齢二十歳を過ぎてもいっさい飲んでいない。プロスポーツ選手は身体が一番の資本。風邪薬などの医薬品はもちろん、今では、プロテインもグレーゾーンになっていて、とても厳しい制限が設けられていることから。現役でいる間は、不摂生な生活は極力避けると言っていた。気を使っているワケじゃないけど、私も、お酒の付き合いは基本的に断ってる。

 

「何か作るわ。キッチン、使わせてもらうわね」

「うん、ありがと」

「おっ、マジか。サンキュー」

「すまんな」

 

 手荷物を置いて、代わりにエプロンを付けて台所に立ち、冷蔵庫にあった食材で簡単なおつまみを作り、出来上がった料理をテーブルへ運ぶ。

 

「お待たせ。出来たわ」

「おっ、うまそ~」

 

 宮村(みやむら)はお箸を持つと、料理を口に運んだ。

 

「相変わらずうめぇーな。こりゃあますます酒が進むって」

「うむ。日本酒にも合う」

「同感だね。その辺の店よりもぜんぜん美味しいんじゃない」

 

 詫摩(たくま)も珍しく、私が作った料理を褒めてくれた。明日、隕石でも衝突するんじゃないのかと心配になる。

 

「そりゃそうだろ。椿(つばき)の親父さんが経営する老舗料亭から正式にオファー貰ってんだからさ」

「どうして、知ってるのよ?」

「んなもん、椿(つばき)から聞いたからに決まってるだろ。つーかお前ら、進路は決めたのか?」

 

 お酒の缶を片手に、いつものかるーいノリで訊いてきた。

 

「私は、都内の税理事務所が第一志望よ。しっかり学んで、ゆくゆくは独立を目指すわ。うららちゃんは、日本(こっち)で就職活動するって言っていたわね。あなたたちは?」

「俺は、今のバイト先の出版社にそのまま入社することになりそうだ。先日、部長から来年度の人事についての話しを聞かされた。既に戦力としてカウントされてた。まあ、就活をしなくていいってのは気楽だ」

「はっはっは、そりゃそうだな。オレは、大学院へ進む口だから試験さえパスすりゃいいし。椿(つばき)は、親父さんの店で本格的に修業するってよ」

「へぇ、みんな、ちゃんと考えてるんだね~」

 

 まるで人ごとのように言って、箸を伸ばす詫摩(たくま)

 

「お前も、大学院へ進むんじゃねーのか?」

「このままなら、たぶんそうなるんだろうけどね。いろんな大学(ところ)から話しはあるし。あ、そうだ、海外留学するのも悪くないかも。もうひとりのオレも、少しは退屈しないだろうからね」

「ああ~、お前の場合は、そういう事情もあんのか。白でいることが多いから素で忘れてたぞ」

「今夜は、もうひとりの方も出るよ? キミたちとの勝負は、オレも、もうひとりのオレも退屈しないからね!」

「そりゃ楽しみだ!」

「ふぅ......」

 

 テーブルを挟んで意味深に笑い合う、宮村(みやむら)詫摩(たくま)。何ごとかと想って詳しく聞くと、この後山田(やまだ)と合流して、山崎(やまざき)元会長の家で麻雀をするとのこと。(うしお)くんが呆れ気味の理由も納得。小一時間ほど他愛のない世間話しをして過ごし、ずいぶんと長くなった日が落ちた始めた頃、三人は帰っていった。

 テーブルを片付けて、少し遅めの夕食を二人で食べる。

 

「ごちそうさまでした」

「お粗末さま。準備は、もう済んでるの?」

「大丈夫、全部済んでるよ。しばらく食べられなくなるから名残惜しいけど」

 

 大きめのバッグと、ハンガーラックに掛けられたスーツを指差して言った。

 彼は明日から、U-23日本代表の合宿へ参加。

 再来週には、スポーツの祭典の幕開け。

 シーズン中は、遠征で東京を離れることになっても長くて三日ほど。だけど今回は、大会終了まで基本的に会えなくなる。

 

「じゃあ、朝ご飯作ってあげる」

「泊まっていく?」

「迷惑じゃないかしら?」

「ぜんぜん」

「じゃあ、そうさせてもらうわ。お風呂、借りるわね」

 

 クローゼットの一画に置かせてもらってある着替えを持って、バスルームへ向かった。

 

「いよいよね」

「うん。俺には、縁のない話しだと思ってたけど。あ、そうだ。試合のチケット、今のうちに渡しておくよ」

 

 間接照明の柔らかな光りが灯る薄暗い寝室。同じベッドへ入っての会話中、結人(ゆいと)くんは思い出したように、枕元の収納スペースから、観戦チケットの入った封筒を取り出した。

 

「ありがと」

「とりあえず、予選リーグの分。男友だちの分は、宮村(みやむら)に預けておいたから」

「うららちゃんたちには、私から渡しておくわね」

 

 受け取った人数分のチケットを、なくしてしまわないようにチャックの付いたバッグの内ポケットにしまっておく。

 

「ところで、宮村(みやむら)たちと何を話してたの?」

「え? いや、普通に激励受けただけだけど」

「ふーん」

「ま、まあ、ベストを尽くすとしか言えないかな? 頂点を目指して」

 

 言葉尻を濁した。とりあえず、宮村(みやむら)たちが何かしらの形で関与していることは確か。だけど、まるで決意表明みたい口ぶりだから、如何わしいことではなさそう。

 

「ハァ、まあいいわ。そろそろ寝ましょ。明日は早いんだから――」

 

 お互いに「おやすみ」と言ってそっと口づけを交わし、普段よりも早く眠りについた。翌日、激闘へ挑む彼を玄関先で見送った。

 そして、あの夜の企みは、決勝トーナメントへ進出を果たし、大会最後の試合の後に明かされることになった。

 それは、私の......私たちの未来を、人生を大きく左右してしまうほどの、とびきりのサプライズだった。



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Epilogue ~祝福~

修正、および加筆を加えてひとつにまとめました。


 夢を見ていたみたいだった。

 あの日、あの時、多くの祝福に包まれていた時間は二年以上の時が経った今でも、まるで昨日のことのように鮮明に思い出せる。

 自分でも大袈裟だと思う。だけど、あの瞬間、まるで歌劇の主役にでもなったかのような錯覚を覚えるほど、本当に夢のような時間だった――。

 

           *  *  *

 

「ハァ......まったく、もう少し真面目に答えてくれ。取材にならないじゃないか」

 

 レコーダーの電源を落とした五十嵐(いがらし)は、向かいの席でそれはそれは大きなタメ息をついた。

 

「ちゃんと答えてるって」

「そうとは思えないから言っているんだが?」

「なに? どうしたの?」

 

 キッチンでお茶と茶請けを用意してくれていた寧々(ねね)がトレイを持って、リビングへやって来た。テーブルに置いて、隣の席に腰を下ろす。

 

「真面目に取材を受けてくれないんだ」

「あら、そうなの? ダメよ、ちゃんと受け答えしてあげないと」

「いやいや、ちゃんと受けてるって。本当にまだ何も決まってないんだよ」

「聞いての通り、この調子だ。小田切(おだぎり)からも言ってくれ」

「私もう、小田切(おだぎり)じゃないんだけど?」

 

 口元へ左手を持っていってクスっと小さく笑った寧々(ねね)の薬指には、銀色の指輪が光っている。

 

「あれから、もう二年以上になるのか。あの、大会最後の試合の後、六万の観衆とテレビ画面を通して世界中の人が見守る中での公開プロポーズから――」

 

 思い出し笑いを浮かべながら「とてもじゃないが、俺にはマネできないな」と言って、コーヒーをすする五十嵐(いがらし)

 

「お前たちがやれって言ったんだろ」

 

 まるで人ごとのように言っているが、発案者の宮村(みやむら)と面白がって乗った詫摩(たくま)だけではなく、合宿前日に二人と一緒に激励に来ていた五十嵐(いがらし)も当然一枚噛んでいる。何せ、バラの花束を応援席から投げ入れた張本人。

 

「スタッフさんに声をかけられてグラウンドに連れていかれたと思ったら、あんなことになって......本当に驚いたんだから。サプライズなんて言葉じゃ足りないわ」

 

 マスコミにはしつこく追い回されるし、いろいろと面倒も迷惑もかけた。

 

「フッ、多少強引に背中を押さなければ何となくずるずる行きそうな気がしたからな。山田(やまだ)たちのように」

「そういえばまだ、そういう話しにはなってないんだって?」

「ああ。先日、宮村(みやむら)玉木(たまき)と四人で山田(やまだ)の家で飲んだんだが、いっさいしていないそうだ。互いに忙しくて余裕がない、という話しではあったが......どうなんだろうな」

 

 まだ社会人一年目、ぜんぜん不思議じゃない。むしろ、俺たちが早かっただけの話しで。

 

(みやび)ちゃんと椿(つばき)は、どうなのかしら? お互い気がないわけじゃないと思うんだけど」

宮村(みやむら)からの又聞きになるが、たまに二人で食事しているそうだぞ」

「へぇ、そうなの。大人しくくっついちゃえばいいのに。それで、(うしお)くんはどうなの?」

「何がだ?」

「ノアちゃんと、よくご飯とか行ってるんでしょ?」

「......あれはアイツが、やれ飯おごれだの、やれストレス発散させろだの、しつこくて仕方なくだ。面接官がウザかっただの、セクハラまがいの発言してきたから暴露記事を書けだの、毎度愚痴ばかり聞かされる身にもなってくれ......。決まったあとは、祝えと催促してくるんだぞ」

 

 眉間にシワを寄せながら不満気に言いつつも、ちゃんと付き合ってあげいてるんだから人が良い。まんざらでもないんじゃないか、と(じゅん)ちゃんは言っていたけど、実際のところはどうなんだろう。

 

「まったく、突然の部署移動といい。俺の人生は、周りに振り回されてばかりだ」

 

 愚痴を漏らして、コーヒーカップをソーサーに置いた。

 元々、絵本などの児童書の編集を担当していた五十嵐(いがらし)は、二年前の出来事を部署の垣根を越えて独占インタビューを成したことが高く評価されて、芸能・スポーツ担当の部署へと強制的に移動させられた。そんなわけで、取材の申し込みがあればこうして受けて貢献してあげられる。

 確か、移動前に担当していた絵本のタイトルは、そう――山田くんと7人の魔女。

 朱雀高校の七不思議である魔女伝説を題材にして、実体験を元に作られた絵本。今や売れっ子漫画家になった大塚(おおつか)が作画を担当したことも話題になって、結構な部数が刷られているそうだ。

 

「唯一の利点は、お前と同じ代表クラスの朝比奈(あさひな)森園(もりぞの)。エンタメで注目を集める猿島(さるしま)大塚(おおつか)のインタビューが比較的容易に出来ることか。おかげで、同期の倍近い額を貰えてる点はありがたくもある」

 

「その分をアイツにたかられてるけどな」と、若干恨み節を加えながら冗談交じりに言った。

 

「話しを戻すが、本当のところどうなんだ? 例の話し、海外リーグへの移籍の件は――」

 

 つい先日閉幕した、四年に一度開催されるサッカーの世界大会。結果は、ベスト16。ベスト8にあと一歩届かず、欧州の強豪国相手に惨敗。若手中心の大会とはまったく違う、本物の世界との差、世界の壁というものを思い知らされた。

 取材を終えた五十嵐(いがらし)が帰ったあと、向かいの席に座り直した寧々(ねね)が聞いてきた。

 

「オファーは、届いてるでしょ?」

 

 彼女の言う通り、幾つか海外からオファーは届いている。所属クラブ側も、去年の契約更改時に海外への移籍について別途にオプションを付けて配慮してくれている。契約上の障害は、皆無に等しい。

 ただ、ひとつだけあるとすれば。今は、ひとりではないということ。単独で決められることじゃない。だけど――。

 

『この雪辱は、四年後に必ず果たすぞ』

 

 悔しさを滲ませて言った朝比奈(あさひな)は、アメリカからイタリアの強豪クラブへ。森園(もりぞの)は、オランダ。選手権の決勝で戦った嘉納(かのう)もイングランドへと、それぞれ海外への移籍を決め。既に四年後の大会を視野に入れ始動している。

 サッカー選手の平均引退年齢は、25才。

 もし仮に、四年後まで現役を続けられたとして、代表メンバーに選出されたとすれば、年齢的にはラストチャンス。

 

「勝負したい。世界を相手に、どこまでやれるか試したい。一緒に来てくれる?」

 

 本心を伝えると、寧々(ねね)は不満そうに少し口を尖らせた。

 

「イヤよ。なんてこと言うなら、最初からプロポーズなんて受け入れてないわ」

「......ありがと」

「もうっ。でも、いろいろ決めないといけないわね」

 

 人生の岐路に立った時、いつも傍で支えてくれる。

 彼女と出会えたことが一番の幸運なのだと、はっきりと自信を持って言える。

 そして、目まぐるしい早さで季節は巡っていった。

 

           *  *  *

 

「あ、寧々(ねね)、どうしたの?」

 

 荷物を担ぎ、ロッカールームを出て、スタジアム内の通路を駐車場へ向かって歩きながらワイヤレスでの通話。

 

『さっき、うららちゃんから連絡が来たのっ!』

白石(しらいし)さんから?」

 

 イヤフォン越しに聞こえる寧々(ねね)の声は、普段よりも若干テンションが高めなように感じた。

 

『大事な話があるんだって。結人(ゆいと)くんが帰ってきたら折り返すって伝えたんだけど、どのくらいかかりそう?』

「今、スタジアムを出るところだから。そうだね、渋滞に嵌まらなければ二十分くらいかな?」

『そう。じゃあ、安全運転で急いで帰ってきて』

 

 また無茶な注文。ひとまず通話を終え、スタジアムから自宅へと続く車通りの多い大通りを安全運転で帰る。

 

「お帰りなさい」

「ただいま。もう、寝ちゃってるよね?」

 

 玄関をあがってすぐの横の寝室へ目を向けて訊ねる。

 

「ええ、ぐっすりよ。晩ご飯は?」

「後でいいよ。それより、白石(しらいし)さんから連絡があったんだよね」

「そうなの。いつもと声色が違ったから、もしかしてと思って。帰ってきたって、メッセージ送るわ」

 

 リビングに入るのとほぼ同時に、白石(しらいし)からの返信があった。山田(やまだ)のマンションに一緒に居るとのことだったため、四人で会話が出来るようにパソコンを立ち上げる。

 

『久しぶりだな!』

「ああ、久しぶり。元気?」

『おう。さっきまでやってた試合、観てたぜ』

『おめでとう、スゴかったわ』

「ありがとう」

『疲れてるのに、ごめんなさい。そっちは、もう夜も遅いでしょ』

「気にしないで。それで、大事な話って何かしら?」

 

 挨拶も早々に、寧々(ねね)は本題を切り出した。

 画面越しの白石(しらいし)山田(やまだ)は顔を見合わせて頷き合い、そして――。

 

『うん、あのね――』

 

 通信環境のせいなのか、多少ラグがあって口の動きの後に白石(しらいし)の声が遅れて届いた。

 ――私たち、結婚することになったの。

 

           * * *

 

「よっ、久しぶり。元気してたかー?」

 

 スタイリッシュにスーツを着こなした宮村(みやむら)が、空港から出てきた。

 

「ああ、おかげさまで。そっちは?」

「ぼちぼちってとこだな。ま、立ち話もなんだし、とりあえず行こうぜ」

「それ、俺のセリフだからな?」

 

 笑いながら助手席へ回った宮村(みやむら)を乗せ、エンジンをかける。

 

「悪いな、こんな遠くまで来てもらって」

「気にすんなよ。どうせ来月には、欧州(こっち)へ異動だからな。下見のついでだ」

「欧州っていっても、配属先は北欧なんだろ?」

「日本からと比べりゃ全然ちけぇーよ」

「そりゃそうだ」

 

 父親と同じ外交官になった宮村(みやむら)は、来年度から北欧・ノルウェーの日本大使館への配属が決まった。前回の南アフリカの時と同様に短期間といっていたが、順調にキャリアを積んでいるようだ。

 

「おっ、サグラダファミリア。あれ見ると、スペインだよな」

 

 窓を下ろし、肘を乗り出して、視界に拡がるスペインの街並みを眺めている。

 

「おお、そうだった。椿(つばき)のヤツ、今度、海外へ進出するんだとよ」

「マジか。オゴれって言っておいて」

「もう言った」

 

 どちらからともなく笑い合う。

 こんな些細なことで笑い合える。まるで、学生時代に戻ったみたいに。何年経っても一瞬で戻れるんだと思うと、嬉しさ一緒に感慨深さが心に込み上げてくる。

 

「さあ、着いたぞ」

「サンキュー」

 

 自宅のガレージに車を止めて、呼び鈴を鳴らす。

 

「あら、早かったわね」

「空港から直で来たから」

「久しぶり! おっ、大きくなったな~」

 

 玄関でしゃがんだ宮村(みやむら)は、寧々(ねね)の隣で服の裾を掴んでいる、小さな女の子に視線を合わせた。

 

「あはは、ホント、入学案内のパンフレットの小田切(おだぎり)さんだよな。スゲー似てて笑える」

「同じくらい歳だもの。ほら、ちゃんと挨拶しなさい」

「こんにちわー」

「こんにちは。ちゃんと挨拶できてエラいなー。もうひとりは?」

「お昼寝中よ」

 

 褒めながらぽんぽんっと頭にふれて立ち上がった宮村(みやむら)に、寧々(ねね)が訊ねる。

 

「そろそろお昼だけど、どうする? まだでしょ?」

「近くのレストランにでも行こうか?」

「そうだな。出来れば、和食がいい。ここんところ他国の料理ばっかで飽きた。ある?」

「あるにはあるけど、現地向けにアレンジされてるんだよね。日本のカレーとか、中華料理みたいに」

「だよなー......」

「簡単なものでよければ、私が作るわよ 」

「ぜひ頼む!」

 

 そんなわけで外食は止めて、近所の市場で食材を買い揃えて、自宅で食べることに。

 

「えっ? じゃあ、山田(やまだ)のブラジル転勤って話しは勘違いだったの?」

「そ、実際は二週間の出張。完全な早とちりだな。つーか、味噌汁って、スゲー美味いのな......」

 

 寧々(ねね)が作った和食を、これでもかというほど味わっている。一見大袈裟だと想うけど、宮村(みやむら)に気持ちはよく分かる。こっちへ来たばかりの頃とか、寧々(ねね)が帰国した時とか、外食が多くなって日本食が恋しかった。

 何より、海外移籍から五年が経ち。去年の世界大会が終わったあとも、こうして現役を続けていられるのは彼女のサポートがあってこそ。感謝してもしきれない。

 

「ハァ、そういうところは変わらないわね。ちゃんとやっていけるのか心配になるわ」

「その辺りは、大丈夫だろ。国家プロジェクトに関わる企画を任されてるし。それも海洋じゃなくて、宇宙開発の方のな」

「宇宙ねぇ。伊藤(いとう)さんが、食いつきそうなネタだ」

「ビンゴ! スゲー羨ましがってた。必ず宇宙人見つけ出せってな。そうそう伊藤(いとう)さん、超研部を復活させたんだぜ」

「ホントっ?」

「じゃあ、また、はじまりの魔女が......?」

 

 対処法があるとはいえ、やっぱり気になる。

 

「イヤ、ただの私的目的。部員に体験談を話してるそうだ。生徒たちは目を輝かせてるって言ってたけど、まあ、な」

「ああ、なるほど」

(みやび)ちゃんらしいわね」

 

 どや顔で得意気に話す伊藤(いとう)の姿と、若干引き気味の教え子の姿が目に浮かぶ。

 

「ねぇねぇ、まじょってなーに?」

「お、気になるか」

「うん」

 

 宮村(みやむら)の問いかけに頷く。笑った宮村(みやむら)は、スーツケースから一冊の絵本を取り出した。

 

「プレゼント。あとで読んでもらいな、魔女のことがたーくさん載ってるぞ」

「ありがとー」

「これ、五十嵐(いがらし)の絵本......」

「いいの?」

「ああ。こっちじゃ売ってないだろ。おっと、それこそ大事なもん忘れるところだった。今のうちに渡しとく。ほい」

 

 同じスーツケースの中から装飾された封筒を取り出して、テーブルに置いた。それは、白石(しらいし)山田(やまだ)の結婚式への招待状。

 

小田切(おだぎり)さんと、子どもの分で良かったんだよな?」

「ええ、結人(ゆいと)くんは今、シーズン終盤戦で優勝争いのまっただ中だもの」

「事情が事情だし、仕方ねぇよな。じゃあ、飯も食い終わったことだし、そろそろ行こうぜ!」

 

 支度を整え、本拠地のスタジアムへ向かう。

 クラブ側から事前に許可を貰っていることを警備員に伝え、スタジアムの中へ入れてもらう。使い慣れたロッカールームの前を通り、人気のない廊下を抜けて、鮮やかな緑色の芝が映えるピッチへ出る。

 

「うおっ、マジでスゲーな! テレビで見るのと迫力が段違いだ!」

「観客が入るともっとスゴいわよ。いつも満員で、熱気がスゴいんだから」

「マジか。滞在予定伸ばして、プライベートで観戦してくかな?」

「次節と同日だから、二人の結婚式から弾丸になるぞ」

「しゃーねぇ、またの機会にとっておく。よし、始めるぞ」

 

 宮村(みやむら)のアイデアでユニフォームに着替えた俺は、サッカーボールを持ってピッチに立つ。そして宮村(みやむら)は、ビデオカメラを構えた。

 

「大丈夫なの?」

「心配すんなって。こっちへ来る前に、朝比奈(あさひな)森園(もりぞの)のメッセージも俺が撮ったんだ。んじゃあ本番五秒前! 四、三、二――」

 

 カメラを構えていない方の手で黙ったまま人差し指を立てた宮村(みやむら)は、ゼロのタイミングで手を伸ばした。そのジェスチャーに合わせ、カメラに向かって語りかける。

 

白石(しらいし)さん、山田(やまだ)、結婚おめでとう! 二人と知り合ってから、もう――」

 

 俺は、二人の結婚式には出席出来ない。

 宮村(みやむら)からビデオレターの話しを聞いた時、何を話そうか何日も考えた。だけど結局、まとまることはなかった。だけど、だからこそ、心からの祝福の気持ちを素直に伝えようと想う。

 

 ――初恋は、叶わない。よく聞いた話しだ。

 

 確かに、俺の初恋も叶うことはなかった。

 捉え方は人それぞれ十人十色なんだろうけど、少なくとも俺は今、不幸でなく幸せだと心から言える。

 カメラへ向かって話している途中ふと視線を上に向けると、どこまでも澄み切った青空が広がっている。

 その雲ひとつない晴れやかな綺麗な青空に、この言葉と想いを託そう。

 

 ――白石(しらいし)、本当におめでとう。




途中間延びしたりといろいろありましたが、長い間最後までお付き合いくださり、本当にありがとうございました。

簡単な設定公開。
○主人公の名前。
宮内(みやうち)結人(ゆいと)の由来は、「朱雀高校の中で、人の縁を結び付ける人」という意味合い。

参考資料・原作。
○山田くんと7人の魔女(原作)
○山田くんと7人の魔女(アニメ)
○古河美希先生


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