艦これ戦記 -ソロモンの石壁- (鉄血☆宰相)
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プロローグ

作中の軍事知識に間違いがあったら許してください


 海上を突き進む一隻の軍艦があった。その艦はフラットな甲板の端に指揮所をもつ、所謂空母と呼ばれる艦種の軍艦に見える。

 

 だが、見てくれは空母のようであるが、この艦は空母ではない。

 

 その名はあきつ丸、大日本帝国『陸軍』が保持する世界初の強襲揚陸艦と呼ばれる船である。

 

 強襲揚陸艦とは読んで字のごとく海上から陸上へと素早く強襲して、部隊を揚陸させるための艦であり、一隻いれば数千人の兵士を即座に送り込むことの出来る海上のバスのような船だ。

 

『なんで空母の甲板ついてんの?』『というかなんで陸軍がそんな船持ってんだ?』という話については、お前ら一体なんで戦争中に味方同士で足引っ張りあってんだ糞がと罵られても仕方のない大日本帝国陸海軍のどうしようもない内ゲバ具合について説明する必要がある。

 

 極めて簡単に言うと、海軍をまったく信用できない陸軍が、独自に兵員を輸送しつつ、独自に対潜水艦戦闘をしつつ、独自に偵察機を発艦して、独自に上陸作戦を行えるようにしようとした結果、あれもこれもと機能を詰め込み、奇跡的に『強襲揚陸艦』というカテゴリーに纏まったというのが一番わかりやすいかもしれない。

 

 兵器開発においてあれもこれもと欲張って中途半端に機能を詰め込むと大体碌なことにならないのだが(例:多砲塔戦車)、現代に至るまでの強襲揚陸艦の基本設計は大体この形であるあたり、あきつ丸の開発コンセプトがどれだけ奇跡的に正鵠を射ていたかがわかるだろう。

 

 

 さて、そんな陸軍の強襲揚陸艦あきつ丸の士官室に場面は移る。士官室には二人の男がいた。二人の男は、テーブルを挟んだソファにそれぞれこしかけている。

 

 一人目の男は彫りの深い目鼻立ちのはっきりした男で、現在ソファーで我が物顔で寛いでいる。日に焼けた精悍な顔つきは生命力に溢れており、口元はふてぶてしいというのがしっくり来るような笑みを浮かべている。イケメンというには渋みが強く、爽やかというよりいぶし銀な雰囲気で、逞しい兄貴分というのが一番適切な表現だと思われる。

 

 そのソファーの対面にテーブルを挟んで存在するもう一つのソファーにも男が座っている。

 

 座る位置と同じくこれまた最初の男と対照的な男であった。

 

 背は平均より頭一つは小さく胴長短足。顔立ちは覇気と締まりのない気弱な物で、目鼻立ちもパッとしない群衆に紛れればそのままモブの一人として埋没しそうな平凡な顔立ち。

 

 本当に軍人か疑わしい貧弱な体躯は、覇気のなさから余計に弱そうに見えて仕方ない。見るからにインドア派、デスクワーク派の男である。あだ名をつけるとしたらモブとか凡夫とか言われても納得しかねない存在感の薄さである。

 

「いしかべぇ、いい加減機嫌治せって」

 

 ガタイのいい男がそう言うと、石壁と呼ばれた男が見た目の力関係に不釣り合いな強さで言い返す。

 

「うるさいわイノシシ!誰のせいでこんな事になったと思ってるんだ!!」

 

 バンバンと机を叩きながら、石壁は激怒した。それにカラカラと微塵も済まなそうに感じていない笑みでイノシシと呼ばれた男が応じた。

 

「まぁまぁ、物は考えようだぞ?なにせ俺達は同期たちの中で現状一番の出世頭だからなぁ!!」

 

「左遷か人身御供の間違いだろうがこんちくしょう!!」

 

 バシンと良い音をたてて、石壁の軍帽がイノシシの顔に叩きつけられた。

 

「いたた、そんなに怒るなよ、ハゲるぞ?」

「禿げてない!!」

 

 青年の怒気が沈むまでの間に、彼らの紹介をしておこう。

 

「やれやれ、ハゲはみんなそう言うんだ」

 

 この石壁をおちょくって遊んでいる男の名は伊能 獅子雄(イノウ シシオ)。大胆不敵を地で行く男で、烈火の如き攻めの戦を得意とする提督だ。石壁の数少ない親友で、同時にトラブルメーカーの困った男だ。良く言えば真っ直ぐで、悪く言えばそのまま頭に馬鹿がつく程直球な性格から、ついたあだ名はイノシシである。獅子なのに猪とはこれいかに。

 

「ぶち転がすぞ!!」

 

 そして、このおちょくられている男の名は石壁堅持(イシカベ ケンジ)、彼こそがこの物語の主人公であり、後にソロモンの石壁(いしかべ)とあだ名される伝説の提督なのだが……

 

「まったく、何が不満なんだ、石壁“泊地総司令長官殿”!」

 

 ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべてそういわれた石壁は、遂に激発した。

 

「どう考えても新任の提督にやらせる任務じゃないでしょおおおおおおがああああああああ!!!!!最前線の橋頭保泊地の総司令官なんていやだぁああああああ!!!ぼかぁ地方の鎮守府でのんびり提督やりたかったんだよおおおおおおおおおおおおお!!!!!」

 

 石壁堅持19歳、この時はまだ英雄には程遠い、自身の不幸を嘆くただの新人提督でしかなかった。

 

 

 はたして彼はこの先生きのこれるのだろうか?

 




遂に投稿してしまった、もう後戻り出来ない


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第一話 深海棲艦なんかに絶対に屈しない!!

 部屋の扉がノックされると、伊能提督は入れと許可を出した。

 

「失礼するであります」

 

 そう言って入ってきたのは、肩までのセミロングの黒髪をもつ、全身を黒い軍服に包んだ少女であった。白粉でもぬったかのような色白な肌とのコントラストは、まるでキョンシーのような印象を見る人にあたえるであろう。

 

 そして、もう一つの特筆事項として、石壁提督がつい無意識に胸元に目をやってしまう程度には、軍服を盛り上げるそのバストは豊満であった。

 

 彼女の名はあきつ丸、現在彼らが座乗している艦艇形態のあきつ丸の『本体』である。

 

 この世界の艦娘にはいくつかの形態があり、艤装を展開していない生身の人間に等しい『基本形態』と、艤装を展開し水上スキーの様に海上を進む『艦娘形態』、そして、軍艦時代の艦そのものを呼び出して航行する『艦艇形態』の三つが存在する。

 

 現在あきつ丸は艦艇形態をとっており、その内部にて本体の艦娘と座乗妖精達が艦艇を操縦しているのだ。

 

 ちなみに、彼女は石壁の艦娘ではなく、伊能の艦娘である。

 

「どうしたあきつ丸」

「将校殿、ショートランド泊地“予定地”が見えたであります、現在1300(ヒトサンマルマル)より推定一時間後の1400(ヒトヨンマルマル)に接岸、上陸を開始するであります!」

 

 ショートランド泊地、それは史実における大日本帝国の最大拡張範囲の一歩手前にある泊地であり、地獄のソロモン諸島にある最前線の拠点として多くの艦艇が旅立っていた泊地である。

 

 位置的にはブイン基地のあるブーゲンビル島のすぐ南東に位置し、標高は237メートル、面積は231平方キロメートル(硫黄島の10倍規模)という比較的なだらかな島である。

 

 ここより東に進めば、悪名高き鉄床海峡(アイアンボトムサウンド)は目と鼻の先である。

 

 ここまでは我々の現実世界の話であるが、ここからはこの世界においてのショートランド泊地の立ち位置の話をしていこう。

 

 この世界の大日本帝国が艦娘の力により少しずつ制海圏を広げていく中で、各海域には前線の攻略や資源の輸送拠点、海域の掃海等の為に提督と艦娘が勤務する『鎮守府』や『泊地』が設営されるようになった。

 

 一つの鎮守府には、その規模相応の提督達が集まり、複数の提督指揮下の艦隊がその鎮守府を中心に活動するのだ。

 

 そして石壁達の向かうショートランド泊地は、南東地域への橋頭堡兼防波堤としての役目を求められて、この度鎮守府が新しく設営される事になっているのだ。

 

 しかし、このショートランド泊地の立地は他の鎮守府とはちょっとばかりレベルが違う。何故なら前述の通り、ここはやっとこさ広げた人類の制海圏の一番外側に位置する冗談抜きの最前線鎮守府なのである。

 

 前提条件として、深海棲艦は激戦地ほど多く、強力になっていくという事を覚えておいてほしい。そしてこのソロモン諸島は太平洋戦争でも指折りの大激戦地である、つまり基本的に出てくる深海棲艦が強力なのだ。鎮守府正面海域に戦艦や重巡、正規空母がガンガン出没すると言われれば、その恐ろしさが理解できるだろう。

 

 そしてこのショートランド泊地は、西にあるブーゲンビル島に作られる予定のブイン基地を守るための出城としての役割もあり、東のアイアンボトムサウンドより湧き出してくる深海棲艦を食い止める防波堤でもあるという、文字通りの壁の様な役割を求められる泊地なのである。

 

 

「遂に到着したのか……わかった、接岸の準備をしてくれ」

 

「はっ!承知したであります!」

 

 石壁がそういうと、あきつ丸はキビキビと陸軍式の敬礼をして部屋をでていった。

 

 それと入れ替わるようにして、一人の女性が部屋に入ってくる。着物をきて髪を後ろにひとまとめにした落ち着いた雰囲気の女性だ。

 

 彼女の名は鳳翔、大日本帝国海軍初代一航戦にして、世界初の正規空母(サイズ的には軽空母)の艦娘である。

 

 史実においては後続の赤城や加賀といった正規空母に道を譲り、専ら空母艦載機乗りの訓練空母として世界最強の海鷲質を育て上げた育ての親であり、戦後は復員船として多くの将兵を本土に連れて帰った特殊な来歴の船だ。

 

「失礼します。石壁提督、お茶が入りましたよ。伊能提督もどうぞ」

「あっ……鳳翔さん、ありがとうございます」

「いただこう」

 

 石壁と伊能は鳳翔からお茶を受け取る。

 

 鳳翔は二人にお茶を渡すと、自然に石壁の隣に腰を下ろした。彼女は石壁の艦娘であり、こういった自然な距離の近さを見せる程度には、良好な関係の艦娘であった。 

 

 鳳翔がとなりに座ったことで石壁の心臓の鼓動が秒間1ビート早くなり、ストレスが軽減され幸せ度数が上昇する。有り体に言えば石壁は鳳翔にほの字なのだ。気持ちはよくわかる。

 

「もうすぐ到着ですね」

「そうだね」

「大丈夫ですか?」

「正直帰りたい」

「だとおもいました」

 

 石壁の様子からいっぱいいっぱいなのが手に取るように分かった鳳翔は、苦笑しながら石壁の背中をなでる。

 

「大丈夫ですよ、提督ならきっとなんとかなります。頑張りましょう」

「……はい」

 

 無根拠ながらも、鳳翔にそう言われるといくらか心の重さが軽くなった様に感じた石壁であった。

 

 

 ***

 

 泊地に到着した石壁一行は、先行して基地の設営を行っていた明石と合流するために、基地の作戦会議室へとむかった。

 

「石壁提督お疲れ様です!基地設営完了しました!」

「ああ、そちらこそお疲れ様明石」

 

 室内には、ピンク色の髪をした快活な雰囲気の女性がいた。

 

 彼女は明石、工作艦とよばれる移動する工廠の様な船で、鎮守府においては建造や武装の製造、負傷した艦娘の修復等多岐にわたる任務につく縁の下の力持ちだ。全く関係ないがいつみてもスカートがすけべだと男性職員から好評だ。

 

 

 明石が立っている側の机の上には海図などと共に、摘める軽食がおいてある。

 

「サンドイッチ?」

 

 石壁がそう呟くと、背後から別の女性がやってきて声をかけてくる。

 

「ちょうどお昼時ですから、私が用意しておいたんですよ。はいどうぞ、おしぼりです」

「あ、間宮さんが用意しておいてくれたのか」

 

 石壁がふりむくと、そこには割烹着をきた女性が立っていた。

 

 彼女は間宮、給料艦とよばれる大型の補給艦の艦娘である。大勢の人員を食の面から支えられ、なおかつ戦地では貴重な菓子類も艦内で製造することができるという戦場の出前屋さんの様な艦である。史実においては多くの将兵の胃袋をがっちり掴んで虜にする戦場のアイドルであったという。

 

 ***

 

 それからしばしの間、軽く歓談をしながら軽食をつまみ、人心地ついたところで本題に入る。

 

「とりあえず、島の現状を教えてくれ……明石」

「はい」

 

 石壁の問いに明石はファイルを取り出して報告を始める。

 

「現在島の中には資源プラントが12個あり、提督十二人を養いうる資源生産能力があります」

「この小さな島にえらくポイントが密集しているんだな」

「故に選ばれたとも考えられますね」

 

 ここでいう資源開発プラントとは、文字通りの資源を生産するプラントであり、一プラントにつき大体提督一人を養える程度の資源を生産するのだ。ただ、プラントから生産されたばかりの資源は、この段階ではよくわからない力の塊の様な謎物質でしかない。

 

 妖精さんの不思議技術満載のプラントにより生産される謎物質は、妖精さんの手を介して鉄、弾薬、油、ボーキサイトへと変換される。まったくもってよくわからない技術であるが、これのおかげで海上輸送網が断裂しても生きてこられたので、もうこういうものだと皆納得するしかないのだ。

 

 このプラントは、所謂『龍脈』のような、不可思議な力の密集する地帯にだけ設置可能である。故にこのポイントの数がその鎮守府で養いうる艦隊の規模を決定する。そして、歴史的に大きな影響をもたらす地にはそれが集中する傾向がある。

 

 所謂四大鎮守府、横須賀、佐世保、呉、舞鶴は驚くなかれ1万をこえるプラントが密集しており本土防衛の要にして大日本帝国の経済の柱にもなってしまったのだ。

 

 ここ以外の泊地や基地にもプラントは密集しているが、多くともせいぜい50程度である。そんな中、この小さなショートランド泊地には既に12のプラントがあり、かつまだ増設が可能で、背後のブーゲンビル島にもまた、基地を建設しうるプラント建設可能地域があるのをかんがみれば、この地域のプラント密集率はかなりのものである。

 

「作りやすい所からプラントを設置した結果、現在島の外周を囲むように8つ、中央の山岳部に密集して4つのプラントが作られました。現在いる臨時総司令部は島の東部、アイアンボトムサウンドへ睨みを利かせる位置へと建設してあります。ここにプラントが3つありますね」

「ふむ……」

 

 地図の上にはショートランドの地図があり、今説明を受けた通りの配置にプラントや基地が書き込んである。

 

「……ちょっとまて、現在基地設備をもつ鎮守府はここだけか?」

 

 石壁が脂汗をにじませながら、明石に問う。

「ええ、なにせ墨俣の一夜城よろしく、電撃先行して設置した作り立ての泊地ですからね」

「うわぁ……」

 

 石壁は頭を抱えた。もう嫌な予感しかしない。

 

「……妖精工兵隊に通達、大至急山岳部プラント密集地に最低限でも良いから備蓄倉庫、戦闘指揮所、工廠等の鎮守府設備を建設するように。ただし、場所がわからないように隠して作るように、とだ」

「はい?ですがそんなところに工廠を作っても不便なだけですが……それなら先に沿岸部に鎮守府を増やすべきでは?」

 

 明石がそういうと、石壁は首をふった。

 

「だめだ、まずそこに基地を作るんだ、大至急にだ」

「はぁ……わかりました」

 

 そういうと、明石は引き下がった。

 

「次、戦力の報告を頼む、あきつ丸」

「は!」

 

 あきつ丸が一歩前に出ると、報告を始める。

 

「現在鎮守府にはこちらに来る前に建造された石壁殿の艦娘である、明石殿、間宮殿、鳳翔殿と、伊能提督の艦娘である自分と、まるゆ殿が数十名おりますね」

「伊能の奴はどこにいった?」

「全部自分に任せるとの事です」

「ああそう……続けてくれ」

「は!」

 

 石壁はもう伊能については諦めて先を促した。

 

「戦力として計上しても良いかはわかりませんが、自分は揚陸艦でありますので数千名の陸軍妖精が搭乗してやってきております」

「へぇ……」

 

 もともと陸軍の艦だけあって、搭乗する妖精さん達は陸軍出身の者たちなのである。

 

「とりあえず、戦力は現在この程度ですね」

「……ちょっとまて、まじでこんだけなのか?援軍は?警護の艦隊は?」

「ブイン基地予定地にはいるようですので、何かあれば来てくれるのでは?」

「おおう……もう……」

 

 天を仰ぐ石壁。数秒現実逃避したあとでまたあきつ丸へと視線を戻す。

 

「あきつ丸、大至急陸軍妖精全軍をつれて登山を開始しろ。工兵妖精に協力して山頂基地の周囲を要塞化するんだ。ただし、隠ぺい工作を施してばれにくくするように、登山道は作るな」

「は、はい」

「あと、まるゆ隊は周囲の警戒任務についてもらってくれ三交代制で警戒網を引いて、何か来れば戦わず逃避するように、急げ!」

「は!」

 

 あきつ丸は石壁の言葉を聞くと部屋を飛び出した。

 

「間宮さん」

「はい」

「物資を山頂へと移動させておいてください。最低限を残してありったけ」

「わかりました」

 

 間宮は流れからこういう命令がくると予想していたらしく、そのまま部屋を出ていった。

 

 

「提督……」

「……」

 

 鳳翔の呼びかけに、石壁は答えない。ただ、じっと島の地図を見つめている。

 

(提督に余裕がないのはいつものことですが、ここまで余裕がないのは初めてですね。そこまで状況はわるいのでしょうか……)

 

 鳳翔の疑問の答えがすぐにでも出る事になるとは、まだ誰も知らなかった。

 

 ***

 

「クソ……どう考えても敵が鎮守府に襲い掛かってくるじゃないか……」

 

 提督は基地の屋上で海を見つめながらため息をつく。

 

「いや、でも、もしかしたら、きっと、たぶん、もう少しだけ敵が来るのが遅いかもしれないし……ポジティブに、ポジティブにいこう」

 

 ウロウロと落ち着きなく屋上を徘徊して不安をなんとかちらそうと努力するが、一向に収まる気配はない。

 

「3日、たった3日だ。それまで深海棲艦が来なければ、僕らは助かる……大丈夫、大丈夫だ……」

 

 数十分そうしているうちに、石壁はやけくそ気味に叫んだ。

 

「ええい!やってやらぁ!!大丈夫、後続の艦隊は3日でくるはずだ!それまで守り抜けば一安心だし、やってられないことはない!!!深海棲艦なんかにまけるもんか!!!」

 

 ***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「深海棲艦には勝てなかったよ……」

「提督!提督!お気を確かに!!」

 

 

 昨晩、鉄床海峡周辺の深海棲艦の大艦隊が突如として西進し、鎮守府へ雪崩の如く襲い掛かってきたのだ。

 

 石壁は血相変えて部屋に飛び込んできた鳳翔に肩を抱えられ、砲弾が飛んでくる直前に鎮守府を脱出し、辛くも難を逃れた。

 

 幸いにして、張ったばかりの警戒網に早期にひっかかったため、必死こいて鎮守府に駆け戻ったまるゆ隊に被害はなく、鎮守府の全員で真夜中にバラバラに登山開始、殆どなにももってこれなかったが、人的被害だけは出なかった。

 

 皆が脱出するのとほぼ同時に深海棲艦の大群がなだれ込み、一夜城鎮守府は文字通り一夜で敵の手に落ちたのであった。

 

 かくして石壁の艦隊これくしょん、難易度ヘルモードが幕をあげたのである。

 

 

 



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第二話 事の発端 上

長くなったので分割しました


 陥落した鎮守府から逃げ出した石壁一行は深夜にバラバラに山奥へと逃げていった。

 

 石壁は肩を支えてくれる鳳翔の体温を感じながら、余りに早すぎるフラグの回収に現実逃避気味にそもそもどうしてこんな事になったのか、と今回の左遷の発端を思い出していた。

 

 そう、あれは士官学校の卒業を控えたある日のことであった。

 

 

 ***

 

 さて、回想に入る前に、そもそも石壁と伊能が元々どの様な関係であったかをさらりと触れておこう。

 

 石壁提督と伊能提督が出会ったのは士官学校時代の話だ。元々、性質・性格ともに正反対な二人に接点はほどんどなかった。

 

 だが、二人は性格だけではなく、能力まで正反対であったことが原因となって、教官の指示でバディを組まされることとなる。

 

 石壁は能力的適性が防衛戦に恐ろしいほど偏っており、陣地防衛等の名目での演習では教官も舌を巻くほど鉄壁の防衛能力を発揮した。

 

 だが、これが攻撃的な作戦となると、途端に破綻する。対空戦闘ではイージス艦もかくやと言わんほどの意味不明な防空戦闘ができるのに、砲撃戦になるとどうしたものかあさっての方向にしか弾が飛ばない。

 

 敵を防ぐための動きでは水が流れる様に陣地を組み替えられるのに、侵攻作戦では部隊がふんづまりとなって攻勢が頓挫する。

 

 いくら注意しても、どれだけ頑張っても、攻撃に関してダメダメなのが石壁という男なのだ。

 

 一方で、伊能は本当にその正反対。

 

 攻撃的な作戦では一気呵成に正しく電撃的な作戦を実行し、一度攻勢にでれば濁流が防壁を押し流すように敵を切り崩す。

 

 

 早く、鋭く、一撃必殺。そういう艦隊行動をさせれば伊能の右に出るものはいない。

 

 だが、一度受け身に回ったが最後、あまりに前傾姿勢な戦闘姿勢は、簡単に押しつぶされてしまう。

 

 成績を評価するとある一点では異常なほど高得点を叩き出すのに、もう一点では落第点というあまりにピーキーすぎる二人であった。

 

 だが、得分野の能力は一級品以上のモノに他ならず、それを失うのは惜しいと考えた士官学校の教員が、モノは試しと二人を組ませてみたところ、状況が一変する。

 

 性格も、性質も、能力さえも正反対のふたりであったのだが、なんの因果か二人はびっくりするほどかっちりとうまい具合にはまり込んだのだ。

 

 元々インドア派で引きこもり気質の石壁は、伊能という人間ダイナマイトにひきこもり部屋を爆破された様なもので、あらゆる場所にひきだされ、伊能のあらゆる尻拭いに奔走させられたのだ。其の過程でいままで日の目をみなかった裏方としての才能を開花させ落第を回避するというウルトラCをなしとげたのである。

 

 また、コミュ障気味でぼそぼそとしたしゃべり方しかできなかったのが、そんなしゃべり方では伊能にまったく話が通じないことに気がついてからははっきりシャキシャキとモノを言うようになり、伊能への絶えない罵声と、上官への言い訳と、伊能のやらかしの尻拭いを続けるうちに、いつのまにやら見違えるほど口が回るようになり、精神的にも相当タフネスな人間になったのである。

 

 

 伊能もまた、毎度毎度問題を起こしては石壁に耳にタコが出来てそれが潰れるほどボロクソに罵られてようやく反省したらしく、以前に比べて見違えるほど問題行動を起こさなくなった。もともと武人らしい性格で、竹を割った様な明朗快活な性質と相まって、問題さえ起こさなければ普通に伊能の評価は改善した。石壁の尽力あってこその評価ではあったが、落第を回避することに成功したのである。

 

 そして石壁はなんだかんだ言っても面倒見がよく義理人情に厚い所があるため、影に日向にバディとなった伊能を補助し、時に地に頭をこすりつけて伊能を庇い、伊能の為に相当尽力していた。

 

 そんな石壁に伊能は心底感じ入り、戦闘中は一匹狼の様に誰の指示にも従わなかった伊能が、石壁の指示だけは忠実に守るようになったことで、もう一度二人の評価は一変する。

 

 鉄壁の護りをもつ石壁が防いで、敵が崩れた瞬間に石壁の指示で伊能が敵陣に切り込む。たったこれだけで石壁と伊能のコンビは士官学校はトップクラスの戦果を叩き出したのだ。

 

 世の中には1+1が4にも10にもなるコンビが存在するが、石壁と伊能はまさしくもってそんな存在だったのである。

 

 しかし、そこまで至ったのは士官学校卒業直前であり、評価自体は向上していたが、それはあくまでコンビでの評価であったため、士官学校での評価自体は下から数えたほうがはやかった。

 

 その上、石壁というストッパーの存在によって素行が改善したとはいえ、伊能の本質は一切変わっていないということを教官達は見落としていた。

 

 

 そんな実際の能力と性格が、周りの評価と一致していなかった事が、今回の致命的な事態を巻き起こしたのである。

 

 

 ***

 

 

 それは士官学校の卒業を控えたある春の日であった。

 

 士官学校の自室の二段ベッドの上段と下段に石壁と伊能がそれぞれ寝っ転がって話し込んでいると、伊能が石壁にある質問を投げかけた。

 

「なんで俺たちが主席と戦わなきゃならんのだ、しかも二対一で」

 

 数日後のとある演習において、現訓練校主席の演習相手を務める事になった石壁と伊能、伊能は二体一という演習に納得いかんという風に石壁に尋ねる。

 

 石壁は自分たちへの上官の評価を客観視しつつ、回答した。

 

「あー、多分当て馬にするつもりだろうねぇ……」

「当て馬……?」

 

ピクリ、と伊能が反応する。その剣呑な空気に二段ベットの上にいる石壁は気づかない。

 

「そ、今度の演習、なにやらおえらいさんも来るらしいし、あの主席をうまいこと使って旨い汁を吸いたがる連中がいるんでしょ、そいつらにとっては二体一で主席が勝利するのが一番望ましい、だから書類上の学校の評価がイマイチよろしくない僕らをあてて主席を引き立てるつもりなんだろうね」

 

 段々と伊能の額に青筋が浮かび、頬の筋肉が痙攣を始める。危険な兆候だ。伊能獅子雄のイノシシメーターがぐんぐん上昇している。

 

「つまり我々は大勢の前で無様に負けることを期待されているのだな?」

 

「そういうこと」

 

あーやだやだ、なんでそんな面倒なことになったのやら……と、石壁がグチグチ言ってゴロンと寝返りをうつと、ぬッと石壁の面前至近距離に、下から登ってきた伊能の顔が現れた。その顔には青筋の浮かぶ獰猛な笑みが張り付いており、元がいいだけに中々に迫力がある。

 

「うおぉぁ!?」

「石壁、ちょっと耳をかせ」

 

びっくりして跳ね起きた石壁に対して、獰猛な笑みのまま伊能が言う。此処に至って石壁は伊能の押してはならないイノシシスイッチがいつの間にか入っていた事に気付いた。長年の経験から、こうなった伊能が止まらないことを知っている石壁は素直に耳を貸すしかなかった。

 

***

 

「……と、いうわけだ」

「はあ!?本気か!?いや、正気か!?」

 

その荒唐無稽な話に石壁は仰天する。だが、もうやる気満々の伊能を見て、これはもう彼の中では確定事項なのだとよくわかる。

 

「もし失敗したら、海軍で村八分にされる事になるかもしれないぞ!?」

「その時はお前も陸軍で拾ってやる。大丈夫、お前の大好きな鳳翔さんも一緒につれてってやるから」

「べべべべべべべ別に鳳翔さんがどうとかまったたっtがっったっっったくかかっかかかかあkなねんええねねねねね」

「本当にわかりやすい男だな貴様は!」

 

爆笑する伊能。からかわれた石壁は怒り心頭だ。ちなみに、伊能は元々陸軍出身で、海軍には出向という形をとっている。

 

閑話休題

 

「で……?本当にやるのか?」

「愚問だ!」

 

ふん、と胸をはる伊能。石壁はため息を吐いた。

 

 

「それにな、お前もなんだかんだいって、今回の一件にそれなり以上に腹が立っているんだろう?」

「……う」

 

 図星であった。石壁だって男だ。大勢の人間の前で無様に負けることを期待されて、腹が立たないわけがない。

 

「ああ、もう、わかったよ!やればいいんだろやれば!!そのかわり、本当に駄目だった時は責任取れよ!!」

「それでこそ俺が見込んだ男だ!!鳳翔さんの方も任せておけ」

「鳳翔さんは関係ないって言ってんだろ!」

「なんだ?彼女は連れて行かなくていいのか?それならこちらは楽でいいが?」

「……グッ!?」

「冗談だ、わかってるから心配するな!」

 

石壁はどう頑張っても、こういう話題で伊能には勝てないらしかった。

 

***

 

 数日後、遂に演習の日がやってくる。横須賀の大規模演習場には大勢のお偉方が集まっており、石壁は、これから自分たちがやらかすことがどんな事態を巻き起こすのか想像できなくて胃が痛くなった。

 

 そして、ついに演習相手の男がやってくる。

 

「今日はよろしくお願いします」

「こちらこそよろしくお願いします」

 

石壁がそう言いながら手を差し出すと、向こうも握り返してくる。彼は今季の主席で、士官学校史上最高の天才とも言われる上官達の希望の星だ。

 

彼の名は七露 蛍(ななつゆ けい)、成績優秀、容姿端麗、文武両道を地で行く完璧超人で、本当に性格も良いあたりたちが悪い。

 

別の士官学校に在籍しているため、普段石壁は七露と接する機会がほとんど無いが、少し話しただけでも彼がいいひとであるとわかるため、石壁は彼のこと自体は嫌いではなかった。だが、あまりに自分と対照的すぎて気後れしてしまう所があった。

 

「七露、今日は貴様をあっと驚かせてやるから、楽しみにしておけよ!」

「ちょ、伊能!?」

 

気後れとか空気を読むとかいう単語を母親の胎内に置き忘れてきたらしい伊能は、こんな状況でも微塵も揺るがない。その大胆不敵である意味無礼な言い草に、七露の取り巻きが胡乱な気配を放つが、伊能は全く気にしない。

 

余談だが、貴様という単語は本来同輩以下の人間に対する言葉なので、同期に対して使う分には別に無礼ではない。上官に使ったら鉄拳制裁だが。

 

「ははは、それは楽しみだ!それじゃあ後で」

 

七露も、それくらいなら微塵も気にしない度量の大きい男らしく。むしろ楽しそうに自身の艦隊へと戻っていった。

 

***

 

 控室にて、石壁は今回の演習の援軍と顔を合わせていた。

 

「今日はよろしくお願いしますね、石壁提督」

 

 そういって微笑むのは、黒髪にロングヘアーで、ミニスカートらしき着物を着た、儚げでとても美しい女性だ。

 

 彼女の名は扶桑、日本が独自に開発した超弩級戦艦である、扶桑型戦艦の一番艦の艦娘だ。

 

 特徴的な艦橋がとても目立つ艦艇で、度重なる改修につぐ改修から天に突き出す違法建築の如きその様相から、遠目からでも一発でわかるほどであったという。

 

 余談だが、何故か外国人から大好評な戦艦だったりする。作者も一番好きな艦は扶桑だったりする。

 

 

「新城は別件でこれないから残念がってたわよ、『健闘を祈る』ってさ」

 

 そう気安い口調で話しかけてきたのは、扶桑とよく似たショートヘアの女性だ。

 

 彼女は山城、扶桑型戦艦の二番艦であり、扶桑の妹にあたる。見た目は扶桑の髪を短くして、目つきを少しキツメにしたら大体山城になる。

 

「はは、真面目なアイツらしい」

 

 新城とは、扶桑と山城の提督である男で、今日二人を快く貸してくれた石壁の数少ない親友だ。

 

「ちょっと石壁?あんたガチガチじゃないの、大丈夫?しっかりしなさいよ」

 

 そういいながら、山城が石壁の顔を覗き込む。

 

 艦娘は呼び出す提督ごとに性格にそれなり以上に差異がでるが、新城提督の山城は他の提督の山城に比べるとかなり気安いと言うか、思ったことをはっきり言うスッパリした性格をしている。

 

「はは、これからの事を思うと胃が、ね」

「心配しなくても不幸は全部私が持っていってあげるから、あんたはきっといいことあるわよ」

「相変わらず後ろ向きに前向きだね、山城は」

「まあ、実際私は不幸だしね、その分周りが幸福になるならトントンよ。ほら、元気出しなさい」

 

 山城はそう笑いながら、石壁の背中をバシバシ叩く。どうやら山城は石壁の事を甥っ子かなにかだと思っているふしがある様だ。

 

 その暖かな励ましに石壁の体から硬さがぬける。

 

 そうして、旧交を温めているうちに、遂に演習がはじまったのであった。

 



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第三話 事の発端 下

今回は上下分割してありますので、上編をお見逃しなきようご注意ください


 今回の演習は艦娘自体は六対六だが、提督は二対一という変則的な演習だ。提督が多いということはそれだけ提督による戦力の補正がかかるため有利になるのだ。特に座乗する旗艦の能力の強化は顕著である。

 

 

 今回の演習の目的は、上層部が二対一という形式的に不利な状況を七露が一方的に崩した、という箔をつけたいがゆえの出来レース的側面が大きい。

 

 故に、形式上は七露不利だが、用意された戦力は圧倒機に七露優位なものとなっている。

 

 

 石壁は自身の艦娘である鳳翔に加えて、同期の親友の所から航空戦艦になった扶桑と山城を借り受け、他の同期の友人から隼鷹を借り受け指揮下においている。

 

 そして、陸軍出身の伊能は、自身の艦娘であるあきつ丸とまるゆのみをつれている。

 

 だが、七露の艦艇は、長門、陸奥、赤城、加賀、北上(雷巡)、大井(雷巡)である。

 

 こ れ は ひ ど い

 

 石壁達は、軽空母二隻、航空戦艦二隻、強襲揚陸艦一隻、潜水艦一隻と、バランスだけ見ればまあ悪くはない。

 

 だが、相手はビックセブンクラスの戦艦二隻、一航戦級の正規空母二隻、重雷装巡洋艦二隻という最前線でも通用するガチガチの重戦力である。 

 

 上層部はいくらなんでも依怙贔屓しすぎではないだろうか?七露への期待の大きさがよくわかる陣容である。

 

 ただ、演習のルール的には石壁達に優位だ。演習の設定上攻撃側に分類される石壁達は結果的にどれだけボロボロでも、敵の旗艦さえ落としていれば判定勝利が狙えるのである。これでバランスをとっているとでも言うつもりなのだろうが、はっきり言って酷い話である。

 

 だが、石壁達にとってその驕りこそが高い壁を突き崩す蟻の一穴となるのだ。

 

 ***

 

 艦娘には3つの状態がある。

 

 1.待機状態。これは普段の状態であり、見た目的にはただの人である。鎮守府に居る時などはこの格好だ。

 

 2,艤装展開状態。人型で艤装を背負った状態で、海上を航行するときや戦闘時の状態である。深海悽艦と戦うときはだいたいこれである。

 

 3、船舶状態。元となった艦そのものに変化する方法(一話であきつ丸がやっていたのはこれだ)、この状態だと例えば戦艦なら元の戦艦に、空母なら元の空母になれる。一見強そうだが、敵は人型なので、この状態だと的が小さすぎて一方的に潰されかねないので使いどころが難しい。島そのものへの艦砲射撃とか、輸送任務の時などによく使われる形態である。

 

 この演習は3つめの船舶状態で行われる。ただし、最初は艦娘形態で始まり、変身するタイミングは自由だが、艦への攻撃時には船舶へと変身しなければいけないという形になっている。

 

 演習場の名目としては、『艦艇形態をうまく活用する』事が大きな利点をうむからそれを習熟するためとなっているのだが、実際はこの方が遠くから見ていて見栄えが良いという点が大きい。人型では小さすぎて遠くのお偉方には見えづらいのだ。

 

 そういった諸々の大人の事情がからみあった演習がついに開始されたのである。

 

 

 ***

 

 

 演習が開始され、互いが海上にて接敵する。

 

 

 七露艦隊は6隻全員が艦艇形態だが、石壁艦隊は4隻しか航行しておらず、あきつ丸とまるゆの姿が見えない。

 

「伊能提督の艦がみえないね」

「恐らくは、後方に隠れているか、人型の状態で温存しているのだろう。それがなんになるのかはいまいちよく分からないが」

 

 戦艦長門の艦橋にて話す七露と長門。艦船モードだと人型の艦娘の本体が艦橋など艦内に出現する。艤装は艦艇として展開しているので本当にそこに居るだけだが。

 

「まあいいさ、いったい何を企んでいるのかはわからないけど、全力で相手するだけだしね……全艦隊!単縦陣をとれ!航空隊の攻撃に合わせて殴り合いに移行する!!」

 

 七露の命令に従い、攻撃が開始される。その命令の正確さは、七露への大本営の期待が伊達ではなく実力による所であることが垣間見れるものであった。

 

 ***

 

「提督!敵航空隊きます!」

「遂に来たか……」

 

 石壁は遠方の空に浮かぶ航空隊をにらみつけながら、覚悟をきめて声を張り上げた。

 

「やるしかない……!此方も航空隊発艦せよ!事前の予定通り艦隊防空に徹し敵を近づけるな!!鳳翔、隼鷹、両航空隊発艦!!」

「「了解!!」」

 

『鳳翔航空隊発艦します!!』

『隼鷹航空隊発艦するよー!!』

 

 無線から鳳翔と隼鷹の声が響く。鳳翔と隼鷹の飛行甲板から航空隊が発艦していく。

 

『いくぞてめぇらおくれんじゃねえぞ!!!』

『赤城や加賀の連中にはまけねぇ!!!』

『いくぞおらぁ!!』

『鳳翔航空隊の練度なめんじゃねえぞゴラァ!!!』

 

 無線から航空隊の妖精の荒っぽい声が響く。見てくれは愛らしいが妖精は基本男性だ。無線だけ聞くとものすごくむさ苦しい。

 

「扶桑!山城!事前の想定通り、三式弾で敵を削るぞ!!」

 

『了解したわ石壁提督!』

『わかったわ石壁!』

 

 僚艦の扶桑と山城の声が無線から聞こえてくる。

 

 

「全艦輪形陣を取れ!!艦載機は上空を全力で守れ!!扶桑山城砲撃ヨーイ!!」

 

 向こうは正規空母2隻と大人げない編成であるが故に、普通なら制空権の喪失は免れない。しかし、石壁は鳳翔と隼鷹に雷撃機爆撃機を一切積まずに、防空戦闘機を満載するという思い切った構成で制空権争いを互角にもちこもうとしている。

 

 あとは艦隊防空との合わせ技で制空権を維持しようと言うのである。元より石壁に攻撃指揮の才は無い。故にこその割り切りだった。

 

「扶桑山城、三式弾斉射ぁ!!」

 

 

 轟音、扶桑山城のやたらと多い砲門から一ミリの隙間もない完璧な斉射が放たれる。

 

 石壁の砲撃指示に従い、上空の的確な位置へと針の穴を通すように三式弾が叩き込まれ、起爆する。飛び散る散弾が石壁の想定通りに敵機を叩き落としていく。

 

 史実において三式弾はかなりの産廃兵器だが、この世界においては、妖精さんの技術と、艦娘自身のコントロール、そして、石壁の超人的な防空指示が合わさった事で、凶悪極まりない対空の切り札とかした。扶桑山城の三式弾による砲撃は、たった一度の一斉射撃で敵航空隊の三割を削り取ってしまったのだ。

 

「……どうして対空射撃はこんなに正確なのに、普通の的にはかすりもしないのでしょうか」

「……言わないで下さい」

 

 鳳翔のポロリとこぼれた疑問は、石壁自身も常々思っていた事だが、既に石壁は諦めているので答えようがない。

 

「さすがね山城、石壁提督の防空戦闘指揮は神業だわ」

「ふふん、だって石壁ですもの、姉様」

「なんで貴方が自慢げなの?」

「石壁は扶桑型三姉弟の末弟だから」

「あら、いつの間に弟が増えたのかしら?」

「名誉扶桑型戦艦に叙任したの、ついさっき」

「貴方って本当に自由ね」

 

 

 扶桑と山城が姉妹漫才をしている間も戦闘は止まらない。

 

 

「なんて精密射撃なの!?航空隊分散してください!!」

 

 

 石壁指揮下の三式弾斉射がもたらした破滅的な戦果に赤城の顔が引きつる。

 

 赤城の命令に従い、航空隊は今までの比較的密集した編隊から、分散した編隊へと即座に移行する。その合間に飛んできた三式弾に更に一割削り取られたが、なんとか三式弾で全滅する事態は避けられたらしい。

 

「……これ以上は三式弾では効果が薄い!扶桑と山城は三式弾から通常弾へと切り替えて砲撃戦に移行する!!総員対空戦闘用意!!対空射撃を密としろ!!防空隊は敵を近づけさせるな!!」

 

 敵機分散を見るや、石壁は即座に命令を切り替える。三式弾と言う兵器は、その性質上味方航空隊を巻き込みかねない為近距離では使えないのである。

 

 石壁指揮下の航空隊と、七露指揮下の航空隊が、制空権を奪い合う。数で勝る七露航空隊だが、防空のみに硬く徹する石壁航空隊を抜くことが出来ない。運良く突破できても、石壁の対空戦闘指揮の前にあっという間に撃ち落とされてしまった。

 

『嘘……!?そんな……!?』

 

 赤城の驚愕の声が無線から聞こえる。七露はこの結果に驚いたが、同時に、面白く思っていた。やはり他人の評価など宛にならないものだと、事前に聞いていた石壁の評価を何段階も繰り上げる。

 

「制空権は取れなかったか……なら後は順当に力押しでいくよ、長門」

「任せておけ、ふふ、胸が熱くなるな」

 

 七露の長門は消化試合だと思われていた演習の、望外の難易度に笑みを深める。やはり戦艦同士の殴り合いこそ長門の本領だからだ。

 

 ***

 

 そして、戦闘は同行戦へともつれ込む。上空では石壁の航空隊が優勢に戦っているが、爆撃機や雷撃機の居ない石壁の航空隊は七露達に攻撃できないので、実質的に意味はない。

 

 徐々に距離を詰めながら撃ち合う両艦隊だが、石壁の砲撃はかすりもせず威嚇以上の効果を持たず、かと言って七露の砲撃は石壁の指揮もあってこれまた当たらない。演習は石壁の予想外の奮闘から、膠着状態へと至る。

 

「提督、ここは多少無茶をしても接近し、至近距離から砲撃を叩き込むべきだと思う。このままでは引き分けだ。明らかに有力な艦隊を率いて戦っておいて引き分けでは提督の顔が立たんだろう。私も嫌だ」

 

 長門の意見は最もだった。箔付け云々は別としても、このまま千日手で終わるのは避けたかった。

 

「……よし、僕もじれったいとは思ってたんだ。長門がそう言うなら真っ向から相手の間合いに飛び込んで、策諸共に食い破ろう」

 

 覚悟を決めた七露達は、今までのジワジワと距離を詰めながらの戦いから、一気に敵ににじり寄る方向へと舵を切る。

 

 七露の判断は真っ当だ。彼我の戦力差は圧倒的で、仮に未だ姿を見せない伊能に、なんらかの隠し玉があったとしても、充分に勝てる差である。

 

 だが、一つだけ七露に誤算があるとするなら、伊能という男のぶっ飛んだ破天荒さを理解していなかった事だろう。

 

 ***

 

「いよいよ来たか……なぁ、イノシシ、マジでやるのか?本当にやるのか?」

 

 石壁は伊能に再三問うが、伊能は揺るがない。

 

『愚問だ、それくらい知っているだろう?さぁ、やってくれ』

 

 無線から響く伊能の声に迷いはない。

 

「くそっわかったよ!!どうなっても知らないからな!!全艦に告ぐ!!作戦を開始せよ!!」

 

 石壁の号令とともに、温存されていた瑞雲達が続々と発艦していく。

 

 後に伝説となり、石壁が死ぬ程後悔した作戦が、始まった。

 

 

 ***

 

「瑞雲だと……今更?」

 

 空を舞う瑞雲を見ながら、長門が呟く、同時に、今迄艦隊防空に徹していた石壁の航空隊がその瑞雲を守りながら此方に向かってくるのをみて、嫌な予感が駆け抜ける。

 

「提督、嫌な予感がする!アレを近づけては駄目だ!!」

 

 長門の戦場勘が、激しい警鐘をならす。常識的に考えて、あの瑞雲が長門達を撃破しうる攻撃力など持っていない。特攻でもされれば別だが、艦載機による特攻は演習では禁じられているのだ。

 

 だが頭ではわかっていても、不安が消えない。むしろ凄まじいプレッシャーを感じてしまう。アレはヤバイ、と。

 

「……っ!!全艦対空戦闘開始!!残った艦載機は全て迎撃にむかえ!」

 

 長門の尋常では無い様子に、七露は持ちうる手を全て用いて迎撃を行う。だが、艦載機は既に大多数が墜ちており、同時に七露の防空指揮は石壁ほどは熟達していないのもあって(それでも並の提督よりはかなり上手い、石壁が異常なだけだ)、編隊の中央部で護られている瑞雲隊にダメージがとどかないのだ。

 

 やがて、瑞雲は長門の近くまで飛んでくる。

 

 

「……!ソナーに感あり!敵潜水艦です!!」

「……!このタイミングで……!」

 

 七露はこの攻勢こそがまだ概要の分からないものの石壁の奥の手だと確信した。

 

「来るぞ!!爆雷投下!!」

 

 ***

 

「今だまるゆ!メーンタンクブロー!!」

 

『はい!メーンタンクブロー!!まるゆ行きます』

 

 ゴボぉ、っと、潜水艦形態のまるゆが浮上する。目指すは一点、大将首のみ。

 

『敵爆雷投下!』

『数が多い!!避けらんねぇ!!』

『根性見せろ野郎ども!!まるゆ隊の魂魅せてやれぇ!』

『『『『おおおおお!!!』』』

 

 まるゆ内部の陸軍妖精たちが雄叫びを上げる。その瞬間、海中で爆雷が一斉に起爆する。

 

 だが、まるゆは止まらない。

 

『まるゆは、陸軍の潜水艦です!!海の中では沈みません!!!』

 

 爆圧で至るところを浸水しながらも、まるゆはただ突き進む。愚直に、真っ直ぐに、『肉弾』の届く所まで!!

 

『突撃ーーーーーーー!!!!!!』

 

 まるゆと妖精達皆の雄叫びとともに、長門が揺れる。艦底から艦尾にかけての位置に、まるゆが激突したのだ。

 

『船体破損!大破!』

『浸水止まりません!』

『まるゆ轟沈判定!!』

 

 沈みゆくまるゆ、しかし、使命をやり遂げた満足感とともにまるゆは微笑む。

 

『後は頼みます、石壁提督……伊能隊長』

 

 ***

 

「ぐう!?」

「なんだ!?」

 

 長門のうめき声と七露の叫びに妖精が応える。

 

「敵潜水艦、艦底に体当たりしました!?艦底、艦尾に破損!浸水あり!!スクリューシャフトがへし折れて航行不能!!」

 

「なんて奴らだ!?演習とはいえ、下手をすれば死ぬぞ!?」

 

 長門は艦底に体当たりをして沈んでいくまるゆの覚悟に驚愕の声をあげる。だが、この日最大のサプライズは、すぐ頭上に迫っていた。

 

「て、提督!?頭上の瑞雲の背に、あきつ丸が居ます!!」

 

 ***

 

『後は頼みます、石壁提督……伊能隊長』

 

 まるゆからの無線連絡に、伊能は頷く。

 

「任せておけ!行くぞあきつ丸!」

「はい!将校殿!」

 

 あきつ丸が、瑞雲から大空へ飛ぶ。

 

「変……」

 

 あきつ丸の体に、光の粒子が集まる。

 

「身!」

 

 その瞬間、艦艇へと変化したあきつ丸は、高度数百メートル上空から、長門へと落下した。

 

 ***

 

 

 

 

 

 

 

 

「「「「「え……?」」」」」

 

 あきつ丸発見の報を聞いて思わず上空を見上げた七露達は、一瞬我を忘れてその光景に見入った。

 

 艦艇形態のあきつ丸が、空を飛んでいた。

 

「……綺麗だ」

 

 雲一つない碧空に浮かぶ巨大な船体、現実離れした空を進む船が自身の頭上を飛んでいる。そのある種幻想的な光景に七露は思わずそうつぶやいた。

 

 だが、惚けていられたのは一瞬だけだった。あきつ丸は飛んでいるのではない、あきつ丸は瑞雲の背中から『跳んだ』だけなのである。

 

 そう、これは単純な話だ、飛び上がった艦娘がその最高高度で艦艇と化したが故に、一瞬だけ、船が空に停止しているだけなのだ。

 

 であれば、後は星の引力に従って落ちるだけだ。

 

 そう、真下の自分(七露)達の頭上へと。

 

「……っっっ!!!!!最大船速!!!にげろおおおおおおおお!!!!!!」

 

 停止していた時間が、動き出す。七露の思考が回り、船は落ちる。

 

 

 速度は0から1へ、1から2へ、位置エネルギーを運動エネルギーに変換しながら艦艇が海面に向け突進する。

 

 それは正しく地獄の断頭台に振り下ろされる処刑者の斧の如き一撃。あきつ丸は自身の「質量」を武器にして、高さを速度に、速度を破壊力として上から叩きつけるという、単純極まりないが故にどうしようもない威力となる致命の一撃を放ったのだ。

 

 通常であれば、そのような単純な攻撃、七露程の提督なら寸前で回避することも不可能ではなかった。

 

「駄目です!!スクリューの大半が損傷して殆ど動けません!!」

「……!!さっきの潜水艦が体当たりなんてやらかしたのはこのためか!!」

 

 だが、石壁の仲間達がそれを許さない、まるゆの捨て身の献身が生み出した勝機を逃すほど、こいつらは甘くない。

 

「くらええええええええええええ!!!!!」

 

 伊能の雄たけびがとどろいたその瞬間、長門の艦橋と艦首の間にあきつ丸が「着弾」した。

 

「ぐあああああああああああああああ!!!!!!??????」

 

 艦橋と艦首の間に、十文字に交差するようにのしかかるあきつ丸、これは人間で例えると、うつ伏せに寝転んだ状態から延髄に全体重を載せたかかと落としを食らわされたに等しい。艦橋に居た長門の本体は断末魔の叫びをあげて気絶し倒れこんだ。

 

「な!?長門!?しっかりしろ!!」

 

 慌てて長門にかけよろうとする七露、だがその瞬間、艦橋の窓ガラスの向こう側の、伊能と目があった。

 

 刹那、轟音と共に、衝撃で艦橋に居た全員がひっくり返った。

 

 ***

 

「あきつ丸!!!長門艦橋へ向けそのまま右へ『倒れこめ』!!」

「承知!!」

 

 艦首付近に各坐したあきつ丸は、そのまま船体を艦橋へむけ倒れこませた。

 

 あきつ丸の艦橋に居た伊能は、急速に接近する長門の艦橋を見ながら、凶悪な笑みを浮かべる。

 

 向こうの艦橋の七露の驚愕にゆがんだ顔がよく見えた。

 

「さて諸君!!ここは海の上だが、戦場は床の上だ、然らばここは陸上に等しく、我々が勝てない道理はない!!」

 

 艦橋には大勢の妖精たちが完全装備で構えていた。

 

「海軍陸戦隊とかいう陸に上がった河童どもとは比べ物にならん、本当の陸上戦闘というものを教えてやれ!!総員突撃いいいいいいい!!!!」

「「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!」」」」

 

 艦橋が激突するのに合わせて、伊能達が窓へ向け駆け出す。

 

 轟音と共に窓ガラスが全て砕け散り、艦橋と艦橋が物理的につながった瞬間、伊能達が長門の艦橋にむけ飛び込んだ。

 

「総員手を挙げろ!!抵抗は無意味だ!!」

 

 衝撃で全員がひっくり帰った艦橋に、伊能の良くとおる声が響いた。

 

「い、移乗攻撃なんて、しかもこんなぶっ飛んだ方法なんて、お前ら頭がおかしいよ……」

 

 移乗攻撃、それは近代以前における海戦における基本戦術であり、接舷ののちに直接乗り込んで敵艦を制圧するという戦術である、わかりやすくいうと映画のカリブの海賊がターザンよろしく相手の船に乗り込んだりするあれである。

 

 時代の流れとともに進む艦艇の装甲化・重武装化に伴って世の中から消えていった過去の戦術だ。

 

 空から降ってくる艦艇に乗り込んで直接艦橋に飛び込んでくるのはどう考えても頭が逝っているとしか思えない暴挙であり、七露の言葉は至極当然であった。

 

「阿呆、正気で戦争ができるか」

「……降参するよ、完敗だ、色んな意味で」

 

 艦橋を完全に制圧されてため息とともに七露がそう宣言すると、艦橋に伊能達の雄たけびがとどろいた。

 

 

 

 ***

 

 

 かくして、石壁達の演習は幕を閉じた。

 

 だが、この一戦は七露のバックボーンにある上層部の顔を潰す事となり、様々な派閥闘争の結果として石壁達は最前線泊地へと左遷される事となる。

 

 ある歴史家に曰く、この一戦こそが歴史のターニングポイントであり、嚢中の錐が袋の中から飛び出した瞬間であるとまで評したという。事実、石壁が英雄の階段をカタパルトでぶっ飛んでいくその端緒は間違いなくこの瞬間であったといえるだろう。

 

 賽は投げられた、彼は今ルビコン川を越えたのだ。

 

「あ、ちょうちょ」

「提督、現実逃避はやめてください」

 

 

 だが、その等の本人である石壁は、この後自分たちがどんな目に合うのか心配でそれどころではなかった。

 

「いったい僕はどうなるんだろうか……停職や謹慎ですめばいいんだけど……」

「まあ、流石に命を取られる事はないでしょうし、そこまで気にしなくてもいいのではないでしょうか?」

 

 石壁にとっての幸運だったのは、上層部が私情で人事を致命的なレベルまで捻じ曲げるのが常態化しているという笑えない事実をまだ知らなかったという事だろう。

 

 これから自身に降りかかる災難の巨大さを知っていたら、彼の胃はねじれ狂う事態に陥っていただろうから、そういう意味では、かれはこの時まだ幸運だったのだ。きっと。

 

 

 



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第四話 ゼロどころかマイナスからのスタート

 プロローグから一話にかけてのあらすじ

 石壁提督の赴任したショートランド泊地は、大量の深海棲艦にレイプされ2コマ即堕ちしてしまった。直前で襲撃を察知し、かろうじて生き延びた石壁達は山岳部に逃げ込んだのであった。


 

 夜半の襲撃から数時間後、ここはショートランド泊地(陥落済み)から西へ進んだところにある山中、石壁が突貫工事で作らせた要塞(未完成)の一室である。

 

 臨時作戦本部、という名前だけは立派なコンクリート打ちっぱなしのなんにもない部屋の中で石壁達は死屍累々の様相を呈していた。特に石壁は頭を抱えて蹲っている。空気が淀んで濁っている様な感覚がする部屋であった。

 

 

「最悪なんていってられる内はまだマシってのは本当だな。見事に最悪の泊地よりさらに最悪な泊地になってしまったぞ」

 

 伊能がそう言いながら臨時作戦本部に入ってくる。

 

 部屋には頭を抱える石壁以外にもその艦娘達がおり、自身の艦娘であるあきつ丸とまるゆ隊の代表も一緒に座り込んでいた。当然だが皆一様に疲労の色が濃い。

 

 自分の提督が室内に入ってきたことで、あきつ丸の口元に笑みが浮かぶ。伊能に似て、彼女もだいぶタフネスな女だ。

 

「……石壁殿が真っ先に退路の確保をして置いてくれなかったら、我々一同皆殺しになっていたでありますな!」

 

 あきつ丸がそう笑うと、乾いた笑いが室内を満たす。幾分空気が和らいだ気がした。

 

「いやいや、石壁の手腕ならあのまま抵抗しても2日は保たせられただろう」

「その後は?」

「鎮守府を枕に討ち死にだな!」

 

 伊能が笑えないことを笑って言う。だが、いっそここまで突きつけた方が、この状況では楽だろう。

 

「とりあえず、現状はどうなっているんだ?」

 

 やっと現実逃避から帰ってきた石壁の問いに、あきつ丸が答える。

 

「良い知らせと悪い知らせと、ものすごく悪い知らせがありますが、どれからお伝えしましょうか」

「……いい知らせから頼む」

 

 石壁は胃の腑の痛みを堪えながらそう促す

 

「は!石壁殿の慧眼により確保しておいた退路が功を奏し、人的被害は皆無であります!同時に最低限の基地設備、防衛陣地の整備も行われ、ここは正しく隠し砦といった様相を呈しております!また、間宮殿の物資はほぼまるまる持ってきてあります故、無補給でも半年は飢え死にはしますまい」

 

「そうか」

 

 ホッとした空気が流れる。人的被害は皆無というのは、望外に嬉しいものだった。

 

「次は、悪い知らせだな」

「は!」

 

 そういって、あきつ丸は続ける。

 

「先程最低限の基地設備と申しましたが、これは本当に最低限のものでしかないのであります。具体的には、明石殿……」

「はい……」

 

 明石が立ち上がり、報告を開始する。

 

「まず、工廠設備のうち、もってこれたのは装備の開発に関するものだけです。しかも、基礎的な開発しかできません」

「……具体的には?」

「12cm単装砲、連装砲、三連魚雷が関の山です。しかも、建造プラントは移動できず新しい艦娘はつくれません」

「ジーザス……」

 

【悲報】僕の鎮守府では、艦娘は作れないようです【無理ゲー】

 

 などと石壁の脳裏に架空のスレッドが流れていく。それも無理からぬこと。提督を戦力たらしめる最大の理由が、彼等にしか制御し得ない艦娘の存在ゆえだ。艦娘のいない提督などひみつ道具のないドラえもん、頭の悪いキテレツに等しい、つまりお話にならないのだ。

 

「最後のものすごく悪い知らせを……まるゆ、頼むであります」

「はい」

 

 その言葉に、まるゆ隊のリーダー……便宜上まるゆ隊長が応じる。

 

「……ブイン基地の本隊、撤退しました」

「は……?」

「我々は……この海域に取り残されました……!」

 

 まるゆの憤怒の篭った叫びに、皆言葉を失った。

 

「ブイン基地へと連絡にいったまるゆからの報告です!」

 

 バシンと卓上に叩きつけられた。報告書に皆眼が行く。

 

『我等は一時転進し、本隊と合流す。後日増援と伴に再進行するまで、貴官達は当初の予定に従いその泊地を死守せよ。』

 

「……援軍は、数ヶ月後の予定だそうです」

 

 ボロボロと涙を流すまるゆ。部屋を支配する沈黙を破ったのは伊能だった。

 

「まるゆ」

「……はい」

「こういう時はな、泣くんじゃない」

 

 そういって、不敵に笑った。

 

「笑うんだよ」

「……」

 

 ふてぶてしく力強い彼の笑みを見ていると、絶望的な状況だが、なにやらなんとかなりそうな気分になってくる。

 

「貴様は俺の艦娘だろう?ならば笑え、死ぬその瞬間までふてぶてしく笑うんだ。目を伏せて泣く奴に未来は来ない、前を向いて笑えばこそ、見えてくるもんもあるってもんだ」

 

 そういいながら、石壁の方を見る。

 

「それにほれ、みてみろまるゆ」

「……?」

 

 まるゆがつられて石壁をみる。そこには必死に頭を抱える石壁が居る。

 

「ここにいるこいつはな、度胸もなければ、顔がいいわけでもない、頭もそんなによくないし、胴長短足で身長も低い、おまけに将来禿げそうといいところなんかまったくない絶望的な男だが……」

「おいてめぇ僕ははげてないっていってんだろうが」

「……それでも、俺がこの世でもっとも頼りになると自信をもってオススメできる優秀な総司令官がいるんだぞ?」

 

 ぎゃあぎゃあと文句をいう石壁と、それを受け流す伊能のコンビに、まるゆはクスリと笑い、まわりの艦娘達も思わず笑みを浮かべていた。

 

「軍需物資はプラントが勝手に生産してくれる。12cm砲とはいえ、火砲は潤沢にある。食料も半年近くは心配いらないと来たもんだ。こいつの指揮とこれだけの要素が揃えば、鬼に金棒、ハゲに育毛剤だ。タイタニック号にのったつもりでいればいいさ」

「それまったく安心できないよね?あと、いい加減僕のことハゲ扱いすんなゴラァ!!」

 

 こらえきれず明石が吹き出すと、部屋中の皆が笑い出してしまった。石壁の硝子ハートは粉々だ!

 

 だが、さっきまでの絶望的な空気は伊能の存在によって粉々に砕かれた。その場にいる者達の目に生きる活力が漲り始めた。

 

「まったく……そこまで言われたらなんとかするしかないじゃないか……」

 

 いいかげん覚悟の固まったらしい石壁が、椅子代わりの木箱に座り直す。

 

「さて、そこのバカが色々言ってくれやがったように、状況は悪いが、まだまだやりようはある。確かに最悪なんて言ってられるうちはまだまだ余裕があるんだろうな」

 

 そう言いながら石壁は島の地図を指差す。

 

「現在我々の居る位置は島の中央部だ、そして、元司令本部が島の東部にあり、残りの位置には投棄されたプラントがあるのみだ。斥候の情報では、敵本体は東の基地に居座っており、残りのプラントは半ば放置されているらしい」

「あの司令部を敵が使っているのか?」

 

 伊能の問に石壁は頷く。

 

「現状、僕達がここに陣取っているのがバレたらおしまいだ。現在の状態の要塞で奴らを迎え撃ったとしても、耐えられるのはもってひと月、それ以上は無理だ。だから僕達は秘密裏に戦力を集め、この山岳部の要塞を強化し、敵にバレた後でもなんとか援軍が到着するまで持ちこたえないといけない……ここまではわかるか?」

 

 皆が頷くのをみて、石壁は続ける。

 

「勝利条件は援軍の到着まで生き延びること、敗北条件はそれまでにこの要塞が陥落することだ。その為の方策を今から話す。まず明石は現工廠で作りうる兵器を量産してくれ、それを要塞の各地にありったけ要塞砲として設置して威力の不足を数で補うように、質問は?」

「ありません」

「よし、次にあきつ丸は配下の陸軍妖精を率いて要塞の延伸と強化を頼む。明石の作った砲を仕込んだトーチカを至るところに作って鉄壁の要塞にしてくれ、幸い、物資は自動で勝手に増えるからな、鉄骨もジャンジャン使ってくれ」

「は!」

 

「間宮は兵站の管理を頼む。補給の目処のない食料品とかはできるだけ節約してほしいが、プラント4つから生産される資源はバンバン使ってもらって問題ない。とりあえず、半年戦える程度に調整してくれ」

「はい!」

 

 先ほどまでの鬱屈具合が信じられないほど石壁は矢継ぎ早に命令を出していく。そんな石壁の様子をみて、その場に居る全員の目に力が戻っていく。

 

 自分だけではなく、友や仲間達までも生きるか死ぬかの限界ギリギリの瀬戸際に追い込まれたことで、石壁はある種の開き直りの様な状態になっていた。

 

 泣き言も、弱音も、吐いた所で事態が好転しないなら、足掻けるだけ足掻いた方がマシだ。

 

 そんなある種やけっぱちに近い考えが、石壁を突き動かしているのは否定できない。

 

 だが、絶望的な状況にあって、どんな理由であったとしても、前に向かって歩きだした石壁の姿はその場に居る全員に確かな希望を抱かせたのだ。

 

 絶望に膝を折り、下を向きかけた人々を再び前に向かせ、一つの方向性に束ねて突き進む……そんな芸当が出来る人間のことを、一般的にこういう。

 

 『英雄』と。

 

 

「そして最後に……」

 

 そこまでいってから、石壁が一瞬だけ逡巡したような表情を見せてから、伊能の方を向いた。

 

「まかせておけ」

 

 ふん、と胸をはる伊能に、石壁はため息をはく。

 

「まだ何もいっていないぞ……?」

「言わずともわかっているさ、お前が恐ろしく困難な任務を俺に残していることくらいな」

「下手をすれば死ぬぞ?」

 

 その問に、伊能は俄然やる気をだす。

 

「そいつは光栄だな、男子の本懐此処に極まれり、ってやつだ!」

 

 伊能は普段は石壁をからかっているが、こういう時に冗談は言わない男だ。この男は本当に、石壁の命令なら命をかける覚悟くらいは既に固めている。『こいつに頼まれたら死んでやるしか無いな』と、伊能はそう笑って死にに行けるような奴なのだ。

 

「まったく……僕が悩んでいるのが馬鹿みたいじゃないか」

「その通り、バカの考え休むに似たりってなものだ。お前はいつも通り、俺に命令すればいんだ、『やれ』ってな」

 

 その言葉に石壁は迷いをなくす。ガタンと立ち上がり、宣言する。

 

「よし、では準備が整い次第反攻作戦を開始する。作戦名は『はじめてのゲリラ戦』だ!!」

 

 

 皆が一様にズッコケる。

 

「石壁殿のネーミングセンスが致命的であります!!」

 

 あきつ丸の叫びに皆が同意した。

 

 



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第五話 寄せ集め部隊

 要塞へと逃げ込んでから数日後、ようやく部隊内部の狂乱も収まり始めていた。

 

 初日に反撃作戦をぶち上げた石壁だったが、あれから毎日要塞内部の執務室(暫定)に引きこもって要塞を運営するためのシステム作りと現状の把握に努めていた。

 

 別に石壁が反撃作戦をいやがって動かないわけではない。というか、動けるならさっさと動きたかったのだが、ただでさえ押っ取り刀で着の身着のまま山へと三々五々逃げ込んだのだから、あらゆることがグタグタの状態で、現状の正確な把握すら困難な状態では動くに動けなかったのである。

 

 そのため、まずは兎にも角にも足元をある程度かためる必要があると艦隊の面々総出で、手探りの要塞運営マニュアルを作成しているのである。

 

 

 

 さて、そんな修羅場の執務室だが、山岳部の洞穴を鉄筋コンクリートで補強した要塞故に部屋に窓はなく、突貫工事の割には小奇麗ではあったが、打ちっぱなしのコンクリートの室内は寒々しさと閉塞感にあふれており正直言って土がむき出しの方が幾分精神的に楽な様な気がしなくもない有様であった。

 

「はあ、なんというか、部屋が殺風景極まりなくて、息が詰まりそうだよね……」

「石壁殿、お願いでありますから改めてこの空間の辛さを再確認させるのは辞めていただきたいであります」

 

 石壁が、書類をペラペラとめくりながら愚痴ると、あきつ丸がうんざりとした様に相槌をうつ。

 

 士官学校の複数人の共同部屋のむさ苦しさには辟易としたものだが、この殺風景きわまりない空間に比べれば、海の見える窓があったあの部屋のなんと贅沢な事だろうか、と、石壁は嘆息しながら書類をめくっている。

 

「でも、実際この部屋に缶詰めになるのは御免こうむりたいですね、状況が落ち着いたら壁紙でもはって少しでも閉塞感を緩めましょうか」

「そうだな、少しでも潤いがほしいよ」

「まったくもってでありますな」

 

 兵站担当の間宮が手を休めずにそういうと、石壁とあきつ丸はうんうんと同意しながらため息をはいた。

 

「ん?」

 

 その時、部隊目録を確認していた石壁の目が、あり得ない項目を見つけてピタリと停止した。

 

「ねえ、あきつ丸、なんか部隊の目録に妙な項目があるんだけど……」

「はて?どこでありますか?」

 

「いや……ね……?」

 

 石壁は目の前の単語がどうかタイプミスでありますようにと思いながら、つづけた。

 

「『騎兵』と『九七式中戦車(チハ)』ってかいてあるんだけど……」

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 『騎兵』、それは古代から近現代に至るまで世界各国で運用され、長く戦場を支配した優良兵科である。

 

 人を優に超える速さと行動範囲の広さを両立し、古代においては戦場の趨勢を決めうる重要な役割を担っていた。

 

 世界史上に燦然と輝く史上最大の大帝国、モンゴル帝国が世界に覇を唱えられた大きな要因の一つが、遊牧を生業とする騎馬民族であったが故に、他国では絶対に用意できないほどの騎兵の多量運用が可能であったことがあげられるだろう。

 

 まさしく騎兵は、戦場の花形であったのだ。

 

 だが、その栄光は戦争の近代化と共に消え失せていく。

 

 ナポレオン戦争当時の、単発式マスケット銃をもった戦列歩兵を並べて行進する時代ならば、まだ騎兵は戦力として一定の戦果を生むことは可能であった。

 

 機動力と突破力を生かして戦列を引き裂き、迂回突撃で弱点をつくこともできたのだ。

 

 だが、戦争の近代化につれて鉄量の投射量は飛躍的に増大し、戦列歩兵は小隊単位の散兵へと変わり、戦場は塹壕と有刺鉄線を張り巡らせた即席の要塞だらけとなった。

 

 騎兵は壁を越えられない。有刺鉄線は騎兵の機動力を奪い、勢いのなくなった騎兵はばらまかれる銃弾の雨に食い殺され、戦場から駆逐されていったのである。

 

 だが、なんの因果か目の前には大量の騎馬が鎮座している。

 

 現代の二次大戦時代を再現した要塞の中に、騎馬がひしめいている。

 

 そして、そのとなりにはこれまた古めかしい粗大ごm……ちがう鉄くz……もとい、博物館の貯蔵品に等しい戦車が鎮座しているのである。

 

 

「うわぁ……マジでお馬さんとチハたんがいっぱいいるよぉ……ここは牧場かなぁ……?いや、博物館だったかな……?」

 

「提督、お気持ちはわかりますが現実逃避はやめてください」

 

 眼前の光景を直視したくない石壁、となりに立つ鳳翔は、顔が引きつるのをかんじながらも、石壁を正気に戻そうと背中をなでている。

 

「はっ……そうだ、あ、あきつ丸、説明を頼む」

「はっ!」

 

 なんとか現実にかえってきた。石壁が、あきつ丸にそういうと、あきつ丸が元気よく応じる。

 

「しっての通り、海軍の英霊たちが妖精さんになるように、陸軍の英霊達もまた、妖精さんとしてこの世に二度目の生を受けております。彼らは生前の兵科に相当する武装を一緒にもって顕現することはご存知でありますか?」

「ああ、三八式歩兵銃をもった陸軍の妖精さんは多いし、それは知っているよ……この流れからいうと、このたくさんの戦車は、陸軍妖精さんの武装……か?」

「はい、その通りであります」

「なら、この馬達は?」

 

 石壁の問いに、あきつ丸がどう答えたものかと、少し悩んでから話し出した。

 

「そうでありますなぁ、一言で纏めると、『彼らに付属して呼び出されるのは無機物だけではない』、ということでありますな」

「なっ!?つまりこの馬たちは……!?」

「ええこの者たちもまた、妖精さんと共にこの世に現れた『英霊』なのですよ」

 

 ばっと、石壁は馬達のほうを向く。

 

 そこにいる馬達は皆、既に一度この世をさった馬達なのである。

 

「ここからは、自分に説明させていただきたい」

 

 そう、壮年の男性の声が響いたので、皆がそちらをむく。そこに居たのは腰に軍刀をさし、口髭を蓄えた陸軍妖精であった。

 

「貴方は?」

「お初にお目にかかります。私はこの騎兵・戦車隊を暫定的に纏めている妖精でございます、将校殿」

 

 渋い壮年男性の声でその妖精は話す。

 

「さて、この様な博物館か競馬場かといった骨董兵科の見本市となっている理由でございますが……わかりやすさを重視してまず我々妖精の来歴から説明した方がよろしいかな?」

「あ、はいお願いします」

 

 渋く落ち着いた声音の騎兵隊長の語りは、さながら歴史教諭のようで、石壁は思わず素直に頷いてしまった。

 それをきいて騎兵隊長はにこりと優し気な笑みを浮かべて話し出した。

 

 

「我々妖精は日本の危機を救うべく時代の壁を越え再び現世に現れた英霊でございます。されど一口に英霊といっても、古ければ明治維新の戊辰戦争から、太平洋戦争時代の英霊までもおりまする。この理由には諸説ございますが、恐らくは靖国神社に祀られている英霊が、その時代の英霊であるからであろうといわれております」

「妖精さん自身でも、その理由はわからないんだっけ?」

「そのとおりでございます、我々はただ、救いを求めるこの国の民草の切なる願いに呼ばれた『護国の鬼』でございますれば、それを成したモノが果たして何者であるのか、それに関しては一切関知しておりませぬ」

「『護国の鬼』?」

 

 石壁は、目の前の愛くるしい妖精さんに似合わない「鬼」という単語に一瞬首を捻る。

 

「はっはっは、確かにこの見た目では『鬼』というのは聊か似合わぬ呼称やもしれませぬなあ」

 

 騎兵隊長は呵呵大笑しながら、顎をなでる。

 

「されど、我々の本質は、『鬼』に他なりませぬ。家族の為、友の為、故郷の為、そして日本の為に、我々は鬼となって敵と戦い、殺して殺して殺しつくし、遂には地に伏す躯となりもうした。異国の遠き地の果て、何物も寄せ付けぬ深き海の底、見果てぬ碧空に溶けて消えた多くの兵士達、それが我々でございます。そうまでして戦い抜いた果てに、またこうして戦うためにこの世に蘇ったのでございますから、これを鬼と言わずして、いったいなんといえましょうか」

「……」

 

 一瞬、その愛くるしい見た目からは想像もできない『凄み』を感じた石壁は、ごくりと唾液を飲み込んだ。

 

「おっと、失礼をば、お若い将校殿には、すこしばかりきつかったですかな」

 

「……いえ、僕も失礼な事を言いました。続けてください」

 

 石壁は、悪気はなかったとはいえ、相手の見た目を馬鹿にしてしまったのだと気づいて素直に詫びた。その素直な謝罪に騎兵隊長は軽くうなずいて再び話にもどる。

 

「承知いたしました。さて、我々は人々の助けを願う声に呼ばわれてこの世に顕現したわけでございますれば、当然ながら人々の為に再び武器を手に取りました、我々陸軍の妖精たちは特に最前線に立ち、率先して切り込み、突撃をかけ、多くの仲間が再び命を失いました。世にいう、本土奪回作戦でございますな」

 

 本土奪回作戦、それは本土決戦の末に限界ぎりぎりまで追い詰められた大日本帝国が、最終兵器である艦娘と、蘇った英霊である妖精さん達と、残存通常戦力の全てを結集して深海棲艦を本土から駆逐した戦いを総称した呼称である。

 

 この戦いの結果、大日本帝国陸軍はその戦力の大半を喪失し、妖精さんたちも全盛期の五分の一まで数を減らしたものの、その捨て身の攻勢は深海棲艦を追い詰め、そこに新兵器艦娘の圧倒的火力と装甲があわさったことでようやく本土は解放されたのである。

 

「あの戦いの中で、我々騎馬隊や戦車隊は、人型の艦艇である深海棲艦にとって良い的であり、その機銃の斉射や砲撃の前には我々はまさしくもって蟷螂の斧に外ならず、戦場を一つ乗り越えるたびに、皆等しく塵に還り申した。それでも我々は前に進み続け、戦いが終わった時には、もうここにいる者たちしか、残っておりませんでした」

「……っ」

 

 そう、騎兵の時代は、もうとっくの昔に終わっている。旧軍の戦車もまた、深海棲艦の前にはブリキの棺桶にしかならない。

 

「本土の解放がなった時、我々の戦いは終わったのです。生き残った妖精たちは陸軍の部隊として再編されていきました。ですが、我々騎兵と戦車隊には、既に行き場が無かったのでございます。馬草を食むだけの生ものと、動くだけの戦車なぞ、陸戦が終わった後に使いどころがなくなるのはは当然の帰結でございますが、結果として、生き残って『しまった』無駄飯ぐらいは、一纏めにされてしまったのでございますよ」

 

 騎兵隊長のその言いぐさには、隠し切れない諦念があった。命をかけて戦い抜いたその先が、冷や飯ぐらいの閑職である。如何に英霊といえど、想うところが無いわけがないのだ。彼らにだって、感情は当然あるのだから。

 

「そうして、あちらこちらにたらい回しにされた末に、こうして伊能提督指揮下に収まったのでございますよ。いやはやまったくもって、流れに流れたものでございますな」

 

 騎兵隊長はそういって肩をすくめた。

 

「将校殿も、大層がっかりなされたでしょう、指揮下にこの様な時代遅れの役立たずが居たのですから」

「……」

 

 正直に言えば、石壁も部隊の存在を知った時は、あまりの事態に落胆したことは間違いない。当然だ、石壁達の境遇は有体に言って絶体絶命の危機であるからして、石壁が少しでも強い戦力を期待すること自体は自然なことであるし、それを否定することはできない。

 

「……そうだね」

 

 しかし……

 

「こんなにも、頼りがいのある『男達』に冷や飯を食わせていた大本営には心底がっかりしたよ」

「……は?」

 

 石壁は、今、目の前にいる『仲間達』の強さに、自身のつい先ほどまでの評価をひっくり返していた。石壁がそう言葉を放った瞬間、騎兵隊長は惚けたように言葉を失い、あきつ丸は石壁に見えない位置で、口元に笑みを浮かべた。

 

「それは、嫌みですかな?」

「そんなわけがあるか」

 

 訝し気な騎兵隊長の言葉に、石壁が首を軽く振りながら答える。

 

「だって、貴方達はまだ、目が死んでいない。そんな境遇でもまだ貴方達の闘志は微塵も消えちゃいない。人間は逆境の中でこそその本質が表に出てくるものだよ。断言してもいい、貴方達はこの絶体絶命境遇へと『流されて』やってきた訳じゃ絶対にない」

「……!」

 

 石壁の言葉に、騎兵隊長が目を見開く。

 

「貴方達は。『選んで』ここへ来たんだ。この絶望的な戦場へ、この世界の果てに等しい地獄の泊地まで。そんな連中が頼りない?寝言は寝て言えっての、これほどまでに『頼もしい』連中は、滅多にいないよ」

 

 石壁は迷いなく言い切った。そこに嘘は一切なかった。

 

「戦力的に難がある?それがどうしたっての、あの深海の化け物どもの戦力を前にすれば、騎兵も戦車も歩兵も大して変わらない。けど、絶対的に頼れるものが一つだけある」

 

 そういいながら、石壁は騎兵隊長をみつめる。

 

 

「それは叩かれても、踏みつぶされても、歯を食いしばって立ち上がって前を向ける心の強さだ。そんな強い仲間がとなりにいるなら、それほど頼もしいものはないよ。ここにきてくれてありがとう、僕はこの泊地の総司令長官として、貴方達を歓迎します」

「……っ」

 

 石壁のその言葉に、騎兵隊長は息を飲んだ。目の前の頼りない男が、とてつもなく大きく見えた。

 

 心臓がドクリと脈打つのを感じる。ピリピリとした興奮が脳髄を走っていく。

 

 自然と、口元が弧を描くのを感じた。

 

(なるほど……『彼』の言った通りだったようだ……)

 

 妖精さんは、確かに感じとった。目の前の男の能力の片鱗を……英雄としての素質を。

 

 それは相対した人間の心を、その本質的部分をしっかりと見つめて素直に評価できるという、言葉にするととても単純な能力であった。

 

 しかし、それだけではない、騎兵隊長は石壁という男の器に、とてつもない可能性を感じたのだ。

 

(この男、場合によっては相当『化ける』ぞ……!)

 

 能力を見抜くだけでは英雄にはなれない。底抜けの器があるだけでは人は集まらない。

 

 石壁は、相手の性根を簡単に見抜き、同時に、それを自分という器の中に収める事ができる男だった。

 

 そして、その器の大きさはまさしく未知数、石壁という未完の大器がどれだけの大きさと深さをもっているのか、騎兵隊長は、それを知りたくなった。

 

 そう、有体に言えば、彼は石壁という男に惚れこんだのだ。彼にとって先ほどの口説き文句は彼の中に燻る想いを燃え上がらせるに足る熱量をもっていたのである。

 

「……これから宜しくお願い致します。石壁『提督』」

「ええ、これからよろしくお願いします!」

 

 

 そういって、妖精さんは手を差し出した。石壁は、その手を取ると強く握りしめた。

 

 こうして、騎兵隊と戦車隊が石壁の指揮下に加わった。陥落した泊地に、急造の要塞、貧弱な火砲に、時代遅れの兵科達。

 

 正しくもって『寄せ集め部隊』としか言いようのない陣容であった。

 

 だが、石壁という男を中心としたこの寄せ集め部隊が、時代という歯車を回し始めたことを、この時まだだれもしらなかった。

 

 

 

 

 



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第六話 はじめてのゲリラ戦

夜半、草木も眠る丑三つ時に、ショートランド泊地(陥落済み)を見下ろせる崖の上に黒ずくめの一団が屯していた。

 

その中で一番体格の良い男が小さく声を上げる。

 

「再び泊地を取り戻す為に、ソロモンよ!私はかえってきたぁ!!(小声)」

 

闇夜にまぎれて旧鎮守府にやってきた伊能以下あきつ丸、精鋭のまるゆ3名、妖精20名は、現在鎮守府潜入の為に基地の近くに集まっているのだ。なお、このショートランド泊地はソロモン諸島の一つである。となりのブイン基地があるブーゲンビル島はソロモン諸島に入る入らないで論争があるそうだが。

 

「何馬鹿なことを言ってるでありますか」

「いや、なんかやっておかないと行けない気がしてな」

「核バズーカがあれば最初から撃っているでありますよ」

 

伊能の馬鹿な発言とあきつ丸のいつも通りのつっこみに、緊張で張りつめていた一団から肩の力が抜ける。さっきのは緊張をほぐす為の伊能なりのジョークだったらしい。

 

「はっはっは、まあそういうな」

 

そう笑ってから、伊能は真面目な顔に戻って部隊の人員を見渡すと、一言つぶやいた。

 

 

「いくぞ」

 

その一言の後は、全員が気を引き締めてその場を後にした。

 

 

 

***

 

 泊地内部へ侵入した一行は無駄口を一切叩かず、ハンドサインだけで意思疎通を行いながら敵地となった基地内部を駆け抜けていく。既に時間帯は深夜であり、あたりは重苦しい静寂に包まれている。

 

 しばらく進んでいると、明かりが漏れる部屋があった。部屋のサイズは二人部屋、鎮守府が本格稼働した際には艦娘達の部屋となる予定の部屋の一つだ。

 

 伊能とあきつ丸が扉に顔を寄せて室内の気配をさぐると、会話が聞こえてきた。

 

「はあ……もうまじ無理、温泉でも行きたいよぉ……」

「無抵抗でここを落とせただけマシだと思いましょう……」

 

扉の隙間からチラリと内部を伺うと、部屋の中で重巡級の深海棲艦二人が愚痴っているのが確認できた。

 

「でもさぁ、いくらなんでもこき使いすぎでしょう南方様」

「し!誰かに聞かれたら砲撃の的ですわよ!」

「う……」

 

会話だけ聞いていたらブラック鎮守府の艦娘のようだが、室内にいるのは深海棲艦である。

 

「くわばらくわばら……あ、ちょっと失礼して……」

 

どうやら花でもつみにいく気か、ざっくばらんな方のしゃべりの重巡ネ級が部屋からでてくる。

 

伊能は砲撃で崩壊した壁の瓦礫の側にそっとしゃがみこんで廃材に紛れ込む。鎮守府の設備の大半は設営途中であったが故に、宿舎棟の廊下に電気はない。故に闇夜に溶け込む黒装束のお陰で伊能の姿をみつけるのは相当に難しい。よほどそこに何かが居ると確信をもって覗かねば見つけることは出来ないだろう。

 

 当然、既に総員撤退済みの泊地に誰かが居るなんて思ってすら居ない重巡ネ級は、伊能の側を素通りして女子トイレへと進んでいく。

 

 その背後から忍び寄る黒ずくめの男に、彼女は気が付かない。

 

***

 

 女子トイレで用向きをすませた重巡ネ級はトイレの鏡の前にたつ。

 

「ひいおばけっ……!?違う私の顔だ……まっくらだと私達の顔ってマジ怖いよね、超ショック……」

 

 鏡に写った自分の顔に恐れおののくネ級、実際深海棲艦が夜半に暗闇のトイレに立っていたら悲鳴を上げるぐらい怖いだろう。作者は怖い。

 

「ふう、でもこの鎮守府設備悪いよね、もうちょっとどうにかならないのかな、よっぽど悪徳な施工業者にあたったんだよきっと……なにもかも突貫工事の安普請だし……私達の宿泊棟も一部しか電気が来てないし……設備は一部瓦礫になってるし……これはやったの私達だけど」

 

 突貫工事で基地設営をさせられて、電気系の設備を調整するまもなく追い出された明石からすれば、濡れ衣だと激怒しそうな事をつぶやきながら、ネ級は手洗いの蛇口をひねる。

 

 其の直後に、カッタンという物音がきこえてビクリと反応する重巡。

 

「ひっ!?お化け!?……なんだモップか」

 

そちらに目をやると、どうやら掃除用のモップが倒れたらしかった。

 

「あーやだやだ、びっくりしたよ、驚かせないでよ、でもどうして倒れ……」

 

 倒れたモップを片付けようと近づいた瞬間、ネ級は背後から忍び寄ってきた伊能に首を180度回されて事切れた。

 

***

 

「よし、一体確保」

「こちらも殺ったでありますよ」

 

深海棲艦の死体を背負った伊能とあきつ丸が合流する。他にも軽巡級を仕留めたまるゆや妖精達が集まってくる。

 

「これだけいれば上出来だな、よし、皆撤退せよ」

「は!」

 

きた時と同じように、伊能達は闇に紛れて撤退した。

 

***

 

 遡ること一週間ほど前、あの執務室での反撃作戦ぶち上げの直後の一幕だ。

 

「で?その『初めてのゲリラ戦』とやらはどんな作戦なんだ?」

 

伊能がそう石壁に問うと、石壁が答えた。

 

 

「うん、とりあえず旧鎮守府に忍び込んで、油断している深海棲艦を暗殺して新鮮な死体をかっぱらってきてくれ」

「……はっ?」

 

 伊能達の目が点になる。石壁という男から出るには余りに血なまぐさいというか、想像の埒外の単語の羅列がでて一瞬脳が理解を拒んだのだ。

 

「死体はあまり派手に損壊していない方がいい。できるだけ綺麗な状態が好ましいし、後処理の不備で連中にバレたらおしまいだからな……ん?」

 

 突如として猟奇趣味に目覚めたかと錯覚する程の最高にサイコパスな事を言い出した石壁にその場の全員の顔が引きつる。

 

 そこまでいってようやく周りの視線がおかしい事に気がついた石壁に、伊能が問う。

 

「なあ石壁」

「どうした?ていうかなにこの周りの視線の温度の低さ」

「いつの間にネクロフィリアになったんだおまえ」

「は……?……あっ!?ち、違う違う違う!!僕にそんな趣味はない!!目的は連中の艤装だ!ぎ・そ・う!!」

 

 ようやく自身の発言の危うさに気がついたらしい石壁が大慌てで否定しつつ叫ぶ、艤装という単語に、明石がはっとしたように呟いた。

 

「あっ……なるほど、石壁提督はドロップを人為的に起こそうと言うのですね」

「イエスイエスイエス!!これだけで伝わるのは流石明石!!工廠のお姉さん流石!!」

 

 惚れた女性(鳳翔)に危うく死体愛好家の烙印をおされかけた石壁は、救世主の登場に若干おかしなテンションで応じる。

 

「ドロップ艦?」

 

首をかしげる間宮に、明石が説明する。

 

「ああ、補助艦艇の間宮さんはしらないか、時々深海棲艦をぶっ殺すと残骸から艦娘が生まれることがあるの。一説によれば、魔を払う力を持つ艦娘が深海棲艦を『討ち祓う』事で人類への恨みつらみの様な毒素がデトックスされて艦娘になるんじゃないかってのが有力説なのよ」

「へえ、えすてみたいですね」

 

 明石のぶっちゃけすぎた説明と間宮の明後日の方向をむいた感想に空気が弛緩する。

 

「多分石壁提督は、深海棲艦の死体を使って、艦娘を作れないかと考えてるんだと思うけど……」

「そう、そのとおりだよ明石」

 

 石壁はうんうんと頷いてから話に戻る。

 

「この作戦の目的は、敵の深海棲艦を闇夜に紛れて暗殺することで敵戦力を漸減させ、同時にその死体を元に艦娘を呼び出す事でこちらの戦力の拡充していくことにある。どちらかというと比重的には後者よりだ」

 

 現状がどうしようもなく詰みにある原因は、極論すれば「戦力不足」の一言に尽きる。そう、石壁は戦力が致命的に足りない現状を打破すべく、艦娘を増やそうと言うのだ。それも敵の死体から。

 

 味方が足りないなら敵から毟ればいいじゃない!!とでも言わんばかりの最高に蛮族経済じみた戦術である。こいつは素敵だ、最高に楽しくなってきたぞ。

 

「苦肉の策だけど、1から艤装が作れないなら現地調達で艤装を集めるしか無い。敵の戦力を削る。味方はふやす。両方やらなくちゃいけないのがツライところだけど、こうやって手数を増やしておかないとジリ貧になるからね……」

「無茶振りってレベルじゃないな」

「だから死を覚悟してもらうっていったんだ」

 

言葉とは裏腹に、伊能は楽しそうだ。こういう難事の方がやる気が出るあたり実はマゾなのかもしれないと石壁は思った。

 

「一応勝算がないわけじゃない、艦娘の出現まで現代兵器が通じない深海棲艦に対して有効な対抗策が見いだせなかった人類の基本攻撃は接近戦だけだったからね、実際に大勢の深海棲艦が人間に接近戦で倒されているしね、お前も元陸軍憲兵抜刀隊所属だろう?肉弾戦等なら勝ち目はある」

「まぁ、何匹かなら殺ってやれないこともないだろう……わかったやってみよう」

 

 

***

 

 

という過程を経てこの作戦は決行された。泊地制圧成功直後で深海棲艦達も大いに気が緩んでいたらしく、まんまと重巡2隻、軽巡2隻を鹵獲することに成功したのは特筆事項だろう。

 

「まぁ、ざっとこんなものだ」

「正直生きた心地がしなかったであります……痕跡を残さないように仕留めるのが難儀で……」

 

 陸軍出身の連中は基本的に物凄くタフネスだ。第二次世界大戦時代も、海上戦力ならある程度拮抗できたのに対して、陸上戦力は終始装備的には劣勢であった。

 

 よく日本軍のブラックジョークとして、「日本軍最強の戦車は?」という問いに、「敵から鹵獲したシャーマン戦車!」という回答が返ってくるくらい日本軍の装備は基本的に貧弱だ。そんな状況でも最後まで頑強に抵抗できた彼らの心身の強靭さは特筆すべき点だろう。軍事ネタで定期的に語られる日本兵最強論はこのあたりに起因しているといってもいい。

 

 だが、そんな強さがこの絶望的状況ではとても頼りになるのである。

 

「上出来だ。この調子で戦力を鹵獲(拉致)していってくれ」

「任せとけ!」

 

こうして、数日に一度ずつ行われるゲリラ戦によって、ばれない程度に少しずつ戦力拡充が行われたのであった。

 

 

***

 

「僕も話に聞いていただけだけど、本当に、これで艦娘がつくれるのか?」

「はい!もともと艦娘は深海棲艦の遺体からよそ様には言えない人体実験の結果生み出されましたからね!技術の発展した今なら施設は無くても艦娘が作れますよ!!」

 

手術台の様な所に寝かされる首が180度回転したネ級の傍で、ハイテンションの明石にそう説明され、げんなりとした気分になる石壁。ドロップ艦と呼ばれる深海棲艦を撃沈した際に運よく生まれる艦娘を人為的に生み出すだけだと言えばそれまでなのだが、いかんせん絵面的に完全に悪の組織の人体実験場である。

 

「さぁ、準備は整いました!見ていてくださいね!!」

 

そう言って、明石がなんかバリバリと電流が迸る不思議器具を取り出す。

 

「おいちょっとまt」

 

「蘇るのだーーーー!!!この電撃でーーーーーーー!!!!!」

 

バリバリバリバリ!!!っと室内が迸る電光で真っ白になる。

 

「あばっばばばばっばばあかかああかかかっかかっかあししいしいいい!!!!????」

 

余波で感電する石壁、ギャグパートでなかったら即死だった。

 

「うん?出力をまちがったかな?」

 

巻き上がる煙で室内が見えなくなる。その煙が消え去った室内には、白目をむいて倒れる石壁と重巡鈴谷の姿があった。

 

「……まあいいか」

 

よくねぇよ

 

 



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第七話 鈴谷マジ天使

 衝撃のファーストコンタクト(電撃)から数分後、マッドサイエンティスト明石の実験室から外に放り出された石壁と新艦娘の鈴谷は廊下の椅子にこしかけて話し合っている。

 

 鈴谷は最上型重巡洋艦の三番艦、重巡洋艦鈴谷の艦娘である。

 

 鈴谷の見た目は、お嬢様学校のブレザーじみた服をきた長髪の女の子だ。服装のせいもあって年の頃は女子高生位に見える。

 

 特筆事項はその髪色だろう。夏の青空を想起させるような透き通る青色の髪は、思わず見とれてしまいそうになるほど美しい。

 

 が、現在雷撃の余波で服はところどころ焦げているし、髪はほこりまみれで見る影もない。

 

「私は鈴谷だよ、ここは色んな意味でにぎやかな艦隊だね」

「いや、ホントごめんね」

 

ペコペコと頭を下げる石壁に、鈴谷は溜息を吐く。

 

「まさか背後から首を180度回されるなんて死に方するとはおもわなかったよ、艦娘になるときも電撃で黒焦げにされるし……マジどうなってんの?ショッキングピーポーマックスだよ?」

「……記憶ガンガンのこってるのね」

「全部残っている訳じゃないけどねー、でも首大回転は衝撃的すぎて覚えてるよ」

「マジかー……」

「まぁ、提督も黒焦げになって倒れてたし、もういいよ」

 

 手をヒラヒラさせながら笑顔でそういう鈴谷に、石壁の罪悪感が若干軽くなる。

 

「おおう、ホントごめんね?これからよろしく、僕の名前は石壁、この泊地の総司令長官だよ」

「え!?泊地だったのここ!?うそ、どこが!?これじゃペリュリュー島かサイパン島の地下要塞じゃん!?」

「ですよねー」

 

 ちなみに、ペリュリュー、サイパンともに陸軍の要塞陣地があった為、太平洋戦争の陸上戦闘においては屈指の激戦地の一つである。

 

 ヨミガエルダー!!コノデンゲキデー!!!

 トォォ↑オウ↓⁉

 

「あ、熊野だ」

「毎回あれ言わなきゃダメなのか……」

 

背後の臨時工廠から明石と熊野(推定)の声が響く。先ほどの電撃を思い出して二人揃ってげんなりとする。

 

しばしだべっていると、室内から熊野がでてくる。彼女は最上型重巡洋艦四番艦にあたる艦娘である。服装は鈴谷のものと同一のもので、顔の造形や声の質は姉妹艦だけあってよく見聞きすると似ている。

 

しかし、熊野は話し方も髪型もお上品にまとまっており、お嬢様らしいお嬢様といった様な雰囲気がする艦娘であった。

 

「ごほっ、御機嫌よう、重巡、熊野ですわ」

「あははー、熊野も黒焦げじゃん」

 

が、鈴谷と同様に今は見る影もない。まるで没落したお嬢様の様だ。

 

「ひ、ひどい目にあいましたわ……部屋で休んでたらいきなり黒づくめの怪人に首をきゅっとやられてしまいまして……そしてこれ、やってられませんわ……」

 

はぁ、とため息を吐く熊野、どうやらこちらもばっちり記憶が残留しているらしい。

 

「あはは、でもこれで南方棲戦鬼のしごきに耐えて働くひつようないんだよねー」

「それだけは救いですわね」

「どんだけ辛いんだ深海勤務」

「文字通りのブラックだよねー」

「上司の機嫌が悪いと46cm砲弾が飛んでくる様な職場でしたわ」

「パワハラってレベルじゃねーぞそれ」

 

ヨミガエルダー!!コノデンゲキデー!!!

⁉⁉⁉⁉

 

「お、次はだれかなー?」

「そういえば、部屋の隅に軽巡(死体)が三体ころがってましたわね」

「じゃあ軽巡かな」

「やっぱり言うんだあれ」

 

***

 

「川内参上!夜戦(ゲリラ戦)ならまかせておいて!」

 

 一人目は川内、川内型軽巡洋艦三姉妹の長女で、ツインテールの元気な少女だ。年の頃は中学生高学年から高校生ぐらいだろうか。活発な美少女という印象をうける女の子だ。

 

余談だが、初見で彼女の名前を「かわち」ではなく「せんだい」とよめた人はどれだけいるのか個人的に気になるところだ。

 

「あの……神通です……どうかよろしくお願いいたします……」

 

 二人目は神通、川内型の次女だ。おどおどとした雰囲気で、長髪が魅力的な穏やかな女の子である。

 

「艦隊のアイドル!那珂ちゃんだよー!よっろしくー!」

 

 三人目は那珂ちゃん、川内型の三女だ。髪を左右にお団子でまとめた髪型をしており、花の咲くような元気な笑顔が魅力的な女の子だ。次女の神通とは対照的な、キャピキャピ(死語)とした女の子である。

 

「気のせいかな……一人ルビがおかしかったような気がする」

 

閑話休題

 

石壁が鎮守府の現状をかいつまんで話すと、約一名を除いて室内にどんよりとした空気が漂う。

 

「うすうす気が付いてましたけど、この泊地もどきにはエステどころか、コンビニすらないんですわね」

「うわ……正直ひくわ……」

「つまり、夜戦(ゲリラ戦)やりたい放題ってわけね!!うでがなるねー!!」

「ね、ねえさん……」

「あはは、川内姉さん楽しそうだねー」

 

 

バトルジャンキー丸出しの川内といつも元気な那珂ちゃん以外天を仰いでいる。

 

 

「あはは……まあ、口が裂けても快適とは言えないけど、ようこそショートランド泊地へ」

 

 石壁はそういいながら、入口の方へ歩き出す。

 

「じゃあ、設備は少ないけど、要塞を案内するからついてきてくれるかな?」

 

***

 

「まずは今いるこの場所が、この泊地の工廠区画だよ、統括責任者は明石、現在の主な任務は武装の生産だよ」

 

そういいながら、工廠の武装開発室の扉を開く。そこには大勢の妖精さん達がひたすら12cm砲を量産していた。

 

「お、総司令長官殿」

 

石壁の存在に気が付いた工廠妖精がとてとてとこちらによってくる。顔には皺があり、声からも相当年のいったおやっさんといった雰囲気だ。

 

「やあおやっさん、進捗はどう?」

「まあ今のところは予定通りって所だ、急ピッチで増産しているが、なにせ数が数だからなあ、相当時間がかかるぞ」

 

おやっさん妖精はそういいながら、顎をなでる。その時、石壁の背後にいる鈴谷達に目が行く。

 

「お?新入りか?」

「ああ、今日うちに来たんだよ。みんな、こちらの妖精さんはこの武装工廠のリーダーで、工廠全体の副管理者だよ。みんなからはおやっさんっていわれているんだ」

「へっ、そんな大層なもんじゃねえよ、機械いじりが趣味の陰険オヤジさ」

 

 鈴谷達はそんなおやっさんに口々挨拶をする。石壁は顔を合わせたついでに、軽く現状を問う。

 

「新兵器の開発状況は?」

「そっちはもっと駄目だ、なにせゼロから作るんだからなあ、せめて現物でもありゃあ、だいぶ違うんだが……」

 

 おやっさん妖精がそういうと、鈴谷が「新兵器?」と呟いた。

 

「ねえ提督、新兵器ってどういうこと?」

「あー……実はうちの工廠は艦娘が作れないうえに、武装も殆ど作れないんだ……」

「ええー……なにその無理ゲー……」

 

 鈴谷はあまりにも無残な状況に顔が引きつる。

 

「せめて20㎝連装砲くらいは準備したいんだけど……そんな重装砲(*比較対象12cm砲)もっている艦娘うちにはいなくて……」

「鈴谷もってるけど」

「そうだよなー、もってるよなー、そんな都合のいいこと……え?」

「いやだって、鈴谷重巡洋艦だし。よかったら使う?はい」

 

そういって、鈴谷が艤装を展開する。

 

艤装の一部の部分にあるカバーを外すと、武装スロットからカードを抜き出してあっさりと渡してくる。

 

カードのサイズと厚さは板チョコほどで、カードというよりはスマートフォンの様なタブレットに近いかもしれない。

 

この世界の艦娘の武装は、完成するとこの様なカード形態としてあらわれる。艦娘が使う場合、艤装のカードスロットに武装カードを差し込むことでそのカードの力を艤装に充填して使うのだ

 

 また、もう一つの特徴として、持っている人物が念じると、実物大の艦砲の形態にも変更できる。個人で砲弾を装填できる12cm砲の様なものならまだよいが、うっかり戦艦の砲など実体化しようものならその場にいる全員が押しつぶされたり、建物が倒壊しかねないから注意が必要だ。

 

 現在要塞のいたるところに設置されている12cm砲は全て実物大の艦砲を改造して設置している。完全に余談だが、石壁は一度誤って12cm砲を実体化させて押しつぶされた事がある。

 

「そ、そんなにあっさり渡していいのか!?大切な武装だろう!?」

 

 石壁が両手で大切に武装カードをもって鈴谷に問う。艦娘は初期装備の武装に思い入れがあることが多く、提督が相手でもあまり初期装備には触らせてくれない事が多い。粗末に扱った日には艦娘の超パワーでぶっ飛ばされかねない程だ。(逆に全然気にしない連中もいるが)

 

「武装の開発には装備の根本的調査が必要だ!カードから『実体化』させる必要があるんだぞ!?いいのか鈴谷!?」

 

 しかも、武装カードは一度具現化させると『二度とカードには戻らない』という事をしっている石壁にとって、鈴谷の行動は驚きであった。

 

「いいっていいって、気にしないでよ提督、これで皆が助かるなら私の装備も喜んでくれるよきっと」

 

そういってにこやかに笑う鈴谷に、石壁は後光が見えたような気がした。

 

「やだ、めっちゃいい娘だこの娘!天使か」

「ああ、この地獄の泊地に菩薩様があらわれたな!」

 

 石壁とおやっさん妖精が感激していると、それを見ていた妖精さん達がワラワラと集まってきて鈴谷を称えだした、妖精さんも連日連夜のデスマーチで若干精神がおかしくなっていたらしく、先の見えない開発状況に光明が差した喜びもあって、あっという間に工廠は鈴谷コールで埋まってしまった。

 

『す・ず・や!!す・ず・や!!』

 

「ちょ!?や、やめて本気で恥ずかしいから!?」

 

 やってきて数分で工廠のアイドルになってしまった鈴谷に、那珂ちゃんは戦慄に目を見開いていた。

 

「アイドルは那珂ちゃんだもん!!ま、負けないんだから!!」

「まって意味わかんないし!!鈴谷アイドルになった覚えないし!!」

 

 涙目の那珂ちゃんに、顔を赤らめる鈴谷。止まない鈴谷コール。工廠の混乱は収まる気配がない

 

「つ、次いこう提督!!早く早く!!」

「あ、うん、はい」

 

 耐えきれなくなった鈴谷に促され、そそくさと工廠を出ていく一同を、工廠妖精たちは笑顔で見送った。

 

 余談だが、この時鈴谷が20cm連装砲を渡してくれた事で、工廠妖精達はこの砲の事を『鈴谷砲』と呼ぶようになり、工廠の奥で現物は大切に保管されることになる。数十年後、この砲は博物館に寄贈され、工廠の妖精がこっそり作っていた鈴谷の銅像と一緒にこの時渡した連装砲が「鈴谷砲」という名前で展示され、教科書にまで記載される事を、この時まだ誰も知らなかった。

 

 

 

***

 

 




友人の指摘で今回の武装のカード化についての補足説明を活動報告に記載しておりますので
もし気になったり違和感を感じた方がおられたら閲覧してくださいませ。
なお、読まなくても本編には一切影響はございません。


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第八話 温かな泊地

遂にUA(閲覧数)が1000を超えました。これも皆様のおかげです。
これからも精一杯頑張って書きますので、拙作を宜しくお願い致します。


 工廠を出て要塞を歩く一同、天然の洞窟と洞窟をつなぎ、岩盤と岩盤の隙間を縫うことで、短期間で驚くほど延伸を続けている要塞内部は、基本的に酷く入り組んだ構造になっている。地図がないと迷子になりそうだ。実際石壁は一度迷子になっている。

 

「万が一要塞内部に侵入された場合の事も考えて、重要区画は基本的にばらけた配置になっているんだ」

「正しいとは思いますが、使う側にとっては勘弁してほしいですわ」

 

 石壁がそう説明すると、熊野がうんざりしたようにそういった。石壁も苦笑しながら同意する。

 

「まあ、実際情報の伝播や行動の疎外っていうマイナス要素も大きいから、対策は考えないといけないね……よし、次がこの要塞の命綱の一つ、貯水区画だよ」

 

 坑道を抜けると、広い空間に出た。その光景をみた鈴谷が声を上げる。

 

「うわぁ!なにこれ!幻想的だね!!」

 

 そこは、大きな鍾乳石が天井から伸びている洞窟で、高さは数十メートル、広さも数百平方メートルほどの大きな空間であった。

 

「洞窟と洞窟を繋いでいるとね、こういう天然の大きな鍾乳洞に突き当たることがけっこうあるんだ。そして、鍾乳洞には水気がある事がおおい、ほら、あれをみて」

 

 石壁が指をさした先、多くの鍾乳石の根本に防塵と水を濾す為の麻布をはったドラム缶がおいてあり、鍾乳石を伝う湧き水がため置かれている。

 

「ここ以外にも複数の湧き水のある場所が貯水区画として準備されているんだけど、ここが一番見ごたえがあるんだ」

 

 そういいながら、石壁が近くの貯水タンクの蛇口をひねって水をだす。

 

「はい、のんでみて」

 

 水飲み場であるらしいその貯水タンクのそばのコップに、人数分の水を注いで渡す。

 

 おそるおそるといった感じで全員が口をつけてみる。

 

「まあ、意外とおいしいですのね」

「うんおいしいね、水質は少し『固い』かな?」

 

 熊野と鈴谷がそういいながら美味しそうに水をのむ。鉱山や鍾乳洞の湧き水というものは、基本的にミネラル分等の栄養素が多くおいしい事がおおい。

 

「これはちょっと口当たりがきついですね……」

「うーん、那珂ちゃん的には微妙かな……」

「普通に水だね」

 

 神通と那珂が若干顔を顰め、川内が気にせずぐびぐび飲んでいる。こういう湧き水はおいしい半面、硬水であるため口当たりがキツメだ。日本人が飲む水の大半が軟水である事も合わさって、口に合わないひとには少しばかりつらいものがある。

 

 ちなみに、湧き水はしっかり水質調査が行われていない場合が多く、よくわからない水に素人判断で手を出すのは危険だから気を付けた方がいい。どうしても手を出さざるを得ないときは煮沸してから飲むのが無難だ。

 

「はは、そのうちなれるよ。まあ、どうしても合わないなら煮沸した水も用意できないことはないから、後で間宮さんに頼むといいよ。次は間宮さんとこにいこうか」

『間宮!?』

 

 ギョッとしたような顔で石壁をみる全員。

 

「ど、どうしたの?」

「ここ、間宮さんいますの!?嘘でしょう!?」

「あのドケチの大本営がよく派遣したね!?」

 

「え、二人とも大本営の事しってるの?」

「ええ、元々私たちは『艦娘』として轟沈して、深海棲艦になりましたもの」

「正直あの連中は好きになれないねー」

 

 気のいい二人が心底嫌な顔をするほど、大本営にはいい思い出が無いらしかった。

 

「そういえば、よく考えると明石さんも派遣してたね」

「明石さんと間宮さんをセットでこんな地の果てに派遣するなんて、本当に大本営はどうしたのかしら」

 

「ああ、いや、二人とも大本営が派遣したんじゃないよ」

「え?」

 

 そういって、石壁はつづけた。

 

「だって、二人とも僕が『呼び出した』僕の艦娘だし」

 

『……』

 

 暫しの沈黙。全員の目が見開かれる。

 

『えええええええええええええええええええええええ!?』

 

 

 ***

 

 また坑道をグネグネと進むと、今度は大量のかまどが鎮座する区画へとたどり着いた。

 

 大勢の妖精が野菜を切ったりご飯を炊いたり、汁物を煮たりしていてとても慌ただしい。

 

「ここが艦隊の胃袋を守る食の大要塞、大厨房区画、通称『間宮のかまど』だよ」

「あら?提督、どうかしましたか?今日の食事はまだできておりませんが」

「いや、今日は新入りの皆に要塞を紹介していたんだけど……」

 

 ちらりと後ろを振り返ると、信じられないものを見たような顔で石壁と間宮をみつめる元深海棲艦ズが居た。

 

「本当にいましたわ……」

「うっそぉ……本気で大本営は何をかんがえてたの?」

「多分、何も考えてなかったのではないでしょうか」

「うん、そんな気がする」

「那珂ちゃん眩暈がしてきたかも……」

 

「おーい、一体何がそんなに納得いかないんだ?」

 

「いえ……明石と間宮を呼べる様な有望な提督を捨て石にした大本営に呆れ果てていたんですわ」

「え?」

 

 熊野のその発言に、石壁が訝し気な顔をする。

 

「そんな大げさな、明石も間宮も、どこの鎮守府にも数名いるじゃないか」

 

「それは本土だけだよ」

「南方諸島の泊地なんて、泊地全体で明石さんは基本一人か二人、間宮さんはいる方が珍しいもんね」

 

 川内と那珂がそういうと、鈴谷がそれに続いて言った。

 

「明石と間宮は、一人居ればそれだけで鎮守府全体の工廠と食事を賄える『戦略級』の大ゴマなんだよ?戦艦が一隻で戦場を支えられても、一隻で鎮守府は支えられない。でも、明石と間宮にはそれが可能なんだから、その時点でその価値は推して知るべしでしょ。ましてその両方を自前で準備できるんだから、本土と違って物資がよく欠乏する南方諸島の諸鎮守府にとっては喉から手が出るほどほしい逸材だよ、石壁提督は」

 

 第二次世界大戦当時、米軍は明石と間宮こそが日本軍の兵站部門の命綱であるとみていた。実際に最重要破壊目標に設定してこの二隻を叩いている。兵站を支える大ゴマとは、それほどに重要なものなのである。

 

 さて、ここで実際に間宮がどれだけやばい戦略級の存在なのか簡単に説明しよう。

 

 読者諸兄の中には、以前のお話で物資が半年もつというあきつ丸の言葉に違和感を感じた人がいるかもしれないので、簡単に計算してみよう。

 

 

 まず前提条件として、間宮は史実において18000人の兵員を三週間食べさせるだけの物資を供給可能であったという。妖精さん一人あたりを満腹にする為には通常の人間の3分の1程度の食料が必要であるとすると仮定すると、単純計算で間宮一隻は54000人の妖精さんを三週間養うことができるのである。

 

 そして、ショートランド泊地にいる妖精さんの総数は、あきつ丸に搭乗していた陸軍妖精数千名と、鳳翔達に搭乗する海軍妖精を合わせて大体五千名程であるため、54000を5000でわると大体11、三週間21日を11倍すると231日となる。

 

 2 3 1 日 と な る

 

 つまり、間宮はこの泊地を単独で大体七ヶ月半程度支えられるのである。これは凄い。どれぐらい凄いかというと、うっかりそんな劇物を話に組み込んでしまったが故に作者がプロットを書き直すはめになった位だと言えばその凄さがわかるかもしれない。

 

 鎮守府全体の工廠を賄える移動大工廠と、鎮守府全体の食を支える大食堂、そんな存在を揃って運営できる兵站管理のエキスパートになりうる逸材を、大本営は捨て石泊地に私怨で放り込んだのである。鈴谷達の驚愕もさもありなんといったところだ。

 

 物資も人材も潤沢な本土に居たが故に、石壁自身はその価値をあまり把握していなかったが、石壁は中央から離れれば離れるほど値千金の提督に化けるのである。

 

 石壁堅持という男のもっとも非凡な才能は防衛に関するものだが、もっとも反則的な点は個人戦力のみで泊地全体を支えられる明石と間宮の存在だったのだ。仮に二人の内どちらかが居なければ、泊地が陥落した段階で要塞が作れず皆殺しにされるか、食料が足りずに飢え死にするかの二択を迫られていただろう。もしこの状況に放り込まれたのが万能の天才七露だったとしても、バックアップが無くなった段階で嬲り殺しにされるのがオチだ。これはそれだけ大本営が石壁を殺す気満々だったという証左でもある。

 

「そ、そうなの?なんか照れるな」

 

 事の重大さをあまり理解できていない石壁は、照れくさそうに頬をかきながら笑った。熊野はそれを若干あきれたように眺めながら、心の中でつぶやいた。

 

(大本営の腐敗、ここに極まれり、ですわ……以前の私が艦娘として轟沈する前より、もしかして本土の腐敗具合は酷くなっているのではなくて……?)

 

 熊野は、目の前の提督の存在そのものがこの国の前途を暗示しているような気がして寒気がしたのだった。

 

「そういえば、皆以前艦娘だった時の記憶がそんなにいっぱい残っているんだね」

 

 石壁がそういうと、鈴谷は苦笑する。

 

「いやぁ、映像の様に思い出せる当時の『記憶』はもう全然ないんだ。残っているのは……文章を読むように情報だけが思い出せる『知識』ぐらいだよ。これ位は南洋諸島の鎮守府出身なら『基礎知識』だしね、石壁提督の扱いが異常な事位はよーくわかるよ」

 

 鈴谷のその言葉に、一同がうんうんと頷く。実質鈴谷達は艦娘→深海棲艦→艦娘と二回死んで二回蘇ったに等しい。一回死ぬたびに記憶は大きくロストしていくため、前回艦娘だったころの事は殆ど思い出せないのだ。前回の深海棲艦時代の記憶はそれなりに残っているが。

 

「……あ、その……ごめん」

 

 記憶が全然残っていないという事をきいた石壁は、聞いてはいけないことを聞いてしまったかと顔を悲し気にゆがめる。

 

「ああ、大丈夫だよ石壁提督!以前の鎮守府がどこかだったかも、もう全然わかんないんだ。人間の感覚でいうと、『朧気な前世の記憶』ってかんじかなぁ?思い出せなくて悲しいっていうより、覚えていない方が普通の知識がのこってるって感じで、悲しくはないから大丈夫だよ!」 

 

 あたふたと鈴谷が石壁を元気づけようとする。このあたりの感覚の違いは、人間と艦娘の根本的な命の在り方の違い故にどうしても齟齬が生まれてしまうのだ。

 

 空気が微妙になりかけたところで、救いの女神がやってくる。

 

「まあまあ、皆さんそんな暗い顔をせずに、ほら、ちょうどおいしい豚汁が出来ましたよ。一杯いかがですか?」

 

 間宮が寸胴をもって歩いてくる。蓋が開いていないのに、漏れてくる香りは食欲をさそうのに十分すぎる凶器だった。

 

 誰かの胃がぐぅっとなる。

 

「……あはは、そうだね、ちょうど小腹がすいてたんだ、軽く食べていこうか」

「え?ああ、そうですわね」

 

 石壁が朗らかな笑顔をうかべながらそういうと、熊野が応じる。

 

 そのまま大厨房の隅にある食堂へ移動した一同の前に、豚汁と、小鉢にもられたつけもの、少なめの白米の入った茶碗がおかれる。

 

「夕ご飯はまだ先ですので、少しだけですよ」

 

 そういいながらおかれた豚汁の香りは、少し前まで深海棲艦だった彼女たちには殺人的に食欲を誘う香りであった。

 

「「「「「……」」」」」

 

 だれもが目の前の食事にくぎ付けだ。

 

「じゃあいただきます」

 

 石壁がそういって手をあわせると、鈴谷達も手を合わせた。

 

『いただきます』

 

 ***

 

「いやぁ、おいしかったね豚汁」

「ええ、あまりにおいしくて涙が出そうでしたわ」

 

 食堂をでた一行はだれもがホクホクの笑顔であった。うまい飯はささくれた心を癒してくれる最高の薬である。

 

 先程までの大本営への複雑な思いや、微妙な空気は、間宮の飯を前にどこかに飛んで行ってしまったらしい。

 

「石壁提督がこっちこなかったら今頃深海の冷たくてまずい飯を胃に押し込んでいただろうし、左遷してくれた大本営様様だね」

「あはは、喜んでくれたなら何よりだよ」

 

 川内が冗談めかしてそういうと、石壁も苦笑しながら楽しそうに答えたのだった。

 

 ***

 

「さて、後案内しておくべきなのは、お風呂ぐらいかな」

 

『お風呂!』

 

 その場の全員が、『お風呂あるんだ!』という驚きと喜びをこめて声を上げる。要塞のこの有様から、多分ないんだろうな、という諦めの思いを持っていた一堂にとってそれは望外の喜びであった。

 

「あはは、まあ、あんまり期待するとがっかりすると思うから、そんなに期待しないでね?」

 

 ***

 

 さて、以前資源プラントが『龍脈』の様な力が密集する点にできやすいという話をしたことを覚えているだろうか?

 

 龍脈とは、地中を流れる不思議な力の流れで、一説によれば山の尾根沿いに流れているという。

 

 世の高い山の大半は、地球の造山運動によってうまれる。これはプレートとプレートの密接点でおこるものだ。日本列島は多くのプレートの結節点であるがゆえに、山がちで、龍脈が集中し、プラントが多い。そして、火山が多い。

 

 ここまで言えばわかるかもしれないが、この泊地のプラントは龍脈に近い位置にある。つまり、環太平洋造山帯の大地の力が噴き出す点、火山に近い位置にあるのだ。故に少し掘り進めてやれば、大地の力に熱せられた源泉、つまり『温泉』があるのだ。

 

「いやあ、ドラム缶風呂とはいえ、温泉に入れるなんて最高だね」

「深海棲艦だった頃に愚痴っていた夢が叶ってよかったですわね」

 

 鈴谷と熊野が、源泉と水を流し込んでいい具合に調整したドラム缶風呂でくつろいでいる。

 

 この簡易大浴場は、大きな浴槽が一つあるのではなく、複数個のドラム缶の真上に、源泉が流れるパイプと雨水を貯水したパイプが通してある。それぞれのパイプからお湯と水をドラム缶に流し込んで各自でお湯の温度を調整する仕組みとなっている。

 

 少々手間といえば手間だが、こんな僻地の泊地のそのまた山奥の即席要塞でお風呂に入れるだけで望外の贅沢だといえるだろう。

 

「女性陣にはできる限り衛生的であってほしい」「あと僕自身風呂に入りたい」という石壁らしいといえばらしい心遣いと思いにより、作りが簡便なこういう形の大浴場が急いで作られたのである。要塞を作って一週間ほどで既に大浴場が完成しているのはどうなんだろうかと思わないでもないが、要塞の人員は概ね石壁の判断に好意的であった。当然だ、だれだって働いた後に風呂に入れるならその方がいいに決まっている。

 

「……ねえ熊野」

「……どうしましたの鈴谷」

 

 鈴谷が天井をぼうっとみつめながら、となりの熊野に話しかける。

 

「……この要塞の人たち、出会う皆イキイキしてたね。こんなに絶望的な状況なのに」

「……そうですわね」

 

 出会う艦娘や妖精達が、全員生命力に溢れた目をして働いている。

 

 泊地が陥落して、こんな山奥の要塞に逃げ込んだというのに、誰も絶望していないのだ。

 

「なんだろうね、客観的にみればどうしようもないんだけど、でも私も、この泊地なら……ううん、違う」

 

 そういって、鈴谷はにこっと笑う。

 

「あの石壁提督がいれば、何とかなるんじゃないかって、そんな気がするんだ」

「……」

 

 熊野は、鈴谷のそんな言葉に、あの平凡で朴訥としたあの泊地の総司令長官の顔を思い出し、ふっと笑った。

 

「そうですわねぇ、あの平凡で能天気な提督がニコニコしている姿を見ると、なんだかなんとかなりそうな気がしてまいりますわね」

 

 石壁という男は、基本的に平凡な男で、そして極々一般的な価値観をもつ、人に優しい男だ。

 

 そんな人間が頑張っているのをみると、人はつい手を貸したくなるものだ。石壁という男は、自然と誰かに支えてもらえる、そういう人間的な魅力を持っているのだ。

 

 だからこそ、そんな人間が自分たちの為に、決してあきらめずに粉骨砕身して頑張っているのをみた者たちは、石壁が諦めない限り、彼を支えようと自然に立ち上がってくれる。そんな温かで強い姿を見ていると、鈴谷もまたこんな状況でもなんとかなるんじゃないかと、思えてくるのだ。

 

「ここはいい泊地だね、熊野」

「それについては、同意しますわ、鈴谷」

 

 そういって二人もまた、この泊地の人たちと同じ、柔らかで希望に溢れた笑みを浮かべたのだった。

 

 

 

 

 



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第九話 もぐら輸送作戦

 

 

 

「では、今回の定例会議を始めるであります」

 

 

 

あきつ丸がそういって、泊地首脳陣による会議を開始した。メンツはいつも通り、石壁、伊能、鳳翔、あきつ丸、間宮、明石だ。

 

「要塞建築の進捗状況でありますが、当初石壁提督が想定されていた規模までの拡張は致しました。要塞として最低限は機能してくれるでありましょう」

 

要塞に逃げこんでから既に半月程がたち、ようやく要塞がある程度形になってきた。

 

この半月の要塞運営の方針は、『とにかく短期間での最大限の要塞の伸長』であり、その為に元々あった天然の洞穴や、岩盤と岩盤の間の様な通りやすいところをひたすらグネグネと進んで繋げていった結果、要塞の規模自体は半月という時間からみると破格の巨大さまで拡大している。

 

泊地陥落からたった一週間で風呂まで作れたのは、間違いなくこの『通しやすいところを通す』という方針のおかげであった。

 

「ただし、いよいよもって利便性の悪さが顕在化してきたであります」

 

だが、当然ながらこの要塞の作成方針にはデメリットも大きい。

 

「まず第一に、道が入り組みすぎて物資輸送に難がでているであります。弾薬等の物資貯蔵庫を増設したとしても、物資集積所への物資輸送が難儀いたしますし、そこから最前線のトーチカへの輸送も大変であります」

 

直線距離なら100m程であっても、実際はグネグネと道をあっちに行ったりする必要があるため、移動距離自体はその何倍以上になるという事態が多発している。

 

「第二に、要塞の人間ですら全体像をうまく把握できないため、道を間違えたり迷ったりと、人員の移動や情報の伝達に難があるであります」

 

当然、その様な状態では要塞全体を一つの生き物の様に運営することなど不可能だ。伝令兵一人走らせても各地に到着するのが遅れるどころか、道を間違えてそもそも到着できないなんて言う本末転倒な事態が実際に発生している。

 

「何で自分たちの要塞で迷子になってんだおい」と彼らに文句が言えるのは、一切の案内なしで新宿駅を隅から隅まで歩ける様な人間だけだ。要塞の主で要塞の全図を一応把握している石壁でさえ迷子になったことがあるのだから、全員が要塞の内部構造を完璧に理解しろというのは無茶というものだった。

 

「他にも難点はいくつもあるでありますが、対策を講じる必要のある喫緊の課題はこれでありましょう。今日の議題は、この問題の改善についてであります」

 

 そういってあきつ丸が全員のほうをむいた。

 

「何か質問はあるでありますか?」

 

「確認だが、仮にその問題を放置した場合、要塞運営にどういう影響がでるんだ?」

 

伊能がそう問うと、石壁が答える。

 

「僕が答えよう。まず、戦術上の目的がガラリとかわってしまう」

 

そういいながら、おおざっぱな要塞線の地図を指さす。

 

「もし輸送網の整備が間に合わない場合、戦闘が進めば進むほど要塞の各トーチカは弾薬の欠乏等によって確実に戦力を喪失していく、何重にも引いた要塞線が玉ねぎの皮を一枚ずつむいていくように攻略される」

 

石壁が要塞線を外側から一つずつなぞっていく。

 

「そうなるとじり貧だ、最大限持久させてみせるけど、要塞は遅滞戦闘による時間稼ぎ以上の事が出来なくなる。何か月かは耐えられると思うけど……本当に援軍がくるとおもう?」

 

石壁のその言葉に、全員が息を飲む。

 

「でも、要塞線全域にしっかりと輸送網・情報網を通せるなら話はかわる」

 

石壁はそういいながら周囲を見渡す。

 

「僕が守る僕の要塞だ、僕の意思を完璧に伝達して、要塞の各所に物資を全く欠乏させない事が可能なら」

 

石壁が自信をもって言い切る。

 

「敵を撃滅することだって、不可能じゃない」

 

石壁にとって『防衛』とは、自身の唯一絶対の才能であり、誰にも負けないと自負する唯一無二のものだ。

 

その領分の及ぶ戦いなら、己の能力を十全に活かせる環境なら、石壁の能力は正しく天下無双といっても過言ではない。

 

石壁は自身の得意分野に敵を引きずり込んで、ただ守り切るのではなく、敵を撃滅してやるつもりなのだ。

 

誰かがゴクリと生唾を飲み込んだ。そこに居るのがいつもの朗らかで平々凡々とした提督ではない、自信と自負を滾らせた歴戦の名将の様に見えたのだ。石壁のその姿に満足げに伊能は頷いてから次の言葉を投げかけた。

 

「で?具体的にどうするのだ」

「それなんだよな~~~~」

 

プシュウ、と気が抜ける様にいつもの石壁提督に戻る。場の空気が一瞬で緩んだ。伊能はあまりの変わりように苦笑する。

 

「物資輸送の大動脈を要塞内部に張り巡らせれば物資を欠乏させないことは可能だけど。そんな大規模で効率的な輸送網ひいたら一旦要塞に侵入されたが最後、隅々まで簡単に制圧されかねない。深海棲艦の個々の戦闘力は圧倒的だ。いくら歴戦の陸軍妖精達でも、油断は出来ない」

 

そう、利便性と危険性は表裏一体なのだ。要塞としての利便性を上げれば上げるほど、要塞の脆弱性が跳ね上がっていくのである。

 

防衛戦に絶対の自信をもつ石壁とはいえ、それが無敵であるとは微塵も思っていない。崩れる時は崩れるし、負けるときは負ける。

 

だからそんな一か所崩れれば総崩れになるような危険すぎる要塞を作ることはできないのだ。

 

「物資の集積所を前線に近いところに複数個用意するというのはどうですか?」

「その集積所に物資を戦闘中に運ぶのが難しいのです。時間切れまでの日数が伸びるでしょうから無駄ではないと思いますが」

 

鳳翔がそう問うと、間宮が答える。

 

「大動脈ではなく、細かく区切った輸送網を作るのはどうだ?艦艇のダメコンの様に一部区画が落ちても耐えられるようにすれば脆弱性の問題は緩和すると思うが」

「現実的と言えば現実的でありますが、それでは石壁殿の望む『物資の欠乏が絶対におこらない体制』を構築するのは難しいのでは?」

 

伊能とあきつ丸がそう意見をぶつけ合う。

 

「物資の輸送にはトロッコを使う予定なんですが、トロッコを効率的に使うためには、少なくとも行きと帰りの二本の線路を用意する必要があります」

「そんなもの用意したら道が大きくなりすぎて敵に攻め込まれたら抵抗できないよ」

 

明石と石壁が技術視点と防衛視点で問題点をすり合わせる。

 

議論は果てることなく続いた。

 

***

 

数時間後

 

「駄目だ……結局いい考えが浮かばない」

 

石壁が頭を抱える。

 

あきつ丸は案が書き連ねられたホワイトボードを見ながら、現実的な落としどころを口にする。

 

「とりあえず、前線に近い位置にこまめな物資の集積所を作り、そこに物資を運びやすい位置に大きな集積所を作る。大きな物資の集積所へはダメコンの様に細かく区切られた非効率な輸送網で物資を運び込むことで、万が一の際は要塞区画の一部を切り捨てて防衛線を再編する……こんなところでありますかね?」

 

現実的な落としどころとしては確かに正しい、だが、石壁はこの要塞で敵を撃滅できるとは思えなかった。

 

「あーーーもーーー……味方だけ使えて敵は使えない物資の輸送網があればいいのになあ……」

「そんな都合のいいものあるわけがないでありまs「失礼します!」ん?」

 

 その時、ドアがノックされ、元気の良い声が響いた。扉の外に陸軍の妖精さんがいるのだ。

 

「作戦会議中に申し訳ございません。石壁提督が準備してほしいとおっしゃられていた資料をお持ちいたしました!」

「ああ、ご苦労様、入って……ああ、鳳翔さん、妖精さんの為にそこの扉をあけてあげ……」

「失礼いたします!」

 

 そういって、妖精さんが普通に室内に入室してくる。

 

 扉の下部に設置された、暖簾のような物が付いた所謂『猫用の入口』から。

 

「え?」

 

 石壁が一瞬惚ける。

 

「ん?あんなものいつの間に設置したのだ?」

 

 伊能がそう問うと、士官妖精は敬礼をして答える。

 

「はっ!普通の扉の取っ手は我々には少々位置が高すぎるので、なんとかならないかと明石殿に相談したところ、この妖精用通用口を設置していただきました!」

 

「妖精用通用口……?」

 

 石壁が、その単語に反応してぼそりと呟く。

 

「なるほど、確かに妖精さんの体格ならこういう小さな通り道があれば十分ですものね」

 

 鳳翔はそういいながら、マジマジと通用口をみつめる。

 

「大きさ的に費用と工期を抑えられるしね、あれ位ならちょちょいで穴をあけられるもの」

 

 明石はふふん、と胸をはって答える。われながらいい考えだと思っているらしい。

 

「工期の短縮……小さな穴……」

 

 その瞬間、石壁の脳裏に雷鳴が轟いた。

 

「石壁提督……ご希望のトーチカ陣地と各重要区画の位置や距離が確認できる地図をもって……」

「そ!それだああああああああああ!!」

「きゃっ!?」

「うわぁ!?」

 

石壁は、士官妖精がもってきた地図を手に取ると、机の上に広げて、凄まじい勢いで鉛筆の線を書き込んでいく。

 

地図の上のグネグネねじ曲がった通路を半ば無視した直線を書き込み、要塞中心部の物資の集積所から前線の集積所へ、そしてそこから各トーチカへ道を繋げていく。

 

「そうだ、わざわざ敵が通れるサイズにする必要なんてなかったんだ!!必要なサイズは妖精さんが小さめのトロッコを押して通れるサイズだけでいい!!それだけのサイズなら、敵は通れない!!」

 

そういって、即座に効率的な形での輸送ラインを地図に書き込んでいく。

 

「それなら敵に利用されるリスクを無視した効率的な輸送網がひける!しかもサイズが小さいから工期も短縮できる!二本線路を引くなら二本小さなトンネルをほればいい!!物資輸送の問題もこれなら解決できるぞ!!」

 

バアン!!と、書きあげた輸送網の地図に手をたたきつける石壁。

 

「あきつ丸!明石!この暫定図を叩き台に、妖精さん専用輸送道路と、それ専用の小型トロッコを設置するんだ!!鳳翔さん命令書をください!!」

「は、はい!!」

 

鳳翔に手渡された命令書に、さらさらと命令を書き込む石壁。

 

「作戦名は『もぐら輸送作戦』!この輸送網の完成は急務だ!!『全力で取り掛かれ』あきつ丸!」

「は、はい!承知したであります!!明石殿いきましょう!!」

「ええ!!わかったわ!!」

 

 明石とあきつ丸が急いで部屋を出ていく。輸送の問題が何とかなりそうだということで室内にホッとした空気が流れた。そして同時に先ほど勢いで流されたある思いが、その場のいる全員の胸に去来するのであった。

 

 

 

 

(((((相変わらずネーミングセンスが、微妙……)))))

 

 

 

 

 

 

 

 



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第十話 ちょっとコンビニ行ってくる

遂に10話目です。これからもよろしくお願いします。


 もぐら輸送作戦発動から約一週間、連日連夜の突貫工事により輸送網がほぼ出来上がった。

 

 現在石壁達は、要塞心臓部にある大規模物資集積所にきている。ここは物資輸送の根拠地であり、間宮統括の兵站本部にあたる。ここから新設された妖精さん専用輸送網を通して、要塞の各区画の物資輸送の中核になる中規模物資集積地に物資が送られ、そこから再前線の小規模物資集積所へと物資が運ばれるのだ。

 

 心臓部足る大規模集積所から間断なく要塞各地に物資が送られる。これならばどれだけ長期の戦闘になっても間宮の管理する本部の物資が尽きない限りは、物資を要塞中に血液の様に生き渡らせることが『理論上は』可能だ。

 

 

「明石から輸送網が完成したって連絡が入ったから見に来たわけだけど……」

「いったいどこにいるのでしょうか……」

 

 石壁と鳳翔は、明石とあきつ丸に呼び出されたのだが、その呼び出した本人が居ない。

 

「うーん?場所を間違えたのか?大規模集積所ってここだよね?鳳翔さん」

「はい、ここが物資貯蔵の心臓部ですので、ここであっているはずなんですが……」

 

 生真面目なあの二人が人を呼び出しておいてすっぽかすとは思えず、訝し気な顔をする二人。

 

「何かあったのでしょうか」

「うーん、無事だといいんだけど……って、ん?」

 

 その瞬間、ガタガタガタガタと、何かが揺れるような音が集積所に響き始めた。次第にその音は大きくなり、石壁が反響する音の方角を探っていると、集積所の隅にある、トロッコのレールが出ている洞穴が目に入った。

 

「妖精さん専用通用道路から音g「いえええええええええええい!!!」「いやっほーーーでありますううううううう!!!」」

 

 その瞬間、人がギリギリ寝そべって入れる程度の小さな棺桶の様なトロッコが、二つ連結して穴から飛び出してくる。その中には胸の上で腕を交差させた、まるで棺に収まるミイラの様な姿勢の明石とあきつ丸が、収まっている。それも超ハイテンションで。

 

「ていとくううううううう!!!完成しましたよおおおおおおお!!!」

「これがあきつ丸と明石と妖精工兵隊の最高傑作でありますうううううううううう!!!!」

 

 二人とも目の下に物凄く濃いクマを浮かべて、あっちの世界に行っちゃったようなギンギラギンにさりげないラリった目をしている。睡眠不足と過労がミックスされて、精神状態が『最高に廃っ!』て感じになっている。

 

「おせえええええええええ!!!おせえええええええええ!!!」

「穴を掘れ!!!掘れ掘れ掘れえええええええ!!!」

「トンネル掘る!!掘らないと!!トンネルぅあああああ!!!」

「もぐら輸送作戦!!モグラもぐらももぐらあああああああ!!!!!!」

 

 トロッコを押す大勢の妖精さんも皆目が逝ってる。集団暴走状態だ。

 

「あはははははははははは!!!あれぇ!?石壁提督5人ぐらいに増えてないいい!?」

「トロッコは最高でありますなあああ!!!あきつ丸もうトロッコがないと生きていけないでありますうううう!!!」

 

 トロッコは二本の洞窟をU字に線路で繋ぐことでひたすら一方通行にグルグル回り続ける仕組みになっている。猛スピードでレールに従って急旋回したトロッコは、明石とあきつ丸の壊れた様な笑いをBGMに、ドップラー効果を残しながらもう一方の妖精さん専用輸送道路に消えていった。

 

「……」

「……」

 

 後には呆然とする石壁と鳳翔が残される。

 

「鳳翔さん……」

「はい……」

 

 石壁が遠い目をしながら言った。

 

「工兵隊全員に、一週間の休養を出そう」

「そうですね」

 

 後日、工兵隊全員に調書をとったところ、連日連夜の突貫工事による徹夜とオーバーワークで途中から全員記憶が飛んでおり、この時の事を覚えているものは誰一人いなかったという。

 

 石壁は自身の「全力で取り掛かれ」という命令をあまりに忠実に実行しすぎたあきつ丸達に間宮の羊羹を差し入れて詫びて回った。真面目な人間が全力で頑張りすぎるとぶっ壊れるんだな、と、石壁は二人の献身に甘えすぎた事を心から反省したのだった。

 

 だが、二人がキャラごとぶっ壊れるほど頑張って作ったこの輸送網によって、ハード面における要塞の主要機能はほぼ完成したのであった。

 

 

 ***

 

 

 明石とあきつ丸達以下工兵隊全員を寝室に押し込んだ石壁達は、二人を除いた面々を作戦会議室に集めていた。途中なかなかベッドに入ってくれない明石が石壁を2万馬力の艦娘パワーで抱き枕にした為、石壁が死にかける一幕もあったのだが、別にどうということはないので割愛する。

 

「明石達の奮闘もあって、遂に要塞が完成した。無論まだ足りない面はあるが、必要な分はなんとか確保できたといっていいだろう」

 

 そういいながら、石壁が輸送網を書き込んだ地図を指さす。

 

「よってこれからは、要塞のハードよりもソフト面、実際に敵が攻め寄せた際の対応をメインに完成度を上げていく。砲兵隊、輸送隊、指揮所の面々が一つの生き物の様に動けるようになることが肝要だ」

 

 そういいながら、図上演習に用いる駒を、要塞の中と外に置いていく。

 

「想定される戦局は、深海棲艦による圧倒的波状攻撃、これを要塞一丸となって叩き返す必要がある」

 

 石壁は一同を見回す。

 

「これより要塞を本格的に稼働させ、要塞の総員でもって防衛の大規模訓練を行う。砲兵隊も実弾こそ発射しないものの、実弾と同重量の模擬弾をひたすら装填して排莢するを繰り返してもらう。当然、輸送隊は排莢された弾頭は使用されたものとして、実戦と同様にこれを補給する。弾丸だけじゃないぞ、食事や水分等の補給物資、交代人員、金属疲労による砲身交換……おおよそ想定される全てを実際に行う」

 

 石壁が図上演習図を指さす。

 

「伊能は深海棲艦側の駒を操作して、想うがままにひたすら要塞を攻めてくれ、図上演習の結果がそのまま訓練に反映され、それに対する対応を要塞全体でとる事になる。当然対応に失敗すれば抵抗は失敗、図上演習は一方的な敗北になるだろう。実戦なら皆殺しにされる」

 

 ゴクリと誰かが息を飲んだ。

 

「明石とあきつ丸が突貫工事で稼いでくれた貴重な時間だ、無駄にはしたくない!!やるぞおおおおお!!」

 

『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!』

 

 

 

 

 ***

 

 

 ~演習1回目~

 

 

「提督!8番砲台物資欠乏!」

「提督!13番砲台で負傷兵!」

「提督!14〜16砲台連絡途絶!」

 

「トーチカの7割機能停止、敗北条件を満たしたので演習を停止します」

 

 ~4回目~

 

「提督!要塞線内部に敵侵入!」

「物資貯蔵庫爆発!重要区画5つ喪失!」

「提督!工廠が落とされました!」

 

 ~10回目~

 

「ていとくううううううう!!伊能提督の攻撃とめられませんんんんんんん!!」

「泣き言を言うな!!おい情報届かないぞどうなってる!!」

「輸送網断絶で情報が届きません!!」

 

 ~17回目~

 

「物資が目的地に届いてないぞどうなってる!?」

「トロッコの車軸がへし折れて脱線!!トンネル内部がふんずまりになって物が運べません!」

「ファック!!」

 

 ~38回目~

 

「だれだ伊能提督に無尽蔵の戦力なんか持たせた奴は!?」

「知るかバカ!!おい次の物資輸送先どこだよおい!!」

「衛生兵きてくれーーー!!!」

 

 ~67回目……

 

 

 

 ***

 

 

 

 ~7日後~

 

 

「だああああああああああ!!!!なんでだめなんじゃああああ!!!???」

 

 繰り返せど繰り返せど上手く行かない演習、あまりの惨敗ぶりについに石壁が発狂する。

 

 石壁の防衛戦術と指揮は完璧だ、通常の図上演習ならここまで惨敗などするわけがない。

 

 だが、今回の演習は要塞全体の指揮まで含まれている。いくら石壁が完璧な指揮をとってもどうしてもタイムラグが発生する、それを見逃すほど伊能は甘くはない。

 

 伊能は一つの隙に100の戦力を突っ込んで、あっというまにその隙を致命的なレベルまでこじあけてしまう。石壁の指揮が及びにくい脇から崩れ始めて最後には押しつぶされてしまうのだ。

 

 その事を痛いほど自覚している周りのスタッフは自分たちの能力の及ばなさに気まずげだ。

 

「……少し休憩にしましょうか、提督、お茶でものみましょう」

 

 鳳翔さんの気配りで一旦休憩に入る。ここ最近、自身の防衛に関する能力を常に限界まで酷使してきた石壁は、かなり疲労の色が濃い。

 

「どうしてだめなんだ……戦力的にはなんとかなるはずなのに……途中から手が回らなくなって指揮がパンクしてしまう……」

 

 ブツブツいいながらソファーに腰掛ける石壁。その石壁の肩を、鳳翔がやさしく揉んであげる。

 

「あ……鳳翔さん」

「提督、肩の力を抜いてください。それでは出来ることも出来なくなりますよ」

 

 そういいながら、やさしく微笑む鳳翔。その言葉を聞いて、石壁の肩から力がぬける。

 

「……その、ありがとう」

「いいえ、これくらい気にしないでください」

 

 鳳翔のお陰で思考がクールダウンしたところに、間宮がやってきた。

 

 

「提督、今までの演習の分析データをお持ちしました」

「ああ、ありがとう……せっかくだから間宮さんも休んでいってよ」

「では、そうしますね」

 

 間宮が向かいのソファーに座る。石壁は持ってきてもらった演習の分析データを眺めながら間宮に問う。

 

「間宮さん、なんで上手く行かないんだと思う?」

「……そうですね」

 

 石壁の問に、間宮が応える。

 

「やはり、提督に負担がかかりすぎているのではないでしょうか……」

「う~ん、でも指揮するためには情報を僕に集めないといけないし……」

「でもそれに圧殺されては本末転倒ですよ」

「そうなんだよなぁ……」

 

 他の問題点にも話は移る。

 

「あと、大体崩れ始める原因が、物資の欠乏や人員の交代なんだよね」

「ええ、その間トーチカは戦力として機能しませんから、その穴を突かれて総崩れになるパターンが多いですね。」

「でも、最初から全ての拠点に予備物資や人員を用意するとなるとさらに補給が複雑化するし……」

 

「「う~ん……」」

 

 考えが煮詰まってきたとろこに、鳳翔がお茶をもってやってくる。

 

「どうぞ」

「ああ、ありがとうございます、丁度喉が乾いてきてたんです」

 

 間宮がお礼を言いながらお茶を受け取る。

 

「でも鳳翔さんっていつも欲しいって思った時にお茶とか持ってきてくれますね、何かコツでも?」

「ふふ……大したことではありませんよ。側で見ていると欲しいものがなんとなくわかるものですから」

「私も鳳翔さんの様にもっと気配り上手になりたいですね」

「私としては間宮さんが大勢の料理を作るのはすごいと思いますけどね」

「それこそなれれば簡単ですよ。一点ものの料亭じゃないですから、具材を切る人、鍋に火をかける人、煮込む時間を図る人とか、単純作業に落とし込んで流れ作業にしてしまえば、調整が必要なところ以外は自動化できますしね」

 

 間宮と鳳翔の会話を聞いていて、石壁は何かが脳髄を駆け巡る。

 

(欲しい時に、欲しい物……単純作業に落とし込む……流れ作業化……必要なところ以外自動に……?)

 

 その瞬間、石壁の脳内を稲妻が走り抜ける。

 

「そうだ、コンビニだ!!!!」

「きゃあっ!?」

「て、提督!?」

 

 ガタンっと石壁が立ち上がる。

 

「ありがとう鳳翔さん!!やっぱりあなた最高だ!!結婚してください!!」

「え!?ちょ、提督!?落ち着いてください!!」

 

 興奮の余り後半で本音が口から飛び出したことにすら石壁は気づいていない。

 

 両の手で鳳翔の手をガシリと握りしめ真っ直ぐにそう言われて鳳翔は顔を赤くしてうつむいてしまう。

 

 流れについていけない間宮はポカンとした顔でお茶の入った湯のみをもっている。

 

「こうしちゃいられない!!ちょっとコンビニ行ってくる!!」

「提督!?お気を確かに!!コンビニは本土にしかありませんよ!?」

 

 お茶飲んでる場合じゃねぇ!!と言わんばかりに部屋から駆け出そうとする石壁と、それを追う鳳翔。後には呆然とする間宮だけが残された。

 

「……ズズー」

 

 ゆっくりと手の中のお茶を飲む。

 

「ふう、美味しい」

 

 間宮は考えることを止めた。

 

 




BGMにグルメレースを聞きながら書いていたら明石達が大変なことに


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第十一話 石壁と鳳翔

 泊地陥落から1ヶ月と一週間程が過ぎた頃、要塞の戦闘指揮所にて。妖精さん達の声が響く。

 

 

「伊能提督指揮下の深海棲艦、想定残存兵力が2割をきりました」

「要塞線のうち、戦場に想定されている主要防衛線の機能の6割いまだ健在」

「重要区画は一つもおちていません」

 

「勝利条件をみたしました……この演習、要塞側の勝利です!!!」

 

 参謀妖精がそう叫んだ瞬間、要塞中に歓声が轟いた

 

「いやったあああああああああああああああ!!」

「勝ったぞおおおおおおお!」

「俺たちはあの伊能提督のイノシシ雪崩を打ち破ったんだああああ!!」

 

 戦時想定要塞防衛大規模演習作戦、正式名称「いたちごっこ作戦」(命名石壁)が始まってから既に二週間が立っている、最初の一週間は伊能に徹底的にボコボコにされた要塞の一同であったが、その経験値は着実に蓄積されていた。

 

 まず要塞全体が相当タフネスになっていた。何度まけても、つぶされても、押し込まれても、心が折れなくなった。そして休憩を挟みながらとはいえ、連日連夜の演習作戦は要塞にいる者全員の精神をロードローラーで押し固めるが如く強く強靭なものへと変えていった。もともと強靭無比な精神力をもつ陸軍の猛者達だったが、この一週間でさらに磨きがかっている。

 

 そして、伊能という攻撃に関しては天才的な才覚をもつ生粋のイノシシ野郎の猛攻を防ぐのは、石壁の指揮をもってしても並大抵の苦労ではない。『攻撃』という一点のみに特化した伊能の才覚は、石壁の防衛の才と同じく天下無双のモノである。それを受け流し続けるのだ、難易度的にも内容的にも、史上最も濃い防衛演習になったと言っても過言ではない。

 

 何度も要塞の奥まで攻め込まれ、何度も重要区画を喪失し、何度も敗北した。

 

 だが、その経験から得られる戦訓は、この地獄の泊地にとって値千金のものとなったのだ。

 

 それからの一週間は、石壁提督が防衛作戦に組み込んだ『秘策』の効果もあって、抵抗時間がじわりじわりと増大し、今まで積んできた『敗北の経験』から生み出される戦術のブラッシュアップと合わさり、要塞防衛戦術を完成させるための一週間となった。

 

 また、実際に運営してみて見えてきた要塞そのものの構造的欠陥や問題点もまた、休暇が終わってあっちの世界から復帰した工兵隊の活躍もあって順次改善され、要塞全体の完成度は日増しに高まってきたのだ。

 

 そして今日、埋めても埋めても空く穴をひたすら埋めつづける、まさしく終わらない悪夢(いたちごっこ)の様なこの地獄の2週間が、ついに終わったのだ。

 

「皆お疲れ様!!今日は演習の成功を祝して宴会だ!!皆でご馳走を食べよう!!間宮さん今日は奮発してくれ!!」

「はい!!お任せください!!」

 

 石壁のその言葉に、全員が大いに沸いた。

 

 ***

 

 それから、演習作戦の成功を祝した宴会が行われた。要塞の皆が互いの健闘を称えあい、間宮のうまい飯に舌鼓をうった。長く苦しい戦いを乗り越えて一層強くなった絆を確かめ合うように、皆が楽しそうに笑いあっている。

 

「ついにここまできたなあ」

「ああ!あの頼りなかった要塞が、見違えるほどりっぱになったもんだ!」

「こんな仕事に携われたんだ、工兵隊の誉さ」

 

 工兵隊の妖精達がそういいながら酒を飲む。

 

「20cm連装砲の開発に成功したんですって?」

「おう、量産までは行ってないがな、鈴谷の嬢ちゃんのお陰だ」

「いいですねぇ、私も開発にもっと取り組みたいです」

「まあ、アンタは仕事も多いからなぁ、機械いじりに集中できないよな」

 

 明石と工廠のおやっさんが工廠トークに花をさかせる。

 

「12cm砲しかないって言うと頼りないが、120mm砲が大量にあるって考えると心強いな」

「米軍と戦った時もこれぐらい火砲と物資が潤沢ならよかったのになあ」

「石壁提督が70年前にも居たらよかったのにな」

「違いない」

 

 陸軍の砲兵隊がそういいながら砲術について語らっている。

 

「ねえ熊野、少しづつ艦娘も増えてきたね」

「ええ、少しづつ……少しづつ前に進んで来ましたわね……」

「いよいよ決戦の日も近いのかな」

「そうですわね、石壁提督と、私達の初陣も近いですわきっと」

 

 鈴谷と熊野がそう語り合っている。

 

「……」

 

 石壁は、付き合い程度に酒を口に含みながら、その光景を脳裏に焼き付けるように、周りの皆に視線をむけていた。

 

 明るくて、楽しくて、温かい泊地の皆の会話を、胸に刻み込んでいた。

 

「……」

 

 ふと、そんな中で石壁が暫し無言になり、席を立った、既に宴会は石壁が居ようが居まいが関係のない域に突入しており、それを見とがめたものはいなかった。

 

「あら……?提督……?」

 

 鳳翔を除いて。

 

(なんでしょうか……?提督、なにか思いつめていたような……?)

 

 石壁の雰囲気に変わったものを感じた鳳翔は、そっと席をたった。

 

 ***

 

 良くはないだろうと思われたが、鳳翔はなにか気になって石壁の後をつけた。

 

 既に刻限は夜半であり、要塞の一部の区画は節電の為に最低限の電気しかついていないため薄暗い。

 

 石壁はどんどん人気のない方に進んでいき、まだ使う者のいない宿泊区画のとある奥まった空間で、一人ぼうっと佇んでいた。

 

「提督……?」

 

 鳳翔は、要塞の人気のない一角にたたずむ石壁に近寄り、そう声をかけた。石壁の肩がピクリと震えた。

 

「申し訳ありません、ご気分が悪そうでしたので、心配でついてきてしまいました。お体の調子でも悪いのですか?一体どうされたのですか……」

 

 鳳翔がそういいながら、石壁に近寄った瞬間……

 

「……!!」

「きゃっ!?」

 

 突如として石壁が振り向き、鳳翔を抱きしめた。正面から、全力で。

 

「て、提督いきなりなにを……!?こ、心の準備が……!?」

 

 人前で手を握るのも恥ずかしがる程初心で純で度胸のない石壁の突然の抱擁に、鳳翔が動揺する。

 

 だが、鳳翔を抱きしめたまま、石壁は動かない。いや、実際には動いている。小刻みに、震えている。

 

「……提督?」

 

 その事に気づいた鳳翔が、石壁を労わる様にもう一度そう呼ぶと、石壁は消え去りそうな声で鳳翔に言った。

 

「怖いんだ……」

 

 石壁はそういうと、さらに強く、鳳翔を抱きしめる。

 

「僕は怖いんだ……死ぬことが……傷つくことが……あの、深海の魑魅魍魎達が……怖くて怖くて仕方ないんだ……我武者羅にここまでやってきたけど、ふと気を抜くと……怖くて体が震えそうになるんだ……」

 

 石壁という男は、良くも悪くも普通の男だ。死ぬことが怖い、殺すことが怖い、怪我をすることも、させることも、怖い。それは誰しも当たり前にもつ、普通の感覚で、普通の恐怖だった。

 

「……でも、一番怖いのはそれじゃないんだ」

 

 体の震えが強くなる。

 

「僕は、この泊地の仲間達を失うのが、一番怖い……」

 

 それは、石壁の本音。今まで胸の内に秘めてだれにも見せてこなかった弱さだった。

 

「僕は泊地の総司令長官だから、皆の行く末は、僕にかかっている。僕のちっぽけな肩には、五千名にもなる泊地の皆の命が乗っているんだ……」

 

 総司令長官である自身の指示が一つ狂えば、それだけで全てが失われかねないのだ。その重圧は、想像してあまりある。

 

「重い……重すぎるよ鳳翔さん……心が、潰れてしまいそうだ……あの気のいい妖精の皆も、新しく艦娘になった皆も……伊能も、あきつ丸も、まるゆも、間宮も、明石も……そして鳳翔さんも……」

 

 鳳翔の肩に、滴がおちる。

 

「僕が失敗すれば、皆死ぬんだ」

 

 それは石壁を常に追い詰める重責。石壁堅持という、まだ成人すらしていない平凡な青年が背負うには、あまりに重すぎる現実だった。

 

 だが、それから逃げる事を、運命が許してくれない。石壁が望むと望まざるとにかかわらず、石壁にしか現状を打破する能力が無いのだ。それから逃げ出すことはすなわち、その肩にのる全ての命が失われる事と同義であるから。

 

「皆を助けたい、皆を守りたい、皆を死なせたくない……でも、僕の仕事は、その為に皆を死地に送る事だ……なんで……どうして……そんな辛い事を、しなくちゃならないんだ……」

 

 仲間という命を助けるために、敵という命を殺す。仲間を死なせないために、仲間を戦場という死地に送る。指揮官という仕事は、目的と行動に常に矛盾を孕んでいる。指揮官ならその矛盾を飲み込めと石壁にいうのは簡単だ。だが、石壁はそんな芸当を苦も無くできる人間ではないのだ。

 

「逃げ出したいけど……逃げたくない……死にたくないけど……殺したくない……皆の事が大好きで……皆の期待が、大嫌いだ……」

 

 そのどれもが、石壁にとっては本音であった。石壁という男はやさしい男だ。いつも必死に、仲間の為に頑張る男だ。だからこそ、誰も彼もが石壁に光を見る。誰も彼もが、石壁に己の命を預ける。誰も彼もが……石壁を苦しめる。

 

 石壁の能力と人望は、英雄とよばれる人種へと日増しに近づいている。生き残るためにはそうならざるを得ない。石壁は天運をつかむ事ができる人間なのだ。

 

 だが、それが本人にとって本当の意味で幸せな事だとは、口がさけてもいえなかった。天運をつかみ乱世を駆け抜ける英雄の才能など、やさしい凡人には重過ぎるのだ。

 

 それでも、石壁は歩みを止めない、止められない、止めようとは、思えないのだ。

 

 石壁は、仲間を愛する、やさしい男だから。

 

「皆で生きて……また本土に……」

 

 そこまで言って、がくりと頭がおちる。日頃の激務と演習の疲れが出て眠ってしまったらしい。

 

 鳳翔は近くの空き部屋に石壁を抱きしめたままつれていくと、自身の膝を枕にして、石壁を寝かせた。

 

 鳳翔はじっと提督を見つめる。彼女の膝に頭を乗せる石壁の顔には、涙の跡があった。仄かに赤らむその顔から、酔っている事がわかる。

 

 酒によって胸の内に収めてきたモノがあふれだしそうになった石壁は、誰にも見せられない思いを隠すために、こんな所に逃げてきたのだ。

 

 たった一人で。

 

「……」

 

 鳳翔は、石壁の頭にそっと手を置いて、やさしく撫でる。

 

 石壁は元々、闊達でも人の前に立つのが好きでもない、唯の青年だ。

 

 だが、石壁の運命は大きく狂い、この泊地の総司令長官として鉄火場へと放り込まれた。身の丈に余る地位とそれに伴う重責は、石壁の精神を確実に蝕んでいる。が、幸か不幸か石壁はその地位を全うする能力があった。

 

 地位が人を作る、艱難辛苦玉を磨くとはよく言ったもので、石壁に与えられた地位とそれに伴う困難は石壁という人物の有り様を何段階もすっとばして成長させている。彼は今、英雄と呼ばれる人種への階段を突き進んでいるのだ。

 

 しかし、それでも石壁は石壁だ。彼は本来もっとこじんまりと収まるのが一番幸せな人間である。彼を最も長く側で見つめ、支えてきた鳳翔はその事をよくしっている。

 

 鳳翔はもっと彼を休ませて、出来ることならここを逃げ出して遠くへ連れて行ってあげたいとすら思っていた。しかし、それをやるには石壁の背負うものはいささか多過ぎる。仮に石壁がその全てを捨てて逃げる事を良しと出来るほど器用な男ならば、今頃石壁はこんな所に居ないだろう。

 

「本当に、不器用な人」

 

 石壁の頭を撫でる鳳翔は苦笑を浮かべているが、その瞳は、慈愛に満ちている。

 

 鳳翔は石壁の不器用さを憐れみながらも、その不器用さを愛していた。この世に召喚されて以降、ずっと伴にあった石壁という男の在り方を愛していたのだ。

 

 臆病で、自信がなくて、凡庸な弱い人、でも心根は善良で、なんだかんだ言っても友人を見捨てられない、甘くて、強い人。

 

 その身に余る重責に耐え、全身全霊を振り絞り、皆のために闘う石壁を見ていると、鳳翔はそっと寄り添って彼を支えたくなるのだ。

 

 彼に向かう危機を退けてあげたい。彼が躓いたなら側で支えてあげたい。彼が疲れ切ったなら、こうして休ませてあげたい。そして……

 

 鳳翔は、その続きを、心の中で呟く。

 

 いよいよその時がくれば、彼の為に死のう、と。

 

 鳳翔は艦娘、それも誇り高き大日本帝国海軍の初代一航戦、元より戦死は覚悟の上だ。それでも誰かのために死ぬのなら、国の為でもなく、顔も知らぬ人々の為でもなく、今自分に全てを預けてくれるこの人の為に、この人より先に死のうと、鳳翔は決めていた。そう決めるに足る程には、鳳翔は彼の事を愛していると言えるだろう。

 

 それは、ただ単に男女の愛からくる単純な想いではない。上官と部下の関係、共に闘う戦友の関係、艦娘と提督の関係……そういった諸々の命を掛けるに足る程の関係の積み重ねの上に醸成された、鳳翔と石壁の絆そのものからくる思いだ。

 

 愛や献身などと、一言で片付ける事は出来ないのだ。

 

「貴方は、私が護りますから」

 

 鳳翔のその言葉を聞くのは、この世でただ一人だけだ。

 

 

 

 



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第十二話 ワレアオバ

UA2000、お気に入り50、感想がついて評価ゲージ色が付く。盆と正月が一緒に来たような嬉しさです!
これも読んでくださった皆さんのお陰です!これからも拙作をよろしくお願いいたします!


(なんだろうか……とても……温かくて……おちつく……)

 

 夢と現実の間を揺蕩う石壁は、その現実離れした心地よさに、至福の時を過ごしていた。

 

(温かくて……やわっこくて……なんかいい匂いがする……)

 

 自身を包み込む温かな何かに、石壁は遠い昔に失った母に抱きしめられているような安心感を抱く。

 

 深海棲艦との戦争で戦火に消えた故郷、既に死んでしまった父母との温かな記憶を思い出す。夢の中で記憶が混濁し、目の前に母が居る様に見えてくる。石壁はあまりのなつかしさに、思わず呟いた。

 

「かあ……さん……?」

 

「ふふ、違いますよ提督」

「え?」

 

 意識が急速に覚醒する。混濁する記憶が母の様に見せた女性が、いつもの見知った想い人、鳳翔のモノになる。

 

「おはようございます、よく眠れたようですね、提督」

 

 にこりと微笑む鳳翔。石壁は、仄かに思いをよせる女性に、寝ぼけて「母さん」なんて呼んでしまったのだ。その事に理解が及んだ瞬間、脳みそが沸騰した。

 

「きゃああああああああ!?」

 

 宴会の翌朝、鳳翔に抱きしめられて目が覚めた石壁は、あまりの衝撃に生娘の様な悲鳴をあげた。というかお前が叫ぶんかい。

 

「なんで!?どおして鳳翔さんが僕のベッドにっていたぁあああ!?」

 

 石壁が混乱とともに声を上げた瞬間、頭に鈍痛が走る。完全な二日酔いだ。石壁は酒にあまり強くないらしい。

 

「あ、頭がいたい……ていうか、ここいつもの部屋じゃないし……どこだここ、なんで鳳翔さんと一緒に寝てんの……?」

「昨日の事を覚えておられないのですか?」

「き、昨日の事?」

 

 石壁が痛む頭を回して昨日の記憶を呼び出そうとするが、宴会が始まって乾杯に何度か付き合ったあたりから記憶が無い。

 

「うう……お、思い出せない……何をやったんだ僕は……どんな流れなら鳳翔さんと同衾する流れになるんだ……」

 

 頭を抱える石壁。酒、同衾、朝チュンという数え役満的状況証拠から、もしかするともしかして酔いに任せて『やっちゃった』のかと顔面を蒼白にする。

 

「ああ、覚えておられないのですね、提督」

 

 鳳翔は石壁の反応に苦笑した。鳳翔の胸の内に、昨日のあの独白の記憶が無いという事にほっとする感情と、残念に思う感情が混在する。

 

 昨日の石壁の独白は、酒に押されて溢れ出しただけで、本人にとっては誰にも明かすつもりなんてない思いだ。それを酔いに任せて打ち明けてしまったと知ったら、石壁は恥ずかしさのあまり首をつりかねないだろう。だから、そのことにまず安堵した。

 

 そしてそれと同時に、酔いに任せてとはいえ自分にだけその思いを打ち明けてくれたのに、その秘密を二人で共有できないという点に、鳳翔の女心が不平不満を訴えてくる。

 

「い……いったい何をしたんでしょうか……?」

 

 顔を蒼白にさせる石壁に、鳳翔は正直に話そうとして、一瞬踏みとどまる。

 

 女心におされて、いたずら心が湧いてくるのを感じた。

 

「心配なさらないで下さい、石壁提督が心配されているような内容について『は』一切なにもありませんでしたよ、ええ」

「『は』!?ほ、他に何があったっていうんですか鳳翔さん!?」

 

 敢えて含みを持たせたような言い方をして石壁を焦らせた鳳翔は、その反応を楽しんだあとに、そっと石壁の耳元に顔を近づけるとささやくように呟いた。

 

「ひ・み・つ……です」

 

 顔を耳元から遠ざけた鳳翔は、口元に人差し指をあてて悪戯っぽく笑い、部屋を出ていった。

 

「……反則だろ」

 

 石壁は、あまりの破壊力の高さに、顔を真っ赤にして座り込む。鳳翔に囁かれただけで腰がくだけて立てなくなったのだ。

 

 ***

 

「……」

 

 部屋を出た鳳翔は、すぐ傍の壁にもたれかかって顔に両手をあてる。

 

「……やりすぎました」

 

 自分の行いがあまりに恥ずかしい事に気が付いた鳳翔は、顔を真っ赤にしてしばし動けなかった。

 

 石壁も鳳翔も、なんだかんだで男女関係には初心な似た者同士であった。

 

 ***

 

 鳳翔の会心の一撃をうけて魂が抜けていた石壁は、しばらくして部屋をでた。そのまま今日の仕事の為に歩きだしたのだが、そこでふと呟いた。

 

「……なんだろうか、いつもより気分がいい」

 

 いつもより心なしか胸の内がスッとしたような爽快感があった。覚えていないとはいえ、抱え続けた思いをぶちまけたのだからそりゃスッキリするだろう。

 

 また、鳳翔に抱きしめられて寝たお陰で安眠&快眠できたのも大きいだろう。心身共にすっきりした石壁の歩みはいつもの2割増しで軽やかだ。

 

「提督おはようございます!」

 

 そんな石壁の背中に、声がかかる。振り返った先には、紫がかった髪を後ろでまとめた、カメラを構えた女性が立っていた。

 

「どうも!恐縮です!青葉です!」

 

 彼女の名は青葉、青葉型重巡洋艦のネームシップで、日本で3番目に就役した重巡洋艦だ。古鷹、加古の型式を改良した改古鷹型であり、彼女たちとは殆ど姉妹といっても差し支えないかもしれない。

 

 彼女の一番の特徴は、胸元のカメラからわかるように、『新聞記者』の様なその人格だ。軍艦時代に従軍記者が同乗していたことが影響しているらしいが、その従軍記者は艦娘の人格に影響を与えたのだから余程強烈な人間だったのではないだろうかと石壁は初めて彼女に会った時に思った。

 

 彼女はつい数日前のゲリラ戦で要塞にやってきた艦娘である。石壁はそのころ忙しかったこともあって、あまり長く接することができていなかったが、その記憶にのこるキャラは、石壁の印象に強く残っていた。

 

「ああ、青葉おはよう。どうだい?先日きたばかりだけど、この泊地の生活にはなれたかい?」

「はい!皆さん大変よくしてくれますので、青葉感激しちゃいました!とってもいいところですねここは!」

 

 ニコニコしながら楽しそうにそういう青葉に、石壁もつられて笑顔になる。

 

「それはよかった。そういってもらえると嬉しいよ」

 

 その笑顔を見た瞬間、青葉は流れるような動きでさっとカメラを構えた。

 

「お、いい笑顔、いただきです!」

「ちょ!?」

 

 パシャリと一枚笑顔を取られる石壁、そのあとの焦った様な顔もついでに一枚いただく。

 

「えへへ、青葉、提督のそういう顔好きですよ」

「あのなあ……頼むから悪用はしないでくれよ……」

「わかってますよ」

 

 楽しそうにニコニコしている青葉を見ていると、石壁はしょうがない奴だなぁとつい許してしまいがちだ。なんだか憎めない奴だと石壁は思っていた。

 

「ところで提督、青葉気付いちゃったんですが」

「どうした?」

「この泊地、情報分析部門がないんですね……これはいけません、いけませんよ提督」

 

 そういいながら、青葉が提案書を差し出してくる。

 

「情報収集・情報分析・情報発信が揃ってようやく情報は真の力を発揮します。敵を知り、己をしれば百戦危うからず、ですよ提督!」

 

 提案書には、青葉自身を統括責任者とする、ショートランド泊地情報局設置に関する提案が書かれていた。

 

 主な任務は偵察などを基本とする情報収集と、その分析、また必要に応じた情報の発信までを含む、情報を一元管理する新たな部署の案が記載されている。

 

「これは……」

「情報の収集と分析は、専門部署をもうけてしっかりやらないといけません!青葉にやらせてください!絶対に後悔はさせませんから!」

 

 そう言って、青葉が頭を下げてくる。青葉のその真摯な姿に、石壁は驚いて頭を上げさせた。

 

「ちょ、わかった、わかったから!情報局の設置を認めるから頭を上げてくれ!」

「いいんですね!?ありがとうございます石壁提督!ささ、こちらの部分に記名と拇印を!」

「あ、ああこれでいいのか?」

 

 そういって青葉は素早く紙とペンと朱肉を差し出す。石壁は思わず名前をかいて拇印をおしてしまった。

 

 その瞬間、青葉の満面の笑みが浮かんだ。

 

「はい!情報局設置兼、鎮守府新聞発行許可を頂きまして誠にありがとうございます!」

「は?」

 

 今記名した紙をよくみると、情報局設置の案件に巧妙に隠して、鎮守府新聞の発行許可まで記載されていた。

 

「お、おま!?だ、騙したのか!?」

「いいえー、騙してません、言ってなかっただけですぅー」

 

 そういうと、青葉は駆け出した。石壁の命令書をもって。

 

「心配しなくても情報局の仕事はきっちりこなしてみせますよ!情報局の仕事も、新聞の発行も、青葉におまかせ!期待に添えてみせますよ!お先に失礼!」

 

 まったく悪びれずに逃げ出す青葉に、石壁の肩が震える。

 

「あ……あ……」

 

 石壁が叫んだ。

 

「アオバワレェ!!」

 

 

 ***

 

「騙すような真似して、ごめんね提督」

 

 青葉は、石壁を振り切ると、命令書を見つめながら、ふところの写真を取り出した。

 

「でも、あんな心の叫びをきいちゃったら、青葉、ただ見ているなんてできないもん」

 

 そこには、鳳翔にだきついて涙を流す石壁の姿が、写されていた。あの時席をたった石壁には誰もきがつかなかったが、石壁を追う鳳翔に気づいた者ならいた、青葉は、石壁を追う鳳翔のあとをひそかに追跡したのだ。

 

 スキャンダルを求めて二人を追った先で見たのは、ひとりの青年の慟哭、ちょっとした好奇心で聞いてはいけない事をきいてしまったのだ、青葉は。

 

「石壁提督の負担が少しでも減る様に……あの優しい提督が、少しでも幸せな未来にたどり着けるように……青葉、全力をだしちゃいます……」

 

 青葉はそう言ってから、意識を切り替える。

 

「ねえ知ってますか?軍隊の情報発信は、情報操作(プロパガンダ)と表裏一体なんですよ?」

 

 青葉は、石壁には見せなかった黒い笑みを浮かべる。石壁にみせる笑顔も青葉の本物の笑顔だが、こうした裏面の笑顔もまた、青葉の本当の笑顔である。やさしい石壁には見せる必要がなく、同時に好ましく思う石壁には出来る事なら見せたくない、青葉の裏の顔。

 

「索敵も砲撃も、そして情報操作(プロパガンダ)も、青葉におまかせ!」

 

 従軍記者の任務とは、要は戦意高揚を目的とした情報操作(プロパガンダ)だ。ペンは剣よりも強し、情報を操作するものは世界を操作できる。青葉の存在は、石壁という英雄に足りていなかった大きなピースをはめ込んだに等しい。

 

「ソロモンの狼、青葉の本領発揮です!」

 

 狙いを定めた狼が、石壁の為に動き出したのだ。

 

 

 

 ~おまけ~

 

「くそっ青葉のやつ!いくらなんでも失礼だろ!」

 

 ぷんすこ怒りながら、石壁が執務室にはいってくる。

 

「言えば普通に認めてやるっての!それをあんなだまし討ちみたいに!」

 

 石壁がそういいながら執務机に座ると、丁度石壁が座った位置からだけわかりやすく見える様に封筒がおかれている。

 

「ん……?なんだっけこの封筒……こんなものあったかな……?」

 

 そういいながら、石壁が封筒を開くと、中から一枚の写真が出てくる。

 

「こ、これは!?」

 

 そこには、顔を真っ赤にして両手で抑えている鳳翔の姿が映っていた。正直とてもかわいい

 

 裏面をひっくりかえすとそこには

 

『ごめんなさい提督! 青葉より』

 

 と可愛らしい字でそう書いてあった。

 

「まあ、どうせみとめてあげるんだし……まったく、しかたないやつだなあ」

 

 そういいながら、石壁は写真を大切に机の中にしまった。チョロイ奴である。

 

 余談だが、この写真はのちに鳳翔に発見されて没収されてしまう。残念。

 



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第十三話 はじめてのけんぞう! 上

昨日の今日でUAが2000から3000になっていて目を疑いましたが
どうやら日刊ランキングに上がったらしく、とても嬉しいです!

今作の目標の一つが日刊ランキング掲載だったので、目標が一つかないました!
これも皆様のおかげです!これからも拙作をよろしくお願いいたします!


 要塞に逃げこんでから1ヶ月半が経過した頃、いつもの会議室にて。

 

「それでは定例会議を開催する。まず要塞線の状況を頼む、あきつ丸」

「は!」

 

 石壁の問に立ち上がるあきつ丸。

 

「現在天然の洞窟、鍾乳洞を利用した壕はあらかた鉄骨とコンクリートでトーチカ化され、要塞の奥行きは最大規模に拡張されているであります。これ以上の規模の拡大は硬い岩盤を掘りぬくものになる為コストに見合わず、要塞の縦深化は一旦停止状態であります」

 

 天然の洞窟を繋げただけでも既に相当巨大なアリ塚の様な要塞になっている。いざとなったら要塞の奥地に逃げこんで入口をつぶす事で敵を大幅に食い止めることもできるだろう。そうなったらじり貧だが。

 

「また、前線地帯の塹壕陣地やトーチカ、砲台等は互いに援護しあえる形に完璧に整備されたであります。ここに突撃しろと言われたら上官を撃ち殺して逃げようとするモノが出るくらい凶悪な陣地になっているであります!同時に、要塞内部の輸送網や防衛機構もしっかりと整備が完了したであります!」

 

 あの演習によってもたらされた経験を活かした形へと要塞が強化されたのである。

 

「これをもって我々の要塞は、パラオや硫黄島にあったモノを超える日本式島嶼防衛要塞の最高峰の物が出来たと自負しております。これなら例え石壁提督の指揮が停止したとしても、守りに徹すれば敵に相当量の出血を強いる事が可能でありましょう!」

 

 自慢げにビシッと敬礼をしながら話すあきつ丸。妖精工兵隊の血と汗と涙の結晶だ。その自信の程は相当のものだ。

 

 ちなみに、パラオの戦いも硫黄島の戦いも、太平洋戦争における屈指の激戦地だ、涙なしでは語れない日本軍の死力を尽くした戦いがあった地であるから、興味がある人は一度調べてみるのをお勧めする。

 

「ちなみに、奥ではなく海の方へむけて要塞を拡張することもできるでありますが、これ以上拡張すると流石に深海棲艦側に隠しきれない可能性が高いであります」

「うん、わかった。ありがとう」

 

 満足げに頷く石壁。ショートランド泊地の最大戦力である要塞が完成したのだ。嬉しくないはずがない。

 

「よっし、次の報告を、明石」

「はい、現状、やはり艦娘建造の目処はたちませんが、やっと重巡級の砲の生産が開始しました。少数ではありますが、20cm連装砲……通称『鈴谷砲』の配備が始まりました。巡洋艦以上の艦娘に優先してまわしています」

 

 以前工廠へと引き渡された鈴谷の連装砲は、しっかりと要塞に新たな力をもたらしている。量産型鈴谷砲第一号は、しっかりと鈴谷本人へと進呈された。本人は『鈴谷砲』の通称に赤面して抗議していたが。

 

「同時に、要塞線への12cm砲の配備は完了しました。12.7cm連装砲は物資補給が混乱する為、瞬間火力を必要とする一部の拠点のみへ、防衛用にごくごく少数を配備しております」

 

 銃弾・砲弾の規格の統一は地味だが重要な要素だ。強力だからと下手に似た口径の砲弾を混在などさせたら、つかえない砲弾が使えない砲へ届くことも普通に発生する。太平洋戦争において補給もままならない前線で、銃弾の規格が合わない、砲弾の規格が合わないなどといった笑えない事態が発生したことからも、補給物資はできるかぎりシンプルな形が望ましい。一種類のみ砲弾を用意すればいいのなら、それに越したことはない。

 

 我々の現代日本の自衛隊では分隊支援火器とよばれる軽機関銃の様な物と一般兵の銃の銃弾は同一のものが使われている。これはいざとなれば何百発も弾丸をもちこむ分隊支援火器のボックスマガジンから一般兵のマガジンへ弾丸を融通したりできるなどの地味だが大きな利点をもっている。

 

「上出来だ。引き続き戦艦砲の開発も頼む」

「はい!」

「よし、次に兵站はどうだ間宮さん」

「はい!食料は当初の予定通りです。補給がなければあと5ヶ月程でつきますが、最近は畑等から自然の恵を得て減少スピードは抑制されてきましたので、もう少しもつかもしれません」

 

 1ヶ月半もあれば、育ちの早い野菜なら育ち始めてもおかしくはない。5か月もあれば、さらに多くの食料が調達できるだろう。本格的にサバイバルじみてきた。

 

「次に他の物資ですが、鎮守府全体の要塞化を完了しても鋼材は余っています。弾薬は要塞各地に潤沢に備蓄してありますので、もし戦闘になっても小規模集積所と中規模集積所の物資だけで弾薬に滞りなく数日間は戦えるでしょう。戦闘中に大規模集積所から完成した輸送網で順次輸送すれば例え一か月ぶっ通しで戦い続けてもなんとかしてみせます」

 

 頼もしい言葉だった。間宮もまた兵站部門のトップとしてずっと頑張ってきたこともあり、以前より精神的に強くなったように見える。

 

「油に関しては専ら鎮守府の発電設備に使うのがメインの使い道となっています。また、ボーキサイトに至っては使い道が工廠の研究用資材程度にしか現状使い道がありません。アルミに変換して日常雑貨や家具に使ったりしていますが、物資貯蔵の肥やしになっております」

 

航空機を扱う艦娘が殆どいないうえに、全員まだ基地内部に引きこもっている状況では、ボーキサイトの使い道はまだあまりなかった。

 

「そのため、順次ではありますが、石壁提督が提案されていた『例の構造物』にしてしまうことで、備蓄分以上の物資は消費されているであります」

「完成率は?」

「全体着想の7割ですが、今作戦における必要最低限は完成済みです」

「それだけあれば十分だ」

 

「弾薬についてですが、戦闘用の備蓄を超える程溢れそうな分は、地雷などのトラップに改造して防衛線に設置したりと色々やっています」

「つまり、兵站に憂いはないんだな?」

「はい、この身にかけて大丈夫です」

 

 間宮がそう言って、着席すると、次に初出席の青葉が起立する。

 

「ども!新設の情報局統括艦の青葉です!よろしくお願いします!」

「よろしく青葉、さっそくだけど情報局の初仕事を頼むよ」

「はい!」

 

そういって青葉が資料に目を落とす。

 

「えー、まず周辺海域を飛び交う電波の発信量から推定して、現在深海棲艦の南方海域における動きは小康状態を維持しており、大規模な作戦行動の予兆はありません。また、旧鎮守府にいる南方棲戦鬼配下の艦隊にも大きな動きが見えず、作戦用意も行われていないことからも、この要塞の存在はいまだ敵に知られていない可能性が極めて高い状況です」

 

伝播通信量の確認による作戦行動の類推は、戦争時には基本的な技術の一つだ。当然だが、作戦行動をとるときやその直前は、著しく通信量が増大する為、通信量の増大は重要なファクターとなる。

 

「それはいいことだね」

 

そういいながら石壁は、青葉の予想以上に堅実かつ真面目な仕事ぶりに、青葉の評価を上へと訂正した。

 

「ただ、一つ気になる報告があがっていますねぇ」

「というと?」

「連中、何故か物資を旧泊地へ集めているようでして、南方海域全域で撃沈した輸送船や放棄された鎮守府などから持ち出した物資が、順次泊地へ集まってきているようです。鋼材なども大量に集めているとのことで、軍事作戦をとるというより、他になにか狙いがあるように思われますねぇ。目下調査中です」

 

青葉がそういって難しい顔をする。

 

「ふむ……わかった、調査結果がでたら教えてくれ」

「はい!情報局からは以上です!」

「さて、次は俺だな!」

「まだなにも……もういいや、どうぞ」

 

 勝手に立ち上がった伊能に、もう諦めて先を促す石壁。

 

「うむ、数日毎に敵を拉致……じゃなかった鹵獲してきた結果、艦娘は40名に増えたぞ。内訳は戦艦2、重巡12、軽巡23,空母3だ!」

 

「今更だが、強いのが多いな。駆逐艦とかは何故ないんだ?」

「あれを痕跡を残さずに仕留めるのってどうやればいいんだ?」

「えっ……」

「いや、あれの一体どこが急所なんだ?」

「えっと……隙間から手を突っ込んで内臓?を【見せられないよ!】すれば……」

「面倒極まりないな……」

「血の処理が面倒であります」

 

 さすがにそこまで血なまぐさいのは勘弁してほしいらしい。

 

「流石にそろそろばれそうだし、鹵獲も潮時だな。あと、陸軍妖精隊、まるゆ隊、鹵獲艦娘隊の新着以外の中核連中、それぞれ訓練は十分だ。もう戦える練度に達しているぞ」

「……よし!」

 

 それまでの報告をきいて、石壁は立ち上がった。

 

「皆、今日までよく頑張ってくれた。これで我々は敵に対抗する為の手筈を整える事が出来た。現状でも立て篭もれば数か月はもつだろうが、こういう時にこそ次の一手を打たないといけない。故に、連日のゲリラ戦の締めくくりとして、ある作戦をもってこの要塞の完成としたいとおもう!」

 

 石壁の珍しく力のこもった演説に、伊能は笑みを深め、彼以外は皆背筋を伸ばす。

 

「今作戦の目的は我々の鎮守府に欠ける最後のピース、艦娘製造能力の確保、ならびに敵に痛打を与え、本島より撤退を図らせることにある。下手をすれば敵にこの要塞の存在が発覚する可能性があるが、艦娘の製造能力を得たならば、要塞の力と合わせて敵を撃滅する事すら不可能じゃない!もしも失敗しても僕が責任をもってこの要塞を守り抜く!だからみんな力を貸してくれ!」

 

「「「「「了解!!」」」」」

 

 一斉に敬礼を返される。石壁はそれをみて頷くと、宣言した。

 

「よし、本日0200(マルフタマルマル)より艦娘製造プラント奪還作戦、『はじめてのけんぞう作戦』を発動する!!総員行動を開始せよ!!」

 

 英雄の資質は、皆を引っ張る統率力……だけでなく、ネーミングセンスも大切であると、この場の皆が思った。

 

 

 



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第十四話 はじめてのけんぞう! 下

今回は長くなったので、上下分割しております、お見逃しなきようご注意ください


 石壁達が作戦会議をしていた一方その頃、ショートランド泊地(陥落済み)にて。石壁達の泊地を落とした深海棲艦の方面軍最高司令官、南方棲戦鬼とその配下の深海棲艦が会話をしている。

 

「南方棲戦鬼様、建造準備完了しました」

「そう、ではさっそく建造を始めなさい」

 

 此処は旧鎮守府工廠、石壁達が喉から手が出るほど欲しがっている艦娘の建造プラントには、現在青葉が調査していた莫大な資源が投入されてある存在が建造されようとしていた。

 

「建造開始しました」

「やはり時間がかかるわね、建造完了時間はいつ頃?」

「大体明日の朝ですね」

「なら寝ましょうか、楽しみだわぁ、明日は早く起こしてね」

「承知しました」

 

 寝室(元石壁の私室)に戻る南方棲戦鬼。お供の軽巡は工廠の扉に鍵をかけ『立ち入り禁止』の看板をたてて自身の私室へ戻った。

 

 ***

 

 数時間後、そこには黒ずくめのニンジャ達がそっとやってきて、石壁の荷物にあった工廠の鍵(総司令長官用の合鍵)を使い部屋に入ってきた。

 

「将校殿、なんであんな看板がたっていたのでありましょうか」

「恐らく不注意で艦娘を作らない為だろう、好都合だ、さっさと艦娘建造プラントを奪取して撤退するぞ」

「は!総員、取り外しにかかれ!」

「了解しました」

 

 陸軍妖精隊がさっさと建造プラントを取り外し、代わりに偽造プラントを設置して帰る。ちなみに、中にはありったけの『あるもの』が詰め込んである。

 

「やれやれ、これでやっと艦娘の建造が出来るな!」

「帰りがけに部屋で寝ていた軽巡も絞めてきましたし、これで戦力は整った、というところでありますかね」

 

 ようやく真っ当に戦力を補充できるとうきうきしながら帰投する一同、ちなみに、行き掛けの駄賃に絞められた軽巡は南方棲戦鬼の腹心である。

 

 ***

 

 翌日目を覚ました南方棲戦鬼は、早朝にすぐ工廠にいくはずが、既に日が高い位置にあることに驚愕して走り出した。

 

「ちょっと!どうしておこしてくれなかったの!?もう昼じゃない!!」

 

 バアン!!と扉を開けた南方棲戦姫、だがそこはもぬけの空である。昨日彼女は山奥に連れていかれたからだ。

 

「ううん?居ない……隠れたの?」

 

 だがそんな事は知らない南方棲戦鬼。最古参の部下である腹心の軽巡が逃げるとは考えにくく、寝坊したのが気まずくて隠れているのかしら、と南方棲戦姫は勝手に納得し、一人で工廠へ向かった。

 

「って、工廠のカギはあの子が持ってるじゃない……ああ、もういいわ、扉を壊したほうが早いし」

 

 そういって、南方棲戦姫は工廠の扉を蹴破り、内部へはいる。そして、うきうきとお目当ての存在が完成しているであろう建造プラントへ近づいていく、その顔は珍しく喜色満面だ。

 

「ふっふっふ、さあ出てきなさい!」

 

 扉に手をかける。

 

「私のいもうーー」

 

***

 

 その頃、ショートランド泊地(要塞)の隠蔽された屋外訓練場にてあきつ丸と伊能が話し込んでいた。

 

「所で、あの偽造プラント、何がつまっていたでありますか?」

「うん?たしか……作ったはいいが使いどころのない三連魚雷の山だな、カード状態で三百枚くらいだったか?扉があくと起爆するしかけで、遠隔操作も出来るから、後日敵をかく乱するために使う予定だ」

「おっそろしいでありますね、あれ取扱いを間違えると一枚でも小屋位なら吹き飛ぶでありまーー」

 

 

 

『ドドーン!!!!』

 

 

 

「……爆発したでありますね」

「したな……」

 

 その日、旧鎮守府の半分が粉々に吹き飛んだ。南方棲戦鬼は重症を負って入院した。

 

 

 ***

 

「よっしゃーー!!これでこの鎮守府でも艦娘がつくれるぞーーーー!!!」

 

 ウキウキと珍しくテンション高く機嫌のよい石壁は、初建造に工廠へやってきた。

 

「あ、提督!どうやら中に誰か入ったままの様なんですが……」

「え!?泊地を逃げ出した一か月半位前からずっとはいってたの!?嘘でしょ!?」

「どうなんでしょうか……何分あの時は大忙しでしたから、とりあえず建造を開始して放置してしまったのかも……流石に思い出せません」

「うーん、そんな命令出したっけ?もしかして深海棲艦が入ってんじゃないだろうな?」

「まっさかー!」

「そうだよなー、あっはっは、とりあえず予定は狂ったけど、うちの鎮守府へいらっしゃ……!?」

 

 ガパンっと扉を開けると、そこには額に角のあるおっそろしい美人がじっとこちらをむいt……バタン

 

「……」

「……」

「……いかんな、疲れてるのかな。扉を開けたら深海の姫が居た気がする」

「……一か月以上ずっと大変な日々でしたからね、しかたありませんよ」

「……そうだよな」

 

 ガチャン

 

 さっきより近くでじっとこちらを見る赤い瞳、黒いネグリジェ、背後に鎮座するデカブツ、まさしくもってこれは戦艦sバタン

 

「……」

「……」

「……うぇいうぇいうぇい、あっかしさーん?何が見えました?」

「……私のログにはなにもありませんね」

「……そうですか、16インチ三連装砲すごいですね」

「……それほどでもない」

 

 ガチャン

 

 もう目の前にある赤目の色白美人、そうこれはもう、まぎれもなく、どうとりつくろっても戦艦棲kガシリ

 

「離せ!HA・NA・SE!!扉を閉めさせろ!!!」

「現実から目を背けないで」

「ききたくねぇー!!やっと取り戻したプラントから戦艦棲姫が出てくるとかききたくねぇー!!」

「て、提督ー!?者どもであえであえ!!緊急事態です!!!」

 

 鎮守府の大混乱は収まる気配はない。

 

 ***

 

「で、貴女は何者?どうして提督に危害をくわえなかったの?」

 

 現在泊地の休憩室に集合している一同、戦艦棲姫は提督を抱きしめたまま特に抵抗してこなかったので、下手に刺激しない様に一旦そのままにしている。その為石壁は現在戦艦棲姫の抱き枕と化して彼女の腕の中に納まっている。

 

 明石がそう問うと、戦艦棲姫が答える。

 

「私は戦艦棲姫、南方棲戦鬼の妹にあたる深海棲艦ね、姉さんはどうやら妹がほしかったのか、私を建造しようとしていたようね」

 

 そう答えながらずずーっっとお茶を飲みながら羊羹を楽しむ戦艦棲姫、さっそくかなり馴染んでいる。提督は相変わらず彼女の腕の中だ。

 

「提督に危害を加えなかった理由は簡単よ。彼が、私の提督だから」

『はぁ!?』

 

石壁を除く全員の声が揃う。

 

「……どうやら嘘じゃないぞ……パスが繋がっているのを感じる」

 

提督とその艦娘は、二人の間でしか認識できない不可視のパスで繋がっている。これは極めて感覚的なものなので説明が難しいのだが、提督も艦娘も、互いに一目で「この人は私の艦娘(提督)だ」と理解しあえるのだ。そうでなければ同名どころか背格好から声まで同一の艦娘が一杯いるのだから、自身の艦娘が識別できなくて大変な事になってしまう。

 

 一説によれば、提督と艦娘は魂の一部が繋がっており、それがパスであると同時に、個体ごとの性格の違いに繋がっているのではないかという学説が存在する。本来ありうべからざる存在である彼女達を現世に呼び寄せて自身の魂に癒着させる事ができる特殊な才能をもつものが、『艦娘の提督』なのではないかというのが有力な説だ。

 

つまり何が言いたいかというと、石壁が戦艦棲姫の事を自身の艦娘(深海棲艦)だと認識できるということは、彼女は石壁の艦娘(深海棲艦)であることだけは間違いがないという事だ。

 

「いったいどういう理屈でありましょうか」

「……恐らく、一種の『刷り込み』の様なものじゃないかしら」

 

あきつ丸がそう問うと、明石がそう答える。

 

「卵から生まれた鳥のあれ?」

「ええ、彼女はあのプラントから”生まれた”けど、機械の中にいるときにはまだ魂はこの世界に固着していなかった。その段階で提督が建造を完了した事で、実は『深海棲艦の提督』としての才能もあった石壁提督の魂に彼女の魂が癒着し、『石壁提督の艦娘』になったのではないでしょうか」

 

 南方棲戦鬼が艦娘用の建造機械を使って作った深海棲艦を、人間の提督が最後に開けるという、極めて特殊すぎる過程をへて、彼女はここにやってきている。状況を再現して理由を探ろうとするなら、まず入院中の南方棲戦鬼をここにつれてくる必要があるだろう。

 

「理屈はよくわからないけど、少なくとも私は石壁提督に危害を加えるつもりはないし、姉さんの意思に従うつもりもないのだけは確かよ、正直人間との戦争とかどうでもいいし」

 

自然発生した深海棲艦ではなく、プラントによって作られたせいか、彼女は人類への憎悪が薄いらしい。戦艦棲姫はつづける。

 

「あとあのプラント、姉さんが私を作るために使い潰したから、もう二度と艦娘は作れないわよ」

「「「「「「!?」」」」」」

 

 二度目の爆弾発言、いろんな意味でめちゃくちゃな話に誰もついていけない。

 

「ちょっとまて!それじゃあこの鎮守府では艦娘が製造できないのか!?」

 

 やっと言葉を発した人形扱いの石壁、その声音には絶望感とか悲壮感とかいろいろと籠って泣きそうだ。

 

「うん」

「エリエリレマサバクタニィ(主よ、何故我を見捨てたもうた)……」

 

 絶望とは希望からの落差であると誰かが言った。もし石壁が魔法少女だったなら、彼のソウルジェムは真っ黒を通り越して絶望のブラックホールになっていただろう。

 

「ま、まぁ、少々個性的だが、戦力が増えるならいいんじゃないか?」

 

 白目を向いて口から魂が抜けている石壁の姿に、かける言葉もないと、珍しく伊能も石壁を茶化さず慰める。

 

「ほ、ほら提督、戦艦棲姫を仲間にした提督なんてきっと史上初ですよ!ポジティブに、ポジティブにいきましょう!!」

「そうでありますな!みるでありますこの超重装砲!!並みの敵なら一撃轟沈の超戦力でありますよ!!ビグザム並みでありますよ!!」

 

 46cm三連装砲は砲塔だけで小さなビル並みの大きさをもつ恐ろしい砲だ。艦娘サイズでも、その威力は破滅的な威力をもっている、確かにそれは頼もしいだろう。

 

「そうだね……でも僕達に必要だったのは100体のゲルググで、一体のビグザムじゃないんだけどね……」

 

 戦いは数だよ明石ぃ!!と、石壁が訴えるが、実際に届いたのはビグザムだった以上、もうどうしようもなかった。

 

「……わたしあんまり歓迎されてないのかしら」

 

 戦艦棲姫がショボンとして石壁を抱きしめる。そんな反応をされると、石壁としては相手が深海棲艦でも慰めざるを得ない。敵意をもって攻撃してこないなら、深海棲艦だって艦娘みたいなものだ。けっして背中に押し付けられる豊満な山脈にコロリとやられたわけではない。ないったらない。

 

「えっと、その、本人を前にしていろいろ言い過ぎた、ごめんね。これからよろしく、戦艦棲姫」

 

 石壁がそういうと、戦艦棲姫はにっと笑った。

 

「ええ!よろしく石壁提督!」

 

 かくして、ショートランド泊地における艦娘建造機械奪取作戦は大失敗におわり、代わりに突出した単体戦力である戦艦棲姫が石壁の指揮下に加わったのだった。

 

 彼女の存在が、一体どんな波乱を巻き起こすのか、まだだれも知らなった。

 

 

 

 



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第十五話 火種

 戦艦棲姫がやってきてから数日が経った。当初は深海棲艦という事で要塞に馴染めるか大いに不安視された彼女だったが……

 

「はい、戦艦棲姫さん、今日の朝ごはんですよ~」

「ありがとう!間宮さんの朝ごはんおいしいのよねぇ、私大好きよ」

「ふふ、ほめても羊羹位しかでませんよ?」

「間宮さんって本当に最高の艦娘よねぇ。あ、石壁提督、鳳翔さん、こっちこっち~場所とっておいたわよ~」

「ああ、ありがとうございます戦艦棲姫さん」

「ありがとう戦艦棲姫……ってオイ、なんでひざの上を不自然にあけるんだ!?飯が食いづらいから膝の上には座らんからな!?」

「ケチ」

 

 あっと言う間に泊地によく馴染んだ。

 

 それもこれも、泊地の艦娘の5割(別宿舎に住んでいる数十名のまるゆを考慮しなければ実質9割)程度がもともと深海棲艦だったのが大きい、鈴谷達の例からわかる様に、彼女達も深海棲艦時代の記憶を割合多く持っている為、戦艦棲姫が受け入れられるのも早かった。

 

 彼女達に受け入れられてしまえば、後は泊地に受け入れられるのも時間の問題であった。というか、しょっちゅう石壁を膝の上に乗せて抱きしめている姿が目撃されているため、警戒心を抱き続ける方が難しかったという方が正しいかもしれない。

 

 あとは、『石壁提督が一緒に居る奴に悪い奴はあんまりいない』という彼らなりの経験則があったのも大きい。

 石壁は人の本質的性質を感じ取ることにかけてはピカ一の才能をもっている為、石壁が長時間にわたって至近距離で生活できるような人間は本質的に良い人間である事が大半である。伊能を始めとした石壁の仲間たちは、大体これにあたる。

 

 ちなみに、石壁が姿を見ただけで吐き気を覚えるほど気分を悪くし、体をガチガチに緊張させた唯一の存在が、演習の時にみかけた大本営のお偉方である。本人は緊張によるものと思っていたが、実際は石壁が大本営の人間の下種具合を感じ取って気分を悪くしていただけである。石壁の下種人間に対する本能的防衛反応は、驚愕に値するほど正しい。

 

 ***

 

 さて、話を戦艦棲姫に戻そう。食事を終えた彼女は、現在石壁達と共に休憩室にいる。そして、膝の上にはやっぱり石壁が鎮座している。石壁の抵抗はあえなく失敗に終わった様だ。

 

「そういえば、提督は本来はどんな任務につくはずだったの?」

 

 戦艦棲姫は休憩室で間宮羊羹を楽しみながら膝の上の石壁に問う。現在休憩室には石壁と戦艦棲姫の他に鳳翔、間宮、明石、伊能、あきつ丸が詰めている。

 

 戦艦棲姫の膝の上で人形の様に抱き締められている石壁(もう文句を言うのは諦めたらしい)は、その質問に問を返した。

 

「それ、『普通の泊地の総司令官』として着任してたらってこと?それとも、順当に『普通の提督』としてどこかに着任したらってこと?」

「後者ね」

「そうだなぁ……」

 

 石壁は数瞬考えた後に、口を開いた。

 

「『普通の提督』は士官学校卒業後、それぞれ本土の各鎮守府や泊地へ派遣されて艦隊運営のイロハを最低一年位学ぶんだ。その後は研修先の鎮守府へ正式に着任するか、もっと能力的に適正な部署へと送られるんだったよね?鳳翔さん」

「はい、提督ごとにやはり『適正』というものはありますので、その辺りを見極める必要がありますから」

 

 石壁の問に鳳翔が応じる。

 

「実際に艦隊を運営してみないと見えてこない能力というものがありますし、相性の良い戦略や艦艇にもばらつきがあります。初期艦は通常、その提督が得意とする戦略、あるいは性質に近い艦が建造されるので、目安にはなるんですけどね」

「僕が初期艦として建造した艦は、鳳翔さんと、間宮さんと、明石だろ?軽空母と、給糧艦と、工作艦ということは……軽空母の索敵・防空能力を活かして、安全な物資輸送や艦艇の修理等のを行う後方部隊ってところかなぁ……?皆はどう思う?」

 

 石壁の問に間宮と明石が答える。

 

「ええ、恐らくは艦艇時代と同じく、前線地域への物資輸送による慰安が主な任務だったのではないでしょうか?そもそもいくら物資を大規模に輸送管理できるとはいえ、『普通は』給糧艦に要塞運営の総合兵站運用の全権を与えたりしませんしね」

「まあ、後方勤務が普通よね。『普通なら』工作艦を殆ど最前線の要塞で戦わせる方が非常識ですしね」

「そうだよなぁ……ん?今何気に僕ディスられた?」

 

 普通じゃない提督筆頭の石壁がうんうんと頷いてから顔を上げる。間宮と明石なりの軽いジョークに皆が笑った。

 

「石壁殿の能力なら防空能力もかなりのものでしょうから、安心・安全・安定的な物資輸送を行えるでありましょう、前線の兵員からすれば、喉から手が出る程ありがたい存在でありましょうなあ」

 

 あきつ丸は史実の陸軍の物資欠乏を思い出しながら、うんうんと頷いている。

 

「さしずめ、戦場の便利屋だな。一泊地に一人石壁が居ればそれだけで死ぬほど便利だろうよ」

 

 伊能がニヒルに笑いながらそういうと、石壁が苦い顔をする。

 

「うるせーイノシシ、一家に一台みたいに言うなっての。それにお前が無茶苦茶やらなきゃ今頃『普通の提督』だったわ!」

「おっと、すまんすまん」

 

 微塵もすまないとは思っていないような笑みを浮かべながら言う伊能に石壁はため息を吐く。

 

「はあ……まあいいや、戦艦棲姫の疑問は解けたか?」

「ええ、充分よ……でも」

「ん?」

「……いえ、なんでもないわ、教えてくれてありがとう提督」

 

 そういって、戦艦棲姫は石壁を抱きしめたまま羊羹をつつく作業に戻った。

 

 石壁は少し不思議そうな顔をしたが、すぐに気にしない事にして雑談に戻った。

 

 戦艦棲姫はそんな石壁の体温を感じながら、思考を続ける。

 

(いくらメンツを潰されたからって、兵糧輜重に天賦の才を持つ人間を使い潰そうとするなんて、はっきり言ってなんて滅茶苦茶な人事……)

 

 戦艦棲姫は石壁から聞いた情報と、艦艇時代の記憶、鈴谷達の証言を照合しながら情報を分析していく。

 

(戦前は……大本営と前線との認識の乖離が大問題だった……提督たちの話から見ても、今の大本営も相当腐敗していると見て間違いないわ)

 

 史実における大日本帝国は、軍部が大きく2つに割れていた。陸軍閥と、海軍閥だ。この2つの軍閥は、同じ国の軍隊でありながら、さながら別の国の軍隊かと思われる程仲が悪かったのは有名な話だ。だが、ある意味もっとひどかったのが大本営と前線の乖離である。

 

 当然とも言えるし、仕方ないとも言えるが、前線と上層部には認識や状況の乖離が発生するものである。

 

 貧しい貧しいとよく言われる陸軍でも、前線のインパールやガダルカナルが白骨街道や餓島と呼ばれる程の大惨事になったとしても、上層部の人間が飢え死ぬ事はない(本当に上層部が飢え死にしたらそれはそれで大問題だが)。

 

 比較的豊かだった海軍にしても、南洋諸島で激戦を繰り広げる艦艇達が必死に物資のやりくりをしている中、本土の大和と武蔵は、大和ホテルに武蔵御殿と言われる程の扱いの差があった。

 

 このように、同じ陸海軍の中でさえ、前線と後方では差があったのである。

 

 では、この世界の軍部はどうなのであろうか?

 

(軍の上層部は、ここまで無茶苦茶な人事を通せるほどの腐敗具合。前線では、ここまで石壁提督が困窮するほどの激戦状態が続いている。にもかかわらず、話に聞く提督達の教育過程は『余裕がありすぎる』)

 

 前線に補充される深海棲艦の物量は凄まじいの一言に尽きる。青葉がこまめに分析してくれた事で明確になってきた深海棲艦の軍事行動の規模は、常識の埒外のものである。

 

 しかし、石壁達の会話からはそのような事は一切伺えなかった。つまり、本土で教育を受けていた提督候補生達でさえ、前線の激戦具合を殆ど知らないのだ。

 

 本来なら、もっと実践的かつ、即時的な教育を行って、順次前線へと提督は送られるべきだろう。

 

 だが、石壁達の話から判断して、大抵の提督はそのまま本土の諸鎮守府へ着任してしまうらしい。

 

 では、前線へはどんな提督がいつ着任するというのか?

 

(これは……どこかに多大なしわ寄せが行っていると見て間違いない……おそらくは、最前線の鎮守府は大変な事になっているのでしょうね……)

 

 戦艦棲姫は、好ましく思っている膝の上の提督が、身勝手極まりない上層部によって窮状に陥っているのだという現状を思うと、心の中にドロリとした憎悪の炎が揺らめくのを感じた。

 

(まあ……そんな状態、長く持つ筈がないわ)

 

 深海棲艦である彼女は、艦娘に比べて良くも悪くも身勝手だ。彼女は公正さの美しさよりも、『自分にとってより好ましい物』の為に力を振るう。

 

(愉しみね……石壁提督がこの状況を乗り切った時が……恐らく大本営の愚行が表面化するときだもの……)

 

 戦艦棲姫は、愛しい石壁を窮地に追いやった本土の連中がどうなったとしても別にどうでもいいのだ。戦艦棲姫にとって重要なのはただ目の前にいる提督のみ。提督さえ無事なら、他の有象無象など『どうなってもかまわない』のである。

 

(石壁提督をこんな死地に放り込んだ事、絶対後悔させてあげるわ、大本営のゴミムシどもめ)

 

 大本営は自らが消し去ったと思っている火種が、火薬庫の中で着々と燃え上がり始めた事に、まだ気がついていない。

 

 

 ~おまけ~

 

「……天井が行方知れずになっているわね」

 

 ショートランド泊地(爆発済み)の執務室(半壊)にて療養中の南方棲戦鬼は、穴が開いて物理的にどこにいったか知らない天井をみつめながら、一人ぼうっと海を眺めていた。

 

「……おのれ、技術艦め、絶対許さないわぁ……この怪我がなおったら一番に締め上げてあげるから覚悟しときなさいよ」

 

 ふつふつと湧き上がる憎悪を滾らせながら、体の損傷を頑張って癒している南方棲戦鬼。数日前に半死半生だった事から考えて異常な回復ペースである。

 

「あと数日もすれば、動けるようになる……そうなったら……そうなったら……」

 

 南方棲戦鬼は、吹き飛んだ工廠を想って涙を流す。

 

「ま~たイチから妹を作り直しよぉ……お姉ちゃんさみしい……」

 

 やっと完成したと思った妹が吹き飛んでしまった事に大いに落ち込む南方棲戦鬼。実はどっこい生きてる山の中な妹が、自分を半死半生に追い込んだ提督に寝取られているとはまったく想像していない。

 

「ぐぎぎ……無傷の建造プラントなんて滅多に手に入らないのにぃ……次に艦娘の建造プラントなんていつ手に入るのよぉ……技術艦め絶対許さない、八つ裂きにしてやるううううううううう……」

 

 哀れにも無実の罪で処刑されそうな技術艦、彼女の明日はどっちだ。

 

「……隙間風が傷にしみるわぁ」

 

 南方棲戦鬼が完全復活するまで、あと一週間。

 

 

 

 

 



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第十六話 最後の平穏

第一部の最終決戦は前後を含めてしっかり書きあげてから投稿させて頂きたいので
誠に勝手ながら、明日と明後日の投稿は差し控えさせていただきます。
申し訳ございません。

投稿再開予定は、次の日曜日の9時前後を予定しております。


*投稿日程は予告なく変更される場合がございます。


 山奥に逃げ込んでからそろそろ二か月というある日、執務室にいた石壁は何かを感じ取った様に席をたつと、鳳翔に向きなおった。

 

「……ねえ鳳翔さん」

「どうかされましたか?提督」

 

 

「ちょっと散歩に付き合ってくれないかな?」

 

 

 ***

 

 石壁は現在鳳翔と一緒に要塞の中を歩いている。石壁は改めて要塞の内装一つ一つを見つめながら鳳翔に声をかけた。

 

「でも、本当に見違えるほどいいところになったね」

「そうですねえ、ここにきてからもう二か月に近いですけど、完全に別の場所です」

 

 要塞内部は当初の薄暗くただひたすらに陰気な洞穴から、歩きやすいように道はしっかりコンクリで固められ、鉄筋コンクリートでしっかり補強された現代的構造物に変貌している。

 

 また、全面というわけではないが、壁紙をはったり、木目の板をはってみたりと、閉塞感を緩和させる工夫が凝らされたこともあって、当初よりだいぶ息苦しさがなくなったのは特筆事項だろう。

 

「前線と後方本部間の移動も、一応楽になったしね」

「あの移動法は女性陣には不評ですけどね……」

 

 石壁のいう移動の方法とは、妖精さん専用路の事だ。あの小型トロッコに寝そべって入る事で一応人間や艦娘でも要塞をショートカットして進むことができる。だが、はっきりいって女性陣がやるには少々どころではなく無様であるため、一部艦娘は断固拒否してグネグネと要塞内部を歩く者も当然いる。

 

『作った私がいうのもなんですけど、女性が喜んで入るモノじゃないですよ、恥ずかしいですし……なんですか提督その目は?』

『軍隊に所属しているとはいえ、あきつ丸にも女としてのプライドがあるであります、命令や緊急時で必要とあらば使う事に否やはありませんが、必要ないなら入らないであります……石壁提督、いったいその憐れむような視線はなんでありますか?』

 

 トロッコ移動について、元祖トロッコ移動者の二人にそれとなくどう思うかを聞いた時の事を思い出すと、石壁は胸が苦しくなった。『あの時』の二人を目撃したのは、石壁以外にもそれなりの人数がいたのだが、その事は石壁の胸の奥にそっとしまわれた。

 

 ちなみに、男性である石壁や伊能はためらいなく使う。女性であるが鈴谷や青葉も結構楽しそうに使っている。熊野は拒否ったが。

 

「私も少々恥ずかしいので、できれば使いたくないですね」

「……」

 

 ちなみに、鳳翔が誰にも見つからないように航空隊の妖精さんに頼み込み、こっそりトロッコに乗ったことを石壁はしっている。本当に偶然見かけただけだが、わくわくした顔で楽しそうにトロッコにゆられる鳳翔の姿は石壁の脳内鳳翔さんフォルダに大切に大切に保存されている。

 

「そういえば、訓練場も各種しっかり整備されたおかげで、皆要塞内部で訓練出来て喜んでいたね」

「ええ、弓道場や武道場も整備されましたので、私も時々訓練に参加していますけど、やはりちゃんとした設備があると便利ですね」

「ああ、鳳翔さん弓道と合気道の講師やるぐらいだもんね」

 

 鳳翔は弓道と合気道を主に修めており、その腕前は達人級だったりする。艦娘パワーを使わなくても弓と合気道でそこいらの暴漢なら簡単に制圧できるだろう。

 

 ちなみに石壁の武術の授業の評価は、甲乙丙の丙、最低ランクの評価であった。武術の授業でも碌に攻撃技が当たらないため、ひたすら正拳突きの訓練をやらされるか、防御技術だけはやっぱり高いので、はたからみるとサンドバッグの様にひたすら相手の攻撃に耐えるかの二択であった。石壁曰く二度とやりたくない訓練との事である。

 

「この弓術を戦闘に活かせたら良いんですけどね、いくら艦娘の弓でも、深海棲艦に致命傷を与えるのは難しいですし……」

「……」

 

 鳳翔がそういうと、石壁は少し考えてから言った。

 

「……いや、やりようによっては使えるかもしれないな」

「え?」

「ちょっと考えてあとで明石と相談してみるよ」

「はぁ」

 

 そういって、一旦会話をうちきった二人は、陸軍の妖精さんの訓練場に通りかかる。

 

「キエエエエエエエエエエエエエイ!!」

 

 猿叫が聞こえる、陸軍の妖精さん達が、竹刀を振り回して戦闘訓練を行っていた。

 

「馬鹿者!!敵の深海棲艦のリーチは貴様ら妖精の数倍だ!!そんなへっぴり腰の飛び込みで敵の間合いの中にはいりこめるか!!」

 

 深海棲艦役をつとめているのは伊能とあきつ丸らしい、伊能はとびかかってきた妖精の竹刀を簡単にかわすと、鋭い突きで妖精さんを数メートル突き飛ばす。

 

「ぐえっ!?」

「貴様は今死んだ!来世は頑張れよ!ほら次こい!」

 

「いやぁああああああ!!!」

「遅いわ戯けええええ!!」

 

 上段から振り下ろされる竹刀を数センチ移動してよけると、一気に接近して妖精を蹴り飛ばす。

 

「ぐはぁ!?」

「貴様も戦死だ!二階級特進できてよかったな!ほら次はだれだ!」

 

「三人がかりでいかせていただきます!」

「いいぞこい!深海棲艦との接近戦は数で押すのが定石だ!貴様の選択は正しい!」

 

「「「イヤーッ!!」」」

 

「相手が俺でなければなぁ!!!」

 

「「「グワーッ!?」」」

 

 凄まじい剛力で、気合一閃三人一度に切り捨てる。妖精は三人そろって面白いように転がっていった。

 

「訓練の内に死ねるだけ死んでおけよ貴様ら!!戦場で死ねるのは一度きりだ!!だから俺は一切貴様らに容赦せん!!今死ね、そして戦場で生き残れ!!」

 

「「「「はっ!」」」」

 

 伊能のその言葉に奮起した妖精達が、再び伊能にとびかかっていく。

 

 イヤーッ!!

 グワーッ!?

 

「相変わらず……超スパルタだなアイツ」

「部下を想ってこそのスパルタですからね。皆さんそのことをよく知ってますので評判はいいですよ」

 

 伊能は馬鹿だが義理人情に厚い兄貴分な人間であるため、こういう体育会系のノリをやらせたら右に出る人間はいない。体育会系の極みの様な陸軍の、そのまた極め付けの旧軍の人間たち相手なら、伊能の性格はまさにドンピシャだろう。

 

「次は畜舎を見に行こうか」

「はい」

 

 ***

 

「おや、石壁提督」

 

 畜舎で自分の馬の栗毛に丁寧にブラッシングをしていた騎兵隊長は、石壁達がやってきたのを見て手を止める。妖精さんは小さいのにその馬は普通に馬のサイズだ。その為、騎兵隊長達妖精騎兵隊は専用の台にのって馬に触れている。縮尺の関係で傍からみると、大きな馬の人形をデフォルメされた小さな人間が整備しているコメディタッチの絵画かシュールレアリスムか何かのようにも見える。

 

「やあ騎兵隊長、栗毛も元気?」

「はっはっは、自分も栗毛も元気ですよ。栗毛、総司令長官殿がこられたぞ」

 

 騎兵隊長がそういうと、栗毛は石壁の方をむいて嬉しそうに近づいてくる。

 

「ブルルルル!」

「うわっ、ちょ、くすぐったいよ栗毛」

 

 栗毛が石壁の顔を嬉しそうになめると、石壁は栗毛の頭をなでながらくすぐったそうに笑った。石壁は昔から動物によくなつかれる為、動物が基本的に大好きである。栗毛と触れ合っている石壁は幸せそうだ。

 

「はっはっは、栗毛もわかるんでしょう、石壁提督の人の好さが」

「そうなのかな?」

「動物は人間より何倍もそういう勘が鋭いものですよ」

 

 そういいながら、騎兵隊長は飛び上がって鐙に足をかけると、器用に栗毛に跨った。

 

「さて、石壁提督、我々は一旦失礼しますよ、馬上から失礼」

「気にしないでよ、それじゃ僕たちはいくよ」

 

 騎兵隊長は栗毛にまたがって颯爽と走っていく。

 

「次いこうか」

「はい」

 

 ***

 

石壁達が厨房区画にたどり着く、そこには休憩中の大勢の妖精さんが屯していた。

 

「みんないっくよー!恋の2-4-11!いっきまーす!!」

 

『うおおおおおおおおおおおおお!!』

 

レクリエーションの一環として食堂に設置されたステージの上で、那珂ちゃんが十八番を熱唱している。神通や川内はバックダンサーを務めているらしい。内気そうに見えて実は神通もなかなかアグレッシブだ。

 

アイドル文化なんて欠片もしらなかった筈の軍人妖精さん達だったが、元気で楽しそうに熱唱する那珂ちゃんのファンは結構多い。那珂ちゃんが娯楽の少ない泊地のトップスターであることは間違いなかった。

 

「あら、提督いらっしゃいませ、如何なされましたか?」

 

間宮さんがやってくる。要塞全体の兵站を維持しながら、こうやって大食堂の厨房を統括しているのだから、間宮のタスク管理能力も大概並外れている。

 

「いや、なんか要塞を見て回りたくなってさ、こうやってあちこち顔を出してるんだ」

「なるほどいいですねぇ……あっ、提督この後青葉さんの所にいかれますか?」

「うん?当然顔を出すつもりだけど?」

 

石壁がそういうと、間宮は懐から包みをだす。

 

「青葉さんから執務中に食べられるコーヒーに合う菓子を頼まれまして、特製のクッキーを作ったんですよ」

 

袋の外にも仄かに香るバタークッキーの香りは素晴らしいものだった。

 

「美味しいうちに持って行ってあげたいのですが、残念ながら手が離せないのです……もっていってあげてくれませんか?」

 

間宮がそういうと、石壁と鳳翔は快く頷いた。

 

「ああ、それぐらいお安い御用だよ、じゃあ次は情報局にいってみようかな」

「そうですね、提督」

 

 *** 

 

 やがて二人は新設された情報区画へたどり着いた。

 

「情報部、青葉に言われて作ってみたけど、本当に必要な部署だったね」

「そうですね、作戦の方針一つ決めるにしても、情報の有無は本当に重要ですからね」

「青葉には頭があがらないな……っと、ついたな」

 

 石壁は【ショートランド泊地情報局統括艦室】と書かれた青葉の執務室を訪ねる。

 

「青葉ー?」

 

 扉を石壁がノックするが、反応がない。

 

「いないのか……鍵は開いているけど……お?」

 

 石壁はちらりと部屋の中をみると、納得したような顔で鳳翔に静かにするようジェスチャーする。鳳翔は口を閉じたままそっと中をのぞきこんだ。

 

「……すぅ……すぅ」

 

 執務机に頭をのせて、青葉が居眠りをしている。机の上には処理済みの多くの書類が山積しており、本当に粉骨砕身して情報局の仕事に取り組んでいることがわかる。

 

 青葉は遠視用の眼鏡をかけて事務仕事をするため、今も黒縁の眼鏡をかけている。寝ているせいもあるが、いつもの快活な姿と違うその姿は文学少女めいた可愛さを感じさせる。

 

 ちなみに、青葉は石壁に眼鏡姿を頑なに見せようとはしないため、石壁にとっては激レアショットである。

 

「よく眠ってますね……」

「ああ、青葉、本当によく頑張ってくれているし、疲れてるんだろうね……」

 

 小声で話し合う二人、石壁は机の上に差し入れのクッキーを置くと、自分の上着をぬいで青葉にそっとかけてあげた。

 

「風邪をひくといけないもんね……いこうか」

 

 二人はそのまま情報局を後にした。

 

 ***

 

 暫く進むと、多くの部屋がつらなる区画に到着する。多くの人員が寝泊まりする宿舎区画だ。

 

「この辺は艦娘の宿舎ですね」

「最初はガラッガラで鈴谷から『怖いから早く住民増やして!』って催促されたのを思い出すな」

「あら、鈴谷さんそんな事をいっていたのですか?」

 

 鳳翔が意外そうにそういうと、後ろから声が返ってくる。

 

「あー!ひっどーい!その話内緒にしてっていったじゃん提督!」

「うわ!?いたのか鈴谷!?」

「いたよ!まあ、厳密には今後ろを通りがかったんだけどね!」

 

 振り返った石壁達の前に、ぷんすこ怒る鈴谷がいる。

 

「でも確かに人のいない要塞は不気味ですしね、鈴谷さんの気持ちもよくわかります」

「でしょ?流石鳳翔さん話がわかる~!」

 

 鳳翔と鈴谷が楽しそうに話す。鈴谷は鳳翔に懐いているらしく、かなり気安い。なんだか年頃の娘に接するお母さんみたいだと石壁は思った。

 

「鈴谷~?どこにおりますの~?」

「あ、いっけない、熊野待たせてたんだ、ごめんね鳳翔さん!提督も!またあとで!」

「はいはい、またあとで」

「またあとでな」

 

 鈴谷がヒラヒラ手を振りながら駆け出すと、鳳翔と石壁も手をふって送る。

 

「相変わらず元気だね、鈴谷」

「そこが鈴谷さんの良い所ですよ」

「違いない」

 

 二人は笑いあいながらそのまま宿舎区画を後にした。

 

 

 ***

 

 やがて二人は工廠へたどりついた。大勢の工廠妖精が屯する中に、明石とおやっさん妖精をみつける。

 

「やあ明石、おやっさん」

 

「あ、提督に鳳翔さん」

「おお、総司令長官殿」

 

「……なにやってんの?」

 

 妖精さんが大勢たむろする真ん中に、布をかぶせられた何かがおいてある。

 

「あはは……わ、私は無関係だから……」

「最終的にゴーサイン出したのはアンタでしょうに」

 

 目線をそらす明石と、突っ込むおやっさん。誤魔化しきれないと気づいた明石は、やけくそ気味に叫んだ。

 

「ええい、ままよ!せっかく提督も来ましたし、このまま除幕します!お願いしますおやっさん!」

「俺がやるのかよ!まあいいけどよ、そら!御開帳だ!」

 

 そういっておやっさん妖精が布をはがすと、中から20㎝連装砲を構えた鈴谷の銅像が出てくる。かなり出来がよく普通にかっこいい。

 

「おおーーーーーー!なにこれかっこいい!」

「まあ、これはすごいですね!」

 

 石壁は凛々しさと美しさを両立しつつ、スタイリッシュに連装砲を構える鈴谷の銅像を素直にほめている。鳳翔も近寄ってその精巧さに釘付けだ。

 

「工廠妖精隊の皆が余暇を利用して作ったんですよ」

「ここの連中はみんな鈴谷の嬢ちゃんの事大好きだからな」

 

 工廠の妖精達は像の出来栄えに満足げである。

 

「いやぁ、本当にかっこいいねこれ」

「そうですねえ、特徴もよく捉えていますし」

 

 石壁と鳳翔が和気あいあいと話す。

 

「でも鈴谷がよく許可だしたねぇ、こういうの恥ずかしがって許可してくれないと思ったけど」

 

「「「「………………」」」」

 

 さっきまでの満足げな顔はどこへやら、全員が一斉に顔を背ける。

 

「……もしかして、無許可?」

 

「だって気付いた時にはほぼ完成していて、壊せなんていえなかったんですもん」

 

 明石が気まずげに口をとがらせる。確かにこの力作を完成間近にして破壊しろなんてクリエーターの明石には言えないだろう。仮に鈴谷に見せたら十中八九廃棄しろと言われるだろうが、それは物凄くもったいない。

 

 石壁は、許可がもらえないなら破壊すべきだという良心と、これを壊すのはいくらなんでもったいないという思いをはかりにかけて、呟くようにいった。

 

「……工廠の奥にこっそりしまって誰にも見せない様に、僕は何も見なかった、いいね?」

「「「「はい」」」」

 

 鳳翔は苦笑いしながら、その光景を見ていた。

 

 完全に余談だが、この時代を描いた後世の作品の大半で、鈴谷はめちゃくちゃクールでかっこいい役柄で描かれる事になるのだが……その原因は間違いなくこの後博物館に寄贈されることになるこの銅像のせいであった。

 

 ***

 

「大体回るべきところは回ったかな」

「そうですね」

 

 殆ど半日かけて要塞内部をじっくり歩き回った石壁と鳳翔は、執務室に戻ってきて隣り合って座る。

 

「皆楽しそうでよかったよ」

「そうですね、この泊地はとても不便ですが、ここでの暮らしは本当に楽しいですよ」

 

 物の豊富さ、娯楽の多様さは、本土に比べれば無いにも等しいだろう。だが、それ以上に大切で楽しい何かが、この泊地にはあった。

 

 鳳翔の言葉を聞いた石壁が、嬉しそうにほほ笑んだ。

 

「しかし……なぜ急に要塞を回りたいなんておっしゃられたんですか?」

「……なんでかなぁ」

 

 思えば、何か予兆があったのだろう。

 

「なんか……今の内に要塞の皆をしっかり見ておかないといけない気がして……」

 

 石壁の急速に磨かれる第六感とも言うべき何かが、石壁を突き動かしてたのだ。

 

「なんでかなぁ……まるでーー」

 

『なくなってしまう光景を、胸に刻もうとしているかのように』

 

 そう呟こうとした瞬間、要塞全体に警報が鳴り響いた。

 

「警報!?」

「なにがおこったんですか!?」

 

 石壁と鳳翔がそういった瞬間、部屋の中に提督の上着を羽織った青葉が駆け込んでくる。

 

「提督大変です!!」

 

 青葉は険しい顔をしたまま、声を張り上げた。

 

「南方棲戦鬼に動きあり!!敵の大戦力が旧ショートランド泊地を目指して集結中!!遂にこの泊地の存在を感づかれたようです!!」

 

 この警報は号砲。石壁の真の戦いの開幕を告げる、七つのラッパの響き。

 

「結集にかかる時間は長く見積もって2日!戦争です!南方棲戦鬼との大戦争が始まります!!」

 

 地獄の窯の蓋が開く。悪鬼羅刹の大軍勢が、石壁達に襲い掛かってくる。

 

「すぐに戦闘態勢を発令してください!石壁泊地総司令長官!!」

 

 

 

 

 

 石壁提督の運命の歯車が、音を立てて回り始めた。

 

 

 

 

 

 



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第十七話 決断の時

遅れてしまい申し訳ございません。

明日から第一部最終決戦投稿開始です。

第一部完結までもう少しですので、最後まで楽しんで頂けると幸いです。


 要塞に警報が鳴り響く数時間前、ここは旧ショートランド泊地(半壊)。

 

 至近距離での大爆発が直撃した南方棲戦鬼だったが、半身を大きく抉られるような大打撃をうけてもなお、彼女は生きていた。

 

 げに凄まじきは鬼の生命力、単身で戦場のパワーバランスを動かしうる戦闘能力をもつ彼女は、今はもう元気に動き回っていた。

 

 そして、今は事の原因である(と彼女が思っている)深海棲艦の技術艦を締め上げる真っ最中であった。

 

 

「だからぁ!お前らどんな調整しやがったって聞いてんだよゴラァ!!」

 

「ひいいいいい!?お、お許しください南方棲戦鬼様ぁあああ!?」

 

 ギリギリと片手で技術艦の軽巡の胸元を締め上げている南方棲戦鬼は、石壁なら失禁しそうなほど凄まじい憤怒の形相であった。

 

「で、ですがぁ……調整の……し、仕様的にぃ……爆発なんて……し、しようが……な……な……」

「仕様だけにしようがなかったってかぁ!?うまいこと言ったつもりかテメぇ!!」

「そ、そんなつもり……じゃ……」

 

 締め上げられて息も絶え絶えな技術艦はただでさえ青白い肌を更に蒼白にしながら弁明を続けている。

 

「な、南方棲戦鬼様」

「ああんっ!?」

「お、恐れながら、私も一通りの造船技術を学んでおりますのでわかるのですが、技術艦の言うとおり爆発などするはずがないのです」

 

 南方棲戦鬼の参謀長艦であるフラグシップのタ級が見るに見かねて口を挟んだ。

 

「どういうことよ……」

「はい、艦娘の製造機械を用いて深海棲艦を建造する場合、元々存在した艦娘用建造機械の性質を反転させることで建造が可能となります……ここまではよろしいですか?」

 

「……ええ」

「反転させた機械が深海棲艦を生み出すプロセスですが、まず機械の内部で艦娘の大本となる素体を造船する所から始まります。ここまでは通常の艦娘の建造プロセスと同様です。艦娘の場合、ここに所々の『胎教』とでもよぶべき情報を注ぎ込んで一定の人格をもつ艦娘を作り出します」

 

「続けなさい」

「ハッ……深海棲艦の場合は、この『胎教』の過程で艦娘としてではなく、深海棲艦として必要な情報が刻み込まれ、精神面の変調とともに所謂『悪落ち』の様な形で完全なる深海棲艦へと変性します」

 

「それが、どういう関係があるの?」

「はい、仮に調整を失敗していたとすれば、問題が発生するのは『胎教』の過程であって、爆発の様な事故ではなく只の『建造の失敗』がおき、魂の無い抜け殻が生まれるだけなのです」

 

「機械そのものに問題があってそれに気付かなかったというのは?」

「それこそありえません、仮に爆発のような大事故を起こすような不具合があれば、そもそも機械が起動しないか、起動したとしても早々に爆発等を起こすはずです。例えるなら『炊き終わって保温状態の炊飯ジャーの蓋を開けたら爆発した』レベルにありえない話なんですよ」

 

「わかりやすいけどもうちょっとこうなんとかならなかったのその例え……」

 

「つまりですね……建造完了時刻の後に、誰かが扉をあけた瞬間に爆発をおこすというのは……」

「……」

 

 タ級は、あまり考えたくない事案を想定して、苦虫を噛みしめるような顔で報告を続けた。

 

「誰かが……意図的に爆発物を仕掛けて……扉の開閉で起爆するように設定していたとしか考えられません……」

 

「……」

 

 

 その瞬間、南方棲戦鬼の顔から感情が全て抜け落ちた。

 

 

「へえ……そう……なるほどねえ……」 

「グエッ……!?」

 

 締め上げから開放された技術艦が床に落下してうめき声をあげたが、南方棲戦鬼はそれを無視してソファに座った。

 

「参謀長艦」

「は、はい」

 

「私達がこの基地へ攻め込んだ時、既にここはもぬけの殻で、特に艦娘や人間共の死体や残骸も発見できなかった。これに間違いはない?」

「はい、あったのは最低限の物資と建造機械ぐらいです」

「ここに陣取ってから脱走兵の数に変化はある?」

「そうですね……以前より脱走兵自体はおりましたが、言われてみるとこの二か月は特に多いですね、いつもの五割増しで脱走兵がでております」

「……」

 

 南方棲戦鬼はしばらく無表情でソファに座ったまま動かない。どうして良いのかわからない参謀長艦や技術艦は冷や汗を流しながら南方棲戦鬼の次の言葉を待っていた。

 

「……ということね」

「え?」

 

 次の瞬間、凄まじい怒気が空間を埋め尽くした。

 

「はなっから、この基地は、囮だったということよ!!あいつら最初から山奥かどこかに拠点を作ってそっちへ逃げ込んでいたのよ!!まんまとだまされたわ!!クソッタレの人間共めええええええええ!!!!!!!」

 

 額に青筋を浮かべ、憤怒の形相で南方棲戦鬼は叫んだ。その圧力だけで地面に亀裂が走り、参謀長艦は心臓が数秒間停止し、技術艦は失禁して気絶した。

 

「参謀長艦!!」

「は、はい!!」

「直ちに周辺の主力艦隊を総員この基地へかき集めなさい!!敵の鎮守府への備えは最低限でいいわ!!」

「は!?は、はい!!」

「部隊が集まったら大して戦力にならない駆逐艦の屑共を前衛として送り込むのよ!、恐らくあいつら山奥に潜んでいる、絶対に見つけ出して一人残らず八つ裂きにしなさい!!一秒でも早く!!わかったらいけ!!」

「はい!!!」

 

 参謀長艦は敬礼をすると、地面で気絶している技術艦を引きずって部屋を後にした。

 

「この恨み、絶対に忘れないわよ……」

 

 南方棲戦鬼は部屋の中でひとり、憎悪の炎を轟々と燃やしていた。

 

 かくして、南方棲戦鬼は遂に石壁達の存在に気がついた。深海の大鬼が率いる悪鬼羅刹の軍勢が、石壁達に牙をむいたのである。

 

 

***

 

石壁達が部屋を後にしてから20分程経過したころ。

 

「……ん?あれ?いけない寝ちゃってた」

 

机に突っ伏して寝ていた青葉が目を覚ました。

 

「ふわぁ……いけない、今何時かな?次の報告が来るまでに今までの情報を精査しないと……え?」

 

体を起こした青葉は自分が提督用の上着を羽織っている事に気が付く。

 

「あれ……?これは、もしかして石壁提督の?」

 

上着のサイズから鑑みて、ガタイが大きい伊能の物であることは考えにくく、必然的にそれが石壁の上着であることは明確であった。

 

「あちゃあ、寝顔みられちゃった……しかも眼鏡の」

 

青葉は自身の失態に顔を赤くする。青葉は好ましく思っている石壁に自分の眼鏡姿をあまり見せたくはなかった。石壁にみせる姿はいつでも自分の一番元気な姿でありたいというのが、青葉の気持ちであった。しかし今回はその眼鏡姿に加えて、寝顔まで閲覧されている。青葉の乙女心が羞恥の悲鳴を上げていた。

 

「あはは、青葉、困っちゃいます。あ、クッキー……もってきてくれたんだ」

 

赤面しながら青葉は机の上に置いてあるクッキーの包みを開く。

 

「……まだ、あったかいな」

 

青葉はクッキーを一枚口に入れてから、石壁の上着をしっかりと羽織りなおす。

 

口中に広がる甘味を堪能してから、机上の冷めきったコーヒーで流し込む。甘味と苦みが混ざり合って青葉の目を覚ましていく。

 

「……よし、頑張ろう」

 

青葉は上着の温かさを暫し堪能したのちに、いつもの笑顔になってそういった。

 

***

 

青葉が気合を入れなおしてから数時間後、事態は動いた。

 

「青葉統括艦!大変です!!」

 

ショートランド泊地情報統括局にて情報分析を行っていた青葉の元に複数名の妖精が駆け込んできた。青葉は手元の資料から顔をあげる。

 

「どうかしましたか?」

 

「深海棲艦の報通信量が急増!南方海域全体へと多量の暗号文が発送されております!!発送拠点は旧ショートランド泊地!!」

「深海棲艦の連絡艦が四方へ散っています!」

「南方海域全体の深海棲艦の動きが急変!この泊地近辺に結集する動きをみせております!」

 

「「「南方棲戦鬼が動きました!!」」」

 

「っ!すぐに報告書をまとめて!急いで!青葉の権限で鎮守府全体に警戒命令をだしてください!!」

 

「はっ!」

 

「青葉は提督の下にいきます!出来上がった報告書はすぐさま会議室にもってきて!」

 

「承知しました!」

 

青葉が急いで駆け出すと同時に、泊地に警戒警報が響いた。

 

***

 

一時間後、会議室にショートランド泊地の首脳陣が集合した。

 

「遂に、来るべき時がきたらしい」

 

硬い表情の石壁が、要塞線の全図を睨みながら話し出した。

 

「情報局の分析によると、敵勢力が結集するのに要するは長く見積もって二日、明後日の午前中には戦闘が始まるだろう」

 

石壁の言葉に、皆がゴクリと唾を飲み込む。

 

「防衛計画自体は完璧に練り上げてある、後は各自が事前の計画に沿って自分の仕事を果たしてくれれば、なんとかなるだろう……でも……」

 

そういいながら、泊地防衛計画のある一点を睨んだまま、石壁が続けた。

 

「当初の予定であった敵戦力撃滅を最終目的とする『甲案』を発動するには最後の一押しが、足りないんだ……」

 

石壁達の防衛計画は、大きく分けて三種類の候補が準備されていた。

 

「敵戦力に壊滅的打撃を与えて撤退させる『乙案』、戦略的持久を目指してひたすら遅滞戦術に徹する『丙案』に関しては問題はないけど……敵を撃滅する最後の戦力が足りない以上、『乙案』を採用せざるを得ない……よって防衛作戦の主軸は事前想定案の内、乙案をーー」

「ちょっとまて石壁」

 

石壁のその言葉に、伊能がまったをかける。

 

「……どうした?」

「石壁、何故嘘をつく」

 

伊能の言葉に、石壁が黙り込む。

 

「確かに艦娘建造機械の奪取に失敗し、俺たちの泊地の艦娘はあまり増えていない。だが、甲作戦自体は決行可能な程度の戦力は用意できているだろう」

「……」

 

石壁は答えない。否、『答えられない』。心臓が痛いほど音を鳴らし、口が緊張でカラカラに乾いているのを石壁は感じていた。

 

「何故命じない。何故俺たちに行けと命じてくれないんだ、石壁」

 

伊能の自身を真っ直ぐ見つめる視線から、石壁は目をそらす事ができない。

 

「最初からわかっているのだろう?この作戦に遊ばせることが出来る戦力など無いことを。俺たち陸軍がーーー」

 

『命を掛けないと、勝てないのだから』

 

その言葉を告げようとした瞬間、石壁が叫んだ。

 

「黙れ!!!」

 

「「「「「「「っ!?」」」」」」」

 

石壁の怒号にその場に居る全員が息を飲んだ。

 

石壁は顔を真っ青にして荒い呼吸を繰り返している。伊能が言おうとしたその言葉だけは言わせたくなかったのだ。

 

「……怒鳴ってごめん。少しだけでいい、頭を冷やしたいんだ……休ませてくれ」

「あ、ああ」

 

石壁の言葉に伊能が頷くと、会議は小休止となった。

 

石壁は会議室をでると、外の空気を吸うために隠蔽された監視壕にやってきた。

 

既に日は落ちている。壕の外は闇に包まれており、その視線の先に光は見えない。

 

「……わかっている、わかっているんだ。そんな事は」

 

伊能が言おうとした言葉は石壁が一番よく知っている事だった。

 

だからこそ、石壁は是が非でも艦娘の建造手段を欲したのだ。人間や妖精達より格段に丈夫で強力な艦娘達の戦力が必要だったのだ。それが失敗に終わった以上、もはや伊能を始めとした陸軍妖精達の決死作戦なくして敵戦力撃滅は成しえない。

 

深海棲艦の最も恐ろしい点はその無尽蔵の戦力だ。鬼級や姫級の深海棲艦が一人いればそれだけでいくらでも戦力は補充できる。故にこそ、南方棲戦鬼の撃退ではなく撃滅が必要なのだ。石壁達にはそれができる。この要塞があれば、伊能達が居れば。

 

だが、それに必要となるのは文字通りの命。多くの仲間の命をベットして、ようやく賭けの席に着くことができるのだ。

 

「……」

 

言わねばならない、だが言いたくない。言えば、皆間違いなく実行してくれるから。躊躇いなく自分の命令で死にに行ってくれるから。

 

「……お悩みですな、総司令長官殿」

「……騎兵隊長か」

 

石壁の背後から騎兵隊長がやってくる。

 

「部下に死ねと命じるのは、お若い貴方には辛いでしょう」

「……はは、ごめんね、情けない総司令長官で」

 

石壁は、案じるような騎兵隊長の言葉に自嘲気味に答えた。

 

「確かに、石壁提督は大変若く、大変頼りなく、大変情けない総司令長官でございますな」

「返す言葉もないよ……」

 

騎兵隊長の歯に物を着せぬ言いざまに、石壁が苦笑する。

 

「ですが、そんな貴方であるからこそ。我々は力を貸したいと、そう思うのですよ」

「……え?」

 

それはこの泊地に集う者達全ての総意であった。

 

「我々の為に、貴方は常に頑張っておられる。一人でも多くの命を救うために身を粉にして働いておられるのだ。貴方は常に我々の隣に立って、我々を自身と同じ、大切な命あるもの、今を生きるものであると……こんな生きているのか死んでいるのかも分からぬ妖精達を、いつもそう思って扱っておられる」

 

石壁にとって、妖精さん達は『大切な仲間』で、『確かに生きている命』である。だからこそ、そんな妖精さん達を死にに行かせる事に、石壁は苦しんでいる。

 

「貴方は軍人として軟弱で、上官として失格で、泊地の総司令長官にふさわしくない人間だ」

 

それは、石壁自身が常に自覚している事。

 

「だが、一人の『人間』として、共に戦う仲間として、この泊地の者は皆貴方の事を心から敬愛しております。石壁堅持殿」

「騎兵隊長……」

 

それは、泊地に住む全ての『人間』が心に思う事。

 

「石壁提督、私に……我々騎兵隊に……大切な仲間達の未来を切り開く術を下さいませんか?泊地に住まう全ての『人間』の為に。私達は、戦いたいのです」

 

そう言って、騎兵隊長は頭を下げた。

 

「……まず間違いなく、騎兵隊は死ぬ。それでも……やるっていうのか?何故そこまで……」

「……これが、恐らく最後の晴舞台となるでしょうから」

 

騎兵隊長は顔を上げた。

 

「……騎兵とは、敵陣を切り裂く事を至上の誉とする兵科です」

 

それは、はるか過去に消え去った栄光の兵科。

 

「仲間の為に一気呵成に敵中に飛び込み、勝利を目指して縦横無尽に敵陣を駆け巡る。それが我々の最も望む戦いです」

 

その様な戦いは、最早古ぼけた太古の英雄譚でしか存在しえない。

 

「たとえその過程で地に伏す躯と化したとしても」

 

だが、否、だからこそ

 

「我々はただ、一瞬の風となって大地を駆け抜けたいのです」

 

彼らはただ憧れていたのだ。その雄姿に。

 

「……僕が命じれば、君たちは地獄まで駆け抜けてくれるのか」

 

「無論です。我等一同、その鉄血の士魂でもって最期の瞬間まで石壁殿の為に駆け抜けましょう」

 

第十一装甲・騎兵混合連隊、通称、鉄血士魂隊。

 

今までの戦いの中で、多くの輩(ともがら)が散っていき、最後の最後に唯一残った陸軍妖精騎兵部隊と戦車部隊の混合部隊。

 

装甲という鉄と、騎兵と言う血を士魂という武士(もののふ)の心で繋いだ、鉄の結束と血より濃い絆で結ばれた部隊。

 

士は己を知る者の為に死すという。

 

石壁は騎兵隊が望む最期を朧気ながら掴んでいた。だからこそ、この重大な任務を与えるとしたら、この男達が適任であろうと知っていた。

 

だからこそ、石壁はその事を今ここに至っても悩んで、苦しんで、この命令を下す事が出来ずにいた。

 

ただ機械的に死に場所を用意されても彼らは喜ばない、ただ同情されても、彼らは絆されない。

 

その命令を下す事の意味を熟考し、理解し、戦略的に正しくともなお苦しむ石壁だからこそ、彼らは己の命を懸けてでも報いようとするのだ。

 

石壁というほっておけない情けなくも頼もしい漢だからこそ、彼らは戦いに赴くのだ。

 

それこそが石壁の英雄の資質。数多の英雄たちに己の命をかけさせる、天性の人たらしとしての才能であった。

 

石壁を最も苦しめる、英雄としての力であった。

 

 

***

 

 

10分後、石壁は作戦会議室に戻ってきた。その顔つきは明らかに先ほどと違う。

 

「ごめん、またせた」

 

そういって、石壁は、会議室にいる面々をしっかり見つめてから、宣言した。

 

 

 

 

「この戦いにおける作戦要綱はーー」

 

 

 

***

 

 

翌日、石壁は可能な限り全ての将兵を鎮守府の練兵場に集めた。数千名にも及ぶ妖精と、数十人の艦娘が石壁を待っている。

 

 

「石壁提督の入場!総員敬礼!!」

 

あきつ丸の号令一下、皆が敬礼する。ここには今、この鎮守府のありとあらゆるものたちが詰めかけている。警備で来れない者達もまた、無線機に耳を傾けている。

 

ここに居るのは皆、石壁が集めた仲間達だ。人も、艦娘も、陸軍の妖精も、そして、深海棲艦でさえも……

 

一歩一歩、石壁は壇上へ近づく。壇上へかけられた日章旗へ一礼してから、前を向いて皆に一礼する。

 

「どうも、石壁です」

 

あいかわらず覇気のない男だ。一瞬緊張した空気が緩む。適度に空気が弛緩したのを感じた後、石壁は本題にはいる。

 

「皆に大事な話がある。この要塞が、どうやら敵に捕捉されたらしい」

 

ざわざわと動揺が走る。ついにこの砦に敵が押し寄せてくるのだ、その反応もしかたあるまい。その反応をみながら、石壁が頷く。

 

「そうだ、敵が押し寄せてくる。あの深海の悪鬼羅刹が率いる魑魅魍魎の軍団がこの要塞へ押し寄せてくるんだ。こんなに恐ろしいことはない」

 

大なり小なり、皆深海棲艦への恐怖が表に出る。それを見ながら石壁は突如として声の調子を変えた。

 

「……ところで、皆、この要塞での暮らしは慣れたかい?」

 

唐突な話題の変更に多くの者が面食らう。

 

「僕は最初、こんな山の中のオンボロ要塞へやってきたとき嫌で嫌でしょうがなかった。敵におびえ、来るのかわからない味方を苦しみながら待ち、日々の重責に胃を痛めて、なんどもなんども逃げ出したいと思った。何もかも投げ捨てて遠くへ行きたかった。おそらく鳳翔あたりに本気で泣きついたら僕をどこかに連れて逃げてくれただろうね」

 

その情けない暴露に、幾分笑いがこぼれる。

 

「でも、僕は逃げなかった。何故かわかるかい?」

 

提督が笑う。皆をみて笑う。

 

「皆が必死に頑張ってるのを見てるとさ、『死なせたくないな』って想っちゃったんだ。僕なんかの弱くて頼りない肩の上に乗った皆を、全部が全部一切合財、僕の力の及ぶかぎりこの手ですくい上げたいってそう想ったんだ」

 

いつのまにか、皆が石壁をじっとみつめる。その頼りのない体躯からは想像もできないほどの重圧を受け止めていた覚悟の一端を垣間見る。

 

「僕は所詮貧弱な一人の人間、背負える重荷に限界がある。砲も撃てなきゃ敵のそっ首叩き落とす力量もない。まして、あの悪鬼の軍勢に対抗できるわけがない……でも……」

 

そう言って皆をみる石壁の瞳には、揺るがぬ信頼、戦う覚悟が燃え盛る。石壁はこの時、この瞬間をもって、一人の戦う男となった。たとえ力及ばぬといえど、その命つきるその瞬間まで戦い抜くという戦士の覚悟だ。

 

「僕には皆がいる。皆と築き上げたこの要塞がある」

 

万の敵が押し寄せても揺るぎもしない鋼の結束と鉄の城塞がある。

 

「僕達が守る、僕達の要塞に、わざわざ自分のテリトリーである深海からやってきて、不慣れな陸上をやって来ようっていうんだ。僕らの泊地は、そんな連中に負けるほどの脆弱なものだったか?」

 

石壁の言葉に、その場にいる全員の瞳に炎が灯る。

 

そうだ、ここは俺たちの要塞、俺たちのテリトリー。底の見えぬ深海でも、悪鬼の蔓延る鉄床海峡でもない。ここは、俺たちの泊地!!

 

そんな思いが、見えぬうねりが、空間に渦巻く。この二月で培われた圧倒的な自負。自分たちが築いた最強の要塞への信頼。提督の覚悟にあてられた戦士たちの覚悟が迸る。

 

「僕らはただ、奴らに思い知らせてやればいい。自分たちが挑む壁の厚さを。この泊地の強さを!たとえ百の砲弾で殺せぬ敵がきても、千の砲弾を叩き付けて押しつぶせばいい!!それが僕らの、この要塞の戦いだ!!!」

 

石壁が手を振り上げる。

 

 

「この泊地をなめ切った奴らの額にありったけの120ミリ砲弾を叩き込んでやれ!!!」

 

 

その瞬間、大地を揺るがす様な雄叫びが上がる。合計して5000人近くになった妖精達の魂の雄叫びだ。滾る戦意が空間を焼き尽くし天へ昇る。妖精の多くは元軍人だ。負けて、負けて、負けて、しまいには自らの命すらなげうって戦い抜いた本物の大和魂をもつ英霊達だ。ここまで言われて滾らぬ道理はない。

 

この情けなくも頼れる石壁は、その自身の運命の一切を自分らに預け、かつそのうえで自分たちの一切を救おうとしているのだ。

 

男たちはその魂に従い戦場へ赴く。決戦の用意は整ったのだ。

 

 

***

 

 それから翌日の戦いに備えて、普段より数段豪華な飯と、明日に差し支えないようにごくごく僅かではあるが酒が振舞われた。

 

 要塞に居る殆ど全てのものが、笑いあい、語りあい、美食に舌鼓をうち、酒の甘露さを楽しんだ。人間が、艦娘が、妖精が、深海棲艦が……この地獄の泊地に集った、生まれどころか種族すら違う大勢の仲間達が、隣り合って笑いあった。

 

 明日は文字通りの決戦となる。今この場にいる者のうち何名が戻ってこられるのかわからないのだ。

 

 だからこそ、笑いあう。この世に未練を残さぬように、明日の不安を隠すように……そして、この最悪の泊地の大切な仲間達との記憶が、最高のものであるように、彼らは笑いあっていた。

 

 

 

 

 遂に、戦いの時が来る。

 

 

 

 



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第十八話 要塞線の死闘 上

遂にここまで来ました、要塞VS艦隊を書きたくてこの小説を始めた様なものですので、とても感慨深いです。

第一部終了までもう少しですので、最後まで楽しんで頂けると幸いです。

なお、中編と下編につきましては、急に入った接待の仕事で作者がこれからPCに触れず、最終チェックが出来なくなったので、明日投稿させていただきます。申し訳ございません。




 運命の日がやってきた。石壁達が心血を注いで作り上げた要塞に、審判が下る日が来たのだ。

 

 南方棲戦鬼を総大将とする深海棲艦南方海域方面軍団が、その総力を結集して要塞へ襲い掛かってくる。

 

 それを迎え撃つのは、たった二ヶ月でくみ上げた即席の要塞に立てこもる、新任の提督を総大将とする寄せ集め部隊。

 

 絶望的な戦力差である。常識的に考えて、石壁達の運命は風前の灯火にしか見えない。

 

 だが、要塞にこもる人間は、一人も絶望していなかった。誰も彼もが、己の死力を尽くして、戦い抜く気概をもっていた。

 

 ここに、石壁提督の初陣として歴史にその名を刻んだ伝説の戦い、『要塞決戦』の火蓋が切られたのである。

 

 ***

 

 石壁達が泊地にきてから丁度2か月目の朝。

 

「……こちら、第六東部方面観測所、こちら、第六東部方面観測所、作戦本部聞こえますかどうぞ」

 

 ここは旧ショートランド泊地を監視するための、隠蔽された監視所、そこに詰める妖精が、通信機に声をかける。

 

『こちら作戦本部、聞こえている、どうぞ』

 

 観測妖精はゴクリと唾を飲み込むと、言った。

 

「深海棲艦の西進を確認……!遂に、動き始めました……!!」

 

 

 隠蔽された観測所に詰める妖精達の視界の先、大地を黒く埋め尽くす深海棲艦の津波が、要塞にむけて進んでいく。

 

「大地が六分に地面が四分!繰り返す、大地が六分に地面が四分!凄い数だ、陣形構成は三つ、先方に多数の駆逐艦を置いて先行させている!その後方に巡洋艦級が布陣、最後尾に戦艦を始めとした大型艦を配置している!」

 

 恐らく、通常の鎮守府では抵抗すらできないであろう、その想像の埒外の超戦力に、妖精は戦慄した。

 

 

 

「要塞線での接敵は近い!!幸運を祈る!!

 

 ついに、戦いが始まる。

 

 

 ***

 

 数時間後、要塞の最前線のトーチカ陣地にて、砲兵妖精達は遂にその黒い津波に遭遇した。

 

「来やがった……!」

 

 妖精隊の眼前に、大地を埋め尽くすように深海棲艦が群れをなしてつっこんでくる。その圧倒的圧力は、見る者に根源的な恐怖を想起させる。

 

「まだだ!まだうつなよ……!」

 

 迫りくる大軍を前に生唾を飲み込む。砲門の先には敵の群れ、今やどこへ撃ってもあたりそうだが、何度も何度も訓練したように、焦らず、じっと、敵がこちらのキルゾーンへと入り込むのを待ち続ける。

 

「総員、射撃用意!」

 

 石壁の号令が、放送を通じて壕の中に響く。ついに、敵がキルゾーンへと足を踏み入れたのだ。

 

「3!2!1!」

 

 カウントが、終わる

 

「……撃てぇ!!!!」

 

 開戦を告げる号砲が世界を揺るがした。

 

 ***

 

 砲撃開始の数分前、要塞に進行する深海棲艦達は、緊張感もなく進軍していた。

 

「なあ、山の奥にいるのは、海岸線の鎮守府をすてて逃げ出した敗残兵なんだろう?こんな大規模な艦隊を進ませる必要なんてあるのか?」

「知らないよそんなの、どうせ、圧倒的な戦力で敵を押しつぶしたいっていう南方様の我儘でしょう?」

 

 そういいながら、陸上を進む大地を埋め尽くす駆逐艦級の深海棲艦の群れ。

 

 彼女達は深海棲艦側の第一陣、本体の露払いとして編成された、駆逐艦級の深海棲艦たちだ。

 

 だが、その数は圧倒的であり、露払いとはいっても並みの敵なら苦も無く押しつぶせるだろう。

 

「だからって多すぎだろ、みてみろよ、見える大地より私たちの方がおおいじゃん」

「無駄口叩かないの……え?それおかしいわよ?」

「なんで?」

「だって、私たちはある程度『拡散しながら進んでいた』筈なのよ!?なんでここまで部隊が密集しているの!?おかしいわよこれ!!」

「は?」

 

 最初は山岳部へむけてある程度広がりながら進んでいた筈の深海棲艦達が、気が付くと別動隊の深海棲艦達まですぐ傍にいるほど、密集している。

 

 否、意図的に『密集させられていた』のだ。

 

 彼女達は山へむけて進んでいる。当然その進行ルートは、川や谷や、崖といったものにさえぎられて自然と限られたものになる。もしその途中で10本あった道が9本へ、8本へ、7本へと少しづつ減っていけばどうなるであろうか?道がへれば自然と進行ルートが濃縮していく。つまり部隊が密集してくのだ。

 

 石壁達は、事前に崖を削ったり、余った鉄骨に土をもって山を作ったりして、自然と部隊が密集するように地形を整形していたのだ。これによってじわりじわりと部隊が、一番『殺しやすい位置』へ密集する、砲弾が密集するキルゾーンへと勝手に敵が進んでくる。自分たちの足で、処刑場への道を歩ませたのだ。

 

 これが石壁達の第一の策、地形の整形による敵の進軍ルートの固定化である。

 

「はやく隊長に報告を……!」

 

 その事に気が付いた時には、もう手遅れだった。

 

 その瞬間、無数の砲弾に体を食い破られて、彼女の部隊は文字通り消滅した。

 

 ***

 

「……撃てぇ!!!!」

 

 轟音と共に砲弾の暴風雨が深海棲艦達に叩きつけられる。

 

 山岳部の傾斜を活かした要塞線である。高低差もあるため、敵からすれば前方の上下左右至るところに存在するトーチカ陣地から自分たち目掛けて一点集中射撃をされているようなものだ。 

 

 音速を遥かに超える砲弾は空気を切り裂き敵へと殺到する。事前に成形された土地に従って進軍してきた深海棲艦達にもはや逃げ場など存在しない。

 

 要塞線という面で照射された砲弾が、狭められた進行ルートという点に集中する。まるで虫眼鏡により集中した光が紙を焼くように、集中する砲弾が敵を焼き切っていく。

 

 最前線で集中する火砲を受けた深海棲艦達は自身に何が起こったかを把握する前に即死した。細切れに分断された鉄塊となって地面に倒れ伏す。

 

 そして、前面の敵を貫通した砲弾は、当然後方の敵に突き刺さり炸裂する。

 

 前面部の多くの深海棲艦が致命傷を追う、そこでやっと深海棲艦達は自分たちが砲撃にさらされていることに気が付いた。

 

「敵砲弾炸裂!敵だ!敵がいるぞおおおおおおお!!」

 

 だれかがそう叫んだ瞬間、止まっていた時間が動き出した。すぐさま、石壁が次弾を装填してまた打ち出し、その度にバタバタと深海棲艦が死に絶えていく。

 

「がああああああああああああああああああ!?」

「くそっ!!罠だ!!ひけ!!ひけええええええ!!」

「おい押すな!!やめろ!!後ろからおすなあああ!!」

「どこにも動けない!!動けないよおおお!!」

 

 最前線はたちまち阿鼻叫喚の地獄と化した。狼狽し撤退しようとする前列と、前進しようとする後列が押し合いになり中央の敵を圧殺する。そこへ砲弾が複数発飛び込んで混乱に拍車をかける。

 

 その合間にも砲弾の雨は止まない。石壁の命令を忠実に遂行する砲兵隊に迷いは無い、即ち、全力射撃。

 

 一人が撃ち、一人が排莢し、一人が装弾し、一人が調整する。四名一組の砲兵がまるで一つの機械のように、淀みなく、迷いなく、ただひたすらに砲弾を打ち続ける。

 

 とまらない、砲弾はとまらない、鍛え抜かれた砲兵隊が、重厚にして精緻なつくりの要塞陣地が、頼りない火砲を恐ろしい殺戮兵器へと変貌させたのである。

 

 

 

「す、進めえええええ!!道は前にしかないんだ!!進めええええええええ!!」

 

 どこにも逃げられない事を悟り、覚悟をきめた隊長級の深海棲艦の号令の元、深海棲艦達が前にむけて全力でかけだす。

 

 深海棲艦の濁流が、要塞線を飲み込まんと流れ出す。

 

「絶対に近づけるな!!撃って打って討ちまくれ!!一人残らず殺し尽くせ!!」

 

 石壁の号令の元、火力がさらに敵に集中していく。流れ出そうとする悪鬼の濁流を砲弾の堤がせき止める。

 

 1メートル進軍するたびに、数十名の深海棲艦達が絶命する。隣の僚友が、一歩進むたびに減っていく。

 

 真正面から砲弾を食らって一瞬で絶命する無数の深海棲艦達、死体となった僚友が歩みを止めると、その死体を乗り越えて次の深海棲艦が前にでる。

 

 だが、集中する火力の苛烈さは、深海棲艦達の想像を絶する凄まじいものとなる。まるで機関銃掃射をうけた歩兵の様に、強靭な筈の深海棲艦がバタバタと絶命していく。

 

 まるで旅順か奉天か、要塞に突撃する兵と、それを防ぐ要塞の戦いは、日本と敵国を逆にして再現されている。

 

 情け容赦無き戦場の女神の歌声が鳴り響けば万雷の拍手の様な轟音と共に一切がこの世から召し上げられてしまうのだ。

 

「深海棲艦の艦砲射撃きます!」

 

 山頂の観測所からの報告が無線を電波するや否や、敵前衛部隊の後方から、戦艦級の深海棲艦の艦砲射撃が開始される。

 

「対ショック体勢!砲撃くるぞぉ!!」

 

 石壁の叫びが切れる前に、戦艦クラスの圧倒的破壊力をもつ砲弾が、要塞へばらまかれる。

 

 着弾するたびに大地へクレーターをつくり、爆風は前衛の深海棲艦すら巻き込んで要塞へダメージを与える。

 

 だがしかし

 

「ははは!!すげえや、あれだけしこたま打ち込まれてもびくともしねえぞこの要塞!!」

 

 要塞は揺るがない、第二次大戦時代、米軍は日本の地下壕を利用した要塞へ地形が変わるほどの砲撃爆撃を繰り返してから上陸作戦をとったが。その地下壕の大半は生き残っており、その対応に大層苦慮したという。

 

 この要塞は、石壁達が心血を注ぎ作り上げた、その地下壕要塞の発展型だ。大雑把な艦砲射撃なぞ何発食らったところで恐れるにたらぬ。

 

 砲兵隊妖精達は、自身の籠る要塞の凄まじさに興奮しながら声を張り上げた。

 

「そらぁ!!お返しだ!!たっぷりくらいやがれ!!」

 

 砲撃が止めば即座に反撃に出る。艦砲射撃の威力に慢心し、不用意に近寄ってきた愚か者に容赦無く砲弾を叩き込む。

 

 圧倒的火力をもつ援護射撃をもってしてなお、要塞は揺るがぬ、砲弾は止まらぬ、深海棲艦達には絶望しかまっていなかったのだ。

 

 それによって前線の深海棲艦駆逐艦達に動揺が走る、足が竦み、前に進もうとする気概が減っていく。

 

 それを感じ取った石壁は、叫んだ。

 

「明石!敵の第一陣の心が折れかけてる!!鉄鋼爆裂弾を起爆しろ!!どうせ巡洋艦以上には大して効かないんだ、出し惜しみせず全弾爆裂させて心を折ってやれ!!」

「はい!工兵隊に入電、鉄鋼爆裂弾、全弾起爆!!くりかえす、鉄鋼爆裂弾、全弾起爆!!」

 

 その瞬間、事前に地中に設置されていた爆弾が起爆する。

 

 余った砲弾を改造することで爆弾の炸薬とし、その周辺に大量のガソリンと鋼材の破片を仕込んだ特製爆裂弾。これが深海棲艦の進行ルートの至る所に埋没していたのである。

 

 起爆されたそれは、まず爆裂によって仕込まれた鉄鋼片を四方八方にばらまく、無論一撃で深海棲艦を殺す程の破壊力こそ持たないが、高速飛来する鉄鋼片は裂傷という分かりやすい「痛み」を心身に刻み込む。

 

 そして、当然ガソリンは起爆と共に轟音と爆炎を生じさせる。

 

 自分たちの周囲のあちこちで一斉に轟音と爆炎が発生し、あるものは炎に飲まれてもがき苦しみ、あるものは鉄鋼片に体をズタズタにされ、無事なものでも衝撃と共に飛来する鉄鋼片で傷ついている。

 

 そう、この戦場に、安全な場所などどこにもないのだと、この場に居る深海棲艦の全員が理解せざるをえなくなる。

 

 さて、実は軍隊において分類上『全滅』と定義される部隊の損耗率は大体3割程度である。なぜ5割にも満たない数の兵が死ぬだけで全滅扱いになるか、皆さまは知っているだろうか。

 

「う……うわああああああああああああああああああああ!!嫌だ!!死にたくない!!死にたくないいいいいいいいいいいい!!」

 

 ある深海棲艦が、隊列を離れて逃げ出す。

 

「おい逃げるな!!クソッ悪く思うなよ!!」

 

 部隊を統率する深海棲艦が、逃亡した部下を射殺しようと砲をむけた瞬間……

 

「私も逃げる!!邪魔をする奴は死ね!!」

 

 上官の目線が外れた深海棲艦が、上官を背後から打ち抜いた。

 

「……お、ご?」

「ちっしぶとい!これでくたばれ!」

 

 痙攣する上官の頭蓋を踏みつぶして止めをさし、深海棲艦が逃げ出す。

 

「こんな所で死んでたまるか!!おいみんな逃げろ!!どうせ南方棲戦鬼のアバズレに部下の区別なんかつかないんだ!!あんな奴の娯楽の為に死んでなんかやるか!!」

「そうだ!やってられるか!」

「あの鬼婆の為に死ぬのなんかまっぴら御免だ!!」

 

 一つの方向にむけて進んでいた筈の深海棲艦が、バラバラの方向へむけ走り出す。もはや、作戦行動をとれる体ではなくなる。そう、これが全滅の扱いになる理由だ。

 

 平均的に、部隊全体の3割が死ぬとその時点で部隊は作戦行動をとれなくなるのだ。士気を維持できなくなる。戦意を喪失する。脱走兵が相次ぐ。理由は多々あれ、結果として部隊を戦力として維持できる限界点が、損耗率3割なのだ。

 

 近現代においてこの数字を無視して戦い続ける事が出来た軍隊は殆ど居ない、文字通りの全滅まで戦えたのは、精々大日本帝国陸軍だけだ。彼らだけが、全体損耗率9割を超えても組織的に戦い続けることができたのだ。帝国陸軍の精強さの源は、彼らの精神力に帰結するのである。

 

 全戦力を一方に集中することでようやく進んでいた深海棲艦達の進軍が停止する。時間当たりのキルレートが、侵攻ペースを上回ったのである。

 

 これによって遂に、深海棲艦達の進軍が実質的に止まったのである。

 

 

「ぐ!?畜生!!なんだこいつら!?なんだこの要塞は!?山に逃げ込んだ敗残兵じゃなかったのか!?」

 

 先遣隊の隊長が、叫んだ。

 

「これのどこが敗残兵だ!!情報部の無能どもめ!!我々を捨て駒にした南方棲戦鬼のドぐされ女め!!地獄に落ちろおおおおお!!」

 

 大勢の部下を失い、己の運命を悟り、呪詛をはききった先遣隊の隊長もまた、砲弾に穿たれてこと切れた。

 

 戦闘開始より一時間、この時点で第一次攻撃隊の半数が死傷、残りの半数の大半が四方八方へ逃走したことで、戦闘能力を損失した。

 

 

 

 

 要塞決戦の序盤は要塞側の圧勝に終わった。寄せ集め部隊の、弱者の砲弾が、世界を滅ぼす悪鬼の軍勢を押しとどめたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 ***

 

「南方様!第一次攻撃隊壊滅状態です!敵は第二次大戦時代の日本式地下壕要塞に立て篭もっており、ただの砲撃と突撃では太刀打ちできません!」

 

「ちぃっ!なんて忌々しいもの用意してるのよ……!」

 

 南方棲姫は歯噛みすると、命令を下す。

 

「あれはもう虱潰しに地下壕を潰していくしか攻略法は無いわ!米軍の真似をするのは癪だけど近接し直接砲撃を壕へ叩き込んで一つ一つ穴を潰して行くのよ!第二次攻撃隊出撃!第一次攻撃隊の残存勢力を吸収しつつ前進し、要塞に取り付きなさい!」

「し、しかしあの陣地に突撃するのは自殺行為ですよ!?」

 

「敵に殺されるか私に八つ裂きにされるか選べ役立たずの穀潰しが!貴様らがいくら死のうと変わりはいくらでも居るわ!!」

 

 主砲を向けられた参謀は震え上がって命令を下す。

 

「だ、第二次攻撃隊出撃せよ!第一陣を吸収しつつ突撃し、数を活かしてに敵を圧殺するのだ!急げ!」

 

 ***

 

 

「第一次攻撃隊壊乱!比較的統率を保った部隊は後退していきます!」

「敵第二陣が急速前進!第一陣の残存兵力を吸収が狙いかと思われます!」

「前線ではいまだに砲撃戦は継続中!一部先行巡洋艦が砲撃戦で撤退支援をしているようです!」

 

 第一次攻撃隊は壊乱した、圧倒的数の暴力を、それを圧倒する数の暴力で打ち破ったのだ。

 

 だが、これから出てくるのは、数こそ駆逐艦に及ばぬものの、重装甲に重火力をもつ巡洋艦以上の深海棲艦達である。

 

「ここからが、正念場だ!各員気合を入れろ!」

 

 

「「「了解!」」」

 

 石壁の言葉に、全員が力いっぱい返事をした。

 

 

 ***

 

 ここは最前線のトーチカの内部。

 

 かれこれ一時間近く砲撃を続けている砲兵隊は疲労の極地にあった。

 

 砲弾とは極論すれば火薬の塊だ。発射すれば当然火を吹く。砲弾を撃つたびに砲身は熱を帯び、赤熱する。

 

 故に隊員たちは砲身が熱で曲がらないように水をかけて冷やし、ただひたすらに打ち続けた。

 

 必然的に壕の内部は熱せられた砲身と、排出した薬莢と、砲身にかけた水の蒸気で茹だるような熱さになっている。サウナの中で重労働に従事しているようなものだ。

 

 砲兵隊は排煙で咳が出そうになるのを必死にこらえ、マスク代わりの布切れが水分を吸って呼吸すら困難な状況で、必死に戦っているのだ。

 

 繰り返される轟音に耳がやられる、呼吸も苦しく、視界が霞む。それでも、彼らは止まらない。

 

「ごほっ……次弾装填完了……!!」

「発射……!!」

 

 しかし、次の瞬間砲身が破裂した。

 

 生身の砲兵隊より先に他の部分が限界を迎えたのだ。加熱と冷却を繰り返された事でついに砲身が歪みきり、内部で砲弾が弾けたのだ。

 

 砲兵隊の妖精達は、衝撃で弾き飛ばされた事で足から力がぬける。

 

(ああ……もうここまでか……)

 

 倒れ伏そうとした、その瞬間、背後から抱きとめられた。

 

「しっかりしろ!交代だ!おいお前らその鉄くずさっさと銃眼から引っこ抜いて新しいの突き出せ!グズグズすんじゃねぇぞ!!」

 

 その号令の元、新しい砲がすぐさま設置され、交代要員がまたたく間に砲撃を再開する。

 

 抱きとめられた砲兵は、新しくきた班長の顔を見る。

 

「よく頑張った。安心して休んでろ」

 

 ニッと笑って班長は衛生兵に兵士を受け渡した。

 

「後は俺達にまかせろ!」

 

 そういって、班長の妖精は砲撃指揮に戻った。

 

 担いでくれている衛生兵は、えらくジジ臭い口調で喝采をあげる。

 

「あの坊主はほんに優秀じゃなあ!人員配置と補給のタイミングが絶妙じゃ!欲しいと思った時に欲しいものがすぐそばにある!ああいう奴がワシらの時にもおったら米軍なんぞにまけんかったかもしれんのう!」

 

 耳をやられてよく聞こえないが、それでもなんとなく言いたいことはわかった。

 

 自分達の総司令官が、本当に頼りになる男だという事がだ。

 

 ***

 

 戦争は始まるまでの準備ですべてが決まる。如何にして始めるまでに必勝の準備を整え、それをつつがなく遂行するかが重要なのだ。

 

 そういう意味ではこの石壁という男は本当に頼りになる男だった。

 

 石壁提督は防衛戦に天才的な才覚を持つ男だ。そして同時に、明石と間宮を召喚できたことからも分かる様に、兵站業務にも並外れた適性をもっていたのだ。

 

 絶対に途切れない物資輸送網を整備し、壊れてもすぐ換装できる兵装を準備し、限界がきたらすぐ交代できる兵員を配備する、言葉にすればありふれたものだが、実際にそれを実現するのは並ではない。

 

 この二か月の間に石壁が必死に成し遂げた事は、その体制の確立であった。

 

 まず、数個のトーチカを指揮し前線を支える小指揮所、複数の小指揮所を統括する防衛区画ごとの中核となる中指揮所を新たに設立した。

 

 中指揮所が小指揮所の状況を細かく分析して把握する事で、今まで石壁のいる本指揮所まで直接上がってきていた情報が精査され、纏まってから上がる様になった。これによりいままで一々差配が必要だった細々した業務や指揮の大半がシステマティックに処理されるようになったのである。

 

 各指揮所で対応可能なものはそれぞれに対応し、対応不可能なものは上位の指揮所へ伝達しそこで処理、更にそこでも対応不可のものは上の指揮所へと回す、こうすることで重要な案件のみが本指揮所へやってくるように調整し、本指揮所の石壁が過剰な情報の密集でパンクしないように調整したのだ。

 

 また、各指揮所はそれぞれ小中大の物資集積所もかねている。前線のトーチカにリアルタイムで物資と人員を補給するのが小指揮所で、事前に規定されたシステムに従い上の指揮所へと追加の物資と人員の要求を伝達する。中指揮所はつたえられた小指揮所の状況に応じて資源と人員を随時派遣する。また、多くの案件はここで処理されてしまう。後は処理された情報と一緒に本指揮所の石壁と間宮のもとに、必要な情報が届き、命令と物資が前線に送られるようになったのである。

 

 

 また、物資の発注方法も調整した。まず事前に[物資ー弾薬]や、[物資ー医薬品]、[人員ー砲兵]、[人員ー衛生兵]、などといった規格化された命令書を最前線に大量に用意しておき、前線の輸送部隊はその命令書と物資をもって小指揮所へと物資を取りに行く。

 

 

 小指揮所では命令書と交換する形で即座に物資を渡されるため、前線には即座に物資が届く。そして、その命令書はそのまま中指揮所へ運ばれる。

 

 中指揮所へ運ばれた命令書は即座に集計される為、ここで各小指揮所の資源や人員の状況可視化されるのである。可視化されたデータを元に、前線に補給された小指揮所の物資人員が中指揮所から小指揮所へ随時送られるのだ。その際、ついでに命令書は元の位置へ戻される。物資と人員の差配が小中の指揮所の間で完結しているのだ。

 

 最終的に中指揮所は物資と人員の残数のみを本指揮所に伝達することで、その分を間宮にドカッと補充してもらうのである。

 

 一見煩雑に見えるが、長時間の連続戦闘時にこそこの体制が映えてくる。なにせ、どれだけ戦っていても正面戦力に陰りが見えてこないのだ。最適なものが最適な場所へ最適なだけ届くのである。弾がほしいと思った時にそこに弾があり、もう無理だと思った時に交代がくるのである。交代や弾切れの時間ロスがほぼないのだ。前に居る人はひたすら戦闘に集中すればいいし、後ろの人はひたすら補給に集中できる。泥縄式に補給や交代を行わなくてよいのだ。

 

 さらにいえば、指揮官の仕事は石壁だけができることと石壁以外もできることに大別でき、石壁以外もできることを石壁がやっていては大切な将校の無駄遣いである。石壁は石壁にしか出来ない事をやるべきなのだ。これは石壁という大ゴマを最大限活かすためのシステムであると言ってもいい。

 

 これはコンビニの集配送システムや、ジャストインタイム、通称カンバン方式と呼ばれる日本が世界にほこる物流システムを石壁なりにアレンジした集配送システムである。必要なものを、必要なところに、必要なだけ持っていく。これがロジスティクス(兵站)の本質であり、コンビニの集配送システムはその一つの解答である。

 

 この一ヶ月、石壁と間宮の苦労は身も蓋もないことを言うならば、如何にしてマンパワーでこのコンビニの配送を再現するのかの繰り返しであった。

 

 効率の良い形を模索し、それを試し、また改善する。それでも出てくる混乱を臨機応変に対処する。後はひたすら訓練を繰り返しヒューマンエラーを減らしてきたのだ。

 

 石壁と間宮と、兵站管理部の妖精たちの血と涙と汗の結晶であるこの配送システムは、事前の想定通り、いや、それ以上に上手く回っていた。

 

 後に石壁式要塞と名付けられこの世界の歴史に刻まれる、この要塞の真骨頂はここからであった。

 

 



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第十九話 要塞線の死闘 中

この話は中編です。上辺と下編の間の話ですのでご注意ください。





 戦闘開始より一時間半、残存駆逐艦隊を吸収した巡洋艦隊はそのまま前進を始める。だが、あまりの弾幕の濃さに部隊が尻込みしているのが遠目からでもわかった。

 

「南方棲戦鬼様、第二次攻撃隊は第一次攻撃隊を吸収し、要塞線に接近を始めました」

「……今度は逃げられないようにしないとね」

「は?」

「本隊をこのまま前進させなさい。第二次攻撃隊が要塞攻略にかかると本隊がその後方から砲撃する事でトーチカを潰すわ」

「……味方ごと、敵を撃つのですか」

「なにを当たり前の事を言っているの?所詮あんたたちは代わりの利くコマよ、私の為に死ぬのが仕事じゃないの。わかったなら行きなさい、私があんたを殺す前に」

「……はっ」

 

 ***

 

 南方棲戦鬼の非情の命令が、前線の各員に届くと、全員が顔を引きつらせる。

 

「た、大変だ!南方棲戦鬼の奴、私たちごと敵を撃ち殺すつもりだ!」

「なんだって!?クソったれ!このまま遠距離で打ち合っていたら、敵じゃなくて味方に殺されちまう!!」

「あの糞女なら絶対やる!命令を無視したら絶対に殺されるぞ!」

 

 前回、死傷率三割を超えたら部隊は全滅するといったが、ある方法を取ると戦わせる事も可能となる。

 

「既に先行した監視部隊が後ろに付いているんだ!逃げられない!前に進むしかない!」

 

 後ろから逃亡する味方を撃つことで、後ろではなく前方の敵へと味方を逃亡させるのだ。こうすれば誰もが戦うしかなくなる。

 

「全軍突撃!!突撃だ!!生きるためにただひたすら前へ!!前へ駆け抜けろ!!」

 

 

 赤軍系の軍隊の得意技、『督戦隊』による部隊の強制的統率である。

 

 ***

 

 

「……!敵の動きが変わった!総員注意しろ!あれは壕を潰しに来てるぞ!」

 

 石壁の指揮の元、敵を近づけないようにさらに砲撃は勢いを増す。だが、鬼気迫る程の捨て身の突撃を行う深海棲艦の物量を前についに要塞に肉薄を始める者が現れ始める。戦いは新局面を迎える。

 

 

「装甲の分厚い重巡以上で構成された第二次攻撃隊が突っ込んできました!このままでは要塞に肉薄されます!」

「トーチカ部隊は射撃をやめるな!それをやめたら一息に潰される!」

 

 石壁は数秒考えたあと、命令を下す。

 

「鳳翔」

「はい」

「部隊に伝達、ここが正念場だ、虎の子をだすぞ」

「はい!」

 

 鳳翔は駆け出した。

 

「鳳翔さん!特殊兵装の準備はできています!」

「我々が運用を補助します!行きましょう!」

 

 その鳳翔と、一部の工兵が合流して駆け出す。

 

 

「僕が守る要塞を、そう簡単に落とせると思うなよ……!」

 

 

 ***

 

 

 南方棲戦鬼の命令と、それを実行する督戦隊の存在に、深海棲艦達は死に物狂いで前方へと疾走し始めた。先程までとは進み方が違う、死を恐れて竦んでいた足が、死から遠ざかるために前に突き出していくのだ。その進み方は雲泥の差があった。

 

「走れ走れ走れ!!兎に角走れぇぇぇぇ!!!!」

「止まるな!!前と後ろから撃たれて死ぬぞ!!」

「数発で死ぬほど重巡はやわじゃないんだ!!下手に回避を考えるより全力で突っ込んで被弾を減らせえええ!!」

 

 前にも後ろにも逃げ場がない彼らは、ただひたすらに前へ向け走る。当然、一直線に走るしかない彼女達に、飛んでくる砲弾を避ける術はない。

 

 

「おごっ!?」

「がっ!?」

「けふっ……」

「ごああああああああ!?!?」

 

 夥しい数の砲弾の雨が、深海棲艦の頑強な肢体を食い破り、モノいわぬ骸を量産していく。

 

 当然だ、彼らは本来迂回して然るべき要塞の、その最も分厚いキルゾーンへとむりやり攻め込んでいるのだ。砲弾の命中率は跳ね上がり、砲撃のたびに深海棲艦は藁屑をかき混ぜたように吹き飛んでいった。

 

 先程までと同じように、圧倒的な鉄量の投射が深海棲艦をただひたすらに叩き潰していく。

 

 だが、先ほどまでと違って、装甲の分厚い巡洋艦達を簡単に押しとどめる事は出来ない。

 

「て、敵が止まりません!?」

「敵が要塞に接敵します!」

 

 戦場を駆け抜ける深海棲艦はついに要塞にとりついた。

 

 ***

 

「はぁっ!はぁっ!」

「やっとトーチカだ!……これ、どうやって潰せばいいんだ!?」

 

 遮二無二駆け抜けてきた巡洋艦達が眼前の要塞陣地を前に一瞬立ち止まる。

 

「止まるな!とにかくトーチカへ手を突っ込んで直接撃つしかない!南方棲戦鬼が来る前に落とすんだ!!」

「ひぃ!?わ、わかりました!!」

 

 深海棲艦達は遮二無二に駆けて手短なトーチカへ飛びつくと、手当り次第にトーチカ内部へ砲を突っ込んで射撃する。重巡級の砲がまともに飛び込んだトーチカは、内部の弾薬に引火して爆発した。

 

「い、痛いよ!?爆発で腕がああああ!?」

「ゴガッ!?クソっ、どこに居ても、周囲のトーチカから狙われるよう出来てんのか!?なんつう構造だ!!」

「トーチカを砕いて中へ!とにかく中へ押し込め!!それしかない!!」

 

 

 その衝撃に砲を突っ込んだ重巡ですら片腕を欠損したり、衝撃で吹き飛んだりとただではすまないが、今まで手も足も出なかった状況とは打って変わって単体戦力の質にまさる重巡側に有利となる。

 

「がああああああああああ!!??」

「くそったれ!負傷者を後方へ移送しろ!このトーチカはもう使えん!!」

「衛生兵ー!!!」

 

 トーチカの外も地獄だが、内部もまた地獄であった。爆発に巻き込まれて少なくない妖精が重軽傷を負い、死者もでてしまった。それでも事前に想定された通りすぐに対応できるのは流石であろう。

 

「落ち着け!各トーチカは互いに援護するんだ!近づいて背中を晒した奴から撃ち殺せ!!」

 

 石壁の指揮に基づいて各トーチカが砲を敵に叩き込む。要塞の各トーチカに群がる巡洋艦が、横合いや背後から撃ち抜かれてどんどん死んでいく。

 

 だが、遂に要塞に穴が開き始める。トーチカの銃眼がくだけ、進入路が生まれる。

 

「第3中指揮所所属、第4小指揮所より通達!敵がトーチカ内部へ侵入!!現在応戦中!応援求むとのことです!!」

「ついに内部に入る奴がでてきたか!すぐに増援を送れ!!」

 

 ***

 

 小指揮所はこういう時の為の防衛拠点としての役目もある。これは伊能との演習の果てにたどり着いた、こじ開けられた穴からの侵入を押し留めるための構造であった、そして、その戦訓がいまここにきて生きている。

 

 

「ひるむなぁ!!此処を抜かれるは男の恥だ、大和魂を見せてやれ!!!」

「「「「おおおおおおおおおおおお!!!!!!」」」」

 

 

 小指揮所では押し寄せる巡洋艦級の敵を前に必死の攻防が行われていた。

 

「くたばれえええええ!!!!」

「ぐがっ!?」

 

 指揮所の防衛用に設置された12.7cm連装砲が火を吹くと、正面にいたリ級が2発ともくらって吹き飛んで倒れる。

 

 壁に叩きつけられて一瞬動けなくなった瞬間を、妖精達は見逃さない。

 

「いまだ!突き刺せ!!」

「「「吶喊!!」」」

 

 

 倒れ込んだリ級に吶喊して群がった妖精達が一斉に銃剣を突き刺してリ級を血祭りにあげる。閉所での接近戦ならサイズの小さい妖精達の独壇場であった。

 

「指揮官殿危ない!」

「ちい!」

 

 別のリ級が鋼鉄の腕を振り回して隊長妖精を叩き潰そうとすると、すぐさま回避して抜刀する。すると玩具にしか見えなかった軍刀が巨大化し、実物大の軍刀へと変化する。

 

「陸軍の男を舐めるなよバケモンがああ!!!」

 

 体躯の差を技量で補ってリ級と隊長が切り結ぶ。振り回される至近の一撃を全て紙一重で躱して跳躍、身の丈に比べ大きい軍刀を振るうと、リ級の片腕がきり飛ばされた。

 

「がああ!?」

 

 半狂乱のリ級が闇雲に機銃や砲を乱射するが、慌てずに火線を避けて全てを躱す。

 

「貴様の攻撃など、伊能提督の容赦のなさに比べればどうということはない!!死ねい!!!」

 

 全力の飛び込みで間合いを一瞬で詰める妖精。

 

 雷光の如く刃が煌めくと、次の瞬間首をなくした躯が坑道に転がった。

 

「おのれ!雑魚妖精の分際で!しねええ!」

 

 その瞬間深海棲艦が機銃弾を放つ。だが隊長妖精は慌てずに死体となったリ級の陰に潜り込み弾丸を死体で防ぐ。

 

「各員深海棲艦の死体を盾にしろ!!艤装部分はかなり硬いぞ!!」

「はい!」

 

 元から、帝国陸軍は劣勢前提の軍隊だ。故にこういう劣勢時にこそ、その泥臭さと経験が役に立つ。

 

 小指揮所の陸軍妖精達は筋金入りの陸軍の男達だ。このような状況でもまったく揺るがずに敵と戦い続けている。勇猛な指揮官に率いられた羊の群れは時として狼の群れすら撃退しうるのだ。ましてここにいるのは全員獅子だ。勇猛な指揮官に率いられればそれだけで凄まじい戦力となる。

 

「男を見せろ野郎ども!!!ここが正念場だ!!!ここで敵を引き付ければそれだけあの石壁提督と艦娘の嬢ちゃん達が楽になる、靖国へいくのはそれからでも遅くはない!!」

「はっは、ちげえねぇや!!!」

「こんな晴れ舞台一生に何度あるかわかんねぇしな!派手に散ってやらぁ!!」

「お伴しますぞ隊長殿!!」

 

 地獄の戦場で頼りになるのは己の力と隣の仲間、今周りにいる仲間達は、本当に頼りになる男ばかりであった。

 

 背中合わせで銃を構える妖精達が軽口を叩く。全員別方向の敵を向いていて互いの顔は見えないが、ふてぶてしい笑顔が目に浮かぶようだった。周りで戦う妖精たちも隊長に同意見のようで、皆の戦意は高まるばかりだ。

 

「第4小隊、いくぞおおおおおお!!!」

「「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」」」」

 

 鉄より硬い絆で結ばれた仲間達が、強いだけの化け物に負ける道理など、無いのだ。

 

 

 ***

 

 要塞各地の指揮所における必死の防衛が稼いだ時間が、石壁達に好機をもたらす。

 

 いくつか空いた穴に深海棲艦達が群がった結果、内部で部隊が詰まって穴の周囲に敵が膠着したのだ。

 

 小指揮所が抜かれない限り、敵はそれ以上侵入できない。

 

 さらに、突入してきた巡洋艦達が十二分に要塞に肉薄したことで、もはや彼らは逃げる事さえできない、撤退できる分岐点を部隊全体が超えてしまったのだ。

 

 この要塞の、真の火力を知らないうちに。

 

 

「提督!鳳翔隊規定位置につきました!」

 

「よし!作戦開始せよ!モグラたたき作戦開始!」

 

「はい!」

 

 相変わらずのネーミングに、指揮所の妖精たちは笑みを見せた。

 

 

 ***

 

「よし!このままこの橋頭堡から要塞内部を……」

 

 要塞に肉薄した巡洋艦の指揮官クラスが、新たに指揮を出そうとした瞬間、体に小さな衝撃がはしる。

 

「……あ?」

 

 見下ろして気が付く、自身のドテッ腹にいつの間にか矢が突き刺さっているのだ。そして、その矢にはいくつかの『カード』が結ばれていた。

 

「なんーーーーー」

 

 次の瞬間、カードが起爆した。

 

 轟音とともに固い筈の重巡の上半身が吹き飛ぶ。

 

 それを合図とした様に、明らかに先程より火線が増す、要塞から降ってくる砲弾が明らかに増大し、威力が桁違いのものも一緒に降ってくる。

 

「鳳翔隊!一斉射撃開始!」

「「「はい!」」」

 

 鳳翔の部隊とは、虎の子の艦娘部隊だ。20cm連装砲を構えた重巡や軽巡が今まで隠していた個人用トーチカから隠れながら発砲しているのだ。

 

 鳳翔自身も隠れた位置から弓で攻撃している。だが、ただの弓ではない。この弓の矢は三連装魚雷のカードが結ばれており、対象に突き刺さると起爆するように設定されているのだ。先ほど敵重巡を吹き飛ばしたのもこれだ。 例え産廃兵器とはいえ、至近距離で数枚分の三連魚雷カードが炸裂すれば如何に重巡といえど良くて重症、普通なら粉々だ。石壁が言っていた、鳳翔の弓の腕を活かす秘策である。

 

 鳳翔は鍛えに鍛えた弓の腕で指揮官らしき深海棲艦を一体一体確実に仕留めていく。純粋な能力では赤城や加賀達には叶わないが、元一航戦、日本最初の空母は伊達ではない。こういう技の領域ならば鳳翔の技術は一級品だ。控えている妖精から矢を渡されると即座に構え、放つ。それで面白いように敵が吹き飛んでいく。

 

「ち、畜生!やつら巡洋艦以上の手駒を隠してやがったのか!?」

 

 第二次攻撃隊の深海悽艦達は、自分たちが飛び込んだキルゾーンが当初の想定より何倍も強力なことにやっと気がついた。

 

 120mm砲の数の暴力の中に紛れるようにして、部隊の指揮官を狙った200mm砲弾が飛んでくるのだ。

 

 200mmは当然120mmより強力だ。艦娘の形態であったとしても、その威力は十分に必殺の破壊力となる。部隊を動かす頭脳が死ねば、それだけで部隊全体の戦闘能力は何割も低下していく。

 

 その上に反撃しようにも相手の艦娘は個人用トーチカの中で叩くべき敵がどこかもよくわからないのだ。仮にどのトーチカか気が付いて反撃を行ったとしても、その段階ですぐさま別のトーチカへと艦娘は即座に移動できるのだ。人の体に凝縮された巡洋艦の火力は、小回りの良さと破壊力を両立し、トーチカの存在と相まってその凶悪さを桁違いに跳ね上げている。

 

 深海棲艦達は、トーチカにこもった艦娘がここまで凶悪だとは、想像だにしていなかった。艦娘は海の上にいるものという固定観念にとらわれていたことに彼女達は絶望した。

 

 要塞で受け止め、砲撃で削られる深海棲艦達は、石臼ですり潰されるように数をへらしていく。すでに、半数が鉄くずになっている。

 

「南方棲戦鬼が到着した!?や、やばい!!」

「げっ……!?」

 

 本来喜ぶべき援軍の到着に、隊長のリ級は絶望し、自分たちの運命を悟った。

 

「……終わりだ」

 

 その瞬間、後方からの射撃でリ級達は吹き飛んだ。

 

 ***

 

「ここから戦艦砲を直接射撃、第二次攻撃隊を撃ったトーチカに狙いを定めて吹き飛ばしなさい」

「それでは味方も巻き込んでしまいます!」

「私はやれといったのよ。いいから撃ちなさい」

「……」

「……返事は?」

「……はい」

 

 次の瞬間、南方姫率いる第三時攻撃隊は砲撃で位置のばれたトーチカ一つ一つに戦艦の砲撃を直接打ち込んで潰しはじめた。

 

 最初の大雑把な艦砲射撃と違い、ほぼ直接戦艦の艦砲射撃を喰らえば、流石にトーチカも耐えられない。至近弾でトーチカの銃眼が潰れたり、運が悪ければ中に砲弾が飛び込んで一撃で爆砕されるトーチカも出はじめた。

 

 しかも、後方からの艦砲射撃に泡を食った第二次攻撃隊が、今まで以上の死にものぐるいで攻撃を始める。そうなると第三次攻撃隊に射撃を向ける事ができず、更にトーチカが潰される。非道極まりないが効果的な波状攻撃に、石壁は唇を噛む。

 

「なんて奴だ……味方ごと撃つなんて……!」

 

 誰かの呟きは、その場のすべてのものの心境でもあった。

 

(ここが、切り札の切り時か……!?いや、まだだめだ……遠い……もうすこし食いこませないと対応される……!)

 

 石壁の切りうる手札の数は、そう多くはない。今切ればもう後がない。

 

(なにか……何か手は……)

 

 その時、司令室の中へ戦艦棲姫がやってきた。

 

「そろそろ、私の出番じゃないかしら?」

「……」

 

 その突出した能力と巨体から、敢えて要塞の布陣に組み込まなかった戦艦棲姫。単騎で彼女を出してはいくら強力でも潰される、よしんば大丈夫でも押し返して撤退されたらそれこそ意味がない……そこまで考えた時、石壁は天啓を得た。

 

「……作戦に組み込まれなかった艦娘全員、盾をもって要塞上部三十八番陣地へ集合。明石、大規模スピーカーを陣地周囲へありったけ設置してくれ、十分以内だ。」

 

「は!?あそこは前線から遠すぎて砲弾が殆ど届きませんが!?」

 

「いいから急げ!時間がないんだ!」

 

「は、はい!工兵隊ついてきて!」

 

 ガタガタと大急ぎで明石たちが指揮所を飛び出す。それを見送ったあと、石壁は戦艦棲姫へ向き直る。

 

「姉を叩き潰す覚悟はできているか?」

「無論よ、私の提督の為ならね」

「頼もしいかぎりだ!『行くぞ』!」

「はい!……うん?『行くぞ』?」

「僕自ら出撃する!」

「「「「えええええええええええええ!!!!????」」」」

 

 石壁の発言に、指揮所の全員が驚愕の声を上げる。

 

 ***

 

「南方様!あ、あれは!?」

「え……?」

 

 戦場のはるか彼方、要塞線の後方上部の一角に、突如として、異形が現れた。

 

 それは紛れもなく深海棲艦と艦娘であった。艦娘は数名ほどで目立たないが、その一団の中央にとびきりのデカブツが鎮座しているために遠くからでもよく見えた。

 

「戦艦棲姫!?うそ、なんで!?」

 

 動揺する。以前建造に失敗して鎮守府ごと吹き飛んだはずの妹がそこにいるのだ。

 

 混乱の極みにある南方棲姫に対して、遥か彼方から戦場の爆音にも負けない大音量の声が降ってくる。

 

『あーあー、マイクチェックマイクチェック……よし、いけるな』

 

 戦場に似つかわしくない若い男の声だ。

 

 南方棲姫が訝しんでいると、聞き捨てならない言葉が大量に飛んでくる。

 

『はじめまして南方棲戦鬼、僕はこの泊地の総司令官石壁だ。早速だが本題に這入らせてもらう。君の妹君を鎮守府からつれてきたのは僕達だ。正確には、君の妹が入った建造プラントごと強奪したんだけどね』

「な……!?」

 

(ありえない、だって建造プラントは確かに鎮守府にあったのに)

 

 そう思っていると、石壁の演説は続く。

 

『そういえば、先日あの鎮守府が大爆発したね?こっそりすりかえておいた偽プラント爆弾の破壊力はどうだった?だれが間抜けにもあのプラント爆弾にひっかかったんだい?』

「!!!!!」

 

 あの大爆発は妹ごとプラント爆破したのではなく、プラントそのものが偽物にすり替わっていたのだ。その事に南方棲戦鬼がようやく気付く。自身の妹を盗んだ男が目の前にいるのだ。

 

 南方棲姫の全身の血が怒りと憎悪で沸騰する。

 

『その反応でマヌケがだれかよくわかったよ、どうだった?思わず天にも登りそうだっただろうマヌケ。あれから半月、どうして動かないのか疑問だったけど、動きたくても動けなかったんだね!君が引っかかってくれたお陰で僕らは休養を楽しめたよありがとう!君の妹君も今ではすっかり馴染んじゃってね、もう姉さんなんてどうでもいいってさ!妹が楽しそうで良かったねぇ』

 

 石壁はあえて神経を逆撫でするような声音で南方棲姫をおちょくり続ける。

 

『でも君妹に捨てられるなんて人望無いねぇ?まぁ、部下の管理はできない、プラントがすり替わっても気づけない、罠に自分から引っかかるマヌケと、三拍子揃って駄目指揮官丸出しだしね!ねぇどんな気持ち?ねぇどんな気持ち?心待ちにしていた妹を敵に寝取られてどんなきもち?もしかしておこ?おこなの?妹寝取られて激おこなの?』

 

 それは最も古典的にして、嵌れば強い兵法の一つ。

 

「……ろす」

「な、南方棲姫様?」

「絶対に殺す!!!!」

 

 『挑発行為』による敵部隊のつり出しである。

 

「空母は全艦載機突撃!あの下郎を戦艦棲姫ごと吹き飛ばしなさい!第三次攻撃隊は全砲撃をアレに集中させろ!!!」

 

 煽り耐性ゼロの南方棲戦鬼は、石壁の挑発に簡単に激発した。彼女のあまり長くない艦生においてここまで真っ向から挑発された経験はない。そして、挑発行為に我慢するような強さも持っていない。怒りを我慢することが出来ない、人類への憎悪の化身である南方棲戦鬼にとって、挑発は正しく効果てきめんな兵法であった。

 

 

「ここからでは砲撃が届きません!」

「なら届くところまで前進なさい!!全軍突撃!!!!」

 

 石壁のプライドとか恥とかを全部投げ捨てた捨て身の挑発により、戦場が大きく動いた。戦いは最終局面を迎える。

 

 



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第二十話 要塞線の死闘 下

これは上中下の下編です。中編を飛ばさないようにご注意ください。




なお、致命的な修正箇所が残っているのを気付かずに投稿してしまったため、一度文章を削除して訂正してまいりました。申し訳ございません。

既に読んでしまわれた皆様は、お手数ではございますが、最後のあたりだけでも読み直していただけると幸いです。




 戦場が動く。南方棲戦鬼の本隊が前進を始め、艦載機が石壁の座上する戦艦棲姫目がけて雲霞の如く押し寄せてくる。

 

 現在石壁は戦艦棲姫に座上してる。

 

 艦娘形態の艦娘(この場合は深海棲艦だが)に人が乗り込む場合、艤装内部の亜空間とでも呼ぶべき空間に提督は収納される。それがどこであるのかは艦娘によってずれてくるのだが、大まかに艤装内部であろうと言われている。

 

 その論拠としては、島風に座上した場合、提督の意思は連装砲ちゃんの内部にある事が確認されているからだ。因みに、超高速で戦場を駆け巡る連装砲ちゃんの中で指揮をとるのは寿命が縮むぐらい怖い。一度やったら二度とやりたくないというのが大半の提督の総意だ。

 

 戦艦棲姫の艤装はその連装砲ちゃん超強化型に近い独立型であるため、石壁の意識もそこにある。石壁は現在おどろおどろしい化け物の様な艤装を操縦しているのだ。

 

「敵艦載機の大編隊こちらに接近!」

「南方棲戦鬼以下戦艦部隊、前進始めました!」

 

 無線から響く妖精の報告に、戦艦棲姫に座上する石壁が緊張感で生唾を飲み込む。

 

 これが石壁にとって、訓練を除いた初めての出撃だったからだ。

 

 それがこんな数千人の妖精と、数百体の深海悽艦が陸上でぶつかり合う死闘になるなんて、誰にも予想も出来なかった事態だ。

 

「まったく、とんでもないチュートリアルだよ、ほんとに……」

 

 苦笑を浮かべてそう呟き、石壁は意識を戦闘に向け切り替えた。

 

「こちらも全艦載機発進!防空に専念し、敵艦載機を近づけさせるな!総員対空戦闘開始!!」

 

 双方合わせて二千機近くの艦載機が上空で激突する。数的には9:1で石壁達が圧倒的に不利であるため、多くの敵がすりぬけてこちらに飛び込んでくる。

 

 それを数名の艦娘達が迎え撃つ。彼女たちは石壁の座上する戦艦棲姫を中心に輪形陣を組み、敵艦載機を撃墜する為に対空射撃を開始した。

 

「あああああ!!怖い!!俺は怖いぞ龍田あああああ!!なんだあの艦載機の数!!俺はまだ艦娘になったばっかなんだぞ!?」

「泣き言は後よ撃って天龍ちゃん!石壁提督なんか初陣なのよ!?まだ一回も死んだことないのよ!?」

 

 

 眼帯を付けた艦娘が悲鳴を上げると、セミロングの艦娘がそれを叱咤した。彼女達は天龍型軽巡洋艦姉妹の天龍と龍田だ。彼女達は現在石壁の両隣で艦娘用の防弾盾を構えながら対空射撃に徹している。実は二人とも最近仲間になったばかりで練度が低すぎた為、戦闘に組み込まれず予備選力となっていたのだ。その結果もっとやばい戦場に連れ出されることになったのは皮肉な話である。

 

 

「普通の人間は死んだらそこで終わりよ!」

「二回目が許されるのは私達だけだしね!」

 

 長い黒髪の巫女装束の艦娘と、ミニスカートの弓道服を服をきたツインテールの艦娘が応じる。彼女達は、飛鷹と瑞鶴、この泊地で鳳翔以外は二人しかない空母艦娘である。現在艦載機を放って必死の防空戦を繰り広げており、天龍達と同様に二人も防弾盾を構えている。

 

 そんな状況の中、石壁が座上する戦艦棲姫の艤装と同調していく。

 

 提督は艦娘に同調することでその能力を大きく引き上げることができる。まるで自身の手足の様に艦娘やその艤装を操る事ができるのだ。これは戦闘能力を大いに向上させるが、ダメージが内部の提督にフィードバックされる等、操縦者に負担がかかる諸刃の剣でもある。

 

 石壁は戦艦棲姫の艤装を意のままに操り対空兵装を全力稼働する為に、今その諸刃の剣を抜こうとしているのだ。

 

「同調、完了!」

 

 提督の補正による能力の向上は、同じ艦隊に所属しているだけでも発生する。だが座上艦は別格だ。提督座上艦は自動的に艦隊の旗艦になるのである。

 

「全対空兵装準備完了!対空電探感度良好!全兵装使用許可(オールウェポンズフリー)!!」

 

 石壁は防空戦闘において他の追随を許さない。そんな男が、全身が機銃でハリネズミの様な戦艦棲姫の艤装に乗ればどうなるであろうか?

 

「一体残らず叩き落す!!撃ち方はじめええええ!!」

 

 石壁の言葉に合わせて、まるで別々の生き物の様に機銃が動き、恐ろしい程の正確さで敵機を叩き落していく。

 

 石壁は防御に徹する艦隊運用にかけては天下一品の腕をもつ。防御に全フリした石壁の艦隊は、とにかく硬いのだ。多少の攻勢ではびくともしない。

 

 しかも今回騎乗するのは深海悽艦の中でもトップクラスの硬さを誇る戦艦棲姫だ。その硬さ、推して知るべしである。

 

「僕の乗る戦艦落としたいならその5倍はもってこい!!堕ちろおおおお!!!」

 

 まるで無造作の様に見える機銃の操作であっという間に敵が叩き落されていく。石壁の支援をうける天龍達の必死の防空射撃も相まって、敵は壊乱状態となっている。

 

「す、すげえな龍田!なんか俺たちの機銃もすっごいヌルヌル動いて気持ち悪いけど!」

「ええ、これが、石壁提督の防空戦闘なのね!」

 

 天龍と龍田が驚愕しながら戦闘を続ける。

 

「まるで七面鳥ね。あら、失礼」

「だれが七面鳥よ!?いま絶対わざとでしょ飛鷹!」

 

 飛鷹と瑞鶴は、航空隊の指揮をとりながら仲良く罵りあっている。

 

 

「敵艦載機、壊滅状態です!まだ少々残ってはいますが、十分対応可能です!」

「よし!次は……」

 

 その瞬間、至近弾が落ちる。ここが南方棲戦鬼達の射程圏内に入ったのだ。

 

 

 

「ここからなら砲撃が届く!チェックメイトよ!!」

 

 本隊を大幅に前進させ、遂に砲弾が届く程位置にたどりついた南方棲戦鬼は、次の砲撃の準備を始めた。

 

 あの男を八つ裂きに出来ると、南方棲戦鬼がほくそ笑んだ。

 

 

「……ああ、チェックメイトだ」

 

 南方棲戦鬼の言葉をそのまま返した石壁は、万感の思いを込め啖呵を切った。

 

「貴様がなぁ!!南方棲戦鬼!!!」

 

 石壁はそう叫んで無線を開く。

 

「殺れ伊能!!機は熟した!!!」

 

 ついに最後の札が切られる。戦いは佳境を迎えようとしていた。

 

 

 ***

 

 

「待ちわびたぞ、この時を!!この瞬間を!!」

 

 反撃の狼煙があがる、石壁の最も信頼する最強の大ゴマが、戦場に姿を現す。

 

「伊能突撃隊、前進せよ!!かかれえええええええ!!」

 

「「「「「「「「「「「「「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」」」」」」」」」」」」」」」

 

 伊能が座上するあきつ丸以下、鎮守府最精鋭の艦娘数名を含んだ大勢の陸軍妖精達が雄叫びをあげる。その位置は南方棲戦鬼達の真後ろ、要塞に食らいつく敵を押しつぶす様に展開し、一斉砲撃の後突撃をはじめた。

 

「お先に行かせていただきますよ伊能提督!鉄血士魂隊全速前進!!」

「「「「「おおおおおおおお!!」」」」」

 

 

 その先頭を突っ切るのは、元陸軍第十一戦車連隊所属のチハと、大陸を駆け抜けた騎馬軍団達。

 

「さあ、ここが最後の花舞台、我らは所詮時代にそぐわぬ徒花達である!咲いた花なら散るのが定め、時代の中に立ち枯れするくらいならばぁ!!!」

 

 騎兵隊隊長が栗毛に跨って疾走する。その背後に、大勢の仲間たちが追随する。

 

「輩(ともがら)の為に!!地獄の果てまで駆け抜けるのだああああああああああああああ!!!!」

 

 大戦中の戦車と騎兵という、時代にそぐわぬ徒花達が一瞬の風となって戦場を駆け抜ける。

 

「な、何だあいつら!?」

「う、撃て!!撃ちまくれ!!近寄らせるな!!」

 

 その瞬間、無数の機銃掃射と砲爆撃が飛んでくる。

 

「全体直列陣形!!戦車の影へ!!」

『応!!』

 

 先頭を全速力で駆け抜ける騎兵隊長の号令で一瞬で隊列を組みかえる。戦車隊がV字の雁行形態となり、騎馬隊がその後ろに直列することで、戦車を鏃とした一本の矢の様な形態へと一瞬で移行する装甲騎兵隊。その瞬間、先頭の戦車へ無数の機銃弾が叩き込まれる。

 

 銃弾の雨が鉄塊を叩く、叩く、叩く。

 

 無数の金管系の楽器を一斉に力いっぱい叩き続けるような騒音があたりにひびく。

 

 砲撃が直撃して吹き飛ぶ戦車や騎兵。

 

 機銃掃射を避けきれずに多くの騎兵がなぎ倒される。

 

 一瞬にして多くの躯が戦場へ晒された。

 

 だが……

 

 

「其の程度で帝国陸軍を止められると思うな!!全体!!多重直列陣形!!」

 

 

 その瞬間、一本の矢であった陣形が瞬間的に広がった。一本が二本へ、二本が四本へ、四本が八本へ……

 

 たった一言の号令で、16本の矢の陣形となった装甲騎兵隊。いったいどれほどの訓練を積めば、この様な複雑な陣形移行を馬上で行えるというのか。

 

「騎兵隊総員抜刀せよ!!」

 

「「「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」」」」」

 

 艦娘の技術によってチューニングされたチハが、敵砲撃をかいくぐり、高速で敵陣に切り込む。

 

 そして、その後ろにはりつくように疾走する大勢の騎馬隊が一斉に抜刀する。その様は正しく剣の山。屍の山を築く死の雪崩が、高速で突っ込んでくるのだ。

 

 

「ひっ!?」

 

 

 騎馬隊と面する深海棲艦が恐怖で悲鳴を上げる。目の前に戦車と騎兵が飛び込んでくるのだ。重厚な鉄塊と、荒々しい抜刀騎馬隊の突撃、その視覚的衝撃力は並大抵のものではない。

 

「総員抜刀騎馬突撃いいいいいいいいい!!切り込めええええええええ!!!!」

「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」」」」

 

「うああああああああ!!!!????」

 

 瞬間、鉄塊と騎馬の濁流が深海棲艦をズタズタに引き裂きながら敵陣へ突入した。

 

「切れ!!討て!!轢けえええ!!!!」

 

 騎馬隊の指揮官妖精が軍刀を振り回して敵を切り捨てながら、馬で敵を踏み潰し、縦横無尽に敵を引き裂く。戦場の時代が一気にナポレオン戦争まで引き戻される。

 

 戦争の近代化とともに戦場から消えていった騎兵達。騎馬隊が戦場から消え去った一番の理由は、敵の圧倒的射撃能力の前に、真正面からの突撃があまりに無防備だからだ。

 

 だが、射撃による掃討が間に合わない程の距離からの奇襲攻撃ならどうだろうか?

 

 実際に、第二次世界大戦においてはごくごく一部の戦場の話ではあるが、騎馬隊による突撃攻撃を成功させた実例があった。

 

 それが再び再現される。突如として背後から現れた、騎兵隊というあまりに想像の埒外の敵に、即応して攻撃できた深海棲艦は少なかった。

 

「舐めるなよ時代遅れの畜生乗り共がああああああ!!!!!」

「ぬおっ!?」

「隊長殿!?」

 

 だが、いつまでも良いようにやられる深海棲艦ばかりではない。騎兵隊長が戦艦級の深海棲艦にむけて軍刀を振り下ろすと、それを片腕を犠牲にして防ぐものが出た。

 

 軍刀を防いだ深海棲艦はその圧倒的膂力でもって騎兵隊長を馬上から引きずりおろし、大地に叩きつける。

 

 騎兵とは一度駆け出したなら絶対に止まることができない兵科だ。騎兵の力とは速度と破壊力。それを奪われた段階で、最早ソレは騎兵ではないのである。

 

 そして、騎兵が騎兵でなくなった時、彼らの命運は尽きるのだ。

 

 

「オラァ!!!」

「ごはぁ!?」

 

 振り下ろされる拳が、騎兵隊長を叩き潰す。全身の骨が砕け、筋繊維が断裂し、軍刀が砕け散った。

 

「隊長おおおおおおおおおおお!!!!」

 

 騎兵隊の隊員の悲鳴が轟いた。

 

 

「クソが、ようやく一体仕留めて……」

「……ふ、ふふふ」

「なっ!?こいつ、まだ生きて……!?」

 

 叩き潰され、息も絶え絶えの騎兵隊長が、笑う。目の前の深海棲艦を見て、笑う。

 

「何がおかしい貴様!!」

 

 その笑いに苛立ち、思わず四肢の潰れた騎兵隊長を掴む深海棲艦。

 

「……後は、頼みましたよ」

 

 騎兵隊長は、眼前の深海棲艦など既にみていなかった。最高の相棒と共に戦場を駆け抜けられた事に満足しながら、こう呟いた。

 

 

「伊能……提督……」

 

 

「騎兵隊が切り開いた道を無駄にするな!!!進めええええええ!!!!」

「銃剣突撃こそ陸軍の花であります!!!突撃ーーーーー!!!!!」

「「「「「「おおおおおおお!!!!!!」」」」」」

 

 其の瞬間、戦場によく通る伊能の号令と、台地を揺るがす雄叫びが轟いた。

 

「なに!?」

 

 やっと騎兵突撃の衝撃が抜け始めた深海棲艦を、更なる衝撃が襲った。

 

 騎兵隊に気を取られている間に、もう目の前まで大勢の妖精や艦娘達が近づいていたのである。最初から、騎兵隊の突撃はこの接近までの時間を稼ぐためだったのだ。

 

 石壁が敵戦力撃滅を目的とする甲作戦発動を決めた時、後方からの一斉突撃の大任を騎兵隊の皆は一斉に買ってでた。全滅する可能性が高いとわかっていてなお、伊能達が敵に食らいつくまでの時間を稼ぐ為に一番槍を努めたいと、そう言ってくれたのだ。

 

 伊能たちは、騎兵隊の皆のその思いに見事応えてみせた。

 

 伊能の乗り込むあきつ丸は疾風のごとく戦場を駆け抜け、配下の妖精達と共に最高のタイミングで戦艦達の横っ腹に食らいつく。

 

 完全に不意を突かれ、陣形をズタズタにされていた深海棲艦達は、得意の砲撃を行うには近すぎる位置まであっという間に肉薄され、戦場は深海棲艦と陸軍妖精隊との乱戦となった。

 

「一対一になるな!!数で囲んで懐に入り、装甲の薄い生身を串刺しにせよ!!貴様達は陸の男だろう!!由緒正しき肉弾攻撃の破壊力を魅せつけよ!!!」

 

 石壁の指揮能力が防御に全振りされているのなら、この男は攻撃に全振りされている。訓練校時代、石壁が防ぎ、伊能が潰すという戦闘スタイルを崩せた者はいなかった。

 

 この戦闘スタイルは金床と鎚と呼ばれる紀元前からある戦争の基本戦術である。つまりは敵を金床で止めて鎚で叩き潰すというわけだ。石壁が金床で、伊能が鎚である。

 

 石壁が行けと伊能に命令した時、負けた戦は一度もない。故に、伊能は石壁の指揮に微塵も疑いを持たない。行けと言われれば地獄の閻魔すら踏み潰す修羅となれるだろう。

 

 そして、それは今も同じであった。石壁は伊能を投入するタイミングを間違えたことは、一度もないのだ。

 

「面白いように敵が崩れるな!流石は石壁だ!!」

「まったくもって、あの御仁は本当にすごい男でありますよ!」

 

 軍刀を振るい敵の首を叩き落としながら、あきつ丸と伊能が軽口を叩く。

 

「当然だ!なにせ、あいつは俺が認める最も頼りになる男だからな!!」

 

 石壁は、その信頼に確かに答えたのである。

 

 ***

 

「味方総崩れです!このままでは全滅です!」

「うそ!?なんで、なんでなんでなんで!!!!小国くらいなら攻め滅ぼせる戦力を集めたのに!!!!」

 

 半狂乱になる南方棲戦鬼、心を埋め尽くす憎悪のままに要塞の後方を睨む。

 

「あいつだけは……あいつだけは殺す!!」

 

 そう叫んで南方棲戦鬼は駆け出した。

 

「敵を少し防ぎなさい!私がケリをつける!!」

「は、はい!」

 

 戦いの趨勢は決した。だが、まだ終われない。終わらせてなるものか。そう呪詛を吐きながら一直線に深海の姫は走り出した。

 

 

 ***

 

「て、敵、南方棲戦鬼が一直線にこちらに駆け抜けてきます!!!」

「なんだと!?」

 

 モニターに映るのは、全ての砲撃を弾き返しながらこちらに向けて突っ込んでくる南方棲戦鬼の姿だった。

 

(ま、まずい!これは本当にまずい!)

 

 石壁にはある致命的な弱点が存在した。それは、『砲撃がことごとく当たらない』というどうしようもない弱点だった。

 

 対空戦闘は誰もが舌を巻くレベルでバンバン敵を落とせるのに、これがいざ砲戦となるとびっくりするぐらい当たらないのだ。

 

 普段は艦娘のレベル補正でなんとかごまかしているのだが、現在騎乗する戦艦棲姫はまだレベルが低く、指揮官の砲撃補正に頼らないと砲があたらないのに、その指揮官の砲戦指揮能力が致命的ではどうしようもなくあたらないのだ。

 

「おい提督!さっさと要塞に逃げこもう!そうすればアイツも追ってこれねえよ!」

「そうよ提督!私達も弾が残ってないの!逃げましょう!」

 

 天龍と龍田の言葉に、石壁は思考を巡らせる。

 

(逃げる……いやだめだ!!例え敵戦力を全て撃滅しても、あいつを逃がしたら意味がない!!)

 

 南方棲戦鬼が生きている限り、泊地に未来はない。次はここまでうまく戦闘を推移させられるかもわからない。

 

(……あいつは、今ここで殺さないといけないんだ!!)

 

 石壁は泊地の大勢の仲間の為に、この戦いで散った者たちの死を無駄なものにしない為に

 

「戦艦棲姫!!全速前進!!目標前方の南方棲戦鬼!!」

『はっ!?』

 

 石壁は、戦艦棲姫を前へと進ませた。その行動に周りの全員が驚く。

 

「どうせ遠距離砲撃戦じゃ当たらないんだ!!覚悟決めて殴り合いをするぞ!!」

 

「嘘でしょ!?提督!?やめなさい!!」

「ちょ、鳳翔さんに何て言えばいいの!?行っちゃ駄目だって提督!!」

 

「……望むと望まざるとにかかわらず、やらなきゃいけない時ってものがある。それが今、この瞬間なんだ!」

 

 石壁がそう声を張り上げ、艤装を操縦する。

 

「戦艦棲姫、艤装の背中にのれ!」

 

 その言葉に戦艦棲姫が自身の艤装の背に乗る。

 

「ねえ提督、本気……?そんなに殴り合いの自信があるの……?」

「安心しろ戦艦棲姫」

 

 艤装が全速力で斜面を駆け出した。

 

「僕の武術の成績は最低ランクの丙だ!!」

「全く安心できないわよってあああああああああああああああああ!?」

 

 命綱のないジェットコースターが発進した。崖を駆け下りる戦艦棲姫の艤装と、坂を駆け上る南方棲戦鬼、位置エネルギーを推進力へ変換しながら走る戦艦棲姫の迫力は凄まじいものがあった。

 

 驚いたのは南方棲戦鬼。向こうから標的が突っ込んできたようなものだ。慌てて艤装を展開し、砲撃を行う。

 

「死ねええええええええええええええええ!!!!????」

 

 途中から雄叫びは驚愕へ変わる。石壁が飛んできた砲弾を『戦艦棲姫の艤装の両腕で弾きながら』まったく減速せずに突っ込んできたからだ。

 

「だが!防御と受け流しだけなら最高ランクの甲評価もらってるんだよおおおおおお!!」

 

 戦艦棲姫のあの艤装が全速力で自身にむけ突っ込んでくる。

 

 南方棲戦鬼はあまりの事態に顔を引きつらせながら遮二無二砲を乱射する。

 

 その全てが一直線に戦艦棲姫に飛び込むが、脳内アドレナリンマックスシュバルツの石壁が驚異的な集中力でそのすべてを弾き落としながら邁進する。

 

「クソが!!いいわよそんなに真っ向勝負したいなら付き合ってあげるわよ!!戦鬼なめんなオラアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」

 

 やけくそになった南方棲戦鬼が、艤装の全能力を身体能力に変換して石壁達にむけ突撃する。

 

「うおおおおおおおおおおおおお!!」

 

 石壁が雄たけびを上げる

 

「くたばれえええええええええええええ!!」

 

 南方棲戦鬼が呪詛を吐く。

 

「ああああああああああああああああ!?」

 

 艤装に必死にしがみつく戦艦棲姫は悲鳴を上げた。

 

 

 

 その瞬間、大型の鉄と鉄がぶつかり合う破砕音が轟いた。

 

 

 

 戦艦棲姫と南方棲戦鬼が正面から激突した瞬間、その凄まじい衝撃で南方棲戦鬼の艤装は完全にお釈迦になり、ぶっ壊れ、質量に押し負けて弾き飛ばされてしまった。ゴロゴロと斜面をころがり、すこし平らになった部分で止まった。

 

「ぐあああああああ!?クソっ!?なんて破壊力よ!!」

 

 

 

 

 一方の石壁も又ただでは済まない。南方棲戦鬼と同じく、艤装の至る所に損傷をうけ、機銃や砲台が動かなくなってしまった。衝撃でふらつく石壁が呟く。

 

 

「ぐっ……頭がくらくらする……同調を軽くしなければタダじゃすまなかったかも……戦艦棲姫は……大丈……あれ……?居ない?」

 

 戦艦棲姫の無事を確かめようとした石壁は、彼女が背中に居ないことに気が付いた。

 

 

 どうやら激突の衝撃で高速で進んでいた両名が一瞬で停止した結果、艤装の背中にのっていた戦艦棲姫(本体)は慣性の法則に従ってどこかに吹っ飛ばされてしまったらしい。

 

 

「ようやく会えたわねえ!さっきはよくも言いたい放題言ってくれたわね、地を這いつくばるのがお似合いのくそ虫野郎が!!その手足を引き抜いて本物の虫の様にしてやる!!覚悟なさい!!」

 

 憤怒を滾らせた南方棲戦鬼が構える。

 

 石壁は戦艦棲姫の事を心配しつつも、目の前の南方棲戦鬼に対応するために声を張り上げた。

 

 

「それはこっちのセリフだ!!引導を渡してやる、南方棲戦鬼!!」

 

 南方棲戦鬼を睨みつけながら、戦闘態勢をとる。

 

 

 かくして、石壁提督と南方棲戦鬼による、総司令官同士の最後の戦いが始まったのである。

 

 



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第二十一話 比翼連理 上

大変長らくお待たせして申し訳ございませんでした。
それでは第一部最終決戦、その後半戦をお楽しみください。

楽しんで頂けると幸いです。




 要塞と艦隊の戦いは要塞側の勝利へと傾いた。

 

 だが戦いはまだ終わっていない。要塞の総司令官と悪鬼羅刹の親玉が真っ向から対峙していた。

 

 それは時代錯誤も甚だしい人と化け物の戦い。絵巻物に語られる神話の戦いが現代の要塞で繰り返される。

 

 ここに要塞決戦の最終章、石壁提督の戦いが始まったのである。

 

「行くわよ下郎!!」

 

 最初に動いたのは南方棲戦鬼。岩盤を踏み抜く様な超加速で石壁の駆る戦艦棲姫の艤装に接近する。

 

「オラアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」

 

 超合金製の分厚い鉄板すらたやすくぶち抜くであろう南方棲戦鬼の剛腕、繰り出される致死性のストレートが石壁にむけ突き出される。

 

 石壁はその死の鉄拳を全力で受け流す。艤装の表面を荒く削りながらそれる剛腕に、石壁は戦慄した。

 

(ぐっ……何て威力だ!まともに受ければタダじゃすまない!!)

 

 石壁は戦艦棲姫の艤装と強く同調することでこの様な緻密な受け流しを行っている。

 

 だが、たった一発の拳を防いだだけで肉をヤスリで削られるような痛みが体に走った。石壁の脇腹に血が滲む。

 

 前回触れたように同調とは諸刃の剣だ。艤装のダメージが石壁にも及んでしまう。艤装の表面が削られた事で石壁の体が削られたのだ。

 

「そらそら!どんどん行くわよぉ!!」

 

 南方棲戦鬼はその剛腕を縦横無尽に走らせ石壁を削り始める。戦艦棲姫の艤装の剛腕を器用に動かして弾く石壁だが、攻撃を受け流すごとに石壁の体に無数の切り傷が走っていくのは防ぎようがなかった。

 

「ぐっ……」

 

 石壁が苦悶の声を漏らす。これらの傷は致命傷でもなんでもないが、一般人の彼にとっては分かりやすい痛みは精神を疲弊させる遅効性の毒でしかない。

 

「あはっ、どうしたのかしらぁ?私に引導を渡すんじゃないのぉ?」

 

 石壁が防戦一方であることに気を良くした南方棲戦鬼は、喜悦を浮かべながら更に攻撃を激しくしていく。荒れ狂う暴虐の化身が、その加虐性を加速度的に上昇させているのだ。

 

「ほらほらほらほらぁ!何時まで耐えられるかしらぁ!!」

 

 一瞬ごとに拳が早くなる。一撃ごとに拳が重くなる。一秒ごとに石壁が削られていく。

 

 艦娘は精神面の影響がその能力面に大きく影響する生き物だ。心が大きくなればなるほど、心が強くなればなるほど、その力は増大していく。分かりやすく言えば『テンション』が上がれば上がるほど強くなるのが艦娘なのだ。

 

 好物であるアイスクリームを食べた艦娘の回避性能がいつもより上がる。艦隊一の戦果を連続で上げた艦娘がランナーズハイの様に一切疲れを感じない。こういった事態が日常茶飯事に発生する程、艦娘は精神面の影響がそのまま能力に反映されるという分かりやすい特徴を持つ生き物なのだ。

 

 そして艦娘と深海棲艦は元々同根、彼女たちの違いは極論すれば性質が善に寄っているか悪に寄っているかの違いでしかない。つまりこのテンションに影響される性質は南方棲戦鬼も持っているのだ。

 

 南方棲戦鬼は目の前の人間への煮えたぎる憎悪と、一方的な暴虐の快楽からその身体能力を大幅に向上させている。一撃ごとに増大する破壊力の恐ろしさに石壁は背筋が寒くなるのを感じていた。

 

(ぐっ……このままじゃ、じり貧だ!!)

 

 石壁は得意の防御戦に持ち込んで南方棲戦鬼の荒れ狂う攻勢をいなし続けている。だが一秒ごとに疲労と痛みで疲弊する石壁と一秒ごとに強くなる南方棲戦鬼では、誰がどう考えても石壁側が圧倒的に不利だ。

 

 石壁の防御技能は正しく反則(チート)的と言っても過言ではない。だが南方棲戦鬼はその圧倒的性能と反則的性質が相まって、そもそもの仕様がぶっ壊れ(バグ)なのだ。そのうえ石壁からすれば致命的に相性が悪いというおまけ付きだ。

 

 つまり一対一というこの状況になってしまった時点で、石壁は絶望的な袋小路に追い込まれたに等しいのだ。

 

(なら……肉を切らせてでも、僕にできる最大の攻撃を叩きこむしかない……!!)

 

 石壁は自身が走るレールの先がどう転んでも地獄でしかないと悟り、悲壮とも言える覚悟を決めて歯を食いしばった。

 

(敢えて攻撃を『受ける』……この一発一発が砲弾に等しい攻撃を受け止めて、その一瞬の隙に全身全霊を込めた攻撃を叩き込む……!それしかない!!)

 

 それは列車が崖から落ちる事に気が付いて、列車そのものを脱線させる事で緊急回避を行うようなものだ。100%確定した死から逃げるために、90%死ぬ虎穴に自ら飛び込むに等しい。

 

(その為に艤装の力を限界まで引き出す!!同調するんだ、限界まで!!筋繊維の一本に至るまで力を引き出せるように!!)

 

 石壁の感覚が拡張されていく。艤装の隅々まで意識が行き届き、もはや艤装そのものが石壁の体に等しくなる程その感覚を鋭敏化させる。

 

「はぁ!!」

 

 南方棲戦鬼の攻撃を石壁が先程までと同じように流す。

 

「あぐぅっ……つぁ……!?」

 

 だが、先程までと違って石壁が耐えきれずに苦悶の声を漏らした。

 

 先程と同じように流したはずの攻撃が、石壁の精神を今までより格段に強く抉ったのだ。手のひらと体に大きな裂傷が生まれ、血が流れだす。同調の深度が上がったことで、最早石壁は砲弾の雨の中に生身で立っているに等しい。手のひらと胴をノコギリで引き切られる様な痛苦、それを石壁は歯を食いしばって耐える。

 

「ぐ……ぬぎぃ……!!」

 

 耐える事こそ、石壁の本領。悲しみも、苦しみも、痛みも、己の胸の内に飲み込んで耐えるのが石壁という男だ。

 

 絶えずノコギリに体を削られるその地獄の責め苦を、ただ石壁は耐え続ける。体表を荒く削る傷跡から血が流れ出し、艤装内部の石壁の足元が真っ赤に染まっていく。

 

 だが、これだけの傷を負ってなお石壁の瞳から光は消えない。大勢の仲間の為に、石壁は倒れない。

 

「ちぃ!?硬すぎるわよあんた!!」

 

 流石の南方棲戦鬼も石壁のあまりのしぶとさに呆れと億劫を隠せない。

 

 石壁の操る艤装は既にあちこち削り取られて最初の威容は見る影もない。荒く削り取られた痛々しい艤装の傷跡は、そのまま内部の石壁にも刻まれているのだ。致命傷こそ受けていないが凡人が耐えられる痛苦などとうに超えている。

 

 それでもなお、防御に徹する限りは石壁は負けない。いや、負けられないというべきか。その精神性を大きく逸脱するほどの防御の才能を持つが故に、石壁は楽に死ぬことすら己に許す事が出来ないのだ。

 

 その瞬間、石壁の防御が一瞬緩んだ。胴体の防御に隙間が空いたのである。

 

「……っ!そこぉ!!」

 

 それを南方棲戦鬼は見逃さない。石壁に接近し、真正面から拳を叩きこんだ。

 

(今だ……!!)

 

 石壁は艤装の左肩に乗った巨大な砲塔をもぎ取ると、南方棲戦鬼の拳と自身の胴の間に挟みこむことでそれを盾にした。世界最大の超重装砲の盾の上から、南方棲戦鬼の拳が付き立った。

 

 艤装が損壊するのと同時に、骨と肉がつぶれる嫌な音が石壁の体内からひびいた。

 

「ごぷぉ……っ!!」

 

 南方棲戦鬼の拳を受けた衝撃で、盾にした艤装が飴細工の様にくだける。当然それだけは衝撃を殺すには足りず、石壁の内臓が大きく損傷し口中に血泡があふれた。

 

「なっ……これでもまだ『死なない』の!?」

 

 南方棲戦鬼はこの一撃で石壁の胴を貫くつもりであった。にもかかわらず石壁の胴に穴はあいていない。つまり、石壁はまだ生きている。

 

(……この瞬間を……待っていた!!)

 

「ご……おおおおおおおおおおおおおおああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 

 石壁が血泡を吹きながら己の精神を振り絞る。限界まで同調した艤装がもたらす力を利き腕の右にのせて、全力で前へと突き出す。

 

 それは攻撃の苦手な石壁が士官学校の武道の授業で嫌になるほど繰り返させられ、唯一習熟している攻撃。

 

 右の正拳突きが、南方棲戦鬼に叩き込まれた。

 

 戦艦棲姫の艤装の剛腕から繰り出された突きは、誰がどう見ても必殺のそれ。石壁はその必殺の一撃に確かな手ごたえを感じていた。

 

 戦艦棲姫のスペックを石壁が限界まで引き出して叩きつけたなら、それは間違いなく致命的な威力となる

 

 

 

(や、やった、これで……かーーー)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「勝ったと、思ったかしら?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 筈で『あった』。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……嘘だ」

 

 石壁の顔が、絶望に色を失っていく。

 

 自身の拳を胴に受けた南方棲戦鬼が、こらえ切れないという風に笑みを凶悪に歪めた。

 

「最高のタイミングでバラシて上げようと思ってずうっと黙っていたけどね?」

 

 南方棲戦鬼が石壁の拳をつかむ。

 

「あなた、その艤装のスペック、2割から3割ぐらいしか引き出せてないわよ?」

「……え?」

 

 それは、石壁が知らなかった独立型艤装の最大の難点。

 

「持ち主のいない艤装はどれだけ頑張ってもその力を全開にすることは出来ないのよ。それを知らずに、よくもまあ徒労に身を削ったものね。本体である戦艦棲姫がどこかにいってしまった時点で、最初から貴方に勝機なんてなかったのよ」

 

 石壁は己が出せる限界まで艤装の能力を引き出していた。それだけは間違いない。

 

 だが、それはあくまで『提督』の補助で引き出せる限界点までなのだ。もしここに戦艦棲姫がいたなら、石壁は戦艦棲姫のスペックを130%まで引き上げて戦えただろう。しかしその戦艦棲姫本人がここには居ないのだ。

 

 つまり、石壁は自身が引き出した艤装本来の30%程の力で戦っていたのである。

 

 石壁は南方棲戦鬼からみて自身の2割以下の戦力でここまで戦っていたのだ。これが南方棲戦鬼に劣るとはいえ、戦艦棲姫の化け物じみたスペックをもってしてすら石壁が防戦一方だった理由だ。

 

 5倍以上に及ぶ圧倒的スペックの差を、石壁は防御技術のみでここまで食い下がっていたのである。まさしくもって石壁の才能は反則的なレベルであったと言えよう。

 

「さあ、褒美に見せてあげるわ!!これが!!種族として他者を圧倒する鬼級の本当の力よ!!」

 

 そして、その才能が石壁に地獄を見せる。彼はこれから自身に向け振るわれる暴虐を『耐える』しかないのだ。

 

 石壁は最早南方棲戦鬼のサンドバッグでしかない。なまじ防御に特化した頑強さ故に、耐久性を超えて破裂するその瞬間まで耐える事しか出来ない。石壁は楽に死ぬことすら出来ないのだ。

 

 

 掴まれた腕を引かれて石壁の体制が崩れる。前のめりになった体に拳が突き刺さる。装甲を粉砕し、内臓まで到達するその破壊力は正しく破滅的な損害を石壁にもたらす。内臓の幾つかに致命的な損傷が加わり、口の中に血が溢れ出す。

 

「がはあ!?」

 

 だが、とまらない。

 

 拳が石壁の胴にもう一度突き刺さる。もう一度、もう一度、もう一度、もう一度、もう一度、もう一度、もう一度、もう一度、もう一度、もう一度……

 

 

 石壁というサンドバッグが壊れないように、あえて手を抜いて石壁がギリギリ耐えられるように拳を叩き込み続ける南方棲戦鬼。

 

「お……ご……あ……!?」

 

 石壁は己の命の灯火が、一撃ごとに弱くなっていくのを感じていた。

 

 大事に大事に、ゆるりゆるりと、己が殺されていく。石壁の防御能力が、事ここに至っても健全に働いてしまう。半ば無意識のうちに、これでもまだ即死を避け続ける。

 

「……もういいわ」

 

 暫くその行為を愉しんだ南方棲戦鬼は、やがて子供が飽いた玩具を捨てる様に石壁から手を放した。当然ながらそのまま見逃すという選択肢は南方棲戦鬼に存在しない。

 

 南方棲戦鬼の手から離れた石壁が、最初はふらつきながらも辛うじて立っていた。だがすぐに限界がきて、前のめりに倒れーーー

 

「誰が倒れて良いって言ったかしらぁ!」

 

 られなかった。南方棲戦姫の足が跳ね上がり、艤装の顔面を蹴り上げる。それによって、倒かけていた石壁が強制的に直立させられる。蹴り上げられた左顔面がその衝撃に耐えられず大きく削れると、同調によって石壁の顔面にも大きな裂傷が生まれ、視神経が抉られる。

 

 石壁の左目が、削り取られたのだ。

 

「があああああああああああああ!!!!!???」

 

 片目から光を永遠に失った石壁が苦痛の叫びをあげる。

 

 

「これで!!とどめよ!!」

 

 石壁を蹴り上げた姿勢のまま持ち上がっていた、南方棲戦鬼の足がそのまま落下する。

 

 岩盤をぶち抜く様な、雷撃の如き踵落としが石壁の頭に叩き込まれる。

 

 頭頂部から尾てい骨までを貫くような衝撃が走り抜けると、身体から力が抜けて石壁はそのまま地に付した。とっさに同調のレベルを弱めていなければ、今の一撃で石壁は死んでいただろう。

 

 だがそれは何の慰めにもならない、南方棲戦鬼の足によって地面に縫い付けられた石壁は、完全に動けなくなりもがき苦しんでいる。

 

「あ、が……」

 

 意識が明滅する。緩めた同調状態でさえ、石壁は頭を万力で締め上げられるに等しい痛苦を受けていた。激痛と疲労と身心への致命的なダメージが、石壁の命を急激に奪っていく。

 

 

「ようやく『らしく』なったじゃない。アンタみたいなくそ虫は地面に這いつくばるのがお似合いよ」

 

 石壁を下した南方棲戦鬼は、そのまま石壁の腕に手を伸ばす。

 

「私は有言実行を心がけているの、その手足、もぎとってあげるわ」

「……お……ご」

 

 もはや、石壁にその言葉に反応する気力すら残っていない。南方棲戦鬼が石壁の腕を掴んだ。

 

「さあ、これでおしまーーー」

 

 その瞬間、空気を切り裂いて『カードの結ばれた矢』が南方棲戦鬼に突き立った。

 

「な……!?おごぁ!?」

 

 起爆したカードの衝撃に、南方棲戦鬼が弾き飛ばされる。

 

「がぁっ!?く、糞ったれがぁ!!まだ死にたい奴がいるの!?」

 

 矢の飛んできた方向を警戒する様に、石壁の側を弾き飛ばされて転がった南方棲戦鬼が身構える。

 

 そこにいたのは、大凡全ての人間にとって予想外の人物であった。

 

 

 

 

 

 

 

「提督から、離れなさい」

 

 

 

 

 

 

 

 

「……なん……で?」

 

 南方棲戦鬼の踏みつけから解放された石壁は、明滅する視界の中にあり得ない人をみた。

 

「……鳳……翔……さん?」

 

 

 そこには、石壁の艦娘である、鳳翔が立っていた。

 

 

 

 




中編は明日投下いたします。


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第二十二話 比翼連理 中

遂にUA20000越え、お気に入りもほぼ700まで来ました。思えば遠いところまできました。

これも皆様のお陰です。これからも拙作をよろしくお願いいたします。


 

 石壁を救うために戦場に現れた鳳翔は、一切の油断なく南方棲戦鬼を睨みつけている。

 

 戦闘の為に感情をそぎ落として南方棲戦鬼と対峙する彼女からは普段の朗らかな空気がなりを潜め、代わりに冷徹な殺気と闘志を漲らせている。元の穏やかな相貌をよく知る石壁には、その鋭さが余計に際立って見えた。

 

 引き絞ってこそいないものの、弓には既に第二射の用意ができている。鳳翔なら刹那の内にその矢を放つことができるだろう。

 

 魚雷矢の直撃で体を焼き焦がした南方棲戦鬼が、憎悪をにじませながら鳳翔を睨みつける。

 

「軽空母……それも役立たずのオンボロが戦場に頭突っ込んでくるんじゃないわよ、死にに来たの?」

 

 南方棲戦鬼が放つ圧倒的プレッシャーは、気の弱いものならそれだけで呼吸が出来なくなる程の重圧感を感じるのが普通だ。それほどまでにこの生粋の化け物は強い。

 

 しかし鳳翔は揺るがない。柳が風を受け流す様に殺気は彼女を止め得ない。鳳翔が口を開く。

 

「はい、死にに来ました」

 

 その淡白な言いざまに、石壁はおろか南方棲戦鬼すら僅かにたじろぐ。

 

「鳳翔さん!?なにを言ってるんだ!!逃げろ!!!」

 

 限界まで損傷し、最早死に体の石壁が血を吐かんばかりに叫ぶ。だが鳳翔はそれを一瞥すらしない。その視線は一点。南方棲戦鬼のみに向けられている。

 

「私は貴女に勝てないでしょう……ですから」

 

 鳳翔は弓を構えたまま駆け出した。

 

「死出の旅路に、付き合ってもらいます」

「!!!」

 

 南方棲戦鬼は一瞬動き損ねる。その一瞬を見逃す鳳翔ではない。走りながら弓を引き絞るという離れ業を行い、二の矢を放った。

 

「シッ……!!」

 

 放たれた矢は砲撃ほどでは無いものの十二分に鋭く、隼の様に空間を疾駆し南方棲戦鬼に吸い込まれる。その矢の破壊力を身をもって知っている南方棲戦鬼は忌々しげに顔を歪める。

 

「チィッ!?その矢、うっとおしいにも程があるわねぇ!!」

 

 南方棲戦鬼は二度とあんな攻撃をくらってたまるものかと、矢を後方に飛びのいてかわす。何もない空間を飛びぬけていく魚雷矢はその効力を活かす事なくどこかへ飛んで行った。

 

 だが鳳翔は南方棲戦鬼が後方に飛びのいたその隙に石壁の前に立ち、彼の盾となることに成功した。最初からこれが狙いだったのだ。

 

「鳳翔さん!!」

 

 石壁は鳳翔の背中しか見る事は出来ない。いつも三歩後ろで寄り添って微笑んでいてくれた彼女は、今は石壁の三歩前に立ち鬼気を滾らせている。

 

「提督……たとえこの身に代えたしても」

 

 鳳翔は不退転の覚悟を込めて、石壁に向け言葉を紡いだ。

 

「貴方だけは護ります」

 

 それは鳳翔の誓いの言葉。己の命に代えてでも石壁を救うという捨て身の献身。

 

 石壁はその言葉にこもる覚悟を感じ、鳳翔が絶対に引かないつもりだと察して言葉を失った。ここを死に場所に定めたのだ、鳳翔は。石壁の心が絶望に悲鳴をあげる。魂が軋んだ様な気がした。

 

「吠えたなこのオンボロ空母がああああ!!!」

 

 南方棲戦鬼は目の前の自分を舐め腐った軽空母を血祭りに上げるべく、岩盤を踏み抜く脚力でもって疾走した。

 

 彼女はその全身が余す所無く凶悪な兵器である。たとえ武装が死んでいてもその身体スペックは凶悪の一言であり、長門を相手にしてすらその胴体を無理やり引き裂くことも不可能ではないのだ。

 

 ただ一歩地を蹴っただけでその体は10m程宙を舞う。彼我の距離を一瞬にしてゼロにし、南方棲戦鬼が鳳翔の前に飛び込んできた。

 

「しゃああああああああああ!!!!」

 

 圧倒的破壊力を秘めた大振りな一撃が鳳翔を襲う。

 

「鳳翔さん!!」

 

 触れれば紙のように鳳翔を引き裂きかねないその凶悪な一撃に、側で見ていた石壁が悲鳴を上げる。だが……

 

「はぁっ!!」

「なあっ!!!??」

 

 其の瞬間、鳳翔は流れる様に南方棲戦鬼の腕を『流した』。 必要最低限の動きと力で、荒れ狂う暴風を逸らしたのだ。

 

 しかも、それだけではない。

 

「はああああああ!!!」

「ごおおああああああああ!!!!!???」

 

 凄まじい勢いで突っ込んできた南方棲戦鬼が、そのままの勢いを殺さず大地に叩きつけられたのである。

 

「身体能力だけが、接近戦の武器ではありません。申し訳ありませんが、本気で行かせていただきます」

 

 鳳翔はそういいながら構える。湖面に浮かぶ月の様に全く揺らがないその構えの自然さは、正しく明鏡止水と呼ぶにふさわしい。

 

 初代一航戦鳳翔、彼女は世界最強の海鷲達の始まりから終わりまでを看取った歴戦の空母だ。赤城や加賀にその座を譲り渡そうと、その練度は伊達ではない。

 

 世界にその名をとどろかせた世界最強の空母機動艦隊、その中核となる最強の海鷲達は皆彼女に育てられたと言っても過言ではないのだ。

 

 そんな彼女が弱いはずがあろうか?

 

 無論、そのスペックは後輩たちに及ぶべくもない。だが磨き抜かれたその技工は並のものではないのだ。

 

 

「ぐっ……なによ……これは……」

 

 そのあり得ない顛末に、一瞬呆けた南方棲戦鬼は直後に激発した。

 

「何をしたのよ貴様ああああああああああああ!!!!!」

 

 その言葉に答えず、鳳翔は油断無く南方棲戦鬼をにらみ続ける。

 

「今のは、合気道の動き……?」

 

 ぼそりと、石壁が呟いた。

 

 石壁も貧弱とはいえ士官学校卒の軍人であり、武道を必修科目としてある程度は収めている。

 

 士官学校の武道の授業は柔道、剣道、空手の三つに集中している。その為、石壁は合気道については本当に少しだけしか知らないし、その少しにしてもせいぜい武道場で訓練する鳳翔の姿をこっそりのぞき見した程度だ。わざわざ余暇を活かして鳳翔に合気道を教えてもらうほど石壁は肉体派ではないのだ。

 

 そんな石壁の目には、鳳翔の動きは以前武道場で見かけた合気道の技であるように見て取れた。熟達したそれは素人である彼にはその詳細までは見切れなかったが。

 

 鳳翔は突っ込んできた南方棲戦鬼をその勢いを利用して岩盤に叩きつけたのである。しかも自身の力を上乗せまでして破壊力を増進させた上で、受け身すら取れないように頭から地面に落としたのだ。試合でやれば確実に相手を殺してしまうであろう殺意しかこもっていない攻撃である。これを一瞬で行ったのであるから、まったくもって絶技であった。

 

 

「くそがああ!!軽空母の分際で……舐めんじゃないわよ!!」

 

 南方棲戦鬼は先ほど無作為に飛びかかって大打撃を受けたことを反省したのか、一足に飛びかかり大振りを叩き込むのではなく、近づいた後は余裕をもって乱打という手数で鳳翔へ攻めかかる。

 

「はああああああ!!!」 

 

 南方棲戦鬼の小出しとはいえ充分に必殺の破壊力をもつ拳が嵐のように鳳翔に打ち掛かる。

 

「……っ!」

 

 鳳翔はその猛攻の中でただひたすらに攻撃を流し、弾き、避け続ける。石壁も先ほど似たような事はやったが、鳳翔の動きは石壁以上に全く無駄が無い。洗練された鳳翔の動きに石壁は心底見惚れた。

 

 ちなみに石壁は知らないが、ほかの提督の元に呼ばれた『鳳翔』でさえ、ここまで圧倒的な合気道の技術をもつ艦娘はいない。

 

 何故鳳翔がこれほどまでに合気道に熟達したのか?それは彼女が石壁の初期艦であったという事が大きい。石壁に呼ばれた艦娘は石壁の影響を当然受ける。それは性格だけではなく、素質の面にも影響してくる。

 

 その中でも、初期艦は特に提督の影響をうける。初期艦として石壁に呼ばれた鳳翔の才能は石壁に強い影響を受けており、防御的な行動には特に強い適性をもっているのだ。

 

 合気道の本質は防御と受け流しであり、これが鳳翔の防御適性の高さと極めて上手くかみ合ったのである。その結果、恐ろしい程に合気道に熟達した石壁の鳳翔が生まれたのだ。

 

 全体的な防御適性の高さは石壁には遠く及ばない鳳翔だが、合気道による接近戦に限れば石壁の防御性の高さに匹敵するのだ。これは鳳翔の努力のたまものであると同時に、石壁と合気道の親和性の高さを物語っているともいえる。 

 

 本来石壁が習熟すべき武道は間違いなく合気道なのだ。だが武術の授業で中途半端に攻撃的な武道を修めてしまったが故に、石壁は本来持ちえた筈の天性の合気道の適性を埋もれさせしまった。鳳翔の合気道は石壁のあり得たかもしれない可能性の姿なのだ。

 

 仮に一年前から鳳翔に合気道を習っていれば、石壁は南方棲戦鬼を相手にして互角以上に戦えただろう。1年前の石壁に『来年南方棲戦鬼と殴り合う事になるから今から必死になって合気道を修めておけ』なんて伝えたところで鼻で笑って流されるだけだろうが。

 

「あんた!!どっからその馬力もってきているの!?軽空母のくせに、どうやって私と殴り合える程の力を用意したのよ!!」

 

南方棲戦鬼は自身と互角に渡り合う鳳翔に驚愕する。

 

鳳翔は南方棲戦鬼の問いに答える代わりに、突き出される彼女の腕をとった。その瞬間、鳳翔の馬力が一瞬で急上昇する。鳳翔は限界まで高められた馬力をもってして、南方棲戦鬼の力のベクトルに抗うのではなく、都合の良い方へ誘導してした。

 

すると南方棲戦鬼は自身の拳の勢いに任せて胴体が宙に浮きあがり、前方に一回転して岩盤に叩きつけられる。自身の馬力と相手の馬力を合わせて破壊力に変換されたそれは、馬力のある南方棲戦鬼にはたまったものではない。

 

(……やっぱりおかしい、いくら武道の達人だっていっても、あの馬力はいくらなんでもおかしい)

 

 

単純比較をすることはできないが、南方棲戦鬼の元になったと言われる大和型の馬力は大体15万馬力から16万馬力程度であり、対する鳳翔は3万馬力程度しか出力が無い。それは奇しくも先程の石壁と南方棲戦鬼のスペック差と同程度であったが、鳳翔の身体能力は南方棲戦鬼にあまり劣っているようには感じられなかった。

 

南方棲戦鬼の憎悪によって燃え滾る精神とは別に頭の中の冷静な部分が喚起した疑問、それに大して遂に彼女の頭脳が答えをはじき出す。

 

(……ああ、なるほどそういう事ね……提督は提督で充分おかしいけど、その提督の艦娘だけあってコイツも恐ろしい程頭がぶっ飛んでるわねえ)

 

 

当然だが、これは鳳翔が根性で15万馬力を発揮しているわけではない。十二分に超人的だがしっかりとした理由が存在する。

 

「あんた、艦娘の体で艦艇時のスペック一瞬だけ引き出しているのね!!どうりで頭のおかしい馬力があると思ったわ!!」

「っ!」

 

南方棲戦鬼は、ようやく目の前のロートル艦の手品の種を見破った。

 

「種が割れた以上アンタの弱点も見えてきたわよ!!アンタが一瞬だけ体を強化して私の力をうまく流すっていうなら、『流せない程強力な攻撃』を連続して放てば良いだけなのよ!!この南方棲戦鬼の力を、流しきってみせられるなら流してみなさいよロートル女ぁ!!いつまでその『曲芸』続けられるかしらねぇ!!」

 

「……ぐっ」

 

 

 鳳翔の馬力は南方棲戦鬼に遠く及ばない。にも関わらず、鳳翔が南方棲戦鬼相手に互角以上の戦いを繰り広げていられるのは何故か。

 

 それは鳳翔の達人級の合気道の腕に加えて、艦娘という『人と艦艇の中間にある種族』の特性を100%活かし切った超人的な戦闘技巧に依る所が大きい。

 

 艦娘とは人の形代に艦艇の能力を凝縮している。だが、艦娘は艦艇の能力をフル活用できるわけではない。

 

 何故なら人の形を取る以上、振るいうる能力には限界があるからだ。

 

 普段我々人間は、人として持ちうる能力の内精々10〜30%程度の能力しか使うことができない。それ以上の力を出すと肉体が自身の力に耐えられないからだ。

 

 所謂火事場の馬鹿力とは、火事の中などで死の危機に瀕した人間がその危機から逃れる為に、一時的にこのリミッターを解除した状態を指す。背水の陣などの言葉からわかるように、死の淵に追い込まれた人間が普段以上の能力、つまり『死力』を発揮するのはこういう原理があるのである。

 

 艦娘も同様に、個人差があるものの艦艇時の10~30パーセント程度しか馬力を発揮できない。それ以上を発揮しようとすると肉体が自壊してしまうのだ。その為、常に身体能力にはリミッターがかかっている。

 

 しかし、鳳翔はそのリミッターを故意的に開放する事ができるのだ。必要最低限の一瞬だけ艦艇時の100%近い馬力を発揮してスペックの違いを補っているのだ。

 

 人間でいうなら『心臓を止めようと思えば実際に心臓を止められる』程に完全に肉体を制御できる人間にしかこの様な芸当は出来ない。生体機能に直結する機能をスイッチでオンオフするように停止したり起動したりできるのは十分に超人の技だといえるだろう。

 

少しでも制御を誤れば、敵の攻撃を受ける前に肉体が負荷に耐え切れずに自壊しかねなないのだ。南方棲戦鬼のいう『曲芸』とは正しく正鵠を射た表現である。

 

もっとも、そんな曲芸紛いの荒業を全力で行わなければ鳳翔と南方棲戦鬼が真っ向から戦うなぞ土台不可能なのだ。その不可能を無茶のレベルまで引きずり落とした鳳翔の技は凄まじいものだった。

 

 振り抜かれる拳を受け流し、受け流せない攻撃は能力を開放しつつ飛行甲板の艤装を盾に使って上手く弾く。一撃でも喰らえばそれで終いの死の輪舞曲を踊る鳳翔。

 

 一見二人は互角である。だがこれは鳳翔が卓越しているがゆえにそう見えるだけで、やはり元の力の差は如何ともしがたいのだ。

 

「はああああああ!!!」

「……ぐッ……ッ!?しまっ」

 

 数十、数百に及ぶ南方棲戦鬼の攻撃を洗練された技術でいなし続けていた鳳翔だったが、そんな砲弾に砲弾をぶつけていなし続ける様な曲芸戦闘に無理が出ないはずもなく。

 

 蓄積していく負担から一瞬だけ、防御が遅れてしまう。

 

「貰ったわ!!!」

 

 防御の穴を突く様に繰り出された南方棲戦鬼の一撃が、ついに鳳翔に突き刺さった。

 

「がはっ!?」

 

 衝撃で後方へ大きく吹き飛び、転がって石壁の側へ倒れ込む鳳翔。

 

 大地に倒れ伏す鳳翔は、自身の身体的損傷を冷静に客観視して歯噛みした。

 

(……損傷は中破相当ですが、体が動きません!)

 

 咄嗟に後方に飛び衝撃を最大限逃したにもかかわらず、身体の奥深くまで突き刺さるような痛撃が鳳翔の四肢の力を奪っていた。

 

(動かないと……今動かないと駄目なのに……!!)

 

 

 数分、否、数十秒もすれば鳳翔の体も動くだろう。だが、そのほんの一時すら、この戦いの中では贅沢に過ぎる時間であった。

 

 動けない鳳翔の眼前には、既に南方棲戦鬼が立っている。

 

「……ロートルのゴミ空母にしては、よく頑張ったわね……でも、もうここまでよ」

 

(動け、動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動けえええええええええええええええ!!!!!!!!!)

 

 鳳翔は不甲斐ない自身の四肢を叱責する。

 

(私が動かなければ……誰が戦えるというのですか……誰が…彼を護れるというのですか……!?)

 

 あの優しい提督を、運命の理不尽さに翻弄される石壁を

 

(死ねない……まだ死ぬわけには、いかない!!私が提督を……提督を護るんです……!!)

 

 助けると。護ると。己の命に代えてでも救ってみせると。鳳翔は誓っていた。

 

「悪あがきは、もうおしまいよ」

 

 眼前に立つ南方棲戦鬼が喜悦を浮かべながら足を頭上へと振り上げる。石壁に止めを刺したのと同じ手法で、全体重と馬力をのせて鳳翔の頭めがけて振り下ろすつもりなのだ。鳳翔は石壁程化け物じみた耐久性を持っていない。直撃すれば鳳翔は割れたザクロの様な躯を地にさらす事になるだろう。

 

「……ッあああああああ!!動けえええええええええええええええええええええええ!!!!!」

 

 鳳翔は血を吐かんばかりに自身の体を叱責し、奥歯をかみ砕かんばかりに嚙み締めた。

 

「無様ね。所詮、人間や軽空母がどれだけ頑張った所で無駄なのよ」

 かろうじて動いた両手を大地に押し当てて体を起こそうとするも、それ以上体が動かない。

 

 鳳翔一人の力では、まだ立てない。

 

 

 鳳翔の誓いが果たされる事は、ない。

 

 

 

 

 

「己の無力を噛みしめて、死になさい」

 

 

 

 

 

 南方棲戦鬼の足が、振り下ろされたーー

 

 

 

 

 

 

 



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第二十三話 比翼連理 下

ついに決着です。最後まで楽しんで頂けると幸いです。


「ああ!!もう!!貴方達しつこすぎ!!どいてよ!!石壁提督が死んじゃうじゃない!!」

 

 衝突の衝撃で遥か前方へ吹っ飛ばされた戦艦棲姫は、現在大勢のタ級に囲まれて身動きがとれなくなっていた。

 

 要塞線の目の前で行われていた死闘だったが、最早大勢は決していた。故にこのタ級達は南方棲戦鬼への追撃を少しでも遅らせるべく、要塞を上って南方棲戦鬼の後方数百メートルの位置に布陣し、文字通り決死隊として伊能達を防いでいるのだ。

 

 そこに吹っ飛んできたのが戦艦棲姫である。艤装が無い為砲も撃てず、姫級とはいえ南方棲戦鬼程化け物じみたスペックを持っていない彼女では、タ級の群れを抜くことが出来なかったのである。

 

「なんで貴方達そこまで姉さんに尽くすわけ!?どうせ酷い扱い受けてたんでしょ!?」

 

 数に押されてまったく動けない状況を打破すべく、戦艦棲姫は必死になってタ級達を蹴ったり殴ったりして一人ずつ仕留めていったが、ひとり崩れる度に即座に別のタ級がそこを埋めて元の木阿弥になってしまう。

 

「……そうですとも、あのお方は、本当に酷い鬼でございましたよ」

 

 戦艦棲姫の言葉に、一人のタ級が応じる。

 

「ならどうしてここまで尽くすのよ!?止めちゃえばいいじゃない!!降伏するなら、私から要塞の皆に取り次いであげるから!!だからもうーー」

 

「それでも!!」

 

 戦艦棲姫の言葉を、タ級が切る。

 

「それでも、我々にとってあのお方は憧れなのです!たとえどれだけのド畜生の阿婆擦れ女だったとしても、我々はあのお方の雄姿に魅せられたのです!!あのお方が最後の戦いに赴かれた以上、我々もその戦いに殉じます。それが、我々の忠義なのです!!」

 

 タ級達は一歩も引く気がない。全員が覚悟を決めた死兵になっている。仮に石壁が劉邦なら、このタ級達はさしずめ四面楚歌の状況でも最後まで項羽に付き従っていた兵士達といったところか。

 

「……降伏なさい、今すぐに」

「ご冗談を、あの方の妹君であったとしても、その言葉には従えませんね」

 

 無駄とは知りつつ言った戦艦棲姫の言葉を、タ級は即座に否定する。

 

(石壁提督……ごめんなさい……多分、間に合わない……)

 

 戦艦棲姫は、歯噛みをしながら提督の無事を祈った。

 

 

 ***

 

 限界を超える損傷によって動けなくなった石壁は、自身の目の前で行われる死闘を見つめていた。

 

(ーーー僕は一体何をやっているんだ?)

 

 鳳翔が南方棲戦鬼と一歩も引かずに打ち合っている。

 

 

(鳳翔一人に戦わせて、僕はこうやって地面に突っ伏しているだけで)

 

 

 石壁は潰れた片目の痛みと艤装を無理やり動かしたことによる極度の肉体的疲労、そして先ほどの南方棲戦鬼の攻撃による臓器系への致命的ダメージから動けずに地に倒れている。

 

(体が動かない?全身が痛い?知るか、そんな事……知ったことか……!!)

 

 石壁は臆病でヘタレな男だ。痛いことも苦しいことも、出来れば経験したくないし、誰かがやってくれるならそれに越したことはないと思う程度には凡人だ。

 

 だが、それを自身の代わりに、身内や命に代えても守りたいと思った人が受けるとなれば話は別だ。

 

 石壁が身内や思い人に全てを押し付けていられる程器用な人間だったなら、こんな世界の果てまで来ることはなかった。こんなに苦しんで戦う事もなかった。

 

 彼は自分の惚れた女に全てを任せて逃げ出すような卑怯者ではないのだ。大切な女性が自分の代わりに死ぬのを見ていられる程、惰弱な人間ではないのだ。

 

(動け、動けよ僕の体……今動かなくてどうするんだよ!!!)

 

 石壁の思いに応える様に艤装が軋む。限界を超えて動こうとする石壁に、彼の肉体が悲鳴をあげる。

 

 魂に火が灯る。チリチリと燃え上がり始めた火種に、石壁の思いという燃料が注がれていく。

 

「がはっ!?」 

 

 その瞬間、鳳翔が攻撃を食らって自身の目の前まで転がってきた。口元から血を流しながら、鳳翔は歯を食いしばって痛みに耐えている。

 

「はぁ……はぁ……あぐぅあぁっ!?」

 

 明らかに重傷の鳳翔は、それでも立ち上がらんともがいていた。両腕を地について、体を動かそうともがいている。

 

 自分を、助けるために。

 

 鳳翔のそんな姿を見た瞬間、石壁の魂が震えた。魂の根底から力があふれ出てくる。灼熱の様な思いが心の中を駆け巡った。

 

「……ッあああああああ!!」

 

 鳳翔は、目の前の石壁を救うために、声を張り上げながら体を動かそうとする。

 

『……ッぐぅあああああ!!』

 

 石壁は、目の前の鳳翔を救うために、艤装の中で声なき声を張り上げ体を動かそうとする。

 

 二人の思いが重なる、死を目前にした究極の一瞬の中で、二人の思いは一つとなる。

 

 南方棲戦鬼の足が頭上へと引き上げられる。処刑者の斧が狙いを定めて振り下ろされるのだ。

 

「『動けえええええええええええええええええええええええ!!!!!』」

 

 その瞬間石壁と鳳翔の間で『何か』が弾け飛んだ。二人が繋がる。石壁の思いと鳳翔の思いが重なり、繋がり、巡った。

 

 その瞬間石壁は自身の思いの丈を載せて、叫んだ。

 

 

 

 

 

 

「鳳翔おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 石壁の叫びに呼応するように鳳翔の四肢に力が戻る。流れ込む熱い思いが力となって体を突き動かす。

 

 両手で地面を押して後方に無理やり跳ねるという曲芸じみた動きで鳳翔は南方棲戦鬼の攻撃を咄嗟に避ける。

 

 処刑者の斧は外れた。鳳翔は運命に抗ったのだ。

 

「……!!」

「なっ!?この……!!」

 

 その動きに南方棲戦鬼が驚愕する。しかし、即座に追撃を叩き込むべく肉薄する。今度は避けられない。

 

 

「今度こそ死になさい!」

「鳳翔に……」

 

 その瞬間、鳳翔と南方棲戦鬼の側面に、石壁が割り込んだ。

 

「触れんな阿婆擦れ!!」

 

 石壁の拳が南方棲戦鬼の側頭部に叩き込まれた。

 

「がぁっ!?」

 

 先ほどまでの避ける必要すら感じない拳とは全く違う。脳みその奥底まで揺さぶられるような衝撃に、南方棲戦鬼は10m程吹っ飛ばされて転がった。

 

 即座に起き上がって石壁を睨みつける南方棲戦鬼だったが、その衝撃に驚愕して目を見開いている。

 

「……どういうことよ」

 

 あまりに不可解な事態に、南方棲戦鬼は思わず呟いた。

 

 目の前に立つ石壁は先程までと同じく死に体。体の損傷に変化はなく、艤装は今にも自壊しそうなほどボロボロだ。

 

 しかし、石壁が放つプレッシャーが全く違う。先ほどまでの画竜点睛を欠く状態の艤装ではなく、本体である戦艦棲姫が居るのと相違ない程の力を感じ出せた。

 

 

(どういうこと……!?明らかに力が強くなっている……!?本体が居ないのに……!?)

 

 その混乱に拍車をかけるのが、鳳翔の急な復帰である。

 

(ありえない!ありえないわ!あの損傷具合はすぐに動ける状態じゃなかった!!こんどはどんなトリックよ!!)

 

 艦娘はそのテンションがそのまま身体能力に反映されると以前説明したが、厳密に説明するとこれは若干違う。

 

 艦娘とは心で闘う生き物なのだ。テンションが上がった結果として、心の持ちようが強く大きくなり艦娘は強くなるのだ。心の持ちよう一つで艦娘はいくらでも強くなる。こうありたい、どうありたいという強い思いが艦娘に力を与えるのだ。

 

 そして心の持ち様とは、詰まる所『魂』の在り方に帰結する。魂が強固になればなるほど、艦娘の力は増大するのだ。

 

 そして、艦娘の強さを語る際に外すことが出来ないのが『提督』の存在である。

 

 提督は自身の魂に艦娘の魂を癒着させる事で現世に艦娘を召喚していると、以前話した事を覚えているだろうか。

 

 提督と艦娘の魂は最初は癒着しているだけだ。しかし、二人の絆が深まれば深まる程、次第に癒着面が大きく薄くなっていく。そう、つまりは互いの魂が繋がっていくのだ。

 

 『魂が大きくなればなるほど艦娘は強くなる』というこの大原則は揺るがない。故に艦娘自身の魂と提督の魂が繋がれば魂の容量は二倍になる。つまりは、艦娘の力も大幅に増大するのである。

 

 艦娘の練度(レベル)とは即ち艦娘本人の強さであり、提督との繋がりの強さでもあるのだ。

 

 その関係の極地こそが、結魂(ケッコン)である。互いの魂を結んでしまうほどの絆の深まりが、艦娘に新たな力を与えるのである。

 

 魂が繋がれば当然だが相手への好意がそのまま伝わる。伝わった好意が相手の中で増幅されてまた自分に返ってくる。好意の永久機関とも呼ぶべきこの関係が、心の強さが肉体の強さに直結する艦娘の能力を跳ね上げるのだ。

 

 石壁と鳳翔の絆は、この時遂にその領域まで至ったのである。

 

 石壁と鳳翔に新たな力が宿る。時空さえ超える程の、強靭な繋がりをもって魂が結ばれたのだ。

 

 これによって鳳翔に流れ込んだ石壁の思いが鳳翔に力を与えたのだ。そして同時に石壁に流れ込んだ鳳翔の思いが、石壁を通して艤装に流れ込んだことで疑似的に戦艦棲姫の艤装が鳳翔を主として起動したのである。

 

 二人がかりの魂で無理やり起動された戦艦棲姫の艤装はまだ本来のものに少し及ばないものの、それでも先ほどまでとは能力に雲泥の差があった。

 

 これが、鳳翔が突如として復活し、戦艦棲姫の艤装が本来の力を取り戻した理由である。

 

 並び立つ鳳翔と石壁。互いが互いを己の命に代えてでも護りたいと想う傷だらけの比翼の鳥が、連理の枝の様に繋がったのだ。

 

「助けに来たはずが、立場が逆になってしまいましたね」

 

 若干苦笑しながら鳳翔が言うと、石壁は答える。

 

「鳳翔さん、これは僕からの最初で最後の絶対命令だ」

 

 闘志を漲らせ、鳳翔の隣で眼前を睨みながら石壁は命じた。

 

「僕より先に死ぬことだけは絶対に許さない。死ぬときは僕の後に死ね」

 

 石壁は総指揮官としては、失格である。何処の世界に真っ先に死ぬ指揮官がいるだろうか。

 

「……」

 

 しかし

 

「では、私からの『お願い』です」

 

 大和の男としてならば、石壁はこの上なく正しい男であった。

 

「私より先に、死なないで下さいね」

 

 鳳翔は、石壁の前でも後ろでもなく、隣に立つ。

 

「……ズルいなぁ、鳳翔さんは」

 

 石壁はふてぶてしく、力強く笑う。

 

「そんな風に言われたら、叶えてあげたくなるじゃないか……!」

「ふふ……ならどうか叶えてくださいね、提督」

 

 二人は笑う。ふてぶてしく笑う。まるで眼前の難事など大した事では無いと言外に断じるように。

 

 二人は確かな心の繋がりを感じていた。そして、その身から湧き出る新たな力の存在も。

 

 もし、仮に今鳳翔のステータスを覗けたならば、こう表示されているだろう。

 

 鳳翔、練度(レベル)100、と。

 

 ***

 

「おおおおお!!!」

 

 叩きつけられる拳は明らかに先程とは破壊力が違っている。本体の欠落にも関わらず、その力は南方棲戦鬼と拮抗するものとなっている。

 

 拳の破壊力は互角。速度に勝る南方棲戦鬼に対して石壁は防御に優っている。単体の比較では石壁が押し負けるが、石壁の力は単体で図るものではない。タンカーとアタッカーでは役割が違うのだ。

 

「……はぁっ!!」

 

 渾身の一射が脇から南方棲戦鬼に叩き込まれる。鳳翔の矢は南方棲戦鬼の意識が石壁に集中したその刹那に意識外から撃ち込まれる。大抵の者ならこれを避ける事は不可能だ。しかし南方棲戦鬼はまともでは無い。

 

「なめるなっ!!この程度で私を殺せるか!!」

 

 手の甲を叩きつけて矢を受け流す。魚雷矢が起爆しないレベルの絶妙な力加減を、この短時間で見極めてしまったのだ。

 

「死いいねえええ!!!!」

 

 南方棲戦姫の超弩級戦艦すら打ち砕く回し蹴りが石壁の胴に打ち込まれる。しかし、石壁は絶妙な受け流しでこれを捌いている。

 

「チィッ……これならどうよ!!!はぁーーーーーッ!!!」

 

 すかさず石壁の懐に入り込みラッシュへと移行する南方棲戦姫。一発一発が致命の一撃であるにもかかわず、石壁は一歩も揺るがない。その剛腕を器用に動かして一発一発を受け流している。

 

「……シっ!」

 

 鳳翔はその隙を逃がさず、脇からまた一射、今度は南方棲戦姫の顔面を狙い撃つ。

 

「だからそんなもの効くかあああ!!!」

 

 南方棲戦姫がそれを打ち払う、だが……

 

(……うそ!?死角に……砲弾が!?)

 

 鳳翔の放った一射の軌道のすぐ後ろに、南方棲戦姫からみて死角になるように放たれていたその一撃は、弓矢を払った状態で無防備な南方棲戦姫の首に吸い込まれた。

 

「ガヒュっ!?」

 

 南方棲戦姫は人体の急所である首への被弾に肉体が硬直した。14cm弾とはいえ急所への直撃弾だ、馬鹿には出来ない。

 

(くそったれ!!呼吸が……)

 

 武道において呼吸は力の源、息を吸えない状況では満足に体を動かすことが出来ないのだ。

 

「空母にだって、砲塔くらいあるんですよ」

 

 鳳翔の着物の袖の中、女性が腕時計を内向きに着けるような位置に隠された14cm単装砲が、まるで暗器の様にわずかに袖から覗いている。

 

 鳳翔は劣勢の中、この豆鉄砲より頼りない副砲を威嚇にすら使わずに、こうやってずっと袖の中に隠していたのだ。その効力を最大化できる瞬間まで。

 

「うおおおおお!!!!」

(やば……!?)

 

 そして、その動きの止まった瞬間をのがす石壁ではない。

 

 攻撃の不得意な石壁が持つ単純明快にして唯一の攻撃技。先程の画竜点睛を欠いた一撃とは違う、本当の剛力でもって拳が突き出される。

 

「はぁ!!!!」

 

 戦艦棲姫の艤装のパワーをフル活用した正拳突きが、南方棲戦姫の胴を直撃した。

 

「があああああああああああああ!!!!!???」

 

 吹き飛ばされた南方棲戦姫が、近くの岩盤に叩きつけられた。噴煙が立ち上り、南方棲戦鬼の姿が見えなくなる。

 

 直撃だ。タダでは済まないはずである。

 

「やった!?」

 

 思わず石壁が呟く。張りつめっぱなしだった石壁の気持ちが一瞬緩んだ。

 

 だが、それは戦場において致命的な隙であり

 

「ジャアアアアアアア!!!」

 

 石壁はその代償を支払う事になる。

 

 噴煙の中から、胴の一部を欠損させた南方棲戦姫が弾丸の様に飛び出してくる。狙いは一点、石壁のみだ。

 

「提督!!!」

 

 その瞬間、石壁の体が少しだけ横にずれる。鳳翔が体当たりで石壁を動かしたのだ。

 

「チィッ、まずはお前からだ!このスクラップがあああ!!!」

 

「ぁ……」

 

 石壁の呆然とした呟きの直後、鳳翔の体に南方棲戦姫の一撃が叩き込まれた。

 

 

 鈍い打撃音とともに宙を舞った鳳翔は、飛行甲板をバラバラにさせながら10メートルほど吹き飛び、血を噴いて倒れ伏す。

 

「ぅ……ぐ……」

「とどめよ!!!」

 

 南方棲戦姫が鳳翔に向けて飛び出す。

 

「鳳翔!!!!!」

 

 石壁はその南方棲戦姫の背を追って駈け出す。自然と、石壁の構えは崩れてしまった。

 

「そう来ると思っていたわ!!!」

 

 しかし、それは罠だった。南方棲戦姫は即座に体をターンさせ、石壁へむけ拳を突き出した。

 

「さっきのお返しよ!!!」

 

「しまっ……!?」

 

 南方棲戦姫の拳があたった部位がはじけ飛ぶ。内臓をえぐり取られる激痛に、石壁は血を吐いて膝をついた。先程までの攻撃は、まだギリギリ致命『的』なものだったが、これは間違いなく致命傷だ。なにせ、内臓が損壊したのだ。もはや石壁に残された時間は無い。

 

「あ……ぐぎぃ……かはっ……!?」

 

 膝をつき血を吐く石壁を前に、南方棲戦姫は加虐に彩られた狂気の笑みで立つ。

 

「これで!終わりよ!!」

「ぐうう!?」

 

 咄嗟に、飛んできた拳を手のひらで握り、組み合う形になる。

 

「ちぃっ!?本当にしぶといわねぇ!!!」

 

 振り下ろされるもう片方の拳すら石壁は根性で握り込んだ。事此処に至って、両者の戦いは完全な力比べへと以降してしまった。

 

 だが、石壁はその力の根源たる鳳翔の力が薄弱になった上に、片目の欠損に内臓の損壊という致命傷を負っている。当然、押し負けて全身の骨格が嫌な音をたてはじめる。

 

「ほらぁ!!足掻いてみなさいよ!!私から奪った妹の艤装でさぁ!!!」

「あ……ぐ……があああああ!?」

 

 激痛に石壁が叫ぶ。肩や間接の腱が断裂を始めたのだ。艤装からのフィードバックが満身創痍の石壁を殺そうとしている。しかし、もしフィードバックを切れば、その瞬間この拮抗は崩れ石壁は艤装諸共にスクラップにされてしまうだろう。

 

 生きたまま肉体を押しつぶされていく地獄の責め苦に、石壁の意識が揺らいでいく。

 

 この時点で既に石壁は片目を失い、臓器が潰れ、全身の筋骨を限界まで酷使している。

 

 肉体の損傷と疲労は最早極地に達している。

 

 石壁の視界が明滅し、意識は遥か彼方へ飛んでいきそうになる。

 

(痛い……苦しい……なんでぼくはこんな目にあってるんだ……)

 

 辛うじて残った意思が、あまりに酷い苦しみに弱音を吐く。そして、半ば無意識に視線が鳳翔を探す。

 

(そうだ……鳳翔は……鳳翔は何処だ……?鳳……翔……?)

 

 痛みと疲労でかすれゆく視界の中で、石壁は確かに見た。

 

「待っていて下さい……提督……必ず、必ず私が……!」

 

 全身ボロボロで血塗れの鳳翔が、砕け散った弓の艤装を杖代わりにして、それでもなお立ち上がろうとしていた。

 

 衝撃で纏めてあった髪がバラバラにほぐれ、血まみれの顔に鬼気を滾らせたその相貌は、普段の穏やかな鳳翔の姿からはかけ離れたものだった。

 

 鳳翔は体内のあらゆる筋骨を断裂させるような衝撃を受けてなお。血化粧で顔を染めながらも、まだ諦めていないのだ。

 

 だが、無常にも彼女の四肢に力がはいってこない。あまりにも、あまりにも彼女の損傷は激しいものであったから。

 

 

 鳳翔のそんな姿を見て、光が消え失せかけた石壁の瞳に力が戻る。全身の血液が沸騰する。魂の炉心に灼熱が走った。

 

(ああ、なにを血迷っていたんだろうか)

 

 何故こんなに藻掻き苦しんでも戦うのか。

 

(そんなこと、考えるまでもないことだっていうのに……!!)

 

 燃える、燃える、燃え上がる。

 

 石壁堅持という男の魂が、固く、強く、熱くなる。

 

 同調する艤装の隅々まで、熱く滾る血潮が巡っていく。

 

 命を燃やす、魂を燃やす、己の命の灯火を急速に燃え上がらせていく。その石壁の劇的な変化に、南方棲戦鬼はまだ気が付かない。

 

「あらあ……?まだ動ける元気があったの?」

 

 動かぬ四肢で立ち上がろうと藻掻き苦しむ彼女の姿は、南方棲戦鬼にとって滑稽極まる見世物であった。

 

 石壁を押しつぶそうとしながら南方棲戦姫は鳳翔へと視線をやり、ニタリとへばりつく様な笑みを顔にはりつける。

 

「良い事思いついたわ。貴方の四肢を剥いだあと、貴方のだーい好きなあの骨董品の四肢も引きちぎって、一緒に並べてあげるわぁ……おそろいで一緒に死ねて、幸せでしょう?」

 

 その姿を想像した南方棲戦鬼はうっとりとしたようにそう呟く、最早死に体の彼らを肴にした勝利の美酒の甘露さはそれだけ魅力的であった。

 

 だが、彼女はこの期に及んでまだ知らなかったらしい。

 

 石壁の最悪の逆鱗を自分が踏みにじったということを。

 

 石壁堅持という男が、惚れた女の危機を座して見ていられる程、腑抜けた男ではないのだという事を!!

 

 

「……おい」

「あぁ?」

 

 その瞬間、石壁の渾身のヘッドバットが、勝利の愉悦に浸る南方棲戦姫の顔面に叩き込まれた。

 

「がはぁ!?」

「聞き捨てならないことばっかりガタガタ抜かしやがって!!!鳳翔をてめえなんぞに殺されてたまるかああ!!!!」

 

 石壁にとって鳳翔は生きる意味の全てだ。一生をかけて護り抜くと誓った、最愛にして最高の女性である。その鳳翔を殺すと言われておちおち死んでいられる程、石壁はぬるい男ではない。

 

「……提督」

「そこで見ていてくれ、鳳翔。僕なら……いや、『君が』僕と一緒にいてくれるなら!!」

 

 石壁のかつてないほどの覚悟が、艦娘と提督の繋がりを通して鳳翔に流れ込む。

 

「君がいるなら!!僕は負ける事はないから!!」

 

 どうしようもない程の熱情を孕んだ風が、鳳翔の心を通り抜ける。熱く真っ直ぐな力強い気持ちが、二人の間で強く繋がる。

 

「本当に……」

 

 ヘッドバットを喰らった南方棲戦姫が、石壁をあらん限りの憎悪を込めて睨んだ。

 

「本当に!!!どこまでも腹の立つ奴らねあんた達!!!!もういいわ!!!!とにかく死ね!!!!」

 

 怒り心頭の南方棲戦姫が余裕も何もかもをかなぐり捨てて、全力で石壁を押しつぶさんとする。石壁の全身が軋み、血が噴き出す。

 

 しかし、それでも石壁は不敵な笑みさえ浮かべて、南方棲戦姫に啖呵を切る。

 

「いいか……耳の穴かっぽじってよおおおくききやがれえええええええええええ!!!」

 

 その瞬間、石壁と鳳翔の間のパスが、今までよりも固く、強く繋がっていく。練度(レベル)というなの心の繋がりが、加速度的に深化していく。

 

「な……!?」

 

 艦娘と提督は魂で繋がり、絆によって高めあい、心で戦う生き物だ。いまだかつてない程に命を、魂を振り絞って戦う石壁が、段階をすっ飛ばして鳳翔との魂の繋がりを深めていく。

 

「大和男子はなあ!!惚れた女の為ならなあ!!!」

 

 組み合う腕が軋む。石壁の大和魂が鋼をも溶かすほど燃え上がる。そう、鳳翔の為ならば

 

「なんでも出来るんだよくそったれがああああああ!!!!」

 

 石壁に不可能など有りはしないのだ。

 

 やけくそ気味の雄叫びとともに、取っ組み合いは劣勢から拮抗、そして圧倒へと移行する。本体を失い本来の力の半分も出せない石壁はその不足を魂で補う……否、其の力を補うのは石壁だけではない。

 

「提督……!頑張って……!!頑張ってください……!!」

 

 鳳翔の声援が石壁の背中を押す。そう、二人の絆とは一方通行のものではない。石壁から思いが流れ込むということは、鳳翔の石壁への思いもまた石壁の心へと流れ込むのだ。それが、石壁の魂をこれ以上無いほどに熱くする。

 

 石壁は一人ではない。彼には、隣に並び立つ比翼の鳥が居るのだから。

 

 この瞬間、石壁と鳳翔の練度が限界まで上昇する。完全に繋がった魂から湧き上がる力が、運命を手繰り寄せる。

 

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 

 雄叫びと共に、石壁は握りしめた南方棲戦鬼の両手を握り潰した。

 

「なっ!?ば、馬鹿な!?」

 

 驚きに目を見開く南方棲戦鬼に、石壁は追撃をかける。燃え上がる魂の全てを込めた、渾身の正拳突きである。

 

「くたばれぇぇぇぇ!!!」

 

 石壁は深く腰を落とし、真っ直ぐに南方棲戦姫を突き崩した。全身全霊の篭ったそれは、あまりの破壊力に戦艦棲姫の艤装がついていけず、至る所を損壊させながらも、南方棲戦鬼の心臓付近を粉々に叩き壊した。

 

「あ……」

 

 胸部の重要機関を砕かれた南方棲戦鬼は、呆けたように石壁を見つめている。

 

(ああ……なるほど……戦艦棲姫、貴方ずるいわね……ほんとうに……)

 

 南方棲戦鬼は視覚を失う寸前に、見える筈のない艤装内部の石壁の顔を幻視した。

 

 彼女は石壁に、己の命とともに根底にある憎悪までも全て打ち砕かれたことで、胸がすくような心地よさに包まれていた。

 

(ほんとうに……いい男のとこに……もらわれたのねぇ……)

 

 南方棲戦鬼は遂にこと切れた。人類に対して長く暴虐を振るった憎悪の化身が、打ち取られたのである。

 

 

 

「……はぁ……はぁ……勝ったぞ、鳳翔」

「……はい、提督」

 

「僕が、いや、僕たちが!!あの南方棲戦姫に、勝ったんだ!!!」

「はい、勝ちましたよ」

 

 血だらけになりながら、満身創痍になりながら、片目を失いながらも。石壁は要塞を護り抜き、南方棲戦姫を討ち果たしたのだ。

 

「はは……は……」

 

 その瞬間、石壁が艤装からはじき出されて地に倒れた。ダメージが限界を超えて気絶した事で艤装とのリンクが切れたのだ。

 

 鳳翔もまた動かない体で地を這いながら石壁に近づき、石壁に寄り添って地に伏す。

 

「お疲れ様でした……提督」

 

 血塗れの石壁を抱きしめながら、鳳翔が呟く。

 

「護るはずが……護られてしまいましたね……」

 

 いつぞやの誓いは、結局はたされなかったのだ。

 

「誓いを果たせなくて御免なさい……そして……約束を守ってくれて……有難うございます」

 

 大勢の仲間が駆け寄ってくる音がする。タ級達を打ち破り、漸く駆け付けることができた傷だらけの戦艦棲姫もその中に居た。

 

「例え死んでも、貴方の傍に……」

 

 そこまで呟いて、鳳翔もまた意識を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

「石壁!!石壁!!おいしっかりしろ!!」

「血を流し過ぎています!!血圧低下!!呼吸も心音も弱くなってきています!!」

「全身の血管と筋肉がズタズタです!!このままでは治療が間に合いません!!」

「左目は完全に潰れています!」

「重要臓器の大半が機能していません!!このまま何時命を落としてもおかしくありません!!」

 

 伊能が治療室に飛び込むと、そこには満身創痍の石壁が治療台の上で衛生兵妖精の必死の施術を受けていた。伊能の呼びかけにも石壁は答えない。

 

 石壁の肉体は酷い状態であった。全身に無数に裂傷が走っている上に、左目の完全喪失や、脇腹に大穴があいて臓器の一部がつぶれてしまっているという、生きているのが不思議な状態であった。

 

 

「伊能提督!!このままでは石壁提督はもちません!!一か八か、艦娘用の高速修復剤を使用します!!御許可を!!」

「しかしそれは……!?」

「はい、人体にどのような悪影響がでるのか未知数です。ですがこのまま手をこまねいて石壁提督が死ぬのを見ていることはできません。本土の施設の整った病院ならまだしも、ここで石壁提督を助けうる方法はそれしかございません!」

 

 艦娘用の高速修復剤とは、瀕死の艦娘すら地獄の淵から呼び戻す劇薬だ。キチンと施術を行えば、四肢欠損すら直しうるという。しかし、それはあくまで艦娘にとっての話である。人の身にはそれは過ぎたる効能、毒と薬は紙一重なのである。かつて死にかけの兵士にむけて投与された例から鑑みて、量を調整すれば成功率は五分五分。半分は生き残ったが、残りの半分は薬に耐え切れず死んでしまったという、正しく一か八かの賭けなのだ。

 

「だが、人間では臓器の再生までは出来ん筈だ!それが出来るほど薬を投与しては、石壁が耐えきれないぞ!!」

「臓器ならあります!」

 

 そういって、別の妖精が南方棲戦鬼の遺体を運んでくる。

 

「な、南方棲戦鬼!?まさか、この化け物の臓器を、石壁に!?」

 

 伊能は医務官妖精の正気を疑った。

 

「短時間で調べられる限り調べたところ、石壁提督に適合するドナー足りえる者はコイツしかおりません!!探せばほかにもいるかもしれませんが、事は一刻一秒を争うのです!!もう時間はありません!!ご決断を!!伊能提督!!」

 

 伊能は石壁の為なら己の腹を掻っ捌いて臓器を提供する位やってのける男だが、今それをしたところで何の意味も無いのだ。頼れるのは、目の前の医務官妖精と、石壁が打ち取った南方棲戦鬼の遺体だけなのだ。

 

 伊能は、無力感に唇をかみしめながら、命令を出した。

 

「……わかった、責任は全て俺が持つ。だから頼む……石壁を助けてくれ」

「……はい!!野郎ども!!オペの準備だ!!臓器移植の後に高速修復剤を投与する!!意地でも石壁提督を助けるぞ!!」

 

「「「了解!!!」」」

 

 石壁の手術は、翌朝まで続いた。

 



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第二十四話 戦いが終わって

第一部の最終話です。最後までお楽しみ頂けると幸いです。


 要塞線の決戦から数日が経過したショートランド泊地、その練兵場に大勢の妖精や艦娘が集まっていた。

 

 数日前に石壁が立っていた壇上には、今はあきつ丸が立っている。彼女はその場の全員を見渡してから、杯を手に声を張り上げた。

 

 

「では、不詳あきつ丸。療養中の提督の代わりに音頭をとらせていただくであります。この戦いで逝ったすべての戦士たちに盃を捧げましょう、献杯(けんぱい)!!!」

 

「「「「「献杯!!!」」」」」

 

 あきつ丸の号令とともに、広場に集まったすべての者達が一斉に盃を捧げ、中身をあおった。

 

 広場には、大小様々な棺が並べられている。中身は死んでいった妖精や艦娘、敵の深海棲艦の遺体である。皆、艦娘として再生させたり、近代化回収の素材として使うことも出来ないレベルで損傷した遺体ばかりだ。

 

 死なば敵も味方も皆仏、戦場から回収された遺体は皆ここに並んで弔われている。同じ釜の飯を食った仲間達が今は物言わぬ躯と化しているのだ。

 

 悲しくないわけがない。苦しくないわけがない。それでも皆唇を噛み締め、キッと前を睨んでいる。

 

 妖精は皆七生報国を誓って戦い抜いて力尽き、なんの因果か二度目の生を受けた英霊である。この世に生を受けたその瞬間から、こうしてまた別れがやってくるのは覚悟の上なのだ。

 

 彼らは皆靖国に集い、また輪廻の輪を辿って、いつかこの世に帰ってくるのだ。

 

 残された者たちは、いつかまた相まみえる時の為に、託された思いに恥じぬように戦い抜こうと決意を新たにしていた。

 

 ***

 

 一方その頃、窓のある医務室にて、石壁と伊能が話し合っていた。

 

「よう、随分と男振りが上がったんじゃないか?石壁」

「ははは」

 

 ベッドで上半身を起こしている石壁と、ベッドの隣の椅子にこしかける伊能が会話をしていた。

 

 石壁の体には多くの傷跡が残った。内臓を始めとした多くの臓器の治療に重きを置いた施術の結果、命こそ取り留めたものの……全身に走る傷跡の多くは消えることなく石壁の体に刻まれたままだ。

 

 今の石壁の体をみて、頼りない小男なんて言える奴はいないだろう。それほどまでに石壁の体の傷は多く、見る者が気圧される程に凄惨だ。

 

 石壁自身も、初陣を乗り越えて以前と顔つきが若干変わった。精悍になったというべきか、達観したというべきか、以前にあった何かがなくなって、新しい何かが代わりに収まった様な顔をしている。

 

 伊能は友のそんな顔をみながら口を開いた。

 

「その目、やはり治らんか」

「まぁ、視神経ごとザックリえぐり取られちゃったからね……命と一緒に片目が残っただけでも御の字だよ」

 

 石壁の左目は完全に潰れてしまい、今は治療用の包帯がまかれている。艦娘用の高速修復材でも、石壁の目までは直せなかった。

 

 石壁の治療はうまくいった。南方棲戦鬼の遺体から摘出された臓器は石壁の体に良くなじみ、分量を調整された高速修復材のお陰で、消えかけた石壁の命はなんとか現世に留められた。

 

 だが、人の身に収まった深海棲艦の臓器と艦娘用の高速修復材が、今後どのような悪影響を石壁にもたらすのかは全くわからなかった。

 

 しばし沈黙が部屋を包む。あの地獄の様な戦場と現在の穏やかな部屋のギャップが、石壁に現実感を失わせる。彼にとってあの大規模会戦が本当の意味での初陣だったのだ。胸中に筆舌に尽くし難い感情が沸き立つのを感じていた。

 

「……大勢、死んだね」

「……ああ」

 

 石壁はポツリとそうつぶやいた。石壁の部下が、石壁の指揮の元、最後の最後まで戦い続けて死んだのだ。気のいい妖精たちや艦娘達、つい先日まで居たはずの者達が、石壁の仲間が、もう居ないのだ。

 

 石壁の命令に従って、戦死したのだ。

 

「……これだけは、言っておくぞ」

 

 伊能は、ぼうっとする石壁に声をかける。

 

「俺を含めた生き残った者達は、全員貴様のおかげで生き残ったのだ。仮に貴様が居なければ、俺達はあの鎮守府が陥落した瞬間に皆殺しにされていた。仮に生き残ったとしても、今日まで戦い抜いて奴らを撃退なんぞ出来る訳がなかった。貴様は客観的に見て100人中100人が匙を投げるような死地の中、最後まで諦めず皆を導き続けたのだ。貴様は到達率が1%にも満たない最善の結果の一つを叩き出したのだ」

「……」

 

 沈黙する石壁に、伊能はそういってから立ち上がった。

 

「それだけは、忘れないでくれよ」

 

 伊能は石壁に背をむけると、部屋を出ていった。

 

 一人残された石壁は、何をするわけでもなく窓の外に目をやった。

 

 暮れなずむ世界の中に、石壁が独り残されていた。

 

 

 ***

 

 

 石壁と伊能が二人で話す間、鳳翔は気を使ってじっと病室の外で待っていた。

 

 やがて、伊能が部屋を出てくると、鳳翔は石壁の様子を尋ねた。

 

「提督のご様子は、どうでしたか?」

 

 鳳翔の問いに、伊能が答える。

 

「……だいぶ参ってるな。まぁ、初陣があれじゃ……仕方はないんだがな」

 

 伊能は、チラリと背後の病室に目をやってから、鳳翔に目線を戻した。

 

「だが、俺はアイツに言うべきことは全て伝えた。石壁はなんだかんだ言っても俺の言ったことが事実だと理解しているだろう。あとは無理やりにでも飲み込んで、自分で消化していくしかない……そして」

 

 そう言って、鳳翔の目をまっすぐ覗き込む。

 

「その立ち上がる為の手助けは、俺には出来ない。あいつが立ち上がったら俺達はいくらでもあいつを支えられるが……あいつの一番脆くて弱い部分を包み込んで立ち上がるまで支えてやれるのは、恐らく世界でアンタしかいない」

 

 伊能は鳳翔を真っ直ぐ見つめながらそう言って、病室の前から立ち去る。

 

「どうかアイツを、頼む」

 

 伊能は一度も振り返らずに、廊下の角へと消えた。

 

「……」

 

 鳳翔は石壁の病室の戸に手をかけて、扉をあけた。

 

 室内は傾いてきた日に照らされて幻想的に黄昏ている。

 

 その部屋の中央には、片目を失った石壁が窓の方を向いてベッドに座っていた。

 

「提督、御加減はいかがですか?」

「……」

 

 無言であちらを向く石壁の隣、先ほど伊能が腰掛けていた椅子に、鳳翔はそっと座った。

 

 

「……」

「……」

 

 静寂が室内を支配する。聞こえるのは互いの呼吸音と、時折飛び立つ鳥の羽音ぐらいだ。

 

 そうやってしばし無言でいると、石壁が口を開いた。

 

「……ねぇ、鳳翔さん」

「……はい」

 

 石壁は、あまり生気の感じられない声で話し始めた。

 

「僕は、僕の指揮が間違っていたとは思っていない。僕は僕にやれるだけ精一杯のことをやって、皆もそれに精一杯応えてくれた。それだけは間違いが無い筈なんだ」

 

 石壁の言葉は正しい。だが、その声に感情が乗っていない。石壁は続ける。

 

「僕は最善に近い形で皆を守れたんだと……そう、理解しているんだ……でも……」

「……」

 

 石壁が鳳翔の方を向いた。彼の眼は真っ赤に血走っており、全力で噛み締めているのだろう口から、鈍い歯ぎしりの音が響いた。

 

 悲哀と憤怒と悔しさが、激情という一点で纏められている。やり場のない感情が満ち満ちたその顔は、石壁の今の状態そのものだった。

 

「でも、どれだけ理屈でそうだとわかっていても……心の中で死んでいった皆の顔がちらついて、叫びだしそうになるんだ……もっとうまくやれたんじゃいないか……もっとたくさん救えたんじゃないかってさ……!!」

 

 石壁は湧き上がる激情をコントロール出来ずに、目を見開き、血がにじむほど両手を握りしめて叫ぶ。

 

「傲慢だってわかってるさ!!僕のちっぽけな手で救えるものに限界があるなんて理解してるさ!!でも……でも……」

 

 そこまで言って、石壁は先程までとは一転した幽鬼のように呆然とした表情を見せた。

 

 握りしめられていた拳が開かれ、脱力した両手がベッドの上に落ちた。

 

「それでも……納得できないんだ……」

(……この人は)

 

 伊能の言っていた意味が鳳翔にもわかった。今の石壁の独白は、石壁の中の最も脆く弱い部分で、本来誰にも見せずに秘められるべきものだ。泊地の総司令長官として、一人の軍人として、最も唾棄すべき弱さの発露だ。本来なら如何に軍人らしくない石壁とて、誰にもこの弱さを見せはしない。しかし……

 

(こんなにも優しくて、強いのに……こんなにも脆くて、弱い……本当に、何処までも不器用な人……)

 

 しかし石壁は鳳翔に、この世でたった一人『鳳翔にだけ』は、その弱い部分を見せている。

 

 以前の酒に酔った時とは違う。石壁は今自分自身の意思で、鳳翔に己の最も脆い部分を見せているのだ。

 

 戦災孤児となり、家族も、友も、親戚も、故郷でさえ……何もかもを一度喪った石壁という男にとって。鳳翔という女は自分の誰にも見せられなかった弱さを見せられる、本当の意味で唯一無二の存在となったのだ。

 

 その意味を理解して、鳳翔は女として心の中から湧き上がる仄暗い喜悦を感じざるを得なかった。

 

(だからこそ……私は……)

 

 鳳翔は何も言わずに、石壁を抱きしめた。

 

「……あ」

「……提督」

 

 目の前の愛する人の苦しみを取り除きたい。この世でたった一人、“自分にだけ”弱さをさらけ出したこの人の全てを包み込んで癒やしてあげたい。鳳翔は石壁の頭を自身の胸元で掻き抱くようにして、ぎゅっとやさしく抱きしめた。

 

「鳳……翔……?」

「いまは、周りに誰もおりません。貴方は今は提督でも、泊地の総司令官でもありません。つまり貴方は今、一人の人間、石壁堅持なんです……だから……」

 

 ぎゅっと、無意識の内に石壁が鳳翔の体を掻き抱く。

 

「だから……泣いてもいいんですよ……」

「……あ」

 

 いままでずっと、無意識の内に押さえ込んできたものが、鳳翔の言葉で溢れ出してくる。

 

「ああ……ああ……」

 

 ボロボロと、残った右目から透明なしずくが流れ出してくる。

 

「うああああああああああああああ……!!!!!!」

 

 石壁は泊地の総司令官となって以降初めて、自分の意思で全てをぶちまけて泣いた。

 

「くそ!!くそ!!皆が、死んじゃったんだ!!!一緒に笑い合って!!!ご飯を食べて!!!辛くても苦しくても泣き言一つ言わずについてきてくれた皆が!!!僕のせいだ!!!僕のせいで、僕が……僕が……あああああああああああああああ!!!!!!」

 

 支離滅裂な感情の奔流が、石壁の中から溢れ出す。ただ平穏に生きることすら難しいこの時代の中で、石壁は襲い来る理不尽を耐えて、耐えて、耐え抜いてこうして生きてきた。

 

 そのたまりに溜まった心の澱が、涙とともに押し流されていく。

 

 艱難辛苦は石壁という名の玉石を磨き、確かに美しく輝かせた。

 

 だが、濁流のなかで角が削られて丸くなるように、石壁の心は摩耗していたのだ。仮に鳳翔が居なければ、石壁の精神はヤスリをかけたようにジワジワと削り取られ、最後には心が壊れていただろう。

 

 子供の様に泣きじゃくる石壁を、鳳翔は何も言わずにただ抱きしめ続けた。

 

 やがて、泣きつかれて石壁が寝入っても、鳳翔はずっと石壁を抱きしめていた。

 

 ***

 

「私は、酷い女ね」

 

 鳳翔は胸の中で寝入る石壁の頭を撫でながら、自嘲気味にそういった。

 

「提督は……こんなにも苦しんで、悲しんで、哀れんでいるのに」

 

 鳳翔もまた、石壁と同じ悲しみは抱いているのは間違いない、しかし

 

「私は、こうやって私にだけ自分をさらけ出す提督の姿を見て、悲しむ以上に嬉しくおもってしまった……なんて、薄情で、浅はかな女なのでしょうか」

 

 誰にでも優しく、いつも微笑んでいる鳳翔とて、艦娘であるまえに一人の人間、一人の女。愛し、愛されたい欲求は抑えがたいものだ。

 

「……でも」

 

 その上、鳳翔と石壁の間の練度はすでに限界まで上昇しているのだ。練度とは即ち絆の深さであり……愛の強さでもある。

 

「もう、この感情は止めようがないんです」

 

 極まった艦娘の愛は、鋼より堅く、鉛より重く、燃え盛る業火よりも尚、熱い……

 

「愛しています。お慕いしています。貴方に先に死ぬなと言われて、とても嬉しかった。だから……」

 

 未だかつて、ケッコンカッコカリという補助器具をもってしてすら、魂が連結すると同義である練度(レベル)の限界まで至った者は数えるほどしか居ない。だからこそ

 

「地獄の果てまでも。輪廻の輪を巡っても。どこまでもずっと……ずっと貴方の側から離れません」

 

 その補助すらなく限界まで至った二人は最早、死ですら分かつことは出来ない。

 

 魂を連結させるとは即ち、未来永劫にわたる輪廻の輪を共に進む事を意味する。彼らは既に魂からして比翼の鳥であり、連理の枝なのだ。別たれることは、もうない。

 

 本来のケッコンカッコカリは、指輪によって魂を限定的に繋げるものだ。それは自力で魂の連結まで至れる程の人間が殆ど居ないが故に、指輪を補助器具にしているのと同時に……指輪という限定的な設置点で魂を繋げる事で、万が一の場合は指輪を破壊して魂の結節点を破断させる安全弁でもあるのだ。

 

 それこそが『結魂(仮)(ケッコンカッコカリ)』の本質。一人の女に魂まで捧げてしまっては、その女が死んだ段階で提督の魂は黄泉路まで連れていかれてしまう。万が一の場合に提督そのものを喪失しないために、この方法がとられているのだ。

 

 つまり、カッコカリではない結魂をした石壁と鳳翔は文字通りの一蓮托生なのだ。どちらか一方が死ぬ時が、もう一人が死ぬ時になるのである。

 

「不束か物ですが。何時までも、何処までも、よろしくお願い致します」

 

 鳳翔は安らかに眠る石壁を、いつまでも優しく、抱きしめ続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




第一部のエピローグもこのまま投下いたします。


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第一部 エピローグ

本日は二話投稿となっております。こちらは二話目です。
先に第二十四話「戦いが終わって」を閲覧してからこちらを読んでください。
最後まで楽しんで頂けると幸いです。


 

 

 激動の要塞決戦が終わり、石壁が退院した数日後。石壁達ショートランド泊地の面々は沿岸部の旧泊地へと足を運んでいた。

 

 

 

「おっと……たはは、まだ慣れないな」

「大丈夫ですか?提督」

 

片目を失った事で遠近感に齟齬が出るようになった石壁は、躓いたところを鳳翔に支えられる事で難を逃れた。

 

「提督、私が背負って運びましょうか?」

「あはは、流石に鳳翔さんに背負って貰うのは男のプライドがねぇ?」

「お姫様だっこでもいいですよ?」

「勘弁してください……」

 

 鳳翔の冗談に石壁が苦笑する。

 

「折角だから、自分の足で歩きたいんだ。鳳翔さん、手を貸してくれる?」

 

 自然に差し出された手を、鳳翔は握った。

 

「はい、私の手でよければ。いくらでもお貸ししますよ、提督」

 

 二人は再び歩き始めた。

 

 ***

 

 

「ははっ、ボロボロだなこれは」

 

 急造の泊地であったショートランド泊地は、その主人の正式な着任式を待たずして一夜にして深海棲艦に奪われた。

 

 

 その段階で既に相当のダメージを追っていた泊地は、連日のゲリラ戦の結果さらにその損害を拡大させた。そしてついには工廠の爆破作戦によって半壊状態に陥っており、控えめに行って紛争地帯の廃墟の如き様相を呈していた。

 

「まあ、アレだけ大量の魚雷を爆裂させたでありますからねえ……むしろよくこれだけ建物が残っていたというべきでありますよ」

 

 

 石壁の言に、ゲリラ戦の指揮をとっていたあきつ丸が応じる。

 

 

「なに、戦場の傷は男の勲章というように、傷だらけの城塞だって歴戦の名城の証ではないか?」

 

 伊能がいつものようにふてぶてしく軽口をたたく。

 

「その傷跡の大半は私達の攻撃なんですけどね……」

「なんというマッチポンプだ」

 

 鳳翔と石壁が苦笑いをしながらそう呟くと、全員が笑った。

 

「なあに、壊れただけならまた直せばいいんですよ!なんたって私たちは一から要塞だって作ったんですから!たかが泊地の一つや二つ、すぐに直せますよきっと!」

 

 明石が明るくそう声を上げれば、そうだそうだと明石配下の工廠妖精隊が応じる。

 

「ははっ、それもそうだね」

 

 石壁はそう笑うと、背後を振り返った。

 

 

 そこには、彼の大切な仲間たちが勢揃いしていた。

 

 人間、艦娘、妖精、深海棲艦……

 

 石壁という男が、その命をかけて守り抜いた仲間たちがいた。

 

「……」

 

 

 全員の顔を脳裏に焼き付けるように、石壁が皆を見渡していく。

 

 見知った顔、あまり話したことのない顔、確かにそこにあったのに、今は見つからない顔。

 

 石壁は一瞬、何かを噛みしめるかのように残った目を閉じると、開いた。

 

「……よし」

 

 石壁が声を張り上げる。

 

「じゃあ、やろうかみんn……」

「あ、そうだ石壁、一瞬だけそこに座れ」

「え?」

 

 良い所を切られて石壁が伊能の方をむいた。

 

 そこには、ダンボールがつみあげられていた。

 

「え?なに?あのダンボールがどうかしたの?というかいつ用意したの?」

 

 伊能の意図がよくわからない石壁だったが、とりあえずその言葉にしたがってダンボールへと向かった。ダンボールの隣に置いてある椅子代わりの木箱に座る。

 

「なに、初日にいきなり泊地が陥落したせいで、出来なかったことが一つあってな。先にこっそり来て用意しておいたのだ」

 

 そういいながら、伊能が石壁の隣に立って、全員の方をむいた。

 

「さて、こうやってようやく俺達は『泊地』をとりもどし、正式にここへ着任できるわけだ」

 

 伊能はそういいながら、帽子をしっかりと被り、身嗜みを整え、背筋をのばした。それだけで普段の不真面目さが何処かに隠れて、謹厳な軍人のように見えてくる。

 

 ガッシリした体格で見目の良い奴は得だなと石壁は思った。

 

「そして、提督の着任の際には『こういう』のが昔からの伝統でな?」

 

 そう言いながら、伊能が胸いっぱいに空気を吸い、声を張り上げる。それと同時に、一斉に妖精や深海棲艦、艦娘たちが笑顔で声を揃えて言葉を紡いだ。

 

 

 

 

 

 

 

『提督が鎮守府に着任しました!これより艦隊の指揮に入ります!!』

 

 

 

 

 

 

 この場に居る千名近い全員から一斉に言葉を向けられた石壁は、驚きに言葉を失った。

 

 

「おめでとう石壁!これでようやく、貴様も提督として『着任』できたな!」

 

 伊能のしてやったりという感じの満面の笑みと、石壁の鳩が豆鉄砲を食らった様な珍妙な顔の対比に、全員が穏やかに笑った。

 

「はははっ……なんだそれ!いまさら『着任』はないだろう!順番無茶苦茶だろう!あははははははははは!!」

 

 

 石壁は笑った。腹を抱えて、涙を流しながら笑った。

 

 つられて、その場に居た全員が楽しそうに笑い出した。

 

 笑い声はどこまでも広がる青い空と海の中で、いつまでも響いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かくして、二ヶ月にも渡る戦いを経て鎮守府に着任した一同は、これよりようやく『鎮守府の運営』を開始するのであった。

 

 

 だが、これが石壁という男の英雄譚にとって文字通りまだ『序章』であったことを、まだ誰も知らなかった。

 

 

 ショートランド泊地の鎮守府正面海域……つまり鉄床海峡(アイアンボトムサウンド)を巡る死闘、その火蓋が切られる日は近い。

 

 

 果たして石壁たちは無事鎮守府正面海域を開放できるのであろうか?それはまだ誰にもわからない。

 

 

 

 

 

 

 

 




ここまでお付き合いいただきままして誠にありがとうございました。

これにて第一部は完了でございます。

第二部に関しましては、暫く書き溜め期間を置いてから開始させて頂きたいと思います。

次回をお待ちの皆様には大変申し訳ございません。

これもより良いお話を皆様にお届けする為の準備期間だと思って頂けると幸いです。

それではまた次回の投下でお会いしましょう。


追記
活動報告であーだこーだとチラシの裏的な後書きを投下しますが、
読まなくても本編には一切影響はございません。


追記2
活動報告にケッコンカッコカリに関する考察を投稿しました。
読まなくても本編に一切影響しませんが、もしよろしければどうぞ


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幕間 石壁の友人たち

大変ながらくお待たせして申し訳ございませんでした。
ようやく書き溜めが出来たので、順次投稿していきたいと思います。

楽しんで頂ければ幸いです。







念のため注意
この物語はフィクションであり、実在するすべてのモノと関係ありません。
また、特定の艦娘を馬鹿にする意図も一切ございません。


 これは南方棲戦鬼との決戦がおこる少し前の話。戦艦棲姫が泊地にやってきてから要塞の存在が発覚するまでの話である。

 

 談話室で石壁や伊能を始めとしたいつものメンツが集まって歓談をしていると、戦艦棲姫が何の気なしに呟いた。

 

「そういえば提督」

「ん?」

 

 戦艦棲姫の膝の上でお茶を啜っていた石壁に、彼女が問う。

 

「士官学校に居た頃って、伊能提督以外に仲の良かった友人とかって居たの?」

「んー?まあ、普通に友人はそれなりに居たけど?」

 

 石壁は別にボッチじゃなかったぞと言いたげに戦艦棲姫をみる。

 

「んー……じゃあ言い方を変えて、伊能提督と同じくらい仲の良い人って他に居たのかしら?」

「俺と?」

 

 話が飛んできた伊能が顔を上げる。

 

「ほら石壁提督って誰とでもそれなりに仲良くやれるけど、本当に懐に入れる人間は結構選ぶタイプじゃない?」

「確かにな、石壁は友人扱いと身内扱いの間に壁があるタイプだしな」

「そうかなぁ?そんなに区別的な扱いしてたっけ?」

 

 石壁が若干訝し気に首を捻ると、鳳翔が補足する。

 

「提督は誰にでも基本的に友好的ですが、本当に大切にしている友人の為なら骨身を惜しみませんから……どちらかというと壁があるというより行動に差がでるという感じでしょうか」

「……人間だれだってそんなもんじゃないかな?」

 

 石壁は鳳翔の指摘に若干恥ずかしそうに顔をかいた。

 

「あきつ丸が知る限り、これは所謂ツンデレという奴でありますな」

「男のツンデレなんぞ気色の悪いだけだがな」

「う、うるせぇ!誰がツンデレだ!」

 

 石壁がそういった後、戦艦棲姫が石壁に問う。

 

「じゃあ提督、石壁提督の親友について教えてよ」

「ん~〜……」

 

 石壁はしばし熟考したあと、話し出した。

 

「じゃあ、僕の親友たちの話をしようか」

 

 そういって、石壁は話し始めた。

 

 ***

 

 石壁が伊能とペアを組むようになったのは士官学校の一年目の後半からだった。以前にも話したが、石壁と伊能はあまりにピーキーすぎるスペックのせいで一年目にして既に退学(リタイア)がちらついていた。

 

 その為教官達の計らいによってコンビを組むことで、単独ではなく二人の協力でかろうじて落第を回避することに成功したのである。

 

 そして二年目。初のクラス替えであったが。教官の方々は石壁と伊能は引き離すべきではないという意見で一致していたため、二年目も変わらず二人は同じクラスであった。

 

 今回の回想はその二年目が始まってから少し経った頃から始まる。

 

 

 食堂の一角、テーブルを挟んで二人の男が座っていた。一人は我らが主人公、石壁である。

 

「会わせたい人がいる?」

 

 石壁が対面に座る青年へそういうと、青年が話し始める。

 

「ああ、私の友人なのだが、少々特殊な来歴でな。伊能と上手くやれる石壁ならば、きっと彼とも仲良くやれるだろうと思ってな」

 

 青年は生真面目そうな切れ長の瞳で、黒髪の短髪。軍服をカシッと着こなしていおり清潔感のある身だしなみをしている。

 

 服装や見た目の固さも相まって、一言でいうと「真面目な委員長」といった風貌の人間だ。

 

 実際彼は真面目で性格も優良な青年である。座学・実技ともに上の中をキープする秀才であり、能力的に問題児である石壁と違って優等生らしい優等生であった。

 

 彼の名は新城定道(しんじょう さだみち)。石壁の親友の一人であり、後の演習において扶桑と山城を貸してくれる提督である。

 

「ふーん……まあ、新城の紹介なら大丈夫でしょ。性格が悪いってわけじゃないんでしょ?」

「……あ、ああ、性格が悪いという事はないな。うん。むしろ凄くいい奴だ。いい奴なんだ」

 

 石壁の問いに、若干目を泳がせる新城。

 

「……なに、その歯に物が挟まった様な言い方」

「いや、その……まあ、なんだ。会えばわかるよ……連れてきてもいいかな?」

「あ、ああ」

 

 石壁は新城の言い方に不安を覚えたが、他ならぬ親友の頼みであるから、とりあえず会うこと自体に異論はなかった。

 

「じゃあ、少し待っていてくれ」

 

 そういって新城は席を立つと、食堂を出ていった。

 

「……一体どんな奴なんだ」

 

 石壁は頼んだパフェをつつきながら、新城をまった。

 

 ***

 

 一旦視点を現代に戻す。

 

「新城提督って演習で扶桑と山城を貸してくれた提督だったわよね?」

「そうだよ、真面目が服を着ているような誠実な男なんだ。とても良い奴だよ」

 

 戦艦棲姫の問いに石壁が頷く。

 

「新城は優等生らしい優等生でな、落ちこぼれかけた俺たちを見かねて良く手を貸してくれたのだ。困っている人をほっておけない善人だな」

「ああ、そりゃ石壁提督と気が合うわよね」

 

 戦艦棲姫がそういいながら膝の上の石壁の頭を撫でると、石壁が顔をしかめる。

 

「あんまり撫でないでくれよ……」

「良いじゃない減るもんじゃないんだし。ほら続き続き」

 

 石壁は諦めた顔をして続ける。

 

「話を戻すけど、新城は所謂秀才というやつで、座学も実技も全般的に8割程度の成績を収めていた。1を聞いて10を知る天才ではなく、1の後に2,3,4と一歩ずつ着実に進むタイプだよ。積み重ねた努力と根性でいつも学年の上位に居る様な男だった……こういうとこっぱずかしいけど、僕は新城の事を尊敬しているんだ。彼ほど努力している人間を僕は知らないから」

「へぇ……」

 

 石壁は新城の優秀さを語るとき、まるで自分の事の様に嬉しそうに語った。それだけで、石壁がどれだけ新城の事を好ましく思っているのかを戦艦棲姫は察することができる。

 

 防御一辺倒の落ちこぼれであった自分とは違う新城の有能さは、石壁にとって心底羨ましいモノであるはずだ。にも拘わらずその事を喜べるのが、石壁の人間性であり、仲の良さの証左なのだろう。

 

「新城提督はバランスに優れた指揮をとられる方で、万事基本に忠実です。有力な戦力を定石にそって配置し、手堅く勝ちに行くタイプでしたね。大勝ちはなくとも大負けもしない。勝てる戦いでは押し、負けそうな戦いは素直に引いて勝機をまつ。当たり前の戦いを当たり前に行える、安定感のある『良将』といった感じでしたね」

「『この人の元でなら安心して戦える』……部下からそんな風に思われるタイプの提督でありましたな。無茶苦茶はしない。大負けもしない。堅実な戦略をとってくれる……付き従う側からすれば大当たりの将官でありますなぁ」

 

 石壁や伊能はそれぞれ攻撃と防御に関しては間違いなく天才だが、それ以外は基本ダメダメだ。ピーキーもピーキー、鈍亀とイノシシである。得意分野では天下無双でも、ちょっと使いどころを誤れば途端に役に立たないか自爆するのがオチである。大体なんでも卒なくこなせる新城は二人にとって尊敬に値する提督であった。

 

「新城の初期艦である扶桑も山城も、困っている人をほっておけないタイプだしな。特に山城の構いたがりな所は、新城の委員長気質な所とそっくりだな」

「あ~~……言われてみればそうだね」

 

 自分の事を弟扱いして何かと構って来る山城の態度を思い出して、石壁は苦笑した。

 

「新城提督の事はよくわかったけど、その人が連れてきた提督ってどんな人なの?」

 

 一通り新城の事を聞いた戦艦棲姫は、話の続きを促した。

 

「あー、うん、新城が連れてきた提督ね。そいつが僕のもう一人の親友だよ」

 

 そう言って、石壁は過去の話の続きに戻る。

 

 

 ***

 

 石壁がパフェをつっついていると、背後から物凄くテンションの高い男性の声が聞こえた。

 

「おお、YOUがジョジョの話していた石壁か!」

「へ?」

 

 石壁がその言葉に振り向くと、そこには形容しがたい男がたっていた。

 

 その男は濃い褐色の肌の持ち主で、その肌の黒さに対比するかの如く輝く真っ白い歯が本当によく目立っていた。

 

 黒い長髪をドレッドヘアでまとめており、口角をめいっぱい釣り上げた満面の笑みを浮かべたその男を形容するならこうなる。

 

「オイラはジャンゴウ・バニングス!!日本人のオフクロとヒスパニックのオヤジの間に生まれた、日系メキシコ人だぜ!!」

 

 面白黒人枠の外人が、そこにいた。

 

「ジョジョのダチなら俺のダチだぜ!!よろしく頼むぜブラザー!!」

 

 ***

 

「まってまってまって、ちょっとまって提督、おかしくない?提督の友人おかしくない?一人だけ世界観おかしくない?」

「まあ、最初はみんなそうなるよねぇ」

 

 石壁が苦笑する。

 

「くっくっく、ジャンゴと初めてあった人間は、大抵鳩が豆鉄砲食らった様な顔をするからな。一度貴様にも合わせてやりたいものだ」

 

 伊能が愉快そうに笑うと、ジャンゴと面識のある面々が揃って苦笑した。

 

「私も初めてあったときはあまりの衝撃に言葉を失いました」

「自分もであります。いやはや、精進がたりませぬなあ」

 

「嘘でしょぉ……」

 

 戦艦棲姫が頭を抱えている間に、石壁が話に戻る。

 

「ははは、まあ、あまりに衝撃的な出会いだったけど、ジャンゴは本当にいい奴でさ。全身で喜怒哀楽を表現する一緒に居て楽しい男だよ」

「そりゃあ、そんな男が隣にいて退屈するわけないじゃない」

「まあ、ね」

 

 石壁は苦笑した。

 

「後ジョジョってだれよ」

「新城の事だよ。新城定道(しんじょうさだみち)の間の『城定』を音読みしてるんだってさ」

「奇妙な冒険に出そうなあだ名でありますなぁ」

「一番奇妙なのは南米からきた黒人提督の存在そのものよ」

「全くもってその通りだな」

 

 戦艦棲姫がぶった切ると、伊能が同意した。

 

 

 

 ***

 

「へえ、ジャンゴと新城は士官学校に来る前からの知り合いなんだ」

「おうとも。ジョジョの奴とはここに来る前からのマブダチだぜ」

 

 石壁とジャンゴが出会ってから数分後。始めは面食らった石壁であったが、暫く話せばジャンゴの真っ直ぐな性格に好感を持ち始めていた。陽気でフレンドリーなラテンのノリが気持ちの良い性格と合わさって、彼は話す相手を不快にさせない溌溂とした魅力を持っていた。

 

「ジャンゴとはまあ、色々あって知り合ってな、それ以来私の気の置けない友人なんだ」

「色々ってどんな色々があったら良家のお坊ちゃんがジャンゴと知り合うのさ」

「まあ、色々は、色々さ」

 

 新城の家は皇族にすら縁をもつ古来からの大地主の一族であり、本物の良家の長子である。故に彼は端的に言えば箱入りの坊ちゃんであり、話していると育ちの良さを感じさせる品性のある人間であった。

 

 一方のジャンゴは見た目も性格もどちらかというとアウトロー寄りである。よく言えばおおらかで楽しい、悪く言えばガサツで大雑把な人間だ。家柄も育ちも完全に新城とは真逆である。なんという凸凹コンビであろうか。

 

「ハッハッハ!確かにオイラと新城はまあ完全に別世界の人間だが。生きる世界が違ってもハートは通じ合う事があるって事だぜ!」

 

 そういいながらジャンゴが楽しそうに新城の背中をバシバシたたく。若干痛そうだがそれでも不快そうではない新城の様子から、二人はよほど馬の合う友人なのだと石壁には感じられた。

 

「はは、本当にいい友人なんだね二人は」

 

 石壁はそんな二人の様子を楽しそうに見て笑った。

 

「……っと、そろそろかな」

 

 その時、ジャンゴが壁掛け時計をみながらそう呟くと、石壁の背後の扉が開いて、数人の足音が近づいてきた。

 

「あ、おーい!こっちだ!へいブラザー、お前に俺の初期艦達を紹介するぜ!!後ろをみてくれ!」

 

 ジャンゴが二ッと口角を上げながら、石壁の背後の気配へ目線をやる。

 

「ジャンゴの初期艦……?」

 

 石壁がそういいながら振り向くと、そこには金剛型戦艦四人組が立っていた。

 

 金剛型戦艦とは、少々特殊な来歴の艦である。一番艦である金剛は当時同盟国であったイギリスで建造されて日本へと渡ってきたが、二番艦以降は手本に日本で製造されているのだ。

 

 金剛型戦艦は分類上は巡洋戦艦と呼ばれ、比較的軽装甲ながらも高い運動性と遠大な航続距離からとても使い勝手がよい艦であった。その為第二次大戦中の帝国海軍で最も活躍した戦艦であると称される程の武勲艦でとなっている。

 

 その武勲は艦娘になっても変わりなく、4人ともとても強くて使い勝手が良い優良艦娘である。

 

 また、四人ともとても個性的で見目麗しい事から、艦娘の中でもトップクラスの人気と知名度を誇っている。軍の広告塔的存在でもある彼女たちは艦娘の中でもトップクラスにメディア露出が多く、国民への認知度がかなり高い艦娘だ。

 

 長女は金剛。帰国子女という事もあってか、『デース』口調の似非外国人っぽいしゃべりがキュートな女性だ。

 

 次女は比叡、スポーティーな短髪が溌溂とした魅力を感じさせるスポ魂系の女性である。

 

 三女は榛名、素直で真面目で純情な女性らしい女性だ。素直に魅力的な女性である。

 

 四女は霧島、頭のよさそうな眼鏡美人で、自称艦隊の頭脳。実際地頭がよく執務も戦いも良くこなす委員長タイプの女性だ。だが戦い方も武勲もどちらかと言うと脳筋なのはご愛嬌。

 

 四人とも美人でキャラがよく、固定ファンも多い人気姉妹である。それが金剛型戦艦であり、そんな艦娘を初期艦として全員呼べるところから鑑みても、ジャンゴの提督としての潜在能力は並外れているといえるだろう。

 

「おお……そうか、ジャンゴも帰国子女だから、金剛も帰国子女つながりでーー」

 

 石壁がそう納得しかけた瞬間、金剛が声を上げた。

 

「比叡」

 

「はい!気合入れていきます!」

 

 比叡は懐から調子木(火の用心で叩くアレ)を取り出す。

 

 硬い木を打ち鳴らせるカァンという甲高い音が響いた。

 

「へ?」

 

 石壁は目が点になった。

 

「遠からん者は音に聞けぃ!!」

 

 金剛の美しくも力強い高音が石壁の耳朶を打つ。

 

 カァン!

 

「打てば必中、駆ければ韋駄天、進む姿は鉄(くろがね)の城!!」

 

 カンカンカンカンカン!!

 

「えげれすはろんどん生まれの帰国子女!天下無双の鬼金剛たぁ……」

 

 金剛が手を前に突き出す、歌舞伎めいたかっこいいポーズを決める

 

「アタシの事でーい!!」

 

 カカン!

 

 イギリスのイの字もない江戸っ子がそこにいた。

 

 

 ***

 

「まって突っ込みが追い付かない。本当にまって提督」

「待ったところで現実は変わらないよ」

「噓でしょ!?絶対嘘でしょ提督!!本当は黒人も江戸っ子もいないのよね!?私が知らないからってからかってるだけよね!?そうだっていってよ提督!!お願いだから!!」

「残念ながら本当の話だよ」

 

  半狂乱で石壁に問い詰める戦艦棲姫を石壁がバッサリと切り捨てた。すると即座に戦艦棲姫は鳳翔の方を向く。

 

「ほ、鳳翔さん!?嘘よね!?みんなで私を騙してるのよね!?」

「全部ホントなんです」

 

 こういう事で嘘は言わないだろう鳳翔の、ノータイムのぶった切りを受けて遂に戦艦棲姫は限界を迎える。

 

「おかしいわよ!絶対おかしいわよ!私絶対信じないから!」

 

 戦艦棲姫があまりにぶっ飛び過ぎている石壁の交友関係に頭を抱えた。

 

「はいはい、わかったからあんまり耳元で大声出さないで。ほら、信じてくれるなら僕の分の羊羹あげるから」

「やった石壁提督大好き!貴方の友達凄く個性的ね!」

「手のひらひっくり返すの早っ!?」

 

 お手本の様な手のひら返しである。遠い海の向こうの信じがたい話より、目の前の間宮羊羹の方が戦艦棲姫には大事だったようだ。

 

(しかし、皆元気かなあ……)

 

 石壁は苦笑しつつも、遠い故郷に残る仲間達の事を想うのであった。

 

 

 

 




全世界の金剛ファンの皆様ごめんなさい!なんでも島風!


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幕間 一方そのころ横須賀鎮守府

言い忘れておりましたが、
この幕間は第一部に並行して発生したこと、
あるいは第一部の最終回からエピローグの間で発生した
諸々のエピソードを描いております。


もう何話か幕間を投稿致しますが、それぞれ
時系列が若干前後したりすることも御座いますのでご注意くださいませ。



 

 さて、石壁たちが要塞建造でひいこら言っていた頃、石壁の友人たちは何をしていたのだろうか。ショートランド泊地が陥落した数日後の横須賀に視点を移してみたい。

 

 

 泊地陥落と石壁達の戦死(推定)の報告が届いた横須賀鎮守府では、大きく反応が二つに分かれていた。

 

 石壁を南方へ追いやった大本営の派閥のモノは彼の死を喜び、石壁に近しいモノたちは彼の死を嘆いていた。

 

(無論、石壁達はどっこい生きてるシャツの中ならぬ山の中で、現在要塞建造とゲリラ戦で必死に戦っている訳なのだが……本土の誰もそんな事は知らないし、知っても信じられないだろうが)

 

 話を石壁の友人に戻そう、石壁が親友であると公言する新城は、現在彼の執務室で石壁が戦死したという報告書をにらんでいる。そして彼の両サイドには彼の初期艦である扶桑と山城が居り、彼と共に報告書を呆然と見つめていた。

 

「嘘……そんな……あの二人が……」

 

 報告書を見て、信じられないと口元を抑えながらつぶやく山城、その手は、悲しみに震えている。

 

「提督……大丈夫ですか……」

 

 扶桑もまた、あまりの事態に声が震えているが、それでも隣にいる提督の様子が気にかかり、彼の背中に手をあてて心配そうに顔をうかがう。

 

「……」

 

 新城は心配そうな扶桑の言葉に応える事無く、ただじっと報告書を見つめている。

 

 次の瞬間、山城が怒りと悲しみに激発した。

 

「最低限の部隊、最低限の設備をもって短時間で設営された最前線基地!しっかりとした援護がなければ、こうなるのはわかりきってた事じゃない!あの二人は……大本営に捨て石にされたのよ!!」

 

 山城は普段の前向きさを失って嘆き悲しむ。

 

「ああ……何が不幸を持っていくよ……私がやったことは、彼を南方へ送る手助けでしかなかった……私達が彼を死地へおいやったというの……?また私は、仲間を助けられなかった……ああ、不幸だわ……」

 

 歯を食いしばり、俯く山城。彼女は石壁の事を扶桑型三姉弟の末弟だと冗談半分で公言する位には、石壁の事を大切に思っていた。石壁達は山城にとってもかけがえのない仲間だったのだ。

 

「山城」

 

 その時、落ち着いた新城の声が響いた。

 

「すこし、落ち着け」

「落ち着けですって……これが落ち着いていられる!?あの二人は大本営に殺されたのよ!!提督は平気なの!?」

「山城だめ……!!」

 

 山城の怒声を聞いた扶桑が焦ったように山城を静止する。だが、遅かった。

 

「……だろう」

「え……?」

 

 奥歯を噛みしめる鈍い音が響く。

 

「平気な訳無いだろう……ッ!!」

 

 押し殺した様な声でそう言うと、新城は軍帽を深くかぶった。彼が感情を隠す際の癖だ。よく見れば、新城の握りしめられた拳から血が滲んでいる。

 

 新城と言う男は表向きは冷静な男を装っているが、内面は誰よりも熱く、だれよりも義理堅く……だれよりも、情の深い男だった。

 

 冷静になればわかる、新城が悲しんでいない筈がなかった。苦しんでいない筈がなかった。怒っていない筈がなかったのだ。山城は怒りでそれを失念していたのだ。

 

「……っ!ごめん……なさい……」

 

 その事に思い至った山城は、提督に素直に詫びた。

 

「……いや、こちらこそすまなかった」

 

 そう言って、新城は立ち上がった。

 

「……ジャンゴが心配だ。アイツの事だ……こんなこと聞けば、暴走しかねん」

 

 新城はもう一人の親友が無茶をしでかす前に止めねばと、執務室を後にする。その後ろを、扶桑と山城は追った。

 

 ***

 

「……」

「……」

「……」

 

 重苦しい沈黙に包まれたまま、三人はジャンゴの執務室へと足を運ぶ、新城は先ほどから重苦しく黙ったままだ。

 

 新城は表向きは冷静沈着を目標にしている男だが、親しい友人知人の前では簡単にメッキがはがれて熱くなる男だ。故に、扶桑や山城の前でここまで黙ってピリピリとした空気を放つことは珍しい。

 

(……姉さま、提督大丈夫かしら)

(……一度に二人も親友を失えば、誰だってこうなるのが当たり前よ。それでも周りの人間の様子を気に掛けられるあたり、まだ大丈夫よ山城)

 

 扶桑と山城は、新城に聞こえないようにこっそりと会話する。長い付き合いだけあって、二人は新城の行動原理はよくわかっている。

 

(大丈夫よ、提督を信じましょう)

(……はい)

 

 そうこうしているうちに、ジャンゴの執務室が見えてくる。

 

「……の……はそんな女々しい……だったか……!!」

「……!?……!?」

「……さん!!……てる!!提督の……よぉ!!」

「うるせぇ!!……はだぁーってろ!!」

「……!?」

 

 

 その瞬間、何かが砕け散る『ガシャーン!!!』という音が響いた。

 

 

「……が!!」

「ごはぁっ!?」

 

 そして響く鈍い音と、叫び声。

 

 

「「「!!」」」

 

 廊下を進む三人は、ハッとして執務室を睨んだ。

 

「……!!ジャンゴ!!大丈夫か!!」

 

 新城はそのただならぬ様子に、一も二もなく駈け出して執務室に駆け込んだ。扶桑と山城も後に続いた。

 

 

 

 ***

 

 遡ること数分前、新城と同じく石壁の戦死報告を信じてしまった非常に暑苦しい男が、叫んだ。

 

「おおおおお!!!ブラザーが死んじまったーー!!!!」

 

 滂沱と涙を流して全力で嘆くその漢の名は、ジャンゴウ・バニングス、人読んで『横須賀の面白黒人枠』ジャンゴ。

 

 ラテン系の血が強い陽気な男で、黒い肌に肩まであるドレッドヘアが特徴的な横須賀の名物提督だ。

 

 彼は今、ソウルブラザーと公言して憚らない二人の提督の訃報に全力で嘆きかなしんでいた。

 

 新城の部屋のしっとりした悲しみとは正反対の、燃え上がる激情を全力で燃やす泣きっぷりに、隣に居た金剛が動いた。

 

 金剛は普通『デース』口調のとってもキュートな女性で、提督へ真っ直ぐな好意をぶつけてくるとても人気のある艦娘だ。普通の金剛なら、嘆く提督を支えて立ち直る手助けをするだろう、基本的に金剛は包容力のある大人の女性だから。

 

 金剛は提督の胸元に手をやると、『怒声を上げた』

 

「じゃかあしい!!ガタガタ餓鬼みてぇに泣いてんじゃねぇぞダボハゼ野郎!!嘆き悲しむのが手前の仕事かってんでい!!しゃきっとしやがれい!!」

「うぐぅ!?」

 

 そう、『普通の』金剛なら優しく提督を起き上がらせただろう。が、此処に居るのはそんなまなっちょろい手段をとる、おしとやかな面白帰国子女ではない。

 

 膝をつく身長二メートル近いジャンゴを胸ぐら掴んで無理やり立たせた金剛は、ある意味でジャンゴ以上に特徴的な女性だった。

 

『一度あったら忘れられない艦娘ランキング堂々一位』『国籍が迷子』『帰国子女ではなくタイムスリッパー』『横須賀の江戸弁金剛』との異名を持つジャンゴの初期艦、金剛型戦艦の金剛である。

 

 なんの因果か強烈な荒いべらんめえ口調の姉御になってしまった彼女。深く付き合えば本当に根っこの所は意外と金剛のままだとわかるが、表面化する人格面はとっても男らしい江戸の荒くれ者であった。

 

「メソメソ泣いてる暇があったら!!あの二人の仇ぁ討つ為に動くのがスジってもんだろうがよ!!手前の兄弟分はそんな女々しい親友を喜ぶやつだったかってんでい!!」

「……!?……!?」

 

 金剛は金剛で、石壁の死亡報告が相当トサカに来ていたらしく、正しくもって『鬼金剛』と呼ぶべき迫力でジャンゴをゆすっている。無意識のうちに、ジャンゴの気道を締め付けながら。

 

「金剛姐さん!!決まってる!!提督の首が決まってますよぉ!!それは死んじゃいますぅ!!!!」

「うるせぇ!!比叡はだぁーってろ!!」

「ひぇー!?」

 

 後ろから金剛を羽交い絞めにして止めようとした比叡が、彼女の剣幕に驚いて机の灰皿を落とした。

 

 ガラスが砕け散る騒音が部屋に響いた。

 

「いい加減にしやがれファッキン金剛が!!」

「ごはぁっ!?」

 

 金剛の締め付けに切れたジャンゴが金剛のドタマに強烈なヘッドバットを叩きつける。

 

 たまらず、金剛が頭を抱えて蹲る。

 

「へっ……無様だなざまぁみやがれって超いてええええええええええええええええ!!!!!!」」

 

 当然、艦娘にそんな速度でヘッドバットしたら人間の方もただではすまない。蹲った金剛以上に無様に地面に倒れこんでゴロゴロと転がりだすジャンゴ。あまりの痛みに視界がチカチカと明滅している。

 

「ジャンゴ!!大丈夫か!!」

 

 その瞬間、執務室のただならぬ様子に驚いた新城が駆け込んでくる。それに一歩遅れて扶桑と山城も後に続く。

 

「おいジャンゴ!!一体……どう……し……た?」

 

 鬼気迫る表情で部屋に飛び込んできた新城の顔が、一言つづけるごとに気の抜けた呆然としたものに変わっていく。

 

 目の前には涙目で頭を抱える金剛と、地面をゴロゴロ転がる親友(ジャンゴ)、おろおろと金剛とジャンゴの間をうろつく比叡というなかなかにカオスな状況が広がっている。

 

「……なにやってんだお前ら」

 

 あまりにも普段通りのカオスな有様に、石壁の訃報からずっとふさぎ込んでいた新城の心が、少しだけ軽くなったのであった。

 

 

 ***

 

 

 閑話休題

 

 狂乱が収まったころに本題に入る。

 

「さて、ジャンゴ、話は聞いたか」

「ああ、イノシシとイシカベの二人が捨て石にされたんだってな……クソッタレが!!」

 

 ジャンゴは歯を噛み砕かんばかりに喰い縛り、手を震わせながら言った。それをきいた新城は、頷きながら言う。

 

「ジャンゴ、実は頼みがあるんだ」

「どうしたブラザー?」

「私はあのショートランド泊地を深海棲艦から奪回し、石壁達の仇を討ちたいと思う……だが、私一人の力では……とてもではないがあの海域を奪回することは不可能だ。この道が茨の道だというのはわかっている……それでも私は戦いたいんだ。だから、どうか力をかしてくれないか……」

 

 そういいながら新城が頭が頭をさげると、ジャンゴは不敵な笑みを浮かべて大きく頷いて応えた。

 

「へへ、なに水臭いこといってんだブラザー。弔い合戦、やってやろうじゃねぇか!」

 

 ジャンゴが眩しい笑顔を浮かべて拳を握りしめてそう宣言すると、金剛は楽しそうに笑った。

 

「へ、さっきまで泣きべそかいてた甘ったれのクセにいっちょ前に抜かしやがる」

「シャーーラアアアアアップ!!!ファッキン金剛黙ってろ!」

「なら結果で黙らせてみやがれってんだ。でけえ口吐いたんだ、もし途中でヘタレやがったらアタシが海に叩き込んで石壁達の所まで送ってやるから安心しやがれい。ついでに香典も奮発してだしてやらぁ……比叡が」

「ひえっ!?」

 

 先ほどまで消沈していたとは思えないほどの元気っぷりに新城も軽く微笑む。

 

「やれやれ、やっと元気になったか、お前が消沈していると気色が悪いからな」

「ふふ、報告が来てからずっと悲しくて不機嫌だった人が何かいっていますよ、山城」

「まあまあ姉さま、提督らしくて良いじゃないですか」

 

 扶桑たちが新城を軽くからかうと、新城は無言で軍帽を深く被り、若干赤くなった表情を隠した。

 

「ハッハッハ、自分も辛いのにウチの宿六を心配して発破をかけに来てくれたんだろ?本当にコイツにゃ勿体無い仲間だねぇ」

 

 ケラケラと愉快そうに笑う金剛に、ジャンゴが噛みつく。

 

「うっせーよ金剛!!たく、ありがとよジョジョ、扶桑、やまりん、おかげでやるべきことが見えてきたぜ」

「ああ……といいうか、いい加減ジョジョって言うのやめてくれよ」

「いいじゃねぇかジョジョ、覚えやすくていいぜ!」

「私は波紋もスタンドも使えんぞ!!」

「……あの、やまりんって呼ぶのやめてくれないかしら?」

「細かいことは気にすんな!!それじゃあいっちょうやってやるか!!いくぜえええええ!!!」

 

『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!』

 

 ジャンゴの掛け声に合わせて、執務室に大きな声が響いた。

 

 

 かくして、横須賀にいる石壁の友人達は、友の訃報に奮起して新たな戦いを始めたのであった。

 

 

 

 



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幕間 発覚、動き出す世界

 石壁たちが要塞で死闘を繰り広げていた丁度その日、ラバウル基地から旧ブイン基地の近くまで赤城を中心とした空母機動部隊がやってきていた。彼女達は深海棲艦達の大規模な動員を察知し、その動向を探るべく派遣された偵察部隊であった。

 

 

「このあたりでいいでしょう、偵察部隊を発艦させてください」

「「はい!」」

 

 旗艦である赤城の指示に従って、蒼龍と飛龍が艦載機を発艦する。

 

 空母艦娘の特徴である弓の艤装から、順次偵察隊が発射されていく。射られた矢が艦載機へと変貌し、上昇していく。やがて全機が予定通り発艦すると、艦載機の搭乗員妖精から無線が入る。

 

『彩雲1番機より蒼龍へ、感度良好、これより偵察行動に移る。どうぞ』

「蒼龍より彩雲1番機へ、了解しました、偵察へうつってください。どうぞ」

 

『烈風1番機より飛龍へ、これより彩雲の直掩に移る、どうぞ』

「飛龍より烈風一番機へ、了解、直掩へうつれ、どうぞ」

 

 蒼龍の彩雲を飛龍の烈風が護衛し、隊列を組んで飛行していく。

 

「しかし、旧ショートランド泊地周辺で大規模な深海棲艦の行動が確認されてるとの事ですけど、いったいなんなのかしらね、飛龍」

「わからないけど、どうせウチになだれ込むんでしょう……嫌になるわ……」

 

 蒼龍と飛龍は航空隊の管制を行いながら、軽く会話を行う。

 

「飛龍、蒼龍、油断しないで、ここはもう敵地です、死にたくなければ気を引き締めてください」

 

 赤城の指示に、飛龍と蒼龍もきを引き締める。

 

「「はい!」」

 

 ***

 

 発艦後数十分が経過し、偵察隊がショートランド島の西から東へと飛んでいく最中の事であった。

 

『……おい、なんだあれ』

 

 隊列の先頭の烈風の隊員が、声を上げた。

 

『どうした』

 

 後方の烈風がそうきいた瞬間、かなり前方の陸上で無数の爆発が発生した。

 

『無数の深海棲艦が、謎の武装勢力と戦闘中!繰り返す、深海棲艦が、謎の武装勢力と戦闘中!』

 

 前方の烈風の言葉に、偵察隊は困惑した。

 

『馬鹿な、いったいどこの部隊だ!』

『今現在ここには人類側の戦力は全くない筈だぞ!』

『深海棲艦の仲間割れか!?』

 

 混乱する偵察隊を、隊長が窘める。

 

『落ち着け!それを調べるのが我々の仕事だ!これより戦闘空域に突入し強行偵察を開始する!総員戦闘態勢!』

 

 隊長の指示にしたがって偵察隊は一丸となって戦場の上空へと飛行する。

 

 そして、更なる驚愕が、部隊を襲った。

 

『……なんだ、この要塞は!?』

 

 そこには山の斜面を利用した巨大な要塞線があった。しかも、その要塞は現在も稼働中であり、押し寄せる無数の深海棲艦を、砲撃によって押しとどめていた。

 

『要塞で深海棲艦を迎え撃っているだと!?』

『馬鹿な、こんな要塞はなかったはずだ!』

『ありえん、我々は夢でもみているのか……』

 

 巨大な要塞、無数の深海棲艦、少数ではあるが艦娘も確認ができる。間違いなくここでは今も組織的抵抗が行われている。しかも、提督を中心とした艦娘達によって。

 

『誰かがまだここで戦っているというのか……』

 

 偵察隊の隊長はそうぼそりと呟いた後、彩雲隊へと声をかける。

 

『彩雲隊!写真の撮影は完了したか!』

『は、はい!』

『よし、我々はこの信じがたい真実を可及的速やかにラバウル基地へ届けねばならない!総員帰投せよ!』

 

『『『『了解!!』』』』

 

 隊長妖精の指示の元、偵察隊は一糸乱れぬ動きで赤城たちの元へと帰投したのであった。

 

 

 ***

 

 

 ラバウル基地。それは史実の太平洋戦争において強大な航空戦力と陸上戦力を有した基地として、終戦に至るまで陥落すること無く残存し続けた日本軍の南方地方における要衝である。名高きラバウル航空隊が根拠地としたのもこの基地であり、多くの作戦において基幹となった太平洋戦争史上でも有数の基地の一つである。

 

 この世界のラバウル基地は、南方における対深海棲艦戦略の最も重要な基地の一つとなっており、大勢の空母艦娘を有した強力な鎮守府である。

 

 昼間は鍛え抜かれた空母機動部隊による綿密な偵察と、圧倒的な空母艦載機の雷爆撃で敵艦隊を押し返し、夜間はこれまた繰り返される戦闘で鍛え抜かれた水雷戦隊が厳戒態勢をしくという攻守ともに優れた布陣をしいている。最終的に二つの防御陣を突破された場合は、沿岸部で大勢の戦艦艦娘が敵を迎え撃つという戦略をとっているのだ。

 

 南方海域における戦闘能力の高さは、人類でも指折りのものであった。

 

「提督!!大変です!!!」

 

 そんな基地の司令長官の部屋に、大淀が飛び込んできたところから、物語は動き出す。

 

 ***

 

「は?旧ショートランド泊地付近にて大規模な戦闘を確認?深海棲艦が仲間割れでも始めたのか?」

 

 ありえない報告にラバウル基地の司令長官は偵察隊が暑さで頭をやられてしまったのかと本気で思った。

 

 30台後半の男で、短く刈り上げた髪と精悍な顔つきは、歴戦の提督らしい威厳と能力を備えている。

 

 彼の名は南雲義一(なぐもぎいち)中将、人類の最前線を守り続けている歴戦の提督であり、このラバウル基地の総司令官であった。

 

「……こちらを確認ください」

「……なんだこれは!!」

 

 写真には、山岳部にておびただしい数の深海棲艦が要塞相手に砲撃線を繰り広げる写真が映し出されていた。まだあの島で組織的な抵抗が行われていることの証左であった。

 

「馬鹿な!!!あの泊地は2ヶ月前に陥落し、大本営の連中は皆撤退したはずだぞ!!!ま、まさかあれからずっと、あの島で戦い続けていた者達がいたのか!?」

 

 ガタンと立ち上がった南雲は驚愕に目を見開いて写真を凝視する。

 

「この写真はいつ取られたものだ?」

「半日前、ショートランド上空のものです、ついさっき戻ってきた偵察隊によって撮影されました」

 

 その言葉に南雲が少し考え込む。

 

「それではもう戦闘自体は終わっているはずだ……しかし、こんな要塞まで秘密裏に作っていたとは……大本営の連中め、そこまで秘密主義を貫くか……!」

 

 身勝手な大本営のやり口に不快感を示す。

 

「すぐに本土に問い合わせるぞ。一体何者なんだ、こいつらは」

「そうですね……また、大本営の身勝手なやり方の尻拭いをするのは真っ平ですものね」

 

 心底げんなりとしながら二人は会話を続ける。

 

「取り敢えずは、この者達については大本営に問い合わせておいてくれ、秘書艦の加賀には定期的な偵察隊を組織してあの要塞を監視するように伝えるように」

「了解しました」

 

大淀が部屋を出ていくと、南雲はぼそりと呟いた。

 

「一体、何が起こっているというのだ……」

 

 その問いに答えられるものは、誰もいなかった。

 

 ***

 

 

 南雲が石壁たちの存在に気が付いたのと時を同じくして、ラバウル基地からショートランド泊地を挟んでだいたい点対称の位置にある鉄底海峡(アイアンボトムサウンド)でも決戦の結果が報告されていた。

 

「まさか……南方棲戦鬼が討たれるなんて……」

 

 鉄底海峡の指揮艦である飛行場姫は、信じられない報告を聞いていた。

 

「南方棲戦鬼様は、あの要塞の司令官と戦い、真正面から打ち破られました」

 

 その報告をしているのは、南方棲戦鬼の指揮下にあった戦艦タ級の一人であった。ほとんど全員要塞で皆殺しにされた主力艦隊であったが、ごくごく少数が鉄底海峡に帰還することに成功していたのだ。

 

「その司令官の名は『イシカベ』……あの男は、南方棲戦鬼様の大艦隊を要塞で真っ向からすり潰したのです」

 

「あの艦隊を要塞で打ち破ったというの?『イシカベ』という男は」

 

 飛行場姫は、思わずといった風にポツリと呟く。

 

「傑物……いえ、『英雄』という奴かしら……」

「……ええ、あの能力の高さは、そう表現するのが妥当かと」

 

 飛行場姫は、椅子に座りこんだまま、しばし考え込む。

 

「……いずれにせよ、しばらくは失われた戦力の回復が急務、対策は打つけど、要塞へは手出し無用よ」

「……飛行場姫様、その」

 

 飛行場姫の言葉を聞いたタ級が何か言いたげにしているのをみて、彼女は声をかける。

 

「時が来れば貴方にも働いてもらうから、しばらく待ってなさい。大丈夫よ、私を誰だと思っているの?」

 

 飛行場姫は不敵な笑みを浮かべる。

 

「『常勝不敗』といわれた、私の事が信じられないかしら?」

 

 それは人類側と深海棲艦の両方から彼女を指す際に言われる言葉、鉄底海峡の司令艦である彼女の座右の銘であり、彼女が体現してきた戦い方を象徴する言葉でもあった。

 

「……いえ、あなたの戦略はいつも完璧です、失礼しました」

 

 そういって、タ級は部屋を出ていった。

 

「イシカベ……南方棲戦鬼を打ち破った要塞の司令官……時代遅れの『英雄』ね……怖い、怖いわ……」

 

 一人になった飛行場姫がぼそりと呟く。

 

「怖いから、全力でかからないといけないわね」

 

 飛行場姫は、性格の悪そうな笑みを浮かべる

 

「鉄底海峡の闇に、貴方はどこまで抗えるかしら?英雄さん?」

 

 彼女の声に答えるものは、誰もいない。

 

 

 ***

 

 

 南方棲戦鬼との決戦によって、石壁の存在が泊地の外にまで把握された。これによって石壁を中心として世界がぐるぐると動き始めた。

 

 時代が変わろうとしていることを、この時点ではまだ誰も知らなかった。

 

 

 



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幕間 約束

ここから決戦からエピローグをつなぐ
『戦後処理』を含めた話に入ります。

かなりキツイ話が何話か続きますので
ご注意くださいませ



 ある時、熊野にお茶に誘われた石壁は、彼女の部屋にやってきた。

 

 現在の泊地の寮は山の中の壕であるため少しばかり陰気ではあるものの、花を置いてみたり壁紙を貼ってみたりと随所に女性らしい工夫が見て取れる部屋であった。

 

 とはいっても買い物すらできない泊地である以上、どうしても物は少なめではあるが。

 

 石壁が暫く座布団に座っていると、熊野がお茶をもってやってきた。

 

「……良い香りがするね」

「……ふふ、でしょう?今回は特に自信作ですの」

 

 そういいながら、石壁の前のカップにポットからお茶を注ぐ熊野。

 

 このハーブティーは熊野が物資調達班の妖精さんに混じって山の中に自生する植物を集めて作ったハーブティーだ。山菜採りのついでに陸海軍の妖精さんに教えてもらった、お湯で煮出すと美味しいハーブや薬草を見繕って作ったのだ。

 

「では、いただきます」

「……どうぞ」

 

 石壁がカップをとって口元に運ぶ。所謂『お茶』の香りではないが、手作りだけあって他にはない独特の良い香りがする。

 

「……うん」

 

 石壁がにっこりと微笑む。

 

「おいしい」

「……よし」

 

 石壁の感想に、熊野が小さくガッツポーズをする。

 

 

「島に自生する植物からハーブティーを作るなんて、熊野はすごいな」

「ふふ、もっとほめてくださいまし」

 

 エヘンと胸を張る熊野に、若干石壁は苦笑しながら続ける。

 

「本当においしくなったね。最初の頃は苦い漢方薬か臭みの強い青汁みたいな代物だったのにね。まあアレはアレで味があったけど」

「う、うるさいですわ!」

 

 市販のハーブティーなんて届かないこの最果ての泊地でなんとかしてハーブティーが飲みたいと思った熊野は、暇を見つけてはコツコツと草を集めて自作ハーブティーに挑戦していたのだ。ガッツとバイタリティ溢れるお嬢様である。

 

「この前鈴谷と三人で飲んだのは酸味が強すぎてびっくりしたよ」

「香りをよくするのに気を回しすぎて、酸味の強い香草を複数まぜたのが敗因でしたわ……」

 

 石壁は息抜きもかねて出来上がったハーブティーをしょっちゅうご相伴になっていたが、ここまでの味は初めての出来であった。

 

 二人でハーブティーを飲んでいると、ふと、熊野が石壁に声をかける。

 

「……ねえ、石壁提督」

「なに?」

 

 熊野が入れたハーブティーを美味しそうに飲んでいた石壁が、顔を上げる。

 

「石壁提督は、何か夢はございまして?」

「……夢?」

 

 石壁はソーサーにカップをおいて、首をひねる。

 

「夢……夢か」

 

 石壁は今まで日々を生きるのに精一杯であったから、改めて夢を問われると少し考え込んでしまう。

 

「そうだなぁ……地方の小さな鎮守府でデスクワークでもしながらのんびりと暮らしたいかな」

「まあ……ふふ、ある意味、石壁提督らしい夢ですわね」

 

 熊野は石壁の小市民的に過ぎる夢を聞いて、楽しそうに笑った。

 

「ははは……まあ、夢なんて上を見れば見るほど果てがないからなあ、これぐらいが僕にはちょうど良いんだよ」

「……そうですわね」

 

 熊野は、石壁のちょっと困ったような苦笑を見ながら考える。

 

(……そんなありふれた、地に足のついた『夢』ですら、この人にとっては儚い幻想なのでしょう)

 

 熊野はいままで石壁と接してきて、朧気ではあるがこの男の内面を掴み始めていた。

 

(石壁提督の心の奥底には、癒えない傷があるのでしょう。それが今の彼を彼たらしめる原点であると同時に……彼の心を締め上げている苦しみの源泉でもある)

 

 石壁はかつて家族も、友も、故郷も、何もかも全て失った。今の世界では珍しいという訳ではないありふれた悲劇だ。だが、ありふれているからといってそれは絶対に小さな悲劇ではない。

 

(石壁提督は失った家族や故郷への憧憬を、自分の仲間に重ねているのでしょうね……部下の死を過剰に恐れるのも、幼い頃の戦火の記憶がトラウマになっているから……そんな彼が、どうしてこんな役職についてしまうのか……ままなりませんわ……)

 

 誰よりも命の大切さを尊ぶ石壁が、命を数字として使い潰さざるを得ない役職についている現状そのものが、本来ならあってはならない事態であった。彼が望むささやかな夢(平穏な日常)すら儚い幻想でしかないのだ。そう思うと、熊野は悲しくなった。

 

(まあ、そんな貴方だからこそ。私は貴方を支えたくなるのでしょうけど)

 

 熊野は石壁の事が好きだ。部下として、仲間として、人間として。彼との一時を好んだ。彼のためなら己の命をかけてもよいと思えるほどには、石壁のことを好いていた。

 

 そして、もしかしたらほんの少しくらいは、石壁の事を男性として好いていたかもしれない。彼にもし告白されたなら少し悩んでからストンと受け入れてしまう程度には、彼のことを好いていたから。石壁と出会ってから二ヶ月弱しか経っていないとはいえ、要塞での共同生活は本当に濃い日々であるから、二人が仲良くなるには充分な時間であったのだ。

 

(……なんて、ね。あら、お茶がもうありませんわね)

 

 そんな風に思っていると、石壁のカップにもうお茶が無いことに気がつく。

 

「あのーー」

「じゃあさ、熊野の夢はなにかあるの?」

「ーーえ?」

 

 石壁が熊野の顔を見ながら問うと、一瞬だけ熊野は呆けた。

 

「わたくしの……夢?」

「そうそう、僕だけ話すのは不公平だし、熊野の夢も教えてよ」

「そうですわ、ね」

 

 熊野は石壁のカップにお茶を注ぎながら、少し考え込む。

 

「……わたくしは、こうやって、提督や鈴谷とお茶を飲みながらお話しているのが何よりも好きですわ」

「……うん」

 

 熊野は手元のお茶と、石壁の顔を交互に見つめる。

 

「だから……こうやってお茶を一緒に飲める日がずっと続いて欲しい、というのが夢なのでしょうか……提督と、鈴谷と、わたくしの三人で」

 

 熊野が微笑む。その笑みは慈愛に満ちており、見ているとホッとする様な優しい笑みであった。

 

「……ふふ、わたくしもあまり人のことは言えませんわね」

「……はは、そうだね」

 

 二人の夢は、どちらもありふれたものであった。だが、本当に素晴らしいモノは、そういったありふれたモノの中にこそあるのだと、二人は知っているのだ。

 

「じゃあさ、今日は鈴谷がいないけど、次は三人で一緒にお茶をのもうか」

「そうですわね、また美味しいハーブティーを準備しておきますわ」

 

そういいながら、熊野は小指を差し出す。

 

「約束ですわ、提督」

「ああ、約束だ、熊野」

 

 二人の小指が絡む。子供でもしっている約束の呪文を歌いながら、かるく手を揺する。

 

「「ゆびきった」」

 

 そこまで言ってから、二人は小さく笑った。

 

 ありふれた、小さな小さな約束であった。ともすれば数日以内に果たされたであろう、ありふれた約束であった。

 

 だが、ありふれた日常とは、太平の時代にのみ許された宝物であり。そうであるが故に、乱世に生きる二人には……あまりにも儚い幻想であったのだ。

 

 この翌日、泊地は南方棲戦鬼の動きを察知し、戦闘態勢に移行。数日後には要塞を舞台にした決戦が行われたのである。

 

 ***

 

「……はは……熊野め」

 

 石壁は病床で目が覚めてすぐに、戦いの被害報告を持ってこさせた。止める医者を無視して、普段滅多に使わない上官としての絶対命令で持ってこさせたのだ。

 

「三人でお茶しようって、『約束』したじゃないか……それなのに……それなのに……」

 

 そこには大勢の『英霊』の名前が刻まれており、その中にも石壁の約束の相手の名前があった。

 

「僕の……命令で……しんじゃった……」

 

 熊野は、戦没した。もう居ない。

 

「はは……は……」

 

 その事実に、石壁の心が澱む。大勢の部下の死が、数日前まで共にあった者達の死が……熊野の死が、石壁の心を締め上げる。

 

「苦しい……」

 

 石壁の心が悲鳴を上げる。

 

「誰か……」

 

 石壁の心に亀裂がはしる。

 

「助けて……」

 

 それでも、彼はまだ、涙を流せなかった。この期に及んでまだ、彼は総司令官であろうと、痛みの中で藻掻き苦しんでいた。

 

「……」

 

 石壁は、遂に、死んだ目をして黙り込んだ。溢れ出しそうな悲しみや苦しみを、総司令官の仮面で無理やり押さえ込んだのだ。悲鳴を上げる心を無視して、溢れそうになる涙を枯らして、石壁は総司令官であろうとしていた。

 

 石壁のもとに、伊能が、そして鳳翔がやってくるまで、あと少し。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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幕間 託したモノ、託されたモノ

 石壁が医務室で目を覚ましてから数日後の事である。

 

「……」

 

 石壁は一人、執務室で報告書に目を通している。

 

「……」

 

 報告書にはこう記載してあった。

 

「……この人も、か」

 

『戦没者一覧』と。

 

「……」

 

 数日前に石壁の心を荒く削ったそのリストを、もう一度しっかりと見つめなおす。

 

「……」

 

 一人一人、靖国へと還った仲間達の名前を、噛みしめて飲み込むように、目でおっていく。

 

 親しく話した事のある者。言葉を交わしたことも無い者。様々な者がいるが、皆等しく石壁の命令の下で命をかけて戦ってくれた者達であった。

 

 皆、石壁にとってかけがえのない仲間たちであった。愛おしい部下たちであった。

 

 それが皆、死んだ。死んだのだ。石壁の指揮の下で、二度目の死を迎えたのだ。

 

 ここに乗っている者達の命の上に、石壁は立っている。彼らは石壁のために命を賭けた。それを是とするほどに、石壁の事を慕っていたのだ。

 

 石壁の命は最早石壁だけのものではない。石壁の肩には、今生きている者達の命が乗っている。石壁の進んできた道は、石壁の為に死んでいった者達の命で塗装されている。

 

 石壁に後戻りする道はない。逃げ出せる道はない。例えこれから進む道が、大勢の者達の命によって拓かれる死の荒野だと知っていても……己の命を救ってくれた彼らの想いに応える為に進み続けるしか無いのだ。

 

「……」

 

 一通り目を通した後に、石壁は席をたった。

 

***

 

「……」

 

 石壁は畜舎にやってきた。かつて多くの騎馬と戦車によって溢れていたこの場所が、今は閑散として人気もほぼない。

 

 騎兵隊の損耗率は、実に87%にも及んだ。生き残ったのは、十人に一人程でしかなかったのである。彼らは最後の最後まで、最前線で戦い続けたのだ。馬を失い、落馬し、機銃掃射で蜂の巣にされてもなお、敵の喉笛に食らいつかんと奮戦した。仲間の盾にならんと敵に飛びかかり、あの死闘の中で最後まで戦い抜いたのだ。あの戦いの勝利は、彼らの文字通りの決死の戦いなくしてありえなかった。

 

「……」

 

 戦えば死者がでる。銃で撃たれれば人は死ぬ。軍艦に騎兵が挑めばどうなるのか、当たり前の事実が、当たり前に眼前にあった。わかっていたこと、知っていたこと。騎兵隊に突撃を命じた瞬間、これは決定した当然の事態であったのだ。石壁も、騎兵隊も、皆そのことを承知の上であの戦いに挑んだのだ。

 

「……」

 

 しかし、それでもなお、石壁の身中に去来する喪失感は、拭えなかった。

 

 

「あ、司令長官どの」

 

 石壁がしばし佇んでいると、それに気が付いた陸軍妖精が駆け寄ってきて敬礼をする。

 

「貴方も騎兵隊の?」

「は!自分も騎兵隊所属の陸軍妖精であります!……と、いっても、あの戦いで騎兵隊は壊滅して、自分も相棒を失って最早騎兵でもなんでもないのでありますが……」

 

 騎兵妖精は、苦笑しながら頭をかく。

 

「……伽藍と致しましたなあ」

「……そうだね」

 

 石壁と陸軍妖精がそういいながら畜舎を見回す。騎兵妖精は何か言葉に出来ない想いをなんとか吐き出そうとする様に、口を開いた。

 

「……司令長官殿。自分はあの戦いの時、騎兵隊長殿のすぐ後ろについて戦っておりました」

「……」

 

 ポツリポツリと紡がれる言葉を、石壁は黙って聞く。

 

「騎兵隊長殿は……誰よりも前にでて、誰よりも早く敵陣に切り込み、誰よりも勇敢に戦って……最期は深海棲艦に叩き殺されたであります……」

 

 知っている。戦闘詳報を何度も何度も読み返した石壁は知っている。

 

「騎兵隊の他の皆も……一人、また一人と、散っていったであります。自分も……機銃掃射を受けて相棒が事切れた後は、友軍が来るまで必死になって軍刀を振り回して戦ったであります」

 

 知っている。騎兵隊がどれだけ奮戦したのかを、石壁は知っている。

 

「我武者羅に戦っているうちに、気がつけば周囲には自分しか生き残っておりませんでした……無論、他にも生き残っている者も居りますが……殆ど皆黄泉路へと旅立ったであります」

 

 この畜舎の現状が、戦いの激しさを如実に示していた。

 

「こんな事は言うべきではないと、理解はしているのでありますが……それでも、皆と一緒に逝けなかった事を悔いる気持ちがあるのであります」

 

 死ねなかった。生き残ってしまった。時として仲間を失った兵士は、この様な気持ちを抱く。別に彼らは死にたい訳ではない。ただ単に、命を賭しても惜しくない仲間達だけを先に逝かせてしまったという後悔の念が、彼らにそういう想いを抱かせるのだろう。

 

「……僕には」

 

 しばし黙っていた石壁が、口を開く。

 

「僕には、貴方の気持ちがわかるなんて言えないし、言うべきではないというのもわかる」

 

 彼の心は彼だけのものだ。彼の苦しみも彼だけのものだ。彼が失った絆の重さは、他の誰にもわからないものだ。

 

「けど、これだけは言わせて欲しい」

 

 しかしそれでも……

 

「僕は貴方が生きていてくれる事が、ただただ、嬉しい。身勝手な想いと罵ってくれて構わない。こんな言葉しか吐けない僕を恨んでくれても構わない。それでも、命の尽きるその瞬間まで、僕は貴方に生きていて欲しい。生きて、生きて、生きて、最後の最後まで、自分の命を諦めないで欲しい」

 

 彼の為に祈ること。願うこと。それは石壁にも出来るのだ。

 

「……」

 

 騎兵妖精は、石壁の言葉を聞いて俯いた。石壁の言葉は綺麗事だった。使い古された励ましの言葉だった。

 

 だが、どこまでも真っ直ぐで、純朴で、嘘がなかった。人が当たり前に抱く優しい想いが形になった言葉だった。

 

 だからこそ、騎兵妖精の心の奥底まで届く。彼は心を揺さぶられて、熱いものがこみ上げてくるのを感じていた。

 

「……ありがとう、ございます」

 

 騎兵妖精は、震える小さな声でそう言うと、腕で乱暴に顔をこすった。

 

「そうだ!総司令長官どの!貴方に会わせたいモノがいるのであります!少々お待ちください!」

 

 陸軍妖精は努めて明るい声でそういうと、別の部屋に駆け出した。

 

「……会わせたいモノ?」

 

***

 

 数分後、そこに一頭の馬をつれた陸軍妖精が戻ってきた。その馬を見た石壁は、目を見開いて叫んだ。

 

「ああ!君は、騎兵隊長の栗毛!生きていたのか!」

 

 その馬は騎兵隊長の愛馬であった栗毛。しなやかな筋肉をもつ極上の駿馬がそこにいた。

 

 栗毛は石壁を見つけると、近寄ってきて顔を優しくなめてくる。

 

「そうか、そうか……生きていたのか、栗毛」

 

 石壁は、死んだと思っていた栗毛の頭を優しく撫でる。ここに来てから硬かった石壁の顔が緩んだ。

 

「騎兵隊長は馬上から引きずり落とされたのでありますが、栗毛は奇跡的に無事でありました」

 

 石壁と栗毛の姿をみていた騎兵妖精が、笑みを浮かべて続ける。

 

「総司令官……いえ、石壁殿、どうか栗毛を連れて行ってくださいませんか」

「え?」

 

 騎兵妖精の言葉に、石壁が驚いてそちらをむく。

 

「馬を失った騎兵は最早騎兵足り得なない様に……騎手を失った馬もまた、最早騎兵足りえません。騎兵は長い時間をかけて、人馬の心を一つにしてようやく形となる兵科。騎兵として栗毛の騎手たりえるのは隊長だけです。ですが、貴方ならば、栗毛も喜んで足になってくれることでしょう。だからどうか……連れて行ってあげてください。先に逝った隊長の分まで、『石壁殿』の進む道を見せてやってほしいんです」

 

 騎兵妖精は、一人の人間として石壁に頼んでいる。石壁が一人の人間として彼に願いをぶつけた様に。彼も一人の人間として、自分と同じく『生き残ってしまった戦友』の無事を願い、石壁に想いをぶつけているのだ。

 

「……わかった。僕が責任をもって、栗毛を連れて行くよ」

「……頼みます」

 

 石壁は、一人の人間として思いを託された。一人の男として、彼の願いを受け止めたのだ。

 

 これ以後、栗毛は石壁の愛馬として生きていく事となる。石壁達がどうなるのかはまだ誰にもわからない。だが、後世に現存する石壁の写真の多くが、栗毛に跨る石壁の姿を写しているという事だけは、ここに示しておく。

 

 

 

 

 



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幕間 残されたモノ 前

注意

ちょっと長くなったので分割

こちらが前編です


 

 

 

 石壁は畜舎で栗毛と一旦分かれて部屋をでた。腰には騎兵隊長が使っていた軍刀が吊られている。栗毛と共に先程の妖精から託されたのである。

 

 彼は騎兵妖精から予備の軍刀を預かっていたため、その軍刀も一緒に、石壁へと譲り渡したのである。

 

 軍刀にもいくつか種類があり、大まかに分類すると三タイプに分かれる。一つ目が儀礼用に近い華奢なタイプ、二つ目が実用性を重視して軍で新造された頑強なタイプ、三つ目が古刀を軍刀に改造したタイプだ。騎兵隊長の愛刀は無骨で装飾の殆どない実践重視の二番目の軍刀であったらしい。頑強で質実剛健としたその姿は騎兵隊長の在り方そのものであるように感じられた。

 

 石壁は腰に吊られた軍刀と、託された願いの重さを感じながら墓地へと向かう。

 

「……」

 

 散って逝った輩(ともがら)と、打ち取った敵の死体を弔ったその場所は、掃き清められ花なども供えられているが、閑散としており寒々しい空気に満ちていた。

 

「……」

 

 石壁は膝をつき黙禱する。己の指揮のもと散って逝った仲間の為にただ祈る。それしかできない自身の非力さを呪いながら、それでも前を向くために、石壁は祈った。

 

 すると、不意に後ろに誰かが立った。

 

「提督じゃん、どうしたの?墓参り?」

「……ッ!……鈴谷」

 

 その声は間違いなく鈴谷のものであった。

 

 石壁は硬直した。何故なら、彼女の姉妹艦である熊野がこの戦いで『戦没』したから。あれだけ仲のよかった姉妹を、己の命令で死なせてしまったのだ。どのような顔をして彼女と顔を合わせればいいのか、石壁にはわからなかった。

 

「……」

 

 石壁の心臓が締め上げられる。だが、その事から目を背けてはいけない。己の罪業をしっかりと見つめねばならない。

 

 石壁はそう覚悟を決めて、鈴谷に向き直った。

 

「……その、さ、鈴……谷……?」

 

 だが、鈴谷に向き直った石壁は、今度は別の意味で硬直した。

 

「……なに?」

「……君は……鈴谷……なのか?」

 

 石壁の視覚情報は、目の前にいる艦娘が間違いなく鈴谷であると言っている。

 

「あったりまえじゃん、鈴谷が鈴谷以外の何にみえるの?」

「いや……でも……えっ……?」

 

 だが、石壁の感覚は目の前の鈴谷から『鈴谷以外の何か』を感じ取る。提督と艦娘の繋がりである魂の繋がりが、その正体を探り出そうとする。

 

「……あっ」

 

 それが『誰』であるか理解した瞬間、石壁は驚愕に目を見開いた。

 

「……熊……野?」

 

 石壁が呻くようにそう呟いた瞬間、鈴谷はーー笑った。

 

「ふ~ん?分かるんだ提督、すごいじゃん」

 

 嬉しそうに、蠱惑的に笑う。熊野を感じさせる鈴谷が、距離を詰めてくる。

 

 人間は不明を恐怖する。根源的な恐怖とは『理解不能』というものから湧き出てくる。石壁は目の前の鈴谷から言い知れぬモノを感じて、後ずさりしそうになる。

 

 しかし、石壁は精神力でその恐怖をねじ伏せると、一歩も引かずに真っ直ぐ『鈴谷』へと向き直った。

 

「……熊野はこの戦いで戦没した筈だ。僕の元には、そう報告が届いている」

「……たしかに熊野は『戦没』したよ?でもね熊野は生きている。今ここに、鈴谷の所に確かに熊野は存在するよ」

 

 矛盾しきった鈴谷の主張は、ともすれば彼女が狂ってしまったかの様に受け取れる。だが、鈴谷の中ではその主張は一切矛盾していない。同時に石壁自身もまた、鈴谷から『熊野』を感じ取っている。これはいったいどういう事なのであろうか。

 

「何が……何があったんだ鈴谷……」

「ん~……じゃあ教えてあげる」

 

 そういいながら、鈴谷が語りだした。

 

「あの戦いの中で、何があったのかを」

 

 

 ***

 

 

 これは要塞で南方棲戦鬼の艦隊と伊能指揮下の石壁艦隊がぶつかり合っていた時の話だ。鈴谷と熊野は鎮守府最精鋭の艦娘であったため突撃隊に参加しており、戦艦タ級と接近戦を繰り広げていた。

 

「はああああああああああああ!!!」

「ガッ!?」

 

 鈴谷が回し蹴りをタ級の顔面に叩き込むと、艦娘の脚力で脳みそを揺さぶられたタ級は前後不覚に陥る。その隙を逃すことなくあっという間に踏み込んだ鈴谷は、タ級を蹴り倒して踏みつけ、首に20cm連装砲を確実に打ち込んで止めを刺した。

 

「はぁっ……!!はぁっ……!!」

 

 タ級を仕留めた鈴谷だが、大規模な乱戦の中で既にかなりの疲労状態にある。先程至近に着弾した砲撃によって負傷もしており、額の擦過傷からはおびただしい血が流れている。

 

(いけない……視界が歪みだした……)

 

 失血と疲労から、タ級を踏みつけた状態で一瞬だけ体が硬直した鈴谷に、熊野が大声で呼びかける。

 

「鈴谷!」

「!!」

 

 熊野の声を聞いた鈴谷が慌てて後方に飛びのくと、一瞬前まで自身が踏みつけていた場所に砲弾が叩き込まれて爆散する。

 

「こいつらは味方もろともに殺しに来ますわよ!!油断なさらないで!!」

「わかってるよ熊野……あぶな!?」

 

 眼前の爆炎を突っ切って別のタ級がとびかかってくる。戦艦の剛腕を咄嗟によけた鈴谷だったが、拳を避けたその先に、タ級の砲塔が突き出されていた。初めから、避けられることを予想して砲撃の準備をしておいたのだ。

 

「……あ」

 

 タ級は残虐に笑うと、躊躇いなく砲を発射した。

 

「死ね!」

 

 直撃、轟音と共に鈴谷が吹き飛ぶ。

 

「鈴谷ああああああ!!」

 

 熊野は目を見開いて叫び、咄嗟に吹き飛んできた鈴谷を受け止める。

 

「あ……あれ……?く……ま……の……?」

「……!」

 

 鈴谷の様相は酷い物であった。咄嗟に砲弾から身を守った片腕がはじけ飛び、全身の装甲を砲弾の破片がズタズタに食い破って血塗れとなっている。たとえ重巡洋艦の装甲と言え、ゼロ距離で戦艦の砲撃を食らえばこうなるのは当たり前であった。

 

「次はおまえだ!!」

 

 そういってタ級が熊野と鈴谷に砲を向ける。

 

(……ッ!!まずい!!)

 

 鈴谷を抱えた状態の熊野では、咄嗟にその砲撃をかわす事など出来るわけがない。万事窮すかと思われたその瞬間……

 

「ガヒュッ!?」

 

 タ級の喉から軍刀がつきだした。

 

『阿呆!!戦場で呆ける奴があるか!!早くそいつを連れて引け!!』

「ここはあきつ丸達に任せるでありますよ!!二人そろって死ぬ前に戦線を離脱するであります!!急げ!!」

 

 伊能の座上するあきつ丸がタ級の首をそのまま切り落として止めをさすと、片腕でその死体を盾にして他の砲撃を防ぎ、突撃していく。

 

『そのまま真っ直ぐ切り込めあきつ丸!!』

「はい!抜刀隊前へ!!吶喊!!」

「隊長へ続けえええ!!」

「「「「おおおおおおおおおおお!!!!」」」」

 

 その突撃力に勇気づけられた友軍が深海棲艦にとびかかり戦場は更なる混迷を深めていく。

 

「熊野殿!!早くこちらへ!!」

「っ!!はい!」

 

 要塞内部への隠し扉を開けて陸軍妖精が熊野の退路を開くと、そこに熊野は逃げ込んだ。

 

 ***

 

「自分が担架を呼んでまいります!暫しお待ちください!!」

 

 背後で扉が絞められた瞬間、熊野は鈴谷に声をかける。

 

「鈴谷!!鈴谷!!しっかりしてくださいまし!!」

 

 熊野の必死の呼びかけに、鈴谷が薄く目を開く。かすれる様な呼吸の後に、鈴谷が声を出した。

 

「熊野……ごめん、鈴谷……どじ……ふん……じゃった……」 

 

 力なく笑う鈴谷、その命の灯火は尽きる寸前であった。

 

「良いんですのよ鈴谷、次に、次に挽回すればいいんですの。ほら、すぐに担架がきますわ。ドックへ行けばすぐに……」

 

 その言葉を、鈴谷は熊野の口に指をあてて止める。

 

「ごめん……ね……もう……まにあわ……ない……」

 

 鈴谷がほほ笑む。

 

「あ……とは……よろ……し……」

 

 その瞬間、鈴谷の体から力が抜けた。ずるりと手が落ちて、意識を失う。

 

「……鈴谷!!」

 

 艦娘は魂で繋がった姉妹である。故に熊野には分かってしまう。もう、鈴谷の命はもたないのだと。

 

「……」

 

 数秒の間、熊野は俯いて沈黙した。

 

「……死なせません」

 

 熊野の声が響く。

 

「絶対……絶対に……」

 

 決意の滲んだ、絡みつく様な重い声で熊野が言葉を紡ぐ。

 

「鈴谷を死なせませんわ」

 

 その瞬間、熊野の体が光りだす。

 

「例え何を犠牲にしたとしても」

 

 熊野の体が、不可思議な何かに変換されていく。

 

「……ねえ鈴谷、この泊地にやってきた日の事を覚えてますか?二人そろって電撃で黒焦げにされて、海どころか空さえ見えない穴倉の中で目が覚めて、なんて泊地にやってきたんだろうか、と眩暈が致しましたわね」

 

 熊野は『自己』を構成する何かが抜け落ちていくのを感じながら、ポツリポツリと言葉を紡いでいく。

 

「でも、そんな地獄の中でも諦めずに前をむいている泊地の人々の姿をみて……なんて強い人々なんだろうか、なんて魅力的な泊地なのだろうか……と、あっという間にここに魅せられてしまいました……絶望に抗い生き抜く『人』の美しさは……深海棲艦であったわたくし達にとって余りに眩しく……余りに温かく……余りにも……甘美に過ぎるものでした……」

 

 人は『比べる』事で物事の価値を測るものだ。不幸を知る者は幸福が如何に尊いものかをよく知り、病弱な者は健康の有難みをよく知る……そして、孤独の辛さ、寒さを知る者は……人の温かみに深く深く感じ入るのだ。

 

「石壁提督の人間性は、『深海棲艦であったモノ』を深く深く引き寄せますわ。戦争という狂気の中で英雄という役目を負ってなお、人間性という正気を保ち続ける彼の在り方は……絶望と狂気によって冷え切ったわたくし達の心を捕らえて逃さない……あの方は本当に、天性の人たらしですわ……」

 

 石壁の質が悪いのは、その事に一切の自覚が無い事だろう。石壁は謂わば防蛾灯だ。戦場を深く知るモノ程、強く惹かれて焼き尽くされる。その事がわかっていてなお、離れられない。余りに石壁の在り方は、温かすぎるのだ。

 

「私はこの泊地も、提督も、大好きですわ……ここから離れたくない。死にたくない。もっと彼らと一緒に居たい……艦娘であるわたくしが、そう思って命が惜しくなる位に……でも……」

 

 熊野は、鈴谷の顔にそっと手を当てる。

 

「貴女の事も……同じくらい愛おしく思っておりますの……魂を分けた姉妹である貴女が、どうか幸せであって欲しい……その思いにも偽りはございませんの……だからわたくしは、己のエゴを押し通しますわ」

 

 鈴谷の顔を優しくなでる熊野。

 

「わたくし、提督と約束しましたの、次は『三人で』お茶を飲みましょうって……だから、”二人で一緒に”頑張りましょう?一抜けなんて、許せませんもの」

 

  クスクスと笑いながら、愛おしい鈴谷の顔を見つめながら、鈴谷は言葉を紡いだ。

 

「わたくしはわたくしの"夢"を叶えたい。貴方の命を救いたい。提督と離れたくない。貴女と離れ離れになりたくない……これはエゴ、全てわたくしの自分勝手。ごめんなさい鈴谷……どうか、わたくしのエゴを乗り越えて幸せになってくださいまし……」

 

 自分がこれから行う所業が、どれだけ鈴谷と石壁を苦しめるのか。どれだけ悲しませるのか。それを理解した上で、それでも熊野は己のエゴを押し通す覚悟を決めたのだ。

 

「わたくしの命の在り方は、鈴谷と提督の幸せの為にある事だと決めましたの」

 

 熊野と鈴谷を光が包む。

 

「……どうか貴女の道行に幸多からん事を」

 

 閃光が世界を包んだあと、そこには鈴谷だけが残されていた。

 

 五体満足で、無傷の鈴谷だけが。

 

 

 ***

 




このまま後編も投稿致します



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幕間 残されたモノ 後

注意 

長くなったので前後で分けています

こちらは後編です。先に『前編』を読んでください。


 

 

「これが、あの時にあった全て、砲撃で死ぬはずだった鈴谷を、熊野が自分の命を使って助けてくれたんだ」

 

 鈴谷が語り終えた後、石壁は暫し黙り込んでしまった。鈴谷の言葉に嘘は感じられなかった。まるで熊野本人が語っているかのような感情の籠った説明が、石壁の心に重くのしかかる。

 

「……訳がわからない、熊野は何を行ったんだ。それに、何故自分が気絶している間の事を知ってるんだ?」

「……一つ目についてだけど……ねえ提督は『艦娘の近代化改修』って、聞いたことない?」

「……なんだそれ、装備の更新とは……違うのか?」

 

 通常、近代化改修とは時代遅れになった戦力を改修によって文字通り『近代化』させることで再戦力化するために行われるものだ。分かりやすい例で言えば、アイオワ級戦艦に巡航ミサイルを積み込める様にして80年代まで使っていたのがこれに相当する。

 

「これは本来禁止されてるから知らなくてもしょうがないんだけど……艦娘の近代化改修は……『他の艦娘』を生贄にする一種の儀式なんだよ」

「なっ!?」

「艦娘という存在そのものを使って、他の艦娘の能力を跳ね上げるんだ。火力・装甲・対空能力……様々な能力を上昇させるんだけど、それによって得られる能力と失われる戦力が釣り合わないから、名目上は禁止されてるんだ。『近代化改修』っていう呼び名は、その実態を知られない様にするためのダミーなんだよ」

 

 近代化改修とは艦娘という存在の暗部。艦娘の研究過程で生まれた外法の術だ。生きた艦娘を別の艦娘の餌とする生贄の儀式なのである。少しでも力を求めた上層部の開発者たちによって仕込まれたその機能は、禁止されていてもオミットされていないという事からも、必要とあらば公然と破られる建前上のモノでしかない事を雄弁に語っている。

 

「激戦が続く南方海域では、回復が追い付かずに戦場に出ざるを得ない時があるからね。そんな状況で轟沈寸前まで追い込まれた艦娘が、姉妹や仲間へ希望を託す為に使われているんだ……能力は上昇するし傷も治るからね……艦娘の近代化改修は、極限状態の最後の手段なんだ」

「つまり、鈴谷を助けるために、熊野は……」

 

 鈴谷は愛する姉妹の命そのものを託されたのだ。その重みを、その思いを感じた石壁は言葉をつづけられなかった。

 

「そういう事……それから、二つ目のなんで意識のない間に、熊野がやったことをしっているかだけどさ……知りたい……?ここから先は、多分石壁提督は知らない方が幸せだと思うよ……?」

 

 鈴谷はうっすらと笑みを浮かべて、石壁にそう問う。言外に、聞けばもう後には引けないと鈴谷は言っているのだ。

 

「……」

 

 石壁は唾を飲み込んだ。既に現時点で、石壁の常識という世界にはヒビが入ってる。艦娘という存在そのものの深淵を、石壁はのぞこうとしているのだ。

 

「……教えてくれ。熊野が何を託したのか。僕が何を託されたのか……知らなくちゃいけない……逃げるわけには、いかないんだ」

「……わかったよ」

 

 鈴谷は、石壁の解答に満足げにほほ笑んだ。

 

「近代化改修はさ、厳密には自分の命を使うんじゃないんだ」

 

 石壁は、遂に己から深淵をのぞき込む。

 

「近代化改修に使われるのは『艦娘の魂』そのもの、熊野は自分を自分足らしめる根源である魂をそっくりそのまま鈴谷の魂に『流し込んだ』んだよ……つまり、熊野はもう自分で転生すら出来ない。鈴谷の魂の一部として、未来永劫鈴谷の転生に引きずられるだけになったんだ」

「……え?」

 

 人は死した後に輪廻の輪を通ってこの世にまた現れる。ぐるりぐるりと無限に回り続けるその月日は気の遠くなる程続く。解脱に至るか、魂そのものが擦り切れて消滅するその時まで続くのだ。

 

 その永劫に等しい期間を、熊野は鈴谷に捧げたのだ。それが如何ほどの覚悟であるのか、石壁には想像すらできない。

 

「提督はさ、艦娘が時々『鎮守府に存在しない艦娘の名前を呼ぶ』事があるって聞いたことない?あれは、艦娘が自分の魂に含まれる『別の艦娘の魂』に反応しているんだ。前世で己に魂すら捧げてくれた、愛おしい姉妹や仲間の魂を、ね」

 

 艦娘が死ねば深海棲艦に、深海棲艦が死ねば艦娘になる。深海棲艦にも艦娘にもなれない死に方をすれば輪廻の輪に戻って別の生を受けるか……もう一度艦娘として『建造』される。こうやって、『艦娘の魂』はぐるぐると輪廻の輪を回り続ける。今までの生で受け取った魂を引き連れて。

 

「提督は本当にすごいね、鈴谷の中に熊野が『居る』事に一目で気が付いたんだから。大体の提督は、何かが変わったことまでは気付けたとしても、誰かが中に居るかまでは気が付けない。艦娘も、提督には基本的に話さないから、このことを知っている提督は……多分殆ど誰も居ないと思うよ。本当に艦娘の事を大切に大切にしているんだね、石壁提督は」

 

 最後の一文には、鈴谷の筆舌に尽くしがたい感情が籠っていた。鈴谷の笑みの種類が変わる。仄暗い水底の様な、絡みつく様な重さを感じさせる笑み。艦娘という存在そのものの深淵を感じさせる笑みだった。

 

「今生だけの話だけど、鈴谷の中には確かに熊野がいて、その記憶も一部引き継いでいる。熊野の最後の思いは、鈴谷の中に蓄積されている。これが、熊野の最後を、鈴谷が知っている理由。提督が、鈴谷に熊野を感じる理由」

「……」

 

 石壁は完全に言葉を失っていた。己の常識が壊れていく。世界の裏側の真実が、どこまでも重く、石壁にのしかかった。その様子を見つめながら、再び鈴谷が口を開く。

 

「あのさ、熊野は石壁提督のことが大好きだったんだ。自分の提督として、仲間として、もしかしたら男性としても好きだったかもしれない」

 

 そういいながら鈴谷は石壁に近づく。

 

「鈴谷もさ、石壁提督の事は大好きだよ。提督として、仲間として、もしかしたら少しくらいは男性として……けどさ」

 

 鈴谷の顔が、悲しげに歪む。

 

「もうどこからどこまでの好意が、『鈴谷』の好意なのか、『熊野』の好意なのか……今の私にはわからないんだ……」

「……え?」

 

 魂を弄ぶ様な外法に、リスクが無いはずがないのだ。

 

「私はだれ?『鈴谷』?『熊野』?今の私はどちらでもあってどちらでもないんだ……」

 

 鈴谷の瞳が潤んでいく。零れ落ちそうな涙が、彼女の目に溜まっていく。

 

「混ぜ合わせたコーヒーとミルクがもう分離出来ないように、混ざってしまった魂はもう不可分なんだよ」

 

 鈴谷が瀕死になっても己の魂を熊野に託さなかったのは、託された側の心労を慮って敢えて『託さない』という選択をしたから。

 

 熊野は鈴谷が託さないという選択をとったということを理解した上でなお、己のエゴを通して鈴谷を助けた。己の魂を使うことで、鈴谷がそれを望まないと知っていてなお、己の願いを優先したのだ。

 

「艦娘は、だれでも最後にはこの矛盾を飲み込んで前に進める。そういう生き物だから、歪むアイデンティティを『そういうものだから』って飲み込んで前に進める。熊野がやったことは間違っていない。でも……でも……」

 

 ボロボロと鈴谷は泣き出す。

 

「でも……やっぱり悲しいよ……苦しいよ……提督」

 

 艦娘はヒトであって人間でない。兵器であって物でない。

 

「鈴谷はどうすればいいの……?どうすればよかったの……?最初からこの苦しみを熊野に託せばよかったの……?この悲しみをこうしてうけていればいいの……?」

 

 心なんて無ければよかったのに。愛なんて知らなければ苦しまなかったのに。鈴谷は、艦娘という種そのものの矛盾に苦しんでいた。

 

「熊野が愛おしい、熊野が憎い、助けてくれて嬉しい、残された事が苦しい」

 

 熊野の愛とエゴが、鈴谷の心を相反する想いで引き裂く。荒れ狂う感情と歪むアイデンティティの狭間で、彼女は今も苦しんでいるのだ。

 

「私は誰?私は鈴谷、ならこの感情はだれのもの?鈴谷の?熊野の?わからない!わからないんだよ!!」

 

 半狂乱で泣きながら顔を覆う鈴谷をみて、石壁が動く。今にも壊れてしまいそうな鈴谷を、石壁は抱きしめた。

 

「……あ」

「……」

 

 ぎゅうっと、無言で石壁は鈴谷を抱きしめた。君は此処にいるのだと、君の存在は幻想ではないのだと、今此処にいる『鈴谷』の存在を肯定する為に、石壁は鈴谷を抱きしめる。

 

「てい……とく……」

「大丈夫……」

 

 石壁が鈴谷の頭をなでる。

 

「大丈夫だから、僕は此処にいる。『鈴谷』は此処にいる……大丈夫、大丈夫だよ」

 

 壊れそうな彼女の心を包み込むように、石壁はただ、頭をなでてあげる。彼女に必要なのは、壊れそうな心を休ませる事。

 

「う……うう……」

 

 石壁は己が鳳翔にそうやって救われた様に、鈴谷の傷ついた心を休ませる為に、ただ彼女を抱き締めて、彼女の心を包み込む。

 

「うわああああああ……熊野……熊野ぉ……ひどい……ひどいよぉ……」

 

 鈴谷は、石壁の胸元に顔を埋めて、泣いた。

 

 石壁は鈴谷が泣き止むまで、ずっと彼女の頭を撫でてあげていた。

 

 鈴谷が己の足で立ち上がるまで、もう少しだけ時間が必要であった。だが、それでも最後には必ず立ち上がることができるのが、彼女たち艦娘という種族であり、鈴谷という少女である。

 

 石壁は鈴谷と熊野の二人を感じながら、ずっと彼女を抱きしめていた。 

 

 

 

 

 

 

 




活動報告に補足考察『居ない艦娘の名前を呼ぶ病』を追加致しました

もし気になられた方はご一読ください。

なお、読まなくとも一切本編には一切影響はございません。


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幕間 それはそれ、これはこれ

この度総UA(総閲覧人数)が累計5万を達成致しました!

これも読んでくださる皆様のおかげです。

これからも拙作をよろしくお願いいたします!






そろそろ幕間のきっつい所は抜けたのでご安心ください


 鈴谷が落ち着くまで彼女を抱きしめていた石壁は、彼女を部屋まで送り届けた後、隠蔽されているが空の見える休憩所やってきた。

 

「……ふう」

 

 そこにあった椅子に座って一息ついた後、石壁はふと先ほどの鈴谷との会話を思い出す。

 

「アイデンティティが歪む……か」

 

 そういいながら、石壁は帰りに拾っておいたレンガを取り出す。

 

「……ふん!」

 

 石壁が全力でそれを握りしめた瞬間、レンガが『砕け散った』。

 

「……はは」

 

 人間業ではないその腕力をみて、石壁は引き攣った笑みを浮かべた。

 

「人のこと、いえないなぁ……」

 

 石壁は退院前の軍医との会話を思い出した。 

 

 ***

 

 怪我が快癒した石壁は、自身の状況を聞くために医務室にやってきていた。

 

 医務室には、石壁の手術を執刀した、軍医である妖精さんがまっている。

 

「まずは快癒おめでとうございます。石壁提督」

「ありがとうございます」

 

 軍医妖精さんがそういうと、石壁はぺこりと頭をさげた。

 

「色々と聞きたいことはあるかと思いますが、先に石壁提督の客観的な現状をはなさせていただきます。質問についてはその後にという形でよろしくお願いいたします」

 

「はい」

 

 軍医妖精さんは石壁が頷いたのをみてから、手元のカルテに目を落とした。

 

「では……石壁提督はさる要塞での決戦において南方棲戦鬼と交戦し、これを討ち果たされました。ですが、身体への損傷は重大にして致命的でありました。全身の筋骨が断裂し、内臓はいくつも破裂・損傷しており、出血多量と極度の疲労状態から脈拍も低減……端的に言って、手遅れの状態でありました」

 

 石壁はあまりに無理を押し通しすぎた。もともと、針の穴に糸を通すようなか細い勝算であったところを、己の命を代価としてその穴を押し広げて運命を打破したのだ。この結果もむべなるかなといったところであろう。

 

「我々に取れる手段は限られておりました。一つは、すべてを諦めて石壁提督を『楽にする』事……もう一つが、外法の術をもってして、無理矢理にでも命を繋ぐ方法……医を志すものとして、この様な方法は取りたくはありませんでしたが、御身をお救いするために……外法にも手を染める事に致しました……どの様な副作用が発生するかまったく予想できない臓器を……深海棲艦の臓器を移植したのです」

 

 その言葉に、石壁は自身の腹部に目をやる。

 

「……南方棲戦鬼、ですか」

 

 石壁は、自身の臓器を潰した宿敵が、結果として自身の『中身』として命をつないだのだという顛末に、複雑すぎる感情を抱いて眉を顰めた。

 

「はい……人の体に深海棲艦の……それも鬼級の大戦艦の臓器を移植して、艦娘用の高速修復材を投与したのです……これ以外に、御身をお救いする手立てはありませんでした……とにかく一時的にでもお命を繋ぐ事ができれば。正規のドナーが現れた際に臓器移植を受けられると思ったのです」

 

 医師の判断は正しい。それ以外の方法で挑んだとしても、石壁は帰らぬ人となって黄泉路に旅立つことになっただろうから。

 

「結果として手術は成功し、今のところ拒絶反応等は発生しておりません。南方棲戦鬼の臓器は我々の想定通りに石壁提督の命を繋ぎ……我々の想定以上に、定着し過ぎてしまいました……」

 

 そういいながら、軍医妖精はレントゲン写真を壁に貼り付けた。

 

「なに……これ……」

 

 石壁は、壁にかけられたレントゲンの異様な有様に目を見開いた。

 

「ご覧ください。移植した当初は人と同様であったはずの臓器が変質して、互いに癒着して変形しております……多くの重要な臓器や血管へと、まるで『根を張る』が如き様相を呈しております」

 

 臓器が歪に変形し、まるで樹木が根を張るような形で絡み合っている。石壁の拙い医療知識から鑑みても、これは異常な状態であった。

 

「重要な臓器と絡みつき、癒着してしまっている以上……もはやこの臓器を他の臓器と交換するのは不可能です……浸食とも呼ぶべき臓器の異常な成長は現在停止しておりますが、この先どうなるのか、一切わかりません……」

 

 そこまで言ってから、軍医妖精は頭を深々と下げた。

 

「すべて、自分の浅はかな判断が原因です……本当に申し訳ございませんでした……」

 

 軍医妖精は、憔悴しきった様子で、深々と、本当に深々と頭を下げている。彼は石壁を救おうと持てる全ての技術を投じたのだ。その結果として、石壁は重い業を背負う事となったが、彼が出来る限りの事をやったのだけは、間違いが無かった。

 

「……頭を上げてください先生。命の恩人に頭を下げさせたままじゃ、座りがわるいですから」

 

 

 石壁は、そういって軍医妖精に頭をあげさせた。

 

「実際ね、南方棲戦鬼にハラワタぶち抜かれた段階で、『ああ、これ多分僕助からないだろうなあ……』って、うっすら思ってましたし。そこから命が助かっただけ儲けものって奴ですよ。先生に感謝こそすれ、恨むなんて事はしませんよ」

 

 石壁はそういいながらにっとわらった。その顔つきは、以前と変わっていない様でいて、どこか達観したというか、以前よりも逞しさが感じられた。

 

「だからほら、謝らないでくださいよ。先生は僕の命を救った。僕は先生に命を救われた。それで良いじゃないですか。これじゃあ態度があべこべですよ」

 

 初陣で歴史に残るような大規模戦闘を戦い、文字通り命がけで要塞を護りきった石壁は、明らかに人間的に一皮向けていた。

 

 達観したというか、死生観が変わったというか、人間的な『深み』の様なものが確かに生まれていた。

 

 からからと笑いながらそういう石壁をみて、石壁の成長と気遣いを感じた軍医妖精は、何かをこらえるようにして言った。

 

「……ありがとうございます」

 

 軍医妖精はそう言いながら、己の命をかけてでも、石壁の為に働こうと、決意を新たにしたのだった。 

 

 

 ***

 

「……」

 

 軍医との会話を思い出していた石壁は、知らずに、己の腹に手をやった。

 

(この内臓は自分のモノじゃない。あのバケモノのモノだ……では、人の体にバケモノの内蔵を入れた僕は、一体何者なんだろうね?)

 

 ちらりと砕けてしまったレンガを見つめながら、自分が今までとは違う生き物になってきていることを、石壁は感じざるを得なかった。

 

「まあ、考えた所でしかたがないか」

 

 石壁はふっと笑って立ち上がると、腹の中の内蔵(ばけもの)が空腹を訴えて咆哮する。

 

 

「僕が人間だろうとバケモノだろうと、平等に腹は減るし飯は旨い。なら生きていることには違いないんだから、くよくよしたって意味はないさ」

 

 石壁はベンチから立ち上がると、食堂へと歩いていった。

 

「今日のご飯はなんだろうか~っと?」

 

 どこまでいっても石壁は石壁でしかない。苦しい昨日も、悲しい今日も飲み込んで、石壁はまた歩き出したのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 〜おまけ〜

 

「ところで、現時点でどういう変化がでているの?」

 

「はい、まず内蔵がとても丈夫になったので、胃腸がとても健康的です」

 

「胃腸が健康」

 

「はい、具体的には飲み過ぎ・食べ過ぎによる胃もたれや二日酔いは今後ないでしょう。連日連夜の宴会でも問題ございません」

 

「すごい」

 

「あと、普通の人がお腹を壊すような食べ物を食べても強靭な胃腸がそれをしっかり殺菌消化して栄養にしてくれますので、今後お腹を下すこともないでしょう」

 

「ぱねぇ」

 

「さらに超合金製の提督の内蔵はあらゆる疾患から貴方の健康を護ります。健康な体は健康な内臓から。そういう意味では今後一生提督は人間ドックに引っかかることはないかと思います。数値の高低に一喜一憂する人々から見ればものすごいチートですね」

 

「すごいちーとだね」

 

「さらに肉体の強度も以前より大幅にましておりますので、二階から飛び降りたり銃弾を腹に食らうぐらいでは死なないと思いますよ」

 

「おお!」

 

「艦砲射撃を食らったら普通に死にますけど」

 

「……」

 

 

 

 

 おまけ2

 

 これがスーパー提督系チートオリ主石壁堅持の全てだ!

 

 石壁アイ

 視力はあがったぞ!でも片目だから遠近感がおかしいので普通車以上の車の免許はとれないし望遠鏡にはかてないぞ!

 

 石壁ヘッド

 硬いぞ!銃弾ぐらいなら弾く石頭だ!軍艦の砲弾食らったら普通に死ぬぞ!

 

 石壁ぼでい

 内臓が変わってから身体能力はなかなかのものでかなり頑丈だぞ!二階から飛び降りてもへっちゃらだ!それだけだ!

 

 石壁アーム

 レンガ位なら片手で握りつぶせるぞ!腕相撲で鳳翔にまけて凹む程度の腕力だ!

 

 石壁レッグ

 百メートル10秒の健脚だぞ!ちなみに艦娘なら100m大体5秒だ!

 

 石壁インターナル(内蔵)

 南方棲戦鬼「私だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




きっつい話が連続するとその事についての感想があまり来ず
読者様にどう受け取られたのかわからなくて
めっちゃ怖いです……


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幕間 星空に捧ぐ酒

ついにお気に入り件数が1000を突破しました!
これも偏にご愛読頂いている皆様のお陰です!
本当にありがとうございます!

これからも拙作をよろしくお願いいたします!


 日が落ちて暗くなった後、伊能は要塞のとある見張り台の上で煙草を吸っていた。こっちに来る前に買った残り少ない煙草である。

 

「……」

 

 伊能は普段煙草は吸わない。だが本当に時々、こうやって煙草を一本すって倦怠感に身を委ねるのが好きだった。

 

「……ふぅ」

 

 伊能が深く息を吐きだす。煙がゆらりゆらりとゆられて消えていく。

 

「……」

 

 見張り台の欄干の部分は平らになっており、そこには徳利とぐい吞みが一つ置いてあった。伊能は煙を吐いた後に、そこにトクトクと酒を注ぎ、一息で煽った。

 

 タバコの煙と夜の星を肴にした一人酒である。哀愁の漂うその背中は、普段の騒々しい伊能とは打って変わって、落ち着いた大人の男の渋さを漂わせていた。

 

 しばしそうやって伊能が佇んでいると、背後からカツンカツンという足音が近づいてくる。

 

「みつけたであります」

「……あきつ丸か」

 

 伊能が振り向くことなくそういうと、暗闇の中からあきつ丸が歩いてきた。真っ黒い服で色白なあきつ丸が暗闇から出てくると、まるで幽霊が黄泉の国からやってきたようだ。

 

「よくここがわかったな」

「長い付き合いで有ります。将校殿の行動は、なんとなくわかるでありますよ」

「……それもそうか」

 

 二人が出会ったのは伊能が陸軍憲兵抜刀隊にいたころである。艦娘登場後の人類の巻き返しが始まる少し前、やっと戦線が膠着し艦娘の本格的量産が始まった直後であった。伊能は本土決戦末期に召集され、戦死する前にあきつ丸を呼び出す事が出来た。それからずっと、二人は一緒に戦ってきたのだ。

 

 深海棲艦を海に叩き出した後は、伊能は陸軍からの出向で陸軍の提督として海軍士官学校へと入学し、石壁達とであった。人に歴史がありというように、伊能は伊能で、己の戦いを生きぬいてここにいるのである。

 

「……飲むか?」

「では、有難く」

 

 伊能がそういいながらぐい吞みを渡すと、あきつ丸はそれを受け取った。

 

「……」

「……」

 

 とくりとくりと杯に注がれる酒に月と星が映り込む。それを見つめてから、あきつ丸もまた一息でそれを飲み干した。

 

「ふう……」

 

 あきつ丸は、そう息をはくと、杯を伊能に渡す。

 

「返杯であります」

「……うむ」

 

 あきつ丸から受け取った杯に、またとくりとくりと酒が注がれていく。月下で酒を渡しあう二人の男女の姿は、兎に角絵になった。

 

「……」

 

 伊能は、あきつ丸と同じように一息でそれをあおった。

 

「……うまいな」

「……そうでありますな」

 

 杯をコトリと欄干におく。それから二人はそろって空を見上げた。

 

「この、最果ての泊地で一つよかったと思うのは、この夜空の美しさでありますな」

 

 都会の明かりの無いこのショートランド島では、本当にたくさんの星が空に見える。古代の船乗り達が見つめたのと同じ、澄み切った夜空の宝石たちがそこにはあった。

 

「そうだな、本土ではこんな星はまず見えまい」

 

 文明が作り出した不夜城の明るさは、天すら照らして星々の煌きすら隠してしまう。

 

 忙しなく動く人の世が止まる日はない。昼も夜も、休むことすら忘れてしまった人々の営みは、止まることなく世界を動かしている。

 

 そんな当たり前が当たり前になる前の空、人が文明の発達と引き換えに失ってきたモノだった。

 

「こうして二人で酒を飲んでいると、本土奪回作戦が終わった後を思い出す」

「……そうでありますな、あの時もこうして、二人で酒をのんでおりましたな」

 

 本土から深海棲艦達を叩きだした数年前の決戦。陸軍の兵士達が艦娘と共に死に物狂いで戦ったそれは、伊能の陸軍時代の最後の作戦であった。

 

「本田、富永、松田、高田……」

 

 ポツリポツリと伊能が名前を呟いていく。一人一人顔を思い出すように、何十人もの名前を挙げていく。

 

「……」

 

 それをあきつ丸は無言で聞いていた。

 

「……陸軍憲兵抜刀隊……第4小隊……勇敢な奴ら『だった』」

「……ええ、忠勇無双とは、彼等の事をさすのでありましょう」

 

 無数の命を湯水のように消費したその一大作戦は、確かに人類側の勝利に終わった。だが、失われた命の多さは、尋常ではなかった。

 

「位牌すら用意してやれなかったからな……お前と一緒に仏壇の代わりに、星々に酒を捧げてから飲んだ」

 

 死ねば星になると古人は言った。ならば夜空は戦友達と顔を合わせる場所なのだろう。文字通り星の数程旅だった輩(ともがら)を思いながら、伊能は杯へと酒を注いだ。

 

「……あの時の、弔い酒の味は忘れられんよ」

「……そうでありますな」

 

 これは弔い酒。先に逝った戦友を弔うための酒である。伊能が注いだ酒を飲むのを見ながら、ぽつり、とあきつ丸がつぶやく。

 

「……また、本土決戦時代の仲間が逝ってしまいましたなあ」

「……ああ」

 

 伊能が杯を置く。

 

「……」

 

 タバコを吸って紫煙を吐き出す。風に揺らめいて消えていくその煙に、あきつ丸は先に逝った仲間の姿を重ねた。

 

「……」

「……」

 

 ゆらりゆらりときえていく煙を二人で見ていると、伊能が口を開く。

 

「……騎兵隊長を」

 

 先の戦いで逝ったその男を思いながら、続ける。

 

「アイツをここへ誘ったのは、俺だ」

 

 伊能は本土で燻ぶるかつての仲間の中で、最も強い妖精たちに声をかけた。騎兵隊も、その一つであったのだ。

 

「アイツに俺はこう声をかけた。『石壁と一緒に来るなら、絶対に後悔はさせぬ。己の命を後悔無く使わせてやる』とな……」

 

 あきつ丸はとなりの伊能の顔を見る。欄干に肘をのせて空を見る男の顔から感情を読み取る事は難しかった。

 

「突撃の前にアイツから言われたよ。『自分は命の使いどころを見つけられた。ありがとう伊能提督……ここに誘ってくれて……そして……』」

 

 伊能は一拍おく。

 

「『どうか、ゆっくりとこちらへ来られよ……さらばだ『戦友(とも)』よ……靖国で君達の息災を祈っているよ』……とな」

 

 伊能はそこまで言ってから、タバコを口にあてて吸った。ぽっかりと闇に浮かぶ赤い点が、まるで線香の火のようだと、あきつ丸は思った。

 

「ふぅー……」

 

 伊能は目をつむったまま、煙をはく。

 

「……」

「……」

 

 二人は沈黙の仲でしばし空を見つめる。

 

「……さらばだ、『戦友(とも)』よ。地獄で会おう」

 

 そういって、伊能はタバコを灰皿に落とすと、歩きだした。振り返ることなく、歩き去っていく。

 

「……さようなら、気高い人」

 

 あきつ丸は消えていく紫煙を見つめながら、そうポツリと呟いた。

 

 あきつ丸の声と共に、手向けの煙は風に吹かれて消えていった。

 



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幕間 一眼のモノ達

 ここは軽巡洋艦の艦娘寮、天龍型の部屋である。部屋の主である天龍と龍田が向かい合って駄弁っている。

 

「そういえば、前に比べてなんか石壁提督あんまり元気ねぇな」

「まあ、あの戦いからまだ一週間程しかたってないし、色々と思うところがあるんでしょうねえ」

 

 龍田は掌を頬にあてて、考え込む。

 

「特に、仲が良かった熊野さんがああなったのだから、気を落とすのも無理ないわ」

 

 近代化改修によって鈴谷の糧となった熊野、厳密に言えば熊野は死んでは居ないが、もう語り合う事は出来ないというのは、表面的に見れば死んでいるのと相違はない。

 

「……あ、そうだ」

「どうしたの?天龍ちゃん」

 

 天龍がハッとしたように顔をあげる。

 

「いや、ちょっと良いこと思いついたから、執務室に行ってくる」

「ついていったほうがいいかしら?」

 

 龍田がそう問うと、天龍は断る。

 

「いいや、俺一人で行ってくるよ、すぐおわるからさ」

 

 そういって天龍は立ち上がると、戸棚を漁ってあるものを取りだし、胸元につっこんだ。

 

「それじゃ、いってくる」

 

「いってらっしゃーい」

 

 ヒラヒラと手を振って天龍を送り出した後、龍田はボソッと呟いた。

 

「……大丈夫かしら」

 

 

 ***

 

 石壁が執務室で作業をしていると、扉がノックされた。

 

「提督ーいま大丈夫かー?」

「天龍?大丈夫だよ」

 

 石壁が許可をすると、扉をあけて天龍が入ってくる。

 

「うっす、顔色は悪くねえな、しっかり休養出来てるみたいで良いこった」

 

 シュビっと手を顔の横まであげる天龍。海軍式敬礼とヤンキーの軽いノリの挨拶の中間みたいな手の動きであった。

 

「心配かけてごめん、でももう大丈夫だよ。ああ、そういえばあの時は鉄火場に引きずり込んでわるかったね」

 

 石壁と天龍が最後に会話したのは、あの南方棲戦鬼との殴り合いの直前、大量の航空機を機銃で迎え撃ったあの時であった。

 

「いやあ、俺もあの時は流石に死ぬかとおもったぜ……もうちょっとやそっとの航空機なんか怖くもないくらいだ」

 

 天龍が若干遠い目をする。

 

「あはは……で、どうかしたの?」

「あ、そうそう」

 

 石壁が苦笑しながらそうきくと、天龍はブレザーの胸元に手を突っ込んで胸ポケットをさぐりだす。そのせいで天龍の世界レベルの装甲がばるるんと震えて、思わず石壁の目が釘付けになる。

 

「!?」

「んんー?たしかこの辺に……っとあった!」

 

 石壁が慌てて後ろをむくと、その間に天龍は目的のブツを探し出したようであった。

 

「おう提督あったぞっ……て、なに明後日の方むいてんだ?こっち見ろよ」

「あ、ああ」

 

 石壁が振り向くと、若干胸元の服が乱れた天龍がいた。思わず顔を赤くする石壁。

 

「どうした?やっぱまだ調子が悪いのか?」

「だ、大丈夫だよ。で、どうしたの?」

「おう。そうだコレコレ」

 

 そういいながら、天龍が眼帯を差し出す。それは天龍が今つけているのと同じ眼帯であった。

 

「……これ、天龍の眼帯?」

「おう、提督も俺と同じ左目がやられちまっただろ?そのガーゼみたいな眼帯じゃ様にならないし、俺の眼帯の予備をやるよ!」

 

 ニッと笑いながら眼帯を差し出す天龍。

 

「……たしかに。どうせ眼帯をつけるならこういうちゃんとした眼帯の方がカッコイイかな」

「だろ!?提督ならわかってくれると思ったんだ!ほら、ツケてみろよ!」

 

  満面の笑みで差し出されたそれを、石壁は受け取ってガーゼの眼帯と付け替える。

 

「どう?」

「おー、似合う似合う、いいじゃねーか提督!」

 

 ビシッと親指をたてる天龍に、石壁も笑みになる。

 

「はは、ありがとう天龍。大事にするよ」

「おう、そういってくれると俺も嬉しいぜ。それじゃあまたな提督!」

 

 そういうと、手を振りながら天龍はでていった。

 

「……」

 

 一人残った石壁は、天龍の胸元で温められていた眼帯の温かさを感じて、顔を赤らめていた。

 

「……なんか眼帯から良い匂いがして集中できないんだけど」

 

 石壁はしばし悶々とした時間を過ごしたのであった。

 

 ***

 

「あらー?天龍ちゃんご機嫌ね?」

「お、龍田か。いやー実はなー」

 

 そういって眼帯を石壁に渡した事を話す天龍。

 

「……ふーん」

 

 一通り話をきいた龍田は、心底愉しそうな顔でクスクスと笑い出した。

 

「な、なんだよ龍田その顔」

「別にー?ただねー」

 

 龍田はニコッと笑う。

 

「今日から石壁提督と天龍ちゃんはペアルックなんだなーって考えたら大胆だなって思ったの」

「は?」

 

 天龍の目が点になる。

 

「折角だし、お揃いのブレザーもプレゼントしましょうか〜?三人で同じ格好も愉しそうだし〜」

 

 にやにやとした龍田の提案に、ようやく天龍は自分が何をやったのか思い至る。

 

「あ、え、な?」

「明日から提督の事なんてよぼうかしらー?天龍ちゃんみたいに石壁ちゃん?それとも石壁お義兄様なんてのも愉しいかもねー?」

 

 その言葉に天龍の顔が真っ赤になる。

 

「な、ば、そんなあ、アレはそのそんなんじゃ!?」

「皆の反応が愉しみねーうふふー♪」

 

 こうして、泊地の夜はふけていった。

 

 

 ***

 

 

 天龍が部屋からでていった後、新たに部屋をノックする音が響く。

 

「どうぞー」

 

 石壁がそういうと、扉を開けて青葉が入ってくる。

 

「どもども、青葉です!」

 

 

 ビシッっと海軍式敬礼をしながら入ってきた彼女は石壁の顔をみておやっ?という顔をする。

 

「あれあれぇ?提督、その眼帯天龍さんのじゃないですかぁ?」

「ああ、流石に青葉は目ざといな……似合う?」

 

 石壁が若干照れたようにそういうと、青葉は元気よく頷く。

 

「はい!提督の顔結構傷だらけで威圧感がありますから、天龍さんより正直似合ってますよ!」

「それ絶対天龍には言わないでね」

「わかってますよぉ、で、それどうしたんですか?」

 

 青葉が興味深そうにそう問うと、石壁が答える。

 

「いや、ただのガーゼの眼帯よりこっちの方がかっこいいだろって、天龍がくれたんだ」

「あー、なるほど、彼女らしいですねえ」

 

 天龍の直球で好感の持てる性格は鎮守府に知れ渡っており、『良かれと思ってそうした』といわれれば、大体納得されてしまう。

 

「残念ですねえ、なにかこう色っぽい理由とか無いんですか?」

「ははは、ないんじゃないかな?」

 

 色っぽい理由はなかったが、色気はある行動を見てしまった石壁は若干目を逸らしながら言う。

 

「ふーん?」

 

 青葉は石壁のその行動をみながらちょっと怪しいなぁと思ったが、突っついた所で仕方ないかと話を本来のモノに戻す。

 

「まあいいです、それより提督、ちょっと提督の写真を色々撮りたいんですがいいですか?」

「へ?なんで?」

 

 石壁の問に、青葉がにっこりと笑う。

 

「提督はペンは剣より強いって言葉をしっていますか?」

「ああ、うん、よく言われる言い回しだよね」

 

 古今東西あらゆる文筆家が言ってきた言葉である。石壁だって聞いたことくらいある言葉だ。

 

「ねぇねぇ提督」

 

 青葉がいたずら心たっぷりの笑みを見せる。

 

「いままでの仕返しも兼ねて、大本営の連中に一泡吹かせてやりませんか?ペンの強さをおみせしますよ!」

 

 ***

 

「あーいいですよーいーですよー!目線もうちょっとあっちへ、そうそういいですよーいーですよー!」

 

 石壁はそれから青葉に言われるままに基地のあっちこっちで写真を取られていた。途中から栗毛の畜舎までやってきて跨ってみたり、草原で馬に乗ってたたずんでみたりと写真集でも作るのかと言わんばかりの撮りまくりであった。

 

「あのさ……青葉?」

「はいはいー?」

 

 パシャパシャとたっくさん写真を取られ続ける石壁はいい加減疲れだしていた。

 

「そんなに大量の写真……どうするの?記事に使うにしても多すぎない?」

「いやですねー、こういう宣伝材料は取れる時にとっておかないと意味がないんですよ、記者の写真のストックは軍隊の砲弾の備蓄ですから」

「なるほど……?」

 

 石壁は栗毛に跨って青葉に言われるままにあっちいったりこっち向いたりしながら写真を提供し続けた。

 

「ブルルゥ……」

「よしよしありがとうね栗毛」

 

 石壁の言うままにあっちいったりこっちいったり優しく移動してくれた栗毛の頭を撫でる。

 

「うーん、やっぱり馬に乗ると絵になりますね、大戦前の軍人の写真みたいです」

 

 青葉はニコニコしながら取れた写真を確認している。

 

「ははは、大戦前ね。ならいっそカイゼル髭でも生やそうか?」

「いやー、似合わないでしょうそれは」

「だよなー」

 

 あははとわらいながら和やかに会話をする二人であった。

 

「いやあ、これだけ写真があれば大丈夫でしょう。ありがとうございます!提督!」

 

 とった写真を確認している上機嫌の青葉を見ていると、石壁はなんだか笑顔になってしまう。

 

「ならよかったよ……さて、僕はもう戻らないと」

「お手をお貸ししますよ。司令官、ひっくり返らない様に気を付けてくださいね」

 

 石壁が栗毛の背中から降りようとすると、青葉が手を貸して降りるのを手伝う。

 

「ありがとう青葉」

「いえいえ、これぐらいお安いものですよ!」

 

 青葉に手を借りて栗毛から降りた石壁は、畜舎へとむけて歩き出す。

 

「じゃあ僕は栗毛を畜舎に連れて行くから、例の件、よろしくね」

「はい!青葉におまかせ!」

 

 ビシッと敬礼した青葉に背をむけて、石壁は畜舎へと向かうのだった。

 

「しかし、新聞で仕返しか、うまくいくのかな……?」

 

 ぼそり、と石壁は呟きながら歩いて行った。

 

 ***

 

「……ふんふんふん♪」

 

 自室へと戻った青葉は、タイプライターをカタカタと叩いて記事を作る。

 

「ふふふ、ようやく……ようやく青葉の本領が発揮できますね」

 

 青葉はタイプライターを叩き続ける。

 

「青葉が、『仕返し』なんて生温い報復をすると思いますか?司令官」

 

 青葉は艦娘でありながら、記者としての能力を持つ、変わった艦である。

 

「ええ、ええ、もちろん嘘はついておりませんとも司令官……青葉は徹頭徹尾、司令官の為に記事を書いてますよ」

 

 誰に言うでもなく、独り言を続けている青葉の顔には、笑みが浮かんでいる。

 

「……ペンは剣よりも強し……情報を制する者が世界を制する……ふふ、ふ……」

 

 そこにいたのは一匹の狼、獣が牙を向くような笑みを浮かべた青葉が、己の牙(ペン)を走らせ続ける。

 

「飛び掛かるなら一足飛びに首筋に喰らい付かないと、狙った獲物はしとめられませんから」

 

 カタタンッ!と記事が完成する。『ソロモンの狼』が今、渾身の一撃を繰り出そうとしていた。

 

「青葉は司令官の味方ですからね。たとえ貴方に恨まれても、最後の最後まで、貴方のペン(剣)となりますから」

 

 そういってから、青葉は先ほど取った写真へと笑みを向ける。その瞬間だけ、いつもの朗らかな笑みへと戻る。

 

「ふふっ♪青葉、司令官の為に頑張っちゃいます♪」

 

 他の誰にもできない、彼女だけの戦いが始まる。

 

 

 

 




次が最後の幕間の予定です


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幕間 ヤシの木が一本だけ生えた無人島がソロモン諸島にあるんだって!


今回は頭空っぽにして読む話です



 青い空、白い雲、見渡す限りのエメラルドグリーンの海。そこはこの世の理想郷、素晴らしいパラダイス。

 

「……」

 

  ただ一つ難点を上げるとすれば。

 

「……」

 

  そこが小さな小さな無人島であるということであろうか。

 

「どこだここ」

 

 石壁は気がつくと、椰子の木が一本だけ生えた本当に小さな無人島にいた。

 

「しらないわよそんなこと」

 

 しかも南方棲戦鬼と二人っきりで。

 

「「……」」

 

((なんでー!?))ガビーン

 

「ちょっとまて!おま、おまえ死んだはずじゃ!?」

「知らないわよそんなこと!アンタにぶっ殺された辺りから記憶がないのよこっちも!」

 

 互いが互いに殺し殺された余りに殺伐とした関係の二人がどうしてこんな狭い島で二人っきりにならなければならないのであろうか。

 

「ぼ、僕を殺す気か!?」

「あれだけ真正面から盛大に負けたのに、こんな暗殺みたいな真似で復讐しても恥の上塗りじゃない!!」

 

 若干後ずさる石壁と、顔を顰める南方棲戦鬼。

 

「大体、アタシはあの時死んだのよ……死人に人が殺せるはずないでしょ」

「死人にそんな事言われてる段階で僕は気が狂いそうだよ」

 

「「……」」 

 

 しばらく睨み合った辺りで、アホくさくなった二人は腰を下ろした。

 

「はぁ、なによこれ」

「さあ、こんな椰子の木が一本生えた無人島なんて、漫画でしかしらないよ」

 

 ちなみに二人は知らないが、ソロモン諸島には椰子の木が一本生えた無人島が実在したりする。

 

「ということは……夢……かしら?艤装は出せないし、水に体も浮かないし」

 

 南方棲戦鬼がチャプチャプと足を水につけると、ズブズブと沈んでいく。

 

「夢……か」

 

 互いの顔をじっと見つめる二人。

 

「「なんでコイツと夢の中で二人きりなんだ(なのよ)」」

 

 綺麗にはもる。

 

「その言い草は無いんじゃない!?島ごと沈めてやるわよ!!」

「てめーにはいわれたくないやい!!というか島ごと沈んだらお前も沈むだろう馬鹿め!」

「キィー!?」

「コノヤロー!!」

 

 取っ組み合いの喧嘩をする二人。本来なら勝てるはずもないのだが、今の南方棲戦鬼の腕力は石壁と大差がなかった。

 

「隙あり!」

「ぐえっ!?」

 

 南方棲戦鬼のボディーブローが石壁に突き刺さる。

 

「はっはっはざまぁみなおごえええ!?」

 

 その直後に自分も腹を抱えてうずくまる南方棲戦鬼。

 

「な、なんで?」

「……あ」

 

 その姿をみて石壁ははっとする。

 

「な、なによ」

「い、いや……その」

 

 石壁の歯切れの悪い姿に南方棲戦鬼がキレる。

 

「はっきり言いなさい!」

「君の臓器を僕の体に移植したから、今君は自分の臓器をボディーブローしたんだとおもいます!」

「なるほど!そりゃ自分の臓器たたいたら痛いわよね!……は?」

 

 目が点になる南方棲戦鬼。

 

「え、ちょ、嘘でしょ?」

「全部ホントです」

「どこの世界にぶっ殺した深海棲艦の臓器を移植する馬鹿がいるのよ!というかあんた人間じゃない!百歩譲ってもそこは艦娘でしょう!?なんで私なのよ!!」

「オメーしか適合するドナーの死体が居なかったんだよバカヤロー!お前が遠慮なく僕の臓器ぶっ壊したからすぐ移植しないと死ぬところだったんだよ!!因果応報だ畜生め!!」

「高速修復剤あるんでしょ!?適当な艦娘からぶっこ抜いてすぐにバケツで再生させればよかったじゃない!!」

「それ言ったらおしまいだろうが!どんな猟奇殺人だ!」

「あんたのやり方も相当よばかー!!」

 

 取っ組み合いで大喧嘩を始める二人。しばらく殴り合った結果、石壁が南方棲戦鬼を殴った場合も、自分の内臓が痛む事に気がついて喧嘩は終わった。

 

「やめましょう……虚しすぎるわ」

「そうだね……」

 

 ***

 

 椰子の木の反対側にそれぞれ座り込む二人。互いを視界に入れないように木を背もたれにして海を見つめる。

 

「私は死んだ。それが間違いなくて、アンタが生きていることも間違いない……ということは、これはアンタの夢よねきっと」

「……そうなるのかな」

 

 南方棲戦鬼は、ぽつりぽつりと話し出す。

 

「夢の中のキャラクターにもそれぞれ人格があるものなのかしら?」

「さあ……少なくとも僕には、アンタには人格があるように見えるけど」

 

 奇妙な島で、奇妙な二人が、奇妙な会話を続ける。

 

「自分が誰か別の人間の見る夢や、想像の中でシミュレートされただけの存在だって言われたら、どうすればいいのかしらね」

「今この瞬間の自分たちは、物語の登場人物でしかなくて、本当はだれか別の人間が物語の主人公なんじゃないか……そんな風に考えちゃうと怖くなるからなあ」

 

 誰だってそんなメタ的な妄想をしたことがあるだろう。自己を確立する定義そのものが他者によって定義されたまやかしなんだと言われれば、その不安感は計り知れないものになる。南方棲戦鬼は、己は己であると訴えるように、己の体をそっと抱いた。

 

「どうせ夢に呼ぶならもうちょっと楽しい空間に呼びなさいよ。こんな無人島、寂しいじゃない」

 

 南方棲戦鬼は、なにもない海原を見つめながらそうつぶやく。

 

「夢の内容なんて、簡単にコントロールできるもんか。僕だってどうせ呼ぶなら鳳翔さんとか呼ぶよ」

 

 石壁も何もない海原を見つめながら応える。

 

「「……」」

 

 しばらく二人は無言で海を見つめていた。

 

「どうせこれは泡沫の夢……きっと目が覚めれば私は消えて、貴男は何も覚えていないでしょうし、すこしだけ言わせてよ」

 

 南方棲戦鬼はそういうと言葉を続ける。

 

「アンタは私を破った、最期は本体の居ない艤装と、あの軽空母一隻で真正面から私を打ち破った。この南方棲戦鬼を、貴男は破ったのよ」

「……」

 

 石壁は何も言わずに聞いている。

 

「だから、負けるんじゃないわよ。これから先どんな敵が相手でも、私というバケモノに勝ったんだから、そんじょそこらのバケモノなんかに負けないでよね」

「……ああ」

 

 石壁がそういうと、視界がぼやけ始める。

 

「あら、もう目覚めの時間かしらね」

「そうなのかな」

 

 世界が急速に形を失っていく。

 

「じゃあ頑張んなさい、ああところでお腹が減ったわね」

「このタイミングで!?」

 

 もう石壁が振り向いても何も見えない。

 

「良いじゃない、どうせ夢よ……」

 

 夢から覚める。世界が変わる。

 

「カレーライスが……食べたいわ……」

 

 言葉が聞こえたのはそこまでだった。

 

 

 ***

 

「ふわぁ……なんだろう……なんか変な夢を見た気がする」

 

 ベッドでボリボリと頭をかく石壁は、着替えを済ませて部屋をでていった。

 

 ***

 

「間宮さん」

「あら提督おはようございます。何が食べたいですか?」

「そうだなぁ……」

 

 石壁は暫し悩みながらお腹をさする。

 

「カレーライスが食べたいな」

 

 今日も石壁の内蔵は絶好調であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~おまけ 翌日の晩~

 

 

 

ヨウサイマスターイシカベ、今全てに終止符を打つ時!

 

 

石壁「喰らえ南方棲戦鬼!イヤーっ!」

 

南方棲戦鬼「グワーッ!?サヨナラ!」爆発四散

 

石壁「遂に南方棲戦鬼を倒したぞ!」

 

南方棲戦鬼B「南方棲戦鬼がやられたようね」

 

南方棲戦鬼C「石壁ごときにやられるとは」

 

南方棲戦鬼D「南方棲戦鬼の面汚しよ」

 

 

 

石壁「くらえー!イヤーッ!」

 

南方棲戦鬼BCD「「「グワーッ!?サヨナラ!」」」爆発四散

 

石壁「遂に鉄底海峡を奪還したぞ!」

 

南方棲戦鬼ZZ「よく来たな石壁!別に私は艦娘がいなくても倒せるぞ!」

 

石壁「僕の過去とか家族とか、内臓移植した事とか本土の政治問題とか色々と伏線があった気もしたけど、別にそんなことはなかったぜ!」

 

南方棲戦鬼ZZ「さあこい石壁ーー!」

 

石壁「いくぞおおおおおお!」

 

 

石壁の勇気が泊地を救うと信じて!ご愛読有難うございました!

 

 

***

 

 

「……ハッ」

 

 ガバっと上半身をベッドから起こす。

 

「……夢か」

 

 第二部、始まります☆

 

 





これで幕間も全て終わりです。


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第二部 プロローグ 遠い未来にて

 ここは石壁達が戦っている時代からみて、ずっと未来のとある学校の教室である。

 

 教卓に立つ若い男性教諭が教鞭をとっており、生徒たちは熱心にノートを取っていた。

 

 どうやら、歴史の授業の様である。

 

「さて、前回はショートランド泊地で石壁堅持提督が南方棲戦鬼を討伐した、という所だけ伝えて授業が終了したので、ここからはその歴史的意義や時代背景に触れていこう」

 

 そういいながら教諭は、パワーポイントを操作して画面に文字を浮かび上がらせていく。

 

「石壁提督が南方の泊地に送られたという事実は、こまかく分析すると当時の世相が非常によく見えてくるんだ。そこの君、そもそも何故石壁提督は南方の泊地にやってきたかわかるかい?」

 

 教諭の問いに丸刈りの男子生徒が元気よく答える。

 

「はい!南方で苦しむ海軍の仲間達を助けるためだと思います!」

 

「ぶっぶー、20点。映画の見すぎです」

 

「はうあ!?」

 

「彼の解答からわかる様に、一般的には『最初から石壁提督は南方の海軍や国家を救うために行動していた』という風に見られがちだけど、最近の研究では『派閥抗争に巻き込まれた結果無理やり送り込まれた』というのが通説です。当時の彼を知る人物の手記にこんな一説があります」

 

 画面に文章が浮かぶ。

 

『石壁提督は泊地就任のおり情けなくも泣きわめき大層嘆き悲しんだ。折にふれては本土に帰りたいコンビニに行きたい等々本土に未練たらたらぶうぶうと文句を垂れ、とてもではないが泊地の総司令長官として相応しい人物ではなく、彼に凡そ大望と呼べる志は存在しなかった。

 

 善良な小市民的価値観をもつ極めて朴訥とした彼にとって、泊地への左遷なぞ正しく驚天動地の事態であって、彼自身も付き従う我等もが何故この様な難事に挑まねばならぬのであろうかと当初は明日への不安を隠す事が出来なかった。

 

 彼は窮地に追い込まれて初めてその才能を開花させ、目の前の難事を打払うべく奮闘したものの、それは人として至極真っ当な生存本能と同胞への愛着故の奮起であって、古の英雄譚の様な、義憤にかられた勇士の志からの戦いではなかった。彼は徹頭徹尾自身の仲間たちの為に戦っていただけなのだ。

                    とある兵士の手記より抜粋』

 

「石壁提督は外から見れば南方棲戦鬼を討伐したことによって、当該地域の泊地や国家を救った英雄だけど、内から見れば彼は降りかかる火の粉を必死になって払っていただけなんだ。彼は派閥闘争に巻き込まれて無理やり南方の泊地へ『島流し』された被害者だったんだよ」

 

 教諭はそこまで言った後に、別の女生徒へ声をかける。

 

「君はこの派閥闘争に巻き込まれたという点から、当時のどんな様相が想像できる?」

 

「えっと……政治腐敗?が進んでいたのかな?」

 

「その通り。時代背景を含めて説明すると、当時の大日本帝国は深海棲艦との戦いを通して軍政下にあった。それによって軍部……特に海軍が異常なほど肥大化していたんだ。これは国家どころか人類世界存亡の危機であった当時においては必要な措置であったのは間違いない。だが、長期化する戦況の中で海軍上層部は大本営を完全に掌握し、内閣・議会・裁判所と癒着し、大本営をトップにして立法府と行政府と司法府を完全にコントロールしていたんだ……三権の上に軍部が存在するなんて君たちには想像できない話だろうけど、怖い話だと思うよね?」

 

 その言葉に、生徒たちがうんうんと頷く。

 

「これは専門的な話だけど、社会学においては国家を機械に例える事がある。その場合軍隊と警察は『暴力装置』と定義される。これは『国家によって統制された暴力』によって治安を維持する事を目的とした装置だね。内向きの暴力装置として治安維持をするのが警察、外むきの暴力装置として、国外の攻撃から国内を守るのが軍隊だね。この定義からいうと、当時の軍隊は国家の統制から外れている為暴力装置としての機能を損なっていた。これが腐敗の温床になったんだよ。これを見てほしい」

 

 画面に当時の国家予算の円グラフが表示される。その大半が軍事予算に費やされている。

 

「軍隊はその本質的に兎に角拡大・増強をしようとする特性がある。それ自体は自然なことだ。だれだって強い軍隊がたくさんほしいものだからね。だから国家がその上について軍隊を管理しないと軍隊は無尽蔵に膨らんでいくんだ。このグラフをみるとそのことがよーくわかるでしょう?」

 

 ちなみに、我々の世界の史実大日本帝国も実際に軍備(主に軍艦)に金を注ぎ込み過ぎて国家財政が破綻しかけた事がある。ワシントン海軍軍縮条約前後の軍事費を調べると国家予算に占める軍事費が5割超から3割以下へ低減した事からも笑えないぐらい海軍が金食い虫だった事実が見えてくる。

 

「こんな事態に陥った最大の原因が、大日本帝国憲法だ。この憲法は明治の発布以降一度も改定していない……いや、改定を許されなかったといった方が正しいかな。不耗の大典と化したこの憲法は発布から当時100年以上たっていたにも関わらず、一度も改定されていなかった。その結果、天皇大権を代行者として軍部が振り回すという悪夢のような状態が出来上がってしまったんだ」

 

 大日本帝国憲法は国家の頂上部に天皇が来るように設計されている。天皇大権という形で軍事をはじめ様々な事を決める権限が天皇には存在する。だが、実際に天皇がその大権を振るった事はほぼなく、政治にしろ軍事にしろ、基本的に全て誰かが代行するのが基本であった。憲法によって定められた、三権と軍部の上に存在しそれらを統制する『地位』が天皇であるにもかかわらず、実質的にその機能を有しておらず、統制ができなかったのだ。

 

 つまり、大日本帝国の実情と、それを運営する基盤となる憲法の間に、致命的な齟齬があったのである。

 

「この石壁提督が南方へ左遷された時が、大日本帝国という国家の歪みが最大化した時期だったといえるね。際限なく膨らむ軍部、広がる本土と外地の格差、長引く戦争による疲弊……大日本帝国は客観的にみてもう限界まで火種を抱えていたんだよ」

 

教諭はそういいながら画面を切り替える。

 

「時代が流血を求めるとき、自然と英雄は生まれる。石壁提督が英雄になったのはある意味で偶然であり、言い換えれば必然だったといえるかもしれないね。彼は南方棲戦鬼を討伐したこのころから、こう呼ばれるようになったんだ」

 

 教諭は一息おいて、言葉をつづけた。

 

 

「ソロモンの石壁、とね」

 

 

 

 



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第一話 もう何も怖くない

時系列の大雑把なあらすじ!

決戦

幕間のなんやかんや

第一部エピローグ

二部一話(いまここ)


 石壁たちが沿岸部を取り戻し、しっかりと鎮守府に着任した翌日、いつもの会議室に鎮守府の首脳部が集まっていた。

 

「では、これより今後の泊地運営についての会議を開始するであります」

 

 議長のあきつ丸がそういいながら机上の泊地近縁の海図を指さす。

 

「我々のショートランド泊地は南方棲戦鬼を討伐したことにより泊地を奪還。この近海における制海権を確保したであります。また、これに伴い南方海域全域において深海棲艦の行動の鈍化。戦力の低減がみてとれるであります」

 

 泊地の近縁、制海権を確保した領域を軽くなぞるあきつ丸。

 

「まだあの決戦から1週間程しか経っていない事から、深海棲艦側も相当混乱しているのでありましょう。奴らの反攻作戦が行われるのかはわかりませんが、今のうちに打てる手は打っておくべきでありましょう」

 

 そういいながらショートランド泊地から指を西へとずらしていくあきつ丸。

 

「ショートランド泊地は中央から見て一番東側の泊地であります。そこから順に西へブイン基地(跡地)、ラバウル基地、トラック泊地、パラオ泊地、タウイタウイ泊地、ブルネイ泊地、リンガ泊地と順々に並んでいるであります」

 

 オーストラリアに蓋をするように東西に並んだ泊地を準に指差していく。

 

 

「ほぼ東西に並んだ南方泊地群の一番東側にあるこの泊地は、深海棲艦の根拠地であると想定されているハワイからもっとも近い鎮守府であります。故にこれからここに敵戦力が集中することが想定されるであります……ここまではよろしいでありますか?」

 

 実際二ヶ月前に一晩で鎮守府が陥落(2コマ即落ち)した経験がある一同は、素直に頷く。

 

「よって我々は早急にこれに対処すべく対応策を練る必要があるであります。本日の議題は今後の基本方針を固める事であります」

 

 あきつ丸がそういうと、伊能が声を上げる。

 

「俺が推すのは拡大策だな、敵が混乱している今のうちに周辺海域を制圧し、敵の出鼻を挫くべきだろう」

「一利あるけど、下手に動けばそれこそ自滅しかねないでしょ。僕は鎮守府の要塞化、防衛作戦の見直しによる持久策を推したいかな」

 

 伊能の拡大策に石壁がまったをかける。

 

「しかし閉じこもっていれば状況が悪化する可能性が高いぞ?独ソ戦争の例からみても、圧倒的な戦力をもつ敵に対して守勢に回るのは禁物だ。猶予がある今のうちに叩いておかねば動きたくても動けなくなる」

「だからと言って動きすぎればそれこそ戦力が摩耗するだろ。太平洋戦争では空母機動部隊を酷使しすぎて最終的にミッドウェーで4隻揃って喪失したじゃないか。無理な拡大はそれを繰り返しかねないよ」

 

 第二次世界大戦において、初動の大攻勢でソ連をボコボコにしたナチスドイツは、最終的に攻めきれずに守勢に回り赤い津波に飲まれて消えた。

 

 大日本帝国海軍もまた、虎の子である空母機動部隊を太平洋の四方八方へ送りまくり、西はインド洋から東はハワイやミッドウェーまで縦横無尽に駆け回って最終的に纏めて沈ませた。

 

 どちらの言にも一定の説得力があった。動けるうちに動く。余裕のあるうちに護りを固める。性格の違いがモロにでた意見だった。

 

「そもそも現状の戦力はどんな状況なんだ?明石」

「はい」

 石壁がそういうと、明石が資料をもって話し始める。

 

「現状、要塞の攻防戦によって艦娘が数名轟沈しておりますが、それと同時に敵深海棲艦の残骸からサルベージした艦娘が数十名増えましたので、戦力的には大きく増大しております。ただし、練度という面では大きく不安が残っております」

 

 深海棲艦の死体から作り出されるドロップ艦は基本的に練度が初期値まで戻ってしまう。強い艦はそれでも強いが、いざという時に運命をわけるのは練度の高低であるので、低練度の艦を最前線に放り出すのは危険であった。

 

「また、これ以上の艦娘の増員は、石壁提督の『艦娘所持限界』から鑑みて難しいと言わざるをえません」

「正直言えばこれだけ艦娘を喚べたのが奇跡だと思ってる」

 

 『艦娘の所持限界』とは、一人の提督が維持できる艦娘の限界数の事だ。以前も話したが提督は己の魂に艦娘の魂を癒着させることで艦娘を現世に呼び出している。イメージ的にはバスケットボールの表面にピンポン玉を貼り付けていくような感じである。

 

 故に魂の大きさによって『癒着面』には限界があり、くっつけられる魂の限界数がその提督の艦娘の維持限界数になるのである。

 

「平均的な提督がせいぜい4艦隊、2,30名程度しか維持出来ないのに、石壁提督はなんだかんだで100名弱の艦娘を維持していますからね。これだけよべるのは一流の提督ぐらいですし胸を張っていいんじゃないですかね?」

「短期間でそれだけ修羅場をくぐったって考えるとちょっと複雑だけどね」

 

 明石の言葉に石壁が苦笑する。艦娘の維持限界は提督の経験と共に増大する傾向にあり、歴戦の提督であればあるほど、その維持数は多くなる。

 

 提督として成長すればするほど魂が大きくなるのであろう。というのが通説だが、俗称として『母港拡張』とよばれるこの現象はそうそうおこるものではなく。後方にいる提督ほど遅く、最前線の艦娘に座乗する提督ほど早くなるというのが今までの経験からわかっている。

 

 石壁は人類全体でみても最高レベルの最前線で、南方棲戦鬼と文字通り殴り合った稀有過ぎる経験の持ち主である。この馬鹿げた経験値が提督としての位階を大きく跳ね上げたのは間違いなかった。

 

「武装面に関しては、スクラップになった深海棲艦の武装を解析した事で大きく前進してますね。今までの積み重ねもあって戦艦砲、航空機の開発の目処が立ちました。時間とリソースを回していただければ開発完了は間近です」

「おお!」

 

 120ミリ砲(豆鉄砲)と3連装魚雷(産廃)しか作れなかった工廠が、今や戦艦砲と航空機まで作れそうになった。その感激もひとしおであった。

 

「おらが鎮守府(むら)にもようやく戦艦砲が……」

「どんな物騒な村ですかそれ」

 

 感激のあまり石壁がおどけてそういうと、鳳翔がおもわずクスリと笑いながらツッコム。しばし笑い声が会議室に響いた。

 

「ははは……話を戻そうか、艦娘の戦力は充分増えた、工廠の開発は順調。じゃあ陸軍の戦力はどうなっているんだ?あきつ丸」

「えっとであります」

 

 あきつ丸は資料をとりだす。

 

「陸軍妖精隊についてでありますが、先日の戦いで騎兵隊、戦車隊は文字通りの『全滅』、砲兵隊の兵数に関しては問題ないでありますが、海岸線の防御陣地はまだまだ未整備状態でありますので、実質的に戦力外になっているであります」

 

 本来南方戦線で陸軍妖精隊が活躍できることがおかしいといえばおかしいのだ。彼らが活躍できたのは石壁が要塞線に無数の砲台を設置し、そこに兵員として彼らを配置したからである。だが海岸線の泊地にそんなものはなく、彼らは現在戦力的価値を喪失していた。

 

「砲兵隊からは沿岸砲台を設置し、戦力を再配置してほしい。という意見が出ております」

「海岸線の要塞化、か。なるほど」

 

 あきつ丸の言葉に石壁が頷く。沿岸砲台とは文字通り海岸線の砲台陣地の事を指し、重要拠点に押し寄せる敵艦隊を撃退することを目的とした設備である。一般的に艦砲は陸上の砲より強力であり、その大きさも列車砲(約80cm)等の例外を除けば艦砲側が圧倒する。陸上を移動するなら砲の大きさにはどうしても限界が出るからだ。

 

 だが、移動を一切考えずに「固定砲台」として運用するなら話は変わる。砲台に戦艦の主砲等を取り付ければ砲弾の威力は互角である。また、艦砲と違い海の揺れなどに影響されないため、砲の口径が同じなら軍艦に優位に立つことも可能なのである。

 

 第二次世界大戦後は要塞そのものの衰退と共に消えていった設備だが、ショートランド泊地においては有力な設備であるといえるだろう。

 

「陸軍妖精隊は戦力喪失状態で、再戦力化するには一手間必要ってことか、ありがとうあきつ丸」

 

 石壁はそうってから間宮に向き直る。

 

「間宮さん、現状の兵站はどんな塩梅?」

「そうですね、元々物資には大きく余裕がありますし、私が持ってきている食料もまだまだ数ヶ月は持つでしょうから、当面の物資面の不安はないでしょう……ただ……」

 

 間宮は困ったような顔をして続ける。

 

「兵站は前線と補給拠点を『線』で繋がねばなりません。山岳部の要塞陣地から沿岸部まで補給線を繋げる必要があります。沿岸部に泊地運営の主軸を移すならこれは喫緊の課題であるといえるでしょう」

「あー……今の兵站本部、山岳部の要塞の一番奥だしなぁ……」

 

 一番重要な拠点故に要塞の一番奥に設置されたソレは、沿岸部からみて遠い彼方にあった。現状は妖精さんが必死に物資を運搬しているが、トロッコを伸ばすなりなんなりしないと早々に物資切れを起こしたりするのが目に見えていた。沿岸部にも物資生産プラントはあるが、要塞建設と艦隊運営の両方をやるならそれではどう考えても足りないだろう。

 

「ありがとう間宮さん、輸送ラインに関しては最優先で繋げるよ……情報部からは何かある?青葉」

「はい!ありますよぉ、提督!」

 

 そういって青葉が元気よく立ち上がる。

 

「現状、周辺海域における電波通信量はあの決戦の前まで戻っていますので、大規模な軍事作戦の兆候はみえません。ただし、『後方』の南方の各泊地では通信量が増大していますので、どうやらショートランド泊地が健在である事に気がついて混乱しているようですね。実際、ちょくちょく彩雲が飛んできて泊地を偵察しているようですので、『ワレアオバ、泊地ハ健在ナリ』とモールス信号を送っておきました。そろそろ何らかのアクションがあっても可笑しくはないです」

「え!?味方機がやってきているの!?」

 

 青葉の報告に石壁が驚く。

 

「ええ、なにせショートランド泊地の後背地は、航空隊で名高い『ラバウル基地』です。大勢の空母機動部隊を要した南方でも有数の巨大基地ですからね。偵察艦隊を近海まで送るくらい訳ないでしょう……現状は深海棲艦の罠を警戒してかまだ鎮守府には直接来てませんけど」

 

 ラバウル基地は太平洋戦争においても南方有数の巨大基地であった。史実においては轟沈した空母機動部隊の乗組員達が航空隊としてラバウル基地に再編されたこともあって、海軍との結びつきも高い基地である。その為かこの世界においてはラバウル基地の艦隊は空母を主力とした圧倒的な航空戦力を有しており、長年人類の最前線として深海棲艦と互角に戦ってきたのである。

 

「青葉としましては、この泊地との早期の接触、並びに協力体制の確立が必要じゃないかと思います。航空隊の援護があれば索敵も警戒も、もっと楽に、もっと沢山の情報があつまりますよ!」

「そうか……いままでずっと独力で戦ってきたから頭から抜けてたけど、『周辺の泊地と協力する』って一番単純でわかりやすい選択肢じゃん……」

 

 その発想はなかった、と石壁は目からウロコが落ちたような顔をしている。大本営という一番大きな友軍に見捨てられた石壁の頭からは『友軍艦隊』という存在が未実装だったのは仕方がない事だろうが、戦略的にみて後背地の友軍の助力に頼るのを忘れていたのは総司令官としては致命的である。

 

「ありがとう青葉、もう少しで致命的な間抜けを晒すところだったよ」

「いえいえ、喜んでいただけたなら青葉感激です!」

 

 石壁が素直に礼を言うと、青葉は心底嬉しそうに笑いながらそう応じた。

 

 ***

 

 数十分後。議論を尽くした一同は、今後の方針を決定した。

 

「では今後の各部署の方針としましては、工兵隊は沿岸部の要塞化による陸軍砲兵隊の再戦力化、山岳部からの補給線の延伸に傾注して沿岸の防御陣地を早急に機能させる。工廠では沿岸部に設置する戦艦砲の開発に優先して取り組む。兵站部は沿岸部における補給形態を研究し確立する。情報部は後背地の鎮守府との連絡を取次、協力体制の早急な確立を目指す。防御体制が確立するまでは伊能提督が近海に出没する敵艦隊を叩く事で敵を一時的に防ぐ。こんな所でありますかね」

「うん、異論はないよ」

 

 あきつ丸の言葉にその場の全員が頷く。

 

「それじゃ、大方針もきまったし、皆頑張ろう!作戦名は『鎮守府大躍進作戦』だ!これが成功すれば鎮守府の安定感は大幅に増大するぞ!がんばるぞー!」

「「「「おおー!」」」」 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「石壁提督大変です!ラバウル基地から協力を全面的に拒否されました!」

「ファッ!?」

 

 こうして鎮守府の再出発は一歩目から暗礁に乗り上げたのであった。

 

 

 

 



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第二話 私にいい考えがある

 海上を数隻の艦娘が航行していた。彼女たちは石壁の艦隊の面々であり、現在ショートランド泊地から一番近い海軍基地であるラバウル基地へと移動中である。

 

「まもるもせむるもくろがねの~♪うかべるしろぞたのみなる~♪」

 

 海をゆく石壁一行を先導する天龍が、気分良さそうに歌っている。海を進める事が本当に楽しいのだ。

 

「ごきげんねえ、天龍ちゃん」

「おう!やっぱり艦娘は海を走ってこそだよなぁ。気分も壮快だぜ!護衛に選んでくれてありがとな提督!」

 

 そういって、石壁の座上する鳳翔へ顔を向ける。

 

『ああうん、楽しんでくれてるなら嬉しいよ』

 

 石壁は天龍の言葉に若干苦笑する。

 

「しかし、初めての海上出撃が提督の護衛になるなんて思わなかったよね」

「重大任務ですよ姉さん」

「地道な地方巡業はアイドルの嗜みだよー★」

 

 川内達の言葉の通り、これが石壁にとって泊地にやってきて初めての海上への出撃であった。二ヶ月も経ってようやく初の出撃である。

 

 事の発端は昨日の事。ラバウル基地からの協力拒否の通信缶(手紙を入れて飛行機で投下される筒)が泊地に落下した事であった。

 

 ***

 

「どういうこと!?なんで拒否されたの!?」

「わかりません!『命令にない協力は一切御免こうむる、自力でやってね。どうしてもやらせたいなら大本営に頼んでね(意訳)』という内容がものすごく遠回しかつ丁寧に書いてあるんです!」

 

 そういって青葉が手渡した手紙は、無礼にならないようにものすごく丁寧かつ迂遠ながら、はっきりと『拒否させてもらう』という内容が記載してあった。

 

「確かに……ものすごく丁寧に拒否されてるぅ……」

 

 石壁は書簡を絶望した顔で読んでいる。

 

「と、とにかく真意を確かめないと。青葉は電報で『今からそちらに向かいます』って伝えて」

「はい!」

 

 青葉が部屋を飛び出すと同時に、石壁は即座に鎮守府の主力艦隊を呼び出して、出撃命令を下したのであった。

 

 

 ***

 

「しかし、一体なにが原因なのでしょうか……」

 

 鳳翔がそう呟くと、鈴谷が応じる。

 

「んー……多分だけど、相当根が深い問題がからんでるんじゃないかなぁ……」

 

 その言葉に石壁が応じる。

 

『根が深いって、例えばどんな?』

「政治問題、鈴谷が深海棲艦になる前から南方地方の泊地って本土に冷遇されてたし。その辺が絡んでるんじゃないかなぁ……」

『……勘弁してくれ』

 

 鈴谷の言葉に石壁の胃がキリキリと痛みだす。理不尽な政治問題の被害を被るのはもう沢山だ、というのが石壁の偽らざる本音であった。なにせ石壁がここに来た原因からして政治問題であったが故に、そんなイザコザはもうお腹いっぱいなのである。

 

「まあ、石壁提督なら大丈夫だよきっと」

「ははは……そうであって欲しいよ……」

 

 鈴谷の励ましに、石壁は乾いた笑みで応じたのであった。

 

 

 ***

 

 一方その頃ラバウル基地。

 

「ねえ聞いた?例のショートランド泊地の連中が今から来るんだって」

「図々しい、あんな要塞まで本土から用意してもらっているくせに、これ以上何を私達に求めるっていうのかしら?」

「きっと戦力だけ借りて、苦労は私たちに押し付けるのでしょう」

「忌々しい……」

 

 ラバウル基地の艦娘達は、これから来るという石壁たちの噂で悪い意味で持ち切りであった。

 

 普段はおおらかな艦娘達までピリピリとした不機嫌さを漂わせており、端的に言って空気は最悪であった。

 

 そんな空気の中大勢の艦娘が波止場に屯していると、水平線の向こうから艦隊がこちらへと向かってきているのが見えた。

 

「……きたね」

「……ええ、一体どんな人なんでしょうね」

 

 大勢の艦娘が波止場を包囲するように隊列を組むと、そこへと艦隊が上陸を始める。

 

 

 ***

 

 石壁はラバウル基地の波頭を目にした瞬間から、胃がキリキリと痛むのを実感していた。

 

「……もう帰りたい」

「提督、頑張ってください」

 

 石壁達がラバウル基地にたどり着くと、刺すような鋭い視線が四方八方から殺到したのだ。

 

 百名程の高練度の艦娘達が港にずらりと集合しており、その視線には敵意と殺気が溢れている。人の感情に敏感な石壁からすれば見えている地雷原に上陸しようとしているようなものであった。

 

 想像して欲しい、百名の艦娘から殺気を込めて睨まれる様を。美少女達に憎悪を込めて睨まれるのだ。その迫力は凄まじく、気の弱いものなら過呼吸を起こすこと受け合いである。

 

 石壁の肝は初陣を乗り越えて物理的にも比喩的にも太く頑丈になっているが、それはそれとして辛いものは辛かった。

 

『……やるしかないか』

 

 上陸が完了すると、鳳翔の艤装から同調を解除した石壁が飛び出した。

 

「うわっとと」

「提督、大丈夫ですか?」

 

 片目を失い平衡感覚に難のある石壁は、着地の際思わずふらついて鳳翔に支えられる。すると、その様をみたラバウル基地の艦娘達に困惑が走った。

 

(なにあれ、物凄い傷跡)

(ふらふらじゃない、大丈夫なのあれ?)

(鳳翔さん寄りかかられてなんか少し嬉しそうなんだけど何アレ)

 

 ヒソヒソと艦娘達が話し合う。どうせ本土のいけ好かない提督が出てくるんだろうと思っていたところに、ものすごく傷だらけで眼帯をしたフラフラの提督が出てきたのだ。見た目だけなら歴戦の提督だが、ふらつく貧弱な体躯は『半死半生の病人です』と言われたほうが納得出来そうな様子であったのである。それは混乱するだろう。

 

「や、やあ皆さんこんにちは、ショートランド泊地の総司令長官の石壁です。は、初めまして」

 

 石壁がなんとかひきつった笑顔を浮かべて挨拶をすると、益々場に困惑が広がった。どう対応したものか、という空気が蔓延する。

 

 艦娘は基本的に善人ばかりである。にくい敵が相手なら殺意も維持できようが、フラフラの病人を相手に殺気を向け続けられる様な者は少数派であった。

 

 どうみても半死半生の人間一人に対して、百人規模で殺気をぶつけていたのだという事実に、気不味いモノを感じた艦娘も多かった。

 

「え〜っと?その……?」

 

 反応が無いためどうしたものかと石壁が固まる。

 

(ど、どうすればいいの?)

(こんなの想定してませんよ?)

(誰かなんとかして……)

 

 なんとも言えない空気は、ラバウル基地司令の秘書官が迎えに来るまで続いたのであった。

 

 ***

 

(ん?こっちに向かってきているあの艦が秘書官の人かな?)

 

 それから数分後、波止場に秘書艦の人がやってくる事に気が付いた石壁は、とっさに鳳翔に耳打ちした。

 

(鳳翔さん、僕にいい考えがある。ここから先は僕一人で行くから、みんなは通された場所で待っていて)

(えっ!?だ、大丈夫なんですか提督!?明らかに我々は歓迎されていませんよ!?)

(大丈夫、問題ないよ。いくら敵意があるからって殺されはしないだろうし、向こうも僕一人の方が油断するだろう)

 

 石壁の正気を疑う言葉に鳳翔は食い下がるも、石壁はその考えを変える気はなかった。あんまりと言えばあんまりな歓迎から、石壁は本格的に自分たちが警戒されていることを察して、ラバウル基地司令の元に単身出向く事で警戒心を削ぎにかかったのである。石壁はこういう多少命がかかるかもしれない部分での肝の太さは、既に並みのモノではなかった。

 

(じゃあ僕は行くから)

(……本当に、気を付けてくださいね)

 

「ここからは僕一人でいいから、皆はラバウル基地の適当な場所で待たせてもらってね」

「「「「えっ!?」」」」

 

 その場に居た全員が驚愕の声を上げる。

 

 そういって杖をつきながらフラフラと一人で歩いていくその姿は、ショートランド泊地の面々どころかラバウル基地の面々すら大丈夫なのかと不安にさせたので、そういう意味では石壁の警戒心を削ぐという作戦は成功したと言ってもいいだろう。

 

(大丈夫なの鳳翔さん!?)

(提督を、信じましょう)

 

 鳳翔達は石壁を見送るしかなかった。

 

 ***

 

 石壁が秘書艦につれられて執務室にむかった後、石壁の艦隊の面々はラバウル基地の食堂に通された。ラバウル基地の食堂は、一階建てトタン張りの倉庫の様な佇まいで、よく言えば軍事拠点らしい、悪く言えば安っぽい作りの建物であった。万が一の防火の為に独立した建物になっているらしい。こういった建物が基地の各地に分散配置されているのである。

 

「大丈夫かしら……石壁提督」

「まあ、大丈夫でしょ。なんだかんだいって石壁提督根性あるし」

 

 龍田が心配そうに言うと、隣にいた鈴谷が軽い口調で応じる。だが、さっきから机をトントンと叩く指の動きが忙しなく、鈴谷も心配でしょうがないのが見て取れた。

 

 食堂に通されてもう結構な時間が立っているが、未だに石壁は戻ってこない。

 

 今のところ艦娘側の敵意もマシになっており、石壁の考えは正しかったと言えるだろう。だが、時間が経過して石壁の衝撃が抜けると共に、食堂の空気は悪化し始めていた。

 

 石壁の艦娘達は心配でピリピリし始め、ラバウル基地の面々はやっぱり納得できないという空気が蔓延していく。そしてついに、とある艦娘が口を開く。

 

「ふん、あんな姿みて心配もされないなんて。人望無いのね、アンタ達の提督」

「……あ?」

 

 繰り返すが、石壁の考えは正しかった。警戒心を削ぐという彼の作戦は成功したのだ。

 

 だが、今日この場に居たのが己の秘書艦を含めた石壁艦隊でも高練度の面々であったという時点で、石壁の作戦は大失敗であったのだ。

 

 突如として横から飛び込んできた看過できない言葉に、鈴谷はピクリと能面の様な表情を浮かべてそちらをむいた。

 

 そこにはオレンジ色と緑色の弓道服をきた艦娘がいた。

 

 先ほどの言葉をぶつけてきたのは、オレンジ色の服を来た、ショートヘアで意思の強そうな艦娘である。彼女は飛龍、大日本帝国海軍の二航戦の一隻である。かの人殺し多聞丸が座乗していた帝国海軍きっての武闘派の艦娘である。

 

「飛龍、言い過ぎですよ。事実だからって言ってもいいことと悪いことがありますよ」

 

 飛龍を諌めているようでまったく諌めていない、無礼な言い草を相方の艦娘が続ける。緑色の服で、黒髪をツインテイルに纏めた彼女の名は蒼龍。飛龍と同じ二航戦に所属する艦娘である。

 

「「「「「……」」」」」

 

 石壁の艦隊の面々は、二人の言葉を聞いて一様に黙り込んだ。石壁の顔を潰すまいと、怒りを押さえ込んでいるのだ。

 

 そう、彼女らも自分たちが置かれている状況がよろしくないというのは知っている。ここで反抗すれば、石壁提督に迷惑がかかると知っていたのだ。彼女達はそういう気づかいができる艦ばかりだ。

 

「おいテメェ!なんてこと言いやがる!そんな陰口恥ずかしいと思わねえのか!!」

 

 一人を除いて。

 

 空気を読まないというか、良くも悪くも素直な天龍が、真正面から飛龍に突っかかる。天龍からすれば圧倒的アウェーであるにも関わらず、まったく遠慮の無い反論に飛龍が鼻白む。

 

「な、なにようるさいわね!助けを請いに来たくせに生意気なのよ!礼儀知らず!」

「そうですよ!少しは遠慮したらどうですか!」

「礼儀知らずはどっちだ!?自分の提督をあんな風に言われて黙ってられるか!」

 

 飛龍からすれば石壁の有様に出鼻を挫かれ、苛立ちまぎれにちょっと突っかかってみただけだったのだが……売り言葉に買い言葉、一度始まってしまった罵り合いは止まることなく加熱していく。

 

「ふん、アンタ達の提督は部下の躾もできないのね!!まるで狂犬だわ」

「狂犬で結構だ!俺達の提督は女が腐った様な陰険な連中しか育てられないお前達の提督とは違うんだよ!主人の為に全力で噛み付いてやるよ!ワンワン!」

 

 飛龍が投げた喧嘩を天龍が全力で撃ち返した。おちょくる様に犬のなき真似をすると、飛龍達の目が怒りで釣り上がる。流れ弾(暴言の行き先)が自分達の提督にまで及んだせいでもう止まらない。導火線に火がついたのだ。

 

「本土でぬくぬく暮らしていた連中には言われたくないわよ!!というかアンタ達本土の提督はどいつもこいつも厚かましいのよ!!」

「どうせ本土から潤沢な支援をもらってるんでしょう!?その上力を貸せなんてふざけないでください!!あなた達の提督の無能をここに押し付けないでくださいよ!!」

 

「「「「「あ”ッ!?」」」」」

 

 そして遂に爆弾が起爆する。飛龍と蒼龍のその言葉が、石壁隷下の艦娘達の地雷を踏み抜いた。

 

「テメェ……言うに事欠いて俺達の提督が……『本土の力をかりてるだけの無能』だとぉ……!?お前らこそふざけてんじゃねえぞ!!」

 

 天龍が怒りのあまり怒鳴りつける。

 

「……あったま来た」

 

 目の座った鈴谷が艤装を展開する。

 

「……」

 

 鳳翔は微笑んだままだが、目が笑っていない。

 

「なによやる気!?いいわよやってやるわ!!」

「上等です、ボッコボコにしてやりますよ!皆!出てきてください!!」

 

 その言葉と共にゾロゾロとラバウル基地の艦娘が集まってくる。

 

「「……」」

 

 一触即発の空気の中、ピリピリとした緊張が場を包む。

 

 

 ***

 

 鎮守府の見張り台。

 

「えーっと、今日からお昼の合図はラッパと太鼓を鳴らすんでしたよね?」

「ええ、ラッパと半ドンを合わせた方が分かりやすいだろうとのことで」

「了解、じゃあいくよー」

 

 ***

 

 

<パパパパパウワードドン

 

 

 その瞬間、お昼を告げるラッパと太鼓が鎮守府に響いた。そしてそれが開戦を告げるゴングとなった。

 

「「「「「「ぶっ殺す!!」」」」」」

 

 数十名の艦娘が入り乱れての大乱闘が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~おまけ~

 

 

 

 やめて!ラバウルの協力拒否で、鎮守府再生計画を焼き払われたら、闇の手術で石壁と繋がってる南方棲戦鬼の胃袋でも燃え尽きちゃう!

 

 お願い、死なないで石壁!あんたが今ここで倒れたら、泊地の皆はどうなっちゃうの? チャンスはまだ残ってる。直談判に成功すれば、計画はまだ成功するんだから!

 

次回、「石壁死す」。デュエルスタンバイ!

 

 

 

 



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第三話 皆逃げろ!石壁司令官(の胃)が爆発する!

 執務室に一人で居た南雲は、眉間に皺を寄せてため息をつく。

 

「はぁ……一体何が起こっているというんだ……」

 

 南雲はどうしたものか、という顔をする。

 

「大本営側に問い合わせてもそんな要塞知らぬ存ぜぬしか言わん……二か月前から我々の索敵にも一切物資のやり取りは引っかかっていない……となれば、常識的に考えて、大本営に情報を秘匿されているのであろうが……今更になっての協力依頼とは……何が狙いだ?大本営は何がしたかったんだ……?」

 

 机の上に置いてあるショートランド泊地についての報告書を睨む南雲。泊地の存在が分かって以降、こうして情報を集めても全くと言っていいほど情報が集まらない。唯一分かったことは、泊地の総司令官が『石壁堅持』という男で、公式的には二か月前に戦死しているということだけ。

 

 常識的に考えるなら、この要塞は大本営が秘密裏に建築し、二か月以上の籠城に耐えうる備蓄を行い、秘密作戦として欺瞞情報を用意したうえで部隊を送り込んでいた。というのが一番しっくりくる推論だ。だが、そうなると大本営の目的がさっぱりわからない。

 

「独自作戦による南方での支配地拡大……いや、それなら南方の泊地も動員するだろう、秘密にする意味がない……一部勢力による独断専行……流石にそれは情報秘匿できないか、銃殺刑になるわ……となると……南方の泊地の密かな監視の為というのが一番有力なんだが……それなら協力申請をしてきた意味がさっぱりわからん……」

 

 南雲は手を尽くして情報を集めた。だが、集まった情報と、状況証拠と、目的の推察が一切かみ合わない。それが混乱を泊地へともたらしていた。

 

 連日会議を行って基地の提督たちと頭を突き合わせてみたが、どの推論もどこかでおかしな点が出てしまい破綻する。

 

 とにかく杜撰で意図が不明な大本営の情報の隠蔽という行動に、ラバウル基地の提督たちの不信感は極限まで高まっていた。それが提督たちから艦娘へと伝わり、泊地全体が不信感と反感を持ってしまっている。そんな折にやってきたのが先日の協力要請であった。

 

 ラバウル基地の提督たちが『今更何が要請だ!大本営に頼れ!』と怒りをぶちまけたのも仕方のないことであった。だが、相手が大本営直属の部隊であるなら、ストレートにそんな事を言えばどんな仕返しを受けるか分かったものではない。

 

 南雲は基地の総司令であるが、だからといって基地の提督たちの思いを無視する訳にはいかない。提督一人が反抗すればそれは即ち数十名から百名近い艦娘の離反へとつながる以上、基地内部の人間関係には殊更気を使っているのだ。

 

 その結果が、石壁の元へと届いた、えらく婉曲的ながら礼儀正しくしっかりと『協力要請を拒否する』、という手紙である。これは言い換えれば、大本営にしっかり話を通してそっち経由で話を持ってこいという南雲からすればギリギリの譲歩でもあったのである。大本営直属(だとラバウル基地から思われている)の秘密部隊であるなら当然そうすべきだし、南雲の行動は正しいと言える。

 

 そしてその手紙への返答が、『いますぐラバウル基地へ向かう』である。喧嘩を売られていると思ったモノも多かった。一体何をしに来るというのか、これでもまだ譲歩が足りないというのか、大本営に頼めっていってるだろ。そんな思いが、今までの大本営への憎悪と合わさって、基地全体に蔓延していたのである。石壁は正しく見えている地雷原に自分から突っ込んできたのだ。

 

「はあ……まあ、この石壁という男が何を考えているか、大本営が何をしたいのかは知らないが……来てしまう以上は会ってみるしかあるまい……ついでだ、色々と尋ねて情報が秘匿されている理由も探ってみようか……」   

 

 南雲がなんとかそう前向きに考えていると、執務室にノックの音が響いた。

 

「入り給え」

 

「失礼します」

 

 南雲が許可を出すと、とある女性が入室する。

 

 入室した彼女は、長い黒髪をサイドテールでまとめたキリッとした美人であった。だが、切れ長の目で感情が薄いその相貌は、ともすれば怜悧な印象を与えかねない程の圧を放っていた。

 

 彼女を形容するなら「氷のような」や「触れれば切れそうな」と形容されそうな美女である。

 

 彼女は加賀。誇り高き大日本帝国最強の一航戦である、正規空母の艦娘だ。

 

「南雲司令長官、ショートランド泊地の石壁総司令長官がお越しになりました」

「ああ、来たのかここに案内してくれ。加賀」

「……」

「加賀?」

 

 いつもなら打てば響く様に返す加賀が、南雲の言葉に反応しない。というか、何故か困惑をしている様だ。訝しんだ南雲が、加賀に言葉をかける。

 

「加賀、どうかしたのか」

「いえ、その……ショートランド泊地の総司令長官の方なのですが……その……」

 

 珍しく歯切れの悪い加賀に、南雲も何事だろうかと困惑する。

 

「彼は……本当に泊地の総司令長官なのでしょうか……?」

「は?」

 

 

 

 ***

 

「失礼します」

 

 数分後、南雲の執務室にやってきた石壁をみて、南雲も加賀の困惑の理由がわかった。

 

(……若い!確かに、これだけ若い基地の総司令長官なぞ、前代未聞だ。加賀も判断に困っただろう)

 

 この世界における基地の司令長官は、最低でも大佐、多くの場合少将以上の将官がつく仕事だ。

 

 艦娘の提督は新任時に少佐相当の階級をもつものとして扱われ、そこから少しづつ階級を上げていく。そのため旧軍時代に比べれば若い将官も多い。だが、そもそも大佐以上に昇る人間自体が本当に極僅かであり、出世街道にのったとしても大体の場合40代以上の人間がその地位に就くことになる。石壁の様な成人すらしていない基地司令長官など本来ならあり得ないのだ。 

 

 石壁は遠近感の不具合の為に若干ふらつきながら部屋に入ってくると、その様子には不釣り合いなほど力強くまっすぐと南雲に向き直った。

 

「お初にお目にかかります。ショートランド泊地の総司令官の石壁と申します」

 

 そういいながら敬礼をする石壁。石壁の若さに驚いたラバウル基地司令も、石壁にならって敬礼を返す。

 

「こちらこそはじめまして、ラバウル基地司令長官をしている南雲(なぐも)である」

 

 南雲は敬礼を解き、目の前の椅子へと手をむける。

 

「さて、ここでは私も君も同じ基地司令であるから、年こそ大きく違うがある程度砕けていただいて結構、そう硬くなられると情報交換もしにくかろう。さ、椅子にお掛けくだされ」

「ありがとうございます、ではお言葉に甘えて」

 

 若干ふらつきながら石壁が南雲の対面に座る。

 

「さて、石壁提督のご用向きはだいたいわかるが……先に色々とお伺いしても宜しいかな?」

「はい」

「ではまず基本的な所から」

 

 南雲はそういって手元の資料に目を落とす。

 

「大本営に確認もとったが、石壁提督は二か月前にショートランド泊地の総司令長官として赴任し、その後泊地が陥落して戦死した事になっている。だが、実際はずっとあの島で戦い続けて居た。これに相違はないのであろうか」

 

 南雲は冗談としか思えない手元の資料の内容を先に確認することにしたらしい。

 

「はい、泊地に赴任したその晩に深海棲艦達が襲い掛かってきまして……山岳部に撤退し、戦い続けておりました」

「航空写真であの戦いを撮影させてもらったが、あの様な大規模な要塞はどの記録を辿っても作成された記録などなかったのだが?」

 

 それが一番気になった点、いつの間にあんな要塞を作ったのか。最前線の泊地の総司令官である自分でさえ知らなかったのだ、その不信感はいかばかりか。

 

 南雲は笑顔で応対しながらも、石壁の一挙手一投足を見逃さない様に観察する。相手が嘘をついているかどうか、本当の事を言っているかどうかを見定めようとしているのだ。それぐらいの観察眼と腹芸ができねばこの基地の司令官など務まらない。

 

(大本営に問あわせた所で知らぬ存ぜぬを繰り返されるのみ、秘密主義も大概にしろよ。いったいどれだけ支援をうけてーー)

 

「ええ、頑張って作りました」

「は?」

 

 そしてその不信感は、予想外過ぎる言葉で霧散する。

 

「二ヶ月前に泊地が陥落してから、山の中に逃げこんで皆でゼロから作ったんです。あの要塞」

 

 南雲は石壁の言葉に「なにいってんだこいつ」という顔をする。

 

「あの規模の大要塞を?冗談であろう?」

 

「いえ、嘘ではありません。あきつ丸に座上していた陸軍妖精の皆さんと協力して本当にゼロから作ったんですよ。信じていただけないなら後で要塞建造の計画書から進捗状況の記録まで何から何まで全てお見せ致します」

 

 石壁はまったく気負いせずに真っ直ぐに南雲を見つめながら言った。南雲の鍛え抜かれた観察眼をもってしても、石壁が嘘を言っている様には見えなかった。

 

(冗談だろう?いや、でも……)

 

 南雲は困惑と混乱で若干顔を引きつらせながら、言葉を続ける。

 

「可能なら、見せていただきたい」

「では後で記録をお持ちしましょう」

「ありがとう、次の質問だが……ショートランド泊地には何名の提督がおったのだ?やはり、相当数の提督が立て篭もっておったのであろう?」

「二人ですね」

「……二人?」

「ええ、二人です」

「君を抜いて?」

「いいえ、僕を含めて」

「逃げ出したのか?」

「いえ、徹頭徹尾僕ともう一人だけでしたが」

 

「「……」」

 

 南雲が眩暈を堪える様に目元を軽く揉む。

 

「……艦娘は?」

「鳳翔さんと、明石と、間宮さんと、あきつ丸、あとまるゆが数十人です」

「まるゆ多くね?」

「提督、素が出ております」

 

 加賀の指摘に南雲は正気に戻る。

 

「あ、いや、大淀はどうした?」

「大本営所属の大淀は一度も泊地にやってきてませんね。初日に泊地へやってきた直後にブイン基地の連中が即座に撤退したことからも、最初から見捨てる予定で大淀の派遣予定がなかったんじゃないでしょうか」

「間宮と明石は派遣しておいてか……?そんな馬鹿な事があるのか、彼女達は戦略級の重要艦娘だぞ?」

 

 常識的に考えてありえない話に、訝しげな顔をする南雲。石壁は以前の鈴谷達と同じ反応に苦笑しながら続ける。

 

「彼女達は僕の初期艦達ですので、最初から一緒にいましたからね。大本営からの派遣ではないです」

「「……はっ?」」

 

 思わず目が点になる南雲と加賀。

 

「……間宮と明石が、君の初期艦?」

「厳密には鳳翔さんも含めた三名ですが」

「大本営は軽空母と給糧艦と工作艦を扱える提督を、最前線に置き去りにしたのか?」 

「はい」

「「……」」

 

 しばし沈黙が部屋を包む。目の前の提督が言っていることに一切嘘がないということがわかる南雲は、引きつった笑みで乾いた笑いを漏らした。

 

「はっはっはっは……大本営頭おかしいんじゃないか?」

「南雲提督、本音、本音」

 

 死んだ目をした南雲の危ない本音を、加賀が止める。大本営の頭のおかしさについては石壁も心底同意をしたかったが、曖昧に笑ってごまかす。

 

「戦闘中の写真をみるかぎり、複数名の艦娘を確認できるが。たった一日で艦娘建造の力を含んだ泊地機能を全て山に移せるとは思えないのだが」

「ええ、移せたのは、間宮由来の物資はそのまますべて、明石由来のドック機能、工廠の機能の一部のみです」

「一部というと具体的には?」

「12㎝単装砲、12.7cm連装砲、三連魚雷だけしか作れませんでした。途中で20cm連装砲は作れるようになりましたけど」

「……艦娘の建造は」

「まったくできませんでした」

「おお……もう……」

 

 言葉も出ないとばかりに、南雲の目がどんどん死んでいく。

 

「そんな状況で……どうやって艦娘を増やしたのかね?」

「ゲリラ戦で深海棲艦を暗殺して死体から作りました」

「え」

「具体的に言うと、落とされた泊地を根城にして南方棲戦鬼の艦隊が常駐していましたので、夜中に気付かれないよう忍び込んで少しずつ少しずつ敵を暗殺して死体を持ち帰ってました」

「なにそれ怖い、フ〇レデターみたい」

「提督、口調、あと隠せてません」

 

 その瞬間、思わず聞き逃したとんでもない単語に南雲がハッとしたように叫んだ。

 

「って、南方棲戦鬼だと!?そんなバケモノがあの戦場に居たのか!?」

「はい、南方海域の方面軍を率いて泊地に押し寄せた様です」

「あの恐ろしい深海棲艦の数も納得だ……南方棲戦鬼は深海棲艦の南方方面軍の最高司令官だと考えられている。よくも撃退できたものだ」

「ええ、奴を討ち取るのは本当に大変でした。冗談抜きで死にかけました」

「そりゃそうだろう。奴を討ち取るなんて生半可な戦力では……ん?討ち取る……討ち取るぅ!??」

 

 ギョッと目を見開いて南雲が顔を上げる。

 

「討ち取ったのか!?奴を!?南方棲戦鬼を!?」

 

 思わず立ち上がった南雲を誰が責められようか。南方棲戦鬼という存在は、ラバウル基地の総力をもってしてすら泊地を防衛するので精一杯になる程の、超弩級のバケモノなのである。長い間最前線で戦い続けてきた南雲たちにとってすれば怨敵中の怨敵、恐怖と畏怖の象徴であった。

 

 その南方棲戦鬼が、目の前の己の半分程の齢の提督に討伐されたというのだ。もう驚きすぎて取り繕う事すら出来なかった。

 

「ええ、討ち取りました。この傷は全部その時の戦いのものです」

「なんと……」

 

 石壁の凄惨すぎる体の傷跡が、戦いの激しさを物語っており、石壁の言葉に説得力をもたせていた。

 

(確かに……あの戦い以降、毎日の様にウチへ襲いかかってきた筈の深海棲艦の襲撃がぷっつり途絶えている……本当に南方棲戦鬼が討ち取られたというのか……この青年に……?)

 

 次々飛び出す衝撃的すぎる事態に、南雲の頭は沸騰していた。

 

「も、もっと詳しくおしえてくれないか?」

「はい」

 

 ***

 

 それからも出るわ出るわ、石壁達のあんまりにもあんまりな泊地運営の泥臭さと悲惨さ、それを跳ね返し続けてきたタフネスに過ぎる泊地の皆の話を一通り聞いた後、南雲は噛み締める様に呟いた。

 

「……苦労、したんだなあ」

「……はい」

 

 石壁の目の濁り具合が、彼の被ってきた苦労の度合いを雄弁に語っていた。南雲はあまりに不憫に思ったため、できるだけ石壁にやさしくしてあげようと心に誓った……が、その誓いは一瞬で破られる事になる。

 

 その瞬間、鎮守府にお昼のラッパが響いたのだ。

 

<パパパパパウワードドン

 

 それを聞いた南雲はもう少し親睦を深めようと、石壁を食事に誘おうとした。

 

「ああ、ちょうど昼飯時か……折角だし一緒に昼食でも……って、ん?」

 

 ラッパが鳴り響いた直後から、鎮守府の様子がおかしくなった。何やら怒号と騒音が響きだす。ただ事ではない事態が発生しているらしい

 

「な、何事だ?」

「まさか……敵襲?」

 

「南雲提督ーー!大変ですーー!!

 

 

 南雲と加賀がそう呟いた瞬間、部屋の扉がノックもなしに開かれ、赤城が飛び込んでくる。

 

「ど、どうした赤城?」

「ショートランド泊地の艦娘達と、ラバウル基地の艦娘達が大喧嘩を始めました!!食堂は大混乱です!!」

「「「ファッ!?」」」

 

 石壁、南雲、加賀の声が揃った。

 

 

 ***

 

「くたばれええ!!」

「こんちくしょおおお!!」

「痛っ!?顔はやめてよ顔は!!」

「そっちこそ髪ひっぱらないでよ!」

「ハッ!!」

「うわぁ!グエッ!?」

「ちょ!?この鳳翔さん強すぎ!?飛龍が投げられた!?」

「衛生兵ーーー!」

 

 なんということをしでかしてくれたのでしょう。あの和気あいあいとした食堂が一瞬で殺伐とした戦場へと早変わりしました。本気になった女性、それも艦娘同士の殴り合いの激しさは凄まじく、あっという間に食堂の窓は砕け散り、壁に穴があき、机と椅子が空中を飛び交う地獄絵図の出来上がりです。匠の腕がひかっておりますね。

 

 止めようとした周囲の艦娘も巻き込んで喧嘩の規模は時間と共に増大し、遂には100名近い艦娘が入り乱れての大喧嘩になる。もうだれが敵だか味方だかわからないその喧嘩の盛大さは、女三人よれば姦しいとかそんな次元ではない。

 

「いい加減にしろおおおおおおおおおお!!!」

「うわぁ!?」

「冷た!?」

「なに!?」

 

 その瞬間、食堂に模擬戦用のペイント弾の雨が降り注ぎ、轟音と共に建物が倒壊、全員が色とりどりのペンキまみれになってようやく喧嘩が止まった。

 

「貴様達揃いも揃って何をしている!?よその鎮守府の艦娘とこんな大喧嘩をして恥ずかしいと思わないのか!!提督達の顔を潰しているのは貴様達全員だ!!恥をしれ!!」

 

 長門の喝破と、ペンキの雨で頭が冷えた一同は、そこでようやく停止した。

 

「幸い風呂場は空いている!総員風呂に入ってそのペンキを落とせ!駆け足!!」

 

「「「「「……はい」」」」」 

 

 二つの泊地の面々が、全員意気消沈して風呂場へ向かう。後には崩壊した食堂を前に呆然とする石壁達だけが残された。

 

「……お、オゲェエエエエエエ!?」

 

「「!?」」

 

 目の前の惨劇に胃痛が限界値を超えた石壁が、胃酸を吐いて気絶する。さしもの南方棲戦鬼性の胃壁も、ストレス耐性だけはなかったらしい。

 

「い、医者!医者を早く!」

「はい!」

 

 かくして、石壁のお隣さんへの初訪問は、大惨事を引き起こしたのであった。

 



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第四話 大日本帝国の陰影

 医務室に運ばれた石壁の胃痙攣が収まった頃、南雲が石壁の見舞いにやってきた。

 

「落ち着いたかね?」

「……はい」

 

 医務室のベッドに寝ている石壁の側、南雲が椅子に腰掛けて話しかける。

 

「さて、この状況で君に伝えるのは酷ではあるが……『我々』は君に協力することが出来ない」

「……それはやはり、あの喧嘩が」

 

 石壁は先ほどの食堂の姿を思い返す。

 

「ああいや、それはさほど大きな理由ではない。喧嘩の理由を聞けばこちらの艦娘が突っかかったのが元々の原因であるらしいからな」

「……ではなぜ?」

 

 南雲は石壁の問いに、深く深くため息を吐く。

 

「君も嫌になるほど感じたと思うが、我々『南方の泊地』の人間や艦娘は本土の……もっと厳密に言えば大本営に近しい提督へ非常に強い憤りを感じている。控えめに言っても憎悪していると言っても差し支えないほどに、だ」

 

 石壁はラバウル基地へ辿り着いた時の艦娘達の殺意を思い出す。

 

「……確かに、あの視線に篭った怨念は相当のものでした……ですが何故、それほどまでに本土の提督を恨むのですか?」

 

 石壁の問に、南雲はしばし黙り込む。

 

「……君はつい最近まで本土の士官学校に居たと言ったね」

「はい」

 

 石壁が頷くと、南雲は続けた。

 

「では聞いたことはないか?『ブラック鎮守府』という単語を」

「『ブラック鎮守府』ですか?ええ、聞いたことはありますが」

 

 ブラック鎮守府、それはブラック企業の様に艦娘の命を顧みない非道な扱いが常態化した鎮守府を差す単語だ。

 

 休み無い遠征と出撃、疲労を度外視した艦娘の酷使、多数の轟沈を出してもなお変わらない酷い鎮守府は、軽蔑の感情を込めてこう呼ばれている。

 

「確か、戦線が南方へ拡大するうちに大本営の監視が及ばない鎮守府が増えていき、そういった鎮守府では人道に反する戦略が行われていた……と聞いています。多くの艦娘が使い捨てられて、死んでいったとか」

「……では、そういった鎮守府がどうして生まれたか、君は知っているか?」

「どうして……?いや、それは……必要以上に戦果を求めて……では?」

 

 石壁が困惑したようにそう言うと、南雲は拳を握りしめた。

 

「ああそうだ。必要以上に戦果を求めた結果、彼女たちは死んでいった。だが、それは彼女たちや、彼女達の提督がそう望んだからではないんだ」

「え?」

 

 南雲は憎悪の感情を滲ませながら、石壁に告げる。

 

「南方の泊地の多くが『ブラック鎮守府』となったのは、大本営が原因なんだ」

 

 石壁は、大日本帝国の暗部へと足を踏み入れたのだ。

 

「本土奪還作戦移行、大日本帝国は大勢の艦娘を活かして大規模な反攻作戦を繰り返し、破竹の勢いで海を取り戻していった。一丸となって、南方へと支配領域を拡大していった」

 

 滅亡寸前まで追い込まれたことで一枚岩となった大日本帝国の勢いは凄まじく、戦場はあっというまに東南アジアへと移った。

 

「だが、南方の資源地帯を確保したあたりで歯車が狂い出した。我々南方諸島の泊地が設営されて、一応人類側へと制海権が移った頃から、何かがおかしくなったんだ」

「……」

「はじめは小さなものだった。南方から本土へと資源を輸送しろ。輸送船を護衛しろ。そういった当たり前の命令だった。荒廃した本土を救うために、飢えに苦しむ民のために、物資を集め、本土へ輸送しろ。そういう命令だった」

 

 本土まで追い込まれた大日本帝国は、国土を焦土にかえながら必死に抵抗した。その結果取り返した国土は荒れ果てており、作物はなかなか育たず、工場も破壊されていた。故に大本営は大量の資源を求めた。食料を、鉱物を、希少資源を。何もかも足りない資源を、南方へと求めたのだ。

 

「だが、時間が経つにつれ、どんどん要求がエスカレートしていった。もっと多くの資源を、もっと多くの物資を、もっと送れ。もっと探せ。そういう命令が増えていった」

 

 工場が増える。街が再建される。経済が動き、人が増える。

 

 人はだれだって一度上げた生活レベルを落としたくはないものだ。例えそれがどれだけ当然の結果だとしても、生活レベルが落ちれば不平不満を抱くのが人という生き物だ。

 

「大本営は、当初は国民を慰撫するために資源を国民へと回した。だが、途中からそれは己の地位を保身するための賄賂へと姿を変えていったのだ。国民の生活のレベルを必要以上に高めつつ、それを維持するための負担を、我々南方の泊地へと押し付けたのだ」

 

 南方から輸送される資源に頼って拡大を始めた資本主義経済という魔物が、南方へと牙を向いたのだ。その性質上、資本主義経済は時間とともにどこまでも拡大を続けていく。破綻を起こして経済が弾ける瞬間まで、無尽蔵に膨らんでいくのだ。

 

「大量の命令を、それでも我々はなんとかこなそうと努力した。国民の為、苦しむ皆の為と、提督も艦娘も一丸となって戦い続けた。艦娘達は疲労が抜ける間もなく出撃と遠征を繰り返し、本土へ資源をピストン輸送し、押し寄せる深海棲艦を叩き返し、無茶な命令に応え続けた……そして、破綻した」

 

 南雲の目が淀む。煮えくり返る憎悪が、石壁には感じられた。

 

「南方棲戦鬼の艦隊が、当時最前線であったブイン基地へと押し寄せたのだ。数十名の提督と、それに付き従う大勢の艦娘が皆殺しにされ海に沈んだ。当然南方の泊地で協力して援軍を送ろうとした……だが、既に限界まで酷使されていた我々は、ほんの少しの援軍さえ満足に編成することが出来なかった……大本営に助けを求めた我々に、奴ら、なんて返したと思う?」

 

 南雲の奥歯がギシリと音を立てる。

 

「『援軍は出せない、自力で泊地を防衛せよ』それだけだ」

 

「……」

 

 石壁は、言葉が出なかった。

 

「それから我々は、ブイン基地が滅ぼされるまでの僅かな間に、なんとか防衛戦力を抽出してここラバウル基地へと結集した。それによってようやく、押し寄せる深海棲艦の津波を食い止めることに成功したのだ……だが、代償は余りに重く、大勢の提督と艦娘が犠牲となった……」

 

 最前線の泊地であったブイン基地の喪失によって反攻作戦を支えてきた歴戦の提督達が失われ、南方の泊地はその後受け身に回るのでいっぱいになったのである。

 

「我々が物資の本土への輸送どころか、泊地を護るので手一杯になった結果。当然ながら本土では物資の不足が起こり、大本営は国民から突き上げを食らった。物資はどうした、輸送はどうなった、と。そして大本営は、あろうことかその責任を、汚名を、すべて……すべて我々に押し付けたのだ!!」

 

 南雲は血を吐く様に言葉を続けた。

 

「南方の『ブラック鎮守府』による無計画な艦娘の酷使によって、作戦が破綻し輸送網が途切れたのだと、祖国のために犠牲になった者達を、祖国を苦しめた原因であるとして、奴らは、奴らはブイン基地の英雄達を、犯罪者へと塗り替えたのだ!!」

 

 歴史の中で白が黒に、黒が白に塗り替わるというのはよくあることだ。時の権力者が都合の良い様に事実を捻じ曲げた事例など、枚挙に暇がないのは周知の事実であろう。

 

 また、本来味方である筈の者達を貶めて、己達への風評を相対的に改善するというのも、よく行われている。

 

 史実において、大日本帝国時代の軍隊が悪しきものであるされているのは知っていると思うが、『悪しき軍隊』として描かれる大半が『帝国陸軍』であり、一方で『海軍善玉論』が根強いのは、陸軍が海軍のスケープゴートになってしまっているという側面が大きい。

 

 確かに帝国陸軍には多くの問題があった。だが、その根っこは海軍に予算を取られすぎてそのしわ寄せが陸軍に寄っていたという点も大きいのだ。海軍も擁護できないやらかしを無数にやっているにも関わらず、いつも悪役は陸軍だ。現実にこういう点で、背景を無視して一面だけで判断されている実例がある。

 

 大日本帝国は歴史的にみて相当酷い内ゲバ国家であった。外が安定すると途端に内側に敵を求めだすその度し難い性質は、本質的に村社会をそのまま拡大した国民性に由来する日本人の悪癖であった。

 

 陸軍が殆ど力を失い、海軍が肥大化したこの世界の大日本帝国では、この内ゲバが陸海軍間から、海軍内部の派閥構造へと変質したのだ。本土と外地で海軍が二つに割れているのである。

 

「以後も、我々は本土から過剰な物資の供出を求められ、常に限界ギリギリの所で鎮守府を運営している……その苦労に対する返礼として、本土の者達からは『泊地の運営すらできない無能』の烙印を押され、理不尽な罵倒を受けている。そんな状況で、本土に対して好意的な提督がいると君は思うか?」

「……いるわけが、ないですよね」

 

 石壁は南雲の言葉に同意するしか無い。そんな扱いを受ければ、あの視線に篭った殺意にも納得しかなかった。

 

「これが南方の泊地の現状なのだ。君からの要請はあくまで要請であって命令ではない。故に南方の泊地で君に協力しようとする者は基本的に居ないと思ってくれたほうがいい。だれが好き好んで本土の提督を手伝おうとするものか」

「……」

 

 石壁は言葉もなく俯いた。南雲の話を聞いて、支援が絶望的である理由が嫌になる程理解できた。

 

 しかし、そこまで張り詰めていた南雲の空気が、ふっと緩む。

 

「……だが、私個人としては、君に協力したいと思っている」

「……え?」

 

 石壁が驚いて顔を上げる。

 

「さっきも言ったよう、南方の泊地の本土の提督に対する心象は最悪の一言だ。私がいくら協力しようと訴えたところで黙殺されるのがオチだし、下手をすればこのラバウル基地が孤立しかねんから全面的な協力もできない……ここまではいいな?」

「はい」

 

「だから、君が他の本土の提督とは違うのだと、少しずつ周囲に知らせていこうと思う。ゆっくりにはなるが、君への心象を回復させ、同時に君を助けるのが南方の泊地全体のためになるのだと理解してもらう。時間はかかるが、これが一番確実だ」

 

 南雲の言葉を石壁は信じられない思いで聞いていた。絶対に協力してもらえないだろうと思っていたのに、南雲の言葉は実質的には協力の確約であったのだから、その驚きは大きかった。

 

「なぜ、協力してくれるのですか?」

「そうだな……君に同情したという心情的な点が一つ……君の泊地があれば私達の泊地がより安全になるという打算的な点が一つ……そして……」

 

 南雲はふっと悲しそうな、やるせない様な顔をした。

 

「ブイン基地の……私の友の仇である南方棲戦鬼を、君が討ってくれたから……かな」

「……!」

 

 南雲は石壁に頭を下げる。自信の半分程の年齢の青年に、南雲は頭を下げた。

 

「ありがとう、石壁提督……友の仇を討ってくれて、本当にありがとう。目の前に居たのに助けることが出来なかった私の無念を晴らしてくれて、ありがとう」

「……なるほど、それで」

 

 南雲の礼は、極めて個人的な感傷からくる感謝だった。それだけでは泊地を動かすには足りないが、南雲個人を動かすには、大きすぎる要因であったのだ。

 

「これは私の極めて個人的な感謝だ。だから私個人の出来る範囲で、君に協力する。これが私のできる精一杯だ。すまんな」

「……いえ、大きすぎるほどの協力です。こちらこそ、ありがとうございます。南雲提督」

 

 石壁がそう礼を言うと、南雲が手をだす。

 

「ではこれで我々は盟友だ。精一杯協力するから、どうか生き残ってくれ、石壁提督」

「はい、頑張ります、南雲提督」

 

 石壁ががっしりと南雲の手を取る。ここに、ラバウル基地との協力体制が限定的にではあるが結ばれたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~おまけ~

 

 

「所で医務官から聞いたのだが、君のレントゲン写真がなんかえらいことになっているって驚愕してたのだが」

「ああ、南方棲戦鬼と殴り合ったときに臓器が軒並み全部やられてしまいまして」

「ふんふんなるほど……は?殴り合った?」

「それで急遽ドナーを探したところ南方棲戦鬼の死体の臓器を移植することになったんですよ」

「え?ちょ、え?いやまって、聞き捨てならない情報しか出てこないんだが」

「いやー、まさか移植後の臓器が異常成長して体の中で変形するなんて思いませんでしたよアッハッハッハ」

「アッハッハッハじゃない!さっきはそんなの言ってなかっただろ!?」

「言っても信じてもらえないと思って黙ってました。盟友ならさっき言えなかったやばい情報も全部伝えてもいいですよね」

「まってくれ!まだあるのか!?」

「うちの泊地、敵から鹵獲した戦艦棲鬼がいるんですよ。なんか僕とラインが繋がってて艦娘と同じ状態なんですけど」

「ファッ!?」

「南方棲戦鬼討伐するときに彼女の艤装に乗り込んで殴り合ったんです。死ぬかと思いました」

「まってくれ!どこから突っ込めばいいんだ!?全体的に情報がヤバすぎて手に余るぞ!?」

「そうだと思ったから黙ってたんですよ。うまいこと誤魔化しの方よろしくお願いしますね、盟友」

「おお、ブッダよ、寝ているのですか……」

 

 こうして、南雲は知らない方が幸せだった情報を沢山手に入れたのだった。

 

 

 

 

 

 

 



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第五話 天衣無縫の龍



天衣無縫:詩歌などが、技巧をこらしたあともなく、いかにも自然で、しかも完全で美しいこと。また、天真爛漫(らんまん)の意。






 石壁が医務室で寝込んでいた頃、ラバウル基地の大浴場では大勢の艦娘がインクを洗い流していた。

 

「「「「…………」」」」

 

 普段であれば憩いの場である筈の風呂であるにも関わらず、痛いほどの沈黙と緊張が場を支配している。

 

((((き、気まずい……))))

 

 先ほど全力で殴り合ったせいもあって、どう対応して良いのか全員わからなくなっていたのだ。

 

(飛龍、なんとかしてくださいよ)

(無茶言わないでよ蒼龍、アンタだって煽ったんだからなんとかしてよ)

 

 事の発端である飛龍と蒼龍が互いに責任を押し付けあい。

 

(やっちゃった……どうしよう鳳翔さん)

(やってしまったものはもうどうしようもないですよ……鈴谷さん)

 

 石壁側は石壁側で、やらかし具合に凹んで何も言えなくなっていた。

 

((((ど、どうしようこれ))))

 

 その場の全員の想いが一つになった時、一人の艦娘が動いた。

 

「……やっぱこのままじゃいけねえな」

「天龍ちゃん?」

 

 その艦娘の名は天龍、さっきと同じように、誰も動けない中で一人彼女だけが動いた。ズカズカと体を洗っているある艦娘へと近寄っていく。

 

「おい!飛龍!蒼龍!」

 

「な、なによ!?」

「ま、まだやるき!?」

 

 名前を呼ばれた二人がビクリと反応する。

 

「……さっきは言いすぎた!ごめんなさい!」

 

 ガバッと、天龍は勢いよく頭を下げた。

 

「へ?」

「あ、あれ?」

 

 てっきりまた噛みつかれるのかと思った飛龍達は、その行動に面食らう。

 

「お前たちにもきっと怒る理由があったんだろ?だけど俺はそれを考えずに噛みつき過ぎた、本当にごめん」

 

 腰を曲げて深く深く頭を下げる天龍。その誠実で潔い姿に、総勢百人近い周囲の艦娘の目線が飛龍達へと集中した。

 

 飛龍達は慌てる。構図だけなら完全に天龍をいじめているみたいだったからだ。

 

「ちょ、なんか私達がいじめてるみたいじゃない!?頭あげてよ!?」

「許します!許しますから!お願いします勘弁して下さい!頭を上げて下さい!」

 

 謝られている側が謝っている側に許しを乞うという珍妙な姿に、誰かがプッと吹き出す。するといままで張り詰めっぱなしだった空気が緩んで、自然と笑い声が浴場に響きだした。

 

「私達も言いすぎて悪かったわよ!大人気なく突っかかったことは謝るから頭を上げて!」

「おあいこってことでもうやめましょう!?ね!?頭を上げて下さい!」

「……じゃあこれで手打ちって事でいいか?」

 

 天龍が頭をあげて、両手を出すと、飛龍と蒼龍はそれぞれ目の前の手を掴んだ。

 

「うん、これで手打ちね」

「ええ、それでお願いします」

 

 飛龍も蒼龍も、天龍の直球すぎる行動に毒気を抜かれて、苦笑しながら握手を交わしたのであった。

 

「あのさ……さっきはごめんね」

「こちらこそやり過ぎたわ」

 

「髪引っ張ってごめんなさい」

「ほっぺたつねっちゃって悪かったね」

 

「さっきはいいパンチだったな」

「そっちこそボディーブローが効いたぜ」

 

「いいおっぱいね」

「そっちは良い尻ね」

 

 天龍たちのやり取りを見ていた者達が、三々五々隣り合った艦娘や殴り合った者同士、謝りあい、認めあい、わだかまりを解消し始めたのであった。

 

 ラバウル基地では長く続く戦いへの精神的疲弊や、大本営への不満が充満しており、いつ爆発しても可笑しくなかった。その鬱憤が、今回石壁の艦隊との諍いで表面化し、殴り合いという形では合ったがある程度発散されたのだ。

 

 そうして鬱屈とした感情が吐き出された事で、己の行動を客観視出来るようになった結果。彼女達は極めて自然に、自身の行動の非を詫びることができたのである。

 

 艦娘はなんだかんだで人が良い善性のモノばかりだ。余計なしがらみさえ取っ払ってしまえばこうなるのは当たり前だったのだ。裸の付き合いって素晴らしいな。

 

「あのさ、天龍達はあの要塞でどんな戦いをしてきたの?」

「そうですね、さっきはあなた達が何をしてきたのか知らずにあんなことをいってしまいましたし、折角ですし教えてくれますか?」

「ん?なんだ?俺達の武勇伝が聞きたいのか?しかたねーなー」

 

 飛龍と蒼龍の問いに、天龍は上機嫌で話し始める。

 

「じゃあとことん教えてやるぜ!俺達と石壁提督が戦ってきた話をな!」

 

 大浴場に、天龍の声が響いた。

 

 ***

 

「初日に鎮守府陥落ってハードモードすぎない!?」

「要塞に立てこもってゲリラ戦!?」

「暗殺した死体から艦娘建造ってどこの部族よ!?」

 

 それから天龍達が語った要塞での日々に、皆が引き込まれていく。

 

 ***

 

 

「妖精さんの砲兵隊が主力って……」

「120ミリ砲だけでそこまで?」

「要塞での攻防戦っていつの時代の戦争よそれ、日露戦争?」

 

 大勢の艦娘が、驚いて、笑って、語り合う。

 

 ***

 

「そこで提督はこういったんだ、『望むと望まざるとにかかわらず、やらなきゃいけない時ってものがある。それが今、この瞬間なんだ!』ってな!それを言うや否や斜面を全速力で駆け出して南方棲戦鬼にガチンコを挑んだ提督のカッコよさは半端じゃなかったぜ!」

「そ、そんな命知らずな事をしたのあの人!?そりゃあんなボロボロになるわよ!」

「それで!?それでどうなったんですか!?」

 

 数十分が経過してなお、風呂場では天龍の語りが続いていた。

 

 風呂の人は減るどころか、途中から風呂に入りに来た人も天龍の語りに引き込まれてどんどん風呂場の人口密度が上がっていく。

 

「そこからはもう古の猛将もかくやの殴り合いだぜ。ただまあ普通なら勝てるわけがない戦いだ、当然石壁提督の艤装がどんどんボロボロになっていって……ついに南方棲戦鬼が石壁提督に止めを刺そうとしたその瞬間に……」

「「その瞬間に……?」」

 

「そこの鳳翔さんがさっそうと登場して石壁提督と南方棲戦鬼の間に割り込んだのさ!!」

「「「「えええええええ!?」」」」 

 

 全員の視線が鳳翔に集中する。

 

「あの化物の前に一人で!?」

「提督も提督だけど、この鳳翔さんも相当命知らずですね!?」

「鳳翔さんすごーい!」

 

 大勢の艦娘の視線が集中した鳳翔は苦笑する。

 

「あの時は、もうなんというか無我夢中でして」

 

 鳳翔が讃えられるのをみて石壁艦隊の面々が胸をはる。

 

「すごいんだぜ鳳翔さんは、なにせあの南方棲戦鬼を接近戦で投げ飛ばしたんだからな!すげー勢いで頭から岩盤に南方棲戦鬼を叩きつけたのを見た時は絶対鳳翔さんにだけは喧嘩売っちゃいけねーって思ったぜ!」

「叩きつけられた岩盤が砕け散って、頭から血をながしてたもんね〜南方棲戦鬼」

「ヒエッ……」

「飛龍……さっきはそうならなくてよかったね」

 

 さっきの乱闘時にぶん投げられた飛龍が自身の無事に感謝する。

 

「それからどうなったの!?」

「続きを教えて!」

「おう!それからなー」

 

 それからも天龍の語りは続いた、それはいつまでも終わること無く、雨が止み、地が固まってきたことをその場の者達に感じさせたのであった。

 

 余談だが、このあと風呂場に居た全員がのぼせて石壁の居る医務室に運び込まれることになる。南雲との対談が終わって一息ついていた二人の前に大勢の素っ裸の艦娘が運び込まれて色々と大変な事になったのだが、別にどうということはないので割愛する。

 

 なお、伝言ゲームで天龍が100人以上の艦娘を医務室送りにしたと聞いた石壁の胃はまた死んだ。

 

 

 ***

 

 

 風呂場の熱気が最高潮になっていた頃、潮目を感じた石壁の青葉が、ネタを感じて風呂場に取材にやってきたラバウル基地の青葉に声をかける。

 

「で、青葉に話ってなんですか?ショートランド泊地の青葉さん?」

 

 ラバウル基地の青葉が天龍達の語りをさらさらと防水仕様のメモに速記しながらそう問うと、ショートランド泊地の青葉が応じる。

 

「いえいえ、良いネタを探しに来た同業者に、お話がありましてね。ちょーっとお耳を拝借」

 

 石壁の青葉がいつもの天真爛漫とした笑みのまま、となりの青葉の耳元に囁く。

 

「……石壁提督の存在は、大本営にとって喉元に突きつけられた短剣なんですよ」

 

 ピタリ、と一瞬だけラバウルの青葉の速記が止まる。

 

「……へえ?」

 

 その反応に、石壁の青葉は笑みを一切崩さず続けた。

 

「その短剣、そのままアイツラの喉元に押し込んでやりたくありませんか……?私達の牙(ぺん)を使って……」

 

「……なるほど、なるほど」

 

 ラバウルの青葉は、手元のメモ、事前に集まっている不自然な情報、今の言葉、そういったモノを組み合わせて、脳内に石壁がどういう存在なのかを瞬時に組み上げていく。

 

「……いいですね、いいですねそれ」

 

 ラバウルの青葉が天真爛漫とした笑みを浮かべる。

 

「乗りましょう、その話。既に絵図は描いているんでしょう?」

「ええ、この作戦は速度が命、今この瞬間に貴方達『青葉』の力を借りられるなら、見事にやってのけてみせますよ」

 

 二人共笑みを一切崩さない、傍目から見れば朗らかに会話をしている様にしか見えない。雑然とした今の風呂場で、それに気を止めるものは誰もいない。

 

「作戦名は、『群狼作戦』……大勢の狼による一斉攻撃で、一切の容赦なく敵の喉笛を食い破ります」

 

 石壁の青葉は自身の提督の作戦より何倍もカッコいい作戦名を告げる。

 

「ペンは剣より強く、時として『権』すら押しのけるというのを見せてやりましょう」

「ええ、ええ、やってやりましょう」

 

 その言葉と共に、二人は手を握りあった。

 

(よし。これで万が一、石壁提督が関係修復に失敗してもなんとかなるでしょう……まあ、あの人たらしな提督が仲直りに失敗するとは思えませんけど)

 

 青葉は石壁の事を心から信頼しているが、それとは別として後の布石を討ったのである。

 

(青葉、提督のためにがんばっちゃいます)

 

 着々と、青葉の作戦は動き出していた。

 

 

~おまけ~

 

 医務室で隣り合って寝込んでいた飛龍達が天井を見つめながら会話する。

 

「……なんかさ、飛龍、蒼龍、天龍って字面だけだと同型艦みたいね」

「……そういえばそうですね」

「……龍田もいれてやってくれ」

「……天龍ちゃん、字面だと私はあわなんじゃない?」

 

 ガンガンズキズキと痛む頭をごまかすように、なんとなく会話をする一同。そんな折に、飛龍が何気なく問いかける。

 

「ところで、さっき南方棲戦鬼と石壁提督が殴り合ったって言ってたけど、誰に座上して殴り合ったの?」

「え?戦艦s「わあああああ!!わあああああ!!!扶桑さん!戦艦の扶桑さんですぅ!!」」

 

 飛龍の問いに天龍が危うくとんでもない爆弾を起爆させたが、青葉がインターセプトしてごまかす。

 

「ああ……そうなの、扶桑さんか……そうなんだ……」

「頭いたいです……そうなの扶桑さんなんだ……」

「んあ……?あれ?そうだっけ?」

「ええ、そんな気がするわ……」

 

 青葉の大声に頭痛が悪化した一同は、頭痛薬の効果で回らない頭で扶桑扶桑とうわ言の様に呟いている。それが部屋中に広まった事で、なんだかよくわからない内に石壁は扶桑に座上して南方棲戦鬼と殴り合った、とラバウル基地の面々には認識されたのであった。

 

(うっ……叫んだから頭いたいよう……後で石壁司令官に相談して情報統制の話しないと……)

 

 こうして、最悪の事態は青葉のファインプレーで防がれたのであった。

 

 




天衣無縫:「天衣」は天人・天女の着物。「無縫」は着物に縫い目のないこと。
→馬鹿には見えない服にも当然縫い目がない
 →もしかして天女って素っ裸だったんじゃ?(発想の飛躍)



【読者の皆様へご報告】12/9 15:00頃
作者の体調があまりよろしくないため、数日間投稿を停止します。


12/13追記
体調は戻ってきたのですが、頭が回らずここから数話分の話の調整に失敗しております。私事との兼ね合いもあり、再開は来週になりそうです。お待ち頂いている皆様にお詫びを申し上げます。


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第六話 ラバウル小唄

大変長らくお待たせいたしました。
更新を再開致します。

楽しんでいただければ幸いです。



 南雲との対談、食堂での大乱闘、風呂場の講談、最後は全員医務室送りと話題に事欠かない石壁達の行動は、あっという間にラバウル基地中に広がった。天龍達と拳で語り合った艦娘達や、風呂場に居合わせたモノ達が熱心に石壁の事を吹聴した事もあって、少なくともラバウル基地では石壁の心象は大幅に改善していたのは間違いなかった。

 

 こういった事情もあって、ラバウル基地を大混乱に陥れた石壁一行は一晩休んで明朝に泊地へと帰投することになった。既に日が傾いてきていた為、体調不良の中で夜間行軍は宜しくないだろうと南雲が判断したのだ。

 

 石壁は南雲の配慮に感謝しつつ、ショートランド泊地へとこのように打電させてもらった。

 

『会談成功、明朝カエル、輸送隊ハ予定通リ出立セヨ』

 

 石壁は現在深海棲艦の動きが鈍いことを見逃さずに、今のうちに本土からの物資輸送を目論んでいた。だが、南雲達の協力拒否があったために一旦輸送隊の出発を見合わせていたのである。それから会談の成功と共に出立できるように準備だけはしておいて、この場へやってきてたのだ。準備が無駄にならずに本当に良かったと石壁は胸をなでおろしたのであった。

 

 そして打電から暫く時間が経ち太陽が大分水平線へと近づいたころ、ショートランド泊地を出たあきつ丸以下数十名のまるゆ輸送隊がラバウル基地へとやってくる。石壁は胃薬の効果で少し楽になった体であきつ丸達を桟橋で迎えた。

 

「おーい、皆ー!」

 

 石壁が桟橋で手を振ると、それに気が付いた輸送隊が手を振り返す。数分後、桟橋にあきつ丸と大勢のまるゆが集まってきた。

 

「石壁提督お迎え頂き感謝するであります!まるゆ輸送隊、予定通り到着であります!」

「ありまーす!」

「提督ご無事ですかー!」

 

 あきつ丸の言葉に続いてまるゆが口々に言葉を続ける。

 

「うん、お疲れ様皆。ラバウル基地司令には話を通してあるから、休憩後に護送船団に混ざって本土へとむかってね」

「「「「はーい!」」」」

 

 まるゆ達は石壁の言葉に従って歩き出す。大勢のまるゆが歩いていく姿は中々に壮観で、目撃した艦娘達がギョッと目を見開いているのが印象的であった。その中の一隻に、あきつ丸が声をかける。

 

「まるゆ一番艦。皆の先導、くれぐれもよろしく頼むでありますよ」

「了解しました!」

 

 ビシっと、空気のゆるいまるゆ達の中で一番キビキビした動きのまるゆが応じる。彼女がまるゆ達の実質的リーダーであるらしかった。

 

「よし、これで本土から物資を持ってこれるね。良かった良かった」

「ええ、島で自活できない物資もなんとかなるでありましょう」

 

 まるゆは本来戦闘用の潜水艦ではなく『潜水もできる輸送船』である。なんと一隻当たり数十トンの物資を運べる彼女達、それが数十名も集まれば相当量の物資を輸送できるだろう。

 

 いままで山奥に閉じ込められていたせいでその輸送能力を活かすことは殆どできなかった。だがこうしてラバウル基地への航路が繋がった為、本土からの物資輸送任務に動員出来るようになったのである。

 

「あきつ丸も先導お疲れ様、明日の朝まで自由時間だからゆっくり休んでね」

「は!了解したであります!」

 

 石壁の言葉にビシっと敬礼を返したあきつ丸は、皆がいるであろう宿舎の方へと歩きだしたのであった。

 

「さて、せっかくだからよそ様の泊地がどんな感じなのか少し見せてもらおうかな」

 

 時刻は午後五時ごろ。日は傾いてきたとは言えまだ明るい道を、石壁は杖をついて歩き出したのであった。

 

 ***

 

「本日とれたての魚だよ!安いよ安いよ!」

「出来立ての砂糖だよー、甘くておいしいよー」

「内地からもってきた米だよ!古米ではあるがおいしいぞ!どうだい!」

 

「民間人も結構いるんだな」

 

 石壁はラバウル基地の外にある市街地区をぶらついていた。掘立小屋風のバラック小屋が立ち並ぶ市街地は全体的に雑然としていたが、商店街らしき一角では夕方の食材を購入する人々で活気があった。

 

 基本的に自給自足がメインになるラバウル基地では、こうして食料事態は割合豊富だ。南国の島国だけあって海の幸、山の幸、南国の果実等々、しっかり開発すれば食うものには困らない。

 

 だが、余剰分は大体全部大本営に吸い上げられて本土へ行ってしまう。その為皆カツカツの中でやりくりするか、生産量を誤魔化して差分をちょろまかしたりしてたくましく生きているらしかった。

 

 石壁は青果を扱っているらしい商店を見つけてのぞいてみると、店主らしいおっさんと目が合った。

 

「おや?見ない顔の兵隊さんだね、基地の新人さんかい?」

「まあ、そんなところかな」

 

 石壁の顔をみたおっさんが、少しだけ傷に驚く。

 

「あんちゃん、若いのに傷だらけだね。至近弾でももらったかい?」

「深海棲艦と殴り合ったら死にかけてね」

「はっはっは、なるほどそりゃすげえや」

 

 石壁が冗談めかして答えると、オッサンも笑って頷く。

 

「おっさんも昔は軍人だったんだが、膝に砲弾を受けてしまってな、ほれこの通り」

 

 オッサンがズボンの裾を引き上げると片膝から下が義足になっていた。

 

「あんちゃん死ななくてよかったなあ。生きてりゃいくらでもやり直せるから頑張んなよ、ほれ」

 

 気さくに笑いながらオッサンが小ぶりな林檎を投げてくるので、受け取る。

 

「そいつはオッサンからの祝いだよ、うまいから食ってきな」

「ありがとうおっちゃん」

 

 石壁はそういって林檎にかじりつく。久しぶりに食った果実の味は酸味が効いていて格別であった。

 

「うん、うん、うまい」

 

 がりがりと林檎をかじる石壁。小ぶりなモノであったのであっという間に果実は芯だけになった。

 

「良い食いっぷりだね、どうだいうまかったろ?土産に何個か買っていかないかい?」

 

 そう言いながら林檎の山を指さすオッサン。石壁は笑いながらゴミ箱に芯を放り込む。

 

「商売上手だなあ。確かにうまかったし、買って帰ろうかな」

「まいど!」

 

 石壁は財布から紙幣を何枚か取り出して置くと、50cm四方位の木箱を担ぐ。

 

「よっこいしょっと、これ一箱まるまるもらっていくね」

「あんちゃん、見かけによらずワイルドに買い物するね。部隊の仲間に配るのかい?」

「これでも部下が大勢いるもんでね」

「ありゃ、士官の人だったか?」

「将軍様かもしれないよ?」

「それはすごいな、また買いに来てくれよ!」

「次にいつ来られるかはわからないけどね。まあ近くに寄ったら買いに来るよ」

 

 石壁はそういって笑いながら、店を出ていった。

 

 ***

 

 石壁は木箱を肩に乗せて道を歩いていく。半分人間やめかけているおかげで荷物が軽い。

 

(いやあ、この体便利だなあ……もし提督クビになったら土方仕事でもやっていけそうだ)

 

 艦娘の下位・下位・下位互換とはいえ人間水準でいえば十分にチートスペックな石壁ぼでい。死ぬまで現役バリバリで土方仕事もできるだろう。

 

 しばし道を歩いていると、だんだん夕飯を作っている家庭も多くなっていき、市街地に料理の匂いが立ち込め始める。

 

 ふと足を止めた瞬間、行き交う家族の会話やキッチンにいるのであろう母子の会話が耳へと入ってくる。石壁はその温かな空気に、遠い昔に失った故郷への哀愁が胸から湧いてくるのを感じた。

 

「……家族、か」

 

 石壁はふっと笑って、ゆっくりと歩きだす。

 

「皆の所に帰ろう」

 

 石壁は己の仲間がまつ基地への帰路を歩く。

 

 ここにいる人の多くも故郷は既に無い。祖国からは半ば見捨てられ、遠く流れて人界万里のどんづまり、世界の果てのラバウルまでやってきて逞しく生きているのだ。人はかくも強く逞しい、その事を思うと石壁はまだまだ頑張れる様な気がした。

 

「さ〜らばラバウルよ〜、また来る日までは〜」

 

 石壁はラバウル小唄を口ずさみながらどんづまりの更にどんづまりまで一緒にやってきた仲間の元へと帰るのであった。

 

 ***

 

 医務室に戻ってきた石壁が室内に入ると、それに鳳翔が気づく。

 

「あ、石壁提督……なんですかその木箱」

「ん?林檎、市街地で買ってきたんだ……よいしょっと」

 

 木箱を床において箱を開けると、そこには赤い果実がみっちりと詰まっている。光を弾くその光沢は見るモノにその瑞々しさを感じさせた。

 

「あら、美味しそうですね」

 

 鳳翔は、それをみてにっこりとほほ笑む。二人の会話を聞いていた周囲の艦娘も、木箱へと目線をやる。

 

「お、提督。それもしかして見舞いか?」

「まあね、病室にいるときはこういうのが食べたくなるでしょ?」

 

 天龍の問いに答えながら、石壁は椅子に座って果物ナイフと林檎を一個手に掴むとスルリスルリと剥き始める。その動きに淀みはなく、人並み以上に手慣れていた。あっというまに一口サイズにカットされて皿へとモリモリと盛られる林檎に、プスリとつまようじが何本か刺される。

 

「よし、鈴谷、これ鉢を回して皆で食べてね」

「うわ、提督めっちゃ林檎の皮むくの早いね」

 

 あっというまに出来上がった林檎の盛り合わせを受け取った鈴谷が、驚いて目を見開く。

 

「あはは。実家が小料理屋でさ、小さいころからこういうモノは沢山作ってきたからね」

 

 そういいながらも、次の皿へと林檎を切って盛り始める石壁。

 

「へえ、女子力高いね提督……うん、おいしい」

 

 隣へと皿を回してから林檎を一切れ食べてほほ笑む鈴谷。

 

「それ男への褒め言葉としては微妙だよなあ」

 

 石壁は苦笑しながら次の皿にりんごを満載すると、今度はラバウル基地の面々へと皿を渡す。

 

「皆さんもどうぞ」

「……」

 

 飛龍は皿を受け取ると、少し黙り込んでしまう。

 

「……あの、さっきはごめんなさい。港で睨みつけちゃって」

 

 ペコリと頭を下げて飛龍が謝ると、その場に居た他のラバウル基地の艦娘達も口々に詫びの言葉を告げていく。

 

「ああ、さっきの港での話ね、そちらの事情は南雲提督から聞いているから気にしないでください」

 

 石壁は若干苦笑しながらそう言って、頬をかいた。

 

「……ありがとう、林檎、いただくわね」

 

 飛龍は石壁にお礼を言って、林檎にかじりついたのであった。

 

(……ふう、どうやら互いに遺恨なくいけそうでよかった)

 

 石壁はラバウル基地の艦娘達が自身の艦隊の面々と楽しそうに語り合っているのを見て、そう思った。それからみんなを見回して、ある違和感に気が付いた。

 

「あれ?青葉は?」

 

 医務室に青葉が居ない事に気が付いた石壁は、そう鳳翔に問う。

 

「先ほど風に当たりたいとおっしゃられて外にいかれましたよ?」

 

 鳳翔はもごもごと動く口元を手で隠しながら林檎をのみ込んでから、そう答えた。

 

「風に当たりたい、ね」

 

 石壁は黄昏て暗くなる外を見つめながら、そう呟いたのであった。

 

 ***

 

 その頃青葉は、基地のとあるベンチへと腰かけて、暗くなって星が見え始めた空を眺めていた。

 

「……」

 

 しばしそうやって赤と黒が混じった空を見ていると、見覚えのある艦娘がやってきてベンチの隣へと座った。

 

「……ふう、無事に移送任務が完了してよかったであります」

「お疲れ様です、事前の打ち合わせ通りの人員は乗っておりますよね?あきつ丸さん」

「ええ、ご依頼通りの人員を用意しましたよ、青葉殿」

 

 隣に座ったのは、同じ泊地のあきつ丸であった。

 

 彼女は青葉の問いに答えながら背嚢から水筒を取り出すと、中身を飲む。

 

「ふう、しかしあれでありますなあ」

 

 あきつ丸はふふっと笑いながら、懐からハンカチを取り出す。

 

「自分もそれなりに長く艦娘をやっているでありますが、同じ艦娘から『中野学校』の卒業生を貸せなんて初めて言われたでありますよ」

 

 口元を拭いながらそういうあきつ丸、遠くから唇の動きを読まれない様にするための欺瞞工作であった。

 

「青葉殿、伊能提督からの伝言です。『思う存分やれ、責任は俺が持つ』との事です。伊能提督の戦友達、憲兵司令部、陸軍省、中野学校への紹介状も既に持たせてあります。我々陸軍妖精隊の虎の子、中野学校の卒業生達100名、うまく使うでありますよ」

「……ありがとうございます」

 

 あきつ丸は口元からハンカチを外すと、ポケットにしまって立ち上がる。

 

「それでは、自分は休ませてもらうであります。また後で、青葉殿」

「はーい、お疲れ様でーす」

 

 歩き去るあきつ丸を、青葉はひらひらと手を振って見送る。

 

「……ようやく手札が揃いました」

 

 暗くなってきた空を見上げて、そうつぶやく。

 

「さあ、ド派手な反撃の狼煙を上げてやろうじゃないですか」

 

 青葉は一人、笑みを深くする。暗闇に潜む狼が牙を剥くように、鋭く、獰猛な笑みで水平線に沈む太陽を見つめる。

 

「細工は流々仕上げを御覧じろ……なんてね」

 

 その瞬間、汽笛が鳴り響く。まるゆ隊が同道する護送船団が出航するのだ。彼女達が本土に到着すれば、事態は動く。青葉の策が動き出すのだ。

  

「群狼作戦、開始です」

 

 遂に、狼達が動く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




【読者の皆様へのご連絡】12月20日

まずは続きが遅くなったことにお詫び申し上げます。

作者のリアル事情に変化が出てきたため、今までの様に毎日投下が厳しい状況になっております。

その為、ここから投下ペースを日刊から隔日へと変更致します。

今後もこういう事態が発生するかと思われますが、ご了承いただければ幸いです。

これからも拙作をよろしくお願いいたします。


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第七話 踊る大(情報)操作戦


一昨日の作者
「隔日投稿で余裕もできるし5000文字は少し少ないかな、もうちょっと足そう」

昨晩の作者
「よし!1万文字超えたぜ!……あれ?」( ゚Д゚)?




 ここはラバウル基地の男性用大浴場、現在大勢の男性職員や提督たちが風呂に入って寛いでおり、その中には石壁も混ざっている。

 

「ああぁぁぁ~……」 

 

 普段のドラム缶風呂と違って足を延ばしてゆったり入れる風呂の気持よさに、石壁はつい声を出してしまう。

 

「はぁ~~……気持ちいい……」

 

 石壁がそうやって湯舟でとろけていると、湯舟にほかの男性が入ってくる。

 

「お隣に失礼」

「あ、どうぞどうぞ」

 

 石壁の隣に入ってきた男性が、石壁の体の傷を見て驚いたような顔をする。

 

「おや?初めてみる人ですね……その傷、もしや石壁提督ですか?」

 

 二十代後半の人の好さそうな男性が声をかけてくる。

 

「あ、はい。僕が石壁です」

「ああ、やはり」

 

 そういってから、男性は申し訳なさそうな顔をして続ける。

 

「申し遅れました、自分は飯田中佐。石壁提督の艦隊と問題を起こした飛龍と蒼龍の提督です」

「ああ、なるほど。彼女たちの提督さんですか」

 

 石壁が納得したという顔をすると、飯田提督は湯舟の中で頭を下げた。

 

「話を聞けばこちらから無礼を働いたとの事……後で二人にも言い聞かせておきますので、どうかお許しいただけませんでしょうか」

「ああ、あの……大丈夫ですので頭を上げてください」

 

 真っすぐに詫びるその姿勢に、むしろ石壁が恐縮してしまう。

 

(すごく真っすぐな人だな……彼女達に慕われているのもよくわかる)

 

 石壁は飯田提督の人間性がとても良い事を察して、飛龍達がすごく彼を慕っているのだろうなというのがわかった。

 

「彼女達の事情はわかっておりますし、先ほど当人から直接謝罪もうけました。私も部下達も気にしていませんので、どうか頭を上げてください」

「……ありがとうございます」

 

 飯田提督はそういって頭をあげた。

 

 ***

 

 しばし隣り合って湯舟につかっていると、ポツリ、と飯田提督が声を出す。

 

「……石壁提督は、少し前まで本土に居られたのですよね」

「そうですね、二か月前に士官学校を卒業してすぐにこっちへ来ました」

 

 飯田の問いに石壁が答える。

 

「今の本土は、賑わっておりますか?自分はもう何年も戻っておりませんが、数年前はまだまだボロボロでした。自分は復興のする前の姿しかしらないのです」

 

 飯田がそう寂しげに言うと、石壁は本土の状況を思い出して語りだす。

 

「ええ、何もかも昔に戻った。というわけではありませんが……本土はもう十分に復興しておりますよ。帝都にはまた高いビルが建ち、物流が活発になり、モノの不足で喘ぐ人はいませんでした」

 

 ここ数年で、焦土となった本土は大きく復興していた。石壁は士官学校に通いながらその復興をずっと見てきたのだ。

 

「本当によく復興したと思います。冬にしっかりとストーブがつく様になり、電気が年中止まることもなくなり、医療物資が足りる様になって子供や老人が風邪で死ぬような事がなくなりましたから……復興前、本土決戦中は施設にいましたけど、あの頃の冬は本当につらかったです」

 

 海運が全て断たれ、本土で必死に抵抗していた頃は、当然ながらあらゆる物資が足りなかった。石壁を始めとした戦災孤児達に回せる物資など、殆どなかったのだ。

 

「士官学校に入ってからも時々施設に顔をだしていましたが、年を経る事に孤児の皆の生活環境が回復していきました。こういう所にしっかりモノが回る様になったのも、復興の賜物だと僕は思います」

「……そうですか」

 

 飯田は、石壁の言葉にほっとした様に息を吐く。それから、少し複雑そうな顔をして飯田が言葉を紡いでいく。

 

「……もうご存知かと思いますが、我々南方の泊地の者達は相当本土に対して憤りを覚えています。あらゆる物資が持っていかれて、無茶な仕事を押し付けられて、塗炭の苦しみを味わいましたから」

 

 石壁は飯田の言葉を黙ってい聞いている。

 

「ですが、我々の戦いや苦しみによって救われた人も大勢いる。そして我々が戦う事をやめれば、ようやく復興した祖国はまた荒廃していく……皆そのことを知っておりますから、やり場のない怒りを抱えているんです」

 

 南方全体が大本営に対して憎悪の念を抱きつつもギリギリの所で暴発していないのは、こういう強い理性をもった優しい提督達が多いからだ。艦娘も、提督も、根本的な所で人が善いのだ。自分たちが暴発すればどれだけ多くの人が苦しむかを知っているから、彼等はこの地獄で耐え続けているのだ。飛龍達はそんな提督の姿をずっと見つめてきたからこそ、あれだけ石壁たちに反発していたのである。

 

「自分たちの苦しみの上に成り立つ繁栄を、我々は受け入れられません。そして、簡単に否定することも出来ないのです。我々は人であって軍人であり、南方の民であると同時に大日本帝国の民でもありますから……」

 

 飯田は困ったような笑みを浮かべてそう言った。相反する感情の狭間で、彼等もまた苦しんでいるのだ。

 

「石壁提督はこれから南方全体に大きく関わっていくでしょう。自分が今言った事は、皆心の中に少なからず持っている思いです。彼らと接していく上で心の隅に置いておいていただければ幸いです」

 

 飯田は、石壁がこれから接していく南方の人間が抱く複雑な思いを教えてくれたのだ。これは石壁がこれから苦労する事を見越して、少しでも相互不理解による摩擦を軽減してあげようという飯田の思いやりであった。

 

「……わかりました。教えていただいてありがとうございます」

 

 石壁が素直に礼を言うと、飯田はもう一度頭を下げてから風呂を出ていった。

 

「……ふう」

 

 石壁は、天井を見上げる。立ち上る湯気が天井に近づいて消えていくのを見て、この複雑な状況もこんな風に消えてしまえば楽なのにな、と石壁は思ったのであった。

 

 ***

 

 ラバウル基地に一泊した翌朝。昨日と同じ波止場に、昨日と同じ……いや、それ以上に多くの艦娘が駆けつけたのであった。彼らの顔は昨日とは打って変わって、敵意ではなく好意的な視線が多く、青あざを作ったモノも複数居たが、皆笑顔であった。

 

 昨日仲良くなったのか、そこかしこで石壁の艦娘とラバウル基地の艦娘が語り合っていた。

 

 そして出航の時間がやってくる。

 

 

「ばいばい天龍、元気でねー」

「体に気をつけてくださいねー」

「おう、そっちも元気でなー」

 

 飛龍と蒼龍が手を振ると、天龍も元気良く手を振り返す。

 

 石壁は座乗する鳳翔の中でその姿をホッとしたように眺めながら、声を張り上げる。

 

『総員出航!これよりショートランド泊地へと帰投する!』

「「「「了解!!」」」」

 

 石壁の号令が響くと、艦隊が出航していく。すると、今度は見送る南雲の声が響いた。

 

「総員石壁提督へ敬礼!」

 

 南雲の号令の下、海辺に居た全員が石壁たちへと敬礼を送る。南雲達は石壁が水平線に消えるまでじっとその姿を見守ったのであった。

 

 ***

 

 石壁はラバウル基地が見えなくなったあたりで、ホッとしたような息を吐く。

 

『ふぅ……本当に……本当に『色々』あったけど、なんとかなってよかった……』

 

 石壁のその言葉に、艦隊の面々が苦笑する。

 

「あはは、本当にごめんね提督、食堂で大喧嘩しちゃって」

 

 鈴谷がそう石壁に詫びると、艦隊の面々が口々に石壁へと詫びを入れ始めた。

 

「いいよいいよ。詳しく話を聞けば先に喧嘩を売ったのは向こう側だったらしいし。現にあの飛龍さんの提督もあやまってくれた。結果的にみればあの喧嘩が和解のきっかけにもなったみたいだしね」

 

 まさしく雨降って地固まるを地で行く結果に、石壁も艦隊の面々も心底ホッとしていた。危うく纏まりかけた協力体制ごと石壁と南方棲戦鬼の胃腸が粉砕される所であった。

 

『でも、出来た人だったなあ。ラバウル基地の南雲司令官。同じ基地司令とはいえ、彼は中将で、年齢も倍近く違うのに、『大佐』の僕に対しても礼を尽くす姿勢を忘れないなんて』

「やはり苦労をされている分人間的に磨かれているのでしょうか」

 

 石壁の独白に、鳳翔が応じる。因みに、石壁は泊地着任時は大佐であった。本来なら艦娘の提督は少佐から始まるのだが、石壁はショートランド泊地の総司令官になる段階で、最低限基地司令として働ける大佐まで二階級昇進したのである。大本営はそこまでしてショートランド泊地へと送り込み、何としてでも殺そうとしたのだ。

 

「石壁提督もかなり苦労人だし、似た物同士なのかもねー」

 

 鈴谷が隣を走りながらそういうと、艦隊全体に同意するような空気が流れた。

 

「似たような立場のお二人ですし、友達になれたんじゃないですか?」

『まあ、仲良くはなれたかな?友達っていっていいのかは少し微妙な感じもするけど』

 

 青葉の言葉に石壁は苦笑する。

 

 赤貧の中で一皿の塩を分け合って初めて友の有り難みがわかるというが、石壁と南雲が分け合えるのは精々胃薬だろう。有り難みはあるし仲良くはなれるだろうが、それは友達の仲の良さではないだろう。

 

 そんなこんなで石壁の一行はショートランド泊地へと帰投したのであった。

 

 ***

 

 一方その頃、南雲提督の執務室

 

「しかし、彼は若いのに肝が座っていたな。あれだけ敵意を浴びせられた後で私の所まで一人でやってきて、まったく萎縮していなかった」

「そうですね。緊張自体はしていましたが、一歩も引かないという覚悟の篭った良い目をされていました」

 

 南雲と加賀が執務室で会話をしている。

 

「事前調査で彼が『中将』だと知った時はいったいどんな人間が出てくるのか戦々恐々としていたが、まさかあんな出来た青年だとはなあ」

「ええ、そうですね。普通若くしてあそこまで出世すれば色々と歪んだプライドを持ちそうですが、蓋を開けてみればまさかあんな苦労人だったとは思いませんでした」

 

 二人は石壁が語った苦難の日々を思い出す。

 

「あれだけボロボロになるまで頑張る提督なんだ、部下の忠誠心も総じて高いのだろうな」

「ええ、少し会話をしただけですが……彼の部下は死を恐れる暇すらないのでは、と思いました。それだけ彼の生き方は鮮烈です」

 

 南雲達は石壁の英雄としての資質を、少し語らっただけで強く感じていた。彼は人を惹きつける。止まらず、諦めず、絶望の中でそれでも前をむいて歩き出す姿はそれだけで目が眩む程に光を放つものだ。石壁と共に歩むモノ達は、彼が居る限り決して希望を失わないだろう。

 

「鮮烈か、確かにそうだな」

 

 南雲はフッと笑った。

 

「彼がここにやってきてから一日程しか経っていないというのに、あれだけ憎悪と閉塞感に満ちていた基地の空気が、今は活気と熱気が乱気流の様に渦巻いている」

 

 天龍達が中心になって巻き起こした騒乱が、停滞した空気を引っ掻き回して霧散させてしまった。あの喧嘩に参加したものや、風呂場での講談を聞いていた艦娘が中心になって、急速にラバウル基地内部へと石壁の話題が広がっているのだ。

 

 あるものは南方棲戦鬼の討伐に歓喜し、あるものは石壁達の戦いに興奮し、あるものは自分たちと同じく大本営に見捨てられた石壁達への同情を感じていた。

 

 そして、何か大きな事が始まっているのだと、皆が感じていた。

 

「なあ加賀」

「はい提督」

 

 南雲が力強い笑みを浮かべる。

 

「これからが大変だぞ。停滞していた南方が大きく動かざるを得ない、覚悟はいいか?」

「もちろん、鎧袖一触よ。ラバウル基地に油断はないわ」

 

 加賀はいつものクールビューティーな顔に、ほんの少し笑みを浮かべて南雲に応じたのであった。

 

 ***

 

 さて、石壁達がショートランド泊地へと帰ったその逆方向、本土へとむかったまるゆ隊は、数日後には本土へと到着していた。上陸するや否や、素早く市街地へと100名の妖精たちが紛れ込む。

 

「さて、ではこれより作戦を開始する」

 

 人気の無い路地裏までやってきてから、妖精隊の隊長が声を出す。

 

「作戦名は群狼作戦。この作戦は速度が命だ。当初の予定に従い、情報戦を開始する」

 

 彼らは青葉があきつ丸達に頼んで回して貰った『陸軍中野学校』の卒業生である。

 

「陸軍省、憲兵隊、そして我らが母校である中野学校、一つ足りとも情報の浸透を失敗してはならん。早く、鋭く、油断無く、作戦名の通り狼の群れとなり喉笛に食らいつけ」

 

 彼らが卒業した中野学校とは陸軍の士官学校だが、普通の軍人を養成する学校ではない。

 

「この作戦の可否が石壁提督の、しいてはショートランド泊地の未来に関わってくる。総員ぬかるんじゃ無いぞ」

 

 そこでは情報戦、諜報戦、破壊工作、潜入工作、ゲリラ戦等の、様々な技能を習熟する事を目的とされている。若干の語弊があるがこういう技能を習熟した人間を一般的にーー

 

「さあ、我々の本領を見せる時だ!総員、作戦を開始せよ!」

「「「「了解!」」」」

 

 ーースパイ、と呼ぶのである。

 

 ***

 

「馬鹿な、伊能提督が生きていたというのか!?」

「彼の指揮下のまるゆ達が大勢やってきております!」

 

 横須賀に近い陸軍の駐屯地では、軍人達が突如やってきた大勢のまるゆの対応に大慌てになっていた。

 

「咄嗟に憲兵隊が彼らをかくまったことで、今はまだ情報が大本営まで行っておりませんが、隠蔽するのも限界があります!」

 

 憲兵隊は陸軍の管轄の部隊である。伊能提督が戦時中に所属していたのもここであるため、彼の部下であるまるゆ達とも顔見知りが多かった。その為、大本営に使い潰された筈の彼女達がこのまま港にいるのは不味いだろうと判断してここまで連れてきたのである。

 

 休憩室で大勢のまるゆが屯している間に、まるゆ隊のリーダーだけが基地の指令室にやってきていた。指令室には大勢の陸軍兵士達が詰めており、その中で一番階級が高い基地司令の男がやってきたまるゆ一番艦へと目を向ける。

 

「……」

 

 まるゆ一番艦は、背筋をビシっと伸ばして基地司令へと覚悟の決まった目を真っすぐに向けていた。

 

(一体何がどうなっているというのだ……どうすれば良いと言うのだ)

 

 基地司令の男は既に60歳の年よりだった。彼は本来ならもう居ない筈のまるゆを前にして、思考が混乱していた。

 

(彼女をこのまま大本営から匿っていても、いずれは隠せなくなる。どうする、どうすればいい。陸軍の力は往年程ない……私の地位では……どうしようもない)

 

 彼は陸軍全体が海軍側に圧倒されている現状において、己の政治力で出来る事と目の前のまるゆ達の安全を天秤に乗せて、思考を堂々巡りさせていた。

 

(基地の仲間の安全だけを考えるなら、なにも見なかった事にもできる……いや、だが、しかし……)

 

 彼は己の肩にのる仲間達や、様々な柵によって思考を硬直化させていた。まるゆ一番艦は、そんな基地司令の顔をみて、口を開いた。

 

「基地司令さん」

 

 まるゆは、混乱している基地司令へと言葉を紡ぐ。

 

「知っての通りまるゆは陸軍の輸送船です。その本分は部隊の皆へと物資を運び、彼らの命を繋ぐ事です」

 

 まるゆという艦は、大戦時代に物資不足に喘ぐ前線の兵士を救うために作られた潜水輸送艦だ。飢える兵士を救うため、弾切れの兵士に武器を運ぶため、兵士の命を繋ぐための艦である。

 

「まるゆの仕事は、太平洋戦争の時(あの頃)も今も変わっていません。最前線で戦っている仲間の為に、彼らの命を繋ぐために、ここへとやって来たんです」

 

 戦いの中ではあまり役に立てない彼女達は、長い籠城戦の中で己の本分を果たすことが出来ずにずっと悔しい思いをしてきたのだ。

 

「伊能隊長も、石壁提督も、泊地の皆も、まるゆ達が物資を持ってくることを心待ちにしています。まるゆ達は皆の元へ、必ず物資を届けると誓って、泊地を出たんです」

 

 これがまるゆ達の戦いだ。兵糧輜重を繋ぐ、命を繋ぐ為の戦いなのだ。彼女達はその為に命をかけているのだ。

 

「だから、お願いします。基地司令さん」

 

 まるゆが、腰を深くおって頭を下げる。

 

「力を、貸して下さい……」

 

 その言葉を聞いたその場の全員が沈黙する。腰を深く折るまるゆの姿を、その場の全員が見つめていた。

 

「……歳をとると、やれ保身だ、やれ立場だと余計な事を考えてしまう」

 

 基地司令は、白髪頭に載せた帽子を取る。

 

「陸軍の力はもう殆どない。海軍に、大本営にたてつけばどうなるかわからない」

 

 それは、厳然たる事実であった。どうしようもないほどの力の差であった。

 

「私に出来ることは殆どない」

 

 まるゆは、その言葉に一瞬肩を揺らす。

 

「……だが」

 

 立ち上がった基地司令は、ポンっとまるゆの頭に手を置いた。

 

「それがどうしたというのか!」

 

 手を置かれたまるゆが頭をあげると、そこには基地司令の笑みがあった

 

「同じ陸軍の仲間に、本土決戦中に世話になったまるゆ君にここまで言われて、引っ込んでられるか諸君!」

「「「「否であります!!」」」」

 

 その言葉と共にその場に居た全員が敬礼をして、踵を揃えて打ち鳴らす。一人の少女の周囲で筋骨隆々とした軍人達が一斉に敬礼をする姿は中々に壮観であった。

 

「基地司令殿の言う通りであります!」

「ここで引いたら男が廃ります!」

「やってやりましょう!」

「本土決戦中に散々物資を輸送してもらった恩を今こそ返そうではありませんか!」

 

 そうだそうだと野太い男たちの声が響く。彼等は本土決戦時代に、大勢まるゆに救われている。人が運ばれた。モノが運ばれた。食料が、砲弾が、燃料が、大勢のまるゆ隊によって運ばれたのだ。そのことを、陸軍軍人は誰も忘れてはいない。

 

「みんな!」

 

 まるゆの顔に、ぱぁっと笑顔が咲く。まるゆの言葉をきいて、この笑顔をみて動かない玉無しは、陸軍には居ないのだ。

 

「行くぞ皆!!陸軍魂を魅せてやれ!!えいえいーー」

「「「「おおおおおおおおおおおおおおおお!!」」」」

 

 陸軍の男たちが動き出す。

 

***

 

 陸軍省のオフィスで事務作業をしている一人の軍人が居た。歳の頃は50代で、太くくっきりとした眉毛で髪を短く刈り上げた男であった。彼はゴツゴツとした濃い顔つきで、一言で形容するとジャガイモみたいな顔つきであった。

 

 彼は伊能が陸軍に居た頃の上司であり、陸海軍を繋ぐパイプ役の様な役目を担う男であった。名前は伊達(だて)少将。本土開放作戦時代から数々の作戦を指揮してきた優秀な男で、部下からは強く敬愛される上官であった。

 

「伊達少将ー!大変ですー!!」

 

 彼が書類をまとめていると、部下の一人が大慌てで駆け寄ってきた。

 

「どうした?」

「これを!これをみてください!」

 

 部下が机の上にある手紙を広げる。それは非常に力強い筆跡の手紙であった。その送り主の名前を確認した伊達は驚愕に目を見開いた。

 

「伊能……獅子雄……!?馬鹿な、彼は二ヶ月前に戦死したはずでは!?」

「生きていたんです!生きていたんですよ!」

 

 手紙の内容は無事を知らせる挨拶から伊能達が置かれている状況まで一通りが書かれており、結びの言葉として『この手紙をもってきたモノに力を貸して欲しい。親愛なる我が上官へ』と、記されていた。

 

 手紙を読んでいく伊達少将の顔が、驚愕から彼が無事であることへの安堵、そして彼らが置かれている現状への怒りへと順々に移り変わっていく。そして、最後の伊能からの頼みを読むに至って、彼は覚悟を決めた漢の顔になっていた。

 

「副官君、この手紙を持ってきた人を連れてきたまえ」

 

 伊達少将が部下から親しまれているのはその能力もあるが、何よりも大きい点が一つ在る。

 

「この俺の全身全霊をもって、伊能君を助けてみせよう、やるぞ副官君!」

「了解しました伊達少将!」

 

 部下の為に全身全霊をかける熱い男だからこそ、あの伊能をして『親愛なる上官』と謂わしめる程に、彼は慕われているのであった。

 

「伊達少将!横須賀の陸軍駐屯地から伝令であります!戦友の為に力を貸してほしいとの事です!」

 

 その瞬間、別の部下からも連絡が入る。

 

「おお!要件はわかっていると伝えてくれたまえ!この伊達に出来る事なら何でもやってやると添えてな!急げ!」

「は!了解したであります!」

 

 陸軍省が俄かに騒々しくなってくる。止まっていた歯車が回りだしているような、そんな気配をその場の全員が感じていた。

 

 

 ***

 

 伊達の元に手紙が届いた翌日であった。

 

 帝都東京、中野学校の校長室にノックの音が響いた。部屋の中で眼鏡を磨いていた白髪の好々爺が顔を上げる。

 

「はて?だれかな?入り給え」

「失礼するであります、校長へお客様が来られました」

「客?どなたかな?」

 

 入室した兵士がそう告げると、校長は眼鏡をかけて問い返す。

 

「それが、これを見せればわかるとの事で」

 

 そういって封筒を渡す兵士。校長はそれを受け取ると、中身を確認する。

 

「ふむ?なになに……ほほう。なるほど。なるほど」

 

 紙を見ながらうんうんと頷いた校長は、顔をあげる。

 

「ここへお連れしなさい」

「はい!」

 

 兵士が部屋を出ていくと、開いている窓から風が吹き込んで風鈴がチリンと涼しげな音をたてた。老人は人の好さそうな笑みのまま、小さく呟く。

 

「……風が吹き始めたのう」

 

 ***

 

 同時刻、陸軍大臣の執務室に、大勢の陸軍兵士達が詰めかけていた。

 

「一体何事ですか?伊達少将」

「はっ!本日はとても重要な用事がございます。こちらを確認して頂けますでしょうか」

 

 陸軍大臣の男の前に、伊達が折りたたまれた手紙を置く。陸軍大臣が手紙を開き、それを確認していくと、眉が上がった。

 

「なんと……」

 

 陸軍大臣が読み終わって顔を上げると、そこには笑顔の大勢の陸軍の将官が居た。

 

「我々一同、想いは一つであります。どうか、お力を貸していただけませんか!」

 

 伊達が頭をさげると、大勢の軍人たちが一様に頭を下げる。望む言葉を貰えねば梃子でも動かぬと、無数のいがぐり頭が無言で語っていた。

 

「……」 

 

 陸軍大臣は、その姿を見つめながら、思わずふっと笑ったのであった。

 

 

 ***

 

 妖精隊が活動を開始してから数日、ここは帝都の新聞社、慌ただしい部屋の中に、一人の青年が駆け込んでくる。

 

「編集長!これをみてください!」

「どうした?」

 

 青年がそういいながら、編集長にメモを見せる。

 

「……これは、本当か?」

 

 編集長は、驚愕に目を見開きながら、部下へと問う。

 

「はい、複数の情報網から上がってきた情報です。秘密裏に他社へも確認をとったところ、あちらこちらで大騒ぎになっています。明日には日本中へと発信されるでしょう」

「……そうか」

 

 編集長が立ち上がる。

 

「皆聞け!特ダネだ!明日の朝刊は全面改定だ!!急げ!!」

「もう輪転機回し始めてますよ!?」

「それを止めてもあまりあるんだ!!金をドブに捨ててでも擦り直せ!!他社に遅れるな!!」

「は、はい!」

 

 いつも騒々しいデスクが、更なる狂乱と怒号に包まれる。

 

(この感覚、久々にでかい嵐が来るな)

 

 編集長は自分のデスクで大急ぎで作業をしながら、長年の記者生活で磨かれた感が嵐の気配に震えるのを感じた。

 

(これは世間様がグルンと回転するときの感覚だ。空気の潮目が来た、動く、動くぞ。乗り遅れるわけにはいかない、時代が動くときの気配だ)

 

 編集長は自然と広角が釣り上がっていた。その姿を見た部下は、餌を前にした狼が牙を剥いている様であったと、後に語ったのであった。

 

 

 

 

 

 

 石壁という特大の火種が、ついに炎上を始める。その熱量は大気を歪ませ、強大な台風となって大日本帝国を揺らそうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~おまけ~

 

 本土で風が吹き始めたその一方で、渦中の人物である石壁はどうしているかというと……

 

「お、林檎ジャムができてる」

「おいしそうですね」

 

 鳳翔と二人で執務室の小さなキッチンで調理をしていた。

 

「ラバウルで買ってきた林檎と砂糖で作ったけど、黒糖で作るのも中々いけるね」

「これは美味しいですね、後で皆さんにもお出ししましょうか」

 

 石壁お手製のジャムを分け合って食べる二人。色っぽさはまったくなかったが、見ているだけでポカポカしそうなくらいの幸せ空間であった。

 

「いやあ、ここ数日平和で時間があったからちょっと作ってみたけど、やっぱりこういうのはいいね」

「そうですね。ずっと大変でしたし。こういうモノを作る余裕があるというのは素晴らしいと思います」

 

 石壁がジャムをパンにたっぷりぬってかじり付く。その幸せそうな顔を見て、鳳翔もにこにことほほ笑んでいた。

 

「ストレスフリーって素晴らしいね。胃腸は痛くならないし、ご飯は美味しく感じるし」

「そうですね……あら?動かないでくださいね、提督」

「え?」

 

 鳳翔は石壁のほっぺにそっと手をやると、ジャムをそっとぬぐった。

 

「ジャムがついていましたよ」

 

 そういってにこりと笑いながら指についたジャムをそっとなめる鳳翔。

 

「……」

 

 その仕草をみた石壁は硬直すると段々顔を赤らめていく。

 

「……提督?……あっ」

 

 鳳翔もまた自分がやったことに気が付いて顔を赤らめる。

 

「す、すいません……」

「い、いや大丈夫だよ……」

 

 二人は狭いキッチンでしばし顔を赤らめて、砂糖たっぷりの林檎ジャムより甘ったるい時間を過ごしたのであった。

 

 この様に、台風の目である石壁は自身の周辺に風が吹き始めた事にまったく気が付いて居なかった。彼が事態に気が付くのは、台風が移動を始めて自分に直撃してからである。それまではもう少しだけ、彼の胃腸の安息は守られているのであった。

 

 彼の胃腸が捻じれ狂うまで、あと少し。

 

 





もし石壁君が群狼作戦の作戦名を決めたらこの話のタイトルになったかもしれない


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第八話 群狼作戦


クリスマスプレゼントの時間だオラぁ!メリークリスマスゥ!!



 大本営で働いている中年の男が一人いた。

 

 彼はただの役人で、ただのイエスマンで、役人らしい事なかれ主義の普通の男であった。

 

 ある日、その男はいつもの様に起きて、いつもの様に支度を済ませて、いつもの様に職場へとやってきてーー大勢の記者に囲まれて身動きが取れなくなったのであった。

 

「大本営の方ですか!?」

「取材を!取材をさせてください!」

「本件について一言お願いします!」

 

「な、なんなんですか一体!?」

 

 周囲から向けられる無数のぎらついた記者の視線に、役人は前にも後ろにも動けずにもみくちゃにされる。

 

「大本営はいったい何を考えているんですか!」

「どういう目的でこの提督を南方へ送り込んだのでしょうか!」

「この石壁提督について何か知っていることを教えてください!」

 

「し、知りません!私は何も知りません!通して、通してください!」

 

 役人は記者の海をかき分けてなんとか職場に逃げ込んだ。

 

「はあ、はあ……い、いったい何事ですか」

「おお、吉田くん!いいところに来た!」

「課長?どうしたんですか?あれはいったい何なんですか?」

「これを見てくれたまえ!」

 

 役人が上司である課長にそう問うと、課長は机の上に主要新聞社や情報誌、ゴシップ誌まであらゆる情報媒体の記事を広げた。そして、多少文言は違うものの、全てが同じ内容を扱った記事であった。

 

「ええっと?【『ソロモンの石壁』南方棲戦鬼を討つ!!深海棲艦南方方面軍主力艦隊に壊滅的大打撃!!】……なんですかこれ!?」

 

 大本営所属である自分達でさえ知らないような信じがたい情報がそこには乱舞していた。

 

 記事には、馬上で腰に軍刀を吊った青年の写真や、討伐された南方棲戦鬼の写真まで掲載されており、この馬上の石壁という青年が南方棲戦鬼を討ったのだという情報に信頼感を与えていた。

 

 しかも、石壁という提督が今年の春士官学校を卒業したばかりの新人で、大本営の連中による政治闘争に巻き込まれてロクな経験のないまま最前線に飛ばされた事。援軍がさっさと逃げ出して敵地に孤立した事。数か月後まで自力で守り抜けと無茶ぶりをされた挙句に死亡判定を受けていた事等々……本来ならあってはならない事が大量に暴露されているのである。

 

 大本営の政治闘争によって南方へと飛ばされたという悲劇性。そして、そんな孤立無援の新人提督が独自戦力のみで南方棲戦鬼を討伐したという英雄性。両者が融合したことで生まれる話題としての娯楽性。背景を考慮すると見えてくる政治性。

 

 長く停滞したこの戦争の中でこれらは話題性抜群であり、大本営の腐敗を政経両面から批判する一流誌から、事態を面白おかしく描くゴシップ誌まで、様々な媒体で一面で扱われていたのである。

 

「これらの情報は新聞社だけではない、ネットの情報媒体まで含めたあらゆるメディアを通して発信されている。そのうえ反政府勢力も含めたとにかく大本営に突っかかりたい連中にまで一斉に情報が回っているらしく、今朝からデモなどが活発化しているんだ。トドメにほぼすべての鎮守府、基地、泊地の青葉を通して、この記事が全鎮守府にまで拡散されているという。一斉に、迅速に、四方八方あらゆる手を尽くして情報の拡散が行われているんだ」

「どういう事ですかこれ!?何がおこっているんですか!?」

「……私の権限の及ぶ限り調べたところ、どうやら事実に符合する情報が複数含まれている上に、大本営ですら把握できていない、あるいは『把握できていないことになっている』情報までしっかりと報道されている……つまりこれは」

「……」

 

 役人は、得体の知れない悪寒の感じて息を呑んだ。

 

「これは大本営が地獄へと送り込んだ石壁提督からの、いわば『宣戦布告』だ。これだけ一斉且つ大量の、当事者しか知らない情報を惜しみなくバラまいたんだ。『絶対に握りつぶされてたまるか。貴様らの思い通りになってたまるか』という執念の様なものを感じるね……」

「宣戦布告……」

 

 役人は目の前の新聞記事に移っている馬上の青年を見つめる。全身傷だらけで眼帯を付けたその青年が、どれだけの地獄を見てきたのか、どれだけ大本営を恨んでいるのか、それを考えただけで役人は背筋が寒くなった。

 

「どうやったのかは知らないが、各種マスメディア、ネット情報媒体、ゴシップ誌、反政府勢力、各鎮守府……それだけ多数の存在を一度に操って自分の存在と功績をさらけ出す事で、表立っての処分を難しくしたんだろう……まるで情報の多重電撃戦だ。一つ成功すればいいだろう致命的な攻撃を複数一気に放って全て急所へ突き刺すなんて、恐ろしい男だ」

 

 二人の中で石壁という男の虚像がどこまでも大きくなっていく。大本営が用意した地獄を食い破り、そのまま大本営ののど元に喰らい付いてきたこの男がこれからどう動くのか、一切予想が出来ない。

 

「いずれにせよ。これだけ大事になった以上、いくら大本営でも簡単にはもみ消せないだろう。しばらくは火消しに必死にならないといけないだろうね……そして……」

 

 課長はそういってから、死んだ目をして続けた。

 

「吉田君、これから火消しの為に上の無茶ぶりが大量に来るぞ……しばらく家に帰れないと思いたまえ」

「……ジーザス」

 

 どこの世界も中間管理職やこき使われる下っ端が一番大変なのは間違いないのだろう。

 

 ***

 

 

「成功しましたな、陸軍大臣殿」

「ええ、見事に成功しました」

 

 料亭の一室で、中野学校の校長と陸軍大臣が話し合っている。

 

「衰えたりとはいえ、陸軍の影響力はなくなったわけではありませんからな」

「ええ、在郷軍人会を通した草の根活動、中野学校の卒業生達を使った情報網は未だ健在ですからね」

 

 在郷軍人会とは退役軍人達による互助組織であり、簡単に言うと物騒な同窓会の様なモノだと思ってもらえればいい。陸軍はもともと平時30万、有事200万とも言われる巨大組織である。それだけ陸軍に動員された兵士達が帰郷後に所属するのだ。農家から会社の重役まで幅広い層の人間が所属しており、その影響力は未だに大きい。

 

 しかも、この世界では本土決戦の末に戦える人間は殆ど全て陸軍に纏まって戦ったという過去がある。艦娘の登場と本土の開放でその大半が退役したが、命を賭けて共に戦った戦友たちのつながりは、未だに堅く強い。

 

「記者になったもの、マスメディアへ金を出す企業の重役になったもの、いろんな業界に陸軍の伝手はある。そこからちょっと後押ししてやれば、こういう事もできますからね」

 

 そういってから陸軍大臣は、ニッと人の悪そうな笑みを校長へと向ける。

 

「まあ、こちらは所詮退役したモノ達の緩やかなつながりですが……貴方の方はもっとエグイ事やったんじゃないですか?」

「おやおや、そんな事はございませんよ」

 

 にこにこと好々爺らしい笑みを一切崩さず、校長は続ける。

 

「ちょっと教え子達に手紙を送っただけですよ。ええ」

「ははは、中野学校の卒業生にちょっとした手紙ですか。それはそれは」

 

 さあ、ここで中野学校の卒業生がどれだけやばいか簡単に説明しよう。

 

 中野学校は元々戦前に設立された、情報戦に特化した兵員を育てるための学校である。時代が進むにつれて、情報戦、諜報戦、ゲリラ戦、工作活動等々の、普通の兵士では対応できない、所謂スパイ全般を養成する学校となっていく。

 

 この学校の卒業生達はその能力を活かして帝国軍で物凄く活躍したのだが、退役後もその『天下り先』がやばい所がとても多い。なにせスパイ活動のエキスパートである。今となっては悪名高いあの『特別高等警察(この世界では現役)』やその特高の元締めである『チヨダ(サクラ、ゼロ等とも呼ばれる)』という警察の中枢にも卒業生は多数再就職している。

 

 我々の史実世界においては戦後特高は解体されたが、その業務は公安警察へと受け継がれた。『チヨダ』は現在も残っており、戦前から現在に至るまで一貫して日本の治安維持の中枢を担う組織である。中野学校は、こんな所に伝手をもっているのだ。

 

 特高は思想警察であり、危険思想を持つ団体を監視、必要とあらば逮捕する特殊な警察である。今回校長は卒業生の伝手を通して、反大本営的な色の強い政治団体へと今回の石壁の件を意図的に流して暴発させたのである。無論、向こうはそれが流された情報である事に気が付いていない。自分達でつかんだ情報だと思い込まされているのが怖いところだ。

 

 また、中野学校卒の人間は潜入工作も行っており、情報操作の為に新聞社へも潜り込んでいた。これによって在郷軍人会の方面と潜入工作員の二方面からマスメディアへと情報を流したのである。複数の方面から情報を流すことによって、情報の信頼性を上げて各メディアへと食いつかせたのである。

 

「しかし、この石壁という男……世界の果てのショートランド泊地にいながら、よくもまあこれだけ情勢を読み切った策を打ったものですね」

「ええ、そうでございますな。いくら伊能提督という陸軍への伝手があるとはいえ、下手をすれば情報漏洩で捕まる可能性すらあるのに、よくぞこれだけ大胆不敵な策を実行に移したものです」

 

 陸軍大臣と校長が心底感心した様に続ける。

 

「まず陸軍からの出向提督が政治闘争に巻き込まれて使いつぶされ、力の差から黙らざるを得無かったことが大きいですね。これによって海軍側への怒りが陸軍内に充満しており今回の行動を容認する空気がありました」

 

  伊能は元々陸軍の出身であり、海軍へと出向しているとはいえあくまで所属は陸軍だ。その提督を石壁と共に南方へ送り込んだのだから陸軍は当然激怒している。それでも黙らざるを得なかった伊能の陸軍の上司達を青葉は見事動かして見せたのだ。

 

「それに加えて陸軍内部の現状への不満感を突いたのも、うもう御座いましたな。現状の海軍偏重に危機感をもっている人間を動かすには本件はいい燃料でございます故」

 

 現在は戦線が南方に移った事で国家戦略的に海軍偏重にならざるを得ない状況が続いている。だが、いくらなんでも陸を軽視し過ぎているという意見は以前からあった。また、客観的に見て大本営が腐りすぎている為、それに対して警戒感をもつ派閥も多い。今回の一件はそういう反大本営的な派閥を玉突き衝突の様に動かして、前述した不満に連動させ陸軍全体を動かしたのである。

 

 青葉の策の全体像はこうだ、伊能の伝手を用いて陸軍内部の複数の派閥に接触し、今回の裏事情や石壁達の生存を暴露し、不満を爆発させる。それと連動して中野学校卒の陸軍妖精さんを通して中野学校校長へ陸軍に火が付き始めたことを伝えたのだ。不満の爆発による怒りの爆炎の制御を中野学校へ丸投げする事でマッチポンプのポンプだけ学校に任せたのである。

 

 校長はもはやその勢いを消すのは不可能と判断し、下手に押さえつけて制御不能な爆発をおこすよりはいいだろうと青葉の策にのっかることにした。陸軍内部の勢いを利用して石壁の情報を各方面へ流すように爆発の勢いを調整したのだ。その過程で陸軍大臣まで突き上げがいったのは、それだけ陸軍内部の不満が溜まりに溜まっていた証左であるといえる。

 

 これだけ話が大きくなると下手に鎮火させるよりはいっそ盛大に燃やし尽くした方がいいと判断した陸軍大臣は、在郷軍人会の伝手をフル活用することで情勢を煽って煽って煽りまくった。下手なボヤ騒ぎにして責任追及させるよりも四方八方燃え上がらせて原因をわからなくさせてしまえ、という逆転の発想であった。中野学校側は中野学校で、これ幸いと不穏分子を暴発させて憲兵や特高を使って検挙するのに利用したりと、この事件を最大限炎上させて自分たちの利益に使ったりしている。

 

 結果として、青葉の策に便乗して二人は陸軍内部の大掛かりなガス抜きと、国内の不穏分子の一掃を行ったのである。その為青葉の想定より5割増しは盛大に情報が拡散されたのであった。

 

「これでしばらくは政治闘争と火消しで誰も彼も一杯一杯になるでしょう。大本営の連中も陸軍内部の過激派も、静かにならざるを得ないでしょうね」

「国内の不穏分子も大掃除できましたからなぁ。いやはやきれいさっぱり燃え尽きましたな」

 

 海千山千の世界を生きているだけあって、この二人も十分傑物であった。

 

「さて、ここからはどうなりますかね」

「そうでございますな……これだけ盛大に大本営に喧嘩を売ったんでございますから大時化になるでしょうなあ」

 

 陸軍大臣が校長の杯に酒を注ぎながら続ける。

 

「大時化ですか……ということは今の平穏は嵐の前の静けさ、というやつですかな?」

「そうでございますな……言うなれば、停滞し、腐敗し始めたこの国のありさまそのものが嵐の前の静けさなのでございましょう」

 

 ぐいっと杯を飲み干す校長。

 

「……風が、時代を動かす神風が吹こうとしているのやもしれませんな」

 

 好々爺はその笑顔を一切崩すことなく、そう言い切った。

 

 

 ***

 

 

「ごうがーい!号外だよー!」

 

 その日、石壁の存在が、日本中へと発信された。

 

「南方棲戦鬼が討伐されたぞー!」

 

 ありとあらゆる情報媒体を通して、迅速に、一斉に、強烈に発信されたそれを止めることは大本営にすら不可能であった。

 

「討伐したのは南方へと飛ばされた新人提督!大本営から見捨てられた未成年の提督が、前代未聞の偉業をやり通したんだ!」

 

 大本営にとって石壁の存在が大々的に知られてしまうというのは、己の腐敗と不正を大々的に表面化されるに等しい。それはよく言えば安定し、悪く言えば停滞していたこの国を揺るがす最初の風であった。止まっていた時代が動き出したのだ。

 

「彼の名は石壁堅持!人呼んで『ソロモンの石壁』!人類の敵を打ち破った英雄の名前は石壁提督だ!!」

 

 後に歴史家たちがこの日、この瞬間が時代の変わり目であったのであろうと口を揃える事になる『群狼作戦』の成功をもって、石壁は確かに歴史に名を刻んだ。

 

「いったい彼に何があったのか!?これから一体この国はどうなるのか!それが知りたければ買ってくれ!」

 

 これによって石壁を歴史の闇に葬ろうとした大本営と、それに抗った石壁の戦いは一旦は石壁に軍配があがったと言える。

 

「新たな英雄の戦いをその目で確かめてくれ!さあ買った買った!」

 

 歴史の闇に埋もれた筈の一人の青年が、歴史の表舞台へと躍り出た時……舞台の幕が上がる。

 

「『ソロモンの石壁』について知りたい奴は居ないかぁ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 演目の名は『ソロモンの石壁』

 

 これは一人の凡人が物語の英雄(チートオリ主)への階段を命がけで駆け上る物語である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〜おまけ その頃の横須賀〜

 

 

「ジョジョオオオオオオオオオオ!!!大変だー!!!!」

「石壁達が生きてやがったんでい!!!」

「ひえーっ!!凄いですよほらっ!!見て下さいこの記事!!!」

「これは私も計算外でしたよ!!」

「榛名、感激しちゃいました!!!」

 

 

 横須賀鎮守府内を全力疾走で駆け抜け新城の執務室に飛び込んできたジャンゴ達に、新城達は面食らった。

 

「は、はぁ!?冗談も休み休み……って何だこれは!?」

「本当なの……?これ……」

「嘘!?本当!?姉様、これ石壁!?」

 

 そこには、片目を失い眼帯を付けて、軍刀を杖がわりに立つ石壁の写真が印刷されていた。大勢の仲間の前でどっしりと構える石壁の姿は、数ヶ月前には無かった『凄味』のような物が感じられた。

 

「ブラザー達は山中に篭ってひたすら陣地構築とゲリラ戦を繰り返して、最終的に南方棲戦鬼を討ち果たしたそうだぜ」

「石壁のやつ、こんな傷だらけになるまで戦い抜くたぁ……男子3日会わざれば刮目せよって言うが、でけぇおとこに成りやがってよぉ……グスっ心配かけさせやがって畜生めい……」

「姐さん、ハンカチです」

「でも格好良くなりましたねぇ、榛名びっくりです」

「石壁さんのデーターを書き換えなきゃなりませんね」

 

 ワイワイガヤガヤと、俄に室内が姦しくなる。新城達は手渡された『青葉新聞』を食い入る様に読み込んでいる。

 

「そうか……生きてたのか……」

「良かったですね、提督」

「ふふ、あの心労が全部徒労だったなんて、不幸だったわね、提督」

 

 噛みしめるように、新城がそうつぶやいて微笑むと、左右から扶桑と山城がよりそって嬉しそうに笑う。

 

「しかし……『ソロモンの石壁』……か……か……ブフゥ!」

 

 ジャンゴが新聞を読みながら吹き出す。

 

「HAHAHAHAHA!駄目だオイラ腹いてぇや!なんか気の抜ける異名だなあおい!」

 

 ゲラゲラとジャンゴが笑う。普通異名といえばカッコいいものだが、ソロモンの鉄壁でも岩壁でもなく、『石壁』なあたりが最高に石壁らしくて笑ってしまったのだ。

 

「くっ……ふふ……」

「あはははは!」

「お、お腹痛い……」

 

 その笑いに釣られて、友の無事による安心感も相まってその場の全員が笑い出したのであった。

 

 友の戦死という『訃報』が、『吉報』へと変わったこの日、彼らの笑いが途絶える事はなかった。

 

 



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第九話 ダブルノックアウト

 

 

 

「なんだこの記事はああああああああああッ!!!」

 

 

 

 大日本帝国の帝都、東京の大本営作戦本部の執務室に薄汚いだみ声が響き渡った。

 

 だみ声を出した男は、自身の声にも負けぬ濁り切った目をした男であった。

 

 服装こそ海軍のスマートな白い軍服(第二種軍装)を身にまとっている。だが膨張色である白と、もともと膨満している腹部が合わさった結果。その風体はよく言えば雪だるま。悪く言えば出来損ないの妖怪ぬりかべだ。まだ可愛げがある分、ぬりかべの方が幾分ましだが。

 

 着物に着替えれば悪代官、スーツを着れば腐れ中年オヤジ、鎧を着ればオークになれる逸材だ。映画俳優になればさぞ使い勝手が良いだろう。

 

 彼の名は徳素(とくもと)、大日本帝国海軍大将にして連合艦隊総司令長官を兼任する海軍の実質なトップだ。

 

 ここでいう連合艦隊司令長官とは、海軍に所属する全ての提督への命令権を有する将軍であるという意味で、実際に連合艦隊を指揮しているわけではない。そもそも彼は艦娘の提督ですらないので海軍の一番偉い奴だと思っておけばよい。

 

 徳素は現在、国内有数の右派系新聞、毎朝新聞(まいちょうしんぶん)の一面トップの記事を睨みつけている。

 

 そこには一面をデカデカと使った巨大な記事に、こう見出しが躍っている。

 

 

 

[『ソロモンの石壁』南方棲戦鬼を討つ!!深海棲艦南方方面軍主力艦隊に壊滅的大打撃!!]

 

 

 

 一面には大きな石壁の写真も掲載されていた。写真の石壁は栗毛の馬に跨っており、左目を眼帯で隠して、腰に軍刀をさしている。

 

 石壁の左目付近は眼帯でも隠し切れない大きな傷が走っており。それ以外にも顔面に走る裂傷の痕跡は、彼が潜り抜けた戦いがどれだけ凄惨であったのかを見る者に感じさせた。

 

 石壁のその姿は既に歴戦の名将の如き風情を醸し出している。南方棲戦鬼を打ち破ったというその言にも一定の説得力があった。

 

 だが、端から石壁の功績など微塵も認める気がない徳素にとっては、この写真は若造の増長以外の何物でもなく。醜悪な嫉妬と憎悪を正当な憤懣であると自身に納得させる十分な理由となった。

 

 

「ふざけよって!!何が『ソロモンの石壁』だ!!自分を英雄視して悦に浸るのも大概にせいよ小僧がぁっ!!」

 

 ソロモン諸島は二次大戦有数の激戦地であり、その結果ソロモンを二つ名にもつ艦が存在する。

 

 具体的に言えば、『ソロモンの悪夢』こと夕立や、幾度叩かれても不死身の様に戦場に舞い戻る『ソロモンの狼』青葉が有名どころだろう。

 

 艦娘を指揮する提督がその様な名乗りを上げれば、当然彼女らにあやかった名前であろうと勘ぐるのが自然であり、彼女達に匹敵する英雄であると世界に宣言するに等しい行為である。

 

 石壁の行った偉業は客観的に評価すると、その評価自体は特段おかしなものでない。

 

 軽く列挙するだけで以下の様な物になる。

 

 

・南方棲戦鬼の撃破という敵の超弩級戦力の撃沈。

 

・上記に付随する深海棲艦の南方海域方面軍への壊滅的打撃。   

 

・上記に付随する南洋諸島全体での深海棲艦の活動の低下。

 

・上記に付随する南洋諸島全体での艦娘・商船被害の低減等々……

 

 

 

 南洋諸島全体へと多大なプラスの影響を与えている。

 

 しかも、本来複数泊地の大勢の提督によって成されて然るべきそれを、石壁達は単独泊地のたった二人の提督の指揮下の艦娘達で成したのだ。その英雄性と話題性は並大抵のものではない。

 

 このニュースをみた大勢の提督や市民は、『ソロモンの石壁』という異名に思うところがあったとしても納得せざるをえず、概ね好意的に受け入れられていた。

 

 それがまた、この男の癪に障る。

 

 

(報道に踊らされる愚かな大衆め……貴様らは最初から、我々が用意した『偶像』を拝んでおればよいのだ……ッ!!それを、それを……この様な小物を有難がりおって!!)

 

 

 読者諸兄は以前石壁達が演習で破った七露(ななつゆ)の事を覚えているだろうか?

 

 実は、七露を推していた派閥のトップがこの男なのだ。

 

 徳素はルックス、能力ともに申し分ない七露を強力に後援することで手柄を取らせ、それを大々的に宣伝する事で英雄に『仕立てあげる』つもりであった。

 

 七露もまた英雄と呼ばれるに等しい能力をもつ逸材だ。むしろ性格的にも間違いなく、石壁よりよっぽど『物語の英雄(チートオリ主)』向きだ。

 

 そこにこの男の後援があれば、七露はさぞ銀幕映えする海軍の理想の偶像(アイドル)になりえる。

 

 徳素は七露に手柄を立てさせ、最終的に南方棲戦鬼を始めとした多くの大敵を打ち破らせることで順序良く英雄へと成長させるつもりであった。その過程で吸える蜜の量と甘露さはさぞ極上のものであっただろう。

 

 徳素はその為の投資として多大な労力と金銭を払った。七露本人は全く知らなかったが、七露が英雄となる為に必要なありとあらゆる環境を揃えたのがこの男なのだ。

 

 素材は完璧だった。時代も英雄を求めていた。その為のお膳立てすら最高のモノだった。徳素の野望(七露の英雄譚)は最早レールの上に載っていたといっても過言ではなかったのだ。

 

 そして、徳素の投資と野望、その全てを石壁がぶち壊したのだ。

 

 英雄の最初の一歩となる筈であった模擬戦である。万が一があってはならないと用意させた書類上の落ちこぼれ二人、圧倒的な戦力差、艦艇形態の演習の迫力。正に英雄の門出に相応しい出来レースだった。

 

 その結果は圧倒的惨敗。徳素の用意した全てが裏目に出た。

 

 七露は圧倒的優勢が丸わかりの出来レースで、落ちこぼれ二人に、超弩級のド派手さで惨敗したのだ。しかも、得意の近距離砲撃戦に持ち込む寸前で負けたこともあって、試合結果は終始不利か互角だったのだ。もはや七露に英雄の偶像を期待するのは不可能な程、致命的に彼の名は落ちた。

 

 徳素は演習の結果から即座に七露を損切りし、彼を英雄とする案を捨て去った。

 

 多くの部下や派閥の人間をトカゲのしっぽ切の様に使い潰したことで、徳素本人への影響は最小限にとどめられたのだ。

 

 七露にとってみれば、勝手に後援され、勝手に英雄へ仕立てあげられ、勝手に失望されて捨てられたのだからたまったものではない筈だが。そもそも彼は特別扱いされている事すら知らなかったし、それを望んでいたわけでもないのだ。七露からすれば別にどうという事はなかった。

 

 むしろ基本的に善人である七露だ。仮に徳素と顔を合わせて今後の英雄路線の話など聞かされた日には、眼前の男の性根の腐り具合に顔を顰めて反発していただろう。むしろ利用される前にレールから降りることができただけ幸運だったとすら言えるかもしれない。

 

 だが、いくら損切りしたとて石壁への憎悪はこの時点で既に臨界に達していた。徳素は石壁という突如現れたジョーカーを敵対派閥に渡すつもりはなく、かといって手元に抱えるのは感情が許さなかった。

 

 そのため徳素は絶対に石壁を殺すつもりでショートランド泊地の総司令長官に任命したのだ。石壁がいきなり大佐になったのは絶対に殺してやるという強い殺意から、泊地の総司令長官になるために必要な最低限の地位まで無理やり引き上げられたのが原因なのである。

 

 使い潰して死んだならOK。仮に逃げ帰ったなら敵前逃亡で銃殺する。いつもそうしてきたように、徳素は今回も人の命を弄ぶつもりであったのである。

 

 結果は皆さまもご存知の通り、ショートランド泊地は陥落し、石壁は戦死した(と本土では思われていた)。その結果書類上は大佐から二階級特進して任官一年目の19歳にして中将位という意味のわからない階級になったのである。(当然ながら、数年後にもみ消してこっそり軍籍抹消する予定だった)

 

 徳素はそれにやっと溜飲を下げ、次なる英雄候補の選定に入った。それから二か月が経ち、漸く次なる英雄候補がみつかった矢先に飛び込んできたのが、今回の新聞記事である。

 

 しかも、本来自身の英雄が打ち倒す筈であった南方棲戦鬼討伐のおまけつきだ。石壁は一度ならず二度までも徳素の野望を砕いたのである。本人の意図せぬ所で。

 

 さらに徳素の策はまた裏目にでた。軍籍抹消前に石壁の存在が世に出た為に、階級上石壁は中将だ。そう中将位なのである。方面軍の最高司令官をまかされてもおかしくない元帥からみて三番目の地位で、徳素大将の一つ下の階級である。

 

 史上最年少の未成年中将によるほぼ単独での南方棲戦鬼撃破と、南方海域方面軍の撃滅だ。握りつぶすにはあまりにセンセーショナルに過ぎ、ここまで大々的に報道された以上誤魔化せる筈がなかった。

 

 結果として、大本営の無茶苦茶な実態が世に暴露され、現在徳素は必死に火消しを行っている真っ最中である。

 

 煮えたぎる逆恨みという憎悪はとどまるところを知らない。だがもしここで石壁を握り殺す為に降格などさせようものなら信賞必罰という軍隊の大原則を大々的に破るに他ならず、流石の徳素でも不可能であった。石壁はもはや大将位である徳素でも簡単には手が出せない存在になってしまったのである。他ならぬ徳素の自爆で。

 

 お手本の様な因果応報である。人を呪わば穴二つという諺をここまで体現する人物も珍しいだろう。

 

「おのれえええぇぇぇ……石壁堅持ぃ……ッ!!」

 

 噛み締められた奥歯が軋みを上げる。憎悪と嫉妬が醜悪に滲むその顔を見た者なら、恐らく皆一様にこう思うだろう。

 

「絶対に……絶対に八つ裂きにしてくれる……っ!!」

 

 この世で最も醜悪な化け物は、深海棲艦ではなく欲に狂った人間なのだろう、と。

 

 

 ***

 

 一方そのころ石壁は。

 

「今日もいい天気だ……あ、茶柱が立っている。縁起がいいなぁ、何か良いことがありそうだ」

 

 石壁は鳳翔が淹れてくれたお茶をすすりながら執務室の椅子でくつろいでいた。

 

「……ズズー」

 

 美味しそうにお茶をすする石壁の元に、けたたましい足音を響かせながら青葉が駆け込んでくる。

 

「石壁提督ーー!大変ですぅ!!」

「うぶっふぅ!?」

 

 バァン!!と凄まじい勢いで扉が開いたこと驚いた石壁は、飲んでいたお茶が気道と鼻に逆流して悶絶した。

 

「ゲホッ!?ゴホッ!?な、何事!?」

「こ、この記事を見てください!」

 

 石壁が目を白黒させながら問うと、机の上に新聞紙が置かれる。

 

「ええ、何々?『【ソロモンの石壁】南方棲戦鬼を討つ!!深海棲艦南方方面軍主力艦隊に壊滅的大打撃!!』……は?ソロモンの石壁?」

 

 まったく身に覚えの無い異名に、石壁の目が点になる。

 

「ええ!宣伝工作が成功して石壁提督の名前が全国紙に一斉掲載されたんです!これで提督も異名持ちですね!」

「いやいやちょっとまってよ!?え!?なに!?これ異名なの!?というか異名っていっていいのこれ!?異名じゃなくてまるっきり本名じゃんこれ!?」

 

 石壁は新聞に記載された己の『異名』に盛大に突っ込みを入れる。

 

「青葉の異名の『ソロモンの狼』みたいでかっこいいですよ!」

「いや、確かに青葉の異名はかっこいいよ!?だって狼だもん、そらかっこいいよ!?でも僕のこれ地名に苗字くっつけただけじゃん!?『三丁目の田中さん』と本質的に大差ないじゃんこれ!?」

 

 せめて石壁の苗字がもう少し見栄えのするものだったりすれば違ったのだろうが、石壁はどこまでいっても石壁である。鉄壁(てっぺき)とか岩壁(がんぺき)ではなく石壁(いしかべ)である。もう語感からして絶望的であった。「お前の異名は『ソロモンの石壁』、こっちの異名は『ソロモンの狼』、そこになんの違いないもだろうが!」と言われれば石壁は声を大にして「違うのだ!」と叫びたくなるくらいにはカッコよさが天と地ほど違うのだ。

 

「な、なんで、どうしてこんな異名に?」

 

 石壁の希望に応えて異名決定のプロセスを遡ってみよう。

 

 

 ***

 

石壁の青葉「ええと、とりあえず記事のタイトルわかりやすいように……『ソロモン諸島にてショートランド泊地の総司令長官である石壁堅持提督が南方棲戦鬼を討伐』これで決定ですね。モールス信号で送信、と」

 

 

ラバウル基地の青葉「ええと?モールス信号はやっぱり読み取りずらいですね……なになに?『ソロモン諸島のショートランド泊地の石壁堅持、南方棲戦鬼を討伐』ですね。送信送信」

 

 

中継地点の他の鎮守府青葉「ええと?『ソロモン諸島の石壁、南方棲戦鬼を……討つ』かな?

 

 

本土の青葉「電波状況が悪いなー?ええと、聞き取れた単語をつなげると……『ソロモンの石壁、南方棲戦鬼を討つ』?だ、大スクープですよこれは!特にソロモンの石壁っていうなんとも気の抜ける異名が素晴らしい!急いで詳細をまとめて報道しないと!」

 

 ***

 

 ……と、いう具合に伝言ゲーム形式に単語が欠落していった結果。偶然にも『ソロモンの石壁』という異名に収まったのである。なんという運命の悪戯であろうか。歴史書には載せられない歴史秘話ヒドスギラである。

 

 あり得ないと言うなかれ、ちょっとした誤記や聞き間違いが世界中に広まる例というのは枚挙に暇がないのである。具体的に言うとゴキブリなんかはもともと「御器噛ぶり(被り):ゴキカブリ」という御器(食器)を噛む、被るものという意味の名前をもっていたのだが、それが辞典の記載ミスで「ゴキブリ」になり、そのまま全国に定着したのだとか、その誤記ぶりはなかなかすさまじいものがある。ゴキだけに。

 

 話を石壁に戻そう。

 

「ええとですね、実は大ニュースはこれだけじゃないんです」

「……え?」

 

 まだ何かあるのかと石壁が絶望的な表情をする。

 

「もうちょーっとだけ読んでみてもらえます?」

「……『ショートランド泊地の総司令長官である石壁堅持中将(19)は深海棲艦の南方海域方面軍最高司令官南方棲戦鬼を』……ん?」

 

 己が読み上げた文面の違和感に気が付いて、もう一度同じ行を読む。

 

「『石壁堅持……中……将』?」

 

 中将、確かにそう書いてある。なんどみても中将、中将である。元帥から見て三番目の、軍隊において方面軍最高司令官をまかされてもおかしくない、殆ど頂点の位階である。

 

「え?ちょ、ちょっとまって?中将?そ、そんな訳が……だって僕の階級は大佐……」

「ええっとですね、ラバウル基地司令に確認をとったのですけどぉ……」

 

 青葉がにこっと笑いながら死刑宣告を下す。

 

「石壁提督、どうやら二か月前の泊地陥落の際に殉職扱いになってまして、書類上は大佐から二階級特進してたみたいです」

 

 大日本帝国の階級に准将は存在しない。そのため大佐→少将→中将と書類上は昇進していたらしかった。

 

「おめでとうございます!おそらくというか間違いなく大日本帝国史上最年少の中将ですよ提督!」

 

 なんということでしょう。あの頼りなかった新米少佐が、二度の二階級昇進であっという間に中将に!徳素大将の匠の技が光る采配に、思わず青葉もにっこり。石壁はひきつりである。

 

「い、いや、でも、死んでいたと思われていたから中将なんでしょ?いきているんだから大佐にもど……」

「ご安心ください!全世界に「中将」であることと石壁提督の功績が発信されましたから、これで降格なんかさせたら信賞必罰の法則が大々的に乱れて大変なことになりますから!もう多分大佐には戻せませんよ!それでは失礼!」

「アオバワレェ!?」

 

 石壁の胃が悲鳴を上げる。石壁の心境としては学校の生徒会長に選ばれたと思っていたら、気が付いた時には東京都知事の椅子に座っていた位のぶっ飛び具合である。大佐と中将の間には、それぐらいの埋められない差があるのだ。

 

「お、おえっぷ」

 

 ストレスで胃酸がこみ上げる。最近石壁は気が付いたが、南方棲戦鬼の胃腸は物理的な損害には滅法強いがストレスの耐性が全くないらしかった。石壁の一番必要だった機能はついていなかったのである。ジーザス。

 

「ち、ちくしょおおおおお!!」

 

 石壁の胃が安らぐ日は、遠い。

 

 

 ***

 

「……ふふ、石壁提督には可哀想だけど、これは良い誤算でしたね」

 

 今回の情報戦の絵図を描いていたのは青葉であった。青葉の目的としては、石壁の存在を国民へと大きく知らしめることで、大本営からの圧力を減じ、横槍を防ごうというものであった。

 

 その試みは成功した。石壁の存在は帝国臣民の間に大きく広がり、尊敬や同情を強く集めている。だが……

 

「ですが、いささか名前が売れすぎたやもしれないですね」

 

 名前が広がれば広がる程、噂が噂を呼び、その実情からは離れていく。それが吉とでるのか、凶と出るのか、まだ判断がつかない。

 

「油断は出来ません。これからも継続的な広報戦略を続けて、国民の意識を石壁提督に向け続けて……石壁提督を『英雄』にしなくちゃ」

 

 石壁は大本営にとって是が非でも処分したい目の上のたんこぶである。少しでも油断すればなんだかんだとイチャモンを付けて潰しに来るのが目に見えていた。それを防ぐ為には多く人々の注目を集めねばならない。理不尽な権力の暴走を止めるのはいつだって国民の意識だ。如何に強権的な大本営とはいえ、表立っては『英雄』を潰すことは出来ないのだ。

 

 青葉の策の全容を把握するには、まず大日本帝国のパワーバランスを担う勢力について知らねばならない。大日本帝国の勢力図は大きく分けて以下の5つに分かれている。

 

 一つ目が大本営派閥(海軍上位将校中心、海軍派政経団体)だ。ここは政治の中枢を担い、戦時中という事もあってかなりの強権をもっている。

 

 

 二つ目が陸軍派閥(本土の治安維持や国防における最小限の戦力、憲兵隊、中野学校、陸軍派政経団体)だ。腐っても二大軍事組織の片割れであり、力を大幅に失ってもなお影響力は残っている。

 

 三つ目が世論、これは具体的な力こそ弱いモノの、度外視はできない重要なファクターである。最近は戦線の停滞による厭戦感情が強くなってきている。

 

 四つ目が南方海域の泊地群(ラバウル基地等や、その近隣の協賛企業や住民)である。ここは大本営に恨み骨髄で、いつ爆発するかわからない状況になっている。

 

 そして最後が本土の鎮守府群、ここは大本営から潤沢な物資が投入されており、基本的に大本営に逆らえない大本営よりの鎮守府ばかりである。だが、これは単純に大本営派閥であるという意味ではない。なにせ艦娘の提督というのは、各々が自身に忠誠を誓う数十名の艦娘を抱えており、軍事組織でありながら内部に半ば独立した指揮系統を各々がもっているという極めて危険な軍人達ばかりなのである。こういう組織を一般的に『軍閥』とよぶのだ。『鎮守府』という『ミニ軍閥』を提督一人一人がもっているこの海軍では、形式上は大本営が上にたって財布の紐を握る事で辛うじて統制をとっているが、あまりに統制を強化すれば暴発の危険すら有るため、完全な支配下にあるとは言い難いのである。

 

 話が長くなったが、これら五つの勢力の内、青葉は4つの勢力に対して徹底した情報工作を行って大本営を締め上げたのである。

 

 青葉指揮下の中野学校生達が陸軍内部に集中して働きかける事で、陸軍は世論へと働きかけ、世論を動かした。これによってまず派閥二つを大本営にぶつけたのだ。一件すればこれこそが青葉の本命の様に見える。だが、青葉の本当の狙いは他にあった。

 

 世論という目に見える火事に大本営が目を取られている間に、本土の鎮守府群という『足元』を突き崩したのである。

 

 青葉同士のネットワークを介して発表された『青葉新聞』これによって全ての鎮守府の全ての提督に石壁の偉業と存在を知らしめる事こそが、青葉の狙いであったのだ。

 

 前述のとおり、『鎮守府』は半ば『軍閥』である。ここの構成員である提督や艦娘に大本営への不信感と石壁への同情を刻むことができれば、大本営は今後石壁の件について慎重に扱わざるを得なくなる。なぜなら大本営の『武力』の源が、この本土の鎮守府であるからだ。

 

 中国の諺に『指桑罵槐(しそうばかい:桑の実を指さして槐(えんじゅ)を罵る)』というものがある。これは一見すれば指先の桑の実(敵)へと攻撃を向けている様に見せかけて、槐(本当の敵)を攻撃するという意味の言葉である。青葉の攻撃は一見すれば大本営を締め上げる為だけに見えるが、本当のところは『本土の鎮守府』という石壁へと向けられかねない武力に狙いを定めていたのだ。彼等を石壁への同情と、大本営への不信感と、世論の援護という三重の鎖で締め上げているのである。

 

 青葉の作戦は、徹頭徹尾石壁の為に行われている。彼へと向けられかねない悪意と刃を己の(ペン)で徹底的に叩き潰したのである。名だたる大勢力の狼達を、自身の提督を守るというただその為だけに動かして敵の喉笛へと噛みつかせたのである。これが、『群狼作戦』の真の全容であった。

 

「石壁提督、潰されちゃ嫌ですよ。貴方は皆をまもるんでしょ?だったら全力で『英雄』になってもらわなきゃ……其の為なら青葉、例え提督に嫌われても、石壁提督の為に頑張るから」

 

 青葉はそういって、石壁の写真が掲載された新聞を見つめる。青葉は根本的な所で一匹狼だ。己の正義と信念を持ち、これを絶対に曲げない孤狼なのだ。

 

 そんな彼女の、この世で唯一たった一人の主こそが石壁なのである。彼女の牙は、命は、魂は、全て石壁に捧げられている。例えそれを疎まれたとしても、彼女は一切妥協はしないだろう。

 

 青葉は己の主の事を、何より大切に思っているから。あの太陽のような優しく温かい提督の心を、何よりも尊く思っているから。彼女は石壁に害する輩を、絶対に許さないのだ。

 

「……でも、『ソロモンの石壁』かぁ」

 

 その瞬間、いままでキリっと張りつめていた青葉の顔がにへら、とゆるむ。

 

「青葉の異名と『ソロモン』でおそろいだぁ……えへへ」

 

 青葉はしばし、幸せそうに新聞紙を見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 




【お知らせ】

活動報告に『戦国武将と近代国家の軍隊の例から鑑みた鎮守府の軍閥化についての考察』を追加致しました。例によって読まなくても本編を読むうえで一切影響はございませんが、もしよろしければどうぞ。


































 ここだけの話だが、今作の金剛が江戸弁になったのは、作者が以前「金剛デース!」を「金剛でーい!」と誤記ったのが元々の発端だったりするのは秘密である。(実話)








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第十話 KONOZAMA

 これは、南方棲戦鬼との決戦が始まる少し前の事である。いつもの作戦会議室に集まっていると、石壁がこんな事を言いだした。

 

「本土との輸送ラインが回復した場合に備えて、まるゆ隊を本土へ即座に送れる様に事前準備をある程度整えておきたいんだ」

「それはいい考えであります。事前に輸送計画を策定しておけば時間を無駄にせず出航できるでありましょう」

 

 石壁の言葉にあきつ丸が賛成の意を示す。

 

「私が持ってきた物資では賄いきれない嗜好品や雑貨の類もある程度輸送して貰えますか?艦娘も女の子です。少しくらいは彼女達の士気を高める為には普通の軍需物資以外も必要だと思うんですよ」

 

 間宮がそういうと、石壁は頷く。

 

「そうだね。幸い食料にはまだまだ余裕がある。全部は流石に駄目だけど、士気高揚の為の品目はあって然るべきだと僕も思う」

「賛成して貰えてよかったです」

 

 石壁の言葉を聞いた間宮がほっとしたような顔をする。

 

「陸軍妖精隊は美味い飯を食っていれば大体満足するが、可能なら酒とタバコを用意してやってくれ」

「やはりその二つが軍人にとっては一番の嗜好品でありますからな」

「皆頑張ってくれているし、それくらいはたっぷり用意してあげたいね」

 

 伊能とあきつ丸の言葉に、石壁が同意する。

 

「じゃあ、艦隊の面々にも欲しいものをアンケートとったりして品目を詰めていこうか、間宮さんよろしく頼める?」

「了解しました」

 

 ***

 

「んー、でも嗜好品かあ」

 

 石壁は、希望品目を書くための紙を目の前に考え込んでいた。

 

「総司令官があんまり私的なモノを頼むのもなあ……でもこんな機会じゃないと娯楽物資なんて頼めないし……」

 

 ブツブツと独り言をいいながら、石壁用の注文枠に無難なモノを書き込んでいく石壁。

 

「……」

 

 そして、最後の注文枠を前にして、ペンが止まる。

 

「……一つくらい、良いよね?これならそんなに高くないし、皆で楽しめるだろうし」

 

 そういいながら石壁が最後の枠に記入した瞬間。室内にノックの音が響く。

 

「どうぞ」

「失礼します」

 

 扉をあけて間宮が入ってくる。

 

「石壁提督、輸送品目の希望はできましたか?」

「ん、ああ、丁度かけたよ」

 

 そういって石壁は紙を渡す。

 

「ありがとうございます。では清書してまいりますね、一旦失礼します」

「よろしくね、間宮さん」

 

 間宮がぺこりと頭をさげて出ていくのを、石壁は手をひらひらと振って見送った。

 

「……あ、しまった。さっきの注文、もっと細かく書かないと多分間宮さんわかんないか」

 

 間宮が部屋から出ていってしばらくたった後、石壁は先ほどの最後の注文が色々と駄目な事に気が付いて顔を上げた。

 

「……まあ、後で言えばいっか。急ぎの案件って訳じゃないんだし。間宮さんも聞きに来てくれるでしょ」

 

 そういって、石壁は執務へと戻った。いつ使われるかわからない輸送計画であった為、石壁は優先すべき執務へと戻ったのであった。

 

 そんなこんなで仕事をしているうちにすっかりと頭からこの件が抜けて落ちてしまった石壁は、間宮に確認を取ることをすっかり忘れてしまったのであった。

 

 後に石壁は、この時の判断を死ぬほど後悔する事になる。

 

 ***

 

 間宮は普段からとても多くの仕事を抱えている為、いつ使われるかわからない輸送計画の清書は当然ながら後回しになってしまう。

 

 石壁の執務室から物品リストを持ち帰ってから数日たってようやく、チマチマ進めていた品目整理がようやく終わろうとしていた。

 

 間宮がさらさらと平坦管理部の机でリストを清書をしていると、部下の妖精さんがやってくる。

 

「まるゆ隊への輸送物品依頼リストは出来ましたか?」

「ちょっと待ってくださいね、あと少しです」

「では出来上がっている分を纏めておきます。えーっと?食品、雑貨、嗜好品、娯楽品目リスト……あ、これは途中か」

「今書いてるページで最後ですよ」

 

 間宮は会話をしながらさらさらと娯楽品目を記入していく。

 

「娯楽物資まで輸送できる様になるなんて素晴らしいですね」

「あはは、食料も物資もそれなりに余裕がありますしね。ちょっとくらいそういうのがあっても良いでしょう」

 

 和やかに会話をしながら項目を記入していく間宮だったが、石壁の注文品を書き写していた彼女の手がピタリと停止する。

 

(……ん?なんでしょうこの『中古○S2(【ピー】エスツー)』とは?)

 

 現代機器には若干疎い間宮は、往年のS●NYの名作ゲーム機の事がわからなかった。これはネット環境がなくても遊べるゲームソフトが多くて、なおかつ安く手に入るゲーム機として石壁が発注したものだったのだが、そんなことを間宮は知る筈もない。これが第一の悲劇であった。彼女がゲーム機に詳しければ、これから発生する事態は防げたのだから。

 

(石壁提督の発注したものですし……そんなに変なモノではないと思いますが……あれ?発注個数が抜けています……)

 

 第二の悲劇が、石壁がうっかり発注の桁を記入してなかったことだ。内容をよく知らない間宮は、取りあえず書類を書き上げてしまう。

 

(ええっと?何個でしょうか?とりあえず適量、としておいて……分類もとりあえず戦略物資にして……念のためにまるゆさん一人を提督用に割り当てて、と。厳密な内容は後で確認しておきましょう……よし、これでとりあえず終了、と)

 

 ここで話が終わったならば、石壁の予想通り間宮が確認を取ることで全てはうまく行ったであろう。実行されるまで日にちがある作戦なのだから修正も効く筈だから。

 

「よし!後は提督に確認をとーー」

 

 その瞬間、基地全体に警報が鳴り響く。

 

「緊急警報!?な、なにごと!?」

「これは……とにかく急いで会議室に向かわないと行けません!!」

 

 第三の悲劇が、この書類が作られたのが要塞での決戦の直前であったことだ。この後の要塞全体のゴタゴタの中で、書類の確認そのものが忘れ去られ、そのまま清書されてしまった事であった。

 

 こうして、曲がりなりにも数十トンの物資を輸送できるまるゆ一隻が、ゲーム機の輸送の為に一人割り振られてしまったのであった。

 

 ***

 

 それから半月、本土にやってきた数十名のまるゆ達は、群狼作戦によって大本営が盛大に燃え上がっている間に、それぞれがショートランド泊地へ持って帰る物資を集めていた。

 

「隊長、まるゆが持ってかえる物資はなんですか?」

「えーっとな?」

 

 まるゆが問うと、艦長妖精さんが目録を確認する。

 

「なんだこれ……中古○S2(【ピー】エスツー)……適量……?」

○S2(【ピー】エスツー)……?」

 

 ゲーム機などさっぱり知らない二人は、首をひねりながら考え込む。

 

「よく分からんが……目録にはそれしか書いていない……しかもこれ石壁提督の直接命令だぞ……?どうすればいいのだ?」

 

 ひとしきりうんうんと二人が首を捻っていると、その会話を聞いていた一人の艦娘が声をかけてきた。

 

「あのー?○S2(【ピー】エスツー)がどうかしたの?」

 

 そこに居たのは、緑色の髪をポニーテールで纏めた、セーラー服の艦娘であった。

 

 彼女は夕張、様々な実験的要素を組み込まれた軽巡洋艦の艦娘であった。

 

「えっと?夕張さん?ご存知なんですか?」

「ええ、私も一台もっているし。それがどうかしたの?」

 

 夕張がそう言うと、輸送隊の隊長が応じる

 

「実は、この○S2(【ピー】エスツー)と言うものを(まるゆ単位で)適量買ってきてほしいという依頼を受けておりまして、よくわからないのですが」

「え?○S2(【ピー】エスツー)を(個人レベルで)適量?また難しい依頼ねそれ」

「と、言いますと?」

「えっと、○S2(【ピー】エスツー)というのはそれ単体では殆ど意味が無いの。メモリーカードとか、それを使う為のソフトとかがいるんだけど……人によって「ソフトの適量」なんてばらばらだし……」

「なんと……」

 

 それを聞いて艦長妖精がどうしたものかと頭を抱える。

 

「うーむ……恐らくは、適量という曖昧な表現である以上、現場の采配に任すということでしょう。夕張殿、申し訳ないのですが……貴方が思う『適量』というのを教えて頂けますか?」

「いいわよー」

 

 夕張はサラサラと手帳に○S2(【ピー】エスツー)と必要なその周辺機器、そして夕張オススメセレクションのゲームソフトを記入していく。

 

「はい書けたわよっと」

 

 ビリビリと手帳のページを切り取って渡してくれる夕張。

 

「取り敢えず(個人レベルの適当な)一式としてはこんなもんだと思うわよ。ソフトはまあ、適当にこの中にあるもの見つけられたぶん買っとけば良いと思うわ」

「おお、忝い」

「それ、軍の酒保じゃ手に入らないから……欲しかったらAmaz●nから送ってもらうか、B●●K●FFにでもいって買うといいわよー。えっとねー、Amaz●n会員登録の仕方はーー」

 

 それから二人は夕張にみっちりと講義を受けてAmaz●nの使い方等を教えて貰ったのであった。

 

 ***

 

「こんなものかしら?」

「本当に何から何まで忝い、この御恩は忘れませんよ」

「いいわよこれくらい、困ったときはお互い様よ」

「それでも助かりました。何かお礼を……そうだ」

 

 気持ちの良い笑顔で笑う夕張に感動した隊長妖精は、かばんから羊羹の包を取り出す。

 

「現物で申し訳ないのですが、こちらの羊羹をどうぞ。うちの鎮守府の間宮殿の特製です」

「え?間宮さんの羊羹?うっそありがとー、美味しいのよねこれー」

「喜んでいただけて幸いです……それでは我々はこの○S2(【ピー】エスツー)を買って参ります」

「ありがとうございましたー!」 

 

 夕張がその羊羹の包を受け取った後、艦長妖精とまるゆはペコリと頭を下げて歩きだしたのであった。

 

 ***

 

「ふふ、情けは人の為ならずかしら?良い事したら気分が良いし、こんないい物もらえちゃうし、やっぱり人には優しくするのが一番ね」

 

 ニコニコしながら羊羹を持って歩いていた夕張は、己の提督と出会う。

 

「あ、七露提督ー!いい物手に入れたんで一緒にたべませんかー?」

「おや?夕張どうしたんだい?」

「えへへ、実はーー」

 

 この後滅茶苦茶御茶した。

 

 ***

 

「取り敢えず、このメモにしたがってありとあらゆる店舗から○S2(【ピー】エスツー)の一式をかき集めよう。一式で十キロ弱との事だし、まるゆがいれば嵩張るのを考慮しても数百セットくらいなら余裕で積み込めるな」 

「そうですねー。まるゆ、なんだかんだで35トンも物資を詰めますし、積み込めるだけ積み込みましょう」

 

 なんだかとっても危険な事を言い出す二人。

 

「ソフト、でしたっけ?何をかうんですか?」

「うむ、夕張殿はあの短時間で『二枚も』メモを書いて渡してくれたのだ。一枚目はふつうなのだが、二枚目によくわからないが、『マゾゲー&K●TY夕張セレクション』というランキングが乗っているので、このランキングから重点的に買うとしようか」

「K●TY?なんですかそれ?」

「さあ?何かの略称だろう」

 

 雲行きがどんどん怪しくなっていく。 

 

 ***

 

「あれ?」

「どうしたんだい夕張」

「いえ、おかしいなぁ?メモ帳は1ページしか切らなかったはずなんですが……2ページ分切れてる……えっとこのページは……あっ」

「夕張?」

「……やっちゃった」

 

 ***

 

「支払いは経費扱いで取り敢えず大本営に申請しておくか」

「そうですね」

「では、かき集められるだけかき集めようか。しかし便利だなこのインターネットというのは、世界中の物品を簡単に調べて注文出来るんだからな」

「そうですねー。これで石壁提督の依頼を完遂できそうでよかったです」

 

 笑い合う二人、数日後、大本営に大量のゲーム機とゲームソフト(主にクソゲーとマゾゲー)が経費名目で配達されるという最悪の事態が発生し、当然ながら経費申請は却下されることになった。

 

 石壁の元に大量のゲーム機が、数百万円分の請求書と一緒に届く日は近い。

 

 

 

 

 

 

 




【読者の皆様へお知らせ】12月28日

いつも拙作をご愛読いただきまして誠にありがとうございます。

今後の更新についてですが、
年末年始は色々と予定がございますので誠に勝手ながら
一時更新を停止させていただきます。

続きをお待ちいただいている皆様にお詫びを申し上げます。

更新再会は年が明けて一週間前後位を予定しておりますので
今年の更新はこれで最後になります。

来年も精一杯頑張って書きますので
どうかこれからも拙作をよろしくお願いいたします。

それでは皆様よいお年を。



【お知らせ】
1月7日
大変申し訳ございませんが、作者多忙につき再会をもう少し遅らせて頂きます。
お待ちいただいている皆様に深くお詫び申し上げます。
再会目途がたちしだい改めてご報告いたします。





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第十一話 仄暗い水底から

リアル事情の関係で投稿が5ヶ月も空いてしまって本当にすいませんでした。

リアル事情も一段落ついて時間に余裕が出てきたので投稿を再開致します。

楽しんでいただければ幸いです。


 群狼作戦で本土がどったんばったん大騒ぎになっている一方そのころ。

 

 ハワイ島、パールハーバーにて深海棲艦の首脳級の会談が行われていた。通称『大深海』とよばれるこの会議は姫級や鬼級達が一同に会する深海棲艦の議会の様なものであった。

 

「では、南方棲戦鬼が討ち取られたというのは事実なのだな?」

「ええ、間違いないわ」

 

 議長を務める戦艦水鬼の言葉に、とある深海棲艦が答えると、議場は俄にざわついた。

 

「馬鹿な、あの南方棲戦鬼が……」

「あの破壊の化身を打ち破るとは……」

「一体どれほどの戦力が……」

 

 南方海域は人類と深海棲艦が一番激しくぶつかりあう激戦区である。その地域一帯の方面軍最高司令官であったのが南方棲戦鬼であった。

 

 単純な戦闘能力だけでいえば、彼女を凌ぐものも居る。だが、彼女はどれだけ戦っても燃え続ける人類へのもっとも強力な憎悪をもつ艦であった。故に彼女が率いる艦隊の苛烈さは他のどの深海棲艦より激しく、その破壊力で持って大日本帝国の南進を幾度も叩き潰し続けてきたのである。南方海域の方面軍最高司令官であったのは伊達ではないのだ。

 

「落ち着きなさいよ」

 

 そんな中、先ほど南方棲戦鬼の討ち死にを報告した深海棲艦が、平坦な声で皆をたしなめる。

 

「確かに南方棲戦鬼が討ち取られたのは痛手よ?でも、まだ私がいる……いえ」

 

 その瞬間、絡みつく様な不敵な笑みを浮かべて続ける。

 

「私がいれば、彼女が抜けた穴もじきに埋まるわ」

 

 彼女の言葉は絶対の自信をもって発せられた。

 

「確かに……」

「彼女がいれば南方を抜くことなどできないだろう……」

「そうだな……そうに違いない」

 

 先ほどの同様とは真逆のざわつきが議場に響く。その反応に、彼女は己の言葉が受け入れられている事を察して更に笑みを深くする。

 

「『常勝』の飛行場姫が守る鉄底海峡がまだ残っているのだからな」

 

 彼女は飛行場姫、ショートランド泊地から東に進んだ所にある深海棲艦最強の牙城、鉄底海峡(アイアンボトムサウンド)を守る姫級の深海棲艦である。

 

 ソロモン諸島は太平洋戦争でも屈指の激戦地であるが、その中でも特に海戦が集中したのがガダルカナル島の周辺であった。海の底が沈んだ船の鉄で埋まったとまで言われた地獄の様な海域である。

 

 その結果、この海域は鉄底海峡(アイアンボトムサウンド)と呼ばれる様になったのだ。そしてそれは沈没した軍艦が憎悪によって変じた彼女達深海棲艦にとってすれば、海峡全体が大軍事工廠に等しい。南方海域の深海棲艦の物量は無尽蔵とまで言われるほど驚異的な数であるが、その驚異的物量の約7割がこの海峡で生まれると言われれば、その恐ろしさが分かるかもしれない。

 

 これだけでも十二分に驚異的だが、飛行場姫の恐ろしさはこれだけではない。

 

「飛行場姫と鉄底海峡の闇の防護があれば、我々に負けはない筈だ」

 

 とある深海棲艦の呟きに、その場の殆ど全員が頷く。それをみて飛行場姫は我が意を得たりとばかりに言葉を続ける。

 

「南方棲戦鬼が抜けた穴は私が埋める。だから、南方海域の方面軍最高司令官の地位を頂戴」

「……いいだろう、ならその言葉を事実にしてもらおうか飛行場姫。貴様に南方海域方面軍をまかせる。やれるな?」

 

 戦艦水鬼の言葉に、飛行場姫は不敵な笑みで応える。

 

「いいわよ。結果をもって応えてあげるわ」

 

 ***

 

 それから間もなく会議は終了し、各々が自身の根拠地へと帰投を始める。

 

「飛行場姫」

「あら?」

 

 飛行場姫が部屋を出ると、一人の深海棲艦が彼女を呼び止めた。

 

 彼女は背が高く、額にユニコーンの様な角をもっている。鋭い鍵爪からみてもパワーファイター系の深海棲艦に見える。

 

 が、その瞳にギラついた憎悪や闘争心といったものは殆ど感じられず、どちらかというと穏やかな雰囲気が見て取れた。

 

「どうしたのかしら?港湾棲姫」

 

 彼女の名は港湾棲姫、オーストラリア大陸攻略軍の司令官である。

 

「確認をしておく事がある。オーストラリア攻略軍の指揮は、今後も私に一任されるということでいいか?」

「……ふぅん?」

 

 オーストラリアは戦略的にはとっくの昔に孤立しており、今は残敵の掃討を目的として海岸線を中心としたゆるやかな包囲網が引かれているにすぎない。

 

「今までどおりの体制を維持したいのね?」

「そうだ。貴方のやり方に一切口出しはしないが、今までどおり独立した指揮だけはとらせてほしい」

 

 なぜそんな状態で戦線を維持しているのか?それは深海棲艦内部における派閥闘争に原因があった。

 

(港湾棲姫は厭戦派や穏健派の最大派閥。彼女の元にいる深海棲艦はどいつもこいつも逃げることしか考えてない約立たずばかり……)

 

 深海棲艦も一枚岩ではない、あまり戦う事を好まないモノもそれなり以上にいる。港湾棲姫の派閥はそういった連中の寄り合い所帯という側面があった。

 

(むりやりコイツを解任して戦力として取り込む事も出来ない訳じゃないけど……戦力を再編してウチに組み込んだ所で穏健派と厭戦派じゃ逃げ出してしまうのがオチね)

 

 こういった『逃げ出されるくらいならオーストラリアで敵と睨み合って戦略的圧力を与えていてくれ』という意図の元、港湾棲姫の指揮下で彼女らは纏まっているのである。

 

 直接戦闘では約に立たなくても、そこに『いる』という事そのものに意味がある戦力というのも確かに存在するのである。

 

「……まあ、いいわよ。貴方の指揮権は取り上げない。これからもオーストラリアで役目を果たしていなさい」

「……感謝する」

 

 そういうと、港湾棲姫は踵を返して離れていった。

 

 

 ***

 

(しかし。こういった形とはいえ、私に指揮権が転がり込んでくるとはね)

 

 飛行場姫は廊下を歩きながらほくそ笑む。

 

(南方棲戦鬼は確かに強かった。でも、毎回敵基地を攻めきれずに押し返されていたのは、彼女が単体戦力にのみ突出し、戦略的な面をおざなりにしていたのが原因)

 

 憎悪を燃料にひたすら暴れ狂う彼女の戦い方は、強力ではあったが方面軍の最高司令官としては足りないものがとても多かった。故に人類側を追い詰めきれないのだ。毎回後一歩で叩き返されているのがその証左であった。

 

(私は違う。私は常に勝てる戦いしかしない。『常勝』こそが私の誇り、時間がかかっても最後に必ず勝つ事こそが大切なのよ。それを証明してみせるわ)

 

 南方棲戦鬼というバケモノの死が、もう一人のバケモノを目覚めさせた。後世においてその厄介さは南方棲戦鬼以上であったと評価される事になる『常勝』のバケモノ飛行場姫。

 

「イシカベ……貴方を踏み潰してそのまま南方海域を飲み込んであげるわ」

 

 彼女は己の戦略を成就させる為に動き出していた。

 

「首を洗って待ってなさい」

 

 意地の悪そうな笑みを浮かべて、鉄底海峡の女王は己の玉座へと帰るのであった。

 

 ***

 

 目的の言質を得て飛行場姫と別れた港湾棲姫は、一人で廊下を歩いていく。

 

(あの南方棲戦鬼を打ち負かす程守りに長じた提督で、名前がイシカベ……か……)

 

 港湾棲姫は先ほどの会議で出てきた提督の名を思い出していた。

 

(もしや……ひょっとすればひょっとするかもしれない……)

 

 彼女は懐に手を入れると、一冊の古びた手帳を取り出した。その手帳の表面は黒ずんでおり、かなり昔に血液を浴びて変色しているらしかった。

 

(本当に“イシカベ”の正体が……“石壁堅持”だとするならば……その時は……)

 

 港湾棲姫は複雑な感情を滲ませながらその手帳を見つめてから、大切そうにそっと懐へと戻した。

 

「……いずれにせよ、私に出来る事はオーストラリアを護る事だけか」

 

 彼女はそう独り言をつぶやくと、廊下の向こうへと消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

~おまけ いっぽうそのころまるゆたち~

 

 

 港では輸送物資があつまっており、まるゆ達に大量の荷物が積み込まれている。食料、軍需物資、嗜好品まで様々な物品が集まってくる中、異様な存在感を放つ一角があった。

 

「まったく重てえなあ、何が入ってんだ?」

「知るか、夕べ妙な妖精さんがきて頼んだんだよ。この大量のゲーム機」

「はあ、しかしなんでまたこんなに大量に」

「つべこべ言わずにさっさと詰め込めぇ!ちゃんと納品しねえと代金貰えねえぞ!」

 

 ドカドカと海岸線に積まれていくゲーム機を、まるゆの格納庫へと皆が協力して運び込む。

 

「よし、これで作戦を完遂できるな」

 

 妖精さんはそういいながら、代金を業者へと支払う。彼が手に持つのは石壁から渡されたクレジットカードである。それを見たまるゆが不思議そうな顔をして妖精さんに問いかける。

 

「なんですかそのカード?」

「これはクレジットカードというそうだ。このカードを使えば現金がなくとも買い物が出来るのだ」

 

 石壁は私物の購入にあたって経費で落ちない場合はここから引くように頼んでいた。自分の買い物分くらいなら普通に払えるはずであるから。

 

「まいどありがとうごぜえやす!支払いは一括、分割、リボ払いとごぜーやすが……如何いたしやしょう。オススメはリボ払いでごぜえやすよ」

「一括と分割はなんとなくわかるが……リボ払い?」

 

 首を傾げる二人。

 

「へい、リボルビング払いと申しまして。毎月少しずつ無理無く定額を払っていく形式でごぜーやす」

「うーむ、よくわからんがオススメというならそれでいいか」

「まいどありでやす!」

 

 余談だが、石壁を含めて『提督』は皆限度額が無茶苦茶高いクレジットカードを持っている。これは海軍がカード会社と提携して発行しているカードで、給料が凄く高いのと、社会的地位が高い事もあって所謂ブラックカードが全員に配布されるのだ。仮に支払いが滞った場合は給料から直接引かれる仕組みのため踏み倒される心配は無い安心設計だ。

 

 その為、このべらぼうに高い買い物が決済できてしまったのだ。

 

「へい、確かに」

「領収書を頼む」

「誰あてでごぜえやすか?」

「石壁堅持で」

 

 サラサラと領収書が作られて手渡される。

 

「よし、じゃあ大本営の経理にもっていって経費で落としてもらおうか」

「はい!じゃあいきましょう!」

 

 この後滅茶苦茶経理に怒られた。

 

 



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第十二話 基地航空隊

再会&通算50話記念ということで本日二度目の投稿でございます

楽しんでいただければ幸いです。

十一話をまだ見ていない方はご注意くださいませ。



なお、次回以降の更新ペースは二日に一度の予定となっております。


 石壁たちがラバウル基地から帰投してから一週間ほどが経過し、群狼作戦によって石壁の存在が世に知れ渡ってしまった頃。石壁達はいつもの作戦会議室に集まっていた。議長を務めるあきつ丸が口を開く。

 

「一気に有名になられましたなぁ、『ソロモンの石壁』殿!」

「『ソロモンの石壁』!いい異名ではないか、これで貴様も英雄だな!」

 

 にやけている伊能とあきつ丸の主従による連携よいしょを食らった石壁は渋面を浮かべる。

 

「……その異名、どれぐらい広がってるの?」

 

「そりゃあもう、鎮守府どころか日本中に広がっておりますよ!」

「聞くところによれば日本中に報道されたらしいからな、下手をすれば海外まで情報が飛んでいるんじゃないか?」

 

 なにせ青葉達情報部が総力を結集し、陸軍閥全体を動かしてまで行った多角情報戦である。政治的策謀に関してはピカイチの徳素をして受け身にならざるを得ない程の宣伝工作によって石壁の名を知らぬモノは本土には殆ど居ないのである。同盟国である米国や大陸にも石壁の名はじわじわと広がりだしているのは間違いなかった。

 

 因みに、ショートランド泊地に要塞を作った謎のイシカベ提督の事は深海でも話題の的であり、深海棲艦にも己の異名が大々的に広がりだしていることを石壁はまだ知らない。

 

 石壁はその言葉に胃痛を感じて腹を押さえる。

 

「……と、とりあえず異名はやめてくれ……本題に入ろう」

 

 もうどうしようもないという直視したくない現実から目をそらす事にした石壁だった。

 

「はっ!ではこの報道による影響をまず見てまいりましょう」

 

 あきつ丸は報告書へと目を落とす。

 

「石壁提督の功績が報道されたことによって、本土における国民感情や提督や指揮下の艦娘達は石壁提督に対して同情を抱くものが多く、反発などの悪感情はあまり大きくは無いようです。また、懸念事項であった南洋諸島の鎮守府群においても、報道や南雲提督たちの助力によって印象は良化傾向にあります。ラバウル基地以外では石壁提督に対しての感情は中立よりの反発が大半をしめておりますが、元が最悪の印象であったことを考慮すると破格の改善でありましょう」

 

 あきつ丸の報告に石壁はほっとする。ラバウル基地以外の泊地でも感情が改善されているというのは石壁の胃痛を多いに和らげる情報であった。

 

「懸念事項であったラバウル基地との協力体制が限定的にではありますが結ばれた事、今回の報道による南洋諸島での関係の改善、本土での提督への同情……こういった観点から後背地との輸送ラインは十分に確立されたといって問題はないかと思われるであります。味方から兵糧攻めを受けて飢え死にする危険性は激減したであります。餓島の悲劇の二の舞いは防げるでありましょう」

 

 餓島とは、ソロモン諸島のガダルカナル島の事である。太平洋戦争でもっとも混迷とした戦いと名高いソロモン海戦は、突き詰めればこの島をめぐる海戦であった。日米両軍が島の制海権を巡り死闘を繰り広げた結果、帝国海軍は敗退して戦力を摩耗、補給線が途絶。陸軍では3万人も送り込まれた兵員の内2万名が死亡してしまった。死者の大半が病死と餓死であったとされ、太平洋戦争中最悪の地獄絵図が生まれてしまった島である。陸軍妖精たちから見ればトラウマレベルの島であった。

 

 なお、この島のすぐ側が鉄底海峡であり、この島の飛行場であるヘンダーソン飛行場が飛行場姫の根拠地である。

 

「ああ、これで後ろ弾(裏切り)を気にせず安心して護りを固められるね」

 

 石壁は心底ほっとしたような顔で続ける。目の前の敵と戦いながら後ろを警戒するなど考えたくもない事態であるから、彼の安堵は当然のものであると言えよう。

 

「沿岸砲台の整備も順調に進んでいるであります。量産された20㎝連装砲や開発された35.6cm戦艦砲を順次搭載しつつ、近接防御用に12㎝砲も十分設置しているであります。また、同時並行的に飛行場、対空砲陣地、地下輸送網の構築にも取り組んでいるであります。手の空いた艦娘達にも手伝ってもらっているお陰で重機が足りない環境でもすさまじい効率で整備が進んでいるであります」

「流石に艦娘達が手伝ってくれると効率が段違いだね……皆の反応はどんなかんじ?」

 

 人型の軍艦である艦娘達の馬力ならば下手な重機がなくても人力(?)で大掛かりな作業を進める事が可能であった。南方棲戦鬼との戦い以降に加入した後期生産組の艦娘達が行った最初の軍事行動は、砲弾を敵に打ち込むことではなくツルハシを岩盤に叩きこむ事になったのである。

 

「『まさか召喚されてすぐに土方仕事をする事になるとは思わなかった』という感想が多いですが、なんだかんだで皆納得して働いてくれているであります。戦後は土木建築業者に再就職できそうでありますな」 

 

 あきつ丸が冗談めかしてそういうと、会議室に笑い声がこぼれる。

 

「ははは、いっそ会社でも立ち上げる?」

「いいでありますな、建築会社『石壁組』……如何にも土建屋って感じがするであります」

 

 あきつ丸はそういいながら次の資料をめくる。

 

「次の議題は……鳳翔殿、頼みます」

「はい」

「え、鳳翔さん?」

 

 立ち上がった鳳翔に石壁がキョトンとする。

 

「ショートランド泊地の航空戦力は飛躍的に増大していますが、それでも石壁提督の艦隊のみでは大規模な航空攻撃に対しては劣勢に立たざるをえません。練度では負けるつもりはありませんが、数では勝てません」

 

 それは厳然たる事実であった。ラバウル基地の様に航空戦で深海棲艦を圧倒するには大勢の提督を呼び込む必要があり、石壁一人では絶対に数の優勢を確保できないのだ。技量である程度拮抗はできるだろうが、数にすり潰されるのは目に見えていた。

 

「故に私は大規模な陸上航空隊を組織し、基地の近海防空に専念する基地航空隊の設立を提案致します。高練度の妖精航空隊を精鋭部隊として温存しつつ、空母艦娘による航空機の遠隔操作によって数を確保したいと考えています」

 

 空母艦娘の艦載機には二通りの操作方法がある。一つは、航空隊妖精さんが搭乗することで彼らに艦載機を操縦してもらう方法。これは艦載機の能力を飛躍的に向上させ、練度の向上によってさらなる強化を見込める基本的な操作方法である。だが、数が確保しずらく、撃墜によって人的損失や練度の低下が発生するというデメリットがある。

 

 もう一つの方法が、空母艦娘自身による艦載機の遠隔操作だ。これは簡単に言えばラジコンみたいなもので空母艦娘が艦載機の一機一機を自身の管制能力で動かして戦わせる方法である。これは仮に艦載機が撃沈されても人的損失が皆無になる為数を揃えやすいという利点がある。だが、艦娘の管制範囲外では一切使えないうえに、どうしても普通の操縦方法に比べて弱い、更に言えば操縦に集中するとどうしても艦娘の反応が低下し戦場では危険といったデメリットが多いのである。

 

(私の艦載機の積載能力では海上での戦闘は厳しい……でも、この方法なら……)

 

 鳳翔は自身の空母としての艦載機や装甲等の不足を、基地航空隊によって補うつもりなのだ。自身の能力を最大限に増大させ、少しでも泊地の……石壁の役に立ちたいという思いからの提言であった。

 

「なるほど……基地航空隊か……」

 

 石壁は鳳翔の言葉に考え込む。

 

(確かにそれなら鳳翔さんの技量を最大限活かすことができるから航空戦力の大幅な増大に繋がる……それに、基地の中での指揮になるから轟沈の心配も少ない……)

 

 石壁は鳳翔のスペック不足の解消という公的な理由と、出来れば戦場に出したくないという私的な理由両面からその案を受け入れる事にした。なお、鳳翔が轟沈すると結魂(ケッコン)の影響で芋づる式に石壁が死ぬので石壁の判断は間違っていない。

 

「……わかった、じゃあ基地航空隊の設立を許可する。鳳翔さんには基地航空隊総監督艦という地位についてもらおうと思う」

「了解しました!」

 

 鳳翔は石壁の言葉に敬礼をして返す。

 

「よし、じゃあ飛行場もあと数日で出来るだろうから、ラバウル基地に協力要請を出そう。航空隊設立にあたって教導隊を派遣してもらえないかきいておいてもらえる?あきつ丸」

「はっ!了解したであります」

 

 ***

 

 それから数日後、石壁の要請に応えてラバウル基地から一人の提督が泊地へとやってきた。

 

「というわけで、入って下さい」

「は!失礼致します」

 

 石壁の言葉を聞いて一人の男性が部屋に入ってくる。

 

「本日から暫くウチの泊地で航空隊の教導を担当してくれるラバウル基地の飯田提督です」

「初めまして皆様、ラバウル基地より出向してまいりました飯田と申します。階級は中佐、基地航空隊の設立のために微力を尽くします。短い間ではありますがよろしくお願い致します」

 

 実直で真面目な飯田提督がそういいながら敬礼をすると、その場にいた全員が敬礼を返す。

 

「大規模な航空隊の運営ノウハウが欠片もないこの泊地にとって彼の助力は正に天の助けだ。基地航空隊総監督艦は鳳翔になるから、頑張ってくれ。海岸線の泊地を護る上で航空隊の空の守りがとても重要になる、頑張るぞ!」

「「「はい!!」」」

 

 かくして、ラバウル基地の飯田提督の協力の元、基地航空隊が設立され急ピッチで整備されることになる。これによって石壁の懸念事項であった航空戦力の不足は、大幅に改善されていくのであった。

 

 

 

 

〜おまけ〜

 

 飯田提督が泊地に到着する前日。

 

「ねえ提督」

「どうしたの戦艦棲鬼」

 

 戦艦棲鬼の膝の上に座って執務をしていた石壁に、彼女が声をかける。

 

「明日、そのラバウル基地の飯田提督がくるのよね?出向って形でそれなりに長期間」

「うん、そうだけど?」

「あの……」

 

 戦艦棲鬼はどうしたものかと言いたげに頬をかく。

 

「私、深海棲艦なんだけど……ばれても大丈夫?」

「あっ」

 

 ***

 

「あーー……どうしよう……今更取り消せないし……」

 

 石壁は執務室で頭を抱えていた。

 

「戦艦棲姫のこと、どうやって誤魔化そう……」

 

 うんうんとうなりながら試行錯誤する石壁をみて、戦艦棲鬼は声をかける。

 

「仕方ない事だし、暫く山奥の方の基地で隠遁しておきましょうか?」

「いや、でもなあ……こういう機会は今後もあるだろうし、そのたびに後方に引っ込んでもらうのも問題がある」

 

 戦艦棲鬼は泊地の最高戦力である。それが最後方で隠れ続けるというのも問題があった。

 

「それに、大切な仲間を一人山奥に追いやるみたいなマネはしたくない」

「……ありがと」

 

 膝の上にのっている石壁には見えていないが、戦艦棲鬼は石壁の言葉に若干赤面して笑みを浮かべている。

 

「しかし……どうしたものか……」

 

 石壁はそういいながらチラリと卓上の写真へ目をやる。そこには横須賀でとった同期の仲間達との写真が飾ってあった。

 

「……」

 

 それを見つめているうちに、石壁の脳裏に一つの方法が浮かんできた。

 

「……いける、か?」

「え?」

 

 

 ***

 

 翌日

 

「……ねえ提督」

「……なに?」

 

 戦艦棲姫が顔を引きつらせながら石壁へと声をかける。

 

「流石に、これは無理がない?」

「無理でも何でもやるしか無いんだよ、『扶桑』」

 

 そこには改造巫女服をきて、化粧で頬を健康的に赤くさせ、額の角を鉢巻でごまかした戦艦棲姫が座っていた。

 

「ほら、長い黒髪で、赤眼で、めっちゃ美人で、艤装とおっぱいが大きい、艦娘扶桑でしょ?」

「そうね……それだけ列挙すると戦艦扶桑の特徴よね……あと別にいいけどセクハラよその評価……」

 

 艤装さえ出さなければ確かに扶桑型戦艦に見えなくもない気もする、だが声が全然違うので喋ったり化粧を落とせば別人(?)だとモロバレしてしまうだろう。

 

『戦艦棲姫を扶桑に偽装してごまかす』

 

 どうにかして戦艦棲姫の存在を誤魔化さねばと悩みに悩み、思考のしすぎで頭の中が茹だって変なテンションになってしまった石壁の欺瞞工作であった。

 

「取り敢えず風邪で喉を痛めたって説明しておくから、出歩くときはマスクしてその格好でお願いします」

「ええ……いいわよ……提督の為だものね……」

 

 戦艦棲姫改め、扶桑型戦艦一番艦扶桑と化した彼女は、死んだ目をして石壁の言葉に頷いたのであった。

 

 余談だが、戦艦棲姫は戦艦扶桑として公的な記録に残った為、後世の歴史において南方棲戦鬼との戦いでは石壁は彼女に座乗していたという事になってしまったのであった。が、同時に幾つかの私的な記録においては彼女は『戦艦棲姫であった』との記録も見つかっており、謎の戦艦Xの正体が一体何だったのか、歴史家達を大いに混乱させたことを記載しておく。

 

 

 



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第十三話 グラップラー (フ)ブキ

 これは南方棲戦鬼との戦いが終わった直後の事である。

 

 大勢の駆逐艦、軽巡洋艦達が訓練所に集まっていた。彼女達は南方棲戦鬼との戦いで磨り潰された深海棲艦達の中で、辛うじて原型を留めていた艦から呼び起こされた艦娘達である。

 

 その群衆の中で周りをキョロキョロと見回す一人の少女がいた。田舎の女子中学生を思わせる、良く言えば真面目で純朴そうな、悪く言えばどこにでもいそうな女の子であった。

 

 彼女の名前は吹雪、特型駆逐艦の一番艦の艦娘である。

 

(ちょっと前までここにいた全員が深海棲艦だったのに、今では全員艦娘かあ……沈んだり浮かんだり忙しいなあ)

 

 彼女はあっという間に生死が入れ替わる艦娘というあり方に苦笑しながら、周りの己と同じ運命を辿った艦娘達を眺めている。暫しそうやっていると、自分たちの前に数名の艦娘がやってきてこちらを向いた。

 

「皆初めまして。第一水雷戦隊旗艦の川内よ!夜戦(ゲリラ戦)の教官だよ!」

「同じく貴方達の教官を努めさせていただく神通です。第二水雷戦隊旗艦を努めさせていただきます」

「那珂ちゃんだよー!よっろしくー!所属は第三水雷戦隊だよー!」

 

 彼女達が名乗った瞬間、何名かの艦娘達の顔が引き攣った。

 

(うわ……)

 

 吹雪もその例に漏れず顔が引きつる。

 

(あの乱戦で戦艦達相手に大立ち回りした化物軽巡達だ……うっ……トラウマが……)

 

 南方棲戦鬼との戦いの折に深海棲艦の本体に奇襲をかけた最精鋭の艦娘達の中に彼女達も居た事を吹雪は覚えていた。死を恐れぬような勇猛果敢な戦いで大勢の深海棲艦をボロ屑に変えた彼女達は、当時は敵だった吹雪達から見れば悪鬼羅刹もかくやというレベルの恐怖を撒き散らしていたといえるだろう。特に顔を引きつらせた者達は間違いなくこの3人に仕留められた艦である。

 

「……ん?教官?私達の?」

 

 思わず吹雪がポツリとつぶやく。それを耳聡く聞きつけた神通が吹雪の方を見る。目が合った吹雪はヤベッっという顔をしたがもう遅い。

 

「……あら……貴方はもしかしてあの時私の首筋に噛み付いてきた駆逐艦の深海棲艦でしょうか」

「ひ、人違いじゃないでしょうか!?」

 

 吹雪は目が合っただけでそこまで看破してきた神通に戦慄した。あの時の吹雪は有り余る闘争本能に任せて神通に襲いかかり見事に返り討ちにあった苦い過去をもっている。

 

 武装が吹き飛んで両腕をもがれた吹雪(になった深海棲艦)は、首筋に噛み付いて神通の首の骨をへし折るつもりが、逆に首をへし折られて返り討ちにされたのである。

 

(くそっ……勝てないのはわかっているけどこうやって見つめられるとあの時の記憶がチラついて腹がたつなあ……)

 

 吹雪はじっとこちらの目をみつめてくる神通に苛立ちを覚える。

 

(むかつく位美人で、性格が良くてその上強いなんて反則だよ……その顔面をぶん殴りたい)

 

 この吹雪、何度も艦娘と深海棲艦を行ったり来たりしたせいか、総体として純朴で素直で真面目な吹雪という艦娘としては異様なくらい反骨精神の塊であった。そのくせ根っこは真面目なままなので某ゲーム風に言えば吹雪オルタといったところだろうか。

 

「……ふむ、そうですか」

 

 神通は吹雪の言葉を聞いてそう呟くと、にっこりと微笑んだ。

 

「まあ昔のことは置いておくとして、貴方のそのふてぶてしい反骨精神に溢れた目が気に入りました。貴方は私の第二水雷戦隊で鍛えてあげますね」

「ええええ!?」

 

 神通のその言葉に吹雪は驚愕した。イラつくのは別としてこんな怪物の部下なんてなりたい訳がない。だが吹雪のそんな思いは一切無視したまま話は進んでいく。

 

「私達の仕事は皆が簡単にくたばらない様に徹底的に鍛える事よ」

 

 川内が神通と吹雪のやり取りを見ながら全員へと伝えると、それを神通が引き継ぐ。

 

「残念ながら提督は非常に多忙で、私達を直接指揮する余裕はありません。だから通常の『艦隊』ではなく、第一、第二、第三、第四水雷『戦隊』という形で私達を旗艦にした小隊を組んで鍛え上げます。拒否権はありません」

 

 通常の艦隊は提督の指揮によって戦闘能力を向上させたり轟沈しにくくさせたりするのだが、石壁は要塞全体の指揮で指揮所を離れられない為、補助が基本的にない形で運用するしかないのである。

 

 ちなみに、南方棲戦鬼との戦いで突撃に加わった艦娘達も同様の状態だったので、熊野を始めとして轟沈艦が出てしまった。もっとも、あれだけの激戦ならば提督の補助があろうと死ぬときは死ぬので気休めかもしれないが。

 

「皆の所属する戦隊(ユニット)が皆の命綱だからね☆アイドルは体力仕事、死ぬ気でついてきてね!」

 

 那珂の笑顔の死刑宣告をうけてその場の全員の顔が引き攣った。

 

「おーい、仕事道具をもってきたぞー!」

 

 その直後、天龍がガラガラとリヤカーを引っ張って皆の前へとやってくる。リヤカーには大量の工具やツルハシ、スコップ等々が積まれている。

 

「ありがとうございます。天龍さん」

「気にすんなって……あ、俺は天龍、新入り達よろしくな!」

 

 視線が集まってきたことに気が付いた天龍はそういって笑う。

 

「一応俺が第四水雷戦隊の旗艦って事になってるから困ったことがあればなんでも相談しろよ!」

「は、はい!……それで、そちらの道具はいったい?」

 

 吹雪は天龍がもってきた工具類などをみてそう問う。

 

「ん?これか、ほらよ」

「え?」

 

 天龍が荷台からツルハシを取り出して吹雪に渡す。

 

「ただ訓練だけを行うにはこの泊地は時間も余裕も提督も足りないんだ」

「ですから、体を鍛えつつ泊地の仕事もこなさねばなりません」

「地道な下積みがブレイクのコツなのはどんな事でも一緒だからね!」

 

 神通達もそれぞれツルハシをもってヘルメットを被る。

 

「え、え?」

 

 ざわつく艦娘達に一人づつ道具を渡してから、天龍が声を張り上げた。

 

「さあテメーら!根性入れて泊地建設開始だ!」

「「ええええええええ!?」」

 

 かくして、軍艦から重機にジョブチェンジした艦娘達が要塞の建造を開始したのであった。

 

 ***

 

 そんなこんなでそれ以降、石壁達がラバウルにいったりまるゆ達が輸送作戦を行っている間も艦娘達は必死に訓練という名の土木工事を続けていた。

 

 鬼のように厳しい川内達の泣いたり笑ったり出来なくなる訓練(土木工事)によって吹雪達はメキメキと陸軍の工兵として成長し、それに比例するように沿岸部の整備は急ピッチで進んでいった。

 

「ふう、ちょっと休憩するか。おーい、皆、1時間程休憩だ!飯だぞ!!」

「「「はい!」」」

 

 天龍がそういうと、天龍が面倒をみている面々が休憩に入っていく。

 

「おーい!天龍!」

「天龍さーん!」

「んあ?」

 

 天龍が休憩がてら自分用のヤカンを手にラッパのみで水分補給をしていると、彼女は聞き覚えのある声に名前を呼ばれてそちらをむいた。

 

「あ!飛龍に蒼龍じゃねえか!」

「先日ぶりね」

「元気でしたか?」

 

 そこに居たのはラバウル基地の飛龍と蒼龍であった。先日のラバウルの大乱闘で友人となった艦娘達である。

 

「おうよ、この天龍様はいつでも元気ハツラツだぜ!」

「確かに元気そうね」

「けど艦娘らしさは欠片もないですねえ」

 

 天龍は現在いつものセーラー服ではなく、ツナギにタンクトップを着用して傍らにツルハシをもっており、傍目から見ると完全に土方のワイルドなねえちゃんであった。

 

「これはこれで良いもんだぜ、体も思いっきり動かせるしな!」

 

 天龍はそういって健康的な笑みをみせてから、立ち上がった。

 

「これから飯なんだよ、一緒に行こうぜ」

 

 ***

 

「この泊地間宮さんがいるんだっけ?凄いわよね、提督の初期艦の一人なんでしょ?」

「南方の泊地全体でも間宮さんは数人しか居ないから滅多に会えないんですよねえ、楽しみです」

「この泊地は飯だけは本当に旨いからな、石壁提督様々だぜ」

 

 それから三人は気の合う友人のように語り合いながら食堂へと歩いていく。

 

「しかし、これだけの坑道をよく掘ったわねえ」

「たったこれだけの期間で沿岸部がゴリゴリ重武装化していて驚きましたよ」

「まあ、鎮守府の艦娘総出で掘ったからなあ」

 

 人型重機と化した艦娘達の一心不乱の掘削工事によって沿岸部の開発は急ピッチで進んでいた。歴戦の妖精工兵隊の指揮と艦娘の馬力が合わさった結果であった。

 

「ここの艦娘は工事しかしていないの?」

「いや、そういう訳じゃないぞ?例えば……」

 

「イヤーッ!!」

「甘い!イヤーッ!!」

「グワーッ!?」

 

「な、なんなの!?」

「なんなんですか!?」

 

 その瞬間、通りがけの部屋から烈迫の気合と打撃音が響いてくる。ギョッとした飛龍達がその部屋を除くと、そこには地面に膝をつくボロボロの吹雪と、その前に無傷で立つ神通の姿が合った。

 

「はぁ、はぁ、このっ!!」

 

 吹雪は膝をついた状態から飛び上がるように神通に殴りかかるが、神通は簡単にそれをかわして足をひっかけてすっ転ばせる。吹雪はその勢いのまま顔面から地面に突っ込んだ。

 

「ぎゃん!?」

「踏み込みが甘い!」

「ぐぅうううう!」

 

 歯を食いしばって立ち上がった吹雪の拳を、神通は簡単にいなしてしまう。

 

「チッ!」

「吹雪、貴方はやはり筋がいいです」

 

 神通はいつもの冷静な顔のままそれ以降の攻撃もすいすいと受け流していく。そのさまは柳が風を受けるがごとく流麗であった。

 

(そのすました面が気に食わない!!)

 

 荒れ狂う衝動に任せて攻勢を強めていく。

 

「ですが……」

「うわっ!?」

 

 大振りの攻撃を交わした神通は、足元を払って吹雪を転倒させて彼女の顔面の横に拳を叩き込む。

 

 拳が命中した地面に亀裂が走り、数センチ岩盤がめり込んでいた。直撃すれば吹雪の顔面は人様にお見せできない有様になっていただろう。

 

「グッ……」

「まだまだ、弱い」

 

 神通の宣告に、吹雪は屈辱に顔を顰める。

 

「……絶対にいつか顔面に拳を叩き込んでやる」

「楽しみにしていますよ」

 

 吹雪は当初こそ猫を被っていたが、訓練が進む内に仮面が外れてあっという間に生来の反骨精神が顔を覗かせるようになったのだ。それ以来教官である神通に事有る毎に突っかかってはこうやって地面と抱擁させられていた。それでも諦めずに立ち向かってくるのが、ひねくれても根が真面目な吹雪らしかった。

 

「もうギブアップですか?」

「冗談!!もう一回!!」

 

 起き上がった吹雪はまた神通へと挑んでいった。

 

 ***

 

「あんな風に格闘の訓練とかもしてるぞ」

「「…………」」

 

 部屋を覗いていた飛龍と蒼龍はその光景にドン引きしていた。

 

「いやいやいや、なんなのあれ」

「あそこだけ世界観違いますよね?いつからグラップラーブッキーが始まったんですか?」

 

 重労働とゲリラ戦と格闘の訓練で鍛え抜かれた彼女達は、艦娘というより格闘家(グラップラー)やニンジャとして成長しているらしかった。

 

「そんなこと言ったってなあ……俺達の泊地の面々は提督が忙しすぎる関係で殆ど海に出れねえし、陸戦の訓練を積んで死ぬほどキツイ末期戦でも耐えられる体力と根性を鍛えるしかないんだよ」

 

 伊能は訓練教官は出来ても鎮守府の運営では殆ど役に立たないため、この泊地は実質石壁一人で運営されている。本来なら提督が行う仕事を大胆に艦娘に割り振ってなお、その負担はとても大きい。

 

 普通の鎮守府のように艦隊を指揮して練度を上げるなどやる余裕すらないのだ。

 

「思いの外真面目な理由があったのね……」 

「この規模の泊地を実質たった一人で運営しているなんて、改めてきいても無茶苦茶ですね……」

 

 飛龍達の言葉に天龍は苦笑した。

 

「まあ、もうすぐ沿岸部の要塞建造も一段落するから、そうなれば俺達も少しずつ海に出られるようになるんじゃねえかな?なにせ俺達の提督は有能だからな」

 

 天龍達はそんな会話をしながら、食堂へと歩いていく。

 

 余談だが、この後天龍達は死ぬほど忙しい今より更に忙しい現場へと放り込まれる事になるのだが……今はまだ誰もそんなことをしらなかった。

 

 

 

〜おまけ ショートランド泊地の駆逐隊の朝〜

 

 駆逐隊の朝は早い、というか教官が神通なので大体朝というか深夜に叩き起こされる。

 

「走り込みいくよー!今日は新月だけど探照灯は使用禁止ね!艦娘なら余裕余裕!」

 

 ランダムな時間に叩き起こされた駆逐隊はそのまま川内に引率されて耐久マラソンに突入する。 

 

 闇夜の中をショートランド泊地駆逐隊の歌を歌いながら走っていく。

 

「日の入と共に起き出して!」

「「「日の入と共に起き出して!!」」」

 

「走れと言われて一晩走る!

「「「走れと言われて一晩走る!!」」」

「穴掘れいわれりゃ死ぬ気で掘る!」

「「「穴掘れいわれりゃ死ぬ気で掘る!!!」

 

「大本営はろくでなし」

「「「大本営はろくでなし!」」」

 

「癒着に、汚職に、金が好き!」

「「「癒着に、汚職に、金が好き!」」」

 

「毎夜の夜戦が大好きな!」

「「「毎夜の夜戦が大好きな!」」」

 

「私が誰だか教えてよ!」

「「「私が誰だか教えてよ!!」」」

 

「ショートランドの駆逐隊!」

「「「ショートランドの駆逐隊!!」」」

 

「私の愛する駆逐隊!」

「「「私の愛する駆逐隊!!」」」

 

「私の駆逐隊!」

「「「私の駆逐隊!!」」」

 

「貴様の駆逐隊!」

「「「貴様の駆逐隊!!」」」

 

「我らの駆逐隊!!」

「「「我らの駆逐隊!!」」」

 

「よーしのってきたぁ!このままもう一周いくよぉ!」

「「「オーッ!!」」」

 

 毎日毎日夜戦と工事と訓練で鍛えられてこの程度では動じなくなってきた駆逐隊の面々はそのまま夜明けまで走り続けたのであった。

 

 ***

 

「夜明けだよー!皆お疲れ様ー!」

 

 日の出によって一度訓練が終わると暫しの急速の後に朝食が始まる。

 

「残したら訓練のレベルをいつもの3倍にしますので残さずしっかり食べなさい」

 

 一日中重労働と訓練を行う駆逐隊の食事は成人男性よりも多い、白米3合に主菜と副菜をつけてガッツリと食事を取らされる。

 

「ご飯食べたら腹ごなしの訓練開始だよー☆アイドルは白鳥と同じ、辛くても苦しくても最後まで動き続けるんだよー!吐き出したら許さないから☆」

 

 そのままもう一度訓練に突入する。休む間も無いほどの連続戦闘を想定して腹に食事を詰め込んで戦う訓練も兼ねているので吐き気をこらえて動き続ける。

 

「よっしゃみんな生きてるな、じゃあ今日も一日事故無く頑張るぞ!!ツルハシを持て!!」

「「「「おおおおおお!!」」」」

 

 最後はツルハシ片手に土方仕事に突入する。こうして、駆逐隊の一日が始まるのであった。

 

 ***

 

「……って、感じだな、俺達の生活」

「どこから突っ込めばいいのよ!!求める水準が修羅すぎるわよ!!」

「妙に駆逐艦の皆が強そうだなあって思ったけどそんな生活してればそりゃそうなりますよ!!」

 

 今日もショートランドの駆逐隊は頑張っています。

 

 

 

 



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第十四話 リボル(ビング)クラッシュ

評価者数が100人を超えました!ありがとうございます!

皆さまもご期待や評価に最大限添える様に精一杯頑張りますので
どうかこれからも拙作をよろしくお願いいたします!


 基地航空隊の設立の為に泊地所属の空母達が飛行場に集まって訓練をしている。教導艦として教鞭を振うのは飯田提督の初期艦である飛龍と蒼龍である。

 

「違う違う違う!!そこはもっとこう……」

「いいですよ、そうです、そうやって意識を飛行隊全体へ……」

 

 ラバウル基地の空母だけあって、二人の空母としての練度は非常に高く、その教練は非常に高度なものであった。その訓練に泊地の空母艦娘達は必死になって喰らい付いていく。

 

「こうですね」

「……流石鳳翔さんね」

 

 その中でも鳳翔は鬼気迫る真剣さで教練をモノにしていく。石壁の役に立ちたい、足手纏いになりたくない、そんな思いで航空隊の手動操作を体に叩きこんでいく。

 

 そんな様子を見ながら、飛龍と蒼龍は教導について軽く相談をする。

 

「鳳翔さんは後は自己訓練だけでなんとかなりそうね」

「ええ、流石ですね」

 

 航空隊のマニュアル操作は、艦娘の練度と意志の力に依存する。石壁の鳳翔はその両点において他の艦娘達を突き放していた。

 

「他の皆も最近艦娘になったばかりだというのに筋がいいわね」

「それだけ必死なんでしょう、なにせ、彼女達の提督はほっといたら戦死か過労死でぽっくり逝きそうですしね。危機意識が違うんでしょう」

 

 先の戦いの後に加入した空母達も必死になって訓練に臨んでいるが、鳳翔に及ぶモノは誰もいなかった。その一方で、南方棲戦鬼との戦い以前に加入した二名だけは、彼女に次ぐ高い実力を示している。

 

「瑞鶴と飛鷹、彼女達も相当ね」

「ええ、顔つきが違います。聞けば彼女達は南方棲戦鬼との戦いにも参加したとの事ですし、くぐった修羅場が違うのでしょう」

 

 比較的軽いノリの瑞鶴だが、訓練に臨む彼女には一切遊びは見えない。抜き身の刃の様な鋭さを見せながら航空隊を発艦させていく。その艦載機の動きは同時多数のマニュアル制御とは思えない程変則的なモノであった。

 

 その隣の飛鷹は瑞鶴とは逆に、幾何学的というか、磨き上げられた戦術に基づく手堅い艦載機の運用が行われている。

 

 瑞鶴の制御が天性の才覚を努力によって磨き上げた天才の艦載機運用だとするなら、飛鷹のそれはひたすら基本と基礎を積みあげて単純だが分厚い秀才の艦載機運用であるといえるだろう。異質の方向性の確かな才が互いに練磨しあっているのが見て取れた。

 

(私はあの時、何もできなかった)

 

 瑞鶴は弓を引き絞っては発艦し、艦載機の制御数を増やしていく。

 

(斜面を駆け降りる提督を止める事も、助ける事も出来なかった)

 

 心の中の刃を研いでいく、自身の提督を助けられなかった悔しさをバネに己の才を練磨していく。

 

(だから、今度こそ、私が……いえ、『私達』が提督を助けるんだ)

 

 その瞬間、変則的な瑞鶴の艦載機の動きが、飛鷹の艦載機の動きと組み合わさる。瑞鶴の柔軟な艦載機の動きと、飛鷹の強剛な艦載機の運用が合わさり、互いの弱所を埋めあう。

 

「……」

 

 瑞鶴がちらりと飛鷹に目をやると、彼女はふっと笑って頷き、艦載機の動きを合わせていく。二人は言葉もなく硬軟自在の艦載機運用を即興で行っていく。鳳翔は一人でこれを行う事ができるが、瑞鶴と飛鷹は二人の力を合わせる事で彼女の技能に肉薄することに成功したのである。

 

「すごい息の合いようね」

「ええ、流石は同じ修羅場を乗り越えた仲、息がぴったりです」

 

 彼女達は南方棲戦鬼との戦いで、圧倒的な敵艦載機達を前に協力した経験があった。石壁の補助によって防空戦という形の理想形を体感させられた彼女達は、それ以後ずっとその再現を自力で狙っていたのだ。互いの得意分野の艦載機運用に特化し、それを組み合わせる事で硬軟自在の艦載機運用を実現しているのである。

 

「鳳翔さんとあの二人がいればこの泊地の航空隊は盤石ね」

「ですね」

 

 二人がそうやって頷いていると、遠方から声が響いた。

 

「まるゆ隊帰還!!まるゆ隊帰還!!」

 

 陸軍妖精が大声を張り上げながら駆け抜けていく。

 

「本土へ遠征に出ていた輸送隊が戻ったぞおおおお!」

 

 ***

 

「その荷物はこっちに、あれは第八倉庫に運んでください」

 

 港では荷揚げされた物資が積まれており、妖精さんや艦娘達が間宮の指示に従って運搬作業に従事していた。

 

「間宮殿、提督殿のお荷物はどちらへ運びましょうか?」

「しょうかー?」

 

 陸軍妖精とまるゆが間宮にそう問うと、間宮はそちらをむいて答える。

 

「えーっと、それは提督の部屋にでも置いてあげてください。あ、目録はここへ置いておいて、命令書は提督へ渡してください」

「了解しました」

「ましたー」

 

 二人が目録を机において歩いていってくと、入れ違いで伊能達がやってくる。

 

「輸送作戦は成功したようだな」

「あ、伊能提督。はい、皆さん怪我無くかえってこられましたよ」

 

 間宮に声をかけながら、ちらりと卓上の目録に目をやる伊能。

 

「それは重畳だな。これが目録か、なになに……中古●S2適量、はっ?」

「えっ?」

 

 ***

 

 石壁と鳳翔は部屋を一つ埋める大量の荷物を前に途方にくれていた。

 

「おい、なんだこれ」

「はい、ご注文の中古ゲーム機適量です基地司令殿!」

「頑張って運びましたー」

 

 本土へ輸送任務にいっていた陸軍妖精とまるゆの回答に、石壁は顔を引きつらせる。

 

「うん、確かに注文した……注文したけど、どうして部屋一個埋め尽くす様な量なの!?なに!?これ全部いっぺんにやれってこと!?聖徳太子が百人いても聞き分けられないよ!?」

「提督、聖徳太子が居てもどうしようも無い気がします」 

 

 石壁の絶叫をきいた妖精は、懐から命令書を取り出す。

 

「はっ!命令書にはまるゆ一隻を使ってこのゲーム機を適量用意しろと記載してありましたので、まるゆ一隻に積み込める限界量まで準備致しました!」

「はっ!?」

 

 命令書には確かにその様に記載してある。

 

「た、確かに命令書には適量としか書いてない……発注ミスというか、命令のミス……?」

 

 そこまで言ってから、石壁ははっとした様に顔を上げる。

 

「え、ちょっとまって。なに?僕もしかしてゲーム機確保するために軍艦一隻動かした事になってるの?」

「これ、命令書として大本営に提出もされてますよね……公文書として残ってしまったのでは……?」

 

 二人の予想通り、この時の命令書は公文書として残ってしまい、石壁はゲーム機を確保するために輸送作戦を行った男として歴史に記録されてしまったのであった。

 

「マジかよ……末代までの恥ってレベルじゃねーぞそれ……」

「あ、そうだ基地司令殿、大本営の経理からお手紙です」

 

 石壁が頭を抱えると、そっと封筒が差し出される。

 

「え?経理から?」

 

 石壁が封筒を開くと、中から二枚の紙が落ちる。鳳翔と石壁がそれぞれ紙を拾い、先に鳳翔が読み上げる。

 

「えーっと……『ゲーム機が経費で落ちるわけねーだろタコ!自分で買え!』……至極ごもっともなお怒りで……」

 

 鳳翔が困ったような顔で手紙を読むとなりで、石壁の顔がどんどん青くなっていく。

 

「せ、請求金額2300万円……しかも……リボ払いだってぇ!?」

 

 石壁が絶叫する。千台近いゲーム機と、それに対する無数のゲームソフトの値段としては適性であったが、石壁にとってはなんの慰めにもならない。

 

「2……2300まんえん……りぼ払いで……」

 

 鳳翔の手から手紙が滑り落ちる。

 

「年利15%で年間利息が345万円……リボ払い一回の支払金額なんて触った事ないから多分数万だろ……?や、やばい、これ雪だるま式に増えていく奴だ……」

 

 リボ払いとは毎月定額を支払っていく支払い形式である。一見すると分割払いと変わらない様に見えるが、リボ払いの支払いはまず利息に対して発生し、しかも複利であるという違いがある。つまり、一年間で利息すら払いきれない場合、翌年は利息を含めた金額にさらに利息が発生するのだ。これを防ぐためにはリボ払いの金額を利息以上まで増やすか一括で支払ってしまう必要がある。が、任官一年目の石壁がそんな給料もっている訳がない。

 

「やべえよ……毎月のお給料の大半は孤児院に仕送りにまわしてるから貯金なんて殆どないぞ……ど、どうしよう」

 

 石壁は予想外の問題に直面して頭を抱えた。

 

「妙な物資が大量搬入されたときいて来たが、まるゆ一隻分のゲーム機とか一体全体なにをやっとるんだ貴様は」

「あ、伊能」

 

 すると、部屋の扉を開いて伊能が入ってくる。

 

「返品の期間は等にすぎてしまっている以上、もう買うしか在るまい」

「そんな金ないよ……」

「はぁ……ほれ、これを使え」

 

 伊能が投げよこしたのは金額の記入されていない小切手であった。

 

「俺は艦娘の登場前から軍人だったからな、その頃からの給料がかなり溜まっているからそれぐらいならなんとか払える。いずれ利息をつけて返してくれればいい、遠慮なく使え」

 

「……すまん、ありがとう」

 

 石壁が深く頭をさげると、伊能は苦笑した。

 

「気にするな。まあ、貴様に初めて貸した金が、まさかゲーム機の支払い代金になるとは思わなかったがな」

「友人から借金してゲーム機の支払いにあてるとは、まるでとんでもないダメ人間でありますなあ」

「うぐっ!?」

 

 事実を羅列するだけで石壁がとんでもないダメ人間にしか見えなくなる。この想定外過ぎる心的ダメージに石壁は膝をついてしまったのであった。

 

「じゃあ俺達は仕事にもどるぞ」

「気をつけるでありますよ、石壁提督」

 

 伊能達が出ていった後、部屋には心に深い傷を負った石壁と、鳳翔だけが残されたのであった。

 

 

「……ねえ鳳翔さん」

「……はい、提督」

 

 石壁は遠い目をして呟いた。

 

「僕は、二度とクレジットカードで買い物なんかしないよ」

「そうですね、気をつけましょう」

 

 こうして、石壁の手元には多額の借金と大量のゲーム機(クソゲー付き)が残ったのであった。

 

 

 

 

おまけ

 

 

 ラバウル基地の南雲が執務をしていると、扉がノックされた。

 

「入れ」

「失礼します、石壁提督から贈り物が届きました」

「はて?一体何が?」

「さあ、精密機器らしいですが……一体何なのでしょうか」

 

 扉をあけて入ってきた加賀は、手元に大きなダンボール箱を抱えていた。

 

「とりあえず、みせてくれ」

「はい……よいしょ」

「どれどれ……なんだこれ……」

 

 南雲が机を占拠したダンボールをあけると、そこには見覚えのあるゲーム機が入っていた。

 

「……なんで●S2(【ピー】エスツー)がはいってるんだ?」

「さあ……鎮守府の皆さんで遊んでくださいとしか言われませんでしたので」

 

 南雲はまったく意図のわからない石壁の贈り物を前に困惑する。

 

「……とりあえず、談話室にでもおいておくか?」

「……そうですね」

 

 数日後、一緒に送りつけられたソフトの大半がクソゲーだったことが発覚し、談話室が艦娘達の阿鼻叫喚に包まれる事になるのを、南雲はまだ知らなかった。

 

 報告を聞いた南雲は石壁と再会したら一発ぶん殴る事を心に誓ったのであった。

 

 なお、このクソゲー宅配テロは石壁と仲良くなった提督達全員に行われたため、複数の提督や艦娘の日記などに石壁はクソゲーハンターであったのだと記録され、後世において石壁の人物像を大きく歪める一因となるのだが……なんで石壁がそんな嫌がらせじみた真似をしたのかは、歴史のミステリーの一つになったのであった。

 

 

~おまけ2 新鎮守府(?)完成~

 

沿岸部の要塞が形になっていく頃、ようやく新しい鎮守府が完成した。

 

「沿岸部の鎮守府ですが、また大量の深海棲艦が押し寄せた時の時の為にメッチャクチャ頑丈に作りましたよ」

「おお、出来たんだ?見に行こうか」

 

 石壁が明石について沿岸部で見つけた鎮守府は凄まじい出来であった。

 

「ねえ明石」

「はい」

 

 石壁の顔が引きつる。

 

「僕さ、あんなピラミッドの頂点削っただけみたいな鎮守府見たこと無いんだけど、なにあれ」

 

 石壁たちの目の前には、ピラミッドの上半分を削って平らにしたような建物が立っていた。

 

 石壁の問に、明石はよく聞いてくれましたと言わんばかりに胸をはる。

 

「はい!前回の鎮守府は砲撃や爆撃、破壊工作によってそれはもうボロボロでしたので、一から作り直すことになりました」

「うん、それはいいよ」

「だから要塞建造のノウハウを活かしてガッチガチに硬め、戦艦の砲撃すら弾き返せる様に傾斜装甲を採用してみました!」

 

 傾斜装甲とは、装甲板を傾ける事によって実態以上に装甲の厚さを増加させる技法である。

 

 例えば10cmの厚さを持つ装甲板を想像してもらいたい。この板に垂直に砲弾をぶつけた場合、10cmの鉄板をぶち抜く破壊力がある砲弾ならこれを貫通することができるだろう。

 

 ではこの板に『斜め』に砲弾が突き刺さればどうなるだろうか?当然ながら斜めに進む分突き抜かなくてはいけない装甲の距離が10cmより増えてくるのがわかるだろう。

 

 つまり傾斜装甲とは、最初から装甲を斜めに設置することによって、本来の装甲厚よりも高い防御力を発揮させる事を目的とした装甲のことなのである。かの有名なソ連の傑作戦車、T-34などが採用している装甲方式である。決して鎮守府に採用するようなものではない。

 

「大量の鉄骨を惜しみなく用いた外壁はなんと中空二重構造になっており、傾斜装甲、空間装甲、傾斜装甲の鉄壁の三重防壁になっています。更に念には念を入れて表面には傾斜を活かして土嚢を積んでいます。この泊地なら南方棲戦鬼が100人やってきて集中砲火を行っても耐えられますよきっと!」

 

 空間装甲とは、装甲を二重に設置し間に隙間を作ることで、一つ目の装甲への着弾の衝撃を減衰させて二枚目で受け止めようとする装甲の設置方法である。これも戦車などに用いられる工法で、やっぱり鎮守府に採用するものではない。

 

「表面がピラミッドみたいにぼこぼこしていると思ったら、あれ土嚢か……」

 

 石壁の目が死んでいく。

 

「……あのさ、僕の記憶が正しければ……傾斜装甲って内部空間を圧迫するから、居住性最悪なんじゃなかったっけ?」

「ええ、壁が傾いてますからどうしても使えるスペースは小さくなりますね。しかしご安心ください!あの建物は実は地下まで広がっておりまして、地下三階までがっつりと拡張しておりますので居住空間もしっかり確保出来ておりますよ!天井と一階の床は分厚い水平装甲になっていますので、地下に立てこもれば上層部が全部崩れても安全です!」

 

 水平装甲とは、戦艦同士の超遠距離戦時に発生する、相手の頭上に垂直に砲弾が振ってきた場合にそれを受け止める装甲である。

 

 古い型の戦艦なんかは甲板の水平装甲がスカスカで垂直に弾が当たるとそのまま内部までスコンと弾が飛び込んで大惨事になったりする。その為後期の戦艦では非常に重視されている装甲である。そしてやっぱり鎮守府に採用する装甲ではない。

 

「……あの、快適さは?」

「……それって堅牢性より重要なものなんですか?」

 

 明石の澄み切った曇りなき瞳に見つめられた石壁はそれ以上言葉を続けられなかった。この明石、ここ数ヶ月で要塞建造をしすぎたせいで脳みその奥底まで要塞化してしまったらしかった。

 

「……ちなみに、この鎮守府はどういう攻撃を想定して作られたの?」

「はい!数百人の戦艦級の深海棲艦に四方を囲まれて集中砲火を受けてもしばらく耐えられる様に作りました!」

「どんな地獄絵図だよそれ!!もう詰んでんじゃんその局面までいったら!!」

 

 石壁が思わず叫ぶと、明石は不思議そうに呟いた。

 

「泊地が陥落して山奥に逃げ込んだ私達のあの状況も一般的には詰みっていうんじゃないですか?私、あの時ゼロから要塞作らされたんですけど」

「ごめん、今のツッコミなし。この鎮守府は最高です」

 

 速攻で前言を翻す石壁、その件を出されたら黙るしか無い。

 

「ご満足いただけた様でよかったです」

 

 明石がそう言うと、石壁は濁った目で笑うしかなかった。

 

 かくして、山奥の要塞をでた一同は、海辺の要塞へと棲むことになったのであった。

 



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第十五話 贈り物と約束と

 ここは石壁の私室である。普段あまり物の多くない部屋の中に現在それなりに多くの荷物が妖精さんによって運び込まれている。

 

「この箱はどちらにおきましょうか?」

「ああ、それはこっちへお願い」

 

 これは石壁が注文した嗜好品や娯楽品の類であった。発注ミスで購入されてしまった大量のゲーム機は現在倉庫を一つ埋めてしまっているのだが、それ以外の普通の品はすべてここにもってきてある。

 

「ではここに置いておきますね」

「ああ、ありがとう」

 

 妖精さんは石壁の指示に従って荷物を置くと、敬礼をして部屋を出ていった。

 

「ふう……荷物を整理するか……」

 

 石壁は目録とにらめっこしながら、一点ずつ箱を開け始めた。

 

 ***

 

「えーっと、最後のこの箱はなんだったかな……」

 

 石壁が一通り箱を開けていき、最後に残った箱を開ける。

 

「……これ、は」

 

 石壁は中身を暫し呆然と見つめた後、再び蓋を閉じる。

 

「……」

 

 石壁はその箱をもって立ち上がると、部屋を出ていった。

 

 ***

 

 部屋を出た石壁は、艦娘寮のとある部屋の扉を叩いた。

 

「は~い、ちょっとまってね~」

 

 数秒後に扉が開いて、中から鈴谷が出てくる。

 

「あれ?提督じゃん、どうしたの?」

「いや、ちょっとね……入ってもいいかい?」

「うんいいよー、入って入って」

 

 鈴谷がにこやかに扉を開いて招き入れると、石壁はかるく頭を下げて部屋に入る。

 

「お邪魔しますっと」

「いらっしゃいませー、お一人様ご案内」

 

 鈴谷がちゃぶ台のそばに座布団をおいて席を準備してくれたので、石壁は素直にそこに座る。

 

「で、今日はどうしたの?」

 

 鈴谷が石壁の正面に座って真っすぐに見つめてくる。石壁が鈴谷の顔を見ると、髪色と同じ透き通った青色の瞳と目が合った。

 

「その、さ……」

 

 石壁が机の上に小箱を置いて、鈴谷の方へすっとスライドさせる。

 

「これ、もらってくれないかな」

「なにこれ、プレゼント?」

 

 鈴谷は30センチ四方程の小箱を開けて中身を確認する。

 

「……あ」

 

 そこには、三人分のカップとソーサーが収められていた。

 

「……これ」

 

 鈴谷はそっとカップを取り出して、手の中に収める。

 

「今の鈴谷が覚えているかは知らないけど、あの戦いの前に熊野と約束したんだ」

 

 石壁は、カップをもった鈴谷を見つめる。

 

「『次は、三人でお茶を飲もう』ってさ」

 

 鈴谷の青い瞳の奥に熊野の残滓を感じながら、石壁は曖昧に微笑んだ。

 

「せっかくの美味しいお茶だったから、カップくらい良いもの用意してあげたくてさ……戦いが始まる前に輸送品目に混ぜておいたんだ」

「……」

 

 鈴谷は、じっとカップを見つめ続ける。

 

「……そっか」

 

 ふふっと、鈴谷が笑う。

 

「提督、このままちょっと、まっててね」

「ああ、うん」

 

 鈴谷は箱にカップを収めると、それをもって寮室の小さな調理スペースへと入っていく。

 

「……」

 

 石壁は鈴谷の後姿をみつめていたが、やがてすっと目を閉じた。

 

 提督と艦娘の魂は繋がっている。故に集中すれば目を閉じても艦娘の存在を感じる事が出来る。目を閉じて鈴谷の気配を探れば、石壁はそこに確かに熊野の存在を感じた。

 

 お湯を沸かす音、食器が触れ合う甲高い音。漂ってくるハーブティーの香り。あの時と同じであった。あの時と違うのは鈴谷が居る事。そして、熊野が居ない事。だが、目を閉じている間だけは確かに三人がこの場に居る様に感じられた。

 

 やがて、気配は石壁の前まで戻ってきて、ゆっくりと座った。

 

「おまたせ、提督」

 

 コトリと、目の前にカップが置かれる。

 

「……ああ」

 

 石壁が目を開ける。机の上には3つのカップが置かれており、そこにハーブティーが注がれていく。

 

「ねえ、提督」

 

 ゆっくりと注がれるお手製のハーブティーを見つめながら、鈴谷が穏やかに口を開く。

 

「鈴谷もさ、知ってる。熊野がどんな約束をしたのか、どんな思いでこうしてハーブティーを注いでいたのか……石壁提督との会話も、全部しっかり鈴谷の中に『残ってる』」

 

 近代化改修で鈴谷へ己の魂を託した熊野の思いは、記憶は、鈴谷の中に今も残っている。

 

「熊野はこうやって石壁提督とお茶を飲むのが本当に好きだったんだ。石壁提督が話した事も、どんな顔をしていたのかも……小指を絡ませたときの胸の高鳴りだって覚えてる。どんな些細な記憶も大切な大切な熊野の宝物だったんだね」

 

 注がれたお茶はあの時と同じ素晴らしい香りを漂わせている。ふわりと揺蕩う暖かな湯気がゆっくりと登って消える。

 

「だから石壁提督が約束を守ってくれた事が、本当に『嬉しい』んだ」

 

 鈴谷はにこっと、優しく微笑んだ。その笑みは慈愛に満ちており、昔日の『熊野』の笑みとそっくりであった。鈴谷のこの様な笑みを石壁は初めて見た。

 

「ありがとう、石壁提督」

 

 真っすぐとこちらを見つめてそうお礼を言ったのは、はたして鈴谷であったのか、熊野の心がそう言わせたのか。それは石壁にはわからなかったが、どちらであるのか考える事自体が些細な問題であるように感じた。

 

 石壁はその笑みをみてほほ笑むと、そっとカップを口元へと運んだ。あの時と同じ味の同じハーブティーをゆっくりと味わう。

 

「……うん、美味しい」

 

 石壁がそういうと、鈴谷は微笑みを浮かべて自身もカップへと口をつける。

 

「うん、上出来かな、うまく作れたみたい」

 

 鈴谷がそういうと、石壁は少し驚いた顔をした。

 

「……これ、あの時の残りじゃなかったんだ」

「そうだよ。鈴谷もさ『約束』を果たすためにこっそり作ってたんだ、ハーブティー」

 

 鈴谷は熊野の心残りであった『約束』を果たすために、熊野の記憶を頼りにもう一度ハーブティーを作っていたのだ。

 

「ようやく満足のいく出来になったから、そろそろ一回呼ぼうかなって思ってたんだ」

「そうだったのか」

 

 鈴谷がいつもの明るい笑みを浮かべてそういうと、石壁もいつもの朗らかな笑みを浮かべて呟いた。

 

「約束、守れてよかったよ」

 

 石壁は目を閉じて二人の存在を感じながら、ハーブティーを味わったのであった。

 

 

 

〜おまけ 二人分の感情の行き場〜

 

 

 カップを手にする石壁を見つめながら、鈴谷は己の内に燻ぶる様々な思いが熱を持ち始めているのを感じていた。

 

(安心しきった顔しちゃって……)

 

 鈴谷は目の前の提督の姿が、昔日の熊野が見ていた記憶の姿と重なって感じていた。熊野が提督に感じていた安心感や愛おしさと、自分が提督に感じている感情が積み重なっているのだ。

 

(私は、提督のことどう思っているのかな)

 

 二人分の好意が入り混じっている鈴谷の石壁への感情は複雑に極まる。既に記憶の統合が進んで熊野の記憶や感情も鈴谷のモノへとなっているが、だからといってこの恋慕に近い感情をそのまま全て自分のモノとするのは違う気がしていた。

 

(多分好きなんだと思うけど、でもそれはどんな好きなのかな……友情?親愛?それとも男女の恋?ただでさえ自分の感情なんてわからないのに雑ざりあって余計わからないや)

 

 鈴谷は元々石壁に対して強い好感を抱いていた。このショートランド泊地にやってきてから初めて石壁の仲間となった鈴谷は、石壁の努力をずっと見守ってきたのだから、彼に対する積み上がった感情は相当に大きくなっていたのだ。

 

 そして、それは熊野も同じである。人が人に好意を抱くのに充分なほどの時間と経験を詰んできた二人の気持ちが重なり合って鈴谷の心を形成しているのだ、石壁に対する感情の重さも推して知るべしであろう。

 

(こうやって提督と一緒に居ると、心が温かい気持ちに包まれて幸せになっちゃう位に、私は提督にまいっているんだけど……でも提督には鳳翔さんがいるしなあ……)

 

 誰の目から見ても、石壁と鳳翔は相思相愛のお似合いの関係であった。石壁の隣には常に鳳翔がいる。そこに他人が割り込む余地はないのだ。それは鈴谷にとっても熊野にとっても自明の理であったから、二人共石壁に対しては一歩引くように心がけていたのだ。ギリギリの所で自制が効くように、本気にならないように。

 

(はぁ……熊野もとんでもない置土産をくれたもんだよ……よりにもよってどうして提督なのさ、やっぱり姉妹だと好みもにてくるのかなぁ……)

 

 そのギリギリの所で踏ん張っていた二人分の淡い恋心が積み重なって、鈴谷は完全に石壁に惚れてしまったのだ。目をそらしても聞こえないふりをしても、石壁がいるとつい目線が彼を追い、彼の笑顔を見ると自然と顔がほころんでしまう位に。自分がどうしようもなく石壁に惹かれるのを鈴谷は自覚してしまったのだ。

 

(まあ、例えこの思いが報われる事がないとしても構わない、こうやって、提督の側にいられるなら……それだけで私は幸せかな)

 

 鈴谷は今この瞬間だけは、石壁を姉妹で二人じめしている事に満足感を覚えて微笑む。

 

「鈴谷、どうかしたの?」

「ううん、なんでもないよ、おかわり飲む?」

「いただこうかな」

 

 鈴谷は微笑みながら石壁のカップにお茶を注いでいく。

 

「ねえ提督」

「どうしたの?」

 

 注ぎ終わったティーポットをそっと片隅においてから、そっと切り出す。

 

「約束……」

「約束?」

 

 鈴谷は己の小指を立てて、そっと石壁の前に差し出す。

 

「熊野だけじゃなくて、私とも約束してほしいんだ」

 

 鈴谷は照れた様に笑いながら石壁に告げる。

 

「これからも、時々こうやって一緒にお茶するって、私(熊野)だけじゃなくて私(鈴谷)とも約束してよ」

 

 それは彼女の小さな嫉妬心、鳳翔や熊野ではなく、自分にも何か誓って欲しいという可愛らしい願いであった。

 

「……」

 

 石壁は鈴谷の姿と、記憶の中の熊野の姿がダブって見えた。約束を果たせないという悲しみと絶望に心を焼かれたあの時の感情が石壁を一瞬黙らせる。

 

「提督?駄目かな……」

「……いや」

 

 鈴谷が寂しげに手を引っ込めようとしたのを見て、石壁は咄嗟に鈴谷の小指に己の指を絡めた。

 

「わかった、約束だ」

「……うん、約束」

 

 記憶の中に残る、あの時と同じ約束の呪文を歌う二人。

 

「「指切った」」

 

 あの時と同じ約束を、鈴谷と交わす。

 

「ありがとう提督」

 

 鈴谷が微笑みながらお礼を言うと、石壁はうつむきがちに言葉を紡ぐ。

 

「……鈴谷」

「なに?」

 

 石壁は、何かを言いたげに鈴谷を見つめた後、口をつぐんだ。

 

「いや、なんでもない」

「……そっか」

 

 鈴谷は石壁が言いたかった言葉をなんとなく察した。十中八九、『キミは死なないで欲しい』と、そんな事を言いたかったのであろう。

 

(言えないよね、だって、提督は必要なら死ぬことまで命じなきゃいけないもんね)

 

 石壁の立場からすれば、その願いは都合の良いエゴの塊、わがままに極まる言い草である。言えるわけが、なかった。

 

(でも……私にもわがまま、言って欲しかったな)

 

 鈴谷は、己には石壁が甘えてくれないのだという単純な事実を再認識して寂しげに微笑むしかなかった。

 

「ねえ提督」

 

 だから一言だけ、鈴谷は提督に伝える。

 

「鈴谷は、提督の……ううん、石壁堅持の味方だから。それだけは忘れないでね」

「……ありがとう、鈴谷」

 

 石壁はそういって、お茶に口をつけた。

 

 三人だけのお茶会は、それからしばらく続いたのであった。

 

 

 



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第十六話 大規模対空防御演習作戦

毎度誤字報告を送ってくださっている皆さま、本当にありがとうございます。

数が多くてお礼のメッセージを送れなくなってしまいましたので

この場を借りて深くお礼を申し上げます。

これからも拙作をよろしくお願いいたします!





しかし直しても直しても誤字がなくならならないのはどうにかならないものだろうか……



 沿岸部の泊地の作戦会議室に集ったいつものメンツと、となりの泊地からやってきた飯田提督が会議に参加していた。

 

 あきつ丸が口を開く。

 

「ようやく沿岸砲台や泊地施設が完成し、砲兵隊を沿岸部に再配置することが出来たであります。輸送網も一応完成した事で沿岸砲台陣地は充分に機能するでありましょう」

 

 あきつ丸の言葉に石壁は満足げに頷く。

 

「うん、砲撃戦についてはさんざん訓練してきたから少しの慣熟訓練でなんとかなるだろうから、次の問題について話に移ろうか」

 

 そういいながら、石壁は沿岸部の地図を指差す。

 

「これまでの山岳部の要塞と違い、現在の泊地は沿岸部に露出した地上構造物が多い。明石の作った司令部施設は頑丈な装甲によって守られているから安心だが、対空戦闘をしっかり考慮せねば沿岸砲台が破壊されかねない」

 

 沿岸砲台陣地は長く海上戦闘における最強の一角であった。敵を寄せ付けない砲台の存在は、防衛作戦を組む上でとても頼りになるのである。

 

 だが、航空戦力の戦略的価値の増大とともに次第に敵機の空爆などで破壊される例が目立ち、戦略的優位性を失って歴史から消えていったという経緯がある。

 

「よってこれからの喫緊の課題は、この沿岸要塞線における防空体制の確立であると僕は考えている。機銃と高射砲による分厚い対空砲火で敵を叩き落とし、沿岸砲台陣地が破壊されることを防がねばならない」

 

 対空機能さえ万全なら、沿岸砲台を破壊するには沿岸部への艦砲射撃くらいしか方法はなく、その距離なら石壁の砲兵隊は十二分に深海棲艦とも戦える筈であった。

 

「今回は対空戦の訓練のためにラバウル基地の飯田提督が協力してくれる手筈になっている」

 

 その言葉と共に、飯田がペコリと頭を下げる。

 

「ラバウル航空隊の名に負けぬよう、微力を尽くす所存でございます。出向期間が終わるまでの間ですが、精一杯頑張ります」

 

 飯田の言葉に、それぞれが頭を下げる。

 

「今回はとにかく対空砲火を訓練する事になる。ウチの基地航空隊も全て飯田提督の指揮下において攻撃に回ってもらう。作戦想定としては『基地航空隊全滅後の波状爆撃に対応するための、対空砲火のみによる防空戦』だ。飯田提督の出向期間が終わる前に死ぬ気で防空体制を確立させるんだ!いくぞおおお!!」

 

「「「「「おおおおおお!!!」」」」」

 

 ***

 

〜訓練一回目〜

 

「対空砲が当たりません!」

「くそ!?なんだあの艦載機の機動は!?」

「まって!とまれーー!?グワーッ!?」

 

〜訓練三回目〜

 

「対空レーダーもってきました!」

「でかした!これで当てやすく……」

「目標多数!どれ狙えばいいんですか!?」

「右に5度……いや左に10度……だめだ間に合わん!!グワーッ!?」

 

〜訓練十回目〜

「対空管制担当を用意しました!」

「でかした!これで我々は砲撃に集中でき……おい全部の砲台が同じ目標ばかりに集中砲火浴びせてどうする!?大多数の艦載機が無傷ではないか!」

「他の対空陣地がどの対象狙っているかなんてわかりませんよ!?駄目だ射撃がおいつか……グワーッ!?」

 

〜訓練二十回目〜

「防空区画を徹底することで砲撃が一箇所に集中することを防げる様にしました!」

「でかした!これでまんべんなく防空を……」

「ちょ、区画を徹底しすぎて戦力を一点集中されると砲火が足りずに防げませ……グワーッ!?」

 

〜訓練三十五回目〜

「防空要因として対空装備を満載した艦娘を適宜対空個人トーチカへ移動させる事が出来るようになりました!」

「でかした!これで防空要員がたりなくなった場所に素早く対空能力を割り増せるな!」

「どっちに行けばいいのかわからなくなって移動が混乱しています!」

「だめだ現場じゃ移動を監督できない!グワーッ!?」

 

〜訓練四十三回目〜

 

「一度本部にレーダーの探知情報を集めてそれを精査してもらってから砲撃指示をもらえるようにしてきました!」

「でかした!これで砲撃対象の被りを防ぎつつ対空砲火の集中も行えるぞ!」

「本部から入電!『処理オイツカナイタスケテ』」

「ちくしょおおおおおお!?グワーッ!?」

 

〜訓練五十八回……

 

 ***

 

「無理、いくら僕でも沿岸砲台全域の対空戦闘全部面倒見るのは無理……」

 

 指揮所で石壁が白目を剥いている。繰り返される対空戦闘の中で現場の意見を取り込みながら必死に戦訓をブラッシュアップしてきたが、常時移り変わる空の戦闘の情報を指揮所に一括で集めて処理するのは石壁でも荷が勝ちすぎた。

 

 南方棲戦鬼との戦いをも乗り切った熟練の石壁参謀本部のメンツといえども、無数の情報を精査するだけで処理能力がパンクしてしまったのだ。

 

「石壁提督はよく頑張られていると思いますよ。見てください、この対空砲命中率」

 

 飯田提督はそういいながら、訓練用の模擬弾の命中率がのった報告書をもってくる。

 

「対空砲命中率10%は非常に驚異的です。飛龍達の艦載機も『こんな正確で怖い弾幕初めて突っ込んだ』と高評価ですね」

 

 対空砲の命中率は、通常0.5%程と言われており、1000発砲弾を打ち上げてようやく数機の航空機を叩き落とせる程度でしかない。

 

 対空砲の目的は濃密な弾幕で敵を寄せ付けない『キルゾーン』を空中に作成し、敵を進行ルートからズレさせたりする威圧効果である。にもかかわらずこれだけの命中率を叩き出せるのは、想定される攻撃が艦載機が近距離まで突っ込んでくる『急降下爆撃』である事と、砲兵隊の練度の高さ、そして石壁の指揮の賜物であった。

 

(これが……南方棲戦鬼を打ち破った『ソロモンの石壁』の実力か、なんという防衛能力だ)

 

 飯田は、通常の20倍近い対空戦闘を目の当たりにして、ゴクリとつばを飲み込んでいた。要塞全体の防空戦闘指揮でこの精度である。もし石壁指揮下の艦隊に自身の艦隊の航空隊をぶつければ、航空隊は致命的な損害を被ることが目に見えていた。

 

 だが、いくら驚異的でも石壁が望む水準までまったく届いていないのだ。

 

「ちなみに、普段石壁提督は艦娘を指揮する際に一体どのように対空戦闘を行っているのでしょうか?」

 

 飯田提督が個人的な興味からそうきくと、石壁が応える。

 

「えっと、艦娘に座乗する時は艦娘と同調して電探から脳みそに直接情報を叩き込むよね?」

「はい、艦娘の視界範囲や探知能力によって情報量こそ変わりますが」

「僕の場合は、その情報を元に空中のあらゆる敵がどの位置にどれだけどんな風にどんな速度で動いているのかをまず把握するんだ」

「なるほど……うん?」

 

 一歩目から話が怪しくなる。

 

「それから危険度で対応順位を決めて、その順位にしたがって全ての対空装備を個別の対象にマニュアル操作で割り振って掃射するんだ」

「す、全ての対空兵装を個別に!?」

 

 これがどれくらいの難易度かというと、両手両足両目両耳で一斉に別の作業を行う様なものだと思えばいいかもしれない。

 

「後は撃墜に合わせて対応順位を繰り上げながら全ての敵を叩き落とすというのが僕のやり方かな」

「……すいませんちょっと何言ってるかわからないです」

 

 石壁が『ね?簡単でしょ?』と言わんばかりにサラッと語った内容に頭痛を覚える飯田提督。だれでもそんなことが出来るなら今頃人類は深海棲艦を圧倒しているだろう。

 

(なんという情報処理能力だ、石壁提督の能力の秘密はこの頭の回転か)

 

 飯田提督は人間離れした石壁の思考回路に戦慄しながら、さっき聞いた内容を頭の中で整理していく。

 

「……ん?その思考方法、どこかで聞いたような」

「というと?」

 

 飯田が思わず呟いた内容に、石壁が反応する。

 

「……ああ、思い出した、石壁提督の対空戦闘処理はイージスシステムを搭載したイージス艦と同じなんですね」

「イージス艦?」

 

 石壁が聞き慣れない単語に頭を上げる。

 

「イージス艦は、深海棲艦が出現するまでの主力艦艇に備わっていた防空システムです。内容としては石壁提督が行っていることが全てコンピューター制御されていると思ってもらえればいいかと」

 

 つまり石壁の防空能力はイージス艦に相当するのだ。第二次大戦レベルの空戦を行っている所に現代水準の防空システムを乗っけた艦が居るようなものである。

 

「通常艦艇の火力では深海棲艦を倒せない為、深海大戦の序盤であらゆる国の艦艇が沈没しました。イージス艦もこの例にもれず、艦娘登場後は殆どロストしてしまった技術ですね」

 

 いかに緻密で強力な対空設備をもっていても、そもそも妖精さん謹製の砲弾か近接戦闘以外は効かないのが深海棲艦だ。イージス艦はその本分を活かすこと無く水底へと沈んでしまったのである。それからすでに十年弱、大戦勃発当時は中学生だった石壁が知らなくても仕方のない技術である。

 

「なるほど、じゃあ以前の対空戦闘では電探と射撃管制の間の処理を全てコンピューターで繋いでいたんだ」

「ええ。もっとも、現代水準の艦艇が軒並み沈没して戦闘方式が第二次世界大戦時代まで巻き戻るという逆転現象がなければ、今もイージス艦は現役だったでしょうが」

 

 石壁の言葉に飯田が答える。

 

「察するに、石壁提督はいままで自身の脳内で行っていたデジタルな作業を現実でアナログ処理で行おうとしているのでしょう。高性能な大型PCによって行われる筈のイージスシステムを手作業とソロバンで行おうとすれば処理能力がパンクするのは当然だと思われます」

「PCとソロバン、アナログ処理……」

 

 飯田提督の言葉で、石壁の頭の中で不確かな『何か』が形作られていく。

 

「皆の頭脳を繋いで作業を脳内で分割処理でもしない限り、石壁提督の望む防空体制を組むのは不可能です」

「……」

 

 飯田がそこまで言うと、石壁は俯いてしまう。黙り込んだ石壁の姿をみた飯田提督が、どうしたのかと首をかしげる。

 

「……石壁提督?」

「……ありがとう、飯田提督」

 

 石壁が顔をあげる。その顔は天啓を得たといわんばかりのふてぶてしい笑みであった。

 

「そのイージスシステム、限定的だけど再現できるかも」

「……え?」

「とりあえず……誰か明石呼んできて!」

 

 石壁の思いつき(むちゃぶり)が明石を襲う。

 

 

 

 

 

 

 

~おまけ とある八百屋の驚愕~

 

 ここはラバウル基地の隣接市街地である。多くの店舗が軒を連ねるこの一角に、とある小さな八百屋があった。

 

「それでよ、先日えらい傷だらけのわっかい士官のあんちゃんがきてよ」

「へー、若いのに苦労したんだねえその人」

 

 この八百屋は石壁が先日買い物にきた八百屋であり、その時の事を思い出しながら店主が奥さんと会話をしているようだった。

 

「失礼、果物を買いたいのですが」

「へいらっしゃい!おや、軍人さんだね、佐官の人かな?」

 

 店舗に入ってきたのは真面目で実直そうな一人の提督であった。

 

「ああ、中佐をさせてもらっています」

「そっかそっか、いつもありがとうな軍人さん!安くしとくよ!なんにするんだい?」

 

 八百屋の親父がそういって品物を見せると、中佐はぐるりと見渡して口を開く。

 

「とりあえず果物をあるだけ全部ください」

「はっ!?あるだけ全部って基地の全員にでも配る気で!?」

 

 ギョッとした親父さんに中佐が頷く。

 

「ああ、ちょっと他所の基地に行くんで、お土産に果物でも持っていこうかと」

「だからってこの量は多いんじゃ?」

 

 小さな八百屋とはいえ、商品の果物全部持っていけばそれなり以上の量にはなるだろう。

 

「ああ、部下の人にも配ってあげようと思ってね。あっちの基地には青果店なんて無いだろうし」

「へぇ、そんな辺鄙な基地があるんで?この地の果て(ラバウル)にだって店ぐらいあるっていうのに」

 

 人類の生存権の一番外側の基地であったラバウルでも、人が居ればそれに伴う営みがあり、営みがあればそれに付随する商売が生まれるモノだ。軍事拠点とはそこにあるだけでヒトモノカネが集まってくるため、その周辺にその需要を見越した商店が生まれるのである。普通なら。

 

「あー、新聞読んでないのですかな?」

「新聞?うちじゃあ取ってないよ」

 

 八百屋の店主がそういうと、中佐は懐から新聞紙を取り出して店主に渡す。

 

「私の読み古しではあるが、後で読んでみてください。私が行く泊地の事が載ってますので」

「はあ、ありがとうございます」

 

 店主が新聞を受け取ったあと、中佐は代金を置いて八百屋を出ていく。

 

「じゃあ頼みます。明日の朝には出立するから準備をして持って来るようにお願いしますよ」

「ああ、わかったよ中佐さん、毎度あり!」

 

 中佐が出ていった後、店主は新聞へと目を落とした。

 

「ええっと、なになに……ショートランド泊地のソロモンの石壁、南方棲戦鬼を討伐ぅっ!?こ、このアンちゃんは!?」

 

 小さな店舗に親父の絶叫が響いた。

 

 ***

 

「……というわけで土産に青果を沢山もってきましたので泊地の皆さんで食べてください」

「いやあ、わざわざありがとうございます飯田提督」

 

 その翌日、石壁の元に出向してきた飯田が赴任のご挨拶にもってきた大量の青果を石壁が有難く頂戴する。

 

「でもよかったんですかこんなに沢山、高かったでしょう」

「いえ、給料をいただいても溜まっていく一方でして、たまには使って市民へと金を還元せねばいけませんので」

 

 ラバウル基地の消費に大きく依存するラバウル市街では軍人が金を落とさないと金が足りなくなってしまうのだ。使いすぎるとそれはそれで問題だが、金を落とさないのは皆が困るのである。

 

「なるほど……僕もたまには買い物とかしてお金を使わないとなあ」

(まあ、この泊地では使いたくても使えないのでしょうが)

 

 石壁の呟きに、飯田は心の中で呟く。流石に口に出すのは無神経だと思ったからだ。

 

「そういえばそろそろ本土に出していた輸送隊が帰ってくるぞ、嗜好品の類で出費があるかもな」

「ああ、そろそろか。楽しみだねえ」

 

 伊能の発言に石壁が頷く。この数日後飯田提督の散財など霞む程の出費が彼を襲う事になるのだが、そんなことまだ誰も知らない。

 

「まあ、なにはともあれありがとうございます飯田提督、これは有難く頂戴します」

「ええ、喜んでもらえて何よりです」

 

 ***

 

「え、僕宛に手紙?」

 

 それから妖精さん達が木箱をこじ開けていくと、とある木箱から一通の手紙が出てくる。

 

「ええ、林檎の木箱からでてきました」

 

 妖精さんがほほ笑みながらそういって差し出した手紙を、石壁は受け取る。

 

 紙には簡潔に『頑張れよ将軍のあんちゃん!また買い物にきて元気な顔を見せてくれよ!八百屋の親父より』と、書かれていた。

 

「これは、あの時の八百屋の親父さん?」

 

 ちらりと、このまえ買ったのと同じサイズの木箱に詰まった林檎を見る。

 

「これが噂のファンレターというものでしょうかね、色気はありませんが」

「はは、でも嬉しいじゃないか」

 

 妖精さんの言葉に笑って答えながら、石壁は林檎を一つ手に取ってかじり付いた。

 

「うん……相変わらず、美味い林檎だ」

 

 石壁は笑顔で林檎を食べ切ったのであった

 

 



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第十七話 僕自身が要塞になることだ

 石壁の思いつきから数日が経過し、演習総数が三桁になってもう数えるのも嫌になった頃。

 

「いよいよ試作機が完成か……」

「ええ……工廠のメンバー総出で作りましたからね……」

 

 連日連夜の訓練で疲労困憊の石壁と、同じく連日連夜の無茶ぶり(デスマーチ)により同じく疲労困憊の明石が隣り合って話している。

 

「よし……では早速仕上がりを確認するとしようか。飯田提督、早速訓練を……飯田提督?」

 

 石壁が振り返ると、そこには椅子に座り込んで気絶している飯田提督がいた。連日連夜の訓練で疲れ切ってしまったらしかった。

 

「……」

 

 ふと石壁が周りを見回すと、指揮所の面々も死屍累々の様相を呈していた。

 

「石壁提督……流石にちょっと休ませてください……ガクッ……」

 

 参謀妖精の一人がなんとかそこまで言ってから机に突っ伏して寝込んでしまった。

 

「……やり過ぎたかな」

「今更気がついたんですかぁ……」

 

 それからまる一日、ショートランド泊地は殆ど全員死んだように眠っていたという。 

 

 この地獄の連続訓練の結果、泊地の対空要員の練度は驚くほどに向上したが、訓練参加者全員が疲労困憊になり、あまりに鬼気迫る訓練ぶりに飛龍が漏らした「二代目人殺し多聞丸」の異名がじわじわと広まっていったのであった。

 

 ***

 

 翌日、一日休んだことで回復した泊地の面々は、新兵装の機動実験を行うべく持ち場についていた。

 

 戦闘指揮所には現在、石壁や明石の他に戦艦棲姫もやってきている。

 

「明石、戦艦棲姫、準備はいい?」

「バッチリですよ提督、工廠技術部の自信作ですから」

「なんだか不安ね……」

 

 戦艦棲姫は現在扶桑に擬態した状態で艤装を展開しており、艤装には布がかぶせてある。そして、布の下の艤装には無数のケーブルが繋がれていた。

 

 石壁はその姿をみて、今更ながらに不安を覚えて明石に声をかけた。

 

「ねえ明石……今更だけど大丈夫だよね?」

「ご心配無く!構造事態は艤装連結システムのちょっとした応用ですから戦艦棲姫の脳髄が負担に耐えきれずに焼き切れたりすることはないはずです!」

「ねえ単語が物騒なんだけど……安全基準の比較対象が致命傷(そこ)なの?提督、本当に大丈夫なのかしらこれ?」

 

 会話を聞いていた戦艦棲姫が不安げな顔をするが、明石は自信を持って大丈夫だと告げてくるので石壁も信用する事にした。

 

「大丈夫だよ戦艦棲姫、システムの構造的に死ぬときは僕も一緒だ」

「微塵も安心出来ないわよ!」

 

 閑話休題

 

「これより機動実験を開始する!総員作戦開始!」

「「「了解!」」」

 

 石壁の号令にしたがって、指揮所の全員が慌ただしく動き出す。

 

「対空兵器網連動開始」

 

「電探感度良し」

 

「統合型防空電磁演算装置起動、『制空圏』を確立します」

 

 その瞬間、石壁の脳髄に情報が雪崩れ込んでくる。艦娘に座乗している時の数倍、否、数十倍の情報の濁流が石壁の意識を揺さぶる。

 

「ぐあッ!?」

「大丈夫ですか!?提督!?」

 

 思わずふらついた石壁を明石が支える。

 

「ちょっと明石!提督ふらついているけど、大丈夫なの!?」

 

 戦艦棲姫が不安げにそういうと、石壁は手を軽く振って無事を伝える。

 

「だ、大丈夫だ……しかし、すごいぞこれは……」

 

 石壁は流れ込む情報により乱回転する思考に戸惑いながらも、立ち直り指揮を始める。

 

「敵機の動きが手に取るようにわかる。これなら、いける!対空訓練を開始せよ!」

「「「了解しました!!」」」

 

 その瞬間、各砲台一つ一つに、石壁の対空砲撃指示が届き始める。

 

『右へ5度、上方8度修正!』

「了解!」

「修正完了!」

「発射!」

 

『左2度、下方5度修正!』

「了解!」

 

『方位そのまま上方7度修正!』

「了解!」

 

 先日とは修正の精度が違った、迅速かつ正確無比なその指示にしたがって砲撃を開始すると、いままでとは桁違いの命中率の砲弾が打ち出されていく。

 

『こちら飛龍航空隊!!被害甚大!第二次攻撃の要をみとむ!」

『蒼龍航空隊!壊滅状態!て、撤退します!』

 

 攻撃隊を指揮する飯田提督は、次々に舞い込む信じられない報告の連続に顔色を蒼白にしていく。

 

「ば、馬鹿な……こんな、こんな事が……」

 

 飯田提督は、己の艦隊の練度を極めて正確に把握していた。過大評価も過小評価もせず、ただ純粋に戦力評価を行っていた。その彼をして、目の前の光景は理解し難いものであった。

 

「対空砲の命中率が、50%を超えている……」

 

 たった数日の間に、ショートランド泊地の防空能力は文字通り桁が違うモノへと変貌したのである。しかも、これはあくまで対空砲の命中率であり、機銃による防空射撃を組み合わせればその撃墜率は更に増大するだろう。

 

「あり得ない……なんということだ……」

 

 飯田提督は、己の常識という世界がガラガラと崩壊していく音をきいた。

 

 ***

 

 石壁が何を行っているのか、それを知るために数日前に視点を戻そう。

 

「電探の情報と対空砲撃の演算と提督の思考を繋げる!?」

 

 石壁の提案に明石は驚愕する。

 

「出来るわけ無いじゃないですか!提督は機械じゃないんですよ!?」

 

 明石の当たり前の反論に、石壁は頷く。

 

「ああ、出来るわけがない」

「なら……」

「だが、間に艦娘を挟めばどうだ?」

 

 石壁の言葉に明石が停止する。

 

「……艦娘を?」

「ああ、基地全体の電探から集めた情報を艦娘の艤装に集中してインプットする。こうすれば艦娘の艤装を通して情報を僕に流し込めるんじゃないか?」

「……」

 

 明石はその言葉にしばし考え込む。

 

「……確かにそれなら情報を提督に流し込むのは可能かもしれません。ですが、戦艦棲姫はというか、大戦中の戦艦の弾道計算や演算はあくまでアナログ計算器です。デジタルな情報を大量に処理するのは難しく、石壁提督には無数の整理されていない情報が雪崩込むでしょう。如何に石壁提督でも負担が大きすぎます」

 

 戦艦の弾道計算に使われる計算機は無数の歯車を組み合わせて作られている。これは語弊を恐れずに説明すると巨大かつ複雑なソロバンの様なもので、データ入力に相当する歯車を物理的に調整することで連動した歯車の動きが計算結果を弾き出すという代物である。石壁の構想をそのまま実現すれば、莫大過ぎる情報量に演算が追いつかなくなることは必然であった。

 

「なら情報を整理してから流し込めばいい」

「簡単に言いますが、それだけの情報を実用的なレベルまで処理しようと思ったらどれだけ巨大な演算装置がいると思っているんですか?そんな事は不可能です」

 

 それは彼女達の常識、ファンタジーでありながら根っこが二次大戦(アナログ世代)な艦娘達の限界。

 

 だが、目の前に居るのはそんな常識など知ったことではない現代人(デジタル世代)である。その上艦娘を要塞に篭もらせる常識外れでもあるのだ、そんな常識は知ったことではない。

 

「出来るさ。艦娘が軍艦だった時代からもう70年もたってるんだぞ」

 

 石壁はそういいながら、手元の風呂敷を解いて中身をとりだす。

 

「あっ……」

「しっているかい?月にいった宇宙船にのっていたコンピューターは、ファミコン以下の処理能力しかなかった」

 

 それは当時のパソコン業界の常識を覆した、伝説の化物ハード。いくぜ100万台の掛け声の元1億台を売り切ったゲーム機の後継者。

 

「なら、こいつを無数に連結させれば、弾道計算ぐらい簡単じゃないか?」

 

 石壁はそう笑いながらゲーム機を軽く叩く。

 

●S2(【ピー】エスツー)!!」

 

 石壁の大失敗の象徴が、そこにあった。

 

 

 このゲーム機、今でこそ型落ちだが、発売当初は下手なパソコンより処理能力が高く、多数の機体を並列して繋げることで実際にスーパーコンピューターとして使われた実績が在る。70年前の演算装置と比べれば、それこそ天と地程の差が在るのである。

 

 塵も積もれば山となるというように、石壁は大量に部屋を占拠しているゲーム機を繋げて軍事転用しようというのである。

 

「そうだ……これだって立派な電子計算機です。これを使えばバラバラの情報を統合して、処理して、整理して、それから……それから……」

 

 70年前の軍事技術、妖精さんの謎技術……そして、現代の技術が明石の中で結びついてゆく。彼女の明晰な頭脳が不可能をブレークスルーしていく。

 

「……いける」

 

 明石の顔が好奇心で満ちてくる。

 

「いける、いけますよこれ!」

(あっ、やべ)

 

 メカの顔(マッドサイエンティスト)になった明石が目の前のゲーム機を抱きしめる。その変貌ぶりをみて、石壁は自分で火を付けておきながらちょっと後悔し始める。

 

「直ちに工廠の全力をもって開発を開始します。数日まってください!!」

「あっ……」

 

 嵐のように部屋を飛び出した明石、後に残されたのは石壁だけであった。

 

「……早まったかな」

 

 ***

 

 そうして生まれたのがこの統合型防空電磁演算装置である。電探やカメラから集めた無数の情報を並列設置したゲーム機の簡易スパコンで処理し、その情報を艤装の装備スロットに連結して戦艦棲姫の艤装へ、そして石壁の頭脳へと流し込む。そこからはじき出された命令がまた戦艦棲姫を通して妖精さんへと直接伝わる様になったのだ。

 

 今までの対空戦闘指揮は、電探(デジタルデータ)→バラバラに人力演算(アナログ出力)→提督へ報告(石壁の頭で再デジタル化)→石壁が最適な命令→要塞各所に管制担当妖精さんが防空命令(アナログ出力)→砲台の妖精さんが修正して砲撃、という流れであった。見ていただいてもわかると思うが時間的なロスが多すぎたのである。デジタルデータとアナログデータの変換処理を何度も人力で行っているのだから当然だ。

 

 だが、この新しい防空システムは、情報の流れを電探→スパコンで統合して演算処理→戦艦棲姫→石壁(≒人型イージスシステム)→戦艦棲姫→管制担当妖精という具合に変えた。

 

 デジタルとアナログの間を行き来していた情報が、最初から最後までデジタルで動くようになったのである。これによって今まで発生していた情報処理や石壁への報告にかかる時間的なロスが消失し、さらに石壁の頭の中で情報を統合する手間をなくすことに成功した。これによって石壁にかかる負担は大幅に軽減した上、要塞全体の防空戦闘が石壁の直接的な指揮下に収まったのである。

 

 (アナログ)パソコン(デジタル)艦娘(ファンタジー)で繋いだ、この世界の象徴のような機械であった。

 

(このシステムを再現すれば、ラバウル基地の防空力も……いや、それは難しいか……)

 

 巨大な設備(演算装置)があってもそれを動かす頭脳(ソフトウェア)が無ければ意味がない。そして頭脳(ソフトウェア)があってもそれに答えられる人員(ハードウェア)がなければ意味がないのだ。

 

 このシステムを再現するために必要なモノ……それは莫大な演算力はもちろんだが、それを活かす為のイージスシステム並の防空指揮能力を持つ提督と、その提督の指揮に応えられるだけの練度をもつ妖精さん達である。石壁と、石壁の無茶振りに応え続けた彼の指揮下の砲兵隊だからこそなしえる曲芸であった。

 

 誰でも簡単に、同じように、同じ能力を発揮させられる量産性にすぐれた兵器こそが軍事的にみた最良の兵器であるなら、石壁達が作り出したこの対空システムはその対極だ。

 

 これは石壁というただ一人のオンリーワンがもつ絶対のナンバーワン(チート)を、沿岸要塞全域へ極限まで拡張し、拡大し、増大させるものだ。石壁の石壁による石壁のための兵装であると言えるだろう。言うなれば石壁は要塞そのものになったと言っても過言ではない。

 

(私は貴方が恐ろしいですよ、石壁提督)

 

 飯田は、思わず唾液を飲み込んだ。

 

(貴方は目的の為なら、人から装置の歯車になることすら厭わないのですから……)

 

 軍人は機械のごとく正確に、軍隊の歯車とならねばならない。だが、建前ではそうだとしても、本当に歯車となるのは容易ではない。彼らにだって、感情はあるのだから。

 

 だが石壁はそれを成した。巨大な防空システムの根幹になる事を許容したのだ。最も酷使される、最も過酷な装置となる役目を自らに課したのである。

 

 それがもっとも効率的で、必要なことだから。石壁はそれだけで常人なら尻込みするであろうその苦行へと己を追い込んだのだ。

 

(そして最も恐ろしいことが……)

 

 飯田はちらりと離れた場所で指揮をとっている石壁達をみる。その場の全てのモノ達が、石壁の覚悟に応える為に必死に、懸命に、命がけで戦っていた。石壁に引っ張られる様に、自分たちの能力を限界まで引き出している。そんな姿を見ていると、飯田は先程まで感じていた恐怖が薄れ、自分の胸の奥から熱い力が湧き出してくるのを実感する。

 

(貴方の姿を見ていると、部外者の私でさえ引っ張られてしまう。周囲の人を、命を、感情を自分の熱意で引きずり出すその影響力こそが、貴方の最も恐ろしい力だ)

 

 飯田はこの泊地がこれまで苦境を跳ね返し続けてきた理由を、実感をもって理解した。状況把握にすぐれ己の感情を客観視出来る彼だからこそこの結論に至れたが、普通の人間は石壁の傍にいると石壁の存在感に飲まれてそれがわからなくなるのだ。

 

 石壁は周囲のヒトを引き寄せる。心有るモノを絡め取る。命有るモノに自分から己の命を捨てさせる程の天然のカリスマこそが、石壁の本当の恐ろしさなのである。

 

「まったく……どうかしている、彼らも、私も」

「提督?」

 

 飯田の呟きに、周囲の部下達がどうしたのかという顔を見せる。

 

「なんでもありません。さて、どうしましたか皆さん、演習はまだ終わっていませんよ?このまま降参するほどラバウル航空隊は腑抜けではないでしょう!」

「!!」

 

 その言葉に、お通夜の様だった周囲の部下達が力を取り戻す。

 

「ラバウル航空隊の意地を魅せてください。いきますよ、皆さん!!」

「はい!!」

 

 飯田達は、航空隊の指揮に戻ったのであった。

 

 ***

 

「お世話になりました、飯田提督」

 

 石壁が飯田提督に頭を下げる。防空圏を用いた訓練の翌日、遂に飯田提督の出向期間が終了したのである。

 

「貴方のお陰で泊地の空の護りが形になりました。本当に、本当にありがとうございました」

 

 基地航空隊の設立から対空砲陣地の整備、そしてその運用ノウハウに至るまでの様々なモノ。それが飯田提督が泊地にもたらしたモノだ。これはこの地獄のような泊地にとって値千金の経験であった。

 

「いえ、我々にとっても得難い経験となりました。恐らく私の艦隊の皆の練度はラバウル基地でも最高のモノになりましたから」

 

 飯田が若干苦笑する。毎日毎日、日に日に恐ろしくなっていく対空砲の雨をくぐり抜けながら繰り返し続けた急降下爆撃機の経験、それは彼の航空隊を極限まで練磨した。彼の航空隊の練度は出向前とは別次元のモノへ昇華されていったのである。

 

 まあそんな彼らの自信は最終日の地獄弾幕(命名飛龍)で木っ端微塵に砕かれた訳だが。それでも丸一日そんな致死率8割の弾幕に突っ込み続けたおかげで、最後の方はニュータイプもかくやと言わんばかりの回避能力を発現した者すらいたのだから彼らの能力も大概である。

 

 余談だが、帰還後に急成長した彼等に他の妖精さんが理由を聞いたところ、皆一様に『あの弾幕に比べれば深海棲艦の対空砲なんか屁のつっぱりにもならない』と死んだ目をして答えたという。

 

「あはは……」

 

 訓練の後死んだ目をした飛龍から「二代目人殺し多聞丸」の称号を頂戴した石壁は、飯田の言葉に苦笑するしかなかった。そうやって、二三、言葉を交わした後、飯田は真剣な顔になって言葉を発した。

 

「……生き残って下さいよ、石壁提督」

 

 そう言いながら、飯田が手を差し出す。

 

「私は、【戦友】の墓なんか見たくありませんよ」

「……はい!!」

 

 石壁は、飯田の手を固く掴んだ。短い間では合ったが、共に血の滲むような訓練を乗り越えた戦友である。彼らの間には、確かに友情があったのだ。

 

「それでは、またいつか」

「ええ、またいつか」

 

 飯田が頭を下げて歩き出すと、石壁は敬礼をして彼を見送ったのであった。

 

 ***

 

 石壁が飯田提督と別れた丁度そのころ、鉄底海峡では飛行場姫が部下から報告を受けていた。

 

「飛行場姫様、ショートランド泊地で連日連夜行われていた演習が終わったようです」

「……そう」

 

 飛行場姫は、部下から渡された報告書に目を通す。

 

「流石に命中率がどうなっているのかまではわかりませんでしたが、遠目から見ても恐ろしく濃密な弾幕でした。あれを突破するのは至難の業でしょう」

「なるほどね」

 

 飯田提督達の尽力によって、遂にショートランド泊地の防空システムは形となった。石壁達は、着実に戦力を増強していた。だが……

 

「まあ、その程度の戦力増強なんて関係ないわ」

 

 飛行場姫は事も無げに言い切った。彼女は石壁を過小評価している訳でも、己の艦隊を過大評価して油断している訳でもない。

 

「で、こちらの予定は整ったかしら?」

「ええ、南方海域全域と鉄底海峡から湧き出る戦力を全てかき集めています。じきに予定戦力も整うでしょう」

 

 彼女にとって石壁たちの行動は、厳然たる事実として何の意味事なのである。

 

「それは重畳」

 

 部下の深海棲艦の言葉に、飛行場姫は頷く。

 

「でも、油断しちゃ駄目よ。最後の最後まで相手に気取られない様に、慎重に慎重に用意を進めなさい。絶対に勝てる状況になるまで、じっと息を潜めていのよ」

「はっ!」

 

 飛行場姫の命令をきいた深海棲艦は部屋を出ていった。

 

「……イシカベ、私は貴方を誰よりも評価しているわ。恐ろしい、本当に貴方が恐ろしい」

 

 一人になった飛行場姫は、海図を見つめながら言葉を紡ぐ。

 

「だから絶対に、貴方を殺す。例えどれだけ多くの戦力を失っても、絶対に貴方を殺すわ。貴方の命にはそれだけの価値があるもの」

 

 この世界で最も石壁の事を高く評価しているのは間違いなく彼女であった。故に一切の油断なく、全身全霊をもって石壁に戦いを挑むのである。

 

 鉄底海峡の女王はじっと来るべきその時を待ち続けていた。

 

「あと少し、開演まであと少しよ……ああ、楽しみね」

 

 そういって、飛行場姫は笑った。

 

 石壁達の新たな死闘が始まるまで、あと少し。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




最初に●S2が出た瞬間から速攻でこの展開が予想されていて正直どうしようかと思いました。皆さん感が良すぎます。(汗)

Qこれ経費で落とせるんじゃ

A(軍事転用されたからと言って経費ではおち)ないです
そら(支給前例がない物品なんて)そう(そうお役所である軍隊では対応しない)よ。

という訳で借金は継続です


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第十八話 心を繋ぐモノ達

 これはまだ基地航空隊の訓練が行われている頃、南雲の元に石壁からゲーム機が送り付けられた時の話である。

 

「とりあえず、談話室にでももっていくか?」

 

「そうですね」

 

 南雲と加賀がゲーム機を前にそんな判断を下した直後。

 

『まってまってもっていかないで!』

 

「「はっ!?」」

 

 ゲーム機の入った箱の中から声が響いて二人が驚愕する。

 

『この箱二重底になっているんです!お願い出して下さい!』

 

 二人が困惑しながらゲーム機を箱から出すと、確かに不自然に箱の底が高いのがわかった。

 

「プハァ、ようやく出てこれた」

 

 箱の底を開いてみると、中から妖精さんが出てくる。

 

「こんな所から失礼」

「なんでそんなところに入っていたんだ」

 

 南雲の至極当然な問いに、妖精さんは懐から手紙を取り出す。

 

「『石壁提督は間違って購入した大量のゲーム機の処分に困って親交のある提督に手当たり次第に送り付けた』……と、いう事になっています」

 

 手紙を南雲へと渡す。

 

「どういう事だ?何故彼はそんなに回りくどい真似を?」

 

 南雲が困惑しながら手紙を受け取ると、妖精さんはニッと笑う。

 

「敵を欺くにはまず味方からっていうでしょう?石壁提督からの密書、確かにお届けいたしましたよ」

 

 南雲はその物騒な単語に目を見張る。

 

「密書?」

「ええ」

 

 妖精さんは不敵な笑みを浮かべたまま言葉を紡いだ。

 

「南洋諸島の現状をひっくり返して……大本営に喧嘩をうりませんか?」

 

 最高に素敵なパーティーのお誘いが南雲の元に届いたのだ。

 

 ***

 

 ここはパラオ泊地の総司令官の執務室。泊地の総司令長官である中州(なかす)少将が難しい顔をして報告書を睨んでいると、扉がノックされた。

 

「どうぞ」

「失礼するわ」

 

 中州の言葉に応じて、部屋の中にとある艦娘が入ってくる。彼女は栗色の髪をしたショートヘアの美女で、抜群のプロポーションを惜しげもなく見せつける(エロい)大人の女性といった風情を醸し出している。

 

 彼女の名は陸奥、長門型戦艦の二番艦である戦艦陸奥の艦娘である。

 

「中州提督、コーヒーをいれてきたから休憩にしない?」

 

 そういいながらウインクをして手元のマグカップを持ち上げる陸奥に、難しい顔をしていた中州の顔がふっと緩む。

 

「ああ、ありがとう陸奥。いただくよ」

「どうぞ、提督」

 

 陸奥からコーヒーを受け取った中州は、笑みを浮かべて礼を言った。

 

 しばし、歓談をしながらコーヒーをすすっていると、陸奥は中州の卓上の報告書を見やる。

 

「……輸送力、やっぱり足りないのよね」

「……ああ、この状況ではな」

 

 中州はそういいながら、眉を顰めて報告書に手をやる。

 

「南方棲戦鬼の討伐後、目に見えて南洋諸島の深海棲艦の圧力が低減している。この隙を逃さずに南洋諸島の泊地の軸帯を強化、泊地同士の物資のやり取りを円滑化して各泊地の戦力回復を行う……筈だったんだがな……」

 

 中州は深くため息を吐く。

 

「圧力が下がった瞬間に本土への物資輸送回数の増大命令が飛んできた。お陰様で余裕が出来た筈の戦力が抽出されてまた人員はカツカツだ。大本営の毒素め、そこまでして南洋諸島を締め上げたいか」

 

 中州が忌々しげに言い捨てる。ちなみに、毒素とは徳素の蔑称である。

 

 陸奥はそんな提督を見ると立ち上がって彼の背後に立った。

 

「ほら提督、ダメよそんなに怒っちゃ」

 

 陸奥はそう言いながら、中州の背後から彼に抱きついて顔を耳元によせる。

 

「貴方がそんなに苛ついてたら、他の皆も疲れてしまうもの。だから落ち着いて、ね?」

「……すまん」

 

 陸奥にそう言われて、中州は苦笑しながら詫びた。

 

「もしどうしても疲れちゃったなら……いっそお姉さんと火遊びでもしない?」

「からかわんでくれ、陸奥」

 

 クスクスと悪戯っぽく笑う陸奥に、中州は降参だと言って笑った。

 

「あら?私は冗談なんてーー「中州少将、ラバウル基地の南雲提督から伝令です!」ーーあらあら?」

 

 扉がノックされると、陸奥はいいところで邪魔されてしまったわね、なんて笑いながら彼の背中から離れた。

 

「入れ」

「はい!」

 

 ***

 

「……ふむ」

「なんだったの?」

 

 中州は伝令から渡された手紙を読むと、どうしたものかという顔をしてしまった。

 

「読んでみろ、陸奥」

「……あらあら」

 

 陸奥は手紙に目をやると、興味深そうに笑う。

 

「『資源輸送、手伝います』ね、渡りに船じゃない。提督」

「そうだな、確かに助かる。だが、誰が手伝ってくれるのか、それが問題なんだがな」

 

 中州はそういうと、天井を見つめるように考える。

 

「石壁中将……あの南方棲戦鬼を討伐した英雄様が、一体どういう風の吹き回しだ」

 

 石壁は突如として現れた新しい英雄だ。南洋諸島の人間にとっては不倶戴天の怨敵である南方棲戦鬼を討伐した提督である。

 

 彼らにとってすれば南方棲戦鬼を討伐してくれた事や、それに付随する敵圧力の低減に関しては感謝をしてもよい事では有るし、実際に石壁に感謝をしている人間は多い。

 

 だがそれはそれとして、本土からの資源収奪と戦力の過剰供出によって苦しむ中州達南洋諸島の人間にとってみれば、憎い本土から派遣された人間である石壁には複雑な感情を持たざるを得ない。理性の面では石壁の功績を理解し、感謝すれども。感情面で見ればどうしても納得しきれない部分が出てきてしまうのは仕方のないことであった。

 

「何が目的なんだ……石壁提督は……」

 

 そんな感謝と反感が複雑に絡み合う相手から急に資源輸送を手伝うなどと言われても、困惑と警戒がまず湧いてきてしまうのは避けられない事である。

 

「……別に、何でも良いんじゃないかしら?」

「……む?」

 

 中州が真意を図らんと考え込んでいるのを見て、陸奥がそう口を開く。

 

「どうせどれだけ悩んでも、私達には余剰戦力なんて欠片もないじゃない。疲労と負傷で療養している艦娘達を回復させるには、各泊地の余剰備蓄を的確に循環させる必要があるわ」

 

 各泊地では余剰資源の問題から治療を後回しにされている艦娘が大勢居た。油、弾薬、鉄、ボーキサイト、高速修復剤……各泊地で余ったり足りなくなったりする物資は様々である。空母主体のラバウルではボーキサイトがいつも不足しているが、水雷戦隊主体の泊地では逆に余っている。高速修復剤が足りない地域では長時間の治療を必要とする艦が治療できずに放置される事もある。

 

 泊地同士の横の輸送網が完成すれば、資源の不均衡を是正して適切に再分配を行い、戦力の回復を図ることが可能になるのである。

 

「今の小康状態だっていつまで続くかわからないわよ?なら、悩む必要は無いじゃない。手伝ってくれるっていうなら、手伝ってもらえば良いのよ」

「だが、本土出身の提督に借りを作ると後が怖いぞ?」

 

 中州が本土からの無茶振りの数々を思い出してそういうと、陸奥は苦笑しながら続ける。

 

「それこそどうでもいいと思うわよ?だって、仮に石壁提督になにか下心や要求があって、これがその為の前フリだったとしても。こうやって事前に見返りを準備してくれるだけ大本営よりは良心的じゃない?」

「……たしかに」

 

 大本営は基本的に飴と鞭の鞭しかくれない連中である。そう考えると石壁の先にこちらに利益を提供しようとする行動は、大本営とは違って誠実すぎる位に誠実であった。

 

「そう考えると、石壁提督が大本営と敵対しているというのはあながち間違いでは無いのかもしれんな」

 

 中州は先日の新聞に出ていた石壁提督の戦いについての内容を思い出す。

 

「もしかしたら、本当に善意からの申し出かもしれないわよ?人の善意を信じてみない?」

「……」

 

 中州は陸奥の言葉に応えずに、しばし考える。

 

「……南雲経由でこの手紙が回ってきたということは南雲も彼の事を信用に足ると考えているのだろう。ここは南雲の顔を立てて支援を受け入れよう。石壁提督が何を狙っているのかは知らんが、付き合う内に追々わかるだろう」

「素直じゃないんだから……わかったわ提督。じゃあラバウル基地に返信しておくわ」

「頼む」

 

 中州の命令を伝えるために陸奥が部屋を出ていくと、中州は椅子に腰掛けて手紙にもう一度目をやる。

 

「……人の善意を信じてみる、か」

 

 中州は先程の陸奥の言葉を反芻する。

 

「久しぶりに、そんな人間らしい言葉を聞いたな」

 

 中州は苦笑しながら、執務に戻った。

 

 

 ***

 

「皆に話が有る」

 

 泊地の演習場、そこに泊地全体のまるゆたちが集まっていた。彼女達の前で、石壁が口を開いた。

 

「新しい泊地の完成が近づいてきた今、僕達は前だけではなく、後ろにも気を使わなきゃならない。大本営は今は静かだけど、やがて僕達を殺すべく新たな手をうってくる事は間違いない」

 

 石壁の言葉に、まるゆたちが暗い顔をする。前だけではなく後ろにも敵がいるという事実を、ここにいる皆痛いほど知っているからだ。

 

「だけど、後ろの全てが敵だというわけじゃない。少なくともラバウル基地の人達は僕らの味方だ。今僕たちに必要なことは、ラバウル基地の人達みたいな僕らの後ろの味方を増やすことだ」

 

 石壁はまるゆ達の不安げな顔をみながら、言葉を続ける。

 

「……だから、まるゆ達に本当に大切な任務を任せたい」

 

 石壁の言葉に、まるゆ達が顔を引き締める。

 

「南雲提督が言うには、南方諸島の泊地にはまず何よりも輸送力が足りないらしい。泊地と泊地を繋ぐ輸送網に戦力を回せない為に物資の偏りが深刻化しているそうだ。まるゆ達は輸送隊として、この物資の再分配を行って欲しい」

 

「「「「!!」」」」 

 

 石壁の言葉に、まるゆ達は驚愕する。石壁はこの場にいるまるゆ達に、輸送隊として泊地を離れろと言っているのだ。

 

「この任務は最前線で孤立しているこの泊地を他の泊地と結びつける事を目的としている。僕らの泊地への風当たりは未だに強く厳しい。君達は行く先々で歓迎もされず、反感と猜疑心の視線に晒されて、時に罵倒すら受けるかもしれない」

 

 件の報道によって確かに風当たりこそ大幅に改善したものの、未だに不信感は根強い。本来ならばこのような行動は時期尚早だというのは、石壁にも痛いほどわかっていた。

 

「本来ならそうならないように調整をするのが僕の仕事だ。でも、僕は今この泊地を離れられないんだ……君達に僕の無能の尻拭いをさせて本当にごめん。罵りたいなら好きなだけ罵ってくれて構わない。だけど、生きるために、この後に来るであろう苦難を乗り越える為に、この任務に従事してほしい……!」

 

 石壁はそういうと、まるゆ達に深く頭を下げた。

 

「……」

 

 場を沈黙が支配する。

 

「石壁提督、頭をあげてください」

 

 まるゆ隊の隊長がそういうと、石壁は頭を上げる。そこには大勢のまるゆが笑顔で待っていた。

 

「石壁提督に敬礼!」

「「「「はい!」」」」

 

 その瞬間、全てのまるゆ達が石壁に敬礼をした。

 

「石壁提督、提督のお気持ちは、まるゆ達皆の心に収めました」

 

 まるゆ隊長が、敬礼をしたまま続ける。

 

「提督の温かい思いがあれば、たとえどれだけ冷たく深い海でもまるゆ達の心が凍て付くことはありません。どれだけ辛い戦いの中でも、諦める事はありません」

 

 艦娘の力の源は心の力、心を奮い立たせる熱い思いこそが、彼女達の力。なればこそ、いま彼女達の熱く燃える心は誰にも負けない力を持っていた。

 

「石壁提督、輸送ならまるゆ達にまかせてください」

 

 まるゆ隊長はそういって微笑む。

 

「輸送命令、謹んで拝命します」

「……ありがとう」

 

 ***

 

 

 それから数日後、多くの泊地がこの石壁主導の輸送作戦に参加することが決定、ショートランド泊地の大勢のまるゆ達が各地に赴任し、物資輸送に携わる様になっていく。

 

 南洋諸島の至る所に物資を運ぶ彼女達を見る視線は、反感と猜疑心と興味と期待が入り交じった複雑なものであった。

 

 だが、どれだけ冷たい視線をうけようと、心ない誹謗中傷を受けようと、まるゆ達は誰一人として負ける事はなかった。

 

 誠実に、一生懸命に、ただひたすらに己の使命を完遂せんと必死に働き続ける彼女達の姿をみて、彼女達を見る目は少しづつ変わっていく事となる。

 

 それがどの様な結果を齎すのかは、まだ誰にもわからない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~おまけ~

 

「所でこのゲーム機はどうすればいいのだ?」

「ああ、それに関しては本当に処分に困っている側面があるので遠慮なく貰ってください」

「じゃあなんでそんなもん買ったんだ……ゲーム機以外でもよかっただろうに」

 

 南雲の至極当然な質問に妖精さんは曖昧に笑ってごまかす。

 

(発注ミスでまるゆ一隻分買っちゃいましたなんて言えませんよねえ……輸送力足りないって問題になっているのに)

 

 妖精さんは冷や汗を背中に流す。

 

「石壁提督にはきっとなにか深い考えがあるのでしょう。それに重要な事は毒にも薬にもならぬと大本営に思ってもらう事ですから、石壁提督の真意に関しては重要な事じゃありません」

 

 余談だが、こうやって色んな提督に交流の隠れ蓑として配ってしまったせいで石壁は表向きこのゲーム機を『私的に消費』してしまった事になった。その結果、スパコン用の軍需物資として残りのゲーム機を転用した際に色んな法律の関係で再度経費申請出来なくなってしまうのだが、そんなことは今は誰も知らなかった。

 

「ふむ……まあいいか。では遠慮なく貰うとしようか、泊地の駆逐艦達にはいい娯楽になるだろう」

「……ええ(普通に遊べるゲームもあるんで一応大丈夫)そうですね」

 

 南雲はなにか嫌な予感はしていたが、結局石壁から送られたゲーム機を談話室に設置してしまったのであった。

 

 そしてその後無茶苦茶後悔した。

 

 

 

 

 

 

 



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第十九話 震える海

遂にUAが15万突破しました!ありがとうございます!
これも応援してくださった皆様のおかげです!
これからも精一杯頑張って書きますので、どうか拙作をよろしくお願いいたします!


 飯田提督達がラバウルへと帰還してから数日が経過した頃、いつもの会議室にて石壁達が輸送作戦の進捗について話し合っていた。

 

「まるゆ達が従事している輸送作戦についてですが、当初の予定通り輸送物資を断られない程度に徐々に割り増しながら各地へと運び込んでいるであります」

 

 あきつ丸はそういいながら、物資輸送量の推移をホワイトボードに張り出す。徐々にではあるがその量は増大傾向にあった。

 

「まるゆ達の秘密輸送作戦は大本営には把握されていません。これによって生まれた物資は各地の艦娘達の秘密裏の治療に使われ、治療済みの艦娘が作戦に参加するのに比例して増大傾向を維持しています」

 

 一本目のグラフの上に積み上げるようにして他泊地の艦娘達の秘密輸送作戦参加による物資の増大が記入されると、その増加量は時間に比例してどんどんと積み上がっているのが見て取れた。

 

「このペースでいけば、石壁提督の狙い通り南洋諸島全域に資源が備蓄されるようになるのも遠くはないでありましょうな。ショートランド泊地から持ち出された密輸物資が」

 

 あきつ丸はそういいながらニヤリとした笑みを浮かべ、石壁に目をやった。

 

「潜水艦を用いた秘密物資輸送作戦、『オリョールクルージング』は大成功といっても過言ではないであります」

 

 オリョール、それはこの世界におけるフィリピンやルソン島近海の一帯を差す秘匿名称である。石壁はこの制海権が曲がりなりにも確保された一帯を潜水艦によって秘密裏に繋いでしまったのだ。後はグルグルと泊地同士を回り続ければ時間経過で増えた戦力によって勝手にクルージングが続いていくであろう。

 

「そうか……作戦の第一段階は成功か、後はじわじわと効果が出てくるのを待つしかないな」

 

 石壁がほっとしたように息を吐く。

 

 秘密潜水艦物資輸送作戦『オリョールクルージング』、それは石壁が南洋諸島の現状を打開しつつ、大本営へ対抗するために打ち出した作戦であった。

 

「この作戦はショートランド泊地を南洋諸島と深く結びつけるための布石だ。時期尚早であることを承知でまるゆ達を作戦に従事させているのだからなんとしても結果を出さないとね」

 

 石壁はこの作戦で南洋諸島全体の物資輸送量を増大させる事で、各地の戦力を回復させつつ、ショートランド泊地と他の南洋諸島の泊地を繋ぎ、後に自分たちを潰しにかかってくるであろう大本営へと対抗する事を目的としていた。

 

「慢性的に足りない物資輸送を担いつつ、南洋諸島を回り続ける物資にショートランド泊地の物資を少しずつ混ぜ込んでいけば、多少は恩に感じてくれるかもしれない。本当は少しずつ信用を稼いでいくのが良いんだけど……残念ながら僕たちにはそんな時間はないからね」

 

 石壁は明日にでも急に自分たちへの心象が回復すると思うほど楽観主義者ではない。むしろ、状況は悪化するだろうと考えているのだ。なにせ自分たちのトップが自分を殺そうとしているのだから当然である。それぐらい大本営への負の信頼は厚い。

 

 故にこそ石壁は性急であると承知の上でまるゆ達を派遣し、即物的な賄賂染みた物資を輸送に混ぜ込んでいるのだ。理と情で繋がるだけでは間に合わないから、そこに利を足して不足する時間を補おうとしているのである。

 

「僕たちはこっそり資源を横領しているのではなく割り増しているんだから、それに文句を言う人は少ないだろう。人間損をするときは眉をしかめるけど、得をした時にはこっそりそれを受け入れてしまうからね」

 

 石壁は別に資源に対して対価を要求しているわけではない、断りたいなら断ることも出来るのだ。だが、本当に微量ずつしか増えていかないために大抵の人間は気がついてもつい受け入れてしまうのである。その結果が、気が付かない内に累積する石壁への心情的な借りである。別に踏み倒しても問題はないが、艦娘の提督は基本的にどいつもこいつも善人であり、笑って借りを踏み潰せる人間は少ない。貴重な資源をわざわざ回してくれた人間に対して悪感情を抱くのは難しいだろう。

 

 正しくタダより高いものは無いというヤツである。石壁は損して徳を取れの格言の如くショートランド泊地への好感度を物資で稼ごうとしているのである。

 

「まあ、流石に何もかもうまくはいかないだろうから、実質的にはスーパーで試食したらつい買っちゃう位の心理的な効果を狙っているわけだね。これをきっかけにして南洋諸島全体と友好的な関係を築いていくのが目的だ。送り込む資源だってブイン基地の跡地で増設したプラントから掘り出したものだから実質タダだし」

 

 ショートランド泊地は戦力が慢性的に不足している為、基本的に資源がダダ余りしている。その上ショートランド泊地のすぐ西側の遺棄された鎮守府であるブイン基地から産出される資源もあるのだ。これを腐らせるくらいなら他の泊地へ回して有効活用してもらった方がいくらかマシである。

 

 そういった諸々の事情から、石壁はまるゆ達にラバウル基地へと物資を移転させ、その物資を輸送に混ぜ込んで物資量を増大させているのである。一石何鳥にもなるように作られた無駄のない作戦であった。

 

 そこまで石壁が言うと、あきつ丸はうんうんと頷きながら石壁へと語りかける。

 

 

「しかし石壁提督も人が悪いでありますなあ、あんな遅効性の猛毒をこっそり仕込むなんて悪魔かと思ったであります」

「は?毒?」

 

 あきつ丸がニヒルな笑みを浮かべて石壁にそういうと、石壁は目を点にする。

 

「ねえ、あきつ丸さん。遅効性の猛毒ってどういうことですか?送り出した物資は普通の物資のはずですが……」

 

 物資を管理している間宮が物騒な単語に眉をひそめながら訊ねると、あきつ丸はオリョールクルージングのルート図を張り出す。

 

「いいでありますか?まるゆ達は各泊地を基本的にグルグルと回遊しながら物資をあちこちへと運んでいるであります」

 

 あきつ丸の指が、東の果てのラバウルから西の果てのリンガ泊地までをグルグルと回っていく。

 

「彼等は自分達の物資をまるゆ達が適切に再分配していると思っているであります。時間経過で少しずつ増えていく物資を見た彼等はこの回遊に相乗りして物資の輸送に頼り出すでありましょう」

 

 少しずつ指の回転が早くなっていく。

 

「最初は少しだけであります。ですが次第に物資の量が増えていけば、誰だって無意識の内にこの輸送をあてにするでありましょう。人間というのはそういうものであります……ですが、そのうち誰かが気がつくでありましょうなあ」

 

 あきつ丸の指の動きがピタリと止まる。その位置はラバウル基地、石壁の泊地の西方に位置する盟友南雲の泊地である。

 

「運ばれている物資の大半が実は部外者からの貰い物だったということに」

 

 あきつ丸の指がそのまま東へとズレ、ショートランド泊地へとたどり着く。

 

「自分たちの生命線を握るのが、最前線のいつ死んでも可笑しくない提督だと知ったら、彼等は一体どう思うのでありましょうな?」

「……ッ!?」

 

 間宮は心臓を鷲掴みにされたような感覚がした。

 

「オリョールクルージングとはよく言ったモノであります。彼等はそのうちオリョール一帯を中心にグルグルと遊覧するだけになるでありましょう。なにせ、まるゆ達は少しずつ移動領域をずらしてそのうちショートランド泊地とラバウル間をグルグルと回るだけになり、それと入れ替わるようにして輸送作戦に前かがみになった他の艦隊がまるゆの運んだ物資をお土産に泊地へと帰っていくようになるのでありますよ?」

 

 あきつ丸の指がラバウルとショートランドの間をグルグルと回転する。割り増す物資量が増えていけば、当然ながらまるゆ達の運搬はブイン基地とラバウル基地の間がメインになっていくのは当然の帰結であろう。そうなると最初にふざけた名前に見えた作戦名が、別の意味をもってくるのだ。

 

「かくして、彼等は気が付いた時にはショートランド泊地無しでは生きていけない体となる訳でありますな。まるで麻薬の密売人とその中毒者の関係であります。彼等はまるで中毒者のようにクルージングを繰り返すでありましょうなあ」

 

 あきつ丸がケラケラと笑いながらそういうと、全員の視線が石壁へと集中した。

 

「……さ、流石にそこまで悪どい考えはなかったぞ」

 

 石壁は心底バツが悪そうに顔を引きつらせている。ちなみにオリョールクルージングは石壁の命名であるが、命名理由はいつも通りのフィーリングでありそこまで悪辣な意図で付けられた名前ではない。

 

「でもこの泊地と南洋諸島を一蓮托生の関係に引きずり込むのが狙いでありましょう?」

「……まあうまくいったら良いかな位の考えがあったのは否定しないよ。彼等が欲しいのは物資、僕らが欲しいのは戦力だ。彼等に物資が沢山回れば結果的に僕達のところも楽になるだろうからね……持ちつ持たれつの関係になればそれが一番だし。でもいくら何でもその言い方は悪意ありありじゃない?」

 

 石壁は己の作戦が穿った見方をするとそれぐらい悪辣であると指摘されて顔を顰めている。

 

「……」

 

 間宮はあきつ丸の説と石壁の説、どっちの側面が現れるのか判断がつかず、黙ったまま海図を見つめた。

 

「まあ、いずれにせよ後はまるゆ達の頑張り次第だ。経過報告を待とう。これにて本日の会議は終了、総員通常業務に戻ること」

「「「了解」」」

 

 石壁の号令で全員が会議室を後にした。

 

 

 

 

 ***

 

 

 結論から言うと、石壁とあきつ丸の二人の言葉はどちらも外れることになる。

 

 なぜなら、石壁達はこの後輸送作戦にテコ入れをする余裕などなくなるからだ。

 

(……なんだろう、青葉、胸騒ぎがします)

 

 会議が終わったあと青葉は情報統括部の執務室で情報の整理をしていた。

 

(何か、致命的な勘違いをしているような、そんな予感が……)

 

 そんな時、青葉の近くで手伝いをしていた妖精さんが言葉を発した。

 

「しかし、最近平和ですね」

「平和なのはいいことですよ」

 

 青葉は会話に応じながらも、その手を休める事はない。

 

「その通りですが……ここはあの鉄底海峡を目と鼻の先に抑えた最前線なのに出現する敵戦力も常識的な範囲で収まっています。大規模動員の兆しも見つけられないというのがなんとも拍子抜けというか……」

「南方棲戦鬼の存在が、それだけ大きかったという事ではないか?」

 

 最初に話した妖精さんに、別の妖精さんが乗っかる。

 

「奴が南方海域における敵方面軍の元締めだったのは間違いないだろう?そいつが討ち取られたんだ、混乱しててもおかしくはないだろう」

「それはそうですが……」

「それにほら、みてみろよこの資料、敵の通信量はあの戦いの前後で殆ど変化がない。平時のままと変わらんという事だろう」

「へえ、見やすいグラフですね……確かに情報通信量はあの開戦前と同じですね。鉄床海峡の情報通信に変化はなし、ですか」

 

「……」

 

 妖精さん達のその会話にそれまで動いていた青葉の手がぴたりと泊まる。

 

「ああ、今日も今日とて平穏ぶ「ちょっと失礼しますね」……え?」

 

 会話中の妖精の手元から資料を引っこ抜いた青葉が、資料を捲って詳細を読み込んでいく。

 

「……」

「あの?青葉統括艦?」

 

 青葉は立ったまま無表情で資料を見つめている。だが、ピリピリと肌で感じられる程に、殺気が漏れ始めていた。

 

「……れた」

「え?」

 

 その瞬間、青葉は叫んだ。

 

「やられた!畜生!やばい、やばいですよこれ!!」

 

 青葉は苦悶の表情で、唇を噛む。

 

「どうしたんですか統括艦!?いったい何があったんですか!?何も変わってないじゃないですか!?」

「何も変わっていないのが可笑しいんです!南方棲戦鬼が討伐されて!つぶした筈のショートランド泊地が健在どころか戦略的な価値すら持ち始めたというのに、何もかもが『平穏』にすぎるんですよ!これは情報通信量の調整による欺瞞工作です!十中八九、あの闇の結界の向こう側で反攻作戦の用意をしているとみて間違いありません!」

 

 青葉は今までの敵の行動データの資料を棚から引っ張りだし、机の上に広げる。

 

「そのうえ、ここ一か月、以前と比べれば信じられないほど敵による攻勢がありませんでした。それも南方海域全体でです……つまり奴ら、南方海域全体に散らすはずの一か月分の戦力を……『複数の方面軍』をまとめてここに叩きつけるつもりかもしれません!!」

「「!?」」

 

 深海棲艦のもっとも厄介なところは、その無尽蔵の戦力である。南方海域全体にバラバラに割り振って戦わせ続けても尽きることのないその圧倒的な戦力は、まさしくもって常識外と言わざるを得ない。

 

 南方棲戦鬼の戦略はわかりやすかった。深海棲艦が生まれたそばからすぐに前線に投入し、戦い続けるというものだったのだ。それ故基本的に『前線にいる深海棲艦=その時々の投入可能な全戦力』という方程式が成り立っていた。そんな単純な方法でさえ南方海域全体で人類を圧倒するほど戦力過多であったのだ。

 

 では、その南方海域全域への戦力供給を絞って手元に戦力として囲い込めばどうなるであろうか?

 

「やっぱり……!本当に少しずつだけど、南方海域全域への戦力の移動が停滞している……本当に少しずつ……誤差にしか見えないように戦力を絞りつつ、同時に巡回に見せかけて前線から戦力を呼び戻している……!」

 

 単純な話であった。本来前線に10送るはずだった戦力のうち2~3を手元に置いて部隊を派遣し。同時に前線から輸送隊の体で呼び戻した部隊から10のうち2~3を手元に残す。そうやって少しずつ少しずつ、前線や他の戦線をロンダリングさせながら戦力を手元へと結集させていたのだ。

 

「馬鹿な!深海棲艦が……こんなに回りくどい方法を取ってくるなど……!」

 

 妖精さんが青葉が取り出した資料へ目を向け、青葉に言われた目線でもって確認すると。確かに戦力が少しずつ少しずつ結集しているのが見て取れた。

 

「なんという……なんということだ……!」

 

 そのことにようやく気が付いた妖精さんは、顔面を蒼白にする。彼の明晰な頭脳が、青葉の指摘が事実であるということを否応なしに理解させたのだ。

 

「至急この内容を石壁提督に!対策本部を立ち上げないと……」

 

 青葉の危惧は正しかった。彼女の対応は全て迅速かつ正しいものであったといえるだろう。

 

「青葉統括艦!大変です!鉄底海峡における電波通信量が大幅に増大!大規模作戦の兆候あり!」

 

 惜しむらくは、既に手遅れであったことを除けばだが。

 

 その瞬間、部屋の扉をあけて別の妖精さんがやってきてそう報告をすると、部屋全体がうすら寒い戦慄で包まれた。

 

「直ちに警報を!青葉は石壁提督の元に向かいます!先ほどの情報に関連するモノを作戦本部へもってきてください!」

「りょ、了解しました!」

 

 

 ***

 

「戦いは始まった段階で既に勝敗が決しているものよ」

 

 飛行場姫は戦力配置の駒が配置された海図を見つめながら続ける。

 

「定まった盤面をひっくり返す事は不可能。どれだけ硬い石であったとしても、小石が大津波を止められない様に、精強な寡兵で動き出した大軍は止めきれない」

 

 それが彼女のあり方、彼女の強さ。

 

「さあイシカベ、時代外れの英雄さん。私が準備したゲームを始めましょう?」

 

 飛行場姫は手元の駒を一つ手に取ると、ショートランド泊地の正面海域へと配置した。

 

「とっておきの、悪夢(クソゲー)を楽しんでね」

 

 飛行場姫は、そういって静かに笑った。

 

 ***

 

「総員第一次戦闘配備!」

「物資備蓄を確認せよ!」

「これは訓練でない!繰り返す、これは訓練ではない!」

 

 青葉達によって辛うじて予兆を捉えた石壁は、即座に戦いの準備を整えた。

 

 事前の準備通りに、迅速に、緻密に組まれたその防衛陣の堅牢さを疑うモノは誰も居なかった。

 

 彼等は自分たちにできる全ての対抗策を打ち出し、それを遂行してきたのだ。そういう意味では彼等は微塵も油断していなかったといえるだろう。だがーーーー

 

「……なんだあれ」

 

 ーーーー敵はそれ以上に有能であったのだ。

 

「海も空も……まっくろじゃねえか……」

 

 鉄底海峡の闇のヴェールから霧が吹き出す。半球状の闇の結界の根本から、タールが溢れるように海を黒く染めていく。世界を侵食する様に広がる黒い霧と波はやがてショートランド泊地へと近づいてくる。

 

「……あ」

 

 見張り台にいた一人の妖精が、やがてその正体に思い至って言葉を漏らす。

 

「……ああ、ああ」

「お、おい、どうした。あの霧の正体がわかったのか」

 

 肩が震えだしたその妖精の姿をみて、となりの妖精が尋ねる。

 

「ーーーーだ」

「え?」

 

 体を震わせた妖精が、恐怖に耐えかねて叫んだ。

 

「あの霧は全て敵の艦載機だ!!深海棲艦だ、あれは全て深海棲艦なんだ!!」

「なっ!?」

 

 空と海を真っ黒に染め上げながら、絶望の津波が動き出した。

 

 

 ショートランド泊地に訪れた二度目の大敵は、不気味なほど静かに、そして恐ろしく巧妙に、石壁達を詰み(チェックメイト)へと追い込んだのだ。

 

 

 

 

 

 



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第二十話 鎮守府正面海域の死闘 前編

石壁君の艦これのマップ構成は多分こんな感じです

0-0 鎮守府着任
1-1 鎮守府正面海域(←今ここ)
1-2 鉄底海峡

?-? ???

それでは石壁君の初海域争奪戦をお楽しみくださいませ


 

 

 

 それはさながら地獄の黙示録に予言されたアバドンの王の行軍。彼の王は第五の天使のラッパと共に現れ、天を覆いつくすイナゴの群れと共に神の敵対者を殺戮するために進むという。

 

 深海棲艦の軍勢が海を覆い、艦載機が空を埋め尽くし、全てを飲み込まんと進撃してくるその姿は見る者に絶望を植え付けるに足る破壊力を持っていた。

 

 夜明けとともに鉄底海峡から西進を始めた深海棲艦達が泊地へとなんの前触れもなく襲い掛かってきたのだ。全てを終わらせる為に、全てを食らいつくす為に、飛行場姫という地獄の女王の艦隊は、天を覆いつくすイナゴとなって来襲したのである。

 

「三式弾一斉射撃!!うてぇ!!」

 

 だが、それだけで心が折れる程、この泊地は脆くない。

 

 石壁の号令と共に沿岸砲台から対空砲弾が斉射されると、凄まじい数の航空機が爆散していく。空を埋め尽くす程の凄まじい数だけあって、一発一発が大量の敵を叩き潰していく。

 

「撃っても撃ってもキリがねえ!」

「ぐだぐだぬかすな!早く次の弾を装填しろ!」

 

 砲兵隊が大急ぎで次弾装填の為に動き続ける。

 

「一機でも多く叩き落とせ!あの数の航空機に殺到されてはただではすまないぞ!」

 

 石壁は指揮所で全力の対空戦闘指揮を取っていた。このままでは海上を進む深海棲艦達と接敵する前に、空から基地機能を破壊されかねないからだ。

 

「基地航空隊順次発艦!制空戦闘を開始!!」

「味方艦載機約1000機に対して敵艦載機は軽く見積もって10000機以上!圧倒的劣勢です!」

「前衛航空隊は制空権を喪失!!防空圏縮小!!」

「基地上空まで対空戦線が後退します!!」

 

 基地航空隊によって大幅に水増しされた泊地の航空隊であったが、押し寄せる圧倒的な物量を前には焼け石に水でしかなかった。

 

 鳳翔以下鎮守府の空母艦娘達は、現在死にものぐるいでキャパシティの限界まで艦載機を個別操縦し、撃墜され次第また新しい艦載機を投入するという工程を繰り返している。だが、戦線を押し返すには至らず遂に基地の上空が戦場になっていった。

 

(ああ、クソ、なんて数だ)

 

 石壁指揮下の対空砲の命中率は訓練の成果もあってかなりの高水準まで上昇していた。劣化イージスを用いずともその精度は驚異的の一言であり、ラバウル航空隊程の練度がない深海棲艦航空隊相手ならばそれだけでも十二分に通用する。

 

(南方棲戦鬼の航空隊より何倍も多いぞ、一体どうなっているんだ!?)

 

 だが、当初の想定を遥かに超える航空隊に殺到され、石壁の指揮をもってしてもその限界を越えようとしていた。

 

 ***

 

「『僕の乗る戦艦を落としたいなら、その五倍はもってこい』だったかしら?」

 

 飛行場姫は、己の基地のデスクに座りながら、南方棲戦鬼の戦いの戦闘詳報を読み返している。

 

「ご希望に応えて用意してあげたわよ。十倍の艦載機を」

 

 そう意地悪く笑った飛行場姫は、戦闘詳報を机にのせて観戦に戻った。

 

 ***

 

「機銃をうてぇ!!近寄らせるな!!」

「弾を持ってこい!!」

「撃墜された艦載機が炎上している!!消火班をよべ!!」

 

 空を埋め尽くす程の艦載機、炸裂する対空砲弾、無数の機銃から打ち出される烈火、爆炎と共に翼をもがれた艦載機の残骸が降り注ぎ、逃げ遅れた兵員が押しつぶされて命を落とす。

 

「敵機爆弾投下!」

「逃げろおおお!!」

「しょ、焼夷弾がこっちに!?がぁああああ!?」

 

 一部の隙もなく汲み上げられた緻密な対空砲火をもってして一切を叩き落とさんとする石壁に対して、圧倒的な物量でもって強引に防空網を食い破ろうとする深海棲艦の艦載機の戦い。石壁の防空指揮ですら凌ぎ切れない程の物量は、対空砲陣地に対して小さくない損害を齎していた。

 

「クソが!!爆弾放り込める程近寄って逃げられると思うなよ!!」

「殺せ!!あの艦載機を撃て、撃ち落とせえ!!」

 

 だが、同時に突入してきた深海棲艦の艦載機の大半が叩き潰されており、運よく対空網をすり抜けた艦載機も爆弾の投下後離脱する事もかなわず蜂の巣になって爆散していく。

 

「石壁提督!そろそろ敵艦隊が砲撃戦可能距離まで接近します!」

「防空戦闘指揮だけではなく全体の防衛指揮をお願いします!」

「ちぃっ!もう来たのか!」

 

 この圧倒的な航空隊を迎え撃てるのは石壁だけだ。だが、そちらに傾注しすぎれば正面から押しつぶされかねないのである。

 

 要塞線にこもっていた頃は全て山の中であった。故にそこまで対空戦を考えなくてもよかったが、なまじ海岸線に基地を設営したが故に航空攻撃を無視することも出来ないのである。

 

「……やむを得ないか。演算補助システムを、擬似イージスを起動しろ!!」

「あれはまだ調整段階ですよ!?」

「実験段階だろうがなんだろうが関係ない!出し惜しみをして基地が破壊されては意味がないんだ!急げ!!」

「りょ、了解しました!」

 

 その瞬間、指令室に隣接した部屋で無数の機械が起動する。

 

「演算補助システム起動、対空戦闘の補助を開始します!」

 

 ***

 

 その瞬間、基地の各所で対空砲台に対してオペレーターが防空指示を出し始める。

 

「第104高射砲台右へ修正値3、修正後即座に撃て」

「第204高射砲台、他の砲台がその機を狙っている、目標転換して撃て」

「第684高射砲台、方位そのまま仰角5度修正して撃て」

 

 擬似イージスシステムの起動と共に、追いつかなくなってきていた石壁の指揮・命令が遅延無く要塞中へと届くようになる。

 

 戦艦棲姫の艤装を通して石壁の命令が直接届くようになったことで、最適な命令を瞬時にだせるようになったのである。

 

「了解した!修正だ!」

「一瞬の勝負だ!止まらず動かせ!」

「微修正かけるぞこっちだ!」

 

 その指示にしたがって高射砲台の兵士たちが一糸乱れぬ動きで砲台に微修正を行い発射する。石壁の正確無比な命令と高練度の砲兵隊の職人芸の様な調整技術が合わさったことで高射砲の命中率が一気に何倍にも跳ね上がる。

 

「おお、当たった!」

「やはりすごいなこれ!」

 

 砲台の妖精さん達がその制度に歓喜する。

 

「驚いている暇はねえぞ!さっさと次弾装填しろ!」

「おう!」

「了解!」

 

 隊長妖精の指揮に従って即座に排莢と装弾が行われ、すぐさま飛んできたオペレーターの指示に従って発射していく。

 

「対空砲がこんなに良くあたる様になるなんてな!」

「なんていったけこれ、『イージスシステム』の模倣だっけか、凄いもんだ」

 

 第二次世界大戦時代の航空戦に、模倣品とはいえ一気に半世紀以上未来の軍事技術を投入したのだ。その効果は絶大であった。

 

 ***

 

「基地上空の制空権を回復しました!」

「基地航空隊は援護射撃によって立ち直りました!!対空砲の射撃と協働してなんとか五分へと持ち込んでいます!!」

 

 その報告に指揮所ではホッとした様な空気が流れる。

 

 擬似イージスが石壁の指揮能力圏を沿岸要塞全体へと拡大・拡張したことで、圧倒的な劣勢であった防空戦闘が五分五分へと持ち直したのだから当然であろう。

 

(相変わらず、凄まじい情報量だ……!)

 

 石壁は絶え間なく頭に流れ込み続ける無数の情報を元に要塞各所へと命令を出し続けている。

 

 水車へと通常の10倍の水を一気に流し続ける様に、石壁の頭は高速で回転し続ける。送り込まれる情報も、はじき出される命令も、その伝達速度も、普段とは桁違いである。

 

「これなら行ける……深海棲艦を弾き返すぞ!!」

「「「了解!!」」」

 

 鎮守府正面海域を巡る死闘は、始まったばかりであった。

 

 ***

 

「戦況しらせろ!」

「現在時刻0100(マルヒトマルマル)、未だ攻勢は収まっておりません!」

「日の入りとともに敵航空隊は撤退しましたが、敵水雷戦隊と戦艦隊による肉薄作戦は現在も継続中!」

「沿岸砲台は現在もなお間断なく砲撃戦をつづけております!損耗率微増、昼間に比べて苦戦しております!」

「艦娘達は個人用トーチカに篭って反撃を続けております!轟沈艦こそいないものの、敵艦砲射撃をうけて負傷者は増大傾向にあります!」

「昼間の攻勢で損壊した対空砲陣地・航空隊基地は現在大急ぎで修復を進めております!」

 

 深夜になっても深海棲艦達の進軍は一切緩まなかった。航空隊の攻撃こそなくなったものの、闇夜に隠れた進軍は沿岸砲台の砲撃命中率を格段に引き下げ、昼間の交戦に比べて交戦距離が縮んでしまう。その結果、肉薄してくる深海棲艦の数も格段に増加したのだ。

 

 個人用トーチカに籠る艦娘も交代制の休憩こそ取るものの、そもそもの戦力が少ない鎮守府ではどうしても艦娘の負担が大きく、昼間に比べて損耗率が上がってくるのは防ぎようがなかった。

 

「防衛隊の疲労を適宜抜いていくことを忘れるな!人も艦娘も兵器もずっと使い続ければすぐに駄目になるぞ!交代要員を密に用意し余裕をもって休憩をさせろ!」

「はい!」

「飯を炊き握り飯をつくれ!塩を効かせろよ!兎に角塩気のある食い物を食わせて塩分をとらせるんだ!」

「配給班に伝達し食事を回します!」

「使っていない高射砲の射角を調整!前線にむけ照明弾を欠かさずに打ち続けろ!!少しでも命中率を上げるんだ!」

「了解!」

 

 開戦から既に15時間近くが経過していたが、未だに石壁の指揮は冴え渡っていた。波のように押し寄せる敵を防波堤が弾き返すように頑強に抵抗ができているのは、組み上げられた防衛戦略と石壁の指揮能力の賜物であった。

 

 深海棲艦に強いた出血は既に凄まじい領域に達していた。波打ち際は深海棲艦の血とオイルで赤黒くそまっており、打ち寄せられた残骸で浜が埋まっている。それだけ多くの深海棲艦を討ち果たしているのにも関わらず、攻勢は未だに収まらない。

 

 ***

 

(いったい、どれだけの戦力を投入しているんだ……)

 

 終わりの見えないタワーディフェンスゲームを延々と行っているかのように敵を殺し続ける一同は、次第に目に見えない疲労を大きく増大させており、指揮所の空気は次第に沈鬱としたものになり始めていた。

 

「……石壁提督、各地の損耗率の纏めです」

「ああ、ありがーーーー」

 

 渡される資料を取ろうとした石壁の手が空を切る。

 

「あ、あれ?」

「……提督!?」

 

 空振った手を不思議そうに見つめる石壁。彼の顔を見た一同がぎょっとして目を見張る。

 

「提督、鼻血が流れています……それに、凄いクマが」

 

 既に開戦から20時間以上が経過している。それだけ長時間たった一人で完璧な防衛戦闘指揮を行ってきた石壁だったが、新システムである劣化イージスによる演算補助をもってしてもその負担は決して小さいものではない。

 

 いや、実をいえば時間辺りの石壁への負担という意味ではむしろ増大しているのだ。常人では使いこなす事すら難しい高度な演算補助システムに石壁という人型イージスデバイスを組み込んで漸く動かしているというのが実情なのだ。防衛精度が跳ね上がるのに比例して負担も相応にあがっているのである。

 

 調整中の機構故に見過ごされたこの致命的な欠点が、遂に表面化を始めたのであった。

 

「……っ!」

 

 膝から力が抜けて椅子へと座り込む石壁、その疲労の度合いは誰から見ても明らかであった。

 

「だれか!石壁提督を医務室へ!」

「しかし、だれが代わりに指揮を取るんだ!?」

「石壁提督以外がこの鉄火場をもたせられると思うのか!?」

 

 石壁の防衛能力は天下無双のモノである。それは敵味方を問わず石壁と戦ったことのあるものなら皆一様に認めるものだ。彼がいたからこそ、ショートランド泊地は今まで戦ってこられた。それだけ稀有な力の持ち主なのだ。

 

 だが、石壁という強みは裏を返せば彼が居なければ防衛すらままならないというこの泊地の致命的な弱点に他ならない。

 

 この泊地は石壁の能力を最大限発揮できるようにシステムが組まれており、それがなければ昨日深海棲艦の航空隊に押し込まれてなすすべもなく沿岸部の基地は陥落していただろう。石壁という最強の駒を最大限活かすことでこの拮抗はなっているのだ。

 

 戦力が致命的に足りない以上、石壁が無理をするしか方法は無かった。そして無理を押し通せばどうなるのか、その当然の帰結がここに現れようとしているのだ。

 

(思考が回らない……疲労と眠気で頭が動かないんだ……)

 

 椅子に座りこんだ石壁は、霞のかかった頭で現在の自分を客観的に見つめていた。

 

(これは体からの警告だな……今すぐにこの劣化イージスを止めろ、この過負荷を軽減しろっていう当たり前の信号だ……)

 

 無理やり負荷をかけ続けている石壁の脳髄が危険を感じてストップをかけているのだ。如何に半分人間を辞めて常人離れした石壁でも、普段の10倍の速度で頭を回し続ければ疲労に耐えられなくなるのは当然であった。常人ならば既に耐えきれずに気絶するか脳髄が焼ききれかねない程の危険な状況なのだ。

 

「……明石」

「は、はい!今すぐシステムを止めて提督を医務室にーーーー」

「違う!!システムは絶対に止めるな!!」

 

 明石が石壁の肩を支えようとすると、石壁は力強くそれを押し留める。

 

「今すぐに医療用の覚醒剤とカフェイン錠剤をありったけもってこい!無理矢理にでもこの止まった頭を掻き回して使えるようにするんだ!!」

「て、提督!?頭が可笑しくなっちゃったんですか!?」

 

 明石が驚愕して石壁を見つめるが、血走った石壁の目に冗談は一欠片も含まれていない。

 

「命令だ……もってこい!!副作用なんて知ったことか!!今日この日を生き延びる為に兎に角もってくるんだ明石!!」

「は、はい!!」

 

 明石が駆け出していくと、石壁は叫んだ。

 

「数分だけでもなんとか僕抜きで戦線を維持しろ!!なにをぼさっとしているんだ動け!!!」

「「「は、はい!!」

 

 石壁はそれだけ叫ぶと明石が戻ってくるまでの数分だけ意識を失った。

 

 ***

 

「も、もってきました」

「……ああ、頼む」

 

 明石が戻ってくると石壁は即座に意識を取り戻して覚醒剤を体に注射する。すると途端に霞ががった思考がクリアになり、意識が明瞭さを取り戻した。

 

(心臓が痛いほどに脈打ち、張り詰めている。なるほど、確かにこれはキクな……中毒になるのもわかる)

 

 薬品によって生まれる擬似的な全能感、疲労が消えてしまったかのような興奮に、石壁は我知らず笑みを浮かべていた。

 

「待たせた!すぐに指揮に戻る!今の隙に攻め込んで隊列を崩したやつを重点的に叩いて追い返せ!敵に防御の隙間を見せるんじゃない!」

「は、はい!」

「夜明けと共に敵艦載機が再度やってくるぞ!対空要員に伝達してフォーメーションを対空戦闘形態に戻せ!」

「了解!!」

「遠くまで見えれば沿岸部の砲台の命中率も上がる、砲台を全力稼働させて狭まった包囲網を押し返せ!!」

「了解です!!」

 

 先ほどのふらつきはなんだったのかと思うほどの立ち直りに、指揮所にはホッとした空気が流れる。

 

 だが、それは『石壁の限界』という今まで見ないふりをしてきた現実をその場の全員に思い起こさせたのであった。目の前の防衛戦最強の提督でさえ防ぎきれない攻勢が来ているのだという意識が、指揮所を中心にじわりと心の中で増大し始めていた。

 

(まずいな……皆の心が押され始めてきた……)

 

 石壁はその嫌な流れを敏感に感じ取っていた。戦列が崩れるのは心が崩れる時。石壁という絶対の支柱によって押さえ込んでいた不安が、恐怖が、もしも全体まで広がってしまえばそれはどうしようもない遅効性の猛毒となる。石壁にはそれがよくわかっていた。

 

(僕が戦える間はなんとかなると思うけど……あとどれだけもつ?あと何日僕はここで指揮がとれる?)

 

 天才や超人に頼ったシステムはそれが順調に動くうちこそ強いが、個人に頼るが故にその人に何かあれば全てが駄目になるというどうしようもない弱点があった。飛行場姫はその弱点を圧倒的な物量によって無理やりにこじ開けて来たのだ。

 

(……まあいいさ、僕の命がどれだけ燃えようが、寿命が縮もうが、知った事じゃない)

 

 石壁は覚悟を決める。未来ではなく明日のために、明日のためより今この時のために、己の命を燃やそうと。どれだけ体がボロボロになろうとも、疲労を押さえ込み、痛みを誤魔化し、戦い抜くという字義通り決死の覚悟である。

 

(勝たないと……僕は勝たないといけないんだ……ッ!!)

 

 化け物の体を鋼の精神で律して、石壁は立ち上がった。立ち上がってしまった。

 

「水とカフェイン錠剤を」

「はい」

 

 バリバリと錠剤を噛み砕き、水で無理やり流し込む。限界を無視されたその過剰な薬品の摂取が石壁の肉体にダメージを与えるが、それを黙殺する。

 

(今ばっかりはこのバケモノの体にも感謝だな、人間なら死にかねない投薬だって耐えられるんだから)

 

 薬効が興奮と共に眠気を消し去っていく。

 

「敵航空隊大挙しておしよせてきます!」

「一匹残らず叩き落とすぞ!三式弾を撃ちまくれ!!」

 

 石壁は己が袋小路へと追い込まれたのだという事実から目を逸らして、戦い続けた。

 

 ***

 

「だから言ったでしょ?戦いの趨勢は既に決まっているの」

 

 飛行場姫は少しずつ少しずつ、石壁の泊地へと戦力を送り込んでいく。

 

「貴方は正しく一騎当千の英雄、生半可な戦力では殺せない。だから、私も持てる限りの力を尽くして本気で準備したのよ?」

 

 これは飛行場姫が石壁を殺す為だけに整えた舞台、演目の内容は一人の英雄が悪夢の中で壊れるまで踊り続けるという悪趣味極まりない悲喜劇。

 

「総勢一万数千隻の深海棲艦による波状攻撃、貴方はどこまで凌げるかしらね。無駄に足掻いた所で、貴方が死ぬのが先延ばしになるだけよ」

 

 泊地が攻勢に耐え切れずに戦線が崩壊するか、石壁が耐え切れずに壊れるのが先か、これはそういう次元の話なのだ。

 

「さあ、鉄底海峡の終わらない夜に沈みなさい」

 

 悪夢はまだ始まったばかりだ。

 

 

 

 



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第二十一話 鎮守府正面海域の死闘 後編

後編なので今日は2日連続投稿です
楽しんでいただければ幸いです


 鎮守府正面海域を巡る死闘、泊地の全ての人員が死力を尽くして戦い続ける中、じっと待機を続ける一団があった。

 

「……」

 

 軍刀をもって無言で椅子に腰掛けている伊能を中心とした、鎮守府最精鋭陸軍突撃隊の面々であった。

 

 彼等は石壁にとって最高の切り札であり、彼等が投入される時は即ち決着の時であると言っても過言ではない。

 

 故にこそ、終わりの見えぬ攻防戦が続く現状において彼等の出番はなく、ただひたすらに待機を続けるしかないのだ。

 

 彼等は精鋭だ。一度戦場に投入されればどんな状況でも戦える。否、戦えねばならない。

 

 だからこそ、来たるべき『その時』まで彼等は動くわけないはいかぬのだ。例え味方がどれだけの苦境にあったとしても、彼等を使うわけにはいかないのだ。

 

(俺は何をやっているのだ……)

 

 伊能は、自分達が完全に予備戦力と化した現状において、戦力として活躍する機会がこないことを察していた。それでもここを動くわけにはいかない事も、ここにいることに意味が有ることも痛いほどわかっていた。

 

(今ここに座っている俺はカカシ以下の訳にしか立てん。石壁が必死に戦っているというのに、ただ待つことしか出来んのだ)

 

 だが、理解出来ることと、それを納得できるかは全く別のことだ。

 

(ああ、この身の無能さが恨めしい……何故俺は、石壁と共に戦えんのだ……ッ!!)

 

 握りしめられた軍刀が鈍い音をたてて軋む。いつも共にあった戦友の背中が、どこまでも遠い。ずっと二人三脚で進んできた筈なのに、今彼の相棒は独りで戦っているのだ。伊能は己の心が無力感で軋む音を聞いた。

 

「……」

 

 伊能は、いつまでもじっと、耐え続けていた。

 

 

 いつまでも、ずっとーー

 

 

 ***

 

 

 突如として始まった深海棲艦の大規模攻勢、日の出から始まった戦いは既に24時間を経過しているが、一向に終わる気配を見せない。

 

 

 石壁は医療用の覚醒剤を明石に注射してもらいながら、カフェイン錠剤を噛み砕く。極度の精神的疲弊を根性とカフェインと覚醒剤でごまかしながら石壁は指揮を続ける。

 

 

 興奮作用のある薬剤を過剰に摂取した事で石壁の心臓が危険な脈拍を奏で、止まっていた鼻血が溢れてくるが、それを無視して石壁は立ち上がる。南方棲戦鬼の臓器によって強化された石壁の体は、石壁の無茶なオーダーを必死に遂行しようとしていた。 

 

「提督、鼻血が……」

 

「これくらいどうってことはない!状況を知らせろ!」

 

「……はい!」

 

 

 石壁は指揮が滞った数分の情報をさっと確認しながら、また最適な防衛指揮を取り直す。

 

 

「沿岸砲台陣地の右翼側が劣勢だ、重巡艦娘達を重点的に配置し、敵を叩け!」

「了解しました!」

 

「左翼側対空砲台陣地の3割が機能を停止しました!」

「対空装備の軽巡と駆逐隊を派遣し対空戦闘に加勢させろ!」

「はい!」

 

「石壁提督!沿岸砲台の破損率が飛躍的に増大してきています!戦艦砲クラスの砲台の修理が追いつきません!」

「右翼側なお劣勢!増援求む!」

「左翼側で大規模な攻勢開始され、戦艦砲が破壊されました!このままでは肉薄されます!」

「左翼側には戦艦艦娘を重点的に回すんだ!右翼側へは治療中の艦娘が回復しだい向かわせる!もうすこし粘れと伝えろ!」

 

 

 

 二日目の戦いも石壁達の優勢のまま戦況は推移していく。25時間、30時間と、石壁の連続戦闘時間を更新しながら続いていった戦いだったが、40時間を過ぎたあたりから石壁の意識はもはや限界に達しようとしていた。

 

(頭が……頭が割れるように痛い……!)

 

 戦闘開始からずっと石壁の頭脳は極限まで回転し続けていた。しかも、それは自分で頭を回すというよりも、無理やり外から圧をかけて回転率を向上させているに等しい。

 

 高速で回転する歯車が摩擦で加熱していくように、石壁は脳髄が摩擦熱で焼かれるような痛みを感じていた。

 

(視界がレッドアウトしそうだ……心臓が痛い……)

 

 石壁の半ば人外化した肉体をもってしても、薬で誤魔化し続けた負担が限界を越えようとしていた。

 

(耐えろ、耐えろ僕の体……僕が倒れたら、もう後は無いんだ……)

 

 石壁は終わりの見えない苦行の中で、ただ独り戦い続けていた。

 

 ***

 

 基地航空隊指揮所では鳳翔が中心となって大勢の空母艦娘が艦載機の指揮を行っていた。

 

「赤城航空隊壊滅!!赤城は疲労困憊で戦闘不能!!」

「飛鷹航空隊損耗率50%!粘り強く抵抗を続けていますがそろそろ限界です!!」

「隼鷹航空隊再配備が遅れています!」

「瑞鶴航空隊奮戦中!!損耗率拡大傾向!!」

「翔鶴は指揮用トーチカに空爆が直撃して昏倒!!後方へ移送しました!」

 

「防空網の穴は私の部隊が一時的に穴埋めします!再配備を急いでください!!交代時間をなんとか縮めて、すぐに部隊を入れ替えて!!」

 

 鳳翔は基地航空隊総司令艦として全体の指揮を取りつつ、航空隊全体を支え続けていた。

 

(航空隊の回復が、追い付かない!!)

 

 この泊地の基地航空隊は無人の艦載機を艦娘が直接操縦する形式をとっている。

 

 これによって艦載機が撃墜されて航空隊が磨り潰されても、機体さえあればすぐに戦力を回復することが出来る。

 

 だが、この艦娘の艦載機の直接運用は艦娘の戦闘への負担が格段に上昇するというデメリットがあった。

 

(皆さんの疲労の回復が追い付きません……騙し騙しやっていますが……もう限界です!!)

 

 戦線を支え続けた赤城は先ほど疲労に耐えかねて昏倒、現状瑞鶴と飛鷹が辛うじて最前線を支え、それを周りが補助しているが、それも限界が近かった。

 

(せめて、もう一艦隊分、空母機動部隊があれば……!!)

 

 現状の泊地には石壁以外に空母を保有する提督が居ない。提督一人分の艦娘だけではローテーションさえままならないのだ。

 

「なんとか日暮れまで持たせねばなりません!私の航空隊数を3割増加させて穴を塞ぎます!!」

「鳳翔殿!!それでは貴方の負担が大き過ぎます!!」

「かまいません、いま無理をせねばどの道破綻します。私が時間を稼ぐ間に、急いで航空隊の充足率を回復させてください!!」

 

 石壁の初期艦だけあって、彼女の防空指揮能力は通常の空母に比べ突出していた。だが、彼女の力をもってしても崩壊は刻一刻と近づいていた。

 

(提督……どうかご無事で居て下さい……)

 

 鳳翔は航空隊総司令艦として基地航空隊の総指揮を取らねばならない。故に戦闘開始からずっと石壁の側を離れているのだ。

 

(さっきから胸騒ぎが止まない……このままでは、何か取り返しがつかない事になるかもしれません……)

 

 鳳翔は、魂が繋がった相手の危機を敏感に感じ取りながらも、そこに駆け付けられない事に焦りを感じていた。

 

(せめて、少しでも提督の負担を減らさないと!!)

 

 鳳翔は歯を食いしばって艦載機を全力で操作し続けるしかなかった。

 

 

 ***

 

 

 

 戦闘開始から50時間、石壁は殆ど一時も休む事無く戦闘指揮を取り続けている。石壁以外の班員は適宜休憩を取らせているが、防衛戦闘指揮の全てを取り図る石壁だけは休めない。 

 

 石壁は戦闘中の本当に短い隙間を見つけて、なんとか数十秒から数分程椅子で目を閉じて休み、すぐに飛び起きて指揮に戻るという行為を繰り返していた。

 

 疲労と眠気を薬で誤魔化しながら戦う石壁の瞳の下には、真っ黒いクマが浮かび、目は充血し、時々溢れてくる鼻血をが口元を汚している。

 

「はぁ……はぁ……あ、かし、薬を」

 

 真っ赤に血走り、顔の色は土気色になり、食いしばられた口元を時々あふれてくる鼻血で汚しながら、掠れる様な声で薬を求める石壁。その姿はもはや健常者ではなく裏路地で薬を求める廃人の如き有様であった。

 

 何度も何度も繰り返し撃たれた薬のせいで、彼の腕は注射痕だらけになっており、その痛々しさは見るものの心を締め付けている。

 

「ゴホッゴホッ……うっ!?おげぇええッ!?」

「て、提督!!」

 

 石壁は腹の底からこみ上げる吐き気をこらえかねて蹲り、血反吐の混じった吐瀉物を吐き出した。度重なる投薬と負担に耐えかねて胃壁に穴が空いたのだ。

 

「はぁ……はぁ……うっぷ……糞ったれ、これ以上錠剤は飲めないか……明石、注射を……」

「提督!もう限界ですよ!これ以上は、もう駄目です!!」

 

 明石があまりの悲惨さに涙を流しならそう叫ぶが、石壁はうんとは言わない

 

「どこが限界だ?防衛線はまだ充分に機能している……戦線はまだ維持できる。撤退に移る程じゃ……」

「そんな事は言っていません!!貴方です!貴方がもう限界なんです!!このままじゃ、壊れちゃうんですよ!!艦娘とちがって貴方は壊れても直せないんですよ!?貴方が壊れたら、一体誰がこの泊地を護るんですか!!」

 

 明石の叫びはその場の者の総意であった。自分たちの敬愛する提督がまるで廃人のごとく薬物に身を委ねて命を削り戦い続ける様は、石壁よりも先に周りの人間の心をへし折った。総司令官にあれ程に命を削らせなければ戦うことすら出来ない自分たちの無力が、何よりも辛かった。

 

 だが、普段なら石壁も受け入れられただろうその指摘は、既に限界ギリギリまで摩耗していた彼の心を逆撫でするには充分過ぎる力をもっていた。

 

「……おい」

「えっ!?」

 

 胸ぐらを石壁に掴まれて、明石は驚愕する。これまでこんな暴力的な行動を石壁はとった事などなかったからだ。

 

「じゃあ聞くが」

 

 至近距離で目の座った石壁に睨まれて、明石は息を飲んだ。

 

「現実問題として誰が指揮を取る?伊能か?君か?間宮か?馬鹿を言うな、だれが指揮をとれるというんだ!!この鉄火場を、この攻勢を、誰が代わりに指揮してくれると言うんだ!!」

 

 決壊した感情の奔流が次から次へと溢れ出していく。

 

「て、提督?」

 

 石壁が部下の前で感情をむき出しにするの事は殆ど無い。石壁が部下に八つ当たりをしたところなど誰も見たことはなかった。だが、度重なる薬物の過剰摂取がもたらす極度の躁鬱状態が彼の感情のタガをあっけなく弾き飛ばしていしまう。明石は生まれて初めて、石壁の内部に燻ぶるドス黒い感情を叩きつけらた。

 

「この泊地でたった一人、僕だ、僕しか居ないんだろう!?僕以外の一体誰が指揮を取れるというんだ!!誰が、僕らを助けてくれると言うんだ!!僕らを見捨てた大本営か!!自分たちの命で精一杯な南洋の他の泊地か!!誰もいない、誰も居ないんだよ!!」

 

 それはこの泊地にやって来てからずっと石壁の心のどこかに燻っていた感情、総司令官という仮面で押さえ込んできた諦念と絶望であった。

 

「僕らを助けてくれる人なんて誰も居ないんだ!!なら、僕がやるしかないだろうが!!!!」

 

 石壁は血を吐く様に叫ぶと、呆然とする明石の腕から注射器を奪い取った。

 

 

「やめて、やめてください……!お願いです提督、それ以上戦わないで下さい……!!」

「離せ明石!!僕が戦わないと皆死ぬんだ!!頼むから戦わせてくれ!!」

 

 注射器を射とうとする石壁を明石は泣きながら羽交い絞めにする。周囲の仲間達はそれを呆然と見るしか無い。

 

 組み合う内に二人は無線機に衝突する。

 

「誰か居るはずです!誰か、この現状を救うために助けに来てくれるはずです!だから……だからヤケにならないでください!!」

「ならだれがいるのか教えてくれよ!!この場所に、誰も来ようとしない世界の果ての地獄まで、だれがくるっていうんだよ!!」

 

 その瞬間、石壁の絶叫が無線機を通して泊地周辺へと放送された。先ほどの衝突でマイクの電源が入ってしまったのだ。

 

「なっ!?」

 

 それに気が付いた瞬間、石壁は全身の血の気が引いた。最高司令官の錯乱と絶望が電波にのって広がってしまったのだ。折れる、折れてしまう。戦線を維持する最後の頼みの綱が、これで折れてしまう。石壁がそう絶望したその瞬間ーー

 

 

 

『助けならここにいるぜ』

 

 

 

 無線機から声が響いた。

 

 

 

『ようブラザー、オイラの声を忘れちまったか?』

 

 

 

 居るはずのない、もう二度と聞くことはないだろうと思っていた、『最高に陽気な男の声が』無線機から流れた。

 

 

「じゃ……」

 

 

『例え世界の果てにいたって、オイラ達は仲間だろ?』

 

 

「ジャンゴ!!」 

 

 希望はまだ、残っていた。

 

 ***

 

 

「ジャンゴ!!」

 

 その無線を聞いた指揮所が俄に活気づく。

 

「援軍!援軍です!」

「援軍!?嘘!?」

「『金剛型戦艦四隻』を含む艦隊が先頭を航行中!」

 

 石壁が金剛型戦艦という言葉を聞いた瞬間、広域無線を無線機が捉える。

 

『遠からん者は音に聞けぃ!!近くば寄って目にも見やがれい!』

 

 あまりにも聞き覚えの有りすぎる名乗りに、石壁は思わず破顔する。

 

 ***

 

 

 改造巫女服の如き傾いた服装、意志の強そうな凛とした瞳に、ふてぶてしい不敵な笑み。

 

「撃てば必中、駆ければ韋駄天、進む姿は鉄(くろがね)の城!!」

 

 戦場のど真ん中に大輪の花が咲く。無線封鎖など知ったことかと傾く漢女(おとめ)の大音声が、世界へ向いて響き渡る。

 

「えげれすはろんどん生まれの帰国子女!天下無双の鬼金剛たぁ……」

 

 金剛が手を前に突き出す様な歌舞伎めいたポーズを決めながら、砲門を敵へと向ける。

 

「アタシの事でい!!」

 

 

 ドドン!と太鼓を打つ代わりに砲弾を一斉射撃する一同。その砲弾は一切ぶれることなくそれぞれが敵艦に叩きこまれ、一斉に爆散した。

 

「助けにきたぜい石壁提督!この金剛が来たからには最強の大戦艦に乗ったつもりで待ってやがれ!」

 

 地獄の泊地に、最高に頼もしい援軍たちがやってきたのだ。

 

『Fuck!ズルいぜ金剛!オメーばっかりカッコイイとこ持っていきやがって!オイラにも名乗らせろよ!』

「ああん?きこえないねぇ?なんかいったかい宿六!」

 

 艤装と無線から響くジャンゴの悔しそうな声に、わざと耳元に手を持って行って煽る様な仕草をする金剛。戦場ですら常態を保つその有り様は、敵にイラつきを与え、味方を鼓舞する。

 

『HollyShit!!ええいもういい!聞こえてるかブラザー!助けにきたぜー!』

 

 ***

 

 

 ジャンゴの楽しそうな声が無線を通じて広がると、その無線を聞いていた鎮守府のすべての者達に喜色が浮かんだ。ジャンゴ達の事を知らないものは、援軍というその単純な言葉に、ジャンゴ達の事を知る者たちは、その相変わらずの破天荒さに、笑みを浮かべた。

 

『嬉しいだろ!?けどオイラだけじゃないんだぜ!』

『ジャンゴ!先行しすぎだ!すこし引け!』

『新城提督!全艦隊所定位置に到着!これより戦闘にはいります!!』

『石壁ー!元気だったー!?山城お姉ちゃんが助けにきたわよー!」

 

 ジャンゴに続いて、無線が届く距離にきたらしい男女の声が続いて響く。忘れるはずもない、新城提督とその艦娘、扶桑と山城だ。

 

『この無線を聞く全ての者に次ぐ、自分は新城定道中佐、これより指揮下の全艦娘を率いてショートランド泊地を救援する!攻撃を開始せよ!』

 

「「「「おおおおおおおおおおおおおおお!」」」」

 

 無線から大勢の艦娘の声が響く。

 

「石壁提督!電探に感あり!総勢100名以上の艦娘が現れ、敵艦隊へ横から攻撃を加えております!」

 

 その瞬間、水平線を埋めるような大艦隊が、水平線から現れた。その数24艦隊、96名、新城が指揮下におく全艦娘が、一糸乱れぬ航行を行っているその様は、圧巻であった。

 

「あ、あれが新城の艦隊!?どうやってあれだけ多数の艦娘を一度に指揮しているんだ!?」

 

 一般的に提督が一度に統制できる艦娘は一艦隊六名、才能のあるもので限界が4艦隊24名であるといわれている。それ以上の艦娘を指揮しようとしても提督の能力を超えてしまい、援護が及ばず轟沈率が跳ね上がるのだ。石壁は数十名の艦娘を戦場に投入したことはあるが、それが出来たのは一切指揮をせずあくまで兵士として艦娘を扱い、彼女たち自身に戦場での判断を委ねていたからだ。

 

 だが、新城の艦隊は明らかに違う。あれだけ多数の艦娘を、組体操の如く一切の無駄なく、整然とした艦隊行動を取らせている。どうみてもあれは提督の『指揮下』にあり、信じがたいことに通常の24倍、熟達した一流提督の4倍もの艦娘を一度に指揮しているのだ。

 

 これに面食らったのは深海棲艦側である。艦娘が深海棲艦にまさる最高の点が、提督の有無である。提督指揮下にある艦娘一人の戦力は深海棲艦一人を大きく上回るのだ。それが96名も、しかも一つの意志の元一糸乱れぬ戦闘を行うのである。その戦闘力は、推して知るべきであろう。

 

 現に、無警戒に近寄った航空機は、圧倒的な数による空を埋め尽くすような防空射撃に叩き落とされ、凄まじい量の砲撃が、艦隊単位で深海棲艦を消滅させていた。

 

 ***

 

「なんだあのバケモノ染みた動きをする艦隊は!?」

「まともにぶつかればただじゃすまないぞ!」

 

 新城達の艦隊と衝突した深海棲艦達はバターが溶ける様に削られていく。

 

 突如吹き込んだ神風が、戦場の流れを一変させる。その勢いは未だ止まず、更なる追い風を引き寄せる。

 

 

「電探に感有り!あの艦隊の後方よりさらなる増援を感知!!……ら、ラバウル航空隊!ラバウル航空隊だ!!しかも多い!!かなりの大規模な増援です!!」

「チッ……遂に出張ってきたか」

 

 二千機の艦載機が先行する新城達の上空を護る。その全てが妖精さんが操作する精鋭航空隊であり、その攻撃力の高さは凄まじいモノとなる。

 

 深海棲艦の指揮艦は、新城艦隊がラバウル航空隊の援護を得てじわじわと近寄りながら深海棲艦を撃滅していく様をみて、決断を下した。

 

「……全艦隊に通達、一時撤退だ」

「……よろしいので?」

 

 指揮艦はその言葉に応じる。

 

「構わん、もともと第一次攻撃は『威力偵察』だ。イシカベの泊地の戦力も増援の戦力も充分に測れた。次で仕留めればいい」

 

 飛行場姫は今回の攻勢で石壁が崩れないことや大規模な増援が来ることも充分に想定していた。その場合は今回の一連の攻撃を偵察と割り切りショートランド泊地の戦力を測って、第二撃で石壁を仕留めるつもりであったのだ。

 

「どの道我らに負けはない。じっくり腰を据えて攻めればよいのだ。撤退に移れ」

「はっ!総員に撤退命令を出します!」

 

 そういって指揮艦は、艦隊に退却命令を出す。

 

『全艦撤退せよ!鉄床海峡へ引け!』

 

 ***

 

 こうして、第一次鎮守府正面海域海戦は幕を閉じた。攻め寄せた深海棲艦の内数千名を叩き潰したショートランド泊地であったが、飛行場姫の手元にはまだ一万以上の深海棲艦が残っている為、勝利とは程遠い結果であった。

 

 むしろ、泊地の基地機能や海岸の防衛線は崩壊する寸前であった。そして何よりも、石壁が最早限界であった以上彼等は敗北したと言っても間違いではなかった。

 

 だが、それでも石壁たちは今日を乗り越えたのだ。石壁はまだ死んでいない。ならばまだ終わりではないのだ。

 

 ショートランド泊地の全てのモノに刻まれた敗北の苦渋が、どう作用するのか。そして、いずれもう一度押し寄せるであろう飛行場姫の本命の第二撃がどうなるのか、今はまだ誰にもわからない。

 

 

 



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第二十二話 どん底で光る灯火

 深海棲艦の撤退後、破損した設備の補修や物資の補充が急ピッチで行われる中、指揮所にジャンゴ達がやって来る。石壁はふらつく体を支えながら彼等を出迎えたのであった。

 

「ようブラザー、また会えて嬉しいぜ!」

「久しぶりだな石壁!お前が生きていて、本当によかった!」

「ジャンゴ!新城!」

 

 硬い握手を交わす一同。

 

「ふふふ、最初からブラザーが死んだなんてオイラは信じちゃいなかったゼ!必ず生きているって確信していたからなぁ」

 

 がっはっはと気持ちよく笑うジャンゴの後ろから金剛がやってくる。

 

「まーた提督が調子の良い事言ってやがらぁ。手前石壁が死んだって聞いてあんだけ号泣していやがった癖になぁに言ってやがんでい」

「おいこらファッキン金剛!オメーこそ何言ってやがる!自分だって石壁が生きてるって話聞いた時小躍りしてたじゃねぇか!オイラ知ってんだぞ!」

「ああん!?冗談は格好だけにしやがれってんだバーローが!鎮守府の正面海域に叩き込まれてぇか!」

「上等だぜこのファッキン【自主規制】が!てめぇの【ピー】に【バキューン】して【らめぇ!】してやろうかぁ!?」

「てやんでいべらぼうめい!この金剛、【ズキューン】が怖くて戦艦やれるかってんでい!真っ黒いダボハゼみてぇな面しやがってこん畜生が!!」

 

 至近距離でガンと禁止ワードを飛ばし合うジャンゴと金剛、この二人は相変わらずであった。

 

「はは……二人共相変わらずだなあ……」

 

 そんな会話をしていると、近海の警戒をしていた新城の扶桑と山城が指揮所に駆け込んでくる。

 

「あ、新城、扶桑、やましr「石壁ーーーーー!!無事でよかったわーーーーー!!」あぶっし!?」

 

 全力で駆け込んできた山城が石壁を抱きしめると、当然ながら呼吸ができなくなって彼はもがき苦しんだ。

 

「むー!?むー!?」

「山城、義弟が無事で嬉しいのはわかるけど……石壁提督が死にそうよ」

「はっ!?ごめんなさい石壁、大丈夫だった!?生きてる!?生きてるわよね!?」

 

 石壁のことを扶桑型『3姉弟』の末弟であると公言して憚らない新城の山城は、相も変わらず石壁への家族的な親愛の情を真っ直ぐにぶつけてくる。

 

「だ、大丈夫だよ」

「よ、よかった……本当に、本当に無事でよかった……」

 

 山城は石壁を離すと、本当に安心したように息を吐いた。

 

「はは……皆、ありがとう」

「……ん?」

 

 改め石壁の様子をみた新城がその様子に違和感を感じる。

 

 石壁の目の焦点があっていない。しかも、段々顔色が蒼白になっていく。

 

 極度の疲労からくる目の下の濃すぎるクマや、げっそりとした顔つき、足元のふらつきなど、傍目からみても石壁はボロボロであった。再会の衝撃が抜けてくると、その異様さが嫌でも目に付いた。

 

「おい、石壁ーー」

「ああ……安心したらなんだか……」

 

 新城が石壁に声をかけた瞬間。石壁の足から力がぬけて崩れ落ちる。

 

「「「「!?」」」」

 

 全く受け身を取らずに体を強かに地面に打ち付ける石壁。それを見たその場の全員の血の気が引く。

 

「い、石壁!?」

「救護班!!救護班をよべ!!」

「大丈夫!?石壁!!石壁!!」

 

(あ、あれ、……体が……)

 

 石壁は周囲の喧騒が段々と小さくなっていく中、全く力の入らない体を動かそうとした。

 

(動かない……なん……で……?)

 

 だが、限界まで酷使された体はもう石壁の命令を受け付けようとしない。50時間以上も薬品に頼って戦い続けたのだ、石壁は無理を押し通した分の反動を受ける事になる。

 

(さむい……助けて……ほうしょ……う……さ……)

 

 石壁の意識は、そこで途切れた。

 

 

 

 ***

 

 極度の心身の疲労と薬剤の重篤な副作用によって意識を失った石壁は、即座に医務室に運び込まれた。すぐさま胃洗浄が行われて胃の中に残留していた薬剤が体外に排出され、同時に点滴等を用いて体内の水分量を増大させて血中の薬品濃度を低減させる処置が取られた。

 

 注射痕だらけの腕、疲労でやつれきった顔つき、全身に繋がれた点滴の管、南方棲戦鬼との戦いの無数の傷跡……

 

 石壁は客観的に見て限界であった。たった数ヶ月の間にここまで変わるなど、彼を知る者達からすれば信じ難い事である。

 

「提督……」

 

 鳳翔は石壁の側の椅子に座って、彼の腕を握りしめている。愛しい相手の痛ましい姿に、彼女の胸は張り裂けそうであった。

 

 それでも目をそらさずに、彼女は石壁に寄り添っている。それしか出来ないから。

 

 ***

 

 病室の外では、そんな二人の姿を見つめる複数人の姿があった。

 

「……伊能、貴様に非が無いことは重々承知の上で、敢えて言わせてもらうぞ」

 

 新城は、廊下の椅子にただじっと椅子に座っている伊能へと向き直る。

 

「なぜ、ああなるまで石壁を止められなかった……!貴様がついていながら、何故……!!」

 

 新城の血を吐く様な言葉を聞いても、伊能は口を開かない。

 

「……」

「なぜ黙っている、伊能」

 

 それでも口を開かない伊能をみて、新城は彼の胸ぐらを掴んでこちらを向かせる。

 

「黙ってないで答えろ!貴様、なぜ石壁を止めなかった!!」

「おいジョジョ、落ち着け、あと声を抑えろ……!医務室の前だぜ……!」

 

 胸ぐらを掴む新城をジャンゴが羽交い締めにして止める。

 

「新城提督、気持ちはわかるが八つ当たりはやめやがれってんだ。手前の自責の念を他人にぶつけちゃいけねぇよ」

「……ッ!」

 

 金剛の正鵠を射た私的に、新城は伊能の胸ぐらから手を離した。先ほどの新城の言葉は、石壁がこんな事になるまで助けに来られなかった自分への憤りの裏返しなのだ。

 

「……すまない」

 

 新城は俯くと、ふらふらと椅子に腰掛けた。

 

「……石壁は」

 

 伊能は新城の方へ顔をむけると口を開いた。

 

 

「アイツは、根本的な所で自分以外を信じていない」

 

 伊能は普段の明朗快活な様の彼とは違って、苦悩を滲ませながら言葉を紡いでいく。

 

「アイツは自分に出来ることと出来ないことを極めて正確に把握している。それと同時に、他人に出来ることと出来ないこともしっかりと把握しているのだ。だから他人に出来ないことは絶対にさせない。そして、自分にしか出来ないことは絶対に押し付けようとはしない」

 

 石壁は上に立つ人間として重要な、高精度の人物観察眼を持っている。その観察眼をもってすれば適切な戦力配置を取ることは極めて簡単だ。だが、その適切な戦力配置を行うと、自動的に石壁自身の立ち位置が固定化してしまうのだ。石壁(自分)以外に圧倒的な戦力差の防衛戦を維持する事など土台不可能なことは、文字通り自明の理であったから。

 

 石壁という人間は、根本的な所で自己中心的な完璧主義者なのだ。そこに生来の優しさと今までの人生経験からくる自利よりも利他を優先する自己犠牲的な精神性が合わさったことで、例えどれだけ自分を犠牲にしてでも目的へと邁進する現在の石壁が形作られたのだ。

 

 完璧な人物観察眼があるから他人に能力以上の事はさせない。そして完璧な防衛能力をもっているのが自分だけだから、他人に自分の仕事を押し付けられない。自分にしか出来ないなら、自分がやるしかない。

 

 そうやって、一つ一つのピースがある意味奇跡的に噛み合ってしまった結果が、この惨状なのだ。石壁は何も間違っていない。だからこそ、余計に質が悪かった。

 

 もしも一つでもボタンを掛け違えば、とっくの昔に泊地は壊滅して石壁達は皆殺しにされていたのだから。今ここに石壁達が生きている事そのものが、ある意味で石壁の正しさと愚かさの証明なのだ。

 

「石壁以外の誰にも、石壁の仕事を担う事が出来ないのだ。そのことをアイツも俺達も痛いほどに知っているから、アイツを止められなかった。止めた所でアイツは止まらぬ、それが一番効率的かつそれ以外に選択肢がないからな……」

 

 伊能の握りしめられた拳から血が滴る。己の不甲斐なさが、友を止めることが出来なかった悔恨が、友の負担を代わりに背負う事さえ出来ない憤怒が、伊能の中で渦巻いて彼の心を苛む。

 

 

「この俺の度し難い無能さが、石壁を追い詰めたのだ……」

 

 石壁の幸運は、困難に立ち向かう力を彼が持っていたことである。そして同時に、彼がその力を持っていた事そのものが、彼の不幸でもあった。

 

 絶望的な苦境をなんとか出来てしまう力があったからこそ、石壁は自分の全身全霊をもってその力を振るってしまったのだ。石壁の行動はどこまでも効率的で、効果的で、それ以外に選択肢もなく、正しいものなのだ。

 

 だからこそ、石壁は誰にも助けを求められず、誰も彼を助けられなかったのである。誰も悪くなかった、誰も間違っていなかった。仕方のない事だったのだ。

 

 だからといって、それを彼らが納得出来るかは別のことだが。

 

「ああ、そうだな……アイツは、そういう奴だ。私も知っている。痛い程によく知っているさ」

 

 新城は伊能の吐露を聞いて、そう呟くと俯いてしまった。暫し気不味い沈黙が場を支配する。

 

「何馬鹿みたいに落ち込んでんだよオマエら」

 

 その沈黙を、ジャンゴが破った。

 

「オイラは頭がよくねーから難しい事はわかんねーケドさ。ブラザーは生きてるし、オマエらも死んじゃいねーんだ。ならやるべき事は一つだろ?」

 

 軽い口調でそう言うと、ジャンゴは笑う。

 

「ブラザーに謝ってから、今度はこうならないように皆で支える。それだけじゃねーか」 

 

 事も無げにそう言い切られて、伊能も新城も顔を上げる。

 

「今まではイノシシしかいなかった。けど今度はオイラもジョジョも居るんだ。二人で出来なかった事も四人なら出来るかも知れねージャン?」

 

 ジャンゴはいつもの輝くような笑みを浮かべながらそう言った。それだけで、いままでその場を覆っていた閉塞感が薄れて霧散してしまった。

 

「下手の考え休むに似たり、か」

 

 伊能はフッと笑うと、言葉を紡いだ。

 

「その通りだな。どう足掻いても俺一人では何も出来んのだ。なら人に頼るのは恥ではない」

 

 伊能は二人へと頭を下げる。

 

「力を貸してくれ、新城、ジャンゴ」

 

 その姿をみて、二人は笑みを浮かべる。

 

「任せとけよイノシシ、難しいこと考えるのはジョジョの得意分野だからな!」

「助けることに異論はまったくない。全くないが、ジャンゴも少しは考えてくれ!まったく、本当にお前という奴は……」

 

 三人の男達は、しばし学生時代の様に語りあったのであった。

 

 内に燻る闘志を熱く強く燃え上がらせながら。

 

 ***

 

 オリョールクルージング作戦の為に輸送作戦に従事しているまるゆ達は、ラバウル基地の物資集積所でブイン基地から物資を運ぶまるゆに決戦の話を聞いた。

 

「ショートランド泊地での戦闘が終了しました。皆辛うじて生き残ったものの、ショートランド泊地はボロボロで石壁提督も倒れてしまったそうです」

 

 連絡担当のまるゆの報告に皆が沈鬱な顔をする。

 

「ショートランド泊地に戻った方がいいんじゃないでしょうか」

 

 とあるまるゆがそういうと、それに同調する者が出始める。

 

「みんな、話をきいてください」

 

 動揺が広がっていく中で、まるゆ隊長が声を上げる。

 

「ショートランド泊地が心配な事はわかります。ですが、今は泊地に戻ったとして、石壁提督は喜ぶと思いますか?石壁提督は……その程度で作戦を諦める様な艦娘だと知っていながら、まるゆ達を送り出したと本当に思うのですか?」

 

 その言葉に、作戦開始前に石壁に言われた言葉を思い出す。あれだけ真摯に自分たちにこの仕事を頼み込んできた提督の姿を忘れられる筈がない。

 

「まるゆ達の仕事は物資を運ぶこと、そして、ショートランド泊地と他の泊地を繋ぐことです」

 

 まるゆ隊長はそういいながら、物資集積所を指さす。

 

「それがまるゆ達の使命であり、まるゆ達の戦いです。ならば、まるゆ達はまるゆ達の戦いで石壁提督を助けましょう!」

 

 揺らぎかけた彼女達の心が再び熱く燃え上がる。それをみて頷いたまるゆ隊長は、腕を振り上げる。

 

「頑張るぞ!」

「「「「おーーー!!」」」」

 

 彼女達は、彼女達の戦場で戦い続けているのだ。

 

 ***

 

 破壊された沿岸要塞に天龍達が集まっている。第一から第四までの全ての水雷戦隊の前で、天龍は口を開いた。

 

「いいか!!石壁提督は必ず回復する!!そしてまた勝利へ向かって走り出す!!提督はそういう奴だ!!」

 

 天龍は自分も傷だらけの様相ではあったが、瞳に闘志をギラギラと燃え上がらせて水雷戦隊全員を鼓舞する。 

 

「アイツは絶対に諦めない!南方棲戦鬼との戦いでも、そして今この戦いでも、ズタボロになって死にかけても諦めずに勝利を目指して戦い続けてきたんだ!!アイツが諦めるのは死んだ時だけ、ならまだ諦めるのは早すぎるんだよ!!」

 

 天龍の言葉を聞いて、その場の全員が頷く。石壁の勝利への飽くなき執念をこの戦いで嫌になる程見せつけられたのだ、天龍の言葉を否定する事は誰にも出来なかった。

 

「アイツは提督なのにこの場の誰よりも体を張って、誰よりも頑張って、誰よりも死にかけている。それを許していいのか!?俺達はただ提督におんぶにだっこで良いと思うのかお前等!!」

「そんな訳無い!」

「自分たちの提督を真っ先に死なせるなんて大恥よ!!」

「そんなことになったら恥ずかしくて生きていけないわ!!」

「その場で舌を噛み切って自殺してやる!!」

 

 その場の全員が否を叫び気炎を上げる。50時間にも及ぶ死闘を乗り越え敗北を喫した彼女達。だが彼女達は誰一人消沈する事無く、その苦渋の味に煮えたぎる屈辱と烈火のごとく燃え上がる闘志を喚起されたのだ。

 

 彼女達も相当疲弊していたはずだが、精神面が肉体に強く影響する艦娘という種はこういう『勢い』があれば体を動かす事が出来るのだ。 

 

「ならその為に動くしかねえよなあ!」

「「「「応!!!」」」」

 

 天龍達は一斉に相棒(ツルハシ)を手に取る。

 

「いいか!!石壁提督は必ず次の手を考えて動き出す。そん時に足元がガタガタじゃ話にならねえ!!まずはこのボロボロの泊地を再生させるぞ!!数日以内にだ!!」

 

 彼女達はずっとこうやって大地を相手に戦い続けてきたのだ。彼女達は誰に笑われても決して自分たちの戦いを辞めなかった。海に出られない間どの泊地の艦娘よりも厳しい訓練を続けてきたのだ。石壁の存在によって練磨された不屈の闘志と、訓練によって育まれた極限のタフネス、そしてどの艦娘よりも高い工兵としての経験が今一つの形となって現れているのだ。

 

 どれだけ踏みつけられて、押しつぶされて、どん底まで叩き落とされても決して諦めない不屈の泊地。それがこのショートランド泊地なのだ。石壁の泊地なのだ。

 

「いくぜお前ら!!この泊地の底力をみせてやれ!!」

「「「「「「おおおおおおおおおお!!」」」」」

 

 『どん底まで落ちたなら穴を掘れ』いう格言がある。落ちるところまで落ちたなら、そこからはどうにでもなるのだ。彼女達は、否、石壁を含むショートランド泊地のモノ達は一人残らず世界の最底辺(ボトムズ)、泥臭く足掻いた経験は誰にも負けないのだ。そして、苦境を跳ね返した経験も、誰にも負けないのだ。

 

 ショートランド泊地は飛行場姫に敗北した。その事実は覆せない。だが、石壁が命がけで繋いだ希望の火はまだ消えていない。最後の最後まで、誰一人として希望を捨てていないのだ。

 

 ならば足掻く。最後の最後、命尽き果てるその瞬間まで足掻くのだ。足掻いて、足掻いて、足掻き続けるのだ

 

 

 

 それが、石壁が彼女達に見せ続けた姿であるから。

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 

 

 泊地の仲間達が各々の使命を果たすべく動き出した頃、泊地の主である石壁は医務室で眠り続けていた。

 

 鳳翔は石壁が倒れてからずっと看病を続けている。途中で見舞いにきた他の艦娘達が帰ったり、同じく看病をしていた戦艦棲姫が疲れて仮眠をとったりする間もずっと石壁の側に寄り添っていた。

 

「……」

 

 だが、鳳翔もあの戦いでは死力を尽くして戦い続けていたのだ。流石に疲れてしまったらしく、次第に彼女の目蓋は重くなっていく。

 

「………………」

 

 石壁の手を握ったまま、彼女は石壁に寄り添い眠ってしまったのであった。

 

 

 



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第二十三話 灰燼の中で 前編

本日は前後編同時投稿となっております

こちら側が前編ですのでこちらかわお読みくださいませ

まもなく後編も投稿致します。


 意識のない石壁の傍で付きっ切りで看病をしていた鳳翔は、戦いの疲れから石壁の手を握ったまま眠ってしまった。

 

 だが、気が付くと彼女は石壁の居た医務室ではない場所に独りポツンと立ち尽くしていた。

 

「……ここは?」

 

 そこには一面廃墟の町並みが広がっていた。

 

 街全体が焼け落ち、砕け散り、残骸と化したそこは、宛ら死者の街。荼毘に付された遺骨の如き様相を呈していた。

 

 砕けたコンクリートと焼け跡だけが残った灰色の街に、鳳翔だけが立っていた。

 

「……」

 

 鳳翔は空を見上げる。そこには光を通さない分厚い雲だけが広がっている。

 

 白と黒だけの死んだ世界に、たった独り立ち尽くす彼女の胸に寂寥感と空虚感が満ちていく。

 

「一体何処なのでしょうか……ここは……」

「ここは夢の中よ」

 

 誰に問いかけたわけでもないその問いに後ろから答えを返されて、鳳翔は驚き振り返った。

 

「……貴方は?」

 

 そこに立っていたのはとても美しい女性であった。

 

 長い黒髪をポニーテールで纏めた長身の女性で、紅白の意匠が生える水兵服に身を包んでいる。肩にそえるようにさした和傘をくるりと手の中で回すその様はとても絵になった。

 

(とても綺麗な方……)

 

 そんな彼女の姿を見て、洋装の大和撫子、そんな単語が鳳翔の脳裏に浮かぶ。

 

「この姿では初めまして、かしら?」

「この姿では?」

 

 鳳翔は彼女の変な言い回しに首をかしげる。鳳翔の記憶が確かならば彼女の様な女性と出会ったことなど一度もなかった筈である。

 

「ああー……まあ、私の事は良いのよ。それより、ついてきて」

「え?」

 

 彼女はそう言うとくるりと踵を返し、鳳翔に背を向けて歩き出す。

 

「ちょ、ちょっと待ってください。貴方は一体?そして、ここは何処なんですか!?夢って一体どういう事なんですか!?」

 

 鳳翔は歩きだした彼女の背を追いながら問う。何もかもが意味が分からなかった。

 

「言ったでしょ?ここは夢の中、私はさしずめ夢の中の世界の住人。それ以上でもそれ以下でもないわ」

「夢……?これは私の夢なんですか?」

 

 鳳翔の記憶にある限りこのような夢など見た事はなかった。

 

 見渡す限り一面の廃墟が広がっているその光景と茫漠感は夢と言うにはあまりにも生々しく、鼻を突く焦げ臭さと埃っぽさは余りにもリアルであった。

 

「半分はね」

「半分は?」

 

 意味の分からない回答に鳳翔が戸惑っていると、目の前の彼女は一瞬だけこちらへと視線をやる。

 

「ここは、石壁の夢の中……アイツの心の中よ」

「……石壁提督の?」

 

 信じ難い宣告に目を見開く鳳翔を無視して、女性はまた前を向いて歩き出す。

 

「どういう事なんですか……?」

 

 鳳翔は歩きだした女性の後ろをついていきながらそう問う。

 

「どうもこうも、私が言ったままよ。ここは石壁の夢の中だってば」

「では何故私が提督の夢の中に居るのですか?」

 

 普通ならありえない他人の夢への侵入。だが、何故かこれが石壁の夢の中なのだと言われてしまうと、鳳翔はストンと腑に落ちる様な気分になってしまった。だからこそ、何故こんな事になったのかが分からない。

 

「だって、貴方達結魂(ケッコン)のせいで魂が繋がっているもの。艦娘と提督ってそういうものでしょう?文字通り心を一つにして戦うからこそ、艦娘は強いのよ」

 

 石壁と鳳翔は南方棲戦鬼との決戦の折に結魂を行って南方棲戦鬼を打ち破った。それ以来石壁と鳳翔の魂は不可分となっている。

 

「魂が繋がっているから、貴方の意識が石壁の夢に引き寄せられたのよ」

「そんな事が、あるのですか」

 

 本来ならあり得ない筈の説明を、またしても鳳翔は受け入れてしまった。文字通り魂で理解したとでも言えるだろうか、ここが石壁の心の中だと知ってしまえば、そうとしか思えなくなってくる。

 

「……でも」

 

 鳳翔は周囲の荒れ果てた光景をみて口を開く。

 

「なぜ、提督の夢は……こんなにも荒れ果てているのでしょうか」

 

 石壁という青年は、どこまでも暖かく優しい人間であった。日向を思わせる様な彼の有り様と、目の前の廃墟が重ならない。

 

「この光景が、石壁にとって始まりの光景だから、かしらね。強く強く、魂に焼き付いた忘れられない光景だから」

 

 女性は平坦な声のまま続ける。

 

「一度彼の心は何もかもが壊れ果てた。焼き払われ、崩れ落ち、何もかもを失った事である意味彼はリセットされた。まっさらになった心が初めて見つめたのがこの死んだ街だった」

 

 まるでネガに情景が焼け付くように、壊れた石壁の心にはじめて焼け付いたのがこの廃墟の記憶。

 

「ここは石壁にとって、己の終わりであり、始まりの街」

 

 そう、この街がーー

 

「彼の、生まれ故郷よ」

 

 ーー石壁が全てを失った場所なのだ。

 

 ***

 

 それから暫く二人が無言で街を歩いていると、廃墟の街に不釣り合いな建物が目に入る。

 

「……あれは?」

 

 それは、一面の廃墟の中にポツンと佇む1件の住宅。なんの変哲もない無傷の家屋であった。戦火に焼かれた世界の中に唯一残っていたその建物の前までやってくると、二人は立ち止まった。

 

 建物は商店と住宅を兼ねた古びた木造建築で、一階部分が小さな店舗になっている様であった。

 

 鳳翔は目の前の家屋の表札に目をやって、口を開いた。

 

「……『石壁』、ここは、提督の家?」

 

 鳳翔がそういうと、女性が頷く。

 

「ここが、彼の心の深奥。誰にも触れさせない彼の魂の核」

 

 女性が取っ手に手を伸ばす。

 

「……ッ!」

「キャッ!?」 

 

 女性が取っ手に触れた瞬間、電流の様なモノが走り彼女の手首が弾け飛んだ。女性が一瞬だけ顔を苦痛に顰める。

 

「……見ての通り、私じゃこの中には入れない」

 

 女性の吹き飛んだ片手からは一切血がもれず、まるで揺らいだホログラムが時間経過で再形成されるようにゆっくりと形を取り戻していく。彼女が現実の生き物ではないのだとその光景が雄弁に語っていた。

 

「今、石壁は酷使され、摩耗した精神を癒やそうと心の殻に籠っているの。一番脆くて、一番硬い、この場所でね」

 

 女性は元に戻った手首を軽く振りながら、鳳翔を見つめる。

 

「この場所に入れるのは世界でただ一人。彼と魂まで繋げた女性である貴方だけよ」

「私だけ、ですか?」

 

 鳳翔は先ほど女性の手首を吹き飛ばしたドアノブに目をやると、そっと手を伸ばす。

 

「……」

 

 目の前の女性は触れただけで手首を吹き飛ばす程拒絶されたというのに、鳳翔が触れるとドアノブはなんの反応も示さなかった。

 

 それを見た女性はやっぱりという表情を浮かべる。そこには納得と同時に、一抹の寂寥感が混ざっているように鳳翔は感じられた。

 

「……ね?言ったとおりでしょ」

 

 女性はそういって軽く笑うと、踵を返して去っていこうとする。

 

「後は任せたわ、石壁によろしくね」

「……あの!」

 

 鳳翔の声に、背中を向けたまま女性は静止した。

 

「……貴方は一体、何者なんですか?」

 

 鳳翔がそう問うと、女性は背中を向けたまま口を開いた。

  

「言ったでしょ?私はこの夢の世界の住人よ」

 

 陽炎が揺らぐように、女性の後ろ姿が揺らいでいく。

 

「私はここから離れられない。だからいい加減、この辛気臭い光景にも飽きたの。さっさとあの引きこもりを引きずり出して欲しいのよ。アイツが起きてくれれば、この殺風景も少しはマシになるから」

 

 薄れ行く女性の姿が、蝋燭の火が掻き消える瞬間の様に大きくブレる。

 

「頼んだわよ」

 

 一瞬、黒い髪が真っ白になったように見えた。鳳翔が瞬きをすると、そこにはもう誰も居ない。

 

 鳳翔はしばし女性が消え去った空間を見つめた後、振り返って扉に向き直る。

 

「……」

 

 覚悟を決めた鳳翔は、石壁の心の扉を開いた。

 

 

 ***

 

 扉を開けて中に入った筈の鳳翔は、気が付けばまた石壁の家の目の前に立っていた。

 

「あれ?」

 

 鳳翔はぐるりと周囲を見渡す。そこには先程までの廃墟から打って変わって人の営みに溢れた街並みが広がっていた。夢の中で急に場面が切り替わる様に、廃墟になる前の町に鳳翔は移動したのだ。

 

 空を見上げれば真っ青な空に飛行機雲が一本走っている。初夏の心地の良い風が鳳翔の頬を撫でてゆく。

 

 鳳翔が呆けたように周囲を見渡していると、一人の少年が鳳翔の方へと走ってくる。

 

「……あ」

 

 まだ10歳にもなっていないであろう少年をみて、鳳翔は直感的に理解した。

 

「……提督」

 

 その少年は子供の頃の石壁であった。自身の方へかけてくる石壁へと思わず手を伸ばす鳳翔だったが、彼女の手や体を石壁は文字通り『すりぬけて』いった。

 

「……そうか、これは提督の記憶なのですね」

 

 触れようとしてすり抜けていった手を、鳳翔は軽く見つめてから石壁の家へと振り向く。少年は鳳翔には目もくれずに、家へと駆け込んでいった。

 

『ただいまー』

『お帰りなさい、ケンジ』

『母さん、おやつある?』

『フルーツの盛り合わせ用の林檎を切ってくれたら少し食べてもいいわよ』

『はーい』 

 

 鳳翔が石壁の後に続いて中に入ると、少年は笑顔で母親の傍について林檎の皮をむき始めていた。手慣れたその動きは、小さいころからずっと母の手伝いをしていた事を伺わせた。

 

(この方が……提督のお母さん……)

 

 石壁の家は小料理屋であり、仕事着である割烹着をきた彼の母親は、おっとりとした笑顔の普通の女性であった。

 

『ただいまー』

『あ、姉さん!』

 

 中学生らしい少年の姉が帰宅する。

 

『お、ケンジ手伝い?』

『うん!』

『そっか、私も手伝おうかな』

『貴方は勉強してなさい、お皿をまた割られたらかなわないもの』

『姉さん料理へたっぴだもんね』

『う、うるさいわい!』

 

 鳳翔は、そんなありふれた暖かな親子の姿をじっと見つめる。どこにも曇りのない、ごくごく普通の親子の他愛のない会話が、何故か鳳翔の心を酷くざわつかせた。

 

『父さんはいつ帰ってくるんだっけ』

『あの人の乗っている船は今ハワイ島のあたりだったかしら……まだしばらくは帰ってこれないわね』

『そっかー……』

 

 少年がそう言いながら、壁に立てかけてある写真立てを見る。そこには家族全員で撮った写真が立てかけてあった。現実の石壁が更に20年、齢を重ねればこういう顔付きになるのであろうなと思える男性が家族と共に映っていた。男性は将校用の第一種軍装を着用しており、海軍の人間であったのが見て取れた。

 

『今度父さんが帰ってきたら一緒に遊ぶんだ!』

 

 少年は笑みを浮かべながら写真の父を見つめている。

 

(これが提督の記憶だとするなら……)

 

 鳳翔は石壁がどういう人生を歩んできたのか、大まかに知っている。つまり、この後この夢がどういう結末を迎えるのか、なんとなく分かってしまう。決壊するダムの目の前に立っているような切迫感が彼女の胸を締め付けていく。

 

 そこから、唐突にシーンが切り替わる。ここが石壁の夢の中である事を証明するように、彼にとって印象深い記憶が飛び飛びに繋がって無理やりに物語を紡いでいく。

 

 夏休みのプール、友人達との虫取り、学校での運動会、大晦日、初詣……そのどれもが他愛無い日常のワンシーンでしかない。鳳翔は乱雑に切り取って繋げられたホームビデオを見る様に、少年の成長の記録をただただ見つめていた。

 

 ***

 

 やがて少年が12歳になり、もうすぐ小学校を卒業するという頃になる。中学生であった少年の姉は工業高校へと進学し、技術屋になるんだと意気込んでいる。

 

 いつも通りの日常、いつも通りの会話、いつも通りの自宅……その日もいつも通りに終わるはずであった。

 

『臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。ハワイ島のミッドウェーにおいて謎の航空戦力が米軍基地を強襲、ミッドウェー島の米軍基地は多大なる損害を被り、ハワイ島が占領されました』

 

 だが、いつも通りの筈の世界は、唐突に変貌を始めた。

 

『米国国防省はこの謎の武装勢力に対して宣戦を布告。大日本帝国大本営陸海軍部は日米同盟に基づいて同じく宣戦を布告、我が国は本日より戦争状態に突入しました』

 

 それは、終わりの始まり。

 

『繰り返します。大日本帝国は戦争状態に突入いたしました』

 

 この日より現在まで10年近く続くことになる人類と深海棲艦の絶滅戦争、深海大戦が勃発したのだ。

 

 



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第二十四話 灰燼の中で 後編




!!注意!!


本日は【二話同時投稿】となっております。

こちらが前後編の【後編】となっております!



!!先に前編からお読みください!!







 

『ハワイ島へ向かった日米両海軍全滅、生存者なし』

『死傷者総数不明』

『グアム島、サイパン島、制圧』

『オーストラリアとの通信途絶、在日オーストラリア大使が亡命政府を樹立』

 

『母さん、これって父さんの居た部隊じゃ……』

『そんな筈はないわ……大丈夫、大丈夫よきっと』

 

 戦争開始から数週間、当初数日で終わるであろうと思われた戦争は、予想に反して戦線を拡大して続いていた。謎の武装勢力は日に日に支配領域を拡大していた。

 

 そんな筈はない、あれだけの戦力があって負ける筈がない、そんな楽観は日に日に消え失せ、虎の子の原子力空母とイージス艦を含む日米の空母機動部隊が全滅したという知らせを聞いた国民は一人残らず蒼白となった。

 

 そして、戦線がじわりじわりと後退する中、遂にその時がやってきてしまった。

 

 空を覆う無数の深海棲艦の艦載機による空襲によって、石壁の故郷の町が攻撃を受けたのである。

 

 ***

 

『はぁ……!はぁ……!』

『ケンジ!急いで!』

 

 少年の姉が、彼の手を引いて町の中を走り抜けていく。周囲の家からは火の手が登り、怒号と、悲鳴と、狂騒が町中を支配していた。

 

 上空を帝国空軍の戦闘機が飛んでゆくが、その数倍の数の小さな戦闘機が群がる様に戦闘機を叩き落としていく。放たれたミサイルが命中するも効果は見いだせず、帝国の空を長く守り続けた防人達が一人また一人と減っていくだけであった。

 

『早く避難しないと……』

『おーい!すまん、助けてくれ!!』

 

 少年達が自宅へと帰ってくると、近所の老夫婦が倒れているのを見つける。お婆さんが足をひねってしまったらしく、お爺さんが肩をかして必死に歩いている。

 

『大丈夫ですか!?ケンジ、あんたは先に母さんの所に向かいなさい!』

『う、うん』

 

 顔見知りの老夫婦を見捨てることが出来ない少年の姉が、反対側の肩を支える。

 

『もう大丈夫ですよ!さあ早く避難を!』

『ありがとう!本当にありがとう!』 

 

 少年は姉の言葉にしたがって、すぐ先の小路を先に曲がっていく。すると、少年のすぐ真上を異形の艦載機が通り抜けていった。

 

『あ……』

 

 少年が呆けたようにそれを見送った直後、先程まで自分がいた道が轟音と共に吹き飛んだ。

 

『ガっ……!?』

 

 衝撃で吹き飛んだ少年が起き上がると、そこは轟々と燃え盛る爆炎が渦巻いており、とてもではないが近寄れる状態ではなくなっていた。

 

『ね、ねえさん?』

 

 少年は呆然としたように家族へと声をかけるが、返答はない。燃え盛る火炎だけが目の前にあり、その向こうに誰かが居るのかさえ、わからない。

 

『姉さん!!姉さん!?うわああああああ!?』

 

 少年は半狂乱になりながら、自宅への道を駆け出した。胃の奥からこみ上げる吐き気を堪えて、止まることなく自宅へと逃げていく。

 

『はあ……はあ……母さん!姉さんが、姉さんがあ!!』

 

 自宅へと辿りついた少年が見たのは、機銃掃射を受けて吹き飛んだ家の玄関であった。

 

『なっ!?母さん!!母さん!!」

『……ケ、ケンジ?』

 

 変わり果てた扉へと駆けこんだ少年が見たものは、血の海に沈む母の姿であった。彼女の腹部には銃弾を受けたと思しき傷があり、流れ落ちる血が店の床を染めていた。

 

『か、母さん!?その傷……』

 

 少年が母親へと近づいて抱き起すと、彼女は苦痛を堪えるようにしてほほ笑む。

 

『貴方は、無事だったのね……ここは危ないから……早く、逃げなさい……』

『母さんは、母さんはどうするの!?』

『私は行けないの……だから、貴方だけでも、逃げて……』

『母さん……嫌だ、一緒に逃げようよ』

 

 一人の少年が、母へと縋り付く。だが、母の体からは止まることの無い血が流れ続けている。

 

『母さんはもう駄目……もう、動けないの……だから、貴方だけ逃げなさい』

『嫌だ嫌だ嫌だ!!母さんを放って逃げるなんて出来ないよ!!すぐに助けを呼ぶから、きっと助かるから、一緒に逃げようよ!!』

 

 少年は大粒の涙を流しながら母を助け起こそうとする。だが、まだ小学校すら卒業していない少年は余りにも非力で、動けなくなった母を背負って逃げるような事は出来なかった。痛みと出血で意識が朦朧とするなか、彼女は己の息子のそんな姿をみて、気力を振り絞って叫んだ。

 

『……ケンジ!』

『……ッ!!』 

 

 その瞬間、少年の頬を母親が張る乾いた音が響いた。

 

『もうどう足掻いても私は助からない!誰かが助けてくれるなんて甘ったれた考えは捨てなさい!』

 

 母は少年の胸ぐらを掴んで顔を突き合わせる。

 

『強くなりなさい。どれだけ辛くとも、苦しくても、何度打ちのめされても、絶対に折れない心を持ちなさい。大切な人を守れるように、誰よりも強くなりなさい!!』

 

 母親は血を吐く様な必死さで、少年に末期の言葉を刻みつけていく。少年が歩むことになるであろう道がどれだけ過酷なものになるかを知りながらも、それを乗り越えていけるように、強く強く思いを込めて。

 

『きっと、貴方を受け入れてくれる人が現れます。貴方を支えてくれる人が現れます。貴方が失った孔を埋める人が現れます。だから、それまで生き続けなさい。そして、その人達を守り抜きなさい!』

 

 母親は、少年の胸元を突きとばす。母を置いて行けと、ただ一人生きて行けと、愛する我が子の無事を祈って、あえて突き放す。

 

『ゴホッ……ゴホッ……行きなさい!』

 

 少年は、母の言葉に押されて、後ずさる。

 

『決して振り返らずに!走りつづけなさい!!ケンジ!!!』

『……ッ!!』

 

 文字通り血を吐くような母の言葉に押されて、少年は遂に走り出した。後から後から溢れて落ちる涙を拭うことすらせず、少年は我武者羅に走り出した。

 

 それをみた母親は、涙を流しながら少年の背中へと言葉を紡いだ。

 

『決して、決して生きることを諦めないで……最期の最期まで、生きて、生きて、生きて、生きることを諦めないで』

 

 少年は、悲しみで真っ白になった心に、母の最期の言葉を強く強く刻み込む。

 

『どうか、幸せになって……私や、お姉ちゃんの分まで……ッ!』

『……ッ!!ああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!』

 

 少年は、かき混ぜられた心を吐き出す様に絶叫しながら、走り続けた。

 

 戦火に焼かれる故郷の中を、助けを求める人々の中を、見知った顔を、見知らぬ顔を、全てを無視して少年は走り続けた。

 

 己の無力を、呪いながら。

 

 ***

 

 それから1週間後、爆撃が収まった事で一時的に町へ帰ってこられた少年が見たものは、変わり果てた故郷の姿であった。

 

 何もかもが戦火の中で灰燼に帰し、全てが死に絶えた灰色になったその街を、少年は死んだ目をして進んでいった。

 

 もうすぐ卒業を迎える筈だった校舎、毎日買い物にやってきた商店街、友人たちの家、皆で遊んだ公園……一つ一つ、何か無事なモノはないのかと、少年は変わり果てた町の中を確かめていく。

 

 だが、あったのは瓦礫と死体だけの死に絶えた町。少年の日常は驚くほどあっけなく、何もかもが消え失せたのだ。

 

『……』

 

 やがて、自宅へと帰ってくる。

 

 そこには、何も無かった。他の建物と同じように、何もかもが焼け落ちて、灰になっていた。

 

『……ただいま、母さん』

 

 少年のその呟きに言葉を返すモノは、もう誰も居ない。

 

『……ッ!』

 

 誰も、居ないのだ。

 

『ああ……うああ……』

 

 少年が、灰の中に膝をついて嗚咽を漏らす。

 

『あああああ……ッ!!』

 

 後から後から、涙が流れて落ちてゆく。少年が愛した人たちは、少年を愛した人たちは、もう誰も居ない。

 

『父さん、母さん、姉さん……!!僕を独りにしないで……ねえ、お願い、誰か……誰かぁ……』

 

 周囲がだんだんと暗くなってゆく、世界が暗闇に閉ざされてゆく。何もかもを失った少年の心が壊れようとしているのだ。

 

『誰か……僕を助けてよ……』

 

 やがて、全てが暗闇に包まれて、ただ独り少年だけが取り残される。暗闇の中でもがき苦しむ少年の姿がだんだんとぼやけていき、やがて青年へと変わっていく。鳳翔のよく知る、彼の姿へと戻っていく。

 

「助けて……誰か……助けて……」

 

 ずっと少年は独りで戦い続けてきた。彼が青年になってからも、誰にも助けを求められなかった。

 

「もう誰も死なせたくないんだ……僕の仲間を……僕の友達を……だれか助けて……助けてよ……」

 

 助けなんて来るわけがないのだ。そんな事、誰よりも石壁がよく知っていた。だから、己の持てる限りの力を振って戦った。

 

「また足りない……僕の力が足りない……また失うんだ……また助けられないんだ……母さん達みたいに……皆……皆……」

 

 それでも、足りなかった。負けた、負けたのだ。石壁は飛行場姫の戦略を前に完膚なきまでに敗北したのである。運よく援軍によって敵が引いてくれたが、次は勝てない。石壁だけの力では、飛行場姫に勝てないのだ。

 

 石壁が誰にも負けない程の防衛力を手に入れたのは、彼がそう望んだから。己の魂が焼け付く程に誰かを守る力を欲したから。強烈に過ぎる原体験によって刻まれた己の無力が齎す悲劇の記憶が、石壁の誰にも負けない守りの力となって発現したのだ。

 

 それを打ち破られた、それは石壁のアイデンティティを大いに揺るがせた。また繰り返す、また何もかもを喪う、そう彼の心が悲鳴を上げたのである。それが、彼が倒れたもう一つの原因であった。

 

 限界を超えた心身両面のダメージが、石壁を壊そうとしているのである。

 

「……提督」

 

 鳳翔は、地面に付して泣いている石壁の傍に寄り添って、そっと彼を抱きしめた。

 

「大丈夫、大丈夫ですよ」

 

 鳳翔は、石壁の心に己の心を重ねた。

 

「私はここにいます」

 

 独りで苦しむ彼の心に、そっと寄り添う。

 

「……鳳……翔?」

 

 石壁が、顔を上げる。

 

「はい、私はここに居ますよ」

 

 ずっと孤独に戦い続けてきた彼の心に、直接言葉を伝えていく。

 

「提督は独りではありません、私が……そして、他の皆さんもいます」

 

 絶望と孤独で冷え切った彼の心を、包んで温めていく。苦痛と悲哀でひび割れた彼の心を塞いで癒していく。

 

「提督は独りじゃないんです……頼れる仲間達がいるんです……」

 

 抱きしめられるだけであった石壁が、恐る恐る、鳳翔の背中へと手を回していく。

 

「いままで頼ってばかりでごめんなさい。今度は、私達が提督を護りますから。提督一人で出来ない事も、私達がなんとかしますから」

 

 石壁の手が鳳翔の背中にそっと触れる。

 

「だから、私達に、頼ってください」

「……ッ!!」

 

 石壁は、強く強く、鳳翔を抱きしめた。

 

「鳳翔さん……」

「はい、提督……」

 

 

「……助けて」

「……はい」

 

 ずっと一人で泣き続けた少年の助けを求める声が、遂に届いたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第二十五話 再起の時

遂にお気に入り総数が2000を超えました!ありがとうございます!

これからも精一杯頑張りますのでどうか拙作をよろしくお願いいたします!


 石壁が目を覚ますと、もはや見慣れた医務室の天井が目にはいった。

 

「ふわぁ……久しぶりにあの夢を見たな……」

 

 孤児となって以降、何度も何度も繰り返し見てきたあの夢、最悪の記憶を繰り返し続ける絶望の悪夢である。

 

 石壁はこの悪夢を見る度に全てを喪う事への恐怖と絶望を再度心に刻み込み、次は絶対に負けぬ、奪わせぬと強く強く心に誓ってきた。鉄を叩いて練磨するように、石壁はこの夢で己の心を叩き潰して作り直す事を繰り返し繰り返し行ってきたのだ。それが石壁の人格と能力を形作っていった遠因でもあった。だが……

 

「でも……今日は展開が変わったな……」

 

 今回の悪夢は違った。最後の最後で、独りではなくなったのだ。自分はもう独りではないのだと、頼れる仲間が居るのだと。そう優しく伝えてくれた愛しい人の温もりが石壁の心を温かくする。

 

「それだけ、僕の中で鳳翔さんが大きな存在になってるって事かな……ん?」

 

 そこまで寝ぼけた頭で独り言をいっていると、ようやく石壁は違和感に気がつく。自分の手が何かを、厳密には誰かの手を握りしめ続けているのだ。

 

「……あの、その、提督?」

 

 自分の手が握り締めているやわっこい手の先に、自分が今名前を呼んだ人物が座っていた。

 

「ーーーー」

 

「ええっと、その……」

 

 鳳翔は嬉しそうに、恥ずかしそうに、若干顔を赤らめて石壁の方を向いている。

 

「ありがとうございます、提督……」

 

 鳳翔が恥ずかしそうにお礼を言うと、石壁は己が吐いたセリフがどれだけ恥ずかしいものだったか漸く理解した。

 

「ぼくは貝になりたい」

「提督!?大丈夫ですから、私も提督の事大好きですから落ち着いてください!?」

 

 羞恥のあまりに遠い目で現実逃避を始めた石壁を現実に引き戻すまで暫し時間が必要であった。

 

 ***

 

「提督、少し私の話を聞いて下さい」

 

 ようやく落ち着いた石壁の顔を真っすぐ見つめる鳳翔。石壁は鳳翔の言葉の真剣さに驚きつつも、しっかりと向き直る。

 

「提督がどのようなお気持ちで戦ってきたのか、どれ程の覚悟をもって生きて来たのか。提督の夢の中で見せていただきました」

「……僕の夢の中で?」

 

 石壁は、鳳翔の信じ難い言葉を聞いて目を見開く。

 

「はい。提督と艦娘の魂の繋がりを通して、貴方の夢の中へと引き寄せられたそうです」

 

 石壁は鳳翔が微塵も嘘をついていない事を感じ取って、息を呑んだ。

 

「じゃあ……アレを鳳翔さんも見たの?」

 

 石壁は、思わず言葉が震えた。10年近い月日を経ても未だ色褪せない喪失と絶望の記憶。全てが戦火と灰燼の中に消えたあの終わり(始まり)の日の光景が、石壁の心を締め上げる。

 

「……はい」

 

 鳳翔は、沈鬱な表情を浮かべて頷いた。

 

「提督のお母さんが遺されたお言葉も……しっかりとお聞きしました……」

 

 母が独り生きていかねばならない子供の為に、命を賭して託した言葉。それは石壁の魂に強く強く刻み込まれ、今なお彼を支え続けている。

 

 強くあれ、大切な人を護れ、そして最後の最後まで命を諦めずに生きろ。石壁がずっと実践し続けてきた言葉であった。

 

「そっか……母さんの言葉も聞いたのか……」

 

 石壁は、鳳翔のその言葉に無意識に胸元を押さえた。そこがあの日、最後に母親に押された場所である事に彼は気が付いて居ない。

 

「……ねえ、鳳翔さん」

 

 石壁は己の胸元を強く握り締めながら、言葉を続けた。

 

「僕は……ずっと、母さんに貰った言葉を道標にして進み続けてきた。大切な人を護りなさい、誰よりも強くなりなさい……そして、生きる事を決して諦めるな……ずっとそうやって生きてきた。戦って、戦って、戦い続けてきた……」

 

 石壁は強くなった。あの時の無力な少年が、誰よりも強い護りの力を手に入れた。

 

「でも……結局は勝てなかった……」

 

 石壁の手が血が出る程強く握られる。握りしめられた病服の胸元にジワリと血が滲んだ。

 

「僕は……何を間違えたんだろうか……」

 

 石壁の問いはとても弱々しかった。暗闇の荒野の中で手元の明かりを失ってしまったかのように、彼は今寄る辺となる魂の核が揺らいでいるのだ。

 

「……提督」

 

 鳳翔は、不安気に揺れる彼の中に、昔日の少年の面影を見た。

 

「提督の行動は、何も間違ってはいませんでした」

 

 鳳翔は、固く握りしめられた胸元の手へと、己の手を重ねる。

 

「ただ、貴方は強く在り過ぎただけなのです」

 

 石壁は確かに強くなった。だが、強さと引き換えに多くのモノを石壁は失ったのだ。

 

「人は己の力だけでは生きられません。一人で持てない重荷は、どう足掻いても持てないのです。でも、提督は人より多くのモノを一人で持ててしまったから……全てを自分の背中へと乗せる事を躊躇わなかったから……積み重なっていく重荷を支えきれなくなってしまったのです」

 

 言うなれば石壁は強くなり過ぎたといえるだろう。極限まで練磨された鋼の如き精神力が、あらゆる痛苦と心労を抑え込み、限界を遥かに超える重荷を背負いこませたのだ。まず第一に己の強さに依って立つ石壁は、本当の意味で他人の力を頼ることが次第に出来無くなっていったのである。他人に100%(本気になる事)を求めても、120%(限界を超える事)を求めてこなかったのだ。計算の中で収まらない他人の力に頼るなど、石壁には出来なかった。

 

「じゃあ、どうすればいいの……?」

 

 石壁がそう鳳翔に問うと、鳳翔は微笑んだ。

 

「夢の中で私が言った事は忘れてしまいましたか?なら、もう一度……いえ、何度でも……貴方に届くまでお伝えします」

 

 緩んだ石壁の手のひらが、鳳翔の手の中へと納まる。彼女は血で汚れたその手を大切な宝物の様に己の胸元で抱きしめた。

 

「提督はもう、独りじゃないんです」

 

 鳳翔がそう告げた瞬間、俄かに廊下が騒がしくなる。

 

「提督には、こんな世界の果てまで来てくれた仲間がいるんですよ」

 

 その瞬間、扉が乱暴に開かれて石壁の親友たちが雪崩れ込んできた。

 

「大丈夫か石壁!?」

「石壁が目覚めたっていうのは本当か!?」

「HEYブラザー!調子はどうだ!?」

 

 伊能、新城、ジャンゴが石壁の起床を聞いて大急ぎで医務室へと向かってきたのだ。ぜいぜいと息を切らせながら部屋に入ってきた三人をみて、石壁はなんとか声を絞り出す。

 

「……おはよう、皆」

 

 顔色もよくなった石壁をみて、一同が安堵のため息を吐く。

 

「心配かけたね」

 

 石壁がそういうと、伊能達はしばし黙り込んだ。

 

「「「……」」」

 

「どうかしたの?」

「なあ、石壁」

 

 すると、伊能達が石壁に頭を下げた。

 

「……え?」

 

「今回の作戦で俺は全く訳にたたなかった。お前の負担を肩代わりすることも出来なかった。すまん」

「助けに来るのが遅くなりすぎた。もっと早く来るべきだった。すまない」

「ブラザーがここまで追い詰められるまで遅くなっててわるかったな」

 

 伊能達はそれぞれ頭を下げたまま、石壁に詫びた。

 

「次はこんな無様は見せん、必ず、必ず役に立ってみせる」

「私達が全力でお前を支える。足りない所を補うから、一緒に戦わせてほしい」

「オイラ達4人が揃えば出来ねー事なんて無いぜ!だからさ、もう独りで頑張らなくてもいいんだぜ?」

 

「……」

 

 口々に石壁へと真っ直ぐに思いをぶつけてくる親友達を、石壁はじっと見つめる。

 

 助けは来た。来るはずがないと諦めていた助けは来たのだ。石壁のために、親友の為に、こんな世界の果てまでやってきてくれた大馬鹿者達が、石壁の側にはいるのだ。

 

「……ッ!」

 

 石壁は、その事実で胸の奥からアツい思いが湧き上がってくるのを感じて、目元を擦った。

 

「あり、がとう……」

 

 石壁は胸の中の絶望感が消え失せて、希望が溢れ出すのを感じていた。

 

「ありがとう、皆……ッ!!」

 

 石壁はもう、独りではないのだ。

 

***

 

 それから、扶桑達や金剛達も部屋へとやってきて、静かだった病室が賑やかになってくると、ふと石壁は病室の隅っこのソファに誰かが寝ている事に気が付いた。

 

「うぅん……」

「あれ?だれが寝てるの?」

「ん?ああ、確か石壁の泊地の扶桑型ーーーー」

「ふわぁ……よく寝た……あ、提督!?目が覚めたの!?」

 

 新城が石壁の問に答えようとした瞬間、毛布がはだけて黒いネグリジェの戦艦棲姫が出てくる。

 

「「「「……」」」」

 

「ふわぁ……すごく賑やかね、話には聞いてたけど流石に石壁提督の親友達だけあるわ」

「あ、戦艦棲姫、起きたんだ。うん、そのとーー「「「「戦艦棲姫!?」」」」り?」

 

 その瞬間、予想だにしていなかった戦艦棲姫の登場に、援軍にやってきた全員が驚愕する。

 

 

「「「あっ」」」

 

 寝起きで偽装工作とかその辺の単語が頭から抜け落ちていた石壁達は、そこに至ってようやく戦艦棲姫の事に思い至った。

 

「おいおいブラザー冗談も大概にしろよ!?」

「なんで戦艦棲姫がこんな場所にいやがるんでい!?」

「おい石壁説明しろ!」

「艤装を展開しないと!?」

「あんたウチの石壁とどういう関係よ!?」

 

 大混乱になる病室、やっちまったという顔で考え込む石壁と戦艦棲姫、どうしようという表情の泊地の面々。

 

「あーー……ちょっとまってね」

「ちょ、石壁!?」

 

 石壁はベッドから起き上がると、自分を守ろうとする山城の脇をすりぬけて、座席にかけてあった扶桑型の巫女服を手に取り戦艦棲姫に羽織らせた。

 

「彼女は扶桑型戦艦の扶桑だったんだ!な、扶桑!」

「え、ええ、私は扶桑よ!」

 

 キリッとした顔で石壁が言い切ると、戦艦棲姫は顔を引きつらせながら同調した。

 

「「「「「……」」」」」

 

 一瞬、静寂が場を支配する。

 

「「「「「嘘つけ!!」」」」

 

「ですよね!」

 

 ***

 

 それから場所をいつもの作戦会議室に移して、戦艦棲姫について洗いざらいを吐かされた石壁、話を聞き終わった者達の反応は千差万別であった。

 

「はぁー、相変わらずブラザーはぶっ飛んでるなあ」

 

 ジャンゴは石壁を膝の上にのせてご満悦な戦艦棲姫を見ながら笑う。彼女のそんな姿をみていると、ジャンゴには戦艦棲姫が危険な存在であるようには見えなかった。

 

「まさか深海棲艦を仲間にしているとは……お前、もしこれが大本営に知られたらそれだけでスパイの容疑をかけられて処刑されてもおかしくないぞ」

 

 新城は親友のやらかしっぷりに遠い目をしている。大日本帝国にとって深海棲艦は不俱戴天の怨敵であり、そんな存在と共に居るなどと知られたらどんな罵詈雑言が飛んでくるか想像も出来なかった。少なくとも徳素はこれを理由に嬉々として石壁を殺そうとするのは明白である。

 

「あはは、なんていうか、ごめん」

 

 石壁はもう笑って誤魔化すしかなかった。

 

 閑話休題

 

「……さて、疑問も解決しただろうし、そろそろ真面目な話をしようか。あきつ丸、報告を」

 

 石壁がそう言って空気を切り替えると、その場の意識が真面目なものへと切り替わる。

 

「はっ!新城提督達の増援艦隊と、一緒にやってきた護衛艦隊によって敵艦隊が撤退し、以後鉄底海峡は不気味に沈黙しております!」

 

 あの大攻勢が信じられない程、以後鉄底海峡は沈黙している。

 

「ですが、青葉殿以下情報部が血眼になって情報をかき集めた結果、どうやら更なる戦力の増強に動いている様です」

 

 敵艦隊の動向を直前まで察知できなかった青葉達は、あれ以後本当に僅かな兆候でさえ見逃さない様に、警戒態勢を何倍にも厳重にして情報を集め、情報の分析でも毛筋ほどの違和感さえ逃さずに洗い出しを行っていた。それによって、ようやく朧気にではあるが鉄底海峡の動きが見えるようになってきたのである。

 

「失われた戦力の補充がつくまでいくらか時間はありそうですが、長く見積もっても半月程度だろうというのが青葉殿の判断であります」

「……そういえば青葉は?」

 

 いつもなら自分で報告に来る青葉が今日はここに居ないことに石壁が違和感を覚える。

 

「『失点は結果で取り返す』とのことです。報告に来る僅かな時間さえ勿体無いと言っておりました」

「……なるほど」

 

 青葉がどれだけ真面目に職務をこなしてきたか知っている石壁は、今回の一件で青葉を攻めるつもりはなかった。だが、石壁がどう思うかと、本人がどう考えるかはまた別の問題だ。己の職務に誇りをもっていた青葉なら自分を許せないのは当然の事であった。

 

「わかった……次の報告を」

「はっ!前回の戦いで損耗した物資や基地機能についてでありますが、石壁提督が起床なさるまでの間におおよそ全て回復致しました」

「……早くない?」

 

 石壁が気を失っていたのは精々2,3日、その間にあれだけ損耗した陣地を修復出来たのが信じられなかった。

 

「この泊地の皆本当にタフネスであります。戦いが終わった直後から、動ける者達総出でツルハシ片手に陣地修復を始めたでありますよ」

 

 南方棲戦鬼との戦いが終わってからこっち、艦娘になってからずっと毎日毎日坑道を掘り、地ならしを行い、トーチカを作り、飛行場を作り、要塞を作ってきた彼女達はもはや歴戦の工兵隊と化していた。彼女達は血に染み付いた習性にしたがって壊れた要塞を立て直したのである。

 

 神通達による訓練は、死にものぐるいで動き続けて疲れ果てて死にそうになってからが本番という地獄の末期戦仕様であった。そんな環境で鍛えあげられた彼女達は訓練の効果を遺憾なく示したのである。

 

「天龍殿や妖精工兵隊からの伝言であります。『提督の足元は俺達が支える』との事でありますよ」

「……本当に、頼りになるなあ」

 

 石壁は天龍達や工兵隊の頑張りに胸が熱くなる。

 

「劣悪な戦況でこそ、こういう部分が光ってくるでありますな」

 

 石壁の言葉にあきつ丸がうんうんと頷く。

 

「本当に苦労したんだな……」

 

 新城は石壁達が訓練で想定していた内容の恐ろしさと、実際にそんな状況に追い込まれた結果から思わずポツリと呟いてしまう。

 

「まあ最初からずっと末期戦だったからねえ」

 

 石壁は新城の言葉に苦笑しながら答えると、あきつ丸に続きを促した。

 

「天龍殿達や工兵隊は石壁提督の要請があればすぐさま次なる行動に移るでありましょう」

「……なるほど」

 

 石壁はその言葉にしばし考え込む。

 

 

「次の報告は明石殿からです」

「はい」

 

 そういって前に出た明石を見て、石壁は先日明石に対して怒鳴り散らした記憶が蘇る。

 

「あ……」

 

 石壁がその記憶に罪悪感を感じると、明石はそれに気が付いたのか微笑みを返してから報告を始めた。

 

「今回の一件で見えて来た泊地の技術的弱点は幾つもあります。夜間戦闘における射撃精度の低下、押し寄せる深海棲艦を食い止める火力不足、破壊された沿岸砲台の火力低下……そして、長時間の疑似イージスシステムの使用による、提督への極度の負担の集中」

 

 そのどれもが、石壁が嫌になる程痛感した事であった。どれもこれも石壁が無理やり指揮能力で誤魔化していた問題である。

 

「その全てに、技術的な解決の道筋を付けて参りました」

「なっ!?」

 

 石壁は、明石のその報告に目を見開いた。

 

「この前の戦闘で取れた貴重なデータ、無数の深海棲艦の残骸から採取された装備品の数々……そして、今まで地道に積み重ねてきた技術的ノウハウの蓄積が、漸く形になったんです」

 

 明石は石壁の驚愕した顔を見て、不敵な笑みを浮かべる。

 

「以前石壁提督はおっしゃいましたよね?『誰が助けてくれるんだ』って」

 

 明石はバシンと己の胸を叩いた。

 

「私が、いえ、私達工廠部門の全員が提督を支えます。昨日出来なかった事は今日、今日出来ない事は明日、積み重ねた技術力で不可能を可能にしてみせます。提督が命懸けで戦ってくださったお陰で得た時間や経験を全て糧にして、強く強く成長してみせますから」

 

 明石は誇りと闘志を燃え上がらせながら、石壁へと真っ直ぐ言葉を届ける。

 

「私達を頼ってください」

 

 明石もまた石壁の初期艦である。長い月日を共に戦い続けた仲間なのだ。彼女は石壁の吐き出した言葉に傷つき、そして奮起したのだ。己の技術力の全てを賭して、今度こそ石壁の助けになってみせると。

 

「……明石」

 

 石壁は明石の、否、周りの全ての仲間達の真っ直ぐな言葉に己の不明を恥じた。

 

(何が助けなんて来ないだ……皆は最初から僕に護られるだけの存在なんかじゃなかったのに……ずっと、僕を側で支えてくれていたというのに……僕はそんな簡単な事にさえ気が付いて居なかったんだ……自分の事で精一杯だったのは、他ならない僕の事じゃないか……)

 

 見渡せば、指令室の皆が笑顔で自分の事を見つめている。単純な事だった。石壁が彼らを護りたいと思った様に、彼等も石壁を助けたいのだ。これはそれだけの話であったのだ。

 

「……」

 

 ちらりと鳳翔に目をやると、彼女は石壁に笑顔で頷いた。

 

「ありがとう、皆」

 

 石壁は笑みを浮かべて全員に向き直った。一度消えかけた彼の心の炎が轟々と燃え上がるのを、その場の全員が感じ取った。石壁は今本当の意味で仲間を受け入れたのだ。一本の矢は簡単に折れるが、それが何本も集まれば強くしなやかな束となる。石壁の心は仲間の力を束ねる事でより強靭なモノへと進化したのだ。

 

「まだ僕たちは生きている。そして、皆が居るなら、戦える」

 

 石壁は、その場の全員に頭を下げた。

 

「力を貸してくれ」

 

 石壁のその言葉に、全てのモノ達が言葉を揃えた。

 

『了解!!』

 

 ***

 

 それから暫し、各々が持ち寄った作戦や技術について話し合い、次の戦いに向けた骨子を作り出していった。

 

「基本方針はきまった」

 

 石壁はそういうと、海図の沿岸部の要塞を指差す。

 

「今回の戦いで嫌になる程思い知ったけど、沿岸部の要塞を堅守し水際での徹底抗戦による敵戦力の撃滅を図るのは戦術の硬直化を招いて逆に危険だ。故に戦術を切り替える必要がある」

 

 石壁は沿岸部と山岳部の間の平野部をトントンと叩く。

 

「ここに新たに陣地を複数、山岳部まで引いていく。一つ一つの陣地は薄くとも何十、何百もの防衛線をひいて受け止める。こちらの損害を限界まで抑えつつ、敵に限界まで出血を強いる」

 

 今までの防衛戦術が硬い岩盤で徹底的に叩き返す剛の防衛戦術なら、これは敵を受け流す柔の防衛戦術。

 

「縦深防御と新技術の兵装を合わせて、敵戦力を限界まで磨り潰してやる。僕らの防衛戦術が一つだけじゃないってことを、味合わせてやろう」

 

 敗北を期に生まれ変わった石壁達は、新たな戦いに向け動き出したのであった。

 

 

 

 

 

 



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第二十六話 謎の大和撫子……一体何方棲戦鬼なんだ……

 石壁は夢の中で何故か正座させられていた。目の前には絶世の美女がたっている。鳳翔の目の前に現れた謎の大和撫子である。

 

「ねえ、石壁」

「……はい?」

 

 石壁は訳も分からず正座させられたまま、どこかで会ったような気もするが全く思い出せない美女の言葉に対応する。

 

「仕方ないのはわかるけど、アンタもうちょっと内臓を労りなさいよ。どれだけ私が苦労したと思ってるの?」

「はあ」

 

 何言ってんだコイツ、と石壁は思いつつ話をきく。

 

「いきなりフル稼働させられた挙句に危ないお薬とカフェインをどかどか流し込んで休み無く使うとか馬鹿なの?死にたいの?内臓ヤクギメファックとかどんな高等プレイよ普通なら死ぬわ」

 

 相当腹に据え兼ねていたらしく、つらつらネチネチと石壁に愚痴を垂れ流していく。

 

「あと事有る毎に胃酸をどっばどっば分泌させるんじゃないわよ。死んでから胃に穴が空くとかどう言う事なの?私、こっそり開いた穴塞いだのよ?ねえ?なんでこんなに短期間で2個も3個も胃に穴が開くの?ねえどうして?」

 

 美女の目が死んでいく。いや、死んでいた目が更に死んでいっているというべきか。

 

「僕にそんなこと言われても……その、困る」

 

 石壁は身に覚えが有り過ぎる言葉に目を逸らしながらそう言うしかない。

 

「でしょうね、知ってるわ。嫌になるほど知ってるわ」

 

 彼女は『はぁ……』と本当に深いため息を吐くと石壁に向き直る。

 

「まあ私の力の及ぶ限りはアンタの体の健康は守り抜いてあげるから、頑張って生き延びなさいよ。アンタに死なれると私も困るのよ」

「……その。貴方結局誰なんですか?」

 

 石壁のその問に彼女は腕を組む。

 

「どうせ起きたら忘れるんでしょうが、聞かれたからには答えないとね、私はなんーーーー」

「あ、ごめん夢覚めるわこれ」

「え、ちょまっ」

 

 そこで石壁の夢は途切れた。

 

「はぁ……行っちゃった……」

 

 美女はそこでガシガシと頭をかくと、もう聞こえないのを承知でボソリとつぶやく。

 

「妹のこと、頼むわよ」

 

 ***

 

「ふわぁ……うし、今日も頑張るか」

 

 石壁が目を覚まして身だしなみを整える為に鏡の前に立つと、鏡に映る己の頭をみて顔を顰める。

 

「白髪……か……」

 

 頭部に混じる白い物をみながら、石壁はため息を吐いた。

 

「これ、どっちが原因なんだ……?」

 

 石壁は先日医師から言われた言葉を思い出す。

 

 ***

 

「体内の臓器の浸食域が拡大している?」

 

 石壁は目が覚めたあと医務室の軍医妖精さんに話を聞いていると、そのように告げられた。

 

「はい、左の写真が以前の、右側が現在のレントゲン写真になります」

 

 石壁が目の前にはられた二枚のレントゲン写真を比べてみると、明らかに右側の写真の方が浸食が肥大化しているように見える。

 

「石壁提督は薬剤の過剰摂取と身体の酷使によって常人ならば死んでもおかしくない状態になっておりました。結果として1日半ほど意識を喪失されましたが、もっと長期間意識不明になるだろうと私は考えておりました」

 

 石壁が不眠不休で戦い続けた時間は延べ50時間以上、それだけの時間を薬剤のドーピングで通常の数倍以上の過酷な負荷をかけて戦っていたのだ。数日間は昏倒していてもおかしくはないどころか永眠しなかったのが不思議なレベルなのである。

 

「ですが実際に蓋を開けてみれば二日、たったそれだけの時間で石壁提督の体は疲労を完全に回復させました。その原因が、これでしょう」

 

 軍医妖精は体内の臓器から脊髄、骨格、腕や足の節々に木の根の如くのびてからみついている繊維質を指さす。

 

「極度の睡眠不足や疲労と過剰な薬物の摂取による臓器の酷使……こういった過酷な環境に置かれたことで、貴方に移植された深海棲艦の臓器が生き残る為に適応し、成長していると考えられます」

「臓器が成長……」

 

 石壁はその単語にうすら寒いモノを感じる。

 

「この臓器からでて体中に広がる“根”が、あなたの体組織を強靭なモノへと変質させ、負担を軽減し、体力の回復を促したのでしょう」

 

 植物は水分が足りない過酷な環境に置かれると、より深く広く根を張ろうとする特性をもっている。同じように南方棲戦鬼の臓器は過酷な環境に適応するために石壁の体により深く根をはったのだ。

 

「それは……つまり……」

 

 石壁は想定の一つであった最悪の予想に言葉を詰まらせる。

 

「はい……石壁提督があの装置を使い続ければ……より過酷な負荷を体にかけ続ければ……」

 

 そう、深海棲艦の臓器がより石壁の体を変質させるというならばーー

 

「早晩……石壁提督は完全に深海棲艦化する可能性があります」

 

 ーー石壁は人間を完全に辞める事になるのだ。

 

 ***

 

「……」

 

 石壁は軍医妖精の言葉を思い出しながら頭部に増えてきた白髪をいじる。石壁の内臓となった南方棲戦鬼の髪色が白であった事から、この白髪が深海棲艦化に伴う弊害なのかそれとも単なる若白髪なのか判断がつかなかった。

 

「白髪染め、用意しなきゃならないかもなあ」

 

 石壁はもう一度ため息を吐いた。命を失う事まで覚悟して戦ってきたが、このような事態に陥るのは流石に想定外であった。もし見た目まで完全に深海棲艦化した場合、下手をすれば大本営にそれを理由にして殺されかねないのだから石壁の憂鬱は当然モノであった。

 

「しかし成長する臓器ねえ、経験値を得てレベルアップしたっていうのか?」

 

 石壁は己の腹を撫でる。

 

(艦娘と提督は共に戦えば戦うほど成長していく。先日のあの戦いは戦艦棲姫の艤装を通して、艦娘というシステムを要塞全体へ拡張させていた。つまり艦娘が成長しても可笑しくはない。過酷な環境と大量の経験値がこの臓器が成長させたのか?)

 

 己の命を奪いかけた南方棲戦鬼の臓器が石壁の命を繋ぎ、そしてこの前の戦いを乗り切る一助になったのだという事実に奇妙なものを感じた石壁であった。

 

「どうしたものかなあ……」

 

 石壁はため息を吐きながら、執務室へと歩き出したのであった。

 

 ***

 

 それから石壁は執務を行い、昼過ぎに休憩の為に要塞の休憩室へと向かった。すると石壁はそこに先客がいることに気が付く。どうやら二つ並んだマッサージチェアの片方に誰かが座っているらしい。椅子の位置関係の問題で顔は見えないが、気配でそれが誰かわかる石壁は顔を確認する事なく隣に座った。

 

「ああ、疲れた……戦艦棲姫、となり失礼」

「ああ、好きにしてくれ」

 

 隣り合って座ったまま、石壁はマッサージチェアを起動する。

 

「ふう……流石にまだ僕の体調も本調子には程遠いね……」

「まだ目が覚めてから24時間も経っていないのだから当然だな。しかし、あの戦いでまさかこの私が要塞全体の総指揮所として活躍するとは思わなかったぞ」

「苦労かけるなぁ戦艦棲姫、いつもすまない」

「なに、気にするな。貴様はよくやっている。たとえどれだけ敵が押し寄せようとも、いつでもこの私が貴様の側にいるさ」

「ありがとう……ところでさ、一つ聞いていい?」

「……ん?どうした?」

 

「なんで戦艦棲姫が武蔵になってんじゃあああああああああ!!!!!!?????」

 

 ***

 

「ごめん、取り乱した」

「おう、ナイスツッコミだったぞ」

 

 会議室にショートランド泊地首脳陣が集まる、面子は件の武蔵と、いつものメンツだ。

 

「で?殆ど昨日の今日だけどよ、あのおっかねー戦艦棲姫の姉ちゃんが、この武蔵だってのかブラザー?オイラには信じられねえよ」

 

 ジャンゴが皆の意見を代表して言う。

 

「ああ、僕もジャンゴたちの立場ならそう思うだろうが、この武蔵が僕達の仲間の戦艦棲姫だという証拠があるんだ」

「ふむ?その証拠とはなんだ?」

 

 伊能の質問に、石壁は新城に問いかける。

 

「新城、お前は僕達の中でも最大規模の艦隊を率いている。だけど当然、自分の艦隊の艦娘と他の艦隊の艦娘は間違えないよな?何故だ?」

「何故って、『そういうもの』だからだろう?私達提督は自分が顕現させた艦娘なら、百人の那珂ちゃんの中から自分の艦隊の那珂ちゃんを見つけられるってのは有名な話だ」

「その通り、艦娘は100人提督がいれば100人別々の個々人格をもつ。同時に、提督と艦娘は特別な絆で結ばれているため、同じ顔が100人ならんでも自分の艦娘だけはピシャリと当てる事が出来る。ここまで言えばピンと来るんじゃないか?」

 

「つまり、石壁提督はこの武蔵を『あの』戦艦棲姫だと一発で認識したでありますね?」

 

 石壁は武蔵の膝の上に腰掛けたままあきつ丸の問いに頷く。以前にも説明したが、提督と艦娘は魂が癒着している為互いが互いを自分の提督や艦娘だと認識することが出来るのだ。

 

「そのとおりだ、少なくともこの武蔵は僕が顕現させたあの戦艦棲姫で間違いないと確信している」

「しかし、なぜ急に戦艦棲姫が武蔵になったんだ?いままで撃沈されていない深海棲艦が艦娘になった事例はない筈だぞ?」

 

 新城は腕組みしたまま問う。

 

「皆も知っての通り、艦娘の起源は深海棲艦にある。深海棲艦を研究した結果生まれたのが艦娘だ。そして、深海棲艦を討てば自然と艦娘も生まれるように、艦娘と深海棲艦は表裏一体、表と裏の関係にある。今まで、深海棲艦側の艦娘が居なかった様に、人の側に立つ深海棲艦はいなかった。この戦艦棲姫は特殊すぎる例だ。これが何か関係しているのだと僕は思う」

 

 その言葉に、伊能が何かを堪えながら応じる。

 

「……ふむ、確かに、石壁を抱きしめて膝の上にのせて椅子に座っているその様子を見れば、少なくともあの戦艦棲姫だというのはよくわか……わか……ブフゥっ!」

 

 ついにこらえきれなくなった伊能が盛大に吹き出す。

 

「おいイノシシ、こっちが必死に耐えてるのに笑ってんじゃねえよぶふっ、ブラザー泣きそうじゃねえかよぶあっはっは!」

 

 つられてジャンゴが笑いだし、会議室はこらえきれなくなった皆の笑いに包まれた。

 

「笑うんじゃねええええ!!!」

 

 石壁の抗議は、武蔵にギュっと抱きしめられたままでは大きく効力を減じてしまう。

 

「いやいや、無茶言わないでほしいであります。だってこの世界の根幹に関わりかねない重要な話の真っ最中なのに、大真面目に語る本人が頭一つは大きい女性にあ●なろ抱きされてるんでありますよ?こんなの耐え、耐え、ブフゥッ!」

 

 頑張って耐えていた真面目なあきつ丸ですら、ついに吹き出す。

 

「……!」

「あっはっは、姉様、お腹痛いぃ」

 

 顔を隠して笑いをこらえる扶桑と、大笑いする山城。

 

「あっはっは、横須賀での日々を思い出すねぇ石壁、お前さんたちゃやっぱりそうやって笑い合ってんのが一番しっくりくらぁ」

 

 快活に笑いながらそう告げる金剛に、石壁は渋い顔だ。

 

「僕だって好きでこんな体制してるんじゃないんだが」

「すまないな、提督。でもこうなんというか、貴様の体がちょうどすっぽり手に収まって抱き心地が良いんだよ。頭の上に顎を載せられて丁度いいんだ」

「……」

 

 身長の小ささがコンプレックスの石壁の心にダイレクトアタック!効果は抜群だ。

 

 再び笑いに包まれる会議室、再結集以来、以前に比べてどこか硬かった四人の空気が大きく弛緩したのだった。

 

 ***

 

 武蔵が満足したと離してくれた為、真面目な話に戻る。

 

「しかし、石壁達の泊地にいた扶桑が戦艦棲姫だったってだけでも私の胃が捻れ狂う位ヤバイのに、それが急に未だ建造すらされたことがない大和型戦艦の二番艦武蔵に化けるとか一体全体どういう事なんだ」

「提督、お気を確かに。そもそもこの鎮守府にやってきた時点で詰んでますから安心してください」

 

 知りたくなかった危険な知識が加速度的に増える中で、白目を剥いて天を仰ぐ新城、彼の人生はこんな事ばっかりだ。

 

 石壁はそんな友の姿をみて不気味に笑うと、言葉を続けた。

 

「おっと、まだとびっきりの新発見が残ってるぞ……武蔵」

「おう」

「えっ」

 

 そういうと、武蔵は皆の前に歩み出て、目を閉じて深呼吸を始める。

 

「……」

 

 すると、武蔵を中心として黒い光とも言うべき矛盾した何かが溢れだし、武蔵の体を覆っていく。

 

「うお!?」

「こいつは……深海棲艦の気配!?下がれてめえら!!」

 

 驚くジャンゴと、咄嗟にジャンゴを自身の背後に庇い、艤装を展開する金剛。

 

「ストップ!!大丈夫だから」

 

 石壁の静止に、金剛は艤装を展開したまま、ピタリと静止する。そうこうしているうちに、光が収まる。

 

「どうも、戦艦棲姫よ」

 

 するとそこには、戦艦棲姫の姿に戻った元武蔵の姿があった。

 

「「「「「「……」」」」」」

 

 あまりの急展開に思考が追い付かず絶句する皆に、石壁は大きく溜息を吐いて続けた。

 

「この通り、自分の意思で艦娘と深海棲艦の間を行ったり来たり出来るんだよ。その恩恵は凄まじいぞ、艦娘と深海棲艦両方の装備を扱えるんだ。しかも戦艦棲姫状態でもスペックが大幅に上昇している。具体的には……明石」

「はい、調査の結果、戦艦棲姫は以前と比べて3~4割程度のスペックの向上が見られます」

 

 明石は手元の資料をペラリペラリと捲っていく。

 

「これらの条件から、これは艦娘の『改造』に相当する状態である。というのが私の結論です」

 

 艦娘の改造、それは練度が一定以上になった艦娘が突如として己の限界を超えて強化されることを差す。中には艦種そのものが変わってしまう程大規模な変化を興す艦娘もいるが、当然ながら戦艦棲姫のこれは前代未聞のモノである。

 

「深海棲艦を改造すると、艦娘になるのか……?いやそんな、馬鹿な」

 

 新城は己の常識が壊れていく音を聞きながら。今回の事象についてブツブツ言葉を吐きながら考え込んでいる。

 

「これは仮定に仮定を重ねた考察ですが、恐らく鍵は提督と擬似イージスの存在でしょう」

 

 明石は机上に擬似イージスの概要が書かれた書類を置く。

 

「擬似イージスは仕様的には艦娘の装備である電探等で集めた情報を簡易スパコンで処理し、それを艤装のアイテムカードスロットを通して艦娘へ、そして提督へと流し込むのが基本となっています。これは言い換えれば艤装の機能の拡張であると言う事も可能です」

 

 艤装として扱える範囲をむりやり増大することで、武蔵は謂わば要塞全体を艤装として戦っていたともいえる。

 

「これによって、要塞各地で行われた戦闘は戦艦棲姫の戦闘であるとも言えるわけです。発生した莫大な経験値が、艤装を通して戦艦棲姫に流れ込み練度を加速度的に押し上げたのです」

 

 石壁が戦っていた時間は述べ50時間以上、その間叩き殺した深海棲艦の数は数千体、叩き落とした艦載機は一万近いのだ。それだけ戦えば例えレベル1からはじめても100近くまでノンストップでレベルが上昇しても可笑しくはない。

 

「泊地で戦っていたのは基本的に艦娘と妖精さんであり、使われていた武装も艦娘用のモノを改造したものばかりです。当然発生する経験値は艦娘のモノでしょう。そんな経験値が戦艦棲姫のレベルを無理やり押し上げたせいで、彼女の中の何らかのバランスが狂った結果、彼女は武蔵へと変貌した。そう考えるのがいいかと思います」

 

 明石の説明を聞いた一同はなんとか説明を飲み込んでいく。

 

「まあ、そこまではいいとしよう。ではなぜ武蔵から戦艦棲姫に戻れるのだ?その意味がわからん」

「すいません、それは私にもよく分かりません……」

 

 明石が伊能の問いに首を振ると、石壁はぼそっと呟いた。

 

「僕の体が、人から深海棲艦のモノへと変化してきた事と何か関係があるのか……?」

 

 石壁のその呟きは、皆の言葉に紛れて誰にも届かなかった。

 

「いずれにせよ、要観察であります。何がどうなっているのかさっぱり分からないでありますからな」

 

 あきつ丸が纏める様にそういうと、皆が頷いた。

 

 こうして、武蔵でありながら戦艦棲姫というよくわからない仲間を加えた一同であった。これ以後、公的な記録において彼女は扶桑から武蔵へとすり替えられる事になる。大日本帝国史上初の大和型戦艦の艦娘を手に入れた石壁は、果たしてどうなるのであろうか。それはまだ、誰にもわからない。

 

 

 

 





今だからいえますが第一部で戦艦棲姫が登場した瞬間に彼女がいきなり深海棲艦辞める展開まで予想された時は本当にもうどうしようかと思いました(実話)


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第二十七話 真の敵

 

 戦艦棲鬼が武蔵となった翌日、石壁の病状が回復したこともあり南雲がラバウル基地からショートランド泊地へとやってきた。これから先の戦いについて相談するためである。

 

「久しぶりです南雲提督。先日は援軍を送ってくださってありがとうございます。本当に間一髪の所で助かりました」

「気にするな、石壁提督。我々は盟友ではないか」

 

 石壁と南雲が握手を交わしながら言葉を交わす。南雲は石壁の顔を見て言葉を選びながら続ける。

 

「……少し痩せたか?」

「はは、まあ色々ありましたから」

 

 石壁は南雲が大分言葉を選んでくれていることを察して苦笑しながら返す。

 

「君が倒れたと聞いた時は流石に焦ったが、今の君の目は以前よりやる気に満ちている様で安心したぞ」

 

 南雲は石壁の目に溢れる精気から、まだまだ盟友である彼が戦えるのだという事実を感じ取って笑みを浮かべる。

 

「ご心配をおかけしました。でももう大丈夫です」

 

 石壁は南雲の言葉に笑みを返した。

 

「そうか……ではさっそくだが本題に入るとしようか。これからの作戦について相談しよう」

「はい!」

 

 それから会議室では石壁達の新しい作戦についての説明が行われたのであった。

 

 ***

 

「ーー以上が、防衛作戦の骨子であります」

 

 いつも通り議事進行を務めるあきつ丸が一通りの説明を終えると、南雲は感服したように息を吐いた。

 

「なるほど……よくぞ自力でここまでの準備を整えたものだ」

 

 手元の資料をペラペラと捲りながら先ほどの説明を飲み込んでいく南雲、彼は先日の敗戦からたった数日で前以上に頑丈な泊地へと再編成を進めていく石壁達のバイタリティーの高さに心底驚いていた。

 

「この防衛作戦と南洋諸島全域の泊地の総力を結集すれば、或いはこの危機も打ち破れるかもしれん」

 

 南雲は先日の圧倒的な深海棲艦の物量に対して、南洋諸島の総戦力、そしてこのショートランド泊地の護りをもってすれば対抗できる可能性があると試算した。

 

「つまりあと僕達に必要なモノは、他の泊地の協力を取り付ける事、という訳ですね」

「そういう事になるな」

 

 石壁達の間にホッとした空気が流れる。先日の全く勝ち目が見えてこなかった状況に比べれば、希望の光が見えてきた分だけその安堵は大きい。

 

「……だが、問題が幾つかある。まず第一に、本当にこの防衛計画通りの準備が整うのか。二つ目が南洋諸島の他の泊地の協力を得られるのか。そして最後が」

 

 南雲は敵の根拠地である鉄底海峡を睨む。

 

「敵戦力を撃退出来たとしても、即座に鉄底海峡を攻略出来ねば元の木阿弥になるという事だ」

 

 それこそが、ある意味一番厄介な問題点であった。

 

「今回の一件も、元を正せば鉄底海峡が泊地の目の前に存在するというこの一点に集約される。無限に近い深海棲艦が湧きだすこの海峡を放置すれば、またいずれ深海棲艦が大挙して押し寄せてくるぞ」

 

 鬼級や姫級の深海棲艦は、そこに存在するだけで周囲の深海棲艦を引き寄せ統率することが出来る。そして、深海棲艦が湧きだす根拠地が無事なら、その戦力は実質無尽蔵なのだ。

 

「飛行場姫は絶対に前線には出てこない。だが、鉄底海峡海峡の奥深くまで進行してアイツを討伐するのは無茶を通り越して無謀だ」

 

 前回の南方棲戦鬼との戦いでは敵の総大将が前線まで出てきたが故に、石壁達は奇策による釣りだしで彼女を打ち破った。だが、今回の飛行場姫は盤面の一番奥からじっと腰を据えて勝ちに来る最も厄介な敵である。

 

「鉄底海峡の護りは、そこまで分厚いのでありますか?」

 

 あきつ丸の問いに、南雲は頷く。

 

「鉄底海峡は深海棲艦最強の牙城の一つであり、その護りは端的に言って鉄壁だ」

 

 南雲はそういいながら、ガダルカナル島を中心とした一帯をグルリと円で囲う。

 

「鉄底海峡を中心としたこの一帯は半球状の闇のドームに覆われている。便宜上闇の結界と呼ぶが、この結界は年中消える事無く鉄底海峡を覆い隠している。内部へと幾度も突入したが、この円の内側は新月の夜と変わらん、夜間戦闘用の装備無しではとてもではないが戦えるモノではない」

 

 以前にも言ったが、深海棲艦との夜間戦闘は接敵距離の関係でとても危険だ。相打ちになる可能性が高く、通常は数に勝る深海棲艦にとってより有利に働くのである。

 

「その上この中は本当に無数の深海棲艦が蠢いている。その為探照灯を持ち込んで突入すれば電灯に虫が群がる様に深海棲艦が集まってくるぞ」

 

 闇の結界と圧倒的な物量が組み合わさったこの海域は、侵入するだけでも命がけなのだ。話を聞いているだけで石壁には暗闇の中で無数のスズメバチに襲われる様な地獄絵図が展開されるのが容易に想像できた。

 

「トドメに、この中は地場が狂っていて羅針盤がアテにならん。ぐるぐると磁針が回転して見当違いの方向へと誘導されてしまうのだ」

 

 富士の樹海の様に地場が狂う地帯というのは現実に存在するが、鉄底海峡の闇の結界はソレを意図的に発生させているのだ。

 

「今まで何度も攻勢をかけたが、結局勝てなかった。我々の最盛期の南進を食い止めたのが、この鉄底海峡なのだ。大勢の艦娘がこの鉄底海峡の闇へと没してしまった……」

 

 大日本帝国は艦娘の力を借りてどんどん南方へと拡大していき、最終的に内ゲバで崩壊した。だが何事にもきっかけというモノがあるもので、戦線の拡大とその崩壊の境界線となったのがこの鉄底海峡であったのである。ここで大攻勢が頓挫して戦力が摩耗し、その後は本土に足を引っ張られて攻勢どころではなくなり、最終的にブイン基地が滅ぼされた事で現在の状況に陥ったのである。

 

「この結界の中では勝ち目は無い、そういう訳か」

 

 伊能がそういいながら海図を睨む。

 

「……そんな状況で、敵の親玉が飛行場姫だという情報はどうやって持ち帰ったんですか?近づく事すら出来ないのでは?」

 

 石壁が疑問に思った事をそう問うと、南雲は懐に手を差し込む。

 

「我々もただ手をこまねいていた訳ではないのだ。一度奴の喉元まで食らいついた事があった。この、特殊な羅針盤を使ってな」

 

 そう言って南雲は、懐中時計の様に懐に吊り下げられる様になっている羅針盤を机上へと置いた。

 

「これは?」

 

 石壁の目にはただの羅針盤にしか見えないが、それを見た鳳翔達艦娘は怪訝な顔をする。

 

「南雲提督、失礼ですがその羅針盤の方位は狂っていませんか……?」

 

 艦娘達は軍艦である。故に方位磁石を標準搭載しており方向がすぐに分かるのだ。

 

「その通り、この羅針盤の方位は狂っている。だが、それこそがこの羅針盤の肝なのだ。石壁提督、持ってみたまえ」

「持てば良いんですか?」

 

 南雲にそう勧められ、石壁は恐る恐る羅針盤を手にとった。

 

「……なっ!?」

 

 石壁が羅針盤を手にとった瞬間、羅針盤がグルグルと回転を初め、やがてピタリと止まった。

 

「なんだこれは……?何処を指しているんだ?」

「あっ、この方角はまさか!?」

 

 その光景を見ていた新城が気味が悪そうにそう言うと、青葉が驚愕しながら海図を指差した。

 

「……鉄底海峡の、中心?」

 

 青葉が指差した場所を見て、石壁が思わず呟いた。

 

「その通り、この羅針盤は鉄底海峡の……否、あの飛行場姫の場所を指しているのだ」

 

 それは南雲達が苦心の末作り出した秘密兵器であった。

 

「どうやってそんな事を?」

 

 明石が技術屋としての疑問から言葉を発する。

 

「姫級以上の強大な深海棲艦の中には、己の意思で世界の法則を塗り替える事が出来る奴が居る。飛行場姫もこのタイプの深海棲艦であり、奴は自身の根拠地から一定距離を闇の結界で覆うことが出来る。ここまでは良いな?」

 

 全員が頷く。

 

「だが、結果には必ず何かしらの過程が伴うものだ。あの結界が常に起動している以上、奴は世界に何かしらの働きかけを行っている筈だと我々は考えたのだ。火のない所に煙が立たぬ様に、日光を遮る為の何かを発している筈だとな」

 

 世界を歪めるという未知の力を前にして、彼等は未知を未知のまま既知の概念へと当てはめて突破口を開こうとしたのである。この辺りの柔軟さは、未知の兵器である艦娘達を既知の戦術へと組み込んで運用してきた彼等故のモノであろう。

 

「結果として我々の予想はあたった。飛行場姫は世界を歪める謎の力を常時発散しているのだ。この羅針盤はその特殊な力の発生源へと指針を合わせることを目的として作られている。故に普段は方位が狂っているのだ」

 

 常識の埒外の存在を指差す回る羅針盤。それが、彼等の努力の結晶なのだ。

 

「これはかつて討ち取られた泊地棲姫と呼ばれる姫級の深海棲艦の艤装から作られている。同じ基地型の深海棲艦である事から飛行場姫の力と同種のモノを含んでいるらしく、同調して引き合う性質を持っているのだ。普段はただのガラクタだが、提督が持つことで艤装が微弱ながら起動するらしく、その極僅かな作用をこうやって羅針盤という形で出力したという訳だ。当時我々は全戦力を結集して結界円周部で敵を引きつけ、その隙に飛行場姫の元へと最精鋭の少数艦隊にこの羅針盤を持たせて送り込んだのだ」

 

 石壁達は当時の提督達がどれだけ必死になって鉄底海峡を攻略しようとしたのかを感じて息を飲んだ。自力でここまでたどり着く、用意周到で優秀な提督達でさえ、あの鉄底海峡を攻略出来なかったのだという事実が、石壁達にのしかかる。

 

「そうだ。君達も感じているだろうが、ここまでやって勝てなかったのだ。あの鉄底海峡に、そして飛行場姫に」

 

 南雲は諦観を滲ませながら続ける。

 

「飛行場姫は基地型深海棲艦であり、奴を打倒するには圧倒的な火力でガダルカナル島にある陸上基地を吹き飛ばす必要があったのだ。最精鋭とはいえ飛行場姫の索敵を掻い潜るための軽量高速艦による少数部隊であり、基地を全て破壊するのは不可能だったのだ……」

 

 基地型深海棲艦の力の源は、依代となる基地そのものである。故に飛行場姫を打倒するには艦砲射撃で基地機能を根こそぎ破壊する事が大前提となる。

 

「基地を少数で破壊するためには重火力を持つ戦艦が必要なのに、鈍重な戦艦を強襲部隊に編成するのは自殺行為。軽量な艦を多数編成すれば敵に察知されて到達する前に数で押し返され、空母艦載機の爆撃は常に夜であるあの一帯では使用不可能……なんて悪辣なんだ……」

 

 石壁は飛行場姫が整えたあの鉄底海峡の頑強さに戦慄した。

 

 彼女は正しく『常勝不敗』なのだ。絶対に負けない自分のテリトリーを作り出してその中からじっくりとこちらを攻め上げているのだから。負けることがないなら、後は深海棲艦の無尽蔵の戦力で押せば最後には必ず彼女が勝つという訳だ。その環境を整える事が出来るのが彼女の最も恐ろしい点であった。

 

「強襲部隊はその8割が鉄底海峡の闇に消え、辛うじて撤退出来た部隊がこの情報を持ち帰るのが精一杯であったのだ。これが、最盛期の南洋諸島の総力をもってすら敗北した鉄底海峡の戦いの全てだ」

 

 石壁達は想像以上の敵の強大さに黙ったまま海図を見つめている。南雲が引いた闇の結界の概略図がどこまでも分厚かった。

 

「やはり、防戦で敵をすり潰しながら時間を稼いで、状況の好転を待つのが無難であろうな。石壁提督と我々の力を合わせれば時間を稼ぐだけなら問題あるまい。先程聞いた防衛計画ならば如何に莫大な数が相手でもなんとかなるであろう」

 

 南雲がそういった瞬間、会議室の扉が乱暴に叩かれた。

 

「石壁提督!!大変です!!大変なことになりました!!」

 

 陸軍妖精のそのただならぬ様子に、石壁達に緊張が走る。

 

「どうした!?入ってくれ!!」

 

 その言葉に従って入室した陸軍妖精は顔面を蒼白にしながら敬礼をする。

 

「何があったんだ!?鉄底海峡に動きがあったのか!?」

 

 石壁は防衛線の再構築が完了しない状況での戦闘を想定して顔を強張らせる。

 

「いえ、違います!!」

 

 陸軍妖精は報告書を卓上へと置く。

 

「本土に派遣した妖精たちより報告です!!大本営に動き有り!!繰り返します、大本営に動き有り!!」

 

 そう、石壁は目の前の敵の強大さに目を奪われて忘れていたのだ。そもそも自分たちがどうしてこの泊地にやって来たのかを。

 

「徳素が我々を殺すために次なる一手を打ったのです!!」

 

 石壁の真の敵は、自分たちの背後にこそ居たのだ。

 

 

 

 

 

 





【読者の皆様にお知らせ】

第二部の最終決戦が近いので、最後まで一通りの調整等を行います。

その為申し訳ございませんが2週間程投稿をお休みさせていただきます。

お待ちいただいている皆様には申し訳ございませんが、ご了承いただければ幸いです。

これからも拙作をよろしくお願いいたします。


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第二十八話 獅子身中の毒虫

大変ながらくおまたせ致しました。漸く投稿再会です。
ここから第二部最終話まで毎日一話ずつノンストップで投稿していく予定です。
最後まで楽しんでいただければ幸いです。



 石壁の元に新城達が到着するのと前後して、帝都東京では連合艦隊司令長官である徳素が会見を開いていた。

 

「では新聞にあったことは事実だったのですか?」

「ええ、全てが真実というわけではございませんが、概ね事実です」

 

 大本営のトップがその不祥事を認めた。それはその場に居合わせた多くの記者を驚かせた。

 

「石壁提督は大本営内部の政治闘争によって名誉を毀損され、最前線へと追いやられました。故にこそ、我々はその事実を重く受け止め、彼の名誉の回復を行っています。現在彼を最前線に送る原因となった汚職官僚達を追求して懲戒等の処罰を行っております」

 

 自身が最大の元凶であるという事実を特大の棚の上に乗せていけしゃあしゃあと言い切る徳素。彼はありとあらゆる手段で政敵達に罪を擦り付け、部下達の尻尾を切り、自分以外の人間を公に処罰することで自らを汚職と戦う正義の人間であると社会に印象づけているのだ。面の皮が厚いという次元ではない。

 

「名誉の回復と仰られましたが、具体的にはどの様な形で石壁提督の名誉を回復されるのでしょうか」

 

 記者から質問を受けた徳素は笑顔で応対する。

 

「石壁提督は正しく英雄と言っても差し支えの無い名将です。我々大本営は彼を全力で後援することで彼の名誉を回復します。その第一段階として、既に援軍を送っており、今頃は向こうへと到着している事でしょう」

 

 新城達が石壁の元へとギリギリ援軍としてやってこられたのは本人たちの努力や希望もあったが、徳素がこの言い訳を行うための辻褄合わせとして石壁の元へ送り込む人間を探していたからでもあった。

 

 徳素本人からすれば石壁を殺すための前段階の行為であったのだが、これが期せずして石壁の命を首の皮一枚繋いだのだから皮肉というしかない。

 

「結果に対して応えるのが軍隊です。先の南方棲戦鬼の討伐の功績に応える為に、誤報であった死亡報告によって2階級特進していた階級をそのまま据え置き、本来少佐の筈の新任提督の中将位を維持します。さらに鉄底海峡の攻略に際してソロモン諸島方面軍の最高司令官としての全権を与えます」

 

 徳素の言葉にざわつく記者達。少佐から中将、方面軍の最高司令官、石壁が新任の提督であることを考えれば破格の待遇である。名誉という点から見れば最大級の待遇であるのは間違いない。

 

「さらに石壁提督を支援するために大量の物資を彼のもとへと送りました。現在シーワイズ・ジャイアント級輸送船『大八洲(オオヤシマ)』がソロモン諸島へ向け航行中です」

 

 シーワイズ・ジャイアント、その言葉に記者達がざわめく。

 

 シーワイズ・ジャイアントとは、かつて住友重機械追浜造船所にて造船された世界最大の超巨大タンカーである。総トン数260,851トン、載貨重量トン数 564,763トン、全長458.45mという化物の様な船である。

 

 大和型戦艦の排水量が約7万4千トンであることを考慮すればどれだけ馬鹿げた大きさのタンカーであるかがわかるだろう。史実世界におけるこの船は本来一点もので姉妹艦は存在しない。だが、この世界においては不足する船舶を補うという名目で、大日本帝国の復活を内外に示す為に増産されたのである。

 

「大本営直属の特殊輸送船であるシーワイズ・ジャイアント級輸送船をもって支援を行うのです。どれだけ大本営が彼を後押ししているかはご理解頂けるのではないでしょうか?」

 

 ざわめく会場、徳素の言葉を否定する要素をこの場の者達は見つける事が出来なかった。その反応に笑みを深くする徳素は次の言葉をもって会見を終えた。

 

「石壁提督はきっと鉄底海峡を攻略し、大日本帝国に勝利と栄光をもたらしてくれるでしょう」

 

 この会見の内容は、即座に日本中へと発信されたのであった。

 

 ***

 

 会見の内容を会議室で聞いた一同は言葉を失った。一見すればこの報告はこれまでの対応とは打って変わって石壁を支援する為のモノに見える。だが……

 

「やられた!!畜生、ヤバイ、ヤバイですよ提督!!」

 

 報告を聞いた青葉は顔面を蒼白にして叫んだ。

 

「その、青葉さん……これはどういうことなのでしょうか……?」

 

 事態を飲み込めない間宮がそう問うと、青葉は間宮へと事の深刻さを告げていく。

 

「大佐からの二階級の特進に、方面軍の最高司令官への任命、攻略軍指揮権移譲、表面上は確かに厚遇です。ですがその実態は現状の追認であり、ショートランド泊地単独での鉄底海峡の攻略命令に他ならないんですよ!!まったく嘘をつかずに、現状を追認するだけで、更なる死地へと後ろから押し出すつもりなんですよ大本営は!!」

 

 しかも、と青葉は報告書の『ソロモン諸島方面軍』についての項を指し示す。

 

「見てください、このソロモン諸島方面軍の管轄区は『ブーゲンビル島以西』この地域の所属泊地はショートランド泊地とブイン基地の二つだけ、ラバウル基地以西の南洋諸島の泊地への命令権は一切持っていないんですよ!!つまり、ブイン基地が一度壊滅して基地機能が皆無であることを考慮すれば実質我々だけしか居ないんですよこの方面軍には!!」

 

 方面軍の具体的な編成は軍事機密であり外部には殆ど伝わらない為、報道を聞いただけの人間には南洋諸島全域を指揮する権限を与えられた様に見えるのだ。だが、名前だけとはいえ方面軍は方面軍だ。軍隊は縦割りの組織であり、となりの方面軍の味方は友軍ではあるが別の管轄の軍隊に近いのだ。語弊を恐れずに言えば、営業部門の部長が販売部門の平社員へ直接指示や命令を出来るのか?という問題に近い。別の部署の人間を使うにはそれ相応の手順が必要になるのである。

 

 徳素はこの名ばかり方面軍とでも呼ぶべき実質的名誉職を押し付ける事で、石壁を名実ともに他の南洋諸島の泊地群から切り離したのだ。

 

「その上、この輸送タンカーの物資は、既にこの泊地で充足している食料や医薬品、艦娘用の資源等であり、こんなタンカーで送りつけられても意味がない程に過剰なんです。ですがこれらの物資は普通の泊地では不足します。普通は足りない物資を大量に送りつける事で外部には手厚い支援にしか見えないのに、実際は無用の長物を送りつけているんですよ!!」

 

 もしも提督が援軍を含めても4人しかおらず、艦娘の数が致命的に足りないという異常な泊地でなければ。もしも方面軍が南洋諸島全域を含むモノであったならば、実際にこの支援は非常に手厚い支援であったのだ。だが現実は違った。

 

「止めに、他の泊地に転用しようにも、この資源はショートランド泊地の『泊地特定財源』として指定されています。これを他の泊地へと流そうモノならその時点で石壁提督は犯罪者です。つまり、大本営はショートランド泊地が有効活用出来ない物資を無理やり押し付けて『充分な支援を行っている』と強弁するつもりなんです」

 

 特定財源とは、予算編成の際に出てくる概念であり、なにか特定の目的にそって編成される予算の事である。

 

 よく使われるものとしては『道路特定財源』のように道路の整備に使うように指定された予算などが該当する。だが、徳素は物資もまた財源であるとしてショートランド泊地だけが使える物資として予算計上を行ったのだ。政経軍事の頂点に立つ大本営だからできる荒業であった。

 

 これによって『ありあまる物資』を『無用の長物』へと変貌させ、いよいよもって大量の物資の使い道を無くしたのだ。

 

「……話はそれだけにとどまらんぞ」

 

 南雲はこの世の終わりのような顔で言葉を繋いだ。

 

「南洋諸島の泊地群は……厳密には南部面軍は基本的に複数泊地の合議制で動いている。南部方面軍としてソロモン諸島方面軍を支援しようとするなら、他の泊地全てを納得させる必要があるのだ。其のためにこれまで、まるゆ君達の物資輸送などによって少しずつ他の泊地へと根回しを行ってきたのだ。だが……」

 

 その話の流れに次にどんな言葉が出てくるのかを察して、その場の全員の背筋に冷たいものが走った。

 

「だが、この支援計画の発表によって『石壁提督はやはり大本営派閥の人間である』と思われる可能性が高い……次に飛行場姫が動くまでに仲間を集めるどころか、下手をすれば完全に見捨てられる可能性すら否定できない……」

 

 石壁達が描いていた絵図は、まず新生した泊地の機能を最大限活かし、縦深防御による持久戦によって敵を消耗させる。そして、消耗した所で援軍によって敵を打ち破るというものであった。

 

 だが、その防衛計画はこの一手によって根底から瓦解したのだ。徳素は石壁と南洋諸島の泊地の間に特大の楔を打ち込んだのである。ろくな味方の居ない最前線で後背地との協力関係を寸断し孤立させれば、後は己が手を下すまでもなく敵に磨り潰されるだけだと徳素は考えたのだ。

 

「大本営は……そこまでして……数十万トンの物資を使い捨ててまで……僕を殺したいのか……」

 

 石壁はあまりの事態に呆然とそう呟いた。これは石壁というただ一人の人間を殺す為に仕組まれた、余りにも強大な一手であった。常人なら例え考えても損失の巨大さに躊躇うその手段でもって、徳素は己の理不尽な逆恨みの復讐を完遂せんとしているのだ。

 

 徳素は大日本帝国という巨大な国家の膿そのものだ。巨大な国家の腐敗とその私物化が生み出した最悪の怪物が、その最低の品性を剥き出しにして石壁へ牙を剝いたのだ。その是非は別として、余りにも致命的な一撃であった。

 

「ここまで支援をされてしまえば……仮にこの泊地が負けて滅んだとしても、大本営は負けた石壁提督が悪いと言い逃れる事が出来るだろう……そのためだけにこんな大それた手を……」

 

 南雲もまた、予想を遥かに超える大本営のやり口の卑劣さにそれ以上言葉が続かなかった。己の祖国の中枢がどこまでも腐敗しきっているのだというどうしようもない事実に、既に底をついていると思っていた大本営への信頼がさらに下がっていくのを感じていた。

 

(ああ……なんてこと……青葉達が鉄底海峡へと注意を向けているほんの少しの間に、まさかここまで情勢が変わってしまうなんて……)

 

 青葉は石壁の憔悴した様子に奥歯を噛みしめる。自分たち情報部が推し進めた石壁の英雄化は確かに石壁を守った。だが、彼の肥大化し過ぎた名声が、逆に彼の行動を縛り付ける。石壁は英雄として国民から期待される存在になってしまったのだ。これで攻略に手間取り、敗退でもすれば石壁の名声は地に落ちる。負けて死ねばよし、仮に生き残っても名声がなくなった英雄ならば殺すのは容易い。

 

 群狼作戦によって得た功名は、徳素によってそのまま英雄を殺す毒へと変じさせられたのだ。石壁を支えているのが国民の支持なら、石壁を殺すのもまた国民の支持なのである。

 

「……話を纏めるであります」

 

 あきつ丸は完全に止まってしまった会議室の中で議事進行役としての責務を果たす。

 

「つまるところ、我々ショートランド泊地はほぼ単独で敵の進行を食い止め、なおかつ本土の国民に見放される前に……具体的には次の進行を食い止めた返す刀で鉄底海峡を攻略する必要がある……ということであります」

 

 どちらか一つだけでも泊地の総力を結集してもなんとか『ならない』目標であった。それが二つになったのだ、その絶望感は如何ほどであろうか。

 

「……これは所謂『詰み』というやつでありますな」

 

 あきつ丸は流石にこの事態は予想出来なかったらしく、諦観を滲ませながら笑った。否、笑うしかなかった。

 

 長い会議のせいで、既に日は水平線に没しようとしていた。室内が黄昏から暗闇へと包まれるのはそう遠くなかった。

 

「……今日の会議はここまでにして、一旦休もう」

 

 石壁は、疲れ切った声音でそう告げるのが精一杯であった。それに反対する声はなかった。

 

 日が、沈んだ。

 

 

 



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第二十九話 黎明

 会議が一旦終了し、解散となった会議室で石壁は一人海図を見つめている。少し一人にして欲しいという石壁の願いを聞いてその場の全員が部屋を後にしたからだ。

 

 石壁は南雲が託した羅針盤を手の中で転がしながら、ぼんやりと海図と盤面を交互に見つめていた。

 

「……ん?」

 

 

 石壁がぼんやりと指針を眺めていると、突如としてぐるりと今までとは見当違いの方向へと羅針盤が回った。指針がピタリと止まったのは石壁自身の方向……否。

 

「大分、参っているのね」

「……戦艦棲姫か」

 

 石壁の背後からやってきて彼に抱きついた戦艦棲姫であった。会議が終わるまで別の場所に隠れていた彼女は、タイミングを見計らって石壁の元へと訪れたのだ。

 

(方位磁石が近くの磁石に引っ張られるように、すぐ近くの姫級の深海棲艦である戦艦棲姫に、羅針盤が引っ張られたのか……?)

 

 石壁は目の前の事象になにか引っかかりを覚えた。が、その正体に彼は思い至らない。

 

「あら?それが深海棲艦の力に反応する羅針盤かしら?」

「ああ、その通り、南雲提督から聞いたの?」

「ええ、そうよ」

 

 戦艦棲姫は、羅針盤の周りで指をくるくると動かす。するとその動きに合わせて羅針盤がくるくると回っていく。戦艦棲姫の指先に強く反応しているのだ。

 

「これ、私の深海棲艦としての力に反応しているのよね……?」

「うん、その筈だけど」

 

 戦艦棲姫は回る羅針盤を見つめながら言葉を紡いでいく。

 

「飛行場姫はこの力で闇の結界を作り出している。つまり、この力の本質は闇の力よね。私もどちらかというと夜のほうが調子が良いし、深海棲艦という種族そのものが本質的に闇の力を持っているって事よね。昼と夜なら、夜が深海棲艦の世界」

 

 戦艦棲姫は思ったことをそのまま口に出していく。

 

「なら、昼間は艦娘の世界よね。深海棲艦が世界を闇に包む力を持つなら、艦娘の力って、なんなのかしらね?」

「さあ……僕にはわからないよ……」

 

 しばし、そうやって二人が他愛もない会話を続けた後に、戦艦棲姫は少し黙り込んでから本題を切り出した。

 

「……話は聞いたわよ、大本営がやらかしたんだってね」

「……ああ」

 

 戦艦棲姫は石壁の背中を抱きしめたまま、彼と会話を続ける。

 

「70年経っても未だにこの国は全力で内部の敵と戦って、その余力で外敵と戦っているのね……」

 

 戦艦棲姫が……否、武蔵が只の軍艦であった頃の大日本帝国は酷いモノであった。軍部の専横から始まって、陸海軍が別の国の軍隊かと思える程足を引っ張りあい、クーデターの未遂事件がおこり、政治家の暗殺が多発した……そういう内的要因に、世界恐慌を原因とした世界情勢の切迫による外部要因が合わさり。大日本帝国は救いようの無い泥沼へと沈んでいった時代であった。

 

 大日本帝国が勝ち目のない戦争に突き進んでいったのは、内外の大小様々な要因が複雑に絡み合った泥沼の内ゲバで引く事も進むことも出来なくなり、様々な派閥の意見が絡み合って意思決定すらままならない中で、弾き出された『その場の空気』という名の妥協に国全体が流されていった事が大きい。

 

 この世界の大日本帝国は太平洋戦争に敗戦こそすれども、大日本帝国憲法を始めとした様々な国家腐敗を招いた要素が廃棄されること無く継承されてしまった。戦後の平和と繁栄の光によって埋もれたそれらの致命的な要因が深海棲艦との戦いの中で甦ってしまったのだ。

 

 日本人は良くも悪くも変わっていなかった。義理と人情を尊び平和を愛する心も、空気を読む事を最重要視しそれを乱すモノを決して許さない心も、そして、一度流れに乗ればそれがどのようなモノであれ止まることが出来ない事も。本質的にムラ社会の頃から何も変わっていなかった。戦艦棲姫は昔と今の大日本帝国を比べて苦笑するしかなかった。

 

「ねえ、石壁提督」

 

 戦艦棲姫は石壁の耳元へと囁く。

 

「一緒に……逃げない?」

 

 それは悪魔の囁きであった。

 

「こんな国も、世界も、泊地も……石壁提督を縛る何もかもを投げ捨てて、私と一緒に只の石壁堅持にならない?なんなら鳳翔さんとか間宮さんも連れてどこか遠い所へ……」

 

 戦艦棲姫にとって大切なのは、まず第一に石壁である。石壁さえ無事ならば、彼女は満足なのだ。

 

「戦艦棲姫……」

 

 石壁は戦艦棲姫の言葉に、ほんの少しだけ夢想する。自分の初期艦達と戦艦棲姫だけで、どこか遠い所でひっそりと暮らす。なんと甘美な幻想であろうか。誰も傷つかず、誰も悲しまず、ただ数人で完結した小さな世界に引きこもって、ゆっくりした時の流れの中で朽ちてゆく……そんな、小さな小さな幸せは、涙が出るほどに魅力的な誘いであった。

 

 そんな夢想を、石壁はふっと笑って流した。

 

「それが出来る位……僕の肩に乗ったモノが軽かったら良かったんだけどね。投げ捨てるには託された思いが、幾らなんでも重すぎるよ」

 

 石壁が歩んできた道は既に多くの仲間の血で塗装されている。彼が歩んだ道を、大勢の仲間が彼の背を追って歩いている。彼が歩むのをやめた時、その犠牲の全てが無為なモノになり、背中を追う人々は道半ばで倒れる事になる。それを許せる程石壁の仲間の血は、軽いものではなかった。

 

「……そうよね。貴方は、そういう人だったわよね」

 

 戦艦棲姫は、石壁の返事に知っていたわと言うように笑った。その笑みは石壁の不器用さと愚かさを笑いながらも、その愚直さへの愛おしさが滲んでいた。

 

「わかったわ。なら、私も覚悟を決めるわね」

「戦艦棲姫……?」

 

 戦艦棲姫がふっと背中を離れたので石壁が背後を振り返ると、そこには戦艦棲姫ではなく、武蔵が立っていた。

 

「貴様があくまで提督として戦い抜くというならば、私は戦艦棲姫ではなく武蔵として貴様に付き従おう。私は提督の為に、深海棲艦としての私であることを捨てよう」

 

 真っ直ぐに、石壁の目を見つめる武蔵。戦艦棲姫が『石壁堅持』の味方ならば、武蔵は『石壁提督』の味方であった。深海棲艦として石壁堅持を愛すること。艦娘として提督に命を捧げる事。その二つを天秤にかけて、彼女は後者を選んだのだ。

 

 

「私は貴様が逃げることを選んだのなら、戦艦棲姫として貴様に愛を捧げる。だが、戦うことを選ぶならば、私は武蔵として提督に命を捧げよう」

 

 これは武蔵の誓いであった。個人としての平穏を捨て、己の肩に乗る全ての為に戦うと決めた彼のために。これから起こるであろう戦いが絶望的なモノになると知っているが故に、彼女は戦艦棲姫ではなく武蔵である事を己に定義し直した。

 

 艦娘は、己の魂のあり方を己の思うがままに変えていく事が出来る。熊野が鈴谷に己の魂を捧げたように、武蔵は石壁に己の命を捧げる事を決めたのだ。

 

「例えどれだけ絶望的な戦いでも、どれだけ危険な戦場でも、私は常に提督の味方だ。貴様にはこの武蔵が、世界最強の戦艦がついているさ」

 

 石壁の心の中に真っ直ぐに武蔵の想いが雪崩込む。鳳翔とはまた違った、共に戦う相棒への力強い想いが石壁の心を熱くさせる。

 

 戦艦棲姫は南方棲戦鬼との戦いでも、この前の海岸線の戦いでも、己が本当の意味で石壁の助けになっていないことをずっと悔やんでいたのだ。

 

 彼女が武蔵となったのは、明石の想定したとおりの要因以外にも、艦娘としてより強く石壁の力になりたいという彼女の強い思いが影響していたのである。

 

「提督の命令があれば、私はどんな戦いでも恐れず最期まで戦い抜く。だから、存分にこの武蔵を使ってくれよ、相棒」

 

 武蔵は不敵な笑みを浮かべてそういうと、部屋を出ていった。

 

「……ありがとう、武蔵」

 

 石壁の絶望に塗りつぶされかけた心の中に、微かに炎が揺らめいた。

 

 ***

 

 それから石壁は気持ちを纏める為に鎮守府の屋上へと上がり、一人で風を浴びていた。既に夜半を過ぎて周囲は一面の闇であり、月明かりすらない世界はまるでここが飛行場姫の闇の結界の中であるかの如く感じさせた。

 

「……暗い、な」

 

 石壁は思わずぽつりとそう呟いた。彼の戦いはずっと絶望的なモノばかりであった。ここを乗り越えれば光が見える筈だ、そう信じて前へと進んできた。だが、彼が見たのは、更なる絶望的な状況でしかなかった。

 

 彼我の戦力差は圧倒的であった。得意の防衛線術のみに頼っていては勝つことが出来ないのだ。

 

 前回の南方棲戦鬼との戦いは己のテリトリーに敵を引きずり込んで撃滅した。だが、今回は逆に敵のテリトリーに飛び込まねはならない。

 

 暗い深海の力の満ちた闇夜の中に飛び込み、敵の親玉を叩かねばならないのだ。

 

 だが石壁には、それをなし得る力はない。

 

 

 石壁の反則的指揮能力はあくまでも防衛戦時に発揮される類のものだ。だが、防衛戦に徹していては、敵地を攻略など出来るものではない。

 

 万全の穴熊囲いをひいた敵陣に正面から飛び込むなど、自殺行為だった。

 

「よう石壁、こんな夜更けにどうした?」

「……イノシシ」

 

 背後からやってきた親友に、振り返らずに応える石壁。

 

「はぁ……今回ばかりは……もう駄目かもしれないっておもってさ……こんなの、チェックメイトのかかった盤面を押し付けられる様なもんだよ……」

「……」

 

 石壁は、親友に腹の中を明かす。それは他の仲間には、立場上言えない様な弱音だった。石壁にとって鳳翔が石壁堅持という個々人の弱さを吐露する相手であるなら、伊能という男は唯一愚痴を垂れ流しても許される親友であった。

 

 伊能が石壁という男を最も信頼する司令官と公言して憚らない様に、口ではブツブツと文句を言いながらも、石壁もまたそれに応えるほどの信頼を伊能に寄せているのだ。

 

「くっくっく……チェックメイトのかかった盤面、か、なるほどまったくもって、だな」

 

 伊能は、心底楽しそうに笑いながらいった。

 

「戦力差は圧倒的、敵陣の防御策は完璧、しかも周辺諸泊地からの援護は期待出来ずに孤立無援だ。まったくもって勝てる要素がない……どうしろってんだよ、僕に」

 

 石壁のその言葉に、伊能は答えた。

 

「……そうだな」

 

 伊能は懐からタバコを取り出し、咥える。

 

「急がば回れ、というように、直進する事が常に正しいとは限らない」

 

 タバコに火がつく。

 

「定まった盤面から前へ進むことで逆転する事が不可能なら、いっそ盤面そのものをひっくり返してから、自分の土俵に敵を引きずり出してやってはどうだ」

 

「……盤面を、ひっくり返す?」

 

 石壁が伊能の方を向く。伊能は屋上の柵に背中を預けてこちらを向いており、闇夜にタバコの火のみが浮かんでいる。

 

「おう、今までなんだかんだいっても、俺たちはずっと盤面をひっくり返して敵を自分達の土俵に引きずり込んできただろう?あの七露提督の時も、要塞戦の時も、だ」

 

 艦隊戦をやるつもりだった七露は、天から落下するあきつ丸(ギロチン)で処刑してやった。南方棲戦姫の艦隊は艦娘による戦いから、要塞戦へと引きずり込んですり潰した。

 

 常に石壁達は、相手を自分の土俵へと引きずり込んで倒してきた。

 

「常識を捨てろよ石壁堅持、いつもそうやって俺達は戦ってきたんだ。艦娘という、ある意味オカルトの極みの様な存在に頼る俺達なのに、戦い方だけは常識を捨てないなんて可笑しな話だろう」

 

 先程より、伊能の顔がはっきり闇夜に浮かんできた。闇夜に目がなれたのだろうか?

 

『この力の本質は……』

 

 否、伊能の背後から、朝焼けが見え始めた。黎明の時を迎えたのである。

 

「あ……」

 

 

 その時、石壁の脳裏に何かが煌めいた。

 

『飛行場姫はこの力で闇の結界を作り出している。つまり、この力の本質は闇の力よね。私もどちらかというと夜のほうが調子が良いし、深海棲艦という種族そのものが本質的に闇の力を持っているって事よね。昼と夜なら、夜が深海棲艦の世界』

 

 みるみる内に明るくなる世界、暁の水平線から登りだした日輪が、闇の世界を切り開いていく。

 

『なら、昼間は艦娘の世界よね。深海棲艦が世界を闇に包む力を持つなら、艦娘の力ってなんなのかしらね?』

 

 石壁の脳裏を、とある考えが稲妻の様に走り抜けた。常人が聞けば正気を疑うような、狂人の戦略が練り上げられていく。

 

「なぁ……イノシシ……いや……」

 

 一拍おいて、言葉を続ける。

 

「伊能獅子雄--」

 

 石壁は、己の常識という世界が軋みを上げるのを自覚しながら、言い放った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーーお前は世界を切れるか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第三十話 燻る魂に火を付けろ

 

 石壁達は昨日と同じ会議室に集まっていた。昨晩の憔悴しきった石壁の姿を見て心配していた一同であったが、あの姿が幻かと思う程、今彼等の目の前にいる男の瞳には覇気が溢れていた。

 

 石壁の姿を見て一同は驚愕すると共に、その心が強く熱く燃え盛っている事に気が付く。そんな姿に、彼を昔から知るモノ達はとある確信を抱いた。

 

「……皆、次の戦いについての作戦を決めた。僕の話を聞いて欲しい」

 

 一度火がついたこの男を止めるのは、誰にも出来ないだろうという事を。そして、もう一つ。

 

「鉄底海峡を潰すぞ」

 

 飛行場姫は自分が追い詰めた英雄(バケモノ)がどれだけ凶悪な怪物であるか、その身を持って知るだろうという事だ。

 

 

 ***

 

 

「以上が、作戦の概略だ」

 

 石壁がそう言い切った瞬間、会議室に新城の怒号が轟いた。

 

「馬鹿な!!正気か石壁!!」

 

 新城は激怒を隠そうともせず石壁を睨みつけながら続ける。

 

「何もかもが無茶苦茶だ!!気でも狂ったのか!!そんな不確かな願望にそったモノが、作戦であってたまるか!!」

 

 石壁は新城の怒号に対して、真っ直ぐに向かい合う。

 

「無論、これが気狂いの戦略だっていう事は僕自身重々承知しているさ。新城が反対する気持ちだってよくわかる」

「なら……!」

「だけど、僕はこの作戦を撤回するつもりは一切ない」

 

 新城は、石壁のその言葉の強さに息を呑んだ。

 

 こちらを真っ直ぐ見つめる石壁の瞳には確かに光があった。それは絶望の中で妄想に縋りつく狂人の目ではない。逆境の中において一寸も諦めずに勝利を狙い続ける男の目だった。

 

 石壁は諦めていない。勝つつもりなのだ。この気狂いの戦略はその為に絶対に外せないのだと、石壁の目が語っていた。

 

「心配しなくても保険は掛けてある。もしも僕の作戦が完全に的を外した時は、全身全霊をかけて皆が撤退できるだけの時間を稼いでみせるさ……僕の命を掛けて」

 

「だから自分を一番の鉄火場に置くというのか!?最高司令官が、一番キツイところを支えるというのか!?」

 

 新城は机を叩いた。

 

「死ぬぞ!!今度こそ、死んでしまう!!私達はお前を助ける為に此処までやって来たんだ!!なのに、たとえ勝ててもお前に死なれては、何の為にやって来たのか分からないではないか!!」

 

 自分達を助ける為にこんな地の果てまでやって来てくれた男の言葉は何処までも真っ直ぐで、石壁の心の底まで響くものだった。

 

(本当に、新城は良い奴だよ……)

 

 石壁は込み上げる熱いものを堪えながら、それでも言葉を続けた。

 

「この作戦に、遊ばせる事が出来る戦力は一つも無い。それは、この僕自身でさえ変わらない」

 

 石壁はかつて部下を勝利の為に死地に送ったように。自身ですら勝利の為の駒として活用する気であった。ほんの数ケ月前までなら、とても下せなかったであろう判断である。

 

「この作戦配置は僕がショートランド泊地の総司令長官として戦力を評価し、勝利の為に適切に配置した結果なんだ。これ以外は何処かで必ず戦力を遊ばせる事になる。そんな事は出来ない……する訳にはいかないんだ!!」

 

 石壁の気迫に、その場の全員が息を呑んだ。

 

「僕はこの泊地の総司令長官として、例えそれがどれだけ不可能に見えたとしても、勝たなきゃならないんだ。勝って生き残るか、負けて死ぬか……それしか僕らに道はない!!」

 

 石壁は変わった。否、変わらざるを得なかった

 

「僕は勝つ可能性が一番高い賭けに、自分の命をのせる。それが認められないと言うのなら、今すぐ本土に帰れ。本土への『更迭』の書類位なら中将である僕の一存でだす事もできる」

「……ッ!!」

 

 石壁の片方しかない目を見た新城は、思わず息を呑んだ。揺るぎなく真っ直ぐこちらを見つめる彼の瞳は、ギラつく生への渇望が轟々と燃え盛っていた。それは眼前の難事へ真っ正面から喰らい付かんとする漢の目だ。死を前に自棄になったのではなく、九死の中の一生を掴まんと死の海へ漕ぎ出す水夫が如き目であった。

 

(石壁……この期に及んでお前はどうして……)

 

 新城は、石壁という男をよく知っていた。彼の知る石壁という男は、どこまでも朴訥とした、善人で、争いが嫌いな優しい男であった。痛みを恐怖し、辛いことから逃げたがる、普通の人間だった。石壁は此処へ来てから本当に変わってしまった様に見える。

 

(どうして……そんな優しさを見せられるんだ……)

 

 だが、それはあくまで表層的なものでしかない。再会した石壁は本質的には一切変わっていなかった。どこまでも優しい、普通の人間であったのだ。

 

(『帰れ』だって……?己の命がどうなるのかさえ分からないのに……それでもまだ、私達の方が大事なのか……死の瀬戸際に来ても尚、私達に『逃げる選択肢』を委ねようというのか!)

 

 圧倒的な戦力差を前にして、普通なら今は少しでも多くの戦力が欲しい筈だ。新城が有する16艦隊はショートランド泊地の艦娘戦力の約半分に相当する大戦力であり、それがそっくり抜けるなど本来なら考えたくもない話なのだ。にも拘わらず、石壁は己の命を救う為に駆けつけてくれた友の命を優先した。今ここで逃げてくれても構わない。それを自分は恨まない。そう面と向かって宣言したのだ。

 

 新城は拳を血が滲む程握り締めた。

 

(お前は何時もそうだ……友の為なら、何時だって己を顧みない……昔から全く変わっていないではないか!それだけ傷ついて、苦しんで、命をかけて戦って来ても尚……結局『そこ』は変わっていないのか!!)

 

 石壁は絶対に仲間を裏切らない。どれだけ戦いの中で傷ついて、苦しんで、変わっていったとしても……友を、仲間を、愛する人たちを見捨てない。否、見捨てられないのだ。

 

 戦争という異常の中で、摩耗し、達観し、歪に成長しても尚、『そこ』だけは絶対に変わらないのである。例えその過程で死ぬことになったとしても、絶対に石壁はそれだけは曲げないのだ。

 

 泥の中にこそ蓮の花は咲く。石壁の在り方は誰もが心を凍てつかせる戦場という泥の中にあって尚、凛と咲く蓮の花の様な在り方だ。故に絶望の淵にあればこそ、その在り方が希望となるのである。

 

(そんな友人を見捨てて……逃げられる訳がないだろう……)

 

 石壁の英雄性は人を地獄へ引っ張りこむ強制力ではない。人を『自ら』地獄へ飛び込ませる誘因力なのだ。石壁が仲間を見捨てられない様に、彼の人間性に惚れ込んだモノは、石壁を見捨てられないのだ。

 

 石壁は仲間の為なら己の命を惜しまない。だからこそ、仲間たちは皆彼の為に命を賭ける。石壁が死ぬ時が、仲間の死ぬ時になる……そう、つまりは『一蓮托生』なのだ。石壁という蓮が枯れない様に誰も彼もが必死になって戦おうとする。どこまでも命を地獄へと誘ってしまうのだ。それが、彼の英雄性であった。

 

「……わかった……わかったよ」

 

 新城は、深く、深くため息を吐いた。

 

「石壁、お前の作戦に私も命を賭ける。だから、頼むから死んでくれるなよ。友人の葬式の喪主なんて一回やれば十分だ。二度とお前の葬式なんぞ開きたくはない」

 

 身寄りのない石壁が戦死したという報告が届いた後、新城は石壁達の為に葬式を開いた。石壁や伊能の知人や友人が大勢列席し、彼らの死を嘆いていた。友を二人も弔った新城の心中の悲嘆は、言葉では表現できないほど深かった。

 

「……ありがとう」

 

 新城は帽子を目深に被って目元を隠している。すると重くなった空気を払うように、ジャンゴが新城の背中を叩いた。結構良い音がする位強く。

 

「ぐっ!?」

「HEYジョジョ!オメーは一々気にしすぎなんだよ!要はオイラ達が勝てば良いって事だろ?簡単な話ジャン?」

 

 ニッと、いつもの様に白い歯を見せるあの笑みを浮かべて、ジャンゴは軽く言ってのける。

 

「ホレ、アレだよ。『マンジューは作るより買うが安し』だっけ?アレコレ考えるより突っ走るのが一番なんだよ!」

「……もしかしてそれは『案ずるより産むが易し』の事か?意味はあっているが無茶苦茶だし、多分饅頭は買うより作った方が安いぞ」

 

 若干痛そうにしながら新城がそう言うと、ジャンゴが手を叩く。

 

「そうそれだ!新城は考えすぎなんだよ!」

「手前は考えなさすぎでい。冗談は顔だけにしやがれってんだ宿六が」

「ああん!?なんだとこのファッキン金剛!!」

 

 金剛がいつもの頼りがいのある笑みを浮かべながらそう言うと、ジャンゴもそれに乗っかる。さっきまでの堅い雰囲気が一瞬で霧散していく。

 

「おっと!イシカベ、オイラ達もモチロンのっかるぜ!こんな楽しそうな作戦仲間外れはナシにしてくれよな!」

 

 ジャンゴが親指を立てながらそう言うと、石壁も苦笑しながら頷いた。

 

「話は纏まったらしいな。ああ、無論だが俺は石壁に自分の命を預けているからな」

 

 伊能は不敵な笑みを浮かべて石壁へと声をかける。

 

「ああ、知っているさ」

 

 石壁は軽く頷いて伊能へと返す。それだけで十分なのだ。相手がどんな思いであるかなど、今更言う必要は無かったからだ。

 

 そして石壁は、最後まで黙って会議の行く末を見守っていた南雲へと向き直る。

 

「南雲提督、これが僕達の答えです。この一世一代の大博打に命を賭けて挑みます」

 

 南雲はその石壁の言葉に、考える様に目を閉じたまま口を開いた。

 

「……石壁提督、キミは自分がどれだけ馬鹿な作戦を行おうとしているのか理解しているのだな?」

 

 南雲の平坦な声に、石壁は頷く。

 

「ええ。この作戦がどれだけ馬鹿げているのか、どれだけ不確定な要素に満ちているのか……命を賭けるには余りにも苦しい賭けであるだろうという事は痛い程に知っています。ですが……」

 

 それは本来ならば石壁が最も嫌う作戦、希望的観測と仲間の能力に頼った、作戦の肝心要の部分を不確定な要素に任せた作戦である。己の力の及ばない領分に仲間の運命を賭けるなど、ほんの数日前の石壁ならば絶対に許せない事であった。だが……

 

「彼等になら……僕の大切な仲間にならば、命を掛けられます」

 

 一人で出来ない事は、仲間に頼れば良いのだ。その単純な事を思い出せた彼ならば、この大博打を打つ事を躊躇う事はなかった。

 

「……そうか」

 

 南雲が石壁のその言葉を聞いて目を開くと。目の前にいる者達は全員、石壁の言葉に笑みを浮かべていた。

 

「君達は一人残らず馬鹿ばかりだな。揃いも揃って、大馬鹿だ」

 

 辛辣な言葉とは裏腹に、南雲の顔にも隠しきれない笑みが浮かんでいた。

 

「だが、それがいい。そうでなくては、面白くない」

 

 南雲は己の心にも火がついた事を感じていた。ブイン基地が陥落して以降、ずっと絶望で冷え切っていた心が熱く燃え滾っているのだ。

 

「石壁提督、私もその大博打に混ぜて欲しい。あのクソッタレな鉄底海峡をぶっ潰すんだろう?是非手伝わせてくれ」

 

 南雲はそう言って笑った。長い長い戦いの中で失われていった熱情が轟々と燃え盛っている。石壁の心の炎が、熱が、周りの男たちの心へと伝播しているのだ。

 

「南洋諸島の泊地の説得は任せてくれ、盟友よ」

「……ありがとうございます」

 

 南雲の不敵な笑みを見て、石壁は頭を下げて礼を言ってから、仲間たちへと向き直る。

 

「この作戦は、既に定まった敗北を無理やりひっくり返す無茶苦茶な作戦だ。実現に際する難点は数あり、一つでもボタンをかけ違えばそれが即座に取り返しがつかなくなるというひどい戦いになる」

 

 それは普通ならどうしようもない負け戦。

 

「だけど僕は諦めない。最後の最後まで勝利を目指して走り続ける。皆が居るなら、僕は絶対に諦めない」

 

 だが、どれだけ絶望的な戦いでも。どれだけ踏みつけられても。どれだけ苦しもうとも。彼等が諦める事はない。石壁が居る限り、仲間が居る限り、信じた友が居る限り。

 

「作戦名は『向日葵作戦』。希望の光へと一直線に伸びていくよう、最後まで前を向き続ける事が必要だ。皆、がんばろう!!」

 

「「「「「おおおお!!!」」」」」

 

 

 

 

 

 火のついた心が折れることは、もう無いのだ。

 

 

 

 

 

 



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第三十一話 人事を尽くして天命を待て

 

 方針を固めた石壁達の動きは凄まじく早かった。残り少ない時間を最大限有効活用する為に、形振り構わないほぼ全戦力の投入により3交代制24時間フル稼働で平野部における防御陣地の大増設を開始したのである。

 

 泊地の全能力をフル稼働させる為に、当然ながら石壁達泊地首脳部は一人残らず必死に働き続けており、石壁は執務室に缶詰になって大量の案件を捌き続けていた。

 

「いいか!限界まで急がせつつも安全性だけは確保させろ!」

「はい!」

「間宮さん物資の輸送状況はどうなっている!」

「予定通りです、出し惜しみ一切なしであらゆる物資を作業と開発に投入しています!同時に大本営からの支援物資到着を計算に入れて過剰になる事が予想される物資は殆ど全て放出し、まるゆさん達に配送させています!」

「わかった!輸送作戦の状況はどうだあきつ丸!」

「はっ!ブイン基地の物資備蓄の90%、ショートランド泊地の物資備蓄の70%が輸送完了!作戦の状況は良好であります!」

 

 石壁達は本土から送られてくる超大量の支援物資で物資がダブつくのが目に見えている為、泊地で現地生産された物資の大半をラバウル基地へと送り出して物資貯蔵をカラにさせているのだ。これらの物資は一旦ラバウル基地に集められ、そのまま他の泊地へと送られていくのである。

 

「同時にラバウル基地で作られた装備も順調に集まってきたであります!目録はこちらに!」

「ありがとう!3連装魚雷430枚、爆雷130枚、12cm連装砲320枚か、上々だな。このまま量産してもらってくれ!」

「わかったであります!」

 

 輸送は一方通行では効率が悪いため、腐るほど有る物資の一部を使ってラバウル基地の工廠に装備を外注し、完成した装備を持ち帰っているのである。これらの装備は最低限の物資で短時間で量産できる為、ラバウル基地の工廠のキャパシティをあまり圧迫せずに大量生産が可能となる。そして、量産されたそれはカードであるが故に簡単にこちらまで移送出来るのだ。普通の装備ではない艦娘用の装備だからこそできる荒業であった。

 

 今まではこれらの装備はショートランド泊地で作っていたが、現在工廠では決戦に備えた新兵器の増産にかかりきりである。その為少しでも工廠の負担を減らす為に数だけは必要なこれらの装備を外部委託生産しているのだ。艦娘の装備のOEM生産なぞ前代未聞の事態であったが、石壁からすればそんなことは知ったことではなかった。

 

「明石、新兵器の開発状況と各地の武装状況はどうなっている」

「はい、工廠内部の生産ラインの7割を圧迫していた3連装魚雷・12cm砲の生産が消滅したことで、新兵器の増産は極めて順調です」

 

 石壁達の泊地ではこれらの兵器を極めて大量に消費する為、その増産にかかる手間はかなりのものであった。そこを外部に委託できた事はとても大きかった。

 

「戦艦砲や重巡砲、艦載機等の発展兵装の開発はそのままですので、当初の予定通り各地の防衛用に配備を進めています。同時に新造の縦深防御陣地にもラバウル基地から運ばれた12cm砲を完成した傍から設置しています!」

「よし!天龍!!工期の進捗はどうなってる」

「そっちも上々だぜ!!予定の2割増しで進捗は良好、きちんと休息もとらせているし駆逐隊は意気軒昂だぜ!」

 

 石壁が目覚める前に既に泊地の修復を終えていた彼女達はそのまま石壁の指示にしたがって次なる現場へと向かった。彼女達は滾る闘志を燃料に大地を相手に戦い続けているのだ。ちなみに天龍はこの一件で工兵隊の指揮能力の高さを見込まれて工兵隊部門の総指揮艦となっている。

 

「掘り上げた大量の土砂はそのまま沿岸部の埋め立てや増築に転用しているから沿岸要塞や港湾部分もどんどん増築されているぜ。じきに到着するらしい大量の物資もなんとか沿岸でうけいれられると思う」

「わかった!ありがとう天龍、とにかく安全第一で頼む」

「応!任せとけよ提督!」

 

「青葉!情報部から報告はあるか!」

「はい!南洋諸島全域の深海棲艦の動きから鉄底海峡の動きを探っていますが、緩やかに戦力を再配備しているようです!やつらの動きから見てまだ再攻勢は先です!他の工事の進捗状況と照らし合わせればギリギリ準備は間に合いそうです!」

 

 前回の状況判断の失敗から更に大きな視点で情報を集め始めた青葉達の努力もあって、微かな兆候から鉄底海峡の動きを読める様になり始めたのはひとえに彼女達の努力と能力の高さの証明であった。

 

「同時に、本土でも色々と工作活動を開始しています。次の戦いさえ乗り越えれば、それらの工作活動も順次成果が出てくると思います!」

「わかった、ありがとう青葉。引き続き情報関係は全部君に任せるから、どうか頼む」

「……はい!青葉にお任せ!」

 

 鉄底海峡の動きを読めず、徳素の蠢動を防げなかった青葉は、二度の致命的大失態を経てなお石壁からの信頼が微塵も揺らいでいない事を感じ取って目頭を熱くさせる。それから彼女は敬礼をして部屋をでていった。

 

(ギリギリ……ギリギリ間に合うか……)

 

 石壁は次々と舞い込む案件を捌きながら、己の思い描く絵図が少しずつ埋まっていくのを感じていた。

 

(僕達に出来る手は全て打っている……後は僕達の手が届かない所だけ……人事を尽くして天命を待つっていうのは、こういう時の事をいうのかな)

 

 己の手の届かない所に、仲間の頑張りに命を預けた石壁。後は彼等を信じて己の成すべき事を成すだけである。

 

「次の書類です!」

「わかった!見せてくれ!」

 

 次なる戦いの準備は、着々と進んでいた。

 

 ***

 

 石壁達がショートランド泊地で奮闘している一方その頃、情報部が本土でも少しずつ事態が動き始めていた。

 

 ここは大日本帝国の帝都東京、在日オーストラリア大使館。

 

 デスクに腰掛けた大使は歳の程はそろそろ40歳になる丸眼鏡をかけた男性である。心労故か実年齢よりも10は老けた顔をしている。色の抜けた髪に、顔に刻まれた深いシワは、彼がどれだけ苦労をしているのかを如実に語っていた。

 

『……ふう』

 

 彼は丸眼鏡を外して目元を揉みながら深いため息を履いている。

 

『はぁ……やれやれ、一体何時になれば故郷に帰れるのかねえ……』

 

 彼の名はジョージ・マッケンジー、オーストラリアの駐日大使として赴任し、帰国直前にオーストラリアが陥落した為、帰りたくても帰れなくなった運の悪い男であった。

 

 しかも、彼は陥落に伴って大日本帝国に逃げ込んだ難民を纏める為に陣頭指揮を取っていたのだが、他に適任者がいない事もあり気がつくとオーストラリア亡命政府のトップになってしまったのだ。亡国の民となったオーストラリアの国民達の生活を護るため、連日連夜東奔西走し、支援をとりつけ、なんとか今日まで難民達の命を繋いできたのである。

 

『おっさん、任期5年の駐日大使の予定だったんだぜ?それがなんだかんだともう10年近くもこの国に居る……歳を経る毎に仕事が増えていく……なんで大使館の小役人が亡命政府の党首なんぞやっているのかねぇ……』

 

 ジョージとしてはさっさと地位を返上して祖国に帰りたいのだが、帰るべき祖国は未だ深海棲艦の支配下にあり、住民の安否は不明。その上、大日本帝国の南進は頓挫してオーストラリア開放はいつになるのかさっぱり分からない。ここで亡命政府の党首を辞任などしてしまえば、オーストラリア難民の守護者が居なくなってしまうのである。

 

『どいつもこいつも早く祖国を取り返せだの。祖国に返してくれるように働きかけろだの。役立たずの無能だの好き放題いいやがって……いっそ全部投げ出してやろうかねえ?』

『やめてくださいよ、ジョージさんがいなくなったら誰が貴方の代わりが出来るっていうんですか』

 

 ジョージの愚痴を聞いていた秘書官であるトーマスが声をあげる。

 

『おっさんなんかより優秀な人間なんかいくらでも居るじゃねえか。そいつらにやらせりゃあ良いんだよ。いっそトーマス君、君がやってくれない?』

『無理言わないで下さいよ、貴方以外に誰があの難民の山を纏めながら大日本帝国の議会と政治的に渡り合って支援を引き出し続けられるっていうんですか?少なくとも私には無理です』

『かぁーっ……なっさけねえなあ……こんなおっさんしか人材が居ないなんて、俺達の祖国はだめだめじゃねえか』

 

 ガリガリと頭をかくジョージ。この男、勤務態度は不真面目なのだが、兎に角友人が多いのだ。大使として赴任してからの数年間、経費で散々遊び呆けていた問題児であったのだが……その間に友人になった大日本帝国の政財界の人間は数知れず。帰国できなくなった彼はその友人たちの伝を使って亡命政府の基盤を整えたのである。

 

『オーストラリアが征服されて給料は振り込まれなくなるし。経費は落ちなくなるし。在日オーストラリア企業の支援と大日本帝国のお情けに縋ってほそぼそ生きてくなんてしみったれた生活、おっさんもう嫌だぜおい……』

『私だって嫌ですよ……かといって大日本帝国以外に我々の祖国を開放してくれそうな国家なんてありませんし……耐えるしかないでしょう……』

 

 二人は深くため息を吐く。激務・薄給・重責の三重苦は彼らの心身に多大な負担をかけていた。

 

 そんなとき、扉が叩かれる。

 

『はいよー、どうぞ』

『失礼します』

 

 部下の職員が入室してくる。

 

『大使、貴方にお客様です』

『客ぅ?トーマス君、そんな予定合ったか?』

『いえ、私は聞いてませんが』

 

 二人が顔を合わせて首をひねっていると、部下が続ける。

 

『どうやら帝国陸軍の妖精さんのようです』

『妖精さんって、あの人形みたいな連中か?なんだってこんなところにやって来たんだ?』

『私には分かりかねますが、オーストラリアの事で大切な話があるとの事です』

『……ふぅん?』

 

 ジョージは少し考え込んでから、部下に指示を出す。

 

『まあいいや、取り敢えず応接室に案内してくれよ。おっさん先行ってまってるからよ』

『了解しました』

 

 ***

 

 それから数分後、応接室でジョージは陸軍妖精と机を挟んで向かい合っていた。

 

『わざわざこんなとこまで来てくれてありがとよ、なんにも出せねえけどまあ茶でも飲んでくれよ』

「忝ない」

 

 ジョージがにこやかに紅茶を進めると、陸軍妖精は礼を言って紅茶に口をつける。

 

『で?オーストラリアの事で話があるって聞いてるが……何の話なんだ?言っておくがおっさん達の懐はすっからかんだから金のかかる事はできないぜ?』

 

 ジョージがそういうと、陸軍妖精はカップをゆっくりと机において話し始める。

 

「いえ、そういう話ではありません」

『じゃあなんだっての?』

 

 ジョージの問に、陸軍妖精は答える。

 

「オーストラリア……取り返したくありませんか?」

 

 陸軍妖精の言葉に、ジョージはスッと笑みを引っ込める。

 

「ニュース、見てますよね?石壁提督が方面軍最高司令官として鉄底海峡の攻略命令が出ているという」

『ああ、あのニュースね』

 

 ジョージの脳裏に、傷だらけの提督の顔が浮かぶ。

 

「石壁提督はこれから鉄底海峡の攻略に取り掛かるでしょう。その攻略が成功した場合、オーストラリアの開放は現実味を帯びてきます。その時にオーストラリアへの帰国を支援したいと思うのですよ」

『へえ?そいつは有難い話だ』

 

 ジョージはへらへらと笑いながら、言葉を続ける。

 

『それが本当なら有り難くて有り難くて涙がでるけどよぉ。それでそちらさんに一体何の得があるってんだ?無視して話を進めても全く問題がねえくらいに弱小な、ここに話を持ってきてなんの意味がある?』

 

 ジョージは突如飛び込んできたあまりに美味しい話に疑念を抱く。オーストラリア亡命政府は大日本帝国の庇護下でかろうじて存続を許されている弱小組織である。それこそ、大日本帝国がオーストラリアを直接統治すると言い出しても反論すら許されない程にその力の差は大きい。

 

『言い方を変えようか?何をやらせたいんだ?知っての通り俺達には金もなけりゃあ権力もほぼねえ。出来ることなんざ殆どねえんだぞ』

 

 ジョージの言葉に、陸軍妖精は笑みを浮かべる。

 

「金も権力もなくても、貴方には事を成す力が在るはずです。貴方はただ、然るべき時に然るべき行動をとってくだされば良い。それだけで、オーストラリアは……貴方達の故郷が帰ってきますよ」

『……おいおい、こんな情けねえ中年のおっさんに何させようってんだ』

 

 陸軍妖精の言葉に、ジョージは顔を顰める。

 

「鉄底海峡が攻略されれば、世界が大きく動きます。その時に貴方の本懐を成す為に動いてくだされば、それが我々の助けになるのですよ」

『……』

 

 ジョージは黙って彼の言葉を聞いていた。

 

「では、私はこれで失礼します」

『……なぁ、最後に一つ聞かせてくれよ』

 

 ジョージは立ち上がろうとする陸軍妖精に声をかける。

 

『アンタみたいな有能そうな人間が、どうしてそこまでイシカベって奴を信じられるんだ?』

「……そうですね」

 

 陸軍妖精はジョージの言葉に笑って答える。

 

「石壁提督と一緒に居ると楽しいから、ですかね?私にも何故かはよくわかりません。ただ一つ言える事は、彼の為に最期まで戦って、仮に死んでも後悔はしないだろうな、と思えるんですよ」

 

 陸軍妖精は笑いながら立ち上がる。

 

「どうせ最期には皆死にます。なら悔いのない死を迎えたいものでしょう?石壁提督と一緒ならそれが叶うと、私は確信しているのですよ。では、失礼」

 

 そういうと、陸軍妖精は部屋を出ていく。

 

「貴方もどうか、悔いのない選択をされる事を祈っております」

 

 その言葉とともに、部屋の扉は閉まった。

 

『……悔いのない死、ね』

 

 ジョージは煙草に火を付けて咥えてしばし燻らせると、紫煙を吐き出してから携帯電話を取り出した。

 

『ああ、もしもし。今ちょっといい?』

 

 彼がどういう選択をするのか、それはまだ誰にも分からない。

 

 

 



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第三十二話 バタフライ・エフェクト

 海上を進むその船体の巨大さはまるで島が一つ動いているかの如く感じられたと、周囲を進む艦娘達はその威容に只々驚くばかりであった。

 

 世界史上最大の艦艇、シーワイズ・ジャイアント級輸送船、大八洲(おおやしま)が海上を南方へ向けて進んでいく。

 

 安全を考慮してとの名分でできるだけ多くの鎮守府の前を通る様に航路を設定された今回の航海は、事実上はより多くの人々に大本営の姿勢を見せつける事を目的としている。表向きは石壁を支援する為に、裏向きには不信感という毒で石壁を殺す為にこの船は進んでいるのだ。

 

 その狙い通り、海路沿いの泊地の提督達はその桁違いの船体に圧倒されると同時に、それだけ大量の物資があるならなぜ自分達にも回してくれないのかと不満を強く募らせていた。

 

「聞いたか、あれショートランド泊地への支援物資なんだと」

「例の石壁提督の?大本営とは反目しあっているという噂だったが……」

「所詮噂は噂だったか」

「いや、大本営の批判逃れの可能性もあるぞ」

 

 大本営への不満が高まるのと同時に、支援先であるショートランド泊地に対する心象は悪化していった。だが同時に今までのショートランド泊地の行動への評価もあり、疑念と猜疑心が混じり合っても尚完全なる敵対までは悪化しなかった。

 

 しかし悪感情が増えているのも否定できない事実であり、徳素の狙い通り南洋諸島泊地群とショートランド泊地の間での綿密な協力体制を築ける状態ではなくなっていた。

 

「……派手な支援だ」

 

 パラオ泊地の総司令である中州提督は、泊地を素通りして先へと進んでいくその船を見つめながら、今後の事を考えていた。

 

「百聞は一見にしかずというが、これだけ派手な一見を見せつければ尽くされた言葉の100や200なんぞ一瞬で隠れて見えなくなってしまうものだ。今までの行動からみてそれが分からぬ石壁提督ではあるまい。ならばこれは彼以外の描いた絵図なのだろうが……まあ、この金の匂いしかせんやり口は十中八九毒素のクソッタレだろう」

 

 中州は徳素の狙いを正確に察していた。

 

「大本営の毒虫の狙いにのってやるのは腹立たしいが、かといって石壁提督に肩入れするにも彼を信頼しきれない……さて、どうしたものかな……ん?」

 

 中州提督がそう考え込みながら歩いていると、海岸線に物資を運び込んでいる艦娘達が目に入った。

 

(あれは……ショートランド泊地のまるゆか……?)

 

 それは秘密輸送作戦に駆り出されているまるゆ達であった。

 

「……そうだな。分からないなら、調べてみるとするか」

 

 中州はそう言うと、泊地の自室へと足を向けた。

 

 ***

 

「ふう、パラオ泊地への移送物資はこれで全部かな」

 

 まるゆ隊のリーダーであるまるゆ隊長が目録とにらめっこしながら倉庫に置かれた物資を眺めていると、背後から一人の男が近寄ってきた。

 

「まるゆさん達、お疲れ様です。これは差し入れですよ」

 

 その男は、港湾労働者に扮した中州提督であった。普段のパリッとした真っ白い軍服から打って変わって作業で傷んだ作業服に身を包んだ彼はどこからどう見てもただの労働者であった。

 

(上司の人となりを知るには部下に話を聞くのが一番だ。石壁提督がどういう人間なのか見極めてやろう)

 

 中州は時々こうやって労働者に混ざって人々の生活や不満を確認する事があった。パラオ泊地の総司令官である彼はこの泊地周辺の市街における行政のトップでもあるからだ。わざわざ自分の目で確認しているのは彼が自分で感じたモノを最も信頼しているからであった。

 

「うわぁ!冷たい麦茶と冷えた果物ですか!ありがとうございますおじさん!みんなー!休憩だよ!こっちに来て!」

 

 まるゆ隊長のその言葉に、周辺に居たまるゆ達が歓声とともに集まってくる。

 

 口々にお礼を言いながらお茶と果物を貰っていくまるゆ達に、中州は我知らず笑みを浮かべてしまう。

 

(……良い子達だなあ)

 

 若干後ろ暗い目的で近づいてきた中州からすると、ここまで真っ直ぐ喜ばれると嬉しい反面少し恥ずかしくなってしまうのであった。

 

 ***

 

「石壁提督についてどう思うか、ですか?」

 

 それから暫しの間世間話をしてから、中州は頃合いをみて本題を切り出した。

 

「ええ。新聞の報道でしか石壁提督がどんな人なのかを知らないので、まるゆさん達に彼がどんな人なのかを聞いてみたいと思いまして」

 

 差し入れと世間話でまるゆ達の口を軽くさせた後であった事もあり、彼女達は口々に石壁について思っていることを話し始めた。

 

「やさしい提督だよね」

「うんうん。よく頑張って泊地運営しているし」

「部下の皆を大切にしてるもんね」

 

(ふむ……第一声で褒め言葉が出るということは普段から良い提督であるのは間違いなさそうだが……)

 

 中州はより深く石壁の人物像を知るために質問を重ねる。

 

「では欠点や不満点なんかはあるのでしょうか?」

「欠点ですか?そうですね……うーん、いい提督なんですけど……一つ難点があるとすれば……」

「すれば?」

 

 一瞬だけ鋭くなった中州の目に気付く事無くまるゆが言葉を続ける。

 

「頑張りすぎですね」

「は?」

 

 まるゆの言葉に中州の目が丸くなる。そんな中州を置いてけぼりにして、彼女達は口々にその言葉に同意する。

 

「確かに石壁提督はいつも頑張りすぎだもんね」

「まるゆ達が頑張って少しでも楽にさせてあげなきゃ」

「ほっとけないんですよねえ」

「目を離したら皆の為に頑張り過ぎてすぐ死んじゃいそうで、なんていうか見捨てられない人だと思います」

「そうそう、人にはしっかり休めって言っているのに一番休めてないのは石壁提督だよね」

「部下の命は何より大切にするのに、すぐ自分の命を軽んじるのは駄目だと思います」

 

 まるゆ達は口々に石壁について語り合っていく。言葉だけを見れば批判のようにもとれる言葉も多々あったが、「しょうがない人だ」と語る彼女達の顔はどこまでも優しく、中州には石壁への仲間としての強い親愛の情が感じられた。

 

(なるほど、石壁提督は部下が自ずから支えたくなるような人物なのか)

 

 当人の居ない時の言葉は多くの場合本音である。故にこそ陰口を叩かれる事が多くとも、その人を褒める言葉というのは中々出てこないものだ。暴言も褒め言葉も、当人が居ない時のモノこそが良くも悪くも信頼できるのである。

 

「……仮にですが」

 

 中州は、この問を投げかけようか暫し逡巡した後に、敢えて問うた。

 

「石壁提督が君達に轟沈を避けられないような作戦を命じたら、どうしますか?」

 

 港湾労働者という立場でするには不相応な問であった。だが、それでもこれを聞かねば判断がつかなかったのだ。

 

 しかし、中州の逡巡を気にする事無く、まるゆ達は特に考えるまでもなく答えた。

 

「石壁提督がまるゆ達にそれを命じるなら、まるゆ達はその命令に殉じるだけです」

 

 中州はその答えに思わず目を見開いた。そんな彼に気づかずに、まるゆ達は言葉を重ねていく。

 

「石壁提督は必要のない死は絶対に命じないもんね」

「むしろ少しでも犠牲を減らす為にこっちが不安になる程無茶しすぎるもの」

「そうそう、そんな石壁提督が助けを求めているなら助けてあげないと!」

 

 当たり前の様に、彼女達は逡巡すらせずに己の死を受け入れた。どこまでもまっすぐに、己の命をかけて命令を遂行してみせると言い切ったのである。

 

(彼女達に……本来なら非戦闘員であるまるゆ達にさえ、決死の覚悟を自ずからさせる程の男か……石壁提督は……)

 

 中州は石壁という男の英雄性を垣間見た。

 

(軍属なら命を賭けて戦うと表向きにはいくらでも取り繕うのが当たり前だ。だが、軍人といえど本音で言えば死にたくないものだ)

 

 当たり前だがいくら軍人が命がけで戦えるからといって命を要らないと思える訳ではない。本当に命なぞいらないと言い捨てられるならそれは最早自暴自棄の死にたがりだ。そしてそれは艦娘とて同じことであり、彼女達も出来ることなら死にたくはないのだ。

 

(だが、彼女達は死の恐ろしさを充分理解した上で、己の命を賭ける事を少しも躊躇しておらん。自分の直属の艦娘ならまだしも、彼女達は部下である別の提督の艦娘だぞ?彼は、泊地の末端に至るまであらゆる人間に命をかけさせる事が出来るというのか……)

 

 中州は思わず唾を飲み込んだ。

 

(一人の提督の元に一致団結して戦うことが出来る一枚岩の泊地……なるほど……これがショートランド泊地の強さか、あの位置で戦い抜ける筈だ……)

 

 中州がそう己の考えを纏めていると、輸送隊長のまるゆが時計を見て立ち上がる。

 

「あ、そろそろ時間だ。みんな!次の目的地まで出発するよ!」

「「「はーい!」」」

 

 号令を聞いた一同が各々立ち上がって中州の方へと向き直る。

 

「まるゆ達はもう行かないといけません。差し入れのおやつ、とても美味しかったです。ありがとうございました!」

「ありがとうございました!!」

「あ、ああ。お仕事、頑張って下さい」

 

 元気良く真っ直ぐなお礼を言われて、中州は少し驚きながら会釈をして彼女達を送り出した。名残惜しそうにこちらに手を振ってくれるまるゆも何名か居た。そんなごくごく自然で素直な彼女達の姿に中州は損得や政治的な理由で頭を悩ませ、こうやってこっそり彼女達に近づいた己が急に恥ずかしく感じてくるのであった。

 

「……彼女達はあれだけ酷い状況に追い込まれて尚、人の善意を当たり前に信じられる仲間の元に居るのだな」

 

 いつぞや陸奥に言われた言葉を思い出し、中州は苦笑した。

 

「……あんな良い子達を、ほってはおけぬよな」

 

 中州はそう言って只の男から、軍人の顔に戻ると、己の泊地の執務室へと戻っていった。

 

 ***

 

 それから数日後、輸送船はラバウル基地を経由してブイン基地へ、そしてショートランド泊地へと辿り着いた。ブイン基地へ半分、ショートランド泊地へと半分ずつ物資を降ろした後に、また同じルートを通って本土へと帰投したのであった。

 

 輸送船は物資を置いて変えればよかったが、石壁たちの地獄はそこからであった。

 

「第28から60番倉庫物資充足!!これ以上運びこめません!」

「輸送ルートを第5番編成へ変更!過剰に運び込んで物資を詰まらせないでください!」

「この物資どっちへ運べばいいんだ!?」

「その物資は現場使用の為に第8縦深防御ラインへと運んでください!」

「完成したトーチカ群の物資貯蔵庫へと運び込む物資はどこですか!?」

「コンテナをバラして分類してください!準備の為に100名人員を待機させています!彼等をつれていってください!」

 

 間宮指揮下の兵站本部は修羅場の真っ只中であった。半分ずつとはいえ正気とは思えない莫大な物資を沿岸部に積み上げた状態で放置する訳にはいかない。武器は装備しなければ意味が無いように、集められた物資は必要な場所に運ばなければ意味がないのだ。

 

 この日の為に空っぽにしておいた備蓄倉庫へと必死になって運び込み、現場へと資材として運び込み、新設した防御陣地の物資として運び込み……と四方八方の陣地へと同時多発的に複数の用途で物資を運び込まねばならないのだ。間宮の卓越した管理能力と熟達した兵站本部の総力を結集してなんとか回しているが、キャパシティを大幅どころでない程超えた物資の山に兵站本部は過労死寸前であった。

 

 それと同時に普段通りのプラントから湧いてくる物資の管理に食事の用意にまるゆ隊の輸送の管理等々……粗末には出来ない業務だって多々あるのである。他の人達に仕事を回そうにも、現在ショートランド泊地は一人残らず修羅場の真っ只中であり、人員の増員によるマンパワーの増大こそあったが、結局首脳部のブラック労働がなければ現場が回らないのでデスマーチは無限延長されていくのであった。

 

「皆さん!疲れたら甘味をとってください!疲労回復用の艦娘用特殊嗜好品ですが妖精さんも食べられますから!」

「「「はいっ!」」」

 

 艦娘達は食べると疲労がポンッと消える不思議な甘味を支給される事がある。これは貴重品であり本来あまり頻繁に用意出来るものではないが、幸か不幸か今回の輸送品にはそれなり以上に混ざっていたため、兵站本部の妖精さん達は間宮の権限でその甘味を使用して働き続けていた。

 

 血走った目で甘味を貪りながら働く妖精さん達の鬼気迫る様相は『まるで地獄の亡者の様であった』、と兵站本部を覗いたとある妖精さんは仲間に語ったという。

 

 さて、先程もいったが修羅場なのは兵站本部だけではない。石壁達が反撃の為に行動を開始して以降、泊地では大勢の妖精隊と艦娘達が昼夜を問わぬ突貫工事で要塞の延伸・拡張工事を行っているのだ。工兵隊の指揮所も相当な修羅場になっていた。

 

「急げ!!大急ぎで縦深防御陣地を作成するんだ!!」

「こっちの進捗遅れているぞ!」

「第334番区画で鉱泉を掘り当てて坑道浸水!この辺は使い物になりません!」

「ド畜生が!排水と封鎖急げ!!怪我人は絶対出すなよ!!」

 

 この数ヶ月で培った圧倒的な土建屋としての施工管理スキルと、艦娘達の力を合わせて行われているその工事の速度は凄まじく、常識を疑うような速さで縦深防御陣地の増設が続いていた。

 

「ふう、少しだけ休憩だ」

 

 現在休憩用の喫煙室には、工兵隊長と砲兵隊長、そして彼等の部下が紫煙を燻らせていた。部下の妖精は連日のデスマーチで溜まってきた疲労を誤魔化す様に深くため息混じりの煙を吐き出している。彼の死んだ目も合わさってまるでオーバヒートした機械が煙を噴いているようにしか見えない。鼻の穴からゆるく立ち上る煙が哀愁を漂わせていた。

 

「……あ、そういえば」

 

 数秒機能を停止した後ニコチンが脳みそに回って再起動した彼は、工兵隊長に声をかける。

 

「工兵隊長、一応聞きますが本当にこんな構造で大丈夫なんですか?継続的な物資輸送路や敵侵入時の防衛線再構築計画などが欠如しています。これ、今までの要塞と違って長期戦での使用想定が殆どされていませんが……」

 

 部下の妖精がそう問うと、工兵隊長は頷く。

 

「ああ。俺も石壁司令に確認したが、むしろそれがこの陣地の肝だと言われたよ」

 

 そういいながら、隊長妖精は脳内に図面を描きながら言葉を続ける。

 

「今までの要塞は全て徹底して長期間戦い抜くことを前提とした汎用性の高さを売りにしたモノだった。それだけ強靭な要塞でなければ普通なら戦いにすらならないからな」

 

 本来なら戦力にすらならない陸軍妖精隊を戦略に組み込むためにはそれだけ徹底せねば勝負の舞台にすら立てないのだ。

 

「だが、今回の要塞からは『攻撃力』はそのままに長期間の対応力を限界まで欠如させることで納期を短縮し、とにかく数を作ることを優先させている。普通ならこんな要塞では表面戦力だけが充実した張子の虎であり、安物買いの銭失いと言わざるをえんが……幸いにして、物資だけは腐るほどあるからな……」

「ああ、先日の『アレ』ですか」

 

 先日本土からショートランド泊地に送られてきた一泊地が使うとすると気が狂いそうになるほど大量の物資。それによってただでさえ余りがちであったショートランド泊地の資源事情は『資源が多すぎて逆に管理が破綻する』という他の泊地が聞いたら羨ましさで憤死しそうな状態に突入している。

 

 資源管理を担当する間宮達兵站部はショートランド海岸線とブイン基地(跡地)に山積みになっている大量の物資を必死になって管理しようとしているが……そもそも倉庫に収まりきらないのだから一定以上はもうどうしようもなかった。その上間宮達は工事に必要な物資の現場への移送搬入、大量の土砂の撤去、全員の食事管理、秘密輸送作戦用のショートランド泊地本来の物資管理等々……泊地運営の根幹に関わる業務を多々請け負っている為、その業務の多忙さは筆舌に尽くし難い状態であった。

 

「物資は腐るほど有るが時間が致命的に足りないから、節約を一切考えずにじゃんじゃん使えるだけ使って作れるだけ作れとのお達しだ。我々は兎に角この防御陣地の縦深を増やすことだけを考えればいい」

「なるほど、わかりやすくていいですね」

 

 石壁が思い描く作戦に継続戦闘力がそこまで重要ではなかった事、要塞建造しかしてこなかった熟練の工兵隊がいる事、艦娘がいる事、物資が腐るほどある事……これらの要因が絡み合った結果、縦深防御陣地の造成は恐ろしい速さで進んでいた。突貫工事の粗製乱造のように見えて、防衛線として必要な火力だけは一切変わらずに高いという殺意の極まる陣地を作り続けているのである。

 

「……しかし、これだけ多くの防衛線を作っても人員が足りないのでは?」

「ああ、それは俺が聞いたよ」

 

 今度は砲兵隊の隊長妖精が口を開く。

 

「石壁司令はなんと……?」

 

 隊長妖精は少し笑うと、部下へと告げる。

 

「『僕に良い考えが有る』とさ。喜べ、また酷使されるぞ」

 

 石壁の良い考えは基本的に本当に必要な良い考えなのだが、それに付随して発生する苦労の多さも並外れたモノになるのが最大の難点であった。その上彼の無茶振りは『死ぬほど辛いがギリギリ何とかなる程度の無茶』と『完璧に不可能』の境界線を突いてくるので余計質が悪かった。上司の人物観察眼が尖すぎるのも考えものである。

 

「……ああ、空はこんなに青いのに」

「ここから空は見えねえよ」

 

 悲しいかなここは地下壕の中である。現実逃避を初めて鉄板の鈍色の屋根の向こう側の空を幻視しはじめた部下の頭を、隊長妖精は軽く小突いて現実へと引き戻す。

 

「……さて、休憩はそろそろ終わりだ」

 

 灰皿へと煙草を押し付けて工兵隊長がそう宣言すると、その場の全員の目に力が戻る。

 

「俺達は未来(あす)を掴むために今日を頑張るしかないんだ。行くぞ」

「「「応」」」

 

 ***

 

 かくして、波乱を巻き起こし至るところへとその影響を波及させているこの支援物資の一件だが、その余波は徳素が予想している以上に広がっていた。

 

「……以上が、ショートランド泊地の偵察でわかった情報です」

 

 そう、現在イシカベを殲滅せんと戦力を再編している飛行場姫である。青葉達が鉄底海峡へと監視の目を向け続けているように、飛行場姫達もショートランド泊地を監視していたのだ。

 

「……おびただしい物資の山に急拡大していく要塞、ねえ?」

 

 ショートランド泊地にやってきた大量の物資は沿岸部に高く積み上げられており、それは鉄底海峡にも当然ながら知られている。

 

 そして、それ以後目に見えて拡大拡張されていく沿岸部の防衛線。現在のショートランド泊地で使うには過剰であろう設備群。これらの報告を受けた飛行場姫は興味深そうに報告書を眺めている。

 

「なるほど。どうやら私の予想以上に人類側の結束は硬く、イシカベにかかる期待は重いようね。まああれだけの名将なら当然かしらね」

 

 そういいながら、彼女は卓上へと報告書を置く。

 

「これは遠からず大規模な増援が来るわね。勝てないとは言わないけどあのイシカベにこの物資が必要になるほどの大戦力の指揮を取らせるなんて真っ平ごめんだわ。拙速は嫌いだけどあまり悠長な事は言ってられないかもしれないわね」

 

 飛行場姫の視点から見れば、ショートランド泊地は南方棲戦鬼を単独で打ち破るほどの大英雄イシカベが率いる精鋭中の精鋭泊地である。しかも前回の鎮守府正面海域の死闘では3日で戦略規模の増援を受ける程に後背地との連携が厚く、それ以後綿密な艦隊のやり取りが続いており、さらに今回は沿岸部に山になるほどに手厚い支援をうけているのだ。彼女がこの結論に達するのは致し方ないモノであった。彼女は軍事的常識に則って、今回の輸送と沿岸の拡張を後にくる大規模増援艦隊受け入れの為の布石であると判断したのだ。

 

 むしろ前線と本土で全力で足の引っ張り合いをしている結果こんな物資が送られるなど想定するほうが無茶というモノであった。仮にもし事実を知ったとしても彼女は冗談だと思って信じなかったであろう。大本営の連中より深海棲艦の彼女の方がよっぽど常識的なのは皮肉というしかなかった。

 

「総勢2万隻まで戦力を増大させてから押しつぶすつもりだったけど、1万数千まで回復したら攻勢に出るわ。そのうち数千隻はショートランド泊地の後背地から来るであろう増援艦隊への対策に回すわよ」

「はっ!了解しました!」

 

 徳素の嫌がらせが生み出した予期せぬ波及効果が、鉄底海峡の女王の戦略を動かしたのである。これが、彼等にとってどんな意味を生み出すのか、今はまだ誰にも分からない。

 

 

 

 

 

 

 



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第三十三話 積み上げてきたモノ

UA二十万、総合評価四千に到達致しました!ありがとうございます!
第二部もあと少しです。最後まで頑張りますのでどうか楽しんで頂ければ幸いです!


 ここはパラオ泊地の会議室、現在月に一度の南洋諸島の泊地の最高司令官達による会議が行われている。

 

「これより南洋諸島泊地連合定例会議を開始する。司会はラバウル基地司令の私がとらせていただく」

 

 会議室の円卓にぐるりと鎮座する若年から壮年まで様々な男性達と、それに付き従う艦娘達の前で、司会進行役の南雲提督がそう言った。

 

「では、各鎮守府の定例報告を開始する。加賀、頼む」

 

「はい」

 

 南雲の秘書艦である加賀がスクリーンにグラフを表示する。

 

「ここ一ヶ月の間の、各泊地における被害や状況をまとめた資料がこちらです」

 

 グラフからは先月までと比べて、艦娘や輸送隊、輜重部隊の被害が明らかに減少しているのが見て取れた。

 

 その事実に、会議場にはざわざわとした喧騒が満ちる。

 

「ご覧の通り、各鎮守府における被害は劇的と呼べるほど減少しています」

 

 加賀は手元の資料を確認しながら続ける。

 

「その大きな要因は敵艦隊の大規模な泊地襲撃が減少し、応戦の為に負傷艦や疲労艦が出撃する事が減少した為です」

 

 加賀は続ける。

 

「数ヶ月前までの泊地への襲撃回数は各鎮守府平均して10回程度、敵地に近い泊地では20回近い襲撃がありました。その結果轟沈数こそ戦闘回数の割に少ないものの、シェルショックやPTSDに陥り戦闘不能状態に陥る艦娘が後を立たず、戦力の断続的な摩耗が続いておりました……ですが」

 

 そこで一泊おく。

 

「約二ヶ月程前のある日から襲撃回数は加速度的に減少していき、今月の泊地への大規模な襲撃は殆ど0となりました。小規模な攻撃こそあったものの、それは敵哨戒艦隊が泊地勢力圏へ入り込んだ程度です。以前までの大規模な攻勢に比べれば有ってないようなモノだと言えるでしょう」

 

 ざわめきが大きくなる。

 

「戦闘行為の減少による疲労の回復。資源輸送作戦による備蓄の適正化。損傷艦の回復……これらの要因がプラスの流れを生み出しており、今までで初めて轟沈艦ゼロ、戦闘不能状態の艦娘の減少が確認されました」

 

 おおっ、という感嘆が、会議室に流れる。

 

「私の所でも初めて救護ドックが空いたんだよ。明石が嬉しそうに暇だってぼやいてたよ」

「うちも、輸送要員の駆逐隊に殆ど被害が出なくてね。夕食に誰も欠けなかったのは久しぶりだった」

「うちの艦隊も、壊滅寸前からだいぶ持ち直したんだ。主力艦隊は完全に充足して予備戦力の編成まで可能になったぞ」

 

 隣り合う提督たちが、嬉しそうに語り合う。

 

「あー……静粛に、静粛に頼む。報告を続けてもよろしいか?」

 

 南雲が場を鎮め、場が落ち着いたのを見計らって再度口を開く。

 

「さて、諸君もお喜びのこの現状だが。何故このような状況が生まれているのか……ご存知であるな?」

 

 南雲がそういうと、会議室の皆が先程までの喜色を引っ込めて気まずそうに黙り込む。

 

「……ショートランド泊地……だな」

 

 ぼそり、とある提督が呟いた。それを聞いて南雲は頷いてから口を開いた。

 

「知っての通り私達の鎮守府は敵の最前線ラバウルである。今まで毎日のように敵の襲撃があり、それを食い止める防波堤として戦ってきた。ブイン基地の陥落後はずっと最前線中の最前線である鎮守府……『だった』」

 

 南雲はそういって目を閉じ……しばし黙り込んだ後続けた。

 

「だが今やその立場は、ラバウル基地よりさらに東方、鉄底海峡の目と鼻の先の彼の泊地へと移っている」

 

 一泊地でもって深海棲艦の大群を押さえ込む。それが如何に至難の業であるか……嫌になる程理解している南雲は強い敬意を込めて呟いた。

 

 

「……彼等が、私達の代わりに矢面に立っているのだ」

 

 会議室に、奇妙な雰囲気が立ち込める。

 

「……でもあいつら……本土の提督だろう?」

 

 ボソリと誰かが呟いた。その呟きはこの場に居る全ての提督が共有する思いであり、この奇妙な雰囲気の源泉である。彼等が「本土の提督」に抱く思いは複雑に極まるからだ。

 

 以前にも話したが、南洋諸島の泊地群の分布には明確な意図が感じられるといったのは覚えているだろうか。世界地図上に泊地の位置を書き込んでいくとそれだけで様々な事実が浮かび上がってくるのだ。

 

 南洋諸島における鎮守府は、ほぼ東西に、オーストラリアに『蓋』をするように分布している。これはそれだけ集中して鎮守府を配置せねば南方海域から湧き出てくる敵艦隊を食い止められないという事実に起因した仕方のない事である。

 

 だが、それは言い換えれば……南洋諸島の諸鎮守は本土の鎮守府群の『傘』扱いされているという事に他ならない。

 

 敵線力を食い止める壁であり、本土の被害を軽減するための傘となる彼等は常に敵の大攻勢に晒され続けている。にも関わらず大本営は、彼等の努力に報いるどころか更なる負担をかけ続けているのだ。

 

 ロクに支援もせずに戦力を悪戯に摩耗させ、物資を徴発し、名誉まで奪っているのだ。大本営への憎悪は否が応でも高まっていき、そしてそのお膝元でぬくぬくと暮らす本土の提督に対しても良い感情など持てる筈がないのだ。

 

 その上、本土の鎮守府は安全な環境で潤沢な資源を与えられてしっかり訓練された精鋭艦隊ばかりである。その為大規模作戦において指導的な立場をとるのは必然であり、大規模作戦の功績はほぼ本土の鎮守府群が独占する事になるのは当然の帰結であった。

 

 これが、南洋諸島の鎮守府群を更なる窮地に追い込んだ。

 

 文字通り血のにじむような努力を続けて海路維持の為に戦う遥か彼方の南洋諸島の鎮守府群と、その必死の海路維持の結果もたらされた資源によって目を引く華々しい戦果を稼ぐ近場の精鋭鎮守府群……国民の支持がどちらを向くのかは火を見るより明らかであった。

 

 本土に漂い始めた『駄目な南洋諸島鎮守府群と、有能な本土鎮守府群』という雰囲気は派手な戦果をセンセーショナルに報じる本土のマスメディアの存在により一層際立ち、『南洋諸島の資源をもっと本土の鎮守府に集めろ!』という世論が醸成されていったのだ。

 

 終いには『勝てる侵攻何故なさぬ』という無謀な拡張論が氾濫し始め、南洋諸島への世論は日増しに厳しくなり、支配領域拡張世論が広まっていった。

 

 無論、一部識者達はこの風潮に警鐘をならし、真に重視すべきは海上護衛に携わる南洋諸島の諸鎮守府であると声を上げていた。だが大手マスメディア等はソレを黙殺、その結果戦争がおかしな方向に転がりだしたのである。

 

 まず世論に後押しされた後先考えぬ大規模作戦の度、本土の鎮守府群により無理やり支配領域を押し広げていった。ここで本来なら広げた勢力圏を維持するためにそのまま本土の鎮守府群の艦隊はその場に居座り新たに鎮守府を作るか、せめてその勢力圏が安定するまで近場の鎮守府へ待機するのが軍事的常識である。

 

 だが、本土の鎮守府群は敵を撃退するとすぐさま後の維持を南洋諸島の鎮守府に押し付けて帰還したのだ。敵艦隊撃滅という甘美で十分な戦果を稼ぐのが本土の鎮守府の仕事で、大変な割に旨味のない後始末は現地鎮守府群の仕事だというのがこの頃には本土の鎮守府群に無意識に染み付いていたのだ。

 

 現地の鎮守府群にとって、空いた口が塞がらないとはまさにこの事であった。当然維持が出来ずにすぐに敵に奪い返され、その後また大規模な作戦で一時的に取り戻すという、不毛極まりないループに陥っていた。

 

 これが、人類側が優位に立ちながらもオーストラリアを開放できない大きな要因であった。

 

 そして、その結果更に南洋諸島の鎮守府群は軽視され、物資の徴発は最早収奪と呼ぶのが相応しい水準になりつつあった。

 

 潤沢かつ高水準な敵戦力、徴発され何もしなくても艦隊維持に難が出るレベルで目減りする資源、疲労の回復も間に合わない艦隊所属艦娘の酷使の強要……南洋諸島の鎮守府の提督達の我慢は既に限界であった。

 

 愛する部下たちを酷使され、遠征で必死にかき集めた物資を収奪され、大きな手柄は奪われ、理不尽に罵倒され、終いの果てには自分たちの管理できない土地の後始末までさせられて、怒らない者がいたなら、ソイツは底抜けの聖人か大馬鹿者だろう。少なくともその様な者は部下ならまだしも上司にしたくない。

 

 大日本帝国の戦争計画は、どうしようもないほど愚かしい内ゲバによって既に破綻していたのだ。

 

 南洋諸島の提督達にとってショートランド泊地は、本土の提督によって何度も開放され、そしてすぐに奪い返されてきた因縁の積み重なった地域なのである。そんな泊地に赴任して戦い続けている石壁の姿にバイアスがかかるのは致し方無い事であった。

 

 彼等は別に石壁が憎い訳でも、嫌いな訳でもない。積み重なった前任者たちの行動が正常な認識を妨害しているだけなのだ。

 

「それに……この前のあの大規模な輸送艦の事もある。大本営がなんの見返りもなくあんな事をするとは思えん。結局、石壁提督も今までの提督と同じなんじゃないのか……?」

 

 更に別の提督が胸中の疑問を口に出す。徳素の狙い通りに、大規模な支援が石壁への不信感を植え付けることに成功していたのだ。

 

(やはり……そう簡単に不信感は拭えぬか……)

 

 南雲は内心で舌打ちをしたくなるのを堪えて、口を開く。

 

「石壁提督が南方棲戦鬼の討伐まで碌な支援を受けられなかったのも、殆ど戦力に余裕がなかったのも揺るぎない事実だ。これはラバウル基地がずっとあの近辺で哨戒を続けていた事から断言させていただく」

 

 そういって、南雲はこれまでショートランド泊地との間で行われた交流によって知り得た情報を資料として全員に渡していく。

 

「提督がたった二人……?援軍を含めても四人だと……?」

「艦娘の総合計数が200名程しか居ない……冗談だろう……」

「なんだこの泊地は……艦娘の鎮守府として必要な機能が殆ど喪失しているではないか……」

 

 石壁が相当苦労して戦ってきたというのは報道により知ってはいたものの、具体的な数値をもってこうやって示されるとその異常な泊地の実態に顔が引きつるのを避けられない。

 

 更に先日の鎮守府正面海域における死闘の戦闘詳報を確認するに至っては、石壁がどれだけ桁外れの能力を持っているのか、どれだけ努力しているのかを知り彼等の心の中で猜疑と同情がぶつかり合って渦巻くことになる。

 

「……これが、ショートランド泊地の実態だ。彼等は今死の縁にあって尚、諦める事無く足掻き続けているのだ」

 

 南雲の言葉に、会議室が沈黙に包まれる。長い付き合いの彼等である。南雲が嘘をついているようにも、石壁提督に騙されているようにも見えない。

 

「……それで、南雲提督は……いや、石壁提督はこの情報を我々に伝える事で何をさせたいのですか?」

 

 とある提督がそう声を出す。南雲は石壁への感情が同情と猜疑の間でせめぎ合っている事を感じ、この状況で本題である石壁への協力の話を出した所でどう転ぶかが判断出来なかった。

 

「……常識的に考えてショートランド泊地単独で鉄底海峡に勝つ事は不可能。故に石壁提督は一か八かの大博打に打って出る事にしたらしい」

 

 だが、出せる情報は全て出したのだ。これ以上粘った所で好転しないと判断して遂に石壁の作戦について説明を開始した。

 

 ***

 

「……これが、石壁提督の作戦だ」

 

 南雲が説明を終えると、その場の提督達は信じられないモノを見る目で作戦の概要が書かれた紙を見つめている。

 

「なんという作戦だ……彼は狂人か……?」

「正気の沙汰ではないぞ……」

「もし失敗すれば完全なる無駄死にではないか……」

 

 提督達は石壁の狂気の戦略に驚愕している。

 

「……石壁提督はこの作戦に己の命すらかけている。彼の狙いが完全に外れたならその時は我々に出来ることはない。だが、もしも彼の想定通りに事が進んだならば、最後のひと押しだけでも手を貸して欲しいそうだ」

 

 南雲がそういいながら南洋諸島の泊地への協力要請について説明していく。

 

「どの道、ショートランド泊地が滅びれば次は我々と飛行場姫の戦いになるのだ。その為にラバウル基地へと戦力を結集する必要がある。石壁提督の作戦が成功すればその戦力でもって彼等を援護する。完全に失敗すれば見捨ててラバウル基地で戦いの準備を整える事が出来る……どちらに転んでも良いようによく考えられた作戦だと私は思う」

 

 全面協力を受け入れてもらえるとは石壁は一切考えていない。故に受け入れてもらえるかもしれないギリギリのラインで石壁は協力を要請したのだ。己の命をチップにすることで自分が本気なのだと示し、失敗すれば見捨てても良いという逃げ道を用意する事でなんとか協力を受諾してもらおうという苦肉の策であった。

 

 一通りの説明をうけたあと、彼等はどうすべきかという議論を繰り返した。だが、未だに猜疑心は根強く、かと言って見捨てるのもどうかという相反する思いがぶつかり合って議論は堂々巡りの様相を呈し始めていた。

 

 徳素が打ち込んだ楔さえなければ、南雲は議論に参加しながらそう思わずには居られなかった。

 

「石壁提督を本当に信じられるのか!?実は我々を騙して戦力を供出させる事だけが目的ではないのか!?また良いように利用されて部下を死なせるなんぞ真っ平ごめんだぞ!!」

「では見捨てろというのか!!もし本当に紙一重の所で押し負けてみろ、その時はあの飛行場姫を討ち取る千載一遇のチャンスを逃した上に我々はこれ程強い味方を失い、あまつさえ強大な敵と独力でぶつからねばならんのだぞ!?」

 

 結局、話はここへと帰結する。石壁を信じられるのか、信じられないのか。渦巻く猜疑心に足を引っ張られて協力するとも言えず、かといって見捨てるには話が大きすぎるのだ。堂々巡りの議論の中で時間だけが浪費されていく。

 

 そんな中、ずっと黙ったままであったとある提督が口を開いた。

 

「……結局何が正しいのか俺にはわからん」

 

 口を開いたのは隣に陸奥を控えさせているパラオ泊地の中州提督であった。

 

「石壁提督が本当に今までの提督達と違うのか、それとも結局今までと同じなのか。この情報が正しいのか欺瞞工作なのかさえ本当の所は何もわからん。仮に大本営側の人間なら、そんな大本営の犬に手を貸す等反吐が出る」

 

 中州の言葉は南洋諸島の提督たちの思いを代弁するものであった。彼の言葉を否定できるモノは誰もいない。

 

「……だから、俺は俺が見たものと俺が信じたいモノを信じる」

 

 中州はそういって懐から報告書を取り出し、卓上へと置いた。

 

「俺はショートランド泊地による大規模秘密輸送作戦が始まってからずっと彼等の行動を見続けていた。そしてその中であの大勢のまるゆ達がどれだけ頑張っているのかをこの目で見た」

 

 卓上に置かれた報告書が提督たちの手の中に収まり、各々がまるゆ達の献身がどれだけ大きなものであったのか。どれだけ多くの物資を運び続けていたのかを確認していく。

 

「例え表でトップがどれだけ綺麗事を語れたとしても、その心身の誠の姿を部下に隠し通す事は出来ないものだ。己に嘘をつくことは出来ても積み重ねた信頼に嘘はつけない。窮地にあって化けの皮が剥がれたときに部下がどう動くのかを見れば、どの様な上官であったのかは自然と見えてくる」

 

 中州はそういいながら、本当に久しぶりに皆へ笑みを見せた。

 

「俺は彼の部下のまるゆ達の献身に、彼がみせ続けてきた姿を垣間見た。だから、彼等の善意と強さと誠実さを信じたい」

 

 中州の言葉に、その場の全ての提督が耳を奪われている。

 

「パラオ泊地はラバウル基地が提案したこの作戦への協力に賛成する。石壁提督が本当にこの信じがたい作戦を遂行し、見事鉄底海峡を叩き壊したならば……我々は彼に協力を惜しまない」

 

 中州のこの発言は、猜疑心に揺れていた他の泊地の提督達の背中を強く押した。

 

「……確かに、迷ったらシンプルに考えた方がいいな。徳素のクソッタレの狙いにのってまるゆ達を見殺しにするのと、懸命に戦う彼女達の努力に報いるなら、後者の方が100倍マシだ。ブルネイ泊地もこの作戦に賛同する」

 

 その言葉に笑い声が漏れる。

 

「確かにその通りだな。大本営に従うよりまるゆ君達の献身に報いる方がいい。トラック泊地もこの作戦に賛成する」

「リンガ泊地も同じく」

「タウイタウイ泊地も異論はない」

 

 提督達全員が、作戦への協力に賛成したことで南洋諸島の方針は石壁への協力で纏まった。どちらに転んでも可笑しくない状況にあって最後に彼等の意思を決定づけたのは、まるゆ達がこれまで積み重ねてきた信頼であった。

 

 人は結局信じたいモノを信じる。だが、人に信じたいと思わせるにはそれ相応の努力が必要なのだ。石壁のこれまでの頑張りがまるゆ達の無私の献身を引き出し、まるゆ達の献身が南洋諸島全体の心を動かしたのだ。富や名声でしか動かせないものもあれば、心を尽くす事でしか動かせないモノも確かに存在するのだ。

 

 こうしてギリギリの所で石壁が描く絵図の最後のピースが収まった。石壁の、ショートランド泊地の、そして大日本帝国の行く末すら左右しかねない一戦が……深海大戦史上最大の大博打が始まる日は近い。

 

 

 

 

 

 

 



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第三十四話 武器を取れ 闘志を燃やせ 戦いの時は来た

遂にこの時がやってきました。
要塞決戦に続いてずっと書きたかった話がここから最後まで続きます。
ここまでお付き合い頂いた皆様に少しでも楽しんで頂ければ幸いです。




 作戦会議室に、泊地首脳部が全員集まっていた。張り詰めた緊張感の中で、青葉が口を開く。

 

「今まで集めた情報から鑑みるに、恐らく四日から七日以内に飛行場姫は動くとみて間違いありません。情報部のプライドにかけて断言します」

 

 青葉の言葉に、石壁は少しだけ目を閉じて思考を巡らせてから再び目を開いた。

 

「流石だ。ありがとう、青葉」

 

「……はい」

 

 青葉は石壁からの礼を聞いて、ようやく先日の汚名を返上してほっと息を吐く。情報戦で遅れをとった事は彼女のプライドをひどく傷つけていたからだ。

 

(二度と情報戦で後手を踏む事はしません……私の命にかけて)

 

 ヒトであると共に兵器であり、軍人でもある彼女達艦娘にとって、己の存在意義を果たす事はとても重要な事なのである。

 

「明石、装備の配備状況は」

「なんとか間に合わせましたよ。工廠部門はその職責を全うしました。あとは結果をご覧あれ」

 

 石壁の言葉に、明石は確かな手応えを感じさせる笑みで応える。

 

「ああ、楽しみにしているよ。間宮、物資の配備状況は?」

「万事ぬかりありません。必要な場所に必要なだけしっかり準備しました。間宮の名にかけて、誰一人として物資の欠乏に苦しむ事がないのを保証します」

 

 間宮は積み重ねてきた経験に裏打ちされた自信をもって応えた。彼女がここまで言ったのだ、本当に物資面で問題は生まれないだろうと石壁は確信する。

 

「心強いよ、頼む。次、天龍、平野部の縦深防御陣地の建築状況はどう?」

「とりあえず必要な分はなんとか確保出来たぜ。これ以上に完成度を高めようとすれば出来ねえ事はねえが……時間的な費用対効果からみりゃ微妙だな。ベストとはいえねえが、ベターなもんにはなってるぜ」

 

 10の完成度のモノを10作るのではなく、必要十分な質だけ確保してとにかくどんどん広げるのを重視してきたのだ。その結果7の完成度のモノを100作る事に成功していた。

 

 石壁が削った3は今回の戦いでは必要性が薄いと判断した部分であった。全ての分野に均等に力を割り振るのではなく、いくつもの要素に物事を細分化し必要な所に資源を投入する。これは選択と集中と呼ばれる戦略や経営の基本的な部分である。つまりは『完璧な不足』ではなく、『不完全な充足』を選んだのだ。

 

「ああ、充分だ。よくあれだけ短期間でここまで仕上げてくれた。本当にありがとう」

「へへ、まあ俺達にかかれば余裕だぜ余裕」

 

 石壁の掛け値なしのお礼の言葉に、天龍は少し恥ずかしそうに顔をかいている。

 

「防御陣地は完成し、配備する兵器物資も問題なし。あきつ丸、砲兵隊の訓練はどうなっているんだ?」

「はっ!以前の命令通りに、毎日必死に訓練を行っております!当初は混乱も多くみられましたが、毎日毎日少しずつ『カイゼン』を繰り返し、マニュアルをブラッシュアップし、血を吐くような猛烈な訓練の繰り返しによって命令通りの水準まで技量を増加させました!これならば、石壁提督の作戦通りの軍事行動をとれるでありましょう」

 

 石壁は今回の遅滞戦術を成功させる為の『とある訓練』を砲兵隊に行わせていた。その結果いつも通りの鬼のようなデスマーチ訓練が短期間で何度も何度も実施され、砲兵隊の人々はいつも通り泣いたり笑ったり出来なくなる位しごき上げられていたのである。石壁の『いい考え』を実現するための致し方ない犠牲であった。だが、その甲斐あって彼等は運命に立ち向かう力を得たのである。

 

「そうか、流石は砲兵隊の皆だ。彼等がいれば、きっとなんとかなる」

 

 この泊地で最も多くの敵を殺し、最も長く戦い続けてきたのが、この砲兵隊であった。その練度は最早達人の域に達しており、放つ砲弾の命中精度は驚異的の一言であった。彼等がいればこそ、この泊地はいままで戦ってこられたのである。石壁にとってすれば伝説の楯に等しい最硬の仲間であり、石壁の言葉には彼等への信頼が強く滲んでいた。その事をあきつ丸は嬉しく思いながら頷く。

 

「陸軍妖精隊は皆意気軒昂、戦闘準備は万端であります。命令さえあれば石壁提督にどこまでも付き従う覚悟でありましょう」

「……彼等の忠義を疑った事なんて一度もないさ。初めて会ったときから今日まで、一度もね」

 

 石壁はそう呟いてから。全員にむけ視線を巡らせて言葉を発した。

 

「泊地の戦闘準備は整い、敵の攻勢は間近、懸念であった後背地との協力関係もなんとか形になった……つまり、機は熟した」

 

 石壁の言葉に、その場の全員に緊張が走る。

 

「これより数日の内に鉄底海峡攻略作戦を開始する。各々、事前の策定通りに所定の行動を開始せよ。チャンスは一度きり、世界でもっとも馬鹿げた大博打が始まるんだ」

 

 石壁の言葉に、会議室の皆が覚悟を決める。ある者は不敵な笑みをうかべ、あるものは緊張から意識を研ぎ澄まし、またあるものはあくまで表面上は平静を取り繕いつつも、心を熱く燃え上がらせた。

 

「鉄底海峡を叩き潰すぞ!」

「「「「おおおおお!!」」」」

 

 それから司令部の面々は各々が持ち場へと移り、行動を開始した。賽は投げられた。もう後戻りはできない。

 

 機は熟したのだ。ルビコン川を越える時がきたのである。

 

 ***

 

 

 その数日後、石壁は泊地の練兵場へと仲間達をすべて集めた。

 

「…………」

 

 石壁は壇上から広場に集まった者達を見回す。以前壇上に立った時はあったはずの顔が無い。そして、なかった筈の顔がある。逝った仲間、増えた仲間、彼らの事を思いながら石壁は言葉を紡ぐ。

 

 

「どうも、石壁です」

 

 

 見た目こそ厳しくなったが、相変わらずのあり方に思わず場が弛緩した。

 

 

「この鎮守府にきてからもう四ヶ月、たったの四ヶ月の間に、随分沢山の事があった。沢山仲間が増えて、沢山の仲間が逝ってしまった。流れ落ちる水が手のひらから零れるよう、受け止めきれずに失われた命の数を思うと……それだけで胸が締め付けられる程に、苦しく、悲しい」

 

 それは石壁の偽らざる本音である。

 

 

「けど、彼らの命はただ失われた訳じゃない。僕は彼らに命を繋いでもらった。多くの(ともがら)が、僕の命令に従って命をかけて戦ってくれた……僕は彼らが命を賭けて拓いた道の上を歩いている。彼らが遺したモノを道標に、暗闇の荒野を歩き続けているんだ。彼らが僕に遺したそれは、今も僕の心の中で熱く、強く燃えている。どんな絶望の中にあっても轟々と燃えるそれが、僕の力になっている」

 

 魂が炉心なら、人の想いはその燃料。託された多くの想いが、石壁という男の魂の炉心に火をつける。

 

「僕は諦めない、諦めてたまるもんか。僕の泊地を、僕の仲間達の命を、諦めてたまるもんか」

 

 煮え滾る様な思いが、石壁の中から溢れ出してくる。それが言葉にのって、その場に広がっていく。

 

「たとえ敵がどれだけ強大でも、どれだけ状況が絶望的でも、僕は絶対に諦めない。勝利の可能性が、皆が生き残れる道筋が少しでもあるのなら、僕は最後の最後まで、運命に抗ってみせる」

 

 最初に石壁が見せたあの朴訥とした雰囲気が消え失せ、抜き見の刃の様な鋭さが顔を覗かせる。そのギャップは凄まじく、石壁の放つ気迫の鋭さが否応なしに感じられる。

 

「これから僕らが挑むのは、戦略レベルで僕達を圧倒する大敵だ。その戦略は完璧で、その戦力は極大で、その勝利は微塵も揺るがないであろう敵との戦いだ。だが、それがどうしたっていうんだ」

 

 石壁の目は燃えていた。一寸も勝つ事を諦めていない。揺らぐこと無く勝利を見つめる漢の目だった。見つめられれば心の奥底が燃え上がる、勝負に挑む武士(もののふ)の目だった。

 

「蟻の穴から堤は崩れる。どれだけ硬い壁でも叩き続ければ必ず壊れる。鉄底海峡(アイアンボトムサウンド)の分厚い闇の向こうにいる親玉に砲弾を叩きつけるその瞬間まで、僕は絶対に諦めない!だから……だから……」

 

 石壁は血を吐くような思いで、言葉をつなげた。

 

「だから!皆の命を僕にくれ!勝つために!運命をひっくり返す為に!僕と一緒に戦ってくれ!これから始まる地獄のような戦いの、その最も過酷な戦場を、僕と共に支えてほしい!僕も十中八九死ぬと思う……けど、死ぬその瞬間まで勝利を諦めず、最前線で指揮を取り続けるから、どうか、どうか……」

 

 石壁が、頭を下げた。

 

「皆の命を、僕にくれ」

 

 

 

 しばし、場を沈黙が包んだ。

 

 

 

「……お」

 

 だが次の瞬間、練兵場は大音声で溢れかえった。 

 

「「「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」」」」」

 

 その場に居た全ての者達が、抑えきれない闘志を発露するように、雄叫びを上げている。

 

「ショートランド泊地砲兵隊一同!提督へと命をささげましょう!」

「任せてくれ石壁提督!」

「地獄の底までついていきますよ司令長官!」

「いけすかない深海棲艦の親玉に目にもの見せてやりましょう!」

 

 泊地を護り続けた砲兵隊が

 

「工廠部一同、もてる技術の全てをかけて提督へ勝利を捧げます!」

「技術屋の意地みせてやらぁ!」

「新兵器楽しみにしててくれよ!!」

 

 泊地を護る武装を作り続けた工廠部が

 

「工兵隊一同、戦場を最後まで支え続けてやるぜ!!」

「万全の準備と、絶え間ない補修作業ならお任せください!」

「縁の下は俺達にまかせな!」

 

 泊地をゼロから作り上げた工兵隊が

 

「兵站部一同、万全の物資を約束します!」

「弾切れは絶対にさせねえ!」

「俺達の命にかけて物資を運びつづけてやるぜ!!」

 

 泊地を縁の下から支え続けた輜重隊が

 

「情報部一同、一欠片の情報も逃しません!」

「情報戦の神髄をみせてやるぜ!」

「二度とあんな無様はみせません!!」

 

 泊地の目となり耳となり続けた情報部が

 

「命を賭けた夜戦とは腕がなるね!」

「こんな花舞台にたてるなんて那珂ちゃん嬉しい!」

「提督の為に、花の二水戦の誇りにかけて戦い抜きます!!」

 

「ショートランド泊地駆逐隊は石壁提督に命を捧げます!」

「私達の命をかけて提督に勝利を!」

「水雷魂をみせてやるんだ!」

 

「今度こそ、今度こそ勝利を掴んでみせるわ!やるわよ飛鷹!」

「気張りすぎて失敗するんじゃないわよ、瑞鶴」

 

「熊野、今度は絶対に約束を護るよ。絶対に石壁提督を護りきってみせる!」

 

 石壁の艦娘達が

 

「貴様の信頼に必ず答えてみせる。やるぞ、あきつ丸」

「承知であります。腕がなるでありますな!」

 

「遂にこの時が来たのだな。扶桑、山城、覚悟はいいな」

「ええ、提督、頑張りましょう」

「もちろんよ提督。それにしても、石壁立派になったわね……!」

 

「カッコいいぜブラザー!俺達も負けてらんねえな!」

「あたぼうよ!ここまで言われて引いたら女が廃るってもんでい!」

「気合!入れて!!いきます!!!」

「榛名、なんだか燃えてきました」

「私の計算通り、凄い提督になりましたね」

 

 石壁の親友達が

 

「提督、私の命は既に貴方のモノですよ」

 

 石壁の愛した女性(ひと)が。そしてーー

 

「この武蔵の全身全霊をかけて、貴様の為に戦おう」

 

 ーーこの戦いで最も過酷な戦場に挑むことになる相棒が、石壁の言葉に応える。

 

 ありとあらゆる者達全ての思いが一つとなって石壁へと向けられる。

 

 彼らは石壁がどれだけ頑張っているか知っている。この泊地にやってきてから今日まで、どれだけ命がけで頑張ってきたのかを知っている。

 

 最初に泊地が陥落してからずっと勝利のために前を向いて走り続けてきた石壁は、常に皆の希望であった。共に働き、同じ釜の飯を食べ、泣いて、笑って、よく喚く、愛すべき総司令官であった。

 

 石壁は普通の人間だった。悲しければ落ち込み、うれしければ笑う。常に仲間のために心を砕き、部下の命を大切にする。失われた命を嘆き、生き残った命に感謝する。そういう人間だった。

 

 誰よりも優しいのに、誰よりも固く、誰よりも脆い。そんな石壁が、仲間の死を何よりも恐れる石壁が、自分とともに死んでくれといったのだ。勝利のために死地へ一緒に飛び込んでくれと頭を下げたのだ。

 

 その覚悟の硬さは如何程か、その重責の重さは如何程か……その心中の苦しみは……如何程のものであろうか。 

 

 だからこそ、漢達は奮起した。仲間である石壁だけを死なせる事は出来ないと。この愛すべき総司令官が自分たちの命を欲するなら、笑ってくれてやろうと、そう覚悟を決めたのだ。

 

 石壁が死なない限り、彼の仲間の心は決して折れない。圧倒的な絶望を前にして、彼らは恐怖によってバラバラになること無く一丸となったのだ。

 

「……ありがとう……皆」

 

 石壁は泊地の仲間たちを見つめながら、言葉を紡ぐ。

 

「ならば往こう。絶望を踏み潰し、あのいけ好かない鉄底海峡の女王の元まで!!魂を燃やし、命を振り絞り、全ての敵をすり潰し、全身全霊を掛けて戦い抜け!!」

 

 石壁の言葉に、その場の全てのモノ達の魂魄が燃え盛る。鉄をも溶かす魂の熱量で、陽炎のように大気が歪む。

 

「このクソッタレな運命を覆して、暁の水平線に勝利を刻むんだ!!」

 

「「「「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!」」」」」」」

 

 轟音が世界を揺るがせた。絶望的な負け戦であっても最後の最後まで、地獄の底まで付き従う数千人の死兵達が、一騎当千の艦娘達が、世界最強の護国の鬼神達が、石壁の号令の下に集ったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 歴史を変える一戦が、始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第三十五話 異次元の物量戦

 闇が世界を包んだ後、深海の亡者達が海上を進んでいく。全てを暗い海の底へと誘わんとする幽鬼達を迎え撃つのは、人界万里の果てを護る世界最強の防人達である。

 

 戦略的勝敗は既に決している。防人達に勝機はない。その筈であった。

 

 だが、彼等は誰一人として絶望していない。心は折れていない。魂の火は消えていない。

 

 燃え盛る戦意と冷徹な殺意を闘志という形で結実させ、命尽き果てるその瞬間まで折れることのない魂を研ぎ澄ましていく。

 

 近代技術で練磨された退魔の剣、鉄火を吐き出す龍のアギトを敵へと向けて、護国の鬼達はその時を待った。

 

 そしてーー

 

ー19:00ー

 

 

「敵艦隊の大規模攻勢が開始されました!」

「恐ろしい数です!」

「あと数分で海上機雷原に敵艦隊が突入します!」

 

 海図の上に集まった情報をもとにどんどん駒が配置されていく。

 

「来たか……!!総員射撃用意!!」

 

 石壁は海図を見つめながら命令を出す。そして、遂に開戦の狼煙が上がった。

 

「敵艦隊機雷原に突入!」

 

 ***

 

「進め!進むのだ!!」

 

 海上を埋め尽くして進軍する深海棲艦達。限界まで密集した彼女達は回避行動さえロクに取れないだろう。だが、それでも問題はなかった。

 

「前も後ろも味方で一杯ね……」

「逃げようにも後方を督戦隊が抑えているから変な動きは出来ないわ」

「こ、これだけ沢山いれば、大丈夫よね?敵もきっと逃げ出すわよね?」

 

 一万隻もの深海棲艦を完璧に統率する事は土台不可能である。故に飛行場姫のとった戦術は極めてシンプルであった。彼女は自軍の戦術を『一塊にして真っ直ぐ突っ込ませる』『後方を督戦隊で監視し分裂を防ぐ』『短時間にとにかく多数の味方を押し込んで敵を押しつぶす』という三点に絞ったのである。こういう戦術を一般的にこういう。

 

「まるで、深海棲艦の戦列歩兵だわ」

 

 とある深海棲艦がそう呟いた。そう、これは戦列歩兵の統率方法なのである。戦争の進化に従って消えていった古びた戦術である戦列歩兵には、とある利点が存在する。それは『訓練の行き届いていない兵士を戦闘に使える』という利点である。

 

 もともと戦列歩兵は常備軍が主流になる以前の、徴兵された農兵達を『無理やり戦わせる為の戦術』である。なにせ一列になって真っ直ぐ進むだけなのだから、逃げ出す事さえ防げば味方は前に向かうしかなくなるのだ。先日の南方棲戦鬼との戦いで彼女が督戦隊で部隊を無理やり統率したのと理屈は同じである。

 

 飛行場姫は前回の正面海域の戦いの戦訓から、だらだら戦っても無駄に時間を食うだけだと判断して最初から督戦隊による深海棲艦の海上戦列歩兵を組み、一万の戦力を短期で怒涛の様に叩きつけ石壁を押しつぶすつもりなのである。単純故に抗い難いゴリ押しの極みであった。

 

 普通なら抵抗すら儘ならずあっという間に押し潰されたであろう。前回の敗北を経験する前の石壁達でも、抵抗は出来なかった筈であった。

 

 そう、前回敗北する前の石壁達ならば、だが。

 

 その瞬間、海上に閃光が走り、爆炎が立ち上った。

 

「ぎゃぁああ!?」

「右舷大破!ああ、だめ、し、沈む!?」

「畜生!イシカベめ!海を機雷でうめやがったな!?」

 

 触雷による爆散があちこちで発生する。轟音と共に海上を航行する先遣隊は一隻、また一隻と轟沈していく。

 

「こちらも爆雷を前方へ投射しろ!運が良ければそれで掃海できる!全弾投射したら天祐を信じて突撃!機雷を踏みつぶして前へ進め!」

「くそっ!?」

「誰か助けてくれ……!」

 

 後方の督戦隊によって逃げ出すことができない深海棲艦の『戦列歩兵』が死の海原へと進んでいく。時代と共に失われた戦列歩兵は、練度や戦意の低い雑兵を効率的に死なせることが出来る陣形なのだ。命が軽く、どれだけ死んでもいずれ蘇る深海棲艦にとってすればとても効率の良い戦い方であると言えるだろう。

 

「おごぁ!?」

「がぁ!?」

「ダメ、た、助けて!」

 

 隊列を組まされてまっすぐ進む艦隊が次々轟沈し、すぐに後ろの艦がそこを埋めながら隊列を組み直して進む。機雷が全て無くなるまで兵士を送り続けて突破するという力業に過ぎる掃海方法であった。だが、海に仕込まれた機雷はただの機雷ではなかったのが、すぐに発覚する。

 

「た、隊長!海が!海が燃えています!」

「なに!?」

 

 機雷が爆散するたびに海上に炎が広がる。闇の中を進んでいた深海棲艦の姿が、遠めでも分かる様になっていた。

 

 ***

 

「石壁提督!やはり連中止まりません!」

「照明機雷が効力を発揮しています!深海棲艦を視認できました!」

「敵艦隊、続々と炎上する領域に侵入しています!止まる様子はありません!」

 

 その報告に、石壁が笑みをみせる。

 

「やはりその手できたか飛行場姫!お前たち深海棲艦のやり口は南方棲戦鬼との戦いでお見通しだ!」

 

 石壁は深海棲艦という種族が部下の命を共産国家並みに安く見ていると知り、こういう数にまかせたごり押しをしてくるだろうとみていた。どんな罠でも一度発動すれば殺せるのはその罠の数だけだ。100の罠に200の兵士を流せばどれだけ死んでも100は突破できてしまう。だから石壁は考え方を変えた。100の罠で殺せる数に限界があるなら、その100を布石に1000の敵を殺そう、と。

 

「凄いですね提督!海面全てを照明にするなんて!」

「海面の炎上位では進行を『止められない』深海棲艦の突撃力が仇になっています!」

 

 工廠特性の照明機雷、それは普通の機雷としての効果に加え『海上に石油を撒いて着火する』という特性がある。

 

 油は水の上に浮き、火をつければ燃える。古典的な戦術として水路に油を流して火を放ち、浅い水堀を進む敵兵を焼き殺したり、一時的に防いだりした事例がある。石壁はその古すぎる戦術を深海棲艦との戦いの中に蘇らせたのだ。

 

「さあ!自分から光り輝く舞台の上に来てくれたんだ!たっぷりと鋼鉄製の投げ銭をくれてやれ!疑似イージス改型起動!沿岸砲台陣地全力射撃開始!機雷原の敵を叩け!」

 

「「「了解!!」」」

 

 その瞬間、明かりの方を無数の沿岸砲台が狙いをつける。

 

「射撃管制システム起動!」

「『疑似イージス改型』感度良好!!」

「照明により敵機補足!!」

 

 その瞬間、各地で疑似イージスの演算補助を受けた砲台がピタリと目標へ向けて制止する。

 

「全砲門、撃てえええええ!!」

 

 轟音。海岸線に設置された大小様々な砲台が、一斉に火を噴く。その一瞬で海岸線が昼のように明るくなり、鼓膜が破れそうになる程の砲雷が、夜の静寂を切り裂いた。

 

 ***

 

「沿岸部敵砲撃確認!着弾しま……」

 

 その瞬間、炎上する海面を進んでいた深海棲艦達が殺到する砲弾で消し飛んだ。

 

「な、なんだこの精密な砲撃は!夜なのに!」

「この炎だ!くそっ!?この明るさじゃ向こうから丸見えだ!」

「急いでこの海域を抜けないと!」

 

 闇夜での精密な砲撃に泡を食った大勢の深海棲艦が我先にと前へ進んでいく。そして機雷に触れて吹き飛び、砲撃により消し飛び、更に炎上する光源を増やしていく。

 

 進めば進む程拡大する地獄、それでも止まれず進むしかない彼女達の心中はいかばかりか。

 

 この時弾着観測を行っていた兵員は、その光景を見てこう思った。

 

 まるで獄卒につれられた地獄の亡者が、灼熱地獄に焼かれているようだった、と。

 

 ***

 

「こいつはすげえ!夜なのにバンバンあたるじゃねえか!!」

「そらそらくたばりやがれぇ!!」

「次弾装填急げ!!」

 

 沿岸砲台では砲兵隊が射撃を行っている。何故闇夜であるのに砲撃が良くあたるのか?砲兵隊の練度と照明による補助はもちろん大きいが、鍵は新兵器である『疑似イージス改型』にあった。

 

 今までの疑似イージスは中枢のスパコンでの演算を艤装を通して石壁に流し込み、それを全て石壁が処理する形式であった為、かかる負荷があまりにも大き過ぎたのだ。要するに最大効率最大効果を追求するあまりに発生したランニングコストの軽視が原因である。

 

 故に明石は発想を切り替えた。一人で無理なら複数人で行えばいい。そしてなんでも一つにまとめるのではなく、あえて分離独立させればいいのだ、と。その結果生まれたのがこの疑似イージス改型である。

 

 中枢の簡易スパコンでデータ処理を行う形式自体は変わらない。だが、処理したデータを流し込む担当を石壁以外に複数人用意した。そして同時に全てを並行処理するのではなく、例えば『A地点の対空射撃のみ』『B地点の砲撃演算のみ』といった具合に担当区画・担当機能の徹底的分割を行い、一人一人の業務を単純化したのである。更に、効力を幾分落とすが要求スペックを『徹底的』から『必要十分』まで緩和したことで負担を減らしていき、遂に石壁以外の妖精さんにもなんとか『使える』システムへと装置自体を切り替えたのである。

 

 最高・万全・完璧であることが常に最善であるとは限らない。妥協できるところは妥協して本当に必要な部分を必要十分に兼ね備えているならば、それは戦場における最善足りうるのである。

 

 その結果が、この地獄絵図であった。鬼に金棒を与えるがごとく、護国の鬼神達に明石達工廠部門渾身の秘密兵器が合わさった戦果は凶悪の一言であった。

 

 ***

 

 数をそろえた36cm連装砲が、一斉に火を噴く。実物大の艦砲の射撃が、明かりに照らされた海面を叩く、叩く、叩く。

 

 砲台陣地の砲撃は、時間とともにより正確に、より過密になっていく。

 

 反撃とばかりに無数の砲弾が飛んでくるが、その殆どが効果を発揮する事無く見当違いの場所に着弾する。運良く命中したとしても、沿岸砲台の分厚い装甲やトーチカには効果が薄かった。

 

 深海棲艦にとって夜は圧倒的なアドバンテージのある時間帯である。もともと夜間戦闘の適性が艦娘より高いという事もあるが、なによりもまず戦闘時の距離が近いというのが大きい。

 

 夜間戦闘は互いに敵を発見しづらい為、どうしても戦闘の間合いが近くなる。昼間であったなら近づけないだろう距離まで艦と艦が接近するのである。

 

 その結果何が発生するかといえば、艦隊同士が一撃で敵を轟沈させうる『必殺の間合い(ワンインチ距離)』での殴り合いが発生するのだ。戦艦の砲撃が敵を吹き飛ばし、水雷戦隊の魚雷が戦艦に突き刺さるといった事態が頻発した際。命の軽い深海棲艦と命の重い艦娘では、前者が圧倒的に有利なのだ。

 

 また、敵が見えなければ当然ながら砲撃は当たらない。故に、如何に砲戦能力にすぐれた沿岸砲台陣地とはいえ、普通ならどうしても夜は射程が短くなる。先日の第一次鎮守府正面海域防衛戦によって深海棲艦達も沿岸砲撃陣地との砲撃戦は危険であると認識している。その沿岸砲台の効果を減じる事が夜戦なら可能なのである。

 

 故に飛行場姫は、深海棲艦の数の暴力を最大限に活かしつつ、闇夜によって沿岸砲台の砲戦距離を低下させ、一気に海岸線まで押し込もうとしたのである。

 

「くそっ!?駄目だ!!砲撃があたらん!?」

 

 だが、それが裏目にでた。

 

「観測機も発艦できない!弾着観測による修正も効かない!敵の位置がわかるのは砲撃の一瞬だけ!こんなのどうやって砲撃を当てろっていうんだ!?」

 

 本来海上における砲撃戦は、弾着の観測によってじわじわと狙いを修正しながら敵に当てるものだ。昼間であれば砲弾の着弾もよくわかり、修正もできる。更に観測機を上げれば三次元的な観測で更に砲撃制度を上げたり、見えない敵を撃つことだって可能になるのだ。

 

 だが、今は夜でありそんなことは不可能であった。一方の要塞側は海面が燃えて光って居ることから一方的に撃ちつつきちんと砲撃の修正を行えるのである。どちらが有利かなど一目瞭然であった。

 

「畜生!こんなことなら素直に昼間に攻めれば!」

「今更言った所でどうしようもあるまい!泣き言を言う暇があるならとにかく沿岸まで進め!」

 

 彼女たちを待ち受ける地獄は、まだまだこれからであった。

 

 ***

 

 21:00

 

 砲撃戦開始より数時間が経過してなお、未だに沿岸砲台陣地は落ちて居なかった。だが、そろそろ機雷原はその機能を失いはじめており、多くの深海棲艦が泊地沿岸部へと接近を始めていた。

 

 現在は、照明弾や探照灯によって接近してくる深海棲艦を照らし、同時に沿岸のトーチカ陣地からの砲撃で防いでいるが、そろそろ敵艦隊接岸は時間の問題であった。

 

「もうすぐ海岸だ!!総員進め!!進めえ!!」

 

 指揮艦に従って沿岸へと近づく戦列歩兵だったが。隊列の至る所で異変が出始める。

 

「うわっ!?」

「グゲッ!?」

「お、押すな!!やめろ踏むなゲハァ!?」

 

 隊列を組んでいた深海棲艦達が突如としてたたらを踏み、躓き、あるいは動けなくなり進行が停滞したのである。

 

「お前ら何をやって……ッ!?」

 

 異変に気が付いた指揮艦は、海上へと突き出したとある物体に気が付く。

 

「ぎ、艤装!?なんでイ級の艤装である外殻がこんな所に!?」

 

 それは、深海棲艦の艤装であった。海面の至る所から突き出した『深海棲艦イ級の艤装』に躓いて転ぶモノが続出したのである。

 

「艤装だけではありません!!ゆ、有刺鉄線が!!尋常でなく強靭な有刺鉄線が艤装と艤装の間を繋いでいます!!」

「なんだと!?引きちぎれんのか!!」

「無理です!!普通の鉄ではありません!!」

 

 足元や胴にからみついた鉄線を食い破らんともがく彼女達であったが、細さの割に恐ろしく硬いその鉄線に食い止められて身動きが出来なくなってしまう。それでも止まらない進行に押し倒され、踏みつけられて、圧死する深海棲艦が続出する。

 

 そして、それを見逃す石壁達ではない。

 

「今だ殺せ!!撃て!!撃ちまくれ!!」

 

 石壁の号令の下、動きが鈍った戦列に片端から砲弾を叩き込んでいく。ただでさえ密集している陣形が止まってしまった部分では圧死が発生するほどの過密具合になっており、そこへ叩き込まれた砲弾の威力は凶悪であった。

 

「があああ!?」

「くそっ!?どうなってんだ!?」

「なんだこの鋼線は!?」

 

 停滞する進軍、動けない味方、止まらない砲弾、まるで第二次世界大戦のノルマンディー上陸作戦の如く……上陸せんと足掻く深海棲艦達が稲わらをかき回す様に薙ぎ払われていった。

 

「あれが工廠部の作った新型有刺鉄線か!」

「良い的だぜ!!撃ちまくれ!!」

 

 動きの止まった戦列へ向けて砲兵隊は容赦なく砲撃を叩き込み続ける。

 

 ***

 

「通常の有刺鉄線で深海棲艦を食い止める事はできません。普通の鋼線では深海棲艦に杭ごと引き抜かれるか、糸そのものを引きちぎれてしまうからです」

 

 明石は石壁へ向けて不敵な笑みをみせる。いつか見せたのと同じ、マッドサイエンティストらしい狂気が見え隠れする笑みで。

 

「だから、糸も杭も、全部深海棲艦の艤装から作ってやったんですよ。以前ここに放置された数千名の深海棲艦の死体から」

 

 そう、前回の第一次鎮守府正面海域防衛戦において石壁達は敗北こそすれども延べ数千隻もの深海棲艦を撃沈していたのだ。その大量の死体と艤装の内、死体は弔ったが艤装に関しては明石が有効活用したのである。

 

「生体部品を取っ払ったイ級の艤装に鉄骨を溶接して『返し』を作ってから、海岸線にコンクリで埋め立てたんですよ。坑道を掘る過程で出た大量の石灰質の土砂を有効活用して人工的に遠浅の海岸線を作り、そこにイ級の杭を立てて、艤装から削り出した鋼線を張り巡らせました」

 

 イ級溶接マンと化した明石が大量のイ級の残骸で作った特製鉄杭に、これまた工廠部門の技術を結集して作った深海棲艦由来の特性鋼線の有刺鉄線を張り巡らせた海岸線は、沖合数百メートルまでが鉄線陣地となっている。後ろから押されて後退できず、前は鉄線で防がれ、海上故に隠れる場所もないここは、正しくもって地獄であった。

 

 要塞にこもり、有刺鉄線で防ぎ、一方的な猛射を叩き込む。近現代における防衛戦の黄金パターンが遂に実現したのである。

 

「提督、一方的な攻撃ってお好きでしょう?」

 

 明石の言葉に、石壁は不敵な笑みで頷いた。

 

 ***

 

「駄目です!!鋼線が邪魔でうまく進めません!!」

 

 部下の報告に、最前線の戦列を指揮するレ級が舌打ちする。

 

「チッ……無駄に抵抗しやがって!!お前等!!鉄線にぶつかったらそのまま上に倒れ込んで道を作れ!!躊躇う様なら撃ち殺して無理やり乗せてやる!!行け!!進め!!止まるんじゃねえ!!!」

「なっ!?おごえっ……」

 

 レ級はそういって目の前のチ級の首をへし折ると、鉄線の上に放り投げて『道』を作り出す。

 

「大勢に踏みつけられても生き残る可能性にかけるか!こうやってオレに殺されて死体になるか選びな!!オレはどっちでもいいぜ!!」

「ひいぃ!?」

 

 その言葉に悲鳴をあげて、鉄線にからめとられた深海棲艦達が自ら倒れ込んで無理やり通り道になっていく。

 

「オラオラ進め進め!!止まったら殺す!!躊躇っても殺す!!お前等はただ前に進めばいいんだ!!」

「がっ!?」

「ぐっ……!!」

「おごっ……!?」

 

 再び停滞した流れが前方へむけて進みだす。敵に撃ち殺されるか、味方に踏みつぶされるか。地獄の戦場で最悪の二択を強いられ、それでも一縷の望みをかけて彼女達は鉄線へと身を投げるしかなかった。

 

 ***

 

「敵軍の進攻再開!!」

「……予想通りだが、思ったより早かったな」

 

 石壁は気持ちを切り替えて新たに命令を出す。

 

「だが、進軍が遅くなる事に変わりはない!!今の内に殺せるだけ殺してやれ!!同時にそろそろ作戦を第二段階に移行するぞ!!準備を怠るな!!」

「「「了解!!」」」

 

 ***

 

ー22:00ー

 

 数百メートルの鉄線陣地が稼いだのはわずかに1時間だけであった。だが、その1時間で海岸線に流れた深海棲艦の血は夥しい量になっており、陣地は十二分に役目を果たしたと言えるだろう。

 

 そして遂に沿岸へと敵が接岸を始める。

 

「沿岸部10番陣地、120ミリ砲射撃開始!敵艦隊増大につき徐々に接近されています!」

「沿岸部18番陣地、探照灯破壊されました!」

「沿岸部24番陣地、大型砲台破損!砲戦能力低下!」

 

 泊地の指揮所で報告を聞いた石壁は、それらの報告を聞いても焦ること無く命令を下した。

 

「うん、みんなよく頑張ってくれた。これより作戦を第二段階へと移行する!」

 

 その言葉に、指揮所の妖精たちが息を飲む。

 

「総員、沿岸砲台を『放棄』!!鎮守府防衛隊のみを残して撤退せよ!!『ヤドカリ作戦』開始!」

「「「了解!」」」

 

 石壁は慌ただしく行動を開始した指揮所の面々を見ながら、覚悟を決める。

 

(みせてやるよ飛行場姫、本気になった人間が、どれだけ頑強に抵抗出来るのか。どれだけしぶといのかを)

 

 防衛戦の天才である石壁が、本気で『後先考えず』戦えばどれだけ強いのか。時間を区切って敵を摩耗させる事だけを考えれば、どれだけ悪辣に戦えるのか。

 

(『たった一晩』だけ守れば良いなら何が出来るのか。どれだけ殺せるのか。僕達の力の真髄を見せつけてやる)

 

 石壁は己の築き上げた全てを賭けて、この作戦に挑むのだ。

 

 ***

 

「敵トーチカ沈黙しました!」

「なに!?」

「罠でしょうか」

「わからんが、兎に角駆け込め!」

「前進!前進!」

 

 沿岸砲台からの砲撃がピタリと止んだ事で、不気味さを感じながらも砲台陣地に雪崩込む深海棲艦達。トーチカの銃眼を破壊し、内部に入り込む。要塞を乗り越える等、沿岸部に浸透し始める。

 

「変です!誰もいません!」

「敵兵いません!物資もそのままです!」

「陣地は空です!くりかえします陣地は空!」

 

 その報告を聞いた各艦隊の指揮艦は、耳を疑う。

 

「馬鹿な!あれだけ精強無比なイシカベの部隊が逃げ出すなどある訳が……」

「報告!トーチカ内部の坑道は『ある程度進むと』塞がっています!」

 

 数百名の深海棲艦が沿岸部に続々となだれ込んだ段階でそんな報告がとどく。そこに至って指揮艦は気が付いた。

 

「いかん!トーチカ陣地は罠だ!中に入るなーーーー」

 

 その瞬間、轟音と共に沿岸砲台陣地が全て吹き飛んだ。内部になだれ込んだ無数の深海棲艦諸共に、要塞が丸ごと吹き飛んだのである。

 

 ***

 

「総員後退!総員後退!」

「事前の想定に従い陣地転換!」

「速やかに砲台を破棄し後退せよ!」

「「「「了解!」」」」

 

 号令に従い、砲兵隊は一糸乱れぬ動きで陣地を破棄し、後退していく。物資も弾薬も残して、『妖精用輸送路を通って』後退する。

 

「総員後退しました!」

「よし!発破!」

 

 トーチカの部隊が後退完了すると同時に、発破命令がくだされ坑道各所が爆砕される。これでトーチカを落としてもそこから敵が雪崩込む事は出来ない。

 

「なんというか……すごくもったいないですねこれ」

「物資もそのままだぜこれ」

「本当に贅沢な戦い方ですな」

 

 妖精さん達が『先ほどとほぼ同じ設備のトーチカ』にたどり着いてから、これほど簡単に陣地を放棄することへの感想を口にする。まだ使える砲も物資も弾薬も全部放棄して別の陣地へそのまま移るという、貧乏陸軍からすればもったいなくて心配になる戦い方であった。

 

「しかし……ふふふ、まさかこんな戦い方があるとは」

「ええ、『陣地がなくては戦えない』、『陣地は簡単には動かせない』……なら『陣地をまるごと捨てて、事前に作っておいた新しい陣地にどんどん逃げ込めばいい』……言われてみれば当たり前でありますが、帝国陸軍では『あり得ない』戦い方でありますなあ」

 

 防衛隊の隊長と副官が、思わず笑いながら言い合う。明日の兵糧や物資にすら事欠く帝国陸軍が、物資も兵器も投げ捨てて後方撤退など出来る訳がないのだ。潤沢な物資と兵器を『大量に現地生産』できるこの世界だからこそ出来る荒業であった。

 

 まあ可能である事と実際に出来るかは別問題であって、所謂『普通の鎮守府』では物資の大半が普通は艦娘へと回される。故に陸軍妖精が活躍する場を整える事など事実上不可能であり、そんな事するくらいなら艦娘に回せと突っ込まれるのが確実であった。故にこの世界でもやっぱりこのショートランド泊地以外で『こんな贅沢な戦い方』をする事は無いのであるが。

 

 これが石壁の考案した、縦深防御と焦土戦術に、トロッコ移動による機動防御を混ぜ込んだ『ヤドカリ作戦』である。あっちこっちと陣地を乗り換えながら敵を長い防衛戦で疲弊させ、一方的にボコボコにするというやられた方からすれば溜まったものではない戦法であった。これは前衛のA陣地、後衛のB陣地、更に後ろに空のC陣地とD陣地を用意し、A陣地がピンチになればC陣地に撤退してA陣地を放棄する。やってきた敵はB陣地で防ぎ、その間にC陣地の防御を固める。B陣地がピンチになったらC陣地に任せてまた後方のD陣地に引く……これを延々と繰り返す作戦である。

 

 敵から見ると、命がけで要塞に取り付くたびに敵がいなくなり、逃げ出した敵は妖精さん用の地下道を通るから追撃できず、要塞を突破するたびに新しい要塞が出現するのである。

 

 だが、一見逃げ続けるだけの簡単な作戦に見えるが、実際の所は相当に高難易度な作戦である。何故なら攻撃、撤退、再編、殿(しんがり)を完全にコントロールしながら延々と繰り返し続けるのは並大抵の練度では不可能であるからだ。実現の為に彼等は血の滲むような訓練に耐え続けてきたのである。石壁が砲兵隊に延々と行わせていたのは、このヤドカリ作戦の間に号令の下指示通りに一切の混乱なく逃げ続ける為の『大規模避難訓練』であったのだ。訓練の是非が文字通り命に係わる、命懸けの避難訓練である。

 

 その訓練の成果が、確かな形となって今ここにあった。

 

「さながら信長の火縄銃三段撃ちだな」

「考えつけば出来るけどなかなか思いつかないし、思いついても費用が高すぎて普通は出来ないって所がそっくりですね」

 

 其の瞬間、沿岸部の大要塞が盛大に爆発する。

 

「おー、おー、勿体無い。これは大本営に叩かれるぞ」

「盛大な税金の無駄遣いですね。大本営が怒るでしょうねこれ」

 

 そういった後、二人は声を揃えて言った。

 

「「まあしったこっちゃないがな!!」」

 

 その場に居た陸軍妖精達は、盛大に笑った。

 

 

 ***

 

「やられた!『空城の計』なんて古臭い策を用いよって!一体いつの時代の戦争だこれは!!」

 

 轟々と炎上する沿岸線を見ながら、深海棲艦の指揮艦は海面で地団駄を踏むという器用な事をする。

 

 石壁も『深海棲艦による海上戦列歩兵』なんていう新しいのか古いのかよくわからない珍奇な戦術をとった連中には言われたくないだろうが。

 

「イシカベめぇ!だが、この程度で攻勢は止まらんぞ!」

 

 既に2000名以上の深海棲艦が死んでいるが、まだまだ攻勢は止まらない。この日のために飛行場姫は約1万隻もの深海棲艦を動員している。『圧倒的物量で敵を磨り潰す』というソ連式の究極の人海戦術。物量と鉄量による一切の鏖殺である。

 

 過剰、そう過剰であった。攻城は防御側の三倍の戦力がいるというが、妖精約5000名に対して、深海棲艦10000名である。数の上では二倍だが、実質的には二倍どころの話ではない。本来なら戦いにすらならない圧倒的な戦力差である。まともにぶつかれば一瞬で終わる戦いなのだ。

 

 だから石壁は遠慮しない。今日この晩を生き抜くことだけを考えて、徹頭徹尾『まともにぶつからない』戦いを展開しているのである。

 

 深海棲艦が一騎当千の万の兵の使い捨てているなら、石壁は万の兵に匹敵する無数の要塞を使い潰している、似ている様で対極的な、異次元の圧倒的物量の衝突であった。

 

「物量に押しつぶされろイシカベ!」

「要塞ですりつぶしてやるよ深海棲艦!」

 

 深海棲艦の指揮艦と石壁が、ほぼ同時に同じことを叫んだ。

 

 戦いはまだ、始まったばかりだ。

 

 

 

 

 



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第三十六話 撤退抗戦

ー23:00ー 

 

 現在、沿岸部の要塞陣地が全て吹き飛んだ事で最前線になったショートランド泊地は、要塞化された頑強過ぎる鎮守府施設を頼りに必死に抵抗していた。

 

 沿岸部に上陸した大量の深海棲艦第一陣が爆殺されて、おっかなびっくり上陸した第二陣は唯一残っている鎮守府の建物へと殺到する。だが、先ほどの大爆発で腰が引けている深海棲艦達は、内部に突入出来ないでいた。そのため、建物をぐるりとドーナツ状に取り囲んでの砲撃戦に終始している。当初はそれでも十分過ぎると思われた包囲攻撃であったが、時間が経過するにつれて深海棲艦達は目の前の鎮守府らしき物体の真価に気が付いたのであった。

 

「……しぶといですね」

「……ああ。あの建物、どれだけガッチガチに固めてあるんだ?」

 

 ピラミッドの上部を切り取った様な形の頑強過ぎる鎮守府の建物は、かれこれ数十分も四方八方から砲撃を受けているにもかかわらず未だに破壊に至って居ない。中空傾斜式二重鉄筋コンクリ装甲(+土嚢)とかいう意味の分からない装甲を搭載したこの鎮守府は、明石の想定通りに数百名……否、下手をすれば千名近い戦艦級の深海棲艦の烈火の如き集中砲火を耐えていた。流石に時間の経過で少しずつ外郭はなくなってきたが、二重装甲の内殻はまだ健在であった。明石の備えが有効に活用されたのを喜ぶべきか、石壁が『完全なる詰み』と形容した状況に見事に追い込まれた事を悲しむべきかは意見が別れるだろう。

 

 当初は先ほどの爆発の事がチラついて押し込めなかった深海棲艦達であったが、時間の経過に伴って次第に恐怖を苛つきが凌駕し始めていた。時間と爆発のダメージを天秤にかけて、深海棲艦の指揮艦が突撃へと思考を切り替えていく。

 

「チッ……埒があかない。仕方ない、押し込んで……」

「指揮艦!敵鎮守府沈黙!繰り返します!敵鎮守府沈黙しました!」

 

 その瞬間、あれだけ激しかった鎮守府からの反撃がピタリと止む。先ほどの爆破の心理的圧力が有効な限界ギリギリまで粘っておいて、いざ一斉攻撃に出ようとする瞬間に鎮守府の地下から撤退されたのだ。

 

「ええい!イシカベめえ!本当に忌々しい!アイツは人の心が読めるのか!?」

 

 こちらが押せば引きこみ、こちらが引けば追撃する。こちらが力押せば逃げ出し、こちらが尻込みすれば引かない。正しく変幻自在の防衛術に、深海棲艦指揮艦の怒りは高まるばかりである。人の感情を殆ど完璧に察する事ができる石壁の観察眼と、最高の防衛指揮能力が合わさった事で、ショートランド泊地は一瞬も自分の好きなように攻撃をさせてくれない最悪の敵となったのである。

 

「とりあえず、爆発に巻き込まれないぐらいに近寄って集中砲火で建物を崩してしまえ!絶対に中に入るなよ!」

「は、はい!」

 

 その命令にしたがって、鎮守府の包囲網を狭める一同。だが、鎮守府の存在そのものが釣り餌であることに、深海棲艦達は気がついて居なかった。

 

「ん?」

「砲撃音!?」

「ど、どこだ!?」

 

 その瞬間、遠くから砲撃音が響く。だが、砲弾が飛んでこない。

 

「一体、なにごーーーー」

 

 直後、ほぼ垂直に『頭上から』砲弾の雨が降り注ぎ、鎮守府一帯が諸共に全て吹き飛んだのであった。

 

 ***

 

 とある砲撃陣地にて。

 

「いやはやまったく」

「石壁提督は本当に面白い事を思いつくものだ」

 

 ほぼ垂直に掘られた壕の中から、これまた『殆ど垂直に』砲弾が発射されていく。

 

 その砲は、通常の砲身よりも短く切り詰められており、どこかずんぐりむっくりとした印象を与える砲台であった。

 

「ははは!『臼砲』の山なり射撃による砲撃戦なんて、日露戦争みたいだな!」

「本当だな!俺達の爺さんの頃の戦術だぞこれは!」

 

 第2次世界大戦の頃の兵士にすら『古臭い』と言われてしまった石壁の奇策。それは時代と共に廃れた『臼砲』のリバイバルであった。

 

 臼砲とは、通常よりも短い砲身をもち、ほぼ垂直の山なりに敵に弾を飛ばす砲である。まだまだ要塞が現役で塹壕戦が多かった時代は。真っ直ぐに砲弾を飛ばしても垂直に掘られた塹壕や蛸壺に対して効果的な砲撃が出来なかった。故にほぼ垂直に砲弾を飛ばして敵の頭上へと落下させる臼砲が戦場では活躍していたのだ。

 

 時代が進み、次第に持ち運びが簡便な『迫撃砲』や移動可能な『自走砲』へと統合され消えていった武装だが、石壁はこれを120ミリ砲や200ミリ砲で無理やり再現して深海棲艦へと曲射しているのである。

 

 当然直接発射したほうが強力だが、これが意外な程使い勝手が良いのだ。

 

「くそ!?どこだ!?どこから撃たれている!?」

「砲撃陣地が見えん!」

「どこのトーチカだ!?」

 

 そう、山なりの弾道で打てるこの砲は、『敵から直接見えない』のだ。垂直に掘られた穴の底にある大砲である。通常のトーチカと違い、砲門が確認出来ないのである。

 

 これを潰そうとするなら、同じく垂直な山なりの弾道で砲弾をピッタリと砲のある穴に叩き込む必要があるのだが、直接見えない穴に曲射を叩き込める存在など早々居ない。昼なら観測機による弾着観測が使えたのだろうが、今は夜である為不可能だ。必然的に近寄って見つけるしか無いが、この砲台も石壁達が作った使い捨て陣地であり近寄った頃には陣地は既に放棄されているのだからたまったものではない。

 

 見えない位置からの絶え間ない砲撃。頭上という人体的な死角から叩き込まれるそれは、戦場を大混乱に陥れた。

 

 鎮守府の周囲に群がっていた深海棲艦達は、無数の曲射によって『面制圧』を受けた。曲射は命中率がどうしても低下するがそれでもまったく問題はない。何故なら現在曲射を続ける砲台は全て『鎮守府周辺を大まかに吹き飛ばす』という目的の為だけに作られた砲撃陣地であるからだ。数百発の砲撃が『大まかに』着弾して全てを薙ぎ払っていくのだ。密集していた深海棲艦達には効果てきめんであった。

 

「今だ!照明焼夷弾を叩き込め!!」

 

 だが、石壁の攻撃は終わりではない。砲撃によって深海棲艦達が地面に押さえつけられている間に焼夷弾が振り注ぐ。ガソリンに鉄錆とボーキサイトから作り出したアルミニウムの粉塵を混ぜ込んだ特性テルミットナパーム弾が次々と着弾し、鎮守府近隣を全て火の海に変えていく。火だるまになった大勢の深海棲艦達が業火の中でもがき苦しむが、その強靭な生命力故にこの程度では彼女達は死ねない。

 

「ぐあああ!?」

「熱い!!熱いぃ!!!」

「くそっ!?イシカベめえええええ!!!絶対に許さん!!!」

「炎で焼いた程度で私達を殺せると思うなよ!!」

 

 だが、石壁の狙いはこれではない。本命はその照明効果、あたり一面火の海になったせいで鎮守府周辺の敵戦力の配置が石壁達に丸見えになる。

 

「方位修正!!右へ三度!上方へ5度!!」

「了解!!」

 

 山岳部の隠し砲台が深海棲艦達へと狙いをつける。

 

「修正完了!」

「特殊三式弾装填完了!!」

 

 妖精さん達が装填したそれは、工廠部門の明石達が足りない火力を補う為に作り出した秘密兵器であった。

 

「特殊三式弾、『クラスター爆雷』斉射!!」

 

 石壁の号令に従って砲撃が開始された。

 

 轟音と共に発射された砲弾が闇夜を切り裂いて沿岸部へと降り注ぐ。大地に蠢く深海棲艦達の頭上まで飛んでいったその砲弾は、通常の三式弾と同じく空中で爆散し、子弾をばら撒いた。だが、そこからが違った。

 

「なにがーー」

 

 突如頭上で爆散し、ばらまかれたソレを受けた深海棲艦が大爆発を起こして消し飛ぶ。

 

「なんだ!?なんなんだこの兵器は!?」

 

 周辺の仲間たちが次々と爆散し死に絶えていく中、混乱の叫びを上げたとある深海棲艦が、奇跡的に振ってきた子弾を目にした。

 

「カード……?」

 

 呆けた様に呟いた彼女は、そのままそのカードが顔面に突き刺さって爆沈したのであった。

 

 ***

 

「ヒントを得たのはクラスター爆弾でした」

 

 それは現代兵器の一つであり、爆発によって内部の爆弾をばらまく兵器だ。

 

「クラスター爆弾は空爆に比べてより効果的に、より精密に、より安価に広範囲を制圧することが出来る兵器です」

 

 クラスター爆弾は通常短距離ミサイルの様なモノに搭載し、狙った場所一体に正確に爆弾をばらまく兵器だ。比較的安価でありながら正確さと物量と面制圧効果をもつこの兵器は防衛において凄まじい効果を発揮する。

 

「通常のクラスター爆弾は深海棲艦には通用しません。妖精さんが作る兵器しか深海棲艦には通じないからです」

 

 それが圧倒的な技術力の現代兵器が深海棲艦に通じなかった理由であった。

 

「故に、妖精さんが作った兵器のガワをそのまま転用してクラスター爆弾モドキを作ったんです。三式弾のガワに、大量の爆雷や魚雷のカードの子弾を詰め込んでやりました」

 

 実体化させた一発一発の三式弾を丁寧に解体し、その子弾の一発一発をアイテムカードで作った特別性のモノへと置き換えたのである。砲撃の衝撃で爆発せず、着弾でのみ起爆するように調整されたそれは、工廠部門のこれまでの経験を活かした最高傑作であった。

 

「ご満足いただけましたか?提督」

 

 ばらまかれた魚雷カードと爆雷カードが沿岸部一体を爆発させていく。

 

「ああ、最高だ明石」

 

 力のない産廃を決戦兵器へと昇華させた彼女達の努力に、石壁は惜しみない賞賛を送ったのであった。

 

 ***

 

「報告です!イシカベ達は、恐らく『臼砲』を用いて砲撃を行っています!」

「きゅ、臼砲!?本当にいつの軍人だアイツは!!」

 

 考えてすら居なかった兵器による砲撃を受け、悔しくはあるが深海棲艦の指揮艦は、その有効性と悪辣さに歯噛みせざるを得ない。

 

「ですが……臼砲の曲射だけでやられるほど我々の艦隊は弱くはありません、苔脅しは無視してじっくりとーーーー」

 

 副官がそういったその瞬間、海上にいた深海棲艦の指揮艦は、陸上が大量のクラスター爆雷に薙ぎ払われて行くのを見た。

 

「なっ!?」

 

 副官はその光景に己の目を疑った。

 

「イシカベめっ!どこまでも忌々しい奴だ!!臼砲とあのヤバイ兵器に頭を抑えられている状況でじっくり攻めるのは無理だ!!薙ぎ払われて死ぬか士気が崩壊するぞ!!」

 

 指揮艦は即座に意識を切り替えて命令を弾き出す。

 

「ゆっくりと砲撃戦でトーチカを潰していくのは諦めて、数で押せ数で!戦列歩兵前進開始!物量によって敵を飲み込め!」

「はい!」

 

 沿岸部に停滞していた深海棲艦達の戦列歩兵が再び動き出す。こうして沿岸部における戦いは終了し、戦線は山岳部との間に広がる平原地帯の防衛線へと移るのであった。

 

 ***

 

 02:00 平原地帯縦深防衛線

 

 平野部を山岳へむけて進軍する深海棲艦達は、あまりの行軍のキツさに悲鳴をあげる。

 

「指揮艦!!平野部の大地は泥濘となっており思う様に進めません!!」

「水気を大量に含んだ泥では海上の様に滑る事は出来ないようです!!」

 

 これは天龍達工兵隊が坑道を掘り続けた結果生まれた副産物である大量の土砂と、誤って掘り当ててしまった鉱泉を利用した泥の防御陣であった。

 

 掘り返された土砂が水気を大量に含むと当然ながらそこは夏の水田の如き泥濘となる。これにもしも踏み込めば足は容易に沈み込み、引き抜くのに苦労する天然のトラップと化すのは想像に難くないだろう。

 

 工兵隊はこれを利用してトーチカによる防衛線の目の前で行軍が停滞するように泥の防衛線を引いたのである。トーチカ地帯と交互に引かれたこれは深海棲艦の行軍を停滞させ、味方の撤退の時間を稼ぎ……そして砲撃の的を人為的に戦場につくりだしたのである。

 

 砲台の目の前で行軍が停滞すればどうなるか、その当然の帰結が形となって表れるのだ。

 

「撃ちまくれ!!」

「敵を近寄らせるな!!」

「直接砲火と間接砲撃を絶え間なく叩き込み続けろ!!」

 

 泥濘の上に押し寄せた深海棲艦達を摩耗させるべく、平野部のトーチカが間断なく砲撃を行い、その後方の臼砲陣地が前線へむけて曲射を連発する。

 

「タイミングを合わせろ!!3秒ごとに撃て!!」

「同時弾着射撃開始!!」

「火力を集中させろ!!」

 

 次の瞬間、複数個所でバラバラの口径の砲から発射された直射、曲射、超遠距離射撃が一点集中して深海棲艦の戦列へと叩き込まれる。泥濘によって停滞し、密集した陣列に集中された砲撃が破滅的な効果を生み出していった。

 

「弾着!!成功だ!!」

「急ぎ次弾装填!!」

「弾着位置そのまま!!連射せよ!!」

 

 同時弾着射撃、それは射程や弾着にかかる時間が異なる砲弾を複数発発射し、その全てを一点に同時に叩き込む砲撃である。本来機械制御された機械化砲兵隊が行う精密射撃の技術だが、石壁の砲兵隊は自力でそれを成し得るのだ。積み重ねた練度が実現するその砲撃の流星群が大地を叩き壊していく。

 

「くそっ!?泥に足を取られて思う様に進めねえ!!」

「止まるな!!止まったら死ぬぞ!!」

「とにかく急げ……ぐあああッ!?」

 

 突如として前を進んでいた深海棲艦が『足元から爆散』した。

 

「はっ!?」

「ま、まさか地雷!?」

「この泥、地雷原なのか!?」

 

 ある程度泥の陣地を突破してやっと少し慣れ始めたと思った矢先に、ただ足元を絡めとられるだけだと思っていた泥の大地が突如として牙をむいた。しかも、既に突破した地帯からも爆発が発生し、通常の地雷と装置による遠隔起動爆弾の両方が泥の中に埋没しているというとんでもない事実を一挙に突き付けられたのである。

 

 地雷は防衛線における重要兵器の一つだ。だが通常の地雷は深海棲艦には効果がない。故にこれも工廠部門が作り出した新兵器の一つである。

 

 読者諸兄は南方棲戦鬼との戦いで石壁達が使用した鉄鋼爆裂弾を覚えているだろうか?あれは艦娘用の三連装魚雷カードを核にした遠隔起動式爆弾であったが、この地雷はあの爆弾を極限まで簡略化した結果生まれた埋没した魚雷なのである。威力や視覚効果こそ爆裂弾に劣るが、とにかく簡便に作れて量産がきくこの地雷型魚雷を泥の防衛線に大量に埋め込んだのである。

 

「ひぃ!?」

「地雷を恐れて止まるな!!どの道ここにいれば……止まれば砲撃で死ぬだけだ!!」

 

 足がすくんで動けなくなった僚友の肩を支えて、死に物狂いで前に駆け出す深海棲艦達だが。前に進むたびに少しずつ少しずつ、やすりで削られる様に味方が減っていった。

 

 にも拘らず、敵には殆ど損害を与えることが出来ていない。攻撃しているのは此方なのに、実際は防衛側に一方的に攻撃され続けているのだ。

 

 防衛戦の天才石壁の完璧な撤退戦の制御と、その指揮に応えられる程熟練した砲兵隊の動き、工兵隊の作り出した計算され尽くした防衛陣地、輜重隊が作り出した完璧な物資の配分……ショートランド泊地が総力を結集して作り出したこのキルゾーンが敵の命を貪り喰らっていく。深海棲艦が個として完成した化け物ならば、石壁達は群れとして統制された怪物であった。統制された人間による収斂された殺意が敵を情け容赦なく殺し尽くしていく恐ろしさは、筆舌に尽くしがたいものがあった。

 

 だが、それは決して深海棲艦が弱いという事を意味するのではない。彼女達もまた、尋常ならざる怪物なのだ。数を減らしながらも前に進み続けるその強靭さがそれを証明していた。

 

「くそがああ!?どこまで続くんだこの陣地は!」

「いい加減正面から戦いやがれ臆病者めぇ!」

「殺す!イシカベめぇ!絶対に八つ裂きにしてやる!」

 

 深海棲艦達にとって平原地帯における戦闘は悲惨を極めた。進めども進めども終わりの見えない泥濘と、その先の無数のトーチカによる防衛線。叩こうと近づけば無数の砲弾が襲いかかり、接近すれば煙の様に消えてしまう。無人となったトーチカを制圧すれば陣地が爆発し、炎上する明かりを利用してまた暗闇から砲撃が飛んでくるのだ。

 

 しかも、地中には無数の地雷が埋まっている。それを踏みつければ一発死亡、踏まれなければ遠隔操作で起爆という嫌がらせの極みの様な仕打ちである。

 

 だが、それでも彼女達は足を止めない。行動を強制されているというのはあるが、それでも足を止めないのだ。陣地一つ踏み越えるたびに無数の屍の山を積み上げていく深海棲艦達は、督戦隊や砲弾への恐怖を石壁への憎悪にすり替えて、それだけを燃料にしてひたすら前へと突き進み続けているのだ。負の感情を力にして進むことが出来るのが、彼女達の恐ろしい点であった。

 

 その結果、厚い防衛線も次第に薄くなっていき、遂に平野部の縦深防御陣地を深海棲艦達が突破してしまう。だが、深海棲艦はその時点で既に4000以上の死者を出しており、動けなくなって離脱した者達を考慮すればその戦力は当初の半数の総数5000名程度まで減退していた。沿岸部の要塞と重厚長大な防衛線を使いつぶして、石壁達は敵の半数を磨り潰したのである。そして……

 

 ***

 

ー04:00ー 

 

「……遂に、やってきたか」

 

 防衛戦の後退に合わせて延々と戦い続けてきた石壁は、遂に最終防衛線の……あの要塞の指揮所に戻ってきていた。

 

「やれやれ、どうやら僕は余程海には縁がないらしい。一度目も二度目も、結局海岸を捨ててここにきてしまうんだから」

 

 石壁が苦笑しながらそう言うと、指揮所が笑いに包まれた。

 

「……さて、皆、散々逃げ続けてそろそろ逃げるのも飽きただろ?もうこれ以上逃げなくていい。敵を沿岸からここまで誘い込む事には成功した。後はひたすら、ここで耐えればいい」

 

 いままでの陣地は使い捨てを前提とした簡易的なものであった。だが、いま石部達がいるのはあの南方棲戦鬼を打ち破った要塞だ。石壁達の血と汗の結晶であるこの要塞ならば、どれだけでも耐えることが出来る。

 

「打ち砕け、磨り潰せ、焼き尽くせ……殺して殺して殺し尽くせ。皆の力を僕に貸してくれ、皆の力を僕に見せてくれ」

 

 これより石壁達は修羅となる。護国の鬼神達を率いる地獄の泊地の守護神が、その守りの刃を引き抜くのだ。

 

「アイツらが暗い海の底からやってきたというなら、それより深い地獄の底まで叩き返してやれ」

 

 この門を通る者は一切の希望を捨てよと地獄の門には書かれているという。ならば、その門よりなお強固なこの要塞を下さんとするなら、一体如何ほどのモノを対価とすればよいのか、その答えが齎されようとしていた。

 

「撃って撃って撃ちまくれ!砲身が焼け落ちるまで、敵が全て死に絶えるまで、百でも千でも万でも、最後の最後まで砲弾を撃ち続けるんだ!」

 

 石壁の言葉が要塞中に響く。

 

「総員、戦闘を開始せよ!!砲撃開始!!」

 

「「「「「「おおおおおおおおおおおおお!!!」」」」」

 

 要塞線が一斉に火を吹く。遂に石壁の撤退戦が終わり、不退転の徹底抗戦が始まったのだ。

 

 そして、これをもって石壁の作戦の第二段階は成功し、戦いは次なる領域へと進んでいくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第三十七話 常闇の世界

 

-04:00-

 

 山岳部の要塞での戦いが始まった丁度そのころ。潜水艦まるゆの艦内で、陸軍妖精が懐中時計を睨んでいた。

 

「……」

 

 まるゆを動かしている妖精さん達は刻一刻と過ぎる時間を、息も詰まりそうな静寂の中で過ごしている。物音の一つも立てない様に、静かに、じっと、その時を待っていた。

 

「……時間だ」

 

 そして、遂に隊長の妖精さんが声をだした。

 

「作戦を開始する、まるゆ浮上せよ」

「了解」

 

 ゆっくりと、まるゆが浮上を始めた。

 

「ゆくぞ諸君、反撃開始だ」

「「「はっ」」」

 

 ***

 

 

「飛行場姫様!大変です!」

 

 指揮所の椅子に悠然と腰掛けていた飛行場姫の元に部下が駆け込んでくる。

 

「どうかしたのかしら?」

「突如として数十もの反応がレーダーに探知されました!」

「へえ?」

 

 指揮所がざわつく。

 

「反応はそれぞればらばらにではありますが、この基地を取り囲むように動いております!直ちに迎撃艦隊を組織してこれを迎え撃ちましょう!」

「……」

 

 部下の進言を聞きながら、飛行場姫はしばし考え込む。

 

(ふむ……どう考えても陽動なんだけど……かと言って無視するのもよろしくはないかしら……)

 

「いいわ、迎撃艦隊を組織しなさい、ただし本拠地であるこの飛行場の護りを充分に固める事、万が一の場合は即座に飛行場に駆け付けられる様にあまり鉄底海峡を離れ過ぎずに闇の結界から出ないこと、この二つは厳守しなさい」

「はっ!」

 

 部下の深海棲艦が艦隊を編成するために駆け出していく。

 

(まあ、これがどんな策にせよ、無駄な足掻きよイシカベ、私の勝ちは揺るがないもの)

 

 鉄底海峡を覆う闇のベールはかなりの広範囲に及ぶ。この中では深海棲艦の能力は飛躍的に向上し、艦娘の精鋭が相手でもそれなりに戦うことが出来る。

 

 更に飛行場の近辺はガチガチの防御体制を固めており、仮に迎撃艦隊の編成によって薄くなった防衛線を艦娘達の精鋭艦隊がぶち抜いてきたとしても撃退は容易である。万が一の場合でも迎撃艦隊を即座に撤退させれば前後から侵入者を挟撃することすら容易いだろう。

 

(鉄底海峡は私の庭、ここで戦う限り絶対に負けない。同じ土俵に上がってくるなら突き返してやるだけよ)

 

 彼女の戦略はいつも正しい。己のテリトリーでは絶対に負けない。だから最後には必ず勝つ。これが常勝の二つ名を冠する彼女のあり方であった。 

 

(でもどうやって索敵網をくぐり抜けたのかしら……?)

 

 その疑問に応えられるモノはいなかった。

 

 ***

 

「しかし、うまくいきましたね」

「ああ、石壁提督の予想通りだったな」

 

 海上に浮上したまるゆの中で陸軍妖精が語り合う。

 

「海上、海中の警備は厳重でしたが、まさか艦娘が『海底』を歩いて進んでくるとは奴らも思わなかったんでしょうね」

「深海棲艦なんて名前を持っているくせに深海が視認範囲外とは、足元がお留守ではないか」

 

 種は簡単であった。石壁は潜水艦であるまるゆにおもりを持たせてあえて船体を沈ませることで、海底を『行軍』させたのである。艦娘とはいえ普通の移動方法は海上を進むか潜水艦が海中を航行するかの二択であり、海底の表面は索敵網の範囲外であった。これによって文字通り索敵網を潜り抜けたのである。

 

「昨今は揚陸艦が空を飛び、艦娘が要塞やトーチカに籠る時代だというのに、奴らも存外常識的だな」

「そうですねえ、石壁提督の方がよっぽど発想がぶっ飛んでますよ」

 

 二人の会話に艦内に笑い声が響く。

 

「さて、では仕事を果たすとするか、準備はいいですかな?皆さん」

 

 妖精さんが無線で周囲の艦娘達へと声をかける。そこにいるのはショートランド泊地の駆逐隊と一部の軽巡洋艦であった。彼女達は緊張はしているが、同時に戦意に満ちた面持ちで頷いている。

 

「では、我々はこれより『輸送任務』を開始致します。索敵を密として敵に接近されないように注意して下さい。兎に角逃げて逃げて逃げ回る事を第一とするように、いざとなれば撤退すること。いいですな?」

「「「はい!!」」」

「よろしい、ではこれより隠密浸透強襲輸送作戦……正式名称「鬼ごっこ作戦」を開始する、各員の奮闘を祈る!」

 

 電探を全力で稼働しながら、寄ってくる敵から逃げだす一同、鉄底海峡の闇のベールの中で、大勢のまるゆや艦娘達による命がけの鬼ごっこを開始したのであった。

 

 ***

 

「走れ走れ走れ!!」

「決して止まるんじゃないわよ!!」

「必要最低限以外の敵は無視しろ!!」

 

 闇夜の中を駆けずり回るショートランド泊地駆逐隊は、レーダー等でかき集めた周辺の情報を元に兎に角逃げ続けていた。一瞬でも停止すればすぐに包囲されて袋叩き似合うのは必定である。故に俊足で小回りの効く駆逐隊だけで編成されたこの陽動艦隊はネズミの様に闇の中を進み続けているのだ。

 

「三時の方向より敵影!!」

「九時の方向へ急速回頭!!同時に魚雷をばら撒くわよ!!」

「了解魚雷発射!!」

「撃て撃て撃てぇ!!」

 

 逃げながら戦い続ける駆逐隊、その動きには淀みがなく、提督の指示が無いにも関わらず驚くべき練度の艦隊行動を遂行していく。一切速度を落とさずに見事に敵と敵の間をすり抜けながら、的確に敵に攻撃を叩き込み続ける。

 

「クソッ!?また魚雷だと!?」

「避けろおおお!!!」

「散開!!散開!!」

 

 駆逐隊を追う深海棲艦達は、まるで水を掴もうとするのかの如く手の中から抜け落ちる彼女達の動きに歯噛みして怒声を上げる。

 

「畜生!臆病者が!!マトモに戦え!!」

 

 思わずと言ったように叫んだ深海棲艦への返答は、声を頼りに撃ち込まれた正確無比な砲撃であった。顔面に突き刺さった砲撃に、彼女は顔中を血だらけにして倒れた。

 

「戯れ言に付き合っている程暇じゃないんでね」

「次はこっちっぽい!」

 

 眉間を撃ち抜いた彼女は冷静に、冷徹に、微塵の隙もなく僚友の言葉にしたがって走り抜けていった。

 

「水雷魂を見せつけろ!!」

「この程度、川内教導艦のしごきに比べれば!!」

夜戦(ゲリラ戦)で私達に勝てると思うな!!」

 

「ぐわぁああああ!?」

「クソッタレがぁ!?連中どうやってこの闇の中を探照灯も使わずに走り続けられるんだ!?」

「どこだ!?どこへ逃げた!?」

 

 闇の中を探照灯すら使わずに走り続ける彼女達は、骨の髄まで鍛え抜かれた筋金入りの精鋭であった。

 

 川内達による、連日連夜の血の滲むような教練によって練磨された彼女達のゲリラ戦能力は一般の艦娘とは格が違った。新月の夜でさえ起伏の激しい山岳を走り抜けられる彼女達にとってすれば平坦な水平線を感覚を頼りに突き進むなど容易い事なのである。彼女達の努力が確かな成果として結実しているのだ。

 

「決して仲間を見捨てません!!」

「私達の命綱は隣の仲間よ!!」

「助け合って、かばい合って、そして戦うのよ!!最後の最後まで!!」

 

 無論、いくら精鋭とはいえ被弾をゼロにすることは出来ない、当然負傷をするモノも出てくる。だが、彼女達は止まらない。時に肩を貸し、時に腕を引き、時に盾となりかばう。限界ギリギリの死線にあってなおその絆は揺るがないのだ。

 

「それが、ショートランド泊地駆逐隊の心意気だ!!」

 

 彼女達はどれだけ踏みつけられても絶対に折れることはない。強くしぶとく粘り強い雑草の強さをもつ艦娘達であった。泊地にやってきてからずっと練磨され続けてきたその強さは、極限状態の中でこそ輝くのだ。

 

 彼女達が全力で戦場をかき回すことで防御陣が綻ぶ、総力を結集した大攻勢、援軍を防ぐための戦力の抽出、そしてこのゲリラ戦に対応するための迎撃艦隊の編成、未だかつて無いこの状況に対応するために飛行場姫自身の防御体制がどうしても緩くなってしまう。

 

 まるで蝶の羽ばたきが嵐を巻き起こすように、小さな駆逐艦達の一心不乱の大逃走がぐるぐると鉄底海峡を掻き回していく。それは闘争の大乱となって暴れ狂い、触れれば一瞬で砕け散りそうなほどの凄まじい勢いになっていく。

 

 だが、動きが大きければ大きいほど、かき回せばかき回す程、自然と隙は大きくなるのだ。

 

 ***

 

-05:30-

 

「……さあ、良い具合に祭りが賑やかになってきやがったぜい」

 

 結界内部の騒乱がピークに達したその瞬間、遂に戦場が大きく動く。

 

『OK,じゃあオイラ達もブラザーの為に動くとしようぜ!!レッツゴー!!』

 

 闇の中でも変わらぬ輝く様な笑みを浮かべて、ジャンゴ達が水面へと飛び出す。

 

「手前等いくよ、金剛様に続きやがれい!!」

『パーティーに殴り込みだぜえ!!』

 

 戦場に忍び込んだ潜水艦部隊は先程の出現が全てではなかったのだ。ゲリラ戦による撹乱が成功するまでずっと海底に待機していたジャンゴ達は、混乱がピークに達した今この瞬間を狙って飛び出したのである。

 

「ご武運を!!」

 

 ジャンゴ達を載せていたまるゆの艦長が叫ぶと、金剛はふてぶてしい笑みを返答に海上を突き進んだ。

 

『ブラザーの読み通り防御が薄いぜ!!食い破れ!!』

「おうよ、任せときな!!」

 

 金剛型戦艦4隻をそれぞれ旗艦とした4艦隊、単縦陣4つが闇の世界を突き進んでいく。道中の敵を全力で食い破り、敵の本拠地へと突き進んでいく。

 

「流石に大攻勢の真っ最中だけあって防衛線力も控えめですね!」

 

 比叡の言葉に金剛は頷く。

 

「ああ、石壁の坊主が命がけでお膳立てしてくれたんでえ、ぜってぇ無駄にはできねえってもんでい!!」

 

 これが石壁の狙い。最大の攻撃を放った瞬間こそが、もっとも防御が疎かになるのだ。ショートランド泊地そのものを囮として敵戦力を限界まで抽出したこの一晩を逃せば、石壁達にもう勝ち目はないのである。

 

「疾きこと風のごとく、高速戦艦の腕の見せ所でい!!」

 

 彼女達は風になって戦場を突き進んだ。敵の本丸へむけて。最終防衛線直近に突如として現れた金剛達に、鉄底海峡を護る深海棲艦達は面食らう。

 

「艦娘どもだ!一体何処から!?」

「前線の連中は何をやっていたんだ!!」

「知るか!!とにかく集まれ!!」

「奴らを止めろ!!」

 

 慌てていても流石は親衛隊だけあって統率の取れた動きで即座に防衛線を形成する深海棲艦達。それをみた霧島が動く。

 

「提督、金剛姐さん、先駆けは私にまかせてください」

『OKだぜ霧島!!』

「キッツいのをぶちかましてやんな!」

 

 二人の言葉に頷きながら、滑るように霧島を旗艦とした第四艦隊が前面へと躍り出る。

 

「さあ……皆いくわよぉ!!」

 

 霧島が普段の理性的な仮面を切り捨てて凶悪な獣の様な笑みを浮かべる。それに呼応するように、霧島艦隊に戦意が漲る。

 

「魚雷斉射ァッ!!掻き乱せ!!」

 

 その掛け声に魚雷持ちの艦娘が一斉に魚雷をぶちまける。遠慮容赦なく扇状に乱射されたそれに深海棲艦達は面食らって回避行動を取り始める。距離的に考えて、避けきってから陣形を組み直しても充分に間に合う目算であった。

 

「逃げたわね?」

 

 それが、ただの艦娘相手であったならば、だが。

 

「総員!!『前進一杯』!!」

「「了解!!」」

 

 瞬間、艦娘達全員の速度が急速に上昇する。明らかに常識外れなその急加速に防衛部隊の深海棲艦達は驚愕する。

 

「な、なんだあの速度は!?」

「まさか、前進一杯か!?死ぬ気か連中!!」

 

 

 前進一杯、それは軍艦のタービンを負担を度外視して急速燃焼させる事により文字通り全速力で急加速する技術である。

 

 人間に無理やり例えるなら、心臓が破裂する寸前まで高速で脈を打たせる事で無理やり体中に血液を循環させてエネルギーを送り込むのに近い状態である。

 

 当然ながらこれは相当に危険な状態でタービンが負荷に耐えかねて爆散しても可笑しくない文字通り一か八かの最終手段なのである。

 

(負担で心臓(タービン)や血管が破裂しそう)

 

 霧島は己の命を燃料にしてタービンが唸りを上げるその音を聞いて、更に凶悪な笑みを見せる。

 

「ああ……さいっこう……この血の滾りこそ喧嘩の華よね……」

 

 バトルジャンキーの血が疼く。金剛型戦艦の中で最も武闘派である彼女にしてみれば、命をかけての死闘程滾るモノはないのだ。彼女の率いる艦隊は、そんな彼女に同調するどうしようもない連中だけを集めた愚連隊なのである。

 

 魚雷を追って急加速した霧島達は、魚雷を回避したばかりで体制の立て直しすら出来ていない防衛部隊へと突撃した。

 

「ひっ!?」

 

 負担に耐えかねて切れた血管から流れる血で顔面を赤くそめた赤鬼達の突貫に、深海の亡者が恐怖で呻く。

 

「さぁ、マイクチェックの……」

 

 機先を制し、気力で接敵し、気迫で圧倒した彼女達は、乱れに乱れた陣形のド真ん中で火力を全開にして暴れ狂った。

 

「時間だオラァアアアアア!!!!」

 

 前後左右ありとあらゆる方向に敵しか無い状況で、全方位に全火力を全力展開したのだ。それはさながら満水のダムを発破解体するが如く、鉄底海峡の分厚い壁に風穴を明け、後方を走り抜けるジャンゴ達が暴れ狂う濁流となってなだれ込んでいく。

 

『撃って撃って撃ちまくれ!!』

「行きがけの駄賃でい!!くらいやがれってんだ!!」

 

 霧島が命がけで切り開いた穴を無理やりこじ開けながら、ジャンゴ達が鉄底海峡へと進軍していく。そして、混乱から敵軍が立ち直った時には既に彼女達は内部へと入り込む事に成功したのであった。

 

「クソっ!?追え!!逃がすな!!」

「飛行場姫様の元へ行かせるな!!」

 

 後方から深海棲艦達が迫る中、今度は榛名が口を開いた。

 

「金剛姐さん、予定通りここは榛名が引き受けます」

「私も残るわ。どうせ魚雷は陸上基地に効かないし」

 

 霧島が敵陣をこじ開けて、榛名が殿を務める。これによって金剛と比叡を旗艦とする第一、第二艦隊を無傷で鉄底海峡の中枢へと送り込むのだ。後は全滅する前に金剛が飛行場を徹底的に叩けば石壁たちの勝利である。

 

『おう、任せたぜ二人共!!』

「金剛型戦艦の力を見せつけてやりな!!」

 

 ジャンゴ達が向かうのも死地なら、この場もまた死地である。だが、そんな事を微塵も感じさせない彼等の言葉に、榛名と霧島は笑みを浮かべる。

 

「はい!榛名は大丈夫です!!ここはお任せください!!」

「足止めはまかされたわ!けど別にこいつらを倒しちゃっても構わないわよね?」

 

 踵を返し、迫りくる深海棲艦へと立ち向かう第三艦隊と第四艦隊。圧倒的な戦力差を前にして、彼女達は恐怖するどころかむしろより熱く燃えていた。

 

「さて、霧島はさっき相当無茶していたから休んでもいいですよ?」

「冗談キツイわね。あんなの準備運動にもならないわよ。榛名こそ、怖いなら私に全部まかせて逃げてもいいのよ?」

 

 隣り合って軽口を叩き合う二人だが、言葉とは裏腹に、二人の間に軽さなど微塵も存在しない。

 

「それこそ冗談キツイですよ……さて、じゃあやるとしましょうか」

「ええ、命尽き果てるまで暴れに暴れてやるわよ」

 

 飛行場姫を討ち取るのが先か、この防御を抜かれて金剛達が圧殺されるのが先かは、彼女達にかかっているのだ。

 

「総員!!戦闘開始!!」

「行くぞオラァ!!」

 

 ***

 

「ひ、飛行場姫様!!最終防衛線を突破されました!!」

「敵の少数艦隊がここへと到達します!!」

 

 基地の指揮所でその報告を聞いた飛行場姫はゆっくりと立ち上がった。

 

「ど、どちらへ?」

「決まっているじゃない」

 

 そのまま泰然とした足取りで、指揮所をから出ていく彼女は、事も無げに言い切った。

 

「頑張ってここまで辿り着いた勇者達を出迎えるのよ」

 

 飛行場姫は、敵が己の喉元までやってきたことを知りながら、より一層笑みを深くして部屋を出ていった。

 

 ***

 

「おい宿六!!鉄底海峡まであとどれくらいでい!!」

『あと数分で海峡の沿岸部……飛行場姫の陸上航空基地だぜ!!」

 

 最高戦速で目的地へと邁進するジャンゴ達だが、進めば進むほど高揚感とは程遠い感情が胸中に渦巻くのを感じていた。

 

(なんだってんでいこの胸糞の悪い気分は……)

 

 作戦は予定通りに進んでいる。このまま突き進めば、遠からず目的地に到着する。だが……

 

(まるで、バケモンの腹の中に自分から入っていくみたいでい……)

 

 目的地ではなく死地へと誘い込まれているかのような、肌がひりつくような焦燥感に思わず金剛はつばを飲んだ。

 

「……はっ、悩むなんてアタシらしくないってもんでい」

『あ?なんかいったか金剛』

「テメエの間抜けズラみてっとあくびが出そうだって言ったんでぇこのダボハゼ野郎」

『ああッ!?なんだとこのファッキンビッチが!!』

 

 いつもどおりのやり取りを終えたところで、遂に電探が基地を捉える。

 

『っと、そうこうしている内に到着だぜ!全員事前に配布した基地の情報は覚えているよな!』

「あたぼうよ、今なら目をつむっても全弾目標に叩き込めらぁ!」

 

 ジャンゴが事前に配った資料とは、以前の南洋諸島泊地連合軍による総攻撃の際に発覚した基地の規模や位置を記した資料であった。

 

『なら一発もはずすんじゃねえぞ!総員三式弾装填!!基地をボッコボコにしてやるぜ!!』

 

 前回の総攻撃は失敗に終わったが、その際にはたった数名の艦娘が闇雲に放った三式弾が基地攻撃に大きな効果をもたらしている。故にジャンゴ達は12名全員が三式弾を装備しており、全力の艦砲射撃で基地機能をガタガタにするつもりなのである。総攻撃時の数えるほどの三式弾の投射に比べれば最初からそれだけを狙って打ち続ければ10倍近い量の砲撃を叩き込めるだろうというのが石壁達の計算であった。

 

「……ッ!金剛姐!!見て!!」

 

 比叡が前方を指差す。

 

『あれは……深海棲艦か……?』

 

 闇夜の海岸線で飛行場姫を中心とした一団が防衛線を引いいているのが見て取れた。

 

『さすがにタダじゃとおしてくれないみたいだぜ!行くぜ金剛、食い破れ!!』

「任せな!!総員突撃でい!!」

「「「「「おおおおおお!!」」」」」

 

 その直後、金剛達と飛行場姫の近衛部隊が衝突する。総大将の護衛艦隊だけあってその練度は総じて高いものであったが、ジャンゴ達の練度はそれとは比較にならないほど高く、次第に護衛艦は蹴散らされていった。

 

『ここからなら基地に砲撃が届くぜ!!』

「比叡!すこし時間を稼ぐんでい!!」

「はい!!気合入れていきます!!」

 

 敵部隊を叩き潰しながら前進していた金剛率いる第一艦隊が艦砲射撃の構えををとり、比叡の第二艦隊がそれを支援する。

 

『準備完了だ!!撃て金剛!!』

「了解!全門斉射でい!!」

 

 そして、遂に彼女達の攻撃が、飛行場姫へと届く。

 

 

 数十発の三式弾が飛行場姫の背後の基地へと叩き込まれると、轟音と共に飛行場が叩き壊されいくのが爆炎に照らされてよくわかった。

 

『しゃあ!!やったぜ!!』

 

 ジャンゴが金剛の艦橋でガッツポーズをして快哉を叫ぶ。

 

「……いや、まちやがれ、様子がおかしい」

 

 だが、ジャンゴの喜びとは正反対に、金剛は己の第六感が激烈に警鐘を鳴らす音を聞いていた。

 

「……くふ」

 

 その時、俯いていた飛行場姫の笑い声が、爆音が過ぎ去って静寂に包まれた海面に響き渡った。

 

「ふふふ……アーッハッハッハ!」

 

 堪え切れないと言わんばかりの飛行場姫の笑い声が闇夜に響く。そのさまは己の根拠地を破壊された影響を微塵も感じさせないモノであった。否、実際彼女はジャンゴ達の破壊になんら影響を受けていないのだ。

 

「複数のおとりを用いて防衛線力を供出させ、その間隙を縫って電撃的に進行し、三式弾による集中砲火で飛行場を叩く。まったくもって見事なお点前ね。針の孔に糸を通す様な作戦をよくも成功させたものだわ」

 

 飛行場姫はそう金剛たちに賛辞を贈ると、性格の悪そうな笑みを浮かべて続けた。

 

「でも残念ね。戦いが始まって何年もたっているのに、私がそんな弱点を放置したままだとおもったのかしらぁ?」

 

 飛行場姫が指を鳴らしたその瞬間に、基地周辺の広域にライトがともる。

 

「なっ……」

 

 金剛が目を見開く、そこには広大な、本当に広大な飛行場が広がっていた。当初聞いていた飛行場の数倍……否、数十倍の大きさをもつ広大な飛行場基地がそこにはあった。

 

「これが私の飛行場、これが私の根拠地、この広大な飛行場をたかだか12名程の艦隊でどうやって潰すっていうのかしら?ねえ、教えてくれない?」

 

 かつて一度だけこの基地まで艦娘達に接敵され、その際に三式弾の投射を受けた飛行場姫。その時に数名の艦娘達の砲撃だけで基地機能をマヒされた彼女は、以後病的なまでにその弱点を克服するべく動いていたのだ。

 

 地道な開拓によって森を、山を切り開き、飛行場を広げ、防備を固め、コツコツと、ひたすらコツコツと飛行場を広げ続けてきたのだ。二度と同じ轍は踏まぬという彼女の病的なまでの勝利と生への執着が形になったのが、この広大な飛行場であった。

 

「この飛行場を潰せるもんなら潰してみなさい。まあ、そんな暇は与えないけどね!!」

 

 その瞬間、基地の防衛機能が発動し、大量の砲弾が放たれる。

 

「チィッ!?よけろ金剛!!」

「あたぼうよ!」

 

 ジャンゴ達は凄まじい高速機動を行い必死に攻撃をよけ続ける。だが、あまりの砲火の苛烈さに、次第に追い詰められていく。網目を縫うように砲撃から逃げ続ける一同であったが、逃げる内に回避が不可能な位置へと段々追い込まれていく。

 

『……っ!ヤベェ、こっちは罠だ!!金剛にげろ!!』

「畜生めっ、総員回頭!!」

 

 急いで方向を変えるジャンゴたちであった……が

 

「あら、気が付いたの?でも残念ね」

 

 既に手遅れであった。

 

「もう、遅いのよ」

 

 飛行場姫が腕を上げる。ジャンゴたちの目の前にずらりと並んだ砲台は、彼女の号令の下に一斉に火を噴くであろう。

 

「……っ!」

 

 金剛達が思わず立ち止まる。逃げ回る内にキルゾーンへと追い込まれたのだ。

 

「チェックメイトよ」

 

 もう、逃げられない



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第三十八話 大輪の向日葵

個人的な二部クライマックスのテーマソングは
ザ・バックホーンの『コバルトブルー』だと思っています。
全部終わった後に聞いてみても面白いかもしれません。

それでは続きをお楽しみくださいませ。


 -06:00-

 

 ここは鉄底海峡の東側、闇の結界のすぐ外側である。

 

 伊能を乗せた艦娘形態のあきつ丸は、一人闇夜の海に佇んでいた。目の前には、鉄底海峡を半球状に囲む闇の世界の境界があった。そこから一歩でも踏み出せば、深海棲艦のテリトリーである常闇の世界である。

 

 深海棲艦の中でも一部のモノのみが有する世界を改変する能力によって生み出されたその闇のベールは、深海棲艦たちにとって無敗の牙城、己のテリトリーである。今まで多くの提督たちがそれに挑み、暗黒の世界に没してきた魔境であった

 

『いよいよだな』

「ええ」

 

 伊能は眼前の結界を睨みつけながら、以前石壁から言われた言葉を思い出していた。

 

 ***

 

『伊能、艦娘と深海棲艦は本質的に同根だ。彼女達は同じ根を持ちながら、正反対の方向へ向かって伸びているだけなんだ』

 

『深海棲艦が世界に闇の結界を作り出す力を持っているならば、当然それに対応する力を艦娘も持っている筈だ』

 

『人類が……いや厳密には艦娘が制圧した海域から深海棲艦が生まれないのも、艦娘が撃沈させた深海棲艦が時々艦娘になるのも……恐らくはその『何か』が密接に関係している』

 

『そう、つまり。深海棲艦が【世界を異常へと改変する力】をもつならば……艦娘にはその逆、【世界を正常へと戻す力】があると僕は思うんだ』

 

『艦娘がその力を最も最大化するのは、提督と心を……魂を重ね合えたその瞬間だ。二つの魂が渾然一体となり、魂の奥底から二つの力を合一して弾き出すその時が、艦娘の力が最大化する瞬間なんだ』

 

『僕はお前になら……いや、お前にしか出来ないと思っている。お前に出来なければ、他の誰にもこんな事は出来ない』

 

『なあ伊能、この世の誰より強く鋭い魂をもつ僕の友よ。お前の回答に僕は命を賭ける。お前になら僕は運命を委ねてもいい。だから、重ねて問うぞ』

 

 

 

『お前は世界を切れるか』

 

 

 

 ***

 

 

『世界をきれるか……か。なんとも凄まじい世迷い言だな、あきつ丸』

「そうでありますなあ、将校殿。まったくもって石壁殿は頭のネジがとんでいるでありますよ」

 

 伊能とあきつ丸はそう笑いながら話す。しかし、それは侮蔑や嘲笑の意味を含んでいない。二人は心底楽しそうに語り合う。

 

『だが、そんな世迷い言を実現したなら、それは大層愉快なものであろうよ』

 

「いやはやまったくもってその通りでありますなあ」

 

 二人は笑う。ふてぶてしく笑う。楽しくて仕方がないとそう言いながら、あきつ丸は腰の軍刀を抜刀する。

 

『……答えなど最初から決まっている。石壁が俺になら出来ると言って、不可能だった事など一度も無いのだからな』

 

 伊能のその言葉に、あきつ丸は笑みを浮かべる。

 

「『この世の誰でもないお前だから運命を預ける』でありますか。いやはや、相変わらずの人たらしでありますなあ、あの人は。そんな風に言われて滾らぬ戦人が、この世にいる筈がないでありましょうに」

 

 伊能が石壁に己の命を預けたように、石壁は己の運命を伊能に預けたのだ。そうまでされて、この男が奮起せぬ事などあり得ない。

 

「さて、この前代未聞の采配が、歴史にどのように記録されるでありますかな?」

『神算鬼謀の名将か。無知蒙昧な愚将か。そのどちらになるかは、俺達の一刀にかかっているのだ、あきつ丸』

「なら是が非でも、あの頼りなくも頼れる総司令官に最高の名誉を送りたいでありますなあ。身の丈に合わぬ名声に目を回す様は、さぞや滑稽で見ものでありましょう」

 

 あきつ丸と伊能は、そう軽口を叩きあう。

 

『……さて、ではいくとするかあきつ丸』

「……ええ」

 

 世界が黎明の時を迎える。背後の水平線から光が溢れ始めた。

 

 それに合わせて、伊能は己の全てをあきつ丸に委ねていく。魂を重ね合わせ、あきつ丸のもつ力を限界まで引き出し、体に充足させていく。

 

 体を重ねるだけでは意味がない。心を通わせるだけでは足りない。魂を溶け合わせ、二つの力を一つに合一させねばならない。

 

 かつて石壁が鳳翔とそうしたように、伊能とあきつ丸は二つの魂を結んで艦娘という種のもつ根源的な力を引き出していく。

 

 繋がり、溶け合い、流転しながら魂がその力を増大させていく。熱く燃え盛る闘志を、冷たく鋭い殺意を、固く繋がる絆を、一つへと収斂させていく。

 

 一つとなった魂の中を想いが巡る。巡る。巡る。回り続ける度により重く、より早く、より鋭く。

 

 その全てを刃に込めて、まるで弓を引き絞る様に、ゆっくりと上段へと軍刀を引き上げていく。

 

 世界を切り、運命を捻じ曲げ、友の命を救うために。暴れ狂う想いの濁流を全てを一か所へと収束させていく。

 

 そして、最上段でピタリと刃が停止する。まるで世界が静止したかのような静謐の中、完全に合一した二人の意識はただ眼前の闇のベールにのみ向けられていた。

 

 背後の水平線から暁の気配が迫ってくる。チャンスは一度、一瞬のみ。

 

『あきつ丸、俺の魂の一切をお前に預けるーー』

 

 水平線から太陽が顔を出す。その刹那、最初の日光が世界を照らし、夜から朝へと世界が切り替わるその瞬間。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ーー切れ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 神速の破断が、闇のベールへと、走った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

「所詮あなた達がどれだけ努力したところで無駄なのよ。ここは私達深海棲艦の領域、常闇の世界!この闇がある限り、私達は無敵なのよ!!」

 

 歯を剝いて嘲笑する飛行場姫。追い込んだ金剛達を前に、その力を振るうべく手を掲げる。

 

「さあ!この鉄底海峡に沈む鉄塊の一欠片となりなさい!!」

 

 手が振り下ろされた。その瞬間、背後に鎮座する砲座から一斉射撃が放たれる。

 

 火力は金剛達に集中し、轟音と共に爆炎が広がった。

 

「くふふ……あははは」

 

 爆散する衝撃波が世界を揺らし、水煙と硝煙が界面を包むなか、飛行場姫は心底愉快そうに笑った。

 

「アハハハハ!!……ッオブゥ!?」

 

 勝利の美酒に酔っていた飛行場棲姫の顔面に凄まじい勢いて飛来した鉄塊が衝突した。その衝撃で飛行場棲姫は前歯が折れ、鼻の骨が歪み、血が溢れ出てくる。

 

「おっとすまねえなぁアバズレ。あんまりに大口開けてっから屑入れかと思ってついゴミを投げ入れちまったぜい」

 

 煙の向こう側から、くず鉄を投擲した姿勢のまま、額から血を流した金剛が現れる。

 

「ば、馬鹿な!?あれだけの一斉射撃を食らって、何故生きているの!?」

 

 鼻血を流しながらそう問う飛行場姫に、金剛は凄絶な笑みで答える。

 

「はん、てやんでいべらぼうめい!!日輪の民をなめるんじゃねえやいダボハゼ野郎が!!!あの程度の小雨でこの金剛を沈められるわきゃぁねえだろうが!!!」

 

 血化粧に彩られた金剛の啖呵が海上に響き渡る。金剛はあの爆撃の瞬間艦隊の前に飛び出して全体の盾になると、その辺に浮いていた深海棲艦の死体を二体引っ掴んだ。そして即座に一体を自身へ集中する砲爆撃へと投げつけて眼前で誘爆させ、もう一体を盾にして爆風を凌いだのだ。まさしく神業である。

 

 だが、流石に無傷とはいかなかった。防ぎきれなかった衝撃で彼女の砲門はほぼ全てがひしゃげ、戦闘能力は殆ど喪失されていた。にも拘らず、彼女は微塵もその自信を揺らがせる事はない。

 

「それにさっきから黙って聞いてりゃべらべらとくだらねぇ口上たれやがって!!なあにが常闇の世界では無敵でい馬鹿馬鹿しい!!手前に餓鬼でも知ってる当たり前ん事教えてやるから耳ン穴ぁかっぽじってよおく聞きやがれってんだ!!」

 

 響き渡るべらんめい口調が闇の中を切り裂く。その鋭さに、飛行場姫は寸の間動きを止めてしまった。

 

「確かに今この海は日がささねえ闇の中でい!お天道様も水平線の向こう側で休んでらぁ、だがなぁ!」

 

 金剛は闘気を迸らせて啖呵をきった。

 

「お天道様は一度沈んじまったら、後は上るしかねえんだよアサガラババァ!!!この金剛が断言してやらぁ!!」

 

 金剛が拳を天に向ける。

 

「陽はまた昇る!私達の……勝ちでい!!」

 

 その瞬間、金剛の背後、はるか水平線の彼方から太平洋を暁に染め上げる日の丸が昇りはじめた。闇に染められた世界が切り裂かれ、光が世界を塗り替えていくのを見て、飛行場姫はこれ以上ないほどに目を見開いた。

 

「ば、馬鹿な!!なんで、太陽が!!!」

 

 混乱の極地にある飛行場棲姫に金剛はふてぶてしい笑みを見せつける。

 

「さあ、目ん玉かっぴろげて活目しやがれい!!これが天下無双の名提督、ショートランド泊地が総司令官、石壁堅持渾身の策でい!!」

 

 飛行場姫は正面にいる金剛を見つめた、彼女は照りつける朝日で黄金色に染め上げられている。

 

 光り輝き、威風堂々足るその様は正しく現代に蘇った戦乙女。その瞳は金剛石の如く煌き、神々しさと華々しさを世界に向け放っていた。敵であるにもかかわらず、その美しさに飛行場姫は寸の間見惚れてしまった。

 

 

「さあ!!真打ち登場でい!!」

 

 

 

 

 

『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!』

 

 

 

 金剛がそう啖呵を切った瞬間、世界を轟音が包んだ、飛行場姫を圧倒するように、前方から雄叫びが津波の様に押し寄せる。それは太陽を背に水平線から溢れ出してきた無数の艦娘達の、そして艦娘に搭乗する妖精達の、魂の雄叫びだった。

 

 

 そう、闇に支配された世界(夜戦ステージ)が終わり、夜明けの時(支援艦隊)が到来したのである。

 

 石壁達の中でも最も大きな艦隊を率いる新城の、総勢16個艦隊96名の艦娘、その総員が飛行場姫の陣取るアイアンボトムサウンドを取り囲む様に布陣している。

 

 戦艦が、空母が、巡洋艦が、駆逐艦が……世界に名だたる大日本帝国海軍の聯合艦隊が一箇所に終結している。その様はまさしく圧巻の一言であった。凄まじい圧力を伴う大艦隊が、世界に光を取り戻さんと突き進む。

 

 数名の艦娘が、世界へ誇らんとするように旭日旗を掲げている。翻るその旗はまさしく希望の光、暁の水平線から登ってきた無数の太陽達が常闇の世界に光を届けたのだ。

 

 

「あ……な……あ……」

 

 

 そのあまりにも想像の埒外の光景に、飛行場姫は言葉が出てこない。

 

 

『待たせたな!!まだ死んでいないよな金剛!!ジャンゴ!!』

 

 無線から、新城の声が響く。

 

 

『へッ、おいらがこの程度でくたばるかよジョジョ!楽勝だってのこれぐらい。でもブラザー達はやっぱりサイコーだな!!これ以上ない位のプレゼントだぜ!!』

 

 ジャンゴはそう強がりを言いながら、喝采を上げた。

 

「さあ!!手前等、いっちょド派手な反撃の狼煙をあげようじゃねえか!!」

 

 そういいながら、金剛が唯一稼働する砲塔を構えると、背後の艦隊の皆が一斉に砲塔を構える。

 

『了解した!!ありったけの三式弾を叩き込む!!総員!!撃って撃って撃ちまくるんだ!!!行くぞ!!!』

 

 その新城の言葉に、全員が言葉を揃えて、叫んだ。

 

 

 

 

「「「「「全艦娘!!突撃ーーーーー!!!!」」」」」

 

 

 

 

 石壁達は、飛行場姫の首元に渾身の一撃を突き込んだのだ。

 

 

 ***

 

 

「広域無線を発信せよ!!『日ハノボレリ!』繰り返す!!『日ハノボレリ!』」

 

 

 四方八方へむけ彩雲が飛ぶ、ショートランド泊地航空隊所属の彩雲が空を駆け抜けて飛んでゆく。

 

 全ては孤軍奮闘するショートランド泊地の仲間達を助ける為に、自殺行為である無線での四方八方への通信行為を続けながら、彩雲は飛ぶ。作戦の成功を伝えるために。仲間の命を救うために。

 

「敵空母の航空隊に補足されました!!」

「突破するんだ!!我々は絶対にこの情報を味方艦隊に届けねばならない!!」

 

 彩雲にのる妖精が、僚機の妖精達へと激を飛ばす。

 

「世界最強の海鷲達よ、どうか私を味方艦隊の元へ導いてくれ!!」

「「「了解!!」」」

 

 

 護衛の烈風達が、数十倍の数の敵艦載機に突入し、後先を考えぬ死闘によって撹乱していく。

 

「いまだ!!行け!!務めを果たせ!!」

 

 護衛隊の隊長が叫ぶ。その瞬間、彩雲の行く手を遮る敵機が全て叩き落とされ、血路が開かれた。

 

「……すまん!!」

 

 彩雲は、その混乱の中を駆け抜ける。僚機が一騎、また一騎と撃墜される中を、振り向かずに突っ切っていく。

 

 機体のエンジンが焦げ付きそうな最高速でひたすらに飛び抜ける。曳光弾が流れ星のように煌めくたびに、友の操る戦闘機が青空に溶けて消えていく。

 

 それでも尚、彩雲は飛ぶ。加速で体が座席に食い込み意識が飛びそうになる程の苦しみの中、操縦桿を握る手はなお力強く。眼前を睨む瞳の力強さは衰える事無く。

 

「敵機に捕捉されたぞ!!」

「……ッ!」

 

 後部座席の乗員の警告に、とっさに操縦桿を倒して最高速度で急降下する。だがそれでも飛来する鉄火を避け切れず、数発の銃弾が機体を貫通した。

 

「ガッ!?」

「ケヒュ……」

 

 操縦桿を握る妖精が腹部に熱い鉄を差し込まれたような熱を感じる。銃弾が一発貫通したのだ。

 

「ぐ……おい!?状況を報告しろ!!お前は、だいじょ……う……」

 

 振り向いた妖精がみたものは、頭頂部を失ってぐったりとする僚友の姿であった。先ほど操縦者を貫いた銃弾は、僚友の体を貫いて勢いを弱めていたものだったのだ。

 

 仮に、銃弾がそのまま直撃していたなら、操縦者の妖精は一撃で事切れていただろう。友の命が、己の命を紙一重に繋いだのだ。

 

「ぐっ……おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!」

 

 操縦者の妖精は、何かを訴える様に雄叫びを上げる。意味などはない。だが、そうせざるを得ないのだ。感情の迸りにまかせて、一人の男が叫んだ。

 

「『日ハノボレリ!!!日ハノボレリ!』ゲホッ……『日ハノボレリ!!!』」

 

 声を上げるたびに命が抜け落ちていく。

 

 それでもやめない。今生の命が尽きる瞬間まで、決して叫ぶ事をやめない。

 

 それが、命をかけた僚友達に報いる唯一の手段であるから、今なお命をかけて戦い続ける仲間たちの為になるから。

 

「日ハノボレリ!!!!」

 

 世界の果てまで届けと、そう思いを込めて、男は叫び続ける。

 

 

 そして、彼らの魂の叫びが、捨て身の献身が、世界を動かす。

 

 ***

 

「無線を探知、『日ハノボレリ』繰り返します!『日ハノボレリ』」

「石壁提督の作戦が……成功しました!!」

 

「「「「「おおおおおおおおおおおおおお!!」」」」」

 

 ラバウル基地に集う提督達はその報告に沸いた。あの鉄壁の牙城を、石壁達は突き崩したのだ。

 

「各々方!機は熟した!!石壁提督は確かに約定を果たしたのだ!!今度は我々の番だ!!」

 

 ラバウル基地司令の南雲がそういうと、その場の全ての提督が同意した。

 

「おう!各艦隊へ通達だ!!これより『遭難した民間船救助の為に』艦隊を動かす!」

「うちの輸送艦隊が敵と『遭遇』した。これを助けるために援軍を出そう」

「威力偵察部隊が敵と衝突、この撤退を助けるために増援艦隊を出す」

「おっと、輸送艦隊と間違えて主力艦隊を遠征に出してしまったぞ、年を取るといかんな」

 

 その瞬間、ソロモン諸島各地で『偶発的な戦闘が一斉に発生』これを助けるために各泊地の主力艦隊がぞくぞくとショートランド泊地近海へ集結し、深海棲艦と『偶然』死闘を繰り広げる事になる。

 

(ははは、すごい。あれだけ本土への憎悪で凝り固まっていた皆の意識が一つになっている)

 

 南雲は、石壁を中心として停滞していた自分たちの世界が大きく動きだしたのを確かに感じていた。

 

(世界が、時代が動こうとしている。一人の男を中心として広がる波紋が、世界へと広がっているのだ)

 

 そんな影響を与える存在を、歴史はこう呼ぶ。

 

(『英雄』か。はは、彼には似合わないな)

 

 脳裏に浮かぶ青年の顔がひきつっている。付き合いの浅い南雲でもわかる。平々凡々とした安穏を好む彼は、その称号を好まないだろうということが。だが、そんな彼だからこそ、南雲達は惹かれるのだろう。

 

「さて、では我々の『英雄』を助けに行こうか」

「「「おう!」」」

 

 

「総員抜錨!!最大戦速!!」

「ショートランド泊地近海の味方を支援せよ!」

 

 

「ラバウル航空隊、友軍支援の為、戦略爆撃開始します」

「パラオ泊地艦隊、戦場へ到着、戦闘に参加します!」

「リンガ泊地艦隊!友軍の救援へ向かいます!」

「トラック諸島遠征隊、哨戒活動を開始します!」

「ブルネイ潜水艦隊、威力偵察を開始する!」

「タウイタウイ泊地艦隊!鉄底海峡近隣の輸送隊を確認!!彼等の輸送作戦を補助する!」

 

 ショートランド海域周辺で同時多発的に発生した『偶発的な会敵と戦闘』、それに加勢するために大勢の艦娘が戦場へと結集していく。

 

 表立っての支援を行えば大本営からどういう報復を受けるかわからないが故に、彼らは全力でショートランド泊地近縁の敵と偶然遭遇し、偶然戦っているのである。

 

 だが、そんな事をしらない深海棲艦達はショートランド泊地への援軍であると誤解して迎撃にあたる。これによってショートランド泊地への兵員の増員を防ぎつつ、敵本拠地への帰投を妨げているのだ。これによって飛行場姫が増援艦隊阻止に振り分けた数千名にも及ぶ深海棲艦の遊撃隊が動くことが出来なくなったのである。

 

 近海の制海権は取り戻した。敵の本拠地へは刃を差し込んだ。今戦場で自由に動けるのはショートランド泊地へ押しかけている深海棲艦達と、石壁だけであった。

 

 後は決着の時まで泊地に押し寄せている数千隻の深海棲艦を釘付けにすればいいだけだ。

 

 

 

 石壁の渾身の策が、今花開こうとしていた。

 

 

 

 

 



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第三十九話 戦艦武蔵

「夜明けか……ん!?」

 

 島の東から攻め寄せてきた深海棲艦達は、背後から夜明けの光が来たことで思わずそちらを向き、ありえないはずのものを目撃した。

 

「あ、アイアンボトムサウンドを覆っていた闇の結界が……無くなっている……!?」

 

 昼も夜も変わること無く鉄底海峡を覆っていた闇のベールが消えていた。本拠地の飛行場姫の島までは見えないものの、絶対にあるはずのものがないというインパクトに、思わず侵攻部隊の前線隊長であった深海棲艦は呆然としてしまった。彼女にとっては夜が開けたら庭先に見えた富士山が消えていたぐらいの驚天動地の事態であった。

 

 その瞬間、隊員達の無線機が一斉に鉄底海峡からの広域電波を受信した。

 

『ザザー……この無線を聞く全深海棲艦は直ちに鉄底海峡に帰還せよ!!!急げ!!うわっ!?助けーーザザァッ!!』

 

 その雑音と爆音混じりの悲鳴のような救援要請に、本拠地が大変な事態に陥っていると彼女達は気づいた。

 

「い、急いで本拠地に撤退するんだ!!急げ!!飛行場姫様があぶなーー」

 

 その瞬間、凄まじい轟音とともに周辺の深海棲艦もろともに前線指揮所が消し飛んだ。

 

 

 ***

 

 数分前、要塞陣地の指揮所。

 

「鉄床海峡へ飛ばした偵察機より入電!!『日ハノボレリ』!!繰り返します!!『日ハ

 ノボレリ』!!作戦は成功しました!!奇襲成功です!!」

 

「「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!」」」」

 

 指揮所に集っていた皆から歓声が漏れる。

 

「よし!!作戦は最終段階へ移行する!!総員出撃!!撤退しようとする敵に食らいついてやるぞ!!!」

 

『応!!!』

 

 その瞬間、一部の妖精をともなって石壁が走り出す。行き先は要塞線の中に隠蔽されたカタパルトだ。そこには発射台の上に座る武蔵の姿があった。

 

「待ちくたびれたぞ、相棒」

「……最後にもう一度だけ聞くぞ、良いんだな?」

「愚問だ」

 

 寸の間、逡巡したようにそう訊ねた石壁に、武蔵は躊躇いなど微塵も感じさせない力強い笑みで返した。

 

「……わかった」

 

 そう言って、くるりと背後に集う妖精たちを振り返った石壁。眼前には、指揮所で苦楽を共にしてきた妖精たちの姿があった。

 

 彼等は皆一様に笑みを浮かべている。これから戦場へ赴く事への覚悟は出来ていると、その笑顔が雄弁に語っていた。彼等にこれから下さねばならない命令の過酷さに、石壁は後ろ髪をひかれながらも叫んだ。

 

「みんな聞いてくれ!!これより僕らは死地に飛び込む!!」

 

 石壁は声を張り上げる。

 

「ここがこの作戦最大の激戦地になる!!この中の何名が再びここに戻ってこれるか分からない!!だが、それでも僕達はいかなきゃならない!!」

 

 石壁の演説はつづく。

 

「この作戦は無茶苦茶だ!!こんな作戦を思いついた僕を恨んでくれても、罵ってくれても構わない!!でも、やらなくちゃ勝てないんだ!!」

 

 石壁は血を吐くような思いで続ける。

 

「だから皆の命を僕にくれ!!勝利のために、この泊地に集ったあらゆる人たちの為に!!僕と共に出撃して欲しい!!」

 

 石壁の言葉を聞く妖精達の顔に戦意がみなぎる。それをみて、石壁は遂に最後の一線を越えた。

 

「行くぞ!!!!」

「「「「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」」」」」」

 

 

 全ての妖精達が、石壁の掛け声に応じた。それは要塞線中に伝播していき、世界を揺るがすような大合唱となった。

 

 皆の覚悟を見て石壁が武蔵へと向き直る。武蔵は、今まで見てきた中で最高の笑顔で待っていた。

 

「行くぞ!武蔵!!お前の生まれてきた意味を見せてやるんだ!!」

「おう、この武蔵に任せろ!!」

 

 その瞬間、その場にいた全員が武蔵に吸い込まれて消え失せた。武蔵に搭乗したのである。

 

「カタパルト準備完了しました!!」

「出撃用意完了!!」

「カウント開始します!3、2、1……発艦!!!」

 

 艦内の指揮所で、石壁は覚悟を決めて叫んだ。

 

『武蔵出撃!!!』

 

 石壁が号令したその瞬間、武蔵は飛んだ。カタパルトが飛び出すと同時に、十数万馬力の脚力でもって戦艦が空を翔んだのだ。

 

 そして、要塞線に押し寄せる敵艦隊の上空にたどりついた瞬間、艦娘であった武蔵がまばゆいばかりの光につつまれ、急速に拡大していく。

 

「変身……!!艦艇形態……!!」

 

 光は全長数百メートルに拡大し、空中にその異形が姿を表す。70年前に海の底に沈んだ筈の、世界最大、最強の一角。

 

 幕末から昭和までの激動の時代を駆け抜けた大日本帝国という彗星が生み出した、時代にそぐわぬ最強の戦艦。

 

「『戦艦武蔵』推して参る!!」

 

 

 

 戦艦武蔵が空中に出現したのだ。

 

 

 

「な……」

 

 そのあまりに唐突かつ非現実的な出現に、泊地に押し寄せる深海棲艦達が面食らう。空中に浮かぶ大質量は、そのまま重力に引かれ大地に落ちる。世界最大の超超超ド級戦艦はその大質量を余すところなく活かし、大地に蠢く深海棲艦達を押しつぶしながら慣性の法則に従いスライドする。

 

 そして、敵本隊の方向に船体側面を、すなわち世界最強の戦艦のキルゾーンを向けて静止した。

 

 そう、艦娘形態でも凄まじい威力を誇る四十六センチ砲が、そのスペックを最大化した戦艦形態で全門そちらに向いているのだ。

 

「痛いのをぶっ食らわせてやれぇ!!」

 

 砲兵長妖精の怒号が響く。

 

「神仏照覧!!武蔵撃て!!!」

 

 石壁の号令に、武蔵は男らしい笑みで応えた。まさか戦艦艦娘としてではなく、ただの戦艦武蔵としてその十全を振るって見せる日が来るとは思っていなかったからだ。世界最強・最大の大海獣(リヴァイアサン)のアギトが、全てを飲み込まんと開かれたのである。

 

 石壁の号令に応えて、万感を込めて武蔵が叫んだ。

 

「全門斉射ッッッ!!!!」

 

 その瞬間、凄まじい衝撃波を伴う爆音と共に、四十六センチ砲から九発の九十一式徹甲弾が撃ち出された。

 

 至近弾でさえその衝撃波で船体にダメージを与えるというその砲弾の斉射は、その余波だけで武蔵の船体下部でひしめく深海棲艦達を吹き飛ばし、打ち出された砲弾は空気を引き裂いて敵艦隊に殺到した。

 

 1,5トンの弾丸が時速数千キロメートルでほぼ水平に射出されたのだ。それは上陸中だった部隊へと突き進み、前衛のル級達を粉微塵に粉砕し、中心部隊であった隊長格のタ級達のド真ん中に着弾した。

 

 大質量の着弾でまず、不幸にも着弾点付近に居た数十体程のタ級が消滅し、炸薬の爆裂と共に破片一つ一つが必殺の破壊力を秘めて飛散する。半径数百メートル内の数百名に及ぶ深海棲艦達は良くて四肢欠損、運が悪ければそのまま致命の一撃を浴びて事切れた。

 

「があああああ!!!???」

「脚がアアア!!??」

「目が見えん!!??」

 

 否、本当に幸運だったのは一撃で死ねた連中だったようだ。全身を主砲弾の破片で食い破られながらも、その強靭な生命力故に死ねなかったタ級達は苦しみ悶えている。しかし、敵に情け容赦をかける石壁ではない。仲間の為に石壁は情けを捨て、修羅となって追い打ちをかける。

 

「主砲次弾装填!副砲斉射!時間を稼げ!!」

「了解!!次弾装填急げえ!!」

「機銃!!副砲!!何でもいい!!撃って撃って撃ちまくれ!!敵に息をつかせるな!!」

「了解しやした!!」

 

 石壁の声に戦闘指揮所の妖精達が応える。

 

 武蔵の主砲の自動給弾システムが全力で稼働する中、副砲や機銃が火を吹き、混乱の渦中である深海棲艦達に降り注いだ。

 

「ぐうう!?何をしているお前ら!!反撃しろ!!あのデカブツだ、砲弾を外す方が難しいだろうが!!!撃て撃て!!撃ちまくれ!!!」

 

 とあるタ級のその言葉におされ、すかさず数十発の主砲弾が武蔵に叩き込まれた。砲弾は武蔵の装甲を穿ち、機銃砲座を吹き飛ばし、その船体に悲鳴を挙げさせた。

 

「カフッ……」

 

 指揮所の武蔵の本体が血を吐く、船体各所の妖精たちは死にもの狂いでその対応に追われた。

 

「十二番銃座炎上!消火班急げ!」

「衛生兵!!こっちに来てくれ!!」

「弾足りねえぞ!!こっち持って来い!!」

「死体を銃座から引きずり出せ!!次は俺が銃座につく!!」

 

 これが戦闘艦艇形態のデメリットだ。戦闘艦艇形態は通常の艦娘形態の十倍近い戦闘力を発揮するが、その巨体故に回避が効かず一方的に撃たれてしまう。これではいかに強力であろうと危なっかしくて戦闘に使えたものではない。しかも、そのダメージは艦娘にフィードバックされるのだ。

 

 だが……

 

「大丈夫か武蔵!」

「ふん…… 戦艦が簡単に沈むものか……!その程度で……この武蔵が落ちるものか!!」

 

 武蔵は揺るがない、数発の主砲弾が装甲を貫通し、いくらかの副砲や機銃砲座を吹き飛ばしたが、それだけだ。『その程度』なのだ。

 

 戦艦が沈むというのは、喫水線以下で魚雷が直撃し浸水して横転するか、基幹部や弾薬庫等への直撃弾による爆沈が主だ。武蔵や大和は魚雷でやられた。が、ここは陸上である。いくら体に風穴が開こうが沈没することはない。

 

 しかも、事前に燃料の大半はおろしてあり、機関部は武蔵の兵装を動かすための最低限しか稼働していない。これでもし基幹部を撃ち抜かれようとも、武蔵を爆砕するのは不可能だ。

 

 可燃物、爆発物の最低限しか無い陸上に存在する戦艦武蔵という、おおよそ敵からすれば悪夢のような代物が顕現したのである。

 

「はは……いいぞ……この痛みだ……この興奮だ……」

 

 武蔵は溢れ出る血を味わうように舌なめずりをした。ゾクゾクと背筋を伝う興奮に、凶悪な笑みが溢れでる。

 

「もっと撃って来い!!この『戦艦武蔵』を最期まで戦わせてくれ!!!!石壁提督、命じてくれ!!!!貴様の敵の一切を討てと、砲塔が焼け落ち、装甲の一切が断ち切られ、艦艇としてその命尽き果てるまで戦えと!!!!」

 

 武蔵は嗤った。前世ではついぞ得ることの出来なかった戦艦としての戦いに、大艦巨砲主義の全てを出し尽す興奮に、『戦艦武蔵』は狂喜しているのだ。艦娘でありながら深海棲艦でもある彼女は、その内に眠る狂気に身を任せて暴れ狂おうというのである。

 

「勝手に死ぬなよ武蔵!!お前が死ぬ時は僕の死ぬ時だ!!お前が本当に最強の戦艦なら……自分の命ごと僕を護り通して、敵の一切を殺し尽くせ!!!」

 

 だが、それを石壁は許さない。ある意味でただ勝つよりも難しいオーダーでもって、武蔵を此方側へと引き戻す。

 

 石壁の言葉に一瞬あっけに取られた武蔵に、もう一度命令する。

 

防空戦闘(おぜんだて)は僕に任せろ!命令だ、武蔵!!『一切を殺し尽くせ!!武蔵こそ世界最強の戦艦だと証明しろ!!』」

 

 石壁のその無茶苦茶な命令に、武蔵は頷いた。先ほどまでの狂気ではなく、最高の笑みでもって応えた。

 

「この武蔵の全てをかけて、証明してみせよう!!貴様の武蔵は世界最強だとな!!!」

 

 その直後、主砲の装填が完了した。

 

「斉射アァッ!!!」

 

 轟音と共に世界が揺れた。己の存在意義を証明する為に、託された思いに応える為に、そして何よりも石壁の為に。彼女はその全身全霊を込めて最悪の戦場へと挑むのだ。

 

 自らの、世界最高の提督とともに。

 

 

 ***

 

「おい!貴様ら!!戻れ!!……だめだ。完全に統制から外れてしまった……」

 

 侵攻軍最高司令官であった戦艦タ級フラグシップは頭を抱えていた。本陣と前線指揮所の間の意思疎通が完全に寸断され、前線の深海棲艦達が独断行動を取り始めた事で完全に指揮能力を喪失したからだ。これによって本拠地である鉄底海峡が大変な事になっているというのに、彼女達は撤退する事が出来なくなってしまったのだ。絶対的な暴力と強権によって統制されていたが故に、その鎖が無くなってしまえば後は好き勝手に動くしか出来なくなるのである。

 

「イシカベ……これがお前の狙いか。何をどうやったのかも想像がつかないが……貴様自ら攻撃を受け止めている間に鉄底海峡を完全に破壊し、同時に戦艦武蔵という絶対に目をそらす事の出来ない超兵器を我々にぶつけて戦場に戦力を縛り付けるのが……!」

 

 石壁の策の全体像はこうだ。護りきる事が不可能と判断したが故に、己以外の全提督と最低限以外の全艦娘を攻撃に回し、『たった一人の提督と妖精達だけで敵を受け止める』まずその段階で無謀でしかないこれが、作戦の第一段階。

 

 その次が、自身の艦隊の駆逐隊だけで敵陣を限界まで引っ掻き回して防御陣を撹乱して敵を引き寄せるという第二段階。

 

 撹乱した防御陣を突き破り敵の本拠地へと精鋭部隊という『おとり』を突き込み結界破壊の為に時間を稼ぐ第三段階。

 

 伊能達が結界を破壊し、新城が全戦力を突き込み、南洋諸島泊地連合軍によって敵の予備選力を全て膠着させる第四段階。

 

 そして最終段階、残った全戦力を叩きつけると同時に、『たった一隻の戦艦』で数千名の深海棲艦を全て喰らい付かせて決着までの時間を稼ぐという捨て身の時間稼ぎである。

 

 新城はこの作戦を聞いた時そのあまりに狂気が満ちた戦略に怒号を上げて激発した。石壁にかかる負担が、あまりにも極大であったからだ。だが、これ以外に1万数千隻もの深海棲艦を受け止めながら勝利をつかむ方法など石壁には思いつかなかったのだ。

 

 正気にて大業はならず。石壁は鉄底海峡を本気で攻略するために死に物狂いの狂人となって、己の命すらかけて戦いへと挑んだのである。

 

 武蔵が初撃で前線指揮所を完全に吹き飛ばしたのは偶然ではない。武蔵という世界最強の釣り餌に全ての敵を引き寄せるために、敢えて敵の脳みそを叩き潰したのだ。

 

 それは即ち数千名にも及ぶ残りの深海棲艦全てを暴走させるに等しい。石壁はその狂乱し怒涛となり押し寄せるであろう深海棲艦を全て己で受け止めるつもりなのだ。

 

 勝利を掴むために。

 

「……もはや我々にはこの戦いの行方を見守るしかない」

 

 タ級は戦いの采配が完全に己の手を離れた事で、戦場に鎮座する大戦艦をただじっと見つめる事しか出来ない。

 

「私には分かっているぞイシカベ。あの南方棲戦鬼様を前にして一歩も引かなった貴様の事だ。其処にいるのだろう?あの時のように、貴様は今も命懸けで戦っている筈だ」

 

 その言葉には、一歩も引かずに自分たちと戦い続けた敵将への複雑な敬意が含まれていた。石壁を敵として本気で戦ってきたからこそ、彼女は石壁を真の英雄として認めているのだ。

 

「見届けさせてもらうぞイシカベ!!貴様の戦いの全てを!!」

 

 己の主君である南方棲戦鬼を打ち取った英雄の戦いがどの様な結末を迎えるのか。その答えが出る時は、近い。

 

 

 

 

 

 

 



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第四十話  生と死の境界線 前編

 無線通信の後、一斉に砲雷が鳴り響く。戦艦と重巡洋艦の主砲より発射された三式弾は空中で爆散し、無数の子弾を大気中にばら撒いた。その子弾が島全体へと絨毯爆撃のように破壊をまき散らす。

 

 飛行場姫の手によって島中へと拡大された飛行場であったが、規模が10倍に拡大したならこちらは100倍の火力を叩き込むだけと言わんばかりに艦砲射撃の雨が降り注ぐ。飛行場に大穴が空き、格納庫が吹き飛び、燃料や弾薬の貯蔵庫に引火して大爆発を引き起こす。

 

 全てを吹き飛ばす鉄火が飛行場姫の依り代をズタズタに引き裂いていった。

 

「がああああ!?くそっ!?飛行場が砕ける!?ち、力がぬける!?」

 

 爆撃の度に飛行場姫の全身を支えていた全能感(ゲージ)が消え失せていく。鉄底海峡という彼女の王国に支えられた絶対の女王から、ただの飛行場姫へと引き戻されていく。

 

 基地型深海棲艦のその力の源は、依り代となる基地の存在だ。基地型深海棲艦は陸上建造物という、艦艇の艤装と比べて圧倒的に巨大な武装を有しており、当然それに比例する形で膨大な航空戦力と、周囲の深海棲艦への指揮能力を有しているのだ。基地が健在である限り、その圧倒的な能力が揺るぎないアドバンテージとなるのだ。

 

 だが、逆説的にそれは基地さえ破壊できればその圧倒的な戦力は意味のないものになるという事を意味する。つまり、巨大な陸上基地の存在は強みであると同時に、弱点でもあるのだ。艦娘に例えるなら基地型深海棲艦は常に艦艇形態であると言ってもいい。つまりハイリスク・ハイリターンの深海棲艦なのである。

 

 その点、飛行場姫の作戦は完璧であった。彼女の特性は「世界を闇夜に変える事」だ。自身の支配領域一帯を強制的に常闇の世界に変換する事で艦娘の航空戦力を封殺して空爆を防ぐ。その上で攻撃時は結界の外へと自身の航空隊を送り出す事で航空基地としての機能もしっかりと確保している。

 

 更に基地であるという特性を活かして強力かつ潤沢な艦隊を常備し、敵主力艦隊を近寄らせない事で自身の支配領域に基地への砲撃能力を有する戦艦群を近寄らせない鉄壁の防御陣を引いている。

 

 とどめに支配領域である鉄底海峡は無限に等しい深海棲艦が生まれる大軍需工廠に等しく、守る戦力も攻める戦力も勝手に増えていくのだ。

 

 空海共に敵の大戦力を封殺し、忍び込む少数精鋭の艦隊は基地そのものの大戦力で磨り潰し、時間さえ稼げば勝手に増えた戦力でゴリ押して敵を殴殺できるという反則のような戦法を用いていたのだ。彼女が『常勝』であったのは当然なのだ。彼女は勝つための手段を最初からすべて持っているのだから。

 

 完璧だった。その筈だった。だが、反則じみた戦い方よりも更にぶっ飛んでいた(チートだった)のは石壁達の方だった。

 

 深海棲艦が『闇を作り出せる』なら、艦娘は『闇を払える』筈だなんて不確かな考えだけで、本当に『闇を切り払った』のである。

 

 思いついた石壁も石壁だが、本当に切り捨てた伊能もまた十分に頭のネジがぶっ飛んでいると言えるだろう。石壁が護りの天才ならば伊能は攻めの天才。その二人が力を合わせればこの世の常識すら破壊出来るのだ。

 

「はははは!オイ見ろよ金剛!あの不感症ファッキンビッチようやくいい声出しやがったぜ」

「おうよ、どうやらお灸が効きすぎちまったようだねぇ」

 

 ジャンゴと金剛の笑みが凶悪に歪む。猛禽類が獲物を狙うような鋭い眼光と、獣が牙を向くような口元の笑み。泣く子がひきつけを起こしそうな凄絶な笑みであった。こういう仕草や表情がいちいち似ているのがこのコンビらしかった。

 

「さっき金剛が三式弾を打ち込んだ時は効果が無かったが、今は空いた穴が塞がる前に次の穴が出来て回復が追っつかねえようだぜ!!チャンスだ金剛ぶっ殺すぞ!!」

「あたぼうよ!!手前等らいくよ!さっさとあのいけ好かないアサガラババアに引導をわたしてやらぁ!!

 

「「「「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」」」」」

 

 ジャンゴの艦隊が基地ごと叩かれてボロボロになっている飛行場姫へと接近する。

 

「……が」

 

 その瞬間、飛行場姫の目が赤く輝いた。燃え盛るような憎悪と殺意があふれ出し、世界が震えるような気迫が金剛達を圧した。

 

「クソッタレの有象無象が近寄るんじゃないわよ!!死ね死ね死ね皆残らず死ねえええええええ!!!!」

 

 飛行場姫は余裕をかなぐり捨てて全力で抵抗を始めた。基地に備蓄されていた大量の航空機を発進させ、全ての砲台を起動し、生き残った周辺の深海棲艦を全て叩きつける。そこに先ほどまでの泰然とした女王の面影はない。ただ独り、ただの飛行場姫の、ありのまま全てがさらけ出されていた。

 

「おいおいクソビッチ、随分と余裕がねえじゃねえの」

「大物の仮面が剥がれて本性が剥き出しになってるんでい。なさっけねえ、大物ぶるなら死ぬ時まで笑うぐらいの覚悟みせやがれってんだ」

 

 ジャンゴと金剛の挑発を聞いた飛行場姫は、二人へ向けて牙を向きだしにして憎悪を込め睨みつけた。ここにきて初めて、彼等は互いに『目を合わせた』のである。

 

 もう手の届かない雲の上の敵ではないのだ。もう触れる事すら出来ない羽虫ではないのだ。

 

「どうせ私は小物よ。どうせ私は弱いわよ」

 

 地鳴りが響く。

 

「南方棲戦鬼みたいな最強の化物にはなれない。イシカベみたいな運命をひっくり返す英雄にだってなれない」

 

 彼女は窮地に追い込まれて己の地金を露出させる。それは言い換えれば、彼女がその底力を全開にして抵抗を始めたという事でもある。

 

「だけど私は絶対に諦めない!!絶対に負けてやらない!!」

 

 空を覆う無数の艦載機、基地機能の8割を不意打ちで破壊されて尚、未だにその戦闘指揮能力は高い。彼女は最悪この状況に追い込まれる事まで想定して予備戦力を準備しておいたのだ。飛行場姫自身のもつ種として最高級のキャパシティーを全開にして、彼女は全身全霊をかけてジャンゴ達を迎え撃つ。

 

 つまりこの戦力が、彼女の最後の予備戦力。鉄底海峡の戦力の底が見えたのだ。

 

「たとえ何千の深海棲艦をすり潰され、何万機の艦載機を墜とされようが……知ったこっちゃないのよ!!私は死にたくない!!負けたくない!!最後に勝つのは絶対に私……それが!それだけが!!私の誇りなのよ!!」

 

 牙を剥き出しにして闘志をさらけ出し、彼女は叫ぶ。こんな結末は認めない。認めてたまるかと。

 

「その為なら地べたを這いずり泥水を啜ったって構わない!!プライドなんかドブに捨ててやるわ!!!」

 

 常勝の深海棲艦とまで言われた彼女の魂の核、それはこの徹底した勝利と生への渇望であった。徹底した数による王者(弱者)の戦略の徹底だったのだ。己の弱さを知り、敵の強さを知るが故に、どこまでも貪欲に勝利を欲した。その為の手筈を整えた。その為に成すべきことをやってきた。それ以外に必要な全てを捨ててきた。故にこそたどり着いた『常勝』であったのだ。

 

『チョックメイトだぜひとりぼっちの女王様(クイーン)

「やれるもんならやってみなさいよ成り上がりの雑兵(ポーン)風情が!!」

 

 鉄底海峡の戦いは、最終局面へと突入した。

 

 

 ***

 

 ジャンゴ達が飛行場姫(クイーン)へと『チェック』をかけているのと同時に、深海棲艦達もまた石壁(王将)へと『王手』をかけていた。

 

「武蔵損傷拡大!!船体各所に断裂!!」

「海側を向いている機銃の殆どが砲撃で吹き飛びました!!!!」

「深海棲艦の方を向いてない機銃を引っぺがして設置し直せ!!」

 

 現在死地の真っ只中にいる武蔵艦内の指揮所では、集中する砲爆撃で船体各所が砕ける音が絶え間なく響き、伝声管からは悲鳴のような報告が飛び込み続ける。

 

「ぐ……ッ」

「武蔵!!大丈夫か!!」

 

 轟音が響く度に、指揮所にいる武蔵が苦痛のうめき声を上げる。彼女は艤装である戦艦武蔵とリンクしている為、破壊の度に全身に裂傷や打撲傷が現れ、血が口中に溢れ出てくる。

 

 武蔵は既に生きているのが不思議な程の重症を負っている。それでも尚立ち続けるのは、武蔵の精神力の頑強さとそれを支える石壁の存在故にである。並の艦娘や提督であれば、既に艦とのリンクを遮断して倒れ伏すか、その損傷に耐えられず死ぬかの二択であっただろう。大和型戦艦の重装甲と、世界で最も護りに長けた石壁の補助があるからこそ、なんとか立っていられるのだ。

 

「がはっ!?」

「武蔵!!」

 

 だが、武蔵が更に大量に血を吐く。武蔵に近寄った石壁の軍服が血まみれになる。これ以上は武蔵が本当に死んでしまうと感じた石壁は、思わず叫んでしまった。

 

「もういい!!もう充分だ武蔵!!艦とのリンクを遮断しろ!!!」

 

 石壁はそう悲鳴を上げて、血まみれの武蔵の体を支える。

 

「何……を言う……まだまだ……この武蔵は……死なん……さ」

 

 そういいながら、石壁の手を払い武蔵は笑った。だが既に隠しきれない死相がその顔に浮かんでおり、ここで引かねば武蔵の命は引き返せない位置まで燃え尽きてしまうだろうというのが石壁には分かった。

 

「だが……!!」

 

 その瞬間、今までで最大の衝撃が指揮所を襲った。その衝撃は凄まじく轟音が指揮所を揺るがせ、石壁は思わずよろめいて壁に手をついた。それと同時に艦橋へと砲弾が複数発飛び込み、更なる衝撃が連続して発生していく。

 

「な、なんだ!?」

「敵砲撃が艦橋に集中しています!!ここは危険です!!石壁提督避難を……」

 

 その瞬間、石壁が手をついていた壁が爆発した。石壁達は艦橋の一番下、根本のあたりの一番重装甲の指揮所に居たが……不幸にも一発の砲弾がそこに飛び込み装甲を貫いたのである。

 

「があああああああああ!!????」

 

 その衝撃に石壁がもんどり打って倒れ、飛び散った装甲片で数名の妖精が致命傷をうけて絶命した。

 

 

「あ……が……」

 

「て、提督!?」

「石壁提督!!」

「大丈夫ですか!?」

「衛生兵きてくれ!!急げ!!」

 

 

 石壁は苦痛に呻きながら、どうにか立ち上がろうと藻掻き、地面に手をついた。……否、つこうてして、つけなかった。

 

「……え?」

 

「「「「「ッ!?」」」」」

 

 妖精たちが驚愕に息をのんだ。

 

 

「……え?……あれ?」

 

 石壁は自由が利く方の左腕で、何故か動かなかった右腕へと手を伸ばした。そして、気がつく。

 

「……はは……は」

 

 石壁の右腕が、何処にも無かった。

 

 それを自覚した瞬間、脳髄を焼き切るような激痛が石壁に走った。

 

「があああああああああ!!????」

 

 獣が咆哮するような苦痛の叫びに、凍りついていた指揮所が再起動した。

 

「腕が!!!???腕があああああああああ!!????」

「おい!!!衛生兵はまだか!!!」

「モルヒネを射て!!!」

「気を確かに石壁提督!!!」

 

 周辺の妖精達が大慌てで駆け寄ってくる。

 

「……ッ!」

 

 次の瞬間、糸が切れたように武蔵が倒れ伏した。石壁が錯乱した事で、提督からのバックアップが途絶えたのだ。それによって遂に武蔵が限界を迎えたのである。

 

「む……むさ……し……!!!」

 

 

 それを見た石壁の瞳に、正気が戻る。気が狂いそうな激痛の中でも、武蔵が倒れたというその一点の方が石壁にとっては看過出来なかったのだ。激痛で狂いかけた石壁の瞳に光が戻った。

 

「もはや限界だ!!総員退艦命令をだそう!!」

 

 とある妖精がそう言った瞬間、石壁が叫んだ。

 

「まだだ!!!まだ……まだ戦いは終わってない!!!!」

「石壁提督!?」

 

 石壁にも意地があった。これだけ多くの命を連れて死地に飛び込んだ以上、自分が真っ先に退場するわけにはいかない。そう覚悟を決めて、石壁は痛みの一切を無視した。

 

「しかし!?その出血では早急に処置をせねば長くもちませんよ!?」

「なら出血だけでも今止めればいいんだな!?」

 

 そう言うと石壁は先ほど手を当てていた壁の周辺に目をつける。そこは爆撃により赤熱しており、手をあてれば一瞬で肌が焦げ付くだろうことが傍目からでも見て取れた。

 

 

「作戦が終了するまで僕は退艦しない!!!これが……皆を死地に連れて来た僕の覚悟だ!!!」

 

 直後石壁は、欠損した右腕を赤熱した壁に押し当てて、出血を焼き塞ぐという暴挙に出た。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!!!!!!!!」

 

「「「「「!?」」」」」

 

 声にならない叫びが、石壁から漏れる。その余りに凄惨な姿に、妖精達は驚愕して息をのんだ。

 

「何時まで寝ているんだ武蔵!!!!まだ死ぬには早いだろう!!!!!」

 

 そう言いながら倒れ伏していた武蔵の上半身を残った左腕で抱き起こす。

 

 石壁は今限界まで放出されたアドレナリンで痛みを誤魔化しており、溢れ出る脳内麻薬で極度の興奮状態にあった。それはさながら蝋燭が消える前に燃え盛るが如き状態。石壁はその危険な力強さを孕んだ意思の力を武蔵へと流し込む。それによって再び武蔵とのパスを繋ぎ、燃え尽きかけた彼女の心に炎を燃え滾らせる事となる。

 

「……あたり……まえだ……提督!!」

 

 閉じていた瞳を開き、眼光鋭く武蔵が応じた。まだ戦いは終わっていない。ボロボロの艦娘と提督の戦いは、まだ終わっていないのだ。

 

 二人の視線が交錯する。それだけで互いの想いは通じる。

 

「やれるか。武蔵」

「無論だ。相棒」

 

 その一瞬で石壁は覚悟を決めた。この世界最強の相棒と共に、最後まで駆け抜ける覚悟を。

 

「広域無線を開け!!」

 

 石壁の言葉に指揮所の妖精が困惑する。

 

「それでは敵に傍受されてしまいます!!」

「良いんだ!全力で聞かせてやれ!!」

 

 石壁はマイクへ向け叫んだ。

 

「この無線を聞く全ての者達へ告ぐ!!」

 

 石壁は焼きふさいだ腕が燃える様に痛むのを無視して、声を張り上げる。

 

「僕は石壁堅持!!このショートランド泊地の総司令長官だ!!」

 

 世界に響く。石壁の言葉が、無線に乗って四方八方へ轟いていく。

 

「今僕は戦艦武蔵の艦橋に居る。集中する砲爆撃に晒されて船体は軋み、至る所がはじけ飛び、僕自身も砲撃によって致命的な大怪我を負った!!最早僕の命は風前の灯火と言っても可笑しくはない!!」

 

 石壁のその言葉に、無線を聞いた泊地の面々が目を見開いた。当然だ。自分達の敬愛する上官が大怪我をしたと聞いて驚かない筈がない。一瞬戦場に動揺が走る。

 

「だが、僕は此処から逃げない!!此処が、この戦艦武蔵の艦橋が!!僕の戦場、僕の居場所だ!!僕が此処から離れるときは二つに一つ……ッ!!」

 

 石壁が己の命をチップにした大一番に打って出る。

 

「この戦いに勝つか……負けて死んだ時だけだ!!!!」

 

 勝利か死か、石壁が此処を離れるのは、その何方かだけなのだ。

 

「僕は此処に居るぞ!!泊地の総大将は此処に居る!!深海棲艦(お前等)の怨敵はここに居る!!簡単な話だ!!この武蔵が落ちるか落ちないか……これだけが、この戦いの行方を決めるんだ!!」

 

 石壁が、戦場という火薬庫に特大の火種を放つ。

 

「石壁堅持は、此処に居るぞ!!」

 

 

 ***

 

「お……」

 

 石壁の言葉を聞いた者達の口から、獣の唸り声のような声が、漏れた。

 

「「「「「「「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!」」」」」」」」

 

 

 その瞬間、戦場にいるありとあらゆる存在に、火が付いた。

 

「落とせ!!あの艦を落とせえええええええええ!!」

「あそこに南方棲戦鬼を討伐した石壁が居るぞおおおお!!」

「他の敵はどうでもいい!!あれだ!!あの戦艦が大将首だ!!撃て撃て!!撃ちまくれえええええええええ!!」

 

 深海棲艦達は長く自分たちを手玉に取り続け、辛酸を舐めさせ続けた提督が目の前の艦に居ると知り、雪崩を起こしたように武蔵に群がり始めた。

 

「させるかあああああ!!!!何してる撃て!!撃ちまくれえええええええええ!!」」

「殺せ!!あの深海棲艦達を殺せえええええ!!一体残らず殺して提督に近寄らせるなああああ!!!」

「護るんだ!!石壁提督を!!我々の希望を!!」

「提督を護れ!!我々の総司令官を絶対に死なせるなああああ!!!」

 

 勝利か死か、石壁に残された道はそれしかない。

 殺しつくして生き残るか、抗えずに殺されるか。

 

 英雄が英雄足るには、この二択に挑み続けるしか無いのだ。

 

「総員突撃!!あの艦を食い破れええええ!!!」

「全力死守だ!!石壁提督に勝利を!!勝利を捧げろおおおおお!!」

 

 英雄とは時代の節目に根を張り、大勢の命を死地に引きずり込み、その全てを食らい尽くして成長する怪物だ。

 

 敵も味方も、石壁堅持という存在が、戦場の全ての命を吸引していく。

 

 それはさながら荒れ狂う死の濁流。抗いがたい運命の大渦だ。

 

 

 

 石壁堅持という英雄が、真の意味でこの世に生まれた瞬間であった。

 

 

 

 

 ***

 

 

「武蔵船体下部に深海棲艦到達!断裂箇所より侵入してきました!」

「現在船内各所にて戦闘が発生しています!」

 

 武蔵に群がる深海棲艦の津波がついに隔壁を食い破り艦内に雪崩れ込む。巨大な船体の武蔵の指揮所に到達するにはまだ時間があるが、石壁の首元まで刃が迫りつつあった。

 

「来るぞ!迎え撃て!!」

「絶対に此処から先へ通すな!!」

「石壁提督万歳!!」

 

 船体の各所で陸軍妖精達が軍刀や銃剣を手に接近戦を挑み、血みどろの攻防戦を展開していた。通路一本、部屋一つ一つを奪い合う死闘は時間と共にその激しさを増していく。

 

「食い破れ!!」

「殺せ!妖精も艦娘も一人残らず殺せ!!」

「イシカベはすぐそこだ!!艦内を制圧しろ!!」

 

 船体各所で発生している戦闘は妖精隊が圧倒的に不利であったが、狭い船内での戦闘である事と、艦内構造を知り尽くしている事から地の利は妖精隊にあった。

 

「クソが!!ちょこまかと鬱陶しいんだよ!!」

 

 とあるレ級が艦内であるにもかかわらず艦砲を妖精隊の防御へと向けると、妖精隊だけではなく周辺の深海棲艦達も驚いて声をあげる。

 

「やめろ!!」

「こんな狭い場所で艦砲なんか発射したら!!」

「そいつを止めろ!!」

 

 次の瞬間、閉所で発射された砲弾は盛大に爆発し、防御を食い破らんと前線にたっていた深海棲艦達もろともに防御陣地を吹き飛ばした。

 

「が、はっ……」

「貴……様よく……も……」

「はっ、射線に立つ方が悪いんだよ!!」

 

 砲撃を行った深海棲艦は、味方ごと敵を撃った事に良心の呵責など微塵も感じていないように笑う。

 

「……ぁああああああ!!!」

 

 その瞬間、爆炎を突っ切って妖精が突撃してくる。彼は爆炎と吹き飛んだ破片によって大怪我をしていたが、それでも軍刀を握りしめ、一気呵成に飛び掛かってきたのだ。

 

「なっ!?」

 

 レ級は咄嗟に機銃によって迎撃を行ったが、陸軍妖精は銃弾に体を食い破られようとも止まらずに深海棲艦に飛び掛かった。

 

「ぜりゃああああ!!!」

「がひゅッ!?」

 

 軍刀を喉に突き刺し深海棲艦に致命傷を負わせた妖精は、そこで力尽きて動かなくなった。

 

(こ、こいつ……自分が死ぬ事さえ計算に入れて飛び掛かって来やがった……)

 

 口中に血泡が溢れる中、彼女は目の前の死体となった妖精の事を考える。目の前の妖精は死を避けられぬと見るや、必要最低限即死だけは避けつつ、敵を討つ事だけを考えて攻撃を行ってきた。

 

(死兵……こいつらは死兵だ……己が死んだとしても敵を殺す、そういう連中なんだ……)

 

 彼女は、己が戦っていたモノ達が、自分の想像を超える化物であった事に漸く気がついた。

 

(……ち、くしょう) 

 

 喉を貫かれた深海棲艦は暫し苦し気に足掻いていたが、やがて力尽きて物言わぬ躯と化したのであった。

 

 敵も味方も、あらゆる命が平等に失われて逝く。石壁が生み出した地獄が、業火となって全てを飲み込んで逝く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼が護りたかった全てを巻き込んで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第四十一話 生と死の境界線 後編

 怒涛の如く押し寄せる深海棲艦を押しとどめ続ける武蔵であったが、その戦闘能力の限界が近づきつつあった。

 

「艦内の戦闘激化!!」

「防衛線が突破され初めています!!」

「踏ん張れ!!戦力配置を調整して敵を押し返せ!!一分一秒の抵抗が僕達の勝利に繋がるんだ!!」

 

 片腕を失い焼けただれた体で石壁は防衛指揮を取り続けていた。迷宮のような構造の巨大な戦艦を盾に戦場に居座り続ける彼等は刻一刻と自分達の死が近づいているのをひしひしと感じていた。

 

「第一、第二砲塔は砲撃戦で破損!!これ以上砲撃は出来ません!!」

「健在なのは第三砲塔だけです!!」

「第三砲塔下部でも深海棲艦との戦闘が発生しています!!」

「なんとか砲塔を護れ!!これが奪われたら戦闘能力がなくなってしまうぞ!!」

 

 第三砲塔では、武蔵の最大の武器である46cm3連装砲を護りながら休む間もなく砲撃を続けていた。一度の斉射ごとに数百隻もの深海棲艦を戦闘不能に追い込むその巨砲を護るべく船体内部でも必死の攻防が続く。

 

「次弾装填!!」

「装薬急げ!!」

「砲撃用意完了!!」

 

 すぐそこまで敵が迫っている事を知りながらも、彼等は己の責務を果たしていく。命が終わるその時まで、砲塔を稼働させ続けねばならないのだ。

 

『ここの護りが厚いぞ!!』

『ぶち破れ!!』

『砲撃用意!!』

 

 扉を塞ぎバリケードを作り抵抗していると、壁の向こう側からそんな会話が響いた。その意味を理解したその場の妖精達全員が蒼白になる。

 

「ば、馬鹿者!!」

「何をする気だ!?」

「貴様らやめろ!!こ、この部屋はーー」

 

『撃てええええええ!!』

 

「--弾火薬庫だぞ!!!!」

 

 その瞬間、武蔵の46cm砲弾と装薬が山とつまれた火薬庫に砲撃が飛び込んだ。

 

 ***

 

 武蔵の第三砲塔下部が大爆発を起こした。世界がひっくり返ったかと思うような衝撃が巨大な船体を揺るがし、轟音と共に爆炎が武蔵艦内へと噴出した。弾火薬庫に砲撃を打ち込んだ愚か者たちを含めてその近辺にいたあらゆる生命体が一瞬で息絶えたのである。

 

 余りの衝撃に立っていられず、地面へと体を打ち付けた石壁は、揺れる視界の中で声を張り上げた。

 

「ぐっ!?艦内各所状況しらせろ!!」

「第三砲塔下部にて弾火薬庫が爆発しました!!」

「第三砲塔完全に沈黙!!信号途絶!!装填済みの砲弾を撃ちだす事すら出来ません!!」

「艦内に火災!!現在全力で消火作業中!!」

 

 遂に武蔵の最後の武器が失われた。武蔵の主砲を使う事はもう叶わない。

 

「今の衝撃で一部防衛線との信号が途絶!!」

「ま、まずい!!」

 

 そして、遂にその時がくる。

 

 ***

 

「い、今の爆発はいったい……ああっ!?」

 

 艦内にて防衛ラインの一角を任されていた鈴谷は、目の前の区画一体が吹き飛んで防衛ラインに大穴が空いていることに気が付いた。

 

「いけない!!防衛ラインを現状から更に縮小して戦力を再編!!艦娘の皆は私と一緒に提督の元へ!!妖精さん達は防衛線縮小を開始して!!」

「りょ、了解!!」

「急げ!!ここを護ってももう意味はない!!」

「最終防衛ラインまで引け!!引けえええ!!!」

 

 鈴谷は死に物狂いで提督の元へと駆け出す。すぐに穴を通って深海棲艦が突入して来る。石壁の元に深海棲艦がたどり着く前に、彼の元へと駆けつけねばならないのだ。

 

 ***

 

「イシカベエエエエエエエエ!!殺す!!!貴様だけは!!貴様だけは殺してやる!!!」

 

 だが、鈴谷が行動を開始するより前に、砲塔の爆発による衝撃にも爆炎にも目をくれずに走り出していた敵が居た。彼女は仲間を殺され尽くして消滅した部隊の最後の重巡リ級であった。彼女は憎悪に突き動かされて、一瞬だけ空いた防衛戦の穴へと単身飛び込んできたのだ。爆炎に体を焼かれ、弾火薬庫から爆散した砲弾片に体をえぐられ、それでも止まらず一直線にイシカベの元へと走りぬけたのだ。

 

「……ッ!!最終防衛線が突破されました!!指揮所に敵がーーーー」

 

 その瞬間、全身血まみれの重巡リ級が扉を突き破って指揮所に飛び込んでくる。憎悪を瞳に燃やして、腕を振り上げる。

 

「見つけたぁッ!!死ねえッ!!!!」

 

 リ級の機銃が石壁へと突きつけられた。石壁の首元に遂に手が届いたのだ。

 

「提督を護れ!!!!」

 

 石壁の周りの妖精たちが機銃の射線に割り込むのと同時に、死神の大鎌が振るわれた。

 

「がっ!?」

「がひゅっ……」

「グッ……!?」

 

 指揮所の妖精たちは圧倒的な火力を前に次々と命を失っていく。文字通りの肉の壁となってまでも、石壁を守り通す。妖精たちが弾丸を防いでいられたのは僅かな時間であったが、その紙一重の一瞬が運命を分ける。

 

 妖精たちの体が銃弾を防げなくなり、貫通した弾丸の一発が石壁の頬を掠めて後方を壁を穿つのと、リ級の残弾が尽きるのはほぼ同時であった。彼等の捨て身の献身が、石壁の絶体絶命の危機を救ったのだ。

 

「み、みんな!!」

 

 石壁の目の前で苦楽を共にしてきた指揮所の仲間が一瞬の内に息絶えて行く。心の奥底まで熱した鉄杭を突き立てられたような苦しみが彼を襲った。だが、仲間の死を悲しんでいられる程の贅沢な時間はなかった。

 

「チッ、鬱陶しい羽虫共が!!どけっ!!直接殺してやる!!」

 

 深海棲艦はまだ生きているのだ。如何に石壁とは言え、生身で彼女に勝つ事は出来ない。

 

「ゴフっ……ざ、ぜるがあ”あ”あ”!!」

「絶対に通さん……!!」

「石壁提督、お逃げください!!!」

 

 残弾が尽きて石壁を直接縊り殺さんとするリ級を、全身を穴だらけにしながらも辛うじて生きていた妖精たちが飛びかかって食い止める。

 

「ええい、死に体の癖にしぶとい!!邪魔だ!!」

 

 纏わり付く妖精たちを叩き殺しながらリ級は石壁へと近づこうとする。だが、そこまでであった。

 

「殺す!!絶対に殺してやーー」

「誰を殺すつもり?」

 

 その瞬間、リ級の背後から駆け寄ってきた鈴谷が首に手を添えて握りしめた。

 

「ぐ……がっ!?」

鈴谷(わたくし)の提督を殺そうとする奴は、絶対に許さないから」

 

 鈴谷は底冷えするような殺意を滲ませながら、そのままリ級の首握り潰す。首を握りつぶされて抵抗が緩んだリ級はそのまま地面へと引き倒され、鈴谷のストンピングで顔面を踏み潰されて息絶えた。

 

「提督!大丈夫だった!?」

 

 リ級を確実に仕留めてから、鈴谷は石壁へと向き直る。

 

「ッ、提督、その腕……」

 

 石壁の片腕が無いことに気が付いて、鈴谷の顔が歪む。だが、石壁達にそれを悲しむ余裕も安堵する時間もないのだ。まだ戦いは続いているのだから。

 

「僕は大丈夫だ鈴谷!まだ僕は生きている!!今は僕に構うより成すべき事を成せ!!己の勤めを果たせ!!」

「りょ、了解!!」

 

 石壁の力強い命令を受けて鈴谷は意識を戦闘へと引き戻す。それと同時に、背後から増援がやってくる。

 

「鈴谷さん!!なんとか防衛線を再構築しました!!」

 

 第二水雷戦隊所属の吹雪が駆け込んで来てそう報告する。彼女は神通の推薦でこの戦いでは提督の護衛を務めていたのだ。神通に鍛え上げられただけあって、彼女はこの絶望的な戦況にあっても己の責務を果たしていたのだ。

 

 吹雪の報告を聞いて、石壁は鈴谷へと命令する。

 

「鈴谷、『最終兵器』を使う!!だからもう少し敵を防いでくれ!!行け!!」

「……ッ!!わ、わかった!いくよ吹雪!!この指揮所を死守するよ!!」

「了解!!」

 

 二人が部屋を駆け出して行くと、そこには石壁と武蔵だけが残された。石壁が周りを見渡す。そこにはほんの数分前まで生きていた彼の仲間の死体しかなかった。石壁の指揮を受けて動く手足であった彼等が死に絶えた以上、これ以上の抵抗は最早不可能である。

 

「……ここが限界、か。ありがとう武蔵、『僕達』の戦いは終わった」

 

 石壁は、残った腕で武蔵を抱きしめたままそう呟くと、武蔵の艤装とのリンクを強制的に遮断した。これによって戦艦武蔵の船体は、ただの鉄塊となったに等しい。これで、どれだけ傷ついても、もう武蔵が苦しむことはないのだ。

 

 石壁は無線機を起動させて最後の命令を発信する。

 

「最終兵器を使う。起動コード『サクラ・サクラ』……繰り返す『サクラ・サクラ』……最重要区画以外の防御は捨てて、艦内へと総員退避せよ!!」

 

 石壁はその命令を出すと、疲れ切った様にため息吐いてからポツリと呟く。

 

「後は任せたよ……皆……」

 

 石壁は己にできる全てを出し切った。後はもう、彼が信じた仲間達へと運命を委ねるだけであった。

 

 ***

 

「石壁提督より通信、『サクラ・サクラ』!!最終兵器を起動します!!」

「了解!!格納庫扉開け!!」

「プロペラ回せ!!」

 

 石壁がその命令を出した瞬間、山岳部に隠された秘密格納庫の扉が一斉に開かれた。

 

 内部から現れたのは、今にも飛び立たんとエンジンを回す無数の無人艦載機であった。鳳翔が操る基地航空隊である。

 

「鳳翔殿!基地航空隊3000機準備完了致しました!!」

 

 だが、数が違った。先日の鳳翔が操る事が出来た艦載機が数百機程度であったにも関わらず、現在その10倍近い艦載機が発艦準備を整えてまっているのだ、いくら鳳翔とはいえ流石に多すぎるだろう。

 

「……わかりました」

 

 鳳翔は己の指揮管制能力を限界まで発揮して、艦載機に指示を飛ばす。

 

(……これだけの艦載機を同時に操縦するのは不可能)

 

 もしそれが可能だったなら、どれだけ良かっただろうか。

 

(ですが……『大まかに狙いを付けて突っ込ませる』だけなら、不可能ではありません!!)

 

 鳳翔は瞳に闘志を滾らせて、号令する。

 

「全機『発射』!!目標武蔵近隣一帯!!コンタァーック!!」

 

 鳳翔の号令と同時に、数千機の艦載機が一斉に飛び立った。だが、それで終わりではない。

 

「第二次攻撃隊準備急げ!!」

 

 すぐさま、『次の三千機』が準備されていく。

 

「何千でも何万でも何十万でもっ!!」

 

 鳳翔は愛する提督の元へと駆けつけられない己の無力を燃料に、彼を護る為に己の魂を振り絞る。鳳翔は三千機の第一次攻撃隊の制御が不要になった段階で、すぐさま操作を打ち切って次の三千機へとコントロールを移した。

 

「貴方の為なら!!私は飛ばし続けて見せる!!!第二次攻撃隊『発射』!!!」

 

 石壁の敵が全て死に絶えるその時まで、鳳翔は絶対に止まらないのだ。

 

 ***

 

「指揮艦!!無数の艦載機が!!」

 

 武蔵に群がる深海棲艦の侵攻部隊が見たのは、突如として現れた無数の艦載機達であった。

 

「撃ち落とせ!!近寄らせるな!!」

 

 即座に対空砲火によってこれを迎撃せんとした彼女達であったが、艦載機の不可思議な機動を見て眉を顰める。

 

「なんだ?回避行動すらしない……?」

 

 マニュアル制御の基地航空隊でさえもう少し回避行動を取るのに、目の前の艦載機は一切回避をせずに対空砲火に撃ち落とされていく。

 

「……おい待て……アイツ等……だんだんこっちに来てないか?」

「……ッ!?まさかこれは!?」

 

 目の良い深海棲艦は、艦載機達がヒラヒラと何かをはためかせながら飛んでいるのを見て目を見開いた。

 

「総員撤退!!撤退!!逃げろおおおおおおおおおお!!!あれは特攻機だああああああ!!!」

「なッ!?」

 

 その瞬間、武蔵を中心とした一帯に、三連装魚雷カードを大量に括りつけられた無人艦載機が『着弾』した。

 

 轟音と共に武蔵に群がっていた深海棲艦達が吹き飛んでいく。武蔵にも何発か着弾して上部構造物を吹き飛ばすが、既にリンクを断ち切られてタダの鉄塊となり、乗員も艦内奥深くへと避難している現状においてそれは重大な問題ではなかった。

 

 これが、石壁の最後の手段である無人艦載機による絨毯爆撃であった。石壁という釣り餌に深海棲艦が群がった所に『石壁目掛けて』艦載機を突っ込ませたのだ。艦娘と提督は魂の繋がりによって互いの存在を感知することが出来る為、鳳翔は石壁の位置が離れていても把握できる。故に石壁は己の存在そのものを誘導弾のガイドビーコンとすることでキャパシティの10倍近い大量の艦載機を武蔵へと誘導したのである。

 

「この機を逃すな!!隠し砲台の特殊三式弾を放て!!一発残らず叩き込め!!」

 

 だが、まだ止まらない。石壁は艦載機の着弾の衝撃で揺れる艦橋の中で、生と死の境界線のギリギリまで攻撃を続行させる。

 

 すぐさま放たれた無数の戦艦砲の射撃が、武蔵の周辺へと降り注いでいく。深海棲艦達はこの期に及んでまだ、石壁という存在を見誤っていたのだ。彼女達はどこか無意識に『自分達の司令官目掛けて攻撃などしないだろう』と考えていた。故に深海棲艦達は自分達が総大将という『釣り餌』に引っかかっているなどその瞬間まで気が付いて居なかった。

 

 彼女達はその誤解の代価を支払わねばならない。ハイリスクにはハイリターンが付きものなのだ。石壁が己の全てをBETしたのだ。そんな大博打の戦果(リターン)が並大抵のモノで済む筈など無い。石壁の大切な仲間の命に……武蔵の命に見合う獲物が、たかだか数千隻の深海棲艦『だけ』で済む筈が無いのだ。

 

 石壁の作戦の最終工程、それは武蔵に釣られて密集するであろう深海棲艦達を一隻残さず薙ぎ払う事であったのだ。砂糖に群がったありを砂糖ごと洗い流して一層するように、己の命に釣られて集まり切った敵に、泊地の全火力を一点集中して焼き払うのが目的だったのだ。石壁は一万の深海棲艦全てを喰らい尽くすつもりだったのである。新城が激怒するのも当然だった。

 

 そして、石壁は見事にその賭けに勝った。石壁の狂気の戦略は、ここに完遂されたのだ。

 

 武蔵の周辺には絶えず破壊の暴風雨が降り注ぎ、集まり切った深海棲艦達が逃げ切る事は不可能であった。

 

 降り注ぐ大量の艦載機と砲弾によって、武蔵艦内は世界が爆裂したかの如き衝撃に襲われた。だが、それでも武蔵の頑強な装甲はその猛爆から艦内の乗員を護った。武蔵はその戦力を全て喪失して尚、戦場の主役として鎮座し続けているのだ。

 

「がああああ!?」

「逃げられねえ!?た、助けて!?」

「空が、空が落ちてくる!?死にたくない!!嫌だあああ!!」

 

 一方で、その衝撃を避けることすら出来ない深海棲艦達は阿鼻叫喚の地獄絵図の中にあった。さっきまで押していたのは間違いなく自分達であったのに、敵の総大将の首はもう目の前なのに、一瞬にしてその立場が入れ替わったのだ。石壁という鬼の首をとったつもりが、その鬼が準備した断頭台に首を差し出していたのである。振り下ろされる断罪の刃が次々と周囲の仲間の命を断っていくその様は、彼女達を恐慌状態に追い込むのに充分過ぎる破壊力を有していた。

 

「艦載機の着弾を止められません!!被害甚大!!繰り返す、侵攻部隊の被害は甚大です!」

「督戦隊をもってすら統制を維持できません!!」

「砲爆撃によって部隊は壊滅状態!!し、進軍が停止します!!」

「イ、イシカベッ!!貴様はここまで……勝つ為ならここまでやるのか!?」 

 

 目の前で爆散していく味方と、その中で悠然と耐え続ける戦艦武蔵の威容に、侵攻部隊の指揮艦であるタ級は畏怖の感情を抱いた。石壁という怪物が、化け物を恐怖させたのだ。

 

「本部より伝令!!鉄底海峡が!!」

 

 そして、戦いは遂に終わりを迎えようとしていた。

 

 ***

 

 ショートランド泊地で石壁(王将)を狙った死闘に決着がつくのと前後して、鉄底海峡でも飛行場姫(クイーン)との激突がピークに達していた。

 

「くっここまで追い込まれてまだ粘るのか!!」

「艦隊の被害拡大!」

「ダメージをかばい合うのも限界に近いわ!!このままじゃ遠からず轟沈が発生するわよ!?」

 

 新城の戦術は、16艦隊という莫大な戦力を流れるように入れ替えながら一つの生き物のように指揮する事にある。被害をかばいあってダメージを分散させて徹底して轟沈艦を出さない事で、火力と装甲の限界まで戦う事が出来るのである。

 

 だが、これは裏を返せばぶつかりあいの長期化と共に艦隊全体が加速度的に疲弊していく事を意味している。ダメージや消耗を軽減する方法もあるが、そちらの戦術では火力が足りなくなってしまう。火力を絞って勝てるほど、この女王は甘くないのだ。

 

「あとちょっと……あとちょっとなのに……!!」

 

 山城は、石壁が命を賭けて生み出した生と死の境界線(この瞬間)を超えられない事に歯を食いしばる。

 

「手前等最後の一踏ん張りでい!!ここが運命の分水嶺、石壁の坊主の為に気張りやがれってんだ!!」

 

 金剛が気勢を上げて味方を鼓舞する。最前線で戦い続けていた為に彼女の艤装の砲台は全て破壊され、武装としての機能こそ喪失していた。だが、彼女が前に立ち続けているというその一点が、戦場を支える柱となっていた。戦場の太陽となって、彼女は味方の心を照らし続けているのである。

 

「……アンタが邪魔なのよ!!その輝きが、その力が、その強さが!!!何もかも邪魔なのよ!!!!」

 

 金剛の在り方は、飛行場姫にとって余りにも眩し過ぎる。まるで太陽を直接見ているかのように、彼女の存在そのものが飛行場姫の心に焼き付いてしまうのだ。飛行場姫が不要と捨て去った全てを、持ちたくても持てなかった全てを彼女は持っている。己の選択を悔いる事など絶対に有り得ないが、それでも金剛の存在そのものが飛行場姫にとっては猛毒だったのだ。

 

「アンタさえ沈めば!!」

 

 飛行場姫はそんな金剛の姿をみて全火力を集中する。この女こそがこの場の柱であるという確信と、己の心を焼こうとする怨敵への憎悪が飛行場姫を突き動かす。

 

「金剛姐危ない!!」

「比叡!?」

 

 集中する火力を前に、比叡が金剛をかばう為に前に出た。

 

「気合、入れてぇ……っ!!」

 

 比叡は全身全霊をこめて防御の姿勢をとる。

 

「参ります!!」

 

 轟音、比叡の艤装が弾け飛び、爆炎が彼女を包む。

 

「……かはっ」

 

 爆炎が晴れた海面に、比叡はボロボロの状態でそれでもまだ立っていた。

 

「比叡!!」

「……金剛姐、いま……だ」

 

 比叡は最早戦える体ではなくなっていたが、それでもまだ瞳に闘志を滾らせている。

 

「突入してください!!」

「……ッ!!応!!」

 

 金剛は、比叡の言葉に押されて海面を強く蹴った。

 

『ナイスガッツだぜ比叡!!』

「後はこの金剛にまかせやがれい!!」

 

 比叡が齎してくれたこの好機を無駄にはできない。飛行場姫が全ての戦力を叩きつけたお陰で出来た一瞬の間隙をぬって、金剛は全速力で進む。

 

『行けるな金剛』

「あたぼうよ、このアタシを誰だと思ってんだい?」

 

 金剛が走り出す。再び集中する攻撃の間を、針の穴に糸を通すようにするりするりと通り抜けていく。

 

「なっ……!?」

 

 飛行場姫はその光景に絶句する。

 

『余裕がなくなって狙いが大雑把になってんだよ、バーカ』

 

 ジャンゴの底抜けに明るい罵倒が響く。

 

「そんなメクラ撃ちでこの金剛を殺せるなんて思ってんなら!ちゃんちゃら可笑しくて臍で茶が沸くってもんでぇ!!」

 

 金剛の力強い啖呵が海上に轟く。

 

「ジャンゴと金剛を援護せよ!!総員死力を尽くせ!!機銃弾の一発まで残さず射て!!道を、道を作るんだ!!いいか皆ーー」

 

 新城は突き進む金剛の姿を見て叫ぶ。

 

「ーー暁の水平線に、勝利を刻むのだ!!」

「「「「「おおおおおおおおおおおおおおお!!!!」」」」」

 

 全ての艦娘と妖精が魂の雄叫びを上げる。全身全霊をかけて必死に戦い続ける。勝利を掴むために。今尚泊地で戦い続ける仲間を助ける為に。

 

 閃光の如く煌めく銃弾の雨も、落雷と聞き違える砲雷撃も、イナゴの如き艦載機の群れも、金剛を止められない。比叡が攻撃を防ぎ新城が火力を全開にして隙間をこじ開けた。今が本当に最後のチャンスなのだ。生と死の狭間で九死に一生を掴みうる一瞬なのだ。

 

「砲門がイカれて砲撃すら出来ないくせに突撃なんて馬鹿じゃないの!?なんで攻撃の中を抜けてこられるのよ!!なんで躊躇わずに命を賭けられるのよ!!!!」

 

 飛行場姫は爆炎を突っ切って己へと向かってくる金剛に戦慄して悲鳴のような声をあげる。彼女は今追い詰められていた。だが、それでも尚彼女は生き残る為に足掻く。突っ込んでくる金剛を迎撃するために必殺の一撃を仕込んでいたのだ。

 

「はっ、そんなもん決まってんじゃねーかよ!」

「手前と違ってアタシ達にはなあ!!」

 

 飛行場姫は今度こそ逃がさないように、己の眼前に飛び出してきた金剛に艦載機を特攻させる。同時に現在戦場にいる全ての敵に火力を叩きつけて一瞬だけ金剛への援護を食い止めた。これで金剛を助ける存在はこの場にいなくなった。大量の爆薬を抱えた艦載機が直撃すれば、今度こそ金剛も耐えられないだろう。

 

「このっ、いい加減にくたばれ!!」

 

 艦載機が金剛に直撃する瞬間ーー

 

「「仲間が居るんだよ!!」」

 

 ーー飛行場姫の艦載機が金剛にふれる事無く『撃ち落とされた』。

 

「……あ」

 

 飛行場姫は、己の頭上を海鷲達が通り抜けていくのを呆然と見送った。

 

『こちら瑞鶴、貴方の頭上はこの幸運の女神様に任せなさい』

『飛鷹よ、パーティーはまだ終わってないわよね?お土産に最高に頭がおめでたい七面鳥を連れて来たわよ』

 

 そう、まだ彼女達が居た。結界が破られてすぐに彩雲隊を発艦させた、石壁の空母艦娘達が。

 

 石壁の泊地の最高練度の空母機動部隊による浸透強襲部隊の到着である。石壁の作戦の最終段階は、『全ての戦力を飛行場姫に叩きつける事』だ。故に彼女達を新城とは反対方向から最高のタイミングで叩きつけたのである。彼女達は闇夜に紛れて潜水艦隊にこの海域に連れて来てもらい、その衝撃が最大になる瞬間を待って戦場に殴り込んだのだ。

 

『最高にクールなプレゼントだぜ!』

 

 そして遂に、金剛が飛行場姫の目の前に立った。

 

「さあ宴もたけなわでい!!石壁提督からの贈り物を腹ぁ一杯喰らいやがれい!!」

 

 ジャンゴと金剛の魂が燃え上がる。未来を切り開く為に、友を救う為に、そして、勝利を掴むために。

 

「ひっ!?」

 

 

 

 

 

 全身全霊を込めた鉄拳を、飛行場姫の顔面へと叩き込んだ。

 

 

 

 

 

 

 





次回、第二部最終話


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最終話 英雄への道



遂に第二部最終話です。ここまでお付き合い頂いた皆様ありがとうございました。

二部の最後の物語を楽しんで頂ければ幸いです。



なお本日はこのまま【エピローグも投稿致します】のでお見逃し無きようにご注意下さいませ。




 戦艦の馬力を全開にしてぶん殴られた飛行場姫は、数十メートルの距離をふっとばされて飛行場の側にあった建物に叩き込まれた。

 

「はぁ……!!はぁ……!!」

 

 手応えはあった。今の一撃をくらって無事でいられるわけがない。

 

 その瞬間、基地全体が振動と共に崩壊していく。いくつかの建物が爆散していく。

 

「……やったのか?」

 

 新城は目の前の基地が崩壊していくのを見て、警戒しながらそう呟く。

 

「いや違う!!あのファッキンビッチ、本当にどこまでも諦めが悪いらしいぜ!!」

 

 ジャンゴが絶叫する。

 

「あのアサガラババア自分が生き残るために基地にダメージを移しやがった!!おまけに基地を爆破して足止めにしやがったんでい!!」

 

 金剛は追いついてきた艦隊の仲間に肩を支えられながら悪態をついた。

 

 飛行場姫の依り代はこの広大な飛行場だ。この基地にダメージを負えば飛行場姫もまたダメージを負う。

 

 だがこれは裏を返せば、己のダメージを艤装である飛行場へと移すのも不可能ではない事を意味するのだ。

 

『クソっ!?探せ!!飛行場姫を探せ!!探すんだ!!』

『無理だ、基地が爆発するぞ!!離れろ!!』

 

 飛行場へと乗り込もうとする新城をジャンゴが止める。

 

 その間も基地は爆炎を上げて崩壊を拡大していく。金剛達は後ろ髪を引かれながらも、海上へと撤退するしかなかった。

 

 ***

 

「……はぁっ!はぁっ!」

 

 飛行場姫は恥も外聞もなく、一目散に逃げ出した。緊急逃走用に作っておいた地下道を通って、何もかもを投げ捨てて、ただ生き残る為に走り続ける。

 

(……し、死んでたまるか……他の何を犠牲にしてでも、私は生き残るのよ)

 

 飛行場姫は、どこまでも生きることを諦めない。たとえ決戦に負けたとしても、自分一人さえ生きているならいくらでも再起は可能であると知っているから、それこそが姫級の深海棲艦の強み。他の深海棲艦達が軽視する、最も厄介な点。

 

(そうよ……次はもっと、もっとしっかり準備して……もっと沢山集めて……もっと、もっと、もっと……)

 

 ある意味で、飛行場姫は石壁と似ていた。どこまでも真っ直ぐ前を向いて、目的の為に一生懸命になれるモノである彼女は、思考回路が石壁と似ているのだ。

 

「諦められるか、諦めてたまるか」

 

 飛行場姫は走る。地下道から脱出し、爆炎を上げる基地に見向きもせずに、南方の密林の中を、生きる為に走る。枝葉に肌を切られ、ダメージを移しきれずにボロボロになった体でも、彼女は諦めずに走り続ける。

 

「絶対に諦めない……諦めなければ……諦めなければーーーー」

「然り。諦めなければ、いつか必ず刃は届くものだ」

 

 林を抜けた彼女の眼前には、一人の男が立っていた。泰然自若とした男の不敵な笑みをみて、彼女は思わず足を止めてしまった。

 

「初めまして、飛行場姫」

 

 男は腰から軍刀を抜いて構える。そう、似た物同士である石壁と飛行場姫だ。互いが絶対に諦めないモノ同士であるが故にこそ。

 

「ここが、貴様の墓場だ」

「っ!!」

 

 絶対に諦めないモノがどういう行動に出るかなど、最初から石壁にはお見通しであったのだ。

 

 伊能の足元には、万が一の為に待機させておいた脱出路を護っていた深海棲艦達が死んでいた。石壁の命令で、伊能達はガダルカナル島に部隊を揚陸させ、飛行場姫の脱出経路を炙り出していたのである。石壁の作戦に、容赦という文字は存在しないのだ。

 

「こ、こんな!こんな馬鹿な事があってたまるか!私の、私の作戦は完璧だった!鉄壁の護り!万全の戦力!どこをついても崩せない積みの状況だった筈よ!」

「その通り、貴様の戦略は完璧だった。それは間違いない」

「ならーー」

「ただ一点間違いを指摘するなら、貴様がルールの枠内で常識的な勝負を挑んだ事だな」

 

 完璧だった彼女の戦略は、常識と常道を踏襲した一部の隙もない戦い方だった。強固なバフのかかる陣地に籠り、圧倒的な兵力で敵を押しつぶす。どんな英雄も圧殺する理不尽な程の数の暴力に頼るそれは、勝つべくして勝つ常勝の理論だ。

 

 飛行場姫はいわば内政型の智将であった。勝てる準備を整えて後は現場に任せる。絶対に勝てる戦いしか挑まない素晴らしい将だ。

 

 だから読み違えた。石壁達という常識の破壊者(チーター)達が、己の整えた盤上に乗ってくる筈がなかったのだ。常勝であるが故に彼女は盤外戦術なんて考えなかった。ゲーム盤ごとひっくり返すなんて考えすらしなかった。『人から外れているバケモノが一番人間らしかった』というのが、最高に皮肉が効いていた。

 

「貴様が優秀であればこそ、我々はここに辿り着いた。ルールの中で最善を尽くす貴様であったからこそ、我々は貴様の行動を読み切る事が出来たのだ。貴様は間違いなく最高の司令官であった……だから我々も、貴様には一切容赦をせぬ」

 

 その瞬間、飛行場姫の胸元から、刃が突き出た。

 

「な……が……!?」

「……申し訳ないでありますな。これが、弱者の戦い方であります」

 

 伊能が飛行場姫の気を引く間に、音もなく背後に忍び寄ったあきつ丸が軍刀を彼女の心臓へと突き立て、潰すようにグルリと回転させる。それだけで重要臓器が複数損壊し、彼女の命を急速に失わせていく。

 

「……ぐ!?ち、畜生、貴様らに……貴様らの様な木っ端なんかにぃ!!」

 

 飛行場姫は、背後のあきつ丸に気を取られて眼前の人間への注意が散漫になった。人間と艦娘なら、気を配るべきは艦娘。どこまでも彼女のあり方は常識的であった。

 

「ああ、もう一つ間違いがあったな」

「!?」

 

 その瞬間、10メートル近く先に居たはずの人間の声が、己の耳元から響いた。伊能は飛行場姫の意識が逸れたその瞬間に、一瞬で距離を詰めたのだ。

 

「貴様の最大の過ちは、石壁に戦いを挑んだ事だ。貴様は触れてはならん猛毒の木っ端を飲み込もうとしたのだ」

 

 伊能が最上段に構えた軍刀を振り下ろす。触れれば敵の防御ごと全てを叩き切ると恐れられた必殺の剣術。示現流の太刀が、飛行場姫を両断せんと頭上から放たれる。

 

「それを魂魄に刻み込んで、逝け」

「お、お……」

 

 飛行場姫は、スローモーションで眼前に迫る刃をみて、遂に己の命運が絶たれたのだと悟った。

 

「おのれえええええええぇぇぇ!!!」

 

「「はあああああああああああぁ!!!」」

 

 其の瞬間、刃を引き抜き、体を回転させながらあきつ丸が横凪の一閃を放つ。上段からの一撃と、横凪の一閃が飛行場姫の体で交錯した。

 

「……はは……は……なに……よ……」

 

 彼女の魂が切り裂かれる。憎悪の核を切り裂かれた彼女は、遂に終わりを受け入れた。

 

(定まった盤面をひっくり返す……そんなことは夢物語……私達の様なバケモノでもそれが出来ない……それが出来るなら……それこそ……それこそ……)

 

 一瞬、切られた状態で静止していた彼女であったが、ズルりと体が4つにずれていく。

 

「イシカベ……アンタの方がよっぽど……バケモノ……じゃ……ない……」

 

 飛行場姫は己が挑んだ敵のあまりの規格外さに、自嘲気味な笑みを浮かべて崩れ落ちた。

 

 

 

 戦略的な厄介さでは南方棲戦鬼すら超える常勝のバケモノが、遂に息絶えたのである。

 

 

 

 

 ***

 

 

「……飛行場姫様配下の者より入電、彼女が、討たれました」

「……そう、か」 

 

 タ級は、未だ頑強に抵抗する戦艦武蔵を見つめている。

 

「……一万隻の深海棲艦をもってしても、イシカベには届かなかったか」

 

 噛みしめるように呟かれたその言葉には、諦念と共に、納得が含まれていた。

 

「それでこそ、南方棲戦鬼様を討った男だ。あの方もあの世でお喜びであろうよ。仇敵の強さを、己を討った男の強さを知って」

「……」

 

 タ級の言葉を、副艦のル級は黙って聞いている。

 

「しかし……ふふふ、まさか『戦艦武蔵』に負けるとはな。大艦巨砲主義の権化である南方棲戦鬼様に憧れた我ら戦艦の深海棲艦が、同じく大艦巨砲主義の権化である武蔵に負けたのだ。これに勝る誉れもあるまい」

「……ふふ、そうですね」

 

 しばし、笑いあった二人であったが、やがてタ級は命令を下した。

 

「総員撤退、もはや我々に勝機は無い。各々、好きにしろと伝えろ」

「……指揮艦殿は」

 

 タ級は、ある種の清々しさを感じながら、言葉を続ける。

 

「殿は私が受けもとう、撤退の間位は稼ぐ」

「……承知いたしました。それでは」

 

 副艦のル級が無線を開く。

 

『総員撤退。くりかえす、総員撤退。【我々】が時間を稼ぐ、各々、自由に逃げよ』

 

 ル級の言葉に、タ級が困ったような顔をする。

 

「貴様も逃げろよ副艦」

「いい加減自分も戦う事に疲れました。最期までお供したく思います。地獄の釜茹でも、イシカベのやり口程苛烈ではありますまい」

 

 ル級の言葉に、タ級は苦笑した。

 

「……違いない……では、逝こうか」

「……はい」

 

 ***

 

「深海棲艦が引いてゆくぞ!」

「か、勝った!!我々は勝ったんだ!!」

 

 三々五々、四方八方に散り散りに逃げ出す深海棲艦を見て、石壁の仲間達は勝利を悟った。

 

「……や」

 

 その瞬間、歓声が爆発した

 

「やったぞー!」

「勝ったんだ!俺たちが、俺たちの泊地が、あの鉄底海峡に!」

「バンザーイ!バンザーイ!!」

 

 各々が勝利に、生き残った奇跡に、喜びを爆発させ、隣り合った者たちと肩を叩きあう。

 

「ショートランド泊地万歳!石壁提督万歳!」

 

 誰からともなく言い出した万歳の掛け声が、次第に広がっていく。

 

「石壁提督万歳!」

「ショートランド泊地万歳!」

「石壁提督万歳!俺たちの英雄に万歳!」

 

 やがて、一つの掛け声がそろう。

 

 

 

「「「「ソロモンの石壁、万歳!!」」」」

 

 

 

 この日、一人の深海棲艦(バケモノ)が討たれ、一人の英雄(バケモノ)が生まれた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 武蔵は撃った。撃って、撃って、撃ちまくった。主砲も、副砲も、機銃も、全てイカれるまで撃ち続けた。全身のありとあらゆる兵装が動かなくなった後は、周囲の妖精や艦娘達の盾として、戦場に鎮座し続けた。

 

 艦内では内部に潜入した深海棲艦との死闘が続き、妖精や、艦娘達による白兵戦になった。

 

 そして、夜明けと共に始まった石壁と武蔵の戦いが、ついに終わったのだ。

 

 石壁は指揮所に付す武蔵の頭を抱きしめている、全身血だらけの武蔵を抱きしめる彼は、二人分の血で真っ赤に染まっていた。

 

「……武蔵、まだ生きているか」

「……かろうじて……な」

 

 武蔵は血まみれで青い顔をしながらも、なんとか笑みを浮かべた。

 

「どうだ……貴様に証明出来たか……?この、武蔵が……最強の戦艦である……と……」

「……ああ、充分だ」

 

 武蔵を石壁は強く抱きしめた。

 

「僕の武蔵は、世界最強だ」

「……そうか」

 

 そう呟くと、武蔵は弱々しくも満足げに微笑んだ。

 

 すると、武蔵の体が仄かに輝きだし、体の末端から光の粒子となって空気に溶け始めた。艦娘としての武蔵が、存在を維持できる限界まで消耗し、消滅を始めたのである。

 

「武蔵……体が……体が……」

 

 石壁は、消えようとする武蔵をこの世に繋ぎ留めようとする為に、弱々しく抱きしめる。

 

「……ああ、どうやら限界らしいな」

 

 そう言って、武蔵は消え始めた右手を目の前に掲げている。消え逝く速度は緩やかだが、既に指が半ばまで消えていた。

 

「逝くな……逝かないでくれ……武蔵……お前が居なくちゃ……僕はどうやって敵を討てばいいんだ……お前が僕の道行を切り開いてくれるんだろう……?それなのに……道半ばで消えちゃうのか……」

 

 石壁は滂沱と涙を流しながら、武蔵に言う。

 

「……泣くなよ。貴様は、この武蔵の相棒だろう?」

 

 消えかけた手の甲で、武蔵は優しく石壁の涙を拭った。

 

「なんで……なんでそんな風に笑えるんだ……そうやって僕にやさしく出来るんだ……恨み言の一つでもぶつけてくれよ……お前は……僕の無茶苦茶な作戦が原因で死ぬんだぞ……なんで……そんなに満足した顔が出来るんだよ……」

 

 石壁がそういいながら、残った腕で武蔵を抱いた。石壁の欠けてしまった片腕を見ながら、武蔵は言う。

 

「……その無茶苦茶な作戦の最前線まで、この武蔵の力を信じて一緒に飛び込んでくれた貴様を、嫌う訳がないだろう……それにな」

 

 武蔵は弱々しい笑みではなく、いつものふてぶてしい笑みを浮かべた。

 

「『艦娘武蔵』としてではなく『戦艦武蔵』として、戦場でその力を余すところ無く発揮し、迫りくる大群を真っ向から打ち破る……戦艦にとって……これ以上の誉れがあると思うか……?いや、あるわけがない。あってたまるか。頼むからこの戦いを誇ってくれ石壁堅持、貴様は……いや……貴方は……」

 

 石壁は、真っ直ぐこちらを向く武蔵の赤い瞳を通して、己を見つめた。

 

「この武蔵の、最高の提督だから」

「……ッ」

 

 武蔵のこの言葉を否定することは、武蔵を否定する事だった。武蔵という世界最強の戦艦の誇りを汚す事だった。武蔵という戦艦の艦長として、それだけはしてはいけない事だった。

 

 瞳の中の石壁の顔つきが変わる。武蔵の言葉で、この戦いが石壁の中で自虐すべきモノから、自負すべき戦いへと変貌したのだ。

 

 石壁という男が、また一歩、英雄へと成長した瞬間であった。石壁は男として、また一回り成長したのだ。

 

 その事を知った武蔵は、満足げに頷いた。

 

 そして、武蔵は二呼吸ほど考えたあと、悪巧みをするような顔をして語りだした。

 

「しかし、このまま輪廻の輪に戻るのは確かに約束を破る事になって心苦しいからな。最後に、一つ贈り物をしよう」

「……え?」

 

 石壁がほうけた様につぶやいた瞬間、消えかけた手が石壁の失われた左目に押し当てられた。

 

「何をーー」

「さあ、この武蔵の全てをもって行け。この乱世を最後まで駆け抜けろよ石壁堅持、私は特等席でそれを見届けさせてもらうからな」

 

 瞬間、石壁の欠けた眼窩に、『武蔵』が流れ込んだ。

 

「なっ!?」

 

 驚愕の声をあげる石壁。目の前では、今まで緩やかに消滅してきた武蔵が、凄まじい勢いで体を失っていくーー否、不可思議な何かへと変換され、石壁の左目へと流れ込んでいく。

 

「輪廻の輪をくぐるよりも、貴様の今生を見たくなったんだ。この武蔵の命の有り様は、『石壁堅持の行く末を照らす光となる』事だと決まったーー」

 

 武蔵が、慈愛に満ちた笑みを石壁へと向けて、最期の言葉を紡いだ。

 

「ーーさらばだ」

 

 そう呟いた瞬間、武蔵が消え去った。

 

 一番最後に左目を覆っていた武蔵の手が消えた瞬間、永遠に視力を失っていた筈のそこから、光が溢れた。

 

「……え?」

 

 石壁が、震える手を左目に当てた。それから視界を確かめる様に手を離す。

 

 残った左腕の手相まで、くっきりと見えた。見えたのだ。潰れたはずの左目に、光が戻ったのだ。

 

「これ……は……」

 

 それは、艦娘だけが行える、禁断の邪法。己の魂のあり方を変える、最期のお呪い(まじない)

 

「近代化……改修……」

 

 それは、艦娘のみに許された、奇跡の魔法。己の全てを仲間に託す、末期の贈り物。

 

「む……さし……」

 

 武蔵は己の魂を、己の全てを、石壁に託したのだ。

 

「武蔵……ッ!!」

 

 石壁は、消えてしまった武蔵を抱きしめるように。友からの贈り物を確かめるように。しばし左目を抑えてその場にうずくまっていた。

 

「うわぁぁああああああ!!!」

 

 戦艦武蔵の艦橋で、石壁は涙を流した。武蔵の戦いは石壁の誇りとなった。だが、それでも石壁の涙は止まらない。

 

 武蔵よ許してくれ。お前への惜別の涙を今だけは許してくれ。そう心の中で乞いながら。石壁は『武蔵』の船体を涙で濡らした。

 

 鉄の船体はどこまでも冷たく、何も答えない。彼女の魂は石壁へ託された。そこにあるのは、武蔵の伽藍洞の抜け殻だ。石壁には、それがまるで死体のように感じられたのであった。

 

 こうして、ショートランド泊地の、石壁の全てをかけた戦いは終わった。

 

 泊地に刻まれた傷は深く、失われたものは多い。

 

 石壁は『片腕』を失った。武蔵を失い、要塞の大半は破壊された。

 

 だが、生きている。絶体絶命の危機を、彼らは生き延びたのだ。

 

 石壁の左目は赤色の瞳になり、数日のうちに髪から色素が完全に抜け、銀髪に近い白へと変貌した。

 

 それは、武蔵の色であった。彼女の瞳と髪の色であった。

 

 そして----

 

 

 ***

 

 

「……」

 

 石壁は、戦場に鎮座する『戦艦武蔵』を見つめている。左右で色の違う瞳で、己の目と、相棒の目で、じっと見つめている。

 

「武蔵、君がいなければ……僕は死んでいた」

 

 石壁が相棒へと言葉を紡ぐ。

 

「僕は言った。『僕の命ごと守り抜いてみろ』と、君はそれを守ってくれた。僕を守り抜いて、僕の道を照らす光となってくれた」

 

 武蔵に託された瞳がしっかりと未来を捉える。石壁が歩む未来を、じっと見つめる。

 

「だから、僕は前に進む。君から貰ったこの瞳で、この命で、最期の最期まで、前を向いて進み続けてみせる」

 

 石壁はもう泣かない。先に逝った命をただ嘆くのではなく、誇りとする。己の為に命をかけてくれた彼らを誇る。それが、彼らの献身への手向けとなるのだ。

 

「見ていてくれ、武蔵。君が命を賭した事が間違いではなかったと。君の相棒は、確かに君に並び立つ男だったのだと、証明してみせるから」

 

 武蔵に託された瞳から、一筋の雫が流れて落ちる。涙を流さぬ石壁の瞳の代わりに、その心中を代弁するように、武蔵の瞳が涙を流す。

 

「だから、見ていてくれ……僕の相棒、世界最強の戦艦、武蔵」

 

 石壁は、片目から涙を流しながら、相棒へ向け宣言する。

 

「君の艦長として恥じない男になってみせる」

 

 石壁は遂に英雄となった。流れに流されるのではなく、自ら流れを作る側へとなった。時代の荒波を治める覚悟を決めたのだ。

 

 ショートランド泊地の山奥から始まった彼の英雄譚は、南方海域全域へ、そして世界へと舞台を広げようとしていた。

 

 最大の牙城を失い進退窮まる深海棲艦、石壁の存在が表面化して暴走する大本営、激化する南北対立にもはや我慢の限界の南洋諸島の人々……石壁が巻き起こした暴風が世界を揺るがせる。果たして、彼らの前に待つのは希望か、絶望か。それはまだ誰にもわからない。

 

 





 エピローグをお見逃しなきようにご注意くださいませ。


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第二部 エピローグ 遠い未来にて Ⅱ

!注意!

本日は【最終話とエピローグの二話同時投稿】となっております。

こちらが【エピローグ】です。【先に最終話を読んでから】ご覧くださいませ。




 遥か未来の教室にて、一人の若い男性教諭は続けた。

 

 

「石壁提督が『ソロモンの石壁』と呼ばれるようになったきっかけである南方棲戦鬼の討伐。これによって時代が大きく動いたといっていい。さながらサラエボでオーストリア皇太子が暗殺されて第一次世界大戦(グレートウォー)が勃発した様に。盧溝橋での一発の銃声が北支事変から大東亜戦争を引き起こしたように。起こるべくしてこれらの戦争は起こったが、その最後の一押しをしたという意味で……石壁提督は世界秩序を変革させる核爆弾のスイッチを押してしまったと言えるだろうね」

 

 物事には必ず因果がある。歴史を紐解けば一つの歴史的事件の背景には連綿と続く歴史の因果があるのだ。歴史にIFはないと言われるように、一つの「きっかけ」を回避したところで、多くの場合それはあくまできっかけでしかない。結局のところ歴史は似たような流れへと収束していくのだ。その過程に差異こそあれ、『誰が』引き金を引いたかの違いこそあれ、マクロな視点で見れば着地点にそう大差はないのだ。

 

「彼が引き金を引いたのは歴史の偶然だったけど、彼が英雄になったのは歴史の必然だった。彼は時代が求めた英雄の玉座に偶然座ってしまったんだ。一度座ったが最後、歴史に飲まれて命を落とすか、歴史に乗って運命に抗いぬくかの二択を強いられる覇王の玉座にね。身の丈に合わない名声なんて、彼はきっと欲しくなかっただろう」

 

 男性教諭の言葉は、英雄にならざるをえなかった凡人への憐憫がにじみ出ていた。

 

「石壁提督が英雄として世界に名を轟かせれば轟かせるほど。彼を英雄へと追い込んだ大日本帝国という国の歪な構造が表面化していった。政治腐敗、軍部の癒着、マスメディアの統制、迫害される南洋諸島の人々……大本営にとって隠しておきたい国家の恥部が、石壁提督が生きているだけで白日の下に晒され続ける。大本営にとっては彼が生きている事そのものが罪だったんだ。彼はただ生き残る為に足掻く事さえ、最初から祖国に許されていなかったんだ」

 

 生きることを否定された時、人はそれに従うか、抗うかの二択しか取ることが出来ない。世界に否定されたなら、世界を否定するしか、それを覆す方法はないのだ。

 

「彼をさす二つ名はいくつもあるが、その中である意味もっとも的確で、皮肉のこもった呼び名がある。当時を生きた人の中には彼の事を憎悪を込めてこう呼ぶものが居たんだ」

 

 故にこそ、石壁の戦いは、彼の進むべき道はーー

 

 

 

 

 

 

 

「祖国である大日本帝国を滅ぼした、日本史上最悪の『逆臣』である、と」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーー己の祖国を、否定する道になるのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 これにて第二部完結でございます。ここまで読んでくださって本当にありがとうございました。

 最終章である第三部の開始時期については未定ですが、少なく見積もって半年以上先になると思われます。書き溜めが開始可能な水準に到達したらまた再会致しますのでいつになるかは少しわかりません。

 図々しいお願いではございますが、帰ってくる日をのんびり待って居て頂けたら幸いです。

 それではまたいずれお会い致しましょう。

2018/08/30 鉄血☆宰相







追記、本日か明日位には後書き的なモノを活動報告に追加致しますので気になる方はどうぞ。なお読まなくても作品を楽しむ上で全く問題はございませんのでご安心ください。

2018/08/31 あとがき追加しました


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エイプリルフールネタ イシカベ・フロントライン

本編をお待ちいただいている皆様

大変申し訳ございませんがまだ暫く再開の目途がたっておりません。

少しずつ書き溜めは増えてきているのでその内再開できるとは思うので

もうしばらくお待ちいただけると幸いです。



あと、折角エイプリルフールなので生存報告も兼ねて単発ネタをあげておきます

これはドールズフロントラインというソシャゲとのクロス要素のある話です

本編とは一切関係ないギャグ時空の話なので見たくない人は見る必要は一切ございません。






2019/10/23 
おまけを追加、やっぱり見る必要はない



「いやぁ、なんやかんや色々あったけどなんか全部すっきり解決しちゃったな!」

「そうですね!なんか色々あった気がしますがとりあえずなにもかもすっきり一切合財終わりましたね!」

 

 そう、この世界ではなんやかんや色々全部終わった後なのである!具体的に何があったのかは一切分からないがなんやかんやはなんやかんやできっちり解決したのだ!

 

「そんなわけで僕はもう寝るよ、お休み!」

「おやすみなさいませ提督!」

 

 ***

 

「ーー官!!指揮官!!起きてください!!」

「ーーはっ!?」

 

 石壁が目を覚ますと、そこは銃撃音が鳴り響く埃っぽい部屋のど真ん中であった。そばにいるのは長い黒髪が美しいアサルトライフルを構えた少女であった。

 

「えっ、あれ?ここは?」

「大丈夫ですか!?司令部が敵に包囲されて逃げないとって話をしていた所に砲弾が飛んできて、指揮官の背後の壁が爆発したんですよ!!」

「ファッ!?」

 

 見れば周辺の壁は木っ端微塵、壁紙が焼け焦げており自身も火傷をしている。死ななかったのが奇跡だった。

 

「あ、あれ、ていうか君はだれ?こ、ここは何処なんだ!?ショートランド泊地にこんな部屋あったか!?深海棲艦が襲ってきたのか!?」

「指揮官、私の事忘れたのですか!?そんな、記憶も混乱しているし、う、打ちどころがわるかったのでしょうか!?」

 

 少女はこの世の終わりの様な顔で石壁に叫ぶ。

 

「ここは鉄血との紛争地帯、私達は民間軍事会社グリフォンの関連組織AR16LAB所属のAR小隊……貴方の部下の戦術人形で、貴方は私達の指揮官ですよ!!」

「はぁっ!?」

 

 何もかも知らない単語ばかりで石壁の混乱はピークに達していた。だが、石壁はそんな混乱の中で、現在の状況についてひとつの仮説を抱いていた。

 

(こ、これは、まさか……っ!?)

 

「とにかく、撤退戦の指揮をとってください司令官!!このままでは皆殺しにされますよ!」

 

「……異世界、転生?」

 

 石壁のつぶやきの直後に、前線から撤退してきた人形達が部屋に逃げ込んできた。

 

「もうダメだー!!」

「防衛線が食い破られるよ!!」

「指揮官逃げてください!!」

 

 傷だらけの少女達が部屋の中に入ってきたのを見て、石壁は思わず動いた。

 

「っ!!おい、君達しっかりしろ!!誰かこの子達の治療を!!急げ!!」

「し、指揮官!?治療している時間など……」

 

 最初に石壁を起こした少女に向け、石壁は叫んだ。

 

「時間ぐらい幾らでも作ってやるから今すぐ基地の全戦力のデータと敵戦力の配置、現在の状況を纏めてもってこい!!防衛線を貼り直して敵と戦うんだ!!急げ!!」

「りょ、了解しました!!」

 

 石壁の気迫は新任の指揮官とは思えない程強く鋭い。まるで熟達した老練な将軍の如きその気迫に、まだ人生経験の薄い少女達は逃げるべきだという意見を引っ込める事しかできなかった。

 

(くそっまたこんなスタートかよ!!でも僕しか居ないってんならやってやる、やってやるよ!!)

 

 石壁は動き出した部下の少女達を見ながら、独りごちる

 

「今度の敵がだれだか知らないが、僕の司令部を、そう簡単に落とせると思うなよ……!」

 

 石壁という異物が混ざった事で、少女達の物語は一歩目からあらぬ方向へとズレ始めたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さーて、次回のイシカベ・フロントラインは!

 

石壁「ハイ、石壁です。今回の世界でもやる事は変わっていなかったようで要塞にこもって防衛戦の毎日です」

 

石壁「やせんも当然のようにあるので夜中も気を抜けません」

 

石壁「くろうも多いですが、今いるグリフィンはとてもいいところで

 

石壁「たくさんの優秀な戦術人形の皆さんにも囲まれているので

 

石壁「すこしずつではありますが前に進んでいるように思います

 

石壁「ケガや病気に気をつけて、立派な指揮官

 

石壁「になれるよう、がんばります。

 

石壁「きっと、いつの日か、また皆さんと

 

石壁「であえる日をしんじて。」

 

 

石壁「というわけで次回のイシカベ・フロントラインは『胃薬』『血の味』『知らない天井』の三本です、お愉しみに!」

 

 

 

 

 

 

続かない!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~おまけ、ある日の石壁指揮官~

 

 

 

 なんやかんや司令部に着任した石壁指揮官。彼は押し寄せる鉄血人形どもをなんやかんやでボッコボコにしたり、迷子になったAR-15をなんやかんやでちゃんとおうちに連れて帰ったり、そのついでに包囲してきた鉄血共をやっぱりなんやかんやでボッコボコにしたりしながら基地運営をおこなっていた。だが、なんやかんやで落ち着いてくるとどうしても気になる事が出来てくる。

 

「はあ……」

「どうしましたか?指揮官?」

 

 そういって誰かがそっとお茶を机に置いてくる。彼女はライフルをもった栗色の長髪が美しい嫋やかな女性、その名はスプリングフィールド。

 

「ありがとうスプリングフィールド……いや……昔馴染みの事を思い出してね……」

 

 そういってお茶を受け取りながら、石壁はため息を吐く。石壁の脳裏に過るのは、愛しくて愛しくてたまらないあの人である。

 

「一体あの人は今どこにいるのか。もう二度と会えないのか。なんて思うと悲しくてね……」

 

 そういってお茶を飲む石壁の姿を見つめているスプリングフィールドは暫し悩んだあと口を開いた。

 

「……その女性は、指揮官に思われて幸せだと思いますよ」

「……まいったな、女性だってなんでわかったんだ?」

 

 石壁がそういって頭をかくと、スプリングフィールドはくすくすと笑う。

 

「指揮官の事はよく知っていますから」

「僕の事を、ねえ……」

 

 石壁はスプリングフィールドのその言葉に、この世界の誰も知らない過去の記憶を思い出す。要塞にこもって戦った、あの日々を。

 

「……例えばどんな事をしっているの?」

 

 石壁が何気なくそう問うと、スプリングフィールドは微笑みながら石壁へと近寄ってくる。

 

「……そうですね、例えば」

 

 スプリングフィールドはそれから石壁の癖や食事の好みなど、この司令部での動作を一つ一つ例示しながら説明していく。その正確さに、石壁は驚く。

 

「……驚いたな、本当によく見ているんだね」

「うふふ、驚くのはまだ早いですよーー」

 

 そういって彼女は石壁の背後に回り込むと、彼の背中を抱きしめる。

 

「スプリングフィールド?」

 

 彼女の突然の接触に何事かと驚いていると

 

「--ねえ、石壁提督?」

 

 石壁の心臓が跳ねた。

 

「君は……まさか……」

「貴方が探していた女性(ヒト)は……」

 

 

 スプリングフィールドの顔に笑みが浮かぶ。深い深い、深淵の様な笑みが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いつも貴方の傍にいますよ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やっぱり続かない

 

 

 



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無関係IF短編 SEKIKABE STOMACH DIE TWICE


~お詫びとご連絡と生存報告~
 2部が終わってから気が付いたら1年が過ぎてしまいました。
 半年とか言っていたくせに1年たっても書き溜めが終わらなくて本当にごめんなさい。
 そろそろ投降を再会出来そうなくらいには書き溜めが溜まってきたので
 出来れば年内には投降を再開したいと考えております。
 これだけお待たせして図々しいお願いではございますが
 再会の際はまたお付き合いいただければ幸いです。

 これだけだと流石にアレなので息抜きに書いた短編を一つ上げておきます。
 あと前回のドルフロネタにもオマケを追加しました。




!注意!
 今回も前回のエイプリルフールネタと同じく本編とまったく無関係のクロスオーバーネタです。

 フロムソフトウェアの隻狼~SHADOW DIE TWICE~のネタバレを若干含みます。
 
 そういったネタが嫌い、或いは上記作品を未プレイの方は読まない方が良いです。

 この話を飛ばしても、本編には一切影響はございませんのでご安心ください。
 





「いやぁ、なんやかんや色々あったけどなんか全部すっきり解決しちゃったな!」

 

「そうですね!なんか色々あった気がしますがとりあえずなにもかもすっきり一切合財終わりましたね!指揮官様!」

 

 そう、なんやかんやでドルフロ世界に転生した石壁だったが、結局この世界でもなんやかんや色々全部終わった後なのである!具体的に何があったのかは一切分からないがなんやかんやはなんやかんやできっちり解決したのだ!

 

 

 

「そんなわけで僕はもう寝るよ、お休み!」

 

「おやすみなさいませ指揮官様!」

 

 

 

 ***

 

 

「……はっ」

「……目覚めたようじゃな」

 

 ふと気がつくと石壁はボロボロの荒れ寺で薄汚い筵を布団代わりに寝かされていた。起き上がった彼の前には襤褸衣を纏った老人がいた。彼はどうやら仏像をほっているところであった。

 

「ここは……て、あれ??」

 

 そして気がつく、無くなっていたハズの右腕に義手がくっつけられていた。しかもどう見てもローテクな木製の義手なのに、なんか魔法じみた制度でぬるぬる動く、すごく不思議な義手である。

 

「ソイツの名は忍び義手。きっとお前さんの役に立つじゃろうて」

 

「え、いやまって、ここ何処とか貴方誰とか、忍び義手ってなんだよとかそれ以前の問題としてーー」

 

 石壁が失われた右腕の位置に存在する義手を動かす。

 

 

 

「ーーこれ、左腕なんだけど???????」

 

 両腕が左腕になった石壁のその言葉に、荒れ寺は静寂に包まれた。

 

「……まあ、せいぜい気張りな」

「いやいやいやまって!!お願いまって!!こんな『余ったガンフ●ラの腕適当にくっつけました★』みたいな状態で放り出すの待って!!お願いお爺さんちょっと待ってええええええ!!!」

 

 かくして、隻腕の石壁、略して石壁(セキカベ)の新たな戦いが始まったのである!!

 

「始めるな!!無理やりナレーションで進めるな!!あと略せてないっていうかそのルビだとただの読み間違いだ!?」

 

 始まったのである!

 

 

***

 

「そなたなど、まだまだただの土壁よ」

「僕の名前はそういうランク制だったの!?」

 

***

 

「隻腕の石壁……そうじゃなこれより貴様は石壁(セキカベ)と名乗れい!!」

「だからそれじゃただの読み間違いだって言ってんだろうが!!」

 

 ***

 

「久しいな、御子の壁よ」

「なんだよその呼び方!それだと僕御子の敵みたいだろうが!」

 

 ***

 

「俺は……葦名を守りたい……!!」

「ああもうわかった!!わかったから!!」

 

 石壁は叫んだ。

 

「全部一切合切護ってやるから力をかせ弦一郎!!」

 

 

 またしても運命を捻じ曲げてしまった彼の、新たな戦いが始まる!!

 

 SEKIKABE STOMACH DIE TWICE、近日公開!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しません!!

 





誤字チェックにソフトーク(ゆっくり)で文章を読み上げていると
石壁を「せきかべ」と読んでくる事から思いついたネタ


ちなみに関係ないが鈴谷は「すずたに」になって笑いました


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幕間 優等生と無頼漢 前編


>出来れば年内には投降を再開したいと考えております。

年(度)内に再開する。というわけでギリギリセーフ……駄目ですよねホントウすいません!!

というわけで本当に大変ながらくお待たせ致しました。

少しずつではございますが、投稿を再開してまいります。

暫くは幕間が続きます。最初は新城とジャンゴの過去編になります。

楽しんで頂ければ幸いです。







なお、この物語はフィクションです。実在の人物や団体、思想等などとは一切関係ありません。

三部以降は日本の歴史等に絡めた話が増えていきますが、あくまでほぼ同じ歴史を歩んだ世界というだけで同一人物ではございません。ご了承くださいませ。





 これは深海大戦が始まる少し前の話である。平和な時代の退屈な昼下がり、閑静な住宅街を一人の青年が歩いていた。

 

 短く清潔感のある髪型と、端正な顔立ちの彼は、シワ一つない詰め襟の制服をピシャリと着こなしており、見るからに真面目な優等生といった雰囲気だ。

 

 彼の名は新城定道。当時の彼は名門高校に通っており、真っ当なエリートコースを進む学生であった。

 

「はぁ……」

 

 だが、そんな彼は今とある問題について思い悩んでいる。深くため息を吐きながら道を歩く彼は、やがて自宅へとたどり着いた。そにには周りの住宅とは一線を画す程に巨大な日本家屋があった。家屋というより、邸宅という表現がより相応しいかもしれない。

 

「……」

 

 新城は無言で自宅を見上げるが、その視線は何処か目は寒々しい。

 

 数秒そうしていた新城は、やがて俯くように視線を下げると、そっとその扉を開いた。

 

 ***

 

 新城は父の書斎へと足を運んだ。ノックをして扉を開くと、そこには一人の男性がいた。彼は対面式のソファの片方に腰掛けており、書類に目をやっている。

 

 男性は年の頃は50程、頭に白髪が混ざっているが、老いているというよりも熟成したと表現するのが相応しい威厳を兼ね備えていた。

 

 謹厳実直という言葉をそのまま形にしたような固く険しい顔つきの彼が、新城定道の父親、新城忠道(しんじょうただみち)その人である。

 

「父さん、少しよろしいでしょうか?」

「……なんだ」

 

 息子に声をかけられた忠道は、書類から顔を上げて向き直る。息子と話しているのに、彼の表情は険しいままだ。

 

「実は……将来の進路について相談したい事があります」

 

 新城がそう言うと、忠道はじっと彼の顔を見つめてくる。新城は父に見つめられるとぐっと体を強張らせた。

 

「……どうした」

「……いえ、その」

 

 圧力すら感じさせる父の声音と顔つきを前にして、新城は何も言えなくなってしまう。

 

 数分間そうしていると、忠道が先に口を開いた。

 

「……いつまでそうしているつもりだ?」

「……っ」

 

 先程よりも固くなった父の声に新城は俯いてしまった。そんな新城の様子に埒が開かぬと考えたのか忠道は立ち上がり、引き出しから封筒を取り出すと新城の前に立つ。

 

「……此処が良いだろう」

 

 そう言って渡された封筒は、この辺りでは知らない者の居ない名門大学のパンフレットであった。新城は手渡されたそれを、ただ何かに堪えるように見つめている。

 

「……どうした?何か言いたい事があるのか?」

 

 一言事に重くなる父の言葉は、重圧となって新城の心を重くしていく。

 

「……いえ。失礼、します」

 

 新城が頭を下げ封筒を抱えて部屋を出ていくと。忠道は険しい顔のまま、それを見送った。

 

 ***

 

 新城は自室へと戻ると、父に渡された封筒へしばし目をやってから中身を検める。

 

「……願書、もう必要事項が記入してあるのか」

 

 大学のパンフレットと共に入れられた願書には、本人記入欄以外の記入が全て終えられていた。あとは新城が必要事項を書き込めば、そのまま応募出来るだろう。

 

「……結局、父さんの予定通りか」

 

 新城は諦めたように願書に記名すると、それを封筒に戻しカバンへと収めた。そして、着替えるのも億劫とばかりに制服のままベッドに寝転んだ。

 

 億劫さに身を委ねていると、やがて意識は遠のいていく。

 

 意識が完全に落ちる寸前、新城は誰かの声を聞いたような気がした。

 

 ***

 

 気がつくと、新城は夢の中にいた。そこは寒々しい白色の病室で、ベッドにはとある女性が寝かされていた。

 

『……母さん』

 

 口から出たのは、甲高い子供の声。気がつけば、随分と視界も低い。新城は子供の頃の夢を見ているのだ。

 

『定道……』

 

 新城の母がこちらを向く。彼女は儚く、まるで雪の様な女性であった。優しく、物静かな良家の子女というのがピッタリと当てはまる人物だ。

 

 だが、美人薄命という言葉があるように、彼女は体が弱かった。新城を出産してからは体調を崩しがちとなり、彼が物心ついた頃に命を落としてしまった。故に新城の記憶に残る母の姿は、いつも病床のモノだけだ。記憶と同じように、母は寝たまま、こちらを見ている。

 

『定道、元気にしていたかしら?ご飯は、毎日ちゃんと食べてる?』

『……うん、大丈夫』

 

 母は、自分の体調の事には触れずに、ただひたすらに新城に問い続ける。一つ一つ、小さな内容を、確認していく。

 

 後にして思えば、この頃にはもう彼女は死期を悟っていたのだろう。だから日常の小さな、それでいて大切な事を疎かにしないように、親として少しでも何かを遺そうとしていたのだと新城は思っている。事実、会うたび、会うたびにこうして繰り返された問は、今こうして夢に見るほどに心に遺されていた。

 

『そう、良かった……』

 

 一通り尋ね終わると、母は笑顔で新城の頭を撫でる。温かく、心地が良いその手が離れていく。

 

『……母さん』

 

 いつもなら、この辺りで目が覚める。だが、今日は少し違った。

 

『父さんは、どうして何時も怒っているの?』

 

 こんな問をしたのだろうか。新城は思い出せなかった。

 

『……父さんは、別に何時も怒っている訳じゃないの』

 

 新城の問に、母は困ったように笑うと、続けた

 

『あの人はねーー』

 

 ***

 

「夢……か……最後、母さんはなんて言ったんだろうか……」

 

 新城は鳴り響く目覚し時計を止めると、体を起こした。その際に体の上から毛布がずりおち、ボタンが外れた制服がはだけた。

 

「……?」

 

 そのことに少し違和感を覚えた新城であったが、寝起きで回らない頭ではそれ以上の事は考えられず、立ち上がって鏡の前に立った。

 

 そこには、普段の彼からは考えられない程ヨレヨレの制服をきて、頭に寝癖をつけた青年がいた。制服のまま寝れば、こうもなろうという所だ。

 

「やってしまったな……」

 

 新城はそうため息をはく。予備の制服に着替えようかと思いクローゼットに手を伸ばすが、途中でその手が止まる。

 

「……いや、もう別にいいかな」

 

 そう言って手を引っ込め、カバンをもって部屋を出ていく。朝食を取る気にもならず、そのまま玄関へと進む。

 

 居間の障子の前を通り過ぎて玄関へ到着した。いつものように下駄箱を開いて学生靴を取り出していると、ふいに背後から誰かが近寄ってくる。

 

「定道」

「……っ」

 

 声は父のモノであった。新城は靴を履きかけたまま硬直する。

 

「……随分と慌てているが、どうかしたのか」

「……なんでもないです」

 

 新城は、父の顔を見たくなかったので、そのまま扉へと手を伸ばす。

 

「封筒の中身は見たのか」

 

 伸ばされた手が止まった。

 

「問題がなければ、そのまま出せ。分かったな?」

 

 新城は、暫し黙り込んだあと、絞り出すように答えた。

 

「……はい」

 

 新城は今度こそ扉を開くと家を出ていった。

 

 ***

 

 新城は朝の通学路を歩いていた。いつもどおりの道を、いつもどおりに。昨日までずっと同じ道を歩いてきたし、きっと明日も同じ道を歩くだろう。

 

(なにも、言えなかった……)

 

 だが、繰り返し進んできたその道が、歩んできた足が、今の新城にとってはとてつもなく重く、苦しかった。

 

(結局私は……父さんが引いた道を、父さんが言うまま進むしかないのか……?)

 

 新城は、ずっと父の言うことを聞いて生きてきた。進学先もそうだし、習い事も、持ち物だってそうであった。

 

 幼き日からずっと、新城は父から険しい顔で睨みつけられ、アレをしろ、これをしろ、と指図されてきた。何か反論しようとすると、険しい顔を更に険しくしながら新城を睨みつけてくる。そしていつも「何か言いたいことがあるのか」と問い詰められる。それが怖くて、怖くて、新城は何も言えなくなってしまう。それを繰り返してきた。

 

 昨日もそうだった。進路について話したい事があった。やってみたいと思い始めた事があった。だが、やはり何も言うことが出来なかったのだ。

 

(これからも……ずっと……?)

 

 やがて、左右へ道がわかれた。左へと進めば山の裾野にある母校へとたどり着くだろう。いつもなら迷わずに通り過ぎるその分かれ道を前にして、新城は足を止めた。

 

「……」

 

 新城はしばし佇んだ後、無言で歩を進める。

 

 ***

 

 やがて新城は目的地へとたどり着いた。

 

「……なんでこっちにきてしまったんだろうか」

 

 目の前には、揺蕩う水面が広がっている。分かれ道の右側は、湖岸へとつながっていたのである。

 

 なんとなく砂浜におりた新城は、そのまま浜辺へと近寄って波打ち際へと腰を下ろした。

 

 何もする気が起きず、暫しぼーっと水面を眺める。そしてなんとなくその辺に転がっている石を掴み、手の中で転がした。

 

「なんで私は学校をサボってまでこんな意味のないことをしているんだろうか」

 

 なんの意味もなく、生産性もなく、無駄でしかないサボタージュ。今頃学校ではHRが始まっているだろう。ともすれば自宅へと連絡が入り、父へとこの暴挙が露見するかもしれない。

 

 そこまで考えて、結局心配するのは父の叱責なのかと、新城は舌打ちをした。

 

「……くそっ!」

 

 新城は閉塞感から逃げるように、手の中の石を水面に向け力いっぱい投擲した。石は勢いよく水面に突き刺さった。

 

「はぁ……どうするか……ん?」

 

 新城が石が沈んだ辺りを見ていると、突如としてボコボコと水面が泡立ち始めた。

 

「な、なん「ファアアアアアアアッッック!!何処のドイツだ石を投げつけやがったファッキンマザーファッカーはああああ!?」だあああ!?」

 

 その瞬間、額にでっかいコブをつくったドレッドヘアの黒人が水面から飛び出した。

 

「ファッキンシット!!てめーか!!」

「は!?いや、は!?ちょ、ま!?」

 

 何がなんだか分からず狼狽えていた新城に近寄ってきた黒人は拳を握りしめると。

 

「コイツはお返しだマザーファッカー!!」

 

 思い切り、ぶん殴られた。

 

「いやお前一体なぶべら!?」

 

 頬をぶん殴られて新城は砂浜に転がる。いろんな意味で衝撃的すぎる展開の連続に、その瞬間新城の中の何かがキレた。

 

「いってえだろうがこのくそったれの黒人があああ!!」

「ワッザ!?オゴエッ!?」

 

 新城は起き上がりと同時に黒人に飛びかかり懐に入り込むと、相手を背負い込むように持ち上げて砂浜に叩きつけた。一本確定の美しい背負投げである。

 

「アオオオォォォ!?ファックファックファアアアアアアアッッック!!やりやがったなコンニャロー!!」

 

 ゴロゴロと砂浜を転がって悶絶した後、黒人は立ち上がる。

 

「もうゆるさねーぞファッキンマザーファッカー!!急に石投げつけやがって!!ファッキン驚いたぞ!!」

「こっちのセリフだクソ野郎!!急に水の中から出てくるんじゃない!!死ぬほどビビっただろうが!!」

 

 互いにファイティングポーズを取ると、相手に向け飛びかかる。

 

 それから10分後、二人の馬鹿がズタボロになって砂浜に転がったのであった。

 

 ***

 

「いたい……」

「ふぁっく……」

 

 ズタボロで青あざだらけになった二人は立つことも出来なくなっていた。新城の端正な顔つきは見る影もなくはれあがっており、黒人の方はコブダイみたいな顔つきになっていた。

 

「……もうこの辺でやめないか」

「……OKだ。おめー、見かけによらずツエーな」

「……護身術……習ってたから」

「Isee……ナルホド……」

 

 暫しそうやっていると、段々回復してきた二人は起き上がって顔を合わせた。

 

「石を投げて悪かった」

「オイラも殴って悪かったな。ようやく捕まえた魚が逃げちまって腹がたったんだ」

「魚を?というか、なんでアンタはこんな朝っぱらからこんな所に?」

 

 そう問うと、黒人は白い歯をキラッと輝かせながら答える。

 

「そういや、まだ名乗ってなかったな」

 

 黒人はコブダイフェイスに笑みを浮かべた。

 

「オイラの名はジャンゴウ・バニングス!バックパッカーだ!ジャンゴって呼んでくれ!」

 

 そういって、ジャンゴは新城に手を差し出す。

 

「バックパッカーのジャンゴか。私の名は新城定道だ」

 

 新城は、差し出された。手を掴んだ。

 

 これが、新城定道とジャンゴウ・バニングスの出会いであった。

 

 






続きは明日投稿致します。


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幕間 優等生と無頼漢 後編


全開の続きになります


 自己紹介をしあってから10分程後、二人はジャンゴが起こした焚き火のそばで湖に向かって座っていた。焚き火にはジャンゴが捕まえた魚が串に刺されて焙られている。

 

「そーいやなんでジョジョはこんな場所に居たんだ?オイラと違ってガッコーあるんじゃねーのか?」

 

 ジャンゴは焼き魚に齧りつきながら問うた。ちなみにジョジョは数分前に決定した新城のあだ名である。

 

「……なんか、いつもどおりの道を歩くのが嫌になってさ。学校と逆の方向に歩きだしたら気が付いたらここに居た」

 

 ジャンゴと殴り合って幾らかスッキリとした新城は、自分の腹の内について話しだした。

 

「へえ。真面目そうな坊っちゃんって感じの割に……随分ロックな事してるじゃねーの」

 

 ジャンゴが楽しげに笑いながら言うと、新城は首を降る。

 

「いいや、そんなかっこいいもんじゃない。何せ、私は父に対して何の意見も言うことが出来ない臆病者だからな」

「臆病者?」

「ああ」

 

 それから新城はポツリポツリとジャンゴに語る。今までずっと父の言うまま、勧められるまま、そのままを鵜呑みにして生きてきたこと。父に問い詰められると何も言えなくなること。一つ一つ、ゆっくりと話していく。

 

 初対面の相手に話すことではない。だが、先程まで恥も外聞もなく殴り合った仲だ。今更これ以上恥じることもないだろうという開き直りがあった。それと同時に、短い付き合いながら新城はジャンゴにならば話してもいいだろうと思う程度に彼のことを気に入ってた。

 

「……とまあ、こんな具合に、私はなんとも情けない男なんだ」

 

 一通り話きった後、新城は隣へ目をやった。ジャンゴは手元で5センチ程の紙をくるくると筒状に丸め、焚き火へと先端を近づけて着火している。どうやら紙巻きタバコの類らしかった。

 

「なんつーか……オイラの勘違いかもしれねーけど……」

 

 ジャンゴは火のついた紙巻きを口に加えて燻らせる。

 

「……ジョジョの親父さん、別に何も強制してなくね?」

「……は?」

 

 新城は虚をつかれて目を丸くする。

 

「だってよ、オヤジさん、ジョジョが何か言いたげにする度に『どうした?』『何か言いたいことあるのか?』『言いたいことがあるなら言え』って必ずいってねーか?」

「いや……でも……それは……」

 

 記憶を掘り返す。昨日も、その前も、その前も、またまたその前も、思いつく限りいつも、父は定型文のように言っていた。

 

「……確かに言ってる?いやしかし……少しでも私が逡巡すれば、毎回不機嫌そうに睨みつけてくるし……声のトーンも急激に下がるんだぞ?どう考えても怒っているだろう……?」

「じゃあ逆にオヤジさんが明らかに機嫌がいい時とか、仏頂面じゃなかったり饒舌な時ってあるのか?」

「……見た事……無い」

 

 思い起こせば年がら年中四六時中、新城の父はTHE・仏頂フェイスだ。大口どころか小口すら開けて笑った顔など見た事がない。立てば銅像、座れば仏像、歩く姿は二宮尊徳とでも言わんばかりに、無愛想の鉄面皮という概念を具現化したような男なのだ。

 

「じゃー別に不機嫌でもなんでもなかったんじゃねーの?」

 

 ぷかーっと煙を吐き出すジャンゴ。あんまりにもあんまりなその予想に、新城は混乱する。

 

「え……いや……え……?父さんが……いやいやいや……ありえないだろう……いや……しかし……」

 

 あれで不機嫌じゃないとかウッソだろおい。と新城は叫びそうになる。が、同時にジャンゴの言葉も否定出来ない。もしもあれが不機嫌じゃなくて純粋に新城を気遣ったがゆえの『心配顔』であっとしたら?

 

「……そんなん分かるかァッ!?」

 

 頭を抱えて新城が叫ぶ。ジャンゴは口に紙巻きを咥えたまま、もう一本紙巻きを作って火を付ける。

 

「おいおい落ち着けって、これ吸ったら気分よくなっから一本やるよ」

「私はまだ未成年だぞ!?」

「オイラも未成年だよ」

「はっ!?」

「なんならジョジョと多分同い年だ」

「はぁっ!?!?」

 

 新城がひっくり返りそう担ってる間に、ジャンゴは火のついたそれを新城の片手に持たせた。

 

「HAHAHA。まあ気楽にいけよ。どうせガッコーサボったんだし、ついでに悪いことたのしもーぜ」

 

 ニッと笑ってジャンゴは煙をすう。

 

「あ、いきなり肺に入れたら咽るから口の中に溜めるつもりでやってみなー」

 

 新城は手の中の紙巻きを暫し見つめてから、もうなるようになれ、と言いたげに口に咥えた。

 

「すぅ……」

 

 口中を煙で満たす奇妙な感覚。適当なタイミングで吐き出すと、何やら感じた事の無い心地の良いような気持ちの悪いような形容しがたい膨満感に満たされる。

 

「はあ……なんだこの感覚……タバコって……こんなふわふわするもんなのか……?」

 

 もう一度確かめる為に紙巻きを咥える。

 

「ああその葉っぱの種類か?」

「すぅー……」

「山でめっけた大麻」

「ブフォッ!?」

 

 新城は紙巻きを吹き出した。

 

「ああもったいねー」

「ゲホッ!?ゲホッ!?なんてもの吸わせるんだ馬鹿!!」

「HAHAHA。まあ安心しな。大部分は香りづけの香草で、大麻は少量しか混ざってねーよ。というか分けてくれた日本人も昔はこっそり吸ってたって言ってたぜ」

「今は日本でも禁止薬物だよ!!」

 

 ちなみに、GHQに完全規制される前、要するに戦前まで日本では普通に大麻が売られていたので、薬局で普通に大麻が買えた模様。諸説あるが、日本原産の大麻は薬効が弱く外国産より依存性が低かった為比較的安全だったとかなんとか。

 

 完全に余談だが、この世界の日本は大日本帝国を継承した世界線である。その為、敗戦直後ではなく1960年代の世界的な大麻規制の流れの中に追従する形で違法薬物に指定された。だが、それまで当たり前に栽培されて使われて吸われていたせいで、田舎では少数がこっそり密造されて消費されているらしかった。田舎住民の感覚としては、お祭り等で未成年にこっそり酒を飲ませる位の、違法は違法なんだけどまあ偶には良いんじゃない?位の感覚である。

 

「でも元気でただろー?それに、違法薬物吸引事件よりオヤジさんの方が怖いか?」

 

 悪びれる様子もなく笑ってそう言うジャンゴに、新城は肩を落としてため息を吐く。

 

「はぁ……もうなんだか自分の悩みが小さすぎてアホ臭く感じたぞ」

 

 ガシガシと頭を掻きむしってから、そのまま砂浜を枕にして倒れ込む。空の果てまで透き通る青空が眼前に広がり、渡り鳥が群れを成して飛んでいく。

 

「……でも、ありがとうジャンゴ。今なら父さんと向き合えそうだ」

 

 新城は清々しさを感じて笑った。子供心に見上げる程大きいと思っていた自分を覆う柵が、実は虚像でしかないと気が付いたのだから。

 

 得てして多くの悩みとは、気が付いてしまえば『その程度』で済むものだ。背負う荷を重くするのも軽くするのも、結局は自分自身ということなのだろう。それに気が付く時が、人が変わる時。つまりは成長の時ということだ。新城にとってはこの出会いが、その小さくとも絶大な変化の一歩目であった。

 

「気にすんなって。オイラはジョジョの話を聞いて思った事いっただけだぜー。むしろ薬物吸わせたり悪い事ばっかしてて、オイラがオヤジさんに怒られそうだ。『何処でそんな悪友見つけた!』てな」

「悪友……悪友か」

 

 ジャンゴが短くなった紙巻きを焚火に放り込んで証拠隠滅するのをみつめながら、新城は起き上がる。

 

「……よし、じゃあ私の家行くから一緒に来いよジャンゴ」

「あん?」

 

 新城は、青あざと腫れだらけのボロボロの顔に笑みを浮かべる。優男らしいというより、悪童じみたワイルドな笑みだ。

 

「父さんに、私の『悪友』を見せてやりたくなったんだよ」

 

 ***

 

 それから30分後、新城はジャンゴを連れ立って帰宅した。今から帰ると報告を入れたので、父は玄関で新城を出迎える。

 

「定……道……?それにそちらは……」

 

 数時間前に家を出た時とは打って変わって顔面風体ズタズタボロボロの息子。そしてそれに連れ立つコブダイフェイスのボコボコの黒人。そんな何が何やらさっぱり分からない二人ずれが仲良く肩を組んで帰ってきたのである。すわ強盗か何かと悲鳴を上げないあたりこの親父さんは相当に肝が据わっていた。

 

「ラッパーの人か……?」

「この状況で最初に言うのがそれですか父さん」

 

 否、肝が据わっているとかそういう事ではなく単純にズレていた。

 

「HAHAHA。ハジメマシテ、オイラはジャンゴウ・バニングスだ!ジャンゴってよんでくれ」

「ジャンゴ君か。初めまして。私は新城忠道という。そちらの新城定道の父親だ」

「普通に話進める前に色々突っ込む事無いんですか父さん??」

 

 厳格で真面目な愛層の無い父。という新城の父親像は、再会10秒で早くも音を立てて瓦解し始めていた。表面上厳格で真面目で愛想が無いが、実際はド天然でコミュ障な上それに気が付かないとんでもねえ父親という認識になってしまった。

 

「ああ、そうだな先に言う事があったな」

 

 忠道は新城に向き直る。

 

「先に手洗いとうがいをしてこい」

「違うだろ!!絶対に違うだろ!!『どういう関係だ?』とか『そのケガどうした?』とか先に聞く事山ほどあるだろ!!なんでそこからなんだよ!?」

「手洗いとうがいは大事だぞ」

「そうだけど違うだろ!!ああもうなんで私は父さんがこんな天然ポンコツアッパラパッパーなのに気が付かなかったんだ!?」

「ブフォッ!!駄目だオイラ腹いてええ!!ジョジョ、アンタのオヤジさん面白すぎる!!」

 

 新城が絶叫するとジャンゴは耐えかねて噴き出した。忠道はなんだかよく分からず首を傾げている。

 

「よくわからんが……二人の関係?」

 

 忠道は新城とジャンゴを順繰りにみる。肩を組み合って歩く二人の姿をみた忠道の言葉はーー

 

「……友達ではないのか?見て分かる事を聞く必要はないと思うが」

 

 ーーこれ以上ない程に、簡潔であった。

 

「……あ」

 

 忠道は背後を向くと居間の方へと歩いていく。

 

「傷の治療の準備をしておく。手洗いとうがいをしたら居間へ来い」

 

 そういって、忠道は居間へ消えた。

 

「やっぱ……いいオヤジさんじゃねーか」

 

 ジャンゴの言葉に、新城は俯く。

 

「そうだな……ずっと、そうだったんだ」

 

 声が震える。

 

「私が、見てなかった、だけだったんだな」

 

 土間に、雫が落ちた。

 

「気が付けて良かったじゃねーか。これからだ。これから見ていきゃいーじゃねーの」

 

 ジャンゴは新城と肩を組んだまま歩き出す。その底抜けの前向きさに、新城は泣き笑いで返す。

 

「そう……だな……それで……いいよな」

 

 新城は顔を上げる。

 

 

「親子……なんだものな」

 

 

 鬱屈とした青年は、もうそこには居なかった。

 

   

 

 

 

 こうして、とある親子の小さくて大きな勘違いは終わった。この後、新城とジャンゴは親友となり、それはジャンゴが次なる旅路へと出立するまで続く事となる。

 

 一度別れた二人の道が重なるのは、深海大戦勃発後、帰国できなくなったジャンゴが提督としての徴兵検査に引っかかって召集され、新城もまた提督候補生として士官学校へと入学した後の事となる。その後は二人の親友は四人となり、やがて歴史に刻まれる戦いへと身を投じる事になるのだが……そんなことはまだ知るよしも無い。

 

 今はただ、ただの青年として、笑い合うだけであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「でも幾ら何でもコミュ障すぎるよ父さん……ッ!!」

「それはそうだな!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おわり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おまけ  居間での一幕

 

ジャンゴ「ところでオヤジさん、これ土産!」(徐ろにアロハシャツを渡す)

 

新城「ジャンゴ!?なんで土産にそれをチョイスするんだ!?」

 

パッパ「ありがとう」(徐ろにアロハシャツ装備する)

 

新城「着るのかよ父さんんんん!?」

 

 

 

 

 

 




Qお母さんなんていったの?

A「あの人コミュ障だから」





次回更新は明後日の予定です


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幕間 野郎だらけの学生旅行 前編


前回に引き続いての過去編です。

仮にも艦これと名前が付いて居るのに前回も今回も艦娘が一人も出てきません。

なんなら女性すら一人も出てきません……艦これ?


 これは新城達がショートランド泊地に援軍にやって来てから、飛行場姫との決戦までの間の会話である。

 

 石壁の執務室に併設された上級将兵用待機室にて、石壁、伊能、新城、ジャンゴという士官学校同期の桜が茶飲み話に興じていた。来たるべき大敵との決戦に向け、最早恒例となった連日連夜の突貫工事(デスマーチ)。尻どころか全身に火がつくが如き狂瀾怒濤の日々の中で、本当に僅かではあったが、石壁を始めとした士官学校同期組が暇を重ねる事が出来たのである。

 

「しかし……思えば遠い所にきたもんだよねえ……」

「はは、年寄くさいぞ石壁」

 

 石壁のしみじみとした言い草に、新城が突っ込む。

 

「でもよジョジョ。ブラザーの言いたい事も少しはわかるゼ。オイラ達ほんの一年前どころか数か月前まで、本土で士官学校生だったんだからな!」

「それが今では俺達全員本土の遥か南の泊地所属、一人に至っては既に中将様だ。任官一年目で4階級特進した挙句に方面軍最高司令官になった男なんてのは後にも先にも恐らく石壁だけになるだろう。良かったな石壁」

「うるさいわイノシシ!僕だってこんな無茶苦茶やりたくなかったよ!」

 

 ジャンゴと伊能の言葉に石壁が突っ込む。和気藹々としたそれは、士官学校時代(あの頃)と変わらないモノで、それが何故か無性に楽しかった。

 

 全員立場が変わり、背負うモノが増え、見える景色が大きく変わっても……それでも変わらない何かがあるのだと感じられた。何もかもが変わらざるを得ない戦争という異常の中で、それが何よりも嬉しかった。

 

「……こうして4人だけで馬鹿やっていると、琵琶湖沿いの新城の家に行った日の事を思い出すね」

 

 ぽつりと石壁が呟く。それを聞いた一同は、各々が同意するように頷いた。

 

「ああ……士官学校の休みに、ウチに招待したんだったな」

「あれは確か……去年の八月だったか?」

「最高にエキサイティングな夏だったな!」

 

 口々に思い出話に興じる一同は、遥か過去に思える最後の学生旅行の事を思い出すのであった。

 

 *** 

 

 石壁達が南方へ送られる半年と少し前、士官学校の休みを利用して彼等は旅行を企画した。

 

 当初は初期艦達も連れていく予定であったが、まだ提督候補生でしかない為石壁達は艦娘を連れ歩く事が出来ずご破算となり、結果として野郎四人のむさ苦しい旅となってしまった。

 

 ならいっその事、と新城は自宅へ皆を招待し、石壁達は新城の実家へと集まる事になったのである。

 

 そしてこの日、準備があると先に帰った新城とジャンゴに遅れる形で、石壁と伊能は列車を乗り付いで近畿地方の滋賀()にやってきていた。駅を降りるとその周辺には多くの高層ビルが立ち並び、復興した沿岸部の都市部と遜色のない活況を呈していた。

 

「久しぶりに来たけどやっぱり人が多いね」

「そうだな、流石は副首都(・・・)といった所か」

 

 深海大戦勃発の結果、沿岸部が軒並み主戦場となった。その為首都機能が内陸部に分散移転された結果の変化である。

 

「深海大戦勃発前は、副首都じゃなかったよね」

「ああそうだ……そうなのだが……」

 

 伊能がその当時のゴタゴタを思い出して苦虫を嚙み潰したような顔をする。

 

「どうしたんだ?」

「いや……俺が覚えている限りではあるが……深海大戦の勃発の10年近く前から散々、首都機能の帝都への一極集中はダメだと言われていたのだがな……結局事が起こるまで遅々として機能移転が進まなかったのだ……」

 

 伊能はその時の政府の対応を思い出して眉間の皺を濃くしていく。

 

「『今まで大丈夫だったのだから変える必要はない』『税金の無駄だ』という保守的(事無かれ)議員連中の声が大きく、移転の動きは遅々として進まなかった。結局歴代政権は自分の代でそれを変えるリスクを避け、機能は帝都に集まったまま……案の定この戦争で殆ど全部焼かれてしまったのだ……」

 

 伊能は大戦勃発当時20歳であった。当時小学生であった石壁と違い世の中の動きというものを見つめる能力が既にあった。故に政治的職務の怠慢が如何なる災害をこの国に齎したかの実例を目の前で嫌という程見せられたのである。

 

「思い出しても当時の対応は泥縄過ぎていっそ笑えてくる……深海棲艦の首都攻撃時に主要閣僚が一挙に壊滅。偶然首都を留守にしていた農林大臣(・・・・)が臨時に内閣総理大臣になったんだ」

 

 頭が誰でもこの国は動くが、それでも頭が無ければ国を動かす事が出来ない。他に選択肢が無かったと言えばそれまでだが、それしか選択肢が無くなった時点で失態の域を超えていた。そして、選択肢が無くなるという事はーー

 

「後はそのままなるようになるを体現するが如く事態は動いた……事態に対応できる法令がなく、閣僚無きが故に立法もなく、前例無きが故に経験もなく、首都機能が移転できなかったが故に人員も足りず……辛うじて組織的統制を維持していた帝国軍が事態収拾に動かざるを得なくなった。死文化し、放置されていた過去の法律が引っ張り出され、70年ぶりに大本営が設置されたのだ」

 

 --それが毒になると分かっていても、飲まざるを得なくなるという事だ。

 

「後はそのまま……大日本帝国は第二次世界大戦前まで先祖返りして現在に至るという訳だ」

「あの頃、そんな事があったんだ……」

 

 その頃の石壁といえば、ただ日々を生きるだけで精一杯であった。避難した先で孤児院に拾ってもらえなければ、とっくの昔に死んでいただろう。

 

「……すまん、折角の旅行だというのにつまらん話をしたな」

 

 ガラでもない話をしたことを恥じて伊能が詫びると、石壁は気にすんなと笑う。

 

「しっかし……新城の奴どこに居るんだ?迎えに来るって言ってたのにねえ」

 

 石壁がロータリーを見渡していると、石壁たちが居た側とは正反対の場所に停車していた車が動いた。

 

「……まさかとは思うが、あれか?」

 

 伊能はロータリーを回ってこちら側へと向かってくる車を見て信じがたい思いに眉を顰める。

 

「……どうやら、そうらしいね」

 

 石壁も同様に信じられない思いで段々とこちらに迫ってくる車を見つめていた。車は石壁たちの目の前に、やたらと長い車体側面を向けて停車した。

 

 それは自家用車というにはあまりにも長すぎた。

 大きく

 長い

 黒塗りで

 そして高級車すぎた。

 それはまさにお金持ちの車(黒塗りの高級車)だった

 

「これってあれだよね……リムジン?」

「多分な。俺もそんなに詳しくはない」

 

 石壁がどうすればいいのかわからず固まっていると、召使いらしき男性が近寄ってきて二人に声をかける。

 

「失礼いたします。私は新城家に仕えている斉藤と申します。どうぞお車へ、定道様がお待ちです」

「は、はい」

「では荷物を頼む」

 

 斉藤は二人の荷物を受け取ると、車の扉を開いた。極めて小市民である石壁はその対応に恐縮しきりであり、大変へっぴり腰な乗車であった。逆に伊能はどうしてそこまで堂々と出来るのか不思議になるほど泰然と荷物を預け、まるで慣れ親しんだ愛車の如く自然に乗り込でいく。その対比に斉藤は微笑ましいモノを感じながらドアを閉じた。

 

「想像通りの反応ありがとう二人共」

 

 二人が席につくと、その対面に椅子をこちらに向けて座る新城がいた。彼はカジュアルでありながら高級感のある私服を上品に着崩しており、良家のご子息という存在をこの上なく体現していた。成金の見せつける豪華さではなく、血に染み付いた自然な高貴さを醸し出していると言えばいいだろうか。

 

「……」

「いや見違えたぞ。似合っているではないか」

 

 鳩が豆鉄砲を食らったような顔で硬直する石壁と、全く動じない楽しげな伊能。想像どおりにすぎる二人の反応を見ていて、ついに新城は吹き出した。

 

「ぷくくっ……はははは!その反応が見たかったんだ」

 

 途端に高貴さが消え失せ、いつもの新城になる。そこでようやく石壁は肩の力を抜く。

 

「はぁ……寿命が縮むかと思ったよ……新城の家って、とんでもなくリッチなんだね」

 

 石壁はまだ若干肩身が狭そうではあるが、椅子の背もたれに体を預けた。

 

(あ……この椅子めっちゃ座り心地いい……)

 

 自室の●トリで買ってきた歳末処分特価2980円のソファが拷問具の出来損ないに思える様な座り心地であった。その極上の座り心地に、石壁はもしもこの車が廃車になったら椅子だけ引っ剥がして部屋に置きたいなと現実逃避気味に考えた。

 

「ああ、必要がないから黙っていたが、うちはここら一体の大地主だったからな」

 

 この世界は大日本帝国が継続した世界線であり、戦後のGHQによる農地改革(という名の土地の再分配)は行われなかった。そのため先祖伝来の大地主はだいたいそのまま地主である。

 

「……なるほど、深海大戦勃発後の内陸地の地価高騰で、そのまま農地は黄金の稲穂に満たされたというわけか」

「ご名答」

 

 伊能の言葉に新城は頷く。

 

「海岸線の重工業地帯が失われた結果、喪失された資産額は文字通り天文学的な数字になった。結果として多くの企業が文字通り消滅し、破産と統廃合によって業界が再編されていったと聞いている」

「ああそのとおり。結果として、再度沿岸部を取り戻した後も、内陸地に工場や本社を移したまま沿岸部に出てこなくなった企業も多いんだ。私の実家が持っている土地価格は、高止まりしているわけさ」

 

 もう一度深海棲艦に海岸線を奪われれば、物理的にも経済的にも会社が吹き飛びかねないのだ。内陸部から再進出に二の足を踏む会社は多い。そういった会社はそのまま軸足を内陸地へ置いているわけである。新城の家は、そういった企業に土地を貸す事で莫大な利益を得ているのである。卑近な例でいえば東京23区のうち何区か丸々保有して貸し付けていると考えるとわかりやすいかもしれない。

 

「……まあそのお陰で、『戦争で流れた血で金のなる木を育てている』なんて後ろ指さされる事もあるんだけどな」

 

 新城の顔が少し陰る。完全に偶然とは言え、戦火で何もかも失った人々からすれば、新城の家は戦争で大きな利益を得ているのだ。恨み辛みの感情を向けられるのも致し方ない部分がある。

 

「まあ、人の運命なんて明日でさえどうなるか分からないんだから。今が幸せなら素直に運が良かったんだって喜んでおけばいいんじゃない?」

 

 石壁は、二転三転する己の人生を振り返りつつ軽い口調でそう言った。悩んだ所で今の不幸はどうにもならないし、過去は変えられない。理不尽に流され続けたが故に辿り着いた、石壁なりの答えであった。

 

「……そうだな」

 

 石壁のその朴訥とした言葉に、車内の空気がふっと緩む。

 

(今が幸せなら素直に喜ぶ……か)

 

 名家の出だけあって人の汚い部分を沢山見てきた新城は、どうしても人に襟元を開くというのが苦手であった。友から嫉妬の感情を向けられる程、辛いものはない。

 

(ならば、私は本当にどこまでも幸せ者だな)

 

 故にこそ、新城は石壁達を友と呼ぶ事が出来る己の幸運に感謝した。日々を全力で楽しむジャンゴ、どんな相手であれ自分を貫く強い伊能、そして、どこまでも朴訥とした優しい石壁。己を新城家の嫡男ではなく、ただの新城定道として見てくれる友の存在は、彼にとって何物にも変えがたい生涯の宝であった。

 

「……定道様、到着致しました」

 

 暫しそうやって語らっていると、やがて一行を乗せたリムジンは、とある邸宅へと辿り着いたのであった。

 

 ***

 

 新城の家は一言でいうと、リフォームされた武家屋敷というのが一番しっくりくるかもしれない。広い土地を塀で囲まれた和風の邸宅で、敷地内に大きな日本庭園が広がっていた。

 

「〜〜♪」

 

 『和風のお屋敷』という概念をこれ以上ないほど具現化した家であった。が、今はその和風らしさは完全に吹き飛んでしまっている。

 

「よーし、良い感じだぜえ。ほらよ」

「うむ。ありがとう」

「HAHAHA気にすんな!どんどん食えYO!」

「うむ」

 

 なぜかって?そんな日本庭園の端っこでアロハシャツきて大量の肉をガンガンバーベキューで焼いてる黒人が居るからである。和のテイストぶち壊しであった。

 

「うむ。美味いな」

「だろ?ジョジョの親父さんは話が分かるな!もっと食え食え」

「うむ」

 

 ジャンゴが焼いた肉をもりもりと食うのは、おそらく50歳以上であろう壮年の男性であった。白髪をきっちりとオールバックで纏めた、端正な顔立ちの彼は、その立ち振る舞いからして上流階級の人間であろうというのがひと目でわかる人間であった。どことなく、新城と似ており、彼が歳を経て威厳を備えればこうなるのであろうなというのが感じ取れた。

 

 ……だが、その威厳もジャンゴに合わせてアロハシャツ姿でもぐもぐ肉を食うトンチンカンな状態のせいでどこかに吹っ飛んでしまっていた。

 

「ただいま、父さん」

「おかえり」

「ジョジョ!イノシシ!ブラザー!待ってたぜ!」

 

 新城の言葉に反応して新城の父とジャンゴが言葉を返す。新城の父は、あまり感情を見せない仏頂面であったが、その言葉には息子とその友人への優しさが籠もっているように石壁には感じられた。

 

「えっと、初めまして。石壁堅持です。この度はお世話になります。これ、つまらないものですが」

「伊能獅子雄という。世話になる」

 

 小市民らしくぺこぺこ頭をさげてそっとお土産を手渡す石壁と、軽く頭を下げて最低限の礼で済ませる伊能。新城の父は石壁から手土産を受け取ると二人へむけて口を開く。

 

「ご丁寧にありがとう。私は定道の父、新城忠道だ。石壁君、伊能君、歓迎しよう」

 

 ともすれば不機嫌なのではと考えてしまいそうな仏頂面のまま、彼はそう言うとお土産を側に控えていた斉藤へと手渡す。

 

「斉藤、頼む」

「はい、承知致しました旦那様」

 

 それだけでどうしてほしいのか察したらしい斉藤は、お土産を丁寧に持つと、石壁達を誘導しはじめる。

 

「では皆様、お荷物を部屋に置いた後、お食事に致しましょう」

「美味い肉を沢山焼いておくから早く来いよ!」

「……う、確かに美味しそう」

 

 肉を網で焼くという、原始的ながら暴力的な旨さの塊。それが放つ野性味溢れる芳香が、石壁達の腹を急速に空かせていく。

 

「うむ、彼が焼いた肉は、美味い」

 

 新城の父はそういうと、椅子に腰掛けて食事の続きに戻る。

 

「早くこないと、私が全部食べてしまうぞ?」

 

 冗談だと知りつつも、仏頂面で冗談っぽさがゼロの彼がそういうと本気で全部食べきってしまいそうに思えてくる。

 

「……急いで荷物を置いてこよう!」

「はい、ではこちらへ」

 

 石壁の言葉に斉藤は楽しそうに笑うと、皆を部屋へと案内したのであった。

 

 ***

 

 ジャンゴが焼いた肉はそれは大量であった。だが、なんだかんだ言って働き盛り食い盛りの軍人4人である。その大量の肉は残らず彼らの胃に収まったのであった。

 

「いやー……美味しかったねえ……」

 

 石壁は新城の家の居間に寝っ転がってお腹をさすっていた。広々とした畳敷きの居間は、冷房が効いており極楽のようであった。

 

「まったくだな。肉も良い肉ばかりだったぞ」

 

 伊能は寝っ転がりはしないが、ソファに腰掛けてくつろいでいる。

 

「ああ、普段軍で出てくる肉とは値段が桁違いだからな。いくらかは想像に任せるが」

 

 新城は伊能とは別のソファに身を任せている。 

 

「肉も良かったが、オイラの腕も良いだろ?」

 

 ジャンゴはいつもどおりの輝く笑みでサムズアップする。それに皆一様に頷く。

 

「ジャンゴが焼いたならどんな肉でも美味しいだろうね」

「どちらかというと、このメンバーなら、かもしれんがな」

「それは言えているな。何度も食べたはずなのに、今日食べた肉が今までで一番美味しかったよ」

「確かに、オイラもそう思うぜ」

 

 気の合う仲間で集まって、肉をやいて食うのだ。これで不味い訳がない。

 

 しばしそうやって語らっていると、BGMがわりにつけていたテレビからニュースが流れ始める。

 

『今年もここ靖国神社には大勢の人が集まっております』 

「……ああ、そういえば今日は終戦記念日だったっけ」

 

 テレビのアナウンサーの言葉に、石壁はその事を思い出した。テレビの画面では靖国神社で献花を行う首相を映している。

 

『本日9月2日は終戦記念日……日本がポツダム宣言を受諾した日です。これより首相による献花が行われます。戦後靖国神社には、太平洋戦争で失われた敵味方全ての将兵、民間人を弔う慰霊碑が建てられました。以後歴代の首相は全て、毎年この日に献花を行っています』

 

 テレビの画面で首相が献花を終える。

 

『……黙祷』

 

 その瞬間、全ての音が世界から消える。一年を通して、おそらくこの国が最も静謐に包まれる一瞬が過ぎていく。

 

「……」

 

 石壁達もまた、沈黙に包まれる。靖国神社(あそこ)に祀られているのは、最早過去の人間だけではない。今現在も続く戦いの中で倒れた兵士たちが眠る場所であり……そして、明日の自分たちが眠るかもしれない場所なのである。他人事と笑い飛ばせるような人間は、此処には居ない。居る筈が、ない。

 

 そして、黙祷が終わる。

 

「ふぅ……茶化すつもりはないけど、オイラはこの空気やっぱり苦手だぜ」

 

 黙祷が終わると真っ先にジャンゴが姿勢を崩し、パタパタと団扇で顔を仰ぐ。その良い意味で空気を読まない行動に、その場の全員が笑みを浮かべる。

 

「はは、ではいっそ皆で鎮魂歌でも歌おうか?私はそれも悪くないと思うよ」

「そういうのは肌にあわん。強い曲調の方が良いだろう」

「じゃあいっそデスメタルでも歌う?」

「HAHAHA!ソイツは良いな!余りに最高過ぎて地獄がライブ会場になっちまうぜ!」

 

 そうやって軽口を叩いている間に、画面では黙祷を終えた首相が壇上に立っていた。

 

『先の大戦の折、米国という超大国を前に我々を導き、平和を見ること無く散っていた首相がおりました。彼の名は東郷 忠(とうごう ただし)。日本海海戦の英雄東郷平八郎提督の息子である彼は父に勝るとも劣らぬ神算鬼謀をもって米国相手に戦い続けました』

 

 石壁達はTVから流れるナレーションをBGMにアイスコーヒーを飲んでいる。

 

『彼は講和条約を目前とした8月15日に連合艦隊司令長官として大和に座乗して沖縄に停泊中でありました。ですが、突如として発生した謎の爆沈に巻き込まれ、彼は大勢の将校と共に海の底へと沈んでいきました。時を同じくして至るところで艦艇が同時多発的に爆発、轟沈した為、テロ、或いは連合国の破壊工作であったと言われていますが、その原因は未だにわかっておりません』

 

「……終戦まであと1ヶ月もなかったのに、無念だっただろうね」

 

 石壁は、卓上にコーヒーを置くと、ポツリと呟く。

 

「……軍人など、いつ死ぬか分からんのだ。致し方あるまい」

 

 元陸軍兵士として、本土開放戦時にはあきつ丸と共に従軍していた伊能。彼はコーヒーの苦味とは別の苦渋に眉間の皺を濃くさせながら、画面を見つめていた。

 

『彼が残してくれた大日本帝国は、深海大戦という人類未曾有の危機の中にあっても滅びること無く残っております。我々は、彼の遺志を継ぎ、この国を護っていかねばなりません。死んでいった兵士たちの献身に報いる為に、戦い続けましょう。勝利の日まで』

 

 首相の言葉が終わると、拍手の音が溢れた。戦時下の首相の言葉としては、極めて無難な演説であった。

 

「東郷提督の遺志……か」

 

 新城がポツリと呟く。

 

「どうかしたのかYO?ジョジョ?」

 

 ジャンゴがそう問うと、新城は口を開く。

 

「……いや、私の祖父はこの東郷提督の側近だったらしくてね」

「え?新城のお爺さんが?」

 

 石壁が驚いたように新城の方をむく。

 

「ああ。さっき言ってただろ?副首相が後を継いだって」

「あの副首相がお爺さん!?」

 

 石壁は衝撃のあまり叫ぶ。世界は狭いとかそんな次元ではない。

 

「記録にも残っているから調べれば分かるけど……そうだな、ちょっと待っていろよ」

 

 新城はそういって立ち上がると、本棚から一冊のアルバムを引っこ抜いて持ってくる。

 

「ええっと……ああ、このページだな」

 

 開かれたページには、白黒の写真が収められていた。三人の青年が肩を組んで立っている。

 

「こっちが若い頃の東郷提督、こっちがウチの爺様」

 

 中央の青年に肩をだかれ、笑顔で写真に映る二人の青年がいた。右側の男性の顔は教科書でみた東郷提督の面影がたしかにあった。そして左側の青年は兄弟だと言われたら納得しそうな程新城に似ている。

 

「へえー、これは凄いね」

「なるほど、確かに東郷提督のようだな」

「ジョジョのジーサン、ジョジョにソックリだな!」

 

 三人でアルバムを見ていると、突如として伊能が固まった。

 

「そういえば、この真ん中の……男……は……っ!?」

 

 伊能は珍しく驚愕したように目を見開く。

 

「ど、どうしたんだ?」

「どうしたブラザー?」

 

 石壁達が伊能へ顔を向けると、伊能はゴクリと唾を飲みながら呟いた。

 

「……陛下だ」

「へ?」

 

 伊能は驚かされた腹いせか、若干恨めしげに新城へ目をやる。

 

「真ん中のお方……既にお隠れになられたこの国で最も尊き血筋のお方だ……だろう、新城」

「はぁ!?」

「ワッザ!?」

 

 心底驚いた顔で写真に向き直る二人、じっと見続けると、確かに、面影がある。歴史の教科書で見た、先の時代の天皇の顔に。

 

「ご名答」

 

 新城の楽しげな回答の直後、リビングは驚愕の叫びに包まれた。

 

 ***

 

「はぁ……お、驚いた……」

 

 石壁は、おっかなびっくりという形容詞通りの動きでそっとアルバムを閉じる。

 

 この世界の日本は大日本帝国を継承した日本である。故に皇室は未だに現人神として扱われている。史実から更に70年、積み重ねた歴史の長さもあって、その権威は史実現代日本とは比べ物にならない。

 

 例え写真であれ、公の場で陛下を粗末に扱おうものなら二度と表を歩けなくなる可能性が極めて高い。語弊はあるが、イスラム圏で神を愚弄するようなものだと言えばわかりやすいだろう。

 

 いわば、この国最高の触れてはならぬお人(アンタッチャブル)なのである。石壁がビビるのは当然であった。

 

「爺様と東郷提督は陛下と同じく学習院の初等科に通っていたそうだ。謂わば同期の桜だったらしい」

「陛下の同窓って……」

 

 恐れ多いという次元ではない。想像しただけで胃が痛くなるほどのプレッシャーであった。

 

「その後、陛下は皇太子となり、東郷提督は海軍へ、爺様は政治家への道を進み……太平洋戦争の時代にそれぞれの道のトップになって再会したというわけだ」

「なんというか……まるで物語みたいな奇縁だね……」

 

 石壁は遥か過去の歴史上の偉人達の物語に思いを馳せる。

 

「……新城の祖父殿は東郷提督について何か語っていたか?」

 

 伊能は、なんとなく答えが想像出来てしまったのか。少し硬い顔でそう問うた。

 

「……何も」

「え?」

 

 石壁が驚いたような顔で新城の方を向く。新城は形容し難い、悲しいような、寂しいような顔で、アルバムを手に取って棚へ向かう。

 

「……爺様は、彼に何があったのか、何も語ろうとしなかった。私が昔、彼について教えてほしいと聞いてみたが……悲しげに、苦しげに、寂しそうに……微笑むだけだったよ」

 

 アルバムが棚へと収められる。先程までそこにあった写真(情景)が、まるで歴史の流れに埋もれるように、無数の(記録)の中に消えてしまう。

 

「きっと、私達が知っている東郷提督(英雄)と、爺様が一緒にいた東郷忠(実物)は似て非なるモノなんだろうな、と思ったよ」

 

 英雄の肖像とは即ち、歴史に刻まれた記録の影法師に過ぎない。記録されていない部分は影にならず消え去っていく。後に残るのは光の当たる記録だけが作り出した偶像でしかないのだ。

 

「……英雄、か」

 

 石壁は己とは縁遠いその言葉に歴史の流れを感じながらTVの画面に目をやる。既に画面は次の番組に切り替わっており、過去の英雄を称える誰かの姿はない。

 

「……さて、辛気臭い話はこれくらいにして、観光でも行こうか」

 

 新城はしんみりとしてしまった空気を破るように明るくそういうと、立ち上がった。

 

「どこに行くのだ?」

 

 伊能がそう問うと、新城は笑みを浮かべる。

 

「内緒」

 

 新城はそういうと、歩き出したのであった。

 

 

 







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幕間 野郎だらけの学生旅行 後編

 悪戯に使われたリムジンではなく、王冠の名を冠する高級乗用車に乗って、四人は琵琶湖の湖岸を走っていた。

 

 琵琶湖は古くは淡海(おうみ)とよばれ、それがそのまま近江の国の語源となったと言われている。冗談めかして琵琶湖県などと言われる事もあるが、実際旧国名の成り立ちからして琵琶湖(淡海)の存在から始まった地域なのであながち間違いではない。

 

「風が気持ち良いね」

「ああ、COOLだぜぇ!」

 

 石壁は助手席で風を楽しみながら言葉を発すると、その真後ろの席に座って同じく窓を開けているジャンゴが同意する。

 

「琵琶湖は四方を山脈に囲まれた盆地だからな。どちらを向いても相応に高い山がある。ちなみに湖の向こうにある山は日本アルプスだ」

「へえ、あれが」

 

 石壁が遠方に目をやれば、琵琶湖の湖面と日本アルプスの山嶺の両方を見ることが出来た。古くから景勝地であっただけあり、中々に壮観である。

 

「あっ……あれ艦娘じゃない?」

 

 石壁が指を指す方向では、湖面を人影が進んでいるのが見て取れる。

 

「懐かしいね。僕らも艦娘を呼んですぐにここで訓練受けたっけ」

「その頃はまだ、オイラはブラザーとは会ってなかったがな!」

 

 湖面を進む艦娘達は数名で陣形を組み、単横陣や複縦陣、輪形陣などへ移行する訓練を行っていた。

 

「……俺が初めてここで訓練をしたのは本土防衛戦の最中で、まだ陸軍に居た頃だったな。当時は制海権以前の問題として海岸部を全て喪失していたから、ここでしか訓練出来なかったのだ」

 

 深海大戦前半、沿岸部を全て喪失し内陸部へと追い込まれた大日本帝国は、首都機能を滋賀へと移転、徹底抗戦の構えをとった。山脈を盾としてギリギリの所で持ちこたえ、滅亡寸前に開発された秘密兵器が艦娘達であったのだ。彼女たちはこの湖で訓練を繰り返し、実戦投入されたのである。

 

「懐かしいな……琵琶湖観光用の外輪船を無理やり改造して作った母艦で、訓練を繰り返したよね」

「ああ、普通の輸送船にするには容量が足りなかったから軍が買い上げて艦娘運用の為の母艦に使っていたんだ。そのまま現在まで訓練母艦として使われているな」

 

 海上を進む艦娘達はそのまま、ポツンと湖に浮く外輪船へと帰還して、次の艦隊が出撃していく。提督候補生達はこうして艦娘による艦隊運用のいろはを安全に学んでいくのである。

 

「……ああやって航行方法覚えた後の、琵琶湖から四方八方駆けずり回る訓練が超きつかったよね」

「ああ、あれは大変だったな」

 

 石壁達が琵琶湖の北岸へと目をやる。そこには人造の運河が掘られており、東西それぞれへと河川が伸びていた。

 

「淀川運河、若狭運河、伊勢湾運河の3運河を用いた緊急時即応展開訓練……と言う名の使い走りだったよねアレ」

「名目上は、本土への再度進行時における有機的な部隊運用を学ぶ為のものだったな。実際訓練としては効果があるとは思うが……」

 

 石壁の言葉に、新城はその訓練を思い出して苦い顔をする。

 

 史実世界の琵琶湖と違い、この世界の琵琶湖は新たに運河が増設された。これにより日本海、太平洋、瀬戸内海の3方への出入り口を確保している。これは深海棲艦に影響されない航路を一本でも多く確保する為であった。

 

 琵琶湖の水量では大規模な運河を作るのは難しく、実際に運用されているのは小型の運河である。こんなものがなんの役に立つのかと思うかもしれないが、この世界ならば使いみちがあるのだ。

 

「でもオイラ達いつから郵便屋になったんだ?って思ったぜ」

「艦娘を用いた物資輸送はそれだけ便利だからな。俺も本土決戦中、なんどまるゆを率いて走り回ったか」

 

 そう、人間大でありながら、軍艦と同じだけの物資を積み込むことが出来る彼女たちの存在である。彼女達が物資を運べば、小型の運河であっても問題なく内陸まで大量の物資を運ぶことが出来るのだ。

 

「ウラジオストクから輸入された物資が若狭に集まって、それを艦娘が琵琶湖へ、そこで使われない分は呉までの瀬戸内海沿岸、あるいは横須賀までの太平洋沿岸の工場に物資を運ぶ。出来上がった製品はまたあちこちへ艦娘が運ぶ。訓練もできて経済も回る。一石二鳥といえば聞こえは良いけど……こき使われる側は大変だよね」

「使えるものは何でも使う。例えそれが艦娘であっても……か。極めて商人らしいな」

「でもブラザーの輸送隊指揮はすごかったんだよな!間宮がいたのもあって成績トップだったらしいじゃねーか!」

「そういえば、伊能のまるゆ隊も大活躍だったらしいな」

 

 この時の輸送作戦では、石壁と伊能のコンビは他の追随を許さないほどの好成績を出した。数十人のまるゆにあきつ丸、そして間宮の輸送力はそれだけ凄まじかったのだ。この結果から、士官学校卒業後は是非二人を輜重隊へ回して欲しいという意見も多く、教官達は問題児の卒業後の行き先が見つかったと喜んでいたのであった……喜んで、いたのであった。

 

「まあそうだねえ。せっかくだから卒業後はあの経験が役に立つ部署がいいな」

「どうせならば大きな仕事がしたいものだ。まあどこであれ、俺と石壁ならば不可能はない」

 

 実際はどうなったかは読者諸兄の知るとおりであるが……石壁の希望通り、この輸送訓練の経験は後になって恐ろしく役に立つことになる。希望どおりで良かったねなどと言えば物凄く渋い顔をしそうだが。

 

 ***

 

 そうこう言っている内に一行は、とある建物へと到着した。そこは新城の家よりも数段大きいお屋敷であった。

 

「ここは……?」

 

 駐車場で車から降りた石壁は、お屋敷を見つめる。

 

「……まあ、良いからついて来いよ」

 

 新城は悪戯っぽく笑うと、詳しく説明せずに皆をお屋敷の入り口へと誘導した。

 

 門前には守衛が立ち、門には神社などでみる門幕(家紋などが入った入り口に斜めに掛けられた幕)が掛けられており、只のお屋敷ではない事が一目で分かる。

 

「……おい、あの門幕の家紋、まさか」

 

 伊能が思わず停止して、珍しく顔を引きつらせた。

 

 石壁達がその言葉に釣られて門幕に目をやる。ある意味で日本で一番見慣れた家紋がーー

 

「菊花……紋……?」

 

 ーー大輪の菊花が咲いていた。

 

 ***

 

「ドッキリ大成功、というやつだな」

 

 それから10分後、一同は屋敷の庭園を見学しながら歩いていた。新城の家よりも更に広いそれは、もはや庭というよりも公園のようですらあった。

 

「いやもう何回も驚かされて心臓が痛いよ……」

 

 石壁はため息を吐きながら続ける。

 

「まさか……離宮の庭を見学出来るなんて思わなかった……」

 

 石壁はそう言って、お屋敷の所々に掛けられた尊い家紋へ目をやる。

 

「陛下が皇居から避難なされた時に離宮を提供したのが……まさか新城の家だったとはな……」

 

 帝都陥落時、当然ながら真っ先に確保されたのは陛下の安全であった。帝都が再奪還されるまでの間、皇室との縁があった新城の実家がここを提供したのである。現在では陛下は帝都へとお戻りになられたが、以後は離宮として新城の家がここを管理しているのである。

 

「ここは普段管理目的以外では人を入れないから、お庭を歩けるのはウチの人間だけに許された役得だ。楽しんでくれよ」

 

 新城が悪戯っぽく笑うと、小市民である石壁は不敬罪で処罰されそうだと思いながらおっかなびっくり庭を歩いていく。当初少しだけ顔を引きつらせていた伊能であったが、すぐにいつもの調子にもどって周囲の景色を楽しんでいる。ジャンゴはいつもどおりであった。

 

 ***

 

 しばらく歩き回っていると、段々と石壁も恐れが抜けてきた。少し自分で見て回りたくなってきたので新城に声をかける。

 

「少しあっちを見てきて良い?」

「ああ、もし誰かに何か言われたらさっき渡した許可証を見せれば良い」

 

 新城に許可を貰った石壁は、先程いた位置から死角になっている方へと建物を回り込む。

 

「……あれ?」

「ん?誰だい?」

 

 すると、誰も居ないはずの屋敷の裏庭で、一人の少年が縁側に腰掛けて庭を見ているのに気がついた。少年も石壁の存在に気がついたらしく、こちらへと近寄ってくる。

 

 少年は歳の頃は十代前半程度だと思われた。まだ二次性徴前らしい小柄な体躯でありながら、どこか富貴であった。場所が場所だけに偉い人のご子息かと考えた石壁は慌てる。

 

「ここは関係者以外立ち入り禁止の筈だけど?」

「あ、えっと、その。新城に許可をもらって。これ、許可証」

 

 わたわたと慌てて懐から許可証を取り出す石壁、その慌てっぷりは滑稽であり、少年は思わず笑ってしまう。

 

「ははは、なるほど。新城の家の客人か」

 

 少年の納得いったという声に、石壁は首を振って頷く。

 

「……あの、君はいったい?」

「うん?ああ、僕は……」

 

 少年へ石壁が問うと、彼は少し考え込んだあと口を開いた。

 

「……まあどうでも良いんじゃないかな。ここに出入りする許可が出る程度の家の子供ってだけだよ。うん」

「……あれ?今日許可出てるの僕らだけだったような?」

「まあ久しぶりに庭が見たくて許可を取らずにこっそり忍び込んだからね。それがバレても問題ない家なんだ」

「なるほど。確かに、この庭は本当に綺麗だもんねえ」

 

 少年の言葉に嘘は感じられなかった為、そういうものなのかと庭を見回しながら頷く。少年は石壁のそんな素直さに笑みを深くすると、立ち上がる。

 

「そうだ、観光に来たのなら写真を取るのに良い場所がある。後で他の皆も連れてくると良い」

「案内してくれるの?」

「ああ、特別にな」

 

 少年に続いていくと庭の一角に菊の華が咲き誇っていた。

 

「このあたりは9月咲きの菊が植えてある。重陽の節句を目前に控えた今が丁度見頃だ」

「へえ……」

 

 石壁は色とりどりの菊の花を見つめた。高貴という花言葉に偽りなく、石壁はその花々に暫し目を奪われた。

 

 そんな石壁の反応に、少年は満足げな笑みを浮かべると、口を開いた。

 

「……さて、僕はもう行くとするよ。ただ、ここを紹介したことは秘密にしておいてくれよ?こっそり忍び込んだ手前、新城の家の者には知られたくない」

「わかった。秘密にしておくよ。案内してくれてありがとう」

 

 人の感情や善悪を極めて正確かつ敏感に感じ取る事ができる石壁は、少年の言葉は全て真実であると確信していた。故に石壁は少年の言葉をそのまま受け取って了承する。

 

 自分の言動が怪しいという事を重々承知していた少年は、石壁が余りに自分の言葉をそのまま受け止めるものだから若干苦笑しながら口を開く。

 

「……貴方が素直な人で良かった。では、縁があればまた」

 

 少年は軽く手を振ると、そのままそこを離れて裏門の方へと歩いていった。

 

 ***

 

 それから石壁は、少年が離宮を出た頃を見計らって友人たちを菊の華へと案内する。石壁は少年との約束を守り、彼の事を一言も漏らす事はなかった。

 

「せっかくだから、皆で写真を撮らない?この花の側で」

「離宮の庭で菊の花と一緒に記念撮影か。中々、肝が冷える事だな」

「でもオイラは記念になっていいと思うぜ!」

 

 石壁の言葉に、伊能とジャンゴが楽しげに笑う。もしそんな事をしたのがバレたら社会的に大炎上は不可避である。

 

「まあ、良いんじゃないかな。今は誰も居ないしな」

 

 新城はそういうと、カメラのタイマーをセットしてそっと離れた位置に置く。

 

「しかし、野郎4人で花と一緒に記念撮影するとはな」

「そういう言い方やめろよイノシシ、悲しくなるだろ」

「HAHAHA、こういうのは楽しんだもん勝ちだぜ!」

「もう少し詰めてくれ、私だけ見切れたら嫌だぞ……ほら、そろそろだ」

 

 4人でワイワイやりながら撮影を待っていると、やがてフラッシュと共に写真が取られる。

 

「どれどれ……うん、上手く撮れているな」

 

 新城はカメラを確認すると、カバンへと収める。

 

「……さて、じゃあそろそろ帰ろうか。建物の中は流石に見せられないからな」

 

 新城のその言葉に、一同は元来た道を戻り始める。

 

「……ん?」

 

 ふと視線を感じて足を止めた石壁は、建物を振り返った。だが、そこには誰も居ないはずの建物があるだけで、人の姿はない。

 

「どうした石壁?」

「いや……なんでもない……」

 

 伊能の問に、石壁は気のせいだったかと軽く首をふって前を向いた。

 

「そうだ。折角だから帰りは運転してみるか?」

「いや僕は遠慮するよ。あんな高い車運転したくない」

「じゃあオイラが運転するぜ!」

「ジャンゴ、貴様の場合石壁とは逆にアクセル全開で危険すぎる。俺がやろう」

「……伊能に任せるのも不安だからやっぱり僕が運転するよ」

 

 やがて石壁達は車に乗って、新城の家へと走り出したのであった。

 

 ***

 

「そういえば許可証返してくれるか?」

「ああはいはい……あれ?」

「どうした?」

 

 石壁はガサゴソと荷物を漁るが、お目当ての紙切れが見つからない。

 

「……やべ、落としたみたい」

 

 ***

 

「……石壁、堅持か」

 

 屋敷の二階の、とある部屋から少年が去りゆく車へと目をやっていた。彼の手元には、石壁が落とした名前入りの許可証が握られていた。

 

「立ち振る舞いからして……軍の、それも艦娘に携わる士官かな。そういえば新城の家の長男は、士官候補生だったか」

 

 石壁はあまり意識していないが、軍で教育されているだけあって軍人というのはその所作に癖が出てくる。簡単にいえば、職業病である。

 

「ふふ……なんとも、軍人らしくない軍人もいたものだ」

 

 少年は、石壁のあまりに朴訥とした反応を思い出して笑みを漏らす。

 

「……いずれまた、会う日が来るかもしれないな」

 

 少年はそういうと、その場を離れた。

 

 ***

 

 それから数日間にわたり、彼らは4人だけで語り合い、笑いあい、遊び回った。4人の生まれた場所は離れており、年齢も最大で10近くも離れている。この戦争が始まらなければ会うことすらなかったであろう4人は、まるで同年代の竹馬の友であるかの如く、同じ時を過ごしたのである。

 

 後に振り返ると、この時の旅行が石壁にとって最後の青春の一時であった。これ以後、同期の4人だけで旅行する機会など訪れる事はなく、士官学校の最終学年はあっという間に過ぎ去っていった。

 

 そして、運命の分かれ道となる七露との演習を経て、彼らの物語は動き出す事となる。

 

 彼らが辿る数奇な運命が如何なる結末を迎えるのか、それはまだ、誰にも分からない。

 

 

 

 

 

 

 

 





先代、当代、次代に関わらず、作中に出てくる尊いお方並びに実在する歴史上の人々は史実世界のお方とは似て非なる別人ですのであしからず


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幕間 さようなら

 これは石壁が南方へと赴く少し前の話である。

 

「……」

 

 石壁は一人、本土のとある場所へとやって来ていた。

 

「……此処に来たのも、久しぶりだなあ」

 

 石壁の目の前にはそこそこ大きな建物があった。数十年モノの木造建築であり、所々に素人仕事丸出しな修繕の後が目立っている。いかにも貧乏ぐらしといった佇まいだ。

 

 それだけならばただのデカイだけのボロ屋であるが、建物の頭頂部に立つ十字架がその建物の特別性を主張していた。

 

「……あの、どうかしましたか?」

「へ?」

 

 石壁がなんとも言い難い顔で十字架を見つめていると、背後から少女に声をかけられて我に帰る。

 

「あ、ああ、ごめん。怪しいもんじゃないよ。僕は此処の出なんだ」

 

 石壁が振り返ると、そこには十代中頃あたりの少女が立っていた。飾りっ気のない長い黒髪に、意思の強そうな切れ長の目が印象的な少女である。彼女は制服を着て石壁を見つめていた。

 

「此処のって……あっ」

 

 振り返った石壁の顔を見て、少女は目を丸くする。

 

「ケンジ兄さん!?」

「あ、洋子ちゃんか。久しぶり、大きくなったねぇ」

 

 久しぶりにあった親戚のおじさんみたいな感想を零しながら笑う石壁。洋子と呼ばれた少女は唖然としたまま石壁を見つめていたが、はっと正気に戻って駆け寄ってくる。

 

「久しぶりじゃありませんよ!?帰ってくるなら帰ってくるって連絡ください!!というか急に居なくなって、一体何処で何やってたんですか!?」

「あはは……ま、まあそれはいいからさ」

 

 石壁は苦笑しながら誤魔化すと、手提げ袋を掲げる。

 

「とりあえず、院長先生に取り次いでくれないかな?これ、お土産だから皆で食べてね」

 

 ふにゃっとした石壁の笑みと言葉に、少女は脱力しながら手提げ袋を受け取った。

 

「はぁ……分かりました。とりあえず中へ入ってください」

「ありがとー」

 

 少女は数年ぶりにあった石壁の変わらなさに安心するやら呆れるやらで、頭痛を堪えるように額に手をやっている。

 

「あ……そうだ」

 

 石壁を先導するように建物に入ろうとした彼女は、石壁を振り向き口を開いた。

 

「お帰りなさい。ケンジ兄さん」

「……ただいま」

 

 石壁の返事に嬉しそうな笑みを浮かべて、少女は建物に入っていく。

 

「……」

 

 石壁は、少女が潜った入り口に添えられた看板へと目をやる。『岩倉孤児院』という古びた看板が、石壁を出迎えていた。

 

「……ただいま……か」

 

 石壁はふっと笑うと、少女の後に続いていった。

 

 ここは本土のとある孤児院。

 

 石壁が数年前まで暮らしていた場所である。

 

 ***

 

「……建物、あんまりかわってないなあ」

 

 廊下を歩きながら石壁が呟く。それを聞いた少女は、苦笑しながら言葉を返す。

 

「昔に比べれば余裕が出来てきましたけど……院長、建物より先に私達にお金を回しちゃいますから……」

 

 石壁が暮らしていた孤児院はキリスト教の教会に併設されており、教会の持ち主である牧師が慈善事業として細々と運営していた施設である。

 

 だが、戦争で身寄りを失った大勢の子どもたちを抱え込んだ為に経営は火の車となり、建物の修繕費などとてもではないが捻出出来なくなってしまった。歩くたびに軋む廊下の床板や、ガタつく立て付けの悪い戸板や窓枠が苦労の具合を物語っていた。

 

「はは、院長らしいや」

 

 だが、石壁はそんなボロ屋の変わらなさにどこか安心していた。住んでいるときはボロ屋のボロ具合に辟易としたものだが、建物の年季の深さは染み付いた思い出の深さでもある。

 

 バリアフリーどころかバリアマックスなくせに隙間風だけはバリアしてくれないボロ屋だが、それでも思い出だけはバリアしてくれているのだ。もしも完全バリアフリー冷暖房完備の最新設備に変わっていたら、懐かしさ皆無で石壁は複雑な気分になっていただろう。

 

 そうこうしている内に、二人は礼拝堂へとたどり着く。そこには院長である男性と少女よりも早く帰宅していた小学生達が集まっていた。

 

 院長は年の頃50代後半程の優しげな顔立ちの男性であった。くたびれた牧師服と白く染まった髪が、苦労をしてきた男性、という雰囲気を醸し出していた。

 

 名前は岩倉清秀(いわくら きよひで)、この孤児院の院長である。

 

 院長は少女に気がつくと、穏やかな笑顔で彼女を迎える。

 

「ただいま、院長先生」

「お帰りなさい。おや……後ろにいるのは……」

 

 洋子の後ろに誰かが居る事に気がついた岩倉は、石壁へと顔をやる。そして、目を見開いた。

 

「……ケンジ君?」

「えっと……あはは」

 

 石壁はぽりぽりと頬を掻きながら、口を開いた。

 

「お久しぶりです……院長先生」

 

 院長はその瞬間、走り出すと石壁に駆け寄った。今まで見た事が無い位機敏なその動きに石壁はギョッとして目を見開く。

 

「へ!?い、いんちょぐへぁ!?」

「院長先生!?」

 

 タックル気味の勢いで抱きしめられた石壁が呻き声をあげる。

 

「ケンジ君……!無事でよかった……!あの後急に居なくなったから心配で心配で……!!」

「ぐ、ぐるじい……」

「先生!!落ち着いてください!!ケンジ兄さんが神の家から神の国に逝きそうですから!!」

「あ、すまない!」

「ぷはぁ……いえだいじょーー「ああ、ケンジ兄ちゃん!!」「ケンジ兄だ!!」「兄ちゃんひさしぶり!!」ーーぐおわぁ!?」

 

 院長から開放された石壁であったが、今度は来訪者が石壁である事に気がついた少年少女達からもみくちゃにされてしまう。勢いのついた子供のパワーは凄まじく、(貧弱ボーイだが一応)軍人の石壁でも堪え切れずに押し倒されてしまう。

 

「ちょ、お前ら、まっ!?」

「兄ちゃん今何やってんの!」

「遊んでくれー!」

「お土産ー!」

「彼女できたー?」

 

 ワイワイギャーギャーと石壁に群がって好き勝手に声をかけるので場は纏まるどころか更に狂乱としていく。子供達は久しぶりに石壁に会えた事が嬉しくて堪らないらしく、全然話を聞いてくれない。

 

 もみくちゃにされて大変そうな石壁であったが、久しぶりに会った子供達が元気そうである事が嬉しくて、石壁は困ったような笑顔であった。

 

「あはは……相変わらず、ケンジ兄さんは子供達に人気ですね」

「いや、ごめん!人気なのは嬉しいけどちょっと助けて!?いてて髪引っ張らないで!?」

「はいはい」

 

 洋子は石壁のそんな様子をみてクスクスと笑い、石壁を助けてくれた。

 

「ほら、これケンジ兄さんからのお土産だから皆で分けてきなさい。宿舎にいる子達にも配りなさいよね」

「やったー!」

「兄ちゃんありがとー!」

「あとで遊んでね〜」

 

 お土産の菓子を受け取った子供達は、宿舎の方へと走っていった。

 

「ふぅー助かった。相変わらず元気な子達だねえ」

「相変わらずなのはケンジ兄さんもですよね」

「うるせーやい」

「……まあ、何はともあれだ」

 

 酷い目にあったと言いながらも楽しそうな石壁に、洋子がつっこむ。そんな二人の様子を見守っていた岩倉は、笑みを浮かべたまま口を開いた。

 

「お帰りなさい。ケンジ君」

「……ただいま。院長先生」

 

 石壁は、恥ずかしそうに答えた。

 

 ***

 

 それから三人は応接間という名の談話スペースへと移動した。石壁が洋子が淹れてくれたお茶を啜っていると、岩倉が口を開く。

 

「ケンジ君……」

「はい」

「……ちゃんと、ご飯は食べられているかな?」

 

 真剣な岩倉の顔に少し身構えた石壁であったが、その問に肩の力を抜いた。

 

「あはは、大丈夫ですよ先生。ご飯は毎日しっかり食べられますし、健康そのものですから」

「本当かい?辛い目にあったりしてないかい?君の年頃で働ける場所は、どうしても限られてくるからね」

「しっかりした場所で働いてますから、大丈夫ですよ」

 

 それからも岩倉は、石壁の体調や近況について質問を繰り返した。どれも石壁を心配したから出てくる問ばかりで、心の底から彼の安否を気にかけていたのだという事が伝わる内容であった。

 

 石壁はともすれば過保護とも思えるほどの質問攻めに、嬉しいようなくすぐったいような思いにかられながらも、一つ一つに答えていった。

 

「そうか……ひとまず元気そうで、本当によかった」

 

 一通り健康関連の質問を終えると、岩倉はほっと息を吐いた。

 

「院長先生……」

 

 石壁はそんな岩倉の姿に感謝と申し訳なさを感じて口を開いた。

 

「……長い間育ててもらったのに、恩知らずにも黙って孤児院を飛び出してしまって、本当にすいませんでした」

 

 石壁が頭を下げると、岩倉は苦しげな顔で首を左右にふった。

 

「頭をあげなさい。君は何も恥じる事はない……むしろ、謝らなければならないのは私の方だ」

「院長先生……?」

 

 岩倉のその様子に、洋子が不思議そうな顔をする。

 

「……洋子くん、少しだけ席を外してくれないかな?」

「え……わ、分かりました」

 

 一瞬どうしたのかという顔をした洋子だったが、岩倉の真剣な顔を見て立ち上がり部屋を出ていった。

 

 扉がしまって数秒後、岩倉は口を開いた。

 

「……君があの日孤児院を飛び出してから、定期的に孤児院に寄付が振り込まれるようになった」

「……」

 

 岩倉の言葉を、石壁は黙って聞いている。

 

「ここから巣立っていった誰かという可能性もある。だが、確認できた人の中には仕送りの主はいなかった。それに、働きに出ている年長組の子供達は、殆どが大学はおろか高等学校にも入れてあげられなかったんだ……彼らには、あれだけ多くの仕送りを出せる余裕はない」

 

 石壁達が孤児院に居たころは、深海大戦勃発直後から、一番追い込まれて余裕がなかった時代であった。孤児であり、ろくな教育も受けられなかった彼らがいい仕事につけるのは稀を通り越して奇跡の類であった。

 

「ケンジ君、君は昔から優しくて頭がよかった……此処に居た頃から、少しでも皆の生活が良くなるように色々と動いてくれていた……此処を飛び出したのも、その為なんだろう?」

 

 岩倉は、まだ十代半ばの少年をそこまで追い込んでしまった自分の力不足を、心底苦しく思って頭を下げた。

 

「すまない……そして、ありがとう……君のお陰で、洋子君達を学校に行かせてあげられた……本当に……ありがとう……」

 

 下げられた顔から、雫が落ちる。石壁がこの孤児院に居た頃は、今よりももっと小さかった。そして、院長はもっと大きく見えていた。

 

 だが、数年の時をへて再び出会った院長の姿は、記憶の中の彼よりもうんと小さく見えたのだ。岩倉は爪に火を灯すような生活の中で、苦労に苦労を重ねて子供達を養っていた。それでも子供達の前では泣き言一つ吐く事無く、ずっと「優しい院長先生」でありつづけたのである。

 

「院長先生……」

 

 そんな岩倉が、涙を流しながら自分に謝罪と感謝を述べているのだ。石壁の中に、形容し難い感情が溢れてくる。

 

「……っ……ほら!顔を上げて下さい!大丈夫です、僕は自分の意思で此処を飛び出したんですから!先生が気に病む必要なんてないんですよ!」

 

 石壁は零れそうになる涙を拭うと、努めて元気に声をだした。

 

「仕送りの事も、気にしないで下さい。僕の仕事は三食きちっと支給されて住む場所も提供して貰えるんです。だからあれだけ仕送りしても大丈夫なんですよ」

 

 岩倉を安心させるためにそう言葉を続けると、漸く彼は顔を上げる。

 

「……君が今働いている場所は、恐らく軍隊なんじゃないか?」

「……っ」

 

 その言葉に、石壁は言葉を詰まらせる。それが、何よりの答えであった。

 

「……やっぱりか」

 

 先程も言ったように、このご時世に学校も出ていない子供がお金を稼ぐ手段は限られる。それも、人を複数養える仕事など、違法な事か、危険な事の二択しかないのが現実であった。石壁は違法な事に手を染める人間ではない。であれば、答えは自ずと決まったようなものである。

 

「……すいません、先生」

 

 石壁が黙って孤児院を飛び出したのは、軍の扉を叩くと言えば反対されるのが目に見えていたからであった。敬虔な信徒であり、争いと最も遠い所にいる彼にこんな事言える訳がなかった。負い目があった。合わせる顔が無かった。だから今日までここに帰ってこなかったのだ。

 

「……君が謝る事はないんだ。さっきも言ったように、私達は皆、君に助けられて生きてきたのだから」

「……」

 

 沈黙が部屋に落ちる。互いが、互いの事を思うが故の、どうしようもない沈黙であった。

 

「……君が此処を出てから数年がたった。軍人になったのなら、そろそろ任地に赴くんじゃないかい」

「……はい」

 

 石壁は、真っ直ぐと岩倉を見つめる。

 

「遠くへ……行きます……だからその前に……最後に一度、先生達に挨拶がしたくて此処へ来ました」

 

 ずっと彼らに会いたかった。会って、言葉を交わしたかった。

 

 合わせる顔がなかった。神の教えに生きる彼に、なんと言えばいいのかわからなかった。

 

 それでも、もう二度と会えないかもしれなかったから、最後に一度だけ会いたかったのだ。

 

「行き倒れて死にかけていた僕を助けてくれて……家族として育ててくれて……本当に……ありがとうございました……」

 

 石壁は立ち上がると、深く深く、頭を下げた。それは感謝の言葉であり、謝罪の言葉であり……別れの、挨拶であった。

 

「……」

 

 岩倉は、これから戦地に赴く石壁の姿をじっと見つめていた。目に、心に、焼き付けるように。

 

 数秒の間、誰も、何も言わなかった。

 

「……僕はもう行きます。どうかお元気で、岩倉さん」

 

 石壁が頭を上げた。そこに居たのは、もう少年だった彼ではない。軍人となった、一人の男であった。

 

「……ケンジくん」

 

 岩倉は、そんな彼の姿を見つめながら……微笑んだ。石壁がよく知る、院長先生の笑みで。

 

「此処はずっと、君の家だ。神の家は、誰にでも、開かれている」

「……っ」

 

 いつもの笑みのまま、岩倉は目尻に涙を湛えて、続けた。

 

「……『行ってらっしゃい』」

 

 その言葉に、石壁は言葉を失った。

 

「あ……」

 

 行ってきますと返したかった。いつものように、昔のように。

 

 別れを告げねばならなかった。その為に、ここまできたのだ。

 

 だが、開かれた彼の口から言葉が出てこない。

 

 切り捨てるには、余りにも大切で、温か過ぎる。

 

 持っていくには、余りにも重くて、未練に成り過ぎる。

 

 だから何も言えなくて、言いたくなくて、言わなくてはならなくて……石壁は言葉を返す事が、出来なかった。

 

「……ッ!」

 

 石壁はぐちゃぐちゃの心をむりやり抑え込むと、敬礼を返す。それが……それだけが精一杯であった。

 

 石壁は涙を堪えて走り出すと、そのまま部屋を出ていった。

 

「……神よ、願わくば」

 

 岩倉は、一人残された部屋で、涙を流しながら言葉を紡いだ。

 

「彼の道行きが、幸多きもので、あります、ように……」

 

 ***

 

 部屋から出てきた石壁は、そのまま孤児院の出口へと歩いていく。もう二度と此処に来る事はないのだろうと思うと、涙が溢れそうになる。それを堪えて、歩く。歩く。歩く。これ以上ここに居たら、何もかも耐えられなくなる。歩けなくなる。それは、それだけは、許されないから。

 

 もうこれ以上、誰も声をかけてくれるな。そう願い、石壁は歩いた。

 

「あれ……ケンジ兄さん、何処に行くんですか?」

「……っ」

 

 だが、無情にも石壁の足は止められてしまう。出口を目の前にして、後ろから洋子が声をかけてきたのだ。

 

 震えそうになる声を抑え込み、彼女に背を向けたまま、石壁は口を開く。

 

「……実は仕事の関係で、もう帰らないといけないんだ」

「えっ!?そんな……せめて晩ごはんだけでも食べていけないんですか!?今日はケンジ兄さんの好きだったカレーライスなんですよ!?」

「うん……ごめんね……もう帰らないといけないんだ……」

 

 努めて平静に、石壁は言葉を続けていく。震えるな、躊躇うな、動揺を見せるな。石壁は己に言い聞かせ、飲み込んで、耐え続ける。

 

「じゃ、じゃあ次はいつ来られるんですか?その時は、色々準備して待ってますから!最近は美味しいご飯も色々食べられるようになって、みんな喜んでるんですよ!きっとケンジ兄さんも驚きます!前はめったに食べられなかったご馳走も出せるようになったんですから!」

「……そっか、美味しいご飯を食べられるようになったんだね。本当に……良かった」

「……兄さん?」

「洋子ちゃん」

 

 そこにきて違和感を覚えた洋子であったが、石壁が言葉を続ける。

 

「今、幸せかな?」

 

 静かな、それでいて何故か響く問であった。洋子は暫し考えると、石壁へと思ったままを答える。

 

「……はい、学校にも行けますし、ご飯もしっかり食べられますし……みんな元気にやっていますから」

「……そっか」

 

 石壁は、そこでようやく振り返った。洋子の記憶にあるままのいつもと同じ笑顔を浮かべて、彼女の顔を真っ直ぐ見ながら口を開く。

 

「それなら、良かった。元気でね。洋子ちゃん」

 

 その笑顔に、彼女は気のせいだったかと思いながら笑顔を返す。

 

「はい。ケンジ兄さんも、お元気で。また来てくださいね」

 

 洋子は石壁に手を振りながら口を開く。

 

「いってらっしゃい」

 

 石壁は、笑顔を返して手を降ると、前をむいて孤児院を出ていった。

 

「……『さようなら』」

 

 孤児院の出口を出た後、石壁は小さく呟いた。顔をぐしゃぐしゃに歪めて、堪えていた涙を流しながら。

 

「さよう……なら……」

 

 涙が溢れて止まらなかった。石壁は今、大切な繋がりを……護りたかった人々との絆を……自ら断ち切ったのだ。

 

「……」

 

 石壁は、前へ向かって歩き出した。止まる事も、戻る事も出来ない旅路。力尽きるまで終わらない地獄へと、歩き出したのであった。

 

 

 

 

 孤児院の皆が再び石壁の名を目にするのは、それから1ヶ月後……石壁の死亡通知が届けられる日の事であったーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





石壁君が天を仰ぐ時の口癖は院長先生から移ったモノだったりします


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幕間 ガールズフリートーク

本当に長らくお待たせしてしまい申し訳ございませんでした。
外でしか小説が書けないのに外に出られない生活が続いて全然話がかけなかったのと
新生活のあれやこれやでモチベがどん底になっておりました。
最近漸くモチベが回復してきたので少しずつ進めていきたいと思います。



 これは鉄底海峡攻略作戦開始前、とある日の鎮守府、艦娘達の休憩所での話である。

 

 ぽっかりと出来たスキマ時間に偶然集まった秘書艦達。鳳翔、あきつ丸、扶桑、金剛が茶飲み話に興じていた。

 

 女3人寄れば姦しいとは言うが、それは艦娘達も変わらない。日々の些細な出来事、お洒落、甘味、愚痴、好物等々……話題の種は尽きるという事が無い。

 

 そうやって無限に話題を消費していけば、自然と自身の提督達へと話は移っていく。

 

「そういえば、皆さんは戦後は提督とどういう生活を送りたいですか?」

 

 扶桑のその問に、皆が考え込む。

 

「そうですね……私は石壁提督とゆっくり穏やかな生活が送れたら、嬉しいです」

 

 鳳翔は頬に手を当てて、恥ずかしげに言う。慈愛という言葉をそのまま笑みにしたような、優しく穏やかな笑みである。

 

「提督はずっと頑張って来ましたから、戦後はもう頑張らなくて良いように……いっそ沢山甘やかしてあげたいです」

「ふふ。石壁提督は幸せ者ね」

「で、あります。ただ本気で鳳翔殿が甘やかしたらダメ人間になる人は多そうでありますなぁ」

「石壁の坊主なら問題あるめぇ……むしろアイツは多少誰かに甘えてるくれえが丁度良いってもんでい」

 

 石壁は頑張り過ぎというのは、泊地における共通認識である。 

 

「後はそうですね……提督は意外と料理が出来るので、一緒に小料理屋とか出来たら良いかもしれませんね」

「そういえば包丁裁きが上手でしたね」

「野戦訓練の時に重宝されていたでありますな」

 

 苦戦する他の野郎共を横目に、すいすいと野菜の皮を剥いていく石壁の姿を思い出しながら、一同は頷きあう。

 

「そういう扶桑さんはどうなんですか?」

「そうねえ……新城提督は戦後も引退しないというか……多分出来ないと思うから、その手伝いがしたいわ」

「出来ない、ですか?」

 

 その微妙な言い回しに鳳翔が首を傾げると、扶桑は苦笑しながら続けた。

 

「ええ……あの人……なんでも卒なくこなせる位器用な人なのに……人間関係は不器用で、世渡りの要領が悪くて、貧乏くじを自分から引いちゃうから……」

 

 扶桑は心配だわ……と言いたげにため息を吐く。

 

「きっと……気がついたら簡単に辞められない立ち位置について、辞めるに辞められなくなりそうで……」

 

 その言葉に、新城が切れ散らかしながら仕事の山に忙殺されている姿が簡単に想像出来てしまった一同。なまじ有能なだけに抱え込む仕事の量が多くなる傾向は、現時点で既に表面化しているのもその想像を後押しする。

 

「なるほど……」

「ありありと、想像出来るでありますなぁ……」

「新城の家の連中は親も子も不器用だからなぁ……」

 

 新城の親父は公人としては極めて有能であったが、私人としては不器用でダッメダメな駄目親父であった。息子である彼もまた、その不器用さを色濃く引いてるらしかった。というか彼が器用だったらこんな所まで石壁を追いかけて来る訳がない。

 

「妹の山城も不幸を抱え込むのを躊躇わない頑張り屋だし……私が支えないと潰れちゃいそうで……」

 

 そういう扶桑もかなり抱え込むタイプの頑張り屋である。一同の心中に『似たもの夫婦』という言葉が浮かぶ。

 

「公私両面で提督を支えたいなら、本土に帰ったら早めにケッコンカッコカリの申請をすると良いでありますよ。戦後の我々の法的扱いがどうなるかは不透明でありますが、少なくとも現時点では戸籍が貰えるし、重婚も許可されるであります。一度付与した戸籍を取り上げるというのは、おそらく難しいでありますからな」

「え?あの制度って戸籍も手に入るんですか?」

 

 鳳翔が驚きの声を上げると、あきつ丸が頷く。

 

「ええ、アレは表向きは戦力増強目的でもありますが……本質的には艦娘と提督への飴であります。『絶大な戦果を上げてきた提督と艦娘は夫婦になれる』……戦後に艦娘と一緒に暮らしたいなら戦果を出せという分かりやすい制度(ニンジン)でありますよ」

 

 あきつ丸は笑いながら、懐から軍人手帳を取り出す。

 

「これはあきつ丸の軍人手帳であります。ほら、名前のところを見るでありますよ」

 

 そう言われて手帳の姓名欄を確認する一同。

 

「『伊能 あきつ丸』……え!?」

「嘘……あきつ丸さん貴方……!?」

「こいつぁ驚いた」

 

 鳳翔が思わず声を上げ、扶桑は目を丸くし、金剛は楽しげに笑っている。

 

「ケッコンカッコカリ……してたんですか!?」

 

 鳳翔の驚きにあきつ丸がニヤニヤしながら頭をかく。

 

「これでも自分と伊能殿は、本土奪回作戦時代からの古株でありますからなあ……海軍に出向したのは最近でありますから、提督としては新人でありますが」

 

 本土奪回作戦とは深海大戦の中盤戦、追い詰められた大日本帝国が艦娘を戦線投入して全力で反撃を開始した反攻作戦の総称だ。また、艦娘の存在が戦史に刻まれた最初の戦いである。この頃に生まれた艦娘が、今現在この世にいる艦娘達の中で最も長く生きている艦娘だと言える。

 

 伊能とあきつ丸は海軍への出向前にこの戦いに参加していたのである。彼は同期四人組の中で一番年上であるため、戦争への参加が少し早かったのだ。幸運な事に艦娘を呼ぶことが出来た為、激戦に参加しても生き延びることが出来たが、そうでなければ命は無かったかもしれない。

 

「なるほど……今度本土に帰る時にでも申請しようかしら」

 

 扶桑はほんのりと赤らむ頬に手を当て、ケッコンカッコカリについて思いを巡らす。

 

「『新城 扶桑』……ふふ……ちょっと語呂が悪いかしら……?」

 

 甘美な妄想に思わず笑みが溢れる。艦娘に姓はない。戸籍が無いのだから当然だ。そんな自分が愛しい提督の戸籍に入りその姓を頂くというのは、なんとも言えない感慨があった。

 

「まあ心配ないとは思うでありますが……ちゃんと事前に山城殿とも相談するでありますよ。『某海軍重大事件』のように『不幸な事故』で新城殿に死なれるなんて勘弁でありますからな」

「え、ええ。私も不慮の事故で爆死なんて嫌だわ……」

 

 某海軍重大事件、とある提督が起こした事件の俗称である。被害は提督1名と数十名の艦娘の損失、ならびに一つの末端鎮守府の壊滅であった。鳳翔はその事件について思い出すと口を開く。

 

「あれ結局事故死扱いなんでしたっけ……」

「ええ、座乗艦含めて数十隻近い艦娘が一気に爆沈した謎の『事故』でありますなぁ。当時、小笠原諸島のとある鎮守府が崩壊してすわ深海棲艦の攻撃かと帝都が大混乱になったであります」

 

 なお、実際には深海棲艦の攻撃など存在しなかった。最終的に調査によって判明したのは、どうしようもない程捻じれ狂った『痴情の縺れによる不和の痕跡』だけであった模様。

 

「いやはや実際のところは一体何があったのやら……まあ爆発の影響で『バラバラ』になってしまった提督殿は気の毒でありますなあ。何故か遺体に火傷は一切なく物理的に引き千切られた痕跡まであったそうですが」

 

 カラカラと嗤いながら心底楽し気に語るあきつ丸。内容が内容だけに扶桑と鳳翔は若干笑みが引き攣っている。

 

「あと関係ない話でありますが、この事件以降艦娘と提督のケッコンカッコカリが認められ、艦娘の身分保証に関する整備が急速に進んだのでありますよ。いやはや一体なんでまた腰の重い事この上ないお役所が迅速に動いてくれたのやら」

「え、ええそうね」

 

 皆目さっぱり理解不能であります。と左右に手を上げてやれやれと笑うあきつ丸。そんな物騒極まりない裏話を流す為に扶桑が金剛へと水を向ける。

 

「ま、まあ不幸な事故の話はこの辺にしましょう。そういえば、金剛さんはどうなさるんですか?」

「ん?アタシか?」

 

 湯呑で緑茶を飲んでいた金剛は扶桑の問に口を開く。

 

「そんなもんウチの宿六次第でい。アイツが居る場所が、アタシの居場所さね」

 

 気負うでもなく、照れるでもなく、ただそう言い切る金剛。視線が集まると、にっと気持ちの良い笑みで応える。

 

「ウチの宿六はどうしようもねえダボハゼ野郎だが……まぁ、一緒にいりゃぁ退屈だけはしねぇからな。それだけで充分ってもんでい。風の向くまま、気の向くまま……一緒に進んでいけりゃあそれでいい」

 

 竹を割ったようなその言葉は、流れる風のような清々しさがあった。

 

 金剛という艦娘は、基本的に愛情が強い艦だ。愛情を隠さず、強く熱く、真っ直ぐに誰かを愛する艦が多い。

 

 ジャンゴの金剛もまた、それは例外ではなかったのである。分かり憎いだけで、彼女の愛は揺るがない。強く、泰然とした、『ただそこにある愛』それが彼女の本質である。

 

 ジャンゴに一切甘さを見せないのは、そうする必要がないからである。相手に媚びる必要はない。気持ちを隠す必要がない。遠慮することもない。互いに自然に、あるがままに、隣にいる。それが、二人の関係であった。

 

「柄にもねえ事言っちまったな。さて、そろそろ休憩も終わりにするかねぇ」

「あ、はい。湯呑は洗っておきますので流し台に置いてください」

「ありがとよ。それじゃあな」

 

 立ち上がり湯呑を洗い場に置くと、金剛は部屋を出て行く。

 

「……金剛さんって、意外と情熱的ですよね」

「そうね。何処だろうと何があろうと絶対隣に居るなんて、中々言えないわ」

「いやはや、誰も彼もまったくもってお熱い事この上ない。色んな意味でご馳走様であります」

 

 あきつ丸は楽し気にパタパタと顔を手で仰ぐと立ち上がり、湯吞を流しへと置く。

 

「さて、それでは我々も仕事に戻るであります。各々方、提督とのより良い明日の為に頑張るであります」

「そうですね。頑張りましょう」

「ええ、それじゃあ私もいくわ」

 

 軍帽を被って出ていくあきつ丸や扶桑を見送った後、鳳翔は洗い物をしながらポツリと呟いた。

 

「……そういえば、結局あきつ丸さんだけ何も言ってませんね。上手く誤魔化されて逃げられました」

 

 劇的な告白と悲劇的な酷薄さで見事に煙に巻かれた鳳翔達であった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 

「……提督との将来の夢でありますか」

 

 一人廊下を歩くあきつ丸はポツリと呟く。

 

「最期に笑って死ねれば、それで良いでありますよ」

 

 フフッと笑いながら、あきつ丸は廊下を進んでいった。



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幕間 猪と大馬鹿者 上

 

 

 伊能獅子雄と石壁堅持、一見して水と油のような対極的な性質の二人が如何にして出会い、終生の友となったのか。それを語るにはまず、伊能が歩んできた道について触れていく必要がある。

 

 彼が陸軍へと入隊したのは18歳の頃、憲兵への配属を望んで陸軍憲兵学校の扉を叩いたのが始まりであった。狭き門である一般公募を正面から突破し、凡そ1年で憲兵上等兵過程を修了、無事に入隊する事が出来た。成績は優秀であり、大勢の仲間に囲まれ、儀仗兵的な業務の多い憲兵抜刀隊の仕事は大層格好が良いと良い事ずくめの日々だ。極々短い期間であったが、この時の伊能獅子雄は正しく順風満帆、人生の絶頂期であったと言えるだろう。

 

 だが、その幸福も長くは続かなかった。彼が着任したのとほぼ時を同じくして深海大戦が勃発、大日本帝国は国土を焦土化させながら絶望的な抵抗を続ける事となったのである。

 

 不幸中の幸いは伊能が当時新兵であり、尚且つ儀仗兵的意味合いの強かった憲兵抜刀隊所属であった事だろう。重要人物や施設の警護を行う為に後方の任務へと回され、大戦序盤の破滅的な消耗戦から離れる事が出来たのである。

 

 それから数年の間に大日本帝国は沿岸部を全て喪失し少しずつ内陸部へと追い込まれていった。戦局の悪化と共に少しずつ伊能の同期達も減っていく。彼等が居る場所が戦いに巻き込まれる事も増えていったからだ。

 

 この間に伊能が生き残れたのは、彼自身の有能さに依る所もあるが、最大の原因は彼が新兵器艦娘の提督適正者であったことだろう。

 

 来たる反攻作戦に備えて伊能達艦娘保持者は温存されていたのだ。しかも、本質的に輸送船団である伊能艦隊は後方任務が主であったのも大きい。

 

 だが遂に、来るべき時が来てしまう。限界まで後退し続けた結果最早後背地は無いに等しく、大日本帝国は一縷の望みにかけて新兵器艦娘を全て戦線に投入、同時に陸海空の残存通常戦力を結集し戦局の打開を図った。

 

 ここに深海大戦前半のターニングポイントとなる一大決戦、世に言う本土奪回作戦が発動されたのである。

 

 

 ***

 

 

 その第一段階、内陸部から海岸線への電撃的打通攻撃は、敵上陸部隊の大戦力を食い破る事を目的としていた。

 

 作戦は単純だ。海岸線に陣取る深海棲艦攻撃部隊主力、その正面から艦娘を中心とした主力部隊が攻撃を開始して敵を引き付ける。その間に手薄となった敵の両翼を陸軍が食い破り、3方向から敵に圧力を掛ける。後は半包囲の状態から敵を磨り潰すだけである。

 

 余りにも力づくの作戦であり、無茶だという意見はあった。だが、長引く戦いで物資は底をつく寸前であり彼等にはもう後がなかったのである。引くも地獄、進むも地獄ならば、天祐を信じて前へ進むしか道はない。それが彼等の結論であった。

 

 かくして、地獄の釜の蓋が開く。8年にも渡る深海大戦の中で、最も凄惨とまで言われた戦いが始まった。

 

 戦場の中央、艦娘と深海棲艦が正面から衝突する主戦場はこの世の地獄と化した。

 

 両軍の艦載機が入り乱れ、打ち上がる対空砲が大空に花開く。

 

 鉄火は雨となり降り注ぎ、轟雷が大気を震わせ、天地は鳴動する。

 

 血と、鉄と、肉と、鉛が、大地を埋め尽くす。

 

 数分前までそこに居た誰かは数秒後には居なくなり。

 

 数年間苦楽を共にした人々が、部隊ごと消え失せた。

 

 殺して、死んで、壊して、壊されて。

 

 消して、消されて、滅ぼして、滅ぼされて。

 

 極まった破壊の暴風がせめぎ合い荒れ狂う。

 

 人間達は、艦娘という武力をまだ上手く使いこなせず。

 

 深海棲艦達は、初めて相対する対等の敵を前にして決定打を欠いた。

 

 かくして戦場は拮抗する。終わらぬ地獄は無限の命を引きずり込む破滅の大渦となったのだ。

 

「……まずい、このままでは主力部隊が壊滅する」

 

 戦場を迂回突撃して敵主力の側方へと回り込んだ陸軍将兵は、中央の戦場が拮抗しているのを見てそう呟いた。

 

「伊達大佐……ここで戦力を消耗し過ぎれば、本土奪回作戦は完全に破綻します」

 

 士官の一人がそう言うと、伊達と呼ばれた男は苦虫を嚙み潰したような顔で頷く。

 

「やむを得ない……本来ならば側面を脅かすだけの予定だったが、作戦を変更する……ッ!総員攻撃用意だ……ッ!!」

 

 伝令と共に兵士たちに緊張が走る。陸軍一般兵士が深海棲艦達に対して取り得る攻撃手段は、この時代一つしか無かったからだ。

 

 即ち、突撃による肉弾攻撃である。

 

「聞いたな皆……!やるしかない!!総員戦闘用意!!ここで押し負ければ日本は終わりだ!!我々はこれより敵拠点に側面より切り込み、攻略軍本隊の攻撃を補助する!!」

 

 憲兵抜刀隊を率いる上官が、部下へと声を張り上げる。

 

「輜重隊員も突撃に加われ!伊能、お前もだ!!艦娘保持者は搭乗して構わん!!」

「了解……ッ!」

「了解したであります!」

 

 そこに、若き日の伊能もまた、居た。

 

「……行くぞ、ここが命の賭け時だ」 

 

 そして、彼等は走り出す。

 

「憲兵抜刀隊!!前進せよ!!」

 

「「「「おおおおおぉぉぉ!!!!」」」」

 

 地獄へとーー

 

 ***

 

 走り続けた。走って、走って、走り続けた。

 

 切り続けた。切って、切って、切り続けた。

 

 前へ進んだ。前へ、前へ、前へ……

 

 ふと振り向いたとき、後ろには誰も居なかった。

 

 敵も、味方も、誰も居なかったのだ。

 

「誰か……誰か返事をしろ!!」

 

 男は独り、戦場を歩き回る。

 

「本田……!富永……!松田……!高田……!」

 

 血を吐くように、男は声を張り上げる。一人一人、共に戦ってきた戦友達の名を呼びながら。

 

「誰か生きていないのか……!!」

 

 瓦礫となった街を往く彼の声に、答える者は居ない。

 

 男と苦楽を共にした戦友達は、誰も残って居なかった……

 

 ***

 

 本土奪回作戦は成功した。数多くの命と引き換えに日本列島から深海棲艦達は叩き出されたのだ。

 

 敵主力を撃滅した大日本帝国は余勢にかって拡大作戦を開始。間髪を入れぬ追撃によって戦場は日本近海から南洋諸島へと移り、陸軍軍人の多くは退役、予備役となり日常へと返っていく事となる。

 

 そして、伊能もまた次なる道を選ぶ時が来る。

 

「伊能大尉、海軍へ行ってみないか」

「は……?海軍、ですか」

 

 伊達大佐の執務室へと呼び出された伊能は、突然の言葉に訝しげな顔をする。

 

「うむ。知っての通り本土奪回作戦が終わり戦線が南方へと移った事で我々の仕事は大きく減った。一方で海軍の仕事は増える一方だ。戦争が始まってもう5年……拡大する戦線を支えながらシーレーンを防衛し物資を運び続ける中で、海軍の戦力は払底に近くなっている」

 

 当初南方へと急拡大した戦線は、鉄底海峡攻略失敗と、深海棲艦の逆撃により急停止した。それから2年、攻めるに攻めきれず、守るに守りきれず、ショートランド周辺は一進一退を繰り返しながら戦争は停滞していた。

 

「大本営は長引く戦争に勝つために抜本的な戦争計画の見直しを決めた。それが今回の中長期的な戦力の育成……もっと具体的に言うならば艦娘を指揮する提督の育成になる。その為に日本全土から提督適性をもつ人間を探し出し海軍に抱え込むつもりのようだな」

 

 伊達はそう言いながら、手元の命令書へと目をやる。そこには海軍へと艦娘保持者を出向させるよう命令が書かれていた。

 

「……つまり、自分はそれに選ばれたという事でしょうか」

 

 伊能の脳裏に生贄という単語が浮かぶ。今現在、陸軍と海軍の仲ははっきり言って良くない。海軍の急拡大に伴って大幅に人員を削減された陸軍は、その多くが露頭に迷う事となる。幸いにして復興景気の中で再就職先は多かったが、必死に戦った末に捨てられたという恨み辛みを持つ者は多かった。そんな中で海軍への出向など喜ぶ者は殆ど居ない。

 

「いや、まだ選んだ訳ではないから別に断ってくれても構わんぞ。上には睨まれるだろうが、そこは俺がなんとかしてやる。ソレぐらいの政治力はあるからな」

 

 だが、伊能の想像と違って伊達はキッパリとそう言い切った。この伊達という男はやると言ったら絶対にやる男だ。義理堅く、人情に厚い一本筋の通った頑固者。それ故に多くの部下から慕われている。

 

「では何故自分を呼び出したのですか」

「それはな、これがお前にとって案外良い機会になるのではないかと思ったからだ」

 

 伊達は命令書を机の上に置くと、真っ直ぐ伊能へと向き直る。

 

「伊能、はっきり言って今のお前は死人と同じだ」

 

 その指摘に、伊能は一瞬息が詰まった。

 

「あの戦い以降、お前は周りとの間に壁を作っている。大勢の戦友を失って、背骨がへし折れていると言えば良いか。兎にも角にも覇気がない。死んだ戦友への弔いの為だけに戦場に立ち、義務感を杖にして動いているだけだ。軍人としてそれが悪いとは言わん。だが、この戦いが終わった時……一人の人間としてお前の中に何が残ると言うのだ?俺はそれが心配でならん」

 

 伊達は心配そうな顔で伊能を見つめる。それは上官としてではなく、一人の人間としての伊達の思いであった。

 

「だからこそ、一度場所を移ってみるのも良いのではないかと思ったのだ。幸いにして提督候補の人間は士官学校へと一度集めて数年間教育をしてくれるからな。同じ窯の飯を食う間柄であれば自然と新しい仲間が出来るかもしれん。どうしても無理だったならそれでも構わん。その時はなんとかして陸軍へ引っ張り戻してやる。だから、海軍へ行ってみないか?」

 

 伊能は、数秒間考え込んだ後、伊達へと敬礼を返した。

 

「伊能獅子雄大尉、海軍出向の任、謹んで拝命致します」

 

 かくして、伊能は海軍士官学校へと出向する事となった。そしてこの選択が、彼の運命を大きく変える事となる。

 

 

 ***

 

 

 海軍士官学校へと出向した伊能であったが、それから一年弱の間、伊達の思いとは裏腹に彼は孤立する事になった。

 

 士官学校へ集められた人間の多くは、深海対戦勃発中は幼く徴兵から逃れた若者であった。故に平均して数年、場合によっては十年近く年齢に差があった。それに加えて既に修羅場を何度も乗り越えてきた伊能には、常態であっても抜き身の刃の如き迫力がある。羊の群れに一匹狼を放り込むようなもので、如何ともし難い近寄り難さがあったのだ。

 

 そして何より、彼は「提督」としては落ちこぼれであったのが致命的であった。あきつ丸とまるゆ以外の艦娘を建造出来なかった彼は、模擬戦闘訓練での成績が致命的に悪かった。我武者羅に突っ込み敵を突き崩す戦い方は、一度間合いが見切られてしまうと釣瓶打ちの的にならざるを得ない。

 

 友と呼べる相手は居らず、模擬戦にも勝てず、孤立を深め、それでもなんとか現状を打開せんと彼は我武者羅に走り続けた。

 

 伊能が石壁と出会ったのは、そんな八方塞がりの最中であった。

 

 一年の間に幾つかある士官学校をたらい回しにされ、とある学校へと辿り着いた伊能は、自室でとある青年から話しかけられた。

 

「あの、貴方が伊能さんでしょうか」

「……む?ああ、俺が伊能だが、貴様は……」

 

 第一印象は、冴えない小男というのが正直な感想であった。軍人とは思えない程の貧弱な体躯と、覇気の足りない弱々しい言葉。大凡戦闘とは無縁でありそうな、平々凡々とした青年であった。いや、まだ少年と言っても良いかもしれない。それぐらい、伊能にとって見れば子供であった。

 

「僕は石壁堅持といいます。貴方とバディを組むことになりました。これからよろしくお願いします伊能さん」

 

 そう言って、石壁が頭を下げる。遠巻きにしてロクに挨拶もしてこない相手も多いのに、石壁は迷わず自分へと声をかけてきた。それに若干驚きつつも伊能は言葉を返す。

 

「……ああ、短い付き合いになるかもしれんが、よろしく頼む」

「……え?」

「いや、なんでもない。伊能で良い、さんは要らん」

「分かりました」

 

 それから当たり障りのない自己紹介を終えて、その日の会話は終わった。後に終生の友となる二人の出会いは、極めてあっさりとしていた。

 

 ***

 

 それからあっという間に一ヶ月が過ぎる。その間伊能の石壁への対応はかなりそっけないものであったが、石壁はそれを気にする事無くあれやこれやとやって来たばかりの伊能の世話を焼いていた。

 

 伊能は万事において大雑把で細かいことを気にしない人間であった。竹を割った様な性格で、思ったことはハッキリ言う。故に伊能は周りに敵を作りやすい。

 

 石壁はその逆で、小さい事に良く気がつく人間だ。万事において協調性があり、とにかく仲間を作るのが上手い。いや、上手くなっていったというのが正しい。

 

 伊能が誰かと衝突すれば、すぐに石壁がそれを調停するようになったからだ。それまではどちらかと言えばその協調性を「波風を立てない事」に使っていた石壁は、伊能という外的要因によって埋もれていた調停の才能を開花させ始めていた。人を見る目があり、落としどころを見つけ、それを両者に飲み込ませる才。後年大いに活かされる事になる彼の才覚、その一端が見え始めていた。

 

 どうせすぐに近寄らなくなるだろうと高を括っていた石壁のそんな姿に、伊能は困惑した。何故そこまでしてくれるのかと問えば、石壁は仲間なんだから当然だろとだけ返した。それが本気なのか、あるいは建前なのか、伊能には判断がつかなかった。戦火の中で作られた心の壁はまだ高く、伊能は心底から相手を信じられなかったのだ。

 

 だが、石壁が徹頭徹尾本気なのだと理解するのは、それからすぐの事であった。

 

 伊能がやって来てから初となる模擬戦闘。事件はその時に起こった。

 

 ***

 

 戦闘についての相談は殆どしなかった。する必要性も感じていなかった。どのみち突っ込んで戦う以外の事が出来ないからだ。

 

「俺は俺のやりたいようにやらせてもらう。どうせ俺は一つの戦い方しか出来ないからな」

「……分かったよ。伊能がどういう戦い方をするのか僕も見てみたいし、今回はそれでいこう」

 

 それだけ決めて、模擬戦は始まった。

 

『行くぞあきつ丸……突貫!!』

「了解であります!!」

 

 あきつ丸が水上をかける。通常の航行速度よりも早く、早く、疾風のように真っ直ぐ突っ込む。

 

 それしか出来ないから。それしか知らないから。我武者羅に突き進んだ。

 

『……っ!?伊能、お前……っ!!』

 

 その様をみて、石壁が何かを叫ぶ。だが、伊能には聞こえない。否、聞くつもりがなかった。

 

 凄まじい火力が伊能へと集中する。瞬発力に任せてそれを掻い潜り、一波、二波と集中する砲撃をすり抜けていく。

 

(俺にはこれしかない……だから前へ、少しでも前へ……そしてーー)

 

 ただ前へ、少しでも前へ。それだけを考えて前へ突き進みーー

 

(ーーあいつらの所へ)

 

 ーー今一歩が届かず、被弾して果てた。

 

 ***

 

 それから、模擬戦はあっという間に終わった。いつもと同じように、伊能は負けた。石壁との関係もここで終わるだろうとうっすらと考えながらドックに立っていると、そこへ石壁が駆け込んできた。

 

「伊能……っ!!」

「……ああ、石壁か。すまんがアレしか俺にはーー」

 

 出来ない、その言葉は続けられなかった。

 

「この……大馬鹿野郎が……ッ!!!」

「……ッ!?」

 

 石壁が伊能をぶん殴ったからだ。駆け寄ってきた勢いのまま放たれた拳は伊能の頬を打ち抜き、彼は地面へ倒れ込んだ。伊能が状況を理解するよりも早く、石壁は彼の胸倉を掴むと自分の方へ引っ張って顔を正面へと向かせた。

 

「貴様!?伊能殿に何をするでありますか!!」

「『なにをする』?それはこっちのセリフだ!!伊能、お前何をやっている!!どうしてあんな事をするんだ……ッ!!」

 

 伊能と同じくドックに控えていたあきつ丸が駆け寄ってくるが、石壁はそんなもの知ったことかと叫ぶ。伊能は、ただ事ではない石壁の剣幕に、出会ってから初めて気圧されていた。

 

「どうしてだと……?最初から言っていただろう、俺は一つしか戦い方を知らんとーー」

「僕が言っているのはそんな小さい事じゃない!!伊能お前はさっきーー」

 

 石壁は、怒りを込めて叫んだ。

 

「ーー自分が『死ぬ為』に突っ込んでいただけだろうが……ッ!!お前の自殺に、仲間を、艦娘達を付き合わせるつもりか……ッ!!」

 

 伊能は、石壁のその言葉に目を見開いた。心が真っ白になったかのように、思考が停止してしまった。

 

「お前は一体何処を見ているんだ!!誰を見ているんだ!!さっきのお前は何も見ちゃ居なかった。心此処に在らずで、今側に居る人たちすら見ず、此処に居ない誰かの所へ走ろうとしていた!!アレは勝つための『決死』じゃない。死ぬ為の『逃避』だ!!お前の自殺に、仲間を巻き込むな!!」

 

 伊能は何も言えなかった。胸倉を掴まれたまま、呆然としていた。石壁に言われた言葉が、どうしようもなく真実だったからだ。誰にも言わなかった、否、気がついてすら居なかった自らの本音である。

 

(ああ、そうか。俺は死にたかったのだ。仲間と共に、あの時、あの場所で)

 

 伊能はただ、その事実を受け止める事しか出来なかった。

 

「貴様、言わせておけば!!貴様に伊能殿の何が分かる!!何も知らない部外者が……知ったような口をきくな!!」

「ぐっ……!?」

「石壁提督!!」

 

 あきつ丸は伊能から石壁を引き剥がすと、片腕で胸倉を掴んで持ち上げた。艦娘の力は人のそれとは全く違う。いとも簡単に石壁の足は地から離れた。あきつ丸がその気に慣れば一瞬で殺されても可笑しくない。だが、石壁は怯まない。駆け寄ろうとした鳳翔を手で制し、あきつ丸を睨む。

 

「知るか!!知って欲しい事が有るなら伝えろよ!!反論が有るなら言えよ!!誰も相手の過去なんて知らないんだ!!僕が知っているのは今此処に居る伊能だけだ!!それに、僕は部外者じゃない!!」

 

 石壁は、叫んだ。

 

「今の僕は伊能のバディだ!!仲間が自殺しようとしたら怒るのは当たり前だろうが!!」

 

 どこまでも、石壁は本気だった。本気で、伊能を相棒として見ている。一緒に戦場に立つ仲間だと思っているのだ。だから石壁は怒った。仲間を死なせない為に。伊能の自暴自棄を怒ったのだ。

 

 初めて出会った時からずっと、石壁は戦友として真っ直ぐに伊能に向き合っていたのだ。伊能はそれにようやく気がついた。否、今までは自分の殻に籠もり、相手を見ようとすらしていなかったのだ。その単純な事実が、伊能の心の壁を砕いた。石壁の事を十歳近くも年下の子供と思っていたが、自分はそれよりも尚、どうしようもない程にガキだったのだ。石壁が怒るのは、当然だと思った。

 

「あきつ丸、手を離せ」

「伊能殿……しかし……」

「良いから手を離せ」

 

 伊能は立ち上がるとあきつ丸から石壁を開放させて向き直り

 

「……すまなかった。もう、あんな事はしない。約束する」

 

 石壁へと、頭を下げた。そうすべきだと思ったから、伊能は心底から非を詫びた。

 

「……約束するなら、もう良い。僕も殴って悪かった」

 

 伊能が本気だと分かったので、石壁もまた謝罪を受け入れ頭を下げる。そこで二人の間では決着がついた。周囲でそれを見ていた同期達は、一触即発の事態が終わったのだと知りホッとした空気が流れる。

 

 だが、それはそれとして、起こした揉め事の責任は受けねばならないのが軍隊である。喧嘩に気がついた教官や憲兵達が怒声を上げた。

 

「何をしている貴様ら!!」

「軍人が喧嘩などしてどうする馬鹿共が!!」

「この場の全員を懲罰房に叩き込め!!」

「え!?私達関係ないんですが!?」

「見ていただけの連中も同罪だバカモン!!軍隊は連帯責任だ!!懲罰房へ連行しろ!!」

 

 かくして、その場に居た同期達は全員揃って営倉へと送られたのであった。

 

 普通なら同期との間が険悪になりそうな事態であったが、石壁の人徳か、あるいは二人のやり取りに思う所があったのか、それとも伊能が迷惑をかけた同期達に一人一人頭を下げて謝罪したのが良かったのか。この一件を切っ掛けとして同期達は伊能を仲間として受け入れた。周囲との不和が原因であちこちをたらい回しにされていた伊能は、以後卒業までこの士官学校で時を過ごす事になったのである。

 

「ふう、漸く営倉を出られたな」

「……なぁ、石壁」

「なんだよ伊能」

「少し、身の上話をしてもいいかーーーー」

 

 伊能と石壁の関係はこうして始まった。ようやくバディとしての一歩を踏み出した彼等の前に次の転機が訪れるのはそれから約一年後、士官学校二年目が後半戦に入った頃であったーー

 

 

 




石壁君こぼれ話
 伊能の仲間が全滅した町は実は石壁君の故郷だった場所だったりします。伊能達が次の戦場へと向かった後、亡骸は集められて岩倉牧師達の手で供養されました。


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幕間 猪と大馬鹿者 下

気が付いたら合計文字数が50万文字突破しておりました。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
これからも拙作をよろしくお願いいたします。


 模擬演習の一件以降、伊能と石壁は真の意味でバディとして動き出した。伊能に足りない所が多いように、石壁にも足りない所が多い。それを補い合うことで、今までの地を這うような成績が上向き始めたのだ。

 

 これだけでも朗報と言えるが、成績が及第点を超え素行不良が収まった事で二人への正当な評価が定まり始めた。あきつ丸やまるゆ、鳳翔に明石に間宮を抱える二人は元来輜重隊への適性が高い。輸送訓練での好成績が評価され卒業後の配属についても目処が立ち始めたのである。これには配属先に頭を悩ませていた教官達も大いに胸を撫でおろす事となった。

 

 そして模擬戦の戦い方についても大きな改善があった。石壁が守り、機を見て伊能が突っ込む。そんな役割分担が機能するようになった事で、模擬戦の勝率が5割を超え始めたのである。まだ完璧とは言えないが、士官学校2年目の二人は概ね良い方向へ進んでいたと言えるだろう。

 

 しかし、伊能はその結果に……特に模擬戦について思い悩んでいた。

 

「うーん……もう少し被弾率を下げないと少し辛いね……訓練はまだしも実戦だと被弾を繰り返すのは致命的だし」

 

 石壁の言葉に、伊能は渋い顔をする。

 

「すまん……本土決戦時代ならアレぐらいの弾幕くぐり抜けて突っ込めたんだが……海の上だからか、それともそれ以外が原因なのかわからんが……後一歩が届かんのだ」

 

 後一歩、その言葉に石壁は腕を組みながら上を向く。

 

「後一歩……後一歩かあ……」

 

 暫し考え込みながら、石壁はボソリと呟く。

 

「そう簡単には吹っ切れないよなぁ……」

「石壁?」

「……あ、ごめんなんでもないよ」

 

 思わず溢れたと思しき石壁の言葉に、伊能が問いかける。

 

「石壁、何か思う所があるならはっきりと言え。今更、多少の事を気にする間柄でもあるまい。『言いたい事があるなら言え』、貴様は俺にそう説教したではないか」

「うっ……それを言われると弱いね……分かったけど、コレはあくまで僕の勝手な推測だからね」

 

 そう前置きして、石壁は続ける。

 

「多分、伊能は昔の……本土決戦の時の記憶がトラウマになってるんだと思う」

「トラウマに……?」

「うん。全身全霊で突っ込んで、戦って……気が付いたら戦友が皆居なくなったって言ってじゃないか。多分、無意識の内にその記憶が脳裏にチラついて、ブレーキをかけてるんじゃないかなって」

 

 心当たりは、あった。石壁に殴られるまでは勿論だが、それ以後も。前に走る度、あの記憶が蘇る。振り払っても振り払っても消えない記憶。前しか見ず、前にだけ進み、全てを切り払ってたどり着いた場所に……守りたかった戦友は誰も居なかったのだ。隣に仲間はまだいるのか、後ろの戦友は無事なのか、突き進んだ先に、一体何が残っているのか……いつもそれが脳裏にチラつく。ただ我武者羅に突き進めたのは、失う事を知らなかったからだ。

 

(そうか……つまる所俺はまだ……)

 

 文字通り全身全霊を掛けねば、生と死の境界線で一歩を踏み出す事など出来る訳がない。そして、全身全霊を掛けきれないとはつまりーー 

 

(……仲間を、石壁を信じきれていないのか)

 

 ーー後ろに居る仲間の無事を、確信出来ないという事だ。また、同じようになるのではないか。という疑念が捨てきれないのだ。

 

(なんと女々しい男なのだ。俺は……)

 

 忸怩たる思いが、伊能の中に満ちる。これだけ自分へ本気でぶつかってくる相手を、未だに信じきれない惰弱さに吐き気がした。そんな伊能を見て、石壁は声をかける。

 

「……まあ仕方ないよ。コレばっかりは時間を掛けないとどうしようもないしね。大丈夫、まだ卒業までーー」

 

 一年あるんだから。そう言い切る前に部屋の扉が叩かれた。

 

「石壁候補生はいるか」

 

 扉を開いて入ってきたのは、教官の一人であった。

 

「はっ!此処に居ます!」

 

 それを見て、即座に二人は立ち上がり敬礼を返す。教官は石壁を見て、それから伊能にチラリと目をやってから続ける。

 

「よろしい。今から貴様に話がある。ついて来い。伊能候補生はそのままで良い」

「了解しました!」

「了解」

 

 教官が石壁を連れて部屋を出て行く。一人残された伊能が一体何事だろうかと考えるが答えは出ない。だが、先程教官が自分を一瞬見たあの目に胸騒ぎを感じてしまう。

 

(あれは……『憐れみ』の目だ……あるいは……『申し訳なさ』か……?何度も見てきた、不愉快な目だ)

 

 元来伊能は誇り高い人間であり、見下されるのも、憐れみをかけられるのも大嫌いだ。

 

 だが海軍へと出向してからは、それこそ何度も何度もそういう目で見られてきた。生贄の如く差し出された境遇を、あきつ丸達以外を呼び出せなかった事を、突っ込む事しか出来ない無能さを。あるいは見下され、はたまた憐れまれ、そして嗤われた。

 

 始めこそ激発した。抵抗した。見返そうとした。だが、結局のところは変えられなかった。幾度も繰り返し、幾度も失敗し、やがて伊能はそれらの屈辱を受け入れ始めていた。

 

 仕方のない事、よくある事だ。どうにもならない事など、世の中には幾らでもある。そう、己に言い聞かせ、誤魔化して、耐えるようになっていった。

 

 文字通り、苦い記憶。苦渋を飲み込み屈辱に忍従するのは、吐き気を堪えるのに似ている。

 

 石壁と出会ってからは、久しく感じていなかったその苦みに……伊能は顔を顰めてため息を吐いた。

 

(……あまり、愉快ではない話題かもしれんな)

 

 往々にして、悪い予感程良く当たる。それを証明するように、再び部屋の扉が叩かれる。

 

「伊能殿、居るでありますか」

「あきつ丸か、入れ」

 

 入ってきたのは、あきつ丸であった。

 

「石壁殿はどうしたでありますか?」

「今しがた教官に連れて行かれたぞ」

「……となると、あの話は本当のようでありますな」

「……どういう事だ」

 

 あきつ丸は、怜悧に思えるほど冷たい表情で続ける。

 

「これは諜報班の陸軍妖精が掴んだ情報であります。実は、石壁殿と伊能殿のバディを解散させようという動きがあるようであります」

「……続けろ」

 

 寝耳に水とはこの事であった。問題点が無い訳ではないが、この一年二人のバディは極めて上手く動いてきた。にも関わらず、解散させるというのはどういう事か。

 

「……極めて単純で、つまらない理由でありますよ。陸軍からの出向である我々が成果を上げ始めたのをつまらないと感じる連中が居るであります」

 

 伊能はこの段階に至っても所属上は陸軍軍人である。そもそも海軍が陸軍へ提督の出向を迫ったのは「派閥争い」の要素を多分に含んで居るのだ。深海大戦は陸海軍間のパワーバランスを大きく崩している。故に海軍閥はこの機に乗じて、更に陸軍の力を削ぎにかかったのだ。

 

 現状でこの国の防衛はその大部分を艦娘によって支えられている。故に、抱える艦娘の数は軍としての発言力に直結するのだ。だからこそ、競争相手である陸軍から艦娘を奪いたかったのである。また、『陸軍に艦娘を差し出させた』という一事は、それだけで海軍の権勢を知らしめる良い材料になるという理由もある。

 

 更に度し難い事に、そうまでして差し出させた陸軍の艦娘を海軍閥は手元で腐らせるつもりなのだ。所属上陸軍からの出向である伊能達が戦果を上げれば、それは陸軍の得点とも言える。折角削った影響力を回復されるのは、海軍閥にとって面白くない事なのだ。

 

 この世界の日本は未だに大日本帝国である。故に彼の国の救い難い暗部が完全に解体されずに残っているのだ。愚かしいとしか形容できない陸海軍の仲の悪さは、その最たるものであろう。

 

 それでも深海大戦勃発直後は流石に内ゲバをしている場合ではなかったので協力出来ていた。だが、曲がりなりにも滅亡の危機を跳ね除けたことで状況が落ち着き、影を潜めていた悪癖が再び表面化し始めたのである。

 

「……それは確かに、つまらん理由だな。だが、それ以外にもあるのではないか?」

「……はい」

 

 伊能の言葉に、あきつ丸は一瞬黙り込んだ後続けた。

 

「今更になって連中は、石壁『提督』の真価に気が付いたようで……手元に抱え込みたいと考えたようでありますな」

「……くくく、なるほど。『陸軍の役立たず』と組ませて腐らせるのが惜しくなったか」

 

 伊能は、あまりにバカバカしくて思わず笑ってしまった。

 

「アイツはこの一年で大いに化けた。それまでの落ちこぼれという評価を覆し、兵站における唯一無二の才能を示している。埋もれていた防衛戦の才能もだんだん表面化してきた。だから『落ちこぼれるべき』(陸軍)と組ませて捨て置くのではなく、『出世すべき』人間(海軍)と組ませたいのだな」

 

 馬鹿馬鹿しいと思うだろう。だが、世の中では得てして論理的な正当性を超えた『そうあるべきだからこうする』という考え方が優越する事が多い。特に政治的な力学が働く世界では、その傾向が顕著だ。それ自体は、ある種仕方のない事ではある。

 

 だが、それを当人達が納得出来るかと言えば、また別の話だ。

 

「まったくもって……笑える話だ」

「伊能殿……」

 

 伊能は、急速に心から熱が失われていくのを感じていた。

 

 一年前、殻に籠もっていた伊能をぶん殴り、そこから引っ張り出したのが石壁だった。それからずっと、石壁は本気でぶつかってきた。だから、伊能もそれに応えたいと思っていた。バディとして、仲間として、二人三脚で進んできた一年間は、伊能にとってとても充実した日々であった。

 

 それが、どうしようもない不和でも、能力的な問題でもない、ただの政治的な力で終わってしまう。その程度のモノであったのだ。そう思うと、思い出は急速に色あせて、つまらないものに思えて来る。

 

「……いや、あるいは、潮時であったのかもしれんな。どのみち俺はまだ、石壁を信じきれていなかったのだから。ここいらで、終わりにするのも良いかもしれん」

 

 先程の会話がよぎる。己の女々しさが原因で、未だに一歩を踏み込みきれない。石壁を信じきれないでいる。その事実が、何もかもを諦めるという後ろ向きな決断を後押しする。

 

 それに、事は個人の力を越えた組織の意思の問題だ。仕方のない事、よくある事だ。どうにもならない事など、世の中には幾らでもある。

 

 そう、心に言い聞かせた。これまでのように。

 

「……なら、今から石壁殿と教官殿の所に行って、それを伝えるのが良いでありましょう。幸い、伊達大佐……今は少将でありましたな。伊達少将はダメなら戻って来いと言っていたであります。こんな馬鹿馬鹿しい政治ゴッコ、とっとと辞めて帰るであります」

 

 伊能がある意味吹っ切れたのを見て、あきつ丸はそう提案した。あきつ丸もまた、この結末に思う所があるらしく、冷めきった目をしている。

 

「そうだな。そうしよう。石壁が居る部屋は分かるか?」

「ええ、こっちであります」

 

 二人は、部屋を出て歩き出した。やがて目的地へとたどり着いた二人が、扉を叩こうとした瞬間。部屋の中から聞き慣れた男の声が響いた。

 

 ***

 

 時間は少し遡る。とある指導室へと連れて来られた石壁は教官と向かい合って椅子に座って居た。

 

 何事かと身構えていると、暫し、最近の成績などの世間話に近い会話を続けた後に教官は本題を切り出した。

 

「実は、まだ内々の話ではあるが……君の今後について上の方から提案があった」

「僕のですか?」

「ああ……もうすぐ新規に養成された提督達が大勢戦線に加わるのは知っているだろう?上層部はこれを期にこの停滞した戦局を打開したいと思っている。その為に、今提督候補生の中からエリートをよりすぐっているんだ。戦局打開の為の切り札になる部隊としてな」

 

 一部提督候補生の中で突出した才能を持つ人間を選抜して大本営が集めているというのは、石壁も噂として聞いた事があった。

 

「そして、その部隊の候補として、君を推す声がある」

「……え」

 

 それは、石壁にとって信じがたい話であった。最近は評価が改善しつつあるとはいえ、士官学校の落ちこぼれであったのは、石壁自身も自覚しているからだ。

 

「何故僕を?」

「君は攻勢指揮においてはハッキリ言ってどうしようもない程に無能だ。だが、防衛戦指揮のみにおいては全提督でも文字通りトップの成績を叩き出している。後は、間宮や明石を連れている事も評価対象となった。そういった点を考慮して、エリート部隊を支える後方要員として起用してはどうかという意見が出ている」

 

 元々石壁がこの二点において突出してるのは教官達も理解していた。故に最近の評価の全体的な回復によって欠点が薄れ、エリート部隊に入れてもギリギリ見劣りしないという見方がされたのである。

 

 自分の事を高く評価して貰って居るというのは、石壁にとっても嬉しい事であった。だが、同時に此処に呼ばれているのが自分だけである。というのが石壁にはひっかかった。

 

「教官、望外の評価を嬉しく思います。そして、此処に呼ばれた理由も分かりました。ですが、何故伊能は此処に居ないのでしょうか」

 

 その問いに、教官は一瞬言葉を詰まらせる。

 

「……教官?」

「……伊能候補生は、今回の選定から外れている。だから、呼んでいない」

 

 その言葉に、石壁は目を見開いた。

 

「そんな馬鹿な……!?僕が呼ばれているなら、伊能だって評価基準を満たしている筈です!!アイツ程攻勢指揮が上手い人間を、僕は他に知りません!!」

 

 石壁のその言葉に、教官は感情を見せないように表情を取り繕う。

 

「……石壁候補生、それについては私も君も関知する所ではない。重要なのは君が候補として推されている事。そして、君が望むならそれが通る可能性が高いという二点だけだ」

 

 上層部へ意見することは末端に許される事ではない。軍隊というのは何処までも上意下達が基本である。むしろ事前にこうして話を通して意向を聞いてくれるだけ、温情があると言えるだろう。それが実質的に断れないとしてもだ。

 

「君にとって、これはとても良い話だ。受ければ今後の栄達は約束されたようなモノであるからな。大本営直属のエリート達の所で学べば、君はもっと輝けるだろう」

「……では、伊能はどうなるのです。僕が大本営に招集されれば、アイツのバディはどうするのですか。僕以外の誰が、アイツと一緒に戦えるのですか」

 

 教官は、石壁の言葉にしばし返答出来なかった。伊能があらゆる面で扱いにくい人間である事も、石壁以外に伊能に合わせられる人間が居るわけがない事も、よく分かっているからだ。だが、それでも言わねばならない。教官は口を開く。

 

「……伊能候補生のバディには、別の候補生を当てる。それが上手く行かなければ、それまでの話だ。場合によっては、海軍の士官候補生過程を外れ、陸軍へ帰されるかもしれん。出来る限りはそうならないように取り計らうつもりだが……確約は出来ない」

 

 本音で言えば、教官もそんな未来は望んでいない。だが、内々にとはいえ石壁のエリート部隊への配属は決まりかけている。それを伊能の為に止める分けにも行かないのだ。それこそ、石壁本人が拒否でもしない限りは(・・・・・・・・・・・・・・・)だ。

 

「……分かりました」

「そうか、ではこの話をーー」

 

 ーー進めておく、教官はその言葉を続けられなかった。

 

 

 

「このお話、謹んで辞退させていただきます」

 

 

 

 強い意思を感じさせる声が、凛と響いた。

 

「……正気か、石壁候補生」

 

 虚を突かれた教官は、呆然と石壁にそう問うた。

 

「はい。このまま、伊能のバディを続けたく思います」

 

 迷いなく、石壁はそう返した。何処までも真っ直ぐに、教官を見る目は澄んでいる。そこに迷いは一切無く、この答えを頑として譲らぬと語っていた。

 

「……内々にとはいえ、ほぼ決まったような話だ。コレを蹴るなら、それ相応の反発があるぞ。断言しても良い、今後の海軍での栄達は絶対に無理だ。それでも……断ると、言うのか」

「はい。僕に選択の余地があるならば、絶対にお受け致しません。たとえ今後一生、冷や飯喰らいになったとしてもです」

 

 教官は、石壁という男を見誤っていた。伊能に比べて扱いやすく、話がわかる、常識的な優等生だと、そう思い込んでいた。

 

 だが、それはあくまで石壁が譲っても良いと思っている事柄だけの話であった。一度譲れぬと決めた事に至っては、文字通り命にかけても譲らぬのが石壁という男なのだ。だからこそ、いや、そうでなければ伊能に対して我を通せる訳がない。伊能以上に頑固者だから、彼をぶん殴ってでも殻から引っ張り出せたのだ。事が此処に至りようやく教官は、石壁という男の厄介さを理解したのである。文字通り、手遅れであった。

 

(これはダメだ。こいつは無理やり話を進めたらどんな手段をとるか分からん。それこそ、エリート部隊そのものを破綻させてでも抵抗するんじゃないか?)

 

 先に石壁に話を持ってきたのは失敗であった。もしも伊能に先にこの話を伝えたなら、伊能は仕方のない話と諦め、自分から士官学校を辞めていただろう。だが、伊能への負い目から石壁に先に話を通した。それが、致命的であった。

 

 教官は、石壁が初めて見せた究極的な我の強さに目眩を感じながら、問いかけた。

 

「……わからないな。君はもう彼という補助輪なしでも、しかと自らの価値を示せている。そこまで必死になり、彼に拘る必要もあるまい。それなのに何故、そこまで拒むのだ。自らの栄達を捨ててまで」

 

 まず明石と間宮が要る段階でどこの泊地でも引く手数多である。しかも天性の素質である防衛指揮能力は最前線でこそ強く輝くのだ。彼の居る鎮守府は自ずと人類屈指の牙城になるだろう。それだけの価値が石壁にはあった。戦争とは言うなれば終わりの見えない長距離走である。終戦というゴールまで戦い続ける事が大前提であり、石壁の能力はそれに極めて役立つ。

 

 だが、伊能は違う。彼の能力は瞬間火力に余りにも尖り過ぎていた。言うなれば究極の短距離走者、一瞬の闘争に全身全霊をかける砲弾のような存在である。その在り方は、戦線に投入すればそれだけで大戦果を叩きだすだろうが、言ってしまえばそれだけのものだ。一瞬で燃え尽きる松明を使って夜道を勧めといわれたら使用者は二の足を踏むだろう。

 

 伊能も石壁も、唯一無二の才を持っている。だが、伊能は石壁が居なければ戦えないが、石壁は一人でもそれ相応に価値を示せるのだ。だからこそ、石壁がそこまで伊能に拘る理由が教官には分からなかった。

 

「なぜ、そこまで伊能の為に必死になる」

 

 その問いに、石壁は真っ直ぐ教官を見つめて口を開く。

 

「……教官は今まで『あと一歩』という所で目的を果たせなかった事はありますか。ここぞという大勝負で、その一歩が踏み込めず後悔した事はありますか」

 

 その言葉に、教官の脳裏に幾つもの苦い記憶がよぎる。長く生きれば、それだけ後悔は積み重なるものだ。まして戦時の軍人ならば、後悔してもし足りない記憶は多い。戦友の血で贖われた『届かなかった一歩』が如何に重く遠いか、嫌になる程知っていた。

 

「伊能はその一歩を踏み込める男です」

 

 その言葉には、教官をして息を呑む程の力があった。端的に、強力に、そうなのだと確信させる気迫があった。

 

「死地の中で誰かに背中を預けるならば、自分は伊能のような……いえ、伊能にこそ命を預けたい。アイツ以上に、そう思える男を自分は知りません」

 

 石壁は真っ直ぐ、教官を見つめる。一寸の曇りもなく、言い切る。

 

「『伊能獅子雄は命を賭けても悔いがない男である』……男が動くのにそれ以上理由は必要でしょうか」

 

 石壁は軍人であった父の、戦う男の背中を見て育った。

 

 戦火に巻き込まれ、多くの死を見てきた。

 

 故郷を奪還せんと戦い、散って逝く兵士達を見てきた。

 

 否が応でも理解せざるを得ない。どう頑張っても人は死ぬ。絶対に死ぬのだ。

 

 だからこそ、人は足掻く。足掻いて、足掻いて、足掻き続けて、生きる事を諦めない。

 

 避け得ぬ死に対して抗う時が……命を賭けて戦わねばならない時が来る。

 

 その大一番を悔いなく託せる男が居るのだ。男が男に命を賭けるのに、これ以上の理由は要らなかった。

 

「必ず……必ずあの男は突き抜けます。誰よりも強く、誰よりも鋭く、誰よりも頼れる『提督』になります。その時まで、バディとして、命をかけてでも支えてみせます」

 

 揺るぎなく、石壁は続けた。

 

「だから、この話はお断り致します」

 

 ***

 

「……」

 

 指導室の前で、伊能は石壁の言葉を聞き遂げた。一言一言を飲み込む度に、心に灼熱が走り、体が震えた。抑えきれぬ衝動は行き場を求めて溢れ、我知らず、瞳からこぼれ落ちる。生まれて初めて、心の底から……否、魂が根底から震えるのを、伊能は感じていた。

 

「……いやはやまったくもって、どうしようもない馬鹿でありますな、石壁殿は。こんなにも良い話、受けても誰も責めないと言うのに」

 

 伊能の隣で、あきつ丸はため息を吐いて肩を竦める。だが、馬鹿にしたような言い草とは裏腹に、その顔は心底楽しげであった。

 

「……ああ、アイツは馬鹿だ。筋金入りの大馬鹿者だ。誰がそこまでしてくれと頼んだというのだ。俺なんぞよりもよっぽど馬鹿ではないか」

 

 声が震えそうになる。喉が渇く。沸々と湧き上がる熱情が出口を求めて律動する。

 

 初めて会った時から、今に至るまでの記憶が蘇る。ずっと、伊能を殻から引きずり出した時も、そして今も石壁は変わっていない。

 

 どうしようもない程本気で、信じられない程に頑固で、救いようがない程に大馬鹿者でーー

 

「だが、賢いだけの人間よりも、俺はああいう馬鹿の方が好きだ」 

 

 --伊能が、誰よりも強い男だと、確信しているのだ。殻を破り、突き進み、誰も踏み込めない一歩を踏み出せる男であると。

 

「……あの馬鹿に合わせるなら、俺ももっと馬鹿にならねばなるまい。ウダウダ悩むのは、もう終わりだ」

 

 伊能は笑った。獣が牙を剥くような、凶悪な笑み。自信と力強さに満ちた、太々しい笑みだ。久しく忘れていた……否、忘れた振りをしていた感情が心を熱くさせる。

 

「やれやれ、男と言うのは馬鹿ばっかりでありますな」

 

 あきつ丸もまた笑う。滾る戦意を抑えきれずに、太々しく笑う。

 

「ああ、男は馬鹿だ。そして、馬鹿だからこそ、出来る事もある。俺はもう、迷わん」

 

 迷いの消えさったその顔に、あきつ丸は問いかける。

 

「誑し込まれたでありますな?」

「貴様もだろう。あきつ丸」

「これは一本取られたであります」

 

 士は己を知る者の為に死す。武人が命を賭けるのに、それ以上の理由はいらない。伊能は今この時をもって終生の友を、命を賭しても悔いがない相手を得たのだ。

 

「行くぞあきつ丸。ついてこい」

「地獄の底までお供するでありますよ。賢く生きるよりも楽しく死ねそうでありますからなあ」

 

 二人は笑いながら、前へ歩き出したのであった。

 

 ***

 

 こうして、迷いを捨てた伊能は真の意味で石壁に背中を預けるようになったのである。迷いなく、狂いなく、極限状態の一瞬で前に踏み出せる程に。

 

 それはさながら、強く、鋭く研ぎ澄まされた刃。極限まで練磨されたそれは、抜けば全てを切り捨てる石壁の懐刀である。

 

 運命に翻弄され、絶望の中で戦う事になる石壁が最も頼りとしているのは誰か?それを問うても意味がない。なぜなら、その答えはずっと変わらないからだ。

 

 これは、ただそれだけの話だ。

 

 




多分この話で一番の被害者は板挟みになってた教官殿


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幕間 時代の爆心地

本当に何度も何度も停止して申し訳ありませんでした。
今日から一月の間に完結を目指して頑張りたいと思います。
どうか拙作をよろしくお願い致します


 

 時は少し遡り、鉄底海峡攻略作戦開始前。石壁の執務室にあきつ丸が報告に来ていた。

 

「なんだって?本土に送った妖精隊から火急の報告が?」

「はっ!しかも『絶対に石壁提督以外に見せるな』という厳命付きであります」

「それはまた厳重な……」

 

 石壁はあきつ丸から受け取った報告書を読み込む。最初は何事かと浮かんでいた疑問符は次第に驚愕へと変貌していく。

 

「これは……またなんとも……」

「返信はどうするでありますか?『彼ら』はラバウルまで来ているそうなので、返事はすぐ出来るでありますよ」

「……『全て了承した。準備を整えて待っている』と返しておいてくれ」

「はっ!了解したであります!」

 

 ビシッと敬礼を返したあきつ丸は、石壁の返事にふてぶてしい笑みを浮かべて部屋を出て行った。『楽しくなってきた』という本心を隠そうともしていないのがこのあきつ丸らしかった。

 

「ふう……」

 

 石壁は机の上の来客用灰皿の上に手紙を乗せると。マッチを擦ってから手紙へと添えた。

 

「この選択が、吉と出るか凶と出るか」

 

 最初から存在しなかった紙切れが一枚、この世から消えていくのを見つめながら、石壁はぽつりと呟いた。

 

 ***

 

 その翌日、輸送船団に揺られてとある一団がショートランド泊地へと来訪した。

 

 彼らの代表は50代程度に見える白人男性で、常に穏やかな笑みを浮かべている。

 

『どこにでもいそうな優しい男性』という印象をそのまま人にしたような彼は、今応接室で石壁と面会を行っていた。

 

 この時石壁達は死に物狂いで飛行場姫との戦いに備えており、大凡余分な時間というのは存在しない。

 

 当然そのような状況では悠長に来客の対応など出来る訳が無いのだが、石壁は激務の合間を縫って来訪者に面会していた。

 

 それはなぜか?単純な話である。

 

『始めまして、ジョン・デュバルと申します。ジョンとお呼びください』

「ええ、始めましてジョン。石壁堅持です」

 

 それだけの価値が、この面談にあるからだ。

 

『本来ならば友好を深めたい所ですが、お互い忙しい身の上です。早速ですが本題に入りましょう。石壁堅持中将閣下』

「石壁で良いですよ。ジョンディレクター……いや、ジョン諜報員。世界に名だたるMI6所属の貴方が、一体何故こんな所まで?」

 

 握手しながら笑顔を浮かべる両者。表面上穏やかであるが、その内情は全く違う。石壁の笑みは疲労感をかき消すほどのギラギラとした闘志を孕んでおり、逆にジョンは柔和な笑みからは一切の感情を読み取ることができない。

 

 そう、此処に居るジョンという男は諜報員(スパイ)なのだ。それもアメリカのFBIやCIA、ロシアのKGBに並び立つほどの一大諜報組織の人間であるという。そんな人間が対談を申し込んできたのだ、石壁が出てくるのも当然であった。

 

『……なるほど、噂に聞く通りMr石壁は肝が座っておられるようだ』

 

 石壁は歴戦のスパイを前にしても一歩も揺るがない。そんな彼の目を見つめながらジョンは笑みを深める。

 

 

『要件というのは簡単な話ですよ。“英国国営放送”からの取材の申し込みです』

「……取材、ですか?」

『ええ、新進気鋭の英雄殿。アドミラル石壁への密着取材と言うやつです』

 

 石壁は現在大日本帝国が総力を上げて(少なくとも表面上は)後押ししている英雄である。彼の戦いはそのまま南太平洋の、敷いてはこの戦争の行方を決める事になるだろう。

 

 であれば他国が、それもこの戦争で青息吐息となっている海洋国家イギリスも注視してくるのは当然であった。

 

「ですがジョン、それだけの理由ならばわざわざ身分を明かして来られたのですか?諜報員が自らの存在を明かすなんて相当の覚悟が無ければ出来ない事でしょう」

 

 諜報員にとって正体の露見とはすなわち生命の危機に等しい。当たり前の話だ。余程平和ボケした国でもなければ他国の諜報員をほっておく理由がない。

 

『ええ、ですが我々はこの会談にはそれだけの価値があると考えているのですよ。正体を伝えてでもアポイントをとれと言明されるほどには、ね』

「……なるほど」

 

 話は少し逸れるが、此処で少しだけこの世界におけるイギリスの現状について触れておこう。

 

 この世界のイギリスは英連邦を名乗っているが、実質的に大英帝国をほぼそのまま継承しており、戦前の植民地群がほぼそのまま継承された日米にならぶ海洋軍事大国であった。

 

 英本土と植民地の関係は時代の経過とともに安定していき、彼らは『英連邦』という大雑把な括りの中で、ある程度の搾取と引き換えに緩やかな安寧を得るという関係に落ち着いていた。

 

 故にこそ史実イギリスが『戦後』EUに埋没していったのと対照的に、この世界では彼らは未だにグレートゲームプレイヤーであり。日米、EU、共産圏に並ぶ一大勢力圏を維持していたのは特筆すべき差異だと言えるだろう。

 

 そう『海路で接続された世界中の莫大な海外植民地』持っていたのだ。深海大戦勃発後、どのような事態に陥ったかは想像に難くないであろう。

 

 世界中に展開していた英国海軍はそのまま世界中で沈没し、植民地を前提とした経済システムと物流網はズッタズタに引き裂かれ、明日どころか今日の紅茶にすら事欠く非常事態に突入したのである。まさしくもって死活問題。国家存亡の危機であった。

 

 そんな状態ではや8年、かろうじて国家を運営出来ているのは攻勢が殆どない欧州であった事と、ドーヴァー海峡のトンネルを通じた友邦(憎たらしい蛙野郎)手厚い支援(足元をみた価格設定の物資)があればこそであった。サンキューフランス(ファッキューフロッギー)

 

 そんなこんなでフランスの靴を舐めながら情勢打開を待ちに待って八年目。プライドもお財布もズッタズタでいよいよもって後が無くなってきた彼らは友人(オーストラリアのジョージさん)からの一報に一も二もなく駆け付けたという訳である。

 

 その念の入りようは『|本来明かさざるべきスパイの立場を全面的に開示してでも信用を得て来い《もう殺されても良いから絶対に協力を取りつけろ》』と厳命される程であった。といえば、どれだけ彼らが必至なのかが伝わるだろう。

 

 

 閑話休題

 

『つまり我々も必至という訳です。『すまじきものは宮仕え』とは言いますが、全くもってその通りですよ』

 

 お手上げとでもいうようにジェスチャーをするジョン。石壁はその言葉に嘘を感じなかった。

 

「……それについては同意しか出来ないかな」

 

 諜報員らしい笑みと言う名のポーカーフェイスをじっと見つめながら、石壁は言葉を紡ぐ。

 

「分かりました。取材を受けましょう。Mrジョン」

 

 

 

 ***

 

 

 取材は当初、当たり障りのない内容から始まった。

 

 石壁の生まれ、来歴、これまでの戦い、趣味、理想、考え方。一つ一つ、石壁と言う人間を洗い出すように、丁寧な問いかけが続いていく。

 

 それに対して石壁は特に気負う事もなく、淀みなく、自然体で答え続けた。

 

 表面上は穏やかに、フレンドリーに、丁寧に取材は進む。

 

 そして遂に最後の質問へと至る。

 

『では石壁提督、最後の質問です』

 

 ジョンは穏やかな笑みのまま、問う。

 

『次の一戦、勝てますか?』

 

 それに対して、石壁は微笑む。

 

「勝ちます」

 

 その問を最後に、取材は終わった。

 

 

 ***

 

 

 所変わって、ここは要塞のある山岳部の上層、天気が良ければ要塞全域から沖合の鉄血海峡の暗黒結界まで見通す事が出来る掩蔽壕である。

 

 彼らは今、迫りくる決戦の内容を記録する為にカメラ等の機材を設置している最中であった。

 

『……なんつーか、思ったよりフツーの人だったっすね』

 

 そんな中、取材クルーの中で一番若い青年が母国語で軽口を叩く。

 

『……そうだな、普通に見えたな』

 

 その言葉に、先程石壁に取材を行ったインタビュアーの男、ジョンが応えた。

 

『そうっすよね。ここまでの功績から見ても、もっと如何にもって感じの厳つい将軍が出てくるかと思ったんすけどね。目の傷を除けば、見た目もフツー、受け答えもフツー、覇気もフツー、どこまでもフツーの青年って感じっす』

 

 カチャカチャと機材を設置しながらそう言う青年だったが、そこから返事が帰って来ない事に思わず手を止める。

 

『……?リーダー?』

 

 それを訝しんでジョンの方を向くと、目の前に銃口をこちらに向けて立つジョンの姿があった。

 

『ハッ!?』

 

 想定の埒外の事態に思わず青年は目を見開き、とっさにバックステップをとって身構える。

 

『な、何を!?』

 

 混乱極まった青年の姿を見て、ジョンはため息を吐きながら言葉を紡ぐ。

 

『どう思った?』

『え、どうって……』

 

 ジョンの真意を計りかねている

『えっと……『殺される』とか『なんで?』とか色々思いました』

『今は?』

『……リーダーが引き金を引く瞬間に逃げるか、飛びかかるか。飛びかかるならどう仕留めるか、そんなとこっす』

 

 最初の一瞬だけは狼狽した青年だったが、末端とはいえMI6の人間だ。彼は腰を軽く落とし、足をバネのように力を貯めて構えている。どちらにでも一瞬で動ける臨戦態勢になっていた。

 

『……今の君の状況は、石壁提督がおかれている状況そのものだ』

『!?』

 

 その言葉に、青年はハッとしたように目を見開く。

 

『君は彼を普通と称したが、自分に置き換えて考えてみたまえ、【この状況で普通でいられる事がどれだけ異常であるのか】をだ』

 

 ジョンは拳銃を懐に仕舞いながら続ける。

 

『彼は迫りくる死を前にして、自然体を保ち続けている。無論、専門の訓練を積んだ人間ならば表面上取り繕う事は出来るだろう……が、彼は恐らくそうではない。あるがまま、自然体のままでありながら、死を前にして普通でいられるのだ』

『それは……油断をしている……って訳でもないんすよね?』

『ああ、彼は常体でありながら臨戦態勢だった。常在戦場……とは少し違うか?いずれにせよ確かな事は、彼はもし私がいきなり襲い掛かってきたとしても、そのまま私を返り討ちにするだろうという事だ。少なくとも先程の君のような醜態を晒す事はあるまい』

 

 その言葉に、青年は少し顔を赤らめる。

 

『スンマセン、恥ずかしいとこを見せたっす』

『気にするな。足りない分の訓練は帰ったら上乗せしておく』

『うげっ』

『なんにせよ……だ』

 

 さらっと処刑宣告を行いながら、ジョンは機材のセッティングを終わらせる。

 

『石壁提督は只者ではない。少なくとも、凡百の将軍とは明らかに違う。気が狂った訳でも、ヤケになった訳でも、敵を過小評価している訳でもない。その上で、鉄底海峡の女王を相手に『勝つ』と宣言したのだ』

 

 ジョンは青年と目を合わせて言い切った。

 

『きっと、何かが変わる。何一つとして、見逃すんじゃないぞ』

『……Yes,sir(了解)

 

 青年は思わず唾液を飲み込み、気合を入れなおした。

 

 そしてそれから数日後、彼らは文字通り歴史を変える一戦を目の当たりにする事となる。

 

 ***

 

 

 世界が壊れた。ジョンにはそうとしか表現出来なかった。

 

『……Crazy.なにもかもが狂ってる」

 

 思わず零れた言葉は一体誰に向けたモノだったか。石壁か。深海棲艦か。あるいは世界そのものか。

 

「リーダー……これ何が起こってるんすか……」

 

 カメラマンの青年は呆然と目の前の光景をカメラに収め続ける。

 

「戦艦が空から降ってきて、深海棲艦を吹っ飛ばしたとしか言えないな」

 

 要塞から人型の何かが飛び出したと思った瞬間、その人型が戦艦へと巨大化した。見たままありのままを過不足なく説明しているのに、何一つとして説明になっていなかった。

 

「そんな事が訊きたいんじゃなくて」

「黙れ。仕事に集中しろ」

 

 ジョンは少しでも目の前の光景から情報を得ようと集中する。

 

「あれは艦娘の艦艇化だろう。『そういうもの』だ」

「……『そういうもの』っすか」

 

『そういうもの』だ。そうやって飲み込まねば情報で窒息してしまう。

 

「一秒も撮り逃すんじゃないぞ」

 

 一分一秒、目が離せない。戦艦武蔵から、彼女の姿から目が離せない。

 

 派手という言葉では足りない、苛烈という言葉ですら生ぬるい、強烈極まる出現と攻勢。

 

(これが艦娘の戦い……これが戦艦の戦い……)

 

 凄惨であることを即ち地獄と呼ぶのなら、目の前の光景は正しく地獄と呼ぶに相応しい。

 

 光満ちる世界を天国と呼ぶのなら、目の前の光景は正しく天国と呼ぶに相応しい。

 

 地の獄よりも熱く燃え、天の国よりも光り輝くこの場において、尚目を引くのが目の前の戦艦であった。

 

 ジョンの目の前で砲爆撃が艦橋に集中し、戦艦武蔵の威容は一秒ごとに欠落していく。だというのに。

 

(ああ……)

 

 昔日の栄光と凋落を一瞬に刻み込むが如く艦が壊れていく。だというのに。

 

(戦艦武蔵よ。過ぎ去った時代の残影よ)

 

 何もかもが火に包まれて、砕け散っていく。だというのにーーーー

 

(お前は何故、そうも美しいのだ……)

 

 ーーーー戦艦武蔵は、斃れない。

 

(目が離せない。何故、何故、お前はそこで戦っている)

 

 命がそこに燃えている。魂がそこで滾っている。

 

(戦場にはもうロマンチシズムなど存在しない。出来る筈がない)

 

 極点へと進む科学文明は、戦場からある種の魔術的な美、ロマンチシズムの介在する余地を拭い去って久しい。

 

(だというのに、魂の震えが止まらない。心の訴えを無視出来ない。何だこれは……何なのだこれは)

 

 時代が逆流する。科学主義の極点へと進む時計の針が魔術的な原初へと『弾き戻されていく』のだ。

 

(何かがおかしい……これではまるでーー『この無線を聞く全ての者達へ告ぐ!!』

 

 答え(真実)に到達しかけた思考が、無線に遮られる。

 

『僕は石壁堅持!!このショートランド泊地の総司令長官だ!!』

 

 世界に響く。石壁の言葉が、無線に乗って四方八方へ轟いていく。

 

『今僕は戦艦武蔵の艦橋に居る。集中する砲爆撃に晒されて船体は軋み、至る所が弾け飛び、僕自身も砲撃によって致命的な大怪我を負った!!最早僕の命は風前の灯火と言っても可笑しくはない!!』

 

 石壁のその言葉に、無線を聞いていたその場の面々が驚愕に目を見開く。だが、誠に驚愕するのはそこからであった。 

 

『だが、僕は此処から逃げない!!此処が、この戦艦武蔵の艦橋が!!僕の戦場、僕の居場所だ!!僕が此処から離れるときは二つに一つ……ッ!!この戦いに勝つか……負けて死んだ時だけだ!!!!』

 

「な……」

「嘘だろ……」 

 

『僕は此処に居るぞ!!泊地の総大将は此処に居る!!深海棲艦お前等の怨敵はここに居る!!簡単な話だ!!この武蔵が落ちるか落ちないか……これだけが、この戦いの行方を決めるんだ!!』

 

 

 

 その瞬間、世界は静止しーーーー

 

 

 

『石壁堅持は、此処に居るぞ!!』

 

 

 

 ーーーー何もかもが動き出した。

 

 

 ***

 

 

 それから戦いが終わるまでの間、ジョン達は唯々見届ける事しか出来なかった。

 

 新たな英雄が生まれる瞬間を、鉄底海峡が攻略された瞬間を、世界が変わっていくその様を。

 

 文字通り特等席で見届けたのだ。

 

『ショートランド泊地万歳!石壁提督万歳!』

 

 周囲から聞こえてくるその言葉に、彼らはようやく意識が平常へと戻ってきたのを感じた。

 

「終わったのか……」

「はぁ……みたいっすね」

 

 カメラマンは精魂尽き果てたとばかりにカメラを定点固定したままずるずると大地に寝そべる。普段なら情けないと叱咤するであろうジョンも、今は流石に何も言わなかった。

 

 無線機に木霊する万歳の声は時間とともに広がり、そこかしこの援兵豪からも声が聞こえていく。

 

 

「石壁提督万歳!」

 

『ショートランド泊地万歳!』

 

『石壁提督万歳!俺たちの英雄に万歳!』

 

 

「「「『ソロモンの石壁、万歳!!』」」」

 

 

「とんでもねえ大歓声っすねえ」

「そうだな」

 

 カメラマンの言葉にジョンは頷く。

 

「ここから忙しくなるぞ。我々は今。時代の爆心地に立っているのだ。爆風が世界を駆け抜ける前に動かねばならん、急ぐぞ」

了解(Yes,sir)

 

 かくして世界は動き始める。不可逆の方向へと。誰も知らない。誰も意図しない方向へと。

 

「しかし……」

「どうしたんすか?」

「……いや、なんでもない」

 

 ジョンは首を振って答える。

 

「何かがおかしい気がしてな」

「『そういうもの』でしょ」

「『そういうもの』か」

 

 二人は機材を纏めると、次なる目的の為に動き出した。

 

 

 

 

 

 



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幕間 血染めの大器

この話から第二部の終わりから三部へ繫がる話を入れていく予定です



 

 鉄底海峡攻略作戦から数日後、参謀妖精達の詰め所には大勢の陸軍妖精が集まり報告書が纏められていた。

 

「おいこっちの小隊の損耗率の報告が無いぞ」

「ああ、そこは……もう一人も残ってないよ。砲弾がトーチカの穴に飛び込んだってよ」

 

 手渡された報告書に記載された『総員行方不明』の文字に書記官妖精はため息を吐く。

 

「そうか……ここも……ここも……ああ、ここも全滅か……遺体の回収は進んでいるのか?」

「天龍の姉御が工兵隊と駆逐隊を率いて急ピッチで進めてるよ……成果は、これだ」

 

 別の妖精から回ってくる報告書を書記官妖精は受け取る。

 

「……不明、不明、不明、そりゃそうか。誰のモノともしれない肉片に、どこの部位かも不明の骨片。こうなっちゃあ分かる訳もない」

 

 戦艦の砲撃が直撃して、肉の一片でも残っているなら運が良い方だ。普通なら文字通り消滅するのだから。

 

「それでも有難い話さ。文字通り指先一つ掘り出す為に、潰れた壕を掘り起こしてくれてる部隊なんて、ここ以外にあるかよ」

「そうだな。70年前の俺みたいに、死体代わりの石くれを送られて『遺骨』だなんて嘯かれるよりよっぽど良い」

「違いない」

 

 太平洋戦争当時、遠い異国で斃れた将兵の遺骨は、多くの場合そのまま打ち捨てられてしまった。他人の遺骨が帰ってくるどころか、文字通り『石くれ』を詰め込まれた骨壺が送られて来る事も珍しくなかったという。

 

「ま、俺たちは良いさ。どうせ一度は死んだ身。仲間の為に戦って、死ねて、心から弔って貰えるならそれで良い」

 

 ぺらりと一纏めにされた報告書をめくる音が響く。

 

「ただ一つ、気掛かりなのは……」

「報告書は出来たか」

「……ッ!!」

 

 書記官妖精は背後から聞こえた言葉にビクリと震えた。そこにたっていたのは、己の上官、親愛なる総司令官であった。

 

「な、あ……はい……こちらです……」

「そうか……ありがとう。これ、貰っていくよ」

「ええ……どうぞ……」

 

 石壁は報告書を受け取ると、来た道を戻り執務室へと帰っていった。

 

「気掛かりなのは……石壁提督の心だけだ」

 

 石壁の足音が聞こえなくなった頃。妖精はポツリとそう呟いた。

 

 ***

 

 それから数時間後、石壁は鉄底海峡攻略作戦の報告書を見つめていた。

 

「……」

 

 失われた命を己に刻み込む様に、全ての戦没者の名を読み込んでいく。

 

 左から右へと頁が流れて積み重なっていく。その度に、一人、また一人と石壁の手の中で命が消えていく。

 

 左の命が軽くなるにつれて、右の屍が重みを増していく。

 

 全て、石壁が積み上げた屍だ。己が命じた戦いで散って言った仲間達なのだ。

 

 目を逸らす事は出来ない。出来る筈が、ない。

 

 誰がどう言おうとも、この現実は、この重みは、この苦しみは石壁のモノなのだ。

 

 これは彼の誇り。愛する戦友たちの生きた証。

 

 これは彼の咎。背負うべき己の罪業。

 

 これが……彼の道……血で塗り固めた、英雄への道程……

 

 故にこそ、目を逸らす事は、ない。

 

「……」

 

 やがて報告書を読み切った石壁は、ただ閉じられたそれをじっと見つめていた。

 

 報告書が背表紙を晒して卓上に置かれている。記録と成り果てた戦友たちの躯の山は何も語る事なく、ただそこに鎮座している。

 

 何をする気にもなれない。石壁はまるで四肢を引き裂かれた様な喪失感に包まれて、ただじっと報告書を見つめることしか、出来なかった。

 

 誰も居ない執務室は痛いほどの静寂に包まれている。故にこそであろうか、普段は気にも止める事もない壁掛け時計の音が、嫌に煩い。

 

 止まることなく時を刻む秒針は、無情に、無常に、あるいは無上に、時間が止まらずに流れている事を教えてくれる。

 

 息が詰まりそうであった。流れていく時間の中に取り残され、一人溺れていく様な窒息感は耐え難く、我知らず石壁の心臓が早鐘を打ち始める。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 不安、絶望、悲哀、憤怒、罪悪感……荒れ狂う感情が行き場を求めて暴れまわる。石壁は無意識の内に己の胸ぐらを掴みながら蹲った。

 

「ぐぅ……ああ……はぁ……はぁ……」

 

 極度のストレスは時として、心身へと多大なるダメージをもたらす。心という器を乱雑に扱えば、時としてそれは罅割れ、砕け散り、場合によっては命すら失う事となるのだ。

 

 石壁は強くなった。常人ならば心の器が砕けてしまう程の苦しみの中にあって、それを飲み下す事が出来るようになったののだから。

 

 だが……耐えられる事と、その痛苦に苦しむ事は、何ら矛盾しないのだ。

 

「はぁ……はぁ……」 

 

 石壁が独り苦しみに耐えていると、控えめに扉を叩く音が執務室に響いた。

 

「……提督、少し宜しいでしょうか」

 

 気遣わしい、優しげな声音。忘れる筈のない、石壁の愛しい人の声であった。

 

「ああ……どう……ぞ……」

「失礼します」

 

 石壁はなんとか椅子に座り直して鳳翔を迎える。しかし、喉が乾ききっており思ったように声が出ない。長時間水分すら取らずに報告書を読み込んでいたからに相違なかった。

 

「提督、お茶をお持ちしました。独りで部屋に籠もられてから随分と経ちますので……」

 

 鳳翔は心配そうに石壁を見つめながら、盆の上に載せた湯呑をこちらへと持ってくる。

 

「提督、どうぞ」

「ああ……あり……がとう……」

 

 石壁は、枯れた声で礼を言いながら鳳翔から湯飲みを受け取った。一度、二度と中身を呷り、唇を濡らす。甘露が喉を潤し、滋味深く体に染み入るようであった。

 

「……大丈夫ですか?」

 

 鳳翔は石壁のそんな姿に、心配そうな顔を見せる。以前の戦いの時は、石壁の心は荒れ狂う情動に翻弄され、壊れてしまいそうになった。

 

 護りたい仲間を救う為に、護りたい仲間を死なせねばならない矛盾。その相反する方向へ向かう二つの情動は、休む間もなく彼の心を圧搾する。潰れた心から滲みだす澱は溶けた鉛よりも熱く彼を責め立て、凍土よりも尚冷たく凍てつかせた。

 

 そして、その苦しみは、二度目の大敵を乗り越えた今もなんら変わっていない。

 

「……今すぐに拳銃を咥えて引き金を引きたいよ」

 

 石壁の言葉は、ともすれば冗談とも取られかねない程に、極めて平淡であった。だが、それは決して冗談などではない。偽らざる石壁の本音である。

 

「それが出来れば……どれだけ楽だったか……」

「提督……」

 

 彼の心根は変わっていない。変わったのは、彼自身の、大きさであった。

 

「最期の最期まで……生きて、生きて、生きて、生きる事を諦める訳にはいかない……それが、僕達生き残った者の責務だから」

 

 石壁の物語の始まりは、死にゆく母に背を押されたあの瞬間だ。以来ずっと、彼は前へ向けて走り続けている。止まった瞬間、過去に押しつぶされてしまうから。

 

 石壁の仲間は、皆石壁達に死んで欲しくないから戦い、そして死んでいったのだ。彼の母と同じように。

 

 彼は遺された想いを己という器の中に、一つ一つ大切に収めた続けた。降り注ぐ遺志を取りこぼさない様に、大切に大切に収め続けた。

 

 その様な事をすれば、常人ならば器はその重みに耐えかねて潰れてしまう。だが、石壁はそれを収めた。鋼の意志でもって、収め続けた。

 

 石壁はいうなれば、『未完の大器』なのだ。『将来大きくなるであろう未完成の器』という意味ではなく、『広がり続けるが故に完成できない大器』という意味でだ。

 

 かくして凡人(石壁)凡人(未完)のまま、英雄(大器)へと至った。だがそれは裏返せば…… 

 

「だけど……一体あとどれだけ……どれだけ命を積み重ねないと……ならないんだろうか……」

 

 石壁は壊れる事も諦める事出来ずに、無限の苦しみを受け止めねばならないのだ。完成する(息絶える)、その瞬間まで。

 

「生きるというのは……どうしてここまで……苦しいんだ……」

 

 石壁は鳳翔にむけて、その胸の内を吐露した。南方棲戦鬼との戦いの時の様に。

 

 石壁はもうこの苦しみを耐える事が出来る。もう受け止める事が出来る。他の誰にも、受け止めた想いを背負わせるつもりはない。

 

 だが、鳳翔には……否、鳳翔にだけは、石壁はその苦しみを打ち明ける。誰にも渡す事の出来ない苦しみを、受け止めてもらっているのだ。

 

「……」

 

 鳳翔は、無言で石壁を後ろから抱きしめた。座ったままの石壁の頭を、優しく、包み込む様に。

 

「大丈夫、大丈夫ですよ……」

 

 鳳翔は受け止める。強く(弱く)大きな(小さな)英雄(凡人)である石壁をありのまま。

 

 それが、石壁にとってはこれ以上ない救いであった。

 

「鳳翔さん……」

 

 石壁は、己の心臓に添えられた鳳翔の手に、そっと残った左手を重ねた。

 

「……ありがとう」

「……どういたしまして」

 

 包み込まれる様な温かさが、石壁の心を癒やしてくれる。鳳翔と触れ合っている今この時だけは……辛い事も、忘れられた。

 

「鳳翔さん……もう少しだけ……このまま……」

 

 石壁の手が、少しだけ強く鳳翔の手を握る。

 

「このまま……休ませてほしい……」

 

 余りにも不器用な石壁の甘え方に、鳳翔は笑みを浮かべて応えた。

 

「構いませんよ……もう少しこのまま……今だけは……このまま……」

 

 石壁が悲しみを力に変えて、立ち上がるまでの間だけ……二人はそうして抱き合っていた。

 

 互いの心音を重ねあうだけ。たったそれだけの逢瀬が。今の二人にとっては必要だったのだ。

 

 ***

 

 その翌日、石壁は広場にやってきていた。

 

 広場には大勢の妖精隊と艦娘達が詰めている。彼等は一様に沈黙を保ち整列しており、広場は厳かな空気に包まれていた。

 

 一同の前方には、名もなき英雄たちを祀る慰霊碑があり、石壁が慰霊碑の方を向きたっていた。

 

「総員!捧げ、銃(ささげ つつ)!!」

 

 広場に、あきつ丸の号令が響くと、陸軍妖精隊が一斉に着剣された三八式歩兵中を天にむけて構える。右手で銃床の少し上の銃把を握り、左手で銃の中心あたりを支える。小銃を体と水平にまっすぐ立てて持つ儀礼時の構えである。

 

 慰霊碑の前に立つ石壁は、背後で全員が小銃を構えた後に、揺らぐことのない力強い口調で声をあげた。

 

「……亡き戦友達の御霊に哀悼の意を表し、弔砲(ちょうほう)を捧げる……弾を込め!!」

 

 砲兵隊が空砲用の砲弾を、装填する。

 

「撃ち方用意……撃てぇッ!!」

 

 空へ向け、轟音と共に砲口が一斉に火を噴く。すぐさま砲弾は再装填され、数分の静寂の後に、再び一斉射。繰り返す事三度、砲口は火を噴いた。

 

 その間一同は黙祷を捧げ、先に逝った戦友達を思った。

 

 いずれは己たちも彼等の元へと旅立つ日がくる。だからその時を待っていてくれと思いを込めて。

 

 三度目の轟音が空気に溶けて消えていくその時まで、彼はただ、戦友達の冥福を祈った。

 

 ショートランド泊地を襲った二度目の大敵、飛行場姫、彼女との戦いは正しく死闘と呼ぶに相応しいモノであった。

 

 巨大な要塞線を使い潰し、己たちの総司令官すら囮にして行われた乾坤一擲の大反撃。それは狙い違わず鉄底海峡(無敵の牙城)を突き崩し、石壁達は絶体絶命の危機を乗り越えることが出来た。

 

 だが、その代償は大きく、泊地は多くのモノを喪った。

 

 武蔵艦内で戦い、散った陸軍妖精達。鉄底海峡を混乱させた駆逐隊にも相応の被害が出た。

 

 石壁自身も己の右腕を、そして武蔵を喪った。

 

 だが、もう石壁は立ち止まらない。悲しくとも、苦しくとも、前へ向かって歩き出すしかないのだ。

 

 失われた命を背負い。遺された想いを受け止め。血で糊塗された道を、ただ真っ直ぐに踏みしめ往く。

 

 

 

 力尽きる、その日まで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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幕間 夢の話

さっき推薦欄を確認したら推薦を一件頂いていて飛び上がる程驚きました。
推薦を頂くのが夢だったので本当に嬉しかったです。ハローハロー様ありがとうございました。

完結まで精一杯頑張っていきますので、どうか皆様これからもよろしくお願いいたします


 

 慰霊式を終えて数日後、石壁は自分の目で基地の復興具合を確かめるべくショートランド泊地を歩き回っていた。

 

 大勢の命が失われた一方で、石壁達が守り抜いた命も存在するのだと確かめるように。

 

「石壁提督!おはようございます!」

「提督!お元気そうでなによりです!」

「基地司令殿!こちらは異常ありません!」

 

 そんな石壁の気持ちを知ってか知らずか、彼と顔を合わせた妖精達や艦娘達は皆笑顔で声をかけてくれる。石壁にとってはその些細な日常が何よりも愛おしかった。

 

「石壁提督。『私たち』はこれからも石壁提督と一緒に戦います」

「もう声は出せませんが『誰一人』この結末を後悔しておりません。我々の心は一つです」

「どうかお心を安らかに、自分の信じる道を進んでください」

 

 そして、報告書では『喪われた』とされていた艦娘達も、鈴谷と熊野のように『託されている』事が殆どであった。

 

 鈴谷の中に熊野を見て取れた石壁である。誰一人として見逃す筈が無い。託して逝った『彼女達』の残滓をしっかりと感じ取って『全員』の心を感じていった。

 

 命の在り方を自ら定める事が出来る彼女達にとって、肉体的な死というのは一つの契機に過ぎないのだ。

 

「……いなくなっても、そこに『いる』……『そういうもの』なのか」

 

 石壁もまた武蔵から『託された』身だ。艦娘という存在について、また少し分かって来たような気がした。

 

 ***

 

 

 そんなこんなで一通り泊地を歩いていた石壁は、最後に工廠に辿り着いていた。

 

「あれ?提督?どうかしました?」

 

 工廠の扉を潜ると、そこでは機械油で汚れた作業服の明石が額の汗を拭っていた。

 普段の艦娘用セーラー服を着ていない為、一見するとただの整備士にしか見えない。

 

「いや、散歩がてら視察にね。ついでに工廠の様子でも見てみたくて」

「なるほど、ではこちらへどうぞ」

 

 その言葉に心底嬉しそうな笑みを浮かべた明石は、工廠の隅のベンチへと石壁を案内した。

 

「作業中に側に行くと危険ですから、ここから説明させてもらいますね」

 

 二人が隣り合って座ると、明石はそこから工廠のあちらこちらを指さしながら説明を始めた。

 

「むこうの壁際が従来兵器の製造ラインで、前回使い切った特殊三式弾を増産しています。中央の大型生産設備を挟んで反対側が新兵器の研究ライン。新しい対深海棲艦用の武装や道具を開発中です」

「なるほどねえ」

 

 説明通りの順番に目をやる石壁であったが、ふと彼は隣の明石自身へ目をやった。

 

「特殊三式弾は今回のロットから構造が改善され、火力がより強力にーー」

 

 明石は石壁に工廠の説明を出来るのが心底楽しいらしく、額にジワリと浮かぶ汗も気にせず話し続けていた。頬を機械油で汚しながらも、その顔は溌溂と輝いており、石壁にはとても美しいモノに思えた。

 

 無論石壁はすぐに説明へと意識を戻したのだが、執務の疲れもあってかすぐにまた意識が散漫になっていく。その上、段々語るのが楽しくなってきた明石の説明は、石壁の知識と意識を置き去りにする専門的なモノへと変化してしまう。当然の帰結として、石壁はうつらうつらと首を揺すり始めつつあった。所謂『船をこぐ』という奴である。

 

「ふぅ……あっつ……」

 

 石壁のそんな様子に気付かず説明を続けていく明石は、文字通り熱くなってしまっている事で、意識せず作業服の胸元をパタパタと動かして服の隙間の空気を入れ替えていた。

 

 熱を逃がすために作業服の胸元が大きめに開かれていた事もあり、女性らしい香りと、汗の匂い……そして作業服の機械油の匂いが混ざり合って石壁の周りを強く漂う。普段の明石ならば汗の匂いに気を使っているが、無意識の行動であった故に気が付かない。そして石壁自身も眠りかけている為、何も言わない。

 

(あれーーこの匂いーー)

「あれがーーでーーがーー」

 

 明石の香りに包まれ、夢現の石壁が感じた感情はーー

 

(どこか……で……)

 

 ーー懐かしさであった。

 

 その正体にたどり着く前に、石壁の意識は闇に落ちた。

 

 ***

 

「ケンジ!ケンジってば!」

「あ、あれ?」

 

 ふと石壁が気がつくと、そこは昔彼が住んでいた場所……少年時代の『我が家』であった。

 

「ほら、そんな所で寝てると風邪ひくわよ」

「ね、姉さん?なんで??」

 

 目をゴシゴシと擦る。そこには、もう既にこの世にいない筈の姉が立っていた。

 

「なんでって、アンタが私の作業を見ながら寝ちゃったんでしょうが」

「……あ」

 

 そこは自宅の裏庭、姉が機械いじりに使っていた彼女の研究所(ラボラトリー)であった。彼女は小学校の高学年になるにつれ、様々なジャンク品をごみ捨て場から引っ張ってきては、分解し、組み直し、新しい何かを作る事を繰り返していた。

 

 中学生になってからは段々と組み立てる物品は大きなモノになっていき、今は廃車のジャンクを組み合わせてバイクを作っているらしかった。

 

 石壁は、姉が作業服を油まみれにしながら何かを作っている姿が好きであった。廃材から新しい何かを作る事そのものが魔法のようであり楽しく……そして、そんな魔法を心底楽しそうに行う姉の笑顔が好きであった。

 

「ほら。ホットミルク、のむ?」

 

 丁度休憩の為に入れてきたホットミルクの入ったマグカップを差し出され、石壁は思わずそれを受け取った。石壁が寝落ちするといつもこうして、彼女は二人分の飲み物を準備してくれていたのだ。

 

 姉は頬にオイルの汚れを残したまま、作業服姿でマグカップを口元にもっていく。目の前で美味しそうにミルクを飲む姉の姿を見て、石壁はゆっくりと、マグカップを口元にやった。

 

「……おいしい」

 

 あの時と同じ、暖かくて甘い、ホットミルクの味。石壁はデジャブを感じる、これは、過去に実際に経験した記憶であった。

 

(ああそうか……夢か……)

 

 石壁は、正解に思い至る。これは夢、既に終わってしまった、帰らざる過去の一時なのだ。

 

「そっか……」

「……どうかしたの?ケンジ?」

 

 石壁は……否、少年は、手元のマグカップを寂しげに見つめる。

 

「……ううん、なんでもないよ。姉さん」

 

 少年は夢と知りつつも、姉を心配させたくなくて、そう言って笑った。

 

「……よし、ケンジ、こっち乗って」

「……へ?」

 

 姉は少年の手を引っ張ると、今しがた修理していたバイクのサイドカーへと押し込んだ。

 

「ね、姉さん?」

 

 少年の言葉を無視して、少女はバイクへすらりと跨るとキーを回した。

 

 途端に鋼鉄の巨獣は目を覚まし、獰猛な唸り声を上げ始める。

 

「よし、じゃあ試運転いくわよ」

「え!?」

「しっかり捕まってなさい!」

「ちょ!?まーー」

 

 少年をサイドカー乗せたまま、バイクは走り出した。

 

 ***

 

「どう!気持ち良いでしょ!」

 

 高速で走るバイクのハンドルを握る笑顔の姉の姿に、少年は悲鳴をあげる。

 

「ね、姉さん!?アンタまだ16じゃなかった!?どうやってバイクの操縦なんか覚えたの!?」

「あー?そんなの勘よ勘!」

「無免許運転!?」

「チッチッチッ、ちゃあんと免許はあるのよ!『小型特殊自動車』のだけどね!このバイクは分類上小型特殊自動車だからセーフなの!」

 

 あまり知られていないがサイドカー側にも原動力が搭載されているバイクは、分類上小型特殊自動車となり普通免許並びに小型特殊自動車免許で乗ることが出来るのだ。小型特殊自動車だけなら16歳で取得出来るため可能な裏技であった。

 

「車検は!?これ手作りでしょ!?」

「……風が気持ちいいわね!」

「姉さん!?」

 

 少年の問をガン無視してバイクは走る。懐かしい町並みの中を走り抜けていく。当然最初は面食らったが、やがて別の思いが胸中を占めていく。

 

(……ああ、僕の故郷だ)

 

 少年は高速で過ぎ去る風景の一つ一つに溢れ出る憧憬に、涙が出そうになってしまう。夢とはいえ、確かにそこに故郷があるのだ。この反応も仕方がないだろう。

 

「はい到着、と」

 

 やがてバイクは少年がよく遊んだ公園で停車した。姉は先にひょいとバイクから降りると2つ並んだブランコの一つに座り、こいこいと弟へ手を振る。

 

「ほら、こっち座んなさい」

「う、うん」

 

 促されて、少年は姉の隣のブランコに座る。油の匂いと、汗の匂いと、少女特有の香りが混ざった……懐かしい姉の匂いがした。明石に感じた懐かしさは、これであったのだ。

 

「ねえケンジ」

「なに?姉さん」

 

 少年の隣でブランコを漕ぐ少女は、夕日にそまる街を見ながら笑う。

 

「私、将来はメカニックになりたいの」

「メカニック……」

 

 弟へむけ、少女は笑顔を向ける。

 

「ええ、ケンジが驚くような機械をたーっくさん作るのよ!エジソンみたいに、世界の歴史に私の名前を残すの!」

「あはは、いくらなんでも相手が大き過ぎない?」

 

 姉の大き過ぎる目標に、軽く笑って応じる少年。少女はそんな弟の疑問を全く気にせず続ける。

 

「夢は大き過ぎる位が丁度良いのよ!その方が追いかけ甲斐があるじゃない!」

 

 少女はそう言ってブランコから飛ぶと、少年の数メートル先へ着地して振り返った。

 

「私の夢は今話したとおりだけど……ケンジにはさ、将来の夢ってある?」

「夢?」

 

 少年は、呆けたように繰り返す。

 

「そ、夢。何かない?」

「……夢、かあ」

 

 実際に『ここ』にいた時、自分はどんな夢を語ったのか思い出せなかった。故に少年は、否、石壁は思ったままを口に出す。

 

「……世界平和、かな」

「……あはは!何よそれ!私の夢よりよっぽど大きいじゃない!」

 

 石壁の言葉に少女は楽しげに笑うと、夕日の方へ顔を向ける。石壁に背中を向けて、少女は続ける。

 

「うん……でも……私はケンジのその夢好きよ」

「……姉さん?」

 

 その言葉は、今までの姉らしくない、何か大きな思いが籠もっているように感じられた。

 

「叶っても、叶わなくても、夢は夢。追い求める事を止めたら……それこそ『夢のまた夢』で全部終わっちゃうもの」

「姉さん?まって……どこに行くの?」

 

 少女は、夕日に向けて歩を進めていく。石壁もまたブランコから立ち上がり、少女の後を追おうとする。

 

「あれ……?」

 

 だが石壁が歩を進めても、姉との距離が縮まらない。むしろ、その後ろ姿がどんどんと離れていく。

 

「姉さん……?姉さんちょっと待って……」

「だからね、ケンジにはその大きな夢を追いかけて欲しいのよ」

 

 少女は、弟の声に耳を貸す事なく歩いていく。揺らめく夕日に向かう彼女の姿は、段々と朧げになり始めていた。

 

「待って!!姉さん待って……置いて行かないで……ッ!!姉さん……ッ!!」

 

 石壁は必死になって姉に手を伸ばす。だがどれだけ必死に走っても、離れていく背中に追いつく事は出来なかった。

 

「姉さん!!姉さん待ってくれ!!」

「もしも、誰かに自分の夢を否定されたり、笑われたりしても、胸をはって自分の夢を誇ればいいの。そしてそのままーー」

 

 泣きながら手を伸ばす石壁へ向け、少女は振り向く。あの日見た、強い笑みで。

 

「ーー夢へ向かって、真っ直ぐ進むのよ!ケンジ!」

 

 少女の笑みが、光に包まれて消えた。

 

 ***

 

「……あ、夢?」

 

 ふと気がつくと、石壁は工廠の隅のベンチで寝ていた。どうやら明石の話を聞く内に、眠ってしまったらしかった。

 

「あ、目が覚めたんですね。丁度良かった」

 

 明石は石壁が目を覚ましたのに気がつくと、両手にマグカップを持って近寄ってくる。

 

「はい、どうぞ。ホットミルクです」

 

 笑顔で差し出されたそれを、寝ぼけ眼で石壁は受け取る。

 

「ああ、ありがとうーー」

 

 まだ半分寝ている石壁は、明石の機械油がしみついた作業服の匂いに……懐かしい姉の匂いに記憶を想起されてしまった。それが故にーー

 

「ーー姉さん」

 

 ーーほんわかと気が抜けた、少年らしさを残した笑みで、そう明石に言ってしまったのであった。

 

「ーーーー」

 

 明石は、今まで見た事のない表情を浮かべている石壁に、目を皿の様にして固まってしまった。

 

「……はっ!?」

 

 そこでようやく完全に目が覚めた石壁は、今時分が口走った内容に気がついて絶句する。

 

「あ!?ち、ちが!?これは!?」

 

 顔を真っ赤にしてあたふたする石壁を見て、明石は段々にやぁ〜っという猫の様な笑みを浮かべていく。

 

「提督〜〜?もう一回姉さんって言ってもらえますか?ほら、もう一回!」

 

 明石は石壁の隣に座ると、肩に手を回してニヤニヤと笑いながら石壁をからかう。

 

「いやいやいや!?寝ぼけてただけだから!!艦娘を姉扱いする程、僕シスコンじゃないから!!」

「いいんですよ提督?明石姉さんって呼んでも!」

 

 二人がそう言った瞬間、ガシャーンっと何かが落下する。思わずそちらに視線をやると、新城の艦娘の山城が、艤装を地面に落下させて固まっている。

 

「こ、こ……」

 

 山城はぷるぷると震えながら明石を指差すと。

 

「この泥棒あねこ!!石壁は私達扶桑型3姉妹の弟よ!!」

「なにその新しい呼び方!?小野妹子の誤字みたいになってるぞ!?」

「残念ですが提督は明石型の弟の明石壁になりましたので!」

「字面だけだとこっちも型と壁の書き間違いじゃねえか!?無理やりにも程があるわ!!」

 

 石壁の肩に手を回してふふんと得意げな顔をする明石をみて、山城は反対側から近づくと石壁をひっぱる。

 

「離れなさいよ!!」

「いーやーでーすー」

「ちょッ!?まっ!?いででで!?」

 

 手加減されているとはいえ、艦娘の間でひっぱり合いをされる石壁はたまったものではない。

 

「私が先に姉さんって呼ばれたんだから私が姉よ!」

「呼ばせたの間違いでは?私は何も言わなくても呼ばれましたよ?」

「じゃあ貴方も私の妹にするわよ!これで全部解決ね!」

「なにその斬新な脅し文句」

 

 流石に引っ張り合いは不味いと思ったのかすぐに綱引きは終わったが、石壁の頭の上で本人の意志ガン無視で討論が続行される。周辺の妖精さん達はその光景に吹き出しながら、触らぬ神になんとやらと仕事に戻っていく。おおブッタよ、寝ているのですか?

 

(……天国の姉さん。僕を元気づけようと夢に出てきてくれてありがとうございます。お陰で元気になりました。でもどうか次はーー)

 

 グワングワンと揺すられて、視界が真っ白になりだした石壁は天国の姉の顔を幻視した。

 

 

 

 

 

 

 

(ーー血の繋がらない姉二人を、止めてください)

 

 

 

 

 

 

 石壁が意識を失う寸前、綺麗な花畑の向こうに見えた幻覚の姉は「知らんがな」とでも言いたげに、苦笑しながら首を横に振ったのであった。

 

 

 




関係ないけど執筆中予測変換君がしょっちゅうブランコをブラコンに変換しようとして困りました()


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幕間 間宮先生のドキドキ♡個人レッスン

今回は初期艦三人の最後の一人の間宮さんの話になります


 

 その日石壁は執務室でペンを握り、紙に何かを書き込んでいた。

 

「うーん……やっぱダメだな」

 

 石壁の目の前にはぐっちゃぐちゃのサインが大量に書き込まれていた。どれもこれもロクに読めたモノではない。

 

 なんとか判読できるモノでもナ辟臣又十土位の解像度が荒すぎる字体である。

              口土 土 十寸

 

 そんな惨憺たる状態のサインを見て。石壁は大きくため息を吐いた。

 

「最低限『石壁堅持』ぐらいは自筆で書けないと色々不味いんだよなあ……」

 

 何故石壁がこんなことになっているかと言えば単純明快。利き腕が吹っ飛んで左手で字を書いているからである。

 

「あー……クソ……ッ!なんでこう公文書っていうのは、どいつもこいつも手書き手書き手書き手書き!手書きばっかりさせるんだ!」

 

 不平不満が口から飛び出た瞬間、手の中の鉛筆が突如として『砕け散った』。慣れない作業で力の制御を誤ってしまったのだ。

 

「あー!?もうまたかよおお!!」

 

 やってられるか!と言いたげに石壁がペンを放り出す。そこには同じく砕け散った鉛筆の残骸が何本も転がっていた。忘れがちだが石壁の肉体は人外化しておりレンガ程度なら簡単に粉々にできる超パワーを持っているのである。『過ぎたるは猶及ばざるが如し』とは言うが、人類史上空前絶後のスーパー過ぎたる過剰パワー過ぎてマジでどうにもならなかった。

 

「無線電信で本土に『腕吹っ飛んで名前書けないんで署名欄ハンコと拇印でいい?』って聞いたら……『前例がないから確認に時間がかかる。とりあえず手書きでなんとかして』だって???こっちは手が無いんだよバカヤロー!あとこのパターン大体ダメな奴だろチクショー!!!」

 

 キーッ!っと久々に石壁が発狂する。英雄石壁は飛行場姫には勝ててもお役所仕事には勝てないという、悲しすぎる現実であった。

 

「はぁ……はぁ……むなしい……」

 

 一通り発狂した後、一周回って冷静になった石壁が顔を上げると。

 

「あの~~石壁提督……?その、いま大丈夫ですか……?」

 

 手にお盆をもったまま。とっても困った顔の間宮が立っていた。

 

「ーーーー」

 

 今の痴態を見られていたという事態に思い至った石壁はピシリと硬直する。

 

「ま、間宮さん、いつからそこに」 

「えっと、ノックしたんですけど反応がなくて。急に怒鳴り声が聞こえたんで何事かと思って入ってしまいました」

「おう……もう……」

 

 つまり大体全部である。石壁は数分前の自分を死ぬほど恨んだがもう遅い。

 

「だ、大丈夫です。こういう状態なら誰だってイライラしちゃいますからね!ほら、差し入れのアイスクリームです。一緒に食べましょう!」

「う、うんありがとう」

 

 間宮に促されて休憩用のソファの方へと誘導されていく石壁。羞恥心でいっぱいいっぱいだった彼は、間宮の優しみに溢れた対応に流される事にしたのだった。

 

 *** 

 

 怒りと羞恥心と気温的な暑さで茹っていた石壁は、アイスクリームのお陰で大分冷静さを取り戻してきていた。その結果、現状の違和感に気が付き、石壁は間宮へと話を切り出す。

 

「……そういえば間宮さん?今日は君休みじゃなかったっけ?」

「えっと……はい……そうなんですけど……」

 

 間宮はとても言い難そうに、申し訳なさそうに、あるいは少し恥ずかしそうに口を開く。

 

「休みが久々過ぎて、何をすれば良いのか分からなくなっちゃって……」

「本当マジですいませんでした!」

 

 その言葉に即座に頭を下げる石壁。原因に身に覚えがあり過ぎて謝るしかなかった。

 

「ああ!大丈夫ですから!怒ってないですから!」

 

 ここで改めて、この泊地における間宮の仕事について触れておこう。

 

 間宮は兵站管理部門の大黒柱であり、泊地の食糧事情の責任者であり、ショートランド泊地全体のバックアップを続けてきた艦娘である。

 

 大量の食糧を管理輸送できる給料艦である間宮だ。本来であれば食糧関係だけやっていれば良かった筈なのだが、幸か不幸かこの間宮は本当に優秀だった。物資と人員の差配に抜群極まる適正を示し、元々食糧関係の元締めであったことも相まって、あれよあれよという間に仕事がゴリゴリに増えていったのである。

 

「誰かがやらないといけない仕事でしたし。それなら裏方でしか働けない私が最適だったんです。石壁提督の指示は何も間違ってませんでしたよ」

 

 赴任からこっち、ショートランド泊地は常に時間が足りない、人が足りない、戦力が足りない、本土からの私怨はあっても支援は無し。ナイナイ尽くしの地獄のような状態だったのである。そのような状況で使える人材を遊ばせておく理由は一切なかった。各々出しうる力を尽くして足掻き続けた今日までの日々で、間宮は眠っていた管理職の適正がもう抜群に開花しちゃったのである。

 

 日々の糧食の管理だけでもそのタスクは莫大なのに、日用品から武器弾薬の補給網の構築維持管理、オリョールクルージング作戦の物資差配、最近本土から送り込まれた山のような物資の在庫整理等々……どう考えても一個人の身に余り過ぎるタスクを全部請け負っていたのである。

 

 当然だが、石壁も仕事が多すぎるのは重々承知していたので『無理だと思ったら補助に入るからすぐに言ってくれ』と念押しをしたうえで任せたのだが。ここからの間宮の奮闘は凄まじいものだった。

 

「それに私、人に指示を出すのは得意でしたからね!石壁提督から『好きにやって良い』って言われたから案外なんとかなりましたし!」

「それで本当になんとかなっちゃうのは君だけだからね……」

 

 間宮は事前に石壁から『兵站部門に必要になる一切の人事と指揮権を一任する』と大きすぎる権限を託されて(丸投げされて)いた事を利用し、それはもう大鉈を振るいに振るって振るいまくった。

 

 徹底的な効率化と分業化、己の必要最低限の指示で手足のように動かせる組織体制を0から作り上げてしまったのだ。普通この辺りの組織作りや運営ノウハウの指導は大本営から送られてくる大淀の仕事なのだが……この泊地にはそもそも大淀が居ない。居ないのだ。沈没したとかそういう話じゃなくて派遣すらされていなかったのだ。

 

 結果、間宮の間宮による間宮の為の独自的過ぎる組織が形作られ……冗談抜きで間宮抜きで泊地が回らなくなっちゃったのである。

 

 これに気が付いたとき石壁は本当に頭を抱えた。間宮が休めないのだ。月月火水木金金とかそんな次元じゃない。毎週月月【月】火水木金金【金金】位の過剰労働。何度も改善を試みたのだが、次から次へと……本当にもう次から次へと厄介ごとが雪崩れ込んできて、むしろ仕事は増え続けたのであった。

 

 そんなこんなで間宮の有能さに甘えに甘えて甘え続けて、ありとあらゆるリソースを戦場に回す事が出来た石壁達は、本当にギリッギリのラインで飛行場姫を打ち破ったのである。石壁の初期艦にこの間宮がいなかったら、絶対にここまで来れなかった。戦いの土俵にすら上がれずに組織崩壊を起こして壊滅していただろう。

 

「でも今は休めるようになったから大丈夫ですよ。大淀さんがようやく来てくれましたし」

「ああ……うん……」

 

 だがここにきてようやく泊地に大淀がやって来たのである。もちろん大本営が送ってくれた訳ではない。ドロップ艦の中に偶然大淀が居たのである。既に建造限界まで艦娘を増やしたと思っていた石壁だったが、色々あって成長したのか新規のドロップ艦の建造に成功したのだ。

 

 その上新城達の連れてきた大淀が一人、増援としてラバウルから一時的に送られてきた大淀が二人……大淀四人態勢で『なんとか』間宮の仕事を代替することに成功したのである。

 

 ***

 

『石壁提督幾ら何でも間宮さんに仕事を任せ過ぎです』

『艦娘に労働基準法は適用されませんけど、それでも訴えたら勝てますよコレ』

『聞いてるんですか提督?間宮さんだって女の子なんですよ。休ませて甘やかして下さい』

『もっと労わってあげてください。仕事はしばらく私たちがなんとかしますから』

『『『『いいですね石壁提督』』』』

 

 ***

 

 前後左右を四人の真顔大淀に包囲され、正座状態でエンドレス説教を受けた記憶がフラッシュバックする。大淀達は『事情は重々承知しますが……』と、前置きした上でそれでも苦言を呈さざるを得ないという状況であったのだ。

 

 石壁は終始『ハイ』『ハイ』『ソノトオリデス』『マジスイマセン』と同意と謝罪を繰り返すBOTと化し、彼女たちの協力もあってようやく間宮は休暇に入ったのである。

 

 その為仕事に次ぐ仕事で休みの過ごし方が分からなくなったというのは。石壁にとって本気で謝るしかない状況であった。

 

「その……それで僕の所に来たって事は何か良い暇つぶしでも探しているの?」

 

 恐る恐るという感じに石壁が問うと、間宮は苦笑する。

 

「だから怒ってないって言ってるじゃないですか。私お仕事は好きですし……でも何か暇を潰せないかと思ったのは合ってますね」

「う~ん……ショートランド泊地には暇つぶしが出来るような施設が殆ど無いからなあ……」

 

 成立からこっち、殆ど全部戦闘の為の施設しか建ててこなかった弊害であった。

 

「そうなんですよねえ……買い物すら出来ませんし……」

「ううん……ラバウルに頼んで酒保商人(軍の許可を得て商店を経営する商売人の事)の二、三人派遣してもらおうか。といってもすぐに出来る訳じゃないし」

 

 石壁は首を捻りながら考える。

 

「ううん……間宮は何かやりたい事とかある……?僕に手伝える事なら手伝うけど……」

 

 その言葉に、間宮は少し考え込みーー

 

「……それじゃあ。やりたい事が出来たので石壁提督に手伝ってもらっても良いですか?」

 

 ーー少し顔を赤らめて、上目遣いに頼み込んできたのだった。

 

 ***

 

 それから1時間後、鍵のかかった執務室にて石壁は間宮の『お願い』を叶えていた。

 

「ああ、ダメです提督。そんなに力入れちゃ」

「くっ、でも難しくて」

 

 二人っきりの執務室に石壁と間宮の声が響いている。

 

「そう、そうです……そのまままっすぐ進んでください」

「こ、こう?」

「そうです。そのまま、ゆっくり、ゆっくり……そうです。上手ですよ」

「よ、よし……」

 

 しゅるりしゅるりと、二人の衣擦れの音が響く。

 

「あ、失敗した……」

「大丈夫ですよ。もう一回です。頑張れ。頑張れ」

「う、うん」

 

 間宮の腕が石壁の手に重なり、導かれていく。

 

「こっちです……そうです。力を抜いて優しく扱ってください」

「……」

「石壁提督……?」

「ね、ねえ間宮……」

 

 石壁は顔を赤らめて言葉を紡ぐ。

 

「これ……楽しいの……?」

 

 現在石壁はにっこにこの間宮の膝の上に座らされて、書き取りの稽古を文字通り手取り足取り「手伝われて」いた。

 

「はい!とっても楽しいです!」

 

 心底から楽しそうに石壁の左手に自分の左手を重ねている間宮に、石壁は赤い顔で苦笑するしかなかった。

 

「そ、そう……」

 

 本当に楽しいという気持ちは伝わって来たので、石壁は『手伝われる事を手伝う』というよく分からない特殊プレイを再開する。

 

「……折角の休みなんだから、もっと自分の為に使ってくれて良いんだよ?」

 

 本人が楽しんでいる事にどうこういうのは無粋か?とは思いつつも、どう考えても休日にすることではないと石壁は呟く。

 

「……違うんですよ提督」

 

 カリカリと、間宮と石壁がペンを動かす音が響く。

 

「私がやりたいから、こうやって石壁提督を手伝っているんです」

 

 間宮の言葉が真剣さを帯びる。

 

「私は鳳翔さんのように提督の心に寄り添えません。明石さんのように提督を護る道具も作れません」

 

 重ねられた手に少し力が入る。

 

「武蔵さんのように提督と共に戦場に立てません。伊能さん達のように友として在る事も出来ません」

 

 彼女の迷いを表すように、ペンが止まってしまう。

 

「青葉さんのように情報を武器に提督を護れません。鈴谷さん達のように提督の傍で戦えません」

 

 壊れ物を扱うように、間宮の手が石壁の手の甲を撫でる。

 

「工兵の皆様のように防御陣地も作れません。砲兵隊の皆様のように提督の戦術を遂行する事も出来ません」

 

 まるでバラバラになった後繋ぎ合わされたが如く傷だらけのその手を……ほんの数か月前まで存在しなかった傷に指を添わせる。

 

「でも……私だって……」

 

 間宮の声が震える。

 

「貴方を……支えたいんです……」

 

 失われた右腕、その根元に間宮の右手が添えられる。失われた大切な体を嘆くように。いま此処に生きている石壁の存在を確かめるように。

 

「私たち三人は一番最初に貴方に“呼ばれた”艦娘……貴方の魂に最初に寄り添った、同じ道を行く同朋(はらから)……三者三葉に在り方は違っても……根源的な思いは一つです」

 

 それは即ち。

 

「“この人の力になってあげたい”……この世に呼ばれてから今日まで……この思いだけは、揺らいだ事は無いんですよ」

 

 艦娘は己の命の在り方を自ら定める事が出来る。初期艦娘が呼び出した提督の影響を大きく受けるのもこれが原因だ。

 

 石壁と石壁に呼ばれた艦娘達に共通する根源的な特徴は“奉仕者”であることだ。間宮明石は言うに及ばず、唯一の戦闘艦である鳳翔でさえ、本来であれば練習教導艦として使われていた艦であり戦闘向きではない。石壁も、石壁の初期艦たちも本質的に『自分の為に誰かに奉仕する存在』なのだ。

 

 鳳翔も明石も石壁の為に己の限界に挑み、死力を尽くし続けている。それは間宮もまた同じであったという事だ。石壁を支える為に、石壁に足りない部分を全て補う。その覚悟でもって今日まで泊地を支え続けてきたのである。間宮もまた、己の在り方を己で定めているのだ。

 

「なのに……私は……私は……」

 

 結局、貴方を護れない。その言葉を続けようとしてーーーー

 

「間宮」

 

 ーーーー石壁の言葉がそれを遮る。

 

「字の訓練はまだ終わってない」

「……ッ!」

 

 石壁は優しく、温かい声音で続けた。

 

「『手伝ってくれ』……君が頼りなんだ。この年になって字の訓練なんてカッコ悪い所、鳳翔さんに見せたくない」

 

 その言葉が間宮に一番必要であると知っているからこそ、石壁は間宮に頼み込む。その気遣いに、間宮は愛おしさを感じながら返事をする。

 

「……はい!」

 

 もう一度、石壁の手に間宮の手が重ねられた。

 

「私の休日の間に、字を書けるようにして見せます」

「ああ、ありがとう間宮」

 

 再び、部屋にペンが走る音が響く。

 

「間宮、これだけは伝えておくよ」

 

 少しずつ綺麗になっていく文字を見つめながら、石壁は言葉を紡ぐ。

 

「君たち三人の誰か一人でも欠けたら、きっと僕は倒れてしまう。あの日あの時君達を呼び出してからずっと……僕は君達に支えられて立っているんだ」

「……」

「だから……あまり思いつめたり無理はしないで欲しい……心配になる……」

 

 余りにも石壁らしいお願いに、間宮はくすりと笑った。

 

「提督が無理をしなくなったら考えます」

「……善処するよ」

 

 会話はそこで途切れ、後はずっとペンが動く音だけが響いた。

 

 

 

 

 それ以上の会話は、必要なかった。

 

 

 

 

 

 

 




石壁君が大概重たい男なのと同じように
石壁君の初期艦も大体重い女ばっかりだったという話


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幕間 明石「出来ましたよ提督!零式高感度測定器です!」石壁「!?」

(伝説の某スレとは一切関係)ないです


 

 姉を名乗る不審者が一人から二人に増えた翌日の事であった。

 

「出来ましたよ提督!零式高感度測定機です!」

「!?」

 

 唐突にどこぞのSSみたいな(嫌な予感しかしない)言葉を吐きながら室内に入ってくる明石(山城の妹にされた石壁の姉二号)。思考の停止した石壁は残った左腕で湯飲みを持った体勢のまま固まった。

 

「何その唐突な発明品……というか、よく分からないけど……その名前にめっちゃくちゃ寒気がするんだけど???」

 

 心底嫌な予感がするのを堪えてそう問うと、明石は我が意を得たりと言いたげに豊満な胸を張る。

 

「これは過去のデータから推定する事しか出来なかった、艦娘達の能力を可視化する機械です。わざわざ艤装を起動せずとも能力を具体的に計測出来る優れものなんですよ!」

「へえ?話だけ聞くと普通に良い発明じゃん……●カウター的な感じ?」

「ス●ウターではありませんよ!零式高感度測定器です!」

 

 身構えて損したと言いたげにお茶を啜り直す石壁の前に、どう見ても体重計にしか見えない装置を引っ張ってくる明石。

 

「さあ!記念すべき第一号はどうぞ提督が使って下さい!」

「は?」

 

 何言ってんだコイツみたいな目を明石に向ける石壁。明石はふふんと胸を張り説明する。

 

「この機械は人間でもきちんと計測することが出来ますからね。体重とか内臓脂肪とか、提督力とか」

「見た目通り体重計じゃん……ていうか提督力ってなに??やっぱりスカ●ターだよねこれ??」

「もう!細かい事は良いんですよ!早く乗ってください!」

 

 石壁は心底乗りたくないとは思ったが、メカの顔(マッドサイエンティストフェイス)になった明石を前にして嫌だとも言えず、諦めて記念すべき一人目の犠牲者……もとい試験者になるのであった。

 

「じゃあこの機械に乗れば良いんだね……?」

「ええ!ささ、どうぞどうぞ!」

 

 明石の輝く笑顔に押されて、石壁が恐る恐る体重計らしき発明に乗る。するとすぐさま計測が始まったのか、機械がピピピピッっという電子音を奏で始めた。

 

「さーて、提督の体重は……きゅ…90000…!? 100000……110000………バ……バカな……まさか……ま……まだ上昇している………!」

「ねえ、何で聞いたことの無い桁になってんの??設定間違ってない??」

「じゅ……120000……130000…………140000………ま……ま……まだあがっていく……!!! そ……そんな……ッ!?」

 

 やがて計測器が測定限界に達したのか、ピピピピッ!っと警告音を発した後、ボボンッ!!っと煙を吹いて停止した。

 

「……」

「……」

 

 言いようのない空気が室内を包む。

 

「えーっと……提督の排水量は14万トンオーバーとしか分からなかったです、はい」

「まてや」

 

 目を泳がせる明石の肩を掴む石壁。

 

「14万トンてなんだよ!!大和型より重いじゃねえか!」

「えええ!?そ、そんな事言われてもわかりませんよ!むしろどうして提督が艦娘側の基準で判定されるんです!?おかしいでしょ!?実は女の子だったんですか!?銀髪オッドアイな上に実は女の子でしたとか属性盛れば良いってもんじゃないですよ!?」

「ふざけんな僕は男だ!!一度たりともTSしてねえよ!」

「もしかしてホモ(サピエンスではないの)では!?」

「なんだぁ……てめぇ……」

 

 ギャアギャアと言い合う間にも、煙の噴いた部分をテキパキと修理する明石。数分の内に機械は元通りになった。

 

「出来ましたよ提督!零式高感度測定器改型type-secondです!」

「typeと型で意味被ってるからどっちかに統一しろよ!……ていうかまだやるのか」

「当然です!今度は提督力いってみましょう!」

「だから提督力ってなんなんだよ……」

 

 もうどうにでもなーれ。そう思いながら、もう一度測定器に乗る石壁。

 

「さーて、提督の提督力は……きゅ…90000…!? 100000……110000………バ……バカな……まさか……ま……まだ上昇している………!」

「ねえ、何が上がってるの??提督力って具体的に何を指してるの???」

「じゅ……120000……130000…………140000………ま……ま……まだあがっていく……!!! そ……そんな……160000……ッ!?」

「ていうかまた計測器がなんかやばい音だして焦げ臭いんだけど?????天丼はやめーー」

 

 やがて計測器が測定限界に達したのか、ピピピピッ!っと警告音を発した後、ボボボボン!!!と爆発して停止した。

 

「きゃあ!?」

「うおがっ!?」

 

 メーターはバラバラに破砕され、飛散する破片が至近距離の石壁に散弾の様に直撃する。地味に痛い。

 

「ああ!?私のスカウ●ーが!!」

「やっぱりスカウタ●だったんじゃないか!!ていうか、え!?なんなの!?何が起こったの!?」

 

 石壁が目の前で発生した惨劇に戦々恐々としていると、明石は半泣きになりながら説明する。

 

「グスッ……これは、提督の身体能力とかを艦娘に当てはめて計測する機械なんですけど……提督力っていうのは馬力の事でして」

「意外と普通に力だった件……え、馬力……馬力!?」

「ええ、壊れちゃいましたけど大体20万オーバーは固いですね……」

「20万馬力ってなに??鉄腕アト●二人分なんだけど??」

「実際はそれ以上ですから3人分でも可笑しくないですね!」

「いやおかしいから!一人分でも十分可笑しいから!!」

 

 石壁のツッコミに明石はあはははと引き攣った笑いを浮かべて誤魔化す。 

 

「ていうかコレ壊れてたんじゃないのか!?」

「石壁提督!私は技術屋の誇りにかけて完璧に仕上げましたよ!明石の力を信じてください!」

「ここでそのカッコいいセリフは聞きたくなかったなぁ……」

 

 石壁はため息を吐くと、爆死した機械に死んだ目を向ける。

 

「……よくよく考えたら、僕は南方棲戦鬼の内臓が入ってるから……深海棲艦の臓器が原因で計器が狂ったんじゃないか?」

「ハ……ッ」

 

 それを考慮に入れていなかったという顔で明石は手を叩く。

 

「なるほど!では今度は深海棲艦でも測れる装置を作らないといけませんね!早速捕虜の深海棲艦をかいぼ……」

「やめろ!!はいやめやめこの話はこれで終わり!方面軍最高司令官権限で今後この装置は開発禁止だ!!中止だ中止!!この機械はボッシュートでフィニッシュ!!!!」

「ああ!?そんなあ!?」

 

 ガラクタになった体重計モドキを明石から没収した石壁は、明石を部屋から追い出したのであった。

 

「はぁ……普段は本当に頼りになる良い技術者なんだけど……スイッチが入るとああなるのは……もうちょっとこう、どうにかならないもんかな」

 

 石壁はそうため息を吐くと、仕事に戻ったのであった。

 

 

 

 

 

~おまけ~

 

 

これが銀髪オッドアイチートオリ主 石壁堅持の全てだ!

 

石壁Hair:オリ主の証銀髪だ!正直恥ずかしいから黒染しようか迷っているぞ!

 

石壁Eye:オリ主の証2、オッドアイだ!数十キロ先まで望遠できる優れもの!でも背丈が低いから水平線(大体数キロ先)までしか見えないので正直あんまり意味はないぞ!しかも左右で視力が違うから油断すると視界がズレて酔っちゃうぞ!

 

石壁Stomach:滅茶苦茶頑丈で腐った肉でも消化できる最強胃袋だ!ストレス耐性が皆無でしょっちゅうレンコンみたいになって南方棲戦鬼が夜なべして塞いでるぞ!

 

石壁Weight:排水量145600トン!大和型戦艦二隻分の排水量だ!特に意味は無いぞ!

 

石壁Power:艤装展開時は300000馬力!大和型戦艦二隻分の馬力だ!使いどころは一切無いぞ!その上戦艦棲姫の艤装がもう存在しないから実質的に無意味だ!

 

石壁Defense:艤装展開時は大和型戦艦二隻分の装甲!軍用高性能爆薬で爆破された位じゃ死なないぞ!でも艤装が無いから深海棲艦製の砲弾で砲撃されたら普通に死ぬぞ!

 

石壁Innards:おや?なんぽうせいせんきのようすが??

 

 

石壁の肉体関係

鳳翔:魂を共有している。どちらかが死ぬとつられて死ぬ。

 

武蔵:魂が混ざっている。どちらかが死ぬとつられて死ぬ。

 

??:体を共有している。どちらかが死ぬとつられて死ぬ。

 

 

 

 

 




感想欄であった質問
Q修復材で腕生えるんじゃね?
A可能性はあるけど失敗したら反動で石壁が死ぬので無理っす


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幕間 鈴谷の贈り物

 これは飛行場姫との死闘から一週間程過ぎた頃の話である。

 

 この時鈴谷は自室でハーブティーを飲んでいた。対面の誰も座っていない席にはカップが一つ置かれている。

 

「はぁ……」

 

 鈴谷は物憂げにため息を吐くと、そっとソーサーへとカップを戻した。磁器の触れ合う硬質な音が嫌によく響く。

 

「また、護れなかったな……」

 

 晴れ渡る空色の瞳が、後悔という雲に覆われていた。

 

 ***

 

 先の戦闘が終わった直後、鈴谷はすぐさま石壁のいる指揮所へと戻った。

 

「提督!!艦内は完全に制圧したからもう大丈夫だよ!!早く医務室へ……ッ!?」

 

 そこで鈴谷が見たものは、死体となった参謀妖精達の中で石壁が倒れている姿である。

 

 石壁は片腕を失い、皮膚は焼け焦げ、武蔵や妖精達の血で真っ赤に染まっている。死んでいるようにしか、見えなかった。

 

「え……あ……」

 

 全身の血の気が引いて、思考が一瞬だけ停止した。

 

 絶望と後悔と怒りと悲しみが一度にぶちまけられて、世界中から音が消え失せて、己の心音だけが煩い程に頭に響く。

 

「ッ……!?提督!!提督!!!」

 

 鈴谷は半狂乱になりながら石壁に駆け寄ると、うつ伏せで倒れている彼を抱き起こした。

 

「しっかりして……!!お願い、死なないで……鈴谷(わたくし)を置いていかないで!!」

 

 ボロボロと涙を流しながら石壁に叫ぶと、石壁が微かに呻いた。

 

「う……すず……や……?」

 

 薄っすらと両目を開ける石壁。鈴谷は彼が生きている事に心の底から安堵する。

 

「提督……良かった……生きてて……本当によかった……すぐに医務室に運ぶからね」

 

 鈴谷は抱き起こした状態から、そのまま石壁の膝裏へと腕を入れ、横抱きに持ち上げた。 

 

「……あれ、提督、その目」

 

 そこでようやく、鈴谷は石壁の左目の違和感に気がつく。隻眼であった筈のそこに、紅い瞳が収まっていたからだ。

 

「……武蔵から」

 

 石壁は、残った左腕で目元を覆う。

 

「武蔵から……託されたんだ……」

 

 それ以上、石壁は語らなかった。

 

 ***

 

 あの時の記憶を思い出すと、今尚鈴谷の心は曇る。石壁が倒れ伏していたあの瞬間の絶望は……この世に生まれ落ちてから最も深く重い絶望となり、今も彼女の心に突き刺さっているのだ。

 

 鈴谷にとって石壁の存在はとてつもなく重い。提督として、仲間として、戦友として……そして、一人の男性として。鈴谷にとって石壁は命を賭してでも守り抜きたい大切な人なのだ。

 

 そんな提督を、危うく死なせかけたのである。後悔の念は尽きない。

 

「……ああー、駄目駄目、こんなんじゃ駄目だ。しっかりしろ」

 

 ウジウジと後悔をしていてもなんの意味もない。鈴谷は軽く頭を振って無理やり後悔を吹き飛ばすと、カップを片付ける為に立ち上がった。

 

「散歩でもして、気を紛らわせよう」

 

 ***

 

 それから鈴谷はぶらぶらと要塞内部をふらつき、なんとなく石壁の執務室へと向かっていった。なんだか無性に提督の顔が見たくなったのである。

 

「お茶会に誘おっかな。この前の戦い以降一緒にお茶飲んでないし。良いよね?それくらい」

 

 そんな独り言だか言い訳だか分からない言葉を呟きながら執務室に近寄っていると、突如として何かが爆発する音が響いた。

 

「な、何事!?」

 

 その音に驚いた鈴谷は、すわ一大事かと石壁の執務室へと走る。

 

 鈴谷が執務室のある廊下へたどり着くと、丁度扉が開いて明石が放り出された所であった。

 

「やめろ!!はいやめやめこの話はこれで終わり!方面軍最高司令官権限で今後この装置は開発禁止だ!!中止だ中止!!この機械はボッシュートでフィニッシュ!!!!」

「ああ!?そんなあ!?」

 

 真っ白な髪と軍服に焦げ目を作った石壁は、問答無用とばかりに明石を廊下に残してそのまま扉を閉じたのであった。

 

「ああ〜〜私の●カウターがぁ〜〜」

 

 しょんぼり、と言いたげに肩を落とす明石。何がなんだかさっぱりわからない鈴谷は、明石へ声をかける。

 

「あの……明石さん、何があったの?」

「へ?ああ、鈴谷さんいつから見てたんですか!?」

「ええっと、その……」

 

 どうしたものかと思って頭をかきながら、鈴谷は口を開く。

 

「……とりあえず、どっかでお茶でものもっか」

 

 ***

 

「提督の体が艦娘や深海棲艦に近い状態になってる?」

「ええ。そういって差し支えないかと」

 

 鈴谷と明石は、間宮の食堂でアイスクリームをつつきながら会話をしていた。

 

「私が作った機械は艦娘の艤装の技術を流用して作ったモノです。艤装が使えない人は人の基準で、使える人は艦娘の基準で計測するように作られていました。にもかかわらず、測定器は『提督を艦娘側の基準で測定した』んですよ」

 

 明石は眉間にシワをよせながら、アイスクリームをスプーンで掬い取る。

 

「……提督はもう『人間』の枠から逸脱しています。薄々そうなんじゃないかと思っていましたが、今回の事ではっきりしました」

 

 口元に甘味を押し込んで、明石は黙った。口中の甘みとは裏腹に、苦虫を噛み潰したような顔である。

 

「それってやっぱり……南方棲戦鬼の臓器と、武蔵の一件が原因だよね?」

「十中八九、そうでしょうね……出てきた数値は概ね大和型戦艦二隻分相当でしたから。カタログスペックだけなら多分この鎮守府で一番高いですよ、提督」

 

 実際にはそのスペックを活かすことは不可能なので、文字通り宝の持ち腐れなのだが。

 

「提督が艦娘にねえ……」

 

 鈴谷の脳裏に一瞬女装した石壁が浮かぶ。『意外とイケるんじゃないですの?』というどこかの誰かの感想と『いくら何でもないわー』という感想がぶつかって思考が空転する。脳内議論で解釈違いを起こすという器用な真似をしながら、鈴谷はアイスクリームを一口食べた。

 

「……じゃあ提督用の艤装があったら、石壁提督も鈴谷達みたいに海の上走れるの?」

「提督用の艤装ですか?」

 

 その問に、明石はしばし考え込む。

 

「うーん……大和型戦艦の艤装があればあるいは可能かもしれませんが……現状で武蔵以外の大和型戦艦の艦娘が誰もいない上に、その武蔵もロストしちゃいましたからね……」

「あー……残った艤装、艦艇形態だもんねえ……」

 

 泊地にデデンと鎮座する武蔵の船体。これが現存する唯一の大和型の艤装である。だが、持ち主の武蔵が居なくなってしまった為、艦娘の艤装に戻す事が誰にも出来くなくなったのだ。

 

 ちなみに処分するという案もあったが、解体するには手間暇がかかり過ぎる事と、石壁がそのまま残したいと言った事もあって、今もそのまま戦場に置きっぱなしである。

 

「艤装の技術を応用して、一部の機能だけ持たせた『艤装っぽい何か』なら用意出来ない事もないですけど……用途が限定され過ぎて戦場で使うにはちょっと……」

「確かにそんなの持たせて戦場に立たせる訳にはいかないよね……って、いやそもそも戦場に立たせちゃいけないじゃん。あの人泊地の総司令官で、方面軍最高司令官で、中将なんだよ?」

「あ、あれ?確かにそうですよね……あはは、石壁提督と一緒にいると感覚が狂っちゃって困ります」

 

 この件で明石を責めるのは酷というものだろう。石壁はこれまで最前線で敵の親玉と殴り合って死にかけたり、全身を機械に繋いで酷使して死にかけたり、戦艦一隻で戦場に殴り込んで死にかけたりと、酷使無双の戦いばっかりしてきたのだ。中将どころか普通の人としてもアウトオブアウト。やっちゃ駄目な行為のオンパレードである。元から割とガバガバな彼女の判断基準がそれに輪をかけてガバガバのガバになるのも致し方なしであろう。

 

「……ん?」

 

 その時、鈴谷の脳裏に閃くものがあった。

 

「ねえ明石さん、石壁提督用の艤装は無理でも……『艤装っぽい装備』なら作れるんだよね?」

「ええ、限定的に、ですが」

「じゃあさ……こんなのってどう?」

 

 鈴谷は声を潜めて、明石に問いかけた。

 

 ***

 

 それから数日後、鈴谷からお茶会に誘われた石壁が、彼女の部屋を訪れていた。

 

「お邪魔します」

「いらっしゃい。遠慮せず寛いでねー」

 

 いつものように石壁を座らせて、鈴谷はハーブティーを淹れてくる。芳しいその香りに石壁は心が落ち着くのを感じた。

 

 並ぶカップはいつもどおり3つ、石壁と鈴谷と熊野の分である。鈴谷が席についたのを見計らって、石壁はゆっくりとカップを口元へと運んだ。

 

「……うん、相変わらず……美味しい」

 

 最初にこのハーブティーを飲んでから、ずいぶんと多くのモノが変わってしまったが、それでもこのお茶の味は変わらない。石壁はそんな小さな事が、とても嬉しかった。

 

「よかった……」

 

 ホッとした笑みを浮かべて、鈴谷もまたハーブティーを味わう。そんな鈴谷の様子を見つめていると、石壁は我知らず口を開いていた。

 

「……こんな事を言って良いのか分からないけど」

 

 石壁は、カップの中を見つめながら、ぽつりと呟いた。

 

「君が、生きていてくれて……良かった」

「提督……」

 

 温かなお茶で緩んだ感情の隙間から、石壁の素直な思いが溢れた。

 

 南方棲戦鬼との戦いでは熊野が帰らぬ人となった。それと同じように、飛行場姫との戦いで鈴谷が死んでもおかしくはなかったのだ。

 

 本当は、誰にも死んで欲しくない。それが偽らざる石壁の本音だ。だが、それでも石壁は部下を死地に送らねばならない。だから普段、こんなことは部下には絶対に言えないし、言ってはいけないのである。

 

 それでも漏れてしまったのは、鈴谷が死んだあとに、一人この部屋でお茶を飲む己の姿を想像してしまったからであった。余りにも悲しいその想像図(あり得た未来)が、石壁の口を開かせたのである。

 

「……ごめん、口が滑った」

「ううん、大丈夫だよ提督、むしろ……」

「むしろ……?」

「ううん、なんでもない」

 

 鈴谷は若干恥ずかしそうに首を振って誤魔化す。

 

「そうだ提督、実は提督に贈り物があるんだよ!」

「贈り物?」

 

 鈴谷は空気を変えるようにパシンと手を叩くと、立ち上がって戸棚から木箱を取り出した。

 

「はい提督」

「ありがとう……開けても?」

「どうぞどうぞ」

 

 鈴谷から渡された箱は、飾り気のない白木の小箱であった。石壁は鈴谷の許可を得てその蓋を開けた。

「……お守り?」

 

 木箱の中には、『武運長久』と書かれたお守りが収められている。

 

「綺麗なお守りだ……」

 

 石壁は手の中のお守りをじっと見つめた。お守りは白色の布地に、空から紡ぎ出したような青色の糸が編み込まれている。

 

「明石さん達と作った武運長久のお守りだよ。精神的なモノだけじゃなくて、しっかりと効果ある優れものなんだ」

「効果が?」

「うん、提督、そのお守りを握り閉めて『護れ』って念じてみて」

「え、ああ……うわっ!?」

 

 その瞬間、お守りを中心として何か不可思議な力が広がって石壁を包んだ。

 

「な、なんだこれ!?」

「狙い通り上手くいったね」

 

 鈴谷はお守りが機能した事と、石壁が想像どおりの良いリアクションをしてくれた事に笑みを浮かべた。

 

「それはね、艦娘の艤装の技術を流用した防御隔壁なんだ」

「艦娘の技術を?」

「うん。ほら、私達の艤装って、ダメージを一部受け持って体を護ってくれるじゃん」

 

 艦娘の艤装にはダメージを吸収して艦娘を守ろうとする効果がある。ダメージをうけた艦娘の服が消し飛んだりするのはこれが原因であった。

 

「その技術を流用して、防御効果だけをもった簡易的な艤装として作ったのがこのお守りなんだよ。砲撃一発分位ならコレがあれば助かるかもね」

「なるほど……だから僕の為に……」

 

 石壁は先日の戦いで腕を失った時のことを思い出した。もしあの時にこれがあれば、腕を失わずに済んだかもしれなかった。

 

 鈴谷はもう二度とあんなことが無いようにと、このお守りを作ってくれたのだ。石壁はその気持ちが本当に嬉しかった。

 

「……ありがとう、鈴谷。大切にする」

「お守りは大事にしなくても良いから、提督は提督の体を大事にしてね?お守りは作り直せても、提督は作り直せないんだから」

「そりゃそうだ」

 

 鈴谷が冗談っぽく石壁に言うと、石壁も笑って頷いた。

 

 こうして、久しぶりのお茶会の時間は穏やかに過ぎ去っていったのであった。

 

 ***

 

 同時刻、工廠にて。

 

「ふふ、我ながらいい仕事しましたね」

「明石殿」

「うひゃあ!?」

 

 いつのまにか後ろにいたあきつ丸の言葉に、明石が飛び上がって驚く。

 

「な、なんですかあきつ丸さんいきなり……」

「い、いえ、実は……」

 

 普段はきっぱりと竹を割ったような物言いを好む彼女が、今日は何故か口ごもる。

 

「実は食堂での会話を聞いておりまして……その……」

 

 あきつ丸が真っ白い顔を少し赤らめる。

 

「……自分も、伊能提督の為にお守りを作りたいのでありますが」

「……ああ、なるほど」

 

 全てを察した明石は周囲を見回す。ちょうど休憩時間であった為に、他の妖精隊(野郎ども)の姿はない。

 

「……効果としては人間の伊能提督には使えませんが、それでも良ければ、こちらへ」

「……忝いであります」

 

 そのまま二人は工廠の奥へと籠ってこっそりとお守りを作ったのであった。

 

 

〜おまけ〜

 

「……あ、そのお守り、他の誰にも見せないでね。特に鳳翔さんには絶対に見せないで」

「え、なんで?」

「私まだ死にたくない」

「ごめん声が小さくてよく聞こえないんだけど???」

「なんでもない。神秘的なモノはあまり他人に見せたらいけないんだよ!古事記にもそう書いてあるんだから!!イイね!?」

「アッハイ」

 

 顔を真っ赤にして捲し立てられた石壁は、それ以上尋ねることは出来なかった。

 

 

 

 



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幕間 帝国の激震

そろそろ幕間も終わります


 

「臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます」

 

 その日、日本中の放送媒体から、一斉にニュースが流れた。

 

「昨日未明、石壁堅持海軍中将率いるソロモン諸島方面軍が、鉄底海峡攻略作戦を成功しました」

 

 ニュースを聞いていた人々は、その言葉に耳を疑った。

 

「繰り返します。石壁堅持海軍中将率いるソロモン諸島方面軍が、鉄底海峡攻略作戦を成功しました」

 

 あるものは歓喜し、あるものは疑い、あるものは呆然とその言葉を飲み込んでいく。

 

「これにより深海大戦勃発以降、停滞していた戦線が動くことになると予想されます」

 

 騒めきが日本中で広がっていく。

 

「詳しい状況が入り次第続報を出しますが……っと、すいません、今続報が入りました」

 

 画面の向こうが俄かに騒がしくなる。

 

「……戦闘中の記録映像が回って来たそうです。番組内容を変更して、これから記録映像を流していきます」

 

 そういって、画面が切り替わった。

 

「こちらはショートランド泊地の援兵壕になります。我々撮影クルーは石壁提督の許可を得てここで撮影を行っております」

 

 画面から聞こえてくるのは、とある白人男性の声であった。

 

「見てください。あの深海棲艦の数を……大地を埋め尽くす程の深海棲艦の津波を、石壁提督指揮下の防衛線が受け止めております」

 

 大地を埋め尽くす莫大な深海棲艦。その衝撃は凄まじいものであった。本土奪還作戦が終わって以降、本土の人々から戦いの記憶は薄れつつあった。

 

 だが、今も戦いは終わっていないのだと。否、あの当時を遥かに上回る規模の戦いが今も続いているのだという事実が、嫌が応にでも伝わってくる映像であった。

 

「推定ではありますが……泊地に押しよせた深海棲艦の総数は1万強、泊地を半包囲するように数千隻の深海棲艦が展開しています」

 

 1万と数千隻。現実離れし過ぎたその数に、深海棲艦に詳しい人間は眩暈を感じざるを得ない。

 

「昨晩から始まった戦闘はすでに10時間近く継続しています。まもなく夜が明ける時間です」

 

 画面の向こう、水平線から朝日が昇り始める。

 

 次の瞬間、朝日できらめく世界の中に、人影が一つ飛び出していく。

 

 なんだ?あれはなんだ??聴衆がそう感じた次の瞬間。

 

 ーー画面の中心に、世界最強の大戦艦が出現したのであった。

 

 ***

 

 

 帝都の中枢、皇居の一室で、とある老齢の男性が椅子に座していた。彼の傍では直立不動の軍人が、報告書を読み上げていた。

 

「……以上が、鉄底海峡攻略戦の概要です。それに対して世論の反応は極めて激しいモノになっております」

 

 放送テロとでも呼ぶべき、余りにも衝撃的過ぎる戦闘映像の漏出は、世論を混乱の坩堝へと叩き込んでいた。戦場が遠のき対岸の火事となり果てていた戦いが、いきなり全ての国民の元に帰って来たのである。混乱しない方がおかしかった。

 

「恐らくですが……前回の情報戦と合わせて考えれば、石壁提督は真向から大本営に噛みつくつもりです。自らの功績を隠されないように。国民に最前線の現状を見せつける為に……そして、大本営への警告の為に……今回の放送テロを画策したのだと思われます……しかも協力しているのが『あの』英国です。いざとなれば外国への伝手もあるのだと知らしめる意図も見てとれます」

 

 客観的に見て、石壁は大本営と全面的に戦うつもりにしか見えなかった。それだけの決意を、あの放送から感じてしまう。

 

「ご苦労……さがってよい……」

「はっ……ッ!」

 

 全てを聞き終わり、軍人を下がらせた男性は、物憂げに窓の外を見上げた。

 

「……このままでは……国が割れる」

 

 男性は、傍に控えている侍従長へと声をかける。

 

「石壁提督と直接話せる機会を作って欲しい。名目は……そうだな。彼に相応しい勲章を与えよう。帝都に招聘してくれ」

「はい。承知致しました」

 

 侍従長が一礼して部屋を出ると、男性は深く椅子に腰かけてため息を吐く。

 

「……東郷提督のような不幸を……父上の失敗を繰り返す訳にはいかぬ」

 

 男性は部屋の隅の白黒写真へと目をやる。そこには少年時代の彼とその父、そして、一人の男性が写っていた。

 

 少年と共に写る人々は、世に先帝陛下といわれる男性と、第二次世界大戦当時の首相である東郷 忠(とうごう ただし)提督であった。

 

「もし貴方が生きていたら……今の日本を見て一体なんと言うのでしょうね」

 

 ぽつりと零れたその言葉を聞く人は誰も居なかった

 

 ***

 

 在日オーストラリア大使館、の執務室にて、一人の男が喝采を叫んだ。

 

「ははは……おいおいやりやがったよコイツ!」

 

 駐日オーストラリア大使にして、オーストラリア亡命政府長官、ジョージ・マッケンジーは抑えきれない興奮に震える。

 

「鉄底海峡が失われた今、オーストラリア開放は目前だ……俺たちの故郷が……もうすぐ……」

 

 10年にも渡って帰ることが出来なかった故郷への郷愁が、彼の胸を揺さぶる。

 

 帰れる。生まれ育ったあの国へ。そう思うと、思わず彼の瞳から涙が流れ落ちた。メガネを外して目元を抑えるジョージへ、彼の秘書官であるトーマスが話しかける。

 

「そうですね……でも、取り戻された祖国が私達の手に戻ってくる事は……恐らく……」

 

 大日本帝国は南へ南へと拡大していく中で、旧ASEAN諸国を始めとした東南アジア諸国の領土も併呑していったが、未だにその領土は全て大日本帝国の支配下にあった。

 

 現地の旧国民が殆ど残っていない事や、現地へと日本人を移民させ入植を行っている事などから、大日本帝国がそれらの国家を元々の形へ戻すというのは考えがたい事であった。仮に独立するにしても大日本帝国の保護国や衛星国として紐付きになることは避けられないであろう。

 

「深海棲艦に制圧されたままに比べたら、だいぶマシなんでしょうけど……やっぱり……」

 

 トーマスは己の考えが大分甘いものである事は重々承知していた。理性的に考えて、これだけ多くの血を支払って手に入れた国土をそう簡単に手放す筈が無いのだから。

 

「……もう一度、『オーストラリア』という国に帰りたいです」

 

 だが、それでも……と考えてしまうのは避けられなかった。俺たちの祖国を返してくれ、そう願うことを、一体誰が責められようか。

 

「……なあトーマス」

 

 涙で少し汚れたメガネを手元で拭きながら、ジョージがトーマスに声をかける。

 

「戦わずに手に入れる家畜の安寧と、戦って手に入れる幾許かの栄誉……お前さんはどっちが好きだ?」

「へ?」

 

 トーマスは彼の問にしばらく考え込んだ後、答える。

 

「……栄誉、ですかね。誇りで飯は食えませんけど……誇りの為に生きなければ男ではないと思います」

「……そうか」

 

 ジョージはその言葉を聞いて笑みを浮かべると、拭き終わったメガネを掛け直し、立ち上がった。

 

「トーマス、大至急オーストラリア亡命政府の支援団体にアポイントメントをとってくれ。俺は俺の伝で動く」

「は、はい!?急にどうしたんですか!?」

 

 歩き出したジョージへとトーマスが問いかけると、彼はふてぶてしい笑みを浮かべて言った。

 

「お前さん今言ったろ?戦わなきゃ、男じゃないって」

 

 トーマスが扉を開く。

 

「国盗りだ。トーマス。俺たちの祖国を取り戻すんだ」

 

 10年前に止まった彼らの時間が動き出す。

 

 ***

 

 滋賀県某所、新城家邸宅にて。

 

「はは、ついにやっちゃったねえ彼。とんでもない事になるよこれは」

「……笑い事ではありません」

 

 新城家のリビングにて、とある青年が当主である新城忠道に笑いかけていた。

 

「下手をしなくても国家が割れかねません……」

「これで割れちゃったらもう仕方ないんじゃないかな。いい加減、色々と限界だったしね」

 

 青年は、笑いを引っ込めて真面目な顔になる。

 

「場合によっては、君と僕が動かなくてはならなくなる。心底面倒臭いけど、税金で生きている以上責任はとらなくちゃね」

「殿下」

 

 忠道が青年を止める。

 

「貴方は生きねばなりません。腹を切るのは我々年寄りの仕事です」

「……君もそこまで年寄りじゃないと思うけどね」

「そういう話ではございません」

 

 はぁ……と忠道がため息を吐く。

 

「……しかし、彼が英雄か」

 

 ぽつりと青年が呟く。

 

「……似合わないなあ」

 

 そういって青年は、作り笑いではない笑みを浮かべるのであった。

 

 

 ***

 

 

 帝都東京、海軍省、徳素大将の執務室にて。

 

「馬鹿な……」

 

 執務室の主である徳素は、両手にもって広げていた朝刊を握りつぶしながら、呻くように呟いた。

 

「馬鹿な馬鹿な馬鹿な……ッ!!」

 

 ワナワナと震えながら朝刊を破り捨て、徳本は叫んだ。

 

「こんな馬鹿な事があるかあああああああああ!!!」

 

 破り捨てられた朝刊の欠片が宙を舞う。かろうじて判読可能な見出しにはこう記載があった。

 

『ソロモンの石壁、鉄底海峡を攻略!!オーストラリア開放は目前か!!』

 

「ありえん……ありえんぞ……なぜ死なん!!石壁!!なぜ、貴様は死なんのだ!!」

 

 湧き上がる憎悪のままに徳素は叫ぶ。だが、いくら現実を否定した所で石壁は生きているのだ。

 

 いままで徳素は多くの敵を闇に葬ってきた。徳素は軍人として無能で、人として有害で、不道徳の極みの様な毒物だ。だが、政治闘争にかけては並ぶものがない超一流の人物である。そんな彼が潰すと決めた相手を仕損じた事は、今まで一度もなかった。

 

 だが、その徳素の講じた策を一つ残らず叩き潰して石壁は生き残った。否、生き残ってしまった。

 

「まずい、まずいぞ……こ、このままでは……」

 

 徳素からすれば、絶体絶命の危機に何度も追いやってしまった相手が、運命を覆し生き残る大英雄であったと証明されたのだ。そんな相手が自分に対して如何なる感情を向けるかが分からない程、彼は人の心に疎くはない。

 

「ぜ、絶対に報復される……!!」

 

 即ち、報復は不可避であると彼は結論付けた。たった一鎮守府のみで鉄底海峡を打ち破るような英雄達の憎悪が、己へと帰ってくるのだ。徳素の背筋に冷たいものが走る。

 

「どんな手で来る……どうやって……儂を殺しにくる……」

 

 現実的に考えて自分が負けるというのはありえない。だが、石壁は既に二度「ありえない」を乗り越えているのである。そんな化物を相手にすれば、火傷では済まない可能性が非常に高いと徳素は考えた。

 

「……いや、難しく考えるな。下手に複雑な策にすれば破綻の可能性はそれだけ高まる」

 

 そういって心を無理やり落ち着かせた徳素は、とある命令書をとりだす。

 

「殺される前に、儂が貴様を殺してやる」

 

 徳素は、狂気にとりつかれた瞳で笑みを浮かべて、命令書に己の名前を記入した。

 

「これで、これで死なぬ筈がない、死なぬ筈が!必ず死ぬ筈だ、人間ならば!」

 

 石壁への死刑執行命令書に記名したつもりの徳素であった。だが、この命令書が彼の、そして大日本帝国そのものの運命を決定づける事になる。

 

「今度こそ貴様を殺してやる!!」

 

 運命の歯車は回る。物語は再び動き出すのだ。

 

 




ちょっとだけ補足説明
展開的に書きませんでしたが、流された映像はジョン達の発言が抜かれて後入れで補足説明が入れられています。
ジョン達の発言以外の戦場の音声と拾った無線音がほぼノーカットで入っていたと思っていただければ大丈夫です


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幕間 このスレッドは1000を超えました。 新しいスレッドを立ててください。

幕間はこれで終わりです


 

【戦果】鉄底海峡、本当に攻略される【速報】

 

 

1:名無しさん:****/**/**(*)**:**:**.** ID:*****

 

例の石壁提督がやったらしい

 

 

 

2 :名無しさん:****/**/**(*)**:**:**.** ID:*****

 

石壁提督ってこの前南方棲戦鬼討伐したってニュースになってたアイツか?

マジで鉄底海峡突破したの?

 

 

 

3:名無しさん:****/**/**(*)**:**:**.** ID:*****

 

2ゲット

 

 

 

** :名無しさん:****/**/**(*)**:**:**.** ID:*****

 

ネット系記事だと速報出てるな

飛ばし記事か?

 

 

** :名無しさん:****/**/**(*)**:**:**.** ID:*****

 

いや海外系、英国系のメディアにも出てるぞ

 

 

 

** :名無しさん:****/**/**(*)**:**:**.** ID:*****

 

マジか……マジだ

 

 

** :名無しさん:****/**/**(*)**:**:**.** ID:*****

 

飯食ってる場合じゃねえ!!

 

 

 

 

** :名無しさん:****/**/**(*)**:**:**.** ID:*****

 

はいはい大本営発表乙

 

 

 

** :名無しさん:****/**/**(*)**:**:**.** ID:*****

 

いや今回はマジっぽいぞ

駐日オーストラリア大使が大英帝国本国からの祝辞発表してたし

 

 

 

** :名無しさん:****/**/**(*)**:**:**.** ID:*****

 

ソロモンの石壁やるやん!ようやった!

 

 

** :名無しさん:****/**/**(*)**:**:**.** ID:*****

 

つってもあれだけ大規模に援助受ければ普通勝てるんじゃね?

 

 

 

** :名無しさん:****/**/**(*)**:**:**.** ID:*****

 

それだけで勝てるなら大日本帝国はもう深海棲艦を滅ぼしてるわ

 

 

 

 

** :名無しさん:****/**/**(*)**:**:**.** ID:*****

 

軍需関係と海運関係の株価がグングン上がってる。良いぞー上がれ上がれ

(一国民として喜んでいます)

 

 

 

 

** :名無しさん:****/**/**(*)**:**:**.** ID:*****

 

逆!逆!

 

 

 

 

** :名無しさん:****/**/**(*)**:**:**.** ID:*****

 

真面目な話、これってどれ位影響出るん?

教えてエロい人

 

 

 

 

 

** :名無しさん:****/**/**(*)**:**:**.** ID:*****

 

G●●gleマップ開いてアイアンボトムサウンド(≒ガダルカナル島)で検索してみ

あそこが大日本帝国の勢力圏になると

敵の本拠地だと推定されてるハワイ諸島攻略に現実味が出てくる

 

 

 

 

** :名無しさん:****/**/**(*)**:**:**.** ID:*****

 

ホントだ意外と近い。

 

 

 

 

** :名無しさん:****/**/**(*)**:**:**.** ID:*****

 

この戦争勝ったな。風呂入ってくる

 

 

** :名無しさん:****/**/**(*)**:**:**.** ID:*****

 

フラグやめーや

 

 

 

** :名無しさん:****/**/**(*)**:**:**.** ID:*****

 

つっても本当にハワイ攻略するならあと一つか二つ位は敵の勢力圏制圧しなきゃならないよな

東進して南方からハワイ行くか、北進してマーシャル諸島やミドッドウィエーあたりから攻めるか

あるいは逆に一旦放置してニュージーランドあたりを攻略するのもあり、豪州を包囲出来る

 

 

 

** :名無しさん:****/**/**(*)**:**:**.** ID:*****

 

ちくわ大明神

 

 

 

** :名無しさん:****/**/**(*)**:**:**.** ID:*****

 

ああそれで急に大英帝国がアップしてきたのか

オーストラリアは英連邦のだぞっていうアピールね

 

 

 

** :名無しさん:****/**/**(*)**:**:**.** ID:*****

 

誰だ今の

 

 

 

 

** :名無しさん:****/**/**(*)**:**:**.** ID:*****

 

ミドッドウィエーってなんだよ

 

 

 

 

 

 

** :名無しさん:****/**/**(*)**:**:**.** ID:*****

 

ミドッドウィエーは草

 

 

 

 

** :名無しさん:****/**/**(*)**:**:**.** ID:*****

 

口に出して読みたい日本語、ミドッドウィエー

 

 

 

 

 

** :名無しさん:****/**/**(*)**:**:**.** ID:*****

 

 

話戻すけど、オーストラリア攻略しても英国に返す義理は無くね?

実際に血を流して取り戻したのはウチじゃん

後からしゃしゃり出てきて返せって図々しいだろ

 

 

 

 

** :名無しさん:****/**/**(*)**:**:**.** ID:*****

 

まあ「知ったことか」で突っぱねる事は出来るよ?

ただ完全につっぱねると英国との関係はかなり悪化するし

戦後の国際社会の中で孤立する可能性が高い。

最悪の場合、第三次世界大戦につながる可能性もある

 

 

 

 

** :名無しさん:****/**/**(*)**:**:**.** ID:*****

 

とはいってもウチには艦娘達がいるし、普通に戦争しても負ける気せーへんぞ

Vやねん大日本帝国!風呂入ってくるわ!

 

 

 

** :名無しさん:****/**/**(*)**:**:**.** ID:*****

 

だからフラグやめーや

後、世界中から核ミサイル飛んで来たら艦娘死ななくても一般人は死ゾ

 

 

 

** :名無しさん:****/**/**(*)**:**:**.** ID:*****

 

やっぱ戦争あかんな!世の中ラブ&ピースや!(手の平スクリュー)

 

 

 

 

** :名無しさん:****/**/**(*)**:**:**.** ID:*****

 

まあ現実的な落としどころはなんらかの権益確保して返還やろうなぁ

オーストラリア鉱物資源とかめっちゃあるしな

 

 

** :名無しさん:****/**/**(*)**:**:**.** ID:*****

 

戦争まだ終わってねーぞ油断すんな

前回の南進も途中でポシャったの忘れんなよ

 

 

 

** :名無しさん:****/**/**(*)**:**:**.** ID:*****

 

まあ石壁提督いれば大丈夫じゃないか?

南方棲戦鬼と飛行場姫討伐してるし、このまま勢いで行けるやろ

ソロモンの石壁さん頑張れー

 

 

 

 

** :名無しさん:****/**/**(*)**:**:**.** ID:*****

 

おい、なんか石壁提督片腕吹っ飛んでる上に白髪になってるんだが

(ニュースサイトのURL)

 

 

 

** :名無しさん:****/**/**(*)**:**:**.** ID:*****

 

そうはならんやろ

 

 

 

** :名無しさん:****/**/**(*)**:**:**.** ID:*****

 

なっとるやろがい!!

 

……いや乗っといてなんだけど、マジでなんで白髪になってるんだ??

 

 

 

** :名無しさん:****/**/**(*)**:**:**.** ID:*****

 

片腕失う位大変な戦いやし……まあその……

 

 

 

** :名無しさん:****/**/**(*)**:**:**.** ID:*****

 

方面軍の最高司令官ってそこまでボロボロになる仕事なのか

 

 

 

 

 

** :名無しさん:****/**/**(*)**:**:**.** ID:*****

 

日本海海戦の東郷提督みたいに艦橋で陣頭指揮とって砲撃でも喰らったんじゃねえの

というか東郷提督なんであの状況で無傷なんだよ。息子の方もヤバいしあの親子どうなってんだ

 

 

 

** :名無しさん:****/**/**(*)**:**:**.** ID:*****

 

陣頭指揮で片腕吹っ飛ぶのは分からんでもないが

苦労で白髪にってそんなファンタジーな事ある訳ないだろ常識的に考えて

毛染めして苦労アピールしたんじゃないの?

 

 

 

 

 

** :名無しさん:****/**/**(*)**:**:**.** ID:*****

 

ファンタジーがどうとか、それ艦娘見ても同じこと言えんの?

 

 

 

 

** :名無しさん:****/**/**(*)**:**:**.** ID:*****

 

正直すまんかった

 

 

 

 

** :名無しさん:****/**/**(*)**:**:**.** ID:*****

 

とりあえずまだ片目と片腕と両足あるからあと4回は戦えるな

もうちょっと頑張れ

 

 

 

** :名無しさん:****/**/**(*)**:**:**.** ID:*****

 

流石にその反応は畜生すぎて引くわ

 

 

 

 

** :名無しさん:****/**/**(*)**:**:**.** ID:*****

 

提督って可愛い艦娘に囲まれて羨ましいし、正直爆発してほしい

 

 

 

 

 

** :名無しさん:****/**/**(*)**:**:**.** ID:*****

 

流石にこんだけ頑張ってる奴なら許してやれよ

 

 

 

 

* :名無しさん:****/**/**(*)**:**:**.** ID:*****

 

良いよね、艦娘。俺金剛ちゃん好きだわ。あのエセ外国人っぽい感じが好き

 

 

 

 

 

* :名無しさん:****/**/**(*)**:**:**.** ID:*****

 

アレ演技だぞ。ソースは俺。以前うちの店に来た金剛、思い切り荒いべらんめえ口調で相方の黒人をひっぱたいてたぞ

 

 

 

 

 

 

** :名無しさん:****/**/**(*)**:**:**.** ID:*****

 

あー、うちにも来たわ。ドレッドヘアの黒人と一緒のやつだろ?お年寄りにぶつかって怪我させたのに謝りもしないチンピラ締め上げてたなあ。

ものすげえ剣幕と殺気で心臓止まったわ。見た目が可愛くてもあれは生粋の益荒男だゾ

 

 

 

 

 

** :名無しさん:****/**/**(*)**:**:**.** ID:*****

 

成仏してクレメンス……

でも人は見かけによらないんだな。じゃあニュースとかに出てくる金剛はそれようにキャラ作ってんのか

 

 

 

** :名無しさん:****/**/**(*)**:**:**.** ID:*****

 

キャラづくりしてるとか失望しました。

那珂ちゃんのファン辞めます

 

 

 

 

 

 

 

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なんでや!那珂ちゃん関係ないやろ!!

 

 

 

 

 

 

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流石にべらんめえ口調は嘘だろw

 

 

 

 

 

 

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おい大日本放送局で臨時ニュース入ったぞ

 

 

 

 

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TVで臨時ニュース入ったって事はいよいよもって真実っぽいな

 

 

 

 

 

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ってなんか様子おかしくね?

 

 

 

 

 

 

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は??記録映像??

 

 

 

 

 

 

 

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おい、海外の放送局が複数のサイトにライブ配信でこの前の飛行場姫との戦いの映像流してるぞ。

 

 

https://**********

 

 

 

 

 

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TVでもいろんな放送局とかネット配信で一斉に流れ始めたぞ

 

 

 

 

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は?そんな機密情報流れるわけ……ほんまや……

 

 

 

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なんだこれ、見渡す限り一面深海棲艦じゃねえか

 

 

 

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要塞に籠もって迎撃してるのかこれ?

 

冗談だろ??

 

 

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あ、日の出が……あ????

 

 

 

 

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は……????

 

 

 

 

 

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大和が空から降ってきたんですが????

 

映画の宣伝か何かかこれ????

 

 

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マジレスするとこれは武蔵

 

それ以外はまったく意味不明だが

 

 

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主砲一斉射撃えっぐ……深海棲艦が一斉に吹き飛ばされたぞ……

 

 

 

 

 

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ヒャッハー!!やっぱり戦艦は最高だぜえ!!

 

え、新作映画の宣伝じゃないのこれ???

 

 

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めっちゃくちゃ集中砲火浴びながら戦ってる……甲板上で大勢の人……人だよなこれ……?倒れまくってるけど……

 

 

 

 

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艦橋がべっこんべっこんになってるな……

 

 

 

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なあ……これもしかして中に石壁提督いる??

 

 

 

 

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いやいやいや、流石に無いだろ!!

 

いくらなんでもこの場所に突っ込むとか馬鹿すぎるわ!!

 

 

 

 

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でもこの数相手だと無茶やらないとかてなさそう……あ、艦橋の上半分が吹き飛んだな

 

 

 

 

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あ、撮影版のトランシーバーが無線の電波受信してる

 

って、やっぱり石壁提督中にいるんじゃねえか!!

 

 

 

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うっそだろおい

 

 

 

 

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方面軍の最高司令官が最前線で死にかけてるとかどうなってんだこの国

 

 

 

 

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いや……これ覚悟決め過ぎだろ……不退転ってレベルじゃないぞ

 

 

 

 

 

 

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石壁提督の叫び聞いてて鳥肌たったわ

鬼気迫るってやつ……?

人間ってここまで気迫のある声出せるんだな

 

 

 

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そらこんな場所に居たら片腕もげるわ……いやむしろよく生きてたなホント

 

 

 

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いやこんな口上ぶちまけたら逃げたくてももう逃げられないだろ……案の定敵が大和に群がってるし

 

 

 

 

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武蔵だっていってんだろダラズ

 

 

 

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あ、砲台が大爆発おこした!?

他の砲台も沈黙してるし、ヤバいんじゃね??

 

 

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オイオイオイ

死んだわアイツ

 

いやほんとに大丈夫なの??生き残ってるんだから大丈夫なんだろうけど大丈夫なの????

 

 

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もう戦艦の四方全部深海棲艦しかいねえぞ……って、なんか飛んできて……あ?????

 

 

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え、なにこれ、砲撃??ミサイル???

深海棲艦じゃないよねこれ??

味方から撃たれてない???

 

 

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ウッソだろコイツ、自分が乗ってる戦艦囮にして纏めてぶっ叩くのが目的だったのか!?

 

 

 

 

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正気の沙汰じゃねえ

 

 

 

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う、うわぁ……ここまでやらんと勝てないのか……

 

 

 

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ヒェ

 

 

 

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ホントよく生きてたなコイツ

 

 

 

 

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あ、TVは映像終わった

 

 

 

 

 

 

 

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流石にやばいって報道規制入ったなこれ。

まあ何もかも遅いけど

 

 

 

 

 

 

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ネットの方は普通にみられるぞ

 

 

 

 

 

 

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いろんなサイトが一斉に停止されられてるけど拡散スピードが速すぎて追い付いてないな

 

 

 

 

 

 

 

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Tubuyaita-の方にも拡散してるぞ

 

 

 

 

 

 

 

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まあこれはもう、隠すのが間に合わんよ

 

 

 

 

 

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それより方面軍の最高司令官ってここまでやらないといけないの……?提督ってここまで命張る仕事なの……?

 

 

 

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元提督だけど流石にこれは無い

相応に危険だし命を張る仕事だけどここまでやるやつは居ない

これを基準にするのはやめてくれ

 

 

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元同期だけど、石壁提督短期間に修羅場経験し過ぎだろ……

 

 

 

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お、提督さんチーッス

 

石壁提督ってやっぱりすごい人なん?

 

 

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優しくて真面目で人当たりの良い狂犬

気に入らない事には真向から噛みつくタイプの人だったよ

今年の春先に上官のメンツを踏み潰すような事しでかして士官学校卒業前に左遷されたって噂

 

それが気が付いたらこんなことになってて俺もよく分からん

 

あと多分今回の放送は色々軍機に引っかかるから

大本営に全力で喧嘩売ってるとしか思えない

 

 

** :名無しさん:****/**/**(*)**:**:**.** ID:*****

 

やばい(確信)

 

 

 

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やばすぎワロタ

 

 

 

 

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なんなのその人???強権に楯突かないと死んじゃう病なの???

 

 

 

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反骨精神の擬人化

 

 

 

 

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魏延かな???

 

 

 

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絶対諦めないマンなのはさっきの映像みても明らか

 

 

 

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英雄っていうのはこういう尖ってるヤツしかなれんのかな

 

 

 

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尖りすぎだろjk

 

 

 

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むしろ尖ってない場所ある??

強化合金性の殺人ウニでしょこれ

 

 

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なんだか知らんがとにかくよし!

 

 

 

 

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でも現代でこんなマジモンの英雄見られるなんてなあ

歴史の節目って感じがするわ。

 

 

 

 

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だな。いい加減、戦争も飽き飽きだし、英雄様にはなんとか戦争勝ってほしいわ

 

 

 

 

 

 

 

 

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っと、そうこうしてるうちに1000になるな

 

 

 

 

 

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1000なら戦争は今年中に終わる

 

 

 

 

 

 

 

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1000ならVやねん大日本帝国

 

 

 

 

 

 

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1000なら深海棲艦との戦いが終わる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1000:名無しさん:****/**/**(*)**:**:**.** ID:*****

 

 

 

 

1000なら石壁提督が爆発する

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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タイトル:艦これ戦記 ソロモンの石壁 カチャカチャ  

名前:

内容

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

タイトル:【第三部】艦これ戦記ソロモンの石壁【開幕】 カタカタ

名前:

内容:

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

タイトル:【第三部】艦これ戦記 ソロモンの石壁【開幕】 

名前:鉄血☆宰相       

内容:最終章、始まります   カタカタ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【新規スレッド作成】 カチッ

 

 

 

 

 

 

 

 



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第三部 プロローグ 歴史の大河の中で

記念すべき投稿100話目に第三部のプロローグを投稿できたことを嬉しく思います。
ここまで来れたのは、偏にここまで応援してくださった皆様のおかげでございます。
色々と至らない点ばかりではございますが、完結に向けて精一杯頑張りますので、どうかこれからも拙作をよろしくお願いいたします。


 

 遥かな未来のとある教室に、授業の終了を示すチャイムが鳴り響いた。

 

「おっと、今日はここまでにしよう。皆お疲れ様」

 

 授業を終えた男性教諭が職員室へ帰ろうとすると、とある女生徒が彼を捕まえて質問をする。

 

「先生、少し質問してもいいですか?」

「なんだい?」

「テレビで、石壁提督の功績になっている事の多くが、実は石壁提督の功績じゃないものが混ざっていると聞いたんですが。どうなんでしょうか」

 

 女生徒のその問に、教諭は頷いて教科書の石壁について記述されている項目を開く。

 

「そうだね、その意見は、正しいとも言えるし、正しくないとも言える」

「というと?」

「例えば教科書の此処を見てほしい、『石壁提督は群狼作戦を通して政治工作を行い、大日本帝国を揺さぶりをかけた』と記述されているが、厳密にはこれは彼の部下達が独断で行った内容であり、石壁提督はそれを追認、利用しただけだったと言われている。だけど実際に記述されているのはたったこれだけであり、多くの人もこれが正しいと思っている」

 

 男性教諭が指し示した場所を女生徒が見つめる。

 

「では聞くが……ここまでの話を踏まえた上で、君はこの記述は『間違っている』と思うかい?」

「えっと……事実と違うなら、間違っているんじゃ?」

 

 女生徒の答えに教諭は頷く。

 

「うん、確かに間違っている。だけど、これはこれで間違いじゃないんだ」

「間違っているけど、間違いじゃない?」

 

 意味が分からないという女生徒に、男性教諭は穏やかに続ける。

 

「石壁提督は確かに大勢の人達の力を借りて事を成した。だけど、それは逆説的に彼が大勢の人達に力を貸してもらえる程の人物であった証左でもあるんだ」

 

「大勢の人たちの行為が石壁提督の功績になっているのは、彼が仲間の行為に対してちゃんと責任を取っていた事を意味する。自分以外の行動に責任を持つというのは、当たり前のようでとっても難しいんだよ」

 

 言うは易し、行うは難し。部下の行動に責任を持てる上司しか居ないなら、世の中はもっと生き易くなる筈である。

 

「君にはまだ分からないかもしれないが……功績は行動を起こした個人に帰属し、名声は責任を負った責任者に帰属する。個人の功績に適切に報いる責任者が、その対価として名声を得るんだ。一見ずるいように見えるけど、石壁提督は部下の行動の責任をとったから、こうして彼には己の行動以上の名声が残ったんだ」

 

 教科書にのっている石壁の功績を一つ一つ指でさしながら、教諭は続けた。

 

「そして……全ての行動に責任をとったからこそ……彼には、それだけ汚名が多いんだよ」

 

 

 その時、開いていた窓から風が舞い込み、誰かの教科書が風に煽られて捲られ始めた。

 

 時代を早送りするように、歴史の教科書が捲られていく。

 

 

【大東亜戦争】【大東亜共栄圏成立】【絶対国防圏の防衛成功】【東郷提督の死】【痛み分けの日米講和】

 

 

 

 

 第二次世界大戦を超え

 

 

 

 

【勝者なき講和条約】【戦後大日本帝国】【日米同盟】【国共内戦】【中華民国の勝利】【朝鮮戦争】【日米連合軍仁川上陸作戦】【史上初の核攻撃】

 

 

 

 戦後世界を歩み

 

 

【高度経済成長】【財閥経済の固定化】【南北統一】【EU成立】【東西冷戦】【大英帝国から英連邦へ】

 

 

 新たな世界秩序が作られ

 

 

【バブル景気】【プラザ合意】【バブル崩壊】【開かれた鉄のカーテン】【失われた20年】

 

 

 そして世界は混沌へと陥る

 

 

【深海大戦勃発】【本土奪還作戦】【終わらない戦争】【南方棲戦鬼討伐】【揺らぐ大日本帝国】【超大国の歪】【鉄底海峡攻略】【最後の英雄】

 

 

 既に歴史となった石壁達の、戦いの記録の行きつく先へーー

 

 

 

 

 

 

 

【大日本帝国が滅んだ日】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーー時計の針は、巻き戻る。

 

 

 

 



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第一話 勝った!第三部完!

第三部のショートランド泊地は順風満帆です!


 

 

 

 

「この戦い、僕達の勝利だ」

 

 

 

 

 鉄底海峡攻略作戦成功から、一月を過ぎた頃。会議室の議長席に座る石壁が、そう言って笑みを深くした。

 

「具体的には……あきつ丸、戦況を説明してくれ」

 

「は!まずはこちらの海図を見て欲しいであります!」

 

 そう言うと、あきつ丸は海図を指差した。

 

 地図には、史実における大日本帝国の最大拡張範囲から大きく拡大した勢力図が描かれている。

 

「前回の鉄底海峡決戦の結果、我々ショートランド泊地はソロモン諸島を完全にその制海権に収めたであります。それから地固めと平行して敵の反攻作戦を警戒しながら、無理のない範囲で勢力圏を拡大して来たであります」

 

 地図の上の勢力圏をしめす円は、ソロモン諸島南東部、オーストラリアの東方へむけてアメーバが体を伸ばすように穏やかに伸びている。

 

「その勢力圏がついに、深海棲艦の本拠地であると想定されるハワイからミッドウェー、そしてオーストラリアに至る敵シーレーンを分断する位置まで至ったであります。そして同時に、海域全体が人類へと取り戻された事により、鉄底海峡を中心とした深海棲艦のリポップポイントが軒並み沈黙。完全なる『浄化』が行われたと見て間違いないであります」

 

 

 その言葉に、会議室の面々は笑みを深めた。

 

 

「オーストラリア方面の深海棲艦は近海の支配領域をほぼ喪失。戦力に大規模な補充が行われる事は以後なく、後背地とのシーレーンは完全に絶たれて完全に孤立。奴らはその戦略的価値を喪失したに等しい状況になったであります……つまりでありますね……」

 

 あきつ丸もまた、堪え切れない笑みを浮かべながら、続けた。

 

「我々ショートランド泊地が、ほぼ独力でオーストラリアを開放したに等しいのであります……!!」

 

『おおおおおおおお!!!!!!!』

 

 瞬間、会議室に歓声が溢れた。ショートランド泊地は設立の当初から現在に至るまで、その歩んできた旅路は苦難の連続であった。

 

 だがここにきてようやく、石壁達の苦労は報われたのである。この喜びようも、致し方ない事である。

 

 会議室に満ちる高揚感が落ち着くには、しばしの時間が必要であった。

 

「……さて、話を戻すよ」

 

 そういって、石壁は地図を指差す。

 

「オーストラリアと深海棲艦の連絡路をたったことは既にオーストラリア亡命政府経由でレジスタンスに連絡してある。ここから先のオーストラリア開放は最早消化試合に近い。東南アジアにおける戦いはほぼ終結したと見ていい」

 

 オーストラリアは最早人類に取り戻されたに等しくなった。この事実を知った大陸内陸部に逃げ込んでレジスタンスとして戦っていた旧オーストラリア政府軍の残党達は俄に勢いづき、海から艦娘が、内側からオーストラリア軍が海岸線に陣取る深海棲艦を締め付けているのが現状である。

 

 当然、石壁達は敵の反攻作戦を常に警戒しながら戦っていた。だが、いくら待っても敵が来ない。ジワリジワリと支配領域を拡大し、敵の反攻作戦を待ち構えていた石壁達は、肩透かしを食らった様な気持ちになりつつオーストラリア包囲網を完成させたのである。

 

 これによって遂に鉄底海峡は完全に浄化され、深海棲艦の根拠地としての機能を喪失し、ただの海峡へと戻ってしまった。

 

 事ここに至っては、最早深海棲艦が反攻作戦による鉄底海峡奪回を行う戦略的理由は無くなってしまった。今仮に反攻作戦を開始したとてしも、手に入るのは既にただの海峡へと変貌したソロモン諸島の一部のみである。

 

 石壁の言は、この事を指している。

 

 

「しかし解せん……何故に奴ら、攻めて来なかったのだ?」

 

 伊能の呟きは、この場の皆の疑問を代弁するものであった。

 

 

「常識的に考えるならば、奪回作戦が割に合わないと判断した。と言った所だと思うが……無尽蔵の戦力をもつアイツラが、そんな事を躊躇うものだろうか……」

 

 

 新城はそう言いながら腕を組み、考え込んでいる。

 

 

「案外、準備不足で即座に動かせる艦隊が無かった!なんてお粗末な理由だったりしてな!」

 

 ジャンゴがそう言いながら笑うと、室内に穏やかな空気と笑いが溢れた。

 

「ははは!まっさかぁ!もしそれが理由だったら鼻からスパゲッティ食ってやるよ!」

 

 石壁はそう言いながら笑った。

 

 

 

***

 

〜一方その頃、深海棲艦の本拠地ハワイ島、大深海*〜

 

*深海棲艦側の大本営

 

 

「なんで即座に動かせる戦略規模の大艦隊が一つも無かったんだ!!!!ふざけてるのか貴様等ああああああ!!!!!!!!」

 

 ハワイ方面軍総司令官の戦艦水鬼は激怒しながら卓上に拳を叩きつけた。まさかのジャンゴ大正解、石壁くん鼻スパ決定である。

 

「仕方ないでしょ!!!まさか"あれだけガチガチに防御を固めた"。"身内からも戦力過多だって突っ込まれるほどの重防御と大戦力を兼ね備えた""闇夜っていうバフモリモリの反則級要塞"が落ちるなんて思わないでしょうが!!!!」

 

 それに対するのは、今や対人類戦線の最前線と化したミッドウェー方面軍総司令官の中間棲姫だ。

 

「それにしたって……即座に行動に移せる戦力が殆ど居ないって職務の怠慢だろうが!!」

 

「アーアーきこえなーい」

 

 痛いところを突かれた中間棲姫はあらぬ方向を向きながら聞こえないふりをしている。

 

 オーストラリア方面軍が戦略レベルで劣勢であるにもかかわらず、深海棲艦の援軍が一向にやって来なかった理由……それは『怠慢と慢心』につきた。

 

 深海棲艦の最も恐ろしい点、それは何度轟沈しても根拠地さえ無事なら無限に等しく戦力が『湧き出る』事だ。

 

 その特性故に、深海棲艦は大きく油断していたといえる。『鉄底海峡さえ無事なら絶対に押し返せる』という常識にあぐらをかいて後背地における予備戦力の編成を怠っていたのだ。つまり前線地帯と本拠地の間に、即座に投入できる戦略規模の部隊が存在しなかったのだ。

 

 そのツケが、今回の深海棲艦の一大根拠地であった鉄底海峡の陥落による、深海棲艦の勢力圏の大きな縮小であった。

 

 仮にミッドウェー周辺に大規模な予備戦力があったならば。鉄底海峡陥落の直後にその部隊を叩きつける事で石壁達のオーストラリア進行を遅らせる事が出来ただろう。奪還までは至らなかったとしても、最悪オーストラリアの実質的陥落は防げたはずだった……だが、泥縄式の対応がその全てをダメにしたのだ。

 

 現状を仮にガンダムで例えると『ジオン軍がソロモン要塞がおちる事を想定せず、気が付いたらドズルが戦死していた為、ア・バオア・クーにすらまったく部隊を配置して居なかった』ぐらいの油断具合だと思えば良い。当然、その様な状況では反抗作戦など出来るはずもなく、急ピッチで防衛戦力を準備する事が優先されたのである。

 

 結果として深海棲艦の前線基地はソロモン諸島からミッドウェー島周辺に縮小し、現在は戦力の再編成を急いでいる所だった。

 

「おちおちおちおおおっちちちちちちつきなささいよふふふ、二人共」

 

 まさしくガクブルという表現が当てはまる程動揺の極みにある深海棲艦空母機動部隊統括艦、空母棲姫が喧嘩を仲裁する。

 

 

「お前がおちつけ!ビビりすぎだろうが!」

「ビ、ビビってねーし!これ武者ぶるるるるいだし」

「アンタのはもう武者震いっていうかただのバイブレーションじゃない!この激震棲艦が!!」

「な、なにその異名……強そう」

 

 以後暫くの間会議は罵り合いに終始し、深海側の大混乱が収まる気配がない為、そろそろ石壁君達に視点を戻そう。

 

 ***

 

「元々、人類側に天秤は傾いて来ていた。だが、今回の作戦の結果天秤は完全に『こちら側』へ傾いたと言って良い」

 

 伊能は、そういい切る。

 

「既にショートランド泊地の要塞は復旧している。仮に敵の大反攻作戦が発動したとしても、真正面から迎え撃つことが可能だ。もう一度ここまで押し返されたとしても、石壁が指揮するなら負ける事は無いだろう」

 

 新城はそう言いながら表情を緩めた。こっちに来てから気の休まらない激動の日々だったが故に、戦略レベルでの優勢が間違いないというのは、彼の胃痛を和らげる最高の胃薬であった。

 

「まあ、現状は戦略ゲームならマップの3分の2を制圧したくらいの状況だし。油断なく順当に押していけば、最終的にはなんとかなるだろうさ」

 

 野球なら『勝ったな、風呂入ってくる』と、安心して言える局面だと言えるだろう。『負けるきせーへん地元やし』でも良いかもしれない。

 

「で……目下の問題はこっちだ」

 

 そういうと、石壁は本土からの命令書へと視線をやる。そこにはこう記載してあった。

 

「『勲章授与式の為に本土へ一時帰還せよ』か……」

 

 ソロモン諸島を解放し、豪州遮断によるオーストラリア解放にも目途が立った事で、石壁の名声は否が応でも高まっている。これに対して勲章を授与しようという動きが出てきたらしく、戦意高揚の名目で大々的に授与式が行われる事になったのである。石壁は授与される勲章についての記載を見て冷や汗を流す。

 

「こ、功一級金鵄勲章(きんしくんしょう)……」

 

 金鵄勲章……それは大日本帝国唯一の武人勲章であり、最高級である功一級から功七級勲章まで存在する。功七級まで下がってくれば授与者は太平洋戦争だけで60万人程おり、名誉ではあるがそこまで驚く事ではない(一般兵卒レベルで見れば別だが)。

 

 だが、功一級まで上がるともう次元が違う。

 

「これで石壁は東郷平八郎や山本五十六と並び称される軍人になったわけだ。俺も嬉しいぞ」

 

 そう、この勲章を授与されるのは東郷平八郎元帥の如く。『少し戦史をかじった事があれば絶対に聞いたことがある』レベルの軍人にのみ授与される凄まじい勲章なのである。この勲章が作られてから太平洋戦争が終わるまでに授与された総数は40個程、史実太平洋戦争の海軍軍人に限ればたったの五人だけだ。

 

 山口多聞中将、山本五十六元帥海軍大将、古賀峯一元帥海軍大将、南雲忠一海軍大将、有馬正文海軍中将……誰もかれも大物極まる軍人ばかりである。この勲章を授与されるという事は即ち、彼等と比肩しうる軍人であると証明されたに等しい。

 

「いや……でも流石に功一級は盛り過ぎじゃ……」

 

 石壁は顔が引き攣るのを感じる。石壁からしてみればちょっと強くなったと思ったら『彼はヘラクレスと同等の剛力だ!』と大々的に賞賛されたような気分だ。『幾らなんでも比較対象にソレ持ってくるなよ名前負けにも程があるだろ』と頭を抱えたくなる事態であった。

 

「いやいや。石壁提督の功績ならそれくらい可笑しくないでありますよ」

 

 ニヤニヤと笑うあきつ丸は、石壁が自分たちの目論見通り巨大な名誉でアップアップになっているのを楽しんでいた。

 

「南方棲戦鬼・飛行場姫討伐、ソロモン諸島・鉄底海峡攻略、豪州遮断によるオーストラリア開放(推定)、どれ一つとってもその功績は否定の仕様がないであります」

 

 これらすべて、大日本帝国が8年かけても成し得なかった偉業である。人類と深海棲艦の生存競争という側面で見れば、たった5ヶ月の間に人類史レベルで重要な戦果を齎したと言えるだろう。

 

「それとも石壁提督はたった数ヶ月で2万の深海棲艦を戦力化した飛行場姫が……並大抵の提督が勝てるような簡単な敵だったと思うでありますか?」

「うっ……」

 

 石壁には口が裂けてもそんなことは言えなかった。飛行場姫は石壁が戦ってきた敵の中で最も難敵であり、戦いに際して喪った者も多い。そんな存在を軽んじる事は、間接的にあの戦いで散った者達を軽んじるに等しいのだ。仲間の命と誇りを大切にする石壁にそんな事を許せるわけがない。

 

「ま、まあ功績に勲章が相応しいかどうかは今は良いよ。良くないけど、一旦置いておこう」

 

 石壁は心の中の頑丈な棚にこの問題をそっと棚上げした。大人の特権、見てみぬふりである。

 

「僕の心理的な問題は別として、正直に言うと……嫌な予感しかしないから本土に行きたくないんだよねえ……」

 

 その言葉に全員が顔を顰める。今までの大本営のやらかし具合を考えれば、この反応もむべなるかなといったところか。

 

「まあ……あの大本営が素直に石壁の功績を称えるとは思えないな……」

 

 新城が顎に手を当ててそういうと、ジャンゴが口を開く。

 

「でもよ。大本営直属部隊による護衛付きで本土移送だぜ?流石に下手な事はしねえと思うけどヨ……」

 

 何時もの通り楽観論を述べるジャンゴだが、流石に少し自信なさげだ。

 

「確かに……移送の手間暇は全部大本営持ちで、直属部隊の派遣までやる至れり尽くせりぶりだが……あの大本営が善意でこのようなことをするものか?否、するわけがない」

 

 伊能がそう断言すると、誰もその言葉を否定出来ずに黙り込むしかない。

 

「……いずれにしても、上層部からの軍令に背く訳にはいかない。心底行きたくないけど、行くしかない」

 

 石壁がそういって話を纏める。結局は行くしかない。軍隊は絶対の上意下達が基本だ。命令違反は極刑に値する重罪であり、これに反する事態は一般にクーデターと呼ばれる大事件なのである。

 

 

「僕が帰ってくるまでの間にニューカレドニア島攻略作戦の準備を進めておいて欲しい。予定通りに授与式が終われば、帰ってきた頃に作戦が開始出来るだろう」

 

 そういって、石壁はニューカレドニア島攻略作戦の書類を取り出す。

 

「拙速をもって即座に敵を押しつぶすのも今の僕等には可能だけど、ここは巧遅をもって少しずつ進もう。大本営が何をやるつもりかは知らないけど……腰を据えてゆっくりやれば多分何とか対応できるでしょ」

 

 こうして、オーストラリア攻略作戦の前段階、ニューカレドニア島攻略作戦の決行日時が当初より遅れる事となったのだった。

 

 この選択が、後に世界の命運を分ける事となるのだが……石壁達はまだそれを知らない。

 

 

 

 

「それじゃあ、各々やるべきことをやろう!解散!」

 

 

 こうしてこの場は解散し、石壁達は数日後の護衛艦隊到着を待つのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「た、大変です!石壁提督の乗っていた船が!護衛達諸共大爆発を起こしましたあああああ!!!!」

「「「「「「「「はぁっ!?」」」」」」」」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




第三部のショートランド泊地『は』順風満帆です!


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第二話 ポイント・オブ・ノーリターン

石壁君が爆発したとき何があったかの話になります。
あと仕方ないですけどコメント欄で誰一人石壁君の安否は心配してなくて笑ってしまいました。


 

現在の最前線であるニューカレドニア島、その北部にあるバンクス諸島に大本営からの迎えがやってきた。石壁は港で彼等を出迎える。

 

「初めまして石壁中将閣下、これより閣下を護衛させていただく佐藤大尉と申します」

 

 そういって敬礼をする士官を見て、石壁は少し驚く。その士官が女性であったからだ。年の頃は30台半ば、精悍で溌溂とした魅力的な女性であった。

 

「あ、ああ。よろしく。貴方が部隊の隊長なのかな?」

 

 石壁は動揺しつつも敬礼をしてそう返すと、彼女はその通りですと返事をする。

 

「その通りです。これから数日間、よろしくお願いしますね」

 

 そういってほほ笑む彼女をみて石壁は頭を下げる。

 

「こ、こちらこそよろしくお願いします」

 

 石壁のその腰の低さに、周囲の仲間達は苦笑し、迎えに来た兵士達は目を丸くする。

 

「か、閣下!顔を上げてください」

 

 文字通り桁が違う程上官である石壁のそんな姿に、大尉は慌てて頭をあげるように頼む。

 

「あ、はい」

 

 石壁はその言葉に素直に顔をあげる。なんともいつも通りである。

 

「で、ではご案内致します。こちらへどうぞ」

 

 佐藤大尉に連れられて、石壁は船へと乗り込む。

 

「提督」

 

 そんな彼に、鳳翔が声をかける。

 

「……いってらっしゃいませ」

「……ああ、いってきます」

 

 そうして、石壁は船へと乗り込んだ。

 

 ***

 

 将官用の休憩室に案内された石壁は、ソファへと腰掛けて休憩していた。

 

「ふう……佐藤大尉、立ちっぱなしもなんだし。貴方も座ってください」

 

 石壁は直立不動の体制で部屋の隅で待機しようとする彼女に、別のソファを勧めた。

 

「いえ、仕事ですので……」

 

 石壁のそんな言葉に、困ったような顔をする大尉。

 

「そばで誰か立ちっぱなしだと落ち着かないんだ。まだまだ本土は遠い。僕が命令したって事にするから座ってくれないかな」

「えっと……承知致しました」

 

 石壁のその言葉に、佐藤大尉は恐縮したように頭を下げてから椅子へと腰掛けた。

 

「ありがとう大尉」

「いえ、お礼を言うのは自分の方です……」

 

 佐藤大尉は石壁から優しく声を掛けられる度に、居心地を悪くしていってるようであった。

 

(なんだろう……彼女は……何に苦しんでいるんだ……?)

 

 石壁は、佐藤大尉が何か言葉にし難い苦しみを抱えている事に気がついた。それは石壁が彼女を気遣えば気遣う程に、重みを増しているらしい。

 

(……まいったな。どうにも、居心地が悪い)

 

 石壁は佐藤大尉のような女性が苦手であった。いや、苦手というか、彼女の様な女性に弱いというのが適当である。

 

 石壁は孤児だ。それも、目の前で母を失った戦災孤児なのだ。故に母と同じ年頃の女性を相手にすると、どうしても死んだ母を思い出してしまい、対応が甘くなってしまうのである。

 

(なんとかして、心労を解きほぐしてあげたいが……)

 

 石壁はそれから、大尉に対してあれやこれやと他愛のない雑談をしかけたのであった。

 

 *** 

 

 出港から数時間が経過した。石壁は得意の人物観察眼を駆使して大尉とコミュニケーションを取ろうとした。その甲斐もあって、いくらか打ち解ける事が出来たのだが……

 

(……なんだ?打ち解ければ打ち解けるほど、彼女の心労が増している?どういうことだ?)

 

 石壁は大尉と会話を重ねる中で、違和感をより重くさせていた。

 

(これは罪悪感……だと思うけど……何に対して罪悪感を抱いているんだ……?)

 

 お偉方を相手にして疲れるというのならば分かる。あるいは、つまらない会話に辟易して苛立ちや嫌悪感を覚えるのも、分かる。だが彼女は石壁に対して罪悪感を覚えているのだ。その理由が分からなかった。

 

 しばしそうやって歓談をしていると、大尉は罪悪感に耐えかねてか、無意識の内に胸元のペンダントらしきものを握り込んだ。

 

「……大尉、それは?」

「……え、あ、ああ……これ、ですか」

 

 自分がそれを握り込んでいる事に気がついた彼女は、手のひらを開いてそれを石壁へと見せる。

 

「……ロケット?」

「……ええ。家族の……写真です」

 

 そこには一つのロケットがあった。流石に閉じたままなので中身は分からないが、大尉が言うには家族の写真が収められているようだ。

 

「ご家族、ですか」

「はい……息子が……本土に居るんです……」

 

 大尉はそういって再びロケットを握り込む。彼女にとってその子が心の支えである事が、石壁にはよくわかった。

 

「……この任務が終われば……息子に……もう一度息子に会えるんです」

 

 大尉の言葉は、息子にもう一度会えるという喜び以上の……強い苦しみで満ちているようであった。

 

「……こんなご時世ですからね、息子さんを大切にしてあげてください」

 

 一体何故彼女はここまで苦しんでいるのか、石壁には理解出来なかった。だが、彼女が息子さんを愛してる事だけは痛い程に伝わってきた。

 

「父も母も僕にはもう居ませんから……貴方の様な母をもつ息子さんが少し羨ましいですよ」

 

 そんな彼女の姿に、石壁が冗談っぽく笑いながら言ったところ……

 

「……っ!」

 

 大尉は突如として立ち上がり、石壁に背を向けた。はちきれんばかりの罪悪感に耐えかねて目をそらしたのだ。

 

「ど、どうしたんですか……?」

 

 地雷を踏んでしまったにしては、抱く感情が可笑しすぎる。石壁はもうどうすればいいのかさっぱり分からなくて呆然としながら彼女の背を見つめる。

 

「……すい、ません……ちょっと……トイレに」

「え、ええ。どうぞいってきてください」

 

 それだけ言うと、ふらふらと部屋を出ていく大尉。石壁は、それを見送ることしか出来なかった。

 

「……一体、どうすればよかったんだ」

 

 石壁は、部屋で頭を抱えた。

 

 ***

 

「うおえぇぇ……っ」

 

 大尉はあまりの罪悪感に、便器に向けて嘔吐していた。

 

「はぁ……はぁ……聞いてない……聞いてないわよ……」

 

 彼女は先程まで一緒に居た青年の姿を思い出す。顔に残る無数の傷跡、眼帯で隠された片目、色素が抜けて真っ白になった髪に、失われた右腕……まだ20歳にもなっていない筈なのに、余りにも石壁はボロボロであった。

 

「……私の息子と……そう大差ない年齢なのに……そんな子を……そんな子を……うっ……」

 

 大尉は、自分に対して気を使ってくる石壁の姿を思い出す。気分が悪そうであった自分を気遣う彼の優しさは、少し接しただけでも痛い程に分かった。それが、自分を心配していた息子の姿に重なる。あそこに座っていたのは、もしかしたら息子だったかもしれない。そう思うと、罪悪感で吐き気が止まらなかった。

 

「はぁ……はぁ……やらなきゃ……私がやらなきゃ……」

 

 大尉は吐き気を堪えながら、ロケットを握りしめた。己がこれから為さねばならない行為に、心が折れそうになる。それでも、やらねばならないのだ。

 

 その時、背後の扉が叩かれた。

 

「……大尉、時間です」

 

 ああ、遂にその時が来てしまった。そう思いながら、大尉は吐き気を飲み込み、立ち上がった。

 

「はい……行きましょう……」

 

 この任務が終わりさえすれば……もう一度息子の元へ帰る事が出来るのだ。そう気合を入れるが、寒々しい心の温度が戻る事はなかった。

 

 

 ***

 

数分後、石壁の執務室には10名程の軍人が詰めかけた。彼等は一様に張りつめた空気を纏っており、とてもではないが友好的とは言い難い気配であった。

 

「……大尉、一体何事ですか?」

 

 石壁は、先ほど退室した大尉へと話しかける。蒼白な顔に悲壮な決意を込めて、大尉は石壁へと口を開く。

 

「……中将閣下、出来るだけ苦しませたくありません。これを飲んで頂けませんか?」

 

 そういって大尉が投げよこすのは、小瓶に入った何らかの薬剤。どう考えても、まともな代物ではない。

 

「……僕に、服毒自決せよ……と?」

 

 石壁は、大尉が己に抱いていた罪悪感の原因を悟った。彼女達は、石壁を殺す事を命じられていたのである。石壁の問いは、彼女の顔から更に温度を奪っていく。だがそれでも尚、大尉は頷いた。

 

「……そう、ですか」

 

 石壁は手の中の瓶を見つめながら、遂にこの時が来てしまったのだと思った。いつかこうなるのではないかと、心の何処かで思っていた。祖国との関係が根本的に破綻する、その時が……

 

「……申し訳ないが。僕はまだ死ぬ訳にはいかない。これは、飲めない」

 

 石壁は大尉の顔を真っ直ぐに見つめて、はっきりと服毒を拒否した。大尉は石壁の顔が、優しい青年の顔から、死線を幾度も潜り抜けた将の顔へと変化するのを目撃した。

 

 大尉は悟る。この青年は、やはり一軍を率いる中将なのだと。それに足るだけの覚悟と力を持つ男なのだと。

 

「……そうですか」

 

 この青年は絶対に折れてくれないだろう。そう察してしまった大尉は、ハンドサインで部下へ指示をだす。それに合わせて警棒を抜いた部下達は、石壁を囲う様に展開する。拳銃では船体に線条痕等が残るが故に、撲殺するように命令を受けていたのだ。

 

「……大尉、これが君の本位ではないというのは分かる。今ならばまだ間に合う。だから、投降してくれ。悪いようにはしないから」

 

 石壁は大尉に真っ直ぐと言葉をかける。迷いと罪悪感に揺れる彼女には、彼の言葉は強く響く。だが……

 

「……ごめんなさい」

 

 大尉は本当に辛そうにそれだけ告げると、戦う決意で無理やり罪悪感を抑え込んで叫んだ。

 

「……大日本帝国に仇為す者へ死を!かかれ!!」

「……ッ!」

 

 警棒で武装した軍人達が一斉に石壁へと襲いかかってくる。石壁は咄嗟に後方へと引いて警棒の一撃を避けるが、閉鎖空間で複数人による追撃から逃げ切れる訳がなく、すぐに壁際へと追い詰められる。

 

「ぐっ、壁が……」

 

 そこへ警棒が振り下ろされ、石壁の頭へと命中した。鈍い打撃音が複数、船室に響いた。狙い違わず、全ての警棒が石壁を痛打したのだ。

 

「ぐ……あっ……」

 

 そして、警棒をもっていた兵士達(・・・・・・・・・・・)が呻き声をあげた。あるものは衝撃に耐えかね、警棒を手から落としてしまうものまでいる。

 

「……いったいなあ」

 

 石壁は痛みに顔を顰めながらも、微動だにしていない。人間ならば頭蓋が陥没するか骨折するであろう衝撃を受けて尚、彼は血の一滴すら流していないのだ。

 

「な、なんだこの硬さ……」

「鉄の塊でも殴打したような……」

「う、動かない……」

 

 複数人係で抑えにかかっているのに、まったく石壁を動かすことが出来ていない。目の前の現実に、彼等の頭は可笑しくなりそうだった。

 

「まさか、ここまで直接的な手段に出るとは流石に思わなかった……思いたく……なかった……」

 

 石壁は忸怩たる思いに眉を顰めながらも、自分の頭にあたっている警棒を掴み、全力で握りしめた。それだけで、特殊合金製の警棒は飴細工の如く捻じ曲がり、使い物にならなくなる。兵士達は驚愕と恐怖に叫び声を上げながら後退した。

 

「ひぃ!?」

「なんだコイツ!?」

「ば、バケモノだ!?」

 

 兵士たちの言うとおり、石壁の体はもうバケモノなのだ。大和型戦艦二隻分のスペックを有する彼の肉体が、たかだか警棒による殴打でどうにかなるものか。艦娘や深海棲艦ならばまだしも、人間が石壁を殺そうと思ったらそれこそ戦艦の砲弾でも直撃させる必要があるのだ。つまり、彼女達の任務は前提からして、既に破綻していたのである。

 

「……見ての通り君達に僕は殺せない。無駄な抵抗はやめて降伏をしてくれ。これが最後のチャンスだ」

 

 石壁の言葉に、兵士たちは一瞬だけ躊躇いを見せたが、即座に意識を闘争へと引き戻す。彼等の顔をみた石壁は、兵士たちが引くに引けない事情を持っているのだろうと言う事を察する。

 

「……我々には『失敗する』という選択肢は用意されていない」

 

 大尉の言葉を聞いた兵士達は、再び警棒を構える。皆一様に必死、これがどれだけ愚かな行為であるか。どれだけ卑劣であるか。そして、どれだけ絶望的な状況であるかを知りながらも……大尉たちは引かない……否、引けないのだ。

 

「貴方を殺せなければ、私達の家族は殺されてしまうッ!!これが外道の行為だと知っていても!!勝てない相手だとしても!!貴方を殺さなければならない!!」

「……ッ!!」

 

 彼女達もまた、この国の……大本営の被害者であった。彼女達は最も大切な家族を人質に取られ、この暗殺を成功させるしかなくなってしまったのだ。そして、尋常の手段では殺せないと知ってしまった以上ーー

 

「たとえ我々が皆死んだとしてもーー」

 

 石壁は、大尉が泣きながら取り出したスイッチをみて血の気が引くのを感じた。鍛え抜かれた直感が訴えるのだ『あのスイッチを押させては、いけない』と。

 

「ーー貴方だけは殺さないといけないの!!」

「馬鹿!!やめろ!!」

 

 石壁は、スイッチが押される瞬間に、咄嗟に大尉へと飛びかかった。だが、それを周囲の兵士たちが壁となって時間を稼ぐ。その一瞬が、明暗を分けた。

 

「ごめんなさい……ッ!ごめんなさい……ッ!!」

 

 スイッチが押され、船体のバルジ内部に隠蔽された大量の機雷と魚雷が起爆する。その刹那、石壁は無意識の内に懐から何かをとりだし、大尉に肉薄した。

 

「この、大馬鹿野郎ッ!!」

 

 危機においてこそ、咄嗟の判断にこそ、その人間の本性は出るという。つまりこれこそ『石壁の本性』である。こうなってはもう、仕方がなかった。

 

 

「アンタにはまだ、帰りを待つ人がいるんだろうが!!!」

「ーーえ?」

 

 

 石壁が佐藤大尉へ触れたその瞬間、閃光と共に凄まじい衝撃が走った。

 

 

 ***

 

 

 石壁の乗っていた艦艇が大爆発を起こして吹き飛んだ。吹き上がる爆炎の巨大さは船の全長に数倍するサイズまで膨れ上がり、その圧力が船体をバラバラに引き裂いて四方八方に撒き散らす。船体は文字通りの爆散を起こした。

 

 その瞬間を上空で目撃したラバウル航空隊の面々は、あまりの事態に呆然とした後、即座に救援要請を無線で伝える。

 

 

「こ、こちら石壁提督の座乗艦を護衛中のラバウル航空隊!!大変だ!!石壁提督の座乗艦が爆発した!!繰り返す!!石壁提督の座乗艦が爆発した!!彼を含めた搭乗員の生死は不明!!大急ぎで救助隊を派遣してくれ!!」

『こちらラバウル基地!どういうことだ!?石壁提督の艦が爆発!?深海棲艦の奇襲か!?』

「有りえません!!周辺に敵影はなく潜水艦もいません!!何が起こったのかまったく理解できませんが、とにかく救助隊を送って下さい!!」

 

 無線を終えた航空隊妖精は、水面に近寄って確認しようとするが、海面は轟々と上がる黒煙につつまれており何も見つける事が出来ない。その上に時刻は既に夕刻、夜の帳はもうすぐそこまで迫っていた。

 

「太陽が……落ちる……」

 

 歴戦の航空隊妖精は、夕焼けで真っ赤に染まる海原をみて、胸騒ぎが止まらなかった。

 

 ***

 

「探せ!!生存者を!!石壁提督を探せ!!」

「探照灯もっとてらせ!!」

「誰か生存者はいないのか!!」

 

 その後、現場へと急行したラバウル基地の艦隊であったが……既に日は落ちてしまい、捜索は難航した。

 

「くそっ……どいつもこいつも黒焦げかバラバラの遺体ばかりで判断がつかない……っ!!」

「遺体でもいい、兎に角集めるだけ集めて、身元を確認しないと……」

「なんでこんな事に……」

 

 爆発現場周辺の海域には、焼け焦げたバラバラの遺体と、船体が散らばっている。それらは闇夜に溶け込んでおり、欠片一つ探して回収する事でさえ難儀な状態であった。

 

「深海棲艦は近隣には居なかった……これは、深海棲艦の攻撃じゃない筈よ……」

「触雷の可能性もある……この前の戦いでは大量の機雷を使ったって……」

「でも……この近辺は航海も多いから特に念入りに掃海してますよ……石壁提督が通るからって、今朝も確認してます」

 

 現場を捜索する艦娘達は、遺体や船の残骸を一つ一つ回収しながらなぜこんな事が起こったのかを話し合う。

 

「じゃあ何が起こったって言うのよ……敵でもない、機雷でもないって……」

 

 そこで、沈黙が彼女達を包む。あり得そうな可能性が、一つ、また一つと否定されるにつれて、考えたくなかった……それだけは無い筈だという答えが……否、あり得ると知りつつ見ないふりをしていた答えしか、その場に残されていなかったからだ。

 

「暗……殺……?」

 

 少女の震える声が、闇夜に響く。それは闇夜の静寂に染み入るが如く伝播し、皆の心に波紋を起こした。

 

「いや……でも……」

「流石にそんな事……」

 

 否定したい。否定したいのに。出来ない。己の祖国が、護り続けてきた故郷が、仲間を暗殺する。いくら死地に追いやられ、ぞんざいに扱われても、その最後の一線だけは、超えない筈だ。そう、信じたかった。

 

「でも……相手は大本営だよ……?あの、徳素なんだよ……?石壁提督は……大本営から睨まれていたし……」

 

 状況証拠が、揃い過ぎていた。大本営への不信が、その有りえない筈の疑念を増幅させる。否定したい、でも、出来ない。猜疑心は夜の帳の如く思考を一色に染め上げていく。

 

「だが……だが……ッ」

「いくら何でも……そんな……」

「……」

 

 彼女達の忠誠心には、既に大きな亀裂が走っている。戦争開始からずっと、苦渋を飲ませ続けてきた大本営への憎悪は、忠誠に亀裂を走らせるのに十分すぎる力を持っていたから。それでもなお関係が致命的に破綻しないのは、艦娘達が善性の生き物である事……そして、同じ祖国を持つモノ同士……何時かは和解出来るのではないかという甘い期待からであった。故にこそ、ここまで来て尚、彼女達の祖国に対する忠誠はギリギリで繋がっていたのだ。

 

 だが今、彼女達の憎悪の亀裂には、猜疑心という名の楔が差し込まれた。もしこの楔を奥深くに差し込む打撃(疑念を確信に変える証拠)があれば、どうなるであろうか?

 

「……いた!!生存者がいたわ!!」

 

「「「!!」」」

 

 周辺の視線が一斉にそちらを向く。そこには栗色の髪をショートカットで揃えた少女がいた。第六駆逐隊所属、駆逐艦雷である。

 

「『こちら捜索隊の雷、生存者の女性兵士を発見、階級章は……大尉です。至急救護船を回してください』」

 

 女性を水面から抱き上げた駆逐艦雷は、己より大きな彼女を横抱きで支えながら無線で報告を行っている。

 

「……うっ」

 

 そこで、女性が呻いて、うっすらと目を開ける。

 

「あっ……!気が付いた?大丈夫、直ぐに救助が来るからね!」

 

 雷は目が覚めた女性を安心させる為に、敢えて元気よくそう告げる。

 

「……なさい」

「……え?」

 

 だが、彼女の眼は虚ろであり、意識が混濁しているのか雷を写していない。そんな状態で、彼女は口を開いた。

 

「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめん……なさい……」

 

 彼女は朦朧とする意識の中で、ただ涙を流しながら詫び続ける。明らかに尋常の状態ではない。

 

「どうしたの……?なぜ、謝るの……?」

「なんだ……彼女はどうした……」

「なにかあったのかしら……」

 

 雷達がその異常な懺悔に困惑しているその時、東の方角から凄まじい勢いで増援が駆けつけてくる。ショートランド泊地所属の艦娘達である。

 

「提督は、提督は見つかったの!?」

 

 半狂乱にも等しい勢いで詰め寄ってくるのは、重巡鈴谷。前線からショートランド泊地まで石壁達の護衛としてやってきていた艦隊の旗艦である。

 

「えっと……この人しかまだ……」

 

 雷がそういって視線を女性へと落とす。鈴谷は雷に近寄って女性の顔を確認する。

 

「……この人……移送船の隊長だった大尉じゃん」

 

 鈴谷は彼女の顔を確認すると、ぶつぶつと謝罪を続ける彼女の肩を掴んだ。

 

「ねえ、石壁提督はどうしたの!?お願い、教えてよ!?何があったの!?謝罪なんて後でいいから、教えてよ!!」

「鈴谷さん駄目ッ!?彼女はまだ意識がしっかりしてないの!!救助されたばっかりなのよ!?」

「そんなの知ったこっちゃない!!行方不明なのは鈴谷(わたくし)達の提督なんだ!!護衛任務を受けた軍人に護衛対象の行方を詰問して何が悪いって言うの!?」

 

 大尉の肩を揺さぶる鈴谷を、雷が慌てて止める。通常であれば、鈴谷も救助対象にここまで詰め寄ったりはしない。だが、事が己の提督に絡む場合は話が別だ。

 

 艦娘は己の魂を提督の魂と癒着させる事によってこの世に繋ぎ止められている。故に提督が死んだりしようものなら彼女達をこの世に留める要石が失われ、彼女達は艦娘として存在を維持できなくなるのだ。その末路は、消滅か自死の二択しかない。

 

「またこの繋がりを喪いたくない……ッ!石壁提督だけは、絶対に死なせたくないの……!!」

 

 その上に、彼女達はドロップ艦……一度その繋がりを轟沈によって強制的に断たれ、その上で石壁に救われた艦である。ドロップ艦は概して思考が深海棲艦に寄りがちであり、他者よりも自分の大切なモノに執着する傾向が強いのだ。故にこそ、鈴谷は此処まで必死なのである。

 

 そうやって数秒もみ合っている間に、大尉の手から何かが転げ落ちた。

 

「……あ」

 

 それに気が付いた鈴谷は、一転して呆然とそれを拾い上げた。

 

「提督の……おま……もり……」

 

 それは、鈴谷が石壁に送ったお守り。明石と協力して作った、艦娘の艤装と同じく、使用者を護る力を持つアイテム。

 

 それが、焼け焦げて破れている。艤装と同じように、使用者を護った証拠。

 

 ならば、これは誰を護った。この爆炎の中無傷でいるのは、一体だれだ。

 

 決まっている、目の前の女だ。提督は、爆発の瞬間彼女を護ったのだ。

 

 これらが意味するのは、この不可解な爆発の直前、石壁が彼女を護る為に動く時間があったという事。

 

(提督は……船が爆発する事を……爆発する前に(・・・・・・)知った……?)

 

 つまりは、この爆発は誰もが気が付かない内に発生した突発的なモノではない。異常発生から起爆までにタイムラグがあるのだ。

 

「……この爆発は、事故じゃなかった?」

 

 鈴谷の思考が急速に冷え切っていく。考えられる可能性はいくつかある。だがもしもこれが鈴谷の想像の中で最悪のパターンであったならば……

 

「ねえ、雷」

「ひっ……!?」

 

 鈴谷の感情が抜け落ちた様な冷たい声に、雷は恐怖を感じて顔を引きつらせた。

 

「……ラバウル基地の南雲中将に無線をつないでくれる?大至急」

 

 

 

 この日をもって、石壁の、南方海域の、大日本帝国の……そして世界の運命が、予期せぬ方向へと転がりだしたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大尉に詰め寄る鈴谷達の姿を水平線ギリギリから見ているモノが居た。

 

『……任務完了、これより帰投する』 

 

 闇夜に溶け込む影が『2つ』、夜陰に紛れて水平線に消えた。

 

 

 

 

 

 

 




鈴谷の御守りは確かに効果がありました。しっかり大尉を護ってくれましたよ。
鈴谷『ちがうそうじゃない』


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第三話 70年前から続く今 前編

ここから、世界観の核心に入ってまいります


 

 

 

 ふと気が付くと、石壁は見覚えがある部屋に立っていた。石壁はぐるりと周辺を一望し、呟く。

 

「これは……武蔵の艦長室……?」

 

 見事な調度で高級感溢れるその部屋は、武蔵の艦長室と瓜二つであるように感じられる。だが、違和感が拭えない。

 

「いや、少し違う……?なんだここは……」

「ここは大和の艦長室よ」

 

 その時、背後の執務机から誰かが声をかけてきた。石壁はその声の方向へとすぐさま向き直り、声の主と相対する。

 

「君は……」

「イシカベ、貴方の主観では『久しぶり』かしら?それとも『初めまして』かしら?」

 

 そこに座っていたのは、長髪をポニーテールで纏めた長身の美女。かつて石壁が夢の世界で出会った洋装の大和撫子であった。

 

「……僕の主観では二度目だね。目が覚めたら君の事はさっぱり忘れてしまっていたから、今この瞬間思い出したんだけど」

「あら珍しい、記憶が連続しているのね」

 

 大和撫子は少し驚いた様な顔で石壁の顔を見つめると、合点が行ったという風に笑った。

 

「ああ、なるほど……『そういうこと』なのね」

「そういうこと……?」

 

 石壁が訝しげな顔をすると、大和撫子は立ち上がって石壁の傍に近寄り、彼と至近距離で目を合わせてくる。

 

「貴方……『混ざった』わね?」

 

 彼女はその美しい顔を、その風貌に似つかわしくない凶悪な喜悦に歪ませた。まるで三日月を張り付けたが如く口元は弧を描き、眼は愛おしい家族を見るような愛情と、殺したいほど憎い怨敵を見るような憎悪が同居している。喜悦と愛憎がドロドロに混ざった彼女の笑みは、まるで野生のケモノが牙を構えるが如き獣性の美しさを石壁に感じさせた。

 

「……武蔵の事か」

 

 石壁は彼女の視線が己の左目に集中している事に気付くと、警戒心を強めて女性に向き直った。

 

「彼女だけじゃないわ」

 

 そういって女性は石壁の体へ密着すると、彼の臍の辺りへとそっと手を当てた。

 

「貴方の体が『ワタシ』を完全に取り込んだのよ。もしかしたら逆かもしれないけど」

 

 そっと腹を……否、内臓を撫でまわす女性の言葉に、石壁は背筋へ冷たいモノが走る。

 

「お前は……まさか……ッ!?」

 

 女性は石壁が己の正体に気付いたことを知り、笑みを深くして顔を耳元へと寄せてくる。

 

「初めまして、提督」

 

 上辺だけは取り繕った清楚な声音で、石壁へと彼女は囁く。

 

「私は艦娘大和……だけど、貴方にとってはこっちの方が馴染み深いわよね」

 

 大和と名乗った女性は、狂気の笑みで石壁を抱きしめ、その耳元に呪詛を吐く。

 

「貴方の命を救った戦艦棲姫の姉、その左目に穴を穿った女……南方棲戦鬼よ」

 

 石壁は、目を見開いた。

 

「南方棲戦鬼……だと!?」

 

 咄嗟に後方に弾けるように距離をとる石壁。大和はそれを追う事はせずに、クスクスと気味の悪い笑みを浮かべたままだ。

 

「ええ。まあ今は大和なんだけどね?でも酷いわねえ、そんなに怯えなくても良いんじゃない?私が何度、貴方の命を救ったと思っているのよ」

 

 そういうと大和は、先ほどまでの憎悪を引っ込めて、『艦娘らしい』顔つきになる。一見しただけでは、先ほどの般若よりも恐ろしい女性と同一人物とはとても分からない程であったが、それが猶更石壁にとっては恐ろしかった。

 

「ズタズタになった内臓を何度も何度も繕って、貴方の命を救った大和を信じてくださらないんですか?提督?」

 

 例えば、艦娘大和が実際に居たならば……きっとこんな話し方であったのだろうと石壁は自然に思った。否、これは『大和』の話し方に相違ないと、石壁は確信した。

 

「……そうか、君はもう『大和』なんだな。ただ、今更そんな話し方されても薄気味が悪い。さっきまでの話し方にしてくれ。取り繕うのも不要だ」

「あら、つまんない奴ね」

 

 そこで大和は南方棲戦鬼だったころの口調へと戻り、表情も花が咲くような微笑みからつまらなそうな女の顔へと変貌した。

 

「つまらなくて結構だ。本気で殺し合った相手が自分に媚び諂うのを見て悦に浸れる程、僕は楽天家じゃない」

「……まあ、別に良いけどね」

 

 大和は石壁のその言葉に、良いとも悪いとも言い兼ねるといった風情で頷くと、手の中の和傘をくるりと回した。

 

「……というか、何故君は僕の夢の中で意識を保っているんだ?君、完璧に艦娘という訳でもないし、深海棲艦という訳でもないようだけど」

 

 石壁は、艦長室の適当な椅子に腰掛けて大和へと問う。大和は石壁が座った椅子に一瞬だけ目をやってから口を開く。

 

「……私にも詳しい事は分からないわよ?だって、気がついたら独りで貴方の夢の中に取り残されていたんだもの」

 

 大和はぐるりと周囲を見回す。その視線は酷くつまらなそうで……或いは、少し寂しそうにも見える。

 

「あの戦いでアンタと戦って……私は負けた。清々しいくらい真正面からね。それで私は満足した。憎悪の核を砕かれて、肉体は生命活動を停止し、魂は輪廻の輪に戻る……筈『だった』」

 

 大和のその語りには、隠しきれない未練の情が漏れていた。

 

「だけど、ほんの少しだけ、未練が残ったのかしらね……もしも、もしも一つだけ願いが叶うなら……今度は敵じゃなくて、アンタの艦娘になって一緒に戦いたい……とか……」

「大和……」

 

 石壁は大和のその言葉に、彼女の素を見た。今まで彼女と交わした言葉で、一番嘘のない言葉であった。

 

「……ま、そんな未練だかなんだかよくわからない思いに引っ張られて転生しそこねたんだけど……蓋を開けてみれば私の死体から艦娘を作るんじゃなくて、まさか臓器だけ引っこ抜かれてアンタと一緒に『なって』戦う事になるなんて想像すらしなかったわよ」

「うっ……」

 

 これには石壁も目をそらすしか出来なかった。つまり、本来であれば南方棲戦鬼の体から大和へと生まれ変わって劇的ビフォーアフターする筈が、内臓(部品)だけ引っこ抜かれて石壁に内蔵されるという悲劇的ビフォーアフターが発生。艦娘にもなれず、かと言って半端に肉体が残っているせいで輪廻の輪にも戻れなくなったのである。そこに戦艦棲姫が武蔵になった時に大量の経験値が流れ込み、人格だけ大和に変化するも誰にも気付かれず、ひたすらに石壁を影からというか中から支えるだけの日々を送ってきたのである。そりゃ性格も歪むというものだ。

 

「……その、なんというか……ごめん」

 

 石壁もこれには頭を下げる事しか出来ない。

 

「……まあ、もうそれは良いわよ」

 

 大和は謝られて一応この件を水に流す事にしたらしい。

 

 閑話休題

 

「はいどうぞ」

「……ありがとう」

 

 会話が一段落した段階で、大和は虚空から二本ラムネ瓶を取り出して、一本を石壁へと手渡した。石壁は一瞬それを口にするか逡巡したものの、諦めてラムネを口中へと流し込んだ。

 

「……うまい」

 

 夢の中だというのに弾ける甘露の味わいは清々しく、それが現実に存在しないという事実が信じられなくなる。石壁のそんな素直な反応に大和がクスクスと笑い、石壁はビビっていた事がなんだか無性に恥ずかしくなってくる。

 

 気恥ずかしさを誤魔化すようにヤケクソ気味に炭酸を一気飲みする石壁。大和はそんな石壁の姿を微笑みながら見ていた。

 

(一体なんなんだこの状況は……いやそもそも……)

 

 不可解に次ぐ不可解に、石壁はふと根源的な疑問が湧き出す。カラになった瓶を机上へと置いた石壁は、改めて大和に向き直る。

 

「……君が大和になった理由も、こうして僕の中にいる理由も理解した……理解したけど、腑に落ちない事がある」

「あら?何かしら?」

 

 大和は飲んでいたラムネ瓶を口元から話すと、石壁と同じく机上へと置いた。

 

「……そもそも、なぜ君たち深海棲艦は……いや、艦娘もか……『魂』なんていう不確かであやふやなモノをここまで自由に扱う事が出来るんだ?ほんの十年程前まで、魂なんていうものの存在は証明することが出来なかった……だというのに、深海棲艦との戦争からこっち……僕らは当たり前の様に艦娘を、敷いては艦娘の魂に関わる技術を行使し得るようになった」

 

 例えば結魂(仮)(ケッコンカッコカリ)はその典型であろう。その術理が完全に解明された訳ではないが、それでも人は魂にアクセスする術を得た。ほんの十年前までは、全く持ってありえなかった技術である。

 

「深海棲艦の技術から艦娘が生まれ、それに前後して妖精さんという死者の限定的な蘇りまで発生した。龍脈から物資を生み出すという質量保存の法則の否定まで発生した……何もかもが、可笑しい。可笑し過ぎる……何故僕は、今までこんな状況を『そういうモノ』だと納得出来ていたんだ?」

 

 一つ疑問が生まれる度に、連動して次々に別の疑問が生まれていく。ほんの少し前までリンゴが木から落ちるが如く自明の理だと思っていた知識が、実はリンゴが地から天へと昇っていくが如き天変地異の条理であると気がついてしまったのである。いや、知っていた。知っていたのにそれを疑問に思えなかったのだ。石壁は気が狂いそうであった。

 

「……なるほど、混ざってくるとこういう影響が出てくるのね」

 

 ボソッと大和がつぶやいた言葉に、石壁が反応する。

 

「なあ大和、知っているなら、この原因を教えてくれ。このままじゃ……気が狂いそうだ」

 

 石壁が縋るように大和を見つめる。大和は、初めて見る石壁の弱気な姿に少し驚いた様な顔をした後、しばし考え込む。やがて、良いことを思いついたというように……人を食ったような笑みを大和は浮かべると口を開いた。

 

「……ねえ、そもそもおかしいと思わない?」

「何がだ?」

 

 大和は怪しい笑みを浮かべて言葉を重ねる。

 

「70年前に沈んだ軍艦が、今頃になって化け物になって復活した事」

 

 それは、誰もが心の何処かで思っていた不可思議。

 

「深海棲艦は……どうして今頃になって蘇ったと思う?いえ、そもそもどうして生まれたと思う?」

「どうしてって……『そういうもの』だからじゃないのか……?いや、まて、そもそもこれもおかしい。おかしすぎるぞ……」

 

 石壁には、この世界の不思議は理解できない。艦娘達を取り巻く不可思議な理屈は学者ですら解き明かす事は出来ず、『そういうもの』だと丸のみするしか出来ないのだ。

 

「そのとおり、何事にも理由はあるわ。火のない所に煙は立たない。結果には必ず過程が伴うのよ」

 

 大和は石壁に近寄って、彼の目の前に手を差し出す。

 

「全部教えてあげるわよ?何故、私達が生まれたのか……何故、この戦いが始まったのか」

 

 大和の笑みが歪む。心底に楽しそうなその歪な笑みをみて、石壁は悪魔が人を誑かす時の笑みは、こういうものなのだろうなと思った。

 

「知りたくないならこのまま無視していればいい。でも、知りたいと思うなら……」

 

 この手を取れ。大和はそれ以上言葉を発することなく、石壁の選択をまった。

 

「……」

 

 石壁は困惑する。知る筈のない……否、この世の誰もが知る由もない理外の知識。それは正しく悪魔の知識である。蛇に誑かされて知恵の実を食べたアダムとイブは楽園を追放された。では、深海棲艦からそんな知識を受け取った自分は、一体どうなってしまうのか?石壁が尻込みするのも当然であった。

 

 だが、同時に石壁は知りたいとも思っていた。70年もの過去の亡霊たちが始めたこの戦争が……自分の大切な故郷を、家族を奪ったこの戦いが……一体何故始まったのか……何故、自分たちが戦わねばならないのか……考えても意味がないと忘れ去ろうとしていたその根源的な問いへの答えが、今目の前にあるのだ。

 

「僕……は……」

 

 大和はじっと、石壁の逡巡を見つめ続けている。彼女はさっき言った通り、『どちらでもいい』のだ。石壁が苦心の末知ろうとしないならそれで良いし、知りたいならそれでも良い。どちらにせよ、石壁が苦しむのが目に見えているから、それで良いのだ。

 

 石壁は暫し考え、悩んだ末に決断した。

 

「……よし、決めた」

 

 石壁は、大和の手を掴んだ。

 

「教えてくれ。何故、この戦いは始まったんだ。お前たちは、一体何者なんだ」

 

 真っ直ぐ大和の目を見て、石壁は問うた。問うてしまった。

 

「……うふふ。私、アンタのそういう土壇場で向こう見ずになるところ、好きよ」

 

 大和は楽しそうに笑うと。石壁の問いに答えた。

 

「じゃあ始めましょうか。始まりは今から七十余年前……第二次世界大戦のまで遡るわ」

 

 石壁の意識が急速に薄れていく。大和の記憶の中に入り込もうとしているのだ。

 

「今から見せるのは、歴史が文字通り分岐してしまった全ての始まり……私達深海棲艦のルーツよ……ねえ石壁アンターー」

 

 意識が途切れる寸前、大和のこんな言葉が意識に届いた。

 

 

 

 

 

 

「--歴史改変SFって、聞いたことある?」

 

 

 

 

 

 そこで、石壁の意識は途切れた。

 

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 石壁が気が付くと、そこは厳粛かつ煌びやかな装飾が印象的な部屋になっていた。

 

『……ここは』

『ここは1941年の皇居よ。見なさい、太平洋戦争時代の指導者がそろい踏みだわ』

 

 大和の声だけが、石壁の脳裏に響く。その声につられて周囲を見渡せば、歴史や戦史の教本で見かけた顔ぶれがずらりと並んでいる。

 

『凄い顔ぶれだ……』

『ちなみにこれは、私の記憶を貴方に見せているだけだから……一切干渉は出来ないわよ』

『君の記憶……?ちょっとまった、この時代に艦娘や深海棲艦達は居なかった筈じゃ?』

『もう少ししたら説明してあげるから、今は記憶に集中してなさい』

 

 大和がそういった瞬間、その場に居た者達の中で唯一陛下の御前に立つ男へとお声が掛かる。

 

東郷忠(とうごうただし)海軍大将を、第40代首相に任ず」

「はっ!身命を賭してこの大役を成し遂げてみせます!」

 

 陛下の勅令に、再敬礼で応じる一人の男性。年の頃50近いが、未だに髪は黒々としており、眼は力強く爛々と輝いて覇気があった。ガシリとした体格に、日に焼けた精悍かつ丹精な顔つきが良く映えていた。

 

『あれは……戦時中の内閣総理大臣にして連合海軍総司令長官の……東郷忠……』

『その通り、彼こそが太平洋戦争の末期までその神算鬼謀によってまるで未来を知っているかの如く(・・・・・・・・・・・・・・・)米軍を翻弄し続けた一人の軍人よ』

『未来をしっている……あ……ッ!?』

 

 その言葉に、意識を失う前に聞いた大和の言葉が脳裏に蘇る。

 

『歴史……改変……』

 

 石壁は、己が何かとんでもない、知ってはいけない何かを知ろうとしている事を悟った。知れば、己の寄る辺となる大前提が、ガラガラと崩れ去るのではないかと思える程の、何かを。

 

 そして、それは正しい。大和は石壁のその反応を楽しむように、容赦なく言葉を紡ぐ。

 

『ええ、大体アンタが想像した通りだと思うわよ?彼こそがこの狂った世界の最大の原因の一人。本来歩む筈だった歴史を正史とするなら、私達が生きているこの物語(分岐)を生み出した……謂わばーー』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 知恵の実を食した始まりの人は、己が裸であることを知ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ーー神という存在が、歴史(物語)を改変する為に送り込んだ原初(オリジナル)の主人公よ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 知恵をもってしまったら、もう無知には戻れないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オリジナル……原作。美術作品において原作者自身による写し (レプリカ) ,原作者以外の人物による模写 (コピー) ,あるいは偽作などに対する原作品を意味する。

【原作者がある作品を改作した場合,その改作も (第二の) オリジナルと認められる】。

(ブリタニカ国際大百科事典、オリジナルの項より抜粋)

 

 

 

 

 

 

 

 




遂に明かされた謎の大和撫子の正体。誰にもよそうできなかっでしょうね()


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第四話 70年前から続く今 中編

過去編の続きです。けっこうどぎつい話になるのでご注意くださいませ


 

原初(オリジナル)の……主人公……』

 

 石壁は、足元が壮絶にぐらつくのを感じた。アイデンティティの根幹となる……否、アイデンティティの基盤となるべき世界観に亀裂が走ったのだ。その衝撃は、筆舌に尽くしがたい。

 

『ええ、歴史という物語を管理する存在(神様)が、本来の歴史から外れる様に差し込んだのが東郷提督だったの』

 

 周囲の光景がめくるめく変わっていく。南洋で、北方で、東方で、西方で、海で、空で、陸で……東郷提督の戦略に従い大日本帝国軍は史実以上に連戦連勝を重ねていくのが石壁には分かった。そう……史実以上に(・・・・・)だ。

 

『ははは……なんだよこれ……【史実以上に勝ってる】なんて、どうして分かるんだ……史実って一体なんなんだよ!!!』

 

 石壁は激発した。知る筈のない……本来知る由のない……史実(本来歩む筈だった歴史)の知識が、いつの間にか石壁の中にあった。故に、史実とこの世界の乖離が……目の前で繰り広げられる光景が……どれだけ異常なのかがこれ以上なく理解できてしまう。

 

『私は……いいえ、【私達】は元々は史実世界の歴史を基盤にして生まれた存在なのよ。だから覚えていなくても本来知っているの。史実世界の事をね……それが、こうして混ざったせいで、アンタにも流入した。有り得べからざる史実(IF)を……覚えてなくても知ってしまっていたのよ。だから、こうして目の前で私の記憶を見せられたことで、そのズレが明確にわかってしまうの』

 

 ここでいう【私達】とは、東郷提督を中心とした、巨大なズレの総称であった。

 

『……それが、この世界がブレる感覚の原因か』

 

 石壁は、壊れそうになる世界の認識を必死になって再構築しながら……更に奥深く、根源的な問いへと踏み込む。

 

『……結局、彼は一体何をやったんだ。君たちは何故、実体化した』

 

 その問いに、ほんの少しだけ大和は逡巡した。だが、最初に言った通り、彼が踏み込んでくるならば、全てを教えようと大和は口を開いた。

 

『……東郷提督は、元々史実世界の人間だった。詳しい理由は教えてもらえなかったけど、彼はその世界でいう2013年前後に死んだ。そして、70年の過去を遡り、神様とやらの力を一部借り受けて再びこの世に生まれたらしいわ……日本の歴史を……太平洋戦争の結末を少しでも良い方向へ切り替える為に』

 

 姿の見えない大和は、感情を感じさせない語りで、石壁へと秘密を明かしていく。

 

『その神様の力とは……軍艦の魂に人格を与え、その能力を引き出す力……魂という非科学の存在を、現実へと干渉出来る様にする力……本来あり得ない状態に、世界を塗り替える力……つまりーー』

 

 その力に、石壁は覚えがあった。そう、既に石壁はーー

 

『--【世界の法則を改変する】(cheat)能力を……彼は与えられたのよ』

 

 ***

 

『伊能、艦娘と深海棲艦は本質的に同根だ。彼女達は同じ根を持ちながら、正反対の方向へ向かって伸びているだけなんだ』

 

『深海棲艦が世界に闇の結界を作り出す力を持っているならば、当然それに対応する力を艦娘も持っている筈だ』

 

『人類が……いや厳密には艦娘が制圧した海域から深海棲艦が生まれないのも、艦娘が撃沈させた深海棲艦が時々艦娘になるのも……恐らくはその『何か』が密接に関係している』

 

『そう、つまり。深海棲艦が【世界を異常へと改変する力】をもつならば……艦娘にはその逆、【世界を正常へと戻す力】があると僕は思うんだ』

 

 ***

 

 --既に、答えにたどり着いていたのだ。

 

『艦娘という存在が生まれる様に……それが違和感なく世界に馴染むように……世界の基幹法則を『そういうもの』だと書き換えた(チートした)のか……!』

 

 石壁の脳裏に、かつての友との会話が蘇る。

 

 ***

 

『新城、お前は僕達の中でも最大規模の艦隊を率いている。だけど当然、自分の艦隊の艦娘と他の艦隊の艦娘は間違えないよな?何故だ?』

『何故って、『そういうもの』だからだろう?私達提督は自分が顕現させた艦娘なら、百人の那珂ちゃんの中から自分の艦隊の那珂ちゃんを見つけられるってのは有名な話だ』

 

 ***

 

 だから皆、【そういうもの】だと受け入れたのだ。この世界では、それが既に法則になっているから。この世界では地に置いてある林檎が天へ上るのが世界のルールになっていたのだ。疑問を持てないのが、『当然』だったのである。もう『そういうもの』なのだから。

 

 そこで、石壁は気が付いた。先ほど確かに大和は言った。『軍艦の魂に人格を与え、その能力を引き出す力』と。だがそれだけならば、深海棲艦達が現代において『実体化する』のは、可笑しい。現に、目の前で繰り広げられる太平洋戦争において、魂が肉体を実体化している場面は一つもない。戦争が終わるまで、そんな怪談があったなどという話は、聞いたことがなかった。では、いつ、彼女達は実体を持った?

 

『まて……この記憶が……『僕等の知る歴史』の通りに進むなら、この後東郷提督は……』

 

 石壁が目線を記憶へとやる。断片的に流れて行く情報から確かに読み取る。

 

 大和の記憶が……ついにその時を迎える。枝分かれした歴史の、致命的破綻の時まで……

 

 ***

 

 1945年8月15日、史実世界において終戦記念日となるこの日。大和の艦長室のデスクで東郷提督は『その時』を待っていた。

 

 その側に一人の女性が控えている。この悪夢の道先案内人である、『艦娘大和』がそこにいた。

 

 二人は、長年連れ添った大切な誰かに語り掛ける様に言葉を紡いでいく。

 

『東郷提督、この戦いも、もう少しで終わりますね』

「ああ、そうだね。大和」

 

 大和の問いに、東郷提督が応える。大和の声は音になっていない。だが、それでも確かに相手に伝わっている。どうやらまだ、大和は実体をもってはいないらしい。

 

「日本への原爆投下も回避した。ソ連の南下も跳ね返した……死ぬ筈だった大勢の人が生き残った……これで、歴史の流れは変わった筈だ……」

 

 東郷提督は、終始大日本帝国の優勢を保ちつつ暫時戦線を後退させ、最終的に絶対国防圏の前後で戦線を停滞させた。日米ともに、ぎりぎりメンツを保ちつつ、史実よりも大分マシな条件で終戦できるラインまで情勢をコントロールしたのである。大日本帝国という派閥闘争に明け暮れる暴れ馬を数年間に渡って制御しながら、やっとの思いでたどり着いた目的地(ハッピーエンド)であった。

 

 東郷提督は万感の思いを込め、言葉を紡ぐ。

 

「漸く……世界大戦が終わる……後は講和条約さえ纏めれば……僕の戦いは終わりだ……この改変(チート)能力を神様に返上して、書き換えた法則を取り消す事が出来る……でもそれは……」

 

 そこで、東郷提督は、一転して声を沈ませる。

 

「……君との別れの時を……意味するんだ」

 

 寂しそうな男性のその言葉に、女性は困ったような笑みを浮かべる。

 

『……でも、これは世界を改変する力です。首相就任から4年……ここが、今日この日が、法則を元に戻せる最後の一線です。そうでなければ、取り返しがつかない位世界の法則が変わってしまいますよ』

 

 大和は、東郷提督の言葉と思いを嬉しく思いながらも、成すべきことを為せと。彼の背後に回って、勇気づける様に抱きしめた。手を触れる事さえ出来ないが、二人の心は確かに繋がっていた。

 

『大丈夫です。大和は……いいえ、貴方に力を貸した艦艇の魂は皆……ずっと貴方の側に居ますから……例えその力が失われて、私達の存在が分からなくなっても……魂だけは……ずっとそばに……』

 

 大和の言葉に、東郷提督はほほ笑む。 

 

「……ありがとう、大和」

 

 それからしばしそうしていた東郷提督であったが、彼はやがてチラリと腕時計をみると、ラジオを弄りだす。

 

「……玉音放送が流れたら、神様に力を返そう。それまでは……もう少しだけ、こうしていたいんだ」

『……はい』

 

 そうして事前に放送するはずであった時間を待つ二人……だが……

 

「おかしいぞ……なぜ……玉音放送が流れない……」

『何か……設備のトラブルでもあったのでしょうか……』

 

 予定の時刻になっても、玉音放送が流れない。

 

「……区切りとして、アレ以上のモノは無い。出来る事なら、それで終わらせてやりたかったが、仕方ないか」

 

 やがて放送を待つことを諦めた東郷提督は、大和へと最後の別れをすませようとする。だが……

 

「首相!東郷首相大変です!」

「何事か!」

 

 突如として、扉が叩かれる。

 

「火急の事態です!入室してもよろしいでしょうか!!」

「わかった、入れ!」

 

 扉が開き、ドカドカと数人の将校が部屋に入ってくる。

 

「なんだ!一体何があったんだ!!」

 

 東郷の言葉に将校たちは俯きがちに言葉を放つ。

 

「大日本帝国が、降伏するという話なのですが……」

「どうした!?講和条約の締結になにか不備でも起こったのか!?」

 

 部屋の中に押し掛けた人数は思いのほか多く、正面に立つ数人以外は顔も良く見えなかった。

 

「はい……我々の返事はーー」

 

 故に、気が付いた時には、全てが手遅れであったのだ。

 

「ーーこれだ」

 

 空気が弾ける様な音と共に、東郷は、胸元に熱い何かが走ったのを感じた。

 

「えーーーー」

 

 それが何か信じられないといった、呆然とした顔で……彼は己の胸元に目をやった。

 

 士官以上の海軍士官の証である純白の二種礼装に……真っ赤な花が咲いていた。

 

『てい……とく……?』

 

 大和は、彼と同じく呆然とした顔で……先ほどより花弁を大きくしていく深紅を見つめる。

 

「----やま、と」

 

 彼の口中から、血泡があふれ出す。それ以上言葉を紡ぐことも出来ずに、フラフラと東郷は椅子に座り込んでしまう。

 

「大日本帝国に仇なす売国奴め……!!だれが降伏など許すものか!!死ね!!」

 

 正面に立つ数人の間から、銃を隠し持っていた数人の将兵が前に出て、続けざまに東郷へと銃撃する。空気が弾ける度に、命を吸って花弁が増えていく。

 

 ここに至ってようやく事態を把握した大和は、生まれて初めて泣き叫んだ。

 

『提督!!提督!?なんで……どうして……ッ!!いやあああああああああ!!!!』

 

 大和が必死になって東郷へむけ手を伸ばす。彼を助けたい。彼を護りたい。彼を……彼を……次から次へと溢れ出る思いに任せて、大和は、己の意志で持って、法則を捻じ曲げようとした。

 

「やま……と……」

 

 それをみた東郷は……最後の力を振り絞り、震える手を大和へ伸ばす。彼はもう分かっていた。自分はもう、助からないと。

 

(結局、俺は……半端モノだったか……)

 

 彼はずっと……ずっと神に託された使命を果たすために今生を生きてきた。与えられた力は人の身に余ると理解していたが故に……細心の注意を払って、世界を壊さないように……誰かの為に生きてきた。

 

(ああ……神様……どうか……どうか最後に一つだけ願いが叶うならーー)

 

 だが、もう自分は死ぬ……望み続けた平和を見る事も出来ずに、ここで死ぬのだ。そんな彼が、最後の最後に己の願いを叶えたいと思う事を……一体だれが責められようか。

 

(--最後に一度だけで良い。君に、触れていたい)

 

 生涯でただ一度だけ……彼は己の願いの為に……愛した女性に触れたいという本当に細やかな願いの為に……彼は改変(チート)能力を使った……使って、しまったのだ。

 

『ていと……」

 

 大和が急速に実体を持ち始め、彼へと手が届くまであと数センチというその瞬間……

 

「まだ息があるぞ!!」

「射て!!」

 

 その場の全員から放たれた銃撃に東郷の右腕が……千切れ飛んだ。

 

「……あ」

 

 届いた筈の彼の手が……大和が抱きしめてもらいたいと思い続けた彼の力強い腕が……ただの肉塊と化して地面に落ちた。

 

「……」

 

 体中を穴だらけにしながら、東郷は届かなった腕を見つめて……全てを諦めたようなほほ笑みを浮かべる。

 

 あいしています

 

 もはや言葉すら発する事の出来ない東郷は、口の形だけで、一度も言えなかったその言葉を紡ぎーー

 

「ああ……ああああああ……」

 

 --その生に、幕を閉じたのである。

 

「提督……提督……」

 

 大和は、提督の体に、触れた。肉の感触がする。流れ出た血が、彼女の白魚の如き指を染め上げていく。

 

「提督……?目を……目を……開けて……てい……と……く……」

 

 あれだけ触れたいと思った彼の体は……もう、ただの肉の塊でしかない……彼は……大和が愛した提督は……

 

「……ッ!!」

 

 

 

 

 

 

 ……死んだのだ。

 

 

 

 

 

「……やる」

 

 噛みしめられた歯が欠ける程に、大和は歯を食いしばる。

 

「……してやる」

 

 提督が好きだといった彼女の穏やかな顔が、憎悪と憤怒で染め上げられていく。

 

「ころしてやる」

 

 濡れ羽色の……いつか東郷が櫛を差してあげたいといっていた美しい黒髪が……彼の命のように、真っ白に染まっていく。

 

「確実に仕留めたな」

「急いでずらかるぞ」

「次の講和派の連中の居場所は……」

 

 まだ彼女の姿を視認できない男達は、その異常を、変異を前にして、動くことが出来ない。だが、仮に視認出来ていたとしてもーー

 

「殺してやる……ッ!!」

 

 ーーもう、何もかもが……手遅れだ。

 

 大和から南方棲戦鬼へと変質した彼女は、紅い瞳に何もかもを燃やし尽くす程の憎悪を燃え滾らせてーーーー東郷の体へと、手を突き込んだ。もう彼女は、提督に触れられる。そう、世界は改変されてしまった。故に南方棲戦鬼は提督を『提督』たらしめていた存在にも触れることが出来るのだ。

 

「貴様等全員、一人残らず殺してやる!!!」

 

 彼女が腕を引き抜くと、その腕の中で『何か』が胎動した。

 

「戦争を終わらせたくないのよねえ!!いいわ!!そんなに殺し合いがしたいなら、永遠に殺し合いをさせてあげるわよ!!貴方達が殺した男の……改変能力(提督の力)を使ってねえ!!!」

 

 その瞬間、戦艦大和の船体が激震する。

 

「な、なんだ!?」

「船が揺れて……ッ!?」

「に、にげ……」

 

 男達が異変を感じた時は、もう手遅れだった。

 

「水底へ……沈めえええええ!!!」

 

 その瞬間、大和を始めとして、多くの艦艇が爆沈し、海底へと沈んでいった。

 

 同時多数的に日本中で発生したこの爆沈によって……大日本帝国はこの日海上戦力の大半を……『正史においては喪われた筈の艦艇』を全て喪失したのであった。

 

 ***

 

 そして、時が流れる。

 

「憎い……」

「恨めしい……」

「許せない……」

 

 海底へと沈んだ彼女と、彼女が提督から抜き出した『何か』……それは深い深い海の底で、少しずつ少しずつ変性していく。

 

「よくも私たちの提督を殺したな……」

「殺してやる……」

「こんな世界、滅んでしまえ……」

 

 それからずっと……第二次世界大戦が終わってからずっと……彼女達の改変はじわりじわりと世界へと浸透していった。本来は提督のモノであるが故に、強制力が弱かったのだ。故に70年もの月日を掛けて、日の届かない水底で憎悪を蓄積させながら。

 

「……機は熟した」

 

 そして、かつて提督から抜き出されたソレ自身が完全に憎悪に染まりきったその時ーー

 

「ニイタカヤマノボレ」

 

 

 

 

 

 

 ーー2013年4月28日、太平洋戦争が再開されたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

cheat(チート):データの改竄などの不正な行為

 

 

 

 

 

 

 

 



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第五話 70年前から続く今 後編

この話はこの世界のかなり根源的な話になりますので、少々わかりにくいかもしれません。


 

 深海棲艦達の一斉蜂起が始まった段階で、大和の記憶の再生は終わった。 

 

「はい……これでおしまい……後は、アンタも知っての通りよ」

 

 気が付くと石壁は、大和の執務室に戻っていた。記憶の中で死んだ東郷提督と、同じ場所に座って。

 

「……ごめん……そんなに大事な椅子だとは、思わな……かった」

 

 先ほど何も知らずにこの椅子に座った自分を殴りたくなった石壁は、すぐに立ち上がろうとする。だが、大和は首をふって石壁を椅子に座らせておく。

 

「……良いのよ。もう、70年も前の話だもの」

 

 大和は真っ直ぐと、石壁の左右の瞳を見つめる。

 

「それに今は……アンタのその姿が……東郷提督の最期と重なって見えるのよ」

 

 石壁の記憶に鮮烈に刻まれた、一人の男の最期の姿。彼の左目は流れる血が入って真っ赤になっていた。そして、届かず砕けた腕は……右腕であった。奇しくも、武蔵の目をもらって左目が赤くなり、戦闘で右腕を喪った石壁の姿と同じである。腕を喪ったのが姉妹艦である武蔵艦内というのも……奇妙な縁を感じざるを得なかった。

 

「他に選択肢のない……文字通り腐れ縁になる道連れの旅路とは言え……私はもう二度とあんな形で『提督』を失いたくないのよ。だから私はアンタを助ける。私が、私の為に、アンタを死なせない。これだけは、東郷提督に誓って本気よ」

 

 大和は真っ直ぐと石壁の目を見た。そこに、一切の嘘はない。あってたまるか。あの提督の名前に誓ったのだ。それが嘘なら、もう彼女は大和でも南方棲戦鬼でもなくなってしまうだろう。それ程に、東郷提督の名に誓うというのは、大和にとって重い行為なのだ。

 

「……君の誓い、確かに受け取った」

 

 故に石壁は、その言葉をただ有るがままに受け入れたのであった。

 

「よろしい。他に聞きたい事はある?今なら大体の事は答えてあげるわよ」

 

 その言葉に、石壁は暫し考え込む。

 

「……じゃあ、折角なので聞いておきたい。君が東郷提督から抜き出した『アレ』は……世界改変能力の根源は今どこにあるんだ?」

 

 石壁の脳裏に、胎動する『何か』が思い浮かぶ。本能的に理解している。『アレ』こそがすべての元凶だと。

 

「そうね、いい機会だから教えておくわ。私たち深海棲艦の根拠地、ハワイ諸島のパールハーバー。そこに私たち深海棲艦の総大将である中枢棲鬼という深海棲艦がいるの」

「深海棲艦の総大将……」

「ええ、彼女こそが深海棲艦の親玉にして……私が提督から抜き出した『改変能力』のなれの果てよ」

「なっ……」

 

 その言葉に、石壁が目を見開く。

 

「苦労したわよ。70年かけて『改変能力そのものを改変』したんだから。私たち始まりの深海棲艦の憎悪をひたすら注ぎ込み続けて、深海棲艦の神とでも呼ぶべき存在に変質させたのよ。この世界の海底から『深海棲艦が無限に湧き続ける』のは彼女が世界に改変能力を使い続けているからね」

 

 余りにもとんでもない能力であった。正しくもって反則(チート)という他ない。

 

「ただ、この使い方は本来の能力の使用方法からは著しく逸脱しているから。私たちも……それこそ中枢棲鬼にすら完全には扱えているわけじゃないのよ」

「どういうことだ?」

「例えば艦娘達の存在、例えばあの妖精達のような英霊の再誕、例えば龍脈からの物資精製、例えば海域の浄化による深海棲艦の精製停止……自由に世界法則を改変出来るならこんな機能、最初から作る訳ないじゃない」

「ああ……なるほど……え、じゃあなんで『こういう世界』になったんだよ」

 

 石壁の当然の問いかけに、大和は少し考え込む。

 

「んー……そうね……私も完全に理解している訳じゃないから少し説明が難しいんだけど……どうやらこの能力って本質的に『揺らぎ』を作る能力みたいなの」

 

 そういって、大和が虚空に指を走らせると。その軌跡をなぞるように光の線が生まれる。

 

「この線が世界法則だとして……『能力を行使する』のは『紐に力をこめてひっぱる』のに該当するの」

 

 大和が線に指をかけて下に引っ張ると、当然それに合わせて線が歪んでいく。

 

「こうやって世界に『能力を行使した』ら……当然その反作用が発生するわ」

 

 大和が線からパッと指を離すと、線は勢いよく元の場所に戻り、そのまま『反対側へも』振動する。

 

「私たちが世界法則を改変すればするほど……深海棲艦の優位になるように弄れば弄る程……その反対の作用もまた発生する。だから艦娘達が生まれたし、なんなら予期せぬ揺らぎから、想像すらしていなかった改変もたくさん発生したわ」

「想像すらしていなかった改変……?」

 

 石壁の疑問に、大和はニィと、意地の悪い笑みを浮かべる。

 

「そういえば、貴方まだ気が付いていないのね」

「な、なにがだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「貴方達人類って、今一体、何語で会話しているの?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その言葉に、石壁は暫し呆然とした後。

 

「……ッ!?」

 

 ブワッと、冷や汗が流れ出るのを感じた。

 

「あ……ああ……」

 

 体が震える。

 

「ジョンさんと話していた時……僕らは……それぞれ日本語と英語で話していた?」

 

 あの時は互いに母国語で勝手に会話していたのだ。なのにまったく違和感なく。自動で翻訳されていた。翻訳されていたことにすら気が付いていなかったし、言葉が通じることになんの違和感すら抱いていなかった。なにせ、『そういうもの』なのだから。

 

「世界はバベルの塔が立つ前まで戻っちゃったわねえ……あと、なんなら今のアンタたちはもう日本語すら話してないわよ。あの後更に改変が進んで、もう世界は謎の統一言語よ。自動翻訳ですらないわ。一体どんな言語体系なのか、私すらもう認識できない」

 

 石壁は眩暈を感じてしまう。神に与えられた力。真正のチート能力。その規格外さは悍ましいの一言だった。

 

「こうして深海棲艦を辞めたからこそ理解できるけど……本当に怖い力よねえ……東郷提督が使うのを躊躇う筈だわ。軽々しく使っていい力じゃないもの」

 

 その言葉に、石壁が顔を上げる。

 

「……この改変は、中枢棲鬼を倒したら」

「戻らないわよ」

 

 無慈悲に切って捨てる。

 

「一度改変されたら。もう戻らない。茹で上がった卵はもう生卵には戻らないのと同じようにね。だからこそ東郷提督は慎重に慎重を重ねて、最低限の改変にとどめようとしていたの。私達みたいに遠慮なしに改変したら戻せるわけがないわね」

 

 じわりじわりと、今も改変は進んでいる。その事実に、石壁は恐怖を感じた。

 

「改変を止めたかったら、中枢棲鬼を倒すことね。彼女が死ねば、もうこれ以上改変の力は使われないわ」

「……それしかない、か」

 

 石壁は、遠い目をしてため息を吐いた。

 

 *** 

 

 

 それから暫し休息した後。知り過ぎてしまった世界の裏側の知識と、先ほどまで見ていた過去の映像を思い出しながら、石壁は疲れたように言葉を紡いだ。

 

「でも……僕等は皆……70年以上も前の、まだ誰も生まれてすらいなかった時代の事が原因で……今になっても殺し合いを続けているのか……」

 

 石壁が椅子にこしかけたまま項垂れる。大和はそんな石壁を感情の読めない無表情で見つめながら口を開いた。全部先の時代の、文字通りの尻拭い。それが、この戦いの本質なのだ。徒労感を感じるなというほうが、無理な話である。

 

「元凶の一人である私がいうのもどうかと思うけど……歴史っていうのはそういうものよ。積み重なった過去の先に現在があって、積み上げていく現在の果てに未来がある。私も、アンタも、ずっと繋がってきた歴史のバトンを偶然今という現在で受け取っただけ……受け取る前の走者が、どんな道を突き進んでいたとしても、ね」

 

 歴史は無数の因果の繰り返しで進む。一つの歴史的事件の背後には、無数の積み重なった因果が存在するのだ。どうしようもない過去の因果を、今生きる人間が背負い、そして次へと繋いでいく。それは自然と、積み重なった過去の方向性を延長するような形になっていくものだ。

 

『歴史にIFはない』というのは、一つの選択にIFを加えても、結局のところ積み重ねた過去が歴史の大勢を決してしまうからなのだ。サラエボ事件がなくても第一次世界大戦は起きただろうし。真珠湾攻撃を行わなくても、いずれ太平洋戦争は勃発した筈である。そうしなければ、同じ過去を背負い進んできた大勢の人間が、納得出来なくなるから。

 

 それでもIF(無理)を押し通すならば……それ相応の結末というものがやってくる。優勢な状態からの降伏という急変についていけなかった……変化から取りこぼされた人間に、東郷が暗殺されたように。運命を覆す度に、石壁達が何かを喪う様に……

 

「だけどそもそも本物の歴史があって、僕等の生きている歴史が改変された偽物で、偽物だから法則が滅茶苦茶なんでしょ?アイデンティティの否定なんて次元じゃないよ」

 

 石壁は正史から分岐し、余りにも恣意的に歪められた自分たちの世界に現実感が持てなくなりつつあった……世界レベルのアイデンティティの破壊。それによって石壁は今まで必死になって紡いできた自分たちの戦いを、進んできた道を、丸ごと全て否定されたように感じてしまう。そんな石壁をみて、大和は口を開いた。

 

「それは違うわよ」

 

 その否定には、強い力が籠っていた。少し気の抜けていた石壁は、姿勢を正して大和に向き直る。

 

「正史正史と繰り返したけど……これはあくまで変異の基準になった世界を分かりやすくするために、暫定的に正史と定めているだけよ。私の……いえ私達『深海棲艦の基準』は、東郷提督が生まれ育った歴史を基準としている。だから改変前が『正史』になる」

 

 大和は空中に、またしても一本の線を生み出す。左から右へ、続いていく線は、やがて二つ、三つ、四つと枝分かれを始めて行く。

 

「世界は無数に枝分かれしていく。歴史にIFがないのは、一つの変化点(IF)では歴史の大まかな当着点は同じと変わらないから……でも、ズレは当然に発生する。小さな分岐でも、その時点で世界はずれるモノよ。そして……」

 

 大和の作り出した分岐線は、小さな分岐を無数に繰り返しながら壁へ……マクロでみれば大差ない、ミクロで見れば大違いの場所へとそれぞれが接地した。

 

「分岐点が同じでも……通着点と過程は変えられる……時代の流れの中で、大勢の人がそうやって、よりよい未来へと明日を繋ぐ為に戦ってきたのよ。私や東郷提督だってそう。アンタだって、あれだけ必死になって南方棲戦鬼(ワタシ)を討ち果たした。それは誰にも否定できないし、否定させない。させるわけにはいかないのよ。今の私たちが生きているのは、正史ではなくこの世界なんだから」

「……ッ」

 

 大和の言葉に、揺らぎかけたアイデンティティが急速に固まる。なんのことはない、この世界が過去を改変された世界だとか、法則がねじ曲がった世界なのだとか、そんなものは関係ない。関係など、ないのだ。『石壁達の世界』は他にはないのだから。

 

「ああ、その通りだ。僕の……僕等が進んできた道は、誰にも否定出来ないし、させない。僕等が積み重ねた過程を、僕が否定してどうするんだ」

 

 石壁は、残った左腕を強く握りしめた。石壁にとっての本物は、単純にして明快。惚れた女と愛する仲間達の存在である。故に彼等と共に歩み、共に掴んだ結果は、全てが本物なのである。石壁本人がどれだけ傷つき、揺らぎ、暗中に道を喪おうとも……それだけは揺るぐ筈が無かった。

 

「……まったく、世話のやける男ね」

 

 自分を討ち果たした強敵(ライバル)のそんな姿に、大和は呆れた風に……でも少しだけ楽しそうに笑ったのであった。

 

「……と、流石にそろそろ、夢の終わりね」

 

 段々と、石壁の姿がぼやけ始めた。長く眠り続けた石壁の夢が終わり、現実へと帰る時が来たのである。

 

「次にこうしてあう日が来るのか知らないけど……まあ精々頑張んなさい。これからアンタがどの道を選ぶのかは知らないけど、精々よく考えて『納得できる道』を選ぶ事ね」

「……ああ、ありがとう大和」

 

 素直に礼を言われて、大和は調子が狂うと言いたげにそっぽを向いた。

 

「--ああ、言い忘れていた事があったわね」

 

 だんだんとぼやけていく視界の中で、もう殆ど見えなくなった大和が振り向いた。

 

「もう別世界とはいえ、東郷提督に関わる力は史実由来……故に彼の世界の影響を大きく受けているわ」

 

 泡沫の夢が終わる。夢と現、二つの世界が混ざっていく。

 

「だからもしもアンタがーーーーの道をーーーーなら」

 

 ぼやけた視界の中で、大和が笑ったような気がした。

 

「----尊きお方を、訪ねなさいな」

 

 そこで世界が暗転した。

 

 ***

 

 

「……うっ、ここ……は」

 

 石壁が目を覚ますと、開けた視界に映ったのは真っ白い板張りの天井。シーリングファンをしばし呆然と見つめた後、左右へと首を振る。窓から吹き込む心地の良い日差しが今が昼間である事を教えてくれた。

 

「……どこだ?」

「あら?気がついたの?」

 

 石壁のつぶやきに反応して少女の声が響いた。その声に反応して目をやると、そこには一人の少女が執務机に座っていた。少女はこの南国には不釣り合いな服を着こんでいる。フリフリのフリルが大量についた黒っぽい服装は、所謂ゴスロリと呼ばれる服であったのだ。この南国でこの様な服装を着込んでいれば、普通なら半日と経たずに倒れるだろう。にもかかわらず涼し気な顔をして椅子に腰かけている彼女の姿はまるで妖精の様に幻想的ですらあった。

 

「き、きみは一体……?」

 

 少女は手元の書類を机に置いて椅子から立ち上がると、ゆっくりと石壁へと近寄る。段々としっかりしてきた思考で彼女を冷静に観察していると、少女の正体に見当がついてきた。この病的なまでに青い肌には見覚えがある。そして何よりも……変質した己の肉体が叫ぶのだ。

 

 “コイツは己と同類だ”と。つまりそれは人でも艦娘でもなく……

 

「し、深海棲艦……!?」

 

 深海棲艦であるということだ。石壁が直感に従って思わずその正体を口走る。一瞬で看破されたという事実に少し驚いて目を丸くした少女であったが、直ぐに微笑みを浮かべる。

 

「あれ?もう分かっちゃったのかしら?」

 

 少女はそう悪戯っぽく笑うと、胸元に手を当てて宣言した。

 

「御明察よ。そして貴方の最初の疑問にも応えてあげましょう」

 

 石壁は猛烈に嫌な予感がして冷や汗を流す。

 

「ここは深海棲艦のオーストラリア方面軍管轄。ニューカレドニア島の前線基地。そして私はーー」

 

 少女は笑みを深めて宣言した。つまり石壁は----

 

 

「--この前線基地の司令官を務める離島棲鬼よ。大日本帝国の軍人さん?」

 

 

 ----敵軍の手に落ちたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




●活動報告に『東郷提督に関わる諸所の設定』を追加しました。

東郷提督に関して劇中で分かっている事を纏めつつ
彼のチート能力についての説明をしています。

読まなくても一切影響はございませんので、気になった方だけご覧くださいませ。


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第六話 天国に一番近い島で

 

 

 

「り、離島棲鬼!?」

 

 石壁は思わぬ展開に咄嗟に逃げ出そうとするが、体がうまく動かない。ここに至って漸く彼は己の手足が鎖で繋がれている事に気が付いたのだ。

 

「ああ、暴れちゃ駄目よ?怪我をしてしまうわ」

 

 そういって彼女は石壁に近寄ると、そっと暴れる彼の体をベッドに寝かしつけた。その優し過ぎる言葉と対応に、石壁は何が起こっているのか理解できずに目を白黒させる。大人しくなった石壁に離島棲鬼がほほ笑む。

 

「そう、いい子ね。大人しくしててくれれば、悪い様にはしないから」

 

 そういって彼女は石壁の頭を撫でてくる。人の感情に敏い石壁には、彼女に本当に害意がないのが分かる。故に混乱は加速していく。

 

(な、何が起こっているんだ……?)

 

 石壁の混乱を尻目に、彼女はベッドの傍の椅子に腰かけて言葉をかけてくる。

 

「さて、寝起きの所悪いのだけど、二三質問させてもらっていいかしら?大佐さん?」

「えっ、大佐?」

 

 なんで大佐なんだ?石壁がそう問う前に、彼女はしてやったりという感じの笑みを浮かべる。

 

「ふふ、なんで分かったのかって顔ね?」

(違います)

 

 石壁がそれを口に出さずにいると、彼女は得意げに壁を指さす。そこにはボロボロになった彼の軍服がかけてあった。

 

(あっ……階級章……大佐のままだ……)

 

 覚えているだろうか、石壁は赴任時は大佐だったのだ。だが、本当に色々あってあっという間に中将になったせいで、階級章が大佐のままだったのである。つまり彼女はボロ屑になった軍服から、石壁を帝国軍の大佐が海難事故か何かにあったと考え違いをしているのだ。まさか今正面で睨み合っている敵軍の総司令官が味方に暗殺されかけて、その結果哨戒中回収されたなどという真実を知っても冗談だと思って笑い流すのが関の山だろう。事実は小説より奇なりとは正しくこの事であった。

 

「階級章を見れば階級くらい一瞬で分かるわよ!」

 

 ドヤァ……という擬音が付きそうな位にお手本のようなドヤ顔、得意げに胸を張る彼女の姿に、先ほどまでの神秘的な空気が一瞬で消え失せる。どうやら相当に愉快な性格の深海棲艦のようであった。

 

「驚いたわよ?だって私が哨戒中の潜水艦が真っ黒こげのドザエモン担いで帰った来たんだもの。何事かと思って近寄ったらあれだけボロボロでもまだ生きていて二重にビックリしたわ。急いで医務室に引っ張り込んであげたんだから感謝すると良いわよ」

 

 うんうんと腕組して頷く彼女は、チラチラとこちらを見てくる。

 

「ええっと……その、あ、ありがとうございます?」

 

 その言葉に満足したのか、ドヤ顔が二割増し位に笑みが深くなるのであった。

 

 閑話休題

 

「で、そろそろ貴方の現状も分かったでしょうし?色々と事情聴取させて貰うわね?あ、水飲む?」

「い、頂きます」

 

 話があっちに行ったりこっちに行ったりしながら、離島棲鬼による石壁への尋問が始まったのであった。

 

「まず手始めに、名前から教えてくれるかしら?」

「ええと……い……」

 

 そこで思わず本名を漏らしかけて、石壁は言葉を飲み込んだ。『イシカベ』の名前は深海棲艦にも広く知られていることを寸前で思い出したのだ。

 

「い?」

「い、石田堅持です」

「イシダケンジね」

 

 さらさらと手元の書類へと書き込む離島棲鬼。

 

「ええと、イシダ大佐?なんであんなボロボロだったの?あの爆発した艦にでも乗ってたの?」

「ええよく分かりましたね。実は乗艦が爆発しまして……」

「ふんふんなるほど……なるほど??……え、本当にあの爆発した艦に乗ってたの!?よく生きてたわね!?」

 

 ギョッとしたように彼女が顔をあげる。

 

「か、体が頑丈だったのが幸いしたのかな?」

「爆発に耐えられたら人間じゃないわよ艦娘や深海棲艦じゃあるまいし……艦の上層部にでも乗ってたの?運が良かったわね」

 

 離島棲鬼は石壁の言葉を冗談と受け取ったらしく聴取に艦艇の爆発事故による漂流と記入していく。

 

「艦艇が爆発したとは聞いてたけど……本当に貴方が乗っていた艦なのね……不運なのか幸運なのか……」

 

 気の毒そうな顔をしながら彼女は尋問を続ける。

 

「艦娘じゃなくてなんで通常艦艇に乗っての?」

「本土の大本営から召集をうけて移動中だったんですよ」

「大本営からねえ?なに?暗殺でもされかけて船ごと爆破されたとか?」

「あはは……本当によくわかりましたね……ええ船ごと消されかけたんです」

「なんてね冗談じょうだ……はっ!?本当に暗殺されかけたの!?!?」

 

 深海棲艦にすら驚愕される己の境遇の悲惨さに、石壁の瞳からハイライトが消えていく。その表情に嘘は言ってないと察した彼女はどうしたものかと頭を抱える。

 

「ええ……なにやってるのよ大本営……あの英雄イシカベを全力支援するような、機転と能力があるくせになんで未だに暗殺なんてしてるの??」

「えっ」

 

 今度は石壁が驚く番であった。

 

「イシカベを全力支援??」

「あら?知らないの?飛行場姫との戦いであれだけ大きな支援があったじゃない」

 

 そういって離島棲鬼はデスクからファイルを持ってくる。

 

「ええっと……あったあった。『飛行場姫がショートランド泊地を一度攻めた直後、大量の物資が泊地へと送り込まれ、それに合わせる様に大艦隊を収容し得るほど鎮守府沿岸部が肥大化する。飛行場姫はこれを人類側の大本営による大艦隊派遣の前触れと判断して戦略に修正を加え、攻勢再開時期を一月繰り上げ兵力の回復を待たずに攻撃を行った。これによって人類側の大増援前に攻め込む事に成功するも、戦力の不足から攻めきれずにイシカベに敗れた』って報告がきてるんだけど?」

「ええぇ……」

 

 石壁は想像すらしていなかった事実に頭を抱えた。あの戦いは石壁達が敗戦から立ち直り、反撃の為の全ての用意を整えた直後に発生した。ギリギリ用意が間に合ったともいえたが、対応できるギリギリの戦力で攻めてくれたともいえるのだ。もしもあと一ヶ月飛行場姫の攻勢が遅れていれば策を弄してもどうにもならない更なる大戦力で磨り潰されていたのだから。

 

 つまり徳素がやった嫌がらせのお陰で、石壁は早すぎても遅すぎても意味がない本当に奇跡的な【勝ち目があるタイミング】で戦闘を行う事が出来たのだ。もう少し攻勢が遅ければ、死んでいたのは間違いなく石壁だった。それだけ飛行場姫は優秀で、有能で、完璧な将軍だったのだから。

 

「……なんか、想定と反応が違うんだけど?えっ、もしかして事実は全然違ったりするの?」

「……あはは」

 

 だが、それを素直に受け入れられるかは別問題であるのは当然の話である。

 

「ええっと、その、実は……」

 

 ***

 

 それから石壁が話しても問題がない範囲でその支援の真相を話すと、最終的に離島棲鬼は感情が抜け落ちたような無表情でフリーズしてしまった。

 

「……」

「……あの?離島棲鬼さん?」

 

 余りにも微動だにしない彼女に石壁が不安になって声をかけると、ポツリと彼女が声を出した。

 

「……色んな意味でないわー」

 

 ごもっとも。

 

「ええぇぇ……ちょっとまってよ。何?飛行場姫の奴そんな内ゲバに巻き込まれて死んだの?これ上にどう報告したらいいの?こんなんそのまま報告したら虚偽報告の容疑で軍法会議モノなんだけど??」

「……その、僕にそんな事聞かれても……困る」

 

 石壁は深海棲艦の方が軍事的にはよっぽど常識的だという事実に、思わず目を逸らすしかなかった。

 

「はぁ……まあいいわ、あと、貴方が話せる範囲で良いわ。イシカベ達について知っている事を話しなさい」

「……話せる範囲で?」

 

 てっきりこれから拷問にでもかけられて洗い浚い話させられると思っていた石壁は、その予想外に甘い言葉に困惑する。

 

「だってねえ……日本兵って無理やり拷問して情報吐かせようとしたらすぐに自決しちゃうじゃない。本当の事を話すとも限らないし、それなら好き勝手に話してもらって使えそうな情報をこっちで取捨選択したほうがマシだもの。嘘かどうかくらい目を見れば分かるし」

 

 ふざけて居る様に聞こえるが、彼女は至って真面目である。飛行場姫とは方向性が違うが、離島棲鬼もまた一角の将なのだ。先程までにひたすら会話を繰り返す中で、彼女は石壁がどういう人間なのかを概ね把握した。その上でどういう方向性で情報を引き出すのが正しいのかを理解して、こういう訊ね方をしているのだ。

 

(性根は至って誠実。こういう人間には腹芸を張っても無駄だわ。これくらいノーガードでぶっちゃけた方がむしろ情報は多く出てくる。何も話されずに死なれるくらいならこのほうがよっぽど良いもの)

 

 そして、彼女の判断は正しい。石壁は受けた恩を無下には出来ない人間であり、同時にどこまで話せば不味いか位は弁えている人間であるからだ。

 

「……わかった。どうせ僕の命は貴方の手の平の上だ。絶対に言えない情報以外はある程度話そう」

 

 ***

 

「……僕に言えるのは、これくらいだ」

 

 それから数十分、石壁は仲間の命や作戦に直結しない程度の情報を離島棲鬼に話し続けた。『調べればわかる』程度の情報と『詳しく調べなければわからない』程度の情報であり重要度そのものは低い。だが、そもそも人類側に伝手の少ない深海棲艦からすればこれらの情報は小さなモノではない。

 

「ふむ、なるほどね」

 

 離島棲鬼は手元の資料にさらさらと文字を書き加えると、こちらを向く。

 

「大体聞きたい事は聞けたわ。ありがとうね」

 

 そういってほほ笑むと、彼女は石壁の頭に手をおいて撫で始める。

 

「えっと……?」

「寝起きに色々聞いて悪かったわね。しばらく寝てなさい」

 

 そういって優しく頭を撫でてくる彼女に困惑している石壁だったが。暗殺未遂による漂流は想像以上に石壁の体力を奪っていたらしく、数分もすれば意識が薄れ始めてくる。

 

「……おやすみなさい」

 

 石壁が寝た事を確認すると、離島棲鬼は部下を呼んで調書を渡し、指示を出す。

 

「この人はオーストラリア本土へ送るわよ。相当に重要人物だと思うから丁重に護送しなさい」

「はっ!」

 

 部下が部屋を出て行った後、彼女は椅子に腰かけて石壁を見つめる。

 

(出てきた情報と、出さなかった情報。そして彼の現状から鑑みるに、戦略に影響が出るレベルに重要な将で間違いないわ)

 

 彼女の人物鑑定眼は正しい。短い間の交流で石壁が並大抵ではないレベルで有能な将官である事を察していた。

 

(恐らくは、イシカベに相当近しい人物ね。彼の作戦の骨子に組み込まれるレベルで……いったい何者かしら?)

 

 実は石壁本人です。などという事実は当然ながら彼女にも分からない。

 

(まあいいわ。どの道、オーストラリア本土に送っておけば関係ない話だし……それに、ここに拘留していたら戦いに巻き込まれてしまうもの)

 

 彼女は深海棲艦ではあるが、意思疎通が出来ない怪物ではない。むしろ、下手な人間より性根は真っ直ぐな女性であった。故に同じく根っこが善良な石壁には強い好感を抱いており、彼を戦闘に巻き込むのは本意ではなかったのである。

 

「ここも……そしてオーストラリアも、いつまでもつのかしらねえ?あーやだやだ」

 

 彼女は自分たちの行き先が敗北以外にない事を既に察していた。そしてそれが自分一人ではもうどうにもならない話である事もよく知っていた為、ただため息を吐くしかなったのであった。

 

 ***

 

「イシダさん、貴方にはオーストラリアへ行ってもらうわ」

 

 石壁が意識を取り戻した数日後、彼は離島棲鬼にそう告げられた。

 

「オーストラリアへ?」

 

 相変わらずベッドで拘留されている彼は、離島棲鬼にご飯を食べさせてもらいながら言葉を返す。

 

「ええ、ここはその内戦場になるわ。貴方なら多分知っているでしょうけど、ここが落ちるのは時間の問題なのよ」

 

 それは石壁もよく知っていた。ニューカレドニア島攻略に向けた部隊の準備は着々と進んでおり、その規模は南洋諸島方面軍からの援軍も入れて相当のモノになっている。ニューカレドニア島に存在する深海棲艦戦力もそれなり以上のモノだが、歴戦の提督達を食い止めるには力不足と言わざるを得ない。

 

「貴方みたいな高級将校を戦闘に巻き込んで殺すわけにもいかないのよ。まあ安心しなさいな、うちのリーダーは話が分かる奴だから……オーストラリアが陥落するときには返して貰えるわよきっと」

 

 そういって笑う彼女に、石壁は思わず問いかけてしまう。

 

「なぜ、そうまでして……敵である僕に気を使ってくれるんだ」

 

 石壁はここで目が覚めてから一度として粗末な扱いを受けた事が無かった。捕虜としての扱いは極めて人道的どころか、敵の司令官である離島棲鬼手ずからにあれやこれやと世話をやいてくれる程だ。今も石壁の安否を心配してこの様な対応までしてくれているのだから、彼の疑問も当然であった。

 

「……未練、かしらねえ」

 

 離島棲鬼は暫く石壁の顔を見つめた後に、諦観を顔に滲ませて呟いた。

 

「……ここ、ニューカレドニア島って、元々なんて言われていたか知ってる?」

 

 離島棲鬼はそういって、窓の外をみる。そこに広がっているのは、南国らしい素晴らしい風景。世界中で戦争が行われているなどとは信じられない程、穏やかな光景が広がっている。

 

「天国に一番近い島……そうよばれていたの」

 

 石壁はその言葉に強い納得を抱いた。確かに天国という場所があるなら、きっとこんな光景なのだろう。

 

「私はこの島を根拠地にして生まれた深海棲艦よ。生まれてからずっと、ここで生活していたら……戦いとか憎しみとか……ばかばかしくなっちゃってね……」

 

 そういって彼女は悲し気に微笑む。風に揺られた彼女のドレスが、まるで草花の様にはためいた。

 

「本当はもっと色んな人と仲良くなりたいし、殺し合いなんてしたくない……でも、言ったところでこの戦いは止まらない……だからせめて、貴方みたいな優しい人とは仲良くなりたかった……そんなところかしらね?」

 

 離島棲鬼はそういって寂しげに微笑んだ。石壁の心根の善良さは少し語り合っただけでも彼女には本当によく感じられた。その温かな彼の善性に惹かれて、ついつい彼女は世話を焼いてしまっていたのだ。

 

 石壁の善性は同種の心をもつ存在を惹きつける。それは深海棲艦とて同様であった。否、むしろ鈴谷達の例からもわかるように心が冷え切ってしまう深海棲艦であるからこそ、その熱量に惹かれてしまうのだ。暗く冷たい水底で冷え切った心が、太陽の光で温められるように。

 

「……」

 

 石壁は、その諦観に満ちた笑みに思わず俯いてしまう。彼女はこれから、彼の仲間に討たれるのだ。どのような言葉をかければいいというのか。敵である自分をこうも厚遇してくれた彼女に、知らぬ存ぜぬで平気な顔を向けられる程石壁は器用でも厚顔でもないのだ。

 

「ああもう、そんな顔しないの。本当に心配になるほど善良な人ねえ?軍人でしょ?心に棚を作らないと潰れちゃうわよ?」

 

 石壁のそんな姿に、離島棲鬼は苦笑しながら頭を撫でてくる。己より小柄な少女でありながら、彼女は既に覚悟を決めているのだ。

 

「じゃあね。もう会えないでしょうけど、運が良ければまた会いましょう?さようなら、優しすぎる軍人さん」

 

 そういって、離島棲鬼は石壁をオーストラリアへと送り出したのであった。

 

 ***

 

 オーストラリアへと向かう船旅の間に、石壁は隣で自分を監視している深海棲艦へと話しかけてみた。

 

「ねえ、一つ聞いてもいい?」

「む?どうかしたか?」

 

 護送役のル級は石壁に話しかけられてどうかしたのかという顔をする。彼女の顔にも、特に憎悪は見えない。今まで石壁に向けられた深海棲艦の瞳とは、明らかに違う。

 

「何故、君たちは戦うんだ?」

 

 何故戦うのか、そんな石壁の漠然とした問いにル級は考え込む。

 

「そうだな……生まれた時から戦う事を宿命付けられていたから……いや、違うか?」

 

 改めて問われて暫く考え込んだ後、ル級は合点が行ったという様に顔をあげた。

 

「……仲間を、離島棲鬼様を、死なせたくないから。だな」

 

 若干恥ずかしそうに、彼女はそういった。

 

「あのお方は少しばかり善良に過ぎる。護ってやらねば、直ぐに死んでしまいそうだからな」

 

 その言葉に、今度は石壁が考え込んでしまう。

 

「どうしたんだ?」

 

 その様子にル級は心配そうに言葉をかけてくる。

 

「……いえ、深海棲艦の大半は……人への憎悪で戦うモノだと思っていたので」

 

 その言葉に、ル級は頷く。

 

「……そうだな。私達は種族として、どうしても人類への憎悪が強くなるように出来ているのは否定出来ない」

 

 深海棲艦は水底に沈んだ艦艇達が変性して生まれてくる生物だ。故に多くの場合、過去の戦争に起因する強い憎悪の念を心に抱いている。

 

「だが、人の心が千差万別であるように、深海棲艦も全く同じではないんだ。南方棲戦鬼様の様に憎悪が強い深海棲艦もいれば、離島棲鬼様の様に憎悪が弱い深海棲艦も居る。オーストラリア近海には我々のような、人を憎むのに疲れた連中ばかり集まっているんだ」

 

 殺して、殺されて、壊して、壊されて……そんな憎悪と悲しみの連鎖に疲れ切った者達の駆け込み寺が、離島棲鬼を始めとしたオーストラリア方面軍なのである。

 

「人類だって、一枚岩じゃないんだろう?それと同じさ」

「……そうだね」

 

 ル級のその言葉は真理だった。もし人類が一枚岩だったなら、そもそも石壁は南方に来る事さえなかったのだから。そうやって暫し会話をしていると、ル級は少し考え込んだ後に、躊躇いがちに声をかける。

 

「……なあ、貴方は重要な立場の将官であった事は私に分かる。だから、もしも……もしもだが……」

 

 ル級はそれを言うか、言わないかで迷いながら言葉を紡ぐ。

 

「もしも……貴方が向こうへ帰った後、離島棲鬼様の運命を決定付ける様な立場になったのなら……ほんの少しで良い……彼女を……」

 

 そこまで言ってから、ル級は口をつぐんで俯いた。

 

「……いや、すまない……なんでもない」

 

 まだ戦いすら終わっていないのに、自分たちの虜囚となった敵将に命乞いをする。その愚かしさに思い至った彼女は、それ以上言葉を続けられなかった。そこまで恥知らずにはなれなかったのだ。

 

「……受けた恩は、忘れません。返せるかは、分かりませんが」

 

 石壁のその言葉に彼女はもう一度すまないと謝って、それ以降口を開くことはなかった。

 

 船は二人を乗せて、深海棲艦の手に落ちた大地へと向かう。

 

 

 

 

 

 

 オーストラリア方面軍最高司令官、港湾棲姫の待つシドニーへと。

 

 

 

 

 

 

 

 




●ちょっとだけ小話
 史実における大日本帝国軍人の皆様は『生きて虜囚の辱めを受けず』という教えは受けていたが『実際に捕虜になったらどうふるまえば良いのか』は教わっていませんでした。
 結果『捕虜として丁寧に扱われた』場合、『命を救われたらそれ相応の何かを返さねば』と割とボロボロ情報を吐いてくれたそうです。
『理想重視で無理な命令を出しても無理なもんは無理だ』という当たり前の話でした。


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第七話 深海棲艦の手に落ちた地で 前編

実はこの話を書くまでオーストラリアの首都はシドニーだと思ってました(小声)


 

 石壁がニューカレドニア島を出立して数時間後、彼等を乗せた船がシドニーへと到着した。

 

 シドニー、そこはオーストラリア東岸に位置する都市であり、内陸の首都キャンベラ以上に発展した正しくオーストラリアの顔とも言える都市である。

 

 英国がオーストラリアへと入植を始めた直後である1700年代末から開発されてきた歴史。そこに天然の良港である立地の良さ、災害の少ない安定した大地、発展した工業地帯と広大な農業地帯を併せ持つ世界でも有数の大都市であった。

 

 だが深海大戦の勃発と共に、海に囲まれたオーストラリアは完全に孤立。現在は沿岸部を完全に深海棲艦に制圧され、住民の安否は不明という状況が続いているのであった。ちなみに以前登場したジョージ駐日大使の故郷である。

 

「ついたぞ、ここがシドニーだ」

「……ここが」

 

 付き添いのル級の言葉に、石壁が立ち上がって外を確認する。

 

「……これが、深海棲艦に制圧された町?」

 

 そして、広がっている光景に彼は呆然としてしまった。

 

「なんで、まったく荒廃してないんだ……?」

「さて、では行くとしようか」

 

 ル級に促されて、石壁は船の外へと足を踏み出した。

 

「シドニーへようこそ」

 

 石壁の驚きにしてやったりといった風情のル級が、笑みと共にそう言った。

 

 シドニーの町は、殆ど戦前と変わらない立派で平和な都市を維持していたのだ。それだけでも石壁にとっては大いなる驚きであったが、本当に彼を驚かせたのはそこに住む人々であった。

 

 人、深海棲艦、人、人、深海棲艦、深海棲艦、深海棲艦そして人……あっちを向いてもこっちを向いても、人と深海棲艦が同じ都市を歩いているのだ。不俱戴天の仇である人と深海棲艦が隣り合って生活しているというその光景に、石壁は目を見開いて呆然とするしかない。

 

「なんだ……ここは……」

 

 思わずそう呟いた石壁に、ル級は微笑んで説明する。

 

「シドニーへ我々が赴いた時点で、既に戦いの趨勢は決していた。故に人類側の抵抗は殆どなく、シドニーへの戦争被害は最低限に抑える事ができた」

 

 それが第一の幸運。下手に抵抗していれば、町は焼かれてしまっていただろう。故郷を焼かれては、普通は友好など築けない。

 

「そして我々の最高司令官である港湾棲姫様が穏健派のリーダーであり、人類への不要な攻撃を厳禁としたのだ。宥和政策を積極的に行ったことで歩み寄りの土壌が生まれた」

 

 第二の幸運は、オーストラリアを制圧した深海棲艦が穏健派の港湾棲姫であった事だ。もしも南方棲戦鬼に制圧されていれば皆殺しにされ、飛行場姫に制圧されていれば労働力として生かさず殺さず飼い殺しにされていただろう。

 

「さらに、もう戦争が始まってから8年……それだけの間一緒の都市で生活していれば、余程の理由がなければある程度は仲良くなるさ。食べ物にも困らないしな」

 

 第三の幸運、それはオーストラリアという国が非常に豊かな国であったことだ。豊富な鉱山資源と食料に支えられて、孤立しても飢える事が無かったが故に、10年の間占領下にありながら平和に暮らす事が出来たのである。これらの事情が絡み合った結果、人と深海棲艦が共存する特殊な都市シドニーが生まれたのである。

 

「深海棲艦と人類が、共存する都市……」

 

 石壁は呆然としたまま、その平和な街を見回した。ベンチで談笑する男性と深海棲艦の姿もあれば、街中のホットドッグ屋でバイトしている深海棲艦と、彼女からホットドッグを受け取る少年の姿がある。よくよく見れば、まるで夫婦の様に仲睦まじい人と深海棲艦の男女の姿さえあった。

 

「こんな町が……現実に存在するのか……」

 

 石壁はその平和な光景に困惑すると同時に、今までただの敵として討ち果たしてきた深海棲艦が……実は共存出来得る存在であったという事実に、足元が揺らぐような感覚を覚えていた。

 

 ただの化け物であったなら、人は殺すことを躊躇わない。だが、それが自分と同じように笑い、語らい、幸せを感じるヒトの心を持つものだと知って、躊躇い無く相手を殺す事は難しかった。

 

「……大丈夫か?」

 

 そんな石壁の様子を心配して、ル級が石壁に声をかける。

 

「あ、ああ、大丈夫」

「まあ、驚くのも無理はない。いきなりこの光景を咀嚼出来ないのも当たり前の事だ。とりあえず、今日の宿へ向かうとしよう。護送車にのってくれ」

 

 そういって、ル級は護送車へと石壁を案内したのであった。

 

 ***

 

 街中を走る護送車の中、石壁はただ窓から流れて行く街並みを見つめていた。

 

「……」

 

 窓の外に見える光景は、どこからどうみても平和な人の町。だが、実際は人と深海棲艦が共に暮らす町なのだ。

 

(……これから僕達は、この町に攻め込むのか)

 

 如何に気を配ろうとも、兵士の展開した都市に攻め込めば、その都市はタダでは済まない。今ここに暮らす人間にも当然被害が出るだろう。そしてーー

 

(……ただ深海棲艦として生まれただけの存在も、殺さねばならないのか?)

 

 ーー今も目の前を流れて行く……人と共に歩む深海棲艦達も、石壁は殺さねばならなくなる。大日本帝国にとって、彼女達は一人残らず絶滅させるべき敵であるのだから。

 

(僕は……どうすればいいんだ……武蔵……)

 

 今も石壁と共にある、かつては深海棲艦であった武蔵に問う。だが、武蔵はもう応えてくれない。ただあるがままに世界を石壁へと見せてくれるだけだ。そこからどう歩むかは、己が決めるしかないのである。

 

 石壁の仲間達によってニューカレドニア島攻略作戦が開始される日は、もう目前に迫っている。もしも衝突を回避したいのならば、もう猶予はあまりない。一刻も早く動かねばならない。

 

(でも……今更僕に何が出来る……そもそも日本に僕の居場所はもう……)

 

 だが、石壁は動けない。石壁は祖国に裏切られ、暗殺されかけたのだ。足元がぐらつくという次元の話ではない。どう動けばいいのか、そもそも動くべきなのか……そして、動いた所で祖国から捨てられた自分に何が出来ると言うのか…… 

 

 何かしなければという切迫感はある。だが、まるで背骨を抜かれたかの如く体に力が入らないのだ。流石の石壁も、立て続けに発生したショックの連続で心が疲れ切っていた。

 

 人は感情の生き物だ。感情とは心の揺れ動きであり、心の揺れ動きは火の如く熱を生み出して魂を突き動かす。故に、今の石壁は心の熱を失い体を動かせなくなっているのだ。

 

 こういう状態の人間は、逆に極めて危険だ。停滞する感情は衝動を抑圧する。まるで水の入った風船を握りしめるが如く、内部に危険な圧が掛かっているのだ。そして抑圧された衝動を開放された人間の行動は、突発的なモノであるが故に、抑える事が出来なくなる。

 

『結構道が混んでいるな』

『回り道でいこうか。そこを曲がってくれ』

 

 そして、必然か、偶然か、あるいは運命か……時として巡り合わせというモノは、まるで仕組まれたが如く人を導く事があるのだ。この小さな分岐が、文字通り運命の分岐点となる。

 

『おい、右の方の煙……あれはなんだ?』

『火事……か……?』

「……?」

 

 その時、壁の向こう側の運転手の二人の会話が聞こえてきた石壁は、なんとなくそちらを見つめた。進行方向右手側に、煙が立ち上っている。

 

『まだ消防隊は来ていないみたいだな……』

『大丈夫なのか……?』

 

 だんだんと近づいてくる煙の根元に、轟々と火の手が上がるビルの姿を見つける。ビルの中腹付近から煙と火の手が上がっている。火の勢いは強く、上層部が炎に包まれるのは時間の問題であろう。

 

「……」

 

 やがて護送車が、火事になっているビルの側面を通り過ぎる瞬間ーー

 

『……ッ!……ッ!!』

「--あ」

 

 ーー石壁は煙の隙間から、助けを求めて手を伸ばす子供の姿を見つけた。見つけてしまったのだ。

 

 子供が泣いている。炎と煙の中で、助けを求めて手を伸ばしている。その光景が己の過去の記憶と重なって、戦火の記憶がフラッシュバックする。押さえつけられた衝動がきっかけを見つけて燃え上がる。熱く、熱く、理性を追いやり肉体を突き動かす。

 

「……ッ!!」

 

 石壁の中で、何かがキレた。難しい事も、自分の立場も、何もかもどうでもよくなって体が勝手に動く。動いてしまう。固く施錠された合金製の扉まで走り出した石壁は、そこに手をかけた。

 

「邪魔だッ!!」

 

 扉を腕力でえぐり開け、力づくでぶち抜いた石壁は、衝動のまま走り出した。

 

 ***

 

「ゲホッゲホッ……!?誰か!!誰か助けて!!」

 

 アパートの10階にいた少女はベランダから助けを呼んでいた。

 

「なんで……どうしてこんなことに……助けて……おねがい……」

 

 少女は今日風邪を引いて学校を休んでいた。眠気を催す風邪薬を処方され、ずっと眠っていたが故に火事から逃げ遅れたのだ。両親が仕事に出ていたこともあり、彼女が目覚めたのは最早避難出来なくなった後であった。

 

「ゲホッ……ゲホッ……」

 

 段々と煙と熱が増えてくる。このままではベランダに居るだけでいずれ死んでしまうだろう。だが、室内に戻れば助けを呼ぶ事すら出来なくなる。少女は一縷の望みにかけて、助けを呼び続ける。路上の誰かに、道行く車に、必死に己の存在を伝えようとする。

 

「……誰か……助けて」

 

 病気と、煙と、火事の熱気のせいで。少女は段々と意識が朦朧としてきて、ずるずると手すりにもたれかかったまま座り込んでしまう。少女は自問する。自分の何が悪かったのだろうか。知らないうちに、悪い事をしてしまって、その罰を受けているだろうか。誰に謝れば、許してもらえるのだろうか。分からない。何も分からない。ただ心細くて、悲しくて、苦しい。

 

「お父さん……おかあ……さん……」

 

 涙が溢れて止まらなかった。温かい父と、優しい母に会いたい。これが夢なら、覚めてほしい。そう願って、少女は無意識の内に目の前に手を伸ばす。

 

「たす……けて……」

 

 少女の意識が闇に落ちるその瞬間、力の抜けたその手を……誰かが掴んだ。

 

「……大丈夫、もう大丈夫だ」

 

 優しい声音と、温かさに包まれて、少女は意識を失った。

 

「室内には戻れない。なら……」

 

 石壁は少女を左手で抱きしめると、彼女を抱えてベランダから飛んだ。

 

『……ッ!!』

 

 下で見ていた野次馬達から、悲鳴が上がる。

 

(大丈夫だ。集中、集中しろ)

 

 重力に引かれて肉体が加速する。地面が近づく。世界が急速に狭まり、大地がこちらに向かってくる。

 

(膝をバネのようにして、脚全体で衝撃を受け止めろ。腕の中の子を、絶対に護れ)

 

 加速する体に反比例して、世界が急激に遅くなる。

 

(この世界が『意思』に力を与えると言うのなら……!)

 

 次の瞬間、両足が大地に接地した。

 

(子供の一人位!護って見せろ石壁堅持!!!)

 

 轟音とともに走る衝撃。足裏で受け止める。衝撃が止まらない。足首で受け流す。衝撃が止まらない。膝を限界まで折り曲げて衝撃を押し殺す。まだ、衝撃が止まらない。股関節が軋み骨盤が悲鳴を上げる。だが、ここで止める。止めた。

 

 左手を離さない。この子を助けるには足りない。肩を脱臼して衝撃を逃がす。この子を助けるには足りない。胴をクッションにして受け止める。まだ、足りない。内臓に衝撃を逃がす。止める。ここで止める。止めた。

 

「ぐっ……ぎっ……」

 

 止まった。確かに止まった。石壁は確信する。『意思』は何かの代価を払えば確かに影響を与えるのだと。

 

「ゲホッ……ぐ……おえ……」

 

 口中に溢れる血泡をその辺に吐き捨てる。大丈夫だ。この程度なら死なない。大和がなんとかしてくれる。そう言い聞かせて、呼吸を整える。

 

「ああ!マリー!マリー!!」

 

 そこに、彼女の母親らしき女性が走り寄ってくる。

 

「だ、大丈夫……このこは……無事……」

 

 ふらつきながら、顔を上げた石壁の視線の先には。

 

「ありがとうございます……ッ!ありがとうございます……ッ!ああ、よかった……マリー……」

 

 救いあげた少女の母親が。

 

「あーーーー」

 

 深海棲艦の女性(石壁が殺さねばならない相手)が立っていた。

 

「あの……このお礼は……え!?ちょ、ちょっと!?どこへ行くの!?待ってください!!」

 

 

 

 

 

 石壁は限界を超えて、その場から逃げ出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***

 

「何がどうなっているんだ……」

 

 ル級が停止した護送車の扉を見つめながらそう問う。扉は損壊しひしゃげている。まるで、握力で握りつぶして無理やり開いたような状態であった。護送車の運転手は、己が見た光景をそのまま話す。

 

「護送中の捕虜が突然扉を壊して車から飛び出していきました……扉を無理やりこじ開けて……車から飛び降りた彼は火事のビルに向けて走り出して……そのまま火中へ飛び込みました」

 

 助手席にのっていた深海棲艦が未だに燃え続けるビルを指さしながらその続きを話し始める。

 

「最初は自殺かと思ったんですが、数分もしないうちにアパートの10階のベランダに現れて、そこにいた少女を救助して飛び降りました……」

 

 彼等の目の前では、丁度件の少女が救急車に乗せられて運ばれていく所であった。聞いた所、多少煙を吸ってしまった以外は無傷であるらしい。

 

「10階近い高さから飛び降りたのに二人とも無事で……呆然とそれを見つめていた我々の前で母へと少女を預けると、そのまま走り出してどこかへ行ってしまいました」

 

 全員見たままを話しているのに頭がおかしくなりそうであった。捕虜は人間の男性だった筈だが、どう考えてもただの人間ではない。実は艦娘の亜種の艦息子だった?とか大日本帝国の生体実験で生まれたヤバい生物兵器だったのでは?という冗談みたいな考えが浮かんでくる。ル級は頭痛を堪えるように額を揉み、数回深呼吸を繰り返したあと命令を出す。

 

「……兎に角、大急ぎで市内を捜索しろ!!行動から見て市民に危害を加えるとは考え難いが、どう考えても放置して良い存在ではない!!」

「りょ、了解しました!!」

 

 ル級の指示を聞いて、部下の深海棲艦達は四方八方へむけ走り出す。

 

「何者なんだ……彼は……」

 

 ル級は、去っていく救急車を見つめながらそう呟いた。

 

 



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第八話 深海棲艦の手に落ちた地で 後編

 

 とある公園のベンチで、石壁は座り込んで頭を抱えていた。

 

「……何してるんだろうか、僕」

 

 あの時、衝動のまま少女を助けたまでは良かった。だが、少女に駆け寄ってきた母親の姿を見て、石壁は再び冷静さを失った。

 

「そりゃ……母親の深海棲艦だっているのは……考えれば分かるだろうに……」

 

 助けた少女は、深海棲艦と人間のハーフだったのだ。石壁は目の前の母親を、そして場合によってハーフである少女すらも殺さねばならなくなる。そう思った瞬間、石壁は逃げ出した。想像するだけで吐き気がする程に、その未来予想図を耐えられなかったのだ。

 

 それから石壁は走って、走って、走り続けて……ついに疲れて動けなくなった。そしてたどり着いたどことも知れない街角の公園で、再び無気力状態となってベンチに座り込んでしまったのだ。

 

「……平和、だな」

 

 疲れ切って現実逃避気味に呟く石壁。公園のベンチから見る町は平和そのものだ。そして目の前の公園では人間の子供と混血(ハーフ)の子供が遊んでいる。人と深海棲艦が、共存しているのだ。見れば見るほど、己の戦いへの疑問が湧いてくる。そして、これからどうすれば良いのか分からなくて、思考がぐるぐると袋小路を行ったり来たりする。

 

 そうやって頭を抱えていると、唐突に腹が鳴った。そういえば、今朝から何も食べていなかった。

 

「お腹減ったなあ……」

 

 こんなどうしようもない状況でも、腹が減る。石壁の胃が空腹を訴えるが、それを満たす事さえ出来ない。今の石壁は完全なる無一文であり、パンの一欠すら買う事が出来ないのだから。しかも先ほど火事に飛び込んだせいで服は煤けており焦げ臭い、完全に浮浪者の様相を呈していた。

 

「……」

 

 こうして一人街角で空きっ腹を抱えていると、孤児となって当て所なく彷徨い、行き倒れた記憶が否が応でも蘇る。故郷は燃え尽き、家族は死に絶え、あの時の少年はただ彷徨い歩くしか出来なかった。

 

 薄汚れていく服を着替える事も出来ず、雨が降れば橋の下や廃墟の軒先で眠れぬ夜を明かした。残飯を漁り、古新聞で寒さを凌ぎ、ただ歩いた。

 

 前へ、前へ……戦火から遠ざかり、生き延びる為に……少しでも前へと歩き続けた。

 

 やがて歩く事さえ出来なくなった少年は、どうしようもない茫漠感に包まれて座り込んでしまった。

 

 どうしようもなくて、何も出来なくなって、ただ死を待つだけとなったその時……突然少年の前に握り飯が差し出された。

 

『……腹が減っているなら、食べなさい』

 

 握り飯を差し出していたのは、孤児院の院長である男性だった。

 

 少年は、無我夢中で握り飯を貪った。塩で握っただけの、海苔すら巻かれていないただの握り飯なのに……今まで食べたどの握り飯より美味かった。涙が溢れる程に、美味かった。

 

 あの時の握り飯の味を思い出し、石壁の腹が鳴る。

 

「畜生……腹へった……」

 

 ひもじさ程、苦しみに直結するものは無い。不幸に次ぐ不幸で擦り切れている石壁のメンタルが、更に落ち込んでいく。あの時の様に、何もできなくなっていく。そしてーー

 

 

「あの、ヲ腹、減っているんですか……?」

「……え」

 

 --あの時の様に、誰かが目の前に立っていた。

 

「もしよかったら、どうぞ?」

 

 そこには、頭に異形の帽子(ヘルメット?)らしきものを被った女性が居た。石壁達が何度も討伐してきた深海棲艦、ヲ級だ。彼女は石壁にむけて、何か板状のモノを差し出していた。

 

「あ、ありがとう、ございます」

 

 石壁は、咄嗟に彼女が差し出してきた包み紙を受け取った。それを見て優し気にほほ笑む彼女は、石壁の隣へと腰かける。どうやら買い物の後らしく、傍らに置かれたスーパーの紙袋の中にはいろいろな食材が詰まっていた。

 

「これは……チョコレート?」

 

 包みには、チョコレートと書かれていた。軍のレーションにもなる、高カロリーで美味しいお菓子である。だが、深海大戦勃発後はカカオの輸入が滞り、滅多に食べられなくなった貴重品でもあった。

 

「こんな高級品……良いんですか?」

「ヲっ?」

 

 石壁の言葉に、ヲ級がコテンと首をかしげる。

 

「ヲ―ストラリアは、チョコレート安いよ?」

「えっ」

 

 あまり知られていないが、オーストラリアはカカオ豆もしっかり栽培されており、海上輸送が断絶しても国内でチョコレートを作れるのである。

 

「だから遠慮せずに食べてね」

「あ、ありがとう」

 

 そういって、石壁は片手でチョコの包装をはがそうとする。だが、これがなかなか難しい。

 

「ヲ……ちょっと貸して?」

 

 見かねたヲ級が石壁の手からチョコを貰うと、包装紙を剥がしてもう一度手渡してくれた。

 

「ハイ、どうぞ」

「……重ね重ね、ありがとうございます」

 

 石壁はヲ級へ礼を言ってから、チョコレートに齧り付いた。もう10年近く食べていなかったその甘みに、彼の脳裏に昔日の平和だった日本の姿がフラッシュバックする。

 

「……」

 

 まるで戦争なんかなかったかのような、シドニーの町の姿。奪われ、失い、悲しみもがき苦しんだ10年もの月日。己の道すら見失いかねないこの現状……石壁はどうして良いのか分からなくなって、感情があふれ出すのを止められなくなる。

 

「……ッ」

「ヲ……」

 

 気が付けば石壁は、色の違う片方の目から涙を流していた。感情を上手く吐き出せない石壁の代わりに、武蔵の目が涙を流している。彼の内心を代弁するように。

 

「すいません……チョコレート、美味しいです」

 

 勝手に流れ出す涙を乱暴に拭いながら、石壁はチョコレートに齧り付く。悲しくても、苦しくても、腹は減る。昔は簡単に食べられた筈のそれが、どうしようもなく美味しかった。

 

「ああ畜生……旨い……旨いなぁ……」

「……」

 

 ヲ級は、泣きながらチョコレートを食べる青年を、ただじっと見つめていた。

 

 声をかける事もなく、彼が落ち着くまでずっと、見守っていたのだった。

 

 ***

 

「おちついた?」

「はい……すいません、急に泣いちゃって」

 

 10分後、石壁が落ち着いた頃合いを見て、ヲ級は声をかけた。空腹が満たされ少し活力が湧きだした石壁は、己の醜態を恥ずかしく思って顔を赤らめている。

 

「良いよ。きっと……色々あったんでしょう?」

 

 ヲ級はそんな彼に優しくほほ笑む。地獄で仏に会うとはこの事であろう。石壁は空腹と一緒に、荒み切っていた精神状態が癒されるのを感じた。

 

「……もし良かったら、何があったのか話してみない?辛い時は、誰かに話すと落ち着くよ?」

 

 ヲ級のその言葉に、だいぶ精神的に参っていた石壁は考え込んだあと、ポツリポツリと話し始めた。

 

「実はーー」

 

 ***

 

 それから石壁は、自分の故郷が深海大戦で消えてしまった事。軍人として深海棲艦と戦ってきた事。捕虜になってこの町に来た事。人と深海棲艦が共存する姿を見て、どうすれば良いのか分からなくなってしまった事など……今の思いの丈を赤裸々に彼女へと語った。初対面の相手に話す事ではないし、捕虜である事など言ってはいけないとは思ったが、もう抑えきれなかったのだ。そして石壁は己の愚痴も、この人なら受け入れてくれるだろうという確信があった。

 

「それで……今ここで一人何もできずに座っていたんです……」

 

 石壁が語り終わると、ヲ級は俯いている石壁の背中をそっと撫でてくる。

 

「……頑張ったね」

 

 ヲ級は暫く石壁の背中を撫でてから、言葉を続ける。

 

「私には、貴方が進むべき道を教える事は出来ない……どうすれば良いのか分からなくなって立ち止まってしまった時、だれかの意見に従っても結局後悔するものだから。結局は貴方が自分で答えを見つけるしかないの。沢山考えて、沢山悩んで、雑念を削いで、削いで、削いで……それでも無くならない、本当に大切にしたいモノが何かを考えて……それに従うしか、ないんじゃないかな」

 

 ヲ級の言葉は、この苦しみの中から己の答えを見つけ出せという極めて厳しいものであった。だかそれは、口先だけの答えで誤魔化しているのではない。故にこそ信頼できる言葉であった。

 

「大切にしたいモノ……か……」

 

 石壁はヲ級の言葉に、己にとって本当に護りたいモノとは何かを考える。この都市に来て、なぜ自分はここまで苦しんでいるのか。何故、ここまで躊躇うのか、何故……何故……

 

「何故かって……そんな事……」

 

 そうやって、己に問いかける。何故、何故……思考の余計な部分を取り払って、一番シンプルな、己の思いの核へと深く深く沈み込んでいく。

 

「……ああ、そうか」

 

 そして、思い至る。何故、ここまで苦しむのか。気が付いてしまえば、それは極めて単純な話であった。

 

「僕は……この平和な町を……人と深海棲艦が共存する町を……壊したくなかったんだ……」

 

 余りにも単純すぎて、立場や柵のせいで、見てみぬふりを繰り返していた。故にこそ、石壁は苦しんでいたのだ。軍人として己の責務を果たせば、否が応でもこの平和は終わりを迎えてしまうから。

 

「……ありがとうヲ級さん。お陰で、成すべき道が見えてきた」

 

 石壁は立ち上がってヲ級に礼を言ってから、走り出した。

 

「さようなら!本当にありがとうございました!」

 

 走り出した石壁に、ヲ級は微笑んで手を振る。

 

「ええ、『またあいましょう』」

 

 その言葉は、石壁には聞こえなかった。もうかなり遠くまで走り出していたから。

 

「この奇跡みたいな都市を、壊させてたまるものか……ッ!僕は、僕は……ッ!」

 

 石壁は全力で走りながら、言葉を紡いだ。

 

「僕は……ッ!!『護りたい』と思う人達の為に、戦ってきたんだから……ッ!!」

 

 目前に迫る軍事衝突を防ぐべく、一人の男が動き出したのであった。

 

 ***

 

 石壁が元来た道を戻ると、やがて捜索隊を率いて歩いていたル級と遭遇した。

 

「……み、見つけた!!」

「見つけたはこっちのセリフだ!!どこに行っていたんだお前は!?色々と聞かねばならない事がある!!大人しく捕まれ!!」

 

 石壁は護送中に護送車の扉をこじ開けて逃げ出した挙句に、人命救助を行い行方をくらました捕虜である。ル級が怒るのも当然の反応であり、出会い頭に銃殺されなかった段階でかなり優しい対応であった。それだけ少女を救った事で印象が良くなっていたのだろう。

 

「僕を捕まえるのも拘束するのも構わない。質問にも出来る限り応える……だけど、貴方に頼みがある」

「頼み……?」

 

 あれだけ迷惑をかけておいて、まだ何かあるのか?そう言いたげなル級に、石壁は正面から向き直り口を開く。

 

「ここの最高指揮官の元に案内して欲しい」

「何を言っている……?」

 

 石壁は真っ直ぐとル級を見つめる。その眼差しは、熱く、力強い。この島にやってきた時の曇り切った瞳とは違う、魂を焦がす様な力が籠っていた。

 

(これは……本当に同一人物なのか……?)

 

 ル級は思わず息を呑んだ。石壁の瞳は(ツワモノ)の目であった。万軍を指揮し、勝利を掴まんとする将の目であった。困難を前にそれでも進まんとする男の目であった。

 

「僕はこの後大日本帝国がどう動くのか知っている。結論から言えば、シドニーの陥落はそう遠くない未来に、現実のものになる。断言してもいい。この町は滅びる」

「……ッ」

 

 ル級も薄々感づいているその未来予想図、それを真っすぐに突き付けられて一瞬言葉が詰まる。そうなるだろうと理解しても、納得出来ずに心がぐらつく。

 

「だけど!!僕はそれが嫌だ!!この町が消えるのを、僕は見たくない!!」

「……え?」

 

 ぐらついた心に、石壁が更に予想外の言葉を叩きつける。轟々と決意が燃える瞳と言葉を叩きつけられて、ル級の心を更に揺るがせていく。

 

「この町が戦争で消えるのは嫌なんだ……!今なら……今ならまだ間に合うかもしれない……僕が行けば、衝突を止められるかもしれないんだ」

 

 ル級は石壁の言葉に嘘を感じる事が出来なかった。どこまでも真っ直ぐに、石壁の言葉はル級の心に染み入っていく。

 

(どういうことなんだ……)

 

 『信じられる』という根拠のない納得感があった。それが彼女を混乱させる。

 

「頼む……僕は深海棲艦と人が共に歩む、この奇跡を失いたくない……ッ!」

 

 ただの捕虜の大言壮語の筈なのに、この男の言葉を否定できない。港湾棲姫に合わせるべきだと、そう考えてしまうのだ。説明不能な感情のまま、ル級は口を開く。

 

「貴様は……いや……貴方は一体何者なんだ……?」

 

 ル級の問いに、石壁は答える。口にすれば殺されても可笑しくはない、その名を。

 

「僕はショートランド泊地総司令官にして、ソロモン諸島方面軍最高指揮官……石壁堅持中将だ」

「……ッ!?」

 

 ル級は目を見開く。あり得ない。ここに居てはいけない筈の、大敵の名であった。にも拘らず、ル級の胸には納得があった。ただ会話しているだけで感じられる尋常ではない将器は、英雄のそれに相違ないのだから。

 

「貴方達と向かい合っている方面軍の最高指揮官として、貴方達のトップへ会談を申し込む……ッ」

 

 

 

 

 動き出した英雄が、再び運命を突き動かそうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 




体の損傷を回復させた直後に、全身の筋骨格バッキバキにされて、内臓(本体)をクッション代わりにされた挙げ句後始末を押し付けられた大和はキレて良い


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第九話 あ!やせいのイシカベケンジがとびだしてきた!

 

 その日、港湾棲姫は近づきつつある激突の日に備えて対策会議を行っていた。

 

「敵戦力は日増しにその驚異を増しております」

「こちらも増援を送らないと……」

「ですがこれ以上増員を行ってはオーストラリア本土の防衛が……」

 

 議論の内容は八方ふさがりであった。どれだけ手を尽くしても、現有戦力では敵を引き付けておく事は出来ても撃退など不可能であった。

 

「……援軍はどうなっている?」

 

 港湾棲姫の問いに部下は首を振る。

 

「駄目です。現在ハワイ島近辺の戦力は本拠地を護るべくミッドウェー、ウェーク島、マーシャル諸島のラインでの戦力増強に動いています。こちらへの増援どころか、反攻作戦の算段すら出来ていません」

「飛行場姫様が居なくなってしまった事で大艦隊を戦略的に動かせる状態ではなくなってしまっています」

「イシカベの護りを抜ける程の攻勢は……難しいでしょうね……」

 

 鉄底海峡の陥落の影響は凄まじく、深海棲艦の戦略を致命的に破綻させていた。

 

 鉄底海峡はハワイとオーストラリアを繋ぐ位置にあり、どちらへ対しても必要に応じて動く事が出来る要衝であると同時に、戦力の一大生産地であったのである。ここさえ無事なら、いくらでも巻き返す事が出来たのだ。

 

 その上、鉄底海峡を護る飛行場姫は深海棲艦の中で最も大艦隊の指揮に長けた戦略級の指揮官であり、最も名将と呼ぶに相応しい存在であった。

 

 我が強く、自分勝手で、能力に長けるが故に纏まりに欠ける深海棲艦達を、本当の意味で「軍」として機能させられたのは彼女だけだったのだ。力にモノを言わせて部隊を統率するのが基本の深海棲艦は、ただの姫級や鬼級では一度に統率できるのは(これだけでもかなりの戦力だが)精々千体がいいところ。憎悪と破壊衝動の権化であった南方棲戦鬼でも数千が限度なのだ。

 

 それに対して飛行場姫が統率した戦力は1万数千。文字通り桁が違う。しかも、これが限界ではなくそれ以上の大戦力すら統率可能だという一点だけで、彼女の埒外の能力がわかるというものである。

 

 つまり深海棲艦は、戦略上最大の要衝にして、大工廠である最高の前線基地と、そこにいた最高の指揮官を一度に失ったのである。太平洋戦争に例えるとミッドウェーで一航戦二航戦と一緒に瑞鶴翔鶴が轟沈して、ついでに五十六も死んでしまったような状況といえばわかりやすいかもしれない。反攻作戦どころか防衛線の張り直しに注力せねば本拠地陥落(ゲームオーバー)待ったなしである。

 

「……つまり、オーストラリア陥落も……秒読みという事だな」

 

 港湾棲姫のその言葉に、会議室は沈痛な空気に包まれる。

 

「……北方棲姫様は少数であれば北方へ連れて行く事も出来ると言っておられます。港湾棲姫様だけでも撤退するべきではないでしょうか」

 

 苦渋に顔を滲ませながら、とある深海棲艦が港湾棲姫に問う。だが、港湾棲姫は首を横に振る。

 

「私はこの方面軍の最高司令官だ。最後までそれに責任を持たねばならない……それにな」

 

 彼女は少し寂しそうに笑う。

 

「……生き残ったオーストラリアの人々を裏切り者にさせないために、私は最後まで制圧者でなければならない。彼等は化け物に殺されない為に、服従していただけなのだから」

 

 オーストラリアの民は、彼女の庇護の元深海棲艦と共に暮らしていた。他の地域の人々が命懸けで殺し合っていた間も、ずっとだ。

 

 これが知れ渡れば、彼等は深海棲艦に寝返った裏切り者であると後ろ指をさされ、下手をすれば殺されてしまうかもしれなかった。杞憂に終わるかもしれない。人は優しさをしる生き物であるから。そして同時に、どこまでも残酷になれる生き物である事を知っているから。

 

 故にこそ、戦後の彼等の立場を少しでも改善するために、彼女は人類に首を差し出す覚悟を決めていた。虐殺者であり、圧制者であり、諸悪の根源として。

 

「……」

 

 会議室が、重い沈黙に包まれた。敬愛する上官である港湾棲姫が、全ての汚名を背負い逝く。想像もしたくない未来が、すぐそこまで迫っているのである。

 

「……そう辛気臭い顔をするな。まだいくらか時間はあるんだ。最後まで成すべき事を為そう」

 

 港湾棲姫は努めて明るい口調でそう言うと、次の議題へと話を移す。

 

「オーストラリアの民を生き残らせる上での問題は……深海棲艦との間で結婚して子供が居る家庭をどうするかだな……深海棲艦の特徴を色濃く受け継いでいる子供をどう守れば……」

「オーストラリア国民である男性との結婚ということで、母子共にオーストラリア国籍を付与してみるとかどうでしょうか」

「……理論としてはいいが、戦後のこの国は果たして『オーストラリア』になるのか?」

 

 現在大日本帝国が制圧している地域は元々様々な国があった。だが、戦争中という事もあり国籍は宙に浮いたまま。暫定的に軒並み全部『大日本帝国』扱いである。戦争が終わった後、これらの地域がなんの問題もなく元通り分離独立するというのは考えにくかった。

 

「そもそも……現在政務を行っている我々はオーストラリア政府ではない。そんな状態では深海棲艦に国籍付与などしたところでどこの国も認めてくれないだろうな……」

 

 オーストラリアは既に亡国の扱いなのである。深海棲艦にオーストラリア国籍を付与したいならば、前提として「オーストラリア」を復活させる必要がある。人類側に国家であると承認される形でオーストラリアを復活させ、その上でオーストラリア政府に国籍付与をしてもらわなければ、幾ら「オーストラリア国民」だといった所でバケモノの戯言と一蹴されるのがオチである。下手をすればそれこそ裏切り者扱いをされ、魔女裁判にかけられかねない。

 

「つまり私達に必要なのは……人類側の諸国家から承認を受けられる『正当なオーストラリア政府』を準備すること。戦後に占領地を諸国家から承認される形で『オーストラリア』として独立させる事。その上で正当なオーストラリア政府が『深海棲艦に国籍を付与する』こと……ですね」

 

 部下がそう纏めると、防衛隊の指揮艦であったレ級が頭を掻きむしりながら叫んだ。

 

「……第一段階からしてオレ達(深海棲艦)主導じゃ無理に決まってるだろうが!!どうすりゃいいんだあああ!?」

 

 オーストラリア国民を助ける為には、現在のこの国が深海棲艦(バケモノ)に支配されている必要がある。つまり今のこの国はオーストラリア【ではなかった】事にせねばならない。この時点で深海棲艦主導の「正当なオーストラリア」を作るなど矛盾も矛盾、矛盾の塊である。仮にオーストラリア人のみでオーストラリア正当政府を立ち上げたとしても、『占領地』である以上は政府としての実績はゼロ。他国に承認されない可能性が大である。

 

「本土陥落状態でも『オーストラリア政府』として10年近く活動を続けて……尚且つ多数の国家から承認を受けられる程の外交チャンネル持ち……大日本帝国の占領政策に影響を及ぼして占領時の深海棲艦の絶滅を回避させ……しかも最終的にオーストラリアを独立させられる亡命政府がいればなんとかなるんじゃないかな」

「いる訳ないだろそんなもん!!イシカベが急死して攻勢が頓挫する方がまだあり得るわ!!」

 

 お手上げと言いたげにネ級が両手を上げながら希望全部乗せの願望(寝言)を言うと、即座にレ級がツッコミを入れる。まったく問題は解決出来ていないが、二人のやり取りで少し空気が軽くなった。

 

「……あ、イシカベで思い出しましたが。ついさっき届いた報告で、『彼のフルネームが石壁堅持だと分かった』と報告が来ました」

「……は?」

 

 秘書艦のそんな報告に港湾棲姫が呆然とした顔をする。

 

「石壁堅持……石壁堅持といったか……?」

「え、ええ。会議の直前に届いた報告書に、そう書かれていました。離島棲鬼様が発見した捕虜からそう証言があったらしいです」

「……年齢は?」

「19歳らしいですが……」

 

 港湾棲姫は秘書艦のその言葉に、頭を抱えた。

 

「年齢も辻褄が……いや……でも……本当に石壁堅持なのか……」

「港湾棲姫様……?一体どうしたのですか……?」

 

 港湾棲姫は、悲しいような、苦しいような。形容しがたい顔でぶつぶつと独り言を続けた後、立ち上がった。

 

「……すまない……今日の会議はここまでにしてくれ。私は少し、考えたい事がある」

「りょ、了解しました」

 

 尋常ではない港湾棲姫の様子に、一同は困惑しつつも了承するしかない。不安定な足取りで彼女は部屋を去って行った。

 

 ***

 

 港湾棲姫は己の執務室に戻ると、戸棚に大切にしまわれた一冊の手帳を取り出した。血がしみ込み黒ずんだそれを手に取ったまま、彼女はそれをじっと見つめている。

 

「……因果、というやつだろうか」

 

 港湾棲姫は自嘲気味にそう呟くと、壊れ物を扱う様に、そっと手帳を撫でる。

 

「石壁提督……貴方になんと詫びれば……私は一体どうすれば……」

 

 憂いを帯びた顔で手帳に語り掛ける港湾棲姫の姿は弱々しく、まるでただの迷える女性のようであった。とても深海棲艦の方面軍の最高司令官だとは信じられない程である。

 

 そうやって暫し佇んでいると、突如として部屋の戸が叩かれる。

 

「港湾棲姫様!港湾棲姫様大変です!!」

「……ッ!?どうかしたのか!入れ!!」

 

 港湾棲姫は平常通りの状態を取り繕いつつ、引き出しへと手帳を収める。その直後に扉が開かれた。入ってきたのはル級、離島棲鬼の元から捕虜を運んできた艦である。彼女は何と言って良いのか分からない形容しがたい表情のまま口を開く。

 

「港湾棲姫様、一大事です。離島棲鬼様の所から連れてきた捕虜が……」

「捕虜が……?」

 

 ル級は一瞬だけ迷った後、続けた。

 

「……我々が戦っているイシカベ……石壁堅持本人であると……そう証言しています」

「……はっ?」

 

 港湾棲姫は己の耳を疑った。正面にいる軍団の最高司令官が捕虜になっている。気のせいでなければ目の前の部下は確かにそういった。

 

「その男は気が狂ったのか……?偽名を名乗るにしても限度がないか……?」

 

 港湾棲姫の反応は至極当然である。常識的に考えてその捕虜は身分を詐称して助かろうとする馬鹿。あるいは恐怖で気が狂い妄言を吐いたかの二択しか考えられなかった。

 

「……いえ、気が狂っている訳ではないようです。直接話してみましたが、アレは正気です。この場でその名を出すのがどれだけ危険かを知った上で、石壁堅持を名乗り、貴方と話がしたいと言っています」

「馬鹿な……そんな事がある筈が無い……!!」

「ですが……私には嘘を付いている様には見えませんでした。徹頭徹尾、正気で、本気で、真っ直ぐで……」

 

 ル級の冗談の欠片もない報告に、港湾棲姫は動揺する。もしも捕虜の証言がすべて本当だったならば、それを敵地で申し出る時点で狂気の沙汰だ。殺してくれと言うようなモノである。

 

「それに……あの圧力は只者ではありません。仮に石壁堅持本人でないとしても、あの将器は尋常の者でないかと」

 

 ル級は石壁の先ほどの様子を思い出す。ただ相対して言葉を交わしただけで感じるものがあった。言葉には力があり、心へ直接思いを伝えられたような感覚すらあった。アレが英雄というモノなのだと言われれば、そうなのだと納得せざるを得ない。ル級はそう思った。

 

「『この町が戦争で消えるような事は避けたい。今ならまだ間に合うかもしれない。僕が行けば止められるかもしれない』そう彼は言いました。どう考えても妄言、大言壮語の類です……ですが……」

 

 ル級は頭を下げる。言葉の通り、常識的に考えて有り得ない話だ。だが、否、だからこそーー

 

「……会ってみては頂けませんか。もしも根も葉もない只の嘘であったなら、私を解体して頂いてかまいません」

 

 ーー彼女は、その言葉を信じてみたくなった。確かに感じた小さな希望に、賭けてみたくなったのだ。

 

「……」

 

 港湾棲姫は、驚きに目を見開きながらル級を見つめた。たった少しの間に、その捕虜はル級を『味方に引き込んだ』のである。

 

 深海棲艦は負の側面が強まりやすい性質をもつ。憎悪の薄い穏健派であってもそれは同じであり、負の感情や猜疑心を抱きやすいのだ。

 

 その上に人の悪意にも敏感であり、後ろ暗い感情を持つ相手であれば簡単にそれに気が付いてしまう。

 

 にも拘らず、彼女は捕虜の言葉を信じたのだ。只者ではない。そのル級の言葉が俄かに重みを増していく。

 

(まさか……本当に……本当に石壁堅持なのか……?)

 

 港湾棲姫はル級の命懸けの言葉に、我知らず唾を飲み込んだ。

 

「……その捕虜を、ここに連れて来い。直接話してみる」

「……はっ!すぐに連れてまいります!」

 

 敬礼をして部屋を出て行くル級を見送ったあと、港湾棲姫は椅子へと座り込んだ。

 

「……何が起ころうとしているんだ」

 

 港湾棲姫は何か抗いがたい、それこそ運命とでも呼ぶべき何かが動いている気がして、そう呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第十話 邂逅

感想欄で複数の『Im your mother』が発生してて笑いました


 

 

 石壁はル級の案内に従い、港湾棲姫の執務室へとやってきた。

 

(もう後戻りは出来ない……もしも交渉が失敗したら……その時は……)

 

 石壁は手の平に汗が滴るのを感じる。己の進退、オーストラリアの人々、部下の皆の命……今までで一番多くのモノが己の肩に乗っているのだ。交渉の決裂は即ち、この先に起こるであろう様々な悲劇の引き金となる。

 

(……しかも……楽には死ねないだろうな)

 

 石壁は今まで大勢の深海棲艦を殺して来た。直接、間接を含めればその数は2万を優に超えるだろう。彼が助力した結果動き出した他の泊地の分を含めるならもっと増えていく筈だ。

 

 イシカベの名は、今や人類にとって英雄であり、深海棲艦にとっては虐殺者の代名詞なのだ。恨まれ、恐れられているのが当然であり、即刻殺されるのが必然だといえるだろう。

 

(……恐れるな、負ければ死ぬ。今更の話だ)

 

 汗を握りつぶす。丹田に力を入れる。空気を吸って吐き出す。思考がクリアになって、肝がすわる。怖気づくな。今まで己が乗り越えてきた修羅場を思い出せ。

 

 数秒で、精神状態を制御する。気持ちを鎮火させるのでは無く、腹の底へ闘志を収めた。ジリジリと熱を発する闘志が、心を熱し、奮い立たせる。思考は冷静に、心は熱く、闘志は滾らせる。

 

 石壁は今、将として【戦場に立った】。彼を包む空気が、一瞬で張り詰める。側でその変化を見ていたル級は我知らず唾を飲み込んだ。 

 

(……これが、『イシカベ』か)

 

 ル級はその様を、まるで抜き身の刀身のようだと思った。幾度もの死闘を超え、何千、何万もの血を吸い、傷付いた、歴戦の名刀……それが、彼女が抱いたイメージであった。

 

「……ル級さん、開けてください」

「……分かりました」

 

 自然と、彼の言葉に従ってしまった。そうするのが、自然だと思ったから。

 

 石壁は遂に、港湾棲姫の元へと辿り着いたのだ。

 

 *** 

 

 案内された執務室のデスクで港湾棲姫は待っていた。真っ直ぐと己の眼前に迫る男の顔を凝視している彼女は、驚愕を顔に貼り付けている。

 

(なんだ……?驚愕に、納得はわかるけど……寂寥感に、罪悪感……?)

 

 石壁は港湾棲姫の感情に奇妙なモノを感じながらも、一礼し名乗った。

 

「はじめまして。僕の名前は石壁堅持、大日本帝国海軍の中将であり、貴方達と最前線で向かい合っているソロモン諸島方面軍の総司令官をしています」

 

 石壁の名乗りを聞いて、ハッとした様に名乗りを返す。

 

「……あ、ああ。私は港湾棲姫だ。深海棲艦のオーストラリア方面軍の総司令官を努めている……まずは座ろうか」

 

 対面する形で座りあうと、港湾棲姫は先程までの動揺を飲み込んで平静へと戻る。流石に方面軍の総司令官だけあってこれぐらいは出来るのだ。

 

 話し合う体制に入り、まず口を開いたのは港湾棲姫であった

 

「……貴方が石壁堅持だと言うのは本当なのか?階級章は、大佐だったようだが?」

 

 まず気になったのはそこ。

 

「大佐として任地に趣き、短期間で一気に昇進したせいで階級章が大佐のままだったんです。本土に帰りしだい、受領する予定でした」

「……それが事実だとして、何故死にかけて漂流していたんだ?暗殺されかけたって報告には書かれていたが、どこまで本当なんだ?」

「あ、基本的に全部本当です。任官の為に本土に帰る途中、船ごと爆破されて暗殺されかけたんで」

「……は?」

「大本営がやったという証拠ですが、迎えの人間が大本営直属で動いていたからですね。どうやら僕の功績が邪魔になったようで」

「は??」

「南方諸鎮守府の協力体制を破壊して、南方海域攻略の主導権を本土に戻そうとしたのかもしれませんが。大体は逆恨みだと思います」

「はぁ????」

 

 1から10まで理解不能といった顔でさっきとは別の意味で驚愕に目を丸くさせる港湾棲姫。

 

「まてまてまてちょっとまて……え?どういうことなの??なんでイシカベが暗殺されるんだ???どうして大本営が暗殺するんだ????味方の鎮守府の協力を妨害するんだ?????」

 

 至極もっともなツッコミに石壁からハイライトが消える。改めて列挙すると酷すぎて草も枯れ果てる状況だ。

 

「……バックグラウンドも含めて、一から説明しましょうか?」

「……頼む」

 

 それから石壁は、ひたすらに語り続けた。今まで大本営がどういう行動を取ってきたのか、南方がどういう立場にあったのか、自分がどんな仕打ちを受けてきたのか等々……離島棲鬼に話した内容よりさらに踏み込んで、仲間の命に係わる内容以外殆ど全部ぶちまけた。

 

 港湾棲姫は最初は困惑していたが、話を聞いている内に、段々と目から光が消えていった。そして飛行場姫撃破の前後の裏事情を説明されると、遂には完全なる無表情になり目からハイライトが消え去った。

 

「ーーというわけで、僕らは完全に大本営を出し抜き、南方の諸鎮守府が一致団結し、オーストラリア攻略の準備を済ませました。そして作戦開始前に本土に呼び出されて……」

「……船ごと爆破された、と」

「……はい」

 

 執務室が沈黙に包まれた。ル級も含めて皆目が死んでいる。港湾棲姫は石壁の言葉からこちらを騙そうとする悪意を感じる事が出来なかった。しかも、今までの戦況と石壁の言葉がぴったり符号してしまった。何度分析してもよく分からなかった、大日本帝国の不可解な行動の理由が説明できてしまったのである。

 

「……貴方の国は全力で内ゲバしながらその余力で戦争しているんだな」

「……反論できない」

 

 港湾棲姫はしばし目頭をもんで深呼吸を繰り返すと改めて石壁に向き直った。その目は真剣で、先程までの弛緩していた空気が再び張り詰める。

 

「事情はわかった。貴方が石壁本人であるというのも信じよう。ここからは互いに方面軍の最高司令官として話そう、石壁中将」

「ええ、分かりました」

 

 ここからが本番である。石壁も再び気合を入れて港湾棲姫に向き直る。

 

「では改めて問うぞ、貴方は何故己の身分を明かし、私に会談を申し込んだ?」

 

『一切の嘘を許さない』港湾棲姫の目はそう語っていた。少しでも欺こうとするなら、その場で石壁は殺されるだろう。

 

「この街を、シドニーを戦場にしたくないと思ったからだ」

 

 故に石壁は真っ直ぐと言葉を返す。嘘偽りの無い己の心情をぶつける。

 

「何故だ……?何故シドニーを気にかける。ここは我々深海棲艦の支配地域なんだぞ?」

 

 人と深海棲艦は、ずっと戦争を続けてきた敵同士なのだ。本来石壁が気にかける必要などない。

 

「……少し話がそれるけど。港湾棲姫さんは、この戦争、どういう結末を迎えると思う?」

「何?」

 

 その話の変化に港湾棲姫が戸惑っている間に、石壁は話を続ける。

 

「僕は、このままいけばこの戦争に大日本帝国が勝つと考えている。どういう過程を辿るにせよ、大局的な人類優位は揺るがない。オーストラリアの陥落も、そう遠い事じゃない」

「……」

 

 それは港湾棲姫も感じている事。鉄底海峡が陥落した時点で、この戦争の大局はもう決しているのだ。

 

「でも、本当の意味で戦争が終わるのは……きっととんでもない未来の話になるんじゃないかと考えているんだ」

 

 それは、ずっと見ないふりをしていた事。いつまで戦い続けねばならないのかという話。

 

「今のこの戦争は、人と深海棲艦という根本的に異なる種との生存競争だ。人が勝つにせよ、深海棲艦が勝つにせよ、種として相手を根絶させるまで戦争は続く」

 

 当たり前だが、ひとり残らず滅ぼすということは、最後の一人にまで必死に抵抗されるという事だ。

 

「世界中の海の底を総ざらいして、一人残らず深海棲艦を殺し続けるんだぞ。10年20年じゃない、下手をすれば僕らの子供、孫の代まで戦争が続くかもしれない。その間に流れる血の量は……想像もしたくない」

 

 血で血を洗うという言葉の通り、世界中の海を血で洗い流す事になるだろう。種の存亡をかけた絶滅戦争というのは、そういうものだから。

 

「でもそれも仕方がないと思っていた……人と深海棲艦が共存することは不可能の筈だから。人と深海棲艦が共に生きていける世界なんて、夢物語の筈だから……でもーー」

 

 だがもしもーー

 

「ーーその夢物語が、不可能じゃなかったとしたら?」

 

 ーー殺し尽くす以外の選択肢があるとすれば、どうなるだろうか。

 

「この街では人と深海棲艦が、殺し殺される敵対種ではなく、当たり前に生きる隣人として生きている。『人類と深海棲艦の間には、相互理解など不可能』だという大前提が崩れているんだ」

 

 石壁の言葉に熱量が増えていく。考えないふりをしていた、あり得ないと切って捨てていた未来。

 

「つまり……殺し尽くす(勝つ)か、殺し尽くされる(負ける)という絶対だった筈の二択に……第三の選択肢を加えられるかもしれないんだ」

「……石壁、貴方はまさか」

 

 石壁が何を言おうとしているのかを察した港湾棲姫は、ごくりと唾を飲み込んだ。

 

「僕は、このシドニーの姿に希望を見た……『人と深海棲艦の共存』という第三の選択肢(夢物語)に、賭けてみたくなったんだ……ッ!」

「……っ!!」

 

 それは、一人の身には余りにも大きすぎる夢。あり得ない筈の選択肢だ。実現に際する困難は無限にも思え、茨の生い茂る道なき道を進む事になるであろう。常識的に考えれば、あり得ない話だ。

 

 だが、それでも……否、だからこそ、その言葉は……その夢物語はーー

 

 

「僕一人では無理だろう……だけど、もし貴方が……深海棲艦穏健派の最大派閥が力を貸してくれるなら。この夢物語を現実に出来るかもしれない。だからもし……もし貴方が、僕と同じ未来を夢見るなら」

 

 ーー余りにも、温かかった。 

 

「共に、戦ってくれないか」 

 

 石壁は頭を下げた。彼は言葉尽くした。思いを伝えた。夢を魅せた。後は、港湾棲姫の選択しだい。彼の夢物語に、乗るか否かだ。

 

「私……は……」

 

 港湾棲姫が口を開いたーー

 

 ***

 

 

 

 石壁は来賓用の客室にて休んでいた。時刻は既に夜半であり、周囲は静まり返っている。

 

「……さて、どうなるか」

 

 石壁は窓辺の椅子に腰かけながら、昼間の事を思い出す。 

 

『一晩だけ、考えさせてくれ』

 

 それが港湾棲姫の回答であった。これだけの重要事項だ。一時の保留も仕方がなかった。

 

 石壁の提案を彼女が飲めば、小さな希望が見えてくる。飲んでくれなければ……後はもう石壁に出来る事はなくなる。

 

 港湾棲姫の選択次第では、明日の朝日が人生で最期のモノになるだろう。いや、場合によっては寝ている間に全てが終わっている可能性すらあった。

 

 にも拘らず、石壁は恐怖を感じなかった。腹が座ったというのもある。だが、それと同時に昼間の港湾棲姫の様子が気になっていたのだ。

 

「彼女は僕を知っている……いや、僕を通して別の誰かを見ているのか?」

 

 自分に向けられている不可思議な感情、親近感、罪悪感、寂寥感……凡そ、初対面の相手に向ける感情とは言い難いそれらの感情。そこから石壁は港湾棲姫という存在が、自分になんらかの複雑な思いを抱いているという事を察していた。だが、その正体が一切不明だ。

 

「うーん……わからん……」

 

 その時、石壁の部屋の扉が控えめに叩かれる。

 

「……どうぞ?」

 

 石壁は腰を浮かせて、念の為すぐに動ける状態になってから尋ね人を招き入れた。扉を開いて入ってきたのは、先ほどまで思案していた人物であった。

 

「夜分遅くにすまない。少し、貴方に話したい事がある」

 

 港湾棲姫は何かを胸元で抱え、処刑を待つ罪人の様な顔つきで石壁を見つめた。

 

 ***

 

 石壁は港湾棲姫をソファへ座らせると、対面へと座り彼女が話し出すのを待った。

 

「……石壁提督、私は貴方の申し出を受け入れても良いと考えている。オーストラリアの人々にとっても、我々穏健派の深海棲艦にとっても、それが最善だとそう思っている」

 

 その言葉は石壁にとっては嬉しいモノだった。だが、港湾棲姫の顔色は優れない。

 

「だが……このまま申し出を受け入れれば……私は貴方に対してとんでもない不義理を強いる事になる……」

「どういうことですか……?」

 

 港湾棲姫は微かに震える手で、一冊の手帳を石壁に差し出した。

 

「これは……」

 

 差し出されたそれを手にとった石壁は、手帳を確認する。そこそこの古さを感じさせる手帳であったが、表紙には通常の経年劣化とは明らかに異なる黒ずみが出来ていた。恐らくは、血糊が染み付いているのだろう。血で消えかけている部分にはうっすらと『diary』とかいてあるようだ。

 

「日記……?」

 

 ひっくり返して裏表紙を確認すると、持ち主の欄に見慣れた名前が記載されていた。

 

「『石壁』……え……?」

 

 己の姓が刻まれている。だが、石壁はこの様な日記など持った事は無い。しかし、遥か過去の記憶が囁くのだ

「この日記……まさ……か……」

 

 知っている。自分はこの日記を、知っている。年月という蓋をこじ開けて、その日記の持ち主を引きずり出す。

 

「……それは大日本帝国海軍の少将、石壁堅固(・・・・)の遺品だ。石壁堅持、私がーー」

 

 

 そう、この日記は。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーー貴方のお父さんを、殺したんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かつて深海棲艦と戦い死んだ、彼の父の日記だったのだ。

 

 

 

 

 

 

 



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第十一話 人でなし 前編

二部は石壁君のブラック労働耐久試験でしたが
三部は石壁君のメンタル耐久試験だなとふと思いました


 

 時が静止したかと思うほどの沈黙が部屋を包む。だが、時間が止まる訳でない。カチリ、カチリ、と秒針が時間を刻む音がヤケに五月蠅い。

 

「父さんを……殺した……?」

 

 心拍数が増加していく。今、この女はなんと言った?石壁は秒針と心音しか聞こえなくなっていく世界の中で、掠れた声を漏らす。

 

「どういう……ことだ……」

 

 日記を手にしたまま。港湾棲姫へと目をやる石壁。突如として現れた父の遺品と、その仇を自称する女……石壁はどうしていいか分からずに、そう問うしかなかった。

 

「……始まりは今から8年前、深海大戦勃発の直後の話だ」

 

 港湾棲姫は、石壁のそんな姿を見ながら……話しだした。

 

 ***

 

 深海大戦勃発直後、ハワイ島が深海棲艦の手に落ちると、すぐさま日米両国は戦争状態へと移行した。日米は世界有数の海軍国であり、すぐさま反攻作戦の為に大規模な艦隊の派遣が行われる事となる。

 

 日米両艦隊はオーストラリア近海にて集結し、そのまま北東、ハワイへと進軍した。

 

 それに対してハワイ近海を支配権に収めた深海棲艦達は、進路を南方へ向けた事もあって、両艦隊はマーシャル諸島にて激突する事となる。

 

「石壁少将!前衛艦隊が謎の武装勢力と接敵!す、水上を敵兵士と思しき物体が航行中!」

「映像を受信!モニターに回します!」

「なんだアレは!?ホバー走行でも行っているのか!?石壁提督!ご指示を!」

 

 空母「出雲」のCICのモニターに現れる謎の人型達。彼女たちはそれぞれに、個人携行出来るサイズの砲門を構えている。それを見た石壁少将は、背筋が粟立つのを抑えられなかった。

 

「……ッ!総員!早急に戦闘態勢に移行せよ!第一種戦闘配備!射程に捉え次第に全火力を投射!警告は不要だ!」

「りょ、了解!」

 

 切羽詰まった様子の石壁少将の言葉に、CICは即座に反応する。鍛え抜かれた幕僚達はその命令を実行に移した。

 

「こちら前衛艦隊の駆逐艦『金剛』攻撃を開始します!」

「トマホーク発射!人型実体へ全弾命中します!!……ッ!?そ、損害軽微!繰り返します!損害は軽微です!」

「前衛艦隊に人型が肉薄します!推定速力25ノット!」

「CIWSによる近接砲火開始せよ!!」

「だ、ダメです!!効果殆どありません!あっ!?ぎょ、魚雷と思しき武装を展開しました!!」

「まずい!!回避!!回避ー!!」

 

 全開にしたエンジンタービンがうなりを上げて、駆逐艦金剛は魚雷の回避に成功する。だが、回避行動中の艦隊に向けて、深海棲艦達が群がっていく。

 

「ひ、人型実体が船体にとりつきました!!」

「い、いかん!!」

「やつらなにを……ほ、砲門がこちらをーーーー」

 

 次の瞬間、近距離に群がった深海棲艦達の砲門が一斉に火を噴いた。数十、下手をすれば数百発にも及ぶ砲弾の嵐が金剛の船体に突き刺さる。

 

「ぐっ……エンジン停止!エンジンが停止しました!」

「船体各所に炎上発生!!」

「この艦はもうだめです!!」

「ぐ……総員退艦せよ!繰り返す!!総員たいーーーー」

 

 次の瞬間、駆逐艦金剛は大爆発を起こして、海に消えていった。血の気が引くとはまさにこのことであった。現代技術の粋を結集して作られた艦が、一瞬の内に轟沈させられたのである。

 

「……ッ!!総員!!出し惜しみせずに全火力を展開せよ!!ただし攻撃対象をなるべく少数に絞れ!!」

「……ッ!!了解!!」

「米国空母より入電!!『貴艦ノ方針ニアワセル、攻撃隊ヲ発艦サセル』とのことです!」

「了解した!!米空母の攻撃に合わせるぞ!!総員奮闘せよ!!」

 

 その言葉に我に返った日米連合艦隊は、我を失ったかの如く猛攻撃を開始した。

 

「とにかく近寄らせるな!!弾を惜しむな!!撃って撃って撃ちまくれ!!」

「了解!!」

「艦隊全体を少しずつ後退させろ!!扇状の隊列を維持したまま、突出した敵人型実体を叩いて数を減らせ!!」

「米艦隊にも作戦内容を共有します!!」

 

 石壁少将の指揮は完璧であった。初見の、今までのありとあらゆる軍事的常識が通用しない化け物を相手にして、最善手を打ち続けた。

 

「水上航行する謎の敵兵がドローンと思しき機体を放出しています!!」

「見た事のない機体がこちらへと向かってきます!!」

「射撃の効果が殆どありません!!」

「ミサイルを出し惜しむな!!対空ミサイル斉射!!近寄らせるな!!」

 

 

 日本海軍の指揮を執っていた石壁少将は、正体不明の敵軍に対して必死に抵抗をつづけていた。持ちうる限りの火器を惜しみなく使用し、押し寄せる敵を抑え込みつづけたのだ。

 

「駆逐艦霧島全弾打ち尽くしました!妙高が被弾!!炎上!!」

「米国ミサイル巡洋艦『アンティータム』爆沈!!『バンカーヒル』は航行能力を喪失!!」

「戦闘力を喪失した艦は後方に下がらせろ!!あいた穴は後方待機していた鳥海で塞げ!!とにかく敵との距離を維持せよ!!近寄らせれば終わりだ!!引き撃ちに徹して数を減らせ!!」

 

 深海棲艦達に対して現代兵器は殆ど効果が無い。だが、それでも全くの無意味という訳でもないのだ。火力を限界まで集中すれば、少数であれば撃破する事も不可能ではない。

 

「少将!!米軍の空母が!!」

「……ッ!!」

 

 だが、余りにも数が違い過ぎた。目の前では、同盟国の原子力空母が……人類の力の象徴が、炎上し、傾斜を始めていた。僚艦達は必死で空母を守ろうとしているが、象が蟻の群れに食い殺されるが如く、深海棲艦達が群がって押しつぶしていく。

 

「ろ、ロナルドレーガンが……世界最強の米第七艦隊が……」

 

 助けねば、少将がそう思うのとほぼ同時に、空母から無線通信が行われる。

 

「米空母より通信……ッ!『同盟国トシテ、貴艦隊ノ献身ニ感謝スル、撤退セヨ』……以上です」

 

 炎上を始めた米空母は、そのまま深海棲艦達の群れの中へと突入していく。そこに釣られるように、大勢の深海棲艦達がむらがり、集中砲火を浴びせている。その結果、少将の艦隊への圧力は一時的にではあるが半減していた。彼等はもう助からない事を察して、友軍の脱出の為に囮となったのである。

 

「ロナルド・レーガンより入電!『残存米艦隊ハアドミラル石壁ニ従エ.星条旗ヨ永遠ナレ』……以上です」

「……ッ!」

 

 少将は傾斜しながらも止まる事無く突き進む艦を見て、命令を出した。大量の深海棲艦に群がられながら、ロナルドレーガンは近くの浅瀬へと座礁して動かなくなった。彼らの行動は狙い違わず、深海棲艦の進行は一時的に停止して、全てがそこへ集中する。

 

「残存艦隊を纏めて一度引いて態勢を立て直すぞ……ッ!なんとしても、護り通すんだ!!」

「……はい!」

 

 人類と深海棲艦の最初の本格的な激突、マーシャル諸島海戦はこうして幕を閉じた。

 

 ***

 

『畜生!!なんで攻撃が殆どきかねえんだよ!!』

『米艦隊ヨリ入電!!『我ラ残弾ナシ、囮ニナル、後退セヨ』!!』

『ダメだ!!くそ……もうとめられんか……後退!!後退だ!!』

 

 それから、石壁少将は日米残存艦隊を率いてソロモン諸島近海を拠点に戦い続けた。徹底した引き撃ちと火力の集中で敵を削りながら、遅滞戦闘を繰り返し、時間を稼ぎ続けたのである。

 

『とにかく遠距離から撃ちまくれ!!撃ち尽くしたら後退!!後退だ!!』

『だめです数が多くて逃げ切れません!!』

『徴収した漁船を自動操縦で突っ込ませろ!!餌に食いつかせて時間を稼げ!!』

 

 この時稼いだ時間によって、オーストラリア軍は防衛線を沿岸から内陸へと引きあげ、それなりに多くの人々がオーストラリアへと避難する事に成功したのであった。

 

『ガダルカナル島の拠点から物資の補給を受けました』

『これが最後の補給です……これ以上は、ミサイルは補給できません』

『艦隊の消耗は限界です』

『鉄底海峡で最終決戦か……縁起でもない』

 

 だが、押し寄せる深海棲艦を止める事は出来なかった。多勢に無勢、弾薬も底を尽き、そして遂に少将の艦隊も全滅したのである。

 

『撃て!!撃てえ!!』

『ごぶ……当艦は……戦闘力を……そう……し……』

『畜生!畜生!!』

『化け物どもがああ!!死ね!!死ねええええ!!!』

 

 港湾棲姫は、目の前で燃え盛る艦艇をじっと見つめていた。先ほど己が止めを刺した、帝国軍の最期の艦艇である。

 

「……」

 

 巨大な爪で船の外装を引き裂き、力づくで轟沈させた。その途上幾人か兵士を引き裂いて処分している。爪は血に染まり、耳には断末魔の叫びが残っていた。

 

『嫌だぁ!!死にたくない!!』

『助けて!!誰かたすけてくれ!!』

『親父……おふくろ……』

 

 憎悪から生まれたのが深海棲艦である。破壊し、焼き尽くし、殺し尽くすのが本懐の化け物達だ。だというのに……

 

『この化け物が!!』

『良くも、俺たちの仲間を!!』

『地獄に落ちろ!!』

 

 だというのに何故ーー

 

「何故……こんなにも……」

 

 ーー■■しいのだろうか。

 

 港湾棲姫は正体不明の感情に胸をざわつかせた。破壊し尽くせば、焼き尽くせば、殺し尽くせば、胸の内に暴れ狂う憎悪が満たされていく……そして、文字通り胸が空く(・・)。後に残るのは、奇妙な空虚さだけであった。

 

 伽藍洞となった胸の内で、人々の断末魔が反響し続ける。戦えば戦うほど、殺せば殺す程、己の内側に反響する声は大きく、重くなっていく。伽藍洞の胸が声に食い破られているのではないかと思う程に。反響する残滓は、彼女の心の中に残り続けていた。

 

「港湾棲姫様、敵艦隊は壊滅しました。これからどうなさいますか?」

 

 背後から指揮下の部隊がやってくる。目をやれば、最初に見た時に比べて何故か穏やかになっているように感じられた。率いる自分の影響か、あるいはそういう質なのか、憎悪が薄くなり始めているようであった。

 

「……私達はこれからオーストラリアを攻略する。ニューカレドニア島で新しく生まれた……離島棲鬼だったか……彼女に部隊を集めておいてほしい」

「はっ!!」

 

 部下の深海棲艦が去っていくのを見送る。港湾棲姫は、己が他者の感情に対して敏感になっていることに気が付いた。胸の中の憎悪が薄れた事で、他者の感情への共感が出来る様になったのである。故にであろうか、彼女は『何か』を感じ取る。

 

「……なにかしら」

 

 ふと、港湾棲姫は近くの岩礁へと目をやった。特に変わったところは無い筈なのに、何故か引き寄せられた。

 

「……よば……れた?」

 

 港湾棲姫は、訳もわからずに岩礁地帯へと歩を進めた。

 

 ***

 

「ぐっ……情けない……これしきの傷で……」

 

 岩礁の影で、一人の男が腹部を抑えて座っていた。年の頃は30代の半ばから後半、優しそうな顔つきのその男であった。彼は穴の開いた腹部をむりやり止血しようと圧迫していた。

 

「まだ、まだ死ぬ訳にはいかない……誰か、誰か居ないか……」

 

 男は、託された願いを果たさねばならない。死ねない。まだ死ねない。その強く切実な思いが、彼女をここへと引き寄せる。突如として、目の前に影が下りた。

 

「……貴方は」

「……ッ!?しまった、深海棲艦!!」

 

 男は港湾棲姫の顔を見て、咄嗟に腰から拳銃を引き抜いた。だが、無情にも引き金を引いても銃弾は出てこない。文字通り矢尽き剣折れるまで戦った彼をあざ笑うが如く、空虚な撃鉄の打撃音だけがその場に響いている。

 

「糞が……」

 

 弾切れで抵抗すら出来ないのだという事を知った男は、そのまま力なく腕を下ろした。文字通り、限界だった。

 

「ハァ……ハァ……これまでか……」

 

 男は諦念を浮かべて港湾棲姫へと目をやる。港湾棲姫はこれまでもそうしてきたように、男を殺す為に近寄っていく。

 

 彼の眼前に膝をつき、血まみれの両手を近づける。人とは明らかに違うその両手の狂爪が触れようとしたその時ーー

 

「……どうした……何故、泣いている」

「ーーえ」

 

 港湾棲姫は、我知らず涙を流していた。理由など分からなかった、ただ、涙が溢れて止まらなかった。

 

「なんで……」

 

 膝をつき、手を差し伸べ、涙を流す港湾棲姫。その様はまるで救いを求める少女(怪物)のようであった。

 

「……」

 

 しばしその様子を見ていた男であったが、遂に意識を保っていられなくなり、ずるりと倒れて港湾棲姫の爪にもたれかかった。

 

「あ……」

 

 己の爪は、少し力を込めれば人を一瞬で殺せる。殺せるのだ。だから殺してきた。命を紙のように破り捨ててきた。

 

(殺さないと……この人を殺さないと……)

 

 その爪が、人の柔らかい肌が爪に触れている。だというのに、まだ男は生きている。まだ殺していないのだ。

 

(『何故』殺さないといけないの?)

 

 港湾棲姫は、その事実に『安堵』した。今まで感じた事のない感情が溢れて、胸が一杯になる。

 

「……私は一体、どうしてしまったんだろうか」

 

 分からなかった。何もかもが、彼女の理解を超えていた。

 

「治療……そうだ。とにかく治療しないと……この近くだと……ニューカレドニア島?離島棲鬼の所に……」

 

 

 潰してしまわない様に、殺してしまわない様に、港湾棲姫は男をそっと爪で抱き上げるとその場を立ち去った。

 

 

 

 



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第十二話 人でなし 後編

 

 少将は船が爆沈した際に、鉄骨か何かを腹部に受けて大穴が開くという大怪我を負っていた。重要臓器の一部損傷による免疫力の低下、脊髄損傷による下半身不随、腸も一部が裂けて糞便が体内に漏れ出していた。大至急治療する必要がある。

 

 港湾棲姫はニューカレドニア島制圧時の捕虜から医者を探し、少将を治療する事に成功する。だが、治療の遅れや設備や医薬品の不足もあって、予断を許さない状況であった。

 

 そして、それから数日後。少将は意識を取り戻した。

 

「何故助けた……ッ!!何故、俺だけを……ッ!!」

 

 下半身不随となり、碌に動けない状態である少将。それでも彼はベッドのヘッドボードにもたれかかって上体を起こすと、港湾棲姫を睨みつける。腹部に大怪我を負って今も激痛が絶え間なく続いている。それでも敵に無様は見せられないと起き上がり、向き直っているのだ。

 

「聞こえていないのか……ッ!どうして……どうしてなんだ……ッ!!」

 

 怒り、憎悪、悲哀、無力感、後悔……心が掻き回されて千々に乱れる。

 

 彼には託された想いがあった。護りたい人達が居た。共に戦ってきた仲間達が居た。その為に戦ってきた。

 

 勝たねばならなかった。負けてはならなかった。

 

 だが、彼等は負けた。負けたのだ。何一つとして失ってはならなかった筈のモノ、その全てを喪ったのだ。

 

 己ただ一人を、残して。

 

「……」

 

 港湾棲姫は、少将の言葉をじっと聞いていた。己が齎した破壊と殺戮……憎悪のままに暴れた結果が、目の前にある。

 

 伽藍洞の内面に、少将の嘆きが満たされていく。空虚であるのに、途轍もなく重かった。

 

 いつの間にか、また涙が溢れている。理由もわからず、港湾棲姫は涙を流して少将を見つめる。

 

「なんでお前が泣いているんだ……化け物なら泣くな……ッ!!」

 

 憎い敵である筈なのに、間違いなく化け物なのに、理由もわからず泣く姿は余りにも哀れであった。

 

「出て行ってくれ……」

 

 少将は、振り上げた拳を下ろす先を失い、拳を握りしめる。港湾棲姫は、その言葉に従って、黙って部屋を出て行くしかなかった。

 

「……畜生」

 

 部屋を出て行く港湾棲姫が最後に見たのは、血が滲む程に拳を握りしめ涙を流し俯く彼の姿だった。

 

 ***

 

 それからも、港湾棲姫は男の治療を続けた。他の深海棲艦には任せる事が出来ないから。

 

 そしてそれと同時に、少将の事がどうしても気になった。放っておけなかったのだ。

 

 自分が憎まれて当然だという事は分かっていた。少将の傍に行くべきではないと知っている。

 

 それでも抑えられなかった。

 

 彼女自身、なぜこんな事をしているのか理解できずにいる。それでも衝動に突き動かされて、必死に看病を続ける。

 

 少将は彼女を憎いとは思いながらも、毎日無視することも出来ず、幾らか会話を行う様になっていった。

 

「なあ……港湾棲姫」

 

 少将は取り換えた包帯を処理している港湾棲姫へと声をかける。

 

「お前たちは何故……人を襲うんだ……大勢の人を殺して、何がしたいんだ」

 

 港湾棲姫は少将へと向き直る。

 

「私達は……『憎悪』を元にして生まれた存在だから……何もかもが憎くて、憎くて、仕方がなかった……生まれてからずっと、殺意と破壊衝動だけで動いていた……」

「『憎悪』から生まれた存在……」

 

 少将はその言葉に少し考え込んでから、改めて口を開く。

 

「ならば尚更……何故俺を助けたんだ……今のお前から憎悪というモノは感じ取れない……」

 

 その言葉に、港湾棲姫は俯く。

 

「……分からない……分からないんだ」

 

 包帯を取り換えた事で、血まみれになった己の手をじっと見つめる。

 

「最初は、本能のまま、憎悪に任せて暴れていた……でも段々……憎悪だけでは動けなくなっていった……」

 

 ただ暴れ狂うケモノだったなら良かった。憎悪を抱き続ける事が出来たなら良かった。だが、彼女は違った。

 

「殺せば殺すだけ、逆に苦しくなって……この手にかけた人々の声が頭から離れなくなって……そして……」

 

 港湾棲姫の手元に、雫が落ちる。

 

「気が付いたら……貴方を殺せなくなっていた……なんでかは……分からない……分からないんだ……私は一体……どうしてしまったんだ……」

 

 少将には、その姿がただの少女にしか見えなかった。暗闇の中で帰り路を見失い、どうすれば良いのか分からなくて涙を流す哀れな子供……それが、彼の抱いた印象である。

 

「お前がただの化け物だったら、楽だったのにな……俺も、お前も……」

「え……?」

 

 港湾棲姫は、己の頭に何かが乗ったのに気が付いて、顔を上げる。少将が、苦笑しながら港湾棲姫の頭を撫でていた。

 

「……私の事が……憎いんじゃ」

「憎いぞ……どうしようもない程に……貴様らが憎い……殺してやりたいとも思うさ……」

 

 その言葉に体を強張らせる港湾棲姫を見て、少将はため息を吐いた。

 

「でもな……俺はお前みたいな子供に憎悪をぶつけられるような人間じゃないんだよ……憎悪のまま、本能のままに動ければ、どれだけ楽だろうかとは思うけどな……」

 

 少将にとって港湾棲姫は憎い敵で、道を喪った子供で、涙を流す少女で、今自分が生きているある意味で命の恩人でもある。人の親である彼には、子供を痛めつけるという事がどうしても出来なかった。

 

「分からない……憎いのに……どうして優しくできるの……?」

 

 混乱する港湾棲姫の頭を、少将は撫でながら語り掛ける。

 

「ヒトの心っていうのは複雑なんだよ。お前達を憎んでいる気持ちもある……殺してやりたい気持ちだってある……でも、こうやってお前に治療されている事への感謝もある……子供を助けてやりたいという感情もある……負けた後悔から今すぐ死にたいとも思うし……ほんの少しだけ寿命が延びて嬉しいという気持ちもある……感情っていうのは支離滅裂で統一出来ない無茶苦茶なものなんだ」

 

 少将は子供に諭すように、港湾棲姫に語り掛ける。

 

「分からなくて当然なんだ……自分の心なんて、自分自身でさえ完全に理解出来ないんだから……」

「分からなくて当然……」

「ああ……だからな……港湾棲姫……」

 

 少将は……いや、石壁堅固は、一人の大人として港湾棲姫(子供)に言葉をかける。

 

「自分の心を大切にしろ……何をしたいのか……どう、感じているのか……一つ一つ……考えるんだ……」

「私の……心……?バケモノの私の……?」

「ああ、心だ……お前は、心を持っている……ヒトと同じ心をな」

 

 港湾棲姫の頭から手が離れる。怪我のせいで長く起きていられない彼は、体の力を抜いてベッドに身を委ねた。

 

「あっ……」

 

 自分の頭から手が離れたのを、港湾棲姫は『残念』だと思った。温かくて、優しい手だった。辛そうな彼が心配だった。そんな様々な思いを、港湾棲姫は『感じた』。

 

「心……これは……私の心……?」

 

 自分の中でぐるぐると回り続ける何かが、形を取っていく。伽藍洞だと思っていた抜け殻は心という器となり、反響する思いは感情となって器の中に納まっていく。そんな彼女の姿を見届けて、彼は目をつむった。

 

「俺はもう休む……後は、お前が見つけた何かと向き合ってみろ……」

「分かった」

 

 港湾棲姫は立ち上がると、部屋を出て行く。

 

「……あの」

 

 扉を閉じる前に、港湾棲姫は彼へと言葉をかけた。

 

「あり……がとう……」

 

 そのまま、扉は閉じた。

 

「……心は自分では制御できない」

 

 ぼそりと、一人になった彼は呟いた。

 

「本当に……ままならない……なあ……」

 

 彼は目を閉じたまま、やりきれない思いに、涙を流した。

 

 ***

 

 石壁堅固と港湾棲姫、仲間を殺された側と、殺した側、助けられたヒトと、助けたバケモノ……そして、道を諭す大人と、導かれた子供。

 

 彼等の関係は複雑で、怪奇で、理解しがたい程に奇妙なモノだった。本来なら有り得ない筈の、奇跡のような時間だ。

 

 港湾棲姫は、日に日に自分というモノを自覚していく。伽藍洞は心という器となり、空虚だった器は感情で満ちていった。

 

 彼女が一個人というモノを確立するのは目前だった。

 

 だが、それも遂に終わりを迎える。元々、いつ死んでも可笑しくなかった彼の命が、尽きる時が来たのだ。

 

「……どうやら、俺も……ここまで……みたいだ」

「……」

 

 港湾棲姫は、どうする事も出来ずに、ただ彼を見つめる事しか出来ずにいた。まだ理解し始めたばかりの彼女の心では、処理が追い付かないのだ。

 

 そんな彼女を見て、彼は苦笑交じりに口を開いた。

 

「なぁ……港湾棲姫……思えば……奇妙な縁だったな……」

 

 震える手で、港湾棲姫の頭を撫でる。

 

「仲間を殺されて……その相手に助けられて……こうして最期を看取られる事になるなんて……想像もしていな……かった……」

 

 途切れ途切れに、言葉を紡いでいく。港湾棲姫の心の中に、彼の諦念が積もっていく。

 

「私も、想像さえできなかった……こんな風になるなんて」

 

 港湾棲姫の言葉は、震えていた。不安で、苦して、悲しい。そんな当たり前の感情が、出てきていた。

 

「人間性とは……悲しみを解する心……だという……お前は気が付いて居なかっただけで……最初から……ヒトだったんだと……思うぞ……」

  

 港湾棲姫の涙を、指で拭う。悲しみこそがヒトの心ならば、これこそがその証明であった。

 

「あたたかい……」

 

 頬を撫でてくれた手を、そっと港湾棲姫は自分の手で押さえた。温かかった。命の温もりを、感じた。

 

「……港湾棲姫……最期に一つ……頼んでも良いか」

「なに……?」

 

 彼は、震える手で懐へ手を入れると、一冊の手帳を取り出した。握力が足りずに転げ落ちたそれを、港湾棲姫は咄嗟に拾う。

 

「これは……日記?」

 

 手渡された手帳に目をやる。それは彼の血を吸って変色した日記であった。

 

「……もし、もしもお前が……俺の家族に会うことがあったら……コイツを渡してくれないか」

「貴方の、家族に?」

「ああ……美人の妻と、可愛い娘と、強い息子がいるんだ……」

 

 少しだけ、彼が笑う。今まで港湾棲姫が見た事のない顔であった。

 

「日本にいるんだ……お前が会う事は無いかもしれない……そもそも……日本が滅びない保証もない……でも……きっと生きている……そう信じたい……もうそれしか……俺には……出来ない……」

 

 男は、霞んで焦点が合わなくなってきた目から、涙を流す。港湾棲姫はその涙を見て、心が割れるような『痛み』を感じた。

 

「いつか……いつかきっと……この戦いも終わる……もう誰も死ななくて良くなったら……戦わなくて良くなったら……その時に……平和になったら……どうか……どうか……」

 

 もう何も見えなくなったのか、彼は虚ろな目で、ただ港湾棲姫へと言葉を紡いでいる。彼の言葉は願望に近かった。だが、彼の切なる願いが、込められていた。

 

「戦いが終わって……平和に……なったら……」

 

 港湾棲姫は男のその言葉に、この戦いの終わりの光景を幻視する。誰も死ななくていい、殺さなくていい、戦わなくていい世界。今わの際の男が願った、夢物語。それは戦いしか知らない彼女の心にとても強く焼き付く、甘美に過ぎる幻想であった。

 

 故に、彼女は彼の願いを、想いを受け入れた。受け入れて、しまった。

 

「……分かった。いつかこの戦いが終わったら。貴方の家族を探してみる。その為に、少しでも平和な世界になるように、頑張ってみる」

 

 彼はその言葉を聞くと、涙を流しながら、微かに微笑んだ。

 

「……ありが……とう」

 

 それが、彼の最期の言葉となった。彼等の奇妙な交わりの終いは、港湾棲姫への感謝で終わったのだ。

 

 己の頬を撫でていた手から力が抜けた。彼女の膝の上へ、手が落ちる。

 

「ねえ……ねえどうしたの……?」

 

 港湾棲姫が彼を揺するが、二度と目を覚ます事はない。

 

 彼は、死んだのだ。

 

「死んだ……の……?」

 

 人は簡単に死ぬ。それは当たり前の事実であり、既に嫌になるほど知っていた事だった。

 

「まって、もっと話を聞かせて……お願い……起きて……ねぇ……」

 

 だが、受け入れられなかった。理解出来なかった。考えたくなくて目を逸らしていた事実が、突き付けられる。

 

 港湾棲姫は……命を奪うという事がどういうことなのかーー

 

「貴方はもう……起きては、くれない……そうだ……貴方は……貴方は……」

 

 ーー知っていた、だけ(・・)だったのだ。

 

「私が……殺したんだから……」

 

 その瞬間、彼女が今まで殺してきた大勢の人間の顔が、脳裏にフラッシュバックした。その中に、石壁堅固の顔も加わる。

 

 彼の船を沈め、仲間を殺し、腹を裂くような大怪我を負わせたのは……誰でもない、己であるから。

 

 事がここに至り、遂に彼女の器が満ちた(心が完成した)。伽藍洞であった器に注がれ続けた思いが、全てを満たしたことで溢れ出す。

 

「うっ……!?うげぇぇぇ!?」

 

 港湾棲姫は嘔吐した。手が震えて、足腰に力が入らなくなる。

 

 彼女は石壁堅固の死によって、遂に人の心を手に入れたのだ。そしてそれは……いままで心を持たなかったが故に気が付かなかった己の罪と向き合う事を意味する。

 

 自らが齎した無数の死が、どれ程取り返しがつかないものだったのか……どれだけ多くの悲しみを振りまいてきたのか……それを実感をもって『理解』してしまった。

 

 もう逃げられない。彼女は、己の内で眠っていた人の心を見つけてしまった(・・・・・・・・)のだ。

 

「わ、わたしは……わたしは……ッ」

 

 彼女は、バケモノでありながらヒトの心を持っていた。それこそが、彼女の悲劇。最初から持っていたから、彼女は最初から涙を流せたのだ。

 

『誰も殺したく、なかった』

 

 そんな内なる心の叫びを、すべてが手遅れになってから聞いてしまったのだ。

 

『私は私を足らしめてくれた、恩人を殺した』

 

 一度知ってしまった以上、もうタダのバケモノには戻れない。もう以前の彼女には戻れない。

 

『お前が殺したんだ、港湾棲姫』

 

 拭えぬ罪業の重さに心を殺されながらも、生きていくしか無いのだ。

 

「……ぁぁぁぁあぁぁぁあああああああああああああっ!!」

 

 いうなれば、この慟哭は産声。憎悪という母から出てきた赤子が、父の死を産湯にヒトとして産まれた証明。

 

 生まれながらにして親殺しの罪業を背負う忌子。誰にも祝福されない、憎悪と悲哀に満ちた生誕。

 

 港湾棲姫は、己が殺した男(育ての親)の躯を抱いて、ただ泣き続けるしかなかった。

 

 

 

 彼女の涙を拭ってくれる人は、もう誰も居ないのだから。

 

 

 

 ***

 

「……私の罪は、絶対に消えない。この爪に奪われた命の数は、絶対に減る事はない」

 

 港湾棲姫は石壁堅固の墓の前で、一人言葉を紡いでいく。

 

「……けど、これ以上増やさない事なら。出来る」

 

 目の前に掲げた恐ろしい爪を見つめながら、自分という存在を見つけてくれた(産みだしてくれた)男の墓へと誓う。

 

「私は私に出来る形で、戦う。この爪を破壊ではなく、護りの為に使う。そして、いつか……いつかきっと……」

 

 港湾棲姫は、拳を握りしめる。

 

「この戦いを……終わらせる……そして……」

 

 それが、彼との最後の約束だったから。

 

「あなたの家族に……『人でなし』として、殺されよう」

 

 化け物にはもう戻れない。ヒトになるには、罪を重ね過ぎた。故に『人でなし』。生まれながらにして人の道を外れた、化け物のなりそこないにはぴったりだと彼女は思った。

 

「それまで……さようなら……」

 

 この日より深海棲艦の穏健派のトップとしての、彼女の孤独な戦いが始まった。積み重なる憎悪の連鎖を乗り越えて、この戦争を終わらせる為の戦いが。

 

 

 

 

 そして、この日より8年後……彼女は再び『石壁提督』と出会う事になるーー

 

 

 

 

 

 

 












皆様が色々予想されていた石壁と港湾棲姫の関係。
書き終わってから気が付きましたが、港湾棲姫は石壁のお父さんに育てられた、ある種の義理の妹みたいな関係ですね。
こんな地獄絵図みたいな義妹との関係ある……?


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第十三和 告解

明日以降は投稿ペースが落ちると思います


 

 血を吐くような懺悔が終わった。『港湾棲姫』の始まりの物語。彼女の背負う原罪、その全てが審判者へと告げられたのである。

 

「これが……8年前にあった全てだ……」

 

 全てを語り終えるた彼女は、石壁の目を見つめる。

 

「石壁提督、貴方には復讐する権利がある。私が貴方の父を殺したように。私を殺し、父の仇を討つ権利が」

 

 彼女は目を瞑った。まるで、断罪を待つように。

 

「私は……貴方の判断に従う……仇を討つなら、抵抗しない……」

 

 港湾棲姫は全てを黙ったままでいることができた。そのほうがどう考えても都合よく事が運んだ筈だ。

 

 だが、それを良しとしなかった。愚直に、誠実に、全てを打ち明けた。

 

 それが、彼女にとって唯一の誠意だったから。

 

「……」 

 

 室内が沈黙に包まれた。港湾棲姫は語るべきことを全て語り終えたのだ。

 

 そして、ついに石壁が口を開いた。

 

「僕は……父さんを愛していた」

 

 石壁は真っ直ぐと港湾棲姫を見つめる。

 

「その父さんを殺した貴方が憎い。叶うなら、仇を討ちたいとも思う」

 

 港湾棲姫は、ただその言葉を聞いている。目を逸らさずに、受け止める。当然だ。これが、己の罪なのだから。

 

「……だけど」

 

 石壁は、悲しげ名笑みを浮かべた。その顔は、昔日の彼の父によく似ていた。

 

「父の最期を看取り、その遺志を継いでくれた事を……嬉しくもおもっています」

 

 港湾棲姫は、目を見開いた。

 

「ありがとうございます……貴方が父さんの遺志を繋いでくれたおかげで……僕は……僕は……」

 

 石壁の左目から、一筋の雫が伝う。

 

「父さんの死に……向き合えた……」

 

 石壁は、家族を全て失った。姉も、母も、彼の目の前で死んでいった。故に石壁は彼女達の死に、遺志に向き合う事が出来た。

 

 だが、父だけは違う。彼だけは、何もかも知らないまま失った。どこで死んだのかも、何を遺したのかもわからず、彼の死にちゃんと向き合えないまま今日に至ったのだ。

 

「ありがとう……父を看取ってくれてありがとう……父さんの最期を、感謝で終わらせてくれて……ありがとう」 

 

 父が憎悪でも、悲嘆でも、後悔でもなく、『最期に誰かに感謝して死ねた』という事が嬉しかった。

 

 無念であっただろう。苦しかっただろう。後悔もあっただろう。それでも、最期に笑えたならば、それは救いのある終わりだ。父は、港湾棲姫に救われたのだ。

 

「……石壁……提督」

 

 石壁のその姿に、港湾棲姫は彼の父を幻視した。強くて、優しくて、温かい笑み。憎悪と感謝……相反する感情の狭間で苦しみながら、それでも感謝を選んだ強い人達……彼らは間違いなく、親子であった。石壁堅持は、石壁堅固の背をみて育ったのだ。

 

「『ありがとう』」

 

 二人の『石壁提督』の言葉が重なる。港湾棲姫の瞳から、涙が流れていく。

 

「……あ……ああ」

 

 港湾棲姫は、顔を手で覆って、膝をついた。

 

 過去は変わらない。己の罪は消えない。彼の父を殺した事に変わりはない。

 

 だが、それでも今……港湾棲姫は救われた。8年間に渡る孤独な戦いは、無駄ではなかった。石壁堅固()の遺志は、確かに石壁堅持(息子)へと繋がれたのだ。

 

「あぁ……」

 

 涙が溢れて止まらなかった。自分は「人でなし」の筈だった。罵倒され、憎まれ、殺される筈だった。そうされて、当然の行いをしてきたのだ。

 

 だが、そうはならなかった。石壁堅持は『ヒトとして』、港湾棲姫に感謝をしたのだ。

 

『人間性とは悲しみを解する心だという』

 

 石壁堅固の言葉が蘇る。

 

『お前は気が付いて居なかっただけで……最初から……ヒトだったんだと……思うぞ……』

 

 心を殺し、人でなしとして生きてきた港湾棲姫は、今ようやくヒトへと戻れた。ヒトの心がとめどなく溢れていく。あのときと……同じように。

 

「ごめんなさい……貴方の父を殺してしまって……ありがとう……貴方のお父さんのお陰で……私は……『私』になれた……」

 

 港湾棲姫はぐちゃぐちゃな思いをそのまま曝け出す。後悔と罪悪感が、感謝と思慕に包まれて溢れ出した。

 

「……僕は……貴方の謝罪を受け入れます……父さんへの感謝も……同じように」

「……はい」

 

 石壁は残った左腕を彼女の前に差し出す。

 

「僕らは同じヒトの遺志を継いでいる。思いは同じ、目指すところも同じ……だから、改めてお願いしたい」

 

 港湾棲姫は、石壁の瞳を見つめる。どこまでも深い優しさと、揺ぎなき力を宿した目だった。魂が震える程に、熱く、美しい目だった。

 

「過去の恩讐を超えて、共に戦ってくれませんか。この戦争を終わらせるために。父が願った、平和な世界の為に」

 

 答えなど決まっていた。

 

「……石壁提督」

 

 港湾棲姫は、彼の手をとった。

 

「貴方のみた夢物語(未来)を……一緒に追わせてほしい」

 

 ヒトになったバケモノ(父を殺した仇)と、バケモノになったヒト(父を殺された子供)の手が繋がった。繋がるはずのない友誼、それは存在しない筈の道への一歩となる。

 

「……はい」

 

 あり得ない筈の出会いが紡いだ、あり得ない筈の絆が……時を超え、恩讐を超えて、今ここに新たな道を作り出した。

 

 その道行きの果てがどの様な結末を迎えるのか、それはまだ誰にも分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

石壁堅固の日記

 

●月△日

 長期の航海を終え、久しぶりの休暇を貰った。

 我が家へ帰った俺を子供達は元気に迎えてくれた。

 

 家屋は何も変わっていないように見えるが、人は違った。

 子供達は成長期という事もあって、見る度に大きくなっているのを感じる。

 

 娘は高校生になったこともあって、少女から女性へと変わっていく。若い頃の妻に似てきた。

 性格が俺に似て若干ガサツなのと機械弄りに夢中なのが少し気になるが……まあきっとなんとかなるだろう。

 

 息子は小学校の卒業を控えているが。身長は小さめでガタイが細身だからまだまだ子供って感じだ。

 二次性徴が始まればぐっと大きくなっていくだろう。俺はあんまり背が高くないから抜かれるかもしれないな。

 

 子供を子供扱い出来るのはあとどれくらいだろうか、成長は嬉しいが、少し寂しくもある。

 

●月□日

 少し前まで小さかった子供達はいつの間にやら大人になろうとしている。

 それが嬉しくもあり、寂しくもある。

 

 親がなくとも子は育つというが、何もせずに放任する事はしたくない。

 俺は親として子供達に何をしてやれるだろうか。何かしてやれたのだろうか。

 

 そう妻に問うたら、楽し気に笑いながら「子供達は貴方の背中をみて育っていますから安心しなさい」と断言されてしまった。

 彼女にそう言われると、『そうなのか』と納得してしまうから不思議だ。

 俺には勿体ない程、出来た女性だとつくづく思う。彼女が居るからこそ、子供達も元気でいられるのだろう。

 そう思って礼を言ったら、妻は見惚れる様な優しい笑みでこう言った。

「私が良い母で居られるのは、貴方が居るからなんですよ」と。

 ……その不意打ちはずるいと思う。本当に、彼女には勝てそうに無い。

 

●月●日

 嬉しい事があった。

 息子が俺の後を継いで、俺が護りたいモノを護ると言ってくれたんだ。

 俺を見つめる息子の目は子供らしい澄みきった目だったが、同時に力強く真っ直ぐな男の目でもあった。

 息子はまだ子供だなんて思っていたが、堅持はもう一端の男になろうとしているようだ。つくづく、子供の成長は早い。

 

 親としては軍人なんて止めておけと言うべきなのだろうが、俺の背中を見てそう思ってくれたのだと思ったら嬉しくて仕方がなかった。

 将来本当に俺の道を継いでくれるのか、それとも別の道を選ぶのかは分からないが、どちらにせよ堅持の人生だ。好きに選べばいい。

 しかし、俺の後を継ぐということは軍人になるという事なんだが、今の堅持では優しすぎて向いていない気もする。

 

 そういえば、俺も昔親父に似たような事を言ったような気がする。あの時の親父はこういう気分だったのだな。

 親父が爺になって、俺が親父になる程の時間が流れて、いつの間にか息子が一人の男になろうとしている。

 やがて俺も爺になり、息子も大人になるのだろう。きっと、それはすぐ先だ。

 堅持が自分の道を進むその日が楽しみだ。

 

●月×日

 明日より我が家を離れ再び長期の航海になる。

 久しぶりの我が家での団らんは温かく、楽しいものであった。

 何時までもここで皆と過ごしたいと思う。離れたくないと思う。

 だからこそ、俺は海に出なければならない。

 故郷を、そして家族を護る為に、戦う。それが俺の選んだ道なのだから。

 子供達が安心して夢を追う事が出来るなら、俺はそれで幸せだ。

 

 ***

 

 

■■■日

 敵■人型■■海■■不明■■■■■■■■

 砲撃■■■効か■■■■■■■■■■■■

 ■艦隊■■■■■■■■■■■■■■■■

 ■■■■■米軍■■■■■■■■■■■轟

 ■■■■■■■■■■撤退■■■■■■■

 ■■■■■■■■■■■■■■遅滞■■■

 ■■■■■■■■■■■■時間■■■■■ 

 ■■防衛■■■■■■■■■■■■最後■

 ■■■■■■■■■■護る■■■■■■■

 

 

 

 

 

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■■■■

 皆、死んでしまった。

 苦楽を共にした戦友達も、僚艦の兵たちも、同盟国の艦隊も

 皆、死んでしまった。

 

 俺だけが、助かった。否、助けられた。

 あろうことか、俺達の艦隊を皆殺しにした怪物の手でだ。

 

 何故俺を助けた。何故、俺だけを生かした。

 あのまま仲間達と共に死ねれば、どれだけ楽だっただろうか。

 腸が破れたせいで、腹の中に糞便が漏れていた筈だ。

 近いうちに破傷風になるだろう。どの道俺も、もう長くない。

 

 苦痛と後悔と無力感に苛まれる。

 この度し難い無能のせいで死んだ仲間達に、故郷の皆に、そして家族になんと詫びればいい。

 最早俺には何も出来ない。家族を護る事も、我が家に帰る事も出来ない。

 許してくれなくていい、恨んでくれて構わない……だが……それでも……

 どうか……無事でいてくれ……どうか

 

 ***

 

 件の化け物は、何故か俺を助けようと必死になっている。

 相当の地位にいるようだが、毎日毎日、自ら俺を看護していた。

 皆を殺したそいつを憎いと思う。

 多くの人を殺しながら、俺を助けようとするのは滑稽とも思う。

 人とは明らかに違うその力を、恐ろしいとも思う。

 

 だが、それと同時に、どうしようもない現状を変えようとするそいつの事が

 

 どうしようもなく哀れに思えた。

 

 ***

 

 彼女の名は、港湾棲姫というようだ。

 戦争で海の底に沈んだモノ達の憎悪が元になって彼女達は産まれるという。

 それが正しいなら、彼女達は俺達人類の業そのものだ。

 人の憎悪が元になって生まれるから、人を憎み、襲い掛かる。

 そういう生き物なのだという。

 

 だが、港湾棲姫は憎悪だけで動いていない。

 否、憎悪だけで『動けなくなった』のか。

 憎悪を元にしているということは、彼女達は『感情』を持っているという事だ。

 港湾棲姫は、憎悪からくる破壊衝動と、彼女が持つ自らの感情の狭間で動けなくなったのだろう。

  

 憎悪で動く化け物にもなりきれず、感情で動くヒトにもなれず、その間で立ち竦む事しか出来ない。

 

 握られた手は、温かかった。不安気に揺れる目は、迷子になった子供のようだ。

 

 いや、子供なのだろう。彼女は、子供だ。

 

 どうして、子供と、殺し合わないといけないんだろうか。

 

 ***

 

 段々、意識をたもっていられなくなってきた

 もう、あまり長くは生きられないだろう。

 意識がある間に、港湾棲姫に遺言を残すことにしよう。

 もう俺に出来る事は、これぐらいしかない。

 

 敵であり、仲間の仇である相手に、最期の願いを託す事になるとは思わなかった。

 つくづく、俺は、どうしようもない奴だ。

 

 ***

 

 どうやらもう■■みたいだ

 めが■すむ いきができな■

 てがふるえて じもうまくかけない。

 

 み■な ぶじだろうか いきていて くれるだろうか。

 ただ それだけが きがかりだ

 

 ■■■こ、■■え、けんじ

 

 どうか、げんきで

 

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 港湾棲姫と別れた石壁は、独り、父の日記と向き合っていた。

 

「……父さんより、上の階級になっちゃったな」

 

 染み込んだ血を掬うように、黒ずんだ手帳を撫でる。かつて感じた父の温もりを探すように、やさしく指を添わせた。

 

「僕は、港湾棲姫を赦す……貴方の最後を看取った……貴方を父の様に慕うあの子を……赦します」

 

 石壁は全てを飲み込んだ、寂しげで、悲しい笑みを浮かべる。悲しみも、憤りも、恨みも、全て己の胸に収める。

 

「だから……今だけは……僕を許してください……」

 

 石壁は。拳を固く、硬く、堅く握りしめた。

 

「ああ畜生……畜生……」

 

 握りしめた拳から血が滴る。日記に染み付いた黒ずみを、石壁の恨みが塗りつぶす。

 

「なんで父さん達が死ななきゃならなかったんだよ……ッ」

 

 人の心は、単純なモノクロではない。石壁は港湾棲姫の罪を赦した。港湾棲姫の行いを許した。港湾棲姫の戦いを認めた。彼女を仲間に迎え入れた。

 

「姉さんを焼いた奴が憎い。母さんを撃った奴が憎い。故郷を滅ぼした奴が憎い」

 

 全て真実だ。石壁の言葉に、嘘は全くない。

 

「父さんを殺した港湾棲姫が……憎い……」

 

 でも、憎い。恨めしい。悲しい。苦しい。この感情は、事実なのだ。それを感じないほど、石壁は聖人君子(お人よし)ではない。

 

「だけど、全部……飲み込むよ……父さんがそうしたように……僕もこの恨みを飲み込んで前に進む……」

 

 だがその全てを飲み込むと石壁は決めた。恩讐を超えて、未来を共に掴むと誓った。

 

「恨みは忘れない。感謝も忘れない。全て……全て僕の胸に収める。憎悪と復讐の応酬は、ここで終わらせる」

 

 復讐の連鎖は、ここで断ち切る。そう決めた。決めたのだ。

 

「だから少しだけ……夜が明けるまででいいから……受け止めてくれ……父さん……」

 

 赤い憎悪に染まった日記に、透明な雫に落ちていく。罪を洗い流すように。怒りを鎮めるように。恨みを……水に流すように。

 

「うう……うあぁ……ああぁぁぁ……」

 

 石壁はただ、泣いた。恨みも悲しみも寂寥も怒りも、全て押し流すために、泣いた。

 

 これは己の心に区切りをつける為の、別れの儀式。涙をもって憎悪を禊ぎ、明日へ進むための時間。亡き父を想う、遅くなった弔いである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜が明けるまで、まだ時間はあったーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






石壁堅持は英雄であっても聖人ではない。という話。
港湾棲姫に感謝しているし、共感しているし、好感を持っているし、心底から共に戦うことを受け入れています。
でもそれはそれとして、父の仇に恨みは当然に抱くし憎悪も感じます。今回の話で石壁はそれら『区切り』をつけました。この話は石壁にとっても港湾棲姫にとっても、ここで終わりです。


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