真白き夢 (こうちゃ.com)
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邂逅と再会と
魔女の憂鬱


注意書きです。
おおざっぱには2点ほどになりますが、飛ばしてもらっても構いません。

・この小説は移動中の暇つぶしがてら執筆したものです。
各所に矛盾やおかしな日本語が含まれていることと思います。

・「戦記もの」とタグはついていますが戦記ものがどういうものか理解してません、階級や上下関係も大分テキトーです。

駄文ではありますが、どうぞよろしくお願いします。





 頭上に広がる満点の青空、耳を澄ませば鳥の鳴き声が聞こえてくるだろうかというぐらいの沈黙。

風の音は安らかで、あたかもそれはこの場にいる全生命を生暖かい空気で包み込むが如し、と言ったところだ。

人一人居なければ、そこは完全なる静寂の空間と呼ぶことも出来るだろう。

ただ広い平野、敵軍を待ち構える女の姿はそこにあった。

夜の闇にすら鮮明に浮かび上がる白の髪、月のごとく白い布に、世の赤を一点に拾い集めたかのような輝く紅の瞳。

か細いその腕はとても戦へ赴く者の姿を連想させるものではなく、そんな可憐な外見からはむしろ、何処か裕福な家の末っ子とでも言ったほうが差し支えがないように思える。

浮かない顔で下を見下ろすそんな彼女はきっと戦いなど望んでいないのだろう、と容易に想像がつくはずだ。

 

「あらアイリス、もしかしてずっと立ってたの?」

 

虚空見つめていた彼女はそう呼ばれて、ピクリと肩を僅かに震わせた。

声の主は彼女の後ろである、振り返って見てみれば肩や胸に鎧を身にまとう女の姿が彼女・・・・・・アイリスの目に入ってくる。

 

「あぁ、ごめんなさい。ちょっと緊張してまして」

 

背丈は微妙にアイリスの方が低いのだろう、軽く鎧の女を見上げながら、親しい友人に話しかける時のそれと同じく、穏やかな軽い笑顔でそう答える。

 

「もう・・・・・・、ベルキア軍の連中がいつ来るかもわかんないんだし休める時にちゃんと休まないとだめじゃないの」

「私は魔女、ですから・・・・・・」

 

飲まず食わず、寝なかったとしても大丈夫。

アイリスは正面へ視線を移しながらそう付け加えた。

 

ーーーー魔女、名の通りに魔力を扱うことのできる人間の総称だ。

生命維持や天候操作、天変地異ですら本人の体内の魔力次第では行使でき、その特異性から強大な戦力として扱われることが多い。

 

「うるさい、座れよぅ」

「はは、ちょっと、痛いですって」

 

対して鎧の女はグリグリと冗談半分にアイリスの頭に腕を押し付けている。

先述の通り、魔女は偉い。魔女「様」なのだ。

本来恐れ多くともこのように魔女に接する人物は稀だ。

鎧の女の、この立場を知らぬ言動はこの二人の友情の賜物だろうか。

この瞬間を写真にでも納めれば・・・・・・平和なものだ、と思うかもしれない。

 

「ならいっそ、このまま昼寝しちゃいますか?」

 

どこか悪戯めいた作り笑いでアイリスはそう言う。

 

「死ぬ死ぬ、普通に死んじゃうって」

「ふふふ、本気で言ってます?」

「あんたの言葉が本気かどうかがアタシは心配よ」

「冗談です」

 

それを聞いた鎧の女は、さもそれが長年行われてきた儀式であるかのように、「そう」と重みのある声色で返した。

それをアイリスも「はい、そうです」と返すのだ。

 

とても冗談を言い合って笑いあう空気ではないのは明白だ、会話を始めれば次の言葉に詰まるのはもはや必然である。

自分が数時間後生きているかは、神ですら知る由はないのだから。

 

「いつまで私たちはこんなことをしなければいけないんでしょうか」

 

そんな時に愚痴から漏れるのはそんな他愛のない話題だった。

戦争を望まぬ兵士はほぼ例外なく口にするだろう。

皆が知っている、そんなことは誰にもわからないと。

だからこそこの話題は尽きないのだろう。

 

「さあ、王が止めるって言ったらじゃあないかしら?」

「人を殺すのはやっぱり、嫌です」

 

そういって瞳を閉じたアイリスの表情は依然として暗いままだった。

そうしてやがて会話が止まり、静けさはその色を取り戻す。

戦の気配は、確かに這い寄って来ている。

 

 ーーーー否、もうすぐそこに来ているのだ。

 

「敵軍勢確認!! 来ます!」

 

沈黙を破り戦の狂乱を告げる、監視砦からの耳を貫くような声が平野に響き渡る。

 

「来ましたか・・・・・・」

 

だが・・・・・・いや、だからこそ気を引き締め戦いを始めようとするには、アイリスの表情は浮かないものだった。

鎧の女はそんなアイリスを不安そうに一瞥して、その場に立ち上がった。

 

「・・・・・・」

 

彼女が戦いを好まないのを、鎧の女は知っているのだ。

このままいってしまっては、そんなアイリスが心配なのである。

そう思っているのか、彼女はしばらく動かずにいた。

 

「大丈夫ですから」

 

アイリスからの一声。

泣きそうな幼子をなだめ、落ち着かせようとするそれに似ていた。

 

「・・・・・・行くわ、気をつけてねアイリス」

「はい」

 

納得はしたのだろう、結局彼女は生還を祈るほかないのだ。

やがて、付け足すように言い残して、鎧の女は戦場へと向かうのだった。

 

 

 

 戦場は続く、地の上に屍の橋を築いてゆきながら。

 

「・・・・・・てやあああああっ!!」

 

一閃、彼女の魔力が兵士たちの肉壁を粉々にしながら活路を抉り取る。

道は開かれた、となれば続く行動は突撃の他はあるまい。

 

「今です!」

 

凛とした号令が全軍に響く。

うおおおおッ、と地響きの如き進軍が始まった。

アイリスはその最前線へと切り込んでゆく。

彼女は前線の兵を後続に任せ、右へ左へ縦横無尽に駆け回る。

 

まず左から迫ってきたのは剣。

素早く動くアイリスの軌道を正確に捉えた鋭い斬撃である。

それを手で白刃の軌道を逸らし兵士の腕を掴んで折った。

そのまま左奥の弓兵を薙ぎ払う。

鎧を付けた兵士とはとても思えない勢いで周りの兵士が吹き飛ぶ。

 

だが兵士は怯むことなくアイリスへ向かって突撃した。

このままでは囲まれて身動きが取れなくなるだろう。

そう思ってか彼女は一歩引いて様子を見る。

そこに兵士がなだれ込む・・・・・・間違いなくこれは悪手だった。

前からも後ろからも囲まれもはや身動きは取れない。

 

「うわぁぁぁッ!?」

 

ーーーーもっとも、そこに魔女がいたらの話だが。

囲まれる寸前に、兵士の股下を抜けて兵士たちの隊列の穴に飛び出していったのだ。

抜けると同時に放たれる蹴撃に兵士達は断末魔の悲鳴を上げる。

 

「・・・・・・!」

 

殺気、明確に彼女へ向けられたそれをアイリスは感じたはずだ。

見れば左から突如として矢が放たれていた。

近接距離故にそれは弧を描かず、真っ直ぐ飛んでくるのが見える。

それに素早く反応し、アイリスは咄嗟にしゃがむことで回避。

その次の瞬間には直角に方向転換した後に矢を放った弓兵へ急速接近した。

一切の防具を纏わないが故に、戦場で彼女に追いつける者はそうはいない。

 

そのまま動けずにいる兵士の顎を蹴り砕く。

堅いものが粉砕される時の、嫌な反動が彼女の足へと響き渡った。

さらに蹴りの後に腕に魔力を込めておくアイリス。

彼女は、弓兵の後ろに隠れて首を狙うアサシンの存在に気づいていたのだ。

 

「なにっ!」

 

魔女は既に攻撃の寸前だ。

驚く兵士に対して魔女の目は冷徹であった。

 

「ごめんなさい・・・・・・」

 

だがそれは彼女の苦悩の結果の表情であると知ることなく。

次の瞬間、兵士の腹を魔女の拳が貫通した。

 

続けざまに両手の方向から兵士が斬りかかってきた。

片方は足を、もう片方は首を、上下をカバーする攻撃だ。

 

「せぁッ!」

 

アイリスは腹を貫かれたばかりの兵士を盾に右からの斬撃を止めた。

殺しきれなかった衝撃がアイリスの左頬を掠める。

さらに盾を押し込み右からの兵士を奥へと押し込み、今度は左から接近する刃を右足で瞬時に蹴り上げた。

剣が鋭い金属音とともに兵士の手元を離れていった。

ヒュンヒュンと刃が虚しく空気を割くこの音は、その剣の持ち主にとって死刑宣告も同然であった。

 

「ぐ、ぐぅ! ・・・・・・あ、あ、悪魔めッ!!」

 

男の顔が恐怖に染まる。

アイリスの目の前の兵士は死に直面していることを今はっきりと自覚したのだ。

腰につけた短剣を哀しいほどに激しく振り回す、その姿。

まるでそれは、溺死寸前の、空気を求め必死にもがく子供のようで・・・・・・。

 

「・・・・・・悪魔・・・・・・ですか」

 

たしかにそうかもしれない、と。

アイリスは拳を振り下ろしてそう思った。

 

 

 

 戦闘終了。

ーーーー北方より接近したベルキアの大隊を撃退。

日の沈みかけたその戦場で、淡々と状況報告をする通信兵の声だけが木霊していた。

 

 



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白い魔女と黒い騎士

 戦いは続いている、何の罪もない人々同士が殺し合い、奪い合い、傷つけあっている。

白い魔女も黒い騎士も、例外なくその内に含まれる。

アイリスは地面に横たわる「人だったモノ」を見つめて、涙も流せない自分を嫌悪した。

彼女には、人を殺す勇気などないのに・・・・・・人を傷つける覚悟などないのに・・・・・・。

白き魔女の力は彼女を選んでしまった。

いつの世の中も「出来ること」と「やりたいこと」には大きな溝がある。

彼女にできることといえば、今こうしているように死にかけの兵士にほんのわずかな情けをかけてやるのみだった。

 

状況は完了した、だが依然として戦況は良くも悪くもならないのだ。

 

「魔女様! 報告にまいりました!」

「・・・・・・」

 

若い兵士の声、まだ男か女かも分からぬような風貌の通信兵だった。

その幼い兵を見て、またアイリスは悲しい気分になる。

 

「如何なされましたか?」

 

と、そんなアイリスの表情が気になったのか兵士は彼女にそう訊いた。

 

「・・・・・・・・・いえ、なんでもありません。報告をどうぞ」

 

アイリスの催促を聞き、困惑した表情で兵士は自らの役目を果たさんとする。

 

「了解いたしました、ブロッサム隊長からの報告を読み上げます!」

 

声高らかに元気よく紙を読み上げる兵士。

報告の内容は次のようなものであった。

「西方に黒騎士の姿あり」と。

この知らせを聞いたアイリスは、すぐにそこへ向かって歩き出したのだった。

 

 

 

 広い平野も、西へと歩みを進め続ければ多少は景色が変わってゆく。

草は木々に、池の存在も次第に確認できるようになってゆき、草を踏みしめるのとはまた違う、葉が軋むような足音が心地よく無人の地に響く。

アイリスが歩き出してから既に10分が経過していた。

 

「・・・・・・」

 

とすれば、黒騎士もそろそろここに現れるだろう。

アイリスは、魔法を展開しつつ辺りを見回す・・・・・・が、そこに敵兵の姿はなかった。

いや・・・・・・兵、などとは表現出来ないと言うのが正しいだろうか。

部隊よりも屈強で、個であるが故の柔軟性をもつ、向こう側の「切り札」の存在。

ーーーーなるほど、これほどの重圧か、とアイリスはこれまで会った兵士とは、まるで違う気配と殺気を感じ取る。

 

「ーーーーー白い魔女だな?」

 

彼女の後ろから声がした。

背後をとった上で声をかけるというこの行為は、最低限の礼儀か、それとも余裕からくるものなのか。

 

「いかにも、私が・・・・・・白い魔女です」

 

アイリスはそんなことをぼんやりと考えつつも、来てしまいましたか、とばかりに瞳を閉じてから、声の主へと振り向く。

 

ーーーーそこにあったのは男の姿だ。

強烈な風で叩きつけるかのような威圧感、ただただ純粋な黒さを放つ長髪。

全身を包む鎧は幾つもの金属の層が複雑に折り重なり、奇妙な線模様を浮かび上がらせている。

その手には、人には到底扱えるはずもない大きさの長剣を握りしめて、深い暗黒を湛えた紺青の瞳で以て、ただ一点にアイリスを睨みつけている。

風格だけで既に実力は嫌というほど感じ取れるだろう、まともな生命の持つ脳なら今にでも「逃げ出せ」と身体へ命令を送りかねない。

 

「ヴァン、ベルキアの黒騎士・・・・・・ヴァンだ」

 

黒騎士を名乗る男はそう言い放ち剣を構える。

その剣先は確実にアイリスの命を絶たんと正確無比に首へ向けられていた。

 

「ラグーンの白き魔女、アイリスです」

「そうか・・・・・・」

 

そう呟き、男はアイリスを見据える。

息も出来ないような重圧が、そこらじゅうから聞こえてくる怒号や悲鳴を消し去る。

先程までは、遠く離れた鳥の囀りすら聞き取っていたアイリスもまた、例外なくその圧力の渦中に呑まれ始めていた。

異様な静寂が訪れようかというその時、男は口を開いた。

 

「ベルキア黒騎士、ヴァンだ・・・・・・ゆくぞ、白き魔女よ!!」

 

 名乗りを挙げ、先んじて剣を振り下ろしたのは黒騎士であった。

一息の間、その極めて短い時の狭間に、騎士は重火器の砲撃にも劣らぬほどの衝撃を地面に踏み込み魔女へと接近する。

 

ーーー直線。

本当に視線に対して一直線に接近するものはそれだけで距離感を狂わす。

男の寸分違わぬ直線運動はまさしくそれであった。

 

「デヤァッッ!!」

 

一閃、そこから放たれる突きは先制攻撃としてあまりに完成されていた。

が、相手とて一国の切り札である。

 

「っ!」

 

アイリスは男の方向へ跳躍、難なくそれを回避し男の後ろへと回り込み後の先を狙った。

男の剣はアイリスの回避を後追いするかのように空を切り、その剣先は徐々に彼女から離れてゆくのが確認できる。

そして一瞬、確かに剣は止まったのだ。

 

「はあああ!!」

 

ーーーー好機。

男が完全に攻撃動作の戻しに入るのを確認した後、深く力が込められた正拳突きがアイリスから男の胴体へと放たれる。

 

「・・・・・・甘い」

 

ーーーー避けられるのを前提とした牽制であったのだろうか。

男は左斜め後ろより迫る拳を見ることなく返す刀であっさりと迎撃してしまった。

だが好機であることには依然変わりはない。

アイリスは蹴り、拳、魔法、その連続攻撃の手を緩めることなく続けた。 

男も連撃を籠手でいなしながら、その間隙を剣を切り返してアイリスの足を付け狙う。

せめぎ合いが続く中、足への攻撃を一度だけアイリスはジャンプによって回避した。

 

ーーーー騎士の狙いはそこであった。

鎧に身を包むことのない軽装なものであれば脚を封じて動きを止めるのが定石である。

もちろんそれを知っているのは当然であり、脚には絶対傷を負わないように立ち回る・・・・・・隙を消し最短距離にて攻撃を回避するだろう。

超近接の剣の、足に対する斬撃は「ジャンプ」が最短なのだ。

その跳躍の瞬間、男は短く剣を持ち魔女の胴体へ鋭い斬撃を放った。

 

対して、アイリスは空中にて表情を変えずに魔力を放出させた。

するとどうだろう、それによってジェット噴射の要領で急速にアイリスの方向転換が成されたのだ。

その直後、騎士の剣が先程の位置で空を切った。

 

すかさずアイリスは腕に魔力を収縮、方向転換の勢いを利用し騎士に蹴りを放つ。

受け、返し、避けて、殴る、そんな絶え間ない攻撃の応酬が続く。

ついに魔女の足が地に着いた。

彼女は瞬時に腰を落として構え、間髪入れず拳を放つ。

騎士も返す刃でその一撃を受け止めた。

騎士が剣を動かし斬りつけんと構えれば、魔女が離れようと仕掛ければ、それが既に隙と化す超近接の世界・・・・・・鍔迫り合いの状況が生まれる。

 

 

 

 辺りに意識を向ければ戦況は膠着を始めていることに気付くだろう。

一転突破の策も、決め手となるには一つ足りなかったようである。

この場においても決して例外はなく、二人の鍔迫りはこの戦場における静寂の象徴とも呼べるような様相を見せていた。

そんな中先に仕掛けたのは騎士の方であった。

男は目を細めて大きく後ろへ下がると、剣を構える。

すると剣からおびただしい量の「黒」が溢れ、やがてさらに巨大な剣が姿を現した。

 

「薙ぎ払え」

 

巨大な剣がアイリスの視界を覆う。

黒く、大きく、見ただけでも破壊に特化したと分かるそれは、その巨大さ故に回避の難しいものだろうということは想像に難くないはずだ。

 

「”グランディバイダー”!!」

 

先程の技術に裏付けられた技とは一転、言い表すならばそれは「暴力」であった。

圧倒的な破壊力が地面を抉り、明確な殺意が空間を切り裂き、アイリスを喰らわんと迫る。

アイリスは目を閉じて、左腕を右肩の位置まで上げる。

それは力を抜いて意識を腕へ集中させているように見えるだろう。

 

「切り開け」

 

視界を覆う「黒」に、一点だけ光が漏れる。

星のように煌めく「白」がアイリスの左腕に集まっていく。

収縮された魔力がさらに輝き、球状のエネルギー弾が形成された。

 

「マジック・・・・・・」

「シューーーートッッ!!!!!」

 

フリスビーを投げるように腰から上をひねり腕に力を込め、アイリスは渾身の叫びとともに魔力を放った。

それが、黒騎士の一撃を破るのは一瞬だった。

巻き上げられた砂塵を消し去り、バチバチと異様な風切り音とともに騎士の首目掛け飛んでくる魔力。

 

「なっ・・・・・・?!」

 

迎撃は出来ない、回避は間に合わない、無傷では受けきれない、では防御は・・・・・・。

男は考える、が状況を打開するには既に手遅れであった。

必殺の一撃の後では、一切の隙をさらすことのなかったこの男も、動けぬ一瞬があったために対処が遅れたのだ。

 

魔女の放った一撃は男の顔面を正確に捉え、削り、抉りとるだろう。

彼女は死の臭いが満たされた戦場というその場において、一人勝者として立ち尽くすことになるのだろう。

騎士の眼にも魔女の手が一瞬震えるのが見えたはずだ、だが彼にとってもうそんなことはどうでもいい筈だろう。

そして魔女の一撃は男の目前へ。

完全に攻撃は当たっただろう、騎士の敗北は間違いのないものとなる。

 

しかし男が魔力に穿たれることはなく、それは目前で消え失せてしまった。

膨大なエネルギーが突如として消えたために、そこを中心として暴風が巻き起こり二人を隠す。

 

ーーーー何が起こったのか?

だがそんなことは今はどうでもいい、と騎士は剣を構えて、敵の姿を確認すべく目を細める。

砂塵が晴れ、その姿は鮮明になってゆく。

アイリスは構えていなかった。

さもそれが当然のことだとでも言うように、棒立ちで黒騎士・・・・・・ヴァンを見つめ返していた。

 

ーーーーあまりに異様だ。

必殺の一撃に失敗したあげく、戦場で構えを解いた。

異様と言わずになんと言えるだろうか。

しかしながら、戦意喪失ではないのは彼女の輝く紅の瞳が証明している。

それどころか戦っている時のとは全く異なる、しかしそれよりも・・・・・・強い、瞳だったのだ。

 

「何のつもりだ」

 

剣の構えは解かず、ヴァンは訊ねる。

 

「・・・・・・少し、少しだけでいいんです」

 

ーーーーどのような勘違いがあってもいい、如何なるすれ違いが起ころうとも構わない。

そう瞳が訴えかけているのがヴァンには強く感じ取れた。

恐らくこれほど決意に満ちた燃えるような目は、見たことがないだろう。

彼はいつの間にか、構えることを忘れていた。

 

「・・・・・・」

 

しばらくの沈黙、その後意を決して息を吸うとアイリスはこう言い放った。

 

「ーーーーーー私と話をしませんか?」

 

ーーーーラグーンの「白い魔女」とベルキアの「黒騎士」

これがその、出会いの日であった。

 

 



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騎士の困惑

 ラグーンの空は、青い。

ラグーンの海も・・・・・・青い。

 

一人、海と空を見つめているアイリスは、そんな青色の輝きを黒騎士の瞳に重ねていた。

会話を試みようとしたあの日、その時からあの黒騎士の姿が頭から離れないのだ。

彼は一度だけ剣を下ろした、つまりそれは彼には話をする気があったことに他ならない。

不意打ちの可能性は一切否定出来ないものの、アイリスは彼が・・・・・・黒騎士がそのようなことをしない人物であることを感じ取っていた。

気付けば、彼女はこう呟く。

 

「あの人は・・・・・・」

 

ーーーー私と一体何を話そうと思ったのだろう。

考えれば考えるほど、その答えは不思議と霧の中に消えてゆくようだった。

 

 

 

 アイリスを近くで見ていた鎧の女は、実に困惑していた。

一向に動かない戦況に、ではない。

戦闘を終えた後のアイリスの様子にである。

ベルキアの方角を向いて、ボーッと何時間も虚空を見つめ続ける横顔は亡き人を待つ未亡人のようで、きっと鎧の女がいくら話しかけても返事は返ってこないだろう。

何にも邪魔されることなく、その美貌をそこら中に垂れ流しているその様は、あまりにも無防備なものであった。

そう・・・・・・どこか上の空なのだ、一体何があったというのだろうか。

 

「はぁ・・・・・・全く、何なのよ・・・・・・。声かけても返事しないし、いまいち話通じないし・・・・・・」

 

広大な海と壮大な山々が、この青空と協力して作り上げるラグーンの風景に溶け込んで、鎧の女は酷く困惑している。

撤退指示の後処理に、アイリスの世話に、隊長兼戦技教官などもをまとめて請け負う。

鎧の女・・・・・・ラグーン騎士一番隊隊長、ブロッサム22歳。

誠に苦労の絶えない毎日なのである。

 

 

 

 事の発端は例の戦闘の時までに遡る。

彼女が前線で戦っている間にアイリスは黒騎士と対決した。

激しい戦闘になるはずだった、なにせ両国の切り札同士の一騎打ちなのだから。

下手をすれば、その勝敗は戦争の勝敗に直結しかねないような一戦。

その中聞こえてくるのは恐らく黒騎士の技からくる音だけであった。

アイリスはただの一度も本気で攻撃せずに温い攻めを続けていたことは、間違いはないだろう。

しかし戦闘は中断された、ただ一発のマジックシュートのみによって。

 

この報告を受けたブロッサムは、やはり酷く困惑した。

アイリスは本気の一撃・・・・・・すなわち「魔法」を放ったのだ。

故意か不意にか、何を思ってその行動に至ったかは、彼女は知らない。

しかもその上で、黒騎士は五体満足で生きているとまで言われては、ますます理解不能な行動だと思っても仕方がないことだ。

が、原因は間違いなくそれであろう、彼女はそう考えている。

その時に何かされたのか・・・・・・、いや、何かしてしまったのか・・・・・・。

彼女の頭の中は、記憶という映像を巻き戻しているような状態だ。

ただ、後ろ向きの感情がそこにないことは、彼女が零すように時折見せる笑顔が証明している。

そうしてやがて思考が停止する。

分からん、とブロッサムの脳が悲鳴を上げているのだ。

思い当たる節がないこともないはずなのだが・・・・・・、アイリスはここ数日、黒騎士の話すると露骨に反応していたのだから。

 

「うれしいことで、戦闘を中断するぐらいの事で、しかもアイリスが本気出すような状況・・・・・・?

 

顎に手を当ててわざとらしく、ブロッサムは考える動作をしてみせる。

 

「・・・・・・ダメだわ、ぜんっぜん分かんない」

 

彼女は、アイリスの興味は黒騎士に関する事なのは恐らく分かってるだろう。

では、黒騎士の一体何が気になるというのか。

彼女の思考はどんどん深みに嵌まってゆく。

あーでもない、こーでもないと一人唸るその姿は、妹の悩み事を解決せんとする姉のそれのようであった。

そこで、思考までもが思春期の妹を持つ姉に近づけば・・・・・・導かれてしまう答えが一つある。

ーーーー惚れたか、と。

 

「黒騎士、その強さに一目惚れってやつかしら?」

 

ブロッサムはそんな独り言を呟きつつアイリスの方を見る。

なるほど、こうして見てみれば納得のいく光景に思えてくるものだ。

呆けて上の空なアイリスは、遠く離れたよく知らぬ黒い騎士に思いを馳せているのだろう。

声をかけても返事がないのも、黒騎士の話で肩が跳ねるのも・・・・・・これなのだ。

 

「ふっふっふ・・・・・・可愛い奴め・・・・・・」

 

と言いながら、そーっとアイリスに近づき肩を叩いた彼女は、ウインクをしながらこう付け加えた。

 

「アタシに任せなさいな」

 

満身の笑顔、渾身の大声、今のアイリスとて流石に気づいたし聞こえただろう。

 

「・・・・・・へ?」

 

が、その意味が解らずに困惑したのは今度はアイリスの方であった。

 

 

 

 彼女がまず行うのは、ベルキアとの交信手段の確保である。

戦争中、その敵国との交渉以外での個人的な交信である。

この時点でかなり無理があるような気がするが、そこは隊長のブロッサムである。

権限を最大限活用してどうにかこっそりにでも、かの黒騎士との連絡を取りたいところだ。

彼女の向かう先はただ一つ、さらなる権力を持つものの場所だ。

 

「んで、俺かよ」

 

一人で使うには余りに広い広間、そこに男の何とも言えぬ気だるさを感じさせる声が響きわたる。

目的地に到着し、ブロッサムは事のすべてをこの目の前の男に伝えたのだった。

壁の至る所には黄金の装飾がこの場の重さを告げるように煌めき、天井にはいつの時代をモチーフに作ったかまるで分からない謎の彫刻、空間がよりいっそう広がりを持ったように思わず錯覚してしまうような鏡の数々。

その最奥で、椅子の肘掛けに肘をついて目を細めるのは第十三代目ラグーン国王であった。

 

「ええ、陛下・・・・・・お願いいたしますわ」

「やめろ気持ち悪い」

 

わざとらしい・・・・・・というか、ほぼわざとの敬語で頼みこむブロッサムと、雑に敬語を突っぱねる国王の姿がそこにあった。

・・・・・・本当に国王なのだ、王冠もちゃんと身につけているの見えるだろう。

 

「アタシがわざわざ敬語で頼みこんでんのよ、いいじゃあないの」

 

彼女は頬を膨らませて引き下がろうとはしなかった。

無礼なんて領域は既に過ぎ去っているだろう。

この女、立場を弁えないのは魔女相手限定ではないようだ。

 

「あのなあ、常識的に考えてムリに決まってんだろが」

 

はあ、と溜め息をするかわりにぶっきらぼうにそう返す国王。

 

「常識は疑えよって偉い人が言ってたわ」

 

などとブロッサムが言い返せば。

 

「るせえっ、俺のが偉いわ」

 

と、面倒くさそうに国王はツッコミをいれた。

話に付き合うだけまだ優しいと言えるのではないか、そんな事はいざ知らずブロッサムは諦めずに食い下がり続ける。

 

「ベルキア旅行ってことで!」

「無理だ」

 

「じゃあ公式の使節団として!」

「駄目だ」

 

「くぅー、んじゃ手紙だけでも!」

「ダメっつってんだろが!!」

 

ちょっとだけ、ねえちょっとだけ、などと手をパンッと合わせて根拠もなくそう連呼する様はとてもじゃないが一部隊の指揮を任せたいなんて思えない。

 

「ぐぐぐ・・・・・・・・・・・・ケチ!」

「いや、ケチとかケチじゃないとかの次元じゃねーよ!」

 

大の大人の吐く「ケチ」、という発言。

ーーーーもはや何も言うまい。

 

「うっさい、国民の意見を聞いてこその王様じゃない!その王冠は飾りかしら!?」

 

いや、発言云々以前に人にものを頼む態度でないのは明白か。

 

「こんの・・・・・・言わせておけば・・・・・・」

 

これ以上は見るに耐えないやり取りが続いたため、ここでは何も語らないことにしよう。

結局二人は、5時間もの間言い争った挙げ句に、近くを通りかかったアイリスによってなだめられることとなった。

 

 

 

 さて、この話し合いの果てにブロッサムは、ベルキア王国の黒騎士との連絡手段を確保できるのだろうか。

アイリスを交えて会話は続く。

 

「黒騎士ねぇ・・・・・・、そんなに合わせてえのかよ?」

「あ、いえ・・・・・・、別にそんな・・・・・・」

 

王の問いに対するアイリスの言葉に反して、彼女はあたりにキョロキョロと視線を移していた。

 

「あー、これは・・・・・・」

 

と、王は目を細めてブロッサムに目配せをする。

 

「でしょ?」

 

ブロッサムもまた小声でそう答える。

 

「・・・・・・ショージキに言え?魔女様よ」

「え、あ、はい」

 

アイリスは急に目を見開いた王にびっくりしてしまったようだった。

だが、アイリスが落ち着きを取り戻す前に王は質問を投げつけた。

 

「黒騎士の一体どこに興味あんだ?返答次第で対応を決めさせてもらうぜ」

 

そう言われ、アイリスは戸惑うかのように思われた。

しかしむしろアイリスは、そう言われることによって落ち着いたように見える。

少しの沈黙、言葉に詰まっているというよりは、それを言う勇気が湧いて来るのを待っていると言ったところか。

 

「・・・・・・あの方は、手加減をしていました」

 

馬鹿な、とブロッサムが驚く。

ほう、と王は関心を持ったようである。

さらにアイリスは次のように言葉を紡いでいった。

 

「ーーーーあの方の剣には迷いがありました。きっと、理由はどうあれ私のように心から戦争に臨むことが出来ないんです。私を殺すことの出来た場面はどこにでもありました。初め、後ろから話しかけた時、鍔迫り合いで戦いが止まったとき、私の魔法だって彼は多分容易く破ることができたはずです。彼は、戦いに目を向けてなかった、と私は思っています」

「それで、話をしましょうってか」

 

話を聞いた王は疑問を口にする。

 

「・・・・・・はい、勝手な行動でしたね」

 

アイリスはわかりやすくシュンとした表情でそう言った。

 

「ちょっと、アイリスが悪いみたいな言い方止めなさいよ」

 

それを見て慌ててブロッサムが口を開く。

 

「いや別に怒ってねえよ、こっちは魔女様に力借りてる立場なんだしな」

 

だが、と王は続ける。

 

「それならそうと言ってくれ、水臭えし勝手に動かれると俺も困る」

「え・・・・・・」

「それって・・・・・・」

 

言ってくれ、それは言い換えれば言ってくれれば何かをしてくれるということなのか。

アイリスもブロッサムもその考えに至って、驚きの目で王を見た。

 

「やってみるさ、俺にはアテが無くもないからな」

「・・・・・・あ、ありがとうございます!」

 

やってみるという言葉。

その言葉はアイリスの身体に不思議と染み込む、彼女は思わず笑みを零して感謝の気持ちを伝えるのだった。

 

 

 

 ところで、ブロッサムは持っている権限を最大限生かして云々、と意気込んでいたのを覚えているだろうか。

果たしてどこにブロッサムの権限が介入する余地があったのか、思い返して頂きたいと思う。

 

恐らく無いはずだろうから。

 

 

 



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王の奮闘

 王城のとある一室。

王とその直属の騎士団の隊長たちが一同に集っていた。

 

「んで、俺らは今のうちに休戦協定の準備だ」

「休戦ですか・・・・・・陛下、お言葉ですが難しいと思われますが」

「そもそもアイツらを野放しにするなんてとんでもないです・・・・・・!」

「そうだ、そうだ」

「いや、でも一理あるのでは」

 

知っている声と知らない声が混ざり合う。

皆が思い思いに口を開いて意見を述べているのが聞こえてくる。

ある者は過激な意見を、ある者はある程度肯定的な意見を、あるいは否定的な意見を。

厳かな会議の中に王の言葉は確かに混乱を呼んでいた。

結論から言えば、アテがなくもないという王の発言は嘘八百ということだった。

 

「うるせえ、まずは反対意見を聞いてやるから黙ってろ」

 

そうなることは解っていたとばかりに王は隊長達をなだめる。

そして先程あまり好ましくない色を見せていた者のあたりを見た。

目があった兵士は、素早くその場を立ち上がって背筋をピンと張った。

 

「はっ、意見いたします!」

 

王に対しての意見、その男は深く一礼してから言葉を連ねていった。

 

「私は、休戦は難しいものと思います」

「それは何故だ」

「ベルキアとの戦争が始まってもう二十年が経ち、しかも仕掛けたのは向こうでございます。こちらの要求を呑むとはとても思えないからであります。」

 

王は別段気にとめたような表情を見せず視線を移した。

 

「お前は」

「はっ、同意見であります!ベルキアとは先日戦闘を終えたばかりです。そのような緊張状態の中でいきなり戦いを止めよう、と提案するのは現実的とは到底思えません」

「んー、だよなあ・・・・・・」

 

頭痛で痛む頭を押さえるように額に指を当て目を閉じて考える素振りを見せる王。

来るのがわかっていた反対意見なだけに、これを納得させる言葉を慎重に選んでいるはずだ。

 

彼は内心思う、だからこそ今しか休戦交渉は出来ないのだと。

しかしそれはあくまでも王の勘でしかなく民草を納得させ、そこへ向かって動かすには少し弱い。

しかも失敗すれば今後の交渉に響きかねない、別に今じゃなくても・・・・・・と皆が思うのはある意味当然と言えた。

 

「んー、どうすっか・・・・・・」

 

救いを求めるように、彼は一番隊隊長の方を見やる。

ーーーー目をそらされたようだった。

 

「・・・・・・先の戦闘の結果はどうだったか覚えてるか?」

 

王の言葉に皆が過去を振り返る。

隊長達の方に振り向いて話す彼の声の調子は、ヤケになっている時の若者のそれだった。

なるようになれと諦めたようである。

 

「勝っても負けてもいません」

「依然膠着状態ですね・・・・・・」

「Zzz・・・・・・」

 

望んだ返答を得た王は、そう・・・・・・一切戦況は動いてないッ!と続ける。

上がった声量からは勢いで誤魔化そうとする心構えが見え隠れ・・・・・・いや、実際そうかもしれない。

 

「つまりだな、あー、この緊張状態の中なら、どっちも勝ってないこの状況ならな・・・・・・」

「この状況ならば・・・・・・?」

 

言葉に詰まったようだ、王の口が開いたまま閉じない。

やがて絞り出すように一言。

 

「・・・・・・こ、公平な・・・・・・交渉が、でき、る・・・・・・・・・?」

 

あまりの沈黙に、王の顔はひきつっていた。

今の彼の内心なら、誰でも容易に覗き観ることが可能なのではないだろうか。

ずばり、ヤベ・・・・・・やっちまった・・・・・・である。

渾身の隠し芸を理解してもらえなかった時の空気に似ているだろうか、いわゆる「スベった」というやつだ。

 

「プッ」

 

泣き子も黙る、もとい寝る子も起こす戯れ言か。

一番隊隊長は思わずお茶を吹き出し、寝ていた三番隊隊長は起きた。

 

「わ、笑うな!」

「クゥ・・・プクク・・・・・・クヒィ・・・イヒッ・・・・・・あっ、だめ、アハッ、アッハッハハハッハ!」

 

笑いを堪えすぎて、むしろ怒りを煽るような声になってしまった事を反省する間もなく笑いの渦に飲まれる一番隊隊長・・・・・・もといブロッサム。

この笑いっぷりには、王に対する失礼を日常と認識していた各隊長達も呆然とした。

 

「ブロッサムさん、あれでよくクビにならないなぁ・・・・・・」

 

隊長たちの中から思わずそんな言葉を漏らしてしまう者が出てきてしまうのは無理もないことだろう。

すると突然、ブロッサムが笑うのを止めたかと思うと、次の瞬間に目を見開き、声を張った。

 

「別にいいじゃない!休戦!向こうがイヤって言ってきたらそのとき改めてぶっ潰せばいいのよ!」

「無理があるだろ・・・・・・」

 

腕を大の字にして休戦を賛成するブロッサム。

前回も言ったが、もうなにも言うまい。

 

「いやいや、ブロッサムさん。そうは言うけどね、そもそもそんなことしたら火に油を注ぐだけじゃあない?」

 

うんうん、と頷く一同。

当然だがその中には王も含まれている。

 

「むう、なによなによ!それぐらいの意気込みでやったっていいじゃないの!」

 

ぎゃあぎゃあ、わあわあと喧騒は続く。

 

 

 

 一方、壁の向こうでは壁に耳を当てて盗聴を試みる影があった。

 

「な、なにを話しているんでしょう」

 

彼女には内部の騒がしい会話らしき何かが聞こえてくるのみで、一体何が起こっているかは見当もつかないでいる。

そもそも、あの黒騎士とコンタクトを取るなんてことをいきなり実現しようと王が直々に動いたのだ、なにも起こっていないはずはないのだ。

 

「・・・・・・黒騎士」

 

その不思議な響きを噛み締めるようにそっと呟く。

白い魔女と双璧を成すもう一人の魔女、歴史上では黒騎士はそう呼ばれている。

破壊と消滅を司る魔法を得意とする白き魔女に対する、創造と生成を司る黒い騎士。

遥か古来よりこの白黒の魔女の対立は長く続いてきた、とアイリスは聞いている。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

どんな人なんだろう、何が好きで、何を守りたくて戦っているのだろう。

ーーーー私は彼のことを、どう思っているのだろう。

深く考えてもそんなことすら分からずにいたアイリスであった。

 

「恋の香りがするなァ」

「ひょえっ!?」

 

男の声、アイリスの肩がビクンと跳ねた。

 

「ななななな、なんの話でしょうか」

 

左上、右、左、下、右上、「な」と共に動く挙動不審で意味不明な視線の動きを王は逃すことなく捉えた。

そんなことを書いているうちに更に彼女の視線が三往復したことも付け加えておこう。

 

「違ぇの?俺はブロッサムからそう聞いたぜ?」

「ブロッサムさん・・・・・・違いますって、なんというか・・・・・・興味があるだけですよ」

 

へへっ、と薄ら笑いを浮かべながらそれを聞いていた王に対して、アイリスはその雪のように白く透き通った肌を、落ちそうなくらい熟した身のごとく赤くしていた。

その様子からは、まるで王の視線が少女の頬を焼いているような、そんな印象を受けるだろう。

 

「恋は興味から始まるってね」

「・・・・・・ッ!あんまりからかうと怒りますよっ!」

 

頬の実が落ちたようだ、アイリスはもう何ともいえない顔で声を荒げていた。

 

「あー愉快愉快、ごちそうさまだぜ魔女様」

 

王はその様子にご満悦のようだった。

そんな感じに軽口を叩きながら彼はアイリスの元を去っていった。

 

 

 

 

 

「恋・・・・・・、こい・・・・・・ですか・・・・・・?」

 

彼女は、王が去った後もぶつぶつそんな独り言をつぶやいていた。

今ので十回ぐらいだ。

仕方あるまい、いくら魔女といっても年頃の女の子がそういう話題を出されて意識しないわけもない。

アイリスが「意識しない」と脳に言い聞かせても、返ってくるのは確かに温度を持つ紅潮したこの頬だけなのだ。

 

「・・・・・・」

 

そんな彼女は、つめたい両手で頬を押さえて冷やしながら、未だ尽きない黒騎士への興味に思いを馳せているばっかりだ。

だから王が再び先程の会議室へ戻っていっても気にかけることはなかった。

 

 

 

 扉が開く、そこに錆びた金属の留め具が奏でる異音はない。

ほいー、と全員分のお茶を用意しつつ王はわざとらしくドスンと音を立てて座った。

曰わく、これが王様っぽい動きとのことらしい。

 

「んじゃ、会議再開だ」

 

彼らまず、ホワイトボードに「休戦への道」と大きく書いた後に現状の問題点を箇条書きでまとめた。

内容としては、大きく次の3つだった。

 

・そもそも向こうは交渉の場に来てくれるのか

・来てくれたとしてこっちの休戦の提案を呑んでくれるだろうか

・呑んでくれたとして不当に不利な要求をこちらに押し付けてこないか

 

どれも、戦争という状況がもたらす駆け引きの世界なものだ。

当然思いつく、この3つの壁を越えないと休戦の道は開かない。

 

「改善策、誰か思いつけい」

 

静寂、誰も口を開かない。

 

「うぐぐ、誰も思いつかねぇ」

「陛下、やっぱり無理があるのでは?」

 

王は考える。

これは別の観点からのアプローチを考えざるを得ないのでは、と。

アイリスを黒騎士に会わせたい、ただ命のやりとりはナシでだ。

 

「あ」

 

周りが「は?」とでも言いたげな疑問に満ちた表情を浮かべる中、王はまさしく雷に打たれていた。

棋士が逆転への妙手を思いついた時のような、研究者が世紀の大発見の糸口を見つけたような。

ーーーーなるほど、つまりはアイリスがあの黒騎士と会話出来ればいいのだ。

 

「とにかく交渉へは行けると思う」

 

となればする事は一つしかない、交渉の場に持って行くことだ。

 

「はあ、それはどうしてでしょうか?」

「ホワイトボード3番目の問題を見てくれ」

 

3番目、それは「こちらに不当な要求をしてこないか」だ。

 

「普通悪さするにしても3番目狙うと思うんだよ」

 

まぁ、確かに・・・・・・と一同頷く。

 

「んで、不当な要求ならそれを記録にとってりゃ、断ってもそうそう次以降に不利になるなんてねぇだろ?」

 

記録にとる。

当然なものと思うことだろうが、紙は高価で電子機器の類など無いこの世界においては、たとえ魔法であったとしても「記録」、さらに言えば「正確な記録」はそう容易なものではない。

 

「いいんですか? 陛下」

 

つまりそれだけお金を出すということになる。

 

「ん、なにがだよ?」

「国民に更に負担をかける結果になると思いますが」

「そうです、そんなことしたらお金無くなって不利になるのは俺らですよ!」

 

この反発は当然といえよう、税金を上げるのか、それとも彼ら騎士たちの給料が下がるのか。

どちらにしても二つ返事で了承するにはリスクがある。

 

「うんや、俺の自腹だからそうはならん」

 

そこで王が直々に払う、と提案。

当然だが、この発言に隊長たちはどよめき始めた

 

「アンタそんなにお金持ってるのかしら」

 

国の貯蓄なんてそう残ってるものでもないし、王は国の金を運用するので個人的な資産はそんなに持ってない、はずなのだが。

 

「もってる」

「マジか」

 

ブロッサムの質問に即答する、彼のその様子からは、ペテンでも嘘でもいいからどうにか意見を押し通そうという魂胆を感じるだろう。

 

「文句は無いよな、皆」

 

だから王は、頭の切れる奴にこの魂胆を悟られぬように結論を急かしたのだった。

どうして、話し合いなのにこんなことになっているかはここでは触れないでおこう。

 

「ええ、まあ、はい」

「無いわけじゃないっすけど・・・・・・そうですね、失礼ながら、まあ、それなら」

「右に同じです」

 

よし、と内心ガッツポーズをつくる王。

反対意見を王の権限で押し通した形だが、賛成は賛成だ。

 

「うし、んじゃ二週間後に会談できるように準備すんぞ!」

 

ということで間髪入れずにそう宣言する王。

「おー」とどこか気合いに欠ける声が隊長らから返ってきた。

ブロッサム曰わく、その時三番隊隊長は二度寝に入っていたという。

 

 

 

 後にブロッサムはこう聞いた。

「お金あるの?」と。

王は答えた。

「ねぇ」と。

アイリスはその無茶苦茶具合にただ溜め息を零すばかりだった。

 

時は夕暮れ、場所は王の間。

ただ三人の声が夜の訪れに混じってやかましい。

 

「だってよお、そもそも正確で信憑性がある記録用紙は印のついた紙だろ?それ高ぇの、マジで」

 

手で、いやいやいやといった具合に顔を仰ぐ王。

彼の顔からは「やっちまったぜ」のような反省の色は見えない、この様な暴君はいつか毒を盛られそうではある。

 

「だから偽の紙でいいんだよ、今回はベルキアに出向くのが目的なんだからよ」

「無茶ねー」

 

事の発端が呑気にお茶を啜っている、明らかに可笑しな光景だ。

だが、黒騎士に会えるかもしれない状況が出来上がってしまったために断ってしまいたくないのか、アイリスが苦笑いを浮かべているのが見える。

 

「はは、もうちょっと嬉しそうにしなさいよアイリス」

「いやー、ちょっと喜んでいいのか分からなくてですね・・・・・・?」

 

アイリスは目を逸らしてそんなことを言った。

それを見て、ブロッサムは「このー」とまた頭にグリグリと手を押し当てるのだった。

かくして、かなり・・・・・・いや、だいぶムチャクチャなベルキアとの休戦会議に臨むこととなったのである。

 

 

 



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ラグーンとベルキア

ーーーー自由は我らにあり。

 

 見えざる記憶はそう告げる。

ぼんやりと一切の輪郭が掴めない、影と言うよりはよっぽど煙とでも言う方がしっくりくる。

そんな記憶だ。

自由とは何なのか、と記憶を覗くものは問いかける。

おかしな質問ではある、それこそ煙のようであった。

だから、この返ってこない答えに何を感じる訳でもなくただ瞳を閉じるのだ。

煙は風に飲まれて消えていき。

夢は煙に巻かれて消えていく。

 

 

 

 先日のムチャクチャな会議から既に10日が経過していた。

ここはラグーン、無理難題を押し付ける暴君の住まう国である。

始まった計画は「休戦」。

確かに戦況が全く動かない状況では、戦闘があまり発生しないから交渉の時期として合理的ではある。

が、それも環境を考えれば良いと言えなくもないというだけだ。

ベルキアは何も、侵略をするために戦っている訳ではないという事実、これが環境だ。

というのも、ベルキアは山に囲まれた日の届かない国で、作物は作れず、日向を好む太った動物は寄りつかず、かといって行商人を頼ろうにも、分厚く、硬く、高すぎる山々に阻まれているのだ。

早い話が、物資がない。

もっと言えば立地が悪すぎるのだ。

戦いが始まったのはそれが理由。

戦いが続いている理由はまた別の話であるが、ともかく物資を軸に交渉を進めるのもいいだろう、と。

 

「まぁ、こんなモンかね」

 

王は、まさしくそんなベルキアの山々の如く積み上がった計画案を処理していた。

この光景には、ムチャな発案からの嘘のような計画性と驚かざるを得ないだろう。

 

「陛下、追加の書類でございます」

 

ーーーー補足しておくと、この「書類」というのは音声を記録する魔法が込められたもので、紙でもなければ文字がかかれた物でもない。

魔法である以上、術者・・・・・・今回でいえばアイリスによる魔力の供給を常に必要とするから、当然これは長期の記録には向かない。

この世界の記録媒体は、どれもこれも一週間と保たない脆いものばかりなのだ。

 

「さて、こりゃ紙の量産計画でも立てたいねえ・・・・・・」

 

それをするには紙を作る技術がもう少し発達する必要があるだろう、気の長すぎる話だ。

だから王はそんな自分の発言に溜め息しか出てこなかった。

 

書類に耳を澄ませていた王には、声でなくやたら大きなガシャンという扉の音だけが聞こえていた。

それに気づいた王は顔を上げて音の方を見た。

 

「お茶を持ってきましたよ、陛下」

 

扉の近くで佇む彼女は楽しげに言葉を発しては横顔にお茶を掲げてにっこりと笑った。

昼頃、天井の芸術的なガラス細工が色鮮やかで喧しい。

 

「おお、魔女様か」

「魔女でも様でもなく、アイリスですよ陛下」

 

いたずら気に言うアイリスの姿は、光のせいか少し明るく見える。

こちらは必死に作業をしているというのにこの女は楽しそうな顔をしているな、などと王は思った。

 

「んなこといったら、俺ぁ王でも陛下でもなくて、アイオタだっての」

 

いくら何でも苦し紛れすぎる反論だった。

アイリスは口元に手を当ててクスクス笑いながらこういった。

 

「王でも陛下でもあるじゃないですか」

 

そう言った後に笑いが止められなくなってしまったのか、彼女は口元どころか口を覆い隠して笑い始めた。

アイリスとて魔女でも様でもあるのだが・・・・・・まあ、些細なことなのだろう。

そう思って王は、出された茶に口をつける。

 

「んー、うまい、こういう時の茶は良いもんだなあ」

「これ、淹れたのブロッサムなんですよ」

 

なんて自慢げに言っていたアイリスに

 

「ありえねえ」

 

と、王はただ一言。

忙しそうな王の言葉はどこかそっけない。

 

「そういえば、どうしてまた休戦なんて?」

 

だから、早々に馬鹿話は切ってアイリスは本題に入った。

別段、この緩い空気がヒリつくことはなかったが、それでも吹いていた風が止む感覚を二人は味わったことだろう。

 

「私とあの人を合わせる以外に、目的があったんですよね?」

 

休戦、それは大抵戦争を続けられない時に結ばれる。

しかし、こちらも、むこうも、まだまだ国力なんて有り余っている。

余っているというのは語弊があるのかもしれないが、少なくとも「まだ尽きていない」とは言えるはずだ。

でも、この積み上げられた書類、彼女は媒体を維持する役目を負っているためにその中身は全て知っている。

それは、休戦と称するにはあまりにも綿密な計画で、それは終戦を想定した講和条約のようなものばかりだったのだ。

 

「そりゃあ、休戦のどさくさに紛れて戦争を終わらせる条約の準備だよ」

 

そんなこと出来るんですか、そう言おうと思っていたアイリスだが、その後の王の言葉に遮られてしまった。

 

「ま、休戦できたらの話だけどなぁ」

 

そういって椅子に深く座り込む王。

そんな王をみて、うっすら目を細めて恥ずかしそうな笑顔でアイリスはこう言う。

 

「できたら・・・・・・いいですね」

 

そんなアイリスを王は真っ直ぐに見て。

 

「だな」

 

と、短い返事を返すのだった。

 

「ああ、そうだ」

「ん?」

 

彼女は少し考えているような素振りを見せた。

 

「・・・・・・」

 

考えている、というよりは口に出す言葉を選んでいるといった印象だった。

やがて何かを思い出した様子で、彼女は王の視線から外れた。

 

「見回りしてきますね」

 

なにを言うわけでもなく、その元気のいい言葉と共にアイリスは勢いよく扉を閉めるのだった。

 

 

 

 アイリスの日課は、不健康な骨のような穴あきの予定で実施される。

つまりは、日によっては気分の問題でやったりやらなかったりするのだ。

もっとも、それは王から言われた内容であって、律儀で真面目なアイリスは当然毎日こなしてしまう以外の選択肢など無い。

その日課とは、ラグーンの城壁から周囲一キロの範囲の簡単な見回りである。

 

「・・・・・・」

 

周りにはさほど背の高いわけではない木々、右を見れば昼頃の昇りきった太陽が反射して湖がやたらと眩しく、季節特有の暖かな暴風が心地のいい植物の鳴き声を奏であげていた。

そんな森の中、黙々とあたりを確認してゆくアイリス。

この範囲での見回りも、彼女の魔法にかかれば朝飯前と言ったところか。

 

「おや、あれは・・・・・・?」

 

朝飯前が故に、他のものに目移りしてしまうのは必然的なものと言える。

彼女はどうやら地上に何かを見つけたようだった。

注意深くその、木々の隙間からひょこりと覗く瞳らしきものを見つめてみると、なるほど、これは気になるだろうという位の猫の集まりと、それを彩る赤や黄色の美しい暖色が輝く花々が目に入ってゆく。

 

「猫さんですか・・・・・・」

 

アイリスは頬に人差し指を当てて、しばらくそれを鑑賞していた。

やがて衝動を抑えられなくなったのか、彼女は猫の元へとそーっと近づくと、甘ったるい掠れた声で猫にコンタクトを試みた。

 

「みゃあー・・・・・・みゃあー・・・・・・」

 

みゃあ、というかけ声に合わせて一歩、また一歩と歩みを進めている。

しかし彼女は足元の木を踏んでパキッと音を上げてしまい、猫たちは驚いたのかすぐさま逃げ出してしまった。

 

「あぁ、猫さんたちが逃げちゃいました・・・・・・残念」

 

アイリスはその場にへたり込んで、はあーと息を吐いた。

さしもの魔女様も、野生の場においては立場など関係ないということだ。

 

「そんな動きじゃ、まるで肉食動物じゃないか?」

 

へたり込んだアイリスの前からそんな台詞が飛んできた。

こんなところで人に会うなんて珍しい、そんなことを思いつつその人を見てみる。

見れば、ブロッサムと同じぐらいの年齢に見える男が立っていた。

 

「えぇ、そーっとじゃダメなんですか・・・・・・」

 

適当に返しつつも、アイリスは警戒している様子だった

昼頃にラグーンに向かって歩く行商人とは思えぬ男、では旅人かと思えば持っている荷物はあまりに貧弱だ。

つまりこれは、いってどこかへ帰って行く装備だと想像がつくのだ。

彼女の警戒心が強くなる一方で、男はとても気さくにヤレヤレといった具合に首を横に振った。

 

「ああ、ダメダメだ」

 

「だが・・・・・・」とさらに続けて男はポケットから何かを取り出す。

 

「こういうのは餌付けが一番だろうよ」

「餌付けって・・・・・・」

 

アイリスが口を開く刹那。

彼の手に握られた小指一本分ほどの小魚がその手で空中へと投げ出され、美しい一回転を描いた後にアイリスの手に収まった。

 

「使えよ、猫と仲良くなれるぞ」

 

そう言われてアイリスは渡された小魚を見る。

今日がよく晴れた日であることもあるが、それは仄かな光沢を放ち、小腹のすいた人間を容赦なく誘惑しているような色気を感じるものだった。

肉付きがいいというわけではない。

が、引き締まって凝縮された海の味わいが、それ特有の塩味が濃い油のまろやかさと混ざり合うその濃密な体験が、干され、乾いた今となっても油と共に浮き出ている、ということか。

はっきり言って小腹の空いてくるこの昼下がり、その最も太陽が輝くこの時間はこの光沢のためにあるのだと、そう本気で考えてしまうぐらいにアイリスはお腹が空いていたのだ。

 

「いやいや、食べるなんてとんでもない」

 

なんて自らを律するように呟くと、彼女は視線をオトコに戻した。

その控えめな笑みの奥で一体何を考えているのか・・・・・・、一切分からない。

だがその様子に彼女は男の姿が記憶の誰かと被って見えていた。

誰だったか・・・・・・記憶を辿ってゆこうとしたものの、それは男の言葉に遮られることとなる。

 

「それじゃあな、猫が捕まえられたら教えてくれよ」

 

男はそう言った。

そして、えっ、とアイリスが男に注意を戻した時にはその姿は既に消えていた。

 

「・・・・・・いったい何者だったんでしょう?」

 

忽然と、と言うのがふさわしいだろう。

このほんの一瞬で男は消えた、その事実にただ不思議がるアイリスは、そう呟いたのだった。

 

 

 

 一週間後、両国は衝突することなく無事に会議を行う運びとなった。

そのため騎士たちは王の護衛をするべく念入りに道具の手入れをしているようだ。

箱は乱雑に机上に積まれ、いっそう強くなる日差しが騎士たちに大きな影を落としていた。

その箱の整理をしていたのは見慣れた二人組である、もちろんアイリスとブロッサムのことだ。

ベルキアの領土にこちらから踏み込む、向こうが提示した条件はそれだけだった。

それだけといっても容易ではない、前にも言ったとおりベルキアに踏み込むのは、険しい山々に挑むのと同義なのだ。

 

「やっぱり重いっすね、これ」

 

積み終わった登山具を試しに背負ってみた兵士たちの一部が愚痴をこぼす。

愚痴をこぼすだけではない、彼らは魔女を横目にどこか羨ましそうに溜め息をついていた。

そんな兵士たちが目に入ったのだろう、アイリスは彼らに優しくこう言った。

 

「つらかったら私が持ちますから、頑張りましょう!」

 

至って笑顔のアイリスとガンを飛ばしてくるブロッサム。

なるほど、弱音を吐けるものなら吐いてみせろと、そういうことかと兵士たちは理解し目を逸らした。

 

「あの笑顔、絶対わざとだよなぁ・・・・・・・卑怯だよ全く」

「そうっすねえ、隊長も怖いしまさしく鬼二人って感じですよあれは」

 

当然この小声での会話も、耳のいいアイリスには筒抜けである。

が、鬼とかどうとか言われたところで、あの笑顔は天然のものが故に彼女はただ頭に疑問符を浮かべるのみに留まっている。

これを聞いたのがブロッサムなら・・・・・・、まあ特に説明もいらないだろう。

 

「お、作業進んでんな?」

 

そんな中、扉の音はやたら大きく響いていた。

いつになくラフな・・・・・・勿論言動ではなく格好の事であるが、半袖の黄色い動きやすそうな服に、会議には到底不釣り合いな所々に穴のあいた半ズボン、その上には暖かさを調節しやすい赤のコートを羽織って準備は万全と言った様子か。

はっきり言って何やってるんだコイツと皆が思ったに違いない、少なくとも王の格好ではない気がするはずだ。

 

「んだよその目は」

 

そんな視線に気付いて王は文句を垂れる。

しかし彼がいかにガンを飛ばそうが、こんな格好の王に対して皆が垂れるのは、どうあがいても頭などではなく文句である。

もっとも、王に粗相があってはならないと叩き込まれているから精神的にそんなことが出来る人物は限られているが。

別にそれが誰だという必要もなかろう。

 

程なくしてブロッサムとの激しい口論が始まりかけたが、今は時間を大切にせねばならないと王が自らそれを止めることとなる。

ブロッサムもこれには流石に自重、いつの間にやら整列していた騎士たちの列に加わった。

 

「うし、準備はいいな?」

 

その言葉に皆思い思いに返事をした。

その目には使命や希望といったある種の光が宿っているように見える。

その目に向かって、続けざまに王はこう言った。

 

「んじゃ、戦争を終わらせにいくぞ!」

 

かくして、ベルキアへの旅が始まったのである。

 



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 野を越え山を越え、そして自らが足でベルキアの会議の場へと赴く。

限りなく罠に近い、そう思わざるを得ないだろう。

ベルキアに連なる山々、ベルキア山脈。

今は日差しも暖かくなりつつある時期というのに一人時間を忘れて雪を降らし、その傾斜でもってあたかもここは禁じられた場所とでもいいたげに行く手を阻む。

これは、行商人もほとんどこないのも納得の険しさと言えるのではなかろうか。

その中腹の小屋、騎士たちの顔は明らかに疲労の色を見せていた。

 

「大丈夫ですか?今タオル持ってきますから」

「すみません魔女様・・・・・・、手間をかけさせます」

 

負傷した騎士たちの傷の手当てをしていたのはアイリスたちであった。

 

「ああもう!じっとしてなさいよ!!包帯巻けないじゃないの!!」

「うるせえ、俺はいいんだよ!ほかの連中看てろ!!」

 

王の負傷は軽度のものだ。

しかしながらブロッサムは、王が最優先であることが本能の段階で叩き込まれていることだけは忘れていないのか、王の手当てを頑固に続けていた。

 

「こ、のっ、じっとしなさいって!」

「こら、おい!!ったァ!!痛ぇ!!!」

 

ブロッサムの応急処置はお世辞にも上手いとはいえない、むしろ痛そうだ。

なるほどこれは他の兵士の手当てをさせるべきではない、とアイリスは勝手に納得してしまった。

 

 

突如、小屋の外からドガァン!という強烈な炸裂音が鳴り響く。

 

「ちっ、またかい」

 

壊れかけで留まっている扉の奥、穴を凝視すると見えるのは三匹の赤い狼であった。

雪が積もって真白い景色ばかりが広がるなか、その殺人的な紅さに王が舌を打った。

ブロッサムは救護で手一杯、周りの兵士たちも皆少なからず負傷を負っている。

 

「私が止めます!!」

 

行けるのは私しかいない。

そう判断したアイリスはいち早く裏口から飛び出していった。

扉を開けた瞬間、彼女の顔に冷たい風が吹き付ける。

そんなことはいざ知らず、彼女は次の瞬間には空高く跳躍し、腕を振り上げて一点に獣たちを睨みつける。

 

「はあッ!」

 

そのまま重力を生かして獣たちに打撃を加えんと腕を振り下ろした。

空を裂く鋭い音とともに、神速で迫る鉄球の如き拳が狼の一匹を捉えた。

数匹の狼がうろたえる、その機を逃さずアイリスは続く左手での掌底で狼の心臓部を打ち貫く。

 

「ガアアアアアア!!!」

 

激情したのか、さらに数匹の狼がけたたましい咆哮と共に彼女へ一直線に迫り来る。

当然ながらそんな甘い攻撃では魔女にかすり傷をつけることすら叶わない。

アイリスは後ろから迫る獣たちを振り向くことなく回し蹴りで迎撃し叩き落とした。

さらに続くのは、左右からの猛攻だ。

視界の外から迫る殺意、これもアイリスは左を蹴る、その後狼に突き刺さった左脚を右の狼へと遠心力を用いて吹き飛ばす。

それは狩る側が明らかに狩られる虐殺の様相であった。

この光景に、獣たちは明らかに恐怖を感じたように退いていった。

第一波が終わった、そう感じてアイリスは止めていた息を一気に吐き出す。

その顔には明らかに疲労困憊の様相であった。

 

「はぁ・・・・・・はぁ・・・・・・」

 

だがアイリスは荒れた息を整えながら注意深く周りの様子を窺っていた。

油断をしない心がけがあった訳では決してない。

退いていったはずの狼たちが、殺気だけを残してこの場にとどまり続けているのを感じたのだ。

周囲に目をやると、獣たちはアイリスを取り囲むように陣形を整えてきたばかりでなく、今にもその口から火を吹かんと口を大きく開けていたのだ。

獣たちには知性というものがあった、それは獲物を陥れ、時には目的を達するべく仲間すら見捨てる残忍さを孕んだものである。

先程までの茶番は囮のつもりとでもいうのか。

彼女は、登山の疲労で反応が遅れていたために防御の間はなかった。

獣の口からこの山の温度に似つかわしくない高温の炎が吹き荒れ、雪を溶かしてゆくばかりか木々を瞬時に灰に変えてゆく。

 

「くっ・・・・・・」

 

しかしその炎がアイリスを包まんとしたその瞬間、それはなにかに遮られて消え失せた。

炎弾を弾いた時の甲高い金属音と共に騎士の姿が目に入る。

ブロッサムたちだった。

 

「援護いたします!」

「任せてください!この程度我々だけで十分です!」

 

頼もしい雄叫びが山に木霊する。

その様子を見て、アイリスはまずブロッサムの方を見つめた。

その視線に気づいたのか彼女もまたアイリスの方を見る。

すると何やら気恥ずかしそうな表情で目を逸らして口を開いた。

 

「・・・・・・一応止めたのよ?いやホントに」

 

ブロッサムは、目を見ただけで何が言いたいか分かったかのような表情でアイリスの質問の前にそう答えたのだった。

 

「別にいいですよ、ありがとうございます、助かりました」

 

そういってアイリスは体制を整えた。

狼の数は先程から増え続け、数十頭は下回らないだろう。

こちらの騎士たちはその数16、しかも負傷者多数とくれば状況が厳しいのは間違いない。

そう考えたアイリスとブロッサムはほぼ同時に目配せすることとなった。

 

「私が引きつけるわ、デカいのお願い」

「はい」

 

そんな短いやり取りをした後、二人は左右へ別れて獣たちへと突撃した。

左からのブロッサムは、その手に持った両手剣をぐるぐると振り回して獣たちを挑発、自分に襲いかかってくるのを確認してから武器を捨てて逃げ回った。

それを受けて右のアイリスは、まず岩陰に隠れて戦況の把握を試みる。

狼の位置、騎士たちの位置、そしてその動きと誰に注意を向けているかを確認し、構える。

見れば、騎士たちはやはり狼たちに圧されつつあった。

時間はない、そう思うと彼女の握り拳にかかる力は自然と大きくなっていった。

 

「・・・・・・マジックシュート」

 

ただ待った、最善のタイミングが訪れる瞬間を、獣たちだけがこの魔法の射線上に現れる好機を。

輝きがアイリスの腕に収束してゆく、それを見てブロッサムは動きをアイリスの射線上に狼たちを誘導するようなものに変えた。

捨てた剣もいつの間にか回収して斜線上ギリギリの所で狼たちの動きを殺す。

アイリスの腕の輝きはさらにその先、拳へと収縮しいっそう白く光を放っている。

その時になって初めて、狼たちは自分らの置かれている状況を知ることとなる。

アイリスの魔法に気づいた途端、皆がバラバラに射線上から逃れようと動く。

 

「はあああああああ!!!!!」

 

が、もう遅い。

アイリスの渾身の一撃が、あれほど騎士たちを苦しめた獣たちを文字通り無に還してゆく。

叫び声をあげる者、なにもせず立ち尽くした者、最期まで恨みを込めてアイリスたちを睨みつけていた者。

それら全ては、等しく白き輝きの前に飲み込まれていった。

 

 

 

 勝利、騎士たちはなんとか生き延びることができたのだった。

 

「状況確認!生存者報告急げ!!」

 

戦闘を終えて尚も王の怒号が山に響き渡る。

だがそれは兵士たちにとってはひとまずは勝利を告げる鐘のようなものだった。

先程まで必死に戦っていた彼らは、安堵の溜め息とともに地面にへたり込む。

皆、既に限界など越えているのだ、力の最後の絞り滓をひねり出し、その干からびた実を噛む思いで戦っている。

 

「はぁ・・・・・・はぁ・・・・・・」

 

アイリスはその時警戒を怠っていたのではない。

彼女もまた、彼ら騎士たちの疲労の例外ではなかった。

ただそれだけのことだった。

 

「・・・・・・!! アイリス!!」

 

「ソレ」に一番はじめに気付いたのはブロッサムだった。

アイリスの背後から迫り来るソレは、人の姿をしていた。

狼たちよりも狡猾で、非道で、残虐で、賢い。

 

「消えろ、魔女」

「え・・・・・・」

 

次の瞬間、アイリスはその場に突如として現れた、「人間」によって崖下へと叩き落とされた。

 

その直後、皆が聞いたのは風の音だった。

風を切って落ちていく人の音だった。

鳴り止まない雨のように虚しく、ただ虚しく響くその音は思わず耳を塞いでしまいたくなるようなドサリとした衝突音によって終止符が打たれた。

 

「アイリスッ!!!!!」

 

アイリスは、背後からの不意打ちにて奈落の底へと落とされた。

その様子をみて、いち早くその謎の兵士の首を取らんと動いたのは他ならぬ王であった。

雪に勢いを殺されることなく、耳をつんざく強烈な音とともに、持てる速さの全てで王は一直線に突進した。

やがて兵士の持つ得物と、王の持つ巨大な斧とがぶつかり合い甲高い金属音が響き渡る。

 

「てめえッ!! 何者だッ!!!」

 

力任せに何度も斧を叩きつけ王は叫ぶ。

これが、もしベルキアの兵士だと言うのなら・・・・・・。

 

「クソッタレが!! なんとか言いやがれッ!!!」

 

怒りに任せて斧を振り回す王の姿を見て、その男はクスリと笑い始める。

 

「クックック、馬鹿だよな? お前らはまんまと罠に嵌まったんだ」

 

罠、この状況が罠だというのなら、彼はベルキアの兵士である可能性は限りなく高いことになる。

その事実に王の顔はさらに怒りに塗りつぶされた。

 

「この・・・・・・!!!」

「止めなさい! アイツの思うツボよ!」

 

さらに男に食ってかかろうとした王をブロッサムが割って入って止める。

しかし王はそんなことはいざ知らず、強引に前へ前へとブロッサムを引きずる。

 

「アイオテッ!!!」

 

ブロッサムは叫ぶが尚も王は止められない。

その様子に目の前の男は、まるで実験動物でも観察するかのように、楽しそうな笑みと共に二人を見下ろしている。

男は、ラグーンの先鋭たちを前にして不気味なほどに余裕を見せていた。

それも当然のことだとブロッサムは気づいている。

こちらは満身創痍で魔女も欠けている、対して向こうは自分たちの領土で地の利がある上に増援だって何人いるかは判らない。

だからこそ彼女は王を止めようとしているのだ。

 

「クソッ!離せ!!このォッ!!!」

 

ブロッサムが王を、アイオテを取り押さえるもその勢いが殺しきれない。

王の前にいるこの男の目には、それはあまりに滑稽な姿に映ったのだろう。

ケタケタと笑いを堪えながら王に近づく。

 

「テメェらはな、ここで雪崩にあって死ぬんだ、不幸な事故だったなァ?王様よォ!?」

 

王に息でも吹きかけようという距離で男は挑発する。

王の怒りが爆発するのを、冷静な判断を欠いて自滅するのを待っているのだ。

現に彼ら騎士たちは撤退の選択を取れずにいた。

 

「まァいい」

 

やがて男は飽きたように溜め息をついて手に持った得物を再度握り直し、それを力いっぱい振り抜いた。

音もたたぬ勢いで空を裂き、鮮血とともに王の首が飛ぶ。

ーーーーハズだった。

 

「・・・・・・ほぉ」

 

命を刈り取るまではいかずとも、狂気の幕開けたる鮮血を撒き散らすはずだったその得物は、なんということだろうか、虚しく空を切っていたのだ。

男は思わず感心の声を上げ、ただ王がいたはずの空間を見つめていた。

 

 

 

 

少し離れた雪山の山道にて、負傷者を抱えて下山する一隊の姿があった。

 

「バカ!!本っ当バカよあんた!!!あんたのことよバカ王様!!!」

 

そんな中バカだのアホだのといった姦しい声が山に響いていた。

アイリスを除くラグーンの騎士たちは、なんと撤退に成功していたのだ。

 

「うるせえ、マジうるせえよブロッサム」

 

そうだそうだ、と便乗する隊長たちの姿も付け加えておこう。

実際うるさいのだから、指摘されてもブロッサムは口を閉じるか、それともさらに口を開き続けるかしかないだろう。

なんとも面倒臭そうに口を開く王はさらにこう続ける。

 

「俺があんな単純な挑発に乗るかよ、演技だよ、エ・ン・ギ」

 

あれは追跡を逃れるための演技だったのだと、王はそう言った。

王は激情したふりをしつつも、裏では幻覚を見せる魔道具の発動を完了させていたのだった。

もっとも、アイリスが不意打ちにあったことに対する怒りは演技では有り得ないために、王の言葉は半分が嘘であるが。

 

「・・・・・・そう、そうよね」

 

心配をかけないようにおちゃらけて振る舞うそんな王に対して、口を閉じる方を選んだブロッサムの表情は暗かった。

崖から落とされたアイリスの身を案じているのだ。

その表情を察してか、王は気休めを言う代わりに彼女の肩にポンと手を静かに乗せた。

 

「生きてるさ」

 

その言葉はブロッサムに向けたものではないのだろう。

呟いた後にそう彼は思うのだった。

 

ーーーーラグーンの王とその使者たち、ベルキア山頂付近にて謎の男の襲撃に遭い撤退。

後に記録に刻まれたその文章は、その時狂い始めた運命を示唆しているようで不気味なものだった。

 



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目覚めた先には

 暗い、暗い、暗い。

意識を取り戻した彼女はその視界の暗さに困惑していた。

暗いだけではない、どうも手足が自由に動かせず大の字になって寝ているようなのだ。

そこで彼女はこう考える、自分は捕まってしまったのだと。

考え始めたために、それまで朦朧としていた意識は一気にその鮮明さを取り戻した。

そう、彼女は雁字搦めに四肢を封じられていたことに気がついたのだった。

 

「!? これは・・・・・・!?」

 

いかに彼女が優れた戦闘者であっても、中身はか弱い10代の女の子である。

突然のこの状況に驚き、縛り付けられた両手両足を必死に動かそうとした。

しかし彼女の身体は、その場から一切動かなかった。

しかも、耳を澄ましてみると・・・・・・確かに聞こえてくる規則正しい足音があった。

コツン、コツンとそれは次第にこちらへ近づいてくるのがわかる。

 

「・・・・・・!!」

 

とすればもう既に猶予などないだろう。

急がねば、自分は何をされるにしろ少なくとも無事では済まないことは自明であった。

しかし、彼女に取りつけられたこの拘束具は、とても少女の力でどうこうできる代物ではない。

彼女の額に嫌な汗が流れる。

 

「・・・・・・目が覚めたみたいだな?・・・・・・白い魔女」

 

知らぬ男の声が彼女の・・・・・・アイリスの耳に通った。

その音によりいっそう彼女の手には力が込められる。

ガシャンガシャンと虚しい金属音が鳴り響く。

アイリスを見下ろすこの男は黙ってその様を見ていた、まるで必死にもがき苦しむ動物を観察するかのように。

彼女の腕に光が集まってゆく。

これまでにも幾度となく見せてきた魔法、マジックシュートである。

しかしながら、その光が拘束具を砕くことはなかった。

 

「調べはついている、魔法は身体の末端部分からしか出ない」

 

男はいたって冷静にそう告げる。

こうも雁字搦めに拘束されては、アイリスの魔法は拘束具に向けて撃てない、そういうことだ。

表情には出ていないものの、アイリスの心には確かに絶望の輪郭が浮かび上がってゆく。

 

「私を・・・・・・どうする気ですか・・・・・・」

 

もはや抵抗を諦めたアイリスは弱々しくそう尋ねた。

すると、男は意外にも暖かみのある声でこう言ったのだ。

 

「別に、どうともしない」

「・・・・・・は?」

 

どうともしない、ではこの状況はなんなのか。

あまりに唐突な事実にアイリスは非常に困惑していた。

 

「ではこの拘束はなんなんですか」

 

こういう状況で質問するのは、自分の命運を握っている相手の機嫌を損ねることがあるから本当はしないほうが良いのだが、アイリスは思わず質問をせずにはいられなかった。

むしろ、口から質問がこぼれてしまったと表現するのが適切であろう。

 

「可愛い花にはトゲがあると、そう相場は決まっているものだ。単純に起きてすぐ逃げられても困るからな」

「か、かわ・・・・・・」

 

可愛い、言われ慣れていない彼女の反応は妙に早かった。

そこに被せる・・・・・・最も元は彼の話している最中であるが、ともかく男はアイリスの拘束を時ながら話を続ける。

 

「会わせてやりたいヤツがいる」

 

混乱した状況下で彼女がかろうじて理解したのは実にその一言のみであった。

言うなれば会話の取っ掛かり、垂直な壁に突如として現れた突起のようなものだ。

 

「それは・・・・・・誰なんですか」

「秘密だ」

 

道を塞がれてしまったようだった。

二人の会話は流れの悪くなった血流のようにぎこちなく、どうも続かないもののようだた。

やがて拘束を解かれ、アイリスにつけられていた目隠しも外された。

そこで彼女がみたものは、銀髪が特徴的な鎧の青年だった。

しかし、纏う雰囲気にささやかな既視感を覚えるような、そんな姿である。

 

「あ、あなたは」

 

少しづつ記憶をたどっていたアイリスがやがて心当たりにたどり着いたのか、男を震える指で指し、わなわなと情けのない声でこう言った。

 

「小魚の人ですか!?」

「なんだその覚え方は」

 

しかもその心当たりは外れではないようである。

そう、この男は一週間前にアイリスが猫とのスキンシップを失敗した時に現れた謎の男だったのだ。

その確信が得られたアイリスはおもむろにポケットから小魚を取り出す。

 

「これです、渡しましたよね」

 

小魚を見るや否や男は、まだ使ってないのかと呟いたように聞こえた。

 

「さて、知らんな」

 

特に隠す理由など無いはずだが、男は適当にあしらって後ろを向いてしまう。

 

「それよりもな」

 

彼は近くにある机から衣服を取り出し、着替えろ臭い、とアイリスに手渡した。

臭いと言われたのが気になったのか彼女はくんくんと自分の匂いを嗅いでみた。

その光景が馬鹿らしく男の目に映ったのか、どうも笑いをこらえているようにも見えたが、アイリスの目には映っていなかったようである。

それによって、自分の匂いを一生懸命嗅ぐ少女と、それを見守る謎の青年という奇妙な光景を生み出していた、実に奇妙だった。

 

「いいから着替えろ、どの道その格好では私は白い魔女ですと言っているようなものだ」

「・・・・・・駄目なんですか?」

 

どうも話がずれているような印象を受ける。

恐る恐るアイリスに対してこう聞いてみる。

 

「お前、ここをどこと思ってるんだ」

 

人差し指を顎にあて視線を斜め上にそらし考える素振りを見せるアイリス。

考える必要などないのだが、それでも考えて結論を導いたのか顔を上げて視線を男へと戻した。

 

「え、ラグーンですよね?」

「呆れた」

 

答えが口にされるのと、男が呆れたと口にするのはほぼ同時であった。

 

「えっ、えっ?・・・・・・え、まさか」

 

そう、そのまさかである。

ーーーー当然ながら、ここはベルキアなのだ。

そもそも捕まったという発想が出来るのにここがラグーンだと思うのもおかしな話だが、恐らく彼女はまだ寝ぼけていたに違いない。

それを彼女が理解したとき、今日一番のえーっ!という叫び声が男の鼓膜を貫いた。

 

 

 

 さて、アイリスは崖から転落していった訳だが、彼女はそのことを憶えているのだろうか。

結論から言えば憶えている、と言うより思い出したと言うべきか。

アイリスは結局ベルキアの風景に紛れるべく着替えたのだが、思い出したのはその時だ。

余計ではあるが、それを思い出したアイリスが自分がラグーンにいるなどという勘違いを起こしたことに赤面したことも付け足しておこう。

 

「ところで、カイさん」

 

カイさん、というのがこの謎の青年の名前である。

 

「なんだ」

 

アイリスの前を歩いて道案内をしている彼は振り向くことなく短く返事をする。

 

「会わせたい人・・・・・・とは誰でしょうか」

「秘密だ」

「むう、教えてくれてもいいじゃあないですかー」

 

アイリスのむくれた表情が、一瞬カイの視界に入った。

すると、彼は立ち止まって何かを言わんとしている様子でアイリスの方を見た。

これは・・・・・・聞き出せるかと彼女は淡い期待の輝く表情とともにカイの次の言葉を待った。

 

「・・・・・・着いたぞ」

 

期待とは違う答えがカイから聞こえた。

なんと、答えより先に目的地に到達してしまったのだった。

 

「うぐぐ・・・・・・あくまでも答えない気ですか・・・・・・」

 

幼い子供のようにむくれるアイリス。

しかしそのわざとらしい表情は、次の瞬間には消えているだろう。

なぜなら、彼女の目の前に現れた人物があの・・・・・・黒い騎士であったからだ。

 

「な・・・・・・」

 

ガシャン。

金属と金属の絡み合うやかましい音が響いた。

黒い騎士が手に持っていた道具を床に落としたのだ。

魔女も騎士も、あまりの驚きにその身体を凍らせていた。

 

「え・・・・・・あ・・・・・・・えと・・・・・・」

 

その硬直がいち早く解けたのはアイリスであった。

・・・・・・しかし本当に解けたと言えるのだろうか、口をパクパクさせるだけで両者とも無言であった。

その状況にもどかしい気分を味わっていたのは、小魚の人ことカイだ。

 

「お前ら、せめて何か話せよ」

 

そんなカイの言葉に、固まっていた黒騎士ヴァンがかろうじて言い放った言葉はこうだ。

 

「無理にきまっているだろう、察しろ」

 

・・・・・・いかに一国の切り札と言えど、精神までは人間の範疇を超えないようである。

改めてそう思ったカイだった。

 



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魔女と騎士の非日常

 

 いつの時代も、人間の朝にはどことなく慌ただしい雰囲気がつきまとう。

それは人そのものが常に慌てている生物であることを示唆しているようで不思議だ。

予想もついていることだろう、この場においても例外はない。

カイがこの部屋にたどり着いた頃に目にした光景は、一言で言うなら「破滅的」であった。

部屋の至る所には謎の黒い何かが散乱し、木製の家具はなぜかその空間ごと抉られたような欠け方をしていて、調理台の上に放置された調味料からは塩と砂糖を間違えた痕跡が見られ、挙げ句の果てにはそんな暗黒空間においてヴァンとアイリスは手を合わせ、いただきますをしていたのだった。

慌てて食材を落としてしまったのならまだわかる。

だが、家具の一部が破壊されているというのは一体どういう状況があったのだろうか。

 

「おそかったじゃないかカイ。ほら、朝ご飯も出来ているぞ」

 

そういって嬉しそうに手を広げるヴァン、完成した料理にもやはり暗黒空間が広がっているのだろうか。

恐る恐るそれを見た彼は、別の意味で絶句した。

 

「な・・・・・・普通・・・・・・だぞ」

 

料理は周りの雰囲気などいざ知らずとばかりに「普通」であった。

そう普通、数々の間違いを起こし、破壊の限りを尽くしたこのキッチンから匂いと見た目が辛うじて無事な何かが生まれたのだ。

 

ーーーー怪しい、実に怪しいと言わざるを得ない。

見れば彼の友である黒騎士の笑顔がひきつっているのが見えた。

 

「なるほど、怖いのは俺だけではないみたいだな・・・・・・・ヴァン」

 

彼は小声でそう呟く。

実は魔女が来た初日、彼女はヴァンとカイの二人に対して手作りの料理を振る舞ったのだ。

カイたちのこの反応は、その日と比較してのものだ、その惨状たるや口にするのも憚られるだろう。

 

「工夫を凝らしたんですけど、ちょっと今日は努力が足りませんでしたね」

 

悪気など欠片もない様子だった。

そんなアイリスの言葉の後に、二人が「それ以上の工夫はいらないから止めてくれ」と大声で、ほぼ同時に叫んだことは言うまでもないだろう。

 

 

 

 白い魔女などベルキアを出歩ける訳はない、と思っている人はいるだろうか。

実は普通に出歩けるのだ。

白い魔女も黒い騎士も、せいぜい髪が白かったり黒かったりといった程度で、その風貌は大して珍しくも何ともないのだ。

 

これに、初めは彼女も驚いた。

なにせ自分は憎き敵国の切り札、言わば宿敵だ。

王以外に殺された時点でほぼ戦争が決する人物といえば彼女ぐらいのものだろう。

しかもここでも名は「アイリス」なのだ、流石に怪しまれないはずはない。

が、知った上か本当に知らないのかはさておき彼女は特に何か言われたりしなかった。

というわけでアイリスは昼食や夕飯の用意を任されていたので食材を買いに来ていたのだった。

 

「まいどー!・・・・・・アイリスちゃん今日も綺麗ねえ」

 

元気のいい店主の声が響く。

歳は四、五十ぐらいに見えるがまだまだ若いものには負けないという意気込みを感じさせる声だった。

アイリスはその声にラグーン居た時とはまた違った活気を感じるのだ。

 

「そんな、綺麗だなんて」

 

と少しとぼけた態度をとってみせると。

 

「そんなことないわよぉ、あなた鏡みたことないの?」

 

などと返される。

 

「んー、見たことないですねえ」

 

そこで嘘八百といった空気を吐き出すように冗談を口にしてみせる。

 

「またまたー」

 

オホホー、とでも言いそうな果物屋のおばさんに大してもこの余裕である。

ラグーンでやたらと特別扱いを受け続けてきたために、一般人扱いされるのが大分新鮮であるように感じられたが、どうやらアイリスはベルキアに馴染んでいたようだった。

 

「そんなに褒めて下さるんですから、そうですね、もう一個買っちゃいますか」

 

笑顔でそういって、左手近くにあった林檎に手をつけた。

 

「あら、悪いわねえ」

「いえいえ、ここの林檎はとても美味しいって評判ですから」

 

その後あらぁ、なんて言う果物屋のおばさん。

そんなやりとりを数回繰り返したあたりだろうか、ゴツゴツとした足音がアイリスの耳に響く。

見れば、そこにいるのは黒い鎧に身を包んだ男、ヴァンであった。

 

「あらまあ、これはこれは黒騎士様お早う御座います」

 

おばさんは騎士の方を振り向いて挨拶をした。

魔女はともかく騎士の方は流石に特別扱いであった。

 

「うむ、おはよう」

 

ヴァンも元気よく挨拶を返して、気持ちのいい朝の時間がもたらされる。

挨拶が終わったのを見て、アイリスは彼に駆け寄った。

そして買い物鞄にこれでもかと押し込まれた林檎を見せびらかしながら、ヴァンに話しかけた。

 

「ヴァンさん!今日のおやつは林檎にしましょう!」

 

そんな元気のいいアイリスをみて面食らうヴァン。

アイリスのいるこの生活にまだ慣れていないのだろう。

もっとも、ものの2日ほどで慣れろというのもあまりに酷な話ではあるが。

 

「・・・・・・そうだな」

 

だからヴァンはぎこちなくそう返すのだった。

 

 

しばらく二人でベルキアを散歩していたようだ。

中央の噴水に、王のいるベルキア王城、活気あふれる住宅街に、民を守る守護神の像。

そしてここ、ベルキアの城下町を一望できる高台で二人はくつろいでいた。

暑い季節でもここだけは心地のいい温度の風でもって人を迎え入れてくれるのだ。

アイリスはそんな心地の良さから思わず、はああああああ、と聞いているこっちが力を抜いてしまいそうな声を上げた。

 

「気持ちがいいですね、ヴァンさん」

 

ヴァンは黙っていた。

それは心地の良さからか、あるいはアイリスへの警戒からなのかは分からない。

しかし返事が来ずとも、この穏やかな空間では些細なことだろう。

アイリスも特に気にすることなく視線をヴァンから城下町へと戻す。

そんなときに、ヴァンはようやく口を開いた。

 

「お前は・・・・・・ラグーン戻ろうとしないのか」

 

当然といえば当然な質問であった。

 

「・・・・・・それは、まあ帰りたいですけど」

 

けど、をぼそりと小さく言ってその後しばらく考え込んでから話を続けた。

 

「もっと、ベルキアのこともヴァンさんのことも、知りたいと思ったので」

 

アイリスは笑顔であった。

そんな笑顔を、ヴァンはどうしてか直視することが出来なかった。

眩しい、そう眩しい。

こう表現するのが適切といえるような、そんな目の逸らし方だ。

 

「俺も、そうだな」

 

彼女を直視せずに彼はそう言う。

そしてさらにこう続けた。

 

「俺も、ラグーンやお前のことをもっと知ったほうがいいようだ」

 

空を見ながらそんなことを言うヴァンの目は、アイリスには酷く澄んだものに映っただろう。

そしてその澄んだ目は、アイリスには向けられなかった。

 

「俺は、ずっとお前の事が気になっていた」

 

ヴァンはさらに話を続けてゆく。

流れ出る水のように、それはどんどん口から溢れていた。

 

「なぜか、と言われればそれは俺にも分かりかねる。俺の技を打ち破った強さか、それとも健気に戦争を生き抜くその姿か、あるいは戦いを止めようとこの俺に話しかけた勇気か」

 

彼は恐らく、初めて負けたのだろうと想像が出来る。

そしてそのとき何か男に引っかかるものを残したのだろうとも。

彼は息を大きく吸って次の言葉を吐き出した。

 

「そのどれもが俺を惹きつけた、それは長年のあいだ得体の知れなかった、ラグーンという国の正体が明らかになると思ったからだ」

 

そういって彼は一旦話を止めた。

彼は、魔女を通してラグーンの何を見たのだろうか。

アイリスの方を見れば、そんな疑問なのかなんなのか、どうとも取れない微妙な表情をしていた。

ラグーンという国と自分とを結びつける不可解さ故の表情と言えるだろう。

 

「・・・・・・明らかに、なりましたか」

 

恐る恐る彼女は聞いた。

 

「ああ」

 

と、ヴァンはすっとした表情で答える。

ラグーン王国を象徴するのはむしろ王なのだが。

 

「お前を見ていればわかるさ、ラグーン王がどのような人物なのか、自分たちが戦っている相手がどのような者たちなのか」

 

いまいち釈然としない、とアイリスは思う。

そんな表情を浮かべる彼女を見て、ヴァンはさらに続ける。

 

「お前は綺麗だ」

「なっ・・・・・・!?」

 

不意打ちで褒められてしまうと、褒められ慣れていないアイリスは照れて頬を押さえる他ない。

 

「その姿も、心もだ。それがラグーン王国がいかに良いところかという証明だと言っていい」

 

彼女はここベルキアに来てから褒められてばかりなのを思い出した。

この国に住まう者たちは皆良い人ばかりだ、そびえ立つ山々が美しく、数多の鉱石から創り出されるのは芸術的な建造物の数々。

これほど綺麗な場所なのに、なぜこうも羨ましそうにアイリスを汚れなき心と称するのか。

なぜこの男は、こんなにも遠い目をするのか。

その疑問の心をなぞるかのように、ヴァンの口から言葉がこぼれ落ちる。

 

「理解してからは、余計に自分が戦っている理由が解らなくなった」

 

しみじみと、思い出すように、ゆっくりそう吐き出したのだった。

 

「ヴァンさん・・・・・・」

 

何故だろう、何故だろう。

彼女も彼も、その疑問と困惑の二文字が頭の中を回り続けて脳をかき回されるような気分を味わった。

その問はやがてもう一つの問へとたどり着く。

 

ーーーー何故、悪など存在しない二つの国で、正義を貫いて戦わねばならないのだろうか、と。

 



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騎士と魔女の非日常

 

 自分でもよくわからなかったとヴァンは思ったに違いない。

戦う意味を見失った、などと思ったこともなかったのだ。

そればかりはいつだって悪夢のように定まっていた。

実際初めて魔女と相対したとき、ラグーンという国が、白き魔女がどのような人物かなどまるでわかりはしなかった。

彼女の日常生活を見てしまったからだろうか、戦うものの戦っている以外の姿を見てしまったからなのだろうか。

ただ、自分の言葉を、思いを、聞いてほしかったのだろうか。

ヴァンには知る由がなかった。

 

「ヴァンさん」

 

凛とした少女の、アイリスの声。

先ほどまで、いや今も近くにいるのに、ヴァンの耳にはどこか遠い音が響いているようだった。

 

「・・・・・・・・・」

 

彼にはアイリスを直視することが出来なかった。

眩しい、羨ましいなどという感情からか、それともこれほど美しい者を、その人が住まう美しい国を斬ろうとした罪悪感か。

そんなことはもう判らなかった。

彼女も何かいいたげに視線を動かしていたが、ヴァンの沈黙に引きずられて同じように口を閉ざしてしまった。

言いたいことがたくさんあるのに、何も言えない。

そんな状況に、二人は奇妙な心地よさを感じるのだった。

 

「私は、ベルキアも好きです」

 

そっと呟いた彼女の言葉の真意を知るのは、彼にとってはもっと後の話となるだろう。

 

 

 

 昼食を食べ終えて、ヴァンはいつものように剣の鍛錬をすべく他の騎士たちとともに訓練場へと向かう。

ここで騎士たちは集団戦術の質を高めながら己の剣を磨くのだ。

 

「・・・・・・ふむ」

 

到着したヴァンの目に飛び込んでいくのは、磨かれた備品の剣、汗と血が染み込んだほのかな異臭を放つ床や壁、高い吹き抜けの広間の至る所で先に来ていた騎士たちがヴァンに向かって深く礼をしているという光景であった。

もはや見慣れた光景なのだろう、ヴァンは何にも反応せず備品の剣を取り出し構えた。

 

「今日は僕からいかせてもらいますよ!」

 

一人の少年がヴァンの目の前に立ちはだかる。

目は爛々と輝き、今にも首を斬って開いてみせようという気迫とともに構えている。

決して油断はなく、恐怖もなく、落ち着いて敵を見据えている。

ヴァンはその構えに思わず感嘆の声を漏らす。

ーーーーよく練り上げているな、と。

 

「だが、まだ遅い」

 

隙など一切ないと誰もが信じて疑わぬその空間。

隙間なく敷き詰められた隙とも呼べぬ刹那の狭間、その見えざる時間にヴァンはいとも容易く入り込んだ。

距離にしておよそ9メートル、一足一刀とは程遠いこの間合いから実に一足で距離を詰めてきたのだった。

 

「くうぅッ!」

 

だが流石訓練を積んでいるだけあると言えよう、騎士はその一撃を見事いなしてみせた。

強烈な金属音が訓練場を駆け抜ける。

その音が本人たちの耳に帰ってくる頃には既に二人は正真正銘の超接近状態、死の間合いにて打ち合っていた。

ヴァンが右を狙えば受け流して左を狙う。

少年騎士が中央へ一直線に突きを放ったかと思えば、ヴァンは剣で攻撃を弾く代わりに首の動きで回避し即座に突き返した。

右、左、時折上下打ち分けて、何度も鉄剣より火花を散らしていった。

 

ーーーー互角。

見ている者にはそう映るだろうか。

しかしながら、両者の実力差は少しづつ確かに見え始めているのにも気づくだろう。

涼しい顔で相手の一挙一動を観察しているのはヴァンだ。

対する騎士の顔は余裕とは程遠い。

今はまだ両者の攻撃が拮抗しているが、それが崩れ去るのは一瞬だった。

一瞬の隙をついてヴァンが相手の騎士の剣を僅かに弾いた。

音も立たない程の衝撃で剣は弾かれた。

ほんの僅か、長さにして数ミリメートル、時間にしてみればコンマ一秒程にも満たない一瞬。

少年騎士の剣先がズレた、この一瞬だけ剣が速度を落としたのだ。

そしてそれを戦闘の達人たるヴァンは見逃さない。

 

「はぁッ!!!!」

 

一閃、常人にはもはや視認すら困難な速度にて剣は振り抜かれた。

爆風と表現するのが相応しい音を立て、その剣は衝撃に耐えられなくなって壊れる前に一つの土産を置いていった。

その場に、空を裂く見えざる刃が顕現していたのだ。

真空の刃・・・・・・すなわちソニックブームである。

その一撃に鎧は紙のように引き裂かれ、剣は頼りないほどに砕け散っていた。

 

「畜生っ!!」

 

ヴァンに敗北した騎士は心底悔しそうな表情で、拳を床に叩きつける。

集中をこの二人から離すと、訓練場の騎士たちが思い思いに戦いの感想を口にしているのを聞くことができる。

やれもっと間合いが近ければ、だとか。

やれもう少しヴァンから離れていれば、だとか。

本来なら死んで終わりの戦いというもので次を語る。

そんな光景に満足するような表情を浮かべるヴァン。

 

「出直してこい、また相手になる」

 

自分と同じ騎士の成長を喜ぶ、彼はそんな状況を楽しんでいる様子であった。

 

 

 

 訓練も終わり、皆が今日の反省点を考え始める頃。

ある騎士がヴァンに対して何気なく訊いた。

 

「そういえば、あの白髪の美少女は何者なんです?」

 

白髪の美少女だと?と彼は返す。

美少女、それも白髪とくれば一人しかいないのであるが、どうもとぼけているようだ。

 

「ラグーンの連中が会議すっぽかした日に道で倒れてたっていうあの少女の事ですよ」

「そうそう、俺も気になってたんすよ」

「ああ俺もだ!何者ですか!?」

 

訓練場が件の少女の話題でざわめき始める。

無理もない、状況が状況なだけにスパイの類だと勘ぐられるのも当然といえよう。

 

「名を、アイリスという」

「・・・・・・白魔女、アイリス、ですか?」

 

白魔女アイリス、悪魔とさえ呼ばれたあのラグーンの切り札の名を聞いて各々の表情が凍りつく。

恐ろしいのだ、不安なのだ。

戦場では決して見せない表情が彼らから見て取れる。

 

「アイリスはアイリスだ、今の所はただの怪我人に過ぎない」

 

そんなことはどうでもいいと言わんばかりにそう言う。

・・・・・・そうは言うが、依然としてこの訓練場を包み込んでいる重苦しい奇妙な空気に動きは無かった。

 

「・・・・・・本当に害はないんですか」

 

ない、とは言わない。

正直な所ヴァンにだって彼女の危険性を全て明らかに出来ているとは到底思えるはずもないのだから。

 

「答えないんですね、じゃあなんでこの国の中に入れたんですか」

 

ヴァンは沈黙を保っていた。

 

「あなたが卑怯を嫌うのはよく知っていますが、流石に今回のは危険なんてものじゃあないですよ」

 

騎士のその言葉は至って正論であった。

敵国の切り札が満身創痍で倒れているならば殺してしまえばいい。

それさえできればこの先、あの魔女が殺すであろう多くの命が助かるのだから。

正論、そう、まさしく正しい意見である。

だからこそ騎士たちが同調するのは容易く、訓練場に目には見えない圧力のようなものが闊歩し始めた。

 

 

 

「ヴァンさーん!差し入れ持ってきましたよー!」

 

そんな時だった、入り口からこの泥と汗に満ちた空間には不釣り合いな少女の声が響いてきたのは。

間違いなく空気の色は塗り替えられた。

緊張のあまりに口を閉ざしていた騎士たちの口が開き始める。

 

「ちょうどいい、紹介しよう」

 

そんな光景に少しばかりホッとした様子でヴァンはそう言った。

騎士たちは、悪魔などとはおよそ程遠いその容姿や振る舞いに困惑しているようだった。

 

「皆さんはじめまして、アイリスと申します」

 

そんな状況で間髪入れずに満身の笑みで頭を下げたのが計算の上でだったというならば、なるほどこれは悪魔的だと言えるのかもしれない。

もっとも、彼女は計算の上で行動を起こすような性格ではないので関係のない話だが。

 

「さ、差し入れ・・・・・・」

 

騎士のうちの一人が机に置かれた差し入れに思わず手を伸ばす。

袋に包まれて直接は見えないが、先ほどから疲労困憊の騎士たちを誘惑しているのだ、その匂いが、食の気配が、漂ってくる濃密な肉の香りが。

 

「こら、はしたないぞ!!」

 

流石に別の騎士がそれを止める、当然である。

 

「す、すんません」

 

しぶしぶ手を引っ込めたものの、その視線は他のものなど一切気にしないと言わんばかりに「差し入れ」に注がれていた

よく見れば騎士たちの隊列が若干ぎこちなく揺れはじめたのが確認できる。

しかも、よく耳を済ませば腹の音まで聞こえてくるではないか。

いかに命を賭けて主君を守らんとする崇高な騎士とて、食欲には勝てないのだろう。

アイリスはそんな光景に苦笑いで手を動かしてジェスチャーを取る。

 

「どうぞ」

 

と、この動作はそう言っている。

 

「・・・・・・ほ、本当に貰ってもよいのですか、こんなに」

 

やがて、先走る騎士を止めた彼も鼻息を荒くしてアイリスにそう問い詰めるあたり、理性が飛びかけているのが伺える。

腹の減って仕方のないものは、食欲には逆らえないのだ。

 

「どうぞどうぞ、むしろ食べてくれないと困ります」

 

頭をかきむしってなにやら照れくさそうな表情で、さらなる許可を彼らに与えた。

そこから先は言うまでもない。

貪るように一心不乱に肉を食す男たちの姿はさながら野獣だろうか。

なんとまあ男らしい食べ方をする、酒でもあれば完璧な宴会の光景と見間違えても致し方ないだろう。

などと騎士の誰かが考えていると、入り口からまた声が聞こえた。

 

「ははは、まるで餌付けだなこれは」

 

現れたのはカイだ、夕日に反射して銀髪が乱暴に輝いているのが目に付く。

餌付け、なかなか言い得て妙な言い回しだと感心したのが何名かで、あとは肉に夢中でそもそも気づいていなかった。

彼らにとって重要な点はそんなことではない。

問題はカイの右手に握られている物だ。

その物体の存在に気づいた者たちは次々に期待の目でカイをみる。

酒、酒だ、なんと都合のよいことか。

 

「ほら、これだけご馳走ならこれが要るだろう?」

 

酒を上に掲げると、騎士たちは歓声を上げた。

玩具を与えられた子供を連想するのが近いだろう、騎士たちの狂乱はそれであった。

 

「さっすがカイさん!わかってるぅ!!」

 

などと先ほどまでの緊張感はどこへやら、世界中がこのような単純な思考な者ばかりならば、まず戦争など起こらぬだろうと想像できる騒ぎぶりだ。

 

「さて」

 

酒を騎士たちに手渡すと、カイはなぜかアイリスの方へと進みだした。

酒は飲まないのか、何人かの騎士がそういうが返事をすることなく歩いていた。

 

「? どうしましたか、カイさん」

 

そんなカイを見てアイリスはそちらへ目を向ける。

 

「ちょっとこい」

「へっ!?」

 

カイはたった一言だけ告げると突然手を引いて外へ連れ出してしまった。

 

「黒騎士様、追わなくてもよろしいのですか」

 

ぼーっと連れ出されるアイリスを見て、というより見っぱなしなヴァンに気づいてか、騎士の一人がそう言った。

 

「いや、いい」

 

それを見られたのが少し恥ずかしいのか、彼はばつが悪そうにそう返して視線を窓から外した。

 

 



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魔女と少女

 

 ーーーーここで見張っていてくれればそれでいい。

混乱の中アイリスがかろうじて聞き取った言葉はこの一文であった。

アイリスは詳しく聞こうとしたが、カイはそれを伝えるや否やでその場を立ち去ってしまって結局聞けなかった。

 

「見張る・・・・・・?」

 

何をだろうか。

そもそも見張りが必要なのは自分ではないのか、と彼女は思う。

 

「・・・・・・」

 

取り敢えず与えられた仕事はこなそう、と彼女は辺りを見回した。

敵でも来るのか、それとも何か仕掛けられているのか。

真実は全くわからないものの、カイのあの慌てようから緊急の事であることは間違いなさそうだ。

 

「・・・・・・・・・・・・???」

 

しかし誰もいない、気配すらない。

ここにきて彼の意図は全く読めなくなっていた。

なにか重大なことが起きる訳でもなく、あるいはアイリスを陥れる罠ですらない。

ひたすら何も無いという、嫌がらせの類を連想しかねないこの状況はいったい何なのか、アイリスはひたすらに疑問符を頭に浮かべるばかりである。

そこでアイリスは思い返す。

彼が見張っていればいいと言ったときの、表情だ。

流石に多少は性格も理解しているから、あの顔は面倒事を押し付けるようなものだと理解できる。

ーーーーまあ、少なくとも何かはある。

そう思って周りをもう一度見回すと、やがて彼女は動きを止めた。

 

「・・・・・・あぁ」

 

彼女が納得したような声を漏らす。

別に状況を飲み込めたからではない。

何故自分が「見張り」をさせたのかという意図を理解したのと、見張る対象を見つけたからである。

 

「・・・・・・なにものだ、おまえ」

 

敵意、というよりは無垢なる警戒心と言うべきか。

それは確実にアイリスを捉えて放さず、少しばかりのむず痒い感覚を彼女にもたらしていた。

その視線を辿ると、やがてふっくらと健康的に膨らんだ童顔へと到達するだろう。

その次の瞬間には、穢れを知らない、誰が言っただろうかそんな台詞がまさしく一致するかのような整った顔立ちに、触れれば優しく包み込んでくれるかのように思わせてくれる軽そうな黒い髪が目に入ってくる。

彼女は、純粋無垢の化身とも言うべきその青い瞳で一点にアイリスを見つめているのだった。

 

「アイリスです、こんにちは」

 

そんな可愛らしい少女に思わず笑顔でアイリスはそう返した。

よく聞くと、その声色にほんの少しの驚きが混じっているのが分かる。

その驚きは、この少女の風貌によるものだ。

黒い髪に青い瞳、黒騎士の顔によく似ているのだ。

 

「くせもの!!」

 

笑顔が逆に警戒心を強めてしまったのだろうか、少女は依然強気な態度でもってアイリスをその手に持った剣で威嚇している。

剣といっても、よく見れば木製の玩具であったが。

 

「ふふっ・・・・・・あはははっ」

 

そんな子供のままごとが面白かったのかアイリスは口を片手で押さえながら笑った。

 

「な、なななっ、なにがおかしい!?」

 

少女は恐怖のあまり泣き出してしまいそうな顔をしていて、頑張ってひねり出したであろう声は裏返っていた。

その光景が最高におかしかったのだろう、アイリスは笑顔のまま頭を撫でた。

 

「やめろ、やや、やめろぅ・・・・・・」

 

少女は泣いてしまいそうだった、むしろ目尻に涙を浮かべているその姿は最早泣いているようにも見える。

必死に涙をこらえたせいでその顔は真っ赤に染まっていて余計におかしい、もとい面白い。

 

「こんな所で何をしているんですか?」

 

そんな光景に若干の癒やしを感じつつアイリスは少女に優しくそう尋ねた。

ちなみにアイリスの目尻にも涙が確認できるが、これは笑いをこらえた結果である。

 

「・・・・・・ぅ」

 

少女が何か呻きのような声を漏らしたのを確認しアイリスはその続き待った。

 

「ぅぅ」

「・・・・・・う?」

 

もう何か言った後なのではないか、そう思ってもう一度聞き直そうと彼女が首を傾げた時だった。

なにやら少女の様子がおかしい。

何というか、そう、龍が口から炎を吐き出す時のような・・・・・・、もしくは居合いの達人が抜刀すべく構えた時のような・・・・・・そんな動きだ。

アイリスがそれに気がついたのはそんな動作が一通り全てが終わった後であった。

 

「う、うぅ・・・・・・ぅぁ」

 

すなわち手遅れということである。

少女の目尻に凄まじい勢いで涙が溜まってゆく。

 

「・・・・・・・・・へっ?」

 

この後何が起こるかを察した彼女は慌てて・・・・・・慌てただけで何も出来なかった。

そんな経験など無いというのに、咄嗟に泣きそうな幼子をあやしてみせろと求めるのは少しばかり酷な話というやつであろう。

 

「うわあああああああああああぁぁああぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!!!!!!!!!」

 

まさしく堰を切ったように少女は号泣し、ベルキア全土に響かんかというほどの大爆音の泣き声が空を切り裂いていった。

アイリスはこの時耳を塞いだようだが、この圧倒的騒音を前に魔女の鼓膜など紙屑も同然であった。

 

 

 

 嵐が過ぎ去ったのはほんの数分の後だ。

耳をふさいでいたアイリスは、安全を確認した後に手をそっと放して泣いていた少女の方を見る。

顔は涙でくしゃくしゃに歪んでいて先程の整った顔とは真反対で、なんとも泥臭い表情だ。

彼女は再び顔を向けられてまた泣き出しそうになったので、放そうとしていた手をまた耳に戻す。

 

「ひぐ・・・・・・ぇぐ・・・・・・」

 

少女が再び泣き出す寸前、その時だ。

そこでアイリスは、とあることに思い至る。

ああ、自分は怪しい人なのだと。

 

「ご、ごめんなさい、大丈夫、大丈夫・・・・・・ですから!」

 

思い至った彼女は、そっと少女に近づき抱き締めてみせた。

出来るだけ優しく、出来るだけ強く、抱き締めた。

 

「ぅぁ・・・・・・?」

 

先程の号泣で泣き疲れてしまっているのか、少女は特に抵抗もしなかった。

 

「怖かった・・・・・・ですよね、恐ろしかったですよね・・・・・・びっくりさせてごめんなさい」

「ぅぐ・・・・・・ぅぅぁ」

 

抱きしめられた少女は、結局また泣いてしまった。

ただし先ほどの絶叫とともにくる恐怖の号泣ではなかった。

それは、嗚咽を漏らして不安を吐き出すような泣き方であった。

当然といえば当然だろう。

彼女はきっとカイに会いに来たのだろうから。

いるはずの人物がいなくて、いないはずの知らない人物が立っていたのだから。

 

「よしよし、大丈夫ですよ、私が守りますからね」

 

頭を撫でて、アイリスは彼女を抱きしめ続る。

子供は悪意に敏感、とブロッサムが言っていたことをふと思い出す。

そういうときは抱きしめてやれば大体なんとかできてしまうというのが女の特権であると、そんなことを彼女は言っていたのだった。

まさか、適当極まりない彼女からの助言が役に立つとは・・・・・・。

そんな少し失礼な事を考えながらも少女を抱きしめ続けた。

 

「ぅ・・・・・・ぅ・・・・・・」

 

抱きしめていた少女の動きが止まる。

大方泣き疲れて眠ってしまったというところだろう。

閉じた瞼に残っている涙を見ると、不思議とどこか切なさを感じさせる。

 

「・・・・・・・・・」

 

そんな静かに寝息を立てる少女の頭を、黙って優しくなでるアイリス。

その表情には思わずこぼれてしまったであろう、ささやかな笑顔で満ちていた。

 

「おお、流石子供が懐くのも早いな」

 

そんな静かな空間を楽しんでいた矢先、ある意味での諸悪の根元が再びアイリスの目前に現れた。

なにが流石なのだろうか、と彼女は思う。

 

「カイさん、どうしてこれを私に任せたんですか?」

 

そう言われて彼は、何故か言葉に詰まった。

客観的に見ればはっきり言って非常に怪しく、キョロキョロとせずに真っ直ぐアイリスを見つめる様はむしろ挙動不審と言うべきだろう。

なにやら言い訳を考えている様子のカイ、彼はやがてこう言った。

 

「今日は忙しくて、な」

「私とこの子を鉢合わせるのに、ですか」

「ああ、いや」

「だってそうじゃないですか、急にヴァンさんたちに差し入れしようって言ったこととか、差し入れたら狙ったようにお酒を振る舞ったりすることとか、どう考えてもわざとですよね」

 

反論の余地を与えぬように、絶え間なく論を並べるアイリス。

 

「どうなんですか」

 

彼女は最後に強くそう言った。

当のカイ本人は特に動揺することなく澄ました表情だった。

 

「どうなんですか、なんて言われてもな」

 

あくまでとぼけた態度をとっているようだ。

そんな彼をアイリスは黙って見つめていた。

それは、分かっているから観念して吐けと脅すような目つきであった。

しばらくの沈黙の後、仕方がないと最初に折れたのはカイの方であった。

 

「はぁ・・・・・・わかった、吐く、吐けばいいんだろう」

 

そう言って彼はこの状況に至る説明を始めた。

要点を言えばたった一つだ。

最近、悪戯の頻度が高まりすぎて手に負えなくなってきたので、アイリスにはどんな反応をするのか試してみたかった、あわよくば不審者への恐怖で少しでも大人しくなってくれれば、とのことだった。

 

「・・・・・・何ですかその適当な理由は」

 

真顔のまま彼女はそう言った。

腑に落ちないどころか全くカイの言い分を信じていない様子である。

 

「ほ、本当にこれだけの理由だ、ぞ?」

 

先程からアイリスを視線から一切外さないことに全神経を集中させていたカイが、ついに目を逸らした。

タイミングとしては最悪も最悪、先ほどの話は全てが嘘でしたと言っているようなものだろう。

 

「じー・・・・・・」

 

対して、視線を外された当の本人は目を細めて怪しむように彼を見つめていた。

何かを言いたげな様子にも見えるが、どちらかといえば真実を吐けと再び脅しをかけているようにも見える。

 

「うぐ・・・・・・」

 

一方カイはアイリスの痛い視線をのらりくらりとかわしながら、その上で視線は逸らしたままだった。

彼の騎士としての負けず嫌いもあるが、一度視線を外してしまった手前、そう簡単には視線を戻すことは出来ないようである。

 

「ぐぬぬぬ・・・・・・」

「ふぎぎ・・・・・・」

 

そんな何の意味もない視線の鍔迫り合いを数分繰り広げていると、アイリスの膝元の少女が「んん・・・・・・」と呻き声をもらしたのが聞こえてきた。

 

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 

二人して少女を凝視。

その心の根本には「まずい、起きる」などといった危機感があったというのは言うまでもない。

依然として安らかな寝息が木々を揺らす風と共にこの場を包んでいる。

どうやらまだ起こしてしまわなかったようであった。

そんな確認を取れたしばらく後、アイリスはとりあえずの疑問をカイに対してぶつけてみることにした。

 

「それで、誰なんですかこの子」

 

ぶつけられた彼も、特に言い渋ることもなく口を開いた。

 

「うむ、俺の娘でないのはわかってるだろう?」

「はあ、まあ確かに」

 

その特徴的な髪と目は、カイの持つそれとは一致しないので特に驚くことでもなかった。

しかし、似ているといえば、とても、いや非常にこの少女に似た男を彼女は知っている。

まさか、まさかとアイリスは思う。

 

「ヴァンの娘だ」

「!!?」

 

彼女は思わず後ろに飛び退いてしまいそうな勢いでカイの方へ振り向いた。

さながら悪戯を見つけられた子供のようでなかなか面白い反応だと彼は思ったことだろう。

 

「娘、ですか」

 

あらためて少女を見て、彼女はその親であるヴァンを連想しようと試みる。

どうあっても驚きを隠せないといった様子だった。

見たところは3歳か4歳ほどの幼い顔立ち、よもやそんな小さな子供がいたとは。

 

「・・・・・・うーん」

 

しかし、普段の重々しい姿からはちっとも父親の姿など想像できはしなかった。

 



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少女の日常

 

 ベルキア騎士の朝は早い。

それは朝の自主的な修練から始まり、昼の合同演習へとつながり、夜遅くまで激しく血を塗り重ねて稽古に励む。

あいた時間には剣と魔法のことだけを考え、死ぬまで戦いに従事する。

などということは別にない、騎士は意外と暇なのだ。

朝は8時までずっと寝ているし、日々の鍛錬とて慣れてしまえば死を覚悟するようなものでもない、昼過ぎに聞き耳を立てれば騎士達の楽しげな話を聞くことができるのも、別に珍しいことでもない。

 

そんな穏やかな朝、アイリスが少女と鉢合わせになるよりも、少しばかり前の話だ。

足音を殺してヴァンの元へ駆け寄る一つの黒い影があった。

整った顔立ちや、やたら慎重な足捌き、あらゆる動作のどれもが暗殺者を連想させる。

無垢なその姿は、あるいは欠けや汚れのない研ぎ澄まされた刃物のようだ。

巧みにベッド前の荒れたタンス、衣類、書類、それら障害物を足音もたてずに回避。

そして姿勢を低く保ったまま急速に黒騎士へ接近。

この間3秒、我ながら上手い動きだと、自惚れた自慢げな表情は薄暗い部屋でもはっきり分かる。

窓が開いているらしく、朝の清々しさを部屋中に伝えるように鳥たちが歌っているのがよく聞こえる。

 

「ふん、ふふん」

 

なんだか楽しくなって、ベッド下の少女もつられて歌い出す。

声は幼い少女のものだった。

 

「わわ」

 

いけない、起こしてしまう、と少女は口をおさえて歌を止める。

風でカーテンが開いて、朝日の眩しさに目を細める。

照らし出されたのは、やはり幼い子供の姿だ。

不敵に輝くのは黒騎士のものとよく似た青色の瞳、爛々と朝日を反射するさらさらの黒い髪の毛、人形のように精巧な顔立ちはその少女の幼さをよりいっそう際だたせているかのようだ。

無防備に眠るヴァンの目前にそんな少女の影が落ちる。

 

「じー・・・・・・」

 

注意深くヴァンを見ていたが、彼がまだ寝ていることに気づくと表情を緩ませた。

少女は至って笑顔であった。

 

「ふふっ・・・・・・とうさまだ」

 

別に何をする訳でもない、ただ寝顔を見て嬉しそうに微笑んでいる。

すると不意に後ろから足音が聞こえてきた。

見れば、いや少女からは見えないが、カイという騎士の姿があった。

 

「おいクロエ、起こすなよ? コイツまだ疲れが抜けきってないんだからな」

 

ひそひそと、扉の向こうで声が聞こえる。

クロエ、と呼ばれた少女の顔が露骨に曇る。

しばらくは彼女も無視を決め込んでいたが、カイはあまりにもしつこく注意勧告をしてきたために、少女は心底嫌そうな顔をして、振り向いた。

それこそ、玩具を親に奪われた子供のような不機嫌ぶりである。

 

「ふん、それぐらいはわかってるぞ!」

 

苛立ちからか、つい大声になってしまったようだ。

 

「うるさい、分かってないじゃあないか」

 

などと、カイが頭ごなしに否定をするからか、少女はむしろムキになってさらに、分かってる!と余計に声量を上げて言い返してしまった。

 

ーーーーしまった。

少女は恐る恐る振り返ってみる。

 

「・・・・・・」

 

少女は、出来るだけ物音を立てないように気をつけながらいろんな角度で観察し、その様子を探る。

どうやらヴァンはまだ起きていない、眠りが深いようだった。

 

「ふぅ・・・・・・」

 

安堵の溜め息をつき、少女はカイの方へと向き直る。

 

「おいカイ、とうさまがおきたらどうするつもりだ」

 

先程からそうだが、少女はその見た目には全く不釣り合いな口調でカイを責めた。

見た目のせいで全く威圧感はなく、背伸びをした子供、と彼の目には映っているに違いない。

 

「そもそもなんでオマエまでここにいるんだ・・・・・・?」

 

顎に手をあてて考え始める少女。

やがて一つの考えに至り、顔を青くして目の前の男を凝視した。

 

「まっ、まさか、オマエ、とうさまのねこみを・・・・・・」

「襲うかッ!」

 

あまりの突拍子にカイは思わず声が裏返ってしまったようだ。

つい、声を抑えるのを忘れたため、その失態を誤魔化すようにわざとらしく咳払いをていた。

 

「朝飯が出来たから呼びに来たんだよ」

 

さらにその咳払いのわざとらしさを誤魔化すべく話を始めたのだった。

 

「とうさまをか?」

「お前をだクロエ、ヴァンはまだ寝かしとけ」

 

寝かせておけ。

そういわれた少女は、どこか不満げに父の姿を見やる。

 

「なぁ、カイ」

「どうした」

 

カイに向き直り、少女は口を開く。

言語はもう十分に操れるというのに彼女の口の動きはどうもたどたどしい。

 

「とうさまが、おきるまで待っちゃだめか?」

 

カイに話す少女の様子はどこか諦めのあるような暗い調子だった。

 

「ダメだ、飯が冷めるぞ」

 

子供にだって分かる嘘の言い訳であった。

彼は別に、少女をぞんざいに扱いたいわけではないのだろう。

そんなことは彼女とて知っているし分かっている。

露骨に少女へ視線を合わせないカイの様子が、それを証明しているのだから。

 

「・・・・・・わかった」

 

それが解っているから、彼女は何も言わずに彼について行くのだ。

やはり、どこか寂しそうに。

 

彼女はクロエ。

黒騎士ヴァンの娘である。

 

 

 

 朝食を終えると、クロエはいつものように家の掃除を始めた。

というのも、ヴァンもカイも日中の殆どを外で過ごしており、事実上ではこの家は彼女のモノと言えるからである。

手始めに、まずは窓の近くに干してある雑巾を手にとりあたりを見回した。

 

「うーむ・・・・・・」

 

軽く見る限りでは汚れなどなく、部屋はいたって清潔であった。

しかしながら、そこは自称掃除の達人たるクロエである。

彼女はそっと窓の溝を確認し始めた。

こんな所はまず掃除などしない、何故ならば見た目の清潔さにほぼ一切関わらないからである。

 

「ふふ・・・・・・わたしからにげられると思うなよー」

 

実に嬉しそうな表情であった。

こんな場所を掃除するのは自己満足の領域ではある。

が、極端に汚れている箇所を綺麗にするとたとえ仕事が雑でも大きな事をやってのけた気分になるものである。

 

「・・・・・・綺麗だな、まるで掃除する場所がないぞ」

 

そして大きな気分になった後はその感覚が嘘であれば嘘であるほどに後々虚しい思いをすることになるのだ。

クロエの心境はまさしくそれだった。

 

「・・・・・・」

 

しなくてはならないことも無ければ、やりたいことも分からない。

彼女は部屋で一人であった。

 

「うむ」

 

おもむろに剣の玩具を手に取る。

そして即座に縦方向に一振り、二振り。

ヴァンの剣を模したものだろうか。

その刀身はやたらと黒く、剣先を見れば玩具の分際でなんとも立派な金属光沢を醸し出しているのが見える。

そんな重厚なみてくれからは、いかに玩具と言えど作りはしっかりしているのが伺える。

 

「・・・・・・ふんっ、はあっ」

 

縦、横、縦、横。

つかみ所のない子供の心は実に単純な軌道で振り回されていた。

 

「せやっ、とぉっ!」

 

風切り音が部屋中に鳴り響く。

立ち回りを変え、振るう姿勢を変え、緩急をつけながら架空の敵をズタズタに引き裂いてゆく。

だがそれは数回降ったところで止んでしまった。

自分以外誰もいない部屋で、誰に言われるわけでもなく、何か理由があるわけでもなく、ただ剣を振るうその姿。

虚しい、とそう思ったことだろう。

気がつけば彼女は外へと駆け出していった。

 

意味もなく、とはいえこれまで意味があって行動したことなど一度もないのであるが、クロエは門の近くへと向かっていた。

彼女は門の近くにはカイが居るということを知っている。

恐らく悪戯でも仕掛けて気を紛らわそうという魂胆であろう。

拙い脚で危なっかしく、砂利の上を、石で舗装された道の上を、暴力的にその数を増やした雑草達の上を駆け抜けてゆく。

 

「はあ、はあ、はあ・・・・・・・」

 

やがて少女は門の前へと辿り着く。

しかしそこにいたのは、カイでも、ましてやヴァンですらなかった。

この世のものとは到底思えない白いオーラを纏う女がそこにはいた。

異質、彼女が味わったのはまさしくそんな異物感である。

間違いなくこの国の人間ではない、と彼女は思った。

 

「な・・・・・・な・・・・・・」

 

声が上手く出ない。

外部の人間に滅多なことでは関わらない生活を続けてきたために、当然こういった国外の人間と触れ合った経験も、ましてや敵対した経験もない。

 

「・・・・・・なにものだ、おまえ」

 

辛うじて絞り出した言葉は、酷く震えていた。

 

「アイリスです、こんにちは」

 

そういって少女の目の前にいる魔女は手を差し伸べた、それも笑顔で。

ただの気のいい女性だと、子供ならそう思うに違いない。

 

「・・・・・・!? くせもの!!」

 

しかしクロエはそこに魔女を見た。

彼女、アイリスの纏う白いオーラが突如として激しく揺らめいたのだ。

思わず少女はその手で魔女を弾いた。

その次の瞬間、腰に身につけた剣に手をかけ一息に抜刀した。

依然として彼女に纏う奇妙な白色の魔女はうっすらと笑みを浮かべている。

 

「ふふっ・・・・・・あはははっ」

 

アイリスが唐突に笑い出す。

その笑い声はただでさえ不安定なクロエの心を切り崩すのに十分な破壊力を持っていた。

不安はよりいっそう強くなる。

しかし同時に彼女は思う、ここで折れてはいけないと。

 

「な、なななっ、なにがおかしい!?」

 

絞り出した勇気はあまりにもか細いものだった。

その光景に全く動じずに、あろうことかアイリスはその妖しげな手でクロエに触れたのだった。

もうどうにもならない、と少女は結局されるがままの自分の無力に涙する。

もっとも、その得体の知れない魔女のオーラは、クロエに触れた時点で消えているのだが彼女はそれに気づく余裕などなかった。

 

「う、うぅ・・・・・・」

 

涙が止まらない。

この爆発の止め方を、クロエは知らない。

自分の口から出ている音だというのに、どこか自分のものではないような違和感に襲われて、その感覚への恐怖で涙を重ねていった。

怖い、怖い、そう怖いのだ。

何が怖いのか、そんなことは彼女にだって解りはしない。

ただ怖い、溢れてくる感情が、止まらない涙が、目の前の不可解が、ただ怖かったのだ。

少女は自分が闇の中へと引きずり込まれる感覚を味わった。

だから叫んだ、みっともない位に泣き喚いた。

しかし止まらない、全く止まらなかった。

 

「大丈夫、大丈夫ですから」

 

目の前の白い女は、何を思ったのかクロエを抱きしめていた。

痛いほどに、苦しいほどに。

その感覚は、不思議とクロエの涙を押さえつけていった。

 

「・・・・・・ぅぁ?」

 

理解出来なかったことだろう、あれだけ止まる気配見せなかった自分の涙が、単なる抱擁で止まったのだから。

 

「ぅぅぅぁ・・・・・・っ」

 

クロエは、自分の心が落ち着くのを感じた。

暴れていた感情は、どういうことかその理性を取り戻しつつあった。

まるで長年の間求め続けてきたもののような、妙な懐かしさを感じたのだ。

 

「怖かった・・・・・・ですよね、恐ろしかったですよね・・・・・・」

 

そんなクロエの頭を、アイリスは優しく撫でた。

もう落ち着いているのに、暖かい気持ちであるのに、少女はもうたまらなくなっていたのだった。

 

「・・・・・・っ」

 

だから彼女は黙って押し殺すようにアイリスぼ胸元に顔をうずめた。

その後、自分が泣いたのだとクロエが気付いたのは次の朝に目が覚めてからだった。



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