提督になったし艦娘ぶち犯すか (ぽんこつ提督)
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プロローグ

 俺は提督だ。

 そう、あの提督だ。

 艦娘を束ねる者であり――同性愛者以外の、地球上すべての男にとっての憧れ。

 だが提督というのは、誰にでも務まるわけじゃあない。提督になるには――妖精が見えなくてはならない。

 

 俺が妖精を初めて見たのは、社会人になってからだった。

 このケースは珍しく、普通は小学生低学年――遅くても高校生になる頃には、才能が開花するらしい。そうして才能が開花した者は、海軍に所属し、幼い頃から厳しい訓練を受ける。それでエリートになってから、提督として着任するというわけだ。

 しかし俺の場合は、もう社会人。慢性的人不足やら教育機関の都合やらなんやらで、いきなり鎮守府に着任することになった。

 今にして思う。

 海軍からすれば、俺は捨て石だったのだろう。新しい提督が見つかるまでの、ほんの場つなぎ。死んでもなんの損害もないし、ちょっと活躍すれば万々歳。そんな感じだ。

 当時の俺はそんな事つゆ知らず、こんな事をのんきに思っていた。

 

 ――提督権限を使って艦娘をぶち犯す。

 

 だってあの艦娘だぜ?

 全員美少女な上に、年齢的にも属性的にも下から上まで揃っていやがる。

 しかし、童貞で口下手な俺には口説くなんてできない。

 かといってマトモな教育を受けてない俺じゃあ、武勲を上げて尊敬されて云々――みたいなのは無理だ。

 だから俺は、上司の権限を使って艦娘をぶち犯す事にした。

 

 

 ――初日。

 艦娘達は俺の為に大歓迎会を開いてくれた。

 次から次へと艦娘が来て、にこやかに話しかけてくれる。

 こんなお祝いムードをぶち壊すなんて真似チキンな俺には出来ない。それに、あんなに愛想良くされるとどうにも……。

 良し、今日は見送ろう。

 この鎮守府にいる艦娘を品定め出来ただけでも良しとする。

 大丈夫、時間はまだたっぷりあるんだ。

 

 

 ――二日目。

 深海棲艦からの急襲があった。

 もしかしたら役に立たない新任の俺を狙ってのことかもしれない。

 一日中深海棲艦の対応に追われた。

 がむしゃらに指示を出したが、素人の浅知恵が向こうにとっては予想外だったのか、なんとか追い払う事が出来た。

 今日は疲れた。

 何もせずに寝る事にする。

 

 

 ――一週間後。

 あの日から毎日、毎日。

 深海棲艦は攻撃を繰り返して来た。

 今頑張って活躍すれば、犯罪を犯しても、憲兵が見過ごしてくれるかもしれない。そんな打算もあり、俺は身を粉にして頑張った。

 だが、それも今日で終わりだ。

 

 「この辺りが怪しいな……」なんて神妙な顔で言いながら、俺は長門の部隊をテキトーな海域に送った。

 いい加減性欲の限界で、今日艦娘をぶち犯そうと思ったのだが、秘書艦である長門が邪魔だったのだ。あいつも文句なく美女なのだが、襲ったら逆にボコボコにされるだろうし、何より正義感が強い。ああいうタイプは上司の圧力に屈しないだろう。だというのに、あいつは一日中俺の周りをうろちょろしてやがる。俺の目的に勘付いてるに違いない。まったく、邪魔な奴だ。

 故に俺は長門を左遷した。

 

 その日の夜。

 俺は遂に大淀を執務室に呼び出した。

 大淀を選んだ理由は、まず普通に可愛い事と、脅迫したら従ってくれそうだったから。そして何より……メガネだ。俺はメガネ萌えなのだ。

 そしていざ事に及ぼうとした時――長門から緊急の伝令がきた。

 なんとあいつは、本当に深海棲艦のボスを見つけたのだ。

 「提督、まさかこれを読んでいたのですか……」大淀は震えながらそう言った。俺は一切知らなかったのだが、大淀は連合艦隊指揮艦としての能力が高いらしい。彼女は俺が連合艦隊を出撃させる為に大淀を呼び出したと勘違いしたのだ。

 こうなってしまっては仕方がない。

 俺は連合艦隊を出撃させた。

 

 そしたらなんか普通に勝った。

 ボスを倒したから、もう明日からは攻め込んで来ないだろう。

 明日こそ、明日こそ艦娘ぶち犯す。

 

 

 ――次の日。

 俺は表彰された。

 どうやら今回倒したボスは、相当大物だったらしい。

 大層な賞を三つも貰った。

 しかもそれがマスメディアの目に止まり、俺は『民間上がりの英雄』として報道された。まあ悪い気はしない。

 だけどそんなに持ち上げられると、なんかちょっと……悪い事をし辛いなあ、なんて。

 いや、俺は艦娘をぶち犯すぞ!

 

 

 ――式典を終えた次の日。

 式典を終えて都会から帰ると、艦娘達が総出で出迎えてくれた。しかも敬礼しながら。

 こんな雰囲気では艦娘をぶち犯すなんて出来ない。

 俺が「楽にしていい。今日は無礼講だ」と言うと、艦娘達は楽しそうに大祝宴を始めた。無礼講って言ったけど、宴会をしようとは言ってないんだがな……。

 しかも最後には、加賀が「僭越ながら、貴方を讃える歌を作りました」とか言いながら歌を歌い始めた。それを聞いた艦娘達は立ち上がり、泣きながら敬礼した。

 えぇ……。

 

 

 ――一ヶ月後。

 助けて。

 本当に助けてくれ。

 何故だ……どうしてこうなった?

 俺は一体どこで間違えた?

 

 

 ――一年後

 私は貝になりたい。












次話から基本的に他者視点になります。


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初陣 ①

 横須賀鎮守府は日本でも屈指の規模を誇る鎮守府である。

 基地の規模や設備の充実さはもちろん、日本にいる艦娘の約十二分の一がこの鎮守府に所属しており……提督の数も五人と最も多い。

 この規模はアメリカやロシア、中国でもそうお目にかかれないほどだ。

 

 ――つい三日前のことである。横須賀鎮守府が壊滅したのは。

 

 深海棲艦は決まった周期で大侵攻をして来る。

 日本の周期で言えば、春夏秋冬に一回ずつだ。

 今にして思えば、これが深海棲艦の作戦だったのだろう。

 鎮守府は、そのシーズンまでに軍備を備える。高速修復材を溜め込み、資材を貯蓄し、艦娘を温存する。

 しかし、逆を言えば。

 そのシーズンが過ぎてしまえば、鎮守府は無防備となる。

 大侵攻さえ終われば、その次はない。そんな保証はどこにもないのに、今までそうだったから、という理由で、高速修復材や資材を使い果たすのに、なんの躊躇も無くしてしまうのだ。

 

 

 九月七日。

 夏の大侵攻後のことである。

 ()()は突如始まった。

 深海棲艦の存在が確認されて以来の、大規模侵攻。

 その総数は集計不可能――なにせ、日本の排他的経済水域を全て埋め尽くすほどの深海棲艦達が集まっていたのだから。

 その総戦力はもっと分からない。

 elite以下など何処にもいない。奴等の部隊は全てflagship・鬼・姫で構成されていたのだから。

 こちらの戦力は無に等しい。

 夏の大侵攻が終わればしばらくは攻め込んで来ないと、貯蓄を全て吐き出してしまったのだから。

 横須賀鎮守府に所属していた歴戦の提督達は全員戦死し、艦娘達もその数を大きく減らした。

 

 ――その時、紛れもなく日本は負けた。

 

 日本は撤退を余儀なくされた。

 海を諦め、陸地へと逃げたのだ。

 古来より残る自然を残す、などとは言っていられない。森を切り倒し、山を消した。

 だが、その作業も直ぐに終わるわけではない。

 故に日本は、鎮守府に『時間稼ぎをしろ』と命令した。

 しかし、艦娘は提督がいなければ戦えない。

 海軍学校で教育を受けている提督達は将来、日本が立て直した時に必要な人材だ。彼らをむざむざ死地に送るなど、出来るわけがない。

 

 ――故に“彼”が送られたのだ。

 

 なんの教育も受けていない、突然現れた提督。

 場繋ぎとしてはちょうどいい。

 誰も“彼”に期待などしていなかった。

 だが、これが、この死地こそが。

 高速修復材も資材も何もなく、味方もおらず、敵はひたすらに強大な、この死地こそが――後に『英雄』と呼ばれる男の初陣にして、伝説の序章だったのだ。

 

 

   ◇

 

 

 戦艦『長門』はその日の事をよく覚えている。

 

 深海棲艦の侵攻には『波』がある。

 二、三週間怒涛のように攻め込んだ後、パッタリと攻撃が止むのだ。普通ならその時に補給をすれば良いのだが――しかし、この大規模侵攻がそうした油断の隙をついて始まった事を思うと、そうもしていられない。

 『何もしてこない事』が逆に焦燥感を煽る。

 そんな緊張しきった空気の中、その男は来た。

 

 滅びを待つだけの鎮守府に来た、新しい提督。

 この鎮守府の状態を知らされてないわけがない。きっと絶望した顔の人間が一人増えるだけだろう。“彼”が来るまで、長門はそう思っていた。

 ――『目』だ。

 『目』が違った。

 その男の『目』はギラギラと何かに飢えていた。

 それでいて、その男は何も気負ってはいない。まるでカフェにお茶でも飲みに来たような、完全にリラックスしきった姿だった。

 

 そんな彼を見た時、長門は今日歓迎会を開く事を決めた。

 次の大規模侵攻が始まれば、この鎮守府はもう持たない。それならば、最後の時をめいっぱい楽しんでやろう。生まれてこのかた、ずっとこの国に殉じて来たんだ。最後の晩餐くらい、多少豪華でも許されるだろう。どうせ提督に顔見せしないといけないわけだしな。そんな軽い、しかし重い気持ちだった。

 

 その日の夜。

 いざ歓迎会が始まっても、艦娘達は浮かない顔をしていた。

 当然だろう。

 疲労と絶望。それから充満する死の臭い。

 楽しめるわけがない。

 

「――酒が美味い」

 

 たった一人を除いて。

 この日着任したこの提督は、これから起こる惨劇を前にしながら、まるで何も感じていないようだった。

 そんな彼を見て、

 一体どんな人間なんだろう?

 と、興味を持った艦娘が一人、また一人と彼の元へと挨拶に来る。

 

 ――そこには日常があった。

 

 戦いの中で、彼女達が忘れてしまった日常があった。

 彼はそう、本当に何でもないように会話しているのだ。

 疲労も絶望も、そして死の臭いもしない。

 それに当てられてか、艦娘達にも徐々に笑顔と気力が戻っていった。静けさに満ちた歓迎会には、いつしか笑い声と歓声が響くようになっていた。

 隼鷹の強制一気や、龍驤の一発芸。

 比叡と鳳翔さんのお料理対決。

 楽しそうにはしゃぐ駆逐艦達。

 高雄と愛宕のキャットファイト。

 那珂ちゃんの楽しそうに歌う声。

 ああ、こんな楽しい鎮守府は一体いつぶりだろうか。戦う内に、私達は『何のために戦うのか』を忘れていたのかもしれない。国の為に――じゃない、仲間のために。この日常のために。そう、そうだった。そんな簡単なことすら、私は海の上へ置いてきてしまっていたんだ。

 知らず知らずの内に、長門は涙を流していた。

 

(――ッ!?)

 

 涙を拭いた長門は、ふと提督の方を見た。

 そして感じた。

 またあの『目』だ。

 ギラギラとした、あの『目』。食い入るように艦娘達を凝視している。

 

 ――艦娘一人一人の『性能』を見ている。

 

 長門は提督の思考にあたりを付ける。

 

 艦娘が過去に存在した実在の船をベースに造られている以上、そこにはデータが存在する。

 例えば長門であれば、

 耐久80

 火力82

 装甲75

 雷装0

 対空31

 回避24

 対潜0

 搭載12

 といった具合である。

 しかし艦娘には『練度』と呼ばれる『個の揺らぎ』がある。練度を積めば積むほど、艦娘は一部のステータスが上昇していくのだ。何がどのくらい上昇したのか、その割合を見分けるのは歴戦の提督であっても難しい。

 

 ――それを見極めているというのか? この一瞬で? しかもここは、戦いの場ですらないんだぞ?

 

 だが、それ以外の理由など思い当たらない。

 しかし同時に、そんなことができるとは思えない。だが仮に、そんな事が出来るとすれば……。

 悩む長門に答えがもたらされるのは近い未来――明日の事である。











最初のセリフが「酒が美味い」のクズ主人公がいるらしい。


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初陣 ②

 提督が着任した次の日。

 深海棲艦は再び動き出した。

 提督の着任が間に合ったとも言えるし――鎮守府の内情を詳しく把握出来なかったとも言える。幸と不幸、どちらとも取れるタイミングだろう。

 

「提督、ご指示を」

 

 現在、作戦室にて。

 赤城・長門・鳳翔さん・妙高・神通・吹雪・伊168・大淀の八隻が集まっていた。

 中心にいるのはもちろん提督だ。

 ギリギリで着任した彼だが、鎮守府の内情について詳しく知らなくとも、着任している以上は指揮を取らなくてはならない。

 だが、もちろん、誰もがそう期待してはいない。提督が新任だから――というよりは、多少の指示などほとんど無に等しいからだ。

 周辺の海域を模した地図の上には、青色の凸と赤色の凸が置かれている。

 真っ赤。

 数えるのもバカらしくなる程の赤色の凸。

 どう考えても、戦術で覆せる範囲を超えている。もしかしたらこの圧倒的戦力差を覆せる方法もあるのかもしれないが――それを新任の提督に求めるのは酷というものだろう。

 

「そうだな……」

 

 提督は青色の凸を持ち、次々と各海域に配置していく。

 ――速い。

 戦場を見て、部隊メンバーを確認し、戦術を決めるまでの速度が異様なまでに速い。何も考えていないのでは? と思うほどだ。

 その上――いわゆる『定石』とは大きくかけ離れている。

 

 戦術とは、例えるなら将棋の様なものだ。

 確かに『手』の通りは無数にあるだろう。しかし将棋には『定石』が存在し、達人同士の戦いであれば、中盤まではその『定石』通りに進められる。終盤の『詰み』を意識する段階になって、初めて『手』が細分化してくると言えるだろう。

 艦娘の戦いもそうだ。

 序盤として戦術。

 中盤として陣形。

 そして終盤の接敵になってようやく、個々人の個性や性能を活かした動きが出てくる。

 

 提督の指示は、そういった型にまったく嵌まっていなかった。

 長い歴史の中で培われてきた定石を無視し、まったく新しい戦術を立てていく。そこだけ見れば、まるで素人。いや、素人以下と言っていいだろう。長門は少し不安を抱いた。

 だが、それも一瞬のこと。

 長門は直ぐに考えを巡らせる。

 過去、この鎮守府に配属された提督は百戦錬磨のベテランか、新進気鋭の天才ばかり。この提督もそうなのだろう。いやこの絶望的状況でたった一人送り込まれてきた事を考えれば、彼らを上回る提督だとすら思える。

 そんな彼が『定石』を知らない訳がない。

 幼い頃から大本営の手で受けた教育によって、嫌というほど叩き込まれているだろう。そして今、彼はそれをあえて無視している。それ以外考えられない。いったい何故……?

 

(確かに……この状況を打破するには、従来の方法では不可能だろう。それを思えば、この戦術は妥当ではないが、考えられる事の一つか)

 

 そもそも、その『定石』に頼っていたから、この事態を引き起こしたのだ。なるほど確かに、それを考えればむしろこれ以外無い気さえしてくる。

 

(しかし、初陣でこれを実施するとは、提督はどれだけの胆力を……)

 

 訓練にいくら慣れていようと、命のかかった実戦とはまた別のものだ。ましてやこれは、日本の存続をかけた戦いといっても差し支えない。

 例えそっちの方が合理的と分かっていても、つい『定石』に頼りたくなってしまう場面だ。

 それを汗一つ浮かべずに無視し、更にはこの速度で作戦を練る。普通の人間では絶対にできない事だろう。

 

「――こんなところか。総員、抜錨してくれ」

 

 ついに提督の戦術が完成し、出撃命令が下る。

 提督補佐のために大淀だけが残り、長門以下七隻は執務室を出ていく。

 

 長門率いる鎮守府最強の部隊――『第一艦隊』に下された任務は『鎮守府近海の護衛』だ。

 毎度一番槍を務め、誰よりも死地を切り裂いて来た長門からすると、少し拍子抜けな気もする。

 後方で待機する、というのはどうにも向かない。もちろん、手を抜くつもりは毛頭無いが。しかし、『第一艦隊』を後方に下がらせるのには、どんな意図が……。

 

「長門。私に貴女の名前を刻ませないでね」

「……ん、ああ。それは私のセリフだ。妹が先に沈む事ほど辛いことはないよ」

 

 考え事をする長門に話しかけたのは、妹の陸奥だ。

 ――ああ、いつの間にかここまで来ていたのか。

 長門は思考を戦いへと切り替える。ここを超えれば、そこは死地なのだから。余計な思考は削ぎ落とさなくてはならない。ここに刻まれていった者達の為にも。

 

 海に出る時、艦娘達は必ずこの道を通る。

 この道は――通称『墓場』と呼ばれている場所だ。

 元々はただの道であるここが何故『墓場』と呼ばれているか?

 それは以下の通りだ。

 艦娘は兵器である。

 人によく似た形、思考を持っているが、法律上の扱いでは紛れもなく兵器だ。

 兵器であるが故に、身体の中に埋まった弾丸を取り除くのに、医師免許がなくとも傷害罪にならない。

 兵器であるが故に、彼女達はなんの許可もなく武器を持つ事を許される。

 そして兵器であるが故に――彼女達は墓を作る権利を持たない。そもそも寿命がない彼女達が死ぬときは海の上であり、死体さえ残らないが、形だけの墓すら作れないのだ。

 だからいつからか、彼女達は同胞が死んだ時、この道に名前を掘る事にした。 

 彼女達は出撃する際、海に残して来た仲間達の名前を必ず見る。

 そしてその時、感じるのだ。

 散っていった同胞の無念を。

 そしてその時、想うのだ。

 これ以上名前を増やしたくないと。

 

「第一艦隊、出撃する」

 

 ――戦争が始まった。

 

 

   ◇

 

 

 神通率いる水雷戦隊――『第二艦隊』は海の上を進んでいた。

 戦っているのではなく、進んでいた。

 鎮守府を出て、提督の指示通り進み――とっくの昔に深海棲艦の領海に入ったのだが、一度も敵に遭遇していない。

 

「神通、どういうこと?」

「分かりません。深海棲艦が出現していない、というわけではないようですが」

 

 姉・川内の問いかけに、神通は首を横に振った。

 鎮守府で最も強い軽巡洋艦の神通でさえ、この事態に説明がつけられないでいた。

 

 『第二艦隊』もそうだが、深海棲艦の部隊もまた常に移動している。

 本来であれば、もう二、三度は接敵していてもおかしくないのだが……、敵の影も形も見えない。

 かと言って深海棲艦がそもそも出現していないのかと言われると、無線を聞く限り、そういうわけでもないらしい。

 こんな事は偶然ではあり得ない。となれば……。

 

「深海棲艦の動きを全て予測していた、という事ですか」

 

 この戦術を立てた提督の思惑以外にはあり得ない。

 にわかには信じられない事だが、提督は謎に満ちている深海棲艦の思考を読み、進路を予想し、神通達を奴等に見つからないようここまで連れて来たのだ。

 そうした理由は何故か?

 神通は直ぐにその答えに行き着いた。

 答え合わせをするかの様に、無線に大淀からの連絡が入る。

 

「こちら作戦司令部、大淀。『第一艦隊』が敵の主力艦隊と接敵しました。敵援護部隊も同海域にいる様です。『第三艦隊』と合流し、背後から奇襲してください」

「旗艦神通、了解しました」

 

 神通の予想通り、吹雪率いる遊撃部隊――『第三艦隊』もこちらと同じ状況にあるようだ。

 やはり……と、神通は自分が思い描いていた提督の作戦が正しかった事を確信する。

 

 理由は分からない。

 だが深海棲艦はこの日、民間の港や海岸ではなく、鎮守府を目指していた。

 提督はそれを読み切り、逆に誘き寄せたのだ。

 そこで鎮守府のバックアップを万全に受けられる鎮守府近海に最強の『第一艦隊』を配備し、これを迎撃。

 更にはその進路を完璧に予想し、『第二艦隊』及び『第三艦隊』を素通りさせ、深海棲艦が完全に油断したところで背後から奇襲をかける。

 挟み撃ちになれば、この戦力差を覆せるかもしれない。

 しかも奇襲に関して言えば、川内型はプロフェッショナルと言っていい。この人員も計算され尽くしての事だろう。

 高速艦が少ない代わりに、火力が高い『第一艦隊』を鎮守府近海に配備したのも名采配と言える。

 

「……凄いお方」

「んー? 神通が人を褒めるなんて珍しいじゃん」

「そうでしょうか……」

 

 知らず知らずの内に思っていた事が口に出ていたらしい。

 神通は珍しく顔を赤くし、そっぽを向いた。

 

 川内の言う通り、神通はあまり人を褒めない。

 それは彼女が思う『凄い』の範囲が狭い――というより、『当たり前』の範囲が広いためだ。

 朝起きてから、夜寝るまで。ひたすらに鍛錬を積む。神通はそうした生活を『当たり前』だと考えている。故に、彼女はあまり人を褒めない。大体の功績が彼女の『当たり前』の中に収まってしまうからだ。

 その神通を持ってしても、提督が一体どれほどの修練の果てにここまでの指揮能力を得たのかを考えると、『凄い』と思わざるを得なかった。

 

「……神通。そろそろ戦闘海域だよ」

「はい、姉さん」

 

 海に出ているのに珍しく気が抜けた神通に、川内は声をかけた。

 流石というべきか、直ぐに鎮守府最強の軽巡洋艦が帰ってくる。

 

「ではみなさん、行きましょうか」

 

 『第二艦隊』のメンバー五隻は、声を揃えて返事を返した。

 

 

   ◇

 

 

 二三:〇〇。

 明け方近くから始まった戦いはようやく終わり、再び八隻は提督の元へと集結していた。

 結果は――鎮守府側の勝利。

 ほんの少し深海棲艦の勢力を押し戻したに過ぎない、僅かな勝利だが、確かに勝った。

 深海棲艦の大規模侵攻が始まって以来、全ての鎮守府が敗走を続ける中、この提督は初陣にして勝利を収めたのだ。

 艦娘達は喜びを胸に帰投し、報告書を提督に提出した。

 

 ほとんどの艦娘が笑みを浮かべながら、提督が報告書を読み終わるのを待っていた。

 しかし大方の予想に反し、彼は報告書を読み終えるとこう言った。

 

「――この程度か」

 

 確かに、戦果としては小さいだろう。

 だが、今の状況を鑑みれば大きな戦果だ。

 艦娘達は一瞬、悔しそうな顔をした。

 しかし、直ぐに思い直す。

 今日の戦術を見る限り――誰よりも現状を把握しているのは他ならぬ提督なのだ。その彼が「この程度」と言ったということは、本来ならもっと戦果を挙げられたはずだ。少なくとも、彼の想定では。

 至らなかったのは自分達。

 自分達の練度は高い、とたかをくくっていた自分達なのだ。

 

「提督」

 

 真っ先に動いたのは神通だった。

 膝を折り、提督に頭を下げる。

 

「私の力が至らず申し訳ありません。これより一層精進に励みます。微力ではありますが、私の力が貴方様の一助となるよう、全力を尽くしますので、どうかお側に」

 

 ――神通は歓喜していた。

 

 良く訓練しているな。

 これだけの戦果を、流石だ。

 これまで。神通が何かすれば、歴代の提督達は必ず彼女を褒めた。

 他の艦娘であれば喜んだだろうが、神通は違う。

 むしろ、どうしてこれだけの戦果で満足しているのだろうか? という気持ちの方が強かった。

 周りに強要しようとは思わない。

 しかし、自分にとってはこれが当たり前。その程度の事を一々褒めるなんて、志が低い。

 神通本人すら気がつかない心の奥底で、彼女はそう思っていたのだ。

 

 そこへ来て、この男はどうだろう。

 神通ですら驚くほどの偉業を成しながら、少しも喜ばず、それどころか「この程度」と切り捨てた。

 初めてだった。

 神通と同レベル――どころか、それ以上の基準を持つ人間は。

 

 艦娘は兵器。

 使われてこそ意味がある。

 この時神通は初めて、自分の主人に出会ったのだ。












地の文を書いてる時、いつも無意識のうちに鳳翔さんに「さん」をつけてしまう。


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初陣 ③

 提督が着任した日から一週間が経とうとしていた。

 

 この方から学ぶことは多い。

 そんな理由で長門は、提督の側に出来るだけ居るようにしていた。

 最近では、提督との信頼関係も出来つつあるように思う。

 

「提督。珈琲です」

「ああ、ありがとう」

 

 大淀が珈琲の入ったマグカップを置いた。

 部屋の中に良い匂いが満ちる。

 長門は戦闘に関すること以外、とんと不器用だ。大淀のように雑務をこなしたり、美味しい珈琲を淹れたりといった事ができない。

 適材適所。

 昔はそう思っていたが、今は少し羨ましく思う。

 

 提督は少し珈琲を啜った後、話を始めた。

 緊張感――を超えた、極限まで張り詰めた空気が室内に満ち、虫の羽音までもが聞こえて来そうなほど部屋の中が静まり返る。

 提督のお言葉を一言一句聴き漏らさず、更にそこに込められた意味を少しでも掬うため、だ。

 

「いいか、先ずは――」

 

 会議に参加していた艦娘は最初八隻だったが、今ではその数を大きく増やし、二十四隻となっている。

 理由は二つ。

 一つ。指令をこなす内に「これほどの作戦を考案するなんて、一体どんな作戦会議をしているのか」と、提督の戦術立案を実際に見て学びたい、と志願する艦娘が来る様になったから。

 二つ。提督が戦術を考える時間があまりに速く、一週間前の極々限定された海域ならいざ知らず、今の広大な海域を股にかけた作戦概要では、元の八隻では追いつかないから。

 以上の理由から、会議に参加する艦娘を増やしている。

 

 上記の通り、深海棲艦に侵略されていない海域は、一週間前と比べて格段に増えた。

 増やしたのは――何を隠そう、この鎮守府だ。

 今にして思うと、初日の勝利は本当に小さな勝利だった。

 二日目には一日目よりも大きな戦果を挙げ、

 三日目には二日目よりも、

 四日目には三日目よりも。

 提督の神がかり的な戦術と、日に日にモチベーションが高くなって行く艦娘達。加えて海域を解放したことにより、資材の補給も安定してきた。最早この鎮守府が挙げる一日の戦果は、過去に類を見ないほどだ。

 神通と提督の言う通りだ。あれ程度の戦果で舞い上がっていたのが恥ずかしい。

 

「……ここが怪しいな」

 

 提督が指差した場所。

 今まで一度も話題になっていない、非戦闘区域だ。

 というのも、この付近には捨てられた港があるだけで、深海棲艦からすれば攻撃するメリットがさほどないのだ。

 こちら側としても、あまり防衛する必要性を感じない。

 

「長門、頼めるか?」

 

 そんな場所に主力艦隊を送り込むなど、正気の沙汰ではない。

 しかし――

 

「もちろんだ。この長門、全力を尽くすと誓おう」

 

 長門は力強く返事を返した。

 この提督が間違った事を言うはずがない、という確信。

 それから、ここ数日で培われた信頼関係。提督は自分を信頼しており、意味のない仕事を任せるわけがないと、長門は信じていた。

 

 

   ◇

 

 

 いざ『第一艦隊』が指定海域に到着しても、事前情報通り、近くには駆逐艦イ級一匹いない。

 さて、ここから一体何が始まるのか……。

 長門は意識を張り巡らせた。同時に、『第一艦隊』の空母が艦載機を飛ばす。

 

「――え?」

 

 その時だった。

 海底から突如、巨大な深海棲艦が現れたのは。

 どうやら相手にとってもこの事態は予想外だったらしく、お互い完全に硬直した。

 

「……はぁ!」

 

 先に動いたのは長門だった。

 まったくの無防備だった新型深海棲艦に対し、

 長門は『何かあるかもしれない』という心構えをしていた。

 その僅かな差が、二人の初動を分けた。

 

「グッ――!」

 

 長門の拳を顔にもらった新型深海棲艦は、顔を歪めた後、再び海へと潜っていった。

 

(そうか! こいつは潜水艦としての能力を有しているのか!)

 

 どうりで、今回の親玉が見つからないはずだ。

 短い間に、長門は全てを理解した。

 

 深海棲艦は鬼や姫クラスになると、二つの船種の能力を持つことがある。

 例えば南方棲戦などは戦艦でありながら、空母並みの制空値を誇っている。

 今回の新型深海棲艦は恐らく、空母か戦艦の能力を持ちながら、潜水艦としての能力も持っているのだ。

 恐らくその能力を使い、非戦闘区域からこっそりと観察する事でこちらの手を読み、今まで優位に立っていたのだろう。しかし急に上手くいかなくなったことに業を煮やし、再度接近――提督はそのタイミングと場所を読み、ここに長門を派遣したのだ。

 相手は隠密行動のために、何のお供も連れていない。これ以上のチャンスはないだろう。

 

「こちら『第一艦隊』旗艦長門!」

 

 長門は提督の意図を理解すると、すぐ様司令部に連絡を取った。

 出たのは提督ではなく――大淀だ。連合艦隊旗艦としての高い指揮能力を誇る大淀。本来ならこの時間は、別の任務に当たっているはずである。

 この事態を予測した提督が、あらかじめ呼び出したのだろう。

 

「連合艦隊出撃ですね? 準備は出来ています」

「ああ、そうだ。……提督のご指示か?」

「ええ。長門さんが接敵したのとほぼ同じタイミングで、私に指示が下りました」

 

 やはり……か。

 最早驚きはしない。

 あの方はそれくらいやってのけるのだという信頼と、それから尊敬の念が強まるだけだ。

 そこに来て、長門はまた一つとある事実に気がついた。

 

(解放した海域が、見事に連合艦隊の通り道になっている。ここまで織り込み済みか)

 

 そう。

 昨日までに解放した海域が、見事に連合艦隊の道になっていたのだ。これならば連合艦隊は何の消耗もなく、この海域まで来ることが出来る。

 つまり、前日までの戦いはすべて、この日の為の仕込みだったのだ。

 一体いつからこの形を思い描いていたのか、長門には想像もつかない。

 

「さて。連合艦隊は補給物資も持って来るらしい。帰りの分の燃料は考えなくていいそうだ」

 

 長門の言葉に呼応するように、艤装が虚空から出現する。

 いや、艤装だけではない。

 長門が身に纏う服もまた、その姿を変えていく。袖や縫い目に山吹色のラインが入り、スカートや胸部の服が布面積を増し――最後に漆黒の長マントがはためいた。

 

「改二実装!」

 

 ――改二。

 それは一部の艦娘にのみ許された、一つ上のステージ。

 火力・装甲・速度――全てのステータスが一時的に跳ね上がる。

 尤も、何のデメリットもないわけではない。改二には強烈なフィードバックがあり、いかに長門と言えど、一時間も改二の姿になれば、丸三日は筋肉痛で動けなくなる。また、消費する燃料も段違いだ。

 

「待ちに待った……本当に待ちに待った艦隊決戦だ。改装されたビッグセブンの力、とくと味わうがいいさ」

 

 だが改二には、それでもあまりあるメリットがある。

 長門の主砲から放たれた弾は、深海棲艦ごと海を焼き払った。通常時とは比べ物にならない火力だ。

 

「旗艦長門より通達。『第一艦隊』総員、改二の実装を許可する」

 

 長門の号令によって、『第一艦隊』の面々も改二となる。

 『第一艦隊』は戦艦二隻・空母二隻・軽巡洋艦二隻の計六隻からなる部隊であり――驚くべきことに、メンバー全員が改二へと至っている、鎮守府唯一の部隊なのだ。

 連合艦隊が到着するまで残り十分――長門はその間に、全ての決着をつける気でいた。

 

 

   ◇

 

 

 結局。

 鎮守府は勝利した。

 そこには語るべき事など何一つない。

 敵の虚をつき、数で圧倒して司令塔を倒す。その後は散り散りになった深海棲艦を各個撃破。逆転劇など何一つない。全てが提督の指示通り、淡々と進められていった。

 教科書通りの、完璧な戦いだ。

 

「クソッ!」

 

 だが長門は、その結果に満足していなかった。

 『第一艦隊』は善戦したものの、連合艦隊が到着するまでに新型深海棲艦を倒す事は出来なかった。

 とはいってもほとんどの体力を削り――連合艦隊はほぼトドメだけを刺した形だ。

 最初の戦況から考えれば、大躍進と言えるだろう。

 何の誇張もなく、国を救ったのだから。

 

 それでも長門は、喜びよりも悔しさの中にいた。

 つい一週間前までは、考えられなかった事だ。

 平和になった海を見て、それでもなお満足出来ないなど。

 ましてやあの状況から勝利し、更にはその勝ち方にまで拘るなど。

 

 ……神通の言っていた意味が、今なら分かる。

 

『――この程度か』

 

 一週間前、提督はそう言った。

 

『長門、頼めるか?』

 

 そして今日、提督はそう言った。

 汚名返上のチャンスだった。

 提督が求める水準の働きをし「よくやった」と言って欲しかった。そしてそのチャンスも与えられていた。それを再びとり溢したのは、誰であろう長門だ。

 

「ここに誓おう。海よ、私はまた帰ってくるぞ」

 

 帰り際、長門は平和になった海に誓った。

 今度こそ暁の水平線に、提督が望む勝利を捧げると。

 長門は誓いを胸に、提督の待つ執務室へと帰った。











改二はゲーム内だと一度なればずっとそのままですが、
ここではスーパーサイヤ人的な一時的な強化状態だと思って下さい。


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初陣 ④

ふと見たらお気に入りとUAが跳ね上がってた。
ランキングに上がったのかな? と思って見て見ても、加点ランキングに入ってはいるものの、日間ランキングにはない。
あれぇー? と思ってたら、どうやら推薦が書かれてたみたいですね。どうもありがとうございます。


 ――明け方。

 地平線の彼方から太陽がやっと顔を見せ始めた頃。

 遊撃部隊『第三艦隊』旗艦・吹雪は、ようやく鎮守府に帰投した。

 『第三艦隊』――それは簡単に言えば、「物凄く能力はあるが性格にも物凄く難がある艦娘」を集めた部隊である。

 例えば一度スイッチが入ると敵か己が死ぬまで戦いをやめない戦闘狂だったり、戦いの最中不意にトラウマがフィードバックする末期PTSD患者だったり、あるいはそもそもやる気がなかったり。しかし能力はズバ抜けて高い。そんな厄介な連中なのだ。

 そんな連中をまとめているのが、鎮守府で一番コミュニケーション能力の高い吹雪なのである。

 

「はあ……、疲れたぁ」

 

 提督の指示は実に緻密な物だ。

 少しの狂いが、大きな誤差になってしまう。

 その指示を『第三艦隊』を率いながら遂行した吹雪の疲労度は、推し量れる物ではない。

 だが、そう泣き言ばかりも言ってられない。

 吹雪は自分の両頰を叩き、気合いを入れ直した。

 なんと言っても、これから提督に会うのだから。

 

「『第三艦隊』旗艦・吹雪です! 失礼します!」

 

 扉の前で、声を張り上げる。

 提督の許可が下りると同時に、直ぐに扉が開かれた。

 だが、直ぐに入室することは出来ない。

 先ずは明石からボディーチェックを受ける。次にいくつかの質疑を繰り返し、吹雪が本当に『吹雪』であるのか確認が取れてから、やっとの入室だ。

 

 部屋の中にはすでに、多くの艦娘が集まっていた。

 中心にいるのは――やはり提督だ。

 各艦隊の旗艦から提出された書類に目を通している。

 

「吹雪か。明け方までご苦労」

「いえ! 提督こそ、私達が至らないばかりに。お待たせして申し訳ありません!」

「いや……。私など、ここでくつろいでいただけだよ」

 

 謙遜もここまで来ると厭味というものだ。

 今回の戦争で誰が一番の功労者かなど、誰の目から見ても明らかである。

 いや案外――提督は本当に『楽な仕事』と思っているのかもしれない。あれほどの事態を前にしてあの落ち着きよう、更には戦術を組み立てるまでの速度を見ると、まだまだ底があるように思える。

 

 一体この人はどこまで……?

 

 戦慄する吹雪をよそに、提督は報告書に目を戻した。

 提督が報告書の束を一枚めくるたびに、室内に緊張が走る。

 それも無理ならぬ話だろう。

 この大規模侵攻は、前例を見ないものだ。通例どおりであれば、深海棲艦を取り仕切る姫級を倒せばそれで終わりなのだが――今回もそうであるとは限らない。

 故にこの戦争の終わりは、目の前にいる提督にしか分からないのだ。

 全員が緊張する中、ついに提督が報告書を全て読み終えた。

 

「諸君、ご苦労。我々の勝利だ」

 

 正直に言えば、ホッとした。

 もう戦わなくていい、これ以上『墓地』に名前が増えることはない、母国が助かった。安堵が吹雪の体の中に満ちた。他の艦娘も、概ねそんな感じだ。そんな中で、提督はポツリと言った。

 

「ようやく平和になったか」

 

 自分の昇進や功績などまるで考えていない、素朴な言葉だった。

 ――吹雪は即座に自分を恥じた。

 戦いが終わったから、もう戦わなくていい。

 それは艦娘の――いや軍に所属する者の本懐ではない。

 市民の平和、それを第一に求めるべきなのだ。

 

 提督はこの功績を讃えられ、階級が上がり、名誉ある勲章を貰うだろう。しかし彼は、そんな事は少しも考えていない。

 平和。

 ただそれのみを求めている。

 なんて高潔な人物なのだろうか。

 正に軍人の鑑、と言える。

 吹雪はこんな人に会ったのは初めてだった。

 

 ――その時、執務室に置いてある電話が鳴った。

 大淀がそれを取り、同時に明石が逆探知を開始する。

 

「提督、大本営からです」

 

 大淀の言葉に、明石が同意する。

 

「受け取ろう」

 

 提督が電話を受け取った。

 そのタイミングで、大淀・明石・長門を除いた艦娘達が部屋を出て行く。大本営からの通達は機密情報。漏洩のリスクは少しでも減らしたほうがいい。吹雪達艦娘も知っておいたほうが良い事は、後で提督の口から伝えられるだろう。そのあたりの取捨選択は、あの人ならば間違うまい。

 

 

   ◇

 

 

 吹雪が廊下を歩いていると、向こうの方に杖をついた長門が見えた。

 改二の後遺症がまだ抜けきっていないのだろう。

 提督の前で無様な姿は見せられない――とさっきまでは気丈に振る舞っていたが、提督がこの鎮守府にいない今、その必要はない。

 ただ吹雪としては、確かにあの提督は厳しい所もあるが、それ以上に優しい人だと思っている。精一杯戦った結果の負傷ならば、むしろ気にかけてくれるのではないか、と。しかし長門にそれを言った所で、彼女はそれを突っぱねるだろう。

 だから吹雪は怪我の事には触れず、普通に話しかけた。

 

「長門さん」

「ん、吹雪か」

「お疲れ様です。『第一艦隊』旗艦として、大活躍されたそうですね。流石長門さんです!」

「私の力など、微々たるものだよ。それを今回痛感させられた」

 

 長門はチラリと自分の杖を見た。

 

「しかしそれを言うなら吹雪こそ、よくぞあの『第三艦隊』に奇襲をさせられたな。普通ならば、誰かが先走ったり、奇声を上げてしまいそうなものだが」

「あはは……もう慣れましたから」

 

 実際そうなりかけた所を、吹雪が殴って止めたのは秘密である。

 

「司令官はいつお帰りになるんですか?」

「分からん。なにせ内閣総理大臣・大本営元帥・天皇陛下――お三方からの表彰だからな。それに……」

「それに?」

「提督はもしかしたらもう、戻って来ないかもしれない」

「えっ」

「今回の件、大本営は重く見ているだろう。大打撃を受けた事も、提督の功績も。提督は特進し、大本営入りする可能性が高い」

「そんな……」

 

 驚愕しながらも、頭の冷静な部分が告げる。

 提督の才能は、一つの鎮守府のためだけに使うのは惜しい。もっと広い視野で指揮したほうが良いのではないか。そもそも今回の件にしても、提督が大本営で指揮を取っていれば、未然に防げていたのではないか。

 それに――提督にしても、幼い頃から大本営で教育を受けているはずだ。最近来たばかりの鎮守府よりも、大本営の方が居心地がいいに違いない。

 

「吹雪、私は怖いんだ……」

 

 長門が震えた声で言った。

 こんな長門を見るのは、初めての事だ。

 

「あの方がいなくなった。たったそれだけのことで、急にまたあの惨劇が起こるんじゃないかと、次に誰の名前が刻まれるのかと……不安で仕方がないんだ」

「長門さん……」

「もし、もし仮にだ。提督が着任するのがたった三日間遅かったとする。その時私達は生きていたか?」

「――半々、でしょうね。生き残りはいるでしょうが、多くが死んでいたと思います」

「私も同じ結論だ。半々、つまり私か吹雪、どちらかはここにいない事になる」

 

 長門は杖を持っていない方の手で、吹雪を抱きしめた。

 吹雪の背中に回された手が、そして大きな体が震えているのがわかる。

 何かを言わなくてはならない――でないと、長門は胸の中に異物を作ってしまう。異物――恐れや迷いが一度生まれてしまうと、それを消すのは難しい。そしてそれは、死を招く事になる。

 それが分かっていながら、吹雪は迷っていた。

 単純に。何を言っていいのか、分からないのだ。

 

「少し通して貰っていいかしら、急ぎの用事があるのだけれど」

 

 そんな時二人に声をかけたのは、加賀だった。

 

「あ、ああ。すまんな、今どく」

「ありがとうございます。そういえば……長門さん」

「なんだ?」

「先程赤城さんから聞いたのだけど、提督は今日中にお戻りになるそうよ」

 

 長門は驚いた。

 加賀の相方――赤城は提督の御付きとして、大本営へ共に向かった。そして加賀はあまり冗談を言う様な性格ではない。それを思えば、この言葉は真実だと言う事だろう。

 

「何故だ……」

「先程貴女が言った通り、提督には大本営勤務の話が出たそうよ。けれど「鎮守府には艦娘がいるから」と断ったと、そう赤城さんから聞いているわ」

 

 提督は分かっていたのだ。

 長門を始め、艦娘達の心理状態を。

 戦術面だけではない、心理学的な面でも提督は高い能力を保持している様だ。

 

「それでは私は失礼します」

「待て。さっき用事があると言ったな……今は全艦娘が休暇中のはずだが、何か厄介ごとが出来たのか? 力になれるなら、この長門になんでも言ってくれ」

「いえ。ただ、提督の武勇を歌に残そうと思っただけよ」

 

 加賀が作詞・作曲に優れているのは、この鎮守府にいる誰もが知っている。きっと良い歌が出来るだろう。

 

「それなら、武勇だけではなく、提督の優しさも詩に入れてもらえませんか?」

「何を言ってるの――」

 

 ――最初からそのつもりだわ。

 加賀はそう言い残し、自室へと戻っていった。

 

 

   ◇

 

 

 鎮守府の正門に、赤城を除いたすべての艦娘が集合していた。

 左右に分かれ、一つの道を作っている。

 普段騒いでいるお調子者も、この時だけは直立不動の姿勢を崩さない。

 彼女達は待っているのだ。

 この鎮守府の主人を……。

 

「総員、敬礼!」

 

 長門の合図に合わせ、全員が敬礼をする。

 一糸乱れぬ、とは正にこの事。

 揃い過ぎたために、一人分の音しか聞こえなかったほどだ。

 弛まぬ訓練と――深い忠義のなせる技だろう。

 

 艦娘達が作った道を進むのは、一人の男だ。

 純白の軍服に、三つの金で出来た勲章を掲げた一人の男。

 彼は後ろに控える赤城と共に、堂々とこの道を歩き出した。

 

 彼は道を進み終えた後、振り返って言った。

 

「今日は無礼講だ」

 

 艦娘達がワッと騒ぎ出す。

 ――その歓声は、戦争が終わり、日常が戻ってきた事を告げる鐘だった。



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救出作戦 ①

 インド南部――チェンナイ湾の付近に、不知火は一人取り残されていた。

 

 事の発端は約一週間前。

 不知火が所属する物資輸送部隊は、未曾有の深海棲艦大規模侵攻により、日本への帰投が困難となった。

 かといって貴重な兵器である艦娘が、おいそれと他の国に身をおくわけにはいかない。どの国も艦娘集めに必死になっているのだ。一度入国してしまえば、何かと理由をつけて返さないだろう。

 

 そこで旗艦である陽炎は一つの決断を下した。

 一時的にインドの港に潜伏し、本国からの連絡を待つ――つまり密入国である。

 チェンナイ湾はインドで二番目に大きい港であり、物流量は多いが、2005年の津波の影響もあってか、そこまで栄えていない場所である。高い操舵能力と、人に近い形をした艦娘ならば、容易に密入国出来るだろう。身を隠すのにもうってつけの場所だと言える。

 

 実際、潜入するところまでは上手くいった。

 だが、ここからだ。不知火達に予測不能な事態が起きたのは。

 何処から情報が漏れたのか――その日の夜、艦隊は襲撃を受けた。

 

 艦娘は強力な兵器である。

 その性能は人類史上、類を見ないと言えるだろう。

 だが――無敵、というわけではない。

 例えばの話、戦艦がアメリカ・マンハッタンに出現したとしよう。

 オマケにその戦艦は陸の上をまるで海の上にように動き、艦載機も飛ばせば砲撃もして来る。

 なるほど、強力な敵だ。

 間違いなくアメリカは甚大な損害を被る事だろう。

 しかし「絶対に倒せないか」と聞かれれば答えは「NO」だ。

 戦車やヘリ――果てはミサイルまで使えば、確実に倒す事が出来る。

 それをもっとスケールダウンしよう。

 アメリカはインドの片田舎、戦艦は駆逐艦へ。

 それが今の状況だ。

 

 不知火達は謎の武装集団に襲われた。

 彼らは艦娘の性質を熟知していた。

 艦娘は実際の船より小回りが利く分、催涙弾や閃光弾など、生物にしか使えない武器の影響を受けてしまう。

 彼らはそこをついてきた。

 また装備もただのそれではない。艦娘の装甲も貫通する徹甲弾に、強靭な内臓にもダメージを与える事が出来る毒ガス。

 反対にこちらは輸送作戦中――武装は最低限だ。

 

 ――最初の襲撃で二隻、艦隊は人数を減らした。

 

 そこから先は早かった。

 向こうは常に最高の武装。

 それに比べてこちらは補給の一つも満足に出来ない上に、消耗戦や対人戦、陸上戦に慣れていない。

 一人、また一人と……艦隊メンバーは数を減らしていった。

 とうとう残ったメンバーは、不知火とその姉であり旗艦でもある陽炎ただ二隻となってしまった。

 

 そこで陽炎はまた一つ、決断を下した。

 日本大使館へ行き、そこで保護してもらおう、というのだ。

 このままあの謎の武装集団に捕まるよりは、帰れる可能性が数パーセントはある方にかけたのである。

 

 ――その策は失敗に終わる事となる。

 

 気がつくべきだったのだ。

 いかに治安が悪い土地といえど、あれだけ銃撃戦を繰り返せば流石に軍が動く。

 それがないという事は、全ての根回しが終わっている、ということ……。

 日本大使館についた不知火達を待っていたのは、またあの謎の武装集団であった。

 

「不知火逃げて!」

 

 陽炎が不知火を掴み、遠くへ投げた。

 その瞬間、先ほどまで不知火が立っていた場所が銃弾の雨に晒される。当然、逃げ遅れた陽炎は……。

 

「――ッ!」

 

 その先を考える前に、不知火は走り出す。

 その先を考えてしまえば、心に余分な傷が出来る。そうなれば不知火は立ち止まり――戦えなくなってしまうだろう。

 だから不知火は走った。

 走って、走って、走って――走った。

 気がつけば追っ手はいなくなり、そして姉の声もまた聞こえなくなっていた。

 

「グッ、ウゥ――」

 

 それがつい一時間のこと。

 廃墟と化した民家に身を隠した不知火は、声を噛み殺して泣いていた。

 涙を流すなんて、水分の無駄。袖を噛みすぎたせいで、涎も消費してしまっている。頭ではそう思うのに、どうしても涙を止める事ができない。

 

 ――パリン。

 

 そんな時、窓ガラスが割れる音が聞こえて来た。

 次の瞬間、不知火の視界が白一色に染まる。

 

(閃光弾!)

 

 それに気づいた不知火は、即座に()()()()()()()()()

 そして空洞になった目に高速修理材をかける。目は一瞬にして生え変わり、視界がクリアになった。

 これが不知火がここ一週間で身につけた、自分流の閃光弾対策だ。貴重な高速修理材を使ってしまうが、死ぬよりはマシだ。

 

「いたぞ!」

 

 突入して来た男の内一人が、不知火と遭遇した。

 男は自分の居場所を大声で知らせた後、銃を不知火に向けた。

 ほとんど条件反射で、不知火もまた単装砲を構える。

 お互いの武器が火を吹き――男が死んだ。

 不知火の単装砲は男の脇腹を大きくえぐり、対して、男の銃は不知火の髪留めをこの世から消しただけだった。男の体は大きく、反対に不知火は小さい。その差が明暗を分けたのだろう。

 不味い、逃げなくては……不知火がそう考えた瞬間、目の前にまた別の敵が飛び込んで来た。

 

 閃光弾の強い光に戸惑う脳、目をえぐった痛み。

 僅かな隙はどうしても出来てしまう。

 敵はその隙を見逃さない。

 新たに部屋に入って来た男が、特殊なメリケンサックがついた拳で不知火の腹部を強打した。

 

「かっ、は――!」

 

 一メートル弱吹き飛んだ不知火に、男が馬乗りになる。

 そしてコメカミに銃身を向け――

 

「あ……ぅ、あああァァ!!」

 

 渾身の力で地面を叩く。

 老化した床は崩れ去り、不知火と男は床下へと落ちていく。

 単純な力比べなら、不知火の方が圧倒的に上だ。不知火は素早く敵を拘束すると、迷いなく首をへし折った。

 

 上に出て走って逃げるか、あるいはこのまま床下を這って逃げるか。

 迷った不知火は這って逃げることに決めた。

 決めるが早いが、不知火は即座に動き出す。

 

「――ッ!」

 

 バン!

 とドアを開く音が上でした。大勢の人数の足音も。

 

(はやく逃げ――)

 

 直後、床の上から無数の銃弾が降ってくる。

 不知火は弾丸の雨の中、必死で体を動かし、地面を這う。

 途中。銃弾が三発かすり、その上二発がそれぞれ腕と胸を射抜いた。体に激痛が走る。胸を射抜いた弾丸は体の中で止まっているらしい、早く抜かないと不味いことになる。

 ――それでも、不知火は動きを止めない。

 高速修理材をかける僅かな間が、生死を分ける。その事をここ一週間で嫌という程分からされたからだ。

 

「くっ」

 

 何とか包囲網を抜け出す。

 流石に市街ということもあったか、建物を完全に包囲するほどの大部隊は動かさないようだ。

 しかし、奴等はどこまでも追ってくる。

 その上一度に大部隊を動かさないだけで、背後にはかなりの人員がいるようだ。事実、これまでに少なくない数を殺しているにもかかわらず、人が減っている様子はない。

 

 不知火は気がつけば、港に来ていた。

 燃料はない為進む事は出来ないが、海の上に立つ事なら出来る。

 夜の暗い海は、格好の隠れ蓑になる。不知火は海の上で匍匐に近い体勢をとった。

 

 あたりを見渡し、人影がない事を確認してから、高速修理材を体にかける。

 次に行うのは、装備の確認だ。

 

「残る弾丸は二つ、ですか」

 

 最善はなにか。

 不知火は考える。

 奴等に勝つ、というのは現実的ではない。まだ敵戦力の底すら見えてないのだから。

 次に考えられるのは、燃料を何処からか調達し、海を渡って日本へ帰る方法だ。

 不可能ではないが、難しいだろう。

 不知火には土地勘がない。その状況で奴等の介入がある前に何処からか燃料を調達するのは、中々難しい。それに向こうが不知火の考えを推理し、網を張っている可能性もある。あの大使館の一件のように……。

 となれば最善は――自殺をした後、海に死体を破棄する事だろう。

 生きている艦娘はもちろん、その死体にも大きな利用価値がある。国の為を思えば、不知火がここで死ぬ事こそが最も有益だ。

 常に最高の効率で、最善を。

 不知火はこれまで、そうして生きて来た。それは死ぬときも変わらず――不知火は単装砲をコメカミにあてた。

 

 ――その時。水平線の彼方から、日が昇った。

 

 チェンナイ湾に光が降り注ぐ。

 暗かった海が照らされ、色とりどりの魚達が姿をあらわす。

 美しい。

 途方もなく美しい光景だった。

 

(最後にこんな景色を見れただけ、不知火は幸運ですね)

 

 不知火は自嘲気味に笑い、引き金を握る手に力を込めた。

 

(……?)

 

 力を込めた、が。動かない。そこから先、引き金を絞れない。

 ――生きたい。

 自分の中に生への執着が生まれていることに、不知火は気がついた。

 幸運なんてとんでもない。あの光景は不幸にも、不知火に『生きる事の喜び』を思い出させてしまっていたのだ。

 『死の恐れが』戦場で足を引っ張るように、それは自殺する上で切り離さなくてはならないものだ。

 ――生きたい。

 だが、それはそう簡単に切り離せるものではない。

 何故ならそれは、生物なら全員が持つ根源的な感情だから。

 小さな種火は、あっという間に業火へと変わる。

 

 気がつけば単装砲を持つ手は力が抜け、自分の歯はガチガチと震えていた。

 頭の中に浮かぶのは任務の事ではなく、姉妹達の笑顔に変わっている。

 

「生きたい――誰か、助けてください」

 

 それは――弱みを見せない不知火が、ここへ来て初めて吐いた弱音だった。

 単装砲を手放し、自分の体を抱き締める。

 不知火は並の人間より遥かに強いが――体つきは少女のそれだ。自分の腕から伝わってくる感覚のなんとか弱い事か。

 

 本来誰にも届かないはずの少女の声。

 それが届くのは――もう少し後の話。

 今はただ、次の日を迎えた事を喜ぼう。

 

 一人きりの不知火を、眩しい太陽の光が照らす。

 いつしか太陽は完全に上がりきり――夜が明けていた。











鎮守府を飛び出すという、艦これssではあんまりない展開なので、受け入れてもらえるか不安です。
そして次回は久しぶりに提督視点です。誰も楽しみにしてませんね、分かります。


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救出作戦 ②

 失ってから初めて気付くモノがある。

 例えば昔――俺が住んでいたアパートにはインターホンがなく、代わりにベルがぶら下げられていた。

 家を出るたびにカランカラン鳴るし……それに他の住人にまで俺が帰って来た事や外出した事がバレるのは、何となく気持ちが悪い。そんな理由で俺は、あのベルが嫌いだった。

 

 あれは嵐の日だった。

 強風に煽られ、家のベルがバカみたいに鳴り響いていた。

 鬱陶しい……。

 そう思っていると、ふと音が消えた。

 次の日見てみると、ベルを結んでいた紐が切れていた。そのままベルは風に乗り、二度と帰らない旅に出たのだろう。

 

 最初は清々した、と思っていた。

 実際その後二週間くらいは、実に清々しい気分でドアを開けたもんだ。

 しかし一月が経ち――工事も終わってインターホンが取り付けられた頃。俺は奴が恋しくなっていた。

 インターホンの出す音は、常に一律の機械音だ。

 それに比べて、ベルはどうだ。

 俺が不機嫌にドアを強く開ければ、奴もデカイ音を出す。俺が落ち込みながらドアをゆっくり開ければ、奴も情けない音を出す。

 俺は奴のそんな所が堪らなく嫌いで、同時に愛していたのだ。

 だが、後悔先に立たず。

 奴の大切さに気がついた時には、奴は俺の手元からなくなっていた。

 それ以来俺は、出来るだけ後悔しないように生きて来た。

 しかし、人はそう簡単に変われるものではない。俺は再び、同じ過ちを繰り返した。

 俺がその愛おしさに気がついたのは、またしても無くした後だった。

 そう、俺は――

 

 ――俺はとてつもなくオ◯ニーがしたくなっていた。

 

 提督になる話を受けた時、俺は艦娘をぶち犯すと意気込んでいた。その時、愚かな俺は『女所帯に入る』というメリットばかり見ていて、デメリットの方にまるで目を向けていなかったのだ。

 その上、俺が大淀をぶち犯そうとして以来、艦娘達の監視の目が厳しくなった。複数の艦娘が常に俺の周りを取り巻き、一挙手一投足に目を光らせている。

 この前の夜など、下着の一つでも盗もうかと部屋を出ると、部屋の前に川内型三隻が待機してやがった。

 

『何か御用でしょうか?』

 

 白々しい。

 俺の行動を読んだ上での張り込みのくせに。

 毎夜待機などしてるわけがない、きっとあの夜俺の様子のおかしさに気がついて張り込みしていたのだろう。

 俺はとっさに「今から訓練をしようと思ってな」と言ったら、何と「ご一緒します」とか言ってついて来やがった。そのせいで夜通し訓練する羽目になった。深夜二時から明け方六時までだぞ? アホか。

 そしてその後も、俺には常に監視の目が向けられるようになった。いや、益々厳しくなったと言っていい。

 そのせいで俺は艦娘をぶち犯すどころか、オ◯ニーの一つも出来なくなってしまったのだ。

 

 考えてみても欲しい。

 女所帯に男一人。しかも全員美少女と美女と来ている。

 当然、性欲が溜まる速度は並のそれではない。

 

 今日(こんにち)叫ばれている男女平等だが、実際はそう上手くいっていない。

 当たり前だ。

 男と女、体つきも能力も思考も全く違うのだから。

 人種の差別も、経済格差もそうだ。問題提起はされても、解決には至らない。

 そこへ来て――オナ◯ーには真の平等がある。

 手頃な場所と、一人の時間。

 それさえあれば、例え孤独であっても成すことが出来るのだ。

 だが今の俺には、手頃な場所も一人の時間もない。

 さっき俺はベルの事を話したが、◯ナニーにも似た箇所があるといえるだろう。

 自分の好み……趣味嗜好によって、人それぞれのオナ◯ーがある。そこには人種も、性別の壁もない。ただ『己』があるだけなのだ。

 それを――全人類に平等に与えられた権利を――俺はこの地球上でただ一人『禁止』されているのである。

 

 ――そこで俺は休暇を取る事にした。

 

 二日前、俺は鎮守府付近の海域を解放した。

 と言っても狭い範囲で、それ程の功績ではないと思っていたのだが、なんか表彰された。

 その際――俺は有給をもらえた。厳密に言うと有給ではないらしいのだが、そのあたりの難しいことはよく分からない。

 

 プライベートで休暇を取るから、お前らはついてくるな。

 ざっくり説明するとそんな感じのことを艦娘に言い、俺は休暇を取った。

 するとあいつら気の利いた事に、宿と便を取ってくれると言うのだ。俺としてはちょっとした東京観光でも、と思っていたのだが……。

 箱根あたりの宿を予約してくれたのだろうか?

 ていのいい厄介払いだとは思うが、有り難く受け取っておく事にする。

 

 

 ――次の日。

 死ね。

 ホント死ね。

 あいつら俺のこと嫌いすぎない?

 なんかインドに飛ばされたんだけど……。

 アメリカやヨーロッパならともかく、インドって。

 何すればええねん。

 人生観でも変えればいいの?

 あの大学生とかがよく言う「インド行ったら人生観変わるよ?」的なやつをやって来いと、そう言いたいのか?

 いや、なるほど。

 確かに俺みたいに艦娘を性的な目で見る奴はこうなって仕方がないのかもしれないな。

 だが、そう素直にインドを楽しむ俺じゃない。

 ナンパだ――そう、ナンパしてやる!

 外人ってその辺おおらかだって言うし、そうしよう!

 よっしゃ、テンション上がって来た!

 

 

 ――次の日。

 死にたい。

 美人のお姉さんに話しかけたらマッハで断られた。

 俺は帰ってベッドに突っ伏した。体にまったく力が入らないのに、何故かチ◯コだけが勃っている。

 死にたい。

 

 

 ――次の日。

 俺の寿命三年やるから、リア充全員死なないかな。

 

 

 ――次の日。

 とんでもないことが起きた。

 果たして俺は日本に帰れるのだろうか。

 とりあえず、今回の休暇で学んだこと。

 俺は二度とナンパをしない方がいい。












【オマケ・神通の“真実”】
・神通は1日に36時間の鍛錬を積む。それも2回。
・深海棲艦が海にしかいないのは、神通が陸にいたから。
・神通の水上移動方法は三つ。歩く、走る、殺す。
・神通は弾を使わず、空砲でヲ級を殺した事がある。
・深海棲艦の死因は四つ。空爆・砲撃・雷撃・神通である。
・実は神通は2年前に轟沈しているのだが、運営側にそれを伝える勇気がない。
・海が何故しょっぱいのか。それは神通の存在を知った深海棲艦の涙で出来ているからである。
・ガダルカナル島の戦いの時、ガダルカナル島は神通と一緒に写真を撮ってもらった。
・世界に光があるのは神が「光あれ」と言ったからではない。神通の探照灯が実装されたからだ。
・駆逐艦は浜辺に落書きするが、神通は海に落書きをする。
・神通は海の上を歩いているのではない。海が彼女の下にあるのだ。



       ――引用・チャック・ノリスの“真実”


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救出作戦 ③

 吹雪は憂鬱だった。

 せっかく大戦が終わり『第三艦隊』の連中から離れられたのに――また連中を指揮することになってしまったのだ。

 吹雪にとって『第三艦隊』の指揮をとることほどストレスの溜まることはない。しかも今回は隠密行動厳守であり――戦場は海外と来ている。憂鬱にもなるというものだ。

 

 事の発端は今から僅か三時間前。

 夕張が所属不明の艦娘からの無線をキャッチした。

 内容はこうだ。

 

 生きたい――誰か、助けて下さい。

 

 恐らく、先の大規模侵攻によって何処かの国か海域に取り残された艦娘だろう。

 何があったのか、詳しいことは分からない。だが確実に言えることは、その艦娘は助けを求めているということ。

 もちろん罠の可能性もあるが――それはその『声』を聞いた艦娘全員が否定した。

 

 明石と夕張は即座に無線の出所を調べ始めた。

 そしておおよその位置を特定。

 そこからネット掲示板やSNSを解析し――『艦娘に関する情報が規制されている地域』をサーチした。日本の艦娘が海外にいれば、大きな騒ぎになる。なのにその騒ぎが起きていない。それはつまり、情報を規制しているということ。そこをついたのだ。

 詳しい位置の特定に成功したのが、つい二時間前のこと。

 

 艦娘達は直ぐに救出作戦を実行しようとしたが、事はそう単純ではない。

 まず艦娘が海外に行くには様々な許可が必要であり、その許可を出すのは大本営。艦娘が日本を出る事は、事実上不可能に近い。

 次に敵は、艦娘を追い込むほどの戦力を持ち合わせている。敵の詳しい総戦力が分からない以上、助けに行ったこちらが負ける可能性がある。

 同胞を助けたい。

 場所は分かってる。

 助けられるだけの力もある。

 ただ――方法だけがない。

 

「提督に指示を仰ぐか?」

 

 行き詰まる会議の中、長門がポツリと言った。

 あの方ならなんとかしてくれるかもしれない。

 それは誰もが頭の片隅で意識しながらも、決して口に出さなかった言葉だ。

 何故なら……。

 

「それは甘えです、長門さん」

 

 神通の言う通りだ。

 艦娘を助けたい、というのは任務でも義務でもない。

 ただ自分達のワガママだ。私用の為に上司の知恵を借りる兵器が何処にいるというのか。

 更に言えば――この程度の事も自分達で出来ないのか、と提督に呆れられるのが怖い。彼は圧倒的な才能を持つ指揮官だ。だがその手足が弱く不器用ではなんの意味もない。

 

 ――私達を無能だと思ったら、提督は別の鎮守府に行ってしまわれるかもしれない。

 

 艦娘達は恐怖を抱いていた。

 もちろん提督はお優しい方で、見捨てるような真似はしないと分かっている。それでも、少しでもその可能性があると思うだけで、どうしようもなく怖くなってしまう。

 

 やはり最善は、自分達が持つ情報を大本営に渡す事だろうか。

 その場合『保護』や『救出』よりも『処理』になってしまう可能性が高いが……そうする他ないのも事実である。

 会議がその結論に決まろうとしていたその時、会議室のドアが開いた。

 入ってきたのは、提督だ。

 艦娘達は即座に敬礼する。相変わらず、少しの乱れもない見事な敬礼だ。

 

「私は少し休暇を取る」

 

 確かに、提督には休む権利が与えられていた。

 だがまさか――このタイミングで使うとは。

 夜襲や提督の緊急の用に対応出来るよう、提督の部屋の前には24時間艦娘が、最低三隻はついている。

 昨日その任についていた神通曰く、提督は夜遅くから明け方まで訓練を積む、まさに武人だそうだ。

 更に。

 この間の大戦後の発言から分かる通り、提督は身を粉にして市民の為に働く、高潔な人間である。平和になったからと言って、安易に休暇を取るとは思えない。

 つまり――これはただの休暇ではない。では何故休暇を取る、などと言ったのか?

 その理由に、全員が一瞬にして思い当たった。

 

「これから私は、プライベートで出かける。プライベートで、だ。お前達の供はいらない。いいな?」

 

 ここまで強調する、という事は最早間違いないだろう。

 つまり、提督はこう言いたいのだ。

 

 まず、提督が単身インドへと飛ぶ。あくまで『プライベート』という名目で。

 提督とほぼ同タイミングで艦娘が秘密裏に入国。

 提督の指示の元、孤立している艦娘を保護する。

 そして『プライベート』で来た提督が『偶然』に艦娘を発見、保護。艦娘に関しておおよそ全ての権限を持っている提督なら、強引に艦娘を連れて強引に帰国することが出来るだろう。

 

 もちろん、デメリットがないわけではない。

 常に裏から艦娘が目を光らせているとは言え――提督にまったく危険が及ばないわけではない。

 それにこの鎮守府の艦娘が密入国してる事が発覚すれば、責任を取るのは提督だ。

 加えて、提督と艦娘は直接的に会話することが出来ない。それはつまり――提督の僅かな仕草から、あの神懸かり的指示を読み取らなければならないということだ。

 

 デメリットがないわけではない、どころではない。

 デメリットだらけだ。

 反面、メリットは少ない。

 この作戦を無事遂行したところで――何の名誉も得られなければ、昇進することも出来はしない。

 だが、反対する者はいなかった。

 

(またあの『目』か……)

 

 提督の『目』はいっそう鋭さを増し、その顔は何かに対する覚悟と決意に満ち溢れていた。

 その何かとは――考えるまでもない、同胞を助けたいという想いに決まっている。

 そういうお方なのだ、提督は。

 

(しかし、流石は提督だ。何処かから艦娘が孤立している情報を入手し、一瞬で彼女達を救う手立てを考えるとは)

 

 ここ一週間で、提督と最も長く一緒にいたのは間違いなく長門だ。

 信頼関係も、短い間ではあったが、かなり深まったように思える。

 だが、提督の考え――いや、思考能力の限界が見えて来ない。

 

「提督、発言してもよろしいでしょうか?」

「構わん」

「僭越ながら、私共の方で便と宿の手配をさせていただきたく思います」

「……ああ、任せた」

 

 任せた。

 その言葉の何と重いことか。

 この『任せた』は額面通り、宿と便の事だけではない。向こうに着いてからのその他諸々を含めて『任せた』と言ったのだろう。

 

 それを受けて艦娘達は――狂喜した。

 

 先程も言った通り、この作戦の最中提督とコミュニケーションを取ることは出来ない。その中で艦娘は指示を読み取り、更には提督の命を守らなければならないのだ。

 

 ――任せた。

 

 その言葉は、信頼の証だった。

 常日頃から『提督のお役に立ちたい』と願っていた彼女達にとって、これ以上に嬉しい言葉はない。

 これに報いずして、何が忠義か。

 艦娘達は忠義を捧げられる喜びに震えながら、任務への決意を固めた。

 

 

 さて。

 話を冒頭に戻すとしよう。

 この名誉高い任務を任されたのは『第一艦隊』や『第二艦隊』、『第四艦隊』ではなく――『第三艦隊』である。

 というのも、『第一艦隊』はその戦闘力においては比類ないが、何かと派手な彼女達は今回の様な任務には向いていない。次にお鉢が回ってくるのが『第二艦隊』だが、『第二艦隊』旗艦・神通は世界的にもよく知られている艦娘だ。その知名度が足を引っ張りかねない。

 そういうわけで『第三艦隊』がこの任務を任されたのである。

 それにこう言っては何だが、『第三艦隊』の面々は今回の任務の様な『非合法な行い』に精通している。そう言った意味では、これ以上ない程の適任だろう。

 

「はあ……」

 

 それでも、吹雪はため息が抑えられない。

 提督からの信頼。

 『第三艦隊』の必要性。

 色々と応えたいし、分かってもいるのだが――それでも嫌なものは嫌なのだ。

 

 『第三艦隊』のメンバーは基本、鎮守府にいない。

 普通は鎮守府で鍛錬を積むか、あるいは任務に就いているのだが、彼女達は両方行っていないからだ。

 任務の際、思い思いの場にいる彼女達を迎えに行くのも吹雪の役目である。

 

 先ずは一人目。

 他のメンバーと違い、“彼女”の居場所はハッキリしている。尤も連れ出すまでのが大変なのだが……しかし見つけるのも連れ出すのも大変な他の者に比べれば大分マシだ。

 『ミス・バージン』――という店が“彼女”の溜まり場である。

 ピンクのネオンに彩られたその店は、中学生相当の見た目を持つ吹雪には中々入り辛い。だが泣き言ばかりも言ってはいられない。吹雪は店に入り――“彼女”がいるであろう店の一番奥まで、一直線に歩いた。

 

 いた。

 “彼女”は店の奥にある大きなソファーに堂々と陣取り、両脇にたくさんの女の子をはべらせていた。最早見慣れた――見慣れてしまった――光景だ。

 彼女は吹雪に気がつくと、こっちに来いと手招きした。

 両脇にいる女の子がみな吹雪を睨みつける。何でこんな思いをしなくてはならないのか。

 

「よう、吹雪。奇遇だな、こんな場所でさ」

「奇遇じゃありません。貴女を呼びに来たんです――天龍さん」

 

 『第三艦隊』所属・天龍型一番艦『天龍』はニヤリと笑った。












天龍をクッソカッコよく書きたい。


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救出作戦 ④

時間がちょっと飛んでます。
提督がインド入り後の話です。


 インドの一角。

 とあるオープンカフェに彼女――戦艦棲姫はいた。

 

 深海棲艦『戦艦棲姫』は特別な船である。

 彼女の特徴は何と言っても、艤装と本体が離別している点だろう。

 彼女はその特性を利用し、人間社会に溶け込んでいた。早い話がスパイである。

 

 1週間前。

 戦艦棲姫はとある情報をキャッチした。

 大戦の煽りを受けた不知火達が孤立した、という情報である。

 彼女は考えた。

 自分で殺すのは簡単だ。いくらあの部隊が訓練された精鋭だとしても、自分は艦娘など及びもつかない絶対的な力を持つ船。簡単にひねり潰せる。

 しかし、それでは面白くない。

 最も面白い殺し方は何か?

 またも彼女は考える。

 そして思いついた。

 同士討ちさせるのはどうだろうか、と。

 

 ちょうど今、彼女が潜入している海軍の一つに『対艦娘用部隊』を作っているところがある。深海棲艦を打倒した後の、世界の覇権争いに用いる為だろう。その存在を聞いたときは「深海棲艦に勝つ気でいるなど、人間とはなんと馬鹿なのだろう」と思ったものだが、道化としては悪くない。

 彼女は海軍に働きかけ、その部隊を動かした。

 戦地であるインドには「軍に背き深海棲艦側についた艦娘の処理のため」と言ってある。流石に向こうも疑ってきたが、深海棲艦側である戦艦棲姫は、簡単に証拠をでっち上げる事が出来た。

 

 尤も、特殊な訓練を受けたと言っても、所詮は人間。

 艦娘を殺せるレベルまでは到底達していなかったが――戦艦棲姫が渡した深海棲艦側の武器と、彼女自身の指揮で武力を底上げしたお陰で、一定の水準には達した。

 結果は見ての通りだ。

 

「フフフ……」

 

 深海棲艦である自分が人間を指揮し、人間の味方である艦娘を殺す。

 なんと楽しい遊びだろうか。

 特にこの――護っている人間に撃たれ絶望に染まる艦娘と、自分達から攻撃したにも関わらず、仲間を殺された憎しみに燃える人間達の顔といったらない。

 思わず笑みも溢れてしまうというものだ。

 ああ、しかし、悲しいことにそれももう終わりが近い。

 彼女の優秀過ぎる脳は、考えたくなくとも不知火の位置を僅かな情報から割り出してしまう。後はそこに部隊を派遣して終わりだ。

 

 彼女はパソコンで地図を見ながら、無線で指示を送ろうとした。

 その時――

 

「相席してもいいかな?」

「!?!!!?!??!?」

 

 戦艦棲姫はうっかり艤装を展開する所だった。

 それもそのはず。

 1週間前。突如現れた提督にして、深海棲艦の快進撃を少しの戦力・期間で止めた男。今深海棲艦の間で最も警戒されている横須賀鎮守府提督その人が、いきなり目の前に現れたのだから。

 

 戦艦棲姫は人の脳を遥かに超えた性能を持つ、灰色の頭脳をフル回転させた。

 先ず、この提督はこちらの正体を看破していると見てほぼ間違いない。でなければ、こんな場所このタイミングで話しかけて来るわけがない。一体どうやって戦艦棲姫のスパイ活動を見破ったのか、どうやってこの場所を特定したのかは不明だが――とにかく正体が見破られている事と見ていいだろう。

 

 次に、何故目の前に姿を現したのか?

 如何に天才的な指揮能力を持っていようと、身体能力は人間のそれ。戦艦棲姫がほんの少し力を込めれば、ブルーベリーを潰すような手軽さで殺す事ができる。

 

 しかし――戦艦棲姫はそれをしない。出来ない。

 

 何故なら、それが相手の狙いなのだから。

 戦艦棲姫はそう提督の狙いを看破する。

 今の戦艦棲姫は人間の姿をしており――加えて立場ある人間だ。艦娘が発砲した事が知られれば、真相はさておき、反艦娘派に隙を与える事になる。

 故に提督は、自ら戦艦棲姫の前に姿を現したのだ。

 自分を餌とし、戦艦棲姫に尻尾を出させる為に。

 まず間違いなく、何処かから空母や軽空母がこっちを狙っているだろう。戦艦棲姫が手を出した瞬間、四方八方から狙撃される事は想像に難くない。

 

(落ち着け……落ち着け私。相手が危険を冒して姿を現したと言う事は、私が深海棲艦である証拠はまだ掴めていないということ。冷静にこの場をしのぎきれば――)

「いやあ、素敵なメガネですね」

「くぁwせdrftgyふじこlp」

 

 ば、バレている!?

 このメガネが深海棲艦の特徴的な目をごまかす特殊な装備である事がバレている!?

 

 戦艦棲姫は取り乱した。

 それを嘲笑う様に、目の前の男はニコニコと笑っている。

 ――いや、顔は確かにニコニコとしているが、歴戦の船である戦艦棲姫には分かった。

 この男、胸の内に何かドス黒い物がある。それも今まで見た事がないほど、黒く悍ましい物。

 一体それは何か……?

 深海棲艦に向ける黒い感情といえば、戦艦棲姫の知る限り一つだ。

 それは『憎しみ』。

 深海棲艦に住む場所を奪われた。あるいは家族や友人、恋人を殺された。そういった理由で深海棲艦を恨む者は人間・艦娘問わず少なくない。何度も海に出ている戦艦棲姫はそれこそ飽きるほどこの手の輩は見てきたし、沈めてきた。

 だが――この男は今まで沈めてきた者とは違う。

 戦艦棲姫の勘が、かつてないほどの危機を告げていた。何故か体は震え、両手で肩を抱いてしまう。

 

「ッ!」

 

 悪寒が一層強くなる。

 恐る恐る提督を見ると、彼は先ほどの笑顔とは打って変わって、恐ろしいほどの真顔で戦艦棲姫の胸部装甲のあたりを見ていた。

 悪寒が一層強くなる。

 何故だ。何故胸部装甲のあたりを? まさか――ペンダント型の無線に気がついているのか?

 悪寒が一層強くなる。

 いや、今更そんな事がバレていても何ら不思議ではない。むしろ十中八九、この男は見破ってくるだろう。にも関わらず、何故か胸部装甲及びその付近のネックレスを見られると震えが止まらない。

 ……はたと、戦艦棲姫は理由にたどり着く。

 

(まさか……この私が命の危機を感じている?)

 

 それは根源的な恐怖。

 部下はともかく、本人には何の力もないこの男を前にして、自分は命の危機を感じているのだと、戦艦棲姫は結論付ける。

 胸部装甲の先には、心臓がある。

 先程の震えはその為だろう。それ以外考えつかない。

 

(こ、殺すか! 今ここで!)

 

 ここで提督を殺せる可能性は低い。

 その上失敗しようが成功しようが、戦艦棲姫は命を落とすだろう。

 だが、それでも!

 この男だけはここで殺しておかなければならないと!

 この男を他の深海棲艦に会わせてはならないと!

 戦艦棲姫の勘が告げていた!

 

「艤装てんか――」

 

 決めるが早いが、戦艦棲姫は艤装を展開し始める。

 しかし、先手を取ったのは戦艦棲姫ではなく――提督であった。

 

「日本語、お上手なんですね」

 

 戦艦棲姫は戦慄した。

 日本語――そうだ。

 あれほど証拠を残さない様にしていたのに、うっかりと日本語を話してしまった。

 いや、そうではない。

 話させられたのだ。

 目の前の男に。

 いきなり出てきた事で平常心を乱された。

 その上あまりに自然に日本語で語りかけてくるから、思わず受け答えしてしまった。

 普通異国の地に来て、母国語を話す奴はいない。それをするのはよっぽどの馬鹿か、あるいは策士だけだ。

 そして目の前の男が考えなしの馬鹿ということだけは絶対にあり得ない。

 つまり――

 

「ぁ、ぁぁあああーーー!」

 

 戦艦棲姫は逃げ出した。

 背中からでもヒシヒシと感じるあの男の視線。それが完全に無くなるまで、戦艦棲姫は恥も外聞も無く、必死に走って逃げた。

 

「はあ、はあ、はあ……ここまでくれば、はあ、流石にあの男も――!?」

 

 そして気付く。

 周りにまったく人間がいない事に。

 インドは人口の多い国だ。自然に人がまったくいなくなると言う事はない。つまり、人払いが済んでいるということ。

 

 罠に嵌められた……!

 戦艦棲姫は頭を働かせる。

 あの男の『アレ』はハッタリだったのだ。

 全ては戦艦棲姫をこの場所に誘導するための!

 

「ようお嬢さん。お散歩か?」

「!」

 

 突如、背後から声をかけられる。

 戦艦棲姫は急いで距離を取ってから振り向き――笑った。

 無理もない。

 どんな追っ手が来るのかと思えば、いたのはたった一隻の軽巡洋艦だったのだから。

 だが、戦艦棲姫の余裕は、次の瞬間剥がれ落ちる事になる。

 

「艤装展開」

 

 戦艦棲姫の言葉に呼応して、背後に巨大なモンスターにも見える艤装が現れる。

 さっきまで着ていたスーツもドレス型の装甲となり、メガネも電探へと変わった。

 そして、気付く。

 目の前に立つ軽巡洋艦――天龍の極限にまで練り上げられた闘気に。

 

「キサマ、ホントウニテンリュウカ?」

 

 天龍型一番艦『天龍』。

 戦艦棲姫の知るそれは、多少燃費がいいことを除けば並以下の船だ。

 当然、戦艦をも上回る力を持つ戦艦棲姫が遅れを取る相手ではないし、事実何度も沈めた事がある。

 だが……いや戦った事があるからこそ、より鮮明に分かる。

 目の前に立つ天龍は、これまで見てきたどの天龍とも違う。

 今まで出会ってきた天龍の中で、まず間違いなく一番強い。

 体感ではあるが――その力は長門型にすら差し迫るほどだ。

 

「オレが誰かだと? 決まってる」

 

  ――刀を抜きながら、奴は答えた。

 

「オレの名は天龍。フフ……怖いか?」

 

 最初に聞いたときはふざけた口上だと思ったものだが、この天龍を目の前にすれば。なるほど、満更ハッタリとも言えない。

 

 ――これが、あの男の艦娘。

 戦艦棲姫は先程の悪寒を思い出していた。

 ただの軽巡洋艦が長門型と差し迫せまるまでに高められた練度。一体どれほどの修練を積んできたのか。

 やはりあの時殺しておけば良かった。

 戦艦棲姫がそう考えた瞬間――天龍がブレた。

 

 戦艦棲姫は即座に体を捻る。

 次の瞬間、先程まで体があった場所を剣が通過した。

 

 第一刀を避けたからといって、油断していい相手ではない。戦艦棲姫はすぐ様クロスガードで顔を防御する。

 ズガン! とガードの上から天龍の拳が突き刺さった。

 おおよそ拳から出る音ではない。まるでコンクリートとコンクリートをぶつけた様な音だ。

 戦艦棲姫は拳を受けた勢いそのまま後ろに飛び、着地と同時に主砲を天龍に向ける。

 

 ――轟音。

 

 戦艦棲姫の主砲が火を吹き、天龍がいた場所を火の海へと変える。

 普通の軽巡洋艦なら、これで四・五隻沈められるほどの火力だ。

 だが、あの天龍がこれで沈むとはとうてい思えない。

 その証拠に、戦艦棲姫はヒリヒリとした殺気を感じていた。

 

「ソコカ!」

 

 砂煙から、一つの影が飛び出る。

 主砲よりも狙いの着けやすい副砲を構え、戦艦棲姫は再び砲撃。

 中〜長距離は戦艦棲姫の間合いだ。

 このまま距離を取って戦えば――

 

「うらぁ!」

「ッ!?」

 

 いつの間にか背後に回っていた天龍に、背中を切りつけられる。

 何故だ?

 さっき見た影は?

 

 戦艦棲姫の疑問は直ぐに解けた。

 式紙だ。

 軽空母が飛ばす式紙が、いつの間にか空を埋め尽くしていた。

 

「ウチオトシテヤル!」

 

 主砲を構え直すが――打つ前に、主砲を逆に狙撃される。

 発射直前の熱された主砲が暴発し、使えなくなってしまう。

 ダメージ自体はほとんどないが……戦艦棲姫は驚愕した。

 撃たれた感触でわかる。

 今の攻撃は正規空母による弓での狙撃ではない。

 これは単装砲による狙撃(・・・・・・・・)

 つまりこの何者かは、戦艦棲姫の電探に映らない超遠距離から、普通の単装砲を当てる技能の持ち主だということ。

 そんな技見た事も聞いた事もない。

 あの男は一体どれほど艦娘を鍛えて――!

 

 戦艦棲姫が驚愕している間の、一瞬の隙。

 それを見逃す天龍ではない。

 彼女は即座に肉薄し――刀を振り下ろした。












タイトルが云々という感想が寄せられていたので非公開にしていたのですが、もう気にしない事にしました。
冷静に考えたら、このくらいの表現ニュースとかであるし。少女暴行事件とか報道する度にクレーム入れてるのかっていう。

次回は裏で動いていた『第三艦隊』の面々をメインに書く予定です。
ちなみに天龍=2/3神通くらいの力関係です。


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救出作戦 ⑤

提督に「童帝」とかいうあだ名がついてて草


 提督が出国する少し前。

 『第三艦隊』のメンバーは第三作戦会議室に集まっていた。

 ホワイトボードの前に立つのは旗艦である吹雪。

 目の下にはクッキリとクマが出来ている。

 それもそのはずだ。

 『第三艦隊』のメンバーをたった一隻で全員捕まえて来たのだから。

 

 

 ――ここで少し、横須賀鎮守府の『艦隊』について説明しておこう。

 横須賀鎮守府には数多くの艦娘がいる。

 しかし『艦隊』となると、第一から第四までの四つ――計二十四隻の艦娘分しかない。

 他の艦娘達は決まった『艦隊』がなく、その場その場で臨機応変に『艦隊』を組んで出撃しているのが現状だ。

 これでは非効率的に思えるが――当然そこには訳がある。

 

 元々はもっと多くの『艦隊』があったのだ。

 それこそ合計二十艦隊――百二十隻にも及ぶ艦隊が。

 しかし、五人いた提督が全員戦死した事により、ほとんどの『艦隊』が解体を余儀なくされた。

 提督一人で指揮できる『艦隊』の数はどんなに熟練の提督であろうと四個まで。そう決まっているのだ。

 故に――『艦隊』は最も優秀だった四つの『艦隊』を残して解体された。

 つまり今残っている『艦隊』に所属する二十四隻の艦娘こそ、この鎮守府の頂点に立つ者達だと言える。

 そんな艦娘達を五隻、吹雪一隻で捕まえて来たのだ。疲労度が真っ赤になるまで溜まるのも無理はない。

 

「それではみなさん、会議を始めます!」

「……」

「へ・ん・じ!」

「……チッ」

「あー! 今舌打ちしましたね!」

「まあ、まあ。そんなに怒るなって。ほぉーら飴ちゃんだぞ」

「誤魔化し方が雑っ!」

 

 舌打ちしたのが重巡洋艦『那智』、その隣で微妙なフォローをしたのが軽空母『隼鷹』だ。

 この二隻は鎮守府きっての問題児である。

 先ず那智だが、彼女は「途轍もなく高い能力を持った馬鹿」だ。砲撃、回避、知識――どれを取っても一級品なのだが、それらを全て戦闘ではなく娯楽に使っている。

 次に隼鷹だが、彼女は「途轍もなく頭が良い馬鹿」だ。鎮守府一の切れ者と名高い彼女だが、1日のウチ半分以上を泥酔状態で過ごす為、その頭脳はほとんど真価を発揮しない。

 ちなみに。

 今日、吹雪が彼女達を発見した時、二隻は海岸線沿いでオープンカーを乗り回していた。それも時速250キロで。

 運転は那智、

 車の持ち主は隼鷹である。

 そんな速度を出して少しも擦らない那智を褒めるべきか、それともそんな高級車を持っている隼鷹を褒めるべきか。迷った吹雪は、怒りに身を任せてトラックで車を二隻ごと轢いた。

 

「あゝ、お姉さま……。私もいつかそっちへ逝きますから……」

「いやいや、そっちってどこですか! 扶桑さん普通に生きてますから! さっきまで一緒にいたじゃないですか!」

「……?」

「いやいやいやいや! なんでそんな「何を言ってるのこの船?」みたいな顔してるんですか! 私普通の事言ってるだけですから!」

 

 どんよりとしたオーラを出しているのは戦艦『山城』。

 目の前で姉の扶桑が大破して以来、それがトラウマになり、こうして訳のわからない事を言い出す。

 先程も部屋にこもり、扶桑の写真が祀られた社に向かって一心不乱に祈っていた。

 そこに扶桑のコスプレをしながら「お姉さまが迎えに来ましたよ!」と言って突撃した吹雪の胆力はいかほどか。

 ちなみに。

 扶桑は元整備士の青年と恋に落ち結婚、退役。現在は山の方でひっそりと農業を営んでいる。

 

「吹雪」

「なんですか、天龍さん」

「パンツ見せろよ」

 

 吹雪は無言で天龍を殴った。

 天龍はブチギレた。

 見事な逆ギレであった。

 

「何すんだゴラァ!」

「天龍さんが訳わかんない事言うからですよ!」

「何処が訳わかんないんだ、パンツ!」

「吹雪です! 私の名前は吹雪ですよ、吹雪! なんならネームシップですから!」

「でもお前叢雲より影薄いじゃん」

「貴様……言ってはならん事を………!」

 

 吹雪は激怒した。

 そして何故か天龍も激怒した。

 まったくの理不尽であった。

 

「はぁ……毎度毎度、よくそんなくだらない事でケンカできるわね」

「なんだ、ケンカ売ってるのか?」

「なんであんた(那智)が突っかかってくんのよ!」

「ここまでの侮辱を受けたのは、流石の私も初めてだよ」

「……ねえ、隼鷹までなんで怒ってるの?」

「いい度胸ね、ツインテール」

「山城まで!?」

 

 三隻ににじり寄られ、たじろぐのは正規空母『瑞鶴』。

 彼女は『第三艦隊』にしては珍しく、一般的な瑞鶴とそこまで変わらない。

 しかし、彼女には一風変わった所がある。

 それは――学生でありたい、という考えだ。

 普段、瑞鶴は鎮守府ではなく学校に通っている。普通の人間として。

 ちなみに。

 吹雪は那智と隼鷹を轢いたボロボロのトラックで瑞鶴の通う高校まで迎えに行った。結果、瑞鶴は人間の友達から「トラックの運転をしてる田舎出身の女子中学生の彼女がいる」という謎のレッテルを貼られた。

 

「――そろそろ話を戻しますけど。どうやってインドに入国するか、それをみなさんで考えましょう」

 

 現在、航路に限って言えば、インドは鎖国に近い状態にある。

 不知火達の様に、艤装で水上を走り入国するのは難しいだろう。

 かと言って空路を行くのはもっと難しい。

 さて、どうしたものか……?

 

「貨物輸送船に紛れるってのはどうよ?」

 

 語り出したのは隼鷹だ。

 艦娘はその戦闘能力に比べて、身体が非常に小さい。

 コンテナの中にでも入れば、間違いなく気付かれないだろう。

 もちろん、そう簡単には行かないだろうが。

 これからインドに向かう貨物船を探さなくてはならないし、荷のチェックもあるだろう。

 だが隼鷹であれば、それらの問題は簡単に解決出来る。

 

 こうして、『第三艦隊』の面々はインドに入国した。

 そして提督の周囲を警戒し続け――提督が接触した謎の女性に注目した。

 提督が声をかける。

 これが一体何を意味するのか……?

 吹雪は悩んだ。

 何故なら提督はインドに入国して以来、情報収集の類をしていないのだ。まだ何も掴んでいない、と見るのが自然である。

 しかし“あの”提督が何の理由もなく声をかけるとは思えない。

 

「案外ナンパかなんかしてんじゃねえの?」

「提督はそんな軟弱な方ではありません!」

「へーへー」

 

 天龍も軽口を叩いてはいるが、本気では言っていない様子だ。

 流石の彼女も、提督の偉大さを理解しているらしい。

 

「!?」

 

 瞬間、提督と話していた女性から強い殺気が漏れる。

 この重くへばりつく様な殺気――何度も海の上で体験したものだ。

 間違えようがない。

 提督が接触した女性は、驚くべきことに深海棲艦だったのだ。

 

 深海棲艦が人間社会に溶け込んでいる。

 前代未聞の発見だ。

 これを捕獲する事が出来れば、人類は勝利に一歩近づくだろう。

 

 しかし一体、どのタイミングでスパイを看破したのか。

 先程も言った通り、深海棲艦がスパイとして潜入している、というのは前例がない事だ。本来、警戒すら出来ないはずである。

 それを到着したその日に看破するとは。

 情報収集をしているそぶりなどは一度もなかったが……。

 いや、一度もなかったのではなく、未熟な吹雪達では気がつかないほどの超高レベルな情報戦を繰り広げていたのだろう。

 流石は提督である。

 早く提督の思考レベルに追いつきたい、と吹雪は心から思った。

 

 『第三艦隊』は相手が深海棲艦だと分かると、直ぐに対深海棲艦用の陣形を組んだ。

 直接戦闘能力が高い天龍を前線に出し、

 旗艦である吹雪がいつでもフォローに行ける様後ろに。

 敵を圧殺出来る様隼鷹を遠距離に配備、

 その護衛兼狙撃手である那智がそばに着く。

 最後に比較的マトモな性格をしている瑞鶴と山城ペアを遊撃手に。

 これが『第三艦隊』のスタンダード陣形――要は圧倒的エースである天龍を全力でサポートする形だ。

 

 

 ――そして現在

 

 

 斬!

 天龍の斬撃が戦艦棲姫に命中する。

 だが――致命傷には至らない。

 彼女は咄嗟に艤装を動かし、天龍と自分との間に滑り込ませたのだ。

 いかに戦艦棲姫の艤装が固く大きかろうと、本来盾として使う物ではない。当然天龍の剣が止まるワケではないが、僅かな時間稼ぎと目隠しにはなる。戦艦棲姫は身をなんとか捻り、致命傷から――腕を一本切られる程度に被害を抑えた。

 腕一本。

 人間ならば致命傷だが、深海棲艦や艦娘にとってはそう大きな傷ではない。問題は痛みや出血よりもむしろ、戦力の低下だ。

 

 一旦距離を取らねば。

 戦艦棲姫はそう考え、艤装を盾に後ろに下がろうとする。

 しかし、そこは死地。

 考えを読んでいたのか、隼鷹が発艦させた大量の式神達が待ち構えていた。

 

 ならば迎え打つか?

 戦艦棲姫が戦闘体制に入った瞬間、那智が放った弾が何処からともなく飛来し、切られた腕の断面に被弾する。

 肉を焼きながら、弾が腕の中にねじ込まれていく。流石の戦艦棲姫といえど、顔を苦悶に歪めた。

 

「キサマラ!」

 

 激昂した戦艦棲姫は、天龍に向かって突進した。

 その瞬間――吹雪が戦場に飛び込み、戦艦棲姫のPCを奪い去る。

 『第三艦隊』の本来の任務は不知火の救出。狙いは元からこのPCだったのだ。

 

 吹雪は直ぐ様PCを解析し、待機している瑞鶴に情報を送った。

 瑞鶴は偵察機を発艦させ、あっという間に不知火の正確な位置を割り出す。

 

「コノ――!」

 

 それに気づいた戦艦棲姫が吹雪に手を伸ばすが、那智がその腕を正確に狙撃した。

 一瞬の隙が生まれる。

 吹雪はその間に、山城に向かって無線を飛ばした。

 

「山城さん! 救出に向かって下さい! こっちが済み次第、私達も向かいます!」

「もう向かってるわよ、パンツ!」

「吹雪です!!!」

 

 ――天龍に加え、吹雪が前線に加わった事で、戦艦棲姫はあっという間に体力を削られていった。

 とはいえ、それでも『姫級』。

 元の攻撃力や体力は艦娘よりも圧倒的に多く……中々致命傷には至らない。

 

(どっかで隙を作らねえとな)

 

 轟沈させるには、天龍の一撃を当てるしかない。

 だが相手もそれは分かっている。巨大な艤装を振り回し、中々天龍を懐に入れさせない。

 しかし大雑把な動きは、射線を通すことになる。

 那智と隼鷹の射撃が、着実にダメージを蓄積させていた。

 このままいけば、時間はかかるが戦艦棲姫を倒す事が出来るだろう。

 吹雪が轟沈までのおおよその時間を計算し終えた、その時――

 

「!? 避けろ吹雪!」

 

 天龍が吹雪の襟を掴み、咄嗟に後ろに飛ぶ。

 直後――先程まで吹雪達がいたところに、()()()()()()()()

 

「ヤットキタカ」

「ゴメンナサイネ……オクレテシマッテ………」

 

 セーターに似た白い装甲に、巨大な爪。頭には特徴的なツノ。

 ビルを飛ばして来たのは『港湾棲姫』と呼ばれる深海棲艦だ。

 

「新手、ですか」

 

 これで相手は二隻。

 四体一――正直ギリギリなところだ。

 天龍と吹雪は艤装を構える手に力を込めた。

 

「……それだけじゃねえな」

 

 天龍の頭についた、耳型の電探がピクピクと動く。

 同時に、那智から無線が入った。

 

「こちら那智。『飛行場姫』と遭遇した。これより交戦に入る」

 

 これで『姫級』が三隻。

 形成は逆転した。

 恐らく、味方が周辺にいたのだろう。

 彼女達が異変を察知し援軍に来るのを、戦艦棲姫は待っていたのだ。

 あの激昂すら演技。戦艦棲姫は冷静に時間を稼ぎながら、大雑把な戦い方をする事で位置を知らせていたのだ。

 ……しかし、妙だ。

 不知火達はただの輸送部隊のはず。

 それに対して『姫級』が三隻。

 正直一隻でも過剰戦力と言っていい。

 これは一体……?

 戦場では小さな違和感が命取りになる事がある。

 吹雪は思考を深めた。

 

 答えは直ぐにやってきた。

 再び無線が繋る。

 相手は不知火を保護しに行った山城だ。

 

「こちら山城。不知火を保護したわ」

「吹雪了解。こちら『姫級』三隻と接敵。増援を――」

「吹雪、よく聞きなさい」

 

 吹雪の声を、山城が遮る。

 彼女にしては珍しく、焦った声だ。

 吹雪の勘が告げた。

 これから告げられる事は、まず間違いなく悪い事だ、と。

 

「不知火達の所属する鎮守府が分かったわ。彼女達は――大本営所属よ」



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救出作戦 ⑥

 大本営所属。

 それが何を意味するのか……天龍には分からない。

 吹雪は何事か考えている様だが、やはり天龍には関係ない事だ。

 

「吹雪、下がってろ」

 

 天龍の仕事は吹雪を守り、彼女の立てる作戦を忠実に守ること。それだけを考えていればいい。

 

「シズメ……!」

 

 戦艦棲姫が砲撃を撃って来た。

 同時に、港湾棲姫が突撃してくる。

 

 砲撃を躱せば、後ろにいる吹雪に当たる!

 天龍は飛来する砲弾を、全て切り落とした。そして砲弾が爆発する前に、横一閃。爆風を剣圧で横に流す。

 ここまでを港湾棲姫が接近する前に、天龍は行った。

 

 ――キイィィィン!

 

 そして近づいてきた港湾棲姫の爪と、天龍の剣が甲高い音を立ててぶつかり合う。

 お互いの力は完全に拮抗していた。

 だが、天龍の剣は一振りで、港湾棲姫の腕は二つある。

 つばぜり合いをしていない方の腕を、港湾棲姫は天龍に向けて振った。

 

「艤装解除」

 

 それに対し、天龍は一旦艤装を解除した。

 突然剣がなくなり、港湾棲姫の体勢が崩れる。しかし、艤装を解除したということは、天龍の身体能力が人間のそれへと戻った事を意味する。不安定な一撃とはいえ、掠っただけで天龍の身体はバラバラになるだろう。

 だが、そうはならない。

 天龍は()()()()()()()()()()、技術だけで港湾棲姫の攻撃をかわした。

 

「艤装展開」

 

 そして再び艤装を展開。

 戦艦棲姫の追加砲撃を全て叩き斬る。

 弾丸が当たるどころか、やはり爆風すら当たりはしない。

 

「バケモノカ……コイツ」

 

 防戦一方とはいえ、『姫級』二隻と拮抗するなど、あり得ないことだ。

 

 一方で、当の天龍も焦りを感じていた。

 天龍の弱点を一つ上げるなら、それは体力だろう。

 身体をフルに使う彼女の戦い方は、体力の消耗が激しい。このままでは遠く無い未来、後方から砲撃のみを行う戦艦棲姫との間に決定的な差が生まれ、押し負けるだろう。

 それならば……、

 

「吹雪、プランBだ」

「……あの、プランBなんて初めて聞いたんですけど」

「流れで分かれよ、そのくらい!」

「無茶ですよ!」

 

 と言いつつ、吹雪には何となく天龍の言わんとしている事が分かった。

 幸か不幸か、付き合いだけは無駄に長いせいだろう。

 

 艦娘の身体能力は高い。

 特筆すべきは、その力だろう。

 例えば吹雪は人と同じくらいの大きさでありながら、50000馬力という途方も無い力を有している。

 その力を仮に――速度に変えられたら。

 そこらのバイクや車より、よっぽど速くなるのではないか。

 

「うおおおおおお!」

 

 そういうわけで吹雪は、自転車を漕いでいた。

 バイクは高いものでも、約200馬力ほど。50000馬力の吹雪が自転車を漕げば、もちろんそれよりずっと早い。

 とはいえ自転車には耐久度があるので、全力は出していないが。

 ちなみに自転車は、その辺の民家から勝手に拝借したものだ。

 

「バカカ……アイツラハ………!」

 

 戦艦棲姫と港湾棲姫が急いで追いかけてくる。

 当然砲撃もしてきたが――それは吹雪の歴戦のドラテクで躱した。

 

「吹雪、少し集中させてくれ」

 

 荷台に座る天龍は、剣をしまい目を瞑った。

 奴らは――最重要標的である提督の位置を知るこっちを逃したくないはずだ。

 だが、速度的に追いつかない。

 それならば、相手は必ず何処かのタイミングで先回りをしてくるはずだ。

 港湾棲姫はこのままこちらを追跡しながら、位置情報を伝え続け……地理に詳しい戦艦棲姫が裏から回る。挟み撃ちの形だ。

 二隻が別れ、一隻になる一瞬の隙。

 天龍はそのタイミングをひたすらに測っていた。

 

「――ッ!? 天龍さん!」

 

 大通りに出たところで、待ち構えていたのは武装した人間達だった。

 ――一斉射撃

 吹雪や天龍はともかく、自転車の方は砲撃を受ければ一溜まりもない。後ろからは二隻の『姫級』。今ここで足を止めることは、死を意味する。

 

「前二割は任せた。後はオレがやる」

 

 天龍は自転車の荷台に乗ったまま、静かに剣を構えた。

 そして飛来する弾丸に、そっと剣を合わせる。

 弾丸は軌道を変え、他の弾丸に当たった。

 僅かな動きで後ろ・右・左――全体の八割の弾丸を落とす。

 

 一方で吹雪も、自転車を漕ぎながら何とか砲撃し、弾を撃ち落とす。

 それでも完璧とは言わないが――自転車が何とか通れるくらいの隙間は作り出せた。

 

「――来ると思ってたぜ」

 

 次の瞬間、港湾棲姫が後ろから飛びかかってきた。

 それを天龍が迎え撃つ。

 天龍は分かっていたのだ。

 ここに人間達を配備させていることも、

 その攻撃に乗じて敵が仕掛けて来ることも。

 分かった上で、それに乗った。

 何故なら――

 

「はぁあ!」

 

 一閃。

 港湾棲姫の体を爪ごと(・・・)叩き斬る。

 天龍が本気を出せば、最初から港湾棲姫の爪くらい切れたのだ。しかし本気の斬撃の後には、どうしても余韻が出来てしまう。その隙に戦艦棲姫に逃げられては面白くない。

 自転車を入手したのは、逃げる為ではなく追うため。

 向こうがこちらを逃したくなかったように、こっちも向こうを逃す気などなかった。

 

 挟撃になる形で、正面から攻撃しようとしていた戦艦棲姫だが、港湾棲姫が斬られるのを見た瞬間、踵を返した。

 だが、吹雪の漕ぐ自転車の方が圧倒的に早い。

 あっという間に追いつき――再び一閃。

 両足を斬り飛ばす。

 

「ァ、アアア……足ガァ! 私ノ、私ノ足ガアァァァ!」

「殺さない程度には手加減しておいた。捕虜にするんだろ?」

「流石です、天龍さん!」

 

 流石なのはお前だ、吹雪。

 天龍は内心そう思ったが、口には出さなかった。

 実際、吹雪は凄い。

 天龍の作戦を一瞬の内に読み取り、それのみに天龍が集中出来るよう、他の全てを受け持った。

 直接的な戦闘能力こそ低いが、天龍では決して出来ない役割を吹雪は軽々とこなす。

 吹雪のそういう所を、天龍は尊敬していた。

 ……無論、決して口には出さないが。

 

「それじゃあ、瑞鶴さんと山城さん達と合流しましょうか。現在位置を調べますから、ちょっと待ってて下さいね」

「んじゃあ、オレは戦艦棲姫と港湾棲姫を拘束して来るわ」

「はーい」

 

 鋼鉄製のロープで港湾棲姫と戦艦棲姫を縛る。

 海の上では直ぐに沈んでいってしまうが、陸の上ではそういったことはない。捕虜を捕らえる、と言う点においては陸もそう悪くないかもしれない。

 縛っていると、戦艦棲姫が声をかけてきた。

 

「オ前……天龍……自分ガ強イト思ッテイルダロウ?」

「あ?」

「オ前ナドゴミダ……姉サン二比ベレバナ。モウ直グココ二クル。オ前達の仲間ヲ殺シタ後デナ………」

 

 ――吹雪は慣れた手つきで電探を起動させ、瑞鶴と山城の位置をサーチしていた。

 ……?

 何かが、おかしい。

 この反応が正常なら――瑞鶴と山城は吹雪の真上にいることになる。

 

「ふぶ――」

 

 天龍が吹雪を呼ぶ前に、巨大な何かが上から落ちて来た。

 戦艦棲姫と非常によく似ているが、それより一回り大きな体。より禍々しさを増した艤装。

 降って来たのは――戦艦水鬼だった。

 

 

   ◇

 

 

 瞬間、吹雪は戦慄した。

 電探は故障などしてはいなかった。

 戦艦水鬼の両腕に握られているのは――紛れもなく山城と瑞鶴と不知火だ。

 三者共に轟沈寸前。

 一方で戦艦水鬼の方は、何の怪我も負ってはいない。

 瑞鶴と山城は正規空母と戦艦。紛れもない強者なのに。無傷で倒した、というのか。そんな事があり得るのだろうか……?

 

(……え?)

 

 目の前で、戦艦水鬼が消えた。

 次の瞬間、吹雪の真横に戦艦水鬼が現れた。

 何のことはない。

 戦艦水鬼が高速で吹雪のそばに移動し、攻撃しただけだ。特別なことは何もしていない。ただ吹雪には一連の動作が全く見えなかっただけ。

 

「吹雪!」

 

 とっさに、天龍が間に入る。

 天龍は剣の腹で戦艦水鬼の拳を受け止めた。

 ――ポキン。

 あっけなく、剣が折れる。

 驚愕する天龍の顔面に、戦艦水鬼の拳が深々と突き刺さった。

 

 天龍は吹き飛び……、

 一、二、三――五つ目の民家に突っ込んだところでようやく止まった。

 

 そんな事御構い無しに、再び戦艦水鬼は吹雪に向かって拳を振り下ろす。

 ――ドン!

 民家の瓦礫を吹き飛ばすほどの踏み込みをした天龍が、またしても間に割って入る。

 先ほどの咄嗟の一撃とは違う、しっかり踏み込んでの一撃。天龍の剣は戦艦水鬼の指をわずかに斬りつけた。

 

 戦艦水鬼は一旦後ろに下がり、不思議そうに天龍を見た。

 

「……分カラナイナ。ナゼ……コノ駆逐艦ヲ庇ウ?

 見レバ分カル……オ前ハ強イ。軽巡洋艦トシテハ……頂点ノヒトツト、言ッテイイダロウ………。ダガ、所詮ハ軽巡洋艦、ワタシノホウガ強イ。マシテヤ、ソンナ足手マトイヲ連レテイテハ………絶対二勝テハシナイ。ソレガ分カラナイ……ワケジャナイダロウ? ナゼ庇ウ?」

「黙れ」

 

 天龍と戦艦水鬼がぶつかり合う。

 ――速すぎて見えない!

 吹雪は天龍を援護しようと思ったが、両者の動きは速すぎた。狙いを定めるどころか、姿さえ見えはしない。

 また速さだけでなく、力も桁違いだ。

 うっかり余波に触れただけで、中破しかねない。

 

「天龍さん!」

「大丈夫だ、吹雪。オレが守ってやる」

 

 ――攻防を経て、天龍の体には無数の傷が出来ていた。

 一方戦艦水鬼の方は、指先に僅かな切り傷が出来た程度だ。

 それでも天龍は笑って、吹雪の頭を撫でた。

 

「軽巡洋艦……天龍ト言ッタカ……オ前ハ強イ。ナノニナゼ弱キ者ヲ守リ、人二味方スル?

 我々ト共二来イ、天龍。オ前ノ様ナ強キ者ハ、此方側二居ルベキダ」

「断る。オレの居場所はここだけだ。それに、吹雪も人も弱くない。お前が弱い面しか知らないだけだ」

 

 天龍の剣と戦艦水鬼の拳が、再び激突した。



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救出作戦 ⑦

 “彼女”は極貧の村の生まれであった。

 父はなく、母と妹と三人暮らし。

 男手もなければ、仕事もない。

 母が夜の仕事をすることで何とか食い繋いでいた。

 

 ある時、“彼女”に艦娘としての適性があることがわかった。

 艦娘になれば国から援助金が送られ、更には特定の税金の免除など、いくつもの特典が与えられる。

 “彼女”は艦娘になる決心をした。

 

 妹と母は熱心に止めた。

 艦娘になる為の手術は成功率99%――つまり100人に1人が死ぬ計算だ。そんな手術を受けさせたくない、戦場になんかいって欲しくない。妹と母は泣きながら言った。

 それでも。

 母に楽をさせたいと、妹に女の子らしい生活をさせてやりたいと、“彼女”は無理矢理艦娘になった。

 結果としてほとんど喧嘩別れに近い形になってしまったが、“彼女”はそれでも構わなかった。

 

 艦娘になるという事は、兵器になるということだ。

 兵器にはなるべく弱点がない方がいい。

 人質にならない為に、艦娘の家族は名前と姓を変え、別の地に送られる。

 もう二度と“彼女”と家族が会う事はないだろう。

 ならば未練が残らないように。

 

 艦娘になる為の第一歩として、先ずは脳の一部を破壊する。

 そして脳死判定を受けてから、脳を摘出。

 脳を『兵器』の体に埋め込めば――艦娘の完成だ。

 自分が慣れ親しんだ体とは違う体に、違う名前。

 こうして“彼女”は軽巡洋艦『天龍』になった。

 

 それから、天龍は戦い続けた。

 国の為に、などという殊勝な考えはない。

 自分の武勲が母と妹の為になれば、という一心で。

 天龍は戦い、戦って、戦い続けた。

 最初は紛れもなく、家族のためだった。

 艦娘は兵器。

 それがいつしか、自分という存在を保つ為に戦う様になっていた。

 

 その日、天龍はまた戦いに出た。

 いつものように鎮守府を出て、港へ。

 そこでふと、一人の老婆が防波堤に立っているのに気がついた。

 

 ――ここは危ねえぞ。

 

 天龍は何の気も無しに老婆に話しかけた。

 老婆は答えた。

 

 ――姉の為に祈ってるんです。

 

 聞けば、老婆の姉は艦娘として徴兵され、戦い続けているそうだ。

 と言ってもそれはもう何十年も前のことで、姉がまだ生きているかどうかも分からない。

 だから老婆は祈るのだという。

 もし姉が生きているならその無事を祈って。

 もし姉が死んでいるのならせめて安らかな眠りを。

 

 それを聞いて、天龍は何も言えなくなった。

 何のことはない。

 その老婆は、天龍の妹だったのだ。

 

 艦娘は歳をとらない。

 戦っている内に、気がつけばいく年もの月日が流れていた。

 天龍の母は死んだそうだ。

 海軍から送られたお金にはほとんど手をつけなかったという。

 ただずっと「あの子に会いたい」と、それだけを願って母はこの世を去った。

 自分は戦いに没頭するあまり死に目にも会えなかったのに、母はずっと天龍の事を思ってくれていたのだ。

 老婆も同じだと言う。

 お金なんか欲しくなかった。貧しくても、女の子らしい生活が出来なくても、家族三人でいたかった。

 それだけを願っていた、と。

 

 やがて老婆の孫が、彼女を迎えに来た。

 老婆は孫を大層可愛がってた。

 それこそ、自分の命よりも大事だというほどに。

 人の命は短く、儚いものだ。

 なればこそ自分の命を大切に思い、それ以上に大切な物が出来る。

 その心は子や孫に完璧に伝わるわけではない。

 しかし擦れ違うからこそ、完璧以上に伝わる。

 そして自分が母になった時「ああ、母もこんな気持ちだったんだな」と気づくのだ。

 死にゆく者は後の人間にそのバトンを繋ぐ。

 そうして人の輪は繋がっていく。

 

 天龍は最早その輪の中にいない。

 艦娘になるとは、そういうこと。

 

 ――貴女のためにも、祈らせては貰えませんか。

 

 最後に、老婆はそう言った。

 彼女からすれば見ず知らずの自分の為に。

 天龍が今日も帰れるように、と。彼女は祈った。

 天龍はその日も、戦いに出た。

 

 

 人は弱い。

 きっと深海棲艦に負けるだろう。

 例え勝ったとしても、その先にあるのは破滅かもしれない。

 それでも彼らは止まらない。

 

 戦いの中戦死した提督がいた。

 志半ばで寿命を迎えた提督がいた。

 膨大な敵に立ち向かった提督がいた。

 諦めた者は1人もいなかった。

 何故非力な彼らが諦めなかったのか、ようやく天龍は知った。

 

 ただ「生きたい」という願いのために、彼らは歩み続けたのだ。

 その歩みの何と美しい事だろう。

 人は弱く儚い。

 だがこの世界の何よりも美しく、強い。

 

 ――天龍は戦い続けた。

 

 人の美しさに気づいたところで、彼女はもう戻れないところまで来ていた。

 心は海の上に置いて来てしまった。

 今天龍が持っているものと言えば、オイルと血に濡れた手と、どうしようもない人への憧れのみ。

 だから天龍は戦い続けた。

 

 ある時、天龍は負けた。

 後に戦艦棲姫と呼ばれる、『姫型』の深海棲艦。

 天龍は不幸にもその最初の出現に居合わせ、負けたのだ。

 死力は尽くした。

 それでも及ばなかった。

 右目が無くなったもの、ちょうどその時だ。

 ああ、だけどここで沈むのも悪くない。

 戦艦棲姫の手が振り下ろされた時、天龍はそう思った。

 

 ――はたして、その手は止められた。

 

 妹艦に当たる龍田が、天龍と戦艦棲姫の間に立ちはだかったのだ。

 立ちはだかった、と言っても彼女は増援でも何でもない。

 天龍が率いる部隊に予めいた――それこそ、天龍の前に大破した船だ。

 

 ――天龍ちゃんは生きて。

 

 龍田はそう言い残し、戦艦棲姫へと向かっていった。

 天龍より練度が低く、また既に大破している彼女が敵うはずもない。

 それなのに、何故だろうか。

 龍田は戦艦棲姫に立ち向かい、そして戦っていた。

 それからおおよそ五分。増援部隊が到着するまでの間、龍田は戦艦棲姫と互角の戦いを見せた。

 神通率いる増援部隊は到着すると同時に、あっという間に戦艦棲姫を轟沈させた。

 神通は言った。

 既に戦艦棲姫は中破していた。私達はほんの後押しをしただけです、と。

 

 やったな龍田!

 天龍は龍田を抱きしめた。

 返事はない。

 既に龍田は事切れていた。

 

 ――天龍は龍田の遺体を鎮守府へと持ち帰った。

 

 妹艦といっても、もちろん本当の姉妹ではない。

 むしろ赤の他人と言っていい。

 それがどうして自分の命をかけてまで……。

 天龍には分からなかった。

 しかし、気がつけば龍田の事を考えるようになっていた。

 もっと話をしたかった。

 ずっと構ってあげられなかった妹の代わりに、龍田ともっと遊んでやればよかった。

 そんな思いが胸の中に渦巻いた。

 

 ――天龍は荒れた。

 

 ひたすらに出撃を繰り返し、戦い続けた。

 時には他所の鎮守府の艦娘に当たる事だってあった。

 結果として天龍の練度は上がっていったが、心はむしろ荒れた様に思えた。

 そんな時だ。

 天龍が彼女――吹雪に会ったのは。

 

 吹雪は普通の女の子だった。

 艦娘になっても「普通」でいることがどんなに難しいか、それを一番知っているのは天龍だ。

 だからこそ、天龍は吹雪に惹かれた。

 

 戦う事ばかりで、ロクな食事も取らない天龍をご飯に誘い、汚い部屋を片付け、揉め事を起こせば一緒に謝りに行ってくれる。

 吹雪はそんな船だった。

 誰も話しかけてこない荒んだ自分に、なんて事ない様にちょっかいをかけてくれる、そんな船だった。

 その後、天龍と吹雪の間に特別なエピソードは何もない。

 ただただ、取り留めのない日常が流れていっただけだ。

 

 優秀過ぎる姉の存在に押しつぶされた那智。

 トラウマを抱え海に出れなくなった山城。

 人だった頃が忘れられない瑞鶴。

 豪華客船から軽空母に無理矢理改造された『船の記憶』に悩まされた隼鷹。

 

 誰からも見捨てられた彼女達を救ったのは、どこにでもいる凡庸な駆逐艦だった。

 夜な夜な人間の街に遊びに行く天龍がいて、それを怒りながらも迎えに来てくれる吹雪がいて、おんなじように馬鹿をやってる『第三艦隊』がいて。

 気がつけば、天龍は一つの輪の中にいた。

 

 『第三艦隊』は彼女の為に戦う。

 もちろん、天龍も。

 今なら分かる。

 妹が祈った理由も。

 人の美しさの訳も。

 龍田がどうして命を掛けたのかも。

 きっとみんな、こんな想いだったのだろう。

 

「天龍さん――!」

 

 天龍は死にかけていた。

 剣は中程から折れ、

 右脚はあらぬ方向に曲がり、

 左腕は肩から下がない。

 折れた肋骨が肺に刺さったのか、呼吸も絶え絶えだ。

 

「モウ分カッタダロウ……テンリュウ? オ前ノ………マケダ。コッチヘ来イ……ソウスレバ、ソノ駆逐艦ハ……見逃シテヤル…………」

「くどい! オレはお前の下には絶対につかない!」

 

 天龍は即答した。

 人や吹雪を弱いと言う戦艦水鬼。例え何が起ころうとも、天龍が戦艦水鬼と歩みを揃えることはない。

 何故なら吹雪や龍田や人の強さを、美しさを、天龍は知っているから。

 天龍は愛しているのだ。

 その美しい営みを。

 もし……もしその強さが少しでも自分にもあるのなら。

 

 ――その時、天龍は悟った。

 天龍は度重なる戦いにより、急激に練度を増していた。

 結果、たどり着いたのだ。一つ上のステージ――改二に。

 だが、もしここで改二を使えば……。

 

「――改二実装!」

 

 それでも、天龍は少しも迷わず、改二への扉を開いた。

 ただでさえ反動の大きい改二。

 初実装、それもこんな状態で使えば、直ぐに限界がくる。

 ――後一秒。

 後一秒経てば、天龍の体は動かなくなるだろう。

 だが、一秒もあれば充分だ。

 それだけあれば、一太刀は打てる。

 

 天龍は心を落ち着かせ、待った。

 戦艦水鬼の装甲は固い。

 天龍の剣では貫けないだろう。

 狙うはカウンター。

 相手と自分、二つの力で首を切る。

 

 故に――天龍は待った。

 一秒という長い刹那。

 刻一刻と己の体が限界を迎えるのを感じながら、天龍は待った。

 そして――訪れる。

 改二実装から0.9秒後。戦艦水鬼の攻撃が、天龍に飛来した。

 

 ――0.1秒後、天龍は剣を振り終えていた。

 

 ポキン。

 戦艦水鬼の首――の少し上にあるツノが斬れ落ちた。

 戦艦水鬼は天龍の攻撃が当たる直前、首を動かし、斬撃をツノで受けたのだ。

 

「ちく、しょう」

 

 ――天龍の身体が崩れ落ちた。












天龍の過去回想だけはこのssのプロットを作った時(だいたい一年ちょっと前)に書きました。なので(多少の手無しはしましたが)ちょっと拙いかもしれないです。
次回は久しぶりに提督登場。主人公とは一体……。


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救出作戦 ⑧

 戦艦水鬼の角。

 それは彼女の体の中で、最も硬い部位である。

 それが斬り落とされた。

 もしもあの一撃が首に当たっていれば、戦艦水鬼は今頃立っていなかっただろう。

 一見楽勝に見えるが、その実薄氷の上にある勝利だったのだ。

 

 倒れる天龍の前に、吹雪が立ち塞がる。

 力の差を理解してないわけではないだろう。むしろ大雑把な戦艦水鬼より、熟練の駆逐艦である吹雪の方がその差を理解してると言える。その証拠に、彼女の体は震え、ひたいに大粒の汗が滲んでいた。

 だが、吹雪はそこを退かない。

 何故か――戦艦水鬼にはなんとなく、その理由が分かった。

 きっと天龍が自分に対し剣を振ったのと、同じ理由だろう。

 吹雪の後ろにいる天龍も、全身の骨が折れ、満身創痍ながらも立ち上がろうとしている。体はともかく、心はいささかも萎えてはいない。

 

 ――殺そう。

 

 故に、戦艦水鬼はそう考えた。

 今はまったく問題ない。殺そうと思えば、直ぐにでも殺せる。

 だが、この先は分からない。現に天龍はこの僅かな間に、大きく練度を上げた。将来厄介な敵になるかもしれない。

 それに、だ。

 ここで殺さない事は、天龍と吹雪に『敬意』を払ってない様に感じた。

 戦艦水鬼は大きく手を張り上げ……

 

「そこまでにしてもらおうか」

 

 声が聞こえた。

 ここに一般人は立ち入らないはずだ。

 となれば当然、声の主は深海棲艦か艦娘、どちらかの増援となる。そして発言からして、深海棲艦の側ではない。

 戦艦水鬼は敵意を剥き出しにしながら声の方向を見て――絶句した。

 

(な、なんだこいつは……!?)

 

 ――奇しくも、その場にいた全員が戦艦水鬼と同じ感想を抱いた。

 満身創痍の天龍も、天龍を守らんとする吹雪も、敵である深海棲艦達も、そして辛うじて意識が戻りかけていた不知火でさえも、全員同じ事を思った。

 

(何故、何故この男は全裸なんだ!?)

 

 そう。

 現れたのは全裸の男であった。

 いや正確に言うなら、帽子はかぶっていたが、そんな事は誤差だろう。

 

「て、提督! あの……」

「吹雪か。どうした?」

 

 どうした、ではない。

 お前の格好の方がよほど「どうした?」である。

 ……いや、相手のペースに巻き込まれてはいけない。

 戦艦水鬼は一旦冷静になり、頭を回す。

 吹雪のセリフとタイミングから考えて、この全裸の男は提督という事になる。よく見れば、今最も危険視されている、横須賀鎮守府の提督だ。

 どうして今、ここに来たのか……?

 考えるまでもない。

 横須賀鎮守府の提督は義に厚い男であり、艦娘を非常に大切にしていると聞く。艦娘を助けに来たのだろう。

 では、何故全裸なのか……?

 これが分からない。

 まったく分からない。

 本当に何なんだろうこの男は。

 

 戦艦水鬼が戸惑う中、吹雪は何とか気を持ち直し、提督に声をかけた。

 戦艦水鬼は圧倒的だ。

 提督だけでも何とかここから逃がさないといけない。その一心だろう。

 

「提督! アレは――」

「分かっている。後は私がやっておくから、君達は帰りなさい。いいね?」

 

 ――そんな学校で問題を起こした生徒を擁護する優しい校長先生みたいな。

 吹雪はその言葉をぐっと飲み込んだ。

 今事態を一番把握しているのは、間違いなく提督だろう。戦艦水鬼の事も、きっとこの場にいる誰よりも詳しい事に違いない。

 それでもなお、この圧倒的な戦力差の中来たという事は、何か秘策があると見ていいのだろう。

 それでも、良いのだろうか? という考えがどうしても浮かんでしまう。

 本来提督を守る立場にある艦娘が、提督を一人置き去りにして逃げる。提督に甘えてしまう。それは果たして正解なのだろうか。

 提督は本当にお優しい方だ。

 吹雪達のピンチを知って、もしかしたら考えるよりも先に体が動いてしまったのかもしれない。

 それならここから逃げる事は……

 

「吹雪。行け」

「! はい!」

 

 提督の言葉の何と心強い事だろうか。

 彼の言葉の中には、少しの『恐れ』もない。まるでリラックスしている状態だ。

 吹雪は少しでも提督を疑った自分を即座に恥じ、天龍を抱えてその場を離脱した。

 

 

   ◇提督が到着する少し前◇

 

 

 一体俺が何をしたというのか?

 確かに俺は、ロクな人間じゃないかもしれない。

 頭も良くないし、友達もいないし、部下は犯そうとするし、親には定職に就いただけで泣かれるし、姉と妹にはマジで嫌われてるし――いや本当にロクな人間じゃないな。

 それでも。

 それでもこんな……ここまでの仕打ちを受けるほどじゃなかったはずだ!

 

「なんで借りてきたAVの中身がインド人がただ踊るだけの動画なんだよ!」

 

 そう。

 満を持してAVを借りてきたのだが、何のイタズラか中身がインド人が踊るだけの訳のわからない動画に差し替えられていたのだ。

 満面の笑みで踊るインド人達。

 そしてそれを見つめる全裸の俺。

 こんなことある?

 

「クソガァ!」

 

 俺はテレビとDVDプレイヤーを殴った。

 人には強く出れない俺だが、物に強く当たるのは得意だ。

 しかし、俺は忘れていたのだ。

 ここは異国。当然、テレビとDVDプレイヤーは信頼と安心の日本製ではないのだ。

 テレビは凄まじい音量を上げ、インド人達の踊りは加速した。俺は相変わらず全裸である。この姿を誰かに見られたら一生引きこもる自信がある。

 

 ――こんな事で弁償するのはあまりに馬鹿らしい。

 

 俺はテレビを直そうと、色々と四苦八苦した。

 その結果、インド人は更に加速した。そしてテレビから溢れ出る音声は最早、部屋を揺らすまでになっていた。

 

「……あれ、本当に揺れてない?」

 

 なんか、部屋が揺れてる?

 いや傾いてる?

 な、何だこれ。

 ちょ、待て。今俺がいるビルごと持ち上がってないか?

 

 その時、電源が壊れたのかテレビの音が止んだ。

 騒音が消え、館内放送が耳に届く。

 何とも親切な事に、このビルはヒンドゥー語だけではなく、英語や中国語、日本語まで流してくれる様だ。わぁー親切! えーっと、それによると。

 

 人型の生物がこのビルを持ち上げているから、すぐ避難する様に、だってさ。

 

 それを聞いた瞬間、ビルが持ち上がり、爆速で空を舞った。

 途中俺の服は窓から全て飛んで行き、手元には帽子だけが残っている。

 吹き飛ばされる最中、俺は考えた。

 こんなことをした奴は誰だ。

 人型の生物――まず間違いなく艦娘か深海棲艦かだ。

 そしてここは陸だ。深海棲艦がいるわけがない。つまり犯人は艦娘。

 誰であろうと、犯人は見つけ次第犯す。

 俺がそう誓った瞬間、ビルは地面に激突し、その余波で意識がぷっつりと途切れた。

 その刹那、俺は確かに見た。

 ドヤ顔をする天龍の姿を。

 妖精さんが告げる。あの天龍はウチの鎮守府の天龍だと。

 あいつは確か、問題児として有名だったはずだ。

 あいつが犯人か。よし、犯そう。巨乳だしな。

 天龍と対峙しているのは――誰だろう、知らない艦娘だ。きっと天龍を止めようとしているのだろう。

 ありがとうございます。

 

 ――俺が意識を取り戻したのは、それから約五分後の事である。

 俺は天龍を懲らしめるため、そして天龍を止めようとしてくれている誰かにお礼を言う為に、颯爽とビルを飛び出して奴等を追いかけた。

 

 

   ◇

 

 

 戦艦水鬼は不思議な感覚に捕らわれていた。

 目の前の男が直視できない。特に下半身。長く見ていると、今まで感じた事のない感覚に襲われ、どうしても目を背けてしまう。

 恐れている、のだろうか。

 目の前の男を?

 馬鹿馬鹿しい。

 馬鹿馬鹿しいが……しかし、ではこの感情にどう説明をつければ良いのか。

 この世に生まれ落ちて100年と少し。

 こんな気持ちになったのは初めてだ。

 立ち去る吹雪の背中を砲撃しようと思ったのに、どうしてもそちらが向けない。

 

 ……少し。

 少しだけ、もう一回見てみよう。

 

 戦艦水鬼は目を覆う指を少しだけ離し、提督を盗み見た。

 ――見られている。

 身に纏うドレス型の艤装、その中でも天龍に傷つけられ、生身が露出した箇所を正確に見ている。その正確さ、油断の無さと言ったらない。余程戦い慣れた人間なのだろう。

 

「少し、話をしようか」

 

 先ほど天龍を熱心に説得した事から分かるように、戦艦水鬼は会話が好きだ。

 深海棲艦同士でもよく話すし、元来気さくな性格なのだ。

 それがどうした事だろう。

 この男とは無性に話したくない。視界に入れたくもない。せめて服を着るか、前を隠してほしい。いや、服を着るという事は隠れている部分が増えるという事であり、結果的に不利に繋がるのだが――ことこの男に関しては物凄く服を着て欲しかった。尤も、理由は説明出来ないが。

 

「私の艦娘が迷惑をかけたようだ。どうすれば許してくれる? それと出来れば、所属する鎮守府と提督の名前を教えていただきたい」

 

 ……何を言ってるんだろうか、この男は。

 まるで自分の事を艦娘のように扱ってくる。

 意味が分からない。

 そして早く服を着て欲しい。

 

 早く服を着て欲しい。












艦娘は元人間で平気になったのに扶桑は結婚してるじゃないかこれは一体どういう事だオラオラァ!という感想を書いて下さった皆様!
艦娘周りの設定についてなんですが、まだ明かしてない設定がたくさんあります。
ただその辺りを後書きで説明することほど寒い事はないと思うので、本編で出るのをちょっと待っててね。


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救出作戦 ⑨

 ――吹雪は迷っていた。

 

 天龍を無事安全な場所まで運んだのはいい。

 問題は、提督を助けに行くかどうか、である。

 気掛かりなのは残して来た不知火・瑞鶴・山城の三隻だ。彼女達は戦艦水鬼の向こう側にいた。その上、吹雪の短い腕では同時に担げる人数はそう多くない。あの時点では救出不可能だった。それは間違いない。

 ……では今はどうか。

 提督が戦艦水鬼を抑えている今なら、助け出せるかもしれない。助け出せるなら助けたい。それは吹雪の純粋な願いだ。

 ただ、吹雪が助けに行くことを、提督は作戦の内に組み込んでいるだろうか? という疑問がある。

 

 提督が艦娘を見捨てる、という事は絶対にない。

 作戦の内には、彼女達を助ける算段も組み込まれているはずだ。

 それならば、吹雪が行く事は『余計』になってしまうかもしれない。『足手まとい』になってしまうかもしれない。それは本来、提督の役に立つべき艦娘にとって恥ずべき事だ。

 それでも。

 それでも吹雪の存在が彼女達や提督にとって、ほんの少しでも役に立つのなら。

 吹雪は天龍の頭をそっと撫で、戦場へと足を向けようとした。

 

 ――ズドン!

 

 直後に、轟音が響き渡る。

 音の発信地は提督と戦艦水鬼がいる方だ。

 

「ヒッ!」

 

 思わず、吹雪は悲鳴を上げた。

 それも無理からぬ話だろう。

 大気は震え、地は揺れ、巨大な建物がいくつも崩れ落ちたのだ。

 如何に艦娘である吹雪といえど、恐怖を感じてしまうのは仕方がないこと。誰も吹雪を責める事は出来ない。

 

 二度、三度と立て続けに轟音が響く。

 その音を聞きながら、吹雪は悟った。

 戦艦水鬼は、天龍との戦いでは――少なくとも攻撃面では――まったく本気を出していなかったのだ。

 戦艦水鬼は常に、天龍を仲間にしたがっていた。あれはハッタリでもなんでもなく、彼女は本当に天龍を仲間にしたがっていたのだ。故に彼女は天龍を殺さないよう、手加減していた。

 あれが戦艦水鬼の本気。

 ――あまりにも、力の差があり過ぎる。

 しかし提督は人間の身でありながら、たった一人その強大な力と戦っているのだ。

 それならば、吹雪が足を止める道理はない。

 例えどれだけ恐ろしかろうと、役に立たないかもしれなくとも、吹雪は立ち向かう。

 艦娘ならば当然の事だ。少なくとも、吹雪はそう思っている。

 

「ギャーーーー! ヤッパリムリ! ムリムリムリムリ!! 生理的ニムリ!!!」

 

 その時、戦艦水鬼の悲鳴が聞こえて来た。

 後半はよく聞き取れなかったが――戦艦水鬼が絶叫している事だけは分かった。

 まさか、押しているというのだろうか?

 提督が、人の身でありながら。

 幾重にも策を張り巡らせているとはいえ、追いつけるレベルなのか?

 

 ――ズンッ!

 

 一際大きな振動が伝わって来た。

 それ以来、全ての音が途絶える。

 着いたのだろうか、決着が。

 早く、早く行かなくてはいけない。

 吹雪は天龍を置いた部屋を抜け、建物を飛び出した。

 

「……え? 司令官?」

「吹雪か」

 

 そこに立っていたのは、提督だった。

 あれほどの激闘の後だというのに、何でもなさそうに、普通に立っている。

 

「その、あの……戦艦水鬼は?」

「戦艦水鬼……ああ、あの船か。私が近づいたら、逃げてしまったよ。謙虚な奴だ。もう少し話を聞きたかったんだがな」

 

 吹雪は『ゾッ』とした。

 もう少し話を聞きたかった。それはつまり、戦艦水鬼を生け捕りにする余裕があったという事だ。

 殺すのではなく、生け捕りにする。

 その大変さを、吹雪はよく知っていた。

 先ず相手を殺してしまう可能性のある『武器』は使ってはならない。しかし当然ながら、相手は武器を使ってくる。その圧倒的不利な条件の中、相手を素手で完全に封殺しなければならない。

 さらには――ここが一番難しいのだが――相手に自殺させてはならない。

 この条件を深海棲艦に――ましてや戦艦水鬼に対してクリアするなど、不可能に近いと言える。

 それを提督はこともなげに『出来る』と言ったのだ。

 

「提督!」

「ん?」

「瑞鶴さんと山城さん、不知火さんを持つの、代わります!」

 

 しかも提督は戦艦水鬼と戦って無傷でいるばかりか、瑞鶴・山城・不知火の三隻を運んで来たのだ。

 最早吹雪の理解の範疇を超えている。

 ちなみに山城は背負い、瑞鶴は抱っこし、不知火は肩車している状態だ。

 

「いや、いい!」

 

 提督にしては珍しく、大声を上げた。

 それほど艦娘を大事にしているのだろう。

 確かに、吹雪が持つより提督が持っていた方が、安全かもしれない。

 しかし艤装を外している状態とはいえ、艦娘は普通の人間くらいの重さはある。それを三人分、普通に持ち上げている。それも嬉しそうに。提督は一体、普段からどれだけ鍛えているのだろうか。

 

「吹雪……と、これはこれは司令官。何故服を着てないんだ? まあいい。那智、ただいま帰投した」

「なあなあ、任務終わったんだし、みんなでカレー食べに行こうよぉ。せっかくインドに来たんだしさあ」

 

 声をかけて来たのは那智と隼鷹だ。

 彼女達の任務もたった今終わったらしい。

 注目すべきは那智の背中。彼女の背には飛行場姫がいた。鋼鉄製のロープでグルグル巻きにしてある。

 

「ああ、これ? まっ、死体なんだけどさぁー。ここ海上じゃないから、倒しても沈まないじゃん。だから一応持って来たんだよね。それはそれとして、カレー食べに行かない?」

「姫級を二隻で倒したんですか。流石ですね! ……どうかしましたか、司令官?」

「……………………いや。私がいなかった間の情報を確認したい。ここは一つ、情報を交換し合わないか?」

 

 飛行場姫の死体を見た瞬間、提督の表情が変わった気がする。

 またなにか考えがあるのだろうか。

 

 それはそれとして。

 情報を交換するという案には賛成だ。

 戦場では僅な情報の差が、決定的な差を生むことがある。特に今回の様な、未知の場所での戦いでは。

 

 吹雪は説明した。

 提督が正体を暴いた戦艦棲姫と戦いになった後、港湾棲姫と人間達の特殊部隊が加わり、混戦になった。彼らを倒したまでは良かったのだが――『鬼級』である戦艦水鬼が来た。彼女の力は圧倒的で、天龍が敗北した。吹雪も成すすべがなく、いよいよ死ぬ、という所で――提督が来た。

 吹雪は天龍を抱え、一時撤退。

 そして今に至る。

 

 次に、那智が説明する。

 吹雪達との通信の後、飛行場姫と戦闘になった。

 基本的には隼鷹が艦載機の撃ち合いで競り合い、射線が通った所で那智が一撃を入れる。そうして弱らせたところで、最後は那智が接近戦でボコボコにしたそうだ。

 

 ――カレー食べたくね?

 最後に隼鷹がそう締めくくった。

 

「………………………」

「あの、どうかされましたか、司令官。汗をおかきになっている様ですが」

「いや、なんでもない」

 

 気がつけば、提督は大量の汗をかいていた。

 目もキョロキョロしている。

 一体どうしたのだろうか……?

 

 

   ◇

 

 

 ――次の日。

 ホテルの一室で、天龍は目を覚ました。

 

「あっ、天龍さん」

「おう。吹雪か」

 

 まだ記憶が定まっていない様だ。

 天龍はしばらくぼーっと、部屋を見回していた。

 

「! 戦艦水鬼はどうなった!?」

「司令官が一人で倒しましたよ」

「なっ!?」

 

 天龍は驚愕した。

 戦艦水鬼の強さは、直接ぶつかった天龍が誰よりもよく知っている。

 あの強さは――異次元だ。

 あれと一対一で渡り合えるのは、横須賀鎮守府でも長門や神通、赤城といったトップランカーだけだろう。

 それを人間が倒した?

 にわかには信じられない話だ。

 それでも、あの真面目な吹雪が言っているという事は、本当なのだろう。そもそも、目の前で傷一つなく立っている吹雪がその証拠だ。

 

「そう言えば、司令官はとっても天龍さんの事を心配してましたよ」

「オレをか?」

「はい。私はずっとここにいたんですけど、何度も天龍さんを見に来てました。それで、ずーっと寝顔を見てるんです」

 

 強さだけでなく、優しさも兼ね備えている。

 それは正に天龍の理想だ。

 かつて自分が目指し――そして今もなおその道を歩いている。提督はきっと、その道のずっと先にいるのだろう。

 

「提督は今どこに?」

「那智さんと隼鷹さん、それとさっき目覚めた不知火さんと瑞鶴さんと山城さんを連れて、インド政府と日本大使館に向かわれました。今ごろ色んな不正を暴いてる頃だと思います」

 

 そして抜かりない、と。

 頭がズバ抜けていいのは知っていたが、その他の能力もここまで高いとは。

 

「――パンツ」

「吹雪です」

「オレは決めたぞ」

「……何をです?」

「オレはあの人の為に剣を振るう。まだまだ未熟な身だが、力の及ぶ限り尽くす」

「それを私に言ってどうするんですか。司令官本人に言ってくださいよ」

「……それはちょっと、その、恥ずかしいんだよ!」

「まあでも、司令官は本当に私達の事を考えてくれていますから。きっと何も言わなくても、態度や姿勢で気がついてくれると思いますよ」

「……そうか?」

「きっとそうです。あっ、隼鷹さんがみんなでカレー食べに行こうって言ってましたよ」

「あいつの奢りなら行く。そもそもインドで使える金なんか持ってねーし」

「パンツでも売って稼いだらどうです?」

「それだ! 良し吹雪、脱げ」

「なんで私の!? ちょ、止め、止めて下さい! 本当に脱がせようと――オイ止めろゴラァ!」

「!?」












救出作戦編終わり!
次回からは日常編(日常とは言ってない)の予定です。

そう言えば、このssは初期案ではブラック鎮守府立て直し物だったんですよね。
タイトルは『ブラック鎮守府に着任したし畑でも耕すか』で、
艦娘達が新任の提督をめっちゃ怪しむ中、何も知らされるずに派遣されて来た提督がそれに全く気付かず畑を耕したり、釣りをし続けるという意味不明な内容でした。
ちなみに案では提督はただ無能なだけで、ゲスではないです。


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閑話 “調和”の元帥

更新が遅すぎるあまり、後から連載した他の作品に話数があっという間に抜かれる今日この頃。
なお、提督はヌけない模様。


 現在大本営には、五人の元帥がいる。

 

 元帥とは、海軍の頂点に立つ者達の事である。

 調和・闘争・義勇・明晰・色香――彼らにはそれぞれ司っている『律』があり、有事の際は各々自分の『律』に準じた意見を出す事で、多角的な視点から結論を下しているのだ。

 その中の一人――“調和”の元帥は部屋で唸っていた。

 

「……これは本当に人間の成果なのかね?」

「はい」

「それはまた……随分有望な若者だ」

 

 彼を悩ませているのは最近横須賀鎮守府に着任した、一人の提督である。

 一週間と四日前、日本は終わりかけていた。

 敵はひたすらに強大で、一方こちらは疲弊しきっている。このままでは滅亡を待つばかりだ。

 そこで元帥達は横須賀鎮守府を捨て石にし時間を稼ぎ、その間に他の鎮守府を補給する事を考えた。

 

 非人道的な作戦である。

 当然会議は紛糾したが、調和・闘争・明晰を司る三人の元帥がこの意見を支持した事により、横須賀鎮守府を放棄する事が決まった。

 鎮守府を運営するには、最低一人は提督が居なければならない。

 終わりを待つ横須賀鎮守府に派遣した、繋ぎの提督。

 本来ならもう既に死んでいたはずの彼こそ、“調和”の元帥を悩ませる原因である。

 

 彼は海軍で何の教育も受けていないにも関わらず、たったの一週間であの深海棲艦の大軍を押し返したのだ。

 更に彼はインドに孤立した艦娘達の情報を一早く察知し、即座に救出に向かった。その上、人類で初めて深海棲艦の擬態を見破り、あまつさえ戦艦水鬼を単騎で撃退、更には飛行場姫の死体まで持って帰ってきた。

 どれも歴史に名を残すほどの戦果だが――これをわずか二週間足らずで成し遂げたというのだから驚きだ。

 

 更には、艦娘の為に昇進を断り、更には自ら危険を冒して艦娘を助けに行ったと聞く。

 人間的にも素晴らしいと言えるだろう。

 いや、ここまで来ると最早異常だ。

 普通の人間のそれではない。

 最初は報告書を偽装したのかとも思ったが、彼の部下であり、彼に救出された不知火がそれを否定した。

 

「大和、報告書を」

「はい」

 

 彼の秘書艦である大和から、あの男についての報告書を受け取る。

 ――何とも怪しいものだ。

 “調和”の元帥はそう感じた。

 小学校、中学校、高校、大学。彼はその全てに所属し、無事卒業した。少なくとも、書類の上では。

 しかし同じクラスや担当教員に彼について聞いてみると「そう言われればそんな奴もいたような、いなかったような……」というリアクションをみな一様に取るのだ。

 長い学生生活の中で、彼女や親しい友人が一人もできない……。

 それどころかちょっとした友人の一人――名前を覚えている知人の一人さえいない!

 はたしてそんな寂しい事があるだろうか――

 否!

 そんな事は絶対にあり得ない!

 

 では何故誰もあの男の事を覚えていないのか……?

 

 答えは一つ。

 彼の背後についている何者か――あるいはあの男本人が、過去を偽装したのだ。

 大本営、反艦娘派、深海棲艦。

 これまでは主に三つの勢力がしのぎを削ってきたが、彼はもしかしたら新たな勢力から送られてきた存在なのかもしれない。

 

「大和」

「はい」

「君は彼をどう思う?」

「特に何とも。貴方様のお心が私の心でございます」

 

 ――大和は大変優秀な艦娘だが、こういう所が玉に瑕だ。

 不知火もそうだが、もう少し自分の意見をというものを持って欲しい。

 

「とりあえず、お手並み拝見といったところかな」

 

 彼が戦争に関して別格な能力を持っている事は、最早疑いようがない。

 だが、提督はそれだけでは務まらない。

 

 “調和”の元帥の手に握られているのは、一つの新聞だ。

 記事の見出しはこうである。

 “民間上がりの英雄”。

 彼が民間の出でありながら、凄まじい戦果を挙げた事の記事だ。

 これを読んだ世間の大半は彼を支持するだろうが――一部の人間は疑い、妬み、嫌うだろう。

 その中でも特に厄介なのは手柄を取られた他の鎮守府の提督と、それから反艦娘派の人間達だ。

 

 艦娘の存在は明らかに憲法第9条に反している。

 なのに何故日本が所持するのを許されているかというと――国連憲章の集団的自衛権が行使されているからだ。

 憲法か国連憲章、どちらがより強い効力を持つのかははなはだ疑問ではあるが、こと深海棲艦の戦争に関しては、国連憲章を優先する事とした。

 それに異論を唱えたのが反艦娘派である。

 

 他にも、例えば新約聖書では『世界が再び悪意に満ちた時、また神の審判が下るだろう――』といった終わり方をするのだが、深海棲艦が正にそれである。故に我々はそれを素直に受け入れるべきだ、と主張しているのも反艦娘派だ。

 

 他にも。

 現在の与党を降ろすための口上として艦娘を批判する野党、

 艦娘という兵器の非人道性を訴える民衆、

 鎮守府のせいで海が汚染されたと訴える学者や漁師。

 彼らもみな反艦娘派である。

 

 約一五年前。

 彼らは手を結び合った。

 最初こそ小規模だった彼らの勢力は二次関数グラフ的にその数を増やしていき――いつしか反艦娘派と呼ばれる様になったのである。

 結成当時は様々な思考を持った人間の集まりだった反艦娘派だが、今では『艦娘を排除すべき』という思想に取り憑かれており、過激な行動もしばしば目立つ様になっている。

 そんな彼らが『民間上がりの英雄』など認めるはずがない。

 恐らく今日の朝からでも、旗とメガホンを持って横須賀鎮守府の前を占拠している事だろう。

 

 彼がこと戦争に関して、卓越した技能を持つことは最早疑いの余地がない。

 しかし、提督は戦いが上手いだけでは務まらないのだ。

 周囲に住む人間と良好な関係を築いたり、反艦娘派を上手くしのいだりといった、副次的な業務もこなさくてはならない。

 “調和”の元帥は戦いは他の元帥に比べて一歩劣るが、その辺りの業務は“色香”の元帥と並んで一歩抜き出ている。

 はたして彼はどうなのか……。

 “調和”の元帥は、そっと成り行きを見守った。

 

 

   ◇

 

 

 あー……パンツ食いてえな。

 

 鎮守府に戻りながら、俺はそう思った。

 インドに慰安旅行に行った俺だが、知らない間に何だかよく分からない事件に巻き込まれていたらしく、後半はエライ苦労させられた。しかも結局脱童貞どころか、オナ◯ーも出来なかったのだ。結果、俺の疲労は有頂天なのである。

 そんな疲れ切った俺は、こう思った。

 

 ――パンツが食いたい、と。

 

 個人的には淡いブルーでフリルがついてて、それでちょっと汚れてて臭かったらもう言うことなし。それだけで100年間は生きていける。なんなら長寿ギネス記録に挑戦するまである。

 

 チラリと、横に座る山城を見る。

 こいつなんかの間違いで俺にパンツくれないかな?

 お茶を淹れて出したつもりがパンツだった、みたいな。

 パンツが無理だったら、ブラジャーでもいい。それでも全然出来る。最悪靴下でもいいな。うん、俺は靴下でもイケる。

 

「提督、そろそろお時間です」

 

 車に揺られる事数時間、ようやく鎮守府が見えてきた。

 ……ん? なんか鎮守府の前にエライ沢山人いるな。俺にパンツを届けにきた女子高生の集団、ではなさそうだ……残念。

 じゃあなんだ?

 

「提督、いかがいたしましょう?」

 

 ごめん、なにが?

 「歩道が広いではないか、行け」とか言えばいいの?

 万引きとか飲酒運転ならともかく、人殺しはちょっと……。

 しょーがない、俺がちょっと行って退くよう頼んでくるか。

 

「あっ、提督!」

 

 俺が扉を開けると、吹雪が慌てたように叫んだ。

 大丈夫、大丈夫。穏便にやるから。

 

「すまないが、少し退いて――」

「お前がこの鎮守府の提督か!」

 

 声をかけた瞬間、あっという間に人に囲まれた。

 「戦争反対!」だとか「人殺し!」だとか、いろんな事を耳元で叫んでくる。

 

「その服を脱げ!」

 

 その中でも一番多いセリフがこれだ。

 なんだよ、服を脱げって。

 まさかこいつら……俺のパンツが欲しいのか? 食べたいのか?

 ――いや、どうもそうではないらしい。

 なんか彼らの御目当ては、俺がふだん着ているこの白い軍服の様だ。これ、邪魔なんだよなぁ。なんか暑いし、勲章とかついててジャラジャラするし、鬱陶しいことこの上ない。

 別にあげちゃってもいいか。

 

「そんなにこれが欲しいか? ならばやろう。ほら、受け取れ」

 

 俺が言われた通り軍服を脱いで渡すと、奴らが黙った。なんか唖然としてる感じだ。

 その間に、さっさと逃げてしまおう。

 俺は車に乗って、吹雪に行く様命じた。

 

「よろしいんですか?」

「……逆に聞くが、何か問題が?」

「いえ。提督、私は――私達は貴方の信頼にきっと答えてみせます!」

 

 だから、なにが?

 何か問題があるって聞いてるんだから、答えろよ!

 パンツ食うぞ!

 

 

   ◇

 

 

 数日後。

 

「提督、どうぞ」

 

 加賀からアホみたいな量の新聞が渡される。

 有名どころに加えて、経済新聞とか、果ては海外の新聞まで。俺をなんだと思ってるんだ、この女は?

 まあでも、読むけどね。正確には読むふりをするけどね。だって新聞読んでる人ってかっこいいじゃん?

 

 新聞を開くとそこには……俺だ。

 新聞に俺が写ってる。

 しかも大見出しで。

 記事にはこう書いてある。

 

『民間上がりの英雄 神対応を見せる』

 最近話題となっている、民間上がりの英雄と呼ばれる横須賀鎮守府の提督。彼が反艦娘派に見せた『神対応』が、今話題になっている。

 提督にとって白い軍服は己の身分を証明するものであり、それがない間は何の権限も持たなくなる。つまり、軍服を着ていない間は、艦娘に殺される恐れさえあるのだ。

 反艦娘派の方々はその軍服を提督の『象徴』とし、脱ぐ様に求めた。

 普通この要求は拒否するものだが、横須賀鎮守府の提督は一瞬の迷いもなく、この軍服を脱ぎ、手渡した。その所作は非常に流麗であり、反艦娘派の方々への敬意が感じられた。

 横須賀鎮守府の提督が何故提督の象徴たる軍服を、こうまで簡単に手渡したのか。提督からのコメントが得られない以上、それは不明だが、この行動は結果的に、全てが丸く収まる『神対応』になった様だ。

 

 

   (中略)

 

 

 横須賀鎮守府前に集まった反艦娘派の方々は、横須賀鎮守府の提督のこの行いに感銘を受け、この軍服をクリーニングした上で、提督に返上する事を決めた。

 現場に居なかった反艦娘派の上層部はこの決定に反対している様だが、彼らの意思は固い様である。恐らく、その現場に居た人間にしか伝わらない、ある種のカリスマの様な何かを、彼らは感じたのだろう。

 余談ではあるが、彼らが横須賀鎮守府の提督に軍服を返す際、軍服に振りかけた香水が、今若者の間で大流行している。特に何か高価な物を借りた際にこの香水を振りかけてから返却するのが流行している様だ。

 この香水のメーカーは「横須賀鎮守府の提督が、我が社の香水の匂いのする軍服を着用して下さっている事は、非常に名誉な事だ」とコメントした上で「今度は自分でも使っていただきたい」とし、横須賀鎮守府の提督に大量の香水をプレゼントする事を検討している様だ。

 また、これまで批判が多かった大本営だが、彼の登場から支持率が急上昇しており――

 

 

 そこまで読んだところで、俺は新聞を読む事をやめた。

 先ずドッと冷や汗が出てきた。

 あの時、適当に渡した軍服、まさかそんなに大事な物だったとは。危ねえ。すぐ返ってきてよかった。後ちょっと返ってくるのが遅れたら、うっかり長門の奴にでも殺されてたかもな。あいつ俺の事嫌いだし。

 ていうか俺、いつの間に『民間上がりの英雄』って呼ばれてたの?

 

「提督」

「……なんだ」

 

 呆然としていると、加賀が話しかけていた。

 

「とても、気高い行為だったと思います。提督に比べれば浅慮な私ですので、勿論全てを理解しているとは思いませんが、提督のお心遣いには感服します」

 

 だから、何を言ってるの?

 俺のお心遣いってなんだよ。お前達が俺にお心遣いしてくれよ。

 まあでも、あれだな。結論としては――

 

 ――パンツ食いてえ。












【簡単な元帥説明】
“調和”の元帥→裏から手を回す人
“闘争”の元帥→直ぐ戦う人
“明晰”の元帥→白黒はっきりした人
“義勇”の元帥→熱血ないい人
“色香”の元帥→エロい人


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『英雄』の住まう鎮守府 ①

 私――金剛型三番艦『榛名』は海軍学校を首席で卒業しました。

 

 先に言っておきますと、恥ずかしいんですけれど、私は頭が良いわけでも、運動能力が優れているわけでも、ましてや何か特別な力があるわけでもないんです。

 そんな私がどうして首席になれたのか、と言いますと。

 うーん、簡単にいえば『努力』です。

 私は努力しました。

 寝る間も惜しんで勉強して、娯楽を断ちひたすらに身体を鍛えて、毎日毎日二十四時間という時間全てを有効活用したんです。

 だから私が首席になれた理由は、努力以外の何物でもないんだと思います。

 

 ――どうしてそれほどまでに首席に固執したのか、ですか?

 

 日本には現在、数多くの鎮守府が存在していますよね。

 卒業した時、私達新米艦娘は鎮守府の中から一つを選んで、そこに着任するんです。でも、当たり前ですけれど、みんながみんな望む鎮守府に入れるわけじゃありません。鎮守府にも定員がありますから。

 そして肝心の――どの鎮守府に入るのかを選ぶのは、早い者順なんです。成績の良かった人から順に、早い者順。

 私が入りたかった鎮守府は――はい、()()横須賀鎮守府です。

 鎮守府の定員は三隻。

 間違いなく、最上位者三隻がその席を取ってしまうと私は思いました。だから私は努力したんです。とっても、ね。

 

 私はどうしても行きたかったんですよ。

 『英雄』の住まう鎮守府に。

 

 

   ◇

 

 

 首席の榛名。

 次席の鈴谷。

 三席の曙。

 榛名の読み通り、最上位者三隻はこの鎮守府を選んだ。

 それも当然の事だろう。

 成績が優秀であればあるほど、この世界の情勢と、それから戦いの厳しさを知っているということになる。それはつまり――ここに住む『英雄』の偉大さを知る、という事と同義なのだから。

 それならば、この鎮守府を志望しないわけがない。

 

「よく来た。私は『第一艦隊』旗艦長門。よろしく頼む」

 

 鎮守府の巨大な扉の前で、長門はそう言って彼女達を出迎えた。

 ――強い。

 榛名が抱いた第一印象はそれだった。

 これまで見て来たどの『長門』よりも間違いなく、この長門は強い。海軍本部で見た元帥の『長門』も強かったが、これはそれ以上だ。

 しかし、特別な驚きはない。

 むしろ、ここにいる提督のことを考えれば、それくらいは当然だろう。

 

「歓迎しよう――と言いたいところだが、それはまだ出来ない。

 君達は海軍学校で優秀な成績を収め、尚且つ本部の人間に推薦されて来たのだろう。しかしそんな物は、ここでは何の意味もなさない。

 何故か?

 理由は二つ。

 一つ。ここにいる艦娘は全員、その程度の事は当たり前にこなしているからだ。それは最低限のスタートラインに過ぎない。

 二つ。ここの全ての裁量権は、提督がお持ちになっている。つまり海軍本部や私がいくら君達を認めようと、あの方が「NO」と言えばそれは全く意味をなさなくなる。

 つまり君達は、まだこの鎮守府所属の者ではない。分かったか?」

 

 それはつまり、逆を言えば、他の者がどれだけ榛名を貶そうと、提督が認めてくだされば、榛名はここで働けるという事だ。

 それでいい。

 あの人に認めてさえもらえれば、それでいい。

 

「分かったなら良し。それでは、ついて来い。あの方――提督との面会だ」

 

 

   ◇

 

 

 執務室の前。

 重厚な木製の扉の前には、天龍と吹雪が直立不動で立っていた。

 

「長門だ。新着の艦娘を連れて来た。提督にお目通し願いたい」

「あい、あい。聞いてるぜ」

「天龍さん! 新人の前ではもっとしっかりして下さい! あっ、私は吹雪って言います。困ったことがあったら、何でも相談して下さいね!」

「へー、へー」

「そういうとこですよ、天龍さん!」

 

 天龍は吹雪の小言を受け流しながら、榛名達を軽く見回した。

 

「ん、武器は持ってねぇな。通っていいぜ」

 

 まさか、見ただけで?

 榛名はそこの所を詳しく聞きたくなったが――直ぐにそんな事は記憶の彼方へと飛んで行った。

 なにせ、今から会えるのだ。

 本物の『英雄』に……。

 自分でもハッキリ分かるほど、榛名は緊張していた。海軍学校で習った『緊張をほぐす方法』が、少しも意味をなさない。

 

(あっ、鈴谷さんと曙ちゃん――それから長門さんも?)

 

 しかし、流石に首席といったところか。

 榛名は若干の余裕を取り戻し、辺りを見渡した。

 すると、自分と同じ新米である鈴谷と曙はもちろん、榛名が今まで見た中で最も練度が高く、また毎日顔を合わせているはずの長門までもがわずかに緊張しているのがわかった。

 

 そう、緊張しているのは榛名達だけではない。

 長門もまた、確かな緊張を帯びていた。

 長門と提督の付き合いは、実に一月になる。

 一月。

 短いようで長い。

 何故ならここは数ある鎮守府の中でも、最前線に位置している。日本で一番危険な場所、といっても誇張表現にはならないだろう。当然、一日の濃度は他とは比べ物にならないほどに濃い。

 しかし、それでもまだ長門は提督に()()()()

 それは恐らく――彼の『底』が見えないからだろう。

 常に広く、遠くを見ている彼は、今一体何を見て考えているのか。長門にはそれがまったく分からない。

 故に、歴戦の長門といえど、緊張する。

 そういう場所なのだ、ここは。

 

「提督。新任の艦娘をお連れした」

「ご苦労、長門」

 

 長門は深く一礼すると、提督の右後ろについた。

 

(……噂は本当だったのですね)

 

 提督の後ろで控えているのは、長門だけではない。

 長門・陸奥・赤城・加賀・大淀の計五隻が提督の後ろに、秘書艦として控えていた。

 これは彼にまつわる逸話の中でも、有名な物の一つだ。

 本来一隻しかつかない秘書艦が、彼には五隻ついている。

 それは単純に――そうしなければ、彼の業務速度に追いつかないからだと言われている。

 彼は戦況を見ると、ほんの少しだけ考えた後、即座に派遣する部隊と戦略を考えつく。

 これは他の提督ではまずありえない事だ。艦娘を出撃させるには必要となる資材の細かい計算や、出撃させた艦娘がいない間の近海防衛など……とにかく様々な事を思考し、秘書艦や大本営と擦り合わせなくてはならない。

 だが、それらを全て、彼は一瞬の内にやってのける。

 それが一体どれだけ化け物じみた事なのか、首席である榛名にはそれが分かる。分かってしまう。

 

「――ようこそ」

 

 『英雄』が声をかける。

 その瞬間、榛名は凄まじいまでの『圧』に襲われた。

 提督から目を離したら、次の瞬間には襲われ、絶命するかもしれない――そう榛名に錯覚させる。

 

「高速戦艦榛名、着任しました。至らない所もあると思いますが、本日よりよろしくお願いします!」

 

 それでも榛名は、堂々と挨拶した。

 何のことはない。

 提督から感じるプレッシャーよりも、彼に会えた喜びが優ったのだ

 

 榛名が提督を知ったのは、わずか一月前のことだ。

 救国の英雄として注目されていた彼だが、大本営と反艦娘派との軋轢を緩和したとして、メディアに大きく取り上げられた。

 民間の出自であり、また艦娘を助けに単身他国に行った彼は、瞬く間に国民の憧れとなっていった。いや憧れたのは、国民達だけではない。海軍学校に所属する艦娘達も、彼に特別な感情を抱いた。

 

 堂々と指揮を執る提督。

 そして彼に全幅の信頼を置き、己の持てる力の限りを尽くす艦娘達。

 彼等の間には強い信頼があるのだと、テレビから見ているだけでもすぐに分かった。

 

 ――憧れた。強烈に。

 

 彼の元で戦う事は、一体どれほど名誉なことなのだろうか。

 歴史に名を残したいとか、武勲を上げたいとか、そういった事ではなく、もっと崇高な名誉が得られると、榛名は思った。

 横須賀鎮守府に着任したいと、強く、強く、本当に強く願った。

 そして榛名は努力した。

 わずか一月という短い間に、上の下程度だった成績を、首席に押し上げるほどに。

 

 そうまでして会いたかった『英雄』が今、目の前にいて、そして自分に話しかけているのだ。

 嬉しくないわけがない。

 ……こうして、榛名の鎮守府での生活が始まった。

 『英雄』が住まう鎮守府での生活が――












久しぶりの投稿なのに、感想や評価を入れてくれる人が沢山いて嬉しかったです。
嬉しさのあまり最新話を速攻で書き上げました。
ただ問題なのが、集まったほとんどの人が変態ということです。
というか見事に変態しかいません。ハーメルン界隈の変態が勢揃いしてます。このssは変態に支えられてるんだなって実感しました。本当にありがとうございます。みんな変態です。


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『英雄』の住まう鎮守府 ②

 ハッキリ言おう。

 俺は疲れている。

 原因はいろいろだ。

 その理由を一つ一つ挙げていこうと思う。

 

 先ず最初は、戦艦水鬼のクソビッチ野郎だ。

 他の鎮守府には全然出没しない癖に、横須賀鎮守府付近にはもう毎日のように来る。ていうか日に三回は来る。酷い時だと八回来る。なんなんだお前は。餌恵んでもらった野犬かなんかか。

 しかもウチの艦娘と接敵するたびに「アノ汚ラシイ男ヲ連レテ来イ!」だとか「ブッ殺シテヤル!」だとか叫んでるらしい。

 俺がお前をぶち犯すぞこら。

 

 次。

 やたらと送られて来る香水。

 もう意味分かんねえよ。

 いや、こうなった経緯は知ってるよ?

 でもさ、俺一言もこの香水が好きって言ってないじゃん。贈り物にかけられてただけじゃん。なんで送ってくんだよ。送られてきた香水でプールが出来るわ。ここまで来るとちょっとした嫌がらせだよ。

 

 次。

 全然知らない人から手紙が山の様に来る。

 応援してますとか、尊敬してますとか、その辺はいいよ。むしろちょっと嬉しいよ。

 でもね、死にかけてる祖父に一目会って下さいとか、子供の名付け親になって下さいとか、ホント知らんから。老人はとっととくたばれ。そんで子供はちゃんと親が名前考えてやれ。俺が子供に名前つけたら、小学校入った時「親に自分の名前の由来を聞いて来ること」みたいな宿題出された時悲しい思いするから。そこはちゃんとしてやれ。

 

 次。

 ちょくちょく来るテレビ出演の依頼。

 ギャラを寄越せ。それか美人のアナウンサー連れて来い。艦娘より美人なアナウンサー連れて来い。

 

 次。

 艦娘達からやたらと監視されてる。

 なんなんだよお前ら。

 犯すどころか、オナ◯ーするスキもくれやしない。

 俺、仕事してるじゃん。世間もちょっと評価してくれてるじゃん。なのになんで一番肝心な君達が俺に一番冷たいの? なんでそんなに信用ないの? 犯そうとしてるのがバレてるの? それじゃあ仕方がない――ワケあるか。もうちょい俺に優しく接しろ。

 この間行われた他の鎮守府と演習した時とか、俺ちょっと傷ついたからね?

 向こうさん「今日勝ったら今夜は焼肉だ!」とか言ってるのに、こっちは「作戦はいかがいたしましょうか?」だよ。笑えよ。笑って雑談とかしようよ。焼肉食べに行こうよ。初期の宴会してる時とか、もっと気安かったじゃん。それを思い出せよ。なんで全員真顔でこっち見てるんだよ。俺が真顔になるわ。

 しかも演習の度に相手さんボコボコにするし。

 相手の提督と艦娘泣いてるし。

 勝っても全然喜ばないし。

 あと、反省会長い。そんなに反省する所ないだろ。もう君達十分強いから。それ以上強くなんなくていいから。

 

 次。

 戦艦水鬼。

 まさかの二度目だよ。

 あいつヤベエよ。

 頭おかしいよ。

 俺の名前叫びながら毎日朝から晩まで海を徘徊してるらしい。

 なんなんだよ。俺が何したっていうんだよ。

 

 次。

 海外からの謎の勧誘。

 なんか色んな国から勧誘が来る。

 確かにね、条件はいいよ。

 でもすまん、ロシア語と英語と中国語とフランス語とドイツ語とイタリア語と韓国語と東北弁はサッパリなんだ。

 

 次。

 長門。

 あいつなんなんだよ。なんでどこいっても着いて来るんだよ。そんでもってなんで着いて来た先で黙って立ってるんだよ。せめてなんか喋れよ。お前はどこまで俺が嫌いなんだよ。

 後、腹筋割れすぎなんだよ。何したらそんなに腹筋バッキバキになんだよ。板チョコみたいな腹筋じゃなくて、もう板チョコが長門の腹筋みたいな形してますね、って言われるレベルだよ。

 お前一人だけ世界観違うんだよ。北斗の拳とか刃牙の住人だろお前。お前の出演作品は対魔忍シリーズだから、それを忘れるな。

 

 次。

 加賀。

 お前もなんなんだよ。なんで知らない間に三歩後ろに立ってるんだよ。俺毎回お前に気づくたびにちょっと「ビクッ!」ってなってるからね?

 あと、俺が何か喋るたびにメモ取るのやめてもらっていいですか? なんでメモ取るの? 裁判に向けて準備してるの? 証拠集められてるの? 起訴する予定なの? お前のせいで俺発言にすっごい気使ってるから。国語の教科書みたいな言葉しか喋れなくなってるから。

 

 次。

 霧島。

 こいつはちょっと他とは質が違う。

 この間霧島が秘書艦の一隻として着いてくれたの。

 そこでふと思ったわけよ。

 ――あれ、金剛型の服って屈めばブラジャー見えるんじゃねって。

 で、早速ワザと書類落として、拾ってもらったの。そしたら見事に見えちゃったんだよね……黒光りする銃が。

 なんでそんなモン持ってんだよ! お前ら艤装あるだろ!

 そんで理由聞いたら、こう返ってきたわけですよ。

 ――ご安心ください、自決用です。

 怖えよ! シンプルに怖えよ! ご安心出来る要素一つもねえよ! 闇が深すぎるよ! 自決用の銃持ってる奴が近くにいる緊張感やべえよ! 普段の何気ない日常が一気に殺伐とするよ!

 

 次。

 戦艦水鬼。

 もうね、アホかと。

 これで三回目ですよ。

 今度はあいつ、人間に擬態して俺を訪ねて来やがった。

 なにちょっと趣向変えてんねん。

 腹立ったから、神通にボコボコにしてもらったわ。そしたらあいつめっちゃ泣きながら帰っていったし。泣けば済むと思ってんじゃねえよ。追いかけてもう一回神通にボコしてもらったわ。

 二度と来るんじゃねえ!

 

 ――他にも色々とあるが、とりあえずはこんな所でやめておこう。

 深海棲艦に恐ろしい程に命を狙われ、民衆からは好意という名の嫌がらせを受け、何故か艦娘達からは嫌われてる。

 俺の状況を簡潔に説明すれば、こんな感じだ。意味分かんねえよ。

 死にたい。

 シンプルに死にたい。

 いや、むしろ俺以外の奴が全員死ね。

 

 さて、そんな可哀想な俺だが、先日楽しみな事が出来た。

 新人艦娘達の着任である。

 報告によると榛名・鈴谷・曙の三隻が来るそうだ。

 いやー、分かってる。チョイスが分かってるね、大本営さん。

 

 俺は元々、軍船という物をほとんど知らなかった。

 大和と赤城、知ってたのはその二隻だけだ。その二隻にしたって、映画のCMでチラッと見ただけで、そこまで詳しいわけじゃない。

 船は全部戦艦だと思ってて、空母とかも知らなかったくらいだしな。

 だがある日、転機が訪れた。

 そう、艦娘との出会いだ。

 

 艦娘の存在はもちろん知っていたが、そこまで深くは知らなかった。一応軍の兵器な訳で、限られた公開しかされていないし。ところが俺は十年ほど前に――ひょんな事から艦娘と知り合った。

 時間にして……半年くらいか? 俺はその艦娘と二人で行動を共にした。妖精が見え出したのも、その頃からだったりする。

 まあとにかく暫くの間艦娘と過ごし――結果。脱童貞どころか、ほとんど女と話した事がない俺は、艦娘にドハマりした。

 艦娘の盗撮写真をネットで調べ上げ、艦娘が良く目撃される港付近に張り込み、艦娘が出てくる軍主催のイベントには出来るだけ参加するようにした程である。

 

 そんなわけで俺は結構艦娘に詳しかったりする。詳しいと言っても外見と性格だけで、船の歴史とかはからっきしだけどな。もちろんネットで仕入れた情報だから、すべてがすべて合っているわけじゃないだろうし。

 

 そんな艦娘に詳しい俺から言わせてもらうとですね、榛名は絶対淫乱。間違いない。

 だって俺が見た参考文献で、全部淫乱だったもん。ちょっと声かけたら頬を赤らめて提督に惚れて、ボディタッチでもしようものなら、目をハートにして愛の液ドバドバですよ。

 これは淫乱ですねぇ、間違いない。

 

 それから鈴谷。

 もうこれは説明不要と言っても過言ではないだろう。

 男を誘うような事を言っておきながら、いざその時が来たらウブな一面を見せる。素晴らしいじゃないですか。

 今時のJKらしい見た目も良し。

 処女ビッチという言葉を考えた人に、全力で敬礼したい。横須賀鎮守府総員で敬礼したい。

 そして甲板ニーソを考案した設計者に、全力で敬意を払おう。人類みんなで敬意を払おう。

 

 最後に曙。

 今の俺なら曙に「クソ提督!」って言われただけで絶頂する自信があるね。

 それにだ。

 曙と言ったらツンデレ、という風潮がある。

 クソ提督! と言って普段はツンケンしてるけど、疲れてたり困ってたりすると、なんだかんだ言って助けてくれる。母性溢れる艦娘――

 ハッキリ言おう。

 ツンデレの“デレ”がなくても俺は全然イケる。

 Sであり、Mだからな。

 クソ提督という罵倒と、ローキックくれたらもう全然イケる。

 最高を言うなら、俺をめっちゃ嫌ってる曙を無理矢理犯したいね。抵抗して来たら姉妹を人質にとって……グフフ。おっと口から我慢汁が。

 

 いやぁ、楽しみだなあ。新しい艦娘が来るの!

 新規の船なら、俺に対しての偏見はないだろうし。

 来い! 早く来い! 淫乱の榛名来い! 処女ビッチの鈴谷来い! ラブリーマイエンジェルぼのたん来い!

 

 

   ◇

 

 

 ――帰ってくれないかなぁ、君達。

 

 俺はそう思った。

 切実に思ったね。

 三隻が部屋に入って来た瞬間から、嫌な予感はしたんだよ。だって背筋がやたらいいんだもん。歩き方も堂々としてるし。

 それでも。

 それでも俺は、わずかな希望を胸に、彼女達を見た。

 それで挨拶が始まって――俺は一瞬で悟ったね。

 

 ――あっ、これ大丈夫な榛名だ、って。

 

 恋愛感情とか一切持ち合わせてない。

 御国のために頑張ります! って気概に満ち溢れてる。

 目がハートとか言ってる場合じゃないよ、ホント。勘弁してくれ。御国のために戦うとか、まっっっったく求めてないから。チョロインで淫乱、必要なのはその二つだけから。

 

 続いて鈴谷。

 

「最上型重巡洋艦の鈴谷です! 至らない所ばかりだと思いますが、どうかよろしくお願いします!」

 

 お前もか、ブルーヘア。

 その爽やかノリなんなんだよ。

 運動部に所属する田舎の女子高生か、お前は。

 

 最後に曙。

 

「特型駆逐艦曙。優秀なんでしょ? 提督の元でたくさん学ばせてもらうつもりだから、よろしく」

 

 クソ提督って呼んでよ、ラブリーマイエンジェルぼのたん……。

 でも惜しい!

 三隻の中だったら一番惜しい!

 でもなぁ、なんか違うんだよなあ……。

 

 俺は迷った。

 チョロインじゃない榛名と処女ビッチじゃない鈴谷とクソ提督って呼んでくれない曙って――需要ある? 少なくとも俺にはない。

 でも手元に置いておきたい感もある。可愛いしね。穴があればなんでもいい、最早俺はそのレベルにまで来ている。

 だから俺は迷った挙句『保留』にした。

 これから少しの間、どっか適当な艦隊に入れて、この鎮守府で働いてもらう。そこでの活躍を見て、採用するかどうか決める。

 そう三隻に通達した。

 そしたら三隻そろって「はい!」って元気よく返事しやがった。そういう所だよ。もう1ポイント減点だから。

 ま、とにかく頑張ってよね!












参考までに↓
【現在明かされている艦隊メンバー】
『第一艦隊』旗艦長門・陸奥・???・???・???・???
『第二艦隊』旗艦神通・川内・???・???・???・???
『第三艦隊』旗艦パンツ・天龍・山城・那智・瑞鶴・隼鷹
『第四艦隊』旗艦???・???・???・???・???・???

スマホだと謎の改行をしている可能性があるので、横にして読むと読みやすいかもしれません。


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『英雄』の住まう鎮守府 ③

 新米艦娘達三隻は、それぞれ艦隊の元で研修を受ける事となった。

 最上型重巡洋艦三番艦『鈴谷』が研修を受ける事になったのは『第三艦隊』である。正確に言うなら、『第三艦隊』ではなく、その旗艦である吹雪に、だが。他の面々は今日も何処かで遊び呆けている。

 

 吹雪は面倒見の良い艦娘である。

 提督に命令されるや否や、横須賀鎮守府の主な業務と施設、これから鈴谷にこなして欲しいトレーニングと業務、何故それをさせるのかについての吹雪なりの理由を書いた書類を製作した。

 それを読んだ鈴谷は、一言こう述べた。

 

「提督ってさぁ〜本当に人間なの?」

 

 慌てたのは吹雪である。

 

「しーっ! しっー! た、例え冗談でも、そんな言葉が金剛さんや神通さん、鳳翔さん辺りの耳に入ったら殺されちゃいますよ!」

「や、やだなぁ。冗談だって!」

「「冗談だって」、この八文字を言い切る前に、あの人達なら十回は鈴谷さんを殺せます。不用意な発言は控えた方が無難ですよ」

 

 鈴谷は心底ゾッとした。

 吹雪の言葉が決して嘘や誇張でない事が、彼女には痛い程分かったからだ。

 その理由は、彼女がたった今読み、そして「提督は人間ではない」と結論付けた吹雪著の書類にある。

 

 ――基本的に、深海棲艦は理性や知性を持ち合わせていない。

 その為、攻撃はとても単調だ。

 毎回決まった編成、決まったルートで出撃してくる。

 これを迎撃するのが、一般的な鎮守府の主な仕事である。

 だが、何事にも例外は存在する。

 長らく生きた深海棲艦は成長し、稀に『覚醒』する。

 覚醒した深海棲艦は『鬼級』や『姫級』と呼ばれ、従来の深海棲艦と隔絶した能力を誇り、更には一転して高い知性を持つ。

 鬼級や姫級の深海棲艦は下級の深海棲艦に命令する事が可能であり、度々艦隊を率い、高度な戦略を持って鎮守府や港町を襲う。

 しかし姫級が現れるのは非常に稀――ましてやその上に立つ水鬼級など、ほとんど確認さえされていないのが現状である。

 

 ――だが、何事にも例外は存在する。

 

 世界にたった一つ。

 毎日の様に姫級や水鬼級に攻め込まれる鎮守府が存在する。

 鎮守府近海には姫級やflagshipが溢れかえり、あまつさえ日に最低三度は水鬼級が現れる、そんな鎮守府が。

 その例外がここ、横須賀鎮守府である。

 横須賀鎮守府は出撃回数が他の鎮守府とは比べ物にならないと聞いていたが、まさかここまでとは。一体この鎮守府に所属する艦娘の練度はいかほどなのか……鈴谷は戦慄した。

 

 また、水鬼級の学習能力は非常に高い。

 一度見た編成、戦術を瞬く間に学習し、すぐさまそれに対応する戦術を練ってくる。

 それが最低日に三度来るという事は――毎日、毎日。新たな戦術を山の様に考案しなければならないという事だ。

 

 新たな戦術を常に考え出し、それを実行出来るだけの膨大な資材を管理し、更に自らの指示を艦娘達に正確に通達させる。

 それをたった一人で実行するのが、どれだけ大変なのか――遥か雲の上過ぎて正確なところはわからないが、とにかく大変だという事は分かる。少なくとも、「人間ではない」と評価する程度には。

 

「でもさー、なんでこの鎮守府こんなに襲われてんの?」

「……えっと、実は司令官はたったお一人で戦艦水鬼を退けた事があるんです」

「はぁ!?」

「それで怨んでるのではないかと」

 

 到底信じられない話だ。

 人間では駆逐艦イ級にすら歯が立たない。

 ましてや、艦娘でも持て余す戦艦水鬼。

 アレを単騎で倒せる人間などいない――いるわけがない。

 だが――事実として、戦艦水鬼はこの鎮守府の海域に毎日の様に来る。

 それに、だ。

 先ほど提督と対面した時に感じた圧力と、あの眼光。最早人間のそれではない。野生の獣――それも飢えた獣のそれである。

 それを考えると、あながち嘘ではない様にも思えて来る。

 

 戦艦水鬼を単騎で倒す。

 それが出来る、ほんの一握り。

 それが『英雄』。

 ニュースや新聞で彼の活躍を聞いた時は、その突拍子もなさから誇張か嘘かと思ったが……真実はむしろ真逆。

 提督は更にその上を行っていたのだ。

 

「さっ、雑談はここまでです! 早速トレーニングに行きましょう!

 確かに司令官は凄くて、手が届かない様に思えます。でも、日々のトレーニングは嘘をつきません! 一歩、一歩進んで行きましょう。それまでいくらでもお付き合いしますよ!」

「あざーっす!」

「じゃあとりあえず、艤装を外してください」

「えっ!? ま、まさかあのトレーニングって全部生身で……」

「当たり前じゃないですか! 体は何よりの資本ですよ!」

 

 鈴谷は青ざめた。

 吹雪が掲げたトレーニング。

 その質と量は並みのそれではなかった。

 故に、てっきり鈴谷は艤装を着けた状態――艦娘の状態でこなすと思ったのだ。

 

 人格がまともで、また元来の明るい性格のせいかすっかり忘れがちになるが。

 吹雪もまた横須賀鎮守府に所属する艦娘である。

 こと鍛錬において、常識などというものは遥か彼方に置いてきている。

 

 ――この日、鈴谷はトレーニングを全てこなし切る前に、疲労で倒れた。

 

 

   ◇

 

 

 榛名が配属されたのは『第四艦隊』である。

 理由はなんとも単純で、『第四艦隊』に榛名の姉艦である金剛が所属しているからだ。

 そして現在、榛名は『第四艦隊』旗艦・鳳翔の元で指導を受けていた。

 鳳翔は軽空母である為、正規空母である赤城や加賀に比べて性能は劣るが、技術に於いては並ぶ者がいない実力者である。

 

 ――しん、と静まった弓道場。

 静寂は耳に痛いほどだ。

 その中央で榛名は座禅を組んでいた。

 正面に座るのは、もちろん鳳翔だ。

 

「集中が途切れていますよ、榛名さん」

 

 鳳翔がそっと告げた。

 傍目からは、榛名の様子はまったく変わったように見えなかったが……。

 しかし。

 集中力の散漫、というにはあまりにも小さな『揺らぎ』。それを鳳翔は感じ取ったのだ。

 それ故の激励である。

 榛名はそれを受け、再び集中を深めた。

 

 ――かれこれもう八時間になる。

 榛名はただずっとこうして、座禅を組んでいた。

 

 最初に弓道場に入った時、鳳翔は榛名にマトを撃たせた。

 合計で20発。

 その内15発はマトの真ん中を射抜き、残りの5発はわずかに逸れた。

 艦娘用のマトは普通の軍部で使われるそれより遥かに遠く、また小さい。この結果は新米にしては上々と言えるだろう。

 しかし、鳳翔は首を横に振った。

 

「榛名さん。貴女は一度、マトの中央に当てました。それならば、その技術はあるという事です。たった20発の砲撃。疲労で腕が鈍る、という事はあり得ません。ならば何故貴女の弾は外れるのか……」

 

 鳳翔はスッと立ち上がり、その場で弓を射た。

 矢はまっすぐマトの中央へ。

 再び矢をつがえ、構えると同時に打つ。

 二ノ矢は先に刺さった一ノ矢を貫き、再び中央に突き刺さった。

 それが繰り返され――合計三十の矢がマトの真ん中を射抜いた。

 

「答えを差し上げましょう。心・技・体。榛名さんには心が欠けています。外した弾の数が、そのまま貴女の心の弱さだと知りなさい。その様な弱い心で、どうしてあの方の下で働けますか」

 

 榛名は深々と頭を下げた。

 徹頭徹尾、鳳翔の言葉は間違っていない。そう感じたのだ。

 

「集中」

 

 最後に、鳳翔はそう告げた。

 集中する事でその頂に立てるというなら、そうするまでだ。

 榛名は座禅を組み、ひたすらに集中力を深めた。

 

 ――座禅が五時間を超えた頃、榛名の集中力は一つ上のステージへと上がった。

 本人は自覚していないが、榛名は紛れもなく天才である。

 常人ではそこに辿り着くまでに、一体いくらかかるのか……その領域にまで達した。

 しかし、至高の領域ではない。

 そして鳳翔が指したのはその領域である。

 

 結局その日、榛名が座禅を解く事は許されなかった。

 

 

   ◇

 

 

 誰が言った言葉か、こんな言葉がある。

 

 ――横須賀鎮守府は眠らない。

 

 横須賀鎮守府は日本で――否、世界でも屈指の激戦区だろう。

 ここ横須賀鎮守府には朝も昼も夜も、絶え間なく深海棲艦が攻め込んでくる。それも雑魚ではない、少なくともelite級以上の深海棲艦が。

 敵に休みがない以上、こちらも休むわけにはいかない。

 横須賀鎮守府では毎日、提督が決めたオーダーに従い、誰かしらが毎時間出撃している。

 そんな(さま)を見て、誰かが言った。

 

 ――横須賀鎮守府は眠らない。

 

 何も知らぬ者がこれを聞いた時、先ず最初に思い浮かぶのは「大変そうだ」という感想だろう。

 それも間違いではない。

 事実、横須賀鎮守府がこなす日々の業務量は、他の鎮守府とは比べ物にならない程だ。

 だが、この言葉の本質はそこにはない。

 

 ――横須賀鎮守府は眠らない。

 

 この言葉の意味、本質。

 それは『世界最高の提督の元で、誰よりも多く経験を積める』という所にある。

 普通他の鎮守府が何ヶ月も準備して行うような、大規模作戦。それが横須賀鎮守府では毎日毎日、何度も行われている。それも『英雄』の指揮の元で、だ。当然、積む練度の高さは普通の比ではない。

 元来、横須賀鎮守府の艦娘達は精鋭ばかりだ。全員が鍛え上げられている。特に神通などは、ある種の『極限』にまで達したと言えるだろう。

 だが、彼女達は口々に語る。

 

 ――我々は思い上がっていた。

 提督のレベルと、私達の練度はまったく釣り合っていない。

 私達はまだまだ未熟だ、と。

 

 百戦錬磨の長門も、

 世界最強の軽巡洋艦である神通も、

 全ての空母の頂点に立つ鳳翔さんまでも。

 今もなお発展途上――成長期!

 提督の指揮下に入ってまだ一月程度だが、練度は以前の彼女達と比べ物にならない程に上がっていた。

 

「横須賀鎮守府は眠らない。私のこの言葉の解釈は、それとは少し異なります」

 

 そう語るのは『第二艦隊』旗艦・神通である。

 

「私は横須賀鎮守府とは、それに所属する私達の事を指し、眠らないのは私達の向上心だと解釈しています。今もそう、私は戦いたいと、少しでもお役に立ちたいと、心より願っています。貴女はいかがですか?」

 

 ――返事はない。

 それもそのはずである。

 問いかけた相手――特型駆逐艦『曙』は、先ほど神通の一撃を腹部に受け、今も血反吐を吐いている最中なのだから。答えることなど出来るはずがない。

 駆逐艦である曙は、水上打撃部隊であるここ『第二艦隊』に配属された。

 最初に、神通はこう告げた。

 

「私もまだ未熟の身。他人に教えを説くほどの余裕も練度もありません。ですが提督に任された以上、貴女の教育は私の任。必ず遂行しなければなりません。なので、そうですね……私は実践こそが最高の鍛錬だと考えます。曙ちゃん、貴女が私に一撃でも当てられれば、貴女を認めましょう」

 

 そう告げた瞬間、曙は神通に襲い掛かった。

 先手必勝!

 竹を割ったような性格を持つ曙はそう考えた。

 事実、それは間違っていない。

 先手を取った方が有利、というのは戦闘において常識だ。

 だが、それもある程度までの話……。

 

「うぅ……、ぐっ!」

 

 腹部と喉。

 同時に二箇所を破壊された曙は、口から吐瀉物を撒き散らした。喉を吐瀉物が通る度に、喉が悲痛を訴える。

 神通はあえて、曙と同じくらいのレベルまで身体能力を落として応戦した。それでもなお、二隻には大きな隔たりがある。その差は『技』。古今東西あらゆる武術に精通する神通は、仮に艤装を外していようと、他の艦娘とは一線を画す。

 

「横須賀鎮守府は眠らない。私はいつ何時でも勝負を受けます。それにハンデとして、私は曙ちゃんと同じくらいの身体能力でお相手させていただきます。回復したらまた来て下さいね」

 

 神通は高速修理剤が入ったペットボトルを置き、その場を後にした。

 

 ――この日四度、結局曙は神通に挑んだ。

 兵装を整えて一回、奇襲が一回、地雷を設置しての待ち伏せが一回、正面からが一回。

 語るまでもないと思うが――その全てが神通には通用しなかった。

 神通に一撃入れる。

 わずかな期間で、曙は達成しなくてはならない。

 

 

 ――一日目終了。












【オマケ・神通さんの日常】
 己の肉体と武術の限界を感じ、悩みに悩み抜いた結果……神通がたどり着いたのは『感謝』であった。
 自分自身を育ててくれた提督への大きな恩。
 自分なりに少しでも返そうと思い立ったのが……
 一日一万回、感謝の出撃!
 装備を整え、祈り、拝み、出撃。
 一連の動作をこなすのに当初は5〜6秒。
 一万回の出撃を終えるまでに、初日は18時間以上を費やした。
 出撃し終えれば倒れるように眠る。起きてはまた出撃を繰り返す日々。

 二週間が過ぎた頃、異変に気付く。一万回を出撃し終えても日が暮れていない!
 三週間目を超えて完全に羽化する。
 感謝の出撃一万回、一時間を切る!
 ――代わりに、祈る時間が増えた。
 海から上がった時、神通は 戦 艦 水 鬼 を 単 騎 で ボ コ ボ コ に し た。


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『英雄』の住まう鎮守府 ④

 ――夢を見た。

 

 幸福な夢を見た。

 夢の中で俺は、沢山の艦娘に囲まれていた。

 みんな笑顔だった。

 心の底から、楽しそうに笑っていた。

 こんな笑顔を見るのは、いつぶりだろうか。

 俺自身の顔は見えないが、きっと笑っているのだろう。

 

 どの艦娘も笑いながら、俺に声を掛けてくれた。

 一緒に遊ぼうと、駆逐艦や潜水艦達が手を握る。

 軽巡洋艦達がからかうように俺の身体に抱きつき、それを重巡洋艦が慌てて諌める。

 遠くで空母や戦艦達が困ったように見ているが、どこか楽しそうだ。

 

 とても幸福だと思った。

 こんな光景がずっと続いて欲しいと、心から願った。

 

 だが、夢はいつか醒めてしまう、儚い物。

 朝になり、目覚め――

 

 ――気がつけば、俺は『夢精』していた。

 

 ごめんなさい、今日は仕事したくないです。

 一人にしてください。

 

 

   ◇

 

 

 長門はバン! と強く壁を叩いた。

 艤装をつけていなければ、長門の力と耐久性は人間のそれだ。

 爪が肌に食い込み血が滲み、拳を壁に叩きつけた反動で皮膚が裂ける。

 

「クソッ!」

 

 それでも、その程度の痛みでは、長門は自分が許せなかった。

 許されるなら、もっと自分を戒めたい。

 しかし、長門の身は横須賀鎮守府、いや提督の所有物である。勝手な都合で傷つける事は出来ない。

 自分が平穏である事。それがこんなにも悔しい事だとは、長門は想像もしていなかった。

 

 事が起きたのは早朝の事である。

 毎朝、提督を起こすのは、大淀の役目だ。

 その彼女から、緊急の連絡が入った。

 

 ――提督が体調を崩された。

 

 誰よりも仕事熱心なあの人のことだ、ただの体調不良で休むとは思えない。

 事実、大淀からの報告によれば、提督は一切ふとんから出ようとせず、更には身じろぎを繰り返していたそうだ。

 それほど苦しい、という事なのだろう。

 

 それを聞いた時、長門は先ず提督を心配した。

 心配しすぎて、壁を壊しながら最短距離で提督の部屋に行ったほどだ。

 そしていざ提督の姿を見て――長門は泣いた。

 あれほどまでに強かった覇気が、見る影もない。

 目の力も何処か弱々しい。

 長門を寂しそうに見る提督の顔は、まるで悟りを開いたようだ。

 

 長門は、直ぐに悟った。

 酷使し過ぎたのだ。

 体力を、知能を。そして心を。

 思えば提督が着任して以来、マトモな休みなどなかった。

 それもこんな激戦区の中で。

 提督がいくら優れてるといっても、身体は人間のそれだ。

 いつかは限界が来る。

 

 何故、提督はこんなになるまで休めなかったのか……?

 答えは、原因は目の前にあった。

 ――己だ。

 己の未熟さが、この結果を招いたのだ。

 自分が未熟だったから、提督は休めなかった。託せなかった。

 思い返せば、長門は提督が来て以来、提督に頼ってばかりだった。あの方に任せるのが最善の策、そう考え、それに甘えていた。

 

 提督は努力のお人だ。

 長門は始め、英才教育によりあれほどの知略を持ったのだと思っていたが、実はそうではなかったのだ。

 提督は民間上がりの人間である。

 つまり、彼は独学で学んだのだ。

 たった一人であそこまで積み上げるのは、どれ程大変な事だろうか……。

 分かっていたはずだ。提督は艦娘の、ひいては国の為なら、どこまでも自分を捧げる。そんな人だと。

 そんな提督に寄りかかれば、あの人はどこまでも支えようとするだろう。

 そう、自分が倒れるまで……。

 

 何故気がつかなかったのか?

 後悔は募るばかりだ。

 

「長門、そろそろ……」

「ああ」

 

 陸奥の声で我に帰る。

 今から緊急の会議だ。

 旗艦と大淀の五隻で、これからの事を決めなくてはならない。

 

 会議室に入ると、既に神通・吹雪・鳳翔・大淀が集まっていた。

 全員表情が暗い。

 きっと長門もそうだろう。

 ――提督がいない。

 その事実は、歴戦の猛者達にも重くのしかかる。いや経験豊富な彼女達だからこそ、提督がいない緊急性を強く理解しているのか。

 

「すまない、遅れた。先ずは――」

 

 長門が口を開いた瞬間、大きな音と共に、会議室の扉が吹き飛んだ。

 砂煙の向こうから、金剛が大股で歩いて来る。

 

「金剛、この会議は旗艦と大淀以外――」

Shut up(黙れ)!」

 

 そのまま金剛は長門の襟を掴み、大声で怒鳴った。

 

「心して答えるネ! 何故提督をあんなになるまで働かせタンデスカ! 一番近くにいたオマエが、どうして気がつかなかった!」

 

 金剛の艤装が展開される。

 彼女の背後に現れた主砲が一瞬で熱を帯び、周りの空気を歪ませた。

 長門が下手な事を言えば、彼女は迷わず撃つ。

 そう感じさせるには十分な殺気だ。

 

「金剛さん」

 

 黙る長門の代わりに、声をかけたのは神通だった。

 

「この会議は、旗艦と大淀のみが参加を許される。そう提督がお決めになりました。提督のご命令に反するというなら、この私が切り捨てます」

 

 金剛の主砲で熱された空気が、一瞬にして凍る。

 神通の殺気。

 並みの艦娘では、それを正面から受けただけで二度と戦場に復帰する事は出来ない、と言われている。

 しかし、金剛もまた『第四艦隊』に所属する強者。

 真っ向から神通と向き合った。

 

「神通さん」

 

 そこに鳳翔が割って入る。

 

「金剛さんは私が旗艦を務めさせていただいている『第四艦隊』の一員。私の部下に手を出す事は許しません」

「それが命令違反だとしても、ですか?」

「はい。例え神通さんと敵対しようと、私は部下を守ります」

 

 鳳翔もまた艤装を展開し、弓を神通に向けた。

 いかに神通といえど、鳳翔は片手間に相手出来る船ではない。

 神通も金剛に気を配りながらも、鳳翔に艤装を向けた。

 金剛は怒り狂いながら、長門に照準を合わせたまま。

 対して長門は俯くばかりで、艤装さえ展開しない。

 

 誰かが撃てば、もう止まらない。

 しかし、引くことも出来ない。

 それは譲れない領分だからだ。

 

 ――長い膠着状態を破ったのは、一本の電話だった。

 

 大淀が受け取り、電話対応をする。

 時間にして、十分程だろうか。

 大淀は電話を終え、受話器を置いた。

 

「大本営――と言うより、元帥からのご命令でした」

「……内容は?」

「鎮守府を一般公開して欲しい、と」

 

 正直に言えば、大本営のイメージは悪い。

 しかし、提督の登場により、その風潮は払拭されつつある。

 これを好機と見た大本営は、更にダメ押しをしたいと考えた。

 

「そのダメ押しというのが、横須賀鎮守府の一般公開だ、と」

「はい。艦娘や鎮守府を身近な物に感じてもらい、更には良いイメージもつけたいとのご要望でした。いかがなさいますか?」

 

 長門は迷っていた。

 今は、鎮守府近海に迫る深海棲艦達の迎撃で手一杯だ。

 これ以上の負担となると、少し厳しい。

 提督がいない、という正当な理由がある。

 長門は断りの電話を入れるよう、大淀に指示しようとした。

 

「やりましょう」

 

 だが、先に声を出したのは吹雪だった。

 

「確かに司令官は、ここに居ません。みなさんの気持ちも分かります、私もとっても不安です。でも、提督の教えは今もここに、私達の中にあるはずです」

 

 全員の視線が吹雪に注がれる。

 その中で、吹雪は堂々と話を進めた。

 

「提督は、いつも民間の方の事を考えていらっしゃいました。それなら、私たちもそうするべきだと思います。私達が頑張る事で、民間の方が少しでも安心して暮らせるようになるなら、私はやりたいです!」

 

 ――真っ先に艤装を解除したのは、鳳翔だった。

 

「分かりました。私はそれで構いません」

 

 それに呼応するように、全員が艤装を解除する。

 

「ハイ! そうと決まれば早速取り掛かりましょう!

 神通さんの言う通り、金剛さんは命令違反をしました。ですが、今は少しでも人手が欲しい時です。ここは一旦不問にし、落ち着いた後で、再度審議にかけるというのはいかがでしょうか?」

 

 不満は出なかった。

 あの神通までもが、素直に武器を下ろした。

 

「……長門」

「なんだ」

「今回は許します。ブッキーに感謝することネ。でももう一度同じ事があったら、次は迷わずfireシマスカラ」

 

 最後に吹雪に「Thanks」と言って、金剛は会議室を出て言った。

 

 

   ◇

 

 

 さて。

 鎮守府を一般公開する、と言われても、戦場に長い間身を置いてきた長門には、普通の人間が何を求めているのか、何をしたら喜ぶのか、ということがサッパリ分からなかった。

 そこで白羽の矢が立ったのが新米艦三隻である。

 ついこの間まで学生だった彼女達なら、感性もまた普通の人間に近いはずだ。

 

「夏祭りをするのはいかがでしょう」

 

 そう提案したのは榛名だ。

 

「少し季節外れな気もしますけれど、やっぱりお祭りはみんな好きだと思います」

「なるほど」

「艦娘のみなさんが出店を開けば、自然と交流も増えるでしょうし、それぞれの特技を活かしたステージもやりやすいと思います」

 

 ステージと聞いて真っ先に思い浮かぶのは、那珂と加賀だ。

 那珂はアイドルとしてステージ慣れしているし、加賀は歌が異様なほど上手い。

 他には……戦艦の主砲で打ち上げる花火など、それなりに盛り上がりそうだ。あるいは少し改造したエアーガンを観客に持たせて、一斉に神通に向けて撃ち込ませるのも面白いかもしれない。神通ならきっと、度肝を抜くような方法で全ての弾を止めるだろう。

 

「吹雪」

「はい!」

「観客の方々の安全面にも留意したい。警備係を任せたいのだが、大丈夫だろうか?」

「任せて下さい! 明日までに警備マニュアルを作成してきます!」

「鳳翔さん、貴女は間宮と協力して出店を運営してもらってもいいだろうか」

「私なんかでよろしければ、喜んでお受けします」

「神通はステージを」

「畏まりました」

「私は祭り事というのに疎い。きっと盛り下げてしまうだろうから、鎮守府近海の警備を担当するよ。総合責任者は――吹雪、君に任せたい」

「私がですか!?」

「君以外に適任はいないさ」

 

 ぽん、と長門は吹雪の肩を叩いた。

 誇張でもなんでもない。

 純粋に、長門は吹雪こそが適任だと考えた。

 長門の指揮能力は高い。と言ってもそれはあくまで海の上、戦場での話である。

 他者の心を気にかけたり、こう言った行事の取り締まりは苦手分野だ。妹の陸奥の方が、まだ上手いかもしれない。

 

「さ、吹雪。最後に激励の言葉を」

「は、はい!」

 

 深呼吸を挟んで、吹雪が号令をかける。

 

「みなさん! それぞれの任務や、新艦の教育で忙しいと思います! ですが、これは司令官の名誉に関わる仕事です。私達の失敗は司令官の失敗に、私達の成功は司令官の成功になります。みなさん、頑張りましょう!」

 

 ――神通さんが食い気味にお返事したのが印象的でした。

 後に吹雪はそう語った。












Q.提督が夢精するとどうなる?
A.艦娘同士で殺し合いが起きた末、季節外れの夏祭りが始まる。


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『英雄』の住まう鎮守府 ⑤

 俺が「今日は休む」と言ってからわずか三十分後、長門が殴り込んで来た。

 部屋の壁ぶち壊して乱入して来た瞬間、不覚にも死を覚悟したわ。もう助からないんだって、穏やかに受け入れちゃったよ。

 弱ってると知るや否や殺しに来るとか、ホントあいつ俺のこと嫌い過ぎだろ。しかもなんか泣きながら帰っていったし。情緒不安定か!

 それに長門のやつ、俺がいない間に、馬鹿みたいな頻度で出撃してるらしい。俺がいないと出撃し易いってか?

 ごめんなさいね、ヘボ提督で!

 

 ああ、それともう一つ。

 現在、大本営は経済難に陥ってる。

 運営費は税金や寄付金で賄われているらしいんだが、税金はともかく、寄付金の方があまり芳しくないんだと。

 そこで支持率を上げたいと、俺は大本営にせっつかれていた。具体的にはテレビに出演して欲しいとか、PR動画を撮って動画サイトに投稿して欲しいとか。

 正直どちらもやりたくない。

 どうしたもんかと悩んでいたんだが……俺がいない間に艦娘がどうにかした。鎮守府を一般公開して、親近感を持ってもらうとかなんとか。

 俺がいない間にバリバリ仕事しやがって……アレ、もしかして俺っていらない?

 

 しかし、それはそれとして。

 危なかったぜ。

 大量に送られて来たあの香水をアホほど布団にかけたおかげで、臭いでバレる、ということはなかったようだ。まさかあの嫌がらせの様に送られて来た香水が役に立つとは。どんな伏線回収だよ……。

 

「提督、入ってもよろしいでしょうか?」

 

 扉の外から、大淀の声が聞こえた。

 朝っぱらからご苦労なことだ。

 すぐさま布団に入り、体調が悪いフリをする。

 フリーターだった頃、俺はこうして体調が悪いフリをして、よくバイトをサボってた。

 その為、俺は体調が悪いフリには一家言ある。

 あんまりにも演技が上手すぎて、一回救急車を呼ばれたレベルだ。

 

「……お加減が優れない様ですね」

「……いや、特に問題は――ッ! ゲホッ、ゲホッ!」

「ッ!」

 

 俺の姿を見ると、大淀が急にハンカチを手に持ちながら背を向けた。

 眼鏡を外して、目元を拭っているようだ。化粧直しか?

 

「……ふぅ。申し訳ありません、取り乱してしまいました。朝食をご用意したのですが、お食べになりますか?」

「貰おうか」

 

 ここの飯は美味い。

 美味すぎて若干太った。

 一日三食カップ焼きそばだったフリーター時代が懐かしいぜ。

 

「間宮さん、お願いします」

 

 大淀がそう言うと、間宮が入って来て、机の上に朝ごはんを並べ始めた。

 なんかもう、料亭みたいだ。

 料理が全て並んだところで、間宮が一つ一つ説明してくれた。

 なんだかよく分からないが、とりあえず熱湯三分ではないらしい。

 

 間宮――所謂補給艦というやつだ。 

 当たり前のことだが、艦娘は何も、軍艦だけではない。

 軍関係の艦娘が資材を弾丸や推進力――要は戦闘力に変換するのに対し、間宮は資材を食事に変換することが出来る。

 横須賀の食事は一部輸入に頼っているものの、基本的には間宮が一隻で生成してるのが現状だ。

 

 補給艦の他にも、有名なところでは、あの豪華客船『タイタニック』も艦娘になっているらしい。

 艦娘『タイタニック』は資材を豪華なテーブルとか、芸術品とか、パーティ料理に変換できる。なんでも、彼女の能力を使った接待は世界一だとかなんとか……いつか受けてみたいものだ。

 あっ、もちろんえっちぃ接待でお願いします。

 

「提督、失礼します」

「えっ」

 

 大淀が隣に座った。

 ふんわりといい匂いが……。

 そして俺からは栗の花の臭いが……。

 

「朝食を食べさせて差し上げますね」

「こぺゅ」

 

 大淀からの誘いが予想外過ぎて、変な声が出た。

 学生時代、女の子とお昼ご飯どころか、友達とさえ食べたことない俺が、女の子に食べさせてもらうだと……?

 これはもう童貞卒業と言っても過言ではないんじゃないだろうか。

 いや入れるのは大淀だから、大淀が童貞卒業で、俺は処女を散らす?

 ごめん、何言ってんのか分かんないね。

 だってしょうがないじゃん、圧倒的に経験不足なんですから! コンビニでお釣りもらう時位しか女の子と接してたことないんですから!

 

「最初は何を召し上がりますか?」

「……それじゃあ、湯豆腐を」

「湯豆腐ですね。この大淀にお任せください!」

 

 任せます!

 

「お熱いですね……。失礼します。ふぅーっ、ふぅーっ」

 

 大淀が湯豆腐をふぅふぅして冷ましてくれた。

 やべえ。

 女の子がふぅふぅしてる光景やべえ。

 なんかひょっとこ顔にして息を吹いてるだけなのに、背徳感やべえよ!

 しかもメガネだし!

 湯豆腐の湯気でメガネ曇ってるし!

 曇ってるメガネって異様に興奮するな、と僕は思いました。

 

「それでは提督、あーんして下さい」

 

 何が楽しいのか、満面の笑みで大淀が言った。

 言われるがまま、口を開ける。

 大淀がちょうどいい温度に冷ましてくれた湯豆腐が、口の中に滑り込んでくる。

 

 ……おぇ。

 気持ち悪!

 なんかスプーンを通して大淀の手の動きが舌に張り付いてくる!

 漫画とかだと心温まったりトキメクシーンなのに!

 なんだこれ!

 

「お味はいかがでしょうか?」

「さすが間宮だ。礼を言っておいてくれ」

「はい。きっと間宮さんも喜ぶと思います。提督はよくお食べになるので、作り甲斐があると仰っていましたから」

 

 俺いつも一人で執務室で食べてるんだけど……いつ間宮は俺の食いっぷりを見たの?

 ひょっとして監視とかされてるの?

 

「それでは提督、次は何をお召し上がりに?」

 

 えっ、まだ続くの?

 俺すごい萎えてるんだけど。食欲も性欲も。最悪の形で処女を卒業したよ。艦娘をぶち犯すと意気込んでいたら、口の処女を奪われたよ。何言ってんだ俺は。

 

「はい、あーん」

 

 目の前には満面の笑みの大淀。

 断りづらい……。

 最初の一口は割とウキウキで行っちゃったからな。

 

 ――結局俺は、頑張って朝食を食べさせられきった。

 最後の牛乳まで飲まされた時は、流石にいじめを疑った。

 普通に飲み辛いし。

 

 ……今大変な事に気がついたのだが、毎朝飲んでる牛乳は、つまり間宮の母乳なのでは?

 他の料理も、間宮の一部と言えないわけではないし……。

 これ以上はやめておこう。少なくとも今は。授業中に謎の勃起をした時みたいになる。

 

「提督。お加減が優れないところ申し訳ありませんが、報告書を提出、及び説明をさせて頂いてもよろしいでしょうか?」

「構わない」

「ありがとうございます。加賀さん、赤城さん、お願いします」

 

 大淀がそう言うと、扉を開けて加賀と赤城がホワイトボードと一緒に入って来た。

 ……待ってたのかな、俺の食事中ずっと。扉の前で。

 いや、入って来いよ。

 それでみんなでワイワイ朝ごはん食べようよ。

 

「それでは提督、説明させていただきます」

 

 資料を渡された後、赤城がホワイトボードの前で夏祭り計画の概要を説明し始めた。

 加賀は俺の横で、補足をしてくれる。

 

 説明によると、警戒すべきは深海棲艦よりむしろ、同じ人間……反艦娘派や海外の軍人らしい。

 反艦娘派からすると、大本営のイメージアップは嫌だから妨害してくる。海外の軍人達は、貴重な資源である艦娘や提督を誘拐しに来るのだと。

 だから横須賀鎮守府の中でもトップレベルの艦娘を警備に配置し、問題を起こした人間は即拘束。その後大本営に引き渡し、と……。

 なんか思ったより危なそうだな。

 

 海の警備の方は夜戦に強い駆逐艦と軽巡洋艦を配備。

 陸地の指揮官は吹雪、海の指揮官は長門か。

 吹雪はともかく、長門か……。

 あいつ俺のこと嫌いだし、服装イかれてるし、不安が残るな。

 

「最も重要な提督の護衛ですが、神通さんと川内さんにお任せしようかと思っています」

 

 いいんじゃない。

 あの二隻は夜戦(意味無)に強いし、霧島と違って自決用の銃も持ってない。安心だ。

 

「広報は青葉が担当しています。中々のレスポンスをいただけているようで、この分ですと収益の方も良いかと……」

 

 大淀のメガネがキラリと光った。

 収益が良いと言われてもな。「あっ、そう」としか言いようがない。

 だって俺の懐に入るならともかく、今回夏祭りで稼いだ金は鎮守府運営のプール金になるんだし。艦娘の装備は良くなるかもしれないが、俺にとってはどうでもいい事だ。

 

「提督。何かご意見はございますか?」

「長門……」

「長門さんがなにか?」

「逆に赤城から見て、長門に海上の指揮を任せることに、何か問題は感じないか?」

「いえ、特には」

「そうか……。いや、私の思い過ごしなら良いのだ」

 

 長門はなんか信用ならん。

 深海棲艦と間違えました、とか言って俺のこと撃って来そうだ。

 まあ長門はともかくとして、他の準備は着々と進んでるみたいだし、口は出さない方がいいか……。

 

 

   ◇

 

 

 ――その日、一体の“生物”がとある海岸に打ち上げられた。

 

 その“生物”は自分が漂流したことを理解すると、そのまま海岸で約十時間眠りについた。

 睡眠の後。

 “生物”は起き上がり、近くを散策した後、手頃な洞窟を住処とした。

 

 “生物”は酷く傷ついていた。

 海上での激しい戦闘の後、海に沈んだその“生物”は、激流に揉まれていたのだ。

 通常の生き物ではまず死ぬ。

 助かったのは、ひとえにその“生物”が一際頑丈だったからだろう。

 

 ――体力を回復させる必要がある。

 

 “生物”はそう考えた。

 洞窟に巣食う蝙蝠や、近くに生息する貝類。たまに迷い込んでくる魚類を捕獲し、食す。

 それ以外の時はじっと息を潜め、“生物”は傷を少しづつ癒していった。

 やがて回復した“生物”は、己の体の異変に気がついた。

 

 ――『能力』のほとんどが使えない。

 

 自分の『異能』はおろか、仲間と連絡を取る事すら出来ない。

 このままでは不味い……“生物”は焦りだした。

 “生物”には行かなくてはならない場所があった。

 それも早急に、だ。

 元々その“生物”は、その場所を目指していた。

 その途中で敵性勢力に会い、襲われた。“生物”は非常に強く、また熟練であったが、敵もまた手練れであった為――敵のほとんどを打ち滅ぼしたものの、“生物”は力を使い果たし、漂流したのだ。

 ただでさえ火急の用。大幅に時間をロスした……“生物”は焦りだした。

 

 ――その“生物”は気がついていなかった。

 自分のいる今その位置が、目的である場所――横須賀鎮守府の付近である事に。

 また横須賀鎮守府も、その“生物”が接近している事を見落としていた。

 普段通りであれば、その“生物”と横須賀鎮守府が出会うことはなかっただろう。

 少なくとも今はまだ。

 だが、今回は事情が違った。

 横須賀鎮守府は自らその“生物”を引き寄せてしまう事になる。

 何が悪かったのかと聞かれれば……時期、としか言いようがないだろう。

 そう、どうしようもなく時期が悪かった。

 

 ――夏祭りまで、残り一週間。












私はこの話を書くために、同性の友達とプリンを食べさせあいっこをしました。
シンプルに気持ち悪かったです。
作者になるとは大変な事だな、と思い知らされました。


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『英雄』の住まう鎮守府 ⑥

 ここに一人の少女がいた。

 名前を「富甘名(とがめ)」と言う。

 

 富甘名は戦争の被害者である。

 彼女の故郷は深海棲艦の手により徹底的に破壊され、両親もまた殺された。

 故郷で唯一の生き残りになった富甘名は政府運営の施設に引き取られ、十五歳までをそこで過ごすことになる。

 

 施設の代金として使っていた両親の生命保険金が切れた後、富甘名は「長崎(ながさき) 蝶舞(かれん)」と言う名の叔母に引き取られた。

 蝶舞は酷い人間で、富甘名を虐待した――――などと言う事はなく。むしろ「姉の忘れ形見だから」ととても良くしてくれた。

 

 しかし、蝶舞は決して裕福な人間ではなかった。

 蝶舞の夫は代々料理人の家系であり、夫もまた店を継いだのだが、蝶舞と結婚して程なく死んだ。

 義父母は老い、既に料理を出来る状態ではない。

 蝶舞は最初働きに出ようとしたが、今の時代、何の資格も有していない蝶舞が就ける仕事――それも老いた義父母を養えるほど――はなかった。

 

 結局蝶舞は、料亭を継いだ。

 義父は手が震えて調理自体は出来ないが、指導なら出来る。

 幸い蝶舞は器量の良い女だった。

 常人より遥かに早い速度で料理を覚えたが……いかんせん時間がかかり過ぎた。

 常連客がすっかり離れてしまっていたのだ。

 それでも何とか軌道に乗る事は出来たが、決して繁盛店とは言えない。

 しかし蝶舞は「姉の忘れ形見だから」と、富甘名を引き取ったのである。

 

 蝶舞は決して己の苦労を富甘名に話さなかったが、聡い富甘名は大体の事情を把握しており、今までワガママはおろか、いつも一生懸命に蝶舞を手伝っていた。

 しかし一週間ほど前、富甘名は初めてワガママを言った。

 

「夏祭りに行きたいです」

 

 富甘名の命を救ったのは、誰であろう横須賀鎮守府の艦娘達である。

 あと少しで深海棲艦に殺される、というところで、艦娘に助けられたのだ。

 もう少し艦娘の到着が早ければ、両親も助かったのに……と恨むこともあったが、あの時どれほど絶望的な状況で、それでも助けに来てくれたという事実を知って、富甘名は感謝した。

 あの時死んでいたら――今のこの暖かな生活もなかったかもしれないのだから。

 

 富甘名は手紙を出した。

 命を助けて下さってありがとうございます、と言った旨の手紙を。

 意外なことに、返事は直ぐに帰ってきた。

 

「我々は提督の手足でございます。例えば崖から掬い上げられて、掬い上げた手に感謝する人がいるでしょうか。感謝はどうぞ、提督にお捧げ下さい」

 

 横須賀鎮守府の提督。

 今では知らない人がいない程の大英雄である。

 そんな忙しい人が、たかが一市民である私の手紙を見てくれるだろうか。

 悩む富甘名に、吉報が届いた。

 夏祭りのお知らせである。

 そこで初めて、富甘名はワガママを言ったのだ。

 恐る恐るの富甘名に、蝶舞は穏やかな笑みを浮かべて答えた。

 

「行ってきなさい。私は貴女を育てる為ではなく、貴女に愛を与える為に引き取ったのですから。もっと我が儘を言いってもいいのです」

 

 ただし、と蝶舞は付け足した。

 

「出来れば、私も連れて言って下さい。私も一言、貴女を助けてくれた殿方にお礼を言いたいのです」

 

 断る理由などない。

 そうして二人は、横須賀鎮守府の夏祭りに参加したのである。

 

「……混んでいますね」

 

 蝶舞がぽつりと言った。

 横須賀鎮守府の夏祭りは、予想以上に混んでいた。

 だが、当然と言われれば当然かもしれない。

 

 提督の姿を一目見ようとする人間は多い。

 富甘名と蝶舞の様な人間もいれば、

 純粋な好奇心からなんとなく来た者もいるだろうし、

 ただ夏祭りにつられて来た子供達もいる。

 下世話な話をすれば、どうにか売り込みたい企業の人間や、足を引っ張りたがってる人間もいるだろう。

 

 とにかく全国津々浦々から人が押し寄せて来ているのだ。混雑しないわけがない。

 

 ――これではお礼を伝える事は出来ないかもしれない。

 

 富甘名はそう考え、そして焦った。

 提督の所は、恐らく最も人集りが出来ているだろう。

 一目見る事は出来るかもしれないが、会話出来るとは思えない。

 夏祭りがあると知ってから、そして行けると決まった日から、富甘名は指折り日を数えていた。

 テレビであの人を見るたびに、胸が締め付けられる様になった。

 ――感謝。

 命を助けてもらったという、最大級の恩。

 形だけではない、本当の感謝。

 感謝をこんなにも伝えたいと思ったのは、初めてだった。

 それが、こんな所で終わってしまう。気持ちを伝える事が出来ない……そう考えるだけで、燃える様な焦燥感と、冷たい恐怖に押し潰されそうになった。

 

「きゃあ!」

 

 富甘名が持っていた手提げ袋が、いきなり引ったくられた。

 

 祭りといえば、引ったくりは定番だ。

 下駄を履いていれば走って追いかけられないし、紛れる人混みもわんさかとある。

 なので普通、荷物はしっかりと抱えておくのだが、祭りに慣れてない富甘名と蝶舞はうっかり片手で荷物を持ってしまっていたのだ。

 

「ひっ――――」

 

 ひったくり!

 その最初の文字である「ひ」を言ったところで、ひったくりは取り押さえられた。

 虚空から突如現れた艦娘によって。それはもう手際良く。

 

「提督ー! しょうもないチンピラ捕まえちゃった!」

 

 艦娘はそう叫んだ。

 

 次の瞬間、富甘名は一つの事を考えていた。

 それはひったくりの事ではない。

 そんな小さな事は、とうに吹き飛んでしまった。

 

 名前は分からないが、彼女は艦娘だ。

 それも横須賀鎮守府の。

 その彼女が「提督」と呼んだ。

 

 それはつまり……。

 

 胸が高まる。

 会える……会えるのだ!

 英雄に。

 命の恩人に。

 ずっと、ずっと会いたかった、あの人に!

 艦娘に呼ばれ、一人の男が振り返った。その男は――

 

「ご苦労、川内」

 

 ――その男は服を着てなかった。

 

 うん、ちょっと待って。

 目をゴシゴシと手で擦ってみる。

 目をしぱしぱさせた後、指を見る。よし、五本ある。私は正常だ。そして目の前の人は全裸だ。

 オーケー。

 把握完了。

 つまり、こう言う事だ。

 

 ――横須賀鎮守府の提督が全裸で目の前に現れた。

 

 帽子はかぶっているが、そんなのは瑣末な事だろう。

 恩人が変態でした。誰か助けて下さい。

 

「これは君の物で間違いないかな?」

「えっ、あ、はい。その……私の手提げ袋です」

「何かなくなってる物がないか確認してくれるかな?」

「は、はい! ところで、その…………」

「ああ、私の服装のことか。失念していた」

 

 服、装……?

 帽子だけ被っているその状態を、はたして服装というのだろうか?

 

「さっき強い敵と戦ってね。その時少し(みだ)れてしまったんだ」

「乱れ、え? 乱れるというか、ないんですけど」

「提督が乱れてるって言ったら、乱れてるんだよ」

「ひっ!」

 

 ひったくりを捕まえた艦娘――川内が不機嫌そうに言った。

 思わず身が縮こまってしまう。

 目の前の艦娘は、ただ提督の命令に従う怪物だ。

 あの手紙は、何も間違っていなかった。

 「人を助けろ」と提督が命令したから、艦娘達はあの時富甘名を助けた。

 それ以下でもそれ以上でもない。

 逆にもし提督が「殺せ」と命令したのなら、この怪物は容赦なく、身内をも殺すだろう。その辺の小市民である富甘名なら、それこそ殺したことをすら覚えてない程に。

 川内と目があっただけでそれを感じた富甘名は、足が縫い付けられたかの様に固まってしまった。

 

「川内」

「はーい」

 

 提督が一声かけただけで、川内からの殺意が一瞬で消えた。それだけでなく、彼の穏やかな声は富甘名の止まった時を動かしだす。

 深呼吸をして、息を整える。

 落ち着いた富甘名は、冷静に提督を見た。

 ――違う、と思った。

 前にテレビで戦っているときの提督を見た事がある。あの時は身も竦む様な、それこそ川内とは比べ物にならないほどの恐怖を感じたものだが、今はどうだろう。

 まるで賢者。

 どこまでも優しく、そして暖かい目をしている。

 案外、これが本当の彼の姿なのかもしれない。いや、生まれたままの姿とか、そういう意味ではなく。

 噂で聞いた事がある。

 横須賀鎮守府の提督は敵と戦う時は容赦がないが、実は誰よりも平和の事を考えている優しい人物なのだ、と。

 なればこそ彼は英雄なのだ、と。

 

「それでは、私は失礼するよ。服装を整えなければならないからね」

 

 提督は踵を返し、去ろうとした。

 それを慌てて引き止める。

 

「あの!」

「ん?」

「わ、私は貴方に命を救っていただいた者です! 助けていただいて、ありがとうございました!」

 

 富甘名は深く頭を下げた。

 その後ろで、蝶舞もまた頭を下げる。

 それを見た提督は前かがみになり、雑多の中へと消えていった。

 

 

   ◇

 

 

 結果的に、今回の夏祭りには行ってよかった。

 最初こそ面食らったものの、幸運にも提督に会えた。それは間違えない。例えそれが全裸に帽子の男だったとしても、間違えはないのだ。

 ならば良し!

 

「うわあああああ!」

 

 とはならなかった。

 当たり前だ。

 だって女の子だもん。

 

 富甘名はまだ十六歳。

 恋に恋するお年頃である。

 憧れの人と初めて会ったのに、全裸だったというのは、少しばかり心に来るものがあった。

 例えその後の言動が英雄のそれだとしても、だ。いや、だからこそと言うべきか。発言まで変態のそれだったなら、諦めもついたと言うのに……。

 

「会えて良かったですね。富甘名の言う通り、素晴らしい御仁でした」

「う、うん。そうだね……服装は乱れてたけど」

「それはまあ、気にしないようにしなさいな。それよりも、一度でも会えた幸運を喜ぶべきです。おそらく、もう二度と会えないでしょうから」

「うん。横須賀鎮守府の提督にまた会う、しかもまた全裸での状態なんて、絶対あり得ないよね!」

「絶対あり得ないわ。もしあったとしたら、天文学的な確率よ」

「本当の本当に絶対?」

「絶対」

 

 確かに。

 もう二度と会うこともないのだろうし、気にしないようにしよう。

 あの多忙な横須賀鎮守府の提督……しかも全裸で会うことなど、絶対にない。

 絶対に、だ。

 

 

 しかし、何故全裸――服装が乱れていたのだろうか?

 

 

 そんな富甘名の疑問は最もだろう。

 その疑問に答えるには――1時間ほど時を戻す必要がある。

 この話は一時間前、神通が敗北した所から始まる……。











最近ガチャ報告をするのが流行りらしいですね。
はま寿司の待合室にあった「みかんガチャ」なる物を引きました。
出たのは「皮付きみかん」でした。わーい。


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『英雄』の住まう鎮守府 ⑦

 ――夏祭り当日。

 普段の無骨な造りとは一転して、鎮守府内はすっかり祭り模様となっていた。

 

 夏祭りの人混みの中を、一組の男女が歩いている。

 一人は横須賀鎮守府の提督。

 騒ぎを避ける為にいつもの軍服を脱ぎ、甚平を着ている。

 もう一隻は神通で、こちらもまた浴衣を着ており、更には薄くだがメイクもしていた。

 本当は川内も近くにいるのだが、気配を消している為、常人には認識不可能。

 

 これはもしかして、良い雰囲気というやつなのではないだろうか。

 寄り添う様に歩く中で、ふと提督はそんな事を思った。

 

「思ったより盛況だな……」

「恐れながら。提督のご威光を持ってすれば、当然かと」

 

 いや、決して良い雰囲気ではないな。

 恋人同士というには、空気が張り詰め過ぎている。

 先ほどから色々屋台を回ってはいる。

 しかし神通は、提督が何か誘っても「私は大丈夫です。お気遣いありがとうございます」と言った具合に、ちょっと離れた所で笑っているだけだ。

 もしかして嫌われてるのではなかろうか……?

 提督は首筋に嫌な汗をかいた。

 

「……ん?」

 

 歩いていると、提督は見慣れた顔を見つけた。

 いや、屋台を出しているほとんどは艦娘だから、そういう意味ではほとんどが見慣れた顔なのだが……来賓の方で、見慣れた顔を見つけたのだ。

 

「ヤッタ当タッタ! ナニ、棚カラ落チナイト景品ハ貰エナイノカ!?」

 

 ――戦艦水鬼が射的で遊んでた。

 浴衣に着替え、頭にはお面つけ、右手にはわたあめ持ち、左手にはかちわり持ってるが、アレは間違いなく戦艦水鬼だ。

 めっちゃノリノリだった。

 こっちが遠慮しちゃうくらいノリノリで夏祭りを遊んでいた。

 

「提督……」

「私に任せておけ」

 

 心配そうに見つめる神通をよそに、提督は戦艦水鬼に近づき、肩を叩いた。

 

「ン、ナンダ。今イイトコロ――オ、オ、オオオ、オ前ハ!?」

 

 無駄に良く顔を見合わせているせいか、戦艦水鬼は一瞬で提督の変装を見破ったらしい。

 動揺する戦艦水鬼に、提督は優しく微笑んだ。

 

「今日はみんなが楽しむ日だ」

 

 そう言って提督は、自らの財布から千円札を取り出し、戦艦水鬼の手に握らせた。

 

「オ前……イイノカ?」

「今日、私は一般人で、お前は一般客だ。何の心配もないさ」

「ソウカ……。コンナ時、何ト言エバイイノカ分カラナイノダガ――アリガトウ、カ?」

「ああ、それで合っているよ。どういたしまして」

「フッ。人間ノ会話トイウ奴モ、タマニハ悪クナイ物ダナ」

 

 戦艦水鬼はそっと微笑んでから、提督とは違う方向に向かって歩き出した。

 しかし途中で足を止め、振り向く。

 

「オ前サエ良ケレバ、一緒ニ……ソノ、周ラナイカ?」

「そうしたいが、私にも事情がある」

 

 提督は目で神通を指した。

 神通は恐ろしいほどの無表情で戦艦水鬼を見ていた。

 なるほど、これでは命がいくつあっても足りないだろう。

 ――所詮は敵同士、か。

 戦艦水鬼は自嘲気味に笑った後、再び歩き出した。

 「マタ会オウ」とは言わない。

 次会うなら、それは戦場で、敵同士としてだからだ。

 それがほんの少し嫌で、だけど避けられないだろうと思って、しかし再会を楽しみにしている自分がいて――戦艦水鬼は悲しげに笑って、静かに歩き出した。

 

 ――次の瞬間、提督が弾かれた様に走り出した。

 そして戦艦水鬼に追いつき――一瞬の迷いもなく、後ろから思いっきり足払いをする。

 

 ――どちゃ!

 

 戦艦水鬼が見事に、それはもう見事に顔から倒れこんだ。

 かちわりが床にばら撒かれ、わたあめが土に汚れ、お面が割れ、せっかくの浴衣が台無しになった。

 

「神通、やれ」

「御意」

 

 そこで手を緩める提督ではない。

 即座に神通に畳み掛けさせる。

 神通は無言でマウントポジションを取ると、無言で戦艦水鬼を殴り続けた。

 

「ヤメ、オマ! イタイ! ヤメテクダサ……イタッ! 何デソンナニ殴ル!? 私ガ何ヲシタト言ウンダ!?」

 

 神通にぶん殴られながら、戦艦水鬼が叫んだ。

 その声にはあらゆる悲痛が含まれていた。

 しかし、戦艦水鬼に情をかける人間はここにはいない。

 神通はひたすら戦艦水鬼を殴り続け、提督はそれを半笑いで見つめた。

 

「神通、辞め」

「はい」

 

 提督の号令により、ようやく神通は手を止めた。

 戦艦水鬼の上から退き、返り血がついた拳を拭う。

 殴られ続けた戦艦水鬼はよろよろと立ち上がり、涙と血でぐじゃぐじゃになった顔を拭き始めた。

 

「グス、ヒッグ……」

 

 ハンカチを取り出し、涙を拭う。

 痛みと悲しみ。

 しかし次から次へと涙が溢れ出てくる為、一向に拭き終わらない。

 

 そんな戦艦水鬼を見て、提督は下衆な笑い顔をした。

 

「ァ、アアア――アアアアアア!!!」

 

 戦艦水鬼は自分のひたいにつけていたお面が割れている事に気付き、痛む身体に鞭を打って、何とか這いずりながら、お面の元へと……。

 お面の破片を、震える手で何とかかき集める。

 

「グス、グス……ヒッグ………。私、何モシテナイ。ナンニモシテナイノニ………。普通ニ遊ンデタダケダジャナイカ! ナゼダ!?」

「神通、どう思う」

「はい。私達の油断を誘う為の演技と思われます。犬畜生にも劣る下賤な発想……即刻首をはねる事を進言いたします」

「なるほど」

「オイ! ドウ見テモモウ動ケナイダロ! コノ足ヲ見ロ! 私ノ治癒能力ヲ持ッテシテモ治ラナイ程壊サレテルンダゾ! 良クゴミガ取レルブラシ見タイニバッキバキダ!」

「神通、どう思う?」

「はい。本当に動けないのであれば、捕縛の後拷問にかけ、情報を引き出した方が良いかと」

「なるほど」

「鬼カ! 貴様、私ヨリ鬼ダナ! 分カッテタケド!」

 

 提督は考える。

 神通の言う通り、戦艦水鬼を捕まえて、大本営に渡すなりなんなりした方が良いのだろう。

 しかし――

 

「クベェ! オ、オマ、踏ムナ!」

 

 ――面白い。

 

 戦艦水鬼の頬をグリグリと踏みつける。

 戦艦水鬼はありったけ恨みの篭った目で、提督を睨みつけた。しかし、その目にはわずかに涙が浮かんでいる。

 ……ふむ。

 戦艦水鬼をいじめるのは大変に面白い。愉快だ、わはは。

 こんな良いオモチャを、他人に明け渡す?

 馬鹿な。

 あり得ない。

 

 今更だが、提督はクズである。

 今まで自分より下の人間がいなかったせいか、自分より格下の人間を渇望していたのだ。

 戦艦水鬼は正に格好の的であった。

 

「神通、戦艦水鬼を海に捨てて来い」

「御意に」

「チョ、角ヲ掴ムナ! 引キズルナ! 浴衣ガ泥デ汚レルダロ! チャント歩クカラ!」

「む、待て。戦艦水鬼」

「ナンダ!? コレ以上私ニ――」

「餞別だ」

 

 新しいお面を戦艦水鬼に渡す。

 これは善意から――ではなく、完全に打算であった。

 適度に餌付けすれば、こいつはまた来る。その確信があっての行為だ。

 

「アリガトウ……トデモ言ウト思ッタカ!」

 

 流石に、そう甘くはなかった。

 戦艦水鬼は最後の力を振り絞り、提督に反撃。袖の辺りを掴み、思いっきり引っ張ったのだ。結果、提督の服がビリッビリに破けた。

 袖を引っ張ったのに、何故かパンツや靴下まで破けた。

 帽子だけは無事だったが……しかしそれ以外は全部無事ではない。

 

「ふむ」

 

 とりあえず「ふむ」と言っておく。

 こう言うと、なんだかクールで知的に見えるという噂だ。

 

 不意に訪れた、提督の全裸。

 それに一番動揺したのは当の本人である提督でもなければ、意外なことに戦艦水鬼でもなかった。

 

「……ふぇ」

 

 顔を真っ赤にしたのは神通である。

 いつも冷静な彼女が目に見えて分かるほど動揺しだした。

 

「えっ、あの、ごめんなさ――じゃなくて、申し訳ありません!」

 

 神通はワタワタしながら、その場にうずくまってしまった。

 

 ――最初に提督が感じた、張り詰めた空気。

 提督は神通が任務に意気込んでいる為、空気が重いと思っていたが、それは違う。

 そもそも普段から提督の護衛に着いている神通が、今更気を引き締め直すとか、そんな事はあり得ない。

 つまり、彼女は最初から、それこそ提督と同じように、緊張していたのだ。

 夏祭りを一緒に過ごす、という事に。

 

「あー、えっと……神通」

「は、はい!」

 

 空気がいたたまれなくて声をかけてしまったが、何と言ったものか。

 しがない童貞である提督には、上手い慰めの言葉が思い浮かばない。

 それでも、何か言わなければ。

 

「気にするな。誰にでもミスはある。神通も、もちろん私にも」

「そんな! 提督にミスなどあり得ません!」

「あるのだ」

 

 というかミスしかない。

 昨日も布団の中で誤発射してしまったくらいだ。

 ……誤発射。

 その時、提督は閃いた。

 

ミス(誤発射)があるからこそ、成功(性行)が輝くのだ」

「なるほど! 勉強になります」

「そうだ。いつもお前には助けてもらっていたのに、何の報酬も出してなかったな。何かあるか?」

「私などに、そんな……」

「それでは私は、優秀な部下に適切な報酬も渡さない、無能な上司になってしまう。私のためにも、何か欲しい物を言ってくれ」

「それでは……その、頭を撫でてはいただけないでしょうか」

 

 むしろご褒美です!

 女の子に撫で撫でをせがまれる。

 全世界の男の憧れと言っても過言ではない。

 

 顔を真っ赤しにして、恥ずかしそうにする神通。目も少し潤んでいる。

 提督がそんな神通の頭に、手を乗せようとした。その時――

 

 ――神通が吹き飛んだ。

 

「よっしゃ勝ったあああああ!!!」

 

 雄叫びを上げたのは、曙である。

 曙はずっと狙っていたのだ、神通に一撃入れるその瞬間を。

 今日もずっと、曙は神通を尾行していた。

 もちろん、それに気がつかない神通ではないが……提督と話す内に、知らず知らず警戒を解いてしまっていたのだ。

 その隙を見逃す曙ではない。

 すかさずドロップキックをかまし、見事にあてた。

 

 狂喜乱舞する曙。

 事態についていけない提督。

 その提督より更に話においていかれてる戦艦水鬼。

 彼らを、強烈な悪寒が襲った。

 

「曙ちゃん」

 

 ――鬼。

 そこには鬼がいた。

 

「良い一撃でした。ええ、本当に。おかげで目が醒めました。ふふ、ふふふふふ」

 

 これ以上ない程ブチ切れていらっしゃる!

 提督と戦艦水鬼はお互い抱き合いながら震え、曙は最早静かに天に祈った。

 

「提督」

「はい!」

「これから曙ちゃんにお稽古をつけて差し上げようと思うのですが、許可をいただけないでしょうか?」

「もちろんです!」

「良かった――改二実装」

 

 まさかのここで、改二初披露である。

 神通は曙の頭を掴むと、常識外れの脚力で訓練所の方へと飛び去った。

 後に残されたのは、戦艦水鬼と提督のみ。

 

「提督。ここからは私が護衛を変わるよ」

 

 いや、もう一隻いた。

 ずっと気配を消していた川内である。

 

「ありがとう、川内」

「ぜーんぜん。提督の為に働く事が私の喜びだからね。それで、どうするそいつ? 今なら私でも殺せると思うけど」

 

 川内が目線で刺した先には戦艦水鬼。

 戦艦水鬼の戦闘能力は圧倒的だ。

 先程は不意打ちで大破まで追い込んだが、真っ向から相手するのは、川内では手に余る。

 しかし今は、回復してきたとはいえ、中破程度の傷は負っている。川内でも『処理』は可能だろう。

 それが分かっているのか、戦艦水鬼は怯えた瞳で提督を見上げた。

 

「いや、いい」

「りょーかい」

「お前もあれだ、今日はもう大人しく帰れ。曙が神通を抑えてる間に」

「ウ、ウン。今日ハモウ帰ル」

 

 意外なほど素直に、戦艦水鬼は帰っていった。

 

 戦艦水鬼とちょうどすれ違いで、大本営所属の不知火がやって来る。

 不穏分子を捕獲した際、大本営に引き渡す手筈になっている。不知火はその輸送役として派遣されて来たのだ。

 

「何か騒ぎがあったようですが、大丈夫ですか?」

「問題ない」

 

 流石は不知火。

 提督の全裸を見ても、平然としていた。

 思えば不知火と会うときはいつも全裸な気がするが、きっと気のせいだろう。

 

「今日は任務で来ましたが、個人的に貴方にお礼を言いたく、私からこの任務に志願しました。

 あの時は助けていただきありがとうございます。貴方のおかげで不知火は、まだ国に尽くせます」

「気にすることはない。艦娘を助ける事は当たり前のことだ」

「……貴方のような方が元帥なら、提督ももう少し楽になれるのですが……失礼いたしました。今のは失言でした」

 

 五人の元帥の内、“調停”の元帥以外は人格破綻者だと聞いた事がある。

 不知火の提督であり、彼らのまとめ役である“調停”の元帥は苦労しているのだろう。

 

「ところで。一つ、ご報告があります」

「なんだ?」

「この付近で、次々と鎮守府が壊滅している事件はご存知でしょうか?」

「ああ」

 

 三週間ほど前から、横須賀鎮守府付近の鎮守府が壊滅していた。

 しかし、一週間ほど前にピタリと止み、それ以降なんの音沙汰もない。

 その為、事なかれ主義の提督としては、無視していたのだが……。

 

「不知火の提督は、その犯人に心当たりがあるようです。ですが、情報漏洩の観点か、あるいは確証がないためか、その犯人が何者なのか、明かしてはくれません。

 ……気をつけて下さい。最後の襲撃事件は、この鎮守府の付近です。まだ犯人がこの付近にいる可能性もあります」

「忠告ありがとう」

 

 まあ、多分大丈夫だろう。

 この鎮守府には強い艦娘が数多くいるし、現在確認されている深海棲艦の中で最強クラスの戦艦水鬼だって撃退した自信がある。

 

「それからもう一つ。こちらは非公開の情報なのですが、壊滅した鎮守府からは、何故か深海棲艦の死体も発見された(・・・・・・・・・・・・・)様です」

「深海棲艦の死体も?」

「はい。不知火にはその意味が分かりませんが、その事実だけは確かな様です。

 それでは、不知火は失礼します。

 重ね重ね、命を助けていただきありがとうございました」

 

 頭を下げた後、不知火は去っていった。

 その時、何処か遠くの方で爆発音がした。

 今日は花火など上げる予定などなかったはずだが……。

 

 

   ◇

 

 

 暗い海の上を、戦艦水鬼は歩いていた。

 本来はもっと速い速度が出せるが、今日は浴衣を着ているし、何よりお面がある。風で飛ばされでもしたら大変だ。

 

「……ン?」

 

 横須賀鎮守府から少し離れた海岸付近を通過した時、戦艦水鬼の電探に“何か”が引っかかった。

 艦娘でも、深海棲艦でもない。

 しかし、とてつもなく大きなエネルギーを持つ“何か”が。

 

「――艤装展開」

 

 すぐ様、戦艦水鬼は浴衣を脱ぎ捨て艤装を展開する。

 戦艦水鬼の勘が告げていた。

 こいつは敵だ、と。

 そしていかな戦艦水鬼といえど、浴衣を着たまま相手出来る敵ではない、と。

 戦艦水鬼の巨大な艤装が、一気に熱を持つ。

 

 ――次の瞬間、戦艦水鬼は砲撃し“何か”がいた海岸ごと、辺りを吹き飛ばした。

 

 海を蒸発させ、地形さえも変える一撃。

 生物が生きれる余地はない。

 事実、電探も「生物反応無し」と伝えている。

 しかし、どうにも不安が拭えない。

 見えない何かがずっと付き纏っているような、後ろから首筋に剣を当てられているような、そんな感覚。

 

「ッ!」

 

 背後に何かの気配を感じ、戦艦水鬼は咄嗟に裏拳を放った。

 パシ。

 しかし、呆気ないほど簡単に、戦艦水鬼の裏拳は止められた。

 電探に反応がなかったのは――近づかれ過ぎていたから。

 先程まで確かにあの海岸にいた“何か”は、一瞬で戦艦水鬼の背後に回り込んでいたのだ。

 

(コイツ――何テパワーダ!)

 

 戦艦水鬼は拳を引き戻そうとしたが、ビクともしない。

 神通に負けるのは、戦艦水鬼に『技術』がないからだ。

 しかし、単純な性能。

 力や速度や装甲といった基礎能力は、戦艦水鬼が圧倒的に優っていた。

 その戦艦水鬼が、長門型にすら力で勝る戦艦水鬼が、振り向く事すら出来ないほどに、簡単に抑え込まれている。

 

 やがて背後に立つ“何か”は、戦艦水鬼の腕を握る手に力を込め始めた。

 神通の様に『技術』による一撃でもなければ、天龍の様に『武器』を使ったわけでもない。

 単純な『力』だけで戦艦水鬼の装甲を上回り、ダメージを与えている。

 

「アアアァァァァア!」

 

 ベキッ!

 戦艦水鬼の腕が、嫌な音を立ててへし折れた。

 それでも、敵は腕を離さない。

 それどころか、更に強い力を込めて腕を握ってくる。

 

 腕が吹き飛んでもいい。

 戦艦水鬼がそう覚悟し、超至近距離で砲撃しようとした瞬間、先程まであれだけ硬く握られていた腕が離された。

 

 ――ゴシャ!

 

 代わりに、敵は戦艦水鬼の顔面を殴りつけた。

 まるで水切りの様に、戦艦水鬼の体が水面を跳ねて行く。

 たった一撃。

 たった一撃受けただけで、戦艦水鬼は動かなくなった。

 殴打された顔は半分以上消し飛び、自慢のツノも折られた。この感じだと、首も折れているだろう。

 

 水面に漂う戦艦水鬼。

 彼女の顔を、いつの間にか横に立っていた敵が、更に殴りつけた。

 巨大な水柱が立ち――ゆっくりと戦艦水鬼が海底へと沈んで行く。

 

 暗い海の上には、ただお面が一つ浮かんでいた。



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