修羅幼女の英雄譚 (嵯峨崎さ)
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第一章. 英雄譚の一頁 1 『その男には才能がなかった』

 その男は凡人だった。

 生涯を通じても、彼に飛躍的な才能はなかった。

 少年期の師範の言葉が頭をよぎる。

 

 

 ──お前に才能という輝かしいモノはない。

 

 

 傭兵時代における同僚の、酒気を含んだ声音を思い出す。

 

 

 ──俺たちは消耗品。それも盾の類でしかねぇ。

 

 

 老年期に遭遇した、当代人類最強の『英雄』の呟きが思い返される。

 

 

 ──貴方は半端者だ。

 

 

 彼らの言は全て正しい。

 その男には特別な才能、英雄に至るだけの能力を備えていなかった。

 

 

 

 1 

 

 

 

 男の少年期から遡れば明らかだ。

 通っていた村の高台に建つ剣術道場では、目立った成績も残せなかった。

 最下位ではなかったが、少しでも才能を持つ剣士たちに勝利できた試しがない。

 それが年下でも同様だった。

 年齢が一回り下の剣士に、敗北の砂の味を味わわされた屈辱を覚えている。

 むしろ、あのとき誰にも勝利できないほどの弱者であれば──いや、それでも彼は無謀な邁進を止めなかっただろう。

 

 ──強く、強くなりたい。

 

 彼は昔から剣が好きだった。

 寝床で母から読み聞かされた、とある英雄譚の主人公が『剣使い』だったからだ。

 剣の一閃で雲を割り、弱きを助け、悪辣な帝国を両断し、反旗を翻す『英雄』の姿。

 幼心に、そんな正義の英雄は眩く映った。

 こんな英雄になりたい。

 最初は幼稚な憧憬だった。

 

 だから、彼は毎日剣を振った。

 蔦の絡む廃墟では彼の呼吸だけが響く。

 わざわざ人気のない村はずれの場所で鍛錬を積んだ理由は、村の人間が彼を嘲笑うからだ。

 

 無駄な努力だ、あれなら土弄りを覚えた方が利口に違いない──。

 

 そのせいで、同年代の子供とも遊んだ記憶がない。

 凡人という事実は承知で、だからこそ鍛錬が重要だと時間を惜しげもなく削った。

 雨の日も風の日も雪の日も。

 昼夜すら問わずに、彼は剣を振り続ける。

 彼の憧れは本物だった。

 曇りのないそれは、何にも代えがたい原動力だ。

 どれだけ指差されようと、どれだけ実を結ばなくとも、飽きもせずに剣を振る。

 

 手の血豆が潰れる感覚は一年すると慣れた。

 身体から滴る汗の不快さは半年で、手と肩の負担は二年で、神経が研ぎ澄まされる感覚は三年で好きになった(・・・・・・)

 自分が一歩一歩、目標に向かって強くなっている。

 その自覚が彼を突き動かしていた。

 師範の助言に従いながら、愚直に、まっすぐに。

 男は剣を振った。

 

 

 

 2

 

 

 

 青年に成長しても、彼の非才に変化はなかった。

 剣筋は教本通り、急場の判断も妥当。

 しかし何もかもが凡人の域を出ない。

 身体能力もあくまで『鍛えた凡人並み』だった。

 

 ただ長年に渡る努力の結果として。

 男は、村一番の剣士になっていた。

 彼の努力が誰かを上回ったわけではない。

 彼を凌駕する剣士たちは村を出てしまって、残った村民は農作業に従事する者ばかりだったからだ。

 土弄りを覚えるでもなく、ずっと剣を振り続けた男が一番になるのは当然とも言える。後に伝え聞く話では、裏で村人から散々な陰口を叩かれていたらしい。

 

 だが男は単純な性格で「努力が実を結んだのだ」と勘違いした。誰かと接する機会を剣振りに費やし、思慮に欠けたまま成長した弊害だ。

 表向きには信頼した様子の村人たちを、疑うことすらしなかった。

 

 結局のところ。

 まやかしだったと気付くのは数年後のことだった。

 家が貧しく、傭兵の道に進んだ彼は、ようやく才能の理不尽さを思い知ることになる。

 憧れ続けていた『英雄』の存在によって。

 

 傭兵として出向いた初めての戦場では、『英雄』による死の旋風が巻き起こった。

 文字通りの一騎当千、剣を一度抜けば師団が壊滅し、羽虫を殺すごとくあっさりと、彼の同業者たちを虐殺する──『英雄』と呼ばれる怪物たち。

 只人が相対すれば死は約束されたも同然だ。

 一瞬のうちに、首から上が飛ぶことになる。

 親しい傭兵の同僚の言葉が突き刺さる。

 

 ──ああ確かに、これは俺たちが盾代わりだ。

 

 積み上げられる死骸の山。

 無類の強さを誇る『英雄』は、男の幼稚な認識を容易く覆した。

 もはや『英雄』とは人ではない。

 兵器にしても凶悪すぎる代物だ。

 才能の差とはこれほどのモノなのか。

 そう、男は呆然と立ち尽くしてしまった。

 赤く滲んだ手から、使い古しの剣が落ちる。

 まともに剣を打ち合うことすら困難。

 その理不尽さに、彼は初めて挫折した。

 

 それでも彼は諦めなかった。

 諦めきれなかったというべきか。

 所詮は、井の中の蛙だっただけだ。

 彼は一心不乱に剣を振る。

 落ち込む必要はないはずだ。

 最初に憧れたモノは『村一番の剣士』などという矮小な望みではなかっただろう。

 そう言い聞かせながら自らを鼓舞した。

 後ろ向きになる暇などない。

 少年老い易く英雄成り難し、と。

 口のなかで呟きながら、あらゆる努力を積む。

 

 千里の道を徒歩で往く。

 天頂に輝く太陽へ手を伸ばす。

 凡人が英雄に食らいつく無謀さは、それらと同義の夢想だと知った。

 だが、楽々と英雄に至れるとは思ってもいない。

 ならば起こす行動にも目標にも、何一つとして変更する必要ないはずだろう。

 いつものように彼は剣を振った。

 

 そもそも、膝を折ったところで今更だ。

 もう、彼には何もないのだ。

 傭兵に身をやつしている間に、唯一の帰る場所だった村は戦火を被っていた。

 跡地には炭や灰、燃え滓などの残骸だけしか残っていない。両親はもちろん、師範や顔見知りの村人も当然この世を去っていた。

 

 ……諦めて、戻る場所すら存在しなかったのだ。

 

 学もなければ、農作業の手伝いすら怠り、人との交流も苦手。全ての時間を鍛錬に注ぎ込んだ彼には、剣と戦いしか残っていなかった。

 立ち止まる意味などない。

 ただこの頃、背後を振り返ることに恐怖を覚えた。

 心の隅で挫けかけている兆候だ。

 

 英雄になれないのではないか。

 いままでの努力は無駄ではなかったのか──?

 

 そんな迷いを振り払おうと、一層鍛錬を続けた。

 純粋な憧憬が揺らぐ時期だったと言える。

 

 

 

 3

 

 

 

 年老いても彼は変わらなかった。

 老体に鞭打ち、身体中の軋みを無視して剣を振る。

 

 英雄への憧れは依然として抱いていた。

 むしろ、その頃には迷いすら湧かなくなっていた。

 後戻りできる年齢を過ぎたからだろうか。

 何にせよ邪心に惑わされることがなくなったのは僥倖だったと言えよう。

 

 男は、傭兵の間で最古参の人間になっていた。

 傭兵稼業に踏み入ってから五十年は過ぎている。

 膝を屈しかけ、絶対的な才能の壁に歯軋りし、それでも戦場に身を置き続けた。

 

 幾度も知り合いを失った。

 傭兵らしく利己主義者だった小狡い男は、飛来する魔術の余波を受けて粉微塵に変わった。

 情に厚い傭兵の先輩だった大男は、英雄に蹴飛ばされて破裂した。

 年若く傭兵になったそばかすの目立つ煩しい女は、初の戦場で矢避けに扱われた。

 

 数え上げれば切りがない。凡人の彼が戦場で生き残り続けていたことこそ不思議なほどだ。

 もしや、彼に天が与えた給うた才能は『悪運』か。

 英雄を志す男の持つ才能としては、実に格好つかない代物だ。

 冗談交じりにそう思ったが、案外的を射ていそうで彼は恐ろしかったが。

 

 彼が戦場に立ち続けた理由は、有益な経験を積むためだった。そこでは様々な手練れたちが、惜しげもなく自らの技術を見せてくれる。

 彼からすれば戦場は財宝の山だ。

 強者の戦闘をじっくりと見て、分析し、咀嚼し、自らの身体に落とし込む。

 そのままの猿真似では意味がない。

 彼はただの凡人で、真似や参考にできることも限度が存在するからだ。

 

 言い換えれば……これは彼にとって剣を振ることと、さほど変わらなかった。

 どちらも、遥か高みにある英雄に手を届かせるための助走に他ならない。

 

 そして年月とは、それだけで大きな意味を持つ。

 剣の才能が足りない彼を、わざわざ慕う人間が多くいた。

 好き者に巷で、彼の二つ名が流布されるほどだ。

 『修羅』だの『狂戦士』だの、全くもって不名誉な仇名だと彼は思う。

 好き好んで戦に出ているのではないというのに。

 給料で買った安酒を口に含みながら、誰かに零した記憶がある。

 英雄は戦場の中にしかいられない。

 ならばそこへ行くだけだ、と。

 

 

 

 4

 

 

 

 ──彼の最期は呆気なかった。

 日没前の夕陽色に染まった戦場。

 屍の山と血の大河を横目に見ながら、皺だらけの手で古びた剣を握る。束ねた長い白髪は風に揺れ、褪せた色をした外套の下から、傷だらけの鎧が覗く。鮮血が飛び跳ねた身体は満身創痍だったが、いつでも飛び出せるよう身構えている。

 強い意志を込めた瞳は、正面の『英雄』だけを見据えていた。

 

『ソルフォート・エヌマ。……以前から、貴方に一つ尋ねたいことがあった』

『……何じゃ』

 

 老いた凡人──ソルフォート・エヌマは、しわがれた声音で答える。

 彼と対峙する『英雄』は十代半ばほどの女だった。この世に男女の格差など、凡人の相中でしか意味を為さない。肉体面も精神面も才能一つで上下が決まる。それは非才のソルフォートには残酷な世界だった。

 その筆頭がこの『英雄』なのは間違いない。齢二十にも満たない、当代人類最強だ。

 

 黄金色に夕陽を照り返す長い髪は靡き、彼女の碧眼はソルフォートの眼光に動じた様子もない。顔立ちは整っており、戦場の殺伐さに見合わぬものだ。

 反して、発される殺気の濃密さは尋常ではない。

 彼女が纏う白銀の装備は、大陸最大の帝国における六人の大英雄──『六翼』の証である。

 

 強さは疑うまでもない。その一閃で大地を割り、山を消し飛ばし、敵勢を吹き飛ばす。自国に帰還すれば民衆から喝采が巻き起こり、数々の称賛を得、高い地位を獲得した存在。

 まさに彼女は、ソルフォートが憧れた『英雄譚の主人公』そのものの強さを持っていた。

 

(成程、儂の目標は最強であったか。道理で容易に追いつけぬ訳だ)

 

 呵々と笑いかけるソルフォートに、『英雄』は小首を傾げる。

 

『どうして、貴方は戦に固執する? 私には解せない。貴方は先代の頃から最前線にいると聞いた。死にもせず、引退もせず、ここまで老兵として戦場を渡り歩いてきた。名誉も持たず、実力も然程ない貴方は、どうして戦っている? その執念の核は何だ』

『愚問じゃな。……似たことを聞く奴は、これまでも仰山おったよ』

 

 ソルフォートは短く切って捨て、身体を巡るエネルギーが最高潮に達すのを待つ。

 彼は戦に固執しているわけではない。彼は『英雄に固執している』のだ。戦場の空気を肌で味わい、目標である英雄たちの活躍を目に焼きつけ、生と死の狭間で生き足掻く。単なる鍛錬の一環だ。

 彼としては疑問視されることでもない。見当外れの質問に答える義務はなかったが、彼が到達せんとする『最強』直々の問いだ。彼女にだけは答えておくのも悪くない。

 敢えて言えば、戦場に立つ理由は。

 少年だった頃に剣を振った理由と、変わらない。

 

『まだ儂は、抱いた夢の一端すらも掴んでおらんからじゃ──!』

 

 ──込めた力を開放する。

 右脚で踏み込み、老いた肉体を一気に駆動させた。

 渾身の力はこのときのために。

 疾風のごとく、間合いを詰めた。

 

 英雄と打ち合うだけの強靭な肉体ではない。

 英雄と張り合える、そう自負する腕もない。

 だからこそ、通用する可能性があるのは一撃。

 二の太刀以降に機は訪れない。

 それを期待したが最後、首と胴が切り離される。

 

 老体に溜め込んだエネルギーを掻き集め、握り締めた剣に全てを懸ける。

 生涯における血と汗の滲む鍛錬の成果を。

 見せつけるのだ、この英雄に。

 

 燈色に染まる戦場で二つの影は交差──決着する。

 一つの影が地面に力なく沈み。

 残った片方は、つまらなそうに呟いた。

 

 

『──貴方は、半端者だ』

 

 

 

 ※※※※※※※※※※

 

 

 

 こうして、老いた凡人ソルフォート・エヌマの人生は終焉を迎えた。人類最強の呼び声高い『英雄』に、人生における最終目標に「半端者」の烙印を押されて。結末は報われないモノだった。あらゆる努力は実を結ばず、一介の傭兵として生涯を終えた。

 

 彼はどこまでも凡人だった。少なくとも彼が切望した剣の才能は凡程度でしかなかった。研鑽に励み、観察を疎かにせず、基本的な筋力を鍛えるのにも余念がなくともそうだ。最終的に到達したのは、英雄たる者たちから見れば「半端者」程度の強さだった。

 

 一生を使い果たして半人前。

 

 ならば。

 

 ならば、あともう一生あれば(・・・・・・・)『英雄』になれるのではないか?

 

 ──訂正しよう。老いた凡人ソルフォート・エヌマの人生は一旦(・・)終焉を迎えた。

 

 

 

 ※※※※※※※※※※

 

 

 

 生者は皆退却した、死臭漂う宵口の戦場。 

 頭上で群れをなす星の輝きと月明り、遠くで燃え上がる炎だけが死地を照らす。大気の熱は静謐を焦がし、あらゆる残骸は闇に埋まったまま。折れた剣も割れた弓も、砕け散った杖も。誰かの持っていた望みさえ、地面に蹲って死骸を晒していた。

 そんな、静まり返った屍だらけの場所。

 ──小さな影が身じろいだ。

 ソルフォート・エヌマである。蒙昧な思考と曖昧な視界に吐き気を覚えながら呟いた。

 

「…………生きておる。たしかに、生きておる。やつは、約定をきちんと守ったというわけか」

 

 現実味を失ったような声で呟く。

 驚きはある、動揺もある。だが、数秒経てば落ち着いた。不意に、この奇怪な状況と直結する過去の出来事を思い出したのだ。いまでも覚えているのは、あのとき出会った男が奇天烈だったからだろう。

 

 生前の──頃合いは青年期の半ばだっただろうか。ソルフォートは、自称『最高の魔術師』を名乗る男に、ひとつ頼み事をしていた。「もしも俺が志半ばで果てることがあったなら、死んでも死に切れん。そのときはもう一度、俺が目標に手を届かせられるように、二つ目の身体が欲しい」などと。

 

 当時のソルフォートからすれば、冗談半分の戯言だった。そんなこと御伽噺の『魔法使い』でもなければ不可能だ。死んだ人間の魂を別の身体に移し、転生にも近い所業を可能にするなど神の御業のはず。

 ソルフォートは魔術に造詣が浅いため、疑問符ばかりが頭に浮かぶ。

 

 あの謎の魔術師は何者だったのか。嘯いて憚らなかった『最高の魔術師』という名乗りは、果たして相違なかったのか。数十年経ったいまになって、こんな疑問が生じるとは予想だにしていなかった。

 だが現実に、死後にもこうして生きている。生き返って、また戦場の死臭を吸い込み、吐き出している。

 

 念のため、辺りに視線を巡らせる。間近まで夜が迫っているせいか、視界を闇が占領しているものの、ここは間違いなく先ほど『英雄』と一騎打ちした場所だ。傍らには、長年愛用していた剣が転がっている。

 地面に手を触れてみる。身体に浮遊感はなく、ざらりとした地面の感触も確かめられた。血が凝固した剣の刃に触れれば、その冷たさが指先を通じて伝わる。自らが霊体、ということでもなさそうだ。

 

 頭の混乱は収まらないが、とにかく生きていることに違いない。

 そう思い直して、心を平静に保とうとする。

 

 しかし。ただ一つだけ。

 彼には、どうしても解せないことがあった。

 

 

「なぜ……なぜ、わしはおなごになっておるのじゃ……!?」

 

 

 ──ああ、なんとなく。

 瞼を持ち上げたときから、違和感はあったのだ。

 愕然の声色も、舌足らずの可愛らしい高いもの。

 腰付近まで伸びる白髪は生前と同じだったが、不思議と髪に艶がある。

 手のひらは繊細で、潰れたタコと擦り傷だらけの硬質な手とは正反対だ。

 真っ白な手足は短く、視界もいままでより一段と低い。

 着ている服は、ぶかぶかの黄ばんだ襯衣のみ。それも老爺の自分が身につけていたもので、襟ぐりが左肩に引っかかった形だ。これでは全裸と大差ない。

 

(……あやつめ、確かにわしは身体はなんでも構わんと言ったが──!)

 

 混乱、混乱、混乱──完全に思考が停止し、もしやこれは死ぬ直前に見ている幻覚の一種かと真剣に思い悩む。

 だが間違いなく、ソルフォート・エヌマは十に届くかも怪しい幼女(・・)へと姿を変えていた。

 

 英雄を目指しながら、『修羅』『狂戦士』などと恐れられた凡人。

 彼が英雄に至るための第二の人生は、奇しくも幼女の姿でと相成った──。



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2 『曰く、状況把握は迅速に』

 人が消え、屍が大勢伏せる戦後の大地にて。

 黄目を強く瞑ったソルフォート・エヌマはかぶりを振り、長い白髪を大きく揺らす。気持ちの切り替えは大切だ。常識にそぐわない状況下では必須の技能である。

 現実に首を絞められながら、事実を声に出す。

 

「……やはり、夢ではないようじゃのう」

 

 混乱は、次第に落ち着いた。

 予想外の姿に変貌したものの、命を繋ぎ止めたことに違いはないのだ。元々、ソルフォートは難しいことが苦手である。いまこの状況を「死ぬよりマシ」と受け入れることはできる。ちっぽけな身体のことも、英雄らしさを欠片も感じられないあまりか、侮られそうなまであるが──我慢は可能だ。

 異性への変化に関しては若干複雑だが、大丈夫だ。

 身体能力以外を問う意味はない。

 なにせ、女と関わったのも何十年前かの話だ。

 

 いまや彼──彼女の唯一の関心事といえば、『この身体がどの程度の実力を持っているか』だった。

 

 目指す憧れの対象は変わらない。

 ならば英雄に近づく手っ取り早い方法としての、強さのほどが知りたかった。

 ソルフォート・エヌマの思考回路は、相変わらずの猪突猛進である。

 

 見た目通りならば、一も二もなく鍛錬し直したい。幼女の身のままでどれだけ鍛錬可能かは疑問だが、一分一秒も無駄にできない。せっかくの二度目の機会だ。このまたとない幸運を生かし、今度こそ英雄の座へと手を伸ばす。そのためには、いままでより更なる研鑽を自らに強いなければならない。

 小さな手をぐーぱーしたのち、徐々に身体を動かしていく。

 

「……っあた」 

 

 試しに走ってみたところ感覚が合わない。

 あえなく、ずっこけてしまった。

 綺麗に顔面から突っ込んだ。ひりつく痛みが顔中を襲うも、何のこれしきと立ち上がる。

 痛みも生きているからこそだろう。

 そう思えば、この痛みも笑って受け入れられよう。

 

(痛いもんは痛いんじゃがな……)

 

 その後、飛び跳ねたり、剣を振ったり、軽く動いた感想は「驚くほど違和感がない」だった。

 無論だが、元のソルフォートの身長や腕、脚の長さと今の身体は全く異なる。そのせいで感覚がいまいち掴みづらいものの、身体能力や技の冴えは以前のものが引き継がれていた。むしろ、視覚などの衰えていた五感、錆びつき始めていた身体能力は、身体自体が若返ったせいか向上してすらいた。

 

 涙するには至らないが、ソルフォートは猛烈に感動した。

 想像以上だ。今までの努力を引き継ぎ、なお精進に励めるなど夢のようである。

 その割にはら見た目があまりにも小柄で筋肉もついていない──驚くに値しない。

 

(きっとわしの元の身体にあったオドを、この身体に移したんじゃろう。それでも無茶苦茶な話じゃが、おそらくそれに止まらんじゃろう。まさか……わしの身体にあった筋肉も魔力に変換して、オドとしてこの身体に移しておるのか?)

 

 この世界において、身体能力に大きな影響を与えているのが『魔力』だ。

 体内で保有する魔力量が多ければ多いほど、基本的には身体能力が高くなる。たとえば走り込みや素振りなどで身体を鍛えれば、体内で生成される魔力──一般的にはオドと呼ばれる魔力──が活性化し、筋肉がつくとともに、保有魔力が増えていく。人々は自らをそうやって高めていくのだ。

 

 簡潔に言い表せば、身体能力の向上は「オドの量」「筋肉」「他、薬品や魔術の効力」のみによって干渉される。筋肉もない女子供が、戦士を圧倒する膂力を持ち得るのはこういうわけであった。……もちろん、身体を鍛えればオドも筋肉も増えるため、鍛錬を積んだ戦士を、女子供が圧倒することはそうそうない。

 

 ならば、彼の場合はどうだろう。

 人生を努力に費やした、ソルフォート・エヌマ。

 研鑽に研鑽を重ねた彼は、オドも筋肉量も大量に獲得しているはずだろう。

 だが実際には、彼の体内魔力量は微々たるもので、筋力の大半を筋肉が担っていた。

 

(わしの元の身体のオド上限がクソじゃったからじゃが)

 

 身体には体内で生成されるオドを、体内に留めておく上限がある。これをオド上限と呼ぶ。

 オド上限が低ければ低いほど、オド保有量が少なくなる。つまり努力で大量のオドを生成しても、受け皿の上限を超えてしまえば意味を為さない。上限以上のオドは体外に発散されていく。さながら、コップに水を注ぎ、はみ出した水が溢れていくように。

 

 努力して伸びる天才か、努力しても伸びぬ凡才か。

 その分水嶺がこの一線だ。

 言うまでもなく、ソルフォートは後者だった。

 

(ただ、この幼い身体は筋肉がついていない。オド上限はいくらか知らぬが、鍛えて筋肉を付ければ、そのぶん老人だった頃の筋力を超えるのは間違いないじゃろう。実際のオド上限は気になるところじゃが)

 

「この身体のオド上限は試す他あるまいて……」

 

 きゅるるる……と、妙に可愛らしい音色が鳴る。

 腹を擦りながら思う。

 そういえば、結構な時間を費やして、夢中で身体の具合を確かめていた。

 

(それはそれとて、腹が減ったのう)

 

 なにか胃に入れる物を探そうと、周囲を見渡した。

 だが、すでに夜の帳が降りた戦場では。闇夜に満ちた平野を照らすのは、星月と衰えた火のみである。幼女の視覚は鮮明だが、蠅の羽音は耳障りで、かつ血や臓物の異臭も相変わらず鼻が曲がりそうだ。けれども満天の星空の下で眺める戦場は、実に神秘的な光景であった。老人時代は自慢の視力も近眼気味で、このような奇妙な心地を味わうこともなかった。

 

 もちろん、綺麗なものを見たところで腹は膨れない。

 さっさと、腹ごしらえをする目標を立てよう。

 

(陣形後方の食糧庫は撤収、もしくは略奪か焼き討ちされとるじゃろうが……置いていった可能性もある。ひとまずそこへ確認しに行き、ついでに個人の保存食を漁りつつ、人のおる村を目指すこととしよう。知識も狩猟も、経験がないでは何もできん……若いうちに勉強を怠るべきではなかったのう)

 

 いや、剣を振る時間を削るわけにもいかなかったのだ。ならば後悔することもないだろう。

 思い直しつつ、戦場から去る準備を始める。屍の山から、小柄そうな者の足袋をかっぱらう。脚に傷口をつくらぬためだったが、それでも成人男性のサイズに、年端もいかぬ少女の足が合うはずない。ブカブカだったが、素足より断然良い。

 他には、腰帯を細い腰に二周ほど巻きつけた。これで一応、服が落ちることはない。きつく締めた帯には、死体から剥ぎ取った血塗れの携帯食料とダガーを吊り下げる。鎧は遠慮しておいた。筋力としては余裕があったものの、体格差が激しく、こればかりは装着できなかったのである。

 

 白髪の幼女は、古びた愛用の剣を握る。

 悠々と歩き出した彼女は、傍から見れば不格好で滑稽だった。

 だが、強い意志の宿る黄金色の瞳だけは。

 老成した──『戦士』らしさを覗かせていた。

 

 

 ※※※※※※※※※※

 

 

 

 ──帝国歴二二〇年。

 大陸中央よりやや西部のマッターダリ地方は、強国三つが隣した激戦区だ。

 強国の一つは、大陸東部の大部分を占めるガノール帝国。ソルフォートと対峙した『最強の英雄』が所属する大陸最大の国家にして、現状、大陸すべての国家と敵対関係にある。

 彼らは広大な支配領域により、面する国家も多く、戦線もまた長い。大陸を戦線で縦に割っているのだから、推して知るべし。この不可能とも思える戦線を防衛可能にしているのは、帝国における数々の英雄たちの存在。そして、優秀な兵卒たちのおかげだろう。誰も彼も化け物揃いなのは周知の事実だ。

 そのぶん、問題も多い国家ではあるが──。

 

 彼ら帝国と火花を散らす二強は、苛烈な階級社会を形成する『ビエニス王国』と西部を支配する『ラプテノン王国』だ。どちらも事実上の同盟を結んでおり、マッターダリ地方での戦は、もっぱらビエニス・ラプテノン連合軍VSガノール帝国である。

 度々、他国からの支援を受けるものの、基本的にはこの構図は変わらない。

 

 さて──ソルフォートら傭兵たちの部隊は、二強のうちラプテノン王国に雇われ、編成されていた。つまりソルフォートと人類最強の英雄が一騎討ちを行った争乱は、例に漏れずビエニス・ラプテノン連合軍とガノール帝国軍の野戦の一幕だった。

 結果は、ガノール帝国の完勝だ。

 生き延び続けていた凡人が遂に倒れたあと、連合軍と傭兵たちは壊滅状態に陥ったらしい。

 単純な負け戦だったが、最年長者の戦死は傭兵たちに士気に打撃を与えたようだった。当人は感じていなかったが、ソルフォートには少なからず人望が厚かったのかもしれない。そう思えるほどの潰走ぶりだったとのことだ。

 

 そんな潰走劇の舞台となったマッターダリ地方の特徴と言えば、踏破するには難しい標高の高い山々だ。急勾配の斜面と危険な野生生物の住む『マッターダリ山脈』。その盆地にある、最前線のバラボア砦がガノール帝国の手に落ちた今──帝国軍の足止めをするのは、この峰々だけだ。

 野戦後、ビエニス・ラプテノン連合軍は、細長く蛇行した渓谷を抜けた先にある『デラ支城』まで退却した。そのときに帝国軍の追撃で全滅まで追い込まれなかったのは、ひとつ理由がある。

 実はこの渓谷の入口となる洞窟が、岩肌の角度と生い茂った枝葉で巧妙に隠されていた。もっとも、いまでは明らかにされている。連合軍の退却の際、紛れ込んだ密告者によって帝国側に齎されたらしい。

 だが、帝国軍は当初この抜け道を認知しておらず、現状は対策に時間を追われ、今後の方針を定める会議がバラボア砦の一室で行われている……ようだ。

 

 先ほどから、戦況が伝聞系の語尾である理由は単純明快。

 

(……かれこれ、ここで一晩過ごしてしまったのう。通りがかる兵士たちの言葉から戦況を予想ていたのじゃが……ひもじさもそろそろ限界かのう。この身体、なかなか融通が利かん。以前の身体では一食二食忘れて鍛錬に励んでも、どうということはなかったと言うのに──年老いてからは、眩暈が酷くなったがのう)

 

 現在ソルフォート・エヌマは、件のバラボア砦に程近い雑木林に身を潜めていた。

 

 マッターダリ地方は朝を迎えていた。

 眩い太陽が山脈から覗いており、清澄な空気が辺りを漂っている。

 

 ソルフォートは殺気を殺し、大人しく敵地の砦前で情報収集に徹していた。昨晩から食べ物を探し求めて周囲を彷徨っていたものの、食糧庫は空、近辺の村は見つからない。

 近辺の村の筆頭だったダーダ村という小さな村も、無残に焼き払われた後だった。

 

 統率を失った傭兵の仕業か、戦勝で浮かれた帝国軍か、それとも帝国軍を装った連合軍かは定かではない。ただ一つ言えることがあるとすれば「食糧は焼失していた」ということだけ。

 となれば、近場に間違いなく食べ物がある場所と言えば──帝国軍により陥落したバラボア砦だった。

 飢えたソルフォートは、砦の飯にありつくための機会を窺っているのである。

 

「……アイリーン様が景気よく、山ごと(・・・)吹き飛ばせば全部済む話では?」 

「馬鹿を言え。無闇に山を破壊してみろ、吹っ飛んだ土塊の余波だけで俺たちは生きたまま土葬だ。それに、面倒な輩もいるからな。あの山の頂上に神々が御座すとか何とかってな」

「分かってます。分かってますよ、ただの愚痴です。……独り言に対してこれ見よがしにとは、伍長も人が悪い」

「ナッド伍長補佐、緊張感を持て。もう学生気分じゃ通用しないぞ」

「いやはや伍長。ナッド伍長補佐は緊張しきっているようですよ、言葉にゃ出ませんがね。軽口程度は許してやってくれやせんか」

 

 ──ガノール軍により陥落したバラボア砦。ソルフォートが潜む雑木林周辺の、山林へ続く道にて。

 早朝の日差しを眩しげに受けつつ、巡回任務に従事しているのは五人組の兵装姿の男たちだ。

 

 彼らがガノール帝国の兵であることは、会話内容や装着する鎧から察するに、疑いようもない。ナッド伍長補佐と呼ばれる、あの癖の強い茶髪の男は、そのなかでも真新しい装備に身を包んでいる。

 士官学校上がりで日が浅い、おそらくは配属されたばかりの新兵だと思われた。顔つきも二十代そこそこの若輩だと、ソルフォートは分析する。

 それにしても緊張でガチガチな若者だ。彷徨わせる視線は激しく行きつ戻りつを繰り返し、身体も硬直している。もしもソルフォートがビエニス・ラプテノン連合軍の兵士だったならば、彼を真っ先に狙っただろう。

 ただ、同情はできる。帝国軍の優勢を理解していても、初仕事のプレッシャーは耐え難いのだろう。

 

 懐かしさを覚える。

 ソルフォートも四十年ほど前も、あのような緊張に身を縛られていた。

 

(……英雄修行と思ったらすぐ慣れたがのう)

 

 昔から英雄への執着が強いのは変わらない。

 ソルフォートの視線の先で、五人組の兵士は世間話に興じつつ、目の前を横切っていく。

 

「で、だ。件の人類最強の英雄……アイリーン中将は、まだバラボア砦に?」

「いや、昨日の衝突後は急ぎ足で北方の戦地へ戻ったと聞く。代わりに『六翼』のシルド中将が派遣されてくるらしい。下士官の間でもっぱらの噂だったが」

「ぬか喜びは御免だが、真実ならそりゃ頼もしい。──アイリーン様よりシルド中将は、まあなんだ。安心できる」

 

 軽口を挟みながら、ナッド以外の四人は油断なく視線を巡らせている。

 その四人は少なくとも新兵ではない。役職として伍長が頭を張る班ならば、そうそう強者──英雄格は含まれていないだろう。事実、立ち振る舞いも、体格から想像し得る筋量も大したことはなさそうだ。

 

 しかし、凡人と自負するソルフォートが、容易く相手取れるほどだとは楽観できなかった。オド量は外面には分からない。それに加え、彼の思想として「凡人だからこそ傲慢は命取り」というものがある。他を圧倒する『天才』という怪物共はいざ知らず、凡人という人種は多少の楽観で命を落とす。慎重さとは、只人にとって美徳に他ならない。

 欲に駆られた同僚や後輩は例外なく死んでいった。

 二の轍を踏むことは許されない。

 

(それにしても、あの人類最強はここから既に去ったのか。残念と言うべきか、幸運と言うべきか)

 

 ソルフォートを半端者と評した、金髪碧眼の『大英雄』アイリーン・デルフォルを思い浮かべる。 

 昨日の今日で、下手に顔を合わせるのは得策ではない。

 まだ、彼女の高みに届いていない。

 会うとすれば、それはまだまだ先の話──。

 

 こつん、と額を小突いて気を取り直す。

 口惜しさと羨望を煮込んだような心地が、想像上の彼女を中心に渦巻くが──いまは、それにかまけている場合ではない。

 

(そろそろ覚悟を決めんとな。些か知り合いに情はあるが、敵討ちじゃ何じゃと襲い掛かるのは愚の骨頂じゃしな)

 

 ぐっと両拳をつくって、何やら決心を固める。

 物事には優先順位が存在する。彼の場合「英雄と遜色ない強さを手にすること」が一番、「そのために生命活動を続けること」が二番、それ以外は二の次、三の次だ。

 元々、配属されたラプテノン軍に思い入れはあまりない。殊勝にも復讐を掲げて、食料(大事なこと)を取り零すのはまっぴらだ。

 

 とりあえず、腹を満たすものが欲しい。

 ならば、芝居をひとつ打つかのう──と。

 雑木林でわざと音を立てる。

 

「……ッ! 何者だ!」

 

 機敏に反応したのは、伍長と呼ばれていた大柄な男だ。

 得物である直剣を構え、ソルフォートが隠れる茂みへと殺気を飛ばしてくる。

 ナッドは僅かばかり遅れていたが、他三人は伍長と同様に臨戦態勢をとっていた。腰に差した剣を抜き、腰を低く保つ。ソルフォートは感心しながら、自らの装備を外すと、その場に隠した。これで不審に見られる物品は全て置いたはずだ。準備完了である。

 

 一秒ほど間をおいて、ただの村娘に見える姿をしたソルフォートはゆっくりと出ていく。

 

「!? だ、誰だ……小さい、女の子?」

 

 てっきり、連合軍の残党が飛び出してくると予想していたのだろう。そんな彼らの目の前の林から姿を現したのは……か弱そうな白髪の幼女だったのである。拍子抜けもいいところのはずだ。しかも敵軍で見たことのない姿形。この時点でだいぶ、五人組の気が緩んだらしい。

 伍長が溜息をすると殺気は霧散し、幼女──ソルフォート・エヌマに話しかけてくる。

 

「お前は難民か? ……どこの村だ」

「……ダーダ村の者なのじゃが……住む家と両親をなくしてしまったのじゃ。よければわしに、仕事と食べ物を恵んではくれまいか?」

 



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3 『謎の幼女1』

今回は新兵視点です。


 どうしてこうなった──と。

 その男、ナッド・ハルトは頭を抱える。

 バラボア砦の一室。この細長い部屋は、食堂の役割を担っている。ゆえに、駐屯する兵卒のためのテーブルが、そこかしこに設置されている。砦占領の折に幾つか粉砕されたようだが、廃棄処分された。並べられたテーブルはどれも、実用に堪えるものだ。

 こびりついた血痕から目を逸らせば、砦にしては小奇麗な室内だと思う。バラボア砦自体は新築と口が裂けても言えないけれども。昼夜を共にする兵士にとって、致命的な不備がないのは重畳だ。陥落した割に損壊箇所も少なく、貯蔵庫に火を点けられたが砦としての運用には困らない。

 さて、ナッドはそんな二人きり(・・・・)の小奇麗な室内で苦悩しているわけだ。

 

 遡ること一時間前、当番だった巡回任務を無事こなしたナッド。さあ後は同僚と愚痴でも交わして、 灰色の砦勤務に彩りを添えようか──と、彼は立ち去りかける。が、ものの数秒でバルドー伍長に捕まってしまった。妙に上機嫌そうに口角を上げていたため、十分以上の警戒心を盾に逃げ出そうと画策するも、虚しく『上司命令』の前に潰された。そして、とある厄介事に首を突っ込む羽目になった。

 溜息をする。

 せっかく士官学校を卒業して、どうしてこんな──。

 

「なかなかに美味じゃ。歯応えもあって満腹感もある」

「……クソ不味い保存食を、どうしてそんなに美味そうに食えるんだよ」

「口に入れても動き出さんのが気に入った」

「ありえねぇ……」

 

 こいつ、帝国内のまともな料理を口にすれば発狂してしまいそうだ、とナッドは思う。

 彼が乾いた視線を向ける先には、農奴の娘と名乗る幼女が、テーブル上の謎の干し肉を食べようとしていた。手掴みで口に運び、易々と食い千切る。そうして満足げに頬を緩めるのだ。その保存食は噛みきりにくさに定評があり、味についても「靴を食んだ方が飲み込めないだけマシ」と評されるほどなのに。

 

 事実、ナッドも「物は試し」と口に入れたことがあったが、あまりの不味さと塩加減にむせ返った。一度口にすると、数時間は食べ物を拒絶するようになれる。実用的なのはその一点のみ。ナッドにとって、あの味つけは嫌がらせにしか思えなかった。

 コップに注がれた水を最後に流し込むと、白髪の幼女は小さく「ぷぅ」と息を零す。

 

「御馳走さんじゃ。お陰で生き返ったわい」

「ホントに完食しちまいやがった……信じらんねぇ」

 

 農奴の生活ではこれすら馳走なのか。戦慄する都会育ちのナッドは、平らげた幼女に瞠目を向けた。

 一見、目鼻立ちは非常に優れただけの幼女に見える。埃やら砂が髪に絡まっているものの、穢れを連想させない純白の髪は最初に目が行く。「農奴であればもっと薄汚れているのでは?」との疑問はあったが「箱入り娘だったのじゃ」と言われれば閉口する他ない。

 農奴の家庭にそんな余裕があるものか。

 実情を知らぬナッドは、そう思わざるを得ない。

 

「……ソルじゃ。わしの名前はソル。姓はない」

 

 この変わり者の名前はソルと言うらしい。

 四方八方どこから見ても不審人物だ。入砦を許されたのは、ひとえにこの幼女がどこの軍隊でも見かけたことはないからである。才能一つで引っ繰り返る世界で、女子供は無条件に信用できる存在ではない。見た目がか弱くとも、猛者の可能性がある。

 また、眼前の幼女が──たとえばラプテノン王国辺りで洗脳教育された、諜報部隊の一員という可能性も拭いきれない。疑惑は溢れるばかり。

 

 それでもソルを拾ったのは、ガノール帝国に対する悪評の牽制のためだ。

 ダーダ村を焼いたのは帝国軍ではない──十中八九、連合軍側の兵だろう──のだが、これ幸いと他国が吹聴して回るだろう。「無辜の人々を虐殺するとは、なんと悪辣な帝国だ」と。あからさまなデタラメだ。しかし、無視を決め込むにしても、これで帝国民が反感を抱き、大規模な反乱へ発展するのも面倒だろう。

 

 去年からだろうか。十年続いた戦争は、小競り合い程度にまで縮小傾向を見せている。ここでまた争いの火種を撒くのは愚かでしかない。

 ゆえに、戦火に見舞われた村人を匿った『正義の帝国』の証として、ソルを受け入れたのだ。

 

(それ以外にも裏事情はありそうだけどな。なかったら、不用心さに俺が泣く)

 

 そしてソルの子守役として任命された──押しつけられたと言い換えても良い──のが、彼女を発見した班のなかで仕事量が少ない、新兵のナッドだった。

 だから、砦内で忙しげに走り回る兵たちを横目に、こうしてゆったりと食事を眺めているのだ。

 

 中途半端に開いた扉から、通りがかる兵による不愉快な視線を感じる。数少ない同僚からの冷やかしが鬱陶しい。無聊を慰める話のタネは、本来ならば伍長や『六翼』であったはずなのに。無言のまま手で追い払う仕草をすると、含み笑いして消えていく。

 からかわれる良いタネを作ってしまった。二週間は同僚に弄られるだろう。砦勤務は娯楽が少ないのだ。

 それもこれも、この謎に満ちた幼女のせいである。

 

(まったく何者なんだか。喋り方もヘンテコだしよ、色々謎だ)

 

「……まぁどうでもいいんだが。俺が考えても仕方ねぇ」

「諦めが早いのう。思考停止では強くなれない」

「ばっか、誰が強くなる云々の話してんだよ。それに俺は適応してんだよ。……無茶苦茶なのが多いからな」

 

 どうしてこうなった。

 再度、ナッドは息を深々と吐き出した。

 

 ナッド・ハルト。齢二十一。出身はガノール帝国の帝都ライノ。

 窓から眺めた、帝都内の華美な通りを追想する。これまで、衣食住で不自由したことはなかった。ハルト家は代々商人の家系であり、現当主の父親は特に商人の才覚に恵まれていた。「ハルト家の最盛期だな」と祖父が感嘆していたことを思い出す。ナッドには父親の記憶が少ないが、あの大きな手のひらで、あの広く逞しい背中に守られて、自分は何不自由ない生活を営めていたのだと、誇りに思っていた。

 士官学校に追いやられる前は、損得を見極める感覚や流通の勉強に励んでいた。偉大な父の背中を追うために。

 

 小さな頃は無邪気に、長男の自らが家を継ぐと思っていた。

 運命の日、あの忌まわしい後継者指名の日まで。

 厳めしい父親が選んだ相手がまさか──。

 

「……心配事か?」

「うわっと!? い、いきなり近付くな!」

「わしには何もできん。わしには剣を振る以外、ほとんどやったことがないのじゃ」

「は、はぁ? 何だってんだ一体……」

 

 いつの間にか至近距離に、ソルのあどけない顔があった。

 虚を突かれたナッドは椅子から転げ落ちてしまう。派手な音が鳴って、したたかに尻を打ちつける。混乱するナッドを、椅子の上から見下ろすソルは……子供らしさが希薄だ。

 転げ落ちたナッドに、小指の先ほども気遣う様子もなく、嘲る表情すら見せない。ただその檸檬色の瞳は老成した色を映している。

 

 ナッドは憮然と立ち上がり、文句の一つでも言葉に詰まる。

 先ほどの言葉は、まるで胸中を見透かされたみたいだった。

 魔術や魔眼の類か、と警戒する。精神干渉系魔術とは考えたくない。禁忌指定の魔術師が身分を偽っているのなら、もうナッドに生きる術はないからだ。これは入砦を許可した将官を信頼するだけだ。どうか目が節穴でないことを祈る。節穴だった場合、処罰覚悟で目潰ししてやろうと思う。

 

 自然体で今も見下ろしてくるソルを前に、腰に提げた剣の柄へ触れる。緊張が脳内で張り詰めた。

 初陣も未経験のナッドは、真剣での対人戦すら覚束ない。士官学校では模擬戦も当然あったが、所詮は演習だ。本番の緊張には程遠い。巡回任務ですら嫌な汗が流れたのだ。戦闘になればどうなるか。想像したくもない。

 

 ここで何か仕掛けてくるのか──。

 身構える彼にソルは「ああそうじゃ」と、邪気のない顔で。

 

「そんなことよりも、ここには鍛錬器具は置いてないんかのう。剣の類があれば、それ以上のことはない」

「は? いや何だよ突然……」

「腹ごしらえも済んだのじゃ。なら、やることは鍛錬以外なかろうよ」

 

 よっこいせ、と椅子から飛び降りるソル。その軽々とした挙動からは、装備の重量を感じさせない。

 彼女の熱烈な要望により、ソルは幼女の身体に見合わない兵卒の恰好だった。支給品の比較的軽い鎧、簡易的な手甲や膝当て、編み上げ靴を身につけている。別隊に十一歳の兵士がいるおかげか、サイズはぎりぎりだが合うものがあった。それでも絵面としては間抜けに違いない。

 

 それにしても……唐突な発言にナッドは毒気を抜かれてしまった。

 きょろきょろと辺りを見回し、長髪を揺らすソルは構わず問うてくる。

 

「それであるのか、ないのか?」

「……搬入中だ。裏庭に素振りの空間はあるが。ってか、俺一応年上だよな? 若輩なら、それなりの態度ってのがあるんじゃねぇのか」

「…………そういえばそうじゃったのう。すまぬ」

「おい」

 

 数秒ほど動作が停止したのち、顎に手を当てるソル。あからさまに失念していたと言わんばかりだ。

 拍子抜けて、脳内での緊張感が丸ごと消えた。見た目通り、彼女が十歳にも満たないなら納得だ。箱入り娘の信憑性が相対的に上がる。確かに、そう名乗るだけの「世間知らずさ」は持ち合わせているらしい。

 とにもかくにも尋ねたいことは一つだ。

 

「で、実際のところお前は本当に農奴の娘なのか? とりあえず鍛錬だの喋り方だの、箱入り娘ってのは無理があるだろ。と言うか色々とお前、その、無理があるだろ。上も絶対気付いてるぜ」

「わしは正真正銘、農奴の娘じゃ……英雄に憧れてるだけの。とりあえず裏庭に案内してくれんかのう」

「……敬語使え、敬語」

「案内、してください。お願す……のじゃ」

「何でそんな切れ切れなんだよ。あと、のじゃは敬語じゃないからな」

 

 あからさまに慣れていない語調だった。

 だが、今回はこれで勘弁しておいてやろう。

 不服そうなソルの様子を見ると、自らの疑念が馬鹿馬鹿しく思えてきた。狡猾な密偵や間諜が、こうも世間知らずなものか。演技にしてもリスクが嵩むだけだ。そこまで織り込み済みなら、これも運命と諦める他ない。あくまで二十一年生きてきた男の目では、ソルを見た目通りの『白』と認識した。

 

 後輩教育も楽なものじゃない。

 ナッドは、新兵である自らのことを棚に上げつつ、肩を竦めるのだった。

 



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4 『謎の幼女2』

今回まで新兵視点です。次回からソルフォートに戻ります。


 剣術については自信がある、とナッドは拳を握る。

 士官学校では負け知らずだった。剣術、槍術、馬術は得意である。模範以上の身体能力と動作のキレ。欲しかった商才はからっきし、反面そちらには適性があった。当時の教官から「武官の道を目指すと良い」とのお墨付きを貰うほどには、優秀な才覚を認められていた。座学の出来も上々で、実技と併せて学舎でも上位の成績を保っていた。

 剣を用いた一対一で負ける気はしない。ただし、得物が真剣である場合と──向かい合う相手が、天に愛された本物の武人どもの場合は除く。あれらは、人間という範疇を明らかに超えている。

 だから、多少の謙遜を込めて「ナッドはあくまで人間の範疇において、優秀な武官候補」という評価で結論づけられる。ただその言葉の響き以上に、捨てたものではない実力との自負があった。伍長含め、班組みされた五人の中でも、一番強いのだと。

 徴兵された凡夫はもちろん、元農奴の娘などに劣るはずがない。

 ──ないはず、だが。

 

「肩慣らしに模擬戦、か」

「木偶人形の搬入はまだのようじゃですしのう。効果的な鍛錬法は模擬戦が一番じゃと思ったですがのじゃ」

「敬語が愉快なことになってっぞ。……まぁ、いいぜ。子守ばっかで暇だったんだ」

 

 砦と砦壁の間に穿たれた裏庭は存外、広い。その感覚を引き立てるのは、『庭』という題目のくせ、草木は数本だけ無造作に点在するのみという殺風景さによるものだ。硬い黄土色の地面とも相まって、本来ならば『広場』という呼称が正しいのだろう。

 

 砦の裏庭には、またしても二人だけだった。もっとも、砦生活は常に娯楽に飢えている──面白い見世物を放置するわけがない。同僚を筆頭に、何かと冷やかしが現れる。しかし早々と砦内に引っ込んでしまうため、ここは喧騒と無縁であった。どうやら裏手の砦壁の配備を完了したらしい。現状、正門付近の防備を固めることに、皆はかかりきりのようだ。ナッドとしては僥倖と言う他にない。

 頭上を見上げれば、天頂からやや傾いた太陽光。その影で彼と相対するのは──穢れを払うような、白の幼女。

 

「勝利条件はどうするのじゃ……ですか」

「負けたのを認めたら、で良いだろ。一本入れるにゃ、その身体じゃ無茶だろうしな。魔術を攻撃手段として使うのもなしだ」

「了解じゃです」

 

(憂さ晴らしも出来るし、こいつの力量も見れて一石二鳥だ)

 

 士官学生時代、嫌と言うほど握った練習用の木刀を構える。

 ナッドの常として、鍛錬時には半袖半ズボンだ。簡素な服に着替えれば、じわりとした暑さも多少は和らぐ。ここは涼しげな影に沈んでいるものの、やはり汗ばむ程度に昼時は暑い。海から離れ、峰々に囲まれた立地の辛さを思い知る。

 風の通りも悪い盆地での生活は、ナッドにとって不慣れなものだった。帝都での暮らしが長く、潮風が鼻腔に染みついている。この茹だるような気温には、ほとほと嫌気が差した。

 

 うんざりした視線を前にやる。

 そこには、ソルが涼しい顔で立っている。

 小癪にも、慣れた手つきで木刀を回していた。調子を確かめているようだ。彼女自身も「剣を振るのは趣味じゃ」と、何でもないことのように語っていた。そこには強者特有の、自負や自信が欠如しているように思う。自らの剣術に不安が残るのだろうか?

 

 ナッドの持論として「強者は独特な雰囲気を持つ」というものがある。士官学校で、幾度もの敗北を喫したことを思い出す。才能の怪物どもはその度、そこはかとない自信を唇に滲ませていた。隠している者もいたが、態度の端々から垣間見えていた。嫌味なくらいの──『自分たちは特別な人間として生まれ、そして特別な人間として生きていくのだ』という傲慢。

 ただ、その考えを否定する気にはなれない。

 ナッドですら多かれ少なかれその自負はある。

 常人より優れている自覚があるのだから、当然だ。

 

(けど、ソルからはそんなものは感じられない。別種の妙な雰囲気はあるが……気のせい、か)

 

 おおかた、奇異な喋り口調と挙動のせいだろう。

 幼女相手に怯えていたことが少し恥ずかしい。

 対してナッドには剣の腕に覚えがある。

 だから模擬戦は、うってつけの機会だ。

 小生意気な後輩に、上下関係を教え込むのも先輩の務めだろう。

 

「手加減は、してやらねぇぞ!」

 

 意思を引き締めて、ナッドは前方に踏み込む。

 基本、彼の戦法は速攻だ。相手の出方を見つつ、牽制し合うのは性に合わない。一気に敵の懐へ潜り込んで、動揺する間に痛恨の一打を加える。それこそ最高に気持ちが良い。ナッドは腹の探り合いが苦手だ。もしかすれば、父親が彼を後継者に選ばなかった理由はそこなのかもしれない。

 

 ナッドは大股で距離を詰めると、小柄な幼女を正面に捉える。彼のいつもの戦法は使えない。あまりの身長差で、懐へ潜り込むことが困難だ。ならば降参しやすいよう、狙う場所は頭か喉、もしくは手の木刀を落としたいところである。

 

 容赦なく木刀を振るう。狙いは頭部だ。

 なに、当たる直前で寸止めすれば問題ないだろう。

 勢いあまって打撃を与えたとしても、大事には至るまい。それに──痛みで、上下関係を身体に覚え込ませるのも『あり』だろう。

 ソルの無防備な脳天に、『教育』を振り下ろした。

 だが。

 

「っ!」

 

 鈍い感覚が腕に響く。

 会心の一撃が弾かれた──とは、瞬時に理解した。

 

 目を剥いて、ナッドは咄嗟に後退する。ソルからの追撃はない。慌ててバックステップした彼を、幼女は泰然と見つめ返すだけだ。頭を庇うように片手で木刀が構えられたまま、微動だにしていない。弾いた反動も軽微なようである。小さな体躯に反した身体能力の高さは、ソルの持つオドの多寡を物語る。

 

 今度は慎重に。

 ナッドは一定間隔を空けながら、幼女と睨み合う。

 先ほどは、斬撃に合わせてソルが攻撃を阻んだ。一応、為す術もなくやられるほど弱いわけではないようである。そうでなければ、張り合いがない。喉を鳴らして、浮かんだ汗を拭った。

 しかし、木刀で防御されるのは予想外だった。

 直前まで無反応だったため決着がつくと思ったが。

 

(反射的な防御か? こいつ、少しはやるみたいだが……!)

 

 大したことではない。想定の範囲内だ。

 息を整え、飛び込むタイミングを見計らう。もちろん、いつ反転攻勢を受けてもいいような心構えを欠かさない。肩の力も抜けて理想的な体勢だ。

 ナッドは緊張に弱い。その性質さえなければ、新兵の中でも頭一つ抜けた腕を持つ。だから有望株として、このバラボア砦に派兵されたのだ。能力を見定める士官学校では、木刀同士の戦闘が主で、緊張と縁がないからこそ──。

 

 正眼に構えつつ、ソルの動向を見守る。

 なかなか隙を見せない。石像のごとく一向に動かない。視線だけは真っ向から受けて立つものの、互いに様子見が続く。戦闘は膠着し、ただでさえ静寂さが満ちていた一帯に、緊張が張り詰めていった。

 

 一陣の風が吹く。

 遠くに、兵士たちの喧騒が聞こえる。

 埒が明かない。ならばこちらから仕掛けるのみだ。

 

「……【大地に於けるひと欠片】」

 

 一言だけ詠唱を口遊む。

 魔力を編み、簡単な『魔術』を発動させる。

 

 『魔術』とは、魔力を消費して何らかの事象を引き起こすことだ。消費できる魔力は二種類。自らの体内を巡る魔力──オドと、大気中に満ちる魔力──マナだ。オドは身体能力に影響する他、生命力に直結するため、削るのは文字通りの自殺行為。ゆえに、一般的にはマナを使う。

 と言えど、マナはマナのまま魔術の素にすることはできない。まず肺から取り込んだマナを、魔術として利用可能な魔力に変換。次いで『詠唱』で起こしたい事象を固定化し、魔力をその通りに編み上げて、ようやく魔術が形作られる。ナッドも、魔術習得の際には苦労した。

 

 彼が発動させた魔術は、手のひらに収まるような小石を創造する。それだけの魔術だ。ソル後方の中空に出現した小石は、当然のように重力落下。些細な音を鳴らし、地面に転がった。何ということもない魔術だが、落下音はしじまに響く。

 単純な手、小細工の類ではある。

 しかし、寂然とした場所では効果覿面だ。

 

 如何なる魔術が発動されたのか。

 反射的に、背後を把握せんと思うのは人情だろう。

 そしてソルは迂闊にも、意識を後方に向けた。

 

(今だ)

 

 好機と見るや、行動は鋭く俊敏に。

 ナッドは今度の狙いを木刀と決め──踏み込んだ。

 だが唐突に、脇腹付近へ衝撃が走る。

 

「がぁッ!?」

 

 脳内で電撃が弾けるようだ。強制的に動きを止められる。見ると、ソルの靴の爪先。重量感のある軍靴が、自分の鳩尾を抉っているではないか。

 振るうはずだった木刀は勢いを減退し、つんのめるような格好になる。

 

 罠だったか──。

 不覚を悟った頃には時既に遅く。

 戦闘における、致命的な空白が生まれた。

 

「隙あり、じゃ」

 

 一閃。

 ようやく動いたソルは横薙ぎに振るう。

 回避する手立てはない。

 幼女の木刀は、のけぞったナッドの首元へと吸い込まれ──。

 

 

 

 

 

 喉を打つ直前で、ぴたりと止まった。

 

「…………ま、負けた。俺の負けだ」

 

 言葉を絞り出す。

 声が、情けなく震えてしまった。

 対して幼女は「これで一本じゃな」などと事もなげに呟き、首筋から得物を離す。

 からん、とナッドは木刀を落とす。

 同時に膝を折った。

 

 冷や汗が滲む。脇に染みをつくっていたが、これは盆地の熱気によるものではない。

 殺気だ。たった一閃に発された、刹那の殺気。

 

 殺される──殺される、殺される。

 真剣を使わぬ模擬戦にもかかわらず、その言葉がナッドの頭を埋め尽くしたのだ。

 

「……嘘だろ。こんな、俺が、負けた?」

「才能はある。一撃必殺を狙う戦法も、わしは好むところじゃ。おぬしに足らんのは、ただ単に経験じゃろう……です」

 

 うわごとのような呟きに、ソルは断言した。

 呻くように「経験?」と聞き返すと、白い幼女は「そうじゃな」と視線を下げる。

 

「例を挙げるなら……まず、手の震えは言語道断じゃ。殺気や気迫に慣れとらん、とは真っ先に思った。他は二合目直前、踏み込みに迷いが見られたこと。ブラフを逆手にとられたことに気付かぬ、正直すぎるのもまずい。見破られて利用されれば、此度のごとく致命的な隙をつくることになるじゃろう。そこら辺を取捨選択する感覚や勘の鋭さを研ぐには、もはや鍛錬あるのみじゃろう。剣と魔術での戦闘を意識してなのかは知らぬが、剣以外の──今回で言えば足技を失念しているのも痛い点じゃな。勝ちを焦り、慎重ささえ見失わなければおぬしは強くなる。視線の散漫さも気になったのう。集中して相手を視続けると……いや。すまぬ、わしの悪い癖が出た。無用の説法と思うなら、聞き逃しとくれ」

 

 やってしまったという顔で、そう締め括る。

 ソルは居心地悪そうに、木刀で地面を突く。

 

 ──完敗だった。

 高等な戦闘技術や、常人離れした力に圧し負けたのではない。実際、ナッドに加えられた打撃や斬撃は軽いものでしかなかった。明確に勝敗を分けたのは、観察眼と()だろう。的確にナッドの改善点を洗い出し、弱点を突く観察眼。予備動作なしの防御という、超反応に思える回避を為せた理由は、ソル曰く「そう見えたに過ぎぬ。きちんと傾注すれば、腰と腕の経験したことのある太刀筋だったから」と。

 

 もはや、ナッドは開いた口が塞がらない。

 たかだか模擬戦とは言え、敗北するなどと露にも思っていなかったのである。

 築き上げていた彼のプライドが、脆くもひび割れるような心地がした。

 

「オド量……の、問題じゃねぇのか」

 

 言い訳は意味を為さない。今回の戦闘では、筋力の差異は些細な問題だった。つまりソルが啓蒙する「経験の差」こそが勝敗を左右した。オドを相応に溜め込んでいるのだろうが、独特の剣術は使わなかった。正直なところ、この一幕でソルの力量が測ることができたわけではない。

 

 もしや、こいつも怪物なのか? 恐怖が過去から這い出し、眼前のソルが歪んでさえ見える。どことなく困った様子の幼女を、士官学校時代の才能の怪物どもと重ねようとする──しかし、寸でのところ重ならない。ソルからは相変わらず、強者特有の気配が薄弱だ。

 ただ正直に、この印象を飲むわけにはいかない。

 ナッドは、自分の実力に自信を持っているのだ。

 だから、現実を受け入れるにはこう言うしかない。

 

(まぐれだ。……ああ、これがまぐれじゃねぇなら、何だってんだ)

 

 ナッドはソルを認められない。

 どうしても、認めることはできない。

 何故ならば、目の前の幼女が──自分の得手とする剣術で「俺を上回っている」などと認めてしまったら。自分よりも、歳を重ねていない者に劣ると認めてしまったら。何より、強者の風格すら持ち合わせていない者より『格下』と認めてしまったら。

 

 ……あの日。後継者指名の日。

 ハルト家から逃げるように出て行った自分をも、根本から否定することになってしまう。それは絶対に駄目だ。自らの根幹を成す出来事を、否定などしてしまったら。きっとナッドは立ち止まってしまうだろう。士官学校に少数在籍していた怪物たちや、英雄相手ならば諦めがつく。彼らは、人の域を超えた存在だ。勝利できないのは、誰もが当たり前だと知っている。無様を晒したとしても「仕方ねえさ」と肩を叩いてくれるだろう。

 けれども、この怪物の匂いがしない幼女には。

 

 何か言いかけて止める。

 数回繰り返すナッドを、ソルは一瞥して。

 

「落ち込む必要はないのじゃ、です。実はわしはズルをしました」

「……ズル?」

「若作りじゃ」

「質の悪い冗談だ」

「冗談なものか。わしはこれでもおぬしより年上なのじゃぞ」

 

 嘆息する。こいつが怪物かどうかはさて置き、冗談のセンスは間違いなく最悪だ。

 当のソルが至極真面目な顔で言うものだから、余計に脱力してしまう。

 

(ああクソ……! 馬鹿馬鹿しくて、怪物でもまぐれでもどれでも良くなった)

 

 間抜けた冗句で気抜けする。

 計算づくなのかは定かではない。

 だが、色々とナッドは諦める。

 

 上下関係を教え込む云々は果たせなかった。接したのは数時間ほどだが、間違いなくソルはまともな軍人に向いていない。自称箱入り娘は、その文句に嘘偽りない実情を見せつけた。上下関係の疎さ、冗句も最悪ときた。愛想つかしても仕方あるまい。

 嫉妬が混じっているのは否定しない。『自分』を揺るがせる存在を、傍らに置きたくない気持ちもある。一旦の子守役として任命されたナッドだが、この戦が収束すれば二度と会うこともないだろう。あくまで帝国の正義を主張するために、ソルは砦で匿われているに過ぎないのだから。

 

 対してナッドは、好成績で士官学校を卒業している。前途洋々な未来が開けているのだ。実地経験さえ積めば、悠々自適に内地で暮らせるようになる。

 国家に期待されている、というのは何も妄想ではない。彼が派兵された最前線の一角が──この南マッターダリ地方という事実が、その証明である。

 ここは、敗北はまずあり得ない場所だからだ。

 事前に『人類最強』が参じる報告があったからだ。

 

 かの『人類最強』が活躍するとなれば、一般兵の出る幕はない。つまりは参加さえしていれば、出世は約束されたも同然。実際に、直近の野戦はアイリーン中将による一方的な制圧で終結した。帝国側の戦死者は軽微であり、ナッド自身も戦場に立つことなく勝利の美酒を味わった。

 立身出世を提供してくれる、美味しい機会。

 それが、ここでの戦争だった。

 

 ナッドは貴族の出でも、ずば抜けた強さがあるわけでもない。だから大仰な夢は見ないが──とにかく、この奇天烈な幼女と接するのはこれで最後になる。

 不愉快だが、我慢しよう。

 

「さて、休憩も終わったところじゃし……もう一度、模擬戦を──」

「ああ? まだするつもりかよ……パスだパス。俺はもう疲れたんだよ」

 

 

 ──その日は結局。

 模擬戦の申し込みに、ナッドが首を縦に振ることはなかった。

 

 



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5 『前兆の六翼』

説明回です。


 ぬぬ……と、ソルフォート改めソルは腕を組む。

 最近、人に避けられている気がする。いや避けられているだけならまだ良い。ソル自身も孤独は慣れている。基礎的な鍛錬は一人で取り組むのが望ましい。たとえば、少年期から続けている素振り。雑念を排除する関係上、二人以上は必要ない。

 だから、単に避けられているだけでなく。

 遠巻きに、好奇の視線が向けられているのだ。

 たとえば、砦二階の廊下を歩く彼女に対して。

 

「……おい」

「……ああ、例の?」

 

 窓際に凭れていた若い兵卒二人が、ソルが見えた途端に囁き笑う。例外はない。通路で通りがかる者、食堂で居合わせた者は、見下げたような笑みと奇異の目を注ぐ。彼女自身、納得はできる。

 立場としてはこの砦における最年少。唯一の現地参加で、農奴上がりと名乗る、不釣り合いな装備に身を包んだ幼女。

 自嘲に笑ってしまいそうになる。これだけ疎まれる要素を持つ存在もなかなかない。もう少し『自分の見え方』に気を配っても良かったかもしれない。

 

 ただ、そういうことは不得手にすぎる。

 どうしても短慮に行動してしまう。

 ソルは肩を竦めて、砦内を早足で移動する。

 

(初日じゃないのじゃし慣れとくれんかのう。無視はできるが居心地が悪いのじゃ)

 

 入砦して、早くも三日が経過していた。

 世話係として割り当てられた兵卒──ナッドという将来有望な男だ──には、距離を置かれてしまっている。任命された手前、移動には付いてくるが、もはや軽口すら交わしてくれない。何やら話しかけても無視されてしまう。あの一件以降、まともに手合わせもしてくれなくなった。

 ちらりと視線を飛ばす先は、当のナッド青年。不機嫌そうな表情で、三歩ほど後方に貼りついている。ソルのそれに気づくや否や、目を逸らした。

 先日からこの調子である。いくら一人で過ごすことに慣れていると言えど、袖にされれば傷つくものだ。

 

(女々しい奴じゃよナッド……しかし、やはりわしのせいかのう。新しい身体での初めて模擬戦と、年甲斐もなく有頂天になっておったゆえに……)

 

 やはり、初日の鍛錬が端を発しているのだろう。

 ソルにも自覚はある。ナッドが苛立つ理由も、分からなくはない。初対面の人間から、上から目線で駄目出しなどされてみろ。しかも見た目は幼女、模擬戦とは言え、打ち負かされた相手だ。人より才能を持っている若者が、唯々諾々とその助言に耳を貸すわけがない。若き日のソルフォートも、決して良い顔はしなかっただろう。

 ……いや、それはないか。ソルフォート・エヌマという存在は、藁に縋ってでも強くなろうとしていた。相手から助言をもらえたとなれば、一生忘れぬ恩とするだろう。当然ながら、そんな凡人は例外中の例外である。

 加えて、ナッドに対する周囲の目も厳しい。

 

「おい、ナッド主席さんよ! 帝都に帰る前に、三日前の武勇伝、聞かせてくれるんだろ?」

「腕はともかく、足は得意じゃなかったかー?」

 

 にやついた声色を隠さず、背後から揶揄(からか)うような声が投げかけられる。ナッドの頬は目に見えて赤みが増し、口元からは歯軋りの様が窺えた。羞恥に少し肩が震えている。

 模擬戦の顛末を目撃されていたようなのだ。砦上部の窓から、よりにもよって同期の兵に。士官学校を実技成績に支えられて修了し、出世の道を歩まんとするナッドが幼女に敗北。やっかみを除いても、話題にならないはずがない。

 これこそ女々しい真似とも思うが、砦内での数少ない娯楽なのだろう。だから、冗談で済む一線を絶対に踏み越えてはこない。本来のナッドの席次は十以内にも入っていないのだ。

 それだけなら良いのだが──。

 ソルは持ち前の眼光で冷やかしを追い払いつつ、もう一度ナッドを見る。

 

 おそらく、この男は根が真面目なのだ。彼のプライドを真に抉っているのは、他人の言葉ではない。からかう兵士を払っても、安堵の様子を見せないのが何よりの証拠だ。自分で自分が許せないのかもしれない。

 その原因をつくった彼女を、あからさまに煙たがるのも道理だろう。

 

(こればっかりは、本当に申し訳が立たぬ)

 

 余計な助言について、ソルは反省している。お節介にも似た助言は彼女にとっての癖、あるいは訓練相手への礼儀だ。わざわざ貴重な時間を、彼女の鍛錬に使ってくれた相手への。

 生き急いだ彼女は、身に染みて『時間』の大切さを知っている。だから、どうせなら相手にとっても実のある時間になって欲しい。その思いで、気付いた事や改善点を口にする。

 六十年生きてきて、ソルが欲しかったこと。

 それが『忌憚ない助言』だったから。

 それこそ爺臭い説教だ、なんて罵声を浴びたこともあったが。

 

 何にせよ自重は心がけよう。

 いたずらに孤立したいわけではないのだ。

 

(人が寄りつかんで何より困るのが、訓練相手が誰もおらんことじゃ)

 

 人知れず嘆息する。 懸念の焦点はそれだ。ソルが長い年月で学んだこととして「一人での鍛錬よりも、誰かと一緒に鍛錬するほうが効率的」というものがある。六十もの年の功の成果だが、ソルは特にこの事例に当て嵌まる。

 理由は彼女の主な鍛錬法のせいだ。他人の技や身のこなしを観察することで自分の技を磨き、弱点を探る。他者の助力を必要とするが、そのぶん非常に実になる方法だと信じている。

 

 通路の窓から、快晴の空を見上げた。

 絶好の鍛錬日和だ。

 だが、今日の日中は勤務があるためお預けである。

 

 バラボア砦で、口を利いてくれるのは一人だけだ。

 今頃、砦壁に張り出した石造櫓にいるだろう。

 ソルは足を早めて通路を渡った。

 

 

 

 ※※※※※※※※※※

 

 

 

 バラボア砦は盆地に構えている。砦の櫓からの眺めは当然悪い。少なくとも、平地に建つ城砦に比べれば。遠方に目を凝らしても、マッターダリ山脈の峻厳な斜面と切り立った崖が遮る。水平線や地平線はおろか、人家すら見当たらない。

 ただ実用性は備えている。連合軍の遁走に使われた、渓谷への隠れた入り口付近は見渡せる。囲む峰々さえ除けば、起伏も少ない地形だ。櫓の役割は十分果たせているだろう。

 

 ソルは砦壁の櫓で、吹きつける風を感じていた。

 無骨な石の部屋だが、狭間落としや狭間が開いており風通しがいい。湿気ているのは減点である。

 

「ぼっちは辛いなぁ、ソル」

「バルドー伍長……哀れむのならそろそろ鍛錬に付き合ってくれぬ、ですか?」

「馬鹿言え。俺はガキ相手にチャンバラする気はねぇよ」

 

 ケラケラと笑うのは、急遽ソルを編入した班の長──バルドー伍長である。

 年の頃は三十代後半のようだ。脂で光沢を帯びる焦げ茶の髪と、骸骨を思わせる骨ばった頬を引きつらせて笑うのが特徴的だった。外見の割に大柄な彼は、ソル唯一の話し相手である。つい二日前に顔を合わせ、それ以来よくしてもらっている。とは言えど、単に会話してくれるだけなのだが。

 

 監視役のナッドは、隣の櫓で周辺を警戒している。

 こちらの会話は盗み聞きされていない限り、耳に入らないだろう。

 

「バルドー伍長はなにゆえ、わしと言葉を交わしてくれるのじゃ?」

「はっ、そんな趣味はないってだけだ。……ガキに厳しくあたるのは気乗りしねぇし」

「わしをあまり餓鬼扱いしないで欲しいのじゃが」

「どこからどう見ても、お前はガキだろうが。扱いがどうとか生意気なこと言ってんじゃねぇ」

 

 でこぴんをされる。

 痛みはないが、不意打ちすぎて面食らった。

 むすっとするソルを適当に流しつつ、バルドー伍長は辺りを見下ろして。

 

「ナッドの奴にはまだ無視されてんのか。あいつも大概、面倒な奴だからな」

「仲直りする方法を、伍長はご存知ないかのう?」

「知るかよ。つか、あいつが意地張ってるだけなんだ。お前が考える意味ねぇよ、あいつの問題だ」

 

 拳をこめかみに当てて、ううむとソルは悩み出す。

 そうは言っても、年若い男に丸投げするのも年長者の怠慢である。自分でもできることはないか、と思索を試みた。だが、六十年積み上げた人生は何も語ってはくれない。はたとソルは『仲直り』という出来事に直面したことがないことに気づいた。

 袂を別った相手とは、二度と会わないか、戦場で対面するばかりだったのだ。故郷の村人たちは燃え尽きてしまい、喧嘩した傭兵時代の同僚たちは数日と経たず戦死した。

 

 それを抜きにしても、プライドの高いナッドが自分と仲直りなどするだろうか。

 年の差がプライドを刺激するとは思わなんだ──。

 幼女であるが故の苦悩だった。

 幼女になったことのないナッドには分かるまい。

 もっとも、幼女に姿を変える機会など、そうそうあっては堪らないが。

 バルドー伍長は、うんうん唸る幼女から視線を外して。

 

「それに無理に仲直りする必要もないだろ。そろそろ俺たちはお役御免だ。『六翼』のシルド中将が引き継いでくれりゃ、この砦も安泰。ここに腰を据える作業が終われば、ようやっと家に帰れるって訳だ。……ああいや、すまん。お前には辛い話だったな」

「気にしとらんのじゃ。それより『六翼』とは──ガノール帝国の誇る英雄達じゃな」

「……ああ。名誉勲章みてぇなもんだが、グリーシュ大将を除けば実質的には中将と同等の位だ。だから中将で呼ばれることが多い。アイリーン中将然り、今度こっちの指揮を受け継ぐシルド中将然りな」

 

 少し顔を綻ばせてバルドー伍長は言った。

 その表情や声はどこか熱っぽい。

 ガノール帝国の『六翼』は、ソルもよく知っている。

 

 帝国黎明期から存在する名誉勲章──名前の通り、六人の大英雄が選ばれる。

 当代であれば……歴代最強の英雄アイリーン・デルフォル、四十代の若さで帝国軍トップである大将の座に就いたグリーシュ・デルフォル、独自に鍛え上げた騎士団を従える猛将ギルファ・レザーヴェ、堅実な采配と人柄で部下からの信頼が厚い『六翼』で最も穏健派ベルン・シルド、敵方の虚を突くことに定評がある智将ならぬ奇将レンツェ・ゴヴォーグ、国一番の美男子と囁かれる寡黙な闘将ユステア・ヅォルト。

 

 彼ら『六翼』のほとんどが指揮を文官に託しつつ、前線で猛威を振るうのだから笑えない。帝国と敵対する連合軍で、雇われ兵だったソルフォートは尚更だ。

 『六翼』の国民人気は著しく高い。

 英雄好きのソルフォートも得心する結果である。全員が武勇に優れており、多種多様な美形揃いと評判な彼らが連戦連勝する様は、さぞ痛快なことだろう。

 

 それにしても、不思議な巡り合わせだった。

 いまは、彼らが味方の立ち位置にいるのだ。

 食い物欲しさで選んだ道だったが、変な感覚だ。

 

(まぁ、帝国側にいた方がわしにとっても都合がよい。大陸で最高峰の英雄たちを、傍で観察できるのじゃからな。いや、上手く転べば稽古に付き合ってくれるやもしれん)

 

 そう思い直すと、無性に身体を動かしたくなってくる。

 

「……おいソル、何だその顔。まさか『六翼』とお近づきにでもなりたいのか?」

「そうじゃが。……よく分かったですのう」

「そうじゃが、じゃねぇ。この身の程知らず」

 

 軽く頭を叩かれる。

 無言の主張をするソルに、伍長は頬杖をつきながら無視の態勢をとった。

 

「俺は十分知ってる。端くれっつっても、アイリーン師団にいたからな。『英雄』様ってのの強さは、お前らよりも知ってんだよ。ありゃあ、人間じゃねぇ。ちびっこは見てねぇだろうが、容姿が貴族のお嬢様みたいなのが、かえって化けの皮にしか俺にゃ思えないね」

「じゃが……目指したくならんか? 最強に近しい英雄たちと肩を並べて戦うなんて男の浪漫じゃろう」

「そりゃお前がガキだからだよ。つーか男の浪漫って言う割にお前、女じゃねぇか」

「──そうじゃった。いやどうなんじゃろ。わしは女子ってことでいいんじゃろうか……?」

 

 素で間違えた反応を見せるソルに、胡乱な視線を向ける伍長。

 露骨に息を吐きながらぼやく。

 

「ナッドの言う通り、お前には冗談の才能はないみたいだな。まぁだが、英雄を目指す心意気は分からなくもない。俺だってお前ぐらいの年頃じゃ、ちょっとばっかし英雄ってもんに憧れたもんだ。……すぐに無理だって諦めたが。普通はそんなもんさ。本当に『英雄』の強さを知ってて言ってる奴がいるとしたら、俺はそいつの頭を疑うね」

「……そんなものかのう」

 

 心底わからないという風に首を捻る。

 ソルは頭を疑われていた。

 あんなにも格好良く、あんなにも強い英雄たち。憧れの熱が冷めたことは一度だってない彼女にとって、バルドー伍長の言葉は実感のないものだった。だが確かに、英雄の戦場へと初めて足を踏み入れたあと、しばらく迷ったことは覚えている。そこに差しかかったとき、伍長は迷い、諦めた一人なのかもしれない。

 

 あと十年もすれば、お前だって嫌でも分かる。

 そう言うと伍長は「まぁ、何だ」と続けた。

 

「『六翼』さえ来てくれれば、晴れてこの砦ともおさらば。緊張は忘れちゃならんが、気楽にやるが吉だろうよ。ナッドや俺らはともかく、お前にはこんな戦場以外の未来だってあるんだからな」

 

 

 

 ※※※※※※※※※※

 

 

 

 事態が動いたのは、ソル入砦の五日後である。

 『六翼』ベルン・シルド中将の到着は遅れていた。早馬の知らせによれば、帝国中央部の農村で蜂起した、逆賊の討伐に駆り出されているらしい。バラボア砦を陥落させて安定したこちらの状況よりも、反乱軍の問題は差し迫っているようだ。

 何にせよ、盤石の態勢が整っていない今、この砦の方針は『戦線維持』が安全策である。砦に籠り、ベルン・シルド中将の到着を待つ。

 

 だが気を急いた──欲を掻いたのかは定かではない──臨時指揮官が文官たちの反対を押し切り、『デラ支城』への強襲を宣言した。

 

『マッターダリ山脈を大きく迂回し、先日の敗残兵たちが逃げ込んだ『デラ支城』を落とす! 強硬策ではあるが、アイリーン中将の猛威により大損害を被った連合軍相手だ。補給を受け、支城を固められる前に叩くッ! 支城陥落にまで持ち込めば、大きな一歩だ。一種の関門だったマッターダリ山脈を超えた地域に、我らがガノール軍の手を届かせられるのだから!』

 

 自信を漲らせる表情には、確たる裏づけがあった。

 斥候により齎された、デラ支城の内情である。

 

 這う這うの体で駆け込んできた負傷兵の数に、あちらは上へ下への大騒ぎらしい。人が溢れ返って、兵舎で収容できなくなった数十人が外でテントを張るほどだ。その混乱に乗じて、攻城戦を仕掛ける。悠長に『六翼』を待つ間、連合軍側が事態を把握し──王国側の英雄たちを派遣して来ないとも限らない。それでまた戦線が膠着するよりも、短期戦でカタを付ける方針を取りたいのだろう。

 

 ちなみにマッターダリ山脈を隠れた渓谷を通らず、わざわざ遠回りする理由は単純だ。道幅は行軍するにはあまりにも狭く、火計を企てられれば致命的な打撃を被ることになる。連合軍とて馬鹿ではない。絶好の近道に罠を張っていることは自明の理だろう。

 連合軍の雇われ兵だったソルも、その渓谷に伏兵が待機していることを知っていた。迂闊に進言できない立場の彼女は、山脈迂回の宣言で胸を撫で下ろした。

 

 ソルが属するバルドー班は、バラボア砦防衛を任ぜられることとなった。

 元々、勝ち馬に乗るだけの心積もりだった班員に異議はない。楽して昇進できればそれ以上のことはないのだ。約一名「鉄火の間に行きたいのじゃ」と不満を垂れた自殺志願者はいたが、概ね意見は一致した。こうして砦に待機する兵数は、バルドー班含む二百人と相成る。

 

 速やかに武具や食料や馬が掻き集められた。

 そして二日もせず、臨時指揮官が主導する千の軍勢が進軍を開始した。

 

 櫓の上から彼らを見送っていると、ソルフォート・エヌマとして、老年時代に手合わせした名のある武将を見掛けた。軍列に混じる将校の中には、彼女を負かした覚えのある英雄の姿もある。ああ、如何せん砦での生活が短すぎた。彼らのような腕に覚えのある鍛錬相手と、いままで会えずじまいだった。

 ソルにとって口惜しいばかりであった。

 

 『六翼』不在で、支城へ攻める。字面は不安を煽るものだが、戦力自体は城砦一つ落とすに足り得た。

 臨時指揮官の決定を反対していた文官たちも、漠然とした不安を抱えているだけだったろう。

 

 まさか窮地が訪れると確信する者は──約一名を除いて──いなかったに違いない。

 

 



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6 『強襲』

 強襲部隊の出発。

 そこから二日と経たない、夜のことである。

 草木も寝静まった時間帯だ。門番はあくびを抑えつつ、真っ暗な景色を見つめていた。山並みが闇にひっそりと沈み、淡い星月の明かりが降り注ぐ。静かな夜だ。酒の一杯でも仰ぐには良い雰囲気だが、生憎と仕事中の飲酒は厳禁である。上司に見つかれば懲罰ものだし、そこまで彼は酒好きというわけでもない。

 

 しかし、面白みがないのは事実だ。

 見張り番にとって、最大の敵は眠気である。

 話し相手であるはずの片割れは「厠に行ってくる」を口実に、賭け事で遊んでいる。引き戻したいのは山々だが、先日は逆の立場だったのだ。片割れに門番を任せ、自分はカードゲームに興じていた。

 これも順番だ。

 頭を振り、門番はぼうっと肘をついて時間を潰す。

 

「おう、交代だ。またお前らは片方がいねぇのか」

「バルドーか。……まあな。お前が真面目すぎるんだよ」

「馬鹿、仕事だろうが。けっ、眠ってねぇでさっさと寝床に戻れ」

 

 寝惚け眼の門番の肩を叩いたのは、同僚のバルドー伍長だった。格好や口調に似合わず真面目な性格で、いつも貧乏くじを引いている男だ。上司から厄介事を押しつけられることも多く、不憫な奴ではあると思う。ただ、肩代わりしてやろうとは考えないが。

 口煩いのが玉に瑕なのだ。交代で遊ぶ門番たちの怠惰に口出しすることが、ままある。「真面目くんにはいい気味だ」が門番たちの総意であった。

 

 最近では諦めたらしく、黙認してくれるようになったのはありがたい。砦に残った兵たちの緊張感のなさに、バルドーは危機感を覚えているようだ──まあ、心配性にすぎる。

 斥候から齎された、最新の戦況を聞いているだろうに。「連合国軍が流れ込む怪我人で手一杯」「アイリーン中将の活躍で甚大な被害を与えており、敵軍は非常に弱っている」「英雄級の人材がデラ支城に殆どいない」という報せは、一介の兵にも伝わっているのだ。砦防衛へと割り振られた兵は、もはや吉報を待つだけである。

 

 ──『我らが無敵の帝国軍は、その圧倒的な力量で敵支城を蹂躙した』という。 

 

 更に、かの『六翼』ベルン・シルドが指揮の後を継ぐ予定も控えている。

 このバラボア砦自体、致命的な欠陥もない。

 一体、どこに憂う余地があるだろうか。

 砦に充満する弛緩した空気は、それら要素を合わせた結果である。門番は嘆息して、バルドーの心配性を心の中で嘲った。

 

 それにしても、もう門番交代の時刻だったのか。

 帰りがけ、片割れに声をかけなければならない。

 持ち込んだ椅子から重い腰を上げる。

 

「んじゃ、あとは頼むわ」

 

 肩を軽く叩いて、バルドーと擦れ違う。

 そのとき、背の向こうで溜息が聞こえた。

 バルドーのものだろうか。

 門番はあまりの珍しさに目を丸くし、足を止めて。

 

「疲れてるのか? お前らしくもなく溜息たぁな」

「ああ。うちに来たガキが色々と言ってくるんだ」 

「そっちに配属されたガキ──ってえと」

「ソルだな。あいつが妙なこと言ってくるもんだからよ、困ったもんだぜ」

「妙なことだぁ?」

 

 眉を渋める門番に、バルドーは「あー、たとえばだな」と頭を掻いた。

 

「臨時指揮官殿が進軍していったあと、胸騒ぎがするだの何だのって。何でも、数日中に奇襲が来るかもしれないっつってな。用心しておけって事あるごとに煩いんだ」

「はは。んだそりゃ、予言者様かよ。斥候の情報を聞いてないのか?」

「来て日も浅いわ、孤立してるわでそうなんだろう。一応、伝えちゃおいたが」

「で、効果は上がったかぁ?」

「それが全然でな。ちょこまか砦を歩き回るわ、備品を弄り回すわでナッドの奴がキレかけてたな」

 

 件の幼女は、門番も既知の人物である。

 と言うか、ソルほど目立つ人間は他にいない。

 

 あの幼女の件は、バルドーに押しつけられた厄介事の一つである。身元不詳、年齢不詳の不審者。本人はダーダ村出身と言うが、それが事実かどうかは眉唾物だ。ダーダ村の領主邸宅は、放火されて焼け落ちてしまっている。

 資料も名簿も藪の中で、実際にソルが農奴だったかは不明なのだ──とは、噂好きの門番が小耳に挟んだ情報だ。もしかすれば、連合国側の手勢かも知れないのである。

 

 しかし、彼女の入砦はあっさりと認められてしまった。臨時指揮官殿の参謀が、曰く「裏はないことは確かだ」と許可を出したらしい。彼の見る『目』は一目置かれている。だから、誰にも強く反対を受けなかったようだ。そして、普段のソルのずれた天然ボケさ。あれが「世間知らずの箱入り娘」の信憑性を上げた。

 つまり「帝国の『侵略』を『義挙』だと言い張る目的」「信に足る参謀のお墨つき」そして「普段の態度」を鑑みて、ソルは兵士へと転身できたわけだ。

 彼女は大事な道具。ゆえに、美味しい役どころである砦防衛の班に配属された。きっと、デラ支城攻略軍に組み込まれた兵卒から恨まれているだろう。

 

 ともかく、ソルは「ラッキーガール」として見るのが正しい。まあ胡散臭さにかかわらず、言動自体が奇人のそれのため近寄りたくないけれども。

 門番はほんの少し同情を込めて、バルドーの顔を見る。

 

「そらまあ、面倒臭ぇ奴を持ったもんだ」

「慣れてるから問題ねぇがな。妹のガキの面倒見てんのも俺だしな」

 

 少し遠い目をするバルドー。故郷の村で帰りを待っている、病気がちの妹と、その子供のことだろう。妹の旦那が早逝したため、バルドーが二人の面倒を見ているらしい。生活は貧しいの一言。収入は、所詮一兵卒のバルドー頼みなのだ。

 だが、幸せな暮らしぶりなのは周知されている。酒の席で絡んできて、延々と家族の自慢話を繰り返すのは日常茶飯事。彼と飲み交わせば、嫌でも知ることになる。

 彼が、ソルに親身に接する理由は一つ。

 きっと、彼女と妹の子供を重ねているからだろう。

 胸焼けするまで「妹の性格の良さ」「子供の成長」を聞かされた覚えのある門番は、早々に話を切り上げにかかる。

 

「かー幸せなもんだな。独り身の俺としては妬けちまうね。惚気られる前に、俺はお暇させて──」

「ちょっと待て。……あれは、何だ」

 

 息を詰まらせたバルドーの声。

 どうやら、冗談の類ではなさそうだ。 

 彼の視線の先を見下ろすと、門前の松明に人影があった。ざっと五十人ほどだろうか。黒衣を目深に被っており、頭上からでは人相を窺うことはできない。服装の切れ目からでは、彼らの装備のみ目視できた。装備自体はガノール帝国軍で、一般的に支給されているものに思える。そして群衆の後方には──空っぽの荷馬車が二台、駐車していた。

 夜回りの帰りか、と門番は軽く考えた。

 だが、隣のバルドーは厳めしい顔つきのままだ。

 

「そこの小隊、止まれ! 所属はどこだ!」

 

 バルドーが大声で、誰何を問う。

 声音は、威圧するように刺々しい。

 

 それで門番も違和感に気付く。そういえば、小隊並みの人数で夜回りしている訳はない。砦に残留した兵士の少なさを鑑みれば当然だ。四分の一の人員を割いて、深夜に歩き回らせるなど有り得ない。荷馬車の存在も不可解である。夜間警備にしては大仰にすぎる。

 こちらを見上げる小隊に、門番も警戒心を強めた。

 緊迫感が張り詰める。身構えつつ、返答を待つ。

 

「ドーネル少将の使いの者だ! 参謀サンソン殿に重要報告、また取り急ぎ、不足分の食料調達に、ここへ急ぎ戻ってきた!」

 

 小隊の先頭に立つ男の返答に、少しほっとする。

 ドーネル少将。『六翼』不在のバラボア砦における臨時指揮官の名だ。強襲軍を発案した張本人であり、総指揮を執るため砦を離れた男。その使いならば、小隊規模でもさして不思議ではない。報告だけなら大人数すぎるが、食糧の運搬にかける人数を考えれば妥当だろう。

 門番が開門しようとすると、バルドーがそれを押し留める。

 

「……その黒衣をとって、面を見せろ!」

「おいバルドー……」

 

 その返しに驚きつつ、バルドーを小突く。

 本来ならばこの問いは無意味だ。入砦した千人以上もの兵士を、全員記憶している者はない。顔馴染みはともかく、此度の戦で徴兵された農民や新兵は膨大。同じ班でもなければ、顔も名前も一致しないだろう。通常は、所属する隊の長の名前を言えば良いのだ。まして厳戒態勢でもない今なれば。

 

 もしや、ソルとかいう幼女の妄言を真に受けてしまったのだろうか。『連合軍が帝国軍を数日中に襲うだろう』馬鹿げた台詞だ。「あんな戯言、まともにしているのなら子供好きがすぎるぞ」と毒づきたくなる。

 門番同様、面食らっていたのだろう。

 答えに窮したかのように、闇を沈黙が支配した。

 

「……了解した。では──」

 

 一人が冷静にそう返す。

 すると、隊長格と思しき男が自身の頭巾を掴む。

 それは、異様なことだったが。

 小隊全員が、見習うように各々引っ掴んだ。

 ついぞ、彼らの黒衣が剥ぎ取られ──。

 

「──いけ、真正面から喰い破るぞッ。我がラプテノンの旗を掲げるのだァ!」

 

 瞬間、強烈な衝撃が櫓を揺さぶった。

 まるで、神話の巨人に揺すられたよう。

 立っていられず、門番は後頭部を床に打ちつける。

 波紋が広がるように鈍い痛みが響く。

 小さい悲鳴が門番の口から迸る。

 何事かという、当惑の言葉すら出てこない。

 

 だが門番とて軍人だ。

 舌打ちすると、前転の勢いで素早く立ち上がる。

 門番は勢い任せに、狭間から身を乗り出す。この振動は天災か──否、答えは単純にして明快だった。

 

 小隊の連中が(・・・・・・)門を全力で(・・・・・)蹴飛ばしたのだ(・・・・・・・)

 

 頭が急速に冷えていく。眠気は完全に覚めたが、顔色は蒼白に塗り変えられていった。

 決め手は、小隊の先頭に立っていた男の顔だ。

 門番も知っている。あの面相、間違いない。

 装甲のごとく膨張した筋肉。形の整った髭を蓄えた巨漢。先ほどまで黒衣で覆われてあまり目につかなかった、幅広の大剣を片手で握っている。

 この特徴に該当する英雄は一人だけだ。

 ラプテノン王国で最近頭角を現してきた、ボガート・ラムホルトという男だ。

 

 それだけではない。帝国軍小隊を装っていた者のなかには、名だたる強者たちが混じっていた。二十年前から戦線に立つベテラン、門番の以前の上司の首を獲った女、宗教者の恰好した魔術師──いずれもラプテノン王国で武を振るう、名だたる強者たち。

 そしていずれも、デラ支城に派兵されたという情報のない(・・・・・)者ばかり(・・・・)だ。

 

(いや、つまり……まさか、嘘だろ……!?)

 

 楽に昇進できる好機だったはずだ。

 甘い想像が瓦解していく。

 砦門へ再度、一打を受ける前に伝えなければ。

 警鐘を慌てて鳴らす横で、バルドーは叫んでいた。

 

「敵襲だ! 連合側──奴ら、少数人数で砦を落とし(・・・・・)に来やがった(・・・・・・)っ!!」

 

 

 

 ※※※※※※※※※※

 

 

 

「始まったのじゃ……」

 

 砦内に鳴り響く警鐘に、ソルは瞼を開く。

 兵舎の天井から砂埃がはらはらと舞い落ち、遠くからは断続的に爆発音が木霊している。室外では駆けずる兵士の足音がけたたましい。砦と隣接する兵舎の角部屋でも、その慌ただしさは伝わってきた。微細だが建物すら揺れており、地鳴りを想起させる。

 

 同室で仮眠中だったナッドが飛び起き、目を白黒させている。「なんだ、何が……」と、窓から状況を窺いつつ、鎧を手早く装着しているのは流石だ。伊達に士官学校の出ではないらしい。

 しかし、光源は月明かりと室内の蝋燭のみ。

 外の様子を満足に見通せないのか歯噛みしている。

 

 ソルはそれを横目に見ながら、硬い寝台の上で胡坐を掻いていた。寝間着としている、薄汚れたシャツと短パンのまま着替えもせずに。

 短パンの裾から食み出た健康的な内腿を、ぷにぷにと抓っては思考に没頭した。

 

(随分と、短絡的な策に出てきたのう。奇襲の目的も不明瞭ときた。なんとなく不穏じゃな)

 

 ビエニス・ラプテノン連合軍には、幼女化する以前に雇われていた経緯がある。デラ支城には一週間、このバラボア砦には二日だけだが滞在した。

 だからこそ、ソルは知っている。

 確かに斥候の情報は正しいはずだと。

 目ぼしい猛将は支城内に配属されていなかった。

 強烈な肩透かしを喰らったから、よく覚えている。

 

 ソルも、あのときは納得していた。帝国側から『六翼』人類最強アイリーン・デルフォルが出張ると聞いて、連合軍側が人材を惜しんだのだと。だが、そうではなかったらしい。

 いまバラボア砦に奇襲を仕掛けているのは『英雄級の兵士』たちだ。

 

(大軍を引き連れていくには、あの渓谷は狭すぎる。だから十中八九『少数精鋭で攻めてきた』と、容易く推測できるのじゃ。だとしたら……バラボア砦の守備が薄くなった途端に攻めてきた『奇襲の早さ』も考えると……ベテランで編成した奇襲部隊を伏兵にして、帝国側の油断を誘ったのじゃろうか)

 

 攻城戦のセオリーは、防衛側の三倍の兵力を仕向けることだ。投石器や破城槌で門を抉じ開け、突入するにしろ、調略するにしろ、兵糧攻めにしろ、大人数が必要である。

 基本的に、戦いは数。

 実力差は数の差で、容易く補える。

 

 だが、そんな常識が通用するのは所詮、凡人の間だけだ。個人戦力が一般兵数百人分を超える、いわゆる『英雄級の兵』には通じない。師団相手に数人で挑み、撤退に追い込んだ事例すら存在するのだ。選りすぐった少数は、十把一絡げの大多数を蹴散らしてしまう。

 だから、少数での攻城戦は無謀ということはない。

 相手が英雄級の軍勢ならば、むしろ防衛側のこちらが不利すらある。バラボア砦、という舞台も災いする。元は連合国側の城砦なのだ。構造を知り尽くした敵軍に、砦内の入り組んだ構造は意味を為さない。

 

(この奇襲、『経験』から予兆は感じ取れていたのじゃが……こんな姿と身分じゃ。相手にはされんと分かっとった。それに確信した理由が、わしの経験とは誰も信じるはずがなかったがのう)

 

 ソルが凡人の身の上にして、約六十年を生き永らえたのは悪運だけではない。『経験』だ。似た出来事の記憶が、この後に辿る未来を想像させる。

 端的に表現するなら、鋭敏な危機感知能力。

 実力に不足を感じていたソルが、信頼を寄せる武器の一つである。 

 

(ナッドの監視もあって、一人でできることは少なかった。今日のために用意がなかった……とは、言わんが)

 

 寝台の下から、ソルは装備一式を引き出した。

 帝国軍で支給された規格品ではない。バラボア砦の雑木林に隠しておいた品々だ。内訳としては、昔からの彼女の剣と、死体からかっぱらった装備。

 今日という日のため、巡回任務の折に触れて、こっそり持ち込んでいたのである。ナッドからは「拾い物で喜ぶとか、やっぱりガキか」と言わんばかりの冷たい視線をもらったが。……やはり、サイズが合わないため、剣以外は収蔵しておく。

 

 古びた剣を握る。真っ直ぐに伸びる剣身、燭台の灯をゆらゆらと照り返す刃、血の滲んだ包帯を柄に巻いている。これが彼女とともに戦場を渡り歩いた、相棒とも呼べる武具。

 もはやソルはこの剣を握ってきた手の形ではない。

 というのに、不思議と馴染む感覚が指先から伝う。姿かたちがどう変わろうとも、魂が剣を、剣が魂を覚えているのだろうか。

 この相棒は三代目。初代は十代の後半で折れ、二代目は三十代半ばで盗まれた。それに続く、大事な無銘の剣だ。寄り添って生きること、そろそろ三十年になる。相棒を打った鍛治師は、いまも壮健だろうか。

 らしからぬ感傷に浸っている幼女に、痺れを切らしたのはナッドである。

 

「お前! いい加減にしやがれっ! さっきからぼうっとしやがって……状況がわかってんのか!? 悠長にしてる場合か!? 襲撃だぞ!」

「……分かっておるのじゃ。少し待っておれ」

 

 戦いに焦りは禁物じゃぞ、という説教は飲み込む。

 ソルは学ぶ幼女である。

 ともあれ準備に取り掛かろう。紐を口に咥える。頭の後ろに手を回し、長い純白の髪をその紐で縛る。これがソルにとって戦いやすい髪型だ。

 髪を束ねていないと、風などで視界が塞がってしまう。若い頃の失敗はこうして生かされている。

 敗因が髪など笑い話にもならない。

 

 支給品の鎧、具足、手甲……。

 手慣れた動作で、身を包んでいく。

 凡人にとって一つ一つの戦は、死出の旅路と同義である。次はないかもしれない。歴戦のソルであっても、心臓が締め付けられるような重圧を感じる。死とは、戦とは、慣れるものではない。慣れるべきものではないと彼女は思う。過度に緊張しても、緊張に欠けても、それは万全ではないのだから。

 精神を落ち着けるため、緩やかに装備していく。

 ……苛立ちでナッドが、床を踵で叩き始めた。

 少し急ぎつつ、最後に腰へ三代目の剣を差す。

 これで、だいぶ気が引き締まった。

 

 久方ぶりの戦への高揚を抑えて、ふとナッドへ視線をやる。眉を曇らせたナッドは顔面蒼白だった。

 

「準備、できたかそうか……うっ」

「大丈夫かのう? 見るだに吐きたそうじゃが……」

「うっせえ、クソ。俺は大丈夫だ、ああ、クソったれ、俺は大丈夫なんだ……」

 

 ぶつぶつ念仏を唱えるナッド。先ほどから百面相のように表情が移ろい、面白いことになっている。このまま一時間ほど見物したいところだが、そろそろ砦防衛に動き出さねばなるまい。新兵のナッドは真に、初の戦場だ。突然の襲撃で恐慌状態なのだろう。

 傭兵時代の新人連中と同じである。

 

 背中でも擦ってやろうか。親切心が首をもたげたが、身長差につき手が届かないため諦めた。

 小柄な幼女の身体は不便なものである。

 改めて、頭を抱える羽目になった。

 

 だが、彼が落ち着くまで待ってはいられない。

 ナッドの様子を窺う限り、このまま部屋から一歩も出ない結末も有り得る。緊張への弱さは伊達ではない。遂には寝台に腰かけて、頭を垂れ提げている始末だ。流石に重症である。「落ち着いたら来るんじゃぞ」と声をかけて、扉へ向かった。

 

 先ずはどこへ向かうべきか。

 班員と合流が先か。独断で動くのも危険だろうか。

 思考を巡らせつつ、気合を入れる。

 

「よし、では行くとするのじゃ。──さて」

(此度の戦で、わしはどれだけ学べるじゃろう。どれだけ高みへと行けるじゃろう)

 

「楽しみじゃなあ」

 

 戦意を滾らせて呟くと、廊下へ足を踏み出した。

 他愛もない独り言。

 この幽かな声は喧騒で消えるはずだったが──。

 

「今、なんて、お前……」

 

 彼女の去った部屋──緊張のあまり、声すら震えたナッドは呆然と立ち尽くす。

 開け放たれた扉を、ただ凝然と見つめ続けた。



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7 『気高き重装騎士』

 バラボア砦では厳戒態勢が敷かれていた。

 夜の静寂は、怒声と剣戟、破砕の音で引き裂かれてしまった。砦の明かりは惜しみなく灯り、祭りさながらの狂騒が辺りを包んでいた。松明の火の粉には赤い血が散じ、壁や床に模様として滲み込んでいく。

 

 とうに砦の正門は無残に砕け散っている。

 激戦の舞台は、正門から砦内へと移行。連合側の強襲部隊は四手に分かれて、砦内を食い荒らす。地獄の釜を開けたような、阿鼻叫喚の坩堝と化していた。ボガートを始めとする英雄級の人員を加えた部隊に、帝国兵は為す術もない。

 警鐘に叩き起こされた兵たちは、必死の形相で応戦するも……彼らを嘲笑うがごとく、進撃は苛烈を極めていく。

 愚痴など零す暇はない。身体を休める暇もない。

 もちろん、防衛側もやられっ放しで終わらない。残留組は、昇進が内定している兵士ばかりだ。見合うだけの実力を持った者たちが、防衛にあたっている。

 しかし、力量差は歴然であった。

 

 力で及ばぬのならばと、帝国兵も頭を使う。

 たとえば、城砦の構造を活かす方法だ。侵入者を迎え撃つための工夫が、ここには幾つも施されている。砦内部の通路が入り組んでいるのも、仕掛けの一つ。回廊は、不規則な位置で道が分かれている。さながら木の枝のような道は、攻城側の死角を増やすためのものである。

 意図的な死角から、通りがかる者の不意を突く。

 

 ──砦の東側。

 血塗れの通路を闊歩するのは、鈍く光る仰々しい甲冑で全身を固めた男である。なんて、時代遅れの重装騎士だ。速度重視の強襲戦には似つかわしくない。あの様子では室内戦にも向かないだろうに。装備に困った挙句なのだろうが、血迷うにしても愚かな格好だ。

 嘲弄を浮かべるのは、息を潜めて待つ五人の伏兵。

 彼らは、通路を挟んで左右の死角に隠れている。

 あの間抜けを仕留めるぞ。そう目配せを送り合い、合図とともに一斉に飛びかかる算段を立てた。

 

 重装騎士の硬質な足音に、石床が鳴る。

 全身を包む装甲同士がぶつかる、甲高い軋みがよく聞こえた。失笑が漏れてしまいそうだ。ああも音を鳴らして、ご丁寧に位置を教えてくれるのか。五人の顔色に安堵が混ざり、程々に緊張も緩んだ。

 好機を計り──死角からの刃を伸ばす。

 一気に、重装備の隙間から刺し貫かんとする。

 

「ここはラプテノンの庭である。占領したての砦は、さぞ使い辛かろう」

 

 同時に、重装騎士は前へと踏み込んだ。

 鞘から解き放った剣が煌めく──速い。伏兵の五閃が届くより先に、重装騎士の直剣が五人へ襲う。

 銀閃は正確無比な軌道を描き、五つの首筋を斬り裂いた。赤が舞う。疾風が駆け抜け──伏兵たちを屍に変える。鼓膜に遅れ馳せた音は、ただの一度のみ。この一度に込められた幾重もの金属音だけが、彼の重装備のしがらみを思い出させた。

 着地したあと、剣身に滴る血を振るい落とす。

 手慣れた動作で鞘に仕舞うと、再び歩み始めた。

 

 彼はテーリッヒ・ガルディ大尉。連合軍の強襲部隊における、頭領格のうち一人である。御年四十六。二十年以上も戦場に立つ英雄として、ラプテノン王国では語り草だ。去年ほどから体力の衰えを感じ、そろそろ第一線を退こうと思案している。

 この地方における一連の争いは、退役前の大仕事である。本来ならば、デラ支城で指揮官の役を担うはずだったところ、腕を買われて強襲部隊に組み込まれた。帝国側に情報が流れないよう、内密に。

 協調相手のビエニス王国にすら気取られていない。

 強襲任務は、ラプテノン王国の独断だった。

 

(失敗は許されない。帝国の鼻を明かす、千載一遇の好機である)

 

 目的地に向かって、着実に歩を進める。頭に思い描くのは、バラボア砦の内部構造だ。事前に、しかと叩き込んでいる。テーリッヒは砦東部の『魔術房』を襲う手筈となっていた。

 魔術房とは、城砦や街における守備の拠点だ。一定範囲を覆うように展開する『結界魔術』──『衝撃を緩和する結界』の維持を司る特別室である。

 奇妙な空間だ。テーリッヒも、戦のたびに足を踏み込いれる。壁、床、天井に隙間なく魔法陣が描かれた密閉空間。そこに、専門の魔術師が詰めているか、もしくはマナ結晶と呼ばれる代用品が安置されている。

 結界魔術の維持に必要な魔力を、提供するために。

 

(『英雄』と呼ばれる存在がここまで蔓延る前までは、見向きもされなかった技術のようであるがな)

 

 英雄なる怪物どもが乱れる時代だからこそだ。

 現代では、魔術的な保護もない建物なんぞ役に立たない。石造の砦すら砂上の楼閣同然だ。民に称えられる英雄はもちろん、大規模魔術を扱える魔術師ならば、単独で砦攻略を成し遂げられてしまう。

 力ずくで塵芥にする、という形で。

 

 それを防ぐための魔術房である。脆い城砦を魔術で補強するのだ。もちろん、圧倒的な力業で打ち砕かれる場合もある。事実、バラボア砦の門など、最終的には十数人による魔術の連撃により突破された。

 しかし有無の影響は大きい。魔術房が敵方の手に落ちれば、白旗を上げる他ないほどに。正門など、結界魔術さえなければボガート・ラムホルトの蹴り一発で吹き飛んでいただろう。

 魔術房とは、砦の最重要箇所。

 防衛側の心臓部と言っても過言ではない。

 

 このバラボア砦における魔術房の位置は、実にスタンダードである。全部で四箇所、東西南北に分けられている。敵戦力を分散させるための配置だ。砦内部の迷宮構造も合わせて、なかなか厄介なはずだった。

 攻城側が、砦の内部を熟知していなければ。

 

「……手応えもなし。消化試合であるな」

   

 再び奇襲してきた帝国兵を一蹴。

 テーリッヒは、魔術房へと迷いなく突き進む。彼は手勢を誰も引き連れていない。貸与された小隊を、後方で待たせていた。手狭な通路では大人数が足枷になる。この先、単独のほうが道中は安泰のはずだ。彼には確たる自負があった。戦場の二十数年という年月は、伊達や酔狂で積み上げられるものではない。

 テーリッヒは兜の下で嘆息する。

 

(順調に魔術房まで辿り着けば、私の役目は終わったも同然。二十年の終止符まで、そろそろか)

 

 伏した若兵を超え、血飛沫の散った廊下を行く。

 次第に、通路の突き当たりが視界に映り始めた。そこには、ひときわ頑丈な扉が待ち受けている。表面に刻まれた魔術的な模様──規則的な線と、特殊な文字の羅列で構成されている──を見て頷きつつ、歩を進めた。あれこそが魔術房の扉だ。

 間近まで迫った目標に、ひとまずの安堵を覚えた。

 そのときである。

 

 ──白刃、白刃、白刃。

 乱舞する剣撃が背後から襲いかかる。

 

「……ッ!?」

 

 意表を突かれたテーリッヒ。

 咄嗟に前方へと身体を飛ばす。

 鞘から抜剣、振り向きざまに一閃する。

 

 激突。重装騎士の渾身の一撃は、襲撃者の得物と火花を軋らせる。鍔迫り合いを演じるテーリッヒは咆哮し、床を踏み締めて、それを制した。見る限り小柄な襲撃者に、力押しで負けるわけにはいかない。

 弾かれ、飛び退いた小さな影。

 等間隔に配置された松明が、正体を詳らかにする。

 

(……(わらべ)、か?)

 

 白の、幼女だ。純な白髪を括った、齢十以下にも見える襲撃者だった。表情は真剣そのものだが、年相応のあどけない顔立ちが印象的だ。そして少し不格好とは言え、帝国軍の装身具を纏っている。

 であれば、帝国兵であることに疑う余地はない。

 領地に残してきた一人娘を思い、気は咎めるが──容赦はしない。

 

 それに彼女の髪や装備は血塗れだ。

 外傷が見当たらない、きっと返り血の類いだろう。

 彼女が来た方向は、魔術房へと向かうテーリッヒの背後だった。もしかするとあの血は──。

 

(……通路の堰き止めを突破された、と)

 

 何より驚くべきは、一切その兆しがなかったこと。

 猛者との奮戦に付き物の『音』がなかった。遠くの喧騒にすら満たない戦闘音。更に、手勢のうち誰一人としてテーリッヒの元まで逃げ果せていない。手に負えないならば、何らかの方法で伝令を発するよう教育されているはずが──それもない。

 まさか、電光石火の勢いで皆殺しにしたのか。

 彼女が、新進気鋭の英雄だとでも言うのだろうか。

 刹那に思考が垂れ落ちる。

 だとすれば、この若さでは異例の『才能』だ。

 熱い唾を飲み込む。

 何にせよ、油断が許されないのは確かである。

 

「……不思議じゃのう」

 

 ぽつりと、幼女は口を開く。

 姿かたちと乖離が甚だしい口調で。

 

「テーリッヒ大尉。おぬしは、裏方仕事に割り振られる男ではなかったはずじゃが」

「私を、知っているのか」

「忘れもせん。ひとたび学ばせてもらった相手を忘れるものか」

 

 謎めいた物言いだ。

 はて、と眼前で構える幼女に目を凝らした。

 見覚えはないはずだ。テーリッヒは長年の戦場経験をもとに、王国の士官学校にて教官職に就いたことはある。だが、ここまで年端もいかない教え子はいなかったはずだ。帝国兵ならば尚更である。面識があるとは思えない。

 心を乱すために法螺を吹いているのだろう。

 そう結論して、無駄な思考を断ち切った。

 抜き身の剣を構えつつ、正面の幼女を見据える。

 猛者を前に、テーリッヒは決まり文句を口にした。

 

「ラプテノン王国軍、大尉の称号を預かっているテーリッヒ・ガルディだ。……名乗りはあるか?」

「わしは、ソル。根無し草じゃったが、今はガノール帝国軍の平兵士じゃ」

 

 緊迫感に支配された空間。

 そこに、二つの名乗りが交わされる。

 二人が、己が武器である剣の切っ先で床を突く。

 大陸では衰退して久しい『一騎打ち』の作法だ。

 もはや、時代の波に沈んだ文化だ。現代の集団戦術や大規模兵力の動員、遠距離攻撃魔術の発達──両手に余る要因が後押しした結果、『騎士』とともに廃れてしまった戦闘手段。

 テーリッヒ自身、予想外であった。幼子から一騎打ちの作法で返ってくるなどと。今時、一騎打ちの作法を知っており、かつ戦闘中に応じる者は珍しい。世の常として、問答無用で襲いかかってくるというのに。

 

(礼を失さず、私に挑むか。童よ)

 

 彼が、この作法に則るのは個人的な矜持であった。

 彼の家系は代々、誉れ高い騎士の家系だった。だが時代の移り変わりで、王国で騎士階級は消滅、騎士階級の家は貴族階級に併合された。

 いまも騎士が存在するのは、帝国くらいのものだ。

 ……形骸化が進んでいるのは言うまでもないが。

 

 先祖たちが拝命した『騎士』。

 彼は、高潔な階級に並々ならぬ執着を持っていた。

 だから、ソルの返答に驚きと──少なからずの好感を抱いたのである。

 

(ソル、ソルか。しかと覚えておこう。敵国の童にも、斯様な志を持つ者がいるのだと)

 

「返答、かたじけない。兜を置かず頭を下げる非礼を許してくれ」

「構わんよ。わしは騎士でもなし、単なるひと兵卒。ゆえに──開始の方法は略式で構わんか?」

「了解した。互いに時間もない身であろう」

 

 ──細く長い通路。

 紅蓮を揺らす松明の下で二人が対峙する。

 片や、ラプテノン王国軍大尉テーリッヒ。

 重武装の甲冑を鳴らし、全身から闘気を上らせる。

 片や、ガノール帝国軍バルドー班ソル。

 血染めの剣を構えつつ、鋭い眼光を光らせている。

 

 稲妻のように強烈な視線がぶつかる。

 見えない火花を散らし合う。

 ソルが提案した、略式の『一騎打ち』の開戦法は単純明快。互いに初撃は真正面──剣身同士が交わった音こそ、闘いの開始を告げる銅鑼の音だ。

 

 そうして。

 互いに譲らぬ静の時間は、唐突に打ち切られた。

 

 先手を取ったのは、テーリッヒ。重装備を軽々と駆動させ、抜き身の剣が横一閃に薙いだ。

 僅かに遅れて、ソルも己の剣を一直線に振るう。

 見た目の幼さに見合わぬ、古びた剣が宙を裂く。

 二つの剣は刹那を殺し、甲高い金属音を以ってして交じり合う。

 

 ──かくして。

 騎士と幼女の、東部魔術房を巡る戦端が開かれる。



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8 『交わる兵刃』

 夜の闇に浮いたバラボア砦。

 白煙や火炎が上り、粉塵がその光に舞っている。

 悲鳴の波は落ち着いたが、怒鳴り声や爆発音は依然として轟く。いまだに攻防が続いている、何よりの証拠だ。王国軍の強襲に、苦戦を強いられていた。

 いまも砦内のあらゆる場所で、多種多様な戦場がつくられていた。

 

 魔術師同士の激しい撃ち合う戦場。

 屠殺場同然となった回廊を行く、ただ一人の勝者が歩を進める戦場。

 帝国軍の同輩が手を取り、敢然と立ち上がる戦場。

 砦からの脱出を図るも、待ち構えていたラプテノン軍人に呆気なく命を絶たれる戦場。

 新兵が恐怖に部屋で二の足を踏み、震えながら葛藤する──これもまた戦場だ。

 

 その只中にあって。

 ひたすらに剣戟が鳴り響く、ひとつの戦場。

 一対一。

 互いに剣の一振りを携えた、剣士二人の一騎打ち。

 

「──ふッ」

 

 呼気を吐き出し、重装騎士は乾坤一擲の一刃を振るう。図体に似合わない速度で繰り出されており、容易く人を真っ二つにする威力はあるだろう。

 情けを両断する斬撃は、真正面の敵に向かう。

 だが、その息の根を止めることは出来なかった。

 

 白刃の標的である──血染めの幼女は、じっと大きな瞳で彼の剣筋を見つめていた。白髪を揺らし、器用にもその軌道上へ、古びた剣を滑らせる。

 響く金属音。しかし、相殺できていない。

 猛烈な勢いに、ソルの剣が弾き飛ばされる。

 

 得物を失った幼女に迷いない振り下ろしが迸った。

 正面からの打ち合いは、テーリッヒの勝利である。

 彼は、持ち前の筋力とオド量による剣速を武器に、あらゆる戦場を駆けてきた。代々、受け継がれる重厚な甲冑であらゆる障害を突破、そして名匠の打った剣で敵を薙ぎ倒す。

 そんな戦いぶりが身体に染みついた男相手に、力比べで上回ることは難しい。それこそ体格差をひっくり返すほどの、莫大なオドでも有していない限りは。

 ただ、幼女も一筋縄ではいかないようだ。

 器用な体捌きで紙一重、確殺の一閃を躱す。

 

(よく避けた。……だが)

 

 兜の裏でテーリッヒは碧眼を細める。

 後退せず、至近に留まったのは悪手だ。

 振り下ろした剣に力を込め、素早く斬り上げる。

 その攻撃の移行には、一秒とてかかっていない。

 流れるような淀みない連撃。

 けれども、彼の目論見は幼女に破られる。

 

「その手は喰わんぞ……!」

 

 若干、舌足らずの声で幼女は声を上げた。

 だがテーリッヒの耳には入らない──彼は面食らっていた。

 

(小器用な……!)

 

 彼が斬り上げようとした刃を、ソルは片足で踏みつけているではないか。腕に伝わる重みに歯噛み。踏み落とした彼女の軍靴に、刃がめり込む。

 彼女はそれに頓着することなく、テーリッヒの懐に飛び込んでくる。この機を見計らっていたのか。

 不意打ちかつ至近距離の行動。

 如何にテーリッヒが速いと言えど、対処が遅れる。

 

 幼女が飛来する。纏められた頭髪が跳ね、赤斑らの『白』が線を引く。だがソルの腰帯にも手にも、武器らしき物は見当たらない。唯一の得物を、遠くの床に吹き飛ばされているのだ。見る限り徒手空拳。それに接触までに、魔術の詠唱時間もない。

 この重装鎧相手に拳だけで立ち向かうというのか。

 だとすれば、なんと無謀な蛮勇を猛らせているのか。

 空手による些細な打撃で、甲冑はビクともしない。

 隙をつくるだけ、墓穴を掘るだけだ。

 

(魔術の類を発動する素振りも無し。純然たる白兵戦で、私に一騎打ちを挑むには二十年早い──!?)

 

 果たして、幼女が繰り出されたのは蹴り。

 否、踏み台だ。鋼鉄の鎧を踏み締め──屈伸し、ソルは一気に飛ぶ。三角飛びの要領で、テーリッヒから遠ざかる。意外な離脱に怯んでしまい、追い討ちを見送らざるを得なかった。

 今追っても、相手の土俵に持ち込まれるだけ。

 苦汁を飲み下して、次に備えるため剣を構え直す。

 

 ソルも、流れるように態勢を立て直していく。

 低空を滑空するなか、床に転がる愛用の剣を拾い上げていた。

 ……なんと器用な真似をする。

 感嘆がテーリッヒの心を過ぎった。

 

 幼女は勢いのまま一回転、華麗に着地を決める。

 そして間断なく構えに移行し、再び向き合った。

 ここでソルは相好を崩して。

 

「これで振り直しじゃな」

「……振り直しなものか。このまま刃を重ねれば、貴様は零落を免れないぞ」

 

 ──もし観衆がいたならば言うだろう。

 曰く、剣士同士、重装騎士と幼女の二人舞台だと。

 互いの動きは示し合わせたかのように噛み合っており、剣舞の披露とも思えるものだ。

 

 けれども、当人は納得しない形容だった。

 少なからず剣技を嗜む者ならば共感を示すだろう。

 

 重装騎士の繰り出す剣技は重く、そして速い。

 単純、しかし強力な特徴を有していながら粗野ではない剣筋。騎士を志すテーリッヒの剣には、熟練されたキレがある。

 対して幼女の操る剣技は、どれもこれも特筆すべきものはない。年を鑑みると驚くべき太刀筋だが、年齢度外視の戦場では……いずれも凡庸の域を出ない。

 戦場を渡り歩いてきたテーリッヒとしては、受けた覚えのある技ばかりだ。個人の特徴すら希薄な剣。個性も乏しい非才の動きだ。正直なところ、テーリッヒはソルに失望していた。数少ない、騎士道を知る相手の力不足は残念という他ない。

 しかし──この一騎打ちが短時間で終結していない事実がある。

 

(……やはり、妙だ。しかし確証は無い。ならば)

 

 蟠る疑念を握り潰し、確証もない雑念を振り払う。

 そして畳みかけるように一歩、大きく踏み込む。

 繰り出される、轟然とした袈裟斬りの一撃。

 それを紙一重で回避したソルは、切り返しとばかりに剣撃を放つ。狙いに定めたのは、注意が疎かになった左脇腹だ。

 テーリッヒは殺気を読み取って、反射的に剣を握り直す。彼女の軌道を読み、的確なタイミングで撃ち落とす──ソルは立て直すためか、一旦退いて振り出しに戻る。この小競り合いが十数回続いていた。

 まるで噛み合うような一進一退。

 予定調和的な膠着状態、とも思えた。

 彼は額の汗を浮かせながら、この違和感に気づく。

 

(ぴたりと、私の剣技に合わせて剣を振るっている? まさか)

 

 上がった息を抑え、兜の隙間から敵の様子を覗く。

 幼女は、上段に剣を構えつつ睨み返してくる。幼子ながら体力の損耗はさしてなさそうで、呼吸は落ち着いている。テーリッヒの猛撃を上手く捌き切り、いまだに五体満足で構えていた。だが、無傷ではない。

 右の肩口や頬からは血が滴っている。

 ただでさえ小さく、儚い身体から精気が失われていくようだった。

 

(要らぬ感傷であるな。ボガートならば、子供であれど情け容赦などかけんだろう。戦に殉じる覚悟は誰しも持っているはずと、私も教えてきた)

 

 一児の父として、その様に思うところはある。けれどもここは戦場、歴とした一騎打ちの一幕だ。同情のあまり前言を翻すなど、元騎士家系だったガルディ家の名折れだ。何より一人の兵士として、この場に立つソルに失礼というもの。

 やるからには貫き通す。

 テーリッヒが、石頭と揶揄される所以であった。

 だから油断を一分とて抱かず、毛羽立つ闘志を静かに燃やす。

 

(……剣技を見切っている? この短時間で見切るなど只事ではない。それも、こんな童が……)

 

 剣の柄を握り直し、肺腑の底から息を吐く。

 気持ちを切り替え、再び真正面にソルを見据える。

 何度見ても一分の隙すら見当たらない、堂々とした立ち姿だ。奇妙なことだが、剣を構える姿は様になっている。だからだろう。益々、彼の抱える疑問は膨れ上がる。

 ──何故、全てにおいて劣るソルが、テーリッヒの剣の錆になっていないのか?

 纏わりついた疑問を、問わずにいられなかった。

 

「……まさか、私と戦ったことがあるのか?」

「言うとるじゃろ。忘れとらん(・・・・・)と」

 

 ソルは短く言い放つと、彼女の黄の眼光が深みを増す。あの、幼い外見とかけ離れた瞳が。その輝きにテーリッヒは息を詰まらせる。まるで、老人のよう。彼以上に年を重ね、彼以上に経験あらたかな先駆者の色を湛えていた。

 二十年前に戦死した、父の姿をも幻視する。

 尊敬の念を抱いている、偉大な父を、だ。

 それに、自らながら驚いた。

 

 父はこんな幼子とは真逆の存在だった。気高く、高潔で、国を守る剣として立派に戦った軍人。祖父の代で騎士階級は廃れたため、父の称号は騎士ではなく少佐だった。だが、テーリッヒは大きく広く、力強いその背中に憧れた。彼が騎士を目指そうと決心する根源は、そこにあったのだ。

 その父親と眼前のソルを重ね合わせてしまった。

 一つとして、類似点はないというのに。

 

(──馬鹿な。父上と重ねるなど、そんなことがあるものか……!)

 

 まるで違和と異物の塊だ。目の前で刃を合わせる幼女は、何やら得体が知れない。

 先手を打つのはテーリッヒ。彼は足裏を地面に叩きつけ、力強く剣閃を走らせる。

 くだらない妄想を断ち切る意味合いも込めた、会心の一撃。凄まじい速度で弧を描き、風を搔き分ける。

 

 対しソルは、剣を上段に構えたまま静止し続ける。

 人知れぬ森の湖面のごとく。

 敵意をギラつかせる双眸のまま。

 ただただ待ち、待ち。

 そして。

 

 ──煌めく。一筋の閃光が手元から迸る。

 

「ッ──!?」

 

 そのとき、テーリッヒは本能で。

 いや、戦で培った感覚によって危機を感じ取った。

 この一撃(・・・・)だけは喰らってはならない。

 自らの勢いを殺し、脊髄反射的に身体を反らす。 

 

 ──雷光めいた刃が鼻頭擦れ擦れを通過する。

 

 まさに奇跡としか言いようがない。

 剣の動きと並行に首を反らすことができるとは。

 兜が剣撃で吹き飛ばされるだけで、テーリッヒは回避することに成功する。

 

 大仰なまでの音。弾け飛んだ兜が、壁に激突する。鈍色を照り返す頑強な兜は、衝突と同時にあっさり破砕した。壁にも亀裂が走り、すり鉢状の大穴を穿つ。結界魔術の影響下にあるという事実が、頭から抜け落ちてしまいそうだ。

 ……それを、彼は上下さかさまに見届ける。

 だが、ついぞ体勢を崩して倒れ込む。

 したたかに背を打ち、鎧越しの衝撃に呻いた。

 

 一方、ソルは通路の奥で小さな背中を向けている。

 疾風迅雷のごとくテーリッヒの真横を駆け抜け──一瞬のうちにあそこまで移動したのか。そして床には、轍のような跡が彼女の足元まで伸びていた。あの、刹那を殺した証左が克明に残っているのだ。

 ぽろりと零れた呟きを、彼は聞き逃さなかった。

 

「惜しいのう。頭を取れぬとは」

 

 ……どっと、汗が噴き出す。

 外気に晒された彼の面貌は、怖気で硬直した。

 

 なんだ、今のは。

 御年四十六の猛者ですら、思考が止まった。

 

 異常な点は多い。数あるうちの一つは、結界魔術下にある壁をめり込ませたこと。そして、ガルディ一族に伝わる装備を砕いたこと。此度の強襲の折、門を破ったが、あれは複数の強化魔術を重複付与したボガート・ラムホルトの力あってこそ。

 少なくとも常人が可能な芸当ではない。

 それを、やってのけたのか。

 愕然を他所に、おもむろに幼女はこちらへと距離を詰めてくる。足取りは不確か。先ほどまでの機敏な動きが嘘のように、身体を引き摺っていた。

 いまの一撃に関する異状だろうか。

 逃げ出す、迎え撃つ……何にせよ、好機だ。

 しかしテーリッヒは動かない。動けない(・・・・)

 

 もはや戦いは決した。

 遂に、テーリッヒの頭付近まで辿り着く。

 ソルは片手に持つ白刃を向けてくる。

 

「──じゃが、これで仕舞いじゃの」

「……貴様、覚えがあるぞ……その、一撃」

 

 十年以上もむかしの記憶の切れ端を、思い出す。

 ガノール帝国との大戦が勃発する以前……テーリッヒが、大尉を拝命されて幾許かの頃だったか。その頃、いまでは手を組んでいる二国──ラプテノン王国とビエニス王国──が小競り合いをしていた。

 激化の兆候を見取った軍本部によって、テーリッヒは国境付近の城塞へと派兵された。国を守る騎士の本懐だと彼自身、張りきっていたように思う。

 戦力差を補うために、大手の傭兵団を雇った。

 そこに、おかしな老人傭兵がいたのだ。

 朧げだが、いまも確かに覚えている。

 

 テーリッヒがその老人を見たときは、いつも自らの剣を研いでいるか、剣を振っているかだった。丹念に研いで、丹念に振るう。聞いたところによると、傭兵団で一番の古株らしかった。

 戦地において老兵の生存率は芳しくない。道具の趣きが強い『傭兵』という職ならば余計に。加え、彼はそれほど腕が立つわけではないのだ。テーリッヒが演習や戦場で目にした、彼の評価はそうだった。

 だから、興味本位で声をかけた。

 

 如何にして貴様は生き残ってきたのだ、と。

 何らかの秘策があれば参考にしたい、と。

 

 ちょうど愛剣を研いでいた彼は、じっとこちらを見返してきた。テーリッヒのほうが実力も位も上のはずだったが、どうしてか気圧されてしまった。

 たじろいでいると、老人はぼそりとこう呟いた。

 

 ──人は死ぬべき時に死ぬ。

 ──儂には成し遂げるべきことがあるのじゃ。

 ──だからまだ、生きておる。

 

 彼の答えは、答えの体を成していなかった。

 期待していた面白いものでもなかった。

 しかし、妙に腹落ちしてしまったのだ。

 問いかけをした日の月夜。老人たっての願いで、誰もいない練習場で一戦交えた。そのとき──満月の下で、まさしくあの一撃を見たのだ。青白く冷たい光のなかで、老いてなお輝きを燻らせぬ、あの傭兵。そんな彼が、テーリッヒには眩しく見えたのだ。

 いまにして思えば。

 あれは、憧れに近しい想いだったのかもしれない。

 その彼と、目の前で剣先を向けてくる幼女には……父と重なる以上に、重なるところがある。

 

「一騎打ちはわしの勝ちじゃ──何か、あるかのう」

 

 逆さまに目に映る幼女は言った。

 彼の、最期の言葉を訊いているらしい。

 無念だ……という、浮かんだ言葉を飲み込んだ。

 

 ただ一つ、天晴れと。

 あの傭兵によろしく、と。

 

 老人傭兵の孫かと思われる幼女に、零した。

 ソルは複雑そうな表情を浮かべたのち、古拙な剣の切っ先を彼の首筋に振るい──。

 

「──騎士テーリッヒ・ガルディ、討ち取ったり」

 

 

 

 ※※※※※※※※※※

 

 

 

 首魁の一人テーリッヒ・ガルディを仕留めた。

 ソルは堪らず、途端にふらりと座り込む。

 臀部を打ち付け、平たい痛みが伝う。

 赤の斑模様となっていた髪が、じわじわと床の鮮血に侵されていく。騎士から広がっていく血は、歳を感じさせないほど綺麗な色だった。

 けれども、彼女はそれらにまるで気づかない。

 

 息を吐きながら、小さな体躯を仰向けに倒した。

 疲労に押し潰されるように、ぐたりと。

 慣れた虚脱感が、身体中を支配している。

 しばらくは、立ち上がることさえ出来ないだろう。

 血を滴らせる剣に異様な重さを覚え、緩やかに手放した。 

 

(しくじったのう。あの一撃で仕留めきれんとは)

 

 身体の芯から来る脱力に抗えないまま、ソルはテーリッヒとの一騎討ちを振り返る。

 彼女にしては珍しいことに、優位に戦況を進められたと思う。それはひとえに、テーリッヒの戦法を熟知していたからだった。十数年前、ラプテノン軍と共闘したときに彼の剣技を勉強していた。重装騎士姿で戦場を駆ける、特に目立つ戦い方だ。

 あの頃、ソルが注目していたのは言うまでもない。

 ……しかし。年を経て、基本的な戦法にほとんど変化がないのは残念だった。そもそもが、単純明快な戦法だ。ゆえに改良の余地がなかったのか、伸びしろがなかったのか。

 

 何にせよ、得るところが少なく不満だった。

 以前の一戦にせよ、結局のところ、体格や装備が物を言う彼の戦闘法は、彼女向きではなかったのだ。

 ただ、学べたこともある。踏み込みの加減、一対多の戦闘での上手い捌き方。こうしたスキルを磨く、良い機会にはなった。無駄な果たし合いは存在しない。

 此度の斬り合いでは、幼女姿での身体運びを熟すことができた。自由自在とは口が裂けても言えないが、以前までの感覚と擦り合わせられた。

 また一つ強くなったのじゃ、と口元が綻ぶ。

 

(じゃが、奴がわしのことを覚えとるとはのう。わしからすれば、懐かしいお人じゃったが……向こうからすれば、何度か喋ったぐらいじゃのに。まあ、誰かと勘違いしとる口ぶりじゃったが)

 

 最後に振り返るのは、やはり一騎討ちの幕切れだ。

 ソルが放った渾身の一撃。

 あれこそは、非才が編み出した『一瞬だけ他者を凌駕する技』だ。

 

 原理は至って単純だ。体内を循環するオドを爆発的に放出し、その推進力を以てして居合に斬る。ソルの虚脱感の原因は、この技によるオド消費だ。オドは、身体能力と生命力に多大な影響を及ぼしているのだ。急に失えば、当然ながら平然としていられない。

 わざわざオドを利用する意味はある。

 大気中に漂うマナと違い、体内で生成するオドは()が高いのだ。マナを暴発させ、同様のことは可能だが──推進力は、オドのそれとは比べるべくもない。だが、捨て鉢でもなければ使われない方法だ。

 

 理由の一つは、オドが尽きれば力尽きること。

 そして二つ目は、ソルが倒れ込んだ通り「身体能力諸々が落ち、疲労や脱力に襲われる」こと。一騎討ちならまだしも、基本戦場は乱戦に近い。そこで敵を一人、運良く討ち取れたとしても、次に死者の列に並ぶ人間が自分になるだけだ。

 他の問題点として「オドの調整に特殊な修練が必要である」という点が挙げられる。着地や放出するオドの調整は、非常に難しい。何も考えずオドを無暗に放出すれば、あり余る推進力でバランスを崩す。鍛錬せずに実践した場合、壁に激突するのがオチだ。

 

 魔術師に多いのは、オドではなくマナを推進力として使う人間だ。外気のマナを取り込んで放出するぶんには、オド減少は考えなくとも良く、推進力がオド利用のときより落ちるおかげでリスクも減少している。

 わざわざ数十年かけて『オドを推進力に変える』という大道芸を修練する馬鹿者はいない。

 この大馬鹿者(ソル)以外は。

 

 ただ、一騎討ちの戦闘では有効な武器にはなる。

 凡庸、凡人と貶められた彼女が持つ、奥の手。

 

(わしに二の太刀は要らぬ。英雄に、わしの剣が一撃以外、通じぬことを知っておる)

 

 これが、英雄の座に我が手を届かせるための方法。

 幾度も幾度も死に瀕して、ようやく手にした『必殺』の技だ。賢しい誰もが理性的に却下した『効率の悪い戦闘法』だったが、愚かな凡人は嘯くのみ。

 悪足掻きも、磨けば立派な技となるのだと。

 

(これでも、あの最強の英雄には通じなかったがのう……)

 

 脳裡に浮かぶのは、老人ソルフォートの最期だ。

 かの黄金の英雄には、命を賭した一撃すら通用しなかった。真っ向からの一騎討ちですら、無慈悲にも斬り伏せられた。あまつさえ、彼女より遥か格下のテーリッヒにも回避される始末だ。

 秘技と言えど、万事上手くいく代物ではない。

 

 これでは『必殺』とも呼べぬな。

 冷静とも自虐ともつかない感慨がよぎった。

 ともあれ、いまは起き上がらねば。

 頼りない片手を廊下につけ、体重をかけると。

 

「うぁ……くっ」

 

 排熱中の脳内で火花が散った。

 地べたに落ち、意識の糸は急速に細まっていく。

 紗がかかったように、五感が薄膜に覆われる。

 どうにも、オドを消費しすぎたらしい。

 

 まずい、と頬を抓る。

 いま意識を手放してしまうのは、実にまずい。

 守り通した東部魔術房が無防備になってしまう。

 

 ──強襲部隊は、魔術房を同時襲撃している。

 道中、ソルが耳にした情報だ。正誤は確約できないが、確度は高いと判断できる。一箇所を狙ったにしては、帝国兵の増援がない。放置するメリットは小さく、リスクは嵩むばかりだ。すると帝国兵は、本当に手一杯なのだろう。

 ならば新手が襲い来るのは「他の魔術房が陥落したあと」だ。たとえ自分が倒れたとしても、すぐに奪取される心配はないはずだ。

 だが、それは致命的な隙をつくる理由にならない。

 

 力強く、拳を床に叩きつける。

 鈍い音と痛みが広がる。だが、それだけだ。

 

 意志と相反して、四肢の感覚が剥離していき──。

 ぷっつりと糸が切れたように、地面へ倒れ伏した。

 東部魔術房へと通じる道では、沈黙が降りる。

 誰一人、動くでもない。

 遠くの喧騒は落ち着きを取り戻し、死に絶えたような静けさが満ちる。さながら、平時のバラボア砦のように。人間の息吹を感じない、一種の寒気が漂う。

 それこそが異常だと気づける者は、ここにいない。

 室内灯の揺らめきが、無人の通路を照らし続ける。

 

 

 

 

 

「……なん、だよ。今の……」

 

 その誰もが倒れ伏した戦場に、声。

 よろけるように、男が通路へ踏み込んでくる。冷たい空間に、軍靴が頼りない音を鳴らす。いまにも崩れ落ちてしまいそうな足取りだ。それは情けない顔をした、癖っ気の強い茶髪の兵士である。

 蒼白の顔色は呆然と固まっていた。

 彼は、一点を凝視している。

 恐る恐るといった風に、血塗れの道を歩いていく。

 

 騎士の死体を一瞥したが、すぐ視線を戻した。

 そして男は、気絶した幼女の手前で立ち止まる。

 ようやく吐き気から立ち直った──ナッドが見下ろすのは、力なく倒れる小さな身体。

 

「お前……本当に何者なんだよ。……くそったれ」

 



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9 『白黒の追想』

 ──同時刻。

 死闘が繰り広げられていた最中、北部魔術房は壊滅的なまでの被害を受けていた。帝国兵は死に物狂いで、強襲部隊の第一波を弾き返した。しかし、すでにバラボア砦の守備は崩壊したも同然。

 魔術房を守る人員はもはや数えるほどのみ。

 そのなかには、伍長バルドーの姿もあった。

 壁に凭れかかり、荒い呼吸で肩を上下する。

 バルドーの口端からは血が滴る。

 右腕で乱暴にそれを拭いつつ、周囲を見渡した。

 

 屍が血に溺れたような通路で、生者は少ない。

 彼自身を含めて、わずか数名だ。例外なく満身創痍の様相である。傍に寄り添っているのは、転がる死骸だけだった。そこだけは敵、味方の区別はなかった。

 最前線には、戦意の衰えた人間はいない。

 衰えた臆病者は通路の肥やしに変わった。

 生きる術は、たった一つのみ。

 『死力を尽くし、立ち向かうこと』以外ない。

 

 剣を床面に突き立て、立ち上がる部隊長がいる。

 腕を失っても闘志の瞳を燃やす、兵卒の姿もある。

 足首を抉られども、曹長は剣を手放していない。

 

 だが、やはり人体にも限界がある。

 度重なる猛攻を凌げたものの、臨界点は近い。

 奮戦したバルドーにもそれは言えた。

 

(まずいな、血が止まらねぇ。さっき土手っ腹にもらったのが致命的だったってか)

 

「……これまでか」

 

 バルドーの掠れた声音に血が混じり、血塊を吐き捨てる。喉元の蟠りは解消されたが、抑える腹部からは血が段々と溢れ出てくる。

 びたびたと床を跳ね、小さな赤池をつくっていた。

 眩暈も、時が進むほどに酷さを増していく。

 通路と赤色の輪郭すら曖昧になりつつあった。

 

 もはや意識を保つこともままならない。

 一瞬でも気を抜けば、床に崩れ落ちることになる。

 生還する望みは薄い。拵えたのは覚悟だけ。

 

 そして。──彼らの前には、絶望が現れていた。

 

 北部魔術房に伸びた魔の手は、十数名の分隊。

 その先頭で威風堂々、歩む大男は言う。

 幅広の剣を薙ぎ、瀕死の帝国兵を蹴散らしながら。

 

「噛み応えがねェ、雑魚、雑魚、雑ァ魚。──天下の帝国軍がこの程度たァ、笑い種にもならねェな」

 

 絶対の侵略者は、吐き捨てるように言う。

 粗暴な口調、荒々しい語気、間違いない。

 門前で雄叫びを上げていた、ラプテノンの英雄だ。

 ボガート・ラムホルト。

 結界魔術で補強された正門を蹴破った、おそらくは強襲部隊の長と思わしき大男だ。

 率いる手勢は、背後に構えたまま動いていない。

 男が一人で、立ち塞がる帝国兵を薙ぎ倒していく。

 

 時には幅広の剣で二つに断ち、時には振り抜かれる蹴りで吹き飛ばし、時には魔術による炎の爆裂で──敵対者を血痕に変えていく。帝国兵が縋りついていた『生の糸』を、無慈悲にも断ち切っていく。

 雑草を刈るようだ、と正直な感想が浮かぶ。

 それほど簡単に、命を摘み取っていくのだ。

 

 呆然と見つめる間に、曹長の付近で炎が弾けた。

 爆音が風を伴って轟く。

 突風に目を瞑りつつ、背中を壁面に押しつける。

 

(勝てるわけがねぇ。英雄相手に、普通の俺らが勝てるはずもねぇだろうが……!)

 

 圧倒的な力の差を、まざまざと見せつけられた。

 膂力はバルドーたちのそれを超え、炎属性の魔術も自由自在に操る。オド量の桁が違いすぎる。才能の多寡が違いすぎる。少人数で相手取れる兵士ではない。

 盛名を馳せる英雄に恥じぬ、個としての実力を備えている。

 

 むかし憧れ、そして挫けた英雄の勇ましさがある。

 いまは、それが背筋を震わせた。

 対峙すれば分かること──英雄など恐怖の対象だ。

 

 現状、バラボア砦は窮地に陥っている。

 陥落が判明しているのは、真っ先に潰された西部魔術房だけだ。東部魔術房は不明。「南部魔術房の周囲には、臨時の司令部が築かれている」とは、再襲撃前に来た南部魔術房の伝令の言だった。

 東部魔術房は、伝令が帰ってこなかったそうだ。

 おそらくすでに、敵の手に落ちているからだろう。

 つまり、この北部魔術房が制圧されれば──城塞は退き引きならない窮地へ追い込まれる。残りは、司令部がある南部魔術房だけとなる。

 そうなれば、首元に刃物を当てられたも同然だ。

 

 ただ、有効な打開策はない。

 すでに盤面は詰んでいる。

 唯一の希望は、六翼の到着が約束されていること。

 だが到着は早くて数日後だろう。

 帝国中央部の蜂起を鎮圧し、なおかつ帝国領土の端に位置するバラボア砦に参じる。距離の問題は、帝国兵の頭に重くのしかかっていた。少なくとも命運が左右される現在に、駆けつけることはない。

 都合のいい御伽噺の英雄は、空想上の生き物だ。

 

 それでも、とバルドーは剣を握る。

 同僚の頭が飛んだ瞬間、英雄めがけ駆け出した。

 捨て鉢と言えばその通り。

 逃げ場もなく、有効打を与えるだけの手札もない。

 だが、たとえ傷つけることが叶わないとしても。

 一矢くらいは、報いてみせる。

 

 帝国軍に属する兵卒としての矜持、だけではない。

 ちっぽけな一人の人間として、最後まで抗うのだ。

 ──抗わねばならないのだ、と。

 ──そうしなければ、一体何のために。

 『怪物』以外の人間(ぼんじん)が生きているんだ、と。

 

「おおおおお──ッ!」

 

 咆哮を上げ、精根を底まで燃やし──駆ける。

 大男の至近にまで迫る。

 バルドーが狙うのは、もちろんその首だ。

 策を弄するだけの余裕はどこにもない。

 馬鹿正直なまでに、正面から突っ切る。

 死体の海を越え、使い慣れた剣を振り上げる。

 鼻を突く焦げた匂いを振り切って、目を見開く。

 力一杯に奥歯を叩き合わせる。

 眼前の英雄に全霊をぶつけるのだ。

 

 瞬時に身を固くしたのは、英雄以外の王国兵だけ。

 窮鼠猫を噛むような一閃を前に──英雄は目を丸くして、次に口角を吊り上げた。

 

「げぁが……!?」

 

 瞬間、バルドーの視界は黒に塗り潰される。

 断末魔の悲鳴を上げて、頭頂部の鈍痛が広がった。

 膜越しのように、ぼやけた痛み。

 もう、身体中のどこにも力が入らない。

 首の骨が砕けていないのは奇跡なのだろう。

 

 顔面や顎の感覚は途絶している。

 意識は火の灯る蝋燭のように溶けていく。

 ぼんやりと消えゆく意識の只中、唯一できたこと。

 それは、帰りを待つ妹と子供に謝ることだった。

 

(……すまねぇ、俺、帰れねぇや)

 

 床に這い蹲って、視線をゆっくりと眼上に向ける。

 最期に、霞む視界で捉えたのは。

 紫の怪光を迸らせる奇妙な大剣だった。

 

「根性だけは認めてやるよォ。精々、良い夢でも見るんだなァ──溺れさせろ『ウェルストヴェイル』」

 

 

 

 ※※※※※※※※※※

 

 

 

 ──俺は、選ばれなかった。

 

 古い、記憶だ。

 少年は、ハルト家に長男として生を受けた。

 ハルト家は代々、商人の家系だった家だ。

 産まれ落ちた瞬間から、彼は将来を運命づけられた。

 

 商会の次期頭首だと、商会に属する商人や見習い弟子、そして家族からも期待された。

 代々、商会長は長男が世襲してきたのだ。

 母が少年の頭に優しく手を置いて、こう言ったことを覚えている。

 

『ナッド。あなたはお父さんの後を継ぐのだから、頑張らなくては駄目よ』

 

 だから少年は『らしく』なろうと努力した。

 もっと後継者に相応しく。

 目利きを鍛え、交渉術を学び、見習いに混ざって商人の技を盗む。

 

 皆の期待が少年の背を押していた。

 いや、それだけではない。

 家の最盛期を打ち立てた父への、純粋な憧れがあったのだ。

 

 いつも多忙で、なかなか家に帰らない父だった。

 日頃の活躍は、弟子たちや母から伝え聞くくらい。

 それこそ商会に通う前は、顔を合わせる機会も年に数回程度だった。

 

 父は無口で、気難しそうな顔をした人だった。

 少年を始め、優しい姿を誰も見たことがない。

 厳格な人だったのだと思う。

 けれど、働きに応じて給金を上げ、大仕事を回す。

 少年はそんな無骨な父を、誇りに思っていたのだ。

 

 迎えた、次期後継者指名の日。

 少年を含め、兄弟姉妹が食堂で一列に並べられた。

 家の古臭いしきたりだ。

 

『後継者指名の折、後継者候補総員の面前で行うべし』

 

 もはや形骸化した慣習だ。

 先祖代々、後継者は長男だった。

 例に漏れず今回もそうなるのだ。

 少年は背を伸ばしながら、根拠もなく信じていて。

 

『商会長の次期後継者は、お前だ。──ネイト』

 

 ──だから一瞬、父の言葉が理解できなかった。

 

 喜びを露にする三歳年下の妹の声も。

 隣にいるはずが、扉越しのように遠く聞こえた。

 

 何故だ。どうして。

 悪夢に囚われたような現実感の乏しさだった。

 自分は長男で、ずっと小さな頃から、次期後継者だと言われていたのに。

 決して、期待に胡坐を掻いていたわけではない。

 毎日、努力を欠かしたことなどない。

 

 単純な話、商才が妹のそれに及ばなかっただけ。

 少年の実力が、父の失望を買っただけ。

 期待を裏切ってしまった呵責。

 弟子たち、兄弟姉妹の白い眼。

 それらが刃をなして、彼を刺し貫いた。

 

 そうやって努力はすべて、無に帰した。

 憧れていた、父の偉大な背中が向けられる。

 広々としたそこに、安心や信頼を預けていた。

 ……分かっていたはずだった。

 それが、空想だということくらい。

 眼前に見えた、無関心と冷徹さこそが真実。

 少年は士官学校へと追いやられて、そして──。

 

 

 

 1

 

 

 

「──また、爆発か……?」

 

 響く大音響にはっとし、ナッドは意識を取り戻す。

 心労からか、むかしの夢を見ていたようだ。

 思えば、あれからだったか。

 精神的苦痛が堪えきれないほど辛くなったのは。

 彼は硬く、握り拳をつくった。

 

 自覚はある。あれは奥底に眠る傷痕だ。

 真剣を用いた戦いが辛い理由の根本なのだと。

 頬を引っ張って、眠気を強引に引き剥がす。

 帯びる剣の柄を握り直した。

 

(だ、大丈夫だ。バレやしねぇ、どっちが勝ったって、バレやしねぇんだ……)

 

 強く強く、そう唱える。

 そして身体を縮ませて、茂みから周囲を窺った。

 

 身を潜めているのは、裏庭の暗がり。

 あの、悪夢の模擬戦を行った場所である。

 兵士用の鍛錬器具はあらかた片され、がらんとしていた。見渡せども、茂みと木々を外周に散見されるのみ。殺風景極まりない。硬い黄土色の地面を、闇が浸しているだけだ。波を荒立てるような『動』はなく、害を為すものもまた存在しない。

 僅かなりとも安堵を得、それでも慎重に息を吐く。

 

 点在する茂みのひとつ、裏庭の隅にナッドはいた。

 彼の右側には──いまも、帝国兵と王国兵の攻防が続いているであろう──バラボア砦が座している。

 左側では、砦壁が退路を塞いでいた。

 まるで、ナッドの甘えを断つように厳然と聳える。

 

 裏庭はちょうど、東部魔術房の近辺にあった。

 砦内に留まりたくなかった思いも相まって、彼は東部魔術房の防衛を放り出した。

 そして、戦場の隅で嵐が過ぎ去るのを待っている。

 誰かが敵襲を退け、砦に平穏を齎してくれ。

 ナッドはひたすらに祈っていた。

 

(『六翼』が、来てくれるんだよな……? 本当に大丈夫なんだよな? クソ、頼む、頼むよ……もう誰でもいいから、何とかしてくれよ……!)

 

 東部魔術房を守り通す選択肢など論外だった。

 あの通路で仁王立ちしていれば、敵兵が押し寄せてくるのは間違いない。彼は矢面に立つ実力も、槍衾にされる覚悟も、まだなっていなかった。

 東部魔術房に詰める魔術師を、たとえ見捨てることになったとしても──耳を塞ぎ、目を閉じた。

 そうして、ナッドは自問し続ける。

 どうして俺は、こうも不運に見舞われるのかと。

 

 バラボア砦に配属されてからというもの、不幸続きにも程がある。幼女に纏わる騒動然り、敵軍の奇襲然り。自分は士官学校を卒業して、そのまま出世街道を一足飛びに行ける、はずだったというのに。

 途中までは順調だった。アイリーン中将が出張る『勝ち戦』に配員されるときまで。だが何の歯車が狂って、こんな脱走兵紛いの醜態を晒しているのだ。

 ままならなさに舌打ちすると、背後を振り返る。

 

「……気持ち良さげに眠りやがって」

 

 そこには、目を瞑った幼女を横たえている。

 黙ってさえいれば前途有望な美人だ。

 場違いな感想に笑みすら浮かぶ。

 茂みのなかには──白髪を一つ結びにし、生傷を付けた小さな身体。触れれば折れそうなくせ、武者のように襲いかかっていく胆力がある。年の割には不思議なくらい実力もある。……無力な子供のように、草木の影で震えている誰かとは大違いだ。

 そんな自嘲が頭を掠めた。

 東部魔術房を身一つで守る。いや、守ろうとする。

 そんな無茶、ナッドにはできやしない。

 

(放置すりゃ良かったのに、どうして俺はこんな奴を……ここまで運んじまったんだよ、くそったれが)

 

 後悔にも似た感情が湧く。

 ナッドはこの幼女に好感なんざ持っていない。疫病神か死神かと思うまである。なにせ不運に見舞われ出したのは、この疫病神を拾ってからだ。

 いま思うに、この不運の前触れだったのだろう。

 だからソルには、野垂れ死んでもらって構わない。

 

 けれども、放っておけなかった。

 上から目線で説教を垂れる生意気な年少だ。

 しかしどこか憎み切れない。それが彼女から漂う『熱』によるものか、見た目と乖離した雰囲気によるものか、それとも別の何かなのだろうか。

 自分にその判別はつかない、考えるのは後回しだ。

 ナッドは薄汚れた茶髪を掻きむしって、気を取り直した。きっと悩んだところで答えなど出ない。不毛な時間潰しは止め、保身を徹底したほうが賢明だろう。

 

 もう一度、ナッドは茂みの隙間から敵影を探す。

 ここは物影も少なく、近寄る敵兵を発見しやすい。逃亡者にとって、実にうってつけの立地である。いまも胸を焦がす気持ちが、罪悪感でないことを祈った。

 幸運なことに、誰一人として裏庭に姿を現さない。

 魔術房を狙っている強襲部隊だからだろう。

 目的地から離れた裏庭なぞ、味方の帝国兵すらも近寄りはすまい。

 ナッドは呼吸を意識的に引き延ばす。

 胸に手を当てて、激しい鼓動を宥めようとする。

 もし味方に見つかれば臆病者と詰られ、いずれ首を刎ねられるだろう。敵前逃亡は重罪だ。そんなこと士官学校で嫌と言うほど知っている。だが実際の戦場と教えられた知識には、歴然とした差があった。ナッドはそれに軽く心をへし折られたのだ。

 

 ここへの不満は、灯火が乏しいことくらいだった。

 月明かりか、もしくは砦の窓から差す照明だけだ。

 裏庭はしんとした静寂に満ちており、一人怯える身として心細い。薄闇の静かさたるや、先ほどから心拍が煩いくらいだ。しかし『身を隠すには絶好の場所』という証拠でもある。

 ひとまずの安全を確認し、尻を地面につけた。

 肺の奥底から、深い息を吐く。

 その拍子に、本音がぽろりと零れた。

 

「……死にたくねぇ、死にたくねぇよ」

 

 

 

 

 

「ハッ、そうかよ。腑抜けた雑魚が──消えなァ」

 

 独り言への、あるはずのない回答。

 ソルの舌足らずのものではない。

 誰だ、誰だ、誰だ。怖気が走る。

 動物的な危機感に後押しされ、茂みから転げ出た。

 それが生死を分けた。

 

 色が破裂する。──爆音。

 

 視界が真っ赤に染まる。

 血液ではなく、それは紅蓮の赤だ。一瞬前にいた茂みから炎が噴き上がる。遅れて熱風が吹き荒ぶ。熱波が顔を撫で、あまりの熱さに顔を歪めた。

 至近まで届く火炎から逃れるように。

 ナッドは短く悲鳴を上げ、更に硬い地面を転げる。

 

 寸でのところで躱し切った。

 大層不格好だったが、奇襲に反応できたこと自体が奇跡だ。掠めた火の粉は火力の高さを物語る。人ひとりを焼いて余りあるだろう。直撃していれば、火達磨になっていた。二つの意味で心臓が止まる心地だ。

 回る視界のなか、見てしまう。

 苛烈な火炎を生み出した元凶は、茂みのすぐ傍に立っていた。おかしい。直前までは、人影どころか気配すらなかったはずなのに。

 刹那に奔る思考。そんな、彼の推察を他所にして。

 揺らぐ炎が、下手人の威容をぬるりと露にした。

 

 炎を纏った大剣を振り下ろしているのは、巨漢だ。

 体躯はナッドのそれを凌駕する。人間二人分はあらんかという巨体。鉄鎧に身体を押し込めたような窮屈ささえ感じ得た。

 彫りの深い顔は──鉄兜からはみ出る、煤けた金髪に縁取られていた。凶暴さを隠さぬ相貌には、形の整った金糸の髭を蓄えている。

 その巨漢は独り言のように、何やら口遊んでいた。

 

「……ガルディ大尉。ラプテノンの旗に恥じねェ、良い上官だった。無事、星神様の膝元まで逝けたことだろォ」

 

 だが切羽詰まるナッドの耳に入るはずもない。

 勢いよく転がって、慌てて立ち上がる。

 嘘だ、と口が無意識に動く。

 歯がかちかちと音を鳴らす。足が竦むようだ。

 あの巨漢の名前は、ナッドも知っている。

 

 第一に、ラプテノン軍の兵士。そして、身の丈はあるかという全長の大剣──何らかの文字列が剣身に彫刻されている──を持ち、筋肉の塊のような巨体。この三つの特徴を持ち合わせる者は、一人しかいない。

 ナッドにとってみれば、最悪の答えだ。

 巨漢は肩を鳴らし、視線を落とす。

 その先では、大剣が火の粉を闇夜に撒いている。

 

「違ェよ、あんな──どこぞの馬の骨にやられた、大尉への弔いじゃねェ。オマエ(・・・)が獲物を嗅ぎつけたからでもねェ。クソ帝国軍の奴は、稲刈るみてェに殺す。そいつはいつだって同じ。お前みてェな雑魚は特に『一緒くたに』なァ。本物と雑魚は区分けされなきゃならねェ」

 

 巨体は、両手に握った大剣を構える。

 剣身に添えられたのは、心臓を鷲掴みにされるような眼光。闘志に共鳴するかのごとく、大剣の剣身に綴られた文字列に妖しい紫光が奔った。いまなお燃え盛る炎越しでも、薄っすら浮かび上がる輝きだ。身に迫る『不吉さ』が光を纏っているかのよう。

 ナッドの口から、情けない声が洩れる。

 

 ボガート・ラムホルト。

 近頃、台頭してきた新世代の英雄にして、奇妙な大剣を持つと噂される男。ナッドは対峙しただけで、発する『気配』に頽れてしまいそうだった。

 日頃から言う『強者特有の気配』だ。

 士官学校に在籍していた怪物連中よりも、濃い。

 つまるところは、あのとき見上げんばかりだった壁よりも──遥かに格上ということ。

 

 腰が引けて、しかし縫い止められたかのように。

 足が、動かない。

 

(なんで。なんで、なんで、こんな大物がこんなとこに……! 他の魔術房が最優先だろッ!)

 

 あまりの理不尽に怒鳴り散らしたい。

 だが言葉は出ない。歯だけはがちがち鳴っている。

 足の、手の、心の──震えが止まらなかった。

 

 ……ナッドは、このところ続いていた『不運』。

 その極みと、相対せざるを得なくなったのだ。

 



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10 『炎纏う幻想剣1』

 頬が熱い。身体は燃えるようだ。

 まずソルが感じたのは、全身を炙る熱だった。

 瞼を持ち上げる。海面へと浮上するような目覚めとともに、意識が身体に戻ってくる。

 最初に目にしたのは、宵闇に浮かんだ三日月だ。

 千切れた細い黒雲がその容顔を曇らせていた。星のは見えない。数多あったはずの輝きは、闇夜の黒に埋まっている。その理由は周囲の状況が物語る。

 ──夜空を彩るようにして、炎が踊っている。

 

(何事じゃ……?)

 

 重い身体を起こせば、瞳に映るのは炎。

 辺り一帯に、熾烈なまでの炎が燃え盛っている。

 激しく揺れ動く橙色。煌々とした粉を散らし、熱風を放つ。ソルは『熱』に目を細めた。火中へ誘うような手が、目前に幾つも差し出されている。

 ここは、『結界魔術』庇護下の砦内ではない。

 いつの間にか、草木の陰に横たわっていたようだ。

 

 危なかったのじゃ──状況把握を進め、汗を拭う。

 傍に置いてあった愛剣を抱き寄せた。意識の覚醒が遅れていれば、比喩でなく火炙りだったとは。

 長い髪が黒焦げにならず済んで、一安心である。

 彼女には、炎にロクな思い出がない。

 

 ぱっと脳裡に蘇ったのは、三十代の頃の事故だ。

 傭兵仲間だった男の魔術で髪を焼かれた──思い返すもつらい記憶である。騒動後に「舐められてはエヌマさんの沽券に関わる」との声に押され、その男と模擬戦をしたことを覚えている。そのオチは残酷なほどに予想通りだった。

 ソルフォートが完膚なきまでに敗北を喫したのだ。

 沽券は微塵と消え、つまり面目丸潰れであった。

 しかし、不思議な縁もあるものだ。

 一件を終えたあと、その男とは少し親しくなった。

 

(結局あやつとは腐れ縁になったが……いや、そんな昔の話より、いまを見らねば。郷愁に浸っていられる場合ではないのじゃ)

 

 顔を顰めながら、身体の状態を確認していく。

 特段、意識喪失の前後で増えた傷はない。

 白みを帯びた手足には、一騎打ちによる擦り傷、および出血があるだけだった。

 だが、身体は依然として重い。血液の代わりに鉛を流し込まれたかのようだ。体力の消耗や怪我が拍車をかけているのだろう。けれども、直接的な因果関係を持つのは十中八九『オドの消耗』である。

 体内の三分の一ほどテーリッヒ戦で消費した。

 そのぶん、身体能力や五感が鈍っているのだ。

 

(しかし、わしは何故ここに放置されているのじゃろうか。記憶を辿れば……気を失ったのは、東部魔術房の前だったはずなのじゃが)

 

 炎に囲まれつつも、ここが裏庭だと把握していた。

 なにせ、鍛錬する際はいつも訪れている。見紛うことはあり得ない。だから不可思議だ。東部魔術房の通路から、誰がいかなる理由で運んだのだろうか。

 その素朴な疑問が氷解されないうちに。

 ある一点に、ソルは視線を定めた。

 

(ん、ナッド……か? 誰かと戦っておるのか)

 

 燃え盛る炎の幕の向こう側に、目を凝らす。

 あの辺りから鼓膜が揺さぶられた。確かにナッドらしき悲鳴や、戦闘と思しき音が聞こえ──否、いまも聞こえるのは戦闘によるものではない。剣を打ち合う音もなく、何らかの破壊音が木霊しているだけだ。

 戦いと言うには一方的。

 だが、虐殺と言うには長時間にすぎる。

 まるで甚ぶるように、継続的な響き。

 

 周囲の暗闇は、視線を拒むように分厚く横たわっている。だが、幸いにもソルが目に留まった地点には『光源』があった。ゆえに観察を続けていると、暗闇の向こうで行われている『何か』が掴めてくる。

 果たして、そこにいたのは二人の兵卒。

 一人は逃げ、一人は追う構図だ。

 

 ナッドが、恐怖心を湛えた顔で遁走中だ。地面に転げつつ、巨漢から距離を取ろうと躍起になっている。その情けない姿を露にする『光源』は、彼を追う巨漢──敵兵の得物らしき両手剣だった。

 巨大な剣には、炎蝶が群れを成して纏わりついている。剣には炎属性を付与されている様子だが、剣自体も名のある剣に違いない。剣身の意匠で一目瞭然だ。

 そうしてソルは、瞬時に判断をつけた。

 手に馴染む剣をとって、跳ね起きる。

 いま把握したことは、ただ二つ。

 

 一つ、あの巨漢がナッドに仇なす者であること。

 一つ、つまりはあの者が敵であるということ。

 ならば、それ以上の事情把握は不必要だ。

 あとはただ──剣を交えるだけである。

 

 轟々とした炎幕を突き破り、一直線に飛び出した。

 二人の元へ辿り着くまでには数秒を要した。

 最後の一跨ぎで、ソルは片手で一閃を見舞う。

 期せずして、背後から首を斬り飛ばす軌道を描く。

 

「ッつァ! まだ腰抜け仲間が潜んでやがったかァ!?」

「易々と討ち取らせはさせてくれんかのう……!」

 

 届きかけた刹那、巨漢は身体を機敏に横へ反らす。

 死角からの一刃だったが、ソルの一撃は空を切る。

 反撃を心配したが、相手も咄嗟の行動だったのだろう。刃や魔術が、空中で無防備に近かった彼女を襲うことはなかった。

 ソルは彼らのちょうど中間に踵から着地。

 片足で素早く回転して、臨戦態勢をとる。

 位置関係としてナッドを背後に置いて、息を吸う。

 

「ソル……っ!? お前、何で」

「何でも何もあるもんじゃなかろう。肩を並べて戦う仲間の助太刀なのじゃから」

「……っ!」

 

 真贋を疑うような声音のナッド。

 悲しいかな、ソルには余裕がない。声だけで返答する。視線を巨漢から片時も外してはならない。余所見にかまけるのは、豪胆な絶対者に許された特権だ。きっと、いま意識を背後に遣った途端──吹き飛ぶのは頭か。もしくは頭を残して、胴体だけ飛ぶかだろう。

 ソルは仕草で「この場は退け」と合図を送る。

 息を呑むような音がかすかに聞こえた。

 どのように受け取ったかは定かではない。

 少し間をおいて、背後から慌ただしい足音。

 それが段々と遠ざかっていく。

 とりあえず危地は救えたか、と気を引き締め直す。

 さて、とソルは巨漢──不思議と沈黙を保っていた──の顔を改めて見た。

 

「ぬしは──ボガート・ラムホルト殿、じゃったな」

「あァ? お前こそ名乗れ、何者だァ?」

「ソルじゃよ。横槍無粋と言われど見逃せん。この先はわしが、相手させてもらおうかのう」

「……早ェか遅ェか。まァ、それだけの違いかァ。餓鬼、お前ェは余程の死にたがりらしいなァ」

 

 感嘆したような、呆れたような溜息。

 柄の悪い凶貌を歪ませる巨漢──ボガートは、大剣を振るっていた手を止める。暴風さながらの鼻息は、自身の口髭を靡かせた。

 彼の訝しげな眼差しの理由は推察できる。助太刀に現れたソルの容姿、あるいは言葉遣いによるものだろう。「餓鬼がませた言葉遣いしやがってェ」との呟きを拾う限り、てんで的外れとは言えないようだ。

 ソルは特に反論せず、靴底を摺って前傾姿勢へ。

 そろそろ変人扱いに慣れてきたところだ。

 

 ソルはボガート・ラムホルトの存在は知っていた。

 伊達に英雄を志していない。強者と聞けば、一も二もなく情報を耳に入れていた。英雄狂いの嗜みとして、近頃ラプテノン王国で名を上げ始めたボガートという名前や特徴は、諳んじられるほど熟知している。

 しかし風の便りに評判を聞いたぐらいでしかない。実際に目にしたことは初めてだ。なにせ台頭し始めたのが最近で……お目にかかるより先に、ソルが夕陽の下で黄金の英雄に討ち取られてしまったこともある。

 ただ、それは彼女にとって喜ばしいことだった。

 ボガートは未経験の相手──つまるところは『新しいもの』が学べる相手なのだから。

 

使(つこ)うてくる剣術は? 魔術は? 体術は? すへて、この目でしかと『視る』)

 

 弾む胸を押し殺しつつ、ボガートの分析を始める。

 まずは体躯。ソルの数倍はあるだろう、岩盤じみた筋肉に覆われている。重量も比例するはずだが、彼の身のこなしに『鈍重』なる言葉は当て嵌まらない。速度はボガート攻略の際においては、突破口たり得ないだろう。兜と鎧には、それほど特殊な素材は用いられていないように見える。鍛冶仕事や魔術は素人のソルのため、硬化素材や魔術が織り込まれていれば判別不可能だが──少なくとも、ボガートの防具はラプテノン王国軍の規格品だ。仕掛けさえ施されていなければ、『必殺』の一撃で強引に破壊できる可能性はあるだろう。……危険度合いが非常に大きいが。そのため探すべきは鎧に守られておらず、刃が通用しそうな箇所だ。顔面と首元と関節付近。当面狙うべきは、これら急所のいずれかだろう。また腰紐には小袋しか吊られていない。それも空っぽのようだ。別の武器で不意打ちされる可能性は低い。

 次いで、様子を舐め回すように観察する。

 敵愾心に満ちた双眸は、まっすぐソルへと注がれている。瞳孔は開いており、少なからず闘争に興奮する姿が見て取れた。額は、炎の明かりを薄っすら反射している。自ら放出する炎熱によるものか、もしくは緊張だろうか。右足の軍靴が一定間隔で、地面と音を鳴らしている。他の仕草から推測するに、苛立ったときの癖であるように思う。その割に、鼻下で膨らみを誇示する金髭は几帳面に整っている。事柄に対して、性格の波が激しいのかもしれない。

 何よりも目を引くのは、ボガートの得物だろう。

 彼自身と同程度の丈はあるかという幅広の大剣は、剣身の部分に炎を纏っている。着目すべきはその剣身に彫刻された、緻密な文字列だ。大陸で現在も一般的に使用されている言語ではない。聖文字、と呼ばれる古代文字だ。聖文字は記された物品に、魔術的な効果を齎す特別な文字であり──すなわち、あの剣には特殊な能力が秘められていることになる。その能力が「剣に炎を纏わせる」である可能性もあるが、注意しておくに越したことはない。

 

 思考が加速するなか、ざっとした観察を終える。

 不愉快げに眉を曇らせるボガートは、炎の切れ端を飛ばす大剣を見下ろして。

 

「不敵な野郎だが……んアあ? へェ、あの雑魚じゃァねェとは思ってたが……」

 

 態度を一変させ、ボガートは頬を綻ばせて言った。

 この場に第三者がいるような、不自然な独り言だ。

 まるで、剣と会話しているような──。

 

「クソ餓鬼ィ、お前の方(・・・・)がガルディ大尉の首斬ったのかァ」

 

 瞬間、白熱した一閃が迸る。

 横薙ぎに振るわれた大剣だ。反射的に身を低くし、辛うじて避けるソル。肝が冷えた。予備動作もなく振るわれた刃が裂くのは、遅れて彼女に追随する白尾の先端だけ。幼女の体躯は、巨体相手との相性が良い。テーリッヒ戦で実感し学んだことの一つだ。

 しかし、オド消費が著しく負担をかけている。

 少しばかり反応が遅れて紙一重であった。  

 

「だよなァ、あんな腰抜けが王国の騎士を倒せるわけがねェよな」

 

 好機は見逃さない。ソルは低姿勢から抉り込むように首元を狙う。嘲笑に口端を歪める慢心に報いを与えるように。間隙を縫うように、振り抜いたボガートへと刃を走らせた。

 顔や関節付近より効果的な部位を狙う。

 放たれた一撃は読み易くも鋭い。それを──。

 

「一合で蹴りがつくたァ、思っちゃいねェよなァ?」

 

 ボガートは見下げるように、大きく飛び退る。

 刃が届く前に、彼我の距離は一気に離れる。裏庭の中央付近に立つソルに対し、巨漢は端に着地した。しなやかな筋肉による異様な跳躍力を見せる。

 目算で言えば、最低五歩だ。ソルが距離を詰めるには、それだけの歩数を要するだろう。地力で劣る彼女としては、自分から詰めるのに抵抗がある。微々たる歩調のまま構えを崩さず、様子見を選択するのが最善なのだろうか──否、断じて否だ。

 

 ソルには遠距離攻撃の手段はない。

 それに比べ、あの巨漢の英雄は魔術が使えるのだ。

 駆け出しかけるも、不意の爆裂が正面を塞ぐ。

 

 ぬぅ……と苦悶の呻きを上げた。

 爆裂の衝撃で、足が止まる。止まってしまった。

 本来ならば、相手に時間を与えてはならなかったのに。時間はソルの宿敵だ。いつだって時間は人間の敵に回る。それは、今回も同じことが言えた──。

 炎の英雄は、大剣を地面に突き刺す。

 

「煩わしい蝿一匹を潰すために、剣一本で対処するのは七面倒だァ」

 

 ぼやくように口にした、不穏さを匂わせる言葉。

 彼は、大剣に宿していた火炎を唐突に消した。

 ソルの心臓がひときわ強く跳ねる。

 まずい、と駆け出すにはあまりにも手遅れだった。

 

「【星神の威光】【万象の属性から借り受ける】【其は炎、経典に綴られし原初の劫火】!」

 

 口遊まれたのは、三節からなる詠唱だ。

 魔術詠唱とは「魔術で引き起こす『事象』、その固定化」に必要なものである。

 端的に言えば、詠唱とは「魔術でどんなことを引き起こすのか」その想像を固めるためのものだ。よって複雑な魔術の詠唱時間は長くなる傾向がある。

 また単純事象を起こす魔術であっても『魔術で引き起こす事象』の規模が大きいほど、詠唱文も増える。

 複雑な事象を起こす場合、規模が大きくなる場合。

 いずれも想像しづらいことが原因である。

 基本的に「消費魔力が嵩むものに比例して詠唱が長くなる」という関係性が成り立つ。

 

 簡単な魔術は一節か二節の詠唱。

 戦闘で有用なまでの魔術を繰り出すには、三節以上の詠唱が必要と言われる。ただ三節程度の魔術では、基本的に『厄介』なだけの代物にすぎない。

 しかし、ここに例外が存在する。

 詠唱時間と規模が釣り合わない、常識的な観点から逸した魔術が引き起こされる場合は──実に単純な理屈だ。魔術に注ぐ魔力の濃度が桁違いなのだ。

 それはまさしく天性の才能による所業である。

 それはまさしく凡人を飲み込む才能の奔流である。

 

 そうして、ボガートの背後。

 中空の闇に炎、炎、炎──。

 二百(・・)を超える炎の塊を生み出された。

 

 中天に陽が浮かんでいるかのような光量だ。

 相対しているだけで灼熱が肌を焼く。

 塊の一つ一つは高温の炎。

 直撃すればどうなるか、想像すらしたくない。

 

(まさか魔術にも十全に長けておるとは。裏庭が開けた空間なのを存分に活かしてきたのう……っ!)

 

 目を細めながら、思わず絶句する。

 盾となる物影は周囲にない。

 平坦な地面が広がる裏庭、凌げそうな凹凸もない。

 ソルの手にあるのは剣が一振りのみ。

 

 

「雑魚は塵へ、塵は風へ。灼熱八十の雨霰だァ──『一緒くた』に燃え尽きろ」

 

 

 酷薄な言葉と共に。

 空中に浮かんだ二百の炎。

 時差すらなく掃射される、膨大なまでの炎の弾丸。

 それは、飛び退いて躱せる範囲を超えていた──。

 

 

 



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11 『炎纏う幻想剣2』

 掃射される炎塊を前にして。

 ただソルは小指を剣の柄尻に添えた。

 裏庭を纏めて薙ぎ払うような、二百にも及ぶ炎塊の一斉射出。飛び退くことでは窮地を打破できない。回避が間に合わない。炎塊は逃げ場所を封じるほどの弾幕を張っている。

 炎熱地獄が真正面から迫りくるようだ。

 熱気が朦々と視界を歪ませる。

 眩い光と熱が目を焼きそうだった。

 だが構わず──白髪をしならせ、前方へと意識を集中する。

 

(退いてはならぬ、ならば前へ進むまでじゃ……!)

 

 臆すれば『死』あるのみ。

 胸に言葉を抱いて、ソルは黄色の目を見開く。

 手にした剣で切り開き、炎嵐の只中を駆け抜ける。

 この唯一の打開策を手にとる他ない。

 剣で打ち払う?

 いや、ソルの剣を振る速度では吹き消すには至らない。

 オド消費の必殺技で一気に距離を詰める?

 いや、あまりにリスキーだ。彼我の距離はソルが全霊で駆けて、五歩も開いている。これでオドを推進力にして飛び込んでも、回避される可能性が高い。

 

 必殺技は万能とは対極の位置にある技だ。テーリッヒ戦で顕著だったように、一定以上の相手には見切られてしまう。ボガートほどの武勇を持つ男ならば、なおのことだ。加えて、オドの残量問題もある。

 放出量を見誤ってオドが尽きれば、命を落とす(・・・・・)

 ここぞ、という場面以外では役に立たないだろう。

 無理に近寄らず、最小限の動きで回避する?

 いや、それでジリ貧になるのはソルの方だ。

 

「【星神の威光】【万象の属性から借り受ける】【其は──」」

 

 命のやり取りだ、手を抜く気は毛頭ないらしい。炎の一斉掃射の向こうで、ボガートは詠唱を繰り返している。第二射となる炎塊が次々と形成されていく。

 たとえ第一射を凌ぎ切れたとして、第二射、第三射と炎の雨に降られれば、ソルは為す術なく焼死するだろう。オド消費が響く。彼女の持久力は普段の半分以下、対してボガートの顔は涼やかだ。意地の張り合いへと洒落込むには分が悪すぎる。 

 ならば、馬鹿正直な手段に訴えるしかない。

 何の補佐もなしに真正面から突破し、ボガートの大将首を獲る以外にない。

 

(──集中。眼じゃ、着弾せんとする炎の大砲を眼で見切るのじゃ……!)

 

 一歩踏む瞬間──接近する数多の炎塊を見る。

 自分に直撃する軌道のものだけ、では足りない。それを見切りつつ、躱したあとの自分を想像し、そこで着弾しないかをも見極めなければならない。

 一歩先、二歩先を読み続ける。

 その所業は、凡人の身の上にとって荷が重い。

 

 いまだって怖気が全身を撫でている。

 武者震いとは言い張れない、本能的な恐怖だ。汗が白磁の肌から噴き出る。心拍が耳奥で音を刻む。

 きっと、五十年前なら挫けていた高い壁だ。

 三十年前なら天運に身を任せていただろう。

 黄眼を焼かれながら、しかし不敵に笑ってみせる。

 観察し、考察するのは彼女の専売特許だ。ここで存分に発揮し、往年の積み重ねの価値を証明しよう。

 

(死力を尽くす。ああ、慣れたことじゃ。どの戦場でも、死力を尽くさぬ場所などなかった)

 

 見極める。直撃の軌道は二十五発。

 認識した刹那には炎塊が殺到する。

 寸分の狂いなくそれらの角度を見極める。重心を右側に寄せ、失速しない程度に身を屈め、まずは十一発の軌道上から逸れる。幼女姿だったのは幸運だ。この矮躯でなければ、きっと潜り抜けなかっただろう。

 この身体を用意したであろう魔術師には、いまだけ感謝を送ろう。小回りが利くのは歓迎すべき利点である。だが精密な身体制御が必要だ。

 乾涸びた喉に唾液が通る。

 重心を間違え、転げてしまえば目も当てられない。

 

 紙一重で十一発の炎塊が頭上を通過していく。

 髪の数本が焼け焦げる。

 頭を押さえたいほどの熱量。

 至近を横切る炎はそれだけで十分に苦痛だ。

 間髪入れず、足で地面を踏み締める。前方へ跳躍。

 視界内にある十発の炎塊が、数瞬前の位置に流れていく。

 

(──残り四発……!)

 

 紅蓮の炎塊が迫る。

 極度の集中により、主観が緩やかに進む。

 中空にある身体を目掛け、四発の炎塊が吸い込まれていく。幸か不幸か、炎塊の射出速度はまちまち。着弾予測の複雑さを増す代わり、各々の速度差により僅かばかりの隙間ができる。飛来する炎塊にも付け入る間隙はあるのだ。しかし言うほど容易くない。

 息もかかるような至近に、炎塊が接近。

 

 脊髄反射で、右足を縺れさせる。無理やり背中から地面に倒し、滑り込むように炎塊をくぐった。

 鼻先を掠める、轟然と燃え盛った死の砲撃。顎先から額まで、炎熱に顔を舐められる。中空に放り出された白髪の尾が、炎塊の風圧で踊るのを見──やがて背中に衝撃が走った。無防備な背から墜落したのだ。

 鎧のおかげか、衝撃は最小限。無防備な軽量につき薄かったものの、きちりと役目を果たしたようだ。

 肺腑への圧迫感をぐっと堪え、右側に急ぎ転がる。

 

 瞬間、先ほどまでの位置が爆ぜた。

 落ちた端から、他の炎塊も続々と爆発していく。

 衝撃で派手に土塊が舞い、砂煙が立ち込める。目眩ましには役立たない。舞い上がった砂も微量だったのだ。裏庭の地質として砂の割合が少ない。

 しかし、爆発による影響はそれだけに留まらない。

 音の暴力と共に、連続的な爆風が猛威を振るう。

 

 追われるように前転したソル──しかし。

 もろに爆風の影響を受け、矮躯は吹き飛ばされた。

 歯を軋ませ覚悟を決める。空中で錐揉みすると、横回転を帯びながら肘から着地した。

 必死で受け身を取り、風勢に乗じて立ち上がる。

 

(……抜けたかっ!)

 

 恐怖に心臓を鷲掴みされたかのような数秒だった。

 だが、乗り切った。

 ここで第一射の炎塊の雨は終息──けれども依然として、新たな炎の波は押し寄せてきている。

 これでもまだ、攻略のとば口にすぎない。

 飛び上がるように跳ね起き、前方へと飛び出す。

 

(目算で、残り二度凌ぎ、距離を詰めれば……!)

 

 宵闇を引き裂く炎の雨を、視る。

 その最中、右手に握る剣を無意識で握り直す。

 大将首との距離は狭まった。

 いよいよ、首を断つ算段を立てねばなるまい。

 だが束の間の休息さえ、いまは皆無だ。

 眼前の情報処理で精一杯である。

 着地しながらも、高速で予測を弾き出す。

 

 現在地への着弾予測は百八発──どうやら第二射はソルを集中的に狙い定めたらしい。炎の壁が雪崩を打つように迫り来ていた。この量の炎塊が集約していく真正面に、もはや隙間はない。

 判断にかける時間はほぼ一瞬。

 先刻より半分以下に距離が詰まった弊害だ。

 ソルは地面を強く踏み締め、左側へと横っ飛び。

 戦場においては、瞬発力と即時判断が物を言う。着地を考慮しない、捨て身の回避行動が功を奏す。百八もの炎塊の軌道からは外れ、あっさりと避けられた。

 その他の炎塊はまばら、かつ速度が鈍重だ。

 被弾の心配はあるまいと多寡を括る。しかし。

 自分が見誤ったことを遅れて理解する。

 

 百八発もの明光が一ヶ所に集束。

 瞬間──爆裂。

 

 一切の音が失われる。一切の色が失われる。

 視界一杯が真っ白に。

 鼓膜には草笛のような甲高い一音が鳴り響く。

 肌身を露出した部分には熱線を浴びる。

 すべてが失われた時間は一秒にも満たない。

 

 そんななか、激しい烈風が一拍遅れで巻き起こる。

 滞空中のソルは、暴威の煽りを存分に喰らった。

 想定以上に身体が浮き、顔から地面に落ちかける。

 咄嗟に腕をクッションにし、何とか軟着陸に成功する。衝撃は腕に重く響いた。

 鋼の精神力で苦痛を押し殺す。

 だが内心、肝を冷やしたどころではない。

 どくどくと、頭の奥で鼓動を打つ。

 思い切り、顔を顰めたい気分だ。

 

 第二射は回避がしやすい。広範囲砲撃で逃げ場を塞いだ第一射よりも、突破口は広いはずだという認識。ある種それは正解で、間違いでもあった。

 二次被害の大きさは予想以上だ。

 ソルは転がるように起き上がり──風を突き破って、英雄へと駆けゆく。

 

(直線距離も些か開いてしまった。巻き返さねば)

 

 速度を緩めることは許されぬ。呼気が漏れる。

 喘ぐようなそれを噛み殺す。息は乱せない。

 思考内に夾雑物は挟めない。

 奥歯を噛み合わせながら、死線を見極め続ける。

 微に入り細を穿つような身のこなしで、すべてを躱し続ける。しかし限界は目前まで迫る。身体能力低下と連戦による疲労、疲弊が、ソルの身体を軋ませていた。

 

 まだ炎の雨は止んでいない。

 百八発以外の低速炎塊の脅威から脱してはいない。

 ソルは兜の緒を締め直す心持ちで──。

 しかし刹那、呼吸が止まる。

 

 炎の雨を突き切るように。

 己を目掛けて光線が──灼熱の一槍が迸ったのだ。

 

「……ッ!?」

 

 想像の埒外からの一撃。

 ソルは度肝を抜かれ、あわや思考が停止しかかる。

 主観が緩やかに進む。

 

 灼熱の槍は、炎を纏った槍ではない。

 まるで炎で創られた槍(・・・・・・・)だ。

 表面が煌々と橙色の光を放っている。

 射出速度は炎塊とは段違い。

 空気抵抗を受けづらい形状だからだろうか。 

 

(っ、この場面で不覚をとるとは……!)

 

 難所に出会した高揚とは別の──してやられたという『悔しさ』が込み上がる。

 身体のスペック差が大きく出ていた。

 自らの処理限界を呪う。遮二無二、突破することに躍起になった『隙』に付け入られた。

 ボガートが第二射で詠唱を打ち切り、効果的なタイミングで投擲したことに気づかなかったとは。

 

(間に合わ、ぬ。じゃが)

 

 抗うと腹を決め、ソルは限界まで身体を捻じる。

 槍の一撃は点の攻撃。

 躱すのに大仰な動きはいらないはずだ。

 

 しかし。

 狙い穿たれた槍は、回避不能の間合いにあった。

 

「……が、ぁっ!」

 左肩を槍に穿たれた途端、左肩の感覚が消失(・・)。槍は鎧を砕き、亀裂を生んだ。肉を焼く快音が鳴る。灼熱の色に光る槍は、見た目通りの熱を秘めていた。

 槍の穂先が貫通した箇所は、幸いにも無痛だった。

 焼け爛れ、溶ける傷口。

 だが患部の周囲の痛覚は生きている。

 水面の湖面に石を投げ込んだような──否、そんな生易しい痛みの伝播ではない。

 痛みの津波が幼女の身体で猛り狂う。

 

 視界の半分が点滅する。

 額に珠のような脂汗が浮く。

 呼吸の乱れ方が激しくなる。

 だが眼窩一杯に、目を見開く。

 

(じゃが、ここで立ち止まれるものか──!)

 

「があああ──ッ!」

 

 想像絶する痛みを、咆哮を上げて麻痺させる。

 しかし、気休め程度の効力しかない。

 喉に鉄錆じみた味が広がる。喉奥が切れたのだ。

 構わぬ、とソルは足を止め処なく動かす。

 痛みのままに膝を折ることはできない。ふらつく身体と灼熱感が、鉄枷のように身体を縛する。

 実体化する魔力が切れたのか、槍は空中に溶けて消えた。ヒリついた痛みが残留する。外気が毒を帯びたように、空気に触れただけで疼く。

 

 それでも、と意地を張って、前を向く。

 まだ英雄へと至る道半ばなのだ。

 ──ここで立ち止まるなどできやしない。

 足を止めることなど、ソルにはできやしない。

 

(せっかくこの身に宿った、二度目の生。夢に届かぬ今、ここで仕舞いになどさせてなるものか!)

 

 そして到達する。

 ボガートの懐まで目算、残り二歩に。

 潜り抜けた。避け果せたのだ。

 ソルの心に僅かな達成感がおさまる。

 一発喰らうも、最小限の怪我で済ませられた。

 

 ソルは肩で風を切る。

 頼りない矮躯は、細い足で地面を強く踏み締める。

 左肩から全身に伝わる、虚脱感は無視。

 歯が削れるほど噛んで無視する。

 焼かれ、煤を被った白髪をしならせて駆ける。

 必死の形相で、ボガートの懐まで迫ろうとする。

 

 距離は十分だ。

 魔術を編まれようと、この間合いならば刃が届く。

 右手に握る剣に、精一杯の力を込める。

 固く、固く剣の存在を確かにして──。

 

(注意を逸らすものはなし。ならば、一か八か、必殺技で真正面から挑む他ない……!)

 

 なけなしのオドを放出しようと──。

 

「刃は届かねェよ。重みのねェ剣にはココが限界だ」

 

 そして。

 無慈悲な言葉が振り下ろされた。

 

 

 

 ※※※※※※※※※※

 

 

 

 ──根性だけは驚嘆に値する。

 それは、ボガートの思考に迸った感想だった。

 炎塊射撃の僅かな隙間を駆け抜けて、最小限の負傷で済ませる。ソルと名乗った幼女に対して、短く鼻を鳴らす。彼にとっては賞賛の拍手のつもりだった。

 想像以上に手応えがあるらしい。獣じみた獰猛な瞳を持つくせ、冷静な判断力と度胸は持っているようだ。そうでもなければ、騎士たらんとした恩人テーリッヒを倒すことなどできなかったのだろうが。

 

 だが、ソルが失念していたのは──もっとも、炎塊の雨霰を避けるので手一杯だったのだろうが──ボガートの得意な間合いが近距離である現実だ。

 それこそ子供でも分かることである。ボガートの、肉弾戦に特化したような巨躯。そして巨剣『ウェルストヴェイル』を見れば、一目瞭然だろうに。

 この英雄と剣を合わせれば最後、炎の死線を潜り抜けたところで──その武力と正面から張り合わねばならないのだ。つまるところ。

 

 ボガートの右手が掴んだのは、おめおめと前傾姿勢で接近したソルの──その、後頭部。

 そして間髪入れず地面に叩きつけた。

 体重を乗せた、情け容赦ない一撃。

 額と地面とで鳴る音とは思えぬ、重音が木霊する。

 

「ぁっ……が……!」

「手前ェと俺じゃァ、背負ってるモノが違ェんだよ」

 

 絞り出されるような呻きを、ボガートは踏み躙る。

 めきりと頭蓋が鳴るまで手に力を込めた。

 結局、鎧袖一触の敵でしかない。

 彼は嘆息でもつきたい気分であった。恩人であるテーリッヒ・ガルディ大尉を討ち取ったのは、こうも手応えもない相手だったのか──と。ならばテーリッヒの死体から追尾して、わざわざ下手人に鉄槌を下すまでもなかったか。

 

 ボガートは無駄足を踏んだとばかりに舌打ちする。

 他の魔術房へ回ったほうが効率的だっただろう。

 後悔と苛立ちに眉を顰めて、さっさと幼女の頭蓋骨を握り潰そうとする。

 

「──とォ、危ねェな」

「まだ、終わっ……とらんぞ……!」

 

 瞬間、幾つか剣閃が走る。

 大半は兜と鎧が弾いた。そしてボガートの視線は自らの右手に向く。もがく幼女は、自らを押さえつける右手──その手首を掴み、片方の手で剣を走らせた。

 流石に看過できず、右手を開いて引っ込める。

 それが狙いだったのだろう。

 幼女は俯せの状態から飛び退る。

 

 まさに獣のようだ。

 ボガートの巨躯と対峙する幼女に、そんな感想を持った。荒々しい呼吸と、生気に満ちた檸檬色の瞳。窮地に追い込まれても闘争本能を剥き出しにしている。

 顔には打撲痕があり、純白だった髪や陶器のような肌は、出血と煤、砂埃で台無し。擦り傷は手足に無数に刻まれ、何より左肩の火傷は無残である。それでもまるで諦めていない姿は、故郷の山奥で目撃した、野生動物そのもの。潔く自決する素振りも全くない。未だに剣を合わせるつもりらしい。

 そんな幼女がポツリと零す。

 渇いて、ひしゃげたような声音だった。

 

「……わからぬ。だったら、おぬしの背負っとるものは、何なのじゃ」

「はッ、時間稼ぎの手は喰わねェよ!」

 

 ボガートは混ぜっ返すと、一歩踏み込んで──痛烈な蹴りを叩き込む。手にした剣を盾にした幼女。しかし貧弱な身体で、受け止められなどしない。轟音と共に、幼女は派手に吹き飛ぶ。力なく宙を舞い、十丈向こうの地面へ落ちた。

 立て直しは遅い。全身を震わせて、のろりのろりと立ち上がろうとしている。

 蓄積したダメージがもはや限界なのだろう。

 膝を折ったまま、こちらを睨みつけるだけだ。

 

 炎属性の魔術で追撃はしない。

 流石に体力が堪えてきたのだ。ボガートは元より魔術師ではない。体内でマナを変換する効率は悪く、専門の魔術師と比べるまでもない。

 これ以上、無用に体力を削りたくないのだ。他の魔術房を攻めるために、余力を蓄えておきたい。彼の配下たちや、残りの面子では不安が残る。ボガートと比肩し得る相手はいないが、予想以上に手強いのだ。

 呻く幼女を見下ろして、整えられた髭を触る。

 

(背負ってるモンだと? あるさ。こんな俺にだって、背負ってるモンくらいあらァ)

 

 この強襲を成功させねばならない理由がある。

 もちろん、王国のためではある。

 バラボア砦奪還は、ビエニス・ラプテノン連合軍にとって枢要だ。具体的に言えば、マッターダリ戦線回復により『時間稼ぎ』ができる。マッターダリ山脈を境に戦線を膠着させれば、連合を組む国々から戦乱の火を遠ざけられる。

 加えて、帝国との講和、交渉の時間、または協調政策をとる国々との足並みを揃える時間。それらを稼げるのだ。強襲成功のメリットはこれだけでも十分ある。

 

 もう一つ、奪還成功には大きな影響を与える。

 いままで辛酸を舐めさせられてきたガノール帝国──その覇名を支える『六翼』という英雄達。彼らの顔に泥を塗る、千載一遇の好機でもあるのだ。勢いの衰えぬ帝国を打ち落とす、最初の一矢となる。

 彼は、その気概で強襲部隊の選抜に承認したのだ。

 だが本当の、ボガート個人の理由は別にある。

 恩人たちや仲間たちを生きて、国に帰す。

 それが、彼個人の理由だ。

 

(俺が身体ァ張って、守るしかなかった。英雄たァ聞こえは良いが、実態はピンキリなんだからよォ)

 

 強襲部隊の面子で最も武を持つのは、ボガート・ラムホルトで間違いない。他の徴集された顔触れは、確かに高名な面子ではある。

 しかし、彼以外の誰もが一線を退きかけた、英雄と類されるなかで謂わば『準英雄』とも形容すべき兵士たちだ。そこらの一兵卒相手には無類の強さを誇るが、『英雄』相手には分が悪い。

 

 東部魔術房襲撃の一団を率いたテーリッヒ・ガルディ、北部への一団を率いたマタルド・ラッタルト、南部への一団を率いたフール・エイト。彼らは『準英雄』である。ラプテノン王国軍、あるいは教団のお抱えである本来の『英雄』は出し惜しんでいるのだ。

 ラプテノン王国上層部の意向は、実に腹に据えかねる。バラボア砦奪還が成功した場合でも、ラプテノン側の英雄はマッターダリ戦線へ出てこない。ビエニス側の英雄『四大将』が出張るよう、交渉のテーブルを用意するらしい。

 ボガートが気に入らないのは、そういう態度だ。

 

(言っちまえば、捨て駒になっても良い面子集めて……失敗しても、大打撃を受けねェようにしてやがる。それだけじゃねぇ。貴族位にのぼり、隠居生活を送ろうとする退役軍人が邪魔なんだろうなァ。生き残っても、任務失敗で詰め腹切らされんのは馬鹿でも分かる。『国家の威信』の題目でその事情を押し隠して、死地に赴かせている面もあるんだろう。政治的判断が入り混じってるのは違いねェ)

 

 だから、失敗するわけにいかない。

 強襲を成功させることは、皆を生かすための。

 たった一つだけの道だったのだ。

 

 祖国が強襲成功を思い描いていたとするならば、きっとそれはボガートへの期待だろう。成功すれば彼を立役者として担ぎ上げ、『ラプテノンの英雄』の名声を強めさせる。

 失敗すれば、ボガートという『英雄』を失う。しかしテーリッヒら『目の上のたん瘤』を排除できる。おめでたい貴族にとっては、いずれにせよ万々歳なのだろう。そう彼は歯を軋ませた。

 ──ああまったく、糞食らえだ。

 

「……手前ェは、此処で果てとけッ! 雑魚がァ」

 

 言い聞かせるように、再度ソルの胴を蹴飛ばす。

 呻きを上げて、土を転がる幼女。

 もはや抵抗は弱々しい。

 瞳はかろうじて開いているものの、瞼が小刻みに震えている。くすんだような瞳は、一体何を見ているのか。身体も傷だらけ、美しかったであろう髪は砂と煤が絡んでいた。まるで路地裏に打ち捨てられた、人形のような有様だ。

 だが一目見て、ボガートの脳裏に浮かんだ言葉は。

 ──気に入らない。

 

 いまだに心が折れていない。

 その証拠に、彼女の右手はまだ剣を握っている。

 ボガートは片手で蓄えた髭を弄りつつ、不快感から眉根を寄せた。

 

(完膚なきまでに叩きのめす。死の淵に落ちても、ラプテノン王国の名を忘れねェように。……なァ、ガルディ大尉。こいつは弔いじゃねェ、アンタへの弔いじゃねェから、俺はコイツ(・・・)を使うんだ)

 

 口端を歪めると、突き立てた魔剣を。

 幻想剣『ウェルストヴェイル』を手にとった──。

 

「諦めが悪ィのなら、それで良し。手前ェの背負ったモンごと断ち切らせてもらおうかァ……!」

 

 

 

 ※※※※※※※※※※

 

 

 

 ──身体が、動かぬ……。

 

 ソルの霞んだ視界は何も捉えられない。

 呼吸するたび、ピントがズレるかのようだ。もはや傍に立つボガートの足すらも、ソルの黄眼には不確かに映る。目を酷使しすぎた影響だろうか。

 炎の雨を掻い潜る時間が数十秒だったにしても、過去最高の処理を行った。身体に無理が出てこないはずがない。用意できる最善よりも良い経過を辿った──結果が伴わずとも、ツケは回ってくる。

 

 ゆらりと、ボガートが遂に大剣を手にした。

 瞬時に剣身は炎を纏う。散華の花びらを連想させる跳ね火が、ぼやけた宵闇に舞う。そのおかげか現在地が判明する。……バラボア砦の壁際である。

 ボガートが炎雨の詠唱を唱えた位置、その真反対だった。ここまで蹴り転がされていたらしい。

 ソルの負傷の傷は広がっている。炎塊の爆撃で穴だらけになった地面を転げたからだろう。

 

 ざらざらとした地面が、ソルの柔肌を刺す。

 だがそれに対し、何とも思えない。

 傷口や打撲の痛みも、槍の創傷も。

 痛覚が飽和して、鈍っていた。

 

「背負った夢……」

 

 呟く。綻びが入った硝子細工のような声だ。

 唇と喉を僅かに震わせるだけでも、困難を極めた。

 しかし自発的に行動することで、辛うじて肉体と精神を繋ぐ。そうでもしなければ、きっとソルは薄弱な意識を手放してしまうだろう。

 本音を言えば、諦めたほうが楽なのだろうなと。

 らしくもなく弱気になっていた。

 

 だが、まだ一縷の希望は残されている。

 必殺技は放てるのだ。こんな状況でも諦めていないのは、ソルが決め手を隠し持っているからである。ならばいま、死に体の幼女相手ならば油断しているだろうか──いや、と考え直す。

 ボガートほどの武を持つ男は、そう容易くない。

 目に入らずとも、肌で感じる。濃密なまでの殺気と念は、さながら研磨された刃物のようだ。常にこちらを警戒しているのは明白である。

 

 詰み。

 その事実が厳然と突きつけられる。

 諦めるには至らないが、暗雲が立ち込めた。

 それでも必死に打開の糸口を探す。探す。

 ──だが、一向に見つかりはしない。

 

「……手前ェのこたァ一切知らねェが、ここに立ってんだ、背負ってるモンくれェあるだろうよ」

 

 どうやらソルの独り言に、ボガートは意外にも返答を寄越したようだ。

 音量は控えめだったが、芯の通った声色だった。

 ソルの脳内に、以前の彼の台詞が木霊する。

 

 ──背負ってる『モノ』が違ェんだよ。

 

 背負った『モノ』が勝敗を分けることはある。

 正確に言えば、背負う何かが重いほど──勝利への執念が増すのだ。身近な誰かの想い、周囲の期待、国の未来。種類は様々だ。ボガートはきっと、譲れないものを背負っている。彼から力量差以上の圧力を感じるのも、そのせいだろう。

 勝利への執念はあればあるだけ、勝利に近づく。

 一介の傭兵として幾多の戦場を駆け抜け、ソルは誰よりもそのことを承知している。

 戦場では、諦めた者から死んでいく。

 諦めない精神状態に置くことは、そのまま生存率と勝率に直結するのだ。

 

 ならば、自分はどうだろう。

 立ち返った問いが、自分の前に現れる。

 

 ソル。ソルフォート・エヌマ。

 この戦いに背負う『モノ』。

 何か、自分にはあっただろうか。

 

 もちろん、即答できる問いだ。

 『英雄になる』という夢。

 ずっと小さな頃から追ってきた夢を、ソルは背負い続けているだけだ。六十数年経ち、さらに生まれ変わってでさえも──。

 

 この夢について、いままで疑念を抱かなかったわけではない。青年期に戦場で『英雄』の暴虐を目にしたとき、挫けかけた。人伝てに聞く限り、普通はそこで諦めるはずなのだ。バラボア砦で出会ったバルドー伍長も、そう言っていた。彼の言葉を当て嵌めれば「ソルフォートには戦場以外の未来だってあったはず」なのだと。

 

 ──ならばどうして。

 ──いままで、自分は諦めなかったのだろう。

 

 いままで『夢』に疑念を抱いたことはあるが、年を経て風化していただけなのか?

 剣を振るたびに迷いを捨て、ここまで来たのか?

 真贋も確かめず、迷いだけを振り切っただけか?

 ただそれだけだったのなら、背負っていたのは空虚な夢だったのかもしれないではないか。

 

(ならば、この夢の『核』は。夢の『中身』は。わしは『どんな英雄』に憧れたんじゃったか……)

 

 泡沫の迷い。夢の揺らぎ。

 ソルはすぐに振り払う。この問いに意味はない。

 

 もはや親族の類は皆、塵に消えた。

 期待する誰かおらず、生粋の帝国兵でもないソル。

 少なくとも、いまここに背負うものは『夢』つまり『自分』以外ない。ならば、いままでの自分を背負って戦うだけだ。諦めない理由はそれだけで良い。

 何故ならまだ、ソルは右手に剣を握り続けている。

 ──諦めていない証拠だ。

 

 それで良い、と戦意を瞳に宿した。

 決死の覚悟で、英雄に剣先を突き立てようとする。

 

(ああ、わしはまだ、諦めなど……! まだ、死ぬなど……っ!)

 

 しかし。

 腹部に、大剣が刃が沈み込んだ。

 

「が……うぐっ……!?」

 

 新しい刺激に、痛覚が反応する。

 何故か急所ではなく、脇腹を掠るように貫かれた。

 まるで即死するのを避けたかのようだ。ボガートがナッドを仕留めずに甚振っていたことと重なる。

 意図は掴めないが、慢心が原因ではないのだろう。

 ボガートの殺気は本物だ。

 まるで怨念が籠っているがごとき形相。

 九死に一生を得たが、しかし幸いとは言いがたい。

 

 炎熱を纏う剣は赫灼として、肉を焼く音が響く。

 この苦痛、如何ばかりか。

 声なき絶叫を、もはや意地だけで噛み殺す。

 英雄は見下ろし、何らかの情念が混じらせた声で。

 

「『ウェルストヴェイル』。こいつを幻想に、夢に、溺れさせちまいなァ」

 

 その言葉をきっかけに。

 剣身に刻まれた文字──聖文字に紫光が迸る。

 大剣に刻印された魔術が、起動した証だ。

 

 ソルに許されたことは、それを見届けることだけ。

 痛みに喘ぎ、呻きながらも視界は光が満ちてゆく。

 

 ただ一つ、『ウェルストヴェイル』。

 どこかで聞いた名称だったことを思い出して。

 ソルの意識は暗転した。

 

 



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12 『ウェルストヴェイル』

「──これで、最後のページよ。長い長い、物語の終わり。はたまた、新しい物語の始まり。エイブロード様の持つ剣の一振りは、ついに皇帝グリムの首をとったのです」

 

 誰かが優しく語りかけてくる。

 耳朶を打ったのは、懐かしいと思える声だった。

 ソルの意識は徐々に明瞭さを取り戻す。

 気づけば彼女は、藁葺きの寝床で横になっていた。

 側にある蠟燭の明かりで把握する。ここは、こじんまりとした小屋の一角のようだ。周囲は森閑とした暗さが降りていて、壁の隙間から差す青白い光と、室内を舐め上げるように照らす火以外の明かりはない。

 

(こ、こは……ボガートは……? わしは、どうなったのじゃ……)

 

 突然のことで、理解が追いつかない。

 あの巨漢は影も形も見当たらず、ここはバラボア砦ですらない。先ほどまで苛んでいた激痛も引いている。そして、消えたのは痛みだけではない。

 身体がまっさらだった。左肩や脇腹付近にあった火傷は跡形もない。刻み込まれたはずの裂傷と出血──その一切が、まるで嘘のように消えていた。

 この場所にしてもまるで脈絡がない。砦の近辺にも藁葺き屋根は見当たらなかったはずだ。吹けば飛ぶような、みすぼらしい掘っ立て小屋など。

 様変わりした場面に、目を白黒せざるを得ない。

 

(なんじゃ、身体が……これは、わしか……? 昔のわしじゃ……)

 

 何より驚かせたのは、自らの身体の外見である。

 あの、蒼褪めた幼女姿ではなかった。

 少年期の『ソルフォート・エヌマ』だった。

 性別は男性。髪の毛は栗色で、首筋に触れないほど短い。身を包んでいるのは、薄汚れた布地を切り貼りした簡素な服だ。華奢な手足はほんのりと小麦色に焼け、まだ手のひらが柔らかい。

 間違いなく、年端もいかない年齢の自分である。

 積み上げられた年数に記憶が埋もれても、それだけは認識できた──しかし、ますます不可解である。

 

 ここはどこなのか。自らに何が起きたのか。

 何とか、状況把握をしなければならないだろう。

 

「こうして、英雄エイブロード様の物語は幕を下ろしました。厳しい戦いでした。傷ついた仲間はたくさんいました。倒れた仲間も数えきれないほどでした。けれども、彼は長年の戦いの末、悪の帝国を打ち倒したのです」

 

 だが、行動に移す気にはならなかった。

 ここはどこよりも安全な場所だ──。

 そんな不思議な確信が身体に染み入っていた。

 何よりいまは、この声に耳を傾けねばならない。

 胸のうちから湧き上がる感情が、そう思わせた。

 

「彼が自国に帰ると、盛大な拍手と笑顔が出迎えます。よくやってくれた! この国の誇りだ! 大英雄エイブロード様! くちぐちに民衆は声を上げました。しかし、彼が帰ったことを誰よりも喜んだのは、宮廷で待つサリア姫でした。そう、彼女とは以前に結婚の契りを結んでいたのです。『もしも戦いが終われば、あなたと結ばれましょう』その言葉は、違えられることはなかったのです。──のちの二人の結婚は、大シャルティエ王国の門出にふさわしく、華々しいものになりました」

 

 優しい語調で、聞き覚えのある御伽噺が紡がれる。

 内容は、誰もが知る英雄譚だ。しかし完全な創作ではない。五百年以上前の実話が基になっている。

 出来すぎた話ではあると思う。

 エイブロードは小国の英雄だった。そんな彼が、方々を巡って仲間を集め──悪辣な帝国を下す。最後は自国の姫と婚姻を結んで、彼が王となって終わる。もはや陳腐なまでの、華々しい幕切れを見せるのだ。

 ソルとしては思い出深い。なにせ、この御伽噺に魅せられたおかげで『剣使い』に憧れたのだから。

 

 記憶のなかで色褪せた、しかし風化しない物語。

 それを紡ぐのは、否応なく感情を揺さぶる声。

 誰よりも慈愛に満ち、微睡みを誘う声色。

 それは消えようのない郷愁を呼び起こす。

 

「これで、おしまい。……あら、まだ眠ってなかったの? ソルフォート」

 

 物語を読み聞かせていた人は、染みだらけの本を閉じる。ぱたん、と心地良い音を立てた。子供の頃から好きな響き。それを教えてくれたのは──。

 ずっと、ソルに寄り添っていた女性。

 ずっと、ソルに英雄譚を聞かせていた女性。

 見紛えなどしない。できるはずがない。

 たとえ、数十年前に死に目に会えなかった人でも。

 

(……母、さん……? )

 

 彼女は、とても柔和に笑う。

 蝋燭の頼りない明かりに、ぼうと浮かび上がっている。ああ、それは優しかった母の面影そのものだ。故郷を後にしたときより若々しい顔つきだが……間違いなく、ソルフォート・エヌマの母だった。

 深い濃茶の長髪はところどころ解れ、黒い汚れがこびりついていた。本に乗せられた手は、豆が潰れていて、爪の端々には土が付着している。

 声に聞き覚えはあった。

 だが、まさか本当にその通りだとは思わなかった。

 ソルの思考は一瞬、空白に支配される。

 

 まさか、生きていたのか?

 だが「そんなはずはない」と記憶が主張する。母とは、とうの昔に死別したはずだ。ソルフォートが実力と努力量に自惚れ、傭兵に身をやつし──ようやく帰郷したとき。出迎えたのは猛烈な紙吹雪。

 いや、大量の燃え滓(・・・)が紙吹雪のように舞っていた。

 むかしの過ちは苦く、心に淀みを残す。

 だが、それは消えない事実だ。

 そもそも本当に母が生きていたのなら、姿が若返っている説明がつかない。

 

(じゃが、目の前には母さんがおる……ならば、この家はもしや……)

 

 ああそうだ、と連鎖的に思い出す。

 この小屋の正体は──故郷にあった、自らの家だ。

 ガノール帝国の北西の端に構える、何の変哲もない村。そこがソルフォートの故郷だった。一言で言えば田舎である。帝都からは遠く、付近の都市に行くにしても山を一つ、二つ越えねばならない。旅商人も滅多に近寄らない、辺鄙すぎる立地だった。

 だからか村民は帝国民である自覚が薄かった。自覚できる機会など限られている。度々、徴税に訪れる役人を目にしたときぐらいのものだ。

 そんな村の隅に、みすぼらしいこの家があった。

 まともな家具はテーブルと椅子くらい。

 冬場には凍えてしまうほど室内はすっからかんだ。

 

(……すると、これはわしの記憶か?)

 

 つまりこれは、噂に聞く走馬燈なのかもしれない。

 死ぬ直前に見る幻覚だ。自らが幼女化したときにもそれを疑ったが、今度こそその可能性が高い。

 若い母の姿、在りし日の我が家。

 そして少年期のソルフォートの身体。

 これが夢まぼろしであれば、すべての説明がつく。

 具体的な記憶は掘り返せないが、数十年前のある夜の場面が展開されているのだ。英雄譚の母による読み聞かせは、毎夜の楽しみだったことを覚えている。

 少年期のソルフォートの口が、勝手に動いた。

 

「もっと聞かせてよー、母さん。あと一回! グルデー閣下とか、クルヴァン様とかの英雄譚も!」

「もう、ソルフォートったら。本当に好きねぇ、何回目よもう。……でも、今日はここまでよ」

 

 ええー、という非難の声が勝手に出た。

 どうやらソルに意識はあれども、身体の行動権利は少年期のソルフォートにあるらしい。言うなれば「少年期の自分に憑依した」という感覚だろうか。考察を重ねつつ、様子見を続ける。

 

 そもそも、どうしたら良いのかもわからない。

 ソルが思考を冷静に保ち続けていられるのは、一種の自己防衛だろう。何処までも『現実では有り得ざること』が目前で展開されているため、脳が自動で冷却機構を作動させているのだ。

 ソルの内心を他所に、過去の光景が流れていく。

 

 母は我が子の不満顔を窘めるように、わさわさと頭を撫でる。指の腹が髪を割った。軽く頭皮を打つ硬い感触に、目が自然と細まった。

 そして、母は蠟燭の火を手で扇ぎ消した。

 

「明日も、道場があるんでしょう? 夜更かしなんかしたら身体に響くわ」

「……あるけどさ」

 

 ソルフォートは、むすりとした顔をつくる。

 身体は、母と逆方向に寝返りを打つ。

 おそらくは剣術道場に入りたての場面なのだろう。

 この頃は、道場に通うことが苦痛だった。

 

 高台から村を見下ろす、小さな剣術道場。

 そこで師範と名乗る男は、隠居して村に戻ってきた剣士だ。彼が半分道楽でやっているため金もとらず、希望者ならば誰でも弟子にする方針をとっていた。

 道場は子供たちで繁盛した。娯楽も少ない寒村の子供は、剣術修行すら貴重な遊びだった──というのは理由の一つでしかない。

 子供心を捉えたのは『師範が帝都のほうに伝手を持っていること』だった。見込みのある弟子は、そこに推薦するというのだ。

 村人たちの子供は、こぞって道場の門戸を叩いた。

 今日ほどではないが、英雄跋扈の黎明期だ。

 各々が各々の夢を抱え込んで、剣を振るった。

 御伽噺に憧れた者。小さな村から這い上がろうという野心に溢れた者。繰り返される農作業に嫌気が差した者。純粋に剣術に興味を唆られた者……。

 ソルフォートも、そのうちの一人だった。

 

 自分の才能を信じて、浮き立つ気持ちで弟子入り。

 ただ、甘い妄想はあっさりと破られた。

 教えられた技を習得するのは一番遅く、それも不格好な形でしか再現できない学習能力。

 負けて、負けて負けて負けて……負け続け、ようやく、一番身体の弱い年下に勝てるくらいの実力。

 白日の下に晒されたのは、そんな自分だった。

 

 どんくせえ、やめちまえよ、才能ねぇんだよ──。

 同じ道場仲間の声が木霊する。

 年の上下など関係なく、彼は嘲られるのだ。

 だから道場は嫌いで、行きたくなんかなかった。

 

 不貞腐れる彼を、そっと母は頬を撫ぜた。

 手指の、冷たくて固い感触が伝う。だがそこには労わるような、温かく柔らかい感情が押し込められていた。彼を宥めるとき母は、いつも優しく触れてくる。

 呆れたような顔で。眩しそうに目を細めて。

 きっといまも、背中の向こうはそんな表情なのだ。

 僅かに時間をおいて、手が離れる。

 それに、一抹の寂しさが過ってしまう。

 

「ソルフォート。あなたは、英雄になれるわ」

「本当……? みんなに弱いって、家の手伝いに戻れって、言われてるのに。ぼく、エイブロードさまみたいな、強くて、かっこいい人になれるの……?」

「本当よ。ずっと望んでいれば、手にできないなんてことはないわ」

 

 母の声は毛布のように優しい。 

 まるで、傷口が少しずつ瘡蓋で覆っていくように。

 

「最初が順調じゃなくても、目指し続けていれば……いずれ叶うわ。最初から何でもできる人はいないし、最後まで何もできない人もいないもの。あなたは、人より成長するのがちょっと遅いだけよ。うーんと人より何倍も頑張れば、英雄にだってきっと手が届くわ。……だから今日は、早く寝なさい」

「……うん、わかった……おやすみなさい」

「おやすみ、ソルフォート」

 

 眠る間際の、母の小声が脳裏を掠める。

 ソルも徐々に思い出していく。

 次の日からソルフォートは自主練習を始めるのだ。

 

 剣術道場での鍛錬以外に、剣を振り始める。

 ソルフォートの実力は村人たちの間で──道場に通う子供を通じて──知れ渡っていた。そのため大っぴらな場所は避け、人気の少ない廃墟に籠り、がむしゃらに練習量を重ねていく。

 それはいつか習慣になり、いずれ趣味に変わり、心を静めるとき必ず素振りをするようになった。我ながら単純なきっかけだったと自嘲する。しかし、何かを始める動機などこんなものなのかもしれない。

 そうして、母子二人は寝息を立て出した。

 

 規則的な呼吸だけが、ソルの耳についた。

 小さな家を、虫の音も聞こえない静寂が支配する。

 

(結局、この過去再現はどこまで続くのじゃ……。このまま一日、二日……そして最期まで、幼い自分に憑依したままじゃなからんか。であれば、どうにか対策を講じねばならんが)

 

 漠然とした不安で心が翳る。

 六十年ほど傍観し続けるのは、流石に堪えかねる。

 そんな行き場のない思考を回す。

 

「……ねぇ、ソルフォート。ずっと、ずぅーっと、ここにいましょう?」

 

 睡魔の手が首に添えられたとき、鼓膜が揺れる。

 唐突な囁きは、母の聞き心地の良い声だった。

 すっかり、もう眠ったものだと思っていた。

 母の顔は、見えない。

 

「ソルフォート、だってあなたは報われなかった。……努力して、諦めずに手を伸ばして──でも、誰にだって届かないことがあるわ。人にはそれぞれ、得意なこと、不得意なこと、どちらもあるのよ。それが望まないものだとしても、ね? 夢を追うなかで、蹴落されてそのことを知るの。『空回りで大切な一生を終えてしまうのは賢いことじゃない』って、みんな分かってるの。だから諦めたり、別の道を進んだりするのよ。役に立つことをして、みんなに認められて、充実したいって気持ちは──ソルフォートにも分かるでしょう? けれどあなたは、最後まで足掻いて、夢を叶えられなかった。一生を空回りしてしまったのよ」

 

 囁きの内容はやけに、場違いなものだった。

 過去にこんなことを耳にした覚えはない。

 

「でも、ずっとここにいれば何も問題はないわ。……ここは、とっても平和よ。だって争い合う人はいないもの。もう、痛い目に遭うことはないわ。もう、殺し合う必要なんかないわ。もう、誰かを蹴落とす必要もないの。村の人たちから何を言われても、気にすることなんてないわ。ここに、母さんがいるもの」

「かあさん……?」

 

 ぎゅうと、後ろから手が回されて抱き締められる。

 まるで話し相手が、自分ではないかのような。

 まるで話し相手が、ソルフォート(・・・・・・)ではないような。

 背筋に、怖気が忍び寄ってくる。

 顔は、見えない。

 

「『外』にいたって苦しいだけよね。殺されるだけよね。分かっているわソルフォート、私はあなたの母親だもの。『外』は冷たい。『外』は報われない。だから──一緒にここで暮らしましょう? 『外』とここは時間の流れ方が違うから、心配しなくても大丈夫よ。ね? 二人きりで。ずっと、ずぅーっと……」

 

 ただ一つ、ソルに判断できることはあった。

 違和感が首をもたげる。

 もう、指を咥えて見守るわけにもいかない。

 

 だから問うた。

 意識で、無理やり口を抉じ開けて。

 

 

「──あなたは、だれじゃ?」

 

 

 ──暗転。

 

 

 

 1

 

 

 

 気づけば、見覚えのある光景だった。

 日没前の夕陽色に染まった戦場。

 屍の山と血の大河が、横たわっている。

 そこにソル──ソルフォートは立ち尽くしていた。

 

 身体は少年時代の姿から、老年期のものに変わっていた。彼の束ねた長い白髪は風に揺れ、褪せた色をした外套の下から、傷だらけの鎧が覗く。鮮血が飛び跳ねた身体は満身創痍だったが、いつでも飛び出せるよう身構えていた。

 この場面は見紛いようもない。

 ソルフォート・エヌマ、一度目の死の舞台だ。

 

「……これが魔剣の能力かのう。厄介この上ない」

 

 もう動じず、噛み締めるように独りごちた。

 走馬燈にしては真に迫りすぎる。

 白昼夢にしては実感に富んでいる。

 まるで本当に過去へ戻ったかのようだ。

 しかし、完全な過去の再現ではない。

 先ほどの母の言動で明らかになった。

 

(母さんは、ああいうことを言う人じゃなかった)

 

 母は数少ない、ソルフォートの味方だった。

 いや、『ソルフォートの夢』の味方だった。彼女はいつも優しかったが、少なくとも『目指す夢から逃げること』を戒める性格ではなかった。

 剣術道場へ行きたくないと渋る子供を、励まして奮い立たせる。そんな人だった。

 途中から、母の言葉が彼の知るそれから変貌した。

 きっと、初めから紛い物だったのだろう。

 

(特定箇所だけが紛い物だったというのは、流石に虫が良すぎるからのう)

 

 走馬燈や白昼夢としては、母の口吻の出来が悪い。

 しかし、体感は現実さながら。純粋な夢まぼろしとは思えない。この空間は異質極まりない。何らかの『魔術』が関与していると見るべきだろう。

 想起されたのは、ボガートが扱っていた大剣だ。

 意識が途絶する間際のことである。

 彼が呼びかけた名前には聞き覚えがあった。

 英雄狂いでならば、知らねばモグリ扱いだろう。

 

(『ウェルストヴェイル』、まさか儂の人生でその名前を聞くことになるとはのう)

 

 またの名を幻想剣。数多くの御伽噺のなかに登場する魔剣だ。一つ例を挙げるならば、エイブロードの英雄譚の第十二章。彼と対峙した、帝国側の英雄が扱った剣である。魔剣の能力の起動方法は、知性体を魔剣で斬りつけることだ。その瞬間──剣に魔力を注ぎ込めば、刻み込まれた魔術が発動する。

 その魔術とは『心を折る幻覚を見せ続ける』。

 英雄譚の記述が誤っていなければ、そのはずだ。

 

(国際的には禁忌扱いの『精神魔術系統』の魔術が刻印された、厄介な代物じゃが……しかし)

 

 懸念があった。英雄譚の記述と、ウェルストヴェイルの形状に大きな差異がある。エイブロードの英雄譚では「すらりとした湾曲を描く、流麗な剣」という描写だったはずだ。決して、ボガートが自在に振るっていた「炎を纏う、無骨な幅広の大剣」ではない。

 だが、彼が無意味な名称を口ずさむだろうか。

 

(冷静に、冷静に、最も可能性の高い『現実』を探らねばならん。次に起こす行動にかかわる話じゃ……)

 

 紫光を走らせた、ボガートの剣がウェルストヴェイルだと仮定するならば──走馬燈かと疑ったが、もしやここは……と、思考を繋ぎ合わせていく。

 己の知識が確かならば、と結論を導き出す。

 

「つまるところ、儂は今……剣が作り出した幻覚の只中におる、のかのう」

「はあ──失策だったか。記憶をなぞるだけのほうが、貴方を折ることが出来たのだろうか」

 

 ソルフォートは、不意にその声を聞く。

 いつの間にか、彼の眼前には。

 十代半ばほどの女が──毅然と立っていた。

 その姿は忘れもしない。

 夢にまで見るほど、憧れ焦がれた存在だ。

 

「なんと手間のかかる人間だろう。まあ時間はたっぷり、それこそ永遠にあるが……」

 

 黄金色に夕陽を照り返す長い髪は靡き、彼女の碧眼はソルフォートの眼光に動じた様子もない。顔立ちは整っており、戦場の殺伐さに見合わぬものだ。

 反して、発される殺気の濃密さは尋常ではない。

 彼女が纏う白銀の装備は、大陸最大の帝国における六人の大英雄──『六翼』の証である。

 それは、齢二十にも満たない当代人類最強。

 『英雄』アイリーン・デルフォル。

 姿かたちは寸分違わず、あの死地での出で立ちだ。

 だが、別物(・・)だ。

 

 ここが幻想世界であるという推察。

 そして、あの口ぶりから察せられた。

 先ほどの母と同じだ。黄金の英雄が、こんな場所にいるはずがない。彼女はあくまで姿形が似ているだけの──らしからぬ台詞を吐く『何者か』である。

 観察を続けている最中、彼女は手を叩く。

 

「そうだ、貴方の知識通り。……子供らしい英雄願望も、すぎればこうも偏執的になるのか。私は、アイリーン・デルフォルではない。アイリーン(・・・・・)・デルフォル(・・・・・・)の形を与えられた(・・・・・・・・)、魔剣『ウェルストヴェイル』だ。先刻は貴方の母上の形だったが──どうにも失敗だったようだ」

 

 偽アイリーンこと魔剣ウェルストヴェイルは悪びれもせずに、あっさりと白状する。ソルフォートは表情は変えなかったが、内心では面食らっていた。

 彼も「剣は相棒だ」とは平時から言っていた。だが『剣が喋る』、つまり『剣が精神を持っていること』に戸惑う。意志ある剣など聞いたこともない。どの御伽噺でも描かれていた覚えもない。

 

(作中では、聖文字が刻印された剣──魔剣と称されていた物品ではあったが、それはあくまでも業物の扱いだった。……となればある種、滅多なものと相対していることになるのう)

 

 珍奇に思う一方、場違いにも心を躍らせていた。

 なんと言っても、夢見た御伽噺の登場人物が現れたようなものだ。興奮しないわけがない。

 しかし、手放しに喜べる場合ではない。

 ここが、魔剣の創り出した幻想世界の只中だとすれば……眼前の相手は、敵対者なのだから。

 

 明確な敵を前に、ソルフォートは剣に力を込める。

 手には汗が滲む。

 相手の力量が、肌身を通じて予想できていた。

 

「さてと、もう演じる必要もないだろうから、『ボク』に口調は戻させてもらうよ」

 

 その一方で、ウェルストヴェイルは中性的な言葉遣いに急変する。それが彼女──便宜上、ウェルストヴェイルを女性と見るが──の本来の口調なのか。

 堅苦しさは霧散し、妙な軽薄さを覗かせる。

 アイリーンの姿形のまま言うものだから、なかなかに違和感が甚だしい。

 違和感と言えば、その開け広げたような言動もだ。

 じりじりと距離を詰めつつ、疑問を舌に乗せる。

 

「ぬしの存在まで、明かしてよいのか? 答え合わせとは言え、明言するのは油断にすぎんか?」

「余裕を油断と捉えるのなら、好きにすると良いよ。……どうせ貴方はここから逃れられないのだから」

 

 彼女は、繭が開くように両手を広げ、睥睨する。

 ぎょろりと動く碧眼は、しかし敵対の意思を含んでいないようだった。殺気は総身を刺すかのようだが、戦闘態勢もとっていない。剣を帯びたままだ。

 戦闘に持ち込むつもりはないように見える。

 

(さあ、儂はどうするべきか)

 

 あの余裕綽々な態度は、自信の表れだろうか。

 それも納得だ。そもそもソルフォートは、この幻想世界から抜け出す方法を知らないのだから。

 頬を抓ろうと、ちっとも覚めやしない。

 そんな平和的な方法ではないことは自明である。

 であれば、抜け出す手段は一つしかない。

 彼女と相対した瞬間から、念頭にあった考えだ。

 幻想を作り出した本人を、打ち破ること。

 ソルフォートは構えたまま、僅かに腰を落とす。

 

「もう当たりはついているだろうが、明言しよう。此処から抜け出る方法は簡単だ。『ボク』を倒せ」

 

 片手で自身の胸を指さし、そう笑みを深めた。

 日没間近の陽光が、金髪の艶を強めている。

 

「けれども、果たして貴方に出来るだろうか?」

 

 問いかけは純朴だ。

 心の底から真に思っているような響きがあった。

 

「貴方の英雄知識のなかには、ボクの基礎情報があるだろう? 数百年、魔剣として愚なる主の間を渡り歩いてきた。──貴方の敬愛するエイブロードの英雄譚でも、ボクの幻想世界は攻略されていない。それどころか、古今東西、どの英雄譚でも同様にね。『稀代の成り上がり者』グルデー・ロマニゾフ然り、『魔術王』クルヴァン・アルスフォート然り、『ガノール帝国始祖』アラン・ガノーリド然り……近代では『六翼』のネクレサ・オスト辺りもかな? ……語り草となるどの英雄譚でも、ボクの幻想世界は一度も破られていない」

 

 列挙された英雄譚の内容は、ソルフォートの頭に焼きつけている。いずれも大陸で知らぬ者はいない、著名な英雄譚だ。どの作中にも魔剣『ウェルストヴェイル』は登場している。あるときは義勇兵の一人が、またあるときは魔剣収集家が、この剣を所持していた。

 そしてどの英雄譚の主人公も『ウェルストヴェイル』の能力発動を避けた。英雄譚には、彼らが魔剣を抜く前に打倒する描写しかない。

 つまりは、高みの存在──英雄すらも恐れた魔剣。

 その腹のなかに、ソルフォートはいるのだ。

 彼女の言を信じれば、ここは袋小路だとも言える。

 

(肌でも感じておる……あの日。あのとき。戦場で対峙した『最強』と同等のものを……ッ!)

 

 煌びやかな金の髪が、荒野の風に靡く。

 それに、と片目を瞑って彼女は髪を掻き上げた。

 

「『ボク』は貴方のなかで『最も敵わない姿』を形取る。能力は──」

 

 瞬間、彼女の姿が消える。

 瞠目するソルフォートは──ただ、風を感じた。

 

 半秒後に宙空(・・)で気づいた。

 自分が、くの字で吹き飛ばされていることを。

 

「が、ぁ────!?」

 

 衝撃が腹部に遅まきに伝う。

 ばきり、と不吉な音が弾ける。

 体内の臓器が一斉に悲鳴を上げた。

 ソルフォートの老躯は、六丈を超す距離を飛ぶ。地面と衝突、なおも収まらぬ勢いのままに転がっていく。肌も鎧も、回転する視界のなかで削られる。

 何とか止まれという意地を張り──ようやく止まった。左手と片膝をついた体勢のまま、浅い息を吐く。頭の中身が、全身から伝わる『痛み』で塗り潰されていた。あまりの情報量に、動けない。

 手のひらと膝頭を摩擦熱が焼いて、靴の爪先からは煙が立っていた。剥けた皮の表面からは血が出ていない。傷口は高熱で溶け、出血を塞いでいた。

 嘔吐感が喉元に迫る。額に脂汗が噴き出す。

 何より、腹部にもらった衝撃が残留していた。

 まるで重石を体内に埋め込まれたようだ。

 

 見れば、鎧の胴が粉砕されている。

 何らかの攻撃が、鎧を容易く貫通した証拠である。

 そう、一撃。

 たった一撃で、全身が虚脱感に襲われた。

 

 ゆるゆると、眼前に目を遣る。

 呆れた表情で、黄金の英雄が笑っていた。

 白銀の鎧が勝ち誇るように、橙色を反射する。

 

 ソルフォートの、傍らで(・・・)

 

 

 

「──貴方の想像通り、『最強』だ」

 

 

 



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13 『未だ無銘の英雄譚』

 3

 

 

 分け隔てなく平等に、夕陽は焼けた色彩を映す。何処ぞの軍隊の屍が積み上がり、褐色の地をも血の色に変色させた戦場は──橙色の光に照らされ続けていた。

 血が舞い、呻きが上がり、幾多の勝機が粉々に砕けようと、代わり映えもなく。

 

 一向に落ちない夕陽は、ソルフォートの時間間隔を狂わせた。幻想世界に入ってから何十秒経ったのか、それとも何時間経ったのか。彼には把握もできない。混迷しつつある脳内状態も、それに関わる話なのだろう。血を滴らせる拳を握る。夜の忍び寄らない空間で、延々と一方的な戦闘が繰り広げられていた。

 いや、『戦闘』と呼べるような代物ではない。児戯同然だ。まるで子供が小虫を弄ぶかのよう。

 

 間近で対峙する二つの影が、この地における生者である。

 しかし力量差は二人の間に厳然と横たわり、一切の肉薄を阻んだ。

 

「っ────ッ!」

 

 ソルフォートは、体内を血液のように巡るオドを意識する。幻想世界では現実世界の状態を引き継いでいない。幼女姿でもなければ、オドを半量しか残留しておらず、大小の怪我を負った身体ではない。

 現在の姿かたちの時期──つまり、ソルフォート・エヌマ最期の瞬間と同じ状態にあるらしかった。オドは微々たるもので、身体の力は筋力がほとんどを担っている。

 

 だが勿論、格上への勝利法は一つだけ。オド放出に乗じた加速により、一撃で刈り取る。小細工は通用しない相手なのは、嫌と言うほど承知済みだ。度重なる抗戦で、身体は悲鳴を上げている。堂に入った「最強」の名乗りから、幾らか時は過ぎている。その間には、圧倒的な暴力の餌食となった。

 鎧が粉々に砕けた他、左腕も利かなくなりつつある。たらりと左眼に垂れる血液を拭う。額が割れているのだろうが、まだ負傷としては軽い。

 

 だからこそ、今のうちに札を切る。温存を選べる相手ではない。他の攻撃が通用しない(・・・・・)のだから。

 

 膝を曲げる、腰を落とす、前傾姿勢をとる。一本の竿がしなるように滑らかな予備動作を辿る。

 そうして約半量のオドを捻出、消費──放出。

 真正面に、飛ぶ。

 

 目標は眼前。無防備にも手をぶらつかせた、金髪の女だ。

 股下から右肩を撫で斬るように、斬撃を叩き込む。

 

 雷のごとき剣閃。

 覚悟を乗せた強烈な一撃。

 

 ──だが、その剣筋は。

 斬り裂く前に、ある一点で止まった。

 

「……ッ!?」

 

 気付き、瞠目する。

 剣閃はウェルストヴェイルに受け止められていた。

 

 宙を舞う花弁をつまむように。

 親指と(・・・)人差し指の(・・・・・)側面だけ(・・・・)で。

 

 

「……それで、終わりかい(・・・・・・・・・)? 貴方の全力って言うのは」

 

 

 拍子抜けしたような、ウェルストヴェイルの言い様。

 渾身の一撃を、二本指で呆気なく止めた──その現実にソルフォートは絶句する。

 

 今まで幾多の戦場で、英雄と矛を交える機会は何度もあった。無論、オド消費による一撃は敢行した。その誰もが回避を選択し、受け止める者と出会ったことはない。

 だからこそ、威力だけなら一端の自信を持っていた一撃だった。……脆くもその、ちっぽけな自負が崩れ去った。

 

 ああ──と彼は頷きたくなる。

 これが、『戦闘』と呼べるような代物であるはずがない。

 そんな彼を傍目にウェルストヴェイルは、片方の口端を吊り上げた。

 

「さあて、全力を以ての反撃だったんだから──ボクも、相応の返礼をしないといけないね」

 

 ──その瞬間の記憶は朧げだ。

 瞳は彼女の影さえ捉えられず、左腕が奇妙な方向に曲がったことだけが。

 

 ソルフォートの瞳に焼き付いていた。

 

 

 

 4

 

 

 ソルフォートの攻撃など、『最強』にとって全てが小細工同然だったのだ。

 

 反撃の薙ぎ払いは──指二本で受け止められた。

 フェイクを織り交ぜた全力の膝蹴りでは──微動だにしなかった。

 体内を巡るオドを約半分消費した一撃も──指二本で受け止められた。

 

 反面、ウェルストヴェイルの攻撃の悉くが身体に突き刺さった。その拳は鎧を砕き、足技は骨を砕く。剣は佩いたまま、手にとる様子がないのは幸運だろうか。

 きっと彼女が剣を抜けば、その刹那に命が散るのは目に見えている。ソルフォートのなかの『最強』アイリーンとはそういう存在だ。だから一種、不幸であるのかもしれない。要らぬ苦悶に身を苛まれている現状は、まるで拷問にも似ていた。

 

 ソルフォートは満身創痍だった。夕陽色に染まる地面の上に、ついぞ背中を打ち据える。突っ伏したまま、動くのもままならない。乱す呼気のままに胸部が上下する。砕けた骨は何十本だろうか。撒いた血はどれほどだろうか。

 口内は乾き、唇の端からは胃液が零れている。鼻奥はつんとした痛みが刺す。上唇に垂れる液体は鼻血だろう。束ねた白髪は草臥れ、褪せた色合いの外套は血に塗れ、破れた裾が風にはためく。

 痛覚はまだある。死なない程度に、嬲り殺しされているのは明白と言えよう。口元の砂の味を噛み締めつつ、ソルフォートは呟いた。

 枯れた喉から、掠れ気味に声が吐き出された。

 

「何故、止めを刺さぬ……ラムホルト殿と、同じくして……何故に……」

「明確に違うよ。あの主は──今の主は生温い。その点ボクは、斟酌を加えない」

 

 そう言って、金髪の美貌はソルフォートの視界に映ってくる。ソルフォートは、無傷の彼女を辛くも見上げることができた。

 終始笑みを崩さず、今も遭遇した当初から変化はない。混じり気のない黄金の髪、双眸は澄んだ海色に輝き、誉れ高い白銀の鎧が眩しい。いや、些か異なる差異がある。鎧や髪、頬に点々と血飛沫が垂れている。もっとも、その全てがソルフォートのものだ。

 

 こちらの剣は掠り傷一つ負わせられず、疲労の様子はおくびにも出していない。そんな彼女の冷酷な碧瞳と、黄瞳の視線がぶつかり合う。

 ふと、更に笑みを深めるウェルストヴェイル。

 

 やにわに彼女は軍靴を大きく上げ、ソルフォートの頭部の直上で。

 

 ぴたりと、止めた。

 

 そして。

 

「ぐが……ッ!?」

「怯えなくとも、殺しはしないよ。出来ないと言うべきかな」

 

 鈍く、こめかみに衝撃が走る。

 頭を踏まれたのだ。

 

 しかし、踏み抜くほどの力は込められていない。

 軍靴の裏の固い感触が、砂塗れのソルフォートの頭を撫でる。

 

「止めを刺せない理由は──幻想世界での『規則』だからさ。死はこの空間に存在しない。言っただろう? 此処は何処までも『何処よりも優しい世界』なんだよ。それにボクは理性的でね、必要外の争いは好まない。貴方がその反抗的な眼を変えてくれれば、ボクだって暴力に訴えやしないよ」

 

 嘯くウェルストヴェイルは、さもソルフォートを責めるように。

 白々しく耳に響くのは、酷く軽薄な口ぶりのせいだろう。

 

「情報を易々と渡しているのも、ボクなりの優しさだ。貴方は──秘匿された情報があれば、そこに活路を見つける人間だろう? だから、先に明かしているのさ。無謀で無価値な足掻きからは手を引いて、早めに立ち止まって欲しいからね。……長く永く、辛苦の極みを尽くされるのは、聞くだに滅入る話だろう?」

 

 賛同を求めるウェルストヴェイル。

 その仕草のどこにも、焦りや疲れは見当たらない。

 

 ──完敗だった。

 打倒どころか、傷を負わせることすら頭に入らない。ボガート・ラムホルトを相手取っても、ここまで圧倒的な力量差は体感しなかった。彼相手でも、たった一撃さえ喰らわせられなかったはずなのに。

 その所以は、すぐに結論を導き出せた。苦手な遠距離攻撃もされず、体型差も厭わず──真正面から、踏み躙られているからだ。戦闘に使うすべての項目が、追従もできないほど劣っているのである。

 

 剣を握る拳が、解け始めていた。

 歯を噛み締めると、砂利を潰す音が鳴る。

 

 どうしても、勝てない。

 勝利する像が浮かばない。

 

 だが、勝てなければ終わりだ。幻想世界から永遠に抜け出せない。それは現実での死を意味している。幼い頃から志す、英雄への道が断たれる。せっかく死から舞い戻ったというのに、だ。

 

 ならば、どうしたら良いのか。

 ウェルストヴェイルは、あっさりとその解法(・・)を口にする。

 

 

「簡単な話さ、諦めてしまえば良い」

 

 

 その言葉は。

 ソルフォートの歩んできた道程を、否定するものだった。

 

「貴方の抱えた大望、大願。不相応にも背負う『英雄願望』を降ろせば良い」

 

 残る道筋はそれだけしかない、と彼女は囁く。ウェルストヴェイル打倒という目標が、無理難題と突き返すならばこれしかない。すなわちこの幻想世界に溺れることを許容し、『英雄になる夢』を降ろせ、と。

 

 咄嗟に口も利けず、睨むソルフォート。彼に対し、ウェルストヴェイルは顔を近づけてくる。

 息のかかる距離まで、その碧く澄んだ瞳を寄せて。

 

「貴方が諦める選択をすれば、すべてが丸く収まる。我が主の脅威から避けられる。幼女になるなんて悪い夢だった。それで良いじゃないか。死後とは人生の休日であるべきだとボクは思う。だから、それなりに歓待しよう。散歩でも、茶飲み話でも、どんな些事にでも付き合うよ」

「……儂が、諦めると思うてか?」

「──だったら、立ち上がってみなよ。ボクの首に刃を届かせてご覧よ。……そら、土台無理なのさ」

 

 酷使した身体は、自由が利かない。できることは、戦意の衰えぬ双眸で睨みつけることだけ。ウェルストヴェイルは肩を落として、おもむろに手を伸ばす。

 当然、ソルフォートは手出しができない。精一杯の抵抗として右腕を動かそうとするが──無駄な足搔きだった。

 

 難なく彼女は、ソルフォートの剣を掴んだ。そして眉間に皺を寄せると、すぐさま遠くへ放り投げる。大事な愛剣が。何より彼の持つ唯一の武器が、遠ざけられた。

 為す術もない現実の無力さに、喉奥から呻きが漏れる。噛み締めた奥歯に力が籠った。

 寸鉄すら帯びていない無力な身体となった彼に、ウェルストヴェイルは鋭く言い放つ。

 

「そもそも──貴方の夢が、諦めるに値するべき無価値だと気付くべきだよ」

 

 すっと彼女の瞳に影が差す。滲ませる情念は、どことなく寂然としていた。

 静かに語り出したのは、ソルフォートのこと。

 ソルフォート・エヌマの人生のこと。

 

「英雄を志すには、貴方はあまりにも凡人だった。貴方だって本当は、夢を諦めたかった。記憶媒体から過去を探ったボクには、それが良く分かる。貴方は意地を張っているだけだ。英雄を挫折するには遅すぎた。定めた夢への針路から引き返せば、きっと何も残らないから……前に進むしかなかっただけだ」

 

 まるで。見透かしたような言葉だった。いや、彼女の言の通り、実際に見透かしているのだろう。ソルフォートの昔日を舞台に、幻想世界を織り成していたのだ。彼の過去を承知しているのは間違いない。だから今まで振り返ってこなかった、自分の歩んだ道程について口にできるのだ。

 

 自分。ソルフォート・エヌマ。

 凡夫であることは、彼を知る誰もが知るところだ。才能なる不確かなものの輪郭を、あまりにもちっぽけゆえに早々と悟ったにも関わらず──それでも諦めなかった男。大まかに彼の生涯を語ればそうなる。しかし葛藤や、年相応の諦観が欠片もなかった生涯かと言っては、嘘になる。

 

 望み続けていれば、年数が背中を押す。

 肩にものしかかる、夢に捧げた時間。

 

「貴方の志、それが固まる経緯だって不本意なモノだった。貧しさに押され、母上の歪んだ妄信(・・・・・)を、一身に背負わされたんだ。勿論、最初は子供らしい憧れだっただろう。だけども、それならば本来、捨てられていたはずだ。貴方の一つ前に溺れた男のようにね。子供らしい憧れは、大人になるまでの限定品さ。だからこの夢は、貴方だけの責任じゃない。貴方の母上にも、大きな大きな非がある」

「な、にを……!」

 

 それは、聞き逃せない台詞だった。憤慨を力に換え、地面を両手で弾いて飛び退く。ちょうど身体の休息も最低限、摂ることはできていた。

 意外なことは一つ。ウェルストヴェイルの靴底から、あっさりと逃れられたことだが。人を釘づけにするというより、足を乗せていただけという趣が強かったのだろう。

 

 距離を離して向かい合う。

 しかし、剣はこの手にはなくソルフォートは丸腰だ。徒手空拳で立ち向かうのは自殺行為。体術が不得意なのではなく、大立ち回りを演じるだけの体力が残っていない。

 加えて、眼前の彼女には殴る蹴るの打撃はまったく効力がないのだ。

 防御すらとらずに弾かれる。

 

 となれば、武器は持たねば始まらない。愛剣は後方にある。余所見ができず、目視を行えないため具体的な位置は分からないが。

 愛剣、もしくは目ぼしい武器を探すため、じりじりと後退していく。

 

 一方で眉尻を落とすウェルストヴェイルは、嘆息を桜色の唇から吐き出した。

 追撃を行わず、じっと見つめる純な視線がソルフォートに刺さる。

 

「本当は貴方だって気付いているはずだろう? 母上がどうして、夢に全てをなげうつ真似を許し続けたのか。どうして寒村で、特別裕福でもない環境にあって、貴重な労働力である子供を自由にさせ続けたのか。ひとえに家族の情か? ひとえに彼女の慈愛か? ──断じて、否だ」

 

 重い声色に負け、思わずソルフォートは押し黙る。

 母親がソルフォートの夢を応援し続けた理由。

 日々の生活を犠牲にしてまでも、ソルフォートの邁進に水を差さなかった理由。

 

 どちらにも思い当たる節はあった。

 ソルフォートの父が家からいなくなったことに、端を発す。

 どんな食料を口にしても、味がするだけマシと思える経験を。

 互いにひもじさを抱えて、やつれた顔のまま草を食んだ日を。

 今もまだ、覚えている。

 

「貴方の母上は、少しばかり夢見がちだったね。夢は叶うと信じて、貴方が『御伽噺の英雄』になりたいと話すと──我が事のように笑うような人だった。それが、貴方の父上が出ていって悪化した。貧しい生活は人を狂わせる。男手もなしに安泰なほど、寒村は優しくはない。なにせ、夫にも逃げられ、貴重な労働力である子供を遊ばせていたんだ。日に日に病んでいくのも道理な話さ──」

 

 ──大丈夫よ、ソルフォート。貴方は貴方の夢を追って。

 

 ──立派だわ。村一番の剣士になったのね、やっぱり努力は実るのよ。

 

 ──ふふ、貴方が英雄になって……母さんを楽にしてもらうのも、そう遠くないわね……。

 

 声が残響する。場面がフラッシュバックする。頭が割れるように痛い。

 そんな彼に、慌てた様子でウェルストヴェイルは小さく片手を振った。

 

「……ああ、すまないね。こんな風に過去について語っているけれど、貴方を突き放す意図はないんだ。その逆で──ボクは貴方を救いたい。貴方のように極めた人間は初めてだ、この数百年を見てもね。単刀直入に言うと、ボクは、貴方のことを少なからず気に入っているんだよ。だから、貴方に折れて欲しいのさ。後腐れを残さないよう自分の意思で、ね」

「気に……入って、おるとな……?」

「人ではなく、剣に好かれたのは複雑な心地かい?」

 

 一瞬で、間合いが詰まる。ウェルストヴェイルが突如、懐に入り込んだ。膝蹴りをもろに腹部へもらう。えづくソルフォートは瞬間宙へ浮かび、空いた横腹に彼女のローキックが叩き込まれる。

 背筋まで突き抜ける衝撃。声ならぬ絶叫が脳天を突き抜ける。中空へ飛んだ彼は、近場にあった屍の山に直撃した。

 

 背中で痛みが炸裂する。胃液が競り上がり、乾いた唇から吐き出される。勢いのあまりに、数体の死体が崩れた。

 しかしこの緩衝材のおかげか、ソルフォートの背骨が砕かれることはなかった。

 

 山の側面からずり落ちる。遅れて、地面が尻を打ち据えた。体重落下の負荷が尾てい骨を震わせる。この振動で、全身の力が振り落とされた。

 徐々に回復していた体力は削げ落ちた。彼女の狙い通りか否か──ここは、蹴飛ばされた愛剣の近くだったらしい。

 

 夕陽色に染まる剣が、所在なさげに傍で転がっていた。早く手にとらねばならない。だが──縫い止められたかのように、身体が動いてくれない。

 その一方で、彼女は語る。

 貴方はどこまでも純真ゆえ、前以外見えなくなっていただけだと。

 

「ボクは貴方のことを誰よりも、よく知っている。貴方自身以上に。そうだな、考え直すと……好いているというのは、言葉の綾だね。……訂正しよう。ボクは並々ならない同情(・・)を貴方に抱いている、と」

 

 掠れた瞳を通し──夕陽を背にするウェルストヴェイルが、逆光のなかで断言したのを見る。屍の山を背に、座り込むソルフォートは「ああ」と気付く。

 先ほどの言の意味に、ようやく合点がいったのだ。彼女はソルフォートを「極めた人間」と称した。首を傾げるそれは賛辞の意味合いは込められていない。

 何故なら、ソルフォートの人生で極められた事柄など、何一つとしてなかったからだ。

 

 だから思い当たる。

 正しく形容すれば──「愚かしさを極めた人間」と、彼女は暗に言っていたわけだ。

 

 力が足らずそのまま項垂れる老人に、ゆっくりとした歩みで近寄ってくる金髪の英雄。

 一歩、二歩、三歩……軍靴の鳴らす足音が、絞首台への階段のようだった。

 

「『ヒト』という生き物は、大義名分を掲げて私情を通すことは多々ある。感情を脇に置いたつもりでいて、実際のところ、その感情を押し通すために判断を曲げる。理性的で行儀の良いふりをしているだけ──そういう人間は、腐るほど見てきた。しかし何の名分もなく、私情を通し続けて生涯を終えるような、頑固一徹の大馬鹿者はそういない。……だからだろうね、ボクにも情が芽生えた理由は」

 

 そう独りごちたウェルストヴェイルは、ひと時だけ憂いの表情を覗かせた。

 屍の山に体重を預けるソルフォートの正面で、彼女は立ち止まる。

 

「……徒労と労苦に満ちた人生だった。塗炭の苦しみは、貴方をとても苛んだはずだ」

 

 夢を追う最中には、幾つもの枷をつけられた。

 己の才能、周囲からの蔑視、年齢、身体の衰え。

 

 だから夢へと向かう競争は、彼にとって地獄だった。横にいた同年代の者は、易々とソルフォートを置いて先に行く。彼らに追いつこうと我武者羅に走っても、追い越せた者は誰一人いない。

 応援の代わりに投げつけられる、愚者の烙印と嘲笑。背後から自分を抜き去っていく、若き才人たちが羨ましかった。あまりに次々と越していくものだから、うっかり自分の足取りを見返したことがある。

 本当は自分が一歩も前に進んでいないのではないか──不安と焦燥に襲われたのは一度や二度ではない。

 決して、楽な人生ではなかったように思う。

 

「周囲の白眼視。自分が見えていない大法螺吹きは、貶される運命にある。村人たちの声が耳に残っているだろう。傭兵仲間の蔑みが焼き付いているだろう。最強の英雄の、手向けの言葉が頭から離れないだろう。何処へ行こうと鼻摘み者扱い。誰よりも焦がれて努力して、評価する者はただ『哀れ』と思った者ばかりだった。──貴方が欲する評価は、そんな安っぽいものじゃないのに」

 

 ──無駄な努力だ。あれなら土弄りを覚えた方が利口に違いない。

 

 ──口にするだけなら簡単だ。実行するには、足りない物が多すぎる。

 

 ──貴方は、半端者だ。

 

 燃え滾る情熱には冷水を。

 気力にはヤスリをかけられた。

 優しい台詞は冷やかし以上のもの、足り得なかった。

 

「貴方の父上だって、その夢を疎ましく思って出て行っただろう?」

 

 ──現実味に乏しい理想論だ。

 

 ──お前たちの夢物語に付き合わせられるのは、まっぴらだ。

 

 そう言って、みすぼらしい家から出ていった父を追想する。昔から母に愛想を尽かしていたらしいが、ソルフォートが廃墟で剣を振るようになって……断絶は決定的となった。

 一銭の金にもならん夢に投資するほど、夢想家にはなれんと父は吐き捨てた。そして以前からつくっていた、愛人の家へと移り住んだ。父が去っていく姿を、軒先から母と二人して見送ったのを覚えている。

 ぎゅっと掴んだ裾の感覚が、脳裏に蘇る。

 

 自分のせいかと、剣を振らなくなれば──母は激昂した。あの人が出て行ってしまったのだから、貴方の夢は叶わなくてはいけないのよ。いつも通りの母の微笑みが、いつもとは別物のように感じられた。

 

 そうか──視界不良のなか、ソルフォートは自覚した。

 ソルフォート・エヌマの人生は、英雄を志した瞬間から歯車が狂ったのだ。

 

「……此処は。貴方の人生の要所であり終幕の一つであり──夢を追い、敗れた屍たちの墓所だ」

 

 彼女は言う。──あのとき、此処で倒れておくべきだったのだと。アイリーン・デルフォルに真正面から斬り捨てられた瞬間に、その幼稚な夢ごと捨てるべきだった。

 死を超克して、未だに夢に縋るのか。荒唐無稽な夢が、貴方に何をしてくれた。全てを奪い、零し続けただけではないか。貴重な人生を棒に振ったばかりか、貴方にとって憎むべき『夢』に縛られるのか。

 酷く女々しく、見苦しい。

 積み重ねた夢の残骸に腰を下ろして、老いた凡人よ、何を見る。虚空の先には何もありはしないだろうに──。

 

 ウェルストヴェイルの言葉の雨が、項垂れたままのソルフォートの耳を叩く。彼がふと見た視界の端で、誰かの屍が転がっていた。装備品から察するに、ガノール帝国軍人だろう。屍を晒すこの軍人も、何らかの夢を抱いていたのだろうか。自分以外の何者かになる夢や、現状を継続させていく夢を。

 背を丸めて座り込んでいるソルフォートは、かすかに口を開きかけ、再び閉じた。

 

「貴方の夢はからっぽだよ。質量もない、不相応に膨らんだ夢だけ抱えても、虚しいばかりだ」

 

 彼女は言う。──貴方が背負っているものは、何もなかったのだ。夢、家族、恋人、友人、恩人、あるいは国の命運。人が戦うときに背負う何かが、ソルフォートには欠如していたのだと語る。

 唯一持っていたかに見えた夢も、まさしくからっぽ。幼稚な夢を御大層に抱えてきて、絵空事を言っているだけだ。

 風が凪いだこの場所では、言葉ははっきりと伝わる。

 

「だから、見切ってしまえ。もう疲れただろう──こんな夢に、価値はないよ」

 

 そう、言い切った。

 ソルフォートの夢はまるで、子供の頃にたくさん詰め込んだ宝箱。大人になって引っ繰り返せば、ガラクタばかりの無価値なものでしかない。無価値な物体がどれだけ詰めてあろうが、ないのと同じだ。

 膨れ上がった夢だけを抱えて、報われないまま、ここまで我武者羅に駆けてきて……疲れただろう、と。だから諦めても良いんだ。そう語る彼女は乞うような口ぶりだった。

 惰性で続けてきた夢に引きずられる。もうその必要はないんだ──と。

 

「──さあ、二度目の好機だよ。一度逃した『夢を諦める好機』が巡ってきたんだ」

 

 ウェルストヴェイルの声色は、ひどく柔らかかった。

 彼女は右手をソルフォートに差し出す。この好機を逃したくなくば、この手を取れ。沈黙のうちに彼は意図を悟る。

 

 勝ち目のない争いは止め、もう誰からも何か言われることもなくなるのだ。陽だまりで微睡み、誰かと茶を啜る『幸福の道』へと選び直す。生きた道を変える最後の好機だ。

 きっと老いた凡人が幸せを享受できる道は、後にも先にもここしかないのだろう。

 

 ただ一つ。

 

 返事のように、ソルフォートは微かな呻きを上げて。

 

 

「……それで、終わりか? ぬしの、言いたいことは……」

 

 

 首に力を入れ、顔を徐々に上げる。

 固まったウェルストヴェイルと目が合う。

 そして一言だけ、仄かに唇を歪めてソルフォートは言った。

 

 

「…………その手は取れぬ。儂の生き様の何処にも、間違いなどなかったのじゃから」

 

 

 5

 

 

「間違いがなかった……? 何処が。間違いだらけだったじゃないか」

 

 静かな声色だった。表面上は、と但し書きが必要だが。まるで煮え滾る溶岩を抱え込んでいるように、押し殺した色がある。

 不愉快げに表情を渋めるウェルストヴェイル。かすかに泣きそうに見えてしまうのは、目の錯覚だろう。まだ彼女は、差し出した左手は引っ込めていない。傷一つない綺麗な手を。

 

 その手は取らず、ソルフォートはゆらりと立ち上がる。左肩を屍の山に擦りながら、今にも崩れ落ちそうに震える。だが膝は折るまいと苦心し、数秒をかけて二本足で立てた。

 足も膝も悲鳴を上げている。折れた左腕は、鈍痛を与える付属品でしかなかった。眉間の皺に刻まれた苦痛は深みを増す。ぐらぐらと意識が揺らぐ。喉には鉄錆じみた味が染みついていた。それでも、立ち上がれた。

 彼は必死な面持ちで、息も絶え絶えのまま口を開く。

 

「……ぬしが……語ったのは、確かに儂の人生じゃ。じゃが──それ故に、見落としておる」

「見落とし……? ボクが何を見落としたって言うんだ」

「儂が『英雄』になりたいと研鑽を続けてきたのが、真に好きで(・・・)やっておることをじゃよ」

 

 確かに、ウェルストヴェイルの語った半生はソルフォートのものだ。しかし、出来事や感情の取り上げ方は彼女の主観が入り混じっている。

 第三者が見たソルフォートの人生と、ソルフォートが体感した自分の人生はまるきり別物だ。彼自身、聞きながら「そういう捉え方もあるのか」と目から鱗が落ちた。

 彼女が熱を入れて語ったように、人生の最大目標を遂げられなかった。煩悶に満ち、救う者はおらず、理解者がいないという意味で孤独だったのは否定しない。

 しかし……とソルフォートは左眼に垂れる血を右手で拭う。

 

 きっと過去を見たウェルストヴェイルは、記憶の場面や境遇を見ただけにすぎないのだろう。

 彼自身の気持ちや、心情は読み取れていない。

 

 それだけで。

 たったそれだけの者に『自分』を語らせるものか。

 

 彼女は口惜しげに手を戻しつつ、彼を睨みつけてくる。

 

「その『好き』だって、母上の押し付けでつくられた紛い物だろう……」

「紛うことなどあるものか。これは儂の──儂だけの夢じゃ」

「貴方は誑かされたんだよ」

「そのお陰で『夢』を忘れず持ち続けてきたのじゃ」

 

 ソルフォート・エヌマは何処まで行っても凡人だ。意思が固まらない幼少期、多感な少年期、挫折を経験する青年期──もしも母の応援(・・)がなければ、その過程で諦めていたかもしれない。

 皆が捨てる、子供の頃からの夢を追い続けられている。だから何も間違っていない。夢を叶えられなかった後悔は勿論あったが、ソルフォート・エヌマの人生には一点の曇りもなかった。

 胸を張って言える。

 自らの人生は決して、間違いなんかじゃなかったのだと。

 

「……でも、貴方には何も成し遂げられなかった。誰かに勝るために、貴方は何十年を溝に捨てた?」

 

 溝に捨てたのではなく。──積み上げてきたのだ。

 人一倍の努力で足りないから、全人生を賭けて足らせたのみ。他人の価値基準では「無価値」のレッテルを張られる愚行だとしても、自分にとっては価値あることだったのだ。

 

 ここまで注ぎ込まねば、剣を握り、振るう喜びは味わえなかった。憧れた剣使いの英雄のように戦えるのは、それだけで十分価値がある。

 

 ふらつきながらもソルフォートは、傍に落ちていた愛剣を拾う。

 馴染んだ手触りだ。十数年の付き合いなのだから、手に馴染むのも当然だが。どうしてか数分程度、離しただけで久々の感覚のように思える。柄の部分に巻いた包帯は血に染まり、赤黒く変じていた。それが今まで踏み締めてきた、夢への道程の証明のようで……どこからか力が溢れるような気がした。

 この剣が手元にあるだけで──何にでも立ち向かえるような気さえ、湧く。

 

「分不相応な願いに縋るな。貴方には他に、幸福を甘受できる道があっただろう?」

 

 分不相応、大いに結構。──相応になるまで登り詰めるだけの話だ。

 生まれ出でたときから、才能なる枷で人生を縛られるのは御免被る。好きなことに好きなだけ身を賭せた人生の、どこに恥じ入る必要があるだろう。道を選択し直す必要があるだろう。

 

 自分以上に大いなる才能を持つ、『目指す夢に相応しい者』は枚挙に暇がないほどいる。たとえば『六翼』、『四大将』、ボガート・ラムホルト。しかし、造作もなく辿り着く者たちを見て、夢を諦める道理などない。

 ソルフォートはこの道以外に、自分の居場所はないとばかりに……剣を右手で握る。

 

「この幻想世界で溺れたほうが賢明だっ! 貴方が引き返す最後の機会なのだからっ!」

 

 言ってやろう。

 ソルフォートは酷く久しぶりに、暴言を口にした。

 

 糞喰らえじゃ、と。

 せっかく手にした『夢を諦めぬ好機』を捨てるわけにいくまい、と。

 

 重ねられる否定の言葉に、ウェルストヴェイルは歯を軋ませる。

 

「……愚かな選択だよ。思想だけではない。貴方は勝機のない戦いへ身を投じようとしている」

「呵々、愚かとな。儂も否定は出来ぬよ。賢しい連中は、もっと上手くやってはずじゃ」

 

 不格好ながら、剣を正眼に構えるソルフォート。普段より随分、精彩を欠いた構えである。夕陽の赤に染まる彼の姿は、さながら死人のようだ。

 一つ結びの白髪は赤々と光沢を発し。額が割れ、鼻が潰れて血を流し、血を拭った跡がこびりついている。左腕は折れ曲がり、鎧の残骸が腹部に付いており、纏った外套も血染めであるばかりか破れていた。立っているのが不思議なほどに凄惨な状態だ。

 

 対峙するは『最強』。

 どこか心の奥底では、不可能と諦める気持ちがあったのかもしれない。

 

 だが──勝機の薄い戦、生死が二つに一つの戦。そんなものは幾らでも超えてきた。

 夢を夢で終わらせぬ。終わらせてなど堪るものか。

 己の英雄譚を紡ぐために、血潮も汗も涙もインクに変えてやる。

 

「儂の通ってきた道程は、もしや遠回りしていかもしれん。いつだって近道していた心積もりじゃったが、反して空回ることは良くあることじゃ。無暗に剣を振っても、効率が悪いことを知ったのも、剣を振り始めて数年経った頃じゃった。──じゃが、無駄など欠片も存在せんかった」

 

 剣を振ったおかげで、筋力が他の者よりついた。剣に愛着も沸いた。剣を振ることが好きになった。要するに観点が違うだけだ。全ては糧に変えられる。

 弛まぬ研鑽を積み上げたすべてに意味があったなら──夢は、十分に背負うべき重さを持つ。

 

 結論は出ていた。

 今は、それをウェルストヴェイルに聞かせるだけ。

 

 懊悩に暮れるための年月は過ぎ去った。

 慚愧に悶える時間は終わった。

 

 これから先は、未だ枯れぬ情熱を結果に結びつける時間だ。

 真に報われるための、時間なのだ。

 

「しかし愚かと言うが、儂は六十数年、賢い方針は全く浮かばなんだ。なあ、ぬしや。英雄への近道切符は何処ぞで売っとるものなのじゃ? 効率良い英雄のなり方とは如何に? ──ウェルストヴェイル殿。ぬしは儂より余程の年を経て、数多の英雄の手を渡った剣じゃろう。なれば、儂の問いの答えを知っておるか?」

「……解らない人間だね。ボクは貴方へ、英雄に手を伸ばすのを止めて良いんだと──!」

「それは出来ん。──これは、儂が絶対に手放せない『大好きな夢』じゃから」

 

 夢。譲れない最大目標。

 何がきっかけか、誰が望んだか、どれだけ歪んだ成り立ちか。

 ソルフォートにとってはどれも重要ではなかった。

 

 御大層なきっかけはいらない。

 自分が好きだと言えるものならば、命にすら相応しいと。

 

「たとえ純粋な願いじゃなくとも、儂がこの道を選べたのは──紛れもなく、母さんのお陰じゃった。歪んだ望みだろうが、何がどうとか、難しい理屈は全部要らん。儂はこの夢が『誇り』なのじゃ。どんな裏があろうとなかろうと、儂は母さんに感謝しておる──恨む謂われもなかろう」

「それは綺麗事だろう!」

「綺麗も汚いもない。儂はそんなものに興味はないのじゃ」

 

 興味があるとすればそれは、追う夢のことだ。

 業を煮やした様子が沈静化しても、ウェルストヴェイルは歯を軋ませる。

 

「……理解できない。まさか平行線だなんて。なら……馬鹿者にも分かりやすく、矛を交える他ないのかい。見果てぬ夢に溺れた愚か者め。諦めるのに他者の力を使うとは、些か見苦しいのではないかな……ッ!」

「無論、戦は望むところじゃ。しかし──良いのか?」

 

 素朴な感想を漏らしたソルフォートは、眉を顰めるウェルストヴェイルに言った。

 心の底から湧いて出る感情のままに、頬を緩ませて。

 

「骨が折れ、肉が爛れ、足を砕かれようと、もう諦めぬよ。この『剣』は折れぬ」

「何を、貴方は──」

「ぬしは此処が『墓場』と言うたが、儂にとって此処は『序章』じゃ。……儂の、立ち上がる場所じゃ。じゃから──そんなに、心配せずとも良い」

「────」

 

 ウェルストヴェイルは無言で応えた。表情を消し、肩を鳴らし、金色の髪を風に泳がせる。もはや問答は無意味と悟ったようだ。殺気が高まる。風すら怯えて凪ぎ、張り詰めた空気が戦場を取り巻く。

 遂に彼女は腰の剣に、片手を添えた。『最強』の姿かたちの通り、風格は背筋を凍りつかすほどだ。

 しかし──あれは『偽物』だ。臆せず、両目を見開く。何故なら本物の『最強』であればきっと、最初の一撃で彼の全身の骨を粉砕しただろう。一度、対峙した彼だからこそ理解している。

 あの女は本質的にそういったモノが欠如していたのだ。比してウェルストヴェイルは、あまりにも優しすぎる。是非はともかく、偽物でしかないのだ。偽物であるからこそ、勝機は必ず存在するだろう。

 負けじと、ソルフォートも腰を落とす。

 

(──ああ、儂は負けぬ。もう膝は折らぬから、此れより先に敗北はない)

 

 剣も、眼も、経験も。

 手数の少ない彼にとって大事な武器だ。

 しかし最大の武器は別にあったことを、幻想世界で学び取った。

 

 自覚し、誇った『確固たる夢』。

 それこそが、夢を追う自分にとって最強の武器なのだと────。

 

 

 

「そこを退け、儂は夢の先を見に行くのじゃから──ッ!」

 

「見果てぬ夢に溺れろ──ッ!」

 

 

 ──込めた力を開放する。

 右脚で強く踏み込み、老いた肉体を一気に駆動させた。

 渾身の力はこのときのために。疾風のごとく間合いを詰めた。

 

 英雄と打ち合うだけの強靭な肉体ではない。英雄と張り合えると自負する腕もない。

 だからこそ通用する可能性があるのは一撃。二の太刀以降に機は訪れない。

 それを期待したが最後、首と胴が切り離される。

 

 老体に残ったオドを掻き集め、握り締めた剣に全てを懸ける。

 『死』のない幻想世界だ。ありったけを注ぎ込む。

 生涯における血と汗の滲む鍛錬の成果を見せつけるのだ。

 

 否、ウェルストヴェイルに見せつけるのは。

 決して折れぬ、決して目を逸らさぬと誓い直した──己の生き様(・・・)だ。

 

 燈色に染まる戦場で二つの影は交差し……決着する。

 一つの影が地面に力なく沈み、残った片方はつまらなそうに呟いた。

 

 

「本物の最強とは比べるべくもなし。……出来損ないの幻想は壊れるが道理じゃろう」

 

 

 

 6

 

 

 

 そうして振り抜いた無銘の剣を、地面に突き立てた。

 これにて如何な英雄譚でも描かれなかった、魔剣『ウェルストヴェイル』の打破を成し遂げたのだ。

 

 胸に去来するのは、一種の満足感と高揚感。誰も成し得なかった事を成したのだ。その事実は、何より彼の心を潤した。

 齢六十五にして、初めてなのだ。『誰かに先んじたこと』が。加えてその先んじた相手が、夢見た英雄たちなのだ。

 胸躍り、年甲斐もなくはしゃぐのも無理からぬ話だろう。

 

 しかし剣に体重を預けたまま、動かない。なにせ、オドはからっぽだ。これが現実であれば即死である。ああも啖呵を切って、相打ちでは笑えない。

 もっとも、ウェルストヴェイルの幻想世界に死が存在していれば──既にソルフォートなど数千回は死んでいるだろうが。

 

 身体中から多量の血が垂れ、骨を何本を折り、死に体でも……まだ立てている。

 だが少し肩透かしだ。ウェルストヴェイルと鎬を削り続ける機会も、終わってしまうとは。

 

(今の儂に敗れるようでは、『最強』と名乗るには力不足じゃったな)

 

 そんななか、ソルフォートは「もしや」と思う。ウェルストヴェイルが口にした「ボクは貴方のなかで『最も敵わない姿』を形取る」とは、確かに事実であったのかもしれぬ、と。つまりソルフォートが彼女を『最強』だと認識していたから、ウェルストヴェイルは『最強』だったのだろう。彼女の強さをどう認識するかが、彼女自身の強さを左右していたのかもしれない。

 

 母は精神面において、ソルフォートが「敵わぬ」と思う相手。

 アイリーン・デルフォルは武において、ソルフォートが「敵わぬ」と思う相手。

 

 姿かたちを真似した模造品でも、無意識にそう認識してしまう。だから、目の前の敵が「所詮は偽物。打ち破るのは決して不可能じゃない」と思った途端、ウェルストヴェイルは『最強』という仮面を剝ぎ取られていたのだろう。

 そうでもなければソルフォートの一閃で沈むはずない。彼女が狡猾だったのは、彼女自身についての言及を最初で切り上げ、そこから最後までソルフォートについての言及しか行わなかったこと。

 もしかすると弱点に気付かせないための、思考誘導だったのだろうか。

 

(……今となっては、推測の域を出ぬな。最強の看板が、単にはったりだったのかもしれん。じゃが──)

 

 そう考えていると、地面が大きく揺れた。

 

 空が割れる。

 

 ウェルストヴェイルの幻想世界が崩壊していく。

 

 彩色された硝子板を小槌で叩き割ったように、不揃いの欠片が落ちてくる。

 

 彼女を打倒すればやはりここは消えるのだ。

 

(奴は最後の最後まで、儂を心配(・・)しておった)

 

 揺れは酷さを増すが、決して背後は振り返らない。

 前だけを見続ける。

 一秒前には抱いていた満足感が、すっかり消えていた。

 

(──いいや。今考えるべき事は、待ち受ける『英雄』の事じゃろう)

 

 状況自体は何も好転していない。紛れもない『英雄』ボガート・ラムホルトは依然として、現実世界で待ち受けている。そこには『死』が存在する。ウェルストヴェイルほど、かの英雄級に優しさはない。

 過酷かつ苛烈な、戦場が待っている。自ら、救いの手を振り払ったのだ。逃げ場と退路は断たれている。

 それでも。

 

(──上等じゃ。命を賭ける覚悟と、諦めぬ覚悟は固まっておるさ)

 

 奥底からの喜色満面の笑みが浮かんだ。

 ウェルストヴェイルからは貴重な経験を得た。ある種、激励を受けたような気分だ。これから待ち受けるのは、前途多難な障害ばかり。確たる芯を持っていなければ、ボガートという強大な壁は超えられない。

 

 夢を叶えたいのならば、目標を見失ってはならないのだ。承知していたつもりでいて、通り過ぎてここまで来てしまった。ソルとしては、羞恥のあまり穴にでも入りたい気分である。

 何せ、目指すのは『ただの英雄になること』ではなかったのだ(・・・・・・・・)

 母の言葉とエイブロードの英雄譚とウェルストヴェイルとの問答を、反芻する。

 

(──ああ、大事なものを思い出させてもらったのじゃ。儂の武器が、まだ失われていなかったことを)

 

 強くなることに夢中で、上へ上へと焦りすぎて、つい見落としていたことを──。

 

 崩れてゆく橙色塗れの世界でソルフォートは目を閉じた。

 

 

「疾く消えよ。儂自身の『英雄譚』、その一頁を刻むのだ」

 

 

 ──暗転。

 

 



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14 『その男には取り柄があった』

 寂然とした戦場は、『死』だけを想起させる。

 焼けた匂い。無数の穴ぼこ。足元に蹲った幼子。

 炎は消え去ったおかげで、黒々と塗られていた空にも光が灯る。満天の星空と、幻想剣の紫光のみが戦場を照らしていた。

 ボガート・ラムホルトは舌打ちを一つ落とした。もう慣れた感覚だったが、一種の虚しさが心に居座る。分かっていたはずだが──と剣の下に伏す、死んだように眠る『白い獣』を踏みつけた。もう目覚めることはない。ウェルストヴェイルの幻想に溺れたまま、ずっと生きながらに死ぬのだ。

 音も消えた戦場で、ただ空を仰いだ。

 これで、ひとつの決着がついたのだ。

 

(まァ、ちッたァ溜飲は下がったが。……これで満足なんだよなァ? お偉いさんの事情なんざどうだって良いが──ガルディ大尉。娘さんには、ちゃんと伝えるからなァ。アンタが立派に役目を果たしたことを)

 

 ボガートは寂しさの只中で、死者を悼む。悼むつもりはなかった。しかし感傷は一陣の風となって、記憶の頁が捲れていく。最後は兵士、その前は無法者、そして最初は貴族。彼の辿ってきた過去が蘇る。

 彼の『理由』への弔いを終わらせるために。

 

 

 

 1

 

 

 

 ボガート・ラムホルト。

 彼はラプテノン貴族の出ではあったが、事情は歪んでいた。田舎貴族のラムホルト家に生を受けるも、第六男としてだった。末も末の子供に、当主継承権のお鉢が回ってくるはずもない。たとえ運良く回ってきたとて旨味は少なかった。

 ボガートは幼い頃から、正義感と反抗心が強かったため「気に入らねェ、貴族なんざ御免だ」と言い放ち、後先考えず、元服した途端に家を出た。

 言い繕えない若気の至りで、あてなどなかった。

 正直、数時間後にはこの行動に後悔したのだ。

 だが「出ていく」と言ったからには、泣いて出戻りなどプライドが許さなかった。近郊の街の路地裏で寝食を摂り、残飯を食らう日々を送った。

 

 無頼者を気取っていた。

 貴族に嫌気が刺していた境遇だ。貴族の決定した処刑に「理不尽」と憤り乱入するわ、貴族に弱みを握られた商人を庇うわと──好き放題、貴族絡みの問題に横入りした。家に縛られず、自らのルールのみに従って暴れ回ったのだ。いまにして思えば、子供っぽい横柄だった。失うものは血と歯ほどしかない。

 得たものは多かった。こうした日々を重ねるごとに、彼の下につく仲間たちも増えていった。元より、貴族の振舞いに我慢ならない領民は多かったのだ。

 彼らに「ボガートさん」と呼ばれ、慕われた。

 邪険にできないまま、色首を突っ込んだ。

 そうしていれば、一大勢力が彼の下にていた。

 その街のゴロツキの顔役に据えられて、縄張り争いも過熱していった。

 

 ──けれどもそんな日々に。

 ──すっかりボガートも居心地が良くなっていた。

 

 ある雨の日のことだった。

 彼らの縄張りだった路地裏に、甲冑姿の男が足を踏み入れた。格好から推察して「軍役の者だ」とは判った。しかし指を咥えて見逃しては、面目丸潰れだ。多少は痛い目を見てもらわねば。ボガートとゴロツキ仲間は、騎士姿の男一人を囲んで襲った。

 結果を言えば、完敗だった。

 

 騎士の剣は速く、受けたことのないほど重かった。

 多対一の戦闘を挑み、全てをいなされ、次々と倒れていく仲間たち。最後まで立っていたボガートも、あえなく打ちのめされ、這い蹲った。

 

 路面の冷たさ。全身を打つ雨水の冷たさ。

 いまも、あの感覚を覚えている。

 甲冑姿の男は、雨に濡れた彼にこう言った。

 

『──勿体無い、宝の持ち腐れである。路地裏で大将面するばかりで、貴様の才能を潰している』

 

 それが、テーリッヒ・ガルディとの出会いだった。

 無骨で、ぶっきらぼうな言葉。

 ボガートの性格に不思議と滲み込んでいった。

 彼の人生の契機である。

 

 

 

 2

 

 

 

 そうして、いま。ボガートは月を見上げている。

 後に聞いた話によれば、テーリッヒはラムホルト家の当主──ボガートの父親きっての頼みで、ゴロツキどもを一掃したらしい。おそらく馬鹿息子に痛い目を見せたかったのだろう。ただテーリッヒは「元より、治安維持も騎士の務めである」としか言わなかった。

 打ちのめされて、ボガートは己を見つめ直した。

 自分の才能がどこまで行けるか。

 純粋な好奇心と、何より『強さ』に惹かれた。

 正々堂々と相手取り、全員を打ち破ったあの騎士。

 彼の貴族観を破る、その気高い在り方に──端的に言えば、惚れたのだ。生まれてこの方、触れたことのない挫折だった。

 だが「良い思い出だった」と誇らしげに語れる。

 

 その後、テーリッヒの助言を聞き入れたボガートは、ラプテノン軍の末端に入隊。彼を慕う仲間たちも倣うようにして軍に加わっていく。これは、彼が齢二十九の頃であった。そうして大陸中央アッガー平野の戦いにて、大将首を獲る大戦果を挙げ、瞬く間に「次代の英雄」という名声を築き上げていくことになる。

 この思い出があるからこそ、譲れなかった。

 

(──俺は負けられねェんだ。ガルディ大尉には、人生の溝から救い上げてくれた恩がある。マタルド・ラッタイト少尉には、力だけの新兵だった俺に魔術を教え込んでもらった恩がある。フール・エイト少尉には、目上のお貴族様への対応や、兵士としての心構えを説いてもらった恩がある)

 

 国の期待を背負ってはいる。

 卓上の駒のように任務を遂行してはいる。

 だが、その剣に乗せられた『覚悟』は。

 誰にも明け渡すわけにはいかない、心だけは。

 大事に思っている、仲間たちのために。

 

(あんだよ俺にも、確かに背負ってるモンがァ。ただの粗暴者だった俺に『英雄』の勲章を、軍服の詰襟に付けてもらった恩が。強襲部隊の手足となって動く他の連中も──溝みたいに腐った日々だって、街でごろつきやってた頃だって、宴会だって、修練だって共にした、掛け替えのねェ奴らだったんだ)

 

 だからボガートは、眼下の幼女が憎らしかった。

 彼自身の願いはすでに果たされない。誰も死なせず祖国へと帰る、という無垢な願いは引き裂かれた。

 マタルド少尉は北部魔術房で果て、テーリッヒ大尉は東部魔術房で散った。南部魔術房を攻略途中であろうフール少尉も、苦戦を強いられているのは間違いない。強襲部隊の配下も、半数以上が討ち取られた。

 

(ここで……油を売ってる暇なんかねェな。もう、ここには何もねェ)

 

 報いを受けろ、とは口が裂けても言わない。

 激情は押し込める。怒りは押し殺す。

 もう、あの頃のような『お山の大将』ではない。兵役を担う身である以上、祖国の剣である。テーリッヒが残した、ボガートにとっての金言を思い起こす。

 騎士を志していた彼は、誰より高潔に祖国の剣であろうとした。ならばその訓戒は破るまい。個人の感傷は捨て、国の剣として敵対者を屠ろう。

 それこそ雑草を刈り取るかのごとく、一緒くたに。

 だから一度だって恨みがましい、女々しい台詞は口にしない。復讐などとは口が裂けても言えない。

 唇は噛んで、噛み千切って、吐き捨てる。

 

「じゃァな、目を閉じて長い夢に溺れてなァ」

 

 そのとき、だったか。

 頭上に広がる星空に一筋の──流れ星が瞬いた。

 

 

 

 ※※※※※※※※※※

 

 

 

 ──老いた凡人が帰ってくる。

 ──幻想世界から、現実へと戻ってくる。

 

 ソルフォートからソルへと。老躯から幼躯へと。

 身体の重みがその変化を実感させる。

 纏う虚脱感、骨の軋み、著しく縮んだ身長差、触覚の繊細さ。老人だった自分とは雲泥の差だ。

 彼の意識は、ボロボロの幼女の肉体に宿る。

 この、世にも不思議な感覚を味わうのは二度目だ。

 慣れないが、現状が理解できていれば対処はし易い。

 

 俯せに倒れていたソルは、瞼を上げる。

 ──より先に、身体を跳ね上げた。

 

「おおおおおッ──!」

 

 咆哮を放ち、気炎を上げる。

 肺一杯の空気を吐き出した。震わせた喉からは鉄錆の味がした。だが構わない。大声を出すのは目立つ行動だが、必要不可欠な行為だ。

 こうでもしなければ、傷ついた幼い身体を奮い立たせられない。危ういながら、大地にしっかりと足を付けることに成功する。

 白髪の幼女は再び、地面に足をつける。

 

 倒れていた地点より僅かばかり後ろに下がり、砦壁に背中がぶつかる。赤い斑模様の束ねた白髪が、宙を薙いだ。

 

 空で蒼褪めた顔を覗かせる月が、幼い身体を淡く照らした。左肩や脇腹にある、焦げ付いた創傷と擦過傷。鮮血をだらりと零す裂傷。隈なく全身にある掠り傷。顔にある打撲痕。どこかもかしこも傷だらけだ。

 

 幻想世界よりは傷の度合いはマシだが、あちらには『死』がなかった。しかしこの戦場には『死』が存在する。そして傷を負うごとに、『死』へと続く階段をのぼるのだ。今、ソルはその道半ばに立っている。

 

 それでもまだ──気を失う以前よりも、ソルは生気が漲った表情だった。

 

「なッ──て、めェ……何で……!?」

 

 ソルの唐突な大声、行動により反射的にか後退したボガート。彼は動揺を隠せず、着地点で硬直していた。片手に握る大剣『ウェルストヴェイル』の切っ先を空中で彷徨わせている。霞みがかった視界だがソルの黄眼はそれを捉えた。

 

 処理限界の眼だが、事態は逼迫しているのだ。休ませていられない。だから見開き、無理を通している。喉元まで迫り上がる吐き気と、響く頭痛は押し殺した。

 

 右手にある無銘の剣の先を正面に向けつつ、周囲の状況を見渡す。

 

 どうやら幻想世界にいた間、時間経過はなかったようだ。ソルが跳ね起きる前、ソルとボガートの位置関係は以前のそれだった。裏庭には幾つものクレーターが大口を開け、焼け焦げた跡が散見される。依然として、空気の焼けた匂いも漂っている。

 

 ウェルストヴェイルの「時間はたっぷり、それこそ永遠にある」という言葉通りだったらしい。

 ソルが妙に納得する一方で、鎧に巨躯を押し込めた男は──自身の持つ大剣に怒鳴っていた。

 

「……おい、不敗の剣じゃなかったのか……返事くらいしたらどうだァ!? ウェルストヴェイル!」

 

「ウェルストヴェイルは、斃したぞ」

 

 静かに述べたソルの舌足らずの声に「……いや、嘘っぱちじゃァねェか」と、大男は厳つい顔を曇らせる。その途端に、彼は盛大な舌打ちを鳴らす。誰に向けられたかも曖昧な音は、虚しく裏庭の闇に消えてゆく。

 

 この沈黙は彼が混乱している証だろう。冷静であれば、すぐに戦闘の火蓋は再度切られたはずだ。魔剣『ウェルストヴェイル』打破はボガートにとって、心理的な揺すぶりにもなるほど意外な結果だったのだ。

 

 焦げついた空気を吸い込み、勢い込んでソルは喉を震わせる。

 

「……わしの背負った夢は、魔剣によっても断ち切られず、こうして抱えて帰ってきたのじゃ」

 

 幻想世界における問答。

 ウェルストヴェイルに対して、抱いた夢の価値と重みを証明した。

 

 眼前にある、遥か遠くまで伸びる道を見据えられた。

 なればこそ、今のソルの志は揺らがない。

 己自身の英雄譚の書き出しを──ここから始めるために。

 

「…………認めてやるしか、ねェな。手前ェは、大したタマしてやがる」

 

 たっぷりと間を置いて、ボガートは渋々と頷く。敵方に認められる。武を志す者であれば、実に光栄なことだ。甘んじてソルは称賛を受け取りつつ、壁際から離れようとする。

 退路が確保できない立ち位置は、圧倒的に不利だ。背水の陣は気を高ぶらせるが、既にソルの士気は空も貫くほどだ。

 

 対するボガートは大剣を肩部に乗せ、何事か考えている面持ちである。吟味するような視線は、ソルの姿を舐め回していた。

 葛藤の色を湛えた彼の双眸からは、詳しい事情は窺えない。蓄えた金の口髭を、左手で弄っている。

 

 彼も観察に徹して、ソルの実力を測り直しているのだろうか。

 推察が頭を掠めた突如、ボガートは口許を喜悦に歪める。

 

「──認めはするがァ、俺を越えられるかは別問題だァ」

 

 それはまるで砲弾だ。足場の穴ぼこを悠々と飛び越え、ボガートの巨躯が眼前に迫る。

 正しく、瞬く間に。距離を一瞬で詰められた。

 

 ソルは唖然とし、それでいて「英雄らしさ」に高揚を覚える。直後、突き出される左拳。ソルは頭を僅かに逸らして躱す。耳元間近で豪快な粉砕音。拳が砦壁に大穴を穿ったのだ。

 素手とは考えがたい音に、肝を冷やしつつ幼女は動いていた。拳のカウンターとして、鋭い剣撃を放っていたのだ。

 

 無防備な左方向からの薙ぎ。しかし、それは紙一重で躱される。

 

「────くっ」

 

「首狙いたァ馬鹿正直が!」

 

 身体を反らしていたボガート。呆気なく射線から彼の太い首元が外れる。

 だが空を切るはずだった剣は、鈍角に軌道を変えた。

 

(読まれ易いのは百も承知じゃ! 本命はこの不意打ち)

 

 意表を突くような軌道を描く剣筋。それでもボガートは不敵な笑みを崩さない。

 

 左腕がそこに割り込む。突き出されたままの左腕で、諸刃を受け止める。途中の軌道変更によって、威力を削いでいた斬撃だ。籠手ごと腕を斬り落とすには足らない。

 

 見切りをつけたソルは、この機に左足で壁を蹴った。弾かれたように幼い身体は飛び──ボガートの巨体の脇を抜け、ソルが窮地から脱する。

 

 しかし英雄の魔の手からは容易く逃げられない。

 

「だらァ────!」

 

 一条の閃光がソルの背後から追い縋る。身幅が厚い、大剣の刃が背骨を砕かんと迫る。

 

 回避は間に合わない。

 

 咄嗟に身をよじり、自身の剣を盾にせざるを得なかった。

 

 鋭い衝突音が木霊する。

 弾かれ、小さな身体が宙を飛ぶ。肺の奥底の空気が唇から漏れる。

 

 着地点はクレーターの淵だ。落下の衝撃を相殺するために転がる。砂塵が全身の傷口に擦り込まれ、痒みが這いずり回った。

 

 猛烈に「全身を掻き毟りたい」衝動に目を剝くが、鉄の意志で封じ込める。

 痛みを紛らわせようと、次の行動の思案を開始する。這う這うの体とは言え、壁際からは離れられたのだ。

 

 勝利への道筋は明快である。肝要なのはどうやって、オド消費による一撃必殺を叩き込むかだ。ボガートには第一、隙がない。彼も思案のためか、油断にも似た仕草をとることはあった。だが意識は常にソルの一挙一動へ向いている。

 

 ソルは『認めた』相手だからか、なおさら警戒も強まっている。体力温存なのか、魔術を扱ってこないのは僥倖だ。となれば、次にとるべき行動は──と指針を固める。

 

 ソルの転がる勢いが完全に削げ、ちょうど仰向けに止まったときだ。

 

 視界に、人影が映った。

 

「な──ッ」

 

「首を落とす覚悟、出来てっかァ?」

 

 傍に立っている巨躯に、ソルは駭然とするが──もはや退散するには遅い。

 

 まさか、と冷や汗とともに思考が走る。ボガートはソルを吹き飛ばすと同時に、落下地点を予測していたのだろうか。そして持ち前の脚力でそこへ一気に飛び、待ち構えていた。想像通りならば流石、英雄級だと称賛を送りたい。悠長に誉め言葉を編む暇などありはしないのだが。

 

 既に大剣を振り上げていたボガートは、情け容赦なく。

 

「餓鬼は眠りなァ」

 

 衝撃。──痛みよりも、振動によって意識が持っていかれそうだ。

 得物である『ウェルストヴェイル』が彼の身の丈ほどあるとは、到底思えぬ連撃。斬撃、斬撃、斬撃の嵐。まるで滝の奔流を剣で受け続けているかのよう。

 

 この暴威に抗える力をソルは有していない。一撃、一撃が着実に体力と精神力をこそぎ落とす。両手で剣を盾代わりに防ぎ続けるのにも、限度がある。まして腕力に優れた英雄級の人間相手だ。

 

 巨大な図体から繰り出される、熾烈な剣撃。その威力たるや、背後に地面がなかったら一撃で吹き飛ばされていたであろう。

 勿論、ソルの矮躯は悲鳴を上げる。腕が軋む。特に左腕は力が上手く入らない。肩が異音を発す。背骨が砕けそうに痛む。食い縛った歯の隙間から苦鳴が漏れた。

 

 反してボガートの勢いは止むどころか、徐々に激しさを増す。

 

 火が点いたような速度上昇の勢いで、彼は吠え猛る。

 

「どんな絡繰りか知らねェが、幻想世界から帰還したのは手前ェが最初だァ! 誇れ! だが俺はそんな手前ェの上を行く! 俺が背負ったモンの重さは、手前ェのモンなんざ目じゃねェんだァ!」

 

「勝ちは譲らぬ! ──相手が誰であろうと、この道だけは譲らぬ!」

 

「なら力づくで奪い取るだけだァ!」

 

 ひときわ豪快な剣撃が炸裂する。堪らず腕は不吉な音を鳴らした。爪先から脳天まで奔り抜ける、轟然とした衝撃。心底まで震わす振動。それで散り散りになりかけた意識を、必死で掻き集める。

 なおも半月の斬撃が襲い来る。手を休める暇もなく、剣筋を見極めて自らの剣で防ぐ。

 

 防戦一方はやむを得ない。単純な力の攻防では勝ち目がない。鎧上から見てもボガートの腕は筋骨隆々、武器である『ウェルストヴェイル』の重量も相当なもの。

 対してソルは非力を絵に描いたような、幼女なのである。オド量もあるため一概には言えないが──恐らくはこれもボガートがソルを勝るだろうが──不利なのは明らかだ。

 

 ソルが攻勢に転じられるほど、二人の力量は拮抗すらしていない。そもそも、手を緩めないボガートには僅かにも隙がない。

 絶体絶命の今ですら、起死回生の勝機は未だ訪れていない。

 暗中模索の様相を呈する、英雄攻略。

 

(──じゃが諦めぬ! それがわしの持っておる取り柄なのじゃから!)

 

 絶望的な状態でも、前を見据え続けること。どれだけの力量差があろうと、折れない選択肢をとり続けること。

 

 老骨特有の頑固さと揶揄されるのなら、それでも良い。不器用な生き方だと肩を竦められるのなら、それでも良い。ソルフォート・エヌマという人間は、元よりそういう男であった。

 

 幾度も重ねた修練の末に築かれたものは、鋼の意志と英雄未満の実力。実力で足りない分は、意志で補うしかないのだ。

 

 機を窺う。

 目を凝らす。

 耳を傾ける。

 あらゆる情報を統合し、打開策を見出す。

 

 血反吐が零れども、骨がひび割れども、虎視眈々と雌伏のときを過ごす。

 

 諦めないということは、つまりそういうことだと身に染みていた。

 

 そのときだ──それ(・・)は、空から齎された。

 

 

「ちっ──くしょうがぁぁぁ!!」

 

 

 第三者の悪態が、二人の死闘に水を差す。

 ソルは瞬時に悟り、かすかに頬を綻ばせ──ボガートは無表情のまま、大剣を頭上に掲げる。

 

 盛大に響き渡る金属音。

 ボガートの振り上げた大剣は、空からの襲撃者の剣撃を難なく防いだ。襲撃者は弾かれるままに、そこから飛び退き、着地する。

 

 恐らく彼は、砦壁の上から飛び降りてきたのだろう。腕に迸る衝撃と負荷を堪え切れずにだろうか、その襲撃者は遅まきながら地面を転がる。痛みに悲鳴を上げていた。

 だいぶ無茶をするものじゃ……とソルは、呆れ気味の感想が浮かんだ。

 

「──此処は厠じゃねェぞ? 腰抜け野郎の居場所じゃねェ」

 

 ボガートの興が削がれたような顔で、襲撃者へと振り向いた。

 ソルとボガートの視線の先にいるのは、足を震わせつつも立つ青年。

 

 顔を必死に歪ませた──ソルが逃がしたはずの、ナッド・ハルトだった。



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15 『踏み出した一歩』

(──ちくしょう……俺は、何で……)

 

 ナッド・ハルトは何度目かも知らない、恨み言を吐いた。ただ意味合いは些か異なる。特定の誰かや運命を呪う類のものではなく──自分の起こした愚行についての恨み言なのだ。

 できることなら鏡写しの自分を、殴りつけてやりたいものだ。その破片が拳に突き刺されば、どれだけ胸がすくだろう。

 

 だが今ここには、剣一振りだけを手にした新兵がいるだけだ。

 

 視界正面に、『英雄』が聳え立っている。さながら大岩かと見紛う巨体。先ほど彼相手に散々、逃げ回ったのだ。忘れようにも身体が覚えてしまっている。

 

 ボガート・ラムホルト。

 ナッドが逆立ちしても敵わない、絶望を具現化したような存在だ。正直なところ、姿を見るだけで心底から震え上がってしまう。

 

 ボガートは掲げていた大剣を緩慢に下ろす。ナッドを見下げたように「はッ」と、失笑を漏らす。

 

「……情けねェ面ァ。物乞いかと勘違いしちまいそうだ」

 

 蛇のごとき眼は、無慈悲にナッドの仕草から『怯え』を見通す。震えた手足。定まらない剣の構え。異様に少ない瞬きの回数。額に張りつく脂汗。かたかたと歯が鳴らす、かすかな音。息の浅さ。

 

 誰が見ても『怯え』とるのは見て取れよう──視界の奥で仰向けの、あの幼女ならばそう指摘出しをするかもしれない。

 

 悔しいがナッドに反論する余地はない。事実なのは確かだ。

 ボガートなる強大な敵に飛び込んだは良いが、怯えや恐怖は拭えていない。

 

「小蝿がしゃしゃり出んじゃねェ。生半可な覚悟で戦場に立つな、目障りだ」

 

(ああクソっ。俺だって本当だったら、ほとぼりが冷めるまで……上にいるはずだったんだ)

 

 ソルの誘導通り、尻に帆をかけてナッドは裏庭から逃げ出した。自分を無様だとは思った。年端もいかないような幼女に任せ、大の大人が戦線離脱。

 格好悪い奴の見本ではないか。

 そんな自嘲も振り切って逃げた。そのとき彼の頭にあったのは「死にたくない」という生存本能のみ。

 

 ボガートの言通り、覚悟が欠けていたのだ。『何かを覚悟することは戦場で必須技能だ』日々、教官たちにも教え込まれたことである。

 しかし、口だけなら赤子でも言えるのだ。実際に、誰の助けもなく、何の保証もない場所ではメッキが剥がれ落ちる。まさに、ナッドがそれだった。

 

 だが一端の人心なのか定かではないが──あの幼女が気にかかった。だからそのとき、爪先をバラボア砦壁に向けてしまったのだ。

 

 そうしてナッドは砦壁の上という高所から、ソルの死闘をずっと眺めていた。幼女が炎属性の魔術の雨に打たれ、大剣に刺されるまで。無謀にも、自分が裏庭に飛び込むまで。

 

 ナッドは眼前の英雄に気圧され、思わず一歩下がってしまう。

 

「──ナッド」

 

 かすかに幼女の声が耳に届く。度を超えた負傷が、ひび割れた声色だけでも知れた。

 そうでもなくとも、嫌でも彼女の怪我はわかっている。なにせ裏庭を傍観していたのだから。

 

 あの、英雄と幼女の戦闘には無常さすら感じた。才能の壁という奴を、遺憾なく見せつけられたようだった。ボガートという巨大な才能の前では、あのおかしな幼女も無力なのか。大剣が幼女の腹を掠め、突き立ったときは溜息が出た。

 

 やっぱりか、と。

 才能の尺度は絶対なのだと、今更ながらの事実に肩を落としてしまった。

 

 ナッドは後悔に囚われながら、ボガートの言葉を舌に乗せる。

 

「か、覚悟……」

 

 そうだ、自分だったら。

 あの幼女がもし自分だったら、そのまま諦めていたはずだ。

 

 死ぬ覚悟、何かを背負い続ける覚悟。そんなものがなければ、逃げるか、諦める以外ないのだから。

 なのに──とナッドは、英雄の身体越しにボロボロの幼女を見遣る。

 

 あいつは、立ち上がった。力量差にも挫けず、真っ直ぐと。裏庭を俯瞰していたナッドには『英雄と幼女の力量差』は手にとるように判った。勝ち目のない虐殺にしかなるまい。実際、途中まで予想通りに戦況は推移した。魔術で打ちのめされ、何とか掻い潜ろうとも、無造作に叩き潰されていた。

 

 しかし。

 

 深呼吸をしつつ、ナッドは支給品の剣の柄を強く握る。今の今まで、お守り以上の意味を持たなかった武器だ。真剣を用いた戦いを、避け続けてきたナッド。

 

 心的外傷はここに立つ自分を締めつける。出来ることなら、とナッドの弱音が顔を出す。剣を手放して、尻餅をつき、この場から走り出したい。宿舎に帰って、布団を被り、これが夢だと念仏でも唱えたい。

 

 その弱音を何とか噛み殺す。

 震えを静めようと、足に力を入れた。

 

「……覚悟は……き、決めてる。決めた」

 

 振り絞った声音は、情けないほど震えていた。口腔に溜まった唾液を飲み込み、それを何とか押し殺す。模擬戦を行ったときの、幼女の説教を思い返した。『手の震えは言語道断じゃ』自尊心を守るため、頑として聞かなかったアドバイス。幾つも列挙されたその一つが、不思議とナッドの脳内に染み渡る。

 

 ボガートは不快げに眉根を寄せた。背後の幼女に目を遣り、もう一度こちらに向き直り。

 

「そうかい。なら、馬鹿面下げて『覚悟』と口にした代償、その骨身に刻めよォ」 

 

 眼光に込められた殺気に、ナッドの心がぐらつく。だが腹の底に力を入れ、踏みとどまる。

 

 ここから逃げ出したら駄目なのだ。

 思考を纏める前に、その確信が胸の中心にすとんと落ちた。

 

 対するボガートはその場から一歩も動かない。幼女の動向を警戒しているのだろうか。足元の周囲に浅めのクレーターがあるせいで、身動きがとりづらいのかもしれない。

 

 彼はまた身体を幼女の方に向けると──おもむろに彼は、大剣を掲げて。

 

 仰向けのソルに、容赦ない一撃を振り下ろす。

 

 てっきり自分が狙われると身構えていたナッドは、目を剥いた。

 

「な……ッ!? お前……!」

「手前ェには今、相手にする価値はねェ。順番待ちだ、黙ってガタガタ震えてろォ」

「ぐ……ぬっ!」

 

 酷薄な言葉の切れ目に、ソルの呻きが混じっていた。ナッドを他所に繰り広げられる、ボガートによる圧巻の連続剣撃。

 そのあまりの風圧に、ナッドは思わず目を細める。ソルは相変わらず、手持ちの剣だけで防御しているようだ。

 

 だが、それもいつまでもつか。じっくりと体重をかけられる、古びた木製の椅子を想起させた。軋みを上げ、徐々に限界を迎えていくのが、傍からでも分かった。

 

 一方ナッドは、一人置いていかれたような心地で歯噛みした。

 

(俺は見るまでもねぇってか……!?)

 

 ナッドは対等な敵としてすら、見られていなかった。だがそれは、客観的に見て、妥当な判断ではあるのだろう。

 逃げ回っていたナッドより、ソルのほうが腕は立つのは自明だ。弱者に気を回し、追い詰めたソルを取り逃がす愚は犯すまい。

 

 だからボガートの戦意の矛先は依然として、足元で仰向けになったソルに注がれているのだ。

 ナッドは心に湧いた安堵を追い払い、これは一つのチャンスなのだと捉え直す。

 

 英雄の注意がナッドから逸れているのなら、その隙に倒せるかもしれない。

 

(や、やってやるぞちくしょう!)

 

 ボガートは無用心にも背中を晒している。一泡吹かせたい、とナッドは一気に距離を詰める。

 

 ナッド得意の戦法は近距離から、一撃を加えるものだ。

 渾身の一撃には少なからず自信はある。

 ソルとの模擬戦では体躯の理由上、本領発揮はできなかったが……今回ならば。

 

 ──ブラフを逆手にとられたことに気づかぬ、正直すぎるのもまずい。見破られて利用されれば、こたびのごとく致命的な隙をつくることになるじゃろう。

 

 幼女の説教の一節が足を重くし、ふとナッドが足を止めた。

 

「おっと、寸ででかァ」

 

 瞬間、鼻先で煌めく一閃が過った。脈絡のなさに硬直し、ナッドの思考が白紙に変わる。叫び出したいが、喉が凍りついて動かない。鼻先から血が滲み出て、赤い珠をつくった。

 

 つまりは以前の模擬戦の、二の轍を踏んだのだ。ブラフを逆手に取られて、逸るナッドを誘い込もうとした。

 ばくばく、とナッドの心臓が暴れ出す。体内が狭いから飛び出たいとでもいうかのように。苦心して抑えつけ、彼は思考を回す。

 

 ともあれ、あの妙に上から目線の説教が、紙一重で役立ったのは確かだ。

 他にソルは何を言っていただろう。助言を必死で思い出す。

 

 ──今回で言えば足技を失念しているのも痛い点じゃな。

 

「安易さは骨に伝ったかァ? 蛮勇の代償、次は受け取れ」

 

 一歩だけ踏み込むボガート。横合いから炸裂する、ナッドの腹部への蹴り。咄嗟にナッドは、片腕の籠手で防ぐことに成功する。

 

 だが生半可な威力ではなかった。腕に迸る鈍い激痛。貫通するように胴体まで衝撃が伝播し、余波だけで身体を折る。踏み止まることもできず、吹き飛んだ。

 

 しかし痛みで頭は動転していたが、士官学校での訓練が実を結ぶ。地面に落ちる間際、何とか受け身をとることに成功する。衝突のダメージは最小限に抑えられた。地べたに顔をつけながら、呻く。鎧越しとは思えぬ威力に愕然とした。

 

 防いで、これかと。

 もし直撃していれば、どうなっていたか想像もしたくない。

 

 実際の痛みに触れ、心的外傷の度合いが酷さを増す。震えが、止まらない。

 

 そんなナッドは遅れて気づく──蹴りを受けた片腕が。

 

 籠手ごと、ひしゃげたように潰れている事実に。

 

「あ、あ、がぁぁぁぁ──!?」

 

 痛みを音に乗せて発散する。堪えがたい苦痛は、ナッドの視界に涙を生む。肌身を無数の針で刺されるような感覚とともに、毛穴から汗が噴き出る。駆け巡る脳内麻薬のおかげか、あまり認識していなかったらしい痛み。

 

 視覚として捉えた結果、本来の激痛がナッドの身体を襲う。こんな痛みは生まれて初めてだ。灼熱が腕から駆け回る。血液が煮え滾るように熱いことを、彼は身をもって知った。

 

 衝動のままに悲鳴を上げ続ける。獣のような唸りも混じる。精神的な衝撃と、物理的な重傷にのた打ち回った。堪らず、無事なほうの手で片腕を抑える。

 

 気休めにもならないが、ただただ痛みで悶えるだけよりは精神的にマシだ。体感時間が引き伸ばされる苦痛のなか──汗で手や額に張りつく砂粒で、ここが戦場だと否応なく気づかされる。

 

 この痛みに悶える状況が自殺行為だということも、徐々に頭に浸透する。

 

 ──視線の散漫さも気になったのう。

 

 だから痛覚を紛らわすため──幼女のアドバイスを噛み締め、せめて目だけはと絶対的な相手を見る。

 

 滲んだ視界には、元の位置へ戻った巨体がぼやけて映った。その足元に転がる幼女は、仰向けのまま動いていない。いや、もしかすれば。身体への負担が嵩んで、もう動けないのだろうか。

 

 今もまた、鋭く重い音が鼓膜を揺さぶる。状況は何一つとして好転してはいない。

 

 結局。

 

 ナッドが介入したところで、何も変わらない。

 

「……犬死にだよォ、手前ェは。命を捨てたいなら、勝手に一人で死んでくんねェか?」

 

 

(──ホントに、そうだよ……クソっ! ちくしょうが! なんで、俺が、こんなになって……一度逃げられたのに、なんで俺、こんな馬鹿げた戦いに横槍なんて……やっち、まったんだよ……)

 

 

 絞り出された涙が、まなじりから伝っていく。

 痛みの峠を下りながら、ナッドは思考の沼に嵌る。

 

 最初から勝算などなかったのだ。ボガートとは才能差が歴然としているのだから。

 だから再度、己を呪った。言い知れぬ感傷に突き動かされて、飛び出して、自分は死ぬのだ。なんて間抜けだろう。嘲る言葉が反響する。

 

 二十年ぽっちとは言え、ナッドにも人生で学んだ事柄はある。その一つは『世の中、才能が絶対だ』ということだ。人と人の間には、埋めがたいスペック差が厳然として存在する。

 

 士官学校で嫌と言うほど体験した。いや──妹に、当主の座を奪われたときに実感した。

 

 あの幼女はきっと、ぶっ壊れているのだ。だから我武者羅に立ち上がれるのだと思う。圧倒的な戦闘に揉まれてなお、立ち上がるのは『修羅』という異名が相応しい化け物だ。

 あるいは馬鹿者だ。社会を賢く渡る術を無視する、蔑視に値する馬鹿者だとナッドは嘲りたい。

 

 英雄との戦いを引き受けた偽善を「馬鹿馬鹿しい」と笑い飛ばしたい。

 

 血の滲む手を握り締めて、ナッドは噛んだ歯にありったけの力を込める。

 

(──馬鹿だって……そう、思うのに)

 

 でも、諦めないソルの姿が。

 

 見苦しいと感じなかったのは、どうしてだ?

 

 それは、自分が『本当は諦めたくない』って思っているからじゃないのか?

 

 釈然としない気持ちに、ナッドは自分なりの答えを出す。

 

(……当たり前だろ……! 俺だって! 俺だって、好きで諦めてきたわけじゃねぇんだ……!)

 

 力強く見開いた、髪色と同じ瞳で英雄を睨みつける。

 ナッドの諦めぐせは、彼の昔日が根源だった。生まれて初めて挫折を経験した、次期後継者指名の日。志す目標に続く道は、茨が乱れる獣道で。尊敬する父から「行く資格なし」の烙印を押され、結局ナッドは膝を折った。

 

 思えばあの日から、何かに真正面から打ち込んだことはない。上を見ることもなくなった。士官学校でも才能の化け物たちを『特別中の特別』と区分けし、自分のちっぽけなプライドを守った。

 

 斜に構えて、世の中こんなものだと嘯いて──本当は諦めたくないことは山ほどあったのに。今日で言えば東部魔術房の防衛から逃げ、この裏庭へ逃げ込んだ。本当はそこに詰めていた魔術師を助けたかった。だがその人心から目を逸らし、ただただ運命を呪い続けた。不幸だ、どうして、などと。

 

 ソルに対してもそうだ。砕かれた骨と肉の痛みを堪えながら、ナッドは自答する。ボガートに襲われ、ソルが横槍を入れたとき言われた「肩を並べて戦う仲間の助太刀なのじゃ」と。本当は見捨てたくなかった。だがせっかくの好機なのだと自分を騙し、逃げた。

 

 とどのつまり、今まで我が身可愛さで諦め続けてきたのだ。

 

 背伸びをして、誰かにまた失望されないように。

 

 もう、あの日のように自分が傷つかないように。

 

 しかし。

 

(──ずっと! ずっと納得しちゃいなかった! 俺は!)

 

 馬鹿だ馬鹿だと生あくびを浴びせながら、いつもナッドは中途半端だった。

 

 疎みつつもナッドがソルを、東部魔術房で捨て置かなかった理由。

 単純だ。──プライドをへし折る要因でも、無邪気な子供を捨て置けるほど外道にはなれなかったからだ。

 

 こうして裏庭に飛び出した理由。

 単純だ。──力不足の者が必死になって、強者に喰らいついていたからだ。

 

 諦めることが本当は嫌だから、ナッドはそんな愚行に及んでいたのだ。

 

(きっと俺は、ソルの『熱』にあてられたんだろう。でも)

 

 ナッドは傍に放り出していた剣を、喰らいつくように手にとる。

 

 重い。改めて感じた。

 ゆえに、頼もしい感触にも思えた。

 

(ソルは、俺を逃がすためにあの英雄に挑むことになったんだ……っ!)

 

 だから「助けたい」と思うのは、果たして不自然なことだろうか。

 

 きっとその答えとしてナッドは、無謀にも英雄と対峙しにここに来たのだ。

 

(──俺は、もう……諦めたくない(・・・・・・)……!)

 

 死力を尽くしたソルの戦闘が、目に焼きついている。

 だから実感を持って分かる。

 諦めないことが容易なことではないことが。

 

 無様を晒すだろう。

 今のように、全身をボロ雑巾に変えられるだろう。

 

 それでも、理不尽に抗う力を。

 彼女に報いなければならないのだ。

 

 否、少し違う。

 彼女を『報われさせたい』と思う気持ちを取る、『馬鹿者』にナッドはなりたいのだ。

 

 擦り切れるまで食い下がって、一矢報いることもできない──それは見ていられないから。

 

 一方的に嫌ってきた相手を逃がすため、英雄に挑んだ彼女を──見捨てるほど、自分は腐っていないと。

 

 骨を砕かれたまま、燃え滾るような勇気を叫ぶ。

 ひしゃげた腕の拳を地面に叩きつけ、勢い込んで立ち上がる。

 

「お前なんか、怖くねぇ……っ!」

「あァ? 犬の遠吠えなら土の下でやりなァ。雑魚が」

「……そぅ……だろうな……ぁ! アンタから見たら……俺はとびきりの雑魚でしか、ねぇだろう、さ──だけどっ! 俺の代わりに、ソルみたいな奴が、ボロボロで戦ってんだよ……!」

 

 上から目線で物を言い、生意気で、変に落ち着いていた謎の幼女。

 

 見た目にそぐわない、いけ好かない奴だが──その、姿に『熱』を感じた。

 

 臆病者はプライドを捨て、心に灯った火の『熱』のままに。

 

 叫ぶ。

 渾身の力で張り上げる。

 

 血を撒き散らしながら、押し殺し続けた本音を。

 

「だったら俺みたいな奴でも、立ち上がらなくちゃ嘘だろうが──ッ!!」

 

 

「──ああ。その思い、しかと聞き届けたのじゃ」

 

 

 

 ※※※※※※※※※※

 

 

 誰の耳にも届かぬ小声で答えると、幼女は再び動き始める。

 ──ソルの瞳は待ち望んだ『好機』を捉えた。

 

 ボガートが攻撃の手を止め、ナッドへと振り返ったのだ。

 

 幼女は慣性を使って、仰向けから勢い込んで立ち上がる。その瞬間、オドを放出──大地を蹴る。前のめりで幼女の身体は突き進む。確と握った右手の剣を、あらん限りの力で抜き放って。

 額に風を破る感覚が吹き抜けた。視界の真正面に、至近距離にあるボガートの背中を据えて、飛ぶ。

 

 鬼気迫るナッドの叫びに、ボガートがようやっと視線と意識を逸らした。

 

(──この、僅かに空いた一瞬をものにするのじゃ!)

 

 全身が砕けそうなほどに痛む。

 

 腕は度重なる波状攻撃で酷使されている。

 

 傷口など数えたくもないほど刻まれた。

 

 朦朧とするほど血が流れ出ている。

 

 けれども。

 

 身を削り、削り、仲間の力を得てようやく手にした一瞬だ。

 

 無駄に終えるつもりは毛頭ない。

 

 渾身の剣閃は迷いない軌道を描き、ボガートに迫る。

 

「──ッ! 俺の『剣』を侮るな──ッ!!」

 

 それは脊髄反射か、持ち前の勘か。それとも、振り向いたこと自体がブラフだったのか。狙いを定められたボガートが、こちらの剣撃を察知した。

 

 彼から振り向きざまに放たれる、魔剣の一撃。建物ですら、叩き斬りかねない威力が込められているであろう。胴体に貰えば真っ二つだ。

 

 だが、もはや歯止めは効かない。

 

 立ち止まるつもりも、ソルには微塵もない。

 

 だから重ねてオドを放出──その限界まで、解き放つ。

 

 

(──わしの夢は止まらぬ! なにせわしの夢は、単に『英雄』と呼ばれる存在になるなんてものではなく!)

 

 自分の思い描く、理想の英雄になることだ。

 

 ソルが本当になりたかった英雄像は、単純に強いだけの人物ではない。 

 誰にでも得手不得手があるように、英雄の特徴も千差万別である。

 

 個の戦いに優れ、一匹狼で戦う英雄。

 仲間に信頼を置かれ、皆を率いて戦う英雄。

 

 御伽噺に語られるエイブロードは、その後者に属する。

 だが、ソル自身の思い描く夢はどれでもない。

 

 幼女の望む英雄とは、誰かを率いるのではなく道程を共にし。

 

 未熟の身であるからこそ、その仲間の力も借りながら──自分で道を切り拓いていく英雄だ。

 

 だからこそ困難であり、それゆえに進み甲斐のある道である。

 

(──さぁ、わしとぬしとの、瞬間の勝負じゃ!)

 

 遂に、閃く二つの剣が激しく交錯する。

 剣に乗せられた互いの感情は、ここに雌雄を決する。

 強靭で大振りな魔剣と、研ぎ澄まされた無銘の剣。

 

 決着は刹那。

 ──さながら剣同士が吼え合うような、大音響が辺りを支配し。

 

 

「……ッ!? 折れェ──」

 

 

 そんな音の爆心地で、綻び一つない細身の剣が眩く光を映す。

 幼き日から一筋を通し続けてきた男の、生き様を体現したような光は。

 呆然と立ち尽くす英雄の首へと、躊躇うことなく続く。

 

 

「その首、貰い受ける──っ!!」

 

 

 1

 

 

 避けられない。

 刹那のうちにボガートは迫り来る刃を、自身の運命だと悟った。

 出し惜しみしてしまった魔術は間に合わない。

 

(──俺のこれは結局、目の前の相手に敬意を払えなかったからってわけかよォ)

 

 魔術を出し惜しみしない真っ向勝負であれば、簡単に蹴散らせていた相手だった。

 正面から向き合うという、相対する敵への礼を失した。

 

 敵対者が誰であろうと、私情を挟み、侮ることなかれ。

 それは頑固な恩師の、大事な信条の一つであったはずなのに。

 

(幼女と、あの腰抜け……片方はソル、とか言ったかァ……?)

 

 あの二人に比べて、覚悟が足りなかったようだ。

 恩師の『死』を乗り越える覚悟が。

 そして騎士たらんとした恩師の信条を、守り切る覚悟が。

 

 いつからか、背負っていたはずのものを履き違えてしまったらしい。

 復讐心を抱いて、すべて見失ってたのが──まさか自分だったとは。

 

(背負ったモンを軽くしちまったのは、俺の方だったたァな……)

 

 目的を見失い、尊重すると決めたものも蔑ろにした。

 そんな者の行く末など、分かり切っている。

 最期にボガートは、そっと目を瞑った。

 

 その瞼の裏には。

 どうしてか、恩師に救われたときの路地裏が映った。

 うらぶれ、湿気の籠る懐かしい匂いも感じられた。

 

(……あちら(・・・)で皆に顔向けできねェな──だが、ああ)

 

 その前に筋を通しておこう、とボガートは顔を顰めたい気持ちで。

 心の奥で、趨勢を引っ繰り返した二人の勝者に拍手を送る。

 

(悔しいが、負けだなァ……クソ。こんなに悔しかったのは、何年ぶり……だ──?)

 

 

 2

 

 

 こうして月夜の闇に、一つの首が舞った。打擲すような鈍い音が、この戦いの終わりを静かに告げた。ボガートは魔剣『ウェルストヴェイル』を握ったまま、胴体を焦げた地面に倒れ伏した。刻印の施された魔剣は半ばで刃が途切れている。

 片割れは、近場の凹凸の側に突き刺さっていた。ソルが、それらを視界の端に収めた直後──身体をぐらつかせた。

 

 無理に無理を重ねた結果として、ソルは糸が切れたように倒れ込んだ。

 オドは残り僅か。出血も多量、精神力もそろそろ底を尽く。

 今度は抵抗もできない。異様な眠気が幼女にのしかかってきた。

 

「やった……のか? やったん、だよな? っ……ソル、おい、大丈夫なのか! おいって────」

 

 ナッドの声も今や遠く。

 

 揺り動かされる身体も、まるで他人事のようであった。

 

 だが心配無用というように、微笑を口端に含ませるのが限界だった。

 

 礼を告げたかったが、どうにも舌すら動かせず。

 

 一戦終えた余韻に浸る間もなく、ソルは意識を取り零した──。

 

 



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16 『戦後報告』

 ──そして二週間後の、西方方面軍第一駐屯地にて。

 

 そこの一室では、不満げな顔の幼女が寝かされていた。見目麗しく、長い白髪が特徴的な──無論、ソルである。寝台に乗せられた身体は、包帯でぐるぐる巻きで、足も吊られている。額や片目にも包帯に覆われ、見る者に痛々しさを与える様相だ。夜間に出会せば「墓所の下から這い出た幽鬼の類か!?」と勘違いされそうじゃ……とはソル自身の感想である。この通り、身体とは対照的にソルの心持ちは回復していた。

 

 元より精神は丈夫である。ここで目覚めたときから、今のような平常心を取り戻していたソルだ。

 

 彼女としてみれば、鍛錬を一刻でも早く積み直したい。一日でも欠かせば、身体が鈍ってしまうのは常識だ。十日続けばなおのこと。しかも戦闘で羽振り良くオドを消費したため、その残量も微弱である。

 

 身体を動かして、以前までのオド量を早く取り戻したい。しかし、一ヶ月は安静にするよう、軍医からお達しを受けている。だから不本意ながらも、こうして日がな一日横になっているわけだ。

 

 人からの忠告に素直に従うのも、老人時代の経験のおかげだろう。青年期の自分であれば、構わず剣を振り出していただろう。悟ったように思いつつも……回復が待ち切れず、ずっとそわそわしている。

 これは性分だと諦める他にない。

 

 退屈凌ぎになるものがない、シンプルな部屋という理由もあるだろう。寝台の側にある小窓からの光が、室内の殺風景さを露にする。一人用の部屋らしく、調度品も極端に少ない。ソルが横になっている寝台以外は、机と椅子が一脚ずつあるくらいだ。馴染み深い物体は、寝台に立てかけられている剣ぐらいである。 

 

 そんな部屋にいるソルは右手に、封を切った書状を握っていた。

 

「ナッド……この書状はもしや偽物なのかのう?」

「いや、流石にそれはない。人事からの正式な通達なのは確認済みだろ?」

「じゃがのう──」

 

 ソルは白色の書状に目を落とし、懐疑的に眉を渋める。

 そう疑い深くはないと自負しているが、気持ちとすれば複雑だ。

 内容を確認するように読み上げてみる。

 

「……任命状。テーリッヒ・ガルディ並びにボガート・ラムホルトを討ち取った功績を称え、貴殿を少尉に任ずる。なんと言うか、階級が一足飛びではないか? わしは元々、正規の兵士ですらなかったのじゃが……」

「実力が認められての大躍進ってことだろ? もっと喜ばないのか」

「いや、うれしいと言えばうれしいのじゃが──」

 

 正式に認められることは、ソルとしても悪い気はしない。

 バラボア砦防衛戦の結果は、ガノール帝国の辛勝という形で締め括られた。少数精鋭のラプテノン強襲軍は字句通りの全滅。

 

 対して、砦側の生存者は僅か十一名。ほぼ全員が重傷であり、ソルやナッド含め、各々療養に励んでいる。ちなみに軽傷の者は、やむなく現場指揮を執っていたサンソン参謀のみである。未来のキャリアが居残っていた砦側の兵だ。だから勝利とは言え、総合的に見ればほろ苦い。

 

 しかし敵方のラプテノン王国も、消耗の度合いで言えばどっこいだ。戦力を誇示せんと喧伝していた、次代の英雄ボガートを失い、古参の兵たちも戦死させている。ソルの活躍で何とか収支ゼロに繋がったことは、言うまでもないことだ。

 

 過分な評価だとソルは思うが、きっと幼女サービスだろう。将来性を買われているのかもしれない。

 

 しかし彼女が言い淀んだ所以はそこではない。ソルはちらりと、寝台の横に設置された椅子を見る。そこには、話し相手のナッドが腰を下ろしている。彼もまた包帯やガーゼで、傷跡を塞いでいる怪我人だ。ソルより怪我は軽く、建物内を歩き回れるほどである。しかしソルが気にしているのはそこではない。

 

 ナッドの態度が、以前のバラボア砦でのそれとは豹変しているのだ。

 どんな心境の変化があったのやら、ソルには見当もつかない。

 

「ぬしは、もっと気安くなってもよいのじゃが……」

「これでも結構気安いだろ……敬語だったら露骨に嫌がるから、無理して普通に喋ってんだぜ。昨日にも話したけど、上下関係は意識するタイプなんだよ。商人の生まれとか、士官学校での教育とかで、身に染みついてる。今回、俺はソル……いや、ソル少尉に助けられたようなもんだ。……」

 

 数日前、ソルがこの部屋で目覚めたときは驚いた。

 ──今まで意地を張っていて、すまなかった。病室に入る際、いきなり彼は頭を下げてきたのだ。正直、謝るまでもないことだとソルは思ったが──ナッドの謝罪は真摯であり、甘んじて受け入れた。

 

 しかし、それからナッドの接し方が変わった。敬語で話しかけてきたり、ソルさんと呼んできたりと、どうにも距離を感じる接し方になったのだ。階級も見た目年齢も上の相手に「さん」付けで呼ばれ、少し切なくなったソル。ナッド曰く、リスペクトを込めていたらしいが。

 

 ソルはどうにか言い包めて、いまのような形に持ち込んだ。

 

(むぅ、わしが目的にしておる『仲間』と言うのとは……また違うような気がしたのじゃ……)

 

「ま、まあよいのじゃ。それはそれとて……最近、わしがおかしな名前で呼ばれとるんじゃが」

「ああっと……確か、『修羅』って奴だったか」

「そう、それじゃそれ」

 

 療養中のソルの元には、ガノール軍の来客がひっきりなしに訪れた。誰も彼も、見ず知らずの上官たちである。ぞろぞろと数を引き連れて、ソルの寝台を取り囲んだりと面食らったものだ。少なくともソルの傭兵時代では、経験し得なかったことだった。

 

 貴重な体験ではあったが、そのなかでソルは『修羅』と呼ばれたのだ。これからの活躍に期待する、と朗らかに健勝を祈られたが──『修羅』とはどういうことなのか。

 

 まさか、ソルフォート・エヌマという身の上が知られたのか。

 

 始めはそう驚いたが、やや置いてソルは知った。それは英雄跋扈のこの時代では慣習となっているものである。個性ある兵士たちに付けられる異名だ。

 

 巷で人伝に広がるような仇名とは別に、正式に人事局から付与される異名のため、勲章に近い。『修羅』、『魔術王』、『人類最強』──戦いぶりや戦闘の個性により、数多くの英雄を呼び分けるために用いられてきた。最近では目ぼしい新兵に名付けられることが多い。

 

 つまりは、ソルは新たな英雄候補という期待を背負ったわけだ。憧れた英雄たちと肩を並べたようで、本当は涙が出るほどに嬉しい。しかし、ソルとしてはどうにも納得がいかないことがある。『修羅』という字面だ。

 

 傭兵時代にも同じ仇名で呼ばれることはあった。あの頃から不満だったが、正式に呼ばれるのなら、なおさら不満である。名付けた元凶は出てこいと言いたいソルだ。

 

 傭兵時代の異名を知る輩に、難癖をつけられる可能性もある。

 撤回を求めたかったが、外堀が埋められていたため取り下げた。

 

(代案が悉く却下されたのも解せぬ……もっと、何じゃろうか、希望溢れる言葉が良いのじゃが……)

 

 そもそも『修羅』などとは語弊も甚だしい。ソルは果てしのない戦いに身を投じるような戦闘狂ではない。英雄という目標のため、身を削れるだけ削っているだけだ。

 戦場以外に効率的な場があれば、迷わず飛びつくだろう。加えて、自分のなかで固めた『目標の英雄像』とは乖離している感が、なきにしもあらず。

 それにじゃ、とソルは付け足す。

 

「『修羅』という異名を喧伝する声がおおきくないかのう。本人からすると不自然なほどに」

「……それは、あれだ。帝国も士気を上げようと、期待の新星『修羅』ソル少尉って急いで喧伝したせいなのかもな。ラプテノン王国の方でも、新たな英雄級の誕生だって騒いでるから、その対抗馬として」

「新たな英雄級! 噂の『銀狼』ファルンケルス・ヴォルダーレンどのじゃな!」

「待て待ていきなり興奮するな! 身体に障るぞ!」

 

 がばっと身を乗り出したソルを、慌ててナッドが宥める。ここ数日で毎度、行われる応酬だ。英雄の話で饒舌に語り出すと、ナッドが途中で止める。ここ数日の会話で、ソルからすれば嫌なコツを学んだらしい。

 ともあれ、そのラプテノン王国での新たな英雄の話は、バラボア砦にも関わる話だ。

 

 その英雄が活躍したのは、バラボア砦防衛戦と同時期である。砦が強襲を受ける以前に進軍を開始した、ドーネル少将麾下千人の軍勢。歴戦の将校も交えた選りすぐりの大隊だったが──結果として壊滅した。敵地であるデラ支城に辿り着く前に、ドーネル少将は討ち取られたらしい。

 

 それを為したのがラプテノン軍の新兵だと言うのだ。名をファルンケルス・ヴォルダーレン。海を隔てた大陸から流入した、片刃の剣の使い手であるらしい。他は、まだソルの手元に情報が届いていない。しかし、手練れであることは挙げた戦果が証明している。

 自然とだらしなく頬が緩むソルに、呆れたような笑みを漏らすナッド。

 

「……本当に楽しそうだな」

「もちろんじゃとも。英雄じゃぞ? 心おどらずしてどうする?」

「……前向きだよな、こっちからすりゃ敵だってのに。っと……そうだ、忘れていた」

 

 ふと思い出したように、布に包まれた物をナッドが懐から取り出す。

 覆いを取ると、手のひら大ほどの破片が姿を現す。

 窓から差し込む陽の光を浴び、鉛色の表面を反射している。

 

「ボガート・ラムホルトの持ってた剣の破片だ。まあ、要らねぇんだったら良いんだが、いるか?」

「……そうじゃな、ありがたく受けとっておこう」

 

 驚きつつも、ソルはナッドの台詞に頷いた。英雄譚が大好きな彼女にとって、その剣の価値は何物にも代えがたい。それに──と彼女の脳裏に、幻想世界での出来事が浮かぶ。ウェルストヴェイルの言葉と、その優しさを思い出す。

 分岐点だった幻想剣は記念に持っていたい。加えて、その破片で試したいこと(・・・・・・)もある。

 

 ソルの考え事の裏でナッドは近場にあった、ソルの私物が入っている袋に破片を入れる。

 そこで一つ、ソルはある疑問をぶつけた。

 

「……しかしどうして剣の、しかも破片をひろっておったのじゃ?」

「ま、まあ何だ。……初めて、俺が一歩踏み出せたから、その記念にってな。……ただ、こいつは俺が持ってるべき物じゃない。ボガートを倒せた少尉だけに持つ資格がある。俺は正直、何もできちゃいなかった。だから、俺が何かできたときに──こういう証を持っておきたいなってな。……それだけだ!」

 

 恥ずかしそうに締め括ると、ナッドはまた元の位置へ戻ってくる。椅子に座り直した彼に、ソルは微笑みを零した。男子三日合わざれば刮目して見よ。目の前の青年が、以前よりも大きく見えた。

 

 負けてはいられぬな、と視線を落とす。見た目は幼女、精神は老人。だが、成長の早さで若人より超えられない道理はない。密かに気合を入れるソルだった。 

 

「そうじゃな。互いにがんばるとするかのう──しかし、ナッド。軍人の道を進んで後悔はないのか?」

「……ああ。後悔なんかねぇよ。もう俺は商人に戻る気はないし、あっちは妹に任せておくさ。……まあ、戦場は今もまだ怖いけど、憧れるもんも、できた。……ソル少尉は戦場に残るんだろう?」

「もちろんじゃ。まだ見ぬ英雄達と戦い──わしは夢の先にゆく。それまで膝を折るつもりは、ないのじゃ」

 

 

「──威勢の良いお嬢ちゃんだ。『人類最強』の仔犬ちゃんを重ねて見えちまうねえ」

 

 

 ※※※※※※※※※※

 

 

「さっきノックはしたんだが──あー、お邪魔したんなら出直そう」

「ッ!? あっ、いえ、大丈夫です! 問題ありません! シルド中将!」

 

 ナッドは椅子から慌てて立ち上がり、見事な敬礼を向ける。士官学校での教え通りの完璧なものだ。

 

 扉付近に立っているのは壮齢の男だ。焦げ茶の髪は適当なところで切られ、どこか草臥れた顔の顎髭には剃り残しが見える。ガノール帝国の軍服を羽織っており、防具の類いもまだ軽装の範疇に留まるもののみの出で立ち。裾から覗くのは、白銀の鎧。つまりはガノール帝国を代表する英雄『六翼』の一員である証だ。

 

 ベルン・シルド中将。『六翼』の一翼を成す男である。堅実な采配で、下士官に人気のある英雄だ。

 普段会えない著名な英雄にして、軍上層部の人間とばったり出会して緊張するナッド。

 心臓に悪いサプライズに、胸の鼓動が今もばくばくと打ち鳴らされる。

 

(待てよ、落ち着け俺……本当にマズイのは俺じゃない。ソルが興奮して何かする可能性がある)

 

 ソルが、大英雄『六翼』を間近に騒ぎやしないだろうか。

 恐る恐るナッドは、彼女の横たわっている寝台を見遣る。

 

「ソル少尉……ソル……き、気絶してる……」

 

「なかなか不思議なお嬢ちゃんだ。『修羅』の名を冠して、獅子奮迅の活躍をしたって聞いたが──やはり精神は年相応なのかねぇ。……しっかし姿を見られただけで気絶されると、おじさん凹んじまうなあ。子供受けは良いほうだと自負があったんだが……」

 

 力なく笑うベルンに、ナッドは反応を返せない。英雄好きを拗らせた結果、気絶したのでしょうとは口が裂けても言えない。たとえ事実で、すぐ露見するだろうが──彼女の名誉のために、作り笑いで合わせておく。

 

 『修羅』という異名についてもナッドは曖昧に笑っておく。それは決して、ナッドがそれを提案した元凶だから、ではない。溢れる冷や汗も何かの間違いだ。暗示のように彼はそう脳内で唱える。

 

(だって仕方ねぇだろうよ……戦っている最中の少尉は『修羅』みたいだったんだ。まさかそのまま採用されるなんて予想外だったんだよ……)

 

 しかし罰の悪さで黙っていても埒が明かない。

 ナッドは意を決して尋ねる。

 

「シルド中将……不躾ながら、ソル少尉への用向きを伺ってもよろしいですか……?」

「……まあ、そうするかねぇ。俺としちゃ残念なことに、時間が惜しい身でな。少尉が目覚めたら伝えておいてくれよう」

「りょ、了解しました!」

「そう畏まらなくても良い……別に、深刻な話じゃあない。俺が不在の間に砦を守り通した、勇敢な兵士たちを称えに来たついで──下僚候補の、少尉への人事書類を届けにな」

 

 咳払いをすると、ベルンは懐から書状を取り出した。

 ナッドに手渡しつつ、その内容について口にする。

 

「──ソル少尉には『獄禍』討伐部隊への出向要請が来ている。まぁ──つまりは、英雄譚によくある奴で『怪物退治』のお役目だ」

 

 

 




第一章終了地点はここです。
最後まで読んでいただきありがとうございました!
ハーメルンさんでの今後の活動については、活動報告に書いておきました。



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第二章. 幸せな怪物の墓標 1 『舞い込んだ怪物退治』

「──おっと、来たねえ。お嬢ちゃん」

 

 執務室の扉を開いた幼女を、そんな声が出迎える。

 奥の椅子に座った──草臥れた顔つきの男、ベルン・シルド中将はひとつ笑った。帝国軍服を羽織った姿であり、その下から白銀の鎧が覗く。

 

 幼女は思わず、爛々と黄色い目を輝かせてしまう。萎縮、というより興奮を覚える。だが昂るそれを必死に抑えつけ、幼女──ソルは、顔を引き締めた。

 ソルは扉を背にして、固めの声で「はい」とだけ答える。

 

 ナッドの入れ知恵だ。『型通りの敬語が不慣れなら、必要以上に喋らないほうが吉』『のじゃ禁止』『公的なこと以外、聞くな頼むな大人しく』と、あらかじめ言い含められている。礼を失して、無用な不和を呼ぶのは本意ではない。苦渋の決断だったが、ナッドの頼みを無碍にはできなかった。

 ソルは今回、彼の言う通りの態度と格好で臨んでいる。

 

(入念に湯浴みもした。衣類も貰ったばかりじゃし、問題ないはずじゃが……)

 

 腰まで流れる髪は新雪のごとく白い。あどけなさが拭えない顔立ちも、本人的には引き締めているつもりだ。ただ容姿が容姿のため、新品の軍服は絶望的なほど似合っていない。幼女と軍人という、不釣り合いな組み合わせのせいだろう。他人からは滑稽に見えてしまうのは、途中で擦れ違った人々の反応で分かる。

 しかしソルは湧き上がる興奮でか、自身のその認識が吹き飛んだ。

 なにせ彼女は著名人と、こうも改まって会うのは人生初体験なのである。

 

(前回の邂逅は唐突で無様を晒したが、今度こそは問題なしじゃ。しかし惜しい……ベルン殿の武勇伝や、ほかの『六翼』について訊けぬのは歯痒いのう。稽古付けもして貰いたいのじゃが、忙しいじゃろうしのう……)

 

 儘ならないことに唸りつつ、それを表には出さない。ソルが日夜夢見る大英雄の一人、『六翼』の一員の前なのである。ベルンは当然、ソルフォートの実年齢より年下だが……尊敬という尺度において、年齢など度外視である。熱狂的な英雄狂いは、老いてもなお変わらない。戦場で会えば、また別ではあるのだが。

 ベルンが手で示す通りに、ソルは執務机の前まで歩み寄る。

 

「初対面じゃあないが、おじさんの自己紹介は必要かい?」

「ぞんじておりますのじ……んん、ベルン・シルド中将どのは有名です、から」

「国挙げての戦略とは言え、顔が広いのも困りものなんだが──今は手っ取り早くて助かるなぁ」

 

 ぼやくような口ぶりだったが、ベルンは話を進める。

 

「さってえと、これで招集した戦力は第二駐屯地に揃った。『獄禍』討伐隊への臨時編成、色良い返事に感謝してるよ。なにぶん入れ替わりの激しい部隊でねえ、短い期間になるだろうが、よろしく頼む」

「世話にな──よ、よろしくおねがいします」

 

 ここはガノール帝国、西方方面軍第二駐屯地。大陸中央よりやや東に位置する──バラボア砦から北東にいった場所にある──そこは、前線にある城塞のなかで最も安全だと言われている。その理由は立地と、隣する国に関係がある。大陸を分断するように連なるマッターダリ山脈の峰で、他国と隔絶されているからだ。

 ソルは療養を終えて、ここ第二駐屯地に移動してきた。

 つまりベルン中将が直々に運んできた、出向要請を了承したのである。

 

(怪物退治──心躍る文言じゃからな。英雄譚には必須とも言えるのう)

 

 したり顔で、英雄譚の王道を語るソル。かの英雄エイブロードにも悪竜を倒した逸話がある。現代において竜は絶滅したものの、大いなる怪物を倒すのは浪漫だ。少なくとも、ソルはそう確信している。自らの英雄譚を紡ぐのなら外せない事柄だ。出向要請は彼女にとって渡りに船だったわけである。

 

 ベルンは頭を掻くと「当たってもらう事の、その発端について触れておこう」と机に紙を広げた。帝国軍の作成した、マッターダリ山脈周辺の地図だ。その中央付近に現在地である、第二駐屯地を発見した。

 ベルンはそれより、北西にいった場所を指差す。ここから二つ、森を超え、大河を横断した辺りだ。

 公用語で記されている地名を読みつつ、概要に耳を傾ける。

 

「最初の目撃情報は……一週間前だ。この、マッターダリ地方の端にあるジャラ村で、『獄禍』の発生が地域住民から確認された。生き残りは偶然、村外れで山菜を摘んでいた村人が三人。……あとは皆殺しだ。血の雨でも降ったのかってぐらいの有様らしい。調査に向かわせた兵士もそれは確認済みだ」

 

「む? その『獄禍』──怪物はそれで今どこにおるの、ですか?」

「ジャラ村に留まっているとの報告だ。やっこさん、そこを自分の城だと勘違いしちゃってるのかもねえ」

 

 ふむ……とソルは、地図に示された一点に目を落とす。

 話を聞けば、確度の高い情報のようだ。

 もし移動していたとしても、村の周囲からは離れていないらしい。

 

「今回、お嬢ちゃんに与えられた任務は一つ。ジャラ村を根城にする『獄禍』の討伐だ」

 

 本題を告げると、討伐に必要なだけの情報提供を受けた。相手取る獄禍の特徴、ジャラ村への行先案内人と、同行させるソルの小隊、そして一帯の地図。少し余裕を持たせて、食糧や水も与えられるそうだ。

 

 厚遇される理由はベルン曰く、嬢ちゃんは期待されてるからねえ、ということらしい。邪推すれば、今回の怪物退治は軍から「予定調和の勝利」を期待されているのだろう。

 ソルはそれが不満であった。

 

 しかし我慢しよう。戦場を渡り歩くばかりの人生だったソルにとって、初体験となる任務である。

 あくまで『本番』の肩慣らしと思って、落ち込んだ気分を変える。

 

「獄禍討伐を果たせれば、更に嬢ちゃんの力を認められるだろう。まあ、そこそこ頑張ってみてくれ。……出立は急だが、明日の早朝だ。支度は早目に終わらせておくように。と、おじさんが言えるのはここまでだ」

 

「……いそぎの理由をお聞きしてもよろしいの……です、か?」

 

「まあ大した理由じゃあない。嬢ちゃんはどうか分からねぇだろうが、おじさんにもなるとねえ。時間が大事ってのが重々、理解させられるもんさ。おじさんも明日にゃ、バラボアの方に戻る予定でなあ……」

 

 あからさまに、茶を濁すような口ぶりだった。何やら秘め事があることにはソルも勘付く。彼女は思案したが、追求に意味がないと悟る。

 

 ふと見返すと、ベルンの瞳は試すような色合いだった。口を割る気のない者特有の目である。それでも迂闊に深入りすれば、面倒事を引き寄せてしまうだろう。

 ソルの経験則は警告を発していた。思い出すのも憚られるような経験だが、無駄ではなかったということなのだろう。

 それに不慣れな探り合いをすることもなかろう、と引き下がる。

 

 剣一筋の人生で、舌先は鍛えられていない。そもそも、ベルン中将は同じガノール帝国軍人だ。ソルたちに不幸を呼び寄せる隠し事をするとも思えない。

 名残惜しいものの、短く話を終わらせる。ベルンに控えた用事の関係上、ソルは早々に退室させられた。

 ただ執務室の扉を閉める直前、こんな独り言が耳をついた。

 

「やれやれ──嫌な時代だねえ、全く」

 

 

 

 ※※※※※※※※※※

 

 

 

「うむ。……今日もよい天気じゃ」

 

 そうして一夜明け──城塞の入り口から、ソルが遠くを望む。

 山脈の尾根からひょっこり顔を出した朝日。その眩しさに目を焼かれながら、ひとつ大きく深呼吸をする。清澄な空気が口腔を通っていく。ソルにとってこれは早朝のご馳走だ。日課の鍛錬を終えたのち、吸い込む空気の味は格別である。

 重ねた努力の味だ。美味くないはずがない。

 からん、と腰に帯びた愛剣が鳴る。ソルに共感しているかのようだ。

 

 出発準備も終えたいま、外行きの格好に着替えている。焦げ茶の外套の下に、軽い胴丸を着用していた。軽く、丈夫なそれも軍の支給品だ。傷が目立たぬことから察せるように、新調してもらった。バラボア砦防衛戦のときのものは、粉々に砕かれていたからだ。そして腰紐には、私物を入れた巾着袋を下げている。

 準備は万端、あとは現地へ向かうだけだ。

 

(何とか、オド量も以前までの分が戻ってきたしのう……腕が鳴るのじゃ)

 

 身体の調子は良好だ。療養中も鍛錬を続け、カンやオドを取り戻している。

 オドが溜まる速度も、幼女以前とは段違いなのは驚嘆すべき点だ。

 しかし療養を終えて、ソルは一つの決断を迫られた。

 

(オド消費による攻撃は控えねばならん。……この調子では成長が足踏みじゃ)

 

 力を発揮したあと、力を取り戻すために数週間かかる。続けたい成長の足枷でしかない。それ以外にもう一つ、重大な問題がある。バラボア砦防衛戦でそれは思い知った。振るう力の大半を筋肉が担っていた老人の頃ならいざ知らず、いまの幼女姿は振るえる力の殆どをオドが担っている。得られる推進力で誤魔化しは効いたが、効率が悪いというレベルではない。

 そのため断腸の思いで、磨いてきた必殺技を封印する決断をしたソルだった。

 

(他の戦闘法は……試行錯誤するしかあるまい。なに、良い機会じゃ。必殺技に頼り切りの部分もあった。学んだ他の技術も駆使して、これまで以上に貪欲に、様々なことを磨けばよいじゃろう)

 

 ふと城門を見遣ると、向こうに十頭の馬が待機している。

 その近くにソルは、とある群衆を見つけた。

 

「……ああ、今日が俺の命日だな。幼女の姿をした死神が見えやがる」

 

「鎌で優しく刈り取ってくれるってんなら、まだマシだろ?」

 

「やな話だぜ。『修羅』なんつー名前なんだから、お前はきっと棺桶にゃ入らねえ死に様だろうな」

 

「そもそもよぉ、死神──土神アニマは伝承じゃ、人々を虜にする魅惑の胸があったって話だろうが。死神が少尉様なら、土神信仰の奴らが報われないな」

 

「まあ、育ち盛り前だろ。肉つきが良くなりゃ良いんだが」

 

「ってか、肉つき云々じゃなく、あんな子供相手に色気を求めるのは流石にどうか」

 

「てめーら、ちったあ俺の心配しやがれよ。俺たち全員、死ぬ時まで一緒だと誓い合った仲だろうが」

 

「……そっちの気でもあるのか? 慰めてくれる男娼が欲しいんなら、他を当たりなクソ野郎」

 

「全くね。あなたと同道する気はないから。とりあえず前向きに考えなさい、死に顔は少しマシになるわ」

 

「……お前ら、好き放題に言ってんな……」

 立ち話を興じているらしき彼らに、ソルは歩み寄っていく。雑談内容が耳に届く距離まで近づくと、彼らは居住まいを正す。自分に対して散々な言いようだったが、ソル自身も覚えのある会話だ。傭兵時代では日常的に耳にした軽口の類である。特に何とも思わず、聞き流しておいた。

 ソルは挨拶を口にして、兵装姿の彼らを見渡す。

 

 彼らは、少尉となったソルが指揮を執ることになった──『怪物退治』における十名の部下だ。少尉の地位にしては少ない規模だが、獄禍討伐隊とはそういうものらしい。手の空いた腕利きとベルンの手勢を集め、少数人数で回しているという。

 数多くの戦地へ優先的に兵士を動員されるため、どうしても人数不足に陥ってしまうようだ。また入れ替わりも激しく、この部隊に留まる人間は多くない。

 ソルも例に漏れず、一人を除き、眼前の兵士たちとは今が初対面だ。

 

(即席で編成された面子じゃ……人数ばかり多くとも、連携がとれねば烏合の衆じゃろうに。急ぐにしても急すぎるじゃろう。そも、わし自身、指揮官という柄でもないのじゃが……?)

 

「ソル少尉! こちらは出発準備を整えています!」

「りょうかいしたのじゃ。──ナッド」

 

 一抹の不安を拭い去るように、青年は綺麗な敬礼をした。

 だいぶ顔つきも変わった、ナッド・ハルトである。癖の強い茶髪を微風に揺らし、戦士らしさが僅かに薫る。

 一つの戦場を超えて、成長を遂げた証拠だ。

 

 彼もまたソルと同様に、この獄禍討伐隊へ編成された。しかし本来ならば、ナッドはここに来る人間ではない。バラボア砦から外された時点で帝都に戻り、出世コースを邁進できたはずだ。砦防衛を成し遂げ、十分に手柄を立てた。そのチャンスを彼はふいにし、ベルン中将に嘆願したという。

 少尉を放っておけない、獄禍討伐隊に編成希望します──ということらしい。

 それについては、悲喜の感情を定めかねる。

 慕われるのは喜ばしいが、彼の未来を閉ざすようでソルは心苦しくもあったのだ。

 

「少尉さんよぉ。贔屓目でこのお坊ちゃん見るのは無しだぜ?」

「贔屓なぞするつもりはない。そこは安心せい……ぬしの名は何と申す」

「ゲラートだ、よく覚えとけよ少尉様? 手柄を立てるときに、その名前を呼ぶ練習もな」

 

 絡んできたのは、先ほど今日を命日と定めていた男である。随分と大口を叩くものだ。ソルは意気の良さに、にやりと笑った。実力に自信があるのだろう。手並み拝見の機会を楽しみに待っておこう。

 皮肉げに大きな肩を震わせるゲラートに対し、隣に立つ女がかすかに鼻を鳴らした。

 

「ソル少尉。どうせこいつは、すぐ虫の餌になるのだから忘れてくれて構わないわ」

「ちっ……たとえ死んだって、お前に死に顔は見せねぇかんな」

「あなたの蝿が集った顔なんて、大事なお金を貰っても見たくない。……気が向いたらあなたのこと、弔い代わりに思い出してあげるけど」

「かっ、光栄なこった。次はテメェが名乗れ、マジェ」

 

 遠慮なく毒を吐かれ、調子者らしき男がすごすごと引き下がる。

 そこで一歩、前に出たのは小隊唯一の女性──見た目、十四歳くらいの少女だった。

 

「ベルン・シルド中将より副小隊長を拝命された、マジェーレ・ルギティ。階級は軍曹よ、少尉」

「おお、よろしく頼むのじゃ。ぬしはたしか、道行の案内も兼任と聞いておるが……?」

「間違いないわ。大森林も含めて、わたしの遊び場だったから」

 

 マイペースな調子でマジェーレは答える。

 うらぶれた路地裏に住まう野良猫のような少女だ。ボサボサの薄墨色の髪と、身に纏う鎧の汚れ具合、浅黒い肌がその印象を与えている。瞳の奥を見通せないほど、目に光が届いていない。目を合わせても、内心を窺い知ることはできそうもない。……ただ仕草や声の調子で『怠い』の二文字が浮かんで見えたが。

 

 図抜けて少女が異様なのは、背負った得物だ。

 一見、『己』という字に似た形状の──赤銅色を棍棒のようだった。直径は少女が十分握り込めるほど細く、複雑な形のどこも均等に同じ太さである。少女の全身ほどの大きさで、表面の質感から重量はそれなりにあると推察された。しかし、軽々と背負っているため実際のところは不明だ。

 ソルは舐め回すように、奇異な武器を観察する。

 

(どう扱うかはわからぬが……これは魔導具らしいのう。表面にびっしりと聖文字が刻印されておるのじゃ)

 

 そんなマジェーレやゲラートを、その横合いからナッドが鋭い視線を飛ばしていた。目上の人間に敬語すら使わないからだろう。生まれや士官学校の影響か、彼はそういうことに滅法厳しい。いや、そう感じてしまうほうが、常識に疎いのだろう。

 上下関係の線引きを濃くするのは、人間関係を円滑に進めるための条件だ。今まで誰かを率いたこともなく、傭兵という根無し草だったソルに馴染みはないが。

 

 だからか「正直どうでも良いことじゃなあ」と長閑に考えていた。

 加えてマジェーレはおそらくだが、ソルの実力を凌駕している。

 

(英雄が幅を利かせる世の中じゃ。力があれば、人間性や常識は蔑ろにされる傾向にあるからのう……勿論、こういう現場での話に限るのじゃが)

 

 規律が支配する軍内部においても、その趣きは強いらしい。その証拠に、名だたる英雄達でまともな人間性を持った者は珍しい。これは英雄狂いのソルの見識だ、間違いないだろう。常人と違ったから英雄なのか、英雄だから常人と違っているのか。どちらにせよ険しい道のりである。

 自分のような平凡な感性で、その奇人変人ぶりに付き合っていくのは難しそうだ。率直な感想が浮かぶ。

 ……何を感じとったのか、ナッドがこちらにも視線を飛ばしてきた。

 

 この調子で、一通りの小隊メンバーを確認する。遅くとも昨晩には済ませるべきことだったが、仕方がない。後々、彼から咎められることは承知で「わしのことは好きに呼ぶが良い」というスタンスでだ。

 ナッドの視線を難なくスルーし続け、ソルは声を上げる。

 

「そろそろじゃな──時間はきちょうじゃ。みな、それぞれ馬に乗るのじゃ!」

 

 号令とともに、十名の小隊は動き出した。面々の表情は様々だ。不満そうな顰め面、諦観にも似た面、マジェーレに至っては隠れてあくびをしている。

 一様に感じられるのは『侮り』だろう。見た目によるものか、スタンスによるものか。おそらくは両方だろうが。

 

 ともかく、上司の立場としては危うい。だが上段から見下ろして、皆に命令するようなことは望んでいない。自身の目標と実益の板挟みにあうソルであった。二つを折衷する関係性の模索に苦労しそうだ。

 他人事のようにソルは考えをまとめた。

 

 ともあれ、出発準備を整えねばならない。

 ソルはちょこちょこと歩き、鞍に跨ろうとするナッドの袖を引っ張る。

 

「ではナッド、頼むぞ」

「……はい? つまり、どういうことですか少尉?」

「……わしは馬にのれぬと、判断されたようでな……こうして相乗りを頼んでおるのじゃ」

 

 ソルは顔を僅かにそっぽ向かせつつ、事情を説明する。昨夜に「乗馬できるのじゃ」と豪語した幼女は、馬飼い監視のもと乗馬実験が行われた。

 結果は惨敗。幼女程度の脚では、どうにも(あぶみ)に足が届かない。身体の固定化にロープを使う案が出たが、即座に却下された。急を要する事態に陥った場合、対応が遅れるのは致命的なのだ。

 その後も侃々諤々と意見を戦わしたのち、折衷案として採用されたのがこの方法。すなわち、誰かの軍馬に相乗りするという方法だ。

 

 しかし恥ずかしい。

 幼女の外見とは言え、精神はいい歳をした人間だ。

 

(本来なら……わしも乗馬は人並みにできるのじゃぞ……)

 

 言い訳じみた言葉を、内心で吐いておいた。

 ぽかんとした顔をしていたナッドは「そっか、そうだよな……」と呟くと。

 ソルの小さな身体は、馬首とナッドの間に挟まれることになった。

 

「これではかんぜんに、こども扱いではないかのう……」

「尻の方に乗るのは危険でしょうが。それよりソル少尉、出発しましょう」

 

 何やら他の隊員の声が波立ったが、幼女の出発の合図とともに──ソル少尉率いる小隊はジャラ村へと進み始めた。

 



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2 『少女との夜会話』

 ──シェイターネ男爵領、ジャラ村。

 目的地であるその村までは、馬脚で三日ほどかかるとマジェーレは言った。ソルも地図を元に確かめたが、その見込みで間違っていないようだ。

 ただこの日数の大半は距離ではなく、主に足を阻む『自然』に費やされる。大森林と呼ぶべき植物の楽園と、大河に一本しか架かってない橋、底も見通せぬほどの深谷を渡る吊り橋。これらを越えねば辿り着けないジャラ村は、隔絶された立地にあるのは疑いようがない。神代と現代を分かつ、とある厄災の名残らしいが──ここを治めるシェイターネ男爵も、ここの整備を疎かにしているのが現状だ。

 道中でも断崖絶壁や、苔生した地割れを視界に収めたソルは唸る。

 

(ぬう……わしの故郷よりも辺鄙な場所じゃのう……)

 

 この一帯には人間の手は入っておらず、圧倒的な大自然が蔓延っている。ソル少尉一行が大森林に入ったところ、森を満たしていたのは淀んだ薄闇だった。日光を遮る、頭上に手を広げた大葉。地面には陰気な草花が生い茂っている。かさかさ、と葉擦れが波立つ。人の呼気のように生温い風が、ソルの肌を舐めていった。まるで化物の口腔のなかを進んでいるようだ。表情を変えず、馬首に手を這わせた。

 辛うじて一行は、細々と先に続いている道を行く。

 

「変に、気味が悪い場所だな……」

「む? この空気はナッドもにがてかのう?」

「ええ、そりゃあ。昔っから暗いところは得意じゃなくて」

 

 マジェーレは「ここは遊び場だ」と難なく言ってのけたが、年頃の娘が足繁く通う場所のようには思えない。天と地と言わず、至るところに植物が手を伸ばしているのだ。馬上から右へ左へと視線を向けるぶんには、剣の素振りにも困るような森である。鬱蒼とした木々は人の立ち入りを拒み、鳴り響く虫の声は追い出しにかかるようですらある。ソルも「遊び場にしても、もっと他にあるじゃろうに」と遠慮したいほどだ。

 

 しかし、大森林を抜けるには一日では足りなかった。次第に日は落ち始め、一行は足を止める。闇夜の森を進むにはリスクが高い。朝を待ちつつ休息を摂るべきだ。マジェーレの案内でちょうど辿り着いた野営地にて、一夜を過ごすことになった。

 

 その野営地は森を円形状にくり抜いたかのようだった。男爵が整備に手を出していない割には、草木の浸食が軽微である。頭上には腕を広げる枝木ではなく、点々と星明かりが穿たれた夜空が広がっている。

 野営地の中心で薪をくべ、火を囲むようにして各々は座った。

 味に恵まれぬ晩餐を頂きながら、夜間の見張りについての方針を定めていく。

 

「交代交代で見張りを立てましょう。この森は獰猛な狼どもが根城にしているわ。それに──物好きな野盗がいないとは限らないから」

「ほう、ならば三人組でかわりばんこに──」

「二人組で十分よ、少尉。区切りが良く、実力的にも妥当ね。新兵同士を組ませなければ良いでしょう」

「……そうじゃな。ぬしの通りにしよう」

 

 まるで、小隊長がマジェーレのような仕切りぶりだ。隊長という柄でも風貌でもないソルにとっては大助かりだが。完全にお株を奪われている感は否めない。事実、ナッドの視線が幼女の後頭部に突き刺さっている。面子が潰されているのではないか、と言いたげだ。ソルは目を瞑り、小さな頭を幾度か傾げる。

 

 どうにも彼のソルに対する現認識は「変なところは世間知らずな幼女」らしい。段々と、お目つけ役のような振舞いになってきた。まるで保護者である。いや、見た目だけなら妥当な関係性ではある。もし周囲の目さえなければ、今頃はお説教が飛んでいたであろう。

 彼が表立って声立てないのは、それこそ体面を崩す行為だからだ。

 

(じゃがのう……なかなか難しいのう……手綱を握るだけの経験が、わしには不足しとるからなあ。真似事で無理にわしが仕切ったとて、良い結果には繋がらんじゃろうし──ナッドに睨まれようと、今はマジェーレ軍曹にお任せじゃな。うむ)

 

 自己完結すると、ソルは近くを陣取る小隊メンバーとの会話に勤しむ。獄禍討伐の小隊に配属された兵士たちに興味があるのだ。大陸のどの地方から集ったのか、どの戦争に参加したのか、どんな英雄を見たことがあるのか。前歴や出身もバラバラな者たちとの会話は、情報を得るだけでなく、自分の視野を広げることに役立つ。

 勿論、見張り決めのための聴取も兼ねている。

 ソルも小隊長という役職を、無暗にマジェーレへ投げ渡したいわけではないのだ。

 

 とりあえず見張りの組み合わせを済ませ、徐々に夜が更けていく。

 晩餐がお開きになったあと仮眠を摂っている間に、見張りの順番がソルまで達した。

 

 部下に揺り起こされ、すっと目を覚ます。彼女は見張り番の片割れを探した。

 見回していないと思ったが、ソルの相方はちょうど隣に丸まっていた。

 

「のう。おきるのじゃ、マジェーレ軍曹。わしらの番じゃぞ」

「…………ふああああ……もうなの……?」

「にらむでない。もしや、ぬし。寝起きがわるいのか?」

 

 そもそも仮眠ではなく、本当に眠っておったのか──と幼女は呆れた。

 見張りの相方となったマジェーレ・ルギティは、目元を擦りながら無言で起きる。ふらふらとしているが大丈夫なのだろうか。黒味の強い髪を無造作に払うと、立ち上がった。

 倒れ込まないかソルは視線を飛ばしたあと、月明かりが降り注ぐ野営地を見渡す。

 

 今しがた見張り番を終えた二人組以外の、小隊メンバー六名と馬は寝静まっている。ゲラートが大の字で眠る他、ナッドが苦々しい表情のまま寝入っている。嫌な夢に魘されているのだろうか。彼が起きているときの、ソルを見守る表情に似ていた。難儀な男である。

 

 ソルとマジェーレの組は見張り番のトリだ。皆、見張り番の任を終えた時頃である。空から沈む月はすでに、黒々とした葉っぱに隠れていた。ただ日の出自体は遠いのか、仄かな月光を残したまま、まだ薄闇が降りている。

 周囲の闇と同化しそうなほど黒い少女は、瞼を凝然と開けながら。

 

「──眠い」

「見ればわかる」

「見た目の数十倍は眠いわ」

 

 相槌に即時、言い返すところを見るに元気なようだ。

 一旦彼女から背を向けたが、念のためもう一度ソルは振り返ってみた。

 マジェーレは立ったまま瞑目していた。

 

「……んん」

「二度寝は勿体ないのじゃ」

「……寝る子は育つという言葉を聞いたことがあるわ」

「怠惰の言い訳じゃな。寝る間も惜しんで励むほうが強くなるのじゃ」

「私は真夜中に鍛錬をするような変態じゃないわ。……それに、寝る間を惜しむなんてカビた考えね。睡眠は大事よ。お金と食べることと同じくらい大事。これからの身体の発達が遅れてしまうし、翌日の集中力も散ってしまうし、私の腹の居所も悪くなるわ。だから私は眠りたいの」

 

 平坦な声による高説に、ソルは感心の溜息を漏らす。そうか、わしの考え方が古臭いのか──と考えを改めた。楽しさも過ぎれば毒と化す。鍛錬が楽しいあまりに、睡眠を二の次にしてきたのは悪手だったのか。腹一杯に食べ、鍛錬に励めば強くなると思い込んでいた。『睡眠大事』と脳裏に刻み込む。なお、さらっと変態呼ばわりされて傷つくソルだった。

 

 となれば、マジェーレの睡眠を妨害したのは悪いことをしたかもしれない。

 何だか申し訳なくなり眉尻を下げたソルは、煙に巻かれていることに気付かない。

 

「……ちょっと大人げなかったかしら。それに長々と喋っていたら眠気も覚めてきたし、そうね。暇潰しにお話でもしましょうか」

「大人という歳には見えんが」

「少尉よりは年上の十四歳よ、私は。少尉はいくつ?」

「……は、はっさい?」

 

 舌足らずの声色だったが、ソルは練習通りの返答に成功する。密かにガッツポーズをした。地道な努力は一日にして成らず。療養中に鏡台の前で「幼女らしい応対」を鍛錬した甲斐があったというもの。正直、その鍛錬中に「わしは一体何をしとるんじゃろう……」と我に返ることも度々あった。孤独な戦いは時として自分との戦いだ。それは鏡に向かって一人『わしの考えた幼女っぽい言葉』を試行錯誤する、という一種の戦いにも当て嵌まる。──ソルの特徴的な語尾はまるで改善されなかったが。

 

 どうして身を削る思いで練習に励んだかと言えば、もちろん趣味などでは決してない。

 ソルとソルフォート・エヌマが同一人物であることを余人に気付かせないためだ。

 

(わしが『ソルフォート・エヌマ』であることは広まってはならん事実じゃ。元傭兵で、敵国であるビエニス・ラプテノン連合軍に与していたこともじゃが、それだけじゃないのじゃ。人の魂を他の人体に移して、転生の真似事をするなど前例がない。万が一、わしの転生が露見すれば──研究対象として捕縛される可能性がある。……それでは英雄への道から遠ざかること他ならん)

 

 権力者は誰しもが考えるであろう、永遠の生命。安寧から転げ落ちる最期を回避したいのは人情だ。死の恐怖に追い立てられ、不死の方法を血眼になって探した『不死王』の名は数百年経った今でも、大陸に轟いている。結局彼は不死の手段に辿り着けず、佞臣の虚言に踊らされ、毒を飲み下して死亡したらしいが。

 ともあれ、焦がれる者も多い『不死の手段』に通ずるソルの存在は、貴重な研究対象に違いない。

 

(やはり、あのとき出会った男がけったいじゃのう。幼女云々は置いておくとしても、身体を取り換えるなどと……どんな魔術を極めれば起こせるのやら。禁忌指定は免れんじゃろうに)

 

 たとえ『ソルフォート・エヌマ』であることを隠す理由がなくとも、幼女が御年六十五歳だと主張しても旨味はない。マジェーレの黒い視線が、可哀そうなものを見る色に早変わりするさまが目に浮かぶようだ。ソルの成長は留まることを知らない。バラボア砦での不和を踏まえ、『自分の見え方』に配慮するようになったのだ。ソルにできる限り、と但し書きはつくが。

 だが、何故か訝しそうにマジェーレは真っ黒な瞳で見下ろしてきた。

 

「な、なんじゃ?」

「何でもないわ、少し想像と違ったから……とりあえず、上下関係ははっきりしたわね。それじゃあ、お喋りをしましょう。まずは自己紹介をお願いするわ、少尉」

「わしのかのう? ……どちらかと言えば、ぬしのほうが自己紹介、その得物の詳細などして欲しいのじゃが……」

「私は今朝にしたじゃない。それに私たちからすれば、少尉のことをよく知らないわ。面と向かっているだけで、おかしな人なのは分かるけれど。暇潰しには丁度良いつまみだと思うわ」

 

 マジェーレは指折り数えて、ソルに対する不審点を挙げていく。

 

「その見た目で、古めかしく、訛りの強い言葉遣い。その年で剣を振るえるわけ。……この二つの理由を明かしてもらえるかしら? ナッドから『本人から聞くよう』言われていたのを、たった今思い出したわ。ざっとした経歴、聞かせてくれる?」

 

 痛いところを突く指摘にたじろぎつつも、ソルは心を静める。どちらかと言えば

 落ち着いて記憶を掘り返し、帝国軍に明かした『虚偽の経歴』を口にする。

 

 名前はソル。年齢は数え年で八、出身はバラボア砦周辺にあるダーダ村。生まれた頃から箱入り娘として育ち、世間知らずなところも多い。年齢にそぐわない古めかしい喋りや訛りは、村の老爺の口振りが移ったためだ。ソルの御守に従事していた、その老爺の影響で剣の振り方を覚えた。そんな彼女の人生が一変したのは、とある慌ただしい朝だった。遅く目を覚ました彼女を待っていたのは、連合軍の手により焼かれた、ダーダ村だった。そうして天涯孤独になった彼女は、食い扶持を稼ぐため、バラボア砦に詰めた兵士の前に現れる──。という、ソル脚本のつじつま合わせた物語を最後まで聞かせた。

 

 もちろん真っ赤な嘘だが、なかなか良い出来だとソルは自画自賛したい。ソルとて英雄譚を愛する者の一人だ。こういう創作を脳裏に思い描くのはお手の物だった。そして公のソルの経歴は、この出来事の直後にラプテノン軍の強襲、そして首謀者たちを打破したことになっている。なるほど、確かに『新しい英雄』と期待されるだけのドラマ性を備えていた。それこそ英雄譚の始まりのようで、我ながらときめくソル。

 対して耳を傾けていたマジェーレは、退屈そうに薄墨色の寝乱れ髪を弄びながら。

 

「……随分と、波乱万丈な人生ね。羨ましいくらいだわ」

「そ、そうかのう? ……マジェーレ軍曹もそれなりの修羅場をくぐってきたように見えるのじゃが?」

「どうかしらね。忘れちゃったわ」

 

 ひらひらと手を振るマジェーレを他所に、ソルはほっと小さな胸を撫で下ろしていた。どうにか嘘の経歴を誤魔化しつつ、ボロが出る前に話を逸らせたようだ。しかし、会話の牽引をマジェーレに委ねれば、いずれ話が掘り返される可能性がある。ここは苦手と言えど、自らが話題提供を為さねばならない。

 そこでソルは、今回の任務に関わる話を持ち出してみる。

 

「そういえば、じゃ。獄禍討伐はわしにとって初体験なのじゃが……ぬしはどうじゃ?」

 

 過去の討伐経験を尋ねると、マジェーレは「あー」と間の抜けた声を出す。

 

「獄禍討伐は──経験、あるわ。だから私が副隊長に据えられたようね」

「……やはり、わしの足りない部分を補うための配属ということかのう?」

「そんなものよ。報酬は倍額を頂く代わりにね」

 

 片手でお金のハンドサインを送る少女。

 とりあえず、金に対するがめつさは否応なしに伝わった。

 

「……まあともかくじゃ。わしが聞きたいのは獄禍についてじゃ。獄禍討伐経験があるのなら、マジェーレ軍曹。ぬしは『獄禍変転』の詳細を知っておるか?」

「『獄禍変転』の詳細……それがどうしたの?」

「いまだ『獄禍変転』の原因は諸説あるじゃろう。わしは実際に獄禍すら目にしたこともなくてのう、なにか知らんかと尋ねておるわけじゃ。……ほれ、これから戦う怪物のことじゃから知っておきたいしのう」

 

 『獄禍変転』。嵐、雷、洪水と同列に扱われる災厄だ。ある日突然、人が何らかの『人ならざる物』──『獄禍』に変貌する現象である。獄禍の形態は様々だ。金の体毛に覆われた『獣』に変貌した例、正立方体の石に変貌した例、頭部が肥大化した人型に変貌した例。原因は一般に「元より怪物が人間に擬態していたのだ」「化物の血脈だったのだ」などと、(まこと)しやかに噂されている。つまり前述の説明を訂正するなら、『人ならざる物』が化けの皮を剝がした現象。それを獄禍変転と呼ぶ風潮が広まっている。郊外の農村地域では「信仰を疎かにした祟りだ」と畏れていることもあるそうだが。 

 

 ただ結局のところ、ソルが信じるに足る根拠のある説は見つかっていない。

 北方の魔術大学で机に齧りついている学者連中も、原因解明に至っていないと聞く。

 

(獄禍。怪物と言えば総括できるが、本当に謎が多いからのう。噂が飛び交っておるから、どれが真相かもわからぬ。それに、じゃ。……獄禍たちは最近の英雄譚──ここ百年の英雄譚で登場することは頻繁なのじゃ。その詳細が気になるのは当然の帰結じゃろう)

 

 やはりソルが好奇心を唆られる理由など、英雄譚に関わっているからに他ならないわけだ。

 幼女の純然な問いはしかし、黒い少女に切って捨てられる。

 

「さぁ? 原因が何であろうと私にはどっちでもいいことよ。たとえ目の前のあなたが獄禍変転したとして、私は原因なんか気にしないわ。怪物は倒すだけの存在。『怪物を倒せばお金が増える』。『怪物を倒せばご馳走が食べられる』。大事なことはそれだけでしょう? 余計な思考は無駄なだけだと知りなさい」

「怪物はたおすだけの存在、というのは同意するが……すれておるのう」

「私があなたより年上だからよ。あなたがまだ夢見がちなだけね。──それに、今回はやる気も湧かないし」

 

 ひとつ大きなあくびをすると、マジェーレは真っ暗な瞳をソルに定める。

 それは内心を読み取らせない、暗闇にいてなお暗い色だ。

 幼いソルの視線を吸い込むようだった。

 

「……少尉だってそうじゃないの? 『修羅』さん。軍部の見栄で拾い上げられたお人形さん。今回の任務も、あなたの箔をつけるだけの遠足にすぎないわ。手の空いた新兵はそこそこに、それなりに腕の利く部下を引き連れさせて。相手する獄禍も格落ち。まさに茶番ね」

「茶番とまでは言いすぎじゃろう……目的の獄禍がやや力不足とはつたえられておったが、油断大敵じゃろうに。──それに今回の怪物退治は、いずれ大物獄禍をたおす『本番』の肩慣らしくらいに思っておるが……」

「そんなわけないわ。ハリボテはすぐに隠さなきゃ、客に偽物とバレてしまうものでしょう? 少尉の怪物退治は今回限りでお仕舞いよ。名声を上げたら、あとは士気向上のための置物が関の山。……残念ね、あなた才能はあるらしいけれど潰されちゃって」

 

 暗器のように冷たく、マジェーレは『現実』を突きつけてくる。

 あなたの実力そのままが結果に結びついたわけではない、と。偉い何者かの意図が重なって、好待遇を受けている事実はソル自身も重々承知している。他国の英雄誕生によって盛り下がる士気を、奮い立たせるためにソルは持ち上げられているのだ。贈呈された勲章も、真に『努力が認められた』とは言い難いものかもしれない。ぎゅうっと小さな拳をつくった。

 

 軍は予定調和の結果を望んでいる。

 整えられた舞台で踊る道化のようにと、ソルに強いてきている。

 だが、最初の──傭兵時代の頃に比べ、随分と展望が見えてきたのも間違いない。

 

「……わしは、このまま終わるつもりはないぞ?」

「何でもいいけれど、怪物退治をすっぽかすのはなしよ。私の食い扶持に関わるわ」

「今回の任務は完遂するのはとうぜんなのじゃ。そのうえで、英雄に相応しい器に成長するのじゃよ」

 

 今はまだ『実力』より『名前』の看板が大きい。幼女の身体にして、大戦果を挙げたという沽券は耳に新しい。渡りに船の話題性を借りて、軍本部が「次代の英雄候補」と祭り上げるのは理解できる。そしてそれが、ソルが僅かに不満に思う原因ではあるのだ。誰かの思惑で操られるのは良い気分ではない。だが、突っぱねるつもりはなかった。これは類稀なるチャンスなのだ。

 注目される、それは結構。そこで目にもの言わせて、名前に実力を追いつかせてみせる。

 噛み締めるような表明に、マジェーレは「ふーん」と露骨に気のない声を立てた。

 

「前向きね。前向きなのはいいことだわ。何もなくなっても生きていけるから」

「……さきほどから、というか初対面から思っておったのじゃが──喋り方が見た目といっちせんのう」

「人のことを言えると思ってるのなら、まず鏡を見返すことね。自分の気持ち悪さがわかるわよ?」

 

 少女らしさのある狭い肩を鳴らして、大きく伸びをするマジェーレ。

 差し込む無数の細い光を浴び、ぬらりとした薄墨の髪が光沢を放つ。

 横顔の褐色が際立つも、そこに穿たれた瞳は。

 やはり、光を拒絶するように暗黒を湛えていた。

 

「自己紹介の通り、私はマジェーレ・ルギティ。他人より贅沢に生きていたい、ただの十四歳の小娘よ」

 

 

 

 ※※※※※※※※※※

 

 

 

 日が昇ると、ソル少尉一行は野営地を後にした。

 三日の道のりを超えて、目的のジャラ村に無事到着した一行は。

 

 

「くだんの獄禍は──どこじゃ(・・・・)?」

 

 

 住居の残骸しか残っていない、からっぽの村で立ち竦んだ。



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3 『望まれぬ邂逅』

「──状況はどうじゃ? ナッド」

「駄目ですっ! 村周辺を回ってみましたが、怪物どころか人っ子一人見当たりません!」

「こちらも同じよ。外れまで足を延ばしたけれど、獄禍の気配すらなかったわ」

「ぬう……獄禍がおらんと、討伐もなにもできないのじゃが……」

 

 住宅の瓦礫に尻を乗せて、ソルは白髪頭を悩ませていた。

 太陽は天頂に差し掛からんとし、幼女の眩しい肌に汗が這っていく。ジャラ村到着から、おおよそ数時間は経過していた。だが一向に『獄禍討伐』の任は進んでいなかった。討伐するはずの獄禍がジャラ村から姿を消していたのである。戦闘準備を進めていたソル少尉一行は、見事に肩透かしを喰らった。

 一旦、村周辺を手分けして獄禍の捜索に乗り出したのだが──。

 

 燦々と差す太陽に手を翳し、ソルはジャラ村の残骸を見渡した。

 建ち並んでいたであろう、石造や木造の住居は崩れ落ちている。正確に言えば、半数以上がひしゃげている。まるで屋根上から押し潰されたかのように、村の跡を残していた。そんな瓦礫の山々が、一面に軒を連ねている。辛うじて形を保つ住居も数少なく、それなりに見晴らしがよい。

 だからこそ、獄禍不在の事実も一目瞭然だった。

 

「ジャラ村のなか、近辺ともにおらんとは。……ゲラートたちはまだかいのう?」

「村の奥地を回ると言っていたから、許可出しておいたわ。じきに戻るでしょうね」

「……マジェーレ。少尉の許しがない間に、お前勝手に」

「型に嵌るだけじゃ駄目駄目ね。獄禍が移動しているとするなら、捜索の時間短縮を図るのは当然でしょう? ……以前に何があったかは知らないけれど、この子に盲目的になっているようなら黙っていなさい」

「! あのな、俺が言いたいのは──」

「……二人とも、言い争う場合ではなかろうに。付近に井戸があった。そこで頭を冷やしてくるのじゃ」

 

 見ておられず、ソルは口論に発展間際の応酬を諫める。

 言葉を詰まらせたナッドは、一言謝って足早に去っていった。十字路の角を曲がり、瓦礫の山に消えていく。マジェーレは表情一つ変えず、そのままソルの前に居残っている。そちらに視線を向けると、ゆったりとした速さで退散していったが。奔放に頭の後ろで手を組んで去る姿に、ソルは溜息を零した。

 問題なのは、獄禍の不在以外にもある。小隊間で険悪な雰囲気が表面化してきたのだ。簡単に言えば、ソル──彼女の擁護を行うナッドもだが──を避けて他の小隊メンバーが動いている。この場にソル、ナッド、マジェーレ以外の兵が残っていない所以はそれだろう。この三人以外の面子は、ゲラートを筆頭に一丸となって行動しているのだ。今までこうも露骨ではなかったが、その理由は悩むまでもない。

 目先の目的だった、獄禍の不在によって焦りが生まれているからだろう。

 

(気持ちは、うむ。わからんでもないのう。出発当日の夜にマジェーレの口から聞かされたのじゃし。……ただ皆は、自らの仕事は遂げるつもりのようではある。今も一応ゲラートたちは協調性を持って、任務達成に貢献する『獄禍の捜索』に当たっておる。一応は皆、兵士としての自覚は心得ておるのじゃろう)

 

 その証拠に、当然だが任務放棄する者はいない。役割を果たす気概は見て取れる。たとえソルを好ましく思っておらずとも、それが兵士としての責任であるからだろう。

 これは最初から覚悟できていたことだ。バラボア砦でも似た出来事はあったのだから。「できる限り溝埋めしたほうが良い」とナッドに言い含められていた。そのため隙間時間を利用して、今日に至るまで皆と頻繁に交流をとっていたのだが──人間、易々と認識を変えてはくれないものだ。口に直接出す者はマジェーレ以外いないが、気持ちは表情や態度に現れる。

 疎ましい、妬ましい。……マジェーレに言われずとも知れたことだ。

 

(重々承知しておるつもりじゃったが……人間関係という奴はけったいなものじゃのう……)

 

 儘ならなさに肩を落とす。溝を浮き彫りにしたのは、火に油を注ぐマジェーレの言葉遣いや態度だ。苦手ではあるが、次の機会には咎めなければならないのだろうか。三日前の出発時点ではそれほど重要視していなかったが──どうもナッドと火花を散らす機会が多く、軋轢は眼前で展開されることになった。戦の前座として、戦士同士の衝突はよくあることだ。しかし拗れを抑止するのが、纏め役であり長である。自分に言い聞かせるなか、ソルの脳裏に蘇る。年齢以上に眉間に皺が寄っていた数多くの指揮官たちを。

 幼女は手のひらで自分の胸辺りに手を当てた。

 この年で重責に抱えるのは身体に悪いのではないか、と思わないでもない。

 身体年齢的な意味でも、精神年齢的な意味でも。

 

「……腹痛なら茂みにでも行きなさい? 私がここで代理で立っていてあげるから」

「……ぬし、井戸にむかったのではなかったのか」

「ナッドと仲良しこよしで水浴びなんてとんでもないわ。太鼓持ちや娼婦じゃないのよ?」

 

 ひょっこりと、こちらに音もなく忍び寄っていたマジェーレ。

 つんと鼻に障る酸っぱい匂いにソルが眉根を寄せたが、彼女は気にせず手で促してくる。

 

「ほら、行きなさい」

「……むむう。女子が下世話なことを言うでない。わしはただ考えごとをな。『上に立つ者とは、こうも気をもむものか』と実感しておっただけなのじゃ」

「へえ。随分、つまらないことに悩むのね。同情するわ」

 

 便意どうこうはつまらなくないのか。

 素朴な疑問が口を突くより先に、マジェーレは皮肉げに笑うと。

 

「人の上に立つ気分はどうかしら? 気分は上々?」

「立った実感すらないがのう……おもうのは、剣に命をのせて振ったほうがまだ心安らぐことじゃ」

「まあ『修羅』の名前で、指揮官ぶられても困るものね。どうしてもと言うなら代わるけれど?」

「……いや、まだ終えるにはやい。まだやってみるのじゃ」

 

 傭兵時代では、率先して人を先導した覚えはない。いつも自分勝手に戦っていただけだ。元より、他人に指図できるほど知略を練る頭はない。指揮、責任、代表──と、頭が痛い単語が脳内で躍る。だから集団の長を務めていた者にソルは尊敬しきりだ。たとえば幼女化以降ならば、バラボア砦で出会ったバルドー伍長だろう。結局、彼は砦強襲の際に戦死してしまったらしい。その最期を知る者は誰もいなかったが、ソルの知る限り彼も立派に纏め役を務めていた。

 自分に務まるかは不安である。

 

 けれどもまだ、肌に合わぬと放り投げるには早い。だいぶ堪えたが、まだ踏ん張れる。

 ソルは諦め気味の半目でマジェーレに「いま、言うが」と、つむじを掻いて。

 

「……ナッドのこと、甘く見ろとは言わん。あやつもどうも、何だかムキになりすぎておるからのう。じゃが、ぬしの角がたつ発言は聞きながせん。わしに対してなら構わんが、ナッドは年頃の男なのじゃ。年下の女にののしり蔑まれれば誇りも傷つくというもの。手心を加えてはもらえんか?」

「……あなたに色々と言いたいことはあるけれど、そうね。ちょっと当たりが強かったかもしれないわ」

 

 意外なほどあっさりと非を認め、黒の少女は引き下がる。

 ぼそりと「説教臭い幼女ね」と聞こえた気がしたが、聞こえなかったことにした。心は深く傷ついた。しかしマジェーレは不得手な指揮を率先して執ってくれる、現状手放せない類の人材である。加えて彼女の指示を不思議とゲラートたちは素直に聞く。どうにも彼女たちは以前、轡を並べて戦場に投入されたことがあるらしい。その縁か、ソルたちを遠巻きにするゲラートたちとマジェーレは打ち解けている。

 小隊の亀裂を深めたのが彼女なら、それを繋いでいるのも彼女なのだ。

 肝要な立ち位置に座る当人は、そうと感じさせぬ自然体で話を変える。

 

「とりあえず。獄禍の行方の話に戻るけれど、軍から与えられた情報とは大きく乖離が見られるわね」

「……うすうす勘づいてはおったが、やはり軍の情報には誤りがあるようじゃのう」

「ええ。例の獄禍が付近にいるようなら、遠目からでも分かるもの。森を掻き分けていったなら跡が残っているはず。行ったとすれば村の奥地だけれど──そこはゲラートたちの報告待ちね」

 

 マジェーレの言葉に頷きつつ、討伐予定だった獄禍の特徴を思い返す。

 体表は石膏のように白く滑らかな球状の塊。そこに斜めに斬撃されたような巨大な口から、涎を止めどなく垂らしている。全長は一般的な住宅と同等。自重も相応に持つが、下部より生える人間並みの数本の細腕で自立しているらしい。この世の物とは思えぬ造形だ。大きさや形状も相まって、怪物と表現するに足る威容という話だ。現にナッドなどこの特徴を聞いたときは「うへえ」と露骨に嫌そうな顔をしていた。

 噂をすれば影が差す通り、ちょうどナッドが井戸から駆け足で戻ってきた。

 水を滴らせた顔を、マジェーレの姿を見た途端に歪める。それが、バラボア砦でソルを忌避していたときと重なった。どうにもナッドの意地っ張りなところは、まだまだ変わっていないようだ。

 ともあれ言葉以上に、表情は雄弁に語るものである。それを見逃すマジェーレでもない。

 

「何? ナッド。文句があるのなら口に出したらどうかしら?」

「口に出したらお前、遠慮なく罵ってくるだろうが」

「そんなことはしないわ。被害妄想も甚だしい犬っころね。罵倒と本音を履き違えないで」

「同じだぞくそったれ。何が犬だよちくしょう、口に出さなくても手痛いじゃねえか……」

 

 まるで火と油である。マジェーレの先ほどの反省はどこへやら、近づければ勝手に燃え広がっていく。しかし、この諍いを毎度止めていては進まない。早々と悟ったソルは、二人を他所に思考へと没入する。そもそもあの二人が、仲良さげにいがみ合っているように見えてきた。暴力沙汰にならないせいだろうか。もっとも、他人の機微に疎く感性が鈍い者の感想であるため信頼に欠けるが。

 ソルは白魚のような手で腰付近をさすりながら。

 

(しかし、確度の高い情報じゃと思っておったが……『獄禍が村から動かない』という軍の見立てが間違っておったのは確定じゃ。ならば『六翼』ベルン殿から受けた情報の精査が必要じゃな。他にも誤情報が含まれておる可能性もあるからのう……)

 

 とは言え、何もかもを疑っていても埒が明かない。疑念の迷路に囚われてしまう。

 まさか『獄禍出現自体が誤情報』という線は有り得ないだろう。ソルは辺りに視線を遣る。大竜巻でも吹き荒れたかのような村の様相は、間違いなく大事が起こった証左だ。村に建つ住居は、土塊や木っ端を散らして潰れている。局地的な大災害は考えづらい。獄禍は確かにここで暴れたと見るべきだ。

 つまり思考するべきは『なぜ獄禍が村から消えたのか?』になる。

 いがみ合う二人を仲裁しつつ、二人の知恵を借りようと相談を持ち掛けた。

 虚空に流し目を送ったマジェーレは、褐色の指を顎先に当てて。

 

「獄禍がいない理由ね。幾つか思い浮かんだものを列挙してみましょうか。単純に『軍の予測を外れ、何らかの方法で遠くへ行った線』、『獄禍固有の能力で、姿形を変えている線』、または『能力で姿形を消している線』もあるわ。あるいは──」

 

 

「或いは『親切な爺さんが先に討伐していた線』、正解はそっちだな」

 

 

 ※※※※※※※※※※

 

 

(何だ……! 誰だ!?)

 

 聞き慣れぬ男の声色で、ナッド・ハルトは身を固くする。

 瞬間、眼前に座っていたソルはその場から飛び上がった。白髪がさながら滝を登る鯉のごとく舞う。幼女は空中で腰に吊る剣を手にとり、空中で身体を反転、着地したときには臨戦態勢を完了していた。鮮やかな身のこなしに目を奪われかけたが、ナッドは己を律し腰に手を伸ばす。

 勿論ナッド自身、その横に並ぶマジェーレも各々の武器を構えた。突然の出来事で驚きに表情を変えながら、ナッドはきちんと剣を正眼に据える。後者の気に障る少女も、『己』の字に似た奇怪な魔導具を両手に掴み、どことなく泰然自若と立つ。張り詰めた空気が急速にジャラ村を支配する。

 唐突に割り込んだ声の主は、先ほどソルが背中を向けていた瓦礫の上だ。

 ナッドは日差しを浴びるその人物を見据え、絶句する。

 思わずソルを見れば、彼女は戦意を漲らせた瞳が()を捉えて、身体を震わせていた。

 

「怯えられては敵わん。答え合わせは不要だったか?」

 

 瓦礫の上に佇んでいたのは、一人の老人だ。紅色混じりの白髪には、彼の黒肌が目立つ。顔形はいわゆる魚面に近く、ぎょろりとした目でソルたちを見下ろしていた。厚く旅衣を身に纏い、首元から上しか素肌を出していない。足元も衣の裾と長めの靴で覆われている。今の時期、拷問に近い風体だった。

 奇妙な風体の老人だが、ナッドは内側にかかる重圧に顔を青くした。姿を見るだけで、まるで鎖で心臓を締めつけられるようだ。くらりと、後ろに下がりたい気持ちが湧き上がる。『六翼』のベルン・シルド中将と初対面を想起してしまった。こうして立っているだけで圧倒される。

 僅かに眉間を歪めたマジェーレは、真っ黒な双眸でその老人を睨みつけながら。

 

「知ってるわ、その面」

「あー? 若い娘に覚えられんのは、ジジイなりに嬉しいもんだなあ」

「ハ、ハキム……ハキム・ムンダノーヴォ……?」

 

 ナッドが引き攣った声色で、その男の名を呼んだ。

 ハキム・ムンダノーヴォ。ガノール帝国と正面切って敵対するラプテノン・ビエニス連合軍のうち、ビエニス王国における大御所の英雄級の一人だ。ビエニス王国には『四大将』という、大陸でも有数の英雄たちがいる。ハキムは彼らの一人『黎明の(しるべ)(かざ)し』シャイラ・ベクティスの副官を務める、強大な英雄級だ。格で言えば新米英雄級のボガートを遥かに超え、英雄級の上位に属する人間である。

 精強で知られる軍事国家ビエニス王国はガノール帝国に追随する、大陸二位の領土を持つ。マッターダリ山脈を越えた先で、その存在感を示す大国だ。その国民性は実力至上主義。徹底した身分制社会が構築されたビエニスは、老若男女関係なく『強さ』の秤に乗せられる。

 老いすら理由にならない国で、齢六十代という高齢の男が──軍の高所に君臨する異常性。

 それも位置づけは、蓄えた知識が物を言う参謀ではない。

 身一つで戦局を変える『英雄』として、ハキムという老人は未だに現役なのだ。

 

「な、なんで──しかも、獄禍を倒したって……」

 

 疑問を呈するナッドに、ハキムを除く誰もが同意したいだろう。

 この付近は戦線ではない。マッターダリ山脈の峰によって、他国とは隔絶された地域なのだ。そこに大物の敵将が侵入しているなど、有り得ない出来事である。いや、何にせよ敵将の侵入に気付けたのは、不幸中の幸いだったかもしれない。討伐対象の獄禍を片付けた敵将を討ち取れるなら、一石二鳥だ。

 自身を鼓舞して、ナッドはばくばくと早鐘を打つ心臓を抑えていた。相手は英雄級なのだ。本当ならば一石二鳥などとは、口が裂けても言えやしない。ボガート・ラムホルトとの死闘が頭をよぎる。だが、立ち止まらないとそう決めたから。

 ただ堪らずちらと視線を飛ばした先で、ソルの檸檬色の瞳は揺れていた。

 

「英雄様の人相書きは嫌でも覚えてしまうわ。──ビエニス王国の大御所がこんな田舎に何用かしら?」

「ませた口調は頃年の流行りか? 歳上には敬意を払え」

「生憎と、敬意を払うに値する相手とは思えないわね。歳を誇示する人間性の時点でね。歳の上下、力量、名声。そんなものを理由に媚びへつうようじゃ、そこらの鼠と変わんないわ」

「随分と生意気言うもんだがな。歳の功は馬鹿にならん」

 

 ハキムの飄々とした声色に、それでも臆した様子を見せないマジェーレ。

 手で掴む『己』形の魔導具の、聖文字を浅葱色に光らせている。

 

「敬意を払いたくないだけで、馬鹿にするつもりはないわ。けれど──こっそり領内に入ったつもりが、こうも偶然見つかるだなんて。あなた、運の尽きじゃない? 神様にでも見放されたかしら?」

「まさか、その逆だ。幸先の(・・・)良い(・・)出会いでな、これが」

 

 そのとき──ハキムの背後から、爆音が轟いた。

 爆炎が膨張して、蒼穹へと粉塵が吹き上がる。

 方角としては、ジャラ村の奥地。

 ゲラートたち、他八名の獄禍討伐隊が向かった先だ。

 

「なっ……!? 他にも誰か……!?」

「おーおー、派手にぶっ放すもんだ。俺も眩んでばかりではおられんな」

 

 ハキムの老木のような手には、瞬く間に細身の刃物が握られていた。日光を照り返すそれは、伝説上の竜の顎を連想させる赤銅の剣だ。竜牙の如く刻まれた刃、僅かに湾曲した峯は根本付近で広がっている。そこには大陸で使用される言語ではない、聖文字が刻印されていた。間違いなく魔導具だ。剣の形状のため『魔剣』と呼称するのが正しいのだろう。ボガートが振るっていた剣と同様に。

 そして剣刃を囲うように聖文字の羅列が、中空に浮かび上がり回り出した。

 黄ばんだ歯を剥いて、ハキムは腰を落とす。

 

「時間が押してんだ、小童共。皿ごとかっ喰ってやるから──纏めてかかって来い」



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4 『笑う修羅と無慈悲の竜』

 ──伝説上の竜をナッドは知らないが。

 

 ──幼い頃に空想したそれの暴威の片鱗が垣間見えた。

 

 

「吼えろ『濁世を(ボロス)穿つ上(=ウル=)古の竜(ヘーグル)』」

 

 

 まず皺がれた低音で紡がれたのは、何らかの名前。おそらくはハキムが握る、赤銅色の魔剣のことだ。口上に呼応して、空中で回転する聖文字の速度が上がる。

 そして獣の咆哮、いや竜の咆哮とも言うべき大音響が席巻する。空気の振動はビリビリと鼓膜の奥を揺さぶる。それは眩暈までも引き起こした。

 

 ナッドは耳を咄嗟に抑えてしまう。堪えられないほどの音の暴虐だ。自然と身体は強張りを現し、萎縮するように身構えた。これは致命的な隙だと脳内で分かってはいるからだ。だが身動きは取れない。圧倒的な音は、場内の者を鎖に繋ぐ。

 それにあの魔剣がどんな特殊能力が起動するか不明なのだ。どうしても慎重にならざるを得ない。しかし音という鎖を引き千切り、ハキムに迷うことなく接近する影が飛び込む。

 飛び出したのは、ソルだった。

 

(な……ッ! どうしてだ!? 真正面から一人で突っ込むのは無謀だろ……!?)

 

 内心で上げる悲鳴を他所に、幼躯が老人へと迫る。

 そこで見た。剣一つで駆ける剣鬼は、威圧的なまでの音を物ともせずに唇を綻ばせていた。瓦礫の上で待ち構えているハキムも薄っすらと笑みを返す。

 

 一瞬の交わりを過ぎ、白銀の剣閃が彼に奔る。唸りを上げる魔剣が真正面から、その一筋の光を跳ね返した。

 間近で鍔迫る二人は。

 

「羽音がみみざわりなのじゃ。つまんでしまおうかのう」

「……ほお(・・)

 

 音に制圧されるナッドの鼓膜には届かない、小さな遣り取りが交わされた。

 瞬間、荒れ狂う咆哮が止んだ。

 

 音の呪縛から解き放たれたナッドは、疲労のあまりに片膝をついた。その間にソルとハキムの二人は幾十もの剣を合わせる。

 飛び散る火花、光。

 風纏う一閃と風切る一閃が、対になるがごとく激突。剣戟がひたすらに鳴り響き、互いの命を求めて切っ先が揺らめき、貪り合う。

 

 幼いソルの技量は確かに高位置にあった。跳躍、加速、屈伸。四肢を満遍なく駆動させ、その身体でナッドには判別もつかないが、綿密に機会を見定めて斬撃を見舞っているのだろう。さながら弱点を知り尽くしているような、うすら寒くなるほどの精確さである。

 

 ハキムは老躯とは思わせぬ機敏さで対応していた。剣撃をいなし、神懸かり的に紙一重で躱し続け、小さな的に刃を落とす。幼女を相手取った老人の図は、まるで孫の剣の修練に付き合っているかのよう。それほどまでに、涼しさすら感じ得る立ち回りだ。着込んだ厚目の旅衣にすら剣を届かせていない。

 しかしソルも目立った外傷を被らず、剣同士の打ち合いは熾烈を極めていく。

 

 まさか二人は同格なのだろうか。この数週間の間にソルが飛躍的に実力を伸ばしたのだろうか。

 そんなナッドの疑問も、真っ向勝負を挑む剣撃の乱舞に切り裂かれる。

 

 ──そこで、不意に瓦礫が崩れた。

 

「小賢しいが、悪かないな」

 

 足場を失いかけた老人は、羽でも生えているかのごとく華麗に飛び退る。

 そう、身動きの取れぬ空中へと。

 刹那に『修羅』は檸檬色の瞳を猛らせた。

 

やはり(・・・)そうなのか(・・・・・)

 

 押し殺したが漏れてしまった──と言わんばかりにハキムは、声を上げて笑った。その意味をナッドは図りかねたが、おそらくは足場の崩落を生んだソルを指しているのだろう。打ち合いの最中、立ち位置を変える際に足で瓦礫のバランスを崩していたのだ。

 

 天高く広がる蒼穹を背後にしたその老人に、小柄なソルは飛び上がり、会心の一撃を放った。空に昇る塔を幻視させる突きだ。

 しかしそれを清冽な響きが裂いた。

 

 鋭い剣先を竜牙で、魔剣でハキムが難なく受け止めたのだ。勢いまでは殺げず、高く突き放されるが……それだけだ。

 無事に着地したハキムは、くるりと陽光に輝く魔剣を回すと。

 

「笑止、通用するものか。さあて、か弱い老骨を見世物にするのは此処まで──幕は引かせて貰う。知っておろうが、竜の口腔の灼熱は生半でないぞ?」

 

 上擦った声色で魔剣の名を復唱した彼は、切っ先をこちらへ──ナッドへと向ける。殺気の矛先を唐突に突きつけられて、彼は絶句してしまう。

 眼前で展開された剣戟に呑まれ、舞台上の演劇に見入っている心持ちだった。ここでようやく、自分が我を忘れていたことを理解する。

 しかし全てが遅い。

 

 軽々とソルの連撃を、紅と白の混じる薄い髪を揺らしてハキムは躱す。

 その間隙に中空を魔剣で斬りつけてくる。

 ──黒炎が、奔った。

 

「馬鹿面してんじゃないわ、ナッド」

 

 薄墨色の髪を流して割り込んだのは、ナッドの隣にいたマジェーレだ。横薙ぎに空中を滑り迫る黒炎、その射線上に液体状の膜が遮る。黒炎は薄浅葱の水面の盾が塞ぐ。

 激流に傘を立てるがごとく。波立ち、逆巻く液状の盾は怒濤の炎を吸収、或いは弾き返して、間近で炎の脅威を凌ぐ。

 

 よく見ればこの盾の水盾に透けて、『己』形の魔導具が緩慢に回っていた。やはりこの盾はマジェーレの携えていた武器らしい。

 そうやってナッドが遅まきに状況を咀嚼した頃、水盾の前に黒炎の壁が築かれていた。まるでソルとハキムの戦闘を目隠しするがごとく、黒々とした炎が視界を遮断している。

 顔面を舐める熱風で──ボガート戦の記憶が蘇り、本能的な恐怖と後悔が襲う。

 

(何をやってんだ俺は……ソル少尉を一人で戦わせるなんて……ボガートのときだって、一人で戦ってボロボロだったってのに! 俺も、俺達も何とか戦わなくちゃなのに……くそっ! 戦闘に見惚れるなんて、有り得ねえだろうが俺……!)

 

 剣技に魅入られるほど、ナッドは剣や戦闘に美的感覚が働かない。だが阿吽の呼吸で繰り広げられる、剣と剣との求め合いが──帝都の劇場で観覧した演舞のようで、すっかり目を奪われていた。

 両手で頬を張って気つけをする。異様な雰囲気に吞まれていた。自分も呆然としてばかりはいられないというのに。

 

 このときに、痣が残りそうなほど自分の脇腹を突いているマジェーレに気付く。

 

「ナッド……いつまでも突っ立ってる場合じゃないわ、盆暗。あなたは一刻も早く第二駐屯地に戻り、この報告を。ベルンおじ──ベルン中将は不在だろうけれど、軍本部に連絡を回さなければ一大事よ。それにあの爆発を見る限り、あの英雄以外も侵入しているでしょうし」

「……っ! でもまだソル少尉は……!」

「御託は良いわ。来た道を戻るだけ、簡単でしょ? ──私は此処を離れられないから」

 

 すこぶる機嫌の悪そうな顔で、マジェーレは液体を纏った己の武器を盾にしたまま、一歩前に出る。そのせいで彼女の表情は見えず、ボサついた後頭部だけが視界に居座った。灼熱の壁に対峙したせいかその影は色濃い。

 切迫した状況下だが、ナッドはその立ち姿に僅かな安心を覚えてしまう。きっと彼女はソルの援護を引き受けるつもりなのだろう。もっとも、殊勝な心掛けを胸に刻む女とも思わないが……ナッドは生唾を飲んで立ち竦んだ。「俺だって戦う」と言い返そうとする口を、その後ろ姿で塞がれた。

 

 ──思い上がるな。そう諫められているような気がして。

 マジェーレは、その奇怪な魔導具の名称と思しき名前を口にする。

 

「『レグーネ=ノーツォ』第二階梯──紅蓮の理」

 

 途端に浅葱色に淡く輝いていたそれは、急速に茜色へと徐々に移り変わりつつ、金音を鳴らして『己』形の武器は十字型へと変形を果たす。交差した部位を握り、マジェーレは無造作に構えた。堂々とした立ち振る舞いからして、彼女の戦闘スタイルが整ったのだろう。

 

 ただ。 

 ナッドの視線は彼女ではない、ある光景に釘付けになった。

 

 燃え盛った黒炎がたちまちに消え、眼前に現れた惨状に。

 マジェーレの身体を越して、ハキムとソルの果し合いの結末に。

 

十年遅い(・・・・)剣捌きは目に余るわなあ、のう『修羅』よお」

 

 崩れた瓦礫の山の頂点に、陽光を浴びる老人が魔剣を突き立てていた。

 指でもみ上げを擦りながら、ぎょろりとした目で見下ろしている。

 

 ──その瓦礫に埋まる、ソルの華奢な身体。

 

 ──見えるのはただ、血染めの髪と。

 

 ──ぴくりとも動かない手足。

 

 ──古びた剣は手からも落ちて、瓦礫の斜面に引っかかっていた。

 

 

「え──そ、嘘だ、ろ……?」

「行きなさい」

 

 目に。

 焼きついて。 

 

「──早く行け!」

 

 マジェーレのらしくない喝破と恐怖に押され、この場に背を向けてナッドは一目散に走り出した。情けない悲鳴を上げたかもしれない。彼の耳には自分の声も入らない。思考も一切纏まる兆しを見せない。

 

 そのまま連なる瓦礫を横目に、十字路を曲がる。この先の、村の入り口に小隊の馬を駐留させていたのだ。辺境にあるこの村から迅速に立ち去るには、そこに行くしかない。だから全力で目指した。

 衝撃で麻痺した思考に乗じ、余計なものを挟まずいられた。

 

 これが自分にできることだ。ただただ言い聞かせて手と足を動かす。戦場を一つ乗り越えたからと言って、劇的に強くなるはずがない。心持ちは多少変われど、言ってしまえばそれだけだ。己の実力を理解しているがゆえに、これしかないと信じるしかなかった。脳裏に焼きつく、幼い恩人の凄惨な姿を振り払う。

 あの英雄狂いが、あの憧憬の先に立つ武人が──ああも、あっさりとなんて。

 小隊全滅の二文字が頭から離れない。

 

 逸るあまりナッドは馬に飛び乗る。馬が身を捩って暴れたが、何とか落ち着かせた。

 絶望的な想像は拭えない。片道に三日もかかる道のりで、たとえ援軍を呼べたとしても間に合わないだろう。だが無根拠な不安を噛み潰し、託された希望だけを見据える。

 

 太平楽気取りのマジェーレの指示だが、至極真っ当な判断だ。ナッドは額の脂汗も気にせず、馬を操る。

 手綱を握り締めたナッドは、その希望を強く意識して。

 

(絶対、助けを呼ぶから……! それまで……!)

 

 

 

 

 

 

「──あれれ。こっちにも人、いたんだ!」

 

 水を差したのは、天真爛漫な少女の声だ。

 聞き覚えなどあるわけがない。

 

 村の外に立つ、杖を携えた少女の姿を見て、ナッドの思考は真っ白に塗り潰され。

 

 ──そうして視界と共に、彼の意識すら爆炎に消えていった。

 

 



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5  『夢』

 ──古い夢を見た。記憶の隅で埃を被った、六十五年もの人生の切れ端。

 これは、ある凡人の一幕。過ぎ去りし日の残滓である。

 

『ありがとう。助かったよ。いやあ、傭兵さんは優しいんだねえー……』

『……別に。世辞は止めてくれ、これが仕事だ』

 

 だだっ広い荒野を、頭から布を被る数人の集団が踏む。足早に移動する彼らのうち、透き通るような瞳をした青年に不愛想な自分の──ソルフォート・エヌマが返す。明らかに声若い。ソルフォートの青年期、二十代の頃だ。初の戦場入りから数年経ち、擦れていた時分である。

 彼は厳めしさに母親譲りの眉を渋めて、追手を警戒せんがため、頻りに辺りへ視線を飛ばす。

 

『そう言うこたねえだろ? すまんなあ、雇い主だってのに。コイツ、堅っ苦しくてなあ』

『とんでもない。僕たちが命を拾えたのは、彼ぐらい堅物だからだろうしねえ』

 

 愛想の欠片もないソルフォートに同僚がフォローを入れるが、青年魔術師は手で制した。魔術師たちの依頼を引き受ける発端は、彼の性格に起因するものだった。

 これは数十年前──ガノール帝国による十年戦争が勃発する以前の出来事。ソルフォートは、ある魔術師数人の護衛として雇われたのである。彼らは大陸最高峰の魔術の学び舎と名高い、セレスニア大学からの逃亡を企てていたようだ。傭兵なる職ゆえに、またその頃のソルフォートも心の余裕がなかったゆえに、事情は詮索しなかったが……奇妙な依頼だとは思っていた。この引っかかりに答えが出るのは数年後だが、それはまた別の話である。

 いまはただ流れゆく記憶が再生されるだけだ。

 

『ソルフォート! そろそろソラリオに着く! セレスニアの待ち伏せの可能性があるかんな!』

『ええとその、赤い方の傭兵さん? ソラリオは──マティウス王国の北端の都市だったかな?』

『おう、俺たちの庭だ。マティウスは拝金主義の楽園でなあ。特にソラリオみたいな北部の国境付近となれば、俺たち戦争屋に相応しい根城だろ。そこまで逃げ果せたら一先ず、小休止ってとこかあ?』

 

 ──ああ、そうだ。この記憶は。

 夢の最中に悟る。これは全ての始まり。

 あるいは彼の人生の後日談の原因だ。

 赤毛の同僚が集団から離れた途端、青年魔術師が耳打ちしてきた。

 

『傭兵さん傭兵さん、名前はソルフォートさんだったかな?』

『何の用だ。……手短に話せ』

『いやあ、後日のお話なんだけどね。無事に人材登用課から逃げ延びられたら、個人的にお礼をしたいんだよ。勿論、事前に取り決めた報奨金も払うけれど……そう、これが『人情』という奴なんでしょう?』

 

 柔和に微笑む青年は、睫毛の長い瞼を瞬かせ。

 あまりにも容易く。

 あまりにも柔らかな口調で。

 その言葉を口にした。

 

『──何か願い事はあるかい? 僕はね、恥を忍んで言うならば『最高の魔術師』と自負していてね──』

 

 

 

 ※※※※※※※※※※

 

 

 

(──……夢、か。随分と古い夢だった気がするのじゃ……)

 

 伏せられていた長い睫毛が、震えた。そしてゆっくりと持ち上がる。

 白髪の幼女──ソルが初めに瞳に映したのは、暗い天井だった。

 緩慢に頭を振り、意識に手を伸ばした眠気を振り払う。頭痛を覚え額に手を当てつつ、胡乱な視線を巡らせる。どうやらここは何処ぞの石造りの住居の一室らしい。塞がれた四方のうち、一方の壁に穿たれた格子付き窓──ソルが背伸びして、ようやく下辺の縁に手が届く位置だ──から月明かりが仄かに差し込んでいた。その唯一の光源を頼りに、自分の状況を否が応にも理解させる『物』を見る。

 窓の対面に寂寞と並ぶ、鉄格子だ。蒼褪めた月光を受けて、錆を浮かせている様が目についた。

 薄く埃が積もる床にぺたりと手を置いて、ソルはのっそり上体を起こす。見下ろした自分の身体は、鎧や携行品が剥ぎ取られ、包帯であちこち覆われていた。ほぼ真っ平らな双丘等も例外ではない。何の因果か出会したハキムとの交戦で、少なからず傷を負った部位の手当てだろう。包帯と長髪の白に血がやや滲んでいる。

 身体の傷から「そうなのじゃ」と意識の断絶直前の『敗北』が脳裏に蘇る。

 

「ハキムと斬りあって──そして……」

 

 英雄ハキムとの真正面からの果し合い。一縷の望みをかけ全力で挑みかかり、手も足も出ず、剣すらも手から落とした。ハキムの本領発揮を待つまでもなく、ソルは剣技の勝負で劣りに劣っていた。それでも最後まで闘志は失わなかったが、最後は気絶させられ今に至る。

 ソルは頭を振って憂愁の影を払い、自分の置かれている状況を冷静に飲み込もうとした。

 

(敗北を喫してビエニス王国の虜囚扱い──というわけでも、なさそうじゃのう)

 

 その十分に有り得る可能性を砕いたのは、ソルの手元に置かれていた一振りの剣だ。見紛うはずもなくソルの愛剣である。まさか捕虜に武器を与えるほど愚かでもなし、反逆を恐れぬほど傲慢でもなかろう。となれば『捕虜』という身分に繋がれたわけではないはずだ。その割に室内の様相が座敷牢だが、他に有力な考えも浮かばない。そう結論づけると、ソルは剣の柄をなぞる。擦り切れた包帯の、毛羽立った柔さ。所々の裂け目で剣の硬さ、冷たさが指先から伝う。

 この仕草が思考を純化させてくれる。剣と己を共鳴させるのだ。脳内の夾雑物を排除、ソルの感覚が研ぎ澄まされていく。混乱で後回しになっていた嗅覚や触覚が、徐々に調子を戻してくる。室内に滞留するカビ臭さが鼻奥を刺激してきた。やはりこの一室は長らく清掃されていないのだろう。その湿り気も帯びた夜の空気が、じっとりと肌に纏わりついていた。湿気には辟易するが、日中の暑さに比べ、冷涼な空気は心地良い。包帯だけの格好は布地面積も少ないため、床や空気はひんやりと手のひらと臀部を冷やしてくれる。

 しかし──彼女の柔肌を刺す不自然な視線が、居心地を悪くさせていた。

 ずっと無視を決め込んでも得はない。手っ取り早くソルは顔を上げた。

 

「──それで。どういうつもりじゃ」

「どうもこうもあるまいな。お前さんの現状が全てを物語っておろうに」

 

 檻の向こうから言葉が返される。不意の声にも平然さを崩さず見遣れば、鉄格子の正面で老人が椅子に腰掛けていた。どっしりと大股開きで、こちらに暗がりに居座る彼は、ジャラ村でソルらに立ちはだかった──ビエニス王国の英雄ハキム・ムンダノーヴォだ。ひっそりと銅像のように微動だにせず、ソルを見守っていたらしい。赤毛混じりの寂しげな白髪頭が差し込む月光を浴び、闇と同化する彼の黒肌と対照的だ。装いは日中に対峙したときと同様、頭部以外の素肌を見せない厚着である。彼は杖代わりに竜の顎を模した魔剣を立て、顎を乗せている。

 じっと見つめるソルの視線で、老人はやや遅れて笑う。

 

「此処には俺だけだ、安心せい」

「……なら、ナッドら──わしの小隊はどうしたのじゃ」

「別の座敷牢で休んでもらっておる。全く、説得にこの老骨が折れた事を忘るるなよ。シャイラ嬢を説き伏せる苦労、二柱三柱と金貨積まれたところで軽いぞ」

 

 ハキムの口から語られる安否確認でソルは、肺腑の底から息を吐き出す。あの場面で最も恐れていたことは、ジャラたち小隊の暴走だ。先んじてハキムを抑える決断は必須だったとは言え、統率を投げ出し、突撃したことが裏目に出る可能性は高かった。聞けば、一人だけ無傷、他は全員が火傷などを負ったものの無事なようである。断腸の思いで一計を案じた(・・・・・・)甲斐があるというものだ。

 ソルの様子にハキムは曖昧に首を揺らすと、重苦しい口を開いた。

 

「さあてと、一問一答は対等にする。俺が尋ねる手番で良いか?」

「……なんでも言うがよい」

「正味、九つほど一目見て疑問があるが──先ず、言うて置かねばならん事をば」

 

 前置きをそこそこに、ハキムはぎょろりと幼い身体を射抜く。

 ただ見つめられただけで、常人ならば毛穴から汗が噴き出すだろう。

 浅黒い年輪に穿たれた双眸が、ひとたび細まったかと思えば。

 

「まだ生きておったのか、クソジジイ(・・・・・)。遂にくたばったかと、清々しておったんだがな」

「……ハキム」

 

 それは。

 あまりにも、幼女に浴びせるには不釣り合いな呼び方だった。

 しかし「ようやく本題を切り出したか」とばかりに、ソルは静かに息を吐く。

 

「わしはのぞみに手を届かせるまで死なん、むかしそう言ったはずじゃが」

「はは、だがまさか童子になるとは思うまいよ親友(・・)。剣筋の癖だけで人物当てを仕掛けてくるとは思わなんだ。俺でなければ判らず、一網打尽に喰らい尽くしとったわい」

 

 一転して歯を剥くハキムに、ソルは遠慮のないジト目を向ける。

 そう、彼と彼女は親友──という表現はソルは断固として否定するが──少なくとも、知り合いだ。傭兵時代の同僚にして、数十年ほど戦場を駆け回った仲である。だからこそジャラ村での遭遇は、ソルにとって混乱以外生まなかった。英雄に対する畏敬や驚愕ではなく「どうして此処に」や「どうすれば最悪の結末を避けられる」という、些か方向性の違うものだが。

 戦闘で真っ向勝負を挑んだのも、彼の戦法と性格を熟知した上での行動だ。ハキム戦において、先制を取るのは必須事項である。古の時代のとある竜を象ったと言い伝わる魔剣『濁世を(ボロス)穿つ上(=ウル=)古の竜(ヘーグル)』。あの一振りから放たれる黒炎、咆哮、その他の能力は遠距離戦と殲滅戦に向いている。いの一番にソルが襲い掛からねば、その手を取っていた可能性が高かったのだ。

 ぺたぺたと四つん這いで、ハキムの顔が良く見えるところまで移動する。

 

「……わしが言うのもへんなのじゃが、よくもわしだと断定できたのう」

「断定は流石に俺でも無理だ。正直、先ほどまで疑わしさは消えておらんかったわ。剣筋やブレ、味がぴたり同じでも、大陸は広大だからなあ。『再現者』の可能性が無きにしも非ず、あとは弟子の可能性も考えたが……よくよく思い返すでもなく、お前さんが弟子を取る柄でもない。一生、挑戦者気取りだろう?」

「否定はせんが、なにやら腹にすえかねるのう」

「おーおー、理不尽さに老い耄れを泣かせんでおくれ」

「わしもぬしも年はおなじじゃろうが。なにを年よりぶっとるのじゃ」

「いやあ、舌の足らん声で言われてもなあ。孫と話しとる気分だ。まあ……少なくともお前さんが師匠であれば、どんな根気強い弟子であろうと裸足で逃げ出すだろうなあ」

「どういう意味じゃ。それはどういう意味なのじゃ」

「お前さん、どうせ訓練と称して何度も戦場に弟子を連れ込むだろう」

 

 当たり前じゃろうが、と抗議するソルにハキムは何か言いたげに肩を落とす。

 ハキムとの邂逅で何よりソルが頭を悩ませたのは「自分という幼女がソルフォート・エヌマと明かすかどうか」だった。正体が露見すれば、面倒事を多く抱え込むのは目に見えている。けれどもハキムから勝利を捥ぎ取る、あるいは逃亡することは、あまりに可能性が薄い。──結局、ハキムとの戦闘で被害を少なくするために、苦渋の決断ながら「剣を打ち合って正体を理解させる」という彼にしか伝わらない方法で明かしたわけだが。

 そんな希望的観測と天運に身を任せた結果、こうして生き延びられた。

 この判断で鬼が出るか蛇が出るか……いっそソルは開き直って、深く考えないことにした。

 

「冗句はともあれ、お前さんも分の悪い賭けに出たもんだ。生か死かの線上を俺の目に委ねるとは。ふむ、もしや信頼してくれておったのか?」

「……気味のわるいことを言うな。心情的に信頼はしておらんが、腕はみとめておるつもりなのじゃ。……ぬしなら、剣のくせで人を見抜くていど、幼子の手をひねるより容易かろうとな」

「おいおい、過分な世辞じゃ心動くには足らんぞ。だが、此処で相見えたのも縁に他なるまい。久々に旧交を温めるとしようや、十年ぶりだろうがなあ『修羅』ソルフォートよお」

 

 にかりと笑みを浮かべつつ陽気に言うハキム。十年前の別れ際に見せた表情と、ぴったり同じである。

 ハキム・ムンダノーヴォ。彼は今でこそビエニス王国の重鎮だが、昔は根無し草の傭兵家業を営んでいたのだ。十年前を機に、傭兵から足を洗い、年齢制限のないビエニス軍に入隊した。傭兵時代にも名の通った彼の腕は衰え知らずで、ビエニス軍の大英雄である四大将に次ぐ位置を獲得──と、これがソルの耳にした旧友の大まかな経歴だ。ハキムはソルの焦がれる『英雄』の席に、いとも容易く手を届かせたのである。

 しかし如何に英雄狂いと言えども……昔馴染みの彼は例外だ。

 ハキムの笑顔に反して、むすりとするソルは一つ嘆息をした。

 

「どの口が言うか。たんなる腐れ縁だっただけじゃろうが、ぬしとわしは……」

「半信半疑も確信に変わるわい、その憎まれ口。お前さんは老いる度に丸うなったが、俺への当たりは変わらんかったからなあ。……今は見目が若返ったから尚更か?」

「軽口はよすのじゃ。これでぬしの望みはかなえたな? つぎはわしが問う番じゃ」

「応、無論な。存分に情報交換と洒落込むか、其方も訊ねることは山積しておろう」

 

 寂しい頭部を掻くハキムは、若干の含みを持たせた相槌を打つ。

 勿論、聞き出したい物事は両手の指では足りないほどだ。ハキムたちが帝国の辺鄙な土地を訪れていた理由。そしてソルたち小隊を口封じで殺戮するどころか、虜囚扱いに落とさなかった理由。顔馴染みだとは言え、明確に敵方ならばハキムは容赦しない。交流の遍歴を思い返した結果、ソルはそのはずだと思う。であれば、彼──もしくは彼らが「ソルら小隊が有益だ」と判断したわけだ。有り得る物と言えば、帝国側の内部情報だろうが……。

 ソルは手元の剣を意識しつつ、直球の質問を投げかけた。

 

「──ハキム。ぬしはてきか?」

「さあな、お前さん達の目的にも依るがのう。一つ言うとなれば……俺達は帝国と事を構える心算はない」

「? だとすれば──」

怪物退治(・・・・)。お前さんは好みそうな題材だが、村に鎮座しておった、取るに足らん獄禍如きではないぞ? 俺達の討伐目標は、大陸に跋扈する七体もの災禍の権化。『原罪の獄禍』の一体『根絶』ファニマール討伐だからのう」

 

 



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6 『似た者同士』

「討伐対象が『原罪の獄禍』……ハキムよ、しょうきなのじゃ?」

「生憎ながら、耄碌するまではまだまだ時間があるようでな。正気も正気よお」

 

 『原罪の獄禍』──ハキムの口から飛び出した単語は、やはりと言うかソルの興奮を煽った。かの七体の獄禍は竜の絶滅した今、大陸における災厄の象徴だ。歴戦の英雄ですら寄せつけぬ、規格外の暴威。それらと真っ向から挑むことは、地震や雷、大洪水や大嵐に立ち向かうことと同義だ。例を挙げれば『原罪の獄禍』の一体だけで、国一つを踏み潰し、焦土に変えた記録がある。対国家で論ずるべき脅威だ。

 そんな七体が大陸を彷徨っている現状だが、ここ数十年で討伐隊が組まれたことはない。それ以前に三度ほど大々的に乗り出したものの、ことごとく惨憺たる結末を迎えている。更に討伐隊の編成に血税を注いでいた結果、支持率の低下を生み、最終的に国が傾いたという。

 だからこそ英雄跋扈の時代においても、『原罪の獄禍』討伐は為されない。あまりにも理不尽で、打倒を目指すことが馬鹿らしい。もちろん彼らによる被害も甚大だが、長い目で見れば放置のほうが得なのだ。国も主導して討伐隊を結成するわけがない。だが、そんな手の施しようのない怪物を狩るのだとハキムは言う。

 まさしくソルが願った、『本番』に相応しい怪物退治に他ならない。

 そう檸檬色の目を輝かせる幼女に、ハキムは目を細めた。

 

「……その顔、知っとるぞ。首を突っ込みたくて仕方なさげな面だ」

「────」

「頬に手を当てて確認するな。全く、お前は変わらんなあ」

 

 呆れたように肩を竦める老人を他所に、ソルは心を浮き立たせる。腐れ縁の同僚との再会で消沈していたが、この浪漫は見逃せない。討伐不可能と認識される怪物を討伐する。もし達成できたとすれば今後、大陸で語り継がれる歴史的な出来事になるだろう。

 羨ましい。本音を言えば非常に羨ましい。

 だがソルはそれを押し込めながら、重々しい口調で即答する。

 

「一枚かませてもらおうかのう」

「もう本心を隠す気もないだろうお前さん」

「しかし、『原罪の獄禍』をたおす術があるのかのう。あれは規格外中の規格外じゃろう? いかなる英雄もよせつけず、不可触とまで呼ばれた怪物なのじゃ。そのうち『根絶』はそもそも近づくことも(・・・・・・)できぬ(・・・)と聞く。くわえて戦時中の今なのじゃ。『原罪の獄禍』を討伐するにしても、のり出すにはいささか時期がわるいのではなからんか」

「ああ、まあな。俺も最初は半信半疑だったが──時期的には今しかないようでな。討伐手段もまあ、用意しておる。何せうちの王が判断したんだ、間違いはなかろうよ」

 

 ハキムの口ぶりは飄々としているからこそ、ビエニス王に対する信頼が見て取れた。

 そして彼の口から語られたのは、大まかな彼らの『原罪の獄禍』討伐の内実だ。討伐隊の人数は三十名と少数精鋭のようである。雑兵を雁首揃えたところで、『根絶』戦には一文の得にはならない。むしろ無駄な犠牲と費用を増やすだけだと判断されたらしい。だからこそ相応の大物も駆り出されているのだという。

 帝国領土内まで侵入してきたのも、『根絶』討伐に関わる話らしい。

 ハキムは額を人差し指で擦りながら、一旦この話を切る。

 

「さてと、質問は此処でお仕舞いだ。次は俺の手番だが──」

「……なんなのじゃ、ひとの身体をじろじろと」

「とりあえず後回しにしていた、その事情を聞かんとな」

 

 顎で指したのは、不愛想な白髪の幼女自身である。

 包帯で巻かれただけの、あられもない姿。

 当然ながら、ソルフォートの幼女転生についての問いだ。

 

「ああ、この身体のことかのう? かたると長くなるのじゃが──」

 

 ソルは舌足らずの声で、幼女になった経緯を掻い摘んで説明する。

 『人類最強』に挑んで敗北し、ついぞ天命も尽きたと思えば、身体が幼女になっていたこと。バラボア砦の一件や、此度にソル小隊が獄禍討伐に赴いた事情。ざっと大筋をなぞる。幸いハキムは「ガノール帝国が喧伝したソルという次期英雄級」の情報は掴んでいたため、手早く済んだ。

 相槌を打ちつつ耳を傾けていたハキムは、ゆっくりと双眸をソルに向け。

 

「成るほど成るほど……まるで訳が分からんな」

「わしもそう思う」

「ほう、あの理不尽に相対して敗れ去った。俺の理解が追いつくのはそこだけだ。死したのちに、斯様な幼子に転生? それで帝国の英雄へ駆け上がる? いやはや、質の悪い冗談のようだな。……まあ口に憚らず吹聴しおった英雄へ、ようやく踏み出せたのは友として祝福するがな」

「わらいながら言うことか。わしからすれば冗談でもなければ、わるい夢でもないのじゃぞ。そも、さいきんに思い出す機会があったが、きさま『英雄になりたいと口にするだけなら簡単だ。それには足りない物が多すぎる』とわしに言っておらんかったか?」

「ああ? あー覚えておらんなあ、いやあこの歳になると忘れっぽくて困る」

「ほら吹きじじいめ、心にもないことを言いおって。きさまの最期は地獄がお似合いなのじゃ」

 

 呵々と声を上げるハキム。ソルはむうと膨れっ面になる。

 まあ俺以外に易々と口外するべきじゃないだろう──とのハキムに、ソルは頷きを返す。その結論は以前に出していた。唯一のソルの腐れ縁で、最低限の信頼だけは置けるハキムが特別だ。憎まれ口は叩くが、そこのところは信頼している。そうでもなければ村でハキムと遭遇した時点で、運命を彼に委ねたりはしていない。

 ハキムはぎょろりとした目を、瞼で暫く潰した。

 

「……『六翼』が獄禍討伐を指示、なあ。そちらも考慮に置かんとな」

「なんの話なのじゃ。きさま、わしに隠しとることがあるじゃろう」

「まさか。単なる独り言だ、忘れよ。この歳にもなれば尿意と併せて増えて困る。ともあれ、こうなるとお前さんよお、難しい話になるのう。『原罪の獄禍』討伐に噛ませてもらおうなどと簡単に言ったがな……」

「ぬ? どういう意味なのじゃ」

「指折り数えて、自分の立場を考えてみい。幾つこの案件に手を出す理由がある? 確かこちらの情報では、お前さんは俺たちと相容れぬ帝国軍所属の『英雄の卵』だろうに。たとえお前さんがこちらの計画に加わりたいと手を挙げたとて、立場がその勝手を許すかのう?」

 

 そういえばそうじゃった──と、ソルは今更ながら気付く。

 ビエニス王国とガノール帝国は敵対関係にある。ビエニス側の結成した討伐隊には、帝国に憎悪を抱いている者は必ずいるはずだ。逆も然り。ナッドを始めとする小隊のなかにも、ビエニス王国軍を好ましく思う者が果たして一人でもいるだろうか。たとえ前述の全てが上手く事が運んだとて、帝国軍本部が見逃してはくれないだろう。そもそも、ソル小隊に与えられた任務は終えているのだ。ジャラ村に巣食った獄禍は経緯がどうあれ退治されている。帰還しない道理はどこにもないのだ。

 歯痒い。胡坐を掻いたソルは肘を太腿について、小さな手で頬を覆った。

 軍隊という奴は面倒なのじゃ、とソルは拗ねたくなる。

 

「……じゃが、きさまはわしをタダで帰す気はないのじゃろう?」

「おっと、バレとるとはなあ。気心の知れとる仲だけある」

「だから友人面はやめい。ここまでしゃべっておいて白々しいのじゃ。第三者に任務内容を話すときは、話の終わりに巻き込むか殺すかのどちらか。いままで耳にタコができるほど聞いたのじゃ」

「ほほ、小さな女子になろうと蛸が残っておるようで結構結構。まあ、俺が此方の経緯を話さなかったとして、お前さんたちは情報隠蔽のために消されとっただろうがな。此処に隊がおると情報が出回りでもすれば、帝国が黙っておらんだろう。たとえ竜であろうと『根絶』と帝国軍の二面作戦は御免被るだろうよ」

「……ならばいかに動く気なのじゃ? わしらをきさまは殺したくはなく、帰すわけにいかんのだろう。人員も減らしたくはないから、ビエニス本国へ送りたくもない。ならば」

「そうなのよなあ。お前さんを生かしたい俺は『討伐隊と行動を共にさせ、『根絶』討伐後に帰す』方法が最良だ。しかし……表立ってお前さんたちへの、大した肩入れは出来ん。討伐に意欲があるのなら、俺が口添えするってぐらいだ」

 

 ハキムは討伐隊でも纏め役の一人らしい。ビエニス王国主導の討伐隊であるため、重鎮の彼は相応に発言力がある。ソルら小隊が帝国軍であっても、討伐隊に捻じ込めなくはないようだ。しかしわざわざ敵国の小隊を肩を持ち、内部分裂を招くような言動をとるのは危険極まりない。

 考え込むようにハキムは薄い後頭部を掻いていた。

 

「つまるところ、わしはどうすればよいのじゃ?」

「討伐隊に加わりたいんなら、問題なのは『俺とお前さんの関係』をどうするかだが──」

「むろん、ソルフォート・エヌマだった事実は伏せなければならんのじゃ」

「だが単なる他人扱いでは、お前さんのボロが出るのは目に見えとる」

「……否定はせん。わしはそういうことは、苦手なのじゃ」

 

 不意に、素の反応を返してしまう可能性は高い。

 ハキムもそこは承知済みの模様で、しきりに首肯して。

 

「それについちゃ、俺に名案がある──と、一旦お喋りは中断だ。……来た」

 

 軋んだ音と温かな光を連れて、誰かが足を踏み入れてきた。

 闇が覆い隠して気付かなかったが、この一室の向こう側に勝手口があるようだ。

 耳に刺さるような足音が響くことしばし、人影が檻越しの視界に入ってくる。

 その人物が手に提げている灯篭が、素性を暴く。

 

「ハキムさん……いますか?」

 

 美しい女性だった。彼女は腰までに届く長い紫髪を二尾揺らし、その深藍の瞳がこちらを射抜く。両側をツーサイドアップで纏めた彼女の面差しには、髪型に見合った幼さと美しさが同居している。だが、身長や雰囲気を鑑みるに二十代は越しているだろうと推察できた。

 蒼褪めた肌は陶器のような素肌を持つソルと比べ、不健康さが目立っている。落ち着いた色合いのドレスが似つかわしい容貌でありながら、華美な装飾のないビエニス王国軍の戦装束姿なのが惜しい。中でもソルの目を惹いたのは、襟口に輝く数多の徽章だ。それは実力主義が幅を利かすビエニス王国において、彼女が只人ではないことを雄弁に物語っていた。

 その女性は、困ったようにソルとハキムに視線を彷徨わせて。

 

「……ハキムさん。あの、定例報告、時間」

「シャイラ嬢──だいぶ間が悪かったのう。と言うか、此処は『許可なくば足を踏み入るまじ』と言い含めておったはずだが」

「ごめんなさい。皆が呼んでた、から」

 

 すぐに腰を折った紫髪の女性は──蚊の鳴くような、繊細な声色で弁解する。

 萎らしい態度にハキムは一度息を吐いて「目上の者が軽く頭を下げるものではない。シャイラ嬢なら構わん、だが次からは無許可で立ち入るのは遠慮せよ」と諌めた。そこにはソルと交わす軽口とは別物の、歳の深みがあった。座して状況の推移を見守っていたソルは、瞳を大きく開いた。

 ここで頭を上げた彼女は「ごめんなさい」と重ねて謝意を示して、ようやくハキムから視線を切る。そして視線を頻りにこちらへ向けてくると、意を決したように座敷牢の柵の近くまで寄ってきた。緊張でソルが固まっているのを他所に、彼女は目の前にしゃがみ込む。

 ソルは何か口を動かそうとするが、どうにも上手く動いてくれない。

 宵の湖畔を湛えた瞳が、幼女を捉えて離さない。

 

「あの、この子は……?」

「ああ、俺が連れ帰った小隊の長だ。名を──何だったか、ソ、ソ……そうだった、ソルというらしい」

 

 紫髪の美女の肩越しに、ハキムの惚けた面が視界の端に映る。

 お道化た顔が腹立たしいが、ソルの身体は石像のように動かなくなっていた。

 じっと深藍の目で美女が、ずっと柵の向こうからソルを凝視してきている。

 彼女は確認するように名前を舌で転がす。

 

「ソル、ソル……ソルちゃん。ですね」

「……のう。シャイラ嬢。今は『帝国軍の隊長を尋問中』だと言っておったろう。シャイラ嬢は立ち去ってもらいたいが──此処から追い出すのも目覚めが悪いか。ええい、此方を確認して来んで良い。そちらのソル小隊長殿も不服そうだ。骨は折れるが、共々紹介してやるかのう」

 

 

 

 ※※※※※※※※※※

 

 

 

「ともあれ、手間はかけんで良いだろう。此方の方はビエニス王国の誇る大英雄『四大将』の一角、『黎明の導翳し』シャイラ・ベクティス嬢だ。俺はその右腕を担っておるんだが──聞いちゃおらんな」

 

 執なそうとするハキムの皺がれた声を、右から左へ聞き流す。

 眼前で目線を合わせてくる紫髪の女性──シャイラに、ソルは目が釘づけになっていた。

 評判通り、美貌は確かなものだ。まるで戦場に咲く菫のようである。ふらりと街を歩けば、山の如き異性の大群が喰いついてくるだろう。いや、臆して誰も手出しはしないかもしれない。不思議と滲み出る高貴さが近寄りがたさを薫らせている。戦装束でありながら、貴族の御令嬢という印象が拭い去れないほどだ。

 だがソルが食いついたのは、そんな容貌ではない。

 口内を噛んで緊張を解し、一目見たときから口にしたかったことを申し出る。

 そう開口一番に白髪の幼女は、身を乗り出して。

 

「──シャイラ・ベクティスどの、ぜひともわしと剣をあわせていただきたいのじゃ」

「え? え、えっと……この子、どういう……?」

「あーあー、シャイラ嬢は気にせんで良い。……おい、俺のときと態度が随分違ぇのう」

「あたりまえじゃろう、なにせあの(・・)『黎明の導翳し』じゃぞ」

 

 見知った腐れ縁の腐れ英雄と、『導翳し』を名に持つ大英雄だ。

 どちらに興味がそそられるか、論ずるに値しない。

 『導翳し』とはビエニス王国の慣習で、王国の四大都市を守護する『四大将』に与えられる異名だ。基本的に継承はされず、代替わりすれば変わる。シャイラ・ベクティスの持つ異名『黎明の導翳し』も一代限りのオリジナルだ。その命名の由来は、彼女が努力の末に、どん底から成り上がった経歴からだと知られている。深く濃い夜を超え、天に昇らんとする太陽。その導を翳す者。

 シャイラは、ビエニス王国で最も偉大な英雄である『四大将』まで登り詰めた女性だ。

 ソルからすれば、尊敬に値すべき「努力の人」である。

 

「そんな、私、大したものじゃ……ない。努力なんて、皆してるから……」

「ああ、シャイラ嬢、全く以て道理な話だ。ビエニスは力なき者が全てを喪い、実力者だけが這い上がれる世界だからのう。今ビエニスの重鎮に座っとる連中は、誰もがやっておることよ。俺も、傭兵から随分と成り上がったとは思わんか?」

「わかっておらん、まるで分かっておらん。シャイラ・ベクティスどのが礼賛される理由は、それが常軌をいっしておったからじゃろうが。生まれである名家から一度『無能』と突き落とされ、そこから努力をつづけ、頭角をめきめきと現した──わしが剣をあわせ、話を聞きたいのは、そんな『努力の人』シャイラ・ベクティスどのなのじゃから。自慢にふけるじじいは黙っておれ」

「本当に俺に対しては容赦がないのう……」

 

 見た目としては、幼女と老人のいがみ合いである。

 中身は老翁同士の貶し合いだが。

 

「──二人はその、どういう関係……なんですか?」

 

 びくっと反応したソルに、シャイラは紫髪を揺らして小首を傾げた。

 唐突にソルの思考に冷や水が浴びせられた。

 二人の遣り取りを見て、シャイラが当然の疑問を投げかけてきたのだ。

 あまりに真っ直ぐな質問で、ソルはたじろぐ。やはりと言うかシャイラの前──事情を知らぬ者の前であるにも関わらず、ハキムと平素のように会話していた。『ハキムとソルの関係』をどうするか、打ち合わせは中途で終わっていたというのに。迂闊である。脳筋、鶏の誹りは免れない。自己分析がものの見事に的中したとも言えるが、大英雄の姿を目にして浮き足立ってしまっていた。

 さて、どう返すのかが問題だ。ソルは平常心を装って、唾液を喉に押し込む。

 初対面で押し通せるとは思えない。

 

「それは──それは」

「良い良い、ソルよ。言い辛いのなら、俺から話すとしよう」

 

 逡巡するソルを声と手で制したハキムに、ぐるりとシャイラは向き合った。

 ソルは口を噤む。そうだ、あの腐れ縁の老人は「名案がある」と言っていたではないか。

 事実、彼の乾涸びた横顔は真摯な雰囲気を漂わせている。

 否応なく厳粛な雰囲気に包まれた。

 

「実は──先ほど確信を得たのだが、コイツは俺の生き別れた孫でなあ」

 

 ソルは噴き出した。

 涼しい顔して繰り出されたのは、あんまりな嘘だった。

 



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7 『無明の闇』

(ちくしょう、『原罪の獄禍』討伐? そんなもんをこいつら本気で……? いや、何にせよ)

 

 ──想像以上に不味いことになりやがった、とナッド・ハルトは率直な感想を零した。

 それは、ソルがハキムの奸計に陥ったのと同時刻。その苔生した薄暗い檻には、十名の男女が収容されていた。黒ずみを付けた彼らは鎧や武装を剥かれ、薄手の着衣一枚にされている。そんななかに、三角座りをするナッド・ハルトの姿はあった。燻んだ茶髪に砂が絡まり、全身に煤と汗が貼りついている。気持ち悪い感触と、針の筵のような居心地の悪さで、彼の心持ちはどんよりと曇っていた。

 様子を窺うためナッドは獄中に視線を巡らせる。格子の窓から細い月光が注がれており、薄闇の幕は拭い去れないものの、十分に現状を再確認できた。

 片隅で蹲る薄墨色の髪の女以外は皆、表情が一様に暗い。悲観したように床に目を落とす者、覚悟を決めたように唇を窄めている者──ナッドはその全員の顔を見知っている。彼を含めた檻に入っている十名は、ソル小隊の面子だった。長である白髪の幼女の姿はない。嫌な予感が汗となってナッドの背筋を冷やす。

 惨敗を喫したジャラ村から移送され、以降ここに閉じ込められているのだ。ナッドがここで目覚めたのは、体感では数時間前である。その頃はまだ、威勢よく檻の向こうへ罵倒を飛ばせる者が多かったが……。

 その筆頭だったのは、この閉塞的な牢の中心で胡坐を掻く男だ。

 ゲラートは檻の向こうへ、ゆっくりと確かめるように口火を切った。

 

「……テメェの言い分は大体わかった。俺たちは『原罪の獄禍』討伐隊とかいう、夢見がちなイカレ連中に捕虜にされたってわけだ。……けっ、ツイてねェ。俺の最期は棺桶に入って優雅にって思ってたのによ」

「もー、ひどいよ? まだ君も捕虜じゃないし、ひどいこともしないよっ。あくまで、どうなるのかは明日の早朝次第。出先の人が戻ってきてから、総意で君たちの扱いを決めるんだって」

 

 陰気な牢にそぐわない快活な口ぶりで、柵の向こうにいる少女は杖を地面に突く。

 その金髪の少女はこの牢の見張り役だ。今の今まで、ナッドら小隊に現状説明をしていた。

 少女は十代前半であれば平均的な大きさに類される。マジェーレよりほんの僅か高い身長だ。聖職者を思わせるローブから覗くのは、夕陽色の髪と赫色の双眸。あどけない顔立ちはまさに妖精のようだ。

 しかし恰好は異様である。なにせ、少女が乞食の類いと断言できるほど散々なものなのだ。全身を覆う装身具である修道服は汚れと煤だらけで血が滲み、端々が破れている。話題にも上った、獄禍討伐の過程によるものなのだろうか。それにしては、滲ませたそれらは赤黒く乾き切っていた。

 彼女の話を聞く限り、兵役に服す軍人のようだが……どうにもそうは思えない。

 容姿も、恰好も、言葉遣いも、どれもが状況と乖離している。

 そもそも少女は、厳格なビエニス王国軍とは明らかに毛色が違う。

 

「明日の朝、討伐隊の皆で処遇を話し合うんだ。いつもは二日、三日置きにあるゆるーい報告会なんだけどね。そこで時間が取られると思う。たぶん、君たちには三つの道があるかなあ。君たちを帝国に帰す道か、ここで君たちを燃やしちゃう道か、それともイルルたちと一緒に『原罪の獄禍』の討伐の手助けをさせる道か。どうなるかは皆と話し合うことになるけど……」

「……三つの道? 馬鹿言え、どうせその選択は俺たちの手に届かねェ代物だろうが。手前ェらの都合で左右されるってんなら、結果は出てるようなもんじゃねェか。後腐れなく、仲良く首切られて仕舞いに決まってる」

「始めっから諦めちゃ駄目だよ! 明日になってみないとわかんないよ?」

「裏は表と言い張らねェか。クソが……敵方の餓鬼に励まされちゃ世話ねェな」

「餓鬼じゃないよっ! イルルはもう国で元服を迎えてるんだからね?」

 

 自慢げに薄い胸を張って橙の髪を揺らす。そんな、自身をイルルと呼ぶ少女からナッドは視線を逸らした。ナッドからすれば、彼女はジャラ村で焼却しかけてきた敵だ。そして、切り拓けたかもしれない希望を阻んだ相手でもあるのだ。

 ソルを見捨て、ハキムに背を向け、マジェーレに場を託し──帝国に救援を呼ぼうとしたナッドの前に、立ち塞がった少女。抱え込んだ膝が震えそうになる。意識が途絶する直前の、業火を。身体を容赦なく取り込んだ、熱を。本能的な部分で恐れを喚起させる『炎』を思い出すと、歯の根が噛み合わなくなる。あのボガート・ラムホルトも炎を操る男だったこともあって、ナッドは炎恐怖症に片足を突っ込みかけていた。

 押し黙っているナッドを他所に「元服云々はクソどうでも良い」とゲラートは皮肉げに会話を続ける。

 

「何にせよ、俺たちの真っ暗のなお先はテメェらの手の上ってことだ」

「うーん。そういうことだね。あたしは……イルルは、あんまり物騒な結論になって欲しくないんだけど」

「はっ、嘘臭ェ台詞は身に染みるな。ありがてえ。だったら俺たちがお国に大手を振って帰れるように便宜を図ってくれよ、なあ見張りさんよお。俺たちの目的だった獄禍も倒しておいてくれたんだ。目標達成してんだぜ? ここで油売る残業なんざ勘弁なんだよ」

「そうしたいのは山々なんだけど……イルルの独断じゃ決められないんだ、ごめんね」

「ははっ、だわなあ? ……口だけの偽善者ほど胸糞悪い奴はいねェな」

 

 小声で少女イルルを罵ったゲラートはそれきり面を下げ、口を閉ざした。

 ゲラート・ブルシャット。ナッドが数日ほど、彼と共に生活しての印象は「野蛮な粗忽者」という一言に収まる。ギラギラした眼光や栗色の強い髪色を見るに、ナッドの実家である帝国北部出身かもしれない。特徴と言えば、身体と態度がナッドより一回り大きく、彼が自分と同い年というのが信じられない。「自身の命をかけた天秤の前で、重石をちらつかせる相手」に、刺々しい皮肉を吐けるなど大した胆力の持ち主だ。単なる煽りたがり、つまりは考えなしの馬鹿の可能性もある。だがナッドは彼の発言の度、寿命が縮まる心地すらするのだ。もし馬鹿の類いであれば、棺桶送りも辞さない。彼は固く誓った。

 

 ただゲラートの墓標を立てる前に──明日、ここにいる全員が土に還るかもしれない。

 いや十中八九、小隊の処遇は『死』だろう。癪だがゲラートの言にナッドは同調を示す。

 自分たち小隊にはそれだけの価値がない、はずだ。

 こうして生かされているのが不思議なくらいなのだから。

 絶望的な結論に達したとき、不意に口火を切った者がいた──マジェーレである。

 

「──お喋りはおしまいかしら? 自棄になって人を煽るのなら大樽に並々入った酒で口を塞ぐほうが利口よ、ゲラート。酩酊した頭なら一周回って正常に回りそうね」

「おいおい、気味悪く黙りこくってると思ったら何だァ、マジェ? 見りゃ分かるだろ。この牢には気が利かねえことに酒樽はねェ。代わりっつって、そこに壺を置いといてくれたみてェだわ。覗いてみたとこ、中身はビンテージ物の糞だったがな」

「気が利くじゃない。あなたの肥えた舌にはぴったりね」

「……マジェの臭いのほうがお似合いだけどな。壺より体臭が鼻を突いてしょうがねェ。その壺の中身で水浴びしたら、多少マシになるんじゃねェか? 一人だけ怪我もしてねェみてェだしよ、傷に滲みることもねェだろうし。しゃあねェ、くれてやるよ」

「あら、私はそもそも水浴びをするような趣味はないわ。残念だけど遠慮させてもらおうかしら」

 

(いや、趣味じゃなくても水浴びはしろ。何ヶ月単位で入ってねえんだ。同じ部屋にいる俺たちの身にもなれよ。クソッ……ってか、何でこいつら数少ない味方同士で火花散らしてんだ……。クソみたいな煽り合いばっかじゃ、空気が悪くなるばっかりだぞ。見張りのアイツも興味津々にこっちの話聞いてるし……確かにゲラートは口が汚ねえし、マジェーレは半端なく臭いけどさ)

 

 ナッドは胃を縮めながら、益々肩身を狭くした。

 月明かりを忌避するように、牢の奥底に蹲っていた黒い少女──マジェーレ・ルギティ。不意に毒を吐き始めた彼女だが、今の今まで黙りこくっていた。具体的にはずっと爪をがりがりと噛みながら、目を見開いて虚空を凝視していたのである。うっかり下手に刺激すれば、縊り殺されそうな形相だった。事実、ナッドのその感想は正しかったのだが。小隊で最も腹を蓄えた男が声をかけ、射殺さんばかりの眼光を喰らう一件があった。それ以降はゲラート含め、誰一人として彼女について触れなかったのは言うまでもない。

 ナッドは「打開策を案じているのか」と思っていたが、今のところ動く気配はない。

 そもそもマジェーレとは、この牢で碌に口すら利いていないのだ。

 

(まあマジェーレに一度だけ──牢で起きたときに、無能って一言だけ言われたけどな……でも、それは仕方ない。だってこれは、俺が弱かったからだ。俺があのとき、見張りのアイツを掻い潜ってさえいたら──きっと、こんな袋小路に嵌っちゃいなかったんだから)

 

 己の無力さに指を噛む。もう何度目の後悔だろう。

 もっと自分に力があれば、何かが変わっていたのか。

 どうしても無駄と知りながら、そんな絵空事を描いてしまう。

 

「つーかよ、あの村でマジェ。テメェはのうのうと両手を挙げたってわけだろ」

「そうね、勝ちの目が見当たらなかったもの。投降する他ないでしょう?」

「……はっ、日和やがって。勝ち目がなけりゃ命乞いするだァ? うちの副隊長様は意地がないと見える」

「意地と命は代えられないわ。蛮勇を誇るだなんて、路上の糞溜めか空の向こうでやっておきなさい。勿論、あなたの肩を叩いてくれる仲間内だけでね。あそこの脳味噌の足りなさそうな見張りさんに、自慢の『意地を張って』十人纏めて焼き焦がされたゲラートの言葉──ええ、ええ。全く以て重たい言葉ね」

 

 ちらりとマジェーレの視線が、牢の向こうへ飛んだ。

 当のイルルはぱちりと瞬きして、首を捻っている。

 他人事ながら「大丈夫かよ」と思わざるを得ないナッドだった。

 

「チッ……ああ分かってたぜ。テメェはそういう奴だったなァ」

「生きること、それが贅沢であればなお良し。そのためなら私は『悪魔』にも魂を売ってやるわ」

「そりゃあ良い。『悪魔』とは大きく出たもんだ。だったら俺はテメェの脚を引っ張るときにゃ、死神アニマに魂を売ることにするか。……同じ質に入れたくもねェ」

「精々、気張ることね。神や『悪魔』が魂を入れる質なら、あなたのモノはどんぐりと同価でしょうから」

「……言ってくれるじゃねェか」

 

 この後も続いた二人の口論は、程なくして幕切れを迎えた。

 徐々に強まるマジェーレの殺意を孕んだ視線に、ゲラートのほうが怖気づいたのだ。

 改めてナッドが思うのは、二人とも口の悪さが尋常じゃないということだ。どちらも糞がお似合いの口だが、それを声にすればこちらまで延焼するのは目に見えている。臆病の誹りを甘んじて受ける代わり、ナッドは顔を膝に埋めた。流石にこういうことに油を注ぐ気にはならない。

 これで空気が張り詰めた牢のなかに、緊張という線が何本も張り巡らされてしまった。マジェーレとゲラートの諍いが沈静化すれば、痛いほどの沈黙が下りる。項垂れた幾人もの影。唇を開くことすら億劫になる。不思議と身じろぎするにも多少の勇気を必要とした。

 青息吐息で見守っていると「暫定どんぐりのせいで話が初期からずれていたわね。本題を切り出すわ」とマジェーレが、柵の外に水を向ける。

 

「あなたの語りで後回しにしていたけれど、ここはどこなの? ジャラ村にはこんなに立派なボロ小屋はなかったはずよ」

「ここはねー。ジャラ村からちょっと離れた場所にある、ケーブって小さな集落だよ。山脈寄りの──そうだねっ、マッターダリ山脈の麓になるかな。ジャラ村と違って住居は無傷のまま無人になってたから、すっごく助かっちゃって。一応、討伐隊の拠点をここに張ってるんだ」

「……覚えている限り、ケーブはジャラ村からそう距離がある場所ではないわね」

「うん、徒歩でも半日かからない。君たちを運ぶのも結構楽ちんだったかなー」

「私の知識とも相違ないわ。謀るつもりはなさそうね」

「もー、試す真似はしないでよー。イルルには良いけど、他の人にはしないようにっ! ちょっとノリが変に良い人もいるんだからね。碌なことにならないんだから!」

「善処するわ。さて、これであなたたちの目的、命運を分ける時刻、置かれた状況、私たちの居場所は把握できた。お腹一杯、と言いたいことだけれど。……最後にどうでも良いことを聞くわ。我らが小隊長様はどこへ行かれたの?」

 

 マジェーレの問い。それは、ナッドが見張りのイルルに最も尋ねたかったことだ。自己嫌悪、状況把握、口論と続き、すっかり聞きそびれていた。

 ようやく質問の機会を得たナッドは、堪らずあの幼女の居所を尋ねる。

 すると案じるようにイルルは指を顎に当てた。

 

「んーあの白い女の子のこと? あの子は、君たちの代表者だからねっ。今頃ハキムのお爺ちゃんが尋問してるはずだよ。そういえば、いつもより張り切ってたなあ。俺だけでやるから誰も近寄るなーって」

「う、嘘だろ……よりによって、あのときの英雄に……」

 

 顔を急速に蒼褪めて、ナッドは悔恨に打ちひしがれた。

 脳裏に浮かぶのは、幼女を斬り捨てた魚面の老爺。ハキム・ムンダノーヴォは歴戦の猛者である。勿論、新兵に毛が生えただけのナッドには、面識など村での一幕以外ない。しかし『一昔前まで傭兵家業に身を置いていた』『ビエニス王国の現役英雄』という風評を下に人物像を組み立てれば、ナッドは例の幼女の処遇を嘆かざるを得ない。傭兵もビエニスも、冷徹さを持った者しか生き残れない過酷な場だ。

 そんな者が、張り切って、しかも二人きりで尋問という。

 間違いなく、口にするには憚られるような拷問にかけられているだろう。

 

(……クソっ! 俺が不甲斐ないばっかりに……こんな、すまねぇソル少尉……!)

 

「ん、え、大丈夫? その……茶髪の人」

「ふぅん、そう。──そこの木偶は無視してくれて構わないわ。とりあえず少尉は無事なのね」

「まあねっ! ハキムのお爺ちゃんがちゃんと手加減してくれててほっとしたよ」

「……手心を加えているようには思えなかったけれど」

「ハキムのおじいちゃんが剣を収めたとき『原形を留めてた』なら、それは手加減してるってことだよ! 欠損一つなく連れ帰れたなんて、すっごく気を遣った証拠だもん。シャイラのお姉さんもびっくりしてたぐらいなんだから」

 

 上機嫌にイルルが言い募る。

 反比例して、ナッドの気分は落ち込むばかりだ。あの豪快な戦闘も手を抜いた所業だったのか。益々、凡人と英雄の差に寒気を覚える。彼らの全力を想像だにできない。今頃、ソルも『英雄』という想像を遥かに超える高い壁に、辟易してはいないだろうか。諦めをまだ知らない幼女も、膝を折ってしまうだろうか。憂慮がナッドの頭から離れない。

 イルル曰く、ソルとの再会は早朝になるそうだ。処遇検討の前に合流するらしい。

 

(『原罪の獄禍』に挑みかかる自殺志願者どもは俺たちには関係ない。大切なのは明日だ。明日にここから生きて帰れるか否か、それだけが問題なんだ……!)

 

 そう、すべては明日。──自分たちの生死はそこで決まる。ごくりと生唾を飲んで、ナッドは膝の締めつけを強くした。

 そんなとき唐突にイルルは「あ、もうこんな時間」と視線を流す。

 

「そろそろ皆も就寝時間だから寝なくちゃだよ。夜更かしは明日に響くからねっ!」

 

 鮮やかな橙色の髪をローブの合間から覗かし、彼女は軽快な足取りで去っていく。

 だが歩を一度止めると、思い出したように彼女は振り返った。

 快活さを開け放ち、にっと歯列を覗かせる。

 

「結末は君たち次第だよ。きっと一筋縄じゃいかないと思うけど、頑張って。どの未来を選び取るか、あたしも微力ながら祈っておくから!」

 

 ──太陽のような笑みを見せた彼女は去り、深い夜は更けていく。

 ナッドはちっとも眠れず、格子から覗く宵の空を眺めていた。星々の輝きの欠片が切り取られ、ずっと同じ額縁を見ているようだ。心落ち着くかと言えばそうではない。天高くで無数の光から嘲笑を投げかけられているかのよう。自分も追い詰められているなと自嘲して、もう夜空は見上げないことにした。

 だが誰も喋らない静まり返った独房では、散漫な思考が渦を巻く。ソル少尉のこと。イルルという少女への忌避感。己の未熟さ。処遇。結論など出やしないことを、無駄に考えすぎる。暇を潰しながら胃を潰していた。

 

 そうして結局、一睡もしないまま。

 十一名の命運を左右する、運命の朝を迎える。

 

 

 

 ※※※※※※※※※※

 

 

 

 ──黎明の日差しは、透いた水のごとく清冽だ。

 雄大なマッターダリ山脈が見下ろす、広々とした空き地。集落の人々がいた頃は、寄り合いの集会に使われたであろう。その中央付近でナッドは直立していた。

 ナッドは噴き出す汗を指の腹で拭う。これは気温に起因するものではない。ぐっしょりと濡れた背筋の汗は、ぞっとするほど冷えている。武器が取り上げられている今、心許ない。ただ手枷や足枷もない。できれば尻尾を巻きたいが、そう言えない状況だ。……思えば最近、のっぴきならない出来事ばかり遭遇している気がした。ナッドは頭を振ってその事実を追い出す。彼の精神衛生上、それを考えるのは危険である。

 

 周囲には肩を寄せ合うように小隊の面子が勢揃いである。ナッドの隣では、太々しい面構えのゲラートが辺りへ視線を頻りに飛ばしている。嫌に攻撃的だ。緊張しているのだろう。ただ彼の威嚇とも取れる行動を、近くの人間が諌めている。彼の背後ではマジェーレが寝惚け眼を擦って、あまつさえ欠伸をしていた。奴の心臓は鋼鉄加工されているのか。ナッドはその能天気さがいっそ羨ましかった。

 そして彼ら小隊を背にし、最前に立っているのは一人の幼女。

 痛ましく包帯を覗かせた、ソル少尉である。細身かつ小さな体躯ながら、その立ち姿には威厳が醸していた。ソルの無事に胸を撫で下ろしたのは、数十分前。

 今では些細な安心感なんぞ胸の何処にも残ってはいない。

 

「……帝国軍か……ハキムの旦那の考えは解らん……」

「……すぱっと殺しちま……良いだろうに、何だって……」

「……も落魄れたモンだ。あんなに小さな子供を英雄なんて祭り上……」

「……に行かせろ。離せ、帝国の連中は許せな……」

「……ャイラさん、美……」

「……なことよ……あれが『修羅』、ねえ」

 

 さざ波にも似た囁きが、何処からか耳に入ってきた。

 見渡すまでもなくソルら小隊を──数多くの軍人が円陣を描くように囲んでいる。

 威圧感は相当なものだ。細かな震えが止まらない。軍人たちの厳格な面相から飛ぶ鋭利な視線に、ナッドは萎縮する。殺気や敵意というものに痛覚が刺激できたなら、ナッドたちは滅多刺しだ。今にも襲いかかりそうな者も少なからず見渡す限り圧倒的に男衆が多いが、少なからず女性も入り混じった編成だ。一見、ナッドより年上ばかりである。少なくとも十代はおらず、三十代、四十代が半数という印象だ。若き才人たちが席巻する昨今、些か珍しい年齢の偏りだ。そして最も特徴的なのは、顔に傷が色濃く残っている者が異様に多いことだった。尚のこと、刺さる視線が恐ろしくなっている。ナッドは目を合わせないようにするので精一杯だ。

 

 端々の装備にビエニス王国軍所属を示す、鷹をあしらった紋章が見えた。しかし、残りの少数のものは異なる。確かあれは──大陸の辺境にある、デュナム公国軍のものだったか。大樹の中心に鍬と剣が交差する紋章。弱兵と名高いあの国も討伐隊に参加しているらしい。おかしなこともあるものだ。

 そして。

 

「──静粛に」

 

 その嗄れた声音に、心が引き締まる。

 年数を経た威厳を感じさせる声は、ナッドたちの──ソル小隊の正面から。そこには、錚々たる四人が一堂に会している。『原罪の獄禍』討伐の中心人物たちのようだ。

 

 先ずはビエニス王国、四大将『黎明の導翳し』シャイラ・ベクティス。

 同じくビエニス王国、四大将副官ハキム・ムンダノーヴォ。

 前者は困り果てたように眉尻を下げ、後者は瞼を厳重に閉ざしている。

 一人で相対しているわけではないが、眩暈が酷い。ナッドは緊張のあまり吐き気も催し始めた。不興を買い敵対すれば、懺悔する間もなく首を刈られる。ナッドは「何がゆるい報告会だよクソっ」と口の中で吐き捨てる。勿論、誰にも聞き取られない音量で。まな板の上の鯉としては、処刑台に首を突っ込んでいるような恐怖が続く。

 彼の心情など誰も考慮するはずもない。椅子に腰を据えたハキムの、重々しい声色が響く。

 

「……新参の者もおるからな、改めて口にしておこうかのう。シャイラ嬢から全権委任を承っておる。此れより……俺の一挙手一投足は総て、『四大将』シャイラ・ベクティスの物だと思え。まあ取り仕切る役目でも無し、要らんとは思うがな。議長はそこの──ハーエルが務める。ささっと始めてくれや」

 

 文官然とした中年男が輪の中から抜け、中心人物四人に頭を下げた。

 

「有り難う御座います、ここからは私ハーエルが進行を務めさせて頂きます。時間は我々にとって貴重であり、ここはそう改まった場でもありません。早速取り掛からせてもらいましょう。議題とすれば、大きく三つがあります。先ず一つ、昨日に捕らえた『ソル小隊』。その処遇を検討することです。意見がある者は先ず挙手を」

 

「はいはーい! イルルは丁重にガノール帝国に帰したほうが良いと思いますっ」

「いやはやイルル! 何を言うか、処遇など議論の俎上に乗せる必要性などあるまい!」

 

 それにすぐさま挙手をしたのは、討伐隊の中心人物たる、残りの二人だ。彼らの風体は他人に比べて奇異であった。

 一人は、意外にも昨夜の──自らをイルルと名乗った少女。小汚いローブ姿もそのままだ。紋章は見当たらないが、おそらくはデュナム公国の代表だろう。ビエニス王国の気質や風評にはどれも当て嵌らない。消去法ながら、昨晩のあの陽気さはデュナム公国の出というほうが納得する。

 あんなものが討伐隊代表の一人とは世も末だと思うナッド。大丈夫かと言いたいが、考えてみればナッドら小隊を率いるソルは幼女であった。彼には世を嘆く立場になかった。

 

「最初に挙手されたイルル・ストレーズ様から伺いましょう。国へ帰す提案の真意は……ああ了解しました。文字通りですね」

「うん、よく分かってるね!」

「何度も報告会をやっていますので。それでは次、挙手されたホロンヘッジ・バルバイム様。処遇を議論するまでもないと、そのように仰いましたか?」

 

 腕を組んで頷くのは──イルルの隣に威風堂々と立つ青年。目を惹くのは、燃え立つような赤い頭髪。その下に輝く翠の瞳は、海底に眠る宝石のよう。純粋無垢でありながら、勇猛さを秘めた面構えだ。

 恰好としては、軽装鎧を着込んでいる。腰に軍服の袖を巻いて、マントのようにはためかせている。軍服の背に描かれた……字体を見る限り、自作の落書きのようだ……大樹の紋章が、風に舞って見え隠れしていた。

 一見して二十代前半だろうか。ナッドとそう変わらない年代に見える。イルルと同様、快活に喋るため若々しい印象を受けた。

 好青年然とした笑みで彼は、その溌剌とした調子で言い放つ。

 

「ああ、そうとも。処遇など問うまでもないだろう! ──並べ、綻び一つなく綺麗に首を斬り落としてやろう!」



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8 『随に漂う小舟』

 ──平穏な報告会という夢は脆くも崩れ去った。

 気後れするナッドの鼓膜がびりびりと震える。デュナム公国代表二人の意見表明を皮切りに、清澄な空気が熱を帯びるほど、諤々と『ソル小隊の処遇について』意見が激しく交わされた。ナッドは手汗が止まらない。迫力に気圧され、気が気ではない。

 張り詰めた面持ちなのは彼に限らない。当のソル小隊は皆、頭上で飛び交う裁きの内容をただ指を咥えて聞くだけ。議論に割って入る勇気を、包む熱量と空気が拒んでいる。胆力だけは一丁前のゲラートですら歯を軋らせるのみ。一向に手を挙げようとしていない。その理由は判然としている。

 

 包囲するビエニス・デュナム混成軍──明言はされていないが、軍備の違いを見るに間違いない──の威圧感もさることながら、正面に陣取る英雄の存在も大きい。特に、瞑目したまま腰を下ろすハキム・ムンダノーヴォ。かの英雄が放つ威厳が、小隊の面々の口を塞いでいるのだ。そして未だ一言も発せぬまま、いつの間にやら処遇案が二つに絞られていた。

 

 一つは『原罪の獄禍』討伐を完遂するまで、この集落に逗留させる案。

 もう一つは、懸案事項は抹消すべき……つまりはソル小隊をここで討つ案だ。

 

「言い分は理解できる。しかし、流石に短絡的に殺害するのは──」

「いやいや、帝国軍を生かす理由がなかろう! これが帝国の民であれば温情をかけるのも吝かではないが、彼奴らは国の看板を支える兵士だ! 誇りある国家に殉じる『戦士』だ! ここで情けを見せ、全力を尽くし首を晒さないのは──『戦士』である彼らにとって、それこそ侮辱ではないか!」

「尤もである。ホロンヘッジ様の意見に賛成する」

「余計な鎖となるならば、致し方あるまい」

 

(クソ、馬鹿言うな! キラキラした目でよ……国に奉仕したくて兵士になる連中ばっかりじゃねえんだ。特に帝国じゃ、愛国心なんざ犬の餌としか考えてない奴も多い。後ろであくびしてるクソマジェーレは言うに及ばず、俺だって首を捧げる気はねえ)

 

 ナッドの悲哀に暮れる独白は、やはり舌に乗せられず喉の奥に引っ込んだ。

 後者の過激案を牽引する、ホロンヘッジ・バルバイムの語調は場違いなほどに明るい。抜けたような笑みの下で彼が提案する過激案は、囲む討伐隊の半数が賛同した。当然と言えば当然だ。『原罪の獄禍』退治という大事を前に、わざわざ爆弾を飲み込む人間はいない。そもそも、彼らの故国と帝国は火花を散らしている真っ最中。まして互いに兵役を担う人種なのだから、敵兵を生かす選択肢を取るほうが珍しいのだ。ナッドも一応、そんな第三者の冷静な意見は理解できる。だが彼は判決を待つ当人だ。さもありなんな話の潮流が変わることを願わずにはいられない。

 しかし、願いを託す穏健派の主張が「弱々しい」という他ないことが問題である。

 

「んー、ホロンくんの主張は『戦士』の価値基準のそれだけど。イルルはそうは思わないかなー。ここは戦場じゃないから、戦場の法律に従う必要はないよねっ? イルルもこの人たちも目的は獄禍っていう、『みんなの敵』でしょ? だったらここは握手して、バイバイすれば皆幸せ! 血で血を洗うんじゃ、いつまでも真っ赤なまま。剣を収められるときは収めたほうがいいに決まってるよっ!」

「……イルル様の言はともかく、短慮な決断を下すのは早計かと」

「全くだ。皆が皆ちっとばっかし、頭に血が上りすぎている」

 

 穏健派が過激な案を飲まない最大の理由は、ひとえに「物騒な案には賛同しかねる」という消極的な意見に収束する。一定数いる静観している者も含めれば、積極的に拒んでいるのはデュナム公国代表のイルル・ストレーズくらいだ。根拠は乏しい主張のため糞の役に立たないが。昨晩のゲラートとの会話と違っていないものの、あれでは論外だ。

 激しい水流に数本の木を横倒しても、時を経ず飲まれるのが摂理だ。声高に主張できるほどの、確固たる形を持たないため──過激派の口を塞ぐに足る重みを持たない。穏健派の劣勢は変わらず、徐々に窮地へと追い込まれていく。押し切られれば『処刑』の執行が決定される。

 

 まずい流れだ。ナッドは唇上に溜まる脂汗を拭い、身上の危機に焦れていた。流れを変えなければならない。しかしどうすれば良いのだろう。小隊が最も望む結論は「出来得る限り無傷で帰還すること」だ。それは理想論だとしても……少なくとも生還したい。ナッドはソルへと視線を走らせる。

 

 自然体で立ち、悠然と構えていた。どうも腕を組んで気楽に構えているらしいことが窺える。

 その後ろ姿からは、ナッドの内に沸き立つ焦燥感は窺えない。

 流れに身を任せているのか、それとも──。

 

「──良いかしら? 挙手さえすれば発言資格はあるのよね?」

 

 そこで。褐色の手が、ナッドの背後から気怠げに伸びる。

 瞬間、紛糾していた議論が水が打ったかのように静まった。一斉に放たれた視線の矢に面食らうナッドは、細腕に退けられて──議論に水を差した当人であるマジェーレ・ルギティが前に進み出てくる。清澄な朝の日差しを鬱陶しげに睨み、緩慢な速度でナッドを通り過ぎていく。英雄たちの矢面に立ったと思わせないほどの堂々たる振舞いだ。彼女が耳元の薄墨の髪を払えば、前に固まっていた人垣が割れる。靴音を高らかに上げて、未だ微動だにしない白髪の幼女の横へと並ぶ。

 マジェーレは黒々とした目玉を幼女に向けるも、素っ気なく正面に向け直していた。

 

「──ソル小隊の方ですね。不躾ながら、御名前を伺っても宜しいでしょうか」

「マジェーレ・ルギティよ。この小隊の副小隊長を任されているわ。……跪く必要はある?」

「いいえ、マジェーレ殿。進行を優先し、この場においてのみ略式で構わないと」

「そう、素敵な規則があるものね。有り難く乗せてもらうわ」

 

 こうして小隊長と副長の二人は、前方に陣取る大英雄たちと対峙した。

 瞼を下ろしたままのハキムはどっしりと構えたまま変わらず。彼の主であるはずのシャイラ・ベクティスはその傍に立ち、きつく引き締めた口許は彼女の心情の表れだろうか。その隣では、まさに子供のように瞳の赤を輝かせるイルル。ナッドには阿保面にしか見えない。

 

 言葉も出ないナッドは、ただ呆然とソルと肩を並べた褐色の少女を見つめた。まさか彼女が表立って発言するとは思っていなかったのだ。マジェーレに対するナッドの人物評として「自分本位で気儘な人間」というものがある。彼女がいけ好かないという個人感情と、不遜な態度から見れば満場一致で同意を得られるだろう。そんな人間が小隊の危難を救う手立てを講じるとは……とナッドはそこで思い直す。

 

「議論が白熱していたところ悪いけれど、私たちを無視して話を進めるのは『ナシ』よ。私たちの譲歩なく帰国する道は端から望めないのなら──ホロンヘッジと言ったかしら。貴方に価値を示しましょう」

 

 啖呵を切るマジェーレに目を向ける。

 腐っても小隊の一員である彼女は一蓮托生。『己が生存のため』出張ったのだろう。内心がどうあれ、自分たちの未来は彼女の一挙一動に託されたも同然。趨勢を覆さんと名乗り出たこと自体は、正直有り難かった。けれども行く末も彼女次第ということでもある。議長役を担う男との問答でも生きた心地がしなかった。いまも囲う視線は鋭利さを増している。幾陣もの殺気がナッドたちの肝を潰さんと圧力も強まる。そも、マジェーレのあの角の立つ口調は何なのだ。命が惜しいのなら社交性を身につけろと言いたい。無礼打ちとして即刻、刃が飛んでいた可能性もあったのだ。何が悲しくて、処遇決定を待たずに死の危険に晒されなければならないのか。

 もはや半泣きのナッド。口を挟めない空気感がもどかしい。

 マジェーレの黒瞳とホロンヘッジの翠瞳が真正面から衝突する。

 

「価値。価値か。それは帝国についての情報源としての? もしや我々の手先として帝国に送り帰せという要求か? いやはや、それは通らんよ! 反帝国を掲げる者共にとってみれば喉から手が出るほど欲しいだろう。しかし! 反帝国の前に、我々は天災を討つ使命を背負った! その命乞いは我々には通じない!」

「……わざとかしら? それとも意図して言及を避けているの? 私たちが提供できるものはそんな、不確かで迂遠なものだけじゃないわ」

「ほう、では聞かせてくれ! それは如何なる益となるのかを!」

「勿体ぶるほどでもないわ。戦力(・・)よ。私たちを生かしてくれたのなら、『原罪の獄禍』討伐の一助になる。時には馬車馬のように働きましょう。そう言ってるの」

 

 ナッドは声をうっかり漏らしそうになった。声だけでなく吐瀉物も喉元まで届きかけた。マジェーレの提案はひとまずの生存を念頭に置いた「その場凌ぎの案」だ。最低限、小隊総意だと思われる『この場における生存』という結論は満たされてはいる。外付け戦力として一時的に彼らと手を組むのならば、確かに。しかし──何を差し引いても、問題点が大きすぎる。

 

 ナッドの隣から石臼を曳いたような、苦々しい響きが擦れる。マジェーレに視線を流すゲラートの表情は歪つだ。「『原罪の獄禍』討伐だァ……?」と零れる。当然の反応だ。彼女の提案は、ここに集った自殺志願者たちと同道する案に等しい。あくまで一時的な延命処置としてならば飲み込めなくもないが。

 

 静まり返っていた広場に、一つの失笑が落ちた。

 耳をぴくりと跳ねさせマジェーレは、無機質な視線を巡らせる。

 

「……何か道化じみたことを口にしたかしら、私は」

「いや、オレは名案かと手を打ったのだが──何かしら問題はあるのか!」

「ホロンヘッジ様……お言葉ですが。多少なりとも、戦力が増強されるのは我々にとって不利益とは申しません。ですが、その増えた戦力の矛先が何も『原罪の獄禍』に向くとは限りません。逃亡ならまだ良し。離反を企て、我々の脚を引っ張る可能性が──低い、とは到底思えません」

 

 ホロンヘッジの問いに、輪の一人が丁寧な所感を露にした。粛々と告げる最中、冷徹な視線がゲラートを始めとした小隊に突き刺さっていた。ナッドが肌に感じたのは侮蔑。信頼に不足する輩だという蔑視が込められている。ナッドも甘んじて受け止めざるを得ない。そう、マジェーレの提案の大穴はそこだ。

 

 敵軍との口約束を無条件に信頼する馬鹿はいない。事実、ナッドも『命を繋ぐための延命処置』だと考えた。背中に刃を突き立てられるかもしれない憂いを残し、正念場に臨むほど討伐隊は考えなしばかりではないだろう。……正面で橙色の頭を振り、悩ましげに腕を組む少女は除かねばならないようだが。デュナム公国民は異様なほど陽気というのは有名な語り草だが、ナッドは彼女の存在で確信し始めていた。もう一人のデュナム公国代表も、どうもそれに当て嵌まるような気もする。

 ナッドがゆるゆると視線を動かした先──ホロンヘッジは満足そうに首肯すると、胸当てを押し上げて。

 

「成る程、完璧に理解したぞ! そういうわけだ! 信頼できぬ相手に背は任せられんからな!」

「堂々と無い知と恥を見せつけないでくれる? そんなことは百も承知よ」

 

 ホロンヘッジの一種堂々とした宣言に、額に手のひらを当てるマジェーレ。風に乗ってはためくデュナム公国の軍服が間抜けて見える。過激派の意見を気勢良く牽引していた男も、本質はそうイルルと大差ないのかもしれない。きちんと思考が回っているのかが怪しかった。

 

 薄っすらと目を細めたマジェーレの矛先は、ホロンヘッジから変わる。

 彼女が見据えたのは、一言も発さず事態を俯瞰していた『四大将』シャイラ・ベクティスだ。

 

「約束事を担保する物は、そちらにあるでしょうに。『四大将』様が出張っているのだから、当然『御璽(ぎょじ)』は持ち歩いているわよね? ねえシャイラ・ベクティス──は、ちょっと怯えないで欲しいのだけれど。……『四大将』代理のハキム・ムンダノーヴォ。お昼寝には日が低いわ。聞いてはいたわね?」

 

 無作法の問いかけに、傍から見ているナッドは心臓の動悸を抑える。あの無用なまでの刺々しさは一体何なのだ。綱渡りの最中でありながら小刻みに飛び上がっているようなものだ。殺す気か。一抹の疑問だったのは、何故か怯えたように端正な顔を強張らせたシャイラのことだ。

 

 彼女は『四大将』という大英雄の地位に就く大物だ。しかし立ち振る舞いは名前に見合ったものではない。報告会の始めにハキムへ全権委任した件。副官のハキムを椅子に座らせ、自らが侍るように立っている件。疑念は尽きないが──ナッドはマジェーレの出した『御璽(ぎょじ)』という単語に絶句して、それどころではない。

 呼びかけに応じてかハキムは、片目と重々しい口を徐々に開く。

 

「ふむ。口の利き方がなっとらんが──そこの童の予想は大当たりだ。持っとるよ。尤も、誰に託すことも許されぬ魔道具なれば類推も容易かろうがな。……シャイラ嬢、御璽は手放しておらんな?」

「……っはい。ここ、です」

 

 シャイラの掬うように開かれた手に乗るのは、一本の印章だ。大きさ自体は若い女性が十分握り込める程度。黒を基調に金で縁取った円筒状のそれは、上品ながら高貴さが滲む。側面には、蚯蚓《みみず》が這い回ったかのような筆致で聖文字が彫刻されてた。特殊能力が与えられた道具──魔道具の特徴だ。

 思わずナッドは息を呑む。

 

 それは『遵奉(じゅんぽう)勅命(ちょくめい)御璽(ぎょじ)』である。神代の時代から残る魔道具にして、初代ビエニス王が当時の『四大将』に下賜し──現在まで受け継がれてきた四つの印章。紛失すれば死罪と法で定められるほど貴重な代物だ。だからこそ『四大将』は肌身離さず御璽を所持しているという。彼らの最大の安置場所は懐なのだから。転じて、現代で御璽は『四大将』である証と見做される。

 まず目に触れる機会のない宝物を前に、この場の皆が凝然とするなか──。

 

「ま、待て待てマジェ手前ェ!? 何言ってやがる!」

「あら。ゲラート、威勢の良さは檻の中だけだったと思っていたら──」

「今はんな戯言に付き合ってられっか! 『原罪の獄禍』と関わる話も納得してねェ! しかも手前ェ、御璽だとォ? 寝言が言いてェなら頬に一発くれてやっぞ! 御璽を使わせる意味が分かってんのかァ!?」

「そんなことを言っている場合? 躊躇する時間はとっくに消えてるのよ」

 

 マジェーレが冷ややかに言うが、ナッドはゲラートの動揺に同調してしまう。

 あの『原罪の獄禍』──大英雄ですら手に余る怪物との敵対。その無謀さは言うに及ばず、御璽への忌避感が彼の怒鳴り声を呼び寄せたのだ。艶やかな紫髪の女性の手の上にある、『遵奉勅命の御璽』の悪名高さは歴史が語っている。濃密なマナが地上に満ちていた神代から残る、魔道具の効力は絶大かつ絶対だ。当事者たちが取り決めた誓約書を、『絶対遵守の誓約書』に変貌させる代物と言えば良いのだろうか。

 

 まず遵守させる対象者の血判が押された、誓約書を作成する。そこに御璽を押せば魔道具が効力を発揮する。その効果は酷く単純明快。誓約書の文言に反すれば──罰が与えられるのだ。対象者の一族郎党を根絶やしにし、苦痛のうちに死に行く。それは遍く地獄の苦痛とも語られる。あまつさえ死後の魂をも永劫に炙り、最後には消滅させるという。天国や地獄からも零れ落ち、どこぞと知れない無に還る。

 大陸の宗教観から外れた、強烈な最期を迎えさせる効力。それに恐怖を抱くのは何も、ナッドだけではないだろう。そんな代物で誓約を結んでは……それこそ真に、『原罪の獄禍』討伐を行わねばならなくなるではないか。

 想像絶する苦を思い描くナッドたちに「勘違いも甚だしいわね」と冷や水を浴びせてくる。

 

「私たちの生きる術は、命を賭けた先にしかないわ。いつだって死ぬか戦うかの二択なのよ、ゲラート。それとも何かしら。あなたは不服を唱えて、ここにいる全員を敵に回すのかしら? まさか大人しく地面に首を並べられたいの? ……ああ勿論、ゲラートに名案があると言うのならこの発言は撤回するけれど」

 

 マジェーレの言葉に、ゲラートは黙る。黙るしかないのだ。そう易々と提案可能な名案があれば、最初から彼女の提案を一蹴している。それはナッドを含め、小隊の面子にも言えた。消極的に賛同する他ない。そもそもマジェーレ以外、沙汰を乗り切る案すら出ないのだから。

 信頼を得るため御璽を容認し、『原罪の獄禍』討伐に同道させられる提案が最善。眩暈がする。ナッドの不運もここに極まれりだ。バラボア砦の一件から、運命を嘆きたくはなかった……が、ここまで来ると涙が出てきそうであった。

 だがこれにて、様々な波乱を呼んだものの小隊の意思決定は済んだ。

 

 では──とナッドが議論の終結を見切ろうとした矢先、声が飛んだ。

 待ったをかけたのは、頬を掻く大英雄ハキム・ムンダノーヴォ。

 

「纏まりかけとる雰囲気のところ悪いが、そこの童。足らんところ(・・・・・・)があるのう」

「……足りないところ、ね」

「御璽を用いれば、懸念事項の悉くは解決を辿る。多少なりとも戦力が増えて胸を撫で下ろし、人によっては肉盾が出来たと喜んどる奴もおるだろう。しかし──しかしだ。未だ納得しとらん者も此処にはおるだろう。まだ貴様らには一つ、証明してもらわんとなあ」

「……証明?」

 

 胡乱げに見遣るマジェーレ。

 そうしてここで。

 ようやく、ハキムは出っ張った眼をぎょろりと開く。

 

「果たして、来る『根絶』ファニマール攻略に足る実力か否か。天下分け目の大戦に足枷付けて挑むは、前人未到の命を託したディナ陛下、そして誇り高き国家に泥を塗る所業だ。貴様らが軛にしかならんと判断が下れば、遠慮無しにそれを断ち切らせて貰う。さて、貴様らの値打ちは幾らか。御璽を押すまでの重みを持つに足るか。そうだな──ソルと言ったか。小隊の長たるそこの小童には、『力』を示して貰わんとな」

 

 黄ばんだ歯列を覗かせ、ハキムは枯れた唇を釣り上げた。

 凄絶なまでの表情は、この場の全員が息を呑むほどの迫力。

 金縛りに絡め取られたかのように動けないほどの圧力。

 濃密な殺気が真正面からソルに突き刺さる──。

 

 

 

 ※※※※※※※※※※

 

 

 

 ──言うた通り此処までは目論見通りだったろう、と言いたげじゃな。

 渦中で幼女は嘆息したい気分であった。議論の最中ずっと沈黙を守らされ(・・・・)ていた(・・・)ソルは、真正面のハキムに強い視線を送る。ハキムの凄みを利かせた笑みも、腐れ縁のソルにしてみれば「さも得意げな、神経を逆撫でするにやつき」にしか映らない。不機嫌さを隠さないソルと目を合わせているのだから──事実、彼の意図はそうに違いない。

 

 ここまでのハキム昨晩の会話が脳裏に蘇る。生き別れた孫という、あまりにもあまりな不名誉を被らされた後の話だ。否定しようにも口下手が祟って、結局ハキムに押し切られてしまった。泣く泣くしょぼんと座り込み、抗議の目を向けたのを覚えている。真剣そうに完全に受け流されたが。口許に手を当てて、嫋やかに驚くシャイラの純真な仕草に肩身を狭くした。

 ソルがハキムの生き別れた孫という真っ赤な嘘は、処遇決定を終えるまでこの三人だけの秘密という扱いに落ち着いた。つまり表立った、露骨な助力を加えてはならないわけだ。依怙贔屓は不和を招く。だからこそ真っ当な判断の下で、ソルは討伐隊から認められる必要がある。

 牢獄越しにハキムは瞳の奥だけで笑いつつ、真剣味を取り繕って言った。

 

『明朝の集いでな、孫よ(・・)。お前さんは一言も舌に言葉を乗せてはならんぞ。俺の女房に似てお前さんは良くも悪くも正直に過ぎる。最良の結果を手繰り寄せたいならば、場の流れを読み切り、さも自然さを装って多数の意志を転がさねばならん。夾雑物は極力排除せねばならんのは分かるだろう孫よ。もし余計な口を開かなければ──小隊の処遇は都合良く俺たちの手元へ来るだろうさ、気を揉まずともな。なあ孫よ』

『わしは納得するほかないが……きさま。孫、孫と連呼するでないのじゃ……』

『いやあ勘弁しておくれ、生き別れてからお前のことが気掛かりでなあ……。たった一人きりの孫だ。今まで口に出来なかった分、幾度も呼んでおるのさ。だが俺は悲しくてならん。『貴様』などと、お前さんが他人行儀に変わっておってな……ああ。またあのときのように、お爺様と、いやお爺ちゃんと呼んではくれんのかのう……?』

 

 さも切なそうに、諦観を込めた言葉を吐いて面白がるハキム。

 いっそ手元の剣で首級(ハキムの首)を挙げようか──ソルは腐れ縁の老爺の首筋を見つめた。

 一周回って表情が抜け落ちた幼女が自重できたのは一つ。心配そうに覗き込んでくるシャイラの存在が十割であった。座り込む幼女に目線を合わせていたシャイラは、数本垂れる紫髪の奥で深藍の瞳を潤わせていた。ここでハキムを血祭りに上げようと剣を抜けば、彼女を更に惑乱させてしまう。憧れの対象である大英雄の心を翳らせるのは本意ではない。惜しみつつ視線を人体の急所から外す。

 シャイラは薄弱さにどこか厳しさを秘めた声色で咎めてきた。

 

『お爺ちゃんは、大切にしないと……駄目……です』

『……ぐぬう。シャイラどのが言うならば否は唱えられんのじゃ』

『英雄に現金な孫で俺は悲しいのう……まあともあれ、だ』

 

 後頭部を無造作に指で掻くと、ハキムはあくび混じりに区切りをつけた。

 お前は気にせず構えておれという、彼の気負わない声が頭に残響して──。

 

 

 

 

 

「──どうだ? ソル小隊長よ。貴様の価値を証明して見せよ」

 

 再び問い返すハキムの言葉で、幼女は我に返る。

 朝靄を突き破るように、ソルへとこの場全ての目が注がれていた。小さな背中に刺さるような、ソル小隊の視線。気配から察するに不安と、僅かな期待を孕んでいる。円を形成する『原罪の獄禍』討伐隊からは多岐に渡る感情が肌を通じて伝う。軽蔑、驚愕、好奇心が主だったものだろうか。ここまでも想定通り。議論の大筋は、ハキムと事前に取り決めていた通りに推移した。不気味なほどの予定調和に若干違和感を覚えるが、迫られた問いには返答せねばなるまい。ソルは頭を整理する。

 

 価値の証明法としてハキムは「腕っ節を(はか)る模擬戦」を提案した。

 後方支援要員は除き、ここに立つのは『原罪の獄禍』討伐隊に選抜されるだけの強者ばかりだ。戦闘員のうち誰か一人にでも上回れたならば、御璽で誓約を結び、晴れて小隊は『原罪の獄禍』討伐隊の仲間入りを果たせる。ビエニス王国の気風が徹底した実力社会ということもあって、討伐隊には否を唱える者はいない提案だった。デュナム公国は言うに及ばずだ。対戦者の指名もソルの判断に任された。

 

 支援要員と魔術師以外の誰かを、対戦相手に指名せねばならない。

 昨晩にも、ここでソルがどう立ち振る舞うべきかの指導も受けた。

 

『指名まで来れば、輪の中のデュナム公国の代表、ホロンヘッジ・バルバイムを指名するのが最善だろうなあ。処遇決定の際、お前さん達を手っ取り早く処分せんと張り切るはずだ。誠実で勤勉なんだが、良くも悪くもデュナム人でなあ……。まあだからこそ模擬戦の相手には申し分ない。手心を加えず、処分を声高に叫ぶ者ならば文句はないだろう。実力は英雄級を満たし、腐っても討伐隊の代表者の一人。だが全霊で足掻けばまだ──お前さんなら喰い下がれるだろうよ。少なくとも、お前さんの実力を潰さない程度に腕は立つ』

 

 ソルはハキムの忠告を思い返しつつ、期待する眼差しのホロンヘッジを見遣る。

 晴れやかなまでの笑顔で見つめ返された。

 ここでしばし思考を巡らせて、ソルは静かに腕を伸ばし。

 

「──ぬしを指名しよう」

 

 どよめきが、あった。

 背後の小隊は言葉を失って。

 囲む討伐隊も一様に目を剥き。

 隣で気怠そうに立っていたマジェーレですら一瞬、呼吸を止め。

 ハキムに至っては一度表情を消し、噴き出すように破顔した。

 幼女の手が示した先にいた──。

 

「──え。わ、私?」

 

 大陸でも有数の大英雄、四大将『黎明の導翳し』シャイラ・ベクティスは困惑を露にして、問い返した。



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9 『背水の剣戟1』

「あの……ハキムさん。本気でやるんです、か……?」

「それが手加減のことならば裁量は任せるぞ、シャイラ嬢。……あれ(・・)が正気かという意味合いなら、俺も言葉を選ばねばならんが。どの道、撤回は出来ん。あそこまで堂々と宣言されてはなあ」

「そう──ですよね。やっぱ、り」

「男に二言は無かろうて、随分好き放題するもんだ。此処まで来れば、もはや笑うしかないわなあ」

「……? あの子、女の子です、よね?」

「あー惚けておったのう、単なる言葉の綾という奴だ。忘れよ」

 

 『四大将』とその右腕の密談の外で、模擬戦は速やかに取り計らわれた。

 大掛かりな前準備は必要ない。現在まで報告会として集っていた場所が、ちょうど開けた良い立地なのである。模擬戦にて対戦するシャイラとソルを残し、ナッドたち一同は円周に捌けていった。

 彼らソル小隊の面々の顔色は、概ね頭上にいまも広がる青空模様といったところか。爽快さは欠片も感じ得ないが。皆が皆、恨めしげに幼女を睨めつけている。破裂しそうなまでに顔を紅潮させるゲラートと、射殺さんばかりの殺気を惜しげもなく刺してくるマジェーレが代表的だ。ナッドの目にすら不審の色味が浮かんでいた。光明を自ら棒に振った裏切者には、投げかけられるのは石礫と相場が決まっている。

 

 礫を当てられる罪人に共感したソル。彼女を眺める討伐隊の面々の顔色は、一つに括れない。好悪にしろ何にしろ、浮かべる様相は多岐に渡る。討伐隊代表者に絞ってみても──イルルは始まる模擬戦に飛んだり跳ねたりはしゃいでおり、ホロンヘッジはソルに何故か誇らしげにサムズアップを突きつけ、ハキムは「どうにでもなれ」と呆れた面を隠さず、シャイラは沈鬱そうに目を伏せている。

 先ほどより広がった円の内部で、ソルは目を瞑ってそれを受け止め──剣柄に触れる。

 

(……皆には謝らねばならんのう。そのぶん、せめて『結果』だけは手にしなければならんのじゃ)

 

 指先でつうと柄の輪郭をなぞる。巻かれた包帯の柔さ。破れた箇所には硬質な感触。冷えた柄の音を立てずに空気を鼻腔に取り込む。胸を膨らませると、嬉しさに歪んでしまう口から丁寧に吐く。昂りを徐々に冷まさねばならない。戦闘に適切な温度まで。

 同時に、腰袋から取り出した紐を頭部の後ろで縛る。ぎゅうと結び、解けた包帯のように純白の髪を垂らした。これで気持ちを切り替える。

 さて──とソルは、集中力をただ一人に絞った。

 

(この『目』で、改めて洗い出しおかんとならんのじゃ)

 

 静謐な雰囲気を醸すシャイラが、ちょうどこちらへ向き直った頃合いだった。ハキムの側を離れ、円の中心へと歩を進める。貴族の令嬢を思わせる佇まい。気品の高さは歩き方ひとつからも見て取れた。昨晩の邂逅での「落ち着いた印象」を覆さない。しなやかに二尾揺れる紫紺の髪。勇猛さとは無縁の、透き通るような双眸。蒼褪めた不健康な肌。この場で再び観察して「不可解だ」とソルの眉がぴくり動く。彼女自身からは欠片も、武芸者や歴戦の猛者特有の芯の強さが表出していない。勝利と成功を重ね、修羅場を潜り抜けてきたにしては異様なほどに「温室育ちの気弱な令嬢」としか思えない。端々の仕草もそうだ。視線が散漫。特にソルが視線を投げかけると、必ず目を逸らす。覗いた瞳には芯がない。揺れている。こめかみに汗の珠が吹き出ている。気温によるものではないだろう。時折だが下唇を噛んでいる。痛みに耐えているのか? だが傷痕はどこにも見られない。服に覆われた気を落ち着けるように、軽く握った拳が僅かに動いている。

 

 意図的に実力を隠匿しているのだろうか。だとすれば力量は外気にも触れないほど、底知れぬ深みにあると予測できる。歴戦の実力者は立ち姿だけで凄味が滲み出るものだ。正確に言えば「出てしまう」だろう。その呼吸法、仕草、眼光、装備、匂い。あらゆるモノが中身を暴く窓の役割を果たす。何気ない仕草のため、彼らが積んだ経験と直結しやすく──そして非常に自覚しづらい。それを意図的に隠し得た者がいたとすれば、一筋縄ではいかない手合いなのは疑う余地がないだろう。

 身を包んでいるのは、ビエニス王国軍の戦装束。特徴的な、薄青味を帯びた鎧がつるりと光沢を放つ。彼女は軽装だ。胸当てと腰付近の鎧、左腕の籠手以外の防具を装着していない。右手は顕著だ。ほっそりとした白魚のような指先まで素肌が晒されている。その他の本来金属で覆われる箇所は、長く流れるような衣で覆われているだけだ。下半身は足元まで広がる衣で遮られて視認できないが。裾から覗くのは無骨な軍靴。装備の異質さが目に付いたが、ソルが特別そそられたの一ヶ所。彼女の腰に差された一本の鞘だ。

 柄が頭をもたげた細長い鞘。十中八九、シャイラ・ベクティスの愛剣が収められているのだろう。口惜しいことに、ソルは情報を得ていない。勿論、シャイラの覇名や戦い方は民草でも話題に上ったが……如何せん、その『独特な戦い方』ばかりが出回っていた。昨晩が初対面のソルも御多分に漏れず、腰に差さる剣の正体は思い当たるところがない。できることなら剣身を、矯めつ眇めつ眺めてみたいものである。

 

 ソルは一通りの観察を巡らせ、老成した視線を彼女の双眸へと戻す。

 これより剣を合わせる大英雄、『黎明の導翳し』。

 老人時代には会えず、此度が初対決となる大物だ──。

 

(絶好の機会を逃す手はない。……よくよく考えれば、ハキムの筋書きに沿うのも癪じゃったからのう)

 

 意気揚々と、肩慣らしに古びた剣を回す。

 それほど身体は鈍っていない。昨晩はハキムとの密談を終えてすぐに褥につき、報告会前には準備運動済みだった。一昨日にマジェーレが高説を垂れていた「睡眠の重要性」を参考にしたわけだ。結果、体調はなかなか好調である。とは言えど『四大将』を相手に「万事抜かりない」とは胸を張れない。彼ら彼女らに万全を期するならば、それこそ数千──数万の兵を用意せねばならない。そのような者と一対一の勝負を挑む。否が応でも、興奮で変な汗がじわりと溢れ出してしまう。

 対してシャイラは木剣を両手に乗せたまま、憂慮を湛えた瞳で。

 

「あの、どうして……私と……?」

「? どうして、とは異なことを」

 

 気張る様子もなく、心底不思議そうに首を傾けるソル。

 

「昨晩も言ったはずなのじゃ、シャイラ・ベクティス殿。ぬしはわしの憧れ続けた英雄の一人。積み重ねた研鑽を評価された、成り上がりの英雄。泥を啜った路地裏から、輝かしい『四大将』の座に収まった大英雄。剣を交えたくなるのはそれ、剣に生きる者の本能じゃろうに。不思議なことを聞くものじゃなあ」

「私は──私は、そんな……。それに、理由になってませ……ん」

「戦う理由にはなっておるのじゃ。本能のままに一戦交えたくてのう」

「……理解、できません。この場を借りて、戦う、なんて……」

 

 まるで考えなし。途切れ途切れの言葉の裏にそう非難された。ソル小隊全員の命がかかった状況下で、更なる無謀へと手を伸ばす。自身以外をも危難に晒して博打を打つ。いや、博打ですらない。ハキムの提案そのままに、デュナム公国代表のホロンヘッジを模擬戦の相手に指名していても──何ら損を被るわけでもなかったのだ。むしろ『四大将』シャイラを選択しても、超える壁の高さが増すばかりで一銭の得もない。

 だからシャイラは目を疑い、問いを重ねているのだろう。正気の沙汰とは思えない。これが衝動的な欲望に端を発する指名であれば、ソルは御しがたい狂人に他ならない。異名通りの『修羅』であると。

 澄み切った怜悧な視線を、薄く笑ってソルは受け流す。

 

(もちろん一戦交えたい──というのはそれ、建前じゃ。打算的な理由が本質なのじゃがのう、口に出してはいかんからな。ハキムからは甘く見られておるが、わにしも腹芸なんぞ多少なりできるのじゃ。……これがただの模擬戦であったなら、勝ちの目は如何に見積もろうとなかったじゃろうがな)

 

 客観的に見れば勝算はゼロだ。突破口も決定打も不足している。オド消費による加速術は──絶対に使わないと決めているのだ。これは獄禍退治に臨む前に定めた、自分との約束である。だが自分との約束も守れないような者に先はないと、ソルはぎゅっと柄を握る。彼女の頑固さは折り紙つきだ。こうなれば、絶対に誓いを違えることはない。その有り様が己の首を絞めていると知っていても。

 つまり、強力なカードは手札にはないも同然。

 

(そもそもオド消費などという、謂わば大道芸のような技術で勝利しても……認められはすまい。それでは獄禍討伐を共に為す、背中を任せるに値するものとはかけ離れた──『道具』なのじゃ。わしが欲するところの仲間ではない。何にせよ使わない方が良いものじゃな)

 

 シャイラの手心も一定以上は期待できない。あまりにも過ぎれば模擬戦において『信頼』でなく、あらゆる『不信』を植えつける。経験上、それは最悪の展開を呼ぶ。シャイラの評判が貶められ、贔屓で仲間入りしたソルを加えたまま、一大決戦に臨む。それはいつか必ず土壇場で『不信』が芽吹き、決定的な終わりを迎えてしまう。だから、ここはソル自身の力で乗り越えなければならない。

 

 となれば、やはり勝負は挑んだ時点でシャイラの勝利が決定していたわけだ。改めて確認するまでもなく、周知の事実である。二人に熱気を込めた視線を送る、この場の誰もが予想する予定調和でしかない。

 だが──その『周知の事実』こそがソルの突破口となり得る。

 そこに素知らぬ顔で歩み出てきたのは、引き締め直した顔のハキムだ。

 

「そろそろ始めるとしようや。其方は、価値の軽重を問われる用意は十全か?」

「問うまでもなし。……言うじゃろう。剣がひとつ手にあれば、死出の準備を終えたも同然と」

「『なれば剣とは自身を映す鏡である』──か。マーベス伝記の引用とは、随分な好き者だなあ」

「……マーベス伝記は、もうなんべんも読んだのじゃ」

「ほう。小童ながらに見所のある奴よ。さぞかし、育ちが良いと見える」

「────」

 

 初対面なのを周知させるついで、布石を打っている。ソルの印象を良くしようと、密かに太鼓持ちになっているのか。それとも初対面なのを利用して、遠回しにからかっているのか。どちらも有り得るため、ここは閉口せざるを得ない。

 ハキムは相変わらず、威厳ある風を装っていた。ソルからすれば、魚面に太々しさが加わったような面構えだ。率直に「気味がわるいのう」とソルは思った。好意的に解釈すれば、ソルは英雄としての彼は見慣れていない。だから正直、座りが悪いのだろう。腐れ縁のソルに見せる顔と、ビエニス王国の英雄として振舞う顔。ソルにはない落差が「気持ちが悪い」という感想に結びついたのかもしれない。

 英雄ともなれば大変なのじゃろうなあと、酷く他人事のようにソルは思った。

 

「先にも言うたが、再度伝えておこうかのう。──この模擬戦におけるルールをな」

 

 両者の相中に立ち、ぎょろぎょろと左右に視線を遣るハキム。

 これより始まる模擬戦の意義は『ソルの力量の見極め』に尽きる。互いに全力を発揮する潰し合いでは決してない。だから一線を越えないための幾つかルールが敷かれる。その全てが、ソルを有利にする文言だ。偏重の理由は単純だ。そうでもなければ、四大将という大英雄にソルが追随することが不可能なのは自明の理なのである。力量を量る以前に、ソルが一瞬で斬り捨てられてしまったら元も子もない。その点で言い包めたハキムが、満場一致の賛同を得て取りつけたものだった。

 そして──わざわざシャイラを指名したソルの打算的な狙いは、それだ。

 

(ハキムの提案通り、デュナム公国代表のホロンヘッジ殿を指名していたら──この条件を付け加えることはできんかったじゃろうな。わしよりは格上ということじゃが、わしが全霊で足掻けば食い下がれるだろうと言っておった。その程度(・・・・)の力量差なら、普通に模擬戦が執り行われたじゃろう。じゃが、それでは不足なのじゃ。追い詰められた兎と余力を残した獅子。どちらが厄介かは……思い返せば幾例も心当たりがある)

 

 存外ソルは賢い幼女である。要領はお世辞にも良いとは言えず、根っから教養はなかったが──老人時代まで培った経験は手の中だ。頭が回らないことはない。もっとも「かの『四大将』と刃を合わせる機会に目が眩んだ」という理由に内心、比重が傾いているのだが。頭が回らないのではなく、英雄に固執する生き方が不器用なのである。結局ソルはそういう幼女であった。

 耽々とシャイラの仕草を観察するソルを他所に、ハキムは模擬戦の概要説明に入っていた。

 

 ルールでは大まかに、ソルの勝利条件とシャイラの行動制限が定義された。

 当然シャイラを打倒せしめれば、模擬戦を勝利で飾って終えられる。

 だが、その他にもソルの勝利条件が加えられた。

 模擬戦の制限時間は五分。決着がつかなければソルの勝利である。

 とは言え、時間稼ぎで五分耐久を目指すのは愚策中の愚策だ。ソルの立場は『交渉材料として己の力量を見せる』立場にある。逃げ腰かつ価値を隠す真似をすれば、無価値という判決が下されるのみ。鼻からソルはそのつもりはないが。ただ様子見は程々にしておかなければと心に刻む。

 既に愛用の剣を構えたソル。彼女からハキムは視線を外し、対峙する気弱そうな英雄に向ける。

 背後の円周から飛んできた木剣を渡して、溜息交じりに。

 

「シャイラ嬢も分かっておろうな? 得物は一本、お前さんの手にした何の変哲もない木剣のみ。小道具や魔道具の使用は禁止。魔術は言うに及ばず禁じる。当然、魔術以外でマナ等の魔力を行使することもだ。そいで──そこから一歩でも動けば模擬戦は強制終了。其方の……ソル少尉の勝利として扱う。だからシャイラ嬢の勝利条件は、ソル少尉を戦闘不能にする、もしくは降参させるのみだなあ。……異論無いな?」

「……はい。問題、ありません」

 

 粛々と頷くシャイラは、聞くだに辛い縛りを気にした風でもない。

 この条件を耳にして愕然としたのは、むしろソルと、ソル小隊の顔触れだけであった。戦闘以外において心情を汲み取ることが苦手なソルにも、何故かは容易に想像できる。一歩も動かず、魔術の類いも禁じられ、武器は長目の木剣のみ。それで、真剣を扱う英雄の卵を相手取る。流石に制限が度を越しているではないかと、驚いているのだ。ソルの勝利を望む側からすれば、渡りに船の偏ったルール。だが、何より異様なのは『討伐隊で誰一人として、このルールに文句をつけた人間がいなかったこと』だった。

 

 垂れた淡い紫髪を背中へと払い、シャイラは木剣を軽く構える。

 そこに迷いの感情は見当たらなかった。

 

「──ひとつ問うてもよいかのう」

「何でしょう、か……?」

「……わしは、わし自身の足りなさを理解しているつもりじゃ。この模擬戦での数々の配慮も、内心はともかく異論を挟みはせんかった。……じゃが、なのじゃ。こちらが真剣を使い、ぬしが木剣では、やはりあまりにも不利がすぎるのではなからんか? 魔力を禁じるならば、なおさらじゃ」

「つまりどう、いう……?」

「その、腰の剣を使(つこ)うても構わんと言っておるのじゃ」

 

 丁寧にちらと、腰に目を遣って意図を気取らせる。

 シャイラは面喰らったように目を瞬かせ、右手でソルの視線の先にある柄を緩く握る。

 

 かたりと存在を表明する、シャイラの腰に差された鞘。間違いなく大業物だろう。少なくとも木剣より切れ味は鋭く、手に馴染んでいるはずだ。その使用許可を堂々と下した。つまりここに来て、またソルは自らが不利になる提案をしたのである。

 

 挑発的とも取れる台詞に、遠巻きに眺める討伐隊がざわついた。ソル小隊の方向からは遂に悲鳴じみた罵声が飛んだ。命運を一手に引き受けた相手が、突拍子もなく奈落に身を投げたようなものだ。冷静に傍観していられない。一身に非難を受けるソルとしては『予想以上にルールのハンデが重かった』という気持ちが強かったのである。ハンデを狙ってシャイラを指名したが、過ぎれば意欲を削ぐだけだ。そもそも事前にルールを協議したときには、木剣の話など出ていなかったのだが。

 誰の提案かとハキムに目を遣れば、肩を竦めて反対側に視線を流す。

 ぶんぶんとシャイラは首を振って、木剣に手を戻す。

 

「大丈夫、です──私は、これで」

「……そのゆえんは?」

 

 そこで一拍、時間が置かれて。

 散々に迷った挙句、シャイラの口が動いた。

 

「ええと……その、ソルちゃんを、あまり傷(・・・・)つけず済みます(・・・・・・・)、から……」

 

 視線を彷徨わせ、シャイラは幼女の顔を窺いながら答えた。

 それはきっと、気位を傷つけまいと思案した仕草だったのだろう。彼女からすればソルは『異例の若さで頭角を現した才媛』。挫折を知らない。人より劣ることに慣れていない。そうやって、極めて一般的な物差しでソルを測ったのだろう。──お前など木剣程度で丁度良い。その残酷な事実を、幼女へ口にすることが憚られたのだ。勘が特別鈍くなければ、舐められていると感じ取れてしまうだろうが。

 最悪だったのは、彼女が目の前にした幼女が単なる幼女ではないことだ。

 

「……この模擬戦のこと、理解しておるのか?」

「っ! それは、はい。です、がソルちゃんはその……です、から」

 

 無感情な瞳で問うと、瞠目の後にシャイラはしどろもどろになった。

 どうにも先ほどの発言の不味さに気付いたようだ。

 だが吐いた唾は呑めないというものである。

 

(……そうじゃったか。いや、普通そうなのじゃ。……失念しておった。昨晩からシャイラ殿はわしを『ただの幼な子』として扱っておったのじゃな。いままで見目で手加減するような連中と、遭遇しておらんかったから麻痺しておったからのう)

 

 その幼女を慮った言葉は、幼女の皮を被った『老いた凡人』に響く。ソルは互いの力量に、天地ほどの隔たりがあることなど重々承知している。英雄に血反吐を吐かされ、骸と共に捨てられるのは日常茶飯事。いま『四大将』の片腕を務めるハキムにも、まるで歯が立たなかったのは記憶に新しい。そもそもソルフォート・エヌマ時代でも勝った試しがない。累計すれば更に、彼との戦績は惨憺たるものになる。四桁ほどの戦歴で、黒星以外が乗ったのは一度きり。それも引き分けだ。ソル当人が「あれは敗北だ」と吐き捨てるような無効試合でしかない。

 

 つまりハキムの足元にすら及ばないのが、自分だ。

 さらに上の大英雄から見れば、足裏に届くかすら危うい存在にすぎない。

 けれども。

 意図せず、幼女は声のトーンが落としてしまった。

 

「──そこまで見くびられては、黙っていられんのう」

 

 想起してしまうのは、あの出来事だ。

 ──半端者と斬り捨てられた、ソルフォート・エヌマの最期。

 あれは冷酷なまでに、現実を突きつける言葉だった。ソルフォートの六十数年なぞ、徒花のごとく散るものでしかない。磨かれた実力は実力を以て、成りたかった英雄に実力不足を告げられた。それは自明の理だ。六十数年の『結果』、あの程度。そう人類最強は感想を漏らしただけなのだろう。無力さに唇を噛み切りこそすれ、腹に据えかねる出来事ではなかった。ソルは自分なりに受け止めているつもりだ。

 

 だが、今回は違う。憧れた英雄に見目で実力の多寡を括られたのだ。

 それがソルには気に入らないところだった。

 

 確かにソルは幼女である。だからと言って、幼女を免罪符に妥協させたくはない。それは老人時代の記憶を引き継ぎ、一貫して英雄を目指すソルへの侮辱だ。真剣に勝負に臨む相手には、相応しい態度を以て構えるのが礼儀である。両者が剣を持てば女子供、天才凡人関係なく平等だ。剣を手にした理由を軽んじて良いはずがない。勿論、年寄りの凝り固まった考え方だ。他人に強制してはならない。だからこれは勝手にソルが気炎を上げるだけだ。結局、ソルはソルフォート・エヌマ以上でも以下でもない。 

 ソルはソルだ。『ただの幼女』という烙印を剥がしてみせる。

 

(……ハキムよ。確かにこれはわしの価値を示す戦いじゃな。誰に侮られようと良いが──憧れる大英雄にだけは、ただの幼女と思われるのは心外なのじゃ。この模擬戦は討伐隊の誰でもなく、シャイラ殿にわしの価値を認めてもらう戦いじゃ)

 

「私は──ソルちゃんを」

「……まあシャイラ嬢、此処は譲ってやりな。見れば、この目は退かない輩の目だ。彼方を見定めるのが此度の模擬戦の意義。結果がどうあれ、好きにやらせて損はなかろうよ。……どうだ、ソル少尉。シャイラ嬢の剣は安かない。それは抜けないが『木剣の剣身に魔力を通す』ぐらいは緩めてやるよお」

 

 咄嗟のハキムの仲立ちに、ソルは一も二もなく頷く。

 対してシャイラは驚いたように。

 

「ハキムさん? です、けれど……」

「俺も過分だとは思うがのう。シャイラ嬢も分かっておろうに。あの童は全霊で掛かってこようとしておる。なればシャイラ嬢のすることは決まっておるだろう。……出来得る限り、応えてやって欲しいのう」

 

 ハキムが目配せすると、シャイラは「分かり、ました」と不承不承に頷きを返した。喉につっかえたような深呼吸をして、シャイラは再びソルと向かい合う。ソルも構え直し、これで心のしこりは幾らか晴れた。ハキムの忠言には感謝しよう。口には死んでも出さないが。ハキムはきっと、一生からかう種に使うだろうから。ソルは思考をそこで切ると、感覚を研ぎ澄ませていく。遠くのどよめきも鼓膜を通らなくなる。筋肉の内圧を高めるように、軸足に力を押し込んでいく。

 

 剣という譲れない一点で、幼女扱いされるのは我慢ならない。

 擦り切れ続けても、未だに胸の奥に眠る『誇り』が。

 不当に見積もられるのは心外なのじゃと、剣に力を込める。

 

(──見返してみせるのじゃ。シャイラ殿、ぬしに刻み込んで見せよう)

 

 模擬戦に名乗り合いはない。それはすっかり廃れた一騎打ちの風習だ。

 これは、互いの命を賭けた一騎打ちなどではない。

 賭けられたのは、ソル小隊の命のみ。

 これは、互いの価値を賭けた一騎打ちなどではない。

 賭けられたのは、ソル小隊の価値のみ。

 ソルフォート・エヌマの価値のみ。

 敵方のシャイラから見れば、これはただの模擬戦にすぎないのだ。

 

「……ソル。いざ、参るのじゃ」

 

 だからこそ。

 命を賭けた一人の幼女だけが、名を舌に乗せて。

 開始を告げるハキムの一声を合図に、運命の模擬戦は火蓋を切った。

 

 

 

 ※※※※※※※※※※

 

 

 

 息を吐く。圧縮された足の力を開放し──大地を蹴って、機先を制すのはソル。必然的に先手は決まっているようなものだ。ルールで雁字搦めにされたシャイラが選択できる行動は限られている。戦闘という項目において、移動制限のルールはあまりにも重い。

 

 対等に向かい合う剣士の勝負で重要なのは、足運びだ。剣士同士の戦闘は剣をぶつけ合うだけの力比べではなく、剣捌きのお披露目会でもない。間合いの駆け引き、見切った剣撃の回避、不意を打つ打撃等々。足は剣の腕以上に試合運びを左右する。ルールで棒立ちにならざるを得ないシャイラは、実力の一割も発揮できるか否か。極論、修練用の藁人形と大差ない状態なのである。

 

 この状態で搦め手は普通、必要ない。あるとすれば、ルールを利用して背後に回り込む方法だろうか。その場を動けないシャイラに有効打が与えられる可能性は高いが、模擬戦の意図に反する行為に違いない。だとすれば真正面以外の道はないが……相手は英雄である。

 だが慎重にソルは、まず木剣の間合いに──。

 

「ッ!?」

 

 ──入る直前、右手に痛打が弾けた。

 稲妻のように走る衝撃。ソルは唇を引き結ぶ。地に足が着いた瞬間、反射的に横へ倒れる。その刹那、鼓膜付近で風が破裂。如何なる攻撃かは不明だ。幸運にも、二発目は間一髪で避けれられたようだが。そんな事実を噛み締める余裕はない。不可視の攻撃の雨は止んでいない。

 横倒しになったソルの腹部に、轟然とした一撃が炸裂。骨が苦鳴を上げる。一瞬の空白を挟み、痛みがソルの内側を暴れ回った。受けた衝撃のままに地面を転げる。砂粒が肌を刮ぐ。しかしこのままでは不味い。呻きを堪えたまま胃液を押し戻し、ソルは空いた手で地面を思い切り叩きつけた。

 大きく飛び退ると、息を静めて立ち上がる。

 

(攻撃範囲はここまでかのう……!)

 

 これで初期位置よりも、彼我の距離は二倍ほど開いた。

 ただ意識は常にシャイラに向けつつ、右手の調子を確かめる。小さな手は赤々と腫れていた。内側に反響するような痛みに苛まれている。皮膚感覚が鈍くなっているのは手痛い。柄を握り締めるのに一苦労するだろう。腹部も骨折までは至っていないようで何よりだ。ソルが状況把握に徹していると、瞳に血が垂れてくる。いつの間にやら額も裂けていたらしい。

 

 そして──とソルは前方を見定める。そこにあるのは、最初と変わらぬ位置に立つシャイラ。淡く翡翠に発光する木剣を構え直していた。確か模擬戦の幕開けと同時にも、木剣を振るっていた。因果関係を考慮すれば、先刻の二撃は彼女の木剣によるものだろう。だとすると絶望的な事実が判然とする。

 

 剣筋が見えなかった(・・・・・・)

 いや、そもそも木剣の間合いではなかった(・・・・・・)はずだ。

 一層に凝視し始めたソル、紫紺の髪を僅かに振ってシャイラは言う。

 

「……全力なら応え、ます。そうじゃないと……申し訳ないです、よね」

「それでこそ『英雄』。上等なのじゃ──」

 

 彼女の表情に真剣味を帯びたと見るや、半身になったソルは剣を構え。

 爛々と老成した瞳を輝かせると、口角が頬を突き上げるように笑んだ。



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10 『背水の剣戟2』

 ナッドは眼前にて展開される模擬戦に目を奪われていた。瞬きも忘れて、情動を歯で噛み潰す。荒波に揉まれた宵闇の舟のごとく、一秒先に黒い海へ飲まれるか否かに手に汗握る。瞳の乾きにも気が及ばず、目を擦り上げたときにようやく我に返った。唾を喉奥に押し込むことすら難儀していた自分に気付く。息苦しさに胸元を撫でる。そうして恐る恐ると息を吐き出した。緊張だけで窒息してしまいそうだ。身体の強張りを解しつつ、ナッドに正直な感想が浮かぶ。……現状、戦況は劣勢だ。

 模擬戦は一方的、見渡す絶望の水平線上に陸地は見当たらない。

 

 命運を一身に背負ったソルは、俊敏な身の熟しを見せる。時に跳ね、時に駆け、時に動作を止める。不規則な足運びは単純に捉えにくい。視認不能の攻撃であっても、狙い定めるのは『四大将』シャイラのはず。ならばたとえ攻撃過程が見えずとも、彼女が攻撃を外せば良いのだ。一尾の白髪が中空を縦横無尽に舞う。水流を想起させるように滑らかな緩急を以て、シャイラに迫らんとする。

 さりとて、無暗に動いて突破できるほど甘くはない。

 

「ぐぬ……ぅ!?」

 

 がくん、と唐突にソルの右半身が後方へ逸れる。空高くまで響く、肉の打つ音。骨のひしゃげる音と内臓の潰れる音──はしない分、手心は加わっているのだろう。模擬戦前にシャイラが嘯いていた言葉の真実味が増す。それでも炸裂する威力には遜色ないのだろう。絞り出された苦悶混じりの吐息と共に、小さな幼女の身体は大きく弾き飛ばされる。かろうじて踵から地面に着地。砂粒を撒き散らしつつ勢いを削ぐ。そして間髪入れずにソルが先ほどとは違った道筋で仕掛け始める。

 この膠着状態が幕開けから続いていた。

 

 果敢に攻め立てるソルをシャイラは寄せ付けず、振り出しに戻るの繰り返し。いや厳密に言えば、大きな進展がないだけで膠着はしていない。ソルの生傷は段々と増えていく。呼吸が荒く、動きのキレが鈍っていく。彼女の体力が刈り取られている様はナッドの目から見ても明らかだった。大怪我自体はないものの、相当な痛みが身体のなかを暴れ回っているのだろう。幼女の表情は熾烈であり、遠距離を挟んだここですら圧倒されてしまう。額から血が垂れ、腕には青痣、硬い地面による擦過傷……その最中でも、ギラギラと闘志を漲らせた瞳なのは流石『修羅』と言うべきか。

 

 対してシャイラは時折、悲しげに目を伏せるばかりで無傷のままだ。そもそもソルは彼女の側どころか、模擬戦開始時の位置にすら辿り着けていない。その前に謎の攻撃が立ちはだかり、蹴散らされ続けているのだから。──現状確認を冷静に行えば、改めて手詰まり感がナッドを苛んだ。

 あの話し合いの最後で、もしソルがシャイラ以外を指名していたなら。

 止めていれば、という後悔が押し寄せる。

 

(……まだ、まだ模擬戦の結果は分からねえ。シャイラ・ベクティスとの問答じゃ、『剣士の本能じゃ』とか言ってたが……まさか勝てもしない勝負に乗るとは思えない。勝算はあるはずだが……ああいや、そうでもないのか? バラボア砦のときも別に策とかなかったみたいだしな……ああああ。嘘だろソル少尉……)

 

 勿論、追い詰められているのはナッドだけではない。

 彼の隣で怨嗟の籠ったような歯軋りをする男も、その一人である。

 

「クソが……こんな模擬戦、結果なんざ分かり切ってるじゃねェか……」

「あらゲラート、あなたはいつからそんなに信心深くなったのかしら? 胸の前で両の指を噛み合わせて。あなたが嚙み合わせるべきは、その口と仕草、あとは歯の根くらいのものでしょう?」

「っ、黙りやがれェ……こうなったのもお前が──」

「……私が、何?」

 

 静かに亀裂が走る。周囲に少々のどよめきが広がる。彼らの視線を辿るまでもない。耳喧しさに釣られて向けたナッドの視界には、青筋を立てたゲラートがマジェーレの胸倉を掴み上げている姿があった。彼は模擬戦以前からソル少尉を強烈に痛罵していた。眼前で不利に傾いていく天秤によって生じた焦り、行き場のない蟠り。その矛先が、軽口を叩いたマジェーレへと向かったのだ。模擬戦に移行したソルにマジェーレが決定権を委ねなければ──。その責を問うという意味もあるのかもしれない。指を咥えて見守るしかなかったナッドも理解できなくはない。たとえ結果論だとしても『もしも』が浮かび、恨みを向けてしまう。もっとも、マジェーレの太々しい態度がそれを助長させたのが大きいだろうが。

 

 しかし、いまは大切な『討伐隊の皆に見極められる』模擬戦の最中だ。

 当然、見られているのは模擬戦で足掻くソルだけではない。認められた暁にソル小隊が獄禍討伐隊に加えられるのなら、見極められているのは小隊全員だ。間違っても内輪揉めする場などではないというのに。

 がしがしとナッドは頭を掻き毟り、声を荒げて両者の肩を掴む。

 

「おいお前ら、下らねえ言い争いしてる場合じゃねえだろ?」

「あァ……? ナッド手前ェは思わねェのかよ? こんな自殺紛いの模擬戦なんざ見てられねェ。あの餓鬼が倒れりゃ俺たちも道連れだ、全く馬鹿げてやがる……」

「そりゃ俺だって、ソル少尉の暴走は諌めたかったけどな……ここで騒ぎを起こすのは悪手で──」

「はあ。ゲラート、あなた今更なの? だったらあなたは横槍を入れるべきだったわね。少尉がシャイラ・ベクティスを指名した時点で、撤回に動くべきだったわ。叫んだけれど聞き入れてもらえなかった? それなら結局、あなたの力不足というだけでしょう。流される程度に、あなたの生きる意志が軽かっただけ。……全部が終わった後での遠吠えは無様よ」

 

 マジェーレのあからさまに癪に障る言い方に、頭を抱える羽目になった。

 これでは火種をつくらないよう諭そうとしたナッドの骨折り損だ。

 煽り立てられ、目が吊り上がるゲラート。

 

「マジェ──そもそもテメェがあの餓鬼の代わりに出ていればこんなことには──」

「まあまあ、両者とも静まらないか! 君達の長が、かの英雄に追い縋らんと雄姿を見せているのだぞ!」

「そうそう、ホロンヘッジくんの言う通りだよー! ほらほら、二人とも仲直りの握手握手」

 

 いつの間にやら近付いていたデュナム公国の二人が、沸騰しかけたゲラートを沈静化させる。ホロンヘッジはさっとゲラートとマジェーレの相中に身体を捻じ込み、引き離す。そしてイルルがその二人の手を取り、無理くり握手させる。あまりにも流暢な動きには、ナッド含め皆が目を回した。気が付いた頃にはもう騒ぎは強制的に鎮火させられた後だった。

 部外者二人が毒気を抜くような横槍を入れた──それも彼らは敵方の重鎮である。亀裂は否応なく埋まってしまうものだ。ゲラートは握らされたマジェーレの手をはたき、きまり悪そうにそっぽを向くと舌打ち。「すまねェ、頭ァ冷やしてくる」と小さく残すと、自らその場を離れて一人、別の場所に移っていった。

 

 ……何とか一件落着か。ナッドは息を深く吐き出すと、ホロンヘッジとイルルの二人に礼を言う。内輪での火勢が広まらないうちに揉み消せたのだ。その感謝もあるが──ナッドは一人、冷や汗を流していた。頭を下げながら、それとなく二人の表情を窺う。なにせこのゲラートの騒ぎがどう影響するか分からない。

 

(ソル少尉の模擬戦が一番心配なのに、どうしてこっちでも胃を潰さねえといけないんだよ……。クソッ、ゲラートの馬鹿野郎、マジェーレも空気を読みやがれ。知らん顔してるがな、お前が煽ったってのも大きな原因なんだぞ……ってか、お前が余計なこと言わなけりゃゲラートもな……)

 

 ナッドの憂いと反して、デュナム公国の二人は気にした風でもない。

 手だけで鷹揚に応じたホロンヘッジは腕を組んで、模擬戦の様子へと目を向けていた。イルルも笑顔を振り舞きながらその隣に居座る。どうにも二人はここで観戦するらしい。表情の裏は知れないが、ひとまずナッドはほっとする。嫌悪感丸出しであれば模擬戦の結果を待たず、運命が定まるところだった。……周囲の討伐隊の面々からの、刺々しい視線はともかくとして。依然、息が詰まりそうなことに変わりない。

 

 ともあれ気持ちを切り替えよう。気にしすぎても胃壁が削られるだけだ。ということで世話になったデュナム公国の二人には悪いが、早く元の位置へ戻って欲しいナッドであった。単純に居心地が悪くなる。しかし前向きに考えれば……丁度良い機会かもしれない。ナッドは密やかに耳を立てる。

 

 英雄二人から見て、ソルの奮闘をどう見ているのか。なにぶん、これは討伐隊全員に認めてもらうための模擬戦だ。批評する側の感想を聞くのは無益なことではない。

 ふむ──と真面目な顔のホロンヘッジは片手で自らの顎を軽く掴んだ。

 

「一進一退は変わらず、だな! イルルよ、どう思う?」

「そうだねー。あの子、とっても頑張ってるよね」

「うむ、まさに同感だな!」

 

 ……そして二人は沈黙。感想が終わった。

 顔を引きつらせたナッドは、恐る恐る二人に話しかける。

 

「でも──闇雲に動いても意味がないですよね……。本当の攻撃が見えない以上、我武者羅に動くしかない……ただ時間と共に生傷はどうしたって増える。段々と不利になって、時間制限まで何もできないままになる可能性は高いと思いますけど。それこそ、蜘蛛糸に得物が絡め取られるみたいに──」

「おっと君は──。まあ、君の言うことも確かに言えているな! 流石に『四大将』、大陸でも有数の大英雄を攻略するのは生半可なモノでは到底不可能だ! 目には見えない攻撃の網。厄介この上ないな!」

 

 ホロンヘッジは高らかに現実を述べた。

 打撃音が重なる。釣られて視線を飛ばせば、ソルが中空から墜落していた。その中途で身体が跳ねる。二打、三打の追撃が加えられたのだ。勝負を詰めにきている。それはきっとシャイラの優しさなのかもしれない。これ以上、一方的に嬲るような模擬戦を続けたくないのだろう。容赦ない攻め立てとは裏腹に、彼女の端正な顔立ちが悲痛に歪んでいた。

 

 吹き飛ばされたソルはと言えば、かろうじて受け身を取りつつ地面から這い上がる最中である。シャイラの間合いから外れた彼女は、途中で崩れ落ちながらも二本足で立ち上がった。古びた剣を地に突き立て、縋るように。上下する胸を片手で抑えて、猫背のまま前を──シャイラを睨みつけていた。燃え滾る闘志は揺るぎなく、一歩踏み出せば『シャイラの間合い』に入る位置で立っている。

 

 ソルの有様は酷いものだ。真っ白な幼女には無数の青痣が目立つ。擦り剥いた膝や腕、頬から血液が染み出ていないのが救いだ。シャイラの操る木剣がもし鋭利な刃を持っていれば、悲惨な血達磨と化していただろう。自らの想像ながら背筋が寒くなる。最も目立った患部は、彼女が剣を握る右手付近だ。度重なる連打でか大きく腫れ上がっており、ナッドも目を覆いたくなる立ち姿である。

 ……痛々しいまでの、引きずるような息遣いがナッドの耳にまで届く。

 聞いている方も息苦しくなる呼吸だ。

 ここで見かねたのか、シャイラが戦闘開始以来の言葉を紡ぐ。

 

「……あの、やめません、か?」

「やめ、る……? ──まさか、なのじゃ」

 

 息も絶え絶え。掠れた声で降伏勧告を突き返すソル。

 幼女らしからぬ嘆息の後……ややあってソルは気負わずに『シャイラの間合い』だと線引きされた内側へ、躊躇なく軍靴で踏み入った。ナッドは思わず馬鹿と声を上げかけた。彼女の足取りはさながら、年老いた老人のように弱々しい。その弛緩した雰囲気は、相手の土俵に上がった自覚すら疑われるほどの軽快さすら窺えた。力を削り取られた果てに、血迷った風にしかナッドには思えない。

 ──当然、強烈な一撃がソルの肩を貫いた。

 

「っ──!」

 

 軋み。その呻きは人体の軋みだった。ソルは突き抜ける衝撃に肩を逸らし、如何ばかりかを逃がす。余剰威力に仰け反り後退ったが、再び前を見据える。まるで屍兵だ。自身に頓着せずに敵を目指す。しかしバラボア砦で見せた、修羅のごとき奮戦ぶりとは似て非なるものだ。

 ナッドは唇を噛んで、拳を握る。

 見てられねェ、というゲラートの言葉が否応なく頭に浮かぶ。

 

「……まずは、あの攻撃の正体を看破しなくちゃ駄目だ」

「ソル少尉が、ね。遠巻きに俯瞰している私たちには簡単なことだけれど」

「これは独り言だ。……いきなり入ってくるなよマジェーレ」

「しっ、声を抑えなさい。……独り言なら良いでしょう。あなたも手持ち無沙汰でやることもないでしょう? なら暇潰しに付き合いなさい。ゲラートは真面目な顔で離れちゃったし、あなたの顔もつまらないしで全くつまらないから」

「ちょっと待て、その言い方だとお前はいつも俺の顔を面白がっていやがったのか……? ってか、暇だとかどうとか言ってる場合じゃねえだろうが」

 

 マジェーレは澄ました調子で黒髪を弄って、適当なことを抜かし始める。

 

「言ってる場合よ。生きている上で暇は立派な凶器の一つ。それを潰すのは人助けの高尚さと同義と知りなさい。……一応、建設的な話に近いから安心なさい。それで、よ。ナッドはきちんとシャイラ・ベクティスの攻撃は見切っているのかしら? それとも節穴の目には風の通り道以外の使いどころがない?」

「……お前、一言どころか言葉の殆どが余計だ。……で、何だっけか『黎明の導翳し』の攻撃? まあ、あそこまで厳重にルール付けされたら一応……推測はできてるが」

 

 小声で呟きつつ、マジェーレの問いを思案する。

 シャイラの手の内を明かしたのは、過剰にも思えたシャイラへのハンデだ。不自由を強いる規律は、見当違いの可能性を排除してくれる。魔術も小道具も不可。「定めたルールを違反していない」という前提条件さえ飲み込めば、シャイラの攻撃は木剣でしか行えないことになる。不可視の攻撃がソルを襲う度、彼女が木剣を振るう理由もそれなら解ける。事実、彼女は木剣による剣撃を浴びせているのだ。

 当然だがその間合いは木剣本体の範疇に収まっていない。さしずめ木剣に魔力を通して、広範囲斬撃の効果を持たせている──士官学校で学んだを思い返すに、剣身を伸長させているのだろうか。透明化のほうはさっぱり分からないが──特異なオドを保有しているのかもしれない。ともあれ事実だけを『木剣の切っ先から、不可視の刃が続いている』と見て良い。剣撃を与えられたソルの身体の吹き飛び具合、シャイラの木剣を振る挙動の同時性から見てもおそらく間違いないと思われる。

 

 これらを口にしたところ、イルルが「すごーい! 大当たりー!」とハンドベルを鳴らす仕草で種を明かしたため確定だ。……それにしてもナッドたちは傍観者とは言え、大っぴらにイルルは正解を告げても良かったのだろうか。模擬戦真っ最中の二人には聞こえていないだろうが。そう思った矢先に、獄禍討伐隊の皆の視線の槍衾でイルルが滅多に刺される。マジェーレにも脇を肘で突かれている。慌てて口を抑えるイルルに、ナッドは何だか力が抜けた。

 そうやって種を割ったナッドはしかし、苦虫を噛み潰したように。

 

「……だからどうって話なんだよな、クソッ」

 

 辿り着いた結論は正直、本質の問題点ではない。

 相手方の単純なカラクリは推測できた。だがその対処が不可能なら意味がない。

 シャイラが腕を振るう姿を見ながら、がりりと歯を鳴らす。

 

「対処法が思いつかねえ。厄介なのは長い間合いより、剣身が視認できないこと。だからそれを視認できるようにしなくちゃならない。たとえば──そう。斬撃を浴びせられるってことは、剣身自体は見えないけど実体がある。だから通り雨でも降って、雨粒で浮かび上がらす、とか。炎属性魔術で火を起こして煙を出したりとか、こんな森奥なら霧でも出るかもしれない。この際、砂煙でも良い。何とかそうやって……」

「はっ所詮はナッドの浅知恵ね。どれもこの場この時間では使えないわ」

 

 青筋立てたくなる感想どうもありがとう──額に血管を浮かばせたナッドは、しかし彼女の言に頷くしかなかった。天を仰げば、気持ち良いまでの青空が広がっている。雨雲どころか雲自体がない。辺りを見渡しても霧の気配すらない。砂煙を起こすには地面が湿気を含みすぎている。大きめの砂粒は地面の表面を薄く覆っているが、乾燥した微細な土砂──柔らかい土砂はここにない。空気中に漂わせるには不向きな土質である。土属性、または炎属性の適性がソルにあれば万々歳なのだが……そもそもナッドは彼女がマナを使用した場面を見たことがない。扱えないわけではないだろうが、いままでを見るに望み薄か。

 他の方法を模索するナッドの必死さにか、背伸びしたイルルがぽんと肩を叩いてくる。

 

「茶髪の人──えっと、ナッドさんだっけ? そんなに気負わなくても大丈夫だよー」

「全く以てその通りね。あなたが何か考えたところで状況は好転しないわ。詰まる所、私たちは少尉の奮闘を黙って見ていれば良いのよ。無駄に頭を働かせても、あなたの脳味噌が可哀そうね」

「もー! イルルは別にそういう意味で言ったんじゃないのにー!」

「あら、それはごめんなさい。あとあなた……声は抑えなさい」

 

 人差し指を鼻頭に当てるマジェーレに対しナッドは溜息をする。イルルとの気の抜けるような会話の連続は、変に気が抜けて苛立つばかりだった。彼女の口を塞いだ点に関しては親指を突き立てたくなるが、先ほどの発言には二つ隣の指を立てたい。少尉の戦闘にやきもきして居ても立ってもいられないのだ。不安と恐怖が胸中を蝕む。肝心要の模擬戦自体に介入できずとも、何か考えていなければやってられない。

 焦燥感が解消されることなく、盤面は一方的なまま終局へ向かう。

 

 またしても振り出しに戻り、シャイラの間合いの間際にソルはいた。もはや今は自信を持って『立っている』とは断言できない。次に瞬きをしたときに頽れそうなほど覚束かない様子だ。あと一撃でも喰らってしまえば。幼女が地面に果てる、そんな現実味のある想像がナッドの思考を覆う。

 顔を痛ましげに歪めたシャイラも口を開く。

 

「……どうしてです、か。どうして、膝を折らないんです、か?」

「おかしなことを……言うものじゃ。勝たねば──わしらに未来はない、じゃろうに」

 

 途切れ途切れに返すソルに「そう簡単なことじゃない」とナッドは表情が引き攣る。

 あれだけの斬撃を浴び続けて、まだ立っていること自体がおかしい。常人なら最初の一撃で打ちのめされているところだ。ナッドであれば──間違いなく地面に這い蹲っているだろう。十中八九、泡を吹いて気絶しながら。自分の頑丈さを極力高めに考えて「気を失っていなかったとしたら」と仮定すると地獄だ。痛覚が一定量を超えれば、まず身体が言うことを聞かない。擦り傷や打撲痕は、時間経過だけで気力と体力を削り取っていく。何より、立てばまた斬撃の的になる恐怖が脳内を支配する。暗中模索ならば尚更だ。正気の沙汰とは思えない。……たとえ立てなければ未来がないとしても。

 精神力だけで立ち向かっているとすれば、やはりあの幼女は規格外だ。

 しかし気力次第で動かない範囲も厳然と存在する。

 

「見ていれば分かり、ます。もう、立っているだけ、精一杯です……よね?」

「そうかもしれんが──諦めるのは、ごめんこうむるのじゃ」

「なら……仕方ありませ、ん」

 

 そのときシャイラの一閃が放たれた──のだろう。

 ソルを襲う剣身自体は視認できないが、可視範囲の木剣が動いた。

 価値を見定める模擬戦を終えるために。

 ソル小隊の道を断つために──。

 

「クソッ! これで、終わりか──」

「いいや。此処で見切るのはどうやら早計らしい」

 

 首を振ったホロンヘッジは不敵に微笑んだ。

 彼は澄明な瞳の奥に、傷だらけの幼女を映して。

 

「あの少尉。何か──掴んだらしく、オレには見えるがな」

 

 

 

 ※※※※※※※※※※

 

 

 

 解き放たれた不可視の一閃を前にして、ソルは確信を以て左に避けた(・・・・・)

 決して俊敏ではない。身体をふらつかせたようにしか見えない動きだ。しかしシャイラの剣撃を回避した事実は、ソルがまだ二本足で立っていることから確かだった。だがさほどシャイラは気に留めた様子はない。前例が何度かある。偶然、剣撃範囲から外れたのだろうと思っているに違いない。

 ソルは一人、無理矢理大きく息を吐いた。

 

(よう、やく……か。負傷が耳に響いとるが、まだ身体は動く。まだ倒れとらんなら上々じゃのう)

 

 外野の静けさと同期して、心は研ぎ澄まされていた。

 事前情報がなければ、既に地に沈められていただろうが。

 

 ──在りし日に立ち寄った酒場で、ソルは風の噂に聞いた覚えがあった。『四大将』シャイラ・ベクティスの得意とする戦闘法は「不可視の広範囲斬撃だ」と。彼女と同じ地に足をつけたが最後、それが敗着の理由に足る。近場の席でそう語っていた男は、一本しか残っていない腕で酒を煽っていた。彼が喉を鳴らす間に見たところ、酒器を摘んだ手が大きく震えていた。欠損により廃業を迫られた心労で、酒食に溺れた結果か。それともシャイラへの畏怖の証明か。どちらだったかはさておき──彼女の繰り出すであろう戦法を、あらかじめソルは承知済みだったわけだ。

 だから今までのシャイラの剣撃は、十分にソルの想定内だったとも言える。

 

(そう、想定内じゃった。じゃが……想像は超えておった。シャイラ殿の間合いがここまで広いと難儀するのう。わしの手はこうも短いというのに)

 

 笑みを含ませたソルは、目を凝らして状況分析に入る。

 一歩一歩、ゆったりと距離を詰める。いまのところ彼我の直線距離は、この速度では十秒ほどかかるだろう。剣を届かせるだけなら八秒時点で十分か。ふとゆらり、と右斜め方向に転進して身を屈める。今度も剣撃を回避成功だ。ここまで何とか生身の身体でぶつかってきた甲斐があるというものである。

 突き詰め考えて正解に辿り着く方法論は、口惜しいが肌に合わなかった。

 

(──賢者とは正反対の位置におる我が身。……何事も頭から当たって『知る』他なかったのじゃ)

 

 そのせいで身体は痣だらけになった挙句、いつ倒れてもおかしくない状態だが。

 彼我の距離が半分に差し掛かると、連続した二撃が飛んでくる。

 勿論、迫る剣身は景観と同化して目で捉えられないが──。

 

「……っ!? また……?」

 

 緩慢な動きでソルは不可視の二撃を、一つ一つ躱す。

 一度だけなら勘所でも有り得た。二度続いてもまだ偶然の範疇。三度目があるとすれば、それは『何か』があるのだ。シャイラの深青色の瞳が思案に揺れる。ソルは「今のうちに──」と歩を早める。回避の術は非常に単純なのだ。早々に思い当たってしまうだろう。果たしてそれは、四度目の斬撃を潜ったときだった。

 シャイラは引き結んだ唇を、僅かに解くと。

 

「──風を切る音」

 

 正解じゃ、と心中で解答する。ソルの勿論、瞬間的な音で完全に発生源は把握できない。だが斬撃が繰り出されたタイミングは分かる。そして腕と木剣の動きから、伸びた剣の軌跡を推測。大まかな高さ、角度さえ弾き出せば回避率は飛躍的に上昇する。

 

 開戦当初から案自体は浮かんでいたが、あまりにも障害が多かった。第一に、不可視の剣身の形状を大まかに把握する必要があった。これは様々な条件で幾度も身体に当たりながら──一撃一撃が生気を奪う威力だったが──完全に意識を刈り取られる前に成し遂げられた。第二に問題だったのは、観衆が取り囲むここでは雑音が溢れ過ぎていたこと。話し声や揉め合いのどよめき。五感を研ぎ澄ますソルを邪魔する雑音でしかない。木剣は刃が鋭利な真剣に比べ、振るった際の空気抵抗が大きいのだ。そのため音を聞き分けるには、普段ならそう難儀することではなかったのだが。ただその雑音も今は最小限に留まっている。

 小さな風切り音は──不可視の斬撃が舞う暗中にて、一筋の光明となった。

 次に五度目の斬撃が来る。

 耳の端で捉えた風の音を合図に、ソルは回避行動を取る。

 

 そして。

 ──腹部に衝撃が走り抜けた。

 

「ッ──があ……!?」

 

 声も、出ず。

 視界がシャイラから地面へと転じ──手すら付けずに倒れ伏す。

 

 鼻が潰れ、前歯に砂利が擦りつけられる。つんと鼻奥を刺す感覚。それが全く認知できない。様々な感覚が渋滞を起こしていた。もろに喰らった不意の一撃は、気絶半歩手前のソルから言葉すら奪う。一文字にすらならない呻きが吐き出される。手足が痙攣する。臓腑が暴れ出す。突発的な吐き気が喉奥まで競り上がる。

 ソルはえづきながら、仰向けになって正体を看破した。

 

「っは、ふかし、のやい、ばを……まげた……なっ!」

「……はい。もうお仕舞い、です」

 

 そう、ソルの五感で見切る回避法は簡単に対処されてしまう。シャイラの場合は、間合い変化。ソルの軌跡推測は前提条件に『剣身が真っ直ぐであった場合』と付く。極端な例を挙げれば、鎌のように剣身を変化させられれば、ソルの推測は的を外してしまう。剣身を似た手合いと何度も当たったことがあるため──単純に魔力を結晶化させて、剣の間合いを広げるだけの使い手なら数多いのだ──直感的に悟る。彼らは変幻自在に間合いを変えることが真髄の剣士たち。むしろ今の今までシャイラが一定の間合いを保って、ソルを打ち払っていたこと自体が異常だったのだ。シャイラの場合は透明な剣身を振り回しているため、いつ剣身の形状がどう変化するのかすら把握できない。……あまりに、理不尽な強さだった。

 唇の端から唾液を漏らすソルに、シャイラが唇を噛んだのが見える。

 人知れず──ぼそり、と。

 

「……大丈夫、です。ここで倒れても、私が何とか便宜、図りますから」

 

 ソル以外には聞こえない程度の大きさで、そう言った。

 膝を折らせようと促す言葉は、かの幻想剣のなかで戦った『誰か』と重なった。

 

 模擬戦はあくまでも価値を見極めるだけだ。別段、ソルが勝利を収めなくとも良い。だからこそ彼女は幾度も呼びかけてきた。できる限り傷つけたくないから白旗を上げて欲しいと。模擬戦を終えればきっと、ソルたちの処分を話し合うだろう。その場でシャイラが『ソル小隊の価値を認めよう』と立ち回る。同じく結果として往生際の悪いソルは、そんな彼女に滅多打ちにされる羽目になったが。

 甘言の内容を理解はできた。だがソルは是とすることはできない。

 

 そんなものは、決して認められたわけではない──と。

 そんなものは、己の実力が勘定に入っていない──と。

 

 シャイラがそこまでする義理は何だ。ソルが幼女でもない人間であれば、至れり尽くせりな気遣いなどしなかっただろう。何故ならば彼女とソルに深い接点はない。彼女が知っているソルの情報は『ガノール帝国の英雄の卵』であること、そして『庇護対象である幼女』かつ『ハキムの孫』というのが精々だ。帝国の英雄の情報は始末する理由にはなれど、便宜を図る理由にはなり得ない。だから答えは一つ。つまりシャイラは『知り合いの孫』を贔屓しようとしているだけだ。

 

 それでここを生き延びて、憧れた英雄と肩を並べる? ──お笑い種だ。

 虎の威を借りて、同情を買って、それで辿り着く夢に果たして価値はあるか。

 

 ずっと夢に手を伸ばし続けてきた、過去の自分が。

 ずっと夢に手を伸ばし続けている、現在の自分が。

 それを許せるはずもない。

 

 頑として首を縦に振らないソルを、優しげな目つきでシャイラは見遣って。

 安心させるように、幕を引こうとする。

 

「大丈夫、です。だから──少し、眠っていてください」

 

 こうして運命は、剣は、幼女のちっぽけな身体に振り下ろされる。

 慈悲に満ちた反面、足掻き続けた彼女にとって無慈悲の一撃が。

 ソルはずっと──。

 

 

 

 

 

 このときを、待っていたのだ。

 

(直線上に倒れ伏している相手に、長い間合いを持つ武器で攻撃を加えるのなら──必然的に縦に振り(・・・・)下ろす(・・・)形になるのじゃ)

 

 シャイラが打ち放った剣撃の先は、狙い通りに右手首。彼女はソルを助命しようとしてか『剣を握る手』を執拗に攻撃を加えていた。分はそう悪くない賭け。それに勝ったのだ。剣撃が放たれた瞬間にずらす。右手首の位置に肘を置いた。刹那、電流のごとき衝撃が肘を起点に迸った。痛覚が暴れる。腕が言うことを聞かない。脳髄に痺れが走る。だがこの好機は逃がすまい、逃がすまいと霧散しそうな意識を繋ぎ止める。

 

 横に薙がれていれば、単純に吹き飛ばされていただろう。

 しかし、縦に振り下ろされれば地面が身体を支える。

 だからこんな芸当が可能になる──振り下ろされた剣身を腕で閉じ(・・・・)挟んだ(・・・)

 

「え──?」

「つか、まえた──!」

 

 これがソルが掴み取った突破口。

 最後の最後、優しいシャイラが何処を狙うか当てねばならない博打だったが。

 絶対的な隙が、生まれた。

 物理的に掴んでしまえば、透明だろうがもはや関係ない。

 

 不可視の剣身を渾身の力で挟みながら身を空転。つまりソルが体勢を立て直すと同時に、木剣を引き寄せた。瞠目したままのシャイラは手繰られるままに、微動だにしなかった足を一歩踏み出してしまう。だが終わらない。そのまま中空でソルは右腕だけで掴んだ木剣を放し、自身の矮躯を投げた。がら空きになったシャイラの正面に、幼女が一人躍り出る。眼光に宿した光のままに剣を流して構え、そして。

 

 さながら命を燃料にするかの如く。

 怨嗟と悲鳴を上げる身体を、無理を押し通して駆動。

 ソルの長い髪が朝日の中に弧を描き、血玉を散らしてシャイラに飛びかかる。

 

「おおおおお──ッ!」

 

(眠ってなどいられない! 同情で勝ち取った価値など、それは輝きに乏しい紛い物に過ぎん。見目は幼女と言えど侮るなかれ。折れず、立ち止まらず、わし自身が勝ち取ってみせるのじゃ。憧れた大英雄『黎明の導翳し』よ。光の差さぬ戦場で昔日の貴女もきっと、それを胸に抱いてきたはずじゃ。だから)

 

 これでわしの『価値(かち)』とせん──と。

 踏む、最後の一歩。止まらず駆け抜け、剣で一閃を叩き込む。

 

「これで──ッ!」

だめ(・・)()()……っ!」

 

 擦れ違いざまに剣撃を放った瞬間、果たして何が起きたか。

 ソルは。

 理解が追いつかなかった。

 刹那の間に視認できたのは一つの影だけ。

 

 ──その男の血相を変えた魚面の顔貌は、いつにない真剣味を帯びていた。シャイラとソル相中にハキム・ムンダノーヴォが横槍を入れた。飛び入ってきた彼は、そのまま分厚い軍靴の踵でソルの剣撃を止める。模擬戦の仲裁だろうか。だが彼は何故か──流れるように抜き放った魔剣で仰ぐ空を斬った。斬撃は当然、何も捉えないはずだった。しかし、決して軽くない金属音(・・・)が多重に鳴り響く。

 

 発した正体は十本もの『剣』。かの魔剣が振るわれたあと、ややあって弾かれたと思しき十本の真剣が地面に突き刺さる。まるで見えなかった。ソルは瞠目を隠し切れない。おそらくあれらは空から降ってきたのだ。まるでシャイラを斬り捨てようとしたソルを迎え撃つように。ハキムの横槍がなければ──白刃を煌めかす剣の群れに、容赦なくソルの身体は貫かれていたに違いないのだ。

 

 腰を叩くハキムと言えば、撃ち漏らした一本の剣が右腕を穿っていた。

 血液は滴っていないが、常人ならば堪えがたい苦痛のはずだ。

 だが彼は一瞥しただけで、大した素振りも見せずに嘆息している。

 

「……間一髪、かのう。危地は去ったらしい」

「それは、どういう……」

 

 詳細な意味を問うソルの声を遮ったのは、からんという軽い音。

 音に釣られて目を向けると、そこには木剣を足元に転がしたシャイラ・ベクティスがいた。そう、誰も彼もが疑問符を付けている状況で、最も動揺を見せているのは当の彼女自身だった。呆然と腰を抜かしたようにへたり込み、二房の紫紺の髪を戦慄かせている。自分の両手とソルと、地面に突き立つ数本の真剣を順番に見遣るばかりだ。まるで「自分で自分が信じられない」と言っているようだった。

 

 ソルは何か彼女に声をかけようとするが、その前にハキムが迅速に対応する。目に見えてどよめく円周から橙髪の少女──確かデュナム公国のイルルと言ったか──を呼ぶと、女性数人で介抱するように指示を飛ばした。イルルはでたらめな敬礼をすると、数人に抱えられたシャイラと共に人垣の向こうへと消えていく。その間際までシャイラは「あ……」と声を漏らしながら、力なく手をこちらに伸ばしていた。

 未だに状況が掴めないソルは、そこらに突っ立っている訳知り顔に話しかける。

 

「ハキムよ、これは……シャイラどのは一体どうしたのじゃ……?」

「見れば分かるだろうよ。シャイラ嬢は焦って二つの規則違反を犯した。一つは、一歩も動いてはならんというルール。そしてお前さんが最後、殺意を漲らせて近付くものだから──お前さんを串刺しにせんと暴走したのだろうな。魔力を木剣に通さずに、魔力で不可視の剣を編み上げおったのさ。心配せずとも勝負は決しとる。シャイラ嬢の反則を抜きに見ても、お前さんの『価値』は揺るがん。俺が保証するわい」

 

 ざわめきに埋もれる程度の小声で、ハキムは肩を竦める。

 ソルはその言葉に僅かながら脱力して、ここでようやく愛剣を腰帯に収める。もう地面に大の字に寝転がりたい気分だ。気分と言うよりは、全身が休息を訴えかけてくるから仕方なくだが。立てた剣に何とか体重を預けながら「腕の剣、刺さったままじゃぞ」とハキムに指摘する。気にした風でもないから放置しておこうかとも考えたが、そのままだと如何せんシュールすぎた。「おっと、忘れとったわ」とハキムは引き抜くと適当に地面へ剣を放っていた。その剣身に一滴の血潮も付着していなかったことを、ソルは見逃さなかった。

 そこに「ソル少尉!」という聞き慣れた声が鼓膜を揺さぶる。

 

「大丈夫ですか! 肩、貸します!」

「ナッド……すまんのう、いろいろと心配をかけたのじゃ」

「そんなことは──ありますけど、実を結んだなら帳消しですよ。これほどボロボロになってまで……二人ほど、絶対文句つけてくる連中に思い当たりはありますけどね」

「それは私やゲラートのことかしら? ナッド、飼い主に懐くのは良いけれど陰口は戴けないわ」

「げぇっマジェーレ、お前もこっちに来たのか……?」

「何か不都合なことが? 心配しなくても何もしないわよ、ただ──」

 

 肩を貸すナッドの威嚇を無視して、その黒い少女はソルに顔を寄せる。

 彼女は幼女の額に手を翳して何ごとか呟くと、薄青色の明かりが灯った。

 すると脱力感と痛みが幾らか治まる。少なくとも、いますぐ気絶することはなくなった。

 

「これは──」

「お前、こういう治癒魔術も習得してたのか」

「入用でね。応急手当にも満たないような魔術でしかないけれど、気休めにはなるわ。……本職に少尉を引き渡したいところだけれど、どうもまだ舞台裏に引っ込むわけにはいかないようだから」

 

 マジェーレが首を横に向けると、見計っていたらしいハキムが首肯する。

 彼は一歩踏み出して、朗々と静粛さを促す。

 『四大将』代理の鶴の一声で、ざわめきは一気に落ち着いた。

 

「『力』は示された。値打ちは目に焼きついた。ソル小隊の価値を問う模擬戦を此処で終了とするが、さあどうか。この小さな勝者について異論を挟む者は? 此度の『根絶』ファニマール討伐において力不足と詰る者は? 『四大将』に果敢に向かった彼女を謗る者は……おるか?」

 

 静かに問いを重ねるハキムに、声を上げて反論する者は誰一人いない。

 腕を組んでただ頷く者、じっと続く言葉を待つ者、にたにたと微笑む者。見渡せば先ほどの模擬戦に全員が全員、異論を挟む余地もないと考えているわけではないだろう。シャイラがその気になれば、ソルなど数秒と経たずに潰されていたのは間違いない。手心に手心を幾つも重ねられ、紙一重で手にした勝利だ。並ぶ顔触れの中に、割り切れない表情の者がいないわけではない。そもそも仇敵であるガノール帝国を受け入られないというのは至極当然の話である。しかし絶対数が少なく、加えて声を上げない理由は『四大将』の右腕であるハキムの前だからだろうか──いやおそらく、超実力主義で育ったビエニス人の賜物なのだろう。実力や価値を認めた者に、実績を上げた者に、彼らは寛容だ。

 ハキムは生まれた沈黙を破るように、しわがれた声を張り上げる。

 

「『黎明の導翳し』本人は不在ながら──全権委任された『四大将』代行として、模擬戦を取り仕切る者として、ハキム・ムンダノーヴォが宣言する! 此れにてソル小隊の処遇は決定。然るべき談合の後に御璽を以て契約を結び、ソル小隊が栄光ある『根絶』討伐隊に名を連ねることを約束する!」

 

 言い切った後──一つ、拍手が鳴った。徐々に勢いを増し、大勢の拍手がソルを迎える。

 傷を負った顔の男女は静かに手を叩き、中には口笛を鳴らす若い男が見え、短く称える声も上がった。ナッドに肩を支えられながら、それらをソルはぼうと眺めていた。人数にすれば、三十人程度による祝福だ。大勢という形容に当て嵌まるかがギリギリ。少なくとも古今東西の英雄譚に描かれる喝采の量、活躍の質、共に天と地の差がある。だが、比べる前からソルは顔を綻ばせていた。

 こんなことは──そう、初めてだった気がする。

 

 大勢に褒め称えられるのは、傭兵時代にはなかった。

 勝利とも敗北とも言い切れない、凌いで終える戦場ばかりだったから。

 

(うむ……うむ、こういうのは英雄譚での花形じゃよな……うむ。悪く、ない)

 

 感極まる間もなく、ハキムから目配せされる。

 何なのじゃ人が感慨に耽っている最中に──とソルは胡乱に見返したが、隣から「握手よ。ほら、行きなさい」という小声の助け舟が出た。手を結ぶ小隊の長と討伐隊の長代理は、衆目の前で手を繋ぐ必要があるようだ。ハキムなどと改まって握り合いたくはないが、ここで撥ねのけるわけにはいかない。

 ここにて、小柄な幼女と大柄な老人は面と向かい合う。

 

 複雑そうな顔のソルと、眼尻の皺を深くするハキムは柄にもない握手を交わした。

 傷だらけの小さな手は、がっちりと老木のような手に掴まれて。

 

「……流石と言う他にないのう──ソル少尉。流石は、俺の孫だなあ」

 

 あっ──とソルはすっかり忘れていた作り話を思い出す。

 勝利の余韻は血の気とともに引いていく。

 この日一番のざわめきの坩堝で、ソルは先送りにしていた「これからのこと」に頭を悩ませることになった。



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11 『怪物退治の始まり』

説明回です


 雲を貫き、天を衝くマッタ―ダリ山脈。間近で見上げれば、さながら地に突き立った壁のよう。急勾配の斜面は勿論、高度も大陸で比肩する山脈はない。言わずと知れた、大陸を西と東に分断する巨峰である。

 ビエニス王国、ラプテノン王国、フォルネス共和国、デュナム公国等が大陸西側。ガノール帝国は東側だ。マッターダリに連なる山々は現在の十年戦争において、反帝国戦線の防衛ラインと化している。ここは帝国が行軍したまま踏破するには、様々な障害が立ち塞がるからだ。

 

 第一に、垂直に近い斜面を行かねばならない斜面。第二に圧倒的な標高。第三に獰猛な野生動物。そして天候問題がある。山の天気は移ろいやすいとはその通りだが、ここマッターダリは常軌を逸している。訪れる部外者を追い返さんと雷雨が轟き、熾烈な風が荒ぶ。人外と呼ばれる英雄達も手を焼く激しさだ。麓の住人から神聖視され「地上から去った神々が最高峰に御座すのだ」と霊峰に近しい扱いをされるだけはある。

 

 とは言え、力ある好き者が最高峰の登頂に挑戦した記録は数多い。もっとも、到達した者は歴史上において存在しないと言われるが。少なくとも軍事的に越える選択肢はない山脈であることは間違いない。帝国軍が西側へと侵攻する際は選択肢が限られる。大まかに言えば、山脈をぐるりと回り込むルート、細々とした渓谷を抜けるルート、比較的低所を越えるルートの三つだろう。

 反帝国戦線はそれらを潰すように城塞を設置し、睨み合いをしている現状である。

 

 

「■■■■■■、幸■■■……」

 

 

 ハキムら『原罪の獄禍』討伐隊が根城を張る、集落ケーブを見下ろす山脈は一層険しい。雲を纏う峰も刺々しいまでに角ばり、真白な雪化粧が施されている。山頂より真下に広がった雲河は下界と袂を分かっており、麓からでは見通せないほどに厚い。

 

 そこに。

 ──無数の手が、指をかける。

 

 

「■■■■■……■■為■■────」

 

 

 人の手の入っていない純白の雪が、翳る。動物と侮るには巨大過ぎる、最新式の兵器と安堵するには禍々しい──真の怪物によって。たちまち濃霧が峰を侵食する。……自然的な現象とはかけ離れた霧のようだ。怪物を中心に移動する霧は、毒々しい紫電、空気を焦がす火花、あるいは凍えるまでの冷気を孕む。たとえ何者かが視認していたとしても、それ(・・)の本体を把握することは困難を極めるだろう。分かるのは曖昧な実像のみ。仰がねばならないほどの巨体であること、無数の長い腕が伸びていること。そして──ぼんやりと霧の向こうに浮かぶ、赤く爛れた単眼のことだけだ。

 

 瞳が、全てを灰燼に帰さんと『根絶』の欲望に歪む。

 ──絶対的な破壊が、迫っていた。

 

 

 

 ※※※※※※※※※※

 

 

 

 幼女がまず目にしたのは、梁が剥き出しの天蓋だった。

 眠っていたのか──自覚が脳裏に浮き上がる。

 

 気づけばソルは寝台の上に横になっていた。寝惚け眼のまま視線を彷徨わせる。

 どうやら民家の一室のようだ。しかし生活必需の家財道具は見当たらない。この空間を──急ごしらえの病室のように見えるが──作り上げるために運び出されたのだろう。所狭しとソルが横たわっているような、安っぽい寝台が詰め込まれている。だがソル以外に寝台の世話になっている者はいない。

 

 壁際に目を移せば、愛剣が手を伸ばせば届く距離に立てかけられている。見慣れた相棒の健在に、僅かながら安堵の溜息を漏らす。そして視線は肌着一枚の自分の身体へ。ソルの打撲だらけだった身体は、見違えるほど平時に戻っていた。淡く青痣が右手首に残っているが、普段通りに拳を握ることはできる。

 ソルは纏わりつく倦怠感を引き剥がしながら、ゆっくりと上体を起こす。

 すると、寝台の側に立っていた橙髪の少女から。

 

「おお目覚めたっ? おはよっ『お孫ちゃん』!」

 

 起き抜けにとびっきりの笑顔でそう言われる。

 ──思考が停止。ぱちりと瞬きを一回。

 

 眠気は霧散して、頭が段階も踏まえず冴え渡る。

 そして意味を丹念に咀嚼した後、ソルは聞き間違いを期待した。

 

「? どうしたの『お孫ちゃん』、調子悪いところある?」

 

 どうやら一字一句間違いないらしい。ソルは夢だと断じて、再び瞼を閉じたくなった。だが現実逃避にかまけてはならない。確と冴えた脳内にある『ハキムの孫宣言』が主張する。あの瞬間から、外面では「ハキムの孫であるフリ」をせざるを得なくなったのだと。遂に恐れていた出来事が来てしまったのだと。

 

 両手を頭にやって白髪をくしゃりと握る。ああ、憂鬱じゃ憂鬱じゃ──。

 何気にここ数十年で最も嫌な出来事かもしれない。

 

(ぐっ……引き摺っていても仕方ないのじゃ。昨晩から覚悟は出来とったはずじゃろう。いまは状況把握に努めねば。……横におる者にも一応、覚えがあるのう)

 

 きょとんと首を傾げる──先ほど絶望の宣告をした少女は、討伐隊の輪でひときわ騒がしかった者だと記憶している。名前は確か、イルルと言っていたか。彼女は早朝と変わらず、薄汚れたフードを目深に被ったままだ。手に包帯を持っているところから察するに、救護の人間なのだろう。……そういえば、模擬戦後に錯乱した様子のシャイラ・ベクティスを、率先して運んでいたのも彼女だった。

 イルルから視線を外し、改めて周囲に巡らせる。

 

 ソルが眠っていたここは家主のいない民家を拝借して、医務室に仕立てられた場所だ。模擬戦終結後、獄禍討伐隊の救護班にここへ運び込まれたことは覚えている。外傷は軽微だったが、打撲や至るところの骨に入った亀裂が洒落になっていなかったようだ。そして処置を受けるなか、どうやらソルは意識が途切れてしまったらしい。

 伝聞系が多いのは、模擬戦終結後は意識が朦朧としていたからだ。されるがまま、言われるがままに医務室へ運び込まれたため実感に乏しい。考えた以上に状況は深刻だったようだ。

 はっ、とソルはここで一つ思い当たって。

 

「そうじゃ……結局、御璽の契約内容や話し合いに参加できておらん……!」

「あっ大丈夫だよー。もう早朝の報告会と御璽のあれこれ全部終わっちゃったからね!」

「お、終わったとな? わしが眠っとる間に……?」

「うん。君のところの副長とナッドくんの提案でねっ! イルルは小隊の長だからお孫ちゃんも同席したほうがいい思ったんだけどー『これは俺たちの仕事だから』ってナッドくんが。いやー素敵な話だよね! みんな賛同したから、お孫ちゃんの了承なしに進んじゃったよー」

 

 老人には堪えるテンションの少女は、ソルの両肩を押して寝床に押し倒す。出来事を上手く呑み込めないまま、ソルは固い枕の感触を後頭部で味わう。……これは喜ばしいことなのだろうかと悩んだ。

 

 信頼の上で請け負ってくれたのなら、喜ぶべきなのだろう。ソルが求める英雄像である『仲間の力も借りながら切り拓く英雄』に近づけていると言える。実益の面から見ても助かる話だ。正直、自分が交渉関連で役に立つとは思えない。しかし長を任された者として丸投げなのはどうなのか。未だに慣れない立場に惑うソルだった。

 複雑な心境のソルを他所に、橙髪の少女は手を叩く。

 

「だから、もう君たち小隊とイルルたち獄禍討伐隊は『仲間』だよっ! 目的を達するまで一蓮托生! 一緒に助け合って、頑張って、最後には笑えるような未来を迎えようね!」

「最後に笑い合える未来とは、心惹かれる謳い文句じゃな。古今東西、種類は様々あるが『英雄譚』とはそう(・・)でなくては嘘じゃからのう。応とも。……もう仲間、じゃものな。まだ気持ちは追いつかんが、心強い。頼りにさせてもらう」

「うんうん! イルルも、お孫ちゃんたちのことも頼りにしてるから! でも気を抜いちゃ駄目なんだからね! 檜舞台はシャイラのお姉さんとの模擬戦じゃなくて、『根絶』ファニマール攻略なんだからっ!」

「元より望むところよ。歴史的偉業に僅かでも力添えできるのなら、願ってもない話じゃ」

 

 願ってもない話──と言いつつ、ここまで昨晩のハキムと構想した計画をなぞれている。何とかソル小隊を獄禍討伐隊に捻じ込み、『根絶』ファニマール討伐に一枚噛むことに成功した。現在、できる限り円満に進んでいる。勿論、過程で想定外も発生したが。目的のみを見据えるソルは「むしろシャイラ殿と一戦交えられて一石二鳥じゃった」と悪びれない。

 

 崖淵を渡ろうが、綱上を駆けようが、結果さえ掴み取れればそれが全てだ。根底に染みついたソル特有の思考である。理想的な道筋を辿れずとも、目的は必ず掴みたい。彼女を突き動かし続けた執念が、その根本を形作ったのだろう。

 突然イルルは「んあっ」と声を高くした。

 

「そうだったー! イルルまだ君に、面と向かって自己紹介してなかったねっ! イルルの名前はイルル・ストレーズ! デュナム公国で色々頑張ってるんだ! 今回の『根絶』ファニマール討伐隊じゃあ、デュナム公国側の代表者の一人って感じっ! よろしくねっ!」

「あ、ああ。ならばわしも、自己紹介をしておこう。名はソルじゃ。ガノール帝国に最近拾われ、少尉の称号を預かった。古臭い喋り方かもしれんが、はっさいじゃぞ」

「八歳! 若いねー」

「若さならばおぬしも大して変わらんじゃろう。もちろんわしは、はっさいじゃが。こちらこそよろしく頼む……イルル殿」

「殿じゃ固いってお孫ちゃんっ! もう仲間になったんだから、他人行儀じゃ味気ないよ!」

「そうじゃろうか」

「そうだよ! イルルのほうが十六で年長だね。だからイルルのことは、ふふん。イルルお姉さんと呼ぶんだよ!」

 

 得意げに人差し指を突き上げるイルル。

 年上感が皆無である。

 もっとも、実際は五十歳もの歳の差でソルが年長なのだが。

 

「う、ううむ。努力はさせてもらう。しかし……申し訳ないが、巷ではあまり聞かない名前じゃなあ。寡聞にしてデュナム公国はグレッタ・ヴォルケンハイム殿ぐらいしか知らぬもので……」

「だよねー。でもしょうがないよ! 大将以外は他の国の人に知られてないから! イルルだって裏方やってただけで表舞台とか出てなかったからねー」

「なんと。これが初の大舞台とな」

「君とお揃いでねー、それにホロンくんも同じようなものなんだよ。兵役換算だとイルルよりまだ新兵さんだし、特に大きな戦果を挙げたわけでもないしねー」

 

 あっははは、と少女は朗らかに笑う。

 デュナム公国のことをソルは、そう多くは知らない。ただ彼らの弱兵ぶりは大陸では非常に有名だ。惰弱な物のたとえでデュナムの名は頻繁に使われるほどである。

 前向きな慣用句では『肩を組めばデュナム人でも盾代わり』とある──如何なる人々であっても、束ねればそれなりに役立つの意。だが『脳味噌足らずのデュナム人は頭数だけがある』とも言う──役立たずが雁首揃えたところで塵芥に等しいの意だ。とんでもなく酷い言い回しだが、数々の逸話が真実味を帯びさせているのも事実。

 

 鮮烈な出来事を一つ挙げるとすれば、こういうものがある。──苦戦が続く戦地にデュナム公国軍が援軍を送り込んだときの話だ。援軍と聞いて戦地で奮戦する兵たちは喜んだ。しかし予定日を迎えても、待てども待てども援軍は来ない。焦れていると、予定日の三日後に援軍が到着した。何か道中であったのかと聞けば──「すまん、道中に美味そうな林檎の実がなった木があったもんでな。たらふく皆で食ってたら援軍命令忘れて、首都に引き返してたネ」と、援軍を率いていた男は答えたそうだ。

 ……この話が広まったときはソルも耳を疑ったものだ。どうやら事実らしいのだから頭が痛い。能天気にして陽気、脳内お花畑の生きた標本。それがデュナム人に対しての一般論だったか。なにぶん人並み程度の知識しかないため、聞いた話でしか語れない。

 もっとも、華々しい英雄たちとは縁遠い国家の事情をソルが仕入れているはずもないが。

 

「イルルの国のことはこっちに置いといてだよ、お孫ちゃん。身体の具合は大丈夫?」

「全快は望むべくもないが、うむ。驚くほど良くなっておるよ」

「なら良かった! 救護班の皆で頑張ったけど、どこか調子がおかしいなら言ってね! 治癒魔術での強引な回復には反動があるかもしれないからね。何事も綻ぶのは小さな擦り傷からって言うでしょ? 違和感来たら、はい挙手だからね?」

「気遣い痛み入る。有り難い」

「いやいやー、嬉しいけどお礼されるまでもないよっ! これがイルルたちの願いだから。お仕事でもあるけどねっ? でも、やっぱりみんなには元気で笑っていて欲しいじゃん!」

 

 謙遜するイルルは満面の笑みを見せる。

 翳りを見せない少女は、間を置かずに話を進める。

 

「ようし。それじゃあ何か聞きたいことある? お孫ちゃん。イルルお姉さんが教えてあげるよ!」

「……とりあえず、その『お孫ちゃん』という呼び方を改めて欲しいのじゃが」

「えー、でも君はハキムのお爺ちゃんのお孫ちゃんなんだよね?」

「いや……う……そう、かも、しれん……が」

 

 苦渋の末に頷きを返せば、一つ手を叩いて頷くイルル。

 

「んーじゃあ、『ルーちゃん』で手を打とうかなあ」 

「それだったらまだ、ううむ……本当は呼び捨てで構わんが」

「呼び捨てはちょっとね、あたし(・・・)が駄目なんだ。申し訳ないけどねっ!」

 

 そう言うと、にかっと白の歯を見せた。

 ソルが口を挟もうとする前に、イルルは拳を突き上げた。

 

「とりえずルーちゃんに決定っ! めでたいね! それじゃ早速ルーちゃん! 話を戻して、聞きたいこと募集だよ! できれば一気に教えて欲しいかなー」

「ふむ? その心は」

「ハキムのお爺ちゃんに急かされててさー。他のみんなも出発してるんだよね!」

「いま、獄禍討伐隊全体が動いとるわけかのう」

「ホントねー、実はあんまり時間がないんだ」

「それならば……肝心なもの三つを尋ねよう。まず、シャイラ殿の容体が気にかかる。剣を合わせた手前、彼女に大事があったのならわしの落ち度じゃ。そのあとで構わんが、御璽の契約内容と報告会の詳細を頼みたい。情報を集めて追いつかねばならんからのう」

「ふふん、大体そういう質問が来ると思ったよっ! ──とと、来たみたい」

 

 突然、響いた医務室の木扉を叩く音に、イルルは耳をピンと立てる。

 口ぶりから察するに、彼女があらかじめ呼んでいた人物のようだ。

 

「来た、とな?」

「君の質問の答えになる説明役さんってところかな! 入ってどうぞーっ!」

 

 声に促され、緩慢に開いていく木扉の軋む音が返す。

 屋外の光を連れてきたのは、あらゆる畏怖と憧憬を受ける大英雄。衣服は先刻のままだが、日光を反射する鎧に傷痕一本の跡もない。たわわに実った二房の紫紺の髪が腰付近で揺れ動く。腰にはついぞ抜かずのままだった剣が長い鞘に収められていた。

 芸術家がこぞって絵を描きたがるだろう彼女の美貌は曇りない。立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花、とは的を射た形容である。纏う戦装束が誂えたドレスにすら錯覚してしまいそうだ。顔色と口元から窺える濃い憂愁も、名画の味わいを深める色使いだと感じ入ってしまう者もいるに違いない。──彼女は先刻、ソルを滅多打ちにした当人である。

 

 見紛いようもなく、シャイラ・ベクティスその人であった。

 一見、平静を取り戻したように見える。ソルは胸を撫で下ろした。

 

(良かったのじゃ……あの模擬戦のゴタゴタで気に病んでおったら、申し訳立たぬ。元を正せば、わしが無理を言って模擬戦に誘ったようなものじゃからのう)

 

 ゆっくりとシャイラの控えめな瞳が、そんな幼女の姿を捉える。

 その途端。

 

「……すみませんでし(・・・・・・・)()……!」

 

 ぶわりと、目元から涙を溢れさせた。

 そして珠のような涙を散らし、勢い良く紫紺の頭頂がソルに向く。

 つまりシャイラは──泣きながら、深々と頭を下げて謝罪してきたのだ。

 

「……申し訳ない、です。全部、私のせい、でした」

 

 あまりに唐突。かつ、仮にも一国の大英雄が取る態度として不相応にすぎる。

 そもそも何に対しての謝罪かが分からない。

 ソルは勿論、イルルも呆気に取られて口をあんぐりと開ける。

 

 ──それこそ、医務室の空間だけ時間が止まったように感じられた。

 

(……この状況の説明役を呼んで欲しいのじゃが)

 

 

 

 ※※※※※※※※※※

 

 

 

 数分後、項垂れたシャイラにガミガミと説教するイルルの図があった。

 手狭な床に足を折り畳んで座るシャイラに、もの悲しさを感じざるを得ない。

 ……勿論だが人目を憚って、扉は厳重に閉め切っている。

 

「シャイラのお姉さん! ハキムのお爺ちゃんも口酸っぱくして言ってたでしょー! 簡単に頭は下げちゃ駄目え! 君はビエニス王国『四大将』の一角なんだよ? お姉さんの頭が安くなったら、ビエニス軍のみんなに示しがつかないでしょ。イルルたちの国家元首だったテレミンせんせーも、国庫食い潰したって絶対頭は下げなかったんだから! 『ごめんなさい』はすっごく大事だけど、あんなに大っぴらにやっちゃ台無しだよ! シャイラのお姉さんは自分でわかってないのかもしれないけど、君の影響力って計り知れないんだからねっ? 奇跡的に誰も見てなかったみたいだから良かったけど……人が見てたら大騒ぎだったよ!」

「で、でも……簡単に下げたわけ、じゃないです。私、ハキムさんいなかったら──ソルちゃんのこと、串刺し、してたかもしれない、です。本来なら謝るだけじゃ、足りなくて……」

「『でも』じゃないよー! もー、ハキムのお爺ちゃんがいないと駄目駄目さんなんだからー!」

「あ、あー。わしは気にしておらんからのうー……」

 

 傍から見る立場のソルは、口出しづらい状況に戸惑ってばかり。一応、叱責を抑えんと声を投げかけたが「果たして首を突っ込んで良いものか」と迷い、細くなった声は届かなかった模様である。正直ソルとしてもイルルと意見を一にするところなのだ。

 シャイラは自身の犯した「模擬戦終了間際のルール違反」を悔いているらしいが……軍上層部の大将が、敵方の、それもたかが少尉に謝罪するほどの大事では決してない。そもそも如何なる場面に置かれようと、そんな機会があるはずないのだ。

 

 上下関係に疎いソルですら「これはマズいじゃろう」と思うほどである。遥か高みにある人間から涙ながらの謝罪を受けたのだ。それは許しを乞う行いを飛び越え、ただただ受け取り手を困惑させる奇行と化す。シャイラのことを「気弱げだが弁えた大英雄」と認識していたが、少々印象を覆された。英雄らしく奔放な一面も持ち合わせているらしい。

 だからと「その英雄らしい型破り」に好印象を持ってしまうのだ、ソルという幼女は。ナッドが彼女の脳内を覗いたとしたら「救えないほどの英雄狂いだ……」と感想を零しただろう。

 自分の額に手を当てたイルルは、第一印象の快活さが萎れていた。

 

「……むむう、お説教はこのくらいにしとくよ。イルルじゃシャイラのお姉さんを説き伏せるの、無理だし。ハキムのお爺ちゃんからじゃないと聞かないっぽいしー……。うう。やっぱりハキムのお爺ちゃん班組み間違えてるよお……自分の血縁者もいるんだから、イルルを置いていかないで欲しかった……」

「あの、ごめんな、さい。私が勝手なことした、ばっかりに」

「ううん──よしっ、頭を切り替えよ! まー大丈夫でしょ! 結果的にみんなから見られてないなら不敬じゃない! そうそう。うん、そのはず! とりあえず──ルーちゃんっ! 荷造り終わった?」

「……出来ておる。そして出来ればじゃが……そろそろ説明を進めて貰えまいかのう」

 

 唐突に話を振られ、半目のソルは遅れて頷いた。

 肌着一枚だった彼女の格好は、いまや平時の兵装姿に身を包んでいた。小さな尻を寝台に乗せ、擦り切れた愛剣を撫でる。イルルがシャイラへ叱責を浴びせている間に「ルーちゃんは荷造りしといて! なるべく早くね!」との指示通り、蚊帳の外で着替えと荷造りを終えていたのだ。

 振り向いたイルルは頬を掻いて、赤目を片方閉じる。

 

「ごめんごめん! 想定外のことで段取りが前後しちゃったね、一個づつ消化していこっか」

「よろしく頼む」

「ありがとっ! じゃ満を辞して、説明開始だよ──と言いたいけど、報告会の詳細は後回しね! ちょっといまソルちゃんが持ってる情報量じゃ、差し支えるものばっかりだから」

「むう、追いつくよう理解に努めよう」

「シャイラのお姉さんの現状はまあ、あんな感じ。うん。付け加えておくと、錯乱してるわけじゃないからね? ……それでっと、残る説明は御璽の契約内容だけなんだけど……」

「ああ、御璽の契約内容のほうは適当に掻い摘んでくれて構わん。文面の解釈の幅がどうこうなど机上の争いは、書面を精査した小隊の一人一人に一任する。わしの不得手中の不得手じゃからのう」

 

 そして何より、触れて欲しそうにしている人物もいるのだ。

 じぃ、と座り込んだ大英雄の視線を感じる。

 彼女を背にしたイルルは、ソルの冷や汗に首を傾げていたが。

 

 御璽の契約内容に、目新しい特殊な誓約はなかった。ソル小隊の敵前逃亡を戒める文。仲間割れを防止する文。細々とした文は他にも十ほどあったようだが、結論は「『根絶』ファニマール討伐での一致団結」を求める範疇を出ない。ならば問題ないだろう。「了解したのじゃ」とあっさり頷いたソルだった。

 

 要望通りに説明を済ませたイルルは「一等、適当じゃ駄目な情報じゃないかなー」とぼやいていたが、そこはそれ。門外漢が頭を捻るよりは、他のナッドやマジェーレたちが結んだ契約を信じよう。勿論、この間にも注がれ続ける視線に気を急かされたとも言えたが。

 

 一区切りつけたソルは──さて、と息を吸う。

 ようやく未だに床で座り込むシャイラに目を遣って。

 

「あー。ええ、シャイラ殿」

「お詫びに……何でもしま、す」

「……さては反省しておらんな? 立場以前に女子が『何でもする』などと軽々しく申してはならん」

「軽々しく、ありま、せん……私はただ、ソルちゃんのこと、を」

「それを軽々しいと言うのじゃ。曇りなき善意か、あるいは腹に持った一物か。如何なる所以かは存じ上げんが、わしなどの木っ端に下手に出ることを『軽い』と言っておるのじゃ。人として尊敬すべき謙虚さじゃが、過ぎればしっぺ返しを喰らおうぞ」

「ごめん、なさ……い」

「……非を悔いる必要はない。わしのほうこそ詫びよう。心をかけられた側で、シャイラ殿にぐだくだと説教を垂れるなどと」

「いえっ、やめてくだ、さい! 私なんかに頭を下げないでくださ、い……!」

「待て卑下するでない。わしはシャイラ殿に対して好感はあれど、恨みなぞ持っておらんのじゃ。……じゃから、詫びだの何だのは『なし』にしてくれんかのう?」

「いけま、せん。私は償いを、償いをしなくちゃいけま、せん」

 

 嘆息混じりの言葉に、しかしシャイラはなおも引き下がる様子を見せない。

 これが男児で、立場も対等ならば「頑固ながら生真面目な男だ」とも思えたのだろうが。しかし黄眼に映るのは女人にして本来は敵将。ソルは頑迷さに息を漏らす。見守っているイルルと共同で懐柔したいが、どうも彼女は諦めた様子だ。ソルの視線に反応すると、肩を竦めて頭をぶんぶん振る。無理だよ無理ぃーという声が聞こえるようだった。

 

 しかし、異様なまでに拘るシャイラの内心は気にかかる。ここまで拘るのが万人に対してなのか、幼子に対してなのか、ハキムの孫に対してなのか──それともソル個人に対してなのか。何にせよ、もはや彼女はソルが望みを言わぬ限り譲る気は毛頭ないらしい。ならば詮方ない。

 ソルは溜息を引っ込めて「望みを言えば良いのじゃろう」と言葉を紡ぐ。

 

 それは、いずれ持ちかける頼みだった。

 話を収めるついで、約束を取りつけられるのなら一石二鳥だ。

 

「ならば──もう一度。いつかまた、剣を交えてはくれまいか。今度はルール無用、心胆を震わすほどの真剣勝負を。貴女を貴女足らしめる遍くを剣に込め、わしとの全身全霊の戦いに臨むことを願おう。此度の模擬戦では力不足から醜態を晒したがのう、次こそは貴女に届かせてみよう」

「力不足な、んて……そんな、こと。でもそれが、望みならば……必ず。必ず、しましょう。約束、です」

 

 噛み締めるように言うと、シャイラは腰から鞘ごと取り出す。

 仕草の意味合いをソルは目配せなしに察する。ビエニス王国周辺地域、独自の誓約法だ。金打(きんちょう)。二人が約束の履行を誓うとき、互いの一番大事な品物を打ち合わせる。一般的に婦女子は鏡で、魔術師は杖で、武人同士なら己の命を預ける得物で。剣士は当然、剣である。この場合は鞘から一寸ほど剣を抜き、戻す際に音を立てれば契りとなる。

 

 彼女に対してソルは裸身の剣を抜き、両手で持った剣の先を正面の床に向けた。これはガノール帝国を含め、大陸西部における武人の誓約法だ。瞑目して両手で得物を掴み、地面に突いて音を立てる。金打と同様の意味合いだが、生憎と鞘を持たぬソルはこの方法を選択した。

 

 そして──無言のうちに、歓喜がソルの胸中で膨れ上がっていた。

 何故ならばあれは武人同士の契り。

 単なる幼子との認識が覆った、何よりの証である──。

 

 一瞬だけ互いに目を合わせ、片方は立てた鞘から僅かに剣身を出し、もう片方は瞳を閉じ。

 ──かちり。音が一つ、室内に転がる。

 

 これで武人同士の誓いが結ばれた。御璽のような強制力は発生しない、心に誓うだけの約束だ。だからこそ重い。剣士の魂である剣に誓った望みを違えば、それは誇りを捨てると同義。人でなしの烙印を押されるがごとき恥だ。ゆえにシャイラとのこの約束は必ず履行されるのだろう。ソルはそれが楽しみでならない。

 数秒の静寂を裂いたのは、寝台に立つイルルの手拍子だ。

 

「はいっ! 二人が仲良く約束したところで、話進めよっか! これからのことについて、大筋だけでもルーちゃんに教えとかないとだよね!」

「です……ね、情報、分けないと……」

「それは有り難いのじゃ。どうか講説を頼む」

「よぅし! あっでも、方針伝えるにはまず基本的なファニマールの情報が必要だなー」

 

 イルルは指を下顎をなぞると。

 

「んー省いても良いけど、穴があると大変だし──ここは復習も兼ねてやってみようねっ! シャイラのお姉さんも付き合ってくれると嬉しいな!」

 

 

 

 ※※※※※※※※※※

 

 

 

「それじゃ『根絶』ファニマールについて、ルーちゃんはどこまで知ってる?」

「人並み程度の範疇を出とらんと思うのう。読んでおった英雄譚で数体知っておるが、『根絶』は出没率が高い割にあまり描写されとらんかったから」

「だねー。お伽話で倒されてたら、こうやって頭を悩ませないもんね」

「とは言え『根絶』は生きた災害じゃから、どこかで偶然かち合う可能性もある。そのときのために一応、少しばかり知識を蓄えておったくらいなのじゃ」

 

 ふむ、とソルは自身の知識を掘り返す。

 生きた災害とは、現代では逸脱した英雄達をも指す言葉である。だが真実、その形容が的確と言えるのは『原罪の獄禍』に対してだ。

 

 大陸を闊歩する七体のうち特に『根絶』『反転』『至高』の三体は、大陸中の誰もが「まさしく天災だ」と口を揃えて言うだろう。他の『原罪の獄禍』と異なり、行動範囲が定まっていないからだ。『原罪の獄禍』は一般的に、根城にした領域からは出てこない。だからこそ脅威を放置して人間は戦争にかまけていられる。しかし──前述の三体は違うわけだ。

 

 記録上、侵攻を受けた地域に偏りはない。東はガノール帝国の下端グレイ地方、西はラプテノン王国の国境付近、北はセレスニア共和国の首都部のカーディア、南はビエニス王国の第三位の都市サルドナ近辺。大陸の東西南北どこの地域にも、勝手気の向くままに足を伸ばしてくる。だから災害と呼ばれるのだ。

 そのうち『根絶』ファニマールは最も被害を出している獄禍である。

 

「まずファニマール本体の特徴から行こっか! 一番の特徴は手だね! 沢山の、ううん──無数の腕が背中から生えてる。攻撃手段と移動手段に使ってるみたい。……ってだけだね。

「だけ、とな?」

「断言できるのはこのぐらいなんだよね。色々、文献とか探ってみたらしいけどねー、どうにも憶測や推理ばっかりらしくて……」

「あまりに情報が少ないのじゃな。本体に対して詳しい言えぬというのは──例の霧のせいかのう?」

「大当たり! まあ実際には霧じゃないらしいけどねっ! マナ(・・)。ファニマールの周囲は霧状の濃密なマナが覆ってる。それが本当に厄介! あそこまで濃ゆいと魔術は掻き消されちゃうし、物理攻撃も弾かれる。だから霧に見えるけど、正確には表現するなら『障壁』みたいなものかなー」

 

 マナ。大気中に漂っているとされる魔力の総称だ。ソル自身は魔術関連に学はないが、雇い主だった妙齢の魔術師から「魔力は毒だ」と教えられた覚えがある。当然、今も肺に取り込んでいる程度の濃度であれば人体に害はない。しかしファニマールが纏う霧の濃度は、大気中のマナを遥かに超える。

 

 ファニマールが放出する霧は、攻防一体を為す。隔絶したマナ濃度はそれ以下の濃度で織り成された魔術を、霧に触れた途端に打ち消す。知識のないソルからすれば、いまいちピンとこない。しかし事実として物理攻撃も効かぬというなら──いっそ霧は圧倒的マナによる圧力の塊に近いのかもしれない。そんな霧を常時纏うわけなのだから、ファニマールには近付くことさえ困難を極める。

 やはり討伐は不可能ではないのか。改めてソルは疑問が浮かぶ。

 

「ここまでは既知の情報じゃ。打倒するには霧をまず払わねばならん、そうじゃな?」

「はい。……この先、私が引き継ぎ、ます。通常の霧なら、払う方法は……強風、気温上昇等です。でも、超高密度のマナを物理的に払うことは、まず出来ま、せん。だから……マナの特質、利用します。編んでいないマナは、時間経過で空気に溶け、ます。……薄まる前に補充されるため、そのままじゃ、突破口足り得ま、せん。ですから……根本を断ち、ます」

「根本とな?」

「ファニマールと、マナ補給路で繋がれた……獄禍、です」

 

 霧状のマナはファニマールの体表から噴出するという。時間経過とともに空気中に溶け出すマナを適量に補充するのである。実質、永続的な循環だ。しかし当然ながらファニマールは、濃密なマナの霧を生成するために莫大なマナを必要とする。生半可なマナ供給ではすぐに枯渇するほどの。獄禍討伐隊が着目したのはそこである。まず怪物のマナ補給路を断ち、第一関門である霧を突破する心積もりのようだ。

 

 シャイラ曰く、ファニマールは子飼いの獄禍を二十体従えているという。地理的にマナが濃い場所に彼らが派遣され、収集したマナを補給路を通じて本体のファニマールに送っているそうだ。これはソルにも覚えのある話である。『六翼』ベルンから討伐命令を承った「ジャラ村に鎮座した獄禍」は、ファニマールのマナ収集を担う一体だったらしい。

 

 成る程、とソルは得心が行った。村でハキムとイルルに遭遇したのは、ひとえに偶然ではなかったのだ。

 そのとき突然イルルが「ここまでっ」と立ち上がる。

 

「長居しすぎちゃったっぽいから、もう行かなくちゃ! ルーちゃんも話の流れで分かったとは思うけど、改めて言うよ!」

 

 朗々と宣言されるは、直近の目標。

 

「ハキムのお爺ちゃんから受け取った指令は、『イルルたち三人で、マナ収集してる獄禍の一体を倒しに行くこと』! みんなもう他の獄禍のトコ行ってるから、急ご! 日没前に帰らなくちゃだから、あんまり悠長にしてらんないよ!」

 

 

 



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12 『不穏不吉の影』

「ソルちゃんは、ハキムさんを……いつから知っていたの、ですか?」

「あーええー、いつほどじゃったかのう。物心がつく前じゃったような」

「憶えて、いないんです、か」

「……いや多少なりとは憶えておるのじゃ。そう肩を落とさんでほしい」

 

(ぐう、ハキムと綿密に孫設定を擦り合わせとらんから迂闊なことが言えないのじゃ)

 

 ソルたちは草花の狭間で談笑に興じる。

 集落ケーブの周辺地域は大自然の楽園だ。見渡す限りに木々が突き立ち、背丈ほどの草は仄暖かい風で波面を揺らす。名も知れぬ花々は目端で暗い顔を見せ、何者かに見張られているかのような錯覚をもたらす。景観はハキムたちと遭遇したジャラ村道中のそれと、さほど変わらない。違うのはただ一点。見渡す限りに密集した、ソルの背丈を遥かに超す草々。ソルたちが突き進む道のりに『道がない』のだ。

 

 薄汚れたローブの背中が先導する。彼女──イルルが先んじて草を掻き分けていく。植物の根を軍靴でしっかりと踏み固め、後続のソルたちに道をつくる。辿るようにシャイラは屈んだ姿勢で微速前進。頬に当たる草にぴくぴく目元が震えている。しなる草花は丈夫で、蕾のような棘が煩わしそうだ。

 そしてソルはと言えば、シャイラの肩付近に手を回していた。

 太腿を包む細腕の感触に顔をしかめて、客観的に自己診断する。

 自分は俗に言う『おんぶ』状態にあると。

 

(ぬぬぬ……羞恥より何より、心苦しい。老骨ながら以前の肉体であれば、シャイラ殿に斯様な重荷を背負わせずに済んだものを。『仕方ない』という言葉はあまり好かないが……今のわしの身長では致し方ない。こうも草花の背が高く、足場も不安定ではのう。……幼子の身体はやはり不便極まりない)

 

 実はおんぶを渋ったのはソルのみだ。シャイラは快く請け負ってくれた。むしろ言い出したのは彼女である。「効率問題、です」と言い添えられ、ソルも渋々従ったという経緯があった。

 実益も絡むのならば甘んじて受け入れよう。反抗に出ればそれこそ『子供のわがまま』でしかない。

 

(中身も身体相応だと思われれば、それは討伐隊総員の顔に泥を塗ることと同じ。わしらは原罪の獄禍に突き立てる一刃として例外的に認められたのじゃ。せめて一兵卒の振舞いを心掛けねば。ともあれ今はハキムの話題じゃったな。しかしどこまで話したものやら)

 

 ソルはシャイラの耳元に口を寄せる。こうしなければ喋り声が掻き消されてしまう。木霊する虫の音や葉の擦れる音は存外に大きいのだ。

 近寄ると、ふわりと匂いが鼻先に触れた。だが不思議と汗の匂いがほとんどない。根城付近に水場でもあるのだろうか。だとしても、どこかの副小隊長とは大違いだ。彼女の場合は近づかずとも鼻奥を刺激する。ソルは根無し草の境遇で慣れっこだが、ナッドは「目にまで染みた」と愚痴を零していたことを思い出した。今後、彼が前線の兵士に任命されれば地獄を見るだろう。

 

「……何故、ハキムのことを訊くのじゃ? ハキムはぬしの右腕。生き別れたわしより詳しいのではないかのう?」

「詮索して、ごめんな、さい。ハキムさん、自分の過去、全然語らないので……」

「ふむ?」

「だから……ソルちゃんの存在、ハキムさんの口から出たこと、なくて」

 

 それはでっち上げだからだ──。などとは口が裂けても言えないが、ソルは眉をひそめる。ハキムが昔語りをしていないことが意外だったのだ。ソルの知る彼は「からかい好き」「お喋り」「腹黒い」「殺しても死なない」等の印象が並ぶロクデナシ。轡を並べて戦場を駆け回っていた頃など、鍛錬中に彼が勝手にべらべらと喋りに来たものだった。邪険に扱おうとお構いなしだった彼には、当時から「煩わしい」以外の感情を生まれなかったが。まだいまの彼に一度しか接触していないが、そう変わっていないように思えた。

 幼女となった愉快な状況を突き、『孫扱い』で弄ぶ姿が浮かぶ。

 

(性悪な爺に正当進化とはのう。骨は老いども丸くはならん男じゃ)

 

 シャイラの言から察すると、ハキムは出自を滅多に明かしていない。傭兵の境遇だったことは口外しているが、具体的な内容を避けているようだ。赤ら顔に大仰な身振り手振りを加え、武勇伝を語るのは彼の常だったというのに。一体何の心境の変化だろうか。

 

(いずれ理由を問うてみるかのう。……しかしこの辺りは確か)

 

「そろそろじゃったか。件の獄禍の居場所は」

「あ、は、はい。マナ収集が目的なので……獄禍はその場から、あまり動かない……はず、です」

「だからこそ、討伐隊はまず獄禍の位置把握に努めたのじゃな」

 

 ちらりとイルルの方に視線を飛ばす。ローブに隠れてはいるが、彼女は地図を丸めて腰に引っ提げている。それは生命線だ。討伐隊のお手製の地図には周辺地域が大まかに落とし込まれ、ファニマール子飼いの獄禍の位置が書き込まれている。紛失すれば困ること請け負いの重要物品。気の抜けた印象を与えるイルルに預けられているのは、些か疑問が残る。他にまともな面子がいないからかもしれないが。

 

 結構、イルルはしっかり者だ。現在も真面目に先導を務め、先ほどシャイラを真っ当に叱っていたことを見れば明白である。第一印象以上に頼り甲斐はありそうだ。ただ戦闘方面の力量は未知数である。手合わせしていない──という以外に、ソルが魔術に関して門外漢という理由も大いにあった。

 

 彼女が鼻歌混じりに振り回しているのは、魔術補助のための長杖だ。一見、脆そうな木製。年季の入った黒々とした持ち手に、聖文字が刻まれている。杖の先に埋め込まれているのは透いた赤石。樹木の手が宝玉を握っているようにも見える。魔術には疎く、これ以上は分からないため観察を終えた。

 

「……私は不安、です」

「やはり獄禍の力量は生半ではないのじゃな。シャイラ殿が不安がるとは只事ではない」

「個体差は激しい、ですが。原罪の獄禍は、言うに及ばず……ただの獄禍も、『怪物』です、から」

 

 英雄の最高峰はそれこそ伝説上の竜に比喩される。全霊を出せば一国を滅ぼすことも夢ではない。凡人が仰げば、皮肉なことに英雄はさながら怪物だ。しかし獄禍は生物として全くの別物。まさしく怪物なのだ。見目も禍々しければ膂力も能力も只人が追い縋るには、絶対的な隔たりがある。『原罪の獄禍』に限らず獄禍は、十把一絡げの英雄共を凌駕する力を持っているのだ。

 

 単純な話、容易く討伐可能ならば『原罪の獄禍』──特に子飼いの獄禍をマナ補給路に扱う『根絶』など、とうの昔に打倒されている。現実にはそうでないのだから、困難は推して知るべし。前座であるはずの獄禍ですら強大な壁だ。

 

 けれどもソルは不安の翳りも見せず、闘志を湧き上がらせる。獄禍と相対したことはない──ジャラ村ではハキムにお株奪われていた──彼女だ。『敵は強大』と心にどんなに強く留めておいたとて、実感が伴っていないのである。「肌身に触れなければ真に向き合えない」とはソルの経験則。

 

 どれだけ心積もりしようと、現実は容易く覚悟を切り崩す。

 大事なのはそこで即座に足を動かせるかだ。

 

「……そして、『時間』すら獄禍の味方じゃと」

「もう背を追われてるよう、ですから。はい。日没後は私たち、夜目……利きませんから、打倒したマナ補給用の獄禍は……おおよそ七日で代役の獄禍が生成(・・)され、ます。その期日まで、急ぎ足でないと……ずっといたちごっこです。でも本音は……事前説明、万全にしたかった、です」

「起き抜けに森深くのここまで来たも同然じゃからのう、わしは」

「ごめんな、さい」

「ま、待つのじゃ。この状態で頭を下げるでない。落ちる」

 

 シャイラに関してはこの状態以外でも頭を下げてはならないが。

 半刻前の反省が身についていないにも程がある。

 そしてまた謝罪のループへ突入しかかったため、慌てて話題を移行させた。

 

「時間。そう、時間じゃ。それを惜しんだがためと推察するが、わしはまだ大事なことを訊けておらん」

「大事なこと、です、か」

「事前準備を仕込めるのなら、するに越したことはないじゃろう。わしはまだ、これから剣を向ける獄禍についてをよく知らぬ。討伐隊は地図に落とし込んだそうじゃから、子飼いの獄禍の居所を偵察して回ったはずじゃ。そこで大まかな獄禍の特徴は掴めておると推察するがのう、実のところはどうなのじゃ?」

「で、でした……ごめんな、さい」

 

 また謝罪を諌める件を繰り返して、本題が進む。

 目標は獣型の獄禍のようだ。突き立つ木々と同等の図体。土色の体毛に総身を覆われた、毛玉に似た怪物らしい。

 如何なる特質を持っているかは不明。というのも、討伐隊の偵察は積極的な交戦を行わなかったのだ。あくまで獄禍の所在を確かめることが第一だ。万が一、迂闊に獄禍と接触して捕食されては目も当てられない。所在情報も取りこぼし、無駄に頭数を減らすだけ。そのため討伐隊による獄禍討伐は非常にリスキー。獄禍の「姿形」と「位置」の情報を握り締め、出たとこ勝負に臨まねばならないのだから。

 そして話題は『ソルの手の内』に流れていく。

 

「もう一つ、あり、ます。時間短縮で……見送られてる、もの」

「……わしの手札、じゃな。共闘において轡を並べる者の手の内は知っておくに越したことはない。まして指示を与える側ならば、なおさらじゃろうな」

「その通り、です。ソルちゃんには──剣術じゃない、他の戦法、あります、か?」

「恥ずかしながら、剣を振るう以外の戦術を持ってはおらん」

「? それはどういう意味、ですか?」

「言葉通りじゃよ。わしに隠し玉はなく、身一つでの剣振りしかないのじゃ。ぬしと合わせた剣。わしは真正面から勝負を仕掛けたが、あれがわしのすべてと言い切ってもよい」

「え、え……私と条件を合わせ、ようと……あえてまっすぐ来たわけ、ではなく……?」

「ではなく、じゃ。一枚のみの手札を隠し切れはせんよ」

「そ……それは、結構……」

 

 ソルの戦術は単純極まりない。相手と距離を詰めて、愛剣で屠る。これ以外の勝利法はない。何故ならば彼には魔術の知識もなければ、身体スペック以上の剣術を習得できていないからだ。人外の身体能力に物言わせた剣捌きなど、とても手が届かない。相棒の愛剣には生憎と刻印魔術は施されておらず、魔剣の恩恵にも与れない。だからどうしてもワンパターン。言ってしまえばソルは「素人にもなぞれる剣術」を、愚直に扱っているだけにすぎない。

 不器用はいつまでも変わらなかった。身を粉にして剣を振る。人の技を見て、自分なりに咀嚼する。しかし基本的につくのは技への対応策だ。次点で力の加減や、間合いの取り方の参考である、人の技を見て身についていれば、今頃ソルは『剣聖』の名を戴いていただろう。

 

 シャイラの視線は熟慮の重みで下方に落ちる。

 言葉を選ぶように彼女は、呟くようにして。

 

「いえ……少し、厳しいかもしれま、せん。獄禍は対人戦とは勝手が──?」

 

 そこで怪訝に語尾が上がった。

 見れば、先行していたイルルが立ち止まっているではないか。

 

「イルル殿、目標獄禍を捕捉したのかのう?」

「違うよー、イルルお姉ちゃんだよー」

「え……否定、そっちなんです……か?」

 

 イルルはぴんと指を立てて「目標獄禍を捕捉したわけでもないよっ」と言い直す。

 どうやらソル一行の現在地点は、目標獄禍に程近い場所のようだ。周囲は道中とそう変わらない。イルル製の小道以外、背の高い草がソルの脳天より上で揺れている。そこから更に見上げようと、青空を目視することは叶わない。空を覆う枝葉が大部分を塞いでいる。

 お世辞でも見晴らしが良いとは言えない空間だ。この暗がりではイルルの瞳が赤々と光る。茶らけた口振りとは裏腹に、真剣味を帯びた輝きだ。

 

 言いたいことが吉か悲か、表情が代弁していた。

 八の字に眉を曲げて、いかにも困惑で顔を曇らせている。

 

「……あれ(・・)。何かわかる?」

 

 イルルが身体の位置をずらして、前方を指差す。

 ──それは、立体化した人影であった。

 背丈は成人男性の平均ほどだろうか。形こそ人型を象っているが、薄く輪切りにされた層が幾つも重なっている。草丈から半身が飛び出すほどの体躯であり、表面はつるりと滑らか。幾条かの木漏れ日に光沢が出ている。漆喰で丹念に塗り重ねられたかのようだ。イルルの肩越しに見えたその姿はあまりに不可解な『物体』。いや、そもそも実体があるかすらも不明瞭。ただただ真っ黒な影が目の前に立ち塞がっている。

 まるでじっと見つめるように、身体はソルたちに向いていた。

 

 野生生物の類いではあり得ない。

 人間にしても些か細切れにされすぎている。

 だとすれば思い当たるのは一つだけ。

 

「人に非ざる化生となれば、獄禍に他ならないがのう」

「まっ、そうだね。偵察から聞いてた姿形とは、うんうん──似ても似つかないよねっ!」

「喜々として……言うことです、か……?」

 

(シャイラ殿はもっともじゃ、実に奇なり。わしの記憶が確かであれば、子飼いの獄禍はマナ補給の任を担っておる。然れば一ヶ所から動かぬはず。ならば眼前の人影のごとき獄禍は一体……?)

 

 考えられることは二つ。討伐隊から与えられた「子飼い獄禍の特徴」の大前提を敷けば、との但し書きはつくが。一つは「目標獄禍とは別個体の獄禍と出会した説」だ。たとえば「目的地への道中に誤って、他の子飼い獄禍の居所へ足を踏み入れてしまった可能性」や、「ファニマールとは全く関係のない獄禍が紛れ込んだ可能性」も否定はし切れない。前者はイルルの責任問題で、後者はあまりに偶然が絡みすぎている。おそらくは両方、切って捨てて構わない説だろう。一瞬、イルルへ目を遣ると「何もしてないよ!」とばかりに激しく首を振られた。

 

 もう一つは「獄禍の持つ何らかの能力で自由行動が可能な説」である。我ながら実に曖昧模糊とした主張だ。しかし最も有り得そうな説ではある。ソルは喉を鳴らしながら、黒影へ視線を注ぎ続ける。例外的な事象の理由付けには「獄禍たちの特殊能力」に帰結せざるを得ない。思い当たりがそれ以外にない。

 

 現在ソルはシャイラの隣に並び、既に剣を抜いている。おんぶを脱したのは、視界に影を認めた瞬間だった。自重で靴を土に埋めつつ、正体不明の獄禍の出方を窺う。イルル、シャイラも各々が警戒を露にしていた。イルルは黒影のほうへ鋭い視線を向け、シャイラは柄に手を触れている。

 

 剣呑に警戒する三人組を他所に、黒影はどこ吹く風と突っ立ったままだ。

 単なる置物かと状況を解釈してしまうほどに。

 ただ、そこにあるだけだ。

 

「……ッ!?」

 

 息もかかる(・・・・・)位置に(・・・)黒影が(・・・)立っている(・・・・・)

 瞬間、ソルの鼻先で音が破裂。空高くまで響き渡る。ソルの横合いから伸びた白い手が、黒影の拳を受け止めていた。白い手を辿って見ると、シャイラが突き刺すような視線を黒影に注いでいた。対して黒影は無貌のままに、ぎちぎちと何処からか耳障りな音を発する。歯軋りのような、何かを擦るような音だ。

 

 黒影はソルに更なる拳を放つと──ソルが目を凝らして、ようやく残像が捉えられた──シャイラは正確に掴む。それが一秒も数え終わらぬうちに、三十六回繰り返される。熾烈な攻防は映像が先に、振動は後に。後ろに詰まった音が暴発して、鼓膜を激しく揺らす。直接、脳味噌に伝達されて吐き気を催す。

 

 ソルはこれを手出しができないまま、見守っていた。あまりにも咄嗟。ゆえに状況が、なかなか呑み込めない。シャイラと黒影の攻防だけではない。黒影がいつの間にか至近距離に移動していたことも、だ。ソルは瞬きもしていない。加えて黒影の一挙手一投足を観察するつもりでいた。

 目には一角の自信があったソルだが──まるで、見えなかったのである。

 

 黒影はひとまず、何の予備動作もなく元の位置へ戻る。

 瞬間的な移動はやはり、視認ができない。

 ソルは戦闘態勢に移行したが、シャイラの細腕が制す。

 

「ソルちゃん。私の、うしろ、に……」

「──いや、どうやら背後も『安全地帯』というわけではないようじゃ」

 

 ぞわり、と背筋に怖気が過った。

 察知した冷えた感覚を追い、ソルは周囲の大自然に目を走らせる。

 

 影。見渡しても、影、影、影。不気味なまでに等間隔で、黒影に囲まれていた。

 何恐ろしいのは──まるで敵意も殺気も感じられないこと。

 黒に塗り潰された姿かたちは、無貌でソルたちを見つめてくる。

 

「……さて、どうしたものかのう」



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13 『初めての■■』

シャイラ視点です


 ──囲んでいる黒影は、数にして五十二だ。

 シャイラ・ベクティスは瞬時に瞳を巡らせ、改めて数を弾き出す。そして嘆息。全員を相手にするのは流石に骨が折れそうだ。彼女は腰に差す剣柄に触れながら、空いた片手で前髪を逸らす。打破が困難、とは言わない。黒影の醸し出す空気が不気味この上ないが、この数を相手取るのは慣れている。むしろシャイラは多対一の戦闘が専門だ。少なくとも多人数を釘づけにするのは訳ない。しかし。

 

 彼女は傍らに目を移す。

 そこには誰もいない。

 先ほどまで臨戦態勢だったソルとイルルは、ここから去った。

 

(ここを私が引き受けて、大丈夫だったでしょうか。目的の獄禍をソルちゃんとイルルさんに頼みましたけど、不安は拭えません……これではハキムさんの計らいも空振りです)

 

 黒影を一人で受け持つと判断したのはシャイラだった。ソルは葛藤した様子だったが、即決してくれた。本人が良い顔をしないだろうが──見目は幼女であるにも関わらず「ソルちゃんはえらいな」と思ってしまう。あの歳で諭される前にリスクを判断し、感情を飲み込めるのだ。大人ならばできて当然だが、こと力ある英雄ともなればその例に漏れる。あの幼女は年不相応の力がありながら、わがままを飲み込めるのだ。それだけでシャイラは眩しく思ってしまう。……それだけで褒められるほど、英雄にロクデナシが多いという証左である。

 

 ソルが判断したように、重要性の比重はあくまで「日没までに倒すべき獣型獄禍」にある。いまシャイラの周囲を塞ぐ黒影では決してない。討伐隊は時間に迫られており、討伐のスケジュールは崩せない。道中で足止めされ、夕刻を迎えてしまえば討伐隊全体の予定が狂う。足並みを乱しては増えた頭数も足枷に早変わりだ。あってはならないことである。

 

 本来ならば獣型獄禍討伐を通じてソルに『獄禍討伐』の手解きをするはずだった。未経験の彼女にイロハを教授しつつ、その脅威を肌身に覚えさせる。万が一に備えて、班にシャイラも入り「あまり怪我を負わせず安全に、初めての獄禍討伐を終えられるように」と。模擬戦後のソルに会う前に、ハキムから言い含められていた。ようやく再会できた孫に気を揉んでいるのだろう。実に微笑ましいと思ったものだ。シャイラとしてもソルには、模擬戦の件で負い目を感じていたため丁度良かった。

 

 途中で黒影なる想定外と出会すとは、不運以外の何物でもない。

 いや、もしや『必然』である可能性もないと断言はできないが。

 

「……貴方たちは、何者ですか」

 

 シャイラの口から、するりと言葉が発される。黒影から答えが返ってくるとは思っていない。だからこそ相手との距離感にたじろがず済む。人前ではどうしても言葉が喉に突っかかる。申し訳ない気持ちで、言葉が途切れてしまう。いつも通りに一人なら、そういうことはない。いつも通りに一人ならば。

 

 ──浅ましい私でも、許される限り気兼ねなくしても良いのです。

 ──卑怯な私でも、許される限り肩を縮めなくても良いのです。

 

「ッ……また、私……」

 

 また過去の切り傷に触れてしまったようだ。断片的に昔日の光景が脳裏で瞬く。

 

 ──涙と雨で歪んだ視界、人気のない通り、石畳、水溜まり、映った虚ろな目、へたり込んだ自分、泥塗れのドレス、割れた爪、中途で断たれた数本の剣。そして、黒装束の悪魔の歪んだ姿。『な■■、■い■■■るか?』彼は言った。緩慢に、言い聞かせるように。混じり気のない慈愛と友愛を言葉に滲ませて──。

 

 目を剥いたシャイラは片手で口を抑える。唇を噛む。思い出すことは傷を穿り、抉る行為だ。脳内が勝手に暴れ始めた。悲鳴を上げたいほどに堪えがたい痛み。ひどく気持ちが悪い。努めて過去の断片を抑えつける。何もいまに始まった現象ではない。最近では模擬戦前も起こった。しばらくすれば落ち着くはずだ。

 荒い息を吸って吐くシャイラは、それでも黒影たちから意識は外さない。

 

「───■■」

 

 ぎちぎち。黒影たちは擦過音で鳴く。一面に広がる緑から半身を出した彼らは、石像のごとく静止している。腕一つ、足一つ微動だにしない。しかし彼らの移動に前触れなし。油断大敵だ。慢心すれば一瞬で心臓を穿たれるかもしれない。もっとも、シャイラの反応速度ならば問題外だろうが。

 

 そして黒影は一向に敵意を見せない。それどころか意思も見えない。交戦も遭遇時の一回のみだ。

 彼らの能力──原理を置いて考えれば──自己複製能力だろうか。

 

(五十二体の獄禍なんて数、子飼いの獄禍の倍ですから。……それに偵察隊が得た獄禍の外見情報には、黒影は存在して(・・・・)いなかった(・・・・・)はずです。イルルさんが困惑してたのはそれでしょうし……貴方たちはどういう立ち位置の何なのでしょう。野良獄禍と判断せざるを得ないのですけれど……)

 

 黒影への疑問と言えば幾つもある。彼らの目的もその一つだ。獄禍に理性は存在しないとされるが、獣並みの思考能力はあると聞く。であれば道理が通らない。最初に襲いかかってきた割に、以後シャイラたちを害しないのは何故だろうか。

 

 更に言えば黒影は、ソルとイルルも見す見す逃がしている。二人は黒影の脇を通り抜けたにもかかわらず、彼らは手出しもせず直立不動。

 

 黒影に包囲されてるのは現状シャイラだけだ。そして彼女が身動きをするときだけ彼らは動く。一歩前に出れば、彼らは位置が微調整するのだ。まるで五十二体の黒影が成す円の中央から、彼女を出さないように。……流石に何かしらの裏を疑わざるを得ない。

 

(──本当の狙いは、私? でも、最初に攻撃されたのはソルちゃん……私が干渉したから、標的が私に変わった? だとすれば……厄介な相手を優先的に留めようとしているの?)

 

「貴方たちは本当に──」

「■■■■■オマエは■■」

「え──?」

 

 唐突に黒影から、ノイズ混じりの鳴き声が漏れる。

 シャイラは面食らう。応答があるとは夢にも思わなかった。

 

 そして一言発された言葉をきっかけに、次々と黒影たちが鳴く。

 さながらそれは、箍の外れた激流のように。

 あるいは、虫の羽ばたきのように。

 

 

「■ハハ笑■。笑え■■ら」「見■■■。ずっと」「■■、諸共に」「■ク、もっと強く。人■■強にも、六■にも届かない」「オマエ■特■■■。師匠を越■■■な」「踊■■しょう」「■■■■■■■■絶対に■■■■■」「ァさァん」「■」「冗■が■■い■で■ね」「ヴァニ■の野郎■よ、ま■■鹿■いてナぁ」「一人■の左■■は程遠い」「夜空■■座に誓う」「王国■連■■馬鹿だ」「■■さまだ。」「■お父■んが助け■■■からな」「タータ■初討■■念だ! 帰■■ら酒盛■ダ」「今日■■暑■■ァ」「誇りに■■。ディ■■下は我■の■敵を打■■うだ■う」「裁縫■■■なので■■。糸■■っかり通■て」「好■■■」「あああ■ああ■」「俺■誰■」「夢は■僚になって、故■■爺■んに楽■■■たいのさ」「声■を! アタしの■■」「星■様の■■護があら■■とを」「齧るぞ齧る」「桃み■■なもん。一■■が最も甘■」「彼■■■って枝を折■■とは腕■■を■るのと■じさ」「愛シて■■す」「見返■ため、■■場■に立てるまで」「きみのうしろ」「■術防■■理論が何■に! 何故に認■■■ぬ!?」「レ■■■──! 裏■■た■■!?」「痛い痛い痛い」「■った■を■■やがって」「クソが」「村■■一番■せなのよ」「火口に■■けば、『不死■■殿と■■ダで済■■い」「■■■■■■」「■■か? 槍■■う■剣の数■■攻■■囲がある、強■■はこちらだ」「下■な■■■見■■ば」「■■に■■■」「あ■人った■、■あた遊■惚■■」「全部全部夢だったら、どれだ■■■■■■」「悪■高い、■■レサ■を相■■るのは■■行為だ■」「■■車は廻る。■■があなたの■けに■■は■■■■が」「■■■狩り入れ■■で、子■■■と此処■■るよ」「神は■■救■■くれな■■■!」「■■」「■■■■■」「ハハハハ」

 

 

 ぎちぎちぎち。ぎちぎちぎちぎち。耳障りな擦過音。

 森の木々がざわめく。葉々が怯え惑うように身を寄せ合う。

 

 シャイラの肌が総毛立つ。一斉に黒影たちが鳴く。いや笑う(・・)。黒影が震わせているのは、喉を引き攣らせたような音の連なり。最もシャイラが驚いたのは一つ。雑音の海に人語と取れる単語が見え隠れしていたことだ。どれも支離滅裂ではあるが、意味自体は取れる言葉のように聞こえた。

 

 数少ない獄禍研究の文献に綴られていた一節を思い出す。獄禍は時折、人語のような鳴き声を出すと。セレスニア大学のある学者は考察として「獄禍は突発的に人間が変貌した生物だ。理性を喪失しているとは言え、脳や心臓など器官自体は獄禍体内に残っている。もしや人間時代の思考や言葉を、いたずらに真似て鳴いているのではないか」と書き添えてあった。

 シャイラは討伐開始からの三日間で耳にしたことはなかったが、これがそうなのだろうか。だとすれば哀れみを覚えざるを得ない──そして妙に引っかかる。それでは道理に合わない点が出てこないだろうか。だが、いまは感傷と熟考に浸る場合でもない。

 

 事前にハキムからは「一人で突っ走りすぎるでないぞ」と念押しされていた。

 だがそれも、ソルに経験を積ませるため。

 

 黒影は単なる邪魔者だ──ならば遠慮する必要は何処にもない。

 いまだに笑い続ける黒影たちは気味悪いが、すうっと気を静めていく。

 

(……そろそろ、ソルちゃんたちが目的の獄禍に辿り着く頃でしょうか。交戦している頃でしょうか。それなら)

 

「……早目に突破して、合流しませんと」

 

 顔を俯かせ、シャイラの紫紺の髪は垂れる。

 息を吸う。マナを体内で変換、利用可能な魔力を生成、体外に出力する。

 魔術のように編み上げず、抽象的な想像のまま。

 

 ──するとシャイラの上空に数十本もの剣が実体化した。

 ばらばらと空から落ちてくる剣の群れの下で、シャイラは言う。

 

「──私の身に過分な看板ですけど……『黎明』の名を戴く剣は、それほど優しくはありません。……この先を、通させてもらいます」

 

 

 

 ※※※※※※※※※※

 

 

 

「ルーちゃんごめん! そっち三──や、五本いった!」

「委細問題なし! ぬしは砲火に集中するのじゃ!」

「おっけい! ガンッガン行くよー!」

 

 ──閃光。

 ──爆発音。

 ──甲高い剣撃。

 

 鬱蒼とした森林で数少ない、開けた空間を駆け巡る音は熾烈極まりない。端付近に立つソルも音の瀑布に飲まれかける。剣を上段に構えながら、眼前に幕を引く土煙を凝視し続ける。ややあって立ち昇る土煙を破るように、ソルの元へと鋭利な氷製の針が殺到した。

 

 もはや氷の針は『氷槍』とも形容すべきほどに巨大。それが五本。幼い身体を穿たんと緩やかな回転を帯び、一点に集中する五本の先端が煌めく。ソルは刮目して真正面に飛んだ。同時に身体全体を大きく前に倒し、綺麗な弧を描くように剣を振り下ろす──寸分違わず氷槍の先を刃で捉えた。

 

 鋭い音が突き抜けて、接触点から亀裂が走る。槍を横断した瞬間、断絶。正面の氷槍は真っ二つに寸断され、ソルを避けるように地面へと果てる。

 ソルは口を引き締めて、滑らかに愛剣を構え直す。すると後方で破砕音が轟いた。背後を見るまでもない。残り四本の氷槍が標的を失い、互いが互いに衝突したのだ。

 

(氷槍はいなせたが、あの獄禍を引きつける役割じゃったイルル殿は──)

 

「──【日輪の輝き】【笑むは蜃気楼の揺らめき】【火炎の渦よ、巡り巡りて獄に舞え】」

 

 砂塵の向こうから、少女の声がかすかに聞こえる。三節の詠唱を終えると──視界を覆っていた土煙を、一気に炎の帯が切り裂いた。炎は螺旋を描くようにして空間に漂う砂を消し飛ばし、ソルの視界を広げる。

 

 真上には麗らかな蒼天だ。雲一つなく、傾いた太陽がよく見えた。夕刻まではまだ猶予が残されているようだ。日光が降り注ぐこの空間は、密林地域には滅多にない開放感がある。一つの村の半分ほどの広さがありながら、根を張る草花はソルのくるぶしまでの背丈しかないのだ。景観のなかで目を引くのは、視界を横断するように流れる細い川だろう。川幅はソルがあっさり飛び越えられるほどしかなく、大して戦闘に影響しないだろうが……いまは表面が氷結していた。

 

 ソルは眉を渋める。ようやく席巻する炎の熱気が伝播してきたのだ。じわり、汗が額に浮かび出す。何たる高熱の炎だろうか。ボガート・ラムホルトも炎属性魔術を駆使していたが、その数段上の火力だ。辟易とする。ソルは老人傭兵時代から、炎にいい思い出が全くないのだ。

 

 炎の帯が取り巻くのは、一人の少女だった。薄汚いローブをはためかせたイルル・ストレーズ。炎属性魔術を行使している張本人である。おそらくはボガート同様、炎属性魔術師なのだろう。イルルが如何なるときも目深に被っていた頭巾が、いまは火炎の風圧でか外れている。

 曝け出された橙髪は存外長く、肩甲骨を越える辺りまであった。そんな彼女の険しい顔つきは、川を隔てた向こう側へと向けられている。

 そこには既に交戦中の、獣型獄禍が白日の下に晒されていた。

 

 ──例えるならばそれはケダマだ。

 討伐隊の偵察隊が書き留めた特徴は正鵠を射ている。突き立つ木々と同等の図体。土色の体毛に総身を覆われた、毛玉に似た球体の怪物だ。獣型と形容されるのも頷ける。太木の幹のような四本の脚がその巨体を支えていた。前方に張り出した面相は体毛に覆われて見えない。

 

 その大きな姿は、シャイラをして「怪物」と言わしめるに足る威容だ。

 人に非ず動物に非ず、現代の竜のような脅威はあるだろう。

 ……竜どころか御伽噺の怪物より、外見が間の抜けたものだが。

 

(だが厄介さは折り紙付き。ならば討伐し甲斐があるというものじゃ。呵々、骨はあるだけ良いものじゃ)

 

「──えいやっ」

 

 イルルは可愛らしい掛け声で、可愛げのない勢いの炎を差し向ける。彼女を取り巻いていた炎の一端が千切れ、ケダマ目がけて射出された。火矢のごとく真っ直ぐ飛ぶ一条の炎は、大口を開けてケダマに喰らいつかんとする。

 当然、指を咥えて待つ獄禍ではない。ケダマは中空に氷槍を生成、迎撃するように放たれた。一本だけではない。僅かに時間差を置いて、追加で三本が同一直線状に放たれる。

 大方、先陣の氷槍で炎を対消滅させ、後続の三本でイルルを貫くつもりなのだろう。

 

「甘いよっ! 蛇くんにとって、そんなの餌なんだから!」

 

 一条の炎が開けた口へと吸い込まれるように、一本目の氷槍が呑まれた。だが貫かれない。内部で氷が溶かされたのだろうか。あの炎はまるで意思を持つ蛇のようだ。一本を呑み込むと炎の蛇は膨れ上がり、次なる氷槍を丸呑みする。三本ものお代わりを平らげると、いよいよ本命のケダマを残すのみ。その頃には炎蛇の図体も最初の十倍ほどまで巨大化していた。広げた口もケダマの半身を齧れるほどに大きい。

 

 距離があるソルのいる場所でも、肌が焦げつく感覚がある。吹きつける熱波も堪え難いほどの熱量だ。巨大化に際して、炎の温度も勢いも増している。

 

「────■■」

 

 巨大に成長した炎蛇が『毛玉』に牙を入れようとしたが──凍った(・・・)

 放出されていた熱は途絶え、動きも停止する。身体が高温の炎であった蛇は、重力落下しケダマの足元で無残に割れる。「へ、蛇くーん!」悲痛な声が上がった。

 

 ……あそこまでの火炎を瞬間的に凍結するなど尋常でない。まして生身の人間がじかに触れてはどうなるか。ケダマの肌に触れれば、何者も凍らせてしまうと考える他ない。やはり正攻法では、文字通り歯が立たないようだ。

 油断ならない相手と改めて認識し、ソルは剣を握りつつ冷静に状況を見る。

 

(あっさりとは行くまいとは思っておったが……わしの剣で果たして傷がつけられるか)

 

 駆けながらソルは、すでに通り過ぎた川付近に視線を遣った。イルルが跳ね回り杖を振り回し、爆音轟かせている。ケダマから追撃とばかりに氷槍を投擲されて、彼女がそれを次々爆裂させる。炎の花が咲き、熱風で一帯の空気を何度もかき乱す。

 イルルは詠唱していない。矢継ぎ早の攻め立てに対応するためだろう。生成した魔力をそのまま放出している。『複雑な魔術』と『威力』を望まなければ詠唱なしでも、それなりに扱えるのだ。

 

 おまけとばかりにイルルは、ケダマの至近距離を爆破する。しかし凍った爆炎の花が墜落し、地面で砕けるに終わる。土色の毛並みすら乱れていない。「うっそー! 防御硬すぎー!」……相手が悪いだけで、敵が人間であれば一発で丸焦げになっていただろう。

 

 ソルは視線を戻し、見上げんばかりの『毛玉』を睨む。ケダマがイルルの陽動───炎蛇も含めた──に気を取られている隙を突き、ソルはその傍まで駆け寄っていた。

 戦闘開始前に取り決めた、イルルとの手筈通りに。

 

(イルル殿の魔術では傷一つ付けられぬ。当初はイルル殿が攻撃を担当、わしが陽動と防御担当じゃったが……身一つのわしでは派手に目を引くこともできなければ、氷槍全てを迎撃することはできぬ。……力不足が口惜しいが、任ぜられた役目は果たさねばならん。本命はわしなのじゃ)

 

 ここまでの戦闘で獄禍の行動パターンは割れている。

 あのケダマは氷属性の魔力を行使し、敵対者を排除せんと動く。しかし厄介なのは攻撃法ではない。炎蛇の末路の通り、あの獄禍の真骨頂は『傷をつけられないこと』にある。ソルは獄禍の体毛に埋まった顔色など判別はつかない。しかし戦闘開始から傷一つなく、身動ぎもしない。爆裂を数十発叩き込まれて、怯んだ素振りすら見せないのだ。効いているとは思えない。

 

 だが──ファニマール子飼いの獄禍には一つ、弱点があるのだという。

 それはケダマ本体の裏から地中に繋がる、三本の『太い管』だ。

 

(イルル殿によればあれは、ファニマール子飼いの……マナ供給用の獄禍特有のモノらしいが)

 

 繋がっている部位や管の形状は、個々の獄禍で千差万別だ。しかし果たす役割はすべて共通している。獄禍が収集したマナをファニマールへと供給することだ。あれさえ断ち切りさえすれば、ファニマールへのマナ供給の一端を断絶できる。討伐隊としての目的『ファニマールの霧を晴らす』を果たせるのだ。

 

 加えてあの管を切断すれば、たちまち獄禍は力尽きる(・・・)。その理由はファニマール子飼いの獄禍の特殊性に由来する。彼らは収集したマナをそのままファニマール本体に送っているそうだ。本体でオドを生成し、そこから子飼いの獄禍の生命活動に必要なぶんを配り直しているらしい。つまり子飼いの獄禍には生命活動に必要な『オド生成機構』が存在せず、本体に依存している。……イルルに聞くに「これを調査するために、色々と苦労したらしい」が。だからこそ討伐の希望が生まれる。

 

 簡潔に言えばケダマ本体の裏から覗く管を断ち切れば、倒せるわけだ。

 

(もっとも──わしの剣で断ち切れたら、じゃが。無理でも斬り伏せるが)

 

「……しかし容易くはいかぬか!」

 

 刹那、横合いから視界に迫ってきたのは──氷壁。

 否、側面が弧を描いている。あれは巨大な円筒だ。人三人分ほどの直径はあろうか。あの長大さならば、川の向こうで陽動につとめていたイルルまで攻撃範囲に入るであろう。

 

 ケダマにとってみれば、飛び回る羽虫を一掃する腹積もりなのだろうか。

 

 空間全てを横に薙ぐ一撃が、凄まじい速度でソルたちに迫る。

 

「──さあ、押し通るかのう」

 

 

 



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14 『修羅の感覚』

『いい? ルーちゃん、獄禍は怪物。個体差がかなり大きいからね、できるだけ実力は高く見積もらないと駄目だよ。無策で突っ込むとすぐ返り討ちにあったりする。慎重にいかないと危ない』

『ならば、幾つか策を拵える必要がある。先達として知恵はあるかのう?』

『もっちろん! 伊達に何体も討伐してないからねっ!』

 

 時を遡ること数十分前。

 幼女と少女は茂みに隠れながら、策を練っていた。

 二人が遠目に眺めるのは、我が物顔で居座るケダマだ。悠々と一軒家はあるかという体格を誇示して、日光を浴びている。ぶるぶると気持ち良さげに震え、毛並みが波立った。一般的な動物のような仕草である。

 道中でシャイラが引き受けたあの、生物的な雰囲気がない不気味な影とは真反対だ。顎先に拳を当ててソルは「やはり獄禍の個体はピンキリなのじゃな」と、しみじみ思う。噂に違わず獄禍は千差万別の形態であるようだ。

 

 策を練りながら二人は、ここで最低限度の情報共有を済ませた。その主導権を握るのは、ローブを目深に被る少女イルルだ。獄禍の基礎知識は勿論のこと、討伐の基本を短時間に教え込む。ソルは一滴も聞き漏らさぬよう耳を澄まし、頭に叩き込んだ。戦闘中に興奮が脳髄を犯そうが、決して片時も忘れぬように。

 そろそろ攻める頃合いかというとき、イルルは「あと」と話の末尾に付け加える。

 

『息を合わせての連携は今はまだちょっと難しいよね。練習時間もないから、ごめんだけど、ぶっつけ本番になるかなー。合図あたりを決めて、ハイ本番って感じで』

『……承った。未熟な我が身。慣れぬ共闘ゆえ後学のために、指導、鞭撻を頼んでもよいかのう?』

『おおお? お安い御用だけどルーちゃん、ちょっと苦手? ってあー、二つ名が二つ名だからねー』

 

 歯切れの悪いソルに、イルルは頷きつつ多少なりとも理解を示す。ソルの背負う『修羅』という二つ名は余人に「単騎特化型」と思わせるだけの力はあるらしい。彼女にとっては不名誉極まりないが。

 なにせ孤独ではない戦い方に変わろうとしている手前、その名は大きな障害だ。しかし真実、共闘の経験不足につき不得手なのは自覚するところである。

 渋々、ソルはこくんと頭を上下に振った。

 ただ、もし経験があったとしても、現状で共闘は組まないほうが正しいだろう。元より共闘など足並みが揃わなければ個人に劣る。即興で連携を取るのは、言葉以上に至難の業だ。

 だが少女は、小汚いローブを平然と揺らし。

 

『うん、だからルーちゃんは思うように動いていいよ。それにイルルが合わせるから!』

『……実力を、疑うわけじゃないがのう』

『心配だって? まあーだよね。ルーちゃんからしたら、イルルの実力なんて未知数も未知数だしっ』

 

 言いながらイルルは得意げに長杖を回す。

 手の甲、手首、肘、肩から肩、と蛇のように身体に纏わりつかせて杖を弄び、最後には手に収める。おおとソルは小さく拍手をする。その見事な杖捌きは大道芸人さながら。ここが街の目抜き通りであったなら、路銀を投げる人間もいただろうに。

 恥ずかしそうに、イルルはにかりと歯を見せた。

 

『拍手喝采どうもどうも! ……まあーこんな小手先の技、実践じゃ役立たないんだけどね』

『そう謙遜するものではないじゃろう。実践でいかされるのは総合力。ぬしは近接戦闘も得意そうに見えるからのう。実践とは魔術の競い合いではなし。素晴らしい技術と、わしは思うのじゃが』

 

 ソルはイルルの身体を一瞥する。

 擦り切れたローブの裏側に覗く、少女らしい華奢な四肢。だがソルの眼は膨らみ、形、肉の躍動から──その皮膚の下に、しなやかな筋肉が張り巡らされていることを見透かしていた。その上、彼女はその上質な筋肉を操る器用さも持ち合わせている。

 イルルの照れ笑いは「魔術師の本領である魔術を見せず、おどけて杖捌きを見せたこと」を自嘲したためだろうか。だがソルに言わせれば、この少女の実力の一端を見せつけられたも同然だったのだ。真っ当にそれを称賛した幼女は、しかし妙に開いた間にいささか戸惑った。

 

 ぱちぱち、とイルルは赤眼を瞬かせる。

 その後、ようやく至極真っ当な疑問を述べた。

 

『……ホントに君、イルルより年下?』

『見ての通り、単なる幼女の戯言なのじゃ。先ほどのは、的外れな言葉として聞き流してくれぬか』

『いやいや、的外れどころか大当たりも大当たり! だからね……ちょっとびっくりしちゃって』

 

 そうして咳払いをすると、イルルは密談を締めた。

 

『とりあえず! 期待しててほしいな! 獄禍討伐隊に選出されただけのことはあるんだよ、イルルにはねっ。ルーちゃんも、どんとイルルお姉ちゃんに任せてくれて問題なしっ! 心強い仲間ができたってこと、見せてあげるから!』

 

 

 

 ※※※※※※※※※※

 

 

 

 そうして、現在──。

 ケダマが生み出した巨大な氷柱の横薙ぎが、ソルの視界を猛烈な速度で埋める。大質量の物体が大気を破った音。鼓膜に突き刺さるそれを受けつつ、思考が加速する。状況確認が脳内を巡る。

 

 迫る脅威への打開策は限られている。足か、剣か。前者の選択肢は既に塞がれている。回避には間に合わない。氷柱の側面から察するに、直径は平屋の屋根ほどある。飛び越えようと試せば、あえなく氷柱と直撃して全身の骨が砕けるだろう。背後に飛び退いても同様だ。氷柱は視界外まで伸びている。ソルが前進に注力しているいま、下がったところで大して距離を稼げるとは思えない──これも悪手だろう。黄目を見開きながら、ソルの思考は更に加速する。

 

 ならば、力でもって打開するか。片手に握る剣に意識を向ける。虎視眈々と獲物を狙う剣は、振るわれる瞬間を今か今かと待っている。だが刃が通ると楽観視はできない。氷槍と同じように一刀両断するには、氷柱はあまりに巨大すぎる。そもそもソルのように小さな体躯で、巨大質量と真正面から当たるのは悪手も悪手だ。弾き飛ばされるのがオチである。だから──ソルは剣を向けなかった。

 

 ただ、速度を落とさずに足を回すことに集中する。足元から忍び寄る怖気。腹底に滾る焦燥。人間らしい恐怖の感情を削ぎ落とす。自分を削ぎ落とすのは彼女の得意分野だ。『死』と向かい合って、互いの鼻頭を擦らせるのは慣れ切ったこと。冷気ではなく心構えで顔を凍らせる。

 

 しかし無策の現状、ソルは数秒も待たずして氷柱の餌食になるだろう。

 この吶喊は果たして無謀か。否、『信頼』である。

 心強い仲間だと豪語した少女への、一種の試練じみた信頼だ。

 

(イルル殿──!)

 

「頼む!」

「任された!」

 

 取り決めていた言葉を発すると同時、一尾の紅蓮が迸り──そして、爆裂。まずソルの視界手前で、氷柱の一部が内部から弾け飛ぶ。それだけに留まらない。氷柱を端から齧るように、根元へ向かって爆裂が続く。連続的なその激しさは、至近距離を駆け抜けるソルに降りかかった。

 

 砕け散った氷礫が、爆風に乗って身体に突き刺さる。頬に、胸に、腹に、腱に。肌を破るのは痛みと強烈な風圧。耳に轟くのは猛烈な爆音。かすかに鼓膜を掠めるのは、氷の豪快な破砕音。だがそれらも足を止めるほどのものではない。

 幼女は速度を落とさない。

 片手で両目を庇いながら、進む爆裂と並走する。

 

(──思った以上に派手な対処じゃが、道は開けた)

 

 勢い十分だった爆裂はしかし、根元のケダマまでは届かない。氷柱全体のうち、三分の二程度を喰らい尽くしてぴたりと止んだ。きっと魔術の有効範囲内を出たのだろう。もしくは体力切れか。爆裂という派手な現象を連続で発動するのは、如何なる魔術師も疲労するのは想像に難くない。けれども、十分だ。

 

 ソルの眼前を、短くなった氷柱が通り過ぎる。既に氷柱の脅威は脱したのだ──。

 

『────……』

 

 目指すケダマはすぐそこだ。土色の毛並みを揺らす獄禍は、悠然と座している。その見上げんばかりの威容は、近づけば近づくほど圧倒される。生物の本能として、自身の背丈を超す手合いには『恐怖』を覚える。幼女の体躯では成人以上に。それも害意を持った相手なら尚更。しかし目的に一直線で向かう。

 

 白尾が風に靡く。

 ソルはケダマのマナ補給管を切り落とすべく、背後へ回り込まんとする。

 

 しかし敵対者との接近は、当然リスクを孕む。至近距離とは敵の懐中にいるも同然だ。咄嗟の判断と、反応速度が生死を分ける。魔術師相手でも気は抜けない。魔術が作用する有効範囲は、術者本人の周囲なのだから。

 

 先ほどのイルルを例に挙げれば『炎渦』も『炎蛇』も、作用点は彼女の周囲だった。そこから遠くへ飛ばすのは自由だが、あくまで魔術が出力されるのは術者の周囲。これは魔術の大前提だ。もっとも、それは魔術師の腕にもよる部分が大きいのだが──現にイルルの爆破の魔術は、川を挟んだケダマ付近で出力された──いまは置いておく。

 

 そして、この魔術の大前提は氷属性の魔術を操るケダマにも言える。

 

 つまるところ、どういうことか。

 

 その答えは、近づいた幼女に降りかかる。

 

『…………──』

 

 ──ソルの目と鼻の先で、氷槍が現出。

 

 ──否、ソルの頭部を隙間なく囲むようにニ十本が現出する。

 

 ──更に真下の地面から、先端が鋭利な氷柱が立ち昇る。

 

 ──周囲の地面からは、五十本もの糸状の氷が伸びる。

 

 ──そのすべては、ソルの身体を貫かんと迸った。

 

 時間が止まったように遅く感じる。

 だからこそソルは、状況を冷静に把握できた。

 ぎょろりぎょろり。目玉が動く。

 逃げ場はない。

 

 全身で対応すれば──いや、足りない。眼前の槍を弾くために剣を抜くとする。全方向を斬り伏せる必要はない。進路に塞がる一つ排除すれば、窮地突破に事足りる。そして同時に立ち上がってくる氷柱を足でいなす。この時点で無理がある。現状、疾駆するソルの脚は開かれている。氷柱の対処のため脚を戻すには時間が足りない。すでに前傾姿勢で疾走中ゆえ、屈んで避ける選択肢も意味をなさない。

 氷柱が股を貫く前に、さらに加速する?

 いや、それだけでは不十分だ。

 

(槍の向こう──いつの間に氷壁が……!?)

 

 目を剥く。視界の先には、日光を跳ね返す氷壁が立っていた。

 ケダマをソルの視界から隠す巨大さ。

 

(更に、防御網を強固に固めるか……!)

 

 視界の下部でも変化が起きていた。周囲の地面から伸びる糸状の氷が、ひとりでに編まれ、ソルを包囲するように網を張っている。

 頭を回す。巧妙なことに、その網は槍とまとめて一気に叩き斬れるほどの距離にない。だが目前の槍を突破した直後に、飛び越えられるほど距離があるわけではない。

 

 舌を巻いた。ケダマは、近距離から中距離戦において無類の強さを誇るのだろう。魔術を用いて、包囲網を一瞬で形成する能力。同時に三つ以上の異なる魔術を出力するなど人間業ではない。獄禍という怪物ならではの強引な手だ。そして、触れれば凍結させるケダマの体表。どれも凶悪だ。ソル一人の手に余る。

 

 しかし、彼女は一人で戦っているわけではない。

 

「飛んでッ!」

 

 背後から声が聞こえたとき、咄嗟に地面を蹴った。

 その瞬間、軍靴の裏が爆裂。

 

 矮躯は死線を飛び越え、ケダマの背丈を超す。

 

「ぐっ……!」

 

 声が漏れる。

 浮遊感に包まれる身体は、天高くで一回転。

 横合いからの太陽光が眩しい。目を細めて、地上に視線が巡らせる。辺り一面に鬱蒼とした木々が、太陽の兆しに輝いている。遠目に湖が見えた。その近辺にあるぽっかり空いた場所はケーブ──現状、拠点となった集落だろうか。鳥瞰すると、身体感覚の曖昧さが歴然だ。ここまで随分と距離があったことがわかる。

 

 ソルの真下付近は──刺々しい氷の彫像と化していた。氷製の塔には幾つも氷槍が突き刺さり、周りに砕けた氷の破片が飛び散っている。一秒でも遅れていればと思うとぞっとする。その近くで、こちらを心配げに見上げる少女がいる。イルルだ。

 

 彼女は橙髪を揺らし、杖を肘で挟みながら合掌を向けてくる。謝意を示しているのだろうか──真の意味合いかはわかりかねる。わかることは「先ほどの爆風でソルを空に攫ったのは彼女の仕業だった」ということだ。窮地を予期して、事前に背後まで近づいていたのだろう。

 だが応える余裕はない。

 

 ソルは犬歯を覗かせ、苦痛に堪える。

 右脚の状態は深刻だ。足裏はほぼ感覚がない。

 血管の脈動と同期し、膝は痛みに襲われている。

 先ほどのイルルの様子から考えれば、威力の調整を誤ったのかもしれない。

 反面、これで切り開ける可能性もある。

 

(この爆風に乗じて、上からケダマの補給管に近づければ──!)

 

 身を捩る。自由の利かない空のなか、絞った着地点はケダマの背後。

 だが。

 

(と、届かぬ……か!?)

 

 落下。

 氷壁を越えた辺りで、急激に失速する。

 視界では見る見る、土色の巨体が大きくなっていく。

 

 このままでは──ケダマに衝突してしまう。

 骨折にせよ氷漬けにせよ、死は免れまい。

 

「ぐッ、ぬう……! もう一発、たのむ!」

 

 腹の底から叫んだ言葉には、爆裂が応えた。

 爆音が轟き、烈風が踊る。

 

 大音響が鼓膜を震わせ、視界は更に一回転。

 落下中だった幼女の身体は風に掬われ、天高くへ放り投げられる。急激な上昇で三半規管が狂いそうだ。嘔吐感を喉奥で堪える。生理的な反応は逆らいがたい。食いしばった歯の隙間から涎が垂れた。

 

 拭う暇はない。

 構わず情報整理を行う。

 ソルは大気に揉まれながら地面を睨み、改めて着地点を探った。

 

(ぐッ……! あくまで目測じゃが、ケダマの背後に丁度落ちるようじゃのう。……爆発の威力が、一度打ち上げられたときほどはなかったことを考えると──)

 

 落下地点がぴったりケダマの背後なのは、おそらく偶然ではないだろう。あの少女が爆裂を調整したに違いない。末恐ろしくなる実力だ。失敗を踏まえ、即座に成功へと繋げられている。実に勘がいい。流石は年若いながらに国の看板を背負った少女だ。才気に恵まれている。更に歳を重ねれば、大陸有数の魔術師になれるだろう。ソルという紛い物とは違う、次代の英雄の器そのものだ。

 称賛して平常心を保ちつつ、思考を終える。

 

 これで終着地点まで道を設えられたも同然。

 だが一つ懸念が残る。

 接近をケダマに悟られているのではないか。

 

 ここまで派手に爆裂があったのだ。

 ケダマから捕捉されていると見るのが自然だ。

 空中でいなすのは至難の業だ──と取れる手を思考しかけて。

 

(……? 気付かれておらんのか──そうか、意識を割く余裕がないのじゃな)

 

 ソルの視線の先では、ケダマを覆うように薄い白煙が立ち込めていた。連続的な爆裂音が木霊する。煙に幾つもの球体の膨らみが生まれ、破裂。噴出する暴風。ソルに当たらないのも偶然ではないはずだ。あの渦中にいる、イルルの配慮だろう。

 

 そう、現在──ケダマの手元では、彼女とケダマの激闘が繰り広げられている。

 乱れた煙の隙間から、その様子が窺えた。炎と氷が真正面から衝突。イルルは器用な身のこなしで、氷の猛撃を躱しつつ、合間に爆撃を放っている。もし素人がこの場にいれば、拮抗しているようにも見えたかもしれない。

 

 だが、後手後手といった印象だ。

 イルルは一定距離を保ったまま、派手に爆裂を起こしているだけだ。ケダマの特性上、マナ補給管以外で有効打は与えられない。頼り甲斐のある戦力とは言え、彼女一人に任せきりでは共倒れだ。このままでは体力の限界を迎えて、氷漬けの未来が待っている。それは彼女自身、分かっていることだろう。

 彼女はソルを信頼しているのだ。

 

(この隙こそ。本命を頂く、絶好の機会というわけじゃな)

 

 ケダマはイルルの対処にかまけている。

 今を逃せば、獄禍を討伐する手立てはなくなる。

 ここで彼女の信頼に応えねば、獄禍討伐隊に入隊した意味がない。

 

(ならば──わしは為すべきことを為すだけじゃッ!)

 

 迫る。迫る迫る迫る。

 風を頭頂部で破り、髪が一本の線を引くように落ちる、一人の白武者。

 その瞳は、ケダマの背後の闇を映している。

 分厚い氷柵の隙間から見える、マナ補給管を。

 

 マナ補給管は、数十本もの細長い管で形作られているようだ。外見は遠目で見た以上に毒々しい。血管そのものと思える赤々とした管、赤黒い管、紫の入った青色の管等々。妙に生々しい色合いの管は一本一本が脈動している。それらがケダマの深々とした毛並みから伸び、弧を描いて地面に繋がっている。おそらく地面を伝った管の先に、かの『根絶』が手ぐすねを引いている──のだろうか。

 熟考を切る。管が這った森林の先は、まだ足を踏み入れるには早すぎる。

 

 斬るべきはこの管の束のみ。

 さしあたっては氷柵が邪魔だ。

 かすかに眉間に皺を寄せる。

 瞳を閉じ、再び目を開いたとき──氷柵との衝突まで半秒。

 

 そのとき、両手で握った剣。

 先端が柵と接触する。

 体感時間が遅くなっていく。

 

「い、け……ッ」

 

 一気に、貫く。

 空高くまで音を響かせ、まず硬い感触が手から全身に伝う。

 刃が細い亀裂を生み、飲み込まれるように刺さっていく。一点への刺突では破壊に至らない。刃渡りを飲み込んだ瞬間──突き出した腕を、引いた。身体を前に乗り出す。つまりは柵に頭突きした形になり。

 みしり。頭蓋骨が悲鳴を上げる。何故か柵の破壊音はどこか遠く、そんな小さな音が耳元で聞こえた。一滴の熱が脳味噌の奥に滲みていく感覚。消え失せようとする意識を強く掴む。この握力の強さは、幾度となく満身創痍となった経験から得たものだ。

 

 崩壊していく柵を見ない。衝突した途端、ソルは勢いよく背筋を屈めていた。重心を上半身に。慣性で前回転し、その間にもう一度両腕を伸ばす。一回転する時点で剣を振り上げた体勢となる。ソルの眼前には、数十本もの管。慣性のままに、一気に斬り飛ばす。

 

 刃から直に、生々しい感触が手に伝う。

 断裂した管が踊り、頬を掠めていき──。

 

「取った……!」

 

 

 

 

 

 

 ──終わったとき。

 視界一杯に空の色が広がっていた。

 幼女は地面に仰向けになって、全身で息をする。

 耳鳴りを除けば周囲は静まり返っていた。

 視界で上下逆様の巨影に焦点を移す。

 未だにケダマは微動だにしない。

 ──斜光を浴びる怪物は静かに、絶命していた。

 

 

 

 ※※※※※※※※※※

 

 

 

「お疲れ様! いやー、ルーちゃん。想像以上に『できる』ねえっ!」

「……これで、本当に倒せておるのか?」

「? うん、そうだよ。まあ、結構あっさりだったねっ! 当たりが引けてよかったよかった!」

 

 戦闘を終え、周囲の空気が和らぐ。

 ソルは「簡単に言うものじゃ」と呆れながら立ち上がる。

 

 彼女の言う『当たり』程度でも、自分は傷だらけなのだ。

 手強い相手を倒した達成感を得ながら、ソルはしかし。

 

(じゃが……これで、本当に(・・・)?)

 

 ソルは瞳の鋭さを保ったままだった。

 彼女は微動だにしないケダマに、よろよろと近づいた。

 おもむろにソルは、剣を傍ら(・・・・)の巨体に(・・・・)突き立てた(・・・・・)

 刃はいとも容易く、ケダマの体毛に埋まっていく。かすかな手応えを覚え、ソルは剣を抜いて先端を確認する。

 赤色の液体は滴っているが、そこに凍結は見られない。加えて、外傷を加えたというのにケダマは反撃もなし。ケダマの肉は強張るどころか弛緩したままだった。「初めて獄禍を退治できたのだ」としか考えられなかった。血を振り払い、剣を腰に収める。

 

 現実を受け入れていると、ソルの目の前に少女が上空から降り立つ。どうやらケダマに登って、その頂上から飛び降りたらしい。体力が有り余っているようだ。そんな子供らしい無意味な行動に出たのは当然、イルル・ストレーズである。ふわりと夕陽色の髪と、頭巾を空中に踊らせる。

 綺麗な着地を決めたイルルは、にかっと弾けて笑う。

 

「……で、どうだった? 初めての獄禍戦の感想は」

 

 無邪気な問いかけに、ソルは答えに窮した。

 当たり障りのない感想は幾つか思い浮かぶ。「不甲斐なくて申し訳ない」だの「共闘とはやはり難しい」だの「氷を操る相手と戦うのは初めてだった」だの「イルル殿の魔術師としての腕前は、実に申し分なかった」だのと。

 しかしソルが今回覚えた正直な感想や感覚は、まるで別だった。

 前歯で唇の一部を噛み千切る。鉄錆の味がじわじわ舌に広がり出す。

 

(──足りない(・・・・)

 

「──ちゃん、ルーちゃん……?」

「! ……いかがしたのじゃ」

「いかがした、じゃないよー。ルーちゃん、怖い顔してたよ?」

 

 気がつけば、黙りこくっている自分がいた。

 瞬きをすると、赤い光彩で色づいた瞳が目前にあった。鼻先が触れそうな距離だ。ソルは驚いて数歩下がる。いつの間にか、息のかかる距離まで近づかれていたとは。

 会話中にも関わらず熟考に沈むのは悪い癖である。なにせ熟慮と観察が染みついた身体だ。そう簡単にこの癖は抜けそうにない。不穏な感情を奥底に沈めて、気持ちを改める。また一つ、夢への階段をのぼったことに違いはないのだ。

 

 少女は疑問符を浮かべていた様子だったが、「そういえば」と首を傾げる。

 不安で翳った視線を、夕焼けに染まる森林へと投げかけた。

 

「大丈夫だとは思うけど……シャイラのお姉さん、遅いね」

「それは気にかかっておった。あの黒影、シャイラ殿が苦戦するほどの強敵じゃったか」

 

 なんて羨ましい。そんな不謹慎な言葉は、唇を引き結んで飲み込む。

 ソルが助太刀を申し出ると、イルルは髪を指に巻きながら。

 

「ううん……行かないほうがいいよ。たぶん、足引っ張っちゃうから」

「わしは足枷になることは百も承知なのじゃ。じゃが、イルル殿の実力ならば……」

「行きたいのは山々だけどねー、無理かなあ。イルルも力不足だよ。シャイラのお姉さんは、戦法も実力も、一人で戦うほうが強い人だから。……それに、イルルがあんな森の真ん中で魔術使っちゃったら、山火事になりかねないし。ここで待ってるのが最善だと思う。イルルたちも、まだやることあるからねっ」

「やること、とな?」

 

 問い返すより先にイルルは踵を返し、ケダマの死骸に近づいていく。

 

「結構辛いとは思うけど、ルーちゃんも手伝ってくれる? 絶対必要なことだから。イルルたちの目的は子飼いの獄禍を、最初に倒したのが復活する期日──残り三日以内に全部倒すこと。それと同じくらい重要なこととして、獄禍の『核』を持って帰らなくちゃいけないんだ」

 

 

 

 ※※※※※※※※※※

 

 

 

 獄禍の核。

 生物で言うところの心臓に当たる。という説明では少し語弊があるか。血液のポンプとしての意味合いではなく、『獄禍の動力源』という意味合いでの心臓部だ。獄禍の一般的な討伐方法は、身体にある核を穿つこととされる。それは、ファニマール子飼いの獄禍も例外ではない。

 

 まず始めたのは、ケダマの巨躯に目星をつけることだった。どの辺りに核があるか。獄禍の核の位置は、人間や動物の心臓とはわけが違う。獄禍ごとに個体差が激しく「胸部に収められていた」「右足の踵に埋まっていた」「表皮の一枚下にあった」と、全く法則性というものがない。

 

 ゆえに、核探しは虱潰しの様相を見せる。

 ケダマの身体を捌き始め、空が茜色に染まった頃にようやく終わった。 

 

「よいしょーっと! 核発見だねっ! 時間──かかりすぎちゃったけど、これで獄禍討伐完了だよ!」

 

 快活な声とは正反対に、周囲は血の海だった。地面には赤黒い染みが広がり、ケダマの残骸が至る所に落ちている。専用の短剣を貸してもらって、イルルと二人で捌いた跡だ。ケダマの図体はあまりに大きい。相応の作業時間と体力を消耗した。だいぶ腰に来た。些か懐かしい感覚である。

 

 ソルが短剣を収めたとき、ちょうど傍らのイルルが立ち上がった。

 彼女の手には、件の『獄禍の核』が握られている。

 

 それはケダマの体躯と比べ、あまりに小さい。少女の手のひらサイズ。形状は、多面体の鉱石である。斜光を浴びて、表面の黒色が煌めいている。黒曜石とは違う。目を凝らすと色が黒から変化する。真紅、深緑、紫紺──気付けば他の色に。その鉱石は宝石のように内部まで見通せる。

 この世の澄んだ色を、すべて閉じ込めたような一品だ。貴族階級の者でなくとも、目の色を変えて手に入れたくなる代物だろう。ソルが見た目相応の性格であれば、惹かれたかもしれない。だが、彼女の興味はそこにない。あれはどういう物体なのか。知識欲が止まらなかった。

 

 そんな、ソルがまじまじと見つめている姿は当然、大層目立っていた。

 

「触ってみる? 結構危険だけど、ちょっとだけなら大丈夫かなー」

「……ありがたく、あらためさせてもらうのじゃ」

 

 好奇心に背中を押され、手渡された鉱石をよく観察する。

 いや、観察しようとしたはずだった。

 

「な、っぐ……!」

「おっとと、危ない! ごめんごめん、吐き気とか大丈夫っ?」

 

 押し寄せる圧迫感。手に鉱石が触れるや否や、ソルは石を取り零す。

 驚きのままに、地面に転がったそれを凝視する。

 

 手に乗せるだけで顔を顰めたくなった。

 五臓六腑が膨らみ、裂けるような──。

 程度は格段に下がるにせよ、同じような感覚を受けたことはある。

 心配するイルルを「だいじょうぶなのじゃ」と手で制しながら。

 

「これは──マナ結晶かのう?」

「ルーちゃん、物知りだね。でもちょっと違うんだ。自然的に出てくるマナ結晶より、もっと純度も濃度も高くって扱いづらい『オド結晶』って言うんだって。いやー魔術師のイルルからしたら、涎出して飛びつきたいくらいのモノなんだから!」

「ふむ。そうなのかのう」

「……なーんて、まあイルルも最近初めて知ったんだけどねっ」

 

 オド結晶。無学なソルからすれば初耳だった。

 マナ結晶は知っている。マナの吹き溜まりでまれに発見される、濾し取られた魔力の塊だ。マナを体内に取り込む術を持たない一般人や、簡易的な魔力の補填に使われることがある。

 二十年ほど前から人工的に生成する技術が生まれ、帝国で大きな産業革命が起きたのは有名な話だ。ただ自然生成された天然のマナ結晶より、人工マナ結晶は純度が劣る。比較するまでもないほどに。当然、天然マナ結晶は産業的な価値も高く、市場では高値で取引される代物だ。

 そんな、高純度とされる自然生成されたマナ結晶より、更に純度も濃度も高いというオド結晶。

 

 ソルは空を仰ぐ。

 あまり想像が及ばない。

 規模が大きすぎるのも要因の一つだが、魔術云々に疎いのも大きい。なにせ魔術を約六十年間、一顧だにしなかった男ソルフォート。マナ結晶を使ったこともなければ、そもそも魔術を扱ったことすらない。そのため「超高濃度の魔力の塊」という認識で十分かもしれない。

 漏れ出るマナ濃度は当然それなりに高く、先ほどの圧迫感はそれによるものだ。ファニマールの霧と同じような原理である。

 

「これ市場に持ってっても、値がつかないんだってー」

「たしかに貴重な一品じゃろうな。しかし──金銭的な要因で、集めておるのではないのじゃろう?」

「えへへー、わかっちゃう?」

「ハキムのやつとは長年の付き合いじゃったから……んん。ま、孫じゃからのう」

「そっかー。チノツナガリってやつだねっ」

 

 イルルはオド結晶をひょいと拾って、巾着袋に仕舞い込む。

 彼女がソルと違って、オド結晶に触れられるのは当然だ。魔術師ゆえの慣れだろう。彼女たち魔術師は、日頃から魔力に慣れる訓練を積んでいる。そのぶん、常人よりも耐性がついているのだ。それでもファニマールの霧は突破できないのだから、『大罪の獄禍』の手強さが少しばかり実感できた。

 

「……ハキムのお爺ちゃんが言ってたんだ、このオド結晶は『根絶』討伐で絶対必要なんだって。イルルも一応、何するかは知ってるんだけど……詳しいことはお爺ちゃんから聞いてね。あっちの国の機密的なあれらしいから──」

 

 言葉の途中で、ソルに視線を向けたイルル。

 そして彼女の表情が突然、明るいものに変わった。

 一体どうしたのだろうか。

 いや、どうやら視線はソルとズレている。

 彼女はソルの後方に向かって手を振った。

 それにつられて、振り向く。

 

「ごめんなさい……すごく、遅れて、しまって……!」

「シャイラのお姉さん! 大丈夫?」

「シャイラ殿……! 無事でなによりなのじゃ」

 

 木立ちの向こうから、麗人が早足で駆けてくる。

 風に流れる紫髪、動く四肢には乱れ一つない。装備にすら傷一つつけず、英雄が戻ってきた。そのことに安心感を覚える。これは英雄譚では醍醐味の一つだ。『どんな強敵が現れても、英雄が必ず勝利を収め、凱旋し、一つのお話が幕を閉じる』。読後の腹落ちは、物語の感傷が頭を巡って、ソルがとても好きな感覚だった。だからこそ、ソルは笑みで迎えた。

 シャイラ・ベクティスは少しばかり息を乱して、立ち止まる。

 

(……? なにか、あったのかのう)

 

 一つだけ、ソルが気になったことがあったとすれば。

 ──何故だか彼女の瞳には、深い深い影が落ちていたことだった。

 

「……はい、問題ありま、せん……心配を、かけて、ごめんな、さい……」

「謝らずとも、こちらもつつがなく終えたのじゃ」

「それなら、よかった、です。私は、必要なくて……」

「またまた、いつものやめてねシャイラのお姉ちゃんー、と──よっし。それじゃ戻ろっか!」

 

 もう日没が近いと見るや、切り上げを提案するイルル。

 ソルの初めての獄禍討伐隊での任務は、こうして幕を下ろす。

 

「積もる話は、戻って、ハキムのお爺ちゃんに報告したあとね! ルーちゃんの成果を首長くして待ってると思うし! 日が沈むと危ないからねっ!」

 

 

 



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