終末世界ぶらり旅2 (イーストプリースト)
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『Log0:旅の足跡』

「それにしても本当にいろいろなことがあったね、トト」

 棺桶を背負った少女が廊下を歩いている。棺桶が重いのか、彼女が重いのか彼女が歩むたびにみしりと廊下が音を立てるが、彼女自身の足取りは軽く負担になってはいないようだ。

 彼女が歩くたびに、修繕されたティディベアの人形が腰で揺れる。

「ドロシーはトラブルを引き寄せる体質でありますからね。むしろ、ドロシー自体がトラブルといいますか」

 その後ろを少女がついて歩く。自らの体躯より大きな鍵爪が廊下の壁を傷つけ、不快な音を鳴らしているが気にしない。こうでもしないと、施設内を歩けないのである。

 少女はリボンがついた犬耳をぴくりと、2度ほど、不快そうに揺らした。

「そんなことはないよう。……それにしても本当に長かったね」

「ええ、目覚めてすぐにドロシーが襲われてたので、助けに入ってからいままで長かったでありますね」

「あれ、トトも目覚めてすぐだったんだ」

「はい、状況は判りませんでしたが何をするかわかりませんでしたので」

「…………、わからないですまし顔してたのね」

 棺桶を背負ったままドロシーがトトに呆れたような視線を向ける。

 トトはすました顔をしたまま、目線を横に逸らしてごまかした。

「まったく。迷宮の時も本当はよくわかってなかったんじゃない?」

「自分はドロシーと違って、自らの記憶を保持しており、何をするかはわかってたでありますから」

 トトが犬耳を動かして周囲の音を探る。作業用のアンデッドが歩いている音、何かの薬品をマニピュレーターで掴んだ機械が天井近くのレールを通ってどこかへ薬を運んでいた。

 リボンが動きに合わせて耳の周囲でひらひらと揺れた。

「まぁ、あの迷宮はドロシー以外に攻略するのは無理でありましょう。隠し通路が無数にありましたが、ヒントがない上にどれも隠されておりましたので見つかりませんし」

「そのあとも酷かったね。あれ、魔女じゃなくて蟲の女王だったよ」

「アンデッドに巣食う寄生昆虫たちの森でありましたね。まったくお菓子に化けるとはひどい話であります」

「食べたそうにしてたトトが言う事じゃないよね」

「まぁ、最後の光景で食欲も失せたでありますが」

「あれはしょうがないんじゃないかなー」

 魔女の家に踏み入れた時の脚に感じた違和感。さくさくとしたお菓子をつぶしたような感触に灯を近づけてみると、そこにはお菓子に擬態した寄生昆虫の姿が。

 恐る恐る灯で家の中を確認すると、至る所にお菓子と不快な害虫が合体したかのような蟲がところ狭しと蠢いていた。

 蜘蛛の巣をのそるのそると動くキャンディーに、とぐろ上に巻いていたケーキのような百足、板チョコレートの形をした黒光りする害虫などなど、言葉では言い表せない悪夢のようなお菓子の家であった。

「正直、いまでも夢に出るのでありますが……」

「あ、たまに夜中にベッドに入ってくるの、そういう理由だったんだ」

「恥ずかしながら……」

「もう、トト。かわいい」

 トトの頭をドロシーが撫でる。トトはそっぽを向いて、犬耳をふりふりと揺らした。

「それから遊園地……あれを遊園地と言っていいのでありましょうか?」

「さぁ、遊園地に行ったことないからわかんない。けど、夜になるまでは楽しかったよね」

「はい、できればもう一度行きたいでありますね」

「だねぇ……」

 狭い廊下を抜ける。振り返ってみるとトトの鍵爪で壁にひどい傷がついていた。

 ここから先の道は複数人が通れるような広い道であるため、壁をひっかく心配はなかった。

 トトは鍵爪で廊下をひっかかないように注意して歩く。なにせ、彼女の鍵爪は巨大すぎるので普通に腕を下ろすと、廊下に突き刺さってしまうのである。

「それから、遊園地を抜けて、この研究所について、記憶を取り戻して」

「そして、管理用生体コンピューターと戦ったのでありますね……。最後は本当にダメかと思ったであります」

「わたしも駄目かと思ったけど。まぁ、なんとかなったね」

「ドロシーの楽観的なところはうらやましく……もないでありますね。楽観的過ぎるでありますし」

「酷いなぁ、トト」

 二人は広い廊下を抜けて、ある部屋の前に立つ。

 ドロシーが名前を見て嫌そうな顔をした。トトは相変わらずの無表情、感情のともらないカメラアイでその部屋名を見ている。

 部屋の名前は「ネクロマンシー室」。

 

 

 

「トト、本当にこれを使うの? わたし、できれば使いたいくないんだけど……」

「ウィンキーを探すのであるのなら、まず死んでる確認しないと、無駄になる可能性があるであります」

 それに、自分も使いたくはないであります。とトトが付け加える。

 二人の目の前にはアンデッド自動作成機械があった。即ち、死者蘇生術(ネクロマンシー)を全自動で行ってくれる機械である。

 ネクロマンシーとは魔術や神秘ではない、れっきとした科学である。

 アンデッドとは死者の身体を用いて粘菌を培養し、その粘菌を用いて自我次元に接続することで、自我を持たせて稼働する一種の生体機械であった。

 死体やパーツはというのはルーターやモデムの役割を果たし、粘菌を培養。培養された粘菌はプロバイダの役割を果たして、自我次元というネットワークに接続する、というべきだろうか。

 ネットワークと自我次元の違う点をあげるなら、ネットワークなら1つのサーバーに複数人がアクセスすることができるが、自我次元には1人までしか接続することが出来ない点である。

 即ち、その自我次元から誰から個人の人格に接続されている場合、他の人間がその個人の人格を用いてアンデッドを作成しようとしても、自我が宿らないのである。

 どれほどはっきりとした自我を持っているかを測る話には自我強度というものがあり、それらは自我次元とどのぐらいの大きさ接続してるかで変わるのであるが、今回は割愛する。

 低級のアンデッドほど自我次元に接続している面積は低く、ドロシーたちドールようなはっきりとした自我を持っているアンデッドは自我次元に接続している面積がかなり大きく作られている。

「それはそうだけど、納得いかない……かな」

「ドロシーがここで安全に暮らすというなら使わなくもいいのでありますが」

「うーん、それも納得いかないかな」

「わがままでありますな」

「うん、ごめんね」

 ドロシーが困ったような笑顔を浮かべる。それを見たトトが仕方なさそう鼻を鳴らした。

 その間にも、ガラス超しに作業が進んでいく。

 本来、ドールのような一品もののものはネクロマンサーの手作業で細やかな調整を行い、つくられる工芸品に近いものであるが、この機械は違う。

 あくまで一定の成果のものの量産を主とした工業品の作成用である。

 そのため、性能はドロシーやトトのように高くはならないが、人格を持った人間の作成ならばこれでも十分である。

 ガラスを隔てた先で、人体が"組み立て"られていく。

 生体コンピューターに音声入力で選んだパーツと同じ冷蔵されたパーツが、マニピュレーターに摘まれてくる。

 皺くちゃに干からびミイラ化されたそれは、十数分の解凍&活性化作業を行うことで、みずみずしい人間の身体へと戻っていく。

 恐らくは先にアンデッド化したパーツを乾燥させ、中の粘菌を休眠させ冷凍することで長時間の保存を可能としているのだろう。

 すでにアンデッド化している手足と胴体をマニピュレーターが糸で縫合していく。

 作業を始めて数十分、首のない少女の身体がそこにあった。

 顔の作成に少し時間がかかっているようだが、作業そのものに滞りはない。

 ドロシーの割とあいまいな証言を元に作られたモンタージュであるが、記憶にあるウィンキーの顔にとても似ていた。

 骨の必要な部分をドリルで削り、クーパーが開かれた皮膚を固定、その上から筋肉を手術糸と針で縫い付けている。

 文字通り機械的な動作であっという間にウィンキーの顔が造られていた。

「………」

「………」

 それを気持ちが悪そうに二人は見つめていた。

 文字通り製造される人間に気分が悪そうだった。 

「ねぇ、トト。人間ってこんなに簡単に作られていいのかな」

「正直なところ肯定はしたくないでありますね」

「うん」

 その間にも工程は進んでいき、目の前にはつぎはぎされたウィンキーと瓜二つの簡易ドールが造られていた。

 粘菌の培養を含めて時間にして2時間足らず、ドロシーがウィンキーの外見にこだわらなければもっと短い時間で作成されただろう。

 次の工程として、自我次元への接続を行おうとして『すでに別のアンデッドが使用しているため接続できません』と生体コンピューターの画面に表示される。

「……これって」

「つまり、この世界でウィンキーの自我がどこかで使用されているという事でありましょうな」

「よかった……生きてた。生きてたよ」

「……果たして幸運であったのでしょうか」

「え?」

 安堵の吐息を漏らすドロシーとは対照的に沈痛なトト。

 トトのカメラアイは何も語らない。

「この広い世界の中で、どこにいるかもしれないウィンキーを探すことになったであります。それは本当に幸運なことでしょうか?」

「あー、そういえばそうだね」

 今更気づいたようにドロシーが目をそらして頬を掻く。

「ま、けど、どうにかなるよ。わたしたちも会えたじゃない。大丈夫だよ、トト」

 根拠が全くない楽観的な言葉。

 しかし、ドロシーの笑顔に何も言えずに、トトは溜息を一つ吐いた。

 

 

「うん、これで全部だね」

「もう一度、確認しましょう」

「トトは心配性だなぁ」

「ドロシーが楽観的過ぎるのであります。旅立ってから足りないものに気付いてもどうしようもないでありますよ」

 肩に掛けた狙撃ライフルを外し、渋々、合金製のトランクや棺桶を開いて中身を確認する。

 予備の着替え、武器の整備道具、ロープ、ナイフ、etc……それを2人で1つ1つ確認した。

 今までの旅の経験から必要そうなものを棺桶とトランクに詰めたが、不足はなさそうである。

 ドロシーの腰につられた傷だらけのアンデッドガンとティデイベアが揺れる。

 リボンのついた犬耳をピクピク動かしながら、真剣にトトが荷物を吟味していた。

「あ、戸締りはした?」

「生体コンピューターに命令しているであります」

 車など何らかの移動手段を使うことも考えたが、トトの鍵爪が大きすぎるため断念した。

 ドロシーが1つ1つものを取り出し、説明するとトトがうなずく。

 やがてすべての荷物が検品し終えた。

「はい。問題はないであります」

「それじゃ、行こうか」

 ドロシーが棺桶を背負い、合金トランクを持つと、出口へと歩いていく。

 行く先に根拠も当てもない。ただ、ウィンキーが脱走した当時の方角へとりあえず、歩いていってみるだけだ。

 まるで砂漠に落ちた針を探し出せというようなものであった。

 それでもドロシーの足取りに不安はない。

「ドロシーは不安じゃないのでありますか?」

「うん? 不安はあるよ。探し出せるかわからないし」

「それじゃあ、何故……」

「けど、やってみないと分からないじゃない。それにトトと一緒なら、どんな旅も楽しいよ」

「…………、まったく」

 トトが溜息を吐く。犬の尻尾がぱたぱたと振られた。

「ドロシーはしょうがないでありますね。ついていってあげますよ」

 そして、ドロシーの差し出された手をトトが鍵爪をそっと乗せて。

 二人は歩き出した。

 

 



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『Log1:私の/私達の旅の始まり』

 ビルの3階ほどの高さもある巨体が地面に倒れる。それは目の無いトカゲのように見えた。

 長く尖った鋭い鼻は鱗に覆われており、前脚から脇に生えている翼状の被膜はいまや切り裂かれ破れていた。

 ドロリ、と赤黒く濁った血がトトの鍵爪を汚している。彼女の足元にはたった今、倒した変異生物の臓物が地面に落ち、異臭を放っていた。

 トトが腕を振るい、鍵爪に付着した血を振り払う。

 そして、背後でアンデッドガンを構えているドロシーへと振り返った。

 瞬間、倒れ伏した爬虫類の爪がトトの背後へと延びる。驚きをにじませて振り返るトト。トドメを指した手ごたえは確かにあった。

 それがトトを捉える瞬間、虚空に不可視の障壁が張られ、爪は甲高い音と共にそれを引っ掻く。

 地に力なく前脚を落とし、巨大蜥蜴は沈黙した。どうやら、筋肉の反射的な動きだったようだ。

「危なかったね、トト」

 瓦礫の裏から両手に拳銃を持ったドロシーが歩いてくる。彼女のESPの障壁がトトを守ったのだ。

 トトはしばし、蜥蜴が動かないことを確認すると、再びドロシーへと視線を移した。

 常の無表情の中に怒気を湛えていることをドロシーは感じ、困ったように笑う。

「ドロシー、ESPの使用ではできる限り控えるように言ったはずであります」

「トトが危なかったから、つい……」

「自分は多少の損傷なら大丈夫であります。ご自愛ください」

 ESP。自我をもたらす自我次元との極端な規模の接続で発生する一種のバグのような力であるが、それは代償がないわけではない。

 それを知ったのは二人がオペラハウスを制圧して、発見した資料を読んでからであった。

 どのような適正があったとしても、どのような精度で制御してたとしても、脳と自我次元に負荷をかけ続けていることに違いはないのである。

 故にESPを行使し続けるということは、人格に重大な損傷を与え、自我をすり減らし続けることに他ならない。

 そして、最終的には自我次元のパターンそのものが使い物にならないほど摩耗し、永遠に失われてしまうのである。

 ネクロマンシ―とは一種の不死である、肉体が壊れようとも、適切な設備と素体さえあれば、そこに自我を転移し、新たな生を得ることができる。

 しかし、そのために必要な自我次元の個人パターンが損傷してしまえば、それも行うことはできない。

 即ち、ある意味、全ての人間が不死を得たこの世界において、完全な死と言える。

 それが、ESPという慮外の力の代償であった。

「だいじょうぶだよ、トト。わたしはまだまだ平気」

「………」

 本当に大丈夫か、とトトが非難気な視線を投げるが、ドロシーは困ったような笑顔のままである。

 トトはため息を一つ吐き、次の話題に移ることにした。

「それで、行先はこちらであっているのでありますね?」

「多分だけど、この方向に進んでいけば、わたしのいたオペラハウス72へいけるはずだよ。ほら、この子も指し示してるし」

 ドロシーの胸ポケットから白い体毛のフェレットがあらわれ、クックッと鳴いた。

 このフェレットのような生物はオペラハウス31の自動作成で作った道案内のための簡易的なアンデッドである。

 簡易アンデッドの頭をドロシーが指で撫でると、気持ちよさそうに目を細める。

「脱走したウィンキーたちの資料がオペラハウス31にもあったけど、ウィンキーの方は簡易的なプロフィールしかなかったんだよね」

「ええ、ですから、ドロシーの発案でウィンキーの資料を探しにオペラハウス72へ行くのでありますね」

 ドロシーが覚えている限り、ウィンキーなら安全な場所を探して彷徨いそうであるが、もしかすると彼女なりになにか生前に未練があって、そちらにむかっているかもしれない。

 それを確かめるために、彼女の資料を手に入れようと二人はオペラハウス72へ向かうことにした。

 早くウィンキーたちを追いかけたほうがいいかもしれないが、ドロシーたちより大分前に脱走しているため、その痕跡を探すのは困難であるため、彼女たちの考えから逃げた方向を探すことにしたのである。

 もし、生前のドロシーなら物体に残った記憶を読み取り、追うことも出来たが、現在のドロシーにそのようなことはできない。アンデッド化した際、安全装置のようなものが設けられ、普段のESP使用には著しい制限が駆けられている。

「そりゃ、今日も行こう、トト」

「しょうがないですね、ドロシー」

 ドロシーが棺桶を背負い、歩き出す。その背後をついていくようにトトが続く。

 ふさりと尻尾を揺らして、耳をピクリを動かしながら、どこか言葉に嬉しさをにじませながら、トトは共に歩いていった。

 

† 

 

 変な生き物が浮いている。

 それがドロシーの感想であった。

 ひび割れ、ところどころ崩れた堤防の上から、二人は波打ち際を見つめている。

 海面に近いところは透き通って見えないこともないが、少し深くなると濃ゆい青に包まれ、その下になにがあるかはわからない。

 その堤防の近く、波に運ばれてよくわからない生物の死体が波打ち際でぷかりぷかりと浮かんでいる。

 青みがかった銀色の体表をもった魚頭、種類こそわからないもののそれ自体は普通なのだが、胴体のところどころにフジツボが生えており、その隙間から蟹の脚や烏賊の触手が生えており、さらにその周りに海草が巻き付いている。

 図鑑でも見たことがない、というより、図鑑に載っている魚介類をごちゃまぜにしたこれは海の塊としかいえない何かであった。

「うーん、なんだろう、アレ……」

「取りますか?」

「いや、遠慮したいかな」

 微妙そうな表情でドロシーが海の塊を見つめている。胸ポケットのフェレットアンデッドがきゅーっと鳴いた。

「うーん、海もやっぱりそうとう変なことになってそうだね」

「近づかないほうがいいでありますな」

「どこ行ってもそんなかんじな気がするなぁ……」

「そもそもこの世界で安全な場所自体がないかと」

 ドロシーは物憂げな溜息を一つ零し、立ち上がる。

 そして、堤防の先にある橋を見つめる。

 塗装がところどころ剥げ、赤錆にまみれた橋。橋としての体裁を保っているだけに過ぎず、形こそ橋の形をしているものの道は崩落し、鉄骨もところどころ折れ、曲がり、抜け落ちている。

 この廃都市の間にある巨大な川、その間にある離島と繋いだ橋だったものであるが、いまはその形をわずかに残すだけであった。

「うーん、流石にトトが通れそうにないかな」

 いつ崩落してもおかしくない橋を渡るにはトトの両手が重すぎる。しかし、川の中を通るにはどのような生物がいるかわからない以上、博打がすぎるというものだ。

「となると、迂回した方がよいでありますな」

 トトも同じような結論に達したようだ。

「やっぱり今日中に町を抜けるのは無理そうだね」

「あまり暗くなってから行動するのも危ないでありますからね。早めに今日の寝床を見つけておきましょう」

 

 橋の目の前まで来た二人が踵を返す。

 爪先に当たった石が転がり、橋の上から海へと落ちた。

 

 

 巨大な作業用機械が道に蠢くアンデッドを轢きつぶしながら進んでいる。両手には車ほどのサイズもある万力がついており、現在、右の方には鉄骨が握られている。

 有機エンジンで動くそれはたまに道に落ちている、あるは自らが造った死体を拾っては丸い本体の頭上にある投入口に放り込んで、燃料の代わりにしていた。

 キャタピラをキュラキュラと動かし、鉄骨の骨組みだけできたビルのところまでもっていくと、次の鉄骨を探しにその場を後にする。

 もう完成しないビルの工事を続ける様は、賽の河原で石を積み上げる光景のようだ。

 それをドロシーは狙撃銃についているスコープで見ている。

「うーん、あっちの道は危なさそうかなぁ」

「そもそも、安全な道があるのか怪しいのでありますがね」

 ドロシーがスコープから目を離して、トトに視線を向ける。犬耳を動かして周囲の音を拾っているトトの姿は実に可愛らしく、微笑ましそうにドロシーは笑った

「さっきからいろんな道を見てるけど、やっぱりどこもアンデッドや変異生物がうろうろしてるよ」

 倒れた死体に群がる人間大の烏を狙って、バスほどのサイズもある巨大な百足が飛び掛かっていた様をドロシーは思い出す。

 巨大な顎が数体の烏を飲み込んでいる間に、一斉に他の烏たちは飛び立ちその場から逃げ去っていた。

 たぶんどっちを相手にしても勝てはないことはないし、弾もそこら辺に転がってるから補給の心配はないが、道中の敵全部と戦っていては日も暮れてしまうだろうと、ドロシーは思った。

「ドロシー、あの方向なら聞こえる音も少ないであります」

「んーじゃあ、そっちに行こうか。嫌な予感もしないし」

 ドロシーがトトの鍵爪を引いて歩き出す。

 鋭い鍵爪に触れたためか、ドロシーの白い指先は軽く切れ、赤くドロッとした血がにじみ出るが、気にせずにトトの手を引いて商店街へと歩いていった。

 

 

 かつて賑やかであったであろう商店街であるが、今は無人の廃墟となっている。

 コンクリートが捲れ、折れ曲がったパイプが露出しているところがちらほら見える。もはや上下水道も稼働していないのか、折れたパイプから水すら漏れていない。

 すんすんとトトが鼻を鳴らして匂いを確かめるが、ガスの臭いもしなかった。

 店にはシャッターが下り、そのシャッターは拉げ、窓ガラスは弾丸と共に飛散していた。

 下半身だけ残ったマネキンの上についているぼろきれを眺める。

「うーん、ウィンドウショッピングはできそうにないね」

 トトは、電柱に貼られたチラシは苦虫をつぶしたような表情で眺めている。

「それよりも危険な生物が出ないかを警戒するでありますよ、ドロシー」

「うん、それはそれとして……」

 長いこと病院とオペラハウスに在住していたため、世間のことに疎い二人ではあるが、この風景は異様であると感じていた。

 黒ずみ破れ破れになったチラシには、国を愛し、国のために尽くすことが幸せになることだ、と謳う文句が描かれている。

 それも1枚2枚ではなく、商店街の至る所に貼られているのである。

「なんだろう、気持ち悪い」

「同意であります」

 トトを気遣うように視線を向けるドロシー。彼女から今まで見たことのない嫌悪感を感じるのだが、トトはいつものように無表情な表情のまま、前を見つめていた。

 視界の中にチラシを入れないようにしているように見える。

「トト、行こう。ここはトトにとってよくないところだ」

 トトが何か言おうとしていたが、ドロシーは有無を言わさず、トトの手を握ると足早に商店街を駆けて行った。

 

 

「大丈夫、トト?」

「平気でありますよ、ドロシー」

 石のベンチに座って、二人は一息をつく。

 木製のベンチは既に残骸となっており、虫に食われて朽ちた木片と錆びた金属片だけが地面に落ちていた。

 滑り台は真ん中から折れており、ぶらんこは片方の鎖が切れて地へと垂れている。

 他にも爆撃されたあとらしき抉れた地面が各所で見られる。

 公園を覆う木々は変異植物となっているようで、うねうねと動く蔦を伸ばしている。

 甘い匂いにつられて視線を移すと牙を生やした華が先ほどの烏を、その匂いで誘い、近寄らせて中央の牙で捕食しているさまが見える。

 ドロシー達の周囲はドロシーの火炎放射でき焼き払ったため、一応の安全地帯だ。

 多少熱いが、火自体はトトが鍵爪を一閃させて消したので問題はない。

「うん、ならいいけど……」

 ドロシーが一度目をそらし、そして何かを決して口を開いたところでトトが先を制した。

「それよりもドロシー。今日の寝床を早いところ確保しましょう」

「どうして?」

「今日、一日でこの町を抜けきるのは不可能であります。それに寝床と決めた場所が安全か捜索する必要がありますから、必然的に早めに行動しないといけないであります」

 そっか、とつぶやいてドロシーが言葉を飲んだ。

 言いたいことはあったけれど、まずはトトの言う通りに寝床を確保した方がいいと思ったからだ。

 野宿も考えないことはなかったが、先ほどから人間大の烏がこちらを窺っているところを見ると、きちんと屋内で過ごしたほうがいいだろう。

「うん……そうだね。ちょうどいいところを探そ、トト」

 ドロシーが立ち上がり、歩き始める。ドロシーの歩きに合わせて、腰につってあるティディベアがゆらゆらと揺れる。

 犬耳のリボンを振るわせ、立ち上がると、トトはその後を追った。

 

 

 かつては白かった道路標識のポールがくすみ、折れている。標識の半ばから刺々しい断面が覗いており、それより上は何処にいったのか存在していない。

 上下ともに硝子の割れ、すでにつかなくなった信号機を通り、二人は横断歩道を渡りながら周囲を捜索する。

 砕け抉れたコンクリートに、かろうじて途切れ途切れで横断歩道のマークが読み取れた。

「それにしてもわたしたちが出会った時のことを思い出すね、トト」

 地面に落ちた腐った肉を避けながらドロシーが懐かしそうに言う。

 驚いたのか、肉にたかっていた蠅のような生物が一斉に飛び立った。

「そういえば、この世界に目覚めて会った時も、このような感じでありましたな」

「うん。なにがなんだかわからないうちに襲われて、なんとか切り抜けたんだよね」

 トトの耳がぴくりと反応し、ドロシーに視線を向けたところで、ドロシーが見つめ返していた。たぶん、ESPでトトの感情を感じったのだろう。

 二人はすぐさま、角を曲がり建物の影に隠れて道を確認してみる。

 ぼろぼろの衣服をまとい虚ろな目でよろよろと歩くゾンビと複数の頭がまるで風船のように膨らみ浮遊した奇妙なアンデッドが数体が大通りの交差点から曲がってくる。

 特に目的意識を持っているようには見えず、緩慢な動きで進み続けている。

 どうしようか、と二人が視線で会話していると、反対側から鎧と鬼の面をつけ、刀を握った落ち武者の様なアンデッドがやってくる。

 それは緩慢に動くアンデッドたちを見つけやいなや唐突に走り出し、接敵したゾンビを一息に切り捨てる。

 返す刀で別のゾンビに切りつけ、次々と切りつけてていった。

 ゾンビも倒されまいと緩慢に防御しようとするが武者のほうが数段早く、腕を上げきる前に刀の錆へとかわっていく。

 そして、浮遊している奇妙なアンデッドに切りつけた瞬間、風船のようなアンデッドが爆発した。

 つんざくような破裂音と共に爆風が周囲を吹き飛ばし、埃を舞い上げる。ドロシーが思わず目を閉じて竦んだが、眼を開けるとトトの鍵爪があった。どうやら守ってくれたらしい。

 鍵爪がどくと、誘爆したのか風船のようなアンデッドもゾンビも全て肉片となっており、周囲の壁や建物に桜色の肉や赤黒い血を跳び散らしている。

 ドロシーの近くのビルにも焼け焦げた腸がへばりついていた。

 落ち武者はというと右腕が吹き飛び、鎧にひびが入り、砕けてはいるものの、またよたよたと歩き始め、どこかへと歩いていく。

 どうやら、たまたま見つけたアンデッドの集団を攻撃しただけの様だ。

 最終戦争前に敵対してた陣営同士のアンデッドがたまたまた互いを見つけただけかもしれないが、真相はわからなかった。

「危なかったね、トト。あ、守ってくれてありがとう」

「それが務めでありますから」

 尻尾を横に揺らしながらトトがそっぽを向く。ドロシーが微笑んだ。

 そして、二人は建物の陰から大通りに戻ると再び歩き始めた。

 

 

 硝子をすり合わせたような耳障りな金切り声、擂鉢で何かをこすりつける様な擦過音など、生前では考えられなかった奇怪な音が響いてる。

 実験施設のオペラハウスの領地では聞こえなかった音であったが、あれはあそこが一応統率が取れていたためであろうか。

 今夜の宿にすることにした貸倉庫で、トトは犬耳をピンと立てながら、そう考えた。

 貸倉庫内は苔が壁にはびこり、蔓状の植物が内部に侵入しており、クローバー型の葉っぱをつけている。

 二人で一通り確認した限り危険はなさそうだったので、棺桶のなかから取り出したシートを敷布替わりに二人は横たわっていた。

 トトの腕を枕代わりにしてドロシーが安らかに寝息を立てている。いつ、どこから敵が踏み込んでくるかもしれないとわからないのに暢気なものであります、と、トトは思う。フェレット型のアンデッドも二人の傍で丸まって眠っている。

 金属でできている腕を枕代わりにしているがドロシーは特に気にした様子も無く、身体を横たえ、右手をトトに絡ませ、抱き着くように眠っていた。暖かく柔らかい感触がトトにあたる。完全に弛緩しきっているドロシーを見ると緊張している自分が馬鹿らしく感じ始めるが、それではいけないと小さく首を振り緊張感を維持する。

 軽く頭でも撫でようかと考えるが、この怪物の腕ではできそうもなかった。昼間の様にドロシーを守ったりするには便利なのだが、やはりこの金属の鍵爪は不便なことが多すぎるとトトは思う。

 戦うときだけは便利であるが、日常的なことをこなすことができないのである。軽くものをつまむにしても力を慎重に加減し、鋭い爪で切りつぶさないように気を付けないとならない。

 なので、普段はトトが手で行うことはドロシーが代わりに行っている。

 武器の手入れはもちろん着替えなどもドロシーが手伝っているので、恥ずかしさと一抹のうれしさが混じったなんともいえない状態が日々続いている。

 軽い溜息と共にトトは音を聞くことに集中する。

 貸倉庫の外では相も変わらず奇妙な鳴き声が聞こえるが、この中ではドロシーの寝息のほうが大きいぐらいだ。

 静かで何もない、しかし、穏やかな時間が過ぎていく。ドロシーは寝返り一つうたず、トトに抱き着いたまま眠っている。

 この時間がずっと続けばいいのに、とトトは思う。捻じくれた形をした怪物とも戦わず、他のドールたちともかかわらずにただただ静かに暮らすのだ。

 どこにいるかもわからないウィンキーのことなど放っておけばいい、本当にいま生きてるかどうかも怪しいし、そんなことのためにドロシーが傷ついていく姿をトトは見たくなかった。

 生前と比べてどこか言葉遣いがたどたどしいな、と思っていたので、あのリスクには納得いった。なにせ、記憶も人格も削って力を行使しているのだ。

 つまり、彼女は規格外の超能力者ではあったが、そんな彼女であってもESPのリスクから逃れられはしてないのである。

 もし、この調子で力を使い続ければ遠からず、何も思い出せず、人格すら摩耗して永遠に消滅するだろう。

 しかし、それでもウィンキーを探すことをドロシーはやめはしないだろう。

 特に大きな理由もない、謝りたいという一心で、だ。そういう人なのだ。一度心に決めたら変えることがない頑固さもトトは嫌というほど知っていた。

 生前、トトと出会った時も同じような理由であった。

 

 トトにとって両親の記憶はもはやおぼろげな物しかない。

 幼い頃に原因不明の病で倒れて病院に運ばれて以来会っていないためか、はたまたアンデッド化した際、そこら辺の記憶がぼかされたか。

 その理由は定かではないが、おぼろげな記憶をたどる限りでは、むずかしいことは国が考えるのだからそちらに任せておけばいい、と何処か思考を放棄していた気がする。

 無責任ともとれるが、あるいはアンデッドの存在が公表され、日々、戦争への圧力が強まっていた時期だけに、あえて考えないことで精神を保っていたのかもしれない。

 いずれにしろ、熱うつに意識を失い欠けているのトトに「国の人がお前を良い病院に連れて行ってくれるぞ」と言葉を掛けたのが、トトの記憶に残る両親の最後の記憶である。

 それ以来、トトは病院で暮らしている。

 昔の様に熱にうなされることもなく、身体が痛むこともあまりなくなったが、退院できていないことを見ると、未だに完治はしてないのだろう。

 もう、病院に来る前よりも入院してからの時間の方が長くなり、ここが実家のようにさえ感じている。

 しかし、その間、両親が此処に来たことは一度もなかった。きっと、役に立たない自分のことなど捨ててしまったのだろう、とトトは思う。

 だから、両親が頼みにしていた国自体やそれに関わることを聞くとどうしても心がささくれ建つ。

 いつもの検査の帰り道のことだった。白を基調とした色の道を歩いていると、唐突に見知らぬ少女がやってきて、いきなりトトの腕をつかんだのである。

 驚いたトトが、その子を見やると、

「こんにちわ。私はドロシー。ねぇ、友達にならない?」

 と声を掛けた。

 いきなりの珍事にトトは思わず腕を振り払う。全く面識がない二人である、無理もない。

「なんなのですか、いきなり……」

「んーとね、あなたの顔を見たら、こう、びびっと、友達になりたいと思ったの。だめ?」

「話しかけないでください」

 ドロシーを無視して、トトは足早にその場を立ち去った。

 廊下を曲がる際、ちらりとドロシーに視線を向けると、困ったような笑顔でトトを見つめていた。

 変な子であると気味が悪がりつつトトはその場を足早に逃げていった。

 

 単調な日々において珍事はどうしても印象に残るものである。

 薬を飲み、検査を行い、部屋で待機する。この3つで構成されてるといっても過言ではないトトにとって、ドロシーと名乗った少女との出会いはとても印象に残るものであった。

 無口で人とかかわろうとしない、看護師にもあまり話書けることの少ないトトと積極的にかかわろうとする人間自体が珍しいのである。

 ましてや同世代の人物から友達に成ろうと言われる経験は、幼い頃から病院にすんでいるトトにとっては初めての言葉であった。

「それでなんであなたがここにいるのでありますか? どうやってこの部屋を探したのですか?」

「んー、ちょっと看護師さんを読ませてもらって、かな」

「何を言っているのかわからないですが、控えめに言って頭おかしいのではないでしょうか」

 ドロシーと呼ばれる少女がしょんぼりとした顔をした。あの奇妙な邂逅から数日、部屋で絵本を読んでいたトトの元にひょっこりとあの少女が現れ、驚くトトにお構いなく近づいてきたのである。

「とにかく。あなたと友達になんてなりませんから帰ってください」

「それは嫌かな」

「嫌ってなんですか、嫌って……。そもそもどうしてそんなに私と友達になりたいのですか」

「んーとね。あなたがとても寂しそうにしてるから、かな」

「……つまり、下手な同情なのですね。なおさら結構です」

「そういうわけじゃないけれど……」

「いいから、どこか行ってください!」

 ぴしゃりというと、ドロシーはしょぼんとしてその場を立ち去った。

 少し残念な気持ちを覚えたが、しかし、初対面の相手によくわからない理由で迫られてもいい気分がするものではなかった。

 

 それからというもの、毎日のようにトトの部屋にドロシーはやってきては、今日あったことや楽しかったことを語り始め、トトにも何があったか聞く始末。

 始めは無視していたが、1週間もすればつい2言、3言返してしまい、ひと月も過ぎた後には自然と会話するようになっていた。

 度し難いほどの強引さであったが、トトは不思議と嫌いにはなれなかった。

 ここまで自分に積極的にかかわろうとする人間は初めてであり、ドロシーがやってくるのをトトは密かに楽しみにしていた。

 毎日の何気ないことを楽しそうに話すドロシーと会話をしていると、自分まで楽しくなってくるのをトトは感じた。

 甘味の話、試験のこと、お薬が苦いこと、看護師の元気がないこと、ドロシーとの会話は特別な内容ではなかったが、そんな会話が何よりも楽しいものだった。

 しかし、終わりはやってくる。

 ある日、浮かない顔をしたドロシーがやってきたときのことだった。

「ごめんね、トト」

 泣きそうな声で、困った笑顔で、

「私、別の病院に転院することになったの。それで、お別れを言いに来たんだ……」

 目の端には涙が滲んでいる。それでも務めて明るく振る舞っていた。 

 困ったような笑顔でそういった。その眼には涙を湛えて。

「うん、ごめん」

 当のトトは、というと頭が真っ白になり、なにをいっていいのかわからず、言葉がたくさん浮かんでは消えていった。

 しばらく互いに言葉を出せずに無言であったが、ドロシーがいつも髪に結んでいるリボンをほどいて、トトに手渡してきた。

「これを私だと思って大事にしてね」

 それをトトは受け取る。

 トトは何か返せないかと思い、傍らに置いてあるティディベアを手に取った。

 誕生日に両親がかってくれた唯一の物で、これがないと眠れない。

 それをドロシーに手渡した。

「いつか必ず、また会いましょう」

「うん」

「絶対ですよ」

「うん」

「絶対に、絶対ですからね」

 ドロシーがトトを抱きしめ、二人は静かに泣いた。

 それからの日々というものは変わり映えしないものだった。

 ドロシーの明るい声が聞こえなくなり、それを寂しく感じながらも日々は変わらずに経っていく。

 テレビでは、各国が宣戦布告を、とよくわからないことをいっていたが、トトの日々は変わらなかった。

 ある日、たくさんの飛行機が訪れ、何かを落としたと思うと――、ここでトトの生前の記憶は途切れている。

 次に目覚めた時は数多のアンデッドに囲まれ、わけもわからず、がむしゃらに手を振り回すと、異形のソレへと変化していた。

 なにより衝撃的だったのは、その変化を自らがあっさりと受け入れていたことである。

 謎のアンデッドたちも、その記憶も、異形の身体も。

 トトの驚愕など知る由も無くアンデッドたちは容赦なく襲ってくる。トトも無我夢中で手を振り回して、アンデッドたちを撃退する。

 怪物の手を振り回すたびに向ってくる粗雑なアンデッドは紙の様に引き裂かれ地に倒れた。

 一息ついたところで発砲音が聞こえる。一瞬、躊躇するが何かわかるかもしれない、とそちらに向かう。

 そこにいた人物を見つけて息を飲んだ。ドロシーだ。

 今すぐに抱き着きたい衝動にかられたが、アンデッドに襲われている彼女を見て、それよりも先に体が動いた。

 一息ついたところで、過去のことを聞くと、忘れていることに愕然としたが、しかし、約束のものを大事にしていてくれるのはうれしかった。

 それから、何度も何度も苦難を乗り越えて、平穏を手に入れたのに。

 やっと。やっと、平穏な日々が来ると思ったのだ。

 しかし、それでもドロシーはウィンキーに謝りたいと自ら安全な場所を出ていった。

 放っておいて私と一緒にいてほしいが、ドロシーは聞かないだろう。

 なにせ一度決めたら梃子でも変わらないのがドロシーだからだ。

 だから、だから。

 せめて、このぬくもりを奪う事だけはやめてください神様。

 そんな時、そっとトトの頭が撫でられた。

「だいじょーぶ、トト?」

 いつの間にか起きたのか、ドロシーが不思議そうな顔をして、トトの頭を撫でていた。

「大丈夫だよ。わたしはちゃんとここにいるから、そんな心配そうな顔をしないで」

 優しく頭を撫でて、そっとトトを抱きしめる。

 温かな、そして、ふんわりとした感触にトトは安堵感を抱く。

 全身を覆っていた緊張感が解けていく。それと同時に、疲れを自覚したのか、うつらうつらと意識が途切れはじめたので、あわてて目を醒まそうと首を振るう。

「トト。今は休もう。休める時に休まないと、倒れるよ」

 ドロシーが困ったような笑顔で言う。

「しかし、ドロシー、誰かが監視してないと何か起こった際に対処できませんよ」

「大丈夫だよ、トト。わたしがなんとかするから。だから、いまは休も」

 ドロシーが首肯し、トトを強制的に横たわらせ、軽く抱きしめた。

 トトはふがふがとなにか文句を言おうとしたが、言葉にできず。

 心地よさそうに目を閉じると、安らかな寝息を立て始めた。

 



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