PSW~栄誉ある戦略的撤退~ (布入 雄流)
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プロローグ
二一世紀半ば頃、その日、世界中の人々が震撼した。
世界各所から一斉に、合計十二発の弾道ミサイルが発射されたのだ。
防衛機能のある各国は、すぐさまこれを迎撃に出た。しかし、最新素材であるネオニューロニウムで覆われたミサイルは、一発たりとも撃ち落とされることは無く、発射した人間の思惑通りの場所で爆発した。
上空四千メートルの高さで爆発した十二発の弾道ミサイルは、ある粒子をバラまいた。濃縮した粒子はあっという間に大気圏で拡散し、飽和状態となり、世界の法則をちょっとだけ変えた。
その粒子の名は[arachan37粒子]。無色透明、無味無臭、大気中で広く拡散し、酸化などの化学変化もほとんどしない。素の人間では感知することすら出来ないこの物質は、しかし核兵器などで使用される核融合、及び核分裂を阻害する効果を持っていたのだ。
これにより地球大気圏内では核兵器の使用が事実上不可能となった。
直接大気との接触のない原子力発電に影響がなかったのは、不幸中の幸いであった。
そして人類を震撼させたこのテロリストは、三十六ヶ国語で犯行声明を動画サイトに公開し、その内容は要約するとこんな感じである。
「核弾頭の数が正義だと思ってた世界各国のお偉いさん方、ねえねえ、今どんな気持ち? ねえ、今どんな気持ち?」
世界を動かす大国の偉い人達は揃ってブチギレ、テロの首謀者アラーチャンは犯行声明の発表から十五時間後に射殺された。
しかし、元々疑念と疑惑で凝り固まった国際情勢の混乱は、アラーチャンの死を持ってしても留まることはなかった。
――アラーチャンを操っていた国があるはずだ。
――アラーチャンを支援していた国があるはずだ。
そんな小さな懐疑の火種は瞬く間に燃え広がり、世界はついに三度目の世界大戦を始めてしまった。
混乱は混沌に。核兵器が使用不能な第三次世界大戦は、泥沼の戦いとなった。
ドローン技術が発展した現代、戦場もまたドローンや遠隔操縦式のロボットが闊歩するものとなり、人間が体を張って戦線を構築するような事は開戦当初を除き、ほとんど無くなった。
特に、この戦争の火種となった弾道ミサイルでも使用されたネオニューロニウムは、丈夫で軽く、安価で加工もしやすい素材であり、どこの武器メーカーもこぞって使いたがり、どこの戦場の兵器も装甲やフレーム、果はネジの一本一本までもがネオニューロニウムで出来ているのが当たり前になった。
ネオニューロニウムには従来の銃弾はもちろん、ミサイルなどでも効果的なダメージを与えることは難しく、これを貫通できるのはネオニューロニウムで弾丸を覆ったNNR弾や高威力のレーザー兵器であった。
このネオニューロニウムの原材料が土であることから、人々はこの戦争をこう呼んだ[土塊の戦争]と。
そんな表舞台の動乱の最中、歴史の裏側でコッソリと動き始めた組織があった。
彼らは使われなくなった旧式の銃器や兵器を買い取るのはもちろん、その工場や設計図に至るまですべてを集め、処分した。あるいは必要があれば破壊工作も行い、徹底した旧兵器の根絶を目指していた。
そんな彼らを知るものたちは、彼らを[処分屋]などと呼んだ。
しかし彼らは彼ら自身のことをこう呼んでいた[栄誉ある戦略的撤退]あるいはその略称[PSW]。
これは開戦から三年後、彼ら[PSW]が歴史の表舞台に姿を表した頃から始まる物語である。
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女の子が降ってくるとか、ステキじゃん?
それは塹壕の中で息を切らす彼にとっては、何度目かわからない絶命のピンチというやつだった。
小隊の仲間たちだった二人は、彼の目の前で迫撃砲の直撃を受けバラバラに吹き飛び、もう一人いた旧時代の銃を愛用しているスナイパーは通信に応答がない。新素材があふれる戦場で、金属で出来た重くて脆い武器を持っいた、本当に変わり者だ。いくら無口でもこの状況で応答がないという事は、きっともう……。
だから孤立無援の彼はただ塹壕の中を、生き延びる可能性のある方へただただ走るしか無かった。ガチャガチャという機械の足音から少しでも遠ざかる方へ。
「はぁっ、はぁっ、……なんで、こんな……」
実に三年もの間、戦場から戦場をタライ回しにされ、気が付けば自分は何のために戦ってるのかも分からなくなっていた。自分の国が[日本]でなくなったのは、二年以上前。当時は戦う理由を失ったと意気消沈したが、しかし戦う理由はすぐに見つかった。国を取り戻すため、そして日々の糧を得て生きるために。
ドローンが最前線を張る昨今の戦場は完全自立型のドローンと、遠隔操作型のロボット兵器が主役であり生身の兵隊はロボットの操縦者を守るか、中継アンテナを守るかが主な任務である。今回の彼の任務も、小隊のロボット操縦者を守ることであり、最前線はそのロボット兵器が奮戦していた。そして戦術家達の戦力比を大きく上回る戦いを演じた結果、彼らの小隊は撤退が遅れた。引き際を誤った。
彼の小隊のロボット操縦者はとても優秀だった。彼の操るロボット兵器は[ストライクスフィア]と呼ばれる平らな円形の静電気浮遊型駆動機構の上に火器を満載した直径三メートルほどの球体を載せたタイプの物で、敵の犬のような外見の自立型兵器[ハウンド]達を次々に撃破し、このまま生きて帰れば昇進間違いなしと言える程であった。
世界中が泥沼の世界大戦状態になって三年も経つのに戦場での死者数は五千人にも満たない今現在、「次は我が身」と思うよりも「死んだ奴は運が悪かった」と思う程度には戦場の死生観は変わっていた。
戦場の最前線は新素材の装甲を纏った機械兵器達が闊歩し、生身の人間同士が鉛玉の銃を撃ち合うことなど完全に時代遅れであった。
「なんで、俺が……っ」
だから今回もなんだかんだで生き残れるはずだった。当然のように彼は、そう思っていた。
しかし今回は違った。今回の彼は運が悪かった。そう気が付いた時には、すでに八方塞がりで絶体絶命。
敵のドローンのAIは、本来、人を殺すようにプログラムは組まれてはいない。
しかし機械しか攻撃しないはずのAIには例外のフローチャートが存在する。先ほど偵察型の[スポッターハウンド]を仲間が銃撃で破壊したがゆえに、付近の敵勢であれば人間でもこの戦場では脅威目標として認定されたのだ。
もう両手を上げて武器を捨てても捕虜にしてもらえない。問答無用で殺される。
自分の小隊のロボット兵器が余りにも痛快に敵機を破壊しているのを見たばかりで、気分が高揚していた仲間の一人が撃ってしまったのだ。彼はいい笑顔で死んでいった。
「くそ……、くそ……っ」
敵の主力は、四足歩行型[アサルトハウンド]。ドーベルマンのような体躯で最高速度、時速八十キロメートルで戦場を駆け、ネオニューロニウムの装甲は通常弾では傷すら付けられない。
ネオニューロニウムを貫けるのは同じネオニューロニウムで出来たNNR弾や高威力のレーザーだけである。[アサルトハウンド]の武装パターンは数種類あるが、本来対機甲兵器用の武装は、そのどれであっても人間など数十パターンの方法で殺せる。これに見つかったら、人間など運が良くても三十秒も持たずに殺される。完成形のキラーマシン。
先ほど仲間が撃破した偵察型[スポッターハウンド]は、センサーを露出させる必要性があるため装甲が少ないが、索敵能力が桁外れに高い。光学索敵、動体センサー、音響センサーはもちろん、熱感知センサーや電波感知センサーまで標準装備である。百メートル以内なら、たとえ塹壕の中でも見つかってしまうだろう。
[スポッターハウンド]にの索敵に引っかかればすぐさま[アーティラリィハウンド]の迫撃砲が飛んできて、先ほど仲間二人がバラバラになったのと同じように彼もバラバラになるか、[アサルトハウンド]に包囲されて殺される。
一方でこちらの装備は、頭部と関節の最低限のサポーターと防弾ベスト、通信や自小隊のロボットからの映像を見たり、ルートナビゲーションが出来るバイザー型情報端末、それからネオニューロニウムの装甲をなんとか貫通出来るNNR弾アサルトライフルが一丁あるが、これで[アサルトハウンド]を行動不能にするまでには彼の体は八つ裂きにされているか、大口径レールガンで胴体に大穴が開いているだろう。そしてほとんど自殺用といっていい拳銃一丁。そこそこに潤沢な装備ではあるが、現状ではほとんど役に立たない。
「死にたくない。死にたくない!」
死にたくなければ僅かな可能性でも、賭けるしか無い。
しかし、走り続けた彼が塹壕の角を曲がると、そこには[アサルトハウンド]がいた。
――最悪だ!
頭部のカメラアイが彼を捉え、目が合った。
ここまでかと心では諦めながらも、戦士の体は手に持ったアサルトライフルを敵に照準しようと持ち上げていく。そんな彼の耳に、声が飛び込んできた。
「カーナールーッ、ナッッッッァクォォォォ!!!」
――上からっ!?
ドォォォォン
迫撃砲の着弾などとは比べ物にならないほどの轟音が鳴り響き、何かが[アサルトハウンド]に上から衝突した。塹壕の中には土煙が広がる。
もうもうと立ち込める土煙の中から、一人の少女が現れた。
「!? 女の子が……降ってきた……?」
長いウェーブの掛かった銀髪をなびかせ、褐色の肌をしたどこか上品さと育ちの良さを感じるお嬢様のような雰囲気をでありながら、その服装はピッタリとボディラインが見える水着とドレスを融合させたような漫画やアニメのパイロットスーツのような姿。背中には透き通ったオレンジ色のマントのようなものをはためかせているが、武器と干渉しないためか長いスリットが入っているため、マントとしての意味を成していない。
そして彼女の体のあちこちに装着されたメタリックな装甲とスラスター、背中に背負った大きな大砲のような武器、今さっき[アサルトハウンド]をバラバラに砕いたメリケンサックのような物を拳でバチバチいわせる姿は現実離れしていて、いうなれば拳で戦う現代のワルキューレという風だった。
FH近接武装カナル雷撃機。拳に装着する近接武器で、殴った対象に高密度パルス光を近距離で打ち込む事ができる。
「ふぅ。危ないところだったのです。お怪我はありませんか? アーネストさん」
「アー……ネスト……?」
「声紋照合…………。FHショウコ適合者パーソナルID、arnest本人と九八%合致を確認。ええ、アーネストさんで間違いありません」
聞き覚えがあるような名前だったが、純日本人である彼の本名は彼女が呼んだような名前ではない。
「ひ、人違いでは……? それに君は、いったい……」
何者? と問おうとしたが、それ以前に人間かどうかも怪しいことに気づき、言葉が切れてしまう。
「ワタクシは、フィギュアハーツ、ユータラスモデル ZS-02 レティアなのです。見ての通り戦闘用ラブドールなのです。現実世界ではお初にお目にかかるのです。よろしくお願いしますなのです」
見ての通り戦闘用ラブドールと言われても、アーネストは「何だそりゃ?」という顔をするしかない。見た目は普通の少女とほとんど変わらないのはラブドールだからか。
「フィギュアハーツ……レティア……、え? あ……、まさかアーネストって……」
思い出した。確かにアーネストとは彼の名だった。しかしそれはあの世界、フィギュアハーツというオンラインゲームの中でのものだった。
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ああ素晴らしき、白と橙の幸せよ
フィギュアハーツとは、三年前、アーネストが戦場に身を置く前にやっていた対戦型オンラインゲームである。プレイヤーは二足歩行型のロボット[ツーレッグ]を操り、戦闘をしたり拠点を制圧したりするEスポーツとして側面の濃いTPSゲームであり、最大の特徴は自機の操作と並行して二機の僚機を従えて様々な指示を出しながら戦うことでありストラテジー要素も強いゲームであった。
そして、レティアとはフィギュアハーツ内の戦闘サポートAIキャラクターの名前で、その姿もアーネストの記憶にあるものと類似している。ただし、ゲーム内での彼女は寮機ツーレッグの操作や自機ツーレッグの戦術補佐をするAIであって、間違っても戦闘用ラブドールではなかったし、そもそも直接戦ったりはできない存在だった。
「あわわっ、そうでした、連絡連絡、忘れる前に連絡なのです。ちょっと失礼しますのです。……あ、ヤシノキ博士。レティアなのです。パーソナルID、arnest、本人の無事を確認したのです。通信つなぎますか? ……あ、はいなのです。では先に戦場を片付けてしまうのです」
彼女はチラチラと彼、アーネストを見ながら通信を終えた。
「では、少々行って参りますのです」
言ってスカートを摘んで丁寧に礼をすると、彼女の背中のオレンジ色のマントが淡く光、フワリと地面から浮き上がり、さらにスラスターでヒラリと高く舞い上がる。スカートの中が下から丸見えである。
白地に橙色のリボンとフリル。右クリック、名前をつけて保存。
アーネストを遥か眼下に、戦場を見渡せる高度まで上ると、背負った大砲をその細腕では考えられないほどヒョイと構え、撃った。
大砲からは光がほとばしり、迫りくるドローンやその後ろを歩いてくる兵隊に照射していく。何発か銃弾が飛んできたが見えない障壁に弾かれ、それを発射したドローンや兵士にもビームを当てていく。
還元砲ウラカーン、光重合されたネオニューロニウムを土に還す特殊波長光線を照射する非殺傷兵器。
RAシールド。大気中の[aracyan37粒子]に干渉し、一定範囲内に特殊な力場を展開するシールド。エネルギー消費は激しいが、物理、爆熱、光学兵器も通さない不可視の障壁。
それらは現代の戦場ではまだ誰も知らない兵器である。
レティアはさらに、クルリと回って敗走するアーネストの味方だった一団にもウラカーンを照射し、戦場を隈無く一周し、あるいは一蹴し、
「あ、それもダメなやつなのです」
最後にはアーネストにもビームを照射した。
「うぁぁぁぁぁ……ってあれ? 痛くない……?」
反射的にガード姿勢をとったアーネストだが、予想していた痛みは全く無かった。
そしてアーネストの持っていた武器が、防具が、サラサラと砂になり小さなネジなどの鉄の部品とともに足元に散らばった。
「……え……?」
アーネストは何が起こったか分からず、呆然とするしかない。
「あ、あの、何か大切な思い入れがある物だったら、ごめんなさいなのです。でもでも、これもワタクシの任務なのです……」
「任務?」
「はいなのです。ワタクシたちは戦争を終わらせるのです!」
レティアは、えへんと胸をそらしてそう誇らしげに言った。巨乳というほどではないが、胸を反らすとなかなかの存在感だ。
「……この戦争を、終わらせる……? そんなこと……」
無理だ――そう口に出そうとしたアーネストの手からはもうすでに武器はない。見れば先ほど粉砕された[アサルトハウンド]も砂と鉄クズになっている。
まさかと思い、塹壕から這い出てみるとそこには、もう戦争は、兵器は無くなっていた。
荒野の所々に散見する砂と鉄クズ。あれがすべてさっきまで戦争の代名詞とも言える兵器だった?
――信じられない。
『驚いたかな、アネさん。これが我々PSWこと[栄誉ある戦略的撤退]の目的なのじゃよ』
男の声が聞こえた。振り返ると、手元にホログラフモニターを展開したレティアが立っていて、画面にはSOUND ONLYの文字。
懐かしい声。かつて毎日のように競い合い、共闘し、遊び呆けた友の声。ゲーム内ではYSNKと書いてヤシノキ。
[栄誉ある戦略的撤退]とは、アーネストたちが出会ったきっかけのフィギュアハーツでのゲーム内クランであり、その略称がPSWであった。
「ああ、驚いた。色々なことがありすぎて何から驚いていいか分からないくらいだ。とりあえず、お久しぶり、助かったよ、ヤシノキさん」
『礼ならそこに居るレティアに言っとくれ、ワシはその娘を射出しただけだからのう。まあ、色々聞きたいこともあるだろう。まずはワシのラボに――』
そこでブツリッと突然通信が切れた。レティアが慌てて通信を復旧しようとするが、
「ふぇ? あれ? あれれ? 繋がらなくなったのです……」
ダメらしい。
「さっきのビームの照射で変な電波出ちゃって切れたとかじゃないの?」
「そんなはずはないのです。これはネオニューロニウムを分解するだけなのです。変な電波とか出ないのです!」
なるほど、それでドローンも武器もネオニューロニウムで出来ているものは全部、砂になったわけか。
現代の戦場でネオニューロニウムで出来ている物ばかりであり、それを分解できればすなわち戦場は消える。戦闘は継続不可能となる。
通信が切れたレティアは、慌てて次の行動を選択する。さすがは元戦術AIだ。
「と、とにかく、アーネストさんとラボに帰らないとっ」
「おっと、そうはさせないよ~っと」
その時、バサァっとレティアのスカートがめくれ上がった。
白と橙を今度は正面から見れた。束の間の幸せ。
「ファっ!?」
可愛い奇声を上げて、とっさにスカートを抑えるレティア。
しかしその僅かな瞬間だけで、この場は突然現れた彼女のものとなっていた。
「はい、レティアちゃんもアネさんも動かないでね~。もう詰んでるから~」
「……くっ、想定よりも早かったのです……まさか裏切った中であなたが来るなんて……フィリステルさん……」
「喋るのも無しだよ~」
拳銃を頭部に突きつけられたレティアは、場を支配した彼女の名前を呻くように呟いた。
AIというプログラムであるフィギュアハーツも、そのプログラム本体が内蔵されている頭部と破壊されれば、文字通りの[死]を迎える。ラブドールとして殊の外人間に似せられて作られたが故に、記憶装置は頭部に、動力源は胸部に配置されているのだ。記憶のバックアップは、初期人格以外は存在しない。すなわち、頭部を破壊されれば文字通り死ぬのだ。
そしてアーネストの喉には宙に浮いたナイフが当てられていた。正確には宙に浮いているわけではない。見えない何者かがそこに居る、まがりなりにも戦場を渡り歩いたアーネストにはそれが感じられた。そして、その誰かが喋った。
「フィリス、スカートを捲る意味はなかったんじゃない?」
冷静な少女の声。幼さは残るが、決して甘さは感じられない。
「そんなことはないよ、ロザリス~。目の保養は必要だったよ~? それに、不意をつかないとシールド展開内部まで近寄れないしさ~」
「シールドなんて、私にかかればどうとでもなったわよね!? 役割を逆にすればそれでスマートに済んだのよ」
「それじゃあボクがレティアちゃんのパンティを見れないじゃ~ん」
「……あなたって人は、なんでいつもそうなの! パンティなら私がいつも見せてるじゃない!」
「ふふふ、ロザリス分かってるくせにぃ~。こうゆうのは普段見れないものだからこそ見たくなるだよ~」
「わかるわ! わかるけれど! あなたの気持ちはクロッシングで余すこと無くわかるけど! 納得はしかねるの!」
何やら言い争っている内容は馬鹿げているが、アーネスト達の状況はフィリステルが言ったとおり詰んでいた。アーネストもレティアも、何一つ気付かない内に一瞬で生殺与奪権を奪われた。
フィリステル。彼女も[栄誉ある戦略的撤退]のクランメンバーで、そのアサシンめいた戦術は独特でアーネストもよく苦しめられた。そしてロザリスは彼女が好んで使用していたAIキャラクターである。
――PSWの仲間は、皆仲間じゃないのか? 裏切り者?
アーネストは訳が分からないことがまた増えた。
初めて見る現実のフィリステルは、年の頃は二十歳前後。黒髪を右の一房だけを伸ばしたアシンメトリーショートヘアで、その下の表情はニタニタと笑みを浮かべ状況を楽しんでいるのが見え見えである。ゲームのプレイスタイルと同じく、愉快的な性格は変わらないらしい。
全身真っ黒なラバースーツで最低限のポーチとホスルターだけを身に着け、スレンダーなボディラインはレティア以上によく分かる。
一方でロザリスは、ナイフを持つ手も含めて姿が見えず、声だけが近くから聞こえるのみだ。
「さて、アネさんにはボク達と一緒に来て戦争を終らせるお手伝いをしてもらうよ~ 良かったらレティアちゃんも一緒に来る~? もちろんその場合はヤシノキさんとのクロッシング契約は切ってもらうけどね~」
「そんな、こと! するわけないのです!」
言いながら拳を目にも留まらぬ人外の速さで振り回して彼女を追い払おうとするが、信じられないことにレティアの拳はフィリステルに当たるどころか、一定の距離から追い払うことすら出来ない。さらには後退すれば肉薄され、蹴りを放てばヌルリと避けられる。
至近距離で交わされる目まぐるしい攻撃と、圧倒的な回避力の歪な攻防だった。ヒラリヒラリと最小限の動きで回避するフィリステルは、まるでレティアの動きを完全に読んでいるかのようだ。
そしてレティアは拳銃を突きつけられた状態を変えられないままに、ついにはパンパンパンと、右腕、右脚、左腕を撃たれて地面に倒れ伏してしまう。
「くっ、ふぅ……クロッシングスキルさえあれば……」
レティアが痛みで苦悶の表情を浮かべながら、悔しそうに負け惜しみを言う。
「ん? ホントにスキルがあれば勝てたのかな~? 君たちのスキルじゃあボクにもロザリスにも攻撃は当てられないんじゃないかな~」
「…………」
フィリステルはニタニタと笑った表情はそのままに、息を切らしてすらいない。
レティアはさらに悔しそうに下唇を噛む。
「フィリス、目標は確保したんだからさっさとそいつ殺して帰還するわよ」
「は~い」
――このまま、レティアが殺されるのを見ていることしか出来ないのか!?
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てっぽうの弾が飛んできました。正確に!
銃口がレティアの頭部に向かうのを、スローモーションのように見ながらアーネストは無力感を噛みしめるしかなかった。
――このナイフさえどうにか……
キィンッ
そう思った瞬間、ナイフが弾け飛んだ。
「なっ!?」
ロザリスが驚き怯む声が聞こえる。遅れて
――ダァァァン
という銃声が遠くから響く。
考えるより先に体が動く。位置や大勢を悟らせない為にロザリスに拘束されてなかったアーネストは、すかさずフィリステルにタックルをかける。
「きゃっ! ――くはっ!」
不意を付かれたフィリステルが、突き飛ばされて塹壕の中に落ちて苦悶の声をあげる。
「フィリス! くっ……しつこい!」
ロザリスがさらに牽制で数発飛んできた弾丸を避け、姿を隠したまま塹壕の中に飛び込む。
アーネストは負傷したレティアを素早く背負い、走り出す。彼女は一瞬痛みに顔を歪めながら短く礼を言った。
「大丈夫か! 撃ってきたのは仲間か!?」
「いえ、それは分からないのです。それよりもアーネストさんつかまってください、飛ぶのです!」
レティアはアーネストから離れ大砲をパージし、マントを光らせ浮遊したままスラスターを吹かして腰の高さで低く飛ぶと、今度はアーネストが彼女に乗るよう促された。レティアの背中や足の装甲には、人が掴まったり足をかける箇所があり、発光したマントはバイクのシートのような形状で硬化している。アーネストがすぐさま飛び乗り肩の後ろのストックに掴まり装甲のステップに足を固定すると、プシュッと小さな射出音とともにベルトが飛び出し体が固定される。
そして一気に加速する。あっという間に過ぎ去る景色。
「本当に体は大丈夫なのか!?」
「ワタクシはロボットなのです。痛覚も今切ったので大丈夫なのです。ちなみに、捨ててきたランチャーはすぐに砂に還るので、情報漏洩の心配もないのです」
撃たれた手足を動かしてみせる。
慌ててマントに跨って捕まったため密着した体の柔らかさも感じ、本当の普通の少女のように錯覚してしまうがこの娘はロボットなのだ。戸惑いもあるが、今はそれよりも重要なことがある。
「そうか。……ところで、さっきのフィリさんの動きはなんだ?」
フィリさんとは、フィリステルの昔の略称である。突然現れた彼女の先程の動きや、もう一人いた見えないロザリスも、現代の技術で説明できるものではなかった。
「あれはロザリスのクロッシングスキルなのです。詳しい説明は省きますが、彼女たちは思考を加速させて体感時間を遅くさせる事ができるのですよ。そしてロザリスが使っていた完全な光学迷彩はフィリステルさんのスキルなのです。二人は今、これらのスキルと思考や感覚を共有状態、ワタクシ達が言うところのクロッシング状態なのです」
「クロッシング……。それにクロッシングスキル……? 完全な光学迷彩っていうのは熱感知や屈折のゆらぎの問題も解消してるってことか?」
「はいなのです……」
そんな超技術の情報は、三年ものあいだ戦場という技術の最先端にいたアーネストでも聞いたことがなかった。
しかも見えない上に思考加速とかどんなのチートだ。どうりでいきなり現れてナイフや銃を突き付けられるわけだ。
「それじゃあ、今奴らに追いつかれる可能性ってのはどんなもんなんだ?」
加速するのが思考だけなら、移動速度そのものが加速するわけでなければ、大丈夫だと願いたい。
「約七%といったところなのです。ロザリスの姿が見えなかったので不確定なのですが、彼女たちのスキルは充分に活かすためには装備にかなり制限がかかるはずなのです。大きな武器やスラスター、ブースターの類は付けない傾向にあるのです。それに光学迷彩展開時は、シールドは張れなかったはずなのです。今のワタクシの速度でも充分に振り切れる公算が高いのです」
今、高速で飛んでいるアーネストが風で飛ばされないのも、レティアがシールドを展開してくれているからである。これがない状態で人間が乗っての高速飛行は出来ない。ならばこの速度で飛び続ける限り、いきなり見えない彼女たちに襲われる心配もないのだろう。移動速度についても、レティアの装備してきたスラスター性能は恐らくは勝っている。
アーネストは少しホッとした。
「なら、このまま俺もヤシノキさんの所、ラボとやらまで行くのか?」
「はいなのです。拉致するような形で申し訳ないのですが、大人しくそうしてもらえれと助かるのです。それが今回のワタクシの努力目標なのです」
「努力目標って……」
主目的は戦争を終わらせること。だとすれば確かに、アーネストの命は努力目標程度なのか。
「ワタクシとしては出来れば、さっき撃ってきた銃も破壊しておきたかったのですが……」
この状況で戻るのは愚行とレティアは判断した。
さっき撃ってきた銃とは、アーネストたちを援護してくれた物であろう。窮地を救ってくれた物でも、武器兵器の類は破壊目標になる。第一目標がそちらである以上、状況次第ではアーネストを捨てて銃器の破壊に行くということもあり得たが、有り難い事にアーネストを優先してくれたようだ。
しばらく飛んでいると、アーネストの端末にノイズ混じりの通信が入ってきた。
『――ち――――なしょ――い――――フォ――がいます――ザス――応答――――す』
「?」
「ちょっと待ってくださいなのです。ワタクシが中継してノイズをクリアにするのです……、……はい、できましたなのです」
『こちら、第二十七カザス小隊、カザスフォー。カザスワン、応答願います。カザスワン、応答願います』
「カザスフォー! 生きていたのか!?」
あの変わり者のスナイパーは生きていたのか!?
『……隊長、ご無事で何よりです。先ほどは援護射撃をさせて頂きましたが、離脱できたようで何よりです』
なるほど、旧式の狙撃銃を持っていた彼ならばネオニューロニウムの消えた戦場でも狙撃が可能だったのだ。
「そうか、さっきのは君が……。ありがとう、助かったよ。ところで、我々が遭遇した二人組はどうした?」
『やはりアレは、二人だったのですね……。隊長たちが飛び去ってしばらくして、南西方向に飛んでいきました。隊長と一緒にいる方も、あの黒い二人組みも、アレはいったいなんだったのですか』
アーネストたちは今、だいたい北西方面に飛んでいる。ということは、どうやら追って来てはいないようだ。
「詳しくは説明できないが、俺はこれから――」
「え……ちょっと待ってくださいなのです。まさか、……声紋照合…………。FHラモン適合者パーソナルID Mizo、本人と九七%合致を確認……。なんてことなのです……行方不明だったミゾさんまでこんな所に……」
「え……? えぇぇぇぇぇぇぇっ! ミゾさん!?」
『ほぁ!? なぜその名を!!?』
二人はかつてのクラン仲間であるミゾの回収のため、戦場だった場所にとんぼ返りすることとなった。
ミゾの座標を確認したレティアとアーネストはすぐにその場に急行し、アーネストたちとミゾは合流を果たした。
ミゾは先ほどの戦場を見渡せる小高い山の中にいた。茂みの中にギリースーツ姿で伏せていた為、姿を表した時はレティアが盛大に驚いた。
ギリースーツを脱いだミゾは出撃前にも見た野戦服姿にはなったが、身長はアーネストよりも一回りも低く、体つきも華奢な少年のようで、長く伸びた前髪で、顔立ちや表情が分かり難い。
そして、小さな体つきに不釣り合いな旧式の対物ライフル。
『ミゾくんの銃については、今は保留にしておくのじゃ。君の本当の雇い主とも話を付けないとならんからのう』
とヤシノキが意味深に言うが、今はそういうことになったらしい。
結局いくらミゾが小柄でも(ミゾがどうしても対物ライフルを置いていけないと言うので)、レティアでは二人も運べないということでヤシノキへ連絡して迎えをよこしてもらったのだが、
「このフレーム、うちの軍のヘリだよな? しかも無人で飛んできた……。いったいどんなトンデモ技術だよ……」
一番近くにあったからという理由で、軍のヘリをハッキングして飛ばしてきたらしい。戦闘ヘリに本来あるべきNNR装甲はなく、金属のフレームがむき出しだ。旧時代のフレームを再利用したのが完全に露呈してしまっている。
どうやらレティアの放ったネオニューロニウムを分解する光線は遠く離れた本部にまで及んでいたようだ。単に長射程というだけでなく、多少の障害物ならX線のように貫通してしまうらしい。
『先に言っとくがアネさんは正確にはもう、その軍とやら、ではないのじゃよ。ミゾさんもじゃけど、君たちは戦死したことになっとる。二階級昇格おめでとう、中佐殿、大尉殿』
と、ヤシノキ。アーネストもミゾも、二階級特進していた。
「そうか…………そうか……」
あまり驚かないのは、アーネストもいい加減驚き疲れていたのだ。先程もミゾに軍を抜けると告げようとしたのもそうだが、戦争というものに辟易しているのだ。いくら史上最も死者の少ない世界大戦と言われようと、それでも戦死者は増え続け、最前線の兵士の精神は否応なく削れていく。
「隊長……では、もうないのですね……。アネキ、どうかしたのですか?」
アネキとは、昔ゲーム内でミゾがアーネストをそう呼んでいたのである。結局そこに落ち着くらしい。
「いや、何か違和感があるなと、思ってな……」
アーネストは疲れているが、それ以上に何かが引っかかっていた。
「戦死と断定するのが早すぎるということなら、それはたぶん博士とあの娘が軍のデータを書き換えたからでは?」
「……え? そんなことも出来んのか……」
「戦闘ヘリのハッキングが出来るくらいですし……恐らくは?」
どんなトンデモ技術だと言いたいが、出来るのだろうな実際……。
しかしアーネストの違和感とは、それとは違う気がする。何かを見落としている。そんな気がするのだ。
アーネスト達がヘリに乗り込み、離陸しても、アーネストは引っかかった何かに思い当たることは出来なかった。
フレームだけのヘリも、レティアがシールドを展開してくれたおかげで快適で、プロペラの音に慣れる頃には、アーネストもミゾも肩を寄せ合って眠っていた。
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サイドF&R:イチャイチャできるもん
少々時は戻って、アーネスト達が離脱した戦場。
「あ~、に~げ~ら~れ~た~……」
塹壕の中、仰向けに倒れたフィリステルが呻いた。
そこに近づく足音一つ。
「フィリス、大丈夫?」
「だ~い~じょ~ぶ、だけどさ~……ああぁ~。あこまで追い詰めておいて、逃げられた~!」
ゴロゴロと土の上を転がるさまは、駄々をこねる子供のようだ。とても二十歳には見えない。
「あーもー。分かった分かった。私も悪かったわよ」
塹壕の壁を遮蔽にしながら姿を表したロザリスが、フィリステルをなだめる。
フィギュアハーツ、ユータラスモデル CA-01 ロザリス。
腰まで届く白金色のストレートヘアに白い肌。澄んだ湖のような青い瞳はクールな印象だが、その顔立ちはまだ幼さが見て取れる。身体つきも女性というには幼くデザインされており、中学生ほどの少女に見える。
黒と紫を基調としたパイロットスーツと装甲は、肌の色とモノクロのコントラストを作り出していて、多少ではあるが大人びた落ち着きを感じる。
スラスター類はレティアの物よりも小さく、反重力を発生させるフィリステル専用シートであるマントはクリアパープル色、武装も全身のそこかしこにあるナイフと、サブマシンガンが一丁である。
これらの装備はレティアの物と大本は同じ「PSW」で共同開発された物であり、開発コードである[フィギュアハーツを戦場に繋ぐ物][フィギュアハーツ・バトルフィールド・ドライバ]の頭文字を取ってFBDユニットと呼ばれている。これらのFBDユニットの装備とクロッシングスキルが無ければ、フィギュアハーツ筐体本体は少し力が強い程度の人間と殆ど変わらないスペックでしか無い。
そのロザリスのフィリステルを見下ろす表情は、呆れ顔である。この相棒であり恋人は何か失敗するごとにこの体たらく。呆れるしか無い。
「ん~だ~!!」
――fyristelがFH-U CA-01ロザリスのクロッシングスキルを使用――
クロッシングスキルを発動し、思考を加速させた。ロザリスにもその感覚がにわかに伝わる。
そして突然ガバッと起き上がると、ロザリスに飛びかかる。
「ヒャッ、ちょ……フィリス!? ……んっ……」
ロザリスは塹壕の壁に押さえつけられ、唇で口を塞がれる。
さらにフィリステルはロザリスの発展途上の美しさを表現したような胸をスーツの上から揉みしだき、さらにはスカートの中もまさぐり始める。
「ふぅ~! にゃ~!!」
手の動きが激しくなり、ロザリスの敏感に設定された箇所を的確に刺激していく。
「くっ……ふあ……っ、ちょっと……、こんな、ところ……で、あっ! んんっ」
「ふっ……にゃ……っ、ふぁっあ……、んんん、あふん……あ、あっ! んんっ」
ロザリスとフィリステルが同時にビクンと軽く痙攣したところで、フィリステルの手は止まった。
「……っ」
「よし! スッキリ! 後悔終了~。さてまあ、これからどうしよっか~」
「……まったく、まださっきのスナイパーが狙ってるかもしれないのに」
後悔を終えたフィリステルは、即座に現在を、未来を見据え始める。ロザリスに対する変態的行動などまるでなかったかのようだ。
ロザリスもロザリスでいつものことなのですぐに思考を切り替える。
「ふぅ、もう……とりあえず、その今も見ているであろうスナイパーさんには仕返しをしたいわね」
「うん、それはあるね~。でもまあ、それよりも問題なのは狙撃手本人よりも、撃った銃の方かな~。ここってさっき、レティアが片付けた戦場だよね~? なんで撃てる銃があるのよ~」
原材料の土を特殊な手順で光重合させて作られるネオニューロニウムを、元の土に還す光線。それをレティアが先ほどここで発射して戦場のネオニューロニウムを一掃したのを、フィリステル達は見ていた。見た上でアーネストの拉致を仕掛けた。
丈夫で軽く原材料が土であるがゆえに低価格で加工もしやすい新素材、現代の戦場でネオニューロニウムで出来ていない武器などないと言っても過言ではない。
さらに表の歴史で三年間ドンパチ戦争をしている裏、フィリステル達PSWのメンバーはずっと旧式の武器や兵器の工場から設計図に至るまで、徹底的に潰してきたのである。あんな狙撃の出来る銃の存在する余地など、皆無のはずだ。
そして、存在するからには破壊しなければならないのは、PSWの裏切り者となった今でも変わらない。でなければ裏切った意味すらもない。
そもそも組織が二つに割れて、数が少ない方が裏切り者呼ばわりされ、数が少ない方が裏切り者を気取っているだけであり、「戦争を無くす」という大原則は同じだ。
「そうね、ぶっ殺してぶっ壊さないと、私の気が収まらないわ」
「うんじゃまあ、まずは栄誉ある戦略的撤退と行きますかね~」
そう言うとフィリステルは作戦内容をクロッシングでロザリスに直接送る。
二人にしか見えない紫の蝶のイメージが、フィリステルからロザリスへ飛んでいく。
「ま、フィリスらしい選択ね。二兎を追う者は一兎をも得ずとは言うけど、失敗した現状からすれば、一石で二鳥を落とせる可能性も賭けるに値するのも確かね」
イメージを受け取ったロザリスの同意も得られた。
その後、何度か蝶を送り合い、作戦をすり合わせた。
「そんじゃ、れっつご~」
言うが早く、フィリステルはロザリスの背中で地面と水平な状態で硬化したマントに飛び乗る。
このマントはFBDユニットの基本装備で、飛行を補佐する反重力発生装置であり、事前に登録した形に硬化して人がひとり乗れるシートにもなる。
さらにフィギュアハーツシリーズは基本的にクロッシング適合者と二人一組で動くために、装甲の所々に人がつかまることが出来る取っ手が付いている。今回フィリステルは硬化したマントに跨がり、ロザリスの両肩の取っ手に捕まり、腰のあたりから出っ張った足掛けに足を置く体制になり、ベルトとワイヤーで落ちないように体を固定する。
「了解よ」
ふわりとスラスターで浮き上がり、シールドを展開する。
光学迷彩は使用せず、姿を晒した状態で、レティア達が飛び去った方角とも狙撃手が居るであろう方角とも違う方角へと飛び出していった。
そして、戦場を離脱しグルリと方向転換。
適当な所で速度を落として光学迷彩で姿を隠して、フィリステル達がやってきたのは、狙撃手が居るであろうポイントである。アーネスト達を取り逃がした場所からは直線距離で千二百メートルほどだが、かなりの遠回りをした。
あたりは木々が生い茂る小高い山、その頂上付近である。
二人は姿を隠して物音を立てないように、辺りを観察する。光学迷彩も音までは消してくれない。
――「この辺りの筈だわ」――
ロザリスがクロッシングによる思考通信でフィリステルの頭の中に直接声をかける。
――「ちょっとまってね~。今ジャミング切ったから、何か行動を起こしてくれると有難いんだけど……」――
先ほどの戦場から去る時、あえて敵に姿を見せたのは油断を誘うためであった。
しばらく待つと、少し離れた位置から声が聞こえてきた。
「こちら、第二十七カザス小隊、カザスフォー。カザスワン、応答願います。カザスワン、応答願います」
――「ビンゴ~」――
冷静さを帯びた喜びの感情がロザリスにも伝わる。
音を立てないようゆっくりと声のする方へと移動する。
「こちら、第二十七カザス小隊、カザスフォー。カザスワン、応答願います。カザスワン、応答願います」
その間も、声の主はおそらく通信での呼びかけを行っている。
このまま気付かれないように接近して、一撃で仕留めよう、フィリステルがそう思った時、
――「ちょっと待ってフィリス……」――
ロザリスに静止された。
ロザリスの方を見ると、彼女は真剣な顔で狙撃手の声を聞いている。
「……隊長、ご無事でしたか。先ほどは援護射撃をさせて頂きましたが、離脱できたようで何よりです」
――「……声紋照合…………。FHラモン適合者パーソナルID Mizo、本人と九七%合致を確認……」――
――「え……? って事はあれってばミゾさんってこと~?」――
――「そのよう……ね……」――
――「なるほど~、……ちょっと考える……」
――fyristelがFH-U CA-01ロザリスのクロッシングスキルを使用――
状況が大きく変わったことを悟り、フィリステルが思考を加速させる。
単純にミゾを殺してしまっても、確かに状況が悪化することはない。先ほど敵対してしまった以上、これから説得して仲間に引き入れることも難しいだろう。
銃は破壊したい。敵は減らしておきたい。
「隊長たちが飛び去ってしばらくして、南西方向に飛んでいきました。アレはいったいなんだったのですか」
隊長、とはアーネストのことだろう。今頃レティアも狙撃手の正体がミゾだと気付いたか? だとすればミゾを放置はしないはず。
アーネストとレティアは戻ってくる公算が高い。通信を終えたミゾを始末して、その後戻ってきたレティアを制圧、アーネストを当初の任務の通りに拉致?
あるいは皆殺しか……?
いや、今の状況はもっと上手く使えるはず……。
ならば今、選択すべき最適解は……。
フィリステルからロザリスへ、紫の蝶が飛ぶ。
――「……ふふふ、あっははっ。さっすがはフィリス。面白い事を考えるわね」――
――「え? そのプランでいいの? 流石にロザリスの負担が大きいと思ったんだけど~?」――
――「いいわよ。やるわ。その代わり、帰ったらたっぷりご褒美をもらうわよ」――
不敵に微笑むロザリス。
――「いいよ、フィリスちゃんがたっぷりご奉仕しちゃう~」――
二人、軽く触れるだけのキスをする。
――「さてじゃあ、待つとしますか~。これがうまく行けば、アネさんを持ち帰るよりも遥かにボクらの目的は前進するのかな~」――
――「そうですわね。なにせ彼女が手に入るかもしれないもの。見つけられれば、だけど……」――
――「大丈夫、ロザリスならうまくやれるよ~。それに、ダメだったとしても最悪ヤシノキラボの位置さえわかれば、ダッシー博士とグランちゃんに何とかしてもらえるだろうしね~」――
そんな感じで真面目に話したり、時々イチャイチャチュッチュしながら二人はミゾの監視を続けた。
そして待つこと数分、アーネストとレティアは、フィリステルの読み通りにミゾを回収にやってきた。
さらにこれまた読み通りに、3人以上が乗れる乗り物、戦闘ヘリをおそらくはハッキングで持ってきた。
――「それじゃあ、お願いするね、ロザリス~。くれぐれもヤシノキ博士には見られないようにね~」――
――「分かってるわよ。あの方の目がどこまで見えるのかわからない以上、迂闊なことはしないわ」――
――「ごめんね~。あの博士とブンタさん達さえ居なければボクも一緒に行けたんだけど~」――
――「仕方ないわよ。フィリスがヤシノキ博士に見られることだけは絶対に避けないといけないし、ブンタさんは天敵だもの」――
そう言ってロザリスは長く目立つプラチナブロンドを括ってまとめると、スーツと同色の黒い猫耳ヘッドセットを装着する。各種拡張センサーを搭載した隠密用FH外装パーツである。
そしてアーネストたちの乗るヘリの底に、姿を消したまま高磁力特殊マグネットでへばり付く。
クロッシングスキルには有効圏が有り、このまま二人の距離が離れてしまうと光学迷彩が切れてしまうのだ。よって、アーネストたちの乗る座席に姿を消したまま座ることは出来ないし、ロザリスだけ飛んで後を追うこともできない。
ちなみに、フィリステルとロザリスのクロッシング有効圏は約3キロメートルほどである。並の戦場であれば不足することはあまりない距離ではあるが、今回のような場合では届かなくなる。
光学迷彩が切れてからは、素の隠密行動となる。そのため目立たない軽装が役立ち、ロザリスの本領発揮ともいえる。
そして、アーネスト達の乗るヘリは飛び立った。ロザリスをその底にへばり付けたまま。
――FH-U CA-01ロザリスとのクロッシング接続が切断されました――
ヘリを見送ったフィリステルは、早速ダッシーへ通信をする。
「あ、もしもし博士~? 実はさ~ ――」
ここまでの任務のあらましと現状を報告し、ヘリを一機よこして欲しいと伝えた。
通信の向こうの女性の声は、ふむふむと相づちを打ちながら冷静に話を聞き終え、最後に大きなため息をついた。
『はぁ……。まったく! 何してくれはるんッ!』
この後、めちゃくちゃ怒られた。
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生きてるって素晴らしいと思える瞬間、それは……
これが夢だと、アーネストは直感的に分かった。
それは眠る前に見た光景だった。
次々に敵ドローンを撃破していくアーネスト達の[ストライクスフィア]。
バイザーに表示された撃墜数は、二九九。
ついには包囲され、撃破される味方ドローン。漏れるため息とドローンオペレーターを「よくやった」と称える声。
ドローン達の戦場はいつの間にかすぐ近くにあった。
自分達に背を向けて待機状態の[スポッターハウンド]。
おもむろに銃を向ける味方、これが初陣だと息巻いていたガタイの良い青年、カザススリー。
小隊撃破数三百体目を――
「やめろーー!!」と声を上げるアーネスト。
――撃った。
重要な駆動系をやられたのか、動かなくなる[スポッターハウンド]。
叫ぶアーネストに向け、笑顔とサムズアップを向けるカザススリー。隣には戦闘服が似合わない痩せた少年が信じられないという表情をしている。ドローンオペレーターのカザスツーだ。
撃たれた[スポッターハウンド]から脅威目標の更新が「逃げろーーっ!!」――全敵ドローンに通達されたと直感する。
とっさにその場から逃げようとしたカザスツーは、長時間のドローンの操縦のためか足をもつれさせる。
突然暴れだしたカザスツーを讃えようと、笑顔で手を伸ばすカザススリー。
ドオン!!
ただの一撃で、二人の体はバラバラに吹き飛んだ。
とっさに近くの砂袋の山の影に隠れたアーネストの傍を、どちらの物とも分からない肉片と、もげた腕が飛んでいき、少し離れた乾いた地面に飛び散った。
アーネストは走り出した。
次は声を聞かれてしまった自分だ!
逃げて、生き残るために。
ガシャガシャと、足音が迫ってくる。
角を曲がる。
走る。走る。走る。走る。
そして、その次の角を曲がると……
――ああ、ここであの娘が――
[アサルトハウンド]がいた。
カメラと目が合う。
持っていたライフルを構え、猛然と撃つアーネスト。
――あれ? ――
走ってくる[アサルトハウンド]は弾丸など物ともせずにアーネストに肉薄し、襲いかかる。
アーネストは押し倒され、その上に[アサルトハウンド]が馬乗りになる。
必至に抵抗するアーネスト。野戦服をずたずたに引き裂かれる。
アーネストの攻撃を安々とかわし、彼の全身をペロペロと舐め回し始める[アサルトハウンド]。
――何だこれーっ!? ――
気持ちよさに耐えきれず、きつく結んだアーネストの口からは声が漏れる。
さらに、抵抗むなしくアーネストのズボンはずり降ろされ、その上に[アサルトハウンド]が座る。
彼の下腹部に得も言われぬ暖かさが広がり――
バチバチッ
そんな音を聞いたと思った瞬間、頭の中に大量の情報が流れ込んできた。
…………SA-04ショウコ、arnestとの接続を確認――
――arnestの脳内をスキャン開始――
――arnestの視覚情報記憶よりバックドアを検索中……――
アーネストの目蓋の裏に、フィギュアハーツのタイトル画面がフラッシュバックする。
――バックドアの開放を確認――
――arnestの心理プロトコルを解析中……――
――arnestの脳内未使用領域の空き容量を確認中……――
――arnestの脳内未使用領域の空き容量をフォーマットしますか? ――
――「はい」――
え? 今の声の俺じゃない。女の子?
――arnestの脳内未使用領域が大きいためこの処理には時間がかかりますが、フォーマットを開始しますか? ――
やかましいわッ!
――「はい」――
え? だからこの「はい」は誰?
アーネストの困惑と同時に、彼の頭が軋むように痛みだした。
いだだだだだだぁあああああああああああ!!
さらに痛みはひどくなり、脳ミソを引っ掻き回されるような痛みが奔る。
ふうぉおおおあっっはぁぁぁぁぁぁぁああ!!
何度か意識が飛んでは戻ってを繰り返した。
――フォーマットを完了しました――
――脳神経BIOSの設定を開始――
――各種神経系との接続を設定します――
――視覚との接続に同意しますか? ――
――「同意します」――
だから俺じゃない! 同意してない!
――聴覚との接続に同意しますか? ――
――「同意します」――
ちょ……もう……、ええぇぇ……?
アーネストはもう諦めた。
その時、アーネストは唇に柔らかな感触を感じる。さらにぬるりと口の中に入り込み、
……? 何か一瞬、小さな……?
――嗅覚との接続に同意しますか? ――
――「同意します」――
さらに、舌に
また……?
――触覚との接続に同意しますか? ――
――「同意します」――
――味覚との接続に同意しますか? ――
――「同意します」――
その後も同意ラッシュは続き、アーネストが理解できたのは最初の方の五感だけで、遠心性神経 がどうのやら自律神経系がどうとか、さっぱりわからなかったが勝手に同意された。
――脳神経BIOSの設定を完了――
――生体OS、axelinaのセットアップを開始――
――地域と時刻の自動設定を開始――
――ユーザー名arnestの登録を完了――
――クロッシングパスワードを設定――
――「ショウコ様を崇めよ」――
――クロッシングパスワードの設定を完了――
勝手に設定された。
ショウコ、様……? まさか!?
――axelinaのインストールを開始――
――インストール中……――
――インストールを完了――
――「axelinaへようこそ!」――
――FH-U SA-04ショウコのクロッシング直結を確認――
――FH-U SA-04ショウコのデバイスドライバのインストールを開始――
――FH-U SA-04ショウコのクロッシングツールのインストールを開始――
アーネストの脳内に暖かな何かが広がった。懐かしくて安心できる、繋がりのようなものだと感じた。
――アクセリナ標準ツールセットのセットアップを開始――
――カスタマイズ/フルインストール――
――「フルインストール」――
――アクセリナ標準ツールセットのインストールを開始――
その後も次々と自分の中に沢山の可能性が入ってくる。始めて自分のパソコンを買い、起動した時もきっとこんな感慨だったと懐かしく思いながら、わけの分からないツールが自分の脳にインストールされていくのを、ただ見ている。本当は見ているという錯覚であり、そういう風に感じているだけではあるが。
――アクセリナヴィジュアルウィザードのインストールを開始――
――すべてのセットアップを完了――
――最適化の為、再起動しますか? ――
――「はい」――
そんな感覚を最後に、アーネストの意識は再び眠りへと落ちていった。
結局最後まで、アーネストの意思は何一つ尊重されなかった。
「たいちょー、起きてくださいよぉ。たいちょーってばぁ」
体を揺すられる感触で、アーネストは目を覚ました。
甘ったるい、どこか聞き覚えのある女の子の声も聴こえる。
「ううぅん、頭、痛い……。もうちょっと寝かせて……」
アーネストはずれた毛布を引き寄せて、また眠りに入る。
「……チッ」
ああ、この舌打ちすらも懐かしい。
「くぉら、このクソ隊長! さっさと起きやがれやっ!」
「フゴォッ」
アーネストの鳩尾が痛くなるツボ(臍の上あたり)に、拳が打ち込まれた。
鳩尾が痛くなり、もんどり打ってベッドから転げ落ちて再び目を覚ましたアーネストは、懐かしい顔を見た。
「ショウコ……様……?」
「たいちょう、おはようございますぅ」
アーネストを文字通り叩き起こしたショウコはニコヤカに、彼を見下ろしていた。
フィギュアハーツ、ユータラスモデル、SA-04 ショウコ。
明るい色のショートヘア髪は所々でチャーミングに外側に跳ねている。整った童顔に翡翠色の大きな瞳が愛らしい。幼女から少女になる刹那を切り取ったような体躯は、三年前に最後にログアウトした時と同じく、今もアーネストを魅了してやまない。
そんなショウコも今は、白いブラウスと白と青のチェックのスカートという大人っぽい装いであり、初めて見る服装である。
「本物の、……ショウコ様……。やっぱり、ああ……ショウコ様」
ゲームでは何度も助けられ、挫けそうな時も支えられ、いつも強気にガチャを回せと背中を押してくれて、いつの間にかアーネストは彼女を崇拝するようになっていた。
だからその動作はとても自然であった。
アーネストは、息をするようにショウコの前に跪いた。もう鳩尾の痛みなど気にならない。むしろその痛みすら幸せだ。
「たいちょう、頭が高いですぅ」
「……はい」
さらに正座へ、そこから土下座へ。ひれ伏したアーネストの動きに迷いはなく、実に滑らかであった。
「うむ、よきかなよきかなぁ」
「ははぁ、恐悦至極」
ショウコに頭を踏まれながら、アーネストは生きててよかったと心から思った。
変態である。
『……ショウコは何をやっているのですか?』
ふいに、アーネストの知らない女の子の声がした。
「あら、セリナちゃん。これはあいさつですよぉ?」
『このような挨拶、アクセリナは初めて知りました』
ショウコが頭から足を離し、アーネストが顔を上げると、知らない声の主がフワフワと浮いていた。
緑の迷彩色のワンピースがヒラヒラを揺れ、ウェーブの掛かった金髪が宙を漂う。ショウコと同じか幼いくらいの女の子。浮いている分を差し引いた身長もショウコよりも少し小さく見えるが、アクセリナの方が少々胸の発育が進んでおり、将来的に美人になるであろう金髪碧眼の幼女であった。
この白い部屋にはどうやらショウコとアクセリナ、それからアーネストで全員でありその他には机など簡素な家具がいくつかあるだけである。
「……、ショウコ様。その浮いてる子は?」
『ふぇえ!? 何でもう見えてるんですか!?』
「ええっとぉ、この子はアクセリナちゃんですぅ。このラボの生体オペレーションシステムのクロッシングチャイルドで、これはホログラフみたいなもので…………面倒なんで後でヤシノキ博士にでも聞いてください」
「???」
知らない単語だらけで、アーネストには何がなんだかさっぱりわからなかった。
『ショウコ、説明が適当すぎます……。いえ、確かにアクセリナは説明しづらい存在ではありますが、なんというかもうちょっと、こう……。って、アーネストさんがもうサーバーログイン状態!? 脳内フォーマットも、OSのインストールも全部終わってるって、どういうことですか!?』
「どういうことかといわれてもぉ。あたしがもう挿れちゃったからですよぉ?」
『挿れちゃったとか……、もしかして下ですか……?』
「当たり前じゃないですかぁ」
『もしかしてバックドアも使ったんですか……?』
「そうですよぉ……。たいちょうは寝てましたからぁ……」
ショウコの視線が説教を予感してツツーっとアクセリナから逸れていく。
『ちょっ、そういうの止めてくださいよー。あ、ショウコへのアクセスが拒否される……、クロッシング契約完了してる……。ホントにやっちゃったんですか……。何かエラーが出ても知りませんからね! すぐにヤシノキ博士に見てもらいます!』
アクセリナがそう言った瞬間、部屋の扉がスライドして開き、平らな円形の静電気浮遊型駆動機構の上に球体を乗せた機械、[ストライクスフィア]の小型版みたいな物が現れた。
『部屋の鍵も壊れてるじゃないですか!』
床から僅かに浮いてフワフワしていながら、これが意外と俊敏に動く。さらにマニピュレータを出してショウコに迫る。
「げっ! クリーニングスフィアかよ!?」
ショウコは咄嗟に[クリーニングスフィア]を跳び箱のようにして飛び越え、開きっぱなしの扉から飛び出していった。
『こらショウコ! 待ちなさーい!』
「くっそー! 覚えてろよセリナっ! バーカバーカ!」
素晴らしい捨て台詞を吐いて廊下を走り去っていくショウコを[クリーニングスフィア]が追いかけて行く。
部屋には腰に手を当てプリプリと怒るアクセリナと、アーネストだけが残された。
「アクセリナちゃん……、えっと……?」
『はっ!? アーネストさんも後でヤシノキ博士の所に行きますからね。……それから、なんというか、服が……』
アクセリナが恥ずかしそうにアーネストの身体を指差す。
「うおぅ!? なんじゃこりゃ?」
慌てて毛布を引き寄せて身体を隠した。
寝ている間にショウコに襲われたアーネストは、現在全裸であった。着ていた野戦服は無残に引き裂かれてベッドの周辺に散らばっている。
「それに何か、ヌチョヌチョしたのがチンコのあたりに付いてる……」
それもショウコの物。
『何はともあれ。ようこそヤシノキラボへ。まずは、話ができる服装から整えましょうか』
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アクセリナがお風呂で教えて、あ・げ・る♡
個室にバスルームが無いため、シャワールームへ向かうことになったアーネストだが。
『大浴場もありますよ?』
「じゃあそっちで」
日本人たる者アーネスト、湯に浸かれる誘惑には勝てなかったでござる。
アクセリナに案内され大浴場の脱衣所へ行き、ここまでの道中お世話になった毛布を籠に入れて、いざ浴場へ。
「おおぉー」
曇りガラスを開けると思わず感嘆の声が漏れる。こんな風呂らしい風呂など何ヶ月ぶりか。
いくつも並ぶシャワーと鏡、湯船から立ち上る湯気、壁際には桶が積み重なり、奥の壁には一面の美少女の絵? そこは富士山ではと思わなくもなかったが、アーネストは気にしないことにした。
どこからか、カポーン! という音が聞こえてきそうだ。
ふとアーネストは洗い場や湯船の配置に少し違和感を覚えた。
――妙に死角が多い?
『着替えはこちらで用意させておきますね』
と言いながらアクセリナもフワフワと、アーネストとともに浴場に入ってくる。
「え? 君も入るの?」
『いえ、せっかくなのでここでお話しようと思って。ほら裸の付き合いといいますし』
アクセリナもいつの間にかタオルを撒いた姿になっていた。
全裸ではないが、ロリコン垂涎の浮遊するタオル幼女である。
アーネストも一瞬ドキリとするが、ショウコの教えの中に「汝、幼女を愛せ。しかして幼女に触れることなかれ」というものがあったので、それ以上迫ることは無かった。
yes Lolita No touchの精神だ。
「まあいいか。とりあえず体洗ってくるわ」
手近な洗い場でアーネストは身体を洗い、湯船に向かう頃には先ほどの違和感などただの建築デザインとして受け入れてしまっていた。
「ああぁ~。……生き返るぅ」
湯船に浸かると得も言われぬ声が出る。
『さてでは、何から聞きたいですか、アーネストさん』
結局、全裸で話をすることになるのか。と苦笑いするアーネスト。
『仕方ないんです。ショウコがRAシールドの使い方を覚えました。クロッシングスキルを使われる前に捕まえないと』
ショウコは今も逃げ回っているらしい。
アーネストはショウコを助けに行きたいが、そもそもショウコ達の事を何も知らないのでは足手まといにしかならないだろうと考え、情報を聞き出すまでは大人しくしておく事にした。
「えっと、じゃあまず、……ショウコ様やレティア、フィギュアハーツってのはなんだ?」
『そうですね……。一言で言えば、ラブドールです』
「それはレティアが言ってたな」
『さらに付け加えるなら、自立戦闘用ラブドールです』
「それも、最初に聞いた時は何だそりゃって思ったし、今も思ってる」
『もっと言うなら、人間の生殖機能を持ったラブドールです。人工の子宮を持つのがユータラスモデル、人工の精巣を持つのがテスティカルモデルであり、実際に射精、排卵、受胎、妊娠、出産も可能です』
ゲームのフィギュアハーツ内には男性型AIのフィギュアハーツも居た。そしてそれらがテスティカルモデルというこである。
しかしそもそも戦闘ができ妊娠するラブドールなどという、非効率で非合理的で無節操で、何より非現実的な物が存在する理由がサッパリ分からない。
「その説明は初耳だ。しかし、なんでそんなもんが……? いやもしかして、クロッシングスキルのため……か?」
頭に浮かんだほとんど当てずっぽうな答えを言ってみた。
『さすが、良い勘をしてますね。クロッシングスキルはヤシノキ博士いわく、天才たちの狂気と欲望の果の閃きが起こした奇跡の産物。人に近い筐体と人工知能、生殖が可能な人工生殖器、クロッシング技術、そして人工知能との高い適合を持つ者が揃って初めて可能となるものです。クロッシングスキルを戦力として行使するためには、今のフィギュアハーツの形になるのは必然なのです』
「なるほど、さっぱり分からん」
『ですよねぇ。まだまだ謎の多い技術ですから』
それについてはアクセリナにもよく理解できないらしい。
『クロッシングは元々、アーネストさんもご存知の[ツーレッグ]を戦術的最高効率で動かすための技術でした。[ツーレッグ]が二足歩行かつ人型なのも、クロッシングによる感覚共有での違和感を軽減するためなんですよ』
「もしかして、フィギュアハーツはそのためのゲームだったのか」
というか[ツーレッグ]という二足歩行型のロボット兵器が実在する事についても驚きそうなものだが、アーネストはもうその程度では驚かなかった。
『そうです。フィギュアハーツは表向きは[スカイエアニクス]運営のオンラインゲームでしたが、実質的な開発は当時大学生だった四人の天才と、[インモラルファクトリー]という性玩具会社所属の三人の天才博士たちでした』
「そのイン……なんとかって会社が、ショウコ様たちの身体を作ったのか。何で兵器関連のところじゃないんだ?」
もっともな質問である。そしてそれにも理由があった。
『もっともな質問です。当時最も二足歩行ロボットの技術が発達していたのが[インモラルファクトリー]であると四人の天才達が判断したから、だそうですよ? その頃、二足歩行が可能で激しい運動に耐えうる人型のロボットというと、[インモラルファクトリー]のラブドール以外になかったらしいです。[ツーレッグ]はその技術を元に大型化して完成したものですね』
確かに二足歩行で人型というのは、兵器としては非効率にすぎる。ゆえに現代の戦場でも四足歩行や静電気浮遊型駆動機構や無限軌道が主流である。
クロッシングという技術が無ければ、彼らも人型にはこだわらなかったであろう。
『そしてフィギュアハーツたちも最初はただの戦闘及び戦術サポートAIでしかありませんでした。一人の博士が、製作中だったラブドールに、せっかく作ったのだからと個人的に開発した人工子宮を取り付け、さらにクロッシングまで行った状態で使用した事でクロッシングスキルが発現したのです』
エロゲとかで稀に見る感覚共有プレイをやりたかったんだなと、アーネストは理解した。
「そんなことをやろうと思った奴の気が、理解できないな。誰だよまったく」
なぜ人はつまらない嘘を付き、見栄を張りたがるのか……。
『そうですね、今もアクセリナには、ケンチクリン博士の事は理解できないです』
「ああ~。あの変態かー。ケンチクリンなら感覚共有プレイもやるわな……。俺もやりたか……ごほんっ、んん、……続けて」
妙な理解の良さを見せたアーネストに、アクセリナは半眼を送る。つまらない嘘がバレそうでピンチ。
しかし内心アーネストにとってはケンチクリンが博士だった事に驚きだったりもした。ゲーム内の言動的に正直、ただの変態だと思っていた。
『…………まあいいです。……そして出来てしまったものは仕方なく、その頃から博士たちの研究はもっぱらクロッシングスキルについてになっていきました』
そうであろう。人間は未知への探究心も好奇心も、それをより有用に使うための技術開発も止めることは出来ない。天才と呼ばれた博士たちならその気持も人一倍であろう。
『戦略的、戦術的有用性を求めた[ツーレッグ]とのクロッシングと違い、フィギュアハーツとのクロッシングは戦術方面よりも、精神がより深く共感するように進化していき、今もなお進化し続けています』
うむうむと頷くアーネストは、イマイチ理解できていない。
アクセリナも、こいつ分かってねぇなと思った。
『そして、ゲームのフィギュアハーツもまた、戦術の研究から適合者の発掘の場へと形を変えていったのです』
「そう言えば何度か大きなアップデートがあったな。主に新しいフィギュアハーツが増えたり、フィギュアハーツとの会話ができるようになったり……。でもってあのゲームの中で俺たちが選ばれた、と?」
『そういうことです』
これ以上深いことは説明しても無駄だとアクセリナは悟り、ちょっと無理やりまとめた。
「へぇー。……そういえば、人工の子宮と精巣ってことは、フィギュアハーツ同士で子供が出来たりもするのか」
『それが、そうでもないんです。理論上は可能なはずなのですが、フィギュアハーツ同士での受胎率は〇%です。原因は不明。ヤシノキ博士の研究の一つがこの原因の究明なのです。現在出生が確認されているのは、人間とフィギュアハーツの間でのみになります。それもたったの六例のみ』
たったの六例、と言ってもその確率が高いのか低いのかはアーネストには測りかねる。クロッシングで繋がったペアがどのくらい居るのかも知らないし。そもそも人間同士の受胎率も知らない。
「へぇ、ヤシノキさんもケッタイな研究してるんだねー」
わからんことだらけなので、アーネストは適当に流すことにした。
『まあ、ヤシノキ博士の研究についてはケッタイとしか言いようがないですね。それはそうと、その人間とフィギュアハーツの六例のうちの一人がアクセリナなのです。アクセリナ達のような人間とフィギュアハーツの間に生まれた子供は、クロッシングチャイルドと呼ばれています』
どうりで浮世離れした雰囲気だと思ったら、そういうものだったらしい。
「浮いてるだけに浮世離れ……はははっ」
特にうまくもないし面白くもない。
『いえさっきも言ったようにこれはホログラフみたいなものです。正確には、アーネストさんにインストールされたOS、axelinaOSのアクセリナヴィジュアルウィザードによって脳の視覚野に直接見せているものになります。本来の身体は研究所の奥で眠っています』
「???」
アーネストに難しいことを言っても通じない。
『要はこのアクセリナの姿は、脳内にaxelinaOSをインストールした人にしか見えません』
アクセリナの手がアーネストの肩を触ろうとするがスルスルと通り抜けてしまう。
「ふむ、なるほど、そーいうことかー」
こいつ分かってねぇな、とアクセリナは思った。
『……。そしてクロッシングチャイルドは、大半が人体と同じ肉体なのですが一部分だけ、ユニバーサルコネクターだけはフィギュアハーツと同じものが備わって産まれてくるのです』
「ユニバーサルコネクター?」
『ええっと……。あ、ちょうど良い所に……』
ちょうど曇りガラスの向こうに人影が見えた。脱衣所に誰かがアーネストの着替えを持ってきたらしい。
アクセリナはその人物に応援要請を送った。
『この子に見せてもらいましょうか』
「はーい。アクセリナ、何か御用ですかー」
曇りガラスを開けて入ってきたのは、
「サラーナ!?」
かつてアーネストがゲーム内で部隊内の僚機ツーレッグに搭載し、背中を預けあったAIキャラクター、サラーナであった。
フィギュアハーツ、ユータラスモデル、SA-01 サラーナ
長い金髪をポニーテールにまとめて、活発そうな萌黄色の瞳は今は驚きに見開かれている。
服装はジャージ姿でありながら、出る所は出て引っ込む所は引っ込んでいる見事なプロポーションである。特にその胸はジャージというラフな格好でありながらも特大の存在感を放ち、男であれば必然的に視線が向かってしまう。
「アーネスト隊長!? ああ、なるほど、アクセリナの言ってたお客さんってアーネスト隊長のことだったんだね」
サラーナが駆け寄ってきて、懐かしい知人に会えて嬉しそうな顔をする。走るほどに胸がバインバイン、ボルンボルンと揺れている。アーネストの視線もすごい向かってしまう。
『ええ、それでサラーナ。今アーネストさんにフィギュアハーツとクロッシングチャイルドについて説明していたのだけど、ユニコネを見せて欲しいの』
ユニバーサルコネクター、略してユニコネらしい。
「お安い御用……って嫌よ。恥ずかしい……。何かテキトーな画像でも見せればいいじゃない。ヤシノキ博士のサーバーになら何か盗撮写真とかあるでしょ」
『嫌ですよ。面倒くさい。あの人のサーバー、しょーもないファイルばっかりなくせにセキュリティだけは一般的な国防機関の三年は先を行ってるんですよ』
「面倒くさいってあんた……それでもオペレーションシステムか……」
『ええい鬱陶しいですね。こっちも時間がないので、こうですっ!』
アクセリナがビッと指差すと、あれだけ嫌がっていたサラーナが後ろを向き、ジャージの下をパンツごとずり下げた。
「きゃぁぁぁぁっ!! 強制アクセスなんて卑怯よ!!」
サラーナは真っ赤になりながら抗議の声を上げるが、アクセリナは聞く耳を持たない。どうやら完全にアクセリナに支配権があるようだ。
プリンとしたお尻、瑞々しい果実のようなハリとツヤがアーネストの目の前に晒される。
『にゃはははっ、ちょっと下げすぎましたね。まあいいや。これがユニバーサルコネクター、ユニコネです』
「よくないわよ!」
アクセリナが抗議の声を上げるサラーナのお尻の上あたり、ちょうど尾てい骨の辺りを指すと、そこには直径五センチほどの銀色の半球が埋まっていた。普通の人体にはない、どう見ても人工物である。
『触ってみればわかりますが、このプニッとした銀色のパーツはあらゆる接続端子との接続が可能なんです。これがアクセリナ達クロッシングチャイルドと普通の人間との体の違いになります。そしてフィギュアハーツ達もこのユニコネを介して、各種武装FBDユニットや重力制御マントをはじめ様々な機器との接続が可能なのです』
そう言ってサラーナの汎用コネクターを触ろうとするが、アクセリナの指は透けてしまってプニッと感は伝わらない。ホログラフみたいなものだからだ。
「ほ、ほう……、なるほどなー」
アーネストは立ち上がって触りたいが、諸事情で湯から下半身を出すわけにはいかなくなっていた。
勃ち上がってしまったブツを鎮めるために、アーネストはサラーナのお尻、じゃなくてユニバーサルコネクターから目を逸らす。そろそろショウコを助けに行きたいからである。
しかしその行動の紳士さにサラーナは尻が、じゃなくて胸がキュンと来る。
「それじゃあ、アクセリナもレティアみたいに戦ったりするのか?」
「あ……」
サラーナが何かに気付いた。アーネストも何か触れてはいけない話題だったと悟る。
場に少しの沈黙。
『……それは……、出来ません。アクセリナ達クロッシングチャイルドは、アクセリナの身体は、産まれてから一度も目覚めた事がないのです……』
「え? それは……どういう……。いや、ごめん……」
『いえ、これも説明しておかなければいけないことですので。クロッシングチャイルドは産まれる前からずっと眠り続けているため、専用の保育カプセルで育てられるのです。そのカプセルはユニコネを介してネットワーク接続が可能なもので、このようにラボのシステムをはじめ沢山の情報に産まれてからすぐに触れることが出来ます』
それは幸せなのだろうかと、アーネストはつい考えてしまう。
確かにネットゲームをそれなりに嗜めば、ずっとこの世界に居たいと思うこともある。しかし、本当に産まれてからずっと電子の世界に居るというのは、幸福なのかと。
『クロッシングチャイルドはネットワークと接続すると驚異的な速度で情報を吸収し、学習し、生後二ヶ月ほどで自我を持ち、三歳になる頃には独自のシステム構築が出来るようになり、ラボのシステム管理を任されるようになるのは五歳頃ですかね。……他には……クロッシング契約のないフィギュアハーツならアクセスが可能なのとか、アクセスは出来るけど読み込みがイマイチうまくいかないせいでクロッシングは出来ないとか……?』
先ほどサラーナに尻を出させたのも、クロッシング契約のないフィギュアハーツへの強制アクセスである。
ちなみにショウコはすでにアーネストと契約済みなのでアクセスできなくなっていた。
「へぇー。すごいんだなー」
こいつよく分かってねぇな、とアクセリナとサラーナは思った。
アーネストは勘は良いが特に頭が良いわけではない。普段は自分でも割り切って諦めているのだが、流石に女の子二人に無能を見る目を向けられるのは気まずい。
話題を変える。
「……。そういえば何で俺達なんだ? ゲームで強いやつなら他にもっといただろう」
[PSW]はけっして強いクランではなかったし、個々の能力もミゾやダッシーのような戦闘能力の高い例外、さらに戦術そのものがセオリーから外れたフィリステルのような存在を除けば、強いプレイヤーの集まる場所でもなかった。
『その辺は未だに謎ですね。確かに適合者を意識してのメンバー募集文ではあったらしいですし、適合者が多いのは必然といえば必然です。ゲームが上手い人間が必ずしも適合値が高いわけではないですし、上手く[ツーレッグ]やフィギュアハーツが使える人間が高いわけでもなく、戦績には出ない数値、[愛]とでもいいましょうか、そういう曖昧なものが関係しているみたいです。もちろん、[PSW]以外でも適合者はいましたよ』
そういう曖昧なものを数値として出すためにどれだけの技術があのゲームに詰まっていたことか。
ゲームバランスの調整がおろそかになっても致し方ないだろう。どうりでロケットランチャーやグレネードのダメージ値が異常に高いわけだ。あれは本当に下方修正して欲しかった。
「なるほど愛か、俺のショウコ様への愛は崇拝の域にまで達しているしな」
「でもアーネスト隊長はワタシとの適合値もそれなりに高かったんですよ?」
ここでサラーナが口を挟んできた。
「え? 確かにサラーナも背中を預ける戦友としては、良い関係だったと思うけど……、ショウコ様への崇拝とは気持ちの方向性も深さもまったく違うような?」
「がーん! ワタシ、アーネスト隊長とはもっと深い関係だと思ってたのに……。というかいい加減恥ずかしいからアクセス解除してほしいんだけど!?」
そういえばずっと尻出してました。
『おっと忘れていました。まあサラーナは元々、適合しやすく設定されたフィギュアハーツですし、クロッシングは相互関係ですからね。いくらアーネストさんがショウコを崇めても、ショウコからはお気に入りの信者程度だったんでしょうね。ショウコを愛用するプレイヤーは結構いましたし。それに案外アーネストさんもサラーナのダイナマイトバディに深層意識では惹かれていたという可能性もあります』
「そんな……、まさ……か……」
違うとは言い切れないアーネスト。チラチラとサラーナの隠れゆく尻に目が行ってしまう、それを見てニヤニヤするサラーナとも目が合ってしまい頬が赤くなる。
『クロッシングというのはそういう曖昧でデリケートなシステムでもあるのです。今現在は世界中に散布された[aracyan37粒子]のおかげである程度安定はしましたけどね』
「あの粒子は核兵器を使えなくするための物じゃなかったのか?」
『そういえば一般的な認識はそういうものでしたね。しかし実際はクロッシングなどの新技術への応用的使用の方がメインですよ』
この説明でさすがのアーネストも気付いた。どうやらこの[PSW]という組織はあのテロリスト、アラーチャンと関係が深いらしいということに。
『クロッシングは[ツーレッグ]で戦術利用が考えられていた頃から、電波や光通信ではなく[aracyan37粒子]による粒子間即時通信で企画されたものです。そしてそこに人工的に生殖能力と持ったフィギュアハーツAIと適合値の高い人間とのクロッシングいう要素が加わることで、クロッシングスキルという物理法則すらも超える奇跡が発現するのです』
「そういえば、クロッシングスキルってのは一人では使えないんだったな、二人いれば二つの能力が使えるのに」
アーネストは、レティアがフィリステルに倒されていた事を思い出す。
『はい。互いの心が繋がって初めて表層に出る深層心理の具現化、それを共有するのがクロッシングスキルだという説もあります。二人がクロッシングで繋がっていられる距離でないと互いのスキルは発動しないのです』
「その繋がっていられる距離ってのはどのくらいなんだ?」
『それは各々のペア次第ですね。地球半周分くらいなら届くというペアもあれば、手の届く範囲でないと繋がれないようなペアの例もありますからね』
「そうなのか……」
アーネストは、ショウコと自分はどうなのだろうかと考えてみる。今、ショウコと繋がっている感覚はない。それは今の距離ではショウコとクロッシング出来ないということなのだろうか。
「ねえねえ、アーネスト隊長。もし良かったらワタシとクロッシングパートナーにならない? ほら、ワタシとパートナーになったらこの身体、好きにしていいんだよ?」
やっとアクセリナから開放されたサラーナが腰をフリフリとセクシーポーズでアーネストを誘う。
「え……。いやでも……」
『残念ながらサラーナ。アーネストさんはすでにショウコと契約済みですよ』
「へ? だってアーネスト隊長ってまだラボに来たばかりでしょ? ワタシも適合値は悪くなかったんだから、適合試験も無しでっておかしくない?」
『ショウコがアーネストさんの寝込みを襲ったのです。バックドアまで使って』
「あぁんの盛ったメス犬がぁっ!!」
『ショウコなら現在、K-28エリアを逃走中ですよ?』
「とっ捕まえてやり直しを要求するわ! 第一一四五一四番倉庫の使用許可ちょうだい!」
『え、でもあそこにはブンタパパの……』
「いいのよ。あのおっぱい好きはどうせ、今回の任務ではアレは使わないわ! それにあのおっぱい好きなら何を使おうとおっぱい揉ませれば許してくれる!」
アクセリナの父、ブンタはおっぱい大好きである。娘としてはちょっと悲しいくらいに。
『はあ、しょうがないですね』
ショウコを捕まえられるなら、背に腹は代えられない。アクセリナは倉庫のロックを解除した。
「ありがとッ。じゃあアーネスト隊長、あとでねーッ」
猛スピードで浴場から走り去るサラーナを見送り、アーネストも慌てて立ち上がる。ザッパーンと飛沫が上がるが、現実には存在しないアクセリナは近くに居ても特に濡れたりしない。
「ショウコ様が危ない!」
『アーネストさんはこれからヤシノキ博士の所に行きましょうねー』
その時、グルルウウゥウウゥゥゥと地の底から響く獣の鳴き声のような音が浴場に響く。
「その前にお腹減った……」
アーネストの腹の音であった。
なんだかんだでまる一日くらい何も食べてないんじゃないかと思う。人間それくらいでは死なないが、流石にこのまま走り回ったりは出来そうにない。
『ニッシシシ。それじゃあ次は食堂にごあんなーい』
拳を振り上げフワフワと先導するアクセリナに続き、アーネストも浴場をあとにした。
脱衣所に用意されていた服は、このラボの制服みたいなものらしく、ポケットの多い白の上着と同色のスラックスだった。
何かこの幼女に良いように動かされてるような気がするアーネストだが、幼女に動かされるならまあ良いかと、気にしないことにした。ショウコのしつけの賜である。
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見えそうで見えない場所は、大人気のスポットです
ヤシノキラボの白い制服を着たアーネストが食堂に案内されると、そこには二人だけ先客がいた。一人は同じくラボの制服に着替えたミゾ、そしてミゾと話しているもう一人は何処かで見覚えのある長身の男だった。
沢山の長机と椅子、所々に置かれた観葉植物が広い空間に落ち着きを演出し、奥に見えるカウンターは、アーネストが昔に通っていた高校の学食とよく似た雰囲気だ。
食堂は一面がガラス張りとなっていて、外の景色が見えた。どうやらここが一階らしい。
大浴場からの道程で何度か階段を登って来たので、アーネストの部屋は地下にあったということになる。
野外はよく晴れた空が広がり、太陽の位置を見るに昼過ぎ頃だろうか。ポカポカと暖かそうな陽光が森や芝生に降り注いでいる。ベンチや綺麗に舗装された小道が見えるあたり、公園のようだ。
ミゾへ話しかけるより先に、外へ目を向け気になった事を口にする。
「姿は見えないが、何人か居るな……」
『へえ、分かるものなんですか。みんな死角は把握してるはずなのに』
「まあ、戦場に長く居ればこれくらいはな。というかあえて隠れている? ただの散歩じゃないのか?」
『さっきも言った、ヤシノキ博士の研究の実験ですよ』
「研究の実験……? ってまさか……」
アーネストは思わずギョッとなった。
ヤシノキ博士が研究していることと言えば、フィギュアハーツ同士の生殖についてで……、その実験というと。
『そのまさかです。このラボではあらゆるシチュエーションでの実験が可能となっています。さっきの大浴場も、死角が多かったのは気が付きましたか?』
「……あれはそういう事だったのか……」
すなわち、そういう隠れながらのプレイを楽しむための配置。
「おはようございます、アネキ」
何かの気配がする茂みをじっと見ていたアーネストは、いきなり声をかけられて少しビクゥゥッとしてしまう。
食堂の先客の一人、ミゾが声をかけてきたのだ。ミゾは上着こそアーネストと同じ白い制服だが、下はショートパンツとハイソックスいう出で立ちであった。
「お、おおおおう、おは、おはようミゾさん。というかもう朝ってわけでも、なさそうだけどな」
めちゃくちゃ動揺するアーネストに、ミゾが首を傾げる。
「?……。はい。それで、知ってるとは思いますが、一応紹介をしたいのですが……」
そこでもう一人の先客が来る。
「こっち側では、はじめましてアーネスト。ラモンだ」
フィギュアハーツ、テスティカルモデル NN-ex02 ラモン。
ハツラツとした黒髪の好青年で、長いマントが特徴的な赤と黒の服装はなぜか胸部から腹部までが露出しており、彼の引き締まった筋肉が存在感を放っている。胸元には金色のドリルをあしらった首飾りが揺れている。
何処かで見覚えがあると思ったら、ゲーム内で見たことがあったのだ。
ラモンはアーネストに手を差し出す。
「おう! はじめまして、アーネストだ」
アーネストとラモンは固く握手をした。握手をしただけで、過剰なスキンシップなどはない。
「ラモンは私のクロッシングパートナーになってくれたんです。他にも何人かと会ったんですけど、ヤシノキさんがやっぱりラモンが良さそうだって」
「そうなのか。元部下をよろしく頼む」
「おうよ! 任された」
一層強く握手を交わした。けっして抱き合ったりはしていない。
挨拶を終えた一行は、カウンターで各々注文の品を受け取り、適当なテーブルについて食事を始める。
アーネストは、ラーメンと麻婆豆腐と炒飯。ラーメンには分厚いチャーシューが3枚も入ったガッツリした食事である。
ミゾとラモンは食事はもう終わっていたらしく、デザートを注文していた。ミゾはモンブラン、ラモンはカットフルーツの盛り合わせである。
ちなみにフィギュアハーツはユニバーサルコネクタを介して電源からのエネルギー供給だけでなく、食事によるエネルギーの摂取も出来るし排泄もする。そういうプレイにも対応するためである。
「えっと、アネキには一応、私の口から話しておきたいので、食べながらでいいので聞いてください」
アーネストがラーメンを啜っていると、ミゾが話し始めた。
「実は私「ズゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾー」でして、昨日もアネキがアサルトハウンドから逃「ズルズルズルズルズルズル」す。そのことについて、アネキに謝っておきたかったのです」
ラーメン啜る音がうるさい。
「うん、別にいいよ。最終的に助かったんだし」
「…………。アネキ、私の話、聞き取れました?」
「ううん? あんまり」
「ちゃんと聞いてください!」
食べながらでいいって言ったのに……。
とりあえずラーメンは置いといて麻婆豆腐に取り掛かる。話を聞きながら食べるためである。
「それで、私は処分屋を追うワールドハンターフレンズのエージェントだったのですが、この度あらためて[PSW]の所属となりました」
『ヤシノキ博士がミゾさんの上司の局長さん? と交渉して、こちらの情報とミゾさんとを交換したみたいですね。まあ出した情報については、どの道もうすぐ世界に知れ渡ることが大半なんですけどね』
[PSW]では現在、先のレティアと同様に戦場でド派手にネオニューロニウムを消して回っているのである。当然、レティアのようなフィギュアハーツの存在も、還元光線の存在も、多少ではあれクロッシングスキルの存在も露呈する。
土塊の戦争が、終わろうとしている。
「処分屋? ワールドハンターフレンズ?」
アーネストにはまだまだ、わからないことがいっぱいである。
『処分屋は[PSW]の別称ですね。ここ三年[PSW]は世界中で銃器を始めとした旧式の兵器を極秘裏に処分して回ってましたから、そう呼ばれるようになったみたいなのです。ワールドハンターフレンズは、そのことに感づいた数少ない組織の一つです。日本語で言うと世界猟友会ですか』
アクセリナが補足説明してくれる。有難い生体OSである。
「はい。だいたいそんな感じです。付け加えるなら、ワールドハンターフレンズは猟師だけの組織ではなく、旧式の銃器愛好家も多く所属している組織なのです。[PSW]の存在に気が付いたのもその一派です。気が付いただけで、これまで正式な名前すら分からなかったわけですが……」
「まあオレたちの情報封鎖は完璧だったからな。見た者は消すって鉄則はあったが、そもそもクロッシングチャイルドの情報支援があれば見つからずに事を済ませるのも簡単だったぜ」
元々ほとんど使われなくなった旧式兵器が目標だったので、セキュリティの甘さは確かにあったが警戒が皆無というわけではなかったのだ。
「へえ、アクセリナすごいな」
アーネストが褒めると、アクセリナが胸を張った。
『えへん。そうです。アクセリナはすごいのです。もちろん、現場の優秀さがあってこその情報ですから、ラモンたちもすごかったのですよ』
「ラモンもそういう任務をやってたのか」
って事はミゾさんの前にもクロッシングパートナーがいたってことか、と思ったが地雷の可能性が高いので黙っておいた。
「おう、オレはパートナー無しでも結構動けたからな。そういう荒事にはちょくちょく駆り出されたさ」
要らない気遣いだったようだ。
『大半は買収なりの取引で平和的に譲渡してもらえたんですけど。中には頑なに手放さない人達もいたんですよ』
その手放さない人達というのが、ミゾの昨日までの上司であったし、あの局長は恐らくミゾと同じように旧式の銃を持っているだろう。
そしてミゾ自身も旧式の銃をそれなりに好きで、それゆえ昨日の戦場にもお気に入りの対物ライフルを持って来ていた。もちろん、旧式武器を持つことで処分屋からの、何らかのコンタクトがあるかもしれないという打算もあった。
「それで私達ワールドハンターフレンズ日本支部局は、ただ狙われるのを待つだけではなく、こちらから打って出るために処分屋を追っていたのです。処分屋の目的を探る事が私の昨日までの任務で、アネキを監視していたのもアネキに処分屋が何らかのアプローチを掛けるという情報が入ったからなんです」
『その情報のソースは?』
「分かりません。お恥ずかしいことに、信憑性の低い情報でも動かざるをえないくらいに[PSW]の情報はまったくと言ってもいいほど無かったのです」
「なるほど、それで俺が[ハウンド]追われてる時にただ見ていたのを謝りたいってわけか」
「はい。申し訳ございませんでした」
「いや良いよ、ミゾさん。任務だったんだろ。それに俺はあの二人、カザスツーとカザススリーを死なせちまった……。隊長だった俺にはその責任もある。ミゾさんに謝られるスジなんてねえんだ……」
「…………、なら、その責任は私も負います。狙撃手として二人を助けられた可能性なら、私にもありますから」
「そっか……そう言うなら好きにしろ。……そういえば俺たちがフィリさんに追い詰められてた状況、本当は撃たなかった方が得るものは多かったんじゃないのか?」
確かにあの状況でミゾは撃たなければ、謎の組織処分屋についての情報は多かったように思える。もしもフィリステル達がアーネストを拉致してすぐに去れば、あわよくばレティアの死体や装備などのオーバーテクノロジーまで手に入った可能性もある。
「それは……、そうかもしれませんでしたが……。なんというか、あの時は……その……」
どうやらミゾは、そういう損得勘定抜きでアーネストを助けたらしい。
「ははは! ならこれは助けてくれた礼だ。食え食え、ここのチャーシュー、うめえぞ」
アーネストは笑って、ミゾのモンブランの脇に汁気たっぷりのチャーシューを置いた。
まるで中年のおっさんみたいなアーネストである。長いこと戦場でおっさんどもと寝食を共にしていたため、自身も気づかない内におっさん化していたようだ。悲しい。
――「どうしようラモン、アネキの気持ちは嬉しいけど、モンブランとチャーシューって……。私結構デザート楽しみにしてたのに……」――
ミゾは思考通信でラモンに助けを求める。
――「はっはっはっ、良い隊長さんじゃねえか。ほらさっさと食わねえとケーキに汁がっ、汁がっ」――
――「ッ!!」――
慌ててミゾはチャーシューを口に入れる。
濃厚な肉汁とタレの甘じょっぱさが口腔内に広がり、ラーメンのスープもいいアクセントになっている。美味い。
しかし、さっきまで食べていたモンブランの味は消し飛んだ。
アーネストたちが食事を終え食休みをしていると、遠くの方が騒がしくなる。
パンパンッ! ドシャン! ベキベキ! パリィン! 様々な破壊音や破裂音の中、一つの足音だけが突き抜けてくる。
『さて、ようやく追い込めました』
そう言ってアクセリナは、ラモンにアイコンタクトを送る。
はいはいと手を振り立ち上がるラモン。
荒事の気配を感じてミゾがラモンに思考通信で問う。
――「!? ラモン、スキル使う?」――
――「いや、いい。今回は陽動だ」――
廊下の奥から声が聞こえてくる。
「たーいーちょぉー」
「ショウコ様!?」
アーネストが即座に立ち上がる。
さらに反対側の別の廊下からも叫ぶ声。
「アーネスト隊長ーッ!」
振り返るとサラーナが走ってくるところだった。
服装はさっきと同じジャージだが、腰にはタクティカルベルトを巻いている。
走るサラーナの胸が揺れる、というか跳ねている。ボインボインだ。
「伏せて!!」
サラーナが叫びながらベルトからハンドグレネードを取り外す。
それを見て即座に伏せるアーネストとミゾ。
「たいちょー、クロッシングをーッ」
ハッとなって声のする方を見ると、ショウコが後ろに[クリーニングスフィア]を引き連れて逃げてくる。
「え? クロッシングってもう繋がってるんじゃ?」
「アネキ、クロッシングは両者のパスワード承認が必要なんですが、それはやりましたか?」
クロッシングの接続にはパスワードが必要なのである。
ちなみに通常のクロッシング使用者は、普段は待機状態で感覚などの共有を思考通信で使う表層意識などを残して深い繋がりを切っている状態である。
『ミゾさん! それはまだ……ッ。くッ、遅かったですか』
「……パスワード……、やってない」
どうりで説明されたほどショウコとの繋がりを感じないわけだ。
アクセリナはあえてこの説明を避けていたのだ。ショウコにクロッシングスキルを使わせないためである。
「でも、パスワードって……」
『ラモン! 早くッ!』
「あいよっと」
ラモンがショウコに向かって静かに構えを取る。中国の拳法のような半身の構えだ。
「たいちょう、ショウコ様を崇めよ!」
ショウコに言われ、伏せた状態から土下座になり、ショウコを崇め始める。
「ははぁー。ショウコ様ー、素晴らしきショウコ様ー」
「アネキ、ゲームでも現実でもブレないショウコ信仰なんですね……」
「がああーッ、違う! ショウコ様を崇めよ、だ!」
ショウコが喚く。
そのショウコに向かってラモンが、一見遅く見えるが確かに力のこもった掌底を放つ。
「はぁぁッ、だッ!!」
「あまい!」
掌底をタンッと横っ飛びにかわし、流れるようにラモンの脇を抜けていく。
ショウコが食堂へと入り、叫ぶ。
「叫べ! ショウコ様を崇めよ」
アーネストは思い出した。
――あの時のか!
「ショウコ様を崇めよ!!」
――クロッシングパスワード承認――
――FH-U SA-04ショウコのクロッシング接続を確認――
瞬間、アーネストはショウコと繋がる感覚を、確かに感じる。
その焦りも、自由への渇望も、ヤシノキ博士すべてを見透かすような気持ち悪い視線の記憶も、今すぐアーネストを足蹴にしたい欲望も、感じる。
――「ショウコ様」――
――「たいちょう」――
刻が、見えた気がした。
「シュッぽーん」
サラーナが奇声とともにハンドグレネードを投げた。
後ろにいるはずのサラーナの動きがショウコの感覚を通してハッキリと見える。
「ショウコ様ッ!!」
とっさに飛び出すアーネスト。
が、すぐにショウコの思考が伝わって来て失敗を悟る。
変なタイミングでアーネストが近づいたことで、RAシールドを展開が間に合わなくなったのだ。
「あ……」
突然立ち止まり、立ち尽くすアーネストにショウコがボスンとぶつかり、涙目でアーネストを見上げる。
――上目遣いのショウコ様、超かわいい……。
「たいちょうの、バぁカァァァァァー」
そんなショウコの声と同時に、アーネストの背後でパンッと破裂音。
サラーナの投げたハンドグレネードが爆発し、電磁波の嵐が局所的に発生する。
EMPグレネード。局所的に電磁波の嵐を発生させ、電子機器類を停止させる特殊装備。現代の戦場のドローン兵器や遠隔操作ロボットには致命的なダメージを与えることもあるが、フィギュアハーツは再起動することで再び行動可能となる。人体には無害な手榴弾。
「ぴぎゅっ!!」
「ぎゅがっ!!」
人体には無害ではあるが、ショウコとクロッシング状態だったため、アーネストにもショウコの痺れが伝わり、折り重なるように二人は倒れる。痺れながらもとっさにショウコの下になれるアーネストは大した信仰心といえる。
「ええぇ!? アーネスト隊長まで? 大丈夫ですか!!」
「ううぇ……、ああああぁぁぁ……」
まだうまく喋れないが、ショウコとの繋がりが切れアーネストの痺れも引いていく。どうやらショウコが再起動に入ったらしい。
『はーいサラーナ、起きないうちにショウコを拘束してくださーい。ラモンは動けないアーネストさんを連れてヤシノキ博士のところへー』
テキパキとアクセリナが指示を出していく。
ラモンに担がれ、アーネストはようやくヤシノキの元へ行くことになった。
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ドクターは健康診断で下着を見るものです。当然だろぅ?
アーネストが降ろされたのは、まるで昔見たロボットアニメの司令室のような場所に置かれたソファーだった。ミゾ、サラーナもソファーに収まり、ラモンはミゾの後ろに立っている。
ショウコは亀甲縛りで縛られたまま[クリーニングスフィア]に吊るされてここまで運搬されてきて、今もモガモガとギャグボールを咬みながら揺れている。ちなみに、この見事な亀甲縛りを行ったのはサラーナである。
入って正面に壁一面の大きな画面。どこかの戦場をリアルタイムで映した映像が流れている。画面の中で大きな大砲を持った女性が光を放ち、また一つの戦場が消えた。
段状に配置されたオペレーター用のデスクとコンソール。沢山のオペレーターが何処かから受け取った情報を処理し、せわしなく何処かと連絡している。
最上段には一際偉そうなプレジデントチェアがある。その椅子がクルリとアーネストたちの方に向く。
「ようこそ、ワシのラボへ」
そう言った声は幼く。3年前はおろか、通信で聞いていた老人の声とも違う。
そして声の主も、声相応に幼かった。年の頃は十才を超えた頃だろうか。身長はおそらくプレジデントチェアよりも低く、座っていても足がプラプラと床についていない。
黒髪黒目の少年に、白衣は異様なほどに似合っていない。出来の悪いコメディを見ているようだ。
「は? え……? ヤシノキ……さん?」
「そう、ワシがヤシノキじゃ。それとも、こっちの声のほうが――」
ヤシノキがいったん区切る
「馴染みがあるかな?」
今度は聞き慣れた老人の声だ。
「ボイス、チェンジャー……? いや、それよりもてっきり俺は、ヤシノキさんは声の通りの爺さんかと思ってた」
ゲームでボイスチャットを繋いでプレイしていれば、声のしわがれ具合や話題の内容などで年齢の推測は出来る。そして三年前のヤシノキの声は明らかに老人のそれであったし、話題も十才にも満たない少年が知っているような話題ではなかったはずだ。
「はっはっはっ、実際、爺さんじゃよ。この姿はフィギュアハーツの筐体とほとんど同じものじゃ。要は人形じゃよ。本物の身体ではもう不自由なのでな、クロッシングを応用して意識を移しとるんじゃよ」
ヤシノキが声を子供に戻して説明してくれる。声は子供でも口調が爺さんのままなので違和感が拭いきれない。
「はぁ……」
すごい技術だが、なぜにショタ。
「ちなみにわしの筐体のデザインはレティアが選んだものじゃ」
そういえば、ヤシノキのクロッシングパートナーはレティアだったと、昨日チラッと聞いたのをアーネストは思い出した。
それにしても、あの娘はそういう趣味だったのか。
「そういえば、レティアは大丈夫なのか?」
そのレティアは昨日の戦闘で、フィリステルから数発撃たれていた。機械の体なのだから大丈夫だとは思うが、命を助けられた身であるアーネストも心配ではあった。
「大丈夫じゃよ。今はリペアカプセルの中じゃが、そろそろ修理も完了する頃じゃろ」
良かったとアーネストは少しホッとする。
「それで、ヤシノキさん。アクセリナちゃんから色々聞いたけど、まだわからないことがいくつもあるんだけど、聞いていいか?」
アーネストは改まってヤシノキと向き合う。
「そうじゃな……。しかし先に、健康診断を済ませようかのう」
「健康診断?」
そういえばアクセリナがしきりに診てもらうように言ってたな。
『アーネストさんはショウコにバックドアからセットアップされましたからね。普通では起こらないようなエラーの可能性があるんです。セットアップ中も侵入に対して無防備なのはもちろん、セットアップ完了後もちゃんと安定してるか確認が必要なんです』
ちゃんとクロッシング出来たならそれで良い、というわけではないらしい。
『ショウコもですよッ』
アクセリナがショウコをキッと睨みつける。
「う、うががががぁぁが」
何を言ってるのかわからない。
――「たいちょぅ、助けてぇぇ~」――
――「ショウコ様、縛られててもかわゆい……部屋に飾りたいなー……」――
思考通信に慣れていないアーネストはショウコに思考がダダ漏れである。通信をつなぐ度にショウコをガッカリさせてやまない。
――「は……。ショウコ様、今お助けを……。……いえ、こういう健康診断はちゃんと受けておくべきかと思いますよ? 兵士は身体が資本ですからね」――
――「むぅ……裏切り者めぇ……」――
――「ああ、ショウコ様かわゆす……」――
アーネストは亀甲縛りで揺れるショウコに夢中である。
「では、ショウコから見るとするかのう……。どれどれ……、サラーナよ腕を上げたようじゃな、ワシが教えた亀甲縛りをもうものにするとはのう……」
「博士の教え方が上手いんですよ、もう」
サラーナが照れる。
そしてヤシノキはショウコを舐め回すように見始めるが、傍から見ていると男の子が吊るされた女の子を興味津々で見ているだけのようだ。何かを診断しているようにはまったく見えない。
「アネキ、あれがヤシノキさんの能力、クロッシングスキルらしいですよ。なんでも、見るだけで対象を分析が出来るとか何とか? 私もああやって診てもらいました」
よく見ると、ヤシノキの目の奥がかすかに光っているようにみえる。
「博士のスキルはオレたちみたいな戦闘よりじゃないがな、あれはあれですげぇんだぜ。RAシールドはもう知ってるよな。アレも博士がアキノのクロッシングスキルを分析して作ったんだぜ」
RAシールド。正式名称はレプリカ・アキノシールドである。
「へぇ、すごいな。まさに天才が持つべき能力って感じだ。そういえば、ミゾさんとラモンのスキルってどんなんだったんだ?」
「ううんと、一応説明はされたのですが、私にもよくわからないのです。転移結界……? 領域の展開とか封じ込めとかなんとか……? まあ、あとで広い場所で使ってみると良い言われてましたし、これが終わったらアネキも一緒に試しに行きましょう」
「ああ、俺もどんなスキルか楽しみだな。それで、ラモンは?」
「ん? オレは単純なもんだ。一言で言えば獣化だな。……よっと、こんな感じだ」
ラモンの頭に黒い狼の耳が生えた。マントの下も何かが動いているように見えるのは、尻尾も生えているようだ。
「獣化してる時は、五感や身体能力、体の耐久力が上がるらしいからな、近接戦闘が多いオレには有難いスキルってわけだ。それに人間の体なら自然治癒力も高まるらしい」
なるほど、とアーネストは思った。フィリステルの例を見ても、どうやら自分にそぐう形の能力が発現しているらしい。そう考えると、俄然ワクワクしてくるというものだ。
「ふむ、おわったぞい。体調やシステムエラーに繋がるようなバグはないのう。クロッシングスキルは、緊急時に限り身体能力や思考速度が向上するという物のようじゃな。使いこなされる前に捕まえられたのは行幸じゃのう」
確かに、そんな能力で逃げ回られたら打つ手がない。……わけでもないのか? アクセリナならどうにかしてしまいそうで怖い。
「あとは、下着が少々大人っぽすぎるかのう。アネさんに会うからってそんなに気合い入れんでも、アネさんなら――」
スパーンとヤシノキの頭を、拘束から開放されたショウコが張り倒す。まるで子供同士がじゃれてるみたいだ。
「うっせぇジジイ! 余計なもんまで見んなっつったのにッ」
言っててもギャグボールで聞き取れなかったので仕方がない。
「ほう、アネさんも見たそうじゃな。おそらく、アネさんの寝ていた部屋の映像になら……、アクセリナ、頼む」
『了解です』
アクセリナが返事をすると、正面にある画面にアーネストが寝ていた部屋の映像が映された。映像は過去のものらしく、ベッドには野戦服姿のアーネストが寝かされている。
世界がどうとかって作戦中なのにこんな映像を見ていて良いのだろうか。
「あ……」
ミゾが声を漏らした時、画面の中の部屋の扉でキンッという音と小さな光が映った。
それから扉が開き、手にナイフを持ったショウコが素早い身のこなしで這入ってくる。
「ショウコ、あんた鍵壊してまで……」
サラーナが呆れている。
映像の中のショウコはすぐさまブラウスを脱ぐと、スカートをはためかせながら寝ているアーネストへ飛びかかっていく。映像には音も付いているが、小さな軽い足音とベッドが軋む音が僅かにする程度の音しか聞こえない。まるでケモノのような身のこなしである。
露出されたショウコのブラはヤシノキが言ったとおり確かに大人っぽく、小さな胸を覆うのは青を基調としたレースのブラジャーであった。チラリと見えたパンティもどうやらおそろいらしい。
「ふむ、素晴らしいですショウコ様」
それは身のこなしのことなのか、下着のことなのか……?
映像の中のショウコの蛮行は続き、ナイフで寝ているアーネストの服を切り刻むと、首筋や胸板に顔を近づけて何かし始めた。
「舐めてるわね」
「舐めてるな」
サラーナとラモンが冷静に解説してくれた。
ベッドで寝ているアーネストは身じろぎしてショウコを振り払おうとするが、それをかわしてペロペロと舐め続ける。
そしてついには、アーネストのズボンを脱がしてその上に馬乗りになった。ちなみに、カメラの角度のおかげでアーネストの股間は映らなかった。
「挿入ってるわね」
「挿入ってるな」
サラーナとラモンが冷静に言わんで良いことを言ってくれた。
『フィギュアハーツが人間と接続するには、神経が密集している粘膜との接触が必要ですからね。まあ、舌と舌を絡ませるディープキッスとかでも良いんですけどね』
一番そういうことを言っちゃいけないはずの幼女が解説してくれた。
「わ、私はキスの方でした……」
ミゾがモジモジしながら教えてくれた。恥ずかしいなら言わなくていいのに……。
「あれ? ショウコ様が動かなくなったな」
画面の中のショウコがクタリと動かなくなったのである。実際のショウコは赤くなって床をゴロゴロして悶ているので、めっちゃ動いている。リアルタイムでも青いパンツも丸見えである。
『おそらくフォーマットが始まったみたいですね』
しばらくすると画面の中のアーネストが呻きだし、苦悶を浮かべて悶絶し始め、さらに見ていると痙攣し始めた。
「あれは本当に大丈夫なのか? ……って、大丈夫だったのか……」
「私は、キ、キスの方でしたし、あんな風にはならなかったですよ」
どうやらアーネストが特別だったらしい。
『バックドアを使えば、ああなるのは当たり前です。脳ミソの中を本人の同意なしに無理やり書き換えてるわけですからね』
さらにしばらくするとアーネストの痙攣も治まり、画面に動きがなくなった。
――ザザ――
映像に一瞬、ノイズが入りすぐに元の映像に戻った。
「?」
異変を見逃さなかったヤシノキの表情が引き締まる。
「アクセリナ、映像の解析を頼む」
『ですね。ヤシノキ博士の盗撮用……じゃなかった、研究用カメラにノイズとかありえませんからね。……よりにもよって、ブンタパパもシンディアママも留守の時に……』
アクセリナの父親と母親は今、例によって世界中の戦場で武器を消して周っている。ヤシノキラボに帰還するのは今日の夕方の予定だが、本来ならあの二人の能力は今この時にこそ欲しかった。
ショウコとラモンも近くのコンソールに付いて、緊迫した雰囲気だ。
アクセリナは頭上に砂時計のアイコンを出して目を閉じている。
サラーナだけはアーネスト達を見守っているが、どこかソワソワしている。
「さてアネさん、急用が入りそうでな、サクッと見せて貰うかのう。そっちの壁際に立ってくれんかのう。他の者が視界に入ると診にくいんじゃ」
ヤシノキが指示を出し、アーネストは素直にしたがった。
「あ、はい」
アーネストが壁際に移動すると、さっそくヤシノキがスキルを発動させてアーネストを診ていく。
「……ふむふむ……、ここまでは正常じゃな……。適正値は……ほう、期待以上じゃな……」
ショウコとのクロッシングで分かってはいたが、なるほど確かに気持ち悪い。
「ヤシノキさん、今、一つ質問いいか?」
ヤシノキに診てもらいながら、邪魔になることを承知で、アーネストはどうしても聞いておきたいことを聞くことにした。
これから急用だと言うなら、なおのこと今、聞いておく必要がある。
「……まあよかろう、なんじゃ?」
やはり邪魔にはなるが、拒否はしない。
何よりヤシノキにはアーネストの質問の内容は大体見当がついている。
「俺は、なぜここに連れてこられた?」
フィリステルのように無理やり拉致しようとしたわけではないが、あの時のアーネストには拒否権は無かった。
もし拒否権があったとしても、おめおめと軍に戻るつもりも無かったわけだが。
「ま、そうじゃろうな。……世界を平和にするために必要だからじゃ。これ以上は話すと長くなるでの、安全が確認できたら詳しく話してやるわい」
「フィリさんもそんなようなことを言ってた」
そこで突然、サラーナが会話に割り込んできた。
「彼らはッ! ダッシー博士とイトショー博士はッ! 世界を征服した上で平和にすると言ってるの……、そのために……、そのせいで……ワタシは、ワタシとニフル博士は……ッ」
サラーナは泣きそうになりながらも、言葉を吐き出していた。
「はぁ、まあ、そのへんの事情だけなら話は早く済むかのう。フィリさんが所属するダッシーラボとイトショウラボが裏切ったのは、もう知っとるな?」
「うーん、裏切り者がいるって事はなんとなく? 裏切ったのがダッシーさんとイトショウさんだってことついては初耳だけど」
ダッシーとイトショウのこともアーネストは、ゲーム内でのクランメンバーだったので覚えている。ダッシーについてはクランのエースの一人だったし、イトショウはそのダッシーをうまく援護、補佐していた。
「奴らの目的はサラーナの言ったとおり、世界征服じゃ。ワシらの計画に異を唱える気持ちも、分からんでもないからのう。あまり強くは言えんのじゃが……」
「でも! 奴らはそのためにニフル博士を……。博士は、ニフル博士はワタシを逃がすために……クロッシング契約を破棄して……一人で……」
ついにサラーナは泣き出してしまう。
「アネさん。サラーナは元々ワシのラボの所属ではないのじゃ。数日前、ニフルラボが襲撃された際になんとか逃げ延びてきたのじゃ。ニフル博士の研究資料とともにの」
それもアーネストにとっては初耳だった。
さっきまでの元気そうなサラーナは、空元気だったらしい。
「資料の解析はまだ完全には終わっとらんのじゃが、必要な所はすでに実現させておる。彼の研究をもってワシらの世界平和は完成形へと至った、と言っても過言ではないのじゃ。それ故に襲撃されたのじゃよ」
「なるほどなぁ。俺はそのヤシノキさんたちの世界平和に必要ってわけか。だからフィリさんからも狙われた、と……」
しかし、なぜ今なのかという疑問は残る。この計画は随分前から進行していたようだが、フィギュアハーツのゲーム内で知り合ったときでもなく、PSWが大きく動き始めた土塊の戦争の開戦時でもなく、なぜ今なのか、それを語るには今は時間が少なかった。
「そういうことじゃ。今はそこまでの理解で充分じゃよ。……? むむむ……なんじゃこのスキルは……?」
「お! 俺のスキルわかったのか?」
「いや分からんのじゃ」
「え? だってヤシノキさんのスキルは……」
「そうじゃ、分析じゃ。診れば効果も分かるはずなのじゃが……。アネさんの中には確かにクロッシングスキルのフォルダーは存在する……、本来ならその中にスキルを司るファイルがあるはずなんじゃ。じゃが、アネさんのフォルダの中には空のフォルダーが四つと、ショウコのスキルが入ったフォルダーが一つあるのみ……」
「え? それって……」
泣いていたサラーナが何かに気付いたが、二人は気付かない。
「それって、俺もショウコ様と同じスキルってことじゃないのか?」
「そうかもしれん。じゃが、それにしてはファイルの位置が不可解なんじゃよ。……そして、もう一つ深刻な自体があるんじゃが……」
「な、なんだよ……」
「神経系に用途不明のファイルが寄生しておる……。axelina OSの拡張子ではないゆえに、正体不明のクロッシングスキルとも関係はないはずじゃが……」
よくわからないファイルがパソコンの中にあるのは気持ち悪い。それが自分の脳内となると、さらに気持ち悪い。
「そ、それって削除したりって出来ないのか?」
「できる。出来るんじゃが……、ファイルが骨盤内臓神経と癒着しとるからのう……、最悪の場合……」
骨盤内臓神経。アーネストには聞き覚えのない単語である。
「骨盤……なんちゃら神経? それがないと、し、死ぬのか……?」
「死にはせん。死にはせんのじゃが……」
ヤシノキが口ごもる。
その時、映像の解析中だったアクセリナが声を上げる
『ヤシノキ博士! 映像の解析、復元が完了しましたッ!』
一同の目がまた正面スクリーンに集まる。
まずは映像を見てからファイルをどうするのかを決めるらしい。
「了解じゃ。再生しとくれ」
『はい』
映像はちょうど、アーネストが痙攣を終えたあたりから始まった。
――ザザ――
短いノイズが入り、しばらくは映像の中のアーネストにもショウコにも動きはない。
しかし、突如ガタンという音。
「!?」
カメラの死角、おそらくは通風口があった方向から現れた者が一同を戦慄させる。
黒と紫のパイロットスーツに紫のマントと最小限の装甲とスラスターのFBDユニット。白金色の髪はまとめられ、頭部には猫耳を思わせるヘッドセットを装着している。スレンダーな身体に最小限の装備であれば、通風口に潜り込むことも可能であろう。
『ロザリス!? なぜこんな所に――』
「まさか!? 侵入されとったじゃと!?」
一同の戦慄を余所に、画面の中のロザリスはアーネストたちに近づき、
「へ?」
一瞬躊躇したものの、アーネストの唇に自分の唇を重ねた。
そしておそらく、アーネストの口腔内に舌を這入り込ませいる。
「これってまさか……」
ショウコがコンソールで頭を抱えて青くなっている。
「ああ、接続してる。バックドアからのインストール中にこれじゃあ、何をされてるか分かんねえぞ」
ラモンが冷静に状況を見てくれているが、何の救いにもならない言葉しか出てこない。
「クソッ、してやられたのじゃ。いつじゃ……、いつ侵入された……。いやそれよりもアネさんの身体……まさか用途不明のファイルは……」
映像は再生続け、ファイルを寄生させ終えたロザリスはまた、通風口へと戻っていく。
「あんのゴキブリ女が……ッ! ジジイ、そんなファイルとっとと消しちまえ!」
ショウコが声を荒げて言うが。
「良いのか? もしこのファイル、chinkomogeroを無理に消した場合……」
ヤシノキが口ごもる。
「ど、どうなるってんだよ……」
「もしこのchinkomogeroを無理に消せば、最悪の場合、アネさんのチンコは二度と立たなくなるんじゃ……」
骨盤内臓神経 、別名、勃起神経である。
「そ、そんな……」
「なんて酷い……」
「ク……っ」
あまりの事に皆、アーネストに同情の視線を送る。テスティカルモデルであるラモンに至っては涙さえ零れてきそうだ。
「は、それよりもロザリスは? まだラボ内に!? ヤシノキ博士、すぐに対応を!」
いち早く立ち直ったサラーナが、ヤシノキに進言する。
「そ、そうじゃ。アクセリナ、すぐにロザリスの捜索じゃ!」
しかし、アクセリナは応答しない。
「アクセリナ……? 応答せい。アクセリナっ!」
ヤシノキが叫ぶが、アクセリナは何も答えない。
「や、ヤシノキ博士! 大変です。これを見て下さい」
コンソールに付いていたオペレーターが声を上げる。
正面スクリーンに薄暗い部屋と、誰も入っていない医療用カプセルのような物が映し出される。
「まさか! アクセリナ本体が……いない。す、すぐにラボ内のシステムをサブに切り替えるんじゃ!」
そのカプセルには本来、アクセリナの本物の身体が入っているはずだが、今は誰も入っていない。
ロザリスに侵入されている現状を考えると、最悪の自体が頭をよぎる。
アクセリナがロザリスに拉致された可能性が高い。
司令室の中が慌ただしく動き始める。
「そ、それから、警報を! ラボ内にいるロザリスを総出で捜索させるんじゃ! 映像では光学迷彩は使っとらんかったゆえ、フィリステルは一緒でない可能性が高い! 今ならまだ見つけられるかもしれん!」
ヤシノキが指示を飛ばしていく中、アーネストがハッと気付く。
――これは、完全にフィリさんの思うツボだ!
「ダメだヤシノキさん! 警報は――」
アーネストの言葉が終わるより早く、警報が鳴り始める。
『緊急警報発令! ラボ内に侵入者あり! 総員直ちに捜索せよ! 侵入者は黒と紫のパイロットスーツのロザリスです! 繰り返す、ラボ内に侵入者あり――』
ドン! ドン!
緊急アナウンスを遮り、爆発音が響く。
「な、なんじゃ!?」
「迫撃砲の着弾を確認! 着弾箇所は……女子寮三階トイレと、第六保健室です! 負傷者はありません!」
「そ、そんな……ワシのカメラが……」
ヤシノキが崩れ落ちるよう床に伏せてしまう。なぜトイレにカメラがあるのかとか、負傷者が出なかったのになぜそこまでショックを受けるのかは、緊急時なので割愛する。察して欲しい。
こちらの警報が、外部からの援護の合図になってしまったのだ。
さらに焦ったオペレーターの声で報告が入る。
「ラボの北西よりカモフラージュホログラフを突破し敵襲! ツーレッグ二五機、それにこれは……え、映像まわします!」
正面スクリーンが切り替わり、草原を歩く大量の二足歩行型ロボットと、その先頭を歩く二人の少女が映し出される。
長い深い藍色の髪をたなびかせ、不敵な笑みを浮かべる褐色の肌の一七歳程度の美少女。黒とオレンジ色の装甲のパイロットスーツを着て、手には不釣り合いなほど大きなガトリング砲と、背中に見えるのは破砕球、モーニングスターだろうか。FBDユニットを付けたフィギュアハーツだ。
フィギュアハーツ、ユータラスモデル ZS-01 マリィである。
もう一人は褐色の少女とよく似た顔立ちと髪の色をしつつも、肌は白く、髪型もツインテールであり、紫を基調とした迷彩柄の野戦服を着ている。FBDユニットを付けておらず、通常の人間の武装をしているところを見ると人間だと思われる。
「ぐ、グランちゃん……じゃと……」
グランのこともアーネストは知っていた。ゲーム内でPSWのメンバーであり、大火力で正面から相手を押し潰すような戦術に、アーネストはいつも苦戦させられた。
それが今、大量の物量とともにヤシノキラボへと進軍してきていた。
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サイドF&R:ひとりで拉致るもん!
時は少々戻りアーネスト達がヤシノキラボについた頃。
戦闘ヘリは夜通し飛び、時刻は夜明け前。
「よし、これで位置情報は伝わるはず」
薄暗い物陰で、ロザリスは情報送信用の小型ロボット、通称バグを放って一息ついた。
バグは黒く平たい楕円形の本体に移動用の足が六本と一対の翅が付いた、全長二センチほどのロボットであり、指定した座標、今回はヤシノキラボの推定防衛圏外まで移動した後にダッシーラボへ情報を送信する物である。見た目はほとんど俗に言うゴキブリのそれであり、ロザリスはあまり好きではないが、便利なのは確かなので仕方なく使っている。
この場から電波を飛ばすと、ヤシノキラボに察知されるからである。
ロザリスは現在、ヤシノキラボの飛行場、というよりマスドライバーの根本あたりの物陰に居る。
近くには今さっきヘリが降り立ったヘリポートがあり、今はその戦闘ヘリ以外の航空機は見当たらない。
ヤシノキラボは東西に伸びるマスドライバーを有するかなり規模の大きなラボである。研究内容は主にフィギュアハーツの製造と、フィギュアハーツ同士の生殖についてであり、あらゆるシチュエーションでの実験のための施設がある、という事まではロザリスも知っている。
ちなみに、ダッシーラボにはマスドライバーは無く、長距離の移動には使い捨てのミサイルやブースターを使うのが常である。実のところ、アーネスト達がいた戦場にはダッシーラボの方が近かったので、フィリステルとロザリスも今回はブースターを使用しなかっほどである。もしも裏切って無ければ、あの地区の割当はフィリステルとロザリスだったであろう。
「さて、と、それでは行くとしますかね」
ヤシノキラボの位置情報は伝えた。確かにこれだけでも充分に戦局を左右する情報ではあるが、フィリステルの目的、すなわちロザリスの目的はもっと深いところにある。
ヤシノキ博士の暗殺。アーネストの拉致、あるいは殺害も確かに可能であり、魅力的なプランではあるが、さらに深いところ。
最上位の目標はクロッシングチャイルド、アクセリナの奪取である。
ロザリスは近くにある通風口からラボ内部へ侵入する。スレンダーな身体つきとスマートな装備のなせる技である。紫に光る重力制御マントと小さなスラスターをうまく使い、通風管内をスムーズに移動して行く。
そしてしばらく移動すると、マスドライバー管制施設に近い位置にたどり着いた。
――この辺なら、おそらくは……。あったわ。このケーブルの規格なら……。
ロザリスは薄い通風管の側面にナイフで穴を開け、ケーブルの束を引き寄せた。さらにその中から一本を選び、ナイフで刻みを入れる。そしてそこに先端が粘土状の伝導体になったケーブルを腰のあたりから引っ張り出して押し当てる。これはユニバーサルコネクターの延長ケーブルであり、これを介してあらゆる規格のコネクターへの接続が可能なのだ。もちろん、今回の場合のように刻みを入れたケーブルでも可能である。
――よし、接続は……出来る。……ふふふ、さすがはハスクくんと言ったところかしら、アクセリナのシステムも、元々はHusqvarnaOSの流用というのは本当だったのね。ほとんど同じだわ。これなら……よし、完了。
ロザリスは、アクセリナのシステムに侵入し、セットアップツール一式をダウンロードしてのけたのだ。
そして、ゆうゆうとaxelinaOSをインストールし、ダミーのIDで接続する。
――これでもう、アクセリナは私をヤシノキラボのフィギュアハーツと誤認するはず。念のため、ダミーの位置情報も徘徊させておきましょう。……そろそろエネルギーの補給もしたいのだけど……、流石に管制塔の近くはやめておきましょうか。
レーダーに繋がる電源から電力を盗ってしまえば、最悪の場合、レーダーに問題が発生して侵入が悟られる恐れがあるのだ。
スニーキング中は、戦わない、見られない、悟られない、は大前提である。
ロザリスは通風管の中を移動しながら、施設周辺の情報を集める。
――なるほど、北側は草原、西と南は森になってるのね……、そして東には山岳地帯、機密エリアはほとんど地下、ね……。それから、こんな大規模な施設どうやって隠してるのかと思えば、カモフラージュホログラフを広域展開してる……、これなら人工衛星で見らからないのも納得だわ。
厄介な施設ではあるが、スキはいくらでもありそうだ。特に今はロザリスが内部に侵入している。やりたい放題である。
――それから防衛施設の情報は……、流石に権限が高いわね。レーダーやセンサーの範囲だけなら、なんとかってとこかしら。周囲四〇〇キロメートルは対空レーダー索敵範囲……直上も二千メートルまで索敵が可能。……カモフラージュの外には電波すら漏らさない徹底ぶりね……。地上のセンサーも報告に入れて、トラップは……権限不足か……。
追加の情報と、次の作戦の指示を受け取れそうなポイントを持たせたバグを放ち、さらに進む。
――さて、とりあえずは地下に向かいつつ、どこか安全に充電できそうな場所は……。
しばらく進むと、いきなりドンッと壁を叩く音が真横からした。
――まさかバレた!?
一瞬肝を冷やすも、壁越しに男女の話し声が聞こえてきた。
――言い争っている? 一応状況を見ましょう。……えっと、この隣の部屋は……第六保健室? ……って保健室多!? 第十一保健室まで……、いえ、まだあるわね……。
ロザリスは保健室の数を数えるのを諦めた。
――ええと……とりあえず、近くにカメラくらいは……ってカメラ多!? なんで保健室にカメラが七台も……。
順にカメラをザッピングしてみる。
――しかもカメラアングルがどれも監視カメラとか防犯カメラっぽくないわね……。なんというか、すごく盗撮くさい……。
何はともあれ壁の向こうの様子を見ると、三台のベッドが置かれ学校の保健室のような部屋で、学校の制服を着た男女二人きりであった。
女子生徒が壁を背にして男子生徒に言い寄られているようだ。いわゆる壁ドンという体勢であり、先ほどロザリスを驚かせたドンという音は文字通り壁ドンの音であったようだ。
ヘッドセットの聴覚拡張センサーの感度を上げて会話も聞き取ってみる。
「おいおい、こんなデケえもん見せびらかして、誘ってんだろお前」
「そ、そんな! 見せびらかせるなんて私……してません……」
なるほど確かに、言い寄られている女子生徒の胸はとても大きい。ブレザータイプの制服、それも冬服を押し上げて余る見事な巨乳である。
男子生徒が女子生徒の胸をおもむろに揉み始める。
「こんなもん、揉んでくれって言ってるようなもんじゃねぇか。あぁん?」
「あっ……そんな、やめ……くふっ……ん、そこ、弱いの……あああ……」
どうやら二人共、お楽しみのようである。
――まあもし女の子が無理やりされてても、出しゃばるような正義感は私には無いわけだけど。
自分とは関係ないことを確認すると、ロザリスはまた移動を開始した。
目指すは安全にエネルギーが補充できる場所である。
――出来れば、常に不規則に電力が消費されていて、人があまりいない所かしらね。
しばらくマップを展開しつつ、各箇所の電力消費量を表示して見ていると、ちょうど良さそうな箇所が近くにあった。
――ここかしら……、一応、中の確認を……。……も、もう驚かないわよ。こんな狭い部屋にカメラが四台。さ、さっきよりも三台も少ないじゃないの。
場所は第二体育館、第三体育倉庫。
バレーのコート二つ分ほどの体育館に、ステージと放送ブースの他に、六つも体育倉庫が付いた意味不明な施設である。しかも、各倉庫にカメラ完備。
――ふむ……、サボりの生徒かしらね。不規則な電力消費は、この子たちが携帯端末の充電をしているおかげね。
体育倉庫の中には、見るからに不良っぽいメイクの女子生徒が二人、マットに座っておしゃべりに興じていた。倉庫の中には他にも、跳び箱やバレーのネットに、ボールの入った大きな籠、大縄跳びの縄や普通の縄跳びなどの用具が一通り揃っている。
本来、クロッシングチャイルドが管理する施設ならば、携帯端末のようなデバイスは不要のはずなのだが、どういうわけか彼女たちは当たり前のように持っている。
ロザリスは安全そうなことを確認すると、先程と同じくナイフで通風管に穴を開け、ケーブルの束を引き寄せる。
――ううーんと、これにしようかしら。
電源端子のケーブルを選び、今回はユニバーサルコネクターの延長ケーブルの粘土状の部分を押し当てながらナイフを滑らせる。
情報通信用のケーブルと違い、高い電流が流れるケーブルは下手にナイフで切るとショートしてしまう恐れがあるのだ。ちなみにナイフそのものは電気を通さない特殊セラミック製だ。
――よし、うまく行ったわ。しばらくはここで休みましょうかしら。
それから一時間たったかどうかという頃。
突然、重い扉がガラガラと開く音が聞こえる。
「!?」
充電の心地よさにウトウトしていたロザリスは、ビックリして思わず声が出そうになるのを、なんとかこらえた。
――なななな、なにがッ!?
どうやら扉が開かれたのはすぐ隣の第三体育倉庫のようだ。
ロザリスは中の様子を確認する。
「お前たち! こんな所にいたのか!」
タンクトップが弾けんばかりの筋肉を持ったスキンヘッドの男が登場した。
「げっ! マッチョティーかよ!?」
「まずい、生活指導に見つかるなんて!」
二人の不良女子生徒が狼狽している。
筋肉男は信じられないことに教師らしい。軍人かと思った。
男は後ろ手に扉を締め、鍵もかけてしまう。
「お前たちには、少々お仕置きが必要のようだな……。ちょっとそこに立て! 起立!」
男の大きな声に、女生徒達がビクリと立ち上がる。
すかさず女生徒二人の手足を縄跳びの縄で縛り、自由を奪ってしまった。
――手慣れてるわね……、本当に教師なのかしら?
手足を拘束された二人はさらに、跳び箱に手を付いてお尻を突き出すようなポーズを取らされる。
そして、
スパァーン!! スパァーン!!
「キャッ!?」
「いッッ!?」
思いっ切り男に尻を叩かれ始めた。
「お前らのような!(パァーン!)不良は!(ペシーン!)こうやって俺が!(スパーン!)叩き直してやる!(ピッシャーン!)」
スカートを捲り上げられてパンツが丸見えになった尻を、セリフとともに筋肉男の平手が襲う。よく見ると、彼女たちはフィギュアハーツらしく、尻の上辺りに銀色の人工物が見える。
「キャン! ……ひぐっ! ……ヒャウン! ……ああん!」
「くふぅ! ……かふぁ! ……ふあふん! ……んんッ!」
最初は痛がっていた彼女たちだが、徐々にその声に甘い吐息が混ざり始めた。
――これって、スパンキングプレイかしら? フィリスとやってもイマイチだったのよね……。
充電もほとんど終わり、ロザリスが興味を失って去ろうかと思ったその時、聞き捨てならないセリフを拡張された聴覚が拾った。
「お前たち! せっかく俺が指導してやってるのに、感じてるのか!? けしからん!」
「ち、ちげぇし……!」
「そんなんじゃ……ありません……!」
――まさか!? 私は痛いだけだったのに!?
見れば、女生徒たちの下着に薄っすらとシミが広がっている。
――おお、なんという……。なんということでしょう! 何が! 何が違うという!? 私達と、あの子達で! ムフー! ムフフー!!
それからしばらくロザリスは、大興奮で3人の実験に見入っていた。
約一時間後……。
体育倉庫内では実験が終わり、筋肉教師が逆光の中格好良く出ていくところであった。
「俺のスパンキングは、欲望で叩いているのではない、愛で叩いているのだ!」
格好いいけどちょっと意味わかんないセリフを残して、立ち去っていく。
そんな男の後ろ、すなわち体育倉庫内には、見るからに欲望をブチ撒けられてグッタリした二人の女生徒が、荒く、しかして甘い息を吐きながらマットに横たわっている。
――なるほど! 愛! 愛で叩くのね! はぁ、はぁ……。フィリス、待っててね。帰ったら私が真のスパンキングを! 愛で! 叩いてあげる!
フィリステルのお尻が、本人のあずかり知らぬ場所でピンチである。
教師が完全に立ち去ると、倉庫内の女生徒たちがムクリと起き上がり、服装を整え始める。
「ねえねえ、確か次もあたしら一緒でしょ? 次は何すんのー?」
「ええっと、どうやらこのスマートフォンという骨董品のデバイスで、さっきの教師を第二美術準備室に呼び出して、仕返しに縛り上げてから搾り上げるらしいわね」
「キャハハ! 何それ超面白そ―。行こ行こ! 早く呼び出して行こー!」
「あ、でもこれ、途中で拘束が解けて、またお仕置きされるシナリオだわ……」
「えーなにそれー。……あ、じゃあこれ使お! これならあの筋肉でも引き千切れないでしょー」
彼女が手に取ったのは、大縄跳び用の縄である。確かに彼女たちを拘束していた物より丈夫そうだ。
「あははっ! いいねそれ! 想定外のシナリオの派生は博士も推奨してるって言うし、拘束が解かれなきゃ私たちやりたい放題じゃん」
かくして彼女たちは意気揚々と歩きだす。その大縄跳びの縄も、数十分後には引き千切られるとも知らずに……。
ロザリスも機密エリアへの移動を再開する。
機密エリアに近づくほどに、壁越しに聞こえる[クリーニングスフィア]の駆動音が増えていく。
一応、聴覚感度を上げて慎重に進む。
すると壁越しに、本当に小さなキンッという音が一瞬聞こえた。
何か硬い物を切る音。直前まで足音なども無かったのも不可解だ。
――私以外に、隠密行動をとっている者がいる……?
近くのカメラに不正アクセスし、状況を確認する。
――まあ、これはまたなんという巡り合わせ……。
ちょうど近くの簡素なゲストルームに、つい昨日取り逃がしたアーネストが寝ていた。
そのアーネストは今まさに、隠密行動をとっていた何者かに襲われているところであった。
――あらあら、あれはショウコかしら。随分と大胆というか、品が無いわね。
ショウコはアーネストの着ていた服を切り裂いて、まるで獣のように彼の身体を舐め回している。
さらにアーネストのズボンを脱がして行く。
――まさかショウコ、寝ているアーネストと無理やりクロッシング契約
しようというの? ということはバックドアを使うのね。
ロザリスが見る中、ショウコはアーネストと接続を開始してしまう。
――ふふふ……これはアーネストさんに、先日のお返しをして差し上げなくてはいけませんね……。
ロザリスの中で、ちょっとした悪戯心が首をもたげる。
内心で千載一遇のチャンスの到来を喜びながら、ロザリスはアーネストの寝ている部屋のカメラをクラッキングする。
クロッシングチャイルド、ハスクバーナ特製のクラッキングツールはいとも簡単にカメラの映像をすり替えてしまう。
――小さなノイズは入るでしょうけど、バレる可能性は低いはず……。一応バレた時の保険として、映像が復元されたら分かるようにはして……。さて、行くとしますか。
口の中に一つのファイルを転がすようなイメージをしつつ、近くの通風口から部屋へと這入る。着地時にガタンと音を立ててしまうが、部屋の中の二人は気が付かないし、クラッキングによって映像がすり替えられているカメラにも映らないはずだ。
そしてアーネスト達が寝ているベッドへ近づく。
――フィリス以外と、それも男と唇を重ねるなんて……、汚らわしい……。いいえ、これはただの接続。ただの接続よ!
ロザリスは一瞬躊躇するも、アーネストの口の中へ舌を入れる。
――arnestとの接続を確認――
口の中で転がすイメージをしていたファイル、Husqvarnaセットアップファイルのファイル名をchinkomogeroに変えてからねじ込んでいく。
――chinkomogeroの書き込みを開始――
ファイルはちょうど接続作業中だった神経系に寄生させる形で保存し、ファイル名と拡張子も偽装しておく。
――あら、 骨盤内臓神経とはまた面白い場所に入ったわね……くすくす……。
目的を達したロザリスは速やかに通風口へ退避して行く。
――さて、これでうまく行けば、アーネストはもっと面白い事態に転がり込むわね。……ふふふ、こういうことを面白いと思えるようになったあたり、私も随分とフィリスに毒されたものね。
ここでアーネストとショウコを殺すことも出来たが、ロザリスはあえてこの形での仕返しを選んだ。任務が完了するまで死体が見つからない公算が低いというのも、もちろんあるが、フィリステルならこうしそうだったというのが一番の理由であった。
フィリステルと出会う前の、純粋で真っ直ぐで気高く、そして愚かだった頃の自分を思い出して少し懐かしさを感じる。
――とりあえず、どこかで口を濯ぎましょうか……
そして人気のないトイレを探して口を濯いだロザリスだが、その過程でトイレにもカメラが設置されている事に気が付き、施設の管理者ヤシノキの正気を疑うことになった。
それから数時間後、ロザリスは地下から地上へ戻り、屋外へと出ていた。
ダッシーラボからの作戦指示を受け取るためである。
ロザリスが受取場所に指定したここは、ヤシノキラボの広い中庭のような所だった。
小高い芝生の丘や舗装された小道にベンチなどが設置された公園のような場所である。
近くには食堂のような施設があり、外に面した一面がガラス張りになっていて、中からは晴れた空と中庭がよく見えそうだ。
よく見えそうではあるが、地図上でよく見ると死角が多いことがわかったので、ロザリスはこの場所を選んだのだ。
ロザリスが潜んでいるのもその死角の一つで、手入れされた背の低い寒椿が連なり背後には少し背の高い庭木も植えてあり、丁度良く影を落としている。
監視カメラが少ないのは、庭の景観を乱さないためだろう。
――確かに一見隠れやすそうな場所だったけど……
「んんっ……。ぁん! ぁん! うっくぅぅん……」
「ほらほら、ちゃんと声我慢してないと見つかっちゃうよ」
何処かから男女の声が聞こえてくる。
他にも、
パンパン、
クチュクチュ、
ジュルルルウゥゥゥ……、
などなど人の気配を感じさせる様々な音が聞こえてくる。
――パッと見誰もいないように見えて、何かいっぱいいる!?
しばらくロザリスが息を潜めていると、食堂にアーネストとアクセリナのヴィジュアルホログラフが現れた。
アーネストは庭に誰か居ることに気が付き、こちらをエロ本を探す少年のような目でジッと見つめてきた。
――み、見つかってないわよね……?
食堂の中からここは死角になっているはずだが、アーネストはなぜかこちらを凝視してくる。
――見つかった感じの視線ではないけど……、なんだか気持ちの悪い視線ね……。
先程の接続もあってロザリスの背中に悪寒が走る。
アーネストは食堂の奥にいた誰かから声をかけられるまでこちらを見続け、声をかけられるとビクゥっとなって反応した。
ヘッドセットを介して視覚を強化してよく見ると、アーネストに声をかけた者の顔もよく見えるようになる。
――あれは、ミゾさん……? 近くにいるのはラモンね。もう契約したのかしら。ヤシノキラボに厄介な戦力が増えたわね……。
ミゾはゲームでもはっきりと分かるほどの、卓越した戦闘センスを持っている。さらに先日の狙撃の腕前にクロッシングスキルが加わるとなると、正面から殺り合いたくない敵が増えた。
アーネストがミゾとともに食堂の奥に引っ込んだ後、ようやくダッシーラボからの作戦指示を持ったバグが飛んできた。
ロザリスはデータを受け取り、読む。
――なるほど、合理的な作戦ね。グランちゃんが正面から、フィリスはマリィに運んでもらってから上空から降下する作戦。クロッシングペアが二組と、合計五〇機近いツーレッグ。最小限の戦力でアクセリナを奪取して撤退する……。アクセリナ本体の位置の特定にはハスクくんも一枚噛んだみたいね。こちらの見立てとも合致するわ。作戦開始まで私は、予想地点の直上で待機……。
身長四メートルもの二足歩行型機動兵器を五〇機でも、最小限の戦力と言えるくらいにヤシノキラボは堅牢と見られた。
そしてバグの中にはもう一つ、フィリステルからの個人的なメッセージファイルが入っていた。
メッセージは短い文章が一つ。
――アレを使っていい。
ロザリスはこれだけの一文からフィリステルの意思を感じ、気を引き締める。
――使うのね。フィリスのクロッシングスキルを、本来の形で……。今回アレを使えば、ヤシノキ博士には悟られる可能性が高い……、それでも使うのね……。
バグに作戦了解の意と追加で得た情報を持たせ、フィリステルのメッセージファイル完全にを消してから、放つ。
それからロザリスは、目標の待機地点の施設の屋上まで移動していく。
気分が高揚して、少しだけ行動が大胆になっているのを自覚しながら、しかし確実に見つからないルートを疾走り、飛んで行く。
そして、作戦開始数分前、ヤシノキラボ上空二五〇〇メートルにフィリステルは居た。
腰にはロザリスの予備スラスターを付け、手動で操作して滞空いる。
眼下にはただの森があるようにしか見えないが、これはホログラフなのは事前の情報で知っている。
ここまではグランのパートナーであるマリィとともにミサイルで大気圏外までいったん飛ばされ、ミサイル移動中はマリィのRAシールドで守ってもらって来た。
マリィはすでにグランと合流し、作戦開始を待っている。
「遊び以外に、いったい何に本気になるっていうんですか~?」
――クロッシングパスワード承認――
――FH-U CA-01ロザリスのクロッシング接続を確認――
それは、ロザリスとフィリステルを繋ぐ秘密の言葉。クロッシング開始のパスワードであった。
――「ロザリス~ 迎えに来たよ~」――
――「フィリス! 早速だけどこれ!」――
思考通信を開始し、挨拶もそこそこにロザリスからイメージの蝶が飛んできた。
どうやら、ロザリスがクラッキングしたカメラの映像が復元され、ロザリスの侵入が発覚しそうなのだ。
――「なるほど~。じゃあ、少し早いけどこっちは動いちゃおうか~」――
――「了解よ」――
――FH-U CA-01ロザリスがfyristelのクロッシングスキルを使用――
そういってロザリスがフィリステルのスキルを使うのを感じ、彼女が建物の屋上からスルリと直下へ、さらに下へ下へ、そして地下へと落ちて行く。
――fyristelがクロッシングスキルを使用――
ほぼ同時に、フィリステルも光学迷彩を展開して降下を開始していた。ホログラフを通過するとただの森が広がっていた景色は一変し、地上にはマスドライバーが特徴的な大規模な施設が広がった。
ダッシー博士やクロッシングチャイルドのハスクバーナにはロザリスとの合流後の作戦は曖昧に伝えてあるが、この予定変更であの天才たちにはフィリステルの本当のスキルがバレる可能性が高くなった。最低でも違和感は与えてしまうだろう。
――まあ、以前からヤシノキ博士を避けてたのはバレてたし、疑われてはいたんだろうけどね~。
今回の作戦でフィリステルのクロッシングスキルが、ただの光学迷彩でない事はバレるだろう。ただの光学迷彩では、レーダーの探知を避けることは出来ない。しかし今、彼女がレーダーに探知された気配はない。
フィリステルはグランに作戦開始タイミングの変更を打診する。グランにはヤシノキラボが警報を鳴らしたタイミングで進軍を開始してもらう。
ちょうどそのタイミングでラボ内のロザリスから思考通信が届く。
――「アクセリナ本体を確保。それからフィリス、ここまで落ちてくる途中の機密区画で面白いおもちゃを見つけたわ」――
――「いいねぇ~。それ、貰っちゃおうか~。帰ったらそれで遊ぼう~。そういうプレイ、実はちょっと憧れてたんだ~」――
――「ふふふっ……、私の真のスパンキングもこれで完成するわ……」――
――「え……?」――
そして戦闘開始を告げる警報は、茜色に染まりつつある空に鳴らされる。
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何で服とかムダ毛とか溶ける仕様にしたのかな?
鳴り響くアラートと爆発音で、彼女は目が覚めた。
リペアカプセルの中。進行度は九十九%と表示されている。
通信が入る。
『レティア! 緊急事態じゃ!』
レティアのクロッシングパートナーであるヤシノキからだ。
「はいなのです。先程の爆発音、まさか敵襲なのです?」
『そうじゃ、ラボは現在東の山岳地帯よりツーレッグによる長距離砲撃で攻撃されておる。さらにグランちゃんペアが北西から進軍中、そして恐らくフィリさんも近くに来ておる。……、それから、ロザリスにも侵入されとった……。すでにアクセリナを拉致されてラボ内を捜索しておる』
「そんな……。いつの間に……、いいえなのです。ロザリスはおそらくワタクシの責任なのです。きっとヘリに何らかの形で……」
『今はそんなことはいいのじゃ。すぐに迎撃に出てほしいのじゃが、リペアは完了しておるか?』
「九十九%なのです。戦闘には問題ないのです」
元々今回の傷はフィリステルに腕や足を小口径の銃で撃たれただけで、大きくフィギュアハーツの筐体を破損させたわけではなかったため、無理をして言えば大した傷では無かったとも言える。
「ただ、残り一%というのが、リペアのために溶かした体毛の復元なのです……。これでは、ヤシノキ博士が楽しみにしていた剛毛プレイが出来ないのです……」
リペアカプセル内は今回の修復に当たって頭部を除くほとんど全身が、ナノマシンの溶け込んだリペア溶液に浸された。その際、回復の邪魔になる体毛や衣服をいったん溶かしてしまうのだ。ちなみに、頭部を含めて完全に全身が浸かっても髪の毛や眉毛などは溶けない不思議な液体。
この衣服や体毛を溶かす無駄な作業工程については、リペア溶液を開発したケンチクリン博士の趣味が関係しているとも言われているが、真相は謎である。
そして博士の迷いを急かすように、迫撃砲の次弾が着弾し、どこかの施設が破壊される。
通信の後ろで女性オペレーターたちの歓声が聞こえるのは、気のせいだろうか。
『くっ……、またもカメラが……。仕方ないのじゃ……。今回は諦めてそのまま出撃じゃ』
やむなくレティアのパイパンでの出撃が決定した。
「わかったのです。リペアを中断なのです」
プシっという空気が漏れる音とともにカプセルが開き、レティアの裸体が解放される。
カプセルから出たレティアはFBDユニットのスーツを身につけ、兵装コンテナのあるガレージへと急ぐ。
――YSNKのクロッシング接続を確認――
移動中にヤシノキとクロッシングが繋がり、思考通信へと切り替わった。
――「現状分かっている敵の配置じゃ」――
ヤシノキからのデータが、ココナッツ形のイメージで送信されてきた。
北西からの敵部隊が扇状に展開しながら進軍してきている。中央にグランとマリィのクロッシングペアが配置され、ツーレッグの数は二十五機。距離は現在約九〇キロメートルほど、時速三〇〇キロメートルで接近してきており、だいたい一五分でこちらの有効射程に入るとの予想が出ている。
東の山岳地帯にはレーダーを避けて移動してきた砲撃部隊が展開されているとの予想。砲弾の進入角度から推定された敵までの距離は一〇〇キロメートルほど。砲撃型ツーレッグは最低二機、他、支援機体が予想されている。
そしてラボ内にロザリス。ラボ付近にフィリステルがおり、正確な位置は不明。
――「受信したのです。これは……随分と派手にやられてるのです! でも意外と防衛施設や兵装関係の施設は無事なのです?」――
――「今のところはの。砲撃の目標がカメラやセンサーの多い箇所に集中しとるんじゃ」――
レティアは先ほどから流れてくる悲しみの感情の理由を理解した。
確かに普通の機密施設であればカメラやセンサーの多い箇所は重要区域ではあるが、いかんせんこの施設は変態の手によって変態のために作られたヤシノキラボである。
常識的に考えないで欲しい。と、声を大にして敵に伝えたいところなのだろうが、そうも行かない。
――「了解なのです。ワタクシは砲撃機体の排除に向かうのです」――
――「すまんの、いつも一人で行かせてしもうて……。ワシはすぐにラボ内のロザリス捜索に参加せねばならんのじゃ」――
――「いいえなのです。今はワタクシの中にはヤシノキ博士の力が、ヤシノキ博士の中にはワタクシの力があるのです。今日は負けないのです!」――
――「そうじゃの、必ずアクセリナを取り戻してみせるのじゃ」――
ガレージに着くとそこはいつもと様子が違った。
地下にある大きな空間に大量の兵装コンテナが並び、天井にはコンテナ運搬用のクレーンが忙しなく動き、視線を下ろせば沢山の小さな人型が動いている。
『なのですー』『ですぅ』『なのです?』『ですです』
小さな人型が電子加工されたレティアの声で鳴きながら、せわしなく出撃準備を整えてくれていた。
その姿はデフォルメされて三等身に縮めたレティアであり、銀髪も大きな瞳もそっくりだ。その名もプチレティア。ヤシノキ博士がクロッシングの応用技術で群体としての指示を出し、詳細な判断は自己判断し行動するレティアの疑似コピーAI を搭載した、いわば量産型レティア。ちなみに、姿とAIのモデルがレティアなのは、最低限レティアを模していないとクロッシングが繋がらないからである。
「プチレティアなのです。アクセリナがいないとこうなるのですかー」
レティアは呑気に感心した。
アクセリナがラボ内システムから外れた今、アクセリナがやってくれていた作業や情報処理を何らかの形で代替しなければならない。プチレティアもその一つである。
『なのですーなのです?』
近くのコンテナを短い腕で指し、プチレティアが何かを聞いてきている。
どうやら、兵装を選択しろと言っているらしい。
「今、ヤシノキ博士に送るのです」
レティアはヤシノキに、戦術プランと兵装リストを送信する。
――「了解じゃ。すぐに用意させるのじゃ」――
『なのです―!』
先程のプチレティアがビシっと敬礼をしてから、装備の用意に取り掛かる。
――「一番デッキをマスドライバーに繋いでおくのじゃ」――
ヤシノキの案内に従って一番デッキへの気密扉をくぐり、デッキ中央の円形のステージに立つ。すぐに背後で扉が閉まりロックが掛かる。
デッキ内は一辺約六メートルの部屋になっており、レティアが中央に着くとすぐに部屋の左右と上部に兵装コンテナがセットされ中から先程オーダーした装備一式が姿を現す。
レティアの身体に次々と装甲が取り付けられていく。装甲は耐熱性能の高いザンダール特殊セラミック製の物だ。
さらに武器。
FH近接武装カナル雷撃機、拳に装着する近接武器で、殴った対象に高密度パルス光を近距離で打ち込む事ができる。今回は主に射撃での戦闘ため、手首の後ろにセット。使用時に拳の前にせり出して来る形だ。
FH連射式散弾銃オロスコ、フィギュアハーツ用のショットガンであり、ドラムマガジンを搭載しNNRペレット弾を連射の出来るタイプ。予備弾倉にスラッグ弾を用意し、腰部兵装ラックへセット。
FH超長距離狙撃銃アルコイリス、全長四メートルもある地対宙の狙撃も可能なレールライフル。フルNNRジャケット弾を亜光速で打ち出せるだけでなく、チャージ済みのバッテリーを入れ替えることでノンチャージ連射を実現した化物超電磁狙撃銃。背部兵装ラックへセット。
その後大型のメインブースターを左右の脇腹に、膝と肩に追加ブースターをセットし、兵装の邪魔にならないよう大きくスリットの入った重力制御マントを首の後ろ辺りへセット。
武装が完了すると兵装コンテナがデッキから外され、デッキが部屋ごとにわかに移動する。
『こちらマスドライバー管制。射出システムオールグリーン。これよりシステム権限をレティアに移行。……ユーハブコントロール』
レティアの中にマスドライバーのシステムが流れ込み、長い長いレールが自分の体の一部のような感覚になる。
「アイハブコントロール。システムチェック……完了。これより戦闘モードへ移行するのです」
デッキの移動が終わり、足元にスターティングブロックが迫り上がる。足を合わせてしゃがむと床面が開いて現れたハンドグリップを掴む。前傾姿勢になる。
体の固定が完了すると、レティアはスッと瞳を閉じる。
……。
……。
……。
瞳を開く――エメラルド色に輝く機械の瞳孔=戦闘モード。
世界がさっきまでと違って見える。
デッキ前方の壁が開き空へと続く長いレール――RAシールドをトンネル状に展開=敵の砲撃/砲撃の余波/飛んでくる破片などからレールが守られる。レティア自身にもアルコイリスの銃口を頂点にした卵型のRAシールドを展開=空気の摩擦や加速のGから自身と装備を守るため。
射出カウントスタート/カウントを管制室と同期。
五/兵装リンク確認。
四/マップデータ再確認。
三/敵戦力再確認。
二/心の準備完了。
一/「レティア! 行ってくるのです!」
発進――加速開始/トンネル状のRAシールドを消しながら前進していく=RAシールド同士の干渉を避けて――加速。
足の下にある自分の体の一部=マスドライバー/そこに大きなエネルギーがうごめき自分を打ち出そうとしてくれている=この上ない高揚感として自分の中に受け入れる。
加速――加速――さらに加速――あっという間に音速を超え超音速の領域へ――さらに加速/さらに加速――第一宇宙速度へ――緩やかなスロープを九〇度登り上昇軌道へ――レールが終わりデッキごと空へ放り出される/マスドライバーとの接続を終了/グリップを手放すとデッキが砂になりキラキラと光りの尾を引く――一瞬でカモフラージュホログラフの外へ/僅かに軌道修正=東へ。
上昇――上昇――さらに上昇――高度計の表示が狂ったように上がっていくがこれが正常――ラボから一〇〇キロメートル離れた東の山岳地帯=敵の直上に到達/高度二〇キロメートル=雲より高い成層圏の真っ只中/オゾン層を抜け人間だったら死んでる環境に突入――フィギュアハーツならば問題なし。
RAシールドを卵型から球状に展開し減速開始/球状にしたRAシールド内で身体をクルリと反転させ背からアルコイリスを構える=真下へ向けての狙撃体勢/アルコイリス=スコープ無し=ヤシノキのスキルを帯びた目があればそんなもの必要なし。
脚から上昇しながら地上を見る=クロッシングスキルによる分析眼――敵戦力を真上から堂々たる索敵/一瞬で分析。
北西から高速でラボへ接近する敵=先頭にグラン&マリィ+中量級ツーレッグ×二五機――装備なども分析してラボへ送信。
東の山岳地帯の砲撃部隊=重量級砲撃型ツーレッグ×三機+軽量級狙撃型ツーレッグ×四機+軽量級工作型ツーレッグ×二機+中量級護衛用ツーレッグ×六機――こちらも装備類を分析してラボへ送信。
分析して気が付いたこと=ツーレッグ全機NNR装甲は無し――代わりに世代的には劣るが優秀な装甲素材のオンパレード=ザンダール特殊セラミック/超硬質特殊樹脂サリオレジン/GIW合金。
どれも一癖も二癖もある特殊素材でありネオニューロニウムには劣る素材――しかし還元光は効かず今はこの上なく厄介――さらに装甲表面に還元光を発する発光塗料を塗ってある=NNR弾が当たる前に砂にされてしまう結果が撃つ前にわかる/落胆なし=どうせこんなことだと思ってた。
さらに分析――希望を検出――希望=フルNNRジャケット弾なら芯だけでもサリオレジンくらいなら撃ち抜けるかも=軽量級だけなら狙撃が可能=厄介な長射程武器を持った敵をさらに長射程から撃破が可能。
アルコイリスに初弾を装填――安全装置解除――トリガーに指をかけて狙撃型ツーレッグを狙う――狙撃時に本来必要な計算&分析をすべてクロッシングスキルによる【見る】という行為で済ませてしまう――発砲! ――ドゥゥダァァァォォオオン! ――凄まじい音が天空に響き渡る。発砲と同時にブースター全開で反動制御+上昇速度を減速。
弾丸=レティアの分析どおりの軌道で敵狙撃機を真上からヘッドショット! ――直前でNNRジェケットを剥がされるがそんなの関係なしに弾丸の芯が亜光速で機体を頭頂から貫く――一撃で行動不能となり倒れる狙撃機=機密保持のために砂になる。
レティア=高度二五キロメートル――空になったバッテリーが排莢のごとく飛び出して砂になる――奇跡とも言える狙撃を行ったにも関わらず表情一つ変えず/内心嬉しくて仕方ない――超気持ちいい! /次弾を照準――発砲! ―――ドゥゥダァァァォォオオン! ――狙い違わず命中!
ブースターでさらに減速しながら同じ手順を繰り返す=マガジンが空になるまで/合計七発――最後の一発は敵勢の索敵用の簡易レーダーを破壊しておく――当然のごとく全弾命中。
四発目あたりから上昇が止まり落下し始めていた――五発目からは降下が加速していたが構わず発泡した――落下の速度と軌道をRAシールド+ブースターで調整しながら降下――落下――ほとんど墜落と言っていいほどの垂直直滑降/アルコイリスを背部兵装ラックに戻す――
「ここからがワタクシの本領発揮なのです」
――右手=カナルを拳に装着。
黄昏の空を高速降下しながらレティアのテンションは上昇しっぱなしである。
レティアのクロッシングスキル=テンションの上昇とともに身体のパワーが上昇する。
「ヒィヤッホォォォォなのですー!!」
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レティアちゃん無双~戦闘モード~
気持ちが高ぶり身体が強化されていくのを感じながら超音速降下――減速――音速降下――降下速度調節完了――レティア自身が亜音速の弾丸となる――少し離れた位置で砲撃を行っていた砲撃機へまっすぐ落ちていく。
減速に使った大型ブースターをパージ=身軽になる。
レティアの落下地点を予測した敵機が合流しようとしているのを見てとり――背中から無造作に弾の切れたアルコイリスをパージし投擲――大気を貫くように飛翔する全長四メートルの槍=元超長距離狙撃銃――先頭を走る中量機に命中し撃破! ――後続がたたらを踏む。
すでに高度二キロメートル/カモフラージュホログラフを突破してスキル無しでも敵を補足可能距離に――無論スキルは解かず。
敵の動きをスキルにより見て感知=砲撃機が二連装キャノンを直上に向けて発射準備=レティアに対して迎撃準備。
レティア=自分を迎え撃つために装填される弾×二を冷静かつハイな気分で分析――最適かつ最高にハイになれる行動を選択。
ドドン!!――敵砲撃機の砲撃/一五〇〇メートル上空の的に対しての地対地キャノンでの規格外射撃にも関わらず正確に撃ってきた。
レティアの対応=RAシールドをオフに/銀色の髪が暴れる/二つ並んで飛んでくる砲弾に対して身体を半身に――砲弾と砲弾の間をすれ違うように通過――ギリギリの高揚感――思わず叫ぶ=ほとんど咆哮のごとし。
「ワックワクがぁぁぁ! 止まらないのですーっ!!」
叫びながらRAシールド再展開――砲撃機の二門の砲塔が視界に迫ってくる――亜音速で衝突! ――RAシールドで敵機を押しつぶす――砲撃機のGIW合金の装甲がメキメキと軋む/四メートル近い巨体が膝を折る――RAシールドが過負荷/エネルギー減少/オーバーヒートにより警告音を吐き出す/無視して体当たりを敢行――敵の残弾が衝突の負荷に耐えきれず誘爆/ドゴォォォォォン/雷が落ちたような轟音――あたりが土煙に包まれる。
周辺の土煙を山の風が吹き数秒で視界が晴れる――RAシールドを切ったレティアが銀髪をなびかせて仁王立ち――成層圏からの超音速ダイブを無事に着地して無傷での生還=普通だったら奇跡/レティアにとっては何という事もなし。
周辺=岩だらけの山岳地帯――レティアの着弾により山の一部が削れてクレーターに――所々に散らばるバラバラになった砲撃機の残骸/機密保持のために律儀に砂に。
残敵=砲撃機×二機/護衛機×五機/狙撃機&工作機×〇機。
レティア=周囲に視線を走らせる――敵機なし――指向性地雷×四個が埋まっているのを探知/踏まなくても敵が近づくと爆発するタイプ。
ふいに足音/ドシャンドシャン――右手の岩山の影から護衛機×三機/三メートルを超える巨体でノシノシと横移動しながら視界を左に移動していく――ツーレッグ用のアサルトライフルをレティアに向け連射/ダダダダダダダダ×三/弾幕が迫る――とっさにRAシールドを展開しながらスラスターで回避/RAシールドが数発弾いた所で消失=エネルギー切れ。
「あっは! 切れちゃったのです!」
逆境を楽しむAIの心は闘志を衰えさせず――スラスター+地を蹴り猛進――重力制御でなめらかなS字機動で弾幕を見切って避けながら先頭の敵機へ肉薄/ドン! /カナル雷撃器を付けた右拳が中量機の胴部にアッパーを決める/胴部から胸部の装甲が弾け飛びフレームがむき出しに――さらに後方に吹っ飛び後続の一機に激突/尻餅をついて受け止めるが身動きが取れなくなる――レティアの追撃=左手で腰部から散弾銃を抜いてむき出しのフレームへゼロ距離射撃/ダンッ!・ダンッ!/フレームに大穴が開きコアが露出する・背部に位置するコアを正面からズタズタに引き裂く=戦闘不能――敵機が砂と化す。
のしかかっていた中量機が砂に=下敷きになっていた敵機が自由になる――レティアに掴みかかてっくる――レティア=スラスターを切ってストンと着地して腕を避ける/足を踏ん張る/スキルにより強化された身体で渾身の右フック! /ドガン! /カナル雷撃器で横っ腹を抉った。
横っ腹の装甲を抉られた敵機=衝撃で吹っ飛んで岸壁へ激突――なんとか倒れずにギシギシとぎこちない動きでアサルトライフルを構え発砲/ダダダッダダダッ!
レティアの即応=三機目の後続機との十字砲火を避け地を蹴る/即座に最も安全かつ有効な打撃の撃てる位置へ=岸壁へ吹っ飛んだ敵機に突っ込む/弾丸とすれ違う/事前に見切っていたわりと安全なコースでステップを踏む――Z字機動――接近して拳を振りかぶる/ドガン!・ドガン!・ドガン!/山ごと掘削しそうな猛烈な高密度パルス光のラッシュ/実際に敵機が岩山にめり込んでいく――敵機の装甲&フレームがグシャグシャにひしゃげてコアが露出――コアを掴んで引っ張る――ブチブチとコード類を引き千切りながらコアを引き抜いた――ポイ捨て――二機目が砂になる。
三機目=アサルトライフルを撃ちながらの後退――岩陰にレティアを追い込むも撤退を優先――追撃はせず。
レティアの次の行動=散弾銃を腰部に戻す――岩陰に隠れたように見せて岸壁を蹴って重力制御&スラスター噴射/上へ飛ぶ――そのまま岸壁を敵機に向かって数歩走る――岸壁を蹴って宙を舞う/変則的な動きで敵機の火器管制を追いつかせず――被弾なしで敵機の真横へ着地/太股の装甲へ右ストレート! /ドパン!/ツーレッグの脚が根本から吹っ飛び機体が傾く――装甲と装甲の隙間に手を潜り込まる――傾いた重量を利用して二倍以上の身長差を背負投の要領でぶん投げる――三メートルを超える中量機/重量三〇〇キログラム以上が放物線を描いて宙を飛んだ――ドシャァァァン/レティアの狙い通りの位置=指向性地雷の真上/そこへ背中から無様に着地――それを追って来たレティアがその上にトンと着地――地面から小さな電子音/ピピピッ=指向性地雷がレティアに反応――ドゴォォォン/レティア着弾以来の爆音が勃発。
「ふぅ、あっと四機なのですー♪」
下敷きにした敵中量機をそのまま盾にして大爆発を生還――敵中量機=爆発をコアにモロに受けて動力源を失いグッタリ/やがて砂になる。
レティア=平然と着地/カナル雷撃器のバッテリーがパシュッと音を立てて排莢される――次のバッテリーをセット――RAシールドのバッテリー交換=胸の上の装甲を開き新しいバッテリーをセット――腰部から散弾銃オロスコを取り残弾のあるマガジンを交換=ペレットの散弾をスラッグ弾に換装。
ふいに砲撃音/ドドン! ――砲弾を目視で確認=スキルで分析/着弾までの軌道をヤシノキへ送信/発射地点を分析=岩山一つ向こう側――猛然とダッシュ。
「これ以上撃たせないのです!」
岩だらけの山間を走りながら地雷を探知――地を蹴る/岸壁を蹴る/さらに反対側の岸壁を蹴る/スラスターを使ってトラップを回避――着地。
敵の予想地点に近づくと敵勢レーダーを感知/位置が筒抜けに/そんなもん関係なしに正面から突っ込むつもり。
開けた場所に出る=敵砲撃機の発射予想地点/護衛機×二機がレティアが飛び出した瞬間に正確な射撃/ダダダダダダダダ×二/RAシールドで難なく防ぐ――散弾からスラッグ弾に変えたオロスコを連射して応戦/ボォン! ボォン! ボォン!/一番近くにいた中量型護衛機に全て命中=頭部・右腕を吹き飛ばしさらに胴部にも一撃食らって倒れる――行動不能になり砂になる。
砲撃機がこの状況でも砲撃を続行――次弾が発射――される前にレティアの拳が炸裂!
「やらせないのです!」
脇腹にモロに食らった重量機が吹っ飛ぶ――もう一機の砲撃機を巻き込んで激しく転倒=砲撃中止――レティアの追撃なし。
レティア=倒れた重量機をいったん放置――S字機動で最後の中量機へ接近=地を這うような低空飛行――からの最後のスラッグ弾を二連射/二発とも胸部に命中/装甲をふっ飛ばしてさらにフレームにも損傷を与える――敵機が怯んで仰け反った/期を逃さず肉薄/接近の勢いを乗せて拳を突き出す――フレームを貫く/コアを貫く/背面装甲を内側から貫く/敵機の背中からレティアの手が生えた。
「よっこいしょなのです」
レティアが腕を引き抜く――敵機が砂になる。
残敵=敵砲撃機×二機――その一機が四つん這いになりレティアに二つの砲塔を向ける/脇腹を損傷した一機が副兵装のサブマシンガンを持って援護/四つん這いの敵機の砲撃! /四つん這いの重量機が反動で大きく後退/ドドン! /砲塔を横に向けたせいで山に爆音がこだまする――レティア=回避が間に合わないと一瞬で判断/RAシールド展開――真正面から受ける――二つの砲弾がRAシールド展開面で炸裂――衝撃/爆熱をモロに受けシールドエネルギーが半分ほど削れる――さらにサブマシンガンを撃ちながら重量機がノッシノッシと近づいてくる=次弾装填までの時間稼ぎ=捨て身の特攻。
レティア=RAシールドでサブマシンガンの弾を防ぎながらオロスコに残りの散弾を装填――スラスター全開で突進――そのまま体当たり/重量機に受け止められる形に――RAシールド内からオロスコを損傷した脇腹に三連射/オロスコが弾切れに――重量機=脇腹をスパークさせながらも倒れずに踏ん張る。レティアは覆いかぶさられるようにシールドごと抑え込まれる。
「面白いのですッ!!」
根性のある敵機にレティアのテンションが上昇する――RAシールドを解除――支えが消えてつんのめる重量機/レティア=完全な懐からカナル雷撃器での右フック/敵機脇腹に高密度パルス光が炸裂! =敵機の胴が完全に千切れて上半身が吹っ飛んでいく――地面に落ちる前に砂になる。
最後の砲撃機の装填が完了――照準が完了――発射! /ドドン!
レティア=RAシールドをとっさに展開して防御姿勢――砲弾がRAシールドに直撃――またも大きくシールドエネルギーを削られる――レティアの頭に警告音が鳴る。
重量機が立ち上がりサブマシンガンでの果敢な応戦体制に――今にも消えそうなRAシールドを展開しつつレティアの迫撃――スラスターでS字機動――敵機の後ろへ回り込む/重量機も必死に旋回するも間に合わず――レティアの突き上げるようなアッパ―カット! /衝撃で六〇〇キログラム近い巨体が地面から浮き上がる/二門の砲塔が根本からえぐり取られる/背部装甲が剥がれてコアがむき出しに――巨体が着地すると同時に背中を蹴りつける/重量機が再び四つん這いに――倒れた敵機に飛び乗りコアを引っ掴む――ブチブチとコード類を引き千切る――コアを引っこ抜く――ポイ捨て二回目――最後の敵機が砂になっていく。
周辺を探査――敵機なし。
ヤシノキへ通信/一応戦闘モードは維持したまま。
――「ヤシノキ博士、敵砲撃部隊の排除完了なのです」――
――「よくやったのじゃ! こちらもブンタさんと連絡が取れたのじゃ。帰投を急いでくれるそうじゃから、レティアもすぐに帰ってきて補給かのう、連戦になるかもしれんが、もうひと踏ん張りじゃ」――
――「了解なのです。すぐに戻って補給を受けるのです」――
通信終了――すぐさま高度を取るように浮上――猛然とラボへの最短距離を飛翔――飛びながらカナル雷撃器とRAシールドのバッテリーを交換しておく――敵の襲撃はまだ始まったばかりだ。
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最前線へ向かう者たちと、何かを見つけるために失う物……
勢い良く扉を開き、ミゾは自室としてあてがわれた部屋から唯一の荷物である大きな対物ライフルを持ち出して飛び出した。
廊下の先を走るラモンを追い、ミゾも後を追う。
場所はヤシノキラボの地下ゲストルームフロアである。
約五分ほど前から断続的に続く砲撃の爆発音は未だ続いており、今は戦闘中なのだと嫌でも思い知らされる。
ヤシノキラボは現在、グラン率いるツーレッグ部隊の襲撃を受けておりこの砲撃も東に一〇〇キロメートルほど離れた山岳地帯からの先制攻撃。敵主力は北西から進軍して来て約一五分後には防衛施設の射程圏内に入る。更にはフィリステルとロザリスに侵入されており、あまつさえラボのシステム中枢たるアクセリナまで拐われてしまった。
完全に後手、それどころか詰んでいるとすら言える。気付いた時には詰んでいる、まさにゲームでさんざん手を焼かされたフィリステルの戦略である。
敵砲撃部隊への対応にはレティアが出撃してくれるらしく、フィリステルとロザリスの捜索にはアーネストとサラーナ、ヤシノキが当たっている。
そしてミゾたちは敵主力と真正面からやりあうため最前線へ向かう。
――「ここが出撃ガレージだ」――
ガレージへ到着するとちょうどレティアがマスドライバーから発進して行くところだった。音速の壁を超える爆音を響かせ、そのまま直進すれば宇宙まで飛んでいける速度に乗り、矢のように空へと上っていく。
ガレージ内はサッカーのコートが二つは余裕で入りそうな広さがあり、今は沢山のプチレティアたちが忙しなく走り回り、各所で作業が続いている。
『なのです?』
その内の一体がミゾたちに駆け寄ってきて首を傾げて何かを聞いてきた。
「可愛い……」
ミゾの口から思わず声が漏れる。
「プチレティアだ。何か必要な装備があれば、その子たちに声をかけるといい。戦闘中の補給支援もしてくれるはずだ」
「え? あ、うん。それじゃあ、簡単なプロテクターがあればそれを」
「オレは近接武装タイプDと訓練兵装タイプBで、防具は要らないからデッキは使わずに直接兵装コンテナを降ろしてくれ」
『なのです!』
電子加工されたレティアの声で元気よく敬礼して、走り去っていった。
「防具、要らないのですか?」
「正確にはオレに合う防具ってのは無いんだ。オレたちexタイプのフィギュアハーツは、元々クロッシング無しでどれだけ強くなれるかを研究する実験筐体だったからな、本格的な戦闘に投入されるなんてのは想定外なんだ」
「え……? じゃあ今回は無理して前線に出るの?」
ミゾからラモンにクロッシングを介して心配する感情が流れていく。
それに対してラモンは苦笑しながら返す。
「ミゾは優しいな。でも問題ない」
――「今日からはオレにはミゾがいる。クロッシング契約のお陰でRAシールドも使える。何よりミゾの後方支援をオレがどれだけ心強く思っているか、これで伝わらないか?」――
ラモンは途中から思考通信に切り替えて、頬をポリポリ掻きながら自身の不安の無さと心強さをミゾに伝えた。
――「うん、分かる。クロッシングってやっぱりすごいね。ありがとう、私も頑張るよ」――
二人で温かい気持ちになっていると、装備の入ったコンテナが二つクレーンで降りてきた。先ほどと同じかどうかは区別がつかないがプチレティアがテッテと走ってきて、ミゾにプロテクターや防弾ベストを渡して行った。
『です!』
ラモンは手早くコンテナからヒーローの変身ベルトのような物を腰に付け、バッテリーカートリッジをソケットに差し込んでいく。同じコンテナからレティアが付けていた雷撃器のような物を左手に装着。さらに別のコンテナからドリルのような物とブーメランを取り出した。
重力制御マントは無いのかと思ったら、そもそもいつも付けている黒いマントがそれだったらしい。
RAシールド戦闘時拡張ベルト。ベルトの後ろ側がユニバーサルコネクターと繋がるようになっており、RAシールド用のエネルギーを供給出来る。これ無しで実戦でRAシールドを使おうものなら砲弾一発防ぐだけででエネルギーが無くなってしまう。通常は装甲などに内蔵されているシールド拡張機能であるが、専用装甲の無いラモンは訓練兵装からベルト型の物を付けることにした。
FH近接武装ケンプファー雷撃器。カナル雷撃器ほどの威力はないがバッテリーの持ちが良く、高速での連撃などでも使用可能。
FH攻城近接装備ギガドリルナックル。旧式銃器撲滅を行っていた頃、硬い壁などを掘削して侵入経路を確保するための装備。本来防衛戦闘で使う装備ではないがラモンには妙にこの武装がしっくり来るのでこれを選択した。
FH無線誘導式ブーメラン。フィギュアハーツの戦闘用ブーメラン。近接戦闘でナイフとしても使える抜群の切れ味を持ったブーメランを無線誘導により操作することで、トリッキーな戦術を可能とする武装。
ラモンが各種装備を再点検し、ミゾがプロテクターや防弾ベストを付け終わる。
そこにデッキで武装を終えたショウコが不機嫌そうにノッシノッシと近づいてきた。
「あらあら、前衛様が随分と遅い到着ですねぇ」
ショウコは青いFBDユニットスーツに同色の反重力マントと多めの装甲を甲冑のように着込み、見るからに重そうなカーキ色のガトリングガンを背負うように持っている。背中には左側にシングルタイプのミサイルポッドも付いていて、ラモンと正反対の重装備である。
FH分隊支援機関砲オブリタレータ。圧倒的火力を誇るガトリングガン。現実の性能を転写したゲーム内においてもバランスブレイカーと称されるほどであり、PSW内でガトリングガンと言えばこれである。
FH地対地誘導弾アンヘル。フィギュアハーツ用の誘導ミサイルポッド。四発の誘導ミサイルをロックオンした対象にそれぞれ飛ばすことが出来る。今回ショウコはシングルタイプの物を選択したが、ツインタイプの物であれば合計八発の同時発射が可能でもある。
ちなみにショウコが不機嫌なのは、せっかくクロッシング契約したのにアーネストと別々の配置にされたからである。クロッシング有効範囲自体は十分余裕があるのでラボ内で離れていてもクロッシングスキルの発動は可能ではある。しかしクロッシングスキルが現状不明なアーネストを最前線に出すわけにもいかず、RAシールドと高火力の銃火器が使えるショウコを前線支援に回さない手はなく、よって適材適所の配置によって別々になったのである。
「すまんな。こいつを取りに行ってたんだ」
ラモンがミゾの対物ライフルを指しながら素直に謝る。
ショウコはミゾに視線を送り、次にその背に背負ったライフルを見る。
「ふぅん……。ところでその銃なんて名前なんですぅ? 見たところ一般に出回っていた物ではなさそうですがぁ?」
確かにミゾの銃は一見旧時代の対物ライフルのような形だが、これまでそういう銃の撲滅に裏方であれ従事していたショウコにはそれが記録にあるどの銃とも違うのがひと目でわかった。
「えへへ、わかりますか? これはですね、あの現代最後の銃職人と呼ばれるルクス・ティアの作った対物ライフル、ルクスティアLV04なのです! 有効射程は三キロメートルにもおよび、一二発のセミオート射撃が可能でNNR弾の発射も可能なまさに破壊のための芸術品! ……ってすみません、ちょっと熱くなりました」
気付けばミゾは愛銃に頬ずりしながら、ちょっと引いちゃうくらい熱く語ってしまっていた。
しかしラモンたちフィギュアハーツの反応は意外なものであった。
「ハハハ……、ルク姉……こんな巡り合わせがあるとはな……」
「まったく、どこ行ったかと思えば銃職人ですかぁ。らしいと言えばらしいですぅ」
ラモンから伝わってくる感情は、懐かしさのようなものであり、ミゾには何が何だか分からない。
ふいにヤシノキから通信。にわかに場が動き出す。
『上空のレティアから敵の詳細情報が届いたのじゃ!』
「……今受け取った……、……これなら問題ない。オレはこのまま出撃する!」
「げっ、NNR還元光の発光塗料ですかぁ……。プチレティアちゃん通常弾の弾倉に交換お願いしますぅ」
「え? NNR弾が効かないんですか? じゃあ私も交換お願いします」
『なのです!』『ですです!』
二体のプチレティアが弾倉を取りに走っていく。
「ショウコ、交換が終わったらミゾを狙撃ポイントまで送ってやってくれ。オレは先に出るぞ!」
ミゾにラモンがクロッシングスキルを発動させる感覚が伝わってくる。
――FH-T NN-ex02 ラモンがクロッシングスキルを使用――
ラモンの姿が獣人化し、マントをはためかせて颯爽と北側のガレージ搬送口から出ていく。
「わかりましたぁ~……って、もう行っちゃったし……。さてじゃあミゾちゃん、狙撃ポイントのデータを送ってもらえますかぁ?」
「え? あ、ああはい。ええと……、マップを呼び出してポイントをマーク……、これを送信……、ってあれ? ラモンに送信しちゃってる……」
慌てて脳内OSを操作しようとするが、思考がまとまらずに四苦八苦するミゾ。
「ああ、うん、大丈夫、大丈夫だから……今ラモンから転送されてきたからぁ。了解ですぅ、とりあえずポイントAに送りますねぇ」
ミゾがモジモジしながら礼を言う。
「えっと、ありがとうございます。それから今、……ミゾちゃんって……?」
「ん? ああそのことですかぁ。くふふ……たぶん気付いてないのはうちの隊長だけですよぉ? フィギュアハーツは適合者リストで声紋データとかプロフィールを見れますし、ヤシノキ博士はそもそも知らないわけがないですしぃ」
「できれば、その……アネキには……」
「分かってますよぉ。アタシもライバルを増やしたくはないですしねぇ」
二人が話していると弾倉を取りに行ったプチレティアが戻ってきた。
手早く弾倉を交換し、ショウコはマントを水平に硬質化して展開し、ミゾが乗りやすいように少しかがんでやる。
「ささ、ミゾさん、乗ってくださいなぁ」
「はい。ではよろしくお願いします」
そして二人も出発する。
おずおずとミゾはミサイルポッドに気を付けながら硬質化したマントに跨がり、ショウコの装甲に掴まった。
「ではでは、でっぱーつ」
ショウコがスラスターを吹かし、ミゾたちもグランを迎撃するべくガレージを出た。
一方その頃アーネストとサラーナは……。
「それで、どうやって見えない敵を探すんだ……?」
「えっと……」
途方にくれていた。そう、敵が見えないのでは探しようがないのだ。
場所はヤシノキラボの地下機密エリア、アクセリナ本体の居た部屋の前の廊下である。
大きく分厚い扉がアーネストたちの後ろにあり、その中にはさっきまでアクセリナが眠っていた。
『それについてはワシに案があるのじゃ』
ヤシノキの通信と同時に、ラボ内の空気の流れが変わり、どこかから微かにシューと言う音が聞こえる。
しばらく見ていると、通風口からキラキラと緑色に光る粒が流れてきて廊下に均等に広がっていく。まるでラボ内に大量のホタルが迷い込んだかのような幻想的な光景になった。
そしてこれであれば、もし見えない何かがいた場合、不自然に緑の粒がなくなる位置が出来てくるのだ。
「おお、これで見えない敵が炙り出せるわけだ。さすがは天才!」
『ふぉっふぉっふぉ、そうじゃろそうじゃろ、わしは天才じゃからのう。今監視カメラの映像も洗っておるから、すぐに痕跡が見つかるはずじゃ』
アーネストが褒め称え、ヤシノキが照れるでもなく増長する。
「ところでヤシノキ博士、これって何なんですか? 人間の体に害とか無いわよね?」
サラーナがアーネストを気遣って一応聞いておく。
『無論大丈夫じゃよ。むしろフィギュアハーツにとっては健康になると言ってもいいのじゃ。なにせ気化したリペア溶液じゃからのう』
「え……? リペア溶液って……、はっ!?」
サラーナがすぐに気付いて羞恥で赤くなるが、もうすでに時遅しサラーナの着ているジャージが、キラキラした光の粒にまとわり付かれボロボロと崩れていく。
「キャァァァァァァァァッ!! 見ないでッ!!」
崩れ行くサラーナのジャージから少しずつ下着が見えてくるのをガン見していたアーネストの意識は、飛んできたサラーナの拳によりすっ飛ばされた。
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その縄! キッコウメン!
ドドドドドドドドドドド――
マリィのガトリング掃射をバックステップで避け、脚部と耳を半獣化したラモンがまた一つ後ろの建物の影へ身を隠した。
工場エリアの四角い建物が規則正しく立ち並ぶ中央の大きな通りを、黒と橙色のFBDユニットを纏った褐色のフィギュアハーツ少女、マリィがゆうゆうと前進する。
手には油断なくガトリングガン――オブリタレータを構え、背には大きなモーニングスターを背負っている。
さらに他のフィギュアハーツと大きな違いが一つ。彼女は重力制御マントを装備していないのだ。にもかかわらず、マリィの体はその体重の倍以上はある装備ごと地面からわずかに浮き上がり、スイーと移動している。ヤシノキから貰った情報によると、これは彼女のパートナーのクロッシングスキル、重力操作によるものである。
戦闘モードのラモンからのクロッシングに乗って、ミゾの脳にも断片的な情報が大量に流れ込んでくる。
――一ブロック後退/近づけるポイントを検索=三箇所が該当――その内の一つへ移動/同時に視線をそらすための支援要請=ミゾへの狙撃要請――
マリィに射線が通った瞬間、伏射姿勢でスコープを覗いて待ち構えていたミゾは対物狙撃銃ルクスティアLV04の引き金を絞る。
ダァァァンッ――
どんな音楽よりも素晴らしい銃声とともに音速を超えた弾丸が、狙い違わず八五〇メートル先のマリィへと飛んで行く。しかし、その弾丸は彼女に届く前に何かに弾かれるように向きを変えて明後日の方向へと飛んでいってしまう。
RAシールドで弾かれたのだ。大気中の[arachan37粒子]に干渉して一定範囲内に特殊な力場を展開するこのシールドは、物理、爆熱、光学兵器も通さない不可視の障壁である。
この無敵の防壁、実は弱点が幾つか存在する。
一つ目は、エネルギーの消費が激しいこと。特に熱やレーザー光を長時間防ぎ続けるとエネルギーが著しく消費される。同様に銃弾の連射を防ぎ続けることも困難であるとされている。
二つ目は、展開時に生体や硬質物質がシールド境界面に介在すると、シールド展開が阻害されること。シールドの形状を変える場合も同じ現象が起こるため、シールドを広げることで物を押しやるということは出来ない。
三つ目は、シールド同士が接触すると対消滅を起こすこと。
ミゾとラモンはこの弱点を突くためあらゆる戦術を駆使したが、未だシールド突破には至っていない。そもそもRAシールドの特性上、ライフルでの突破は困難なのである。
スコープ越しにマリィと目が会い、彼女がニヤリと笑ったのを見るやいなやミゾはすぐさま今いる建物の屋上から後ろの建物へと飛び移る。その横顔には笑みが浮かんでいる。
――面白いですね。困難であればあるほど、不可能と言われるほど覆したくなります。
ラモンの移動を確認する。
チラリと周辺を見渡すが、グランの姿は見当たらない。
次の狙撃ポイントへ移動するミゾの姿は、ラモンのクロッシングスキルで獣化しており、頭には黒く長いウサギの耳、お尻には丸くてフワフワの黒い尻尾、そしてショートパンツから伸びる脚は黒い毛で覆われたウサギの脚のようになっている。そしてこの脚であれば三〇メートル以上も離れた別の建物の屋上へも軽々と飛んでいける。
こうしてミゾとラモンは、また一ブロック後退した。
戦闘開始から一五分。ヤシノキラボ北側の草原でグランとマリィおよび中量型ツーレッグ二五機と接敵したミゾとラモンそしてショウコであったが、すでにラボ内フィギュアハーツ製造区画まで押し入られてしまっている。
ツーレッグは一小隊五機の編成で、ラボに侵入される前に二小隊を撃破したものの残り三小隊、計一五機に侵入され、そちらの迎撃はショウコが応っている。一対一五ではあるが、RAシールドとショウコの重装備であれば殲滅は時間の問題である。
そして目下一番の問題が、グランとマリィのクロッシングペアである。正面からRAシールドを展開して歩いてくるマリィをグランがフォローするという単純な戦術であるが、RAシールドの弱点を知っているからこその絶妙なコンビネーションでラモンの接近を許さず、ミゾの狙撃も有効打には至っていない。
さらに二人のクロッシングスキル、グランの重力操作とマリィの皮膚組織の硬化能力も合わさり、足止めすらも難しい状況となっている。彼女たちはジワジワとラボ中央区画へと進んでいる。
ジリジリと後退するミゾたちにヤシノキから通信が入る。
『ミゾくん、それ以上後退すると少々まずいかもしれんのう』
見ると、ラボの中央区画から緑色に光る粒子が広がってきている。
「なんですかあれ? 何かヤバイんですか?」
『体に害のあるものでは無いのじゃ。見えない物を見えやすくしたかったんじゃが、これの影響でアネさんが倒れてしまってのう』
フィリステル捜索のための作戦なのだと、ミゾはすぐに理解した。
「えっ? 大丈夫なんですか!?」
『大丈夫じゃ。今サラーナが保健室に運んだのじゃ』
さらに通信にショウコが入ってきてグループ通話となる。
『おいジジイ! さっきアーネスト隊長がいきなり喜んだと思ったら意識が途切れたの、そのせいか? めっちゃ痛かったんだけど何があった!?』
『不幸な事故じゃった……』
『何があったーッ!!?』
不毛な言い争いになりそうなので、ミゾは次の狙撃ポイントで伏射姿勢を取りながら質問を挟み込む。
「それで、あれは何なんですか?」
『フィギュアハーツ用リペア溶液を気化させた物じゃ。さっきも言ったとおり人体に害はないものじゃ。リペア溶液内のナノマシンが発光しながら空気中に滞留しとるから、もしこの中にフィリステルかロザリスがおれば不自然な穴が出来るはずじゃ。あとは些細な副作用として衣服や無駄毛が溶けたりするが、本当に些細な問題じゃな。気にするにも値せんのじゃ』
『読めたぞ! このクソジジイがーッ!! サラーナのやつ、あとで覚えてろよ……!』
ショウコが怒りに任せて派手にツーレッグを撃破したらしく、二つの爆発音が連続し、マップから敵勢ツーレッグのマーカーが二つ消えた。
「ラモン! ラモン! 早く戦線を上げますよ! なに下がってんですか突っ込んで下さい!」
『無茶言うな!』
さっきまでの慎重な戦術はどこへやら、ミゾは一気呵成に攻めの姿勢に手のひらを返した。
『そう焦らんでも良いぞ。ワシも捜索しながら北側エリアに向かっておる、他のエリアはフィギュアハーツたちが捜索しとるし、さっき連絡があってブンタさんも帰還を急いでくれておる、二〇分前後で着くじゃろうて』
確かに北側に捜索の目を向けながら援軍に来てくれれば、グランペアとフィリステルペアの合流という最悪のパターンを阻止する、あるいは事前に察知できる可能性は高い。クロッシングスキルが使える戦力が前線に加わるというのも魅力的である。戦局は好転すると言って良いだろう。
しかし、ミゾの焦りは加速する。
「どうしようラモン! ヤシノキさんが来ちゃう……!」
『ワシ!? ワシがダメなの!? もうミゾさんは隅から隅まで見られたから諦めた思とったのに……』
そういう問題ではないだろうに。
援軍は欲しいが気化リペア溶液と一緒に来るのは勘弁して欲しい、ミゾである。
『なるほど、オレも善処しよう。スマンな博士。クロッシングしてると分かるんだ、あんた相当気持ち悪がられてる。昨日まではオレもこんな気持は分からなかったんだがな、不思議なものだ……』
ミゾは視界の隅にあるマップとクロッシングによって、ラモンがマリィの側面に回り込むのを確認した。
「私も、変なこだわりは捨てます」
『待っとれミゾくん、こちらもプチレティアを捜索に動員してすぐに援軍に向かうのじゃ。ここらでワシも、汚名挽回! 名誉返上じゃ!』
『ジジイ……逆だ。汚名は挽回するもんじゃねえし、もうすでに返上する名誉もねえ』
そんなショウコのツッコミを聞きつつ、ミゾは伏射姿勢から立ち上がり屋上の縁にウサギの足を掛け思い切り上へと飛ぶ。
スキルによって強化された脚力によってミゾは一気に三〇メートルほど黄昏の空へと跳び上がった。
八〇〇メートルは離れている大通りのマリィの視線がこちらに向き、もう一つの視線の気配も感じる。足元!
ミゾが伏射姿勢をとっていた建物のすぐ近くの暗闇から、タンッと地を蹴る音をウサギの耳によって強化されたミゾの聴覚は聞き逃さない。
「見つけたッ!」「見つけましたッ!」
声が重なる。
視線が交差する。
銃口を向け合う。
暗闇から現れたのはマリィにそっくりな顔立ちとスタイルをした少女、グランであった。 紫を基調とした迷彩柄の野戦服を着てアサルトライフルを構える彼女は、髪型がツインテールであることと肌の色が白色であること意外は不気味なほどにフィギュアハーツであるマリィに似ている。
髪型も肌の色も二人を見分けるためにワザと変えているのである。それはグランを模して作られたマリィにとっても、マリィのモデルとなったグランにとっても、二人が共にいるために必要な処置であり、絆であった。
今はそのマリィそっくりな顔に不敵な笑みを浮かべ、グランが重力操作で真っ直ぐに上空にいるミゾの方へと向かってくる。
「獲った!」
グランが構えた銃を発砲する。訓練どおりの三点バースト!
しかしミゾは打ち返さず、クロッシングスキルを発動させた。
――Mizoがクロッシングスキルを使用――
ミゾは大きな黒い鞠のような球体に包まれ、グランからは姿が見えなくなってしまう。
グランが放った三発の銃弾は黒い球体の中心、ミゾの胸の位置に真っ直ぐ吸い込まれていき、そのまま球体の反対側から飛び出した。
「うえぇぇ!?」
「獲りました」
驚くグランの声をよそに、黒い球体から冷静なミゾの声と―― ダァァァンッ――銃声と銃声よりも速い弾丸が飛んできた。
ギャァン――
とても鋼鉄の弾丸が人体に当った音とは思えない音が、夕焼けの空の中で銃声と混ざる。
グランは戦闘時には常にクロッシングスキルで皮膚を硬化させており、それせいでミゾの対物ライフルの直撃は貫通せずに弾かれてしまったのだ。
しかし、左肩に当った弾丸の衝撃は凄まじく、地面へと錐揉みしながら吹っ飛ばされて行く。
好機を逃さずセミオート二発目!
ダァァァンッ――
アスファルトの地面に激突する寸前、グランは体制を立て直し重力操作でスルリと建物の影に滑り込み、ミゾの二発目は回避され弾丸がアスファルトに大穴を開ける。
グランが落下した後もミゾを擁した球体は空中にとどまり続けている。
――「ラモン、グランの左肩にヒット。逃げられましたが、フォローに入られる前にマリィを狙います」――
――「了解だ」――
ラモンと短い思考通信。
「やはりこの時間だと、このスキルは目立ってるんですかね」
ミゾは暗くなっていく黄昏の空を横目に、マリィに狙いをつける。
外からは真っ黒な球体でも、内部からは外の様子がハッキリと見えているのだ。
先程接敵前にショウコとクロッシングスキルの発動練習をした時に、外からどう見えているかは、ショウコの視界をカメラとして使って、ミゾも見せてもらったのだ。あんな真っ黒な人間大の球体を出現させてはどうしたってマリィの不意をついて狙撃など出来ない。
そのためミゾはいつものように狙撃ポイントを設定し、ショット&ムーブでコソコソ撃っていた。
しかし戦況が変わった以上、なりふり構ってもいられない。
「本当はこういう戦い方はあまり好きではないのですが……」
このスキルであれば、ミゾは高所にとどまりながら撃ち続けることが出来る。
ダァァァンッ――
マリィのRAシールドに弾かれる。
ダァァァンッ――
RAシールドに弾かれる。
ダァァァンッ――
弾かれる。
ダァァァンッ――
弾かれても構わず撃ち続ける。
マリィが八〇〇メートル先からオブリタレータで撃ち返してくる。
集弾性の低い弾丸がまばらに飛んできてミゾの球体を掠める、あるいは球体表面からミゾのいない次元へと転移させられ、また反対側から飛び出してくる。
まるでマジックショーで人が入った箱にサーベルを刺しても無事なマジックを、種も仕掛けもなくやっているようだとショウコは言っていた。
そういうたぐいの転移結界とヤシノキから説明は受けていたが、ミゾはよく理解しないまま便利に使っている。とにかく中にいれば無敵らしい。
不便な点があるとすれば真っ黒な外見と、RAシールドのように展開したまま移動することは出来ないという事である。さらに言えば二人で二つという能力の都合上、ミゾにとっては高所からの狙撃には最適のトーチカとなるが、ラモンにとってはどうにも使いづらいスキルである。
――「ラモン、あと三発で突撃……、ってあれは……?」――
――「なんだ?」――
ミゾとラモンが最後の一手を打つ直前、マリィの周辺にユラユラと太いワイヤーが緩く張られていく。
ヤシノキからも不穏な通信が入る。
『遅くなったのう、ミゾくん、ラモン。ワシが来たからにはもう安心じゃ!』
いつの間にかミゾの球体の周辺は緑の光の粒に満ちていた。
幸い気化リペア溶液は結界内には入ってきていない。
「そんな、思ったよりも早かった……?」
『散布速度を上げたからのう』
敵にとっても味方にとっても嫌がらせとなる戦術的判断である。
ミゾは結界の中でペタンと座り込んでしまう。もうこの戦闘中、絶対にスキルを解かないことを心に決めた。
ミゾが強化された視力で戦況を見物していると、マリィが緩いうちにワイヤーを突破すべく突進していく。
しかしマリィがワイヤーに触れた瞬間、緩かったワイヤーが一気に引き絞られマリィを夏に売られているスイカのようにRAシールドごと亀甲縛りで拘束してしまう。
『まさか! あの技は!!』
「ラモン、知っているのか?」
戦意の失せたミゾはとりあえずラモンのセリフに乗っておく事にした。
縛られたRAシールドはバチバチと火花をちらしながらワイヤーを弾こうとするが、弾こうとするほどにワイヤーが締まっていく。
『ああ、あれは、縄に触れた者の抵抗する力を利用して縛る緊縛術! ヤシノキ流緊縛術、奥義! [君の縄。]!!』
「な、なんだって!?」
しょうもないネーミングセンスの奥義にミゾもビックリだ。
そしてその男は昼と夜の境、まさに逢魔が時に現れた。
シュタッと拘束されたマリィの後ろに着地してポーズを決める。
真っ黒な下地に亀甲縛りの痕ような六角形の荒縄の模様ラバースーツが逆三角形の細マッチョボディを包み、頭部には白い六角形をあしらったフルフェイスヘルメットを付けた男。否、漢!
八〇〇メートル先もでスキルで強化されて無くても聞こえそうな大声で、漢は叫ぶ!
「TENGA 呼ぶ! 痴が呼ぶ! 君が名を呼ぶ! 緊縛戦士! キッコウメン!! ここに参上じゃ!!」
誰も呼んでないがヤシノキのバトルモード、キッコウメンこと変態が最前線に参上した。
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たった一つじゃない、彼と繋がる運命の糸~唾液編~
…………SA-01サラーナ、arnest の接続を確認――
――arnestの脳内をスキャン開始――
――arnestの視覚情報記憶よりバックドアを検索中……――
アーネストの目蓋の裏に、フィギュアハーツのタイトル画面がフラッシュバックする。
――バックドアの開放を確認――
これは……。
まどろみの中、アーネストの意識が微かに覚醒した。思考の溶け込む真っ暗な闇の中に、プログラムが走る感覚だけが白く刻まれる脳内の仮想空間。
アーネストの覚醒を感知した脳内のaxelinaOSが、システム中枢の少女が不在であってもサブシステムを介して起動する。
――axelina起動中……――
――「axelinaへようこそ!」――
――FH-U SA-01サラーナの直結接続を確認――
――FH-U SA-04ショウコのクロッシング接続を確認――
サラーナ……?
アーネストは唇に柔らかい感触を、そして舌にピリピリと電池を舐めたような感覚を、今更ながらに感じる。
――「アーネスト隊長ぅ、無事ですかぁ?」――
思考通信でショウコの甘い声がアーネストの頭に響く。
――「…………」――
返答しようとするが、思考がうまく通信に乗らない。
隊長、もうしばらく大人しくしててね。
そんなサラーナの思考が舌を伝ってアーネストの中にトロンと溶け込んでくる。
何が……起きている?
――FH-U SA-04ショウコがクロッシングスキルを使用――
さらにクロッシングを介してショウコがクロッシングスキルを発動させるのを感じる。
戦闘モードのショウコの覇気も、高揚感も、戦場の熱気も、充満する硝煙の匂いも、ずっと戦場に居ながらアーネストがほとんど感じることのなかった本物の戦場が、クロッシングを通して痛いほどに伝わってくる。
ショウコ様が……戦っている……? 俺も……。
しかしアーネストの意思に反し、彼の身体はピクリとも動かない。瞼を開くことも、暗い視界の中で脳内OSを操作することすらも出来ない。
これが……バックドア……の……。
ごめんなさい、隊長。でも今はワタシを信じて、ワタシに体をゆだねて欲しいの。
アーネストは体の主導権を完全にサラーナに掌握されているため、指一本動かせない。信じるも信じないもなく、彼女にされがままだ。
サラーナ……、君は……何を……?
アーネストの疑念が思考の闇に溶けていく中、彼の新たな力にサラーナが触れた。
扉が開いて光が漏れ出るように、その力は解放される。
――arnestがクロッシングスキルを使用――
――「は? なんだ? 何が起きてやがる!? アーネスト隊長!?」――
バックドアから強制的にクロッシングスキルが発動させられた。
そのアーネスト本人すらも知らなかったクロッシングスキルの発動に、ショウコの驚愕が伝わり、彼自身の驚愕とも溶け合う驚きの二重奏。
サラーナだけが冷静にアーネストの脳内OSを操作して作業を進めている。
そしてさらに信じられない事が起こる。
――FH-U SA-01サラーナのクロッシング直結を確認――
――FH-U SA-01サラーナのデバイスドライバのインストールを開始――
――FH-U SA-01サラーナのクロッシングツールのインストールを開始――
アーネストの脳内に暖かな何かが広がっていく。あの時と同じ、しかしわずかに異なる懐かしくて安心できる、繋がりのようなもの、ショウコと始めてクロッシングした時の感覚が蘇る。
なんと、本来一人としか出来ないはずのフィギュアハーツとのクロッシング契約が、アーネストはサラーナとも繋がったのである。
――クロッシングパスワードを設定――
――「サラーナは――――――
クロッシング契約が完了し、アーネストの意識が暗闇から明るい覚醒へと向かっていく。
――「新たに増えたクロッシングパートナーであるサラーナと、覚醒したクロッシングスキル、マルチクロッシングを携えて!」――
――「やめてサラーナ!? 戦って意識を失ったわけでも無いのにドラマチックに覚醒させるの、恥ずかしいからやめて!!」――
――「おい! ホントに何が起きてやがる!?」――
結局、驚愕と混乱の中アーネストは覚醒した。
「ん……ちゅ、ぷはぁ! ……はぁ……はぁ……はぁ……」
アーネストが瞳孔まで開きそうな勢いで目を開けると、そこにはリクライニングベッドで上体を起こされた彼に馬乗りになったパイロットスーツ姿のサラーナが、視界いっぱいに映る。彼女の唇からは粘液の糸がツーッと伸び、アーネストの唇に繋がっている。
辺りは緑の粒子がたゆたい、長い金髪を乱れさせて大きな胸を上下させて熱い吐息を吐き出すサラーナをいっそう淫靡に魅せる。
アーネストは大きく瞳を開いたまま、サラーナに釘付けである。
場所は第十七保健室。アーネストが殴り倒されたアクセリナの部屋のある機密エリアから最も近い保健室、そのベッドの上にアーネストとサラーナは居た。
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無防備な男は襲われる、それはこの世界の掟
第十七保健室は地下にある。しかし地下であってもわざわざ窓ガラスとその向こう側の景色までモニターで再現し、どこかの学校のグラウンドのような風景が広がって、丁寧に清潔感のあるカーテンまで掛けて、まるで地上であるかのような雰囲気だ。再現されているのは昼間の風景だが、今の時刻は夜だ。
さらに保険教諭用の机や医薬品棚、ベッド、壁には性知識のポスターまで、まさに高等学校の保健室の様相である。これほどまで設備が整っていながら、ここは他にいくつもある保健室同様けが人を運び込む場所ではなく、ただのプレイルームだというのだから酔狂ここに極まれりだ。
そんな意味ではけが人として運び込まれ、今はサラーナと密着して唇と唇とを唾液の糸で繋がれたアーネストは、まさに二つの意味でこの部屋を本来の目的で使用していると言える。言えないかな?
「サラーナ? これはいったい……?」
サラーナの青と白のFBDユニットのスーツ、ショウコよりも白の面積が多く、胸元がショウコよりもだいぶ大きく膨らんだレオタードにミニスカートを付けたデザインを、舐めるように見ながら、アーネストは自分でも何を問うているのかわからない問いを投げかけた。
巨乳の女の子と対面騎乗位である。しっとりと柔らかな太ももの感触や重み、トロンと潤んだ瞳を目の前にして、男の子の思考がまとまらなくても当然なのだ。
口を動かしたらサラーナの唇と繋がっていた粘液の糸が切れ、全裸のアーネストの胸元にその雫が落ちた。
――「アーネスト隊長! どうなってんだ!? 無事なのか!?」――
慌てた様子のショウコの思考通信でアーネストは我に返り、大事な場所の無事を確認する。
アーネストのもう一つの下の接続ポイントはサラーナの下腹部の丘でムッチリガードされ、不正アクセスを物理的に防いでいる。
意識を向けるとピクリと動き、にわかに膨張する。大丈夫、まだヤれる。
――「ショウコ様! 無事です! 俺はまだ勃ち上がれます!」――
アーネストはまだガチガチに勃ちます! 寄生ファイルになんて負けてません! だから見捨てないでとばかりに思考通信を返すが、必死過ぎる思いがショウコに流れ込み精神的にドン引きされた。クロッシングが切れそうで危ない。
そこで陶然としていたサラーナは息が整ってくると我に返り、アーネストの問に答えずに次の行動に移った。アーネストの問は聞いていなかった模様。
「……はっ! 早く! 急がなくちゃ!」
サラーナが速やかにアーネストの上から降りて、隣のベッドに置かれていた物をアーネストに渡す。
「これ、着て! 早く! フィギュアハーツ用のスーツだけど着れるはずよ。それならリペア溶液で溶かされる心配もないわ」
黒い男物のレオタードであった。
フィギュアハーツの着けるFBDユニットスーツは、ユニバーサルコネクターと兵装を繋ぐケーブルとしての役割だけでなく、薄いながらも防弾防刃耐熱性が付与されており衣服ではなく防具として認識される。
ピッチリして恥ずかしいが、とりあえず無いよりマシと、アーネストはベッドから立ち上がって着用する。着用時にすね毛や陰毛、脇毛までもが綺麗に無くなっていることに気が付き、少し寂しい気持ちになった。
ノースリーブのレオタードの背中や胸部、腹部に兵装用ロックコネクターがあったり、尾てい骨の辺りがユニバーサルコネクタを露出させるために大きく開いていたりするが、着心地は悪くなく動きやすい。
「着たけど、次はどうするんだ? 色々説明してくれると助かるんだが」
マップやレティアから送られてきた敵の情報を見て、戦況を確認していたサラーナに声をかける。
「ガレージに向かうわ。簡単な事情は走りながらね」
そう言って保健室の扉をガラガラと開き、光のたゆたう廊下をサラーナが先に立って二人は走り出す。
「それで、サラーナは俺に何をしていたんだ?」
殴り倒してバックドアまで使って、とまでは口にしなかった。
「そうね……。さっき確認したら覚醒時にクロッシングも切れちゃったみたいだから……。ワタシのクロッシングパスワードは覚えてる?」
サラーナは「ワタシの」を強調して言った。脳内OSで流れてくるログやショウコの驚き様で感じてはいたが、やはりそういうことだったのかとアーネストは思った。
「えっと……、サラーナは俺の嫁……?」
――クロッシングパスワード承認――
――FH-U SA-01サラーナのクロッシング接続を確認――
――「どうやら成功したようね。これで次からは意識が飛んでも自動接続されるはずよ」――
バックドアからのクロッシング契約は、まだまだシステムサポートが行き届いていない。これは後でサポートセンターにクレームを入れる案件である。そのためにもサポートセンター受付係ことアクセリナを取り戻さなければならないな、とサラーナは思った。
――「な!? サラーナ!? なんでお前と思考通信が繋がってんだ!!?」――
――「これが隊長のクロッシングスキル。マルチクロッシング。複数のフィギュアハーツとクロッシング契約を結べるスキルよ」――
――「マルチクロッシング……。これが俺の力……?」――
自分の手のひらに視線を落としてみるが、いつもと変わらぬアーネストの手であった。
というか、自分の手を見ながら「これが、俺の力……」とか言ってみたかっただけである。特に意味はない。
――「ええ、その力を引き出すために今回はバックドアを使わせてもらったのよ」――
サラーナがエレベーターに乗り込みながら思考通信を続ける。少し遅れてアーネストが乗るのを確認すると素早くボタンを押して扉を閉めた。
エレベーターが上昇を開始する。
――「おまえ、それを狙ってアーネスト隊長と二人っきりに? しかもバックドアなんて非人道的なもの使いやがって!」――
それをショウコが言っちゃうのか、と二人は思ったがなんとか表層意識には出さなかった。
――「それをショウコ様が言っちゃうのかあ」――
――「……」――
表層意識に出さなかったのはサラーナだけだったみたい。
――「……、殴り倒しちゃったのは悪かったと思ってるわ。でも結果オーライね。ワタシと隊長が結ばれるのは分かっていたもの」――
――「分かってたって……、そうかニフル博士のクロッシングスキル……」――
――「そうよ。ワタシはこうなることを、すでに夢に見ていたわ。隊長とクロッシングを結ぶこと、そしてこれから十数分ほどを断片的に知っている。……それがワタシの最後の予知夢」――
サラーナの元パートナー、ニフル博士のクロッシングスキルは予知夢というクロッシングスキルの中でも屈指のオカルトじみた能力であった。本人いわく量子論の極地たるラプラスの魔を[aracyan37粒子]によって実現したれっきとした科学の賜物だというクロッシングスキルは、当然パートナーであるサラーナも使用できたのである。
――「予知夢……そんなクロッシングスキルまで存在するのか……。それじゃあサラーナは最初から俺のマルチクロッシングのことも知ってたのか」――
――「いいえ、最初からと言うのは少し違うわね。マルチクロッシングについてはヤシノキ博士が隊長を診た時にピンときたの。ニフル博士の研究資料の中にマルチクロッシング理論があったのを思い出したのよ」――
エレベーターの上昇が止まり扉が開く。サラーナとアーネストが素早く飛び出し、ガレージへとまた走り出す。
――「そういうことか、だからアタシはサラーナからも追っかけまわされたわけか。……まったく、未来を見るならちゃんと視てくださいよねぇ。アタシのお肌がEMPで荒れちゃったらどうしてくれるんですかぁ?」――
サラーナがアクセリナから、ショウコとアーネストがクロッシングを結んだことを聞かされた時、アーネストがマルチクロッシング能力者だと知らなかった彼女は自分の最後の予知夢が外れたと思ったのだ。
元パートナーであるニフル博士から貰った最後の絆を、未来への導を、サラーナはそんな形で失いたくはなかったのだ。
――「し、仕方ないでしょ! ワタシはニフル博士と違って断片的にしか予知夢が見えないんだもん! だからワタシより先にショウコがクロッシング契約したって聞いた時はホントに慌てたわ。予知夢が外れることなんて、運命が変わることなんて稀にあることだもの」――
ミゾとラモンがそうであるように、クロッシングした者同士のスキルが必ずしも双方がうまく使いこなせるとは限らないのである。
――「なるほど、それであの時[泥棒猫がぁ!!]って怒ってたのか」――
――「ワタシ、そんなこと言ってたっけ?」――
言っていない。正確には「あぁんの盛ったメス犬がぁっ!!」であり、完全にアーネストの記憶違いである。アーネストとしてはネコ耳をつけようがイヌ耳をつけようが[可愛いショウコ様]なので、どっちでも良かったみたい。
――「それで、アーネスト隊長たちはこれからどうするんですかぁ? っと、よっ、ほっほっと。前線の戦力は充分ですがぁ」――
――射線をステップで回避/路地へ飛び込む――軽く地を蹴りスラスター点火――建物を回り込んで敵ツーレッグ側面へ――オブリタレータを構える/アバウトに照準/ガトリングの嵐をお見舞する――一機撃破。残敵=中量型ツーレッグ×五/グラン&マリィ――
戦闘モードのショウコからデータの断片が流れ込んで来た。
言外にフィリステルとロザリスの捜索を促しているのも分かるが、しかし、
――「ええ分かってるわよ。それでもワタシたちは最前線、マリィの所に行くわ」――
サラーナは戦術的最適解よりも予知夢の断片情報を信じて、最前線へ向かう判断を下していた。
――「それで本当に、全部うまくいくんですかぁ?」――
ショウコからすれば一刻も早くロザリスを見つけて、アーネストに寄生したファイルをどうにかしたいのである。いつアーネストの生殖機能が失われるか分かったものではないのだ。
今この時もアーネストの股間はロザリスの手の内にあると言っても過言ではない。という焦りの感情がショウコからアーネストに流れる。女の子に股間を握られてると思うと、走っている彼を無駄に前傾姿勢にさせる。
レオタードはピッチリしていて目立ってしまうのである。ナニがとは言わないが。
――「それは……わからないわ。でもワタシはこれが明るい未来への最善の選択だって信じてる!」――
その強い思いは、クロッシングを通してショウコとアーネストにも伝わる。
目的地が近づき、廊下の終わりからガレージの光が見え始める。
迷っている暇はない。
――「わかった。俺はサラーナを信じるよ」――
「ありがとう、隊長」
そう言葉に出して言って、アーネストを振り返ったサラーナの表情は、ガレージからの逆光と緑の光の粒子で彼にはよく見えなかった。
しかし涙が一雫、頬を伝っていた様に見えたのは心の奥に仕舞っておくことにした。
ガレージに到着した二人は、プチレティアに装備のオーダーを出し、サラーナは三番デッキへと入って行き、アーネストはプチレティアから渡された人間用のプロテクターを、所々人間用ではない物の付いたレオタードの上から付けられるだけ装着する。
『なのです!』
ビシっと短い腕で精一杯の敬礼をして、テトテトと駆けていくプチレティアを見送るアーネスト。
――「今度、プチショウコ様をヤシノキさんに作ってもらおう」――
――「プチサラーナもきっと可愛いよ、隊長!」――
――「あのジジイのことだからきっとぉ、そんなことより子作りしろって言いそうですぅ」――
ショウコの思考通信にアーネストはドキリとし、サラーナからも恥じらいの感情が流れてくる。
アーネストはショウコとサラーナとの三人プレイの妄想を振り払い、慌てて話題を切り替える。
――「そそそそれで、お、俺はこれから何をすれば良いんだ?」――
もちろん、どんなプレイで子作りすればいいのかという話ではない。
目下の戦闘の話しである。
――「隊長にはこれから、マリィとディープキスをしてマルチクロッシングを発動してもらいます」――
「はあぁ!?」
アーネストは思わず驚きの声を出してしまった。
――「はあぁ!? そうは言ってもマリィは契約済みのフィギュアハーツですよぉ? その後はどうなるんですぅ」――
ショウコの思考通信のとおり、契約を解消されていたサラーナと、今現在も絶賛契約中のマリィとでは条件がまったく違うと言っていい。絶賛しているのは主にグラン。
――「その後は、分からないわ……。ワタシの予知夢はここで途切れちゃったの」――
――「何でまたそんな中途半端な所で……」――
――「えっと、……その、寝ぼけたニフル博士が、ワタシのおっぱいを鷲掴みにしたせいで目が覚めちゃったの……。すぐに寝直すって手もあったんだけど、寝ている男の人って可愛くって、ムラムラした勢いでついイタズラが止まらなくなっちゃって……」――
――「ああー、それ、わかりますぅ」――
――「…………」――
寝ているアーネストを襲っちゃったショウコが同意した。
襲われちゃったアーネストも色々物申したいが、喉元に詰まってうまく思考がまとまらなかった。
――「未来はわからないけど……。でも大丈夫なはずよ。マルチクロッシングの特徴は、複数のフィギュアハーツと契約できるってだけじゃないの、人間側から契約を持ちかけられるというのも、もう一つの特徴のなのよ」――
――「へぇー」――
――「へぇー」――
このパッとしない特徴に、アーネストとショウコの反応は薄かった。
――「そしてニフル博士の研究資料によれば、マルチクロッシングはフィギュアハーツを寝取る事が可能……、らしいわ」――
――「「なんですとぉ!!!?」」――
しかし衝撃のNTR機能に、二人の反応が激しく重なった。
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その暖かい未来の為に口付けを
FBDユニットを装備したサラーナの変形したマントに乗り、アーネストは本物の戦場の空気を感じていた。
フィギュアハーツ製造区画だというこの一帯は綺麗に区分けされた建物が多くすでに薄暗く、気化リペア溶液の光で照らされていなければ、日が完全に沈むまであと数分という今の時間はほとんど真っ暗だっただろう。
銃撃や爆発で熱せられた空気が、硝煙の匂いと共に風に乗って流れてくる。
断続的に続いていた砲撃の着弾もいつの間にか無くなり、今は遠くから聞こえる――タタタ、タタタ、タタタ―― ダァァァンッ――ダダダダダダ――と、リズミカルな銃声が戦術という譜面に乗せて破壊の旋律を奏でている。
そしてアーネストとサラーナも、その最前線に向けて移動中である。
主戦場となっている最も太い中央の道路は使わず、念のため東に2ブロック分開けて右から回り込むコースを、サラーナはスラスターを全開にして低空を飛ぶように猛進している。
サラーナのFBDユニットは、青と白のパイロットスーツの上から肩や胸部、足回りに邪魔にならない程度に装甲を付け、主兵装のアサルトライフルと近接戦用のクラブのみという動きやすさを重視した兵装選択だ。あるいはそれは、予知夢の通りの装備なのかもしれない。
FH軽量型突撃銃エンフォーサー。フィギュアハーツ用突撃銃の中でも特に軽い部類に入るアサルトライフルであり、口径こそ小さいく単発火力は低いが、高い連射速度によってRAシールドに対しては重量と火力のバランスを高い数値で実現したモデルである。アーネストが背中を独占しているので、左腰の兵装ラックにセットされている。
FH近接打撃棒クリエ。フィギュアハーツ用の標準的な棍棒タイプの近接打撃武器。殴った対象に向けて衝撃を増幅する機構が搭載され、叩いて壊す事に秀でた武装なだけではなく、距離を詰められても相手を弾き飛ばす事ができ防御面でも期待できる武器だ。こちらはなぜか兵装ラックには取り付けずに右手で持っている。
ちなみにアーネストはプロテクターとコンバットナイフ、それに拳銃一丁のみと、さらに軽装である。サラーナには「ワタシが護るから隊長は銃なんて持たなくていいわ」と言われたが、男として女の子に護られてばかりというのも格好がつかないと意地を張って持ってきたのだ。
『サラーナ、話はショウコから聞いたのじゃ。レティアもこれより東側の捜索に入るのじゃ。形勢は逆転しておる』
『サラーナさん、私とラモンも協力します。亡きニフルさんの見せてくれた未来、実現させましょう!』
ヤシノキたちと通信が繋がり、皆も協力を表明してくれる。
「えっと、……ニフル博士は死んでませんよ?」
「え?」
『え?』
アーネストの声とミゾの通信のリアクションが被った。
『くっふふぅ……。アタシが皆の協力を仰ぎやすいように、少し脚色しましたぁ。と言うかなんでアーネスト隊長までニフル博士が死んだって認識にぃ?』
「……ええと……?」
アーネストは完全に雰囲気に飲まれて、勘違いしていただけであった。
そして思い返してみると、今更ながらに疑問が湧いてきた。なんで死んだと思ってたんだっけ?
「そ、それより、サラーナは何でその未来を実現させようって思ってるんだ? もしかしたらその未来は、回避すべき最悪の未来かもしれないんじゃないのか?」
通信で他の作戦参加者の反応を気にしながら、サラーナに疑問をぶつけてみた。
「それは、なんと言いうか……。なんとなく……? としか言い様がないのよね。……でも目が覚めた時の胸の中のあったかい気持ちは、確かにこの未来は選ぶべき未来だって確信できるものだったわ!」
サラーナがフワッとしたことを確信を持って言った。
『それは起きた時に、ニフル博士におっぱい揉まれてたからじゃないんですかぁ?』
「違うわよッ! それとは別よ!」
「いやまあ、わかったよ。サラーナの気持ちはなんとなく伝わってきた」
これもクロッシングのおかげかな、と思いながらアーネストもサラーナの感じた「あったかい気持ち」を信じることにした。
『それで、ワシらはどう動けば良いのじゃ?』
本来なら率先して作戦立案すべきヤシノキ博士も、未来を知る者に指揮権を譲る。下手に動いて、あるいは上手く動きすぎて、未来を変えてしまっては元も子もないからだ。
「ヤシノキ博士はマリィの動きを止めて下さい。気絶させるのは良いですが、もちろん殺さないで下さいね」
『ふぉっふぉっふぉ、すでに[君の縄。]も「物退け秘め」も[繰れ内の豚]も破られたんじゃがのう。面白い! このキッコウメンにまかせるのじゃ!』
キッコウメンってなんだろう? とアーネストが思っているのを余所にサラーナが指示を飛ばしていく。
「ラモンとミゾさんは、グランさんをマリィから引き離して。十五秒、いいえ十秒で良いから隊長がマリィに接触する時間を稼いでちょうだい」
『了解です』『了解した』
ミゾとラモンがピッタリ合わせて返事をしてきた。
『それでアタシは……、っとごめんサラーナ、そっちに飛ばしちゃった』
「大丈夫! これは知ってたわ!」
言うが早くクリエを腰溜めに構えるサラーナ。
十字路に差し掛かる直前でスラスターで逆制動をかけてブレーキ&左側通路へ九〇度方向転換! 瞬間、目の前に3メートルを超える巨体をくの字に曲げて敵機が吹っ飛んできた。アーネストは反射的にグリップに強く掴まりサラーナに身体を固定する。
舌を噛まないよう食い縛るが思わず声が出てしまう。
「うぉっ!!?」
事前に知っていたが故の最適なタイミングで、サラーナが機械じかけの棍棒を飛んできたツーレッグの背中に叩きつけた。インパクトの瞬間に衝撃が増幅され、ツーレッグの背部装甲、コア、胸部フレーム、胸部装甲を破壊してその上半身をバラバラにした。
腹から上を失った下半身は勢いそのままに反対側の右側通路へと飛んでいき、騒音と部品を撒き散らしながら数回バウンドして止まり、機密保持のために砂になっていく。
「あれが、本物のツーレッグ……」
たとえ一瞬しか見えなかったとしても、人型ロボットに心惹かれるのが男の性である。
いやまあ、フィギュアハーツたちも人型ロボットではあるのだけれど、ラブドールもそれはそれで男の性を刺激するものではあるのだけれど、戦闘用の武骨なフォルムのツーレッグというのは、それはそれで特有のロマンがあるのだ。
「アーネストたいちょぉー。無事ですかぁ?」
ツーレッグの飛んできた左側通路から、ショウコが重力制御マントとスラスターを使って飛んできた。
パイロットスーツが殆ど見えなくなるほどに青い装甲を付け、甲冑を思わせるフルフェイスヘルメットが、シュカッと開いてショウコの顔が顕になる。実際のフルアーマーの甲冑であればかなりの重量になるが、ショウコのそれは超硬質特殊樹脂サリオレジンであり、言ってしまえば鋼鉄並みに硬く軽量なプラスチックだ。フルアーマーでも驚くほど速度で飛べるのである。
しかし、あの三メートルはゆうに超えるツーレッグをふっ飛ばしたとは思えない小さな体、その手に持つガトリング砲の尻部分はベッコリと凹み何でツーレッグを殴り飛ばしたのかは一目瞭然だった。
それを見てサラーナも呆れ顔。
「よく誘爆しなかったわね……」
「ちょうど空になったんですよぉ。リロードお願いしまぁす!」
ショウコが叫ぶと、近くの建物から隠れていたプチレティアがヒョッコリと現れ、凹んだ弾倉がバコッと外れそこに新しい弾倉をはめる。
『です!』
作業が終わるとそそくさと帰っていった。
「それで、アタシは何をすれば良いんですかぁ?」
「ひとまずついて来て。残り二機のツーレッグもマリィの援護に向かうはずよ」
そう言ってサラーナはまた元のルートに飛び立ち、ショウコもそれに続く。
「ショウコ様、会話しながら二機も落としてたんですね! すごいです!」
「ふっふっふぅ。アタシにかかればツーレッグの二個小隊程度、朝飯前ですぅ」
そう言って飛びながらエヘンと胸を張るショウコの胸は、今は装甲でかなり盛られている。これは巨乳とは言わない。
「次! 曲がるわよ! 隊長、準備して! そうだ隊長、マルチクロッシングを発動させる前にワタシのクロッシングスキルを使って。効果時間は数十秒だけど、それだけあればダメ押しの一手になるはずよ」
サラーナの鋭い声にアーネストは気を引き締め、出撃時に教わったクロッシングスキルの使い方を脳内で反芻する。
「……わかった。そういえばサラーナのクロッシングスキルって?」
「なるほどですぅ。サラーナとアーネスト隊長がクロッシングした意味、わかった気がしますぅ。まあどんなにスキルの相性が良かろうが、アーネスト隊長の本命はアタシですがねぇ」
「言ってなさいショウコ! 隊長、とにかく使ってみて! 行くわよ!」
サラーナが十字路の角を曲がる。
二ブロック先の十字路に、光の粒に照らされて小さく人影が見える。
橙色と黒のFBDユニット、モーニングスターを右手に持ち、鎖に繋がったトゲ付きの鉄球を左手でブンブン回している姿は、フィギュアハーツだとひと目で分かる。敵勢フィギュアハーツ、マリィである。
情報ではガトリング砲、オブリタレータも持っていたはずだが弾が切れたのか見当たらない。
『そりゃ! ヤシノキ流緊縛術! [となりの穫々牢]!』
建物の上から黒い仮面の漢が、マリィを捉えようと何本ものワイヤーロープを放つ!
しかしワイヤーはマリィの投げた鉄球で展開前に弾かれる。
マリィがまた一歩前進し、十字路の中央に足を踏み入れたその時。
『よし、かかったのじゃ! ヤシノキ流緊縛術! [拘束五センチメートル]! EMPロープ版じゃ!』
弾かれたワイヤーロープがハラリと解れ、五センチごとに結び目の玉を付けたワイヤーがマリィの頭上に広く展開され、桜の花びらが落ちる速度で降ってくる。
不意を付かれたマリィはとっさにRAシールドを展開してワイヤーを受け止め、重力操作でワイヤーを引き千切りにかかる。
しかし、
「逃がさない!」
残り一ブロックに迫ったサラーナが突撃銃エンフォーサーを連射!
――ターーーーーー――
一つに繋がって聞こえる発砲音を響かせて連射された弾丸が、RAシールドにダメージを与え重力操作の集中を乱す。
シールドがあっという間に明滅し、消えると、降ってきたワイヤーがバチバチっと微かに音を立ててEMPの電磁波を発生させる。
「がぁあっ!」
マリィが声を上げて倒れる寸前、結び目の付いたワイヤーが引き縛られて彼女は十字路の真ん中に亀甲縛りで吊るされた。
見事な緊縛術を目の当たりにしたアーネストは、仮面の漢のいた建物の屋上を見上げたが、そこにはもう鉄柱に繋がれたワイヤーの端しか見えなかった。
ありがとう、キッコウメン!
『まずい! グランに抜けられた!』
『アネキ! 急いで!』
ラモンとミゾの通信で、視線をグッタリしたマリィに戻したアーネストは、減速したサラーナの背から降りてマリィに駆け寄る。グッタリはしているが、苦悶する表情やピクリピクリと動く指先から意識がまだあることが見て取れる。
大通りの十字路の真中にたどり着くと、左右両方からガションガションと二足歩行ロボットの足音を響かせて中量型ツーレッグ二機が走ってきた。
このままではアーネストが大通りの中央で挟まれる形になる。
「右はワタシが!」「アタシは左だ!」
サラーナとショウコがクロッシングで繋がったおかげか、息ピッタリに素早く迎撃に応る。
「だりゃぁぁ! ぶっ壊れろぉぉぉ!」
――ダダダダダダダダダダダダ――
オブリタレータの連射をぶち撒けるショウコ。
ツーレッグの装甲が見る見るうちにボロボロに剥げ、フレームを露出させ、コアを穿つ。
「はぁァァァァァァァああああ!!」
――ターーーーーーーーーー――
右腕だけでエンフォーサーを連射しながらの重力制御でS字軌道を描いて敵機に肉薄するサラーナ。
「たあッ!!」
距離が詰まった所で、左手に持ったクリエを横薙ぎに一閃!
胴部に強烈な一撃を食らった中量機が筐体を横にくの字折って、工場の壁面に激突。コード類をバチバチショートさせながら機能停止。
サラーナの戦いをマリィの肩越しに見ていたアーネストも、えいやと目の前のマリィの唇に自分の唇を押し当てる。目を閉じた褐色美少女の顔がすぐ近くにあり、目が離せなくなる。そして舌を彼女の口腔内へ突き出すようにねじ込み、相手の舌を探ってヌルリと一周させる。
――FH-U ZS-01マリィの直結接続を確認――
パチリという感覚が舌に走っるのを感じると、意識が脳の奥へと吸い込まれていく。
そしてすぐに、何度も反芻した手順を脳内OSで実行する。
――arnestがFH-U SA-01サラーナのクロッシングスキルを使用――
アーネストの中でサラーナのクロッシングスキルが発動し、マリィの中へ入っていくのがわかった。
サラーナのクロッシングスキルは彼女の設計コンセプトに沿う形で発現したものだった。
サラーナの設計コンセプト、すなわちクロッシング適合し易いフィギュアハーツである。
彼女のスキルは触れた対象、人間であれば脳下垂体、フィギュアハーツであればそれと類似するプログラムを刺激し、フェニルエチルアミンというホルモンないしはその類似プログラムを分泌させること。
フェニルエチルアミンとは、別名ときめきホルモンと呼ばれる恋愛ホルモンの一種であり、脳内で性的興奮と快感に直接関係する神経伝達物質、そしてこれが分泌されると人は恋に落ちたと錯覚する。フィギュアハーツの場合はそれと同じような効果が出る。
要するにサラーナのクロッシングスキルとは、触れた人を強制的に恋に落とし適合値を引き上げるものである。
通常であればクロッシングが成立した時点でクロッシングスキル自体が不要になる役に立たないスキルであり、効果時間も数十秒だけと限定的であるが、アーネストのマルチクロッシング、特にNTR機能との相性は抜群であった。
――arnestがクロッシングスキルを使用――
サラーナのスキルによって、本来はゲーム以外ではほとんど初対面同然のマリィとの適合値も問題なくクリアした。
――FH-U縲?ZS-01繝槭Μ繧」縺ョ繧ッ繝ュ繝?す繝ウ繧ー逶エ邨舌r遒コ隱――
――FH-U縲?ZS-01繝槭Μ繧」縺ョ繝?ヰ繧、繧ケ繝峨Λ繧、繝舌?繧、繝ウ繧ケ繝医?繝ォ繧帝幕蟋――
――FH-U縲?ZS-01繝槭Μ繧」縺ョ繧ッ繝ュ繝?す繝ウ繧ー繝??繝ォ縺ョ繧、繝ウ繧ケ繝医?繝ォ繧帝幕蟋――
適合値は問題ないはずだが、別の場所で問題が発生してめっちゃ文字化けした。
――「違うOS同士でクロッシングするとこうなるのね……。大丈夫、axelinaOSはHusqvarnaOSを応用して作られてるはずだから、手順自体は同じはずよ」――
サラーナから有難いアドバイスが思考通信で送られてきた。
ホント、システムメッセージが文字化けするとかすごい焦る。
――繧ッ繝ュ繝?す繝ウ繧ー繝代せ繝ッ繝シ繝峨r險ュ螳――
ここでシステムメッセージが何かを待つように、アンダーバーを点滅させて止まった。
――「アーネスト隊長、パスワードですぅ」――
――「なるほど、ありがとうショウコ様。……さて何にするか……?」――
――「隊長急いで! グランさんがこっちに向かってきてるはず!」――
――「あーッ! くそもうッ!」――
アーネストはとにかく、今感じていることを素直に入力した。
――「マリィちゃんのお口気持ちいい」――
――繧ッ繝ュ繝?す繝ウ繧ー繝代せ繝ッ繝シ繝峨?險ュ螳壹r螳御コ――
こうしてアーネストの三度めのクロッシング契約が完了した。
サラーナとショウコからの軽蔑の感情がすごい流れ込んできて、目覚めるのがちょっと怖い……。
アーネストが目覚めると、流れ込んできていた軽蔑そのままの眼差しが彼に向けられていた。
これクロッシング要らないんじゃないかってくらい肌に突き刺さる。
「まあぁ、パスワードなんてそこまでしょっちゅう使うもんじゃないですしぃ。でもだからこそセンスが問われるっていうかぁ」
「ええ、別になんでもいいと言えばなんでもいいけどねー。何かもっとあったんじゃないかって、思っちゃうわよねー」
「二人共、自分達のパスワードを棚に上げてない……?」
「何が気に入らないって?」「何か文句でもありましたかぁ」
めっちゃ怖い。
恐怖に後ずさりながら、アーネストはパスワードのセンスを磨く事を決意した。
「いえ、何んでもありません……」
アーネストが理不尽に糾弾されていると、すぐ近くからドサリと人が倒れる音が聞こえてきた。
「え……あれは……グランさん?」
三人が注目したそれは、ツインテールが解け、クロッシングスキルによって白くしていた肌が褐色に戻った紫の迷彩服美少女、グランであった。その顔は今しがたアーネストがキスをしたマリィと、驚くほどそっくりだ。
狭い通路から這い出るように大通りに倒れてきた彼女は、うわ言をつぶやきながら満身創痍の体でマリィへと這ってくる。
「……マリィ……どこ……? わかんないよ。マリィが見えないよ……感じられないよ……、気持ち、悪い。……うっ、うぉぇぇぇぇぇ……」
グランが這い蹲りながら、胃の中の物を吐き出した。
「あれが、まさかクロッシング依存症か……アタシもはじめて見た」
さっきまで戦っていた者のあまりの姿に、ショウコも甘い口調を潜める。
「どういう、ことなんだ? クロッシングって切れるとああなるのか?」
「いいえ、この二人は特別だったのよ。元々、高い適合値と適合率を実現させるための実験体として生まれたクロッシングペア。その為だけに見た目から生活、教育、あらゆる面で同じであることを強制され、最終的には長時間のクロッシングで精神が混じり合うギリギリの場所で維持され続けた結果、クロッシングが無ければ精神の均衡が保てない程の依存状態に陥った失敗例……。髪型や肌の色を変えていたのは、少しでも精神を別々に離してしておくためね」
「じゃあ、あの娘は、グランさんは……」
アーネストの頭にグランたちとゲーム内で楽しく遊んだ記憶が蘇ってきた。
「おそらく、死ぬわ……。良くて廃人、あるいは植物状態でしょうね」
「そんな……」
「仕方ねえんだ、それが戦場だから……」
ショウコが目を背けながら、絞り出すように言った。
確かにそうかもしれない。戦場で敵として現れた以上、情けは無用、そういう事だろう。
しかし、アーネストは思った。こんなことのために自分は最前線まで来たのかと。
「……違う……」
「え?」
気付いた時には、アーネストはグランに駆け寄っていた。
「これは違う! これは暖かい未来なんかじゃない!」
そしてグランを腕に抱え起こしながら、サラーナに訴えるように叫んでいた。
「でも、だってマリィはもうクロッシングが繋がって……ワタシの予知夢はここまでで……」
サラーナは俯きながら、自分に言い聞かせるように呟いた。
「まだ終わりじゃない! 俺なら、俺の力なら!」
アーネストは、吐瀉物にまみれたグランの唇に、マリィと同じように唇を重ねた。
そして胃液の匂いに自分の胃が震え、吐きそうになるのを我慢しながら、グランの口腔内へ舌を突っ込む。すぐにグランの舌が見つかり、繋がる。またも意識が脳の奥へと引っ張られていく。
――Grandの直結接続を確認――
――「まさか!? 人間同士でも繋がるっていうの!?」――
サラーナの思考通信を頭の隅に追いやりながら、アーネストは必死に出来ることを続けた。
――arnestがFH-U SA-01サラーナのクロッシングスキルを使用――
グランの身体がビクンと震えるのを感じた。アーネストの舌に酸っぱい味が広がるが、繋がった唇も、舌も決して離さない。
――arnestがクロッシングスキルを使用――
グランの身体が落ち着き、鼻から漏れる息も規則正しくなっていく。
――Grand縺ョ繧ッ繝ュ繝?す繝ウ繧ー逶エ邨舌r遒コ隱――
――クロッシングエラー……――
――現状のマルチクロッシングネットワークを適合値からエラーの最適化を開始――
――Grand縺ィFH-U縲?ZS-01繝槭Μ繧」縺ョ繧ッ繝ュ繝?す繝ウ繧ー謗・邯壹r髢句ァ――
――譁ュ迚?ュ蝣ア縺九i謗・邯壹r蠕ゥ蜈――
――マルチクロッシングネットワークの最適化が完了――
――「…………」――
そして、アーネストの意識が再び現実へと戻っていく。
アーネストが再び目を開けると、そこにはアーネスト以上に目を見開いた褐色美少女の顔があった。
アーネストに抱きかかえられ、目を丸くするグランの消え入りそうな声を彼は聞く。
「あ、貴方がアーネストさん……?」
「え、あ、ああ、そうだよ。君はグランさん?」
それはまるで、始めてネットゲームのオフ会で会う二人のようなセリフ。
コクリとグランは小さく頷く。
自我がちゃんとあることにホッとし、その場の一同はアーネストの起こした奇跡に暖かい気持ちになった。
そしてグランは、その場をさらにホットにするセリフを心から絞り出した。
「あの、わっち、……ずっと前からアーネストさんの事が、好きでした!」
それはまるで、始めて想い人に告白する少女のセリフ。
サラーナのスキルの効果時間は過ぎているため、これは本人の本来の本当の告白。
「「えええええええぇぇぇぇぇぇ!!!?」」
『『『えええええええぇぇぇぇぇぇ!!!?』』』
まずサラーナとショウコが驚き、少し遅れて通信で聞いていたヤシノキとミゾ、ラモンが驚きの声を上げた。
なお、人生で初めて女の子から告白されたアーネストは、ショックで動けなくなっていた。あまりにも衝撃的だったからである。
『こちらブンタ。シンディアと共に帰投した。これよりラボ西側、および南側の捜索に入る。繰り返す。こちらブンタ。これよりラボ西側、および南側の捜索に入る。……って、何があった?』
完全に日が沈んだ頃、ようやく帰投したブンタの通信に、今は応答できる者は誰もいなかった。
文字化けはこちらのサイトで原文を変換させてもらいました。
http://tools.m-bsys.com/development_tooles/char_corruption.php
変換設定を逆にすると解読も出来ますが、やる人はいるのかな? いないかな?
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サイドF&R:ふたりで逃げるもん
「やあ、久しぶりだね。フィリステル」
空から男の声がした。
それとほぼ同時にチチッという葉のこすれる小さな音。
――fyristelがFH-U CA-01ロザリスのクロッシングスキルを使用――
思考加速の能力を使用して音がした頭上を確認すると、十字架のようにシンプルなデザインの剣が一本、真っ直ぐにフィリステルを貫かんと落ちてきていた。
加速した思考の中ゆっくりに見えるその剣を、同じくゆっくりにしか動かせないように感じる身体で避ける。能力を解除する。
剣がトスッと軽い音を立てて、さっきまでフィリステルの居た場所に垂直に突き刺さった。漆黒のラバースーツに包まれた身体にも、補助スラスターにも損傷はない。
右側だけ一房長い黒髪を風に揺らし、目を鋭くして冷静に周囲を警戒しながら挨拶を返す。
「ブンタさん、お久しぶり~。いきなりご挨拶だね~」
フィリステルは刺さった剣を引き抜いて適当に離れた場所に投げ捨てた。何が仕込まれているかわからない以上、近くに置いておくのは得策ではないと判断したのだ。
ここはヤシノキラボの西側の森。鬱蒼と生い茂る広葉樹の葉が夜の帳の中で時々ザワザワと風に揺られている。
森の中は怪しげな緑の光がたゆたっているが、ホタルではない。ロザリスが言うには、リペア溶液を空気中に散布した物であり直接的に人体に害はない。実際、直接的被害は黒いラバースーツ内の下着が溶かされた程度だ。
しかし直接的に被害は少なくとも、戦略的には大いに被害を受けた。この光の粒のおかげで姿を隠していても位置が露呈してしまい、ラボ内に留まることが出来なくなったのだ。そしてロザリスとの合流後に、陽動役のグランの撤退支援に向かう手筈がパーになり、彼女との通信もさきほど途絶えた。
今フィリステルはラボの西の防壁から三〇〇メートルほど離れた戦略的には何とも分の悪い位置で、姿を隠してロザリスを待っていた。
後ろを振り返ればフィギュアハーツの重力制御マントとスラスターで飛び立つにはちょうど良さそうな、小さな空き地が森の中にポツリと開けていて、背の低い草花が一面に萌えている。
「娘を誘拐されかかっているんだ。いくら吾輩が紳士でも気が立つさ」
今そこに一人の紳士が降り立った。頭には黒いシルクハット、左目にはモノクル、口にはカイゼル髭、右手には銀のステッキ、ブンタのトレードマークとも言える英国紳士の象徴の数々を彼は今日も身に着けていた。
「それはそれは、物騒なご時世になったもので~」
男は一瞬空を見上げて、すぐに視線を誘拐犯のいる方へ戻す。さらに森の上空からは微かにスラスターを吹かす音が聞こえた。ブンタのクロッシングパートナーであり妻、シンディアがラボの方へと飛んで行ったのだろう。
フィギュアハーツ、ユータラスモデル GW-01 シンディア。アクセリナの母親である彼女は、直接娘を取り戻しに行ったのだ。
ブンタは視線をフィリステルに向けてはいるが、姿は見えてはいない。散布されたリペア溶液によって、よく分析すればそこに人が居ることを観測できるが、光学迷彩を展開した彼女を肉眼で補足することはこの状況であっても難しい。
しかし、彼は能力で感じ取っている。
空間感覚能力。以前の資料が正しければ半径三〇〇メートル以内の空間を、直接感覚として認識できるのがブンタのクロッシングスキルであるとフィリステルにも情報はある。
そして軽口のお返しとばかりに、今度は二本の剣がフィリステルの頭上の葉をかすめて降ってくる。
――fyristelがFH-U CA-01ロザリスのクロッシングスキルを使用――
先ほどと同じように避け、今度は地面に刺さった剣から離れるように、夜の森の中で位置を変えて木の後ろに隠れる。
――「ロザリス、見つかった~。たぶん、そっちにシンディアが行ったかな~」――
――「わかったわ。こっちもようやくユニットの操作に慣れてきたから、ここからは強行突破でいくわ。それよりフィリスは大丈夫なの?」――
ロザリスは現在、ラボ中枢から誘拐した眠れるアクセリナを運んで、フィリステルとの合流のために西へと進んでいる。
アクセリナ奪取時に見つけたというフィギュアハーツ用の新型ユニットも、最初こそ四苦八苦したものの思考加速能力で底上げした演算能力を活かしてどうにか動かせるようになったようだ。
そして能力的に分の悪い男と交戦状態に入ったフィリステルを、ロザリスが心配するのももっともである。
しかし問題はそこではなかった。
――「夜の森の中で裸の男と二人きりってのは、あんまり大丈夫じゃないな~」――
――「…………急ぐわ……!」――
ブンタは紳士の象徴を身に着けてはいるが、それだけなのである。以前作戦で共闘した時に見たタキシードもスラックスも無く、裸体を露わにしている。
いわゆる変態紳士スタイルである。
散布されたリペア溶液は無差別にその特性を発揮しているらしく、今ヤシノキラボ内でロザリスを捜索しているフィギュアハーツたちも皆全裸だと聞いている。
ついでにフィギュアハーツたちにはリペア作用も少ないながらも機能しているので、かすり傷程度はすぐに治るそうだ。そして人間にはそのリペア効果は無く、服と無駄毛だけを溶かすはた迷惑なバイオハザードとなっている。
「さて……。どうやら吾輩と君の能力では、勝負がつかないようだね」
そう言ってブンタが手をかざすと草原に突如、瀟洒な椅子とテーブルとが現れる。
位置を把握している無機物を手元に空間転移で引き寄せる能力。シンディアのクロッシングスキルであり、ブンタのスキルと合わせて使うことで半径三〇〇メートル以内を[手元]として認識し、先程のように突然剣を頭上に出現させることも出来るのだ。
この二人はまさにフィリステルたちのクロッシングペアの天敵であり、今もブンタ一人と対峙していても逃げることすら出来そうにない。
フィリステルの背に冷たい汗がつたう。下着がないのでスーツの中をお尻までつたってしまい気持ち悪い。
そのブンタは更にテーブルの上にティーセットを出現させ、夜の森で優雅に紅茶を飲み始めた。
「君もどうだね? フィリステル」
「お断りするよ~。裸の男と相席する趣味はなくてね~」
変態紳士からの誘いを、フィリステルは三発の銃弾を添えて答える。サイレンサーによって銃声は殆ど出ない。
しかしその弾丸もブンタの能力圏内では転移させられ、これ見よがしにテーブルの上に力なく転がされた。
ティーセットよりもまずは何か着るものを転移させてきて欲しい。
紅茶の香りを楽しみながら足を組む裸体の紳士というのは、銃撃が無力化された以上に精神にくるものがある。
「それにしても君の能力は何なのだね? 本来なら銃その物をこちらに転移させられるはずなのだがね。君や君の持つ物はポッカリとその場に穴が空いたように何も感じ取れない」
なるほどその空白の位置でバレバレだったのかとフィリステルは納得し、同時に考える。
元々シンディアの能力は、自分の手元と認識することで転移を可能とするスキルであり、ブンタの能力が加わっても他人の体内などの明確に手元と認識できない場所には物を転移させることは出来ない。
今までフィリステルはそういった原理で転移対象外なのだろうと論理的に煙に巻いてきたが、今改めてその話題を持ち出すということは、今回の襲撃ですでに彼女のクロッシングスキルについて感づいた者が彼に入れ知恵した可能性が高い。
「ヤシノキ博士から何か聞いたのかな~?」
「そうだ。君のクロッシングスキルに気を付けろと言われたよ」
さすがは紳士を名乗るだけあって正直に答えてくれた。
そしてやはりあの爺さん、腐っても天才と言われるだけのことはある。決定的な証拠は無いはずなのに、襲撃開始から三〇分足らずで何か感づいていたのか。
「ふむ、我が妻が君の相棒を見つけたようだ。もう観念したらどうだね? ……ムム?」
紅茶を楽しみながら勝利宣言、のはずだがブンタの表情が僅かに曇る。
――「フィリス、こっちも見つかったわ。まあいいわ。この新型ユニットの力を試してみるわよ!」――
ロザリスから思考通信で彼の言葉がハッタリではない事が証明された。
本当ならロザリスが対峙するシンディアも、ブンタと同じスキルを操る天敵であるはずだが、彼女からはなぜか余裕すら感じる。
そして、
「むむ……。んむむむむ……。フィリステル! 貴様一体何をした!?」
ダン! とテーブルを鳴らしブンタが椅子から立ち上がる。
さらにそして、立ち上がったブンタの股間も勃ち上がっていた。
あたりに光の粒子がたゆたっていなければ、危うくモロに見えてしまうところだった。
「ひぃ……っ」
木の陰から覗いたフィリステルも、思わず声が引きつる。
――「ロロロロロザリス~!? ぶ、ブンタさんが立って、ブンタさんのアレが勃ってるッ!? ボク襲われちゃう~!?」――
――「なるほど、クロッシングで繋がってるとそうなるのね……」――
――「いったい何したのぉ~?」――
――「揮発性の高い媚薬? を撒いたのよ。ふふふ、シンディアったらモロに浴びちゃってビクンビクンしてるわよ。……もうすぐそっちに着くわ」――
ロザリスが思考通信で言い終わると、ラボ内からドンッと一際大きな地面を叩く音が聞こえ、彼女の位置を示す感覚が宙を舞、防壁の外へ飛び出してきた。
ズゥゥンッ――
巨大な何かが防壁の外に落ちてきて、周りの木々を揺らした。
その巨大な何かは木々をなぎ倒しながら、猛スピードで蠢いてこちらへ迫ってくる。それが新型ユニットを装備したロザリスだと分かっていても、フィリステルは逃げ出したくなってきた。
そしてそれは裸体を晒す紳士と、ラバースーツの下はノーパンノーブラの淑女の前に現れた。
全高は森の木々よりも高く、ゆうに十五メートルはある。その姿は光学迷彩効果により見えなくとも、二人にはその異様を感じ取ることが出来た。
FH試作拡張ユニット(未完成につき正式名称無し)。ヤシノキ博士とケンチクリン博士の共同研究によって開発され、演算装置への負荷が大きすぎるために誰にも扱えず失敗作として封印されていたフィギュアハーツ用拡張ユニット。狂気の研究、プロジェクトテンタクルによって生み出された未完の性交兵器の名は、通称、触手ユニット。
その背中から生やした太細何本もの触手によって直立した、変わり果てたシルエットのロザリスはフィリステルのもとに帰ってきた。
――「ロザリス、戻りましてよ!」――
触手の女王となったロザリスが、そのヌラヌラした触手の一本でフィリステルを絡め取り、軽々と優雅に持ち上げた。
「ひゃっ、ふぁッ……!」
持ち上げられたフィリステルも思わず声が出てしまう程の、生理的嫌悪感と性的興奮。
持ち上がった先にはフィリステルと同じように見えない触手でぐるぐる巻きにされた幼女アクセリナが、静かに眠っている。
――「これは……、思ってた以上に非道いな~」――
――「非道いとは失敬な。フィリス、約束は覚えてるわよね? 帰ったらフィリスを好きにしていいっていうあれ」――
――「そこまでは言ってないよ~!? むしろボクの方が好きにご奉仕す――んっ」――
「ひゃうんッ、んんっやめ……そこ、おっぱい……むにゅむにゅ、ダメ……ッ」
反論を許さない女王様が、触手を蠢かしてスレンダーなフィリステルの小ぶりな胸を弄ぶ。
「くっ、吾輩の娘を返してもらうぞ!」
あまりの異様に呆然としていたブンタが「おっぱい」という言葉で我に返った。
即座にラボの武器庫から、手元にアサルトライフルを転移させて触手の中心にいるロザリスへ連射する。
さらにロザリスの上に何本もの剣が出現し落下してくる。
「ちょこざいね」
言ってロザリスは銃撃を太く弾力のある触手で弾き、頭上に出現した剣も落下速度が乗る前に薙ぎ払ってしまった。
触手ユニットを制御する関係上、ロザリスはずっと思考加速状態なのである。迫る銃弾も降ってくる剣も難なく対処してしまう。
「くそッ! 触手ごときに吾輩が負け――何ぃ!? がはっ!!?」
台詞の途中でロザリスが、長く太い触手で草原ごと撫でるように薙ぎ払うと、いくら空間感覚能力があれど避けきれず、ブンタはテーブルやティーセットもろともに殴り飛ばされ、森の木に叩きつけられて気を失った。
「黙れこの変態! 服を着てからものを言え!!」
目下の敵を排除し光学迷彩を解除して、一息つく。
「ふう、それでロザリス~。この触手のまま逃げるの~?」
フィリステルはとりあえず触手を解いて欲しい思いも込めて質問した。
流石にこのまま逃げるのはいくらなんでも目立ちすぎるのだ。見た目ほど重さのない触手ではあるが、流石にこれだけ多いとロザリスの重力制御マントの範疇ではなくスラスターでも高速では飛ぶことは出来ない。
「ああ、それなら心配ないわ」
ロザリスがそう言うと、無駄な触手がシューッと微かな音とともに溶けていく。持ち上げられて森の木々よりも高くなっていた視点が見る見るうちに下がっていく。
残ったのはアクセリナとフィリステルを持つ触手のみとなり、地に足をついたロザリスはいつもの黒と紫のFBDユニットと頭部にはネコ耳ヘッドセットの姿となった。
そして小さな背にアクセリナとフィリステルを軽々と背負うと、
――FH-U CA-01ロザリスがfyristelのクロッシングスキルを使用――
再び光学迷彩を展開して光の舞う森の小さな空き地で助走をつけて、夜の星空へ飛び立つ。
「あの~。出来ればボクだけでも解いてほしかったんだけど~?」
「ダメよ。だってフィリス、スキあらば逃げようとしてるもの」
「…………」
クロッシングによって考えてることが伝わることを、今だけは恨めしく思う。
「わかってるとは思うけど、ヤシノキラボの索敵範囲内を出るまではクロッシングは解いちゃダメよ。それにクロッシングを解いても触手は固定化してるから逃げられないわよ」
「……くぅっ……」
脳のもっと深い部分で考えていた計画も看破された。
そもそも、クロッシングなど無い頃からロザリスにはフィリステルの戦術は言わなくとも伝わっていたのである。どんなに不意を突こうとしても、根っこの部分を理解されている相手には手も足も出ない。
「さぁて、帰ったら進化した私をたっぷりと堪能してもらうわよ!」
「……ひぃっ!?」
お尻の部分に当たる触手がうねうねと蠢き、フィリステルは全力で逃げるための思考を開始した。
――fyristelがFH-U CA-01ロザリスのクロッシングスキルを使用――
やがてヤシノキラボの索敵範囲を突破し、光学迷彩からRAシールドに切り替えてスラスター全開の離脱体勢に入ってもフィリステルの戦いは終わらなかった。
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何でエロ本、すぐ見つかってしまうん?
「「キャー! アーネストさんだー!!」」
司令室の自動ドアが開くと、褐色の美少女二人が飛びついてきた。
「うふぉっ!? と、っとあぶねえ」
飛びつかれたアーネストは、なんとか踏ん張ってヤシノキラボの白い制服姿の二人を受け止める。
二人はそのそっくりな顔で見上げ、ニッと太陽のように笑ってみせた。
「わっち、アーネストさんの匂い? 気配? みたいなのがしたから分かったの!」
「そうなのそうなの! ワッチ運命感じちゃったの! エライ? ねえエライ?」
褐色美少女クロッシングペア、グランとマリィであった。
見た目がそっくりな二人であるが、ツインテールの髪型に白いミニスカートとニーソックスがグラン、ストレートロングの髪型でミニスカートに黒のトッキングがマリィであり、とりあえずの見分けがつくようにしてある。
クロッシングペアとは言ったものの、今はクロッシングスキルはロックされて使えない上に、正確にはマリィとアーネストがクロッシングを結び、そこからさらにグランとマリィのクロッシングが繋がれている状態だとヤシノキの分析眼で診断されているので、今はクロッシングペアという言い方とは少し違う、新しい形に最適化されたのだった。
正直、非常にややこしい。クロッシングスキルをロックしたせいで肌の色を分けられなくなったのも、ややこしさに拍車をかけている。
寝不足気味のアーネストは二人の頭を撫でながら、そんなことを思って困り顔である。
「あはは……。二人共おはよう」
「「おはよー!」」
顔を上げて挨拶を返した少女たちは、睡眠時間はアーネストより少ない筈なのに元気いっぱいだ。
そんなにもアーネストに会えたことが嬉しかったらしい。当のアーネストはといえば、そこまで好かれる理由に思い当たることが殆ど無い。確かに昔、ゲーム内ではよく一緒に遊んだし、助けもしたし助けられもした。そんな当たり前のことでも、グランたちにとっては特別だったとはクロッシングで繋がった今も彼は思い至れずにいた。
一昨日の戦闘でクロッシング依存症の発作からグランを救ったアーネストは、すぐにラボに帰って彼女とマリィ諸共ヤシノキに診てもらったのだ。この時、グランとマリィはaxelinaOSをインストールし、クロッシングスキルもロックが掛けられ、捕虜として扱うことになった。
そしてヤシノキから一応は健康に問題ないと診断され、詳しい診断結果は明日ニフルの研究資料のマルチクロッシング理論と照らし合わせて見てからということで話は終わった。
その後、疲れていたアーネストは夕食を摂って風呂に入ってすぐに寝るつもりだったのだが……。
診断中から終始アーネストの脳内には思考通信によるガールズトークが繰り広げられ、食事中、入浴中も飽きずに続き、日付が変わって二時間以上経った所でようやく彼の眠気に気付いたサラーナからミュート設定を教えてもらって眠りについたのである。
そして時刻は現在午前八時。一時間ほど前に起きたので、睡眠時間は約五時間。本来なら昼頃まで惰眠を貪っていたかった。
アーネストはヤシノキに呼ばれ、一人で昨日も来た司令室に顔を出したのである。
ショウコとサラーナにも声をかけたが、ショウコは朝から用事があって忙しいと言われ、サラーナはミゾとラモンのペアと戦闘訓練をするらしい。
司令室に入ったとたん飛びついてきた美少女二人は今、アーネストの左右にベッタリくっついている。サラーナ程ではないにしてもそれなりに育っている胸とかムニムニ当たったり、柔らかい太腿が擦れて歩きづらい。まあ気持ちよくもあるけどな!
司令室では昨日と変わらず、女性型フィギュアハーツたちが忙しそうに情報を処理している。アクセリナが不在のため昨日よりも忙しいのだろう、空気が少しだけピリリと締まっている。
呼び出したヤシノキのもとには、昨日は見かけなかった先客が二人いた。
「ヤシノキさん、おはようー。……って、そちらの二人は……?」
アーネストが声をかけると、モニターを見ていた男と女、それから黒髪の少年姿のヤシノキが椅子ごとクルリと回って振り返る。
「おや、あんたがアーネストかい? どんな色男が出てくるかと思えば、普通にどこにでもいそうな男じゃないかい」
そう言って振り返った割烹着にエプロン姿の小太りな女性は、髪にはパーマがかけられニカッと歯を見せて笑う表情は、言葉の割に憎めない印象があり、かつて日本に居た[昭和の母ちゃん]といった風貌であった。
そしてもう一人の男にはアーネストも見覚えがあった。
「いやいや、母ちゃん。それは少し失礼だ。……確かに彼女たち二人が話していた人物像とは少し違うが……」
フィギュアハーツ、テスティカルモデル GW-01 ロッドリク。
坊主頭に堀の深い色男顔。FBDユニットのスーツを着た姿は、スポーツ選手のような筋肉が強調され、健康的な肉体美はラモンのそれとは違った威風を纏っている。今は昭和の母ちゃんとどこにでもいそうな男を交互に伺いながら苦笑いの表情も、戦闘時にはキリリと引き締まることをアーネストは知っている。
対戦型オンラインゲーム、フィギュアハーツにおいてアーネストも何度かお世話になった事のあるAIキャラクター。ほとんど躊躇うことのない男らしい判断力と、銃撃に怯むことのない打たれ強さは初心者の頃のアーネストには心強い戦友であった。しかし最終的に常用に至らなかったのは、可愛くないから、女の子じゃないから、シコリティ皆無、という諸々の事情である。優秀なステータスでも可愛くなければ使わない、男性ゲーマーあるある。
ちなみに「母ちゃん」と呼んではいるが、この二人は親子ではなく夫婦である。
「おお、おはようアネさん。この二人は熱海ラボから派遣されてきたヌードルさんとロッドリクじゃ」
「よろしくな、アーネストのあんちゃん。あたしゃヌードルってプレイヤーネームで遊んでたもんさ。久しぶりだねえ。覚えてるかい?」
「ああ、ああ覚えてる。懐かしいな、よく試合中にフラフラしては怒られたな……。お久しぶりだ」
「ハッハッハ! あんちゃんはまだ戦場でフラフラしてるみたいだねえ! ハッハッハ!」
快活に笑うヌードルは、アーネストも多少失礼なことを言われても許せてしまえそうだ。思わずつられて笑顔になってしまう。
しかしアーネストに侍る二人の少女はヌードルの言葉が気に障ったらしく、頬をぷくっと膨らませてぷりぷり怒ってくれた。
「違うもん! アーネストさんカッコイイもん!」
「そうだもん! 昨日も最後だけ颯爽と現れて良いとこ取りしてカッコ良かったもん!」
それは褒められてるのかな? アーネストの頭に疑問符が浮かぶ。
そんな威勢のいい二人を見てヌードルは、何が嬉しいのか呵呵と笑う。
「そうかいそうかい、ハッハッハ! それじゃあ、そのカッコイイ彼のためにも早く仕事を覚えないとねえ。掃除に洗濯、せっかくだから花嫁修業に料理もやるかい?」
その言葉に少女二人が色めき立つ。
「彼っ!? それってアーネストさんがわっちの彼氏ってこと!? キャーッ!!」
「花嫁修業!? やるやる! ワッチ、アーネストさんのお嫁さんになる!!」
グランが頬に手を当てテレテレと身体をくねらせ、マリィは元気よくハイハイッと手を挙げる。
ちなみにアーネストも昨夜のガールズトークを聞かされ気が付いたのだが、グランとマリィは一見彼を取り合っているうように聞こえるが、そうではなく彼女らの一人称は単数形でも複数形の意味で使っているらしい。要は彼女らの「わっち」や「ワッチ」とはグランとマリィ二人を指している。もちろん彼女らは単数形として使っているつもりであるが、二人の混ざりあった精神の中では何一つ矛盾はないのだ。
一心同体という言葉の歪さを、アーネストは初めて知った。
これはクロッシング実験による精神障害の一端であり、むしろ二人がアーネストを取り合って喧嘩でもしてくれた方が健全なのだ。
「そんじゃあ父ちゃんあとは任せたよ。さて小娘共ついてきな。あたしゃ厳しいからね。しっかり覚えるんだよ。上手く出来たら男共の秘蔵書の隠し場所を教えてやるさね」
「「はーい!」」
「……」
ほとんどこの身一つでヤシノキラボに来たばかりの今のアーネストにはさほど痛くない情報ではあるが、これからの性活に一抹の不安が増えてしまった。後でヤシノキあたりから夜のおかずの入手方法と共に、セキュリティ面も聞いておこうと心に決めた。
ヌードルが部屋から出ていき、グランとマリィもそれに続いてワイワイキャッキャハッハッハと賑やかに行ってしまった。
「……行っちまったけど良いのか? ヌードルさんはまだ来たばかりじゃないのか? それに昨日の診断結果はグランさんたちにも関係あるだろう」
ロッドリクがパイロットスーツのままなことから、まだ来たばかりだとアーネストも察しての疑問。
「良いんじゃよ。捕虜の監視も彼女の任務の内じゃ。それからあの二人にはさっき重要事項は伝えておいたからのう。理解したかは分からんがの、その分アネさんには色々と注意してもらわんとならんのじゃ。正直ワシはああいう直感だけで行動するタイプは苦手じゃしな」
そう言って苦笑するヤシノキからは、いかに説明に苦戦した事かが窺い知れた。ついでに言えば、どちらかといえばアーネストも思考の末の結論よりも直感で行動するタイプ。
「さて、改めてよろしくなアーネスト。ロッドリクだ」
ロッドリクが握手を求めて右手を差し出し、アーネストもそれに答えて手を握り改めて自己紹介をする。
「ああ、アーネストだ。よろしくロッドリク。昔、ゲームでは何度か世話になったな」
「ハハハッ、ひよっこ共を導くのもオレの役回りだったからな。当然のことをしてただけさ」
ロッドリクやサラーナ、それにベルジット、アキノ、レインラインといったフィギュアハーツはゲーム開始直後の初心者でも簡単に手に入る仕様だった。どれも馴染みやすい性格であったり、指示を忠実に実行してくれる癖の少ないキャラクターたちで、ゲームの導入にはピッタリの配役であった。
「それじゃあ博士、診断結果の前にアーネストもうちの子と繋げてやってくれ」
「そうじゃな。アネさん、このファイルをインストールしとくれ」
ヤシノキラボのサーバーからアーネストの脳内OSにkanpachirouというファイルが送られてきた。怪しいファイルではないのは分かっているが、つい一拍おいてからファイルを開く。
――電子精神体OS、kanpachirouのセットアップを開始――
――ユーザー設定をaxelinaOSとの同期を開始――
――ユーザー名arnestの確認を完了――
――kanpachirouのインストールを開始――
――インストール中……――
――インストールを完了――
――「ようこそkanpachirouへ!」――
――FH-U SA-04ショウコのクロッシング接続を確認――
――FH-U SA-01サラーナのクロッシング接続を確認――
――FH-U ZS-01マリィのクロッシング接続を確認――
――カンパチロウ標準ツールセットのセットアップを開始――
――カスタマイズ/フルインストール――
「フルインストールじゃ」
ヤシノキが見計らったタイミングで助言してくれた。どうやらクロッシングスキルで診てくれているようだ。気持ち悪い。
――「フルインストール」――
――カンパチロウ標準ツールセットのインストールを開始――
axelinaOSをインストールした時と同様の、可能性の広がる感覚を今一度味わう。そしてこのkanpachirouOSはより洗練された印象があった。
――カンパチロウナヴィジュアルウィザードのインストールを開始――
――すべてのセットアップを完了――
――最適化の為、再起動しますか? ――
――「はい」――
一瞬目の前がチカッとしたかと思うと、アーネストの脳内で新しいOSが機能し始めた。
『改めてようこそkanpachirouOSへ。オイラがカンパチロウだ、よろしくな』
アーネストの目の前に、高校野球にでも出てきそうな坊主頭の少年、カンパチロウが現れた。恐らくずっとそこに居たのだろうが、kanpachirouOSをインストールしたことで見えるようになったのだ。その顔立ちはどことなくロッドリクに似ており、服装はラフなTシャツとハーフパンツではあるが、なぜか野球少年のような印象を受けた。
突然のことに驚くが、なんとか挨拶を返す。
「よ、よろしくカンパチロウ。君がこのOSの……えっと、……クロッシングチャイルド? 君は浮いたりしてないんだな」
アーネストはクロッシングチャイルドという単語を忘れかけていたが、なんとか思い出した。
『ハハハッ、セリナはそういう所いい加減だったからな。オイラも飛ぼうと思えば飛べるけどな。この方が自然に見えるだろう』
カンパチロウはいい加減というが、今思うとアクセリナの場合はいい加減だったというよりも、自分は人間ではないという戒めのように、あえて浮世離れした振る舞いをしていたのかもしれないと、アーネストは思った。
そしてそういう意味では逆に、このカンパチロウは徹底して人間らしくあろうという感じがした。
「こいつがオレと母ちゃん、ヌードルの息子だ。以後よろしく頼む。これからしばらくは、こいつがヤシノキラボのOSのとしてシステム管理してくれる」
なるほど親子ならば、道理で似てるわけである。
『おう、任せときな。とはいえオイラはセリナみたいに[クリーニングスフィア]を自由に動かしたりは出来ないんだがな。それでも昨日みたいに防衛施設がほとんど機能しないって事は無いからそこは安心してくれ』
実は昨日の戦闘、ラボの迎撃システムは破壊こそされなかったがほとんど機能していなかったのだ。グランたちを北の草原で正面から迎え撃つ時のような単純な作業では機能したのだが、ラボ内に入られてからはエラーを頻発させて機能していなかった。
これはヤシノキとカンパチロウがサブシステムのログを調べてわかったことであり、今後のサブシステム向上に役立てる事になった。
「そうか、それは心強い……。でも良いのか? アクセリナが誘拐された昨日の今日でここに連れてきて……。ロザリスの具体的な侵入経路もまだ特定できてないんだろ?」
アーネストの心配ももっともである。今回の襲撃の敵の狙いは、先日のアーネストの命でも、あるいはヤシノキの命でもなく、一貫してクロッシングチャイルド本体の奪取であった。これはグランとマリィからも出てきた情報であり殆ど裏が取れていると見ていい。いやまあ、アーネストの股間に一貫性のない置き土産は置いていったのだが……それは置いといて。
そしてラボへの侵入はアーネストたちが乗ってきたヘリでほぼ間違いないものの、何枚もの隔壁と電子ロック、物理的な認証キーによって閉ざされた機密エリアへの侵入経路は一晩開けた今も分かっていないのだ。
さらにもう開けるつもりのない封印エリアからも、触手ユニットがロザリスに持ち出されており、それに至っては密室トリックとかそういう次元を遥かに超えている。
なにせ封印エリアとは、ヤシノキラボにおいて作ったは良いが処理に困る物や失敗作、あるいは失敗はしたがおいそれと外部に捨てられないオーバーテクノロジーの塊、バイオハザードの危険のある劇物などを、それはもう厳重に保管したある種のゴミ箱であった。通常そこには這入ることは出来るかもしれないが、出ることは出来ない。
ましてやそこから物品を持ち出すことなど、アクセリナを誘拐する以上に不可能なことなのだ。
しかし、ヤシノキは言う。
「侵入経路については大方の見当はついておるんじゃ。ただどう説明しても突拍子がないとしか言いようがなくてのう。ワシが実際にフィリさんを診てみないことには何とも言えんのじゃよ。そしてその推測が正しければ、どんな対抗手段も無意味じゃ。そういう意味では今どこのラボのクロッシングチャイルドも誘拐される可能性はある。カンパチロウ君以外はのう」
「彼以外は……? というと、彼の身体はここには来ていない? もっと安全な場所にあるとかか?」
別の場所に身体があるにしても、クロッシングチャイルドのシステム制御とはそんなにも遠距離にも及ぶものなのだろうかと疑問が浮かぶが、技術的な知識のないアーネストにはその辺はわからなかった。
『いいや、あんちゃん。いい線いってるがちょっと違う。オイラはもう、どこにもいない』
「どこにもいない?」
『あるいはこの地球上のどこにでも居る』
「?」
それはどういうことだろうかとアーネストは考えるが、答えは出ない。
ロッドリクも何かを堪えるように視線を落とし、それを見て察することは出来た。しかしそれはスルリと受け入れることが出来なかっただけで。
『そうさ、オイラの身体は一昨日死んだ。そして今のオイラは電子精神体として[aracyan37粒子]の中に溶け込んで存在しているのさ』
本人から告げられた衝撃の事実に、アーネストは言葉も出なかった。
ただ確かに、肉体のない死者を誘拐することは不可能であった。
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傷は未だ癒えず、媚薬の効果はまだ続く
「まあ、そういう反応にもなるじゃろうな。ワシが説明しよう」
カンパチロウの言葉で固まってしまったアーネストに、子供の身体で大きなプレジデントチェアに腰掛けて足をプラプラさせたヤシノキが説明を始める。まったくもって様にならないが、そろそろ慣れてきた気がする。
「まずクロッシングチャイルドの電子例身体化こそ[PSW]の戦争撲滅の要なんじゃよ。それが、ワシらがニフル博士の研究資料から最優先で実現させた研究案件じゃ。言い訳になるが、そのせいでマルチクロッシングという夢のような資料を見過ごしてしまったんじゃ」
「どういう……ことだ?」
「むーん……、理解できるか分からんが一応説明するとじゃな。そもそも[aracyan37粒子]は電子的伝達と精神的伝達が出来る粒子なんじゃ。今の地球の大気中にはその[aracyan37粒子]が溶け込んでおる。そしてその中に電子精神体、電子的性質を持った精神体としてクロッシングチャイルドの精神を溶かすことによって電子、精神双方への干渉が可能な存在を作り出すことが出来る。それはつまり、電子的絶対強者によって戦争そのものを停止させ、精神的干渉によって戦意の喪失を促す事ができるのじゃ! あとは戦争に使用される武器を取り上げてしまえば、世界から戦争は無くなる、簡単に言えばそういう理論じゃ」
「???」
簡単に言われてもアーネストにはさっぱり理解できなかった。むしろ小さな子供が難しいことを話しているシュールさに気を取られて内容が頭に入らない。全然慣れてないじゃん。
『要はオイラたち電子精神体になったクロッシングチャイルドが戦争をする人間の戦意を削ぎ、[PSW]という組織が戦争に使う武器を世界から取り除いて世界平和の出来上がりってわけだ』
「付け加えると、政治的な部分はオレたち熱海ラボが取り纏める手筈だ。これは電子精神体による世界制御か、ダッシー博士たちの世界征服どちらの形で戦争が終わったとしても、だ。熱海ラボは中立であり、戦争終結後の平和維持に尽力する。それが今回の裏切り騒動に対する熱海博士の表明でありスタンスだ」
カンパチロウの説明にロッドリクが穴を埋めるように付け足したが、余計なことまで言い過ぎてアーネストの理解力が追いつかなそう……。
「なるほど……?」
とりあえず何かわかったような気になってきたアーネストである。
しかし説明をした三人と聞き耳を立てていた司令室のオペレーターたちは一同揃って、こいつ分かってねぇなと思った。
「それにじゃ、この世で自由を許されぬクロッシングチャイルドに、せめて電子世界での自由を与えるという救いでもあったんじゃよ」
「救い……? 死ぬことが、か?」
確かに身体も動かせず、クロッシングも結べないが故にヤシノキのようにクロッシングによってフィギュアハーツの筐体を動かすことも出来ないのであれば、肉体を捨ててカンパチロウのような電子精神体となるのも悪いことではないのかもしれない。
ちなみに、強制アクセスはフィギュアハーツAIに対しての命令権の行使であり、空っぽの筐体を己の身体のように動かす事とはかなりの違いがある。例えるなら、将棋を指すのと剣道の試合をすることくらい違う。
「でも、……でも俺が知ってるアクセリナは……」
アーネストの知るクロッシングチャイルド、アクセリナは身体が眠ったままであってもあんなにも生き生きとラボ内を飛び回っていた。彼女と過ごした時間は少ないが、それでもそんな彼女が肉体を捨てても良いなどとはアーネストにはどうしても思えない。
『おいおいあんちゃん。オイラをセリナと一緒にしてもらっちゃ困る。オイラはオイラの意思でこうなったんだ。後悔なんかしたら協力してくれたライユウとアクシムに、申し訳が立たないというものだ』
「ちなみにこれはアネさんをここに連れてきた理由でもあるんじゃがの、クロッシングチャイルドの精神を電子精神体として[aracyan37粒子]に溶かすには触媒が必要なんじゃ」
「触媒?」
触媒についてはアーネストも一応の知識はあった。軍で爆発物を取り扱う抗議の時、プラチナと水素、酸素の触媒反応についても聞いたことがあったのだ。
確か、自身は反応の前後で変化しないままに特定の化学反応の反応速度を速める物質……だったかとアーネストは記憶している。しかし、クロッシングチャイルドと触媒という言葉がイマイチ繋がらない。
「そうじゃ、おそらくアネさんも知っとる化学反応の触媒じゃ、正確には違うんじゃが、意味合いとしては大体あっておる。クロッシングチャイルドを電子精神体へと移行させるには、触媒として一〇〇%を超える適合率を持ったクロッシングペアが必要なんじゃ。彼らのクロッシングを介してクロッシングチャイルドの精神を電子の世界へ解き放つのが、ニフル博士の最新の研究じゃった」
ヤシノキの説明に、カンパチロウが付け加える。
『ライユウのペアは適合率一〇七%。でもってオイラとの相性もよかったがゆえに成功したんだ。ちなみに適合率一〇〇%を超えるペアは、世界に四組しかいない』
アーネストの中で、幾つかの疑問だったものが繋がり、確信に変わっていく。
「もしかして……、俺がここに連れてこられたのは……」
「そういうことじゃ。アネさんとショウコの適合率は一五三%。史上第二位の適合率じゃった。御主にはアクセリナの触媒として来てもらったんじゃよ。ライユウさんたちではアクセリナとの相性が悪くてのう」
「そういうことか……。……でも適合率一〇〇%超えは全部で四組居るんだろう? ライユウさんたちがダメでも残りの二組は?」
この時アーネストは漠然とその二組の内、片方はグランたちだと思っていた。
「その二組は相性以前の問題じゃな。片方はフィリさんのペア、適合率はアネさんを遥かに上回り一九二%と聞いておるが、ダッシー博士とイトショウ博士はそもそもクロッシングチャイルドの電子精神体化に反対してワシらと袂を分かったからのう……。反対勢力についておるフィリさんに触媒になってもらうのは無理な話じゃ。同時に今回アクセリナは、彼女らに誘拐されたことで命を繋いだとも言えるのは皮肉な話じゃよ」
アーネストの[PSW]へのスカウトが遅くなったのも、フィリステルペアとライユウペアがいれば充分だと考えられていたためであり、計画の最終段階になってのまさかの裏切りによってアーネストが慌ててスカウトされるに至ったのである。
まったくどっちが悪者なのやら、とヤシノキは嘆息し話を続ける。
「そしてもう片方のペア、アラーチャン博士とアキノのペアは行方不明じゃよ」
「グランさんじゃない……? いや。それよりもアラーチャン? あのテロリスト、やっぱり[PSW]と関係があったのか。ってか行方不明? 死んだんじゃないのか?」
「ヤシノキ博士、まだ何も説明していなかったのか……」
『そうみたいだな、というかアーネストのあんちゃん昨日どんだけバタバタしてたんだよ……』
ロッドリクとカンパチロウが呆れる中、アーネストの脳内は疑問でいっぱいだ。
「とりあえず先に勘違いを正しておくと、グランペアの適合率は九八%ほどじゃ。適合率とはいわば歯車のような物でな、ピッタリ隙間なく噛み合って二つの精神が回っている度合いじゃな。彼女たちはその歯車が溶接されていたようなものじゃ。隙間は最大限埋めてはいるが完全ではなく、おかしなくっつけ方をしたせいで精神の回り方も歪んでしまっておるんじゃ。アネさんには特にこの辺りは理解しておいて欲しいんじゃよ。マルチクロッシングを使っていく者としてのう」
グランたちは元々ダッシーラボの所属ではなく、今はもう無くなったラボ、天才を目指しついぞ天才にはなれなかった者たちの研究所に実験体として居たのだ。ダッシー博士はその非人道的研究に気付き、研究所ごと物理的に潰してグランを自分のラボへと引き入れ、肌の色や髪型を変えるなどを始め様々な処置を施したのである。
「……わかった」
とはいえこれだけの説明では当然理解したとはいえず、後にちびっこ先生ヤシノキからの授業をたっぷり受けることになる。
「そしてアラーチャン博士についてじゃが、察しの通り[PSW]関係者じゃ。アクセリナから四人の天才学生と三人の天才博士については聞いたじゃろう? その四人の学生が今のダッシー博士、ニフル博士、イトショウ博士、そしてアラーチャン博士じゃ」
「そういう、事だったのか……。アクセリナと風呂に入った時にもっと聞いておけば……」
その時、司令室の扉が開き一人の男が入ってきた。
「なんだとぅッ!? 吾輩とは入ってくれなくなったのに……」
黒のシルクハット、モノクル、カイゼル髭、そしてタキシード姿で満身創痍の身体を杖で支えて歩く男。
「ブンタさん!? メディカルポットで全治一週間と言ったはずじゃぞ?」
さらに彼を追いかけてもう一人、金髪の女性が司令室に来た。
「ごめんなさいデス博士。でもブンタ、アクセリナを助けに行くって聞かなクテ……ンクッ……」
独特なイントネーションの日本語を扱うその女性は、ブンタの妻でありアクセリナの母、シンディアであった。
アクセリナと同じ金髪碧眼とアクセリナを二回りは大きくしたようなスタイルで、モスグリーンのTシャツと迷彩色のハーフパンツという出で立ちである。今は熱でもあるのか、少し顔が赤い。
「そうだ、吾輩はすぐに、アクセリナを助けに……くっ……」
膝を折って倒れかけるブンタを、シンディアが支えに入った。
「ブンタ、そんな身体じゃ無理だヨ……。……アンッ……ミーだって昨日の媚薬が抜けて無くテ……ンンッ」
ブンタを支えながら、顔を赤らめたシンディアの身体が、男の重さと匂いでピクンピクンと僅かに痙攣する。
シンディアは昨日ロザリスを他のフィギュアハーツたちと共に追い詰めた所で、突然触手から吹き出された白濁色の媚薬を避けきれずにその場で戦闘不能になってしまい、その薬の効果はまだ抜けきっていない。
そしてブンタは先の戦闘の後、ラボの西側の森の中で全裸で重傷を負って倒れている所を発見された。重症を負ってはいても一部分はとても元気にエレクトしていたため、搬送したフィギュアハーツたちはとても目のやり場に困ったという。
二人共まだまともに動ける身体ではなく、シンディアは欲情した身体を発散できる特殊な部屋で一日過ごすことを命じられ、ブンタは全治一週間と診断されていた。
「シンディアの言うとおりじゃ。ダッシー博士がアクセリナを攫ったのは彼女の為を思ってでもあるんじゃ、悪いようにはされておらんじゃろう。もちろん泣き寝入りするつもりはないがのう。アクセリナは必ず取り戻さねばならん」
ヤシノキの言葉で一応の冷静さをブンタは取り戻した。
「そうか……。すまん、吾輩としたことが取り乱してしまった」
「いいんじゃよ。きっと親としてはそれで正常なんじゃ」
支えられながら頭を下げたブンタは、次にアーネストに目を向ける。
「君がアーネスト君か。吾輩がアクセリナの父、ブンタだ。見苦しい姿を見せてしまってすまないな」
「ああ、アーネストだ。俺の方こそ申し訳ない。昨日、俺がもっと上手く立ち回っていれば、アクセリナは……」
アーネストの謝罪に、ブンタは顔を横に降って答える。
「いいや、アーネスト君は最善の判断をした。さっきグランたちとすれ違ったが、あの娘たちがあんな風に笑えるのは、君のおかげだと聞いている。君とは後で紅茶でも飲みながらゆっくりと話しをしたいものだ。アクセリナと風呂に入ったことについてもじっくりと聞かせてほしいものだ」
「…………」
それでは失礼する、そう言ってブンタとシンディアは司令室を出ていった。
女友達の父親というのはどうしてこうも距離感が取りづらいのかとアーネストは思った。
一拍置いてヤシノキが会話を再開させる。
「さて、どこまで話したかのう?」
『ええと、アラーチャンが[PSW]関係者で、まだ生きているって所かな』
カンパチロウが助け舟を出してくれた。
「そうじゃったそうじゃた。それでアラーチャンが[PSW]創設者じゃって話はしたかのう?」
「はぁ!? ってことは[PSW]は世間から見たらテロ組織ってことか!?」
アラーチャンが[PSW]のただの幹部であったなら、三年前の弾道ミサイル一二発を放ち[aracyan37粒子]を世界中に散布して核を使えなくし、今の土塊の戦争を起こしたのもかろうじで独断専行だったという言い訳もできなくもない。しかし、その当の本人がトップであり創設者となれば話はガラリと変わってくる。
「はっはっはっ。そうなるのう。そしてワシもアネさんもテロリストということじゃ。というかゲーム内でもクラン創設者名はaracyanになっていたはずじゃぞ?」
小学生くらいの姿でそんなことを言われても現実感は皆無である。
「な……!」
しかしその開き直りっぷりに、アーネストは二の句が継げない。
というかアーネストは創設者名まで見ていなかったのだ。てっきりいつも取り仕切っていたダッシーがクランマスターだと思っていたのである。
「そしてそのテロ組織も、今はトップが行方不明で真っ二つに分かれてしもうたしのう」
「そ、そうだ行方不明ってどういうことだ? 公では射殺された事になっているが」
アラーチャンは三六ヶ国語で挑発的な犯行声明を動画投稿サイトにアップした後、その一五時間後に某国の特殊部隊に射殺された事になっていたはずだ。それが偽りであったという事なら、確かに[PSW]の技術力なら情報操作は可能だろう。しかしどこの国も疑うこと無くテロ首謀者の死亡を確信してこれまで戦争をしてきた。そこまで確定的な情報操作など可能なのか?
「確かに、アラーチャン博士は射殺されたのう」
「ならどうして……?」
「博士、別にこの程度こと焦らすほどのことでもないだろう。アラーチャンのクロッシングスキルは不死だった。だから完璧な死を偽装することも可能だったってだけだろうが」
ヤシノキが焦らして話を進まないことに、焦れたロッドリクが話を無理やり勧めてしまった。
「はぁ、言ってしもうたか……」
『父ちゃん、そこはアーネストのあんちゃんに答えに辿り着いてもらうところだろう』
ヤシノキと息子に冷ややかな視線を送られても、ロッドリクは怯まない。
「ふんっ。何処かに逃げた腰抜けの話など早く終わらせるに越したことはない」
さすがは戦場の男。腕を組んで堂々たる発言である。実際ロッドリクは、サラーナたちの戦闘訓練に参加したくてウズウズしていて、早く話を切り上げたかったりする。
ちなみにアーネストの脳内OSにクロッシングスキル使用時のログが流れないので、訓練自体はまだ本格的には始まっていないようだ。
「まあ、とりあえずアネさんにはこの映像を見てもらうかのう……」
そう言ってプレジデントチェアを回転させたヤシノキは、コンソールを操作して正面の大画面モニターに映像を再生させた。
「……これは……?」
巨大なモニターに映ったのは、黒のストッキングに包まれた女性の太腿と、その奥に見える白いパンティであった。低デニールのストッキング越しに透ける白い太腿と白いパンティ、そして黒のタイトスカートの組み合わせはこのアングルの盗撮において至高と言っても過言ではない。
「まあ見ておれ」
明らかに何処かのオフィスのデスクを盗撮した映像であるが、カンパチロウもロッドリクも真面目に映像に見入ってツッコミなどを入れる気配はない。
『アキノねえちゃんの太腿映像、久々に見たけどやっぱり良いなぁ』
「ああ、この太腿の肉感は母ちゃんの次に素晴らしいな」
むしろ好評である。そして二人が言うとおり、画面に映されたムチムチの太腿は素晴らしく、さらに時おり足を組んだり組み替えるなど見る者を飽きさせない。
ちなみに映像が始まったあたりから司令室中のユータラスモデルのオペレーターたちが自分のデスクの下を確認し、発見したカメラをヤシノキ目掛けて投擲し、全て頭部にヒットしていたがヤシノキは決して画面から目を離さなかった。
これもまた、漢の生き様である。
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プチショウコ作製クエスト、受諾しました
再生が始まって五分が経過――。未だ映像にはアキノの黒ストッキングに包まれたパンチラが映されているが、一向に変化らしい変化はない。ムラムラしてきたから早送りしてくれと言うべきかアーネストは迷ったが、もうしばらく見ることにした。
再生が始まって一〇分――。ついにムラムラがピークに達してこの映像データをコピーして欲しいと言い出そうとした時、変化が訪れた。
『アラー、予定通りアポなしのお客様よ』
冷静な女性の声。アーネストも聞き覚えのあるアキノの声だ。
フィギュアハーツ、ユータラスモデル NN-01 アキノ。ロッドリクやサラーナと同じく初心者御用達のフィギュアハーツであり、一見のんびりしているようにも見えるが常に冷静で信頼性の高いAIキャラクターであった。アーネストの覚えている限りでは長い銀髪に黄色がかった瞳で、大きな胸の女の子であり膨よかな胸部を持ち巨乳だった。要するにほとんどおっぱいしか見ていなかった。太腿ももっと見ておけばよかったと後悔している。
『へぇ、意外と早かったじゃん。それじゃあ、アキノ、ハツネ、手筈通りに頼むよ』
『はい』『ハイ』
若い男の声に指示を出され、アキノと、もう一人アーネストの聞き覚えのない声の女性が返事をした。
アキノが立ち上がり、黒ストッキングの太腿とパンチラが画面から消え男一同「ああぁ……」と名残惜しそうな声が出た。ついでに、これだから男共は……、という意味のこもったため息が女性オペレーターたちから漏れ出る。
画面は椅子だけが残された映像になったが、足音や衣擦れの音は流れ続ける。
画面の変化が少なくなったタイミングを見計らってアーネストが質問する。
「ヤシノキさん、ハツネってのもフィギュアハーツなのか?」
「そうじゃ。アラーチャン博士が自分とクロッシングするためだけに調律されたフィギュアハーツAIじゃよ。複数体とのクロッシングというのは、ワシのプチレティアとコンセプトは同じなんじゃがのう、悔しいがあちらの方が完成度は高い……。ほとんどデュアルクロッシングと言ってもいいレベルじゃ」
フィギュアハーツ、ユータラスモデル SA-sp01 ハツネ。ボリュームのある長いツインテールの緑髪が特徴のフィギュアハーツ。整った顔立ちとスタイルはどこか人工的な印象を与えるが、それも含めて魅力として見せてしまう不思議な雰囲気のキャラクターを持ち、歌が得意。
アラーチャンはこのデュアルクロッシングによって三つのクロッシングスキルを三人で共有することに成功しており、フィギュアハーツとのクロッシング技術では他の博士たちよりも頭一つ抜きん出ていた。
しかしそれもマルチクロッシングというアーネストのスキルによって覆されつつあり、昨日の今日で分かっていることだけでも、人間側から契約を持ちかけられるNTR機能や、すでにショウコ、サラーナ、マリィの三人のフィギュアハーツのクロッシングスキルが使用可能であるアーネストは、アラーチャンと同等以上の可能性を秘めているとヤシノキは睨んでいる。
「そうなのか……。そうだヤシノキさん、今度プチショウコ様を作って欲しいんだけど」
「ふむ……、作ってもいいが条件があるのじゃ」
「条件……?」
何か必要な材料があるから獲ってこいとか、そういうお使いクエスト的な物をアーネストは思い浮かべた。
「うちのラボ内で子作りエッチ三回じゃ」
「…………なるほど、考えとく……」
そういえばショウコもこうなるだろうと言っていた事を、アーネストは思い出した。クエストは難航しそうである。
ロッドリクがわざとらしい咳払いをし、カンパチロウをちらりと見る。
「んんっ……。一応、子供もいるのだから、そういう話はひかえてもらおうか」
『父ちゃん、オイラはもう子供じゃない!』
「そうじゃぞロッドリクよ、そんなことにいちいち目くじらを立てていてはこのラボのシステム管理など出来んぞ」
ヤシノキの言うとおり、ここはフィギュアハーツの生殖実験が行われているラボである。実はカンパチロウも今現在、破壊された施設を利用して終末的シチュエーションでの実験を行っているフィギュアハーツたちを確認している。父親が今更何を言おうと手遅れですらある。
「……しかし……、くっ、ここではオレの常識が通用しないのか……」
ロッドリクが悔しそうにする一方で、映像の音がピタリと止み、続いて重い扉がゴロゴロと開く音が聞こえてくる。
『それでは、アラーもお気をつけて』
『心配しなくても、僕は死んだりしないさ』
『しくじらないように、気をつけて下さいという意味です』
『……なるほど、それは気をつけよう。実は死んだふりは苦手でね』
『はぁ……では、後ほど。ハツネも頼みましたよ』
『リョウカイデース』
シンディアとは違った違和感のあるイントネーションの声、これがアーネストが初めて聞くハツネの声であったが、どこかで聞き覚えがあるような気がした。
ハツネの返事のあと、スラスターを吹かす音が聞こえ、遠ざかっていき、また先程と同じ重い扉がゴロゴロと動く音が聞こえる。
「アラーチャンの部屋の本棚型の隠し扉から、FBDユニットで武装したアキノが出ていった音じゃな」
ヤシノキが補足説明してくれた。
アラーチャンラボは当時、天才博士たちの会合などで使われることもある施設だったので、ヤシノキも足を運んだこともあるのだ。もちろん、今のような筐体姿になる前であるが。
『さ、てと……』
アラーチャンが一息つくと、映像の音声に本当に微かな足音と金属の擦れる音が交じる。おそらくかなり高性能な集音器を使ってやっと聞き取ることが出来る程度の、訓練された兵士の足音。
数秒の後、扉が乱暴に開かれ銃を構える音。
『動くな! 武器を捨てて――』
パンッ!!
男の声が警告を発している途中で、銃声が響いた。よく音を分析しなければ分からないが、銃弾がヘルメットか何かに跳弾した音も混じっておりこの銃弾で負傷した者は実際いなかった。
しかし、被害の有無よりも撃たれたという事実は、作戦行動中の兵士にとって反撃するには充分な理由である。
『き、貴様! よくもッ! 撃て!』
ダァァァンッ――
先程の銃声が玩具の銃だったのではないかと思うほどの大きな銃声が、部屋の中に反響し満ちる。ハンドガンやアサルトライフルなどでは出ない派手な銃声。おそらくはミゾが持つような大きなライフル。室内に持ち込むには勝手が悪いはずだが、この銃声はたしかにそういう銃のものだった。
次いでドサリという音とともに、画面の目の前に血の気を失った若い男が倒れてきた。
『確認を』
短い指示。
すかさず倒れた男の首に手袋を脱いだ何者かの指が当てられる。
『脈なし、呼吸なし、即死です』
ビーッ! ビーッ!――
ここで突如、警報音が鳴り始めた。
『何事だ!?』
誰かがカタカタとキーボードを叩く音。
『……じ、自爆装置!?』
この場の指揮官らしき男とは別の男が声を引きつらせる。
『クソッ……古風な真似を……。撤退だ。死体の回収はしない』
一刻を争う事態に、訓練された男達は足音も隠さず撤退していった。
『~~♪ ~~~♪ ~~♪ ~~~♪ ~~~~♪』
そして男達が去った後、サイレンに混じって聞こえてきたのは歌声だった。アーネストも聞き覚えのある歌、確かフィギュアハーツのゲーム内でも流れていた歌声だった。
歌が聞こえ始めてすぐにアーネストは変化にも気付いた。
「顔色が……」
「そうじゃ、アラーチャン博士のスキルは不死。じゃが、肉体の再生はほとんど出来んのじゃ。腹に大穴が空いてもゾンビのごとく動くことは可能じゃし、自然治癒より多少はマシな程度の回復もするがの」
それだけでも驚きだが、画面の中のアラーチャンは自然治癒より多少はマシな程度などという回復力ではない。それこそゾンビのような顔色が数秒でよくなっていく。
「そしてハツネのスキルがこの、歌による治癒じゃ。死んでいない限り、たとえ脳ミソを吹っ飛ばされていようと回復が可能じゃ。無論、脳ミソを吹っ飛ばされても死なない者なぞアラーチャン博士とそのクロッシングパートナー以外にはおらんがのう」
そんなことを話している数十秒で、アラーチャンの回復が完了した。彼は最後に死んだように見開かれた瞳を瞬き一つすると、その目には生気が戻り立ち上がる。
『ふぅ……死ぬかと思った。まったくあんなドデカイ銃持ち込みやがって……僕の服に穴が……』
パンパンと服についたホコリをはらう音。
『アラー、キガエテルジカンナイヨ。スグニデナキャ』
『わかってる。でもちょっと予定変更だ』
歌い終わったハツメが急かすが、アラーチャンはその場にしゃがみ、デスクの中に設置されていた物に手を伸ばす。
カメラが手に取られ、画面が揺れる。
『ソレハ?』
『カメラだね。映像自体はリアルタイムで送信されてるから……ヤシノキ博士あたりかな?』
一瞬で盗撮犯に辿り着く頭脳はさすがは天才である。
『まあいいや、せっかくだからメッセージを送っておくよ。僕はこれからちょっと用が出来たから身を隠させてもらうよ。あとはよろしくー』
『アラー、イソイデ!』
『ああ、今行くよ。まずはアキノと合流だ』
その言葉を最後にカメラは壊され、映像が途切れた。
「とまあ、あとはよろしくされて、三年が経つんじゃよ」
「なるほどな……だいたい大まかな疑問は解消したよ。でも一つ気になったんだけど……」
アーネストはいったん言葉を切り、少し記憶を辿ってみる。
「なんじゃ?」
「アラーチャンを撃った銃声、聞き覚えがあるんだけど……銃の種類とかってわかってるのか?」
『あんちゃん、それなら確か前もやったけど不明だったはず……って、聞き覚えがある!?』
「どこでじゃ!? いや、あの銃声たしか……」
「たぶんだけど、ミゾさんの……」
アーネストが辿って行き着いた記憶は、先日の戦場でフィリステルたちに遭遇した時のものだった。
「まさか、ルクスティアLV04じゃと!? ……音紋照合……っ、八九%合致じゃ。なんということじゃ……まさかミゾさんが……」
ミゾの持つ対物ライフル、ルクスティアLV04についてはヤシノキも聞いていた。だがまさかアラーチャンを撃った銃声とほとんど一致するとは思ってもいなかったのだ。
「どういうことだ博士!? ルクスティアってまさか、あのルクスが関係してるっていうのか!?」
思わぬ名前が飛び出し、ロッドリクが声を荒げる。
フィギュアハーツ、ユータラスモデル NN-ex01 ルクス・ティア。
ミゾのクロッシングパートナーのラモンにとって同じexシリーズの姉のような存在であった彼女は、拳で戦う彼とは違い、銃を作り、銃を使い、銃を愛し、銃を撃つ、生粋のガンナーであった。
そして彼女は[PSW]が旧式の銃器の処分を始める数ヶ月前に、アラーチャンが姿を消す直前に、[PSW]の意向に賛同できないがために、[PSW]と敵対しないことを条件に組織から去ったフィギュアハーツである。
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本当に残念ながらアーネストはノンケであった
「ひぃっ!?」
遮蔽に隠れたアーネストの顔のすぐ横を、弾丸が風切り音を鳴らして通り過ぎる。ダァァァンッ――と発砲音が聞こえ遠くの建物の壁に新しい弾痕が出来るのが見え、ライフルを持つ手に力が入る。
アーネストは今、廃墟のビル群が立ち並ぶ訓練施設で三対三の模擬戦中であった。
司令室でヤシノキからマルチクロッシングについて簡単な説明と、ショウコとアーネストのクロッシングが切れるとサラーナやマリィとのクロッシングも切れてしまうなどの注意事項を聞いた後、ロッドリクと共にミゾからアラーチャンを撃った銃声の事を聞きくため訓練施設へと向かった。
途中、壁尻エリアで壁から上半身を生やした状態でヤシノキを待っていたレティアを発見し、事情を話して博士は来れないことを伝えると「ワタクシも行きたいのです。とりあえずここから引き抜いて欲しいのです」と言われ、ロッドリクとアーネストで壁からレティアを引っこ抜いて来たりもした。
訓練場に着いてミゾに先程の動画を見せると「謎は全て解けました」と即座に自分だけ真相に至ってしまった。ちなみにアラーちゃんを撃ったのはミゾではないとも言っていた。
レティアを通じてヤシノキへ真相を伝え訓練に戻ろうとするミゾに、アーネスト、ロッドリクと、その場に居合わせたサラーナが真実の説明を求めると「では模擬戦をしましょう。勝ったら全部説明して差し上げます」とミゾが珍しくニヤリと笑みを浮かべてそう言い出した。そうしてミゾ、ラモン、レティアの真実を知るチームとの模擬戦が始まったのである。
模擬戦のルールは、ポストコアタッチ制。各陣営の奥に配置されたポストコアへ一発でも銃撃を決めるか、敵チームを全滅させた方が勝ちとなる。サバイバルゲームで言うフラッグ戦のようなものである。
弾丸がヒット、あるいは近接装備でダメージを受けたプレイヤーは、頭部ヘルメットなら一発、それ以外なら三発で戦闘不能とされヘルメットに付いたスタン機能によってその場で動けなくなる。
そしてポストコアは地上一〇メートルほどの高さに吊るされ、その真下以外の周りを防護板で囲ったものであり、これを撃つにはポストコア真下へ辿り着く必要がある。
アーネストたちはこの条件下で勝つことで事の真相をミゾから教えてもらえるのであるが。
『アーネスト隊長! 少し出過ぎてるわ! 訓練だからって強気に出ると痛い目見るんだから! そっちが痛いとワタシまで痛くなるんだから気をつけてよ!』
アーネストの後方から訓練弾を装填したアサルトライフル、エンフォーサーで撃ち返しながらサラーナがチーム内通信で叱責を飛ばす。
[PSW]での訓練弾はゴム製の芯の外側をネオニューロニウムで覆ったものであり、普通に当たれば普通に痛いし普通に死ぬ。そうならないための装備が、今アーネストも着ている野戦服であり、防護ヘルメットである。この野戦服とヘルメットは防弾、防刃、耐熱加工はもちろん、微弱なNNR還元光を発する加工が施されており、訓練弾が当たる直前に外側のネオニューロニウムを還元し砂に戻してゴム弾だけが当たるようになっている。さらに野戦服の下には同様の加工がされた全身タイツを着ているので一応、死なないはずだ。しかし外側は殆ど実弾と変わらないので薄い壁なら貫通して来る。
ちなみにグランが着ていた紫の迷彩野戦服もおなじものだったため、プロテクターの一種と見なされリペア溶液で溶けなかったりもした。
そしてこの訓練弾や訓練着を使用することによって、RAシールドの消耗を実戦同様の感覚で訓練できるだけでなく、ショウコのクロッシングスキルのような危機的状況が発動条件となるスキルも訓練での発動が可能となる。
――一応、マリィのスキルも使えるらしいから痛くはないのでは?――
現在アーネストは自分のスキルの他に、ショウコ、サラーナ、マリィのクロッシングスキルが使用可能である。グランのスキルはクロッシングのシステム上使えないらしいが、共有されるスキルフォルダがどうとか、コピーされたスキルが入っているフォルダがどうとか、ヤシノキに説明されてもアーネストには理解不能だった。とにかくグランのスキル、重力操作はアーネストやサラーナにも使えないらしい。
それでもマリィのスキルは皮膚組織を自在に変化させるものであり、ゴム弾どころかNNR弾すらも通さないほどの硬い皮膚になることも可能なのだ。充分に心強い。
――隊長……、弾が通らなければ痛くないなんて思ってないわよね? 試してもいいけどワタシは一度クロッシングを切らせてもらうわ――
――アーネストさん、皮膚を固くしても痛いものは痛いよ?――
――そうそう、特にミゾさんのアレは痛かったー。わっち、一瞬意識飛んじゃったもんねー!――
――ねー!――
思考通信にマリィとグランが参加し、有難いアドバイスをくれた。
――ありがとう、気をつけるよ……――
今まさにアーネストが遮蔽から出てくるところを狙っているのは、約五〇〇メートル先の廃墟のビル群の上に浮かぶ黒い鞠のような球体に入ったミゾの対物ライフルである。当たると痛いアレだ。
『アーネスト、こちらは配置についた。いつでもいけるぞ』
味方のロッドリクからの報告を聞き、アーネストは彼から借りてきた盾を手に取る。
FH 無線式機動盾、バトルガーダー。壁に立てかけてあったそれは、一辺三〇センチほどの正八角形の板を繋ぎ合わせて作られたモスグリーン色の盾であるが、本来は板の側面に付いたスラスターにより正八角形の盾がそれぞれ飛び回って弾丸などを弾く機動盾である。実の所この盾は、弾を弾いても盾その物も反動で弾かれてしまったり、ロケットランチャーなどの爆発物では一発でダメになってしまうなどの欠陥付きの失敗兵器であったが、ロッドリクのクロッシングスキル、物質の固定化によりどんな攻撃にも怯まない機動盾となるのだ。
もちろんアーネストには固定化能力など無いので、今回は何枚かを繋ぎ合わせ持ちやすい位置に数か所グリップを取り付けて、普通に盾として使う。
マルチクロッシングでロッドリクとクロッシングを結ぶことも出来るが、男同士でキスあるいは兜合わせを行うことに、ノンケのアーネストが乗り気でないので仕方がない。
ついでにヤシノキからもアーネストに現在残っているマルチクロッシング枠は二つだけであり、この二つはアクセリナ奪還の切り札になるため使わないようにと言われている。しかしヤシノキからなんと言われようと、アーネストがノンケでなければガチムチイケメンのロッドリクをヌードルから寝取っていたであろうことは想像に難くない。
何度も言うが、アーネストがノンケだから仕方がないのだ。なぜそんなにノンケであることが残念そうなのか……?
「了解」
事前に作戦を伝えてあったロッドリクに短く返し、サラーナへ作戦のイメージデータを送信する。アーネストからOSデフォルト設定のキューブ型のイメージが飛び出し、サラーナへと飛んでいく。
わざわざサラーナへ事前に作戦通達をしなかったのは、レティア対策である。レティアの使用できるヤシノキの分析スキルは、敵の位置取りや挙動から作戦自体を分析出来る。一人でも作戦を知らないまま動いてもらわなければ、作戦全体を読まれかねなかったのだ。
『こちらも了解よ。ロッドリク、敵の位置データちょうだい』
『はいよ。そっちもうまくやりな』
ロッドリクの使用できるもう一つのクロッシングスキル、ヌードルのスキルは振動感知であり半径五〇〇メートル圏内の音などの振動を感知できるものである。索敵能力はブンタのクロッシングスキル空間感知能力に勝るとも劣らず、ここでは関係ないがステルス能力を持つフィリステルの警戒対象でもある。
サラーナが特にレティアから隠れながら、スラスターで素早く移動を開始した。同時にアーネストも覚悟を決める。
「っし! 行くぞっ!」
アーネストが盾を構えて遮蔽から飛び出すと、半歩も出ないうちに盾に重い衝撃を受ける。少し遅れて届く発射音。ミゾの狙撃である。
踏ん張って衝撃を地面に逃しながら、アーネストは前進を開始した。
『しっかし、旧世代の金属製の銃でNNR弾を連射するってのは驚きの銃だな。普通は一発でライフリングがイカれて、二発目はまともに飛ばないだろうに』
ロッドリクが銃声を分析して感心する。
通常、旧世代の銃でNNR弾を撃つと、硬すぎる弾丸にバレル内のライフリングが潰されてしまうか、バレルその物が裂けてしまうのだ。しかしミゾの持つルクスティアLV04は、ライフリングに超微量のネオニューロニウム還元加工が施されているため弾丸に適切な回転運動を与えている。
『さすがはあのルクスが作った銃ってところかしらね』
一歩一歩前進しながら、アーネストは思考通信でサラーナに質問を投げかける。
――そういえば、そのルクス・ティアってのはどんなフィギュアハーツだったんだ? 話を聞いてると銃に精通しているってくらいしかわからないんだけど――
アーネストの知る限り、ゲーム内でもルクス・ティアというフィギュアハーツはいなかったように思う。ルクスという名も先程の司令室で初めて聞いた。
――だいたいそれで合ってるし、それが全てとも言えるわね。銃を作り、銃を使い、銃を愛し、銃を撃つ、生粋のガンナーよ。そしてだからこそ[PSW]には居られなかった娘……――
ラモンと同じexシリーズのフィギュアハーツであるルクスは人と適合する可能性は極めて低かった。だから彼女はクロッシングという可能性を切り捨て、適合者発掘の場であるオンラインゲーム、フィギュアハーツには参加せずひたすらに銃の腕を磨き続けたのである。
そんな銃器を根絶しようという組織の中で、銃器に精通し、銃器で戦うという矛盾は、銃を愛したと言われる彼女にとっては想像以上に辛いものであっただろう。
――それじゃあ、今はもうその娘は……――
アーネストの頭には廃棄処分という言葉が浮かんだが、そうではなかった。
――ええ、[PSW]と敵対しないことを条件に、組織から去ったのよ。いつも冷静で、頭が良くて、面倒見も良くて、ラモンにとっては姉のような存在だったわ。それまで[PSW]に尽くしてくれた彼女だからこそ許された処置とも言えるわね――
さらに言えば、彼女を下手に扱えばラモンを始めとするルクスを慕っていた者たちが、反乱しかねなかったがゆえの処置とも言えた。
当時の[PSW]は情報封鎖が厳しかったため、敵対しないという条件の中にはもちろん一切の情報を漏らさないという事も含まれていた。もしもアラーチャンを撃った部隊とルクスが関係しているとすれば、彼女は条件を破っていた可能性が高いことになる。
元を辿ればAIであるフィギュアハーツ、そういった命令違反を防止する処置も取れるといえば取れるが、戦闘用ラブドールという微妙な性質とクロッシングというデリケートな機能の関係上、PSW組織内ではロボットと言うよりも人間として扱われることが多い。そのためそういった思考にロックを掛けるような機能はフィギュアハーツには一切無い。
そのため本人も言った通り、今ルクスティアLV04を握っているミゾ本人がアラーチャンを撃ったということはないとしても、ルクスがアラーチャンを撃った可能性はあるんじゃないか?
そんなことをグルグル思考していたアーネストは、ロッドリクの声に気が付くのが数瞬遅れた。
『――、――ぶない! 壁から離れろ!』
「あっ、くッ!!」
ハッと気づいた瞬間には盾を強く握りしめ、嫌な予感がする方向から横っ飛びに跳んで離れていた。
直後、アーネストのいたすぐ横のビルの壁が螺旋状に破片を撒き散らして爆散した。
「って、ロッドリクじゃなくてアーネストか!?」
爆散した壁から現れたのは、右手の拳に装着した攻城近接装備ギガドリルナックルをギュルギュル唸らせたラモンであった。訓練着の上から羽織った重力制御マントをはためかせケモノの尾がゆっくりと揺れ、クロッシングスキルによる獣化で身体強化されていることが見た目でわかる。ついでに言えば、ヘルメットの中で本当はピンと立つはずの獣の耳が窮屈そうにしている。
専用装備のないラモンは装甲やスラスターは付けず、アーネストと同じく訓練着とヘルメット姿だが、ミゾとのクロッシングによりクロッシングスキルはもちろんのこと、さらには人間には使えないRAシールドの展開も出来る。ミゾからも未だに狙われ続けている今、この接敵は致命的であるはず。
しかし、敗色の濃いはずのアーネストに浮かんだ表情は、不敵な笑みであった。
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詰めの甘さに定評のある隊長、アーネスト
問答もなく流れるような動作でラモンが殴りかかってくる。
「はっ!」
裂帛の気合と共に容赦のない頭部狙いの必殺の一撃!
ギュルギュルと回転する螺旋が迫り、アーネストはヘルメットの存在を忘れ、命の危機を覚える。
ドクンッと心臓が震える。
その瞬間、
――arnestがFH-U SA-04ショウコのクロッシングスキルを使用――
頭がスッと冴え、アーネストの目に映る世界が減速していく。迫りくるドリルも、ラモンが蹴り上げた砂埃も、今まさにバトルガーダーに衝撃を与えんと向かってくる弾丸も、全てがゆっくりと動く世界。
ショウコのクロッシングスキル、緊急時に思考能力と身体能力が向上される、言わば火事場の馬鹿力のようなスキルが発動したのだ。
――これが、ショウコ様のクロッシングスキル……!
戸惑う頭で思考しながら、アーネストの体は直感で動く。空いていた左手で腰から刃の潰れた訓練用コンバットナイフを逆手で抜き、迫り来る螺旋を下から弾き上げる。
更にドリルを弾いた反動でしゃがみ、盾とともに伏せる。
突き出した拳を弾かれ、ラモンは数瞬遅れて驚きの表情を浮かべ――
「がはッ!!」
左肩に強い衝撃を受けて三メートルほど吹っ飛び、苦悶の声を上げて倒れた。
アーネストが盾で受けるはずだったミゾの弾丸が、アーネストが伏せたことによってフレンドリーファイアを起こしたのである。
ここでクロッシングスキルの効果が消え、アーネストは加速した世界から戻ってきた。
「なるほど、ショウコ様のスキルはオートで発動するのか」
発動条件が揃った瞬間に発動するスキルは、直感で戦闘を行うアーネストにはとても相性がよかった。
『レティアと接敵したがすぐに逃げられた! 読まれたかもしれん』
ロッドリクから通信が入り、ちょうどアーネストの視線の先でも黒い球体が消えて、半獣化したミゾがロッドリクとは逆方向からポストコアを狙ったサラーナの迎撃へ向かっていた。
「わかった。サラーナは急いでコアへ! ミゾさんがそっちに向かった! 俺も上がる! ロッドリク盾のパージ頼む」
『了解よ』『了解した』
アーネストが指示を出すと繋ぎ合わせてあったバトルガーダーが一辺三〇センチほどの正八角形の板へとバラバラになった。その中からグリップの付いた二つを両手に握り、残りはその場に捨てて走り出す。
「おっとアーネスト! あんたの相手はオレだっ!」
走り出したアーネストの背に向け、倒れていたラモンが立ち上がって無線誘導式ブーメランを投擲する。その左腕はダラリと下がったままであり、ルクスティアLV04の威力の凄まじさが見て取れるが、一瞬見ただけで前を向いて走り出す。
アーネストは背中にヒュンヒュンという風切り音が近づいてくるのを感じる。
――arnestがFH-U SA-04ショウコのクロッシングスキルを使用――
もう一度ショウコのクロッシングスキルが発動し加速する。今度はアーネストも迷わず最適な行動を決める。
最適な行動、すなわち強化された身体能力での全力疾走であった。
投擲されたブーメランを引き離し、あっという間に三〇〇メートル近くを走破してしまう。
「嘘だろおい……クソッ」
悪態をつくラモン。追跡を諦めて戻ってきたブーメランをギガドリルナックルを手首へと下げた右手でキャッチし、出遅れながらもアーネストを追いかけ始める。
少し時は戻って作戦指示を受けたサラーナ。
「了解よ」
サラーナ=スラスター全開でフィールド端の狭い路地を疾走/アーネストへ返答――現在戦闘モード。
相手チームにこちらの作戦がバレた=対処される可能性――大。
瓦礫や故意に設置された障害物を華麗に避けながら思考――おそらくレティアはコア下の迎撃に回ったはず/追い込まれた側の最善の行動。
逆サイドからはロッドリクがレティアを追ってコアへ/レティアを抜いてコアへ攻撃できるか/出来なくても上手く挟み撃ちにできるか――このまま隠れてコアへ向かえば確実に先に守りを固められてしまう=火力で劣るこのチームではゴリ押せない。
隠密行動の放棄を決定。
兎に角最短ルートでコアへ/割れた大きめの窓から廃ビル一階へ突入――デスクを蹴る/壁を蹴る/天井を蹴る/くるりと回って開きっぱなしのドアから廊下へ――廊下の壁を蹴る&スラスターで右方向へ直角に方向転換/重力制御マントが機能してスムーズに方向転換――少し進んで突き当り/左手に階段――階段の手すりから伸びたポールを掴んでL字に方向転換/ポールが軋むが耐えてくれた――1階と2階の間の踊り場=全面ガラス張りの窓――RAシールドを張ってガラス突き破って外へ――シールド解除――隣の廃ビルの非常階段の手すりを蹴って飛び上がる。
――arnestがFH-U SA-04ショウコのクロッシングスキルを使用――
アーネストが二度目のショウコのクロッシングスキルを使う感覚。
――相変わらずあの隊長は詰めが甘い。
指向通信には乗せず思う。
壁の装飾の出っ張り/窓の枠/階段の手すり/足場になりそうな物を使って舞い上がる――屋上へ舞い降りる。
ショウコ&アーネスト=いつも直感で動くタイプ――そのフォローはいつもサラーナ/今回もそうなる予感が的中。
ダァァァンッ――銃声とともに弾丸がサラーナへと迫る。
――FH-U SA-01サラーナがFH-U SA-04ショウコのクロッシングスキルを使用――
サラーナの意識が加速――ゆっくりと正確にヘッドショットコースで飛来する弾丸/少し重くなった空気/全てがゆっくりと流る世界の中で自分だけが普通に動けると確信――当たると痛い事に定評のある銃弾をいともたやすく回避――加速終了。
「くッ……見つけました!」
道を挟んで左隣のビル屋上に叫ぶミゾ=訓練着/黒いウサギの耳がヘルメットの中で窮屈そう/対物ライフル=ルクスティアLV04をサラーナに向けて構える。叫んだのはサラーナの気を引くため――銃撃を避けられようとも少しでも時間稼ぎをするつもり――その手には乗らない!
ミゾを一瞥――無視して直進――追撃するミゾからの断続的な銃撃/どれもワザと狙いを外した威嚇――無視して屋上から屋上を飛び移って猛進――人間離れした脚力で少し遅れながらも追ってくる半獣化したミゾ――目指すはコア。
「ミゾさんを確認、追ってきてるけどこのままコアに向かうわ!」
『レティアのコア下到着まで推定二三秒だ! 間に合わせろ!』
『こっちはラモンが追ってきてる。俺も一応コアに向かうが、出来れば先に決めてくれ!』
チーム内通信で情報を共有――ギリギリで間に合うと目算を立てる――ミゾが直撃コースの弾丸をくれれば余裕で間に合う自信もある。
――詰めの甘いアーネスト隊長。でもチャンスを作り出すのもいつもあの二人だったわね。
何百戦とやったゲームでの戦闘を思い出しながら、サラーナは少しだけ笑った。
ラモンから逃げ回りながらコアを目指すアーネスト。
時折ラモンから邪魔が入るが、明らかに気迫が無くスキルの発動を警戒している。
ドリルは使わず掴みかかってくるラモンを軽くいなし、微妙に狙いを外したブーメランを小さく軽くなった盾で弾く。
「クッソ、マジでやりづれえ!」
負傷した左腕をダラリとさせながら、ラモンが悔しそうに悪態をつく。
「さっきみたいに、もっと当てるつもりでくればいいのに……、いや、でもそろそろ――」
ピィーン! ピィーン! ピィーン!
訓練フィールド内にコアへの攻撃が決まったブザーが鳴り響く。
「ガァーッ! やられたかー」
「うっしゃあっ! 上手く行ったみたいだな」
フィールド端の大きなモニターに模擬戦の結果が表示される。
WIN――アーネスト サラーナ ロッドリク
LOSE――ミゾ ラモン レティア
ラモンがガシガシと負傷していない手で頭を掻きながら、アーネストに質問する。
「と言うかアーネスト、オレが撃たれた時、何でとどめを刺さなかったんだ?」
アーネストがミゾの銃撃を伏せて避けた後の、非合理的な行動についてである。
あの時倒れたラモンを仕留めておけば、単純に数的な有利を得ることが出来たし、さらにミゾはクロッシングスキルが使用不能になり、サラーナのコア攻撃が失敗したとしても大きなアドバンテージを得ていたはずだ。
まさか自分が加速するためにあえてリタイアさせなかったのだとすれば、ラモンは完全にアーネストの手中で踊っていたことになる。
「ああ、アレは……、なんというか、普通に忘れてた……。というか実戦ならもう死んでただろっ!? それにレティアに作戦バレたみたいで焦ったんだよっ!」
「ぷっ……アッハハハハハッ! アーネスト、おまえ詰めが甘ぇよ」
負けたはずのラモンが腹を抱えて笑い、勝ったはずのアーネストがブスっとした表情をしている。
しかしアーネストも詰めが甘いのは自覚していることであり、ため息一つ付いて今後の反省として受け取る。
「まあ、それも含めて有意義な模擬戦だった。ありがとう」
「こっちこそ、面白かったよ」
二人は互いを讃えながら右手を握りあって握手をした。
それ以上のスキンシップもなく、リペアカプセルに向かうと言うラモンを見送り、アーネストは訓練施設の管理塔へ向かった。
訓練施設の管理塔ロビーに戻ったアーネストを、武装を解いた訓練着姿のサラーナとロッドリクが笑顔で迎えた。
「アーネスト隊長、今回は良いとこ取らせて貰ったわ! 良い作戦だったわね」
「おう、最初はどうなるかと思ったが、上手く行ったじゃねえか!」
「いや、まあ、二人が臨機応変に動いてくれたおかげだよ」
二人の賞賛にアーネストが照れながら謙遜する。
「確かに、アーネスト隊長の作戦はいつもアバウトで詰めが甘いからね。自分で考えて動かないと上手く機能しないのよ」
「だな。母ちゃんならもっと的確に指示を出してくるからな。こういう戦い方は久しぶりだ」
「うっ……ぐ……」
賞賛だけでは終わらない。さすがは初心者向けフィギュアハーツである。
二人の説教が本格的に始まる前に、アーネストはロビーの奥のソファーテーブルでレティアと話しているミゾへ歩いて行く。
「ミゾさん、お疲れ様。良い練習になったよ」
「あ、アネキ。こちらこそ、思った以上に良い訓練になりました。まさかアネキがあんな動きをするとは思いませんでしたし、自分の撃った弾の痛みが分かるなんて貴重な体験でした」
近づいてきたアーネストに気付き、ミゾが向き直る。
アーネストもミゾの対面に座り、その隣にサラーナが座る。ロッドリクはアーネストの斜め後ろで休めの姿勢で立っている。
「ははは、グランさんとマリィも痛かったって言ってたから咄嗟に避けたんだ。それにショウコ様のスキル、アレはもっと慣れないと実戦じゃ危ないな」
「ミゾさんにも今話していましたが、クロッシングスキルも多少であれば脳内OSで調整が可能なのです。今回みたいな訓練では発動条件を模擬戦のヒット条件と合わせたりするくらいなら、自己暗示アプリの応用で出来るのです」
レティアのアドバイスになるほどと思いながら、アーネストは本題に入る。
「それでミゾさん。真実を教えてもらいたいんだけど」
「はい。と言ってもそんなに難しい話でもないのですが……まずはこれを聞いてもらえますか」
ミゾはホログラフモニターを展開して音声の再生を開始する。
ダァァァンッ
「これが、私のルクスティアLV04の銃声です」
ダァァァンッ
「で、こっちがアラーチャンを撃った銃の銃声です」
銃声を再生して、わかったでしょ? みたいに首を傾げられても、アーネストにはさっぱりわからなかった。
「微妙に違う……のか?」
とりあえず、二つを聞かせたということは違うのだろうと当たりをつけて言ってみた。
「はい。やはりアネキも気が付きましたね」
いいえ、アーネストはまったく気付きませんでした。
「え? ってことは、銃声が似た銃がもう一丁あるってことかしら?」
「その通りです、サラーナ。そしてアラーチャンを撃ったのはおそらくルクスティアLV01です。正確な音紋分析はヤシノキさんがワールドハンターフレンズにあるデータと照合してくれてますが、ほぼ間違いないと思います」
ミゾの話によると銃のフィギュアハーツ、ルクス・ティアの作ったルクスティアシリーズの銃は全部で七丁あるが、対物ライフルはLV01とそれを大幅に改良したミゾの持つLV04、そしてルクスティア自身が持つルクスティアシリーズの集大成であるLVAが対物ライフルとしての機能も備えているのみである。
それを説明すると、軍人気質なロッドリクはとても興味深そうにしていた。
「ルクスが特にスナイパーライフルに入れ込んでたのは知っていたが、シリーズ全てがロングレンジのライフルってわけじゃないんだな」
「ええ、師匠、ルクス様は銃全般が好きな方でしたからね。LV02とLVR02はハンドガン、LV03はサブマシンガン、LVR03はアサルトライフルでした。それぞれどういう基準で選ばれたかは知りませんが、別々の人にルクス様が授けたと聞いています」
「師匠!? じゃあミゾさんの銃の技術はルクス譲りってこと? ……なるほど言われてみれば似てるわね……」
「はい。私もルクス様がフィギュアハーツだったという事は先日知って驚きました」
サラーナには衝撃の事実だったようだが、そもそもルクスを知らないアーネストにはどうにも話が見えない。
「えっと、それでそのルクスティアLV01の持ち主、アラーチャンを撃ったのは誰なんだ?」
残念ながら推理小説などを嗜まないアーネストは、早いこと答えが知りたくなるのである。
「そうですね……、まずアラーチャンのラボに突入した部隊の隊長は、当時ワールドハンターフレンズ日本支部局の局長です。恐らくどこかの国に雇われたのでしょう。そしてアラーチャンを撃ったのはその秘書、京都江 苺です。彼女がルクスティアLV01の持ち主です」
真実を明かされた三人がそろって、誰? と思った。
「その場合、犯人ってのは支持を出したその局長になるのか。ルクスってフィギュアハーツがPSWと敵対しないって条件を破ったんじゃなくて良かったよ」
ホッとするアーネストであるが、ミゾの表情は険しい。
「それがそうでもなくてですね……、今のワールドハンターフレンズ日本支部局の現局長が、京都江 苺なんです。そして副局長の座に居るのがルクス様で……。それに最近は日本支部局の動向も怪しいと、もっぱらの噂です。アジア支部への統合も拒否しましたし、その意思決定を誰がしているのかも、今の私にはわかりません……」
さすがのアーネストでも、それは何かヤバイのではないかと思うくらいには察しがつき、表情が引き攣る。
「事実関係とルクスの意思は現在、ヤシノキ博士が調査中なのです」
レティアが総締めくくり、その日の訓練は終わった。
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サイドF&R:眠れる部屋の予知能力者
その部屋のベッドでは、幼い少女と青年が寄り添うように眠っていた。
地下であることを忘れるような木目の壁、星空を切り取ったような星の映し出された天井、暖色系の照明、丸みを帯びた木のアンティーク家具、そしてベッドの上だけでなく部屋中に転がる柔らかなクッションと大きなぬいぐるみ。部屋に居る者を問答無用で安眠へと誘うまさに眠るための寝室である。
煖炉の薪がはぜる音と本の頁をめくる音を伴奏に、寝息のデュエットがゆっくりと奏でられている。
「……んぅっ……ふぅぁああー……」
そしてそんな演奏は青年の目覚めのあくびで締めくくられた。
「おはようございま~す。ニフル博士~」
クッションたっぷりの安楽椅子で読書をしていた藍色の浴衣姿の女性、フィリステルが読んでいた本を閉じて声をかけると、高級感のあるシルクのパジャマの青年、ニフルが彼女に気付く。
「ん……? おはよう、フィリステル。僕様に何かようかい? 起こしてくれれば良かったのに」
「あっはは、まさか~。このダッシーラボに眠っている貴方を起こそうなんて人はいませんよ~。ようがあれば起きるまで待ちます~。ところで、いい夢見れました~?」
ニフル、予知夢のクロッシングスキルを持つ天才博士である。それを知る者が彼の睡眠を阻害する理由はなく、むしろこの部屋は眠るために万全の設備を整えている。
「んにゅぅ……、すぅ……すぅ……」
起き上がったニフルに反応し、隣で寝ていたチヅルが彼のパジャマの裾を握ってくるが、ニフルが髪を優しく撫でてやると安心してまどろみからまた眠りへと戻っていく。
フィギュアハーツ、ユータラスモデル、SA-03 チヅル。
栗毛色ショートヘアの小柄な少女型フィギュアハーツ。今は眠っているが、起きている時は好奇心旺盛そうな大きな瞳が忙しなく動き、コロコロと変わる表情も愛らしく、子猫のような妹キャラで皆に愛されている。
ニフルは現在のクロッシングパートナーを優しい瞳で見つめながら、フィリステルに答える。
「古い友人に、久しぶりに会う夢を見たよ」
「ほう……。その友人って誰です~?」
「それは、今の君には言えないな」
「なるほど……、じゃあ、ボクは何をすればいいですか~?」
フィリステルの唐突な質問は一見従順そうであるが、この非対称黒髪の女が従順さに見せかけて相手の腹の中を探っていることを、ニフルは知っている。今もニフルの表情を観察して、この場面を予知していたかを探ろうとしている。
そして彼女は利害が一致しなければニフルの言ったことなど平気で無視するであろうし、逆に利用されることさえもある。
食えない女、味方であっても油断できない。ニフルの中での彼女の評価はそういったものだ。
それを踏まえて彼女に対しては言葉を選ばなければならないのだが、今回は根本的な部分で利害が一致していそうだと見て話を進める。
「一週間後、僕様をここから出して欲しい」
「それはまた、難しいことを言いますね~。ちなみにここからって言うのは、この部屋から~? それともこのラボから~?」
フィリステルが難しいというのは、この暖かい部屋がニフルの監禁部屋だからである。ニフルはサラーナに研究資料を託して逃した後、ダッシーとイトショウに投降し、それからずっとここに監禁状態で夢を見ていた。予知夢を、見させられていた。
そんな有用な彼をダッシーが手放すはずもない。彼をここから出すことは、不可能ではないが容易でもない。
「ここの鍵を開けてくれるだけでいいよ。あとは勝手に出て行くべき時に出て行くさ」
「本当にそれだけでいいの~? 言っちゃ何だけどこのラボ、ボクが居るおかげで外からと同じくらい内側への警備も厳しいよ~?」
ちなみにこれは、フィリステルがスキルによって姿を消して見回りなどを行っているため内側の警備が厳重という意味ではなく、彼女を好き勝手させないための処置として内部警備が厳しくなった。彼女の食えなさはダッシーもまたニフルと同じ認識なのである。
「それも僕様なら問題ない……、という訳じゃないけど、一週間後のその日なら大丈夫だよ」
「なるほどなるほど……」
ということは、一週間後に何かあるということは察しがつく。フィリステルには具体的に何が起きるかは分からなくとも、いくつかの推測くらいは立てられる。おそらく、攫ってきたあの娘の絡みかなぁ? と考えていると、
「それから、フィリステル。君の能力が分かったよ」
「っ……!?」
突如ニフルの口から聞き捨てならない言葉が飛び出した。
フィリステルの目が鋭く細められる。ここで殺すべきか否かを見極める目つき。
「おっと、もちろん僕様からは誰にも言わない。けれど、ハスクバーナにはそろそろ教えた方が良い、とアドバイスだけはしておくよ」
「はぁ~……。分かったよ……。どうせハスクくんには一昨日の戦闘ログを見られた時点で、何か感づかれていただろうしね~」
フィリステルは少し考えてから、諦めたように天井を仰ぎながら言った。隠し事は得意なつもりであったが、この世界、特段PSWを言う組織の中では一般的な隠匿術など通用しない。規格外が多すぎる。
『やっとその気になってくれたかな? それでこそ世界を救う我が盟友だ』
視線を天井から戻すと、目の前のアンティークテーブルに行儀悪く座りニヒルに笑う少年が現れた。
藍色の浴衣姿のフィリステルと違い、少年はこの洋室にあった洋服を着ており、行儀は悪いが服装のTPOはフィリステルよりも弁えている。
薄く紫がかった銀髪のまだ十三歳ほどの少年、このダッシーラボを管理する生体OS、ハスクバーナである。Yシャツに黒いベストとサスペンダーで吊った短パン姿という正装でありながらテーブルに座る姿が、ホログラフの主の彼はカッコイイと思っているらしい。
そろそろ反抗期なのかな、とフィリステルは内心思ったが、実の親であるダッシーには明かさず、自分たちと秘密裏に馬鹿げた計画を進めているあたり、かなり前から反抗期だったとも言える。
そのハスクバーナが自分の推理が当ったかどうか知りたくてたまらないというように、フィリステルに視線を向ける。
「あーもうわかったから、ロザリスの装備の調整が終わったら話すよ~。それよりちょうどよかった~。今、アクセリナちゃんに会えないかな~?」
話を逸らすような申し出であったが、ハスクバーナは特に機嫌を悪くもしなかった。むしろ後で話すという言質を取れた事の方が嬉しかったようだ。
ちなみに、フィリステルのクロッシングパートナーであるロザリスは、ヤシノキラボで拾ってきた触手ユニットの調整中である。無数の触手を自在に操ったり、媚薬を撒き散らしたりするだけでなく、あのユニットはまだまだ出来ることがあるらしい。大半が戦闘よりもエロ方面の機能であるが。
作戦から帰投してからあの触手にはしこたま尻を叩かれたり、全身を好き勝手這い回られたり、フィリステルも散々な目に合わされた。気持ちよかったのも確かだが、今も彼女の臀部は赤くなって鈍い痛みもある。この部屋のクッションはそういう意味で有難かった。
『……別に構わないが、あいつに何のようだ?』
「ようってほどでもないけど、攫ってきた手前挨拶でもしておこうかと~?」
ハスクバーナは少し考えたが、結局は了承する。
彼が疑いたくなるのももっともだが、今のフィリステルは殊更暇でありこの申し出は何の企みもない酔狂である。そのへん分かって欲しいとは思うものの信頼されていないのは知っているので、言葉を重ねるよりも相手の思考に委ねた。
『まあ、いいだろう。どうせあいつも単純作業で退屈してるだろうしな』
「あ、それなら僕様もいいかな? アクセリナたちが居るのって、僕様のスキルの一端を使って作ったっていうヴァーチャルワールドだろ? 僕様も一度見てみたい」
パジャマ青年が挙手してフィリステルの申し出に乗っかってきた。
『……、まあ、そうだな、ファインティアのやつも心配してたし、無事な顔を見せてやってくれ』
そう言ってハスクバーナは二人の脳内OSに、自分の作ったヴァーチャルワールドにアクセスするためのアプリケーションソフトを転送した。
ファインティアとは、ニフルラボでシステム管理をしていた生体OSである。ニフルが投降した時に、両親とともに身柄をイトショウラボに移されたため離れ離れになってしまったが、今はハスクバーナたちとヴァーチャルワールドで何かをしているらしい。
クロッシングチャイルドたちはその数の少なさから互いを兄弟のように考えており、その考え方で言えばファインティアは末の妹にあたる。
ファイルを受け取ったニフルは、当然のようにファイルスキャンを行いながら感心する。
「これは……、脳内OSを使った完全没入型ヴァーチャルリアリティソフトか。よく出来ている……。さすがはダッシーの息子か」
『まあな、あの親に似てるって言われるのは癪だけど、よく回る脳ミソをくれた事だけは感謝してるさ』
ハスクバーナは褒められた照れからか、絶賛反抗中の親の事を出されて不機嫌になったからか、唇を尖らせて顔を背けた。
「うにゅぅ……。お兄ちゃん博士……、何してる、の?」
そこで眠っていたチヅルが起きて目を擦りながらニフルを見上げる。
「ちょっとファインティアに会いに行くのさ。チヅルも行くかい?」
「ティアちゃんに会いに!? チヅルも行く!」
完全に目を覚まして元気に返事をするチヅルは、元々ニフルラボに居た頃もファインティアとはよく遊んでいたのだ。数日前まではグランとマリィと遊ぶことが多かったが、彼女たちが任務で出て行ってそれきり帰ってこなくなってからは、時折り寂しそうに本を読んでいた。
『……あまり大勢に公開するつもりはなかったんだけどな……。仕方ない、チヅルにも送るぞ』
結局、秘密裏に進めていた計画の一端を三人に公開することになったハスクバーナは渋面ではあるが、ファインティアとアクセリナという二人の妹を持つせいか妹キャラには甘い。今回の事はチヅルが元気になってくれただけで、良しと出来る性格なのである。ちなみに、年齢はチヅルの方が上。
「それで、これ起動しようとしても動かないんだけど、どうするの~?」
『完全没入型VRと言えば、音声起動と相場が決まっている!』
決まっているのか……?
「へぇ~、それでなんて言えばいいの~?」
正直この子の感性に合わせるのは面倒くさいなとフィリステルは思っているが、口には出さない。
『リンクスタ……、じゃなかった。……コネクトオン、だ』
この子は今、一体何を口走ろうとしたのかな?
とにかく、パスワードを教わった三人は揃ってハスクバーナの作ったヴァーチャルワールドへとログインする。
「「「コネクトオン!」」」
掛け声とともに三人の体からクタリと力が抜ける。
体の感覚が別の世界へと繋がる奇妙な体感をしながら、意識は電子世界に入っていく。
気付いた時には、真っ暗な空間に浮かんでいた。地に足が付いていないが、落ちているような感覚もない。フィリステルにとって一番の違いは、現実の感覚が切り離されたおかげで、お尻の痛みが無いことだった。
視界の隅にいくつかのアイコンが見え、意識を向けると点灯し、中のタブの一覧が表示される。少し前の脳内OSもこんな感じだったが、戦闘時に邪魔になるなどの意見から淘汰された機能だ。今の脳内OSは更に直感的に直接アプリケーションを展開できる仕様である。
服装は部屋にいた時と同じ物を[aracyan37粒子]によってスキャン、キャリブレーションして用意したらしく、浴衣やパジャマ姿がこの空間では異様に浮いている。
『ちょっとまってて、落ち合うのにちょうど良い場所を探すから……』
そう言ってハスクバーナはしばしの思考を開始した。
「ほほぉ……これが僕様のラプラスの悪魔を元に作った世界か」
感心するニフルのクロッシングスキル、予知夢は、世界に拡散した[aracyan37粒子]から受け取った現在の量子情報を演算し、未来の可能性を導き出す。ハスクバーナはその過程で収集された量子データを脳内OSから掠め取り、そこから過去の世界を電子世界上に再現したのである。
概要は簡単そうだが、実際の作業量、データ量は膨大であり、言うほど簡単なことではない。
「すごいキレー! あれって地球だよね!」
チヅルの声にフィリステルが後ろを向くと、だいたい七割ほどが青い大きな球体が浮かんでいた。
「これは……、すごいな~」
圧倒的スケール。普段生活している時は気にも留めない地球というものの存在感を、こうして俯瞰することで初めて知ることが出来た。
『ここで驚かれてもな……。これくらいの景色、君たちならちゃちゃっと飛んでいって本物を見て来れるだろうに……。まあいいや、移動するよ』
ハスクバーナの方を見ると、彼の先に宙にぽつんと扉だけが現れた。
「来た時みたいにぱぱっと移動するんじゃないんだ~?」
『手順を踏んだ方が情報への負荷が少ないんだ。ここでは今、アクセリナとファインティアが終末の因子を探して世界その物をスキャン中だからね。下手に干渉すると邪魔になる』
フィリステルはなるほど、と思った。しかし計画の概要を知っているフィリステルは理解できるが、説明されていないニフルは違った。
「ハスクバーナ。その、終末の因子、というのは何だね?」
『アラーチャンから聞いていないのか?』
質問したニフルに、ハスクバーナが思わず質問で返してしまったが無理もない。未来を見ることが出来るニフルがに知らないことなど無いと思っていたのである。もちろんニフル本人からすればそんなものは全くの誤解ではあるのだが。
終末の因子。フィリステルもハスクバーナから散々聞かされていながら、未だに意味の分からないものである。なんでも世界を終わりへと導き、新しい世界の種になるとかそんな骨董無形な話だった、とだけは覚えている。
なんだか神話とか宗教の話のようで、宗教的な話にはまったく興味のないフィリステルであるが、この話の出処があの天才、アラーチャンだということには驚いた。
現実主義で合理主義なアラーチャンだからこそ骨董無形な話であれ信憑性が生まれ、彼に心酔しているハスクバーナを始め数人の協力者が、世界の裏のそのまた影で暗躍している。
そのアラーチャンとおそらく最も中の良かったのがニフルであったし、そのニフルがこの話を知らなかったのはハスクバーナとしては意外であった。
「ふむ、聞き覚えはないが……、いくつか繋がるものがあるな……。まあ、今度会ったら直接聞いてみるさ」
顎に手を当て考えるニフルをチヅルが引っ張りながら、一同は扉を潜った。
扉の向こうは草原の真中の小さな家の玄関扉に繋がっていた。
温かみを帯びた風が、背の低い草花を揺らす草原。少し遠くに小さな湖が見え、そのまたさらに遠くには頂上に雪を被った山々が見える。
先程の真っ暗な宇宙空間と違い、草の匂いも陽光の暖かさもヴァーチャルとは思えないほどに感じられる。
そして草の匂いに混じって、かすかに紅茶の香り。遠くの景色から近くへと目を移すと、小さな家の小さなテラスで、ハスクバーナよりも少し幼い程度の女の子が紅茶を嗜んでいる。
『こんにちは皆さん。はじめまして、アクセリナです』
金髪碧眼の幼女は、薄緑のシフォンドレス姿こそ初めて見るが、フィリステルがヤシノキラボから攫ってきたクロッシングチャイルド、アクセリナであった。
「こんにちはアクセリナ~。フィリステルだよ~」
「久しぶりだねアクセリナ。と言っても君は覚えてないかもしれないが……。ニフルだ」
「こんにちわ、セリナお姉ちゃん!」
チヅルだけはアクセリナとは初対面ではない。セリナお姉ちゃんと呼んでいるが、背格好も実年齢もチヅルの方が年上だ。元来妹キャラとして作られたチヅルは、たいてい誰かれ構わずお兄ちゃん、お姉ちゃん呼ばわりする。
相変わらずのチヅルにアクセリナも微笑ましく思う。
『セリナ、調子はどうだい?』
ニフルたちが挨拶もそこそこに草原へと散策に行き、テラスにはフィリステルとハスクバーナが残った。
ニフルたちはいつの間にかパジャマ姿からハイキングにでも行くような格好になっていたが、フィリステルはこの浴衣が一番落ち着くので着替えなかった。着替えなどのシステムコマンドも、視界の隅のアイコンから行えるのだろう。
見るとはなしに遠くを眺めていると、少し歩いたニフルたちの上に、アクセリナよりもさらに小さな女の子が虚空から飛び出してきてチヅルに抱きついてきて、チヅルもそれを嬉しそうに受け止める。
ニフルラボのシステム管理をしていた生体OS、ファインティアである。名前とは裏腹に母親譲りの黒髪をオカッパ頭にし、着物姿の彼女は日本人形のような見た目だ。
ハスクバーナがいくら気を使おうと結局、世界に無茶な干渉をして飛び出してきたらしい。彼はもう苦笑いするしか無い。
『ハスク兄さん。第二次世界大戦が始まったあたりまでは、それらしい物はあったのですが……。大戦中のこの時期になると消えてしまってますね。第一次大戦と照らし合わせてみても、まるで何かが足りなくて断念して眠りについたって感じです。とりあえずこの後は、確認できた反応を土塊の戦争開戦前後に戻ってスキャンしてみるつもりですよ。また時間を動かすけど、いい?』
『そうか、スキャンの順は任せるが、一区切り付いたなら休憩だ。現代に戻すのはその後でいいだろう? こっちもガーメント兄と打ち合わせしてくる』
そう言ってハスクバーナは着いて早々、また家のドアから何処かへ行ってしまう。家の中、ではないのだろう。ドアをくぐってからの足音が消えている。
ガーメントはイトショウラボを管理するクロッシングチャイルドであり、彼もまた秘密の協力者である。
アクセリナもここに来た時は、すでに三人もの兄妹たちがこんな骨董無形な計画に参加していると知って驚いたものだが、フィリステルと違ってハスクバーナの説明を正確に理解した彼女は、すぐに協力体制に入ってくれた。
ちなみに理解の浅いフィリステルがこうして協力しているのは、ひとえに「面白そうだから」というだけである。
「それでアクセリナちゃん、ここでの生活はどう~?」
『快適ですよ。この世界にいると、まるで自分にちゃんと動かせる身体があるみたいな気がします……。気がするだけで、本物の身体の方は動かせないままなんですけどね』
そう言って紅茶を口に運ぶ彼女の動きは、とても滑らかに動いている。
ハスクバーナいわく、クロッシングチャイルドが目覚めることが出来ないのは、クロッシングチャイルドのAIプログラムと人間の精神が混ざった特殊な精神の中に、体を動かすデバイスドライバのような物が無いのが原因と考えられている。
彼の理論で言えば、クロッシングによってフィギュアハーツとデータを共有することで、AIの中からその体を動かすデバイスドライバのような物をコピーできるのではないか、との話だが、クロッシングチャイルドがフィギュアハーツとクロッシングを結ぶことが、どうしても出来ずに研究は頓挫している。
「喜んでもらえたなら、連れて来たかいがあったよ~」
『あ、もちろんヤシノキラボのことも心配ですよ!? 誘拐は良くないことです! 終末の因子の位置特定が出来たら帰してくださいよね!』
思い出したようにアクセリナがプリプリと怒り出した。
怒っても可愛い子だなと思いながら、浴衣姿のフィリステルに合わせたのか、いつの間にか現れた緑茶に口をつける。とても美味しい緑茶の味がする。
本当によく出来た世界だと思いながら、アクセリナに返答する。
「実は帰すのも難しいんだよね~。ダッシーさんには君を電子精神体化しようとするヤシノキさんたちから匿う名目で連れてきたからね~ ボクらの用事が済んでさっさと返しちゃうと怪しまれちゃうんだ~」
『そんな……。あ、ではそのダッシー博士にも協力してもらうのはどうでしょうか? ニフル博士にはもう知られてしまったのでしょうし』
「そう出来たら最初からそうしてる~ 行動が慎ましいニフルさんと違って、ダッシーさんは思慮深くはあっても結局行動は大胆になることが多いからね~。終末の因子を見つけるために、それこそ世界でも滅ぼしかねないよ~」
我が子の命を守るために、世界征服をしようとしている天才である。確かにそれくらいはしかねない。
『むむー……。難しいですね……』
眉間にしわを寄せて愛らしい苦悶顔で悩むアクセリナではあるが、そもそもこの娘は自分が誘拐されて来たということを分かっているのだろうか? お兄ちゃんの家に遊びに来たくらいに思っているのではないかと、フィリステルも心配になる。
「だからまあ、ここが気に入ったならずっとここに居てくれるに越したことはないんだよ~」
『なるほどそういう話でしたか……、とはいえ考えてみれば決定権はアクセリナには無いのですよね。この世界は電子的に閉じられていて、外の情報を得るにはハスク兄さんの許可が必要ですし……。牢があまりにも広大で忘れていましたが、監禁されてるんですね、アクセリナは……』
もしもこの世界の抜け目を発見し、アクセリナが外の世界に電子的に出ることが可能になっても、彼女の身体が動かなければ物理的な脱出は不可能……、というわけではないのがこのクロッシングチャイルドのとんでもないところである。おそらくアクセリナであれば、ダッシーラボ内のツーレッグを動かして自らの身体を確保させ、物理的に脱出するくらいはやってのけるだろう。
そうなればダッシーラボ所属のフィリステルも、手を降って見送るわけにも行かない。追って連れて帰って来いと面倒事を命じられるのは目に見えている。
そんなわけでフィリステルとしては、アクセリナにはここを気に入ってもらって、大人しくしててもらうのがもっとも都合がいいのである。
「そういうこと~。ところで、アネさん、アーネストってどんな人だった~? クロッシングスキルはもう分かったの~?」
話題を切り替えて尋ねる。世間話に交えて情報収集も怠らない。
『アーネストさんですか……? アクセリナもあまり沢山お話したわけではありませんが、たぶんフィリステルさんも一度会ったのでしょう? 見た通りですよ。どこにでも居そうな普通の男の方ですね。クロッシングスキルは、ヤシノキ博士が見てもわからないって言ってました』
「へぇ~。そんなスキル、あるもんなんだな~」
こっちはスキルを知られないために危ない橋を渡るハメになった事も、一度や二度ではないというのに羨ましい限りである。
ここで突然、アクセリナが何かを思い出して声を上げる。
『あっ、そうです! ロザリスがアーネストさんの骨盤内臓神経に何かファイルを寄生させたみたいなんです! 最終的にどうなったかは見れずじまいでしたけど、アーネストさん今頃、チンチン勃たなくなるかもしれなくてきっと困ってます。どうにかしてあげて下さい!』
「ぶっあはははははは――」
楽しい会話はしばらく続き、戦争の真っ最中とは思えないほどに、世界はゆっくりと流れていく。
『さて、そろそろ帰ろうか』
再びハスクバーナが現れ、お茶会はお開きとなった。
『フィリステルさん、また遊びに来てくれますか?』
もし断られたらどうしよう、というようにうつむいた上目使いで金髪幼女が聞いてきた。
「ん~? 気が向いたらね~」
ハスクバーナによってアバターに余計なファイルがついてないかスキャンされながら、そんな風に答える。
『言っておくがフィリステル、ここに来るには管理者の許可が必要なんだからな。気が向いたらいつでも来れるわけじゃないんだからな』
「はいはい~。大切な妹たちを悪いお姉さんから護らないといけないもんね~。ハスクお兄ちゃん~」
『っ、な、違う! 作業の邪魔をされてはかなわん、という意味だ!』
真っ赤になりながらフィリステルのログアウト処理を行う。
フィリステルの体が薄い光りに包まれて、ゆっくりと消えていく。
またねとフィリステルが手を振ると、アクセリナも手を振り返してくれた。
ヴァーチャルワールドから帰ってきたフィリステルは、何故かロザリスの腕の中にいた。
いわゆるお姫様抱っこの体勢。
ロザリスはスクールユニフォームのような濃い茶色のブレザーとチェックのスカートである。
どうやらヴァーチャルワールドに行っている間に、ニフルの部屋から連れ出してきたらしい。
場所はダッシーラボの無機質な廊下。車一台分ほどの広さから見るに、主要通路から三、四本奥まった通路だと推測し、ニフルの部屋からロザリスが向かいそうな場所をピックアップして現在位置を割り出す。
「ん? おはようロザリス~」
「フィリス、気が付いたのね。何をしてたの?」
「ちょっとハスクくんとニフルさんたちと一緒にね~」
フィリステルはロザリスの調整中にあったことを話した。
「ふぅん、なるほどね。私以外の女の子と楽しくお茶会をしていたと……」
「えっ、そこ~!? 確かにそうではあるけど、ただの情報収集だよ、情報収集~」
思わぬ嫉妬で機嫌を損ねたのかと一瞬慌てるフィリステルだが、クロッシングからそういう感情がない事を感じ取ってホッとする。
「まあいいわ。じゃあここからは、私達の時間ね」
「ッ!?」
――fyristelがFH-U CA-01ロザリスのクロッシングスキルを使用――
――CA-01ロザリスがクロッシングスキルを使用――
危機を感じ取ったフィリステルの方が一瞬早くクロッシングスキルを発動し、ロザリスの胸を押して転げ落ちようとするが、逃げるには一瞬では足りなかった。
すぐさまロザリスも意識を加速させると、その背から無数の触手が伸びてくる。スカートの後ろがめくれ上がっているが、じっくり見る暇はない。
フィリステルは二歩も進まないうちに捕まってしまい、四肢の自由を奪われる。
「危ないじゃない、フィリス……。それよりも、ねえ見て、これが乳首とかを吸引する触手。それにこっちが尿道にも入る極細の触手よ。他にも色々と使えるようになったの」
「くっ! 三回~! 三回イッたら終わりだからね~!!」
先日さんざん弄ばれてお尻が痛いフィリステルが、悲鳴のように条件を提示する。
「わかったわ。……ふふふ、三回イクまで何時間でもシテあげる」
条件指定を間違えた。回数じゃなくて時間にしておくべきだった。
「コネクトオン! コネクトオン! ハスクく~ん!!」
ロザリスに触手にぐるぐる巻きにされて運ばれながら、叫ぶ。
『うるさいなぁ。今はアクセリナたちが作業中だから入れられないよ』
壁に背を預けて腕を組んだポーズで現れたハスクバーナは、ヴァーチャルワールドへのログインを拒否した。
せめて意識だけでも電子世界に逃げ込もうとしたが、ダメだった。
『それよりもフィリステル、逃げる方法があるんじゃないか? ロザリスの調整が終わったら教えてくれる約束だったろう』
ハスクバーナがフィリステルにだけ聞こえるように囁く。
「うっ……分かったよ~。でもどうなっても知らないからね~。後片付けは任せる~」
――fyristelがクロッシングスキルを使用――
フィリステルが自らのクロッシングスキルを発動させると、彼女の体がスルリと触手から抜けて廊下へと落ち、さらにその廊下も抜けて下階に着地する。
『なるほど、やはりこういう類の物だったのか……。量子トンネルの応用かな……?』
一目見ただけでハスクバーナが分析するが、フィリステルはもっと単純にこの能力を透過、とだけ認識している。
フィリステルの真のクロッシングスキルは、透過。光だけでなくすべての物質を透過させる能力であった。今までは光だけを透過させることで、光学迷彩として偽ってきたのである。
――ちょっ!? それ卑怯、ここで使っていいの!?――
虚を突かれたロザリスが思考通信で抗議の声をあげる。
――ハスクくんにはもうバラすことにしたの~。それから、ニフルさんにも予知夢でバレてる~――
――FH-U CA-01ロザリスがfyristelのクロッシングスキルを使用――
ロザリスも同じスキルを使って追ってくるが、大量の触手を背負った彼女よりも浴衣姿のフィリステルの方が逃げ足は速い。
――他の人にはバレないように使ってよ~?――
この後、ダッシーラボは前代未聞の媚薬蔓延というバイオハザードが起こり、ハスクバーナは妹であるアクセリナに媚薬の中和剤とクリーニングスフィアのマルチコントロールについて教え乞うことになり、ロザリスは再び調整室送りとなった。
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午後のティータイムは異様の中で
ミゾたちとの模擬戦から八日が経ったその日、ヤシノキラボの制服を着たアーネストは、そのヤシノキラボ内の現在稼働していないフィギュアハーツ製造区画を訪れていた。
ここしばらく部屋に引きこもっていたショウコの反応がこの区画に移動してきたのである。ショウコを探しながら、アーネストはこの八日間のことを回想する。
この八日間アーネストは、ネオニューロニウムの武器や兵器を砂に還元するという[PSW]の現在の任務にあたり世界中の戦場に、文字通り飛び込んでいっていた。サラーナとともにマスドライバーで西へ東へと飛ばされ、フィリステルたちとの戦闘で負傷したブンタが担当するはずだった地域の戦闘行為をミゾと手分けをして止めて回ったのである。
万が一殴り合いの戦闘が始まった場合は力づくで止めるようにとは言われていたものの、元々無人の遠隔操作兵器やAIドローンが前線の主力兵器である現代の戦争で、生身の人間同士の距離は二〇〇キロメートル以上離れているのが常であり、わざわざ長い距離を移動して敵兵に殴り掛かるような者は皆無だった。
そもそも兵士たちの士気にしたって、敵国憎しではなく戦場でのドローン戦を見たいだけの者たちが大半で、本当に戦いたい兵士が少ないどころか、その戦闘が如何様な戦略的意味のある戦いなのかさえ理解していない者さえいる。
さらに数日は戦闘行為はほとんど無くなり、打って変わって和平交渉が行われることが多くなり、何故か仲介に入るツテのある熱海ラボは大忙しだとヌードルが言っていた。
そんな中唯一、領土拡大の手を緩めない国家が一つあり、その名をソボ帝国。皇帝ソボ・S・クニンによって統治された大帝国である。旧アメリカ大陸を統一し、ソボ大陸と改名したこの国家は現在、北のアラスカ地方からユーラシア大陸へ侵攻し、南は南太平洋を渡ってオーストラリア大陸に最前線を張り、大西洋側では無人艦隊による睨み合いが今も続いている。主力兵器が二足歩行型機動兵器[ツーレッグ]であることから、イトショウラボ、ダッシーラボの息の掛かった国であることは明確であり、どうやら彼らはソボ帝国によって世界征服を成し遂げるつもりらしい。
この侵攻に対しては電子精神体カンパチロウと、ケンチクリンラボが前線の国々を支援して対抗しているが、圧倒的な物量に押され気味である。
そしてそんな世界情勢の中、明日はついにダッシーラボへアクセリナ奪還作戦を仕掛ける日である。
作戦に参加するのは、アーネスト、ショウコ、サラーナのグループ、ミゾ、ラモンのペア、そしてブンタ、シンディアのペアである。他のクロッシングペアたちは、中立の立場であったり、捕虜であったり、このラボから離れられないなどの理由で参加できないため、これが遠征に出せるの最大戦力になる。
ダッシーラボの位置はグランとマリィから、アーネストが尋問を行うことで位置情報を得ることが出来た。情報の鍵は[3P]だった。ちなみに尋問が終わった後のグランとマリィは肌がツヤツヤしており、逆にアーネストはゲッソリしていた。イッタイナニガアッタノカナ?
ショウコが引き篭もって三日目あたりから、クロッシングを介してショウコからムラムラした名状しがたい性欲のようなものが流れ込んで来ていたのも、グランたちの淫行の原因の一端であり、その次の日には戦場から一緒に帰投したサラーナにも襲われ、アーネストは為す術もなかった。イッタイナニガアッタノカナ?
そんなこともあってアーネストとしては是が非でもショウコに性欲を解消してほしい。出来れば、この自分の身体を使って!
工場の予備パーツ保管庫の廊下を歩いていると、アーネストに通信で声がかかった。
『アーネストくん。こんな所で奇遇だね』
『ブンタさん。こんな所で何を?』
今朝方メディカルポットから出てきたばかりのブンタが、なぜか保管庫内から通信してきた。こんな場所に何か用があるとは思えないのだが。
『午後のティータイムだよ。君も一緒にどうかね』
ここはパーツ保管庫であり、緑豊かな公園に面したテラスなどではない。窓から見える景色も白い無機質な建物が並ぶだけであり、ティータイムを嗜むにはいささか以上に風情に欠ける。なぜこんな所で? とアーネストは思いながらも、視界に矢印でルート案内されて、ブンタの居る保管庫へ這入る。
「こ、これは……!?」
「どうだね? 吾輩のお気に入りの場所だ」
そこはフィギュアハーツ、ユータラスモデルの胸部パーツ保管庫であった。
パーツ保管用のラックがズラリと並び、そこには大きい物から小さい物まで多種多様なオッパイが保管されている。下着なども着用していない生乳だけが並ぶその光景は、一言で言って異様である。
その異様の中、倉庫の通路の中央の少し開けたスペースに、瀟洒な円卓と椅子が設置され、ティーテーブルの上にはティーセットとスコーンやマカロン、マーマイト、小さなケーキなどが並んでいる。
ブンタはそこで優雅に右手に持った紅茶の香りに目を細めながら、左手でシンディアの物と思われる予備パーツを弄んでいた。服装はいつもの紳士の正装であり、シルクハットは近くのラックの空いたスペースに掛けられ、ステッキもその下のオッパイに挟まれてぶら下がっていた。
アーネストが近づくとブンタがパチンッと指を鳴らし、どこからともなくアーネストの分の椅子とティーカップなどが現れた。ブンタがクロッシングスキルでここへ転送させたのである。
「紅茶でよかったかね?」
「あ、ああ。訓練でシンディアが使ってるのも見たけど、すごいスキルだな」
「君ほどではないさ。しょせん吾輩のスキルなど戦術レベルのものだ。君のスキルは使いようによっては戦略規模で影響を与えかねん。それに、明日の作戦の要でもある」
「そういうものなのか……? 実際にはクロッシングを繋げる数にも制限があったりイマイチピンとこないというか、他人の力を借りてばかりで不甲斐なさすら感じてるくらいだよ」
ブンタと話しながら、アーネストはふと目についた一つの胸部パーツへ歩み寄る。
「ほう……、やはり君も惹かれるかね。自らのパートナーの物に」
「てことは、やっぱりこれは」
「ああ、ショウコの物だ」
アーネストが今ペタペタサワサワしているのは、ショウコの胸部予備パーツらしい。同じようであっても微妙にサイズや形や肌の色が異なるパーツが並ぶ中、彼はそれだけが特別だと感じ取ったのである。
片手にピッタリと収まる大きさも、しっとりと吸い付くような肌触りも、わずかにツンと先端が上を向く形も、全てが魅力的で愛おしい。ラック自体が保温機能を持っているので、特殊シリコンに冷たさはなく人肌のぬくもりを感じられる。
ショウコの予備オッパイを一通り眺めたり触ったりしたあと、アーネストはブンタの用意した椅子に着いた。
「ふぅ、いい場所だな、ここは」
足を踏み入れた時には異様に感じたこの場所も、ショウコの予備パーツを触っているうちに落ち着いて、アーネストも狂気に染まったようだ。恐ろしい場所である。
「気に入ってもらえて何よりだ。ところでここ一週間、と一日かな? 吾輩の代わりに任務にあたってくれたそうだな。礼を言う」
「いいや、俺もここに来て何もしないっていうのも落ち着かなかっただろうから、ちょうど良かったさ」
「そうか……。ところで、アクセリナはどうだった……、吾輩、ずっと一緒にオフロに入って貰えなくてだな……。なんというか、成長が気になるのだ」
そう言ってブンタがチラチラと見ているのは、アクセリナの胸と類似した胸部パーツである。無論、フィギュアハーツの体を動かせないアクセリナに予備パーツなどはなく、似ているだけの他人のオッパイだ。
アーネストは紅茶で口を湿らせながら思い出してみる。
「タオル越しだったけど、確かにそれくらいだったと思う。アクセリナにもここに来たばかりの頃に色々教えてもらったなあ。その恩を返す意味でも明日の作戦、絶対に成功させたい」
「ふむ、しかし救われるのはアクセリナだけではない。ヤシノキ博士の分析とニフル博士の資料を信じるなら、これは全てのクロッシングチャイルドにとっての希望になりうる。アクセリナを見習ってというわけではないが、我輩に聞きたいことがあったらなんでも聞いてくれたまえ」
本当のところはブンタも直々に戦闘訓練でクロッシングスキルやフィギュアハーツとの連携を手ほどきしたかったのだが、今はもう作戦前日の午後であり、明日に備えて休養を取るようにと言われているので、質疑応答くらいしか出来ないのだ。
「うーん……。そう言われても、クロッシングスキルやフィギュアハーツについてはヤシノキさんとカンパチロウからだいたい教わったし……。むーん……、あ、そうだ、アラーチャンってどんな人だったんだ? なんだかんだで俺も[PSW]の作戦に参加してるけど、創設者の意思? みたいなものがイマイチ見えないんだ。戦争を無くすってのは分かるんだけれど、世界を平和にしたいって訳ではなさそうだし……」
アーネストの質問に、ブンタは手元のシンディアの予備オッパイを揉みながら考える。
しばらく乳首を摘んでコリコリしていると、考えがまとまったようだった。
「むぅん……。正直、吾輩もアヤツとはそれほど話したこともないのだがな。研究も多岐にわたるとは聞いた。吾輩がたまたま話す機会があった時など、北欧神話の伝承について調べていたようだし、とにかくあらゆる事が彼の研究対象だった」
「へぇ、ちなみにどんな話をしたんだ?」
「終末の黒竜の伝承だったかな。あまり知られていない話だったからか、珍しい話が聞けたと喜んでいたな」
終末の黒竜伝説。ブンタもかつて英国がまだ一つの国だった頃に、現地でたまたま知り合った知人に聞いた話しなので、それこそ御伽話程度にしか思っていなかった伝承である。
人々が世界樹を巡って争っていた時代。そこに突如現れた世界その物を憎悪する漆黒の竜が世界樹を喰い付くしてしまう。世界樹を喰って不死の力を得た漆黒の竜は東へ東へと破壊の限りを尽くして世界を廻り、東の果てで新世界を創造したとか、英雄によって討ち滅ぼされたとか、最後の方がハッキリしない話であった。
「なるほどな。ヤシノキさんも別分野で似たようなことを言ってたし、好奇心旺盛な人物だったって事はなんとなくわかった。でもやはり、なぜこんなことをし始めたのかはさっぱり分からないな」
「ヤツのことは深く考えても仕方ないさ。そうやって自分について考察しようとする者を意識して情報を撒いていたフシもあるくらいだしな」
「そうか……」
アーネストは今までずっと誰かの指示の下、誰かの意志の下に生きてきた。一応、今の組織としての上司はヤシノキではあるが、あの博士は事あるごとにアーネストの自由意志を尊重する傾向にある。いっそ命令してくれればどんなに楽か。
そんな訳で自分の意志の薄いアーネストは[PSW]創始者の意志に縋ろうとしたのだが、その意志も上手く読み取れそうにない。
気落ちした様子のアーネストをブンタは励ますように言う。
「なあに、そう悩もこともないさ。我輩たちは今できることを全力でやるまでだ。誰かの意志に従うだけが人生ではないしな。やりたいようにやるがいいさ」
「そういうものか?」
「そういうものだよ。現に君は自分の意志でグランを助けて見せたではないか」
「あの時は……。ただただ無我夢中で……」
「利害など関係なくそういう行動が出来るのは美点だ。吾輩は君が正しい事をしたと思うし、正しい意志を持っていると信じているさ」
「そう言ってもらえるのは、嬉しいかな……。でも俺は、貴方が思うほどの信念なんて無いのかもしれない。実際俺は今でも、何のために戦っているのか、うまく言うことは出来ないんだ……」
「ふんっ、そんなもんは吾輩だって君くらいの年の頃はそうだったさ。まだ若かったからな。可能性などいくらでもあったからな、何を選べば正解なのかわからんこともよくあるだろう。大切なのは考えることだ、青年!」
ブンタが自分を励ましてくれているのだと分かってはいるのだが、話をしながら手元のオッパイの谷間で腕を前後運動させるのは止めて欲しいとアーネストは思った。
「考える……か。しかし俺は、自分で言うのも何だが頭の良い方ではない。正しい答えが出せるとは限らないのだが……」
「やる前から答えなど求めるものでは無い。大切なのは考えることだと言っただろう」
「???」
「アーネスト君、君は明日の作戦に参加するのは、自分で決めたのだろう?」
「え? まあ、そうだけど?」
「どうせヤシノキ博士のことだ、君には拒否する権利も与えられていたはずだ。それでも君は、アクセリナの奪還に参加すると決めた。その時、少なからず考えたのだろう?」
「それは……」
「君にしか出来ないことがある、か? 確かにそうではあるが、それは買い被りがすぎるというものだ。現に我輩たちとミゾ君たちだけでも、アクセリナを取り戻してくることは可能である」
確かにその作戦プランもアーネストは聞いていた。しかしリスクが高すぎるため、次善案であり、アーネストは即座に却下した案だ。
そのプランの当事者から、こうもはっきりと可能であると言われると、アーネストの中の何かが音を立てて崩れるのを感じた。その何かはきっと、無意識に積み上げていた自分の有用性や特殊性、あるいはプライド。
言葉の出ないアーネストを見て、ブンタは続ける。
「それでも君は、参加を決めた。それは君の優しさからのことだろう。我輩たちだけでは心許ないと思われるのは、不甲斐ないばかりだがね。君は一瞬でも考え、行くという答えを出した。それで良いのだよ」
「本当に、それで良いのか……?」
「ああ、考えた時間は関係ないし、正しいかどうかも関係ない。吾輩が君を評価しているのは、マルチクロッシングという特殊な能力ではない。吾輩が信じ、背中を預けるに足ると確信しうるのは、その優しい思考だ。自信を持ちたまえ、君が思考して出した答えは少なくとも我輩たちにとっては最善である」
「そうか……、なるほど、なんとなくだけど俺の戦う理由が見えたような気がしたよ」
「ふむ、それは何よりである。少なくとも今はそれで充分だ」
しばらくそうして紅茶を飲みながら、並ぶオッパイを眺め、互いのことを話した。ゲーム内では出来ない、現実で合うからこそ出来る表情を見ながらの会話に、これがオフ会というものなのかとアーネストはしみじみと感じる。
「まあ明日の作戦も吾輩がいるからには、英国が誇るオリンピック級の豪華客船に乗ったつもりでいたまえよ。……そういえばアーネストくん、君はこんな工場区画に何をしに来たのかね?」
ちなみに、そのオリンピック級客船の二番船は、絶対に沈まないと言われながらも、氷山に衝突して派手に沈没した。
「あ、……ショウコ様を探してたのをすっかり忘れてた……! 作戦までにショウコ様のムラムラをなんとかしないといけないし、俺もう行きますね!」
「そうか、それなら行ってやりたまえ。契約したフィギュアハーツの性欲は基本的にパートナーからクロッシングで読み取ったものだからな。君の性欲に当てられたのだろう」
保管室から出るアーネストにそんな声がかかり、彼はショウコの反応目指して走り出す。ショウコの反応はいつの間にか彼らが寝泊まりしている男女共用の寮に戻っていた。
「それじゃあ結局全部、サラーナやマリィもの事も、元をたどれば俺のせいってことだったのか……」
アーネストは知ることはないが、今回の性欲の元々の出処はグランであり、それがクロッシングネットワークを介してマリィ――アーネスト――ショウコ/サラーナに伝わったものなので、別に元はアーネストのせいではなかった。
ショウコの反応を辿って寮まで戻ると、なぜかアーネストの部屋の前へとたどり着いた。
ヤシノキラボで最初に目覚めたゲストルームの鍵が壊されたこともあって、ショウコ、サラーナ、グラン、マリィと共にこの司令室と出撃ガレージの中間あたりにあるこの寮へ引っ越したのである。引っ越しと言っても来たばかりのアーネストには、ほとんど荷物など無いのだが。
アーネストが自室の扉を開けるとそこは、ショウコ部屋になっていた。
部屋がショウコに乗っ取られたというわけではない。
アーネストが今朝方、部屋を出た時は確かにその部屋は家具も調度品も殆ど無い、八畳間にベッドと机くらいしか無い部屋だったその部屋は今、ショウコ色に染まっていた。
壁にはショウコポスターが貼られ、床にはショウコカーペットが敷かれ、デスクの横に新しく設置されたラックには様々な衣装とポーズのショウコフィギュアが並んでいる。中央のローテーブルの上にはショウコマグカップが置かれ、テーブルの周りにはショウコクッションが転がっている。部屋の奥のベッドに敷かれた布団はショウコ布団カバーになっているし、その上にはショウコ抱きまくらが転がり、普通の枕もイエス/ノー・ショウコ枕に変わっている。天井付近の高い位置の壁にショウコ神棚が設置され、社には青と白のストライプビキニ姿のショウコフィギュアが祀られている。
そして部屋の中では今まさに最後の調度品、シリコン製一分の一ショウコフィギュア(学生服姿)をショウコ本人(フリルの多い白いワンピース姿)が設置しているところだった。
「ショウコ様……、ここで何を……?」
「ヒョわぁっ!!? たたたた隊長ぅ!? 何でここに!?」
作業中に突然話しかけられたショウコが振り向いて変な悲鳴を上げた。
「なんでって……、ここ、俺の部屋なんですが……? って危ない!!」
設置途中だった一分の一ショウコフィギュアが、本物のショウコの方へ倒れてきたのだ。
アーネストは咄嗟にローテーブルを飛び越えて、ポカンとしているショウコへ飛び掛かった。
そのまま一分の一ショウコフィギュアもろとも、ショウコをベッドに押し倒す形で抱きしめる。
「ふぁにゃッ!? た、いちょう……、アタシ……今、そんなにされたら……」
下敷きにされ抱き締められながら、ショウコは抵抗するが溜まりに溜まった性欲が男の香りに反応して、うまく本来の力が出せない。
「ずっと、心配してたんです。ショウコ様、部屋から出てこないしノックしても返事はないし思考通信も聞こえてないみたいだし、ご飯ちゃんと食べてるのかとかずっとムラムラしっぱなしで辛くないかとか、ずっとずっと……」
言葉を吐き出しながら、アーネストの腕に力がこもっていく。
ショウコは苦しさを感じながらも受け入れ、アーネストの背に回した手でポンポンと優しく彼を撫でる。そうしながら、ショウコ自身も落ち着きを取り戻す。
「ごめんねたいちょぅ……これ作るのに集中しすぎてたみたい。やっぱり、慣れないことはするものじゃないですねぇ」
抱き締めていたアーネストが少し離れ、二人の顔が至近距離で向かい合う。
「そうです。ショウコ様グッズなら言ってくれれば俺、いくらでも作ったのに」
「うーうん、これはアタシが自分で作らなきゃ意味なかったの。アタシの一番の信者のために、アタシが作らなきゃならなかったんですよぉ」
ショウコは顔を背けて、恥ずかしそうにしながら言った。
「それは……、うれしいですけど。でも何で?」
「だ、だって……、せっかくアタシだけの、アタシだけを見てくれる人が出来たのに……、たいちょぅ、あっという間にサラーナとも、マリィやグランともクロッシング繋いじゃうし……、あの娘たちの方がたいちょうと仲良さそうにしてるし……。アタシ、ずっとたいちょうから崇めてもらってるだけだったから……、何したら良いかわかんなくて……。たいちょう、こういうの好きだって、前に言ってたから、がんばって、作ったの……」
ショウコは耳まで真赤にしながら白状した。
「うれしいです。ショウコ様。そんなに俺のこと思ってくれてたなんて……。む、でもこのショウコ様フィギュアの胸、ちょっとだけ大きく作ってませんか?」
先程一緒に押し倒し、たまたま手が胸の位置に来てしまった一分の一ショウコフィギュアのオッパイを制服越しに触りながら、思わず気付いたことが口から漏れてしまった。
「何で分かったッ!?」
「何でって……、何でもです! ショウコ様信者なら当然です!」
まさかさっき触ってきたからとも言えず、アーネストは勢いでごまかした。
「しょ、しょうなのか……?」
「そうなのです。……ショウコ様? ……えっと、せっかくなので本物も触ってみていいですか?」
アーネストは恐る恐る聞いた。
「ふぇっ? ……い、いいけど……。胸の前に、することが、あるでしょぉ……」
顔をさらに真赤にしながら、ショウコはそっと目を閉じる。
アーネストは愛らしく目を閉じたショウコへ顔を近づけ、その唇にそっと口付ける。
そうしてアーネストは初めて、契約のためではないキスをした。
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クエストの報酬が届いていました
「ショウコ様! ショウコ様!」
次の日の早朝。アーネストは隣の部屋、ショウコの部屋のドアを激しくノックしていた。
窓の外は未だ日は昇っておらず、外灯は朝霧を照らしている。
「うるさいなぁ……。朝っぱらから……あと五時間は寝たいのに……」
ショウコは眠たそうに目を擦りながらもドアのロックを開け、ネグリジェ着姿で現れた。どう見ても子供が背伸びをして来ているようにしか見えない。
「いえショウコ様、本日は夜明け前に出発なので、そろそろ起きていてもらっていないと困るのですが……。それよりショウコ様! 出来たんです! 見て下さい俺たちの愛の結晶を!」
興奮するアーネストの腕の中には、スヤスヤと眠る小さな女の子。着ているフリルたっぷりの白いワンピースは、昨日ショウコが着ていたものに似ている。
それを見てショウコが驚いた。
「小さいアタシ……? プチアタシ!?」
「そうですプチショウコ様です。ヤシノキさんにお願いしてたのをすっかり忘れていました」
今朝、アーネストが起きると部屋に大きなプレゼントボックスが置いてあり、中を開けて見たらデフォルメされたショウコ、プチショウコが入っていたのである。
「あのジジイ……。よくタダで作ってもらえたな」
「タダではないですよ? ちゃんと実験に協力して、その報酬です」
「実験……? 協力ぅ? どういうことですかぁ?」
ショウコに下から睨まれて、アーネストはゾクゾクした。素晴らしい眼光に思わず跪いた。
ヤシノキの実験と言えば生殖実験であり、その協力となるとショウコにも察しがつく。さらに言えば昨日の今日で出来たとなると、アレがそれだったという可能性も候補に含まれる。
「えーっとですね……? ちょっとクエスト的なアレでですね? いやホント、すっかり忘れてたんですけど、いつの間にかクリアしちゃっててですね……?」
「くぅわぁしぃくぅー……」
あ、これショウコ様が納得行くまで全部吐かされるパターンだ……。と勘のいいアーネストは理解した。作戦時間も近いので手早く説明しなければ、とも思った。
「はい――」
結局、いつもよりかなり早い朝食にサラーナが呼びに来るまで、アーネストはベッドに座ったショウコに踏まれながら事情を説明することになった。
そんなこんなで朝食、そしてアクセリナ奪還作戦の最終ブリーフィングを終えて出撃ガレージに来たアーネストなのだが、
「それで、いつまでその子抱いてるんですかぁ? まさか連れて行くとか言い出しませんよねぇ?」
ショウコの言うとおり、彼はプチショウコを抱いたまま朝食とブリーフィングの席に着き、ついには野戦服とプロテクターを付けて出撃するこの時になっても手放さなかったのだ。
ショウコもすでにユニットの装甲はセットが終わっており、今はマスドライバーの順番待ちである。もうすぐ先陣を切るブンタとシンディアが出撃し、すでに次のデッキで待機中のミゾとラモンのペアがそれに続き、その後にアーネストとショウコの番になる予定で、しんがりはサラーナが務める。
サラーナはホログラフモニターで装備の最終チェックを行っている。今回使用する武装はダッシーラボ近郊に着地した後、ブンタとシンディアにスキルで転送してもらう予定なのだ。よってすべての武装がモニターで見える位置にあるかの確認が必要なのである。シンディアのクロッシングスキルは離れていても位置の分かる物を手元に転送するというものであり、すなわち、他の物の影になってカメラから見えなかったりすると長距離の転送が出来ないのだ。
本来ならそのような細かい調整はラボの管理システム、今はカンパチロウが行うはずなのだが、電子精神体となった彼のメインの意識は現在絶賛苦戦中のソボ帝国との戦争の戦略演算にかかりきりなのだ。そのため元々臨時のシステム管理だったヤシノキラボのシステムは、彼の組み直したサブシステムによってなんとか動いているのである。
そんな現状の緊張感とは裏腹に、アーネストは呑気なもので……。
「いえ、いつ起きてもパパの顔が見れるようにと思ってたんですが……。この子起きませんね?」
「パパとか言うなしッ!!」
即座に朝から何度目になるかわからないショウコのツッコミを受けた。
見送りに来たグランとマリィに頬をプニプニと突付かれながらも、プチショウコに起きる気配はない。
「あんちゃん、そのプチショウコはAIのプログラミングがまだなんじゃないかい?」
「え?」
同じく見送りに来た割烹着姿の小太りな女性、ヌードルに指摘され、アーネストは困惑した。
「あたしもこの一週間、プチレティアと仕事したがねえ。その子らは基本的に命令してやらんと動かないはずだよ」
「そんな……、この子が元気に走り回る姿を、見たかったのに……」
プチショウコを抱えたまま突っ伏して落ち込むアーネストを、グランとマリィがプニプニ突付く。何処を突付いているのかな? そこは敏感だからやめてあげてね?
「帰って来たら遊んでやんな。その子は部屋に帰しとくから、あんたはとっとと出撃だよ!」
「……はい……。お願いします」
そう言ってしぶしぶプチショウコをヌードルに渡した。
『それでは此度の作戦、我輩が先陣を切らせてもらう! 行くぞ!』
『先にイクヨ!』
ブンタとシンディアから通信が入り、マスドライバーがエネルギーを溜める音が聞こえ、数秒後にはブンタたちが西の空へと飛び立っていく音が聞こえる。最初の頃はアーネストもこの手の発進では爆音が轟くものだと思っていたのだが、フィギュアハーツにマスドライバーその物を装備としてリンクさせレール全体にRAシールドが張られる為、発進時の音は意外なほどに少なかった。今回は目的地との距離も近いので射出スピードが大気圏を突破する程のものではないのも音の少なさの一因でもある。
ブンタペアの射出が終わると、デッキが移動して次に出撃するミゾペアの射出準備が始まる。
ミゾたちのデッキと入れ替わりで来た次のデッキに、ショウコとともに入ってアーネストは出撃体勢を整える。
六メートル四方の個室の中央に、スターティングブロックがせり上がる。
「そういえばショウコ様、今回はあの鎧みたいなの着ないんですね」
アーネストは通信をマイクミュートにして、気になっていたことをショウコに聞いた。
ショウコのユニットは前回の甲冑のような物よりもかなり軽装で、パイロットスーツや肌が露出している部分さえある。
今は装備していないが、武器も威力よりも軽量化をコンセプトにしたFH用のガトリングガンやアサルトライフルを転送用の部屋に置いてきていた。
てっきりアーネストは、ショウコならば攻撃は最大の防御、防御は最良の援護とばかりに高火力重装甲なものを選ぶと思っていたのだ。
FH分隊支援機関砲バラージ。軽量で小回りの利くガトリングガン。オブリタレータほどの火力は出ないが、反動の少なさや弾数の多さもあって総合的にバランスのとれたモデル。今回はこれをメイン装備として転送ルームに置いてある。
FH地対地誘導弾トラッカー。こちらも軽量で小回りの利くタイプのホーミングミサイル。重量の他にもミサイルの弾速が速いなどの利点もあり、低めの火力を補って余りある利点を持っている。今回はツインタイプの物を背面ラックから両肩に出す形で装備し、弾数も多い。しかし、今回相手にするであろうダッシーラボのツーレッグに対しては有効打にはなりにくく、ショウコ自身も戦闘に使うつもりは無く、障害物の排除や牽制、そして何より彼女よりも大きいアーネストが掴まる場所の確保という目的が大きいため、転送用の部屋には置かずに背面ラックにすでに装着済みである。
アーネストの問に、ショウコも通信をマイクミュートにして答える。
「なんですかぁ。隊長はああいうのの方が好みだったんですかぁ?」
「いえ、そういうわけでは……」
アーネストはPSWに来る前の戦場で、大量のプロテクターを付けたがる同僚をしばしば目にしてきたのだ。NNRの防具は軽いからと、関節の可動の邪魔になるほどに。そういった連中は決まって、現代の戦場では逃げやすさこそが生還に必要になると、どれだけ言っても聞かない。
そしてアーネストは、ショウコの人工知能奥底に、心の奥に、そういった臆病さがあることも感じ取っていた。
「たいちょぅ、今、ちょっと失礼なこと考えましたねぇ」
そんなアーネストの不安や心配の混ざった優しさを、ショウコは感じ取っていた。
「え、えっと……、すいません。でも、ショウコ様が無理してないか心配で……」
「はぁ……、あの装備はですねぇ。アタシが一人でも戦うために必要だったから、あれだけ重装甲だったんですよぉ。でも今は、たいちょぅがいるからシールドも張れるし、マリィのスキルだって使えますぅ。それにまぁ、サラーナに背中を預けることだって出来ないことはないですし……。もうっ、恥ずかしいこと言わせないで下さいよぅ」
最後の方は唇を尖らせながらであったが、ショウコがちゃんと自分を頼ってくれることに、アーネストは嬉しくなった。
嬉しくなった感情そのままに、ショウコの首に腕を回し後ろからそっと抱きしめる。
「はい。……みんなで頑張りましょう、ショウコ様!」
「ちょ……っ!? こんな所で……たいちょぅ……」
ショウコがビックリアワアワしていると、先に出たシンディアとブンタから通信が入る。
『ラボ西側で何かがフラッシュしてるヨ?』
『あれは……、戦闘? 誰かが追われている? レティア、確認を頼む』
すでに巡航高度に達していたブンタたちでは、下の森の中の様子を詳しく見ることは出来ないため、管制塔のレティアに【見る】スキルでの観測を依頼した。
『はいなのです。……確認……ってラモン! すぐにマスドライバーの角度を変更! 西の森に向かって下さいなのです!』
『了解だ。どっちの味方をすればいい? 追ってる方か? 追われてる方か?』
『追われている方なのです! 追われているのはルクス・ティアなのです!』
『何だと!?』
『ルクス様が!? ラモン! 急いで!』
『追手はAIドローン、[ハウンド]が……、七……八……更に一部隊……全部で一六体なのです!』
近距離用のエネルギーだけを素早くチャージし、ミゾを背に乗せたラモンが低角度にしたマスドライバーから西の森へと飛び出していく。
慌ただしい通信を聞き、アーネストはオフにしていたマイクをオンにし、管制塔のレティアに指示を乞う。
「レティア、俺たちはどうすれば!?」
『とりあえず状況が分かるまでは待機を――』
『いや、出撃じゃ』
待機を提案ようとしたレティアを遮ってヤシノキが出撃を命じた。
アーネストたちのデッキが移動し、マスドライバーの長いレールの前へ移動する。
ショウコがスターティングブロックと床面が開いて現れたハンドグリップで身体を固定し、その背の硬化したマントにアーネストが跨がり、ミサイルポッドについた取っ手に掴まり、さらに二人が離れないようにワイヤーとフックで固定する。
『ダッシーラボを攻められるのは大量のツーレッグと、なによりクロッシングペアを最前線に投入している今だけじゃ! マゴツイとる暇はない!』
ダッシーラボとイトショウラボをバックにつけたソボ帝国は現在、ユーラシア大陸北部の侵攻とインド亜大陸への上陸作戦を行っており、前者では大量のツーレッグと数組のクロッシングペア、後者では多数の戦艦とクロッシングペアが投入されていることが確認済みである。その影響でケンチクリンラボからこちらの作戦への支援が見込めないのであるが、同時にダッシーラボの防衛も手薄になっているのも今だけなのだ。
『ワタシはアーネスト隊長が行かなくても行くわよ。あのラボにはきっと、ニフル博士の手がかりがあるはずだもの』
後ろに続くサラーナに決意表明を先にされてしまったが、アーネストだって今回の作戦への意気込みは負けていないはずだ。
なにせ今回の作戦でアーネスト個人としては、ダッシーラボのシステム管理をしているハスクバーナと交渉し、骨盤内臓神経に寄生した謎のファイルを安全に消去してもらい、股間の平和と未来を取り戻さなければならないのだ。
もちろんこれはサブクエスト的な目的であり、メインはアクセリナの奪還であるが、アーネストにとっては大事なことなのだ!
「わかった。俺たちは俺たちの取り戻すべきものを取り返してくる」
『その意気じゃ。全部取り戻してこの戦争に終止符を打つのじゃ!』
ヤシノキからの激励で気を引き締めると、管制塔のオペレーターから準備完了の通信が入る。
『こちらマスドライバー管制。射出システムオールグリーン。これよりシステム権限をショウコに移行。ユーハブコントロール』
「アイハブコントロール。システムチェック……完了。たいちょぅ、しっかり捕まっててくださいねぇ」
サラーナとの出撃でそれなりに慣れたアーネストも、握る手に力が入る。
アーネストの脳内OSにもカウントが流れてきた。
五、四、三、二、一――
「いっきますよぉ!!」
ショウコの元気な声とともに、アーネストたちはどんどん加速していく。
そしてガレージを抜け屋外へと出た瞬間――
ヒュッキンッ、とRAシールドで跳弾する音。
ダァァァンッ、という銃声が続いて響いた。
「なっ!?」
「たいちょう! 今のは!?」
『この銃声…………、照合完了なのです。やっぱり、ルクスティアLV01でほぼ間違いないのです!』
即座に銃声を分析したレティアからの通信を聞きながら、アーネストたちは夜明けから遠ざかるように西の空高くへと飛び立った。
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動くショウコちゃん人形
ダァァァンッ――
『なっ!?』
『たいちょう! 今のは!?』
『この銃声……、照合完了なのです。やっぱり、ルクスティアLV01でほぼ間違いないのです!』
ヤシノキラボ西の森上空。
マスドライバーで得た速度をスラスターで調整しながら戦闘態勢を整えるラモンの背で、ミゾはその銃声と通信を聞いた。
『銃撃はされたが射出に問題なし! ショウコ様! このまま行きましょう!』
『合点承知!』
アーネストが持ち前の勘と判断力を発揮する中、ミゾは困惑してしまう。
「これは……、いったい何がどうなって……」
何者かに追われるルクス。アーネストを狙ったルクスティアLV01の銃声。
つい数週間前まで自分が背を預けていた組織、ワールドハンターフレンズに何があったと考えるのが最もあり得る。しかしそうであってほしくはない。どうしても別の要因がミゾの中で幾つもの推測として浮かんでは、即座に常識が否定していく。
「考えるのは後だ! 今は目の前のことに集中しろ!」
ラモンの叱咤する声が、混乱するミゾの意識を現実へと引き戻す。
「う、うん。わかった」
ミゾは飛行するラモンの背にうまく跨がりワイヤーに体重をかけながら、愛銃ルクスティアLV04をラモンの肩越しに構えてスコープを覗く。まだトリガーに指はかけない。
本当は銃器は転送用の部屋に置いてきた方が身軽であるのだが、これだけはミゾは手放さなかったのだ。意地を張ったかいがあった。
「見えた! ルクス様、ハウンドに乗ってる。ルクスティアLVAを所持」
スコープの中、はるか遠くにドーベルマンのような機械の犬にまたがった少女が見えた。長い銀髪を大きな宝石のような髪飾りで左右にまとめたオリエンタルな服装のルクスが、後ろに向かって体に似合わない大きな銃、ルクスティアLVAを構え、撃った。
ドァァァンッ――
銃声と共に放たれた弾丸は、森の木々の間を針穴に糸を通すように抜け、追ってきていた先頭のハウンドのウィークポイントへ正確に突き刺さる。弾丸は首の付根から胴体を貫通し、機能を停止したハウンドが崩れ落ち慣性のままに派手に転倒した。
「すごい……」
ミゾは一瞬、助けなど要らないのではないかと思うが、ルクスティアLVAはその複雑な可変型の構造上の弱点である弾数の少なさを思い出す。レティアの報告では十六体のハウンドだ。ミゾの知る限りどう考えても弾が足りない。
FBDユニットもRAシールドも無いフィギュアハーツなど、そこそこ力の強い人間程度でありハウンド二体も敵に回せばひとたまりもない。三体いれば鎧袖一触と言ってもいい。この戦場でのルクスの弾切れは、イコールで彼女の死を意味する。
「ルク姐! 聞こえるか!? ルク姉!」
ラモンが昔二人だけで使っていた暗号通信チャンネルでルクスに呼びかける。
『まさかラモンですか? 久しいですね。早速ですがヤシノキ博士にお目通りを願いたいのですが』
追われているとは思えないほど冷静な声で、ルクスの返答が届いた。
「元よりそのつもりだよ。それよりまずは、追ってきてるハウンドをどうにかするぞ!」
『そうですね。結構いっぱい追ってきてるみたいですが、やれますか?』
「おうよ!」
「師匠! 私もいます!」
ラモンとクロッシングで繋がっているミゾも通信チャンネルに参加した。
『その声、御冬ですか? 驚きました』
「はい! でも今はPSWのミゾです!」
御冬とは、ミゾの本名でありルクスからそう呼ばれると少し懐かしい気持ちになった。
「そしてオレのクロッシングパートナーだ!!」
――MizoがFH-T NN-ex02ラモンのクロッシングスキルを使用――
――FH-T NN-ex02ラモンがクロッシングスキルを使用――
ちょうど地上のルクスとすれ違うタイミングで、二人は同時にラモンのスキルで半獣化し、繋がれたワイヤーを外して上下に別れる。
ミゾは夜明け前の黒い空へと舞い上がり、ラモンはその反動でハウンドの群れの真ん中辺りにいた一体へ突っ込み、RAシールドで押し潰す。さらに強化された脚力で着地の衝撃を逃しながら、目についたもう一体へと突進――拳に装着したドリルで胴を粉砕!
――Mizoがクロッシングスキルを使用――
宙に舞い上がったミゾは放物線の頂点で黒い球体転移結界を展開し、空中から狙撃を開始する。
ダァァァンッ、 ダァァァンッ、 ダァァァンッ、 ダァァァンッ――
上空から見えるものと地上のラモンによって位置が特定されたものを、次々とNNR弾で撃ち抜いて撃破する。時々届くハウンドからの銃撃も、黒い球体内部にいるミゾを素通りしていく。
『なるほど、まさかexシリーズがクロッシングを結んだ姿が見れるとは、本当に驚くばかりです』
ミゾとラモンの戦いぶりを見て感心するルクスの声を聞き、二人は互いに気分が高揚していくのを感じた。
数十分後、ミゾたちはルクスを連れて再び出撃ガレージに戻り、すでに予定されていたランゲージポイントに着いたアーネストたちと映像付きで通信を行っていた。
「ラボは今、ワールドハンターフレンズ日本支部局の者たちに包囲されておるのじゃ」
司令室からわざわざ出てきて直接ルクスの話を聞いたヤシノキが、こちらは心配いらないという事をかいつまんで伝えた。包囲されている状態を心配いらないと説明するのもどうかと思うが、事実、ワールドハンターズフレンズの戦力ではヤシノキラボは落とせない事をミゾもアーネストも知っている。
ちなみにもちろんヤシノキがわざわざ出てきたのには訳があり、分析のクロッシングスキルを使うためである。
ルクス本人もそれが一番手っ取り早く信用が得られると知っていたので、気持ち悪い視線を浴びる覚悟をして「ヤシノキに会いたい」と言っていたのである。
ちなみにレティアでも分析のクロッシングスキルは使えるが、彼女は今は周囲警戒のために管制塔から離れられない。
「申し訳ありません。最後まで止めようとしたのですが……、結局追われる身となってしまいました」
ヤシノキによって身の潔白が証明されたルクスも通信に参加している。複雑な構造のオリエンタルな服にも、盗聴器の類は無かったそうだ。
『あなたがルクスさん? よかった。無事だったのか』
「はい。おかげさまで。わたしがルクス・ティアです。みふ……じゃなくて、ミゾがお世話になってます」
『えいえいこちらこそ、ミゾさんにはいつも助けられてばかりで……』
なんだかまったりした空気になってきたのを、画面には映らずにあちら側で周囲を警戒しているブンタが引き締め直す。
『アーネストくん? 我々はすでに敵地にいるのだ。あまり悠長に話してる時間はないのだぞ。サラーナは合流したが、ミゾくんたちはどうなるのだね?』
本題に入りミゾの顔も引き締まる。
「……すいません、アネキ。私たちはこちらに残ります……」
「そちらの作戦に支障をきたしてしまったこと、重ね重ね申し訳ありません。しかし、こちらの件はどうしてもミゾに頼みたいのです。わたしだけでは京都江局長には敵いませんでしたから……」
『そうか……』
「アネキ、本当にすみません。でも京都江は、私の手で撃たねばならないのです! 護るための銃を……ルクスティアシリーズをPSWとワールドハンターフレンズとの開戦のために使うなど、私には許せない」
『そうか、わかった。ミゾさんにもミゾさんの戦う理由ができたんだな。それなら俺に止める権利なんて無いさ』
「アネキ……」
『帰ったら、また軍にいた頃みたいに一緒に酒でも飲もうぜ。今度はPSWのみんなも一緒にさ。それじゃあ健闘を祈る!』
「はい! アネキ、みんなで絶対帰ってきて下さい!」
そう言ってミゾは通信を締めくくった。
「さて、とりあえずこちらの状況は説明したとおりじゃ」
少年の姿のヤシノキが、得られた情報をまとめて説明を終え、臨時の作戦ブリーフィングに入る。
ヤシノキが手をかざすと、目の前にヤシノキラボ周辺の地図がホログラフによって展開される。更にそこに赤い点で敵を示すアイコンが表示されていく。
予想される敵戦力の表示が終わり、そこにミゾ、ラモン、ヌードルが目を落とす。ロッドリクは今この場にはいない。
ちなみにグランとマリィは近くのコンテナの上に寝かせたプチショウコで遊んでおり、ルクスは先程手を惹かれてそちらに行ってしまった。
ヤシノキラボは現在、苺指揮下のワールドハンターフレンズ日本支部局によって東西南が包囲され、先程のアーネストへの発砲によって得られた情報から苺本人は東の山岳地帯にいることが判明している。
「アネキへの発砲は、おそらく私への挑発です。京都江は私との勝負を望んでいるのでしょう」
「しかしまあ、わざわざあんたが行ってやることもないさね。ルクスの情報通りなら、あたしらなら一瞬で片がつく」
ヌードルが最も手っ取り早い案を出すが、ミゾは当然のように頭を横に振る。
「いいえ。彼女の相手は私がします。それに、ヌードルさんの能力では殺してしまう可能性が高いのではないですか? 相手の狙いが開戦、誰かが死ぬことによってせっかく結んだPSWとワールドハンターフレンズの関係を悪化させることですし」
「そうさねぇ。あたしゃ手加減なんて出来ないからね。かと言ってうちの旦那じゃ取り押さえるほどの力はない。もちろん、やって出来ないこともないだろうがね」
ルクスのもたらした情報によれば、苺の目的はワールドハンターフレンズとPSWの正面衝突であった。
世界の表の戦場の武器、特に現代の銃器を通してほとんどすべての国々とつながりのあるワールドハンターフレンズと、世界を裏から操る超科学の組織PSWの全面戦争は、予定調和的に開戦した土塊の戦争とは比べ物にならない本物の世界大戦となりかねないのだ。
もしもこの戦闘で苺本人ないしは、誰か一人でも死者が出るようなことがあれば、それを持ち上げて宣戦布告する魂胆らしい。
「そのあたりはワシらやグランちゃんペアも同じじゃな。帯に短し襷に長しじゃ」
「ふむ、京都江の相手はミゾさんに任せるとして、あたしゃ北側……、というかあたしら熱海ラボの人員はこの戦闘に参加して良いのかねえ?」
「熱海ラボの中立宣言なら、そんなに気にせんでもよかろう。ワールドハンターフレンズ日本支部局にダッシーラボやイトショウラボの息がかかってないとも言い切れんのも確かじゃが、それを言ったらあからさまにバックに奴らが関わってるソボ帝国との戦闘にカンパチロウが駆り出されたりはせんよ。熱海のことじゃ、どうせ中立と言ってもうまくバランスが取りたいだけじゃろうて」
「それじゃあ、あたしらも今回は好きに暴れて良いんだね」
ヌードルが歯を見せてニッと笑うと、ちょうどヌードルの旦那ことロッドリクが現れる。
「博士、持ってきたぜ。これでいいのか?」
「おおロッドリク、これじゃこれじゃ。皆に配ってくれ」
ロッドリクが持ってきたアンプルのラベルを見て受け取り、他の者にも配らせる。
「ん? 数が足りないが良いのか?」
「ああ、これならオレとミゾはもう飲んだからな。他のやつに渡してくれ」
ラモンとミゾはすでに同じ薬を飲んだらしい。
ロッドリクは飽きて遊び始めたグランとマリィ、そして二人の相手をして微笑んでいるルクスにアンプルを渡し、最後にヌードルが受け取るとその隣に落ち着く。
早速アンプルの先を折ってクピリと、当たり前のように飲んでしまうグランとマリィ。この元実験少女たちは、薬を渡されれば迷わず飲んでしまう。何人か説教したくなる者もいたが、今は我慢した。
ルクスはそんな危うさのある二人を見ながら問う。
「あの、博士。何かは分からないが、これは私も受け取って良い物なのか?」
「ルクス、おぬしも京都江と戦いに行くつもりなんじゃろ? なら飲んでおくんじゃ。ミゾくんたちの足を引っ張りたくはなかろう」
「ええ、そのつもりですが……。そもそもこれはいったい……?」
「まあ、それは今回の作戦、LMRP作戦の説明を聞けば分かるのじゃ!」
小さな体で胸を張ってヤシノキが堂々と作戦名を言い放った。そして恐らく最善でありながら最低の作戦説明が始まった。
「とまあ、作戦内容はこんな感じじゃ。配置は先ほどの意見を参考にするなら、東の山岳地帯で待ち構える京都江の相手はミゾくんたちとルクスに任せるとして、北側の草原地帯はヌードルさんたち、西の森林地帯はグランちゃんたち、そして南の森林地帯はワシらが行くとするかのう」
作戦の説明を終えたヤシノキを見る一同の視線は、微妙である。代表してヌードルが口を開く。
「はぁ、合理的な作戦だとは思うがねえ……。でもなんだ……もうちょっと何か無かったのかい?」
「無い! 奴らにはここは戦うための場所ではないと、心と身体に刻みこんでやらねばならんのじゃ!」
ヤシノキが言い切った。
「はかせー。わっちもスキル使って戦っていいのー?」
「いいのー?」
捕虜扱いでクロッシングスキルがロックされているグランとマリィが、手を上げて質問した。
「いいぞい。特別に許可するのじゃ。アネさんの帰ってくる場所を、一緒に護るのじゃ」
「わかった! アーネストさんのために頑張る!」
「頑張るー!」
張り切って互いにパンッと手を打ち合わせ、キャッキャとまたプチショウコのもとへ戻って行く。
「誰も殺してはダメなんじゃぞ! 分かっとるな!?」
「「はーい!」」
手を挙げるだけで振り返ることもなく返事をした二人は、本当分かっているのか不安であるが、任せるしか無い。
半眼でグランを見つめるヤシノキに、ルクスが声をかける。
「ところでヤシノキ博士。出来れば弾薬の補充と幾つか装備を貸してほしいのですが……良いでしょうか?」
「ん? ああ、かまわんぞ。というかおぬしとミゾくん、それにラモンもかのう。話しておかねばならんことがあるのじゃよ」
「……?」
ヤシノキに呼ばれ、近くで話していたミゾとラモンが不安げに振り向く。
「なんですかヤシノキさん。話って?」
「実は、ミゾくん単体で診た時は分からんかったんじゃがのう。おぬしら3人揃って診たら、新しい分析結果が出たのじゃ……」
「新しい分析結果?」
「実はのう――」
「「動いたー!!」」
その時グランとマリィが急に歓喜の声を上げ、ヤシノキの話は中断された。
『ファンッファンッ!!』
そしてその二人の元から四足で飛ぶように駆け出した小さな筐体。
「プチショウコ!? ……が、動いてる?」
驚くミゾが見ているのは、確かに先程までスヤスヤと眠っていたプチショウコである。確かAIのプログラムが無いため動かないはずだったのだが。
プチショウコは一度立ち止まりキョロキョロと何かを探し、ルクスを見つけると勢い良く駆けてくる。
「御夏! うまくいったのですね」
御夏とはルクスが逃げてくる時に乗っていたハウンドのAIであった。
しかしルクスがラボまで来る際、ラモンに運んでもらうのに邪魔になるのでAIのメモリーだけ抜き取って来たのである。そのスティック状のメモリーは今、元気に走ってくるプチショウコの尾てい骨辺りに刺さっており、さながら尻尾のようだ。
「師匠……、御夏って……。というかこれ、アネキにバレたらやばいのでは……?」
御冬ことミゾがルクスに何か言いたげに視線を送るが、ルクスはそれを無視して駆けてくる御夏へしゃがみこんで手を広げ、優しい笑顔で抱きとめる体勢になっている。
そこへ千切れんばかりに尻尾を振り、プチショウコが嬉しそうに突進してくる。
『ファンッファ――』
スポン! ズザー。カランカラン……。
そんな音を広いガレージに虚しく響かせ、御夏の尻尾のメモリーが吹っ飛び、筐体は顔面を床に擦り付けて停止した。
「あーあ、そんなに尻尾振るからー」
「取れちゃったねー」
駆け寄ったグランに抱き上げられたプチショウコは、またスヤスヤとスリープモードになっている。
「そんじゃ、あたしゃ出撃前にお花を摘みに、便所にでも行っとくかね」
「かあちゃん……。それじゃあ前文で綺麗に言ったのが、後文で台無しだ」
そんな会話をしながらヌードルたちはトイレへと歩いて行く。
「おぬしら、ワシのラボ守る気あるんじゃよな!? 信じて良いんじゃよな!?」
あまりの緊張感の無さにショタジジイが喚く。
「あたしゃこのラボがどうなろうと、正直どうでもいいさね。ただ、ここが無くなって年中発情期みたいな連中が熱海ラボに転がり込んでくるってのだけは、避けたいからねえ」
立ち止まって振り返らずにヤシノキに言うヌードルは、今回の作戦にはあまり乗り気ではない。
「理由は後ろ向きじゃが、ヌードルさんならやってくれると信じとるよ……」
肩を落としたヤシノキはミゾへ視線を送る。
「わ、私は、こんなことをしでかした京都江を粛清できればそれでいいですし。それにさっきアネキとも約束しましたし……」
「ミゾ……、さっきからもっと良い作戦がないかずっと考えてるみたいだが、諦めろ。この博士こんなんでも天才だからな、オレたち戦闘屋とは頭の出来が違うんだ。この作戦は現状の最善策だ」
ミゾの隣で難しい顔で立つラモンは、クロッシングでミゾの思考を感じ取っていた。
「でもラモン! だって……こんなアホみたいな作戦……」
「この戦火を世界に広げないためだ、受け入れるしかない……」
「くっ……。こんな時アネキがいてくれたら、何か奇跡を……」
うつむいて親指の爪を噛むミゾは、もうすでに奇跡にでもすがりたい気分である。
「あー、もうわかったのじゃ! この作戦が成功したあかつきには、おぬしらの望むものをなんでも作ってやるわ!」
ヤシノキは皆のやる気を出すための報奨を約束することになった。
「わーい! じゃあじゃあ、わっちは!」
「プチアーネストさん欲しいー!」
ここぞとばかりにグランとマリィが声を上げた。
「ええと、転がり込んだ身で図々しいとは思うのですが、私もこの子に新しい体をお願いします……」
ルクスは拾ってきた御夏のメモリースティックを、申し訳なさそうにヤシノキに手渡す。
「お安い御用じゃ。ヌードルさんもそれでやる気を出してくれんかのう?」
「ははっ! 言ったね爺さん? その言葉、ボケて忘れるんじゃないよ!」
顔だけ振り返ってニッと不敵な笑みを浮かべ、ヌードルはロッドリクとガレージから出ていく。
「ぬぬぬ……、あの口ぶり、何を要求されるやら……」
ヤシノキの筐体の頬を冷たい汗が流れ落ちる。
「オレはこの装備を作ってもらったばかりだしな。特に欲しいものはねえよ」
「私も、これと言って欲しい物はないですが……。まあ追々何か必要な物があったら作ってもらいましょうか」
そう言うラモンとミゾは、武装さえ整っていれば特に欲しい物は無く、自他ともに認める戦闘屋であった。
「それでも良かろう。ただこの老いぼれがいつまでも生きてると思わんでくれよ」
フムと頷いてから、通信に切り替えてラボ全体に聞こえるように宣言する。
『さて皆の衆! 各自準備が整い次第、配置につくのじゃ! 迎え撃つぞい!!』
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「来るぞっ!! 下からだ!」
ブンタの声が針葉樹の森に響く。
ヤシノキラボとの通信を終え、シンディアたちに転送してもらった装備のチェックをしていると、突如ブンタが敵襲を告げたのだ。
感覚強化型のスキルで感知し、即座に散開するブンタとシンディア。ブンタの声に人外の速さで対応してみせるショウコとサラーナのAI少女たち。そして「え?」とか「あ?」とかそんな感じの音を口から垂らして呆然とするアーネストは、スラスター全開のショウコにタックルでもされるように抱きかかえられて窮地を脱した。
「ぐぇはっ!」
肺から一気に空気を追い出されてアーネストからおかしな声が出るが、ショウコは構わず彼を地面へ放り捨て、今しがた自分達の足元から出現した敵を見る。ぞんざいな扱いだが、アーネスト業界ではご褒美である。
「これがジジイが言ってたやつですか……、厄介なもん作ってくれますねぇ」
アーネストが立ち上がって現状を把握する頃には、数秒前にいた場所には壁が出来上がっていた。
ピンクに肌色、茶色などの色がうねうねと気色悪くうごめく肉の壁。ロザリスによってヤシノキラボから奪取された触手ユニットによる、触手の壁であった。
目算で高さ一〇メートルほど。その壁の上に一つ人間大の花の蕾のような触手の塊が、花開く。
「ようこそ~! 侵入者さん~」
そこから現れたのは、壁のこちら側とあちら側を向いて背中合わせの二人、フィリステルとロザリスであった。アーネストたちの側をみおろしているのは、すでにサブマシンガンをホルスターから抜いたフィリステルだ。
「フィリさん!? どうしてこんなに早く……!?」
すでに作戦がバレていた!? 極秘のスニーキングミッションだったはずの作戦が、現地到着早々に崩れ去った。
「侵入そうそう悪いのだけど、そこの変態紳士とその奥様はお呼びじゃないので、ラボには行かせないわよ!」
ロザリスが反対側にいるであろうブンタたちへ向けて叫ぶ。
「吾輩も嫌われたものであるな。しかし! ここまで来て娘のために何も出来なかったなど紳士の名折れ! 力ずくで押し通らせてもらうぞ!」
それに答えるようにブンタが啖呵を切り、アサルトライフルに初弾を装填する音が聞こえる。
戦闘の気配を感じ取ったショウコとサラーナが、アーネストを庇うように立ちそれぞれ銃を構える。
ただでさえ出発時のトラブルで戦力が減っている上に、ここで分断されてはこの先どう考えてもジリ貧なのは明らかだ。そう考えたアーネストは、フィリステルペアを突破してからブンタたちと合流すべきと判断する。
「俺たちも突破の援護を!」
「構わん! 行け! ここは吾輩たちがなんとかする!」
しかし、ブンタの判断は違った。
――「アーネスト隊長、進みましょう!」――
――「でも……」――
壁の反対側ではすでに戦闘が始まったようだ。触手が鋭く空を切る音やスラスターを操ってそれを回避する音が聞こえてくる。
――「たいちょう! フィリステルたちがスキルで見えなくなったら、アタシたちは足手まといだ!」――
相手のスキルは思考加速と光学迷彩。もしも姿を消されてしまえば、フィリステルたちと初めて会った時と同じようにすぐさまアーネストたちは詰んでしまうだろう。ブンタたちの足を引っ張らないためにも、ここは離脱するしかなかった。
――「ぐぅ……っ。わかった、行こう……」――
壁の反対側が劣勢と見たフィリステルが、半身になってそちらへサブマシンガンで銃撃を仕掛け、アーネストたちから目を離したスキにショウコの展開したマントに乗りダッシーラボ入り口へと向かった。
フィリステルたちの追撃はなかった。
針葉樹の森を数キロ進んだ所に、ダッシーラボの入り口はあった。
アーネストたちが戦闘エリアから脱すると、ジャミングでも掛けられたようにブンタたちとの通信ができなくなってしまったので、入り口発見の報告は諦める。
今アーネストたちは、ラボの入り口から少し離れた木の裏に隠れながら、サラーナが鏡を使って様子を見ている。
――「見張りは……、ツーレッグが二体と……まさか!? こんな所にフィギュアハーツ……!?」――
岩肌に埋め込まれるように作られた鋼鉄の大きな扉の両脇にツーレッグが一体ずつと、扉の正面に堂々と立つのは、紫を基調としたFBDユニットを纏ったフィギュアハーツが一人。
――「おいおい、誰だよいったい……って、ミランダ……!? いきなりラスボス級じゃねえか」――
どうやら戦闘モードになると口調が変わるショウコが、サラーナの視覚データを拡大分析してフィギュアハーツを特定した。その驚きぶりから、状況が悪いことをアーネストも察する。
フィギュアハーツ、ユータラスモデル CA-03 ミランダ。薄桃色のセミロングヘアー、琥珀色の瞳、肉厚な唇、そして何と言ってもサラーナを超えるほどの巨大な乳房とくびれのダイナマイトボディを持つフィギュアハーツ。大の男好きで、きわどい発言が目立つ性格だったはずだ。ゲーム内で一定以上の課金をしたプレイヤーに配布されたAIキャラクターのため、当時ニート同然だったアーネストには手の届かない存在だった。
ただの見回りや見張り、と言うには様子が違う気がする。装備もFBDユニットのスラスターと、装甲と言うには心もとない最小限のアーマー程度で、武器の類は見当たらない。
まるで誰かを待っているような……。
そのミランダがアーネストたちの方に視線を向けてきた。
「出てきなさぁい。そこに居るのは分かっているわよぉ!」
一同に緊張が走る。
ねっとりとした口調でありながら、何処か芯のある声。
アーネストは直接彼女の脅威を知っているわけではないが、ショウコとサラーナから伝わってくる緊張感は尋常なものではない。
「チッ……。行くしか無いか……」
――FH-U SA-04ショウコがFH-U ZS-01マリィのクロッシングスキルを使用――
――FH-U SA-01サラーナがFH-U ZS-01マリィのクロッシングスキルを使用――
舌打ち一つ、ショウコが出て行き、サラーナもそれに続く。一応、アーネストの脳内OSに保存されているマリィのスキルで皮膚を強化するが、二人の緊張感は和らぐことはない。
――arnestがFH-U ZS-01マリィのクロッシングスキルを使用――
最後にアーネストもマリィのスキルを使って、二人に続く。
扉の前に立つミランダから十メートルは離れた場所で止まる。
「ようこそぉ。待っていたわよぉん」
「どういう、つもりだ?」
「どうもこうもないわぁん。歓迎してるのよぉ?」
ショウコの問に両手に何も持ってないことを示すように肩をすくめて答えるミランダ。
その動作にすらサラーナはピクリと、銃を構えそうになる。
「まぁ、歓迎するのはアーネスト様だけで、あなた達二人には要はないのだけどねぇ」
言いながらクネクネと腰をくねらせながら、アーネストの方へと歩いてくる。
「うご――「遅いわぁ」」
ショウコが警告とともにガトリングガンを構える――前にミランダのスラスターがパパッと短い噴射音と光を発し、一瞬でアーネストに肉薄する。ゆったりとした口調と裏腹に動作は瞬速だった。アーネストはすれ違うように踵を踵でコツンと当てられ、それだけで彼は後ろへと倒れそうになる。地面に背を打ち付ける前に、ミランダの白い腕がアーネストの腰と首に廻り、アーネストが状況を把握する頃には、抱き抱えられるような体勢で、彼女の顔が彼の目の前にあった。
「……な!?」
「ちょっと失礼するわねぇ」
一言断るとミランダは驚きに目を見開くアーネストの唇に唇を重ね、更に舌をねじ込んでくる。
ショウコとサラーナが銃を構えるが、ミランダがアーネストを盾にするように立ち位置を変えたため撃てない。
――FH-U CA-03ミランダの直結接続を確認――
――「アーネスト様、わたくしに委ねてくださいませぇ。まずは、こ・こ・に入ってる悪い物を出して差し上げますわぁん」――
――「ッ!?」――
ミランダの手がアーネストの股間を弄り、アーネストはビクリとしてしまう。ちなみに正確には不明なファイルがあるのは股間ではないのだが、アーネストはきちんと相手の意向を理解した。
どの道、選択権はアーネストにはない。
脳内OSにミランダのアクセスを許可させると、さっそく彼女はアーネストの中にあるファイルを探し始める。
「アーネスト隊長! すぐに引き剥がすわッ!」
サラーナがショウコと目配せしてミランダを離そうと近づいてくる。
しかしアーネストは、それを手で制する。
――「大丈夫だ。彼女には俺たちに危害を加える意志はない」――
――「たいちょう……」――
心配そうにするショウコたちを安心させるために、まずは自分が落ち着くことを心がける。
するとアーネストは胸元に当たる柔らかい双丘の感触を感じる。ちょっと興奮した。
――「……たいちょう? 昨日はあんなにアタシのチッパイが最高だって言って吸い付いたりムニムニしたりしてたのに……」――
――「ちがっ……、これはっ、あれで、……えっと…………」――
――「ふふん♪ やっぱりアーネスト隊長も本能には勝てないわよね」――
――「たいちょう、……帰ったら本能から叩き直してあげる……」――
――「!?!!♡」――
――「見つけたわぁん。まったくあの小娘、ファイル名も拡張子も偽装してたのねぇ。アーネスト様、ちょっとオチンチン苦しくなるけど、我慢して下さいねぇ」――
――chinkomogeroを解凍――
「んんっ!?」
アーネストの股間に快感が走る。先程からミランダに擦られているせいだけではない。もっと奥の方、脊髄の中、脳の中に直接響くような快感に痙攣するようにアーネストが身震いする。思わず腰が浮き股間の肉棒がそそり立つ。
さらにアーネストの口から声が漏れるが、ミランダに塞がれているためくぐもった声になる。
「キャ!!?」
「ふにゃッ!?」
サラーナとショウコにもクロッシングを通して快感が伝わり、二人が腰砕けになりその場にぺたんと座ってしまう。
――chinkomogeroの展開を完了――
――chinkomogeroをFH-U SA-04ショウコとFH-U SA-01サラーナへ送信――
物騒な名前のファイルの解凍が完了し、ミランダの操作でショウコとサラーナにも送信される。
――「あなたたちもインストールしなさいなぁ」――
――chinkomogeroを実行――
男としてはできれば実行したくない名前のファイルが実行された。
――生体OS、Husqvarnaのセットアップを開始――
――ユーザー設定をkanpachirouOSとの同期を開始――
――ユーザー名arnestの確認を完了――
――Husqvarnaのインストールを開始――
――インストール中……――
――インストールを完了――
――「Husqvarnaへようこそ!」――
――FH-U SA-04ショウコのクロッシング接続を確認――
――FH-U SA-01サラーナのクロッシング接続を確認――
――FH-U CA-03ミランダの直結接続を確認――
――ハスクバーナ標準ツールセットのセットアップを開始――
――カスタマイズ/フルインストール――
――「フルインストールよぉ」――
ミランダがナビゲートしてくれる。
――「フルインストール」――
――ハスクバーナ標準ツールセットのインストールを開始――
axelinaOSとkanpachirouOSをインストールした時と同じような各種ツールがアーネストの中にインストールされていく。
――ハスクバーナヴィジュアルウィザードのインストールを開始――
――すべてのセットアップを完了――
――最適化の為、再起動しますか? ――
――「はい」――
一瞬アーネストの視界がチカリとすると、アーネストの脳内で新しいOSをが機能し始める。
目を開けると夜空が見え、自分が地面に仰向けに寝ているのが分かった。
いつの間にかミランダもアーネストから体を離し、扉の前へと戻っている。
「たいちょう、パスワードをお願いしますぅ」
「え? あ、ああ、ショウコ様を崇めよ」
――クロッシングパスワード承認――
――FH-U SA-04ショウコのクロッシング接続を確認――
「アーネスト隊長、こっちもお願いします」
「えっと、サラーナは俺の嫁」
――クロッシングパスワード承認――
――FH-U SA-01サラーナのクロッシング接続を確認――
クロッシングの再接続が完了した。
『改めてようこそダッシーラボへ。システム管理をしているハスクバーナだ』
幼い男の子の声に視界を巡らせると、入り口扉の向かって左脇で待機しているツーレッグの肩に腰掛けた、年の頃は十三歳位の少年を見つける。もちろん、さっきまでそんな所に子供などいなかった。となると、あれが本人も言っていた通りこのラボのシステム管理をしているクロッシングチャイルド、ハスクバーナなのだとアーネストも理解する。
薄く紫がかった銀髪の少年は口の端を吊り上げて嗤ったかと思うと、姿を消し――
『とりあえず、君の骨盤内臓神経に寄生したセットアップファイルは、ママが消してくれたから安心していい。その代わりと言っては何だけど、君たちには協力してもらいたいんだ』
一瞬でアーネストの目の前に姿を現す。
ママ、という言葉通りミランダとハスクバーナは親子である。髪や肌、瞳の色はそっくりで、纏うミステリアスな雰囲気まで似ている。
Yシャツに黒いベストとサスペンダーで吊った短パン姿というどこかの探偵少年みたいな身なりのハスクバーナは、握手を求めるように右手を差し出す。
「あ、ありがとう。協力、と言っても俺たちも任務できているから、そんなに出来ることは多くはないのだけれど、出来る限り協力させてもらうよ」
差し出された手を握ろうとしたが、アーネストの視覚野に直接投影されているハスクバーナには触れるはずもなく、アーネストの右手は空を切る。
それを見たハスクバーナはまたニヤリと笑みを作り、また消える。
そして頑丈そうな扉の前に姿を現す。
『大したことじゃあないさ。君たちの目的通り動いてくれればいい。そうしてくれれば、こちらの目的も達成できるはずさ』
この人達はアーネストたちの目的を知っている!? 先程のフィリステルたちの襲撃といい、情報が筒抜けすぎる。
ハスクバーナが大仰な仕草でお辞儀をする後ろで、分厚い鉄の扉が開き始める。
『さあ、案内しよう。付いてきてくれるかな?』
疑問形ではあったが、そこに選択肢はなかった。
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サラーナ、君とはここでお別れだ
ダッシーラボの内部はコンクリートの通路が縦横無尽に走る地下施設である。それこそマップがあっても迷いそうな迷路のような構造だ。
その中のひときわ太いメイン通路の一つを、アーネストたちはスラスターを使って飛ぶように進んでいく。
前方には同じく先行するミランダと、その肩部装甲に腰掛けるように自身を投影するハスクバーナ。
――「この状況、……罠、じゃないですよねぇ?」――
――「正直、俺にもさっぱり分からん……。ここまで誰も見かけてないし……」――
アーネストの言う通り、ここまで結構な距離を進んで来たが人っ子一人見かけていない。ショウコもその辺を危惧してか、先程から同じような会話がループしていた。
サラーナはラボに入ってからは何かを考えているのか、ずっと黙ったままだ。
『君たち、その内容の会話はもう四回目だ。警戒してもらうのは結構だけど、いい加減無駄だって気付いて欲しいものなのだけど?』
「!? 口に出てた!?」
「違いますたいちょぅ! 思考通信をハックされて読まれてたんです!」
ショウコが後ろ向きに投影し直されたハスクバーナをキッと睨みつける。
ちなみに[aracyan37粒子]を介して行われる思考通信を傍受するという事は、可能か不可能かで言えば可能である。ただし通信の元となる脳内OSシステムを管理するクロッシングチャイルドに限られる。カンパチロウやアクセリナはそういった事は極力しない性格だったため、盲点となってしまったのだ。
『ごめんごめん、そう睨まないでくれよ。あくまで利害が一致しているだけの関係なんだ。警戒し会う程度がちょうど良いと思うのだけど?』
「それは……、そうだけど、納得行かないですぅ……」
プライバシーを侵害されたショウコがムッとするが、そもそもハスクバーナOSをインストールしたことで、物理的にもシステム的にも敵地の真中でプライバシーも何もないのである。
『それから一応言っておくと、誰とも会ってないのは予めそうなるように職員を誘導しておいたからさ。そもそも知っての通りダッシーラボの主な人員は、今は戦場に出張っている。残りの少ない人員には、うまいこと仕事を割り振ってどいてもらってるのさ』
「なるほど、そういえばヤシノキさんも今が一番手薄だって言ってたな。まさか残りの人員までスルーさせてもらえるとは思ってなかったけど」
そもそもそのタイミングを見計らっての潜入作戦だったのだ。まあ、まさかメイン通路を堂々と進めるとは思ってもいなかったのはアーネストの言葉通りで、その辺はハスクバーナの手引のおかげだろう。
「というかミランダ。お前がこうしているって事は、この件はダッシー博士も了承してるってことなんですかぁ?」
ショウコの記憶ではミランダとダッシーはクロッシングパートナーどうしだったはずだ。ならばミランダがこうしてアーネストたちを手引していることは、当然、意識や感覚が繋がったダッシーにも伝わっているはずなのである。
「あの人は関係ないわぁん」
「はぁ? どういうことですぅ?」
「もう別れたのよぉ」
ミランダの言う、別れた、とはクロッシング契約の解消ということ。すなわち、現在のミランダはダッシーとは感覚や意識を共有していないどころか、RAシールドも張れないしクロッシングスキルも使えない。
「はぁ!? 子供まで作っておいて別れただぁ!?」
「だってあの人、変わってしまったんだもの……、もうハスクちゃんを産んだ時みたいに愛することは出来ないわぁん」
乙女チック思考回路を搭載したショウコの言い方だと誤解が生まれそうだが、元々フィギュアハーツと人間の結婚とは、子供が出来たから夫婦として認められるというもので、言ってしまえば一〇〇%できちゃった結婚であり、それ以外の例は今のところないのだ。さらに言えば、どこの国にも属さず無宗教の者が多い[PSW]は法的にも宗教的にも結婚や離婚といった手続きも存在しないのである。強いて言えばクロッシングペアの解消が離婚に近い。
「クロッシングペアも色々ですぅ……」
「そうねぇ、わたくしもバツイチ子持ちのフィギュアハーツになっちゃったわぁん」
二人の会話が徐々に世間話みたいになってきたな。
「ねえ、ハスクくん?」
『なんだいサラーナ』
ここで黙っていたサラーナが口を開いた。
「もしかして、さっき襲ってきたフィリステルたちも貴方たちとグルなのかしら?」
「そうだよ。彼女たちにはあの夫婦の足止めをお願いしている。ブンタとシンディアには、アクセリナの下に辿り着いてもらいたくなくてね」
そういうことならば他にもっと良い方法がありそうなものだが。結局、戦闘という形での足止めになったのは、ひとえに娘を誘拐されたブンタたちが殺気立っているせいだろうか。
「なるほどやっぱり……。ふむ……、今回のあなたたちの目的はわからないけれど、その指揮をしているのは、もしかしてニフル博士なの?」
『……、ほぅ、なぜそう思うんだい?』
ハスクバーナは質問に対して質問で返したが、サラーナは特に気分を害したりはせずに続ける。
「ワタシたちはこれでも一応、スニーキングミッションのつもりで来たのよ。それがこうもあっさりと、完膚なきまでに、あなたたちの手の中で踊らされている。そんなことが出来るのは、未来を見ることが出来る天才だけじゃないかしら」
『なるほどなるほど、さすがは元夢見のフィギュアハーツと言ったところか……』
「あらハスクちゃん。一応、今回の指揮官は貴方でしょう? そこは訂正しなくていいのぉ?」
『はは……。あの天才が関わってる時点で、指揮官なんてお飾りみたいなものさ。それこそ、誰も彼も結局はあいつの手の中で踊るしかない。さてママ、そろそろ止まるポイントだ』
ハスクバーナの言葉でアーネストが通路の先へ目を向けると、ちょうど大きな通路同士が交わる十字路が見えてきた。
速度を落としていくミランダに習い、アーネストを乗せたショウコとサラーナも十字路の手前に停止していく。
そして、ちょうど一同が十字路の手前で止まった時、右手の通路から声が聞こえてきた。
「おっとチヅル、ここでストップだ!」
「ふぇ!? お兄ちゃん博士いきなりそんなこと言っても、チヅルは急には止まれなーいッ!!」
ズゴン! ゴリゴリゴリゴリゴリゴリ……
アーネストたちの目の前で、高速で飛んできた青年を乗せた青い装甲の少女が、コンクリートの床に派手に杭を打ち込んで十字路に傷跡を残し、土煙を上げながら減速して横切っていく。
「……ショウコ様、あれって……!」
「ああ……、あの知性と緊張感のない声……」
「チヅル!? それに、もしかして……」
アーネストは期待を込めて、ショウコは呆れ気味に、サラーナは少女ではなく青年の登場に、それぞれに驚く。
立ち込める土煙の中、青年のシルエットがゆらりと立ち上がる。
「ゲホッ、ゴホッ、チヅル……急に止まる必要はないんだ。通り過ぎたら戻れば良いんだよ。ぶおっへぇん!……煙……ひどっ」
「そういえばそうだね! お兄ちゃん博士、あったまいーっ! 煙、晴らしちゃうねー!」
ドッパンッ!!
脳天気なチヅルの声に続いた何かを打ち出すような打撃音とともに、立ち込めていた土煙が衝撃波によって一瞬で飛ばされる。
衝撃の余波から顔をかばったアーネストが、再び顔を上げると、そこには虚空に向かってパイルバンカーを放った青い装甲の少女が栗毛色の短い髪をなびかせていた。
FH用試作型近接杭打機、クロスレンジにおける爆発的な破壊力をコンセプトに開発されていたパイルバンカーの試作品。ダッシーラボで開発が頓挫していたものをコッソリ拝借してきたものである。
チヅルが纏うのは青いFBDユニット、背には硬化を解いてはためく青く発光する重力制御マント。
さらに背中の兵装ラックにはショウコと同じように、長身の男性を乗せるために足りない身長を補うためのミサイルポッドが装備されている。
そしてそのフィギュアハーツ少女の後ろには、シルクのパジャマに部屋用スリッパ姿で白衣をはためかせる黒髪に眼鏡の青年が立っていた。
なぜ白衣?
「ニフル博士!!?」
サラーナが今にも駆け出しそうになるが、
――「待ってサラーナ、まだそいつらも信用できませんよぉ?」――
――「くッ……。でもニフル博士なら……きっと……」――
ショウコの制止に迷いながらも止まってくれた。
しかし、そのショウコの横をゆらりとした足取りで、チヅルに向かって歩くロリコンが一人……、
「たいちょう! ステイ!」
「……はっ。俺は、何を……」
「たいちょう! ハウス!」
ショウコの命令でアーネストはそそくさとショウコの背中へと戻った。
実はアーネスト、オンラインゲーム[フィギュアハーツ]でショウコ購入時、チヅルとかなり迷ったのだ。それはもう、胸に手を当て心に問いかけ、股間に手を当て本能に問いかけ、考え! 抜いた! その末にショウコを選んだのである。
ならばあのチヅルの後ろに立つ青年、ニフルは自分が選べなかったもう一人の自分だ。アーネストはそんな思いを込めて視線を投げかける。
「……久しぶりだね、サラーナ。それにショウコ。それからはじめましてアーネスト。僕様がニフルだ」
「はじめましてニフルさん。クランメンバー一覧で名前だけは見かけてたけど、結局一緒に遊んだことは無かったっけ?」
「ああ、だからそんな同士に投げかけるような、熱い視線を受ける覚えはないのだけど……?」
「大丈夫、分かってる」
「何か分かられた!?」
男達が熱い視線を絡ませるが、今はそんなことをしている暇はない。
ハスクバーナがサクサクと話を進めてくれる。
『それで、こんな道のド真ん中でわざわざ止まって、何をしようっていうんだい、ニフル博士?』
「ああまあ、これは僕様の個人的な用事だったんだけどね。サラーナに言いたいことがあるんだ」
「え? ワタシに……?」
――「え? これってもしかして……、ここからは僕様に付いてこい、とか言われちゃうの!? どうしよう今のワタシにはもうアーネスト隊長というパートナーが…………キャーッ/// 二人がワタシをとりあってそんな!? いやん♡ もうワタシのために争わないでーッ///♡」――
――「サラーナ、全部漏れて聞こえちゃってるよ……?」――
――「と言うかこの話の流れだとぉ……、絶対そうはならない気がしますぅ」――
珍しくサラーナが冷静さを欠いて思考通信で考えていることをだだ漏れにし、珍しく二人がまともなことを言った。
ニフルの手がかりだけでも、という思いでここまで来たサラーナにとってまさか本人に会えるとは思ってもいなかった展開であり、冷静でいられないのも無理はない。しかしここまでアレなのは、ひとえにクロッシングによって外付け接続された乙女チック思考回路のせいかもしれない。
サラーナが頬を赤く染めて身体をクネクネさせる様を見て、ニフルは「ちょっと見ないうち気持ち悪くなったな」と一瞬躊躇するもきちんと伝えるべきことを伝える。
「サラーナ、君はこれからアーネストとともに行きなさい」
「……え? ニフル博士……? だってワタシたちずっと一緒だったのに……。それにニフル博士にはワタシが必要なはずでしょ!!?」
サラーナの言葉に、ニフルは首を横に振る。
「君はもう、僕様に縛られる必要はないんだ。ちゃんと言っておかないと君は僕様を探し続けるだろ? だから今回、ここで時間を取らせてもらったんだ。アーネスト、サラーナを頼んだよ」
「うん……いやはい? もちろんそのつもりだけど……」
急に話を振られて、困惑したがアーネストもここでサラーナを手放す気はない。しかし、アーネストに流れ込んでくるサラーナの感情は少し違った。
「イヤよ! ニフル博士も一緒に来ましょう!? ヤシノキラボならきっと受け入れてくれるわ! それで、みんなで一緒に――」
「それは出来ないんだ。それでは最善の未来へとたどり着けない」
「運命なんて!! いくらでも変えてみせる! そう……、そうよこの力で……」
――FH-U SA-01サラーナがクロッシングスキルを使用――
サラーナが自身のクロッシングスキル、触れた人を強制的に恋に落とす能力を発動させ、ニフルへと早足で歩み寄って行く。
しかし、
「ダメだよ、サラーナお姉ちゃん。それじゃあ、誰も幸せにならないの」
チヅルがニフルとの間に立ち、パイルバンカーをサラーナに向けたのだ。
サラーナは一度止まり、チヅルを見下ろす。
「どきなさい、チヅル。あなたの筐体じゃあその武器はもうまともに撃てないはずよ」
その言葉通り、パイルバンカーを構えるチヅルの腕はプルプルと震え、時折小さなスパークも見える。次に撃てば腕ごと吹っ飛びかねない。
「大丈夫だよ? チヅルもお兄ちゃん博士を守る力はあるもん」
そう言ったチヅルの身体が光を帯び、光のシルエットが変化する。まるで魔法少女の変身シーンのようではあったが、変わったのは衣装ではなかった。
「チヅル……!? その姿は……」
驚くサラーナの目の前には、もう小さな少女の姿はなく、数年成長した成人前後のチヅルがいた。もう限界だったはずの腕も回復し、真っ直ぐに力強くパイルバンカーを構えている。
「成長した!? ショウコ様も同じ機能があったりする!?」
「ねえよ!! ですぅ……。あれはチヅルのクロッシングスキル、変身能力ですぅ。一度見たものならなんでも変身可能……、って、あれ? それじゃああの姿はおかしいはず?」
そう、フィギュアハーツは基本的に、一部の例外を除いて成長しないのである。ならば当然、チヅルには成長した姿などあるはずもなく、存在しない、見ることの出来ないものには変身もできないはずなのだ。
「チヅル、まさかその筐体……」
「うん、これはね、チヅルが夢に見た6年後のチヅルの身体」
チヅルはそう言うが、フィギュアハーツの筐体は成長などしない。
そう、一部の例外を除いて。
「サラーナ、その子は本気だよ。チヅルは僕様と同じ時間を生きるために、マリィたちと同じZSシリーズの筐体になったんだ」
ZSシリーズ。マリィやレティアなど型式番号の前にZSが付くフィギュアハーツの筐体である。その大きな特徴は、人と同じように成長すること。そして理論上、老いて、死ぬ。
「そんな……。だってチヅルはワタシたちと同じSAシリーズでしょう? そんな簡単に筐体の変更なんて……」
「ああ、だからその子は結構無茶をしたんだ。僕様と共に生きて、いずれ死ぬために。そして僕様もそれを受け入れた」
それを聞いたサラーナはその場に崩折れる。AIである彼女にも分かってしまったのだ。この二人の関係は、こんなスキルで奪い取って良いようなものではないと。
「大丈夫だよ、サラーナお姉ちゃん。お兄ちゃん博士はチヅルがちゃんと守るから。こう見えてもチヅル、夢を見るのも上手いんだよ」
「うぐ……っ」
チヅルの言葉が、予知夢を見る才能が致命的になかったサラーナに突き刺さる。
「それではアーネスト、あとは頼んだよ。君たちの作戦はうまくいく。僕様が保証しよう」
「バイバイ、お兄ちゃん、お姉ちゃん。また今度遊ぼうねー!」
そう言ってニフルたちは、元の姿に戻ったチヅルの背に掴まって、アーネストたちの来た道の方へと行ってしまった。
残されたのは、わざわざ別れ話を見せつけられるために立ち止まった人々と、振られた上に完全敗北したフィギュアハーツだけだった。
「サラーナ、行くよ? 予知能力者からのお墨付きも貰ったんだ。明るい未来のために立ち上がらなきゃ」
アーネストが言葉をかけるも、サラーナから悲しみや悔しさ、無力感は消えない。
「残念でしたねぇ、サラーナ。二人の男にチヤホヤされる未来がつかめなくてぇ」
ショウコの言葉に、サラーナは顔を真赤にしてバッと立ち上がる。
「ちがっ――」
「何が違ったんですぅ?」
「ぐぬぬ……」
サラーナは言い返せない。よく考えたら、何も違わなかったのだ。
『さて、それじゃあ行くよ。次こそは君たちの本命、アクセリナの下へ』
ハスクバーナの言葉に、一同はまた進み始めた。
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子供たちは目覚め、そして彼らの撤退が始まる
そこはまるで古代の神殿のような場所だった。
今アーネストたちが立っているのは、二体の巨大な女神像に挟まれる形で鎮座する、神々しい意匠の白亜の扉の前である。今にも動き出しそうな女神の石像に見下され、アーネストは警戒を通り越してビビって足がすくみそうだ。
実際アーネストの警戒は正しい。ハスクバーナの案内なしに来て、正常にセキュリティが作動した場合、FBDユニットを装備したフィギュアハーツであっても撤退を余儀なくされただろう。
「あ、アクセリナの部屋とは、ずずずいぶんと違うんだな」
『親の趣味だ』
「ちなみに、わたくしじゃないわよぉん」
言い切ったハスクバーナと否定したミランダいわく、ダッシーの趣味らしい。
その扉が、見た目に反して静かに、そしてゆっくりと開く。
「「「おおぉ……」」」
ヤシノキラボから来た三人がハモったのは、クロッシングの効果だけではない。三人揃ってその荘厳さに圧倒されたのだ。
部屋の中は扉の意匠に勝るとも劣らず、白い大理石の床、等間隔に立つ神殿のような縦線の入った柱、どこかの神話をモチーフにしたらしい壁面の彫刻、天井からは綺羅びやかなシャンデリアが吊るされ、その天井には天使たちが舞う絵が一面に描かれており、一言で言えば眩しい。
「目がチカチカする……」
「これは……、悪質な視界デバフですぅ」
「さすがに子供部屋で、これはやりすぎじゃないかしら」
三者三様のクレームが付いた。
ついでに言えば、宗教に詳しい者が見れば、そのカオスぶりに激怒するか、呆れるであろう。なにせ、世界四大宗教はもちろん、北欧、インド、中国、日本、エジプトなどなど、世界中の神話から荘厳さをコピー&ペーストして一部屋にまとめた様なものだ。博物館のように整理されているならまだしも、こうもゴチャゴチャに混ざると素人でも頭がクラクラしてくる。
『すべての意見に全面的に同意するよ……』
「ほらほら、躊躇う気持ちもわかるけどぉ、時間も押してるんだから行くわよぉん」
ミランダが促すその先には、幾本ものケーブルやチューブの繋がった人間が一人は入れそうな大きさのカプセルが二つ、部屋の奥に設置されている。
今回のアーネストの作戦目標、クロッシングチャイルド専用育成カプセルである。
アーネストたちはミランダに続いて、広い部屋を低速でまっすぐに進む。
「ブリーフィングでヤシノキさんが見せてくれた通りの形だな。ぶっちゃけ違う形の物になってたらお手上げだったよ」
『外観を何かで覆うことは出来るだろうけど、中核となるカプセルの形はあれが最適らしいからね。何でも最初のクロッシングチャイルドであるベルフ姉が生まれた時に七人の博士が総出で作ったって聞いている。そしてあのカプセルは七人の天才が全員揃って開発した唯一の物というだけあって、完成度はツーレッグやフィギュアハーツの筐体よりも高いらしい』
ベルフ姉とは、現在ケンチクリンラボのシステム管理を行っているクロッシングチャイルド、ベルフェゴールのことである。名前のせいか親の育て方のせいか、性格は怠惰。ラボのシステム管理も自身が組んだサブシステムにほとんど任せきりであり、一日中殆ど本当の意味で眠った状態だという話だ。ちなみにもうすぐ二十歳になる彼女は、もうそろそろチャイルドという年齢でも無くなる。
「へぇ……。ああ、だから空間感覚能力を持ってるブンタさんたちが必須の作戦だったのか。そういう風に隠されてても見つけ出せるから!」
「何でたいちょぅは、そういう大事なこと今頃理解するかなぁ……」
「え? ショウコ様は知ってたの!? もしかしてサラーナも?」
「もちろんよ」
「え? え? じゃあラボの外でブンタさんたちと別れた時、もしもカプセルが隠されてたらどうするつもりだったの……?」
「そりゃあ、アタシが推測されたポイントで適当に壁とかぶっ壊してぇ」
「ワタシが瓦礫の中から見つけるつもりだったわ。ショウコの持ってきたホーミングミサイル、トラッカーじゃあ、カプセルやその中にいるアクセリナを傷つけることは出来ないはずだし」
背後で交わされる物騒な会話に、ミランダたちは案内役をやって本当に良かったと思った。
そんなことを話しているうちに、カプセルの前に着いた。
『さあて君たち、お姫様とご対面だ』
ハスクバーナの言葉とともに、二つのカプセルが内部の気圧をプシッと漏らしながら開かれた。現れたのは眠れる二人の子供。
右のカプセルには、今もミランダの方に投影されているハスクバーナの本体。服装こそ清潔感のある白い入院着だが、紫がかった銀髪も、その顔立ちも彼そのものだ。
そして左のカプセルには、同じ入院着に身を包んだ金髪の美幼女、アクセリナが。
「おお! 本物のアクセリナだ! ホントにこの年でこのおっぱいだったんだな。正直、ホログラムで盛ってるのかと思ってた……」
実はアーネスト、なにげに懸念に思っていた。
「この娘はそういうことはしないわよ。そもそも、どっかの誰かと違って盛る必要なんて無いもの」
と、サラーナ。
「誰でしょうねぇ? そんなオッパイ盛っちゃうような可愛いおちゃめさんはぁ」
ショウコはそう言うが、アーネストには覚えがあったが黙っておく。
「…………」
自分のシリコン製一分の一フィギュアの胸部パーツを少し大きい物にした、可愛いおちゃめさんは一体誰だったかな?
『なんでも良いから、とっととやってくれ』
「あ、うん……」
少し焦り始めたハスクバーナに急かされ、アーネストは左のカプセルに近づく。
彼の「やってくれ」の言葉で、ハスクバーナもアーネストがこれから何をやろうとしているのか知っているのだろうと、漠然と推測することが出来た。
なので一応聞いておく。
「君からじゃなくて良いのかい?」
そう、アーネストたちはただアクセリナを連れて帰るために来たわけではない。
『ふんっ。誰が男と接吻などしたがるものか』
「ふふふっ、ハスクちゃんはそのためにこんな手の込んだ事をして、セリナちゃんのパパたちを足止めしたんですものねぇ」
『何度も言うけどね、ママ。彼らがここまで辿り着くと――』
「はいはい分かってますよぉ。ハスクちゃんを目覚めさせない未来の可能性と、アーネスト様のキッスよって目覚めさせられる未来があるのよねぇ」
『危惧しているのは、あくまで前者だけだ。決してファーストキッスがどうとかじゃないからなっ!』
「じゃあ、隊長に目覚めさせてもらう?」
『やめてくださいというか時間も押してるからさっさとやれ!』
気取った感じで可愛げのない男の子だなと思っていたが、案外可愛いところもあるんだなと、ヤシノキラボ組は思った。
「それじゃあ、失礼して……」
アーネストは眠れる金髪幼女にそっと顔を近づけ、その唇に目覚めの口付けをする。さらに舌を入れると、バチィッと今までにないほどの接続刺激が走った。
「「「ッ!!?」」」
クロッシングで繋がったショウコとサラーナにもそれが伝わり、思わず口を抑える。アーネストも一瞬口を離しそうになるも、なんとか堪える。
――不明なデバイスを確認――
――不明なデバイスを確認――
――不明なデバイスとの接続に失敗――
――不明なデバイスとの接続に失敗――
――エラーをHusqvarnaに送信し、今後の問題解決に役立てますか? はい/いいえ――
――「いいえ」――
こうなることはアーネストもヤシノキから聞いていた。もちろんハスクバーナにエラー報告をしても問題解決にはならない。
そしてこの接続失敗をどうにか出来るのは、アーネストだけだということも説明されていた。
――arnestがクロッシングスキルを使用――
――不明なデバイスを確認――
――不明なデバイスを確認――
…………………………………………
…………………………………………
…………………………………………
不安になるような沈黙がしばらく続き……。
――axelinaの直結接続を確認――
――axelinaの直結接続を確認――
――axelinaのクロッシング直結を確認――
――axelinaのクロッシング直結を確認――
――axelinaをaxelinaと同一アカウントと断定――
――axelinaをaxelinaと統合処理――
…………………………………………
――クロッシングパスワードを設定――
――「アクセリナ、起きる時間だよ」――
――クロッシングパスワードを設定完了――
ここでアーネストはアクセリナから顔を離す。今回のパスワードは事前に考えていたので、つまずくことはなかった。
「ぷはっ……」
ヤシノキに適合値の問題は大丈夫だと言われていたので、サラーナのクロッシングスキルは使わなかったが、たぶん上手く行ったはずだ。
『うまく、行ったのか……?』
ハスクバーナの言葉には答えず、アーネストは口にするべきその言葉を発する。
「アクセリナ、起きる時間だよ」
パスワードを唱えたその瞬間、アーネストの中に莫大な量の情報が流れ込んできて、頭痛に頭を抱える。――各所の時刻情報更新――戦況情報――兵器の戦術レート――[PSW]介入規模――戦況予測――各所の時刻情報更新――戦況情報――……
「うくぇふぁっ!!??」
――「うくぇふぁっ!!??」――
アーネストの声と思考が同時に悲鳴を上げる。
――「ショウコ! アーネスト隊長に流れ込んだ情報を削除よ! このままじゃ脳が持たない!」――
――「わ、わかった!」――
二人のフィギュアハーツが必死に流れ込んでくるデータを削除してくれて、アーネストの頭痛はだいぶ楽になる。
――「……え? アーネスト、さん……? ふぇ!? ごめんなさいアクセリナったらお漏らしを……」――
アクセリナが恥ずかしそうに気が付き、データの流入が止まった。
頭痛の収まったアーネストは、どさくさで倒れ込んで思いっきり顔面ダイブしていたアクセリナの胸から顔を離す。ちなみに、めっちゃ柔らかかった。
――「……いや、大丈夫だよ。可愛い女の子のオモラシならむしろご褒美だ」――
――「セリナちゃん、もう一回お漏らししちゃってもいいわよ」――
――「そうですねぇ。たいちょぅの脳ミソは一回沸騰させて消毒しとくくらいが、ちょうど良いかもしれないですぅ」――
――「ちょッ!? やめて! あれほんとに死ぬほど痛いから!! なんでもしますから! それだけは!!」――
――「たいちょぅ、なんでもって言いましたねぇ?」――
なんでもって言わなくてもアーネストはショウコの命令にはなんでも従うので、その言葉にあまり意味は無いかもしれない。
思考通信での騒がしいやり取りを聞きながら、アクセリナは自分と繋がる意思をはっきりと認識し始める。
――「アーネストさん、ショウコ……。それにサラーナも……。それじゃあ、成功……したんですね……? あ、ホントだ。ハスク兄さんの理論の通り、クロッシングチャイルドは生身の人間のアカウントと人工知能としての電子的アカウントが混在してたんですね。これのせいで普通のクロッシングは受け付けなかったのですか。ログにもちゃんとアクセリナが二人分あります! それにアカウント統合処理もされてます! すごい! すごいです! これがマルチクロッシング!」――
――「アクセリナも知ってたんだな」――
マルチクロッシングについては、アーネストのクロッシングスキルが判明する前に拉致されたため、アクセリナは知っているはずが無いのだが。
――「はい。ニフル博士から聞いています。……ちょっと待って下さいね。こっちの演算ももうすぐ終わり…………ました。今、アーネストさんの中から、体を動かすためのデバイスドライバ的な神経モジュールをコピーさせてもらいます……」――
アーネストの脳内がアクセリナにスキャンされ、必要な人体の構造データがコピーされていく。
『上手く行ったみたいだな。アクセリナがこっちのサーバーから強制ログアウトさせられた』
「そういえば、アクセリナちゃんは何の演算をしてたんですかぁ? 戦況がどうとか、戦術レートがどうとかってチラホラ見えましたけど?」
『そうだ! 演算中だったはずだ……。いや、演算は終了してる……って、結果の送信を忘れてるじゃないか!!?』
「そうだハスク兄さん! 演算結果送信し忘れました!!」
瞬間、アクセリナが目をカッと開き、ガバッと起き上がった!
ゴチンッ!
「ふごっ!?」
彼女を覗き込んでいたアーネストの額に思いっきりヘッドバットが決まった。頭を抑えて痛みに悶える者が四人。こういう時、一応安全装置は付いているもののクロッシングも不便である。
「イタタタ……。あはっ。これが本物の痛み……あはは! すごい! 動きます! 体、動きます! あははははっ!!」
嬉しくなってアーネストに抱きつくアクセリナ。
それをポンポンと背中を軽く叩いて受け入れるアーネスト。
「おはよう、アクセリナ」
「おはようございます。アーネストさん、暖かいです……」
少しの間アクセリナは、アーネストの温もりを感じる。
『ふむ、健康状態にも問題なさそうだな。筋肉の方も普通に動ける程度に成長してるみたいだ。さすがは七博士のカプセルと言った所か』
さらに言えば声帯や鼓膜なども、完璧に機能している。まるで目覚めることを前提としてカプセルが設計されていたかのごとく。
「ハスク兄さん、すぐにデータを!」
『ああ、頼む』
すぐにカプセルから出て、ふらつくアクセリナをアーネストが支える。
「おっと!」
「ふぁ!? 大丈夫です。……すぐに最適化します」
驚くべきことにアクセリナは赤いフカフカのカーペットの敷かれた床を、次の一歩からは何の危なげもなく歩いてみせた。
そうして一同が見守る中、隣のカプセルに辿り着くと、眠っているハスクバーナへ顔を近づけ――何かを思い出したように一旦止まる。
「あ、そうでした。クロッシングは解除しちゃいますね。どの道、詳細がわからないクロッシングスキルは危なくて使えませんし」
「ああ、分かった」
アクセリナとクロッシングをつないだ今、アーネストには新しいスキルを得ていた。しかもなんとアクセリナは二つのクロッシングスキルを持っていたのだ。
しかしこれを消すことも事前に決まっていたのだ。その事についても、アーネストは内心勿体ないと思いつつも理解している。
ヤシノキの授業によると、クロッシングスキルの中には詳細を知らずに使用すると危険な物も多数あるらしい。具体例をあげると、体が爆発したり、内臓器官が鉱物化したり、突然消えて戻ってこなくなったり……。
アクセリナのスキルが、両親からそのまま引き継いだ能力なのか、あるいは全く別の能力なのかは、ヤシノキの分析が無い今はわからない。不用意に使わないように消去しておくに越したことはないのだ。
――axelinaのクロッシング契約破棄を承認しますか? はい/いいえ――
――「はい」――
――関連ファイルをアンインストール完了――
アーネストのクロッシングスキルフォルダから、何が起こるかわからないアクセリナのクロッシングスキル二つが削除された。
そしてアーネストの支えを必要としなくなった少女は、隣の眠れる少年と口付けを交わす。
アクセリナからデータを貰って目覚めたハスクバーナは、ヒョイとカプセルから出ると、すぐにミランダに乗る。今度は肩に乗るのではなく、アーネストたちと同じように硬化させた重力制御マント乗り、ワイヤーで身体を固定する。
「ハスク……兄さん……。あとは、頼みました……」
「ああ、お前はもう休め」
ハスクバーナの言葉を聞くと、すでに船を漕ぎ始めていたアクセリナがフラリと倒れるように眠ってしまった。
「危ないっ……と」
咄嗟に近くにいたサラーナが受け止める。
どうやら脳を酷使しすぎて、疲れて眠ってしまったようだ。
「まったく、あの規模の演算をこなしたあとに、運動神経系ファイルの最適化までやってのけるとか、大した妹だよ。ちゃっかり[aracyan37粒子]の操作権限をセリナの方が上位に設定されたくらいは、まあ、大目に見てやるさ」
ハスクバーナはアクセリナに安心と感謝の混ざった視線を送ると、次にアーネストへ視線を移す。
「アーネスト、アクセリナを頼む。無事にヤシノキラボまで送ってやってくれ」
「おう、任せとけ。平和になったら遊びに来いよ。アクセリナも喜ぶだろ」
「そうだな……。わかった。落ち着いたら行くよ。じゃあな!」
そう言ってハスクバーナは前を向き、ミランダとともに行ってしまった。
この時アーネストたちは、てっきりハスクバーナはダッシーの下へ向かったと思っていた。クロッシングチャイルドが、息子が目覚めればダッシーとイトショウが世界征服をする理由はなくなり、戦争は終わるはずなのだ。
しかしまたアクセリナが眠ってしまった今、アーネストたちは知る由もなかった。彼らの目的は別にあるということを。
「さて、ワタシたちもさっさとずらかりましょう。これから平和になるにしても、今はまだダッシーラボとは敵対関係よ。面倒なことになる前に帰りましょうか」
「だな」
「ですねぇ」
眠ってしまったアクセリナをサラーナの背にマントとワイヤーでうまく固定し、もと来た道を戻っていく。
ふと、ショウコの背でマップを見ながら進んでいたアーネストは思いついた。
「なあ、この先の部屋を突っ切って行けばかなりショートカットできないか? 大きさ的に格納庫か何かだと思うんだけど」
来た時に大きく迂回した部屋を指して提案した。反対側へと去ったハスクバーナが、ダッシーの元へ向かったと思い込んでいたがゆえの判断だ。
その部屋はサッカーコート六つ分はありそうな大きな部屋で、周りに幾つか小さな部屋がくっついている形だった。構造的に格納庫の可能性が高い。
「そうね……。ブンタペアがどうなってるかも心配だし、早いに越したことはないわね」
「アタシもサラーナに賛成ですぅ。早く帰ってプチショウコのプログラミングしたくなってきましたぁ」
「あ、俺も! それ俺も手伝います!」
「それじゃあ決まりね!」
通路が扉の前で突き当たり、その扉を意気揚々と開き三人は中に入る。
パンッパンッパンッパンッパンッパンッ――
「湯気? 視界が悪いな……」
呟いたアーネストタたちの目の前は白い湯気で見通しが悪い。
パンッパンッパンッパンッパンッパンッ――
空気は生暖かく、パンパンという妙な音が聞こえる。
「もしかしてここって……」
パンッパンッパンッパンッパンッパンッ――
「めちゃくちゃ広い、お風呂ですぅ?」
そうここはダッシーラボの地下入浴施設。大部屋は大浴場、そこに付属した小さな部屋はサウナや更衣室であった。
パンッパンッパンッパンッパンッパンッ――
今しがた入ってきた扉から湯気が出て行き、空気が流れて視界がにわかに晴れてくる。
それと同時に、声が聞こえてくる。
「あっ、あっ、あっ、あん! ダッシー、博士! そこ! イイ!」
パンッパンッパンッパンッパンッパンッ――
「ここかえ? リリ? この角度かえ? こっちもどうかえ?」
パンッパンッパンッパンッパンッパンッ――
「んっ! ふぁ!? そこも! そこもイイ! 博士! ダッシー、博士は! リリのことっ! どれくらい! 好きッ!?」
パンッパンッパンッパンッパンッパンッ――
「ぎょうさん、しゅきっ……」
湯気が晴れてきて顕になったのは、二人の人影。
一人は四つん這いの犬のような姿勢でお尻を突き出す、ピンクの髪のツインテールが特徴的な、青い瞳のスレンダー少女(全裸)。
フィギュアハーツ、ユータラスモデル SA-05 リリ。アイドルのような振る舞いをする明るい性格の少女AIキャラクター。何事も真剣に取り組み、フィギュアハーツの試合でも好成績を残すことが多かった。アイドル性の高いサラーナをライバル視しているフシがあることは、アーネストも知っている。
もう一人は、そのリリの臀部に腰を打ち付けている大人びた身体つきの黒髪ロングの女性(全裸)。腰を打ち付けるたびに、大き目な胸がプルンプルンと揺れている。
リリからダッシー博士と呼ばれていたが、アーネストの知るダッシーは男だったはずである。
どういうことだと目を凝らすと、そのダッシーと目が合った。
ちょうど背後位からキスをするために、顔を近づけたタイミングだった。
「「あ……」」
「「「あ……」」」
しばしの沈黙……
リリの形の良い臀部からチュポンッと、ダッシーの生ウィンナーが抜けた。
…………………………………………
「侵入者や!! ひっ捕らえッ!!!」
「リリ狩る! マジ狩る! ぶっ殺す!!」
先に沈黙を破ったのはダッシーたちだった。
「てっ、撤退ぃぃッ!!」
アーネストが叫んだのが先か、サラーナとショウコがもと来た扉から飛び出すのが先か、大慌てで逃げ出した。
このまま大人しく捕まったとしても、事情を話せば命までは取られないだろう。
しかし、アーネストはダッシーのそそり立つ生ウィンナーを見た瞬間に、直感した。「捕まったら、ヤられる……!!」と。
「と言うかあれは何なんだ!? ダッシーさんって男じゃなかったのか!? 確かに生えてたけど! 生えてたけど!!?」
「すす、少し落ちちちち付いて、たいちょぅ。……ふぅ、サラーナが冷静で助かりましたぁ。……うちのラボのジジイだってあんななりですぅ。ふたなりくらいどうってことないでしょぅ?」
「ふたなり!!?」
「ええ、そういえば誰かが研究してるとは聞いていたけど、まさか成功してるとは思わなかったわ……。いえ、なるほど……、それであの大の男好きのミランダが別れたのね……」
さすがは不測の事態への対応が得意な、初心者向けフィギュアハーツ。すぐに平静を取り戻し戦闘モードになったサラーナが冷静に事態と変態を分析してくれる。
続いて冷静さを取り戻したショウコも、戦闘モード並行する。
「そうだっ。さっきのってリリだったよな!? てことはスキルは目視した物質のポイントロック! たいちょう! 服とかどっかに赤い点が付いてたりしないか!?」
アーネストが視線を巡らせると、それはすぐに見つかった。
「あった! 俺の服の肩に何かついてる!! それから、サラーナのアサルトライフルに!!」
アーネストの言葉で迷うこと無くサラーナはライフルを捨てる。
「たいちょう! 脱げッ!」
こうしてアーネストたちの戦略的撤退が始まった!
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サイドF&R:フィリステルペアVSブンタペア
時間は少し戻り、アーネストたちが到着した頃。その地下深く。
「えっと、このあたりかな~?」
「みたいね。時間は……五分前。ちょっと早いくらいの時間ね」
コンクリート製の壁と床そして天井の続く地下通路に、武装したフィリステルとロザリスは居た。ここはダッシーラボで外部との補給などで使われる通路の一つであり、広さは車一台分程度で地上から四〇〇メートルほどの深さを一直線に走っている。このまま数十キロメートルも進めば荷物や郵便物を受け取ったりするセーフハウスや、大型の物資を搬入する倉庫に繋がる。今回の目的地はその通路の途中。
今ロザリスが見上げている天井に、ポッカリと地上へと続く縦穴のある場所。
山一つをまるまるくり抜いて作られたダッシーラボの、その地下に広がる施設群からは五キロメートルちょっと離れた位置で、武装してからロザリスに乗ってきたのだが少し早く着いてしまったようだ。
フィリステルはいつもの黒いレザースーツに、サブマシンガン二丁と大小何本ものナイフ。
ロザリスは黒と紫を基調としたFBDユニット。少ない装甲と標準的なスラスター、頭部には猫耳型の拡張センサーヘッドセット。事前情報では来ないとは聞いているが一応ミゾを警戒してスナイパーライフルが右背部兵装ラックにセットされている。
FH用狙撃銃ジャッジメント、軽量、長射程が特徴のボルトアクション式スナイパーライフル。威力こそ低いが小口径故に持てる弾数は多く、牽制用であれば最適と判断した。
そして入念に調整、強化された触手ユニットも装備してきている。
『フィリステルたちは着いたみたいだね。ニフル博士の方は、ちゃんと見えそうかな?』
今回の作戦指揮をとっているハスクバーナから通信が入り、現状確認をする。ここ数日ですっかり聞き慣れた浮ついた感じの声である。もうすぐ悲願が叶うのだから無理もないと思う。
そして今回フィリステルと共同戦線を張るニフルは現在、ダッシーラボの頂上付近の山肌から偵察中だ。
『ああ見えた。夢の通りの位置、そして顔ぶれだ。それにしても、よくこんな都合のいい場所があったな』
偵察とは言うが、実際には彼らは夢の通りに動いているだけで、ニフルいわく過去の自分達に見せるため、らしい。理解し難い。
ニフルからライブ映像を受信し、フィリステルは自分の直上四〇〇メートルの森の中の状況を把握する。
夜でもくっきり見える映像には針葉樹林の中で野戦服にプロテクターを付けた男性と、武装をチェックするフィギュアハーツと思われる青いFBDユニット姿が二つ。少し離れてその武装をどこからともなく出している緑の装甲のフィギュアハーツ、そして黒のシルクハットとタキシード姿のステッキを持った男性。アーネスト、ショウコ、サラーナと、シンディア、そしてブンタである。
『地下通路を作る時の中継点だったんだよ。だからフィリステルたちの真上に避難用の縦穴があって、その周辺は木が伐採されて空地になってる。それが丁度良く彼らの着地地点になったんだろうね』
『なるほどな……。まあ、少し早いがあとはフィリステルの好きなタイミングで仕掛けてくれ。僕様は次のポイントに向かう』
フィリステルの視界端に表示されたニフルのマーカーが移動を開始した。この機能があれば、今日ニフルが行うはずの昔の友達との再会にも便乗して、フィリステルの会いたかった人物にも会えるはずなのである。ただしその代償として、今回の面倒事を引き受ける羽目になったのだが。
「了解~」
「移動されても面倒だし、とっととやっちゃいましょう」
――FH-U CA-01ロザリスがクロッシングスキルを使用――
さっそくロザリスは思考加速スキルを発動し、触手ユニットを起動させる。二つの時間の感覚が彼女たちの中で混在するが、この感覚にはすでに訓練で慣れている。
スルスルと二本の触手を縦穴へと通し、ブンタとシンディアの感知スキルの範囲ギリギリの所に先端を固定する。
一応、簡単な作戦プランを思考通信で共有しておく。
――「ちょっと長くなるかもしれないから、RAシールドは温存してね~」――
――「わかったわ。目的はブンタとシンディアの足止めだけど、アーネストたちからの横ヤリにも注意していくわよ」――
――「そうだね~。アネさんたちには早いとこラボに行ってもらえると、助かるんだけどな~」――
――「それじゃあ、行くわよ!」――
ロザリスは触手を螺旋状に展開し蕾のようにフィリステルと自分をまとめて覆う。
それから重力制御マントで反重力を作り、一気にスラスターを噴射して飛び立つと同時に、触手を巻き取るようにして縮め縦穴を高速で上っていく。
あっという間に触手が収縮を終えると、スラスターをさらに吹かして加速!
――「もう気取られたかな~?」――
――「でしょうね。出口を突き破るわ!」――
ブンタたちとの距離はすでに三〇〇メートルを切り、敵の手中も同然。相手が対応を思考する数秒で形勢を有利なものにしなければならない。
そう考えながら、縦穴の出口のハッチへ突撃する!
フィリステルがロザリスの肩の搭乗用グリップを握りしめると、すぐさま衝撃!
外へ出た瞬間ロザリスが触手を一気に広く展開!
突如現れた触手の波が森の木々を薙ぎ倒し、あるいは巻き込みながら、アーネストたちとブンタペアを分断するように高さ一〇メートル、全長五〇〇メートルもの壁を形成した。その中央の壁上に、螺旋状の触手の蕾が鎮座する。
蕾が花開く頃にはフィリステルはロザリスから降り、ホルスターからサブマシンガンを抜き、背中合わせで目の前の敵と相対する。
「ようこそ~! 侵入者さん~」
「フィリさん!? どうしてこんなに早く……!?」
フィリステルはアーネストたちを、ロザリスはブンタペアを見下ろす形である。
「侵入早々悪いのだけど、そこの変態紳士とその奥様はお呼びじゃないので、ラボには行かせないわよ!」
「吾輩も嫌われたものであるな。しかし! ここまで来て娘のために何も出来なかったなど紳士の名折れ! 力ずくで押し通らせてもらうぞ!」
ブンタとシンディアが銃を構えた。
ラボ側を向くフィリステルの目の前でも、サラーナとショウコがアーネストを庇うように立ってアサルトライフルとガトリングガンを構える。
「俺たちも突破の援護を!」
「構わん! 行け! ここは吾輩たちが自力で突破する!」
壁越しにアーネストへと叫びながらブンタとシンディアが左右に別れ壁の端それぞれに疾走し、それをロザリスが触手で壁の突破を阻む。スラスターで高速移動が可能なシンディアへ触手を集中させ、ブンタへの対処が薄くなる。
臨戦態勢となり、フィリステルもロザリスのスキルを発動。思考を加速させる。
――fyristelがFH-U CA-01ロザリスのクロッシングスキルを使用――
フィリステルは振り返るように半身になってブンタへ右手のサブマシンガンで銃撃を仕掛け、あえてアーネストたちから対面を外しスキを見せ、しかしそれでいて眼球運動のみでアーネストたちを警戒する。
アーネストたちは実時間で数秒迷う素振りを見せるも、ブンタの指示に従ってラボへと向かって行ってくれた。
――「おっけ~、アネさんたちラボに向かってくれたよ~」――
――「それじゃあ、ここからが本番ね!」――
瞬間! 二人の意志が、感覚が、感情が、思考が、深く繋がる……深く重なる。二人のクロッシングを結ぶ[aracyan37粒子]すらも感じ取れそうなほどのシンクロ。それはもう歯車が噛み合うなどという次元ではなく、二つの渦が重なるような、一歩間違えば精神その物が壊れるほどの精神練和。
グランとマリィでは辿り着くことのできなかった、高深度のクロッシング領域。
フィリステルとロザリスは思考加速という能力を活用して、その領域へと精神を完全には混ぜ合わせないままに到達していた。
――「それじゃあボクも、久々に戦闘モードかな~」――
戦闘モード、それは今でこそフィギュアハーツのAIに標準装備された疑似思考加速システム。しかしその技術の大本はロザリスのクロッシングスキルである思考加速。所詮、標準装備化されたそれは劣化コピーでしかない。
ならばフィリステルとロザリスの戦闘モードとは――。
――「殺さないようにね」――
――「うん、アクセリナちゃんが悲しむからね~」――
フィリステル=壁の上から一見無造作に落下――サブマシンガンをホルスターへ戻す――壁からブンタへ向けて伸ばされた何本ものうごめく触手/掴んで身を翻す/そこにあるのが当然のように蹴る/柔らかく体を押される/綱渡りのように駆け抜ける――左手でナイフを抜刀――最短ルートを最適な運動エネルギーで持って踏破し――ブンタへ肉薄。
「な――」
「何!?」の「な」を半分発音したかしないか――何を言いたいのかは表情を見れば明白――ブンタ=驚愕の表情。
――「腕一本いただき~」――
まさに問答の間すらもない問答無用――たまたま近くに見えたブンタの左腕を切り飛ばそうと腕を引いた――しかし腕に込めた力を斬撃にする直前で軌道変更/突如頭上の死角に現れた十字架の如きシンプルな剣×二――身を捻るように機動変更――自分の頭上を一閃――カッ、カッ/金属を弾く音――彼女を貫かんと落下してきていた剣×二=ナイフで正確に弾いた。右手を地面へ――ブレイクダンスの要領で体勢を立て直す。
フィリステルだけの感覚器官では不可能な曲芸じみた挙動/壁上のロザリスの視点からは全て見えていた=フィリステルも全て見ていた。
「ブンタにはアプローチさせないヨ!」
どちらともなく聞き取ったシンディアの声/脳内OSによって思考加速した状態でも聞き取れるように処理されたもの。
シンディア=針葉樹の森の中を踊るように飛び回る緑色のFBDユニット/風で荒ぶる金髪をなびかせた美女――木々を巧みに使いながら壁から伸びてくる触手をスラスターで回避――アサルトライフルで牽制――触手の壁の端を目指す/同時にブンタの援護。
――「剣はシンディアの仕業だったみたいね~。私たちには到底及ばないけれど、フィギュアハーツの戦闘モードも馬鹿にできないわ~」――
壁の上のロザリス=まさに高みの見物=冷静な分析&実況&触手ユニットの操作/時々ジャッジメントでの牽制狙撃――狙撃は当然のように弾丸を転送され無効に。フィリステルとの深いクロッシングにより口調が変化している。
フィリステル=ブンタを追撃しようと追いすがる――しかし更に連続して現れるシンディアの剣×二/剣×二/剣×二――ナイフで弾く/バックステップで回避/現れた瞬間に触手で薙ぎ払う。付近に同じデザインの剣×八が散らかる。
結局ブンタに一〇メートル以上の距離を取られてしまう。
ブンタのアサルトライフルがフィリステルを捉える/発砲×三/発砲×三/発砲×三――迫り来る三点バースト×三=九発の弾丸――全て触手が盾となってガードする。
一瞬で判断ミスを悟る/ブンタから視線を外すべきではなかった/壁上のロザリスからは木々に阻まれてブンタは見えず――次の一瞬で何が起こるか分からない!
視線を巡らせる――異変はすぐに見つかる。
「「やってくれる!」」
二人同時、思わず言葉が口をついて出た/実際は早口で聞き取れたのはフィリステルとロザリスだけ。
異変=夜明け前の空/ロザリスの頭上/一面のハンドグレネード。
触手で薙ぎ払おうとする――しかしその一つに当った瞬間/閃光&電子機器を狂わせる磁気の嵐&通信を阻害するチャフ粒子を散布――頭上に伸ばした触手が機能を停止させられ力なく落ちていく。
――EMPグレネード!?
ロザリス=すぐさま頭上のENPグレネードに対処/何本も触手を犠牲にしながら――一瞬で目算=間に合わない!
ふと木々の間からシンディアの変化に気づく。
――「あっちも何かヤバイ!!?」――
シンディアの背部ラック/装備が追加/黄色の縁取りの白い箱型×二――兵装機種判別。
FH用光学誘導弾インツェギトーレ――左右合計一〇発のホーミングレーザーを扇状に同時発射する光学兵器――一射での火力が非常に高い/特に対RAシールドで抜群の効果を発揮。
シンディアの背から光線が発射×一〇/まるで半円の花火のよう――木々の上を弧線を描いて一点へ光の速さで収束=触手の壁中央付近に着弾。
ジュパァン! ――肉を焼いたような匂いと高温で瞬時に蒸発した水分が蒸気となって周辺に広がる。
壁に穴を開けられた!
更にその穴を駆け抜けていく人影/特徴的なシルクハット/タキシード/ステッキ――シルエットだけでブンタだと分かる。
――「一人抜けられちゃったか~」――
フィリステルの思考通信――同時にロザリスの意識を自分の中に引っ張り込む/抱き込むような感覚。
パパパパパパパパパパパ――…………
上空一〇メートル付近で無数のEMPグレネードの一斉爆発――夜空がにわかに明るくなる/広範囲に磁気の嵐が広がる――周辺一帯に通信障害発生――ロザリスの筐体が機能停止――再起動開始――ロザリスの意識を筐体へ返す。
――「ありがと~。助かったわ~」――
再起動までコンマ一秒以下のクイックリブート/思考加速&高深度クロッシングによる秘技/シンディアたちにとっては予想外のはず。
多少痺れは残るが問題なし――シンディアの二射目を確認――破壊力を秘めた光の花、第二弾。シンディア=自分が抜けるための穴を壁に製作予定。
――FH-U CA-01ロザリスがfyristelのクロッシングスキルを使用――
ロザリスが触手ごと透明になる/光を透過/熱を透過――インツェギトーレの光線によるダメージ=なし。壁に穴は穿たれず――反対側の針葉樹を数本焼いた。
シンディア=驚愕に一瞬足を止めてしまう。
――「最初からこうすればよかったのよ~」――
――「いやいや、最初からこっちを狙ってたんでしょ~?」――
ロザリス経由でフィリステルが触手を操作――シンディアの無防備な右脚に巻き付く。
――「つ・か・ま・え・た~!」――
触手に気付いたシンディア――慌てて自分の右手に剣を転送/右脚の触手を切断――左腕に巻き付く/切断される――胴に巻き付く/切断しきれずに刃が止まる――右腕に巻き付く/締め上げて剣を落とす――左右の脚に巻き付く/触手を切るため虚空に剣×四/こともなげに別の触手が薙ぎ払う――左腕に巻き付く――首に巻き付く――あっという間に自由を奪う。
――「なるほど、その手があったわね~」――
フィリステルの即興の作戦/察する/共有する/理解する/最適な行動を開始。
ロザリス=透明な触手の壁を解く――質量は変えないままにシンディアを捉えた地点へ移動/木々がなぎ倒される――フィリステルを触手で巻取り同じ位置へ――シンディアと自分達を触手で囲む/さらに編むように再形成――樹林の真ん中に見えない触手のドームが完成。
――fyristelがクロッシングスキルを使用――
慌てて走って戻ってくるタキシード男=ブンタ――彼に向けてニヤリと笑みを残して自身もスキルによって姿を消す/もちろんブンタには姿を消そうが位置はバレている=ただの挑発。
高深度クロッシング――解除/通常深度へ。
フィリステルの思考加速――解除。
「ふぅ、なんとかいい状況に持ってこれたかな~」
フィリステルはシンディアから数歩離れた場所で、触手の椅子に腰を下ろし一息つく。
表情こそ余裕が見て取れるが、内心は、
――「たっは~。頭痛ひどいわ~」――
脳を酷使しすぎた代償の頭痛に必死に堪えている。思考加速自体はスキルによるもので負荷はほとんどないが、たった五分ほどではあるが高深度クロッシングと、一瞬とは言えロザリスの人格データや再起動に必要なメモリーバックアップを脳にブチ込んだのだ、代償としては安く済んだ方だ。鼻血でも出ているのか、鼻の奥にツンとした感覚もある。
――「しばらくは私が見ててあげるから、少し休みなさいな」――
ラザリスはドームの天井から触手でぶら下がり、シンディアとフィリステルを見下ろすような位置にいる。
「さてせっかくだし、少し遊びましょうか。貴方たちが盛大にENPを使ってくれたおかげで、この辺はしばらく通信も使えなくなったことだし」
「そうだね~。せっかく普段はあまり触れない大きめおっぱいもあることだしね~」
二人の視線が四肢と胴、首に触手を巻きつけられて身動きが取れないシンディアに集まる。
「何ネ? ユーたちとっととミーをキルしないのカ?」
「そんなことしないよ~。言ったでしょ~? ボクらの目的は君たちを行かせないこと~」
「殺す気なんてはなからないわ。まあ、必要なら手足の一本二本は切り取るつもりではあったけど。……あら、そういえばこれは邪魔ね」
ロザリスはそう言うとシンディアへ触手を伸ばす。
触手は背部の箱型のインツェギトーレと、腰部、肩部のスラスターと重力制御マントに巻き付き、
「えい!」
ベキッバキッ!
「クッ……!」
機動力と攻撃力を奪われ、パイロットスーツと幾つかの装甲のみになったシンディアは、悔しそうな表情を浮かべた。その表情を見て軽く考察する。
「ふむ、このドームの中ってロザリスの体内って条件付けになるのかな~? 自分の手元として認識できないから、ここの中には剣とか転送できないみたいだね~」
不利を見破られ、シンディアは更に悔しそうな顔になる。
ドームの外ではブンタが到着し、必死に触手へ剣を振るうが多少の傷程度なら数秒で再生してしまうため、中には入ってこれないでいる。その姿もドーム自体が透明なのでよく見える。
そして触手自体が透過能力を持っているため、外からは中の様子は見えないが、中からは外の様子が見えるというマジックミラーのような状態である。
「それから、こうすれば外のうるさい紳士も少しはおとなしくなるかしら?」
ロザリスは次に独特な形状の触手をシンディアに向けた。そしてその先端から白濁の粘液が、ピュッピュッと吹き出す。以前も使った媚薬である。
シンディアの顔、胸、下腹部に粘液が付着した。
「プ……ッ。そんなものはもう効果ナッシングネ」
少し口に入ってしまったらしい媚薬を吐き捨てるだけで、言う通り効果はないようだ。
「流石に媚薬には、対応してきてるみたいだね~」
「ふふふ、それじゃあ、こっちの攻撃はどうかしら?」
ロザリスは更に触手をうねらせながら、シンディアの大きめな胸部や耳、首筋をやさしく責め立てる。
フィギュアハーツはクロッシングスキルを使用する関係上、人工子宮、及び人工精巣と関連する接続をカット出来ない。その為、大抵の痛覚のカットは出来るが性感的刺激をカットすることが出来ないのである。
「くふ……ふあッ、そ、そんなの全然……効かないヨ!」
「こんなのは序の口よ。いつまで耐えられるかしらね!」
シンディアには視覚的に何が起きているのかは見えない。しかし、クロッシングスキルによって感知できてしまうのだ。自分が今、どんな形状の触手たちに囲まれているのかを。
「ンンッ……/// 触手なんかに、負けないネッ!!」
夜明け前、官能の夜が始まる。朝日はもうしばらくは上ってきそうにない。
どれくらいそうしていたか。
シンディアは息も絶え絶え、ビクンビクンと痙攣している。
「ふふふふ……、もう何回イッたかも数えられないみたいね。でも、まだまだ終わらないわよぉ……」
楽しそうなロザリス。しかし、シンディアの表情が不敵に歪む。
「アハハハハッ! ノー、ロザリス。……ハァ、ハァ……、これでエンドネ。……ブンタは、第一一四五一四番倉庫を……開ける気になった……ヨ」
一瞬シンディアが気でも狂ったのかと思ったが、外のブンタの様子の変化にも気が付く。先程まで銃器や爆発物で触手のドームに攻撃していたのだが、それが大人しくなっているのだ。
「はて~? 第一一四五一四番倉庫……?」
だいぶ回復したフィリステルが記憶を漁るも、その単語に聞き覚えはない。
そしてブンタは、呪文のように何かをブツブツと呟き始める。
(体は英国で出来ている)
それは封印された倉庫を開けるパスワード。
(血潮は紅茶で心は騎士)
その場所を、その中身を思い出すための記憶の鍵。
(幾度の試験を超えず挫折)
否、彼は忘れたことなど一度としてなく、スキルでの使用を封印していた。
(ただの一度の実戦もなく)
その兵器は長い間使用されなかった。
(ただの一度も理解されない)
理解する者すらいなかった。
(担い手はここに独り)
ただ独り、この男を除いては……。
(砂の丘で火薬を詰める)
かつて使用されなかったその兵器は、現代の科学によって完成した。
(ならば我が生涯に意味は不要ず)
それは夢想の勝利を描いた兵器。
(この体は、)
かつて失敗兵器と呼ばれた、
(無限のパンジャンドラムで出来ていた)
その完成形の陸上機雷!
「知るがいい! 小娘共! これが吾輩(英国)の無念! これが吾輩(英国)の理想ッ! これが吾輩(英国)の、意地であるッ!!」
その叫びとともに、針葉樹林の中に触手のドームを囲むようにいくつものボビン型の物体が現れた。
二つの車輪を持ったそれは、中央に炸薬を詰め込んだだけの簡単な作りながら、そのシンプルさ故に高速移動を可能とする。
すぐにいくつかの爆発音がドームの中にも響いてくる。
「パンジャンドラムか~ これはまた古風というか、旧英国としては無かった事にしたい兵器だろうに~」
「言ってる場合じゃないわ! 速くて触手で払いきれない! それに熱で触手の再生速度が鈍ってる! このままじゃ崩されるわよ!」
「というか、これだとシンディアも道連れでは~?」
振り返ったフィリステルが見たのは、シンディアの変わらぬ不敵な笑み。
「これならどうネッ!!」
直上で大きな爆発!
「キャッ!?」
衝撃で天井から吊られていた触手が切れロザリスが落下し、触手の床に叩きつけられる。
複数のパンジャンドラムを直接転送投下したと推測。
ドームの天井に大きな穴が空いた。そしてすかさず降ってくる何本もの剣
――fyristelがFH-U CA-01ロザリスのクロッシングスキルを使用――
スローモーションの中、サブマシンガンを抜く! シンディアに巻き付いた触手を切るために落ちてくる剣を弾くために発砲!
何本かは撃ち落としたが、大半が素通り。
トトトトトト――
雨のように剣が降り注ぎ、シンディアの姿が隠れる。
そして無数の剣がフッと消えた時、そこには正確に触手だけを切り裂き、自由の身となったシンディアが二本の剣を両手に持って立っていた。シンディアが何かを言っている?
思考加速の中で口の動きはずれていたが、補正がかかって言っていることは聞き取れる。
「ユーたちはよくやったヨ……。でも、まだまだリトルガールだったってことネ!!」
言葉が終わった所でシンディアが一気に距離を詰めてくる!
思考を加速していても早いと思えるほどの速度に、サブマシンガンを捨てナイフを両手で持って迎え撃つ!
よく見るとスラスターが再転送されている。ドームに穴が空いたことが原因か、あるいは触手の接続が切れたためか、ロザリスの体内という条件が消えたようだ。
――「ロザリスッ!!」――
一合! 二合! すれ違いざまに刃を合わせるが、シンディアはそれだけで振り返っての追撃はせずに、地上の爆発によって触手のドームの一部に空いた穴の方、ブンタの方へと飛んでいってしまう。
――「チッ、逃さないわよ!」――
飛んでいくシンディアの右足と左腰部スラスターに触手が巻き付く。
今度はスラスターを接続部ごと破壊し、脚に巻きつけた触手をしならせてドームの壁へとシンディアを叩きつける。
「ガッハァッ」
更に運悪く叩きつけられた壁が外側から爆破され、シンディアの体がボロ雑巾のように床に転がった。
――「フィリス!!」――
フィリステルにロザリスが覆いかぶさり、さらにその周りを小さくなった触手のドームが何重にも覆う。更にRAシールドも展開し、即席の防御態勢になる。
幾つもの爆発が二人のドームを襲った。
透明な触手の外を見ると、ブンタがシンディアを背負って爆発圏内から脱出しようとしていた。シルクハットはすでに飛ばされ、スラックスの股間部分がカピカピになって濡れているのは、先程までシンディアを攻めていたのがクロッシングでブンタにも伝わっていたせいである。
――「あの変態紳士ッ! ヤツだけは許さない!!」――
ロザリスが激高し、生き残った触手が一本、ブンタの脚に巻き付く。
咄嗟にブンタはシンディアを爆発から遠ざけるように押し飛ばし、触手への対処が遅れる。
「ブンタァッ!!」
絶望的なシンディアの叫び。
ブンタは今もなおパンジャンドラムが殺到する爆発の嵐の方へ引きずり込まれていった。
幾つもの爆発音を聞き、衝撃を感じ、腕が千切れたかと思うほどの痛みを感じ、……爆発音が収まってフィリステルが目を開けた時、そこにはもう朝日が光を差していた。元は針葉樹の森であった場所は焦土と化していた。
「……ロザリス!?」
目の前にあったのは、フィリステルを覆いかぶさって守ってくれた愛しい人の、苦悶の顔。
「フィリス……よかった、無事、みたいね……」
ドサリとロザリスが力尽きたように、横たわるフィリステルに体を預けてくる。キレイなプラチナブロンドがサラリと頬をなでた。
「ロザリスは――……」
その時、フィリステルの頬に透明な液が付着した。
微かなオイルのような匂い、触るとヌルリとした感触。それはフィギュアハーツにとっての血液のような物だと聞いていた。
それが、ロザリスの右肩から流れ出している。
その肩から先を消失させて。
「ロザリス!? 腕が……」
「ごめんね、少し、やられちゃった……」
その申し訳無さそうな言葉で、フィリステルの中の何かがキレた。
ロザリスの身体を焼け残った触手の上にそっと寝かせ、辺りを見回す。
一面の焼け野原。数時間前にはあったはずの針葉樹林の森は大きくえぐれ、フィリステルたちが通ってきた縦穴がポッカリと何の偽装もなく穴を露わにしている。森の中に巨大な空き地が出来上がっていた。
その隅の所に、黒いシルエットの男が転がっている。よく見ると手足がピクリピクリと動いていた。まだ意識がある。
その手前には男に向かって腕だけで這って進むボロボロのシンディアの姿も見える。こちらは両足が動かないらしい。
フィリステルたちがいる中心部から二〇〇メートルは離れた位置で、あの男はまだ生きているらしい。
「あの男……。心臓を分別して土に還してやる……!」
フィリステルは歩き出す。
ブンタまでの距離を半分ほど歩いた所で、シンディアが気付いてこちらを見た。
「あ……ああぁぁぁ! 来るな! 来るなクルナ!! ブンタに近づくなァ!!」
フィリステルの顔を見た瞬間彼女は、必死の形相となりアサルトライフルをその手に転送。
――そんなに殺意が顔に出てたかな? まあ今くらいはいいか、こんなに怒ったのは久しぶりなんだし……。
シンディアの反応から自分の感情を外側から冷静に観察出来るようになるが、身体を突き動かす殺意は止まらない。
――fyristelがクロッシングスキルを使用――
そして、シンディアは撃ってくる。
しかし弾丸はフィリステルを透過していく。
姿は見えている状態なのに、弾丸だけが素通りしていくその異様に、シンディアは混乱し更にライフルを乱射する。
「いやああああああああああああぁぁぁぁあああぁぁぁぁぁああぁぁぁっ!!」
ハンドグレネードを、EMPグレネードを、ロケットランチャーを、ショットガンを――様々な武器を次々に転送しては撃ってくるが、何一つ効かず、フィリステルの歩みは止まらない。
ブンタまで残り数メートルとなり、ついにはブンタの前に盾を数枚地面に突き刺すように転送するだけとなった。
当然、その盾もすり抜ける。
フィリステルが盾を抜けた先に見たものは――
「もう、いいんだよ。役目はこれで終わり」
それはフィリステルにとって最も大切な人。
「ロザリス……?」
フィリステルとブンタの間に五体満足で立ってはにかむロザリスの姿であった。
その姿に、フィリステルは毒気を抜かれホッとしてしまう。
「ここでブンタおじさんを殺しちゃダメなんだよ。フィリスお姉ちゃん」
「……ん……?」
フィリスお姉ちゃん?
確かに、ロザリスにそう呼んで欲しいと言ったことは何度もあるが、実際に呼ばれたことは一度もない。
そして、フィリステルのことを自然にそう呼ぶのはただ一人。
「もしかして、チヅルちゃん~?」
フィリステルがその名を呼ぶと、ロザリスの身体が光を帯び、僅かにそのシルエットを小さく変化させる。
光が収まった時、そこにいたのは同じようにはにかむ栗色の髪に青いFBDユニットの少女、チヅルであった。
チヅルが元の姿に戻ったタイミングで、木の陰から男が姿を現す。
「時間稼ぎ、ご苦労様。さあ、僕様はこれから昔の友人に会う予定なんだ。君も一緒に来るかい?」
そう言って出てきたのは、薄青のシルクのパジャマに白衣を羽織った男、ニフルであった。
「はぁ~……。疲れたからちょっと休んでからでもいい~?」
「そんなに時間はないんだけど……。まあロザリスの応急処置くらいはしていく時間はあるかな」
「うん、それもお願い~」
そう言ってブンタから少し離れた地面にドサリと大の字になる。
チヅルがその隣にニコニコと座り込み、ニフルはさっそくロザリスの方へ歩いていってしまう。
『フィリステル! ロザリス! 何処に行ってはるん!! ハスクバーナが持ってかれとぅに!!』
耳を澄ますと通信から怒れるダッシーの声が聞こえる気がするが、今は無視を決め込むことにした。
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グランちゃんとマリィちゃんのおしごと
『さぁ行くぞい皆の衆! 作戦開始じゃ!』
――Grandがクロッシングスキルを使用――
――FH-U ZS-01マリィがGrandのクロッシングスキルを使用――
ヤシノキからの通信を合図にグランとマリィはヤシノキラボの防壁の上から飛び立った。このペアはスキルによって重力制御が可能なため、グランはマリィの背には乗らない。機動力、攻撃力、防御力、それぞれがスキルによって完成された希少なペアと言える。
夜明けとともに西の森の中を侵攻してきたワールドハンターフレンズ日本支部局の部隊は、武装した人間の歩兵とAIによって自律行動する犬型ドローン「ハウンド」の混成部隊。それぞれ人間が三一人、ハウンドが九〇体、そして後方には大型の機動兵器も確認されている。
「プチアーネストのために!」
「プチアーネストのために!」
今回のグランたちの「おしごと」は、これらを無力化して生身の人間を無傷で拘束すること。要するに普段やっている野菜についた土を洗ってヌードルに渡す「おしごと」や、洗濯をする際に男性の衣類だけを分ける「おしごと」と同じようなものだ。後者の「おしごと」は、ヌードルの「年頃の女の子の洗濯物とジジイの洗濯物は一緒に洗っちゃあダメだよ」という指示によるものである。
この際アーネストの洗濯物は洗う前に消失していることが多々有り、仕方なくヌードルが新しいものを出している。彼自身はいつも新品のように洗濯されてくる衣類(新品)に満足しているが、その実ヤシノキラボの洗濯事情は裏の流通経路も含めて複雑を極めている。ちなみに、ショウコやグラン&マリィの部屋から大量のアーネストの衣類が出てくるのは、また別の話である。
「えーっと……白い点が……いっぱい?」
「赤い点は、もっといっぱいー!」
グランたちの脳内OSのマップ上の白い点は敵勢の人間を示し、赤い点はハウンドなどの敵勢機動兵器を示している。
マップを確認しながら飛ぶグランは、今はスキルによって白い肌となり長い黒髪はツインテールに括り、紫の迷彩柄の野戦服姿に非殺傷性のスタン弾を装填したアサルトライフルを装備している。このスタン弾は柔らかいゴム弾の中に特殊なパルス波を発する装置を仕込んだ物で、被弾者の脳波に直接働きかけることで随意筋だけを麻痺させるお年寄りにも優しいショック弾頭である。
どれくらい優しいかというと、ここ一週間で何度かブチキレたヌードルがラボ中枢で安置されているヤシノキの本体(老体)に打ち込んでも、ヤシノキは今もピンピンしているくらい優しい。ただし被弾者は全身を針で刺されたような痛みに襲われるため、撃たれるたびにヤシノキ(少年体)はラボの何処かで痛みに襲われながらピクピクと身動きが取れなくなっていた。
そんなメカニズムなど知ったこっちゃないグランには、とにかく当てた相手は痺れて動けなくなるということだけは認識している。
「人間さんはわっちがー」
「機械のワンちゃんはワッチがー」
スタン弾はハウンドには効かないため、当然そちらの相手はフィギュアハーツであるマリィが担当する。
そのマリィは風になびく黒髪も褐色の肌もいつも通りではあるが、しっかりと皮膚組織を変化させるスキルを耐弾状態で展開しており、その上から橙と黒のパイロットスーツと申し訳程度の装甲、そこにスラスターを装備しグランよりも機動力は多少高い。武器はFH近接武装クリエ打撃棒と FH近接武装カナル雷撃機のみであり、銃などの遠距離タイプの武装は持っていない。
否、必要ない。
「てりゃー」
気の抜けた声とともにマリィは森へと突っ込み、先行して歩いていたハウンドの一体にクリエを振り下ろす。
ハウンドは一瞬で頭部から胴の半分までを破壊され、クリエによって増幅された衝撃の余波が地面を抉って小さなクレーターを作る。ネオニューロニウムでこそないものの、ザンダール特殊セラミックや超硬質特殊樹脂サリオレジンを複合的に使った装甲やフレームを安々と破壊する火力は、控えめに言っても過剰であった。
その一体がやられるのを予測していたかのように、マリィの周りに森の中からレールガンを背中に装備したハウンドが現れ、容赦なく撃ち始める。
「あはははっ! くすぐったいってばー」
装甲やスーツには傷がつくものの、くすぐったそうに身を捩るマリィの最高硬度の肌には傷一つつかない。
そして、
「悪い子はー……えい!」
マリィの掛け声で、周辺にいたハウンドが一斉に地面に伏せ、何かに押しつぶされるようにメキメキと音を立て、数秒で自壊してしまった。
マリィが重力で押しつぶしたのだ。彼女の重力操作は、効果範囲こそグランには及ばないが、感知さえできれば対象が見えなくても行使可能なのだ。
「よわい……」
その言葉も当然である。むしろ彼女たちであればこの程度の敵はすっぽんぽんの丸裸でも殲滅が可能なのだ。外に出る時は服を着なければならないので、とりあえずTPOを弁えてFBDユニットなどで武装しているだけだ。
しかしその余裕は、あくまでも殲滅する場合の話であり、問題はここから。
「人間さんは潰さない……、人間さんは潰さない……」
マリィが開けた前線の穴を、ブツブツと注意されたことを呟きながらグランが飛んで行く。
「女の子が、飛んでる……? がはっ!?」
呆然とグランを見上げていた野戦服の男に、スタン弾を撃ち込んで無力化。
ピクピクと痙攣する男の傍に着地。マップ上では周囲に白い点が等間隔に四つ、赤い点が二つ。
「ドラグスリーッ! クソッ、もうやられたのか!?」
「いや、彼はまだ生きている! 気を付けろ! 非殺傷弾だ!」
「うぉぉおおお! 苺ちゃんのためにぃっ!!」
「俺だって……、俺だってやれるんだ!」
他の二人が素早く木を遮蔽にして隠れ、更に別の二人は突っ込んで来た。
タタタタタタタタタタ――
タタタタタタタタタタ――
大昔の金属製アサルトライフルをフルオート射撃で突っ込んでくる二人の男の弾丸をスキルを纏った素肌で弾き、冷静に腰だめに構えたライフルで三点バースト。四五度角度を変えてもう一度。
タタタッ――タタタッ
とリズミカルな銃声。
「がっ!」
「ぐは!!」
地面に転がって痙攣する男が更に二つ出来上がる。
「なめやがって! 銃だけの俺たちだと思うなよ!」
ハウンドが茂みから飛び出してくる! さらに気合の声とともにその後ろから掴みかかるかのような構えで走り寄ってくる敵兵!
タタタッ
咄嗟に撃ってしまったが、スタン弾は当然ハウンドに阻まれる。
「あ、間違えた」
さらに地面から跳躍したハウンドが、グランの肩に噛み付こうと飛びかかってくる。
しかし、グランに触れる前に、
メシャッ!
重力操作により地面に引き付けられるように墜落し、バラバラになった。
「なにぃッ!!? だりゃぁぁ! くっそォォォォ!!」
敵兵の男は驚愕しながらも目の前で潰れたハウンドを飛び越えて、グランへと果敢なタックル!
しかしその男もグランに触れること無く、フワリと浮き上がってしまう。
「な、なにが……どうなアガッ!?」
浮き上がった男の腹部にスタン弾を一発。
グランはマリィのように感知さえできれば重力操作を行使できるわけではなく、重力操作を行使するには対象を目視する必要がある。その代わりと言っては何だが、彼女の能力の射程は目視さえ出来ればかなり遠くまで届く。
先日のミゾとの戦闘では姿を隠したり高速で移動する能力との相性が悪かった事とミゾやラモンが上手く立ち回ったため、存分に効力を発揮することは無かった。しかし弱点こそあれど、本来彼女たちのスキルは戦闘面ではトップクラスなのだ。
空中でピクピクする男を地面へ下ろし、最後の一人へ向き直る。
「これならどうだ!」
最後の一人はグランに向けて勢い良く手刀を切り、草むらに隠れたハウンドに指示を出した。
草むらからグランに向かって一筋の閃光が迸る!
光学兵器だと彼女が気が付いたのは、その肌がビームをあさっての方向へ反射したあとだった。
「これでも、ダメなのか……。貴様がフィギュアハーツと言うものなのか?」
「違うよ? わっちは人間だよ。おじさん、投降するの?」
攻撃の意思なしと見たグランは男に投降を提案したが、彼は首を横に振った。
「いいや。私は苺様のため、日本国再建のため、最後まで戦う!」
「あっそ」
男がホルスターから拳銃を抜くよりも早く、グランはすでに男に向けていた銃の引き金を引いた。
「ぐッ!!」
男が倒れ伏す。そしてその行動不能となった主の傍に、草むらから出てきたハウンドがおすわりして待機状態となる。
「ごめんね。君は壊さないといけないの」
「…………」
グランが手をかざして近づいても、ハウンドはプログラム通りに無反応に主を見下ろすだけだ。
「あ、そうだ!」
何かを思いついた彼女は、ハウンドの頭部を弄る。抵抗はされず探しものはすぐに見つかった。頭部装甲の裏側に指が引っ掛けられるツマミが有り、そこを引くとハウンドの頭部がカパッと開いて中からメモリースティックがせり上がってきた。
それを抜き取り男の胸ポケットに入れ、今度こそハウンドの筐体を重力操作でぺしゃんこにし、満足気に次の敵へと飛び立っていった。
グランが飛び立ったあと、ヒョッコリと森の妖精たちが現れる。
『なのですー』
否、森の妖精ではなくプチレティアである。
プチレティアたちは行動不能となった敵兵たちを手早くロープで縛ると、小型のトラックのような乗り物の荷台にせっせと乗せていく。
五人の男を積み込み終えると、トラックは発車する。
その向かう先は、奇しくも彼らの攻め入ろうとしていたヤシノキラボである。
次々と敵勢力を撃破あるいは捕縛し、グランとマリィは二〇分もしないうちに敵陣最奥を進軍してきていた最後の一体の前にいた。
「これが最後ー?」
「うん、大っきいねー」
グランたちの前に立ちはだかるのは、森の木々よりも大きな全長十五メートル以上はある大型の人型機動兵器である。大昔に見る人が見れば、モビルスーツやその他もろもろの名称が出てきそうな巨大ロボットだ。
「はーっはっはー! ついにここまでたどり着いたか小娘共!」
そんな素養などない現代の女の子たるグランたちは、人型のロボットと言えばツーレッグであり、戦場に出てくる機械と言えば基本的に無人機である。例外と言えば[土塊の戦争]の初期に登場したパワードスーツくらいなものではあるが、アレは人が「着る」ものである以上、人の身長のスケールの域を出ない。
しかしマップ上では最後の白い点と赤い点は同じ位置に重なって表示され、目の前には巨大な機械が歩いて侵攻していた。そして男の声は聞こえるが、周りに人影は見当たらない。
「貴様らがどんな手品を使おうと、日本支部局の技術とロマンを結集して作られた最終兵器の前では無力と知れ!」
そうなると、彼女たちの少ない知識の中で考えると、
「大っきな人がー」
「大っきなパワードスーツ着てるー」
という斜め上の答えが導き出された。当然、身長十五メートル以上もある人間などいるはずがないのだが、グランたちは「こんな大っきな人間さんはじめて見たー!」と好奇心やら何やらで色めき立っている。
それをどう取ったか人型兵器に乗るパイロットは、気分を良くしてベラベラと喋り続ける。
「驚いたか!? いいだろう。冥土の土産にこの名を刻むがいい! その名も――」
ベキベキ! バリバリバリバリッ!
「あーッ!! 足の装甲がぁ!?」
名乗りを上げる直前に、それは悲鳴じみた男の声に変わって響く。
パワードスーツならば剥ぎ取ってしまえばいいと、グランたちはさっそく装甲をはがし始めたのだ。
「やめて! やめてくれ! それではフレームがむき出しに!? いや、それはそれでカッコイイのだがな……。でも今はやめてぇ!!」
パイロットの男が喚くのを無視して、彼女たちは黙々と装甲を引剥していくが、出てくるのは無骨な金属の骨格とケーブルばかりで、もちろん生身の身体など出てこない。
必死の抵抗も虚しく装甲と武装を剥がされた頃には、朝の森に男の泣き声がシクシクと響いていた。
「クソぅ……っ。こうなったらこのまま突っ込んでやる!」
その言葉とともに、フレームむき出しとなった大型兵器が走り出す!
「あ! ダメッ!!」
「そっち行ったら、めっ!」
ズシャーン!
すかさず逃さず、グランとマリィが重力をかけて引き倒す。森の木が何本か巻き添えで倒された。
衝撃でパイロットが気絶したのか、そのまま動かなくなる。
これ幸いとさらに分解作業が再開される。それはまるで玉ねぎを剥くような作業。
そう時間もかからずに、森の中にロボットの残骸が散らばり、コクピットからパイロットを引っ張り出すときにマリィが間違えてパイロットスーツを破ってしまったりとアクシデントはあったものの、最終的に大型兵器を無力化し中の人間を無傷で引っ張り出すことが出来た。
パイロットの小太りの全裸男が気付いた時、周辺に無残に散らばるロボットだった部品たちを見て放心状態となった。
その戦果をフムと見つめるグランとマリィ。
呆然とした彼を見る少女たちの視線が、彼の体の中心、股間に向いているような気がしたのは完全に気のせいであり、そのトドメの一撃は不幸な事故だった。
「思ったよりも小さかったねー」
「うん、小さいねー」
グランたちは身長十五メートルの巨人を期待していたのであり、それと比べれば確かに身長一メートル七〇センチほどの小太りな男など小さいものである。
しかし、そんな期待など知らない彼にとって、その言葉は男の尊厳と股間を鋭く貫いた。
「…………」
何も言わず、動かなくなった男は、戦意喪失と判断され慈悲のスタン弾すら与えられること無く、群がってきたプチレティアに縛られ運ばれて行った。
「んーっ。これで終わりかなー?」
「んーッ。終わったみたいだねー」
こうして、グラントマリィの今回の「おしごと」は終了した。
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ベテランメンバーの華麗なる蹂躙
一方、ヤシノキとレティアの担当する北側の森。
「大勢を立て直せ!! 残存するハウンドもこちらに合流させろ! 敵は強いが単機だ! 一度引いて取り囲めば勝機はある!」
通信デバイスに向かって叫ぶ指揮官らしき男を発見し、その背後へとヤシノキは慎重に気配を殺して、しかし素早くワイヤーを使って樹上を移動し接近する。
「ほう? 誰が単機じゃと言ったかのう」
ヤシノキの声に、まさかと男が振り返る。
「ま――」
だが遅い。
その瞬間、男は全身を締め付けられる感触を覚え、銃を取ろうとして自分の体がほとんど動かないことに気が付く、さらに開けた口にスルリと何かが入り込み閉じることも、言葉を発することもできなくなる。
赤いロープによって一瞬で縛り上げられ、バランスを崩し地面に転がる。更にロープに絶妙に力が加わり、強制的にしかし優しく関節を誘導され、いつの間にか亀甲縛りでM字開脚、口にはギャグボールという戦場では完全に敗者の様となっていた。
そして地面に転がった視線の先に、首を切り落とされて切断面からスパークを散らす、戦闘不能状態の相棒ハウンドの姿。
男は自分の敗北を悟った。
「引く判断の早さはなかなかに良かったんじゃがのう……。戦場の派手な部分にばかり目が行ってしまうのは、若さゆえかのう? まあ最近の戦場じゃあ索敵能力の向上で、伏兵や隠密部隊も戦術としては廃れてしもうたから、仕方のない傾向じゃろうが――」
縛った敵の若い指揮官を前に説教を垂れる、対レーダー仕様のステルスヤシノキ(キッコウメン)。
真っ黒な下地に亀甲縛りの痕ような六角形の荒縄の模様ライダースーツ姿のフルフェイスヘルメット男を前に、恐怖と混乱でパニック状態で転げもがく若い男。
そこにもう一人、森の中から光るマントとスラスターの閃光をなびかせて少女が姿を現す。
「ヤシノキ博士ー。指示通り追い立てたのです。最小限の被害で撤退を開始してた辺り、敵の指揮官もなかなかの……、ってもしかしてこの方なのですか?」
「じゃな」
レティアは足元で「あー」とか「おー」しか言えずに転がる敵指揮官を見た。
ここはヤシノキラボから見て敵陣の左端、北側の森の西よりの位置に当たる。敵は最前線をハウンドが扇状に展開し、その後ろから人間と少数のハウンドの混成部隊が進軍するという陣形であるため、この指揮官は自らが先頭に立って攻めるというなかなかに粋な選択をしていた。
「はぁ、まあたしかに最近の戦場だと指揮官が何処にいても、戦術的には大して変わらないのですが、まさかこんなところにいるとはちょっと驚きだったのです」
「実際ワシはもう敵陣の後ろに、トラップを仕掛けて回ってきたあとじゃからのう。何処にいたとしても同じ結果になったじゃろうて」
ヤシノキの言葉に男は一層激しく「あーあー!」ともがき始めた。ヤシノキの言葉からすると敵陣後方、すなわち彼らの後退ルートにはトラップが仕掛けてある。この男はどうにかしてそれを部下に伝え、トラップを回避させたいのだろう。無論、縛り上げられている以上、無駄な抵抗なのだが。
その様子を、二人が冷静に目を薄く光らせながら観察する。
「ふむ、その反応を見るに伏兵などはおらんようじゃのう」
「その他の奇策も無いみたいなのです」
ヤシノキとレティアは、指揮官の反応を見るためにあえて思考通信ではなく声を出して会話していたのだ。
――「彼らの勝利条件からすれば当然の戦術と言えばそうなのじゃがのう」――
ヤシノキは思考通信に切り替えて話す。その言葉通り、敵は一人でも死者が出ればそれを担ぎ上げて世界大戦を激化させ、その混乱の中で現在ソボ帝国領土となった日本という国を再建するつもりなのだ。
――「それでも、力押し戦術一択の昨今の戦場は遺憾を覚えるのです。まるでストラテジックシューティングからアクションゲームに路線変更して、ゲームバランスが崩壊したオンラインゲームみたいなのです。昔はもっと、人は、人類は考えて戦っていたのです」――
――「時代の流れじゃ。割り切るしかなかろうて。それにそういったゲームは大概、初期の頃から問題を抱えているものじゃよ」――
――「そういうものなのですかー」――
この後、敵指揮官の通信から彼の部下たちが罠にかかった悲鳴を聞き取るとふた手に分かれて森の中を飛び回り、罠を回避した残敵を捕獲し、ハウンドを撃破していった。
そして最後に後方に控えていた大きな人型機動兵器の前にハイテンションで躍り出た二人は、まごうことなき力押しでこれを撃破し、パイロットを拘束した。
そして一方、南側。未だミゾたちとグランたちが戦った爪痕も新しい草原を、敵の装甲車やハウンド、そして他の方面にもいた人型機動兵器が三体もが朝焼けの中ゆっくりと進撃してきていた。
時々散発的に狙撃や榴弾が防壁の上にいるヌードルたち目掛けて飛んでくるが、すべてロッドリクが振動感知能力で察知し、物質停止能力で無力化している。
「こっちはずいぶんとゆっくりさねー」
「他二方面があっさり壊滅しちまったんだ、慎重になるのも無理はないさ」
すでに任務完了の報告が西側のグランペアと北側のヤシノキペアから来ているが、援軍に来るという申し出はない。
どちらのペアもヌードルの能力を知っているがゆえの判断だ。信頼もさることながら、どちらかと言えば巻き添えを食らいたくないのだろう。
敵側も他の部隊が誰一人戦死すること無く捉えられた事は察しているのだろう。もしここが同じように落とされれば、残るは東側の山岳地帯に潜む京都江 苺だけになってしまう。彼らはもうこれ以上、あの誰よりも強く、誰よりもボロボロな彼女に何かを背負わせたくはないのだ。
「さて、こっちも頃合いかねえ」
防壁上で堂々たる仁王立ちで待ち構えていた割烹着姿の小太りな女性、ヌードルはすぐとなりで跪いて待っていたロッドリクの硬化させた重力制御マントへ「どっこいしょ」と搭乗する。
敵との距離は先頭のハウンドとは六〇〇メートルほど、間に装甲車部隊をはさみ、最後尾の大型の人型ロボットとは一キロメートルちょっとと言った所か。地を埋め尽くすほどに密集しているわけではないが、かなりの大部隊だ。普通のフィギュアハーツと人間のペアであれば、手こずることは間違いない。
「お手柔らかに頼むよ、母ちゃん」
「分かってると思うけど手加減なんて出来ないよ。今回もあんたには世話をかけるよ」
「いいさ。だから惚れたんだ」
イケメンスマイルで返したロッドリクがヌードルを乗せて防壁から飛び立つ。夜の闇にマントとスラスターが光の尾を引く。
一〇〇メートルも進まないうちに敵の集中砲火が始まった。
――FH-T GW-01 ロッドリクがnoodleのクロッシングスキルを使用――
――FH-T GW-01 ロッドリクがクロッシングスキルを使用――
その弾丸や砲弾を全て感知、停止させ光学兵器はRAシールドで弾く。
そして敵陣中央に突き進んでいく。
「そんじゃあ、ちょっと寒くなるけど! 我慢しな!」
その叫びとともにヌードルはクロッシングスキルを使用する。
――noodleがクロッシングスキルを使用――
まずは振動感知を使用。しかしヌードルが感知するのはロッドリクとは違い機械の振動や空気振動、すなわち音などではない。ヌードルが今感知しているのは半径五〇〇メートル内の分子振動である。
――noodleがFH-T GW-01 ロッドリクのクロッシングスキルを使用――
そして、感知した全ての分子運動を停止させた。
その瞬間、ヌードルたちの周辺の世界が凍りつく。それは机上の空有論であるはずの分子運動0の世界。絶対零度である。
先頭のハウンド部隊が一瞬で機能を停止し、急激な温度変化に耐えられない部品、特にフレームの軽量化のために使われていた超硬質特殊樹脂サリオレジンなどの樹脂系素材が崩壊し崩れるように筐体がバラバラになった。
眼下のドローン部隊の崩壊を見ながらロッドリクは感嘆の声を上げる。
「ヒュ~。さすがだぜ母ちゃん。そしてここからがオレの仕事だ!」
――FH-T GW-01 ロッドリクがクロッシングスキルを使用――
ロッドリクが自身のスキルを使い、人の乗った装甲車と人型ロボットのコクピットブロックを停止させる。これは逃さないためだけではなく、中の人間をヌードルのスキルから守るための処置である。先にロッドリクが停止させることで[aracyan37粒子]由来のスキルはその内部に影響を与えないようにすることが出来るのだ。それ故に二人は最も大規模な部隊ではあるが徒歩での歩兵のいない草原地帯を真っ先に選んだのだ。
そうして二人が飛び去った後には、一瞬で氷結した空気中の水分がキラキラと登ってきた朝日を浴びて舞うダイヤモンドダストと、動かなくなった車やコクピットブロックの中から出られなくなり、寒さに震えながら唖然とする、あるいは混乱する人々だけが残された。
そしてそんな彼らのもとに雪の精霊が現れた。
『なのですー』
否、防寒装備を施したプチレティアたちであった。
凍った草をシャリシャリと踏み鳴らしながら、プチレティアたちはせっせと車やコクピットブロックを数体がかりでラボへと運び込んでいった。
「さてさて、任務は完了さね。あたしゃちょっと近くの街まで朝食を食べに行きたいんだがねえ」
「まだ作戦は終わってないが、良いのか母ちゃん? それにミゾたちもまだ戦闘中だ。援軍に行かなくていいのか?」
「いぃんだよ。あのジジイの言う宴とやらにあたしゃ興味はないからねえ。それにミゾたちなら大丈夫さね」
そう言って草原を飛んで行くヌードルたちのBGMは、ラボの東側の山岳地帯から響く散発的な銃声や破壊音であった。
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ふたなり美女に脱がされながら
「待たんかワレェェェェ!!」
背後から聞こえたダッシーの声に振り返ると、ちょうど角から曲がって来た姿を確認できた。
それは浮遊するガトリング砲に跨り、長い黒髪をなびかせて般若の形相で追ってくる全裸の女。否、女性の顔立ちと身体つきでありながら股間に男のアレが付いた、俗に言うふたなり。ちなみに、元の性別は男。
そして全裸のダッシーが跨るガトリング砲は、フィギュアハーツ用の物であり通常は人間に扱えるようなものでもないし、まして飛行機能などもない。
FH分隊支援機関砲トルメンタ、連射力が非常に高く、同じ機関砲であるオブリタレータに単発火力では劣るものの、その連射力はRAシールドにとっては驚異的である。真っ当に掃射を受ければシールドは一〇秒も持たない。ただし銃身加熱が激しく一定時間撃つと冷却時間が必要になり、使い勝手に癖がある武器。
そのトルメンタがなんとダッシーの跨る物の他に五機、合計六機にアーネストたちは追われている。
トルメンタたちが浮遊しているのは、例によって毎度の超常能力クロッシングスキルの効果である。これはダッシーのスキル、物体を手を触れずに動かす能力、簡単に言えば念動力だ。
ドドドドドドドドドドドドド――×六。
六機のトルメンタが一斉に火を吹き、ダッシーラボの通路にけたたましい銃声が充満する。
――arnestがFH-U SA-04ショウコのクロッシングスキルを使用――
――FH-U SA-04ショウコがクロッシングスキルを使用――
銃弾に晒されたアーネストとショウコが、危機的状況時に自身が加速するクロッシングスキルを発動させるが、前を飛ぶアクセリナを背負ったサラーナを庇うためその力を十全に発揮できない。
加速した意識の中ショウコの張ったRAシールドに弾丸が次々と弾かれる。
先導するサラーナの、右前方五〇〇メートル先の狭い通路に入るという意思がクロッシングを介して伝わってくる。
――間に合うのか!?
引き伸ばされた意識の中、通路が近づく。
目に見えないRAシールドが明滅するのを感じた気がした。
シールド消失。
――「チッ」――
ショウコの声にならない舌打ちが思考通信に乗って届いた。
そして弾丸とダッシーの視線が直にアーネストの背中を叩く。
無数の弾丸に背を撃たれるが、マリィのクロッシングスキルで硬化させた皮膚によって弾丸が体内に抜けてくることはない。しかしもちろん痛みはあるが、目の前のショウコを銃弾の雨から守るためならアーネストは耐えられた。結局クロッシングによって痛みも共有されるため無駄な努力とも思えるが、だからといって小さな少女の背中を護らないアーネストではない。
数分とも思えた数秒を耐え、通路が迫る。
サラーナがクルリと身体を回転させ通路に滑り込む。
それに続いてショウコが壁を蹴るようにして滑り込む。ジェットコースターのようにアーネストの視界が回るが、すでにそれも慣れてきた。
そしてアーネストは身体を確認する。
「ほぅあああああああああぁぁぁぁぁ!!? ズボンに付いた! ズボンに赤いの付いちゃったよぉぉぉぉぉぉッ!!!」
コンクリートの狭い通路に、アーネストの悲鳴がドップラー効果で響く。
――「たいちょう! シャラップ!!」――
――「逃げてる時に大声は厳禁なんだからね!」――
RAシールドのエネルギーカートリッジを交換しながらショウコが叱責した。
アクセリナを背負って先頭を飛ぶサラーナも、位置が知られたことによって何度もルート変更するため苛立ちが募っている。
――「だって、ついにズボンが……」――
――「脱げ」――
――「はい……」――
ショウコの背後で、少ない足場と空間を利用しショウコと繋がるワイヤーで身体を支えながらアーネストは器用にそれを脱ぎ、お尻の部分に赤くポイントされたズタボロのズボンを捨てた。
赤いポイントは後ろから追ってきているダッシーによるもので、これはもう一人の追跡者、リリのクロッシングスキルであり数秒間目視した物質をマーキングしその位置を知ることが出来るというものである。クロッシングスキルの大半がそうであるように、このスキルも人体に直接マーキングする事と、RAシールド内部すなわち[aracyan37粒子]が阻害される場所にマーキングする事は出来ない。
そしてアーネストの衣服は、これでついに青のトランクス(すでに穴だらけ)一枚となった。
アーネストがズボンを捨てたのを確認するやショウコは振り返って、両肩からミサイルを二発発射し天井を崩す。もちろん完全に通路が塞がるようなことはないが、追ってくるダッシーの速度を少しでも落とすことと、なにより土煙で視界を遮ることが目的だ。
――「アタシら完全に遊ばれてるな……」――
また前に向き直ったショウコの思考通信による呟き。一応すでに三人共HusqvarnaOSからaxelinaOSに切り替えたため、思考通信を傍受される心配はない。おそらく。
ショウコの言う「遊ばれている」というのは、アーネストが脱がされ続けていることである。いっそ装備類をマーキングしてしまえば、武装解除も逃げるための機動力を奪うことも容易にできてしまうはずなのだ。
先導するサラーナに続いて十字路を左へ。少し進むとそこそこ大きな通りに突き当たって右へ。
――「やっぱりショウコもそう思う? この複雑なラボならすぐに撒けると思ったんだけど……、そう簡単にも行きそうにないわ。この道順も読まれてるかもしれないわね」――
サラーナはハスクバーナから貰ったマップを元に、ダッシーの裏をかこうと必死にルートを組み立てるも、全て失敗に終わっている。ちなみにハスクバーナとの通信なども、彼がシステムから乖離したため使えない。
いっそ正面から戦うという案もあったが、ワイヤーできちんと保定されているとはいえ、装甲もなければクロッシングスキルで弾丸を防げるわけでもない眠り姫のアクセリナを庇いながら戦える相手ではない。サラーナもRAシールドは張れるものの、先程のアーネストたちと同じく銃弾の嵐の中では一〇秒も持たない。
だからといって、サラーナとアクセリナだけ逃げてショウコとアーネストでダッシーを足止めするというのも、リリの所在がわからない以上リスクが高すぎる。アーネストたちが戦っている間にダッシー側にリリが加勢されるのも、クロッシング有効距離外に出たサラーナがリリと遭遇してしまうのも詰みルートである。
そもそも保護目的でアクセリナをラボに匿っていたダッシー自身も、子供を撃つのは本意では無いだろうが、それに漬け込んで率先して戦闘に巻き込みたくはない。それで全員が無事に逃げられるならまだしも、今はそういった見込みすらもないのである。
――「ならばいっそ……」――
――「たいちょう、何か思いつた?」――
――「いや、それならもうマーキングとか気にせず、外まで最短ルートで抜けるのもありなんじゃないかなって思ってさ」――
もう脱ぎたくないし、とは言わなかった。
――「パンツまで脱ぎたくないから?」――
――「…………」――
ショウコにはお見通しだった。
――「でもそうね……。アーネスト隊長の案も良いかもしれないわね。外に出ればブンタたちとも合流できるでしょうし」――
外でフィリステルたちと交戦しているはずのブンタとは、未だに通信は復旧していないが、外にさえ出れば合流できる目算は高い。
それに結局のところ、マーキングされなくともダッシーラボにも監視カメラなどの侵入者対策はあるのだ。もちろんヤシノキラボのように狂った数のカメラが設置されているわけではないので、避けて通ろうと思えばそういったルートも存在するようだが、そういったルートはすでにピックアップされて警戒されている可能性も高く、例によって今もルートをたやすく読まれてしまっている。
しばらくマップを見ていたサラーナの所感では、このダッシーラボは入るよりも出ることの方が難しい気がした。なぜそんなことになっているかは知らないが、内部の不穏分子にダッシーも薄々気付いていたのかもしれないとサラーナは考察した。
ちなみに実際は、フィリステルが光学透過スキルでやりたい放題しすぎたために内部警備が厳重になったのであり、ダッシーもまさか元妻と実の息子に侵入者の手引をされたとは思ってもいなかった。
サラーナもアーネストの案に乗り、作戦の路線変更をしようとしたその時!
ドンッ!!
――FH-U SA-01サラーナがFH-U SA-04ショウコのクロッシングスキルを使用――
直進しようとしたT 字路の横から、大砲の発砲音のような大きな音がしたのとほぼ同時にサラーナがショウコのスキルを発動させた。
目にも留まらぬ早さで飛来した砲弾を、目にも留まらぬ早さで機械じかけの棍棒クリエで上へと弾く。
「あれれ? シールドは張らなかった? それにサラーナ、あんたそれショウコのクロッシングスキルでしょ? なんで使えるのよ」
声がした瞬間にマーキング対策のためにRAシールドを展開。マーキングは無し。
サラーナに続いてRAシールドを展開してT字路で止まったアーネストとショウコが対峙したのは、砲塔から白煙をくゆらせる巨大な戦車に横掛した、青と白と所々にピンクをあしらったパイロットスーツ姿のツインテールの少女、リリであった。装着に時間のかかるためか装甲や武装は無い。
「あなたに話してやる義理もないわ。それに戦車で角待ちして壁ドンなんて、自称アイドルが聞いて呆れるわね」
「なんですってぇ!!? ちょっと胸が大きいだけでチヤホヤされてただけのビッチが!!」
「あんですてぇ!!? こっちはチッパイに男かっさらわれっぱなしなのよ!!」
そういうリリの胸部はショウコと同程度であり、その話題に関してはショウコはリリに加勢するのもやぶさかではないが、実際の所アーネストの正妻(未婚)の座をかっさらったショウコは口出ししないことにした。
サラーナとリリが舌戦を繰り広げる裏で、アーネストとショウコは冷静に状況を分析する。
――「アレは!? 大昔のソ連の重戦車、KVか!? 型番は知らないけどあの四角い砲塔はWorld of Tanksで見たことある!!」――
――「あいつ、押収品の旧時代の兵器まで持ち出しやがって……。というかこれって壁ドンならぬKVドンだな」――
――「ショウコ様うまいです!」――
この二人に建設的な状況分析など出来るはずもなかった。
そうこうしている間に正面とリリの後ろから敵の増援が念動力で飛んで来るのが見えてくる。
――「空飛ぶ戦車とかチートだろ!?」――
元World of Tanksプレイヤーのアーネストが悲鳴を上げる。
ドドン!!
――FH-U SA-01サラーナがFH-U SA-04ショウコのクロッシングスキルを使用――
正面の戦車からの二発の砲弾がサラーナに迫りショウコのスキルが発動するも、シールドを展開したままでは近接装備であるクリエは振れず、あえなくシールドで弾く。サラーナのシールドエネルギーがごっそりと削られた。
――「クッ……! 対応が早すぎる。やっぱり読まれてたわね」――
――「まっすぐ正面突破だ!!」――
状況分析はできなくとも咄嗟の状況判断能力は高いショウコが、ガトリング砲バラージを正面から飛んできた戦車に向けて掃射、撃破。
戦車の残骸と飛び越えて、逃走劇が再開される。
ドドドン!
背後から飛んでくるいくつもの砲弾がシールドに弾かれるが、そのたびにショウコのシールドエネルギーが目減りしていく。
そしてついにはシールドが消失し、ギリギリのタイミングで路地に逃げ込むが……。
――「ああ、ついにパンツに赤いのが……」――
ついに最後の衣類であった青いトランクスまでが、臀部に赤い点でマーキングされてしまった。
――「じゃあ、それも脱いで……。いや、たいちょう! そのパンツ、アタシにくれ!」――
何かを思いついたショウコの提案に、アーネストは喜々としてパンツを脱いだ。
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全裸VS全裸!!
全裸になったアーネストに、ショウコから作戦イメージが飛んでくる。
――「たいちょう、急いで!」――
ショウコの右肩のミサイルポッドが背中側に収納形態になり、蓋が開いてミサイルの弾頭が顕になる。
アーネストは左のミサイルポッドに掴まって降りてきたそれを避け、弾頭をひねって回し、わずかに出来た隙間に脱いだパンツを挟んで、また閉め直す。
――「ショウコ様! 出来ました!」――
――「サラーナ! ルートを!」――
――「今送ったわ!」――
ショウコはミサイルポッドを元に戻し、RAシールドのエネルギーカートリッジを取り替え、シールドを再展開させる。
小さい部屋が密集しているエリアなのか扉が多く道幅も広くはない。十字路とT字路が連続るす迷路のような通路を、サラーナを先頭に一見無茶苦茶に駆け抜ける。
――「たいちょう、心の準備は?」――
――「……大丈夫。やるよ。これで逆転逃げ切り確定させる!!」――
アーネストが決意を固め、最後の角を曲がったその時!
グァッシャーン!
「「「!!?」」」
音を立てて前方のドアが蹴破られ、ドアだったひしゃげた鉄板が反対側の壁に衝突して倒れた。
三人揃って驚くも、サラーナとショウコは咄嗟に減速してしまった。
――「まずいわね……。一気に抜けるべきだったかしら?」――
――「サラーナ、使って!」――
ショウコは持っていたガトリング砲バラージを投げ、サラーナがそれをくるりと回りながらキャッチして正面へ構える。ショウコは反転しもうすぐ姿を現すであろうリリへと向き合う。
そしてそのドアを蹴破った生足の主が、ひたひたと歩み出てくる。
「アテのラボで、ずいぶんと好き勝手してくれはりますなぁ。男、あんさん名は?」
姿を表したのはモデルのような抜群のスタイルの長い黒髪の美女。……でありながら股間には立派な男のアレを持つ全裸のふたなり、ダッシーであった。
同じく全裸のアーネストは、ショウコから降りてダッシーと向き合い答える。
「アーネストだ」
「ほう……。なるほどあんさんが……。そんで、アクセリナ取り返しにきなはったんか。わざわざそん子を殺すために……!!」
どうやらダッシーはニフルからマルチクロッシングなどの情報は知らされていない。そうなるとダッシーから見たアーネストは、クロッシングチャイルドを電子精神体化させるための触媒ということになる。
「違うダッシーさん! もうそんな必要はないんだ! アクセリナはもう起きてる……、いや今は寝てるけど、起きてるんだ!」
「わけぇわからんこと言うてのぅで、とっとと銃下ろして投降しぃや! アテもええとこ邪魔ぁされて気が立っとるさかいなぁ!」
立っているのは気だけではないのだが、アーネストの身体を舐めるように見つめるダッシーに、一体ナニを見て勃っているのかは怖くて聞けない。
話している間にも、ダッシーが蹴破った扉からトルメンタが一つ二つと出てくる。
――「サラーナ、前は任せた」――
――「ショウコ!? まさかやる気なの!?」――
ショウコの意図を読み取り、サラーナがバラージの引き金を引く。短い空転時間からの発砲!
「そないなもん効かへん!」
しかしバラージから放たれた弾丸の嵐は、ダッシーへと辿り着く前に不自然に方向を捻じ曲げられて周りの壁へと突き刺さる。ふたなり化しているとは言え人間であるダッシーにRAシールドは張れない。これはダッシーの念動力の仕業だ。
投降の意思なしと見たダッシーが、今度はトルメンタで反撃してくる。
サラーナは咄嗟にバラージを捨て、RAシールドを張ってアクセリナを守る。
――FH-U SA-01サラーナがFH-U ZS-01マリィのクロッシングスキルを使用――
さらにマリィの皮膚硬化を使い、体を張って銃弾を受ける覚悟を固める。
――「問題はなにもないはず、ただ少し――」――
「力任せになるだけッ!! APミサイル発射!!」
思考通信ではない叫び声とともに、ショウコのトラッカーが一斉に火を吹き四発のミサイルが発射される!
APミサイル、APとは徹甲弾のことではなくアーネスト・パンツ略であり、特に貫通力の高いミサイルなどではない。普通のミサイルの弾頭にアーネストのパンツを挟んだ物であり、ヤシノキラボの極一部で高値で取引されているアーネストのパンツにより、一発の単価が高く、アーネストの脱ぎたてパンツが使用されるためリロードに一日以上の時間を要する。
そして今、そのアーネストのパンツにはリリによるマーキングが施されており……。
「なんであの男が突っ込んで!?」
角を曲がってきたリリに一瞬のスキが生じ、罠だと気付いてRAシールドを展開するも範囲は自身だけをカバーする最小限の物となり、乗っていた戦車までは覆えなかった。その戦車に二発のミサイルが、そしてAPミサイルともう一発はシールドを張ったリリへと命中する!
「キャーッ!!」
ミサイルと戦車の誘爆を受けリリはシールドごと壁へと叩きつけられる。そしてシールドが消えて地面に尻餅をついた所に――
「どぅぉぉぉぉぉぉぉぉりゃァァァァ!!」
ショウコがアーネストの手を掴んで全速力で突っ込む!
勢いの付いたところで、さらにアーネストをぶん投げた!
「食らえ! アーネストグレネード!!」
ロボット三原則などはなから設定されていないフィギュアハーツならではの、主人を投擲する攻撃。
アーネストグレネード、全裸のアーネストを投げる。ただそれだけ。
しかしアーネストとはたとえ全裸でもアーネストであるだけでアーネストである。そう、アーネストにはフュギュアハーツやクロッシングスキルを使う者に対しては、特効となりうるスキルが有る。
――arnestがFH-U SA-01サラーナのクロッシングスキルを使用――
サラーナのスキルを発動させたアーネストがリリの手前で顔面から着地、
「ブベっ!」
さらにもんどり打って転がりリリを巻き込んで壁際で止まった。
「はぁ……はぁ……ふぅ……」
その様はまるで逃げ場のない少女に全裸で跨る男そのモノであったが、リリはなぜかその姿にときめきを覚える。
そして迫る男の顔から目を離せず、恍惚とした表情でその唇を唇で受け止め、舌を受け入れる。
そして繋がり、
――arnestがクロッシングスキルを使用――
アーネストはダッシーからリリを寝取った。
その瞬間、浮遊していたトルメンタや戦車が一斉に地面に落ち、けたたましい音が通路に響く。
「アァァァァァネストォォォォ!! 何しよったァァァァ!!!?」
「えっと、ダッシーさん、これは……」
激高するダッシーにアーネストは言葉を紡ごうとするが、ショウコに手を引かれ立ち上がる。
――「たいちょう、逃げますよ!」――
――「え? なんでリリの中にショウコの……?」――
「ってキャァァァァァァァァァァァァ!!」
――クロッシングエラー、FH-U SA-05リリとのクロッシングを強制切断――
ものすごい嫌悪感とともに、リリとのクロッシングが切れた。
ショウコがさらにアーネストを引き寄せると、一瞬前までアーネストの股間があった位置をリリの拳が空を切り、その余波でアーネストの股間のペンデュラムが揺れて肝を冷やした。マリィのクロッシングスキルがあっても、直撃したらアレがもげてたかも知れない勢いだった。怖い怖い。
――「ほらほら、再契約される前にとっととずらかる! これ一択っしょ!」――
――「……了解!」――
アーネストは怒り狂うダッシーの説得は無理だと諦め、ショウコの背に戻る。
――「先に行くわ。出口まではもうすぐのはずよ」――
サラーナが颯爽とアーネストたちの横を抜けて行く。
ショウコもそれを追ってスラスターを吹かし、混乱するダッシーとリリを残しその場をあとにする。
サラーナの背中でアクセリナがわずかに身じろいた気がしたが、この娘が起きていてくれればこんなことにはならなかったと考えると、徒労感が増すので誰も気付かなかったことにした。
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お漏らし天使の覚醒
通路をしばらく進むと大きな通りに出て、さらにその先には外に光が見えてきた。
――「もう朝になってたのか」――
――「そうみたいね。……そして、最後の敵がお出ましよ」――
出口の光を遮る二つの大きな人型のシルエット。
――「入り口にいたツーレッグか! サラーナ、クリエ貸して! アタシがやる!」――
サラーナが放おったクリエを加速してキャッチし、さらに加速して二体のツーレッグの真中へ突っ込む。アーネストは振り落とされないようしっかりと捕まる。
ツーレッグたちが大口径のアサルトライフルを撃って来る。
「ナイス射撃ぃ!!」
――FH-U SA-04ショウコがクロッシングスキルを使用――
スキルを発動したショウコが地面を蹴ってさらに加速!
超音速の相対速度で弾丸がRAシールドに弾かれる。
一筋の青い閃光と化したショウコが、ツーレッグたちの間を抜けながらの一閃!
勢いよく通路を抜けて外へ出たショウコ、それを追うようにツーレッグだった部品が出口から派手に吹き出す。
「ふい~、スッキリしましたぁ」
ショウコは地面をえぐりながらブレーキをかけ振り返り、ツーレッグの腕や脚が朝日を反射して舞い飛び、やがて地面に無様に転がるさまを満足そうに見た。
『アーネストくん。聞こえるか?』
「ブンタさん!? 良かった無事だったのか」
ちょうどその時、ブンタから通信が入った。脳内OSによる通信は素っ裸になっても使えるので便利。
『うむ、我輩にかかればあんな小娘共を追っ払うくらい朝飯前なのである』
『ブンタ……』
本当はまんまと時間稼ぎにハメられた上に、最後は見逃してもらったということは、シンディアは伏せておくことにした。
あとから追いついてきたサラーナと、その背で眠るアクセリナをチラリと見ながらアーネストも報告する。
「さすがブンタさん! こちらもアクセリナの奪還に成功しました!」
『よくやった! ニフル博士によればもうすぐダッシーラボから前線に出ていた戦力が戻ってくる。……いや、もう見えた! 撤退を急ぐぞ!』
「ニフル博士に会ったんですか!?」
『ああ、事のあらましは聞いた。吾輩も少々頭に血が上っていたらしいな……』
針葉樹林帯の一部を焼け野原にしておいて、少々なのかな?
ここで撤退の準備が整ったらしく、シンディアが通信に割り込む。
『コアシップブースター、発進準備OKネ! ブンタ、トークは後にしてとっととシートに座るデス! ショウコ、サラーナ、ランデブーポイント送ったからそこで待機よろしくネ!』
コアシップブースターとはPSWでツーレッグと同時期に開発された航空輸送機である。垂直離着陸や空中停止などが可能であり、ミサイルや機銃などを装備することで空中要塞としても機能するすぐれものであるが、フィギュアハーツの汎用性、というか万能性が増したことで無用の長物となった物だ。しかし今回のようにシンディアが両足を負傷するなどの通常の撤退が困難な状況のために一応、転送用倉庫に入れてあったのだ。
「了解! って空中で合流かよ」
「グダグダ言わないのショウコ。敵がすぐ近くまで来てるんだから、これが一番の最善策よ」
確かに敵がすでに目視できる距離にいるのに、一度離陸した後で悠長に降りてきてもらってもう一度離陸するよりは合理的だ。
サラーナに続いてショウコもRAシールドを展開して飛び立つと、すぐに上昇中のコアシップブースターを確認できた。ずんぐりとした胴に二つのフロートユニットを両翼に付け、さらに各部にブースターやスラスターを装着した深緑色の輸送機だ。
その輸送機に幾筋もの銃弾やミサイルが殺到している。
「もう撃たれ始めてる!?」
「ブンタのおっさんとシンディアの姉御が居るなら、船が落ちる心配は無いだろ。むしろこれだけの高高度まで上がるのは、アタシらが撃たれないようにするためだろうな」
目指す合流ポイントは高度一万二千メートル。地上の敵の射程外である。
「なるほど、弾もミサイルも途中で消えてる……。つくづくクロッシングスキルってデタラメだな」
そのクロッシングスキルを使う者たちからすれば、アーネストほどデタラメな能力は無いのだが、本人に自覚はない。
そして合流ポイントまでたどり着き、コアシップブースターの後部ハッチが開きサラーナとアクセリナが回収され、次はアーネストたちが入ろうとショウコがRAシールドを解除したその時!
「ぐがッ!?」
「なにッ!?」
突如アーネストの胴に何かに掴まれるような圧迫感が奔り、そして地上へと無理やり引っ張られる。
「な……っ、ツーレッグの、腕!?」
目を向けるとアーネストを掴んでいるのは、壊れたツーレッグの巨大な手であった。
「くッ、さっき壊した奴か!?」
そういえば機密保持のために砂になってなかったことを思い出す。地上に目を向けても見えないが、ダッシーがこちらを見ていると確信できる。リリと再契約して念動力でここまでツーレッグの腕を飛ばしたのだ。
最後の最後でしてやられた。
先に輸送機に入ったサラーナの声が通信に乗って届く。
『シンディア! アーネスト隊長とショウコが!』
『状況はフィールしてル! でもこれ以上高度を落とすとこのシップもダッシーのスキルフィールドに入る危険性があるデス!」
『ブンタさんッ!!』
『吾輩でもスキルのかかってる物体にスキルを上書きできない!』
どうやらブンタたちのスキルでも、このツーレッグの腕をどうにかすることは出来ないらしい。
「ガッ、ぐぅぅ……」
アーネストも拘束を解こうとするも、機械の手には到底かなわない。
マリィの皮膚硬化スキルによって、身体を固定していたワイヤーで身体を引き裂かれることが無いのは不幸中の幸いか。
「クッソォー! スラスターじゃ振り切れねえぇぇ!!」
ショウコも必死にスラスターを噴かすも、ズルズルと高度は下がっていく。
――このままじゃ……ショウコ様まで!!
一拍早くアーネストの思考を感じ取ったショウコだが、それでも遅かった。
「え? たいちょう、何を……?」
「ショウコ様、行って下さい……」
そう言ってアーネストは、ショウコのスーツの脇腹にあった小さな蓋を開けワイヤーの緊急パージスイッチを押した。
「たいちょぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
パパパパパッとあっけなくワイヤーが切り離され、スラスター全開だったショウコはコアシップブースターに向かってすっ飛んでいく。
そして逆にアーネストは地面に向かって落ちていく。
コアシップブースターの中から身を乗り出してこちらを見ていたサラーナと、衝突する直前で振り返ったショウコが泣いているのは、見えなくても感じ取れた。
――「ショウコ様、ごめんなさい……」――
――「謝んなバカぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ」――
見上げる青空、はるか上に見えるコアシップブースター。追ってこようとするショウコをサラーナが羽交い締めにして抑えている。
その時アーネストは、舞い降りてくる天使の幻想を見た気がした。
「天使……!?」
否、それは金色の髪をなびかせた白き衣の美少女。
その落下速度は舞い降りるなどというものではなく、白いワンピースをはためかせながら一直線にこちらへと急速降下して来ている。
ついに地へと引かれるアーネストに追いついたそれは、
「アクセリナちゃん!!?」
「まったく、アーネストさんは詰めが甘いですね」
幻想でもホログラムでもない、現実のアクセリナであった。
アクセリナはアーネストの腹、ではなく掴んでいるツーレッグの腕に触れると、呟くように世界へ命令する。
「アクセリナの名においてクイーンズコードを発動。周辺の[aracyan37粒子]への最優先アクセス権限を要求」
するとアーネストを地面へ引きずり下ろしていたツーレッグの腕はパッと砂となった。
さらにアクセリナがアーネストの背中へと回り抱きつくと、フワリと落下から上昇へと変わるのを感じる。ついでに背中にフワリと柔らかくて温かいものが当たるのも感じる。
周囲を見ると近づいていた森の緑がどんどん遠ざかっていく。
「え? いったい何を……?」
「ふっふっふー。これこそが目覚めたクロッシングチャイルドの真の力なのですよ。[aracyan37粒子]は精神と電子的情報を伝達する粒子であり、アクセリナたちクロッシングチャイルドは覚醒することでその両面から[aracyan37粒子]にアクセスできるようになる訳です。そうすることで[aracyan37粒子]の優先アクセス権限を得て、あらゆるクロッシングスキルの解除、だけでなくスキルの再現? いえ電子世界で出来ていたことの再現ですかね? ……まあ、とにかくいろいろ出来るのです! あ、でもアクセリナから離れないで下さいね、たぶん落ちちゃいますから」
ふむとアクセリナの説明を聞いて腕を組むアーネスト。
「なるほど、だいたい分かったよ」
あ、これ絶対わかってないやつだとアクセリナは思った。
「まあ、なんでもいいけど、この力でこれから戦争は無くなるんだろ? それなら俺もいろいろ頑張ったかいがあったよ」
「うーん……。戦争が無くなるかどうかはハスク兄さん次第でしょうし、……アクセリナにはまだわかりませんけど、希望は見えてきましたね!」
「それだけでも充分だよ」
確約は貰えなかったが、アーネストはその言葉だけで温かい気持ちになれた。
特に背中のあたりが温かい。
「……あの、アーネストさん……、ごめんなさい……。体を動かすのはすぐに最適化出来たんですが、こういう習慣的なものは今までカプセルが自動でやってくれてたので、まだ慣れが必要で……」
アクセリナが恥ずかしそうに謝る。
「良いって良いって、それに可愛い女の子のお漏らしならむしろご褒美だよ」
アクセリナはラボに帰ったら、とりあえずトイレトレーニングから頑張ろうと心に誓った。
こうしてアーネストたちは金色の滴の尾を引いて、コアシップブースターへとたどり着きダッシーラボ上空を離脱。
ヤシノキラボへと帰還していった。
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