不死人、オラリオに立つ (まるっぷ)
しおりを挟む

第一話 邂逅

読み返していたら勘違いしていた箇所がありましたので訂正いたしました。

第一話冒頭で「遠征の帰還の最中」としていましたが、正しくは「遠征の途中」でした。

申し訳ありませんでした。



2017年 10月13日

主人公とアイズ達の邂逅シーンを若干変更しました。


「あ~~~!!早く帰ってシャワー浴びたーい!美味しいもの食べたーい!」

 

「うるせぇぞ馬鹿アマゾネス。そんなに腹減ってんだったらそこらのミノタウロスでも食ってろ」

 

「モンスターなんて食べられる訳ないじゃん!ベートと一緒にしないでよ」

 

「俺はモンスターなんざ食わねぇよ!!ふざけた事抜かしてんじゃねぇぞコラァ!」

 

「ちょっとうるさい。帰りくらい少しは静かにできないの?」

 

「しょーがないよティオネ、だってベートったらすぐ怒鳴るんだしさ。ここは大人なあたしたちが我慢してあげようじゃない」

 

「あんたにも言ってるのよ、ティオナ」

 

「えーひどーい!あたしはベートみたいにキャンキャン吠えたりしてないもん!」

 

「てめぇ、そんなに死にてぇか……!?」

 

ダンジョン第四十九階層。それが現在彼らがいる場所だった。先頭を進むのは灰色の髪を持つ狼人の青年、ベート・ローガ。その後ろを露出の多い踊り子のような衣装を着たアマゾネスの姉妹、ティオネ・ヒリュテとティオナ・ヒリュテが続く。そして最後列には無言で彼らの後を付いてくる金髪の少女、アイズ・ヴァレンシュタインがいた。

 

彼らロキ・ファミリアは現在、『遠征』の最中ではあるのだが、現在は第五十階層の安全圏にて大規模な休息をしている。ロキ・ファミリアは大きなファミリアなので、団員達の中でもレベルによる体力の差などにより、疲労の大小はさまざまである。よって団長であるフィン・ディムナの発案により、現在は休息を取っている。

しかしアイズを始めとする高レベル冒険者は体力的な面から言ってもまだまだ余裕がある。そこでフィンの許可を貰い、他の団員が休息中に、今まで通ってきたダンジョンを戻り、少しでも自身のレベルを上げるためにモンスター狩りを行っていた。

 

あらかたのモンスターを狩った彼らは、今回はこの辺りでレベル上げを切り上げても良いだろうと判断し、フィン達が休息を取っている第五十階層へと帰ろうとしていた。

 

その時であった。

 

「あぁ?」

 

「なにあれ?」

 

先頭を行くベートの更に前方、およそ100Mほどの距離にモンスターの集団を発見した。そのモンスターたちは狭いダンジョンの通路を埋めつくすほどに溢れかえっており、わき目も振らずにベートたちのいる方向へと向かってくる。

 

「モンスターの集団!?」

 

怪物進呈(パスパレード)……じゃないわね。パーティなんて見えないし」

 

「ハッ、何でも良い。レベル上げの締めにゃあ丁度いいぜ!!」

 

モンスターの群れに吃驚した声を上げるティオナ、冷静に分析するティオネ、もうひと暴れとばかりに獰猛に笑うベート、そして静かに、しかし確かな闘志を燃やしながら剣を抜くアイズ。

 

数秒後、Lv5の一級冒険者四名とモンスターの軍勢が衝突した。

 

まるで黒い濁流のようなモンスターたちの塊が四人を呑み込む。一般人ならばそれだけで挽肉にされかねないような衝撃だが、彼らはLv5。当然そんな事ではやられない。

 

「オラァ!!」

 

モンスターの濁流の中、ベートの強烈な蹴りがモンスターの顔面を捉える。四足歩行だったそのモンスターは突進力もある厄介なものなのだが、ベートの蹴りはそれ以上。蹴りを入れられたモンスターは顔面をひしゃげさせながら、後方にいたモンスター数体を巻き込み、まとめて吹き飛んでいった。

 

ティオナは自慢の専用装備、大双刃(ウルガ)を器用に使いこなし、次々に襲い掛かる大型モンスターを倒していく。亀の甲羅のようなものに包まれたモンスターが一体、ティオナの前に姿を現すが、超重量の武器を持つティオナはまるで甲羅など無いかのようにそのモンスターに斬撃を見舞う。

 

目の前に飛んでくるモンスターの残骸を一対の湾短刀で器用に斬り流しながら、ティオネは自身の横をすり抜けようとするモンスターに滑らかな傷口を付ける。一瞬の間を置いてモンスターは斬られた事を自覚し、悲鳴すら上げられず地面に倒れ伏す。灰に変わるまでの間、それが後方を行く同胞の障害となり、パニックを起こす。

 

恐慌状態となった彼らを待ち受けるのは、最後尾にいたアイズだ。彼女は網に掛かった魚のようなモンスターの群れに飛び込み、一息のうちに数匹のモンスターを灰に変えた。瞬く間に灰に変えられてゆく同胞を見たモンスターたちはなおさら混乱し、前方にいる同胞を押し退けて我先にと先に進もうと暴れ回る。

 

しばらくするとモンスターの群れはいなくなり、アイズたちの周りには灰の山と、その合間から大量の魔石が顔を覗かせていた。

 

「いやー、締めにはピッタリな戦闘だったね!久しぶりに思いっきりウルガも振り回せたし!」

 

「あんたがぶった斬ったモンスターの残骸がこっちに来たおかげで私はあんまり暴れられなかったけどね」

 

「え、ウソ。まだ生きてたっけ?」

 

「だからちゃんと急所を攻撃するようにっていってるのよ。大きいモンスターは灰にならないと邪魔ったらないんだから」

 

「えへへー、ごめーん」

 

ティオナとティオネは辺りに散らばった魔石を回収しつつ、姉妹で反省会を行っている。

 

そんな二人とは対照的に、ベートとアイズは何やら腑に落ちない顔でモンスターたちが去って行った通路をながめている。

 

「おい、アイズ」

 

「なんでしょうか、ベートさん」

 

自分を呼ぶ声にアイズは顔をベートの方に向ける。ポケットに両手を突っ込んだ状態のベートは、アイズに視線を向けずに、変わらない表情のまま口を開く。

 

「さっきのモンスター共、なんかおかしくなかったか?」

 

「……はい。あれは私たちを見つけて襲ってきたというより……」

 

 

 

まるで、何かから逃げてきたような……。

 

 

 

アイズの言わんとしている事はベートにも分かっていた。彼が最初に蹴りを見舞ったモンスターは非常に好戦的な性格で知られており、ひとたび冒険者を視界に収めると、その姿が見えなくなるまで追い掛け回すほどしつこい事で有名だ。

 

しかし今回、確実にベートの姿が見えていたにも関わらず、モンスターはベートの横をすり抜けようとしていた。反射的に蹴りをお見舞いしたが、あのまま見逃していたならば、おそらくベートに攻撃せずにそのまま突っ走っていただろう。

 

アイズもモンスターに対して、ベートと似たような違和感を感じた。

 

モンスターの群れに身を投じて10体ほど倒した時点で、モンスターたちがめちゃくちゃに暴れ始めたあの時。

 

あの暴れっぷりは凄まじかったが、あれは自身の身に降りかかる脅威を排除するためというよりは、為す術がなくなり、どうしようもなかったがための苦し紛れの行動のように感じられた。

ふとモンスターたちが来た方向を見ると、ちらほらと魔石や灰が落ちている。アイズたちがモンスターたちと接触した場所からかなり離れているので、あれは自分たちが倒したモンスターのものではないだろう、アイズはそう推測した。

 

恐らくはもっと早い段階、アイズたちがモンスターたちと接触するより先に戦い、モンスターを倒した者がいる。そして何故かモンスターたちはその者から逃げ出した。死んで魔石と灰になった同胞を体にへばり付かせながら。

 

つまり、この魔石と灰の道しるべを辿っていけば、モンスターを先に倒した者たちに行き着く。

 

「おい、馬鹿アマゾネスども、いつまでチンタラ拾ってやがる。ンなモンどうでも良いからさっさとこっちに来い」

 

「うるさいなぁ、結構数があるから手間取ってるんだよ」

 

「そんなに不満ならベートも手伝いなさい。その方が早く終わるわよ」

 

「俺はそんな三下みたいな真似はしねぇんだよ」

 

アイズが思考に耽っている間に、ティオナとティオネはベートと口論しながらも魔石を回収していった。しばらくして回収作業が終わり、魔石は各々の収納ポケットに仕舞われる。ベートは最後まで魔石の収納を拒否していたが、結局は渋々ポケットの中に魔石を仕舞うことになった。

 

「それじゃあこの通路の先に、あのモンスターたちを先に倒した奴らがいるって言いたいの?」

 

「うん。飽くまで推測だけど、可能性はあると思う」

 

「もしそれが本当だったら、あたしたちレベルの冒険者がいるってことになるね。そのパーティ」

 

腰に手を当てながら、ティオネはアイズに確認をとる。曖昧で根拠も乏しい答えであったが、ティオネ自身も先程の戦闘は不審に思っていたので、アイズの考えに乗ることにした。ティオナもウルガをくるくると両手で弄びながら、好奇心から賛成する。

 

こうして四人はベースキャンプに戻る前に、少し寄り道してこの通路の先にいるであろう冒険者たちの姿を確認する事にした。

 

魔石と灰の道しるべはアイズたちの思っていたよりもずっと奥まで続いており、気が付けば現在いる第四十九階層の奥にまで来ていた。この階層はアリの巣状に道が枝分かれしており、ダンジョンとして極めてオーソドックスな造りをしている。発光する壁のおかげでだいぶ先の方まで見渡せるが、一度迷い込めば、潜り慣れていない人間にとっては非常に厄介な階層だ。

 

アイズたちは遠征や自主練習(レベル上げ)で度々この場所を訪れているので迷う事などないが、それゆえにこんな場所にまで来るパーティがいる事に内心驚いていた。

 

「ここまで来たパーティってすごいね。あたしたちでもあんまこの場所には長居しないのにね」

 

「まあそうね。ここは長く居過ぎるとあっという間にモンスターに囲まれるような地形をしてるし。案外、私たちが見つけようとしてるパーティももう全滅してるかも知れないわね」

 

「はン。もしそうだとしたら、大方テメェの身の程も分からねぇ雑魚だったってことだろ」

 

アイズは後方の三人の会話を耳にしながら、時には現れたモンスターを倒しながら、黙々と先へ進んでいった。

 

しばらく進むと通路のような迷宮のなかに突如として巨大な空間が姿を現した。ここは冒険者たちの間で通称「闘技場」と呼ばれている空間である。オラリオにある闘技場とは全く異なるが、ここで戦うと、まるで闘技場での戦いに見える事からそう名付けられた。

 

「……!!」

 

その闘技場の様子を見て、アイズたちは思わず息を吞んだ。

 

目の前には、視界を埋め尽くさんばかりの魔石と灰の山。この闘技場の中、360度どこを見渡してもそれしか見る事ができない。この光景を作り出すのに、一体どれだけのモンスターを倒したのか、考えるだけでもバカバカしくなる。オラリオのトップクラスのアイズたちでさえそう思わずにはいられなかった。

 

「なんだ、こりゃあ……!?」

 

「ここにあるの、全部モンスターの残骸?」

 

「いったい何十匹分あるのよ、コレ」

 

ベートたちが驚愕を口にしている間にも、アイズは闘技場の中を注意深く見渡した。よくよく見ると魔石以外にもドロップアイテムであるモンスターの体の一部が落ちているが、アイズは注目したのはそこではない。

 

(……モンスターの残骸がこんなに転がっているのに、冒険者側に被害を受けた形跡がほとんどない……)

 

ここまで激しい戦闘を行ったのならば、当然両方ともかなりの被害を受けたはずだ。冒険者側だって武器や防具が傷つき、その欠片が落ちていても良いものだ。しかし現状、被害はほとんどモンスター側にしか見られない。

 

「あ、ちょっと、アイズ!?」

 

不意にアイズは闘技場の中に向かって歩き出した。突然の行動にティオナが声を掛け、彼女たちもアイズに続いて闘技場内に入る。

 

灰に覆われた地面を注意深く見渡しながらアイズは歩き続けていたが、突然歩みを止めてその場にしゃがみ込み、地面に落ちていた何かを手に取った。アイズのすぐ後ろを歩いていたティオナは、アイズが拾ったものを背中越しに覗き込む。

 

「どうしたの、アイズ……って、それなに?」

 

「ボルト……だと思う」

 

アイズが拾い上げたのは丁度手のひらと同じくらいの大きさのボルトだった。クロスボウに使われるもので、弓で言うと矢の役割をするそれを装填し、射出される。弓よりも技術を要求されず、かつそこそこの威力があるのでサポーターや低レベルの冒険者はたびたび使用する。しかし上層のモンスターにこそ効果を発揮するが、ここまで深い階層ではモンスターの頑丈さも上層の比ではなく、それゆえにあまり使われることのない武器でもある。

 

「クロスボウに使うやつよね、それ。私は使った事が無いから分からないけど、そんなに頼りになる武器でもないでしょ」

 

「冒険者の姿も無しで、この階層でそんなモンが落ちてるってことは、こりゃあ本格的に身の程が分からなかった馬鹿が低レベルの奴を巻き込んで全滅したらしいな」

 

「でもその冒険者たちの武器とか落ちてないよ?やられたんならそれも無いとおかしくない?」

 

「俺が知るかよ。でけぇモンスターか何かが武器ごとそいつらを喰ったとかそんな所だろうよ。ケッ、つまらねぇ」

 

これだから雑魚は、とでも言いたげに溜め息を吐くベートを横目に、アイズは立ち上がり手に持つボルトをまじまじを観察する。

 

知識としてボルトは知ってはいたが、実物を見た事が無かったための好奇心もあるが、ひとつ引っかかる事があったのだ。

 

(……このボルト、微弱だけど、魔力を感じる……)

 

アイズが引っかかっていたこと、それはこのボルトから微かに魔力が感じられることだ。アイズたち冒険者が持つ武器には、基本的に魔法の力が付与されているものではない。それに該当しないものは『クロッゾの魔剣』ぐらいであるが、その魔剣だって折れたり砕けたりすれば魔法の効果を失う。また、魔剣自体の魔力が無くなっても砕け散ってしまう。

 

しかし現に、このボルトからは魔力を感じる。先端の鉄の部分が少し潰れていることから、恐らく使用済みであることが窺える。

 

ではなぜ使用したにも関わらずに砕けもせず、しかも魔力が感じられるのか、そもそも魔法の力が付与されたボルトなど、このオラリオに存在していたか。

 

アイズがボルトを見ながらそんなことを考えていたその時である。

 

「ちょっとみんな!こっちに来てちょうだい!」

 

闘技場に響くティオネの声。点在する灰の山によりここからはティオネの姿を確認する事は出来ないが、声色から察するに、彼女が何か見つけたのだろう。

 

アイズはボルトを魔石を入れておくポケットに仕舞い、声のした方向に駆ける。闘技場のような空間とは言え、地上にある本物と比べれば狭いので、ティオネのいる場所にはすぐに辿り着いた。

 

ティオネは闘技場の端の壁際の近くにいた。隣にはティオナが居り、二人はやって来たアイズに背を向ける形で壁側に視線を送っていた。

 

やって来たアイズは彼女たちの後ろにいたベートに何かあったのか尋ねる。するとベートはあごでティオネたちを指す。どうやら自分の目で確かめろということらしい。アイズはティオナに近付くと、その背中に語りかける。

 

「何か見つけた?」

 

「あ、アイズ。こっちこっち」

 

「ええ、見つけたわ。あなたの捜していた人よ」

 

二人がちょうど壁となり、アイズは二人の目の前にあるソレに近付くまで気が付かなかった。ティオネは自分のいる場所を明け渡すようにその場を離れ、入れ替わるようにアイズがそこに立った。

 

 

 

視線の先にあった、否、居たのは一人の男だった。

 

 

 

下半身を投げ出し壁に体重を預け寄りかかっている、鎧を身に纏った人物。そのがっしりとした体型から男性であると分かるし、尾が見られない事からも、恐らくは人間かエルフかのどちらかであろう。

 

力無く壁にもたれてはいるが、その両手にはしっかりと彼の得物が握られている。右手にはロングソード、左手には適度な装飾がなされた盾。まるで初心者の冒険者が持っているような一般的な装備であるが、身に纏っている鎧はその限りではない。

 

男の上半身を覆う鎧は誰が見ても見事という一言に尽きる代物だ。

 

金属製の鎧は重厚かつ堅牢ではあるが、その分重量があるし、なによりも動きづらいというデメリットがある。いくら防御力が高い鎧でも攻撃を受け続ければ、着用している本人は無傷では済まない。そのため重い金属鎧を愛用する冒険者というのは意外と少ない。

 

しかしアイズたちの目の前にいるこの男が身に着けている鎧は、そんな金属鎧のイメージを払拭するようなものであった。

 

重装でありながらも、関節部分は着用者の運動能力を損なわないよう、チェインメイルが組み込まれている。これにより弱点となりやすい駆動部を上手く防御できる。

 

また肩周りを覆う装飾のような毛皮は、寒冷地での行動を考慮しての防寒具として機能するのだろう。鎧の端やコートのように見える布は緑色を基調とし、これにも細かな刺繍が施されている。

 

極めつけは男の頭部を覆う兜である。

 

頭部をすっぽりと覆う兜にはT字型のスリットがあり、必要最低限の視界を確保できるようになっている。わざわざ視界を狭めるという、一見すると自殺行為のような構造ではあるが、使用者によっては頭部への攻撃を大きく防いでくれる頼もしい防具となる。

 

額にはこの鎧によく似ているものを着用した剣士と、火を吹く竜が相対している構図の彫刻が施されており、まるで英雄譚の一説を浮かび上がらせたような兜は、芸術的な価値すら付きそうな見事なものである。

 

そんな鎧の所有者であるこの男の全身には所どころに出血が見られる。身動き一つしない男の様子に、アイズ達は既に事切れていると判断した。

 

「なんかすっごい鎧だね、この人の」

 

「こんなに目立つ鎧を着てる冒険者ならすぐ判りそうなものだけど……ベート、あんた知ってる?」

 

「こんな所でくたばるような雑魚なんざ俺が知ってるわけ無ぇだろうが」

 

男を観察するように見つめるアイズをよそに、ティオナたちはこの男について知っているかどうかについて話をしている。三人はしばらく話し合っていたが、結局は誰か分からなかったようである。

 

するとティオナがアイズの横にまで移動し、彼女にも先程話し合っていたものと同じ質問をする。

 

「アイズもこの人の事、知らない?」

 

「うん……私も知らない」

 

「そっかー、アイズもわかんないか」

 

「死体をこのまま放っておく訳にもいかないし……何か個人を特定できる物とか持ってないかしら」

 

アイズもこの男の正体に心当たりがないと知ると、うーん、と腕を組んで何やら考え込むティオナ。ティオネはギルドで身元を照合させる為、本人と断定できるものが無いか探す事を提案した。

 

するとここでティオナが何か閃いたようで、おもむろにしゃがみ込むと男の兜に手を伸ばした。

 

「兜を取れば誰だか分かるかな?」

 

そう言って男の兜に手を掛けるティオナ。身元特定の為とは言え無遠慮に手を伸ばす妹にティオネが苦言を呈そうとした、まさにその瞬間。

 

 

 

 

 

男が左手に持っていた盾が、しゃがみ込んでいたティオナの胴を直撃した。

 

 

 

 

 

何の防御も出来ずモロに食らったティオナは、勢いを殺せないまま5~6Mほど吹き飛ばされてしまう。

 

「うわっ!?」

 

「ティオナ!?」

 

「何だァ!?」

 

「っ!!」

 

ティオナのすぐそばにいたアイズ、そこから少し離れた場所にいたティオネ、彼女たちに背を向けていたベート。三人は吹き飛ばされたティオナに素早く反応し、事態を把握しようとする。

 

しかしそれよりも速く、男が動く。

 

ぐったりと背を壁に預けていた姿勢からバネのように上半身を跳ね起こし、そのまま一息でアイズたちから距離を取った。既に事切れていると思っていた男の突然の動きに、アイズ達は後れを取ってしまう。

 

気が付けば、目の前には瀕死どころか、全身から静かに闘志を滲ませる男の姿があった。

 

今しがたティオナを吹き飛ばした盾は無造作に握られたままだが、右手のロングソードは油断なく握られている。不用意に近付けば斬られると、アイズたちが今まで培ってきた冒険者としての勘が警鐘を鳴らす。

 

対する男は静かにアイズたちを見渡した。欠片も隙を見せない男の姿に、アイズ達の背中に冷たいものが流れる。

 

「朽ち果てるのを待つだけと思えば、目が覚めれば獣共に囲まれ、その次は奇妙なソウルが感じられる者達……全く、おちおち休息も取れん」

 

兜の奥から聞こえてきた声は、当然ながら男の声である。毎日どこからか聞こえてくる、雑多に紛れる凡庸な、しかしどこか浮世離れしたような……あえて近いものを例に挙げるのならば、“神”を彷彿とさせる声色だった。

 

ゴクリと喉をならすアイズ達に向け、男はゆったりと口を開く。

 

「来い、奇妙なソウルを持つ者達よ。俺のソウルが目当てかどうか知らんが、向かってくるならば斬り伏せるのみ」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二話 戦闘

目が覚めると、そこには覚えのない光景が広がっていた。

 

最期に見る光景だと思っていた、かつては繁栄を誇っていた一国の王妃との決戦の場は目の前には無く、代わりに周囲を壁に囲まれた、巨大な空間があった。よく似た空間ではあるものの、明らかに別の場所であることを不死人は確信した。

 

「ここは……」

 

不可解に思いながらも、不死人の足は巨大な空間の中心まで歩みを進める。玉座に座ったその瞬間まで身に着けていた愛用の鎧に盾と剣を手に、油断なく周囲を見渡す。陽の明かりは無いが、代わりに壁自体が淡く発光しており、空間を把握することは難しくなかった。

 

ここでふと、不死人は妙な感覚を覚えた。この空間は自身がいた場所とは異なる、これは恐らく間違いない。

 

しかし周囲に充満する、ソウルにも似た奇妙な気配は何なのか?

 

彼の地……ドラングレイグには至る所にソウルに飢えた亡者や怪物が跋扈していた。中には同胞を食らう者もおり、その所為か、亡者などの存在が多く居る場所は、特にソウルの気配が強かった。

 

この場所には亡者はいない、しかしソウルに似た気配はする。長い経験にもなかった感覚に不死人は警戒を強める。すると不死人の背後、最初に立っていた辺りの壁に亀裂が入り、何者かがその中から這い出てきた。

 

「これは一体……!」

 

壁から出てきたモノを見て不死人は思わず声を出していた。それは不死人が初めて出会うタイプの敵……亡者でも異形でも無い、モンスターと呼ばれる存在だった。

 

『グルルルルル……!』

 

獰猛さを際立たせる牙が生えた口から涎を垂れ流し、モンスターは唸り声を出しながらダンジョンに生まれ落ちた。ライオンを彷彿とさせる巨大な四足歩行のモンスターは不死人に照準を絞り、生まれたばかりだというのに獲物を仕留めるべく、臨戦態勢に入る。

 

それが合図であったとばかりに、モンスターが生まれた壁に刻まれた亀裂は周囲に広がり、次々に新たなモンスターが生まれ落ちてゆく。

 

体毛に覆われた肉食獣のような外見のもの、昆虫を禍々しく歪めたような形のもの、はたまた伝説に登場する竜のような姿をしたもの、様々なモンスターが生まれ、不死人に殺意を向ける。

 

あっという間にその数は膨れ上がり、気付けば不死人は200を優に超えるモンスターの軍勢に囲まれていた。

 

もしここに冒険者がいれば、この現象がダンジョンで稀に見られる現象、怪物の宴(モンスター・パーティ-)であると分かっただろう。しかし、この数は明らかに異常。並みの冒険者は言うに及ばず、一級冒険者ですら一人で相手をすれば無傷では済まない。

 

しかし、このモンスターたちを相手取るのは冒険者ではない。数々の難行を成し、多くの強者のソウルをその身の糧とした不死人である。

 

不死人は軽く息を吐き、両手にある剣と盾を握り直す。その時、最初に生まれ落ちたモンスターが地を砕きながら不死人に向かって突進する。大きく開いた口は獲物の頭を噛み砕かんと、一直線に不死人に向かっていった。

 

モンスターと不死人の距離が無くなろうとした、その瞬間。

 

不死人の振るった剣はモンスターの口を横一線に切り裂き、そのまま肉食獣を彷彿とさせる頭部ごと切断する。

 

顔の上半分を失ったモンスターはその勢いを止めず、しかし力尽きたその体は地を削りながら崩れ落ち、周囲に血を振りまきながら停止した。モンスターたちは何が起こったか分からないといった様子でざわつき、灰となった同胞の死に警戒音を発する。

 

一方の不死人は剣を一振りし、刀身に付いた血を振るい落とす。そして剣を握った手をまじまじと見つめ、軽く手首を回す。その様子はまるで腕が鈍っていないかを確認するような素振りであった。

 

「ふむ…どうやら思ったほど鈍ってはいないようだ」

 

確認を終えた不死人はモンスターの軍勢に向き直る。その動作にすらモンスターたちはおののき、僅かに不死人から距離を取った。

 

「……次はどいつだ?」

 

その一言がモンスターたちの感情を決壊させた。憤怒とも恐怖ともとれぬモンスターたちの咆哮に包まれた闘技場で、一人の不死人と200余りのモンスターたちとの戦闘が始まった。

 

 

 

 

 

「……っ、少し……きつかったか……」

 

静寂が支配していた『闘技場』に、不死人の呟きがこだまする。周囲は魔石と灰で埋め尽くされており、その中に不死人は片膝を突いて息を整えている。

 

「ぐっ……」

 

不死人は肩に突き刺さったモンスターの牙を乱暴に引き抜く。鮮血が迸り灰に塗れた地面を赤く濡らすが、不死人には何の感慨も浮かばなかった。

 

引き抜いた牙を放り投げ、懐から取り出したエスト瓶の中身を頭から被る。冒険者にとってのエリクサーの様なそれは瞬く間に不死人の傷を癒してゆく。鎧はあまり傷ついてはいないが、モンスターたちにもみくちゃにされたため、内臓は滅茶苦茶にされてしまった。

 

エスト瓶の中身を浴びた不死人の体の傷は癒されていた。モンスターとの戦闘中に消費したものも含め、もうエスト瓶の中身は二口分しか残っていない。どこかに篝火でもないか、と不死人は思ったが、戦闘による疲労に負け、壁まで移動してそこで休息を取る事にした。

 

(少し、休むか……)

 

久々の戦闘に懐かしい感覚を覚えつつ、不死人の意識は微睡に吞まれていった。

 

そしてそのしばらく後、不死人は兜を動かされる感覚で目が覚める事となる。

 

 

 

 

 

(クソ。ここまで接近されるまで気が付かなかったとは……。何を呑気に寝ていたのだ、俺は)

 

不死人はアイズたちに相対しながら、兜の中で自身に毒づいた。不死人の目が覚めると、目の前には武器を持った者たちがいた。そのうちの一人は兜を脱がせようとしてきたので、反射的に持っていた盾で殴り飛ばした。

 

亡者たちとの殺し合いの日々を送っていた不死人にとって他人とは、おちおち信用できる相手ではないのだ。親切そうな男には爆死させられそうになったし、思ったより友好的かと思った相手は、実は有名な殺人鬼だった。

 

これらの経験により、不死人は初対面の相手にはまず警戒を持って接する事にした。しかし今回は相手を確認する事も出来ずに、あちらから接触してきた。反射的に手が出てしまったのも無理もない、とも言えなくもない。

 

現に目の前の四人はこちらを敵意と警戒を含んだ目で睨んでいる。亡者ではないだろうが手にした武器を構えている様子から、戦闘になる可能性は高い。

 

ならば……やられる前にやってやるまで。

 

不死人は剣を握る手に僅かに力を込める。未だに疲労は色濃く残るが、いつでも動けるように静かに身構えた。

 

 

 

 

 

(この人、強い)

 

アイズは目の前の人物を油断なく睨みつつ、静かにそう思った。

 

ティオナを殴り飛ばしてからこうして距離を取るまでの、あの素早い動作は早々できるものではない。あのぐったりとした様子から察するに死んだふりをしていた訳ではないだろう。

 

咄嗟にあの行動が出来たという事は、それだけ戦い慣れているという事だ。少なくともこの人物は今まで見てきた中でも上位に位置する力がある。

 

アイズは相手がどう動くか、その動きを見逃すまいと凝視する。ティオネとベートもアイズと似たような事を考えていたようで、油断なく不死人を睨み付けている。

 

「いった~い!もう、なんなのー!?」

 

その時、アイズたちの背後からティオナの声が聞こえてきた。吹き飛ばされるほどの衝撃を受けたハズだが流石は一級冒険者か、それほどの負傷はしていないようだ。

 

そしてティオナの声にアイズたちは一瞬気を取られた。その隙を見逃がさずに、不死人はアイズに向かって走り出す。

 

「!」

 

アイズは不死人を向かい打つべく、構えていた愛剣『デスペレート』を握る手に力を込める。瞬き程の間を置いて、不死人の剣とアイズのデスペレートがぶつかった。

 

ガキィンッ!!と火花が飛び散り、鍔迫り合いの状態になるアイズ。何とか耐えているが、相手の常人離れした膂力に押し負けそうになる。

 

(なんて力……!この人、少なくとも私と同じLv5……!?)

 

腰を落とし両足に力を込め、必死に押し返すアイズ。相手は片手だというのに、この馬鹿げた力は何なのか?そんな事を考えていたアイズの耳に、ベートの怒鳴り声が入り込む。

 

「オラァッ!!」

 

ベートの鋭い蹴りが不死人の頭を粉砕する直前、不死人はアイズとの鍔迫り合いを止め咄嗟に身を屈める。背後からの不意打ちの一撃だったにも関わらず回避した不死人にベートが舌打ちするも、ティオネの攻撃が続けざまに不死人を襲う。

 

「このっ!!」

 

ティオネが振るう湾短刀(ゾルアス)が身を屈めた不死人に襲い掛かる。一対の湾短刀が不死人の頭上から襲い来るが、不死人は左手の盾を構えてこれを防ぐ。攻撃を防いだ不死人はごろごろと地面を転がり、再びアイズたちと距離を取ろうとする。

 

「させるか、よぉ!!」

 

しかし、そこに再びベートの鋭い蹴りが放たれる。今度は防ぐ事も叶わず、不死人は腹部にベートの蹴りをまともに食らう事となった。その威力に不死人は後方に吹き飛ばされ、地面に激突する。

 

「アイズ、大丈夫!?」

 

「うん……!」

 

「ち、ちょっと!何が起きてるの!?」

 

「ティオナ!あんたもさっさと大双刃(ウルガ)構えなさい!」

 

ティオネが起き上がったティオナに戦闘体勢を取るよう指示を飛ばす。アイズは不死人の膂力に圧倒されたが、今度はこのような展開にならなようにと、先程以上に気を引き締める。

 

一方、ベートは不死人と戦っていた。ベートは息つく間もなく鋭い蹴りを放つが、不死人はそれら全てを盾によって防ぐ。中々通らない攻撃に最初の内は頭に血が上っていたベートだったが、次第にその顔を曇らせていった。

 

(クッソ、何だこいつの盾は!?そこら辺のヤワなモンかと思ったら、えらく頑丈でいやがる!)

 

ベートはオラリオでも屈指の実力を誇るLv5の第一級冒険者だ。その蹴りは並みのモンスターであれば一撃で灰に変え、またベート自身もその力に慢心はせずとも絶対の自信を持っていた。

 

その蹴りが、あんな薄い盾に防がれている。その事実に歯を剥き出しにして、怒りを込めて蹴りを放ち続けるベート。そんなベートの後方から、ティオナの声が聞こえてきた。

 

「ベート、どいてっ!!」

 

「あぁ!?」

 

ベートが後方を振り返れば、そこには既に大双刃(ウルガ)を振り被っているティオナがいた。大きくジャンプし、今にもその大きな得物が振り下ろされようとしている。

 

「ちぃっ!!」

 

大きく舌打ちしその場から飛びのくベート。不死人もここでティオナの存在に気が付いたのか、咄嗟に突き出していた剣を胸の前で構え、ティオナの大双刃(ウルガ)を受け止める。

 

「やぁぁああああああああ!!」

 

大双刃(ウルガ)は不死人の持つ剣によって受け止められたが、ティオナはグンッ!と更に力を込め、強く押し出す。武器そのものの重量もあり、その力強さに今度は不死人が押される番だった。

 

「……っ!」

 

「うわっと!?」

 

不死人は大双刃(ウルガ)と鍔迫り合っている剣を持つ手を振り回し、そのまま弾かれるようにしてティオナから離れる。半ば武器に体重を預けていたティオナはそれによって体勢を僅かに崩し、不死人の離脱を許してしまう。

 

「何やってんのよ、ティオナ!」

 

「ご、ごめーん!」

 

そんなティオナの脇をすり抜けるようにして、今度はティオネが前に出てきた。両手に携えた湾短刀(ゾルアス)を構え、素早く不死人に向かって駆けてゆく。

 

「食らいなさいっ!!」

 

一気に間合いを詰めようと不死人に駆け寄るティオネ。しかし急にその目を見開き、顔の前で湾短刀(ゾルアス)をクロスさせる。

 

次の瞬間、甲高い金属音と共にティオネの両腕に強い衝撃が走った。その音にティオナが叫び、アイズも何事かと身構える。

 

「ティオネッ!?」

 

「くっ、のヤロォ。小細工なんか使いやがって……!」

 

走るのを止めたティオネが乱暴な口調で苦々しく呟く。その足元には小さな金属が落ちており、先端は潰れた矢じりの様な形をしている。

 

「あれは……!」

 

アイズはそれに見覚えがあった。この場所に来た時に見つけた、あの魔力を帯びた不思議なボルト。それと形が酷似しているのだ。見れば不死人の手から盾は消えており、代わりにクロスボウが握られていた。恐らくはあれで撃ってきたのだろう。

 

不死人は困惑するアイズたちに向け、再度クロスボウを放つ。腰に着けたポーチ型の袋から取り出し、素早く装填を終え放たれたボルトはまたもティオネに向かって飛んでゆく。

 

「こんなもの食らうかっ!」

 

向かってくるボルトを避けようともせず、先程と同じように湾短刀(ゾルアス)を構えて防御しようとする。しかし先程と何か違う事に気が付いたアイズは、ティオネの背中に向けて叫ぶ。

 

「ティオネッ、避けて!」

 

「!? アイズ……!?」

 

突然の声に顔だけをアイズの方に向けるティオネ。ボルトは構えられた湾短刀(ゾルアス)へと向かっており、先程と同じように上手く防げるだろうと、少し離れた所から見ていたティオナとベートはそう考えていた。

 

しかし放たれたボルトは着弾と同時に、ゴウッ!と爆発したかのような火柱を作った。

 

「ぐっ!?」

 

突然上がった火柱によりティオネの視界は一瞬奪われる。何事かと混乱したその隙を見逃さず、不死人はティオネの横をすり抜けてアイズへ向かって一気に距離を詰めようとする。

 

「待てぇ!」

 

傍にいたティオナは当然そうはさせないと、大双刃(ウルガ)を携えて不死人の行く手を阻もうとする。しかし不死人は手にしていたクロスボウを投げ捨てると、腰から何かを取り出してそれをティオナに向かって投げつける。

 

「うわっ!」

 

咄嗟に大双刃(ウルガ)の腹でそれを受け止めたティオナ。しかしそれはぶつかると同時に炸裂し、青い輝きを放つ。ティオナは予想外の威力にのけ反り、そのままバランスを崩して尻もちをついてしまう。

 

ティオナたちは知る由も無いが不死人が投げたものは魔力壺と呼ばれる、魔力を封じ込めた火炎瓶のようなものだ。ウルガには魔力を防ぐような能力はなく、直撃は免れたものの炸裂の威力は予想外に大きかった。

 

「アイズッ、気を付けなさい!こいつ、いやらしい戦い方するわよ!」

 

「飛び道具に気を付けて!結構威力あるよっ!」

 

火柱による目潰しと魔力壺によって倒れてしまったティオネとティオナはアイズに向かって助言する。彼女たちもアイズに加勢しようとするが、どうしても先に動いていた不死人の方が早い。

 

不死人はアイズに向かって剣を振り上げる。盾を捨てた攻撃一色に彩られたその姿に、アイズは小細工無しの全力で掛かってくると確信した。

 

短く息を吐き、向かってくる不死人をしっかりと正面から見据えるアイズ。デスペレートを握る手に必要以上に力を込めないように注意しつつ、アイズは腰を落として迎撃の構えを取る。

 

不死人の振り被った剣は真っすぐにアイズへと振り下ろされた。ベートの叫ぶ声を耳にしながら、アイズは振り下ろされる剣の軌道を正確に読み取る。

 

(……ここっ!!)

 

不死人の剣がアイズの頭部に振り下ろされるかに思われた、次の瞬間。キイィン!と金属同士がぶつかる音が響いた。

 

「むぅ……!?」

 

アイズは目の前の不死人の兜の奥から、くぐもった驚愕に彩られた声を聞いた。

 

そう、アイズは剣を振り下ろされる直前にデスペレートを滑り込ませ、不死人の手から剣を弾き飛ばしたのだ。剣を失った不死人が気を取られている隙に、アイズは頭上に掲げていたデスペレートを構え直す。アイズが最も得意とする、突きの構えだ。

 

殺しはしない。されど剣や盾を握れないよう、まずは腕の機能を奪う。アイズは手近な左肩に狙いを定め、この日最速の一撃を見舞う。肩の関節を破壊しようと言うつもりだ。

 

デスペレートは吸い込まれるように不死人の左肩に突き立てられた。このまま貫通するかに思われた一撃だったが、それは突如、固い岩盤にぶち当たったかのように止められてしまった。

 

「!?」

 

一体何が、と思ったのもつかの間、アイズは目の前の光景に驚愕し、その目を大きく見開いた。

 

アイズの放ったデスペレートは確かに不死人の肩に突き刺さっていた。しかしそれは先端で止まっており、傷口からは僅かな出血が見て取れる。

 

アイズ渾身の一撃を受けてなぜこんな軽傷で済んでいるのか?その答えは単純だ。

 

ただ単純に、突き立てられたデスペレートの刀身を、不死人がその左腕で握り締めていたからだ。

 

ギリギリと軋む音さえ聞こえてくるような握力で刀身を握る不死人。肩を抉られているというのに、それを感じさせない不死人のこの行動に、アイズの顔から一筋の汗が流れ落ちる。

 

アイズの驚愕は更に続く。剣を弾かれ何も持っていなかったはずの右手に、いつの間にか新たな武器が握られていたのだ。

 

巨大な片刃の斧。先程のクロスボウ同様、いつの間にか手にしていたそれはすでに振り被られており、アイズは防御しようと咄嗟にデスペレートを構えようとする。

 

しかし、肝心のデスペレートは不死人の手によって封じられている。引き抜くことも出来ず、アイズは一瞬その動きを止めてしまう。この時すぐに離脱することを選択していれば良かったのだが、驚愕と混乱によってアイズの判断が一瞬だけ鈍る。

 

(まずいっ!?)

 

動けないアイズの頭の中で警鐘が鳴り響く。振り被られた斧にアイズの目が釘付けになっていたその時、アイズはベートの声を聞いた。

 

「屈め、アイズッ!!」

 

「!!」

 

ベートの声を聞くと同時に、ほぼ反射的にその指示に従うアイズ。素早く身を屈めたその頭上すれすれを、ベートの飛び蹴りが通り過ぎて行った。

 

「がっ!?」

 

たっぷりの助走をつけて放たれたベート渾身の蹴りは不死人の胸のど真ん中に吸い込まれた。その威力に不死人は吹き飛び、そして壁に勢いよく叩き付けられる。

 

短い悲鳴と共に叩き付けられた壁は大きく陥没し、亀裂をつける。握られていた斧も手から離れ、不死人の体はずるずると壁から落ち、力無く地面に倒れ込んだ。

 

「無事か、アイズ!?」

 

「は、はい……ありがとうございます、ベートさん」

 

地面に落ちたデスペレートを拾いながら礼を言うアイズ。アイズの無事を確認したベートはふんっ、と鼻を鳴らし、倒れた不死人へと近づいて行く。

 

「アイズー!大丈夫だったー!?」

 

「怪我とかしてないでしょうね!?」

 

ティオネとティオナが急いでアイズに駆け寄る。アイズは自身の無事を二人に伝えると、共にベートの元へと向かった。

 

「ベート、その人大丈夫?さっき全力で蹴ってたでしょ?」

 

「あぁ?知るかよそんな事。大体あの状況で手加減なんざ出来る訳ねぇだろ」

 

「まぁそうね。でもどうする、こいつ?野放しにはできないわよ」

 

「気を失っているみたいだし、目が覚めないうちにキャンプへ連れて行って、フィンの判断を仰いだ方が……」

 

アイズたちは倒れ伏す不死人への対処を話しあった。結局放置はできないという事となり、ベートが不死人の襟を持ち引きずって連れて帰る事となった。

 

「あれ?この人の武器は?」

 

「さぁね。きっと灰の山にでも埋もれてるんでしょ」

 

「探す?」

 

「よしなさい。そんなことしてる間にこいつが目を覚ましたら厄介だわ」

 

そう言ったティオネは抜き身の湾短刀(ゾルアス)を持ちながらベートの後ろについて行った。万が一不審な動きをしたら、即座に対応できるようにだ。

 

こうしてアイズたちは『闘技場』を後にした。ベートたちが先頭を行く中、アイズは静かに後ろを振り向き、先程の戦闘を振り返る。

 

Lv5のアイズと片手で鍔迫り合ったあの膂力、突如現れた数々の武器、そして、あの痛みの中でも鈍る事の無かった判断能力。

 

(この人は、一体……)

 

アイズは数々の疑問を胸の内で渦巻かせながら、ベートたちの後をついて行く。アイズの手は無意識のうちに、ポケットに仕舞い込んだボルトに当てられていた。

 

 

【挿絵表示】

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三話 状況確認

「……む」

 

不死人は兜の中でゆっくりと目を開いた。すっかり慣れ親しんだT字型のスリットから入り込む光に瞬きしながら、意識をはっきりさせようと頭を左右に振る。

 

ぼんやりとしていた視界が鮮明になり始める。目の前にはまず絨毯が映り込んだ。土足でその上を踏んだのか、所々に土の様な汚れが見て取れる。

 

次に首を回して左右を見てみる。どうやらテントの中の様だが目の前の絨毯以外には特に何も無く、その広さ以外は輝石街の農夫たちがいた場所にあったテントを彷彿とさせた。

 

「起きたか」

 

「そのようじゃの」

 

その声のする方に不死人が視線をやると、そこには二人の男女がいた。

 

男の方は立ったまま腕を組んでおり、髪の毛と髭の境界がはっきりとしないような風貌の、背が低い初老の男だった。

 

その顔に一瞬あの渡し屋の男が頭に浮かんだが、すぐに違うと分かった。あの男はその弛んだ腹をこれ見よがしに両手で抱えているような肥満体だったが、目の前のこの男は違う。

 

まるで有り余る筋肉をその小さな体躯に無理やり詰め込んだような、非常に力強い印象を受けた。強者独特の余裕を感じさせるようなその表情がそのイメージに拍車をかける。

 

一方の女の方はと言うと、簡素な木箱の上に座っていた。すぐ近くにはこの女のものと思しき杖が、テントの内側の天幕に立てかけてある。

 

緑色の髪の毛と服装、そして妙に尖った耳が印象的な女だった。体つきは華奢だが、不死人を見定めるようなその目つきからは男同様に強者の風格を匂わせている。

 

「下手に動こうとは思わぬ事だ。何か不審な動きを見せれば、少しばかり痛い目を見る事になるぞ」

 

目の前の男の言葉に、不死人はようやく自身の置かれた状況に気が付いた。

 

不死人は両腕を後ろ手に縛られており、テントの主柱に鎖で繋ぎ止められていたのだ。鎖は二重、三重に巻きつけられてはいたが、少し本気を出せば千切るのは容易に思える。

 

「言っておくが、その鎖を千切れば私たちは全力でお前を無力化する。鎖を千切る事くらいお前には容易だろうが、一瞬でも動きが止まればそれで十分なのだからな」

 

不死人の考えを感じ取ったかのように、今度は女の方が口を開いた。何気なく座っているように見えるが、その手はいつでも傍らに立てかけられている杖に伸ばせるようにしている。

 

「ふむ……。これは一体どういう状況だ?」

 

不死人はおもむろに口を開いた。確か最後の記憶は、金髪の少女が放った左肩への突きを何とか止めた所までだったはずだ。少し抉られてしまったが。

 

「自分が何をしたのか覚えていないのか?」

 

「見慣れない装備の四人組と戦ったところまでは覚えている。ところで……ここはどこなんだ?それにお前たちは?」

 

男の質問に不死人は答え、自らもまた質問を返す。その様子に男と女は……ロキ・ファミリア最古参メンバー、ガレス・ランドロックとリヴェリア・リヨス・アールヴは顔を見合わせる。

 

そしてリヴェリアが口を開き、不死人が気を失っていた間の出来事を語り始めた。

 

 

 

 

 

「それで、アイズたちはいきなり襲い掛かって来たこの男と交戦してきたって事だね?」

 

遠征の途中であるロキ・ファミリアが現在休息を取っている第五十階層。彼らは巨大な一枚岩の上に野営地を構え、その至る所に団員たちが張ったテントが見受けられる。

 

そんな中、少し離れた所に一張りだけのテントがあった。まるで隔離されたかのような位置にあるそのテントの中には、ロキ・ファミリアの重要人物たちが首を揃えていた。

 

「はい、団長。一応こいつが持っていた武器は、今も第四十九階層の『闘技場』に放置したままです。取って来いと仰るなら、今すぐにでも戻りますが……」

 

「いや、いいよ。確かに気にはなるけれど、ティオネたちも今帰ってきたばかりだしね。少しの間だけど、遠征を再開させるまでゆっくり体を休ませておいてくれ」

 

「団長ぉ……!はいっ、わかりましたぁ……!」

 

木箱の上に座っている一人の小人族(パルゥム)…ロキ・ファミリア団長、フィン・ディムナからの労いの言葉に、先程の出来事を報告したティオネは頬を紅潮させ、体をくねらせながら従順に頷く。

 

そんな姉の姿を見て、うわー、と半眼になるティオナ。その隣にいるベートは不機嫌そうな顔でテントの天井を見上げ、アイズはと言うと相変わらずの無表情で、フィンの判断を待っている。

 

「それにしても……彼は一体何者なんだろうね」

 

フィンは視線をティオネから外し、テントの柱の方に向ける。そこには先程の戦闘の切っ掛けとなった張本人である不死人がおり、鎖で両腕を後ろ手に縛られている。ベートの蹴りが効いたのか、未だに気を失っている。

 

モンスター狩りから帰ってきたアイズたちは、すぐにフィンに戦闘になった事を話した。フィンは何名かの団員に急いでテントをもう一張り増やすように指示し、野営地から少し離れたこの場所にテントを設けた。

 

そしてアイズたち四人に加え、ガレスとリヴェリア、そして彼女の後釜を任されているエルフの少女、レフィーヤ・ウィリディスも交えてより詳しい話をティオネから聞いた。

 

オラリオでも屈指の実力を誇る、天下のロキ・ファミリア。その中でも実力者であるアイズたちに襲い掛かって来たと言う事実を重く受け止めたフィンは、こうしてロキ・ファミリアの中核メンバーのみの緊急会議を開いた、と言う訳である。

 

「盾を持っていたかと思えば、その手にはクロスボウ。剣を弾いたかと思えば、次の瞬間には斧が握られていた……。にわかには信じがたいね」

 

「でも本当に見たんだもん!ちょっと目を離したら、いつの間にか新しい武器を持ってたんだよっ!」

 

「もちろんティオナたちの話を疑っている訳じゃないさ、魔力が封じ込められた壺の事も含めてね。でもそんな魔法みたいに新しい武器が次々に出てくるなんて、今まで耳にした事がなくてね」

 

それに、とフィンは一呼吸おき、手の中に収められているそれに視線を落とす。

 

「魔力が付加されたボルトなんて言うのも、聞いた事がない」

 

フィンの手に握られているもの、それはアイズがあの時に拾ったボルトだ。始めに聞いた時は半信半疑だったが、アイズから渡された現物からは確かに微弱ながらも魔力を感じる。

 

「これらが今は途絶えたされとるクロッゾの一族が過去に作ったものなのか、はたまたかの万能者(ペルセウス)の手による新しいマジックアイテムなのか……。どちらにせよ、世に出回れば大騒ぎになるじゃろうな」

 

「そうだね。ティオネが受けた火柱を上げるボルトは先端に火薬か何かを付けていたなら筋は通るけど、これはボルト自体に魔力が付与されている。こんなものがあったと知れれば、どこのファミリアも喉から手が出るほど欲しがるだろうね」

 

オラリオに住む冒険者たちにとって魔法の力が付加された武器、つまり魔剣はかなり魅力的な存在だ。それもそのはず。誰でも使える訳ではない魔法の力を、剣を振るうだけで再現できるのだから。

 

使い過ぎれば砕けてしまう魔剣、しかしあるのと無いのとでは冒険者のダンジョン攻略の成功率は大きく変わってくる。ダンジョンの中には魔法が効果的なモンスターもいるからだ。こういった事もあり、魔剣はかなり高額な金額であっても取引されている。

 

そんな強力な力が誰でも扱えるクロスボウや飛び道具に適用されたと知られれば、誰もが食いつくだろう。ボルトという消耗品に付加されている事から、もしかするとすでに量産化の目処が立っているのかも知れない。

 

「まぁなんにせよ、この彼が目を覚まさないと詳しい話も聞けないね。その間、誰かが彼を見張っていないといけないけど」

 

「で、でも冒険者依頼(クエスト)はどうするんですか?アイズさんたちと互角にやり合ったんですよね?この人……」

 

「互角じゃねぇ!こんな雑魚と一緒にすんなっ!」

 

「はひぃ!?ご、ごめんなさいぃ!!」

 

冒険者依頼(クエスト)の事を心配したレフィーヤにベートが噛み付く。レフィーヤの近くにいたリヴェリアはベートを諌めつつ、フィンに話しかける。

 

「この男の見張りは私がやろう。遠征中の戦闘で消耗した精神力(マインド)がまだ十分に回復していないが、それくらいなら出来るだろう」

 

「厄介ごとを押し付けるようで悪いね」

 

「構わない、だが私の本分は魔導士だ。万が一に備えて、誰かもう一人ここに残してほしい」

 

「ンー、そうだね……」

 

リヴェリアの提案に、フィンは顎に手をあてながら思案する。アイズたちが見守る中、フィンは己の出した結論を口にする。

 

「ガレス、済まないが今回の冒険者依頼(クエスト)への参加は見送ってくれ。そしてリヴェリアと共に、彼の見張りを頼みたい」

 

「ふむ、まぁ、妥当な判断じゃろうな」

 

ガレスは片目を閉じ、蓄えた髭を撫でながら頷く。

 

「納得してくれてありがとう。それとみんな、今回はこの冒険者依頼(クエスト)を達成したら、一度地上へ帰還する事にする。彼の正体が掴めない以上、一緒に深層へ連れて行く事はできないからね」

 

こうして不死人の見張り役はガレスとリヴェリアという、オラリオでも数少ないLv6二人がかりという事になった。本来の目的である未到達階層の開拓は中止となってしまったが、団長であるフィンの決定に異論を唱える者はいなかった。

 

その後、アイズたちは冒険者依頼(クエスト)を遂行するために、簡単な話し合いを始める。

 

今回の冒険者依頼(クエスト)はディアンケヒト・ファミリアから発注されたもので、その内容は“カドモスの泉水から要求量の泉水を採取すること”だった。フィンはこの要求量の事も加味し、二手に分かれて行動することにした。

 

一班、アイズ、レフィーヤ、ティオネ、ティオナ。

 

二班、フィン、ベート、ラウル。

 

Lv4のラウル・ノールドをサポーターとして迎え、フィン達は目的の泉水がある第五十一階層へと潜って行った。

 

 

 

 

 

「……とまぁ、こんなところだ」

 

リヴェリアは冒険者依頼(クエスト)の件は適当にはぐらかしながらも、不死人が気を失っていた間の出来事を語り終えた。不死人にとっては冒険者依頼(クエスト)だのダンジョンだのと聞いたことも無い単語ばかりだったが、どうやらこの場所は今まで自分がいた場所とは根本的に違うのだろうと予感した。

 

「さて、こちらからの話は済んだ。次はお前が何者なのか、なぜアイズたちを襲ったのかについて、聞かせてもらおうか」

 

「アイズ?」

 

不死人はつい聞き返してしまった。恐らくは先程交戦した四人組のうちの一人なのだろうが、誰が誰なのか全く見当がつかない。

 

「お前の肩に傷を負わせた、あの金髪の少女だ。……お前は『剣姫』を知らないのか?」

 

不死人の心中を察したのか、リヴェリアがアイズの特徴について教える。そのでようやく不死人は、あぁ、あの少女か、と思い至る。

 

「生憎と世間の事に関しては疎くてな。しかし、いきなり攻撃を加えた事に関しては済まないと思っている。直前まで亡……モンスター共と戦っていてな。休息中にいきなり兜を揺り動かされ、つい反射的に手が出てしまった」

 

「ではなぜそこで剣を引かなかった」

 

「冷静じゃなかったのさ。かなりの連戦で、目に映る者すべてが敵に見えたんだ」

 

不死人はリヴェリアに話を合わせ、口から出まかせを言う。先程の話を聞くに、アイズたちは戦う前に不死人が言った事を伝えてはいないようだ。せいぜい狂人の世迷言と片付けたのだろう。

 

つい亡者と言いかけてしまったが、出まかせを悟られないような口調が功を奏したのか、リヴェリアとガレスは不審に思いながらも、一応は納得したようだ。

 

「まぁいい。では次に、お前の名前は何という?主神の名前はなんだ?」

 

リヴェリアの鋭い視線と共に放たれた質問に対し、不死人はどうしたものかと考える。

 

まず自分の名前などはとっくの昔に忘れてしまっている。長い……永い不死人としての旅路の中で、そんなものはかき消されてしまった。

 

次に主神の名前だが、なぜ今この場面でこんな事を聞かれるのか分からなかった。

 

不死人は知る由も無いが、冒険者とは神と契りを結び、そうして得た力、つまりは『恩恵』によって自らの身体能力などを強化する。ダンジョンに潜る者にとって『恩恵』とはなくてはならないものであり、そこには必ず神が関わってくる。

 

冒険者ならば答えられて当たり前のこの質問に対し、不死人は必死に頭を回転させる。

 

(神の名前?確か名を刻む指輪には、いくつか神の名前が彫ってあったはず。しかし、この者たちがそんな質問をするからには、そこから何か情報を得ようとしているに違いない。もしも不味い事を言ってしまえば、俺の今後の処遇にも影響するか……)

 

「どうした、答えられんのか?」

 

ガレスの詰問するような声に、不死人は腹を決める。自分は腹芸は得意ではない、ならば無駄にあれこれ考えずに勝負に出てみよう、と。

 

「俺の名前は、ファーナムだ。主神の名は……クァト。そう、クァトという」

 

不死人は己が身に着けている装備の名前でもあるファーナムを偽名として使うことにした。主神に関しては、名を刻む指輪に彫られていた名前から適当なものを選んだ。

 

「ファーナム……そんな名前の冒険者、聞いたことが無いわい」

 

「クァトという神も、私は知らない」

 

「世の中は広いと言う事だ。自分の知っている事だけが世界の全てという訳でもあるまい?」

 

訝しむ二人に不死人……ファーナムはこの話を半ば無理やりに押し通す。ここで挙動不審になれば、それこそこの出まかせがばれてしまう。ファーナムは努めて堂々とした態度を取る。

 

「まぁ地上に戻れば分かる事じゃ。それまでは大人しくしておけ」

 

「その際にはあの魔力を帯びたボルトに関しても、詳しく聞かせてもらおう」

 

リヴェリアとガレスは一先ずファーナムに対する詮索を止めた。これ以上あれこれ詮索するより、見張る事に集中しようという事だ。今の所ファーナムは暴れようとは思っていないが、どうにかこの場から脱出する手立てはないかと密かに思案する。

 

「……ん」

 

「どうした、リヴェリア?」

 

「いや、キャンプの方から何かおかしな音が聞こえた気がした。少し様子を見てくる」

 

「あぁ、こやつの見張りは任せておけ」

 

そう言ってテントを出るリヴェリア。立てかけてあった杖を持って出て行った彼女を眺めながら、ファーナムはこの場に残ったガレスに話しかける。

 

「お前は行かなくていいのか」

 

「ふん、おぬしを見張っておかねばならんのでな。それと見張りが儂一人になったからと言って馬鹿な気は起こすなよ。鎖がある以上、儂の方が先手を取れる」

 

「分かっているさ、そんな事……」

 

ファーナムはガレスとの会話を打ち切り、再び思案する。

 

先程の会話から察するに、恐らくここはドラングレイグとは異なる場所なのだろう。ダンジョンやら主神やら冒険者やら、聞き慣れない単語が次々に出てきたことがその考えに拍車をかける。

 

では、この場所はどこの国に属しているのか。ミラか、リンデルトか、メルヴィアか、はたまた全く知らない国か。

 

次に頭に浮かんだのは、仮にここから脱出したとして、その後はどう行動するかと言う事だ。ダンジョンと言う以上、それなりに複雑な構造をしているのだろう。おまけに先程リヴェリアから聞かされた話から、どうやらここは第五十階層である事が判明した。

 

つまり、地上に戻るまでに、あと四十九階層分は上がらなければならないという事だ。

 

一層分の大きさがどれほどかは見当が付かないが、エスト瓶が残り二口分程度しか残されていない事を考えると、ここで無理に脱出を試みるのは得策ではないように思えた。

 

さて、どうしようか。ファーナムがこれからの事について再考しようとした、その時。

 

 

 

『うわぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああっ!?』

 

 

 

けたたましい悲鳴が聞こえてきた。発生源はどうやらキャンプからの様で、バキバキッ、と物が壊れるような音まで聞こえてくる。

 

「なんじゃっ!?」

 

ガレスとファーナムはこの音に反応し、ばっ!と顔をキャンプの方へと向けた。テントの中なので外の様子がどうなっているのかは不明だが、何かしらの異常が起こっている事は明らかだった。

 

「行かなくていいのか?」

 

「……くっ!」

 

ファーナムの声がガレスの耳に入り込む。ガレスは一瞬躊躇ったが、ファーナムを置いてテントの外へと出て行った。ファーナムの見張りよりもキャンプで起きた事態の確認の方が重要だと判断したのだ。

 

ガレスが出て行き足音が遠のいてゆくのを確認したファーナムは腕に力を込め、自身を戒めている鎖を引き千切る。ジャラジャラッ、と鎖が地面に落ち、ファーナムはようやく立ち上がる事が出来た。そしておもむろに光る石の様なものを取り出し、それを握り潰した。

 

取り出したものは輝雫石だ。エスト瓶の中身が残り少ない以上、ファーナムは切迫した状況ではない限り雫石によって体力を回復しようと決めた。続けざまにもう一つ握り潰し、肩の傷を含めてアイズたちとの戦闘で消耗した体力が回復するのを感じる。

 

ここでファーナムはアイズたちとの戦闘で使用した武器が、手元から無くなっている事に気が付いた。兜の中で目を閉じ精神を集中させれば、遠くから自身のものと思しきソウルの気配が感じられる。どうやら破壊されてはいないらしい。

 

一先ず安心したファーナムはテントから出る。そして、キャンプで起きている異常の正体を目の当たりにした。

 

「盾、構えぇ!!」

 

「クソッ、槍が溶けて……っ!?」

 

「誰かこっちに治癒薬(ポーション)ちょうだい!!」

 

そこには戦場とも言える光景が広がっていた。

 

ロキ・ファミリアの団員達は、得体の知れない芋虫のようなモンスターたちと戦っていた。巨大な一枚岩の上に設けられたキャンプ地に侵入した芋虫たちと、未だに一枚岩の側面に張り付いている芋虫たちの数を合わせれば、その数は優に100を超えている。もしかすると、ファーナムが戦ったあのモンスターの群れよりも多いか。

 

芋虫は動きも鈍く対処は容易に思えたが、何故か団員たちはかなり手こずっているようだ。不思議に思ったファーナムだったが、すぐにその理由が判明した。

 

あの芋虫に対して攻撃を加えた武器が、片っ端から溶け出しているのだ。また芋虫が吐き出す液体も同様で、防いだ盾もあっという間に溶かされている。

 

どうやらあの芋虫の体液は強力な酸で出来ているらしい。そんな芋虫がこれほど群れを成しているのだ、これは不死人であってもたまったものではない。団員たちの表情には一様に混乱と焦りが浮かんでおり、これ以上攻め込まれないようにするだけで精一杯と言った様子だ。

 

(……まぁ、俺には関係ないか)

 

ファーナムはそんなロキ・ファミリアの様子をテントの影から覗き見つつ、この場から離れるべく、踵を返した。そんな彼の背中に、若い女の悲鳴が叩き付けられる。

 

「いやっ、来ないでぇ!?」

 

振り返って見てみれば、そこには尻もちをついた一人の女の団員の姿があった。手にしていたと思われる盾と槍は地面に転がり、煙を上げて溶け出していた。もはや使い物にならないだろう。

 

女の前、ほんの3Mほど先にはあの芋虫の姿があった。口から腐食液を垂らしつつ、芋虫は女に追撃を放とうとしている。仲間の団員も女を助けようとしているようだが、目の前にいる別の芋虫が邪魔で思うように進めない。

 

「だっ、誰、誰か……!!」

 

女は歯の根をかちかちと鳴らしながら芋虫を見上げている。恐怖に彩られ、涙を流しながら目を見開く女の姿を見てしまったファーナムは、無意識の内に行動していた。

 

(やれやれ、とっくに擦り切れていたと思ったのだがな)

 

ファーナムは芋虫に狙いをつけながら、頭の中で独り言を呟く。

 

(こんな俺にも、まだ人情とやらが残っていたらしい)

 

次の瞬間、一本の矢が放たれた。風を切って放たれたそれは、一直線に芋虫へと向かっていった。

 

 

 

 

 

女は目の前の光景に絶望していた。手にしていた盾と槍は芋虫の吐き出した腐食液によって溶かされ、助けてくれようとしている仲間も芋虫が邪魔でここまで来れない。

 

芋虫は頭を高く上げ、腐食液を吐き出す姿勢を取る。女の脳裏には腐食液を浴びた武器の姿が浮かび、恐怖に顔を引きつらせる。

 

「だっ、誰、誰か……!!」

 

あぁ駄目だ、死んでしまう。女がそう直感した、次の瞬間。

 

女の頭上を一本の矢が通り過ぎた。その矢は腐食液を吐き出そうとしていた芋虫の口腔内へと深く突き刺さり、芋虫は耳障りな悲鳴を上げて絶命する。

 

「……え?」

 

べちゃりっ、と腐食液を撒き散らしながら倒れる芋虫を見た女の口から、そんな間の抜けた声が零れる。茫然とする女の顔に、突如影がさす。

 

見上げてみれば、女の背後には金属鎧に身を包んだ男が立っていた。手には黒い弓が握られており、無駄な装飾が一切ないその弓を見て、綺麗だな、と女は場違いな事を思った。

 

「無事か?」

 

「えっ、あっ、は、はい!」

 

「なら良い」

 

男はそう言うと腰に着けている矢筒から次の矢を取り出し、黒い弓に装填する。戦場と化し混乱が支配するこのキャンプで、女はこの男の存在を、何故かとても頼もしく思えた。

 

「……まぁ、後の事は後で考えるか」

 

男のそんな呟きは女の耳には届かず、戦場に解けて消えていった。

 




エスト瓶についてですが、12回使用できるのと、12本あるのと、どちらが自然でしょうか。

今のところは12本あることにしていますが、不自然に感じられる読者の方が多いようでしたら、12回使用できるという風に変更したいと思います。

お手数ですが、よろしければお知らせ下さい。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四話 防衛戦

前回の質問にお答え下さった読者の皆様、ありがとうございました。

意見の結果を踏まえ、エストは回数制に変更しようと思います。

今後もあれ?と思ったことがあれば、どうかお教え下さい。


「アイズたちを集めろ。全速力でキャンプに戻る」

 

フィンのその声はティオネを通じてアイズたちに伝わり、現在彼らは第五十階層から第五十一階層へと続く、崖の様な険しい坂を駆け上がっていた。

 

冒険者依頼(クエスト)の品であるカドモスの泉水を手に入れるべく、アイズたちは目的の物がある場所まで向かった。泉水を番人の様に守っている強大なモンスター、カドモスとの戦闘は避けられないと予測していたアイズたちは、覚悟を決めてその場所へと足を踏み入れた。

 

しかしそこにあったのは巨大な灰の山と、その灰の中に埋もれるドロップアイテム『カドモスの皮膜』だった。

 

全く予想していなかった光景に唖然とするも、目的の物を回収して早々にその場を立ち去った四人、そこに突如聞こえてきたラウルの苦悶を孕んだ絶叫。それを頼りにアイズたちは、多くの芋虫型のモンスターの軍勢を引き連れたまま、逃走するフィンたちと合流を果たす。

 

腐食液を吐き出す芋虫の軍勢とその他のモンスターたちに苦しめられながらも、アイズたちはなんとか敵の掃討を終えた。一安心する一行だったが、フィンは芋虫のやってきた方向から推測し、キャンプも同様に襲われているのではないかと考えた。

 

そういった経緯を経て、アイズたちは他の団員たちが待つ第五十階層のキャンプへと戻ってきた。

 

「そんな、キャンプがっ!?」

 

巨大な一枚岩の上に構えられたキャンプ。その一枚岩の側面に張り付く無数の芋虫とキャンプから立ち上る黒煙を目にし、思わずティオナの口から驚愕の声が零れた。

 

「フィン……!」

 

「あれは……!」

 

アイズの呟きにフィンが反応する。目を見開いた彼女の視線はキャンプを正面から見て右側の、ダンジョンの天井にあたる部分に釘づけにされていた。そこには一枚岩に張り付いている芋虫と同型のモンスターの群れがおり、その口を大きく開き、今にもキャンプの上空から腐食液の雨を降らせようとしている。

 

「おいっ、やべぇぞ!?」

 

ラウルを担いだ状態のベートは声を荒げる。キャンプには下級団員も多くいる、リヴェリアやガレスはともかく、他の団員があんなものを食らえばひとたまりも無い。フィンは間に合うかは分からないが天井に張り付いている芋虫たちを排除すべく、レフィーヤの魔法で欠片も残さずに一掃するよう指示を飛ばそうとする。

 

「レフィーヤ、魔法を……!!」

 

その時であった。

 

天井に群がる芋虫の集団。その群れのど真ん中に向かって、一本の槍らしき物がキャンプから放たれた。残像を残すその速度にアイズたちが何事かと目を向ける中、それは天井へと突き刺さる。

 

ガッッ!!!という破砕音と共にそれは数匹の芋虫を巻き込みながら天井に深く食い込み、そこを起点に天井に無数の亀裂が生まれる。

 

「ファーナムッ、キャンプの端まで走れぇ!!!」

 

キャンプから発せられたガレスの怒号はアイズたちの耳にまで届いた。その直後、生じた亀裂によって天井は崩壊し、それに巻き込まれる形で芋虫たちごと落下する。

 

瓦礫と芋虫たちがキャンプを構える地面に衝突し土煙が上がる。更には落下の衝撃で芋虫たちが潰死、それによる腐食液を浴びた瓦礫からも煙が上がり一面の視界を白く遮る。

 

「一体、何が……!?」

 

驚愕する一行の心中を代弁するようにアイズが呻く。そんなアイズの胸の内には、あの甲冑に身を包んだ男の姿が浮かんでいた。

 

 

 

 

 

アイズたちが第五十一階層で芋虫たちと交戦している時、キャンプに残った団員たちもまた芋虫の軍勢と戦っていた。

 

突如としてキャンプを襲った腐食液を放つ未知のモンスターたちの奇襲により最初は浮足立ったロキ・ファミリアの団員たち、しかしそこは歴戦のファミリア。リヴェリアの指揮の下、団員たちは芋虫たちの侵攻を食い止める。

 

しかし芋虫の吐き出す腐食液により盾は溶かされ、突き立てた剣や槍は芋虫の体液によって同様に溶かされる。武器破壊の特性を持つ芋虫との戦闘は一進一退で、団員たちはこれ以上の芋虫たちの侵攻を防ぐ事で精一杯だった。

 

キャンプの崖際で弓を用いて芋虫の侵攻を食い止める団員たちがいる一方で、すでにキャンプ内に侵入している芋虫たちを排除する団員たちもいた。彼らは崖際を防衛している者たちに被害が行かぬ様に身を挺して戦い、あちこちから団員たちの雄叫びが聞こえてくる。

 

その戦闘の真っ只中に、ファーナムもいた。

 

高い技量を要求される『狩人の黒弓』を構え、周囲にいる芋虫たちに警戒しながらも、ファーナムは先程助けた女の団員にも気を配る。

 

現在、彼女の手元には武器が無い。周囲を敵に囲まれている中、彼女を守りながら戦闘を続けるのは難しい。そもそも誰かを守りながらの戦闘に、ファーナムは慣れていない。ならば一刻も早く彼女の仲間と合流させるのが得策か。

 

ファーナムは一度周囲を見渡し、自身の背後に隠れる女の団員に声を掛ける。

 

「おい、お前」

 

「は、はい!?」

 

「走れるか?」

 

「え?」

 

ファーナムの問いかけに、女の団員の顔には困惑の色が浮かんだ。少し言葉が足らなかったかと思いながら、ファーナムは自分の考えを彼女に伝える。

 

「俺が周りの芋虫どもを弓で狙撃して道を開く。幸いこいつ等の耐久力は低いらしい、少なくとも怯みはするだろう。お前はその隙に仲間の元へ走れ。分かったな?」

 

その提案を聞き、一瞬不安そうな顔をする女の団員。しかしファーナムの自信を感じさせる力強い言葉に勇気付けられたのか、眉を引き締め、その提案に乗った。

 

「分かりましたっ!」

 

「よし、では……行けっ!」

 

ファーナムは前方で道を塞いでいた芋虫の列に向かって弓を射る。頭に矢が突き刺さった一体の芋虫はその巨体をのけ反らせ、それにより生じた僅かな隙間を女の団員は縫うように駆け抜ける。

 

突き進む彼女の前に新たな芋虫が立ちはだかるが、ファーナムはこれを彼女の後方から弓で援護する。放たれた二本の矢は彼女の目の前にいた二体の芋虫に突き刺さり、一体はのたうち回り、もう一体は魔石を砕かれたのか瞬時に灰に変わった。

 

「ありが……っ!?後ろっ!!」

 

未だ原型を保ったままの芋虫の背に手を突いて飛び越えた彼女はファーナムへ礼を言おうと口を開いたが、それは途中で警告へと変わる。彼女の言葉にファーナムが後ろを振り向けば、そこには大口を開けている芋虫の姿が。

 

「!」

 

『ギュギィッ!?』

 

今にも腐食液を吐き出そうとしていた芋虫の顔面を、ファーナムは咄嗟に殴り飛ばす。

 

その常人とはかけ離れた膂力で放たれたその拳を受け、芋虫は顔面をひしゃげさせながら大きくぐらつく。その隙を見逃さずにファーナムはその場から飛びのき、止めとばかりに魔力壺を投げつけた。

 

魔力壺が炸裂し、芋虫の体が破裂する。飛び散る腐食液を躱しつつ、ファーナムは女の団員の方を見る。どうやら他の団員と合流できたようで、その手に新たな盾と槍を構えている。

 

「合流したか」

 

一安心したファーナムはここで改めて周囲を見渡す。戦闘を始めた時と比べると芋虫の数はだいぶ減っていたものの、それでもまだ多く残っている。

 

遠くではリヴェリアが弓を持つ団員たちを指揮して芋虫の侵攻を阻止しており、ガレスは本来の得物ではない二本の槍を両手に、キャンプに侵入した芋虫たちを屠っている。一匹につき一本の槍を代償にする戦法だが、他の団員から次々に投げ渡される槍がそのデメリットをカバーしている。

 

「随分と豪勢な戦い方だ。俺にはとても真似できん」

 

そう独り言を零したファーナムは腰の矢筒から新たな矢を取り出す。先端に炭松脂を染みこませた火矢を番え、手近にいた芋虫に狙いを付けて弓を放った。

 

『ギイィイイイイッ!?』

 

火矢が芋虫の体に突き刺さると同時に、その体は炎に包まれた。芋虫は断末魔の叫びを上げながらのたうち回り、やがて黒く炭化し動かなくなった。焼死した芋虫の死骸は灰に変わり、極彩色の魔石がその中に埋もれる。

 

「ふむ……。炎は有効か」

 

襲い来る芋虫たちを弓で攻撃し、時には素手で捌きながらも、ファーナムは炎攻撃が有効である事に気が付く。通常の矢では確実に仕留める事はできなかったが、火矢ならば命中しさえすれば後は勝手に焼け死んでくれる。

 

呪術による攻撃も考えたが、使用回数と篝火があるかも分からない状況に、ファーナムはこのまま火矢による戦闘を行うことにした。そもそもこの戦況で呪術を使ってしまえば、他の団員にも被害が及ぶ可能性もある。

 

(他人の心配をするとは……らしくもない)

 

弓を引き絞りつつ、ファーナムはそんな事を考えていた。

 

来る日も来る日も戦い、死に続けたかつての日々。出会った者たちも多くいたが、その大半は亡者になったか、あるいはその寸前まで心が摩耗してしまった。

 

あの地図書きの男、石売りの女、そして呪いに体と心を蝕まれ、それに怯えながらも懸命に抗おうとしていた彼女……。

 

ファーナム自身もその例に漏れず、過酷な不死人としての旅路の果てに心が死んでゆくのが分かった。亡者にならなかったのは不死の呪いを解くという希望があったのと、後は単純に運が良かったためだろう。

 

不死人となった当初は持っていた人間らしい感情も徐々に失われていった。空腹も、喉の渇きも、劣情も、睡眠欲さえも無くなり……気が付けば、ひたすらに歩み続けていた。

 

立ち塞がる者がいれば切り伏せ、貫き、叩き潰した。返り討ちにあった事も数え切れない程多く、しかし生き返る度に殺し返してやった。

 

いつしかファーナムの頭から仲間という考えは消え、白霊はただ共闘するだけの存在となった。中には律儀に礼をする者もいたが、ファーナムは全くと言って良い程取り合わなかった。大切なのは自分だけなのだから。

 

そんなファーナムが、現在、名も知らない者たちの心配をしている。

 

女の団員のあの泣き顔を目にしたファーナムの体は、無意識の内に動いていた。そんな女など放っておけ、という自分の声が頭の中で響きながらも、ファーナムは彼女を助ける行動をとった。

 

(今さらこんな真似をして……随分と人間らしいじゃないか、俺は)

 

次々と芋虫たちを火だるまにしながら、ファーナムは自分自身を皮肉る。そんな彼の脳裏に、不意に一人の女の顔とある言葉が蘇る。

 

『私がまだ、正気でいられるのは、お前のおかげだからな……』

 

あの時、俺はなんと言ったか。ただの共闘相手としか見ていなかった俺に、彼女はなぜあんな事を言ったのか。

 

脳裏にひしめく疑問を振り払うように、ファーナムは目の前の戦闘に没頭した。そのうちに疑問は頭から離れ、忘却の彼方へと消えていった。

 

 

 

 

 

「リヴェリア!キャンプ内のモンスター共は粗方片付いたぞ!」

 

「分かった!私はこのまま指揮を執る、ガレス、お前も防衛に回れ!」

 

「おうっ!誰か儂の戦斧を持ってきてくれ!」

 

「わ、分かりましたっ!」

 

キャンプ内に残っていた芋虫を粗方片付けたガレスが、キャンプ地の右側、そこの崖際で指揮を執るリヴェリアの元まで駆け寄る。リヴェリアの判断の元、運ばれてきた本来の得物である戦斧に持ち替えて崖際の防衛陣に加わろうとしたガレスは、ここである光景を目撃する。

 

「あやつ……!」

 

怪訝そうな顔をするガレスに釣られる形で、リヴェリアもその視線の先を辿る。

 

そこには戦うファーナムの姿があった。

 

弓を手に、鎧を着ている事を感じさせない動きで襲い来る芋虫たちの攻撃を躱すファーナム。正面から飛んでくる腐食液を横に跳躍して回避し、同時に矢を放つ。

 

命中した芋虫は悲鳴と共に炎に包まれ、近くにいた同胞を巻き込み息絶える。黒く炭化したそれは灰に変わり、ファーナムと芋虫たちによって踏み荒らされてゆく。

 

芋虫たちが次々に火だるまになって絶命してゆくその光景に、リヴェリアとガレスは息を呑む。明らかに他の団員たちとは一線を画したその動きは、流石アイズたち四人を相手取っただけの事はある。ファーナムの周囲にいた芋虫たちはみるみるうちにその数を減らしてゆき、ついに最後の一体が倒れた。

 

「これで最後か……む」

 

灰と変わった芋虫の死骸を踏みながら、ファーナムはリヴェリアとガレスのいる方向に向かって歩いてゆく。二人と多くの団員たちの困惑に満ちた視線を受けながら、ファーナムは二人の元にたどり着く。

 

「おぬし、何故……」

 

「戦って、いたのか?」

 

戸惑いながら問いかける二人に、ファーナムは視線を彷徨わせる。しばしの間を置き、ファーナムは兜の奥でその口を開いた。

 

「そうだな……まぁ、突然襲い掛かった事に対する謝罪、だとでも思ってくれ。それよりも今はこの芋虫共の侵攻を食い止めるのが先決、違うか?」

 

「ぬう……」

 

その回答にガレスの口から呻きが漏れる、ファーナムの言葉を量りかねているのか、リヴェリアは怪訝そうな顔をしている。

 

誤解を解くのにはまだ早かったか、と悟ったファーナムはその場を離れて防衛陣に加わろうとする。しかしその時、リヴェリアとガレスの元に一人の団員が駆け寄って来た。

 

「ガレスさん、リヴェリアさん!」

 

「お前は……」

 

駆け寄って来たその団員にリヴェリアが反応し、ファーナムもその姿を視界に収める。やって来たのはファーナムが助けたあの女の団員で、手にしていた武器を弓に持ち替えている。恐らくは彼女も防衛陣に加わろうという事らしい。

 

「大丈夫ですっ!この人はさっき私を助けてくれた人なんですっ!」

 

「何?」

 

その言葉に思わずリヴェリアは聞き返す。ガレスも彼女のいる方を振り向き、より詳しい事情の説明を促す。

 

「こやつがあのモンスターからお前を守った、そう言う事か?」

 

「は、はい!この人がどんな人なのかは分かりませんが、でも絶対に悪い人なんかじゃないです!」

 

「ふむ……」

 

ガレスは神妙な顔で頷く。彼女の必死の訴えが通じたのか、隣にいるリヴェリアに自身の考えを述べる。

 

「儂はひとまず信用しても良いと思う。逃げる事も出来たあの状態から、わざわざ儂らに加勢してくれたのじゃ。恐らく裏はないじゃろう」

 

「ガレス……。分かった、まだ確証は持てないが、彼を信じてみよう」

 

そう言ってリヴェリアはファーナムに向き直る。会話の行方を見守っていたファーナムに向け、リヴェリアはその口を開いた。

 

「団員を守ってくれた事、感謝する。また先程の非礼、どうか許して欲しい。今は状況が状況ゆえに簡潔に済ませるが、正式な感謝と謝罪は必ず……」

 

「いや、良い。それよりも俺は何をすれば良い?指示をくれた方が俺も動きやすい」

 

頭を下げながら、謝意と謝罪の言葉を述べるリヴェリア。その言葉を遮る形でファーナムは彼女の指示を仰ぐ。リヴェリアは済まない、と一言だけ前置き、ファーナムに指示を出す。

 

「現在、我々は崖際でモンスターたちの侵攻を防いでいる。お前はあの防衛陣に加わってくれ。奴らは崖を登ってきているが、所詮は芋虫の体だ。命中すれば通常の矢でも地面に叩き落とすには十分だろう」

 

「了解した」

 

リヴェリアの指示を受け、ファーナムは崖際へと向かう。新たな矢を手に取って弓に番え、いざ防衛陣に加わろうとした、その時。

 

ゾワリ。

 

ファーナムは背骨に氷柱を突き立てられたような、そんな何とも言えぬ感覚を覚えた。

 

バッ!とファーナムは天井を見上げる。そこには何と、あの芋虫の群れが蠢いていた。キャンプ内にいた集団と比べればまだ数は少ないが、それでも数十匹はいるだろう。

 

あんな数の芋虫共が一斉に腐食液を吐き出したらどうなるか、ファーナムは兜の中でたらりと汗が伝うのを感じた。ガレスとリヴェリア、その他の団員もその存在に気が付いたようで、皆一様に目を見開いている。

 

「くっ!」

 

「止めいっ、そんなもので射ったところで間に合わんっ!!」

 

一人の団員が天井に向けて弓を構えた。しかしガレスの口から制止の声が飛び、その行動を中止させる。

 

「リヴェリア、魔法での一掃は可能か!?」

 

「無理だ、まだ精神力(マインド)が完全に回復していない!」

 

飛び交う二人の声、慌てふためく団員たち。戦闘を開始してから最大の窮地に陥ったその状況で、ファーナムは目を閉じ、静かに思考を巡らせる。

 

(天井の芋虫共を始末する上で、腐食液を出さずに済ませる事は難しい。大火力の一撃で一掃できれば話は別だが、生憎と今は記憶していない)

 

ファーナムは現在記憶している呪術を思いだし、小さく舌打ちする。そうしている内にも芋虫たちは腐食液を一斉に発射すべく、次々にその口を大きく開いている。

 

(……時間が無い、か)

 

ファーナムはガレスとリヴェリアのいる方向を見る。二人はひとまず団員たちを腐食液の当たらない場所まで移動するように指示を出しているようで、これは好都合だと思いながら口を開く。

 

「リヴェリア、と言ったか。そのまま他の者たちを反対側まで移動させろ」

 

「何を馬鹿な事を言っている!早くお前も……!」

 

ガレスと共に移動の指示を出していたリヴェリアは、まるでその場に残るとも聞こえるようなファーナムの言葉を当然許さなかった。腕を引っ掴んででも移動させようとしたリヴェリアだったが、その光景に思わず動きを止めた。

 

「なっ……!?」

 

「ほとんどの者の移動は済んだっ!おぬしらも早く……!?」

 

ガレスの怒鳴り声がリヴェリアの耳を打つ。しかし彼女の耳にはその言葉は入って来ず、目の前の光景に釘づけにされていた。ガレスは何事かとファーナムの方を向き……そして、それを見た。

 

ファーナムの手に握られていた狩人の黒弓は淡い光の粒子となって虚空に消え、代わりに別のものが形作られてゆく。

 

大柄なファーナムの背丈よりも巨大なそれは、一見しただけでは何なのか、二人には分からなかった。形自体は馴染みのあるものなのだが、その常識離れしたサイズが二人の認識するまでの時間を僅かに狂わせる。気付けば反対側の手に握られているのは、これまた常識離れした代物。

 

身の丈以上のサイズを誇る弓と、槍と見紛う程の巨大な矢……『竜狩りの大弓』と『破壊の大矢』を手にしたファーナムはその巨大な矢を番えながら、背後にいるリヴェリアとガレスに振り向かないまま言葉を投げ掛ける。

 

「今から少しばかり地形が変わるぞ。他の者たちを連れて、早く反対側まで離れろ」

 

そう言ってその巨大な弓矢の照準を天井に向けるファーナム。通常は安定性を確保すべく、下部に取り付けられているアンカーを地面に突き刺して使用するそれを、何の支えも無く筋力だけで安定させる。

 

ファーナムのやろうとしている事を察した二人は目の色を変える。まだ僅かに残っている団員たちに向け、二人は走り出しながら怒鳴るように指示を飛ばす。

 

「早く向こう側まで走れっ!!」

 

「モタモタするでないっ!!」

 

背後から聞こえてくる足音と気配が遠のいてゆくのを確認し、ファーナムは矢を番えている腕に更に力を込める。ギチギチギチッ、と壊れるのではないかという軋みを上げるまで十分に引き絞り、矢を握る手を躊躇いなく離す。

 

バリスタによる射出を彷彿とさせる勢いで飛んでいった破壊の大矢は一瞬で芋虫たちが蠢く天井まで到達し、その群れのど真ん中に突き刺さった。

 

ガッッ!!!と天井に食い込み、その全長の半分以上を埋没させる大矢。そこを起点に無数のヒビが天井に生じ、それは芋虫たちが張り付いていた場所までにも広がってゆく。

 

「ファーナムッ、キャンプの端まで走れぇ!!!」

 

砕かれた岩の天井は重力に従い、そのままファーナムの真上に降り注ぐ。ガレスの怒鳴り声から察するに、他の団員たちは安全圏まで避難出来たのだろうと判断したファーナムは竜狩りの大弓をその手から消し、別の物を出現させる。

 

巨岩を掘り出して作られ、大量の鎖が巻き付いた超重量の盾『ハベルの大盾』を両手で持ったファーナムはその場で片膝を突き、天高くハベルの大盾を構える。直後、腐食液と瓦礫の濁流が、ファーナムの全身に怒涛の衝撃を与える。

 

「ぐううぅぅぅううううううううううううううううっ!!?」

 

盾を通して伝わる瓦礫の落下の衝撃に、ファーナムの食いしばった歯の隙間から苦悶の声が漏れる。一つ一つが大人の背丈ほどもある瓦礫が盾に衝突する度に視界は揺れ、その衝撃は容赦なくファーナムの全身を叩く。

 

やがて両腕の骨が折れるのを感じた。左右の上腕骨に加え左の尺骨、膝を突いた方の足は大腿骨が折れたか。残ったもう片方の足もどこかおかしく感じる。

 

瓦礫と共に降り注ぐ芋虫の残骸から漏れた腐食液が飛び散り、ファーナムの体をじわじわ溶かす。正面から浴びていないだけまだマシだが、飛び散った場所からは肉が焼けるような異臭を感じる。

 

体を支える背骨はミシミシと嫌な音を立て、一瞬でも気を抜けばあっという間に潰されてしまうだろう。ファーナムは自分自身の歯を割り砕かんばかりに食い縛り、全身の筋肉を隆起させる。

 

折れた骨の役割を補って有り余るほどの力を全身に込め、ファーナムは瓦礫の濁流を渾身の力と精神力で耐え抜く。

 

「ぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっっ!!!」

 

 

 

 

 

時間にしてほんの十数秒、しかし体感時間では何倍にも引き伸ばされたような感覚を味わったファーナムはハベルの大盾で瓦礫を押し退け、崩落が止んだその場所からなんとか起き上がる。

 

「ハァ……ハァ……っぐ、ぅ」

 

よろよろと立ち上がったファーナムはハベルの大盾を地面に投げ捨てる。光の粒子となって消えてゆくそれを眺めながら、輝雫石を取り出して握り潰す。続けざまに更に三個握り潰し、折れた骨と溶けた肉が修復されてゆくのを感じる。

 

「くそっ……やはり無茶は……するものでは無いな……」

 

血の混じった唾を飲み込みながら、ファーナムは肩で息をする。現在進行形で傷は修復されているとは言っても、失われたスタミナは回復に時間がかかる。ファーナムは飛び散った腐食液を踏まないよう、慎重に歩き出そうとして―――――。

 

『ギィイイイイイイイイッ!!』

 

「!?」

 

その時、瓦礫を押し退け一匹の芋虫が飛び出してきた。落下の衝撃で体を半分潰された痛みに暴れる芋虫は半狂乱になりながら、その大顎でファーナムを噛み砕かんと向かってくる。

 

ファーナムは芋虫の動きに素早く反応し、腰から投げナイフを取り出そうと手を伸ばした。ファーナムと芋虫との距離はおよそ5M、十分に迎撃できる範疇だ。

 

今にもナイフを投げつけようとしていたファーナムだったが、その対象である芋虫の体が、突如として切り裂かれた。悲鳴すら上げられずに細切れとなった芋虫の死骸は瓦礫の上に落ち、腐食液を撒き散らす。

 

「貴方は……!」

 

ファーナムはその声のする方に顔を向ける。そこには風を纏ったアイズが、デスペレートを振り抜いた格好で佇んでいた。

 

驚いたような顔をするアイズに、ファーナムもまた驚いたような声を出す。テントにいた時にリヴェリアから聞いた目の前の少女の二つ名が、ファーナムの口から発せられる。

 

「剣姫……!」

 

 




今更ながらですが、多くのUA、お気に入り登録、ご感想、まことにありがとうございます。

今後もこれを励みに投稿を続けていきたいと思います。改めて、よろしくお願いいたします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五話 和解

投稿が遅れてしまい、申し訳ございません。

不定期の投稿にはなりますが、放棄はしないつもりですので、見ていただければ幸いに思います。

それでは、どうぞご覧ください。


駆け付けたアイズたちの加勢により、キャンプを襲撃していた芋虫たちは次々に撃退されていった。一枚岩の壁に群がる芋虫たちは斬撃、刺突、打撃、魔法など、様々な方法でその数を減らされてゆき、ついに最後の一匹が倒された。 

 

「終わったー!」

 

芋虫の掃討を終えティオナが歓喜の声を上げ、ロキ・ファミリアの間に張り詰めていた緊張の糸が解ける。怪我を負った者たちの治療で多くの団員が右往左往する中、ファーナムは一人離れた場所で静かに佇んでいた。

 

(最初に襲い掛かって来た獣の群れ、そしてこの芋虫共……)

 

一面に広がる瓦礫と芋虫の残骸を眺めながら、ファーナムはこれまで屠って来たモンスターとの戦闘を思い返していた。より正確に言えば、モンスターたちを倒した時に感じた、()()()()()()について、だ。

 

(あいつらを倒した時に流れ込んできた、あの妙な感覚。ソウルに似ていたが、どこか違うように感じた……あれは何だ?)

 

兜の奥で眉をひそめながら、ファーナムはそんな事を考えていた。ソウルに似ていたが、それでも何かが違っていた。まるで自身の体の中に得体の知れない何かが入り込んでくるような感覚に、ファーナムは今さらながら悪寒を覚えた。

 

そんなファーナムの背に、静かに語りかける者がいた。

 

「何を見ているんだい?」

 

「む……」

 

振り返ると、そこにはロキ・ファミリアの団長こと、フィンの姿があった。背後にリヴェリアとガレスを引き連れたフィンは、親しみを感じさせる口調でファーナムに語りかける。

 

「キャンプの危機を救ってくれた事、ロキ・ファミリアの団長として礼を言わせてくれ。君の機転の利いた判断が無ければ、きっとさらに大きな被害が出ていただろう」

 

「引き換えにお前たちの資材の半分を瓦礫の下敷きにしてしまったがな」

 

「構わないよ。確かに少し惜しくはあるけど、団員たちの命には代えられないからね」

 

ファーナムの言葉を笑って受け流したフィンはさらに一歩前に出る。長身のファーナムの腰ほどの身長しかない小人族(パルゥム)の彼は、しかし強者の風格を纏いながら更に語りかけてくる。

 

「改めて、君に感謝を。そしてどうか許してくれ。僕の部下の軽率な行動が、君の癇に障ってしまったようだ」

 

「先程も言ったが、そう気にするな。ろくに確認もせず殴りかかったのは俺の方だ。すまないと思っているのなら、これでこの話は手打ちとしよう」

 

「そう言ってもらえると助かるよ。でもそれとは別に、君には団員たちを助けてもらった恩がある。是非とも僕たちの本拠(ホーム)に来てくれ、そこで正式な感謝の意を述べたい」

 

親しみを感じさせる微笑みを湛えながら語りかけるフィン。しかしファーナムには、その笑顔の裏に何か隠されているのではないかと勘繰った。

 

フィンの後ろに控えているリヴェリアとガレスからの視線には、最初に会った時のような刺々しさは無くなっている。先程の行動が功を奏したのか、どうやら敵という認識は改めてくれたようだ。

 

しかし今度はその視線に、何か得体の知れないモノを見るような色が混ざっていた。

 

武器や防具などを自身のソウルに還元し、必要な時に取り出す。この方法は不死人ならば誰でも当たり前のように出来る芸当である。しかし竜狩りの大弓を取り出した時の二人のあの驚きよう。

 

もしやと思ったファーナムの背後に、ティオナの大きな声が投げかけられた。

 

「ねぇねぇ!さっき天井に向かって槍を投げたのって、もしかして君?」

 

振り返れば、そこには戦闘を終えたティオナが槍を持ったままの状態で立っていた。近くにはティオネにベート、アイズもおり、その視線は全てファーナムへと注がれていた。

 

問いを投げ掛けたティオナはと言うと、ファーナムに対する好奇心から落ち着かないと言う様子で、槍をくるくると後ろ手で回転させている。

 

「うるっせえんだよ、馬鹿アマゾネス。キンキン響く声で喚くなってんだよ」

 

「ベートに同意するようで癪だけど、確かにね。ティオナ、あんたはもっと落ち着きを持ちなさい」

 

「えー、なにさ二人して。だって気になるじゃーん」

 

うんざりしたような顔のベートとティオネに、ティオナは頬を膨らませる。その近くに無言で立っているアイズを含めた四人を視界に収めたファーナムは、ここでようやくアイズを除く三人の事を思い出した。

 

振り下ろした剣を弾き飛ばし、自らの肩に傷を負わせた少女(アイズ)の事は印象に残っていたが、他の三人はあまり気にしていなかったためだ。

 

ファーナムがそんな事を考えているとは露知らず、ティオナはてててっ、とファーナムの目の前までやって来ると、まるで兜の中を探るかのように見上げてきた。

 

「それでそれで、どうなの?やっぱり君がやったの?」

 

身長差から自然と見下ろすような姿勢になるファーナム。ティオナのその好奇心に満ちたキラキラとした眼差しに若干気圧されながらも、彼は肯定の意を示す。

 

「ああ。槍、と言うと少し違うがな」

 

「え?あれって槍じゃないの?」

 

頭に疑問符を浮かべるティオナ。その後ろにいるアイズたち三人も同じ事を思ったようで、それぞれ怪訝そうな顔を浮かべている。

 

「槍じゃないって言うなら、あれは何だったのよ?」

 

四人の疑問を代弁するかのように、今度はティオネが話しかけてきた。これに対してファーナムは顎でしゃくってリヴェリアとガレスの方を指す。

 

「そこの二人の口から聞くと言い。その方が信じ易いだろう」

 

フィンたちの視線が自然と二人に集まる。リヴェリアはその視線を受け、努めて真剣な声で口を開いた。

 

「確かに彼……ファーナムの言った事は事実だ。あれは槍では無く……矢だ」

 

信じがたい事だがな、と付け足すリヴェリア。その口から語られた事実にフィンは怪訝そうな顔をし、アイズたち四人は呆気にとられる。

 

「はぁ?」

 

「え゛……“や”って、あの矢?」

 

「……冗談でしょ?」

 

「……」

 

リヴェリアの予想外の発言に固まる若き一級冒険者たち。無表情が常のアイズでさえもその事実に目を見開いたまま驚いている。四人の思考が混乱する中、フィンは背後にいるガレスに確認を取る。

 

「リヴェリアが言った事は本当の事なのかい、ガレス」

 

「ああ、儂もこの目でしかと見たわい」

 

「ンー……どうやら本当に、あれは矢だったみたいだね。でもあれだけ大きな矢を射るには弓自体も相当に大きいはずだ。あの矢も含めて、君はそんなものを何処に仕舞っていたんだい?」

 

フィンの目は真っすぐにファーナムを見据えている。アイズたちもやはり気になるようで、口こそ開かないもののその視線が疑問を投げかけてくる。

 

「……何も話していなかったのか」

 

「済まない、フィン達に話す時間が無かった。それにお前の口から直接聞いた方が良いと思ってな」

 

ファーナムの確認にリヴェリアはそう返答した。

 

破壊の大矢を槍と間違えていた事から何となく分かっていたが、やはりフィン達には何も説明はされていなかったらしい。ファーナムは軽く溜め息を吐き、その手に自身の中にあるソウルを収束させる。

 

淡い光の粒は瞬く間に収束し、ファーナムの手に竜狩りの大弓を形作った。

 

「うわっ、なにそれ!?」

 

ティオナの素直な驚きの声が木霊する。竜狩りの大弓のその巨大さもそうだが、突如として虚空から現れたかのようなその光景に、フィンですらが目を見開いている。

 

「まぁ、この通りだ」

 

「いやいや、全然分かんないよ!?」

 

「……それは君のスキルなのかい?」

 

竜狩りの大弓を食い入るようにして見ているティオナ。そんな様子にまるで見慣れない物を見つけた小動物の様な印象を抱いたファーナムに、またしてもフィンが質問をしてくる。

 

スキル。またしても聞き慣れない単語だ。ファーナムは先程のリヴェリアたちとの会話と同じく話を合わせる事にする。

 

「ああ、武器や防具といった物を自由に取り出せる。……お前たちの中にこれと同じ事が出来る者はいないのか?」

 

「少なくとも、僕は聞いたことが無いな。そんな事が出来る者がいれば、たちまち噂になるだろうけどね」

 

その言葉にファーナムは僅かな驚きを覚えたが、しかし同時に、どこか妙に納得する事が出来た。

 

『闘技場』で目が覚めてからと言うもの、分からない事だらけだった。ダンジョンだのスキルだのと全く知らない単語が飛び交い、こうしてソウルから武器を取り出して見せただけでこの驚き様。

 

(もしかするとここは俺の知らない全く未知の場所で、不死人という存在が知られていない程の秘境の地なのか……?)

 

「ねーねー、ホントにこれであのでっかい矢を射ったの?」

 

ファーナムの思考を遮るように、ティオナは場違いな声でそう聞いてきた。見れば先程よりもさらに顔を近づけており、指先でちょんちょん、と竜狩りの大弓をつついている。

 

「お前は……少しは警戒しないのか?」

 

「え?」

 

若干呆れたようなファーナムの声に、ティオナはその顔を上げて反応する。

 

「いや、あの時お前を殴ったのは俺だぞ?なぜそんなに無警戒でいられる」

 

「あー、その事」

 

ファーナムの質問の意味を理解したティオナはにかっ、と笑って腕を頭の後ろで組み、事も無げにこう言ってみせた。

 

「でもキャンプを守ってくれてたんでしょ?じゃあ何の問題もないじゃん!それにあたし、結構丈夫だし!」

 

「……」

 

思わず閉口するファーナム。ティオナのその清々しいまでの主張に、アレコレ考えるのがバカバカしくなってしまう。

 

「アンタ……もう少し疑うって事を覚えなさいよ」

 

姉のティオネもそんな妹の能天気さに呆れ、手で頭を押さえている。苦労が多そうだなと思ってると、ここで不意にも一人の青年と目が合った。

 

「あぁ?」

 

目が合った青年……ベートはその顔に嘲笑を浮かべながら、まるで喧嘩を吹っかけてくるチンピラのように、ファーナムに突っ掛かってくる。

 

「何だよ、俺に蹴られたのが気に食わねぇってか?」

 

ポケットに手を突っ込んだまま挑発してくるベート。他者を嘲る視線を受けながらも、ファーナムは落ち着き払った様子で応じる。

 

「いいや、あれは俺の不注意が招いた出来事だ。自身を戒める事はあれど、逆恨みしようなどとは思っていない」

 

「……ちっ、雑魚が」

 

ファーナムの全く動じない様子に、ベートは舌打ちしながら踵を返してその場から離れてゆく。

 

「すまない、気を悪くしないでくれ。あいつは誰にでもああいう態度を取るんだ」

 

「構わん。そこまで気にしていない」

 

離れてゆくベートの後ろ姿を眺めているファーナムの背に、リヴェリアから謝罪の声が掛けられる。竜狩りの大弓を自身のソウルに還元しながらファーナムが短く返答すると、テントの残骸と瓦礫が散乱するキャンプにフィンの声が響き渡った。

 

「総員、地上へ帰還する準備を!サポーター、及び下位団員は無事な物資を持て!他の者は周囲の警戒に当たれ!」

 

速やかに帰還の準備を進めるフィン達を見ながら、ファーナムは今後の事を考える。

 

自身の考えが正しければ、恐らく地上とは文明と秩序がある場所だ。マデューラを始めとする、不死の溢れた荒廃した場所ではないだろう。人の営みが存在する以上、問題が起きた場合、力任せに物事を解決する訳にもいかない。

 

それ以前に、そもそも無事に地上まで帰還できる保証も無い。右も左も分からない以上、今はとにかく情報が欲しい。

 

短い思考を終えたファーナムは指示を飛ばしているフィンの元まで歩み寄り、その小さな背に声を掛ける。

 

「少しいいか?」

 

「うん? なんだい?」

 

振り返ったフィンは大柄なファーナムに気圧される事無く、まっすぐに視線を向けてくる。ファーナムは口を開き、自身の要求を述べる。

 

「地上への帰還に俺も同行したい。この要求を呑んでくれれば、その後でお前たちの本拠(ホーム)とやらまで行こう。どうだ?」

 

まるで来た道が分からないとでも言っているかのようなファーナムの申し出にフィンは少し引っかかるような気がしたが、本拠(ホーム)に来てくれるという事なら断る理由も無い。

 

フィンは口元に笑みをたたえ、この申し出を快諾した。

 

「もちろん良いとも。本拠(ホーム)では精一杯のもてなしをさせてもらうよ」

 

そう言って右手を差し出してくるフィン。意図を理解したファーナムは同じく右手を差し出し、固い握手を交わす。

 

その際、フィンの目が若干細められたが、ファーナムはあえて言及しなかった。

 

(何やら思惑があるようだが、邪なものでは無いだろう……。この者からは、アイツ(・・・)の様なやましさは感じない)

 

大盾に槍を持った男の事を思い出しながらも握手を終えたファーナム。帰還が始まるまで、束の間の休息でも取ろうかと思い、近場に転がっている瓦礫に腰を掛けようとする。

 

その直後であった。

 

バキリ、ベキッ、と木々をへし折る破砕音と共に、何かがファーナム達のいるキャンプまで近づいて来る。

 

明らかな異常を感じたアイズを始めとする団員達が一斉に武器を構える。ファーナムもその例に漏れず、その手に狩人の黒弓を取り出し、素早く構える。

 

しばしの時を置き、それは現れた。

 

「……あれも下の階層から来たって言うの?」

 

「迷路を壊しながら進めば……何とか?」

 

「馬鹿言わないでよ……」

 

ティオネとティオナの呆けたような会話が、静まり返ったキャンプにやけに大きく反響する。誰もが動けずにいる中、ファーナムは兜の奥で静かに目を見開く。

 

全員の視線を釘付けにしたものの正体、それはモンスターであった。

 

体長はおよそ6M。先程戦った芋虫の大型個体よりもさらに一回り大きい。しかしそれよりも目を引くのは、その芋虫の体の上半分であった。

 

女性を彷彿とさせる線の細さと、肥大した腹部。妊婦と呼ぶにはあまりに醜悪な容姿のその体は黄緑色に染まり、顔面にまで及んでいる。

 

目も鼻も口も無いのっぺらぼうな顔の後ろ、後頭部からは何本か管の様な器官が垂れている。エイの様な扁平な腕が二対四枚、それを振り回して木々をなぎ倒しながらこちらへやって来る。

 

そんなモンスターが、二体。

 

横に並んで同じ速度で行進する二体の女体型のモンスターを目撃した団員の顔が緊張に固まる。

 

ここで二体の女体型のモンスターの内の一体が、おもむろにその腕を大きく広げた。

 

ふわりと舞う光。その正体は鱗粉の様な何か。七色に光る極彩色の粒子はファーナム達の元まで漂ってくる。

 

瞬間、ゾワリとファーナムの背筋がわなないた。

 

瞬間的に狩人の黒弓から、何らかの石碑を転用した即席の盾『ゲルムの大盾』を両手で構えたファーナム。アイズ達、第一級冒険者達がその場から飛びのく中、ファーナムは腰を落としてしっかりと地面を踏みしめ、ゲルムの大盾を構える。

 

そして次の瞬間、漂ってきた無数の粒子が一斉に爆発した。

 

「きゃぁぁあああああああああああっ!?」

 

「ぐぅ……っ!!」

 

響き渡る爆音。レフィーヤの甲高い悲鳴がキャンプに鳴り響き、凄まじい熱がファーナムと団員達の頬を叩く。

 

何とか爆発を凌いだファーナムはゲルムの大盾をずらし、目の前に広がる惨状に瞠目した。

 

テントの残骸も瓦礫も、一切合切が爆風に巻き込まれていた。どうやらファーナムの立っていた場所以外は、全て爆発の餌食になってしまったらしい。

 

「総員、撤退だ」

 

砂埃が舞う中、フィンは静かにそう告げる。

 

「各自、最小限の物資を持ってこの場から離脱する。リヴェリア達にも伝えろ」

 

フィンの言葉に、ベートとティオナから反論の声が上がっている。どうやらフィンの判断に不満があるようだが、ファーナムはそんな事よりも、目の前の女体型のモンスターを見据えて静かに思案していた。

 

(大した爆発ではあったが、耐え切れないほどでは無い。ゲルムの大盾もほとんど傷付いていないようだし、遠距離から攻撃し続ければ倒す事は可能か)

 

しかし、とファーナムはある事を危惧する。

 

(相手は2体、それもまだまだ全容が掴めていない。他にどんな攻撃手段があるかまだ分からない以上、一人で戦うのは避けるべきだが……)

 

戦うべきか、退くべきか。悩んでいるファーナムの耳に、あるフィンの決断の声が届いた。

 

「アイズ、僕と一緒にあのモンスター達を討て」

 

その声に振り返るファーナム。どうやらあちらではアイズとフィンが、このモンスター達を相手取る事にしたらしい。

 

(これは好都合だ)

 

願っても無い増援に思わず兜の中で口角が吊り上がるのを感じた。ゲルムの大盾を背負いながら、ファーナムは指示を飛ばしているフィンに近付いてゆく。

 

「僕とアイズが時間を稼ぐ。リヴェリア達は十分に距離を稼いだら信号を……」

 

「待て」

 

そこにファーナムが声を掛ける。フィンの説明に口出しされた団員達は怪訝な目を向けるが、ファーナムは気にせずにフィンに話しかける。

 

「あのモンスターは俺と剣姫……アイズとで相手をする。フィン、お前は他の団員達と共に離脱しろ」

 

「なっ!?」

 

ファーナムの提案に目を見開くフィン。他の団員達も、まさか余所者のファーナムが殿を務めるとは思わなかったらしく、一様にその顔を驚愕の色に染めている。

 

「ちょっと、それならあたしが残るよっ!」

 

「余所モンにケツを守られるなんざ、冗談じゃねぇぞ!?」

 

ティオナとベートがフィンに詰め寄る。確かに出会って間もない者に殿を任せるなど、普通ならば考えられない事だ。しかしフィンはキャンプでの出来事を加味し、ファーナムに尋ねる。

 

「……何故、そこまでしてくれるんだい?守ってもらった僕らが言うのも何だけど、君は部外者だろう?」

 

「なに、お前が思っている程深い考えではない」

 

ファーナムは一呼吸おき、進行を続けている二体のモンスターの方を見ながら、こう言い放った。

 

「ただ確認したい事があった。今の状況は、それを行うのに丁度良いというだけだ」

 

「……そうかい」

 

背を向けたファーナムに、フィンは一言だけそう言って踵を返す。そして他の団員たちに聞こえるような大きな声で宣言する。

 

「総員、離脱を開始する!殿はアイズと、この彼、ファーナムが務める!!」

 

ロキ・ファミリアの団長であるフィンのこの声に、異を唱えられる者などいなかった。ある者は後ろ髪を引かれながら、ある者は不承不承ながらも、速やかにその場からの離脱を始める。

 

「すまない、だが決して無茶はしないでくれ」

 

「何度も言わせるな、俺は確認したい事があるだけだ。それに俺はここで死ぬつもりなど毛頭無い」

 

「……すまない」

 

そう言って、フィンも離脱の列に加わる。残ったのはゲルムの大盾を背負ったファーナムと、デスペレートを携えたアイズのみ。

 

瓦礫だらけのキャンプに並んで佇む二人の視線の先には、未だに進行し続ける二体の女体型のモンスター。なぎ倒した木々を踏み潰しながら、その肥大した腹部を醜く蠢かせている。

 

「……あ、あの」

 

「む?」

 

眼前に迫るモンスターを眺めていたファーナムに、アイズの遠慮がちな声が掛けられる。首だけを動かしてアイズの方を見ると、彼女はファーナムを見上げながら口を開いた。

 

「よ、よろしくお願いします……」

 

そう言って、軽く会釈するアイズ。張り詰めていた空気が僅かに緩むのを感じたファーナムは兜の奥で軽く笑った。

 

「あぁ、よろしく頼む」

 

ファーナムは背負ったゲルムの大盾を構え直しながら、そう短く返答した。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六話 女体型

※今話は独自解釈多めです。


「【目覚めよ(テンペスト)】」

 

金色の髪をなびかせ、アイズは魔力の風を愛剣《デスペレート》に纏わせる。  

 

先程の戦闘では見る事の無かった未知の属性付与(エンチャント)に目を見張るファーナム。そんな彼を差し置いて、アイズは崖から飛び降り、二体の女体型のモンスターの片割れに突貫する。

 

「見た事の無い魔術だな。それも触媒も無しに行使するとは」

 

感心したように一人呟くファーナムだったが、すぐに気を取り直して戦闘態勢に入る。

 

嵌めていた四つの指輪の内の一つをその指から外し、新たに別の指輪を嵌める。銀色の猫が象られた指輪『銀猫の指輪』を嵌めたファーナムは、その手に新たな武器を出現させる

 

返しが付いた特徴的な槍『ウィングドスピア』。それと先程取り出したゲルムの大盾を構え、ファーナムはアイズと同じく崖より飛び降りた。

 

眼下にはアイズが二体の女体型の注意を引き付けている光景が広がっていた。一体はアイズのすぐ近く、もう一体はちょうどファーナムの真下だ。

 

頭上より襲い掛かって来たファーナムの気配を察したのか、女体型は大きく体をのけ反らせ、そのエイの様な扁平な腕の一対を体の前で交差させて防御の姿勢を取る。

 

大型のモンスターに似つかわしくない機敏な動きではあったが、ファーナムはうろたえる事は無かった。

 

突き出していたウィングドスピアを引っ込め、代わりにゲルムの大盾を眼前に構える。女体型の腕とゲルムの大盾、それらがぶつかり合って激しい衝突音を生み出した。

 

ゲルムの大盾の重量に加えて助走をつけたファーナム自身の体重もあってか、防御した女体型の上半身が少なからずぐらついた。その隙を見逃すこと無く、ファーナムはウィングドスピアを女体型の胸目掛けて投擲する。

 

「ふっ!!」

 

短く息を吐き出すと同時に投擲されたウィングドスピア。

 

クロスした腕の隙間をすり抜け、女体型の胸へ深く突き刺さるはずだったその一撃は、しかし防がれてしまう。

 

「!?」

 

ウィングドスピアは確かに女体型の体に突き刺さっていた。

 

しかしその場所は胸では無く、もう一対の(・・・・・)クロスされた腕だった。

 

(失念していた。コイツの腕は二対四本、であればこう言った芸当も出来るという訳か!)

 

女体型のクロスされた腕の上で器用にバランスを保ちながら、冷静に相手の特性を分析するファーナム。一方の女体型は胸への一撃は回避したものの、もう一対の腕を貫通したウィングドスピアがもたらした痛みにのたうつ。

 

『ォァァアアアアアアアアアッ!!』

 

傷を付けられた痛みと怒りに暴れる女体型。金切り声にも似た咆哮を響かせる女体型がその腕を振り払う直前で、ファーナムはそこから飛び降りて離脱を成功させる。

 

銀猫の指輪のおかげで落下によるダメージはほとんど無い。安心したのもつかの間、突如として女体型の平面な顔に横一線の亀裂が走り、そこから腐食液の塊が撃ち出された。

 

「!」

 

咄嗟に真横に飛び、腐食液を回避するファーナム。次の瞬間にはもといた場所はどろどろに溶かされ、巨大な穴が開けられていた。

 

「射出速度もその量も、先程の芋虫共とは桁違いか……厄介だな」

 

漂ってくる異臭に顔をしかめながら、ファーナムは対策を考える。

 

先程の芋虫たちは口から腐食液を吐き出していた、そしてこの女体型も同様に、(おそらく間違いはないだろうが)口から吐き出した。

 

普通に考えれば女体型の背後に陣取っていれば腐食液の脅威から逃れられるだろうが、ファーナムはそうは考えなかった。

 

(あの後頭部の管……)

 

生物の体の構造に無駄は無い。

 

キリンの首が長いのも象の鼻が長いのも、それは高い位置にある草を食べたり、その鼻で物を器用に掴む為である。一見無意味に見えるものにも必ず何らかの理由があるものだ。生物の体とは決して無駄な造りをしている訳では無い。

 

そしてそれは、迷宮内のモンスターに対しても同じ事が言える。

 

端から見れば一見髪の毛のように見えるその管。しかしファーナムは女体型の体から飛び降りる際に、僅かだがその管が意思を持ったかのように動くのを見た。

 

(おそらくはあの管も腐食液、あるいは毒針等を射出するための攻撃器官なのだろう。それに加えて見た目以上に動きも機敏だ。奴の周囲に安全と言える死角は存在しないか)

 

ファーナムはゲルムの大盾を自身のソウルに還元する。先程の腐食液を受ければ溶かされる事は間違いない、なれば下手に防御に回らず回避に専念しようという事だ。

 

見れば女体型は貫通したウィングドスピアをその体液で溶かし、貫通した一対の腕も自由になっている。そうして女体型はその四本の扁平な腕を胸の前でクロスさせるように大きく振った。

 

次の瞬間、ファーナムの目の前を夥しい量の鱗粉が覆う。先程の爆発の威力を思い出したファーナムは後方に大きく跳躍し、鱗粉から距離を取る。

 

数秒の間を置き、鱗粉は爆発した。爆発の効果範囲外にまで避難していたファーナムだったが、その熱は兜越しにその肌にまで伝わってくる。

 

相手の出方を窺っていると、爆発によって巻き上げられた土煙を切り裂き、女体型がその巨体をさらけ出した。その扁平な腕のうちの一本を大きく振りかぶり、ファーナムを頭から叩き潰そうとする。

 

体格に見合った巨大な腕による攻撃は、それだけで大槌の一撃を彷彿とさせる。容赦なく振り下ろされた女体型の腕、それをファーナムは盾で受け止める事はせず、代わりに別の物で迎え撃つべく走り出す。

 

両者の距離はゼロになる。それと同時に液体が吹き出し、耳を(つんざ)くような悲鳴が半壊した第五十階層に響き渡る。

 

 

 

しかし、それはファーナムから発せられたものでは無い。

 

 

 

『アアァァァアアアアアアアアアアアアアアアッッ!?』

 

巨体を地に伏して悶え苦しむ女体型。ファーナムを叩き潰そうと振るったその腕は先端から肩口までを一直線に切り裂かれ、周囲に腐食性の体液を撒き散らす。

 

一方のファーナムはと言うと、その悲鳴を背に感じながら地面に着地した。女体型の一撃を跳躍と同時に武器で迎え撃ち、その勢いのままに宙を跳んでいたのだ。

 

着地したファーナムは、女体型の体液がへばり付いた武器をブンッ!と振るう。通常の武器であれば即座に腐食されてしまうが、この武器はそうでは無かった。

 

「どうやら、これなら破壊される心配は無さそうだな」

 

そう言いつつ、武器を構え直して女体型のいる方を向くファーナム。

 

その手に握られていた武器はまたしても槍だった。しかしその造形は、先程破壊されたウィングドスピアとは大きく異なっている。

 

ウィングドスピアのものよりも大きく、肉厚な刀身。柄には何やら岩を貫いたような痕跡があり、異様な雰囲気を醸し出している。

 

それは『サンティの槍』と言う。

 

かつて動く巨像サンティを仕留めたと言う逸話の残る名槍は、すでに破壊されている武器故に破壊されないという特殊な性質を持つ。そしてそれは、女体型の腐食液に対しても十分に有効だった。

 

「さぁ、続けようか」

 

ファーナムはへばり付いた腐食液を振り落としたサンティの槍を肩に担ぎ、女体型に向き直り、そう言ってのけた。

 

 

 

 

 

少し離れた場所で交戦しているファーナムを横目で意識しつつ、アイズもまたもう一体の女体型と戦っていた。

 

風属性の付与魔法を操るアイズ。その身に纏わせた風を使って、まるで本当に飛んでいるかのように動き回り女体型を翻弄する。

 

そんな中で、ちらりと視界に入ったファーナムの姿。その手に持った槍には女体型の体液がこびり付いていたが、彼がそれを一薙ぎするだけで腐食性の体液は振るい落とされた。

 

(あれは……『不壊属性(デュランダル)』?)

 

不壊属性(デュランダル)』。

 

超硬金属(アダマンタイト)の更に上をいく硬度を誇る金属、最硬金属(オリハルコン)を素材に作成された、事実上、破壊不可能の武器や防具の事を言う。

 

アイズの愛剣《デスペレート》もまた不壊属性(デュランダル)の特性を持ち、今回の腐食液の体液を持つモンスター達との戦闘にも大いに貢献した。

 

(……あとで見せてもらおう)

 

戦闘狂(バトルマニア)故の性か、身体に風を纏わせて跳び回るアイズは静かに心の中でそう決めた。しかしそれも、この女体型を倒してからだ。

 

器用に女体型の後方に回り込んだアイズは剣に魔力の風を纏わせる。女体型の後方の壁に着壁(・・)しつつ、女体型の頭部を鋭い眼光で射抜く。

 

(いける!)

 

狙いを定め、その頭部を切り落とすべく足に力を込めた、瞬間。

 

 

 

「油断するなっ、アイズッ!!」

 

 

 

「!?」

 

ファーナムの鋭い声がアイズの耳を叩く。彼はもう一体の女体型の攻撃をその槍でいなしつつ、アイズの動きもきちんと把握していたのだ。

 

一体何が?とアイズが疑問に感じると同時に、アイズが狙いを付けていた女体型の後頭部の管が不意に震える。

 

複数本の管は意思を持ったかのように独りでに動きだし、アイズ目掛けて例の腐食液が撃ち出された。

 

「!!」

 

降りかかる腐食液の雨を纏う風の気流だけでは防ぎ切れないと判断したアイズは剣を使い、腐食液を切り払う。そこにすかさず女体型の扁平な腕での攻撃が加えられる。

 

何とかその攻撃を受け止めたアイズであったが、せっかく潜り込んだ敵の懐から吹き飛ばされてしまう。その瞬間を逃さず、女体型はもう片方の腕から極彩色の鱗粉を放出させる。

 

先程とは比べ物にならない程の量。終わらせにかかっていると感じたアイズはその身に纏っていた風を一気に周囲に放出、周囲を取り囲んでいた鱗粉をまとめて吹き飛ばす。

 

数瞬遅れ、鱗粉は爆発。しかしそれはアイズにでは及ばず、何も無い空中での無意味な爆発に終わった。

 

女体型から離れた場所で着地したアイズは相手の出方を窺いつつ、頭の中で情報を整理する。

 

(―――――爆発するまで、三秒)

 

今までの戦闘で女体型の振りまいた鱗粉、それはいずれも爆発するまでに、およそ三秒の猶予があった。

 

つまり、この三秒間の内に何らかの対処さえ行えば、脅威は大幅に減少する。

 

確信を持ったアイズは離れた場所にいるファーナムにも聞こえるよう、慣れない大声を上げて情報を伝える。

 

「ファーナムさんっ、爆発までの時間はおよそ三秒ですっ!!」

 

 

 

 

 

浴びせ掛けられる大量の腐食液。まともに食らえば皮膚どころかその下にある筋肉と骨までも一緒くたに溶かされ、肉の一片すらも残る事は無いだろう。

 

そんな猛攻にファーナムは真正面から相対する。手にしたサンティの槍を両手で操り、まるで剣舞のような動きで腐食液を受け流す。

 

その動きはまるで高速回転する風車。目にも止まらぬ動きで振るわれるサンティの槍は腐食液を全て弾き、ファーナムには一滴も被弾する事は無かった。

 

ヂャッ!とサンティの槍を振るい終えたファーナムは、元の構えに戻る。一分の隙もないファーナムの構えに、女体型は怯むかのように僅かに後ずさる。

 

端目から見れば押しているのはファーナム、しかし実を言えばそうでも無い。

 

(このままではジリ貧か……)

 

爆風も防げる。腐食液もいなせる。薙ぎ払いも対処は可能。しかし決定打に欠ける。

 

体格差・手数の多さから考えても、このまま戦闘が長引けばいずれは窮地が訪れる。この状況から脱するには、何か決定的な隙が必要だ。

 

竜狩りの大弓は有効だろうが、装填から射出までに時間がかかりすぎる。敵の後方に張り付こうにも、後頭部の管が攻撃器官であると判明した以上、それは悪手だ。

 

せめて何か、このモンスターに関する情報は無いものか……。ファーナムがそう考えたその時、まるで見計らったかの様なタイミングでそれは与えられた。

 

「ファーナムさんっ、爆発までの時間はおよそ三秒ですっ!!」

 

目の前の女体型と睨み合っていたファーナムに、アイズの助言の声が降りかかる。突如として与えられた助言だったが、それをファーナムは正確に受け取る。

 

(爆発まで……三秒!)

 

その時、ファーナムとアイズがいる場所よりも離れた位置から、一つの閃光が上がった。それはフィン達の撤退が完了したと同時に、女体型の撃破が許可された事を意味していた。

 

アイズよりもたらされた情報を加味し、一瞬で戦法を確立させるファーナム。若干の不安要素はあったが、自身の考えが正しければ実行する価値は十分にある。

 

ファーナムは女体型に向かって走り出す。それに反応し、敵を叩き潰すべく女体型もその腕を振るう。

 

負傷した腕を除く三本の扁平な腕による薙ぎ払い。地面すれすれで水平に振るわれた最初の一撃をファーナムはジャンプして回避、続く第二撃・第三撃も体を捻って二本の腕の隙間を縫うようにして回避する。

 

敵の懐に入り込んだファーナムはサンティの槍を大きく振りかぶり、女体型の芋虫の下半身部分、その体の左側を深く斬り付ける。

 

『ォァアッ!?』

 

吹き出す体液、それに呼応するように女体型の悲鳴が上がる。痛みの発生源付近に向け腕を振るう女体型、しかしそこにはファーナムの姿は無い。

 

一体どこに?といった様子で周囲を警戒する女体型。眼球の無いその視線は、ちょうど女体型の右側で定まった。

 

その先にはファーナムが立っていた。構えを解いた格好で、半身だけを女体型の方向に向けている。女体型はファーナムとの距離から爆破による攻撃を選択、傷つけられた腕も使用し大きく広げ、大量の鱗粉を舞い上がらせようとする。

 

同時にファーナムも動く。

 

鱗粉が降り注ぐよりも先に女体型に向かって走り出し、開いた距離を一気に詰めにかかる。女体型は腕を振るおうとするも、すでに鱗粉は吐き出される寸前だ。急に攻撃を止める事も出来ず、結局女体型はそのまま大量の鱗粉を振りまいた。

 

そのまま流れるような動きでファーナムへ攻撃を加えるべく、その顔に亀裂を走らせる。距離はおよそ20M、まだ懐には程遠い。

 

疾風のような速度で地を駆るファーナムに狙いを定めた女体型は大きく口を開き、腐食液を撃ち出そうとした、その時。

 

 

 

不意に、ファーナムの姿が消えた。

 

 

 

『!?』

 

まるで煙のように掻き消えたファーナムの姿。

 

一瞬前方にローリングしたかと思えば、次の瞬間にはその姿は消え、女体型の感知から外れていた。焦った女体型は困惑しつつも、当然周囲を警戒する。

 

そしてピクリ、と女体型の肩が僅かに動く。

 

ガバッ!とその巨体ごとある一点に向けた女体型は三本の腕を振り上げ、その場所を目掛けて突進していった。

 

 

 

 

 

極彩色の鱗粉が漂う空間を切り裂き、ファーナムは疾走する。

 

敵の接近に気が付いた女体型は顔面に亀裂を走らせ、迎撃の態勢に移行する。地を駆るファーナムは女体型の動きに注意しつつ、装備していた指輪を付け替える。

 

装着を終えると同時に前方へローリング。一気に距離を詰めるのに十分接近していたため、ファーナムは女体型の懐へ飛び込む事に成功した。

 

突如として姿が消えた事に対し困惑する女体型。ファーナムはローリングの体勢から戻りつつ、素早くある物(・・・)を取り出す。

 

(一秒……)

 

取り出したそれをファーナムは狙いを定めて投げつける。狙い通りの場所に落下したそれは青白い煙を放ち、粉々に砕け散った。

 

(二秒……)

 

それを感知した女体型はまるで誘われるように、それが砕けた場所へと突進していった。未だ煙を放ち続けるその場所目掛けて腕を振り上げる女体型、負傷した腕を除く三本ある腕のうちの一本がその煙に叩き付けられようとした、その瞬間。

 

(……三秒)

 

 

 

―――――爆発、いくつもの火の玉が咲き乱れる。

 

 

 

『オッ――――――――――ァァアアアアアッッッ!!?』

 

先程よりも規模が大きい爆発、その衝撃は安全圏まで逃れていたファーナムの全身を叩き、腹の底にまで重く響くほどであった。爆風を腕で遮りながら、ファーナムは自身の思惑が上手くいった事に、満足げに口元を吊り上げる。

 

「やはりな。思った通りだったか」

 

ファーナムがおこなった一連の行動はこうだ。

 

爆発するまでの時間はおよそ三秒。アイズよりもたらされた情報をもとに、彼は鱗粉が吐き出されると同時に走り出した。

 

この時付け替えられた指輪の名前は『愚者の指輪』。かつての鉄の王国で手に入れたこの指輪は、装備した者の姿をローリングの最中に限り不可視にする事が出来る。この効果により、女体型はファーナムの姿が消えたと認識したのだ。

 

そうして素早く敵の懐に入り込んだファーナムが取り出したのは、青ざめた色をした、人の頭骨を模したアイテム『誘い骸骨』。

 

砕け散った場所にソウルを含んだ青白い煙を発生させ、ソウルに飢えた亡者などを誘き寄せるためのものだ。

 

ファーナムがこれを使ったのは自身の推測に基づいての事だった。

 

最初の戦闘―――モンスターたちとの戦闘を繰り広げたあの『闘技場』。あの場所から今に至るまで、ずっとソウルらしき気配を感じていた。

 

ソウルとは万物に宿るもの。その大きさに差こそあれど、ソウル無くして成り立つものなどは存在しない。

 

慣れ親しんだソウルとは少し異なるその気配に不安が残ったが、まずファーナムはこの未知の場所にもソウルは存在すると仮定した。

 

そしてモンスターたちを倒した時。

 

この時もまた、倒した敵のソウルが自身の中に吸収されるのを感じた。倒した敵の強さの割にはそのソウルはやけに小さかった気がしたが、これによりファーナムはこの地におけるソウルの存在を確信した。

 

さらにモンスターたちの習性。

 

この地における亡者や異形のようなもの……モンスターという存在は、アイズたち冒険者を見つけると問答無用で襲い掛かってくる。その様子は、正しくソウルに飢えた亡者たちそのものだ。

 

以上の事から、ファーナムはこの地における冒険者とモンスターの関係を、不死人と亡者の関係に当てはめる事にした。未だ不可解な点はあるが、こう考えれば自ずと女体型との戦い方も見えてくる。

 

ジリ貧の状況を打破するべく実行したこの戦法は見事に功を奏した。誘い骸骨は女体型が振りまいた鱗粉が漂う空間の中に落下し、ソウルを含んだ煙は亡者同様に女体型を誘き寄せた。

 

爆発までの時間を計算して投げ付けられた誘い骸骨。それに誘き寄せられた女体型は自らが振りまいた鱗粉が漂う空間に突撃し、その爆発に呑み込まれた。

 

爆発に巻き込まれた女体型は腕を大きく振り回して悶え苦しむ。体の至る所から炎と黒煙を上げ続ける女体型の前方に歩み出たファーナムは、サンティの槍を構える。

 

「礼を言うぞ、異形。この戦闘は中々に実りのあるものだった」

 

独り言のようにそう呟いて走りだすファーナム。彼の接近に気付いた女体型は火傷だらけの腕を振るって迎撃を試みる。

 

しかし万全の状態ならばいざ知らず、全身に火傷を負った女体型の動きは先程までに比べて格段に鈍い。向かってくる腕をファーナムはすれ違いざまに切り裂き、時には切り落とし、芋虫の下半身を踏み台に顔の高さまで飛び上がる。

 

サンティの槍を片手で持ち直し、空中で大きく体を捻る。女体型は最後の抵抗とばかりに大口を開け、腐食液を撃ち出そうとする。

 

が、ファーナムの方が速かった。

 

 

 

「終わりだ」

 

 

 

胸を突き出し後方に反り返った槍投げのような体勢から突き出された一撃は、女体型の巨大な頭部を深く抉った。サンティの槍の先端は頭部を貫通、後頭部からその肉厚な刀身が顔を覗かせる。

 

大口を開けたまま固まる女体型。その巨体がビクリと一瞬震えたかと思うと、サンティの槍を突き立てられた頭部から、ボコボコボコッ!と急激に肥大が始まった。

 

「!!」

 

一瞬で異常を悟ったファーナムはサンティの槍を引き抜きながら、それを自らのソウルに還元させる。視界の端ではアイズが仕留めた女体型も同様の変貌をとげている。

 

支えを失い落下しながらも、すかさずファーナムはその手にソウルを収束させる。形作られたのは先程の使ったゲルムの大盾、それを両手でしっかり握り、来るであろう衝撃に備える。

 

数瞬の間を置き。

 

視界が、赫く染まった。

 

 

 

 

 

押し寄せる熱風、全身を叩く衝撃波。

 

二体の女体型がいた場所からかなり遠くまで退却していたフィンたち【ロキ・ファミリア】のもとまで、その余波は届いていた。

 

アイズとファーナムが撃破した、二体の女体型。これらは絶命の間際にその体を膨張させ、巨大な爆発を引き起こした。単体でも危険なそれが二つ分ともなれば、その威力は計り知れない。

 

【ロキ・ファミリア】全員の顔に緊張の色が浮かぶ。視線の先は灼熱に包まれ、否応でも鍛冶師が扱う炉を彷彿とさせる。

 

まさか……最悪の光景が団員たちの頭をよぎろうとしたその時、二つの人影が浮かび上がった。

 

一つは小柄な、線の細い人影。

 

もう一つは大柄で、力強い印象を与える人影。

 

次第に明らかになってゆくその姿に、団員達は息を呑む。

 

半壊した防具、煌めく剣の輝き。

 

煤けた重装鎧、背負った大盾の荘厳さ。

 

燃え盛る炎を背に帰還した冒険者と不死人を、団員達の大歓声が包み込んだ。

 




最後の方は書いててすごい楽しかったです。やっぱりファーナム装備はこういう場面によく映えると思いました。

ところでレクリエイターズって面白いですよね。いつかこのSSも書いてみたいです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七話 オラリオ

女体型との戦闘を終えたファーナムは【ロキ・ファミリア】一行と共に地上への帰路に就いていた。

 

現在の階層は第十七階層。中堅のファミリアでは手も足も出ないようなモンスター達が出現する階層だが、それは【ロキ・ファミリア】にとって何の問題でもない。

 

【ロキ・ファミリア】はオラリオでも屈指の実力を誇るファミリアの一つ。下っ端の団員でさえ、そこらの中堅ファミリアでは歯が立たない程の戦力を有している。故に彼らは帰還の疲労によってその顔を歪ませども、モンスターの恐怖は微塵も感じていなかった。

 

そんな団員達の先頭を行くのは、彼ら全員の信頼を集める小人族(パルゥム)の団長、フィン・ディムナ。そしてそのすぐ隣には、彼のおよそ倍の背丈の男、ファーナムがいた。

 

ファーナムは先程の戦闘で担いでいたゲルムの大盾を仕舞い、代わりに『王国のカイトシールド』と『ロングソード』を装備している。アイズ達との戦闘で使用していた武器だ。

 

「まさか遠く離れた場所にある物まで回収できるとはね」

 

「盗まれたり他人に譲渡したりといった特殊な状況を除けば、大抵の場合は回収可能だ」

 

「全く、羨ましいスキルだよ」

 

そう言って苦笑するフィン。ファーナムも余計な誤解を招かぬよう必要以上の事は話さなかったが、フィンも追及するような真似はしなかった。

 

本拠(ホーム)とやらで色々と聞かれるだろうが……まあいい。こちらも怪しまれぬよう、聞きたい事は聞かせてもらうとしよう)

 

考えを悟られないように当たり障りのない会話を続け、ファーナムとフィンは団員達の先頭を歩き続ける。

 

そんな二人の様子を……否、ファーナムを背後から睨んでいる一つの視線が。

 

「うぎぎぎぎ……!団長の隣があんな訳の分かんない奴にぃ……!!」

 

「ちょっとティオネうるさーい。さっきから歯ぎしりばっかしてるじゃん」

 

「だってさっきからずっとあの調子なのよ!あのデカい芋虫倒したのは中々やると思うけど、それでもアイツ部外者でしょ!?分をわきまえなさいよ!」

 

「我が姉の嫉妬が止まらない……アイズー、助けてー」

 

「……ごめん、ティオナ。よく分かんない……」

 

「やっぱりかー。あ、でも確かにあのモンスターを倒したのはすごいよね。アイズも割と苦戦したんでしょ?」

 

怒れる身内をなだめるティオナからの質問に、隣を歩くアイズは先程の戦闘を振り返る。

 

大型のモンスターとの戦闘はあれが初めてと言う訳ではもちろん無いが、それでもやはりあのモンスターはイレギュラーであると言えた。

 

撃ち出される大量の腐食液、爆発を起こす極彩色の鱗粉、倒したら倒したで大爆発……とてもでは無いが、アイズたち上級冒険者でも初見でアレを倒すのは相当困難だろう。

 

「私は風を纏っていたから、爆風や腐食液は大体受け流せたけど……」

 

ティオナの質問に答えつつ、アイズはその視線を前方にやる。金の双眸は自身を含めた行進する団員達の先頭を歩くファーナムへと向けられた。

 

「あの人……ファーナムさんはその全部を、武器と体捌きで対処してた。魔法も使わず、初見にも関わらず……」

 

「ほんっと、何者なんだろうね。リヴェリアから聞いた話だと確か、ク、クァ~…

えーっと……」

 

「【クァト・ファミリア】でしょ」

 

「そうそれっ!その【クァト・ファミリア】ってトコに入団してるみたいなんだけど、あたし全然聞き覚えが無いんだよねー」

 

ティオネからの補足を受けようやく思い出すも、んー、と顎に手を当てながら唸るティオナ。何時になく真剣に悩む素振りを見せる妹の姿を横目に、今度はティオネが近くにいたレフィーヤに質問する。

 

「レフィーヤは何か知らない?」

 

「へっ?私ですか?」

 

「ほら、あなたリヴェリアとよく一緒にいるじゃない。今までに何かアイツに関する事とか聞かされてないかしら?」

 

「え、えぇと……」

 

突然振られた質問にレフィーヤは困惑する。眉間に皺を寄せ、頭の中で何か有益な情報は無かったかと整理するも、結局何も浮かばなかった。

 

「すいません、私も特には……」

 

「それじゃあ今の所は手がかりは何も無いわね。やっぱり団長からの説明を待つしか無いかしら」

 

「そうだねー。あたしもさっぱり分かんないや」

 

ファーナムへの詮索を諦めたティオネに続き、頭を捻っていたティオナもここでリタイアした。元より深く詮索する事が得意では無い双子の姉妹は、ひとまずこの話題を切り上げる事にした。

 

その時である。

 

ピシリ、とダンジョンの壁に亀裂が走った。

 

生じた亀裂が新しい亀裂を作り、それはあっという間にアイズたちを取り囲むほどの大規模なものへと変貌する。

 

「あ、アイズさん……!」

 

「……うん」

 

レフィーヤの少し不安そうな声にアイズは応えつつ、周囲を見渡す。生じた亀裂、岩と岩の隙間からは次々と剛毛に覆われた赤銅色の肉体を持つモンスター『ミノタウロス』が生み出され、【ロキ・ファミリア】を取り囲む。

 

「も、怪物の宴(モンスター・パーティー)……!」

 

団員の誰かが思わず口走った。

 

ダンジョンで稀に起こるこの現象は、場合によっては多くの冒険者の命を脅かす非常に危険な出来事だ。その中でも今回の様な場合は特に危うい。

 

ダンジョン中層付近に出現するモンスターの中でも最強と謳われる『ミノタウロス』。それがこの規模で出現すれば下級の冒険者などはひとたまりも無い。抵抗する間も無く無残な末路を辿る事になるだろう。

 

しかしそれは“下級の冒険者”の場合。

 

【ロキ・ファミリア】は【フレイヤ・ファミリア】と対を成す、オラリオ屈指の二大派閥の一つ。一番下っ端の団員でさえLv1はほとんどいないと言って良い程の練度である。

 

そしてこの場にいるのはダンジョン深層から帰還した者たち。ただの荷物持ちでさえ最低でもLv3の者を揃えている彼らの前には、いかなミノタウロスの軍勢と言えども分が悪すぎる。

 

「ねーえーリヴェリアー。こんなにいるんだし、あたし達もやっちゃっていい?」

 

しかし今回は数が数だ。この場にいる全員を取り囲むほどの数のモンスターに、ティオナ達も参戦の意を示した。了承を得、自身の得物を失ったティオナが素手で先陣を切り、次いでティオネ、ベート、アイズと上級冒険者が動く。

 

『ヴォオオッ!!』

 

「む」

 

ミノタウロスはファーナムにも食って掛かった。3Mに迫る巨躯を揺らしながら近づき、背後から一気に叩き潰そうと腕を振り下ろす。

 

しかしファーナムは左手の盾でそれを難無く防いでしまう。振り向きもせずに攻撃を防がれたミノタウロスの驚愕を余所に、ファーナムは流れるような動きでそのまま剣を振るう。

 

『……ヴォ?』

 

と、間抜けな声がミノタウロスの喉から発せられた。それを皮切りに、赤銅色の体毛に覆われた胴体に横一線の赤い亀裂が生じる。

 

その亀裂はミノタウロスの胴をくるりと一周する。両端が合流するや否や亀裂からは血が溢れ出し、ミノタウロスの上半身は地面へとずり落ちた。

 

どちゃり、と自らの血と臓物に溺れながらミノタウロスは悲鳴すら上げられずに絶命し、魔石のみを残して灰へと還ってゆく。同胞の哀れな最期を目の当たりにしたミノタウロスは恐れ慄き、思わず後ずさってしまう。

 

「随分と呆気ないな」

 

「はは、君がやれば無理もないよ」

 

ファーナムの気の抜けた呟きを聞き、一部始終を見ていたフィンは苦笑しつつそう答えた。

 

堪ったものでは無いのはミノタウロス達だ。自分達よりも遥かに強い冒険者達がいるこの空間に生まれたのが運の尽き、ミノタウロス達はみるみるうちにその数を減らしていく。

 

『ヴヴォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!?』

 

その数が半数を切った時、一匹のミノタウロスが叫んだ。雄叫びと言うには余りにも見苦しいそれは次々に同胞へと伝播し、一斉に同じ行動を誘う。

 

「お、オイッ!?」

 

「うそぉ!?」

 

土煙を上げながら撤退するミノタウロス達に、信じられないと言った風に驚愕の声を上げたのはベートとティオナだ。

 

前代未聞、モンスターの一斉退避であった。

 

「フザけんなっ、テメェらモンスターだろうが!?」

 

冒険者に襲い掛かってこそのモンスター、それが背を向けて一斉に逃走するなど誰が想定しようか。最初こそ呆気にとられていた【ロキ・ファミリア】であったが、ベートの怒号を合図にすかさず逃走したミノタウロス達の処理に向かう。

 

「ファーナムッ!」

 

「分かっている」

 

ミノタウロス達のこれ以上の逃亡を阻止すべく、下位の団員から受け取った武器を振るいながら、フィンは鋭くファーナムの名を叫ぶ。それだけでファーナムは彼が何を言いたいのか理解し、アイズ達に次いで逃げたミノタウロス達の処理に向かった。

 

 

 

 

 

「あーもーツイてなーい!なんでこんな事になってるのさー!?」

 

「ぐちゃぐちゃ言ってないでさっさと()る!ほら、コレ使いなさい!」

 

アイズとベートが追っているのとは別方向に逃げたミノタウロスを処理すべく、アマゾネスの姉妹、ティオネとティオナは迷宮内を奔走していた。

 

追いかける道中で数体ばかりは倒したが、それでも逃げ出した数には程遠い。半数はアイズとベートに任せるとして、もう半数は自分達が何とかしなくてはならない。

 

何が起こるか分からないダンジョン内とは言え、自分達が逃したモンスターが他の冒険者の不幸の原因にでもなってしまえば、寝覚めが悪くて仕方が無い。

 

ティオネは頭を抱えながら自身の隣を並走するティオナに下位の団員からむしり取った武器を半ば強引に押し付ける。それはまるでギャーギャーと喧しく騒ぐ妹の口を塞ぐかの様だ。

 

「ちょ、あたし大剣ってあんま得意じゃないんだけど!?」

 

「あんたの武器と同じようなモンでしょ、いつもあんなデカい武器振り回してるくせに」

 

大双刃(ウルガ)と一緒にしないでよっ!あっちの方が使い慣れてるの!そもそも形が違って……」

 

「あぁもうウッセェ!!それなら素手で殴り殺せばいいだろ!?」

 

本性が見え始めたティオネの目の前に、不意に巨大な体躯が現れる。周囲を警戒するように見回しているソレは一斉逃亡したミノタウロス達、その内の一体だ。

 

その姿を視界に収めるや否や、ティオネのこめかみにビキリと青筋が浮かび上がる。

 

「テメェらのせいで―――――」

 

「ちょっ、ティオ……!?」

 

次の瞬間、ティオネの体がブレた。瞬間移動と見紛うほどの速さでミノタウロスに肉薄したティオネは右手に握り拳を作り、接近した際の勢いをそのままに全力で拳を振り抜く。

 

「団長が迷惑してんだろぉがああぁぁぁぁぁあああああああああっ!!!」

 

その威力たるや。

 

ティオネの怒りの一撃をその身に受けたミノタウロスの上半身は衝撃で千切れ飛び、体内にあった魔石ごと粉微塵に弾け飛んでいってしまう。支えるべきものを無くした下半身は彷徨うようにその場でふらつき、やがて膝を突いて崩れ落ちた。

 

灰となって消えゆくミノタウロスの亡骸。それを見下ろすティオネの表情は唾でも吐きかけんばかりだ。

 

鬼神と化した姉の姿を目の当たりにして完全に引いているティオナ。と、その背にくぐもった男の声が掛けられる。

 

「……お前の姉はオーガか何かか?」

 

「うわっ!?」

 

ばっ!とティオナが振り返ってみれば、そこにはファーナムの姿があった。後ろを付いて来る者の事など考えていない速度で進んでいたはずだが、目の前にいるファーナムに息が切れている様子などはまるで見られない。

 

手にしている武器も盾とロングソードから、刀身の長い両手剣であるバスタードソードとヘビークロスボウに変わっている。

 

「ファーナム!付いて来てたんだ」

 

「フィンの指示でな。あの場に残っていたモンスター共はフィン達で始末している」

 

「なんであたし達の方に?」

 

「あの二人、アイズとベートは特に足が速そうだったからな。あの速度ならば逃げたモンスター共の掃討にも十分に間に合うだろう」

 

「何よ。私達には荷が重いとでも言いたいの?」

 

警戒するように周囲を見渡すファーナム。彼の言葉にティオナがムッとしていると、その心境を代弁するかのようにティオネがファーナムにつっかかってきた。

 

「私達はレベル5の冒険者よ。ミノタウロスなんか相手にもならないわ」

 

「だろうな、だが事態が事態だ。赤の他人にまで被害が及ぶのはお前にとっても望ましくはないだろう」

 

睨み合う二人。ティオナはそんな剣呑な様子の二人をあわあわと見ている事しか出来なかったが、やがてティオネはファーナムから視線を外して瞳を閉じる。

 

「……悪かったわ。確かにあなたの言う通りね」

 

「理解してくれたか」

 

「ええ。こんな事でいがみ合っている間に誰かに死なれちゃ、気分が悪くて仕方が無いわ」

 

そう言って残ったミノタウロスを始末すべく、再びダンジョン上層へと駆けてゆくティオネ。目の前は二股に分かれた通路があり、ティオネは右手の通路へ進んでいった。

 

「左側をお願い!右側(こっち)は私が何とかする!」

 

「分かったー!!」

 

ダンジョンの暗闇へと消えてゆく姉の指示に、ティオナは大声で返答した。あっという間に見えなったその背中を見送った後、くるりと振り返ってファーナムに呼びかける。

 

「よし!あたし達も行こ……」

 

気合い十分と言った様子で語りかけてくるティオナ。しかし笑顔と共に振り返った彼女が目にしたのは、ヘビークロスボウを構えたファーナムの姿であった。

 

臨戦態勢のファーナムに彼女はポカンと口を開ける。それと同時に、バンッ!と射出音が響き、金属製のヘビーボルトが撃ち出される。

 

「ちょっ、危なっ!?」

 

瞬間的にその場にしゃがみ込んだティオナ、射出されたヘビーボルトはその頭上を通過し、ダンジョンの暗がりへと吸い込まれていった。

 

『ヴモォッ!?』

 

数瞬の間を置きミノタウロスの叫び声がティオナの耳に届く。どうやらファーナムは遥か前方にいるミノタウロスを発見し、手にしているヘビークロスボウで狙撃したらしい。

 

しかし、ファーナムの目の前にいたティオナからすればたまったものでは無い。

 

「ちょっと、撃つなら撃つって先に言ってよ!危ないじゃん!?」

 

「お前の身長ならば、あのまま立っていても当たる心配は無い」

 

「馬鹿にしてるのっ!?チビだって馬鹿にしてるのっ!?」

 

あーもうっ!!とファーナムにローキックをかますティオナ。子供っぽい仕草が目立つ彼女ではあるが、その実力はオラリオ屈指のレベル5。地味にクる攻撃は止めてもらいたいファーナムではあったが、流石に今のは一言必要だったかと反省する。

 

「すまん、俺の目線より随分下だったからな。つい忠告を忘れてしまった」

 

「やっぱり馬鹿にしてんじゃんーーーーー!?」

 

彼なりの弁明をしたファーナムは、結果として更に強烈な蹴りを貰う事となった。

 

何故だ?と自問するファーナムに答えをもたらす人物は残念ながらここにはいない。結局ファーナムは終始不機嫌なティオナと一緒に、逃げたミノタウロス達の後始末をする事となった。

 

 

 

 

 

「はぁ、はぁ……!」

 

「ちょっとレフィーヤ、大丈夫?」

 

「ほら、もうちょっとで地上だよ!頑張って!」

 

「は、はいぃ」

 

逃げたミノタウロス達の始末を終えた【ロキ・ファミリア】の一行は、地上への帰還を再開していた。

 

長旅に加えて突如発生したミノタウロス達の後始末もあり、流石に多くの団員達の顔に疲労が色濃く浮き出ている。平然としているのはアイズ達レベル5以上の冒険者くらいだ。

 

疲労困憊(こんぱい)と言った様子のレフィーヤをアマゾネスの姉妹が励ましているのをぼんやりと見ながら、ファーナムは地上に出てからの事を考える。

 

(怪しまれない程度に適当に答えつつ、頃合いを見て彼らと別れる……やはりこれが一番だな)

 

岩が剥き出しの地面を踏みしめながら、ファーナムは本拠(ホーム)での対応を決めた。彼からしても聞きたい事は山ほどあるが、下手に詮索しすぎてボロを出さないようにしなければ、と心に決めたファーナムの耳に、フィンの声が聞こえてきた。

 

「地上はもうすぐそこだ!さぁ、もうひと踏ん張りだ!」

 

フィンの言葉に勇気付けられ、疲れ果てた団員達の表情にも気合いが入る。よろよろと危なげに歩いていた団員も、彼の言葉に歯を食いしばって歩みを進める。

 

(大したものだな)

 

ファーナムは純粋にそう感じた。

 

流石にこれだけの数の団員達をまとめ上げる人物だけの事はある。彼が一言声を掛けただけで団員達をこれだけ力付けたのを見て、改めてフィンの団長としての力を実感した。

 

そうこうしている間にダンジョンの入り口が見えてきた。ダンジョン内の発光する壁のものとは違う、地上からの光がファーナム達を照らす。

 

「みんな、よく頑張った。オラリオに帰ってきたぞ!」

 

先頭のフィンに続き、次々に地上への帰還を果たす団員達。

 

帰ってこれた事に歓喜する者、疲労と安堵からその場にへたり込む者、大きく背伸びする者。茜色の夕日を浴びながら、団員達は思い思いの行動で帰還の成功を喜び合う。

 

「やっと地上だよ~!あーお腹すいたー!」

 

「今回は大変だったわね。物資はほとんど無くなるし、あんたの大双刃(ウルガ)も溶かされるし」

 

「また作って貰わないと駄目だね。あー、お金が飛ぶ~」

 

「だ、大丈夫ですよ!ティオナさん強いですし、きっとすぐに貯まりますって!」

 

大双刃(ウルガ)はティオナの専用武器(オーダーメイド)、それも超硬金属(アダマンタイト)製よ?いくらかかると思う?」

 

「あっ……」

 

借金確定の事実に、うがー!と頭を掻きむしるティオナ。そんな様子の妹をそしらぬ顔で知らんぷりするティオネと、必死にフォローの言葉を考えるも何も言えないレフィーヤ。彼女達のやり取りを見て、他の団員達は困ったように笑っている。

 

「全く。帰還した直後だと言うのに落ち着きのない事だ」

 

「それだけ余裕があるという事じゃろう。儂なんぞ肩が凝って堪らんわい」

 

「ハッ、なら隠居なり何なりしやがれってんだ」

 

「それならさっさと儂より強くならんか。あまり老人をこき使うもんでは無いぞ」

 

「……チッ、クソジジイが」

 

軽く頭を押さえるリヴェリア、ベートが吐いた悪態を軽く受け流すガレス。

 

地上へ帰還した事により彼らも彼らなりに肩の荷が下りたのだろう、ベートはそれ以上は何も言わずにどこかへ行ってしまう。リヴェリアとガレスはその後ろ姿を見送り、互いに顔を見合わせて苦笑し合う。

 

団員達を見渡し、その顔に安堵の色が戻った事を確認したフィン。彼はそこでふと、オラリオの街並みを静かに見つめるファーナムの姿を発見した。

 

まるで石像のように立ち尽くしているファーナム。先程までとは違うその様子に、フィンは彼の元まで歩み寄った。

 

「……これが地上か」

 

「ファーナム?」

 

背後にいるフィンに対し、ファーナムは振り返る事もせずにそう呟く。小さなその呟きはフィンの耳に入る事はなかったが、彼はとりあえず言葉を返す事にした。

 

「なにか珍しいものでも見たのかい?」

 

「……ああ。とても、懐かしい光景のような……そんな気がする」

 

「……そうか」

 

曖昧な返事をするファーナムだったが、フィンは深層での疲れが出ているのだと判断し、それ以上は何も言わなかった。

 

背後から彼が立ち去る事すら気にも止めず、ファーナムはただただ眼下の光景に心を奪われていた。

 

行き交う人々、野菜や肉を売る商売人、ギルドへ魔石を換金しに行く冒険者、酒場でジョッキ片手に盛り上がる人々……ファーナムは活気に溢れるオラリオの街並みを、食い入るように見つめる。

 

兜のスリットから入ってくる夕陽に目を細めた彼は、その喧騒の中に足を踏み入れようとする。

 

しかし、一歩進んだところでその歩みは止まり、ファーナムは再びその場に立ち尽くした。ハッと何かに気が付いた様子のファーナムは顔を伏せる。   

 

―――まるで目の前の光景を、これ以上視界に収めるのを恐れるかのように。

 

「……どうしたん、ですか?」

 

そんな彼に、突然アイズが話しかけてきた。今度はちゃんと振り返り、彼女の顔を見る。少しだけ心配そうな顔をした少女の顔がファーナムの視界に入る。

 

「いや、なに。ただ少し、眩しくてな……」

 

「……ダンジョンは、薄暗いですから。眩しく感じるのは、そのせい……」

 

拙い言葉で懸命に返答するアイズの姿を、ファーナムは微笑ましく感じた。言葉が尻すぼみになってゆく彼女に、ファーナムは穏やかな、しかしどこか影を落としたような口調で返答する。

 

「ああ。本当に……眩しいな」

 

 

 

 

 

「やっと着いたぁ~」

 

オラリオ北部に建てられた、群を抜いて大きな建物。

 

まるで物語に出てくる城をそのままの形で無理矢理コンパクトにしたようなこの建物こそ、【ロキ・ファミリア】の本拠(ホーム)、黄昏の館である。

 

複数ある塔の中でも一番高い位置にある中央塔には【ロキ・ファミリア】の紋章(エンブレム)である道化師(トリックスター)が描かれた旗が揺れている。

 

「今帰った。門を開けてくれ」

 

フィンが門番をしている二人の団員に告げる。団長の命令を受けた彼らは素早く開門し、ダンジョン深層より帰還した彼らを庭園へと向かい入れる。

 

ファーナムの姿が見られた際は一瞬だけ警戒されたが、傍にいたリヴェリアが手で制して彼らの動きを止めたため、大した騒ぎにはならなかった。

 

「おっかえりぃぃぃいいいいいいいいいい!!」

 

と、そこへアイズ達目掛けて走り寄ってくる一つの人影が現れた。

 

朱色の髪をしたその女性は何の迷いも無くアイズ達に飛びかかった。しかしアイズを始めとしたティオナ、ティオネはその特攻を難無く回避、結局その被害を受けたのは最後尾にいたレフィーヤ一人であった。

 

「ちょっ、待、きゃあ!?」

 

「うおーっ!みんな怪我ないかー!?めっちゃ寂しかったでぇー!!」

 

オラリオにおいてあまり聞き慣れない方言で喋りまくるのは、先程飛び出した朱色の髪をした女性。庭園に設けられた『魔石灯』の光が、押し倒されたレフィーヤとその張本人である彼女を照らし出す。

 

「やあ。ただいま、ロキ」

 

「おーフィン、おかえりぃ!。ちょい待ちぃ、今レフィーヤの成長具合確かめとるからーっ!!」

 

「きゃーっ!?きゃーーーっ!!?」

 

毎度恒例となったこのセクハラ行為に、流石に苦笑を隠せない団員達。今回の哀れな犠牲者であるレフィーヤが解放されたところで、ようやくフィンは今回の遠征の報告をおこなう。

 

「今回の遠征も犠牲者なしだ、深層の開拓も出来なかったけどね。詳細は追って説明するよ」

 

「ん、了解や」

 

フィンからの簡易報告を聞き、にへらっと笑うロキと呼ばれたその女性。

 

黄昏を思わせる朱色の髪。細長い双眸は帰還した子供たちの無事を喜び、その整った顔を破顔させている。

 

彼女こそがオラリオ最大派閥の一つ【ロキ・ファミリア】の主神である女神、道化神(トリックスター)の異名でも知られる、ロキその(ひと)である。

 

「それでロキ、もう一つ報告だ。実はダンジョンの道中でとある冒険者に出会ってね、紆余曲折はあったが、僕らは彼に助けられた。それで彼に感謝の意を伝えようと、ここまで一緒に来てもらったんだけど……」

 

「へぇ~珍しいなぁ。フィンがそこまで言うんなら、うちも興味あるわ。で?ソイツはどこに居んねん?」

 

「うん。今呼ぶよ……ファーナム!」

 

「ここにいる」

 

フィンの呼びかけに応じ、ファーナムは団員達をかき分けてやって来る。大柄と言えども人だかりで姿がほとんど隠れてしまっていたため、ロキもこうして出てくるまで気が付く事は無かった。

 

「へぇー!アンタがフィン達を助けて、くれたん……」

 

「!!」

 

直後、二人は同時に固まった。

 

ロキはその細目を目一杯に見開いて、ファーナムは兜の奥で静かに目を見開いて……。

 

魔石灯の光が薄暗くなったオラリオの街を照らし出す中、こうして不死人は“神”との邂逅を果たした。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八話 神

初めて一万字に到達しました。


黄昏の館。

 

【ロキ・ファミリア】が有する団員達の住居。周囲にある建物よりも遥かに高く、凝った建築に目が行く建造物。そこにある僅かばかりの空間に設けられた庭園。

 

所属する団員の数に対してお世辞にも広いとは言えないその場所には、遠征から帰還してきた団員達がひしめき合っていた。

 

いつもであればロキが帰って来た女性の団員にセクハラを強行し、それに気付いたリヴェリアがティオナ達に止めさせるよう指示。引き剥がされたロキにフィンが簡易報告をして終了という流れであったのだが、今回はそうはならなかった。

 

「……」

 

「……」

 

ダンジョンより帰還した【ロキ・ファミリア】を包み込む痛い程の静寂。

 

本拠(ホーム)へ帰還しすっかり気が抜けていた団員達も、ロキとファーナムの間に漂う妙な気配を察知して思わず顔を強張らせている。

 

「……ロキ、どうしたんだい?」

 

沈黙を破るように、フィンが口を開いた。

 

ロキの表情は普段のおどけた姿からは考えられない程のものだった。双眸は大きく見開いてはいるものの、それ以外の顔の筋肉は一切動いていない。

 

常日頃からにやにやとした薄ら笑いを浮かべているイメージが強い分、今のロキの表情はあまりに普段のそれとかけ離れていた。まるで豹変したようにすら思えるロキの様子に、団員達は知らずに息を呑む。

 

しかし、それはファーナムも同じ事。

 

フルフェイスの兜に覆われている為に傍目からは分からないものの、彼もまた、その顔を驚愕の色に染めていた。

 

 

 

(何なのだ、コレ(・・)は……?)

 

 

 

ファーナムの脳裏には、そんな疑問が浮かんでいた。

 

話は変わるが、ファーナムはこれまでに数々の強敵と戦ってきた。

 

半ば朽ちた体でありながら、まるで手負いの獣のような凶暴性を見せてきた『最後の巨人』。

 

強いソウルを持つ者達、『忘れられた罪人』、『鉄の古王』、『腐れ』、『公のフレイディア』。

 

祭祀場の最奥に鎮座し、世界を傍観し続けていると言う『古の竜』。

 

そして大いなるソウルを欲し、それを渇望してやまなかった異形の王妃『デュナシャンドラ』。

 

不死人となってから歩んできた旅路を思い起こせばキリがないが、尋常ではない存在と遭遇した時には必ずと言って良い程に、何らかの胸騒ぎを覚えたものだ。まるで心臓を鷲掴みにされたようなあの感覚は、どうやっても忘れようが無い。

 

そんな胸騒ぎを今、ファーナムは感じていた。

 

目の前の女の姿に特に変わったところは無い。少々露出が多い服装という事を除けば、先程歩いたオラリオの街でもよく見るような姿である。

 

しかしその身に纏っている気配はまるで別物。

 

覚えがあるものの中では『古の竜』が最も近いだろうか……ある種の『神性』とも言うべき何か(・・)が、この目の前にいる女からは感じられた。

 

どう行動すべきか。ファーナムが心の中で思案していると、フィンの呼びかけに反応したロキがおもむろに口を開く。

 

「……あ、あー、いやなぁ?フィン達のピンチを華麗に救った言うもんやから、どないな容姿端麗超絶美少女かと思ったら……なんや男やん!?しかもこんな鎧まで着よって!毛皮なんか見てるこっちが暑苦しいっちゅーねん!!」

 

口を開くや否や、先程までの張り詰めていた空気をぶち壊す勢いでまくしたてるロキ。そのままずかずかとファーナムの前までやって来たロキは彼の困惑を余所に下から睨み上げ、更に喋り続ける。

 

「大体なんやねん自分!いくら招待されたからってそないにホイホイ他のファミリアの本拠(ホーム)まで来るか!?普通は他の団員と相談するやん!自分んトコの主神はそないな事も分からんあっぱらぱーなんか!?」

 

「ち、ちょっとロキ、落ち着いてよ!?」

 

ギャーギャーと騒ぐロキを、近くにいたティオナが慌てて取り押さえる。

 

ぐえーっはなせぇー!?と見苦しく暴れるロキはそのままティオナに羽交い絞めにされるが、それでもなおも抵抗の意を見せた。

 

「落ち着いてくれロキ。彼の名前はファーナムと言う。詳しい事は僕たちもまだよく知らないが、無闇に暴れ回るような人物じゃない」

 

見かねたフィンがダンジョン内での出来事について話し始める。出会い方こそ悪かったものの、他ファミリアの危機を身を挺して救ってくれた事。それこそが彼は危険な人物などでは無いことの証明だと。

 

庭園にいた誰もがフィンの言葉に耳を傾けていた。未だに羽交い絞めにされているロキもフィンの話に集中しているようで、ひとまずこの場でどうこうなるという事は無さそうだと、ファーナムは密かに胸を撫で下ろした。

 

「という訳だ。理解してもらえたかい」

 

「―――――まぁな。しかしまだコイツの所属しとるファミリアの名前を聞いとらん。ファーナム言うたな、どこのファミリアのモンやねん?」

 

ティオナの拘束を解かれ、地べたに胡坐をかいたロキの朱色の瞳がファーナムを射抜く。

 

こちらを疑るような目には虚偽は許さないという警告がはっきりと浮かんでいた。しかし本当の事など言えるはずも無いし、ここでフィン達に話した事と食い違いが起きても困る。

 

「……【クァト・ファミリア】だ」

 

少し悩み、結局ダンジョンで言った事と同じ事を話した。短くファミリアの名前だけを口にしたのは必要以上の事を喋り、ボロが出るのを恐れての事だった。

 

密かに相手の出方を窺うファーナム。もしも不味い展開になりそうだった場合、少しでも先手を打てるよう気を引き締め、意識を集中させる。

 

ロキは依然としてファーナムをまっすぐに見据えていた。

 

睨み付けるかの様なその視線。しかし先程に比べ、その視線には別の物が混じっているように思える。

 

形の良い眉にしわを寄せ、ロキはその整った顔立ちを不快げに歪ませる。それは不可解な出来事に遭遇したかのような、困惑の感情を彷彿とさせるものだった。

 

「【クァト・ファミリア】、やと……?」

 

やがてロキは口を開き、そう零した。少し苛立ったようなその口調が、再び庭園に穏やかでない空気を呼び込む。

 

「……ロキは何か知ってるの?その【クァト・ファミリア】について」

 

そう口を開いたのはティオネだった。

 

ダンジョンでファーナムについての情報を知りたがっていた彼女だったが、今口を開いたのは何か糸口を掴めそうだから、というよりもこの空気を打破したかったからであろう。

 

ティオネの質問を受け、視線を彼女に移すロキ。普段とはあまりにかけ離れたその雰囲気に瞠目しながらも、ティオネは負けじと目を逸らさなかった。

 

一方のロキは少ししてその視線を移し、周囲を見渡す。

 

目に映る団員達の表情はどれも固く、困惑している様子だ。彼らの顔を見回し、ロキはふぅ、と小さく息を漏らして俯いた。

 

「ロキ?」

 

フィンが怪訝そうな表情で語りかける。胡坐をかいた格好のまま俯く我らが主神を、他の団員達も心配そうに見つめている。

 

「……なんや自分、クァトんトコの子供やったんかー!?」

 

と、唐突に。

 

先程と同じように、またしてもロキの大声が重苦しい空気を霧散させた。

 

呆気にとられる団員達を尻目に、スッと立ち上がったロキはずかずかとファーナムの元まで歩み寄り、その身長差を無視して無理矢理に肩を組んでくる。

 

「何やねん、それならそうと先に言い!おかげでなんや変な空気になってもうたやーん!!」

 

そこにあるのは普段となんら変わらない主神の姿だ。

 

鬱陶しくファーナムに絡むロキを見て呆気に取られた団員達であったが、立ち込めていた重苦しい空気が無くなりホッと胸を撫で下ろす。ティオナなど大きく息を吐いて、あからさまに安心しきっていた。

 

「もう何なのさーロキ!?急に深刻そうな顔なんてしちゃって!」

 

「っていうかその言い方。【クァト・ファミリア】について何か知ってるの?」

 

「おー、そらもちろん!」

 

肩を組んでいる、というよりはファーナムにぶら下がっていると言ったほうが正しいような姿で、ロキはティオネの疑問に元気に頷いた。

 

「え?なに、それじゃロキとそのクァトって神様は友達か何かなの?」

 

「おう!クァトとは天界におった頃からの(ふっる)ーい仲や!自分、クァトからうちの事聞いとらへんのかいな?」

 

そう言って兜の奥を覗き込んでくるロキ。先程よりも至近距離に迫って来たロキの顔を目の当たりにしたファーナムは、思わず硬直する。口元にこそ飄々とした笑みが浮かんでいるが、その薄く開かれた朱色の瞳は欠片も笑ってはいない。

 

『適当に話合わせぇ』

 

「……!」

 

ファーナムにだけ聞こえるような声でロキは小さく耳打ちした。

 

拒絶を許さぬ彼女の言葉。ファーナムは素直にそれに従い、適当にロキに話を合わせる。

 

「……ああ。そう言えばお前の事も言っていた、ような気がするな」

 

「かーっ、これや!女神のうちに向かって“お前”呼ばわり!相変わらず子供の教育がなっとらんなぁアイツは!」

 

ロキは大声を張り上げたかと思えば肩に回していた腕を解き、素早くファーナムの背後へ回り込んだ。そしてファーナムの背中を押しながら、強引に館へと帰っていくロキ。

 

「みんな疲れたやろ、風呂でも入ってきぃ!うちはコイツからクァトの近況でも聞かせてもらうわ」

 

「え、ちょ……!?」

 

困惑する団員達を置き去りにし、ロキはファーナムと共に館の中へと消えてしまった。後に残されたのはフィン達は半ば茫然としつつも、やがて各々のやるべき事をすべくその場から立ち去って行った。

 

 

 

 

 

がちゃり、とドアに鍵がかけられる音がファーナムの耳を打った。

 

場所はロキの私室。広すぎず狭すぎず、絶妙な大きさの部屋には寝具に物書き机、来客用の長机にソファなどといったごく一般的な家具が置かれている。神の部屋にしては質素すぎるかも知れないが、ロキ自身がそこまで畏まった扱いをされるのを望んでいないという事が主な原因だろう。

 

壁際に設置されたガラス付きの棚には様々な種類の酒が所狭しと並んでおり、無類の酒好きであるロキの趣味がよく現れている。

 

「おっし。これなら誰も入って来れへんやろ」

 

「その程度の扉など蹴破るのは容易いと思うが?」

 

「鍵かけたっちゅうんが肝や。ここは今使ってますよーっちゅう事が分かれば、そないいきなり入ってきたりせえへん」

 

そう言ってロキは鍵をかけた扉にもたれ、腕を組んでファーナムを見やる。先にこの部屋へ通されたファーナムは部屋の中央におり、直立不動の格好だ。

 

「で?何者(なにもん)やねん自分」

 

その顔に笑みは浮かんでいない。【ロキ・ファミリア】の者でも中々見ることの無い、『神』としての振る舞いを見せるロキの姿だ。

 

「先程言っただろう。俺は【クァト・ファミリア】のファーナムだ」

 

「アホ抜かせ。いつまでそないなしょーもない嘘吐いてるつもりや」

 

ロキの鋭い眼光がファーナムを貫く。その視線を受け、ファーナムも内心で溜め息を吐いた。

 

「……やはり感付いていたか」

 

「当たり前や。そもそもうちに“クァト”なんて神の知り合いは居らへんし、そんな(ヤツ)聞いた事もあらへん。そないな神の名前を出しよった自分……一体、何者(なにもん)や?」

 

再度、ロキは同じ質問で問い詰めた。その瞳に宿る力―――神という絶対の存在が持つ独特の圧力を感じ取り、ファーナムは嘘や戯言の類は無意味と悟る。

 

「神なら嘘など見破れるだろう」

 

「まぁな。(うちら)人間(こども)の吐いた嘘くらい簡単に見破れる。白か黒かハッキリとな」

 

せやけどな、と区切り。

 

「自分の言うてる事はイマイチよう分からん。いや、嘘を言うてるんは分かる。せやけどその嘘が何を隠してるんか(・・・・・・・・)が分からんのや。自分見てると、まるで底の見えん泥ん中に腕突っ込んでるような、そんな気分になんねん」

 

「……」

 

「こんなんはうちの(なっが)ーい神生(じんせい)でも初めての事でな。ましてやそれにうちの団員(こども)達が関わっとんのやったら、うちは何が何でも自分の正体を突き止めなあかん」

 

オラリオ最大派閥の一つ【ロキ・ファミリア】の窮地を救った謎の冒険者。それだけならば聞こえは良いが、もしも彼の正体が良くない噂や評判のある者だとすれば、【ロキ・ファミリア】はそんな冒険者に(・・・・・・・)助けられたという事になる。

 

仮にそうなれば【ロキ・ファミリア】としての面子が立たないし、最悪の場合、良からぬ輩と通じているという噂まで立ちかねない。だからロキはこうしてファーナムの素性を確かめようとしているのだ。

 

「……分かった。俺は包み隠さずに全てを話そう」

 

「意外に素直やね」

 

「だが条件がある」

 

きょとんとした顔をするロキに向け、ファーナムは待ったをかけるように右手を軽く上げてそう言った。

 

「条件やと?」

 

「ああ。オラリオ、及び周辺の土地について知っている事の全てを話せ」

 

「オラリオについて……?」

 

ロキが怪訝そうな顔をするのも(もっと)もだ。

 

オラリオとは娯楽を求めて地上へ降りてきた神々がひしめき合い、地下迷宮であるダンジョンを有し、そしてそこに挑む冒険者達が数多く存在する迷宮都市。

 

この都市に身を置いている以上、今更オラリオの事について知りたいなどと言うのは不可解に過ぎる。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ならば、なおさらだ。

 

「……ええやろ、等価交換や。うちは自分から、自分はうちから知りたい事を聞かせてもらう。これで文句無いな?」

 

「ああ。それで構わない」

 

不可解な点もあったが、とりあえず両者の意思は固まった。ロキとファーナムはソファに移動し、長机を挟んで互いの正面に腰を下ろす。そしてどちらからともなく、会話は始まった。

 

 

 

 

 

アイズ達女性陣がシャワーを浴びている間、残された男性陣はそれぞれに思い思いの行動を取っていた。

 

刃こぼれ等が無いか武器をチェックする者もいれば、さっさと自室に戻ってベッドに飛び込んだ者もいる。大規模な遠征の後は大抵の団員が自由に行動する。流石に本拠(ホーム)に戻ってまで、やれ事務仕事だの会議だのをする余裕は無い。

 

それはフィン、ガレス、そしてベートも同じである。

 

シャワー室が空くまでの間、三人は空いている部屋のソファで膝を突き合わせていた。長机を囲むように置かれた三つのソファ。一人が一つを占領する形だ。

 

こうしてこの三人が集まるのは中々無いが、そこには会議の時の様な堅苦しさは無い。

 

「ふぅ……やはり遠征の後の一杯は染みるわい」

 

酒気を孕んだ吐息と共にそう零したのはガレスだ。琥珀色の液体が入ったグラスを傾けながら、目を閉じて酒の余韻に浸っている。

 

「女どもはまだ上がんねぇのか。こっちもさっさと汚れを落としたいってのによ」

 

「女性の身支度には時間が掛かるんだよ」

 

「女性ねぇ。あのバカアマゾネスの前でもそんな事言えんのか?」

 

「全く……そんな態度だからアイズも愛想を良くしてくれないんだよ」

 

「なんっ……バッ、てめぇフィン!なんでそこでアイズが出てくるんだよ!?」

 

「ははは」

 

行儀悪くソファに腰掛けていたベートが長机を叩いて抗議する。からかった事に対して思った以上に面白い反応をする彼の姿を見て、フィンは楽しそうに笑った。

 

「それにしても今回の遠征は異常(イレギュラー)続きだったね。おまけに物資もほぼ壊滅状態、次回の遠征はだいぶ先になりそうだ」

 

「他の者達に被害が少なかったのは不幸中の幸いじゃったな。しかしあの芋虫型のモンスターの腐食液は中々に厄介だのう」

 

「次までに不壊属性(デュランダル)の武器を用意しておく必要があるね。少なくとも僕ら第一級冒険者、その全員分の武器が」

 

「俺はフロスヴィルト(コイツ)がありゃそれで十分だ」

 

「そうは行かないよベート。君のそれは精製金属(ミスリル)だろう?もしかしてと言う事もあるからね」

 

譲ろうとしないフィンに舌打ちするベート。二人の掛け合いを肴に酒を飲んでいたガレスが、ここでおもむろに切り出した。

 

異常(イレギュラー)と言えば、フィン」

 

「ああ……ファーナムの事だね」

 

フィンの口から出たその男の名に、三人の顔が神妙なものに変わる。

 

アイズとベート達が連れてきた冒険者。深層をたった一人で攻略する程の力を有しているにも関わらず、名前も所属しているファミリアもまるで聞いた事がない。

 

実力に対して評判があまりに釣り合っていないのだ。それ程までにファーナムと言う男の存在は、ここオラリオではあまりに奇妙に過ぎた。

 

「【クァト・ファミリア】のファーナム、か。新参のファミリアにしては実がありすぎる。かと言って古参ならば話に上がらないのはおかしいのう」

 

「クァトとか言う神とロキは知り合いなんだろ?今頃色々と聞き出してるんだろうぜ」

 

ううむと唸るガレスと天井を仰いで知らせを待つベート。しかしフィンは顎に手を当てて一人、思考に没頭していた。

 

(第一級冒険者に迫る実力、見た事も聞いた事も無いスキル、そしてティオナの報告にもあった魔力を帯びた武器やアイテム。そしてこれらを併せ持つ冒険者、ファーナム)

 

寡聞にして聞いたことの無いそれらの情報は、ありえない憶測まで呼び起こしてしまう。しかしそれはあまりに荒唐無稽であった。娯楽に飢えた神々でさえもが、一笑に付してしまうほどに。

 

(これじゃあまるで……いきなりダンジョンに現れたみたいじゃないか)

 

馬鹿馬鹿しい妄想だという自覚はあった。しかしフィンは、何故かその可能性を捨てきれないでいた。その考えは女性陣とのシャワー交代の合図が出るまで、ずっとフィンの胸の内に燻り続けた。

 

 

 

 

 

ギュウ、と革張りのソファが軋む。

 

深く腰掛けたまま姿勢のまま、ロキは疲れたように目頭を押さえた。よく揉み、何度か瞬きし、そして目の前に座るファーナムの姿を確認して盛大に溜め息を吐く。

 

「はぁ~~~……やっぱ居るんやね、自分」

 

「俺はお前の妄想や幽霊の類ではない」

 

「うん、分かっとる。言うてみただけや」

 

真面目に受け取るファーナムにロキはひらひらと手を振ってみせるが、どこか力無いように思える。普段の騒がしいお調子者の面影は鳴りを潜め、そこには気苦労する神の姿しかない。

 

「はぁ~~~。マジで自分、何やねん。不死の呪いとかけったいな事言い出しよってからに」

 

「真実を語ったまでだ」

 

「あー分かっとる。自分が包み隠さずに全部(ぜーんぶ)本当の事話してるっちゅうんはよう分かった」

 

そう、神であるが故に分かってしまった(・・・・・・・・)

 

ファーナムの口から語られた不死の呪い、そしてそれに(まつ)わる彼の歩んできた旅路。それは壮絶の一言に尽きた。

 

“闇の刻印”はその身に現れた者から全てを奪う。過去も未来も、そして光すらも―――。

 

やがて失くした事すら思い出せなくなった者は、ただ(ソウル)を貪り喰らうだけの獣……亡者と成り果てる。

 

そんな化物で溢れた悍ましい世界から、ファーナムはやって来た。

 

殺し殺され、やがてソウルが尽き果てるまでその時まで戦い続ける。敗者は糧となり、勝者だけが進む事を許される。その先に何があるのかも分からないままに。

 

そこには巷で聞く冒険譚や英雄譚のような華やかさは無く、ただひたすらに陰鬱で、余りにも救いの無い物語。そんな理不尽な旅路をファーナムは何十年も、何百年も続けてきたと言う。

 

彼は“闇の刻印”が現れた不死人で、しかし元は普通の人間(こども)。話を聞いた感触だと人間の頃(さいしょ)から冒険者の様な荒事に慣れていた訳では無さそうだ。

 

(不死の呪い、数百年に及ぶ旅路、そしてその過程で手に入れた膨大なソウル……それらが自分を、今の姿に変えてしもたんやな……)

 

数百年という時間は、神にとって決して長い時間では無い。しかしヒューマンにとっては違う。常人の送る人生の約三倍の時を、ファーナムは過ごしてきたのだ。全てを失う恐怖と常に隣り合わせの状態で。

 

(“未知”は(うちら)にとっての娯楽やけど……こんなん見せつけられてもうたらなぁ)

 

天界での暮らしに飽き、下界に娯楽を求めて降りてきた神々。恐らくその多くがファーナムの事を知れば興味を持ち、新しい玩具がやって来たと大喜びするだろう。見た事も聞いた事も無い世界から来た者、娯楽に飢えた神々がこれに食いつかないはずがない。一昔前のロキならばきっとはしゃいでいた事だろう。

 

しかしオラリオでも屈指のファミリアとなった今は違う。

 

ここまでファミリアの規模を大きくするために、多くの団員(こども)達が尽くしてくれた。ダンジョンに潜り、武勇を重ね、ファミリアの名声を高めていった。フィンやリヴェリア、ガレスといった第一級冒険者を始めとした、多くの強者が生まれた。

 

そして、それと同じくらいに死んでいった者達もいた。

 

今でこそあまり被害は出てはいないが、ファミリア設立当初は死人が出る事もしばしばあった。ロキは今でも、その時のフィン達の悔しそうな顔を鮮明に覚えている。

 

神にとって人間(こども)達の死は別れでは無い。姿は変われども、いつかは生まれ変わりまた会える。ロキも天界にいた時はそう考えていた。しかし面と向かって人間(こども)達の死に直面すると、少し考えも変わってくる。

 

(いつか会える。せやけど、この瞬間は今しかない)

 

不変の神。常命の人間(こども)。彼らと過ごす内に、ロキの中では彼らは娯楽を運んでくる存在から、苦楽を共にする存在へと変わっていった。だからこそロキは頻繁に宴や酒盛りを開き、彼らとの時を精一杯楽しむ。常命の彼らと、今しかないこの瞬間を全員の心に刻みつけるために。

 

(……人間(こども)は楽しまなアカン)

 

「……分かったわ。自分がうちらに敵意が無いことはよーっく分かった」

 

ロキはおもむろに立ち上がる。会話を終えてからずっと沈黙を貫いていたファーナムは顔を上げ、彼女を見上げる。

 

「自分……ファーナム。アンタこの先どないすんねん?」

 

「そうだな……とりあえずはこの都市から出て行こうと思う。あまり長々とここに居座るのも良くないだろう」

 

「ちゅう事は、特に当ては無いんやろ?」

 

「?」

 

ファーナムは意図を測りかねているようであったが、ロキは気にせずに手を差し伸べた。

 

「せやったら、うちにちょっと提案があんねんやけど」

 

満面の笑みを浮かべたその顔は、紛れも無く人間(こども)に向ける慈愛を含んだ神のそれであった。

 

 

 

 

 

「ロキったらまだ話してるのかなー?あーもうお腹すいたー」

 

「よっぽどそのクァトって神と仲が良かったんでしょ。彼を通して思い出話に花を咲かせてるんじゃない?」

 

「でももう皆集まってるし、早くご飯食べたいよー」

 

先程から腹の虫が大合唱しているティオナはそんな事を言いつつ、すでにほとんどの団員が集まっている食堂の椅子に座って足をぶらぶらさせる。隣に座っているティオネは適当に相槌を打っているが、やはり空腹なのか、組んだ指が若干せわしなく動いている。

 

食事はいる者全員で、がルールの【ロキ・ファミリア】。そう決めた肝心のロキ自身が不在なので、全員こうして彼女の登場を待っているのだ。

 

「アイズさんっ、今日は何を食べますか?」

 

「……ジャガ丸くん、みたらし醤油味……」

 

「え、えーと、アイズさん?ここは屋台じゃないのでそれはちょっと……」

 

反対の席ではレフィーヤがアイズに何を食べるか聞いていた。あわ良くば所望した料理を取って来ようとしたレフィーヤだが、しかしアイズの口から出た料理に戸惑ってしまう。アイズはアイズで、それが食べられない事に地味にショックを受けていた。

 

「いやーっ、スマンスマン!ちょっと話が盛り上がってしもたわー!」

 

と、そこにロキが食堂の扉を通って現れた。ようやくのお出ましに腹を空かせた団員達から歓声を起こる。

 

「もう、ロキ遅すぎー!お腹と背中がくっつくところだったよー!」

 

ティオナの抗議の声に「堪忍してやー!」とペコペコと謝るロキ。そのまま席に着くと思われたが、ここでロキは食堂にいる全員に聞こえる声で話し始める。

 

「ご飯食べる前にみんな聞いてやー!今からちょっと大事な話するでー!」

 

酒の注がれた木製のジョッキを掲げて、声を張り上げるロキ。主神の突然の行動に団員達が何事かと視線を向ける中、ロキは食堂の入り口に向かって手招きをする。

 

「あ……」

 

不意にアイズの口から声が漏れた。

 

食堂の扉を通って現れたのは、食堂に似つかわしくない格好の人物。無骨な金属鎧に緑のコートの様な布を(ひるがえ)し、フルフェイスの兜を被った男。

 

「あー、知らん奴も居るかと思うから、一応簡単に説明すんで」

 

突如食堂に現れた見かけない男にざわつく団員達を手で制し、ロキは再び声を張り上げる。

 

「コイツの名前はファーナム!うちの知り合いの神んトコの子やってんけど、ソイツが急用で天界に帰らなアカンくなってしもてな?」

 

そして、畳み掛けるようにロキは言い放った。

 

「ちゅう訳で、今日からうちらのファミリアに入る事になったから。みんなよろしくしてやってやー」

 

一拍置いて。

 

「「「「「………ハアアァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!?」」」」」

 

団員達の絶叫が食堂に鳴り響いた。

 




やっとここまで書けました……。

次回からはオラリオでの描写もたくさん書いてみたいですね。

ダンジョンばっかりだと飽きてきますので(笑)。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九話 寄辺

気が付けば今月に入って三回目の投稿。

ダンジョンよりオラリオでの話の方が書きやすい気がします。


木製の床を靴底が叩く音が、暗い部屋の中に小さく反響した。

 

開かれた扉から入り込む僅かな光を背に、一人の男が部屋の中に入って来た。大柄な鎧姿の男……ファーナムは何かを探る様に部屋の中を見回し、そして見当ての物を見つける。

 

「む、これか」

 

それがあったのはベッドの横に設置された小タンスの上だった。ファーナムはそれに手を伸ばし、教えられた通りの方法で触れる。

 

「ほう……これは便利だな」

 

ぽう、と淡く灯った明かり。ファーナムが触ったのは小型の魔石灯だった。塔の構造上、窓が作れない部屋には必ず一つは置いてあるのだが、なんだかんだ便利なので結局どの部屋にも大抵は置いてある代物だ。

 

ファーナムの入団に伴い、ロキが急きょ用意できたのはこの窓の無い部屋しかなかった。あまり使われていなかったらしく、部屋の角には若干の埃が溜まっている。「明日にはもっとちゃんとした部屋用意するからー!」とロキからは謝られたが、ファーナムとしてはこの程度の汚さは全く気にもならなかった。

 

ドラングレイグに辿り着く前までの暮らしに比べれば、まるで夢心地である。吹きさらしの、辛うじて壁があれば御の字という寝床などざらだったし、ひどい時には土砂降りの中ぬかるんだ泥の上で寝た事もあった。

 

幾多もの苦難に挑んでいる内に睡眠の仕方など忘れてしまったが、その場で動かず、目を閉じていれば心はいくらか安らいだ。時には僅かではあるが、本当に寝てしまうほどに。

 

ファーナムは床に腰を下ろし、置かれた小タンスに面した壁に背を預けた。片膝を立てそこに腕を乗せ、もう片方の足は床に投げ出す。篝火でもよくこの姿勢で休んでいたものだ。

 

魔石灯の明かりを兜に反射させながら、ファーナムは食堂での事を思い出す。

 

空腹も忘れて詰め寄る団員達。ロキは詳しい説明を求められていたが、のらりくらりと受け流していた。そしてその余波は当然、ファーナムにも届いたのだった。

 

 

 

 

 

「入団ってそれマジなんですか!?」

 

「貴方って五十階層に出たモンスターを倒した人?」

 

「すげぇ鎧、一体何ヴァリスすんだよ……」

 

ファーナムの元には男女問わず団員達が集まり、物珍しそうな、恐る恐るといったような視線を向けてきた。こんなにも多くの視線が向けられた事などないファーナムは食堂のど真ん中に突っ立ったまま、為す術も無く時が過ぎ去るのを待っていた。

 

「おーい!ファーナムー!」

 

と、そこへよく通った声が飛んでくる。

 

ファーナムが視線を向けてみると、そこには手を大きく振るアマゾネスの少女、ティオナの姿があった。背後にティオネ、アイズ、レフィーヤを引き連れた一行の登場にファーナムを取り囲んでいた団員達は自然と道を開けた。

 

「今ロキが言ってたのって本当なの?ファーナムがウチのファミリアに入るって」

 

ティオナは興味深々と言った様子で質問をぶつけてきた。ファーナムは何の姦計もない彼女の純粋な疑問に若干気圧される。

 

「先程ロキの言った通りだ。今日から世話になる」

 

「いいっていいって畏まらなくたって!これからよろしくね!」

 

ティオナは太陽の様な笑顔と共に手を差し出してきた。あまりにも自然に繰り出されたその動作に一瞬戸惑うも、ファーナムは意図を酌み取りその手を握り返す。

 

「ああ、よろしく頼む」

 

「うんっ、よろしく!ファーナム!」

 

「全くもう、アンタはいつも暑苦しいのよティオナ。もっと大人しく挨拶出来ないの?」

 

次に口を開いたのはティオネだった。豊満な胸を強調するように腕を組んでおり、彼女の周囲にいた男性団員は皆その谷間に釘づけになっていたが、幸いにも彼女に気付かれる事は無かった。

 

「よろしくね。あとこのバカは適当にあしらってくれて良いから」

 

「ひどーいティオネ!あたしは普通に挨拶しただけじゃん!」

 

「後がつかえてるんだからさっさと終わらせなさい」

 

そう言って後ろを振り向くティオネ。そこには金髪の少女、アイズの姿があった。背後にレフィーヤを連れながら、おずおずと彼女はファーナムの前までやって来た。

 

「……五十階層では、ありがとうございました……」

 

「礼には及ばん、俺が好きでやった事だからな。それに礼を言うならば俺の方だ」

 

「……?」

 

アイズはきょとんと小首をかしげる。ダンジョンで見せた苛烈な戦いぶりからは考えられないような小動物めいた印象を抱きつつ、兜の奥で口を開く。

 

「お前の助言がなければあの行動には移れなかったし、こうして全員無事に帰還できるかも分からなかった」

 

「でも、それはファーナムさんが片方を相手してくれたから……」

 

「お前が全員を救ったんだ、胸を張れ」

 

「……はい」

 

飽くまで手柄を立てたのは自分では無いと言って譲らないファーナムに対し、アイズもそこまで強く反論出来なかった。元来口下手な彼女は少し照れくさそうにして俯いた。

 

「むむむ~……!」

 

ふと聞こえてきた唸り声に首を動かせば、アイズの背後にいたエルフの少女、レフィーヤが何故がふくれっ面でこちらを睨んでいた。睨まれるような事はしていないと思いつつも、ファーナムは流れで彼女にも挨拶をする。

 

「確かレフィーヤ、だったか。これからよろしく頼む」

 

「よ……よろしくお願い、します!」

 

それだけ言って、ぷいっとそっぽを向いてしまうレフィーヤ。どうしたのかと疑問に感じている内に、彼女はティオナに話しかけられていた。

 

「どしたの、なんかふくれちゃって」

 

「なんでもありません……」

 

「アイズが取られちゃって不機嫌になってるのよ。ねぇ、レフィーヤ?」

 

「ちっ、違います!?私は別にそんな……!!」

 

「……?」

 

何やら騒がしくなり始める彼女達、周囲の団員達もその様子をみて笑顔になる。食堂に和やかな雰囲気が流れるが、そこに荒々しい声が飛んでくる。

 

「おい、鎧野郎」

 

その声と共に団員達の波が割れ、ファーナムの元に一人の青年がやって来た。灰色の髪に顔に彫られた刺青(タトゥー)が印象的な狼人(ウェアウルフ)、ベートだ。

 

「げっ、ベート……」

 

思わずティオナの口から呻き声が漏れた。常に喧嘩腰のため問題を起こしやすいベートの登場に、周囲の団員達も一斉に顔を強張らせる。

 

ポケットに手を突っ込んだままズンズンとファーナムの眼前までやって来たベート。不機嫌そうに眉を歪ませている狼人(ウェアウルフ)の青年に、しかしファーナムは変わらない調子でいる。

 

「なんだ」

 

「なんだ、じゃねぇよ。ズルズル本拠(ホーム)まで来やがって、挙句いきなり入団だァ?フザケてんじゃねぇ」

 

「ふざけてなどいない。ロキが入団を提案し、俺が承諾しただけだ」

 

「それがフザケてるっつってんだよ。誘われたその日に他のファミリアに入りやがって……てめぇのレベルがどんなもんか知らねぇが、矜持(プライド)ってモンがねぇのかよ」

 

ベートの目には嘲りの色が多分に含まれていた。彼からしてみればファーナムは改宗に何の躊躇も無い者で、自らの()とも言うべきモノがないように見えているのだろう。

 

「なんやベート、ファーナムのレベルが知りたいんか?」

 

睨み合っているベートとファーナム、そこへロキが呑気な調子で口を開いた。ロキはジョッキに注がれたエールをグイッと一口飲み、にやにやとした笑みを浮かべている。

 

「なぁなぁ、気になる?ファーナムのレベル気になるん?」

 

「ウゼェ、さっさと教えやがれ」

 

「んっふふふ~。せやなぁ、みんなも知っといた方がええやろうし、言うとくか」

 

チラリ、と横目でファーナムを見やるロキ。その目に悪巧みをしているような、悪戯好きの神の本性が隠されていると感付いた時にはすでに遅かった。

 

「なんとLv6!ベートよりもレベルは上やでぇーっ!!」

 

「なんっ……!?」

 

ロキの発言により、食堂の中が再びざわめく。アイズと共に女体型を倒した事は知られていたが、まさかオラリオでも数少ないLv6だとは思いもよらなかったらしい。

 

「ファーナムってそんなに強かったの!?」

 

「やり合った時に薄々感付いてはいたけど……」

 

「……やっぱり……」

 

ティオナが驚き、ティオネとアイズは合点がいったという風な顔になる。しかし当の本人であるファーナムは困ったものである。若干の非難の色を込め、楽しそうに酒を飲んでいるロキを睨む。

 

「チッ!」

 

盛大に舌打ちするベート。すっかり食事どころの空気ではなくなってしまった食堂を、ファーナムは足早に去ろうと踵を返した。

 

取り囲んでいた団員達も大柄なファーナムが近づくと自然と道を開ける。あっという間に入口までやって来たファーナムだったが、その背にまたしてもベートの鋭い声が飛んできた。

 

「てめぇ、待ちやがれ!」

 

「……今度は何だ」

 

嫌悪感を隠しもしないベートに、流石のファーナムもうんざりしながらも振り返る。周囲の団員達はベートの性格をよく知っているために、ここで喧嘩にならない事を祈った。

 

「……てめぇが入団したってのは、まぁ良い。だがその兜を取って素顔を見せやがれ。顔も知らねぇ奴が同じファミリアにいるなんざ、気色悪くて堪ったモンじゃねぇ」

 

「む……」

 

言われて初めて気が付いた。

 

そう言えば確かに彼らの前で兜を取った覚えは無い。ロキにはあの時(・・・)見せたが、彼らはまだ自分の顔を見た事は無いのだ。

 

「すまんな、失念していた」

 

そう言うとファーナムはおもむろに兜に両手を当てる。ダンジョンから帰ってくるまでずっと被ったままだった兜、何か事情があるのではないかと勘繰っていた者もいたが、拍子抜けする程あっさりと取ってしまった。

 

晒された素顔は、あまりに普通であった。美男でもなければ醜男でもない、それこそオラリオのどこでも見られるような顔立ちをしていた。

 

短く刈られたくすんだ金髪に見苦しくない程度の顎鬚。二十代後半の、西洋人らしい彫りの深い顔。眉の上骨の奥にある瞳は深い青色をしており、凝視してくる団員達を静かに見返している。

 

「……もう良いか?」

 

誰も口を開かなかったため、ファーナムは兜を被り直した。未だに固まっている団員達に背を向け、食堂の入口をくぐる。

 

「ロキ、今日はもう部屋で休ませてもらう。すまないが、食事は遠慮しておく」

 

「ん、分かったわ。ゆっくり休みぃ」

 

ロキに短くそれだけ言い残して食堂を後にした。ファーナムが立ち去った食堂にはしばし静寂が漂っていたが、ゆっくりと、誰からともなく話し始める。

 

「……なんて言うか……」

 

「思ってたより普通?な顔だよね……」

 

「俺、もっと厳つい顔してる人だと思ってた」

 

「何かラウルみたいだったね」

 

「お、俺っすか!?」

 

食堂に喧騒が戻るのに時間はかからなかった。あちこちでファーナムの素顔に対する印象を話し合っており、先程までの空気は一気に掻き消されていった。

 

「……ベートさん?」

 

空腹を思い出したティオナをティオネ達が宥めている時、ふとアイズの目がベートに留まった。ベートはファーナムが出て行った入口を睨み付けている。

 

「……気に入らねぇ野郎だ」

 

ベートは静かにはそう呟いた。彼の性格を知っているアイズからしてみれば今に始まった事では無いが、それでもやはり気分の良いものでは無い。一言何か言おうとしたアイズだが、それよりも先にベートが口を開いた。

 

「そこら辺の雑魚共みてぇなツラしてやがる癖に、達観したような目をしやがって……あぁ、気に入らねぇ」

 

それだけ言って踵を返し、乱暴に空いていた椅子に座るベート。彼が最後に放ったその台詞に、アイズは先程まで言おうとしていた言葉を飲み込む。

 

彼らのやり取りを、フィン達もまた遠目で見ていた。

 

フィンはワインを、ガレスは火酒を、酒を嗜まないリヴェリアは果汁の入った冷水を、それぞれが手元に飲み物を置きながら、今までのやり取りを傍観していた。

 

「まさか彼が入団する事になるとはな」

 

未だ喧騒が絶えない食堂の一角を見ながら、リヴェリアは口を開いた。ガレスは酒を呷りながら、その言葉を引き継ぐ。

 

「しかもレベルも儂らと同じときた。これは流石のお前さんでも予想していなかったんじゃないのか?フィンよ」

 

「そうだね。ダンジョンでもないのに親指が疼くと思ったら、まさかこんな展開になっていたとは思いも寄らなかった」

 

「そうは言っているが……フィン。随分と嬉しそうに見えるぞ」

 

リヴェリアの微笑を湛えたその言葉に、フィンもまた笑みを返す。いつもの団長としての顔では無く、そこにあったのは一人の冒険者としての顔であった。

 

「ああ。何せ新入団者が僕達と同じLv6、これはうかうかしていられないからね」

 

手元のワインを一口飲み、笑みを一層深くする。

 

「僕達も彼に負けないよう、励むとしよう」

 

 

 

 

 

「やはり、中々集団には馴染めないものだ」

 

食堂での出来事を思い出すにつれ、ファーナムの胸にふつふつとそんな思いが浮かんできた。不死人としての生活が長かった分、ああいった大勢に注目される場はどうにも居心地が悪い。戦っていた方がいくらか気楽だ。

 

次はもう少し上手くやろうと心に決めつつ、腰の小袋からあるものを取り出す。羊皮紙らしきそれを目の前で広げ、書かれた文字が淡く照らされる。

 

 

 

“―――――”

Lv 1 

力:I0  耐久:I0  器用:I0  敏捷:I0  魔力:I0

 

魔法

ソウルの業

魔術、奇跡、呪術、闇術など多岐にわたる。これらはかつてソウルと共に興り、故にソウル無くしては存在し得ない。

 

 

スキル

闇の刻印

死亡しても、篝火があればそこで蘇生可能。しかし死ぬ度に人間としての在り方を失う事となる。

 

 

 

羊皮紙にはファーナムのステイタスが書かれていた。

 

ドラングレイグでは緑衣の巡礼にソウルと引き換えに自身の力を高めてもらったが、どうやらオラリオでも似たような方法を取るらしい。

 

ダンジョンで戦い、モンスターを倒し、自身の糧とする。その難易度が高ければ高い程に得られる経験値(エクセリア)とやらは大きくなるようで、そこも難敵ほど得られるソウルが多かった所と似ている。

 

「ステイタス、か……」

 

ファーナムは羊皮紙を上から順に眺める。

 

やはり名前の所は空欄であった。自身でも思い出せないため、当然と言えば当然かと嘆息する。次にレベルの項目だが、ここにはLv1と書かれている。

 

「全く、ロキめ。よくLv6などと嘘を吐けたものだ」

 

ロキはファーナムから聞かされた話から、彼がLv6に並ぶ実力があると判断した。それでこそのあの発言であったのだが、ファーナムからしてみれば良い迷惑だ。オラリオでも希少なLv6だという事が周囲に広まったらどうするつもりなのか。

 

いまいちロキの考えている事が分からないファーナムは、最後に魔法とスキルの項目に目を通した。魔法の欄には“ソウルの業”、スキルの欄には“闇の刻印”と書かれている。

 

「ソウルの業、魔法や奇跡といったものを一括りにしているのか。スキルの方は……」

 

書かれたそれらに一通り目を通し終えたファーナムは、ここである事に気が付いた。魔法の項目の所に、不自然な染みがあったのだ。

 

少し疑問に思ったファーナムだったが、それ以上は何も思わなかった。ファーナムは羊皮紙を折りたたんで腰の小袋に入れ直し、元の姿勢に戻って目を閉じた。

 

(スキルが“闇の刻印”とはな……恩恵(ファルナ)を得た所で、不死人である事に変わりは無いという事か)

 

ファーナムは兜の奥で小さく自嘲する。

 

スキルの欄に書かれた“闇の刻印”。自身を不死人に変えた元凶がスキルとして扱われた事に対して何も思わなかったかと言われれば嘘になるが、喚いたところで何も変わらない。

 

ファーナムはそんな事を考えるよりも、今はこの心地良さに身を任せる事にした。

 

瞼を落としたまま何も考えず、いつしかファーナムの意識は静寂の中に消えていった。

 

 

 

 

 

一人の男が森の中を歩いている。どこにでもいるような、いたって平凡な男だ。

 

肩に担いだ弓、そしてその手に握られた野鳥が、彼が猟師である事を示している。

 

着ている服は泥に塗れている。雨が降った訳でもないのにそんな格好をしている男は、やがて見えてきた小さな小屋に足を踏み入れる。

 

『……あら、お帰りなさい。あなた』

 

大した家具もない小屋の中で、女性が男に声を掛けてきた。女性は椅子に座っており、その手には小さな赤ん坊を抱いている。男は荷物を下ろし、少し申し訳なさそうな顔で女性にただいまと言った。

 

『もう、そんなに汚れて……また人助けをしてたの?』

 

女性は少し困ったような笑顔を浮かべる。男は謝罪の言葉を述べながら、ぬかるみに嵌った荷車を押し出す手伝いをしていたと白状する。

 

朝早くに狩りに行ったにも関わらず、収穫が野鳥一羽だったのもそのためだった。明日はもっと獲ってくるから、と慌てる男を、女性は柔らかに制した。

 

『怒ってないから大丈夫よ。それより、ほら、テーブルの上を見て』

 

そこには木の皮で編まれたかごがあった。中には野菜と果物が入っており、男と女性、そして赤ん坊が数日間生活していく上では十分な量だ。

 

これはどうしたんだ、と男がかごから林檎を掴みながら女性に尋ねる。女性は嬉しそうに笑い、その質問に答えた。

 

『近くの農夫さん達が譲ってくれたの、いつも助けてくれるお礼だって。ふふ、あなたの事よ?』

 

女性はそう言って笑みを零し、男を手招いた。男はまだ戸惑っていたようだが、やがて手にした林檎をテーブルの上に置き、女性の方へと歩いていく。

 

『明日は狩りはお休みして、一緒に家にいましょう?この子も寂しがってる』

 

腕に抱いた赤ん坊の頬を、女性の手が優しく撫でる。慈しみに溢れた表情で赤ん坊を見守るその姿は、まるで一枚の絵画の様である。

 

『見て、この寝顔……こんなにかわいい』

 

この世の幸せを体現している女性と赤ん坊、その光景を見た男の顔にも自然と笑みが浮かぶ。女性の腕に抱かれた赤ん坊に触れようと、男はその手を伸ばした。

 

 

 

その時だった。

 

 

 

ごとり、と何かが床に落ちる音がした。

 

男の足元に何かが転がってくる。何かと思い男が見下ろすと、それは林檎だった。おそらく先程置いた林檎の座りが悪く、テーブルから転がり落ちたのだろう。

 

しかし、その林檎の姿は変わり果てていた。

 

でこぼこに歪み、黒く腐れ渇いた林檎。赤々として美味しそうだった姿は見る影も無く、そのまま朽ち果てるしかない林檎が男の目に映った。

 

『あナタ………』

 

声のした方に顔を向ける。そこには確かに女性と赤ん坊の姿があった。しかしその姿は見る見るうちに変わってゆく。

 

まるで熱された蝋燭のようにとろけ、ずり落ちてゆく二人の肌。美しかった女性の顔はどろどろに崩れ、目玉が、歯が、舌が溶け落ちる。赤ん坊の柔らかな手が、泥のように形を失う。

 

崩壊は止まる事を知らず、皮膚の下の血管、筋肉、骨までもが露出し、ぐずぐずに溶け、後には二人が纏っていた衣服だけが残り、椅子の上に空しく落ちた。

 

『亡者よ……』

 

背後から聞こえてきたその言葉に、バッ!と振り返る男。それと同時に金属が擦れる音が響き渡る。

 

男の格好はいつの間にか泥だらけの質素な服から、鎧姿へと変わっていた。T字型のスリットがある兜の奥から、男は声を発した元へと視線を巡らせる。

 

視線の先にあったのは異形であった。

 

赤々と燃え盛る炎を纏った枯れ木。その言葉がぴったりと当てはまる異形は、口らしき器官を歪ませて男に話しかける。

 

『亡者よ。かつて私を打ち倒し、玉座へ至った者よ』

 

『お前の旅路は確かにあそこで、岩の玉座で終わった』

 

『しかしな、亡者よ。それは本当にお前が望んだ最期なのか?』

 

いつの間にか周囲は闇に包まれ、この空間に存在するのは男と、その目の前にいる異形だけとなった。

 

『それが間違っていたとは言わない。真にお前の選んだ道だと言うのであれば、私が口を挟む余地など無い』

 

『だがもしもお前が、あの結末に僅かでも疑問を抱いているのだとすれば……私はお前に寄辺を与えよう』 

 

『じっくりと考えるが良い。お前は人ならざる身、時間はいくらでもある……』

 

異形の姿は闇に吸い込まれるように小さくなってゆく。男は無意識に手を伸ばしたが、触れられるはずも無く、その手は空しく空を切った。

 

『亡者よ、考えろ。お前は何者で、何を望んでいるのか……その答えは、お前だけが知っているのだから……』

 

異形は遂に姿を消し、男は一人闇に囚われた。やがて男の意識は闇と同化し、深海を漂うような奇妙な心地良さが全身を包み込む。

 

男は為す術もないままに、ただ闇の中を彷徨い続けた……。

 

 

 

 

 

「……む」

 

ファーナムの目が開かれるのと同時に、魔石灯の光が彼の網膜を刺激した。

 

柔らかな光がじわりとファーナムの意識を覚醒させ、自分が寝ていたのだと理解する。

 

ここまで心が安らいだのはいつ以来だろうか。何か夢のようなものを見ていた気がするが、流石にそれは無いだろうとファーナムはその考えを切り捨てる。

 

この身は不死。寝る事はあっても夢など見るはずが無い。そんな人間の様な(・・・・・)現象など、起こるはずが無いのだから。

 

ファーナムは薄暗い部屋の中で立ち上がる。

 

今が夜中か、明け方か。判別のしようが無いが、鮮明になった意識では先程と同じようにして時間を潰すのも若干気が進まない。

 

仕方なく、ファーナムは自身のソウルから一振りの剣を取り出し、その手入れをする事にした。こちらに来てから一度も使っていない為、刃こぼれしている事などあり得ないのだが、いくらかの暇潰しにはなるだろう。

 

ファーナムは淡い魔石灯の光の下で次々と武器を広げ、その手入れに取り掛かった。

 

数時間後、団員達の起床と共に本拠(ホーム)が騒がしくなるまで、その手入れは続けられた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十話 平和な一日

ファーナム入団の翌日、アイズは自室でいつもより少し遅い時間に起床した。

 

遠征の帰りに白髪の冒険者を助けたせいか、幼い頃の記憶を夢で見た彼女はその顔に小さく微笑みを浮かべ、身支度に取り掛かる。

 

ややあって、ティオナが朝食の時間だとアイズに告げに来た。ドアの前で待っていたティオナに軽く挨拶し、食堂に行こうとする。しかしここで、ティオナがあっと何かに気が付く。

 

「そう言えばファーナムは?ってアイズが知ってる訳ないか」

 

「食堂には、来てないの?」

 

「だと思う。確か空き部屋を使ってるって言ってたよね、せっかくだから呼びに行こっか」

 

二人はファーナムがいると思われる空き部屋へと向かった。昨日は食事も抜いていたので流石に空腹だろうと若干心配しつつ、その部屋を探す。

 

敷地的にはそこまで広くないとは言っても、大規模ファミリアの全員が暮らしているため、建物の中は結構広い。目的の部屋まで歩く事、およそ数分。二人は部屋の扉の前までやって来た。

 

「まだ寝てるのかな?」

 

「……物音が聞こえる」

 

そう言ってアイズは僅かに耳をそばだてた。扉の向こう側から聞こえてくるのは小さな金属音、コンコンと叩くような音と、重量のある物を床に置く音。何らかの作業でもしているのか、とアイズは当たりを付ける。

 

「起きてるみたい」

 

「それじゃあ早く呼ぼうよ。入るよー」

 

言うが早いが、ティオナはドアノブを回して扉を開けた。ガチャリという音と同時に一歩踏み出したが、その歩みはそこで止まった。

 

「うわっ」

 

「……ティオナ?どうし……」

 

開かれたドアの隙間からひょっこりと顔を覗かせるアイズ。そして彼女もまた、ティオナがいきなり立ち止まった理由を知る事となった。

 

二人の目の前には武器が広がっていた。

 

直剣や槍、斧と言った一般的な冒険者が使う物もあれば、身の丈ほどある特大剣やほとんど見ない突撃槍、果てはまともに扱えるかも分からない巨大な槌までもが、床にずらりと並べられていた。

 

多くの団員を抱える【ロキ・ファミリア】と言えど、こんなにも多種多様な武器が同じ空間に並べられる事はそう多くない。その壮観な光景に、まるで【ヘファイストス・ファミリア】が運営する武器屋のショーウィンドウでも見ているかの様な錯覚すら覚えた。

 

「む。なんだ二人とも、もう朝か?」

 

と、固まる二人にファーナムの声が投げかけられた。彼は床に直接座っており、その手には一振りの直剣が握られている。個人で持つには余りに多彩な武器を目の当たりにして固まっていた二人だったが、他でも無いファーナムの言葉でハッと我に返った。

 

「これ、全部ファーナムの?」

 

「ああ。暇だったからな、軽く手入れをしていたところだ。まだほんの少ししか出来ていないが」

 

ティオナは耳を疑った。床に所狭しと並べられた武器の山、それがファーナムの持つほんの一握りにしかならない?馬鹿な、と言いかけたが、ファーナムの持っているというスキルを思いだし、半ば無理やりに納得する事にした。

 

「でもこんなに種類があるのに、全部使えるの?」

 

その疑問も尤もだ。

 

いくら戦う事が専門の冒険者と言えど、使う武器は大抵決まっている。アイズならサーベル、フィンなら槍、ガレスなら斧と言った具合だ。もちろん他の武器も使えない事は無いが、やはりその扱いは本来の得物には劣る。

 

「一通りはな。固い敵には打撃系の武器が効くし、柔らかい皮膚を持つならば切れ味の良い武器を使う。敵ごとに武器を使い分けるのは基本だ」

 

それがファーナムが長い不死人生活で学んだ教訓であった。鎧を着込んだ相手に斬撃は効果が薄いが、打撃ならばその下にある肉体にダメージを与えられる。何度も死んで覚え、自然にファーナムはほとんどの武器を器用に扱えるようになったのだ。

 

「確かにアイズと一緒に戦った時は、槍を使ってたって聞いたけど」

 

ティオナは近くにあった特大剣を手に取る。

 

持ち上げた瞬間、ズシリとした重さが両腕に伝わった。彼女の身長と同じくらいの刀身をもつその特大剣『ツヴァイヘンダー』は重量こそ大双牙(ウルガ)よりもやや軽いが、片方に重さが集中している分、同じように振り回すのは難しいだろう。

 

「重た……!こんなのも使えるの?」

 

「敵に囲まれた時には便利だ。上手くやれば一撃で複数体を殺せる」

 

ファーナムは直剣が曲がっていないかを確認しながらそう答えた。何てことの無いように言っているが、これを振り回せる冒険者など、オラリオでもそう多くはいないだろう。

 

ティオナが静かに驚愕している横で、アイズは興味深そうに並べられた武器を眺めていた。女体型との戦闘で使われていた武器は見当たらなかったものの、多くの武器は彼女の興味を引いたらしい。

 

珍しく興味津々といった様子のアイズを見たティオナだったが、自分達の本来の目的を思い出し、慌てた様子で声を荒げた。

 

「って二人とも!早く食堂行こうよ!ご飯無くなっちゃう!?」

 

その声に顔を向けてくる二人。何を焦っているのかと不思議そうにしている二人の背を押して、ティオナは団員達で混雑する食堂へと突貫した。

 

 

 

 

 

朝食を済ませた【ロキ・ファミリア】の面々は、遠征の後処理に取り掛かった。

 

大規模のファミリアともなれば、それだけでも一仕事だ。魔石の換金にギルドへ行ったり、ドロップアイテムをより高値で売却するために商業系ファミリアを訪ねたり、破損した武器や防具の補充にオラリオを駆け回る団員達。それはアイズ達幹部クラスも例外ではない。

 

「それじゃあ僕達は魔石の換金に行ってくる。ラウル、引き取りの時はくれぐれもちょろまかさないでくれよ?」

 

「もっ、もうしません!あの時は魔が差したんですっ!?」

 

本拠(ホーム)、黄昏の館の前で、ファーナムを含めたフィン達は出発の準備をしていた。

 

フィン、ガレス、リヴェリア、そしてファーナムが魔石の換金のためにギルドへと向かう事になった。アイズ達は冒険者依頼(クエスト)で採取してきたカドモスの泉水とドロップアイテムを換金すべく、【ディアンケヒト・ファミリア】へと向かう。

 

「さて、僕達も出発しようか」

 

アイズ達を見送った後は自分達の仕事が待っている。フィンはファーナム達に向き直り、そして苦笑いしながら口を開いた。

 

「ダンジョンでもないのに、なんでまだ兜を被っているんだい?」

 

「気にするな。この方が落ち着くんだ」

 

当然のように答えたファーナムに、さしものフィンも二の句を継ぐ事が出来なかった。

 

別に支障が出ると言う事でも無く、フィン達はそのままギルドへと足を進めた。いつもであれば複数の団員達が数人がかりで、荷車いっぱいの魔石を運ぶのだが、今日はその団員達の姿は無い。

 

「便利じゃのう、おぬしの能力は」

 

「取り込める物の大きさに限度は無いのか?」

 

「試した事がないから分からんが、恐らくはな」

 

ちょっとした山のように積まれていた魔石をファーナムがソウルに還元する。その様子を見ていたガレスとリヴェリアから感嘆の声が漏れた。うず高く積まれた魔石が目の前で消える光景は、まるで消滅したかのようだ。

 

「こんなに便利な能力なら、これから荷馬車はいらないね」

 

「……便利屋では無いぞ?」

 

「言ってみただけさ、さぁ行こう」

 

フィンの号令で、一行はギルドへと向かった。彼らの本拠(ホーム)はオラリオの中心部から少し離れた場所に位置する為、しばらくは建物の壁ばかりが続く殺風景な光景が続いた。しかし歩き続けている内にすれ違う人々が増えていく。

 

「おい、あの三人って……!」

 

「ああ、【ロキ・ファミリア】だ……」

 

重傑(エルガルム)九竜姫(ナイン・ヘル)、それに勇者(ブレイバー)まで……!」

 

すれ違っていった人々は全員目を剥いて驚愕の表情を浮かべており、中には冒険者風の出で立ちの者も多かった。ロキとの会話の際に彼らのファミリアがどれだけ有名かは聞いていたが、ファーナムはフィン達の知名度を改めて思い知った。

 

「随分と名が知れ渡っているのだな」

 

ファーナムは思った事を素直に口に出した。前を歩くリヴェリアが軽く笑い、横顔を向けて返答する。

 

「オラリオではそれなりに知られてはいるが、それはここでの評価でしかない」

 

「名を轟かせようとは思わないのか?」

 

「確かにそれも面白いのかもしれない、だが私の目的は飽くまで未知を知る事だ。いずれはオラリオ(ここ)を離れるつもりでいる以上、そんなものは不要だ」

 

きっぱりと気持ちよくそう言い放ったリヴェリアは、そのまま歩く速度を変えなかった。それだけ彼女の意思は固く、故に口にした言葉にも嘘は無いのだろうとファーナムは考えた。

 

そうしている内に、一行はオラリオのメインストリートに出た。それなりに道幅があり、左右には多くの露店が開かれている。肉や野菜、お菓子や玩具など、実に様々だ。それらを求めて人々が行き交い、周囲は喧騒に包まれている。

 

「相変わらず、この街はいつも活気で溢れているのう」

 

「冒険者が集う街だからね、これくらいの活気が無いと味気ないものさ」

 

ガレスとフィンの会話を耳に挟みつつ、ファーナムは彼らと共に人ごみの中へと入って行く。ここでも裏通りと同じく、フィン達の姿を見た人々は驚き、慌てて道を開けていく。

 

そう言う訳で大して時間もかからずに、ファーナム達はギルド本部へとたどり着いた。

 

白い柱が立ち並ぶ、荘厳な佇まいの万神殿(パンテオン)。ダンジョンへ潜る無数の冒険者を登録し、彼らの個人情報などを細かく管理する、主神ウラノスによって設立されたギルドである。

 

(大きいな……ドラングレイグ王城を思い出す)

 

尤も、あそこでは常に雨が降り注いでおり、荘厳というよりは不気味という言葉が当てはまったが。冒険者でひしめき合う万神殿(パンテオン)入口を慣れた足取りで進んでゆくフィン達。ファーナムもそれに続き、階段を昇ってゆく。

 

と、そこで、ファーナムは自身の胸当たりに軽い衝撃を感じた。

 

「む」

 

「うわっと!?ご、ごめんなさいっ」

 

ファーナムが視線を下げてみると、そこには一人の少年の姿があった。

 

純白の髪に真紅(ルベライト)の瞳が印象的な、身体の線が細いその少年はファーナムにぶつかり、すぐに謝って来た。こちらを見上げてくるその瞳には確かな動揺の色が浮かんでおり、眉は気の毒なほどに八の字を描いている。

 

しかし彼の動揺も仕方のない事だ。ファーナムの背丈は常人より頭一つ大きく、鎧姿も控え目に言って厳つい。こんな男がいきなり目の前に現れれば驚くのも無理はない。その自覚があるファーナムはどこか怯えている少年に、極力柔らかい口調で話しかけた。

 

「いや、気にするな。しかし今度からは気を付けろよ?」

 

「は、はいっ、それじゃ失礼しますっ!」

 

少年はファーナムにぺこりと一礼し、駆け足でその場を離れていった。少年らしい元気な後ろ姿を見送りつつ、ファーナムはギルド内部へと入って行った。

 

 

 

 

 

換金は無事終わった。

 

換金した、とは言っても魔石の量が量だ。正確な量と質を検査しなくてはならず、数時間後にラウルが引き取りに行く手筈となった。そうして目的の一つを終えた彼らは、次の仕事に取り掛かる。

 

「それじゃ、僕は椿の所に行ってくるよ。手配したい武器もある事だしね」

 

そう言ってフィンはファーナム達と一旦別れ、オラリオの北東の方へと歩いて行った。残されたファーナム、ガレス、リヴェリアは彼を見送り、バベルへと足を運ばせる。

 

「それでは儂らは武器でも選ぶとするかのう」

 

「ああ、杖は私に任せてくれ」

 

現在の場所はバベル内部、その地上四階。【ヘファイストス・ファミリア】が運営する武器を扱うテナントが収容されており、多くの冒険者が自分に合った武器を探しており、その中にはフィン達も含まれている。

 

というのも、下位の団員を多く抱えてはいるが、粗野な武器や防具を持たせる訳にもいかない。よって質が特別良いという訳ではないが決して悪くも無い、【ヘファイストス・ファミリア】の駆け出し鍛冶師が作った作品を、彼らに使わせているのだ。

 

そして現在、ファーナムはリヴェリアと行動を共にしていた。理由は単純に、オラリオでどのような杖が使われているか興味があったためである。

 

ファーナム自身も様々な杖に触れてきたが、リヴェリアの持つ杖『マグナ・アルヴス』のような杖は見た事がなかった。

 

彼女の杖には九つの魔宝石が埋め込まれており、そのどれもが強力な最高峰とも言える代物。魔力を高める魔宝石が質、量ともにふんだんに使われたその杖はさぞかし強力な物であろう。もしかすると、最大強化した『叡智の杖』に比肩するかも知れない。

 

そんな事を思いつつショーウィンドウに並べられた数々の杖を眺めながら、ファーナムは傍らにいるリヴェリアが持つ杖と見比べた。

 

「やはりその杖と比べると、これらは見劣りするな」

 

「なんだ、いきなり」

 

魔術師の団員に持たせる杖を品定めしていたリヴェリアの視線がファーナムに移る。彼は並べられた杖のうちの一つを見て、率直に思った事を述べた。

 

「この杖。装飾が過剰で邪魔な上に肝心の魔宝石が一つしか付けられていないし、それに小さい。見たところ主な素材は金と銀。これでは簡単に折れてしまうだろう」

 

すらすらと当然のように語るその姿を見てリヴェリアは驚いた。

 

てっきり剣士然とした冒険者だと思っていたファーナムが、こうも的確に杖の良し悪しを見抜けるとは思っていなかったからだ。杖を見ながら軽く落胆するファーナムの姿を見て、思わず彼女の口元が笑みの形を作る。

 

「確かにこの杖には少し遊び心が多すぎるな。金や銀は魔力を増幅させるが、これは明らかに過剰だ。この付けられた金額も、恐らくは材料費のせいでここまで膨らんだのだろう」

 

その杖に付けられた値札は、他の杖と比べてもゼロが二つも多かった。いわゆる成金趣味、観賞用ならば十分に価値はあるだろうが、戦闘に使うとなると期待は出来ないだろう。

 

「それにしても、よくこの杖が見かけ倒しという事に気が付いたな」

 

「俺も杖を使う事があるからな。自然と実戦向きのものを選ぶようになったのだろう」

 

「そうか……いや、待てファーナム。お前今、杖を使うと言ったか?」

 

「? そうだが、何か変か?」

 

「いや、決してそう言う訳ではないが……しかし……」

 

先程よりも驚いた様相を見せるリヴェリア。ファーナムは特には気にせず、杖の選定をしながら会話を続けた。

 

「だが俺は武器を振るっている方が性に合っているようでな。余程の事がない限り魔術は使わん」

 

無駄話はここで終わりだ、と言わんばかりにファーナムはその後は無言で杖の選定を続けた。リヴェリアはどこか腑に落ちない表情でその横顔を見つめていたが、やがてその視線は杖へと戻された。

 

数刻後、選定を終えたガレスとリヴェリアは各々の仕事を終えるべく、ファーナムと別れた。

 

オラリオの街中に一人残されたファーナムは、ここで思い悩む。てっきり一日を彼らと共に行動するものだと思っていたので、これからの予定を考えていなかったためだ。

 

ダンジョンにでも潜って時間を潰すかとも考えたファーナムであったが、それは止める事にした。まだここに来て日は浅く、ダンジョンも未知の部分が多い。万が一事になった場合に都合が悪い。

 

どうしたものかと考えていたファーナムに、聞き覚えのある声が掛けられた。

 

「あら、ファーナムじゃない。こんな所でどうしたのよ?」

 

見れば、そこに居たのは扇情的な見た目のアマゾネス、ティオネの姿があった。後方にはアイズ、ティオナ、レフィーヤの姿があり、ダンジョンで採取してきたドロップアイテムの換金の帰りである事が察せられた。

 

「ガレス達と別れてな。ちょうど暇になっていたところだ」

 

ファーナムは素直にそう答えた。あぁ、と納得したように頷くティオネ、その背後からひょっこりと顔を覗かせたティオナは嬉しそうににかっと笑う。

 

「なになに、それじゃあファーナムは今ヒマしてるの?それじゃああたし行きたいところがあるし、一緒に行こうよ!」

 

矢継ぎ早にまくし立てるティオナの目は輝いていた。その彼女の様子にティオネはため息を吐き、レフィーヤは苦笑い。アイズはやはり無表情でいる。

 

「別に構わないが……どこなんだ?」

 

「へへー、いいトコ!」

 

一同の様子も気にせず、ティオナは足早にオラリオの街中へと進んでいった。訝しむファーナムとアイズ達を引き連れて、五人の姿は人ごみの中へと消えていった。

 

 

 

 

 

人ごみの中をしばらく歩くと、目的の場所が見えてきた。

 

小ぢんまりとした店構えのそこには、本が所せましと並べられていた。ファーナムの背丈と同じくらいの本棚が複数あり、そのどれにも本がいっぱいに詰められている。いわゆる書店が、彼女の目的の場所であった。

 

「とうちゃくー!」

 

「ここは……」

 

「まぁ、ここだろうとは思ったわ」

 

喜び破顔するティオナは早速店の中へと入って行く。あとに続いてファーナム達も入店し、店の中にティオナのはしゃぐ声が響く。

 

「やった、新しいの出てる!あっ、これ前から読みたかったヤツ!」

 

輪をかけて子供っぽく目を輝かせる彼女のお目当ては『英雄譚』、子供たちが夢中になる、剣と魔法が活躍する童話。彼女は時折こうして書店へやって来ては、新しい童話を見つけては嬉しそうにしている。

 

「この子は全く飽きもせずに……逆に関心するわ」

 

「でも、たまに読む分なら面白いですよ。私もたまに借りて読んでますけど」

 

ファーナム達は店内を歩き回るティオナを見ながら、自分たちも本棚に並べられた本を適当に手に取って眺めている。ファーナムも同様に一冊の本を手に取って開いてみた。

 

しかし、当然と言えば当然か、文字は読めなかったので内容もさっぱりだ。

 

(マデューラにも小屋の中に本があったが……やはり文字は違うか)

 

そんな事を考えていると、いつの間にか横にいたアイズが、ファーナムが広げている本を覗き込むように視線を送っていた。

 

「ファーナムさんも、童話が好きなんですか?」

 

「む?」

 

言われて気が付く。ファーナムは持っている本を閉じ、その表紙を見る。そこには丁寧に描かれた絵があり、その中心に文字が書かれている。どうやらこの本は童話であるようだ。

 

「なになに?ファーナムも童話とか読むの!?」

 

「へぇ、意外ね」

 

「好みは人それぞれですし……」

 

アイズの声を聞きつけて彼女たちも集まってくる。中でもティオナの食いつきは良く、先程以上に目を輝かせている。

 

「ねぇねぇ!ファーナムはどんな話が好き?私はやっぱり『アルゴノゥト』かなー!」

 

「アル……何だって?」

 

「あれ、もしかして知らない?それじゃあ迷宮神聖譚(ダンジョン・オラトリア)は―――」

 

同じ童話好き(と思い込んでいる)が増えた事が嬉しい彼女はいつも以上に早口で話に花を咲かせる。そうしている内にティオネの顔がだんだんと険しくなり、遂に怒りとなって爆発した。

 

「あーもういい加減にしなさい!これから打ち上げやるんだから、さっさと帰って支度するわよ!」

 

言うや否やティオナの首根っこを掴んで、ティオネは店の出入り口まで歩いてゆく。「ちょっ、まだお金払ってないー!?」と慌てるティオナを見てレフィーヤがわたわたしている中、ファーナムとアイズは並んでその様子を見ていた。

 

「何とも落ち着きのない事だ」

 

「……こういうの、嫌いですか……?」

 

「そんな事はないさ。見ていて飽きない」

 

おずおずと質問したアイズは、ファーナムの横顔を見る。兜に覆われているが、その横顔はどこか楽しそうで、笑っているように見えた。

 

「行こう、今夜は皆でどこかに行くのだろう?」

 

「……はい」

 

こうしてファーナム達は書店を後にし、本拠(ホーム)へと戻って行った。外はいつの間にか夕方になっており、オラリオの街を優しく照らしていた。

 

 

 

 

 

果てしなく続く闇。

 

上も下も無く、長く居れば平衡感覚すら失いかねないその場所にある、唯一の明かり。静かに燃える遺骨の小山に、捻じれた直剣が突き刺さった奇妙な代物。

 

その明かり……篝火は、ある一人の人影を照らし出している。

 

篝火の前で胡坐をかいているその人物は全身が鎧で覆われており、体格から男性である事が分かる。その男は微動だにせずに篝火を見つめていたが、不意にその手を胸元へと伸ばす。

 

使い古された鎧の隙間から手繰り寄せられたのは、ぼろぼろになったペンダントであった。元はそれなりに良い質であっただろう金属は真っ黒にくすみ、形も歪になっている。

 

男はそのペンダントのロケットを開ける。中には肖像画や薬は入っておらず、剥き出しの金属の土台だけ。しかしその土台部分には、ナイフのような物で彫り物がされていた。

 

内側は手入れが行き届いているらしく、その彫り物の輪郭は鮮明だ。柔らかな笑みを浮かべている女性の顔ーーー男はその彫り物を無言で、ただじっと見つめる。

 

「……王よ」

 

不意に、闇から湧き出るように鎧姿の男がやって来た。男はロケットを閉じてペンダントを仕舞い、視線をその男へと向ける。

 

「神共を見つけました」

 

「……場所は?」

 

「迷宮都市オラリオ。自らの娯楽のために無垢の人々を良い様に使い潰す、薄汚い蛆虫共の溜まり場です」

 

「……そうか」

 

報告を聞き、男はゆっくりと立ち上がった。

 

元の色からかなり変色してしまった青のサーコートの裾を翻し、男はもう一人の男と共に歩き出す。その姿もまた、次第に闇へと消えて行った。

 

 




~没シーン~

「何この防具可愛い!」(砂の魔術師の上衣、スカートを手に取るティオナ)

「着てみるか?お前なら似合うだろう」(ファーナム、武器を手入れしながら)

「……」(リカールの刺剣をつつくアイズ)

「良いの!?ありがとっ」(喜ぶティオナ)

「……」(武器から視線を外して、ティオナを見るファーナム)

「……?」(ティオナ、困惑)

「……」(エスパダ・ロペラをつつくアイズ)

「……」(ファーナム、無言)

「……ここでは着ないよ?」(ティオナ、一言)

「? 着替えなど一瞬で終わるだろう?」(不思議そうにファーナム)

「え゛」(ティオナ、ドン引き)

「♪」(アイズ、ご満悦)



不死人の認識のズレが如実に表れた瞬間であった。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十一話 篝火

 

『豊穣の女主人』。そこが今回の宴が開かれる場所だった。

 

「ミア母ちゃーん!来たでー!」

 

店の扉を開けながら大声を上げるロキ。すると奥から店の制服に身を包んだ獣人(キャットピープル)のウェイトレスがやってきて、ロキ達を予約席へと案内する。

 

「団体様、ご来店ニャ~!」

 

一行が通された席以外はすでに満席だった。あちこちでジョッキを打ち鳴らす音と笑い声が響いており、この店がいかに人気があるのか窺い知れる。

 

アイズたち幹部勢とファーナムは店の中央の大テーブルへと通された。ファーナムとしては店の隅でも一向に構わなかったが、他の団員達がそれを許さなかった。断る訳にもいかず、素直にその席へと腰を下ろす。

 

団員達全員の席には既に酒はボトルで何本か置いており、いつでも乾杯の準備はできているようだ。酒が飲める者は酒を、それ以外の者は思い思いの飲み物を自身のグラスに注いでゆく。

 

「ほな、始めよか!」

 

全員のグラスやジョッキに飲み物が回った事を確認したロキは椅子から立ち上がり、乾杯の音頭を取る。最早恒例となった騒々しさに若干うんざりしながらも、全員の手にはしっかりグラスが握られている。

 

「今回の遠征もご苦労さん!アーンド、ファーナム入団おめでとうさん!今夜は宴やっ、存分に飲めぇー!!」

 

「「「「「うおおぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっ!!!」」」」」

 

雄叫びの様な歓声と共に、【ロキ・ファミリア】の大宴会が始まった。

 

運ばれてきた巨大な肉の塊にかぶりつくティオナとベート。ティオネは自分が食べる事などそっちのけでフィンに酌をし、ガレスはロキと酒飲み競争をしている。他の団員達も様々な料理に舌鼓を打ち、大いに飲み、楽しそうにその顔を紅潮させる。

 

「毎度の事ながら騒がしい事だ」

 

「でも皆さん、すごく楽しそうですね」

 

「うん、とっても」

 

大騒ぎする団員達から少し距離を置くように固まっているのはリヴェリア、レフィーヤ、アイズ。そしてそこに座るもう一人の男、ファーナムだ。

 

「すごい熱気だな」

 

ファーナムはジョッキを手の中で弄びつつ、ロキ達を見ながらそう呟いた。この時ばかりは兜を外しており、深い青色の瞳は少しだけ細められている。

 

「お前は混ざらないのか?」

 

微笑を浮かべているリヴェリアからの問いかけに、ファーナムはジョッキに入ったエールを一口飲む。麦の心地良い風味が鼻から抜けるのを感じながら、ファーナムはやがて口を開いた。

 

「ああ。皆が楽しそうにしているのを見ながら、こうして静かにしている方が性に合っている」

 

そう言ってファーナムはつまみの鶏の香草焼きに手を伸ばす。噛んだ瞬間に皮の下の油が弾け、旨味が凝縮された肉汁が溢れ出した。

 

長らく忘れていた食事に感動している、そんな時だった。隣に座っていたアイズが、ファーナムに語りかけてきた。

 

「ファーナムさんは……あのモンスターとの戦いで、魔法も使わずに勝ちました」

 

見れば、アイズはグラスを両手で握り締めてファーナムを見上げている。金色の瞳は真っすぐにファーナムの目に向けられており、そこには何か意思のような、強い何かが宿っている。

 

「どうやって、そこまで強くなったんですか?私はまだ、強くなれるんでしょうか……」

 

「アイズさん……」

 

「……何故今、そのような事を聞くんだ?」

 

ファーナムは手にしていたジョッキをテーブルに置き、アイズの方へと顔を向けた。若い見た目に反して達観したような目が彼女を見据える。

 

やがて、アイズは静かに語り出した。

 

遠征後のステイタスの更新、それが(かんば)しくなかったらしい。かなりのモンスターを倒してきたが、それでも各数値の上昇は微々たるもの。ここが頭打ちであるとアイズは悟った。

 

更なる力を求める彼女の思いとは裏腹に、ステイタスは思うように伸びない。そんな時に彼女の脳裏に浮かんだのは、女体型と戦うファーナムの姿であった。

 

アイズのように魔法は使わず、手にした武器を器用に捌いての戦闘。何らかのアイテムを使ってはいたが、それでも手強いモンスターを相手にするその姿は、アイズが渇望する“強者”のそれだった。

 

「私はもっと強くならなくちゃいけない……でも今のままじゃ、きっと変われない。ずっと、このまま……」

 

ぎゅっ、とグラスを握る手に力が篭る。

 

僅かに震える肩が彼女の心境を物語っている。俯くアイズを、レフィーヤとリヴェリアが複雑な表情で見つめるが、何と声を掛けてよいのか分からない様子だ。

 

アイズの強くなりたいという欲求はファミリアでも群を抜いている。それは戦闘時に一人で突っ走ってしまう程で、その苛烈なまでの欲望を理解出来る者はファミリアに、否、このオラリオに果たしてどれだけいるだろうか。

 

「アイズ」

 

隣から聞こえてきた声にアイズが顔を上げる。隠しきれていない不安を滲ませる彼女に対し、ファーナムはゆっくりと語りかける。

 

「悪いが、俺にはその質問に答える事は出来ない」

 

「ファーナムさんっ……!」

 

切り捨てるように、きっぱりと言い放つファーナム。あんまりと言えばあんまりな回答に、レフィーヤから非難の声が上がる。

 

しかし、ファーナムからの返答はそれで終わりではなかった。彼はジョッキに手を伸ばしてひと口煽ると、続きの言葉を口にする。

 

「俺はお前ではないし、お前も俺ではない。強くなれるかどうかは、お前の心が折れないかどうかに掛かっている」

 

「!」

 

「最後まで諦めなかった者こそが何らかの形で報われると、俺はそう考えている」

 

月並みな答えだがな、と付け足し締め括るファーナム。しかしアイズはその言葉が、彼なりの激励であると受け取った。アイズは自身の中で迷いが払拭されたような感覚を覚え、グラスを握る手から力が抜ける。

 

「お前にはまだ先がある、そう急ぐ事は無い。今は忘れろ、宴の席は楽しむものだ」

 

「……はい」

 

アイズは薄く微笑みを浮かべ、思考を切り替える。このまま考えていても仕方が無い。今は遠征の慰安会なのだから、こんな気持ちでいるのはこの場に相応しくない、と。

 

「そうですよ、アイズさんはもっともっと強くなれます!私もちゃんとアイズさんの助けになれるように努力しますから、一緒に頑張りましょう!」

 

「意気込みは良いがレフィーヤ、アイズと共に戦うのなら、せめて攻撃の回避をもっと上達させなければいけないぞ」

 

「うっ!?リ、リヴェリア様~!」

 

リヴェリアからの的確な指摘に、レフィーヤは涙目になって撃沈してしまった。彼女達のやり取りにアイズとファーナムが頬を緩めていると、彼らの正面にいるロキが喋りかけてきた。

 

ジョッキを片手に上機嫌になっている彼女の声はよく通り、顔はすでに赤く出来上がっている。髪の毛の色も相まってすっかり酔っ払いの風貌だが、それでも損なわれない美貌はやはり神というだけある。

 

「なんやファーナム!やけに静かやと思ったら、なにハーレム気取ってんねん!アイズたんとリヴェリアとレフィーヤのおっぱいは全部(ぜーんぶ)ウチのもんやーっ!!」

 

「アッ、アイズさんとリヴェリア様のおっ、……は誰のものでもありませんっ!!」

 

「レフィーヤ、相手にする必要はない」

 

何とも勝手な言い分を展開したロキは、レフィーヤとリヴェリアからの反論に思わずたじろぐ。やがて彼女は椅子の上に立ち、周囲の団員達の視線を集めるとこれ見よがしに高らかに宣言する。

 

「こうなったらぁ……全員聞けぇ!!今から全員で飲み比べやぁ!!勝った奴はリヴェリアとレフィーヤとアイズたんのおっぱいを自由に出来る権利をくれたるっ!出血大サービスのぱふぱふ祭りやぁーーーーーっ!!!」

 

「ふぇえ!?」

 

「言わせておけ。こんな馬鹿げた提案に乗るような愚か者はいな……」

 

「ふん、儂を差し置いて飲み比べなぞさせて堪るか。全員返り討ちにしてくれるわい」

 

「うわ、ガレスったら景品関係なくマジな目だ」

 

「オイ誰か店中の酒持って来い俺が全部飲み干してやるっ!!」

 

「ベートさん!落ち着いて下さい!?」

 

「じ、自分もやるっす!?」

 

「ラウル、貴方……」

 

「俺もおおおおお!」

 

「俺もだ!!」

 

「私もっ!」

 

「ヒック、あ、じゃあ僕も」

 

「団長ーっ!?」

 

「…………【汝は業火の化身なり、ことごとくを一掃し……」

 

「リヴェリア様ぁーーーーーっ!!?」

 

ロキの号令を合図に沸騰する団員達。あちこちの席で立候補者が絶えない中、ガレスはティオナに引かれ、ベートはリーネに盛大に心配されている。ラウルはアキと近くにいたアリシアから非難の篭った目を向けられ、他の団員達に紛れて立候補したフィンに、ティオネは悲鳴を上げている。

 

ちなみに手に負えない惨状を憂いたハイエルフの王族は浄化の炎をもって全てを灰燼に帰そうとしたが、そこはレフィーヤのファインプレーによって何とか事なきを得た。

 

多くの団員達(そのほとんどが男性)がジョッキを持って立ち上がる中、アイズはちらりとファーナムの横顔に視線を向ける。そこには少しだけ困り顔の、しかし確かに笑みを浮かべた彼の顔があった。

 

「おらぁファーナムっ、自分は強制参加やぁ!!ウチがアイズたんのおっぱいの所有者やっちゅう事を骨身にたっぷり染み込ませたるわァ!!!」

 

「……はは、主神の命ならば従わない訳にはいかないな」

 

突き付けられたジョッキを手に取り、ファーナムは席を立つ。立候補者全員に新たなジョッキがウェイトレスから手渡され、ややあって盛大な飲み比べが始まる。

 

冒険者達の宴はまだまだ始まったばかりである。

 

 

 

 

 

それからしばらく後、いよいよ宴もたけなわに近付いた頃。

 

多くの団員達が遠征の話題に花を咲かせていると、テーブルにジョッキを叩き付けながらベートがおもむろに口を開いた。

 

「そうだアイズ!そろそろあの話を聞かせてやれよっ!」

 

口の端を吊り上げてアイズに催促するベート。アイズはよく分からないと言った顔をしたが、次にベートが言い放った言葉が彼女を硬直させる。

 

「ほら、アレだアレ!あの“トマト野郎”の話だ!」

 

(トマト野郎?)

 

ベートの大声に周りの団員達の注目も自然と集まっていた。

 

ファーナムは妙なあだ名だなと感じただけだったが、急に振って湧いた酒の肴に団員達は大いに食いついた。しかしその中でただ一人、アイズだけが顔を俯かせている。

 

周囲は彼女の様子に気が付かない。酒を嗜まないリヴェリアと、未だに素面のファーナムだけが、その微妙な変化に気が付く。酔ってすっかり機嫌が良くなっているベートは腕を振り回し、まるで他の客にも聞かせるような大声で“その話”を語り始めた。

 

「17階層で湧き出したミノ共、覚えてるか?」

 

「あー、あれ」

 

「俺達が泡食って始末しただろ?そんで最後の一匹をアイズが仕留めた時にいやがったんだよ、いかにも駆け出しって感じのひょろくせえ冒険者(ガキ)がよ!」

 

ああ、なるほど。と、ファーナムは察した。

 

アイズの性格とこの様子、加えてベートの口から語られようとしているダンジョンでの出来事から、きっと彼女はその冒険者に何らかの負い目を感じているのだろう。傍らのリヴェリアも彼女の事を心配しているようだ。

 

「そのガキがやられそうになってた所をアイズが間一髪で細切れにしてやってよ、顔引きつらせて縮こまってるそのガキを助けてやったんだよ」

 

「なんや、助かってよかったやん」

 

「そんでよぉ、そいつアイズが細切れにしたミノのくっせー血を全身に浴びてよぉ……くくっ、トマトみてぇに真っ赤になっちまってやんの!ひひっ、腹痛ぇー!!」

 

大笑いするベート。それとは対照的に、アイズの顔はどんどん曇っていく。

 

「そんで、そんでよっ!アイズの顔見るなり、悲鳴を上げて逃げちまったんだよ!ウチのお姫様、助けた冒険者に逃げられてやんのおっ!!」

 

「……っく」

 

「何やそれぇ!?傑作やぁーーー!!」

 

「ふっ、ふふ……ご、ごめんなさいアイズっ、流石に我慢できない……っ」

 

あちこちの席から笑いが起きる。

 

爆笑、苦笑、忍び笑い。

 

他の客からも聞こえてくる笑い声に更にアイズの顔は曇り、金の双眸が悲しげに歪む。

 

「ったく、胸糞悪くなったぜ。野郎のクセに泣くわ泣くわ。そんなんなら最初(はな)から冒険者になんかなるんじゃねぇってんだよ」

 

「……あらぁ~」

 

「あんな雑魚がいるから俺らの品位が下がるっつうかよ、勘弁して欲しいぜ。なぁアイズ?」

 

ベートの容赦の無い言葉に、アイズの肩が震える。見かねたリヴェリアが自身達の不手際を諭して周囲を黙らせるも、ベートだけは止まらない。

 

「はんっ、何と言おうが雑魚は雑魚だろうが。そんな奴を擁護して何になる」

 

「もうやめぇ、ベート。酒が不味くなるわ」

 

見かねたロキまでもが仲裁に入るが、強すぎる我に酔いで拍車がかかっているベートの言葉は止まるところを知らず、遂にアイズにまで突っ掛かって来た。

 

「アイズはどうなんだ?あんな情けねぇ奴が、俺らと同じ冒険者を名乗ってんだぜ?」

 

「……あの状況じゃ、仕方なかったと思います」

 

「そうかよ……なら質問を変えるぜ。俺とあのガキ、(ツガイ)にすんならどっちが良い?お前はどっちの雄に尻尾を振って、滅茶苦茶にされてぇんだ?」

 

周囲の誰もが驚き、アイズもこの時ばかりはハッキリと嫌悪を覚えた。

 

そして、ファーナムは静かに思う。

 

(……ここが限界か)

 

「おら、聞かせろよアイズ。お前の答えはどうなん―――――」

 

「いい加減にしろ、ベート」

 

「……あ?」

 

ガタリ、と立ち上がったのはファーナムだった。

 

ベートの剣呑な目線がファーナムに突き刺さり、その場に張り詰めた空気が漂う。離れている他の客や団員はもちろん、同じ席のフィン達も、その異様な空気に口を閉ざす。

 

「その口を閉じろ。今までは黙っていたが、流石にこれ以上は見るに堪えん」

 

「テメェには関係ねぇだろうが、黙ってろよ鎧野郎」

 

「黙らん。これ以上この場を不愉快にさせるのなら、実力行使に出るぞ」

 

「ハッ、不愉快ねぇ。だが俺は事実を言ってるだけじゃねぇか」

 

ベートは鼻を鳴らし、こう続ける。

 

 

 

「アイズ・ヴァレンシュタインに雑魚は釣り合わねぇ。他ならない、アイズ……お前がそれを認めねぇ」

 

 

 

突如。

 

ガタンッ、と椅子を蹴飛ばして一人の客が店を飛び出していった。突然の異常に、周囲の目がその客へと向けられる。

 

「ベルさん!?」

 

「あぁ?食い逃げか?」

 

「ミア母ちゃんの店でそないな事やらかすなんて……命知らずなやっちゃなぁ」

 

一人のウェイトレスが叫び、店の出入り口を見つめる。ベートを始めとした他の客がざわめく中、視界から外れゆくその客の見覚えのある白髪(・・・・・・・・)に、ファーナムは既視感を覚える。

 

(あの髪の色……どこかで)

 

「つーか、おい。話はまだ終わってねぇぞ」

 

記憶を掘り返していたファーナムの背に、ベートが噛み付いてきた。そろそろ無理にでも黙らせるべきか、とついに実力行使に移ろうとした、その時。

 

「このっ、バカ狼ッ!!」

 

「がっ!?」

 

バコッ!!と、ティオネの鉄拳がベートの脳天に突き刺さった。

 

「てっ、てめぇバカアマゾネス!!何しやがんっ……!」

 

「バカはベートの方でしょうがーっ!?」

 

「うげっ!?」

 

唸り声を上げるベートにティオナの追撃が迫る。綺麗な踵落としを食らったベートはそのままガレスに押さえられ、寄ってたかって(主にアマゾネス姉妹から)制裁を加えられる。

 

出る幕を失ったファーナムは毒気を抜かれたようにその場に立ち尽くす。そうこうしている間にリヴェリアは魔法でベートを縄で縛り上げ、それを見た店内の客は大喜び。空気は元の陽気な酒場へと戻っていた。

 

ファーナムは彼らに背を向け、店の外へと出て行く。するとそこにはアイズとロキの姿があった。アイズは先程の客が去っていった方向に視線を静かに見据え、ロキはそんな彼女に鬱陶しく絡んでいる。

 

「アイズ、大丈夫か」

 

「……はい」

 

「およ、ファーナム。自分も来たんか」

 

店外へと出た三人を夜風が包み込む。店の中ではベートの絶叫が轟いており、未だに手酷い制裁を加えられているようだ。

 

「そう言えばファーナム。自分あの冒険者の話ン時、全然笑ってなかったなぁ。おもろくなかったん?」

 

「む……あぁ、あれか」

 

ロキはアイズに密着しつつ、そんな事を言ってきた。アイズから拒絶の肘鉄を貰うロキを尻目に、ファーナムはその理由(わけ)を語る。

 

「別段、面白がる話でも無いだろう」

 

「?」

 

「僅かな気の緩み、一瞬の判断の過ち、そんな些細な事で冒険者は簡単に死ぬ」

 

「……」

 

ファーナムはロキに顔を合わせずにそう語る。その横顔は至極真面目なもので、一切の誇張もされていない。そのファーナムの姿にロキはアイズへのちょっかいの手を止める。

 

「例え惨めだろうが何だろうが、生きて帰還できたのならばそれは喜ばしい事だ。笑う事など俺には出来ん……命は一つしか無いのだからな」

 

「……ファーナム、さん?」

 

「ファーナム……」

 

その言葉に何か感じ取ったのか、アイズは視線をファーナムへと向ける。

 

ファーナムの生い立ちを知るロキはその言葉に込められた彼の思いを察し、心配するように彼の名前を口にした。

 

「……わざわざ聞かせるような事でも無かったな、忘れてくれ」

 

僅かな沈黙の後、ファーナムは夜の街へと歩き始めた。突然帰り始めるファーナムに、ロキは慌てて声を掛ける。

 

「あっ、ちょいファーナム!」

 

「悪いな、少し飲み過ぎた。酔いを覚ましつつ、先に帰らせてもらう」

 

それだけ言い残し、ファーナムは『豊穣の女主人』を離れてゆく。その姿が夜の街に消えるまで、ロキとアイズは無言でその背中を見送っていた。

 

「……ロキ。ファーナムさんに、何かあったの?」

 

やがてアイズは隣にいる主神を振り返り、抱いた疑問を投げかける。ロキは少し難しい顔をしたが、すぐにいつもの飄々とした、掴みどころの無い顔へと戻る。

 

「んーん、入団したてやからなぁ。慣れるのにまだちょっと時間が掛かるんやろ。今は一人にしたり」

 

ロキはその場でくるりと身を翻してアイズの背後に回り込み、再び怪しい手つきでアイズの体に触れてくる。

 

「ほな戻ろか、アイズたん。ウチにお酌してぇ」

 

「……」

 

言うが早いが、ロキはアイズの手に自分の手を絡めて店内へと連れて行く。

 

アイズは白髪の少年とファーナムの顔を胸に浮かべ、しかしそのどちらの後も追う事が出来ず、黙ってロキに手を引かれていった。

 

 

 

 

 

『豊穣の女主人』を離れたファーナムは本拠(ホーム)へは戻っていなかった。特に当ても無く、オラリオの街並みを歩く。

 

(そうとも……命は一つしかない)

 

深い雲がかかる闇夜の道を歩きながら、そんな事を考える。次第に思考する事に没頭し、道行く人々の顔も街並みも碌に頭に入ってこない。

 

(ならば俺はなんだ?何故こんな不死人(異物)が、こんな真っ当な人の世に存在している?俺は一体、何の為に……)

 

岩の玉座より目覚めてから何度も頭を過ったこの疑問。しかしいくら考えても答えは出ず、堂々巡りの自問自答が続く。

 

気が付けばオラリオの街中から離れ、ファーナムは見知らぬ場所へと来ていた。

 

壁や天井が半壊した建物が並んでいる廃れた場所。オラリオでも再開発が遅れているそこに人気は無く、そこらじゅうに岩や材木が無造作に捨てられている。

 

「……はは、懐かしいな」

 

ドラングレイグでよく見た光景を思い出しながら、ファーナムは呟いた。気が付かない内にこんな場所に来てしまうとはと思いつつ、踵を返して本拠(ホーム)へと戻ろうとした、その時。

 

「……!」

 

ファーナムは目を見開いて驚愕する。

 

その視線は崩れかけた廃墟の、その土が剥き出しになった地面に向けられていた。

 

そこには薪では無い、白い遺骨の様なものが小山のように盛り上がっていた。中央部には捻じれた剣が突き立てられており、燻ったような弱い種火がちろちろと燃えている。

 

「これは……なぜ篝火が、こんな所に……」

 

ファーナムは当然の疑問を感じながらも、まるで炎に惹かれる蛾のように篝火へと近付く。目前までやって来たファーナムはゆっくりと、しかし慣れた手つきで右手をかざす。

 

その瞬間に、息を吹き返したかのように燃え盛る篝火。

 

懐かしい温かさに、ファーナムは思わずその場に座り込んだ。今まで体の奥に消え残っていた疲労が嘘のように消え去り、活力が湧いてくる。

 

「転送は出来ないようだが……ありがたいな」

 

ファーナムはエスト瓶の回復手段が見つかった事に安堵し、定期的にこの場所を訪れる事を心に決めた。

 

エスト瓶の中身も回復し、体調も完全に回復した。しかしファーナムは、この温もりをもう少し感じていたいと思った。

 

誰も寄り付かない荒れ果てた廃墟が立ち並ぶ場所。邪魔する者は誰一人として居らず、ファーナムは一人、篝火に当たり続けた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十二話 フィリア祭

年内最後の投稿です。


 

怪物祭(モンスターフィリア)

 

大規模ギルド【ガネーシャ・ファミリア】主催で年に一回開かれる行事で、その目玉は何と言ってもオラリオの闘技場を使用して行われる催しである。

 

わざわざダンジョンから連れてきたモンスターを観客の前で手懐ける、つまりは調教(テイム)する。迫力のあるその光景はモンスターに馴染みの薄い住人から冒険者まで、幅広く人気がある。

 

ファーナムはそんな手に汗握る演目を一目見ようと多くの観客でごった返す闘技場……ではなく、別の場所に来ていた。

 

娯楽に沸く人々とは別の意味で騒がしいその場所は、オラリオの都市第二区画―――工業区である。

 

生産系の仕事に従事する筋骨隆々の男達がせわしなく資材を運び、ドワーフ達は下手くそな歌を歌いながら鉄を打つ。あちこちから怒号が飛び交う街並みを、ファーナムは中心地に向かってひた歩く。

 

やがて見えてきたのは平屋作りの建物だ。ファーナムは教えられた通りの場所と外見である事を確認し、中へと入る。

 

それと同時に、太陽とは別の熱気がスリットから流れ込んでくる。

 

室内に充満する熱気の元は真っ赤に燃える炉だ。そして周りの景色が揺らめくほどの高温であるその場所には、一人の女が一心不乱に鉄を打っている。

 

鍛冶場だと言うのに袴とさらしだけしか身に着けていないその女はファーナムが入って来た事にも気付いていない。このまま待っていても良かったが、それでは何時までかかるか分からないと踏んだファーナムは、背を向けたままの彼女に向けて声をかける。

 

椿(ツバキ)・コルブランドか?」

 

「おお?」

 

その声に女は鉄を打つ手を止めた。その顔に幾つもの汗を纏わせながら、彼女はファーナムのいる方へと振り返る。

 

「なんだ、見ない顔だの。手前に何か用か?」

 

左目を覆う眼帯が印象的なその女、椿は不思議そうな顔でファーナムを見る。丸められた右目に子供じみた印象を抱きながら、ファーナムは簡潔に挨拶をする。

 

「フィンから聞いていると思うが……【ロキ・ファミリア】のファーナムだ」

 

「おお、ではお主が!」

 

その言葉に椿の顔色が変わった。少し待ってくれ、と中断していた作業を再開する彼女。素早く、しかし手抜かりなく打たれる鉄は見る見るうちに形を整えられ、やがて一本の剣へと姿を変えた。

 

「すまんな、待たせた」

 

「構わんさ。時間はある」

 

道具を片付けながら近づいてきた彼女にファーナムはそう応じる。長時間室内に置かれ、既に温くなっているコップの水を一気に煽ると、椿はその手を差し出した。

 

「初めまして、だな。手前が椿・コルブランド、主にフィン達の武器の整備をしている者だ」

 

「ああ、よろしく頼む」

 

煤まみれのその手と、ファーナムはしっかり握手を交わす。固い握りが力強い印象を与えてくる彼女は挨拶もそこそこに、興味深々といった表情を向けてきた。

 

「フィンから聞いておるぞ。お主、何やら珍しい武器を持っておるようではないか」

 

多少食い気味で迫ってくる椿。ファーナムはそんな彼女の様子を見て、フィンがこの場所に自分を寄越した理由を悟る。

 

(フィンめ、これを狙っていたな)

 

君程の実力者が入団したなら椿に会いに行くと良い、と言ったフィンの言葉を思い出す。

 

恐らく彼はファーナムの持つ様々な武器についてその手の専門家、つまりは椿に鑑定を依頼したのだろう。『数日後にファーナムがやって来るからよろしく頼む』と言った具合に。

 

別に隠すような事でも無いが、それでも色々とあれこれ詮索されるのは良い気分ではない。ファーナムは兜の奥で嘆息しつつ、好奇心丸出しの椿をその手で制する。

 

「分かった、見せよう。だから少し落ち着け」

 

「おお!話が分かる!」

 

椿は小躍りせんばかりに喜び、近くにある煤まみれのテーブルをはたきで簡単に掃う。ここに並べて見せてみろ、という催促が透けて見える行動に、ファーナムは再び嘆息した。

 

「落ち着け、と言ったが?」

 

「良いではないか。手前は鍛冶師、珍しい武器を前にして落ち着き払ってなどいられるものか!」

 

(はよ)う、(はよ)う!と、まるで玩具(おもちゃ)をねだる子供のような彼女の勢いに折れたファーナムは、自身の中のソウルからある物を取り出す。初めてその光景を見た椿から感嘆の声を受けながら、ファーナムはそれをテーブルの上に置いた。

 

「これは……」

 

「魔法のボルトと言う。クロスボウに装填して使う」

 

取り出したもの、それは一つのボルトであった。

 

初めてアイズ達と会った場所、ダンジョンの『闘技場』でモンスター達相手に使ったそれを手に取り、椿は興味深げに眺める。

 

「確かに魔力は感じられる……しかしこのボルト自体は普通の物と変わらないようだが」

 

「鋭いな。確かにボルト自体は何の変哲もない」

 

そう言ってファーナムは、小さな小瓶を取り出す。中には何らかの液体が入っており、粘性が高いそれは淡く発光している。

 

「『香ばしく香る粘液』だ。ボルトにはこれが練り込まれている」

 

「こんな物が……!」

 

ボルトを置き、椿はその小瓶を手に取った。眉間に皺を寄せてじっと見つめる彼女は、その小瓶から目は逸らさずファーナムに語りかける。

 

「他にも、何か特別な武器はあるのか?」

 

「幾つかはな」

 

ファーナムは更に武器を取り出す。二振りの直剣と片手斧、重厚な金属音と共にテーブルにそれらを置き、それぞれについて説明を始める。

 

「『炎のロングソード』と『竜断の三日月斧』だ。それぞれに炎と雷の属性が付与されている」

 

「属性……つまりは魔剣か」

 

「尋常ではない敵との戦闘では重宝している。使いすぎるとすぐ壊れてしまうのが少々難点ではあるが」

 

「確かに魔剣は便利だが、その分消耗も激しいからな」

 

「ああ、その度に打ち直してもらうのは骨が折れるが」

 

「なに?」

 

ここまで素直に説明を聞いていた椿であったが、ここでその顔に疑問の色が浮かぶ。何かおかしな事を言ったかと訝しむファーナムに、彼女はおもむろに口を開いた。

 

「お主の口ぶりから察するに……この武器は今まで壊れた事がある、という事か?」

 

「何度かは、な」

 

質問の意図が読めないファーナムは素直にそう答えたが、椿はその答えに、片手で頭を押さえて俯いた。彼女の先程までとの様子の違いにファーナムは僅かに戸惑う。

 

やがて顔を上げ、ファーナムを真っすぐに見る椿。彼女は落ち着いた様子で、その口を開いた。

 

「お主、これらをどこで手に入れた?」

 

「……気になるか」

 

「答えられぬのならばそれで構わん、しかしこれはあまり他人の目に触れない方が良い」

 

椿はそこでファーナムへと視線を移す。その目は先程の好奇心に満ちた目では無く、まるで危うい存在を見るような、どこか心配そうな印象を与えてくる。

 

「まず第一に、一般の武器に属性を付与させるようなアイテムなど、手前は聞いたことが無い。その魔剣に関しても同様だ。魔剣は壊れればそれで終わり、修復可能な代物ではない」

 

椿のその言葉に驚く。

 

ファーナムの心中を察してかは知らず、椿は忠告する。

 

「こんな便利な武器やアイテムがあると知れれば、それを欲しがる輩はお主を付け狙うやも知れん。雑多な輩であれば問題ないだろうが、それでも【ロキ・ファミリア】まで面倒を(こうむ)る事になるぞ」

 

「ファミリアに迷惑をかけるような真似はくれぐれも避けろ、と」

 

「そういう事だ。手前らは【ロキ・ファミリア】と懇意にさせて貰っておるしの、余計な火種は少ない方がお互いの為だろう」

 

「お前は詮索しないのか」

 

「その魔剣の製法自体には興味がある。しかしお主はそれを語りたくはないだろう?」

 

「それは……」

 

その通りだ。不死人に共通の概念であるソウルがここでは通用しない以上、製法も何も説明のしようが無い。それこそ『余計な火種』が増えるだけだ。

 

ファーナムの沈黙を肯定と受け取った椿はそこでフッ、と微笑み、先程鍛え上げたばかりの剣を手に取る。

 

「手前は鍛冶師、故にその魔剣には確かに惹かれる。しかし今はまだ手前だけの力で、最高傑作と言える物を作り上げてみたいのだ。今その製法を聞いては、恥ずかしながら手前の決心が鈍ってしまいそうだ」

 

「……そうか」

 

手元にある剣を見つめながら語られた彼女の言葉。そこに込められた固い信念を感じ取り、ファーナムはテーブルに並べられた武器を仕舞う。これ以上この場に晒す必要も無いだろうと判断しての行動だ。

 

「では、武器の注文を頼めるか」

 

ファーナムのその言葉に、椿はにぃ、と笑う。

 

「ああ、もちろんだ。どんな得物が良い?」

 

「直剣を。壊れにくく、威力の高いものを……」

 

 

 

と、その時だった。

 

 

 

ドンッ、と腹に響くような重低音が響き渡った。

 

聞こえた音の大きさから発生源は工業区(ここ)からは遠くの方だろうが、オラリオでの日常ではまず聞かないような音に、椿は眉をしかめる。

 

そんな椿を差し置き、ファーナムは工房から出て外の様子を確認する。周囲には椿と同じように、先程の音を不審に思った人々が表に出て何事かと話し合っている。

 

ファーナムはそれらの人々を見回し、ある一点に視線を集中させた。

 

場所はオラリオ市街地。フィリア祭当日という事もあり多くの人々で賑わうその場所からは、ファーナムがいる場所からでも分かる程の粉塵が舞っていた。

 

「市街地で何か起こっておるのか?」

 

振り向けば、椿も工房から出てファーナムと同じ方向を見ていた。目を凝らして市街地を見張る彼女に、ファーナムは短く告げる。

 

「俺は様子を見てくる。椿、武器については任せたぞ」

 

「あっ、おいファーナムっ!」

 

椿の制止の声も聞かずに、ファーナムは市街地へと走り出す。

 

何事も無ければという思いとは裏腹に、市街地に近付くにつれて轟音は更に増していった。

 

 

 

 

 

オラリオの広場に出てみれば、そこでは街中の人々で溢れていた。フィリア祭という事で当然と言えば当然なのだが、その顔は誰もが焦燥に駆られている。

 

ファーナムはそのうちの一人に話しかけ、何が起きているのかを尋ねる。

 

「何が起きている?遠くから土煙が見えたが……」

 

「ああ?アンタ知らないのか?」

 

露天商風の男から話を聞く。

 

なんでもフィリア祭の出し物として用意していたモンスター達が逃げ出したらしい。モンスター達は現在オラリオ中を走り回っており、その余波で建物も破壊されているのだ。

 

「今【ガネーシャ・ファミリア】の連中が討伐に当たってるんだけどよぉ、逃げ出したモンスターの数も数だ。手間取ってるらしいぜ」

 

全く迷惑なもんだぜ、と吐き捨てる男から離れ、ファーナムは周囲を見渡す。

 

巨大なモンスターなら小さな建物などの障害物があったとしても見つけるのは容易だが、同時にそれだけ力が強いとも言える。これ以上の被害を防ぐためにも、ファーナムは密かに武器をその手に出現させる。

 

その時であった。

 

メインストリートに面する建物の一角。そこにある建物を破壊しながら、一匹のモンスターが姿を現した。

 

身長はおよそ6M。横幅が広いそのシルエットから、ファーナムはかつて戦ったオーガを連想した。このモンスターは周囲を見渡すと、そのままメインストリートをファーナムのいる方向へと歩きだす。

 

「もっ、モンスターだ!?」

 

誰かがあげた悲鳴と同時に、人々は取り乱した様子でモンスターから離れようと走り出す。そんな人波をかき分け、ファーナムは彼らとは正反対の方向へと足を進めた。

 

手にした武器は何の変哲もないメイス。しかし楔石によって最大まで強化されたそれは、ファーナムの筋力を如何なく発揮する事が出来る。左手に使い慣れた盾の一つである『王国のカイトシールド』を装備し、モンスターへと突貫する。

 

モンスターはファーナムの接近に気付いていなかったようで、初手の攻撃は綺麗に決まった。振り被ったメイスはモンスターの足首を破砕し、悲鳴をあげながらその場に崩れ落ちる。

 

『ゴアアァァァァアアアアアアアアッッ!?』

 

ここに来てようやくファーナムの姿を視認したモンスターは、丸太の様な両腕をがむしゃらに振り回す。立ち上がろうにも片足は上手く機能せず、苦し紛れの抵抗だった。

 

そんな雑な攻撃をいちいち食らってやるファーナムでは無い。右から迫る太腕を体を捻る事で躱し、モンスターへと接近する。膝を突いているモンスターの頭部は先程よりも近く、仕留めるのは容易だ。

 

散乱する瓦礫を足掛かりに頭部まで駆け上がろうとしたファーナムであったが、その時、視界の端にあるものが映った。

 

瓦礫の山と化した店、それが彼の見たものであった。内部の木造部分までもが破壊され、元の面影は残されていない。

 

そこに一人の老人が倒れていた。足を瓦礫に挟まれているようで、その場から動けないのだろう。そんな彼の頭上で、大きな瓦礫の塊がぐらりと傾いた。パラパラと小さな(つぶて)が降り落ち、今にも崩壊しそうな状況だ。

 

(不味い―――――ッ!)

 

ファーナムは身体の向きを強引に変え、彼の元へと走り出した。モンスターの追撃などは鑑みず、あの瓦礫をどうにかする事に思考を切り替える。

 

辿り着くまで残り数Mと言ったところで、無情にも瓦礫はついに落下した。恩恵を受けた冒険者であっても重傷は免れないであろう瓦礫の直撃、一般人と思しき老人が耐えられる訳も無い。

 

反射的にファーナムは地を蹴った。彼の足は老人のすぐそばの地面を削り、見事着地。同時に自身の頭上目掛けてメイスを振るう。

 

メイスは見事、落下してきた瓦礫のど真ん中に命中した。空中で四散した瓦礫は周囲に降り注いだものの、老人の身体を押し潰す事は無かった。

 

「あ、アンタは………?」

 

「無事か」

 

困惑する老人をよそに、彼の足を戒めていた瓦礫をどかす。僅かに血が滲んではいたものの、幸いにも潰れてはいないようだ。傷に障らぬよう注意して引き上げ、ゆっくりとその場に彼を座らせた。

 

老人の救助を終え、ファーナムは立ち上がる。

 

時間にして僅か数十秒程度であったが、その間にもモンスターの行進は続いている。新たな被害が出ていない事を祈りつつ、ファーナムはモンスターへと向き直るが―――。

 

「―――何?」

 

果たしてモンスターはそこに居た。片足が潰されているために這いずったのか、僅かに前進はしていたものの、さほどの距離は移動していない。

 

ファーナムが不審に思ったのはそこではない。片足を潰されたとあれば、当然興奮状態となって暴れるはずだ。手負いの獣が凶暴になるのと同様に、このモンスターも暴れているものだとばかり思った。

 

しかし、このモンスターはそうでは無かった。目の前からいなくなったファーナムを追撃する様子も無く、這いずりながらきょろきょろと周囲を見回している。

 

(何かを探している?)

 

そんな疑問が頭に浮かぶも、今はそんな事を一々考えている時間は無い。

 

再びメイスを構え直し、モンスターへと走り出す。背を向けた状態であった所為か接近には気付いていない。ファーナムは無防備な背を蹴り登ると、その半ば辺りで大きく跳躍した。

 

重力に引き寄せられるファーナムの身体。モンスターも背中に感じた衝撃にがばっ、と振り向き天を見上げる。

 

その目は太陽の光を反射する無骨な鉄の塊……メイスを直視した。既に目前まで迫っていたが故にそれを振るう者の姿を認識する事も出来ず、モンスターの頭部はザクロの様に弾けた。

 

バチュッ!という水っぽい音と共に飛び散る血と肉片。

 

頭部を失ったモンスターは今度こそ地に伏し、そして動かなくなった。その巨体が灰へと還るのを見届けつつ、ファーナムはメイスに付着した血と肉片を振り落とす。

 

肉片は瞬く間に灰となったが、こびり付いた血までは消えなかった。鎧を濡らすどす黒い血を少しも気にする事なく、ファーナムは視線を彷徨わせる。目指すべき正確な場所は無いが、それでも何らかの騒ぎが起きていればそれがそのまま(しるべ)となる。

 

周囲の住民の歓声や驚愕の声には反応せず、ファーナムは次のモンスターを討伐すべく歩き出した。

 

 

 

 

 

「「 レフィーヤ!? 」」

 

ティオナ達の叫び声が街路地に響き渡る。

 

彼女達の足元から突如として現れた新種のモンスター。蛇のような長大な体躯がしなり、詠唱に入っていたレフィーヤの腹部へと叩き込まれた。

 

ごぽりと血の塊を吐き出すレフィーヤの身体は吹き飛び、まもなく固い地面に叩き付けられるだろう。レフィーヤ自身もそう感じていたが、受け身を取ろうにも身体が動かない。

 

来たるべく衝撃に目を瞑ったレフィーヤであったが―――――その衝撃は来なかった。代わりにその身体は何者かの腕に抱かれ、緩やかに地面へと横たえられる。

 

腹部の痛みさえ忘れて呆けている彼女の頭上から、くぐもった男の声が降って来た。

 

「無事か」

 

「………ぁ」

 

見上げれば、そこには見覚えのある兜。最近仲間に加わったこの男性、ファーナムの素顔を思い出したレフィーヤは、ここで迫り来る蛇のようなモンスターを見た。

 

亀裂が走り、咲いた(・・・)モンスターの頭部。幾重にも重なった花弁の奥には生々しい口があり、粘液を滴らせている。蛇ではなく、花のモンスター。字面からは想像できない悍ましさにレフィーヤの肩が大きく震える。

 

「安心しろ」

 

怯える彼女の不安を消し去るように、再び頭上から声が降って来た。同時に、視界の端を金の閃きが走り抜ける。

 

(あ………)

 

まるで物語の主人公のように颯爽と駆けつけ、レフィーヤの身を守ったのは『剣姫』の二つ名を冠する少女、アイズ。憧憬の彼女に守られたレフィーヤは、自身の胸に燻っていたある感情が大きくなったのを感じた。

 

「ひとまずは退避するぞ、ここは危険だ」

 

ファーナムの声が耳を打つ。同時に、じわりとレフィーヤの瞳に涙が浮かんだ。

 

それを緊張の糸が解けたと解釈したファーナムは、気遣いを感じさせる声で彼女に語りかける。

 

「よく耐えた、レフィーヤ」

 

(違う……違うんです、ファーナムさん)

 

レフィーヤが心の中でいくら叫んでも、声には出なかった。

 

(もう、嫌なんです。もう……)

 

体を起こそうにも、手足は震えるばかりで力が入らない。

 

(もう……ただ守られているのは……!)

 

そんな彼女の胸中を知る由も無いファーナムは―――――飽くまで優しげに言い放つ。

 

 

 

「ここからは俺達に任せろ」

 

 

 

「………っ!」

 

次の瞬間には、レフィーヤはファーナムの手を振り払っていた。と言ってもそれは弱弱しく、支えを失った彼女の身体は地面へと崩れ落ちてしまう。

 

「レフィーヤ……?」

 

彼女の当然の行動にファーナムは戸惑う。血の欠片を吐き出して咳き込む彼女はぐぐっ、と身体を起こし、震える足で立ち上がる。

 

「―――もう、守られるだけは、嫌なんです……っ!」

 

ふらつきながらも、その言葉は力強かった。確固たる意志を秘めた双眸は、奮闘するアイズ達を見つめている。そんな彼女の姿に、ファーナムも耳を傾ける。

 

「私はっ、レフィーヤ・ウィリディス!ウィーシェの森のエルフにして、誇り高き【ロキ・ファミリア】の一員!」

 

 

 

―――――逃げ出す訳には、いかない!!

 

 

 

自らを鼓舞するその姿に、ファーナムは気付かされる。

 

自分が助けようとしたのはか弱い少女などではなく、誇り高い冒険者なのだと。

 

何が彼女をここまで奮い立たせたのかは分からないが、彼女がそれ(・・)を望むと言うのであれば、ファーナムの取るべき行動は一つしかない。

 

ファーナムは静かに立ち上がり、自身のソウルからあるものを取り出す。

 

「レフィーヤ、これを使え」

 

振り返るレフィーヤは、差し出されたそれを手に取る。

 

先端部分に青い水晶が取り付けられ、握りの部分は全体が木で出来ている。普段レフィーヤが使っているものとはかけ離れてるものの、使うには申し分ない逸品だった。

 

差し出されたそれ……『アマナの杖』を手にした瞬間、アイズ達がいる方向から轟音が聞こえてくる。

 

見れば、アイズは食人花の大顎に捕らえられかけていた。剣は既に壊れ、風を纏って辛うじて防いでいるものの、破られるのも時間の問題だ。ティオネ達が加勢しているものの、引き剥がすまでには至っていない。

 

「アイズさん……ッ!?」

 

思わず息が止まった。しかしレフィーヤは眦を吊り上げ、杖をぎゅっと握る。

 

すうっ、と空気を吸い込み、少女は再び詠唱を始めた。瓦礫と粉塵が舞い散るこの場に似つかわしくない程の、美しいエルフの歌声が響く。

 

「【ウィーシェの名のもとに願う】!」

 

「……さて」

 

レフィーヤが詠唱に入るのを確認し、ファーナムも動く。手にしていた盾とメイスは姿を消し、新たに現れたのは巨大な盾だ。

 

こと頑丈さに置いては並ぶものが無いハベルの大盾を取り出すと、レフィーヤの前へと移動する。ファーナムは盾を両手で握ると、どっしりと腰を落として防御の体勢に入った。

 

防御に徹する。これがファーナムの選んだ行動であった。

 

「―――【エルフ・リング】」

 

レフィーヤの詠唱が完成する。瞬間、彼女の足元に翡翠色の魔法円(マジックサークル)が展開し、清涼な風が駆け巡る。

 

『―――――!!!』

 

同時に、食人花達にも動きがあった。

 

今までアイズに狙いを定めていた食人花は、より強い魔法に反応した。くるりと顔を向け、一斉にレフィーヤのいる場所を凝視する。

 

「【―――終末の前触れよ、白き雪よ。黄昏を前に(うず)を巻け】」

 

レフィーヤは更に詠唱を重ねる。彼女だけに許された反則技とも言える魔法、召喚魔法(サモン・バースト)。この魔法こそ、彼女の二つ名『千の妖精(サウザンド・エルフ)』たる所以である

 

落ち着き払い、たびたびダンジョンで見せる弱気な面などは微塵も感じられないレフィーヤ。その口からは、エルフの王女が使役する魔法の詠唱が紡がれる。

 

「【閉ざされる光、凍てつく大地】」

 

魔法円(マジックサークル)が更なる輝きを放ち、彼女を中心に魔力の波動が高まる。

 

食人花達は急激に高まった魔法に反応してレフィーヤの元へと殺到するが、それをみすみす見逃すアイズ達ではない。

 

「させないよーーっ!!」

 

「行かせるかッ!!」

 

「ッッ!!」

 

剣を失ったアイズも参加し、食人花の前に躍り出る。襲い掛かる無数の触手を、アイズ達三人がかりで迎撃する。

 

それでも全てを捌き切れる訳では無い。彼女達の隙間を通り抜けて襲い掛かる触手は、しかしファーナムの構えたハベルの大盾によって、今度こそ完全に阻まれた。

 

ガンッ、ガツンッ!!と、まるで鉄の鞭を彷彿とさせる勢いで振るわれる触手。アイズ、ティオナ、ティオネ、そしてファーナムによって詠唱に専念出来ているレフィーヤは、いつもよりも魔力の流れが多い事に気が付いた。

 

(この杖のおかげ……?)

 

ファーナムから渡された、アマナの杖。

 

その効果は、生者が扱う事による魔術威力の上昇(・・・・・・・)

 

元より高いレフィーヤの魔力に上乗せする形で、更なる魔力が溢れる。今まで味わった事のない感覚に、武者震いにも似たものが彼女の身体を駆け抜けた。

 

いける、と、彼女は素直に思った。

 

「【吹雪け、三度の厳冬―――我が名はアールヴ】!」

 

その声と同時に、アイズ達は渾身の力で触手を弾き返す。ファーナムも大盾を地面に向けて振るい、複数の触手を纏めて叩き潰す。

 

そして、離脱。障害が無くなった食人花達はレフィーヤを噛み砕かんと、その口を大きく開けて襲い掛かる。

 

が―――――レフィーヤの方が早かった。

 

彼女の唇が言葉を紡ぎ、魔法を完成させる。

 

 

 

「【ウィン・フィンブルヴェトル】!!」

 

 

 

次の瞬間。

 

オラリオの一角は、氷の世界と化した。

 

 

 

 

 

「………凄まじいな」

 

凍り付いた食人花をティオナ達が打ち砕くのを見ながら、ファーナムは素直に思った事を口にした。

 

彼女達から少し離れた場所に立っているファーナムの腕の中には、一人の獣人の少女が抱えられていた。半壊した屋台の隙間に蹲っていたものの、先程の戦闘の余波は受けていなかった。

 

最初は怯えた様子のこの少女であったが、ファーナムが兜を取ると安心したのか、恐る恐るではあったが手を取った。こうして彼女を抱え上げ、安全な場所へと避難させたのだ。

 

「およ、ファーナムやん」

 

「む?」

 

その声に反応してみれば、そこにはロキの姿があった。背後にギルド職員数名を引き連れて現れた彼女は、呑気に手などを振っていた。

 

「自分も来てたんか、フィリア祭には行かん言うてなかったっけ?」

 

「遠目で何事か起こっているのが見えてな、気になって来てみた」

 

「ほーん」

 

ギルド職員に獣人の少女を渡しつつ、ファーナムはロキと情報を交換する。先程倒した食人花はどうやら他にはいないようで、残りはごく普通のモンスターであるとの事だ。

 

と、ここで、アイズが二人の元にやって来た。仕方なく柄だけとなった剣を持っているが、当然武器としては使えないだろう。

 

「ロキ、来てたの……?」

 

「おー、アイズー。って武器壊れてるやん、それじゃあもう使えんな」

 

「うん……」

 

ロキの言葉に俯くアイズ。修理に出しているデスペレートの代用品を壊してしまった事に気を落とす彼女に、ファーナムは思案顔をする。

 

「アイズ」

 

「?」

 

落ち込む彼女にファーナムは一振りの剣を取り出し、手渡した。

 

少し驚いた顔でアイズがそれを受け取るも、何度か素振りして調子を確かめる。

 

「……良いの?」

 

「ああ、最悪壊れても構わん。それで残りのモンスターも片付けると良い」

 

「なんやファーナム、太っ腹やなぁ~」

 

手渡したのはエストックだった。楔石によってある程度までは強化されているので、アイズの力量にも耐えられるだろう。

 

風を纏って跳躍したアイズは、そのまま近くの建物の屋根の上を駆けて行った。「ちょっ、待ってえな~」と慌てた様子で彼女の後を付けていく。

 

遠くに見えるレフィーヤはティオナとティオネに介抱されており、腹部の傷も大事には至っていない様子だ。一安心したファーナムは兜を被り直し、モンスターの残党狩りに加わる事にした。

 

アイズと【ガネーシャ・ファミリア】の冒険者によってほとんどが駆逐されているとはいえ、人手は多いに越した事はない。

 

「ファーナムさん!」

 

ファーナムがその場を離れようとしたその時、レフィーヤの声がした。彼女はティオネに肩を貸されつつも、まっすぐにファーナムを見つめていた。

 

「どうした」

 

「あ、あの……」

 

おずおずと言った様子のレフィーヤに、ファーナムは首をかしげた。いまいち意図が掴めなかったが、ここでレフィーヤは意を決して言葉を口にする。

 

「これ!ありがとうございました!」

 

「……む」

 

ばっ!とアマナの杖を差し出すレフィーヤ。男性と話す機会も少ない彼女が絞り出した言葉に、ティオナとティオネが顔を合わせて苦笑いを浮かべる。

 

レフィーヤから杖を受け取り、ソウルへと溶かす。その際に、腰のホルスターから乳白色の液体が入った小瓶を取り出し、それをレフィーヤに渡した。

 

「あの、これは?」

 

「なに、治癒薬(ポーション)のようなものだ。飲んだらいい」

 

「なによ、“のようなもの”って……」

 

ティオネからの突っ込みもきっちりと貰い、今度こそファーナムはその場を離れる。周囲はギルド職員達がせわしなく動き回っており、彼らの横をすり抜ける形で、ファーナムは歩き出した。

 

街はまだ騒がしいが、間もなく収まる事だろう。一刻も早くこの騒ぎを終わらせるべく、ファーナムは足を速め、静かにメイスを握り直した。

 

 




エタるつもりはありませんので、今後もよろしくお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十三話 リヴィラの街

フィアナと言う女神がいる。

 

と言っても、それは飽くまで架空の神だ。小人族(パルゥム)の間で深く信仰されていたこの女神の存在は、しかし本物の神々が地上に現れた事によって、急速に廃れていった。

 

元は『古代』に実在した小人族(パルゥム)の騎士団の武勇が擬神化した女神、フィアナは鎧を纏った姿で描かれている事が多い。彼女の周囲には槍と始めとした様々な武器が描かれており、その光景は見る者を圧倒する。

 

かく言うファーナムもその内の一人であった。

 

暖炉の上にかけられたタペストリーに描かれた女神フィアナを観賞していたファーナムは、かつて聞いたとある話を思い出す。黒衣に身を包み、含みのある笑い方をする奇怪な男であったが、その話には妙な真実味があった。

 

その昔に在ったとされる炎の魔女、それこそが今の呪術の始祖であると。

 

その魔女は娘たちと共に“古きものたち”に挑んだと言う。真偽のほどは果たして不明だが、そのような伝承があるのだとすれば、それらが神格化されてもおかしくはないと当時のファーナムは思ったものだ。

 

事実、ドラングレイグからほど近いメルヴィアという国は魔術と呪術が栄えていると聞いた事がある。もしかするとその背景には、そう言った事があるのかも知れない。

 

このような巨大な力を信仰、神格化したがるのは人の性なのだろう。だからこそ、本物の神々が地上に現れた当時の小人族(彼ら)の落胆の程は計り知れない。それが原因となって心の拠り所を失い、種族自体が落ちぶれてしまうのも無理はない。

 

しかし、その屈辱があってこそ()はここまでのし上がる事が出来たのだろうと、ファーナムはその視線を部屋の中央の執務机へと向けた。

 

顔を上げずに羊皮紙に羽根ペンを滑らせる横顔は少年のそれだが、纏う雰囲気はまるで違う。一族の再興を心に掲げ、その凄まじい執念で勇者(ブレイバー)の二つ名を与えられた小人族(パルゥム)の冒険者……フィンへと密かに称賛の意を送る。

 

「……よし、と。すまない、待たせたねファーナム」

 

「気にするな、どうせ暇をしていたのだからな」

 

と、ここで。ファミリアに関する書類整理を終えたフィンがファーナムに話しかけた。

 

場所はフィンの自室兼執務室。執務中に尋ねてきた彼にどんな用事があるのかと思ったフィンであったが、その内容は拍子抜けするほど単純なものであった。

 

「ダンジョンに行こうと思う」

 

「ダンジョンかい?」

 

「ああ。【ロキ・ファミリア】(ここ)での生活にも慣れてきたからな、そろそろ一人で潜っても良い頃合いだと思ったのだが……」

 

「そうだね……うん、いいよ」

 

あっさりとそう答えるフィンに、ファーナムは若干面食らった。

 

大規模な組織に所属している以上、何らかの手続きがあると思っていたのだが、どうやらそんな事はないらしい。事前に知らせてさえいればそれで問題はないとの事だ。

 

「長い付き合いとは言えないけど、君は無茶をするような性格ではないだろうしね。一人で気ままに迷宮探索と言うのも良いだろう」

 

そんな訳であっさりと許可を得たファーナムは、早速ダンジョンへと足を伸ばした。

 

壊してしまった代剣、その弁償のための資金稼ぎに赴く事となったアイズたちが出発する、僅か一日前の出来事であった。

 

 

 

 

 

『ヴモオォォオオオッ!!』

 

目の前に飛び出してきたミノタウロスを、ファーナムが一刀のもとに斬り伏せる。上半身を袈裟がけに両断されたミノタウロスは短く絶叫し、やがて灰へと還っていった。

 

ファーナムは素早く振り返り、後ろにいた二匹のミノタウロスの内の一匹へと投げナイフを投擲する。ナイフは右目を抉り、うずくまって悶絶する同胞に困惑した所を、またしてもファーナムが斬り伏せた。

 

右目を押さえ、ようやく顔を上げたミノタウロスが見たのは、腰を落として武器を構えるファーナムの姿だった。その直後に突き出された武器の切っ先はミノタウロスの頭蓋を割り、赤い噴水を周囲に振りまいた。

 

どしゃっ、と倒れ伏す巨体。敗者を足元に転がしながら、ファーナムは手にしていた武器、クレイモアを肩に担ぐ。

 

「この階層はこの程度か」

 

特に疲れた様子もなく、そう独りごちる。落ちた魔石を拾いつつ、彼はこれまで自身が得てきた情報を頭の中で整理してみる。

 

まずこの場所……オラリオに来た理由だが、こればかりはいくら考えても答えは出なかった。

 

他世界へ召喚された事なら何度も経験しているがそれは霊体であった場合だ。過去の世界では実体だったが、それも自分から行動を起こしての事だ。今回のように唐突に、しかも実体で召喚されたのは初だ。

 

次に、モンスターを倒した時に獲得できるソウルの量。

 

ダンジョンに入って最初に襲い掛かって来たゴブリンを倒した時と、かつて倒した女体型、そして今しがた倒したミノタウロスも、その強さには天と地ほどの差があるにも関わらず、得られたソウルの量はそこまで変わらなかった。

 

ドラングレイグでは強さに応じて得られるソウルの量も大きく増減していたが、ここではそうではないらしい。もしかするとステイタスの更新……不死人たちでいう所の“自身の力を高める”行為に、ソウルは関係していないのかも知れない。

 

しかしそうすると、アイズたちから感じたソウルによく似た“あの気配”はどう説明をつければ良いのか?

 

「参ったな……」

 

整理した端から湧き出る新たな疑問に、ファーナムは片手で頭を押さえる。

 

ソウルが存在する以上、何らかの形でオラリオとかつて自身がいた場所には関連性があるのだろうが、それ以上の事は何も分かっていない。そもそもソウル自体が未だに謎多い概念であるので、ファーナムが知らない事があったとしても不思議ではない。

 

佇んだまましばらく考えていたファーナムであったが、顔を上げて歩き出した。あれこれ考えても埒が明かないと若干脳筋気味な考えの元、次の目的地へと歩みを進める。

 

持参してきたダンジョンの地図(フィンたちがマッピングを重ねて作成したもの)に目を通す。現在地は15階層、その先には安全階層(セーフティポイント)である18階層があり、とりあえずはここを目指す事に決めた。

 

道中に襲い来るモンスターを危なげなく返り討ちにしていくファーナムがそこに辿り着くのに、そう時間はかからなかった。

 

 

 

そうしてやって来た18階層。

 

安全階層(セーフティポイント)と聞いて50階層のような所を想像していたファーナムだったが、その予想は見事に外れた。

 

まるで一つの集落のようなその光景。入口にあるアーチ状の門にはオラリオの共通語(コイネー)で歓迎の言葉が書かれており、それが余計にダンジョンの中であるという事実に違和感を与えていた。道行く顔ぶれは粗暴な冒険者のものが多く、いっそ盗賊団や海賊のアジトの方が似合っている。

 

そんな印象を強く受けるこの場所の名前は『リヴィラの街』。いかつい冒険者たちが集まり、好き勝手に商売を行うダンジョン内の宿場町だ。

 

「ひとまずは……宿か」

 

それぞれの階層にいるモンスターのおよそ全ての種類を倒しつつ18階層までやって来たため、一人落ち着ける場所が欲しかったファーナムはどこか泊まれる場所を探す。

 

リヴィラの街は冒険者たちの休息所としての意味合いも強く、それゆえに宿も多い。街の散策をかねて宿を探している彼は、視線を左右に彷徨わせた。

 

魔石の換金所ではヒューマンの店主とドワーフの冒険者が互いに怒鳴り合っており、しかし周囲はいつもの光景に見向きもせず、自分の商売に専念している。

 

別の場所では、やれ昨日よりも高いだの、死にたいんだったら買わなくても構わないぞ、だのと治癒薬(ポーション)の金額を巡って口論が勃発している。

 

粗暴な冒険者ばかりが目立ったが、それでもこの場所には人の営みがある。ダンジョンという魔窟の中であっても商売に抜け目のない彼らの逞しさを微笑ましく思っていたファーナムだったが、その足が一件の宿の前で止まった。

 

「ここで良いか」

 

あらかた街の中を回ったファーナムは適当にこの宿に入る事にした。天然の洞窟をそのまま利用したこの宿の入り口、その壁には『ヴィリーの宿』と書かれた簡素な看板が取り付けられている。

 

ひとたび足を踏み入れてみれば、その中は意外なほどに広い事に驚かされる。エントランスには贅沢にもモンスターのドロップアイテムと思しき毛皮が敷かれており、壁には等間隔で短剣までもが飾られている。粗暴な街に似合わない、中々に豪華な内装をしていた。

 

「おー、いらっしゃい」

 

受付に座る獣人の青年がかったるそうな声でファーナムを迎える。

 

発光する水晶に照らされるリヴィラの街は現在、『夜』に差し掛かる時間帯。他の利用客はいなかったようで、頬杖をついたままの恰好で青年は話しかけてきた。

 

「一人かい?」

 

「ああ、部屋を借りたい」

 

「いいぜ。そしたら証文(これ)にアンタの名前と所属を書いてくれ」

 

この街では基本、物々交換か証文によって取引がなされる。道中にその事を知ったファーナムはそれに則り、証文へと筆を滑らせる(名前とファミリア名くらいは書けるようにはなった)。

 

しかし。もう書き終えるといったところで、新たな来客があった。

 

ファーナムの隣にやってきたのは一組の男女だった。男の方は顔まで覆い尽くす全身型鎧(フルプレート)に身を包んでいる。青年と交わす声色からは男性である事が窺える。

 

女の方も顔が分からない程にすっぽりとローブを纏っていた。それでも女とわかるくらいの豊かな膨らみ(・・・)があり、青年はだらしなく鼻の下を伸ばしている。

 

やがて男の方が、やや大きめの小袋を取り出した。ガラス同士が擦れ合うような音から察するに、恐らく中身は魔石だろう。地上で換金すればそれなりに大金になるそれを受け取った青年はファーナムに向き直り、口を開く。

 

「悪いな、アンタ。今日はコイツらが貸切る事になった。他を当たってくれ」

 

「すまんな。なんせこの宿には扉が無くてな、筒抜けになっちまうんだ」

 

「………あぁ」

 

“泊まりに来た男女”と“貸切り”。この二つの言葉から何も察せない程、ファーナムの勘は鈍くはない。

 

青年はファーナムの書いた証文を破り捨てると、自身もすたすたと宿の出入り口へと歩いてゆく。ファーナムもまた踵を返して宿を出て行こうとして―――。

 

 

 

不意に。

 

 

 

ファーナムは“ある気配”を感じた。

 

その感覚は初めてアイズたちと対峙した時のものに酷似していたが、少し異なる。思わず肩越しに振り返ったファーナムであったが、その時には男女はすでに部屋へと伸びる廊下を歩いていた。

 

「おいっ、早くしろよ」

 

青年の声が飛んでくる。見せつけられ(・・・・・・)ては堪らないとばかりの青年は、どうやら一刻も早くこの場を離れたいようだ。ファーナムは先程の感覚を不審に思いつつも宿から出てゆく。

 

「チッ、羨ましい野郎だぜ。くたばっちまえ」

 

そう吐き捨てながら青年は『満室』と書かれた立て看板を店の前に置き、どこかへと行ってしまった。

 

その背を見送りつつ、ファーナムはさて、と今晩の宿を考える。とは言っても適当に決めた場所が潰れてしまっただけであり、候補はまだいくらでもある。

 

立っていても仕方ないとばかりに、ファーナムは来た道を辿ってゆく。

 

やがて手頃な宿を見つけ、今度こそ問題なく証文を書き終えて宿を取る事が出来た。部屋の扉を閉めた後はいつものように、ベッドでは無く壁に寄りかかって座り込む。

 

宿の大広間からの喧騒が聞こえてくる部屋の中、ファーナムは兜も取らずに座り続けた。活動するでもなく眠るでもなく、しかし確かな意思のもとで、朝を迎えたら更に下層まで降りてみようと決めた。

 

そうして迎えた新たな一日は―――――昨夜とは別の“喧騒”から始まった。

 

 

 

 

 

翌日、ファーナムは昼に差し掛かるくらいの時間帯に宿を出た。部屋の中で1~18階層までで得た情報を整理していたのだが、思った以上に長く没頭していたらしい。

 

と、ここで、街がやけに慌ただしい事に気が付いた。

 

「おいっ、どこだ!?さっさと案内しろ!」

 

「ボールス!あ、あっちの宿だ!」

 

眼帯をした強面の男が怒鳴りながら、取り巻きの男たちと一緒に歩いている。ちょうどファーナムの前を横切った彼らはそのままどこかへと行ってしまい、やがて人ごみの中へと消えて行った。

 

「何か起きたのか」

 

「なんだ、あんた今起きたのかい?」

 

ファーナムは近くにいたアマゾネスの女主人に話しかけた。魔石の換金をやっている彼女は指先で髪の毛をいじったまま、ファーナムへと向き直った。

 

「朝から結構騒がしかったのに、随分と呑気なんだね、あんた」

 

「少し作業に没頭していてな」

 

「へぇ、そりゃまたご苦労さん」

 

「おや、ファーナムじゃないか」

 

アマゾネスの女主人との雑談に興じていたファーナムであったが、不意に第三者から声をかけられる。

 

見てみれば、そこにはフィンを始めとしてリヴェリア、ティオネ、ティオナ、レフィーヤ、そしてアイズの姿があった。思いがけない面子の登場に、ファーナムは軽く驚きを覚える。

 

「あっ、ファーナムだ!やっぱりリヴィラ(ここ)にいたんだ!」

 

「私たちのちょうど一日前にダンジョンに行ったって聞いてたから、もしかしたらと思ったけど……」

 

てててっ、とやって来たティオナを皮切りに、フィンたち一行とファーナムは合流を果たした。やがて彼らの話題はファーナムが聞きたかったものへと発展し、アマゾネスの女主人はため息と共にその口を開いた。

 

「殺しだよ。街の中で、冒険者の死体が出てきたらしい」

 

 

 

 

 

薄暗く広大な空間が広がっている。

 

四つの松明によって辛うじてその全貌を確認できる場所の中央部には、石造りの玉座がある。一般的なものよりも大きなそれに座しているのは、それに見合った体格を持つ男神だ。

 

2Mを越える巨躯はローブで覆われており、被ったフードの端から覗く顔つきは険しい。老境に達している見た目とは裏腹に、薄く開かれているその双眸には力強さが滲み出ていた。

 

ギルドの最奥で絶えず祈禱を続けているこの神物こそ、オラリオの創造神とも言われている神、ウラノスである。

 

「何かあったのか、ウラノス」

 

「……フェルズか」

 

と、そんな彼に語りかける者がいた。背後の暗闇から浮き出るかのようにして現れたのは、これまた全身をローブで覆っていた。異なる点と言えば、全身黒づくめで肌の色が全く見えない事くらいか。

 

ウラノスはフェルズと呼ばれた人物に顔を向けると、やがてその口をゆっくりと開いた。いつもの彼らしからぬ様子に訝しんだフェルズだったが、それは次の言葉で霧散してしまう。

 

「ダンジョンに何か(・・)が現れた」

 

「!」

 

ウラノスの口から出た“何か”という言葉。

 

広大という言葉では到底表現し切れない規模を誇るダンジョン。その強大な神力を以ってモンスターの地上進出を押しとどめている彼をして正体の掴めない存在が、ダンジョンに現れたと言うのだ。

 

正体不明の存在に、一人と一柱の間に流れる空気が張り詰める。

 

異端児(ゼノス)ではないのか」

 

「違うだろうな。彼らの魂の色は確かに覚えている。………これほどまでに悍ましくはない(・・・・・・・)

 

「……場所は」

 

「恐らく『中層』付近、19から22階層の間だろう」

 

「分かったよ、ウラノス。私が見て来よう」

 

「気を付けろ。まるで得体が知れないが、良くないモノである事は確かだ」

 

「……ああ」

 

素早く目的の場所を確認したフェルズは踵を返し、ある魔道具を発動させる。彼の身体は瞬く間に黒い煙に覆われてゆく。数秒後。そこにはフェルズの姿は無く、何もない空間だけが広がっていた。

 

玉座に座るウラノスの静かな息づかいだけが聞こえてくるその場所で、彼は再び祈禱に専念すべく瞳を閉じる。

 

厳めしい表情は崩れる事は無かった。しかし彼の頭の中では得体の知れない不穏な思いが渦巻いている。

 

(先程、私の頭の中に直接響いたあの音………)

 

言葉とも警告音ともつかない奇妙な感覚。にもかかわらず、それがもたらした情報だけははっきりと伝わってきた。

 

ウラノスは祈禱を続けながら思い返す。

 

短く、最低限のものでしかない情報………その内容は、このようなものだった。

 

 

 

―――――闇霊 ■■■ に侵入されました―――――

 

 

 

 

 

 

 

 

それは『赤黒い人影』としか形容出来ない見た目をしていた。

 

身に着けている甲冑、頭から被ったボロボロのフード、背に担いだ大剣……その全てが不吉な色に染まっている。素顔が見えない事も相まって、もしもこの場に誰かいれば、“亡霊”や“亡者”といった単語を思い浮かべた事だろう。

 

『…………』

 

赤黒い体の異形は、緩慢な動作で周囲を見回す。四方を岩肌に囲まれ、続く道も暗闇に包まれている。

 

やがてその異形はゆっくりと歩き出した。その足取りには明確な意思は感じられず、ただ漫然と、目的も無く歩いているようにも見える。

 

ここで、異形の前に一匹のモンスターが現れた。

 

熊を彷彿とさせる、しかし地上のものよりも遥かに巨大なモンスター。ダンジョン中層から出現するこのモンスターは気性が荒く、冒険者を見かければ必ず襲ってくるほどだ。

 

その鋭い眼光を異形へと向けるモンスターであったが、数秒後にはまるで興味を失ったかのように、荒い息づかいと共にその場を離れて行った。その場に突っ立ったままだった異形も特に行動を起こす事も無く、モンスターが離れてゆくのと同時に歩き出した。

 

その後も他の冒険者に会う事も無かった。特にこれといった行動を起こさなかった異形であったが、不意にバッ、と顔を上げた。

 

『………ヲォ…ォ……』

 

暗闇に包まれた顔を天井に向けて立ち尽くしていた異形は呻くような声を漏らし、ガチャリと鉄靴を踏み鳴らした。その姿は先程までの虚ろさなどは微塵も感じさせず、明確な目的を持っているように見える。

 

現在の場所は22階層。目指す階層は18階層。

 

暗闇を照らす火を求めるかのように、異形は黙々とダンジョンを進んでいった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十四話 闇霊

お久しぶりです。

投稿が遅くなってしまい、申し訳ありませんでした。

まだ見てくれる人がいれば幸いです。



三人の少女が固まっている姿を崖の上から見下ろしながら、男は―――否、男から剥ぎ取った顔面を張り付けた女が、懐から取り出した草笛を口にする。独特の甲高い音が風に乗って、18階層全体に木霊した。

 

直後、リヴィラの街を包囲するように無数の触手のモンスターが姿を現す。以前にもオラリオの街中に現れ、多大な被害を与えたものと同じモンスターである食人花の群れだ。

 

街にいた冒険者たちは当然慌てふためいた。しかしその中に紛れ込んでいた実力者たちによって統制を保ちつつ、彼らは湧き出たモンスターたちの対処へと当たり始めた。

 

だがそれも女の計算の内、本当の目的である緑色の宝玉の近くには僅か三人の少女たちしかいない。

 

(さっさと殺して奪い返す。これ以上計画を狂わされては堪らない)

 

タンッ、と女はその場から飛び降りる。高速で過ぎてゆく視界には奮闘する冒険者たちが映ったが、まるで気にも留める事はなかった。彼女にとって彼らなどは取るに足らない有象無象の一つでしかないのだから。

 

故に、それ(・・)が彼女の眼に一瞬でも留まったのは必然であった。

 

19階層へと通じる洞窟から這い出るかのようにして姿を現したその存在は、およそ尋常な見た目とは言い難い。

 

フードを目深に被ったせいで顔すら見えず、幽鬼のようにゆらりと歩く姿は見る者に言いようのない不安感を与える。だというのに、その足取りはやけにはっきりとしていた。

 

(赤黒い……人影?)

 

地面へと落下してゆく女はそんな事を思ったがそれだけであった。本来の目的を遂行すべく、再び意識を少女たちのいる場所へと向ける。

 

食人花の群れによって蹂躙されるリヴィラの街。

 

混乱を極める戦場。

 

その只中(ただなか)に、一人の怪人(クリーチャー)と一体の闇霊が参戦した。

 

 

 

 

 

「五人一組で固まって対処に当たれ!敵は魔力に反応する、リヴェリアが大規模魔法で付近のモンスターを集めるから、それを叩くんだ!!」

 

フィンの鋭い指示が飛ぶ。

 

見慣れないモンスターの大群の強襲に浮足立っていた冒険者たちはその声で我に返り、そしてその指示の通りに行動する。これが功を奏し、辛うじてリヴィラの街の防衛は成功していた。

 

とは言え、それでも緊急事態である事に変わりはない。ティオネとティオナが先陣を切って襲い来るモンスターたちを倒し、一刻も早く事態の収拾を図ろうとしていた。

 

「あぁクソッ!邪魔ァ!!」

 

「毎回毎回どこから来るのさーっ!?」

 

悪態と文句を吐きながら湾短刀(ゾルアス)大双牙(ウルガ)を振るうアマゾネスの姉妹。奮闘する彼女たちを視界の端に確認しながら、ファーナムもまた己の武器を振るっていた。

 

「ふんっ!!」

 

『ギイィッ!?』

 

目前に迫っていた食人花。大口を開いたその醜い頭部に、巨大な鉄塊による一撃が見舞われる。

 

ぐしゃっ!という音とともに短く絶叫した食人花の頭部が千切れ飛ぶ。魔石を内包した部位を失った長大な体は地に伏し、瞬く間に灰へと還っていった。

 

撃破を確認したファーナムは振るった武器、『番兵の大槌』を肩に担ぎ上げて周囲を確認する。未だあちこちで戦闘が継続しており、戦況は一進一退と言ったところだろう。

 

そこでファーナムたちの出番である。

 

止めを刺しきれない彼らに代わり、取り押さえている隙に大槌を振るう。超重量の一撃は食人花の硬い表皮をモノともせず、次々に挽肉へと変えていった。

 

「ファーナムッ!」

 

自身を呼ぶ声に振り返ると、そこにはちょうど着地した格好のフィンがいた。Lv6の身体能力を如何なく発揮し、彼もまた食人花の討伐に当たっていたのだ。

 

ヒュンッ、と槍を回転させ、こびり付いた体液を振り落としつつ、フィンはファーナムの元へと歩み寄る。

 

「戦況はどうだい?」

 

「相変わらずだ。倒した端から湧いてキリが無い」

 

「そうか、こっちも似たような感じだよ」

 

戦闘の最中(さなか)に短く互いの情報を交換する二人。

 

あちこちで食人花の対処に追われている冒険者たちの顔には疲労の色が滲んでいる。今はまだ持ちこたえているが、いつまでも戦闘が長引けばこちらが不利になってしまうだろう。

 

「しかしこれ程の数のモンスター共、一体どこから……」

 

「奇襲のタイミングも良すぎる。まるで今まで息を潜めていたみたいだ」

 

「モンスターが計画的な行動を取ったと?」

 

「そうだとしたら、この侵攻は裏で誰かが糸を引いているに違いない。つまり―――」

 

「―――調教師(テイマー)か」

 

フィンが言おうとしていた言葉をファーナムが口にした。フィンは神妙に頷き、更なる推測を巡らせる。

 

「宿屋での犯行の第一容疑者は件のローブの女だ。その女がこの事態にも噛んでいるんだとしたら、最低でもLv4以上の実力を持つ調教師(テイマー)という事になる」

 

「厄介だな」

 

「ああ、だが見つけさえすれば僕たちで畳み掛けられる」

 

そう語ったフィンは周囲をぐるりと見回す。調教師(テイマー)ならばそう遠くにはいないだろうと考え、怪しい人物がいないかどうか探しているようだ。

 

彼に倣い、ファーナムも武器を担ぎ直して周囲を警戒する。

 

(食人花を捌きつつ、同時に調教師(テイマー)を捜索、撃破しなければ、か……)

 

脳内で今後の方針を決めたファーナムはフィンと反対の方向へと向き直り、ひとまずは周囲の食人花たちの撃破に移る事にした。

 

視線の先ではちょうど、ティオネが両手に構えた湾短刀(ゾルアス)で食人花の長大な体躯を切断していたところだった。すかさず他の冒険者たちが倒れ込んだモンスターに殺到し、止めを刺す。

 

即席とは言え見事な連携を見せる彼らに加わるべく、ファーナムが一歩踏み出そうとした―――――その時だった。

 

 

 

 

 

その赤い人影が、ファーナムの視界に映り込んだのは。

 

 

 

 

 

「………ッ!?」

 

兜の中の双眸が大きく見開かれ、ファーナムは一瞬呼吸を忘れる。その変化は明確なもので、後ろにいたフィンはすぐに感付いた。

 

「ファーナム、どうしたんだい?」

 

フィンの声がやけに遠く感じる。それだけではない。周囲の音が遠ざかって聞こえているというのに、鼓動を刻む自身の心臓の音だけは異様に大きく聞こえるのだ。

 

このオラリオに来てからも焦燥感などは幾度か感じたことはある。しかし今回ファーナムが抱いたこの思いは、間違いなく最大のものであろう。彼の視線は、その元凶である存在に釘付けとなる。

 

流石に様子がおかしいと思ったフィンはファーナムの視線を辿る。そして、彼もまたそれ(・・)の存在に気付いた。

 

「……なんだ、あれは」

 

フィンは警戒の色を含んだ声を漏らした。同時に、その赤黒い人影は二人のいる方向へと顔を向ける。

 

両者に開いた距離は直線にして、おそよ100M。ちょうど集落と森林地帯とを隔てる、なだらかな崖の付近にそれはいた。

 

ごろごろとした岩やモンスターの残骸、そして多くの冒険者たちが入り乱れた戦場であるにも関わらず、ファーナムはそれ(・・)が真っすぐに自分だけを見つめている事を確信する。

 

『……ォ……』

 

それ(・・)はだらりと垂らしていた右腕を背に伸ばす。その手は背負った大剣の柄を握り、ずるりと気味の悪い動きで引き抜く。

 

引き抜かれた大剣の切っ先が地面に突き刺さる。その大剣も刀身から柄まで、全てが赤黒く染まっており、遠くから見れば握っている腕と同化しているようにも見える。

 

やがてその赤黒い人影は動きを見せた。目深に被ったフードの奥からファーナム目掛け、身の毛もよだつような咆哮を上げたのだ。

 

『ォォヲヲオオオオオオオオオオオオォォォッ!!!』

 

周囲に雄叫びが反響する。その大音響にリヴェリアが、ティオネが、ティオナが、そして多くの冒険者たちが、ビクリと肩をすくませた。

 

フィンも硬直こそしなかったものの、その表情は固い。まるで得体の知れない奇怪な人物の登場に、冷静に状況を分析しようとした。

 

 

 

………が、それよりもファーナムが動くのが早かった。

 

 

 

「フィンッ、モンスター共は任せたッ!」

 

「!? ファーナム!?」

 

フィンの返答を待たず、ファーナムはドンッ!と地を蹴った。

 

向かうのは当然、それ(・・)のいる場所だ。100Mはあった距離を、鎧と巨大な武器を持っているとは思えぬ速度で駆けて行った彼は、接触する手前で己の武器を水平に振りかぶる。

 

「ぬんっっ!!」

 

ファーナムの振るった大槌が大剣とぶつかる。赤黒い人影は大剣を両手に持ち、剣の腹の部分を盾のようにして防御の構えを取った。

 

食人花の固い体表すらひしゃげさせる一撃をまともに受けるも、大剣はびくともしない。普通に考えれば折れるなり曲がるなりするはずなのだが、その気配すらない。

 

『ォアアァ!!』

 

ファーナムの一撃を受け切った赤黒い人物は、素早い動きで手にしている大剣を薙いだ。横なぎのこの攻撃をファーナムはバックステップで回避、同時に手中にあった番兵の大槌を消し去り、一振りの直剣と盾を取り出した。

 

大剣が完全に振り切られたことを確認し、開いた間合いを詰め剣を振るう。今度はまともに食らったようで、赤黒い人物は僅かに怯んだような素振りを見せた。

 

『ガッ……!?』

 

「ふんッ!」

 

ファーナムの攻撃は終わらない。追撃とばかりに、ぐらついた赤黒い人物の腹を目掛けて蹴りを放つ。ベートのような威力のある蹴りではなかったが、直撃したその身体はバランスを崩し、崖の下へと滑落する。

 

赤黒い身体は吸い込まれるようにして落ちてゆき、やがて森林地帯へと消えていった。崖と言ってもなだらかな斜面なので、さほどのダメージは無いだろう。

 

「ファーナム!」

 

「! リヴェリアか」

 

崖下を覗き込んでいた視線を回せば、杖を携えたリヴェリアがこちらへ駆け寄ってくるのが見えた。その背には彼女の本来の武器ではない(誰かから拝借したものだろう)大型の破砕弓と矢筒がかけられている。

 

扱うのにそれなりの技量と筋力を要求するであろう得物を身に着けているリヴェリアに対し、こんな状況にも関わらずファーナムはその芸達者ぶりに感心してしまう。

 

そんな胸中を知る由もないリヴェリアは彼の元までやってくると、ファーナムと同じようにちらりと崖下を覗き込んだ。そしてその視線を外し、緊張した面持ちで問いかける。

 

「この下に落ちたのか」

 

「ああ。しかしこの程度の高さだ、致命傷は負っていないだろう」

 

「そうか……しかし、あれは何なんだ?」

 

リヴェリアは眉をしかめて抱いた疑問を口にする。それは当然のもので、そうであるが故に、ファーナムは返答に躊躇してしまう。

 

どう言おうか迷った彼であったが、結局お茶を濁す形で、当たり障りのない言い方を選んだ。

 

「……すまない、詳しい事は言えん。だがあれを放っておく事は出来ん」

 

それだけ言って、ファーナムは崖へと足を向ける。追撃のために自身もまた崖の下へと行こうという訳だ。

 

「待て、一人で行くつもりか?」

 

彼の意図を察したリヴェリアは、せめて誰かと一緒に行動した方が良いと忠告する。長く生きている彼女でさえも初めて見た、およそ尋常の者とは思えない怪人物を相手に、一人で立ち回るのは危険だと。

 

しかしファーナムは彼女の言葉に対し、首を横に振る。

 

「いや、あれは俺に任せてもらいたい。他の者では危険すぎる」

 

「しかしお前も……」

 

「心配なら無用だ。あれとの戦い方なら心得ている。それに何よりあれとは……あれら(・・・)とは、少なからず因縁がある」

 

話は終わりだとばかりに、ファーナムは勢いよく崖下へと身を躍らせた。

 

リヴェリアは駆け降りるようにして斜面を下ってゆくその後ろ姿を見ていたが、やがて踵を返した。いつまでもここで見ている訳にはいかない、まだまだ食人花の群れは多いのだから。

 

彼女は他の冒険者に交じり、手にした弓で次々に食人花を射抜いてゆく。魔法を使わないのは、彼女の放った魔法に反応して他の食人花たちが殺到しないようにするためだ。

 

『ギギィッ!?』

 

『ギャギッ!』

 

大きく開かれた口腔内に内包された魔石を正確に射抜きつつ、リヴェリアはファーナムの身を案じる。最近加入した新参者ではあるが、彼の人となりくらいは分かっているつもりだ。

 

一見不愛想にも見えるが、その実仲間思いで確かな実力を併せ持つヒューマン。それがリヴェリアの抱いたファーナムへの印象だった。しかし、彼女たちが思いつきもしないような、予想外の戦法をとる危うさもあるのも事実だ。

 

(無茶な真似だけはするなよ、ファーナム)

 

初対面の時に見せたあの無謀な戦い方を思い出しつつ、リヴェリアは黙々と矢を放ち続けた。

 

 

 

 

 

ファーナムがいた場所であるドラングレイグには、実に様々な敵がいた。

 

その大半が自我を失った不死人、亡者と呼ばれる類の者たちであったが、中にはデーモンと呼ばれる別種のものもいた。これらは大抵、他の個体にはない特殊な能力なり特性なりを持っており、倒すのには苦労したものだ。

 

しかしそんな者たちよりもファーナムが危惧している敵がいた。それが闇霊(ダークレイス)と呼ばれる存在だ。

 

彼らは他世界に霊体として侵入し、その世界の主……つまりは他の不死人を殺害するまで付け狙うのである。亡者やデーモンとは違い自我を持ち、時に待ち伏せ、時に他の闇霊(ダークレイス)と共闘したりするので、一番出会いたくない敵でもあった。

 

しかし、そんな多種多様な攻撃手段を用いる闇霊(ダークレイス)どもの中にあって、一際異彩を放っている存在があった……それは“喪失者”と言う。

 

喪失……読んで字の如く、失う事。この“喪失者”という闇霊(ダークレイス)は、帰るべき己の世界を見失った不死人の姿だ。霊体のまま他世界を渡り歩き、自分の元居た世界に帰ることもできず、無限に等しい時間を徘徊する、ある意味での不死人の成れの果て(・・・・・・・・・)とも言える。

 

他の闇霊(ダークレイス)……血の契約やひび割れた赤い瞳のオーブを用いて侵入してくる敵ならば極まれに話が通じる分、まだいい。しかしこの“喪失者”と呼ばれる存在は話など通じる由もない、形を成した災厄なのだ。そしてそれは現在、明確にファーナムに照準を合わせている。

 

つまり、この場で倒す以外に方法は無いのだ。

 

 

 

 

 

(何故だ………何故、こんなところに喪失者が……)

 

ファーナムは現在、18階層にある人の手の加えられていない場所、森林地帯にいた。

 

鬱蒼(うっそう)と生い茂る草木に視界を阻まれるのは痛手であったが、崖の上で戦っている他の冒険者たちから姿を隠せるのは行幸であった。ファーナム本来の戦い方ができるからだ。

 

「椿からはあまり他者に見せるなと言われたが……今が良い時だろう」

 

そう言って、ファーナムは右手に握っていた直剣を消し、代わりに別の得物を取り出した。

 

それは巨大な片刃の斧であった。黒く弓なりに曲がった刀身は、天井に自生している発光する苔と石英の輝きを反射し、鈍い輝きを放っていた。ファーナムが好んで使う事が多かった武器、『竜断の三日月斧』である。

 

雷の属性を宿したこの武器と『赤錆の盾』を携え、ファーナムは奥へ奥へと進んでゆく。

 

「狩猟の森を思い出すな」

 

尤も、あの場所はここまで広大ではなかったが。

 

しかし広いとは言ってもこの森林地帯は比較的明るく、また出現するモンスターも大して強くない。せいぜいが『バグベアー』といったところだろう。よってファーナムは喪失者の捜索に全神経を注いでいた。

 

喪失者の攻撃パターンは記憶しているとはいえ、強敵である事に変わりはない。下手をすれば殺されるのはこちらの方だ。地上の篝火で休息をとったが、確実にあの場所で蘇生できるとも限らない。このオラリオの地で死んだ事など無いのだから。

 

不安要素はあるが、殺されるつもりなどは毛頭ない。場所は違ってもやる事は同じ、殺される前に殺すだけである。

 

「奴が落ちたのは……この辺りか」

 

ファーナムは崖の上から確認した、最後に喪失者を目視できた場所にまでやって来ていた。落下したと思われる地面はえぐれており、どうやらここにいたのは間違いないようだ。

 

足跡のようなものもあったが、それはすぐに雑草が生い茂る地面に隠れてしまって追跡は出来ない。やはり目視でどうにかするしかないと、ファーナムは嘆息する。

 

と、その時であった。

 

『ギィァアアアアアアアアアアアッ!!』

 

「ッ!」

 

森林の暗闇の奥から、突如として一体の食人花が襲い掛かってきた。

 

粘液を振りまきながら開かれる巨大な顎による攻撃を、ファーナムは盾を使って防ぐ。受け流しにも似た動きで回避し、右手に握った武器を天高く振りかぶった。

 

『ゴッ……!?』

 

食人花が振り返るよりも速く、次の瞬間には斧が振り下ろされていた。ギロチンを彷彿とさせる勢いで振り下ろされたファーナムの一撃は、鋭い雷光と共に食人花の頭部を切断する。その断面は焼けただれており、竜断の三日月斧の威力を如実に物語っていた。

 

どさっ、と落ちた頭部を油断なく踏み潰す。内部の魔石が踏み砕かれ、灰へと還ってゆく食人花を見下ろす事もなく、ファーナムは森の奥に広がる暗闇を見やった。

 

そこには更に、複数体の食人花が控えていた。一瞥しただけで4体、恐らくはそれ以上の数の食人花が長大な体躯をうねらせ、森の奥から蛇行しながらこちらへと殺到してくるのが分かる。

 

「砦から溢れ出た奴らか……!」

 

食人花の群れは現在フィンたちが抑えているが、当然あれだけの数になると取りこぼしが出てきてもおかしくはない。それらと運悪く、ファーナムがかち合ってしまったのだ。

 

ファーナムは兜の中で小さく舌打ちすると同時に、手中にあった盾を消し去る。代わりにその手に握られたのは、小さく、しかし力強く燃える火であった。

 

呪術の火。呪術師が術の行使の際に用いる触媒で、ファーナムが最も多用する異能の力でもある。

 

(この数を相手に防御は悪手か。ならば―――)

 

ゴウ、と手の中の火が大きく燃え盛る。

 

食人花たちは木々が立ち並ぶ中、なぎ倒しながら強行突破してきている。狭い空間を一丸となって攻めてきているのが仇となり、思うように進めていない様子だ。

 

その隙を見逃さず、ファーナムは先制攻撃を仕掛けた。

 

掌で燃え盛る火は勢いを増し、やがてそれは大きな炎へと変貌を遂げる。十分な大きさになった火球を、ファーナムは迷う事なく食人花の集団へと投げつけた。

 

「ふッ!」

 

まっすぐに飛んで行った炎球は木々の間をすり抜け、狙い通りに食人花たちへと着弾。そして、巨大な炎が炸裂した。

 

『『『 ギィアアアアアアアアアアアアアアアアァァッッ!!? 』』』

 

耳をつんざく金切り声。

 

ファーナムが放った炎の名称は『大火球』という。巨大な球体状の炎を生み出し、それを敵へと向かって投げつける。単純だが、それ故に強力な呪術だ。

 

出だしは上々。そう踏んだファーナムは次の呪術の行使に移る。

 

一方の食人花たち。先頭を進んでいた4体の内、2体が脱落し、もう2体は身体を焼かれる激痛にその場でのたうち回っていた。そんな同胞を乗り越え、新たな食人花たちがファーナムのいる場所へと向かう。

 

いよいよ両者の距離が詰まる。障害となっていた木々も全てなぎ倒され、食人花たちが一気に押し寄せてきた。

 

しかしファーナムは慌てることなく、兜の奥で双眸を見開き、ギリギリの瞬間を見極める。

 

(―――――今だ!!)

 

ファーナムは瞬時に横へ飛びのき、食人花との接触を回避した。そのままゴロゴロと地面を転がり、片膝立ちの恰好で元居た場所を振り返る。

 

小回りの利かない食人花たちは無理に体勢を変えようと試みるが、それは遅かった。彼らはすでに、ファーナムの仕掛けた罠にまんまと嵌まってしまったのだから。

 

『……ギ?』

 

一体の食人花が不思議そうに呻いた。そして―――――。

 

 

 

ドッッ!!と、先ほどの比ではない巨大な炎が、突っ込んできた食人花たちに襲い掛かった。

 

 

 

悲鳴を上げる食人花たちは、全身に燃え移った炎にもがき苦しんでいる。生きたまま全身を焼かれる苦痛を味わう敵の姿を前に、ファーナムはすっくとその場で立ち上がった。

 

「ふう……知性の低いモンスターで助かった」

 

そう独りごちるファーナムが行使した呪術、それは『漂う火球』だった。

 

対象がそれに触れると同時に爆発する特性を持ち、主に敵をおびき寄せて使用される呪術である。そんな地雷のような呪術は、今回の食人花のように知性の低い敵にこそ真価を発揮する。

 

うまく罠に嵌まってくれたおかげで、残った食人花の数はだいぶ減っていた。せいぜいが4,5体といったところであり、ファーナムは右手に携えた竜断の三日月斧を握りなおす。

 

ここから先は残党狩りだが、それでも気を抜くような愚は犯さない。地面を踏みしめ、ファーナムは一息で敵との距離を詰めた。

 

未だのたうち回っていた一体の食人花の身体を駆け上り、そのまま一気に頭部へと到達。そしてその頭に重たい一撃を叩き込む。

 

『ギャッ!?』

 

花弁を纏ったような頭部を半ばまで唐竹割りにし、その中にあった魔石を砕く。その身体が灰へと還る前に、ファーナムは別の食人花の身体へと飛び移った。

 

ファーナムが飛び乗った事を感じ取った食人花は、焼けただれた身体でめちゃくちゃに暴れ狂う。周囲にいる同胞を巻き込む形だが、そんな事などお構いなしといった様子だ。

 

「ぬぅ……っ!」

 

流石にこれには堪らず、しがみ付いていた手をパッと放す。空中へと放り出されたが、それしきで怯むファーナムではない。

 

空中で体勢を整え、両手で柄をしっかりと握る。眼下には暴れ狂う食人花がおり、無防備にその長大な身体を晒している。

 

そこを目掛け、ファーナムは大上段からの斬撃を見舞った。

 

「はぁあッ!!」

 

『ガァアアアァッ!!』

 

曲がりくねった身体を断ち切るような上空からの斬撃は、食人花の身体を複数に切断した。口腔内の魔石を破壊するまでもなく、深刻なダメージを受けた食人花はその場で絶命する。

 

ダンッ!と着地したファーナムは、森林地帯を横に見る形で残りの食人花たちと対峙しなおす。全ての個体が全身に火傷を負っているものの、すでに混乱からは解けていた。己を傷つけた怒りを隠しもせず、ガチガチと歯を打ち鳴らしている。

 

(残りは3体か。ここはあの時と同じように『誘い骸骨』を使って………)

 

ファーナムが残った食人花たちとの戦法を模索していた、その時であった。

 

 

 

 

 

『ォォオオオオオオッッ!!』

 

 

 

 

 

「!?」

 

視界の端からこちらへと急接近してくる何かを察知した。それは雄たけびを上げ、ファーナムの身体を両断する勢いで、その大きな得物を振り上げている。

 

ファーナムは咄嗟に竜断の三日月斧を使って防御する。しかし本来の使い方とは違うため、直接の斬撃は防げたものの、大きな衝撃を受けてしまう。

 

「ぐっ!」

 

喉の奥からせり上がった呻き声を漏らすも、何とか持ちこたえた。そして受けた衝撃を利用し、強襲してきた相手との距離を稼ぐ。

 

バックステップに似た動きで後方へと逃れたファーナムは、ここでようやく、強襲してきた者の姿を視界に捉えた。

 

「クソ……やはりか」

 

ファーナムはそう悪態をついた。現状、最も危惧していた事態が起こってしまったのだ。

 

『ウ゛ゥゥ……』

 

それはフードの奥の暗闇から呻き声を漏らし、振り抜いた大剣を肩に担ぐ。赤黒い身体はこの森林地帯には到底不釣り合いで、毒々しいまでの異彩を放っている。

 

喪失者。

 

形を成した災厄が、最悪のタイミングでファーナムへと対峙した。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十五話 視る愚者

リヴィラの街がモンスターの群れに襲われ始めた頃、ギルド本部の最奥で、二柱の神が対面していた。

 

一方はオラリオ最大規模のファミリアを誇る、道化じみた笑みを口の端に浮かべる女神ロキ。もう一方は、迷宮都市オラリオに君臨し、管理者としての姿勢を貫き続けるギルドの主神ウラノス。

 

このような状況になっているのは、ロキが半ば強引に、立ち入り禁止とされているギルド最奥のウラノスのいる場所へとやってきたのが原因である。彼女は尋問(まが)いの質問をウラノスへとぶつけるも、彫像のように(いかめ)しい顔の男神の本心までは分からなかった。

 

(ま、あの気色の悪いモンスターを手引きしとるのがウラノスやないっちゅうのは確かみたいやな。他はよう分からんけど)

 

それが分かっただけでも十分という事にして、踵を返して部屋を出ようとした彼女に、ウラノスが口を開いた。

 

「こちらからも一つ質問だ」

 

「あん?」

 

ポケットに手を突っ込んだまま、首だけ動かしてそう応えるロキに、ウラノスはこう続けた。

 

「最近、何か変わった事(・・・・・)はなかったか」

 

「………」

 

その質問にロキの瞳が僅かに開かれた。道化じみた笑みは消え失せ、ぞっとするような冷たい視線がウラノスへと注がれる。しかし彼は玉座に座ったまま、ピクリとも表情を変えなかった。

 

パチッ、と松明の火が弾ける。それ以外の明かりが存在しないこの空間では、ニ柱の神がかもし出す空気が異様に重く感じられる。もしもこの場に他の人物がいれば、息苦しささえ感じた事だろう。

 

しかし、そんな空気はロキの陽気な声できれいに霧散した。

 

「あー。そういやロイマンの奴、まーた太ったみたいやったなぁ。事務職やからってあんま甘やかしとったらアカンよ、ウラノス。アイツその内オークみたいになるで?」

 

「………そうか。引き留めて悪かったな」

 

「別に構へんよ。そんじゃ、お勤め頑張ってな」

 

ひらひらと手を振って、ロキは退室していった。

 

出口の階段を上っている間も、ウラノスからの視線をはっきりと背中に感じる。ロキは内心で舌打ちし、眉間にしわを刻んだ。

 

(……バレとる、か)

 

脳裏に浮かぶのは一人の男の姿。

 

甲冑姿でいる事が多く、ほとんど兜を外さない、最近【ロキ・ファミリア】に入団したその冒険者の正体を知る彼女は、知らずに唇を噛んでいた。

 

(どこまでや……どこまで勘付いとる?)

 

「神ロキ!ようやく戻られましたか!」

 

ギルド最奥から出てきたロキを出迎えたのは、ギルドの最高権力者であるロイマンだった。エルフらしからぬでっぷりと肥えた腹を揺らして近寄ってきた彼は、脂ぎった汗を流しつつロキへと話しかけた。

 

「今回はウラノスの許可が出たから良いものの、今後このような真似はくれぐれもお控え下さ……ッ!?」

 

今回のロキとウラノスの対面は異例も異例。万が一何かあれば最高権力者であるロイマンに全責任が回ってくる。自己保身の一心で、二度とこんな事はしないようにと注意していたロイマンの言葉が、不意に止まった。

 

原因は彼の前に立っているロキだ。

 

薄く開かれた双眸、眉間に寄ったしわ。普段の彼女のイメージとかけ離れ、まるで豹変したかのようなその表情に、俗世の欲に塗れた中年のエルフは棒立ちとなってしまう。

 

「……ん、あぁ。ロイマンか」

 

汗を流す石像と化した彼に、我に返ったロキが軽い調子で挨拶をする。ぽんぽんと肩を叩かれるも、ロイマンは反応する事ができない。

 

「いきなり押しかけて悪かったわ、ほんならな」

 

そんな彼を置き去りにして、ロキはギルドの出口へと足を進ませる。

 

この場所に来て分かった事と、新たに生まれた懸念を頭の片隅にとどめて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ファーナムが対峙するは、一体の闇霊(ダークレイス)と三匹の食人花。互いが互いの存在などは気にも留めていない様子で、その狙いをファーナムただ一人へと注いでいる。

 

(せめてモンスター共を片付けてから相手をしたかったのだが……仕方がない)

 

起こってしまった事態を嘆いても意味がない。ファーナムは武器を握る手に力を込める。そして左手の呪術の火と入れ替えに、『番兵の直剣』を手にした。

 

右手に斧、左手に直剣を備えたファーナムは腰を落とし、戦闘の構えに入る。その姿を目にした喪失者は大剣を両手に構え、食人花たちも唸り声と共に長大な身体をうねらせた。

 

そして……ファーナムが駆ける。

 

向かう先は喪失者のいる場所。10Mもない距離はあっという間に無くなり、二人の身体が肉薄する。

 

『オオァ!』

 

接近するファーナムを、喪失者は大剣の薙ぎ払いで迎撃した。しかしその刃はファーナムの身体を両断することなく空を切る。斬り付けられる直前に、ファーナムが前方へと転がって回避したからだ。

 

喪失者の攻撃を回避したファーナムは、その後方に控えていた三匹の食人花へと狙いを定める。ぎちぎちと歯を鳴らす醜いモンスターたちは、自らの懐へとやってきた敵へ、一もニもなく飛びついた。

 

『ギシャァァアアアアッ!!』

 

自身へ迫る三つの(あぎと)。ファーナムはその内の一つへと身を躍らせ、そして両手に構えた得物を身体の前で交差する。

 

「――ッ!」

 

『ッア゛!?』

 

ファーナムが飛び込んだ大口が閉じられるよりも早く、二振りの得物が振るわれた。描かれた剣筋通りに切り裂かれた食人花の口内は外側まで貫通し、そこから体液と血液に塗れたファーナムが飛び出してくる。

 

地面へと着地したファーナムは素早い動作で振り返った。

 

灰へと還る食人花と地面に激突する二匹の食人花。それらを飛び越え、今度は喪失者が襲い掛かる。

 

「っ!」

 

咄嗟に左手の直剣を振るう。しかし喪失者の持つ武器は大剣。武器の質量と跳躍によって加わった勢いに負け、ファーナムの身体は大きくぐらついてしまう。

 

そこで突如、ファーナムの視界がぶれた。

 

足が地面から離れるほどの衝撃。その勢いにファーナムの身体は弾き飛ばされ、近くにあった岩へと叩きつけられる。

 

「ぐっ!?」

 

呼吸が一瞬だけ止まるも、すぐさま体勢を整える。我が身を襲った衝撃の正体を探るべく視線を彷徨わせると、それは二匹の食人花で留まった。

 

ひどく爛れた全身は内部の繊維が剥き出しになっており、一部は炭化してしまっている。そんな瀕死の傷を負いながらも、二匹の食人花はファーナムへの憤怒を向けていた。

 

その正体は、最初に放った呪術『大火球』によってのたうち回っていた二匹の食人花。すっかり絶命していたと思われたこの二匹は、それでもしぶとく生き残っていたのだ。

 

「しぶといな……」

 

思わず毒づいたファーナム。そもそもこういった戦闘を、彼は得意としていない。

 

雑魚であっても囲まれれば無事でいられる保証はない。何度も死に、その中で得たファーナムの教訓である。敵が複数いればその分注意が散漫になり、防御も迎撃も後手に回ってしまう。

 

ましてや、今回の敵は長大な体躯を持つ食人花と喪失者。獣の如き暴走を見せるモンスターと、確かな剣技で襲い掛かる闇霊(ダークレイス)を同時に相手にするのは、やはり分が悪い。

 

チッ、と小さく舌打ちしたファーナムへ、食人花たちの追い打ちが迫る。

 

視界の正面と左側からやってくる食人花たちの攻撃。後先を考えない体当たりは、それだけで固い岩盤を粉砕するほどの威力がある。

 

それらを躱したファーナムは斧を振るい、手近な食人花の横っ腹へと見舞う。絶命させるには至らなかったが、それでも雷の力が付与された武器の一撃である。食人花は悲鳴を上げ、その場で悶え苦しんだ。

 

我先にと突っ込んだ食人花たちはその長躯で互いの動きを阻害し合っている。今が好機と踏んだファーナムであったが、そこへ喪失者の剣が迫る。

 

「!」

 

得物を両手で交差させ、喪失者の一撃を防ぐ。ガキィンッ!と甲高い金属音が響き、再び両者は肉薄した。

 

「ッ―――ふんッ!」

 

ぐぐっ、と腕に力を込め、思い切り押し返したファーナム。それによって鍔迫り合いに似た状態は崩れ、喪失者は跳躍して後方へと逃れる。

 

のたうつ食人花たちを間に挟む形で、ファーナムと喪失者を油断なく視界に収める。しかしまだ食人花たちも残っている以上、こちらも始末しなくてはいけない。

 

さて、どうするか。ファーナムがそう考えを巡らせようとした―――その時であった。

 

 

 

『ギィアアアアァァァアアアアアアアアアアアッッ!!?』

 

 

 

突如、食人花たちが悲鳴を上げた。何事かと横目で窺うと、そこには驚くべき光景が広がっていた。

 

「何……!?」

 

動けずにいた食人花たちが、別の食人花に喰らいつかれていたのだ。

 

その食人花の身体は崖の上から伸びており、いくつもの個体がひと固まりになっているかのように見える。その内に新たに複数の食人花たちが崖の上から姿を現し、大口を開けて接近してきた。

 

咄嗟の判断で横へと跳ぶファーナム。直後、食人花たちが降りてきた衝撃で大きな土煙が上がった。周囲の木々をまとめてなぎ倒し、木っ端と粉塵が舞い上がり、喪失者の姿も隠れてしまうほどの悪視界が広がる。

 

(かろ)うじて見える食人花たちは、同族を喰らう事に夢中のようだった。ファーナムに気が付いている様子はなく、一心不乱に咀嚼を続けている。続けて喪失者の姿を探すが、倒された木々に邪魔されてよく見えなかった。

 

一体何が起こっているのか。ファーナムは食人花たちが現れた崖の上を見上げる。

 

恐らくはリヴィラの街の中心部であろうその場所には、崖の下にいるファーナムでも確認できるくらいの大きな影があった。食人花の長躯が幾重にも折り重なり、巨大なドーム状になっているとでも言えば良いか、そんな奇妙な姿をしていた。

 

それは大きく蠕動し、蠢く。やがて一部分が(こぶ)のように膨らむと、そこから一気に変異が広がっていった。

 

『ァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!』

 

耳障りな絶叫は生まれ出でた女体型から発せられたものだった。ファーナムとアイズが50階層で撃破した芋虫の変異種に酷似したモンスターが、このリヴィラの街に醜い産声を轟かせる。

 

「あの見た目……以前に倒したモンスターの近縁種か」

 

腕や下半身に違いは見られるが、全体的な構造は似ているそのモンスターに、ファーナムはそう結論付ける。そして同胞に喰らいついたのは、この変異(・・)を迎えるためだったとも。

 

その時。なぎ倒された木々の一部が、破砕音と共に吹き飛んだ。ファーナムが視線を向けると、ちょうど喪失者が立ち上がる姿が見えた。

 

どうやら一時的に身動きが取れなかったようだが、特にダメージを受けている様子はない。漆黒の闇が広がるフードの奥から注がれる視線は冷たく、べったりとファーナムを捉えている。

 

喪失者の姿にファーナムは驚かない。彼らのしつこさとしぶとさは身をもって知っているし、この程度でやられるとも思っていなかったからだ。

 

(街にはフィンたちがいる。ここは彼らに任せるのが良いだろう)

 

ファーナムは両手の得物を握り直す。散乱する木片などで足場が悪くはなったが、敵は目の前の喪失者のみ。先ほどよりもよっぽどやりやすい条件だ。

 

『ゥウ゛ウ゛……』

 

唸り声をあげる喪失者は大剣を両手で握り、戦闘の構えを取る。呼応するようにファーナムは斧と直剣を胸の前で交差させ、腰を僅かに落とし身構える。

 

そして……激しい剣戟が木霊した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

リヴィラの街より離れた場所にある森林地帯、その一角。

 

そびえ立つ木々の中でも一際(ひときわ)大きな一本の巨木の頂上に、黒いローブをはためかせる人影があった。

 

その正体はかつて『賢者の石』の生成にただ一人成功した、人類史上最高の英知を誇る魔術師(メイジ)……その成れの果て(・・・・・)である。

 

かつて賢者と呼ばれた彼は現在、自らを愚者(フェルズ)と名乗り、ウラノスの右腕として動いている。今回もその例に漏れずウラノスが感じ取ったダンジョンの異変の調査に赴いた訳なのだが、そこには予想外の光景が広がっていた。

 

暴れ回る未知のモンスター。半壊したリヴィラの街。逃げ惑う人々の声に交じり、新たな破壊の音色が奏でられてゆく。安全階層(セーフティポイント)として知られている姿はすでに消え失せ、凄惨な戦場としての姿がそこにはあった。

 

「あの赤黒い人影の跡をつけてみれば、まさかこんな事になっているとは……!」

 

焦燥を孕んだ呟きを落としつつ、フェルズはどうするべきか思案する。

 

未知のモンスター……無数の触手が寄り集まったかのような下半身を持つ女体型のモンスターには、【ロキ・ファミリア】の精鋭たちが張り付いている。若干手こずっている様子だが、彼らの連携があれば問題はないだろう。少し離れた場所にいる金髪金眼の少女は赤髪の女と交戦しており、魔力の風を纏いながら街中を縦横無尽に駆け巡っている。とてもではないが介入できそうな余地はない。

 

となれば、向かうべき先はただ一つ。

 

「彼が以前にウラノスが言っていた、“謎の存在”という奴か」

 

フェルズは手のひらに収められた水晶に視線を落とす。そこには赤黒い人影と戦う甲冑姿の男の姿が映っていた。その映像は、自身の使い魔である梟からもたらされたものだ。

 

片眼に水晶の義眼をはめ込まれた使い魔は森林地帯を旋回し、その戦いの様子をもう一方の水晶へと送り続けている。自身が考案、作成した眼晶(オクルス)という魔道具(マジックアイテム)を駆使して状況を把握したフェルズは覚悟を決め、目指すべき場所を定める。

 

「彼の正体が何であれ……“あれ”を看過する訳にはいかないな」

 

バサッ、と懐から取り出したマントを翻すと同時に姿がかき消える。完全に風景の中に溶け込んだ黒衣の魔術師(メイジ)は、一直線に目的地へと向かっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『オオァア!!』

 

「ふッ!」

 

迫る大剣の一薙ぎを斧で弾き、その勢いに乗って直剣を振るう。しかしそれを見越していたかの如く、僅かに身体をずらしただけで回避して見せる。

 

互いにけん制、受け流し、反撃を繰り返しながら、ファーナムと喪失者は森の中を駆けていた。当初に戦っていた場所からはだいぶ離れており、現在は森林地帯の端の方まで来ている。

 

街の方から激しい戦闘音が響き渡ってくるが、それを気にしている暇は今のファーナムにはない。それほどに喪失者との戦闘は苛烈だった。

 

大振りの攻撃の中にはこちらの油断を誘うためのものもあり、すかさず虚を突いた一撃を見舞ってくる事もあった。その度にファーナムはそれらの攻撃を斧と直剣で防ぐものの、攻め切れていないのが現状である。

 

「ッ!」

 

ファーナムが喪失者の顔面目掛けて直剣を突き出す。吸い込まれるような一突きは、しかし喪失者の斬り上げによって阻まれてしまう。

 

直後に右手の斧を振るうも、今度は振り下ろした大剣で防がれる。眩い紫電が駆け巡り、弾き飛ばされるようにして両者は後方へと跳んだ。

 

『グゥゥ……!』

 

苛立ちを滲ませた唸り声を漏らす喪失者。攻め切れないのはあちらも同じなのか、機を窺っている様子でファーナムの方をじっと見ている。ファーナムも同じように、喪失者の僅かな動きも見逃すまいとする。

 

兜の内側にこもる汗と熱気を鬱陶しく感じながらも、頭の中は冷静だった。

 

喪失者とは自我を持たない形を成した災厄のような存在、しかしそれは元を辿れば、ファーナムと同じ不死人である。それまでに培ってきた技術、膂力は間違いなく本物で、だからこそ厄介極まりない。

 

(決して諦めずに、どちらかが殺されるまで戦い続ける……全く、度し難いにもほどがある)

 

ふう、と、肺に溜まった息を吐き出す。

 

そして、一歩間違えれば自身も辿っていたかも知れないその末路(てき)へと向かって―――ファーナムは駆け出した。

 

喪失者は即座に反応した。真正面から向かってくるファーナムを逆に斬り伏せんと、同じく地を蹴る。

 

肉薄する両者。喪失者は大剣を頭上で構え、ファーナムは左手の直剣を水平に振りかぶる。二つの刀身はまるで惹かれ合うかのように急接近した。

 

そして、衝突。

 

飛び散る火花。振り切られる大剣。空を舞う直剣。喪失者が勝ち誇ったかのように視線をファーナムへと伸ばし―――驚愕したかのように、赤黒い身体を硬直させる。

 

『!?』

 

得物を失ったはずのファーナムの左手。そこには別の物が握られていた。

 

木製の柄に、先端部分には水晶を取り付けたような見た目のそれは、かつてフィリア祭の一件でファーナムがレフィーヤに貸し与えた杖である。

 

アマナの杖。その先端にある水晶は青白く輝き、光が収束してゆく。その輝きが極限まで高まった瞬間、身の丈以上の長さの刀身が現れた。

 

反射的に大剣で防御の構えをとる喪失者だったが、それは悪手であった。多少はダメージを軽減できるだろうが、そもそも物理的な威力などは無いからだ。

 

特大剣を凌駕するその刀身の正体は、『ソウルの大剣』。発生させたソウルを大剣のようにして敵に向かって斬り付ける、魔術らしからぬ魔術であった。

 

『ガッッ!?』

 

その一閃は魔術防御力を有しない大剣の防御を貫通し、喪失者に確かなダメージを与えた。畳みかけるように、ファーナムは斧による追撃を加える。

 

ドッ!と、振るった斧が喪失者の肩を抉る。鎧を貫通し、刀身が半ば埋まるほどの威力に加え、雷撃が体内を駆け抜ける。苦し紛れに大剣を振るうも、ファーナムは難なくその攻撃を避けた。

 

更に『ソウルの大剣』を一閃。今度はまともに食らい、その威力に喪失者の体勢が崩れる。好機を確信したファーナムは、アマナの杖から『炎のロングソード』へと持ち直した。

 

「おおおおおおおおおおおっ!!」

 

『ガッ、ギィイ……ッ!!』

 

縦に、横に、斜めに。刻まれる斬撃は炎と雷を伴って喪失者の身体を焼き焦がした。防ぐ間も与えないとはこの事とばかりに、息もつかさぬ怒涛の連撃を見舞い続ける。

 

やがて喪失者の身体がぐらりと大きく傾いた。この機を逃すまいとファーナムは力強く踏み込み、渾身の一撃を繰り出す。腰の回転を加えた斧による斬撃は、喪失者の首を落とすべくまっすぐ振るわれ―――――。

 

『ガアアァァァアアアアアアアアアアアアッッ!!!』

 

凶獣じみた咆哮と共に弾かれた。

 

「ッ!!」

 

ガアァンッ!という金属音が鳴り響き、斧は描いていた軌跡を外れる。渾身の力で振るわれた一撃は、同じくなけなしの力が込められた喪失者の斬り上げによって阻まれた。斧を取りこぼす事はなかったものの、渾身の一撃を弾かれたファーナムは大きな隙を見せてしまう。

 

斬り上げた勢いのままに、喪失者はすでに大上段の恰好になっていた。持っている力の全てを出し切れる、単純かつ強力な構えだ。

 

対するファーナムは迎撃しようにも体勢が崩れすぎている。たとえロングソードを身体の前に滑り込ませても、振り下ろされる大剣は関係なく彼の身体を斬り裂くであろう。

 

(まずい……!)

 

間もなく振り下ろされるであろう大剣を握る喪失者。そのローブに隠れた顔に凶笑が浮かぶのを幻視したファーナムが、一か八かロングソードを振るおうとした……その瞬間。

 

 

 

ドッッ!!という爆音が、喪失者の背中から轟いた。

 

 

 

『オ゛ァ!?』

 

「!?」

 

喪失者とファーナムの驚愕が重なる。喪失者は突如として襲い掛かった背中の衝撃に、ファーナムは思わぬ援護射撃に対してだ。普通であれば意識の外からの攻撃に対し、振り返ったりといった反応をするだろう。

 

しかし、その程度の事で止まる喪失者ではない。ソウルに対する凄まじい執念は、受けたダメージの元凶を探すより事よりも、目の前のファーナムを仕留める事を選択。振りかぶっていた大剣を一気に振り下ろす。

 

……が。

 

ファーナムの剣は、その時にはすでに動いていた。

 

『―――――ッ!!』

 

喪失者の大剣の切っ先はファーナムの胴体を深く斬り裂き。

 

ファーナムのロングソードは、喪失者の両腕を斬り飛ばした。

 

声にならない絶叫を上げる闇霊(ダークレイス)に向け、不死人(ファーナム)は斧を振り上げる。かつて幾度となく繰り返してきた死闘の幕引きに既視感を覚えつつ、ファーナムは両足で地面を踏みしめ、そして―――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

地面に赤黒い頭が落ちる光景を、フェルズは少し離れた場所から見ていた。

 

切断面からは霧のようなものを放出していたが、やがて泣き別れた胴体もろとも虚空へと溶けていった。その内から一筋の光が飛び出し、それは甲冑姿の男へと向かってゆく。

 

それを当たり前のように迎え入れた男は、腰のポーチから光り輝く治癒薬(ポーション)らしきものを一口煽った。万能薬(エリクサー)であっても複数本必要とする深手は、たったそれだけで塞がってしまう。

 

その事実に瞠目するフェルズであったが、ここでふと、男の視線が自分のいる方向へと向けられているのを感じ取った。

 

「……っ」

 

流れるはずのない冷や汗をその背に感じたフェルズは、その場で微動だにせず立ち尽くす。

 

ほんの数秒が何倍にも凝縮されて感じられる。未だ戦闘が続いているリヴィラの街を差し置いての沈黙は、男の言葉によって破られた。

 

「………何者かは知らんが、礼を言う」

 

言うや否や、男は踵を返して走り出す。行き先は十中八九、リヴィラの街であろう。フェルズは『透明状態(インビジビリティ)』となる魔道具(マジックアイテム)『リバース・ヴェール』を脱ぎ去り、そして頭部を覆っているフードを剥ぎ取った。

 

「何者かは知らん、か……まったく、こちらの台詞(せりふ)だよ」

 

天井に張り付く水晶が反射させる薄明かりに素顔を……肉が剥がれ落ち、白骨の髑髏を晒したフェルズは、そう独りごちた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十六話 募る疑念

「便利な風だ」

 

「くっ……ッ!?」

 

魔力の風を纏ったアイズと赤髪の女が、《デスぺレート》と長剣とをぶつけ合う。その度に鋭い金属音とともに火花が飛び散り、それらを置き去りにして両者は地を蹴り戦場を駆け巡る。

 

驚くべき事にこの赤髪の女は、アイズのスピードに付いてきていた。それどころかアイズの凄まじい剣技を難なく防ぎ、逆に攻めてさえいる。

 

やがて女は素手でアイズの風の鎧を殴り飛ばし、強制的に隙を作り出す。振り上げた長剣が風を纏ったアイズの《デスぺレート》とぶつかり合い、凄まじい衝撃がアイズの身体を駆け抜けた。

 

その衝撃はアイズを遥か後方まで吹き飛ばす。愛剣が手から離れるほどの威力の前に、彼女はなす(すべ)がなかった。

 

すでに半壊した宿屋の残骸にぶち当たり、ようやく勢いが止んだアイズの身体。震える肩に力を入れてどうにか上体を起こした彼女は、その視界の端に血のように赤い髪を見る。

 

「終わりだな」

 

いつの間に接近していたのか。何の感慨もなさそうに、女はそう言った。

 

武器であるモンスターのドロップアイテムと思しき歪な形の長剣は砕けており、それを放り投げる。至近距離で見下ろす女の目は冷え切っており、アイズは得も言われぬ焦燥に駆られる。

 

「……ッ!」

 

「一緒に来てもらうぞ、『アリア』」

 

その緑色を細め、動けないアイズへと手を伸ばす。愛剣は弾かれ、逃げることも叶わないアイズはせめてもの抵抗に、自身へと向けられた手のひらを睨みつける。

 

伸ばされた手がアイズに触れる―――かに思われた、その瞬間。

 

ガッ!!と、女の立っていた地面に巨大な矢が突き刺さった。

 

「!?」

 

「ちっ!!」

 

盛大に舌打ちし、赤髪の女はその場からの離脱を余儀なくされる。驚きに目を見開くアイズを残して後方へと跳び距離を稼いだ女は、矢が飛んできた方向へと視線を飛ばす。

 

しかしその姿を確認することはできなかった。それよりも早く、続く第二撃が女を襲ったからだ。

 

「!?」

 

ダダダッ!と響く三発の連射音。放射状の軌跡を描いて飛んできたそれを、女は紙一重で躱すも、その内の一発が肩を掠めた。その箇所から小さな紫電が迸り、女の顔が驚愕に歪む。

 

さらに後方へと逃れた女。それと入れ替わりになるようにしてフィンとリヴェリアがやってきた。リヴェリアはアイズに近寄ると、すぐさま彼女の傷を癒しにかかる。

 

「フィン、リヴェリア……」

 

「すまないアイズ、少し遅れてしまった」

 

「礼なら彼に言ってくれ。僕らよりも先に動いてくれたからね」

 

リヴェリアの治癒魔法の光をその身に受けながら、アイズはフィンの言葉にその顔を動かす。

 

そこには崩れ、廃墟となった宿屋の瓦礫が散乱する地面に立つファーナムの姿があった。手にはアイズが彼と初めて会った時の物とは別の、変わった形のクロスボウが握られていた。

 

ファーナムはアイズを見ていない。その視線の先は、先ほど彼が退けた赤髪の女へと向けられていた。油断なく相手を見据える姿に、アイズはファーナムの名前を呼ぶことも出来ない。

 

やがてレフィーヤもやって来て、治療を受けているアイズの元へと膝をついた。援軍の登場によって一気に形勢を逆転されてしまう赤髪の女。しかし、女に諦める様子はない。

 

その意志を感じ取ったのか、フィンは女へと語りかける。

 

「さて、君が今回の襲撃事件、及びハシャーナ殺害の犯人だね?」

 

「だったらどうした」

 

「武器を捨てて投降しろ。一応警告しておくけれど、大人しくした方が身のためだ」

 

「素直に従うとでも?」

 

「いいや、思ってはいないさ。だから……無理矢理にでも連れて行く」

 

言うや否や。ダンッ!と地を蹴るフィン。

 

地面すれすれを滑空するかのようにして近付いたフィンは、手にしていた槍を突き出す。女は拳を振るって応戦し、それを更にフィンが躱して反撃(カウンター)を見舞う。

 

Lv.6の小人(パルゥム)の雄姿を横目に、ファーナムもまた戦闘態勢に移る。手にしていた武器『アヴェリン』を仕舞い取り出したのは、またしても奇妙なものだった。

 

人のものではない。しかし人に似た獣の骨をそのまま武器に転用したかのようなその武器の名称は『骨の拳』。装備した者に異形の力をもたらすという、いわく付きの代物だ。

 

それをファーナムは己の両拳に纏う。途端に身体の奥底から、獣じみた闘争心が沸き上がってくる。

 

「フゥゥ……!」

 

熱気を帯びた吐息を吐き出し、兜の奥から女へと照準を合わせる。

 

そして……ファーナムの立っていた地面が、爆ぜた(・・・)

 

踏み込んだ地面が爆散するほどの脚力に、赤髪の女の注意がそれる。その隙を見逃すハズも無く、フィンは槍を勢いよく振るう。自身の眼前にまで槍の柄が迫るも、女は咄嗟の判断でそれを掴んだ。

 

「調子にッ……!?」

 

忌々しそうにフィンを睨んだ女であったが、またしてもその目を驚愕に染めた。なんとフィンは手にしていた槍を手放し、あっさりとその身を引いたのだ。

 

(デコイ)!)

 

気が付いた時にはもう遅かった。

 

ファーナムは槍で片手が塞がった女の懐に潜り込み、渾身の右拳を繰り出す。

 

「ぐッ!?」

 

間一髪で空いた腕を滑り込ませるも、振るわれた拳は女の籠手を粉砕した。装甲を壊された女は僅かに呻き声を漏らすも、反撃とばかりにフィンから奪った槍を構え、穂先をファーナムへと突き出す。

 

「舐め―――るなぁ!!」

 

苛立ちと共に振るわれた槍はまっすぐにファーナムの顔面へと向かう。

 

並みの上級冒険者であっても躱せるか怪しいその一撃を、ファーナムは左手だけで弾いた。

 

「ッ!!」

 

手の甲で払うかのようにして弾き、軌道を強引に曲げる。盾で行われる“パリング”という動作を拳のみでやってのけたファーナムに、女の目が大きく見開かれた。

 

槍を弾かれた女は両手を投げ出した格好で体勢を崩す。無防備となったその胴体を見据えながらファーナムは地面を踏みしめ、同時に腕を引いて拳を固める。

 

そして、

 

「ふんッッ!!」

 

放たれた拳。衝撃波すら感じるほどの力がこもった拳は、女の無防備な腹部を深く抉った。

 

「がっ―――――ッ!?」

 

くの字に折れる女の身体。勢いはそれだけに留まらず、数十M後方まで吹き飛ばされる。焼け落ちた宿屋の瓦礫を破壊しながら視界から消えゆく女の姿に、近くで見ていたアイズとレフィーヤは息を呑む。

 

拳を放った姿勢を解いたファーナムの元にフィンが近付いてゆく。彼は苦笑いにも似た表情を浮かべ、腰に手を当てつつ口を開いた。

 

「すごいな。まるで猛獣のような迫力だ」

 

「あながち間違ってはいない」

 

「?」

 

ファーナムはこきりと首を鳴らしてフィンに言葉を返し、そして女が吹き飛んでいった方向へと目を向ける。

 

視線の先の女は吐血しながらも、すでに立ち上がっていた。仕留めるとまではいかないまでも、すぐに立ち上がれるほど手加減した覚えはない。ファーナムは目の前にいる敵への認識を改める。

 

一方の女は腹部を押さえて立ち上がり、ファーナムとフィンを睨む。垂れた前髪の隙間から窺える女の表情は怒りの様相を呈していた。

 

「この威力……Lv5、いや、Lv6はあるか」

 

ペッ、と血の塊を吐き出した女はポツリとそう零し、そして。

 

「……分が悪いか」

 

そのままあっさりと、踵を返して逃走を開始した。

 

敵の思わぬ後退に、フィンとファーナムは即座に地を蹴った。半ば回復したアイズとリヴェリアも飛び出し、女の追跡に繰り出す。

 

が、しかし。

 

食人花(ヴィオラス)!!」

 

女の口から、何者かへの命令が飛んだ。

 

その直後。どこに隠れていたのか、十体もの食人花が這い出てきた。瓦礫と化した宿の残骸をなぎ倒し、ファーナムたちへと大口を開けて襲い掛かる。

 

『アアアアアアアアアアアァァアアアッ!!』

 

先頭を切っていたフィンとファーナムに真っ先に飛びつく食人花たち。数匹の食人花は小柄なフィンに狙いを付け、丸呑みにしてやろうと殺到する。

 

が、それが運の尽きであった。

 

武器が無いとはいえ、フィンはオラリオを代表するLv6の冒険者。歴戦の勇者はその小柄な体躯を活かして食人花たちの隙間をすり抜け、すれ違いざまに回し蹴りを振るう。

 

「ふっ!」

 

『ギィアッッ!?』

 

硬い体皮をものともしない強烈な蹴りが突き刺さり、食人花たちはひとまとめになって吹き飛ばされてゆく。

 

飛んできた食人花たちをアイズの剣が細切れにし、周囲に輪切りとなった亡骸をばら撒いてゆく。アイズはそんなものには目もくれずに、逃走した赤髪の女を追いかける。

 

「アイズさん!?」

 

「惚けるな、レフィーヤ!」

 

悲痛な叫びを上げるレフィーヤに、リヴェリアの鋭い声が突き刺さる。素早く彼女の前へと移動したリヴェリアは防御魔法を展開した。

 

次の瞬間、レフィーヤに牙を剥いていた食人花がリヴェリアの防壁にぶち当たる。しかし彼女を守るために発動させた魔法を察知し、その場にいた食人花たちが一斉に二人に反応してしまう。

 

「くっ……!」

 

一匹ならば問題なく防げる防壁も、残りの食人花がまとめて突進してくれば耐えきれるかどうか。形の良い眉を歪ませるリヴェリアのもとに、フィンは即座に駆け出した。

 

「ファーナムッ!」

 

「ああ、使え!」

 

最低限のやり取りだけでフィンの要求を受け取ったファーナムは、自身も走りながらソウルから新たな武器を取り出す。羽のような「かえし」が特徴的な槍『ウィングドスピア』を、並走するフィンへと投げ渡す。

 

Lv6の冒険者の力に耐えられるかどうかは分からないが、それでも楔石で最低限強化されている。多少荒っぽく使っても、すぐに壊れたりはしないだろう。

 

フィンは受け取った武器を手に、群れる食人花たちの前に躍り出た。魔力に気を取られていた一匹をウィングドスピアが抉り、そのまま口腔内の魔石を穿つ。

 

同胞の異変を感じた食人花たちは後ろを振り返るも、今度は別の襲撃者の存在を察知した。その姿を正確に捉える前に、強烈な跳び蹴りが食人花の胴へと叩き込まれる。

 

『ゲェッッ!?』

 

轢き潰されたカエルを彷彿とさせる叫びを上げる食人花。その頭部に着地したファーナムは開かれた上顎を両腕で抱えるようにして引っ掴み、そのまま力任せに()()()()()

 

『ガッ、ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!?』

 

傷口から気色の悪い液体を噴出させた食人花は口腔内の魔石ごと上顎を失った。その長駆が灰になるよりも早くファーナムはそこから飛び降り、目についた片端から拳を見舞う。

 

瞬く間に駆逐されてゆく食人花たちは為す術がない。カマイタチのように槍を操るフィンに近付けば一瞬で斬り刻まれ、それに浮足立てばファーナムの剛拳が後方から襲い掛かってくる。明らかに詰みだった。

 

しかし何が起きるか分からないのがダンジョンだ。追い詰められた最後の食人花は、捨て身の体当たりをフィンへとぶつける。灰へと還る千切れた同胞の亡骸を盾に、決死行に出たのだ。

 

その長躯に浅くはない傷を負うも、奇跡的に食人花はフィンの隣をすり抜けた。出血と絶叫をふり撒きながら向かう先には、拳を振りぬいた格好のファーナムがいる。他の個体を倒した直後だったのだろう。彼は自分に接近してくる食人花の存在に、首だけを回して反応していた。

 

「ファーナムさんッ!」

 

切迫した声がレフィーヤの喉から発せられた。

 

ファーナムが自分よりもずっと強い事は当然知っている。あの程度の奇襲など、まるで問題にもならないだろう。それでも叫んだのは彼女の強い仲間意識の表れに他ならない。

 

 

 

そんな彼女の確信通り、ファーナムは素早く行動に移った。しかしそれはレフィーヤの、否、フィンとリヴェリアでさえも予想していなかったものであった。

 

 

 

向かい来る食人花へと身体を向け、ダンッ!と力強く地を踏みしめる。同時に両拳に纏った武具が青く発光する。

 

中腰の姿勢で両拳を引き合わせた瞬間に光は収束し、それを思い切り前方へと突き出す。瞬間、眩い光の巨弾が発射(・・)された。

 

まさかの魔術攻撃。

 

アイズのように魔力を武器に込めるのではなく、魔導士の詠唱する『魔法』のように相手に直接ぶつける。典型的な前衛タイプと思っていたファーナムの予想外の攻撃に、誰もが目を見開いていた。

 

魔力の巨弾は食人花にぶち当たり、その長躯はバラバラに四散。悲鳴すら上げられず、魔石ごと粉々に粉砕された無残な骸が周囲に降り注がれる。

 

「―――ッ、アイズ!」

 

非常識な光景に呆然としていたリヴェリアが弾かれたように動いた。場所は言うまでもない、赤髪の女を追いかけたアイズの元だ。フィンとファーナム、そして一拍遅れて我に返ったレフィーヤも同様に動き出す。

 

地を駆ける四人の冒険者たち。先陣を切るのは並走するフィンとファーナムだ。

 

そのフィンの碧眼は、隣を走る兜で覆われた横顔を一瞥していた。

 

 

 

 

 

結果から言って、アイズたちは赤髪の女を取り逃がした。

 

アイズがあと少しの所まで迫ったものの、女は湖へと飛び込んで逃れたのだ。崖の下に広がる巨大な湖は深さも相当のもので、一度姿を見失えば見つける事は至難の業であった。

 

「なんて奴だ……」

 

「とても正気とは思えんな」

 

リヴェリアの呟きにファーナムの声が重ねられた。

 

二人の声を背に受けながら、アイズは悔しそうな表情で湖を見つめる。深い青に染まった水面は、不気味に揺らめき続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………」

 

そんな彼らを見下ろす者がいた。

 

全身を黒いローブで覆った人物は、18階層でも特に高い場所にいた。フェルズと同じような恰好をしているが、纏っている空気はまるで異なる。

 

冒険者にしては異様に過ぎ、神にしては異質に過ぎる。そんな印象を抱かざるを得ない人物は、やがて踵を返してその場から立ち去っていった。

 

「……王に報告せねば」

 

ローブの下の金属同士が擦れる音と共に、そんな呟きを残して。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『リヴィラの街』襲撃事件から二日後。

 

地上に戻りギルドで詳しい報告を終えたフィンたちは、一度本拠(ホーム)へと帰る事にした。イレギュラーに見舞われた事もあって不足した治癒薬(ポーション)などの備品の補給のためである。

 

アイズたちに一晩休養を取るように命じたフィンは、自室にリヴェリアとファーナムを呼んだ。今回の事件について整理するためだ。副団長のリヴェリアはもちろんであるが、最近入団したファーナムも呼ばれたのには訳があった。

 

「それじゃあ、その時は特に変わった素振りはなかったんだね」

 

「ああ。ハシャーナも警戒はしていない様子だった」

 

その言葉を静かに吟味するフィン。

 

ファーナムが呼ばれた理由、それはハシャーナを最後に目撃したからだ。

 

浮ついていたという宿屋の獣人の青年の証言からも何かを口走ってはいないかと思ったが、その当ては外れた。赤髪の女もその時は怪しい素振りを見せなかったとの事だった。

 

「特に新しい事は分からない、か」

 

「ンー。まぁ仕方がないさ、今回の事は完全にイレギュラーだった。極彩色の魔石を持つモンスターに、それを調教(テイム)する赤髪の女。そしてアイズとレフィーヤが見たという宝玉……」

 

「モンスターに寄生して進化を促す。51階層で見た女体型の芋虫と、今回のものもその宝玉が関わっているという事か?」

 

「恐らくはね」

 

顎に手を当てて眉を顰めるリヴェリアに、フィンは今回の出来事をざっと整理する。

 

ティオナとティオネが倒したモンスターの特徴から、過去に交戦した女体型の芋虫も同様の過程を経てあの姿になったのだろうというファーナムは推測し、フィンもそれを肯定した。

 

分かった事は色々と多いが、新たに出た疑問の方が多い。ここで考えていても埒が明かないと判断したフィンは顔を上げ、リヴェリアとファーナムを見る。

 

「今日はもう遅いし解散にしよう。明日からアイズたちはまたダンジョンに潜るし、僕もそれに同伴するつもりだけど、二人はどうする?」

 

「私も共に行こう」

 

その問いかけに対し、リヴェリアは即答した。元々一緒にダンジョンに赴いたので、当然と言えば当然であろう。

 

「ファーナム、君はどうする?」

 

「そうだな……いや、俺は遠慮しておこう」

 

少し調べたい事が出来たと言うファーナムを、フィンは止めなかった。

 

が、最後に質問だけはした。

 

「あの赤黒い人影……あれについて、聞いても良いかな?」

 

「………」

 

「リヴェリアから聞いたよ。君はあれを“奴ら”と言っていた、と。という事は、ああいった奴がまだいるという事だ」

 

「………」

 

「無理に全て話せとは言わない。けれど仮に僕たちが戦闘になった場合、情報は多い方がいい」

 

「……詳しくはまだ言えん。だが奴らは手強い相手だ。今回俺が戦ったのは、最低でもLv5相当の実力はあるだろう」

 

赤黒い人影……喪失者について現状語れる情報、脅威の度合いについてファーナムは語る。その言葉にフィンとリヴェリアは驚愕の表情を見せた。

 

Lv5相当の実力を持つ正体不明の敵。それがいかに危険な存在なのかは言うまでもない。

 

「敵の武器や戦術は」

 

「大剣か大鎌の二種類だ。基本的に接近戦だが、大鎌はリーチが長く軌道も予測しづらい。警戒するとすればこの大鎌持ちだな」

 

「なるほど……」

 

納得したように頷くフィン。

 

鎌のような武器も無いことはないが、剣や槍のように扱えるものではない。見た目で恐怖心を煽るのも特徴の一つだが、モンスター相手には効果は期待しない方がいい。

 

しかし上手く使えば、構えた盾の横から滑り込むような斬撃を見舞う事も可能だ。わざわざ扱いづらい武器を使う反面、使いこなされれば非常にやりづらい。

 

「今はこれだけしか……」

 

「いや、それだけ分かれば十分さ。少なくとも初見で後れを取ることはないだろう」

 

「……すまない」

 

気持ちの整理がついたらまた詳しく教えてくれ。そう言ってフィンはファーナムを部屋へと帰らせた。

 

後に残ったのはリヴェリアのみとなった。彼女は足音が遠のいてゆくのを確認し、部屋の主であるフィンへと視線を滑らせて単刀直入に切り出す。

 

「ファーナムを疑っているのか?」

 

「まさか。彼が(よこしま)な考えを持っていない事は、これまでの行動ですでに証明されている」

 

鋭い視線とともに問われた内容に対し、フィンは笑みを浮かべて即答した。

 

しかし、と区切り、フィンはこうも言う。

 

「僕たちは彼について多くの事を未だに知らない。どこの出身なのか、以前にいたファミリアについて、彼の持つ多彩な武器はどこで手に入れたものなのか」

 

「クァトという神はロキの友神(ゆうじん)らしいが……」

 

「本当にそうかな」

 

「なに?」

 

唐突なフィンの言葉に、リヴェリアの眉がピクリと動いた。フィンは彼女の顔を見ることもなく、床を見下ろしながら思案に耽る。

 

「クァトという神を僕たちは知らない。それはオラリオにいる数多の神々全員の名前を知っている訳ではないけど、それでもファーナムほどの実力者がいたファミリアが全くの無名だったなんて、やっぱりおかしい」

 

「ロキが我々に嘘をついていると言うのか。本当は別のファミリアの出身であるとか……」

 

「もっと言えば“クァト”という神は本当にいるのか、というのが僕の本音だ」

 

「………」

 

想像の域を出ないとはいえ、フィンの語るあまりに突飛な内容に閉口してしまう。一笑に付せないのは、その言葉を口にした人物の事をよく理解しているが故であった。

 

思いつきや決めつけでこんな事は言わない小人(パルゥム)の団長に、王族(ハイエルフ)の副団長は神妙な顔で尋ねる。

 

「それで、どうするつもりだ」

 

「そうだね、ひとまずは僕の方で色々と調べてみるよ。君はガレスにもこの事を伝えて、何か分かれば知らせてほしい」

 

「分かった。ロキには尋ねてみるか」

 

「いいや。彼女も普段はあんなだけど立派な神格者(じんかくしゃ)だ。何か考えがあるかも知れないし、直接聞くのは最後だ」

 

ひとまずは様子見。それがフィンの出した結論だ。

 

ファーナムのこれまでの態度とロキの様子からして、切迫した状況ではないとの判断を下す。入団した仲間をむやみに疑いたくないという感情も含まれていたが、それも加味しての決断だった。

 

 

 

 

 

「……」

 

その会話をファーナムは離れた廊下で耳にしていた。

 

刻まれた恩恵(ファルナ)によって鋭敏化された聴力で耳をすませていた彼は、薄暗い廊下を明かりもつけずに歩いてゆく。

 

(………俺は………)

 

窓から入る淡い月明かりに横顔を照らされながら、彼は葛藤を胸中へと仕舞い込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

男は変わらずそこにいた。

 

果てしなく続く闇。そこに鎮座する篝火の前に。

 

胡坐をかく男の背後に、ローブ姿の人物が現れる。男はピクリとも動かず、口だけを動かした。

 

「……なんだ」

 

「王よ……不死人を見つけました」

 

「………“オラリオ”。件の迷宮都市で、か」

 

「は、恐らくは我らより後世の不死人かと」

 

「そうか……」

 

小さく頷いた男は、その身体を起こし始めた。

 

その場に立ち上がった男は篝火に手をかざす。途端にごう、と勢いを増した炎は徐々に大きくなり、男を呑み込んでゆく。

 

「準備を急ぐ。同胞たちにも備えるよう伝えろ」

 

「は」

 

やがて男の身体は完全に炎に呑まれた。一際大きくなった炎がかき消えると同時に、男の姿も忽然と消え失せる。

 

後に残ったローブの人物は(こうべ)を垂らし、その後ろ姿を恭しく見送っていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十七話 女神の秘め事

今回は会話メインです。

原作の探り合うような会話描写に近づけるよう、これからも頑張っていきたいです。


 

「ウラノス、今戻った」

 

「ご苦労だったな、フェルズ」

 

「構わないよ。私は貴方の私兵だからね」

 

アイズたちが赤髪の女を取り逃がした、ちょうど同じ頃。

 

足首までも隠れるほどのローブの裾を揺らしながら、フェルズはウラノスの背後に現れた。ギルド内で密かに『幽霊(ゴースト)』と噂されているだけあり、その登場の仕方はまるで影の中から湧き出たかのようである。

 

軽い挨拶を終えると、ウラノスはダンジョンでの事を尋ねてきた。フェルズもそこでの事を隠さず語り、持ち帰った情報を全て明け渡す。

 

フェルズが依頼を出した冒険者であるハシャーナが殺害された件。新種のモンスターの大量発生に、それを先導する調教師(テイマー)の女の存在。新たに判明したこれらの事実から、ウラノスは頭の中でパズルを組み立てる。

 

「先日、街中で起きたモンスターの暴走。その中には新種のモンスターがいたな?」

 

「ああ。タイミングから考えて、これも件の調教師(テイマー)の女が関わっているだろう。もっとも、相手の筋書き通りにはいかなかったようだが」

 

敵は怪物祭(モンスターフィリア)の騒動を直前まで知らなかったのだろう。

 

溢れ出たモンスターの討伐のために地上に繰り出された多くの冒険者の姿を見て、慌てて新種のモンスターを引き戻した。そう考えれば、あの中途半端な数の出現にも説明がつく。

 

「隠していた場所は例の地下水路か」

 

「恐らくはそうだろう。私が調べただけでも複数、モンスターが潜伏していた形跡が見られた」

 

「悪い知らせが続くな……だが多少は敵の戦力が見えてきた」

 

「あの『剣姫』と互角以上に渡り合う、【ガネーシャ・ファミリア】の団員よりも優れた調教師(テイマー)の存在。それだけでも非常に厄介だが……それだけでは終わらないだろう」

 

そう語るウラノスとフェルズの頭の中に浮かぶ単語は、闇派閥(イヴィルス)

 

かつてのオラリオ暗黒期。秩序を嫌い、混沌を好む神々によって組織された集団は、すでに掃討された。しかしその残党は未だに息を潜め、オラリオ転覆の機会を伺っていたのだろう。

 

確証がある訳ではないが、一連の事件の裏には確かに闇派閥(イヴィルス)の息遣いを感じる。敵の思い通りにさせないためにも、早急な対応が必要だ。

 

「フェルズは引き続きダンジョンの調査を頼む。必要とあれば『異端児(ゼノス)』たちにも協力を仰げ、お前の裁量で決めていい」

 

「ああ。リドたちもそろそろ別の『隠れ里』に移動する頃だ、実力のある者たちに調査を頼むとするよ」

 

私一人では限度があるからね、と付け加えたフェルズはひとまずこの話を終わらせる。

 

そして魔術師は別の話題を男神へと切り出した。

 

「ダンジョンに現れた“何か”、見てきたよ」

 

「どうだった」

 

「何とも形容しがたい見た目だったが……受けた印象を一言でまとめるなら、あれは“亡者”だ」

 

フェルズは声を若干落として、ダンジョンで見たものを語る。

 

あのうすら寒さすら感じる赤黒い異様な姿は、間違いなくモンスターなどではなかった。

 

37階層、いわゆる“深層”と呼ばれるエリアからは戦士系のモンスターが出現してくるが、それらとも違う。第一に実力が段違いだった。

 

中堅クラスの冒険者を凌駕する膂力と、それに伴う確かな技量があの“亡者”には備わっていた。それこそ第一級冒険者と比べても遜色ないほどに。

 

「ダンジョンで生まれたモンスターの変異種という可能性もなくはないが、恐らく違う。あれはそんなモノではない、もっと別の……」

 

「……お前でも分からないか。偉大なる英知を誇った、過去の賢者であっても」

 

「無茶を言わないでくれ。私の知識は神の足元にも及ばない」

 

乾いた笑い声を挟み、フェルズは続ける。

 

「その“亡者”を倒したのは一人の冒険者だった。特徴から見て、最近【ロキ・ファミリア】に加わったという例の彼だろう」

 

「【クァト・ファミリア】を名乗った冒険者、ファーナム。過去の記録は一切不明、そもそも冒険者として登録された記録もない、正体不明の男……」

 

ウラノスであっても未だに全貌が掴めない謎の男、ファーナム。

 

正体不明の存在をオラリオの冒険者として登録するのは危険な事でもあったが、彼が申請した改宗(コンバート)先は【ロキ・ファミリア】。抜け目のない、しかし決して悪神ではない主神に賭け、ウラノスはロイマンに申請を受理させたのだ。

 

こちらから不用意に正体を探るよりも、泳がせて正体を掴む。

 

結果としてこの行動は吉と出た。“亡者”との手慣れた戦闘の様子をフェルズから伝えられ、ウラノスは静かに目を閉じる。

 

「これまでの情報から判断すると、少なくともあちらに悪意はないと見て良いだろう。出来る限り早急に、彼の正体を知りたい」

 

「それは、つまり……」

 

フェルズはその先を口にせず、ウラノスの言葉を待つ。

 

やがて老神は目を薄く開き、自身の私兵へと視線を向け、口を開いた。

 

「フェルズ。彼と接触を図れ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『不死人よ。お前は何を望む?』

 

『偽りの安寧に満ちた世界か、真の生を歩む世界か。光か、闇か』

 

『決断するのだ、不死人よ。私を倒したお前にはその義務がある』

 

『さぁ、不死人よ……お前は何を望む?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ファーナムは兜の奥でゆっくりと瞳を開けた。

 

まず目に入ってきたのは魔石灯の淡い光だ。小タンスの上に設置されたそれを、ファーナムは部屋に戻った時はほぼ毎夜灯している。心の安らぎでもあった篝火の明かりを思い出せる、という理由でだ。

 

無論、本物とは程遠いが多少の気休めにはなる。

 

事実、壁に背を預ける形で床に腰を下ろしていたが、気が付けば瞳を閉じていた。そしてそのまま心地よい微睡(まどろ)みに身を委ねた。

 

しかし……。

 

「………」

 

目が覚めると同時に脳裏を過ぎる疑問。

 

何かを忘れていたかのような、妙な引っ掛かりをファーナムは覚える。その感覚は、恐らく人が見る“夢”に近いだろう。

 

「……まだ未練を捨て切れないのか、俺は」

 

自嘲と共にそう独り言を呟き、ファーナムは身体を起こす。大して時間は経っていないのか、鎧に覆われた全身に凝りは感じられない。

 

その場で立ち上がり、軽く首を鳴らして部屋を見渡した、その時だった。

 

「およ、起きてたん?」

 

キィ、と扉が開かれる。

 

取っ手にかけられた手は白く、ほっそりとしていた。荒事とはまるで無縁の手の持ち主は、開いた扉からひょっこりと顔を覗かせた。

 

赤髪に糸目の女神、ロキだ。

 

「ロキか、どうした?」

 

「んーん、特に用があった訳やないけどなぁ」

 

そう語る彼女の手には透明の酒瓶があった。ボトルの首を親指と人差し指で挟み込み、残った指で器用に二つのグラスを持っている。すでにいくらか引っかけていたらしく、その頬はほんのりと赤みを帯びていた。

 

遠慮した様子もなく、ロキは部屋の中へと入ってゆく。そして手近にあったテーブルの上に酒瓶を置くと、グラスの一つをファーナムへと差し出した。

 

「なんやよう寝付けんくてな。せっかくやし新規の眷属と、こうして親交を深めよう思て」

 

「新規と呼ぶには少し時間が経ち過ぎているがな」

 

「なーに、言葉の綾や」

 

どうやらまだ外は夜らしい。ファーナムは軽口を交わしつつ、差し出されたグラスを手に取った。

 

そしてロキと対面する形で椅子に座ると、彼女は酒瓶を傾けてきた。無言ではあったが、口の端に浮かべた笑みが彼女の機嫌の良さを表している。

 

トクトクトク、と注がれる酒は無色透明で、清涼感すら感じさせる芳醇な香りが部屋中に広がる。

 

「ちょっと前に酒屋で見つけてな。『(ソーマ)』っちゅうねん、コレ」

 

「『(ソーマ)』?」

 

「そ。酒造りが趣味の無愛想な男神(おとこ)が造っとるモンでな?まぁ性格には(なん)しか無いけど、味は本物や」

 

ウチの好物(オキニ)なんよ、と言い、ロキは自分のグラスにもなみなみと『(ソーマ)』を注いでゆく。ファーナムはその様子を見ながら、被っていた兜に手をかけた。

 

兜を取った瞬間、その芳醇な香りが鼻を叩く。先ほど以上に強く感じるそれに、流石のファーナムも軽く目を見開いてしまう。

 

「ほな、乾杯や」

 

「む……」

 

カチン、とグラスの縁同士が音を立てる。ロキは手慣れた様子でグラスを(あお)り、ファーナムは静かに口をつけた。

 

「!」

 

直後、口内を甘い芳香が蹂躙する。

 

強烈な甘さであるにも関わらず、喉を滑り落ちれば尾を引かない後味。幸福感すら感じさせる余韻は凄まじく、甘い酒を嗜まない者でもたちまち虜にしてしまう事だろう。

 

ファーナムもその余韻に浸り、やがて酒精を伴った吐息を漏らした。ロキもまた幸せそうな表情をしており、グラスに満たされていた『(ソーマ)』はすでに半分程度にまで減っていた。

 

「かぁー、旨いっ!やっぱコレやな!」

 

「……余韻も何もあったものじゃないな」

 

「固いこと言わんといてや、ファーナム。酒なんて幸せに飲めればそれでええんよ」

 

そう言ってロキは残りの酒を飲み干し、再びグラスに酒を注いだ。やれやれ、とファーナムは呆れつつ、もう一口グラスに口をつける。

 

二人はしばらくそのまま飲み続けた。

 

味わうように飲むファーナムとは対照的に、ロキの飲み方には遠慮がなかった。その為、気が付けば酒瓶の中身はほとんどない。残った酒を二人で分け合っても一口分程度しかないだろうか。

 

「あー……もうほとんど無くなってしもた」

 

「飲み過ぎじゃないのか?」

 

「むしろこっからが本番なんやけどな、ウチは」

 

口を尖らせたロキは酒瓶を傾ける。酒好きな彼女にしては意外な事に、独り占めするのではなく、残った酒をきっちり半分ずつ二つのグラスに注いだ。

 

二人は再びグラスを鳴らし、残りの酒を飲み干す。

 

「ここからが本番、か」

 

空になったグラスをテーブルに置き、ファーナムはロキの目を見る。

 

人間(こども)の嘘を見抜く神の目。それを真正面から見据えるその姿を他の者が見れば、ともすれば神同士の対談に思えてしまうだろう。

 

ロキもまた、ファーナムの深い青色の瞳を見つめている。糸目を薄く開き、髪の色と同じ朱色の瞳を覗かせ、いつになく真剣な面持ちで。

 

「そうだな、ここからが本題(・・)なんだろう?」

 

「……まるで神と話しとるみたいや」

 

「お前たちには遠く及ばんが、俺もそれなりに長生きしている身だからな。もう何百歳になるかは忘れてしまったが」

 

ファーナムは小さく笑い、ロキの言葉を待つ。

 

しかし軽口の応酬はなく、返ってきたのはロキの静かな声音であった。

 

「自分の存在に、ウラノス……ギルドの主神が勘付いとる」

 

その言葉に、ピクリとファーナムの眉が動いた。

 

ウラノスという神の名前はこれまでに何度か聞いた事がある。オラリオという迷宮都市に住んでいる以上、ダンジョンの管理者とも言える老神を知らない訳がない。

 

曰く、その神は絶大な神力によって祈祷を行い、ダンジョンからモンスターが溢れ出るのを防いでいるという。この迷宮都市が造られた当初からそれは変わらず、日夜ダンジョンを監視している、とも。

 

それが事実であれば、彼がファーナムの存在に気が付かない訳がない。

 

喪失者が現れた時もそうだ。

 

あの闇霊(ダークレイス)に反撃されそうになった時の、思わぬ加勢。偶然にしては出来過ぎたタイミングであったし、最初から喪失者を敵として認識していたような気配すらあった。

 

以上の出来事から推測できる事は……。

 

「その神……ウラノスは俺という存在(異常)を認識した上で、手を出していないだけだと?」

 

「せや。ダンジョンにいきなり現れた正体不明の存在。それが早々に【ロキ・ファミリア】(ウチら)の仲間になったから、下手に手ぇ出すわけにもいかんくなったっちゅうトコやろ」

 

【ロキ・ファミリア】は巨大派閥だ。下手に密偵などを送り込めば、逆に暴かれてしまう。そう考えたウラノスは、ファーナムの事を知る機会を窺っていたのだろう。

 

“思わぬ加勢”は、恐らくウラノスの関係者、あるいは協力者。ダンジョンに現れた異変(喪失者)の調査に出向き、そこで偶然にもファーナムと出くわしたのだ。

 

少々乱暴な推測だが、筋は通る。ファーナムはこの推測をもとに、今後の方針を考える。

 

「恐らく、また何らかの動きがあるだろう」

 

「せやな。ウラノスが自由に動かせる手駒を持っとるんはほぼ決まりや。ならそれを使って、自分に接触してこようとするハズや」

 

「俺には冒険者としての身分があるから、下手に暴れ回ることは出来ない。例えば日中の街中や、酒場とか……な」

 

「そこを突いてくるか、あるいは一人になった時か。いずれにせよ用心しぃや、ファーナム。あっちには自分がタダの冒険者やないってバレとるんからな」

 

「ああ。お前たちに迷惑をかけないよう注意しよう」

 

「……そういう事やないんやけどなぁ」

 

ファミリアの迷惑にはならないと答えたファーナムに、ロキは難しそうな顔でそう漏らした。何故彼女がそう呟いたのか、ファーナムは密かに疑問に感じる。

 

ロキは椅子から立ち上がると、ファーナムの隣に移動してきた。意図が分からず片眉を上げるファーナムの肩に両手を置き、ロキは労わるように口を開いた。

 

「何はともあれお疲れ様や。ご褒美にウチが出張【ステイタス】更新したるわ。こんな夜中にしてくれるなんて中々ないでー?」

 

「なんだいきなり?」

 

「まぁまぁ、気にせんでええって。そういえばファーナムは【ステイタス】更新、まだしとらんかったやん?せっかくやし今やっとこうと思って」

 

「……まぁ、構わんが」

 

そして半ば強引に、ファーナムの【ステイタス】更新が行われた。

 

鎧をソウルに還し、むき出しの背中をロキの前に晒す。ロキは持参していた針で指を軽く刺し、ぷっくりと浮かび上がった神血(イコル)をその背中に落とした。

 

その血を起点にして、背中に波紋が広がってゆく。やがて【神聖文字(ヒエログリフ)】と数字が浮かび上がり、ロキは手慣れた様子で羊皮紙にそれを写していった。

 

「ほいっと。出来たで」

 

更新された【ステイタス】が書き写された羊皮紙を受け取ると、ファーナムは鎧を着直しながらそれに目を通した。

 

 

 

“―――――”

Lv 1 

力:I0→9  耐久:I0→3  器用:I0→4  敏捷:I0→11  魔力:I0→8

 

《魔法》

ソウルの業

魔術、奇跡、呪術、闇術など多岐にわたる。これらはかつてソウルと共に興り、故にソウル無くしては存在し得ない。

 

《スキル》

闇の刻印

死亡しても、篝火があればそこで蘇生可能。しかし死ぬ度に人間としての在り方を失う事となる。

 

 

 

「……」

 

特に思う所もなく、ファーナムは読み終えた羊皮紙を仕舞った。自分の【ステイタス】に対して無頓着にも思えるその姿に、ロキは苦笑いと共に語り掛ける。

 

「そんなに興味なさそうやなぁ」

 

「まぁな。ソウルと引き換えに器を昇華させていた時と比べると、成長の度合いは微々たるものだ。事実、それほど変わった感じがしない」

 

「普通はLv1の時が一番成長が著しいんやけど、ファーナムの場合は最初からめっちゃ強いしなぁ。偉業を打ち立てるんがランクアップの一番の近道やけど……」

 

「そっちは気にはしていない。それよりも……何だ。新しい《魔法》や《スキル》が発現していなかった事の方が、な」

 

「おっ、何やファーナム。やっぱそういうんは気になるん?」

 

ロキはおちょくるようにしてファーナムに詰め寄る。今度はファーナムが苦笑いし、観念したように口を開いた。

 

「ああ。何せ未知の、しかも俺にしか発現しないかも知れないものだ。気にするなという方が無理だ」

 

「そりゃなー。でもレフィーヤの『エルフ・リング』みたいな超希少な《魔法》やら何やらが発現するんはそうそうないで?むしろファーナムのその《スキル》の方がよっぽど……!」

 

そこまで言いかけて。ロキはハッ、とばつの悪そうな顔をした。

 

ファーナムが持つ《スキル》。確かにそれはオラリオ中を探しても見つける事の出来ない希少なものだ。冒険者という死と隣り合わせの稼業を営む者からすれば、喉から手が出るほどに。

 

死んでも次がある。今度はもっと上手くやれる。ファーナムの持つ《スキル》を手に入れれば、誰もがこのような楽観的な捉え方をするに違いない。

 

しかしそれは、決して『祝福』と呼べるようなものではない。

 

殺されても死なず、死にたくても死ねず。やがて理性を失い、ソウルを求めるだけの亡者に成り果てる定めにある存在……不死人へと変貌させる“闇の刻印”。その事の重大さは、呪いを受けた者にしか理解できないのだ。

 

望まずに“それ”を抱いてしまったファーナムを前にして、ロキがうっかり零してしまったその言葉。いくら楽しく酒を酌み交わし朗らかな雰囲気であったとはいえ、あまりに軽率過ぎた自分の言葉を呪った。

 

しかし当の本人であるファーナムは、さして気にしていないようだ。

 

「あー……すまん、ファーナム」

 

「そう気に病むな。俺が不死人である事は事実だからな」

 

そう言ってファーナムは椅子から立ち上がり、テーブルの上に置いてあった兜を被り直した。

 

「そろそろ自室に戻れ。もう遅いだろう」

 

「せやな。うん、お休みぃ」

 

退室を促されたロキは素直に従い、部屋を後にした。閉じたドアの向こうから床が軋む音が漏れ、ファーナムが床に腰を下ろした音なのだとロキは悟った。

 

“不死人は眠らない。似たような状態になる事はあるが、それは安眠とは程遠い”。これはファーナムの身の上を聞いた時に、彼自身が言った言葉だ。

 

その言葉を裏付けるように、僅かな金属音が聞こえてくる。恐らく武器の整備をしているのだろう。他の団員たちを起こさないように、音に気を付けているのが分かる。

 

「……そないに他人に気ぃ遣えるんなら、もっと自分の事も大事にせいっちゅうねん」

 

これまでの生活でロキが感じ取ったファーナムの人となり。それはよく気配りの出来る人間(・・)である、という事だ。

 

二人でいる時にファーナムは自身の事をよく不死人と言って貶めるが、それは人間……つまり生者への羨望や未練があるからではないか。恐らく生来の気質もあるのだろうが、不死人になっても心だけは人でありたいという思いが、彼の行動に如実に現れているのだ。

 

しかし不死人の成れの果ては亡者。生者のソウルを貪り喰らう醜悪な化け物だ。

 

そうなるかも知れない存在が真っ当な人の世にいる事に対し、ファーナムは葛藤を抱いている。だからこそ必要以上に自身を“不死人”と呼んでしまう。まるで自分に言い聞かせるように。

 

人面獣心ならぬ、獣面人心。

 

数百年の時を不死人として歩んできたにも関わらず、抱き続けた人の心が今のファーナムを苦しめているのだ。

 

それでも彼は、いざとなれば我が身の危険も顧みず、死地にも飛び込んでしまうのだろう。

 

(だからこそ、まだあれ(・・)の事を伝える訳にはいかんのや)

 

薄暗い廊下を進みながら、ロキは密かに決意を新たにする。伝えるのに相応しいと判断したその時まで、己の胸の内に隠しておくのだと。

 

【ステイタス】更新の際、ファーナムに渡した羊皮紙に記載しなかった項目。恩恵(ファルナ)を授けたあの日から発現していた、もう一つの《魔法》の存在を。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十八話 鍛冶師と鍛冶神

「おや、ファーナムではないか!」

 

「む?」

 

そうファーナムに声をかける者がいた。場所はオラリオのメインストリート、時刻はもうすぐ昼に差し掛かろうとしている頃だ。

 

アイズたちが再びダンジョンに潜ってから数日が経つ。その間ファーナムは本拠(ホーム)の書斎でオラリオについての書物を読んだり、またはこうして街の中を目的もなく歩いたりしていた。

 

街を歩く時には何者かの接触には注意を払っていた。相手もわざわざ目立つような真似はしないだろうというロキの読み通り、大通りで声を掛けられるような事はなかった。しかし待てどもそれらしき人物と遭遇する事はなく、今日にまで至る。

 

この日も何事もなく終わってゆくのだろうか。そんな事を思っていた、その時だった。

 

ファーナムの目の前に立っていたのは浅黒い肌をした女だった。以前に工房で会った時とは違い、さらしだけを巻いていたむき出しの上半身には上着を身に着けている。服装には特に関心がないのか、随分とはだけているが気にした様子はない。

 

眼帯をしていない方の目に喜色を浮かべ、その人物……椿・コルブランドは、気軽に手を振って挨拶をした。

 

「久しいのファーナム。全く、あれから一切連絡もせんで」

 

「あれから?」

 

「なんだ、覚えとらんのか!」

 

ファーナムのそっけない反応に、椿は呆れたように声を上げた。何の事を言っているのか本気で分からないファーナムはどうにか思い出そうと記憶を掘り返す。が、やはりどうしても思い出せない。

 

それを察したのか。はぁ、と溜息をつき、椿はその内容を口にした。

 

「前に言っていたであろう。直剣が欲しいと」

 

「……あぁ」

 

そこまで言われてようやく思い出す。

 

怪物祭(モンスターフィリア)』の一件ですっかり忘れてしまっていたが、確かに椿に武器の作成を依頼しようとしていた。

 

本来なら細かい注文や予算などを相談するはずが、あそこで話が終わってしまっていた。仕事を持ちかけた手前、職人である彼女には申し訳ない事をしたという思いがファーナムの胸中に浮かび上がる。

 

「すまない、すぐにあの時の続きを……」

 

「いや、その必要はない」

 

謝罪の弁と共に依頼の続きを相談しようとするファーナムの言葉を遮る椿。訝しんだ様子のファーナムに対してにやりと口の端を吊り上げ、次の瞬間には彼女は破顔させてこう言い放つ。

 

「もう作った」

 

「………」

 

……何と言うべきか。

 

確かに依頼を中断してしまったが、それでも詳細な注文も聞かずにさっさと作成に移ってしまうとは。行動力があると言えば聞こえは良いが、果たしてそれは客を持つ鍛冶師としては如何なものか。

 

閉口しているファーナムを気にする事もなく、椿は勝手にその後についてを語り始める。

 

「いやな?お主の持ってきた武器を見たらの?何というか制作意欲が湧いてきたというか、とにかく一振り作りたくなってしまったのだ!せっかくだからお主の依頼にあった直剣を作ってみたのだが、これがまた中々に良い出来でだな……!」

 

「分かった、分かった。だから少し落ち着け」

 

次第に熱のこもってゆく一人語りを制したファーナムは内心で呆れつつも、それが職人の(さが)というものなのだろうと納得した。ここまで熱意をもって作った武器を突っぱねる訳にもいかず、ひとまずはその実物を見せてもらう事にする。

 

「それでその直剣はどこにある?」

 

「ああ、手前のファミリアの武具店の奥に置いてある。鞘などに施す細かな装飾などは、流石にあの工房では出来んからな」

 

「別に装飾は無くても構わないんだが……」

 

「手前が納得のいく出来でなければならんのだ。職人としてこれは譲れないぞ」

 

語気を強めてそう語る椿。その発言に、やはり彼女は根っからの職人なのだと痛感させられる。

 

ファーナムにとって武器とは戦うためだけの物であり、それ故に見た目にこだわったりする事など皆無である。

 

もちろん武器にも好みはあるが、途中で壊れてしまえばそれで終わりだ。好みは飽くまで

好みであり、敵を倒せるのであれば丸太だって問題はない(実際、そういった武器をファーナムは所持している)。

 

武器に対する価値観は違うが、それでも椿は強い武器を作成しているのだ。ならばファーナムが横から口を出す理由はない。仕上げの装飾はどの程度まで終わっているのか尋ねると、椿は顎に手を当ててこう答えた。

 

「そうだのう。細かい作業はもうほとんど終えておるし、あとは少々手直しするだけ……うむ、まぁ一時間程あれば事足りるの」

 

「そうか……なら丁度いい。仕上がるまでの間、その作業でも見せてもらおうか」

 

こうしてファーナムの午後の予定が決まった。

 

二人は軽く昼食を済ませ、オラリオを一望できる巨大建造物……バベルへと向かっていった。

 

 

 

バベルはダンジョンを封じる『蓋』としての役割を担っているが、その他にも別の用途がある。

 

それを示すのが、バベル2階から広がっている公共施設だ。外見からは想像しづらいが、バベル内部にはこのような店舗がひしめいており、多くの冒険者たちで賑わっている。

 

彼らの目的の多くは4階から8階にかけて店舗を開いている【ヘファイストス・ファミリア】の武具だ。鍛冶神ヘファイストスの眷属たちが鍛え上げた様々な業物が高値で販売されており、それらの武器を手にするのは冒険者にとっての夢と言っても過言ではない。

 

そんな冒険者たちの羨望の的になっている武具店の一つに、ファーナムと椿は入って行った。店内には店番のドワーフの男性が居り、椿は彼と軽く言葉を交わした後、奥の部屋へと進んでゆく。

 

ファーナムも彼女の後に着いて入ってみると、そこは四角い小さな部屋になっていた。薄暗い室内を照らすのは壁に取り付けられた2つの魔石灯のみ。中央には長テーブルが置かれ、その上は様々な金具や工具が散乱している。

 

「すまんの。整理する時間も惜しくてな」

 

椿は部屋の隅に設置された武器の飾り棚から、一振りの剣を手に取る。鞘に包まれた刀身は見えないが、鍔と柄には丁寧に施された装飾が存在感を放っていた。

 

「後は鞘の装飾を手直しするだけじゃ。ほれ、抜いてみるがいい」

 

「ああ」

 

差し出された柄を握り、引き抜く。

 

現れたのは一切の曇りのない銀色の輝きだった。刀身の長さはおよそ70C(セルチ)程か、狭い通路でも気を付けさえすれば振り回せる大きさだ。肉厚な割に刀身はすらりとしており、長槍の穂先のような形状をしている。

 

鍔には精緻な金の意匠が施されており、それは絡みつく蔦のようにも見える。柄は良く鞣された黒革によって滑り止めがなされ、柄頭には取り付けられてるのは青い宝石だ。特に魔力は感じないので、恐らくは願掛けの意味で取り付けたのだろう。

 

文句のつけようのない逸品。それが椿の作ったファーナムの直剣だった。

 

超硬金属(アダマンタイト)製の直剣だ。不純物を極限まで取り除いたからな、壊れにくさは折り紙付きだぞ」

 

「少し装飾が派手ではないか?」

 

「扱う分には何の問題もない。気になるのなら少し振ってみよ」

 

装飾が少し気になるとは言ったが、振らずとも分かる程にこの直剣はファーナムの手に馴染んでいた。

 

恐らくはファーナムの体格から最良と思われる重量を計算して作ったのだろう。制作意欲が湧いたと言っていたが、細かな注文も聞かずにこれほどの品を作れる鍛冶屋はそういない。

 

「いや、重さも手に取った感覚も申し分ない。ありがとう」

 

「そうか?まぁ調整が必要ならいつでも言ってくれ」

 

そう言って椿はファーナムに背を向け、鞘をテーブルの上に置いた。すぐさま鞘の装飾の手直しを始めた彼女の横顔は、すでに職人のそれだ。

 

彼女の傍らに立ち、剣を持ったままファーナムはその作業を眺める。鞘は暗い朱色に覆われており、先端部にはこれまた金の意匠が施されている。複雑な紋様で、傍目からはすでに完成品にも見えるが、椿はこれの手直しをしていた。

 

鍛冶師の荒々しい姿とは裏腹に手直しをするその手は慎重で、まるで別人のようである。ミリ単位で装飾を削っており、その手に金の塵が付着しても気にも留めない。

 

「器用だな。よくこんな薄暗い場所で作業が出来る」

 

「………」

 

「………椿?」

 

ファーナムの疑問を孕んだ声が投げかけられる。しかし椿は聞こえていないかのように、その声に対して何の反応も示さない。

 

いくら集中しているとは言え、この距離で聞こえていないはずがない。もう一度声をかけるかどうか、それとも大人しく見ているか、ファーナムが僅かに悩んだその時。

 

「無駄よ。その子はそうなったら作業が終わるまで周りが見えなくなるの」

 

キィ、と扉が開かれた。

 

振り返ったファーナムがまず最初に見たものは、その鮮烈なまでに赤い髪だった。

 

薄暗い室内でも一目で分かるほどに鮮やかな髪色は、これまで見た事がない。ロキも赤い髪をしているが、彼女の髪を夕焼けの赤色だとすれば、目の前の人物は燃え盛る炎のそれだ。

 

服装は白い上着に黒の脚衣、両手には肘まで覆う黒い手袋、そして顔には右側全てを隠すような大きな眼帯をつけていた。そんな恰好をしているが主張の激しい胸部は大きく盛り上がっており、それは目の前の人物が女である事を意味している。

 

「お前は?」

 

「どっちかって言うとそれは私の台詞なのだけれど……まぁ良いわ」

 

女は軽く笑い、ファーナムの問いに答える。

 

「私はヘファイストス。その子の主神よ」

 

鍛冶神ヘファイストス。

 

神々の武器を数多に作り出したと言われている神に対して抱く印象は、やはり厳しい男の顔であろう。むしろ鍛冶神であるのなら、そういった印象を抱く事こそが道理というものだ。

 

しかしファーナムの目の前にいるのはそのようなものとは無縁そうな女であった。眼帯こそしているが、逆に服装と相まって男装の麗人にしか見えない。

 

が、やはり神である。ロキと初めて会った時にも覚えたあの感覚を、この時ファーナムは感じていたのだから。

 

「……もしかして貴方、ロキのところの眷属(こども)かしら?」

 

「そうだが、何故分かった?」

 

「ちょっとね。でも……なるほどね。確かに貴方、他の子たちとはだいぶ違うわね」

 

「!」

 

思わず身構えるファーナム。手にしている直剣を向けそうになったが、(すんで)の所で思い留まった。

 

彼女は椿の主神であると言っていたし、それにここはバベル内部の武具店の中だ。こんな場所で事を起こせばあっという間に騒ぎになってしまう。それに、もし仮に彼女が邪な考えを持っていたとしても、同様の理由で目立つのは不味いはずだ。

 

以上の思考を瞬時に終え、肩から力を抜く。しかし気を抜くような事はなく、ファーナムは警戒を解こうとはしない。

 

そんな様子を前にしたヘファイストスは笑いながら口を開いた。

 

「そんなに警戒しなくてもいいわ。実は前にロキと話す機会があってね」

 

と言うよりも、ロキの方から話したいと言ってきたのだけれど。と正し、彼女は事の詳細について語り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

話は以前に開かれた神会(デナトゥス)にまで遡る。

 

格の違いを見せつけて存分に笑ってやろうと意気込んでいたロキは、逆に手痛い反撃にあってしまった。相手は日頃から“ドチビ”と呼んでからかっている、一部身体の主張が非常に激しい女神である。

 

「今度会う時は、その貧相なものをボクの視界に入れるんじゃないぞッ!」

 

「うっさいわボケェ!!」

 

肩をいからせつつも半泣きになりながら会場を後にするロキ。ヘファイストスはその姿を、銀髪の美女神と並んで呆れながら見ていた。

 

「毎度の事だけど、あの二人はよく飽きないわねぇ……」

 

「ふふ、微笑ましくていいじゃない」

 

「どこがよ?」

 

給仕から受け取った葡萄酒を口にして、美女神と雑談を交わすヘファイストス。やがて雑踏の中へと消えていった彼女と入れ違いにやってきたのは、先ほどまで泣きを見ていたロキだ。

 

両手には葡萄酒が満たされていた(・・・・・・・)であろう空のグラス。それを素早く次のグラスへと取り換えたロキは、中身を一気に飲み干した。

 

「残念だったわね、逆にからかわれるなんて」

 

「言わんといてぇや、ファイたん。せっかくおめかししたっちゅうのに、これじゃあ全部パァや」

 

豪華に着飾ったドレスも丁寧に結い上げた髪も、今のロキには最早どうでも良いのだろう。外見を気にせず次々と酒を呷るも、それでもなお飲み足りないといった様子だ。

 

「あークソ、全然足りん。帰って飲みなおしや」

 

「あら、もう帰るの?」

 

「これ以上ドチビと同じ空間にいたら、頭おかしくなってまうわ」

 

確実に嫉妬であろう。その事を十分に理解しているヘファイストスは口にはせず、ただ肯定の意味を込めて首を縦に振った。

 

さて、自分はこれからどうするか。ロキと共にそろそろお暇しようか。と考えていた所で、ヘファイストスはロキから声をかけられた。

 

「あ、せや。ファイたん」

 

「? どうかしたの?」

 

「いや、ちょっと話したい事があってな。今度二人っきりで会えへん?」

 

「別に構わないけど……どうしたの、いきなり」

 

「懇意にしとるファミリアの主神同士、たまには世間話でもっちゅう事で、な?日程はまた今度連絡するわ」

 

それだけ言ってロキは早々と帰って行ってしまう。

 

どこか妙なその様子に若干の引っ掛かりを覚えたヘファイストスではあったが、直後に駆け寄ってきた神友の突拍子もない頼み事を聞き、そんな思いはかき消えてゆくのであった。

 

 

 

そうしてやってきた会談の日。

 

つい先日起きたフィリア祭でのモンスターの暴走から、街がようやく落ち着きを取り戻した頃。ロキとヘファイストスは街中にある一件の喫茶店で、テーブルを挟み向かい合わせで椅子に座っていた。

 

他の客に話し声が聞こえないよう、ご丁寧に防音加工まで施された個室で向かい合う二柱の女神。想像していたよりも物々しい空気に、堪らずヘファイストスは口を開く。

 

「こんな場所まで用意して……世間話なんて言ってたけど、まさか本当にそれだけじゃないでしょうね」

 

「まぁな。内容が内容やし、万が一にも他の奴らに漏らす訳にはいかんのや」

 

「貴女がそこまで用心するなんて、一体何を話すつもりなのよ?」

 

ヘファイストスはオラリオでも頂点に君臨する鍛冶系ファミリアの主神だ。仮に何やら危ない案件の片棒を担がされるようならば、例え【ロキ・ファミリア】という巨大なお得意先を失う事になっても、今すぐに出て行く事も辞さない覚悟をしている。

 

しかしロキもそれなりに覚悟を決めているのだ。彼女の抱えているものは、事と次第によってはオラリオどころか、この世界すらも震撼させかねないものなのだから。

 

「この前のフィリア祭で逃げたモンスター共。その多くはアイズたんが片付けたんやけど」

 

「『剣姫』ね、私の眷属()たちからも聞いたわ」

 

「うん……それで、他にも討伐に参加したモンが居るんよ。ウチのファミリアに入った、新しい眷属(こども)がな」

 

「新しい入団者が?でもそれってまだ恩恵(ファルナ)を授かったばかりのLv1じゃないの?それで討伐に参加って言うのは……」

 

そんな危ない事をさせたのか、と暗に苦言を呈するヘファイストス。しかし顔色すら変えないロキの様子に、彼女は眉をひそめる。

 

嫌悪感からではない。

 

天界にいた頃であればいざ知らず、今のロキは立派な神格者だ。子供の事をしっかりと考えている彼女らしからぬ行動だと、ヘファイストスはそう感じた。

 

「あ、もしかして他のファミリアから改宗(コンバート)でもしたのかしら?それなら確かにあの程度のモンスターなら討伐も……」

 

「……まぁ、表向きはそういう事になっとんねんけどな」

 

「表向きは?」

 

いよいよヘファイストスの顔が険しくなる。

 

ロキの言葉に込められた真意を聞き逃すまいとする彼女。その目をまっすぐに見つめ、ロキはようやく本題に切り込んだ。

 

「これはファイたんを信頼して言うんや。正直、知っとるんがウチだけっちゅうのがしんどいってのもあるんやけど……」

 

「回りくどいわね。早く言ってちょうだい」

 

ロキらしくもない回りくどい言い方に若干苛つきながら、ヘファイストスは先を急がせる。

 

そして、やがて意を決したように、ロキはその口を開いた。

 

「その新しい入団者、ファーナムっちゅうんやけど……」

 

「ええ、それで?」

 

「……不死身やねん、そいつ」

 

「………はぁ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……と。まぁこんな感じで貴方の事を聞いたのよ」

 

「………」

 

……何と言うべきか。

 

本日二度目のそんな感覚に陥ったファーナムは、頭痛を堪えるかのように右手で頭を押さえる。

 

(人にあれだけ用心しろだの何だのと言っておいて……いや、この神が信頼に足るからこそ打ち明けたのだろうが……)

 

それでも、一言も相談もなしに秘密を洩らしたロキに対して悶々とした気持ちになる。目の前にいる女神、ヘファイストスはそんなファーナムの様子を察したのか、苦笑いと共に語り掛けてくる

 

「ファーナム、だったわね。安心してくれていいわ。私は【ヘファイストス・ファミリア】の主神、貴方たち【ロキ・ファミリア】とは懇意にさせて貰っているもの。自分から関係を悪化させるような事は絶対にしない」

 

「……まぁ、ロキが判断して話したんだ。信用しよう」

 

「ふふ、ありがとう」

 

こうしてファーナムとヘファイストスの初の邂逅は成された。

 

一心不乱に鞘の手直しをしている椿は未だに己の主神の姿に気が付かない。二人はその姿を、時折会話を交えながら後ろから眺めていた。

 

そして、もうすぐ椿が宣言した一時間が経過しようとしていた。

 

「それにしても、だ。椿は本当に気が付かないんだな」

 

「熱心なのは結構なんだけどね。夢中になったら止まらないわ、ファミリアの会議にも出ないわ。全く、団長としての自覚はあるんだか」

 

「団長なのか?椿は」

 

「ええ。鍛冶師としての実力はもちろんだけれど、ダンジョンで自分が打った得物の試し切りをしていて、気が付いたらLv5になってたんですって」

 

その発言にファーナムは驚きを覚えたが、椿であれば納得が出来るような気がした。試し切りの為だけにダンジョンに潜るという奴だ。鍛冶師として必要な事は、きっと何だってやってきたのだろう。

 

それほどまでに心血を注げるものがある事に、ファーナムは少しだけ羨望のようなものを感じる。

 

戦闘において、ファーナムの実力はオラリオでもトップクラスのものだろう。戦い方は近接が多いが、その気になれば呪術や魔術、奇跡なども使えないことはない。攻撃の多彩さは、それだけ多くの戦法を取れるという事だ。

 

しかし、それら全てはファーナムが望んで会得したものではない。

 

アイズのように強さに執着している訳ではない。

 

フィンのように一族の再興という使命に燃えている訳でもない。

 

数多くの冒険者たちのように、目的に沿った生き方をしている訳でもない。

 

“闇の刻印”。それが全ての元凶だ。

 

その呪いを解く為に旅を始めたという覚えはあるが、それ以外は全て忘却してしまった。亡者化が進んだ影響なのか、長い旅の中で擦り切れてしまったのか、己の本当の名前さえも無くしたファーナムという強者に、一体何の価値があるというのか。

 

普通に生まれて、普通に生きて、普通に死ぬ。そんな当たり前の生涯はもう手に入らない。

 

【ロキ・ファミリア】に入団したが、不死人である自分はいつか必ず他の団員にも怪しまれる時が来るだろう。否、既にギルドの主神が勘付いている以上、その時はもう近いのかも知れない。

 

しかしそれは当然の事だ。

 

本来不死人とは、生者と共には歩めないのだから。

 

「………」

 

「……ファーナム?どうかし……」

 

「よし!出来たぞ!」

 

黙り込んだファーナムをヘファイストスが訝しんだのと、椿が完成の声を上げたのはほぼ同時だった。

 

薄暗い室内に響いた明るい声に二人は顔を向ける。椿は出来上がった鞘を手にして満面の笑みを浮かべており、それは自身で満足のいく仕上がりになった事を指していた。

 

「どうだ、見違えるほどに良くなったであろう!ここの所なんかは中々に大変だったが、いやぁ苦労した甲斐があったというものよ!」

 

「分かったから、少し落ち着きなさい」

 

「おや、主神様よ!来ておったのか」

 

「やっぱり気が付いてなかったのね……」

 

もはや定番となったやり取りを交わす二人。はしゃいでいる椿をへファイストスが落ち着かせようとするも、彼女の興奮は中々収まらないでいる。

 

「それより、ほれ!鞘に納めてみよ、それで完成だ!」

 

「む」

 

ずいっ、と、出来上がった鞘を向けてくる椿。ファーナムはそれを受け取り、手にしていた剥き身の刀身を収めてみる。

 

キン、と澄んだ音が鳴った。

 

子供のように破顔する椿の姿に、ヘファイストスも降参といった様子で笑っていた。ファーナムは新しく手にした、鞘に包まれた直剣をじっと見つめる。

 

鞘に刻印された【ヘファイストス・ファミリア】のロゴが、部屋の中の僅かな光を反射させて輝いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

椿から受け取った直剣を腰に携え、ファーナムはオラリオの街中を歩いていた。

 

時刻はもう夕暮れ時。直剣を受け取った後、他の武具店を見て回っていた為、このような時間になったのだ。

 

「………」

 

街中は相変わらず多くの人で溢れている。ダンジョン帰りの冒険者や居酒屋の客引き、その他多くの人々が、一日の締め括りに取り掛かろうとしていた。

 

そんな彼らから遠ざかるように、ファーナムは裏路地へと入って行った。

 

建物が乱立する『ダイダロス通り』を抜け、向かったのはある廃れた空間だ。捨てられた廃材や瓦礫ばかりで、普通に暮らしているオラリオの住民であればまず来ないであろう。

 

そこはファーナムがオラリオで、初めて篝火を見つけた場所であった。

 

「………」

 

篝火へと足を進めるファーナム。瓦礫だらけの地面は非常に足場が悪く、歩く度に何かしらの音がする。

 

「………」

 

ピタリ、と突然歩みを止めたファーナム。彼の背後で、僅かに小石が転がる音がした。

 

「………出てこい」

 

背後を振り返りつつ、腰の剣に手を伸ばす。

 

後をつけてきた者の姿を確認する事は出来ないが、確実に目の前にいるのが分かる。ファーナムの脳裏に“虚ろの遺跡”にいた霧の戦士が過ぎった。

 

「………出てこないのなら」

 

「分かった。降参だ」

 

殺しはしないまでも、いよいよ実力行使に出ようとした時、目の前の虚空から声が飛んできた。

 

直後、まるで空間を裂くかのようにして、全身が黒いローブに覆われた人物が現れる。頭の先からつま先までがローブによって隠されており、性別はおろか体格も分からない。辛うじて紋様が見える手袋も、同様に黒い。

 

「そう警戒しないでくれ、私は君の敵ではない」

 

フードの中までも暗闇が支配しているその人物は、性別が感じられない奇妙な声で語り掛ける。

 

「まずは自己紹介から始めようか」

 

どこか緊張を滲ませた声色で、黒衣の人物は続けた。

 

「私の名はフェルズ……ファーナム、君の事をよく知りたいんだ」

 

 




投降が遅れてしまい申し訳ありません。

実は、今更PS4を買ったのでダークソウル3に嵌まっていました。

マップは広いわ敵は強いわで難しかったですが、ようやくロスリック城まで来ました。エルドリッチ戦で心が折れかけましたが、ガチャガチャ剣を振ってたらどうにかなるものですね(笑)。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十九話 揺らぎ

「私の名はフェルズ。ギルドの主神であるウラノスの指示で来た者だ。ファーナム……君について、よく聞かせて欲しい」

 

目の前にいる全身黒ずくめのローブ姿の怪人物はそう言い、ファーナムの返答を待つ。

 

オラリオの景色は間もなく夜になろうとしていた。

 

今日一日の疲れを癒すべく冒険者は酒場へ向かい、仲間と共にエールで満たされた木のジョッキを打ち鳴らす。軽快な喧噪と、時たま交じる怒号に彩られつつ、オラリオの冒険者たちの夜は更けてゆく。

 

そんな彼らとは対極的に、ファーナムは兜の中でその双眸を研ぎ澄ませていた。

 

(自ら正体を明かすか……一体何が目的だ?)

 

明かした所属が偽りである可能性はある。しかしフェルズが放った言葉はファーナムとロキが立てた仮説を証明するものであり、一概に無視する事が出来ないでいた。

 

「……あの時、俺に加勢した者か」

 

「あの時とは19階層での出来事を言っているのかな。確かにあれは一大事だった。未知のモンスターに加え、あんな正体不明の赤黒い敵と遭遇するとは……私としても初の出来事だったよ」

 

フェルズと名乗った人物は淀みなく答える。そしてその内容は、ファーナムの記憶を的確になぞるものであった。

 

当事者、あるいはそれに近しい者でなければ知る由もない言葉。ファーナムの繰り出したささやかな舌戦は意味を成さず、それどころか相手に優位を譲ってしまう結果となる。

 

暗いフードの中で小さく笑い、彼はこう続けた。

 

「いきなり親し気に近付かれれば警戒するのも無理もないが、私の言っている事に裏表はない。これだけはどうか信じて欲しい」

 

「………」

 

「……その沈黙は肯定と受け取っても良いかな?であれば、今から指示する場所まで来てくれ」

 

まだ仲良く並んで歩く間柄ではないようだからね、という言葉を挟み、フェルズはとある場所を口にした。そしてその後、現れた時の巻き戻しのようにその姿を消してしまった。

 

後に残ったのは立ち尽くすファーナム一人だけ。彼は廃屋と瓦礫が広がる一帯でしばし立ち尽くしていたが、やがてその足を前方へと動かし始めた。

 

罠である可能性は否定できない。しかしファーナムも新たな情報が欲しい。

 

何故自分がこの世界に呼ばれたのか。その理由を何度も考え続けてきた結果、やはりダンジョンにその答え、あるいはヒントがあるように思えてならないのだ。

 

そして今しがた現れた『ギルド』の、つまりは『ダンジョンを管理する側』の人物から受けたこの誘い。たとえ何か裏があったとしても、受けない理由は無かった。

 

(すまない、ロキ)

 

心の中で密かに主神に謝罪を述べ、ファーナムは歩き出す。

 

目指す場所は『第七区画四番街路』である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

薄暗く発光する壁はダンジョン特有の景色と言ってよい。それは幻想的な景色ではあるが、常に死と隣り合わせという緊張の中では到底楽しめるものではない。

 

楽しめるものではないのだが……それが上級冒険者となれば、話は別だ。

 

「だいぶ明るくなってきたねー」

 

「もう『深層』は抜けたから、これから先は目を凝らす必要はないわね」

 

「久しぶりの明かりな気がします」

 

三人の少女の声がダンジョンの中に反響する。

 

褐色の肌の大部分を露出させたアマゾネスの双子とエルフの少女は、久方ぶりの『下層』の光景に緊張の糸をほんの少し緩ませた。

 

「でもフィン、本当に良かったの?アイズを置いてきちゃってさ」

 

「ンー、大丈夫じゃないかな?リヴェリアも一緒にいる事だしね」

 

彼女たちの先頭を歩くのは、彼女たちよりも小さい冒険者だ。彼は柔らかな金髪をなびかせながら、迷いなく歩みを進めてゆく。

 

「確かにあの子、梃子でも動きそうにありませんでしたね」

 

「アイズさん、ああなったら強情ですし……あぁ、私も一緒に残りたかったなぁ」

 

「それ言ったらあたしだって!まだまだ大双牙(ウルガ)振り足りなーい!」

 

「ははは。元気なのは良い事だけど、まだここはダンジョンの中だよ?」

 

【ロキ・ファミリア】団長、フィン・ディムナ率いる幹部勢三名は談笑しつつ、ダンジョンから地上への帰還の途についていた。

 

リヴィラの街の襲撃事件から数日後、彼らは再びダンジョンに潜っていた。武器の修理費用を稼ぐという本来の目的の大部分を終えた一行であったが、アイズは一人、まだ残ると言って聞かなかった。

 

そんな彼女に対して、フィンはリヴェリアを共に残すという条件で許可を出した。残された食料や治癒薬(ポーション)といった物資を全て二人に渡し、フィンたち四人はこうして地上へと向かう事にした訳だ。

 

『深層』を抜けてきた彼らにとって『下層』はそれほど警戒するに値しないが、何が起こるのか分からないのがダンジョンだ。

 

フィンはティオナたちに時折注意をしながらも、そこまで神経質には気にしていない。気の抜き過ぎは以ての(ほか)だが、気を張り詰めすぎるのも良くないと知っているからだ。

 

「リヴィラで換金したやつって地上じゃ3000万ヴァリス位なんでしょ?それが1000万って、やっぱり納得いかないなぁ」

 

「今更でしょ。あそこの商人気取りの奴ら、商魂だけは逞しいから」

 

買取金額に対して不満を垂れるティオナを軽くあしらうティオネ。その様子を隣で見ていたレフィーヤは、小さく笑みを浮かべた。

 

そんな朗らかな、まるで遠足帰りのような空気を醸している光景をフィンが微笑ましく思っていた……その時だった。

 

 

 

―――――ォォ……ォ………。

 

 

 

「……っ」

 

遠くから聞こえてきた地鳴りにも似た音。それはフィンたちがいる階層中に重く響き渡り、不気味な振動を足元から這い上がらせた。

 

この階層で生まれたモンスターが暴れているのか。それは十分に考えられるが、果たしてそれだけの事で自分(上級冒険者)たちはこれほどの胸騒ぎを覚えるだろうか。未知の出来事に、一行の顔は途端に険しくなる。

 

「何、今の……?」

 

「……薄気味悪いわね」

 

「だ、団長……」

 

「………」

 

レフィーヤのか細い声につられ、ティオネとティオナもその視線を先頭に立つ小さな背中へと向ける。一人状況を分析していたフィンであったが、やがて彼は後ろを振り返り、彼女たちに向き直った。

 

「何が起きているのかは分からないけれど、一先ずは原因を探してみよう。さっきの振動の原因がこの階層より上で起きているとしたら、他の冒険者たちの身が心配だ」

 

本来は相互不可侵が暗黙の掟である冒険者だが、異常事態であれば話は別だ。過去に現れた『血濡れのトロール』のようなモンスターが現れたとすれば、ギルドで討伐隊を組む程の一大事となる。

 

この振動の原因がそうでないとしても上級冒険者である自分たちが原因を探れば、万が一の事態にも即座に対処出来るだろう。そう踏んだフィンは、ティオネたちにこの決定を下した。

 

信頼すべき団長の決定に異を唱える者など居るはずもなく、彼女たちは力強く首を縦に振った。

 

「未知のモンスターの件もある。万全を期して分隊はせず、このまま全員で一緒に行動する。良いね?」

 

「はい!」

 

現在の場所は『深層』の一歩手前、第36階層。まずはこの階層から調べるべく、彼らは止めていた足を動かし始める。その足取りは油断なく、僅かな異常も見逃すまいとしていた。

 

目元を鋭くさせつつも、フィンは我知らずに右手の親指をペロリと舐めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………チ」

 

「どうされましたか、王よ」

 

燃え盛る篝火に手をかざしていた男……“王”の漏らした小さな舌打ちにより、周囲を支配していた静寂は破られた。唯一の明かりに照らされた暗闇の中でつぶさに反応したのは、男の背後に控えていたローブ姿の人物だ。

 

背後からの問いに、“王”は静かに答える。

 

「“揺らぎ”だ。迷宮都市オラリオ……いや、ダンジョンの中で今しがた起こった」

 

「了解しました。であれば私がその対処に……」

 

「いいや、俺が行こう」

 

ローブ姿の人物の言葉を遮る者がいた。

 

彼が振り返ると、そこには別の男が立っていた。似たようなローブを全身に纏っているが、体格の良さまでは隠しきれていないらしく、全身のシルエットが力強く浮き上がっていた。

 

「俺はまだオラリオ(そこ)には行っていない。自分の目でその世界を、人の世を見てみたい」

 

「……お遊びではないんだぞ。王の理想に不純な感情は……」

 

横入りされた事に対する不快感か、悪感情を隠さずに苛立った声を上げるローブ姿の人物。しかしその声は、篝火にかざしていた“王”の手によって遮られた。

 

「良い。お前に任せよう」

 

「はっ」

 

「……ふん」

 

その言葉を前に、ローブ姿の人物はこれ以上何も言えなくなってしまう。ただ小さく、気にくわないといった風に鼻を鳴らすに留まった。

 

ローブの男は前へと歩み出て“王”と並び立つ。次の瞬間、篝火の火が大きく揺らめき、二人を呑み込んだ。

 

火が治まった時には既にローブの男の姿は無かった。しかし“王”は気に留める様子もなく、再び篝火に向けて静かに手をかざし始める。一部始終を見ていたローブ姿の人物の苛立ちもやがて霧散し、火に照らされた暗闇は再び静寂に包まれていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

指定された『第七区画四番街路』は、一言で言えば寂れた居住区であった。オラリオの繁華街に背を向けるように広がっているこの空間は、篝火の拠点ほどではないが、お世辞にも綺麗とは言い難い。

 

都市の北西部、その端に位置するのでオラリオを囲う巨大な壁によって日差しが遮られてしまう。日中でも薄暗く、まるで裏路地にいるかのような感覚を味わう事になる。これらの事が原因で、数年前までは脛に傷を持つ者たちの温床となっていた程だ。

 

(オラリオの裏側、と言った所か)

 

『ダイダロス通り』もそうだが、やはり繁栄している都市であってもこうした場所は必ずあるものなのだろう。そうファーナムは感じた。

 

今でこそ世界の中心とまで呼ばれるオラリオだが、ほんの数年前までは『暗黒期』などと呼ばれた時期があったらしい。その事を思えば、目の前に広がるこの光景はその残滓のようにも見えてくる。

 

「来たか」

 

「!」

 

と、ここでファーナムの思考を中断させる声があった。先ほど面と向かって言葉を交わした黒づくめの人物、フェルズの声だ。

 

しかし声はすれども姿は見えず。暗闇に紛れて姿を隠しているのか、それとも何か道具でも使って姿を不可視にでもしているのか。ともかくファーナムは、フェルズの姿を発見する事は出来ずにいた。

 

「どこにいる?」

 

「すまないが、極力街中で姿を晒す真似はしたくない。しばしの間、私の指示に従って欲しい」

 

「……良いだろう」

 

未だ主導権は握られたままだが、他に出来る事がある訳ではない。僅かな躊躇の後、その声に従う事を決める。

 

「ありがとう。ではまず、このまま少し建物に沿って進んでくれ」

 

指示通り、ファーナムは足を進める。

 

剥がれた塗装や亀裂の入った建物が目立つが、それはここではありふれたものだ。補修する金も無いのか、そもそも住民が居ないのか。物音がほとんど聞こえないゴーストタウンのような居住区を、ファーナムは歩き続けた。

 

「ここだ。止まってくれ」

 

時折出される指示に従い続ける事、数分。終点を告げる声に従い、その足を止める。

 

着いた先は更に人気のない場所だった。狭い路地裏の奥であるその場所は冷たい壁によって先が塞がれた袋小路であり、一見すると何でもないように見える。

 

「少し失礼するよ」

 

フェルズの見えない手が、その壁面に触れる。

 

するとどうだろうか。ボロボロだった壁の表面に亀裂が生じ、開き扉のような入口が現れた。僅かに目を見開いて驚くファーナムを他所に、フェルズはさっさと中に入ってゆく。

 

「さぁ、早く」

 

「……ああ」

 

その声に背を押される形で、ファーナムは中へと入ってゆく。

 

二人が入った瞬間に扉は固く閉じ、周囲は暗闇に包まれる。1M先も見えない為、松明と『火の蝶』を取り出そうとしたが、不意に視界の端に光を感じる。その方向を見ると、いつの間にか姿を晒したフェルズが立っていた。

 

手に携帯用の魔石灯を持った黒ローブ姿というのは、中々に説得力がある。空いている方の手に大鎌でも持たせれば、もっとらしく(・・・)見える事だろう。

 

「こっちだ」

 

くるりと背を向けたフェルズは先導するように奥へと進んでいった。ファーナムはその背を見失わぬよう、大人しくその後に付いて行った。

 

魔石灯に照らされた通路は継ぎ目のない不思議な材質で出来ており、どのように造られたのか全く見当が付かない。おまけに壁には奇妙な紋様がぼんやりと発光しており、何らかの仕掛けのようにも見える。

 

加えて通路の長さも中々のものだ。入口の偽装具合からしても、まさしく“秘密の通路”という表現がぴったりな場所だ。

 

「どこまで連れてゆくつもりだ?」

 

「何。すぐに分かるさ……と言うより、入口の場所から考えれば容易に答えが導き出せるはずだ」

 

その言葉に、ファーナムは今までの道のりを思い返す。

 

とは言っても、入口からここまではほぼ直線の通路を通ってきた。オラリオの地形は丸く囲まれた都市を大きく八分割したような構造なので、そこにこの通路を当てはめるのは難しくない。

 

そして浮彫となったこの先にある場所に、ファーナムの口から声が漏れ出した。

 

「……まさか」

 

「そのまさか、さ」

 

サプライズが成功したかのように、得意気にも聞こえる声色でフェルズはそう答えた。

 

その直後、二人は行き止まりとなった壁に直面した。通路に走っていたものと同じ紋様が描かれたその壁の表面に手を当て、フェルズは何やら小さな声で呟く。

 

「『ヒラケゴマ』」

 

呪文らしきそれを唱えた直後、行き先を塞いでいた壁が動き出す。岩同士が擦れ合うような鈍い音を発しながら、重厚な岩の壁は引き戸のように横へとスライドしていった。

 

開かれた入口からひんやりとした空気が吹き込んでくる。先はどうやら広い空間に繋がっているようだが、視界の先は薄暗く正確には把握できない。ぼんやりとした明かりが四つほど見えるがフェルズが持っているような魔石灯ではなく、どうやら火を焚いた松明らしい。

 

先導していたフェルズが歩き出し、その背にファーナムも続く。僅かな階段を昇り、さらに近付くにつれて、松明によって照らされた空間の全貌が露わとなった。

 

果たしてそこには、中央に設けられた巨大な玉座に座する老神がいた。2M程もある巨躯に相応しい威厳に満ちた風格を持ったこの老神は、近付いてくるファーナムへと視線を向ける。

 

「……ッ」

 

この時、ファーナムの身体は確かに強張った。

 

このオラリオに来てから神と呼ばれる者たちを目にしてきたが、この老神はまるで別格だ。身に纏っている空気が他の神々とは一線を画している、とでも言えば良いのか。これまでに遭遇してきたいかなる強者に対しても抱いた事のない奇妙な感覚に、ファーナムの額に一筋の汗が流れた。

 

同時に悟る。

 

この神物(じんぶつ)こそがギルドの真の主にして、ダンジョンを監視し続けてきた存在―――――『創設神』ウラノスなのだと。

 

「ウラノス。彼を連れてきた」

 

「ご苦労、フェルズ。いつもすまないな」

 

「良いさ。それよりも、ダンジョンに何か異変はあったかい?」

 

「いや、あれから異常らしきものは感知していない。いつも通りだ(・・・・・・)

 

二言三言の会話を交わした後、フェルズはウラノスの目配せを受けてファーナムに道を譲るように横にずれた。

 

そして……ついに一人と一柱は、対面の時を迎える。

 

「フェルズより多少の事は聞いていよう、ロキの眷属(こども)よ」

 

「……ファーナムだ」

 

「………なるほど。やはり、我らが知らぬ事を多く持っているようだ」

 

人間の嘘を見抜く神の眼は、ファーナムの偽名を呆気なく見破った。巍然とした姿勢を崩さないまま、ウラノスの双眸は自らを見上げる兜の奥を射抜く。

 

静まり返る大空間。

 

愚者によって招かれ、こうして神の前までやってきた不死人は―――――やがて自らの事を語り始めた。

 

赤く湿り、黒く腐った、凄惨な旅路を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フィンたちは警戒を怠らずにダンジョンの中を歩いていた。

 

振動の元を慎重に辿り、道中に遭遇したモンスターたちを一蹴しつつ、捜索を続ける事、数十分。一行は遂にある場所まで辿り着いた。

 

「これって……」

 

「『未開拓領域』?」

 

彼らの目の前には岩肌にぽっかりと空いた巨大な大穴があった。縦は約5Ⅿ、横幅は優に10Ⅿ程もあり、パーティ単位でも通行に支障はないだろう。

 

『未開拓領域』……その名の通り、未だ地図作成(マッピング)されていないダンジョンの横の広がりの事を指す。その内部がどうなっているのか、どれほどの空間がひろがっているのか、採取できるアイテムの種類、モンスターの有無など、あらゆる事が分かっていない、まさしく未知の空間だ。

 

しかし、そんな場所を見つけた一行の顔には疑問の色が浮かんでいた。

 

「ここって来る時にも通ったわよね?」

 

「は、はい。確かに……」

 

「来た時にはこんな大穴なかったけど……モンスターが穴を空けたとか?」

 

「いや、それは考えにくい。これほど大きな穴だったら既に見つかっていても良いはずだし、それに僕らが見落とす訳がない」

 

『下層』最深部まで潜れるファミリアは非常に限られてくるが、逆を言えば実力者であればこの場所まで足を運ぶ事は容易だ。ダンジョン攻略という人類の悲願の為にも、【ロキ・ファミリア】を含む攻略の先駆者たちは隅々まで調べつくしているはずである。

 

しかしこうしてフィンたちの前に現れた大穴は、そんな彼らの自信を覆すものだった。これほどの大穴を見逃す訳がない、しかし現にこうして目にしている。そんな矛盾にも似た感覚に、彼らは口を閉ざして立ち尽くしていた。

 

「どうしますか、団長?」

 

「『下層』最深部の『未開拓領域』だ。危険度は未知数だし、僕たちは手持ちの治癒薬(ポーション)も全てアイズたちに渡してきた。ここは速やかに地上に戻り、ギルドに報告するとしよう」

 

力をつけ始めてきた他のファミリアがこの場所まで降りてきて、うっかり未知の領域に入り込まないようにね。そう付け加えて、フィンはすぐに地上へ帰還する事を決定した。

 

素直に従うティオネとレフィーヤ、そして若干後ろ髪を引かれる思いのティオナたちを引き連れて、フィンがダンジョンから引き揚げようとした……その時。

 

 

 

『オオォォオオオオオオオオッ!!』

 

 

 

「ッ!?」

 

彼らの背に、獣の咆哮が叩きつけられた。

 

勢いよく振り返る四人。咆哮の出どころは探すまでも無く、不気味に口を開いた大穴からだった。

 

「全員、武器を構えろ!」

 

フィンの鋭い指示が飛ぶ。ティオネとティオナは即座に己の得物を構え、魔導士のレフィーヤも一拍遅れて杖を構える。指示を出したフィンもまた、油断なく槍の穂先を大穴へと向ける。

 

まるで奈落の底へと通じているかのような暗闇へと目を凝らす。そして地鳴りのような規則的な音がこちらへと近づいてゆき―――――漆黒を突き破り、三つの巨大な影が飛び出してきた。

 

「!?」

 

レフィーヤの両目が見開かれる。

 

彼女の目の前に現れたモノ……それはモンスターと呼ぶには、あまりに禍々しい姿をしていた。

 

『ゴアアァァアアアアッ!!』

 

「うっわッ!?」

 

ティオナの持つ大双刃(ウルガ)が、振り下ろされた巨大な槌を受け止める。腰を落として目いっぱいに踏ん張り、ようやく受け止めきれる程の膂力だ。

 

「み、ミノタウロス!?」

 

ティオナから困惑した声が上がる。

 

彼女に緊迫の表情を強いた存在。それはミノタウロスにも似た、しかしそれとは遥かにかけ離れた巨躯と膂力を持つ、ねじくれた角に牛の頭を持ったモンスターだった。

 

『ヴゥウンッ!!』

 

「くっ!」

 

真横からティオネの胴を寸断すべく振るわれたのは、二つの大鉈だった。咄嗟の判断で両手の湾短刀(ゾルアス)を交差させて防御するも、そこで攻撃を仕掛けてきたモンスターの顔を見て、彼女は絶句する。

 

「フォモール、ですって……!?」

 

肉が剥がれ、異形の頭蓋が露わとなったその顔。爛々と光る双眸に殺意を滲ませたそれは『深層』に出現するモンスター、フォモールを彷彿とさせた。

 

「違う、別種だ!」

 

『ガッ!?』

 

強襲にうろたえ、僅かに反応が遅れたアマゾネスの姉妹へと飛ぶフィンの声。彼は小さな体躯を活かして二対の大鉈の攻撃をかいくぐり、槍の石突きでモンスターの顎を穿つ。

 

下顎の骨を粉砕され、のけ反るモンスター。その顔は、山羊の頭蓋にも似ていた。

 

「レフィーヤ、速射魔法でティオナを援護!この山羊型は僕とティオネがそれぞれで受け持つ!」

 

「ッ、はい!!」

 

その声により、唖然としていたレフィーヤは我に返る。落ち着きを取り戻し、リヴェリアも教えにあった“大木の心”で魔法の詠唱に移った。

 

「【解き放つ一条の光、聖木の弓幹(ゆがら)。汝、弓の名手なり―――】!」

 

無防備となった彼女にモンスターを向けないよう、フィンたちは休む事なく得物を振るった。牛を山羊を彷彿とさせるモンスターたちも同様に、彼らを叩き潰さんばかりの猛攻を見せつける。  

 

が、どうやらフィンたちの方が一枚上手だったらしい。

 

『ギィッ!!』

 

フィンの突き出した槍の穂先は山羊のモンスターの額を穿った。硬直したその身体に更なる追撃として振るわれた足刀が、頭部を完全に破壊する。

 

2Ⅿもある身体が崩れ落ちるのと同時に、ティオネの方も片付いたようだ。

 

「ふっ!」

 

アマゾネスらしい重い拳が腹部に深く突き刺さり、身体をくの字に折った山羊のモンスター。差し出されたその首を、二刀一対の湾短刀(ゾルアス)が刈り取る。

 

噴き出す鮮血には目もくれずに彼女が反対側を振り向けば、ちょうどティオナが牛のモンスターの身体を袈裟懸けに切り裂いている光景が目に入った。

 

「おりゃー!!」

 

『グウゥッ!?』

 

大双刃(ウルガ)を振り抜いた格好のまま身体を回転させ、更に勢いをつけてもう一撃。十文字の裂傷を刻まれた牛のモンスターは、手にしていた大槌を苦し紛れに振るう。

 

『ガアァアア!!』

 

「よっと!」

 

それを見越していたかのか、ティオナは器用にその場から飛びのいた。そして亀裂の走る地面から離脱した彼女と入れ替わるように、レフィーヤの魔法が完成する。

 

「【アルクス・レイ】!」

 

放たれた閃光の一射。

 

魔法円(マジックサークル)から発生したそれは真っすぐに対象の元へと飛んで行き、眩い光と共にその顔面に着弾した。

 

『ッッ!!?』

 

激しい炸裂音が響き渡り、牛のモンスターの巨体が地に沈んだ。

 

傷口から流れ出る血液が地面に溜まり、未だその顔面から煙がくすぶる中、戦闘を終えたティオナたちは互いを労わりながら一か所に集まる。その顔には、少なからずの安堵の表情が浮かんでいた。

 

「お疲れー、レフィーヤ」

 

「タイミングもばっちりだったわよ。やるじゃない」

 

「え、えへへ。ありがとうございます」

 

言葉を交わす三人。今しがたの戦闘について褒められたレフィーヤも、まんざらでもない様子だ。

 

そんな中、フィンだけは地に伏した牛のモンスターをじっと見つめている。それに気が付いたティオネは、会話を続ける二人から離れて彼の元へと向かった。

 

「団長、どうかされましたか?」

 

「……ティオネ。君はこれらのモンスターと戦って、何か不思議に感じた事は無いかい?」

 

「え?」

 

いつもの柔らかな笑みを消して投げかけられたその問いに、彼女はすぐに答える事が出来なかった。

 

基本的には戦う事が生業のアマゾネスであるティオネ。こと戦いにおいては野性的とも言える感性を持っているが、それを言葉で伝えるのは中々に難しい。

 

しばしの間をおいて、彼女は自分なりの回答を述べた。

 

「そう、ですね。何というか……何かに取り憑かれたような、執着のようなものを感じた……かも知れません」

 

モンスターは人間に対して怒りを持って襲い掛かってくる。それは自分たちをダンジョンに閉じ込めている事に対するものであるとか、はたまた生理的なものであるのか。それは定かではないが、ともかく怒りを持っている事は確かだ。

 

しかしティオネは、先の戦闘ではこのモンスターたちは怒りと言うよりも、何か別の物を求めて襲い掛かってきたように思えたのだ。

 

まるで……自分たちの“(なか)”にある物に用があるかのように。

 

「そうか……ありがとう。参考になったよ」

 

フィンはそう労いの言葉をかけ、気を良くしたティオネが嬉しそうに破顔する。その光景を見たティオナが呆れ、レフィーヤも困ったような苦笑を向ける。

 

ちょっとしたイレギュラーはあったものの、今ここにあるのはそんないつも通りの光景。その事にフィンもようやく笑みを取り戻した。

 

 

 

―――――その瞬間に。

 

 

 

『ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!!!』

 

轟く絶叫。跳ね上がる巨体。

 

大量の血を流し、顔面の大部分を炭化させながらも立ち上がった牛のモンスター。全くの予想外であったこの再起に、フィンですらが目を剥いて驚愕する。

 

既に息絶えていたと思っていたモンスターは最後の力を振り絞り、両手で振り上げた大槌を彼らに叩きつけようとして―――――。

 

 

 

 

 

その胸に、雷の穂先を生やした。

 

 

 

 

 

『ガッ………』

 

硬直する牛のモンスター。その胸に穿たれた穴からは、槍の形をした雷のようなものが突き出ており、全身に紫電を走らせている。その巨体は僅かに痙攣を起こし、そして遂には崩れ落ちた。

 

項垂れるようにして息絶えたモンスターの身体は、しかし灰にはならずに、そのまま光の粒子となって大穴の奥へと消えていった。この余りに唐突なこの光景に、誰も口を開けずにいた。

 

異常な生命力を見せつけた牛のモンスター。

 

大穴から放たれた雷の一撃。

 

かき消えたモンスターの死骸。

 

フィンとティオネが倒した山羊のモンスターの死骸も同様だった。フィンは灰も残さずに消えてしまったモンスターの死骸があった場所へと歩き出し、そして無言でその場に片膝を突く。

 

レフィーヤたちの困惑した視線を感じつつも、彼はこの言葉を発するのみであった。

 

「………魔石が、ない」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十話 せめて心は

気が付けば、男は既に不死人であった。人であった頃の記憶はとっくの昔に消え失せ、あるのは泥と血に塗れた今だけだった。

 

『お前さんはあの朽ち果てた門へ辿り着く。望もうが、望むまいが―――』

 

どれほど歩いたのか。光に惹かれる羽虫のように、男は朽ち果てた門(そこ)へ辿り着いた。そしてその先で渦を巻く水流の底へと、男は身体を躍らせる。

 

『やがて失くした事すらも思い出せなくなったら、お前さんは人じゃないものになる』

 

浮遊感にも似た感覚を味わいながら、小屋で出会った老女の言葉が脳裏をかすめた。

 

男はまだ人だった。

 

 

 

遥か北の地、貴壁の先。失われた国、ドラングレイグ。人の理を取り戻す“ソウル”と呼ばれる力を求め、男は果てしない戦いの日々にその身を投じる事となる。

 

襲い来る亡者、デーモン、闇霊、巨人、そして特別なソウルを持つ者たち。男はその全てを屠っていった。

 

時には瘴気を纏った竜を屠り、過去の反逆者を屠り、そして混沌に灼かれた白き王をも屠り去った。

 

無論、無傷では済まなかった。何度も死に、その度に生き返る。幾度となく繰り返される流れの中で、それでも男が自我を保てていたのは奇跡と言う他ない。

 

旅路の中では出会いもあった。槌を振るい続ける者、同じ目的を持つ者、武者修行をしていると言った者。他にも多くの出会いがあり、白霊として共闘する事もあった。

 

最初は仲間らしく振舞っていたのだろう。しかし時が経つにつれて、そう言った考えは頭から抜け落ちていった。辛うじて仲間の上っ面を保てていたのは、せいぜい()()()()程度だ。

 

人間らしい考え方は出来ているのか?それを疑問に思い始めたのは、果たしていつ頃からだったであろうか。

 

気が付けばそんな事ばかり考え始めたのは、果たしていつ頃からだったであろうか。

 

まだ自分は人なのか―――男には分からなかった。

 

 

 

遂に開かれた最後の扉……『渇望の玉座』。

 

玉座の守護者と監視者を倒した後に待ち受けていたのは、深淵の落とし子にして偉大なソウルを渇望する異形の王妃だった。ドラングレイグの王を唆し、彼に巨人のソウルを簒奪させた張本人でもあったこの化け物は、男にこう言い放つ。

 

『今こそ、闇と一つに』

 

そう。

 

特別なソウルを持つ者たちを打ち倒し、それらを己が糧とした不死人を喰らう。それこそがこの化け物の目的だったのだ。その企みに勘付いたドラングレイグの王の時には果たせなかった悲願を、今度こそ果たそうと言うのだ。

 

戦いは必然だった。互いの得物が互いの肉を切り裂き、血とソウルを周囲に振り撒く。やがて冷たい地面は黒い血で染まり、そこに化け物の身体が崩れ落ちた。

 

男は勝利した。全てを渇望した深淵の落とし子は、最後の最後で全てを奪われる事となったのだ。

 

しかし、強大なソウルを手にした男の心は動かない。戦いに勝利した喜びも、まだ自我を保てている安堵も、何の感慨も浮かばなかった。

 

頭の中にある事はただ一つ。

 

“まだ俺は、人なのか?”

 

幾度となく繰り返してきた自問は、未だに頭の中を渦巻いていた。

 

 

 

『かつて、幾多の王が現れた』

 

その場に立ち尽くしていた男は、背後から聞こえてきた声に振り返る。

 

その声は旅路の中で何度か耳にした事があるものだった。地面から湧き上がるようにして現れたそれは、燃え盛る枯れ木の身体を起き上がらせる。

 

『ある者は毒に呑まれ、ある者は炎に沈み、そしてある者は、凍てついた地に眠る。一人として、この地に辿り着く事なく』

 

語り出した異形はその見た目に反し、非常に静かで理知を帯びた声色をしていた。全てを悟り、遥か天上から人々を見下ろす存在であるかの如く、男に迫る。

 

『試練を超えた者よ……答えを示す時だ』

 

異形は鎌首をもたげるようにして無数の触手を蠢かせ、浮遊する炎を周囲に展開した。

 

連戦に次ぐ連戦。疲弊しきり、武器も半ば壊れかけている。そんな絶望的な状況にも関わらず、男は地を蹴って走り出した。

 

猛攻を躱し、防ぎ、いなし、なけなしの力で壊れかけの武器を振るう。朦朧とした意識の中で繰り広げられた為か戦闘の記憶はなく、ただ動いていた、という覚えだけがあるだけだった。

 

しかし、その瞬間だけははっきりと覚えていた。

 

かつて因果に挑み、果たされず、ただ答えを待つ者……アン・ディール。又の名を『原罪の探究者』。燃え盛る枯れ木の異形と成り果てた彼の瞳と己の瞳とが交わった、あの瞬間だけは。

 

『―――』

 

「―――」

 

そこに言葉はなかった。代わりとばかりに男は剣を、原罪の探究者は触手を振るう。

 

そして―――――。

 

 

 

男はまたしても勝利した。

 

原罪の探究者は最期に何やら問いを男へと投げかけ、そして消えていった。何を言っていたのかなどは、もはや知る由もない。

 

その場に立ち尽くしていた男は顔を上げ、正面を見据える。目の前には深い絶壁を隔てて、石造りの巨大な炉のようなものがあった。入口に当たる場所には巨大な扉が設けられており、それが外見に対して不釣り合いに仰々しかったのを覚えている。

 

男は吸い寄せられるようにその場所へと向かって歩き出した。絶壁に近付くと周囲に立っていたゴーレムが動き出し、互いに組み合って男が歩くための道を作った。まるで、王が歩くべき道であるかの如く。

 

炉の前まで来るとひとりでに、その大扉は迎え入れるように開いた。

 

外開きの扉の先にあったのは灰で覆われた地面と、中央に置かれた簡素な岩の玉座であった。人が座るには大きすぎるそれは、無理に人が座る形に合わせたような痕跡が見えた。もしかすると後になって新たに削り出されたものなのかも知れないが、そんな事はどうでも良かった。

 

男はもう疲れ果てていたのだ。終わりの見えない不死の旅路に。

 

最初の頃に抱いていた呪いを解くという悲願は、もはや希薄になっていた。繰り返される戦いの日々の中で人間らしさはすり減り、摩耗し、徐々に消失していった。遂には自分がまだ人であるのか、その自信すら失ってしまった。

 

過去の事はもう思い出せない。故郷の景色も、家族の顔も、己の名前さえも。そこまで忘れてしまった存在を、一体どうして“人”などと呼べるだろうか。

 

その結論に至った瞬間、男はついに諦めた。皮肉にもそれは長きに渡った旅路の終着点……つまり、岩の玉座の前であった。

 

男は玉座に腰を落とした。歩き疲れた旅人のように。脳裏を何者かの()()がちらりと掠めるも、もはや気にも留めない。

 

それと呼応するように、開いた巨大な扉がひとりでに閉じてゆく。

 

ゆっくりと遮られてゆく光。暗い炉の中に閉じ込められる恐怖を、しかし男は感じなかった。否、もう何も感じなくなってしまったのかも知れない。

 

恐怖はなかった。自分はもう“人”ではなくなったのだから。

 

そうして男は瞳を閉じ、一切の光が届かない炉の中で静かに座り続けるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

パチッ、と、松明の火が弾ける。

 

自身の事を語り終えたファーナムを迎えたのは、痛いほどの静寂だった。彼の言葉を黙して聞いていた二人の胸中には、複雑な思いが渦巻いている。

 

不死人という存在、ソウルという概念。そして亡者やデーモンといった異形の存在で溢れ返った、終末じみた世界。あまりに荒唐無稽で突飛な話であったが、神であるウラノスにはそれが事実であると理解できてしまったのだ。

 

ファーナムの話を聞き、未だ沈黙しているフェルズに代わってウラノスは口を開く。

 

「驚かされた。お前がただの冒険者ではない事は分かっていたが……よもや、我らが知りもしない存在であったとは」

 

「それも無理はない。どうやらこの世界は、俺がいたあの地とは根本的に異なるようだからな。この世界にソウルという概念すら無いと理解した時から、そんな気はしていたが」

 

ダンジョンを千年もの間監視し続けてきたウラノスですらも知らない出来事。多くの神々の中でも“大神”とも呼ばれる彼が知らないという事は、既に事情を聞かされているロキとへファイストスを除いた全ての神が知らないという事を意味する。

 

正真正銘の“未知”の存在。もしもこの事実が明るみに出れば、ファーナムはたちまち他の神々に付け狙われるだろう。そうなれば、彼を巡っての争奪戦がオラリオで勃発しかねない。

 

ファーナムの正体だけは絶対に秘匿する。娯楽に飢えた神の執念深さを熟知しているウラノスは、胸中で密かにそう決意した。

 

「……一つ、良いか」

 

と、ここで、今まで沈黙していたフェルズが声を発した。彼は顔を伏したまま、漆黒が広がるフードの奥から問いを投げかける。

 

「なんだ」

 

「不謹慎な事だというのは重々承知している。だが、どうか言わせてくれ……正直に言って、私は君が羨ましく感じた」

 

その言葉に、さしものウラノスも眉をひそめる。

 

今しがた聞かされたファーナムの凄惨な旅路。来る日も来る日も戦い続け、徐々に人間らしさが消失してゆく恐怖と隣り合わせの生。その元凶となった“闇の刻印”が刻まれ、不死人となった彼が羨ましいなど、普段の彼からは考えられない発言だ。

 

が、同時に理解する。

 

フェルズがどのような過去を歩んだのか、それを知っているが故に。

 

「何故、そのような事を?」

 

口を開いたファーナムの言葉は硬質で、僅かに冷たかった。

 

多少の非礼で怒りを覚える程、ファーナムは血の気が多くない。しかしそれは飽くまで“多少”だ。フェルズの言葉が単純な好奇や軽々しい興味から出た言葉であれば、流石のファーナムも黙ってはいられない。怒りに任せる事はしないが、今後の関係は確実に悪化するだろう。

 

刺々しい空気が漂い始める中、フェルズは伏いていた顔を上げる。視線をまっすぐにファーナムへと向けた彼は、唐突にこう切り出した。

 

「……私は、魔術師だった」

 

それはフェルズの過去であった。

 

ファーナムが己の事を語ったように、今度はフェルズが、自身について語り始めたのだ。

 

「かつて私は魔法大国と呼ばれる場所にいた。そこでは様々な魔法の研究が進められており、多くの者たちがその叡智を深めようとしていた」

 

「……」

 

「私もその例に漏れず、誰よりも魔法の高みを欲した。無限の知識が欲しくて、欲しくて……しかしそれを得るには、人の生は余りに短すぎた。だからこそ求めたんだ、永遠の命を」

 

「永遠の命だと?」

 

未だに堅いファーナムの言葉に、フェルズは怖じる事なく肯定の意を込めて首を縦に振る。その姿がどう見えたのか、ファーナムは先の質問の意味を吟味し、見定めるように目を眇めた。

 

ウラノスが黙して見守る中、フェルズの言葉は更に紡がれる。

 

「そしてある日、私はついに作り上げた。永遠の命を与える魔道具(マジックアイテム)、『賢者の石』を。狂喜した私は、早速当時の主神にこの成果を報告しに行った。誰にも成し得なかった大偉業を遂げた私は喜び勇んでそれを見せ―――――そして、呆気なく砕かれた」

 

「……何?」

 

「呆然としている私の姿を見て当時の主神は、あいつはゲラゲラと笑っていたよ。私が人生を賭して作り上げた神秘の結晶体を、まるでガラクタのように、床へと投げ捨てたんだ」

 

フェルズの口から語られたその内容に、ファーナムは少なからず衝撃を受けていた。

 

自分の眷属(こども)の成果をそのように扱った神の意図が分からないというのもあったが、一番の衝撃は、フェルズが永遠の命を与える『賢者の石』なる魔道具(マジックアイテム)を作り出した事だった。

 

呪いではなく、正真正銘の神秘の結晶体。そんな途方もない代物を目の前で砕かれた当時のフェルズの絶望の程は計り知れないだろう。

 

「それからが私の妄執の始まりだった。あの憎き主神の元を去り、別の手段で永遠の命を手に入れようと躍起になった……そして見つけたんだ、不死の秘法を」

 

「……では、お前は手に入れたと言うのか。永遠の命を」

 

ごくり、と生唾を呑み込み、ファーナムは問うた。

 

呪いによるものではない永遠の命を与える『賢者の石』を生成した彼が編み出した、もう一つの方法。終わりなき命に絶望したファーナムであっても、それは僅かばかりにも関心を引く内容だった。

 

「ああ、ついに私は渇望した不死の身となった。もっとも……」

 

質問に答えたフェルズは、おもむろに手を動かす。手袋(グローブ)で覆われたその手はフードの端を掴み上げ、そして勢いよく剥ぎ取った。

 

露わとなるその顔。それは暗闇の中でもハッキリと分かる程に白く、浮かび上がるように異彩を放っている。

 

ファーナムに晒されたフェルズの素顔。それは本来あるべき肉が全て剥がれ落ちた、白骨の骸骨の顔だった。

 

「……!」

 

「この通り、人ではなくなってしまったがね」

 

言葉を失うファーナムに対し、フェルズは自嘲するように小さく笑い、そして語る。

 

「単純な事さ。私が編み出した不死の秘法は、完全ではなかったんだ。反動として体中の肉は腐れ落ち、今ではモンスターよりも醜悪な存在となってしまった」

 

がらんどうの頭蓋から発せられる言葉は大空間に反響し、ファーナムの耳へと木霊する。フェルズは立ち尽くす彼の元へ歩み寄ると、謝罪の意を込めて頭を下げた。

 

「不死人である君を羨む発言をした事を、ここに謝罪する。肉を持たない私が述べた先の無礼を許してくれ。……だが、どうか分かって欲しい。私の言葉は偽らざる本心なんだ」

 

ファーナムを羨んだ事、それは紛れもない本心であった。

 

不死人にとって生者の外見を保つ方法はいくらかある。そうする事で人々の中に紛れる事も出来るし、太陽の下を歩く事も出来る。が、フェルズはそうではない。

 

鏡を見る度に、モンスターを見る度に、笑い合う人々を見る度に、肉の剥がれた白骨の、人とはかけ離れた自分の姿が頭の中に浮かぶのだ。素顔を晒して人前には出られず、暗闇に紛れるしかない。そんな彼がファーナムを羨むのを、どうして責められるだろうか。

 

「君がどれほど過酷な運命を辿って来たのか、話を聞いただけの私ではその断片しか推し量る事は出来ないが……ファーナム、それでも君は“人”だよ」

 

「っ……」

 

「私も身体こそ変わってしまったが、せめて心は“人”で在りたい。恐らく、君もそうなのだろう?」

 

誠意を込めた謝罪。しかし己の言葉は曲げず、そしてファーナムを“人”だと断言したフェルズ。

 

自身が人であるか疑問を抱いていたファーナムにこの言葉を贈ったのは、経緯は違えど同じ不死の身となった者として哀れみを抱いたからなのか?―――――否。これもまた、フェルズの本心であった。

 

「……ハハ」

 

こちらを見上げるフェルズに向けて、兜越しに声を漏らす。さっきまでの張り詰めていた空気は既に霧散し、そこにはいつもと変わらぬ、穏やかな姿のファーナムがいた。

 

そして、彼はフェルズへと手を差し出す。開かれた右手が求めるのは友好の印、つまり握手である。

 

「お前の事を全て理解できた訳ではないが……少しだけ、近付けた気がする」

 

フェルズという()()の本質。不完全な不死の身となった事を絶望するだけではなく、それでも人であろうと足掻き続ける者。その姿に、ファーナムはある種の眩しささえ覚えた。

 

気が付けば、ファーナムは握手を求めていた。いつもであれば言葉を交わす程度で済ますそれを、このような形で行おうと思ったのは、『せめて心は“人”で在りたい』というフェルズの言葉が、無意識にも心を突き動かしたからに違いない。

 

「ここで改めて名乗ろう……俺の名はファーナムだ。尤も、これは偽名だがな」

 

「……ふふ、そうか。ああ、そうだな。では私ももう一度、自己紹介といこう」

 

小さく笑い、フェルズもまた名乗りを口にする。

 

「私はかつて無限の知識を欲し、その果てに不死と成り果てた『賢者』と呼ばれた者の成れの果て……今は『愚者(フェルズ)』と、そう名乗っている」

 

差し出された手を握り返し、二人は固い握手を交わす。

 

呪いによって望まぬ不死となった者と、理想の探究の末に望まぬ形で不死と成り果てた者。経緯は違えども同じ結果を辿った二人はこの日、友となったのだ。

 

「どうやら……互いに認め合えたようだな」

 

「ああ、ウラノス。そして間違いない。ファーナムは今ダンジョンで起きている異変についての知識はあるが、それを招いた存在ではない。私はそう確信した」

 

と、ここで沈黙していたウラノスが口を開いた。彼の言葉に自身を持ってそう答えるフェルズは、次いでダンジョンでの出来事の原因は別にあると断言する。

 

その言葉に、ファーナムは敏感に反応する。

 

「ダンジョンでの異変、それはつまり……」

 

「そうだ。今回君に接触したのも、それが原因だ」

 

フェルズの声が若干低くなる。

 

ウラノスは彼の言葉を引き継ぎ、切り出す。

 

「あの赤い亡霊……闇霊(ダークレイス)だったか。それがダンジョンに現れたという事はつまり、君の世界とこのオラリオが、何らかの要因で繋がっているという事なのだろう」

 

「あれは君を狙っていたが、他の冒険者たちが狙われない保証はない。あれほどの脅威を野放しにする訳にはいかないんだ」

 

「当然だ。俺もそんなつもりはない」

 

オラリオで目覚めた理由。それを求めているファーナムにとって、二人の協力を拒む理由はない。

 

それに、今のファーナムは【ロキ・ファミリア】の一員だ。彼らにも被害が出るような事態、それだけは何としても阻止しなければならない。

 

「お前たちが知っている事、推測している事……全てを、俺に聞かせてくれ」

 

ギルドの最奥。薄暗い大空間を松明の火が照らす中、ファーナムは情報の開示を促す。

 

迷宮都市オラリオ。その代名詞とも言えるダンジョンで起きている異変について、彼らは誰にも知られる事なく、その密談を開始するのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「団長、それに皆さん。お帰りなさい」

 

「ああ、ただいま」

 

ダンジョンから帰還したフィンたち一行を、本拠(ホーム)の門番をしていた団員が迎える。彼らはアイズとリヴェリアの姿が見えない事に首をかしげるも、フィンからの説明を受けて納得した風に頷いた。

 

「待っていて下さい。すぐに夕食の準備を……」

 

「いや、いい。それよりも先にやる事がある」

 

団員が一行の帰還を知らせるべく館に戻ろうとするも、フィンが素早くそれを制した。振り返った団員は、後ろに控えているティオネたちの顔がやけに硬い事に気が付き、戸惑いの表情を浮かべる。

 

何かあったのか?という疑問が口をつくよりも早く、フィンは団員にこう尋ねた。

 

「ロキはいるかい?少し話しておきたい事があるんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今戻った」

 

「遅いぞ。大したデーモンでもないだろうに、何をもたついていた」

 

「まあ良いじゃねぇか。きちんと始末してきたんだろう?」

 

漆黒の空間に響く三つの声。

 

一つはダンジョンへと向かった男のもので、もう一つは以前、彼の言葉に反感を抱いていた者の声だ。そして最後の声は、地面に胡坐をかいて座っている男の声である。この男も例によって、全身を黒いローブで覆っている。

 

「今回の目的地は神どもが多い。我が物顔で地上にのさばり、鼠のように病気を世界にまき散らしている。私は……俺は、それが我慢ならん。王の為にも、一刻も早く皆殺しに……ッ!」

 

「君の気持ちは分からなくもないが、それこそ王の意志に背きかねない。今はまだ“その時”ではないだろう」

 

新たな声が加わる。

 

それは落ち着き払った様子で、昂る男を嗜めた。学者然とした印象を与えるその声もまた、男のそれである。

 

「ところで王は?ここにいないって事は、またどこかの世界にでも行ってるのか?」

 

「はい。行き先は告げませんでしたが、少し出てくると……」

 

胡坐をかいていた男の声に反応したのは、この場では唯一となる女のものだった。年若い少女を連想させる声の持ち主は、静かな声でそう答えた。

 

この場にいる全員が同じ格好、すなわち黒いローブで全身を覆っていた。その下に着込んでいる鎧や衣服は完全に隠れ、体格と声でしか個人を判別する事は出来ない。

 

彼らはこの漆黒を照らす唯一の光である篝火を囲むようにして固まっていた。それぞれが思い思いの姿勢で、“王”の帰還を待っているのだ。

 

「大体お前は王に対する敬意がなっていない。以前はいくら親しい間柄だったと言っても、今は違うのだぞ」

 

「そう怒るなよ。俺だって時と場合は弁えているつもりだぜ。……つーかあんた、随分と変わったな」

 

「ふん、今更だろう。俺は王に仕えると誓った。そうである以上、徹底的にやるだけだ」

 

「ははは。以前の君からは想像もつかない台詞だ」

 

「ええ、本当に……」

 

篝火を囲んでのささやかな談笑。それは、“王”が帰ってくるまで続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時を同じくして、“王”は()()に立っていた。

 

古い王たちの地(ロードラン)から遠く離れた、とある開けた空間。そこには乾いた土と僅かばかりに生えた雑草、そして朽ち果てた建物の残骸が散らばるのみである。

 

そこにはポツンと一つだけ、小さな石板が立てられていた。長く雨風に晒されて古びてはいるものの、最低限の手入れはされているらしい。そこに刻まれた人名らしき文字を、どうにか読める程度には。

 

「………」

 

“王”はその石板の前に―――小さく簡易な墓の前に立っていた。

 

無言で微動だにせず、ただそれを見下ろす。いつもは得物を振るうその手には、道中で摘んだ紫蘭(シラン)の花が一輪。

 

“王”は地面に片膝をつき、墓石にまとわりついた苔や枯れ葉を取り除いてゆく。ゆっくりと、決して墓石を壊さないように、注意深く。

 

「………すまない。今回は少し、遅くなった」

 

掃除を終えた墓の前に一輪だけの紫蘭(シラン)を添えると、“王”は静かに立ち上がった。すぐにその場を立ち去る事もなく、彼は黙ったまま墓石に視線を落とす。

 

 

 

『―――――■■■■!』

 

 

 

「………」

 

脳裏に過ぎったのはかつての記憶。

 

覚えている限りでは最も古く、そして間違いなく幸福と言える瞬間。記憶の海に溺れてしまいたい欲求が己を駆り立てるが、“王”はゆるりと首を振って思考を中断させる。

 

「………また来る」

 

それだけを言い残して墓を後にする“王”。その手は首元の、ぼろぼろのペンダントが収められている鎧の上で、力強く握られる。

 

振り返る事もしないその足取りには、静かな意志が宿っていた。

 




一応これで外伝2巻までは終わりました。

ようやく物語も半分くらいまでは進められたかなと思います。更新速度が落ちてきてしまいましたが、今後もどうか読んで頂ければ幸いです。

読者の皆様、これからも宜しくお願い致します。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十一話 それぞれの思い

濃い夕焼けの光が窓から差し込み、ファーナムの横顔を赤く照らし出した。彼は視線を落としていた本から数時間ぶりに顔を上げ、赤く染まったオラリオの街並みを窓越しに眺める。

 

「……む」

 

広げていた本をパタリと閉じて傍らにあるテーブルの上に置く。そのすぐ隣には読破した書物が10冊ほど積み上げられており、どれだけの時間この場所に籠っていたのかが窺える。内容はオラリオの歴史や魔法に関する書物といった学術書で、ティオナが好むお伽噺とは正反対なものだ。

 

【ロキ・ファミリア】の本拠(ホーム)、『黄昏の館』。その建物内部にある書庫の一角に、ファーナムはいた。

 

「もうこんな時間か」

 

すっかり読書に没頭していたので時間の経過にも気が付かなかった。そもそも普段から利用しているのはリヴェリアくらいなので、書庫に人影はなく、それも原因の一つであろう。

 

下の食堂からは食事を作っている香りと、団員たちの談笑の声が聞こえてきている。ファーナムは椅子から立ち上がり、その足を食堂へと向かわせようとした、その時だった。

 

 

 

「アイズたんLv6キタァァアアアアアアアアアアアアア!!!」

 

 

 

館中に響き渡る女神の歓声。不意打ち気味に轟いたその声に、ファーナムは眉を訝しげに歪ませた。

 

「……一体なんだ?」

 

 

 

 

 

ウラノスとフェルズとの密会から、すでに数日が経過していた。

 

現在ダンジョンで起きている異変……闇霊(ダークレイス)、喪失者の侵入の情報について、ひとつ分かった事がある。それは、通常であれば真っ先に感知できるはずのファーナムが気が付かずに、ウラノスだけが感知できたという事だ。

 

闇霊(ダークレイス)の使命は侵入した先の世界の主を殺す事。その為彼らはその世界の主を最優先に襲い掛かる。今回ファーナムが相対した喪失者も、その原則からは外れてはいないはずだ。

 

これまで遭遇してきた闇霊(ダークレイス)は、ファーナムを世界の主として認識していた。故に侵入に気が付く事が出来たのだ。しかし今回、喪失者の侵入に気が付く事が出来なかった。それは何故か?

 

ファーナムはここである一つの仮説を立てた。それは、今回の“世界の主”はウラノスではないかというものだ。

 

ウラノスはダンジョン内の魔物が外に出ないように、絶えず『祈祷』を続けているという。恐らくは千年にも及ぶこの行動が原因となり、彼はダンジョンという“世界”の主として認められたのだ。喪失者の侵入に気が付く事が出来たのも、きっとそのせいだろう。

 

そして喪失者はファーナムを見るや否や戦闘態勢に入った。これは恐らく、強大なソウルに反応したのだと思われる。元より闇霊(ダークレイス)とは、ソウルを奪う存在であるが故に。

 

また今回はファーナムが勝利したが、もしも負けてしまった場合、どうなるのかが分からない。ソウルを得て満足して帰るのか、世界の主であるウラノスを殺しに来るのか……闇霊(ダークレイス)の性質から考えるのならば、恐らくは後者だろう。

 

以上の事から、ファーナムは断じて喪失者を野放しにする事が出来なくなった。元よりそのつもりはなかったが、ウラノスというダンジョンの神が殺害される事はつまり、ダンジョンの崩壊を意味する。そしてそれは、オラリオの崩壊に直結する。

 

事態を深刻に受け止めた三人は、以降連携して闇霊(ダークレイス)の対処に当たる事に決めたのだった。

 

ファーナムの帰り際、フェルズは彼にある物を手渡した。それは双子水晶の片割れ、片方の水晶に呼びかける事で、もう片方の水晶に音が伝わるという、フェルズ手製の連絡器具だ。

 

これを受け取り、ファーナムはギルドの最奥を後にした。何かあればこの水晶を使い、すぐに連絡するという言葉を残して。

 

そしてそれ以降、まだ連絡は来ていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

所変わって、館の空き部屋の一室。その床の上でロキはプルプルと悶えながら転がっていた。

 

「ぐ、ぐふぅ……アイズたん、相変わらず容赦ないわぁ……!」

 

何やら凹んでいたアイズに【ステイタス】の更新を促したところ、何と彼女はLv6にレベルアップしていたのだ。有頂天になるロキとは裏腹に、それでも何故かアイズの顔色は冴えなかった。

 

という訳で、ロキはアイズの胸を後ろから鷲掴みにしてみた。

 

今ならイケる!と踏んだロキであったが、その結果は無残にも鳩尾に叩き込まれた肘鉄。転げ回るロキを尻目にアイズはさっさと服を着直し、そのまま部屋を出ていった。

 

「にしても、やっぱ気になるなぁ。せっかくのレベルアップやのに、ニコリともせぇへんやなんて……」

 

いてて、と言いながらようやく立ち上がるロキ。倒れてしまった椅子を直してそこに腰かけ、新しく増えた心配事に額を押さえる。

 

彼女の脳裏に蘇ってくるのは、数日前に交わしたフィンたちとの会話である。

 

 

 

 

 

「どしたん?フィン」

 

「ああ、ロキ。いきなり呼んでしまってすまないね」

 

団員からの伝言を受けてフィンの自室でもある執務室へとやって来たロキを待っていたのは、つい先ほどダンジョンから戻ってきたフィンたちであった。

 

ティオネとティオナ、レフィーヤ。そして執務用の机を前にして座っているフィンは、挨拶もそこそこにいきなり話を切り出した。

 

「今しがた僕らはダンジョンから帰還してきたんだけど、そこで妙なモンスターと遭遇したんだ」

 

「妙なモンスター?」

 

「ああ。信じられない事だが、そのモンスターには魔石がなかった」

 

「……なんやて?」

 

何やら不穏な空気を感じ取ったロキは話の先を促す。

 

フィンは事の経緯を語った。ダンジョン内で見慣れない大きな横穴を見つけた事。そこから魔石を持たないモンスターが出てきた事。そしてその横穴から放たれた、槍を彷彿とさせる雷の一撃……。その内容は、地上に降り立って以来一度も聞いた事がないようなものであった。

 

「山羊やら牛やらに似た外見のモンスターなぁ……」

 

「しかも武器まで持ってたんだよ!でっかいハンマーみたいなのとか、あと鉈みたいなのとか!」

 

「あの鉈は天然武器(ネイチャーウェポン)って感じがしなかったわね。強いて言うなら、冒険者がダンジョンで落とした武器かしら?」

 

「でも、あんな出鱈目な大きさの鉈なんてあるんでしょうか。それに、冒険者が使うには余りに……」

 

ティオナの言葉を皮切りに、ティオネとレフィーヤもそれぞれの意見を言い始める。

 

遭遇したモンスターの内の二匹、山羊に似たモンスターは巨大な鉈を左右の手に持っていた。通常の天然武器(ネイチャーウェポン)にしては整いすぎ、しかし冒険者の得物にしては異様なそれに、三人はどうにも腑に落ちない感情を抱いていた。

 

「あの武器も分からないが、それは重要じゃない。問題なのはモンスターの核である魔石が無かった事だ」

 

どれだけ強大なモンスターであっても魔石を砕かれれば死に至る。それがダンジョンの常識であり、覆ってはいけない絶対の掟である。それを真っ向から否定する存在が現れたのだ。

 

フィンはこの事実を重く受け止めた。魔石という急所がない以上、確実に息の根を止めるには首を刎ねるか全身をバラバラにする位しか方法はないだろう。遭遇した牛と山羊に似たモンスターはフィンたちにとってそれほどの脅威ではなかったが、他の団員たちは違う。もし再び現れた場合、フィンたち以外に的確に対処できる冒険者はどれだけいるだろうか。

 

「ギルドには伝えたんか?」

 

「いや。まだ確認出来ていない事の方が多いし、ギルドに伝えて無駄な混乱を招きたくない。それに現れたのは『深層』の一つ手前の階層だ。あそこまで行ける冒険者は限られているから、今すぐに被害が出る事はないだろう」

 

「そっか……ふぅむ」

 

神妙な顔で頷くロキは顎に手を当て、頭の中で情報を整理する。これも強大なファミリアの主神である彼女の仕事の一つである。

 

その後、フィンは今度の方針を軽く決めた。

 

当然ながら放置は出来ない。数日中に再び元の場所に戻り、あの大穴の詳しい調査に向かう。中がどうなっているのか不明な為、調査は少数精鋭で行く事を伝える。

 

「少し長くなったけど今日の所はここまでにしよう。皆、ご苦労だったね」

 

その言葉でこの場をお開きとなり、ティオナたちは執務室を後にする。ダンジョンから帰ってきてすぐに集まったので、きっと彼女たちはシャワーでも浴びに行くのだろう。

 

それを察したロキはだらしなく鼻の下を伸ばし、こっそり後をつけようとする。部屋を出た彼女たちの足音が遠くなり始めた頃を見計らい、抜き足差し足で追いかけようとした、その時。

 

「ロキ」

 

「ぎくっ!?」

 

フィンの声が背中を射抜き、身体を硬直させるロキ。すっかり黙認されていたかと思っていたセクハラ行為を咎めるつもりなのかと、ロキはそろりと振り返ってフィンの様子を窺った。

 

が、その顔を見て彼女は思わず真顔に戻ってしまう。そこにあったのは苦笑交じりの呆れ顔ではなく、真剣な眼差しであった。

 

「ファーナムの事で、少し聞いても良いかな?」

 

「? 別にええけど……どしたん、そないに改まって」

 

「なに、大した事じゃないさ」

 

ロキは何て事のない風を装いつつ、腰に手をあてて壁に背中を預ける。その佇まいはいつもと変わらぬものであり、誰が見ても何の違和感も覚えないであろう。

 

一方のフィンは机の上で指を組み、ニコリともしていない。面接官を想像すれば分かりやすいか、そんな表情でロキと向かい合っている。

 

「彼がいたファミリアなんだけど……確か【クァト・ファミリア】で良かったかな?」

 

「せやで、ウチの(ふっる)ーい知り合いがやってたファミリアや。けど多分、アイツはもう地上には帰ってこないんちゃうかなー」

 

大仰に両手を広げて天を仰ぐロキ。芝居がかった動作ではあるが、彼女がやると妙に信ぴょう性が出てくるから不思議なものである。これも彼女が天界で道化神(トリックスター)と呼ばれていたせいであろうか。

 

「……そうか」

 

ロキの言葉を黙って聞きていたフィンは数秒の沈黙の後、短くそれだけ口にした。途端に今までの真顔は消え去り、いつも通りの柔和な笑みがその顔に戻った。

 

「引き留めて悪かったね、ロキ。ただ少し気になっただけさ」

 

「なんやそれ。そんなら後でも良かったやーん。せっかくのティオナたちの脱衣シーン見逃してもうたー」

 

「ははは、それはすまなかったね。でもセクハラは感心しないよ?」

 

「あれ、黙認やなかったん?」

 

そんな他愛のない会話を交わした後、ロキは部屋から出ていった。

 

直後、「うおー!今からでも間に合うかも知れんっ、突撃!隣の柔肌やぁー!」と下界の人間にはよく分からない言葉を叫びながら廊下を突っ走っていく女神の姿を、多くの団員が目撃したという。

 

そしてフィン以外に誰もいなくなった部屋で、彼は椅子に深く座り直した。自然と上を向いた蒼い瞳は天井へと注がれ、真っ白な空間を行き先のない視線が漂う。

 

「やる事は沢山あるけど……」

 

やがて誰に言うでもなく、フィンは静かに口を開いた。

 

「……こっち(・・・)の件も進めないと、か」

 

その表情から笑みは消え去っており、代わりに真剣な眼差しがあった。

 

 

 

 

 

「あん時のフィンの目。やっぱ不審に思っとるんやろなぁ」

 

回想を終えたロキの心配事。それは魔石を持たないモンスターというイレギュラーの存在と、フィンの抱いているファーナムへの疑惑である。

 

「いや。ファーナム一人に対してっちゅうより、ウチにも向けられとるんか……」

 

恐らくフィンは“クァト”という神の存在自体を疑っているに違いない。そしてその神を友神(ゆうじん)と言う、ロキの事も不審に思っている。

 

ロキがファミリアの主神という立場故に表立っての追求はしてこないだろうが、それも時間の問題だ。必要に迫られればフィンは何だってやる、そういう男なのだ。

 

「……これは相談が必要やなぁ」

 

頭の中であの鎧姿を思い浮かべつつ、ロキはそう独り言を漏らすのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

地上は夕焼けが街の景色を赤く照らし、多くの人々に一日の終わりが近付いている事を告げていた。その一日が過ぎていないのは、ダンジョンに潜っている冒険者くらいであろう。

 

そのダンジョンの何処か。ひたすらに薄暗い空間が続く回廊の中で、鋭い剣戟が鳴り響いていた。

 

「クソッ!何なんだよ、こいつらは!?」

 

「ヨソ見ヲスルナ、マダ来ルゾ!」

 

困惑した声を漏らしながら、その声の持ち主は右手のロングソードを振るう。返す刀で今度は左手のシミターを見舞い、襲い掛かってきた敵を打ち払った。焦りからくる言葉は低く、男性のものである。

 

そんな彼と背中合わせに立つ者は、武器などは使わず己の()をもって応戦している。荒々しい攻撃は敵の身体に食い込み、傷口をずたずたに抉ってゆく。その声はどこか奇妙で、石を擦り合わせたような印象を与える。

 

互いの安全を確保しながら戦うその姿は、まさに実力者のそれだ。事実、彼らの腕前はそこらの冒険者よりもよっぽど上であり、並み大抵のモンスターであれば容易く返り討ちに出来る。

 

が、彼らが現在相対しているのは、そんなものとは程遠い者たちだった。

 

『オボオォォオオオオオ!!』

 

「ぐっ!?」

 

耳を塞ぎたくなるような不気味な叫び声と共に、それ(・・)は手にしている武器を振るった。

 

しかし、それは果たして武器と言えるのか。半ばで折れてしまったガラクタにしか見えない代物……『折れた直剣』が、二刀を操る戦士へと直撃する。身に着けている鎧によって大事には至っていないが、ロクに整備されていないのか、少なからず衝撃が伝わった。

 

くぐもった悲鳴が漏れるも咄嗟に噛み殺し、すぐに斬り返す。振るわれた剣は敵の首を刎ね、身体は支えを失ったように倒れる。

 

そんなやりとりを、彼らはもう何度繰り返しただろうか。

 

『ォォオオォオオオ……』

 

『ェア゛ア゛ァァアアア……』

 

『ヴァァアアァァ……』

 

それら(・・・)は皆、一様に悍ましい見た目をしていた。

 

骨と皮だけにまで痩せ細った身体に纏っているのは、ボロボロに朽ちかけた防具。手にしている武器も粗末なもので、刀身が折れた剣や簡素な作りの槍、それに手斧といったものだ。

 

兜の隙間から見える双眸はどれも爛々と光っており、生を持つ者全てを憎んでいるかのようにすら思える。露出した部分から見える地肌に水分は感じられず、まさしく『亡者』と言う言葉がぴったりと当てはまる。

 

モンスターでも冒険者でもない、未知の敵。そんな者たちが二人を取り囲むようにして迫っているのだ。

 

「ちっ、キリがねぇ」

 

「アア。シカモ奴ラ、己ノ身ガ傷ツク事ヲ恐レテイナイ」

 

「やっぱ首を斬り飛ばすか、バラバラにするしか方法はないってか」

 

先ほど()による斬撃を受けた敵は、腹部をごっそりと持っていかれていた。それなのに、もう武器を構えて戦闘態勢に入っている。他にも片腕を斬り落とされたり、腰から下を失った者までもいるが、やはり何事も無いかのように動いている。

 

異常なまでの打たれ強さと数の力を前に、いよいよ二人の顔にも焦燥の色が浮かんでくる。

 

「まさか同胞(なかま)の探索中にこんなのと出くわすなんてな、とんだ厄日だぜ」

 

「アノ横穴カラ出テキテイル様ダガ……」

 

指摘された場所はダンジョンの通路上にある。『未開拓領域』かとも思ったが、それはない。何故なら彼らは今まで、この場所を何度も行き来しているのだ。そんな空間があれば、とっくの昔に見つかっているはずだ。

 

しかし現にこうして未確認の横穴があり、そこからこの亡者たちはやって来ている。中がどうなっているのか想像もつかないが、きっとロクな場所に繋がっていないだろう。

 

そうこうしている間にも数は増え続け、気が付けば30にも届くような数の亡者たちが溢れている。このままではジリ貧だと察した二人は覚悟を決め、強行突破に移ろうとする。

 

「私ガ道ヲ切リ開ク。リド、オ前ハ後ニ続ケ!」

 

「おう、グロス。端からの襲撃はオレっちが受け持った!」

 

互いの名を呼び合い、ついに二人は地を蹴った―――――その瞬間に。

 

 

 

カッ!!と。ダンジョンの通路内を、眩い光が照らし出した。

 

 

 

「!?」

 

その余りの眩さに思わず目を塞いでしまう二人。衝撃らしきものは感じられなかったが、光が治まり始めてようやく周囲を確認する事が出来た。

 

一体何が起こったのか。そんな疑問は、目の前に広がる光景によって瞬時に消えてしまった。

 

「なっ……!?」

 

「何ダ、コレハ……!」

 

絶句する二人が目にしたもの。それは、あれほどいた亡者の群れの半数程が、見る影もなく死んでいる光景だった。一体一体の身体はバラバラに千切れ飛び、青白い光の粒子が周囲に漂っている。

 

『ギィアッ!!』

 

呆然としていた二人は、背後から聞こえてきた悲鳴に反応する。振り返ってみればローブで身体を覆った謎の人物が、手にしている大剣で亡者たちを斬り飛ばしているではないか。

 

その衝撃は凄まじく、5~6体が纏めて吹き飛ばされている。この人物の足元には切断された亡者たちの身体が折り重なって倒れており、先ほどまでいた残りの半数はこの人物の手によって始末されたのだろう。

 

「君たちは……人、ではないようだな」

 

「!?」

 

言葉を失う二人の元にある声が投げかけられた。それは男のものであり、いつの間にいたのか、横穴のすぐ隣に立っていた。彼は大剣を手にした者と同じく、その姿をローブで足元まで覆っている。その手には魔法使いが扱うような、木製の杖が握られていた。

 

見るからに怪しい人物だが、しかし今、重要なのはそれではない。

 

(やばい……見られた!)

 

彼らが焦る理由。それは彼らの姿形にあった。

 

人の容姿とはかけ離れて統一性がなく、見る者に嫌悪と恐怖を与える。ダンジョンに足を踏み入れた者ならば必ず目にする、人類の敵である姿……ダンジョンに密かに居つき、冒険者の目を掻い潜って今まで生きてきた彼らは『異端児(ゼノス)』と、ごく一部の者にそう呼ばれている。

 

通常とは異なる、知性を有したモンスター。巷で密かに噂されている鎧を着たモンスターなどの正体は彼らの事で、その存在は明るみには出ていない。それはひとえに、彼らが冒険者たちに見つからないように注意を払っていたからだ。

 

しかしこうして姿を見られてしまった以上、その安寧は壊れてしまうかもしれない。鎧を着込んで冒険者に擬態(・・)しているリドならまだしも、グロスはその種族ゆえに防具は着ておらず、モンスターの姿がはっきりと晒されている。現れたタイミングから考えても、先ほどまでの会話は聞かれている可能性が高い。

 

リドとグロス、二人の頭の中に警鐘が鳴り響く。この状況をどう打開するか、話せば分かってくれるのか、傷つけてしまっては取り返しのつかない事に、しかし……!

 

様々な考えが浮かんでは消えていく中、この状況を打ち壊したのはまたしても男の声だった。

 

「行きたまえ。別に君たちの後を追う気はない、私たちが来た目的はこれ(・・)だからね」

 

男はそう言うと、地面に散乱している亡者たちの死体に向けて指をさす。大剣を持ったローブの人物は二人に特に興味がないのか、肩に剣を担いでよそを向いていた。

 

「………ッ!」

 

決断は早かった。男の言葉を吟味する時間がなかったとも言える。

 

リドとグロスは示し合わせたかのように踵を返し、走ってその場を後にした。10秒もすると後ろ姿すら見えなくなり、ダンジョンは元の静けさを取り戻していた。

 

後に残ったのはローブ姿の二人組の姿と、その足元に散乱した亡者たちの死体のみである。

 

「良かったのですか?先ほどの二人は……」

 

言葉を発したのは大剣を担いでいた人物だ。薄暗い通路に反響する声は透き通っていて、年若い少女を連想させる。男はそんな声に軽く頷き、そして歩み寄りながら答える。

 

「彼らの目には知性があった。である以上、彼らもまた王の守るべき“人”と言えるだろう」

 

オラリオに住む者が聞けば卒倒するような事を平然と口にする。その事に女も納得しているのか、特に反論する事もなかった。

 

二人は亡者の死体で溢れた通路を見下ろし、そして間もなく本来の目的である仕事に取り掛かる。

 

「さぁ、早いところ“揺らぎ”を止めてしまおう」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十二話 並行する緊急事態

 

「ホントですって班長!少し前から噂になってるんですよ、ギルドに現れる『幽霊(ゴースト)』!」

 

「フロット、お前という奴はまたそんな戯言(たわごと)を……」

 

深夜のギルドのロビーに響き渡る受付嬢の声。その隣には犬人(シアンスロープ)の男性が立っており、彼は喚く受付嬢へと半眼を向けていた。消えた羊皮紙を件の『幽霊(ゴースト)』の仕業とする彼女に呆れ返っているのだ。

 

しかしその羊皮紙は、今まさにその『幽霊(ゴースト)』の手にあった。

 

受付嬢からこっそりと羊皮紙を拝借したのは、噂の張本人であるフェルズだ。彼はロビーの柱の陰に隠れ、その場で紙面に綴られた文字を読み取っていく。

 

「モンスターの大量発生、24階層……」

 

読み取った情報を頭の中の手帳に刻み込む。全てを読み終えたフェルズは丸めた羊皮紙をローブの袖に仕舞い込み、素早くその場から離れ始めた。

 

足音も立てずに歩き去っていく影には誰も気づかず、そのままギルドの最奥へと進んでいった。その足取りは、確かに急いでいる者のそれである。

 

「リドとグロスからの報告の件もあるというのに……!」

 

思わず呟きが漏れる。それだけフェルズは焦っているのだ。

 

やがて目の前に長い下り階段が見えてきた。その先に繋がっているのはウラノスが祈祷を捧げている祭壇『祈祷の間』であり、以前にファーナムがフェルズに連れられて来た場所でもある。

 

フェルズは階段を滑るようにして下っていく。その間にも頭の中では得た情報を吟味し、今後の方針を立てていた。

 

彼は足を止め、ローブの中に仕舞い込んでいる連絡用の双子水晶、その片割れを布越しに撫でる。

 

「まさか、こんなに早く使う場面が来るとはな」

 

想定していたよりも早く、しかもタイミングも悪いが仕方がない。そう自分に言い聞かせたフェルズは迷いを払うように頭を振り、足早にギルドの最奥へと進んでいった。

 

 

 

 

 

【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタイン、Lv.6へとレベルアップ。この知らせは早朝の【ロキ・ファミリア】の本拠(ホーム)に早くも知れ渡っていた。

 

食堂では多くの団員たちがアイズの話をしており、彼女の成し遂げた偉業に触発されていた。ベートたちLv.5勢とレフィーヤも同じ気持ちのようで、普段とは少し違った面持ちでいる。

 

「そっかー、アイズもLv.6になったんだー。あたしたちも負けてらんないね!」

 

「これでうちのファミリアにはLv.6が5人。客観的に考えると、これってちょっと尋常じゃないわね」

 

「ケッ、他のファミリア(やつら)が雑魚なんだよ。大体Lv.2、3で満足してる奴らが多すぎるってんだ」

 

「そんな事言って、ベートもまだあたしたちと同じLv.5じゃん」

 

「うっせぇ!次にレベルアップすんのは俺だ!」

 

「あーっ、言ったなー!それじゃああたしだってぇ!」

 

「ふ、二人とも落ち着いてください!?」

 

「こいつらはまた飽きもせず……はぁ」

 

額がくっつく程の距離で睨み合うベートとティオナ。レフィーヤは反対側のテーブル越しに二人の仲裁に入り、その隣でティオネは呆れ顔でパンを齧る。

 

「おほー。また朝から元気なやっちゃなー、自分ら」

 

そんな四人の元にやってきたのは、大盛りのシチューを乗せたトレイを手に持ったロキだ。彼女はティオネの隣に座ると、ぐふふと気色の悪い声を漏らして顔をだらしなくさせた。

 

「朝から最高の眺めやわぁ~。眼福眼福」

 

「アンタも飽きないわね……」

 

「ふひひ。なんやティオネ、変化をつけて欲しいんやったらウチのシャイニングフィンガーで肩の凝りとおっぱいの張りを改善して、って痛ででででででででっ!?」

 

「生憎とまだ間に合ってるわ」

 

朝からセクハラ行為を働こうとしたロキ。そのいかがわしい手を難なく掴んだティオネは、目も合わせずに関節を逆の方へと折り曲げる。

 

汚い悲鳴を上げる女神を無視していたティオネだったが、ここでふとある事に気が付き、彼女の手を解放する。

 

「痛ったぁー、ティオネったら照れ隠しにも程があるで」

 

「ホントにぶれないわね……まぁいいわ。それよりもロキ、ファーナムの姿が見えないけど、彼まだ寝てるのかしら?」

 

「あー、ファーナムか?アイツなら……」

 

ティオネからの質問に、ロキは手に息を吹きかけながらこう答えた。

 

「皆が起きるよりも先に、どっか行ったで」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その知らせは、まだ夜も明け切らない時間に届いた。

 

『……ファーナム』

 

「!」

 

唐突に耳へと届いたフェルズの声に、ファーナムは素早く反応した。元々睡眠の不要な身、全ての団員が寝静まった後は武器の手入れか瞳を閉じているかのどちらかだ。

 

彼は立ち上がると、小タンスの上に置いていた水晶を手に取る。そっと耳をそばだててみればやはり空耳ではない、フェルズの声が聞こえてきた。

 

『ファーナム、聞こえるか?』

 

「ああ、一体どうしたんだ」

 

『良かった。いきなりで悪いが、実は君に頼み事が出来てしまってね……』

 

挨拶もそこそこにフェルズは口早に内容を伝えてくる。細かい事は(はぶ)いての説明で、とにかくウラノスのいる『祈祷の間』まで来てくれとの事だった。

 

『ギルドからは人の目があるから入れない。以前に君を案内した、あの隠し扉から来てくれ。開け方は……』

 

フェルズから『第七区画四番街路』にある隠し扉の開け方を伝えられると、ファーナムはすぐに出発した。腰に椿から受け取った直剣を差し、極力物音を立てずに部屋から出ていく。

 

中庭を抜けたファーナムは閉ざされた門に手をつき、そしてゆっくりと開いた。外には門番をしていた二人の団員が立っていて、彼らは意外な人物の登場に面食らったようだった。

 

そんな二人に軽く声をかけ、ファーナムは本拠(ホーム)を後にする。その背を見送った二人の団員は互いに顔を見合わせるも、やがて元の立ち位置へと戻った。もうすぐ交代の時間であり、二人は欠伸を噛み殺して下がりかける瞼に必死に抵抗する。

 

「………」

 

そんな二人の門番とファーナムの後ろ姿を、ロキは廊下の窓から静かに見下ろしていた。

 

小さくなってゆくその背が見えなくなるまで、彼女はその場から動かなかった。

 

 

 

 

 

ゴゴゴゴ……と、石造りの壁がゆっくりと開かれる。それはファーナムがやって来たのを察知したかのようなタイミングである。

 

「すまない、足労をかける」

 

「礼はいらん。急を要する事が起きたのだろう」

 

早い再会を果たしたファーナムは、フェルズに事情の説明を求める。彼もまたその言葉を待っていたようで、てきぱきとした調子で話し始めた。

 

「現在、ダンジョンで起きている異変について知っているかい?件の闇霊(ダークレイス)ではなく、モンスターについての事だ」

 

「モンスター……いや、俺は特には何も」

 

「そうか。まぁごく最近の動きだから無理もない。実は24階層付近では今、モンスターの大量発生が頻発しているらしい」

 

“モンスターの大量発生”という単語に、ファーナムは気を引き締める。

 

怪物の宴(モンスター・パーティー)のような稀有な出来事であれば偶然で片付けられるが、それがそう何度も連続して起こるのは流石におかしい。ダンジョンという“未知”が支配する空間であっても、何らかの法則があって然るべきなのだ。

 

「その原因の究明をしろと?」

 

「それも大切だが、君にしてもらいたいのは別の事だ」

 

フェルズは一旦そこで区切り、そして告げた。

 

 

 

「その発生したモンスターたちの中に妙なものが混じっていたらしいんだ。まるで亡国の兵士のような装備に身を包んだ、死体にも似たモンスターの集団と、それを狩る黒ローブの二人組が」

 

 

 

「……!?」

 

ファーナムは息を呑む。フェルズの口から出たその言葉に心当たりがあり過ぎる(・・・・・)存在を、彼は良く知っている。

 

かつての旅の道中で最も多く遭遇し、そして苦しめられた苦い記憶。不死の呪いを受け、そして死に続けてしまった者の成れの果て。つまり―――――。

 

「―――亡者がダンジョンに現れたと、そう言いたいのか」

 

「まだ確定した訳ではない。しかしその証言から察するに、それが一番しっくり来るんだ」

 

モンスターは通常鎧といったものを装備しない。稀に『強化種』のような特別な知性を得たモンスターが使う事はあるのかも知れないが、それだってほんの一握りだ。

 

それに証言にあったモンスターは“兵士のような”鎧をつけていたと言う。冒険者はダンジョンの中で動きやすい恰好をしているので、このような鎧を使う者は少ない。下手に重装で守りを固めても、モンスターに群がられれば簡単に圧死しかねないからだ。

 

以上の理由から、フェルズは先ほどの結論に達したという訳である。

 

「君から聞いていた通りだとすれば、亡者とは集団であるほど厄介で危険な存在のはずだ。それを倒したというその黒ローブの二人組というのも、恐らく―――」

 

「不死人、なのだろうな」

 

ファーナムの先ほどの驚愕は亡者が現れたという事もあるが、彼と同じ不死人であると思しき存在が現れた事も大きく関係している。オラリオに飛ばされてきた不死人が他にいるかも知れないという事実に彼の心は揺れ動くが、すぐに冷静さを取り戻す。

 

「ファーナム、君の気持ちは分かるが……」

 

「大丈夫だ。分かっている」

 

こちらの気持ちを汲むようなフェルズの言葉に、ファーナムは静かにそう答えた。

 

その“黒ローブ”の二人組が本当に不死人であるかどうか、確かめたいという気持ちはもちろんある。しかし不死人とは協力し合う存在であると同時に、互いに殺し合う存在でもある。

 

いかに亡者を殺していたとて、その刃が自分へ向けられないという保証はどこにもないのだ。

 

「それにしても……ダンジョンに異変は感じなかったのか、ウラノス」

 

「少なくとも、闇霊(ダークレイス)の時のような異変はなかったはずだ」

 

ファーナムの問いにウラノスは淀みなく答える。

 

ダンジョンの監視者である彼が感じ取れなかった亡者、及び“黒ローブ”の侵入。まだそうであると確定した訳ではないが、それが正しければ一大事である。デーモンや他の異形が現れれば、冒険者たちが遭遇した際の危険度も格段に跳ね上がる。

 

「過去に闇霊(ダークレイス)ではなく、他世界の亡者やデーモンが君の前に現れた事は?」

 

「それは無い、と思う。こちらも言い切れはしないが……」

 

通常侵入してくるのは闇霊(ダークレイス)に限られる。ファーナムは今まで考えもしなかった可能性をとっさに否定するも、明確な根拠はどこにもない。不死人が世界を渡って他世界の不死人に干渉出来る以上、亡者にも同じことが出来ないとは言い切れないのだ。

 

その上今回はウラノスの監視にも引っかからないときた。喪失者の時とは全く異なる、分からない事だらけのこの状況に、ファーナムの心に暗雲が立ち込めていく。

 

「やはり君が一番詳しいだろう。このモンスターの正体が本当に亡者なのかどうか、他ならぬファーナム、君に調査を任せたい」

 

「それは構わないが、そう上手く見つかるものだろうか」

 

「別に分からなければそれでも構わない。ただこちらも何らかの手掛かりが欲しい、現場付近の調査は念入りに頼むよ」

 

「ああ、分かった」

 

フェルズの頼みを聞き入れたファーナムは、そのモンスターが現れたという場所を教えてもらうとすぐに『祈祷の間』を後にしようとする。通って来た隠し通路へと歩みを進める彼は、その足でダンジョンへと潜っていく事だろう。

 

「……ファーナム」

 

「? どうした」

 

「……いや、何でもない。十分に気を付けてくれ」

 

「……ああ」

 

そんな短いやり取りはすぐに終わりを告げ、再び静謐さが支配し始める『祈祷の間』。フェルズの他にいるのはこの部屋の主であるウラノスだけとなった空間で、彼は小さく、しかし重い息を吐き出した。

 

「あれで良かったのか」

 

「……ああ。騙してしまって気分が悪いが、こればかりは致し方ない。やはりファーナムにはまだ『異端児(かれら)』の存在を知られる訳にはいかないよ」

 

ウラノスからの問いかけに答えるフェルズの声は、どこか後ろめたさを感じるものだった。

互いに正体を晒しあった仲である者を騙した事による負い目から、彼の良心は削られる思いだ。

 

 

 

フェルズが述べた先ほどの話はたった一つだけ、ある内容を隠して伝えられていた。それは亡者と“黒ローブ”について述べた証言者……すなわちリドとグロスの事である。

 

 

 

一番の理由としては、やはり『異端児(ゼノス)』という存在であるが故だ。

 

知性を持つモンスターである彼らは地上においては最大の禁忌(タブー)だ。長きに渡って殺し合いを続けてきた人類とモンスター、この両者の間にある溝は果てしなく大きく、そして深い。

 

不死人であるファーナムであれば恐らく……否、きっと彼らの存在も受け入れる事が出来るだろう。互いに人とは違い、そして世界から疎まれてきたという共通点もある。フェルズも本心では、今すぐにでも彼らの存在を明かしたい程だ。

 

しかし、彼の主神はどうか?

 

異端児(ゼノス)』の存在を知ったファーナムが何かの弾みでロキに詰問でもされれば、嘘を見抜く神の眼によって全てが暴かれてしまう。そうなった際、オラリオはモンスター(かれら)を受け入れるのか。無論、その可能性は皆無だろう。

 

そんな事態を回避すべく、フェルズは嘘を織り交ぜた。ちょうど24階層でモンスターの大量発生が起きていたので、それに合わせる形の説明をでっち上げたのだ。また『異端児(ゼノス)』側の無為な混乱を避けるべく、リドたちにはファーナムが不死人である事はもちろん、その存在も伏せてある。

 

こうしてフェルズは、ファーナムと『異端児(ゼノス)』の双方に接点を生まないよう画策したのだった。亡者が現れたという情報を、わざわざモンスターの大量発生と関係がある風に伝えたのもこの為だ。

 

「リドたちには亡者のような“異様なモンスター”と遭遇しても交戦は避けるように言ってある。情報は欲しいが、危険な橋は渡れない」

 

「なら、全てファーナムに任せると?」

 

「まさか。私も出来る事は全てするつもりだよ、ウラノス。しかし今は他にもう一つ、重要な事がある」

 

ダンジョンに現れた亡者の存在。それだけでも十分に脅威足りえるが、生憎とそれだけが問題ではない。

 

24階層で起きているモンスターの異常発生。こちらについても早急な対応が求められているのだ。既に冒険者の身にも被害が出ている故、これ以上の放置は出来ない。

 

「既に盗賊(シーフ)の少女には協力を取り付けてある。まぁ、半ば無理矢理にではあったが……」

 

「以前にハシャーナから『宝玉』の引き渡しを頼んだ、【ヘルメス・ファミリア】の眷属(こども)か」

 

「ああ。こちらが彼らの弱みを握っている以上、ある程度は従ってくれるだろう。あとはもう一人でも強力な助っ人がいてくれれば、言う事はないんだが……」

 

そう言って、フェルズはローブの裾から水晶を取り出す。それは以前にファーナムに渡した水晶とは別のもので、片方の水晶が捉えた映像を、もう片方へと写す機能がある。バベルの地下一階の天井に密かに仕掛けられている、フェルズ手製の監視器具だ。

 

時刻はもうすぐ夜が明ける頃。気が早い冒険者であれば、もう小一時間ほどでダンジョンへと潜っていく時間だ。その中に今回の騒動へ同行し、調査してくれる人材がいないかを探るべく、フェルズは台座に置いた水晶を凝視する。

 

「誰か接触出来る冒険者はいないものか……」

 

どこか懇願にも聞こえる呟きは、この二時間ほど後に成就する事となる。

 

偶然にもそれは『リヴィラの街』襲撃事件があった時にもその場にいた人物……つい先日ランクアップを果たした、アイズ・ヴァレンシュタインであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

安全階層(セーフティポイント)である18階層の下に広がる19階層からは洞窟ではなく、巨大な樹木の中のような景色が続いている。発光する壁面の代わりにヒカリゴケが生い茂り、視界の確保は比較的容易だ。

 

しかし出現するモンスターの質、そして密度は上層とは桁違いになる。単純に力の強いものから毒による攻撃を仕掛けてくるものまで幅広く、冒険者は柔軟な対応を要求される。

 

そんな空間ではあったが、ファーナムにとっては特に問題はない。

 

「ふっ!」

 

『ギィッ!?』

 

集団で襲い掛かって来た蜂のモンスター『巨大蜂(デッドリー・ホーネット)』を一刀のもとに複数体切り伏せ、続いて投げナイフを投擲する。

 

あっという間に残り一体となったモンスターは慌てふためくが、もう遅い。既に目前にまで迫っていた銀の刀身、それが最期に見る光景となった。

 

頭部を縦割りにされたモンスターの身体は力を失い、地面へと落ちてゆく。息絶えた事を証明するように身体は形を失い、少量の灰と魔石だけが残った。僅か10秒にも満たない時間の内に行われたその行為は戦闘ではなく、もはや駆除とも言って良い。

 

「……ふむ」

 

モンスターの灰に囲まれた中、ファーナムは右手に握っている直剣へと視線を落とした。毒々しい紫色の体液は既に滑り落ちており、それが銀色に輝く刀身の切れ味を物語っている。

 

「流石は【へファイストス・ファミリア】一の鍛冶師(スミス)。良い仕事をしているな、椿」

 

この場にはいない隻眼の女鍛冶師の顔を思い浮かべながら、口の片端を緩やかに吊り上げる。

 

ファーナムが使っているのは先日渡されたばかりの椿の新作の直剣だった。取り回しやすく堅牢、そして切れ味も申し分ないその逸品は、今や完全に手に馴染んでいる。これまでの道中で振ってきただけだと言うのに、だ。

 

静かな称賛を終えたファーナムは魔石を回収する事もなく、足早に先を急いだ。現在の階層は23階層、目的の階層まではあと少しである。

 

『亡者らしきモンスターの目撃証言は25階層であったものだ。その階層を重点的に頼む』

 

フェルズのその言葉に従い、ファーナムは歩き続ける。途中で何匹ものモンスターやその集団を切り伏せ、そしてようやく目的の階層へと通じる入口が見えてきた。

 

結晶で覆われた樹洞。それが25階層……これより上の階層とを隔てる『下層』への入り口だった。

 

ファーナムはそれを一瞥すると、躊躇いなく足を踏み入れた。これまでとは異なる涼し気な風が全身を撫でるも、それに気を取られる様子はない。

 

それも当然であろう。これから先には亡者が、そして不死人であるかも知れない者たちが現れた階層なのだ。

 

「………」

 

ギュ、と、直剣を握る手に力がこもる。が、それも無理もない事だ。もしかすると自身が、このオラリオに来た意味が分かるのかも知れないのだから。

 

 

 

 

 

気が付けばダンジョンで目覚め、優しい神に巡り合い、良き仲間たちに恵まれ、そしてある意味では不死人(じぶん)とよく似た者にも出会えた。

 

それはファーナムにとって間違いなく幸福な出来事だった。辛く苦しい旅路の果てに手にした、神からの贈り物と考えてしまいたい程に。

 

しかし、“闇の刻印”がそれを許さない。

 

不死人は人の内では生きてゆけない。たとえ一時は人の振りが出来たとしても、いずれは決定的な破綻がやってくる。そうなる前に、ファーナムは見つけなくてはならないのだ。

 

……己がオラリオ(ここ)に来た意味を。

 

 

 

 

 

結晶の樹洞を抜けた先に広がる巨大な滝壺。25階層から27階層までを突き抜ける大瀑布は地下でありながら虹まで形成し、見る者の心を奪う絶景を生み出している。これが『下層』の始まり、別名『新世界』である。

 

しかし、ファーナムの心が動く事はなかった。この光景に多くの者が感じるであろう戦慄も、緊張も、そして興奮も。そのどれもが、今のファーナムには届かない。

 

「………」

 

彼は周囲を軽く見渡し、そして一本の細い道へと歩み寄る。その先には洞窟があり、馴染みの迷路状の空間が広がっている。そここそが、亡者が現れたという現場である。

 

程なくして細い一本道を渡り終えたファーナムは、そのまま薄暗い洞窟へと姿を消していった。

 

無言のその背に、並々ならぬ覚悟を滲ませながら。

 

 




【椿の直剣】

オラリオ随一の鍛冶系ファミリア【へファイストス・ファミリア】の団長、椿・コルブランドの手による作品。

貴重な超硬金属(アダマンタイト)によって鍛えられたこの一振りは特に堅牢さに秀でており、生半な事では壊れる事はないだろう。

彼女は語った。血であろうが何であろうが、全てをつぎ込まねば神の領域に到達する事すら出来ないと。神の作品を超えるという悲願を胸に、彼女は今日も鉄を打ち続ける。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十三話 仮面

 

時計の針はすでに十時を回り、太陽はさらに高く昇ってゆく。

 

「『ジャガ丸くん抹茶クリーム味』」

 

アイズはリヴィラの街のとある酒場で『合言葉』を口にする。

 

「あ、あんたが、援軍(・・)?」

 

盗賊(シーフ)の少女はその言葉に目を丸くして。

 

「彼女で間違いないのですか、ルルネ」

 

水色(アクアブルー)の髪が眩しい【万能者(ペルセウス)】が、アイズの元へと歩み出た。

 

 

 

同時刻、ダンジョンの入口には三人の冒険者の姿があった。

 

「慣れ合うつもりはないぞ、下賤な狼人(ウェアウルフ)め」

 

嫌悪を隠しもせずに、黒髪のエルフはきっぱりと言い放つ。

 

「おーおー、喋れるじゃねぇか。この陰険エルフが」

 

背に受けた言葉に目もやらず、ベートは大股でダンジョンの中へと足を踏み入れる。

 

「あ、あの。私たちは一応パーティですので、もう少し仲良く……」

 

そんな二人の後を、レフィーヤは困惑しながらも着いてゆく。

 

 

 

更に同時刻。ダンジョン第25階層には、その階層を調査している者がいた。

 

「………」

 

様々なモンスターの現れる広大な階層を彼は……ファーナムは、休まずに歩き続けていた。それが己の求めているものに繋がっていると信じて。

 

 

 

 

 

ファーナムはまだ知らない。

 

アイズたちが彼のいるすぐ上の階層、そこで起きているモンスターの大量発生についての調査に向かっている事に。

 

何かと因縁をつけてくるベートと、ようやく打ち解けてきたレフィーヤ。そして厳しい顔つきをしたエルフの少女が、同じくそちらへ向かって来ている事に。

 

そして。

 

 

 

「モンスターの大量発生。恐らく地上の一部の人間は、この真相に勘付いているはずだ」

 

「ふん……それなら潰すだけだ」

 

 

 

24階層に、赤髪の怪人(クリーチャー)が息を潜めている事に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………見つからんな」

 

25階層に到達し、同階層の調査を始めてから数時間。

 

ダンジョン特有の上へ横へと入り組んだ地形は、単独で調べ尽くすには余りに広すぎた。マップはあれども広大なフロア。隅々まで調べるとなると、一体どれだけの時間がかかるのか。

 

フェルズからの情報をもとに歩き回ったものの、収穫は未だにない。そもそも亡者の存在など探しようもなく、ファーナムはまるで雲を掴むような気分になってくる。

 

『ギギギギギギッ!』

 

加えてモンスターとの遭遇(エンカウント)

 

苦戦する事はないが『中層』とは比較にならないその頻度に、ファーナムはため息を吐きそうになる。25階層に来てから何度目になるかも分からない遭遇(エンカウント)にうんざりしつつも、彼は腰の小袋(ポーチ)からある物を取り出し、投擲する。

 

『ギッ!?』

 

それは投げナイフだった。その切っ先は蚊を巨大化させたような姿のモンスターの頭部に深く突き刺さり、気色の悪い色の体液を噴出させて崩れ落ちる。ピクピクと痙攣するモンスターの元へと近付いたファーナムは、その頭部を腰より抜き放った剣で切断した。

 

一連の出来事に緊張感は全く感じられない。ただの作業のようにモンスターを処理したファーナムは、ふとある事に気が付いた。

 

「そういえば、今日はまだ食事をしていなかったな」

 

意識すると同時に、腹部から生じてくる僅かな違和感。ドラングレイグにいた頃は忘れ去っていたその正体は、空腹感であった。

 

オラリオに来てからというもの、ファーナムは団員たちとの付き合いの一環として食事を共にする事が多かった。その為なのか、今ではある程度決まった時間になると、このように空腹を覚えるようになっていた。

 

不死人の肉体には不必要なものだが、ファーナムはそうは思わなかった。人間らしい、生物らしい真っ当な欲求を前にして、抗う事が出来なかったのだ。

 

魔石を拾い仕舞い込み、近くにあった岩の窪みに腰を落とす。かれこれ歩き続けて数時間。大して疲れは感じていないが、携帯している食料を食べる程度の小休憩を取る事にした。

 

出てきたのは硬く焼いた小さなパンだ。長持ちする代わりに噛み砕くのに力がいるそれは他の団員たちには不評だが、“食べる”という行為を強く感じられる為、実は割と気に入っている。

 

兜を脱いだファーナムはそれを齧りながら今後の行動を考える。

 

25階層に足を踏み入れてからここまで歩いてきたが、まだ全体の半分も捜索出来ていない。正規ルートを重点的に探していたが、もしかするとそこから外れた場所にこそ目的のものが見つかるのかも知れない。となると、もう少し深く見て回る必要がある。

 

「分かってはいたが、やはり骨が折れるな」

 

半ばほどパンを食べ終わったファーナムは、ここでふとダンジョンの事が頭を過ぎる。

 

今では当たり前のように考えていたが、ここまでの道のりを振り返ってみると、やはり不思議に感じる。地下であるこの空間に、これほどの大空間が広がっている事に。

 

入り組んだ迷宮構造に森林地帯、そして25階層から広がる大瀑布に、その更に下に存在する『深層』……かつて自身が旅した、地下深くに広がっていた『聖壁の都・サルヴァ』を遥かに上回る広さと深さは、驚愕以外の言葉が出ない。

 

そしてその全ての空間に充満している、ソウルとよく似た奇妙な気配。深度に関係なく漂っているそれは冒険者たちには感じ取る事が出来ないらしいが、確かにあるのだ。ソウルという概念が存在しないにも関わらず。

 

喪失者の侵入や今回の亡者の事と言い、やはりこのオラリオと自分が元居た世界とは、何らかの繋がりがあると見て良いのだろう。それがどのようなものなのか、という肝心の部分は未だに分からないままだが。

 

「……考えているだけでは埒が明かん、か」

 

僅か一口分となったパンを口の中へと放り込み、兜を被り直して立ち上がる。

 

考えても分からないなら歩き続けるしかない。これもまた、長い不死人としての旅路の中で得た知識の一つだ。

 

ファーナムはその場で地図を広げ、現在地を再確認する。入り組んだ地形だが正規ルートが確保されているため、迷う事はない。多少深く足を踏み入れたとしても、時間さえかければ脱出に困る事は無いだろう。

 

よって彼は元来た道を戻り、途中にあった横道へと入る決断をする。正規ルートではない道をひた歩き、25階層の奥へと奥へと進んでゆくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

24階層。『大樹の迷宮』が支配する最後の階層にて、金色を纏った風が吹き荒れる。

 

それは大行進をしていたモンスターの群れを、まるで紙切れのように次々と切り裂いていった。前方にいたモンスターの胴が切り離されると同時に、その後ろのモンスターの眼前に斬撃が迫る。自分たちとは桁違いの脅威に晒された集団はパニックを引き起こし、それが互いの動きを阻害してしまう。

 

そんなモンスターたちを“風”は……アイズは、無慈悲に切り裂く。

 

魔法を付与していないにも関わらず、彼女の剣は疾風の如く振るわれた。先日レベルアップしたばかりのアイズにとってこの戦闘は、肉体と精神のずれを調整(・・)するのに絶好の機会だったのだ。

 

肉体の性能だけで倒せても意味がない。そこにアイズ自身が付いていけなくては、真の意味での強さは手に入らない。その事を理解している彼女は、モンスターの集団に遭遇(エンカウント)した瞬間に単身で突っ込んだ。

 

援護の必要もない程に斬り暴れる【剣姫(けんき)】の姿に、他の者たちは絶句していた。

 

「……もう、あいつ一人に任せて良いんじゃないか?」

 

辛うじて声を出せたのはリヴィラの街にて間近でアイズの姿を目にしていた盗賊(シーフ)の少女、ルルネ・ルーイと。

 

「そういう訳にもいかないでしょう……」

 

万能者(ペルセウス)】の名で知られる【ヘルメス・ファミリア】の団長、アスフィ・アル・アンドロメダだけであった。

 

銀縁の眼鏡を指でなぞりつつ、アスフィはルルネの言葉に否を突き付ける。出来る事ならそうしたいのだが、流石にファミリアの弱みを握られている手前、それは出来ないのだ。

 

数分後、アイズは何でもない顔で彼らの元へと戻ってきた。Lv.6の実力の片鱗を目の当たりにして黙り込む者が多い中、ルルネはそんな空気を払拭するかのように彼女に労いと称賛の声をかける。

 

「さ、流石【剣姫(けんき)】だな!あの数のモンスターをあっと言う間に片付けるなんて!あ、回復薬(ポーション)飲むか?」

 

「ううん、平気……ありがとう」

 

ルルネの機転によって空気は先ほどまでの朗らかなものに戻った一行は、モンスターたちがいた通路まで降りてゆく。転がっている大量の魔石をサポーターたちが回収している間、アスフィは次の進路を決める。

 

彼女たちが黒ローブ(フェルズの事だ)から得た情報によると、今回のモンスターの大量発生は食糧庫(パントリー)に原因があるらしい。その場所とモンスターたちがやって来た方角から、彼女は目指すべき位置を特定した。24階層にある三つの食糧庫(パントリー)の内、北にあるものだ。

 

魔石を拾い終えた頃合いを見計らい、一行は行進を再開する。先頭を歩くのはもちろんアイズだ。

 

「それにしてもさっきの戦闘はすごかったなぁ。ウチにもお前みたいのが居てくれれば、もっと下の階層まで行けるんだけど。……なぁ【剣姫(けんき)】、良かったら今度あたしたちと一緒に宝石樹の採集に……」

 

「やめなさいルルネ。【剣姫(けんき)】はオラリオでも数少ないLv.6の第一級冒険者ですよ。それを金儲けに同行させようとするなんて、貴方はもう少し恥というものを知りなさい」

 

「うっ。じょ、冗談だよ」

 

アスフィの言葉にルルネは尻尾をしゅんとさせて縮こまる。アイズはどう反応すべきか分からず、やがて励ますように彼女の肩にポンと手を置いた。

 

「あ~。せめて“謎の冒険者”とかが現れてくれれば……」

 

「……その、“謎の冒険者”って?」

 

「ん?知らないのか、つい最近噂になってる奴の事さ」

 

顔を上げたルルネがぼやいた言葉にアイズが反応する。

 

ダンジョンに潜る事が多い彼女だが、そこでの噂話などには疎い。基本的に関心のない事に対してはとことん無関心なのだが、こうしてパーティを組んでいる間に一切の会話がない、というのはやはり居心地が良くない。

 

なのでアイズは柄にもなく、積極的に会話をしようと試みた訳だ。

 

「まだ何人も会った事はないみたいなんだけど、何でもモンスターの集団に絡まれて死にそうな所を助けて貰ったって話だ。そいつは全身を黒いローブで覆ってて、どこの誰かも分からないらしい」

 

黒ローブと聞いて、アイズは10階層で遭遇したあの人物の姿が頭を過ぎった。男か女かも分からない不審に過ぎる出で立ちであったが、ルルネの口調から察するに、その人物の事を指してはいないのだろう。

 

「所属とか、そういうのも言わなかったの?」

 

「うん。一言も喋らずにモンスターだけを倒したんだ。で、魔石も拾わずにダンジョンに戻っていったって。おかしな話だろ?恩を着せて金を要求するでもなく、本当にただモンスターを倒しただけなんだ」

 

だから噂になってるのさ、と締め括るルルネ。

 

自ら進んで人助けをするお人好しで、かつモンスターの集団を一人で倒しきる実力を持つ“黒ローブ”。先程のぼやきは、そんな物好きな人物がいるのなら小金稼ぎに付き合って欲しいという、彼女の願望から出た言葉であった。

 

「それに助けられた奴の話じゃ、雷の魔剣まで使うんだとさ。助ける為とは言え、そんな貴重品を赤の他人に使うなんてちょっと普通じゃない……」

 

「おしゃべりはその辺りで止めなさい。来ましたよ」

 

そんなルルネとの会話はアスフィによって遮られた。前方にはまたモンスターの集団がおり、アイズたちの行く手を遮っている。数は先ほどよりも少し少ない程度か。

 

うげ、とルルネが呻き後方の団員たちがざわつく中、アイズは無言で抜刀し地を蹴る。

 

思考を戦闘時のそれに切り替えた彼女にとって、この程度の数など苦にはならない。数分もしない内に殲滅を終え、一行は再び食糧庫(パントリー)を目指すのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小休憩を終えて捜索を再開したファーナム。更に数時間ほど歩いてみたが、やはりこれと言った発見はなかった。

 

あるのはモンスターとの交戦ばかり。苦戦する事もない、変わり映えしないこの繰り返しにいい加減うんざりしていた、その時だった。

 

「………?」

 

ふと何かを感じ取ったファーナムはその足を止める。注意して耳を澄ましてみれば、パキリ、パキ……と何かを砕く音が、目の前の薄暗い空間から伝わってくる。

 

聞こえてくる音は僅かなものだが、ファーナムが立っている場所の先にその原因があるのは間違いない。正規ルートからはかなり外れているので、他の冒険者が立てている音というのも少し考えづらい。

 

妙な胸騒ぎを覚えながらもその正体を確認すべく、ファーナムは静かに音の元へと近付いていった。出来るだけ迅速に、しかし注意深く足を進めてゆく。

 

そして、ある一つの人影を目の当たりにする。

 

それはファーナムに背を向けた格好で何かをしていた。足元には大量の灰が横たわっており、モンスターの残骸である事が察せられる。メタルグローブに覆われたその人物の手には魔石が握られており、何かを砕く音はこの人物の元から断続的に聞こえてくる。

 

(何を……?)

 

何をしているのか訝しむファーナムであったが、次の瞬間にはその目を疑う事となった。

 

ローブで全身を覆ったその人物は手にしていた魔石を口元へと運ぶと、なんと咀嚼し始めたのだ。

 

ファーナムの耳に届いた何かを砕く音、それはまさしく魔石を噛み砕く音であった。無論魔石は人間が食べられるようなものではない。そんな真似をするのは同族喰いをするモンスターくらいだ。

 

そこから導かれる事、それはつまり……。

 

「おい」

 

『……!』

 

気付かれないように屈めていた身体を起こし、剣を引き抜きながら問い詰める。既に臨戦態勢に入っているファーナムの言葉に、その人物は弾かれたように振り返った。

 

その顔は幾何学的な模様の仮面で隠されており、一切の肌の露出がなかった。フェルズが仮面を付ければちょうどこんな格好になるだろう。この仮面の人物は一瞬だけ動揺を見せたものの、ファーナムと向き合ったまま動かない。

 

『……迂闊ダッタ』

 

仮面の人物は様々な肉声が折り重なったような声を発した。その不気味な声に、いよいよ尋常の者ではないという確信を得る。

 

『マサカコンナ場所デ冒険者ニ出クワストハ』

 

「今食っていた物は魔石だろう。そんな物を食うのはモンスター以外にいないはずだ……問わせてもらおう、お前は何者だ」

 

ファーナムは警戒心を更に高める一方で、語気を強めて詰問する。明らかに異常なこの仮面の人物を逃すまいと、兜の奥で深い青色の双眸を鋭く光らせた。

 

『……見ラレタカラニハ、生カシテオクノハ不味イカ』

 

そう呟かれた直後、仮面の人物は跳躍してファーナムへと肉薄する。

 

メタルグローブに覆われた右手を拳の形にし、兜ごと頭部を粉砕せんとその腕を振るった。予備動作のほとんどなかった一連の動きは、人間離れした速度を以て行われた。それはこの階層にまで足を踏み入れる事が出来る冒険者であっても、まず反応出来ないものだろう。

 

が、その程度でファーナムがやられる訳がない。

 

『ッ!?』

 

彼は直剣を切り上げ、眼前へと迫ってきた拳を危なげなく弾いた。まさか防がれるとは思っていなかった仮面の人物は、驚愕すると同時に素早く間合いから離脱する。

 

たんっ、と軽やかに着地した仮面の人物は、ここでようやく認識を改める。目の前の冒険者はオラリオに住まう有象無象などではなく、己の身を危ぶませる男なのだと。

 

『オ前、タダノ冒険者デハナイナ……何者ダ』

 

「質問を質問で返すなよ。問うているのは俺だ」

 

『………』

 

剣を突き付けながらそう返すファーナム。事態は仮面の人物との睨み合いとなり、互いに一歩も動かず、こう着した状態が生まれる。

 

その数秒後か、あるいは数十秒後か。

 

『……!』

 

洞窟の外からの振動により崩れた鍾乳石の欠片が地面に落ち、甲高い音を立てた瞬間。仮面の人物は踵を返し、奥へ繋がる洞窟へと逃走した。

 

「ッ、待て!」

 

それとほぼ同時にファーナムも走り出す。重厚感のある鎧の金具を軋ませながら、しかしそんな事を感じさせない程の速度で、仮面の人物の後を追う。

 

通路は曲がりくねった洞窟で、足場も悪ければ視界も悪い。普通であれば多少は速度が落ちるのだろうが、仮面の人物はまるでここの構造を熟知しているかのような動きで駆け抜けてゆく。

 

ファーナムも相当に足は速いのだが、その距離は徐々に広がっていった。もしも曲がり角に続けて入られたら、追跡は不可能だろう。

 

(そうなる前に手を打たなければ……!)

 

薄暗い洞窟内を駆け抜けながら頭を回転させるファーナム。しかし、ここで仮面の人物は予想外の行動を取った。

 

狭い通路を抜けた先、そこには広い空間が広がっていた。丸いドーム型のその場所は直径がおよそ20M程あり、中隊規模のパーティならば余裕をもって入りきるだろう。そこの中央まで来た仮面の人物は、何故かそこで逃走を止めたのだ。

 

そこは行き止まりだった。散々走り回って辿り着いたこの空間に、ファーナムは違和感を覚える。あれだけ洞窟内を知った風に走っていたのに、まさか行き止まりに遭遇するなんて間抜けな事があるのか、と。

 

途端、バッ!と頭上を見上げる。いつの間にか振り返っていた仮面の人物はファーナムを見やり、そして短く言葉を発した。

 

 

 

『殺レ、巨蟲(ヴィルガ)

 

 

 

『オオオオオオオオォォオオオオオオオオオオオオ!!!』

 

降り注がれる蟲のモンスター。それはかつてファーナムと【ロキ・ファミリア】の団員達が、51階層で遭遇したあの芋虫型と同種だった。

 

腐食液を放ち、倒せば爆発する非常に厄介なこの芋虫型は、最初からこの空間の天井に張り付いていた。仮面の人物は逃走していたのではない、この場所にファーナムをおびき寄せ、芋虫型の集中砲火で始末するつもりだったのだ。

 

気が付いた頃にはもう遅い。大小様々な芋虫型は途切れなく襲い掛かり、折り重なるようにして侵入者を圧し潰した。爆発こそしていないもののこの物量だ。息の根が止まるのものも時間の問題である。

 

『手間ヲ掛ケサセテクレル』

 

しかしこれでもう終わりだ。

 

早く本来の仕事に戻らねば。死体は喰っておけと命じ、元来た道へと足を進める。すぐ上の階層で進行しているであろう計画の事を考えつつ、仮面の人物が再び迷宮へと戻ろうとした、その時。

 

ぐ……ぐぐ………と、芋虫型によって形成された山が、僅かに傾いた。

 

『……?』

 

仮面の人物の歩みが止まる。同時にその背中を、何か嫌な予感が駆け巡った。

 

そしてすぐ横にある芋虫型の山へと目をやった……その次の瞬間。

 

 

 

ボッッ!!と、折り重なった芋虫型の隙間から、あり得ない者の姿が飛び出してきた。

 

 

 

『ナッ!?』

 

攻撃を弾かれた時とは比べ物にならない驚愕に、仮面の人物は言葉を失った。

 

すっかり潰されたと思っていた冒険者は、どこから取り出したのかも分からない二枚の大盾(・・・・・)を両手に備えていた。それは分厚く、金属の塊であると言っても過言ではない。

 

それぞれの表面には人物画が描かれており、それは左右一対で向かい合う形になっている。がっしりと密着された二枚の大盾……『レーヴの大盾』と『オーマの大盾』を装備したファーナムは、飛び出してきた勢いをそのままに、仮面の人物へと体当たりを喰らわせた。

 

『ガッッ!?』

 

咄嗟に回避しようとしたものの間に合わない。その身体は巨大な鉄塊に撥ねられ、すぐ近くの壁へと叩きつけられた。

 

「生憎と、二度も圧し潰されるのはゴメンでな」

 

まああれは自業自得なのだが、と締め括り、ファーナムは構えを解いて仮面の人物を悠然と見下ろす。

 

芋虫型が降り注ぐ直前、ファーナムは両手に大盾を構えた。幸いにもここの天井はそれほど高くなく、落下の衝撃によって芋虫型が潰れる事もない。後は持ち前の膂力で耐え抜けば良いだけだった。

 

常識外れのこの行動は流石に仮面の人物も予期していなかったようで、逆に奇襲を喰らってしまう事となった。ふらつきながら立ち上がると、仮面越しに怨嗟の声を向けてくる。

 

『ギッ、貴様、ドコニソンナ物ヲ……ッ!』

 

これ(・・)らを操るという事は、お前もあの赤髪の女の仲間か。ますます逃がす訳にはいかなくなったな」

 

『ッ、巨蟲(ヴィルガ)!!』

 

確信を突いてきたファーナムに、仮面の人物は芋虫型に命令を下す。次こそは確実に息の根を止めるべく、山と化していた芋虫型は雪崩のように蠢き、一斉にファーナムへと殺到してゆく。

 

それでもほぼ一方向からの攻撃だ。動きの鈍い芋虫型の隙間を縫い、ファーナムは全体をかく乱させる動きで周囲を駆け巡る。芋虫型もその動きに反応できず、集団は徐々にばらけていった。

 

時に攻撃を躱し、時に大盾で弾き、または押し返す。

 

腐食液で攻撃させようにも、これだけばらけてしまっては同士討ちになるだけだ。かと言って爆発を狙っても、あの巨大な盾に阻まれてしまうだろう。

 

『クソッ!小賢シク動キ回ッテ……!』

 

仮面の人物から苛立ちの声が漏れる。芋虫型は相変わらず右往左往しており、従うべき命令とそれが出来ない状態の板挟みに陥っていた。

 

やがてファーナムはこの空間の中央で立ち止まった。何のつもりなのか、何か企んでいるのか。だが先手を打てば関係ない。この時を機を見た仮面の人物は、自爆覚悟で芋虫型に砲撃の命令を送る。

 

『奴ヲ溶カシ殺セッ!!』

 

その言葉をきっかけに芋虫型は一斉に頭部を上げる。粘液を滴らせる顎を大きく開け、たった一人の標的へと、大量の腐食液を浴びせにかかる。

 

四方を囲まれた危機的状況。

 

数秒後に降りかかるであろう腐食性の雨。

 

しかし、この局面を作り上げた張本人であるファーナムは落ち着き払っていた。両手から大盾を消し去り、次いで左手にそれ(・・)を携え、そして―――――。

 

 

 

 

 

リィン、と。澄んだ音色が奏でられ、その直後。

 

 

 

 

 

轟音と共に落雷が、芋虫型たちの頭上へと落ちていった。

 

 




果たして何の雷鳴なんだ……。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十四話 戦火

それは奇跡『雷の槍』の亜流とも、原型とも言われていた。

 

術者の周囲に落とされる落雷は無作為で、狙いを付けられるようなものではない。その一方で、幸運に愛されている者であれば、それは見事に敵を打ち払ってくれる事だろう。

 

幸運に恵まれているかはともかくとして、雷の力とは強大なものだ。今や名前すら忘れ去られた、かつて太陽の神と崇められた者の一族が用いたという伝承からも、その片鱗が窺い知れる。

 

そしてその威力を見せつけるかのように落雷は―――――『天の雷鳴』は、芋虫型たちの身体を次々に貫いた。

 

 

 

 

 

『ギィアアァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!?』

 

轟音と共に放たれた雷は、ファーナムの周囲にいた芋虫型たちへと吸い込まれていった。

 

迸る雷光は瞬く間にその身体を焼き尽くし、すぐ隣にいた芋虫型へと伝播してゆく。目を焼かんばかりの眩さに仮面の人物は身を屈め、片腕を眼前にかざして光を遮る。

 

やがて落雷の衝撃が収まり、その手を下ろす。そうして視界に飛び込んできた光景に、仮面の人物は今度こそ言葉を失った。

 

『―――――ッ!?』

 

ファーナムを取り囲んでいた芋虫型の群れ。それらは今や煙を上げ、(くす)ぶり続ける黒い塊となっていた。

 

雷に貫かれた身体は瞬間的に炭化し、爆発する事さえ許されなかった。完全に絶命した個体もあるのか、辺りにはちらほらと極彩色の魔石が散らばっている。比較的大きな個体はまだ生きているが、それでも瀕死の状態だ。

 

その中央でしっかりと立つファーナム。左手にはこの雷を呼び寄せた器具である『奇跡』の触媒、『司祭の聖鈴』が握られていた。

 

『貴様……一体、何ヲシタ!?』

 

そんな事を仮面の人物が知る由もなく、当然の疑問は怒声となって吐き出される。

 

「それを聞いてどうするつもりだ?」

 

しかしその問いにファーナムが答える事はなかった。

 

彼は腰から直剣を引き抜くと、その切っ先を仮面の人物へと突きつける。その光景は、あたかも最初に対峙した時を彷彿とさせる。

 

「お前を捕らえ、知っている事を洗いざらい吐いてもらう。このモンスターどもの事も、赤髪の女の事も、『宝玉』も、全てだ」

 

『グ……ッ!』

 

仮面の人物は呻きを漏らした。

 

芋虫型たちはほぼ全滅。辛うじて動ける個体もいるが、ファーナムの相手にはならないだろう。巨体故に即死を免れたものの、這って動く力も残されていない。出来る事は腐食液を吐き出すくらいか。

 

『………!』

 

と、そこで。仮面の人物は何を考えたのか、生き残った芋虫型にある命令を飛ばした。

 

それを受けた芋虫型は黒く焼け焦げた身体を蠢かせ、そして天井へと腐食液を吐きかける。ちょうど、ファーナムの頭上を目掛けて。

 

「ッ!」

 

危機を察知したファーナムはいち早くその場から飛びのき、地面を転がって回避する。重力に従い落下する腐食液と、溶解した瓦礫が地面に激突する中で、ファーナムは天井部分を見上げた。

 

そして、ようやくその意図に気が付いた。

 

「穴が……!」

 

ファーナムが先ほどまでいた場所。そこの天井部分には、大きな穴が形成されていた。腐食液によって溶解して出来たその穴の奥には、迷宮ならではの暗闇が広がっている。

 

蟻の巣状に広がっているダンジョンの迷宮構造。その中でもこの空間は、上層である24階層に一際近かった。仮面の人物はそれを利用し、芋虫型の腐食液で強引に脱出口を作ったのだ。

 

仮面の人物は穴が出来ると同時に駆け出していた。芋虫型の巨体を駆け上がり、そのまま天井に空いた穴へと逃れてゆく。

 

敵わないと判断するや否やのこの行動。今度こそ、本当の逃走だった。

 

「くッ!」

 

すぐに後を追うファーナム。

 

しかしまだ息のある芋虫型が再び腐食液を吐き出し、その行く手を阻む。

 

「! ちィッ!」

 

舌打ちしながらも、飛んでくる腐食液を回避しつつ接近。仮面の人物と同じように芋虫型を足場にして、天井の穴へと飛び込んだ。そして24階層の地面に着地すると、素早く聖鈴を鳴らして『奇跡』を行使する。

 

呼び出したのは『雷の槍』だ。『天の雷鳴』のように広範囲に雷を落とす事は出来ないが、その名の通り、槍のようにして標的へと投げつける事が出来る。

 

ファーナムは手に宿した雷を振りかぶり、そして思い切り投擲する。

 

『ギイィッ!?』

 

『雷の槍』は穴を通過して、巨大な芋虫型の頭部に深く突き刺さった。身体の内部から焼き尽くされるその衝撃に、奇声じみた断末魔の叫びを上げる。

 

最後の芋虫型の始末を終えるも、息つく間もなく目の前に広がる通路へと視線を飛ばした。

 

穴を抜けて戻ってきた24階層は、25階層とほぼ変わらない迷宮構造だ。現在ファーナムはその通路上におり、その先は二方向の分かれ道となっている。

 

そして、その片方の通路の端に、はためくローブの裾が見えた。

 

「そこか……!」

 

仮面の人物が逃げた方向を確認したファーナムは、全速力でその後を追う。

 

迷宮内での逃走劇が、再び幕を開けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あン?」

 

ピクリ、とベートの耳がある音を捉えた。

 

「どうしたんですか、ベートさん?」

 

先頭を歩いていた狼人(ウェアウルフ)の歩みが止まった事に、レフィーヤと黒髪のエルフ……フィルヴィス・シャリアの足も止まる。

 

ベートは彼女の問いに言葉を発さず、今まで歩いてきた方向……己の後ろに広がる通路へと目をやる。

 

24階層を進むベートたち一行は、アスフィが導き出したのと同じ方法で食糧庫(パントリー)を目指していた。

 

リヴィラの街で聞き出した情報をもとに、一行はアイズが向かった先は食糧庫(パントリー)であると結論づけた。徒党を組んで襲い掛かるモンスターたちを蹴散らし、それを道標としながらここまでやって来たのだ。

 

そして目的の食糧庫(パントリー)まであと少しという所で、ベートが足を止めた。彼は狼の耳を小刻みに動かし、何かを探るような様子で通路の後方を睨んでいる。

 

「……誰か来やがる」

 

鋭い目つきのまま言い放ったその言葉に、レフィーヤとフィルヴィスも緊張した面持ちになる。

 

今まで他の冒険者と遭遇する事はなかったし、モンスターも全て倒してきた。しかしベートがわざわざ足を止めて警戒している姿に、二人は得物を握る手に力がこもるのを感じていた。

 

そして、三人の視界に現れたもの。

 

それはこちらへ向かって駆けてくる、仮面をつけた謎の人物。そしてその後ろを追うのは、全身を重装鎧で覆っている一人の冒険者―――――。

 

「ファーナムさん!?」

 

「テメェ!なんでこんな所にいやがる!?」

 

レフィーヤの驚きに彩られた声に、ベートの声が重なる。通路を反響して伝わってきたその声にファーナムはハッと目をやり、そして声を張り上げる。

 

「ベート!そいつを止めろッ!」

 

「あァ!?」

 

命令口調で放たれたその言葉に、ベートの眉間にしわが刻まれる。しかし只事ではない状況は誰の目にも明らかで、彼はちッ!と舌打ちしながらも、次の瞬間には地面を蹴っていた。

 

一方で、接近してくるベートの姿に仮面の人物は瞠目する。逃れた先にまでファーナムの仲間がいた事は誤算だったが、即座にこの状況を脱する為の思考に切り替える。

 

仮面の人物は、ベートが空中で蹴りの構えを取っているのを確認すると同時に、ローブをはためかせて身体を無理やりに捻る。その直後、ベートの放った蹴りはその身体を掠るに留め、脇をすり抜けていってしまう。

 

「!!」

 

今度はベートが瞠目する番だった。

 

ギリギリとは言えLv.5の冒険者の攻撃を回避して見せた仮面の人物の後ろ姿を、着地した彼は苛立ち込めて睨みつける。その隣をファーナムが通り過ぎてゆき、ベートもまた遅れを取るまいと駆け出した。

 

「おい、鎧野郎!あいつは何だ!?」

 

「説明は後だ、奴を逃す訳にはいかん!」

 

仮面の人物はレフィーヤの隣をすり抜け、フィルヴィスの迎撃をも回避して奥の通路へと走り去ってゆく。ファーナムはベートの追求に逼迫した声で答えつつも、その足を止めずに追いかける。

 

「ウィリディス、私たちも!」

 

「っ、は、はい!」

 

レフィーヤとフィルヴィスも加わり、四人は通路の奥へと駆けてゆく。最も足の速いベートが先頭となり、次にファーナム、フィルヴィス、最後にレフィーヤという順だ。

 

小さくなってはいるものの、まだ仮面の人物を視認する事ができた。その後ろ姿を捉えながらも、ファーナムの脳裏にはある疑問が浮かんでいた。

 

(何故、奴は24階層に逃れた?)

 

それは先ほどの戦闘、巨大な芋虫型に命令を送った事に起因している。逃走するだけならば入ってきた場所から逃げれば良いのに、何故天井に穴を空けて逃げるという面倒臭い手段を取ったのか。

 

24階層、というもの引っかかる。それはフェルズが言っていた、モンスターの大量発生が起きたという階層なのだ。もしもこの異常事態に仮面の人物が関わっているのだとしたら、この通路の先にあるのは恐らく―――――。

 

「何だ、ありゃあ!?」

 

先頭を走っていたベートの声にファーナムたちはハッと目をやった。

 

そして息を飲む。

 

通路の前方に現れたもの。それは気色の悪い色をした、緑色をした肉壁であった。ぶよぶよと、まるで生きているかのように蠢く肉壁は、本来のダンジョンには存在しないはずのものだ。

 

実はこれこそが、モンスターの大量発生の原因であった。

 

北の食糧庫(パントリー)を目指して来たモンスターたちがこの壁に阻まれ立ち往生となり、仕方なく別の食糧庫(パントリー)を目指す。事の真相はつまり、溢れ返ったモンスターたちによる大移動(・・・)だったのだ。

 

そしてその肉壁へと―――――正確にはその中央にある、幾重もの花弁が折り重なったようにも見える『門』へと、仮面の人物は身を躍らせた。

 

「!?」

 

その身体がぶちあたる直前、『門』は突如として開花(・・)し、仮面の人物を迎え入れた。そして全身が肉壁の内部に収まると同時に、『門』は瞬く間に閉じてしまう。捕食にも似たこの光景を前に、最後尾を走っていたレフィーヤの目が驚愕に染まった。

 

その数秒後、追いついたベートが肉壁へと蹴りを見舞う。

 

ぶちゅりっ!と『門』が弾けて肉片が飛び散る。壁の内部は至る所が肉で覆われた空間が広がっており、あたかも肉で出来たダンジョンのようだ。しかし肝心の仮面の人物がいない事に、ベートは盛大に舌を打った。

 

「クソがっ!どこ行きやがった!?」

 

怒号を放つ彼のもとにファーナムたちも追いつく。

 

全員が内部に入る頃には肉壁の修復が始まっており、損壊部分は歪な瘤により、ぼこぼこと盛り上がっていた。

 

「ここは……」

 

「目的の食糧庫(パントリー)に繋がっているのか……?」

 

眼前に広がる奇妙なダンジョンの姿に、レフィーヤとフィルヴィスは呆けたように呟いた。そんな様子の二人に、ファーナムは状況を確認する為に詰め寄る。

 

「今、食糧庫(パントリー)と言ったか?何故ここを目指していた?いや、そもそもお前たちは何が目的でここに……」

 

「ちょ、ちょっと待って下さい!」

 

矢継ぎ早に質問を投げかけてくるファーナムに、レフィーヤは杖を両手で握り締めながら待ったの声を上げる。彼女自身も先ほどの追跡劇について行けず、またこの変貌したダンジョンの様に混乱しているのだ。

 

わたつく彼女を見かねたのか、傍らに立っていたフィルヴィスが二人の間に割り込み、手短に状況を説明する。

 

「私たちはこの階層で起きているモンスターの大量発生、その調査に赴いた【剣姫(けんき)】の捜索の為に来た。そこにお前がやって来たという訳だ」

 

「お前は……」

 

「“お前”ではない。フィルヴィス・シャリア、【ディオニュソス・ファミリア】の冒険者だ」

 

怪訝な様子のファーナムに対し、フィルヴィスは凛とした態度を貫く。かなりの体格差にも関わらずまっすぐに顔を直視してくるその姿には、誇り高いエルフの性格が滲み出ていた。

 

彼女は続いてアイズに関する情報を話し始めた。ダンジョン内で依頼を受けた事、他の協力者たちと共にこの場所を目指していたらしい事。それらを聞いたファーナムは、ようやく現状を把握する事が出来た。

 

(フェルズ……アイズに調査を依頼したのは、やはりお前か)

 

フェルズが話していたモンスターの大量発生。そちらについては彼が何とかすると言っていたが、何という運命の悪戯か、ファーナムまでもがその現場に辿り着いてしまったのだ。

 

そしてこの裏には、あの赤髪の女の仲間も存在する。ただの大量発生ではない今回の事件に、ファーナムは頭の中でパズルのピースが噛み合うのを感じた。

 

それが何を示しているのかはまだ分からない。しかしそれはきっと、碌でもない事に違いない。

 

「いつまで喋ってやがる!さっさと行くぞ!」

 

その声に振り返ってみれば、ベートは既に奥へと続く通路を走り出していた。その先の地面に散らばっているのは灰。すなわち、モンスターの死骸である。

 

灰は通路の奥の方にもあり、それに混じってアイテムらしき欠片も見受けられる。どうやらアイズと他の協力者たちはこの通路を進んで行ったのだろう。ベートはそれらを道標にして、通路を疾走していった。

 

「俺たちも行くぞ!」

 

「はい!」

 

ファーナムたちもベートに続き、肉の通路を突き進んでゆく。道標は断続的に続いており、それのお陰で迷う事はなかった。

 

進んでゆくにつれ、耳に伝わってくる音があった。

 

剣戟、爆発音、そして悲鳴。この通路を突破した先に待ち構えているであろう光景に、ファーナムはごくりと生唾を飲み込む。

 

そして彼が目にしたものは―――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ベートが蹴り割った『門』は完全に修復されていた。肉壁は何事もなかったかのように蠢き、変わらず不気味に脈打ち続けている。

 

その肉壁のすぐ隣。本来のダンジョンが有する岩の壁に、ある異変が起きた。

 

まるで霧が晴れるように壁の存在が希薄になり、遂には完全に無くなってしまう。代わりに出来たのは洞窟の入り口で、大柄な者でも余裕をもって通れる程の大きさがある。

 

 

 

そして―――――ガチャリ、と。鉄靴の音が響く。

 

 

 

足音の数は四つ。不規則なそれらの音は、しかし互いに一定の距離を保ったまま行進を続けていた。

 

その行進が止まる。鉄靴の持ち主たちは蠢く肉壁の前で立ち止まり、何かを感じ取ったのか、その場から動こうとしない。

 

やがて先頭に立つ者が動きを見せた。

 

手にしていた得物を緩慢な動作で振り上げる。その得物は特大級の大剣であり、本来はとても片手で扱えるような代物ではない。それ程の重量物を、まるで苦にもせず扱っているのだ。

 

次の瞬間、爆散(・・)する肉壁。振り下ろされた得物により、斬撃は凄まじい衝撃となって肉壁全面を吹き飛ばした。

 

砕け散った肉壁の欠片を踏み潰しながら、鉄靴の行進は再開された。ぐじゅり、ぐちゃりと悍ましい音を立てながら、通路の奥へと進んでゆく。

 

まるで、その先にある何か(・・)に惹かれるように。

 

 

 

 

 

「………!」

 

その異変を“黒ローブ”も感じ取った。

 

他の仲間は現在出払っている。数多の同胞たちへ“王”の言葉を伝える為に、他世界に赴いているのだ。

 

故に、動けるのはただ一人。

 

“黒ローブ”は腰を上げ、篝火の前に手をかざす。“王”が不在でも扱えるのは、それが彼ら全員の拠り所であるからに他ならない。

 

やがて篝火は大きく燃え盛り、“黒ローブ”の全身を呑み込んだ。

 

火が治まる頃にはその姿はかき消えていて、漆黒の中で浮き上がる篝火だけが、煌々と燃え続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

肉の通路を超えた先にあったのは、阿鼻叫喚の地獄絵図だった。

 

過去に何度も戦った食人花の群れに、顔を隠し上半身をケープで覆っている謎の集団。そしてそれら二つの勢力に、今や飲み込まれかけている冒険者たちの姿。

 

そこかしこで爆発が起こり、食人花が、謎の集団が、冒険者たちが、雄叫びとも絶叫ともつかない声を発している。

 

「これは、一体……!?」

 

余りの光景に、ファーナムですらが言葉を失う。

 

三勢力入り乱れたこの混戦では、まともな指揮を取れる者はいない。状況に応じて行動するしかないと踏んだファーナムは先に動いていたベートに続き、一先ず戦っている冒険者へ助太刀する事にした。

 

「【誇り高き戦士よ、森の射手隊よ。押し寄せる略奪者を前に弓を取れ。同胞の声に応え、矢を番えよ】」

 

レフィーヤは杖を構え、前方に固まっている食人花たちへと砲撃の準備に移る。

 

「【一掃せよ、破邪の聖杖(いかずち)】」

 

詠唱によって無防備となっている彼女を、フィルヴィスが超短文詠唱の魔法で援護する。旅の道中で親交を深めた二人のエルフは、出会って間もないというのに上手い連携を見せていた。

 

「【ディオ・テュルソス】!」

 

短杖(ワンド)から放たれる鋭い稲光。レフィーヤへと迫って来ていた食人花の頭部を貫く様は、まるで『雷の槍』のようだ。

 

この混戦下であっても冷静に対処できるフィルヴィスの姿に、ファーナムもレフィーヤを任せておけるという確信を持つ。彼は手にした直剣を振るって食人花を屠りながら、苦戦を強いられる冒険者たちの元へと急行した。

 

「ひっ、ひぃいい!?」

 

途中で素早く指輪を交換する。あちこちで起きている爆発の様子から、新たに『炎方石の指輪』を付け、『壁守人の盾』も持ち出す。炎に対する耐性を上げる指輪と炎カット率の高い盾を装備したファーナムは、顎を開いていた食人花へと斬り掛かる。

 

『ギャッ!?』

 

切り落とされた食人花の頭部は、座り込んでいたドワーフの冒険者のすぐ隣へと落下する。急に降って湧いた救いの手に呆然とする彼の手を引っ掴み、強引に立ち上がらせる。

 

「あ、あんたは……」

 

「礼はいい。それよりも状況を説明してくれ」

 

ファーナムは何より、現状を把握したかった。

 

食人花は分かるが、あのケープを羽織った集団に関しては全く知らない。モンスターではないようだが、かと言って冒険者にも見えない。食人花とも戦っているようにも見えるが、どこか妙な挙動をしている。

 

倒していい相手か、そうでないのか。それをはっきりさせる為に、ドワーフの冒険者に説明を求めたのだ。

 

だが、

 

「おおおぉぉぉおおおおおおおっ!!」

 

二人の元に走り寄ってくる男がいた。雄叫びを上げて突進してくるその男はケープをはためかせ、そこにくくり付けられた何か(・・)に繋がった紐を握り締めている。

 

「この魂、どうかクレアの元へと届かせ給えぇーーーーー!!」   

 

訳の分からぬ事を叫ぶ男。

 

何をするつもりなのか。見当が付かないファーナムとは対照的に、ドワーフの冒険者の顔は凍り付いていた。ともかく向かってくる以上は何らかの対応をしなくてはならない。彼は盾を構えて衝突に備えようとする。

 

が、突如。横合いから飛んできたナイフが、男の首へと突き刺さった。

 

「!?」

 

突然の出来事に目を剥くファーナム。

 

ナイフが突き刺さった衝撃により男の身体は力を失い、ぐらりと傾いた。走っていた勢いをそのままに、その手に握られていた紐が引かれる。

 

瞬間、男は爆散(・・)した。

 

放たれた衝撃と熱量がファーナムを叩く。5Mもない距離での爆発は凄まじく、隣にいたドワーフの冒険者は身を屈めて爆風を耐えている。

 

しかしファーナムは、呆然とした様子でその場に立ち尽くしていた。

 

その目は燃え盛る男の身体を見ていた。未だ原型を留めたまま焼かれる一人の男の末路に、目を見開いたまま動く事が出来ずにいた。

 

これは、一体なんだ?

 

何故、自爆などという真似を?

 

何故、自ら死にに来た?たった一つしかない命を持つ、不死人でもない人間が。

 

死にたくても死ねない、死に切ることが出来ない不死人であるファーナムは、自爆を敢行した男の行動が理解出来なかった。

 

誰よりも命の価値、その尊さを知っているが故に、自ら命を捨てる意味が分からなかった。

 

「あんた!大丈夫か!?」

 

立ち尽くすファーナムへと投げかけられる声があった。声の主は褐色の肌に犬の耳を持つ少女、ルルネである。先ほどナイフを放ったのも彼女で、間一髪で爆発に巻き込まれるのを回避させたのだ。

 

「あいつらは死兵だ、『火炎石』をくくり付けてる!近付いたら爆発に巻き込まれるぞ!」

 

「死兵、だと……!?」

 

ケープの集団の危険性を説くルルネの声に、ファーナムは頭を殴られたような衝撃を受けた。自ら死にに来る者たち、その正体を突き付けられ言葉を失う。

 

同時に、理解してしまった。

 

今もあちこちで乱発する爆発。敵味方の区別なく燃え盛る火柱。その中心にいるのが、全て人であるという事に。

 

愕然とするファーナムであったが、彼の元へと駆け寄る者がまた一人。例によってケープで上半身を隠した、死兵の内の一人だ。ルルネはぎょっと目を見開き、しかしすぐにナイフへと手を伸ばす。

 

 

 

しかし、それよりも速く、ファーナムが死兵の元へと走り出していった。

 

 

 

「ちょっ、あんた!?」

 

ルルネの制止の声には耳も貸さず、ケープの人物へと接近する。相手もまさか近付いてくるとは思わなかったのか、慌てた様子で発火装置へと伸びる紐を手繰り寄せた。

 

が、その手をファーナムが掴む。盾さえ放り投げて空いた左手で、相手の腕を止めたのだ。

 

「っ、離せ!」

 

目深に被ったフードの奥から聞こえてきたのは女の声だった。まだ年若い、それこそ長い時を生きてきたファーナムからすれば子供にしか見えない彼女は、掴んでいる手を振りほどこうと必死に足掻く。

 

しかしファーナムの膂力は並み外れている。そんな事では振りほどく事など出来ない。彼は直剣を握ったまま女を抱き寄せ、そして声を張り上げた。

 

「こんな事は止めろ!死んで何になると言うんだ!」

 

「……っ!」

 

「たった一つしかない命……無駄にするんじゃないッ!!」

 

それはもはや怒号だった。

 

そう、ファーナムは激怒しているのだ。命と引き換えに自爆を行う彼らに。生きてダンジョンから戻る。そう胸に決めた冒険者たちとは全く異なる、歪な覚悟に。

 

その声に、女の双眸は大きく見開かれる。一瞬だけ時が制止し、振りほどこうとしていた抵抗の力が弱くなる。その変化に気が付いたファーナムは、僅かに安堵の息を漏らした。

 

「何をしているっ!」

 

が、そこに飛び込んできた声があった。

 

出処は一人の死兵の男からで、その手は既に紐を握っている。突進しながら大声で怒鳴りつけた男は、女へと言葉を叩きつける。

 

「我らの悲願を忘れたか!?死を超え、我らが主神(あるじ)に忠誠を示すのだ!!」

 

男はそう言い残し、他の者たちと同じ末路を辿っていった。直前に、何者かの名を口にして。

 

まずい。瞬間的にそう感じたファーナムは、天秤が悪い方へと傾く光景さえ幻視してしまう。女は空いた手を胸に携えて、虚ろな目でぶつぶつと何事かを呟いている。

 

どうにかしなくては、と焦るファーナムに更なる追い打ちが迫る。左右から食人花が迫ってきたのだ。二匹は挟み撃ちにするかの如く大口を開き、ファーナムと女を視界に捉えている。

 

「っ!!」

 

咄嗟にファーナムは両腕を振るった。

 

直剣が握られていた右手は、大口を開いていた食人花の上顎を貫く。紫色の体液を噴出させ、その痛みに長大な体躯が視界の端で暴れていた。

 

それとは対照的に、左手には何も握られていない。盾を投げ捨て咄嗟に武器も持たなかった左腕は、がっちりと食人花の顎に喰らい付かれていた。優秀な鎧のお陰で食い千切られてはいないが、鋭い牙が腕に食い込んでいる。

 

「ぐうっ……!」

 

兜の奥から呻吟(しんぎん)の声が漏れる。直剣を突き立てた右手と、喰い付かれている左腕。あたかも牢獄に繋ぎ止められた罪人のように、二匹の食人花はファーナムの両腕を戒める鎖となっていた。

 

歯を食い縛りつつ、この状況を脱する一手を考える。まずは直剣を引き抜き、返す刀で左腕に喰い付いている食人花を斬り付けてやろう。

 

「………ヴァレリー」

 

その思考を、女の声が中断させた。

 

「――――――――――」

 

ファーナムの思考に空白が生じる。

 

女は左右に食人花が居るというのに、気が付いてすらいないように立ち尽くしている。その右手はファーナムの拘束を解かれており、自由になった手は既に発火装置へと繋がる紐を掴んでいた。

 

「待ってて……いま、()くから」

 

零れ落ちる涙と共に呟かれた言葉。

 

それは戦火の渦の中へとかき消えて。

 

「ッ、よせ―――――!!」

 

直後。

 

制止の声も空しく、ファーナムの視界は赤く燃え上がった。

 

 




ダンまち本編14巻が出ましたね。

相変わらず素敵な文章と多くの表現方法に、読んでいて本当に引き込まれます。

このような文章を目指して、今後も精進致します。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十五話 天秤

明けましておめでとうございます。

今年も私の投稿小説を、どうぞ宜しくお願い致します。


 

もう、またこんな怪我をして。

 

何度も言ってるでしょう、あんまり危ない事はやめてって。

 

いくら人助けだからって、あなたが死んでしまったら意味がないわ。

 

……大袈裟?とんでもないわ!

 

つい一か月前、積み上げていた丸太に潰されそうになったのはどこの誰?頼まれてもいないのに、自分から手伝うって言って聞かなかったじゃない。

 

お願いだからもっと自分の事も考えて。私の為にも。お腹の中の、この子の為にも。

 

命は、一人に一つしかないのよ?

 

 

 

 

 

真っ赤に焼ける視界。

 

耳を(つんざ)く爆発音。

 

身体を突き抜ける重い衝撃。

 

その中でファーナムは、誰かの声を聞いた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一瞬の浮遊感の後に来たのは、背中から地面に叩きつけられる衝撃だった。緑色の肉で覆われた地面を二転三転し、ようやくファーナムの身体は停止する。

 

「ぐっ、お……!?」

 

至近距離での爆発の影響か、視界には未だに炎の色が焼き付いていた。

 

全身を叩いた衝撃は凄まじいものだったが、行動不能になる程のものではない。身に着けている堅牢な鎧と、あとは事前に装備していた『炎方石の指輪』のお陰だろう。

 

左腕には噛み付いていた食人花の鋭い牙が数本突き刺さっており、根本から折れたのか、そこには僅かな肉片がへばりついている。どうやらあの食人花も爆発に巻き込まれたらしい。

 

傷口から流れる血、そして混乱する内臓の悲鳴。それらを無視して身体を起こし、ファーナムは炎の幻影が消え始めた瞳を前方へと向ける。

 

そして、見た。

 

轟々と燃え盛る炎の中にある、人間大の大きさをした塊を。

 

「………」

 

その光景を前にしたファーナムは動けない。

 

身体の痛みも気にすらならず、燃え盛る炎に目を奪われる。だらりと下げた血だらけの左手はつい先程まで握っていた女の手を求めるように、ピクリと痙攣した。

 

「無事か!?」

 

と、そこへフィルヴィスが駆け寄ってくる。

 

ファーナムが爆発に巻き込まれた姿を目の当たりにしたレフィーヤ。動揺し、詠唱を止めかけた彼女にそのまま続行するように伝えたフィルヴィスは、近くにいた【ヘルメス・ファミリア】の団員に彼女の援護を頼んだ。そして自身は、心配するレフィーヤの代わりに安否を確認にやって来たのだ。

 

「……驚いた。間近で巻き込まれたのに、重症ではないようだな」

 

鎧のところどころは煤け、肩を覆う毛皮は焼け焦げていたものの、ファーナムは両膝立ちが出来る程度には無事だった。左腕は痛々しい様相を呈しているが、爆発に巻き込まれたというのにその程度の傷しか負っていなかった事に、フィルヴィスは素直にそんな言葉が出てきた。

 

しかし当の本人は固まったかのように微動だにしない。視線を一点に向け、駆け寄ってきたフィルヴィスの言葉など耳に入っていないかのように、ただただ爆発した死兵の亡骸を見ている。

 

「おい、お前。どうしたんだ」

 

その様子に、フィルヴィスは訝しげな顔をする。

 

ファーナムはようやく彼女の存在に気が付いたようで、ゆっくりと口を開いた。しかしその視線は、未だに一点に固定されたままだ。

 

「………死なせて、しまった」

 

「何?」

 

そして出てきたその言葉に、反射的に聞き返すフィルヴィス。

 

疑問を抱く彼女を他所に、ファーナムは更にこう続けた。

 

「俺があの時、手を離さなければ……あの女は死ななかった」

 

まるで生気がこもっていない様に感じられるファーナムの姿に、そしてその言葉の内容に、フィルヴィスは瞠目した。

 

出会ってまだ五分も経っていないが、目の前の冒険者の人となりは何となく掴めていた。同族であるレフィーヤも彼を信頼している様子だったし、突然の戦闘にもすぐに対処出来ていた。総合的に考えても、まず間違いなく優秀な冒険者であろう。

 

しかし、今のこの姿は何だ。

 

「俺が、死なせた……見殺しにした」

 

呆けたように前方へと目を向けながら、うわ言のようにそう呟いている。

 

その言葉が恐らくは爆死した死兵に対するものだというのはフィルヴィスにも察しが付いた。同時にファーナムが、敵対している人間に対してもその身を案じられる程の優しさを持っている事も。

 

 

 

それ故に、フィルヴィスの顔は怒りに歪んだ。

 

 

 

「ッ!」

 

鎧の肩部を覆う毛皮を掴み、ぐいっ!と両手で引っ張る。二人の体格差は比べるべくもないが、今のファーナムは両膝立ちの状態。自然、立っているフィルヴィスとの目線の位置は近くなる。

 

力なく項垂れているファーナム。その兜に覆われた顔に、己の顔を突き付けてフィルヴィスは声を荒らげた。

 

「しっかりしろ!ここは戦場なんだぞ、自責の念に駆られている場合か!?」

 

形の良い眉を吊り上げ、黒髪のエルフは吠える。

 

今も自分の後ろで詠唱を続けるレフィーヤ。いけ好かないが実力だけは確かなベート。そして必死に応戦し、生き残るための抵抗を続けている冒険者たち。

 

そんな彼らの中で唯一。目の前で自害した敵の亡骸に目を奪われ、そして呆然として動けずにいたファーナムを、フィルヴィスは許しはしなかった。

 

「他の者たちは懸命に戦っている!生き残るために!」

 

生死の場において敵の事まで気にかけられる。それはある意味では立派な、聖人の如く尊い事なのかも知れない。しかしそれは同時に、仲間を危険に晒す行為でもある。

 

例え敵であっても殺したくない。そんな一瞬の心の迷いが隙を呼び、そして隙は死を呼び寄せる。死の対象は自分自身。そして、仲間たちも。

 

かつて味わった27階層の悪夢(あの地獄)を彷彿とさせるこの状況。

 

命を絶つ大鎌が、自分たちのすぐ首元までやって来ているこの感覚。

 

その中で一人動かずにいるファーナムの姿に、フィルヴィスはかつての自分を重ね合わせていた。共に死ぬ事も出来ず、仲間を見殺しにしてしまった、無力だったあの時の自分を。

 

そして抗う力がありながらもそれを振るおうとしないファーナムに対し。

 

「敵の命と仲間の命……どちらが大切だ!?」

 

「………!」

 

彼女は、叫ばずにはいられなかった。

 

「【ヒュゼレイド・ファラーリカ】!!」

 

直後、レフィーヤが完成させた魔法を解き放った。

 

大空間の一角に固まっていた食人花の群れへと放たれた火炎の豪雨。一発一発が高威力のそれらは着弾と同時に炸裂、その場にいた全員の視界を赤く染め上げる。

 

食人花たちの断末魔が鳴り響く中、フィルヴィスは横顔を焼く熱量に目をつむる。ファーナムの鎧の毛皮部分を掴んでいた手を離し、反射的に顔を庇うよう腕を構えた。

 

その為だろうか。

 

彼女は死兵の接近に気付くのが遅れてしまったのだ。

 

「ッ!?」

 

「おおぁああああああああ!!」

 

それも一人や二人ではない。周囲にまだ残っていた者たち全てだ。

 

レフィーヤが放った魔法は彼らから僅かな余裕すらも奪い去っていた。飛び火して身体にくくりつけた火炎石が暴発しては堪らないと、死兵たちは同時に行動を開始した。

 

すなわち自爆の一斉決行。一人でも多く道連れにすべく、戦っている冒険者たちの元へと殺到する。

 

「まずっ……!?」

 

その光景にルルネたちの息が止まる。フィルヴィスもまたその内の一人だった。

 

自爆が目的の相手に恐れるものはない、数人仕留めたところで怯ませる事も出来ないだろう。助かる可能性があるとすれば魔法で火炎石を狙い誘爆させて纏めて倒す事だろうが、果たしてそう上手くいくだろうか。

 

詠唱が許される時間は二回分……いや、一回分程度か。

 

もしもその一射を外したら?

 

外した場合……どうなる?

 

 

 

―――――フィルヴィス!!

 

 

 

「………ッ!?」

 

一瞬の内に脳裏を駆け巡った思考の後に、フィルヴィスの頭の中にあの光景が蘇る。

 

血塗れの仲間たち。モンスターたちの絶叫。そして両者を巻き込んで自爆する闇派閥(イヴィルス)たち。次の瞬間にもかつての地獄がまた現れるかも知れないという考えが、フィルヴィスから身体の自由を奪ってしまう。

 

動くべき時なのに身体が言う事を聞かない。動かなければ全員死んでしまう。それでも……動けない!

 

「―――――ぁ」

 

ヒュッ、という短い呼吸音がフィルヴィスの喉から漏れた。

 

もう何も考えられない。目に映る全ての動きが、ひどく遅く感じる。これが死の(ふち)に立たされた者が目にする光景なのかと、そんな考えが頭に浮かんできた―――その時。

 

不意に、彼女の顔に影がかかった。

 

反射的に目だけを動かすと、そこには立ち上がっていたファーナムの背中があった。つい先程まで左腕に深く刺さっていた食人花の牙は引き抜かれており、流れ出ていた血も止まっている。恐らくは治癒薬(ポーション)でも使ったのであろう、腰の小袋からはオレンジ色をしたガラス瓶が顔を覗かせていた。

 

フィルヴィスの斜め前に立つ彼は、いつの間にか手にしていた黒い弓を引き絞っていた。(つが)えている矢の先端には火が灯っており、狙いは死兵たちへと向けられていた。

 

お前―――とフィルヴィスが口にするよりも速く、放たれた火矢が一直線に飛んで行く。それは先頭を走っていた死兵の胸へと吸い込まれ、そして爆発を引き起こした。

 

「がっ!?」

 

一瞬だけ浮かんだ苦悶の表情。しかしそれも、直後に炎の中へと消えていった。すぐ隣を走っていた仲間の死兵たちにもその火は伝播し、一気に複数の爆発が引き起こされる。

 

「ぎゃあッ!?」

 

「ぐっ、あぁ!!」

 

断末魔の短い悲鳴と大きな火柱がいくつも巻き起こった。多くの死兵が瞬時に絶命する中、即死出来なかった幾人かは全身を激しく燃え上がらせ、耳を塞ぎたくなるような絶叫と共に暴れ回る。

 

「あ゛っ、あぁああッ、お゛あ゛ぁっあああぁぁぁぁぁあッッ!!?」

 

「ひぃぃぃいいい゛い゛い゛い゛あ゛あ゛ぁぁああぁぁぁ………」

 

全身の皮膚という皮膚を生きたまま焼かれるその姿に、ルルネは顔を大きく引きつらせた。近くにいた団員たちも似たような表情を浮かべており、中には吐き気を必死に堪える者までいる。

 

灼熱の中で死に、絶命してなお炎に囚われている。それはまさしくこの世の地獄だった。いくら自業自得だからとて、人の“死”を冒涜するようなこの光景を前にした彼らの思考が停止するのも無理はなかった。

 

そんな中であって誘爆を免れた者たちがいた。残ったのは四人、彼らは既に射程圏内であると踏んだのか、とうとう発火装置に繋がれている紐へと手を伸ばし始める。

 

「ウィリカ!どうか俺を許し―――――づっっ」

 

全速力で走りながら自爆しようとした死兵。しかしその者の腹部に、ファーナムの放った火矢が突き刺さった。

 

瞬間、巻き起こる爆発。最も先頭を走っていた者の爆発により後続の死兵たちの速度が僅かに落ちた。その隙を見逃さず、三射目の火矢が放たれる。

 

「かッ……」

 

それはルルネたちに最も近かった死兵の喉元を貫いた。その衝撃により身体が一瞬硬直し、そして数秒後に爆発が起こる。矢が刺さった時にケープに燃え移った火が、火炎石に引火したのだ。

 

最期の言葉すらも言えぬままに死んでいった仲間の姿に、残る二人の死兵は標的を入れ替える。彼らは互いの爆発に巻き込まれないように距離を取りつつも、左右から挟撃すべくファーナムの元へと駆けていった。

 

これに対しファーナムは、左の死兵の元へと走り出した。

 

同時に取り出した投げナイフを使って、右から接近していた死兵を始末する。眉間を深く抉ったその正体を認識する事すら出来ずに、そして自爆する事も出来ぬまま、地面に仰向けで倒れ込む。

 

「クラ……ッサ………」

 

そんな小さな呟きを耳に入れながらも、ファーナムの足は止まらない。

 

残った一人の死兵。その手には既に発火装置の紐を握られていた。互いの距離はもう2Mもない。後は勢いよく紐を引っ張るだけの死兵に対し、彼はダガーを取り出す。

 

ダガーは紐を握っていた方の手を刺し貫いた。それだけに留まらず、貫通した刃の切っ先は死兵自身の大腿部へと深く突き立てられる。

 

紐を握ったまま大腿部に手を固定された死兵は悲鳴を上げかけるも、喉から生じた違和感に目を大きく見開いた。

 

違和感の正体は血飛沫が証明していた。自爆を阻止した直後にもう一本のダガーを取り出し、そして相手の喉を一思いに切り裂いたのだ。

 

舞い上がった血飛沫がファーナムの兜を赤く汚す。

 

噴水のように噴き出した鮮血は、徐々にその勢いを失わせていった。死兵は自由な方の手を彷徨わせ、まるでもがき苦しむかのようにしてファーナムの鎧を掴む。

 

しかし、それだけだった。力を失った死兵の身体はずるずると崩れ落ち、やがてうずくまるような恰好で力尽きた。

 

『マ、リ……ア……』

 

その死の直前。

 

声帯を切り裂かれ、言葉を奪われた死兵の唇が紡いだその名を、ファーナムだけが知る事となった。

 

「………」

 

ほんの10秒にも満たない時間の内に全滅した死兵たち。彼らを屠るその手並みには淀みがなく、Lv.4の団員を多く抱えている【ヘルメス・ファミリア】の者たちであっても、こう上手くはいかないだろうと思わせるものだった。

 

遠くに見える崖には色違いのケープを纏った男がまだ立っている。恐らくは指揮官なのであろうが、すぐにこちらへと向かってくる様子はなかった。

 

ファーナムの働きによって助けられたフィルヴィスとルルネたちは、しかし固まってしまったかのように動かない。ただその顔だけを、血が付着したダガーを手にしている者の背中へと向けていた。

 

「……フィルヴィスと言ったか」

 

助けた者たちに背を向けたまま、ファーナムは口を開いた。己の名を呼ばれたフィルヴィスはその声にハッと我に返り、止まっていた時間を取り戻す。

 

くるりと振り向いたファーナムの姿は返り血に濡れていた。兜から鎧にかけて幾筋もの赤い線が流れており、煤けていた毛皮も一部が真っ赤に染まっている。事情を知らない者が見れば、その恰好はまさに“人殺し”と言える。

 

「……っ」

 

その姿にフィルヴィスはかつての自分を重ねてしまう。

 

ぼろぼろの衣服を返り血で彩った、生気のない亡者のような表情。そんな酷い恰好で戻ってきた、仲間を見殺しにして逃げ帰ってきたかつての自分を。

 

目の前の男はそんな愚かな自分とは正反対の結果をもたらしたにも関わらず、彼女はそう感じずにはいられなかった。

 

すなわち……これは何か(・・)を失った者の姿である、と。

 

「お前の言う通りだ。敵と味方、どちらが大切かなど論じるまでもない」

 

ファーナムはこちらへと近付きながらそう述べた。そして動けなかった自分に喝を入れてくれたフィルヴィスに対し、感謝の言葉も。彼は地面に転がっていた盾と直剣を回収すると、未だ戦っているベートがいる方向へと視線を飛ばした。

 

次にすべき事を見つけた彼は新たな戦場へと駆けてゆく。

 

彼と入れ違いにやって来たのはレフィーヤだった。すれ違いざまに見えたファーナムの姿にぎょっとした表情を浮かべるも、彼女はすぐに持ち直してフィルヴィスの元へと駆け寄った。

 

「フィルヴィスさん、大丈夫ですか!?それに他の皆さんは……!」

 

「あ、あぁ。何とか無事だ」

 

両肩を揺すられたフィルヴィスは全員の無事を伝えた。レフィーヤがやって来た事によりルルネたちも我に返ったのか、彼らも慌てた様子で動き出す。

 

「そうだ……アスフィ!アスフィが、あの白ずくめの男に!?」

 

そう叫んだルルネの視線の先では、ベートと謎の男が戦闘を繰り広げていた。

 

Lv.5の彼にも引けを取らない動きを見せている男の全身は不気味なほど白く、レフィーヤにもあれが“白ずくめの男”であるとすぐに分かった。

 

「大丈夫です、ルルネさん!ベートさんもいますし、それにファーナムさんも今向かって行きましたから!」

 

「お、お前……レフィーヤか?」

 

リヴィラの街の事件の際にルルネと面識があるレフィーヤは、取り乱しかけた彼女を安心させるべくそう伝える。栗色の髪を揺らすエルフの少女に、ルルネは今頃その存在に気が付いたのか、目をぱちくりとさせた。

 

一方でフィルヴィスは、ファーナムが駆けて行った方向へと目を向けていた。

 

自分たちの危機を救ってくれた男の背中は今や小さくなりつつあり、間もなくベートと合流する所だ。弓を用いた遠距離戦も問題なくこなすファーナムの登場により、戦況はこちら側に大きく傾くだろう。

 

優勢になりつつある状況なのだが、ここでふとフィルヴィスの胸の内に小さな不安が生まれた。それはごく僅かなもので、何故そんなものが沸き上がったのか彼女自身にも分からない。

 

ただ確かに言えるのは……その瞬間、兜越しにこちらを見たファーナムの姿が頭をちらついた、という事だけだった。

 

 

 

 

 

頭を狙ったベートの蹴りが、白ずくめの男が交差した両腕によって阻まれる。並みの鎧よりも余程強固な感触が白銀のメタルブーツから伝わり、彼は苛立たしげに犬歯を剥いた。

 

「どうした【凶狼(ヴァナルガンド)】!上級冒険者とはその程度か?」

 

嘲笑うかのようにして白ずくめの男は腕を振るい、ベートの体勢を崩す。その彼の元に、上空から食人花が襲い掛かる。

 

「チィッ!」

 

醜悪な口腔を(さら)け出して丸呑みにしようとする食人花に対し、ベートは咄嗟に腰を捻って回転蹴りを見舞った。崩された体勢から放たれたとは思えぬ程の威力のそれは食人花の頭部に炸裂し、中にあった魔石を粉々に砕いた。

 

悲鳴を上げる間も与えずに食人花を倒すも安心はできない。着地したベートの背後に、背骨を狙った白ずくめの男の拳が迫ってきた。

 

「そら、終いだ」

 

「ッ!?」

 

ベートすらも凌ぐ膂力で振るわれる拳は破壊槌の如く。まともに貰えば一撃で背骨を砕かれ、一切の行動が不能となるだろう。

 

完全に不意を突かれた攻撃。しかしベートはそれすらも反応して見せた。

 

「るぉああッ!!」

 

眼光すらも置き去りにする速度で振り返ったベートは、男の拳を真横から殴り飛ばした。これは流石に予想できなかったのか、白ずくめの男は異形の頭骨によって隠された双眸を驚愕に揺らす。

 

「ぬっ、う!?」

 

白ずくめの男は追撃を危険と判断し、一旦距離を取った。大きく後方へ飛んだ男は睨みつけるベートを正面から見返し、互いに一歩も動かない。

 

完全なるこう着状態。これも既に幾度目かになる状況だ。

 

この大空間にやって来たベートは、まず周囲にいた食人花たちの始末を行った。繰り出す蹴りが次々とモンスターの命を奪う中、白ずくめの男は突如として襲撃、ベートとの戦闘が始まった。

 

少し離れた場所には水色の髪の女性、アスフィが倒れており、腹部からは出血が見て取れた。すぐそばには血に染まった短剣が落ちており、あれで貫かれたのだという事は明白だった。

 

すぐに彼女を安全圏まで逃がしたかったが、状況がそれを許さない。他の追随を許さない速力を誇るベートに対し、白ずくめの男は異様なまでの膂力と打たれ強さを持っていた。加えて不規則に加わる食人花の攻撃もあり、戦況は一進一退を繰り返していた。

 

「……ふん、新手か」

 

と、ここで白ずくめの男の口が動いた。

 

ベートが横目で確認すると、こちらへと駆け付けてくるファーナムの姿が。全身を血で汚しているが、そんな事は今は関係なかった。

 

「こっちはいい!お前はそこで倒れている女をどうにかしろ!」

 

正面に睨みを聞かせたままベートは吠える。

 

その言葉を受けたファーナムは首を回し、そして倒れているアスフィを見つけた。辛うじて意識はあるようだが額は脂汗が滲み、苦悶に歪んでいた。

 

「腹をやられてる、さっさと連れてけ!」

 

「ッ、分かった!」

 

駆け付けたファーナムは一先ずこの場をベートに任せ、倒れているアスフィの元へと急ぐ。そこへ白ずくめの男が食人花をけしかけようとするも、地を蹴って肉薄したベートによって阻止される。

 

「テメェの相手は俺だ、糞野郎!」

 

「ぐっ、冒険者風情が!」

 

激しい肉弾戦の余波を感じつつ、ファーナムはアスフィの元へと辿り着く。

 

出血は思っていたよりも酷く、瑞々しい肌は土気色に変わり始めていた。口の端からも血が垂れており、迂闊に動かすのも危険な状態だ。

 

しかしファーナムは慌てる事なく、懐からある物を取り出す。

 

「心配いらない。これを飲め」

 

「……ぅ」

 

アスフィの後頭部に手を添え、もう片方の手に持った小瓶の中身を、彼女の口の中へと流し込む。一般的な治癒薬(ポーション)とは異なる乳白色の液体は、ゆっくりとアスフィの身体に染み渡っていった。

 

「……っは。げほっ、ごほっ!」

 

「慌てるな。ゆっくり呼吸しろ」

 

急速に生気を取り戻したアスフィはむせるように咳込んだ。しかし先程までの苦悶は消えており、腹部の傷も完全に癒えている上に、身体は活力も取り戻していた。呼吸を整えた彼女はその事実に気が付くと、不思議そうな顔でファーナムを見上げた。

 

「あ、貴方は……?」

 

「援軍だ。それよりも、あの男は何者だ」

 

ファーナムの目はベートと戦っている白ずくめの男を射抜いている。アスフィもそちらへ目を向けると、眉間に皺を刻みつつ口を開いた。

 

「詳しい事は分かりません……ですが、この状況を作り出した首謀者と見て間違いないでしょう」

 

彼女は傍らに転がっていた自分の血に濡れた短刀を手繰り寄せ、ぐぐ、と上体を起こそうとする。それを補助しつつ、ファーナムは我知らずに声を漏らしていた。

 

「あいつが……」

 

それは普段よりもずっと低く、そして冷たい響きを孕んでいた。

 

 




次回、ファーナムさんは何をするのか。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十六話 許されざる者

「あいつが……」

 

耳朶を震わす声に、アスフィは思わず動きを止めた。

 

それが今も自身を支えてくれている、この鎧姿の男性から放たれたものだと理解するのに僅かな間を要した。それほどまでに、兜の奥から聞こえてきた呟きは冷たいものだったのだ。

 

「アスフィ!」

 

と、そこへ。ルルネとその仲間である数人の冒険者たちが駆け寄ってきた。

 

彼らは今もちらほらと現れる食人花たちを倒しながら突き進んでおり、一団の最後尾にはレフィーヤとフィルヴィスの姿も見える。武器と魔法を駆使して戦うその姿には、一片の不安も感じられない。

 

そんな彼らに負けてられないとばかりに、アスフィは力強く立ち上がる。血を失ったために少しふらつくものの、それさえ除けば体調は万全と言って良い。

 

「ありがとうございます。見ず知らずというのに助けて頂いて……」

 

「気にする事はない。それよりも、もう動いて平気か?」

 

「ええ。貴方がくれた万能薬(エリクサー)のお陰で、もうほとんど回復しました」

 

「なら良い」

 

アスフィが言う万能薬(エリクサー)とは、ファーナムが彼女に飲ませた『女神の祝福』の事だ。太古の女神によって大いなる祝福が施されたこの水は、使用者のあらゆる傷と異常を癒す効果がある。

 

オラリオに出回れば数十万ヴァリスは下らない程の高価な代物。恩を着せる事に興味のないファーナムはアスフィの容体だけを確認すると、腰に差した鞘から直剣を抜き放った。

 

「俺は行く。あとはルルネたち(かれら)と一緒にいると良い」

 

「え、ちょっと、私はもう……!?」

 

アスフィが言い終わるよりも先に、左手に新たな得物『黒鉄刀』を装備したファーナムは地面を砕かんばかりの速度で地を蹴った。

 

「!」

 

その接近に白ずくめの男は即座に気が付いた。

 

ベートと激しい攻防を繰り広げていた男は、周囲の食人花たちに指示を送る。奇襲用に待機させていた全ての個体が一斉に振り向き、接近してくるファーナムの元へと殺到した。

 

「やれ、食人花(ヴィオラス)!」

 

男の命令とモンスターが持つ本能に従い、口を大きく開く食人花たち。やって来た冒険者を身に着けている鎧ごと哀れな肉塊に変えるべく、咆哮を轟かせながら醜悪な牙を剥く。

 

しかし数々の修羅場を潜り抜けてきたファーナムにとって、この程度の数は問題にすらならない。

 

彼は最初に襲い掛かってきた食人花の顎の下に潜り込むと、左手に持った黒鉄刀の一振りを解き放つ。黒い刀身は滑るようにして長大な身体へと吸い込まれ、そして鋭い一閃が振り抜かれた。

 

頑丈さと切れ味を併せ持った黒鉄刀は、食人花の硬質な表皮も問題にしなかった。一刀の元、首を落とされた食人花は、直後に忘れていたかのように短く悲鳴を上げる。

 

『ギィ!?』

 

その姿には目もくれず、ファーナムは次なる一斬を放つ。

 

横から来ていた食人花の頭を直剣で縦割りにした後、口腔内の魔石目掛けて切っ先を突き出した。急所を砕かれた身体は灰となり、同族へと降りかかる。

 

動きが止まったその瞬間を好機と見たのか、今度は二匹の食人花が同時に飛び出してきた。一匹は下から突き上げるように、もう一匹は頭上から丸呑みにするように。

 

それをバックステップで難なく回避する。

 

衝突する二匹の食人花。急所である魔石が内包された頭部が重なった瞬間を見逃さず、ファーナムは重い踏み込みと共に直剣と黒鉄刀を振り放つ。

 

十字架を斜めにしたような斬撃は、二匹の食人花の頭部を諸共に斬り裂いた。一拍遅れて噴き出す体液を全身に浴びながら、彼の攻撃は更に激しさを増していった。

 

その光景を目にした白ずくめの男は戦慄した。ファーナムが並みの冒険者ではないという事は何となく察しがついてはいたものの、これ程までとは思いもしなかったからだ。

 

食人花の噛み付きや突進を躱しつつ、返す刀で繰り出す一撃を以て屠り去る。足元近くまで伸びるコートの裾を翻し、目にも止まらぬ速度で両手の得物を振るうその姿は、さながら英雄譚に登場する二刀流の騎士のようである。

 

「よそ見してんじゃねぇ!」

 

「がッ!?」

 

そして、ついにベートの蹴りが白ずくめの男を捉えた。

 

ファーナムに気を取られていた隙を突かれ、男のこめかみに鋭い回し蹴りが炸裂。その威力は相当のものだったが、被っていた骨兜は亀裂を生じさせるに留まった。

 

それでもまともに攻撃が通ったのは大きかった。牙を剥き出しにした狼は眦を裂き、男が体勢を整えるよりも速く追撃を仕掛ける。

 

間合いを更に詰めて肉薄し、ベートは男の顎を膝蹴りで撃ち抜いた。そのまま空中を一回転する最中(さなか)に身体を捻り、ダメ押しのように足刀を打ち出す。

 

「オラァッ!!」

 

「ごっ……!?」

 

連続して三発の蹴りを頭に食らった男は、しかしまだ意識を保っていた。骨兜は既に半壊しているにも関わらず、それでも目の前の敵を始末すべく拳を握り固める。

 

「図に、乗るなぁっ!!」

 

風を切り裂き打ち出された拳。

 

それは着地したベートの位置を正確に予測し、彼の頭を粉々に弾き飛ばした―――――かに思われた。

 

「―――」

 

男の身体が硬直する。

 

理由は明白であり、突き出した腕には一振りの刀が突き刺さっていた。

 

黒光りする刀の根本を握るのは甲冑に覆われた左手。割り込んできたファーナムが突きを放ち、ベートへと迫っていた拳を止めたのだった。

 

「なっ……!」

 

驚愕を言葉にするよりも先にファーナムが動く。

 

突き刺した刀を振り切り、男の腕を半ば切断。次いで右手の直剣を振りかぶると、頭頂部目掛けて一気に振り下ろす。

 

「ッ!?」

 

男はすんでの所でこの一撃を回避した。直剣の切っ先は骨兜の一部を破壊し、そして上半身に縦一本の赤い線を刻み込む。

 

腕からの出血が(くう)を彩る中、男は後方へと大きく跳んだ。次の攻撃が来ては堪らぬとばかりの、全力の退避行動だ。

 

「別に礼は言わねぇぞ。あんな馬鹿正直な攻撃、目を閉じてても躱せらぁ」

 

「だろうな。だからその心配はいらんぞ、ベート」

 

「……けっ。堅物のクセに言いやがる」

 

軽口を交わし合うファーナムとベート。視線を外して鼻を鳴らすも、ベートは言う程苛立ってはいないようだ。

 

一方で、着地した男は斬られた腕を庇いながら二人を睨みつけていた。特に出血を与えたファーナムに対しては、憎悪にも似た感情が込められている。骨兜の下半分は破壊され、露出した口元が怒りに歪んでいた。

 

「貴様らよくも……よくも『彼女』から賜ったこの身体に、これ程の傷をつけてくれたな……!」

 

男の口から語られた『彼女』なる者の存在。

 

それはこの場にいる全員が初めて耳にしたもので、同時に一連の事件を解明する上で重要な手掛かりになりうるものであるとアスフィは理解した。彼女は少しでも情報を集めるべく、男へと質問を投げかける。

 

「答えなさい。貴方は何者で、ここは一体何なのですか!」

 

口火を切った彼女の問いに、全員の視線が白ずくめの男へと集中する。

 

すると男は途端に怒りを霧散させ、余裕すら感じさせる笑みを浮かべ始めた。その笑みはどこか恍惚としており、まるで神の奇跡を目撃した聖人のようですらある。

 

「……くっ、はは。私が何者か、か」

 

肩を揺らして笑う男。それによって半壊した骨兜には次々に亀裂が生じる。

 

パキリ、ピキリと罅割れ、剥がれ落ちてゆく白い欠片。やがて決定的な亀裂が入り、顔を覆っていた全てが地面へと落ちていった。

 

遂に暴かれた男の素顔。それは異様に色白く、死人を彷彿とさせる肌色をしていた。

 

無造作に伸ばされた髪は肩の位置よりも長く、肌と同じく真っ白に染まっている。純白というよりも本来あるべき色素が欠落した印象のそれは、得も言われぬ不気味さを醸し出す。

 

「あれが、今回の事件の犯人……!」

 

ごくりと喉を鳴らすレフィーヤ。しかし彼女はここで、共闘した【ヘルメス・ファミリア】の団長であるアスフィの様子がおかしい事に気が付いた。

 

男に問い詰めた張本人である彼女は瞠目し、その顔を驚愕の色に染め上げていた。そして自身の傍らに立つフィルヴィスなどは、全ての表情が抜け落ちたまま両目だけを大きく見開いている。

 

困惑するレフィーヤを前に、アスフィの口から呟きが漏れる。

 

「オリヴァス・アクト……」

 

「それって……まさか、あの【白髪鬼(ヴェンデッタ)】か!?」

 

堪らずといった様子で叫んだのはルルネだった。【ヘルメス・ファミリア】の団員たちも彼女の言葉に驚き、そして明らかな動揺が駆け巡る。

 

ベートも目を眇めており何かを知っている様子だ。ファーナムの表情は兜に覆われているために窺う事は出来ないが、意識は変わらずに男の方へと向けられている。

 

「あり得ない……何故、死者がここに!?」

 

アスフィの疑問もまた、ルルネと同じく叫びとなって放たれた。

 

レフィーヤたちの驚愕と動揺を含んだ視線、そしてフィルヴィスから向けられる激しい怒りの感情を一身に浴び、オリヴァスと呼ばれた男はにやりと嗤ってみせる。

 

彼らを見渡す薄く開かれたその双眸は、黄緑の光を宿していた。

 

 

 

 

 

オリヴァス・アクト。これが白ずくめの男の本名である。

 

闇派閥(イヴィルス)がまだオラリオの表舞台に堂々と姿を見せていた頃。【白髪鬼(ヴェンデッタ)】の二つ名で恐れられていた、推定Lv.3の賞金首だった男だ。

 

そう、賞金首だった(・・・)

 

オリヴァスはかつての事件『27階層の悪夢』の首謀者であった。フィルヴィスと彼女の仲間たち、そして当時の有力派閥らが多く巻き込まれた、長く語られる事となる最悪の大惨事だ。

 

世界に破壊と混沌をもたらす組織、闇派閥(イヴィルス)に与していた彼は他の仲間と共に、この階層で大規模な『怪物進呈(パス・パレード)』を引き起こした。オラリオの秩序を担うフィルヴィスたちを一網打尽にすべく、捨て身の凶行に及んだのだ。

 

階層全てのモンスターを焚きつけ、更には階層主まで登場した大混戦。敵味方が入り乱れた戦場は至る所で血だまりが生まれ、闇派閥(イヴィルス)と冒険者双方の亡骸で溢れ返ったという。

 

そしてその代償は、オリヴァス自身にも返ってくる事となった。

 

モンスターに下半身を食われた彼は、血と臓物を零しながらダンジョンの奥へ奥へと這いずった。耳の奥に消え残るモンスターの息遣いと、己の身体を咀嚼する(おぞ)ましい音。この世の地獄のような苦痛を味わいながらも、しかしオリヴァスは死ぬ事が出来ないでいた。

 

器を昇華させた肉体は下半身を失っても即死を許さなかった。皮肉にも神によって与えられた強靭な生命力が、苦痛から逃れる唯一の救い()を奪う事となったのだ。

 

潰れた両目から血涙を流し、オリヴァスはダンジョンの中を彷徨い続けた。

 

こんな時に限ってモンスターは現れず、彼の命を絶ってくれる存在はどこにもいない。真綿で首を絞められるが如く、命の灯はゆっくりと小さくなっていった。

 

痛い。

 

寒い。

 

暗い。

 

あらゆる負の感情が溢れてくる中、オリヴァスは己が主神へ呪詛を漏らした。自らがしてきた行いを棚に上げ、このような地獄を強いる神を呪い続けた。

 

やがて彼は力尽きた。多くの者を死に至らしめた男の、みじめな暗い最期だ。

 

静寂に包まれたダンジョン。

 

そこへ一本の触手が現れた。触手は、もはや血だまりすらも生まれない程に血を流し続けた男の亡骸に這い寄ると、その胸部へあるものを近付けた。

 

その正体は毒々しい輝きを放つ、極彩色の魔石。触手は死人の色をした皮膚を突き破り、鼓動を止めた心臓を押しのけて、極彩色の魔石を完全に(うず)めた―――――直後。

 

ギンッ!と、オリヴァスの双眸が大きく見開かれた。

 

そう、彼は息を吹き返したのだ。元の色を忘れた瞳は黄緑の色彩を帯び、同時に全身の傷が塞がり始めた。欠損した下半身も、まるで蜥蜴の尻尾のように再生が始まった。

 

断面からはぼこぼことした肉瘤が生まれ、波打ち、やがて下半身は完全に元の形を取り戻した。瞳と同じく黄緑色をした足で立ち上がったオリヴァスは視線を彷徨わせ、そして触手を見つけた。

 

『ぉぉ……ぉおお!!』

 

神への呪詛と共に死んでいった男は、まるで敬虔な信徒のようにその場に跪いた。

 

己に二度目の命を与えてくれたこの触手を恍惚とした表情で見つめ、そして新たな使命を見出した。

 

オリヴァス・アクト……これがかつて【白髪鬼(ヴェンデッタ)】と呼ばれた男の、怪人(クリーチャー)としての再誕の瞬間であった。

 

 

 

 

 

「私は死から蘇ったのだ。他ならぬ『彼女』が下さった慈悲によってな」

 

そう言うとオリヴァスはおもむろに、自らの左腕を動かす。

 

ファーナムによって傷つけられた腕を、レフィーヤたちに見せつけるようにして高く掲げる。すると機を見計らったかのように、未だ血を流していたはずの傷口が目に見えて塞がってゆくではないか。

 

まるで時間が巻き戻るかのような脅威の回復力。治癒薬(ポーション)に頼らない自己治癒能力は明らかに人の域を超えており、それがオリヴァスの語った転生(・・)の信憑性を一気に跳ね上げた。

 

絶句する一同を前に、ついに堪え切れなくなった彼は哄笑する。

 

「これが『彼女』の力だ!死した私の魂を冥界から呼び戻し、二度目の命を与えて下さった『彼女』の力!」

 

歓喜に打ち震え『彼女』への賛美を叫ぶその様は鬼気迫り、見る者の背筋を冷たくさせる。まるでそれ以外が目に入っていないかのような姿は、狂信者(ファナティック)という言葉がぴったりと当て嵌まった。

 

人間(こども)の考えを重んじるとのたまい、何もしない神共とは違う!本当の“神”とは、その寵愛を与えた者に万能の力を与えるのだ!この私のようにな!!」

 

一度死した身であるが故なのだろう、オリヴァスの言葉には絶対の自信がこもっていた。

 

復活という奇跡を体験した闇派閥(イヴィルス)が、死に瀕した自分に救いの手を伸ばさなかった主神を捨て、『彼女』なる存在へ心酔してしまう。笑ってしまう程に単純な理屈である。

 

「だから私は『彼女』の思いに殉じる!空を見たいという願いを成就させるべく巨塔(バベル)共々、見事このオラリオ(都市)を破壊して見せよう!!」

 

「!?」

 

そしてオリヴァスの口から語られた目論見(もくろみ)

 

巨塔(バベル)の破壊、ひいてはオラリオの崩壊は、モンスターが再び地上に溢れ返る事を意味する。『古代』に繰り返された戦乱と悲劇の再来に繋がる企みを明かしたオリヴァスに、皆が一様に驚愕を隠せないでいた。

 

そんな中で一人、静かに声を漏らす者がいた。

 

黒い長髪を揺らし、噛み締めるあまり血が垂れている唇で、忌々しいその名を口にする。

 

「オリヴァス・アクト……!」

 

「む?」

 

決して大きくはない声だったが、それはオリヴァスの耳にしっかりと届いた。彼は浮かべていた狂笑を引っ込めると、声の出どころへと訝しげな視線を送る。

 

交差した両者の視線。

 

特に感情のこもっていない黄緑の瞳を射殺さんばかりに睨みつけるのは、激情の炎が宿った真紅の双眸。『27階層の悪夢』唯一の生還者であり、同時に心に消える事のない傷を負ったエルフの少女……フィルヴィス・シャリアだった。

 

「何か用か、エルフよ?」

 

「忘れたとは言わせないぞ。お前のせいで私は……私の仲間たちは………!」

 

「……あぁ、そういう事か」

 

言葉の端々に怨嗟を滲ませるフィルヴィスに、オリヴァスもようやく彼女の正体に気が付いたようだ。

 

かつて自分たちが引き起こし、多くの血が流れた惨劇の被害者である少女に対し、しかしオリヴァスは欠片も怯みはしなかった。むしろ開き直った風で、見下すように冷ややかな笑みを浮かべる。

 

それはあの惨劇を目の当たりにしてなお、オラリオに降り立った神に仕える者に対する哀れみすら感じさせるものだ。

 

「お前もあの場にいたのならば分かるだろう。神というものは肝心な時に何もしない、ただ私たちを玩弄するだけの存在だ」

 

「……何が言いたい」

 

「かつて私も神の僕だった。しかしあの時に一度死に、そして『彼女』に救われ、ようやく神の呪縛から逃れる事が出来た」

 

「何が言いたいのかと聞いているッ!!」

 

徐々に感情の抑えが効かなくなるフィルヴィス。

 

言葉を発せないアスフィやルルネたち、そして傍らにいるレフィーヤは口を噤んで彼女の横顔を見つめる中。

 

オリヴァスはもったいぶるように口を開き……そして、特大の爆弾を投下した。

 

「つまりだ。私はあの惨劇の首謀者であると同時に、被害者でもある。だから痛み分けといこうじゃないか、エルフよ」

 

「―――――ッ、貴様ぁあああああっ!?」

 

「だっ、駄目です!?」

 

抜け抜けとそんな事を言い放ったオリヴァスに、ついにフィルヴィスの怒りが振り切れた。

短杖(ワンド)を手に取り、一気に駆け出そうと身を乗り出す。しかしベートとの互角の肉弾戦を見ていたレフィーヤが、彼女の身体を抱き留める。真正面から戦ってもどうなるかは分かり切っているからだ。

 

それでも怒りに我を忘れているフィルヴィスは激しく抵抗した。見かねたルルネたちまでもが引き留めにかかる程に彼女は怒り狂い、憎悪に染まった眼差しを仇敵へと注ぎ続ける。

 

「離せっ、離せえッ!?」

 

そんな彼女をオリヴァスは見下し、嗤っていた。

 

「ふん、まるで獣だな」

 

未だ神に“縛られている”哀れみと嘲りが混在するその瞳はぐるりと一同を見回す。

 

暴れるフィルヴィスとそれを抑えるレフィーヤたち。頬に一筋の汗を流すアスフィ、変わらずに臨戦態勢をとっていたベートへと視線が移ってゆき、そしてファーナムの所で止まった。

 

浮かべていた笑みを消し、オリヴァスは怒りの表情でファーナムを睨みつける。

 

「この肉体に血を流させたのは確かお前だったな。その行いは『彼女』への侮辱に等しい……死をもって償ってもらうぞ」

 

「………」

 

身勝手な怒りを向けてきた事に対し、ファーナムは何も答えない。顔を僅かに伏せ、表情の窺えない兜の奥から、ただ静かに視線を送るのみである。

 

そのままの恰好で、彼はオリヴァスへと一つの問いを投げ掛ける。

 

「……あの死兵たち」

 

「なに?」

 

「身体に火炎石を巻き付けたケープの集団。彼らに自爆を命じたのは、お前か?」

 

「はっ、何を言い出すかと思えば」

 

オリヴァスは再び口を嘲笑の形に歪ませ、問いを投げ掛けたファーナムを嘲る。

 

「確かにあれらとは協力関係にある。闇派閥(イヴィルス)の残り粕とは言え多少は役に立つと思っていたのだが……やはり無能は無能だったな」

 

次いで嘲りは死兵たち、かつては多く存在した闇派閥(イヴィルス)の構成員、その残党たちへと移ってゆく。

 

彼らを扱き下ろす言葉にピクリ、とファーナムの肩が揺れる。そんな事には気が付かないオリヴァスは、爆死していった彼らへと辛辣な言葉を次々に並べていった。

 

自身も過去に所属していた組織に対する思い入れは欠片もなく、協力者である彼らをオリヴァスは『無能の集団』と断じる。オラリオを崩壊させるという共通の目的の為だけに手を組んだ者同士の、非常に淡泊な関係という事が分かる口ぶりだ。

 

「所詮は神に操られるだけの者たちだ。何を吹き込まれたのか知らんが、自爆まで行うとは見上げた根性だと思っていたが……敵も満足に道連れにも出来んとは、全く使えぬ奴らよ」

 

それが決定的な一言となる。

 

「……?」

 

不意に、ベートの耳が硬質な響きを感じ取った。

 

それは自身の隣に立つファーナムから聞こえてきた音で、恐らくは歯軋りによって生じたものであろう。思い切り食い縛るというよりも、何かを抑え込むかのような、そんな印象を抱いた。

 

ファーナムは未だ激情に支配されているフィルヴィスを一瞥した。多少落ち着きを取り戻しているのを確認すると、彼は手にしている直剣を鞘へと納めながらベートに語り掛ける。

 

「ベート、あれは俺がやる。手を出すな」

 

「……あぁ、好きにしろ」

 

僅かに瞠目しながら、ベートは道を譲るかのように半歩下がる。何を感じ取ったのか彼は戦闘を譲り、大人しく身を引いたのだ。

 

この行動に当然レフィーヤは驚いた。好戦的な狼人(ウェアウルフ)の中でも特に血の気が多いベートが、自ら出番を譲った事が信じられなかったのだ。

 

しかし彼女はそれ以上に、形容し難い悪寒のようなものをファーナムから感じ取っていた。

 

一同の前へと歩み出たファーナムは止まらない。一定の歩調を保ったままオリヴァスの元へと向かってゆく後ろ姿に迷いはなく、強い決意が感じられる。

 

右手に持っていた剣を鞘へと納めた意図は分からないものの、オリヴァスの自信は揺るがなかった。食人花の猛攻を凌ぐ力に驚きはしたが、それよりも己に血を流させた事の方が重要だったからだ。

 

『彼女』から与えられたこの身体を傷つけた者へ制裁を。今の彼の脳内を占める感情はこれだけだ。

 

馬鹿正直に真正面から来るのならば好都合。先手を打ち、こちらから攻撃を仕掛けるべく腰を(たわ)めようとした……次の瞬間。

 

 

 

返り血で汚れた銀の兜が、オリヴァスの眼前に広がっていた。

 

 

 

「ッ!?」

 

目を見開くオリヴァスに、ファーナムは左手の得物を振るう。

 

先手の先手を取って一気に間合いを詰めたファーナムは、同時に黒鉄刀を振りかぶっていた。肉薄した瞬間に放たれた刃は縦に振り降ろされ、それをオリヴァスは横に身体を逸らせる事で回避する。

 

上半身のすぐそばを通過した鋭い一閃に、彼は顔を引き攣らせる。しかしそれは直後、身体の一部分より生じた熱によって更に険しいものとなった。

 

「づっ、あ!?」

 

ヂャクッ!という水っぽい音と共に脇腹に突き刺さったのは一本の短剣だった。それはファーナムが右手に隠し持っていたもので、オリヴァスはその存在に気が付かなかったのだ。

 

突き刺さった刀身はほぼ肉体に埋まっているものの、付け根部分から僅かに覗くそれは黒く染まっている。持ち手部分も同じく黒く、何とも不吉な印象を与えてくる。

 

咄嗟に突き飛ばして距離を取ったオリヴァスを、しかしファーナムは追わなかった。容易に追撃できたはずなのにそうしなかった彼に対し、ベートとレフィーヤ、そしてフィルヴィスも何が起きたのかと訝しむ。

 

「ぐぉおお、ぉぉぉおおおおおおああぁぁぁぁ……!」

 

そんな彼らの耳に、苦悶に満ちた男の声が飛び込んできた。

 

見ればオリヴァスは片膝立ちの恰好で、脇腹に刺さった短剣を引き抜こうともがいていた。どうやら容易には抜けないらしく、両手で持ち手部分を掴み、ようやく摘出に成功する。

 

彼は自身の血に濡れた短剣を、忌々しく地面へと投げ捨てた。

 

「ひっ……!」

 

地に転がった短剣を目にした【ヘルメス・ファミリア】の魔導士である小人族(パルゥム)の少女が、悲鳴を上げかけた口を両手で塞ぐ。

 

その短剣はひどく歪んでいた。

 

刀身は湾曲し、先端には逆棘まで施されている。一度突き刺されば容易には引き抜かせない、そんな悪意を感じさせる武器に、ルルネたちは鳥肌が立つのを覚えた。

 

しかし、刃に込められた悪意(・・)はまだ終わらない。

 

「がはっ!?」

 

突如として吐血するオリヴァス。

 

内臓が傷つけられた為かと推測したレフィーヤであったが、どうにも違うらしい。地面に手までついて苦しむ様子は尋常ではなく、今もどす黒い血が次々と吐き出されている。

 

一体何が起きたのか、レフィーヤを始めとした誰もが理解出来なかった。その中で唯一、アスフィだけがある可能性に行き着く。しかしそれを言葉にするのは(はばか)られるのか、口を噤んで動かない。

 

そんな彼女の葛藤を一蹴するように、短剣を突き刺した張本人であるファーナムは言い放った。

 

「どうだ、地の底に溜まり溢れた毒の味は?」

 

「がふっ……毒、だと……!?」

 

オリヴァスを苦しめていたものの正体、それはあろう事か『毒』であった。

 

通常の冒険者であればまず使う事のないそれは、主に暗殺者などの後ろめたい者たちが用いる物だ。モンスターにも使えない事はない。しかし遅行に過ぎるきらいがあるためほとんど使われないそれが、よりにもよって短剣に仕込まれていたのだ。

 

正確にはこの短剣『ミダの捻くれ刃』は人の手によるものではなく、毒の妃のソウルによって生まれたもの。故にソウルの持ち主の性質を色濃く受け継ぐのはごく自然な事なのだが、そんな事を知らないアスフィたちは戦慄する。

 

そんな武器を隠し持っていたファーナムへと、今までと違った視線が集中した。

 

「き、貴様……ただの冒険者が、そんな物を……!」

 

「卑怯とでも言うつもりか」

 

悪態をつくオリヴァスに、ファーナムは黒鉄刀をソウルへと還しながらそう返答する。その光景を見慣れたベートとレフィーヤ以外の者たちが目を丸くする中、彼は新たに二つの武器を取り出した。

 

「お前は……貴様は、余りに多くの死を引き起こした」

 

それは共に禍々しい形をしていた。

 

「死してなお害悪をばら撒き、人々の死と嘆きを嘲笑った」

 

それは獲物へ苦痛を与える事に特化していた。

 

「もはや度し難い。ただ死ぬだけで赦されると思うな」

 

攻撃を加えた対象の皮膚を引き裂き、肉をすり潰し、骨を打ち砕く。

 

血みどろの肉塊を作るためだけに生み出されたような凶悪な武器。『縛られたハンドアクス』と『トゲ棍棒』を手に、ファーナムは……

 

 

 

 

 

「出来るだけ長く……苦しみ抜いてから死ね」

 

 

 

 

 

極めて冷酷に、死を宣告した。

 

 




(悲報)ファーナムさん、ガチでキレる。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十七話 悪魔

書いてみての感想




やりすぎたか……?


 

『縛られたハンドアクス』。不死刑場で見つかったこの斧は元の性能を著しく低下させた代わりに、巻き付けられた鎖とトゲは出血の効果を持ち、相手に苦痛を強いる。

 

『トゲ棍棒』もその見た目に違わず、殴り付けた対象を血だるまにする。流罪の執行者のソウルより生み出されたこの武器は、元となった者の残虐性をそのまま受け継いでいた。

 

この二つの武器を手に、ファーナムは歩み出す。

 

兜の奥より冷たい視線を浴びせる先にいるのは、ようやく吐血が治まりかけている白髪の怪人(クリーチャー)だ。

 

「オリヴァス、と言ったか……楽に死ねると思うなよ」

 

抑揚のない平坦な声。しかしそこに込められた殺意は並々ならぬものであり、宣告がハッタリではない事を証明していた。

 

普段の物静かなイメージからは想像もつかないファーナムの姿に、レフィーヤは半ば呆然としながらベートに問いを投げ掛ける。

 

「ベートさん。ファーナムさんは、一体何が……?」

 

「知るかよ、ンな事」

 

そんな彼女の問いを一蹴するベート。

 

しかし彼はフンと鼻を鳴らすと、仏頂面のままこう続けた。

 

「だが……ありゃあ、終わる(・・・)までは止まらねぇ」

 

何かを確信しているベートの言葉に、レフィーヤはごくりと生唾を飲み込んだ。ようやく冷静さを取り戻したフィルヴィスも、有無を言わせぬ雰囲気を醸し出すファーナムの後ろ姿を見送っている。

 

「………」

 

フィルヴィスは思う。

 

本当は自分も駆け出したかった。仲間の命を奪っていった事件の元凶が目の前にいるこの場で、溢れ出る感情の言いなりとなって自ら引導を渡してやりたかった。

 

彼我の実力差は重々承知している。自殺行為だと止められようが、刺し違えてでもあの男を自分の手で殺してやりたかった。それ程に怒り狂っていたのだ。

 

それでも彼女がこうして落ち着きを取り戻せたのは、あの時(・・・)の映像が思い出されたからに他ならない。

 

集団でこちらへと向かってきた死兵たち。彼らを単身で撃破し、最後の一人の喉元を切り裂いたファーナム。フィルヴィス自身も含めて多くの者の命を救った、甲冑に身を包んだ男。

 

そんな彼に見た、何か(・・)を失った者の姿。

 

その彼がこれほどまでに激怒している。今日初めて出会ったはずのオリヴァスに、もしかすると自分以上の怒りの感情を向けている。余りに急激な変貌ぶりは、真っ赤に染まった彼女の思考に冷や水を浴びせかけた。

 

「……ファーナム」

 

我知らず、冷静さを取り戻したフィルヴィスは彼の名を口にしていた。

 

自分では成し得ない復讐を託しての事か。それとも、どこか危うさを感じさせる彼の身を案じてか。あるいはその両方か。

 

呟いた名に込められた意味は、彼女自身にも分からなかった。

 

 

 

 

 

「はぁ、はっ……楽に死ねると思うな、だと……?」

 

刃を突き立てられた脇腹と毒に侵された内臓。それらを驚異的な回復力をもって修復してゆくオリヴァスは、こちらへと近付いてくるファーナムをこれでもかと睨みつけた。

 

(ふざけるな、それはこちらの台詞だ!)

 

目の前にいる男はあのベート(狼人)よりも手強い相手だという事は理解している。どこからともなく武器を取り出して見せた事も、警戒を上げる要因となった。

 

それでもなお、オリヴァスの怒りは静まらない。一度ならず二度までもこの身体に血を流させた男を、今度こそ『彼女』から貰い受けたこの力でねじ伏せてやろうと密かに意気込む。

 

幸いまだ傷の回復具合は気付かれていないようだ。このまま何も知らずに近付いてきた所を不意打ちし、一瞬の内にケリを付けてくれる。長い白髪に隠れた顔に暗い笑みを張り付け、静かにその時を待つ。

 

(そうだ、来い。その時が貴様の最期だ……!)

 

そして、ファーナムはオリヴァスの目の前までやって来た。両者の距離はもう1Mもない。あと一歩前へと近付けば、こちらの攻撃が届く範囲に入る。

 

オリヴァスは上手く事が運んでいく様子にほくそ笑む。彼の胸中を知る由もないファーナムは、何の躊躇いもなくその足を進ませた。

 

(馬鹿め!!)

 

踏み込んだ足が緑肉で覆われた地面に着いた、その瞬間。蹲っていた姿勢からガバッ!と起き上がったオリヴァスは、握り固めた拳を振りかざす。

 

常人の反射神経を凌駕した動きを感知出来たのはLv.5のベートと、優れた魔法剣士のフィルヴィスのみ。一拍遅れたレフィーヤが勘付いた時には、その拳は既にファーナムの眼前へと迫っていた。

 

「ファーナムさ……!?」

 

裂帛(れっぱく)した悲鳴がレフィーヤの喉からせり上がる。

 

一瞬の出来事に彼女は杖を握りしめたまま、せめて注意の声を届けようとする―――が、それは杞憂に終わる事となった。

 

ブンッ、という重たい風切り音と共にファーナムの右腕がぶれる(・・・)

 

レフィーヤの目が辛うじてその残像を捉えた時には……オリヴァスの拳は、振るった腕ごと無残にひしゃげていた。

 

「なぁ……!?」

 

驚愕の声を漏らしたのは他でもないオリヴァス自身である。彼は破壊された己の腕を信じられないように見つめ、黄緑の双眸をあらん限りに見開く。

 

真正面から打ち抜かれたのであろう。拳は原型を留めておらず、全ての指はあらぬ方向を向いている。前腕部も折れた骨が肉を突き破り、思い出したかのように今更になって血が噴き出した。

 

「よそ見とは余裕だな」

 

呆けていたオリヴァスに冷たい声を投げかけた時には、ファーナムは既に得物を振り上げ終わっていた。

 

頭上に構えるのは今しがた振るった縛られたハンドアクスではなく、もう一方の武器であるトゲ棍棒。鈍器から生える無数のトゲは怪物の牙の如く、真っ赤な血を求めて舌なめずりをしている。

 

「っ―――――!!」

 

オリヴァスは身を翻して後ろへと逃れようとした。が、振り下ろされたトゲ棍棒が僅かにその身体を捕らえ、背中の一部分を抉り取る。

 

「づぁ!?」

 

千切れ飛ぶ肉片。それは血液を滴らせながら落下してゆき、べちゃりと地面に同化した。

 

 

己の肉体の一部が抉られた瞬間に這い上がってきたぞわりとした感覚は一瞬で痛みへと変わり、オリヴァスの脳に危険信号を送る。早く逃げろ、ここから避難しろと、肉体が警鐘を鳴らす。

 

そうはさせじとファーナムの追撃が繰り出される。

 

右肩を直撃した重打によって体勢を崩されたオリヴァスは、その場でうつ伏せに倒れ込んでしまう。そして晒された背中を、嵐のような連撃が襲い掛かった。

 

「ぎっ、ぎゃぁぁああああああああああぁぁあああああッッ!?」

 

歪な手斧と槌による猛撃猛打。オリヴァスの絶叫に混じり、ぢゃぐっ!ぐちっ!という生々しい音が絶え間なく奏でられる。

 

噴き出した血が霧に変わり、周囲には細かい肉片と千切れた皮膚がばら撒かれてゆく。ファーナムは獲物を逃がさぬようにと腰を踏みつけ、筋線維が露出した背中をなおも削り続ける。

 

地獄の責め苦。そうとしか表現出来ない光景が、そこには広がっていた。

 

「うぶっ!?」

 

それを見てしまった【ヘルメス・ファミリア】の団員の一人が、耐え切れずに胃の中のものをぶちまける。どうにか耐えている者も顔を真っ青にし、手を口に当てて様々なものを堪えるのに必死だった。

 

「な、何やってるんだよ、あいつ……」

 

真っ青を通り越して顔を土気色にしたルルネが怯えたような声で呟く。しかしそれも無理もない事である。

 

事実、同じファミリアであるレフィーヤも顔面を蒼白にし、身体を小さく震わせている。気絶しなかったのは【ロキ・ファミリア】の一員としての矜持か、あるいはそれすら出来なかっただけなのか。

 

ベートは特に大きな変化を見せない。ただ頬の入れ墨を歪めながら、ファーナムの行いを眺めているだけだ。フィルヴィスも最初は驚愕したものの、今は別の表情を浮かべていた。

 

三者三様、それぞれの感情が胸の内に渦巻く中。ようやく動きを止めたファーナムは踏みつけていた足をどかし、倒れ伏すオリヴァスを無言で見下ろす。

 

血に塗れた背中は酷いありさまだった。

 

皮膚と肉を毟られた背中は凸凹に歪み、一部は背骨までもが露出している。千切れた筋線維がばらばらに解け、死体に群がる蛆のように散りばめられていた。

 

「ぎっ……ぁが……!」

 

彫像を削り出すように、少しずつ肉を抉り取っていった苦痛は想像を絶するものだった。モンスターにやられるよりも酷い傷は、知性や感情といった複雑なものを併せ持つ“人間”ならではの残虐性を物語っている。

 

少なくない量の肉片がこびりついた両の手の武器。その内の一つであるトゲ棍棒を消し去ったファーナムは踏みつけていた足をどかし、次いでオリヴァスの左腕をがしりと掴んだ。

 

「大した回復力だが」

 

「き、さま……」

 

そう語る通り、背中に刻まれた傷はもう修復が始まっていた。ぼこぼことした肉瘤がいくつも沸き上がり、失った肉と皮膚を一から作り直しているのだ。

 

だが痛みが完全に引いた訳ではない。激痛は疼痛へと変化してゆき、長々と彼を苛む。なんとか顔を動かして睨みつけるも、漏れ出た罵倒の声に覇気はなかった。

 

そんな苦痛の最中(さなか)にいるオリヴァスに、ファーナムは問いかける。

 

「これならどうだ?」

 

瞬間、ファーナムはオリヴァスの肩を踏み砕き。

 

 

 

そこから伸びる左腕を引き千切った(・・・・・・)

 

 

 

「があぁあああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!?」

 

獣じみた咆哮と共に新たな鮮血が宙を彩る。

 

肩回りの骨が粉砕され、辛うじて筋肉のみで繋がっていたオリヴァスの腕は、ファーナムの手によって没収された。彼は奪った腕をつまらなそうに一瞥すると、ぞんざいに地面へと投げ捨てる。

 

復讐ではない、報復でもない。これはもはや解体だ。少なくともこの場にいる者たちにはそう感じられた。

 

堪え切れなくなった者たちが次々と脱落してゆく。レフィーヤはせり上がってきたものを涙目で飲み込み、強い殺意を抱いていたフィルヴィスですらも目を背ける。流石のベートもその顔を大きく歪めて不快感を露わにする。

 

常軌を逸した凶行。フィルヴィスに代わって復讐しているにしても残酷すぎるこの仕打ちは、この場にいる全員に、ファーナムという男の人間性に疑問を抱かせるには十分過ぎた。

 

一方で、目玉を剥いて歯を食い縛るオリヴァス。口の端から泡を吹き、半ば再生した片方の手で緑肉の地面を掻き毟る様には、もう元の余裕は皆無であった。

 

「ぐううぅぅううぅぅぅぅ………!!」

 

断面からはやはり肉瘤が生まれてきたが、その勢いは弱い。どうやら肉体の修復力に対して損傷が激しすぎるようだ。

 

虫の息を言っても過言ではないオリヴァスに、ファーナムはなおも冷酷だった。

 

「あと三つだ」

 

(………っ!?)

 

『あと三つ』。

 

その数字が何を意味しているのか分からない程、まだオリヴァスの思考は死んでいなかった。

 

つまり、この男はまだやる気なのだ。残った腕を、そして次は両足を、同じように引き千切る気なのだ。

 

青白い肌を更に蒼白にし、オリヴァスは蘇って以来感じる事のなかった感情を味わう事となった。

 

その感情の名は“恐怖”と言う。

 

「おぁああああ!!」

 

胸の奥底から爆発的に膨らんだ感情はオリヴァスに瞬間的な力を与えた。瀕死の身体に力を漲らせて跳ね起きた彼は、同時に声を張り上げる。

 

「ヴィ、巨大花(ヴィスクム)ッ!?」

 

ファーナムもこの行動は読めずにオリヴァスを逃してしまった。すぐに追いかけようとするも、その身体に大きな影が覆いかぶさる。

 

べりべりべりっ、と何かが剥がれる音が大空間に木霊し、強烈な腐臭が鼻腔に突き刺さる。音の正体を突き止めるべく顔を向けるも、その頃にはもう遅かった。

 

それ(・・)はこの食糧庫(パントリー)の大支柱から染み出る養分を吸い取っていた、食人花に酷似したモンスターだった。しかしその長躯は比べ物にならないほど巨大で、凄まじく超重量。圧し掛かられでもしたらひとたまりもない。

 

馬鹿馬鹿しいほどの質量と体躯を持つモンスター。そんなモノがファーナム目掛け、大口を開いて落下してきたのだ。

 

「散れっ!!」

 

緊急事態を察知したベートの声を全員が瞬時に理解した。

 

咄嗟に動けない者の服や腕を掴み、大慌てでその場から飛びのく。レフィーヤは気付けばフィルヴィスに手を引かれ、身体は宙に浮いていた。

 

余りの急展開に目を白黒させながら、彼女は口を開く。

 

「ファーナムさん!?」

 

巨大花が落下してきた、まさにその場所にいた者の名を叫ぶ。轟音と土煙は一瞬の内に少女の声をかき消し、この空間にあった全てを塗り潰していった。

 

間一髪、被害を免れた冒険者たち。やがて舞い上がった粉塵が晴れてゆくと、巨大花が与えた破壊の規模が浮き彫りとなった。

 

落下地点には大きなクレーターが出来ており、その衝撃で地面を覆っていた緑肉はずたずたになっている。巨大花にもダメージがあったのか、巨大な体躯を横たえたまま動かない。

 

呆然とする冒険者たち。そんな彼らの反対側で、むくりと起き上がる人影があった。

 

自らも落下の衝撃に地面を転がりながらも、なんとか無事だったオリヴァスだ。彼は失った腕をもう片方の手で庇い、短い呼吸を響かせる。

 

「ハッ、ハッ、ハッ……は、はは」

 

全身を血と泥で汚した男の喉から、意図せず乾いた笑い声が湧き上がってきた。

 

「クハ、ハハハッ、ハハハハハ!!どうだ、冒険者めっ!?これで私の勝ち……」

 

巨大花の直撃を受けて生きてはいないだろうという確信と、命の危機から脱せたという安堵感。次第に薄れてゆく“恐怖”の感情に、汗まみれの顔に歪んだ笑みを浮かべようとする―――――が。

 

微動だにしなかった巨大花の身体。その頭頂部が、突如として爆ぜた(・・・)

 

何が起こったのかと注視する冒険者たち。

 

そして中途半端な笑みを張り付けたまま固まるオリヴァス。

 

全員の視線が集まる中、巨大花の頭部からずるりと這い出てくる一人の男の姿。手には気味の悪い色の体液に濡れた、刃こぼれの目立つ異様な大きさの包丁が握られていた。

 

手の中にある武器と同様に全身を巨大花の体液で汚した男……ファーナムは、固まったままのオリヴァスを兜の奥より射抜き―――――

 

 

 

 

 

「まだ終わらんぞ……続きだ」

 

 

 

 

 

変わらぬ調子で、そう告げた。

 

「―――――ヒッ」

 

その声に喉はひり付き。

 

表情は罅割れ。

 

たった一つの感情に支配される。

 

「ひいいぃぃぃぃああああああああああああああああああっっ!!?」

 

“恐怖”という感情に。

 

もうどうでも良かった。ファーナムへの怒りも、『彼女』への忠誠も、全てを投げ出してしまった。今この瞬間、目の前にある恐怖から逃れられるのであれば、その後で死んでしまっても構わないという程に。

 

顔を涙と涎でぐちゃぐちゃにしながらオリヴァスは踵を返す。しかしファーナムが二度も取り逃す訳もなく、手に握られていた異様な武器『肉断ち包丁』を逃げる後ろ姿へ向けて投擲した。

 

まっすぐに飛んでいった刃は標的の右腕を切断した。滅茶苦茶に振り回していた腕の肘から先を斬り落とし、肉厚な刀身は地面に深く食い込んでようやく静止する。

 

「ギィ!?」

 

衝撃によってバランスを崩したオリヴァスは無様に地面に倒れ込んだ。早く立ち上がろうとするも両腕を失い、恐怖に駆られた身体は上手く動いてくれない。

 

彼は倒れた格好のまま、ずるずると地面を這いずる。皮肉にもそれは、一度目の死を味わったかつての姿と全く同じだった。

 

ただ違うのは……その後ろにファーナム(死神)の姿がある、という点か。

 

「ひっ、ひいぃぃ……!」

 

長く伸びる赤い線を描きながら無我夢中で無意味な逃走を続けるも、すぐに終わりを迎える事となる。辿り着いたのはこの大空間の壁際、オリヴァスという男が最後に辿り着いた終着点だった。

 

「ぁあ、ああぁぁぁ………!?」

 

か細い悲鳴が目の前の壁に縋りつく。しかし当然ながら何も返ってくる事などなく、代わりに歩みが止まる音が背後から聞こえてきた。

 

這いつくばったまま肩越しに振り返るオリヴァス。その喉を、硬い皮手袋の感触が掴み上げる。

 

ファーナムは彼が決して逃れられないように青白い喉を引っ掴み、そのまま壁へと叩きつけた。喉を締め上げられながら立たされたオリヴァスの眼球は圧迫され、陸へと上げられた深海魚のようにせり上がってゆく。

 

「ぎっ、ィィ………!?」

 

点滅する視界の中で彼は見た。

 

己の首を締め上げる男のもう片方の手に握られている、巨大な金属の塊。鋭い十字の刃を備えたそれは、かつて不死刑場で猛威を振るっていたチャリオットの車輪に装着されていた凶器だった。

 

『チャリオットランス』。刑吏のチャリオットのソウルから生み出された、苦痛を与える事のみを突き詰めた最悪の武器である。

 

本来は突撃と共に使用する為、相手を押さえつけての使用は想定されていない。しかしファーナムはあろう事か十字の刃を握り、無理矢理長さを調節して使おうとしているのだ。

 

出来る限りオリヴァスを長く苦しませる。その為だけに、自身の掌を切り裂いてまで。

 

「ッ……ッゥ……!」

 

力が入らない両足の代わりに、肘から先のない右腕をばたつかせる。しかしそれもささやかな抵抗でしかなく、鋭い刃の切っ先は無常にも腹部へゆっくりと潜り込んでいった。

 

「~~~~~ッ!?~~~~~ッッ!!」

 

満足に動けず、悲鳴すら上げられない。

 

圧迫された声帯は震える事すら許されず、代わりに口から、鼻から、眼球から、どす黒い血が流れ落ちてゆく。勢いなく垂れ流される血の線は、残された命の灯がもう僅かである事を知らせていた。

 

長大な十字の刃は肉体を貫通し、反対側にある壁までも突き進んでゆく。半ばまで突き刺した後は持ち手部分に手をかけ、一気に根本まで押し込む。

 

「ッ、…………」

 

びくりっ、とオリヴァスの身体が小さく痙攣した。標本に貼り付けにされた虫の如く壁に固定された男の喉から手を離したファーナムは、真っ赤に染まった双眸を正面から見据える。

 

「………ぁ」

 

血を垂れ流すオリヴァスの口が小さく震えた。

 

もはや悲鳴も『彼女』への慈悲を乞う気力もない彼は、二度目の命をこの言葉で締め括る。

 

「ぁ……ぐ、ま」

 

がくりと垂れ下がる首。

 

最期の言葉を聞き届けたファーナムは、兜の奥で小さく呟いた。

 

「違うな……俺は不死人だ」

 

 




何がヤバいってこの光景を見せつけられてるレフィーヤたちのsan値がね……。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十八話 忍び寄るは四つの鉄靴

黒焦げの焼死体となった死兵たちの身体に取り付いた火の粉が、ぱちぱちと小さな音を立てている。漂ってくる匂いは抗い難い吐き気を誘うも、生死がかかった状況を前にした冒険者たちは努めてそれを無視してきた。

 

しかし、今だけは違った。そんなものは意識の外だった。

 

彼らの視線は一点に集中している。肩回りを覆う白い毛皮が特徴的な、緑を基調とした布地を取り付けた鎧。それを纏う大柄な冒険者の背中に。

 

残虐極まる方法でオリヴァスを処刑(・・)したファーナムへと注がれる感情は様々だった。戸惑い、怯えといったものもあるが、中でも一番多かったのは“嫌悪”かも知れない。

 

人であるならば誰しもがモンスターに抱く感情……嫌悪感。長い殺戮と闘争の歴史の中で人々の内に強く根付いた圧倒的な忌避感は、モンスターを見極める上での、ある種の探知機(センサー)のような役割にすらなっている。

 

オリヴァスが自分の正体を嬉々として語った時が良い例である。

 

彼がもう人の領域にいない、異形の存在であると理解した瞬間、レフィーヤは吐き気を伴う嫌悪感を抱いた。例え人の形をしていようとも、そうであると分かってしまった以上、人間はその嫌悪感を拭い去る事は出来ないのだ。

 

だからこそ、彼らは戸惑っていた。

 

ファーナムが人の形をした化け物(なにか)……そんな突拍子もない想像が、頭の中にこびり付いて離れない事に。

 

自分たちを身を挺してまで救ってくれた男が見せつけた、オリヴァスに対するあまりにも残酷で恐ろしい行いは、それ程に彼らの心に深い衝撃を与えていた。

 

 

 

 

 

既に事切れたオリヴァスの死体を、ファーナムは感情の読み取れない瞳で眺めていた。

 

腹部に突き刺さったチャリオットランスは根本まで達しており、彼の胴を半ばまで千切りかけている。血塗れになった顔は恐怖に凍り付き、その壮絶な最期がどれほどの苦痛を伴ったのかを物語っていた。

 

「………」

 

ファーナムは思い返す。自分のした一連の凶行を。

 

切っ掛けとなったのはオリヴァスの言葉だった。他者の命を軽んじる彼の言葉は許し難く、故にファーナムは動いた。激高するフィルヴィスの姿を目撃したもの原因の一つだろうが、確かに彼が抱いた怒りは本物だったのだ。

 

しかし、今になってこんな思いが芽生えてきた。ここまでする必要が、果たしてあったのだろうか、と。

 

実のところ、ファーナムは一連の凶行の際の記憶が曖昧であった。身の毛もよだつような所業も、嫌に饒舌だった言葉の数々も、どれもいまいち自分の行いとしての実感がなかった。

 

怒りに我を忘れていた、という奴なのかも知れない。だが不死人となって久しい自分が、これほど容易く感情に流される事があるのだろうか。それともオラリオでの数々の出会いを経て人間らしさを取り戻した、という事なのだろうか。

 

恐らく違う、とファーナムは自問自答する。

 

これはきっと、もっと根源的な……不死人となる以前の、人間だった頃の名残だ。

 

他者の命を軽視し、身勝手な理由で他者を傷つける。そんな行いを許す事が出来ない。ファーナムという不死人は、元はきっとそういう人間だったのだろう。そしてオリヴァスの言葉にその感情が昂り、暴走し、今回の凶行に繋がったのだ。

 

「………」

 

だとしても、である。

 

ファーナムが見せつけた行為は、確実に他の者たちの心にも残り続ける事だろう。それ程までに常軌を逸していたのだ。

 

いくら極悪人であるからといって、あれ程までに残虐な方法で命を奪ったファーナム。狂人、異常者、あるいは化け物と罵られても無理もない行いだという事は、流石に理解できる。

 

これまでのような関係を取り戻す事は不可能かもしれない。そう覚悟を決めつつ、ファーナムがレフィーヤたちのいる後方を振り返ろうとした……その時である。

 

 

 

ドゴッ!!という破壊音が上がり、大空間の一角が突如として爆散した。

 

 

 

「ッ!?」

 

同時に一つの影がファーナムのいる方へと飛んでくる。

 

それは地面に叩きつけられ、ガガガガガッ!と地面を削りながら勢いを失速させてゆく。ようやく静止したのは10M程の距離が空いた場所だ

 

全員の意識がそこへと注がれる。

 

土煙の中から最初に現れたのは血のように真っ赤な髪の毛。身体は成人した女のもので、全身の至る所に裂傷による出血の跡が見て取れた。

 

「ぐっ……!?」

 

呻きを漏らす女は手の中にある刃の折れた大剣を放り投げ、忌々しい目で壁に空いた大穴を睨む。

 

「はぁっ、はぁっ……!」

 

その視線の先にあるのは金髪金眼の少女の姿。彼女もまたその身体に傷を多く刻んでおり、盛大に肩で息をしてはいるものの、その目に宿った戦意は欠片も衰えていない。

 

この場所へとやって来たアスフィたちと最初の段階で分断され、行方が分からなくなっていた少女―――アイズの姿が、そこにはあった。

 

「アイズさん!?」

 

レフィーヤから驚いたような声が上がり、アイズもそれに反応する。どうしてこの場に彼女の姿があるのか戸惑っていた様子だったが、すぐにベートとファーナムにも気が付き自分の捜索に来たのだと察した。

 

状況を瞬時に理解したアイズはすぐに意識を切り替えて眼下の赤髪の女、レヴィスの元へと向かっていった。立っていた場所から躊躇いなく跳躍し、愛剣《デスペレート》の切っ先を振りかざす。

 

レヴィスもみすみすやられる訳ではない。Lv.6へと昇華したアイズの身体能力に今まで苦しめられたとはいえ、これ程距離の空いた場所からの攻撃に対処できない事はない。

 

振るわれた剣が己を穿つよりも先に、後ろ向きに跳んで攻撃を回避。直後に必殺の刺突が地面を抉るも、すでにその場にレヴィスはいない。更に後退して体勢を整えようとした彼女であったが―――――。

 

「させん!」

 

「な―――――ッ!?」

 

気付けば肉薄していたファーナムの姿に、オリヴァスと同じ黄緑の瞳が見開かれる。アイズのみを敵と見なしていた彼女の盲目が、甲冑の騎士の接近を許してしまったのだ。

 

腰に差していた椿の直剣。それを抜き去ると同時に駆け出したファーナムは、アイズと挟撃する形でレヴィスへと剣を振り下ろした。

 

「ぐうっ!?」

 

間一髪、振り下ろされた剣の直撃を回避する。しかし無理な体勢からの完全に避けきるのは無理だったようで、交差する瞬間に切り裂かれた肩口からは血が吹き上がっていた。

 

それでも跳躍の勢いを衰えさせず、レヴィスはファーナムの隣をすり抜ける形で逃走に成功する。その最中(さなか)に変わり果てたオリヴァスの死体を目にして僅かに瞠目するも、次の瞬間にはその死体へと向かって進路を急変更させた。

 

一体何のつもりなのか。敵と思しき男の死体にぎょっとした顔を見せたアイズであったが、彼女が取ったその不可解な行動に対する疑問は、直後に氷解する事となる。

 

壁に磔にされていたオリヴァスの死体。レヴィスはその首を片手で鷲掴みにすると、力任せのまま強引に引き剥がしたのだ。

 

千切れかかっていた腰はその衝撃で完全に破壊され、上半身と下半身は無残にも泣き別れとなってしまった。残された下半身はその場で膝を折り、臓腑を晒しながら地面に倒れ込む。

 

何故わざわざそんな真似を、と固まる冒険者たち。彼らの疑問と警戒もどこ吹く風という様子のレヴィスは離れた場所までやってくると、そこで初めてまともにオリヴァスの死体へと目をやった。

 

恐怖に引き攣った血塗れの顔。ファーナムによって両腕を奪われ、仲間であったはずの者の手により死体さえも激しく損壊させられた哀れな男に、レヴィスは淡々とした言葉を贈る。

 

「あれだけ豪語しておいてこのザマか、無能め」

 

冷酷さを隠しもしない声色。

 

そして彼女は物言わぬ肉塊となったオリヴァスの胸部目掛け、鋭い手刀を突き出した。

 

「!?」

 

突然のこの行動の意味が分からず唖然とするルルネたち。彼女たちの動揺をそのままに、レヴィスは死体の胸に埋めていた手を勢いよく引き抜く。

 

血が纏わりついた手には何かが握られていた。それは怪しい輝きを放つ、掌に収まる程の大きさの結晶体。芋虫型、食人花にも共通して見られた、極彩色の魔石だった。

 

ドクンッ、と。全員の胸に嫌な予感が去来する。

 

魔石が内包されていた事から、オリヴァスがモンスターと同等の存在である事は確定した。証拠に魔石を失った身体はモンスターと同じく瞬く間に灰へと還り、レヴィスの足元に小さな山を形成している。

 

しかし問題はそこではない。わざわざ魔石を引き抜いた理由である。

 

その答えに本当は誰もが行き着いていた。しかし口に出せずにいる中、渦中のレヴィスはまるで見せつけるように手の中にある極彩色の魔石を口元へと近付け―――――そして、それを飲み込んだ(・・・・・)

 

言葉を失うアスフィ、ルルネ、そして【ヘルメス・ファミリア】の冒険者たち。アイズたちもその姿に顔を険しくし、湧き上がる嫌悪感とそれ以上の危機感に感覚を鋭く尖らせる。唯一心を乱されなかったのは、すでに仮面の人物と邂逅した時にこれと似た光景を見ていたファーナムだけだ。

 

魔石を吸収した影響か、レヴィスの身体に刻まれていた傷が次々に修復されてゆく。アイズによってつけられた裂傷は瞬く間に完治し、ファーナムが切り裂いた肩の傷も目に見えて塞がってゆく。

 

「せめて血肉(たし)となって、『アリア』奪取の礎になれ」

 

ぐぐ……、とレヴィスは身体に漲る力を確認するように拳を握り、アイズへと意識を向ける。そしてその隣に立つ男、かつてリヴィラの街の一件で彼女に重い一撃を与えたファーナムに対しても。

 

「……あの時の礼がまだだったな」

 

「………っ!」

 

危うさを増した黄緑の瞳がファーナムを射抜く。

 

魔石を取り込み、己の力を高めるというモンスターの理。【ステイタス】に頼らない、モンスターのみに許されたランクアップの方法。

 

そんな弱肉強食の業を見せつけられた一同に―――『強化種』の怪人(クリーチャー)が襲い掛かった。

 

 

 

 

 

レヴィスの身体が地面すれすれのところを滑空して迫り来る。彼女はファーナムとぶつかる直前、緑肉に覆われた地面に腕を突き刺し、そこから血のように赤い歪な大剣を掴み取った。

 

予想外の方法で武器を補充した事に驚きを見せるも、ファーナムは左手に盾を出現させる。これまでいくつもの戦場を共にしてきた愛着のある盾の一つ、王国のカイトシールドである。

 

それを構えた瞬間、重く激しい衝撃が発生した。振るわれた大剣と盾との間で猛烈な火花が弾け、グンッ!とファーナムの身体が後ろへ押される。

 

「ぬぅ……!?」

 

以前に戦った時よりも明らかに力が増している。その原因がオリヴァスの魔石を取り込んだ事による『強化』であると分かっていてもなお、出鱈目なまでの力の向上ぶりは目を疑う程であった。

 

冷や汗を流すファーナムに対し、レヴィスは涼しい顔のまま拳を振るう。盾へと吸い込まれた剛拳の威力は凄まじく、これによって防御の体勢が崩されてしまう。

 

盾を構えていた左腕が弾かれ、胴を晒す格好となったファーナム。

 

すかさず迫って来るのは赤い大剣の切っ先だ。ろくな切れ味など全くなさそうな刃ではあるが、先端は鋭く尖っている。彼女の膂力と合わされば、鎧を着込んだ相手であろうと貫くのは容易であろう。

 

「死ね」

 

レヴィスの無感動な声が投げかけられる。その呟きは大剣に乗り、鋭い切っ先がファーナムの胸を貫かんと吸い込まれる―――――

 

「ッ!!」

 

―――その直前。

 

風を纏ったアイズにも迫る速度で剣を振るい、凶刃の一突きを切り払った。

 

目を見張るレヴィス。彼女の攻撃を渾身の力で退けたファーナムは背中から倒れ込むようにして戦線を離脱、彼と入れ替わりにアイズが跳躍して姿を現した。

 

「【目覚めよ(テンペスト)】!」

 

大きく力を増した相手にアイズも魔法の使用を余儀なくされる。『風』を纏わせた剣は気流を発生させつつ、紅の大剣と真っ向から鍔迫り合った。

 

金髪金眼の少女の本気を前にしてもレヴィスの冷静さは揺るがなかった。魔法を使っているというのに互角、あるいはそれ以上の力でアイズを押し返している。

 

「くっ……!?」

 

「順番が狂ったが、まぁいい。やはりお前が先だ」

 

そう言ったレヴィスはあっさりと対象を変え、目の前にいるアイズへと集中させる。

 

背中から倒れ込んだファーナムは地面を転がりながらも受け身を取り、素早く体勢を整え直していた。後方にいたベートもこの戦闘からアイズ一人でレヴィスを相手取るのは困難と判断したのか、今にもこちらへ駆け付けようとしている。

 

上級冒険者が三人がかりであればこの劣勢も覆せる。それは確かな事実ではあったのだが、やはりそう簡単にはいかなかった。

 

巨大花(ヴィスクム)!」

 

女の命令の声が飛ぶ。直後、大支柱に取り付いていた超大型のモンスターが動きを見せる。

 

残り二体となった内の一体が、べりべりと身体を大支柱から引き剥がしているのだ。轟音と腐臭をまき散らしながら迫り来る巨体は、その全身を使ってベートたちを叩き潰そうとしていた。

 

凍り付いたのはルルネたちだった。つい先程オリヴァスが呼んだものの再来、ファーナムに向けられた超重量を誇る巨大な塊が、今度は自分たちに牙を剥いたのだ。

 

「仲間が死ぬぞ」

 

「っ!」

 

巨大花のいる方を振り向いたファーナムに投げられたレヴィスの声。アイズとの戦闘に余計な邪魔が入らない様に心を乱しにかかる怪人の思惑通り、兜の下の表情は焦りに歪んだ。

 

アイズを放っておく訳にはいかない。されど巨大花の攻撃にはもう時間の猶予がない。ベートがいるといっても、あれほどの巨体は個人の力だけでどうにか出来るものではないのだ。

 

二択を突き付けられたファーナムは僅かに逡巡したものの、その迷いはほんの一瞬に過ぎなかった。

 

「すまない、アイズ!」

 

「大丈夫です、行って下さい!」

 

短い謝罪を述べ、アイズとは正反対の方向へと走り出す。

 

直剣を再び鞘へと納めつつ、同時に盾をソウルへと溶かした彼は大きく声を張り上げた。

 

「ベートッ、俺の方へ飛ばせ(・・・)!」

 

「!?」

 

飛んできた声に目を見開いたベート。それは他の者たちも同じであった。

 

これ程の巨体をこちらへ寄越せという指示は自殺行為とも取れる。しかしそれを口にしたのは他ならぬファーナムであり、事実彼は一匹仕留めている。

 

何を考えているのかは分からないが、何か考えがあるに違いない。そう踏んだベートは助走をつけて大きく跳躍し、迫り来る巨体へ向けて強烈な蹴りを叩き込んだ。

 

「クソ!どうなっても知らねぇ、ぞっ!!」

 

蹴りが直撃した部分の肉が抉れ、陥没する。これによって軌道を変えられた巨体はベートたちから狙いが逸れ、接近するファーナムの頭上へと落ちてゆく。

 

先程の焼き直しのような光景だが、今度はその巨体の横っ腹が迫って来ている。逃げ口となる大口はなく、このままでは無残に肉塊となるのがオチだ。

 

恐怖すら抱く圧倒的な物量を前にしたファーナムは、しかし動じる事はない。

 

彼は疾走したまま無手の両手を束ね、まるで何かを持っているかのように大きく振りかぶる。次の瞬間その手の内でソウルが収束してゆき、一つの巨大な剣を形作った。

 

まるで溶けた鉄を歪な鋳型に流し込んだような造形で、洗練という言葉からは遠くかけ離れ、それ故に荒々しい力強さを感じさせる。

 

それはかつて王の双腕として名を馳せた黒い騎士の得物であり、『黒霧の塔』で対峙し、その果てに倒したかの騎士のソウルから錬成された代物である。

 

名を『煙の特大剣』。

 

反逆者と呼ばれ、追放された先で見出した己を奮い立たせる母性。それを宿した闇の子ナドラと共にあり続けた男……煙の騎士レイムが振るった特大の得物が、ファーナムの手中に現れた。

 

「おぉ―――」

 

ザリッ!と地面を削って急停止したファーナムの身体。十分に振りかぶられた特大の鉄塊は、眼前へと迫った巨体へと照準を定めている。

 

そして。

 

 

 

「―――ぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!!」

 

 

 

迸る咆哮もそのままに、大上段からの斬撃が繰り出された。

 

逃げ口がなければ切り開けば良いとばかりに、煙の特大剣は巨大花の巨体を一刀両断する。見上げる程の長大な体躯に太い亀裂が走り、そこから大量の体液が噴出した。

 

『ギッ――――――――――ァァアッッ!?』

 

魔石が埋まっている頭部を直撃していないにも関わらず、ファーナムの放った一撃は明らかに致命傷だった。

 

断裂した悲鳴と共に二つに分かたれた巨体はもがき苦しむ素振りを見せたが、それも長くは続かなかった。ビクリと痙攣した巨大花の身体はそれを最後に動かなくなり、ズウゥンン……と盛大な粉塵を舞い上げる。

 

アイズのような『風』を付与する事もなく、単純な膂力のみで巨大花の巨体を両断してのけたファーナム。

 

彼は斬撃によって強引に切り開いた()の真ん中に立っており、煙の特大剣を振り抜いた格好で立っている。余りにも常識離れした光景に、【ヘルメス・ファミリア】の誰もが固まってしまっていた。

 

「ちっ、やはり巨大花(ヴィスクム)一匹だけでは無理か」

 

が、これを目撃したレヴィスは舌打ちするのみであった。

 

彼女はアイズと打ち合う最中にも彼の動きを気にしていた。他の冒険者たちとはどこか違うように感じられるファーナムを警戒していたという事もあり、巨大花が一撃で倒されてもさほど動揺はしていない。

 

「……仕方がない」

 

「っ!?」

 

そう呟くと同時にレヴィスは一際重い一撃を放つ。これをどうにか剣で防いだアイズであったが、勢いまでは殺しきれずに大きく後方へと弾き飛ばされてしまった。

 

「アイズさん!?」

 

「アイズッ!!」

 

レフィーヤとベートの声が重なる。

 

少女の小さな体は地面で一度バウンドし、もう一度宙へと投げ出される。『風』を展開していた為ダメージは少ないものの、突如のこの行動に不可解だという思いが沸き上がってきた。

 

今の今まで執着していたのが嘘のように、自分からアイズとの距離を取った理由。それはあるもの(・・・・)の存在にあった。

 

巨大花が取り付いていた大支柱。その根元に寄生していた、(おんな)の胎児を内包した緑の球体。リヴィラの街の一件で目撃された『宝玉』である。

 

未だ貪欲に養分を吸収し続けていたそれを鷲掴みにし、強引に引き剥がす。悲鳴にも似た奇声を上げる『宝玉』を無視し、彼女はそれをアイズが空けた大穴へ向かって放り投げた。

 

何を、と全員の視線が集中する。一直線の軌跡を描く『宝玉』は吸い込まれるようにして飛んで行き―――――漆黒色の手によって受け止められた。

 

「あいつは……!」

 

ファーナムの呟きが漏れ、次いでベートが苛立たしげに顔を歪めた。

 

『宝玉』を掴んだ者。それは紛れもなく25階層で遭遇し、この場所に来る際に取り逃がしてしまった仮面の人物であった。幾何学模様が入った仮面は特徴的で、どうしたって見間違いようがない。

 

仮面の人物は一切の感情が窺えない視線を一同へと向けている。じっとりとした嫌な視線が突き刺さるのを肌で感じつつも、ファーナムもまた負けじと睨み返す。

 

「完全ではないが、十分に育った。エニュオへ持っていけ!」

 

『……アア、分カッタ』

 

そんな睨み合いもレヴィスの声によって終わりを迎えた。仮面の人物は踵を返すと、即座にその身を眩ませる。『エニュオ』なる人物の元へと『宝玉』を持っていく気なのだろう。

 

「させるかよ!」

 

そうはさせじとベートが猛り、俊足をもって大穴へと向かって疾走する。アイズも一拍遅れて追いかけようとするも、やはりレヴィスによる邪魔が入った。

 

何らかの命令を下したのか、天井と壁面を埋め尽くしていた蕾が一斉に開花。産声を上げた大小様々な食人花が生まれ落ち、二人の行く先を塞いでしまったのだ。

 

「!? ちぃっ!」

 

頭上より降りかかる大量の食人花の(あぎと)。ベートはそれを回避しながら蹴りを叩き込み、アイズは『風』を纏わせた剣で一気に切り払う。

 

しかし数が尋常ではない。この大空間に控えさせていた全ての食人花が一斉に動き出したのか、その脅威は離れた場所にいるファーナムたちにも迫っていた。

 

「お、おい!これは流石にヤバいんじゃないのか!?」

 

「見れば分かるでしょう!ヤバいどころじゃありません!!」

 

全員の気持ちを代弁するルルネにアスフィが逼迫した声で答える。

 

彼女の仲間である獣人やドワーフは近接武器で手近な個体を撃退しているが、その数に対して人手が不足している。今はまだ拮抗を保っているが、このまま増え続ければ数の暴力によって蹂躙されてしまう事だろう。

 

(不味い―――――!)

 

ファーナムは全ての元凶を睨む。

 

ずぞぞぞぞ……と悍ましい音と共に養分を吸い上げる巨大花。それと食人花たちの一斉開花は連動している事は明白で、あれをどうにかしない事には事態は好転しない。

 

煙の特大剣を傍らに突き刺したファーナムは、巨大な弓を取り出した。手持ちの大弓の中では最も飛距離の出るそれは動物の骨を組み合わせた精緻な作りをしており、ラル・カナルで生まれたと言われている。

 

敵を威嚇する目的もあるこの武器『双頭の大弓』に破壊の大矢を番え、力の限りに引き絞る。狙いは巨大花の頭部であり、魔石を内包した部分を射抜くべくその目を(すが)めたが……。

 

『アアァァァアアアアアアッ!』

 

「!」

 

数匹の食人花が、地面を蛇行して押し寄せてくる。弓を弾き絞った無防備な状態を晒す今のファーナムは格好の的であり、その隙を突いて襲ってきたのだ。

 

心の中で舌打ちした彼はやむなく構えを解き、傍らにある煙の特大剣を取ろうとしたが、そこに小さな影がやって来た。

 

「【盾となれ、破邪の聖杯(さかずき)】!」

 

食人花とファーナムの間に身体を滑り込ませ、彼を守るように左手を前へと突き出す。並行詠唱によって既に完成されていた魔法を解放した彼女は―――フィルヴィスは、白く輝く円形の障壁を展開させた。

 

「【ディオ・グレイル】!」

 

直後、食人花たちが障壁に激突する。眩い閃光を発する盾に守られたファーナムが瞠目していると、フィルヴィスは肩越しに彼を見て、そして叫んだ。

 

「私が抑えている、早くやれ!」

 

「……ああ!」

 

己の危機に駆け付けてくれた彼女の意志を受け取ったファーナムは、巨大花へと意識を集中させた。

 

これでもかと引き絞られた弦が悲鳴を上げたと同時に眦を裂き、そして勢いよく破壊の大矢を放つ。円形の衝撃はすら発生させた射撃は一直線に飛んで行き、狙い通りに巨大花の頭部を大きく穿った。

 

『ギイァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?』

 

着弾と同時に弾けた頭部の激痛に、割鐘の絶叫が轟いた。しかし巨大花は死んではいない、食人花とは比べ物にならないほど分厚い表皮が、魔石の破壊を妨げたのだ。

 

体液を噴出させる巨大花は取り付いていた大支柱から身体を引き剥がし、痛みに任せて地面へと落下しようとしている。養分の吸収を断たせ、これ以上の食人花の増加は防げたものの事態は深刻だ。乱戦状態となった状態では全員が避難するのは不可能に近い。必ず誰かが犠牲になってしまう。

 

恐れていた最悪の展開。その事実にフィルヴィスとレフィーヤが目を見開き、アスフィとルルネたちが絶句する―――――。

 

 

 

「アイズッ、やれ!!」

 

 

 

―――――が、まだ希望は残されていた。

 

フィルヴィスが引きつけていた食人花の掃討に移行しつつ、ファーナムが鋭い声を飛ばす。

 

それに応えたのは剣の閃きだった。刀身に展開していた『風』を全身に纏わせたアイズは、砲弾の勢いで落下しようとする巨大花の頭部へと迫る。

 

「くそ、行かせ……!」

 

「行かせるかァ!!」

 

「ぐっ!?」

 

やらせまいと動いたレヴィスであったが、これをベートが阻止。自慢の足刀で怪人の足止めをする。もはや彼女の歩みを妨げるものは皆無であった。

 

空中ですれ違いざまに複数の食人花を切り裂き、剣の切っ先を定める。狙いはファーナムが穿った頭部の傷であり、肉に埋まっていた魔石が僅かに顔を覗かせている。

 

「ふっ!!」

 

露出した急所を見定めたアイズは唇を固く引き結び、渾身の一突きを繰り出す。それは寸分違わず魔石を直撃し、破壊した。

 

「……うおおぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおお!!!」

 

大きく震えた巨大花の身体。直後にその全身は分解し、大量の灰が冒険者たちの頭上に降り注ぐ。灰に塗れたものの圧死を免れた彼らから歓喜の声が上がり、一気に士気が回復していった。

 

「この機を逃さずに反撃を!【千の妖精(サウザンド・エルフ)】、広域魔法をブッ放して下さい!!」

 

「は、はい!」

 

知らず口調が荒くなったアスフィの指示に従い、レフィーヤは詠唱に移った。魔力の波動を漂わせる彼女目掛けて多くの食人花たちが寄ってくるが、それをルルネたちが身を挺して守る。

 

そんな彼らの輪に加わるべく、食人花たちを始末し終えたファーナムはフィルヴィスと共に戦場を疾走する。

 

互いに互いの身を守り合いながら戦う彼らの姿は、まさに誇り高き戦士のようであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

繰り広げられる激しい戦闘の余波は()()()も感じ取っていた。しかし、それによって心を揺さぶられる事などは絶対にありはしない。

 

それらに意志はない。

 

かつてあった気高き誇りも、王への忠誠も、今や煤けた鎧を残すのみである。

 

それらに意思はない。

 

劫火(ごうか)によって歪められた鎧に相応しい、冷酷な刃を振りかざすだけの存在と成り果てた。

 

それらに意味はない。

 

幾千、幾万の時が流れようとも、灰は今この瞬間も世界を彷徨い続けるのだ。

 

そして四つの鉄靴は最も原始的な欲求を満たす為に、異形と化した通路をゆく。

 

ただ一つ―――――強大なソウルの気配を目指して。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十九話 黒騎士

「魔石は頭部にあります、重点的に狙って!」

 

「前衛は盾を構えて引き付けるんだ!弓を持っている者はガンガン放て!」

 

「深追いするなよ!【千の妖精(サウザンド・エルフ)】が纏めて片付ける!」

 

大空間を食人花の群れが縦横無尽に動き回り、それに囲まれる冒険者たち。一見すれば絶体絶命といった言葉が当てはまる光景であったが、しかし彼らの目はまだ死んではいない。

 

互いが互いの背中を守り合い、名を呼び合い、そして助け合う。ダンジョンにおける最も基本的な連携ではあるが、この状況下でここまで統率が取れているのは流石と言える。

 

円のような布陣で全方位からの攻撃に対応する彼らを束ねるのは、【ヘルメス・ファミリア】団長のアスフィである。彼女は持ち前の洞察力を遺憾なく発揮し、鋭く光らせた両目で食人花の動きを全て見通していた。

 

「四時の方向から複数来ます!ルルネ、爆炸薬(バースト・オイル)を!」

 

了解(りょーかい)っ!」

 

矢のように飛んでくる指示を団員たちは一言一句聞き漏らさず、求められる動きを正確にこなしていった。お陰で未だ脱落者はおらず、何とか持ちこたえられている。

 

アスフィの隣にいるのはレフィーヤで、杖を両手に構えて瞳を閉じている。その口から紡がれる詠唱は淀みなく、やがて最初の魔法(・・・・・)が完成した。

 

「【エルフ・リング】」

 

ヒュオッ、と清涼な気流が巻き起こる。漂う魔力が増加し、それに伴い食人花たちの動きも一気に活発になった。

 

興奮状態となった食人花の猛攻に【ヘルメス・ファミリア】の団員の一人が構えていた盾の守りが崩される。そこを目掛けて一匹の個体が躍り出て、無防備となった彼の頭を噛み砕こうと大口を開く。

 

両目を見開き絶句する彼であったが、その背後から救いの手が伸びた。

 

「【一掃せよ、破邪の聖杖(いかずち)】―――【ディオ・テュルソス】!」

 

眩い閃光は矢となって彼の頭上を駆け抜ける。

 

それを喰らった食人花の頭部が爆ぜ、魔石ごと灰へと還る。放心状態となった男は仲間によって立たせてもらいながらも、己の命を救ってくれたフィルヴィスに感謝を述べた。

 

「す、すまない【白巫女(マイナデス)】、助かった!」

 

「……!」

 

広く知られている忌み名(・・・)の方ではなく正式な『二つ名』で呼ばれた事に面食らったのか、彼女は僅かに目を見開いた。しかしすぐに顔を背け、別の食人花の始末に専念し始める。

 

そんなやり取りを目撃したレフィーヤの口元に、場違いながらも笑みが浮かんだ。誰もがフィルヴィスの事を誤解している訳ではないと分かったからだ。

 

彼女の本当の優しさを知っているエルフの少女は改めて気合いを入れ直す。必ずこの局面を切り抜け、無事に地上へと戻るのだと。そしてその暁には新たな友人となったフィルヴィスと共に、沢山の楽しい思い出を作るのだと。

 

「【―――間もなく、()は放たれる】」

 

紡がれる歌はエルフの王女、リヴェリア・リヨス・アールヴの魔法。そこには一切の淀みはなく、それだけの覚悟の程が窺える。

 

己の身の安全をフィルヴィスたちに任せ、自身は魔法の詠唱に専念する。それがこの状況を打開する最善の策であると理解しているレフィーヤは瞳まで閉じ、魔法を放つためだけの装置と化した。

 

「るぉおおおおおおおおッ!!」

 

「はぁっ!!」

 

少し離れた場所ではアイズとベートが、大剣を操るレヴィスとの死闘を演じていた。アイズだけでは厳しかった相手でも、そこに援軍が加われば状況は変わってくる。しかもそれはこと“速さ”においては【ロキ・ファミリア】でも一、二を争うベートである。

 

目が回るような速さで繰り出される足技。どれもレヴィスにとって致命打にはならないが、決して無視は出来ない威力のものばかりである。そしてやむなく防御すれば、その隙をついてアイズの剣が迫り来る。

 

「ちぃ……!」

 

苛立ちに顔を歪ませるレヴィスは一瞬だけ視線を彼らから外し、ある一点へと向けた。そこにあったのは特大の黒剣を両手持ちで構えるファーナムの姿。

 

こんな状況に陥っているのも、元を辿れば全てこの男に起因する。仲間共々、大人しく巨大花(ヴィスクム)に潰されていればこんな面倒な事態にはならなかったのだ。

 

黄緑の双眸を忌々しげに歪ませるレヴィスであったが、直後にアイズの剣とベートの足刀が襲い掛かる。僅かな油断も許されない二人の攻撃を前に、彼女はファーナムから意識を切り離した。

 

「ああ、本当に面倒な……っ!」

 

苛立つ怪人に対して剣と牙は容赦しない。二人は巧みな連携を取りながら、徐々に追い詰めていった。

 

円になって食人花たちと攻防を繰り広げるアスフィたち。

 

レヴィスを二人がかりで相手取るアイズとベート。

 

そんな彼らから離れた場所で得物を振るうファーナムの周囲に人はいない。孤立無援、危機的な状況にも思えるだろうが、それは違う。

 

『ギシャァァアアアアアアアアアアッ!!』

 

縦横無尽に襲い来る食人花たち、その内の一匹がファーナムに向かって突進してきた。他の個体よりも大きく長大な身体は、それだけで十分に脅威足りえる。

 

一息にファーナムを呑み込もうとした食人花。しかしその身体は彼の間合いに入った瞬間、問答無用で両断される事となった。

 

『ッッ!?』

 

断末魔を上げる時間もなかった。特大の黒剣……煙の特大剣によって斬り飛ばされた身体は、周囲にいた小さな個体をまとめて圧し潰す。突如として飛んできた同胞の亡骸を避ける事も出来ずに、何匹もの食人花がこれに巻き込まれた。

 

「ふんっ!!」

 

煙の特大剣を振り抜いた格好のファーナムは、振り向きざま更なる一斬を放つ。これによって背中に迫っていた小さな群れは一気に薙ぎ払われ、いくつもの魔石と肉片が宙を舞った。

 

今やファーナムの周囲には食人花の群れが形成されていた。四方八方、どこを見渡してもあるのは醜悪なモンスターの姿のみ。

 

しかし、そのモンスターたちはファーナムの間合いに入った途端に屠られる。特大の得物で豪快に斬り暴れる男に援軍は不要、むしろ思うままに戦う上では邪魔になってしまう。

 

その為ファーナムは自分からアスフィたちの元を離れたのだ。レフィーヤとフィルヴィスの制止の声を振り切っての行動であったが、結果的にこれが吉と出た。食人花の群れは上手く二分(にぶん)され、彼らの負担もいくらかは軽減された。

 

煙の特大剣を肩に担いだファーナムは、周囲を威嚇するようにして見回す。

 

次々に切り刻まれる同胞の姿に及び腰になっているのか、食人花の群れは警戒するだけで中々向かってこない。知性の欠片もないモンスターであっても、本能で危険を察知しているのだろう。

 

(レフィーヤの詠唱の完成までこのまま待つのも手ではあるが……)

 

四方を囲まれたその中心に立つファーナムはソウルからある物を取り出した。それはかつて51階層での戦闘で、女体型のモンスターを倒す際にも使った誘い骸骨だ。

 

このアイテムは砕く事によってソウルを発生させ、一時的に敵を引き付ける効果を持つ。どういう理屈かは見当が付かないが、あの女体型が反応したのだから食人花も恐らく同様の反応を示す事だろう。

 

こんなものを取り出して一体どうするつもりなのか?その答えはすぐに明かされた。

 

左手に持った誘い骸骨。ファーナムはなんとそれを、勢いよく己の鎧に打ち付けて砕いたのだ。

 

『 !! 』

 

途端、食人花たちの雰囲気が豹変する。生存本能に従っていたモンスターの群れは、飢えた獣のようにギチギチと牙を鳴らし始めた。

 

「ああ、そうだ。こっち(・・・)の方が余程やりやすい」

 

ソウルの寄せ餌を纏ったファーナムは煙の特大剣を構え直す。

 

知性の欠片も持たない亡者たち。それらとの戦いが常であった彼にとって、馬鹿正直に襲い掛かってきてくれた方が楽な場合もあるのだ。駆け引きや心理戦などは闇霊(ダークレイス)相手で十分だ。

 

周囲に漂う殺意が膨れ上がるのを肌で感じる。そこにある種の懐かしさを覚えつつ、ファーナムは大声を張り上げる。

 

「さあ、どうした!噛み付いてみろ!!」

 

柄にもない挑発じみた言葉。それが再戦の合図となった。

 

『……ガアアァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』

 

一斉に襲い来る食人花たち。

 

レフィーヤの詠唱が完成するその時まで、ファーナムは特大の得物を振るい続けるのであった。

 

 

 

 

 

大空間に木霊する冒険者たちの雄叫び。振るう得物が敵を粉砕し、攻撃を受け止める盾が激しい衝撃に晒される。

 

全員が必死の形相を浮かべていた。レヴィスを相手取るアイズとベートは言うに及ばず、無数の食人花たちとの攻防を繰り広げるアスフィたち【ヘルメス・ファミリア】、魔法と剣技で戦うフィルヴィス。そして一人斬り暴れるファーナムでさえも。

 

「―――【ことごとくを一掃し、大いなる戦乱に幕引きを】」

 

その中でただ一つ、静かに歌い続ける妖精の声があった。

 

決して大きくはないその歌声は、しかし全員の耳にはっきりと届いている。その声が途切れていないからこそ、彼らはここまで戦えているのだ。

 

やがて歌声は、詠唱は完成された。王族(ハイエルフ)であるリヴェリアにのみ許されていた広域殲滅魔法が、一人のエルフの少女によってこの場に顕現する。

 

「【焼き尽くせ、スルトの剣―――我が名はアールヴ】!」

 

カッ!と閉じていた瞳を見開くレフィーヤ。

 

足元には巨大な魔方円(マジックサークル)が翡翠色の光を発しており、召喚の時を待ちわびていた。それに応えるように―――手にした杖を大きく前方へと掲げたレフィーヤは発動の切っ掛け(トリガー)となる魔法名を言い放つ。

 

 

 

「【レア・ラーヴァテイン】!!」

 

 

 

瞬間、その場にいた全員の視界が一瞬奪われた。

 

魔法円(マジックサークル)から姿を現したのはいくつもの炎の柱。一つ一つが食人花の身体を丸々飲み込んでしまう程の猛火の極柱は、広大な空間を縦横無尽に蹂躙してゆく。

 

炎に巻かれたモンスターは一切の例外なく焼き尽くされる事となった。魔石を含んだ身体は一瞬で蒸発し、灰すらも残さない。その魔法名に相応しい、全てを無に帰す必殺の一撃である。

 

アスフィたちとファーナムの周囲を包囲していた食人花の群れも瞬く間に焼き払われた。威力も範囲も並みの魔法とは桁外れの光景に、フィルヴィスと【ヘルメス・ファミリア】の冒険者たちは唖然とした様子でその場に立ち尽くしている。

 

「これは……!?」

 

視界一面を赤く染める炎の奔流にレヴィスは瞠目する。たかが一人のエルフがこれ程の魔法を使えるなど思ってもいなかったからだ。あれだけいた食人花たちは既に全滅しており、焼け残った僅かな亡骸があちこちに散らばっている。

 

そしてその驚愕は、レヴィスに決定的な隙を作る事となった。

 

「油断しすぎだ、化物女ッ!!」

 

矢のように身を躍らせたベートが鋭い蹴りを繰り出す。

 

渾身の力を込めて放たれた一撃。しかしそれでもレヴィスにとっては十分に対処可能。彼女は手中にある紅の大剣を真横に薙ぎ、迎撃という手段を取った。

 

空白は一瞬。二人の攻撃は風を切り裂き、真正面から激突した―――その直後。

 

轟ッッ!!と、圧縮された風が解き放たれた。

 

「なっ!?」

 

再びレヴィスの顔を驚愕が彩る。

 

ベートのメタルブーツが大剣に触れた瞬間、身体を揺さぶる程の激しい気流が発生した。その正体はアイズの“風”である。蹴りを放つ直前にメタルブーツに込められた彼女の魔法を、この瞬間に一気に解放したのだ。

 

爆発と見紛う風はベート自身をも吹き飛ばした。腰を落としたレヴィスはどうにか耐えているが、その体勢は大きく崩れている。

 

そんな怪人の元へと迫る、一条の金の煌めき。

 

風で暴れる前髪から覗く黄緑の瞳を大きく見開き、それと同時に凛とした少女の声が響く。

 

「【目覚めよ(テンペスト)】!」

 

全身に風を纏ったアイズは高らかに吠え、愛剣を振るう。

 

レヴィスは咄嗟に大剣の腹を盾のようにして身体の前に構えた。互いの得物がぶつかり合い、発生した気流に乗って激しい火花が撒き散らされる。

 

「ぐぅ……っ!!」

 

呻吟の声を漏らすレヴィス。しかし風を付与された銀剣をもってしても、怪人(クリーチャー)である彼女はその膂力のみで抵抗していた。

 

(まだ……足りない!)

 

あと一歩のところで攻め切れないこの状況を前にして、アイズの眉間に深いしわが刻まれる。

 

これまでの戦闘によって傷ついた身体は悲鳴を上げかけている。高出力の風を生み出し続けている為に魔力もガリガリ削れている。このままでは先に倒れるのはこちらの方だ。

 

それを悟ったアイズは眦を裂き、感情のままに叫ぶ。

 

「うっ―――ぁぁあああああああああッ!!」

 

「!?」

 

アイズの咆哮に呼応するかのように、風は一際大きく吹き荒れた。

 

【エアリエル】の最大出力を解放した瞬間に形勢は逆転。盾にしていた大剣は粉々に砕け散り、吹き飛ばされたレヴィスは背後にそびえ立つ大主柱へと激突していった。

 

「はっ、はっ、はぁっ……!」

 

裂帛の気合いと共にせり勝ったアイズは息を切らしつつ、己の背後を振り返る。

 

そこには口の端を吊り上げたベート、フィルヴィスに肩を貸されながらもしっかりと立っているレフィーヤ、アスフィたち【ヘルメス・ファミリア】の冒険者たち、そして煙の特大剣を肩に担ぐファーナムの姿があった。

 

あの過酷な状況下から誰一人欠けずにいる。その事実にアイズは安堵し、口元に小さな微笑みを湛えた。

 

しかし悠長にしている暇はない。仲間の安否確認を終えると同時に気持ちを切り替え、打ち倒すべき敵がいる方向へと目をやる。

 

派手に大主柱に激突したにも関わらず、何とレヴィスは粉塵の舞う中で既に立ち上がっていた。何の力か、負傷した箇所からは魔力の粒子が発生しており、徐々に傷口が塞がってゆくのが見て取れた。

 

オリヴァスと同様の異常な回復速度を持つレヴィスではあったが、その胸中は穏やかではない。いくら回復が早くとも、いくら膂力に優れていても、あの“風”を持つアイズには今の自分では勝てないと分かっているからだ。

 

(認めるのも癪だが、仕方がない……)

 

内心で舌打ちしながら横目で大主柱を見やる。

 

この大空間を支える中枢(きも)であるそれはレヴィス自身が激突したため、表面には広くヒビが走っていた。柱としてはまだ十分に機能しているものの、それでも彼女が力いっぱいに殴り付ければ呆気なく崩壊するだろう。

 

レヴィスはこの大主柱を破壊して撤退する事を選択した。十分に力を蓄え、今度こそアイズを連れてゆく為に。

 

去り際に『アレ』がいる階層の事を告げようとした彼女は視線を元に戻し、口を動かそうとした―――――が。

 

「……何だ、貴様らは」

 

発せられた声は、意図せずそんな言葉を形作っていた。

 

 

 

 

 

「あぁ?」

 

最初に感じたのは疑問だった。

 

自分たちがくぐり抜けて入ってきた通路。その入り口付近に姿を現した謎の四人組は、いつの間にかベートたちの後ろに立っていたのだ。

 

「……だ、誰ですか?」

 

フィルヴィスに肩を貸された格好のレフィーヤも、彼らの姿を視界に収めていた。そして驚くほど自然にそんな疑問の声が出てきたのだ。

 

彼らは皆同じ恰好をしていた。

 

一見すると黒一色に見える金属鎧は、目を凝らせば精緻な紋様が施されているのが分かる。王族の住まう城に飾られていてもおかしくない、それどころか逆に納得してしまいそうな代物。

 

が、そんな印象を覆してしまう程に表面は真っ黒に煤けていた。そう、元から黒い金属なのではなく、火によって焼かれていたからこその色なのである。

 

手にしている得物も鎧と同じく煤にまみれている。それも見栄えのする直剣や煌びやかな盾などではなく、まともに扱えるかも分からない巨大な武器の数々だ。

 

大剣、特大剣、大斧、斧槍。それぞれ異なる得物を右手に、全く同じ形状の盾を左手に携えた四人組はその見た目も相まって、どこぞの騎士隊のような印象をレフィーヤたちに与えていた。

 

そう。

 

敢えて形容するとすれば―――それはさしずめ“亡霊の騎士隊”であろうか。

 

身の丈は推定でも2M以上。ベートたちが気が付いてから微動だにしていない彼らから感じられる視線は冷たく、同じ人間なのかと疑問に思ってしまう程だ。二本の鋭い角が生えているように見える兜の奥は真っ暗で、何の感情も読み取れない。

 

突然現れた異様な集団を前にベートは顔を険しくし、フィルヴィスとレフィーヤは不安に駆られる。アイズもレヴィスの視線を追って後ろを振り返り、【ヘルメス・ファミリア】の冒険者たちにも動揺が伝播してゆき―――。

 

 

 

―――その中でただ一人。ファーナムだけが兜の奥で、双眸をあらん限りに見開いていた。

 

 

 

その目が捉えているのは四人組ではなく、彼らが手にしている武器だ。

 

先頭の者は特大剣を、その後ろに立つ二人は大剣と斧槍を、最後尾の者は大斧を携えている。一つ一つが重厚感に溢れ、そんな物を苦も無く扱える膂力は並み外れている事であろう。

 

ファーナムはその武器全てに見覚えがある。かつての旅路の中で見つけたそれらは今も自身のソウルと共にあり、戦闘においては心強い味方となってくれた。

 

その武器の名は。

 

「黒騎士の……!」

 

その呟きが漏れた直後。

 

『――――――――――』

 

呻きもせず、咆哮も上げず。

 

鎧姿の四人組……黒騎士たちが、一斉にファーナムの元へと殺到した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なっ……!?」

 

その光景に誰もが困惑した。

 

突如現れた黒づくめの騎士たち、それらが一斉にファーナムを目掛けて走り出したからだ。目的も意図も全く読めない彼らの行動に、冒険者たちは出遅れてしまう。

 

「ちっ!何がどうなってやがる!」

 

そんな中でいち早く動いたのはベートだった。自慢の俊足を以て立ち尽くす冒険者たちの間をすり抜け、ファーナムの元へと向かう。

 

アイズもまた駆け付けようと足に力を込めたが、そこで視界の端に赤い人影が見えた。反射的に剣を振るうと、そこには腕を交差させて攻撃を防いだレヴィスの姿が。

 

「ふん。やはり無理か」

 

「っ……!」

 

感情の読めない黄緑の瞳を正面から見返すも、アイズの顔は焦燥に駆られている。目の前のレヴィスに加え、正体不明の四人組がファーナムに襲い掛かったのだ。Lv.6とは言えまだ16歳の少女、冷静さを欠いてしまうのも無理はない。

 

危機的状況。その言葉が頭を埋め尽くしそうになる中、他ならないレヴィス自身がアイズに冷静さをもたらした。

 

「『アリア』、59階層に行け」

 

「!? 何を……」

 

「勘違いするなよ。諦めた訳じゃない、ただ今のままではお前には勝てない。それだけだ」

 

レヴィスはそう言い終えると腕に力を込め、アイズの剣を弾く。

 

再び距離が開いた両者。赤髪の怪人はくるりと踵を返し、去り際にこう言い残した。

 

「そこにはお前の知りたいものがある。自分で行けば私の手間も省けるというものだ」

 

精々足掻け。そう付け加えたレヴィスはその場で跳躍し、先の戦闘で出来た大穴の奥へと消えていった。

 

思わず後を追いかけそうになるも、アイズは首を振ってその思考を追い払う。振り返った彼女は風を纏い直し、レフィーヤたちの遥か頭上を飛び越え、自身もまた新たな戦いに身を躍らせる。

 

眼下に見える戦場では、今まさにファーナムと黒騎士の内の一体とが、互いの得物をぶつけ合っていた。

 

 

 

 

 

ゴキィィィンッ!!という轟音が響き渡る。

 

大上段の構えから煙の特大剣を振り下ろしたファーナムと相対するのは『黒騎士の特大剣』を手にしていた黒騎士。超重量の得物を軽々と振るう事ができる膂力は凄まじく、片手であるにも関わらず真正面から鍔迫(つばぜ)り合っている。

 

「ッ……!」

 

『―――――』

 

ファーナム以上の体格を誇る黒騎士は、ぐぐっ、と身を乗り出して力を込める。交えた刃から伝わってくるその力強さに、僅かに後退を余儀なくされてしまう。

 

が、このままやられる訳にはいかない。

 

「ぐっ、おおぉ!」

 

鍔迫(つばぜ)り合いの状態から強引に相手を引き剥がす。視界を覆っていた黒い鎧が晴れるも、しかしすぐに別の個体がやって来た。

 

斧槍を構えた黒騎士はそのままに突進。突き出された肉厚な刃がファーナムの喉元を狙うも、身体を捻ってどうにか紙一重で回避する。

 

それでも攻撃の手は止まない。今度は大斧持ちと大剣持ちが同時に攻めてきたのだ。彼らは獲物を大きく振りかざし、咄嗟の回避によって体勢が崩れたファーナムを狙っている。

 

この状況から逃れ得る手立てはない。ただ見ている事しかできなかった【ヘルメス・ファミリア】の冒険者たちは、訪れるであろう凄惨な光景に身体を硬直させたが……。

 

「オラァッ!!」

 

「ふっ!!」

 

金の一閃と灰の一蹴が、それらを退けた。

 

振り下ろされた大剣をアイズの剣が弾き、重厚な大斧をベートが銀靴でもって蹴り飛ばす。狙いを逸らされた二つの刃はファーナムのすぐ足元の地面を抉り、深い亀裂を生じさせた。

 

その隙にファーナムは黒騎士たちから距離を取り、アイズとベートも同様に後方へと飛び退く。一気に三対四の構図が出来上がり、両者は互いに睨みを利かせ合う。

 

「おい、ファーナム。こいつらは一体何なんだ」

 

左隣に立つベートから質問が投げかけられる。何気にこれが初の名前呼びであり、こんな時でなければファーナムも驚きを口にしていた事だろう。

 

しかし状況が状況ゆえにそんな猶予などある訳がない。無駄口はひとつも叩かず、彼は聞かれた事だけを口にする。

 

「分からん。だが俺を狙っている事だけは確かだ」

 

「ンな事は見りゃあ分かる。なんで狙われてるのかって聞いてんだよ」

 

「……すまん、それも分からん」

 

なんだそりゃ、と舌打ちするベート。

 

分からない、とは言ったものの狙われる理由は察しが付いている。十中八九、自身の持つソウルが原因なのだろう。ファーナムにはその確信があった。

 

目の前の敵……四人の黒騎士はファーナムを視界に収めた途端に襲い掛かってきた。かつての旅路で幾度となく味わった“殺気”。それを隠しもせずに襲い来る姿は、まさしくソウルに飢えた獣である。

 

また彼らが伝承にある“黒騎士”なのだろうという事にも気が付いていた。武器を構えた佇まいとその扱い方が、彼らを何より黒騎士たらしめているのだ。

 

(何故大昔の騎士たちが今、しかもこの場に現れたのかはさっぱりだが……やる事に変わりはない)

 

ファーナムは煙の特大剣を仕舞い、代わりにクレイモアとブロードソードを装備する。

 

クレイモアを右肩に担ぎ、左手に握られたブロードソードは自然体のまま。二足歩行の獣を彷彿とさせる状態で腰を落とした彼は、臨戦態勢のままアイズとベートに語りかける。

 

「すまないが二人とも、手を貸してほしい」

 

「はい、分かりました」

 

「ハッ、いいぜ。面倒くせぇがやってやる」

 

素直に頷くアイズとは対照的に、ベートは憎まれ口を叩きつつも交戦の構えを取る。口の端には剣呑な笑みが滲んでおり、戦意は十分といった風である。

 

「あの特大剣持ちと斧槍持ちは俺が受け持つ。アイズはあの大剣持ちを、ベートは大斧持ちを頼む」

 

「ああ?テメェが二人を受け持つのかよ」

 

「大丈夫、ですか?」

 

「これでも対複数戦には慣れている。心配はいらん」

 

自ら二体の黒騎士を相手にするという宣言。これに好戦的なベートが黙っている訳もなく、アイズも若干心配そうな表情を浮かべた。

 

そんな二人に気を向ける余裕はない。ファーナムの深い青色の瞳は黒騎士たちを凝視し、一挙手一投足を見逃すまいとしている。いつでも踏み出せるよう重心を前方へと傾け、得物を握る手にはうっすらと汗が滲み始めていた。

 

そして、その瞬間は訪れ―――――。

 

「 !! 」

 

『 !! 』

 

三人の冒険者と、四人の黒騎士が激突した。

 

 




投稿が遅くなってしまい、申し訳ございません。

仕事が忙しい時期になりまして、もうしばらく更新頻度が落ちる状態が続くと思いますが、どうかご了承下さい。



どうにか仕事終わりに書こうと思っても、中々手につかないのです(´・ω・`)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十話 吠える者

遅れまして申し訳ありません。




先陣を切ったのはファーナムであった。

 

駆け出し、勢いの乗ったクレイモアによる縦の斬撃は、正面にいた特大剣を手にしている黒騎士へと狙いを付けている。間合いに入った瞬間に決まるように放たれた振り下ろしは、寸分の狂いもなくその頭部へと吸い込まれてゆく。

 

が、その攻撃が届く事はなかった。

 

黒騎士は左手に携えていた重厚な盾を、頭を割られる直前に滑り込ませたのである。クレイモアによる一撃は派手な金属音と共に火花を散らして不発に終わる。

 

今度はこちらの番だとばかりに、黒騎士は特大剣による突きを繰り出した。それは片手で扱っているとは思えない程の精確さでもって、ファーナムの胴に風穴を開けんとする。

 

「ッ!」

 

ビュッ!という音が身体のすぐ横を突き抜けていった。

 

そう、躱したのである。反射的に動いた身体は、突きの一撃をすんでの所で回避に成功したのだ。

 

ドラングレイグで繰り返された殺し殺される日々、そしてオラリオでのモンスターや怪人との戦いの記憶。それらは確かにファーナムの中に刻み込まれ、こういった咄嗟の回避行動にも如実に現れていた。

 

「ふッ!」

 

それだけでは終わらない。ファーナムは左手に握られたブロードソードで、斜め下からの斬り上げを見舞う。

 

振り抜かれた刃。己の懐に潜り込まれた黒騎士に、容赦のない斬撃が叩き込まれる。

 

『―――ヅッ』

 

「!」

 

火花を伴った一閃は黒騎士の鎧に確かな傷をつけた。しかし、それだけである。若干のけ反る素振りは見せたものの、肝心のダメージはそこまであるようには見えない。

 

(ッ、硬い!)

 

ブロードソードを通して伝わる黒騎士の鎧の堅牢さに瞠目し、心の中で驚嘆に呻くファーナム。防御力は明らかに喪失者を上回っている。戦闘能力に関しても同程度か、あるいはそれ以上である事は間違いないだろう。

 

そんな分析をしている内にも攻撃の手は止まない。特大剣持ちの後方にいた斧槍持ちが、切っ先を向けて突撃してきたのだ。

 

速く鋭い、しかし先程と同じ攻撃。それを見切るやブロードソードを翻し、自身へと迫った斧槍の刃を見事に受け止めた。ギャリリッ!という耳障りな音が鳴り響き、黒騎士の身体が制止する。

 

が、安心はできない。

 

特大剣持ちの懐に入り込み、満足に動けないまま受け止めた斧槍。黒騎士の膂力でもって振るわれた肉厚の刃は、そういつまでも片腕だけで抑え続けていられるものではない。

 

「ぬうっ……ぅんッ!」

 

せり上がってきた雄叫びを解き放ち、ファーナムはブロードソードを真下に斬り払う。

 

力の均衡が崩れた斧槍の刀身は地面に深くめり込んだ。続けざまにクレイモアを握り直し、柄頭を特大剣持ちの腹部に叩き込む。

 

前のめりに体勢が崩れた斧槍持ち。同じく体勢の崩れた特大剣持ち。その僅かな隙を突いて懐からすり抜けたファーナムは、ダンッ!と力強く地面を踏み締める。

 

構えるはクレイモア。研ぎ澄まされた切っ先は、目の前にいる黒騎士へと狙いを定めていた。

 

『!』

 

この時、確かに斧槍持ちは驚愕したかのように身体を硬直させた。在るべき意志も消え失せた彼らがこのような姿を見せたのは、遠い昔に騎士であった頃の名残であろうか。

 

歴戦の英雄にも負けない身のこなしを見せつけたファーナムは、力の限りにクレイモアを前方へと突き出した。

 

「ぜあぁっ!!」

 

鈍い輝きを宿した切っ先が斧槍持ちの腹部を穿つ。

 

それは堅牢な鎧に亀裂を生じさせる程に凄まじく、盾を構える間も与えられなかった黒騎士は衝撃のままに吹き飛ばされた。

 

続いて肩越しに後方を見やったファーナムは腰を捻り、力任せにクレイモアを真横に振るった。半円を描く大剣は振り返った直後の特大剣持ちの右肩に直撃、よろめいた隙に二体の黒騎士から距離をとる。

 

「……クソ」

 

バックステップで後方に逃れたファーナムは、手にしていたクレイモアへと視線を落とした。

 

その刀身には刃こぼれが見て取れた。突きを叩き込んだ切っ先、そして刀身半ばの刃は欠けており、僅かにではあるが刀身の歪みまでもが確認できる。

 

楔石によって強化されているにも関わらず、たった数回斬り付けただけでこれなのだ。黒騎士の鎧の堅牢さを改めて痛感したファーナムの顔が、まるで苦虫を噛み潰したかのように歪んだ。

 

それでも状況は待ってはくれない。吹き飛ばした斧槍持ちはすでに起き上がり、特大剣持ちもじりじりと距離を詰め始めている。武器の破損をいちいち嘆く余裕などないのだ。

 

両の手の得物を構え直し、ファーナムもまた黒騎士たちを牽制(けんせい)する。当初考えていたよりも遥かに厳しい状況だが、やる事に変わりはない。元より戦う以外の選択肢はないのだから。

 

「やるしかない、か―――!」

 

短く息を吐き、そして地を蹴る。

 

ファーナムと二体の黒騎士。彼らは再び、激しい剣戟を繰り広げるのだった。

 

 

 

 

 

一方その頃。ファーナムから少しばかり離れた場所で、アイズは大剣を手にした黒騎士と戦っていた。

 

重く鋭い攻撃を繰り出す黒騎士に対し、アイズは持ち前の速力を活かした一撃離脱の戦法を取っている。一撃で倒しきる事は難しくとも手数で勝負という訳だ。

 

しかし現実はそうもいかなかった。黒騎士の鎧は非常に強固であり、愛剣《デスペレート》でいくら斬り付けようとも表面を浅く傷つけるのみ。肝心のダメージは中々与えられていない。

 

(やっぱり、決定打が必要……っ)

 

ブォン!と、先ほどまで顔があった場所を大剣の一閃が通過する。額から飛ぶ汗の雫に反射したアイズの表情は硬く、焦燥感に苛まれていた。

 

一撃の威力は黒騎士の方が圧倒的に上。重厚な鎧を着込んでいるにも関わらずこちらの動きにも反応しており、僅かにでも気を抜けば少女の小さな身体は紙切れのように両断されてしまうだろう。

 

『風』を纏えば違うのかも知れない。しかし今までレヴィスとの戦闘で酷使し続けた魔力は既に底を突きかけ、満足に展開できる時間はもって5秒という所だ。使いどころを見誤ればその瞬間にアイズの敗北は決定する。

 

ならばどうするべきか。

 

(決定的な隙を見つけて、全力の『(エアリエル)』をぶつける!)

 

そこに活路を見出したアイズ。彼女は放たれた斬撃を持ち前の剣技で受け流し、相手の動きが乱れた瞬間を狙って背後に回り込んだ。

 

《デスペレート》の切っ先を構え、魔力の『風』を編む。狙うのは無防備に晒された黒騎士の背中だ。

 

だが、

 

「!」

 

その刀身に強大な力が宿ろうとした直前、グルン!と黒騎士が勢いよく振り返る。同時に裏拳のようにして振るわれた盾が、アイズの視界の端から襲い掛かった。

 

「うぐっ!?」

 

突きの構えを取っていた為に防御は間に合わなかった。強烈な打撃を左肩に受け、その衝撃により小さな身体は呆気なく吹き飛ばされてしまう。

 

二度、三度と地面を転がりながらも、どうにか剣を突き立て静止するアイズ。既に追撃すべく走り出していた黒騎士を視界に収めるや否や、鈍痛に呻く左肩を無視して両手で剣を構える。

 

直後に襲いかかってきた黒騎士の一斬。大上段からの振り下ろしの威力は凄まじく、不壊金属(デュランダル)でなければ細剣程度は容易く折られてしまう事だろう。

 

「~~~っっ!!」

 

だがそれは、飽くまで武器自体が破壊されないというだけである。

 

両手で剣を握るアイズの左肩は負傷しており、今この瞬間にも苦痛を強いている。額に嫌な汗が浮かぶのを感じつつ、これ以上黒騎士の剣を受ける事は不可能だと悟る。

 

2Mを超す巨躯の黒騎士。その全身から伝わってくる確かな殺意。兜の奥にあるはずの表情は全く窺い知れず、それ故のうすら寒い感情が肌を伝って這い上がってくる。

 

「くっ……!?」

 

今まで感じた事のない不気味な違和感がアイズから心の余裕を奪う。

 

そして決定的な隙を見つけられない以上、彼女の劣勢が変わる事はないのだ。

 

 

 

 

 

ベートもまた戦っていた。

 

相手にしているのは大斧持ちの黒騎士。その一撃は掠っただけで致命傷になりかねないもので、大抵の者であれば大斧の威圧感で気圧されてしまう程だ。

 

だがベートは違う。精強な狼人(ウェアウルフ)である彼はそんな事など気にも掛けない。例え相手が巨大な竜であろうが、その研ぎ澄まされた()を振るうのみである。

 

「シッ!」

 

幾度目になるかも分からない蹴撃。数々のモンスターを屠ってきた強烈な蹴りが黒騎士目掛けて繰り出されるも、それは即座に構えられた盾によって防がれてしまう。

 

それだけでベートは止まらない。

 

タンッ、と軸足で地を蹴り空中へとその身を躍らせる。彼は黒騎士の目線の高さまで軽々と跳躍し、揃えた両足による強烈なドロップキックを叩き込んだ。

 

「ッラアァ!!」

 

それは黒騎士の顔面を直撃。堪らずのけ反り体勢を崩したものの、間際のところで大斧による斬り上げを放つ。標的は言わずもがな、である。

 

目を剥いたベートであったが、そこは流石の上級冒険者だ。空中という身動きが効かない状況でありながら身体を捻り、紙一重で大斧の一撃を回避してのけたのだ。

 

崩されかけた体勢を整え直す黒騎士と、危なげなく着地し眼光を一層鋭くさせるベート。彼はその目を自身の足元へと……正確には装備している武装《フロスヴィルト》へと向け一瞥し、そして思い切り舌打ちする。

 

「ちぃ……!」

 

精製金属(ミスリル)製の銀靴は美しい曲線を描くメタルブーツであった。装備者の激しい動きにも耐えられる頑丈さは並みではなく、【ヘファイストス・ファミリア】が誇る鍛冶師、椿・コルブランドが鍛えた自慢の逸品でもある。

 

それが今や目も当てられぬ有様になっていた。

 

滑らかだった表面は凹凸が目立ち、ところどころにはヒビまでもが走っている。外部からの魔法効果を吸収する為の黄玉は脛の中心に埋め込まれているのだが、それも左側は砕けてしまった。

 

中身(・・)も無事ではない。見えてはいないだけで彼の両膝から下には至る所に皮下出血が広がっており、骨にもいくつかヒビが入っている。

 

蹴り技を主体とする以上、逆に自身が負傷する可能性は当然ついて回る。しかし冒険し、偉業を成し遂げ、昇華を重ねた肉体は並大抵の事では傷つかない。それが恩恵(ファルナ)であり、神が下界の人々に授けたモンスターとも渡り合える“力”だ。

 

そんな強靭な肉体から繰り出される攻撃を受けても倒れない黒騎士の耐久(タフネス)に、ベートはギリリと音を立てて歯ぎしりする。アイズ同様に攻め切れない、攻撃が当たっても倒しきれない状況に苛立ちを募らせているのだ。

 

「クソッたれめ……!」

 

悪態を吐いても状況は変わらない。いま必要なのは手数ではなく必殺の一撃であり、両脚に負った怪我の具合などは知った事ではない。

 

己がすべき事を理解したベートは、腰に取り付けた鞘から緋色の光を宿した短剣……『魔剣』を取り出し―――それを残された黄玉にあてがった。

 

 

 

 

 

アスフィ率いる【ヘルメス・ファミリア】の団員たちとフィルヴィス、そして彼女に肩を貸されてどうにか立っていられる状態のレフィーヤ。彼女たちの意識は全てが同じ方向に向けられていた。

 

そこにあるのは戦う三人の冒険者の姿。突如として現れた黒づくめの騎士四人を相手取り、息もつかさぬ死闘を繰り広げている。

 

騎士の集団はレフィーヤたちなど眼中にないらしく、気にも留めていない様子だ。常であればこの機に乗じて敵の背後から不意打ちをする所だが、今回ばかりはそうもいかない。敵の強さが桁外れである以上、彼らには割り込む事も出来ないのだ。

 

「み、皆さんが……!」

 

「ウィリディス、無茶をするな!」

 

フィルヴィスに肩を貸されているレフィーヤが助太刀しようとするも、そんな力はもう残されていない。先程放った魔法により彼女の魔力は底を突きかけ、こうして立っているだけでも精一杯なのだ。

 

アスフィは狼狽えるルルネたちを背に、これから取るべき行動について全思考を割いていた。

 

上級冒険者たちの間に割って入る事は出来ずとも、せめて後方支援くらいは。そんな思いと共に、彼女はルルネのいる方を振り返り口を開いた。

 

「ルルネ。貴方は他の者たちを率いて先に帰還しなさい」

 

「ア、 アスフィは?」

 

「私は彼らの後方支援に回ります。これ(・・)があればそうそう危うい事にはならないでしょう」

 

ルルネの問いに、アスフィは履いているサンダルに視線を落としながら答える。【万能者(ペルセウス)】の二つ名に恥じないとっておき(・・・・・)をも使うと決意した彼女はファーナムたちのいる方へと一歩踏み出し、腰に巻き付けたポーチから飛び道具を取り出す。

 

パキリ、と。

 

そんな音が聞こえたのは、ちょうどその時であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

近い。

 

()は半ば異界と化したダンジョンを通路を駆けながら、そう感じた。

 

全身を覆う黒いローブをはためかせる姿はさながら黒い風。常人の目には残像しか写さない程の速度で疾走する彼の右手には、知らずそれ(・・)が握り締められていた。

 

揺らぎ(・・・)を止めるのに時間が掛かってしまった……この先に誰が居るのかは分からないが、どうか無事でいてくれ)

 

何に祈る訳でもなく、そんな事を脳内で思う。

 

そして幾つもの曲がり角を抜けた先で―――彼の瞳は、死闘を演じる冒険者たちの姿を捉えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ベートの掌から魔剣がぼろりと朽ち果てる。緋色の輝きが失われ、無価値な鉄屑となったそれは地に転がった。

 

そんな末路を辿った魔剣の命を吸い取ったかのように、銀の長靴は赤い息吹をまき散らす。

 

炎の特性を持った魔剣の力を喰らった黄玉は、その力をメタルブーツ全体に行き渡らせた。今やベートの右脚は炎に包まれ、それらはまるで生きているかのように蠢いている。

 

「―――待たせたな」

 

じりじりと間合いを詰める黒騎士に向かって、そう言い放つ。

 

腰を落とし、疾走する直前の前傾姿勢を取ったベート。彼は僅かに犬歯を剥き、琥珀色の鋭い眼光で相手を睨みつける。依然として無言を貫く黒騎士へと抱くのは、もはや純粋な殺意のみである。

 

黒騎士はやはり答えない。その巨躯に不気味な雰囲気を纏わせながら一歩、また一歩と近付いてくる。

 

そして……ついに、ベートが動いた。

 

ダンッ!と一息に間合いを詰める。しかし黒騎士の反射神経も凄まじく、それに合わせて大斧を力いっぱいに振り下ろす。一連の動きを目撃したアスフィたちは動く事も出来ずに息を飲むばかり。未だ激しい死闘を繰り広げるファーナムとアイズもまた、横目でその光景を目にした。

 

彼らの視線を一身に浴びるベート。眼前には漆黒の刀身が迫り、彼を哀れな肉塊に変えようとしている。

 

それに対し、ベートが取った行動は迎撃(・・)だった。

 

「おおぉおッ!!」

 

『!』

 

握り固めた右拳で全力で殴りつける。拳は大斧の側面を叩き、刃の軌道を強引に変えてみせた。

 

ゴキィン!という金属音に混じり、何かがひしゃげる音がした。ベートの右拳は砕け、折れた骨が肉を突き破り、鮮血を振りまく。

 

しかし、そんな事(・・・・)で狼の疾走は止まらない。

 

ベートはその場で大きく跳躍。空中から黒騎士を見下すと、頭から身体を回転させる。同時に炎を宿した右脚が一際大きく燃え盛った。

 

「これでも……」

 

緋色の弧を描く右脚が狙うのは黒騎士の頭部。瞬く間に入れ替わる光景の中でそれを正確に見極める。

 

回転による加速が加わったそれはもはやギロチンの如く。荒ぶる表情を隠しもせず、ベートは咆哮と共に猛火の牙を解き放った。

 

「……喰らえええぇぇえええええええッッ!!」

 

黒騎士の頭部に炸裂する踵落とし。瞬間、灼熱の塊が現れる。

 

吸収した魔剣の力を一気に放出したその一撃は、遠巻きに見ていたアスフィたちにまで衝撃が伝わる程だった。まともに喰らった黒騎士は頭部のみならず、上半身までもが火炎の大爆発に包まれる。

 

一方、爆風を利用して離脱したベートだったが、代償は大きかった。

 

自身が繰り出した攻撃の余りの強さにメタルブーツは粉々に砕け、骨までもが折れてしまった。巻き上がった炎は彼にも襲い掛かり、あちこちに火傷を負っている。

 

「ぐっ!?」

 

上手く着地する事も出来ずにごろごろと地面を転がりながらも、ようやく停止するベートの身体。彼は無事な左手で地面を突き、渾身の一撃を叩き込んだ黒騎士へと目をやる。

 

それは悲惨の一言に尽きた。

 

炎を伴ったベートの蹴りは想像以上のもので、未だ黒騎士の上半身は黒煙に包まれていた。辛うじて見えるシルエットは歪み、誰の目から見ても深刻な状態である事は一目瞭然である。

 

「……ハッ、ざまぁ見やがれ……」

 

勝利を確信したベート。彼は頬の刺青(いれずみ)を歪ませ、口角を吊り上げようとした―――――その時。

 

 

 

ガッ、と。

 

漆黒の鎧から伸びる鉄靴が、地面を強く踏み締めた。

 

 

 

「―――――」

 

どこからともなく、言葉にならない声が聞こえてくる。それはベートが漏らしたものか、あるいはアスフィたちから漏れ出たものか。

 

彼らの驚愕を他所に、黒騎士は纏わりついていた黒煙を払い姿を現す。その姿もまた、彼らに新たなる驚愕と衝撃を与えるものだった。

 

まず最初に、左腕がなかった。爆発による影響か根本から千切れ飛び、盾を構える事はもはや叶わない。右腕には依然として大斧が握られているが、鎧の所々は歪み、罅割れ、元の形を保ってはいなかった。

 

そして踵落としをまともに受けた頭部。二本の角のようなものは消失し、頭頂部も見事にひしゃげている。内部が無事であるはずがない、そんな損壊具合だ。

 

にも関わらず―――動いているのだ。

 

ゆっくりと、しかし確実に。傷口から淡い光の粒子を漂わせながら。

 

「う、嘘だろう……!?」

 

狼狽えるルルネの呟きはすぐに仲間へと伝播した。

 

Lv.5の冒険者が放った渾身の蹴り。それに更に魔剣の力が加わったとなれば、その威力は計り知れない。事実、黒騎士の姿は絶命していなければおかしい状態であり、いよいよもって彼らが尋常の存在ではない事に気付かされる。

 

「何だってんだ、てめぇは……!?」

 

流石のベートもこれには動揺を隠しきれず、それが言葉となって口から吐き出された。

 

この問いかけに返答がある訳もなく、黒騎士は脚が砕けた手負いの獣を仕留めるべく大斧を振りかぶり、今度こそベートを物言わぬ肉塊に変えようとしている。

 

 

 

「っ、不味いッ!!」

 

咄嗟にアスフィが叫び、彼女のとっておき(・・・・・)を起動させようとするも間に合わない。距離が離れすぎているのだ。フィルヴィスもレフィーヤに肩を貸している状態で、それを差し引いたとしても、やはり間に合わない。

 

「ベートさん!?」

 

アイズも異変には気付いていたものの、大剣持ちの相手で精一杯だ。一度(ひとたび)背を向ければそれは致命的な隙となり、彼女の命は文字通り一刀両断されてしまうだろう。

 

「ベートッ!!」

 

余裕を失ったファーナムの声。アイズ以上に苦しい状況に置かれている彼もまた、助けに行く事は不可能である。

 

つまり、ベートを救える者は誰一人としていない。

 

完全なる詰み(・・)だった。

 

 

 

(クソッたれ。とんだ間抜けじゃねぇか、俺は)

 

全身全霊の蹴りを喰らわせたにも関わらず仕留めきれず、自分よりもレベルが低い者たちにまで命の心配をされている。

 

そんな状況にベートは途方もなく苛立っていた。その怒りは他でもない自分自身に向けられている。腸が煮えくり返りそうな感情に駆られるも、傷ついた手足が回復する事はない。立ち上がる事すら困難な状況は、決して覆らない。

 

(……ふざけんなよ、ふざけんじゃねぇぞ!このままむざむざと()られるなんざあり得ねぇ!俺はそんな『雑魚』じゃねぇ!!)

 

もう黒騎士との距離は1Mもない。次の瞬間にも大斧が振り下ろされ、ベートの身体を二つに両断するかも知れない。

 

それでも関係ない。

 

ベートは決して諦めない。普段から『雑魚』と罵っている者たちの同類に成り下がって死んでゆくなど、彼の矜持が認めない。

 

最後の最後、その瞬間まで喰らいつく。それが自らに課した、ベートという男の生き方なのだ。

 

「―――ぉぉぉおおおおおおおおおおおおおッッ!!」

 

血を吐くように吠え、砕けた脚で立ち上がり、砕けた拳で殴り掛かる。

 

大斧が動いたのは直後。十分に振りかぶられた凶刃は、ベートの上半身を斜めに両断すべく照準を定めている。

 

周囲の者の時間が止まる。結果など分かり切っているはずなのに、誰も来たるであろう凄惨な光景から目を逸らす事が出来ない。

 

そしてそれ故に、全員が目撃する事となったのだ。

 

 

 

 

 

大斧を振りかぶった黒騎士―――――その胸に、特大の稲妻が突き立てられた瞬間を。

 

 




ベートは書いてて熱くなれるので好きなキャラです。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十一話 ”謎の冒険者”

放たれた雷槍は大斧を持った黒騎士へと一直線に飛んでゆく。

 

その背中へと突き刺さると同時に迸る雷の欠片。胸を突き破り貫通した雷槍は、黒騎士の体内を余すところなく蹂躙した。既に死に体だった黒騎士に耐えられる訳もなく、音を立てて膝から崩れ落ちる。

 

不可解なのはその後だ。黒騎士は哀れな骸を晒すのではなく、淡い光の粒子となって霧散したのだ。まるで死したモンスターが灰を残して消滅するかのように。

 

動揺が広がってもおかしくはなかったが、騒ぎ立てる者は皆無だった。迷宮の異界化や怪人(クリーチャー)との遭遇などで自分の中の常識が覆され、感覚が麻痺しているだけなのかも知れないが、ともかく全員が理性的でいる事ができた。

 

魔法。いや、魔剣……?と、誰かが呆けたような声で呟く。

 

先の雷槍の事を指しているというのは言うまでもない。オラリオに住まう冒険者、否、この世界(・・・・)に生まれた者であれば誰だってそう思うだろう。矢のような速度で射出される稲妻など、そうとしか考えられない。

 

故に、ファーナムだけが正しい回答を導き出す事が出来た。

 

あれは紛れもない“奇跡”なのだと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これって……!?」

 

その光景にレフィーヤは既視感を覚えた。

 

黒騎士の胸から飛び出した雷槍。それは数日前、フィンたちと地上へ帰還する時に遭遇した奇妙なモンスターの内、ミノタウロスに似たモンスターが息絶えた瞬間の事を彷彿とさせる。

 

「………あ?」

 

雄叫びを上げ、殴り掛かったベートの顔が怪訝な表情で固まる。しかしそれも無理もない事であろう。

 

巨大な斧で己を両断しようとしていた黒騎士。それが突如として現れた雷槍により背面から胸を貫かれ、そのまま消滅してしまったのだから。

 

ベートはその引き金となったものが飛んできた方向へと視線を飛ばす。

 

そこには黒いローブを全身に纏った、謎の人物が立っていた。

 

足元近くまで伸びる布地により、中に着込んでいるであろう衣服や鎧までは分からない。顔も同様に目深に被ったフードによって隠されている。分かるのはせいぜい体格くらいで、がっしりした印象から恐らくは男性であろう。

 

その人物の左手には何の変哲もない盾が携えられていた。表面に描かれた紋様は二匹の蛇のようだが、それ以外に特筆すべきところはない。

 

唯一ベートが奇妙に感じたのは、彼の右手に握られている物の存在。

 

クロスボウのような遠距離武器ではない、かといって魔法使いが使うような杖でもない。ただの荒い布きれ(・・・・・)を、まるで武器のように前へと突き出しているのだ。

 

(飛んできた魔法の“種”か?……いや、今はそんな事どうでもいい)

 

布切れの正体に気を取られかけるも、今すべき事はそれではない。

 

フィルヴィスの攻撃魔法【ディオ・テュルソス】を軽く上回る威力の魔法を黒騎士にぶつけた謎の人物。結果としてベートを助ける事となったが、彼が何者なのか分からない。

 

こんな状況なのだ。“敵の敵は味方”という言葉を鵜呑みに出来る程、ベートは楽天家ではない。

 

「……一体何モン―――」

 

彼が問いを投げ掛けた―――次の瞬間。

 

「!!」

 

姿がかき消えた。そう錯覚するほどの速度で謎の人物は地を蹴り、ベートの隣を走り抜けてゆく。

 

すぐさま振り向くも、その背は既に小さくなっていた。無視された、というよりも眼中にすら入っていなかったかのような扱いに、ベートは全身の痛みも忘れて声を荒らげる。

 

「テメェ、待ちやがれ!?」

 

背に飛んでくる怒声に応えるハズもなく。

 

謎の人物の瞳には、ファーナムとアイズが戦っている相手―――黒騎士たちしか映っていなかった。

 

 

 

 

 

眩い雷光と同胞の消滅。まともな仲間意識を持たない黒騎士たちだが、それは一瞬でも彼らの注意を引き付けるものだった。

 

そしてファーナムとアイズにとって、その一瞬(・・)こそが反撃の好機となった。

 

「ふッ!」

 

黒騎士たちが気を取られている隙を突き、ファーナムは目の前にいた特大剣持ちの腹を蹴飛ばした。激しい剣戟を交わしていた状態から脱した彼は距離を稼ぎ、同時に戦法を練り直す。

 

(奴らの身体は硬い、剣では先にこちらの刃が壊れてしまう。ならば……)

 

ファーナムはブロードソードとクレイモアから切り替え、別の武器を模索する。二体同時に相手をするが故に広範囲への攻撃を見込める武器を選択したが、このままではジリ貧であると分かったからだ。

 

問題は別の武器に変えた場合の立ち回り方だ。二体を同時に相手にする以上、先ほどよりも高度な駆け引きが要求される。それを覚悟の上で再び黒騎士たちに向き直ったのだが……。

 

「なに?」

 

今まで戦っていた二体の黒騎士。その内の斧槍持ちが、ファーナムがいる方向とは別の方へと走り出していたのだ。

 

その先にいるのは黒いローブに身を包んだ男。今しがたベートを助けた謎の乱入者へと斧槍持ちは敵意を向けている。恐らくは雷槍……奇跡『雷の槍』に反応し、そちらにつられたのだろう。

 

乱入者の正体は何なのか、自分と同じ境遇の者なのか。ファーナムが聞きたい事は山ほどあるが、今はそれどころではない。戦力の分散という願ってもない好機をものにすべく、即座に思考を切り替える。

 

戦力が分散したと言えども相手は黒騎士である。硬い鎧と頑強な肉体、並み外れた膂力、強力な武器の数々。それらを併せ持つ敵を前に、生半可な攻撃など通用しない。

 

以上の事を踏まえ、ファーナムはソウルを収束させ掌の中に武器を形作る。

 

彼を射程圏内に収めた黒騎士との距離はもう僅か。直撃すれば絶命は必至の凶刃が、ギロチンの如く襲い掛かった―――――その瞬間。

 

ぎりっ、と。

 

持ち手(・・・)が軋む程の力で握り込まれたその得物が、振り下ろされた特大剣の腹を正確に打ち抜いた。

 

「ぬぅんッ!」

 

『!?』

 

ゴキィンッッ!という激しい金属音が互いの耳を弄する。

 

黒騎士は僅かに混乱する。突如の衝撃と共に腕に伝わってきた痺れ、そして逸らされた剣の軌道。ファーナムを両断すべく振るわれた特大剣は、気付けば足元の地面を抉っていた。

 

舞い上がる土煙の中、黒騎士は見た。ファーナムが両手で握り込んだ新たな得物を。

 

それは鍛冶屋が使う金床を無理やり取っ手に括りつけた武骨なデザイン。安住の地を持たないゲルムの戦士が得物とする即席の大槌……『ゲルムの大槌』を手にしたファーナムが、それを盛大に振り抜いた格好で立っていたのだ。

 

大槌という超重量の武器を手にしているにも関わらず、振り下ろされた特大剣の腹を正確に射抜いてのけた技量と洞察力。一瞬でも判断を間違えればやられていたというのに、それを敢行した判断力と勇気。それらは世界を彷徨う灰となって久しい黒騎士をして、少なからず動揺を誘うものだった。

 

「ふんッ!!」

 

『―――ッ!!』

 

振り抜いたゲルムの大槌を翻し、追撃。黒騎士は盾を構えてどうにか防ぐも、続く第三撃目によってその手から弾き飛ばされる。

 

無防備となった黒騎士であったが、そこで終わりではなかった。地面を抉った特大剣を強引に引き抜き、そのままファーナムへと不意打ちを仕掛ける。

 

『ガッ―――アァ!!』

 

遂に迸る咆哮。それはかつて偉大な王に仕えた彼らが等しく胸に抱いた、とうに消え果てた矜持の一片か。ただでは死なぬという意地の一撃だったのかも知れない。

 

しかし、それはファーナムの知った事ではない。

 

下方より迫る刃。彼はそれを、直前で身体を逸らす事で直撃を回避する。ギャリリッ、と切っ先がファーナムの兜の側面に傷をつけるも、肉体には何のダメージも与える事はなかった。

 

『―――――』

 

黒騎士の双眸が最期に捉えた光景。

 

それは特大の大槌を大上段に構え―――渾身の力で振り下ろす、ファーナムの姿であった。

 

 

 

時を同じくして、アイズも反撃に打って出た。黒騎士の気が逸れた一瞬の隙を突いたのである。

 

『ッ!?』

 

アイズは黒騎士の胸部に《デスペレート》の一突きを見舞う。何度も鋭い斬撃を繰り出したおかげか、ようやく強固な鎧に僅かな亀裂を生じさせる事が出来た。

 

「ッ!」

 

直後に振るわれた大剣を回避したアイズは後方に跳ぶ。くるりと宙を舞い着地した彼女の元へ、黒騎士は当然の如く駆けてゆく。両者の距離はそこまで離れていない。

 

迫り来る巨体を前に、アイズはここが勝負の分け目であると悟った。なけなしの魔力を展開して風を纏い、来たるべき瞬間に備え金の双眸を細める。

 

黒騎士は大剣を構える右腕を引いていた。疾走する勢いのままにアイズの身体を突き壊そうという腹なのだろう。事実その動きには無駄がなく、非常に洗練されている。

 

それ故に、アイズには黒騎士の手が読めた。

 

来たるべくして来たその瞬間。アイズはぎりぎりまで黒騎士の狙いを集中させ、大剣の切っ先が自身の胸を貫く直前で横に動いた。

 

『!?』

 

「っ……!」

 

黒騎士の動揺が伝わってきた。

 

完璧に回避したつもりが、その煤色の刀身が僅かにアイズの脇腹を切り裂いた。少量の鮮血が宙に舞い、白の戦服(バトルジャケット)と白亜の板金を赤く濡らす。

 

「アイズさんっ!?」

 

遥か後方からレフィーヤの悲鳴が聞こえてくる。

 

それすらも脳裏の彼方へと置き去りにし、アイズの身体は正しく動く。

 

「はぁぁぁぁぁあああああああああああッ!!」

 

吹き荒れる風の奔流を纏い、《デスペレート》の切っ先が黒騎士の胸を穿つ。

 

それは先ほど生じた鎧の亀裂を正確に射抜き、そのまま一気に黒騎士の背中までを貫いた。衝撃で吹き飛んだ鎧の欠片が周囲にばら撒かれ、黒騎士の身体がビクリと硬直する。

 

『ヅッ―――――』

 

数瞬の間、両者の時が止まる。

 

やがてゆっくりと黒騎士の腕が動き出した。胸を貫かれたにも関わらず黒騎士は目の前の獲物を仕留めようと、最後の力を振り絞って煤色の大剣を振り上げる。

 

しかし、それもささやかな抵抗に過ぎない。

 

ゆっくりと顔を上げるアイズ。砂塵と汗、そして血で汚れ、それでもなお美しい顔で黒騎士を見上げ、唇にその名を乗せる。

 

「リル・ラファーガ」

 

瞬間。

 

黒騎士の体内を暴風が蹂躙し、内から悉くを打ち砕いた。

 

 

 

そして謎の人物。

 

彼を敵と定めた黒騎士は得物を構え、一直線に駆けていった。それまで戦っていたファーナムに何の執着も抱かず、まるで獣がより血の匂い(・・・・)の濃い方を求めるように。

 

地を蹴って跳躍し、斧槍を振り上げる。斜め上空より襲い来る刃に対し、謎の人物は手にした盾を構える。

 

そして、激突。激しい火花が舞い、轟音が周囲に響き渡った。

 

黒騎士が振るった一撃は凄まじかったが、それを盾で受けた謎の人物はビクともしない。大地に僅かに沈んだ両足がその威力を物語っているものの、体勢は全く崩れていなかったのだ。

 

これを効果なしと理解した黒騎士は、着地と同時に大きく腕を引いた。今度は突きを繰り出そうというのだ。

 

至近距離からの攻撃。隙が小さく、素早く放たれる突き技は特に対処が難しい。防ぐにしろ躱すにしろ、相応の技術が問われる。

 

しかし、謎の人物が取った行動はどちらでもない。

 

『ッ!?』

 

斧槍の切っ先が身体に触れる直前、盾を割り込ませる。そのまま表面を滑らせるようにして刃の軌道を逸らし、この攻撃を受け流した―――パリィである。

 

胴を晒した黒騎士。無防備な恰好となった敵を仕留めるべく、謎の人物は腰から下げていた得物を抜き放つ。

 

それは何の変哲もない一振りのロングソードだった。無駄な装飾が一切ない、極めて実践的な代物である。

 

抜き放った勢いで腕を引き、切っ先の狙いを定め―――叩き込む。

 

『―――ガッ』

 

硬い鎧をものともせずに、ロングソードは黒騎士を貫いた。短い呻きを上げる黒騎士は、しかしそれ以上は何も出来なかった。握っていたはずの斧槍が手から離れ、地面に音を立てて落下する。

 

そして、ドシャアッ、と仰向けに倒れ込む黒騎士。小さく痙攣していた身体から力が抜け落ち、やがて淡い光の粒子となって消えてゆく。

 

24階層に現れた四体の黒騎士。

 

何処から現れたのかも分からない突然の襲撃者たちは、こうして消滅したのであった。

 

 

 

 

 

「……か、勝った?」

 

掠れた声がルルネの喉から漏れた。

 

結局、事の成り行きを見ている事しか出来なかった彼女たちだったが、結果としてはそれで良かったのかも知れない。万全ではなかったものの、第一級冒険者であるアイズやベートですら油断ならない相手だったのだから。

 

とは言え、それも偶然に助けられての事。ルルネは乱入してきた謎の人物へと視線をやる。

 

全身を黒いローブで覆い、顔もフードで隠している。そのがっしりとした体格から男性であろう事は分かるが、見た目から分かるのはそれが限度だ。

 

しかし彼女にはこの人物に心当たりがあった。それは最近冒険者の間で噂になっている、ある一人の冒険者の事だ。

 

モンスターの集団に絡まれていた冒険者を助けたという謎の黒ローブ(・・・・)。その人物は戦う際に雷の魔剣(・・・・)まで使っていたとの証言まであり、そんな貴重品をポンと使うなんて、物好きな奴もいたものだと呆れたのを覚えている。

 

そして今。自分たちの目の前にいる人物は、その噂の人物の特徴にぴったりと当て嵌まっていた。

 

全身を覆う黒いローブに、ベートを助ける際に放ったあの雷槍。詠唱が聞こえなかった事から、恐らくは魔剣を使ったのだとルルネは結論づける。

 

「あいつが、“謎の冒険者”なのか……?」

 

呆けたような声で呟くルルネ。傍らに立つアスフィはそれでも気が抜けないのか、頬に一筋の汗を垂らしつつ状況を見守っている。

 

と、ここで。

 

「……っ」

 

ザッ、とアイズが片膝を突いた。

 

「アイズさん!?」

 

レフィーヤから悲鳴が上がる。アイズを慕う彼女の顔は焦燥に歪み、満足に動かせない身体に鞭を打ってでも駆け付けようとするも、肩を貸すフィルヴィスによりそれを制されている。

 

剣を地面に突き立ててどうにか身体を支えていたアイズ。しかし、それでさえ精一杯な程に疲弊していた彼女は、遂に地面に倒れ込む―――

 

「アイズ」

 

―――その寸前で。

 

ファーナムがアイズの肩を後ろから抱き、受け止める。

 

「ファーナム、さん……」

 

糸の切れた人形のようにぐったりとしていたアイズ。意識は失っていないものの、体力と魔力をかなり消耗している様子であった。このままにはしておけぬと、ファーナムは【ヘルメス・ファミリア】の冒険者たちへ向けて大声で助けを求める。

 

「誰か来てくれ!アイズに回復魔法を!!」

 

「っ、あ、ああ!」

 

ファーナムの呼び声に応え、数人の冒険者たちが駆け寄ってくる。幾人かはベートの元へ向かって行き、少し遅れて怒鳴り声が聞こえてきた。

 

大方、プライドの高いベートが助け起こされるのを拒んだのだろう。青年の相変わらずな態度に呆れつつ、ファーナムは全員が無事である事に小さく安堵の息を吐いた。

 

アイズを団員たちに預けて立ち上がり、視線をある方向へと向ける。

 

そこにいたのは黒いローブ姿の人物。黒騎士を貫いたロングソードはすでに鞘へと納められ、微動だにせず佇んでいた。彼もまたファーナムを見ているようで、表情の窺えない真っ暗なフードがこちらを向いている。

 

「…………」

 

「…………」

 

二人の視線が、交差する。僅か数秒間の時が、ファーナムには何倍にも引き延ばされたように感じられた。

 

やがて謎の人物は視線を外すと、背を向けそのまま出口へと歩き出していった。遠ざかってゆくその背を前に、ファーナムは咄嗟に声を荒らげる。

 

「ッ、待ってくれ!お前は一体―――――ッ!」

 

思わずそんな言葉がファーナムの口から飛び出した……その時である。

 

ゴゴゴゴ……と、辺りに地鳴りのような音が轟いた。

 

「な、なんだ?」

 

困惑した声を上げる【ヘルメス・ファミリア】の冒険者たち。アイズとベート、そして他の怪我人の手当てをしていた彼らは、きょろきょろと不安げな表情で周囲を警戒する。

 

「おい、見ろ!?」

 

やがて団員たちの内の一人が、ある一点を指さした。

 

それは大主柱。アイズがレヴィスを吹き飛ばした事によって傷つき、大きなヒビが出来た場所である。

 

そのヒビが、見る見るうちに大きくなってゆくではないか。

 

ビシッ、ビシリ!と、音を立てて亀裂は深く、そして大きく広がってゆく。ファーナムたちと黒騎士たち、そして謎の人物とが繰り広げた戦闘の余波により、傷ついた大主柱がついに崩壊の時を迎えたのだ。

 

「不味いっ……全員、即時脱出します!自力で動けない者には手を!!」

 

こんな時のアスフィの指示は的確だ。一つの派閥を束ねる団長としての顔を見せた彼女は重りとなる荷物は全て捨てさせ、脱出する事だけに重きを置いた。

 

レフィーヤにはそのままフィルヴィスが付き添い、脚の骨を折ったベートにはルルネが。魔力疲弊(マインドダウン)と体力の消耗が激しいアイズには二人の団員が肩を貸している。

 

他の怪我人にも同じように動ける者が手を貸している。その者もまた怪我を負っている為か、脱出の足取りは遅々として進まない。一人でも多くの手が欲しいアスフィの切羽詰まった声が、ファーナムにも投げつけられた。

 

「ファーナム、どうか貴方も手伝って下さい!」

 

「ッ!」

 

その声に、ファーナムは一瞬だけ躊躇する。

 

目の前にいる人物は、自分がこの世界……オラリオに来た理由に繋がるかも知れない者だ。今ここで彼を見失えば、いつ巡って来るかも分からない次の機会を待たなければならない。

 

が、事態は一刻を争う。こうしている間にも大主柱の亀裂は広がり、ついに天井付近にまで到達している。死線を乗り越えた挙句に崩落に巻き込まれて全滅など、他ならぬファーナムが許さない。

 

「……くっ!」

 

謎の人物の背を追うか否か。

 

どちらに天秤が傾いたかなど、わざわざ語るまでもない。

 

 

 

 

 

程なくして、24階層の食糧庫(パントリー)は崩落した。

 

ダンジョンの一部が異界化するという前代未聞の出来事。しかし証拠らしき証拠も押収する事が出来ず、当事者たちの証言だけが依頼人……フェルズを経由し、ウラノスの元へと持ち帰られた。

 

【ヘルメス・ファミリア】の団員たちだが、奇跡的にも死者が出る事はなかった。重傷を負った者が今後のダンジョン攻略に同行できるかどうかは不明だが、それでも命だけは無事だったのだ。

 

それもファーナムがあの死兵たちを倒して(・・・)くれたおかげだ、とアスフィとルルネは感謝を述べたが、当の本人は笑うだけだった。その笑みの裏に微かに、しかし確かな影を落としつつ。

 

ともあれ、こうして24階層での異変の調査を終え。

 

『リヴィラの街』を経由した一行は、その日の内に地上への帰還を果たす事となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゴウッ、と。篝火より火の粉を纏わせながら現れた人影が、闇の中に姿を現す。

 

頭部を覆う銀色の兜は騎士のそれである。周囲と同化してしまいそうになる程に黒く染まった、元は青かったであろうサーコートの裾をはためかせ……“王”は(こうべ)を垂れる五人の前へと歩み出た。

 

「……状況は」

 

“王”は威厳を含んだ声で、目の前にいる者たちへと語りかける。

 

「ハッ。すでに準備は整いつつあり、(みな)“王”の指示を心待ちにしております」

 

「こちらも問題はありません。合図があればいつでも……」

 

硬い口調と、学者然とした若者の声が上がる。

 

「こっちも準備は済んでるぜ、安心してくれ」

 

「後は“王”のお言葉一つです」

 

気安い語り口の声と、年若い少女の声が上がる。

 

そして、

 

「オラリオは」

 

「……万事、問題なく」

 

「そうか」

 

若干の間を挟んだ男性の声。

 

それに周囲の者たちは僅かな違和感を覚えるも、“王”を前に何らかの行動を起こす者などいない。それだけ“王”への忠誠は高いのだ。

 

「間もなく時が来る。それまで各自、万全の備えを整えておけ」

 

「ハッ」

 

五つの声が重なり、それぞれが動き出す。“王”は篝火の前へとやって来ると、そこに静かに腰を下ろした。

 

耳鳴りにも似た静寂が周囲を支配する中、“王”の耳は一つの足音を背後に感じ取る。彼は振り向く事もせず、ただ口だけを開いた。

 

「……何か用か」

 

「……オラリオで例の不死人を見た」

 

返ってきたのは男の声だった。それは先ほど“王”と最後に言葉を交わした者であり、ファーナムたちが24階層で出会った、ルルネが“謎の冒険者”と呼んでいた男でもある。

 

彼はまるで、旧友に接するようにして語りかける。

 

「彼には仲間がいた。オラリオで得た、不死人ではない者たちだ。彼らを失うまいと、あの不死人は必死に戦っていた」

 

「何が言いたい」

 

「あの不死人は、かつての貴公に似ていたよ」

 

「………」

 

二人の声は闇に消え、再び静寂がやって来る。

 

「……言いたい事はそれだけか」

 

「………ああ、それだけさ」

 

「ではこれ以上の会話に意味はない。行け」

 

やがて口を開いた“王”。しかしそれ以上の会話を拒絶するかのように、一方的に終わりを告げる。

 

言葉の端に物悲しさを滲ませつつ、男は踵を返した。間もなく闇が彼の身体を包み込み、全身の輪郭を曖昧なものにしてゆく。

 

遠ざかってゆく足音を背に感じつつ、“王”は懐からペンダントを取り出す。

 

掌の中に納まったそれを、兜の奥にある瞳はいつまでも見つめていた。

 

 




ようやく外伝三巻部分が終わりました。予定では四巻で終わるつもりなので、あともう少しだけお付き合い下さい。



~以下、作者の妄想(と願望)~



最近アニメの鬼滅の刃を見ています。原作はまだ見ていないのですが、アニメを見ている内に、これってブラッドボーンとのクロスいけるんじゃないか?と思いました。

鬼滅の刃の舞台が大正時代で、ブラッドボーンの世界観がビクトリア朝時代らしいので時代的には近いですし、何よりブラッドボーンにはヤマムラも登場しますし。

仇の獣を追ってヤーナムに来たという事から、多少強引ですが鬼=獣と判断したヴァルトールが彼を連盟に迎え入れた……みたいな。無理やり関連性を持たせるとしたらそんな感じで。大まかなあらすじはヤマムラの同士がヤーナムの夜を超え、彼の遺品を日本で供養しようとした時に鬼と出会い、そこで新たな狩りを見出す……とか(笑)。

ちらっと頭に浮かんだ設定ですが自分では書けそうもないので、誰か書いてくれませんかね……?


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十二話 お節介

ようやくダンジョンから戻ってこれました(笑)。

これから数話は戦闘シーンはないと思いますが、その分ラストは派手にいきたいと思います。

今後も宜しくお願い致します。


 

24階層での事件から二日が経過した。

 

事後処理が終わった後に一日の休息を挟み、アイズ、レフィーヤ、ベート、そしてファーナムの四名はフィンから召喚命令を下され、今回の出来事を詳細に説明する事となった。

 

が、当日やって来たのはファーナムを除く三名であった。

 

「ファーナムは?」

 

「それが、どうも早朝からどこかに行ったみたいでして……」

 

当然の疑問を口にしたフィンに、レフィーヤがおずおずといった様子で答える。

 

アイズは彼女一人に答えさせてしまった事に申し訳なさそうにしており、ベートはやはり我関せずの態度で立っていた。しかしその顔には、どこか苛立ちのようなものが見え隠れしている。

 

「あの野郎の事はどうでもいい。さっさと説明を終わらせろ、俺はダンジョンに行く」

 

「……そうだね。時間も惜しいし、仕方がないけど始めようか」

 

こうして二日前の事件についての報告は始まった。

 

まず先にアイズの口から怪人(クリーチャー)、レヴィスに関する報告がなされた。

 

相変わらずアイズの事を『アリア』と認識している事。彼女の仲間と思しき仮面の人物が、24階層にあった『宝玉』を持ち帰った事。魔石を摂取して力を増す『強化種』であるという事。

 

この『強化種』というのは【白髪鬼(ヴェンデッタ)】オリヴァス・アクトの胸にあった魔石を摂取した事により判明した(彼の魔石をレヴィスが取り込むまでの過程の詳細は、アイズたちの口からは語られなかった)。

 

彼が生き延びていたという事も驚愕だが、たった一つの魔石だけで身体能力が爆発的に上昇したという事実こそをフィンは危惧した。今後会敵した場合、今まで以上の警戒が必要であると気を引き締める。

 

そして何より、彼女が去り際に残した『59階層へ行け』という不気味なメッセージ。十中八九何らかの罠があるのだろうが、それでもそこに行きたいというアイズの強い要望を受け、フィンもまたそれに頷きを返した。

 

こうして【ロキ・ファミリア】の遠征が決定した。彼らの目的地が未到達地点、59階層である事も手伝い、アイズの願いは承諾されたのだ。

 

次に報告されたのは、突如として襲い掛かってきたあの黒騎士たちについてだ。

 

「全員が同一の盾と鎧姿で、背格好も一緒。武器は違いこそあれどどれも巨大で、並みの冒険者に扱えるような代物ではなかった、か」

 

「うん。そして、強かった」

 

自らも剣を交え、その強さを身をもって知ったアイズが噛みしめるようにそう呟く。

 

黒騎士はその鎧の堅牢さもさることながら、膂力と剣技は特筆すべきものがあった。怪我をしていたとは言え、背後に回り込んだアイズの動きにも即座に対応し、反撃の隙さえも与えない。あの戦闘能力は間違いなくLv.5以上のものだったと、真剣な表情で語る。

 

「私たち全員……あの人(・・・)が現れなかったらきっと、もっと危なかった」

 

「……ちっ」

 

当時を思い出したのか、ベートが思い切り顔をしかめる。

 

あの人(・・・)とは、例の乱入者の事を指していた。ベートが完全に仕留めたかに思えた大斧持ちがなおも動き、彼をその巨大な刃で両断せんとした直前に放たれた魔法と思しきあの一撃。それを放った人物だ。

 

追加情報として、アイズはルルネの発言について語る。24階層へと向かう道中で耳にし、地上への帰路でも彼女が興奮気味に語っていた“謎の冒険者”という存在。フィンも詳しくは知らないが、そういう噂がある事くらいは耳にしていた。

 

以上を踏まえた上で、フィンは“出来過ぎている”と感じた。

 

(窮地に陥った時に偶然にも“謎の冒険者”がやって来た?他の冒険者を無償で助けるような人物が?)

 

フィンはダンジョンというものを熟知している。そこで起こりうる最悪な事態も、あり得ないような奇跡も。だからこそ今回のような奇跡的な展開を、素直に受け止める訳にはいかなかったのだ。

 

(可能性としてはない訳じゃない。でもそれは飽くまでその程度の話であって、普通はあり得ないような奇跡だ)

 

巨大派閥を率いる者としては手放しで納得するのは難しい。どうしても別の視点から物事を見たくなる―――つまり、黒騎士が現れた後に偶然“謎の冒険者”がやって来たのではなく、“謎の冒険者”は黒騎士たちを追っていて、結果的にあの場に出くわしただけ、という見方だ。

 

(“謎の冒険者”は黒騎士を相手に臆したり戸惑ったりした様子はなかったという。という事は、彼は黒騎士という存在をすでに知っていた?)

 

アイズたちでさえ苦戦する相手に傷ひとつ負わずに勝利して見せたという事実。本人の実力というのもあるのだろうが、やはり何らかの情報を知っていると見るべきだろう。

 

(でも、それよりも……)

 

どれも重要な情報だが、今フィンが一番気にかかっている事。

 

それは倒された黒騎士たちが、淡い光の粒子となって消えた(・・・)という点である。

 

武器すらも消え去り、そこにいた証拠を欠片も残さずに消えていった黒騎士たち。人間ならばそんな事はあり得る訳がなく、モンスターであったとしても灰も、更には魔石すら残さずに消滅するなど聞いた事がない。そもそも武装しているという時点でおかしい。

 

報告を聞いたフィンの脳裏に、かつて『下層』最深部で遭遇した未知のモンスター……牛頭と山羊頭の事が思い出される。

 

「………」

 

一通りの報告を聞き終えたフィンは眉間の皺を一層深くすると、ちらりと横目でレフィーヤの顔を窺う。彼女もそれに気が付くも沈黙が広がるこの空間に臆したのか、何かを語る事はなかった。

 

「……大体の事情は分かった」

 

フィンは口の前で組んでいた両手を解くと、全員の顔をぐるりと見回した。その視線は徐々に移動してゆき……そして、アイズのところでぴたりと止まる。

 

「今回アイズが勝手に冒険者依頼(クエスト)を受けたのは頂けないが、結果として怪人(クリーチャー)についても新しい発見があった。それで今回の行動には目を瞑るとするよ……しかし今回は本当に危なかったんだ。そこだけはしっかり反省してくれ」

 

「……ごめんなさい」

 

「これに懲りたら、今後は行く前にきちんと僕らに相談してくれ。それじゃあ皆、他に何か報告はあるかな?」

 

しゅん、と、アイズが怒られた子供のように小さくなる。彼女の行動をやんわりと窘めたフィンはそれ以上強く言うことはしなかった。そんな様子がどこか微笑ましく、レフィーヤは思わずクスリと笑ってしまう。

 

しかし、そんな空気はフィンが最後にした質問によって途端に霧散した。

 

「……?」

 

先程とは一変し、口を堅く閉ざすアイズたち。彼女たちの変化にすぐに気が付いたフィンは訝し気に眉をひそめ、そして再び表情を硬くしてこう切り出す。

 

「ファーナムの事かい?」

 

「!」

 

どき、と、レフィーヤの心臓が跳ねた。

 

自分の事ではないと分かっていながら、その鋭すぎるフィンの勘を前にすると、どうしても平静を装う事が出来ないのだ。

 

そして、その原因の一つでもある“ファーナムの事”……24階層での、オリヴァスに対する凄惨な行為。彼の隠された側面を見せつけられたレフィーヤは、当の本人のいないこの場で話しても良いものなのかと考え込んでしまう。

 

アイズも同じ事を考えているようで、眉を八の字にして口を噤んで動かない。直接見ていない彼女ですらがこうなのだ。レフィーヤは迂闊に口を開く事も出来ず、スカートの裾をきゅっ、と掴んで立ち尽くしていた。

 

「関係ねぇ」

 

しかし、こんな場でも歯に衣着せぬのがベートなのだ。

 

「なんであの野郎の事までいちいち俺らが話さなくちゃならねぇんだ。帰ってきたその時、あいつに聞け」

 

「……ああ、そうだね」

 

吐き捨てるように言い切ったベートに、フィンも肯定の意を示した。

 

話は以上、ゆっくりと休んでくれ。最後にそのような労いの言葉で締めくくったフィンは、集まった一同を解散させる(尤もベートは宣言通り、このままダンジョンへ潜るのであろうが)。

 

アイズとベートが扉を潜って部屋から出てゆく中、レフィーヤは心に小さな引っ掛かりを感じていた。魚の小骨が喉に刺さったままのような、どうにもすっきりしない感覚だった。

 

そんな彼女の脳裏に思い浮かぶのは、あの時(・・・)のファーナムの姿。

 

レヴィスと同じ怪人(クリーチャー)だったオリヴァスに対して見せた異様な殺意。ただ殺すのではなく拷問じみた武器の数々で彼を追い詰めた、豹変したかのようなあの姿である。

 

(確かに……あれ(・・)は本人の口から言うべき事かも知れない。でも、それは少し―――)

 

 

 

―――――酷な事なのではないか。

 

 

 

そう、彼女は思ってしまったのだ。

 

自分のした行い。相手をあれほど残虐な方法で痛めつけ、その果てに惨たらしく殺した。普段のファーナムからは考えられないような蛮行に及んだ理由など、レフィーヤには分からない。

 

しかし、それでも。普段の彼の人となりは、少しは理解出来ているつもりだ。

 

ほぼ日常的に兜をかぶっているような少しおかしなところもあるが、優しく、仲間想いで、そして頼りになる存在。事実、今回の騒動でも何度も助けられた。

 

だから、これはただのお節介かも知れないが、ここは彼に代わって自分が話すべきなのではないのだろうか。

 

帰り際に偶然耳にした、ファーナムのどこか影を落とした小さな笑い声。そこに込められた感情は、きっと深く詮索されたくないものなのだと、そう直感してしまったから。

 

(よ、よし!)

 

レフィーヤは部屋の扉の前で立ち止まる。

 

両手を胸に置き、軽く呼吸を整えて、意を決して振り返―――。

 

「ああ、レフィーヤ。君は少し待ってくれるかい」

 

「へ?」

 

―――ろうとした、その時だった。

 

フィンがレフィーヤを呼び止めたのだ。虚を突かれたような顔で振り返った彼女に、フィンは珍しく疑問の表情を浮かべる。

 

閉じてゆく扉。その隙間から一瞬だけこちらを振り返ったアイズの横顔もまた、きょとんとした表情を浮かべていた。

 

 

 

 

 

「引き留めて悪かったね。けど僕の予想が正しければ、もうそろそろ来るはずなんだ。疲れが抜けきっていないところで悪いんだけど、君も一緒にいてくれると助かる」

 

「あ、はい……」

 

出鼻を盛大に挫かれたレフィーヤは曖昧に頷く事しか出来なかった。

 

しかしフィンの口から放たれた言葉は脳内ですぐさま疑問に変わり、彼女は戸惑いつつも声としてそれを投げ返す。

 

「えっと、それはどういう……」

 

意味ですか。という質問が出かけた、その時だった。

 

閉ざされた扉が再び開き、アイズとベートと入れ替わるようにして、三人の人影が入ってきた。

 

一人は背は低いががっしりとした体格をしており、残る二人は身体の線がくっきり分かる程に露出が多い。三人の先頭に立って入ってきた人物は開口一番にこう切り出し、続けざまに後方の二人も口を開く。

 

「おう、フィン。今戻ったぞ」

 

「だぁー、疲れたぁー」

 

「ほとんど丸一日、壁を掘ってたわね。私たち……」

 

ガレスにティオネ、そしてティオナ。【ロキ・ファミリア】幹部勢の中でもあまり見ない取り合わせに、レフィーヤは目を丸くして驚きに顔を染める。

 

「み、皆さん、どうしたんですか?」

 

「あっ、レフィーヤ!お帰りー、って私たちもか!あはは!」

 

「団長のご指示でね。あの階層(・・・・)の事を調べていたのよ」

 

「あの階層って……もしかして」

 

ティオネの言葉で、レフィーヤにもようやく自分が引き留められた理由が分かった。笑いながら騒ぐティオナの横を通り過ぎ、ガレスは部屋に備えられたソファにどかりと腰かけると、おもむろに口を開く。

 

「お前さんの言うとった場所を念入りに調べてみたが……どうにも『未開拓領域』らしきものは見当たらんかったわい」

 

そう。ガレスたち三人はフィンの指示で、以前に牛頭と山羊頭のモンスターたちに襲われた場所の調査に出向いていたのだ。

 

彼らが本拠(ホーム)を出たのは二日前。ガレスに今回の調査をするに至った経緯を説明したフィンは、案内役としてティオネ、ティオナを同行させた。そしてちょうどアイズたちが地上に帰還する時に、三人は入れ違いになる形でダンジョンへと赴いたのだった。

 

「何だって?」

 

「あのモンスターたちと出くわした場所に行ったら、壁の大穴が無くなってたんだよ!塞がったのかなぁ~、って思って結構掘ってみたけど、広間(ルーム)なんて全然見つかんなくってさぁ」

 

「周囲も含めて探してみたんですけど、どうやらあの辺りは本当にただの壁ばかりのようで……」

 

ガレスの言葉にフィンは再び眉間の皺を深め、ティオナとティオネからもたらされた追加の情報を吟味する。

 

あのモンスターたちと出くわしたのは紛れもない事実。その時に出てきたのは間違いなくダンジョンの横穴からだった。が、後日調べてみればそんなものは見つからなかったと言う。こんな事態は長い間冒険者として生きてきたフィンにとっても初の出来事であった。

 

ダンジョンとは複雑怪奇な構造をしているものの、基本的に地形はそこまで大きく変化しない。でなければ地図作成(マッピング)など出来る訳がなく、よってあれほど大きかった横穴が完全に消滅するなど到底考えられない。

 

「もしかして間違った場所を探してたのかなぁ?」

 

「そんな訳ないじゃない。何度も行った事のある場所を間違えるなんて、あんたじゃあるまいし」

 

「何をー!?」

 

ぎゃあぎゃあと元気に騒ぐ双子の姉妹。

 

『下層』とはいえ最深部から帰ってきたばかりだというのに元気が有り余っている二人の姿に呆れつつ、ガレスは武骨な指で顎髭を撫でる。

 

フィンも難しい顔を崩さずに何やら思案している様子だ。まるで戦場で指揮を執っている時のような張り詰めた空気を感じ取り、ティオネとティオナも騒ぐのを止める。

 

やがて彼は伏せていた顔を上げ、そして静かに口を開いた。

 

「ついさっきアイズたちから報告があった。僕らが遭遇した例のモンスターと同じような、痕跡も残さずに消滅した敵がいたそうだ」

 

「なんと、それは本当か」

 

「ああ。そうだね、レフィーヤ?」

 

「は、はい!」

 

その後、フィンの口から先ほどアイズたちが語った通りの内容が、ガレスたち三人へと伝えられる。

 

自分たちの知らないところで危機に見舞われていた事もそうだが、アイズたちが戦った敵と例のモンスターとの共通点があった事に、ティオネとティオナは驚愕を隠しきれなかった。

 

【ロキ・ファミリア】団員たちの前に立て続けに現れた正体不明の敵。片やモンスター、片や騎士然とした姿。いずれも戦闘能力は高く、出現階層も不明。今後のダンジョン攻略も考えると敵の正体を突き止めるのは急務と言える。

 

しかし現段階では魔石を持たないという情報程度しかなく、何の手がかりもない。他との繋がりを捜索しようにも手段が―――。

 

「あっ」

 

「? レフィーヤ、どうしたの?」

 

「え、えっと。その……」

 

と、ここで唐突にレフィーヤが声を漏らした。

 

不思議そうな顔でティオネが彼女にそう尋ねるも、しどろもどろな態度をするばかりで一向に返事を返さない。それとなく聞いていたフィンたちも、何時になく歯切れの悪い様子のレフィーヤに視線を集中させた。

 

「何かあるのかい?」

 

「はい。もしかしたら思い違いかもしれないですけど……」

 

「それでも構わない。今は何であっても情報が欲しい」

 

どんな些細な事でも構わない。そう言われてしまっては、答えない訳にはいかない。

 

レフィーヤはこくりと頷くと、胸の内に仕舞いかけていた意見を述べる。

 

「私たちが遭遇したあの敵なんですが、その最初の一体がやられた時の魔法……以前に牛頭のモンスターにとどめを刺した魔法と、多分同じでした」

 

その発言に、静かに聞いていた四人は(にわ)かにざわついた。

 

彼女の言う事が事実であれば、その魔法を放ったとされている“謎の冒険者”は『下層』最深部(あの場所)にも居たという事になる。

 

あの時、例の雷槍は山羊頭や牛頭が出てきた大穴から飛び出してきた。しかしガレスたちが調べた結果、そんな空間はなかったという。

 

跡形も無く消滅した空間。その中にいた“謎の冒険者”。

 

真相は更に深まったものの、どうやら件の人物はただの冒険者ではないらしい。フィンたちですらが知らないモンスターたちを相手取っている時点で只者ではないのだが、それに加えて目的が不明なため、警戒度は嫌でも上がる。

 

「なにやら大事(おおごと)になってきたの」

 

「えっと、つまり……どういう事?」

 

「ティオナ、あんたちょっと黙ってなさい」

 

それぞれが思い思いの反応を取る中、フィンは口を閉ざして再び何やら考えている。恐らくは考えられる可能性を脳内に列挙しているのだろうが、やはりまだまだ情報不足。そのどれもが飽くまで可能性の域を出ない。

 

そして、ふぅ、と軽く溜め息をつくと、彼はレフィーヤたちへと向き直った。

 

「今回の件……僕たちが遭遇したモンスターと、レフィーヤたちが遭遇した鎧姿の敵。これの存在についてはまだまだ情報が不足しているため、一般の団員たちにはしばらく伏せておこうと思う。情報の共有は僕たち幹部勢に加えてレフィーヤ、あとはラウルとアキに絞る」

 

極彩色の魔石を持つモンスターとは別の、未知のモンスターという新たな存在。生態や個体ごとの実力など分からない事の方が多いため、現段階でのファミリア内での公表は控える事となった。

 

フィンの下した決定に意を唱える者はおらず、全員が首を縦に振る。一通りの情報交換が終わると、ガレス、ティオナ、ティオネは先ほどのアイズたちのように部屋を後にしようとする。

 

「もー全身土っぽいよー。ティオネ、早くシャワー浴びよー?」

 

「そうね。湾短刀(これ)、部屋に置いたらすぐ行くわ」

 

「分かったー……ってレフィーヤ?行かないの?」

 

丸一日ダンジョンにいて土埃にまみれた髪をいじっていたティオナであったが、未だに部屋から出て行こうとしないレフィーヤへと振り返ってこう尋ねる。

 

「すいません。ちょっとまだ用事が……」

 

純粋な疑問から向けられた視線を受け、レフィーヤは曖昧に笑いつつこう答えた。そっかー、と大して気にする素振りもなくティオナは頷き、姉と共にそのまま部屋を後にする。

 

こうしてこの場に残ったのはレフィーヤと、部屋の主であるフィンのみとなった。

 

「さて、レフィーヤ。何か伝えたい事でもあるのかい?」

 

先ほどまでの緊張した空気を僅かに緩め、フィンは微笑みと共に語り掛けてくる。

 

彼自身も悪く思っているのだろう。重要であるとは言え、まだ若い少女を二度も続けて説明の場に立ち合わせた事を。

 

しかし当の本人はそうは思っていない。自分が誇り高き【ロキ・ファミリア】の一員である事、そうである以上は何事にも臆してはいけないと知っているからだ。

 

「はい。実は……」

 

故に、レフィーヤは口を開いた。“ファーナムの事”について。

 

ベートの言う通りなのかも知れない。いや、きっとその通りなのだろう。

 

それでも、例えお節介であったとしても、少しでもファーナムの負担を減らしたい。

 

ダンジョンからの帰路で偶然耳にした、どこか影を落とした彼の笑い声。それがレフィーヤの脳裏に、やけに強く残っていた。

 

 




次回はファーナムメインでの話になりそうです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十三話 戦いの後

夜中に起きている団員はほとんどおらず、気付かれずに本拠(ホーム)を出るのは容易だった。正面は他の団員たちが見張りをしているため、助走をつけて塀を飛び越える事により外へと出る。

 

タンッ、とほとんど物音を立てずに着地を決めるファーナム。しかし彼が顔を上げてみれば、そこには見知った顔の女性が立っていた。

 

「……ロキ」

 

「よっ。こんな時間に奇遇やな、ファーナム」

 

特徴的な糸目を弓なりに曲げ、いつもの軽薄そうな笑顔で挨拶してくるのは【ロキ・ファミリア】主神、ロキその(ひと)だ。

 

彼女は通りの壁に背を預けたまま、首だけをファーナムの方へと向けていた。手には葡萄酒の入ったグラスが握られており、もう半分ほどに減っていた。

 

「何をしている?」

 

「んー?見れば分かるやろ、月見酒しとるんや。たまにはこうして一人で飲むんも良いかなぁ思て」

 

「……わざわざこんな場所でか」

 

「んっふっふ。どや、ミステリアスやろ?」

 

そう言ってロキは壁から背を離し、つかつかと歩み寄ってくる。

 

その間ファーナムは立ち尽くしたままだった。動く気はないのか、彼女が歩みを止めるまで身じろぎ一つもしない。

 

目の前にまでやって来たロキは、ファーナムを見上げながらこう続けた。

 

「まぁ冗談はこれ位にしといて……実はここで待っとったら、ファーナムが来るんちゃうかなあって思たんよ」

 

「根拠は?」

 

「帰って来てからの様子がいつもとちゃうのと……後はまぁ、勘やな」

 

にやりと笑い、グラスに残った酒を呷るロキ。

 

何て事のないように言っているが彼女の観察眼の鋭さは確かなものだった。こうして正面以外から出たにも関わらず、先回りされているのが良い証拠だ。

 

ファーナムは内心で諦めの籠った溜め息をつく。彼女がどういった理由で先回りしていたせよ、見つかってしまった以上は本拠(ホーム)へと連れ戻されるだろうと思ったからだ。24階層での騒動(あれだけの事)があった後なのだ、それも当然であろう。

 

しかしファーナムの予想に反して、ロキは一向に連れ戻そうとはしてこない。それどころか、彼に道を空けるように身体を横へとずらしたのだ。

 

「……良いのか」

 

「何が?」

 

すっとぼけるように、ロキはそんな言葉を口にする。

 

ファーナムが何を言わんとしているのか分かっていない訳がない。それなのにロキは知らん顔をして、それ以上は何も言おうとはしなかった。

 

しばしの間を置き、ファーナムは足を進ませる事にした。遠くには魔石灯の明かりが見え、そこがメインストリートへと繋がっている道である事を示している。そこを目指し、口を噤んでただただ歩く。

 

「ファーナム」

 

時間にして十秒ほど。

 

すでに姿が小さくなりかけているロキから掛けられた声に、ファーナムは肩越しに振り返る。

 

「今は言いたくないんは分かる。ウチも無理に聞き出そうとは思わん。せやけど……整理がついたら、ちゃんと話してな」

 

「………」

 

自らの主神から掛けられたその言葉に、ファーナムは返答が出来なかった。

 

そして彼女を振り切るように、あるいは彼女から逃げるように―――――夜のオラリオへと消えていった。

 

 

 

 

 

ゴゴゴゴ……という、岩が擦れ合う音。

 

思えば彼の地、ドラングレイグでもこのような仕掛け扉が各所にあったものだ。そんな何て事のない事を思い出しつつ、ファーナムはその先へと足を踏み入れた。

 

「やあ、ファーナム」

 

彼を出迎えたのはフェルズだった。

 

いつも通りの薄暗い空間、その奥に鎮座するウラノスのもとへと近付いてゆき、開口一番にファーナムは告げる。

 

「24階層の件……そこで黒騎士たちと交戦した」

 

「黒騎士?」

 

それに声を発したのはフェルズである。彼は二人の方へと近付きつつ、沸き上がった疑問をファーナムへとぶつける。

 

「ファーナム、その黒騎士とは?」

 

「詳しくは分からんが、恐らくは過去の……そう。俺が不死人となるよりもずっと以前に存在した、光の王に仕えたという騎士たちの成れの果てだ」

 

「そんな者たちが……!」

 

「その身を業火に焼かれ、灰と化した後も巡礼たちの試練となって立ちふさがった。そんな逸話に相応しい、手強い相手だった」

 

フェルズが慄く中、ファーナムはウラノスへと顔を向ける。

 

大神の名を関する彼は、それに相応しい貫禄をもって沈黙を貫いたまま。石造りの椅子に座したまま、閉じていた双眸を開き向けられた視線を真っ向から迎える。

 

「……ウラノス、もう認めるしかないな」

 

「ああ」

 

短く言葉を交わす両者。

 

やがてウラノスは―――珍しく嘆息し―――重く口を開いた。

 

「……私にも感知できない入口(・・)が、ダンジョンにある」

 

 

 

 

 

「……お客さん、大丈夫ニャ?」

 

「ああ、問題ない」

 

猫人(キャットピープル)の従業員の心配そうな声がファーナムに掛けられる。

 

現在ファーナムがいる場所は『豊穣の女主人』。ロキがよく団員たちと宴会を開く、オラリオでも人気の食事処兼酒場である。

 

時刻はまだ朝。一日の英気を養うべく朝食をとる人々に紛れて、ファーナムは一人カウンターの隅で酒を飲んでいた。

 

目の前の台には外した兜に、飲み干した酒瓶が3本。木で出来たジョッキに並々注がれていた葡萄酒はすでに底が見え始め、間もなく飲み干してしまうだろう。にも関わらず、当の本人は少しも酔っている様子はない。

 

「………」

 

ファーナムは無言のまま、ジョッキに残った葡萄酒を飲み干す。そして間髪入れずに新たな瓶を注文し、見目麗しい従業員を困らせてしまう。

 

「すまない、追加を」

 

「お客さん、流石に朝から飲み過ぎじゃ……」

 

「頼む」

 

「……はい」

 

普段であればこの店の主人がこんな事は許さない。

 

朝は食事を、夜は酒を提供するこの店はそこの所はしっかりしている。朝まで飲んだくれている馬鹿に出す酒などない、と。それでもファーナムに酒を振るまっているのは、入店した時の彼の様子が原因だ。

 

泥酔している訳でもない、しかしどこか普通とは違う。何とも言い難い彼の様子に、店の主人は何も言わず酒を出してやれと従業員に促した。

 

それからはずっとこの調子だ。

 

何も語らず、一人静かに酒を飲み続ける。まるで置物のようにそこに居続けるファーナムに、店を訪れる人々は奇異の目を向けていた。

 

朝に食事も取らず、延々と酒を飲んでいればそれも仕方のない事だろう。従業員もそれを感じ取りファーナムにやんわりと退店を促すも、言動もしっかりとしているため無理に追い返す訳にもいかない。

 

いっそ暴れてでもくれたら……と物騒な考えを抱き始めた従業員の少女たちの胸中など知る由もないファーナムは、運ばれてきた瓶の封を切り、無言でジョッキに注ぐ。

 

しばし深い紫色の湖面を眺めるも、やがて彼はそれをぐいっ、と一気に呷る。心地よい葡萄の風味が鼻から抜け、しかしそれに何の感情も抱く事もなく、空になったジョッキをカウンターの上に置いた。

 

「………」

 

人々の楽しそうな声を耳にしながら、ファーナムは一人思う。『何をしているのだろう』と。

 

二日前。24階層から帰還してからずっと胸の内に渦巻くあれこれを抱き続け、それを誰かに打ち明ける事も出来ずにいるファーナムは、逃げ場としてこの場所を選んだ。黙々と酒を飲んでいるのだって、ただの時間潰しでしかない。

 

まさしく時間の無駄。いたずらに時を浪費させながら、それでも今の彼にはこの場所から動く気になれなかった。

 

「あのお客さん、大丈夫かな」

 

「あの人って【ロキ・ファミリア】の団員でしょ?ほら、確か前の遠征帰りのお祝いにいた……」

 

「こんな朝から飲んだくれているなんて、だらしないニャー」

 

厨房付近では従業員の少女たちがこそこそとファーナムについて話していた。普段見ない客の姿に、つい仕事そっちのけで噂話に興じているのだ。

 

そんな少女たちに、間髪入れずに落ちてくるのはこの店の主人の雷だ。

 

「コラァ、馬鹿娘ども!くっちゃべってないで手ぇ動かしな!!」

 

「「「 うひゃあっ!? 」」」

 

その怒号に少女たちは蜘蛛の子を散らしたかのように各自の持ち場に戻る。少しでも手を抜けばこのように雷が、あるいは主人の鉄拳が落ちてくるのはもはやこの店のお決まりで、それを見ていた他の客たちの肩まで思わずハネ上がる。

 

「ふんっ、全く……」

 

だらしない従業員たちに嘆息しながら、店の主人は視線をカウンターへと向ける。

 

その視線の先にいるのは件の飲んだくれ。彼は相変わらずジョッキに注いだ酒を飲み、空になったそれに再び酒を注いでいる。その姿に愉快さはなく、ただただ陰気な雰囲気が漂っていた。

 

やがて店の主人は厨房へと帰っていったが、すぐに姿を現した。その手にあるのはカップに注がれた黒い液体……コーヒーだ。暖かな湯気を上げるカップを手に、彼女はづかづかと無遠慮にファーナムのもとへとやって来る。

 

「ほらよ」

 

「?」

 

カチャ、とファーナムの目の前に置かれたコーヒー。

 

受け皿はなく、直にカウンターへと置かれたカップ。突然現れたそれに、ファーナムは店の主人へと直に疑問をぶつける。

 

「頼んでいないのだが……」

 

「ああ、あたしが勝手に持ってきた」

 

店の主人はその疑問に臆する事無く即答した。まるで当然の如く放たれた回答にファーナムは面食らい、つい言葉を失ってしまった。

 

そんな彼に、店の主人は更に言葉を投げ掛ける。

 

「酒ってのはねぇ、楽しんで飲むもんだ。アンタの主神だっていつも言っているだろう?」

 

その言葉に、ファーナムはハッとした。

 

顔つきの変わった彼に、店の主人は面倒臭そうな顔をしながら続ける。

 

「何があったのかは知らないが、ここは飯と酒を提供する場なんだ。これ以上そんな辛気臭い顔で酒を飲まれてたら、こっちも良い迷惑なのさ。それを飲んだらさっさと帰っとくれ」

 

乱暴な言葉ながら、そこには確かに労わりの色が見え隠れしていた。

 

そう言えば以前にガレスたちが話していたのを小耳に挟んだ事がある。この店の主人は、かつて冒険者であったのだと。そんな彼女だからこそ、ファーナムの纏っていた雰囲気がどこか尋常とは異なるのだと察知出来たのではないか。

 

「……ああ」

 

そう言ってファーナムはカップを手に取り、静かに口をつける。

 

特有の苦みの中にある様々な風味が口の中に広がり、酒とはまた違った旨味を与えてくれる。その味を舌に刻み付けるようにゆっくりと、時間をかけて一杯のコーヒーを味わった。

 

数分後。空になったカップをカウンターに置き、ファーナムは酒代を含めた代金を店の主人へと手渡す。

 

「美味かった」

 

「はん、その様子じゃあまだ酔っぱらってはいないようだね」

 

豪快な冒険者を思わせる気持ちの良い笑みを浮かべた彼女は代金を受け取ると、そこから一枚だけ硬貨を抜き取り、それをファーナムへと返した。

 

どうやらコーヒーの代金はいらないという事らしい。どこまでも気持ちの良い彼女の心意気に、思わず小さな微笑みが浮かんでしまう。

 

「さあ、行った行った!これからウチはもっと忙しくなるんだからね!」

 

パンパンと手を叩き退出を促す店の主人に軽く頭を下げ、ファーナムは席を立つ。

 

店の扉を開き、いざ外へと出て行こうとする。そんな彼の去り際の背に、最後の一声が浴びせられた。

 

「今度朝に来るときはちゃんと飯を頼みな!冒険者は身体が資本だよ!」

 

「……ああ、必ず」

 

そう言って、今度こそ店を出てゆく。

 

朝のオラリオに相応しい、人々の喧噪がファーナムを出迎えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「安いよ安いよ!採れたて新鮮な野菜、買わなきゃ損だよ!」

 

汽水湖(ロログ)産の巨大魚(ドドバス)はいかが?ニョルズ様も太鼓判を押す大物さ!」

 

「そこの冒険者君!ジャガ丸くんはいらないかい!?頼むよ、ボクを助けると思ってぇえ!?」

 

野菜を売る者、魚を売る者、揚げ物を売ろうと奮闘するツインテールの少女(神であろうか?)……様々な者たちが各々の目的をもって行動し、朝のオラリオに活気を与えている。

 

その中には当然冒険者たちの姿もある。ある者は剣を、ある者は弓を、またある者は杖を手に、モンスターの跋扈(ばっこ)するダンジョンへと赴くのであった。彼らの目指す場所は同じであるため、当然同じ方向へと進んでゆく。

 

その流れに逆らうようにして、ファーナムはバベルとは逆の方向へと歩いていた。

 

『豊穣の女主人』を出た彼であったが、しかし別に目的地がある訳ではなかった。そもそもあの場所で飲んでいたのだって時間潰しでしかなかったので、当然と言えば当然なのだが―――ともかく今の彼は、あてもなく街を歩いているだけである。

 

やがて彼の目は一件の建物に留まった。吊るされている木の看板は開かれた本の形をしており、一目でそれが本屋である事を教えてくれる。

 

しばし考え、ファーナムは店内へと足を踏み入れた。マナーの良い行為とは言えないが、ここで立ち読みでもしていればそれなりに時間を潰せるだろうと踏んでの事だった。

 

「いらっしゃ……」

 

本屋の主人は鎧姿の冒険者がやってきた事にぎょっとするも、特に何かを言ってくる事はなかった。変な言いがかりをつけられては堪らないというのもあるのだろう、僅かな罪悪感を抱きつつも、ファーナムは並べられた本たちへと視線を向ける。

 

勉学の本に哲学書、料理本や酒に関する本。種類ごとに並べられている棚が異なるあたり、この本屋の品揃えはかなり良いと言える。どれも埃をかぶる事なく陳列されており、手入れもしっかり行き届いているようだ。

 

「……む」

 

興味を惹かれた本を手に取って悪戯にページをぺらぺらとめくっていたファーナム。そんな彼の目が、一つの棚の前でふと留まった。彼は並べられた本の内の一冊を抜き取り、その表紙へと視線を落とす。

 

描かれているのは巨大な竜。それに剣を向けている一人の騎士と、その足元に縋りつく一人の女の姿。英雄譚の一場面を切り取ったかのような表紙の上部には共通語(コイネー)で、この本のタイトルと思われる文字が書かれている。

 

「そうか、この棚は……」

 

ファーナムは眼前に広がる本の数々が、全て『冒険譚』に関するものなのだと理解する。

 

この本屋の中でもよく目に入る場所に確保されたスペースは他よりも広く、それだけ力を入れている事が窺えた。事実、本棚の中には新品と思しき小綺麗なものから若干古めかしいものまで、色々な本がある。

 

(これだけ多くの冒険譚があるとは……古今東西から収集しているのか、それともここがオラリオ(世界の中心)だからなのか)

 

その余りの多さに内心で驚嘆したファーナムは、この棚に的を絞る事にした。

 

他の本も悪くはないのだが、いかんせん料理やら哲学やらはファーナムからは縁遠いものだった。であれば、先人の知恵を拝借できるかも知れない『冒険譚』の方が興味を惹かれるのは当然の事である。

 

手にしている本を棚へと戻し、本格的に物色を始める。並べられた本の多くは、一日あれば読み終える事が出来る程度の厚さだった。

 

(そう言えば、ティオナが新しい本を欲しがっていたな)

 

そんな事をぼんやりと思いながら、ファーナムは背表紙に書かれた本の題名(タイトル)に目をやる。

 

 

 

『騎士ガラードの物語』

 

『ジェルジオの竜殺し』

 

理想郷譚(アルカディア)

 

 

 

これらは有名どころで、度々(たびたび)ティオナの話にも出てくるものだ。以前に話した――というよりも、彼女から一方的に聞かされた――事があり、内容は大体知っているのでスルーする。

 

ファーナムの視線は一か所に留まらず、次々に題名(タイトル)に目を通していった。

 

 

 

『強き男の伝説 ~その漢、ビッグM~』

 

『蠱惑の砂、誘惑の谷』

 

『双狼、相見(あいまみ)える ~西の青狼、東の隻狼~』

 

 

 

中々に面白そうな本もあるが、ファーナムの食指は動かない。これだけの中から一冊を選ぶという行為に思わぬ苦戦を強いられるも、根気強くその一冊を探してゆく。

 

そうして本を物色してもう10分は経とうかとした、その時だった。

 

「これは……」

 

遂にファーナムの目が、一冊の本に留まる。

 

題名(タイトル)を、『アルゴノゥト』。いつだったかティオナが口にした、彼女のお気に入りというお伽話だった。

 

「………」

 

手に取ったそれを眺め、そしてページを開く。

 

幼い子供にも人気な物語。読み終えるのに、そう時間はかからなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

英雄を夢見る青年はある日、邪悪な牛人によって連れ去られた王女を救うために旅に出た。

 

道中に出会う人々に時に助けられ、時に騙され。数々の苦難を乗り越え青年は、遂に牛人を打ち倒す。

 

一人では成し得なかったその偉業。

 

友から知恵を、精霊から剣を授けられた青年が、なし崩しに王女を助け出してしまう。

 

そんな、ある意味滑稽な、英雄の物語。

 

それが『アルゴノゥト』だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キィ、と扉が開かれる。

 

「ありがとうございました」

 

本屋の主人は立ち去るファーナムへと声を投げ掛ける。その大きな背によって隠れた右手には、紙袋で包まれた本があった。

 

結局、彼は『アルゴノゥト』の本を購入したのだった。立ち読みで済ますつもりがつい買ってしまう事となり、我ながら柄にもない、と内心で思う。

 

兜の中で僅かに口角を吊り上げ、笑みを浮かべていたその時だ。

 

「おや、ファーナムではないか!」

 

店を出てすぐ。ファーナムから見て右手の方角から、気安げな声がした。そちらへと首を向けてみれば、そこにはよく知る顔があった。

 

椿である。彼女は鍛冶場での恰好ではなくきちんと上着を羽織っており、極東風の袖が風に揺られている。武器も無く、服装も動きづらい印象を受ける為、恐らくダンジョンへ向かう訳ではないのだろう。

 

「買い物か?」

 

「いや、武器を卸している店に少し用事があってな。その帰りだ」

 

言いながら、椿はこちらへと近付いてくる。

 

その表情はどこか楽しそうで、そんな態度を取られる覚えがないファーナムは、思わず戸惑ってしまう。

 

「一体どうしたんだ?」

 

「ふっふっふ。皆まで言わせるな、つれないのう」

 

含みのある笑い声を漏らす椿。彼女はその目をファーナムの腰辺り……正確にはそこに携えられた、一振りの直剣へと注ぐ。

 

「せっかく造ってやったというのに、使い心地の一つも教えてくれんのか?」

 

「……ああ」

 

ようやく合点がいったファーナムは、いかにも椿らしい、と思った。

 

鍛冶仕事にしか興味がないと言っても過言ではない、むしろそのイメージしかない彼女にとって、己が鍛え上げた武器の使い心地が気になるのは当然の事であろう。ましてファーナムの為に造ったのであれば、なおさらである。

 

とは言え、この直剣を手に入れてからまだ数日しか経っていない。いくらなんでも気が早すぎるのではとも思ったが、流石にそれを口にするのは野暮というものであろう。

 

ファーナムは素早く思考を閉ざすと、子供のように目を輝かせる椿に語り掛ける。

 

「良い剣だ。重過ぎず、長過ぎず。ダンジョンで使う事を第一に考えられた、まさに最高の鍛冶師(マスタースミス)に相応しい一振りだ」

 

「ふはは!よせよせ、こそばゆい!」

 

大袈裟に手を振る椿はファーナムから受けた称賛をそう笑い飛ばす。しかしその顔には確かな自信が滲み出ており、己が鍛え、送り出した武器に対する信頼の色が見て取れた。

 

自分の造ったものに慢心せず、常に高みを見据え続ける。未だ神々の造る武器の領域には程遠いと語る、実に彼女らしい返答であった。

 

「そうかそうか、手前の自信作はお主の手に馴染むものだったか!それは良かった!」

 

腕を組み、うんうんと頷く椿。

 

やがて彼女は顔を上げ、何かを決めたかのようにファーナムの肩をがしりと掴む。

 

「ファーナム、時間はあるか?」

 

「?……別に、用事はないが」

 

「よしっ!それならば!」

 

「お、おい!?」

 

言質を取ったとばかりに、椿は彼の肩を引っ掴んでずんずんと歩いてゆく。半ば引きずられる形でメインストリートへと合流したファーナムは、人の波に揉まれながら椿の後に付いて行った。

 

「どうした、どこへ連れて行くつもりだ」

 

「そんなに警戒するな、暇をしていたのであろう?」

 

前を歩く椿はそんな事を言いながら、くるりと振り返って笑みを向けてくる。

 

屈託のない笑顔を浮かべた彼女は、歩みを止める事なく口を開いた。

 

「なら、手前にその剣の手入れをさせてくれ。なに、手間賃などは取らんよ」

 

返答など待たず、椿はどんどん先へと行ってしまう。

 

もはや決定事項とばかりに歩を進ませる彼女に水を差す事など出来るはずもなく……結局、ファーナムは椿と共に、バベルへと向かうのであった。

 

 




少し長くなりそうなので、今回はここまでで。

酒に逃げたくなる不死人がいてもいいじゃない(なお酔えない模様)。



私事ですが、先日『隻狼』を買いました。

いやぁ。体幹システムやら忍義手やら、ソウルシリーズとは全く異なる仕様で苦労しました。今日ようやく鬼庭刑部雅孝を倒しましたが、今までで一番苦戦したのは侍大将山内典膳という。序盤でこれだったら、一体ラスボスは何回死ぬのか、今から戦々恐々としています。

でも狼殿かっこいいですね。義手っていうのも厨二心をくすぐられますし……ダンまちとのクロス小説、出ませんかね?


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十四話 それこそが

「さあ、入ってくれ」

 

案内されたのは以前に通された工房とは別の場所だった。以前も適当に空いていた所に入ったのだろう。今回もそれと同様に、空いていた場所にやって来たという訳だ。

 

しかし、案内された部屋には所狭しと武器が置かれていた。

 

冒険者の基本武器となる剣はもちろん大剣や槍、斧やメイス。果てはファーナムが扱うような、一般的な冒険者が振るうには困難極まる特大剣までもが置いてある。

 

まるで自身がソウルの内に所有する武器の数々を並べられたかのような光景を前に、気が付けばファーナムの口は自然と動く。

 

「……随分と多いな」

 

「おう。全て手前が鍛え上げたものだ」

 

誇るような口ぶりでそう答えた椿は作業台に陣取り、砥石やらといった道具を並べる。ごちゃごちゃと物が散乱した台の上であってもそれらが雑に扱われている形跡は見受けられず、まさしく職人の為の道具という印象だ。

 

「ほれ、見せてみよ」

 

「ああ」

 

ファーナムは腰に携えていた『椿の直剣』を抜き、差し出す。すっかり体の一部となっていた重さがなくなり、妙な身軽さを覚えてしまった。

 

剣を受け取った椿は柄に手をかけると、そこで眉間にしわを寄せる。

 

彼女が握る柄。そこに巻かれた黒革には分かりにくいが血が付着していた。少し指先で擦れば粉となって落ちてくるほどに、それは黒く乾いている。

 

 

「ふぅむ……ファーナムよ」

 

「どうした」

 

相変わらず眉間にしわを寄せながらそう呻いた椿に、ファーナムはどうしたのかと疑問を抱く。

 

その疑問への答えは、椿が剣を鞘から引き抜く事で解消された。

 

「どうしたもこうしたもあるか。見てみよ、この刀身を!」

 

室内を淡く照らす魔石灯の明かりに晒された刀身には、べっとりと血糊がへばりついている。大部分が黒く乾いてはいるが、血振りもせずに鞘へと納めたのであろう、未だ乾き切っていない部分もある。

 

鞘から解き放たれた刀身から放たれる独特の生臭い匂いに椿は顔をしかめつつも、それを作業台の上へと置いた。そして足元に置いてある水の張ったバケツに、手近なタオルを突っ込む。

 

「碌に血も落としもせず鞘に戻しおってっ。これでは剣の寿命が無駄に減ってしまうわ!」

 

「む……」

 

刀身にへばりついた血糊を濡れタオルを使って落としていく椿。その横顔には武器を粗末に扱っている者への怒りと呆れがしっかりと見られる。

 

ダンジョン24階層から帰ってきたあの日。鎧に付いた血や汚れは道中立ち寄ったリヴィラの街である程度は落としたが、この剣については鞘に納めて以降そのままであった。

 

ファーナムにとっても当然武器とは大切なものだが、それでも致命的に壊れさえしなければいつでも篝火で直るものでもある。己のソウルと武器とを同化させる事が出来る、不死人ならではの特殊能力というやつだ。

 

もちろん簡単な手入れくらいは彼にも出来る。本拠(ホーム)の自室にいる時などは大抵仕舞い込んだ武器を並べ、一つ一つ整備している程だ(その行為に意味があるかはともかく)。

 

しかしこの剣は鍛冶師である椿が精魂込めて作った一振り。わざとではないにしろ、それを粗末に扱ってしまった事に、ファーナムは今更ながら罪悪感を覚える。

 

「……すまん」

 

「ふんっ……まぁ、状態はそれほど酷くない。しっかりと手入れしてやれば問題はなかろう」

 

言い終わるや否や、作業台へと向き合った椿は手にしていた剣をその上に置く。粗方の血は落とし終えたが、細部にまで染み込み固まった血液は簡単には落とせない。

 

目の前に広げられた道具を手に取り、本格的な作業に取り掛かる。

 

ここからは完全に椿の時間だ。以前にも目撃した驚異的な集中力を思い出したファーナムは、邪魔になるまいと彼女から距離を取ろうとした、その時だった。

 

「なぁ、ファーナムよ」

 

不意に椿が語りかけてくる。

 

相変わらず目線は作業台の上。固まった血液を取り去り、僅かながら摩耗した刀身を砥石で鋭く研ぎ直している。

 

シャリ、シャリ、という音が木霊する中、椿は続ける。

 

「手前は鍛冶以外の事は良く分からん。人の心の機微にも疎くての、それが原因でよくヴェル吉にも怒鳴られた」

 

「ヴェル吉?」

 

「ああ、【ヘファイストス・ファミリア】(うち)の団員の鍛冶師でな……っと、話が逸れるところであった」

 

いかんいかん、と笑いながら椿は剣を研ぐ手をとめ、ここでようやくファーナムへと向き直る。

 

眼帯をしていない右目でじっとこちらを射抜くその視線に、妙な胸騒ぎを覚えるファーナム。果たしてそれは的中し、彼は今も自身を苛み続けているものの確信に迫った言葉を浴びせられた。

 

「ファーナムよ、ダンジョンで何かあったか?」

 

「!」

 

余りに直球すぎるその問いかけに、即座に返答する事が出来ない。

 

「……心の機微には疎いのではないのか」

 

数秒の間を置いてようやく口から出たものは問いに対する答えではなかった。今さっき、椿自身が言っていた事と正反対の鋭さをもって指摘されたファーナムは、これが精一杯という風に言葉を絞り出す。

 

「心当たりがあるようだな」

 

ファーナムから返ってきた言葉に、椿は口の端を僅かに吊り上げた。予感が的中したが故の笑みを零すと、彼女は再び剣へと目を落とす。

 

まとわりついていた血液は全て落とされ、しかし未だに小さな傷が残る刀身。その表面に映った椿の顔は真剣そのものだ。

 

「なに、簡単な事よ。武器とは担い手の半身であり、その者の心を大いに反映させる」

 

「反映……」

 

「力任せに乱暴な扱いをすれば、剣はすぐ折れてしまうだろう?そういった場合は大抵、振るう者の心に余裕がなかったりするのだ」

 

例えばモンスターに囲まれた時、多くの冒険者はパニックに陥ってがむしゃらに武器を振るうだろう。しかしそれが剣などの刃物であった場合、力任せに扱ってはあっという間に壊してしまう。

 

折れた剣や武器を通して、椿はそういった冒険者の心が見える(・・・)。鍛冶師として武器と向き合い、その威力を自身の腕で確かめている内に、いつの間にか身に付いた能力だった。

 

「お主の性格は大体把握している。武器の扱いに関しても並み以上……いや、下手をすればそこらの鍛冶師よりもよっぽど長けているはずだ」

 

「………」

 

「そんなお主が血も拭わずに剣を鞘へと納め、そのままの状態で放置しとった。察するに、何か大きなものでも抱え込んでおるのではないか?」

 

己の命を預ける武器の手入れを忘れてしまう程の何かを……そう告げてくる椿に対し、ファーナムは口を噤む事しか出来なかった。

 

ダンジョンから帰って来てからずっと抱き続けている、ある思い。

 

それは到底人に語れるものではなく、故にファーナムは葛藤し続けている。己の正体を知るロキやウラノス、あるいはフェルズにでも打ち明ければ楽になるであろう。

 

それでもそうしなかったのは、恐ろしかったからに違いない。口にしたが最後、他ならぬ自分自身がそれ(・・)を肯定してしまいそうだったから。

 

「だんまりでは分からん。手前で良ければ相談に乗るが?」

 

だから、椿にも打ち明ける事は出来ない。

 

この思いは己の内に留め続けなければならない。

 

「……すまない。こればかりは、言えん」

 

「……そうか」

 

無理に詮索する気はないのか、彼女はその後黙々と剣を研ぎ続けた。

 

元の輝きを取り戻した剣を鞘へと納め、ファーナムはそれを腰へと差す。まだ受け取って一週間も経っていないのだが、その姿は様になっている。

 

「すまない、時間を取らせた」

 

「気にするな、手前から言った事だ。それよりも今後はきちんと武器の面倒を見てやれ」

 

「ああ」

 

軽く言葉を交わし、ファーナムは部屋を出て行った。

 

パタリと閉ざされた扉を前に、椿は作業台に腰かけながら、一人口を開く。

 

「ファーナムよ……お主はまだ()が落ち切っておらん」

 

その呟きは宙を彷徨い―――。

 

「そのままでは、折れてしまうぞ」

 

―――届かせる相手もいないまま、静かに虚空へと消えていった。

 

 

 

 

 

その後、ファーナムはオラリオの街中を歩き続けた。

 

時に武具店、時に雑貨店などを見て回り、気が付けばすでに夜になっていた。街中の酒場では冒険者たちが一日の締めくくりとばかりにジョッキを呷り、騒がしい笑い声を響かせている。

 

そんな彼らに混じって酒を飲む事もなく、ファーナムは一人ある場所へと足を運ばせていた。

 

それは篝火である。彼ら不死人が拠り所とするものであり、一つの拠点ともなる場所だ。

 

一般人であればまず近寄らないような荒れ果てた有様だが、そんなものは不死人たちには関係ない。毒の溜まった地の底であろうが、溶鉄溢れる城の中であろうが、凍てつく氷の大地であろうが、篝火さえあれば彼らはつかの間の安息を得られるのだ。

 

「………」

 

無言で篝火の前に座り込んだファーナムは、兜の奥で静かに目を閉じる。

 

そうしているだけで一日の疲れが癒え、身体の底から活力が漲ってくる。ドラングレイグでの殺伐とした日々とは比べ物にならない程に平穏と言えるオラリオでの日常だが、それでもある程度は疲れも溜まってくるものだ。

 

体力が全快したファーナムであったが、その顔色は優れない。身に纏ったどこか暗い雰囲気は散る事なく、未だ憑りついたまま。無理に追い払う事も出来ずに、彼はただその場に座り続ける。

 

「………っ」

 

街灯一つない周囲を照らすのは篝火のみ。暗闇にぽつんと存在するその明かりに照らされた鎧姿は、傍目からでは生きているかすら分からない程に微動だにしない。時折僅かに肩を震わせるものの、それだけだ。

 

「俺は………俺は………」

 

やがてゆるゆると右手を動かし、視界を塞ぐように顔を覆うファーナム。すでに固く閉ざされている瞳にとって無意味なその行為に、やはり意味などありはしない。

 

右手は拳の形を作る。手甲の革部分がギチリと軋み、そこに込められた力の強さを物語っている。

 

「……俺はっ」

 

とうとうファーナムの声は震え出した。地面に座り込むその背は丸くなり、何かを堪えているようにも見える。

 

抱いている思いは疑念に変わり、疑念は彼をある確信へと導こうとする。それを認めてしまえばファーナムはもう戻れない。心が折れてしまった者が、再起不能になるように。

 

「俺は―――どっちだ?」

 

不意に零れ落ちた疑問。

 

当然の事ながら、それに答えてくれる者などはいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本拠(ホーム)へと戻る頃にはもう夜の(とばり)が落ち切っており、空には無数の星が輝いていた。メインストリートから離れたこの場所に聞こえてくるのは僅かな喧噪の音色のみで、閑静な雰囲気が漂っている。

 

夜遅い帰宅を果たしたファーナムを迎えたのは門番の団員のみ。僅かな言葉のみを交わして門をくぐり、その先にある庭園を進んで行く。最低限の広さしかないその空間はすぐに反対側へと辿り着き、同時に館の入り口に到着した。

 

寝ている団員もいる事だろう、とファーナムはゆっくりと扉を開く。

 

ほとんど物音を立てずに中へと入り、そのまま自室がある上の階へと通じる階段へと向かおうとして―――その足を止めた。

 

「……?」

 

彼の耳が捉えた僅かな物音。それは大食堂から聞こえてきて、何やらごそごそと物を漁っているような印象を与えてくる。

 

恐らくは誰かが夜食になりそうなものでも探しているのだろうが、万が一という事も無くはない。念の為にも、とファーナムは方向転換し、大食堂へと向かう。

 

半開きになった扉の隙間に身体を滑り込ませ、中の様子を窺う。案の定キッチンの方には小さな明かり―――魔石灯のものだ―――が見え、それが一人分の影を作り出していた。

 

ファーナムは鎧を着込んでいるにも関わらず物音一つ立てずに近付き、物色中の人物を確認する。そして―――。

 

「何をしているんだ」

 

「うひゃあ!?」

 

呆れを含んだ声色でその人物に……否、神物(じんぶつ)へと言葉をかけた。

 

素っ頓狂な声で驚き尻もちをついたのは、やはりと言うべきかロキだった。もはやセットにでもなっているのか、傍らには口の空いた酒瓶とグラスが置いてある。

 

キッチンを物色していたのも、大方酒の肴になりそうなものを探していたのだろう。こんな時間まで酒を飲んでいる主神に、さしものファーナムも呆れを隠し切れない。

 

昨夜の雰囲気などまるで感じさせない、ただの酔っぱらい同然と言った姿のロキは、ようやくファーナムの存在に気が付くと尻もちをついたままの恰好で彼を見上げる。

 

「って、ファーナムかい。もぉ~脅かさんといてやぁ~」

 

「お前が勝手に転んだのだろう」

 

嘆息しつつも手を差し出し、ロキを引き起こす。立ち上がった彼女のもう片方の手には干し肉が数個握られており、どうやらお目当てのものは見つかったらしい。

 

その干し肉を見て、ふとファーナムは酒とコーヒー以外を口にしていなかった事を思い出す。

 

オラリオにやって来てからようやく身に付き始めた空腹感を忘れ、そしてそれに対して今まで気が付きもしなかった事。その事実を容赦なく突き付けられてしまう。

 

―――――所詮は醜い足掻きに過ぎん。人の振りなどしたところで無意味だ。

 

そんな誰か(自分)の声が、頭の中に響き渡る。

 

「………」

 

「ファーナム?どないしたん……」

 

急に黙り込んでしまったファーナムに、ロキは兜に覆われた彼の顔を見上げた。

 

「……っ」

 

そうして、僅かに見開かれる双眸。

 

糸のように切れ長の瞳にある感情の色を宿した女神は、手にしていた干し肉と酒瓶、そしてグラスをキッチン台の上に置き、改めてファーナムに向き合う。

 

「ファーナム」

 

「っ!……ああ、どうした?」

 

彼女の声で我に返ったファーナムは、ここでロキが纏っている雰囲気が先程までと異なっている事に気が付いた。それを裏付けるかのように彼女の表情は真剣そのもので、酔いも完全に醒めている。

 

「……ロキ?」

 

一体どうしたと言うのか。浮かび上がった疑問を言葉にしようとしたが、その直前にロキの方が先に口を開く。

 

「昨日の夜、ウチは言うたな。無理に聞き出そうとは思わん、整理がついたら話してくれって」

 

「!」

 

ロキの口から出た言葉に瞠目するファーナム。

 

何故今、あの時の事が話に上がっているのか。心の中を見透かされているような感覚に陥ってしまう彼に、女神は僅かでも時間を与えようとはしない。

 

「あの言葉は本当や。無理に聞き出すのも悪いし、自分もキツいやろ。話をするんはちゃんと時間を置いてからにしようと思っとったんやけど……」

 

「お、おい。少し待ってくれ」

 

そんなロキに対し、ファーナムは半ば無理矢理に話を中断させた。

 

彼らしくもない。と、この場に他の者がいればそう思うだろう。ダンジョンではどうあれ、普段の彼は大人らしい余裕と落ち着きを持ち、その事は他の団員たちにも広く知られている。

 

その彼が、ロキの言葉を遮ったのだ。まるで何かを誤魔化そうとしているかのように。

 

「急にどうしたんだ?聞き出すだの時間を置いてからだの、何の事やら俺にはさっぱり―――」

 

「嘘や」

 

ぴしゃりと断言するロキの目は揺るがず、ファーナムの逃げ道を塞いでしまう。

 

苦しい言い逃れをしようとした口は閉じ、気まずい沈黙が落ちる。

 

「……ああ、そうだったな。神に嘘は……」

 

「せや、神に嘘は通じん」

 

今もこちらを見上げてくるロキから目を逸らすように、ファーナムは顔を伏せた。それでも彼女から注がれる視線は途切れる事がない。

 

「頼む、ファーナム。話してくれ……でないと自分、きっと潰れてまう」

 

ロキは優しさと同時に、確固たる意志を感じさせる口調でもって語りかける。

 

何があっても逃す気はない。それを理解してしまったファーナムは若干の逡巡の色を見せるも、やがて観念したかのように僅かに肩を落とした。

 

「聞いていて楽しい話ではないぞ」

 

「せやろな。それでも抱え込んどるままよりはずっとマシや」

 

「……ここではなんだ。場所を移そう」

 

「ん。分かったわ」

 

適当な場所とはどこかを考え、書庫だという結論に至る。時刻は深夜、そこを訪れる者も部屋の前を通る者もいないだろうとの考えのもと、二人は足を運ばせる。

 

それまでの間、張り詰めた空気を和ませるようにロキは自身の雰囲気をもとの気さくなものに戻していた。気休めにもならないだろうが、少しでも彼の気を楽にしたいが為に。

 

大して移動に時間がかかるはずもなく、目的地へとやって来た彼らは物音を立てないよう注意を払いながら書庫へと入る。長机を挟み、対面する形で椅子に座ると、ファーナムはゆっくりと話し始めた。

 

未だ彼の胸中に渦巻く様々な感情。気を抜けば叫び出してしまうかもしれない衝動を噛み殺しながら……ゆっくりと、話し始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

来る日も来る日も、殺し、殺し、殺してきた。

 

来る日も来る日も、殺され、殺され、殺されてきた。

 

彼の地、ドラングレイグではそれが日常であった。ごく一部の特別な場所を除いて至る所に敵はおり、一瞬でも気を抜けば即座に“死”がやって来る、そんな場所だった。

 

しかし、慣れというものはどんなものにも存在する。亡者やデーモン、異形の類を殺す度にその手際は洗練されてゆき、次第に弱点も理解していった。

 

その頃には最早、殺す事に躊躇は感じなかった。当たり前だ、敵は理性も知性もない怪物である。そんな者たちを前に何を躊躇する事があるだろうか。

 

『呪いをまとうお方。ソウルを求めなさい』

 

緑衣に身を包んだ竜の子の言葉に従い、ソウルを糧に力を手にした。尋常ではないソウルの持ち主たちも屠り、こちらの世界に侵入してきた闇霊たちも殺した。

 

全て一筋縄ではいかない曲者揃いであったが、最後には常に勝利した。何度殺されようがその度に立ち上がり、殺し返してやった。屈してしまえばソウルを失い、亡者に成り下がってしまうのだから。

 

だから、殺し続けた。

 

殺して殺して、殺し続けた。

 

亡者になどなって堪るものかと、ソウルを求め続けた。

 

武器を振るわぬ日がない日々。血と悲鳴に塗れぬ日がない日々。そんな凄惨極まる世界にあってなお、自分は亡者にはならなかった。

 

だからまだ大丈夫。自分は亡者などではない。

 

―――――そのはずだった。

 

 

 

 

 

「その考えに疑問を抱いたのは、ちょうどあの時だ」

 

薄暗い書庫の中、魔石灯の淡い明かりだけが二人の顔をぼんやりと照らしている。ファーナムは相変わらず兜をしたままで、その奥の表情を窺う事は出来ない。

 

長机の上に両手を無造作に投げ出している彼に対し、ロキは手を組んで話を聞いている―――無造作に投げ出された手と、きちんと組まれた手。それらはまるで、両者の心の内を現しているかのようだ。

 

「24階層で戦った敵……発火装置を身体に括り付けた死兵たち。徒党を組んでこちらを道連れにしようとした彼らに向け、俺は火矢を放った」

 

「………」

 

「火矢は一人の死兵の胸に突き刺さり、爆発した。火炎石に引火したんだ。それが引き金となって周囲の死兵たちも誘爆し、辺り一面が火の海になった」

 

「………」

 

「それでも生き残った者たちはいた。四人だった。俺はその内二人を火矢で殺し、一人は投げナイフで額を穿って殺した。最後の一人はその喉をダガーで切り裂き、殺した」

 

淡々と、ファーナムの口から24階層であった全ての出来事が語られる。

 

自らの手で始末した死兵たちの末路。爆発し、焼かれ、額を穿たれ、喉を切り裂かれて死んでいった者たち。その全てを忘れる事無く、ファーナムの脳は鮮明に記憶していた。

 

当然、その手に伝わった感触も。

 

「敵ではあったが、彼らはれっきとした人間だった。それは間違いないし、疑う余地もない………なあ、ロキよ」

 

「……なんや?」

 

ここで初めて、ファーナムがロキの名を呼んだ。

 

話を開始してから早数十分は経過しており、ようやく一人語りからの流れが変わる。

 

「彼らを手に掛けた時、俺は何を感じたと思う?」

 

「………」

 

しかしそれは、より暗く、より淀む方向へと、だ。

 

「……何も感じなかった(・・・・・・・・)

 

空白となった時を打ち破るファーナムの声。そこには何の感情も込められておらず、聞いた者の背筋に冷たいものが走るような、そんな印象を与える。

 

ロキは動じず、じっと耳を傾けたままの姿勢だ。何も語らない、答えない主神に対してファーナムはフッと笑い、再び言葉を紡ぎ始める。

 

「同じだったんだ、亡者を殺した時と。心は痛まなかったし、動揺する事もなかった」

 

亡者は何も感じない。殺す事にも、殺される事にも。ただソウルを奪う、それだけしか行動原理はない。

 

それと同じ感覚を、ファーナムは感じたのだと言う。相手は亡者ではなく、人間であるにも関わらず。

 

「……この通りだ、ロキ。これが“俺”というものの正体だ。所詮は殺す事しか出来ない、いざ殺すとなればそこに何も感じない……はは、まるで亡者ではないか」

 

……いや、違うか。

 

力無く笑ったファーナムはそこで区切り、更に続ける。

 

「とっくの昔に、俺は亡者になっていたんだ。悍ましい真実から目を背けて、まだ不死人だと、まだ大丈夫だと、自身を偽り続けてきた……」

 

彼の地での殺し、殺され続ける日々。

 

終わりの見えない苦難の旅路は数百年に及び、“彼”という不死人の精神を少しずつ食い荒らしていった。ふと気が付けば、人間であった時の人格など、もはや存在していなかった。

 

日ごとに薄れてゆく自我。“彼”は正気を保つために偽りの人格を作り上げ、それに相応しい言動を心掛けてきた。そうして出来上がった新たな“彼”は、莫大なソウルをその身に宿す程にまでに成長を遂げた。

 

しかし、それに何の意味があると言うのか?

 

元の人格を塗り潰し、偽りの人格で己を書き換える。奪ってきたソウルも、出会った者たちとの関係も、全て新たな“彼”によるものだ。そして現在は“ファーナム”と名を変え、やはり偽りの過去で周囲に溶け込んでいる。

 

傍から見ればごく普通の冒険者。しかしそれは偽りだらけの存在であり、元の“彼”はそこにはいない。それでも亡者ではないと、まだ不死人であると自身に言い聞かせてきたファーナムの考えに、決定的な亀裂が入ってしまった。

 

 

 

―――――(俺たち)を殺しておいて何も感じなかったんだろう?

 

―――――それなのに何故、まだ大丈夫だと思っていたんだ?

 

―――――最早お前は不死人ではない……ただの亡者だ。

 

 

 

誰か(自分)が彼らの姿と声を借りて、ファーナムを責め立てる。

 

脳裏に浮かび上がる彼らは皆一様に焼け、爛れ、燃えていた。人の形を保っていない者も、崩れ落ちた喉を震わせて、彼へと呪いを紡ぎ続けている。

 

その呪いを、ファーナムは受け止めきれない。

 

「亡者である事すら理解していなかったとは、なんと滑稽な……とんだ茶番だ」

 

かき消えてしまうようなファーナムの長い独白は、こうして終わりを告げた。

 

もう彼は元には戻れない。自分自身が、その在り方を否定してしまったのだから。抜け殻のようになってしまったファーナムの鼓膜は、もう誰の言葉にも震える事はないだろう。

 

気付いてしまった不死人は終わり、亡者化が急速に進行する。

 

深淵にも似た深い闇の中へと、ファーナムの意識が落ちてゆく―――――。

 

 

 

 

 

「それはちゃうで、ファーナム」

 

 

 

 

 

その直前。

 

女神の声が降りかかった。

 

「………ロキ?」

 

「なんや、聞こえんかったんか。なら何度でも言うたるわ」

 

ふらふらと顔を上げたファーナムの瞳が映し出したのは、朱色の髪をした女神の姿。よく知っているはずなのに、彼女の名前を口に出すのが妙に遅れてしまった。

 

そんな彼を心配する様子もなく、ロキはいつもの調子で喋り始める。

 

「自分は亡者やない、それはウチが保証したる」

 

「何を……言っている……?」

 

臆する事無く語られたロキの言葉に、ファーナムは信じられないものを見るような目を向けた。

 

今の独白をどう捉えれば、そのような言葉を吐けるのか。この場の空気に流されて適当な事に言っているだけなのではないかと、抱いた疑念を消し去る事が出来ない。

 

「気休めのつもりか」

 

「いいや、大真面目や。自分は亡者なんかやない」

 

「っ、お前に何が分かると言うんだ……!?」

 

突き放すような自身の言葉にも、ロキはその態度を変えようとはしない。ただ真っすぐにこちらを見つめ、亡者ではないと言う。

 

眷属思いの良い神だとファーナムは思った。彼女の言葉には芯があり、無条件に縋りつきたくなる。しかしそれは出来ないのだ。他ならぬ自分自身が、亡者であると認めてしまったのだから。

 

絶望的な事実と救済の言葉。その二つの間を彷徨うファーナムの口調は次第に荒くなり、同時に落ち着きを失っていく。

 

「……自分が歩んできたここまでの記憶。苦しいばっかの数百年なんて、呑気な神々(ウチら)には想像もつかんわ」

 

「はっ、やはりな。所詮は気休めの言葉だったか」

 

「だから、それはちゃうって言うとるやろ、ファーナム。自分は亡者やなくて―――」

 

「黙れッッ!!」

 

とうとう堪らずに、ファーナムは立ち上がった。

 

その衝撃で椅子は倒れ、乾いた音を響かせる。それなりに広い書庫に響くのは彼の叫びのみ。怒りと悲痛がない交ぜとなった感情の奔流が、その口から迸る。

 

「今更哀れみなどいらない、そんなものは無意味だ!いっその事突き放せば良いだろう!それを上辺だけの言葉で慰めて、慈母にでもなったつもりか!?」

 

「………」

 

「俺は亡者だ!人を殺しても心も痛まなかった(けだもの)だ!悍ましく、気色悪く、救いようのない……モンスターだっ!!」

 

モンスター。

 

下界において人類に仇成す最大の脅威にして、最も汚らわしい存在。そんなものと自身とを同等に扱うファーナムを、ロキは悲しげに見つめている。

 

その目を見るのが辛くて、それでも努めて無視する。酷い事を言っても湧き上がる感情は留まる所を知らず、血を吐くような思いで腹の底に溜まったものをぶちまける。

 

「好きで亡者になった訳じゃない!当たり前だろう!?誰がなりたくてそんなものに……!誰がしたくて、あんな事……っ!!」

 

感情を上手く操作出来ていないのだろう。ファーナムは自身の言葉に脈絡がなくなってきている事に気が付いていない。

 

「ああするしかなかった。そうでなければレフィーヤやフィルヴィス、他にも多くの者たちの命が失われてしまったかも知れない……彼らを、全員を救う方法を考える余地などなかった!」

 

彼の叫びが示すのは、24階層での戦闘の一幕。襲いかかってきた死兵たちを、彼は自身の手で殺したのだ。

 

「それでもっ!それでも考えてしまうんだ!もっと他に方法があったのではないかと、殺す以外の選択肢があったのではないかとっ!」

 

過ぎ去った時間は戻らない。奪ってしまった命も戻らない。不可逆という世界の理を前に、ファーナムはこれ以上ない程に打ちのめされた。

 

 

 

「考えずにはいられないんだよっ、ロキ!俺が……この亡者(おれ)がっ、人間(かれら)を殺したのは間違ってたんじゃないかって!!」

 

 

 

息を切らし、ファーナムは遂に言い切った。

 

普段の冷静な姿は見る影もない。取り乱し、癇癪を起こした子供のように叫び散らした彼は、遂に腹の底の奥深くにあったものを吐き出した。

 

常に使っていた硬い口調は崩れ去っていた。それは尋常の精神状態ではないからか、それとも、それこそが本来の彼(・・・・)であったが故なのか。

 

心中を吐露し、全てを曝け出したファーナム。

 

それらを聞き届けたロキはおもむろに立ち上がり、テーブルを押しのけて彼の前へと立つ。手を伸ばし、兜に覆われた彼の顔を両手で挟むように触れ―――――そして。

 

 

 

 

 

「だからこそ、自分は亡者やない」

 

 

 

 

 

そう、力強く断言してのけた。

 

「その葛藤と後悔こそが、亡者と人間(・・)の違いやと。ウチはそう思うで」

 

「……なん、だって……?」

 

兜越しに伝わる確かな熱。

 

それを感じ取ったファーナムは、震える唇を必死に動かしてどうにか言葉を発する。

 

暗闇に迷った者が一筋の光に縋るように、彼は差し伸べられた救いの言葉に聞き入った。

 

「ちょっと前までのオラリオは闇派閥(イヴィルス)が蔓延っててな。そこかしこで子供たち同士が戦っててん。毎日、毎日、混乱と悲鳴が続いてた」

 

「毎日……」

 

「そう、毎日や。フィンたちもその時は戦闘に参加して、闇派閥(イヴィルス)相手にドンパチしたもんや」

 

語られるのはオラリオの暗黒期。秩序と混沌の二大勢力が日々激突し、人々が恐怖に震えていた時代だ。そんな中でフィンたちは騒乱を止めるべく動いていたのだ。

 

「ウチらにその気がなくても、相手は殺す気満々や。捕縛が第一やってんけど、どうしようもない時もあった……皆、殺したくて殺した訳じゃないんよ」

 

「ッ!!」

 

その言葉に、ファーナムの双眸はこれでもかと見開かれる。

 

ロキの言わんとしている事を理解した彼の視界が、ゆっくりと歪んでいった。

 

「ファーナム……辛いやろうけど、受け止めるんや。亡者になったなんて言うて逃げたらあかん。自分がそいつらの事を覚えてい続けるんや。皆そうしてきた」

 

「………っ、ぁ……!」

 

「そして思い出しぃ。自分は殺しただけやない、レフィーヤたちの命を救ったんやって」

 

「ぁ……ぁあぁ……っ!!」

 

双眸から溢れる感情に歯止めは聞かず、嗚咽が漏れる。両足は震え、立っている事すらままならなくなってしまう。ずるずると崩れ落ち、両膝をついてロキの前に跪く。

 

魔石灯が二人の姿を淡く照らし出す。その光景はまるで、聖堂に飾られている絵画のようだ。甲冑姿の騎士が神前で懺悔している、そんな一幕を切り取ったかのような。

 

「……彼らの顔が、声が、頭から離れないんだ。何をしていても、どこにいても……最期の瞬間が、頭の中に……!」

 

「うん」

 

「人の名を口にしていた。あれはきっと、親しい者の名だ……彼らにも、愛する者がいたんだ……!」

 

「うん」

 

「……オリヴァスと言う怪人(クリーチャー)を、俺は惨たらしく殺した……これ以上ない位に、残酷に。それでも俺は……お、俺は……っ!」

 

床を縋る両手が震える。

 

背を丸め、芋虫のように縮こまったファーナムを、ロキはそっと包み込む。その場にしゃがみこみ両腕をいっぱいに広げ、安心させるように優しくその背を撫でた。

 

そして、こう言うのだ。

 

「大丈夫……自分はきちんと人間(・・)や」

 

その葛藤こそが人間たる証であると、その後悔こそが人間たる証なのだと、ロキは断言する。何故なら誰かの為に怒る事も、誰かの死を悼む事も、亡者には出来ない事なのだから。

 

嗚咽を滲ませ、小さく身体を震わせ続けるファーナムに、ロキは無言で寄り添い続けた。その震えが止まるまで、ずっと。

 

やがて夜が明け、人々が新たな一日を歩み始める頃……ファーナムもまた立ち上がり、再び前を向くのであった。

 

 




ようやく書けました。

やっぱりこういうのは描写が難しいですね。思った以上の文字数になってしまいました。

外伝の最新刊も怒涛の展開でしたので、この熱を原動力にして最後まで書き続けたいと思います。よろしくお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十五話 『遠征』五日前

太陽とは昇り、暮れるもの。月もまた同じ。

 

人の世に何があろうと、それらはお構いなしに自らの役割をこなしてゆく。急ぐ事も遅れる事もなく、ただ淡々と。

 

故に―――人はまた歩く事が出来るのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

己の胸の内に溜まっていた思いの全てをロキへと曝け出し、そして救われたファーナム。

 

自身はまだ亡者ではない、過去を悔やむ事が出来るのであればそれはまだ人間である事の証である。そう言われた彼は現在、まさしく後悔していた。

 

「よーっし、いっくぞーーっ!」

 

「次こそぶっ倒す……!」

 

彼の目の前にいるのは闘志を滾らせる褐色の姉妹……ティオナとティオネ。彼女らは全身を擦り傷に塗れさせながら、それでもなお爛々と目を輝かせている。

 

臨戦態勢の獣のような二人を前にファーナムはごくりと生唾を飲み込み、思わずこう呟くのであった。

 

「……何故、こうなった……」

 

 

 

 

 

事の発端はつい先程にあった。

 

「む?」

 

館の空中階段を歩いていたファーナムはふと視線を落とすと、そこには中庭の一角で組み手をしていたティオネとティオナの姿があった。

 

組み手といっても二人は互いに上級冒険者。下位の団員が見れば本気でやり合っているようにしか見えず、事実その戦いぶりは激しさを増していった。

 

「……他の者たちが心配するか」

 

本気の姉妹喧嘩(・・・・)と勘違いする者を出さない為にも、ファーナムは中庭へと目的地を変えて歩き出す。お目付け役として第三者が近くにいれば、そうそう誤解もされないだろうとの判断である。

 

そうしてやって来た彼は溜め息をひとつ吐いた。

 

青々としていた芝生は組み手の余波によってあちこちが抉れ、土が露出してしまっている。恐らく互いに投げたり、叩きつけたりしたのであろう。

 

ティオネもティオナも衣服の所々を土で汚し、血が滲むような怪我までしている。それでも全く止めようとしないのは、彼女たちが生粋の戦闘種族(アマゾネス)だからか。

 

強さを求める事は冒険者にとって素晴らしいが、流石に限度というものがある。ここまで中庭を荒らしてしまうのはどうかと思い、ファーナムは夢中で拳を繰り出し続ける二人へと声をかけた。

 

「ティオネ!ティオナ!」

 

「あれ、ファーナム?」

 

「どうしたのよ、アンタ」

 

幸いな事にまだ彼の声は届いたようで、二人は組み手を中断させてファーナムへと土塗れの顔を向ける。あれだけ激しく動いておきながら、それでも何事もなかったかのような様子であるのは流石Lv.5の体力と言ったところか。

 

感嘆か呆れか。自分でもよく分からない溜め息を更に吐き出しつつ、ファーナムは二人へと近付いてゆく。

 

「どうした、ではない。少しは周りを見ろ」

 

「え……って、あっちゃー……」

 

「ちょっとやり過ぎたかしらね」

 

彼の言葉に少しは冷静さを取り戻したようで、ティオナとティオネはバツが悪そうな顔で周囲を見渡した。見るも無残な有様と成り果てた中庭の一角は、さながら戦闘でもあったかのようだ―――事実、それに近いのだが―――。

 

アイズもそうだが、どうも【ロキ・ファミリア】(うち)の若者たちは熱が入ると周りを忘れてしまう癖があるようだ、とファーナムは思った。

 

普通はもっと心身共に成長してから至るべき強さの領域に足を踏み入れているが故に、強さへの渇望も人一倍。それ故の無茶も過去に何度もあったとフィンたちからも聞かされている。

 

(まぁ、この若さでこれだけの力を手にしているからこそ、今の【ロキ・ファミリア】があるのだろうが)

 

ファーナムはアイズたちが分不相応の力を手にしているとは思っていない。むしろそれに相応しい器はすでに手にしていると考えている。

 

問題なのは若さ故の無茶(・・)。いざという時に冷静な判断を下せるか、あるいはそれを下せる者……例えばフィンのような者がいてくれるのかどうか。それだけを懸念していた。

 

(このファミリアでは最も若輩者の俺が心配する事ではないのかも知れないが、それでもな……)

 

不死人として人生経験(・・・・)が豊富だからか、十代半ばの彼らを見ているとつい余計な心配をしてしまう。

 

こんな感情が芽生えてしまうのも、昨夜ロキに打ち明けたからなのか。

 

以前であれば未練がましいとすら思えた人間らしい感情も、今となっては妙に心地良い。少なくとも、この思いを抱くのは決して間違いではない―――そう思える程度には。

 

「……ふっ」

 

「? どうしたの、急に笑ったりして?」

 

思わず漏れた小さな笑い声。それをティオナの耳は聞き逃さなかった。

 

気付けば、彼女はファーナムの顔を覗き込むようにして見上げていた。その身長も相まって小動物じみた印象を抱くも、即座にそれを否定する。小動物はここまで派手には暴れないからだ。

 

「いや、何でもないさ」

 

「そっか。ところでファーナム、ちょっとお願いがあるんだけど……」

 

「む?」

 

足取り軽やかに、両手を広げてその場でくるりと一回転したティオナは、満面の笑みを浮かべながらこう切り出した。

 

「組み手の相手、ちょっと付き合ってくれない?」

 

 

 

 

 

ティオナの主張はこうだった。

 

せっかくLv.6の―――ロキのついた嘘であるが、事実その位の力はある―――ファーナムがいる事だし、最後の一回くらいは手合わせをしたい、との事だ。この意見に姉のティオネも賛成し、なし崩し的に相手をする事が決定してしまう。

 

土やら何やらが露出した芝生の処理はその後で、という流れになった。すでにかなり荒れていたので、多少酷くなっても許容範囲内だろう、との考えである。

 

二人の熱意に折れ、しぶしぶファーナムは相手をする事になった。このまま消化不良でいさせるより、いっそ発散させてやった方が良い、という判断を下したのだ。

 

しかし、彼は甘く見ていた。

 

戦闘種族(アマゾネス)の姉妹の有り余る体力、そしてその負けず嫌いさ加減を。

 

 

 

 

 

「えいっ!」

 

「っ!」

 

可愛らしい掛け声とは裏腹に、鋭い風切り音がファーナムの顔の真横を通り過ぎていく。

 

「ッラァ!」

 

「!?」

 

放たれた拳は空を切るも、続く第二撃目が畳みかけてくる。怒気すら感じさせる程の声と共に迫り来る足刀を、今度は上体ごと後ろへと大きく逸らせて回避する。

 

そのまま後方へと転がり距離を取る。片膝立ちの恰好になったファーナムは、兜の中で冷や汗を垂らしながら前方を見やる。

 

「あ~ん、また外したー!」

 

「アンタさっきから邪魔!割り込んでこないでよ!」

 

そこには肩を並べて立ちはだかる褐色の姉妹の姿が。純粋に悔しがるティオナとは対照的に、ティオネは苛立ちを隠し切れずに顔にまで出始めている。

 

「全く……本当に、何故こうなった……」

 

荒くなり始めた呼吸を整えながら、ファーナムは静かにぼやく。

 

最初は良かった。

 

まずはティオナから相手をし、その後にティオネと手合わせをした。が、彼女たちの繰り出した攻撃が当たる事はなかった。

 

レベル差というのもあるが、やはり場数が違ったのだ。数百年の時を戦い続けてきた彼にとって、一対一であればそうそう負ける事はない。結局彼女たちは一発も当てる事が出来ぬまま、時間切れとなってしまったのだ。

 

しかし、それで納得する二人ではなかった。

 

もう一回、もう一度!と再戦を申し込み、その度に攻撃が全て空を切る。この事実にティオナは悔しがり、ティオネは言わずもがなである。

 

そして、とうとう二人は一斉にかかってきた。

 

制止の声も聞かずに繰り出してくる拳と足刀。組み手の域を越えつつあるその威力は中層程度のモンスターであれば容易く屠れる程であり、これをまともに受ければ流石のファーナムであっても無傷では済まない。

 

完全に聞く耳を持っていない二人を前に、ファーナムは困り果てていた。これまでに組み手らしい事などした事がなく、故に時間切れ以外での終わらせ方を知らない。

 

かと言って下手に攻めてしまえば、二人に怪我をさせてしまうかも知れない。そんな考えもありこの状況から脱する事が出来ずにいるのだ。

 

「それっ!!」

 

「うっ!?」

 

「まだまだぁっ!!」

 

「ぬぅっ!?」

 

二人の攻撃は留まる所を知らず、それどころか更に激しくなっている。

 

踏み締めた脚が芝生を抉り、跳躍と同時に地面が爆ぜる。もう青い芝生が見える箇所はまばらであり、そこら中が土色に染められていた。

 

「お、おい!芝生が……っ!」

 

「えー、なにーーっ!?」

 

「ごちゃごちゃうっせぇ!!」

 

攻撃の合間を縫いながら説得を試みるも、聞く耳を持たないティオナとティオネ。連撃はますます勢いを増し、その精度も次第に高まってゆく。

 

(不味いな、これ以上は……!)

 

いよいよ身の危険すら感じ始めたファーナムは、遂に攻撃に打って出る事を決心した。極力加減し、しかし動けなくなるであろう絶妙な力加減でもって、この事態を収束しようと試みる。

 

「っ!」

 

「わっ!?」

 

まずティオナが繰り出した拳を左手ですくい上げるようにして弾く―――つまりはパリィし、体勢を崩す。

 

「ふッ!」

 

「なっ……!?」

 

次にティオネだ。彼女が放った拳、それと合わせる形で右拳を突き上げ、同じく体勢を崩す。

 

それぞれが放った拳が続けざまに弾かれ、彼女たちの顔が驚愕に彩られる。そしてファーナムは次の攻撃に移らせまいと、流れるような動きで腰を落とし地面を強く踏み締める。

 

力加減を忘れてはいけない。これは飽くまで組み手であり、殺し合いではないのだ。

 

かつての旅路ではあまり経験した事のない“加減”というものを意識しつつ拳を固め、強く握り締める―――――!

 

 

 

 

 

「お前たち、何をしている」

 

 

 

 

 

と、その直前。

 

背後より聞こえてきたその声に、三人の時がピタリと止まった。

 

「「………あっ」」

 

珍しく息の合うティオネとティオナ。二人は立て直しかけの不格好な体勢のまま身体を硬直させ、だらだらと冷や汗を流し始める。

 

あれだけ興奮していた二人が一気に冷静になった。その答えは振り返ればすぐそこにあるのだが、生物的直観(・・・・・)がそれに待ったをかける。

 

「ティオネ、ティオナ……そしてファーナム」

 

しかし振り返らない訳にはいかない。何故なら人の世に生きる以上、避けては通れない事も多くあるからだ。

 

そう。例えば―――ちょうど今現在の、この状況のように。

 

「……リ、リヴェリア」

 

掠れた、情けない声がファーナムの喉から絞り出される。

 

ギギギ、と振り返った恰好の彼はそのまま硬直し……エルフの王族にして【ロキ・ファミリア】副団長たるリヴェリア・リヨス・アールヴの半眼をその身に受けてしまう。

 

「誰か説明してくれないか……主に、この中庭の惨状について」

 

九つの魔法を操る、オラリオ最高峰の魔導士『九魔姫(ナイン・ヘル)』。

 

彼女の魔法を彷彿とさせる【ウィン・フィンブルヴェトル(極寒の視線)】に晒された三人は顔面を蒼白にし―――珍しく声を荒げたリヴェリアから、直々に雷を頂戴するのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同時刻。

 

オラリオ北東のメインストリート―――魔石製品製造など、都市の工業の中心地たる第二区画―――から出てゆく二人の人影があった。

 

「いやぁー、何とかなって良かったわぁ~」

 

「そうだね。今度の遠征には椿たちも同行してくれるし、今のところは順調だよ」

 

一人は子供と見紛う程の大きさの金髪の小人族(パルゥム)、そしてもう一柱(ひとり)は朱髪朱眼の女神。

 

【ロキ・ファミリア】団長、フィン・ディムナ。そしてその主神であるロキが、肩を並べて工業地帯を歩いていた。

 

「しっかし『不壊属性(デュランダル)』の武器を五つ。かかっ、こんだけの数を一気に揃えたんはウチらが初なんやないか?」

 

「以前の遠征では芋虫型に苦労させられたからね。今後の事も考えれば、必要な出費さ」

 

「流石フィンや。ファミリアの金の大半を注ぎ込んどんのに、そないな台詞そうそう言えへんで」

 

「あまり言わないでくれ、ロキ。これでも結構悩んだんだよ?」

 

談笑しながらも歩みを進めてゆく二人の足は、気が付けばオラリオの大通りにまで伸びていた。

 

今まで二人は椿とその主神たるヘファイストスと、次回の遠征について話し合いをしていたのだ。と言うのも、前回の遠征で撤退せざるを得なかった元凶たる、溶解液を放つ芋虫型への対策のためだ。

 

金属をも溶かすこの厄介なモンスターに対抗すべく、フィンは椿に『不壊属性(デュランダル)』の武器の作成を依頼した。その現物確認を終え、今は帰路についているところだ。

 

当然ながら遠征には危険が伴う。人死にのリスクを可能な限り下げるべく、事前準備は最も重要であると言える。そんな大仕事に一応の区切りがついたからか、ロキは肩をコキコキと鳴らしながらぼやく。

 

「あ~、ほんまに疲れた~。神酒飲みたいわぁ~」

 

「我慢してくれ。遠征が終わるまでしばらく資金繰りは火の車になりそうなんだ。今はそんな高級品を買う余裕はないよ」

 

「それは分かっとるけどぉ~……」

 

ぶー、と膨れる主神にフィンはくすりと笑みを零し、そしてその視線を一件の建物へと向ける。

 

そこは喫茶店だった。二階部分には外の景色を眺められるバルコニーがあり、実に洒落っ気のある外見をしている。昼に差し掛かるにはまだ少し時間があり、そのせいか客の数は少なそうだ。

 

「酒は駄目だけど、少し一休みしていこうか。そこの喫茶店が空いているようだしね」

 

「おっ。なんやフィン、気が利くやん!ちょうど小腹が減ってたんや」

 

フィンに促されるまま、ロキは喫茶店へと足を踏み入れた。

 

店の主人はとんだ有名人の来客に驚いた様子だったが、気を取り直して二階のバルコニーへと案内する。気を使ってか、案内された席は他の客たちからは離れていた。聞き耳でも立てない限り話し声を拾う事は出来ないだろう。

 

席に着いたロキはサンドイッチのランチセットを、フィンはコーヒーを一杯注文する。程なくして運ばれてきたそれらに口にし、二人はほう、と息をついた。

 

「そういや、フィン。本当に魔剣は用意せんでええんか?」

 

「ンー。欲を言えば欲しいけれど、それを用意するとなると本当にファミリアの資金繰りが危なくなる。手持ちの魔剣で我慢するしかないね」

 

クイ、とコーヒーを飲みつつそう語るフィン。ロキはぱくぱくとサンドイッチを口に放り込みながらも、眉を八の字にして難しい顔をしている。

 

「そっかぁ。ファイたんは借金(ローン)を組んでもええって言うてたけど、やっぱ流石になぁ……」

 

「ハハハ、心配してくれてありがとうロキ。でも大丈夫さ。リヴェリアもいるし、それに今回からはファーナムもいる」

 

「うん?」

 

突如として話題に上がったファーナムの名前に、ロキは顔を上げる。

 

フィンは更にもう一口コーヒーを飲み、そして言葉を続けた。

 

「彼のスキル……手持ちの武器やアイテムを膨大な数格納(・・)しておけるという、例のアレさ。彼の力があれば必要な物資を運ぶ手間も大幅に削減できるし、その分下位の団員の危険度も下がる」

 

ファーナムのスキルという事になっている、物質のソウルへの還元。

 

これがあれば物資を運ぶ低レベルの団員たちがモンスターに襲われる可能性も下げる事ができ、かつ迅速に目標階層まで進む事が出来る。

 

「それに彼も何本か特殊(・・)な魔剣を持っているみたいだしね。いざとなれば、それに頼らせてもらうとするよ」

 

魔剣、というのは属性派生した武器の事だ。

 

フィリア祭の時にファーナムが椿に見せた武器の数々。本質的には魔剣とは別のものではあるが、オラリオの知識からはそうとしか言いようがない。事実、椿自身も魔剣である事を疑ってはいない。

 

修復可能、という前代未聞の魔剣。これほど便利な武器に頼らない手はない、と考えたのだ。

 

「新入団員の武器に頼る、か。臆面もなくようそんな事言えるなぁ、フィン」

 

「当然さ。僕は団長として全員を地上へと帰還させる義務があるからね、その為なら何だって使わせてもらうよ」

 

そして、と。

 

フィンはいったん区切り、言う。

 

「その為にも、彼の素性は明らかにしておきたいと思っている」

 

「………」

 

続いていた会話が唐突に途切れる。

 

普段であれば気にも留めない、僅かな間。しかし対面する者―――ロキはその変容した雰囲気を感じ取り、残り一つとなったサンドイッチへと伸ばしていた手を止めた。

 

「もう一度言うよ、ロキ」

 

空白を破り、口火を切ったのはフィンだった。

 

彼はその碧眼を己が主神へ向けると、強い意志を感じさせる口調でこう続ける。

 

「僕は彼の……ファーナムの素性を明らかにしたい」

 

 

 

 

 

前回の遠征。その最中にダンジョン『深層で』偶然にも彼らが出会ったファーナムという男。

 

クァトという神が主神を務めるファミリアの出身で、実力はLv.6相当。聞いた事もないスキルを保有し、特殊な武器まで所有している。これ程の実力者を今まで噂程度にも知らなかった事を、彼はずっと不可解に感じていたのだ。

 

「今日までギルドで記録などを見せてもらいながら、僕の方で色々と調べていたんだ。彼とその主神、クァトに関する事をね……でも、そんなものはどこにも見当たらなかった」

 

リヴィラの街の一件以降、フィンは独自でこの件についての情報収集に動いていた。

 

団長という立場柄、割ける時間は限られていたが、それでも調べるのにそう時間はかからなかった。ただそれは、誰かが手伝ってくれたからという訳ではない。

 

「それも当然だ。何故なら【クァト・ファミリア】なんてものは、これまでに設立された事はないのだから」

 

いくら調べても【クァト・ファミリア】という名前は見つからなかったのだ。

 

ファミリアが設立され冒険者となった眷属がいるのならば、当然ギルドにその記録があるはず。しかしそんな記録はどこにもなく、またファーナムという冒険者に関しても同様であった。

 

「考えられる可能性は、ギルド設立当初かそれよりも以前―――ギルドが完全に今の管理形態になるよりも前にファーナムがクァトという神の眷属になったという線だが、これはあり得ない」

 

確かに、ギルドが現行の管理形態になる以前であれば、数百年前のファミリアに関する詳しい記録などは残っていないのかも知れない。しかしそう考えると、どうしても矛盾が生じてくる。

 

それはファーナムの種族に起因する。

 

彼の種族はヒューマンであり、身体的特徴からもそれは裏付けされている。その大前提で考えるならば、とっくに寿命を迎えているはずなのだ。

 

神の恩恵によって肉体の最盛期を維持できるにしても、寿命を延ばす事など不可能。数百年単位の命を持つ種族など、それこそエルフのような長命種族だが、ファーナムの身体的特徴とは一致しない。

 

「考えれば考える程おかしい。“クァト”という神も、ファーナムという冒険者も。彼に関する何もかもが疑問に満ちている」

 

「………」

 

口を噤み続ける主神に対し、フィンは一方的に持論を展開し続ける。

 

それでもロキは口を開こうとしない。あるいはこちらが考えている事全てを聞こうとしているのか。後者であると直感したフィンは、最後を疑問で締めくくった。

 

「……これは飽くまで推測だし、間違っていたら失礼に当たるが―――――ロキ」

 

 

 

「“クァト”という神は、本当に実在するのか?」

 

 

 

再び、沈黙が落ちる。

 

昼時になったメインストリートからは人々の賑やかな声が木霊し、みな昼食を取りに思い思いの場所へと足を運ばせている。その顔は一様に活気に満ち、楽しげな雰囲気を振りまいている。

 

そんな彼らとは対照的なのが、ロキとフィンである。

 

フィンは鋭い眼差しをロキへと向けており、彼女もまたそれを受け止めている。やがて僅かに目を伏せたロキは、ふぅ、とロキは小さな溜め息を漏らした。

 

「……なんや、やっぱ勘付いとったんか」

 

「当然だろう?僕は団長だからね、ファミリア全員の素性を頭に入れておかなければならないんだ」

 

「はは、敵わんなぁ。だからってギルドの記録まで調べ尽くすか、普通?」

 

笑いながら、降参とばかりに両手を上げるロキ。その行為に自分の推測は間違っていなかったと確信を得たフィンは、更に深く追求しようとする。

 

「さて、ここまで来たんだ。もうはぐらかしたりはしないで正直に話してくれるね?」

 

“クァト”という神はいない。それはつまり、ファーナムは別の神の眷属であったという事を示している。

 

ロキが何故、彼のついた嘘を肯定したのか。その理由は?ファーナムという男は、本当は何者なのか?

 

聞きたい事は山ほどあるが、その一つ一つを吟味しなくてはならない。何せ相手は道化の神である。彼女が語る言葉に嘘が紛れているかどうかを知る術はない。そうである以上、頼れるのは己の頭脳のみだ。

 

いつでも来い。表情には出さずとも確かな決意をしたフィンに対し、ロキは―――。

 

 

 

「すまん、堪忍してや」

 

 

 

抜け抜けと、それこそ臆面もなくそう言ってのけたのだ。

 

「……何だって?」

 

「あら、聞こえへんかった?堪忍してやって言うたんや」

 

まさかの拒否。これは予測していなかったのか、流石のフィンも面食らってしまう。

 

ロキとは長い付き合いがある。だからこういった局面において、彼女は無暗にはぐらかすような性格ではない事は良く知っている。それなのにこのような行動を取る意味が分からない。

 

数瞬の思考停止に陥るフィン。その隙を突き、ロキは語り始める。

 

「フィンの言い分はもっともや。素性の分からん奴をファミリアに入れるなんざ、どんなボンクラでもあかんって分かる。ウチもそう考えとる」

 

「っ、それならなんで―――」

 

「ファーナムの為や」

 

「……っ!」

 

もしも誰かがこの光景を見ていれば、大層驚いた事だろう。食い下がるフィンをたった一言で黙らせたのだから。

 

いつものおどけた表情はそこにはない。あるのは昨夜、ファーナムが抱いていた葛藤を全て受け止め、真の解を与えた女神が浮かべる決意のそれだ。

 

「ファーナムは……あいつはこれまでに、散々な目に遭ってきた。長い間、ずっとずっと苦しんできた」

 

「長い間……」

 

「せや。そんなあいつがフィンたちと出会って、オラリオで生活して、ようやく()を見つけられそうなんや」

 

ロキは思い出す。己の腕の中で、小さな子供のように震えていたファーナムの事を。

 

自分はもう亡者なのだという考えが浮かんでしまう程に追い詰められていたファーナム。一見すると強い冒険者であった彼は、その実どこまでも弱く、いつ心が折れてもおかしくはない状態だった。

 

そんな彼がようやく、数百年ぶりに人間らしい生き方が出来そうなのだ。

 

消えかけの残り火が息を吹き返し、以前の在り様を取り戻す。ロキは決してその邪魔をしたくはないのだ。

 

「確かにファーナムの素性は全部嘘や。クァトっちゅう名前の神の知り合いもおらん、でっち上げや。けどこれだけは約束できる……あいつは絶対に悪者やない」

 

強く、強く。

 

フィン以上に固い意志を込め、断言する。

 

ファーナムは決して、害となるような存在ではないと。

 

「………そう思う根拠は?」

 

「それは自分も分かっとるやろ」

 

「………敵わないなぁ」

 

今度はフィンが手を上げる番だった。

 

彼は軽く笑い、これ以上の追求を取り止めた。ロキの神意、そしてファーナムという男は(よこしま)な考えを持っていないという共通認識であると分かったからだ。

 

張り詰めていた緊張の糸が解け、空気が弛緩してゆく。気が付けばすでに雰囲気は元通りとなり、ごく普通の昼食風景が広がっていた。

 

「分かった。とりあえず、しばらくは無理にこの事は追求しないよ。僕としても今ファミリア内で不和が起こる事は望ましくない」

 

「またまたぁ、そないな事言うて。ほんまは嫌われたくないだけやろ!」

 

「それもあるけどね。今回の遠征に行かない、なんて言い出されたら計画が狂ってしまうからね」

 

「……え、マジで利害の事しか頭にないん?」

 

「……ロキ、僕だってたまには冗談も言うんだよ?」

 

 

 

 

 

何はともあれ、遠征まで残り五日間。

 

ある者は己を高め、ある者は準備を進め、そしてまたある者は、とある少年を鍛え上げていた。

 

刻限は迫る。

 

望む望まざるに関わらず、それはゆっくりと、しかし確実に近づいてゆく。太陽が昇り、月が入れ替わるが如く。

 

そう。

 

望む、望まざるに関わらず―――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――――っ」

 

「な、なに………今の夢?」

 

 




~おまけ~


雷ドーン!

ファーナム「雷返し!」

リヴァリア「ふざけるなよ」

ファーナム「   」

九魔姫(ナイン・ヘル)』の巴流に隙はなかったのだ……。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十六話 『遠征』前夜

【ロキ・ファミリア】の『遠征』二日前。

 

ギルド最奥、祈祷の間でギルド長ロイマンからの報告を聞き終えたウラノスは彼を退室させると、その双眸を閉じ静かに息を吐いた。

 

「―――やはり仕掛けるか、彼らは」

 

ウラノス以外に誰もいないかに思われた空間。その闇を切り裂き現れた黒衣の人物、フェルズは足音一つ響かせずに大神の隣へと移動する。

 

「先日の一件……24階層での戦闘から、まだ一週間も経っていないというのに」

 

「その程度でロキの子供たちは怯まない。それにダンジョンの攻略は、下界にいる我ら全員の悲願でもある」

 

ロイマンからの報告は【ロキ・ファミリア】の遠征に関するものであった。

 

前回は予想外の事態により撤退を余儀なくされたが、今回は違う。極彩色のモンスター―――芋虫型の吐き出す腐食液―――対策として【ヘファイストス・ファミリア】に作成を依頼した不壊属性(デュランダル)の武器がある。

 

加えて赤髪の女、レヴィスがアイズに向けて放った台詞『59階層へ行け』という発言。

 

59階層(そこ)には何かある。そう確信したフィンたちは、今回の遠征に踏み切ったのだ。

 

怪人(クリーチャー)に『彼女』、そして『エニュオ』なる者の存在。調べなければならない事は山積しているが、それだけではない」

 

「ああ。例の入口(・・)についても、調べを進めなくてはならない」

 

口に出して情報を整理するウラノス。その隣に立つフェルズは顎に手を当てて考える素振りを見せ、もう一つの不安要素を語る。

 

それは数日前、24階層から帰還したファーナムとの話し合いの場で立てたある一つの仮定の話である。

 

「以前にダンジョンに現れた闇霊(ダークレイス)……喪失者の出現を、私は察知する事が出来た」

 

「一方で亡者らしき集団、不死人と思しき黒フードの二人組、そして今回の黒騎士たち。そう言った者たちの出現には気が付く事が出来なかった」

 

ウラノスの言葉をフェルズが引き継ぎ、互いに情報を整理し合う。

 

前者と後者の決定的な違い。それはウラノスが侵入を察知出来たか否かという点にある。

 

「ダンジョンに何らかの異常があった場合、私が気付かないはずがない。だが事実としてそれを察知する事が出来なかった。このような事態は過去千年を遡っても、一度も経験した事がない」

 

ダンジョンからモンスターが溢れ出るという地獄絵図。それを絶大な神力を以て抑え続けているウラノスは、言わばダンジョンという“世界”の主である。

 

その考え方は以前ファーナムからの説明にあったものに似ている。曰く、闇霊(ダークレイス)が侵入すれば世界の主たる“自分”はすぐにその異変を察知できるとの事だ。

 

人体に置き換えて考えた場合、闇霊(ダークレイス)はちょうど異物に当たる。砂などのごく小さなものであったとしても眼や喉の粘膜は敏感にそれを感じ取り、即座に異変を知らせてくれる。

 

しかし、病原菌はどうか。目に見えない程小さなものであれば気付かずに体内へ入り込んでしまう事だろう。そして潜伏期間を経て、症状を発症するのだ。

 

「この考え方は飽くまで例えだが、そうであるとすれば話は分かりやすい」

 

「ああ」

 

フェルズの頷きに呼応するかのように、或いは解を導き出したかのように、松明の火がパチリと弾ける。

 

ウラノスが喪失者の存在には気付く事ができ、なぜ亡者や黒騎士たちには気付く事が出来なかったのか。その理由は、つまり―――――。

 

「侵入と侵蝕の違い、と言ったところか」

 

侵入と侵蝕。

 

前者は強引に入り込む事を、後者はしだいに侵し、蝕む事を意味する。ウラノスが出現を察知出来たか否か、それを区別する為にフェルズが使ったこの言葉は非常に的確であった。

 

「だが何故、黒騎士たちの出現は察知出来なかったのだろう。あれは明らかにダンジョンで生まれたものではない」

 

「……これもまた仮定の話だが」

 

考え込むフェルズに対し、ウラノスは固い表情を崩さずに続ける。

 

「あれらの事をファーナムは、自身がいた時代よりも遥か以前の存在だと言っていたな」

 

ファーナムの証言によって導き出された黒騎士の正体。

 

遥か以前、光の王に仕えていた騎士たちの成れの果て。業火によって焼かれ、不死の巡礼たちの前に試練として立ちはだかったという逸話も残る程に、彼らは強大だった。

 

あれらがまた現れた時、その場にファーナムや【ロキ・ファミリア】のような第一級冒険者がいるという保証はない。もしかするとダンジョン上層に出現するかも知れないのだ。

 

そうなった場合、多くの冒険者に被害が出るのは明白。起こりうる最悪の場合に備えなくてはと、フェルズは密かに気を引き締める。

 

「ああ。だが、それがどうかしたのか」

 

「ファーナムの話しぶりから考えるに、彼は今まであれらと遭遇した事はなかった。つまり、あれらは彼の世界にはいなかった者たちだと考えられる」

 

「!」

 

ウラノスの言わんとしている事を察した愚者は、即座にその可能性に至った。同時に、身体が強張る感覚を味わう。

 

判断材料は不足し、そもそもファーナムがいた世界についての知識も十分ではない。仮に事情に精通している者がいたとすれば、鼻で笑われるかも知れない。

 

しかし、それを否定し切れないのもまた事実である。むしろこの状況では、それこそが一番筋が通っているようにも思えるのだ。

 

「ウラノス、まさか……」

 

この身体が生者であれば、生唾を飲み込んでいる事だろう。

 

そんな事を思いながら、フェルズは続ける言葉を絞り出す。

 

「……ファーナムのいた世界とは()()()()()()()。そことダンジョンが繋がっていると、そう言いたいのか?」

 

考え至った可能性を述べたフェルズは、玉座に鎮座する大神の言葉を待つ。

 

出来る事ならば否定してほしい。そんな子供じみた願望さえ抱いてしまう程に、事態は更に深刻の色を深めてゆく。

 

「現状、そう考えるしかない。何しろ我々は余りに知識が不足している。であればあらゆる可能性を考え、それに対する手段を講じるしかない」

 

「対抗策と言われたところで、すぐに出来る事など……」

 

「分かっている。が、やるしかないのだ」

 

まるで暗闇の中で鍵を探すようなもの。

 

無理難題を強いてくる異常事態を前に、しかしフェルズは泣き言を言うつもりはなかった。そうしている時間があるならば、もっと有用な使い道がある事を知っているからだ。

 

「リドやグロスたちにも応援を頼もう。()の良い者たちを使ってダンジョン内の異変を可能な限り拾っていく」

 

「……すまない」

 

「気にするな。どの道、無視は出来ないのだから」

 

パチリ、と、再び松明の火が弾ける。

 

燃え続ける火は心なしか、先程までの勢いを失っているように見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【ロキ・ファミリア】の『遠征』前日。

 

ファミリアの者たちは相変わらず、各々準備に駆け回っていた。下位の団員たちは必要な物資の調達と確認、フィンやリヴェリア、ガレスといった古株はアタック当日の立ち回りや、不足の事態に備えての最終確認といった具合だ。

 

アイズたち若き幹部勢はそれぞれ、自分の時間を有意義に使っている。中でもレフィーヤは並行詠唱を練習しており、ようやくモノになり始めてきた。リヴェリアの後任を期待されている故、これはファミリアにとっても大きな進歩であると言えた。

 

さて。

 

そんな中、ファミリアで過ごした時が最も浅く、そして最も幹部勢(かれら)に近い者は現在、一人瓦礫が点在する場所に腰を下ろしていた。

 

時刻は既に夕方。沈みゆく太陽が赤みを帯び、オラリオの街並みを真っ赤に染めてゆく頃合いだ。

 

そんな中、夕焼けとは別の輝きによってその身を赤く染めるファーナムは、手にした直剣を無言で眺め続けていた。

 

「………」

 

それは椿に作成してもらった直剣。取り回しがし易く、しかし肉厚で重厚な感触は非常に手に馴染む。近いものであれば、『番兵の直剣』が挙げられるだろう。

 

しかしそれはオーダーメイドの品ではない。祭祀場にいた竜の番兵を倒し、偶然手に入れたものだ。完全に自分専用に作られたこの直剣と比べれば、やはりどうしても差が出てくる。

 

「扱い易さを取るか、一撃の威力を取るか、か」

 

明日は遂に『遠征』だ。ファミリアに入団してから初の大仕事に、ファーナムも自然と力が入る。

 

思い返せば、今までの旅路はいつも一人であった。道中で白霊と共闘する事もあったが、それも飽くまでその場限りの関係。昨日の敵は今日の友という言葉があるが、その逆もまた然りであった。

 

その点で言えば、ファミリアという絶対に等しい信頼関係を築いた仲間を持つのは、初めての事なのかも知れない。

 

「……もっと早く、気付くべきだったな……」

 

自嘲気味にそう呟くファーナム。彼の脳裏に過ぎるのは、かつての旅路で特に印象に残っていた者たちの姿だ。

 

一人は蒼の大剣を担い、遠くドラングレイグにまで武者修行に来た偉丈夫。

 

もう一人は最後まで呪いに抗い、その果てに姿を消した高潔な女騎士。

 

彼らとの邂逅は全くの偶然であった。数多の不死人がそうしてきたように、ファーナムもまた彼らを都合の良い道具のように扱い、名ばかりの共闘という関係性を築いていた。

 

彼らからの接触も多々あった。しかしその時はロクに取り合わず、ほとんどを生返事で返していた。自分以外はどうでも良い、そうとすら思ってしまう程にファーナムの心は荒んでいた。

 

だが、それでも、彼らは話しかけてきてくれた。

 

彼は己が野望を、彼女は己が苦悩を。一不死人に過ぎない自分に打ち明けてくれた。

 

にも関わらず、自分は………。

 

「……いかんな、これでは」

 

柄にもなく、気が沈んでいくのが分かる。明日は遠征だというのに、これでは支障をきたしてしまうかも知れない。

 

過ぎ去った時間は取り返せない、それは不死人であっても同じ事である。今大事なのは目の前の事。そう思い込む事にしたファーナムは、急いで明日の支度に取り掛かる。

 

覚えておく魔術、奇跡、呪術は何か。装備品は十分か。万が一に備えて、武器を一通り点検しておくべきか……考えうる事態に備えてあらゆる対策を講じる。

 

やがて小一時間ほどの時間が経過した時、彼はふと違和感を覚えた。

 

それは以前にも経験した事のあるもの。彼は作業の手を止め、おもむろに後ろを振り返り口を開く。

 

「どうした、何か用か」

 

「―――やはり気付いたか」

 

ぐにゃり、と、虚空を歪めて現れる黒いローブ姿の人物。

 

自らが作成した魔道具(マジックアイテム)を取り去って現れたフェルズは肩をすくめ、堪らないと言った風に口を開く。

 

「いや、なに。明日はいよいよ【ロキ・ファミリア】の遠征だからね。激励の意味も込めて、君に会いに来たんだよ」

 

「はは、それは嬉しいな」

 

珍しく軽口を叩くフェルズに軽い驚きを覚えるも、ファーナムは素直にその言葉を受け取った。

 

不死人とは似て非なるとは言え、オラリオで出会った数少ない()()()の理解者。その者がわざわざ会いに来てくれたという事に、自然と頬が緩んでしまう感覚を覚える。

 

「それで?本当にただ挨拶に来た訳ではないだろう?」

 

「……余韻も何もないな、君は」

 

いきなり確信をついてくるファーナムにフェルズはげんなりしながらも、用意していた

魔道具(マジックアイテム)を取り出した。

 

それは小さな、掌に収まる程の大きさの水晶だった。ご丁寧に紐が取り付けられており、鎧のどこにでも装着出来るようになっている。

 

「私が作ったものだ。これを通じて、私が持つ片割れの水晶にダンジョン内の景色が映し出される」

 

「そんなものが……」

 

「作成には中々苦労したがね」

 

離れていても状況を把握できる水晶を受け取ったファーナムは、それを鎧の腰部に括り付ける事にした。

 

革のベルトの穴に通し、解けないよう固く結び締める。これで水晶自体が破損しない限り、彼がいる場所の映像が直にフェルズの元へと送り届けられるようになった。

 

「これは……ダンジョン内の異変を調べる為か」

 

「そうだ。だがまぁ、未だ見ぬ第59階層の全貌を明らかにする為、という意味もあるが」

 

いかな異常事態があるとて、ダンジョン攻略という使命を忘れてはならない。抜け目なく情報を集めようと奮闘する『賢者』の姿に、ファーナムの口角は再び吊り上がってしまう。

 

「それは結構だが、俺の事も尊重してくれよ?四六時中見られていては、おちおち飯も食えない」

 

そう言って軽く笑うファーナムであったが、ここでふと、ある事に気が付く。

 

彼なりの冗談を言ったつもりであったが、それを目の当たりにしたフェルズは無言で立ち尽くしたままなのだ。鳩が豆鉄砲を喰らったような、そんな表現がぴったり当てはまるような、そんな空気を纏ってさえいる。

 

一体どうしたのか。

 

「……おい、フェルズ?」

 

予想外の反応にファーナムが戸惑っていると、再起したフェルズがおもむろに話しかけてきた。

 

「……ああ、その、すまない。ファーナム」

 

「どうしたんだ、急に固まって」

 

「いや、なに。少し虚を突かれてね」

 

「?」

 

フェルズの言いたい事が分からず、ファーナムは首を傾げてしまう。

 

その仕草すら驚きを与えるものであったのか、黒ローブ姿の愚者は動揺を絵に描いたかのように肩を揺らし、そして語る。

 

 

 

「少し見ない間に……随分と()()()()なったな」

 

 

 

「   」

 

 

 

その言葉に。

 

その事実に。

 

ファーナムは―――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ロキー、お願いしまーす」

 

「ぬあぁぁああああ!まだっ、まだおるんかーーっ!?」

 

もう間もなく深夜に差し迫ろうという時間に、神室(しんしつ)から女神の絶叫が木霊する。

 

その正体はロキである。翌日に迫った『遠征』に向けて、今日まで自主練習やダンジョンで鍛えた己の【ステイタス】を更新しようと、多くの眷属たちが列を成してやってきたのだ。

 

一人や二人であればそれほど時間はかからない。だが【ロキ・ファミリア】はオラリオでも有数の巨大ファミリア。その眷属の数は並みのファミリアを優に超えている。

 

「おのれ特訓流行(ブーム)、おのれアイズたんっ!?」

 

最も力のある彼女に触発されたという事もあるのだろう。鍛錬の成果を確かめたいという者は一向に後を絶たない。ここにはいない少女に愛憎入り混じった雄叫びを放ちつつも、ロキはその手は止めなかった。

 

普段であれば『おひょー!眼福やー!』とでも叫んでいそうな状況にも関わらず、その顔には疲労の色が浮かんでいた。彼女がようやく解放されたのは、それからおよそ三十分後の事である。

 

「くぉおお~~~、ようやく終わったぁ~~~……」

 

指の腹に針を刺し、神血(イコル)を滴らせる。

 

これを繰り返した結果、ロキは指を咥えたままロクに動けない有様となってしまった。実に地味だが、それでも痛いものは痛い。天界では万能の神は現在、ベッドの上で寝転がりながら一柱(ひとり)目尻に涙を溜めつつ、何とも言い難い疲労感に苛まれていた。

 

「あー、酒でも飲みたいわぁ……」

 

最後に更新に来たベートを見送り、重労働へのご褒美として酒を飲みたい感覚に駆られる。しかし明日は『遠征』当日である。フィンたちの見送りもあるので、今から飲んでは支障をきたしかねない。

 

というか、絶対深酒になる。

 

あぁでも、少しだけなら……と悶々としていると、不意に部屋の扉を叩く音が聞こえてきた。

 

「誰やー?」

 

自分から動く気力もないのか、ロキは扉を叩いた者に入室を促す。その言葉に従い入って来た者は、本拠(ホーム)であるというのに鎧を着込んでいた。

 

最初こそ違和感があったが、それももはや慣れたもの。相変わらずの恰好で現れた男……ファーナムはベッドの上でうなされている神を一瞥し、そして溜め息を吐く。

 

「だらしがないな、ロキ」

 

「しゃーないやろー。今やっと全員の【ステイタス】更新が終わったんやから」

 

「その事だが、俺も頼みたいんだ」

 

「えぇ、今からー!?」

 

もう今日は堪忍してー!?と駄々をこね始めるロキに再び嘆息しつつも、ファーナムは事前に用意しておいたあるものを取り出し、それをテーブルの上に置いた。

 

ゴト、という硬質な音をロキの耳が感じ取り、一体何かと音の発生源の方へと視線をやる。

 

瞬間、カッ!と見開かれる朱色の双眸。今の今までのだらしなさは何処へやら、俊敏な動きでテーブルに置かれたものを両手で引っ掴み、わなわなと震えながら頭上に掲げる。

 

「こっ、ここここコレは……っ!?」

 

「あぁ、神酒だ」

 

ファーナムが持ってきたものの正体。それは飾り気のない透明な瓶に詰められた神酒であった。

 

篝火で最終調整を終えた後の帰路、偶然目に入ったのだと説明する。彼自身でモンスターを倒して魔石を換金したは良いものの、肝心の使い道はほとんどない。それならばと、気まぐれで買ってきた訳である。

 

「手土産まで持って来たんだ。これで手を打たないか?」

 

「そりゃあもっちろん!十回でも百回でも、なんぼでも更新したるで!」

 

「いや、一回で十分なのだが……」

 

あからさまに機嫌を良くしたロキに苦笑しつつ、ファーナムは兜と鎧を脱ぎ去る。

 

露わとなった筋骨隆々の上半身。凹凸がはっきりと浮き上がった逞しい背を差し出し、神血(イコル)が垂らされるのを待つ―――が。

 

「……おい」

 

「んあ?なに?」

 

「何、ではない。何故グラスを持っている」

 

一向に始まらない【ステイタス】更新。何かと首を回して確かめてみれば、そこには両手に瓶とグラスを持ったロキの姿が。

 

まさか今飲むとは思ってもいなかったファーナムは頭痛を堪えるように額に手を当て、三度目の溜め息を吐いてしまう。

 

「流石に今から飲むのは止めておけ。二日酔いで酷い有様になるのは目に見えているぞ」

 

「えー………一口だけでも駄目?」

 

「子供か、お前は」

 

その後、ややしばらくして。

 

瓶をテーブルへと戻したロキはぶー、と頬を膨らませながらも、ようやく更新の準備に取り掛かった。

 

「んじゃ、コレは遠征帰りの祝杯っちゅう事にしよ。二人で飲もうな」

 

「せっかくなら他の者も誘ったらどうだ?お前のお気に入りのアイズでも……」

 

「あ、それは絶対にあかん」

 

「?」

 

雑談を交わしつつ彼女は針を用意し、指の腹を軽く刺す。ぷっくりと滲み出た血がファーナムの背に落とされ、【神聖文字(ヒエログリフ)】が浮かび上がってきた。

 

己の戦ってきた経験が肉体に反映されるのを感じ取りながら、ファーナムは無言で更新が終わるその時を待つ。

 

神によってのみ可能な、肉体という『器』の昇華。冒険者が多く生まれた今日のオラリオでは形骸化しているが、それは本来神聖な儀式である。無駄口を叩かずそれに向き合う彼の姿勢は、まさしく儀式という言葉に相応しいものであった。

 

もっとも―――――。

 

「はえー。いつ見てもゴツいな、自分の身体。よっ、ナイスカット!キレとるで!」

 

「………」

 

肝心の神がコレなので、いまいち締まらないのだが。

 

流石に溜め息はもう吐かない。というか、吐けない。いちいち真面目になるのが馬鹿らしくなってしまう。

 

「にしてもファーナム、自分、元気になったみたいで良かったわ」

 

「む?」

 

不意にかけられたこの言葉に、ファーナムは何の事かと考えを巡らせる。

 

が、すぐに考え至った。あの時の事を言っているのであろうと。

 

「あの時は悪かったな」

 

「ええって、気にせんで」

 

それは少し前の出来事。

 

己の中の葛藤を全て吐き出し、ロキが全て受け止めてくれた事を意味していた。あの時の彼女の言葉があったからこそ、今のファーナムがあると言っても過言ではない。

 

みっともないところを見せたと謝罪するも、ロキはそれを笑って許した。なんだかんだ言っても彼女はやはり神であり、その懐の深さに頭が上がらない思いを抱いてしまう。

 

「自分はこれから、もっともっと楽しい事があるんや。それと同じくらいに辛い事も、苦しい事もあると思う。けど、そんな時は思い出し。一人やないって」

 

「………ああ」

 

背を向けているために見えないが、きっと優しい顔をしているに違いない。声色から容易に想像できるロキの表情を幻視しつつ、ファーナムの口元に柔らかな笑みが浮かんだ。

 

【ステイタス】の更新ももうすぐ終わる。その間二人は何てことのない雑談を交わし、時々笑い合った。

 

ティオネとティオナの二人と組み手をした事。その時に荒らした中庭の件でリヴェリアに盛大にお灸を据えられた事。それを聞いたロキが噴き出し、汚いなとファーナムがげんなりする。

 

本当に何てことのない、ゆっくりとした時間が過ぎてゆく。そうして、やがて話題は一冊の本へと変わっていった。

 

「せや、自分『アルゴノゥト』の本買うたんやって?」

 

「知っていたのか」

 

「ティオナが前に言っててん、自分がその本持ってるとこ見たって。書庫にはそういうんは置いてないし、あるとすればティオナの部屋にしかないし」

 

「そうか、見られていたのか……」

 

どうやらティオナにとって自分は、完全に童話好き(なかま)と認識されてしまったようだ。偶然購入した本が原因で思わぬ話題となってしまった事に、ファーナムは何とも言えない表情を作る。

 

「別段深い意味があって買った訳ではないんだ。ただの気まぐれさ」

 

「ええってええって、隠さんでも。趣味と顔は関係あらへん」

 

「いや、だからな……」

 

玩具を見つけたとばかりにいじりまくるロキ。こうなったら中々止まらないと理解しているファーナムは、もうどうにでもなれとばかりに流れに身を任せる事しか出来ないでいる。

 

「なんや。あの童話の主人公に憧れとるんか?英雄になりたいんか?ん?」

 

「そんな訳ではないが……」

 

「誰にも言わんから!ほら、ウチにだけは言うてみ?」

 

(……ああ、本当に疲れる……)

 

思っていた以上に追求の手がしつこい神を前に、歴戦の不死人の心はついに折れた。

 

右手で顔を半分だけ覆いながらも、ファーナムは本心を打ち明ける。

 

「……俺は今まで、ずっと一人で戦っていた。誰の為とかではなく、自分だけの為に」

 

それはかつての旅路、ドラングレイグでの日々に起因していた。亡者と異形が蔓延り、死と隣り合わせだった戦いの毎日。

 

日増しに心は荒み、他人を気に掛ける余裕もなくなってゆく。それどころか己の“人間性”にさえも疑問を抱きかねない、そんな日々を送っていた。

 

「だが、オラリオに来て俺は変わる事が出来た。というよりも、取り戻す事が出来たと言うべきか?」

 

一度死ねばそこで終わり。過酷な試練と相応の褒美を与えるダンジョンに挑む冒険者たちと出会い、ファーナムの世界は一変した。

 

仲間を助ける為に命を投げ打つ。どれだけ危険でも決して仲間を見捨てない。そんな高潔な生き様を目の当たりにし、彼は『本来の自分』を僅かにでも思い出せたのだ。

 

「俺は全員に感謝している。だからこそ、俺の出来る事で恩を返したいんだ」

 

自分に出来る事は何かと考えた時、結局は一つしか思い浮かばなかった。

 

すなわち、戦う事。冒険者として剣を振るう事のみである。

 

「ダンジョンを共に歩き、攻略の一助となる。仲間の危機には即座に駆け付け、一人も死なせない。そんな“冒険者”に……俺はなりたいんだよ」

 

“英雄”でなくて良い。

 

地位も名誉もいらない。

 

ただ、誰に恥じる事のない“冒険者”になりたい。

 

初めてこの思いを打ち明けたが、不思議とつらつらと口にする事が出来た。以前の自分であれば決して口にする事など無かったであろう台詞に、今更ながら気恥ずかしさが込み上げてくる。

 

「すまない。恥ずかしい事を聞かせてしまった、忘れてくれ」

 

はぐらかすように笑いながら、ファーナムは首を回してロキの方を見る。

 

きっとにやけた顔をしているのだろう。そして盛大に笑われるのだ。そう覚悟を決めていたのだが、そこには全く予想外の光景が広がっていた。

 

「……ロキ?」

 

にやけた顔はそこにはなかった。きょとんとした顔もそこにはなかった。

 

ただただ、無表情。朱色の双眸をまっすぐこちらへ向け、ファーナムの瞳に自身の姿を反射させている。

 

「おい、どうした」

 

「……いや、なんでもない」

 

ファーナムの呼びかけに対しロキはそれ以上は何も言わず、淡々と手を進めていった。

 

何か不味い事でも言ったか?と僅かに不安に駆られるも、無理に聞き出す事も出来ない。それを許さない奇妙な気配が部屋の中には漂っていた。

 

「ほい。更新終わったで」

 

「ああ」

 

慣れた動きで鎧を着込んだファーナムは、【ステイタス】を写した羊皮紙を受け取ろうと手を差し出す。

 

が、それを掴む寸前のところで、ロキはひょいとそれを上へと持ち上げてしまった。

 

「?」

 

何故素直に渡してくれないのか?ロキが取った行為の意図が分からないファーナムは怪訝な顔で眼前の神を見下ろす。

 

「……ファーナム」

 

「なんだ」

 

やがてロキは口を開く。そこに先ほどまでの朗らかな空気はなく、張り詰めた糸のような、真剣な雰囲気が漂っている。

 

思わず身構えるファーナム。そんな彼へ、ロキは今度こそ手にしていた羊皮紙を差し出す。

 

「自分の思ってる事、したい事、よう打ち明けてくれた。だからウチも、もうこれ以上隠し事はなしや」

 

「何を、言っている……?」

 

「……見れば分かる」

 

ロキの視線は羊皮紙へと落ちる。ファーナムの視線も、自然と彼女の手の中にあるそれへと引き寄せられていった。

 

手を伸ばし、受け取った羊皮紙を広げる。

 

空白の名前欄。レベルに各ステイタスの数値。見慣れた文字と数値が羅列している。喪失者と戦った時よりも数値の伸びは良いが、やはりと言うべきか、飛躍的と言える程の進歩は見られない。

 

だが、ここでファーナムの目が大きく見開かれる。今までは見たこともない文字が、そこには書かれていたからだ。

 

そこは《魔法》の欄。以前には“ソウルの業”という記載しかなかったが、その下に新たなものが加わっていたのだ。

 

「これは……!?」

 

「今まで騙してて、悪かった。本当は最初から発現しててん」

 

僅かに眉を寄せながら話すロキ。その言葉すらも、今のファーナムには断片的にしか耳に入ってこない。

 

食い入るように文字を目で追い、その能力、効果に絶句する。

 

そして、その魔法名は―――――。

 

 




ようやくダンジョンに入れると一安心です。

日常風景とかはどうしても長くなって退屈になりがちですが、力を入れないといけない場面でもあるのでそこらへんの配分が難しいですね。

今後も、どうぞよろしくお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十七話 夢

 

『試練を越えた者よ』

 

『答えを示す時は、近い』

 

『私は、それを待っている―――――』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ついにやって来た『遠征』当日。

 

アイズたち若き幹部勢はもちろん、今回の遠征に同行する下位団員たちも気持ちが昂っているのか、まだ夜も明け切らぬ内から館の中を慌ただしく動き回っていた。

 

食堂で食事をかき込む者、持ち物の最終確認をする者、仲の良い者同士で互いを励まし合い、緊張を誤魔化す者。実に様々だ。

 

そんな中でファーナムは、兜の奥でひっそりと目を開く。

 

「………」

 

彼がいるのは自室。昨夜にロキに【ステイタス】の更新を頼んだ後、詳細が書かれた羊皮紙を受け取ってからここへと戻ってきたのだ。

 

その羊皮紙はすでに仕舞われているが、内容は頭にしっかりと入っている。彼にとって忘れようにも忘れられない、とても大きな事だったのだから。

 

「………行くか」

 

背を預けていた壁から離れ、立ち上がる。

 

この部屋には窓はないが、大体の時間であれば予想がつく。もう半刻ほどもすれば中庭に団員たちが集まり、いよいよ出発となるだろう。

 

【ロキ・ファミリア】に入団してから初の『遠征』。59階層という『未知』の地へ挑むというのに、ファーナムの心に昂りは感じられない。

 

ただ()()があった。

 

極彩色のモンスターでもない、怪人(クリーチャー)でもない。増してや闇霊(ダークレイス)でもない。

 

今までに見たこともない何か。それを目の当たりにするのではないのかという、漠然とした予感が。

 

 

 

 

 

『遠征』に参加する団員の数は当初予定していた数よりも少なくなっていた。それは物資の運搬の大部分をファーナムが担う事になったからだ。

 

と言っても、巨大な荷物を抱えて運ぶ訳ではない。

 

以前、大量の魔石を換金する際、ファーナムはそれを自身のソウルへと取り込んで見せた―――これはスキルという事になっているが―――。それと同じように、今回は物資を取り込んだのだ。

 

これによって同行する団員の数は、当初予定していた数よりも削減される事となった。彼らは貴重な経験を積める機会を失って残念がっていたが、フィンはそれよりも安全性を重要視していた。『未到達階層』へ行かない者たちでも待機する場所は51階層であり、相応の危険性が伴うからだ。

 

中庭にはすでにほとんどの団員たちが集まっていた。居残り組はダンジョン攻略へと赴く者たちに思い思いの言葉を述べ、無事の帰還を祈る。必ずまたここで再会し、土産話を聞かせてくれ、と。

 

「おはようさん、ファーナム」

 

ファーナムもまた、その内の一人であった。

 

必要な物資を一か所に集めそれをソウルに還元していると、不意に声をかけられた。振り返って確認してみれば、そこには見慣れた顔が見慣れた表情で、ひらひらと手を振っている。

 

「ロキ」

 

「自分にとって今回が初の『遠征』やけど、まぁ頑張ってな」

 

他の団員たちに普段から見せているような、へらへらとした空気を纏いながら軽い激励を述べるロキ。そんな彼女の言葉に、ファーナムはフッと兜の奥で笑みを浮かべた。

 

「ああ。せいぜい勉強させてもらうとするさ」

 

その時、本拠(入口)のほうが僅かに騒がしくなる。

 

見れば、フィンたちが階段を下りてこちらへと向かって来ていた。どうやらもう出発時刻になったらしい。団長たる彼が近付いてきている事に周囲はざわつき、緊張の糸が高まっていくのが肌で感じられる。

 

「もう時間だな。それでは行ってくる」

 

「ん」

 

『遠征』に参加する者たちはぞろぞろと門をくぐり、ダンジョン手前の中央広場(セントラルパーク)へと向かう。その列に加わるべくファーナムはロキに背を向け、迷いなく歩き出した。

 

「……ファーナムー!」

 

十歩ほど歩き、今まさに本拠(ホーム)の外へと出て行こうとしたその時、ロキの声が背中に突き刺さる。

 

「一緒に飲む約束、忘れてへんやろなー!ウチも早う神酒飲みたいんやからなー!」

 

振り向く間もなく放たれた言葉。

 

『神酒』という単語を耳にした居残り組は、またそんな高い(もの)を……!と呆れ、非難と諦めが入り混じった眼差しを送る。実際にはその金の出どころはファーナムの懐なので彼女が悪い訳ではないのだが、今から釈明するような時間もない。

 

許せ、ロキ。と内心で謝罪しつつ、ファーナムは右手を軽く振って返事をする。

 

「さて……」

 

改めて、とファーナムは気を取り直し、歩みを再開させる。

 

太陽を背にしたバベルの姿は、いつにも増して大きく見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当初の予定では『遠征』に参加する【ロキ・ファミリア】の下位団員は十五名だった。多くの武器やテントといった物資を運搬する他、道中で倒したモンスターの魔石の回収なども並行して行わなければならないからだ。

 

しかし今回はファーナムがその役目の大半を担っている。これによって同行する下位団員の数は十名にまで減らされ、かなり身軽な動きが取れるようになった。かさばる荷物がないので、即座に武器の受け渡しも出来る、まさに理想の構成である。

 

同行する【ヘファイストス・ファミリア】の鍛冶師(スミス)たちも集まり始め、更には【ディアンケヒト・ファミリア】の治療師(ヒーラー)、アミッド・テアサナーレもレフィーヤたちに見送りと餞別の品を渡している。オラリオ二強のファミリアの『遠征』直前の風景に、他の冒険者や住民もにわかに興奮した眼差しを送っていた。

 

「すいませんっす、ファーナムさん。おかげで自分たちも随分楽ができます」

 

「私たちが持って運ぶのはせいぜい予備(スペア)の武器だけだものね。本当に助かるわ」

 

フィンの号令を待っているファーナムにそう話しかけてきたのは、同じファミリアの仲間であった。

 

一人は黒髪で平凡な顔つきをしたヒューマンの青年。もう一人も同じく黒髪だが、非常に整った容姿をしている猫人(キャットピープル)の少女。双方共にLv.4の実力を誇り、アイズたち一軍を除いた二軍の中でも中核的な存在だ。

 

ラウル・ノールドとアナキティ・オータム。二人はファーナムの前にまでやって来て、つかの間の雑談に興じていた。

 

「いいんだ。俺も改宗(コンバート)してから初の『遠征』だ。出来る事はなんでも言ってくれ、先輩」

 

「い、いやいやそんなっ、先輩だなんて!あはっ、あはははっ!?」

 

「ラウル、社交辞令って知ってる?」

 

入団歴が一番浅い、しかし自身よりも遥かに強い者からの不意打ちの発言に照れるラウル。そんな同僚の姿に半眼を送っていたアナキティであったが、その耳がピクリと機敏に音を察知した。

 

西洋風の衣服では起こらないような衣擦れの音。それが聞こえて来た方向に顔を向けた彼女に釣られるように、ファーナムもそちらの方を見やる。

 

「おぉい、ファーナム!」

 

「椿」

 

果たして、そこにいたのは褐色の女鍛冶師であった。

 

下はいつもの真っ赤な袴だが、上は西洋風の衣服に身を包んでいる。肩当てと手甲を装着、腰には得物である太刀を供えており、和洋折衷といった格好をしていた。

 

「お前も来るのか」

 

「応とも!折角の59階層だ、ぜひとも手前の手で武器素材(ドロップアイテム)を採取したいのだ!」

 

残った右目を輝かせながらまだ見ぬモンスターの牙や鱗に想いを馳せる椿に、隣で聞いていたラウルとアナキティは顔を若干引き攣らせながらひそひそと耳打ちし合う。

 

「椿さん、何で鍛冶師(スミス)なのにそんなに強いんすかね……?」

 

「何でも作った武器の試し切りをしている内に強くなったって……」

 

鍛冶に生活の全てを費やしてきたLv.5(椿)だからこそ到達できた領域に青ざめるLv.4(二人)

 

ここまでしなければ上級冒険者の仲間入りを果たす事は出来ないのかと気落ちする少年少女に、しかし椿はやはりいつもの調子で話しかけてきた。

 

「おお、【超凡夫(ハイ・ノービス)】、それに【貴猫(アルシャー)】!壮健であったか?」

 

「お、おはようございます、椿さん……」

 

全く無遠慮に話しかけてくる相手をどうする事も出来ず、結局二人は彼女の話し相手として拘束されてしまう。武器の調子はどうだ、今なら安く作ってやるぞ、といった冗談交じりの商談事まで聞こえてくる。

 

もちろん【ヘファイストス・ファミリア】の武器は超が付くほどの高級品。二軍の中核に位置する実力を持つ二人でさえも、武器を一つ買えば貯金が全て吹き飛んでしまう。素寒貧になりたくないがため、ぐいぐいと迫る椿の話を丁重に断るのに苦労しているようだ。

 

(……流石に可哀そうか)

 

まだフィンの号令は聞こえてこない。それまでの間ずっとこのやり取りをさせられては堪らないだろう。

 

そう判断したファーナムは椿を(いさ)めようとした、が―――。

 

「あっ、あの……」

 

突然、横から掛けられた声に動きを止める。

 

誰だろうかと首を向けると、見慣れない顔の少女がこちらを見ていた。黒い服に身を包み、藍色の長髪は片目を隠している。こちらを見上げる右目は少し垂れ気味で、おどおどとした挙動と相まって気弱な印象を与えて抱いてしまう。

 

「お前は?」

 

「突然すみません。えっと、貴方は【ロキ・ファミリア】の人……ですよね?」

 

「ああ、そうだが……」

 

見た目通りの性格なのだろう。話しかけたは良いものの、中々切り出せないようだ。胸の前で合わせた両手をもぞもぞさせるばかりで一向に続きを口にしようとはしてこない。

 

「どうした、何か用があるのだろう?」

 

「あっ、はい!そ、そうなんですけど……」

 

痺れを切らして続きを促してみるも、やはり中々喋らない。「やっぱり信じてくれないよね……」とか「他の人に言ってみようかな……」とか、そんな独り言を呟き始める始末。

 

が、ようやく決心がついたらしい。瞳を閉じて深呼吸をした彼女は、意を決したという表情でファーナムに向き直った。

 

一体何を言うつもりなのか。何やら只事ではなさそうな雰囲気を感じ取り、思わずこちらも身構えてしまう。

 

「じ、実は……」

 

「ちょっと!あんた何やってんの!?」

 

長髪の少女が口を開きかけた、その時。またもや別の声が割り込んできた。

 

その声の主は短髪の少女。目の前の少女とは対照的な白い服を着ており、髪の色も明るい。吊り目に相応しい物怖じしない性格なのか、彼女は二人の元へと……より正確には長髪の少女のいる方へとずんずん歩いてゆく。

 

「他所のファミリアにまであんたの妄言に付き合わせるんじゃないわよ!しかも、よりにもよって【ロキ・ファミリア】に!」

 

「あうっ!?」

 

スパーンッ!と小気味よい音と共に頭を叩かれる長髪の少女。かなり強烈だったのだろう、その衝撃で彼女は涙目になりながら頭を押さえてうずくまってしまう。

 

「お、おい」

 

「ごめんなさい、この子が迷惑をかけたわ。もう邪魔はしないから」

 

思わず声が出てしまうファーナムに対し、短髪の少女は口早にそう言った。そして未だにうずくまっていた長髪の少女の手を取ると、強引にその場を後にしようとする。

 

「ほらっ、カサンドラ!さっさと帰るわよ!」

 

「ダ、ダフネちゃん待って!せめて『予知夢(ゆめ)』の事を……」

 

「だーっ、もう!いつまでそんな下らない事言ってるの!」

 

結局、長髪の少女の言いたい事が何だったのかは分からずじまいとなってしまった。何とか食い下がろうとしたようだが、短髪の少女に強引に腕を引かれ退場していった。

 

予知夢(ゆめ)』という単語が聞こえてきたが、何を言っているのかは全く分からない。後を追って問い詰めようかとも思ったが、二人の姿は既に雑踏の中にかき消えてしまっており、何よりそんな時間ももう残されていない。

 

「―――総員、これより『遠征』を開始する!」

 

小人(パルゥム)の首領たるフィンの声が響き渡る。

 

「目標階層は第59階層!未だ僕たちが目にした事のない『未知』だけが広がる『未到達領域』!」

 

前回では断念せざるを得なかった『遠征』。断腸の思いで帰還したアイズたちはもちろん、足手まといにならぬようにと努力を怠らなかったラウルたち二軍の冒険者は、いよいよ始まる『未到達領域』攻略を前に密かに気を引き締め直す。

 

同行する椿をはじめとした【ヘファイストス・ファミリア】の鍛冶師(スミス)たちも、そして集まっていた他の冒険者や住民たちでさえも、【勇者(ブレイバー)】の声に自然と身体が打ち震える感覚を味わう。

 

「ダンジョンを進むにあたって、部隊を二分する!第一班は僕とリヴェリアが、第二班はガレスが指揮を取る!また今回はファーナムが物資の大半を運搬する役目を担っている為、彼は第二班に組み込むものとする!」

 

万が一の事態に備え、フィンはファーナムを比較的安全な第二班に配置した。先にフィンたちがモンスターを粗方排除しておき、後続の者たちが極力戦闘を免れるようにするためだ。

 

こういった理由から、自然と第二班には下位団員が多くなる。ダンジョンでの経験では雲泥の差があるが、戦闘時の実力はこちらの方が上手。緊張にその顔を強張らせる彼らに危険な思いをさせまいと、ファーナムもまた決意を新たにした。

 

「危険な道のりである事は明白だ。どんな事があるか、何が起こるかは誰にも分からない―――しかし、僕らは冒険者だ!!『古代』の英雄たちにも劣らない勇敢な戦士だ!!」

 

空気が震える。びりびりと、ここにいる者たちの耳朶を否応なしに震わせ、心を高揚させる。

 

小さな体躯に似合わぬ強者の風格を存分に見せつけ、彼は手にした得物『フォルティア・スピア』を頭上高く掲げた。

 

太陽の光を反射させ輝く勇気の槍。それに触発されるかのように、【ロキ・ファミリア】と【ヘファイストス・ファミリア】全員の士気が最高潮に達する。

 

「犠牲の上に成り立つ偽りの栄誉はいらないっ!!全員、この地上の光に誓ってもらう―――必ず生きて帰るとっ!!」

 

アイズも、ベートも、ティオネも、ティオナも、レフィーヤも、そしてファーナムも。

 

我知らず、拳を握る。

 

そこに込められた力は決意の証。彼の言葉を裏切るまいと、示し合わせた訳でもなく全員が同じ思いを共有する―――必ず生きて帰ると。

 

「遠征隊、出発だ!!」

 

割れんばかりの歓声と雄叫びが中央広場(セントラルパーク)に響き渡る。

 

【ロキ・ファミリア】……遠征開始の時だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時を同じくして、中央広場(セントラルパーク)から少し離れた場所で二人の少女が街中を歩いていた。

 

黒い服に藍色の長髪の少女、カサンドラ・イリオン。

 

白い服に明るい色をした短髪の少女、ダフネ・ラウロス。

 

【アポロン・ファミリア】に所属するLv.2の冒険者である二人の少女は、互いに無言のまま本拠(ホーム)を目指していた。というより、苛ついた雰囲気を漂わせているダフネを前に、カサンドラが一方的に怯えているだけなのだが。

 

しばらくそんな場面が続いていたが、程なくして人々の歓声と雄叫びが聞こえてきた。それなりに離れているにも関わらず、ここまで届く彼らの声に二人はその足を止めて振り返る

 

「相変わらず凄いわね。流石は天下の【ロキ・ファミリア】」

 

半分呆れが混じっているような声でそう呟くダフネに対し、そんな彼女の顔色を窺いながらも、カサンドラはおずおずと口を開いた。

 

「ダ、ダフネちゃん……」

 

「何?」

 

「あぅ……」

 

腰に手を当てたままの恰好で短く返すダフネに、カサンドラはやはり尻込みしてしまう。

 

ハァ、と、これ見よがしに溜め息を吐くダフネ。しかしこれも毎度のやり取りであると割り切ったように文句を飲み込み、小動物のように縮こまる彼女へと歩み寄った。

 

「まあ、あんたの妄言は今に始まった事じゃないから良いけどさ。でも他のファミリアに迷惑をかけるのはこれで最後にしてよね?」

 

「で、でもダフネちゃん。『予知夢(ゆめ)』を見たのは本当で……」

 

「あー、はいはい。分かったから早く帰るわよ。私まだ朝ご飯も食べてないんだから」

 

「し、信じてよ~」

 

何とか信じて貰おうとするも、全く取り合ってくれない。

 

毎度の『妄言』に付き合わせてしまって心苦しく思っているのだが、それを無視できないのも事実なのだ。まして今回の『予知夢(ゆめ)』のような、いまいち()()()()()()()内容に関してなおさらである。

 

(でも、本当になんだったんだろう?)

 

ダフネの後ろを歩きつつ、カサンドラは一人考えを巡らせる。

 

彼女はこれまでに何度も『予知夢(ゆめ)』を見て来た。その内容は大抵自分の身に関するものであり、また親しい者に関連する事柄でもある。

 

しかし今回見た内容は、どうにもそうとは思えなかったのだ。自分に関するというよりも、自分を含めた()()に関する内容。そう思えて仕方なかった。

 

だから、『予知夢(ゆめ)』の一節を頼りに【ロキ・ファミリア】に行き当たった。近日中に()()に行くであろう者たちは、彼ら以外に考え付かなかったからだ。

 

(結局言えなかったんだけど……)

 

漠然とした不安感に駆られるカサンドラ。

 

友の背中を付いて歩く彼女の脳裏には、未だ『予知夢(ゆめ)』の内容がぐるぐると巡っていた―――――。

 

 

 

 

 

地の底より解放者来たる。

 

彼の者は王。不変の破壊者にして、偉大なる光を呪いし者。憎悪の炎は未だ衰えず、世界を超えて波及する。

 

付き従うは五人の臣下。

 

再起の青。

 

英知の後継。

 

火の追求者。

 

大罪の娘。

 

■■■■■。

 

彼らは数多の同胞を引き連れ、汝らを真の解放へと導く。

 

不変よ、覚悟せよ。今こそ断罪の時。

 

深淵に染まった切っ先が、その(ソウル)を穿つ―――。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十八話 誓いを胸に

フィンが号令を発した後、アイズたち先鋒隊はダンジョンへと潜っていった。

 

これほど大人数の『遠征』の場合、まずは最初に入った部隊が通路上のモンスターを一掃し、続く後続部隊が安全に進めるルートを確保するのが定石である。その例に漏れずに彼らも同じ方法を取っている。

 

先鋒隊がその道中で()()()()()に直面する場面があったものの、全体の流れとしてはほぼ滞りなく進める事が出来た。参加メンバーの誰もが大した怪我を負う事もなく、ここまで付いて来ている。

 

そうして『遠征』開始から六日後……【ロキ・ファミリア】と椿率いる鍛冶師(スミス)たちは、第50階層に到達していた。

 

 

 

 

 

モンスターの生まれない貴重な安全階層(セーフティポイント)である第50階層。二派閥から成る部隊はダンジョンでの数少ない楽しみである食事に舌鼓を打ちながら、許された楽しいひと時を甘受していた。

 

地上から持ち込んだ食糧、ダンジョンで採れる肉果実(ミルーツ)雲菓子(ハニークラウド)といった珍味が下位団員たちによって調理され、各々の器に盛られてゆく。まるで宴会のような温かな雰囲気の中で食べる食事の美味さに、改めてファーナムは驚かされる。

 

(本当に、彼らは強い)

 

仲間と共に笑い合って食事をとるその姿に、素直にそう思う。

 

こんな地の底であっても普段と変わらぬ調子でいられる精神力。それは冒険者という生き方を歩む者にとって非常に重要なものに違いない。こんな太陽の光すら届かぬ場所で生き抜く為には、絶えず希望を抱き続ける必要があるからだ。

 

(俺は、絶望しか抱けなかったからな……)

 

希望を胸に生還を誓う者と、絶望に蝕まれ死体のように生き続ける者。それがかつてファーナムが抱いていた、周囲の者たちと自身との違いであった。

 

しかし今は違う。少なくとも、抱いているのは絶望だけではない。

 

再び地上の、太陽の光をこの目で見る。全員で。

 

そんな些細な、それでいて心の拠り所足る願いを密かに胸に抱きつつ、ファーナムは再び食事へと戻るのだった。

 

「それじゃあ、最後の打ち合わせを始めよう」

 

腹も膨れ、全員の身体に活力が戻った頃、フィンがそう言った。小人族(パルゥム)の団長の言葉に団員たちは私語を慎み、一言でも聞き逃すまいと耳を傾ける。

 

「明日はいよいよ未到達領域、第59階層への進攻(アタック)の日だ。何が起こるのか分からない、未知の階層だ。それに伴い、こちらで選抜した者たちだけで一隊(パーティ)を編成する」

 

彼の口から第59階層へと行く者たちの名前が呼ばれてゆく。フィンを含めた首脳陣三名、そしてアイズたち若き幹部勢四名に加え、次いでファーナムの名が呼ばれる。

 

反論や不満の声はない。それは彼の人となりが、これまでで幾度も証明されているからに他ならない。この場にいる誰よりもファミリアとしての経歴は浅いが、それ以上の実力と信頼を得ているのだ。

 

「武器の整備のため同行する鍛冶師(スミス)は椿のみ。最後にサポーターだが……」

 

ざわ、と下位団員たちの間に緊張が走る。

 

上級冒険者に同行し、まだ見ぬ未到達領域に足を踏み入れる事への栄誉。彼らの足手まといにならぬよう、下手な動きは許されないという重圧。その二つの感情に板挟みにされているのだ。

 

一体誰が行くのか。自分は呼ばれるのだろうか。そんな期待と不安がないまぜとなった眼差しで、フィンの言葉を待ちわびる。

 

「……ラウル、ナルヴィ、アリシア、クルス、そしてレフィーヤ。以上の五名とする」

 

思わずレフィーヤの喉がごくりと鳴る。

 

最初から聞かされていたとはいえ、未到達領域へと行くのだという実感が改めて湧いてくる。もちろんそのつもりで今日まで『並行詠唱』の練習をしてきたのだから、こんな事でいちいち動揺してなどいられない事も理解している。

 

それでも、やはり感情までは操れない。名前を呼ばれたラウルたちも、呼ばれなかったアナキティたちも、多かれ少なかれ心を揺さぶられている様子だ。

 

「キャンプに残る者たちは、例の新種に対しては『魔法』及び『魔剣』で対応するように。この後は武器の点検を徹底し、見張りは四時間ごとに交代を―――――」

 

団員たちの間で様々な感情が渦巻く中、フィンは淀みなく今後の流れを説明してゆく。

 

こうして食事と進攻(アタック)当日の流れを説明された一行は解散と相成り、それぞれがそれぞれで、するべき事へと取り掛かってゆくのであった。

 

 

 

 

 

時間はあっという間に過ぎていった。

 

あの後、椿はあらかじめ作成を頼まれていた『不壊金属(デュランダル)』の武器、連作(シリーズ)《ローラン》をフィンたちに渡していった。

 

愛剣が『不壊金属(デュランダル)』であるアイズと魔導士のリヴェリア以外の五人分であり、それに掛かった費用は計り知れない。しかし恐らく、並みの暮らしをして入れば人生の半分以上は遊んで暮らせる程の大金であろう。

 

フィンは槍、ガレスは大戦斧、ベートは双剣、ティオネは斧槍(ハルバード)、ティオナは大剣。これでそれぞれが芋虫型との戦闘を考慮した、最も扱いやすい形状の武器を手にした事となった―――ティオナの場合は大双刃(ウルガ)と同じ形状だと費用がかさみ過ぎるという事から、仕方なく大剣という形になったが―――。

 

武器の受け渡しが済むと、一同は思い思いの行動を取った。

 

アイズは椿に促され武器の整備を、ティオナは大剣の使い心地を確かめるために素振りをしに、ティオネとレフィーヤは明日に備えて早めの就寝を、といった具合だ。

 

サポーターとして同行するラウルたちも相当緊張している様子であったが、途中でやって来たリヴェリアが上手く彼らの気持ちをほぐしていった。それまで漂っていた重苦しい空気は霧散し、楽観的とまではいかないが、無意味に59階層を恐れるような事はなくなった。

 

そんな中でファーナムは就寝用のテントの横に陣取り、一人武器の手入れをしていた。ちょうど良さげな岩に腰かけながら、保有する武器の数々を地面に並べている。

 

どんな武器でも扱えるファーナムだったが、ダンジョン内では主に剣を使う事が多い。ドラングレイグで遭遇したような、全身に鎧を纏っている敵がいないからだ。

 

鎧のように固い皮膚や鱗を持つモンスターもいない事はないが、それも彼の筋力と技量でどうにかなっている。故に、今回もここまでに剣以外は使ってこなかった―――そもそも先頭を歩くアイズたちが、遭遇するモンスターたちをことごとく倒していった事も原因の一つなのだが―――。

 

さて。そんなファーナムは手にしていたクレイモアを地面に置きながら、それとなく前の方へと目を向けてみる。

 

その目に映るのは団員たちの姿。どの団員にも過度な不安や緊張の色は見られず、皆明日へ向けて張り切っている。彼らの表情を眺めながら、彼は兜の奥で密かに微笑みを浮かべてしまう。

 

諦めかけていた人間らしい生き方。

 

仲間と呼べる者たちとの生活。

 

期せずして手に入ったそれらを一度は躊躇したものの、ロキの言葉によって今は素直に受け入れる事が出来た。

 

普段はどうしようもなく道化であるあの女神には、いくら感謝してもし切れない。初めて出会った神が彼女で良かったと、ファーナムは今一度感謝の念を抱いた。

 

「ファーナム」

 

その時だった。

 

自身へとかけられた声に振り向いてみると、そこには我らが団長、フィンの姿が。両脇にはガレスとリヴェリアの姿もあり、ファミリア最古参の三人組が揃い踏みとなっていた。

 

「こんな時間まで武器の整備かい?精が出るね」

 

「まあな。どうにも興奮しているようだ、中々寝付けず仕方なく、な」

 

咄嗟に嘘を吐くも、あながち間違ってはいない事に言ってから気が付く。

 

何せ『遠征』自体は初なのだ。経歴を偽っている以上そんな事を言える訳がないが、内から湧き上がってくる感情にまでは嘘を吐けない。

 

「寝付けない、か……それならちょうど良い」

 

「?」

 

「少し付き合ってくれないかな?明日の配置について、少し話しておきたい」

 

フィンはにこりと笑いかけ、テントへと彼を誘う。

 

そこは寝る為ではなく、会議などの重要な話し合いの為に設けられた場所。他のテントよりも少し離れた場所にあり、聞き耳を立てようとでもしない限り中からの会話を聞かれる事もない。

 

アイズたちもいなくて良いのかと聞きかけたが、もうそろそろ就寝の時間も近付いている。フィンからの誘いは飽くまで、自分一人に向けられたものなのだと悟る。

 

「ああ、分かった」

 

ファーナムは並べていた武器を全て仕舞うと、岩から腰を上げテントへと向かった。

 

垂らされていた布の幕をくぐると、内部の中央には大きめの机が一つ。そこには51階層から58階層までの地図が広げられており、この時間まで彼らが明日の行動を話し合っていた事が窺える。

 

「さて、明日の君の配置についてだが、僕はガレスとリヴェリアと共に後衛に回ってほしいと思っている」

 

「後衛か」

 

フィンの考えている布陣はこうだ。

 

前衛に素早さと一撃の破壊力に秀でたベートとティオナ。中衛には戦闘をそつなくこなせるアイズとティオネ。そこに司令塔であるフィン自身も加わる。

 

後衛には経験、実力ともにトップクラスのガレスとリヴェリアを置き、各配置に加えられたサポーターを含めた全員を後押しする。椿は客人という事もあり、比較的安全な中衛に加えられる。

 

最も効率よく『深層』を突破できる布陣。これがフィンの考えている構成であった。

 

「君の配置には少し悩んだが、やっぱりここしかないと思ってね」

 

「俺は別に構わんが……理由は?」

 

「なんだ、自分で気が付かないのか」

 

フィンの言葉に疑問をぶつけてみるファーナム。その問いに答えたのは、彼の隣に立つリヴェリアからであった。

 

「お前はあらゆる武器を使いこなせる。剣も槍も槌も、そして弓の腕も達者だ」

 

「……ああ」

 

言われて、ようやく理解する。

 

ファーナムを後衛に配置したのは、つまりはそれが狙いだったのだ。『深層』突破には一切無駄な行動を許されない。それは実力者であるフィンたちにとっても同様だ。サポーターとして同行するラウルたちなら、なおさらである。

 

彼らがモンスターに襲われる可能性を少しでも下げるべく、ファーナムは前衛及び中衛が取りこぼした、あるいは不意に出て来たモンスターを弓で排除する。詠唱に時間のかかるリヴェリアと近接武器以外を持たないガレスの僅かな穴を埋める役、という訳だ。

 

「物足りなく感じるだろうが、どうか頼むよ」

 

フィンはその碧眼を向けつつ、そんな事を口にした。

 

その姿にファーナムはふっ、と笑い、まるで気にしていないという風に言葉を返す。

 

「構わんさ。全員の命が最優先、当然の事だ」

 

「はっは!まるで保護者のような物言いじゃのう!二十とそこそこの若造のクセしよって!」

 

「む……」

 

木箱に腰かけ聞いていたガレスに唐突に笑われ、ファーナムは言葉に詰まってしまう。

 

確かに外見だけで言えば、ファーナムは二十代後半のヒューマンなのだ。恩恵(ファルナ)のおかげで肉体の最盛期を維持できる期間が長いとはいえ、外見と中身との年齢の差はせいぜい十年かそこらだろう。

 

長命種のハイエルフであるリヴェリアは言うまでも無く、ガレスからすればそれこそ若造に見えても仕方がない。

 

唯一同年代、あるいは年下―――外見上は―――であろう者はこの場にはフィンだけ。ファーナムは無意識に視線を飛ばし、彼もそれを察知してにこりと笑いかけた。

 

「……残念だけど、この場では君が一番年下だと思うよ?」

 

「なに?」

 

「僕はもう四十さ」

 

「なっ……!?」

 

ここまで来て初めて知らされた衝撃の事実に、今日一番の衝撃を受ける。同時に神の恩恵というものの恐ろしさの片鱗を味わった気分にまでなってくる。

 

「……若作りが過ぎやしないか?」

 

「「「 ……… 」」」

 

思わず漏れてしまったその本心。

 

古株三人は時を止め、そして。

 

「……あっはははははは!!」

 

「がっはっはっはっはっはっは!!」

 

「ふっ……ふふっ……!」

 

少年のような笑い声と、豪快な笑い声。そして押し殺したような忍び笑いがテントに木霊する。

 

人前でここまで感情を露わにしたところを見た事がなかったファーナムは思わずぎょっとしながらも、何かおかしな事を言ったかと内心で首を捻る。そうしている間に笑い声も次第に治まってゆき、目尻に涙すら溜めたフィンが可笑しそうま表情のまま口を開いた。

 

「はぁ……ここまで笑ったのは久しぶりだよ」

 

「そうじゃのう。これを肴にドワーフの火酒を何杯でもいけそうじゃわい」

 

「それは地上に戻ってからだ、ガレス。とりあえず……今はこれで我慢しておけ」

 

微笑みを落としながらリヴェリアは四人分の木のコップを取り出すと、金属製の水差しを手に取り中身を注いでいった。清涼な香りがふわりと漂い、それが果汁入りの冷水である事を知らせてくれる。

 

「おう、気が利くのう」

 

「ありがとう、リヴェリア」

 

手渡されるコップを受け取るガレスとフィン。次いでファーナムも受け取り、兜を脱いでそれに口をつけた。

 

良く冷えた水が喉を滑り落ち、果汁の後味が心地よい余韻を与えてくれる。僅かこれだけの事で幸福を感じられる事に、ファーナムはどこかくすぐったいような感覚を覚えてしまう。

 

「そういえば……お前たちと初めて出会ったのも、このテントだったか」

 

不意に思い出したあの日の事。

 

ダンジョンの中でアイズたちと出会い、無様に負かされてこのテントへと運ばれ、柱に鎖で縛り付けられた状態で目が覚めた。ガレスとリヴェリアが鋭い眼光でこちらを見下ろし、ピリピリとした空気が漂っていたのを思い出す。

 

到底良い形ではない出会いであったが、それでもこのように笑い合える仲にまでなった。不思議な事もあるものだと思いつつ、冷水にさらに口をつける。

 

「あの時は驚いたものじゃ。モンスターを倒して来たアイズたちが武器素材(ドロップアイテム)ではなく、まさか(お主)を連れてきたのだからな」

 

「あの子たちからはいきなり襲い掛かって来たと聞いたものでな、その……すまなかった」

 

再び豪快に笑い飛ばすガレスとは対照的に、リヴェリアは未だにあの時の事に対して負い目を感じているようだ。

 

順番が逆とは言え、団員の命を救ってくれた者に対して働いてしまった非礼を、今更になっても詫びてくる。

 

「なんじゃリヴェリア、お主まだ引き摺っておるのか」

 

「うるさいガレス。私はお前と違っていい加減ではないだけだ」

 

「ほう、言うではないか」

 

「おい、お前たち。こんな時に喧嘩は……」

 

いつの間にやら言い争いの様相を呈してきた二人を前に、ファーナムは止めようと間に割って入ろうとする。

 

が、それを止めたのは、あろう事かフィンであった。

 

「ファーナム。心配しなくても大丈夫だよ」

 

ほら、と指を差す。その先を目で追ってみれば、彼の言っている事の意味が分かった。

 

傍から見れば言い争いをしているようにも見える。しかし互いの口元には微かな笑みが浮かんでおり、それがただの些細な戯れである事を証明していた。

 

「―――――」

 

普段見せる首脳陣としての顔ではなく、一冒険者同士、苦楽を共にしてきた仲間同士としての姿に、ファーナムは目を奪われる。

 

それは彼が目指している姿そのものだ。

 

不死人としてではなく、人として。新たに手に入れたここでの暮らしに恥じる事のない、立派な冒険者としての姿。その究極とも言える彼らを前に、呼吸すら止めて見入ってしまう。

 

「……ファーナム?」

 

「っ」

 

一体どれほどの間そうしていたのか。隣から聞こえて来たフィンの声に、ハッと我に返る。

 

気が付けばガレスとリヴェリアのじゃれ合いも終わっており、三人の視線がファーナムに集中していた。首を振って頭をしゃんとさせた彼は残っていた冷水を一気に呷り、兜を被り直してテントを出て行こうとする。

 

「悪いな、眠気が来たようだ。もう休ませてもらうとしよう」

 

気恥ずかしさもあったのかも知れない。下手な演技でこの場から逃れようとしたファーナムであったが、その背にフィンからの声が投げかけられる。

 

「ああ、少し待ってくれ」

 

「?」

 

振り返ったファーナム。その彼の瞳が映すのは、フィンたち三人の姿。

 

彼らは円陣を組むかのように互いに顔を見合わせ、拳を握っていた。一体何をしようと言うのか、意図がまるで分からないファーナムは、素直に疑問を口に出す。

 

「これは……」

 

「なに、景気付けという奴じゃ」

 

「もう屋敷で済ませてきたが、別にまたやっても良いだろう」

 

にやりとした不敵な笑みを浮かべるガレスに、片目を瞑って微笑みを浮かべるリヴェリア。そして二人の言葉を継ぐようにして、フィンが口を開いた。

 

「ちょっとした儀式みたいなものさ。それぞれが自分の願望を口にして、拳をぶつけ合うんだ」

 

それはかつて、まだLv.1に過ぎなかったただの冒険者である三人が交わした儀式だ。

 

融通の利かない王女(ハイエルフ)にがさつな大男(ドワーフ)、そんな二人に溜め息が尽きなかった少年(パルゥム)。相性が最悪とも言える三人を見かねた朱髪の女神が、強引に手を取らせ合ったのがきっかけであった。

 

「さぁ、ファーナム」

 

フィンに促されるままに、ファーナムもその輪に加わる。

 

ファミリアではまだまだ新参者である自分がいても良いのかと尋ねるも、何を今更、とガレスに盛大に笑われてしまう。それに釣られるように、フィンとリヴェリアもまた笑った。

 

やがて静けさを取り戻した彼らは、誰からともなく自らの願望を語る。

 

「熱き戦いを」

 

「まだ見ぬ世界を」

 

「一族の再興を」

 

差し出された三つの拳は、残るもう一つの拳を待つ。

 

金属と革で覆われた己の掌を見つめていたファーナムは、やがて拳を握り、突き出した。

 

「……(みな)に恥じぬ生き様を」

 

もう二度と屈しない、諦めない。

 

如何に強大な苦難が待っていようとも、必ず討ち果たして見せる。

 

一人では無理でも、仲間とならば乗り越えられる。互いの背を預け合い、時に助け、時に助けられる。そんな冒険者になる。

 

あの日に購入した童話『アルゴノゥト』の挿絵にあった主人公の後ろ姿を脳裏に浮かべながら、ファーナムは静かに、しかし力強く言い切った。

 

誓いを口にした四人の拳がぶつかり合う。

 

最古参の三人の誓いに、新たな決意が刻まれる。

 

それは同時に、ファーナムの心にも深く……深く刻み込まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

テントを後にしたファーナムは、自身に割り当てられた寝床へと向かっていた。

 

眠る事は出来ないが、いつまでも外に出て他の者にいらぬ心配をさせてもいけない。寝れないまでも形だけでも取ろうという事である。

 

いよいよ明日からが本当の『遠征』なのだ。改めて気を引き締めつつ、やはりもう一度武器の手入れでもしておこうか、と考えていた―――――その時。

 

 

 

 

 

『―――――試練を越えた者よ』

 

 

 

 

 

唐突に。

 

彼の脳内に、何者かの声が響き渡った。

 

「―――ッ!?」

 

思わずバッ!と振り返り、周囲を見渡す。しかし見えるのは団員たちの姿のみ。不審な者の姿などどこにも見当たらない。

 

それも当然なのかも知れない。今の声は脳内に直接響いたのだ。耳から入って来た音ではない。あえて例えるならば、それは闇霊(ダークレイス)の侵入時に感じるものが最も近いだろうか。

 

(まさか、本当に闇霊(ダークレイス)が……いや、それはないか)

 

ファーナムは以前にフェルズから渡された連絡用の水晶を手に取りつつ、そう結論付けた。

 

もし本当に闇霊(ダークレイス)に侵入されているとすれば、すぐに何らかの連絡が来るはずだ。手元の水晶からは何の反応もなく、彼はひとまず息を吐く。

 

(だが、今の『声』は……)

 

胸の奥がざわつく感覚を覚えたファーナムは、それを無理やりにでも飲み込もうとする。

 

念の為に何があってもすぐに行動できるよう気だけは張り詰めさせながら、彼は再び自身の寝床へと向かって行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「時は満ちた」

 

 

 

「今こそ、オラリオに蔓延る神々を制裁する時」

 

 

 

「皆の者―――――始めるぞ」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十九話 冒険

とうとうお気に入り数が4000を突破しました。これも読んで頂いている皆様のおかげです。本当にありがとうございます。

これを励みに、今後も頑張ります。どうぞ宜しくお願いします。


翌日。太陽とは無縁のダンジョンでは、時計の針だけが時間の経過を知らせてくれた。

 

遂に幕を開ける『遠征』本番。フィンが率いる上級冒険者たちは鍛冶師(スミス)である椿とサポーター五名と共に、それぞれの得物を手に魔窟へと挑むのだ。

 

「出発する」

 

本陣に残る者たちの見送りの叫びを背に受け、アイズたちの目に今まで以上の戦意が宿る。

 

そんな彼らの姿を後方から目にしたファーナムは確信する―――――これが“冒険”なのだと。

 

『未知』へと挑む。

 

『未知』を『既知』とする。

 

ダンジョン攻略という全人類の悲願を成就させんとする者たちを前に、自然と湧いたその思い。そして、その“冒険”の一助になれるという栄誉。

 

誰かの為に何か出来る。そこに感じるこの感情は、きっと喜びなのだろう。

 

だからこそ、ファーナムもまた気を引き締める。

 

誰一人として死なせない。中央広場(セントラルパーク)でフィンが皆と共に立てた誓いを、断じて破ってはならないのだ。

 

「皆、ここから無駄口はなしだ」

 

51階層へと通じる大穴の目の前にまでやって来た一行は、それまで交わしていた雑談をピタリと止めた。フィンの声に全員が戦闘態勢へと移行し、同行するレフィーヤたちサポーターの緊張も頂点に達する。

 

「―――行け。ベート、ティオナ」

 

下された団長命令。

 

その声にベートは口の端を引き裂いて笑い、ティオナは肩に担いでいた不壊金属(デュランダル)の大剣を半身に構える。

 

そして―――二人の姿がかき消えた。そう錯覚する程の勢いで、急斜面を駆けてゆく。

 

一歩目よりも二歩目、二歩目よりも三歩目と、上がってゆく速度。それはもはや駆け降りるなどの表現では到底追いつかない、駆け()()()という言葉がぴったりと当て嵌まる。

 

二人がやって来るのを待ち受けていたかのように、左右の壁からモンスターが産み落とされる。黒犀(ブラックライノス)巨大蜘蛛(デフォルミス・スパイダー)が徒党を組んで襲い掛かり、その角と牙に明確な殺意を滲ませた。

 

が、そんなものは問題にもならない。

 

「るおおぉぉおおおおおおおおおお!!」

 

「うおりゃぁぁあああーーーーーっ!!」

 

形成されたモンスターの壁を、上級冒険者の足刀と大斬撃が粉砕する。

 

爆発四散、または細切れにされるモンスターたちの肉体。命を散らした証左である魔石と灰が周囲に振り撒かれ、塞がれた通路が再び開通した。

 

「二人に続け!」

 

「止まるでないぞ、(わっぱ)ども!」

 

その隙を見逃さずに、一行も進攻(アタック)を開始する。

 

先行した二人に後れを取るまいと、アイズとティオネもまた急斜面を勢いよく駆けていった。遥か先の通路から響き渡る戦闘の余波に思わず足がすくむサポーターたちであったが、後衛から飛んできたガレスの声に覚悟を決める。

 

「い、行くっす!?」

 

Lv.4のラウルが気を吐き、それに続くようにして他のサポーターたちも走り出した。進む事だけに専念する彼らを襲うモンスターへの対処は、ファーナムたちの仕事である。

 

『ギシャァァアアアアアアッ!!』

 

一行は入り組んだ通路を走り抜けてゆく。

 

正規ルートを熟知している彼らであっても、これまでとは桁違いの頻度で生まれるモンスターたちを前に油断は許されない。ベートとティオナが粗方の掃除を済ませているとはいえ、僅かな時間で新しいモンスターが出現するのだ。

 

「きゃっ……!?」

 

サポーターであるエルフの少女、アリシアが悲鳴を上げかける。走り過ぎようとした斜め前方の壁から、巨大な蜘蛛の顔が現れたからだ。

 

一瞬の内に視界に広がる醜悪な姿。八つの足を大きく広げたモンスター『デフォルミス・スパイダー』は、糸を吐くまでも無く己の方へとやって来た獲物を頭から喰い千切ろうと、牙がずらりと並んだ顎を大きく開く。

 

が、それが感じ取ったのは柔らかい肉の感触ではなかった。

 

『ガッ!?』

 

口腔内へと侵入し、そのまま頭部を貫いた一本の矢。たったそれだけで絶命に至った蜘蛛は灰へと還り、排するべき侵入者へと道を明け渡してしまう。

 

ハッとした顔でアリシアが振り返ると、そこには弓を構えたファーナムの姿があった。彼はすでに次の矢を番えるべく、腰の矢筒へと手を回している。その手並みは同じく弓を扱う彼女以上だ。

 

「あ、ありが……!」

 

「構うな、進め!」

 

生真面目なエルフらしく感謝を述べようとするも、ファーナム自身によって遮られる。現状を正しく認識したアリシアはそれ以上を口にしようとせず、再び視線を前方へと集中させた。

 

「―――来たっ、新種!」

 

モンスターたちを薙ぎ払い猛進撃を繰り広げる【ロキ・ファミリア】。その最前線を行くティオナが、遥か前方に蠢く黄緑の群れを察知する。

 

この階層で生まれたモンスターでさえも餌食にし、こちらへと向かってくる芋虫型。以前は辛酸を舐めさせられたが今回は違う。対策も万全にしてきた彼らにとって、これはもう脅威には映らなかった。

 

「隊列変更!ティオナ、アイズと代われ!」

 

了解(りょーかい)っ!」

 

キキィッ!と急停止し、フィンの指示通りにティオナが後方へと跳ぶ。そんな彼女と入れ替わるようにして、金色の少女、アイズが最前線に躍り出る。

 

「やっちゃえ、アイズ!」

 

「うん」

 

短く言葉を交わした両者。タンッ、と軽やかに着地したアイズはそのまま疾走、先行していたベートと肩を並べる。

 

【ロキ・ファミリア】最速の二人が揃った。

 

「【目覚めよ(テンペスト)】」

 

短文詠唱が少女の口から紡がれ、彼女の握る愛剣《デスペレート》に風が備わる。

 

芋虫型の腐食液すらも通さぬ不壊金属(デュランダル)の刀身に加え、アイズの風まで付与されたそれは、もはや無双の剣と化した。

 

「アイズ、寄越せ!」

 

「―――風よ」

 

加えて、ベートの武装《フロスヴィルト》に風が付与される。

 

更には腰に差した不壊金属(デュランダル)の双剣を逆手に構え、ベートは身体を低くして構えを取った。彼に倣うように、アイズもまた僅かに前傾姿勢になる。

 

瞬間、爆散する地面。

 

数十M(メドル)はあった距離が、たったの一息で潰れる。

 

「―――がるあぁぁぁあああああああああああああッッ!!」

 

『ギィァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!?』

 

迸る雄叫びと割鐘の悲鳴が木霊する。

 

風の恩恵を受けた狼は双剣と共に暴れ回り、芋虫型を次々に解体していった。瞬く間に減らされてゆく同胞の姿に、芋虫型たちは示し合わせたかのように腐食液を吐きかける。

 

しかし、それはアイズによって阻まれる。広域をカバーする彼女の風は後方のフィンたちに一切の腐食液を通さず、芋虫型たちの飛び道具を完全に無力化した。

 

「ふははっ!相も変わらず凄まじいな、フィン。お主の所の若者たちは!」

 

「気を抜くな、椿。それと……そろそろ道を空けた方が良い」

 

「むっ?」

 

アイズたちの後ろでは椿が走りながら呵々大笑し、戦況を眺めている。言葉の通り激しいその暴れっぷりに、ラウルなど苦笑いすら浮かべてしまっている程だ。

 

まるで『深層』にいるとは思えぬ様子の椿へ、フィンは窘めると同時に助言した―――その直後に。

 

「【閉ざされる光、凍てつく大地。吹雪け、三度(みたび)の厳冬―――我が名はアールヴ】!!」

 

リヴェリアの詠唱が完成する。

 

このままベートとアイズに任せてもどうにかなるだろうが、無駄にリスクを冒す道理はない。二人が芋虫型の群れを引き付けている隙に、彼女は『並行詠唱』を完成させていたのだ。

 

「ベート、アイズ!今だ!」

 

フィンの声に、先頭の二人が左右に分かれ避難する。

 

中衛も同じように左右に割れ、その中心に立つ王女(ハイエルフ)は翡翠色の魔法円(マジックサークル)を展開させ、自身の武器である長杖《マグナ・アルヴス》を芋虫型の群れへと向ける。

 

そして、特大の魔法を放った。

 

「【ウィン・フィンブルヴェトル】!」

 

吹き荒れる白銀の閃光。直線状にいた芋虫型の群れ、そして壁より生まれたモンスターたち全てを氷像へと変えたリヴェリアの魔法は、遥か先の通路まで氷の空間へと変貌させた。

 

こうなっては流石のダンジョンであっても、新たにモンスターを産み落とす事はできない。魔窟から一転、ただの通路と化した51階層を、一行はその後大した苦労もなく突破してゆく。

 

そうやって走り続ける事、数十分。彼らの眼前に、52階層へと通じる階段状の通路が姿を現した。

 

「ここから先は補給が出来ない。皆、覚悟してくれ」

 

連絡路を背にしたフィンが、隊への最終確認を済ませる。

 

ごくりと生唾を飲み込むサポーターたち。前回の『遠征』では辿り着けなかった階層を睨みつけるアイズたち。初めて足を踏み入れる階層に不敵な笑みを零す椿。

 

各々が思い思いの感情を抱く中、ファーナムは静かに感覚を研ぎ澄ませる。

 

これより先はこれまでとは次元の異なる階層。何が起こっても対処出来るよう、彼は手持ちの武装を再確認した。

 

狩人の黒弓に加え、速射できるよう予めボルトを装填しておいた『聖壁のクロスボウ』を腰の吊り具に引っかける。反対側の腰には椿が作成した直剣を差しており、いつでも抜けるようにしてある。

 

遠距離攻撃を重視しつつ、近距離への対応も万全の備え。憂いなどは皆無だ。

 

「戦闘は可能な限り回避。一気に59階層への連絡路まで突破する」

 

フィンの声に対する返答はない。

 

代わりに、全員が無言のままに頷きを返す。

 

「行くぞ」

 

そして―――遂に。

 

一行は、52階層へと足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

「彼らは順調か」

 

「ああ、ウラノス。ちょうど52階層へ通じる連絡路に着いたところだ」

 

所変わり、ギルド最奥『祈祷の間』。

 

静謐さが支配する中、ウラノスとフェルズはファーナムたち【ロキ・ファミリア】の『遠征』の行方を見守っていた。

 

数日前にファーナムへ渡した水晶は正常に機能している。フェルズが持つもう片方の水晶に映し出された映像には、皆に何やらを確認する冒険者【勇者(ブレイバー)】の姿があった。

 

「彼らにとってはここからが正念場だな。まあ、偉そうに言える立場ではないが」

 

「過去、ここまで到達できた者たちは限られている。【ゼウス・ファミリア】に【ヘラ・ファミリア】、そして【フレイヤ・ファミリア】のみか」

 

「正しく現代の英雄たちだ……ところでウラノス、()()()()()()()?」

 

目深に被ったフードを揺らし、確認するようにそちらを見上げるフェルズ。ウラノスはそんな己の腹心へ、瞳を瞑って静かに頷いた。

 

「私が感知できる異常は今の所は起きていない。少なくともファーナムのいた世界の闇霊(ダークレイス)は、こちらの世界には来ていないだろう」

 

「そうか」

 

それでも不安感は拭い切れない。

 

異端児(ゼノス)』たち。その中でもとりわけ強い、或いは探知能力に長けている者たちを使ってダンジョン内を可能な限り巡回してもらっているが、何せ範囲が広大過ぎる。安心など出来る訳がない。

 

「このまま何事もなく終わってくれれば良いが……」

 

僅かな望みに縋るように、フェルズが呟く。

 

その手に持つ水晶の中では、今まさに【ロキ・ファミリア】が52階層へと足を踏み入れたところだった。

 

 

 

 

 

「走れ、走れぃ!ぐずぐずするな!」

 

自身の真横で並走するガレスが、大声で唾を飛ばす。質量すら伴っていると錯覚させられそうになるその声に、ファーナムは少しだけラウルたちが気の毒になった。

 

が、そんな事に気を取られてはいけない。ここはすでに52階層の中なのだから。

 

一行はこれまでと変わらずに、迷宮内を走り抜けていた。出現するモンスターの種類や頻度も変わらず、今の所は特に目立った問題はない。芋虫型との邂逅もなく、何なら順調とさえ言って良い。

 

しかし、先程までとは明確な違いがある。それはラウルたちサポーターだ。

 

明らかに強張り、余裕のない表情。決して速度を緩めようとはせず、まさしく死に物狂いで迷宮を駆けている。その理由はファーナムも知識としては知っているものの、実際に立ち会った事のない彼からすれば、やはり異様な雰囲気であると感じてしまう―――と、その時であった。

 

腹の底にまで響き渡ってくるような禍々しい雄叫びが、全員の耳朶を打ったのは。

 

「なんだ……?」

 

走りつつ、前方から椿の呟きが聞こえてくる。彼女は雄叫びを上げているものの正体を探ろうと、首を左右に振って周囲を見回す。それでも近くにモンスターの存在は感知できず、より謎が深まっただけだった。

 

一方で、ガレスと同じくファーナムの隣を並走するリヴェリアは、冷静な声色を崩さぬままフィンへと語りかける。

 

「フィン、これは……」

 

「ああ―――()()された」

 

彼女の言わんとしている事を理解しているフィンは、全員に更に速度を上げるよう促した。すれ違うモンスターたちには目もくれず、ただただ最短ルートで目的地を目指す。

 

『―――――――ォォ……』

 

途切れぬ雄叫び。見えぬ敵の姿。疾走する彼らを不気味に付け狙う、明確な害意。

 

『―――――ォォ……ォ』

 

それはどんどん大きくなり、アイズたち上級冒険者の顔からも色を奪ってゆく。サポーターたちの目にはもう、彼らの背中しか映っていなかった。

 

『―――ォォオ……オオ』

 

後衛のファーナムはこの時、かつて経験したある場面が脳裏に浮かんでいた。

 

這い寄ってくる雄叫び、これには酷く身に覚えがあったのだ。本能が告げる未曾有の緊急事態、危機回避能力に警鐘を鳴らし続ける、この遠吠えの正体は―――――。

 

『ォォ……ォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!』

 

答えに行き着くと同時に、これまでとは比べ物にならない程の雄叫びが鼓膜に叩きつけられた。

 

「ベートッ、転進しろ!」

 

「チィッ!!」

 

盛大に舌打ち、先頭を駆けていたベートが突如方向転換する。それに続くようにして、フィンたちもまた進路を変える。

 

最も近かった横道に目を付け、そこへ逃れるよう指示を出したフィン。一行は次々に飛び込み、後衛の三人が最後に転がり込む。

 

その直後。

 

 

 

轟ッ!!と、極太の火柱が地面から生えた。

 

 

 

「~~~~~~~~~~ッッ!?」

 

声にならない叫びが聞こえてくる。それはレフィーヤのものであろうか、それとも他のサポーターたちのものであろうか。

 

「ルート変更!西側から迂回する!」

 

誰もが呆然とする中、フィンだけが止まらずに頭を回転させ続けていた。咄嗟に逃げ込んだ横穴の位置を脳内の地図に当てはめ、現在地から最短のルートを割り出す。

 

今しがた通っていた通路は使えない。直径にして10Mはあろうかという大穴が空いているからだ。アイズたちだけならどうにかなったかも知れないが、予備の武装を担いだラウルたちまで同じ真似は出来ない。

 

一行はフィンの声に従い、新たな道へと目を向ける。

 

「リヴェリア、防御魔法を!」

 

「っ―――【木霊せよ、心願(こえ)を届けよ。森の衣よ】!」

 

足元からの炎砲は未だ止まない。足を止めてしまえば丸焼けとなってしまう重圧(プレッシャー)の中、フィンは的確に魔導士であるリヴェリアに指示を送った。

 

進む。進む。ひたすらに突き進む。

 

入り組んだ地形に加え、絶え間なく現れるモンスター。更には前後左右、どこからでも現れる炎の柱に翻弄されながらも、彼らは決して進む事を躊躇しなかった。

 

が。

 

「きゃぁ!?」

 

「ッ、レフィーヤ!」

 

ちょうどモンスターへ牽制の弓を放っていたファーナムの目の前で、レフィーヤの腕が何かに絡め取られてしまう。

 

すぐ近くにはラウルが倒れており、恐らくは彼女が突き飛ばしたのであろう。そんな事をした理由は明らかで、通路の暗がりに隠れていたモンスターの奇襲から救うためであった。

 

『デフォルミス・スパイダー』の吐いた糸に捉えられたレフィーヤは、抵抗する間もなく引き寄せられてゆく。今から矢を番えては間に合わない。そう判断したファーナムは腰に吊っていた聖壁のクロスボウを引っ掴み、敵の頭部へと照準を合わせる。

 

後は引金を引くだけ……だったのだが、ここで予想外の事が起こってしまう。

 

『ギィ―――ッ!?』

 

地面から炎が巻き上がったのだ。固い岩盤を溶解させて現れた紅蓮の柱は巨大蜘蛛を消し炭に変え、レフィーヤを捕らえていた糸も一緒に焼き切る。

 

直後、彼女の身に襲い掛かる浮遊感。

 

炎砲が地面に開けた大穴へと、少女の身体は吸い込まれるようにして落ちていった。

 

「なっ……!?」

 

全くの予想外の出来事にファーナムは息を飲んだ。途中から見ていたのであろう、ティオナとティオネは驚愕の表情で固まり、ベートまでもが両目を大きく見開いている。

 

止まらずに突き進んでいた一行に、初めて動揺が広がった。

 

大穴へと落ちたレフィーヤ。

 

留まる所を知らぬ攻撃の手。

 

足を止めてはいけないこの状況下で、長考など以ての(ほか)。瞬きにも満たぬ僅かな時間で覚悟を決めたファーナムは、いの一番に大穴へと飛び込んだ。

 

「ファーナムッ!!」

 

「ガレス、すまないが任せた!」

 

後衛の任を彼に託し、重力のままに落下してゆくファーナム。数秒遅れてティオナとティオネ、そしてベートの三人もまた大穴へと身体を躍らせた。

 

「【ヴェール・ブレス】!」

 

間一髪のところでリヴェリアの魔法が完成し、ファーナムたち四人、そして先に落下したレフィーヤにまで防護の加護が付与される。あらゆる攻撃から対象を守る防御魔法を施し、これで残った者たちに出来る事は完全になくなった。

 

「……引き続き目的地を目指す。一刻も早くファーナムたちと合流するんだ!」

 

動揺を引きずる空気を払拭するかのように、フィンのよく通る声が迷宮に響く。

 

その声は暗に、彼らの事は心配いらないとでも言っているかのようであった。

 

 

 

 

 

どこまでも続く長い縦穴。ダンジョンが自然に生み出したものではない、理不尽の産物。

 

その中を落下し続けるファーナムは、視界にレフィーヤの姿を捉えながら、盛大に顔をしかめていた。

 

(やはり、か)

 

地面が小さな点にしか見えない程の高度で、ちらほらと姿を見せ始める雄叫びの正体。

 

実際に目にするのはこれが初めてだと言うのに、既視感を感じずにはいられない。それはドラングレイグでの旅路の中で踏破したあの場所……『護り竜の巣』に生息していた巨大生物の姿だ。

 

ファーナムはソウルから武器を形作る。雷の力を内包したそれは、これから戦う敵に対して力強い味方となってくれる事だろう。

 

敵もこちらに気が付いたようで、その長い首をもたげて咆哮を上げている。

 

この状況を作り出した敵の正体。52階層よりも遥か下、58階層からの『階層無視』という出鱈目過ぎる砲撃を撃ち込んできた、モンスターの王とも称される暴力の化身。

 

地上ではこの周辺の階層を、まとめてこう呼んでいる……『竜の壺』と。

 

その最下層で待ち構えるモンスターの名は、砲竜『ヴァルガング・ドラゴン』。紅色の鱗に全身を覆われた、全長10Mを超す正真正銘の怪物である。

 

(ここに来て“竜狩り”とは……だが、やってやろうではないか―――――ッ!!)

 

手中にある得物『竜断の三日月斧』が、ぎちりと音を立てて力強く握り込まれる。

 

未だ落下の只中(ただなか)にあるファーナムは、兜の奥で獅子の如く(まなじり)を引き裂いた。

 

 




大穴へと飛び込んだファーナムさん。多分ゲーム的には古き混沌+護り竜の巣(周囲の飛竜全て敵対状態)みたいな感じですかね。

滞空時間は一分ほど。その間もみくちゃにされながらもどうにか地面に辿り着いてからの飛竜との地上戦(対複数)……はい、無理ゲーですね。修正待ったなしです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十話 邂逅、再び

やっとここまで書けました。なんだかえらい文字数になってしまいましたが、次回からはいつも通りに戻そうと思います。

それと、ここから一気にダクソ成分が強くなる(予定です)ので、世界観を壊さない程度に好きに書いていきたいと思います。

今後もよろしくお願いします。


 

(あり得ない、あり得ない、あり得ない!?)

 

砲竜『ヴァルガング・ドラゴン』の開けた大穴を真っ逆さまに落ちてゆくレフィーヤ。両手が白くなる程に握り締めた相棒《森のティアードロップ》を胸に、少女の視界には風で暴れる自らの髪の毛しか映っていなかった。

 

58階層からの『階層無視』攻撃という理不尽。実に5つの階層をぶち抜いて撃ち込まれた大火球(フレア)の威力を前に、一切の思考が止まる。

 

(こんなの―――あり得ないっ!!)

 

それしか浮かばない。浮かんでこない。

 

これがダンジョン?笑わせるな。こんなの、地獄そのものではないか!

 

出発前にラウルが怯えていた理由を身をもって実感したレフィーヤの視界が、とうとう黒く塗り潰されてゆく―――――その瞬間(とき)

 

がっ!と、手首に感じる衝撃と圧迫感。

 

「!!」

 

急浮上する意識。一気に広くなった視界に飛び込んできたのは、甲冑を纏った冒険者の姿。

 

凝った意匠の兜、特徴的な肩部の毛皮。巷で人気のお伽噺や冒険譚の主人公のような、そんな恰好をしているファーナムの左手が、レフィーヤの手首をしっかりと掴んでいた。

 

「ふぁ、ファーナムさ……!」

 

「喋るな。舌を噛むかも知れん」

 

何故ここに?という疑問すら許さないファーナムから、一方的に口を閉じているように言われる。

 

そして―――直後。レフィーヤは地面とは真逆の方向へと、思い切りぶん投げられた。

 

「きゃぁぁああああああああああああああああっ!?」

 

まるで人間大砲でも体験しているかのような衝撃に、少女は情けない悲鳴を上げて飛んで行く。

 

まさか、このまま52階層へと戻すつもりなのか。そんな突拍子もない考えがレフィーヤの脳裏を過ぎるも、その身体が何者かに受け止められ、現実へと引き戻される。

 

「レフィーヤ!」

 

「ティオネさんっ!?」

 

そこにいたのは斧槍(ハルバード)を手にしたティオネであった。空いたもう片方の腕でしっかりと彼女を抱きすくめ、決して離すまいとしている。

 

「レフィーヤ大丈夫!?良かったーっ!」

 

「なに気ぃ抜いてんだ間抜け!こっからだぞ!」

 

続いて飛んでくるティオナとベートの声。情けなくも足を引っ張ってしまった自分の為に、ファーナムだけでなく助けにやって来てくれた彼らの登場に、涙が込み上げてくるのを抑えられない。

 

直後、彼らの身体が翡翠色に発光する。リヴェリアの魔法【ヴェール・ブレス】が完成したのだ。それは遥か先に落下しているファーナムにまで施されている。

 

「っ、リヴェリアの魔法!」

 

「これでどうにかなりそうね」

 

「あっ、あの!私よりもファーナムさんが……!」

 

防護の魔法に包まれひとまず安堵の表情を浮かべるアマゾネスの姉妹に、レフィーヤは一人先行して落下しているファーナムの身を案じた。

 

レフィーヤを上へと投げる際の反動で、自身に更なる加速がついてしまったのだ。竜種系のモンスターの巣窟である『竜の壺』の中であって、単独行動がどれだけ危険であるかは語るまでもない。

 

「ハッ、あの野郎がこんな所でくたばるかよ」

 

「えっ?」

 

が、そんな不安を真正面から一蹴するベート。

 

そこには相変わらずの気に喰わなそうな表情と共に、対抗心に燃える琥珀色の双眸が輝いていた。

 

 

 

 

 

赤熱した壁を蹴って加速し、レフィーヤの腕を掴む。

 

後方にティオネたちの気配を感じ取ったファーナムは、自らに掛かる反動もいとわずに彼女を仲間の元へと避難させた。これで最前線、つまりは敵の目に留まりやすい場所には彼一人だ。

 

終点、58階層には複数の砲竜がたむろしている。更には56、57階層を貫通した攻撃により、断面の横穴からは紫紺の飛竜『イル・ワイヴァーン』の群れが飛び出してきた。

 

『竜の壺』、実に的確な表現である。ただでさえ対処が難しい飛行モンスターの巣窟に足を踏み入れてしまったファーナムは、しかし動じる事なく現状を見極める。

 

(まさしく『護り竜の巣』そのものだ……)

 

そこかしこを竜が飛び回り、いつ何時、炎の吐息が飛んでくるか分からなかったあの場所。今目の前に広がっている光景は、その時の記憶を鮮明に呼び覚ました。

 

(ならば―――どうとでもなる)

 

そして、確信する。

 

ここは地獄などではないと。

 

この状況を切り抜けられる知恵と経験が、この身には備わっている。かつて何度も死に、そして工夫を重ねて挑み続けた記憶がある。

 

ファーナムは武器を握る手に更なる力を込める。ちょうどその時、横穴から出てきた一匹の飛竜がまっすぐこちらへと向かってきた。牙がずらりと並んだ大口を開け、落下してきた哀れな獲物を丸呑みにしてやろうというのだ。

 

それを察知したファーナムは、左手で腰に吊り下げていたものを掴んだ。

 

すでにボルトが装填されていた聖壁のクロスボウを構え、迷いなく引金を引く。射出されたのは『魔法のボルト』。硬い鱗を持つ敵、すなわち竜種に対しても十分な効果を期待できる。

 

『ゲァアッ!?』

 

予想外の攻撃に飛竜から悲鳴が上がった。ボルトは左の翼を貫通し、飛行能力を奪われ空中で大きく体勢が崩れる。

 

そこへ駄目押しのように振るわれる斧の一撃。紫電を纏った刃は“竜断”の名に恥じる事なく、見事その長大な首を斬り落とした。

 

「ッ!!」

 

それだけでは終わらない。

 

灰へと還りゆく死骸を足場にし、更なる加速をつける。すれ違いざまに片端から飛竜に斬撃を見舞ってゆき、ことごとくが絶命、あるいは再起不能となり落ちてゆく。

 

ドラングレイグでは絶対にしなかったであろう無茶。しかし守るべき仲間がいる今、ファーナムは一切の躊躇いを捨てていた。ここより後方には一匹たりとも通さない、その一心で得物を振るい続ける。

 

レフィーヤだけではない。ティオネ、ティオナ、ベート。共にこの大穴へと飛び込んだ彼らの身も、まとめて守るのだと強く自身に言い聞かせる。

 

が、しかし。

 

「えいさぁーーーっ!!」

 

『ギャッッ!?』

 

ヒュッ、と何かが横を通り過ぎたと思った矢先、目の前の飛竜から鋭い悲鳴が上がった。

 

その正体はティオナだ。普段振るっている大双刃(ウルガ)から不壊金属(デュランダル)の大剣に持ち替えた彼女が、その切っ先を飛竜の頭に叩き込んだのだ。

 

「オラァッ!!」

 

続いて聞こえてきたのはベートの雄叫び。持ち前の速度で壁を縦横無尽に駆け渡り、次々に飛竜の急所を足刀で蹴り砕いていった。

 

気が付けばファーナムは、彼らと肩を並べていた。

 

「ファーナムばっかり良い恰好させないもんねー!」

 

「テメェに守られるなんざ冗談じゃねぇぞ、クソがッ!」

 

にかっ、と笑うティオナ。罵声まじりの啖呵を切るベート。

 

危機的状況に陥りながらも彼らは変わらない。むしろ今こそが冒険者の腕の見せ所とばかりに、更なる戦意の昂りを見せていた。

 

「……ああ、そうだったな」

 

ファーナムはまたも失念していた。

 

思い出されるのは以前に市街地に突如現れた複数の食人花たち、その戦闘の最中に目の当たりにした、レフィーヤの強い眼差しだ。

 

自分たちは決して守られる存在じゃない。オラリオで最も強く、誇り高い、偉大な眷属(ファミリア)の一員。そう言い切った彼女の言葉通り、彼らは勇敢な冒険者だったのだ。

 

「すまない、少し抱え込み過ぎた。手伝ってくれるか?」

 

かなり数を減らしたとはいえ、まだまだ飛竜の数は多い。加えて砲竜との接敵も近付いてきている。

 

ファーナムは自身の手に余るこの状況を打破すべく、仲間に助力を求めた。

 

「もっちろん!仲間じゃん!」

 

その声にティオナはやはり満面の笑みで応じ、

 

「一匹残らず蹴り殺してやる」

 

ベートは剣呑な笑みと共に呟きを漏らし、

 

ファーナムは。

 

「……ありがとう」

 

兜の奥で、密かに微笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

「私たちの出番、なさそうね」

 

「す、すごい……!」

 

先行した三人が飛竜の相手をしている中、ティオネとレフィーヤはそんな事を呟く。

 

ファーナムたちを眼下に収める形で落下中の二人は、その光景に溜め息と驚愕の声を漏らしていた。特にレフィーヤなどは、ここが『竜の壺』である事を一時忘れてしまいそうな程に。

 

大穴の壁面を利用して器用に立ち回るベートは、すれ違いざまに敵の急所を狙っている。そんな彼とは対照的に、大剣による大振りの斬撃で数匹まとめて灰に還してゆくティオナ。それぞれの種族の特性が如実に表れた戦いぶりは舌を巻くものであった。

 

しかしファーナムも負けてはいない。

 

右手の斧を振るえば確実に両断。左手のクロスボウを放てば的確に翼の付け根を撃ち抜く。近距離と遠距離、共に申し分ない立ち回りを披露している。

 

『ゴアァアアッッ!!』

 

不意に飛竜が眼前に現れてもそれは変わらない。

 

()()()()()()によってクロスボウを消し去り、代わりに取り出したのはティオナが振るう得物と同じく大剣であった。

 

名を『竜血の大剣』。

 

かつて竜の血を信奉し、その果てに一国を毒の都へと変貌させた度し難き騎士団が振るっていた大剣。彼らの生涯を賭した願いを酌むのであれば、この場においてこれ程相応しい武器はないであろう。

 

しかし。

 

『ゲァッ!?』

 

竜血の大剣は確かに飛竜の首を斬った。

 

首を斬り飛ばし、遅れて噴き出したその血を僅かに刀身に受けた……が、それだけだった。

 

大剣を振り抜いたファーナムはあっさりとそれを手放し、新たな武器を虚空より掴み取る。それはかつての旅路の中で幾度となく助けとなってくれた武器、クレイモアだ。

 

「ああ、やはりこっちの方がしっくりくる」

 

手放した竜血の大剣の事など毛ほども頭には残っておらず、愛用のクレイモアでもって再び無双ぶりを披露する―――ちなみに竜血の大剣はそのまま壁面に突き刺さり、再びファーナムの手元に戻ってくる事はなかった―――。このように時と場合に応じて武器を使い分け、甲冑の冒険者は襲い来る飛竜たちを次々に返り討ちにしていった。

 

上級冒険者3人を前にした飛竜たちは、あまりにも無力だった。

 

「こ、これなら……!」

 

絶望的な状況をも覆す彼らの実力を目の当たりにしたレフィーヤの顔にようやく余裕の色が浮かんでくる。しかし彼女を腕に抱えているティオネは、眉間のしわを深くして遥か地面を睨む。

 

そこには大口を開けている砲竜の姿が。喉奥が赤く発光し、52階層までダンジョンを貫いた特大の砲撃を放とうとしていたのだ。

 

「アンタたち、来るわよっ!」

 

「見りゃあ分かるっつの!おいティオナ、テメェの大剣でどうにかしろ!」

 

「簡単に言うけどっ、あれ防ぐのすっごく痛いんだからね!?」

 

高度はすでに200Mを切っている。

 

この距離であの砲撃を防げるのは、ティオナの膂力を以て振るわれる大斬撃と―――――

 

「俺が行こう」

 

―――――あらゆる武装をその身に宿すファーナムのみだ。

 

「ファーナムさんっ!?」

 

レフィーヤの悲鳴のような声を置き去りに、ファーナムは壁面を蹴ってさらに接近する。砲竜もそれに気づいたらしく、明らかに照準を彼へと絞っていた。

 

その巨躯、威圧感は飛竜とは桁違い。冒険譚や御伽噺の勇者たちの宿敵として描かれてきた、まさしくモンスターの王と言える。

 

そんな強大な敵に挑むは甲冑の冒険者。その兜に描かれた構図と同じように、単身で“竜狩り”に挑む。

 

ファーナムは両手に新たな武装を構える。左手には炎耐性の高いゲルムの大盾を、そして右手には通常のものよりもさらに長く、重厚な得物―――『グラン・ランス』を。

 

本来騎兵が持つべき突撃槍だが、十分に速度が出ている今なら同じように扱える。自身が一本の矢になったかの如く、彼は砲竜へと向かっていった。

 

『ゴォ―――ァアアッッ!!』

 

直後、とうとう砲撃が放たれる。赤を超えて白く染まった特大の大火球(フレア)はファーナムを呑み込み、背後の壁面までも一瞬の内に削り取った。

 

皆が息を飲む中、ファーナムは歯を食い縛り必死に攻撃を耐えていた。規格外の砲撃の威力は想像以上に凄まじく、炎に耐性のあるこの大盾を以てしても全く余裕はない。

 

表面が赤熱し、泡立ち、内側にまで亀裂が広がる。武装を握る両手には無意識の内に力が込められ、兜の奥の表情も険しさを増してゆく。

 

「ぐぅっ……!!」

 

大気を震わす程の砲撃と、それを受け続ける大盾。

 

両者の距離はどんどん縮まり、ついにその時が訪れる。

 

『ッ!?』

 

破壊され、粉々に砕け散った大盾。それを目にした砲竜が、勝利を確信した次の瞬間―――――己の内を、鋭い痛みが駆け抜けた。

 

その正体はファーナムの持つグラン・ランスの切っ先だ。大盾が砕かれた瞬間に合わせるようにして口腔内に叩き込まれた突撃槍の一撃は、大火球(フレア)をも強引に貫いてしまったのだ。

 

突き立てられた切っ先はそのまま頭部を貫通。脳を破壊された砲竜の身体は力を失い、ゆっくりと地面に倒れ込んだ。

 

「っと……まずは一匹、か」

 

“竜狩り”を終えたファーナムはその巨大な身体を踏みつけ、落下の勢いを完全に殺す。大火球(フレア)を防いでいたお陰である程度落下の速度も抑えられていたようで、大したダメージも負わずに着地を果たした。

 

「ちっ、先を越されたか」

 

「ひゃー、すっごい」

 

次いでベートとレフィーヤも到着した。

 

かなりの高所からの落下であったにも関わらず、ほとんど速度を殺さずに着地してのけたオラリオの冒険者という存在に、ファーナムは密かに戦慄する。彼らには落下死という概念はないのか、と。

 

「【雨の如く降りそそぎ、蛮族どもを焼き払え】!」

 

そんな事を考えていると、頭上より一人の妖精の声が聞こえて来た。

 

先に58階層へとやって来た三人はその声に何が起こるのかを即座に察し、地を蹴ってその場から退避する。飛竜たちの一斉砲火よりも恐ろしいものが、すぐ近くまで迫ってきたからだ。

 

「【ヒュゼレイド・ファラーリカ】!」

 

ティオネに抱えられた状態のレフィーヤが魔法を発動させる。

 

展開した魔法円から召喚されるのは無数の炎矢、それらは未だ飛翔する飛竜の群れ、そしてこの58階層を支配する砲竜たちへと容赦なく降り注いでいった。

 

『ギャァァアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!?』

 

次々に落下し、灰へと還ってゆく飛竜たち。分厚い紅鱗を誇る砲竜を倒すには至らないが、それ以外のほとんどのモンスターたちはレフィーヤの魔法の餌食となってしまう。

 

ダンッ!と地を砕いてティオネが着地する。彼女の腕の中で目を瞑っていたレフィーヤも自らの足でこの地を踏み、自分が生きている事を改めて実感した。

 

「い、生きてる……!」

 

「あれだけの魔法をぶっ放しておいて、よく言うわ」

 

呆然とした様子で語るその姿に、ティオネは得物である不壊属性(デュランダル)斧槍(ハルバード)をくるりと振り回して笑みを零した。止みつつある炎矢の雨に、近くの岩場に隠れていたファーナムたちも二人に合流を果たす。

 

()()のモンスターは粗方倒したとは言え、強大な砲竜は未だ健在。しかもここは彼らの巣。遮蔽物などほとんどなく、あったとしても砲撃一発で呆気なく蒸発させられてしまう。

 

更に、そんな砲竜も複数体いる。こんな場所にまでやって来た冒険者(よそもの)たちを跡形も無く消してやろうと、殺気に満ちた幾つもの赤い瞳が訴えかけてくる。

 

「さて、と。ここからね」

 

「よーし、やるぞー!」

 

「た、倒し切れるんでしょうか……?」

 

「うるせぇ。出来ねぇんならくたばるだけだ」

 

実際の所、彼らには作戦などなかった。

 

出来るだけ固まらずに動き回り、敵の狙いを分散。足もとを狙って体勢を崩し各個撃破……これが現在可能な精々の立ち回り方である。

 

この場にフィンがいれば、と思わなくもない。彼がいればきっと、もっと堅実な戦い方を指示してくれるだろう。砲竜の特性や攻撃手段、更にはこの地形までも生かした、彼にしか思い浮かばない作戦を出してくれるはずだ。

 

しかし、ここに彼はいない。

 

ない物ねだりをしている暇などない。

 

故に、動くしかない。

 

若き冒険者たちが思いを一つにし、いざ走り出そうとした―――――その時だった。

 

「俺に考えがある」

 

不意にファーナムが、そう口を開いたのは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

59階層。

 

そこはかつて在ったファミリア【ゼウス・ファミリア】が残した記録によると、至る所を氷で閉ざされた氷河の領域。ありとあらゆるものが凍てつき、立ち入る者の体力を容赦なく奪ってゆく極限の階層であった。

 

今は違う。

 

氷などどこにもなく、見渡す限りの密林が広がっていた。肌で感じる温度も蒸し暑く、かつての面影などはどこにもない。

 

そんな密林地帯に不気味な咀嚼音が響いていた。ぐちゃり、ぐちゃりと柔らかいものを噛み砕く音に混じり、ガラスのような硬質なモノを噛み砕く音がしている。

 

音の正体は『タイタン・アルム』。モンスターであろうが冒険者であろうが、手当たり次第に何でも捕食する『死体の王花』である。

 

深層域に生息するこの植物型のモンスターには現在、例の『宝玉』が寄生し、女体型に変貌していた。周りには無数の芋虫型がいて、差し出される極彩色の魔石をその身体ごと貪っているのだ。

 

全ては女体型(これ)より先の形態へと進化する為の儀式。女体型は外敵などどこにもいないこの空間の中で、()()の瞬間に備えて栄養を蓄え続ける。

 

その密林の奥深く。

 

空間に()()()が生じている事など、知る由もなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

場所は元に戻り、58階層。砲竜たちが支配する大空間。

 

ロクな遮蔽物もなく、だだっ広い砂色の大地のみが広がっているこの場所を、ファーナムは全力で走り回っていた。

 

『ゴアアアァァァアアアアアアッ!!』

 

周りには複数の砲竜がおり、足元をちょこまかと動き回る冒険者に苛立ちの声を上げている。踏みつけや噛み付きで仕留めようとするが、それは別の冒険者たちによって阻まれてしまう。

 

「おらァっ!!」

 

ティオネの斧槍(ハルバード)が砲竜の足を斬り付ける。

 

しかし流石はモンスターの王を冠する竜種、飛竜程度であれば容易く両断する攻撃も、表面の鱗に傷を刻み込むに留まる。ベートもティオナも同じようで、倒し切るには至らない攻撃を繰り返していた。

 

「うわっ、危なっ!?」

 

「チィッ!!」

 

巨体を誇る砲竜は踏みつけられただけで致命傷になりかねない。彼らは一撃離脱を心掛けながら、決して攻撃は貰わないような立ち回りを見せている。

 

「ちょっと、まだなの!?」

 

「あと少し、だっ!!」

 

苛立ち混じりに振るわれた爪の攻撃を斧槍(ハルバード)で防いだティオネが、四方を砲竜で囲まれつつあるファーナムへと言葉を飛ばす。両手には最低限の武装として、二振りの直剣が握られていた。

 

『俺の周りに竜を集めろ』

 

そうとしか言われなかったティオネたちは当然困惑したが、それを言葉にする前にファーナムは一人駆けていってしまった。結果的に彼らはその言葉に従うしかなく、確証のないその言葉に従っているという訳だ。

 

とは言え、そこは上級冒険者。何の考えもなしにそんな事を言う訳がないと直感した彼らは、ファーナムの周囲に砲竜を配置するような立ち回りを演じている。相手が生き物である以上思い通りには中々いかなかったが、ようやく形になってきた。

 

そんな矢先に、不意に一体の砲竜が足を振り上げた。

 

その先にいたのはファーナム。他の砲竜を巻くのに気を取られていた彼は、振り下ろされたその瞬間にようやく窮地を悟る。

 

「【穿て、必中の矢】―――【アルクス・レイ】!」

 

が、真横より直撃した光の矢によって阻止される。

 

三人のような高速移動を行えない魔法使いのレフィーヤが、身を隠していた岩場の影より魔法を放ったのだ。多大な精神力(マインド)をつぎ込んだこの一撃は、超重量の踏みつけをずらすほどの威力だった。

 

『ギィ!?』

 

ずんっ!!と、ファーナムの立っているすぐ真横の地面を、巨大な足が陥没させる。大地には幾つもの亀裂が走り、その威力の大きさを否が応でも実感させられた。

 

が、直撃しなければどうという事はない。危機を免れた彼は再び地を駆け、群がる砲竜たちの敵意を一身に集めた。

 

「……頃合いか」

 

ヂャリッ!と僅かな砂埃を上げて制止する。見上げるほどの巨躯を並べた砲竜たちが四方を囲む中、ファーナムは冷静な表情を崩さない。

 

一方で、危険域を離れたレフィーヤたちは気が気ではない。何か策があるとはいえ、ここまで追い詰められた状況を目の当たりにした彼らの目には、明らかな動揺の色が浮かび上がっている。

 

「おいっ、あの野郎何をするつもりだ!?」

 

「分かんないよ、そんな事!」

 

ベートがすぐそばにいたティオナに吠えるようにして尋ねるも、それに対する答えを持ち合わせていない。彼女だけではない、ティオネとレフィーヤもまた、彼が何をするのか見当もつかないのだ。

 

そんな彼らの気が気ではない表情がちらりと目に入ったファーナムは、少しは説明をすべきだったかと内心で後悔した。が、時既に遅し、砲竜たちは今にも襲い掛からんとしている。

 

(後で謝ろう)

 

今はこの状況に集中しろと己に言い聞かせる彼は両手の直剣を消し去り、内なるソウルより新たな武装を掴み取る。

 

それは剣ではなかった。ましてや槍でも斧でも槌でもない。

 

それは全体的に黒く、先端部のみ淡い青色に輝く結晶が取り付けられた杖だった。

 

古の亡国オラフィスが誇った高度な技術の産物。先端の結晶は魔術威力を増幅する効果も持ち、それは長い歳月をかけ、更に磨きがかかっている。

 

『叡智の杖』を手にしたファーナムはそれを高く掲げ、魔力を練り上げる。

 

青白い光が溢れ、杖の先端へと集まり凝縮。破裂寸前にまで高められた魔力が、ついに解放の時を迎える。

 

名を『ソウルの奔流』。

 

かつて()()()の手によって編み出された秘術。複数のソウルの槍を発生させ、対象が息絶えるまで追いかけ続けるという、邪法とも言うべき魔術だ。

 

その伝承にあった通り、放出された複数のソウルの槍は目の前にいた砲竜たちへと殺到。腹を、翼を、首を、容赦なく貫き続けていった。

 

『ギッ―――ァァアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!?』

 

絶叫を轟かせる砲竜たち、それでもソウルの槍は止まらない。命を奪い尽くすまでは止まらない、そう作られたのだから。

 

巨躯より零れ出る臓物が乾いた大地を赤く濡らす。毒々しいまでの赤色を、恐ろしいほどに清涼な青の輝きが照らし出す。悍ましさと神々しさが溶け合ったかのような光景に、ベートたちは時を止めて見入ってしまう。

 

特にレフィーヤなどは、目玉が零れてしまうのではと心配になるほどに双眸を見開いている。

 

今の今まで純粋な戦士タイプだと思っていたファーナムが、これほどの()()を放ったのだ。それも無理のない事だろう。

 

やがて最後の一体が力尽き、至る所を膨大な灰が埋め尽くした頃……その中心に立っていたファーナムは、彼女たちのいる場所へと向かって行った。

 

「その、まぁ、なんだ……」

 

呆然としたまま立ち尽くす四人を前にした甲冑の冒険者は、言い難そうにしながらも口を開き、

 

「……すまん」

 

と、一言。

 

そんな事を呟くのであった。

 

 

 

 

 

その後、ファーナムたちは別ルートからやって来たフィンたちと合流を果たした。彼らも彼らで道中に危険はあったものの、誰一人として欠ける事なくここまでやって来る事が出来たのだ。

 

合流して早々にラウルはレフィーヤに平謝りし、その姿にサポーターの団員たちは苦笑を浮かべる。アイズたちは消耗した武器を椿に研いでもらいつつ、携帯食を口にしつつ最低限の休憩(レスト)を挟んでいた。

 

「でねっ、すっごい魔法がばばばーって!びっくりしすぎて、あたし何も言えなかったもん!」

 

「うん。すごい、ね……」

 

手ごろな岩に腰かけながら、ファーナムが放った『ソウルの奔流』の凄さを語るティオナ。アイズは感情の乏しい表情を精一杯に動かしながら、楽しそうに話すアマゾネスの少女に相槌を打っている。

 

彼女の金の瞳がすっ、と動き、ファーナムを捉える。彼は団員の間では不評なはずの固く焼いたパンを齧りながら、武器を研ぐ椿と何やら話し合っている。恐らくは彼も武器の調整を頼んでいるのだろうが、その内容な何故か気になって仕方がない。

 

(ティオナが言っていた“すっごい魔法”……私も見たかった)

 

丸くなったとは言え、まだまだ戦闘狂(バトルジャンキー)の気が抜けていないアイズは、今度頼んで見せて貰おうと密かに決意する。いざとなれば以前にロキから教えられた『お願いポーズ』も辞さないと、心の中の小さなアイズはふんすと鼻息を荒くした。

 

そんな妙な気配を感じ取り、ファーナムは僅かに身震いしてしまう。

 

「む……」

 

「おお?どうしたお主、風邪でも引いたか?」

 

「いや、そうではないが……何か感じたような気がしてな」

 

「おかしな奴だ。まあいい、ほれ、武器を寄越せ」

 

アイズたちの武器を研ぎ終え、残すはファーナムのものだけとなった。彼は椿に最も消耗が激しかったクレイモアを渡すと、その作業を食い入るように見つめ始める。

 

「珍しいものでもあるまいに、何が気になる?」

 

「いや、今度俺もやってみようと思ってな。技術を盗んでいる」

 

「はっはっは!何を言い出すかと思えば!」

 

臆面もなく技術を盗むと言ってのけたファーナムに、椿は盛大に笑い声を上げた。そして出来るものならばやってみせろと、口の端を吊り上げる。

 

そこからは互いに無言のまま。他の者たちの会話する声と、刃を研ぐ音だけが木霊していた。

 

「いやぁ、それにしても良かった」

 

「? 何の事だ?」

 

「お主の事よ、ファーナム」

 

そろそろ研ぎ終わるという頃に、不意に椿が口を開いた。

 

彼女が語り始めたのはあの日の出来事。24階層での異常事態の後に再会した時の事だ。

 

「あの時のお主は、どこか思い詰めておるように見えての。手前も割と気にはなっていたのだが……うむ、どうやら大丈夫そうだな」

 

そう言い切ると同時に、クレイモアの整備もちょうど終わったようだ。新品のような輝きを取り戻した得物を受け取ったファーナムは、金床などの簡易的な鍛冶道具を片付け始めた椿に視線を落とす。

 

「その様子なら、もう()()()心配はないな」

 

「……ああ、そう在りたいものだ」

 

()()()、という的を射た表現を使った事に、ファーナムは僅かな間を置いて言葉を返す。そこに隠された真の意味を知る由もない椿はにやりと笑い、『未到達領域』へと足を踏み入れる準備に取り掛かった。

 

各々が最後の確認を終えつつある中、フィンは一人59階層へと通じる連絡路を睨みつけていた。右の親指に疼きを感じながらも、彼は険しい表情を崩そうとはしない。

 

「どうかしましたか、団長?」

 

そんな彼を心配したのか、ティオネが駆け寄ってくる。

 

己を慕うアマゾネスの少女の視線を感じつつ、フィンは視線を外さないまま口を開いた。

 

「59階層からは『氷河の領域』。かつての【ゼウス・ファミリア】が残した記録にはそう書かれていたね」

 

「はい。凍てつく冷気が身体の自由を奪うと……」

 

「なら何故、これほど近付いてもその冷気を感じない?」

 

「ッ!!」

 

今更ながらその異常に勘付いたティオネは、目を見開き驚愕を露にした。近くにいたリヴェリアやガレス、ベートもまた異変を感じ取り、弛緩した空気が一気に張り詰めてゆく。

 

ここから先には、何かがある。

 

待ち構えているのは『未到達領域』としての『未知』ではない。それ以上の()()だ。

 

口にするまでも無く全員が共有したその思い。それらを背に感じながら、フィンは団長としての仮面を被り直す。

 

「総員、準備は良いか」

 

はいっ、というラウルたちの声。

 

無言で力強い頷きを返すアイズたち。

 

意思を一つにした【ロキ・ファミリア】の冒険者たちは、ついに『未到達領域』、第59階層へと足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

感じたのは肌を突き刺す冷気ではなく、汗がまとわりつくような蒸し暑さだった。

 

「これは……」

 

誰かの呟きが漏れる。呆けたようなその声を注意する者は誰もいない、フィンを含めた全員が、眼前に広がるこの光景に目を奪われていたからだ。

 

至る所に形成された緑の植物群。まるで密林の中にいるかのような状況に、一行は動きを止めてしまう。

 

「アイズさん、これって……!」

 

「うん、24階層の……」

 

密林の正体、それは彼女たちが身を以て知った緑肉に覆われた空間であった。広大な空間のほとんどを埋め尽くす規模に、サポーターたちは戦慄を隠し切れなかった。

 

そして、その奥から聞こえてくる奇怪な音。水っぽい、柔らかいものを咀嚼するような音に混じり、何か硬質なものを噛み砕く音が混じっている。

 

―――『アリア』、59階層に行け―――

 

―――ちょうど面白い事になっている―――

 

確実にロクなものではないと直感しても引き返すという選択肢はない。赤髪の怪人、レヴィスの言葉が脳裏に過ぎったアイズは我知らず、鞘に納められた愛剣を握り締めていた。

 

「……前進」

 

フィンの号令により一行は行動を開始する。鬱蒼と生い茂る密林地帯を、不気味な音のみを頼りに突き進んでゆく。

 

そこへ辿り着くのにそれほど時間はかからなかった。5分ほど歩き続けた彼らは開けた場所へと出て、その中心に鎮座するモンスター……『宝玉』に寄生され女体型へと変貌したタイタン・アルムを発見する。

 

周囲に群がる芋虫型から差し出される魔石を、その身体ごと摂取し続ける『死体の王花』。うず高く積まれた灰の山の数が、途方もない魔石を取り込んだ事を証明していた。

 

『強化種』という言葉が、全員の脳裏に過ぎる。

 

「これは不味いぞ……っ!」

 

「フィン、指示を!」

 

ガレスが呻き、リヴェリアから指示を求める言葉が上がる。

 

どのような窮地であっても切り抜けて来た小人(パルゥム)の勇者の言葉を待つ者は多く、どのような動きにも対応出来るよう腰を低く落として臨戦態勢へと移る。

 

しかし……。

 

「フィン……フィン?」

 

愛剣《デスペレート》を抜き放ったアイズ。しかし一向に出されない指示に、何があったのかと思い怪訝な顔をフィンへと向ける。

 

そして、その顔が驚愕に歪んだ。それは彼女以外も同様で、彼を見た全員が共有した感情であった。

 

今までどんな事があっても冷静だったフィンが、右の親指を押さえて冷や汗を流していたのだ。心なしか顔色も悪く、何らかの異常を察知している事は明白だ。

 

「皆、武器を構えろ。これはきっと……良くないものだ」

 

苦渋に満ちた表情でどうにか出した指示は、そんなものだった。いつもの彼らしからぬ曖昧な命令に、得も言われぬ不安感が一行の間に広がる。

 

「見りゃあ分かるっつの、ンな事!聞きてぇのはあの化け物の……!」

 

「違う」

 

そんな空気を払拭するように、ベートが罵倒じみた言葉を吐く。目の前にいる、今にも何か行動を起こしそうなモンスターへの具体的な対抗手段を聞き出そうとするも、その言葉をフィンが短く一蹴する。

 

「僕が言いたいのは、あれの事じゃない」

 

「あァ……?」

 

「これは、もっと別の……!」

 

フィンが言いかけた、その時。ついにモンスターに変化があった。

 

巨大な女体型の上半身が蠢き、肥大する。内部から女性の声らしきものが響き、それは高周波のように彼らの耳を(つんざ)いた。

 

『ァァ―――ァァアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』

 

破裂する異形の上半身。

 

肉の殻を裂いて現れたのは、天女と見紛うほどの整った女の上半身だった。肌の色、髪の色、纏った衣服らしきもの、その全てが緑色に染まっている。唯一金色に輝く双眸が、立ち尽くすアイズたちを見下ろしていた。

 

「これ、は……!?」

 

胸がざわつく感覚を覚えたアイズは、耳を塞ぐ事も忘れて愕然と立ち尽くす。

 

目の前にいる異様なモンスター。だって、その正体は……。

 

「『精霊』……!?」

 

『アァ……ァア!アリア、アリア!!』

 

たどたどしい言葉遣いで連呼する『精霊』……否、これはもはや本来の姿とはかけ離れている。ここにいる存在を正しく指すのであれば、その名はさしずめ『穢れた精霊』であろう。

 

『穢れた精霊』はアイズを視界に収めるや否や、恍惚に染まった顔で子供のように笑い始める。

 

『会イタカッタ、会イタカッタッ!』

 

感情を爆発させるその姿に、アイズは鋭く敵を睨みつける。ガレスとリヴェリアは、彼女の事情を知っているが故に緊迫した表情を作り、ベートたちはとにかく戦闘態勢を取る。

 

そんな中であって、この状況にあっても動じない者が二人いた―――否、正確に言えば、それは()()だろうか。

 

「……ッ」

 

一人は言わずもがな、フィン。彼はやはり親指を押さえたまま『穢れた精霊』へと視線を向けていたが、その意識は別の所へと割かれていた。

 

そしてもう一人、それはファーナムである。

 

今の今まで黙っていた彼は、59階層(この場所)に来てからずっとある思いを抱いていた。それはアイズたちに言っても分からない、ファーナムにしか分からない違和感。

 

不死人たる者であればどんな愚者であっても感じ取る事の出来るソウルの気配。ここへ来てからというもの、その気配はどんどん強くなっていたのだ。確実に何かある、そう思えて仕方がなかった。

 

今になって思えば無理にでも引き返させるべきだったのかも知れない。しかしそれも後の祭り、この状況ではそんな事は叶わない。

 

『貴女モ、一緒ニ成リマショウ!?』

 

『穢れた精霊』はそんな二人の事など眼中にない。その意識は金髪金眼の少女、アイズただ一人へと向けられている。

 

両手を大きく広げ、迎え入れるように、包み込むように。

 

捕食器のような腕で、捕まえるように、取り込むように。

 

満面の笑みで、高らかに喜びの声を上げる。

 

『貴女ヲ、食ベサセ―――――!』

 

 

 

 

 

そんな時だった。

 

 

 

 

 

音を置き去りにして放たれた()()()()が、『穢れた精霊』の腰部を貫いたのは。

 

 

 

 

 

「!?」

 

『アッ―――?』

 

分断される上半身と下半身。地面へと落下した『穢れた精霊』は、何が起こったのか分からないと言った風に、金の双眸をぱちりと瞬きさせる。

 

アイズたちもまた時を止めていた。突如として放たれた巨大な矢、それはアイズたちがいる場所とは正反対の方向から放たれたものであった。一見すると槍にしか見えないそれを矢であると判断できたのは、以前にも一度見た事があるからだ。

 

自分たちのすぐ目の前に突き刺さったその矢に、思わずティオナの口から呟きが漏れる。

 

「これって、ファーナムのと同じ……!?」

 

その声がやけに大きく響いて聞こえる。兜の奥で表情を固くしたファーナムの視線は、その矢―――『竜狩りの大矢』が放たれた方向へと向けられた。

 

『ァァ、アァア!?』

 

一方の『穢れた精霊』は、遅れてやって来た激痛に咆哮を上げていた。力なく崩れ落ちる下半身などには目もくれず、断面より溢れ出る赤紫色の血液を止めようと必死にもがいている。

 

『嫌ッ、嫌ァ!?』

 

死を悟ったのだろう。即死はせずとも、ここまで激しい損壊を受ければ回復だけにしか専念できない。そうすれば無抵抗の彼女は、アイズたちから袋叩きにされてお終いだ。

 

蛹より羽化した蝶は、誕生と同時に地に落とされた。何者による攻撃かも分らぬまま、目の前のアイズに一度も触れる事も出来ぬままに。

 

『……ッ【火ヨ、来タレ】!』

 

「なっ……!?」

 

「モンスターが、詠唱!?」

 

最後の抵抗とばかりに詠唱を口ずさむ『穢れた精霊』。前代未聞の攻撃手段にベートすらも言葉をなくし、ティオネは幾度目になるかも分からない驚愕を味わう。

 

『【猛ヨ猛ヨ猛ヨ炎ノ渦ヨ紅蓮ノ壁ヨ業火ノ咆哮ヨ突風ノ力ヲ借リ世界ヲ閉ザセ燃エル空燃エル大地燃エル海―――】!!』

 

人類の限界を超えた速度で紡がれるそれに魔導士たるリヴェリアは目を見張り、一拍遅れて防御魔法を展開させようとする。しかし相手の詠唱速度は彼女のそれを完全に上回っており、その美貌が焦燥に歪んだ。

 

『穢れた精霊』は醜く微笑む。どうせ死ぬのならば、せめて一人でも多く道連れに。かつての誇りと気高さは既になく、どこまでも悍ましいモンスターとしての顔が、その整った顔に張り付いている。

 

『【代行者ノ名ニオイテ命ジル与エラレシ我ガ名ハ火精霊(サラマンダー)炎ノ化身炎ノ女王(オウ)―――】!!』 

 

「【大いなる森光の障壁となって我等を守れ―――我が名はアールヴ】!」

 

「お主ら、リヴェリアの後ろへ下がれ!!」

 

圧倒的な速さで『超長文詠唱』を終わらせつつある『穢れた精霊』。同時にリヴェリアの詠唱も終わり、ガレスは全員に防御魔法の後ろへ来るように声を荒らげた。

 

「ちょっと、ファーナム!?」

 

「団長!?」

 

それでも二人は動かない。両足は根を生やしたかの如く、その場から離れようとはしなかった。

 

アマゾネスの姉妹の声を耳にしながら、ファーナムはちらりと隣に立つフィンを見やる。その横顔は未だ優れないものの、目の前にいる敵以上の()()を感じ取っているようだった。

 

詠唱を終えた『穢れた精霊』が、最後の言葉を口にしようとする。

 

未だ避難すらしていないフィンとファーナムを無理にでも下がらせようと、剛力を誇るガレスが体躯に見合わぬ速度で二人へと接近する。

 

ここはリヴェリアの防御魔法の効果範囲外。時間の猶予などなく、飛び出したガレス共々、三人への被弾は必至だった。

 

目を剥くアイズたち、焦燥に支配されるガレス、なおも前方を睨み続けるフィンに、同じく隣で立ったままのファーナム。そんな冒険者たちを前に、『穢れた精霊』は特大の魔法を展開させる―――――!

 

『【ファイアース

 

 

 

 

 

「黙れ」

 

 

 

 

 

が、唐突に。

 

最後の言葉は遮られた。

 

それは重厚かつ長大な、特大の大剣だった。突如として現れた鉛色の切っ先は『穢れた精霊』の延髄を分断、そのまま口腔を内から突き破って地面へと縫い付ける。

 

『ゲッ―――――?』

 

その動揺は、果たして誰のものだったのだろうか。

 

潰された蛙のような声を上げた『穢れた精霊』などには目もくれず、この場にいる全員の視線が()()()()へと注がれる。

 

まるで霧が晴れるようにして現れたのは、鎧に身を包んだ人物だった。肩や肘など要所を金属のプレートで覆い、サーコートまで取り付けられている。黒ずんではいるものの、元は綺麗な青色であった事が窺える。

 

頭部はラキア王国の騎兵が身に着けているような兜に覆われており、素顔を見る事は出来ないが、全体的な風貌はまさしく騎士。ファーナムとはまた違った甲冑姿の人物であった。

 

『ェア゛……ア゛ギ、ァ』

 

うなじから貫かれているにも関わらず、『穢れた精霊』はなおもアイズを狙っていた。怨嗟とも恋慕ともつかないその異様な執着心に、アイズはぞっとしたものを覚える。

 

しかし、それもすぐに終わった。

 

突如として現れた謎の甲冑姿の人物。彼が腰の鞘より引き抜いた直剣が、『穢れた精霊』の頭を貫いたのだ。

 

『ア゛ッ』

 

短い呻きを残して消えゆく『穢れた精霊』。その身体は灰へと還るのではなく、何故か泥のように崩れ落ちてしまった。粘性のある泥のような何かへと変貌した緑色の身体。内部の魔石にまでそれは影響し、やはり泥のように溶けて形を失う。

 

引き抜くまでもなく露わとなった直剣の刀身。それは朽ちた身体と同じく、粘性のある泥のようなものに覆われていた。

 

「汚らわしい神の尖兵め。成れ果ててなお醜悪とはな」

 

直剣を再び鞘へと納めながら、甲冑姿の人物は小さく毒づく。その姿に、ファーナムの目は釘付けにされていた。

 

(こいつは……!?)

 

一体何なんだ、などという馬鹿げた事は口にしない。これほどの威圧感と存在感を放つ者がオラリオに住まう者であるはずがない。

 

何より、その身に纏う気配。ファーナムよりも()()()膨大な量のソウルを獲得してきた者に相応しい、歴戦の強者の風格があった。59階層へと足を踏み入れた時から感じていた強いソウルの気配は、きっとこの人物によるものだろう。

 

同時に、分からない事がある。

 

(あの『穢れた精霊』のソウルは、どこに……)

 

モンスターを倒せば少ないなりにも手に入ったソウル。個体差に関わらず得られるソウルの量に大した差はなく、故にファーナムの頭を悩ませていた疑問でもある。

 

しかし今回、そもそもソウルの気配が感じられないのである。倒され、灰となった死骸から放出されるはずのソウルはなく、残ったのは泥のような何かだけ。その泥に、ファーナムは言いようのない不安感を覚えてしまった。

 

やがて鞘に直剣を収めた甲冑姿の人物は、ゆるりとした動きでファーナムたちを視界に収めた。

 

「………っ!」

 

表情の窺えないフルフェイスの兜。その奥からはっきりと感じられる視線を浴びた一行は、自身の身体が硬直するのが分かってしまう。

 

「……君は、一体誰なんだい?」

 

ごくりと生唾を飲み込み、フィンが代表して質問を投げかけた。

 

警鐘を鳴らし続ける親指の疼きを努めて無視し、目の前の人物と自身が想定している事態との関連性を、必死に探ろうとする。

 

 

 

「―――私は『闇の王』」

 

 

 

静かに語られたその言葉。

 

 

 

「この世界に蔓延る神々を殺す者だ」

 

 

 

それは間違いなく、オラリオにとって―――否、世界にとっての危機の幕開けだった。

 

 




話は変わりますが、先日コードヴェインを買いました。戦闘はダクソに慣れていた分苦戦しましたが、バディが居ればどうにかなるという親切設定に助けられました(笑)。

そしてやはりキャラメイク。肌の色やら目の形やら髪型やらバリエーション豊富すぎて、本当に世界に一つだけのアバターが作れそう。そしてアクセサリを使えば見せブラやらR18指定の衣装も作れるという。ヒントは雫型とハート型のアクセサリ、あとは缶バッヂです。

早くアノールロンドに行きたい(アノールロンドではない)。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十一話 『闇の王』

深淵にあるただ一つの篝火が大きく揺らめく。

 

世界を渡る時はいつもこうだ。それはこちらの世界との差異が大きいほど激しく、今より赴くオラリオが、いかに神で溢れているのかを教えてくれる。

 

懐に仕舞いこんでいるペンダントへと手が伸びかけるも、その動きはすぐに止まった。それはやるべき事を終えた後だと、自身に言い聞かせて。

 

背後に控えるは五人の臣下。彼らの意に応えるように、燃え盛る篝火へと歩み寄る。

 

伸ばした手がその火に触れると同時に視界は陽炎のように揺らめき、次の瞬間には四方を植物らしきもので囲まれた場所へと転送された。

 

ダンジョン第59階層。奇しくもそこは、今まさに【ロキ・ファミリア】の冒険者たちが『遠征』に赴いている場所だった。

 

限られた実力者でなければ立ち入る事さえ困難を極める場所であっても、やはり何の感慨も抱く事はない。『未知(そのようなもの)』に動かされる心など、とっくの昔に朽ち果てている。

 

『ァ……ァァ―――――!』

 

が、それだけは。

 

その声だけは違う。

 

不遜で、傲慢で、保身しか考えていない醜い者共。それらと同質のものの鳴き声が聞こえた瞬間には、すでに身体は動いていた。

 

未だ勢いの衰えぬ憎悪の炎を胸に、特大の矢を番える。標的はここからそう離れてはいない、先程の声でおおよその位置は特定済みだ。

 

これで死なぬのなら追撃を仕掛けるまでの事。それでも更に死なぬのであれば、腰の()()でとどめを刺せば良い。

 

私は『闇の王』。

 

神々を呪い、憎悪し、殺す者。これまでも、これからも、それは決して変わらない。

 

覚悟せよ、醜い者共。

 

貴様らのソウルは―――悉く、私が消し去ってくれる。

 

 

 

 

 

二人……一人と一柱の間には動揺が広がっていた。

 

原因はファーナムに持たせた『目』を通して水晶に映し出された『穢れた精霊』の姿。

 

『精霊』。それは遥か古代、まだ神々が下界に姿を現す事のなかった時代に天より遣わされ、当時の英雄たちを助力した存在。ファーナムたちが今相対しているのはその名残、モンスターに喰われ、それでもなお自我を保ち続けた結果、在り方が反転したものだ。

 

それだけでも十分驚愕に値するというのに、それ以上のものが彼らに襲い掛かる。

 

「『闇の王』だと……?」

 

フェルズの水晶を持つ手が震える。

 

映像にもかかわらずひしひしと伝わる威圧感。『穢れた精霊』を苦も無く消滅させたその手並み。そして自身を『神々を殺す者』と断言してのけた甲冑姿の人物の登場に、かつての賢者は震える声を隠し切れない。

 

「ウ、ウラノス。これは……!」

 

「ああ、間違いなくオラリオ……否、この世界そのものの危機だ」

 

フェルズの声に応えるウラノスもまた、かつてない程の焦燥を抱いていた。表面こそいつもと変わりないように見えるが、僅かでも気を散らす事は許されない。

 

オラリオの大神にそうまでさせる『闇の王』。目を放せばすぐにでも首を落とされるのではないか、そんな突拍子のない考えまで浮かんでしまいそうになる。

 

何にせよ、今ここで出来る事はない。

 

彼らはファーナムの持つ水晶から送られてくる映像を、固唾を飲んで見守るしかなかった。

 

 

 

 

 

唐突に現れた『闇の王』。

 

『穢れた精霊』を瞬殺し、オラリオの神々を殺すとまで言い放った甲冑姿の人物を前に、【ロキ・ファミリア】の面々は混乱の極地にあった。

 

中でもファーナム……この中で唯一の不死人は、一周回って冷静になってしまう程に。

 

(『闇の王』……聞き覚えの無い単語だが)

 

ドラングレイグでは耳にした事の無いその言葉。であるならば、目の前の人物は24階層で戦った黒騎士たちと同時期に存在していた者である可能性が高い。

 

全く力量が未知数の相手だが、引き下がる訳にはいかない。これはオラリオの、ひいては世界の危機なのだから。

 

「神々を殺す者、か……随分と物騒じゃないか」

 

と、ここで。『闇の王』の言葉を受けたフィンが口を開いた。

 

「そんな事を企てているだなんて、君は闇派閥(イヴィルス)の一員だったりするのかな?」

 

「何故私が神の眷属(どれい)にならねばならん?言ったはずだぞ、私は神々を殺す者だと」

 

フィンの得意とする舌戦に持ち込もうとするも、上手くいかない。問いかけに対し相手が一切の隠し事をしていないからだ。

 

そして、神でなくとも解る。

 

この『闇の王』と名乗る人物は、酔狂でも妄言でもない、本当に神を殺そうとしているのだと。

 

「道を空けろ、人の子らよ。そうすれば危害は加えない」

 

「その言い方……まるで自分は、僕たちとは違う存在だとでも言っているように聞こえるね」

 

「………あぁ」

 

『闇の王』はフィンの言葉に何かを察したのか、兜で覆われた頭を僅かに傾ける。

 

そしてその視線を僅かにずらし、彼の横に立つ人物―――ファーナムへと目を向けた。

 

「お前はまだ話していなかったのか、我らよりも後世の不死人よ」

 

「………ッ」

 

鎧と毛皮に覆われた大きな肩が揺れる。

 

明らかな動揺を見せるファーナムに、アイズたちの視線が一気に集中する。

 

「“不死人”?」

 

「後世の、って……どういう事よ?」

 

不安と動揺、そして僅かな猜疑を含んだ声が上がる中、『闇の王』は更に続ける。

 

「なるほど……話していなかったのではなく、話せなかったのか。だが、それも当然だろう。我らの正体を人の子らに打ち明けて、拒絶されない訳がないからな」

 

であれば、私が代わりに話してやろう。

 

そう言って『闇の王』は語り始めた。

 

彼自身と、ファーナムの正体。そして……この世界の成り立ちについて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

古い時代。

 

世界はまだ分かたれず、霧に覆われ、灰色の岩と大樹と、朽ちぬ古竜ばかりがあった。

 

だが、いつかはじめての火がおこり、火と共に差異がもたらされた。

 

熱と冷たさと。

 

生と死と。

 

そして、光と闇と。

 

そして、闇より生まれた幾匹かが、火に惹かれ、王のソウルを見出した。

 

最初の死者、ニト。

 

イザリスの魔女と、混沌の娘たち。

 

太陽の光の王グウィンと、彼の騎士たち。

 

そして、誰も知らない小人。

 

それらは王の力を得、古竜に戦いを挑んだ。

 

グウィンの雷が、岩のウロコを砕き。

 

魔女の炎は嵐となり。

 

死の瘴気がニトによって解き放たれた。

 

そして、ウロコのない白竜、シースの裏切りにより、遂に古竜は敗れた。

 

 

 

火の時代の始まりだ。

 

 

 

だが、やがて火は消え、暗闇だけが残る。

 

今や、火はまさに消えかけ、人の世には届かず、夜ばかりが続き。

 

人の中に、呪われたダークリングが現れ始めていた……。

 

 

 

 

 

ダークリングが現れた者は例外なく迫害される。()もその一人であった。

 

彼は長い間牢獄に繋ぎ止められ、世界の終りまで囚われ続けるはずであった。しかし偶然にもそこから逃れ、巡礼の地ロードランへと旅立った。

 

来る日も来る日も、殺し殺される日々。ソウルを失う事によって亡者となってしまう恐怖と隣り合わせの日々。それでも彼の足は止まらなかった。

 

やがて彼は小ロンドの公王を倒した。深淵に落ちた彼らと死闘を演じ、勝利し、そうして目の前に現れたのは、一匹の世界蛇だった。

 

名を『闇撫でのカアス』。

 

()の蛇の口より聞かされた、火継ぎの真の正体。

 

世界の救済などではなく、神の時代を終わらせない為だけの欺瞞(ぎまん)に満ちた行為に、彼は怒り狂った。

 

これまでの旅路、これまでの思い……否、不死の呪いを受けた始まりの日から、全ては無意味だったのだと悟る。

 

そして、彼は心に決めた。

 

神の時代を終わらせ、偽りの世界に終止符を打つ。

 

真なる人の時代―――闇の時代をもたらすのだと。

 

 

 

 

 

『よくぞ戻られました、我が王よ』

 

『我カアス、フラムト、共に貴方に仕えます』

 

『我ら集い、貴方に仕えます』

 

『それでは、世界に、真の闇を…』

 

『我が王よ…』

 

こうしてグウィン……かつての太陽の光の王、その成れの果ては討たれた。

 

終焉の地『最後の火の炉』の最奥で燻り続けていた篝火を見つけた彼は、迷いなくそれを踏み潰した。

 

闇の時代の産声が上がり、ここより真の人の時代が始まる。

 

彼の旅路は、遂に終わりを迎えた―――――かに思われた。

 

 

 

『まだだ』

 

 

 

そう。彼の旅路はまだ終わっていなかったのだ。

 

ロードランでは時の流れが淀み、幾つもの世界が重なっていた。つまりはそれだけ()()()()()が存在している可能性がある、という事だ。

 

 

 

『過ちは正さねばならん。神は悉く皆殺しだ』

 

 

 

自身にそう言い聞かせた彼は、世界を渡り神々を殺し続けた。

 

来る日も、来る日も、殺し続けた。やがて彼の背には志を同じくする者たちが続き、神殺しの集団が発足し始めた。

 

しかし、そんな中でも時は流れゆく。

 

火継ぎが行われなかった世界でも、神というものは新たに生まれていったのだ。

 

 

 

『新たに生まれたものがどんな存在であれ、神という事に変わりはない。であれば殺すまで』

 

 

 

その声に従い他世界の、それも数百、数千年後の世界にまで神殺しの集団は現れた。

 

無数に存在する他世界、そこから更に枝分かれした世界の果てまでも、彼らは執念深く追跡し続けていた。

 

そして今日。

 

このオラリオにも、彼らの手が遂に届いたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これが『闇の王』の口より説かれた、世界の真相だった。

 

オラリオが存在するこの世界は、かつて闇の時代が訪れた遥か後に位置する世界。今下界にいる神々とは、その闇の時代の後に現れた新たな神である、と。

 

「こうしてお前たちの世界に来るのは骨が折れた。世界と世界を繋げるのは調整が難しくてな、安定させるまで何匹かこちらの亡者やデーモン共が入り込んでしまった。それについては謝罪しよう」

 

平然と世界を渡って来たという『闇の王』。その余りにも規模の大きなその話に、多くの者たちは言葉を失ってしまう。

 

何故なら、もしもその話が事実であるとすれば―――目の前にいるこの人物は幾千、幾万、あるいは幾億の時の流れを経験した、超越存在(デウスデア)などという枠には収まりきらない程の存在なのだから。

 

そして、言葉を失った理由はそれだけではない。

 

「そんな……ファーナムさんが、不死人?」

 

暴かれたファーナムの正体。

 

【クァト・ファミリア】の冒険者として通して来た偽りの経歴が崩れ去り、オラリオに住まう者たちからしてみれば、得体の知れない不死人(化け物)という事実が浮き彫りとなる。

 

「その通りだ。私も、そこの不死人も、同じ呪われ人だ」

 

困惑するレフィーヤたちに追い打ちをかけるように、『闇の王』は淡々と述べる。

 

「死ぬ事すら許されず、殺す事しか出来ない。いつか朽ち果てるその瞬間まで何かを呪い続ける、悍ましき()()()()()だ」

 

よりにもよってこんな時に、そのような表現をする。この世界で最も唾棄すべき醜悪の代名詞を自らと、そしてファーナムに対して使った彼の言葉は、若き冒険者たちの心を深く抉った。

 

事実、ラウルを始めとした下位団員たちの目には恐怖の色が浮かんでいた。今まで肩を並べて戦ってきた戦友の姿が、得体の知れない化け物と重なってしまう。

 

ファーナムは何も言えない。自身が不死人であるという事は、紛れもない真実なのだから。

 

いくら人らしくなったからと言って、今まで彼らを騙して来た事実は消えない。故にいかなる罵声も、糾弾も、甘んじて受けるつもりであった。

 

「この世界に生きるお前たち人の子らが、そのような存在と共に歩めるとでも―――」

 

「黙れ」

 

更に畳みかけようとした『闇の王』。しかし、その声を遮る者がいた。

 

それは金髪碧眼の小さな冒険者……【勇者(ブレイバー)】フィン・ディムナだ。

 

「それ以上、彼への侮辱は許さない」

 

「フィ、ン……?」

 

珍しく怒りを隠そうともしないフィンの姿に瞠目するファーナム。

 

それだけではない。長い付き合いであるリヴェリアやガレス、アイズたち。そして『闇の王』の言葉に揺らぎかけていたラウルたちまでもが、その小さな背中に視線を送っていた。

 

そこでフィンはフッ、と笑い、ファーナムを見た。

 

「君が何か隠し事をしているのは何となく察しが付いていたよ。まあ流石に、これほど大きな事だとは思いもしなかったけどね」

 

でも、と区切り、続ける。

 

「君は今まで一生懸命戦ってくれた。50階層での時も、フィリア祭の時も、リヴィラの街の時も、そして24階層の時も……これほど尽くしてくれた君を、僕らが見捨てるとでも?」

 

「……!!」

 

「ファーナム……君は僕たち【ロキ・ファミリア】の冒険者だ。誰が何と言おうとね」

 

その言葉に、ファーナムの視界が歪む。

 

自身が抱いていた思いは、一方的なものではなかったのだと。彼らはしっかりと、自分を仲間だと思っていてくれたのだと。

 

万の言葉を尽くしても足りない程の感謝の意が、胸の底から湧き出してくる。

 

「あぁ………ありがとう」

 

だから、今はこれだけに留めておこうと思う。

 

ファーナムは短く、しかしその言葉に込められるだけの感情を込めて、そう呟いた。

 

 

 

 

 

「話は済んだか……では、もうそろそろ退いて貰おうか」

 

ザッ、と、『闇の王』が一歩前へと出る。

 

「ッ!!」

 

同時に、フィンたちは武器を構えた。

 

「……何のつもりだ?」

 

「ここまで聞いて、はいそうですかと行かせるとでも?」

 

嘆息する『闇の王』を前に、フィンは険しい表情のまま槍の穂先を向けつつ言い放つ。

 

「僕たちは【ロキ・ファミリア】の冒険者だ。こんな未曾有の緊急事態を前に、指を咥えて見ている訳にはいかないよ」

 

「私の話を聞いていなかったのか」

 

「もちろん聞いていたさ。君が何の関わりもない僕たちの世界に勝手に入り込んで、そして身勝手な理由で神たちを殺そうとしている事はよく分かった」

 

「……何の関係もない、か」

 

その言葉に『闇の王』は深く頷き、しばし言葉を絶やす。

 

やがて顔を上げた彼は、ゆっくりと口を開いた。

 

「ではこう言い換えよう。私たちは後始末をしに来た、と」

 

「何?」

 

「私たちが放置してしまったソウルより生まれた存在……神々、そしてこのダンジョンそのものを始末すると言ったのだ」

 

「ッ!?」

 

解き放たれた衝撃の真実。それはファーナムの顔を驚愕一色に染めた。

 

『闇の王』はその反応を予測していたかのようにファーナムへと向き直り、平然と語り出す。

 

「お前なら解るだろう、後世の不死人よ。このダンジョンに漂う微量のソウルの気配が」

 

「……ああ。だが、それだけでは……」

 

「ソウルとは形を変えるものだ。今我らが感じているものは、その残滓に過ぎん」

 

僅かに言い淀んだ隙を突き、『闇の王』は言葉を滑り込ませる。

 

主導権を完全に掌握した彼は、畳みかけるように言葉を紡いでゆく。

 

 

 

「闇の時代の到来により、ソウルは多くの者にとって不要の存在となった。目に見える価値こそが重要視され、行き場を失ったソウルは霧散し、世界各地へと散って行った」

 

「それでもソウルの持つ力は凄まじい。巡る事が常であるソウルはやがて呼応するかのように断片を繋ぎ合い、自ずと姿を変えていったのだ」

 

「それが今オラリオに巣食う神々、あるいはダンジョンそのものという訳だ」

 

 

 

今日の世界の成り立ちに続く衝撃の事実。

 

神々も、モンスターを生み出すダンジョンでさえも、その起源を“ソウル”という物質に同じくしているという。地上でこれを説けば不敬も甚だしいが、今までの話を考慮すれば信憑性も出てくるというものである。

 

「ここまで言えばもう分かるだろう。今お前たちが直面している危機……古来より続くダンジョンとモンスターの脅威は、全て我ら不死人の不手際の産物。それを始末すると言っているのだ。これのどこに問題がある」

 

諭すように、或いは聞き分けの無い子供に言い聞かせるように、『闇の王』は語りかける。

 

「もう良いだろう、人の子らよ。後の事は私に任せ、お前たち人の時代を生きるが良い」

 

「………」

 

恩恵(ファルナ)を失えば苦難や困難もあるだろう。しかし、神々による理不尽だけはない。これほどの世界を何故拒む?今まで散々神共には煮え湯を飲まされてきただろうに」

 

「………」

 

「解ったなら、さぁ……道を空けろ」

 

ともすれば、導きのように聞こえる『闇の王』の言葉。

 

彼の語った内容は恐らくは真実なのだろう。神とは人類より上位に位置する存在。思考も思惑も完全には読み切れない、まさに超越存在(デウスデア)。そんな彼らと共に歩む事など、不可能なのかもしれない。

 

しかし。

 

それでも。

 

 

 

―――――彼らは動かない。

 

 

 

フィンも、リヴェリアも、ガレスも。

 

アイズも、レフィーヤも、ティオネも、ティオナも、ベートも。

 

椿も、ラウルたちも。

 

そして、ファーナムも。

 

誰一人として、道を空けようとはしなかった。

 

その理由はただ一つ―――――彼らは誇り高い【ロキ・ファミリア】の一員だからだ。

 

「なるほど……その気はない、か」

 

「ああ。悪いけど、その申し出は断らせて貰うよ」

 

全員を代表したフィンの言葉が強く反響する。

 

「確かに今あるこの世界は、君たちの不手際の産物なのかも知れない。だからと言って今更その清算をしようだなんて、虫の良い話だとは思わないかい?」

 

「神々の駒にされていた方が良いと?」

 

「まさか。共に歩むべき神は僕たちの目で判断する、それだけの事さ」

 

()()()に好き勝手させてなるものか―――そんな原初の冒険者に相応しい鉄の意志を感じさせる声色で、彼らは強く拒絶の意を示した。

 

「……お前たちの考え、よく解った」

 

途端に気配をがらりと変える『闇の王』。

 

突き放すような言葉が呟かれ、同時に彼の両隣に、五人の黒ローブ姿の者たちが現れた。

 

「うわっ!?」

 

「い、一体どこから……!?」

 

困惑を隠しもしないラウルたちから、上擦った声が上がる。

 

『闇の王』が現れた時と全く同じように、ゆらりと現れた彼ら。一目ではほとんど区別がつかないが、よくよく見てみれば全員微妙に体格が異なっている。

 

そしてその中には、ファーナムやアイズたちも見た事のある者がいた。

 

「アイズさん、あれって……!」

 

「うん……24階層の」

 

それは24階層で黒騎士たちと戦っている時に乱入してきた者だった。地面に当たり擦れたローブの隙間から覗く鉄靴の特徴も一致しており、まず間違いはないだろう。

 

「王よ、()の準備が整いました」

 

「ああ」

 

控えるようにして立っていた五人の内の一人が前へと歩み出て、何かを伝える。それを受けた『闇の王』は頷きを返すと、再びファーナムへと向き直った。

 

「お前はどうするのだ、後世の不死人よ。この世界において、異端である我らに居場所はないぞ」

 

「……そうかも知れんな。だが」

 

人の世であるこの世界へとやって来たファーナム。その経緯も、理由も、未だはっきりとしないままだ。

 

しかしここでの時間は、彼が失いかけていたものを取り戻してくれた。オラリオでの生活、様々な者たちとの交流、そして神格(じんかく)ある女神との邂逅……それら全てが、今の彼を構成する一部となっている。

 

だというのに、まだ何も返せていない。

 

彼らから受けた多大な恩に、何の返礼も出来ていないのだ。

 

だからこそ―――――

 

 

 

「そんな事、今は関係ないだろう」

 

 

 

―――――ファーナムは、何の迷いもなく言い切る事が出来た。

 

「不死人であるからどうだと言うのだ。それがお前たちを野放しにしておく理由に繋がるとでも思ったのか」

 

「私たちを倒せば……神々を救えば認めてくれる。そう言うつもりか」

 

「違うな。もっと単純な話だ」

 

ザッ、と。ファーナムは一歩前へと出る。

 

自身と同じく不死人(異端)である『闇の王』たちから、神と人の世を守るように。

 

 

 

「皆が与えてくれた恩に報いる―――それだけの事だ」

 

 

 

力強く断言したその言葉に、アイズたちの視界が揺れる。

 

これほどまでの覚悟を見せつけられて、身体が震えない冒険者などここにはいない。それが天下の【ロキ・ファミリア】であれば、なおさらである。

 

得物を握る彼らの手に力がこもる。

 

間もなく始まるであろう壮絶な戦いを前に、誰もが闘志を滾らせていた。

 

「全く……何故お前たちは、そこまで聞き分けがないのだ」

 

対する『闇の王』は、冷め切った眼差しを送る。

 

彼は哀れな生物を見るような視線のまま、無感動に言い放つ。

 

「これ以上の言葉は無意味か―――――ならば」

 

その言葉を契機に、この場にある変化が起こる。

 

四方を密林に覆われていたこの59階層の景色が、まるで陽炎のように揺らめき始めたのだ。

 

「これは……っ!?」

 

「何が起こっとるんじゃ……!」

 

明らかな異常事態を前に、リヴェリアとガレスは背後にいるアイズたちを守るような形で周囲を警戒する。

 

彼らから僅かに離れた場所で『闇の王』たちを睨みつけるフィンとファーナムもまた、得物を構えたまま動かない。ただ何があっても即座に対応できるよう、その感覚だけは研ぎ澄ませていた。

 

「ファーナム、君なら何が起こっているのか分かるのかい?」

 

「いいや、これは俺も経験した事がない」

 

そうしている間にも変化は止まらない。

 

緑に覆われていた景色から色は失われてゆき、徐々に灰色が支配し始めた。群生していた不気味な植物と草木は姿を消し、代わりにゴツゴツとした岩があちらこちらに現れ始める。

 

ゴゴゴゴ……という地鳴りにも似た音が轟く。混乱の極みに達している【ロキ・ファミリア】の面々に、『闇の王』は変わらぬ調子で告げる。

 

「お前たちの覚悟、見せて貰おうか」

 

四方は完全に灰色に覆われた。

 

元の地形すらも完全に無視し、今や灰の荒野だけが広がっている。

 

遥か先にあったはずの壁。60階層へと続く連絡路も、ファーナムたちがやって来た入口すらもかき消え、そこにあるのは()()()()()のみだった。

 

「―――――ッ!?」

 

瞬間、ファーナムは悟る。

 

ここはもはや、ダンジョンではないと。

 

ここは……『闇の王』が支配する地であると。

 

「だっ、団長!?」

 

ラウルの引き攣った声が絞り出される。彼が震える指で指し示す方角は『闇の王』たちの背後、見上げる程にそびえ立つ白い霧の壁である。

 

その壁から……幾つもの人影がやって来たのだ。

 

ザッ、ザッ、ザッ、ザッ……と、規則正しい行進の足音。黒一色に染められた旗を掲げる彼らは骸骨を模した鎧に身を包み、皆同じく肉厚の直剣を装備していた。

 

十や百ではない。この数と規模は、まさしく……。

 

「我が同胞たち。神殺しの旅団……総勢()()。これでも我らと剣を交えると言うのならば、やってみせろ」

 

『闇の王』の言葉は無慈悲に、そして冷酷に……ファーナムたち【ロキ・ファミリア】を、絶望へと叩き落とした。

 

 




次回は少し短めになるかも知れません。ご了承下さい。

また更新と同時に、アンケート的なものを活動報告でさせて頂きたいと思います。よろしければお答えください。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十二話 その魔法は絶望を覆す

※活動報告にちょっとしたお願いがあります。どうかご一考下さい。(第42話未読であれば、それから先にご覧下さい)

2020/5/20 冒頭部分にフェルズたちの描写を追加しました。


「なっ!?」

 

フェルズが驚愕の声を響かせると同時に、手にした水晶には何も映らなくなる。

 

ファーナムに持たせた片割れが最後に拾った光景は、陽炎のように揺らめき、そして変貌してゆく密林の姿だった。

 

地面は灰に覆われ、樹木の代わりに岩が点在するだけの荒野と化す第59階層。そして『闇の王』と五人の黒ローブたちの背後に、巨大な白い霧の壁が形成されてゆき……ここで唐突に映像は途切れてしまうのであった。

 

こうなってしまっては行く末を見守る事さえできない。何か手立てはないかを模索すべく、フェルズはひとまずウラノスの指示を仰ごうと後ろを振り返る。

 

「くっ……ウラノス!ダンジョンの様子が……!?」

 

が、彼の言葉はそこで途絶えてしまった。

 

理由は明確だ。

 

その視線の先。ダンジョンへの祈祷を始めて以来、何があろうと決して玉座から動いた事の無かった老神が、大きく目を見開き立ち上がっていたのだから。

 

「………馬鹿な………」

 

「ウラノス………?」

 

恐る恐る、彼の様子を窺うフェルズ。

 

その声さえも届いていないのか、ウラノスは呆然としたまま呟きを落とした。

 

「ダンジョンが……59階層が、()()()()()()()だと……!?」

 

 

 

 

 

白い霧の向こうから現れた『闇の王』の騎士たち。彼らは皆、骸骨を模した異様な鎧に身を包んでいた。

 

規則正しい行進の音が響き渡る。総勢一千にも及ぶ神殺しの旅団は、黒一色に染められた四本の旗を高く掲げ、これから殺す神々への宣戦布告を果たした。

 

「数の差は歴然。実力の程もお前たちならば解るだろう。これでも我らに挑むと言うつもりか?」

 

五人の臣下を率いたまま『闇の王』は淡々と言い放つ。

 

その言葉の通り、闇の騎士たちの放つ殺気は凄まじかった。一人一人が歴戦の不死人であり、等しく神に対する怒りを抱いている。

 

これほど離れていても理解できる。

 

彼ら一人一人の戦力は、どれほど少なく見積もってもLv.5以上。オラリオでも一握りの冒険者しか辿り着けていない領域に、彼らは既に至っているのだ。

 

「ぁ……ぁあぁ……!?」

 

気が付けば、サポーターたちが座り込んでいた。余りの戦力差を前にしてしまい、足から力が抜けてしまったのだ。

 

情けないその声を責める者は誰もいない。アイズたちもまた、この絶望的な状況に身体が硬直しているのだ。皆一様に武器を握り締めたまま、流れる冷や汗を止められずにいた。

 

そして……ファーナムも。

 

「その反応は正しい。これでも先程のような啖呵を切れるような者がいれば、それは破滅主義者か、頭に蛆の湧いた白痴者のどちらかだ。そしてお前たちは、そのどちらでもないだろう」

 

故に、と、『闇の王』は選択を迫る。

 

「今から五分の猶予を与える。その間にそこを退くか、或いは無意味に血を流すか決めるが良い」

 

「なっ……!?」

 

驚愕に目を剥くファーナム、そしてアイズたち。

 

絶体絶命の窮地から垣間見えた救いの道標。しかしそれに縋る事は【ロキ・ファミリア】としての終わり、これまで築き上げてきた冒険者としての誇りの一切を捨て去る事を意味していた。

 

一方的に突き付けられたこの提案に、怒りを爆発させる者がいた。

 

「ッざけてんじゃねぇぞ、テメェ!!」

 

「黙って聞いてりゃあべらべらと!何様のつもりだ!?」

 

髪を逆立たせ憤怒の表情を見せつけるベートとティオネ。

 

気性の荒い二人の若き冒険者に殺気を当てられながらも、『闇の王』はどこ吹く風。変わらぬ調子のまま、やはり淡々と言い放つ。

 

「そこまで怒るのならば、何故今向かってこない」

 

「……っ!?」

 

「その反応が答えだ。一旦剣を交えれば、死ぬのはお前たちの方だからな」

 

死を恐れているのだろう、と暗に告げる。その言葉に二人の頭を焼き切れそうな程の激情が駆け巡るも、やはり動く事は出来なかった。

 

その理由は彼らの後方、未だ立ち直れていないサポーターたちの存在だ。

 

このまま戦闘になれば彼らは間違いなく死ぬ。攻撃を防ぐ事も、守る事も出来ずに、真っ先に。それだけは強者としての矜持が許さなかったのだ。

 

『闇の王』は彼らの反応を確認し、踵を返す。

 

無防備に晒されたその背に斬り掛かろうとする者は、やはりいない。

 

「僅かな時ではあるが、よく考えろ……私としてもお前たちを殺す事は望ましくない」

 

肩越しにそう言い残し、『闇の王』は彼の騎士たちのいる場所へと歩いてゆく。五人の臣下たちもまたそれに従い、無言のままこの場を後にした。

 

残された【ロキ・ファミリア】の冒険者たちは異界と化したこの空間で、究極の選択を迫られる。

 

戦闘の回避か、強行か。

 

誇りを放棄するか、最期まで生き様を貫くか。

 

―――生か、死か。

 

この上なく重い二択を前に、深い沈黙が落ちた。

 

 

 

 

 

「なぁ、王よ。あれで良かったのか?」

 

「何がだ」

 

「いや、何も生かすか殺すかじゃなくてよ、適当に動けなくしちまえば良いんじゃないかと思ってな」

 

黒ローブの内の一人が前を歩く『闇の王』に問いを投げ掛けた。

 

砕けた口調を止める者はいない。一名だけはそれに不快感を示しているも、それだけである。そのように接される事を、『闇の王』も容認しているからだ。

 

「心が折れたのならばそれで良し。だが蛮勇を振るってでも我らに牙を剥くのであれば、容赦はしない。是が非でも我らの道を阻むというなら、我らも応えてやるのみだ」

 

「んー、まぁ、そりゃそうなんだが……何だかやるせねぇなぁ」

 

その返答に、黒ローブはぼりぼりと頭を掻く仕草を見せた。

 

そんなやりとりを隣で見ていた二人の黒ローブは、何の気なしに言葉を交わし合う。

 

「彼はオラリオ(ここ)に来たのはこれが初めてだろう?随分と彼らに入れ込むんだな」

 

「彼は生来、出会いを大切にしているようですから。生まれも関係しているのかも知れませんが」

 

声から、それは男女であるという事が分かる。黒ローブのシルエットは男性が細身なのに対して、女性の方は何かを着込んでいるかのような、ずんぐりとしたものだった。

 

「これから始めるというのに、気の抜けた連中だ。全く……」

 

「………」

 

彼らの中では最も『闇の王』に敬意を示していた男が静かに毒づく。一番後方を歩く黒ローブ……24階層でファーナムたちが出会った男は、終始無言を貫いている。

 

そうして歩いている内に、彼らは騎士たちの前へと到着した。

 

ずらりと隊列を組んだ闇の騎士たちは彫像のように動かない。文字通り、彼らにとっての“王”である者の言葉を待っているのだ。

 

『闇の王』はそんな彼らを一瞥し―――やがて静かに口を開いた。

 

「皆の者、これより神殺しを始める」

 

決して大きくはない声量。しかしその意志は、一千にも及ぶ騎士たち全員に伝播する。

 

「ここは迷宮都市オラリオ。醜い神々が我が物顔で地上にのさばる、度し難き世界だ」

 

同時に、殺意が沸き上がる。

 

彼らは皆不死人。神が仕掛けた火継ぎという儀式、その歯車の一つにされかけた者たちだ。何度も殺され、自身さえも喪失しかけた彼らの想いはただ一つ……悲劇を繰り返させない事のみ。

 

「人の子らは囚われている。神々の呪縛に、偽りの繁栄に。奴らの手が加わった文明は必ず滅びの道を辿り、幾千幾万の悲劇と、屍の山が築かれるであろう」

 

闇の騎士たちの殺意に応えるように、『闇の王』の声も次第に大きくなってゆく。

 

フィン顔負けの話術で彼らの心を焚きつけ、士気を向上させてゆく。

 

「―――認めない。断じて認めない。神々の策謀に人の子ら(彼ら)が巻き込まれるなど、あってはならない」

 

背後の黒ローブたちの心の中にも、得も言えぬ昂りが芽生え始めた。

 

彼ら()()は目の前にあるその背に、今一度忠義を誓う。最期まで着いてゆくと。

 

「故に、我らは神を殺す!!真の人の時代を到来させる為に、いつか朽ち果てるその日まで戦い続けるのだ!!」

 

これまでで一番の大声が『闇の王』から発せられる。

 

途端に、不動を貫いていた騎士たちの肩が揺れた。彼らもまた、昂りが最高潮に達しようとしているのだ。

 

「人の世に神など不要!!神意など知った事か!!奴らの巣穴である天界諸共に、ソウルすら残さず根絶やしにしてくれるッ!!」

 

ガシャリッ!ガシャリッ!という金属音が響き渡る。

 

闇の騎士たちが踏み鳴らす、一千の鉄靴の音色。『闇の王』の言葉を肯定するように、それは次第に激しさを増していった。

 

「旗を掲げろ!!軍靴を響かせろ!!神々の断末魔の叫びと貴公らの行進の音色が、人の子らを真の解放へと導く目覚ましの鐘となる!!」

 

『……ぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっっ!!!』

 

遂に迸った咆哮。

 

抑えきれなくなった感情の赴くまま、闇の騎士たちは雄叫びを上げる。それぞれが持つ武器『ダークソード』を掲げ、或いは旗を更に高く掲げ、必ずやこの手で神を殺さんという決意に満ち満ちる。

 

『人の為にっ!!』

 

『人の子らの為にっ!!』

 

『神々に囚われし、哀れな人の子らの為にっっ!!!』

 

神殺しの旅団、そのあちこちから声が上がる。今も地上で呑気に『娯楽』を堪能しているであろう神たちを、その一柱も残さずに消し去ってやろうという決意の表れだった。

 

準備はここに整った。

 

『闇の王』はだらりと下げていた右腕をゆっくりと上げ―――そして。

 

「皆の者―――――進撃開始だ」

 

ヒュッ、と、開戦の合図を出す。

 

 

 

 

 

その時だった。

 

 

 

 

 

『闇の王』の背後。

 

ファーナムたち【ロキ・ファミリア】がいる方角から、白い光が飛んできたのは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時は僅かに遡る。

 

『闇の王』が去っていった後も【ロキ・ファミリア】の沈黙は破られなかった。諦念、後悔、憤怒、様々な表情を浮かべるアイズたちであったが、彼らが共通して抱いている思いがあった。

 

それは“絶望”。

 

圧倒的な戦力差、質も凶悪なまでに高い。いくらオラリオ最強のファミリアの一角を担っているとは言え、どう足掻いても勝負にすらならない。象が蟻を踏むが如く、呆気なくすり潰されてしまうだろう。

 

「終わり、か……」

 

得物である太刀を握り締めたまま、椿が力なく呟いた。

 

その言葉が引金であるかのように、全員の瞳がフィンへと集中する。ラウルたちサポーターは縋るように、アイズたちは正しい指示を待つように、彼らが最も信頼出来る人物へと判断を委ねる。

 

「………撤退はしない」

 

小さな唇から呟かれたその言葉。その宣言は誰もが半ば予想していたものであり、異を唱えようとする者はいない。

 

が、後に続いたその言葉に、彼らは耳を疑ってしまう。

 

「そして、無駄な犠牲を払うつもりもない。それは()()()()()で十分だ」

 

「えっ?」

 

俯いていた顔を上げるアイズ。ベートたちもまた、フィンの言っている意味が分からないと言う風な顔をした。

 

「おい、フィン。まさか……」

 

「すまない、ファーナム。苦労をかけるけど、後の事は頼む」

 

ともすれば死相すら浮かんでいるように見えるフィンの顔。

 

彼は薄く笑いかけると、その視線を二人の友……リヴェリアとガレスへと向ける。

 

「リヴェリア、ガレス……悪いが付き合ってくれ」

 

「……ああ、もちろんだ」

 

「老骨の最期の大仕事じゃ。是非もない」

 

「ち、ちょっと待ってよ!?」

 

次々に進んで行く話に、ついにティオナが割って入った。

 

彼女は頭が悪い。二つの事を同時に考えられない、無理をすればたちまち頭が混乱してしまう程に。

 

そんな彼女でも、理解出来てしまった。

 

フィンとリヴェリア、そしてガレス。三人のLv.6の冒険者たちが、何をしようとしているのかを。

 

「僕たち三人でこの場を引き受ける。出来る限りの抵抗はするから、その隙に君たちはここから脱出するんだ」

 

「ッ!?」

 

言葉にした途端に、アイズたちの目はこれでもかという程に見開かれる。

 

誰もが感じ取っていたフィンの決断。この予想が外れていれば、杞憂に終わってくれればとどれほど良かったか。

 

彼が提示したのはアイズたちが生き残る可能性が最も高く―――そして、確実に犠牲を払う方法だった。

 

「ファーナム、後の指示は君に任せる。何かあればラウルを頼ってくれ。まだ未熟な面も多いが、きっと役に立つ」

 

つまりはこういう事だ。

 

『闇の王』という異世界の侵略者たちからオラリオ、ひいては世界を守る為には、それについての知識を持っている者が必要だ。その時点でファーナムは絶対に生きて地上へと帰す必要がある。

 

次にアイズたち。彼女たちは今後の【ロキ・ファミリア】を担う重要な人材だ。ファーナムと同じくここで死なせる訳にはいかない。椿も他派閥のファミリアの団長なので、同じく地上へ帰還させなければならない。

 

故に、犠牲が必要なのだ。

 

我が身を盾としてでも、僅かでも希望がある道を残す為の、尊い犠牲が。

 

「駄目ですッ!?」

 

無論、反対の声が上がらない訳がない。

 

ティオネは得物をかなぐり捨て、フィンの両肩を掴み強く揺さぶる。その瞳にはうっすらと涙が浮かんでおり、死を選ぼうとしている最愛の(おす)を必死に引き留めようとしていた。

 

「放してくれ、ティオネ。もう時間がないんだ、君たちは一刻も早く……」

 

「嫌です!私もっ、私も一緒に戦います!!」

 

ティオネの悲痛な叫びが木霊する。

 

彼女だけではない。レフィーヤとアリシアも、リヴェリアへと縋りついていた。大粒の涙を流しながら、偉大なるハイエルフの王女を死なせたくないと叫んでいる。

 

ラウルたちも拳を握り締め、何かを必死に堪えている様子で地面を見つめている。ガレスはそんな彼らに、まるで祖父のような眼差しを送っていた。

 

椿はフィンの決定を(しか)と受け止めている。彼との付き合いも長く、こうと決めれば絶対に譲らない事を知っているからだ。そんな彼女に、ティオナはどうにか説得してくれと届かぬ懇願を続ける。

 

ベートは歯を剥き出しにする事もなく、ただ静かに拳を握っていた。眉間に刻まれた深いしわ、そしてポタポタと滴る真っ赤な血が、彼の胸の内を鮮明に映し出している。

 

そして、アイズ。

 

「……ファーナムさん」

 

周囲から人形のようだと言われてきた少女は、その顔をはっきりとした悲痛の色に染めていた。

 

今にも制御を失いそうになっている金の双眸を揺らし、それでも懸命に、運命に抗う道を探している。

 

「何か手は、ないんですか」

 

「………」

 

その問いかけに、ファーナムは即答しなかった。

 

遠くで雄叫びが聞こえてくる。『闇の王』の騎士たちが士気を高めている事が容易に分かった。あの神殺しの旅団は、今にもこちらへと向かってくるに違いない。

 

ファーナムは周囲に視線を向ける。

 

見渡す限りの灰の荒野。所々に岩があるだけの、荒れ果て、命などどこにもない殺風景な場所。その中で、たった一つの命しか持たない者たちが涙を流している。

 

こんな寂しい場所が彼らの終着点なのか?と、彼は自身に問いかける。

 

出会いは決して良くはなかった。それでも、運命の悪戯とも思える数々の出会いを通して、今の自分がいる。あの暗い岩の玉座で全てを終えるはずだった自分が、ここまで人間らしさを取り戻す事ができたのだ。

 

その恩を、まだ返せていない。

 

ならばどうする?

 

―――知れた事だ。

 

 

 

「誰も、死なせはしない」

 

 

 

強い決意を込めてそう言ったファーナムは、未だに縋りついてくるティオネをなだめているフィンへと向き直る。

 

「フィン」

 

「ファーナム、まさか君まで残るだなんて言わないでくれよ。アイズたちが地上に戻るには、君の助けが……」

 

「脱出は不可能だ」

 

きっぱりと言い切るファーナム。その言葉に、これまでとは別の意味で彼に視線が集中する。

 

「あの白い霧。あれがある限り、一度戦えば後戻りは出来ない。どちらかが死ぬまでここを出る事は出来ない」

 

「……そう、か」

 

ドラングレイグで散々見慣れた光景だ。通ってみれば普通の霧だった、なんて楽観的な事が考えられる訳がない。

 

事実を突きつけられたフィンたちの瞳を、今度こそ絶望の色が支配する。撤退の道など選べるはずもなく、残されたのは確実な“死”の未来のみ。

 

だが、それを否定する者がいる。

 

「だから、俺は抗おう」

 

緑の裾を翻し、ファーナムは『闇の王』たちを睨みつける。

 

これより戦う敵の姿をその目に焼き付け、心を昂らせる。

 

「ファーナム、一体なにを……」

 

「俺に出来る事を……成すべき事を、成す」

 

そう言い、灰の大地に片膝をつける。

 

それは祈りのような独特の姿勢だった。左手を胸の前に置き、差し出した右の掌は開かれている。その姿はアイズたちの目には、儀式のように映っていた。

 

事実、これから行う事はそれに近い。

 

行使するのはこれが初めてだ。何故ならこれは『遠征』前日の夜、ロキによって伝えられたものなのだから。

 

 

 

「【この身は、絶望を焚べる者】」

 

 

 

紡がれるのは詠唱の言葉。

 

オラリオの魔導士たちにとっては馴染みの深い、魔力を言葉に練り込んで作り上げる魔法の前段階だ。

 

 

 

「【出会いし友を胸に、奪いしソウルを糧に、この身を薪に―――火よ、盛れ】」

 

 

 

瞬間、ファーナムの身体が発火した。

 

全身を包み込んだ火は徐々に勢いを失ってゆき、最後には差し出した右手に収束してゆく。何が行われているのか見当も付かないアイズたちは、ただ見ているだけだ。

 

 

 

「【分かたれども世界は一つ。(えにし)は潰えず、故に我らは惹かれ合う】」

 

 

 

右手に収束した火はその姿を変える。ゆっくりと変貌を遂げた火は、気が付けば一本の剣となっていた。

 

刀身の半ばから捻じれた螺旋剣。全ての不死人の寄る辺となる篝火、その中心に突き立てられているものに酷似していた。

 

 

 

「【(しるべ)はここに突き立てる。歴戦の(ゆう)たちよ。矮小なるこの身に、どうか貴公らの力を】」

 

 

 

手中に現れた螺旋剣を握り締める。

 

逆手に構えたそれに左手を添え、切っ先を地面へと向けた。

 

最後の一節を残すのみとなった詠唱の最中、ファーナムは朱髪の主神の顔を思い浮かべる。

 

飄々としていて掴みどころがなく、酒と美女にだらしがないあの女神。

 

そして同時に眷属(こども)思いで、不死人であるこんな自分を仲間に加えてくれた恩神(おんじん)

 

(お前はこれを予見していたのか、ロキ―――)

 

心中で密かに問いかけるも、すぐにそれを否定する。

 

恐らく、この魔法が発現するのは必然であったのだ。

 

彼らとの出会いもまた、必然であったのだろう。

 

自分がオラリオに呼ばれた理由。それは間違いなく、今この瞬間のためだったのだ。

 

かつての日々、ドラングレイグでの旅路の中で事あるごとに目の前に現れた()()()の顔と、その言葉が思い起こされる。それもまたきっと、この状況に関係しているに違いない。

 

何であれ、今は目の前の事に集中しなければならない。何せ敵は『闇の王』。無限に広がる世界の神々を屠ってきた、過去最強の敵なのだから。

 

 

 

「【嗚呼(ああ)、私は諦めない―――】」

 

 

 

最後の一節を口にする。

 

辿り着いた岩の玉座を前にして、ついに諦めてしまったかつての自分。それと決別するかのように、ファーナムは力強く言い切った。

 

そして、【魔法名】が紡がれる。

 

その名は―――――。

 

 

 

 

 

「【ディア・ソウルズ】」

 

 

 

 

 

その言葉と共に、周囲を光が支配し―――――。

 

灰のみが広がっていた大空間に、変化がもたらされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これは……っ!?」

 

『闇の王』の臣下、黒ローブの一人が、その光景を前に驚愕の声を上げる。

 

他の臣下たち、そして闇の騎士たちも同様の反応を見せた。突如として目の前に現れた()()の登場など、全く予期していなかったからだ。

 

「ほう……そう来たか」

 

唯一『闇の王』だけが動じない。恐ろしいまでの冷静さでもって、殺すべき敵の姿を視界に収めていた。

 

 

 

 

 

「くっ……!」

 

眩い光に目を瞑ってしまったファーナム。周りの気配から察するに、アイズたちも同様の反応を示しているようだ。

 

が、それを気にしている場合ではない。【魔法】は成功したのか、それだけを確かめるために、ぼやける視界で必死にその姿を探す。

 

 

 

「なんと、またこうして会えるとは!何とも奇妙な事よ!」

 

 

 

そこへ突然、大きな声が降って来た。

 

その声に、ファーナムは兜の奥で瞠目する。

 

 

 

「サインを書いた覚えはなかったが……恐らくは、お前の力なのだろう?」

 

 

 

それに続く声は、仮面越しに言葉を発しているような、くぐもったものだ。

 

そのどちらにも聞き覚えがある。何故ならそれはかつての旅路の中で、特に面識のあった者たちなのだから。

 

「えっ、だ、誰……?」

 

「何が起きてんだ……」

 

視力が回復したのであろう、()()の姿に気が付いたアイズたちから困惑の声が上がっている。

 

それもそのはず。今の今まで二人はこの場所はおろか、この世界に存在していなかったのだから。遥か遠くの別世界、そこからやって来たのだ。

 

「あ、あぁ……!!」

 

ファーナムの視界が歪む。

 

まさか本当に来てくれるとは……それも、()()が。

 

魔法を行使した張本人であるにも関わらず、そんな思いが溢れて止まらない。

 

「いつまで座っているのだ、友よ!貴公が立たねば話にならぬぞ!」

 

「久方振りの共闘だ。腕が鈍っていないと良いが……私も最善を尽くそう」

 

振り返った二人の正体。

 

それは蓄えた髭が勇ましい偉丈夫と、仮面を外し素顔を晒した女騎士―――。

 

 

 

―――実体 ウーゴのバンホルトが現界しました―――

 

―――実体 ミラのルカティエルが現界しました―――

 

 

 

 

 

 

 

変化はそれだけでは終わらなかった。

 

「うわっ!?」

 

「なっ、何だこれ!?」

 

驚愕と困惑に満ちた声が上がる。気が付けばアイズたちの周囲には、無数の白く輝く文字が浮かび上がっていたのだ。

 

共通語(コイネー)でも神聖文字(ヒエログリフ)でもない、全く未知のもの。多くの言語を知るリヴェリアであっても解読不可能なこの文字は、何かに呼応するかのように輝きを増していった。

 

「なっ……!?」

 

そして、誰もが言葉を失った。

 

白い文字の輝きが頂点に達した時、地面から浮上するかのようにして、次々と新たな人影が現れたのだから。

 

鎧を着込んでいる者、衣に身を包んでいる者、奇妙な被り物や道化(ピエロ)のような見た目をした者―――外見は様々だが、皆当然のように武器を持っている。

 

剣を、槍を、弓を、大盾を。

 

杖を、聖鈴を、呪術の火を。

 

統一性のない恰好をした彼らは真っすぐ前を……『闇の王』が率いる軍勢を睨みつけていた。

 

 

 

―――実体 放浪騎士グレンコルが現界しました―――

 

―――実体 巡礼者ベルクレアが現界しました―――

 

―――実体 落ちぶれたアヴリスが現界しました―――

 

―――実体 献身のスカーレットが現界しました―――

 

―――実体 古兵ブラッドリーが現界しました―――

 

―――実体 孤独な狩人シュミットが現界しました―――

 

―――実体 修行者フィーヴァが現界しました―――

 

―――実体 勇猛なるフェリーシアが現界しました―――

 

―――実体 放浪騎士エイドルが現界しました―――

 

―――実体 人見知りのレイが現界しました―――

 

―――実体 道化のトーマスが現界しました―――

 

―――実体 肉断ちのマリダが現界しました―――

 

―――実体 傭兵ルートが現界しました―――

 

―――実体 欲深いアンドレアが現界しました―――

 

―――実体 人狩りのオハラが現界しました―――

 

―――実体 灰の騎士ヴォイドが現界しました―――

 

―――実体 超越者エディラが現界しました―――

 

―――実体 痩身のシェイが現界しました―――

 

―――実体 不屈のローリが現界しました―――

 

―――実体 鋼のエリーが現界しました―――

 

 

 

白く輝く文字は未だ消えない。何十、何百と地面に現れ、新たな人影を生み出し続けている。

 

その数は、今にも闇の騎士たちに迫らんばかりだ。

 

「こやつら……」

 

「敵ではない、のか?」

 

何も確証はない。しかし確信はある。

 

これならば『闇の王』たちとも互角に戦える。先程までの絶望的な状況から、戦況は覆ったと。

 

「……ファーナム」

 

誰からともなく、その名が呟かれる。

 

彼らの瞳には、もう絶望の色は浮かんでいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《魔法》 

【ディア・ソウルズ】

 

 ・召喚魔法

 ・世界に標を突き立て、彼の地、ドラングレイグを旅した不死人たちに協力を求める

  魔法。その不死人が応じるかどうかは不明。

 ・仲間を想う強さに応じて効果範囲増減。

 ・代償:■■■■■

 

 




※活動報告にちょっとしたお願いがあります。どうかご一考下さい。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十三話 開戦

ようやく始まりました、最終決戦。

ソード・オラトリア本編のような躍動感のある描写を目指して頑張りたいと思います。


ピシリ、と、前触れなくガラスが割れる。

 

時刻は夜。部屋で一人酒を飲んでいたロキは、手元から生じた音の発生源へと目を落とした。

 

「………」

 

グラスから滴り落ちる真紅の葡萄酒。足元に敷かれた高級そうな絨毯が汚れる事など気にも留めず、朱色の瞳はそこに広がる赤い染みを食い入るように見つめていた。

 

「………ファーナム」

 

何故か抱いてしまった不吉な印象に、その名が零れ落ちる。

 

返事はない。

 

何故なら彼は今、地の底深くのダンジョンへと潜っているのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

睨み合う両軍。

 

『闇の王』率いる不死の軍団は、これまで数多の世界の神々を屠ってきた、まさしく神殺しの旅団。髑髏の鎧を纏った不死たちの瞳は神と、それを妨害する者たちへの殺意に塗れている。

 

それに相対する者たち。

 

オラリオが誇る最大派閥【ロキ・ファミリア】の上級冒険者たち。そしてその一員たるファーナムの招集に応えた、ドラングレイグを旅した歴戦の不死人たち。人と不死人の連合軍が、闘志に燃える瞳で『闇の王』たちを睨み返す。

 

 

 

「皆の者―――」

 

『闇の王』が口を開く。

 

 

 

「お前たち―――」

 

ファーナムが口を開く。

 

 

 

 

 

そして

 

 

 

 

 

「―――鏖殺(おうさつ)せよ」

 

「―――()くぞッッ!!」

 

 

 

 

 

片や、静かに。

 

片や、激しく。

 

相反する声色を以て―――――開戦の幕が切って落とされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!』

 

轟く雄叫びは大気を揺らし、この場にいる全員の鼓膜を叩いた。ダークソードを振りかざす闇の騎士たちと、ファーナムの招集に応じた数多の不死人たちは、各々の得物を手に脇目も振らずに戦場へと走り出す。

 

そんな中であって、時を止めている【ロキ・ファミリア】。目の前に広がるこの規格外の光景に、未だ信じられないといった顔で呆然と立ち尽くしていた。

 

それも無理はない。これはオラリオ始まって以来の、類を見ない規模の大戦争なのだ。人の子として生まれた彼らの思考が停止してしまうのは、むしろ当然と言えよう。

 

が、いつまでも呆けている訳にはいかない。

 

「皆」

 

その声に一同はハッと我に返った。

 

統一感のない恰好をした不死人たちが戦場へと駆けてゆく中、【勇者(ブレイバー)】の二つ名を冠する冒険者は背後の仲間たちへと言葉を贈る。

 

「彼がここまでしてくれたんだ。僕たちも精一杯の働きを以て応えよう」

 

彼が手にする金色の槍が輝く。灰色で覆われたこの空間の中においてそれは、まさしく勇気の旗印。我らが団長の言葉に、誰もが止めていた時間を呼び起こす。

 

「これで動かない者はもう冒険者じゃない……そう。僕たちは今、試されている」

 

オラリオのみならず世界中に名を轟かせている【ロキ・ファミリア】。その名声に見合うだけの勇気があるのかどうか、この戦いが問うているのだ。

 

そう語る【勇者(ブレイバー)】の瞳には、いつしか火が灯っていた。

 

彼だけではない。

 

九魔姫(ナイン・ヘル)】も、【重傑(エルガルム)】も、【単眼の巨師(キュクロプス)】も。

 

凶狼(ヴァナルガンド)】も、【怒蛇(ヨルムガンド)】も、【大切断(アマゾン)】も、【千の妖精(サウザンド・エルフ)】も。

 

そして【剣姫】も。

 

ラウルたちサポーター勢までもが、熱い闘志を滾らせる。

 

「なら見せつけてやろう、オラリオの冒険者たちの力を。不死人たちの戦場に殴り込んでやろうじゃないか」

 

そして。

 

ここまでしてまだ足らないとばかりに、彼は一同の心を最大限に昂らせる言葉を言い放った。

 

 

 

「抗う者の力を見せつけてやろう―――あの少年、ベル・クラネルのように」

 

 

 

『―――――ッ!!』

 

直後に湧き上がる様々な感情の嵐。

 

道中彼らが目撃した、とある少年とモンスターの一騎打ち。それは一級の戦闘力を誇る彼らからしてみれば、児戯にも等しいものだったのかも知れない。

 

しかし、それでも惹き付けられた。

 

少年の叫び(こえ)に、意地(おもい)に……格上の相手に立ち向かうその雄姿(すがた)に、冒険者としての矜持をいたく刺激されたのだ。

 

「……上等だ」

 

「やってやるわ」

 

「そうだっ、やってやろう!」

 

「……うん」

 

準備は完全に整った。

 

一人一人がその顔に気魄(きはく)を滲ませ、得物を握る手にこれでもかと力を込める。

 

「皆―――()こう」

 

勇者(ブレイバー)】のその声を契機に。

 

彼らもまた、目の前に広がる戦場へと参戦した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幾多の足音が灰の大地を揺るがし、無数の雄叫びが上がっている。

 

両軍共に感情を昂らせ、これより戦う敵へと得物の切っ先を向ける。闇の騎士たちがダークソードで統一しているのとは対照的に、ファーナムの招集に応じた不死人たちの得物は様々である。

 

その不死人たちの中であって、先頭を走る二つの影があった。

 

一人はドラングレイグの王国剣士が身に纏っている鎧で統一した者。両の手でしっかりと握った『巨象の斧槍』を構え、一番槍を我が手にしようと一心不乱に駆けている。

 

そんな彼と並走しているのは、好々爺然とした面持ちの老騎士。兜のみを外した装備は上級騎士のそれであり、しかし手にしている『煙の特大剣』は、騎士が扱うにしては不釣り合いな程に巨大だった。

 

「随分と速いな、お前さん!(じじい)のクセしてよ!」

 

「かかっ!我ら不死人に年など関係あるまいて!」

 

軽口を交わし合いながらも、走る速度は更に上がる。

 

重量級の武器を手にしているにも関わらず、自陣から頭ひとつ飛び抜け疾走する二人に追いつける者はいない。故に一番槍を手にするのは、この二人の不死人の内のどちらかであろう。

 

「どけっ、最初に斬り込むのは俺だぁ!!」

 

「一番槍の栄誉、吾輩が貰い受けるっ!!」

 

 

 

―――実体 孤児院の兵士リクハルドが現界しました―――

 

―――実体 老騎士ファランディアが現界しました―――

 

 

 

接敵までもう僅か。一番槍を手にするのは、果たしてどちらか。

 

リクハルドとファランディアはそれぞれの得物を振り上げ、髑髏の軍勢へと勢いよく斬り込む―――――その直前で。

 

 

 

二人の頭上を、(まばゆ)い橙の稲妻が通過した。

 

 

 

「「 !? 」」

 

激しい雷鳴と共に飛んできた奇跡『太陽の光の槍』は、ちょうど二人が斬り掛かろうとしていた集団へと直撃した。闇の騎士の一人を貫いてもなお勢いの衰えない雷槍は、後方にいた者たちまで巻き込み、突き進んでゆく。

 

突然の事に身体を硬直させるリクハルドとファランディア。この奇跡を行使した者はと言うと、その小柄な体格を活かして二人の間を縫うようにして追い越し、隊列が崩れた敵陣へと突貫していった。

 

「はぁあ!」

 

「ぐぁ!?」

 

裂帛と共に鋭い斬撃が、闇の騎士へと叩き込まれる。

 

咄嗟に左手の『ダークハンド』で防ごうとするも、遅い。袈裟がけに斬撃を叩き込まれた闇の騎士は血とソウルを噴出し、背中から地面へと倒れてしまう。

 

ザッ!と地を削りその場で急停止したのは、ハイデの騎士のグレートヘルムで顔を隠した不死人。ファーナムの鎧、その胴部分に自らが描いた太陽のシンボルマークと同様に()()は明るく、そして高らかに声を上げる。

 

「一番槍っ、(もーら)いっと!」

 

 

 

―――実体 太陽戦士ソラリアが現界しました―――

 

 

 

「あいつに続けぇーーーーー!!」

 

「ぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 

後れを取るまいとばかりに突貫してゆく不死人たち。得物と得物がぶつかり合う激しい剣戟がそこら中で鳴り響き、ついに本当の戦闘が始まった。

 

そんな中でリクハルドとファランディアは、互いに斧槍と特大剣を握ったまま彫像のように固まっている。それを隙と見た闇の騎士たちは、二人に照準を合わせた。

 

「おい、あの二人を殺るぞ!!」

 

しかし彼らは気付くべきであった。

 

二人は戦場に臆して突っ立っていた訳ではなく―――。

 

 

 

「「 ……おおぉぁあああああああああああああああッッ!! 」」

 

 

 

―――一番槍(見せ場)を掻っ攫われ、憤懣(ふんまん)遣る方無かっただけなのだと。

 

「がッ!?」

 

振るわれた斧槍と特大剣。その一つだけでも高い威力を誇ると言うのに、二つ合わさればどうなるか……それは火を見るよりも明らかだった。

 

五体をばらばらにされて吹き飛ばされた闇の騎士。意図せず合わさったその威力は、もはや凶悪そのものだ。

 

「なっ……!?」

 

「こいつらっ、っぎゃあ!?」

 

一瞬の内にやられた同胞の末路に浮足立つ、その時間すらも与えられなかった。

 

巨象の斧槍が、煙の特大剣が、次々に襲い掛かる。闇の騎士たちも当然応戦するも、どちらか片方の攻撃を防いだ矢先にもう片方の攻撃がやってくる。

 

「これじゃ斬り込み兵の名折れだ、畜生!」

 

「えぇい、あの小娘めっ!空気を読まぬか!」

 

言い様のない不満を目の前の敵へとぶつける彼らは、しかし確実に相手を押している―――ちなみにこの時、戦場のとある場所では『へくちっ!』という気の抜けたくしゃみをする者がいた―――。

 

二人の不死人は豪快に得物を振り回し、敵陣深くへと斬り進む。

 

猛攻は、まだ始まったばかりである。

 

 

 

 

 

初手こそ押され気味だった闇の騎士たち。しかし彼らはそこから持ち直し、今は互角の戦いを繰り広げている。

 

響き渡る剣戟と雄叫び。神々を滅さんとする闇の騎士たちと、招集に応じた不死人たちの戦いざまは、軍神ラキアが毎度オラリオに仕掛けてくる戦争(ちょっかい)とは比較にもならない。

 

「ふんっ!」

 

ファーナムは現在、その只中にいる。

 

前線に限りなく近い場所で両手の武器『野盗の斧』と『蛮族の直剣』を振り回し、襲い来る敵と交戦していた。容赦なく斬りかかってくる凶刃をその刀身で受け止め、返す刀で斧を叩き込む。

 

噴出する血とソウルには気にも留めず、彼はただ一点を目指す。それは『闇の王』がいるであろう、敵陣の最奥だ。

 

「シィッ!!」

 

「っ!」

 

意識が僅かに逸れた瞬間を狙いすましたかのようなタイミングを敵は突いてくる。無防備にも晒してしまった背中へ、闇の騎士は構えたダークソードの切っ先を突き立てようする―――が、それは叶わなかった。

 

ギャリッ!という金属音と共に、その刃は盾の表面を僅かに傷つける。二人の間に割り込んだルカティエルが盾を構え、その攻撃を防いだのだ。

 

「ハッ!」

 

前のめりとなった闇の騎士、その腹部を『正統騎士団の大剣』が深く抉る。ごぶっ、と髑髏の仮面の隙間から鮮血が溢れ出し、身体が硬直。止めとばかりに彼女は腕を振り抜き、相手の身体を半ば両断した。

 

「気を抜くな、ここは最前線だぞ!」

 

「っ、すまん!」

 

息つく間もなく繰り出される敵の刃を受け止めながら、ファーナムはルカティエルと言葉を交わす。

 

ミラ出身である彼女の戦いぶりは実に様になっていた。正統騎士団に所属していたという言葉の通り、彼女の真価はこう言った戦場でこそ遺憾なく発揮されている。頼もしい仲間の存在に、ファーナムは感謝が絶えない思いだ。

 

「ぬうぉぉおおおおおっ!!」

 

そしてもう一人、頼もしい存在がいる。豪快な立ち回りを演じているバンホルトだ。

 

『漢』らしく複数人相手でも一切怯まず、それどころか逆に押していた。勇猛果敢なウーゴの武人はその顔に笑みすら浮かべ、一族伝来の剣『蒼の大剣』を誇らしげに振りかざす。

 

「ワハハハハッ!我が一族に伝わりし『月光』の力、とくと思い知るが良いっ!!」

 

ただ、相変わらずその大剣の正体に気がついてはいない様子だが。

 

「……やはり私には、あれがそれほどの代物には見えないのだが。いや、確かに優れた剣ではあるのだろうが……」

 

「……言わぬが花、というやつだ」

 

バンホルトの雄姿は凄まじいが、彼の発した言葉には疑問を抱いてしまうルカティエル。それについてファーナムは深く言及せず、しかしそれとなく彼女の考えが的を射ている事を告げる。

 

無論、そうしている内にも攻撃の手は止まない。二人はいつしか四方を囲まれ、互いに背を合わせて相手を牽制する構えを取った。

 

その姿は、まさしく“戦友”と呼べるものだ。

 

「何故、来てくれたんだ」

 

「なに?」

 

ファーナムの口から零れ落ちる疑問。それはほとんど無意識のものだった。

 

ドラングレイグで何度も共に戦った仲ではあったが、そこに深い意味はなかったはず。既に荒んでいた心を日に日にすり減らし、心中を吐露する彼女に対してもロクな言葉をかけてこなかった。

 

なのに、何故?

 

ファーナムはそれが不思議でならなかった。戦場という一部の油断も許さない状況であっても、それだけは確かめたかったのだ。

 

「ああ、そんな事か」

 

それを聞いたルカティエルは小さく笑った。

 

彼女は視線だけは敵から外さないまま、その理由を語る。

 

「単純な事だ。私はお前に救われたからな……あの時の、お前の言葉に」

 

「……!」

 

ファーナムの脳裏に、かつての記憶が蘇る。

 

それはルカティエルと最後に言葉を交わした場所。異形が蔓延る館の前に設けられた、小さな廃屋の中にあった篝火でのやりとりだ。

 

 

 

『私がまだ、正気でいられるのは、お前のおかげだからな……』

 

呪いを解く旅路に疲れ果て、日々曖昧になってゆく己の記憶に苦悩した彼女が零した弱音。自分がまだ正気を保てているのはお前のおかげだと言うルカティエルに、ファーナムはこう返した。

 

『俺は何もしていない。お前が勝手に覚えているだけだ』

 

『………え?』

 

『亡者になるのならそこで果てろ。俺は先へ行く』

 

あの時の彼の心は荒んでいた。共闘するのは都合が良かっただけであり、そこに感情などはなかった。だからこの時に放った言葉も、相手の事など一切考えてはいなかった。

 

だからこそ、彼女は立ち上がる事が出来たのだ。

 

 

 

「お前の言葉で目が覚めた。呪いに抗うのは、他でもない自分自身なのだと!」

 

痺れを切らした闇の騎士たちが斬りかかってくる。

 

それとほぼ同時に動いたルカティエルは盾を構えつつ突進し、火花を散らして攻撃を防ぐ。ファーナムも両手の得物を構え、迫り来る髑髏の集団へと斬撃を見舞った。

 

「っ、俺は、そんなつもりで言った訳では!」

 

「ああ、だろうな!」

 

突き出された直剣に頬を浅く切り裂かれながらも、ルカティエルはその身を翻し反撃。眼光鋭く急所を狙い、そこに合わせるかの如く大剣を薙いだ。

 

その最中であっても、二人の会話は途切れない。

 

「だが、切っ掛けをくれたのはお前だ!」

 

「っ!」

 

敵の攻撃を盾で受け止めた彼女の背中を狙う別の凶刃。それを察知したファーナムは、手中の斧を勢いよく投げつける。

 

ガッ!?という苦悶の声と共に、斧は敵の肩を直撃した。同胞の悲鳴に一瞬気を取られてしまった闇の騎士は、ルカティエルが繰り出した盾による突き崩しをまともに食らってしまう。

 

そこへ割って入るファーナム。彼は右手の直剣を逆手に構えて振りかぶり、体勢を崩した敵の顔面へと容赦なく突き立てた。

 

髑髏の仮面は真っ二つに割れ、鮮血が宙を舞う。どさりと倒れた身体は一度だけ小さく痙攣すると、そのままソウルへと還っていった。

 

かき消えるように霧散する同胞の姿。一斉に襲い掛かったにも(かかわ)らず未だ健在の二人に、闇の騎士たちは攻めあぐねている様子だ。

 

再び膠着状態となる中、ルカティエルの言葉が響く。

 

「……お前がいたから、私は今ここにいる。心折れずに旅を続けられた私がいる」

 

 

 

―――だから今度は、私がお前を助ける番だ―――

 

 

 

「―――――ッ」

 

込み上げてくる感謝の念。このオラリオへ来てからこの思いを抱くのは、一体何度目になるのだろうか。

 

これまでの全てが繋がって、今があるのだ。最後の最後で諦めてしまったドラングレイグでの旅路も、【ロキ・ファミリア】と出会いも、何一つとして無駄なものではなかったのだ。

 

だからこそ、ファーナムは皆に応えなくてはならない。

 

オラリオのみならず、あらゆる世界の神々を殺し尽くそうとしている『闇の王』の歩みを、ここで止めなければならない。敵陣の最奥で待ち構えているであろう不死人の姿を幻視し、ファーナムは眦を鋭く裂いた。

 

「ぬうぅぅんっ!!」

 

と、ここで動きがあった。豪快に斬り暴れていたバンホルトが二人の元へと合流を果たしたのだ。

 

「ッ、バンホルト!」

 

「おお!貴公、それにルカティエル殿!大事ないか!?」

 

「ああ、今はまだな」

 

敵の壁をぶち破ってやって来たバンホルトは幾らか攻撃を貰っている様子だが、それでも戦闘に支障は出ていない。単身で複数人を相手にするという危険な戦法も、この武人ならではのものだった。

 

四方は未だ敵に囲まれたまま、しかしそれも完全ではない。ルカティエルは睨み合いの最中で思考を巡らせ、この状況から脱するべく、ある案を口にした。

 

「あそこが手薄になっている。私とバンホルトが敵の注意を引くから、お前はそこから斬り込め」

 

彼女が目線で示した箇所を見てみれば、確かにそこだけ敵の層が薄いところがあった。そこさえ突破すれば、他の不死人たちが切り開いた新たな戦場への道が開かれる。

 

戦闘が長引けば、それだけ『闇の王』に考える時間を与える事になる。全く別々の世界を繋ぐほどの力を持つのだ、他にどんな隠し玉があるのか分かったものではない。

 

状況は一刻を争う。他の案を考える余裕などはなかった。

 

「ルカティエル、バンホルト……ありがとう」

 

“すまん”ではなく、“ありがとう”。

 

謝罪ではなく感謝を以てこの場を任せる選択をしたファーナムは、新たな武装―――メイスと『タワーシールド』を取り出し、身を屈める。そして次の瞬間には、弾かれたかのような速度で飛び出していた。

 

「!?」

 

武装を変えた直後の、それも単独の強襲は闇の騎士たちの驚きを誘い、動きが一拍遅れてしまった。そんな彼らの事など眼中にないかのように、ファーナムは斜めに構えたタワーシールドで容赦なく()()()()()

 

「がぁッ、ぁああ!?」

 

「ぐおぉっ!?」

 

その突進の威力たるや、まさしく猛牛の如く。

 

辛うじて踏み留まろうとする者がいれば右手のメイスを振るい、直撃した箇所の骨を粉砕して押し通る。倒れた敵を踏みつけ、ファーナムは先へ先へと進撃していった。

 

「あいつを止め……!」

 

「させぬわっ!!」

 

追いかけようとする闇の騎士たちをバンホルトの蒼剣が遮る。蓄えた髭が逞しい偉丈夫は、これぞ『漢』とでも言わんばかりに、再び豪快な立ち回りを演じ始めた。

 

「全く……まるで小さな嵐だ」

 

周りの事など全く考えていない戦法にルカティエルは嘆息しつつ―――かつてのドラングレイグで共闘したファーナムも中々だったが―――も、そこはかつて正統騎士団だった身。彼が仕留め損ねた闇の騎士たちに止めを刺す形で、バンホルトとの共闘を器用にこなしている。

 

ちらりと横目で確認してみるも、ファーナムの背中は既に見えない。敵味方入り乱れるこの最前線でそれを確認しようとする事が無謀なのかもしれないが、それでも彼女は確信している。彼は必ずや『闇の王』のいる最奥へと辿り着くのだと。

 

根拠はない。強いて言えば、それは“直感”に過ぎない。学者肌の者が聞けば鼻で笑われても仕方がない程の、原始的な感覚。

 

なればこそ、ルカティエルは己が持てる限りの力で応戦する。

 

いつだって最後には勝利をもぎ取って来た、どこまでも“優しい”ファーナム()の為に。その歩みの障害となる可能性のある者を、徹底的に排する為に。

 

「おぉ―――ぉおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 

雄叫(たけ)びよ、想いよ、届け。

 

その身に呪いを受けた女騎士はその一心で、剣を振るう。

 

ただひたすらに……友の為に。

 

 




前回の後書きで募集致しましたオリジナル不死人につきましては、皆さまのご応募、誠にありがとうございます。これほどたくさんのご意見を頂けるとは思っていませんでしたので、返信を見た時は驚きの連続でした。またどれも惹かれる設定ばかりで、中々キャラを絞れませんでした(笑)。

なので、当初は3~4人ほど出そうとしていた不死人でしたが、出来るだけ登場させてみようと思います。とりあえず、11/3現在までにご応募頂いたキャラは出せるように頑張りたいと思います……だってどれも素敵ですしおすし。


~今回登場した不死人~


孤児院の兵士リクハルド 九四式(旧ヌンムン)様

老騎士ファランディア FALANDIA様

太陽戦士ソラリア 123G様


以上の皆さまです。本当にありがとうございました。









目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十四話 参戦

この作品が自分の手に収まりきるのか不安になってくる今日この頃です。

それでは、どうぞ。


ただひたすらに突き進む。立ちふさがる者は右手のメイスで粉砕し、決して足を止めようとはしない。

 

身体の前に構えたタワーシールドで敵の攻撃を防ぎつつ、敵陣のど真ん中を疾走するファーナム。持ち前の膂力に物を言わせて強引に道を切り開く。その背後には、多くの不死人たちが続いていた。

 

 

 

 

 

「ッシャア!!」

 

猛々しい掛け声と共に、鋭い跳び蹴りが炸裂する。堅牢な足甲に包まれたそれはほとんど砲弾と変わりなく、食らってしまった闇の騎士は背後の同胞たちを巻き込む形で吹き飛ばされる。

 

「次ぃ!!」

 

「こ、のっ!?」

 

着地と同時に駆け出し、次の標的へと迫る。『罪人の仮面』によって表情を読む事は出来ないが、時折漏れ出す言葉の端々には戦いの喜びが見え隠れしていた。

 

 

 

―――実体 牢獄の喧嘩屋グリードが現界しました―――

 

 

 

肉薄する“喧嘩屋”へとダークソードを振るう闇の騎士、しかし彼はこれを紙一重で避けて見せる。

 

一瞬前まで顔のあった場所を刃が空振り、グリードは敵の懐へと潜り込む。驚愕する相手を他所に『骨の拳』を纏った右拳を握り締め、重たい一撃を相手の顎へと見舞った。

 

「うぉ―――らァ!!」

 

「ガッ!?」

 

顎を打ち砕かれた闇の騎士。装着していた骸骨の仮面すら粉砕し、その勢いのままに身体は宙を舞った。

 

「おらァ!次の俺様の相手はどこだッ!?」

 

まるで暴れ回る猛牛である。不用意に近付こうものなら手痛い反撃が待ち構えており、標的にされれば仕留めるまでは終わらない。

 

その様子を目撃した敵の同胞たちはグリードを危険視したのか、他の不死人たちから標的を彼へと変える。何せ相手の武装は拳のみ、複数人で斬りかかれば逃れる事は出来ないと踏んだのだ。

 

彼の死角となっている場所から一斉に襲い掛かる敵の集団。手にした凶刃を振り上げ、その切っ先を深く突き立てる―――――その直前で。

 

彼らの前に、銀色の壁が滑り込んできた。

 

「!?」

 

ガキィンッ!という甲高い音と共に、幾つもの刃が止められる。

 

敵の攻撃を防いだ銀色の壁……否、そうと見紛う程に巨大で重厚な盾『呪縛者の大盾』を構えるは、一人の不死人。全身をファーナム装備で固めた彼は、兜の奥から眼前の敵を鋭く睨みつけた。

 

 

 

―――実体 フォローザのシオンが現界しました―――

 

 

 

そこには喜もなく、悦もない。今しがた身を挺して守った“喧嘩屋”とは対照的に、彼はただ冷静に状況を判断し、自らの敵となる者を打ち倒す。

 

シオンは槍衾(やりぶすま)の如く突き立てられた幾つもの切っ先を大盾で振り払う。そのまま素早い動作でそれを背負うと、代わりに新たな得物を―――『呪縛者の特大剣』を手に構えを取った。

 

半円を描くようにして身体を右へと回転。そして僅かな間を挟み、左下から突き上げるような大斬撃を解き放つ。

 

「―――シィッ!!」

 

気迫の声と共に叩き込まれた特大剣は、闇の騎士たちをまとめて斬り飛ばした。その身体に深い裂傷を負った彼らは血を噴出させ、この戦場に新たな血の雨を降らせる。

 

仲間の危機を救ったシオンは短く呼吸を整えながら背後を見やる。ひとまずの脅威は取り除いたが、今この瞬間にも徒手空拳で戦う彼は劣勢に追いやられているかも知れない。

 

そんな思いを抱きつつ、確認してみれば―――――。

 

「はっはァ!まだまだァ!!」

 

「………」

 

グリードは既にシオンから離れた場所で、好き勝手に暴れ回っていた。

 

「………まぁ、無事ならそれで良い」

 

あれほどの男ならば心配は無用。そう自らに言い聞かせ、シオンは気を取り直す。

 

呪縛者の大盾と特大剣を構え直した彼は、その重みを感じさせない速度で次なる戦場へと駆けていった。

 

 

 

 

 

敵陣の強行突破を敢行したファーナムであったが、流石にそれにも限度があった。半ばまで押し通す事が出来たものの、そこから先は敵の抵抗が一層激しくなったのだ。

 

最奥に控えるは『闇の王』。神殺しの旅団を束ねる、まさしく“王”がいるのだ。その反応は然るべきである。

 

「奴を殺せぇっ!!」

 

「“王”の元へ行かせるな!!」

 

息つく間もなく襲い来る髑髏の集団。

 

朽ちかけた外套から覗く白骨の仮面、その奥に潜む暗い眼窩。神々を殺し、それを阻む者全てを殺して来た彼らは、殺意を剥き出しにして剣を振りかざす。

 

「死ねっ、不死人!」

 

「っ!」

 

真横から飛んで来た殺意に、ファーナムは咄嗟にタワーシールドを構えた。敵の不意打ちを防ぎメイスを振るうも、すぐさま次の刺客がやって来る。

 

「ちぃっ!?」

 

舌打ちを落とした彼は重りとなるタワーシールドを放棄、そのまま姿勢を低くして戦場を駆け回った。極力身軽になって相手を撹乱(かくらん)させる為だ。

 

強引に突き進んできた歩みが止まってしまうが、幸い仲間である不死人たちはここまで到達しつつある。もうしばらくすれば乱戦状態となり、敵も自分を捕捉し難くなるだろう。

 

それまで持ち堪えられるかどうかが、命運を分ける鍵となる。

 

「……ああ、やってやるとも」

 

決意を口にし、自らのソウルより武器を取り出す。

 

左手には『パリングダガー』を。右手のメイスを消し去り、代わりに『エスパダ・ロペラ』を携えたファーナムは突如として進行方向を反転、背後にいた闇の騎士へと刺突を見舞った。

 

「カッ―――!」

 

喉を一突きにされた闇の騎士などには目もくれず、彼は新たな標的へと目を付ける。

 

胸の中心を狙った刺突は、ダークソードの腹で遮られた。しかし問題はない。こちらにはもう一つ、鋭い刃があるのだから。

 

「っあ゛!?」

 

エスパダ・ロペラによる一撃を防がれたファーナムは、相手の真横をすり抜ける形で通過し、その際に逆手に構えたパリングダガーを突き刺す。それも一度のみならず二度、三度と。

 

貫いた箇所はいずれも急所に当たる位置で、それがかつての旅の中で身に付いた技術である事は想像に難くない。死した後も動き続ける亡者たちを手際よく仕留める為に身に着けた戦術を以て、ファーナムは敵陣のど真ん中で孤軍奮闘の働きぶりを演じて見せた。

 

「殺せ、殺せっ!!」

 

「“王”の敵を排除しろ!!」

 

絶えず耳にする敵の声。誰も彼も『“王”の元へ行かせるな』と自らを、そして同胞たちを奮い立たせて向かって来ている。

 

数多の凶刃が降り降ろされる中でそれらを躱し、時には反撃を見舞いつつもファーナムは、とある疑問に思考を巡らせる―――――何がそこまでお前たちを駆り立てるのだ、と。

 

この騎士たちは『闇の王』の考えに賛同した不死人たちだ。

 

“火の時代”を延長させる手段として火継ぎという仕組みを作り、数え切れないほどの不死人たちを騙し続けて来たかつての神々。その不死人の一人である『闇の王』が抱いた彼らへの怒りは当然であると言える。

 

(その怒りが全ての神々を抹殺し、全ての世界に真の“人の時代”を到来させるという目的へと繋がった)

 

かつての悲劇は二度と繰り返させない。人の子らの為、神々を排除する。それだけ聞けば『闇の王』はまさしく救世主であり、英雄のような印象を受ける。

 

しかし。

 

(それは本当に、奴の本心なのか?)

 

開戦直前に交わした会話が蘇る。

 

その時、言葉の端々から感じられたのは神々への憎悪のみ。それ以外の感情を、ファーナムは見つける事が出来なかったのだ。

 

(俺にはどうも、奴の目的は……)

 

胸の内に消え残っていた疑問。その答えが導き出されようとしていた―――――その時。

 

「づッ!?」

 

脇腹を切り裂いた鋭利な感触が、彼の意識を再び戦場へと引き戻した。

 

今までどうにか攻撃を避けて来たものの、とうとう傷を負ってしまったのだ。敵のものではない己の血が宙を舞うのを視界の端に収めつつ、ファーナムは背後に感じる気配へと刺剣を突き出した。

 

手応えはない。どうやら躱されたようだが、それでも構わなかった。ひとまずは距離を取ろうとする、が―――。

 

「がぁあッ!!」

 

「ッ!」

 

敵の追撃がそれを許さない。先回りしたかの如く行く手を阻んだ闇の騎士は、ファーナムの頭を叩き割らんとダークソードを振り下ろす。

 

その斬撃を、咄嗟に構えた両手の得物で(しの)ぐ。ギャリッ!という嫌な金属音と共に目の前で凶刃は停止するも、攻撃の手は止まらない。

 

ギュォオオオ、と敵の左手に収束する暗い光。それを目にした瞬間、ファーナムは背骨に氷柱を突き刺されたかのような感覚に襲われる。

 

「―――――ッ!?」

 

これを喰らってはならないと、本能的に身体が動いた。受け止めていた刃を無理やり弾き飛ばした彼は敵の胴を蹴飛ばし、今度こそ距離を取る事に成功する。

 

ごろごろと地面を転がって移動し、即座に立ち上がり体勢を整える。身体を開くようにしし左右の刺剣の切っ先を突きつけながら、ファーナムはせわしなく周囲へと視線を飛ばした。

 

「はっ、はっ……はぁ……!」

 

切り裂かれた脇腹から一筋の血が流れ、脚を伝って地面へと吸い込まれる。深手という訳ではないが、次はそうもいかないだろう。

 

闇の騎士たちが四方を取り囲む中、ファーナムは自身の浅はかさを呪う。『闇の王』を討つ事に執着し過ぎた結果、一人敵陣深くへと潜り過ぎたのだ。

 

敵に囲まれる事は初めてではない。しかし今回の敵は亡者やデーモンではなく、不死人。危険度はそれらの比ではない。

 

(“吸精の業”……!)

 

いつか耳にした事がある、闇に堕ちた者たちが使うとされる秘術。詳しい事は不明だが、その危険性は今まさに感じ取った通りである。あれを喰らってしまえばどうなるか、想像するだに恐ろしい。

 

(どうする、どう切り抜ける……!?)

 

四方を囲まれたこの状況。

 

“吸精の業”を持つ闇の騎士たち。

 

快進撃から一転、窮地に追いやられたファーナムが必死に思考を巡らせる中、とうとう彼らの内の一人が走り出して―――。

 

 

 

―――ドッ!と。その足元に、一本の長槍が突き刺さった。

 

 

 

「!!」

 

突如として飛んできた銀の長槍。走り出した闇の騎士はもちろん周囲の同胞たち、そしてファーナムまでもが、研ぎ澄まされた一閃に驚愕を露わにする。

 

「今だ、やれっ!」

 

鋭い声が響き渡る。

 

バッ!とファーナムが振り返ってみれば、そこには宙を舞う一人の少女の姿が。美しい金の長髪をなびかせて現れた少女は、きつく引き結ばれた唇に言葉を乗せた。

 

「風よ―――」

 

途端に巻き起こる風。それは彼女が右手に握った剣へと収束し、高速で回転する暴風へと姿を変える。

 

やがてその身体は重力に従い、地面へと引き寄せられる。暴風(かぜ)を纏った剣の切っ先を着地点へと狙い定め、少女は……【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインは、抑え込まれた風を一気に解き放つ。

 

 

 

「―――【吹き荒れろ(テンペスト)】!!」

 

 

 

直後、地面に剣を突き立てたアイズを中心に、猛烈な気流が発生した。

 

「ぐぉぉぉおおおおおおおおおっ!?」

 

「か、風っ!?」

 

地面を大きく抉るほどの暴風(かぜ)に耐えられる者はおらず、周囲にいた闇の騎士たちは全て吹き飛ばされてしまう。ファーナムは彼女が目の前に着地したせいか、その風の影響はほとんど受ける事はなかった。

 

吹き止みつつある風に閉じていた瞳を開き、こちらを振り向いたアイズと目が合う。僅かな幼さを残した金眼の少女はその視線をファーナムの脇腹へと移すと、心配そうな眼差しで再び見上げてきた。

 

「ファーナムさん、傷は大丈夫ですか?」

 

「あ、ああ」

 

知ってはいたが、やはり間近で目にすると凄まじい魔法だ。気遣われた傷の事も忘れてそんな感想を抱いた彼の背に、新たな声がかけられる。

 

「やれやれ。一人で先走るなんて君らしくもない……いや、それとも君らしいのかな?」

 

「フィン……!」

 

タンッ、と軽やかに着地を決めて現れたのは【勇者(ブレイバー)】、フィン・ディムナであった。彼は地面に突き刺さった銀の長槍―――椿が鍛え上げた不壊属性(デュランダル)の武器《スピア・ローラン》を引き抜き、くるりと振り返る。

 

「不死人の戦いというのは凄まじいね。敵に回すと恐ろしいが、味方であればこれほど頼もしいものはない」

 

だが、とフィンは区切り、ファーナムを真っすぐに見つめる。

 

「彼らが今ここにいるのは、君が魔法を発動させたからに他ならない。そして魔法とは、行使したものが倒れてしまえば効果は失われてしまう……後は言わなくても分かるね?」

 

「む……」

 

フィンの言わんとしている事。それはつい先ほど呪った、彼自身の浅はかさを裏付けるものだった。

 

万が一―――そんな楽観的な確率ではないのだろうが―――ファーナムが倒れれば【ディア・ソウルズ】の効果は失われ、オラリオの神々は蹂躙され尽くしてしまう。彼が一人で突っ走るという行為は、今も命懸けで戦っている不死人たちの思いを無下にもしかねない危険な行為だったのだ。

 

ぐうの音も出ずに押し黙ってしまうファーナムにフィンは小さく苦笑を浮かべ、歩み寄る。

 

「これは君一人が背負い込む戦いじゃない、僕たち―――君も含めた【ロキ・ファミリア】の戦いでもあるんだ。だから、もっと僕らを頼ってくれ」

 

その言葉に、ハッと気付かされた。

 

確かな実力を備えてはいるが不死人ではない彼らを、心の何処かではこの戦いから遠ざけようとしていた。自分が早く『闇の王』を倒せば、それだけ彼らに降りかかる危険は回避出来るのだと―――酷い自惚れだ。

 

「……そうだな」

 

矮小な一不死人に過ぎない自分が抱いていた過ぎた考えを指摘され、改めて認識し直す。もう二度と間違える事のないように、彼らという存在を深く頭に刻み込む。

 

「すまなかった。フィン、アイズ……共に来てくれ」

 

「ああ」

 

「はい」

 

ファーナムの言葉にフィンは戦場には似つかわしくないにこやかな笑みを浮かべ、アイズもまた微笑みを零した。

 

が、直後にその顔つきは冒険者のそれへと変貌する。

 

金と銀の長槍を構えたフィン。愛剣《デスペレート》を薙いだアイズ。そして両手の得物を握り直し、鋭く前方を睨みつけるファーナム。

 

一人の不死人と二人の冒険者……否、【ロキ・ファミリア】所属の三人の冒険者は、立ちはだかる闇の騎士たちとの戦いに身を投じた。

 

 

 

 

 

戦闘を開始する前にフィンが下した指示は、極めて簡潔なものだった。

 

『椿と、レフィーヤを除いたサポーター勢は、出来るだけ主戦場から離れた場所で戦う事』

 

『残った者たちは二人一組で動く事』

 

この二つのみである。本来【ロキ・ファミリア】ではない椿と、Lv.4のラウルたちが戦闘に巻き込まれる危険性を極力排除すべく下したフィンの判断。それは間違ってはいなかった―――いなかったのだが。

 

「おっ、おおぉ、ぉぉおおおおおおおおっ!?」

 

夥しい数の不死人たちが手にしている得物の数々。剣に槍、斧に槌、鎌や刀に両刃剣、果ては巨大な生物の頭蓋骨などの良く分からない武器を目の当たりにした椿が、右眼を爛々と輝かせながら絶叫する。

 

「なんなのだこの者たちが扱う武器は!?魔剣、魔剣なのか!?あの火を噴く奇妙な槍も磁石のように引き合う珍妙な剣も全部が全部魔剣なのかーーーっ!!?」

 

「ちょっ、椿さん!?」

 

「み、皆っ、椿さんを捕まえて!?」

 

これがフィンの、誤算と言えば誤算だった。生粋の鍛冶師(スミス)である椿が、不死人たちが扱う数々の武器を目の当たりにすればどうなるか。

 

その可能性を考えていなかった訳ではない。しかし流石の彼女もこの状況であれば自重してくれるだろうと踏んだのだが、どうやら認識が甘かったようだ。今や彼女は、玩具を前にした子供のような興奮と無邪気さでいっぱいだった。

 

彼女の行動に肝を冷やしたのはラウルたちである。比較的攻撃の手が少ない後方にいるとは言え、あの髑髏の仮面を被った敵に見つかればどうなるか。武器を間近で見たいばかりに戦場へと走り出そうとしている椿に抱き着き、彼らは必死に止めようとしていた。

 

「椿さん、団長の言葉を忘れたっすか!?自分たちはここで戦うっていう指示だったじゃないっすか!!」

 

「しかしだなっ、あんなものを見せられては手前も辛抱堪らん!もう少し前へ出て観察、もとい戦闘を……!」

 

心の声が駄々洩れな椿をどうにか引き留めるラウルたち。しかし不運にも、戦場での場違いな押し問答の声を聞きつけた闇の騎士たちが彼らを捕捉してしまう。

 

「あれも“王”の敵だ!」

 

「始末しろっ!」

 

身に纏った骸骨の装束と同じ不吉な白色の剣を携えた何人かの騎士たちが、ラウルたち目掛けて突貫してくる。

 

主戦場から離れているが故に数はそれほど多くはないが、仲間である不死人たちの姿も少ない。自分たちでどうにかするしかない状況に立たされたラウルたちの顔が強張り、僅かに遅れて気が付いた椿が、腰の鞘に納められた太刀へと手を伸ばす。

 

「まず―――っ!?」

 

―――い。誰かがそう言いかけた、その時。

 

両者の間に、真横から乱入者が姿を現した。

 

「!?」

 

闇の騎士たちが瞠目するのが分かる。それは突如の乱入者へではなく、()()がその手にしている武器に対するものであった。

 

ラウルたちの前に現れたその女性は、腰を落とした姿勢で右手の大剣を真横に構える。それに呼応するかのように、刀身を青白い稲妻が包み込んだ。

 

「なっ……」

 

椿の右眼が極限まで見開かれる。

 

鍛冶師(スミス)であるが故に解る。あれは魔剣という言葉で片付くほど生易しいものではない、この直感に一番近いものを挙げるとするのであれば……それは、まさしく“月光”だ。

 

 

 

―――実体 月光剣の女不死レイが現界しました―――

 

 

 

「ハァアッ!!」

 

月光一閃。

 

真横に薙いだ大剣―――『月光の大剣』から発生した青い光波。それは魔力を伴った衝撃波となり、刀身に秘められた真の力を解放する。

 

「がぁッ!?」

 

鋭い光の斬撃は一直線に闇の騎士たちの元へと飛んでゆき、()()と同時に大きく爆ぜた。不運にも先頭に立っていた者は即死し、余波を受けたが踏みとどまった者も、その歩みを強制的に止められる。

 

そしてレイは、そんな隙を見逃さなかった。

 

振り終えた月光の大剣を即座に消し去り、次いで手にしたのは『魔術師の杖』。魔術の心得のある者であれば誰もが手にした事のあろう平凡な代物だが、一度(ひとたび)楔石によって強化されれば、並々ならない威力を秘めた触媒へと変貌を遂げる。

 

そんな杖を取り出したレイが解き放つは『ソウルの槍』。貫通性に優れたそれは固まっていた敵兵を巻き込み、瞬く間に沈黙させてしまった。今や敵の姿はない。あるのは小さなソウルの粒となって消えてゆく、彼らの亡骸のみだ。

 

目の前で起こった数秒間の、それも一方的な戦闘に、ラウルたちは呆然とする以外の行動を取れないでいる。自分たちとは余りにかけ離れた次元の戦い方に、時を忘れて固まってしまったのだ。

 

「えっと……大丈夫?」

 

そんな彼らの胸中など露知らず、その手に再び月光の大剣を携えたレイが歩み寄ってくる。

 

元は聖女が身に着けているような、しかし今や薄汚れている装束を纏った彼女は、固まったまま動かない彼らの顔を順番に見回す。そして最後に眼帯をした褐色の女性へと視線を移した……次の瞬間。

 

「ぉ――――ぉぉおおおおおおおおおおっっ!!!」

 

「へっ?」

 

レイ目掛けて―――正確には、その手に握られた月光の大剣を目掛けて―――飛び掛かる椿。Lv.5の身体能力を遺憾なく発揮した不意の行動はラウルたちを強引に振り払い、レイすらも反応する事が出来なかった。

 

どおっ!と地面に倒れ込む二人。見ようによっては危ないが、双方の表情からはそんな気配などは微塵も感じられない。

 

「こっ、こここの大剣はどうやって造ったのだ!誰が鍛え上げたのだ!?素材は、製法はっ!?ああいや言わんでくれっ!この輝きを目に焼き付けて、是非とも手前の力だけで再現したいっっ!!」

 

「ひっ……!」

 

ギラギラと怪しげに輝く椿の右眼に恐怖すら覚えてしまうレイ。しかし完全に自分の世界に入り込んでいる椿はそんな事などお構いなしに、押し倒した彼女が握る大剣を観察し続ける。

 

「ちょっ……ちょっと待って怖い怖い怖い。何なのこの人凄く怖いんですけどサイクロプスの方がまだマシって言うかちょっと誰かホントに助けてぇ!?」

 

今まで感じた事のない恐怖に慄くレイの声に、ようやくラウルたちも我に返った。こうしている内にまた狙われては堪ったものではないと、先ほど以上の必死さで椿を引き剥がそうと奮起する。

 

「斬撃を飛ばすという事は、やはり魔剣か!?しかしあれ程の威力の一撃を放ってもなお壊れないとは……!?」

 

「椿さん!本当にいい加減にしてくださいっす!?」

 

「早く……早くこの人どかして……!」

 

垂涎の表情を浮かべる椿に、彼女を連れ戻そうと躍起になるラウルたちに、怯えて固まる不死人(レイ)

 

何とも言えない奇妙な空気が広がる後方は、今の所はどうにか平気そうであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ダンジョン第59階層を灰の大地へと変えた『闇の王』は、この空間の端に位置する場所に立っていた。

 

彼が立っている場所は小高い丘のようになっており、戦場全体を見回すのには丁度良かった。遮るようなものは何一つなく、目を凝らせば戦っている者たちの顔さえも見える程だ。

 

その中でも、特に目を引く動きのある箇所が三つ……否、四つあった。

 

一つは戦場全体を真上から見て右側。灰色の髪と獣の耳を持った青年と、筋骨隆々の老戦士が、快進撃とも言える速度で敵陣を斬り進んでいる。

 

一つはその逆方向、左側。右側ほどではないが、それでも破竹の勢いでこちらへと迫って来る二人組の褐色の少女の姿。恐らくは双子であろうか。

 

一つは後方。一見すると目立たないように動いている様子だが、その足運びは敵軍の急所を探っているようにも見える。切れ長の目をした緑髪の女性と、彼女に付き従う少女の耳は細く長い。

 

そして、最後の一つ。戦場のど真ん中を行く三人組。

 

二槍を操る小柄な少年らしき者と、不可思議な風を纏った手練れの少女。そして―――。

 

「……あの不死人、か」

 

その二人と肩を並べて戦う、甲冑姿の大柄な男。彼は両手の武器を巧みに操り、時に武器を切り替えながら着々とこちらへと近付いていた。

 

「“王”よ。これは……」

 

「ああ……僅かに劣勢、だな」

 

『闇の王』の背後に控える五人組の黒ローブ姿の人物たち。その内の一人が口にした言葉に、彼は肯定を以て返答する。

 

その声に焦りの色はない。黒ローブ姿の人物たちも同様で、まるでそう言われる事を解っていたかのような態度を示している。

 

「我らは皆、志を同じくする者。故に兵団の真似事をしてはいるが、所詮は不死人の寄せ集め。個々人の能力が如何に秀でていようが、熟達した連携を取るのは容易ではない」

 

『闇の王』の指摘した事。それは彼ら“神殺しの旅団”の強みであり、同時に弱みでもあった。

 

闇の騎士たちはそれぞれが歴戦の不死人であり、単身でも十分な強さを持っている。今まで殺して来た神々の中にも兵団を持つ者はいたが、それらは大規模な闇の騎士たちの前では無力に等しかった。まるで荒波に飲み込まれる、海に浮かんだ小舟の如く。

 

強引な力押しでも勝ち続けてしまったが故、十分に育たなかった連携。それが自身たちと同等の規模と実力を有した者たちとの戦闘で裏目に出てしまった。無理に戦術紛いの事をしようにも、それが形になる前にどこかで崩されてしまう。

 

「………お前たち」

 

戦場を俯瞰していた『闇の王』の瞳が、彼らの方に向けられる。直後、五人は一糸乱れぬ動きで(こうべ)を垂れた。

 

「出番だ。この戦況を覆すのだ」

 

「はっ」

 

その命令に真っ先に反応した者がいた。ファーナムたちが24階層で邂逅した、あの黒ローブの男だった。

 

彼は仔細を聞く事もなく立ち上がり、一目散に戦場へと駆けて行ってしまった。その姿に、隣で膝をついていた男は舌打ちを零す。

 

「あいつめ、“王”の言葉がまだ……!」

 

「良い」

 

何かと敵視しがちな彼を諫めるように声を発する『闇の王』。流石にその言葉には何も言えず、彼は言いたい事をぐっと喉の奥へと押し込んだ。

 

その感情を酌んだのか、『闇の王』はまず最初に彼へと命令を下す。

 

「お前は右側の二人をやれ。奴らの歩みを止めよ」

 

「っ……ハッ!」

 

ザッ!と一際深く首を垂れた黒ローブの男は、力強い返答を残してその場を後にした。

 

後に残された三人は『闇の王』が見せた配慮に思わず口角が緩みかけるも、即座に気を引き締め直す。

 

「お前は左側の二人を、お前は後方の二人を仕留めろ。お前は部隊の後方から援護を」

 

「「「 はっ 」」」

 

三人はそれぞれが受けた命令を遂行すべく動き出す。

 

その手に大剣を、杖を、火を装備した彼らは、戦う上では邪魔となった黒ローブを脱ぎ捨て戦場へと向かう。

 

その背を見送りながら、『闇の王』は騎士の形をした兜の奥で、一人呟きを漏らした。

 

 

 

 

 

「ジークリンデ、グリッグス、ラレンティウス……行け」

 

 

 

 

 

我らの敵を、鏖殺せよ。

 

 




~今回登場した不死人~


牢獄の喧嘩屋グリード クロハム・エーカー様

フォローザのシオン 紅の堕天使様

月光剣の女不死レイ ゆめぴー様


以上の皆さまです。本当にありがとうございました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十五話 五人の臣下

遅れてしまい、申し訳ありません。年末が近づいて何かと忙しく……エタりはしませんので、その点はご心配なく。

また、感想を下さった皆様にも必ずご返信させていただきます。感想がモチベにも繋がりますので、今後も宜しくお願い致します。

それでは、どうぞ。


現在【ロキ・ファミリア】の上級冒険者たち―――魔力『特化(ごくぶり)』と評されるレフィーヤを含む―――は、四つに分かれて行動していた。敵軍最奥にいる『闇の王』から見て右側にはガレスとベート、左側にはティオネとティオナが、中央はフィンとアイズ、そしてファーナムが、それぞれ一組となって戦場を駆けている。

 

そして、そんな彼らから一際離れた場所……後方にはリヴェリアとレフィーヤがいた。

 

「呼吸が浅いぞ。身体を強張らせるな」

 

「リヴェリア様……っ!」

 

戦場に点在する岩陰に身をひそめたリヴェリアは、傍らに立つレフィーヤへ気を配りつつも、戦場全体の流れを見極めていた。

 

衝突当初はまだはっきりと両軍が分かれていたが、時間が経つにつれて混戦の様相を呈している。このままでは、今自分たちがいる場所へ敵がなだれ込んでくるのも、時間の問題だ。

 

しかし、簡単にそうはさせない。

 

その為に二人はここにいるのだ。

 

「レフィーヤ、詠唱を」

 

「は、はいっ!」

 

リヴェリアに促され、レフィーヤは詠唱を始める。

 

彼女の攻撃魔法の威力はリヴェリアのそれと比べると劣るが、その分詠唱にかかる時間も短い。魔法という攻撃手段以外をほぼ持たない魔導士にとって、どれだけ早く詠唱できるかが、勝敗を分ける鍵と言ってもいい。

 

彼女自身それを強く自覚していたし、今回の『遠征』に向けて並行詠唱までも覚えた。もはや通常の詠唱にかかる時間は、以前よりも格段に短くなっていた。

 

「―――【誇り高き戦士よ、森の射手隊よ。押し寄せる略奪者を前に弓を取れ。同胞の声に応え、矢を番えよ】!」

 

加えてレフィーヤの持つ魔力量は桁外れ。魔法に乗せる精神力(マインド)を多くつぎ込めばつぎ込む程、攻撃の威力も増すのだ。

 

「【帯びよ炎、森の灯火(ともしび)。撃ち放て、妖精の火矢】!」

 

足元に展開した魔法円(マジックサークル)から湧き上がる山吹色の光。それは次第に輝きを増してゆき、遂に最高潮に達する。

 

「【雨の如く降りそそぎ、蛮族どもを焼き払え】!」

 

最後の詠唱を終えたレフィーヤが岩陰から飛び出し、自身の杖《森のティアードロップ》を構えた。

 

「誰だッ!」

 

「!?」

 

異変を察知した闇の騎士の一人がこちらを振り向く。その不気味な白骨の仮面に気圧されそうになるが、背後から肩に添えられたリヴェリアの手がそれを阻止する。

 

「リヴェリア様……っ」

 

「安心しろ、私が付いている」

 

「ッ……は、いっ!」

 

偉大な師の教えを心に蘇らせ、レフィーヤは眦を裂いて敵を睨みつけた。

 

狙うべき地点はハッキリしている。ファーナムが呼び出した不死人たちと交戦中の、闇の騎士たちが密集している場所だ。

 

「―――【ヒュゼレイド・ファラーリカ】!!」

 

直後、数え切れないほどの炎弾が召喚され、敵陣へと殺到した。

 

それはまさしく火の雨。遥か頭上から降り注ぐ広範囲魔法に、闇の騎士たちは防御を余儀なくされる。

 

「ぐぅッ!?」

 

「ぎゃぁあああああっ!!」

 

悲鳴と絶叫が木霊する。

 

これが二人の担っている役割であった。敵兵がこちらになだれ込んでくる事を事前に阻止するため、均衡が崩れかけている場所へと魔法を放ち援護する。この働きによって、自軍深くまで潜り込んでくる敵の数は最小限に留められていた。

 

また、二人を囲うように常時展開されている翡翠の魔法円(マジックサークル)……リヴェリアの特殊技能(レアスキル)妖精王印(アールヴ・レギナ)の効果により行使した『魔法』の残滓は吸収され、円内にいる同族(エルフ)へと幾らかは『還元』される。

 

魔導士であれば喉から手が出るほど欲しいこの力で、精神力(マインド)の消費速度は極限まで抑えられている。並行詠唱を修めたレフィーヤからしてみれば、これ以上ないほどに自身の力を発揮できる場が整っているのだ。

 

しかし、魔法を行使した張本人の顔色は優れない。呼吸は浅く、杖を握る両手は力むあまりに真っ白になり、両足は震えている。

 

理由は明白。それはこの戦場が、いつもの見慣れたものではないからだ。

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!!」

 

不死人とはいえ言葉が通じる敵。斬られれば赤い血を流し、死する直前には断末魔の叫びを上げる。その声はどれ一つとして同じものはなく、それがモンスターとの明確な違いだった。

 

(やはりこの子には、まだ荷が重すぎたか?)

 

そんな彼女を後ろから支えるリヴェリアもまた、苦しそうな表情を浮かべていた。

 

レフィーヤはまだLv.3。同レベル帯の冒険者と比べれば経験豊富なものの、これほどの大規模な戦闘に加わるとなれば話は別だ。リヴェリアは、この時ばかりは自身の持つ攻撃魔法……膨大な精神力(マインド)と引き換えの広域殲滅魔法しか持っていない事が、恨めしく思えてしまう。

 

「……レフィーヤ」

 

その特性ゆえ、気軽に魔法を行使できない。狙撃する地点を指示し、心折れぬように支えてやる。それしか出来ない自分に下唇を噛みながらも、彼女は心を鬼にして彼女に語りかけようとした―――――が。

 

「大丈夫、です……っ!」

 

リヴェリアの言葉を遮り、レフィーヤは小さく、しかし力強く言い切った。

 

【ロキ・ファミリア】の一員として、リヴェリアの後任として期待をされている身。オラリオ暗黒期を終結させた偉大な先達たちの背に追いつかんと、彼女もまた努力を積み重ねてきたのだ。

 

こんな所で怖気づいてなどいられない。エルフの少女は自らを鼓舞し、身体を支配しかけていた恐怖を渾身の力でねじ伏せる。

 

「私だって、やれます!」

 

「……そうか」

 

レフィーヤの強い言葉にリヴェリアは神妙な顔つきで頷き、肩に置いていた手を離す。そして思考を切り替え、次なる戦いの場を模索し始めた。

 

「では次はあちらの方へ行く。頼りにしているぞ、レフィーヤ」

 

「はいっ!」

 

二人は再び岩影へと身を潜め、目立たないよう細心の注意を払いつつ移動を開始する。

 

愛弟子が見せた成長に僅かに頬を緩ませるリヴェリア。その心には、もう一切の不安が消えていた。

 

 

 

 

 

離れた場所にいても分かる程の轟音。数多の火の雨が敵軍に降り注ぐ光景を、ベートは疾走しながら一瞥した。

 

「あの魔法はレフィーヤかのう」

 

「見りゃ分かるだろうが。あんな馬鹿魔力を持ってる奴がそうそういて堪るか」

 

並走するガレスへとぶっきらぼうに返答するベート。返ってきた予想外の言葉にガレスは片眉を上げ、少しばかり驚いた様子でその横顔に目をやった。

 

「意外じゃのう。お主がレフィーヤを認めるとは」

 

耄碌(もうろく)したか、ジジイ」

 

ハッ、と鼻を鳴らしたベートは、振り向く事もなく口を開く。

 

「あいつは雑魚だが腰抜けじゃねぇ。でなけりゃあ、こんな所まで来るかよ」

 

「……ほほぅ」

 

その言葉にガレスはにやりと笑う。

 

入団当初から全く変わっていない狼人(ウェアウルフ)の青年が持つ信条。他者には害悪としか思われない、思われても仕方がない態度を貫き通しているベートが垣間見せた、レフィーヤへの評価。

 

見るべきところはしっかりと見ておる、とガレスは胸中で小さく呟き、この若き冒険者もまた確かに成長しているのだという確信を得た。

 

「若造が。言うようになったではないか」

 

「うるせぇ。それより……また来るぞ」

 

ガレスの軽口を一蹴したベートが顎で前方を指し示す。そこには髑髏の装束を纏った集団、『闇の王』に仕える騎士たちが、徒党を組んで接近していた。

 

「あいつらだっ!」

 

「“王”の敵だ!!」

 

「殺せぇッ!!」

 

その数、およそ十。土埃をあげながら、二人を物量で圧し潰そうと殺意を滾らせている。

 

「全く、いくら倒してもキリがないのう」

 

「泣き言か?ンな事言う位ならその辺で勝手にくたばってろ」

 

ふぅ、と嘆息するガレスを尻目に、ベートは腰のホルスターから一振りの短剣を抜き放った。彼は腰を大きく撓め、そして―――

 

「俺がやる」

 

ダンッ!と、大きく跳躍した。

 

上空から闇の騎士たちを眼下に収めつつ、手中の短剣……緋色の刀身を持つ魔剣をくるりと逆手に構え、その切っ先を右足のメタルブーツ《フロスヴィルト》に据えられた黄玉へと、突き立てるようにして()てがう。

 

刀身からは急速に色が失われ、遂には砕け散ってしまう魔剣。しかしその魔力は、新たな武器へと引き継がれた。黄玉は緋色に変わり、伴ってベートの右足全体を紅蓮の炎が包み込む。

 

「上だっ!!」

 

敵の一人がそう叫んだ。上空からの襲撃に対し、彼らはダークソードの切っ先を掲げて迎え撃つ構えを見せる。

 

しかし、ベートにとってそんな事は関係ない。

 

()えた狼の目には、獲物の姿しか捉えていないのだから。

 

「―――燃えちまえぇぇぇえええええええええええええッッ!!!」

 

ともすれば闇の騎士たち以上の殺意と共に、渾身の蹴撃を繰り出す。

 

集団のど真ん中目掛けて落下したベートは直前で身体を捻り、爆発的に加速。鞭のように鋭い蹴りを、一人が掲げる剣の切っ先へと叩き込む。

 

瞬間、刀身は熔解。抑え込まれていた魔力が爆発し、膨大な熱量の炎が闇の騎士たちに襲い掛かった。

 

「ぎゃッ―――!?」

 

予想外の大爆発に飲み込まれ、数名の騎士たちが灰塵に帰す。焼死を免れた者たちもいたが、衝撃によって散り散りに吹き飛ばされてしまう。

 

そこへ、間髪入れずにガレスの追撃が迫る。

 

「ぬぅんっ!!」

 

「げェ―――ッ!?」

 

彼のいる方へと飛ばされてきた闇の騎士の一人は、その剛拳をまともに食らってしまう事となった。打ち抜かれた箇所がぐしゃぐしゃに潰れ、鎧と身体が一体となった肉塊へと姿を変える。

 

ガレスは止まらない。ドワーフらしい低く武骨な体躯と、それに見合わぬ速度で敵へと接近し、態勢を整え直す隙さえ与えずに拳を振るい続けた。

 

徒党を組んでいた敵兵も残すところあと僅か。しかし倒れていた闇の騎士の頭を拳で粉砕したところで、彼の耳はこちらへ接近する者の存在を捉える。

 

即座に反応し、ガレスは背に仕舞っていた大戦斧《グランドアックス》を振り向きざまに見舞った。片手であるというのにその威力は凄まじく、闇の騎士は手中のダークソードを遠くに弾き飛ばされてしまう。

 

「ぐっ……まだだ!」

 

「ッ!」

 

得物を失ったかに思われたが、まだ奥の手が残っている。それは左手に備えたダークハンド、悍ましき“吸精の業”だ。

 

熟練のダークレイスであれば一度の吸精で、生者を亡者に変えてしまう程の力を秘めた秘術。不死人でもない者が喰らってしまえばどうなるか、火を見るよりも明らかである。

 

しかし―――それも飽くまで“喰らってしまえば”の話だが。

 

「!?」

 

ガシッ、と闇の騎士の左手に強い圧迫感が生じた。“吸精の業”を発動させようとしていたその手を、ガレスの巨大な手が鷲掴みにしたのだ。

 

どれほど恐ろしい攻撃でも、発動する前に押さえてしまえば問題はない。熟練の冒険者らしい判断と、危険に自ら飛び込む度胸を見せつけたガレスは口の端を吊り上げ、告げる。

 

「お粗末じゃのう……こういうのはもっと早く準備しておくものだ」

 

「ぎっ!?」

 

言い終わると同時に、左手を握り潰す。

 

痛みに硬直してしまった闇の騎士。その腹を蹴りつけ強引に地面へと倒したガレスは、逃がさぬように片足で踏みつけた。

 

そして。

 

「ふんッッ!!」

 

大戦斧を力いっぱいに振り下ろす。

 

その威力たるや、凄まじいの一言に尽きる。闇の騎士の身体は両断され、その下にある地面すらも割ってしまった重厚な刃。ガレスは地面に埋まった己の武器を強引に引き抜くと、少し離れた場所に立っていたベートへと目をやった。

 

「ふぅ。危ないところじゃったわい」

 

「どこがだっつうの」

 

ベートから半眼の眼差しを受けつつ、ガレスは大戦斧を肩に担ぎ直す。

 

あっという間に敵兵たちを倒してのけた二人であったが、それも魔剣を使ったベートの蹴撃と、それにガレスが合わせたからこその芸当。そう何度も連続して出来る戦い方ではない。

 

それを理解している二人は、先程の大爆発を聞きつけてやって来た新たな敵兵たちを睨みつけながら、再び剣呑な雰囲気を纏う。

 

「さて。気を引き締め直していくぞ、ベート」

 

「言われるまでもねぇ……ブッ殺してやる」

 

不敵に笑う老兵と、殺気立つ餓狼。

 

立ちはだかる者全てを叩き潰し、喰らい尽くさんとする二人の冒険者は、新たな敵の元へと駆けていった。

 

 

 

 

 

「うわっ、何!?すっごい音!」

 

「あれは……あのクソ狼かしら」

 

そんなガレスとベートが戦っている場所とは反対の方向に、ティオネとティオナはいた。

 

二人はそれぞれの持つ得物を―――ティオネは椿が作成した不壊金属(デュランダル)斧槍(ハルバード)を、ティオナは本来の武装である《大双刃(ウルガ)》を―――存分に振り回し、戦場を斬り進む。

 

「って事は、ベート魔剣使ったの?うわ、派手ー」

 

「出し惜しみはなしって事でしょ。まぁこんな状況じゃ、そんな事言える訳ないわよね」

 

世間話のように軽い調子の会話だが、彼女たちの胸の内には確かな対抗心が広がっていた。

 

何かと仲の悪く、口を開けば喧嘩となる狼人の青年。そんないけ好かない仲間が暴れ回っている姿を見せつけられた二人は、それに負けじと躍起になる。

 

「私たちも負けてられないわよ、ティオナ!」

 

「うんっ!」

 

元気よく答えたティオナの身体が加速する。

 

並んで走っていたティオネを追い越し、迫り来る敵へと突貫する彼女は、満面の笑顔を浮かべながら自慢の得物を振り上げる。

 

「ベートなんかにっ、負けないもんねー!」

 

明るい少女の声と共に振るわれた一撃は、闇の騎士たちの想像を絶する破壊力を秘めていた。

 

扱いが難しそうな武器であると言うのに、ティオナはそれを己の手足のように操る。独特の体捌きで繰り出される連撃は、まるで吹き荒れる嵐の如くである。

 

「ぐうっ!?」

 

加えて大双刃(ウルガ)は凄まじく重い武器だ。そんな代物と打ち合ったダークソードは闇の騎士たちの手から弾かれ、或いは押し負けてしまう。その隙を突き、ティオナは更なる斬撃を見舞っていった。

 

宙を舞う血飛沫。

 

止まってしまう歩み。

 

そんな闇の騎士たちへ―――斧槍(ハルバード)による追撃が襲い掛かる。

 

「フッ!」

 

「がっ!?」

 

ティオナが仕留めきれなかった者たちを、後続のティオネは見逃さない。断頭刃(ギロチン)を彷彿とさせる巨大な刃、あるいは鋭い柄頭による一撃が、彼らにとどめを刺してゆく。

 

「ティオネ、やるぅ!」

 

「うっさい!討ち漏らしを私に押し付けるな!」

 

おどけた調子で先を走る妹と、怒りながらも後を追う姉。もはやこの場は二人の独壇場であった。

 

双子のアマゾネスは持ち前の身体能力を遺憾なく発揮し、闇の騎士たちの攻撃を寄せ付けない。それどころか、仲間であるはずの不死人たちでさえもが、その勢いに慄いている有様だ。

 

「ッ、舐めるなァ!!」

 

が、骨のある者もいた。

 

ティオナの斬撃をどうにか凌ぎ切った者が、後方のティオネに斬りかかる。彼女は別の騎士にとどめを刺したばかりだったのか、斧槍(ハルバード)を振り抜いた格好だ。

 

その武器の特性ゆえ、懐に入り込まれると途端に不利になる。事実二人の距離は1Mもなく、どう振るっても斧槍(ハルバード)の刃は当たらない。出来る事と言えば、顔の前で構えて防御が精々か。

 

しかし、闇の騎士は仮面の奥で瞠目する事となる。

 

なんとティオネは、手中にある武器をあっさりと手放したのだ。

 

「!?」

 

「“舐めるな”ですって?」

 

予想外の行動に動揺する相手を、ティオネは冷ややかに睨みつける。

 

そして自由になった両手を背後に回し―――腰に収めていた一対の湾短刀(ククリナイフ)、《ゾルアス》を抜き放った。

 

「それはこっちの台詞よ―――舐めんじゃねぇ」

 

振り下ろされたダークソードを右の刃で受け止め、同時に左の刃を閃かせる。それは寸分違わず相手の喉元を切り裂き、新たな鮮血を戦場に振り撒いた。

 

糸が切れたかのように崩れ落ちるその姿には目もくれず、ティオネは両脚に力を込める。

 

それがどれほどの強さだったのかは抉れた地面が証明している。そして……彼女が抱えていた鬱憤が、一体どれほどのものだったのかという事も。

 

割り砕いた欠片が再び地面に落ちる頃には、彼女はすでにティオナの隣に迫っていた。

 

「わっ!い、いきなりどうしたの!?」

 

「もう我慢できないわっ、今度は私が前に出る!」

 

「ちょっ!?押さないでよ、危ないじゃん!?」

 

「うるせぇ!さっさと引っ込め、馬鹿ティオナ!!」

 

「馬鹿ってなにさーーーっ!?」

 

ぎゃあぎゃあと、喧しく口喧嘩を始めるティオネとティオナ。

 

そんな中であっても戦闘に支障はなく、むしろ苛烈さを増してゆく。

 

まだまだ立ちはだかる闇の騎士たちに少しも怯む事なく、二人は進撃し続けるのであった。

 

 

 

 

 

そしてファーナム、フィン、アイズの三人は、一丸となって戦場のど真ん中を征く。

 

アイズを先頭に置き、その後ろをファーナムとフィンが追うような形で敵陣を斬り進む彼らの戦力は計り知れない。

 

『風』を纏ったアイズの剣は闇の騎士たちをなぎ倒し、突破口を見出す。それがどれほど小さなものだったとしても、彼女の後ろに控えた二人は己が得物を振るい、強引に道を切り開いていった。

 

「フィン、そろそろ『風』が……っ!」

 

「頃合いか」

 

しかし、いつまでもそうはいかない。アイズの『風』が魔力で生み出しているものである以上、どこかでそれを整え直す必要が出てくるのだ。

 

現在展開している『風』の状態が怪しくなってきた事を知らされたフィンは、次なる指示を口にする。

 

「アイズ、一旦下がれ。ファーナム、僕らで上がるよ」

 

「ああ!」

 

言うが早いが、アイズを挟む形でファーナムとフィンが先頭に飛び出した。『風』の圧力が消えた途端に現れた二振りの長槍、そして鋭い刺剣の猛攻に、闇の騎士たちが浮足立つ。

 

「カッ―――!?」

 

「ぎゃあっ!?」

 

小柄な体躯からは想像もつかない程に力強い槍捌きで敵を圧倒するフィン。両の手に握られた金と銀の長槍は正確に相手の急所を突き、そこに無駄な動作は一切ない。

 

ファーナムは右手のエスパダ・ロペラ、そして新たに取り出した『エストック』を左手に携え、見事な二刀流を披露する。残像を残すのみの刺突が次々に放たれ、次の瞬間には新たな骸が地面に転がる。

 

「フィン、準備ができた!」

 

「待て、アイズ!まだだ!」

 

そんな戦闘の最中であっても、フィンは思考する事を放棄しない。魔力を練り直し、『風』を纏い直したアイズが再び前に出ようとしたところを、彼の声が制止させた。

 

その碧眼を細め、戦況を見極める。最も効果的にアイズの『風』をぶつけ、敵に大きなダメージを与える事ができるその瞬間を。

 

二槍が、二刀が閃く。

 

何人もの闇の騎士が倒れ、その後ろから新たな騎士がやって来る。

 

まだ、まだだ。もっと引き付けろ。

 

もっと、もっと、もっと―――――今!

 

「アイズッ!」

 

フィンが吠えると同時に、金の長髪が躍り出た。

 

切っ先を前方に向け、突きの構えを取るアイズ。全身に纏っていた『風』を愛剣デスペレートの刀身に収束させて放たれるその威力は、ただの剣による一撃を遥かに上回る。

 

「ッ、止ま―――――!!」

 

瞬時に気が付いた者がいるも、遅い。後続の同胞たちに危険を知らせるべく声を上げようとした時には、すでに彼女の口は動いていたのだから。

 

「【吹き荒れろ(テンペスト)】!!」

 

姿を現した、この日二度目の暴風。それは前方にいた大勢の騎士たちを吹き飛ばした。

 

三人の視界に残った者の数は今や僅かであり、いよいよ目指すべき場所……『闇の王』が控えている最奥へと道が見えてくる。

 

「いよいよか」

 

「そうだね……アイズ、まだいけそうかい?」

 

「うん……大丈夫」

 

歩みを止める事なく、三人は言葉を交わし合う。

 

『闇の王』との戦闘は、間違いなく激しいものとなるだろう。しかし、そのような苦難、困難は今までに何度も経験した事のあるもの。今更になって怖気づくなどあり得ず、むしろ闘気すら湧いてくるほどだ。

 

中でもファーナムは、特に。

 

自分と同じ不死人が、オラリオに住まう神々を殺そうとしている。そんな真似は絶対にさせてなるものかと、武器を握る両手に力が込められる。

 

そうした決意を込め―――彼は静かに呟いた。

 

「―――行くぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

優勢かに見えた【ロキ・ファミリア】と不死人たちによる連合軍。

 

事実、【ロキ・ファミリア(彼ら)】は強かった。闇の騎士たちが知らない武器と戦い方を駆使し、敵陣深くまで破竹の勢いで突き進んでいる。

 

しかし、彼らは遂に出会う事となる。

 

『闇の王』に付き従う臣下たち―――――五人の不死人と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なっ、なぁ……!?」

 

後方にいた椿とラウルたち、そして今も移動を続けていたリヴェリアとレフィーヤが、弾かれたかのように顔を上げた。その視線は皆同じ方向を向いている。

 

彼らの瞳に映るもの。

 

それは次々にこちらへと放たれる、巨大な火の玉だった。

 

「はぁ……やるせねぇな」

 

それを投げつけた張本人―――ボロ布で出来た衣服に身を包んだ呪術師ラレンティウスは、どこか寂し気にポツリと呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

悲鳴が、絶叫が木霊していた。

 

発生源はファーナムの招集に応えた不死人たちからであり、彼らは次々に『ソウルの矢』によって斃れる。

 

「ラレンティウス……流石に派手だな、君の呪術は」

 

何人もの闇の騎士を供回りに戦場を歩く魔術師グリッグスは、強い魔力を発する後方を目指す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……止まれ、ベート!」

 

「あァ!?」

 

自分より僅かに後ろをついていたガレスの制止に、ベートは顔の刺青を歪める。

 

ザザッ!と地を削り、歩みを止める二人。その前方には一人、黒ローブを纏った男が立っていた。

 

「俺の相手はお前らか」

 

そう言って男はおもむろに、身に着けているローブへと手を伸ばすと―――勢いよく、それを脱ぎ去った。

 

明らかとなる男の全貌。

 

最低限の守りと動きやすさを重視した青のチェインメイル。兜はつけておらず、両手には何の変哲もないロングソードと、凹みが目立つヒーターシールドが握られている。

 

「これも“王”の為……死んでもらうぜ」

 

ゆるりとロングソードの切っ先を向け、かつて心折れた戦士は、そう言い放った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほど……私は貴女たちと、ですか」

 

四方を敵に囲まれた状況の中、闇の騎士たちの集団を割って現れたのは、特徴的な鎧に意を包んだ少女であった。

 

「……なによ、コレ?」

 

「タマネギ?」

 

全身に施された凸曲面は、見ようによってはそうとも取れる。これは高い技術力を以て造られたこの鎧に対する侮辱的な言葉であるのだが、当の本人はどこ吹く風と言った様子だ。

 

「……構いませんよ。どのような感想を抱こうが、貴女たちの勝手です。そして、貴女たちが“王”の歩みを邪魔する事も」

 

名誉あるカタリナ騎士の鎧に身を包んだ不死の少女ジークリンデは、背にした大剣に手をかけ、こう言った。

 

「邪魔するのであれば―――排除するだけです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして。

 

「………ッ!」

 

ファーナム、フィン、アイズの歩みが止まる。

 

彼らの視線の先にいるのは、黒ローブの男。ファーナムとアイズが24階層で出会った、オラリオでは“謎の冒険者”とも呼ばれていた人物だ。

 

男はローブを纏ったまま剣を抜き放つ。三人を前にして少しも気圧される事無く、男はただ静かに立っているだけ。闇の騎士たちとは違い、殺気など少しも感じられない。

 

その違和感に―――或いは強者の風格に、三人はごくりと唾を飲む。

 

「構えろ」

 

そう口にした男の剣は、鈍い輝きを宿していた。

 

 




今回は【ロキ・ファミリア】回という事で、他の不死人たちは出しませんでした。すみません。

次回からまた登場させたいと思いますので、宜しくお願い致します。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十六話 それぞれの意志

遅くなりまして申し訳ありません。

まだしばらく忙しい時期が続くので、次回の更新がいつごろかは未定となっております。

今話は話の都合上、区切りが良いところまで書きましたので、いつもより少し短めです。また、ご応募いただいた不死人たちも今回は出せませんでした。次回からまた登場させたいと思いますので、ご了承ください。


ファーナムたちがいる場所から離れた戦場では、依然として激しい戦闘が繰り広げられている。両軍が激突した当初はほぼ互角の戦いぶりであったが、それにも変化が生じていた。

 

一番の原因は、やはり装備の違いであろう。

 

『闇の王』が率いる騎士たちは皆同じ鎧と剣を手にしており、それ故に自ずと攻撃手段は絞られる。一方でファーナムの呼びかけに応じた不死人たちの得物は多種多様。そういった要因もあり、戦況は不死人たちの優勢に傾いていた。

 

そう。

 

『闇の王』に付き従う、五人の臣下が戦場に姿を現すまでは。

 

「これは……っ!?」

 

何人目になるかも分からない闇の騎士を切り伏せたルカティエルの双眸が、驚愕によって見開かれる。

 

その視線は戦場の真っ只中であるというのに、遥か頭上に釘付けになっていた。他の多くの不死人たち、そして闇の騎士たちもこの瞬間だけは時を止め、同じ光景を瞳に映している。

 

 

 

即ち―――不死人たちへと次々に降り注ぐ巨大な火の玉が作り出す、凶悪な流星群の姿を。

 

 

 

「ぐあああぁぁぁぁあああああああああああああっっ!?」

 

着弾し、まさしく火の海となる灰の大地。付近にいた不死人たちは逃げる間もなく炎に飲み込まれ、悲鳴と共に火達磨と化してゆく。

 

巨大な火の玉の正体、それは呪術『大火球』であった。しかし本来の威力を逸脱した爆発と熱量は、もはや災害と言って良い規模のものだ。

 

そしてその()()は、正確に不死人たちだけを狙っていた。

 

「ラレンティウス殿だ!」

 

「ラレンティウス殿の呪術だ!!」

 

偉大なる五人の臣下―――『闇の王』がそうなる以前より親しい仲であったとされる不死人たち。その中でも呪術を得意とする者の助力により、闇の騎士たちは再び戦意を昂らせる。

 

「死ねェ!!」

 

「くっ!?」

 

ダークソードの重たい斬撃がルカティエルへと振り下ろされるも即座に反応し、盾を構えてこれを防ぐ。これしきで怯む彼女ではないが、その胸の内は焦燥感に苛まれていた。

 

優勢に進めると踏んでいた戦況が、闇の騎士たちが口にした『ラレンティウス』と呼ばれる者の呪術によって覆されようとしている。事実、こうしている間にも不死人たちは大火球の餌食となり一人、また一人と倒れ、ソウルへと還っている。

 

そして遂に、決定的な瞬間が訪れた。

 

「不味いぞ、『穴』が開いたっ!!」

 

不死人たちの内の誰かがそう叫んだ。

 

ルカティエルが横目で確認すると、そこには確かに『穴』が開いていた。降り注ぐ大火球により不死人たちの間に混乱が生じ、そこを目掛けて闇の騎士たちが次々と雪崩れ込んでくる。

 

「ぐあッ!!」

 

「ぎゃあっ!?」

 

炎に飲まれながらもまだ息のあった不死人たちも、闇の騎士たちの凶刃によってとどめを刺されてゆく。今や戦況は完全に一変し、窮地に陥っているのは不死人たちの方であった。

 

「くッ……ぁあ!!」

 

ルカティエルは目の前の騎士を蹴り飛ばすと、踵を返し後方へと走り出す。

 

「後退だ!全員、後退しろ!!」

 

多くの敵兵に侵入されてしまったが、今から追えばまだ立て直せるかも知れない。前線が崩壊した以上、これより前に進むのは得策ではないと踏んだのだ。

 

ミラの正統騎士団出身の彼女の言葉に意を唱える者は居らず、襲い掛かる闇の騎士たちの攻撃を防ぎながらも、周囲の不死人たちも後退を始めた。

 

「諦めないぞ……諦めて堪るものか!!」

 

彼女の脳裏に浮かぶのは一人の友の姿。呪いに屈しそうになっていた自分を再起させてくれた友への恩を返す為、彼女は燃え盛る戦場を一心不乱に駆けてゆく。

 

ただひらすらに―――友の為に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

右手にはロングソードを、左手には双蛇が描かれた盾を。

 

冒険者というよりは戦士や騎士といった者たちが好むような、そんな取り合わせの武器を手にした黒ローブの男は、ただ静かに立ったまま三人を見据える。

 

やがて周囲に闇の騎士たちが集まり始めた。先程アイズが放った『風』に吹き飛ばされた者たちだ。彼らは黒ローブの男と共に、ファーナムたちを一斉に仕留めるべく動こうとしたのだが―――。

 

「良い。ここは俺が受け持つ」

 

―――他ならぬ、この男によってそれは阻止されてしまった。

 

「っ、しかし!」

 

「この者たちは俺一人で十分だ。貴公たちは他の不死人たちの相手をしろ」

 

「……分かりました」

 

有無を言わせぬ男の言葉に、彼らは渋々といった様子で頷く。集まりかけていた闇の騎士たちは標的を変え、不死人たち(王の敵)がいる戦場へと向かっていった。

 

残った人影は四つ。ファーナムたちは肩を並べ、立ちはだかる男へと鋭い視線を注ぎ続けている。三対一だからといって油断はしない。どれほどの実力をもっているか不明である現状、その一挙手一投足を見逃すまいと緊張の糸を張り詰めさせる。

 

……が。

 

「では始めるか……と、言いたいところだが」

 

その緊張を僅かに緩めたのは、あろうことか男の方であった。

 

フィンの眉が怪訝そうに動く。状況はすでに戦争という規模にまで発展しているにも拘らず、即座に戦闘開始としなかった男の意図が読めなかったからだ。

 

そんな考えなどお構いなしに、男は続ける。

 

「その前に一つ、質問をしたい」

 

「質問だって?」

 

「時間は取らせない。そしてその相手は貴公ではなく、彼だ」

 

そう口にした男の視線はまっすぐに一人の人物……ファーナムへと注がれていた。

 

その何とも言えない迫力に、三人はごくりと喉を鳴らす。質問をされるだけだと言うのに、まるで喉元に剣の切っ先を突き付けられているような錯覚さえ覚えてしまう。

 

「俺が聞きたい事はただ一つ」

 

声が響く。

 

長い前置きなどはなく、男は単刀直入に、ファーナムへと問いを投げ掛けた。

 

 

 

「貴公には“王”を倒す覚悟があるか」

 

 

 

その問いかけにファーナムはもちろん、フィンとアイズも面食らってしまう。

 

この場の誰もが理解している事だ。この戦争はどちらかが勝利し、どちらかが敗北しなければ終わらない。まさしく生死を懸けた戦いだというのに、彼は『“王”を倒す覚悟があるか』と聞いてきた。

 

そんなもの、初めからそのつもりだ。そうでなければ戦闘になどなっていないし、例えどれだけ“王”が強大であったとしても絶対に諦めはしない。そのような意味を込めファーナムは肯定の意を口にしようとしたが―――――そこで、男が言葉を滑り込ませる。

 

「“王”はこれまで永きに渡って、他世界の神々を斃してきた。幾千、幾万の時をそれのみに費やし、神々の存在しない真なる人の世を創り上げてきた」

 

「……それは先程聞いた。だがいかなる理由があったとしても、他世界にまで干渉して良いはずが……」

 

「その通りだ」

 

“神殺しの旅団”がしてきた行いに異を唱えようとしたファーナムが、思わず言葉を失った。

 

『闇の王』の側近たる男の口から放たれたまさかの返答。それはファーナムの反論を肯定するものであり、何故そのような事を言ったのかと不審に思う。

 

「いくら憎かろうが、それは“王”とは全く関わりのない他世界の神々。俺たちのいた世界のものとは根本的に在り方が違うかも知れない。そんな者たちまで手にかけて良い道理など、あるはずもない」

 

「……何を言っているんだい?」

 

堪らず聞き返したのは隣に立つフィンだ。

 

静観の構えを取っていた彼であったが、予想外の方向に話が進んで行くのを前に、つい口を出してしまう。

 

しかし男は答えない。フィンの横槍を聞き流して相手にはせず、その視線は変わらずファーナムただ一人に固定されていた。

 

「だが“王”にとって、それは関係ないのだ」

 

男は語る。

 

決して多くは語らず、されど『神殺し』という大禁忌を犯し続ける“王”の覚悟を。

 

そして……そんな者に戦いを挑もうとする、抗う者(ファーナム)へと覚悟を問う。

 

「これまでも、そしてこれからも。己のソウルが朽ち果てるその瞬間まで戦いに身を置き、神々を殺し続けると誓った“王”。……そんな男を倒すという覚悟が、貴公にはあるか」

 

「………」

 

振り返らずとも分かる。フィンとアイズの瞳が、自らに注がれている事が。

 

『闇の王』。

 

数多の世界に存在する神々を殺し続けてきた古き不死人。であれば、獲得したソウルの総量は自分を遥かに上回るはず。常識的に考えれば勝負にすらならない、挑むだけ無駄な戦いなのかも知れない。

 

しかし、それでも、ファーナムには確信があった。

 

ダンジョンで目覚めたあの時から。

 

魔法が発現し、その存在をロキの口から聞いたあの時から。

 

彼らがこうして、目の前に現れたあの時から。

 

 

 

―――――『闇の王』と戦う事は、運命づけられていたのだと。

 

 

 

「……ああ」

 

ファーナムは少しの間を置いて、強く頷く。

 

「………そうか」

 

その返答を受けた男は、翻すようにして上体を捻った。

 

身に纏った黒いローブをはためかせ、右手に握られた剣の切っ先が指し示す先―――『闇の王』がいる最奥へとファーナムを(いざな)う。

 

「ならば行くが良い。“王”と戦い、その意志を示せ」

 

「……ファーナムさん」

 

道を明け渡した男の声に続き、アイズの声が繋がる。

 

見れば、アイズは不安げな顔でこちらを見上げていた。しかしそれも致し方ないだろう。他世界の神々を屠り去って来た敵の大将と、一対一で戦おうとしているのだから。

 

我ながら無謀だとも思う。しかしそれ以上に、この戦いに背を向ける事があってはならないという直感のようなものも感じている。

 

「大丈夫だ」

 

だから、ファーナムの返答は決まっていた。

 

アイズの不安を一蹴するような力強い、しかし優しい声色で、そう言ってみせる。

 

「ではフィン、ここはお前たちに任せる……死ぬなよ」

 

「……ああ。君こそ、気を付けて」

 

こちらを見上げてくるフィンに短くそう告げて、彼は駆け出した。

 

土埃をあげて走り出したファーナムは『闇の王』が待つ最奥へと向かってゆく。道を明け渡した男との距離は見る見るうちに縮まってゆき―――すれ違うその瞬間に、男の口が動いた。

 

「……“王”を頼む」

 

「―――!」

 

兜の奥で瞠目するファーナム。しかし走り出した足を止める事なく、また呟かれたその言葉の意味を問う事もせず、彼は『闇の王』の元へと向かって行った。

 

一方、徐々に小さくなってゆく後ろ姿を見送るアイズとフィン。二人はファーナムの武運を再度祈ると、男へと向き直る。変わらず厳しい視線を向ける二人ではあったが、その胸の内には先程までには無かった感情が生まれていた。

 

それを疑問にしてぶつけてきたのは、アイズである。

 

「私も、一つ聞いても良いですか?」

 

「……何だ」

 

男は拒絶する事なく、アイズに続きを促した。質問を許された事に僅かに安堵した彼女は、恐らくはフィンとも共有しているであろう己の抱いた疑問を、拙い言葉で口にする。

 

「貴方は……どうして戦っているんですか?」

 

それがアイズの抱いた疑問であった。

 

目の前に立ちふさがる人物は、紛れもなく24階層でアイズたちが出会った男。その時に目にした武器も一致しているし、声だって同じだ。

 

彼はアイズたちが四人の黒騎士に襲われている時に助太刀してくれたが、それだけではない。ルルネが道中で話していた“謎の冒険者”の正体でもある彼は、モンスターに襲われていた見ず知らずの冒険者たちまでも助けていたのだ。

 

そんな彼が、地上を混乱に(おとしい)れる『神殺し』の片棒を担いでいる事が、アイズには不思議でならなかった。

 

目の前にいる男が自分たちの敵である事、その理由をどうしても知っておきたい。子供じみた思いであるが故にその欲求は強く、そして揺るがない。

 

「教えて下さい。お願いします」

 

「……戦う理由、か」

 

その問いかけに、男は小さく口を開く。

 

手元の剣へと視線を落とした彼は僅かな間を置き、まるで独り言のように呟いた。

 

「俺にはもう何もない。求めていたものが偽りであると知り、絶望に打ちひしがれていた俺に“王”は……彼は、道を示してくれた」

 

否、それは正しく独白だったのだろう。

 

彼の思考は今、古い記憶の中にある。自らが“王”と共にある事を選択した、かつての日々の中に。

 

「ならば付いて行くしかないだろう。例えそれが途方もない過ちだったとしても、どんな結末が待っていようとも、俺は“王”の抱いた願いと共にあり続ける。そう決めたのだ」

 

「っ、間違いだと分かっているなら、どうして……!?」

 

男の包み隠さない本心を聞き出したアイズは、そこに戦闘を回避するチャンスがあると踏んで説得を試みようとする。無為な戦闘などせずにファーナムの元へと駆け付け、もしかするとこの男の手も借りられるかも知れない、と。

 

「貴方が一緒に戦ってくれれば、きっと……」

 

「アイズ」

 

しかし、彼女の言葉を遮ったのは他ならぬフィンであった。

 

ハッ、と隣に視線を送るアイズ。その先にいた金髪碧眼の小人族(パルゥム)の首領は彼女には目を合わせずに前方を―――男へと鋭い視線を注いでいた。

 

「説得は無駄だよ」

 

「でもっ、フィン!」

 

「君も冒険者なら知っているはずだ。覚悟を決めた者は絶対に引かない、誰に何と言われようとね」

 

「っ!」

 

これまでほぼ静観の構えを取っていたフィンの言葉に、アイズの両目がはっ、と見開かれる。

 

彼の言い分は尤もだ。自らも冒険者である以上、その職業に身を置く者の覚悟は痛い程に理解している。派閥争いなどに代表されるように、互いに譲れないものがあれば、後は直接ぶつかり合う以外に方法はない。

 

互いの想いを武器に乗せ、語り合う―――それ以外に道はないのだ。

 

「覚悟は決まったか」

 

男が二人に語りかける。

 

その声にフィンは両の手の二槍を握り直し戦闘態勢に入る。アイズもまた愛剣を構えると、瞑想するかのように金の瞳を閉じた。時間にして僅か数秒。再び目を開けた少女の顔に、もう迷いは感じられない。

 

そして男は。

 

「そうか……ならば」

 

僅かに腰を落として盾を前面に構え、剣を携えた右手は自然体で。どこか“戦士”を彷彿とさせる佇まいのまま、開戦の言葉を告げた。

 

「―――お前たちの意志を、見せてみろ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やがて聞こえてきた剣戟の音に振り返る事もせず、ファーナムは敵陣の最奥―――『闇の王』がいる場所を目指して地を駆ける。

 

恐怖はない。あるのは仲間たち、そして呼びかけに応じてくれたルカティエルやバンホルトを始めとする多くの不死人たちの為に、自分の成すべき事をするのだという強い意志である。

 

しかし……。

 

(すれ違いざまにあの男が言っていた台詞。あれはなんだ?)

 

脳裏を過ぎるのは、先程男が発したあの言葉。自分にしか聞こえなかった、と言うよりは独り言を偶然耳にしたという印象を受けた男の台詞に、ファーナムは僅かに眉をしかめた。

 

(『“王”を頼む』?奴を倒そうとしているこの俺に?何故、そんな事を……)

 

男との会話から、彼が『闇の王』の考えに全面的に賛同しているのではないという事は、ぼんやりとだが理解が出来た。

 

そういった意味も含め、『“王”を止めてくれ』と言ったのならばまだ分かる。しかし“頼む”とは、どのような意味を持つのか?単純に『闇の王』を倒し、神殺しを止めるだけでは駄目なのか?

 

そこまで考えて、ファーナムは(かぶり)を振った。今はそんな事を考えている場合ではない、重要なのはそこではないと、自らを納得させるかのように。

 

そう。

 

今、最も重要なのは。

 

 

 

 

 

「……やはり、来たのはお前か」

 

「……『闇の王』……っ!」

 

 

 

 

 

目の前にいる騎士甲冑を纏った男―――数多の世界を渡り、数多の神々を屠って来た『闇の王』を倒す事なのだから。

 

 




ようやく各自の戦いの場が整ってきましたね。

原作のような同時展開での戦闘シーンに近づけるよう頑張りますので、どうぞ宜しくお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十七話 その頃、戦場にて

今回は久々に、皆さまが考えた不死人が登場します。


―――ファーナムが『闇の王』との一騎打ちに臨む、その少し前。

 

舞台は主戦場。闇の騎士たちが口にしていた『ラレンティウス』と呼ばれる不死人が放った呪術により戦況を覆されたルカティエルたちは後退しながらも、敵の侵入をこれ以上抑えるべく奮闘していた。

 

突如として襲い掛かって来た特大の火球。見た者の心を折りかねない凶悪な光景であったにも拘らず、それでも不死人たちの中に戦いを放棄した者はいない。その身が不死であるという事もあったが、それ以上にこのような理不尽とも言える攻撃は、ある種慣れているからだ。

 

しかし、それは飽くまで『不死人たちにとって』である。

 

彼らより遥か後方……フィンから防御に徹しろと命令されていたサポーターたちの心は、今まさに折れようとしていた。

 

「ぁ、ぁあぁ……!?」

 

「こんな、でたらめな……っ!?」

 

ヒューマンの少女であるナルヴィはぺたんと地面に尻もちをつき、犬人(シアンスロープ)の青年、クルスが顔を白くして呻く。この中では最年長であるエルフのアリシアも、自身の武器である弓を握り締めたまま目を見開き、まるでこの世の終末であるかのような光景に言葉を失っていた。

 

そして、ラウルは―――。

 

(だっ、団長。じ、自分はどうすれば……!?)

 

カラン、という乾いた音が彼の足元から発せられた。

 

武器である剣が手から滑り落ちてしまった事にも気が付かない。目の前に広がる絶望的な光景を前に、彼もまた戦意を完全に消失してしまったのだ。

 

(団長からはここで防御に徹しろって……だけどこんなの、どう防げって言うっすか……!?)

 

フィンからファミリアの頭脳となる役割を期待されている青年、ラウル・ノールド。

 

今までも数々の冒険に参加し、そこで技術と経験を磨いてきたという自負はあった。例えそれがどれだけ小さな事の積み重ねで会ったとしても、確かに自身の糧になっているはずだと、そう信じてきた……今日、この瞬間までは。

 

遠くから伝わってくる不死人たちの雄叫び、悲鳴、そして戦闘の余波。それは彼の心を凍てつかせ、まともな判断力すらも奪ってしまっている。脳内を空白が支配し、呼吸すらも止めてしまいそうな程に。

 

「おい、お主ら!しっかりせい!」

 

彼らの中でただ一人、この状況に屈していない椿の呼びかけも遠く聞こえる。完全に生きた彫像に成り果てた彼らに出来る事は、この場に立ち尽くしている事だけだった。

 

(なんでこんな時まで、自分は……)

 

余りの不甲斐なさに涙が出そうだった。

 

簡単な指示一つ守れない、ただ突っ立っている事しか出来ない自分を責めていたラウルは―――遂に、それを見た。

 

「危ない、避けろぉ!!」

 

不死人の一人がそう叫んだ。

 

ふっ、と我に返ったラウルが見たのは、迫り来る巨大な火球の姿であった。

 

流星群と見紛う数で放たれたその内の一つが、こちらへと飛んできたのだ。歴戦の不死人たちですら直撃すればひとたまりもないそれが、あろう事か人であるラウルたちに牙を剥く。

 

「くっ!」

 

動けないラウルたちを庇うようにして前へ出る椿。しかし彼女の手にあるのは盾ではなく、一振りの太刀である。そんなもので相殺できる訳がない、ラウルのみならず他のサポーターたちもそう直感した。

 

そして、彼女がそうした行動に出た理由は自分たちにある。半ば麻痺した脳でもそれは理解できると言うのに、やはり身体は言う事を聞いてはくれない。

 

迫り来る灼熱の塊。接触までもう数秒も残されていない。今から動いても間に合わない……普段の彼らにあるまじき、致命的な失態であった。

 

(……ああ、やっぱり自分は……)

 

ゆったりと流れる時間の中で、ラウルは激しく後悔した。

 

【ロキ・ファミリア】に入団した事を、ではない。

 

今回の遠征に参加した事でもない。

 

ただ、ただ……自身の未熟さを。

 

(役立たず―――)

 

そんな感情と共に、ラウル・ノールドという青年が自らの人生に別れを告げようとした―――――まさに、その瞬間。

 

 

 

―――実体 ミラのローデンが現界しました―――

 

 

 

「なっ!?」

 

驚愕の声が椿の口から漏れ出した。

 

彼女だけではない。呆然自失だったラウルたちもまた、その不死人の登場に意識を再覚醒させる。

 

地面から新たな文字が浮かび上がったかと思えば、次の瞬間には目の前に()はいた。

 

巨岩の如き鎧に全身を包んだその不死人、ローデンは現界と共に奇跡『大魔法防護』を唱える。澄んだ音色が周囲に響き渡ると同時に、彼の身体を幾つもの光の輪が取り巻いた。

 

続いて背負っていたその盾を……『ハベルの大盾』を素早く取り出した彼は、まるで自らが城壁であるとでも言うかのように、どっしりと腰を落として構えを取る。

 

「はぁっっ!!」

 

直後、巨大な火球はローデンが構えた大盾に直撃。尋常ではない熱量が彼を襲うが、その余波は欠片たりとも後方へ漏れる事はなかった。

 

見事に攻撃を防いで見せた彼は構えを解くと、身体ごと振り返って椿たちへと語りかける。

 

「ふう。皆さん、怪我はありませんか?」

 

赤い瞳が揺らめく重厚な兜の奥から聞こえて来たのは、今しがたの力強い姿からは想像できない穏やかな声だった。そのギャップに先程とは別の意味で固まるラウルたちに代わり、椿が口を開く。

 

「あ、ああ。助かった」

 

「構いませんよ、誰かの為になるのなら助力は惜しみませんとも……おっと」

 

すると彼は何かを思い出したかのように言葉を止めると、背負っていた巨大な槌『大竜牙』をわざわざ手に取り、そして高らかに両腕を広げて見せた。

 

「遅ればせながらこのローデン、参上致しました。以後お見知りおきを」

 

『歓迎』のジェスチャーと共に自己紹介するローデン。両手に持った盾と槌は相当な重さであるはずだが、そんな事など毛ほども感じさせないような、そして自らの肉体を自慢するような、そんな動作だった。

 

「不死人ってのは、どいつもこいつもこう規格外なのか……?」

 

「私に聞かないでよ……」

 

「……もう付いていけません……」

 

クルス、ナルヴィ、アリシアの呟きは弱々しく、そしてどこかげんなりとしたものだ。しかし彼らを襲っていた無力感、絶望感はかなり緩和されている。これほどまでに規格外で、そして頼もしい不死人たちが付いている事を思い出したからだ。

 

「み、皆……」

 

その姿を見て、ラウルも顔色を取り戻す。

 

そうだ、こんな所で固まっている場合ではない。ゴクリと生唾を飲み込んだ彼は唇を引き結ぶと、若干上擦った声で鼓舞―――当然ながらフィンには遠く及ばないが―――の声を上げた。

 

 

 

「そっ、そそそそうっす!自分たちにはこんなに頼もしい人たちが付いてるっす!だからっ、えぇっと……が、頑張ろうっっ!!」

 

 

 

「「「 ……… 」」」

 

が、反応は薄かった。

 

呆れ顔とも違う、どこか生温かな三つの視線をその身で受けたラウルは盛大にやってしまったと脂汗をかいたが、一拍遅れて吹き出したナルヴィがその空気を吹き飛ばす。

 

「ぷふっ!ラウル、声が上擦ってるよ?」

 

「うっ!」

 

「今のって団長の真似のつもりか?だとしたら0点だな」

 

「いぃ!?」

 

「無理しなくて良いんですよ?」

 

「あぁぁ……」

 

口々に掛けられる仲間の声に、ラウルの心はまた別の意味で折れそうになる。

 

しかしその鼓舞には確かに意味があった。何かと自己評価の低いラウルが絞り出した精一杯の声に、彼らは完全にいつもの自分たちを取り戻していたのだから。

 

「……ふっ、ラウルめ。中々にやるではないか」

 

彼らの間に漂っていた空気が完全に一変した事を確認した椿は、目の前に立つローデンに向かって語りかける。

 

「お主、済まないが彼らを頼めるか。手前はこれから()()()

 

「ちょっ、椿さん!?」

 

その言葉につぶさに反応したラウルが彼女を引き留めようとするも、椿は退かない。

 

「お主らも理解しているであろう。状況は芳しくない」

 

「……っ!」

 

「ここは一人でも多く動ける者が加勢に出るべきだ。そして幸いにも、手前には僅かながらその力がある」

 

ここまで言う【ヘファイストス・ファミリア】団長にしてLv.5の冒険者である椿の言葉に反論できる者はいなかった。いくら客人扱いの身であるからと言って、彼女を力づくで止められる者は、この中にはいないからだ。

 

「それにフィンの奴ならきっと許してくれるはずだ。『仕方がないなぁ』とか言ってな」

 

全く似ていない声真似でおどけて見せる椿。しかし彼女の意志は固く、そして何よりもこの状況では、彼も同じ判断を下すだろうという思いがラウルたちの心に芽吹いた。

 

彼らの沈黙を肯定と捉えた椿は太刀を握り直し、その視線を戦場へと向ける。

 

「では頼んだぞ、ローデンとやら」

 

「お任せを。この身が助力になるのなら」

 

出会ったばかりの不死人と別れを告げた椿はそのまま戦場へと駆けてゆく。Lv.5の身体能力を発揮しての速度はラウルたちのそれを軽く上回り、その背はあっという間に小さくなっていく。

 

「椿さん!」

 

「おうよ、心配は無用!何なら敵兵どもの得物を手土産にしてくれるわ!!」

 

にぃ、と笑った椿はその言葉を最後に姿をくらました。

 

後に残ったのはラウルたちサポーターと不死人であるローデンのみ。気を取り直した彼らは、再び目立たなそうな岩陰を探そうとしたが―――。

 

「! あそこが怪しいぞ!」

 

「ああ、何やら敵の気配がする!」

 

「うえぇ!?み、見つかったっす!?」

 

再び現れた闇の騎士たち。なんと彼らは遠く離れた場所にいたにも拘らず、こちらを察知したのだ。

 

周囲に敵兵の姿は無かったはず、一体何故!?と慌てるラウルたちであったが、その答えは意外なところにあった。

 

「おっと、指輪を外し忘れていました」

 

と言ったローデンは指に嵌められていたそれを……『赤眼の指輪』を外す。同時に、彼の瞳から赤い揺らめきが消えた。

 

「な、なんすかそれ?」

 

「これは赤眼の指輪と言いまして、付けると敵から狙われやすくなるのですよ」

 

「「「 はぁっっ!? 」」」

 

「前衛の時は役に立つのですが、それが仇になりましたね。いやぁ、申し訳ない」

 

説明を聞いて顔色を失うラウルたちであったが、当の本人であるローデンは少しも動揺していない。それもそのはずで、彼にはとっておきの武器……鍛え上げ、信仰という段階にまで昇華させた己の肉体があるのだから。

 

「ご心配なさらずに……すぐに終わらせます」

 

そう言った彼はラウルたちを背にして、やって来た闇の騎士たちへと大竜牙を振るのであった。

 

 

 

 

 

(さて、大見栄を切ったは良いが)

 

ラウルたちと別れ戦場に躍り出た椿。彼らに不安を与えないような言葉を残したが、その胸の内には抑えきれない不安が渦巻いていた。

 

今までいた場所とは比較にならない程に激しい戦場。闇の騎士たちが至る所におり、それを不死人たちが懸命に応戦している。この状況を生み出したのがあの巨大な火球によるものである事を、椿はすぐに見抜いた。

 

(こ奴ら、こちらの混乱に乗じて一気に乗り込んできたな。このまま押し切るつもりか……!)

 

敵の狙いは殲滅ただ一つ。その機を得た者たちが戦力を出し惜しみする道理もない。椿は頭上からの火球に細心の注意を払いながら戦場を駆けていたのだが……。

 

(攻撃が止んだ?)

 

いくら身構えようとも一向に来ない火球の追撃。敵からしてみればこの状況こそが好機であるというのに、それがぴたりと止んだ事を椿は訝しむ。

 

(敵味方が入り乱れているからか?いや、それでも狙える場所はいくらでもあるはず……)

 

攻撃が来ないのは都合が良いが、それでも敵の狙いが分からないと言うのは気味が悪い。なんとも言えない不安を抱えつつも椿は今出来る事のみに専念すべく、脳裏に渦巻く雑念を振り払い、得物を握り締めた。

 

「ふッ!」

 

「がっ!?」

 

不死人と鍔迫り合いをしていた闇の騎士を見つけた彼女は、敵の死角となる角度で斬りかかる。姿勢を低くして放たれた太刀による斬撃は相手の横っ腹を捉え、深く鋭い傷を負わせた。

 

突如の奇襲に闇の騎士はよろけ、その隙を突いて不死人が止めを刺す。正々堂々としたものではないが、これこそが戦場での正しい戦い方である。

 

「悪いな、助かったぜ!」

 

「気にするな、持ちつ持たれつという奴よ!」

 

そう言ってその場を離れた椿は、同様に奇襲を仕掛ける。

 

時には背後から、時には意表を突き真正面から。鍛冶師(スミス)と言えど上級冒険者でもある彼女の動きに無駄はなく、着実に闇の騎士たちに斬撃を見舞ってゆく。太刀を手に戦場を駆けるその姿は、まるで隼の如くであった。

 

が、そう何度も上手くはいかないのが世の常である。

 

「ぬうっ!?」

 

ガィンッ!と、振るったはずの刃が止まった。

 

新たに狙いを付けた敵へと斬り込んだ椿。しかし間合いに入る直前で勘付かれ、左手に展開した赤黒く揺らめく何かによって阻まれてしまう。

 

まるで盾であるかのようなそれに動揺したのも(つか)の間、闇の騎士が振り上げた肉厚な刀身が椿に迫る。

 

「くぅっ!?」

 

咄嗟に太刀を構えその攻撃を防ぐ。

 

その後も刃は二度、三度と振り下ろされた。いずれも紙一重で弾くも、両手に蓄積される重たい痺れは免れない。歯を食い縛る椿の額には、冷たい汗が浮かび始めていた。

 

そして六度目の剣戟の音が響いた瞬間。ついに椿が押し負け、体勢を崩しながら太刀がその手から離れてしまう。

 

「馬鹿めッ!!」

 

闇の騎士は勝利を確信したのか、そんな言葉を吐いた。止めを刺すべくダークソードを大上段に振りかぶった彼は、眼下に倒れる敵へと一直線に振り下ろす。

 

が、椿は諦めてなどいない。

 

眼帯に覆われていない右眼をカッ!と見開いた彼女が取った行動……それは相手にとっても予想出来ないものであった。

 

「なっ……!?」

 

振り下ろされた刃が、止まる。

 

相手に呼吸を合わせ、肉厚の刀身を挟み込むようにして両の掌を合わせる―――所謂『白刃取り』という技で以て、椿は相手の刃を止めて見せたのだ。

 

「うっ―――ぉおお!」

 

そのまま裂帛の気合いと共に相手の腹を蹴り上げる。同時にその手から直剣を奪い取ると、流れるような動きで持ち手をがしりと握り締める。

 

立ち上がる椿と倒れ込む闇の騎士。形勢が逆転したその隙を逃すことなく、椿は手中にある剣の切っ先を、相手の胸に深く突き立てた。

 

「かっ―――」

 

髑髏の仮面の隙間から溢れた鮮血。それが契機であったのか、闇の騎士は小さく身体を痙攣させ、そして沈黙した。

 

「はっ、はっ、はっ……」

 

ソウルへと還りつつある亡骸を見下ろしつつ呼吸を整える椿は、止めを刺した相手の武器を一瞥する。

 

ずしりと重く、白骨を彷彿とさせる不気味な直剣を視界に収め―――そしてすぐに興味を失ったかのように手放した。

 

「……手前の趣味ではないな」

 

ポツリとそう呟いた椿は近くに転がっていた己の武器を拾い上げると、そのまま走り出していった。

 

次なる戦場……危機に瀕しているであろう不死人たちを助太刀する為に。

 

 

 

 

 

「おお、なんと勇ましい!」

 

そんな椿の奮闘ぶりを遠目で目撃していた不死人が、称賛の声を上げていた。

 

全身を独特の形状の鎧―――カタリナ装備で固めたその不死人は己の武器『骨の拳』を纏った両手を強く握り固め、自らもまたそう在らんと意気込む。

 

 

 

―――実体 カタリナの騎士ジークレストが現界しました―――

 

 

 

「ウワァァァァァァァ!!」

 

勇ましい雄叫びを上げたジークレストは、そのまま闇の騎士たちが一際密集している場所へと一人突貫する。

 

先の火球によってやられてしまったのか、攻め込んできた敵にやられてしまったのか、周囲に仲間の姿はほとんど見られない。見えるのは髑髏の仮面をつけた敵の姿ばかりだ。

 

彼らはどうやら複数人で一人を囲っている様子、それは誇り高きカタリナ騎士の逆鱗に触れる行いであった。彼は骨の拳を纏った右拳を引き、その身を砲弾の如く集団の中へと突っ込ませる。

 

「どうりゃぁぁぁぁっ!!」

 

「があっ!?」

 

一人に気を取られていた闇の騎士、その腰部に右拳が突き刺さる。腰骨を砕く確かな感触を得たジークレストの攻撃は留まる所を知らず、そのまま次なる敵へと殴り掛かった。

 

「はぁっ、ぜあぁッ!!」

 

「ぐふっ!?」

 

「こ、こいつ……っ!」

 

一呼吸の内に繰り出される幾つもの拳撃、蹴撃。

 

その拳は空気を破裂させ、その脚は地面を割り砕く。防御をかなぐり捨てた戦い方にも見えるが、その実、攻撃こそが最大の防御とでも言い張るかのような猛攻ぶりであった。

 

事実、重厚な鎧に似合わぬ軽快な体捌きは敵の攻撃を躱し、あるいは鎧で受け流し、見事に立ち回りを演じていた。数で勝る闇の騎士たちはただ一人の不死人に翻弄され、統率を乱されている。

 

「クソ!おい、誰かあいつを殺―――」

 

闇の騎士の内の一人が身体ごと振り返り、怒鳴り声で指示を飛ばす。

 

が、その呼びかけに対して返ってきたのは声ではなく―――ブヅッ、という奇妙な音と感触だった。

 

「……?」

 

発生源はちょうど左眼の辺り。暗くなった視界の元へと左手を伸ばして触れてみれば、そこには硬質な穂先の感触が。

 

本来あるはずのないものが、出てくるべきではない所から飛び出している……それは己の後頭部に、今しがた自分たちが取り囲んでいた不死人の得物が突き立てられた事を意味していた。

 

そこまで理解した瞬間、闇の騎士は脳ごと後ろに引っ張られるような感覚を味わう。直後に彼の意識は遠のき、そしてどおっ、と地面に倒れ込んだ。左眼のある位置に空いた空洞からは、どす黒い血と淡いソウルの粒子が止めどなく流れ続けている。

 

「………」

 

そんな哀れな亡骸などには一瞥もくれず、()は『黒銀の槍』をビュッ!と唸らせ血を振り払う。

 

左手に握られているのは『咎人の杖』。艶のない黒い何かが絡みついた不穏な杖を構えた彼は、薄汚れたボロ布に覆われた上級騎士の鎧を鳴らし、静かに腰を落とした。

 

 

 

―――実体 追放者ジークラインが現界しました―――

 

 

 

「……ッ!」

 

ダンッ!と地を蹴ったジークライン。地面を滑空するかの如く踏み込んだ彼は、同時に魔術『ソウルの大剣』を行使する。実体を持たないソウルの刃は前方にいた闇の騎士たちを切り裂き、その先へと身体を滑り込ませる。

 

そして黒銀の槍を突き出し、更に前進する。穂先は敵の太腿や腹部を穿ち、致命傷ではないにしてもその動きを一瞬止めるには十分なものだ。

 

「ぐぉっ!?」

 

「がっ!!」

 

膝を折る、あるいは剣を地面に突き立て踏ん張る闇の騎士たちには目もくれず、ジークラインはある一点、恐らくは同胞がいるであろう場所を目指す。状況故、ここは共闘を張ろうという腹である。

 

途中で武器を『ツヴァイヘンダー』に持ち替えた彼はその不死人の元へと辿り着き……そして、双眸を大きく見開いた。

 

その瞳が映したのは、ジークレスト―――かつて己が属し、そして追放された、今は帰れぬ故郷カタリナの騎士の姿であった。

 

「っ、貴公!」

 

ジークラインの姿を発見するや否や、ジークレストは瞬間的に口を開いた。陽気なカタリナ騎士らしからぬ鋭い声が、ジークラインの耳を打つ。

 

「背中合わせだ!」

 

「!」

 

その指示を正しく理解したジークラインは転がるようにして彼の元へと合流し、立ち上がると同時に背中を合わせる。

 

灰の土埃が舞う中、四方を敵に囲まれた状態で、二人の不死人はここに邂逅を果たした。

 

「焦る事はない、獲物が増えただけだ!」

 

「殺せ、殺せ!」

 

「“王”の敵対者に死を!」

 

急激に殺気が膨らむ最中(さなか)、背中合わせとなったジークレストとジークラインは油断なく周囲を警戒し、どの攻撃にも対応できるように気を払う。味方が増えたとはいえ、一対多から二対多に変わっただけ。油断など許される状況ではない。

 

しかし……ジークラインは、己の中にある感情を言葉にせずにはいられなかった。

 

「……おい」

 

「む?」

 

こんな時に言うべきではないのかも知れないが、それでもこれは抑え難い。彼は背中合わせの不死人に視線を合わせぬまま、ただ短くこう告げる。

 

「……良い鎧だな」

 

「……ふはっ」

 

僅かな間を置いて返された笑い声。そこには『この鎧の良さを解するとは!』という喜びと称賛の色が多分に含まれていた。

 

「貴公もな、良い剣を持っている!」

 

その返答を契機に、ジークレストは走り出した。剣を振りかざす闇の騎士たちに微塵も怯む事なく、勇敢に両拳による打撃を繰り出す。

 

ジークラインもまた動き出す。咎人の杖から『ソウルの結晶槍』を放ち、動きが乱れたその瞬間を狙い、自らに残された唯一の誇りである特大剣を振るう。

 

「この戦いを生き延び再び出会えた暁には、互いに存分に語らおうではないか!」

 

「……ああ」

 

激しい剣戟と敵の殺意が渦巻く中、意図せず出会った故郷を同じくする者同士。

 

阿吽の呼吸で戦う様は、まるで旧知の間柄のようでさえあった。

 

 




~今回登場した不死人~


ミラのローデン ドンファン様

カタリナの騎士ジークレスト 松牙正光様

追放者ジークライン フラグ建築したい男様


以上の皆さまです。本当にありがとうございました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十八話 傾きゆく天秤

戦場で繰り広げられている戦いの余波は、この場所には一切の影響を与えていない。緩やかにも感じさせる時間の流れ、そう感じさせる原因は『闇の王』が不動の姿勢を貫いているからだろうか。

 

彼は何をするでもなく灰に覆われた地面に一人胡坐をかき、己の掌を見つめている。しかし注意深く観察すれば分かったはずだ。彼が見つめているのは己の掌ではなく、その上に乗せられたペンダントなのだと。

 

首から伸びた二本の細い鎖は掌へと収束し、ロケットへと繋がっていた。開け放たれたその台座部分には肖像画も薬もなく、代わりに一人の女性……恐らくは、まだ若い少女のものであろう横顔が彫り込まれている。

 

「……どうか待っていてくれ」

 

『闇の王』がポツリと呟く。その声は闇の騎士たちを鼓舞した者と同一であるとは信じ難いほどに小さく、儚く、そして虚ろげなものだった。

 

「いつの日か必ず、私は―――」

 

と、そこで。

 

ザッ、という地面を踏み締める音が聞こえた。瞬時に雰囲気を変えた『闇の王』はペンダントを鎧の中に仕舞うと、振り返る事もなく口を開く。

 

「……やはり、来たのはお前か」

 

確認するまでもない。これほどのソウルの気配を漂わせておいて、ここまで来る者など一人しかいない。脳裏に彼の姿を浮かべながら、『闇の王』はゆらりと立ち上がり、振り返る。

 

「……『闇の王』……っ!」

 

そう呟いた声の主……緑を基調とした布地を有する毛皮付きの鎧に身を包んだ不死人は、特徴的なスリットの施された兜の奥から、強い眼差しをこちらに向けていた。

 

予想通りの、何の面白みもないはずのその光景に、しかし『闇の王』は己の心に、さざ波の如き小さな感情が芽生えている事に気が付いた。

 

自身が“王”となったその瞬間から今までの間、殺す対象は神だけだった。時には抵抗しようとした人間がいた事もあったが、それは戦いとは到底呼べないような代物だった。

 

しかし。

 

いま目の前にいる者は人間でも、神でもない―――不死人なのだ。

 

(思えば、不死人との戦いは久方ぶりか)

 

もはや記憶の彼方へと追いやられていた過去の出来事が蘇る。城下不死街、アノール・ロンド、ウーラシール市街……他にも様々な場所で侵入してきた闇霊たちとの殺し合いは、亡者やデーモンとの戦いとはまた違った緊張感を抱いたものだ。

 

一対一の、不死人同士の殺し合い。今となってはある種の懐かしささえ覚えるその感覚を、彼は再び感じていた。

 

「良いだろう。しばしの間、付き合ってやる」

 

そう言って『闇の王』は、自身のソウルより武器を掴み取る。

 

右手には幅広な刀身を持つ『ブロードソード』を。

 

左手には装飾が煌びやかな『竜紋章の盾』を。

 

その行動に僅かに身構えるファーナムを前に『闇の王』は兜の奥で暗い笑みを浮かべ、静かに告げた。

 

「さぁ……いつでも掛かってこい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かくして、各々の舞台は整った。

 

両者が共に認められない結果に抗う為、己が望みを叶える為。

 

冒険者と神殺したちの、本当の闘いが幕を開ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぬおおぉっ!!」

 

豪快な雄叫びを迸らせ、ガレスが大戦斧を振り上げる。

 

断頭台(ギロチン)()くやといった勢いで振るわれたそれは、しかし的確な角度に構えられた盾によって軌道を逸らされてしまう。

 

派手に振り撒かれる火花。その飛沫を顔面に浴びながらも、青き戦士は怯むことなく右手に握られたロングソードの切っ先をガレスの顔面へと突き出した。

 

「っ!?」

 

ビュッ!と刀身が彼の顔を掠める。その頬には赤い線が残ったものの、紙一重で突きを回避する事に成功。しかし一分の隙もないその攻撃に、じわりと嫌な汗が額に滲む。

 

突きを躱された青き戦士は小さく舌を打った。すぐに剣を逆手に構え直し、再度攻撃に転じようとした男であったが……その耳が、もう一方の敵対者の気配に反応する。

 

「オラァ!!」

 

現れたのはベートだった。ガレスの岩のような身体を利用して青き戦士の死角から飛び出した彼は、右脚を鞭のようにしならせ鋭い蹴撃を繰り出す。

 

が、それすらも予測の範疇(はんちゅう)だったのか。攻撃を中断させると同時に地を蹴って跳躍。そのままごろごろと地面を転がり、後方へと逃れ距離を取った。

 

「ちっ、面倒臭ぇな」

 

灰に塗れながら立ち上がった男は口元を拭い、そう呟く。苛立たしげではあるが、焦りはそこまで感じていないようにも見える。

 

その一方で、ガレスとベートの顔色はそこまで優れない。

 

「野郎、ちょこまかしやがってッ!!」

 

「落ち着けベート。頭に血が上っては冷静な判断を損なうぞ」

 

「……あぁ、クソッ!」

 

苛立つ狼人(ウェアウルフ)の青年をどうにかなだめつつ、ドワーフの老兵は冷静に状況を分析する。

 

(こ奴……駆け出しの冒険者のような見た目に騙されそうになったが、かなり()()()のう)

 

頬に刻まれた赤い線を親指でぬぐい、ガレスは自分たちが相対している敵を見やった。

 

簡素な造りのチェインメイル、ごく普通のロングソード、そして錆と凹みの目立つ盾。みすぼらしいとも言っても過言ではない装備に身を固めた男だが、その実力は身をもって体験した通りである。

 

見た目と中身がまるで釣り合っていない青き戦士。これまで蹴散らしてきた闇の騎士たちとは比較にならない程の技量と洞察力。自分とベートの二人がかりでもなお押し切れないこの男に対し、ガレスは『闇の王』の側近クラスの人物であろうと判断した。

 

(ならば、こ奴を倒せば敵の戦力を幾分か削ぐ事が出来るか。問題はどうやってこの状況から脱するかじゃが……)

 

このまま一進一退の攻防を繰り広げたところで何も変わりはしない、むしろジリ貧なのはこちらの方だ。

 

状況の打破にはまた違った形で敵の虚をつくか、ある程度の負傷を覚悟で特攻でも仕掛けるしかないが、後者を選ぶのは時期尚早(じきしょうそう)に過ぎる。この後にも控えているであろう戦闘の事も考えればなおさらだ。

 

ガレスがそんな考えをしている一方で、青き戦士も似たような思考を巡らせていた。

 

(あの野郎が前面に出やがるせいでこっちも攻め切れねぇ。しかも中々にしぶといと来たもんだ。仕留めるには確実な一撃が必要だっつうのに、あの若造が(ことごと)くそれを邪魔してきやがる)

 

平凡な顔立ちに宿る、不釣り合いなほど剣呑な眼差し。その視線はベートへと向けられている。

 

苛立ちを隠そうともしないベートの表情から、胸中に抱いている感情は手に取るように分かる。あと僅かの所で獲物に逃れられてしまうというのは、彼にとって実に腹立たしいものだろう。

 

(……まぁ、だからこそ()()()()()んだがな)

 

これまでの戦闘の中でベートという青年の性格を読み取った青き戦士は口角を吊り上げる。

 

長年浮かべていた陰気で皮肉げなものではない。相手を嘲るような底意地の悪い笑みを浮かべつつ、男はわざとらしい大声を上げた。

 

「また外れちまったなぁ、若造!速さと威勢だけが取り柄ってか!」

 

「あァ!?」

 

狼の耳がピクリ、と動いた。

 

男の口から放たれた嘲りの言葉は、血の気の多い若き冒険者を刺激するには十分過ぎるものであった。その証拠にベートは身を乗り出して怒り、今にも飛び出しそうな剣幕を浮かべている。

 

「あんたも苦労するな!こんな時にガキのお守りなんてよぉ!」

 

男の言葉は更に続く。今度はベートの傍らに立つガレスへ向けての言葉だった。

 

が、熟練の冒険者たるガレスはその言葉に怒りなど感じない。代わりに抱いたのは火の手が回り、爆発寸前の火薬庫を目の前にしたかのような焦燥感だ。

 

(不味い―――!?)

 

ガレスは敵の狙いを正しく理解していた。

 

即ち、()()。ベート・ローガという青年の高い矜持(プライド)を直接揺さぶる行動に出た青き戦士は、俊敏な動きで立ち回る狼から先に片付けようという算段なのだ。

 

「その若造がいるせいであんたは全力を出し切れねぇ!損な役回りだなぁ、おい!」

 

「っ、耳を貸すでないぞ!!」

 

半ば反射的にベートを宥めようとするも、怒りに目を充血させた今の彼には意味がない。砕けんばかりに歯を食い縛り、射殺すような視線で男を睨みつけている。

 

そんな視線もどこ吹く風なのか、青き戦士は決定打となる言葉を放った。

 

 

 

「全く、とんだお荷物を抱えちまったなぁ!同情するぜ!!」

 

 

 

浮かべた表情、仕草、そして言葉遣い。その一つ一つがベートの神経を逆撫でる。生来の性格も災いし、ガレスの忠告など耳に入らない若き狼は―――。

 

「……ぶち殺すッ!!」

 

一気に肉薄を仕掛けた。

 

地面を蹴り割って飛び出したベートは、そのままの速度で相手の懐へと入り込む。並みの相手であればそれだけでほぼ()()だが、この状況になるよう誘導したのは他でもないこの男だ。

 

頭を蹴り割らんとする猛烈な蹴りを、青き戦士は難なく躱して見せた。屈んだ姿勢から次に繰り出されたのは斬撃……ではなく、剣の柄による打撃。鳩尾を深く抉ったそれは、ベートから一瞬だけ速度を奪う。

 

身体をくの字に曲げてしまったベートへ、今度こそ斬撃が襲い掛かった。斜め下から振るわれた一閃は致命傷とまではいかなかったものの、鍛え上げられた冒険者の肉体をして、決して浅くはない傷を刻み込む。

 

「がっ―――!?」

 

「ベートッ!?」

 

一拍遅れて走り出したガレスには目もくれず、青き戦士は武器を通して伝わって来た感触に眉をひそめる。

 

「ちっ、(かて)ぇな」

 

予想を上回る筋肉の密度に舌打ちを落とした青き戦士。ベートはこみ上げてくる血を無理やり飲み下し、これまで以上に殺意に満ちた目で眼前の敵を睨みつける。

 

「ク……ッソがぁっ!!」

 

口から血と咆哮を迸らせた彼の手が腰へと伸びる。ホルスターから引き抜いたのは鮮やかな黄色の短剣で、それは雷の力が内包された魔剣であった。

 

この一撃でケリを付けるつもりなのだろう。だが敵は未だ目の前におり、メタルブーツに取り付けられた黄玉へと魔剣の力を充填させるには隙が大きすぎる。よってベートはひとまず蹴りで相手を牽制しようとしたのだが―――。

 

「させるかよ、間抜け」

 

「ッ!!」

 

そんな台詞と共に、男のロングソードが魔剣目掛けて振るわれた。

 

腰から引き抜いた瞬間にその刀身を正確に斬り砕いた青き戦士。ベートの琥珀色の瞳が驚愕と動揺に揺らめいた直後、魔剣に内包されていた魔力は霧散、消失してしまった。

 

反撃の機を失ったベート。今の体勢からでは満足な威力の蹴りは繰り出せず、時間稼ぎにすらならない。

 

対する男はすでにロングソードを振りかぶっている。今度は身体を狙ったものではない。相手の首を胴体から斬り飛ばすべく取られた、絶殺の構えだ。

 

ガレスの加勢も間に合わない。どう転んでも男がベートの首を刎ねる方が早い。絶体絶命の窮地に陥った狼人(ウェアウルフ)は、片腕を犠牲にしてでもこの攻撃を凌ぎ切ろうとして―――そこで。

 

ガクンッ!と、急に視界が真横へと揺さぶられた。

 

「っ!?」

 

その驚愕は青き戦士のものだった。自身の視界の端から現れたのは一人の闇の騎士で、体当たりをするような形でベートを掻っ攫っていく。突然の出来事に目を剥いたのは彼だけではない。ベートも、そしてガレスも同様だった。

 

「おおおおおおおおっ!!」

 

次々と雪崩れ込んでくる闇の騎士たち。ベートの姿はあっという間に骸骨の集団の中へとかき消され、中途半端に剣を振りかぶったままの男は、怒りに任せて声を荒らげた。

 

「てめぇらっ、一体何のつもりだ!?」

 

「貴方はその男の相手を!こいつは我々が始末致します!!」

 

口調こそそれらしいものの、これ以上の言葉は不要とばかりに闇の騎士たちは青き戦士の視界から遠ざかっていった。せっかくの獲物を失った男は憤懣(ふんまん)()る方無いとばかりに、唇をめくれ上がらせ憤怒の形相を浮かべる。

 

(馬鹿共が。そんなに気に喰わねぇってか、この俺が!!)

 

実のところ、これは青き戦士が密かに危惧していた事態だった。

 

かつての自分―――度重なる苦難に心折れ、篝火の前で動こうともしていなかったのは覆しようもない事実。闇の騎士たちがいた数多の並行世界においても、ほとんどの場合がそうだった。

 

そんな陰気な腑抜けが、今や“王”の傍に立つ事を許されている。その事実を一部の闇の騎士たちが不満に思っている事は男も知っていた。自分こそが“王”の傍に立つに相応しい事を証明するため、彼らがこれまでの戦場においても虎視眈々とその機を窺っていた事も。

 

その機が遂に回って来た。飛びぬけた瞬発力を誇る狼も今や手負い、これならば自分たちで仕留められると踏んだ者たちによる、完全なる独断行為であった。

 

まさかこんな場面でさえ手柄の横取りを企てていたとは。余りの愚かさに自ら手を下したくなるが、それこそ愚の骨頂。身を焼くような憤りを抱きつつ、青き戦士はその矛先をもう一方の標的へと向ける。

 

「くそったれがぁッ!!」

 

「ぐっ!?」

 

ベートには及ばぬとも目を見張る速度でガレスへと突貫し、ロングソードを振り下ろす。

 

その刃を大戦斧で迎え撃つガレス。直剣という武器にはあるまじき威力に歯を食い縛りつつも、老兵は切り離されてしまった仲間の身を案じていた。

 

(不味い流れじゃぞ、これは……っ!)

 

そう簡単にやられるような男ではないとは分かっていながらも、自分の心から余裕が削られていくのを感じる。

 

ギギギギッ、と耳障りな鍔迫り合いの音色が、ガレスの焦燥感を更に煽っていた。

 

 

 

 

 

激しい剣戟が繰り広げられている。

 

そこは戦場の中でも異色の様相を呈していた。そこかしこで敵味方が入り乱れる中、()()()()の周囲だけが無人になっていたのだ。

 

闇の騎士たちはそれぞれ離れた場所で戦っており、それはまるで、誰一人としてここより後方を通さぬと言わんばかりだ。

 

「はぁッ!!」

 

短い掛け声と共に、ティオネの得物である二振りの湾短刀(ゾルアス)が振り下ろされる。

 

その刃は、中心に鋭い突起が付いた盾『ピアスシールド』によって阻まれた。防御には不向きにも見える形状をしているが、その所有者たるジークリンデは見事にティオネの攻撃を無効化していた。

 

真正面に構えるのではなく、突起も利用した盾受け。ぶつかり合った瞬間、ティオネは固い岩盤にぶち当たったかのような印象を覚えてしまう。

 

「っ、ティオナ!」

 

「はいはぁーいっ!」

 

ティオネがそう叫んだ瞬間、ジークリンデの背後からティオナが飛び掛かる。

 

湾短刀(ゾルアス)とは正反対に巨大な武器である大双刃(ウルガ)を手にする褐色の少女は、姉が生み出した隙を逃すまいと渾身の力で振り下ろした。

 

「……!」

 

これ以上ない好機かに思われたが、ここでジークリンデが動きを見せる。

 

ぶんっ!と盾を振るい、止めていたティオネの刃を斜め下へと滑らせる。目を見開き前のめりとなって体勢の崩れた彼女を無視し、ジークリンデは振り向きざまに『バスタードソード』による一斬を放つ。

 

「うわっ!?」

 

ゴキィンッ!とかち合う二つの刀身。大双刃(ウルガ)を握る両手が痺れるほどの衝撃に、ティオナは弾き飛ばされてしまった。

 

ジークリンデの反撃は止まらない。流れるような動きで振り返ると、今度はティオネへと斬撃を見舞った。崩れかけた体勢からどうにか踏み止まった彼女であったが、顔を上げた瞬間には、すでに目の前まで巨大な刀身が迫っていた。

 

「くぅっ!?」

 

容赦ない斬撃を、身体をねじる事で対処するティオネ。振り乱れた黒い長髪、その何本かが刈り取られるのを肌で感じ取りながらも、ぎりぎりの所で回避する事に成功する。

 

ぶわっ、と汗が噴き出す。玉の雫となったそれらを置き去りにし、ティオネは第二撃が来る前に相手との距離を空けた。乱れた呼吸を整えつつ、自身の片割れへと声を飛ばす。

 

「ティオナ、やられてないでしょうね!?」

 

「う、うん!まだ平気!」

 

ティオナは弾き飛ばされながらも、空中で身を捻る事によって着地に成功していた。まだって何よ、と妹からの返答に内心イライラしつつも視線は目の前に固定されたままだ。

 

ジークリンデを左右から挟み込むように立つアマゾネスの双子。彼女たちにとって優位にも見える構図だが、実際のところはそうでもない。それは今までの戦闘が証明している。

 

二人のどのような攻撃にも冷静に対処し、時には自分から前へ出て鎧で刃を受け切る。奇抜な見た目の鎧だとは思っていたが、実際に戦ってみるとその形状の優秀(やっかい)さを嫌でも痛感させられる。

 

全身を流線形の金属で覆われては、どうしても斬撃の効果が薄くなってしまう。大双刃(ウルガ)のような重量級であれば話は変わってくるが、生憎と今のティオネの武装は比較的軽い素材で作られたナイフだ。腰に忍ばせた投刃(フィルカ)も同様に効果は薄いだろう。加えて先程まで振り回していた斧槍(ハルバード)も手元にはない。近くに転がっているのだろうが、回収しようにもこの場を離れる訳にはいかない。

 

自身の武装、犯してしまった悪手。それら全てが今のティオネを苦しめている。

 

こんな所で立ち止まっている場合ではないというのに。二対一にも拘らず、一向に攻め切れないなんて。本来激しい気性の持ち主であるアマゾネスの少女は、その内から湧き上がる感情を抑え切る事など出来るはずもなく―――。

 

「……面倒くせぇ」

 

―――理知的な思考を頭の片隅へと押しやった。

 

両手に握られた湾短刀(ゾルアス)を仕舞った彼女は、そのまま身体を撓ませる。

 

そして、()()

 

文字通りの勢いでジークリンデへと迫るティオネは、荒っぽい口調でティオナへと連携を促した。

 

「ティオナッ、合わせろッ!!」

 

「ぅえ!?」

 

「ッ!!」

 

狼狽えるティオナ。

 

突如の襲来にも反応するジークリンデ。

 

両者の反応などお構いなしに、ティオネは本能にものを言わせた拳を叩き込む。

 

「ッらぁ!!」

 

「っ―――!?」

 

勢いのままに振るわれた拳の威力は壮絶なものだった。これまで完璧に斬撃を防ぎ切っていたジークリンデは盾を構えたにも拘らず、二本の線を地面に刻み込みながら後方へと追いやられる。

 

無論、振るった拳もただでは済まない。骨が折れたのか、折り畳んだティオネの指が鈍い悲鳴を上げていた。

 

それでも彼女は止まらない。一撃目に重ねるようにして二撃目、三撃目と回数を重ね、力任せに相手の身体を押してゆく。

 

「らぁぁああああああああああッ!!」

 

「―――ッ!」

 

激しい連撃(ラッシュ)に後ずさるその背へとティオナが迫る。相手が防御に徹している今が好機、今度こそ弾かれまいとしなやかな身体を思い切り反らせ、渾身の力で大双刃(ウルガ)を真横に振るった。

 

「やあぁぁああーーーーっ!!」

 

挟撃。

 

アマゾネスの双子らしい豪快かつ息の合った攻撃に、二人は勝利を確信した―――が、それは間違いであった。

 

「やはり、そう来ますよね」

 

兜の奥から聞こえて来たその呟きをティオネは聞き逃さなかった。

 

一方的であるかに思われた猛攻。その最後の一撃とティオナの攻撃が決まる直前で、ジークリンデは身を翻したのだ。

 

「っ!?」

 

今まで拳を受け続けていた盾をあっさりと下げ、身体ごと回転させる。輪郭が霞むほどの速さを前にティオネの拳は空を切り、ティオナの大斬撃はジークリンデの鎧の表面を削るに留まった。

 

二人が瞠目した時にはすでにジークリンデの番だった。バスタードソードとピアスシールド、鋭い刃と鋭い突起が、ティオナとティオネに襲い掛かる。

 

「っあ!?」

 

「ッッ!?」

 

大双刃(ウルガ)を振り抜いた格好のティオナがその刀身を盾に出来たのは奇跡的だった。そうでなければ彼女の身体は、真っ二つに泣き別れになっていただろう。

 

しかし、それでも無事では済まなかった。先程とは比べようもない衝撃にティオナは踏み留まる事すら出来ずにそのまま真横へと吹き飛ばされる。近くにあった岩を砕き、地面を削り、ようやく彼女の身体は停止した。

 

ティオネの場合は更に深刻だ。

 

伸ばされた右腕、その二の腕を半ばまで鋭い突起が穿ち、彼女の視界に真っ赤な鮮血が現れる。肉を引き裂かれる激痛に呻吟の声を上げる事すら許されず、追い打ちのように―――あるいはこれまでのお返しとばかりに―――強烈な膝蹴りを腹部に喰らってしまう。

 

「がッ―――はぁ!?」

 

ティオナが貰ったほどの威力はなかったものの、まともに喰らってしまった膝蹴りにティオネは血と胃液と吐き出しながら地面をごろごろと転がってゆく。

 

「げほっ……ティオネ……!」

 

「ぐ、あ……っ!」

 

しっかりと立っているのはジークリンデのみ。彼女は鎧の腹部に刻まれた一筋の傷跡を指でなぞり、そして何事もなかったかのように大剣を肩に担ぎ直した。

 

「まだ生きているとは……頑丈ですね」

 

よろよろと立ち上がるティオネとティオナ。

 

そんな二人の脳裏に浮かんだ幼き日の光景が、自分たち以外には無人となった今の光景と重なる。

 

かつて幾度となく殺し合いを続けてきた故郷、闘国(テルスキュラ)―――そこに存在した戦場(アリーナ)が、再び二人の前に現れた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十九話 譲れぬもの

 

降り注いでいた呪術は止んでいた。未だ消え残る炎が大地を焼き続けてはいるものの、それは不死人たちの命を脅かすには程遠い。

 

「ラレンティウス殿、その……よろしいので?」

 

その呪術を行使した張本人たるラレンティウスは、近くにいた闇の騎士から質問を投げかけられる。それの意味する所を理解する彼は、はぐらかすような調子で答える。

 

「ああ。あんまり派手にやり過ぎるとお前たちの出番がなくなっちまうだろ?」

 

「な、なるほど……?」

 

「分かってくれたか。それなら、ほら。お前も行ってこい」

 

半ば無理やりな返答で闇の騎士を黙らせたラレンティウスは、目の前に広がる戦場を眺めつつ、小さな呟きを落とす。

 

「なぁ、“王”よ……これがあんたのやりたかった事なのか?」

 

誰にも聞こえる事のなかったその言葉は、どこか物憂げなものであった。

 

 

 

 

 

「【アルクス・レイ】!」

 

レフィーヤが完成させた詠唱が、光の矢となって闇の騎士へと迫る。

 

詠唱に違わず正確無比なその()()は闇の騎士を直撃し、その隙を突いて近くにいた不死人が止めを刺す。

 

「良いぞ、レフィーヤ。次は左だ!」

 

「はい!」

 

レフィーヤの隣に控えているリヴェリアがすぐさま次の指示を出し、それに応えるように彼女は次なる標的へ向け詠唱を始める。

 

「【解き放つ一条の光、聖木の弓幹(ゆがら)。汝、弓の名手なり】―――」

 

そこへ二人の闇の騎士が接近してきた。

 

白骨を思わせる不吉な剣を手にした彼らは、一目散に二人の元へと突貫する。接敵に気が付いたリヴェリアは杖を構え、背後にいるレフィーヤを守ろうと立ち塞がった……が。

 

それよりも速く、二つの影がリヴェリアの前に躍り出た。

 

「ッ!?」

 

突如の事に目を剥く闇の騎士たちであったが、すでに振り下ろした刃は止められない。そしてその切っ先はリヴェリアに届く事はなく―――構えられた盾と、二振りの剣によって阻まれる事となった。

 

直後。盾は敵の剣を弾き、双剣は刃を巻き上げ、二人の闇の騎士へと痛烈な斬撃を見舞った。

 

「ぎゃあっ!?」

 

「ぐぅっ!!」

 

いずれも急所を突かれ返り討ちに遭う闇の騎士たち。淡いソウルの欠片へと帰す亡骸を、二人の不死人は淡泊な眼差しで見下ろしていた。

 

「懲りない奴らめ」

 

「仕方のない事とは言え、やはり気分の良いものではないな」

 

 

 

―――実体 剣士ディクソンが現界しました―――

 

―――実体 名無しのジョン(ジョン・ドゥ)が現界しました―――

 

 

 

「すまない、二人とも。助かった」

 

「気にするな。ここで会ったのも何かの縁だ、最後まで付き合うさ」

 

「一方的に選択肢を突き付けられるのは好きではない。自分も諦めるのは苦手でな」

 

軽量ながら相応の堅牢さを持つアルバの鎧と武骨な鉄仮面で身を固めた不死人ディクソン。そして防御力こそ期待できないものの、己の動きを最大限に生かせる異国の旅装束を纏った不死人ジョン・ドゥは、さも当然のようにリヴェリアへと返答する。

 

互いに協力者への助力を惜しまぬ性分の二人は現在、魔導士であるレフィーヤとリヴェリアの護衛のような役割を担っていた。近接戦闘ではどうしても分が悪い二人にとって、彼らと出会えたのは行幸と言えるだろう。

 

戦闘が始まってしばらくの間は問題なかった。しかしあの火球が降り注いだ後、急激に闇の騎士たちの勢いが増したのだ。比較的安全だった後方にもその脅威は波及し、今や混戦のような有様になっている。

 

そこへ駆けつけてくれたのがディクソンとジョン・ドゥだった。この二人が来てくれたおかげでレフィーヤは再び魔法の行使に集中する事ができ、リヴェリアも彼女のサポートに専念する事が出来た。

 

「む……そろそろ効果が切れる頃か」

 

また、リヴェリアたちとの共闘は、二人の不死人にとっても大きなメリットがあった。

 

「【集え、大地の息吹―――我が名はアールヴ】」

 

杖を構えたハイエルフの王女が紡ぐ魔法が、清涼な風のよそめきを生み出した。そして彼女自身を含めた四人の身体を包み込むように、緑色の光が顕現し始める。

 

「【ヴェール・ブレス】」

 

その言葉を以て完成した緑光の衣は物理的、そして魔法的な攻撃に対して威力を軽減させる効果を持つ。身を賭して護衛に当たってくれている者へのせめてもの返礼だった。

 

切れかかっていた防壁を再び纏い直した二人は、奇跡によらぬ魔法の鎧の効果に舌を巻くばかりだ。

 

「凄いな。こういう芸当は奇跡の領分だと思っていたんだが……」

 

「私としては、その“奇跡”というものの方が気になる所だがな」

 

ディクソンの言葉に未知への好奇心を滲ませるリヴェリアだったが、すぐに気を取り直す。ここが戦場でなければゆっくりと会話でもしたい所だが、そうはいかない。

 

「済まないが、今の私がしてやれる事はこれで精一杯だ」

 

「いや、十分過ぎる程だ。これで心置きなく戦える」

 

防御力など(はな)から期待していない異国の旅装束を身に着けていたジョン・ドゥにとって、これほど頼もしい事はない。言葉に感謝の意を込めた彼はリヴェリアに背を向け、再び戦場へと意識を集中させる。

 

「さて、そろそろ仕事に戻ろう」

 

「そうだな。こっちは俺らに任せてくれ」

 

ジョン・ドゥとディクソンは、レフィーヤとリヴェリアを背にする形でそれぞれ左右の位置に立つ。混戦の色が強いこの状況下において、決して二人に敵を近付けさせまいとする覚悟の構えだ。

 

「……ああ、頼んだ」

 

二人の覚悟を(しか)と受け取ったリヴェリアはそう言い、再びレフィーヤのサポートに徹した。

 

一撃の威力よりも速射性を重視した魔法に切り替えたレフィーヤだが、それでも詠唱による隙は生じてしまう。無防備となってしまう彼女の目となり耳となるため、リヴェリアは周囲の状況へと神経と尖らせる。

 

そんな彼女たちを守る事こそが、ディクソンとジョン・ドゥが請け負った役割。

 

一度死んでしまえばそれで終わり。そんな者たちが命を張っている。その光景を前にした二人が手を抜く事など、あろうはずもない。

 

「いくぞ!」

 

「ああ!」

 

鋭い掛け声と共に、二人は走り出す。

 

押し寄せる闇の騎士たちへ目掛け、互いの武器を振り上げた。

 

「ぜあぁっ!!」

 

ディクソンが振るったブロードソードと、闇の騎士のダークソードがぶつかり合い、鋭い金属の音が響き渡る。

 

一瞬にも満たない膠着の後、打ち勝ったのはディクソンだった。敵の剣を押し戻し、返す刃でその胴体に深い一閃を刻み込む。

 

「がっ!?」

 

苦悶の声を漏らした闇の騎士など意に介さず、脇をすり抜けるようにして背後に移動。続けざまに見舞った更なる一斬によって、確実に相手を沈黙させた。

 

「おおォ!!」

 

「ッ!」

 

背後からの奇襲。それにも彼は冷静に対処する。

 

剣筋に合わせ素早く盾を滑り込ませこれを防ぎ、敵の腹部めがけて剣を振るう。しかし相手も一筋縄ではいかず、左手に装備していたダークハンドを盾のようにして展開させた。

 

赤黒く歪んだ障壁に斬撃を弾かれたディクソンだったが、彼はこれしきで止まったりはしない。

 

ブロードソードをくるりと逆手に持ち替えた彼は、盾に防がれるよりも速くその切っ先を相手の肩へと突き立てた。流れるようなその動きに無駄はなく、まるでこうなる事を想定していたかのようですらある。

 

「ぐぁっ!?」

 

悲鳴を上げ体勢を崩した闇の騎士へと振るわれるとどめの一撃。それは剣から手を離したディクソンが新たに取り出した打撃武器、メイスであった。

 

噴き上がる血飛沫。敵の頭部を粉砕した彼は、鉄仮面の奥で瞳を光らせる。

 

直後、掌よりメイスは消え去り、代わりに『潮の弓』が握られる。そして素早く矢を番え、力いっぱいに引き絞る。

 

「ジョン・ドゥ!」

 

「!」

 

飛んできた鋭い声に反応するジョン・ドゥ。

 

両手のショートソードで闇の騎士を斬り捨てた彼の背後には、もう一人の闇の騎士が立っていた。ダークソードを振りかぶり、無防備に晒されたその背を狙っている。

 

が、その直剣が振り下ろされるよりも速く、ディクソンが矢を放つ。

 

そして、それと全く同時に、ジョン・ドゥの振り向きざまの刃が闇の騎士の喉元へと迫った。

 

「がッ―――」

 

結果として闇の騎士の首は斬り裂かれ、その脇腹には矢が深々と突き刺さる事となった。ジョン・ドゥは崩れ落ちる敵兵を尻目に、ディクソンへと視線を移す。

 

「心配はいらない。気付いていた」

 

「……みたいだな」

 

素っ気ない返答に肩をすくませたディクソンは武装を切り替え、己が戦場へと戻っていった。

 

そんな彼の背へ、ジョン・ドゥはぽつりと呟きを落とす。

 

「―――だが、感謝する」

 

それは紛れもなく本心から出た言葉であった。

 

それはかつて騙し討ちによって放浪の身となってしまった過去から零れた言葉。裏切りを嫌う彼がここで出会い、こうして肩を並べて戦う事となったディクソンへと向けられた、偽りなき心の内を表したものだ。

 

だからこそ、無様な姿は晒せない。

 

ジョン・ドゥは刀身に付着した血を振り払いつつ、新たに現れた闇の騎士たちを睨みつけ……そして、勢いよく地を蹴った。

 

「ふッ!!」

 

白骨の集団へと、彼は二刀を振るう。

 

殺意と共に襲いかかる幾つもの重厚な刃を両手のショートソードで防ぎ、()なし、そして斬り付ける。最低限の防御力すらない装備に身を包んだジョン・ドゥだが、今はリヴェリアの緑光の衣(まほう)が効いているため負傷も恐れない。

 

「うぐっ!?」

 

「ぎゃあ!?」

 

擦り切れた外套をはためかせ、彼は黒い疾風となって闇の騎士たちに斬撃を刻み込んでゆく。

 

「奴の動きを止めろ!そうすれば後はどうとでも―――げっっ」

 

比較的離れた場所にいた闇の騎士が喚くも、その声は頭部に突き刺さった剣によって中断させられてしまう。何事かと瞠目する仲間の騎士たちが視線を向けた先にいたのは、ショートソードを投げつけた格好で立つジョン・ドゥだ。

 

「貴様……!?」

 

「何を驚いている」

 

敵の驚愕など知らぬとばかりに、彼は剣を投げたその手で腰に忍ばせたダガーを抜き放ち、それを逆手に構える。

 

右の直剣と左の短剣。刀身の長さが全く異なる二振りの刃を光らせ、ジョン・ドゥは声を低くして言い放った。

 

貴様ら(外道)を相手にするのだ。容赦などするものか」

 

 

 

 

 

ディクソンとジョン・ドゥが押し寄せる闇の騎士たちを迎撃してゆく中、レフィーヤは遠距離からの魔法攻撃に専念していた。

 

リヴェリアからの指示をもとに敵に狙いを定め、そこへ向けて魔法を放つ。戦闘を開始してからすでに何度も魔法を行使しているが、彼女の魔力が枯渇するような事態には陥っていない。その答えはリヴェリアの足元に展開された魔方円(マジックサークル)に隠されていた。

 

妖精王印(アールヴ・レギナ)】。

 

恐らくは歴史上、リヴェリアのみが発現させたであろう『レアスキル』。

 

この魔方円(マジックサークル)内にいる同胞(エルフ)に対してのみ、行使する魔法威力の上昇、そして周囲に拡散する『魔素』を回収・再吸収できるという恩恵をもたらす。

 

これによって、元来魔力が桁外れに多いレフィーヤの精神力(マインド)が枯渇する心配はない。常にほぼ満たされた状態であり、もはや補給不要の移動砲台と化していた。

 

(リヴェリア様、そして見ず知らずの人たちにここまでしてもらっている……それに応えられないようじゃ、アイズさんの隣に立つ事なんて出来ない!)

 

山吹色の長髪を振り乱しながら、額に滲んだ汗の雫を飛ばしながら、レフィーヤは詠唱し続ける。

 

そこにはかつての気弱な少女の姿はない。あるのは偉大なファミリアの一員として恥じる事のない働きを見せようと精一杯に戦う、立派な冒険者の姿だ。

 

(……本当に、良く育ってくれた)

 

そんな彼女を後ろから見守るリヴェリアの瞳が、感慨深げに細められる。

 

自身の後釜を期待されてはいるが、それでもまだまだ年頃の少女に過ぎない。精神も成熟し切っていない内にこのような()()に駆り出して良いものかと密かに危機感を抱いていたリヴェリアだったが、今のレフィーヤの姿にその考えが過ちであったと理解する。

 

対モンスター以外の戦闘でも臆さず、並行詠唱も出来ている。まだまだ面倒を見なくてはいけないと思っていた少女が見せた雄姿は、それほどまでにリヴェリアの心を動かすものであった。

 

この様子なら、きっと―――彼女の脳裏にそんな考えがちらついた、その時である。

 

 

 

「……―――ッ!!」

 

 

 

リヴェリアが周囲の状況を確認した瞬間。

 

翡翠色の双眸は大きく見開かれ、同時にレフィーヤを突き飛ばすようにして彼女の身体を強く押した。

 

「えっ?」

 

突然の出来事に間の抜けた声を出してしまうエルフの少女。詠唱は途切れ魔力が霧散し、杖を手に構えていたその手で地面に手をつく。

 

そうしてすぐさま振り返った先にあった光景―――それは焦燥一色に顔を染めたリヴェリアが、矢のように鋭い()()()()によって肩口を引き裂かれている姿であった。

 

「リ、リヴェリア様っ!?」

 

網膜を通じて脳へと届けられた映像。それを理解したレフィーヤの甲高い悲鳴が木霊する。その声にディクソンとジョン・ドゥも振り返り、リヴェリアが負傷している事に初めて気が付いた。

 

「気にするな、掠っただけだっ!」

 

三人を心配させまいと振るまうリヴェリア。しかし右手で押さえた傷口の隙間からは幾筋もの血が流れ、負った傷は浅くはないであろう事を示している。

 

レフィーヤは未だ動揺の治まらぬ心を落ち着かせようと呼吸を整え直しており、ディクソンとジョン・ドゥは自らの不手際を恥じている様子だ。決して後方には攻撃を届かせぬとしていたのに、このような事態になってしまうとは、と。

 

しかし、一番重要なのはリヴェリアが負傷してしまった事ではない。

 

事の深刻さを一番理解していたのは、紛れもない彼女自身であった。

 

(【ヴェール・ブレス】の効果はまだ継続している。防壁魔法を無効化するような細工を仕掛けられた形跡もなかった……つまり、威力を軽減させて(なお)、これほどの威力の魔法を行使する者がいる!)

 

オラリオでも最高位の魔導士と謳われ、自らもそう自負していたハイエルフの王女が辿り着いた答え。にわかには信じがたい、しかし認めざるを得ない事実。

 

それは―――自身よりも格上の魔術師(魔導士)の存在だ。

 

「確かに仕留めたと思ったんだが……成程、君はその少女の師という訳か」

 

「っ!」

 

バッ!と、リヴェリアが声のした方へと顔を向ける。

 

釣られてレフィーヤもその方向へと視線を飛ばした。そこにいたのは一人の男、何処かの学院の制服らしきコートに身を包み、周囲に十人ほどの闇の騎士たちを従えている。

 

片手剣のみを装備した闇の騎士たちがいる中、男だけが手に杖を握っていた。二人の杖と比べれば酷く簡素に見えるが、侮る事など出来ない。この場でそれを持っているという事は、つまりは()()()()()なのだから。

 

「仕方がない。苦しまずにとはいかないかも知れないが、恨むなよ」

 

これも“王”の理想の為。

 

そう言って黒コートの男……魔術師グリッグスは、リヴェリアとレフィーヤへ向けて『ソウルの矢』を撃ち放った。

 

 

 

 

 

主戦場から離れた地点。

 

『闇の王』が待ち構える最奥の一歩手前の場所にて、黒ローブの男と激しい戦いを繰り広げるのはアイズとフィンの二人だ。

 

「はぁっ!!」

 

『風』を纏ったアイズの神速の一閃。深層の大型モンスターすらも両断する斬撃を、黒ローブの男は盾を構えて防ぎ切る。

 

凄まじいのはその頑強さである。何の変哲もないような外見とは裏腹にいくら斬り付けても砕けるような事はなく、表面に浅い傷を残すのみ。自身の愛剣と同じく不壊金属(デュランダル)で出来ているのではないか。そんな思いがアイズの脳裏に生まれる程だ。

 

しかし、真に驚くべきはそこではない。

 

(やっぱり、速いっ!)

 

アイズの剣を容易く防ぐ反射速度。無造作に下げていた腕がブレたかと思えば、瞬きにも満たぬ間に目の前に現れる。何度挑んでも結果は変わらず、形の良い眉が歯痒げに歪んだ。

 

そんな彼女と同じ考えに至っていたフィンは、相手の強さの源がそれだけではない事を感じ取っていた。

 

「ふッ!!」

 

動きが止まった一瞬の隙を狙い澄ました長槍による刺突。小柄な体躯から放たれた鋭い一突きは斬撃などよりも遥かに対応しにくいが、男は焦った様子もなく冷静に対処する。

 

迫り来る穂先に剣の切っ先を合わせ、軌道を僅かに逸らせる。空しく虚空を貫いた銀の長槍を握るフィンはそれでも第二撃に打って出ようとしたが、それを封じるかのように男が蹴りを放った。

 

「ぐッ!?」

 

咄嗟にもう一方の長槍を構えて衝撃を緩和させるが、小人族(パルゥム)の身体では完全に勢いを殺し切る事は出来なかった。強烈な蹴りを受け、彼の両脚は地面から離れてしまう。

 

(速いだけじゃない―――(うま)い!)

 

ビリビリとした痺れを腕に感じつつ、フィンは確信する。この男はアイズの剣技にも対応できる程の身体能力と、二対一の状況下をものともしない戦闘技術を兼ね備えているという事を。

 

不死人という“死”の安息を許されない存在。心が擦り切れる程に死に続ければ、亡者と成り果ててしまう定めの者たち。これ程までの力を得るまでには全てを失う恐怖と隣り合わせになりながらも、多くの死地を潜り抜けなければならなかったのだろう。

 

否、彼だけではない。今この戦場で戦っている多くの騎士たちも、変わらざるを得なかった者たちだ。望まぬ不死を押し付けられ、人生を歪められた被害者なのだ。

 

そんな彼らが全ての元凶たる『神』という存在へ憎悪を抱くのは至極当然と言える。このオラリオの地に住まう多くの神々を殺そうとするのも、自分たちと同じ過ちを繰り返させはしないという、彼らなりの信念があるからに違いない。

 

だが……。

 

(僕らにも、譲れないものがある)

 

フィンの脳裏に過ぎるのはかつての記憶。多くの闇派閥(イヴィルス)が大頭し、下界を混沌と無秩序に陥れた『オラリオ暗黒期』の光景だ。

 

そんな中でフィンはガレスやリヴェリア、団員たち、そして他派閥のファミリアと共に戦い、そして遂に勝利した。理不尽な暴力に怯える人々に笑顔と活気を取り戻し、今のオラリオを作り上げたのだ。

 

あの時の、誰が欠けていても実現し得なかったであろう平和。ようやく掴み取ったそれが今、『闇の王』率いる神殺したちの手によって脅かされている。

 

故に、フィンたちもまた譲れない。

 

全ての小人族(パルゥム)の希望の証たらんと、ロキに根回しをしてまで名付けて貰った【勇者(ブレイバー)】の名において―――彼は決して諦めない。

 

「フィン……!」

 

強烈な蹴りを喰らったフィンの身を案じ、アイズの注意が一瞬逸れる。男はその隙を見逃さず、盾に大きく振るって彼女の体勢を崩した。

 

「っ!?」

 

ハッと我に返ったアイズはすぐに切り替えるも、遅い。

 

男の剣は振るわれており、すでに目の前にまで迫っている。アイズはイチかバチか『風』を身体に纏わせ、刀身が触れる瞬間に全力で魔力を解放しようとしたが―――。

 

 

 

キィンッ!という金属音と共に、男の剣が二振りの長槍によって阻まれた。

 

 

 

見れば、アイズと男の間に割って入るかのようにして、フィンが攻撃を防いでいた。蹴り飛ばされたかに思われた彼は無理やり体勢を切り替え、アイズの盾となったのだ。

 

「うっ……ぉおお!!」

 

「!」

 

ギリギリと拮抗した状態から気を吐き、二振りの長槍が剣を弾く。

 

そのまま身を大きく捻り、さっきのお返しだとばかりに今度はフィンが蹴りを見舞った。強引に状況を立て戻した小人族(パルゥム)の冒険者にさしもの男も驚いたのか、反撃する事なく跳び退(すさ)ぶ。

 

「アイズ、気を抜くな」

 

「……うん、ごめん」

 

少女を(たしな)める口調も必要最低限で、フィンの碧眼は男の動きに固定されている。大声も出さずに、それだけ相手を注視しているのだ。アイズもまた自らの愚行を反省し、二度と繰り返すまいと心を新たに愛剣を構え直した。

 

一方で、男はフードで覆われた暗闇から二人を見やる。

 

まだ幼さを残すものの強力な『風』を操り、高い潜在能力(ポテンシャル)を感じさせる少女。

 

小柄ながらそれを感じさせない立ち回りと、その場の最適解を選び続ける事が出来る男。

 

アイズとフィンがどのような人間なのか。直接剣を交える事でそれを感じ取った男は、慢心なく構えを取る。

 

自身の背後。“王”が戦っているであろう最奥へと、何人(なんびと)たりとも通さない為に。

 

 

 

 

 

―――あの不死人(ファーナム)との戦いを邪魔させない為に。

 

 




~今回登場した不死人~


剣士ディクソン hamcya様

名無しのジョン(ジョン・ドゥ) Amiye様


以上のお二人です。本当にありがとうございました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十話 冒険者としての戦い方

ほぼ全編戦闘シーンです。


 

「さぁ、いつでも掛かってこい」

 

「……っ!」

 

『闇の王』が無造作に手にしているブロードソードと竜紋章の盾。

 

突出した性能があるとは思えない直剣と盾だが、この男が持っているというだけで―――武装しているというだけで、凄まじい威圧感を放ってくる。

 

(だが、最も警戒するべきは……)

 

兜の奥で密かに汗を垂らすファーナムが視線を注ぐ先。それは『闇の王』が腰に吊り下げている鞘に納められた一振りの直剣だ。

 

それは『穢れた精霊』の頭部を貫き、その身体を魔石もろともに泥のような何かへと変質させた、あの剣である。あの時は離れていた上に一瞬しか見えなかったが、恐らく何らかの効果を持つ特殊な武器に違いない。

 

斬られた場合、精霊と同じように泥と化すのか。それとも別の結果が待っているのか。どうであれ(ろく)でもない目に遭うのは明らかだ。

 

(ならば、あれだけは絶対に喰らう事は出来んな)

 

とにかく、腰の剣だけは抜かせない。

 

これが最も重要だと判断したファーナムは僅かに腰を沈め、そして一気に『闇の王』の元へと走り出した。

 

疾走する最中(さなか)、右手のエスパダ・ロペラを構える。刀身の長さを悟られないよう切っ先を真っ直ぐに向けて突貫するファーナムに対し、『闇の王』はゆったりと、一歩前へと歩み出た。

 

そして、衝突。

 

鋭い刺剣の初撃は滑らかな盾によって阻まれ、同時にファーナムの動きも停止した。

 

「ぬぅ……!?」

 

突き出した右腕に伝わる尋常ではない手応え。

 

まるで巨岩に剣を突き立てたかのような感触はこれまで相対したどの敵とも違う。敢えて近いものを挙げるとするならば、それは『巨人の王』であろうか。

 

その堅牢さを証明するかのように、腰を入れて力を込めているファーナムに対して『闇の王』は悠然と立っている。勢いをつけて放ったはずの攻撃が、こうも容易く受け止められてしまったのだ。

 

「どうした、終わりか?」

 

「ッ!」

 

降りかかったその声に対し、ファーナムは左手のパリングダガーで応える。

 

全体重を乗せて繰り出した刺突。しかしこれも『闇の王』には届かない。合わせるかのようにブロードソードを閃かせ、キンッ!という甲高い音と共にパリングダガーの刀身は真っ二つに両断されてしまった。

 

いとも容易く行われた武器破壊に驚愕する間も与えられず、続く第二撃がファーナムへと襲い掛かる。彼は両手にある武器を放棄し、ソウルより新たな武装を出現させた。

 

『番兵の盾』で斬撃を防ぎ、一拍遅れて右手は『石像の槍』を掴み取った。腕を引いた反動で穂先近くの柄を手繰り寄せ、そのまま流れるように突きを見舞う。

 

「ほう?」

 

一秒の半分にも満たない時間で武装を変更、反撃に転じたファーナムに感心したかのような態度の『闇の王』。だが、やはりそこに焦りの感情は感じられない。

 

『闇の王』は上体を軽く捻り、突き出された槍を回避する。立て続けに三度も攻撃を防がれ、或いは躱されたファーナムは舌打ちし……。

 

「存外にやるな。―――どれ、私も一つやってみよう」

 

次の瞬間、その顔に焦燥の色を浮かべる事となった。

 

(不味い!?)

 

そう感じた時には、すでに身体は動いていた。

 

ファーナムは反射的に後方へ逃れようと、渾身の力で地を蹴った―――その直後。

 

「ぐッ、ふ―――!!」

 

脇腹で弾けた、途方もない衝撃。

 

それは通常の槍よりも更に長い『パルチザン』の薙ぎ払いによるものだった。『闇の王』が盾を消し去り、その手に握った戦槍によるそれはファーナムの後退を許しはせず、そのまま彼を真横へと吹き飛ばす。

 

「がっっ!?」

 

灰の地面に叩きつけられた彼は二転、三転しながらその身を汚していく。

 

武器などとうに両手から滑り落ちていた。やがて勢いが治まり地面に手を付いて起き上がろうとするも、兜の隙間から血の筋を垂らすその姿はどうみても深刻そのものだ。

 

(………強い)

 

まず最初に頭に浮かんだのは、純粋にそれのみだった。

 

初撃を防がれた時、続く第二撃目を無力化させられたあの時。咄嗟の機転で放った槍による刺突を難なく回避され、更には反撃を喰らってしまった、今この瞬間。

 

一連の流れで痛感させられた。かつて戦ってきた強敵たちの中でも『闇の王』以上の相手はいないという事を。武器の熟練度、状況への対応力、即座の判断能力。それら全てが飛び抜けて秀でているという事を。

 

(真正面からやり合うだけで勝てる相手ではない)

 

ならばどうするか?

 

……持てる限りの武装を以て、考えうる限りの戦術を以て戦うしかない。

 

小細工も、何もかも使う。体裁など知るものか。どれだけ泥臭い戦い方であっても、みっともない様を晒しても、最後に立っていた者こそが勝者なのだ。

 

(そうだ。今までだって、そうして来ただろう?)

 

彼の地、ドラングレイグでの強敵たちとの戦い。

 

それは挑んでは死に、再び挑んでは死に、また挑み……その積み重ねによって辛勝を掴み取って来た。時には白霊と共に戦った事もあったが、それでも楽な戦いはなかった。

 

何度も血反吐を吐き、何度も地を這い、何度も嬲り殺された。

 

それでも諦めなかった。不死の呪いを解く為に……他の者がどうなろうが、自分だけは“人”に戻る為に。

 

(だが……)

 

しかし、そんな考えは間違っていた。

 

自分の為だけに行動する。そんなものがもたらす結果など、たかが知れている。

 

孤独に戦い続け、その果てに得たもの。それはどこまでも孤独な岩の玉座であった。

 

果てなき旅路の終着点を見つけた不死人は、そこで遂に諦めた。“人”に戻る事など叶わぬ。どうあってもこの輪廻から抜け出せないと悟り、全てを投げ出したのだ。

 

そんな彼が、オラリオ(この地)で再び目覚めた。

 

 

 

孤独だった不死人は人に触れ、共闘し、そして神と邂逅した。

 

永く忘れ去っていた、“人”としての感情を取り戻した。

 

 

 

“人”を取り戻した不死人はダンジョンで“悪意”に触れ、己が内に宿る残虐性を突き付けられ、激しく苦悩した。

 

自分のような(もど)きではない。正真正銘の“人”を殺めて、何も感じなかったではないか……と。

 

そんな不死人を、一柱の女神が救ってくれた。その心に燻っていた重荷は解き放たれた。

 

不死人は、遂に“人”となった。

 

 

 

『皆に恥じぬ生き様を』

 

 

 

“人”として……“冒険者”としての生き方を見出した不死人は、地の底にて『王』と邂逅した。

 

『王』は神代を終わらせる存在。神を害悪と断じ、その存在を(ことごと)く抹消しようとしているのだ。

 

ふざけるな。

 

そんな身勝手な理由で、この世界の人々を混乱に陥れようとしているのか!

 

そんな事はさせない。

 

人と神が共に生き、共に築き上げたこの世界を守る為―――。

 

不死人(おれ)を受け入れ、“人”であると言ってくれたあの女神を守る為―――。

 

不死人(おれ)を認め、仲間だと断言してくれた皆を守る為―――。

 

 

 

(お前を倒すぞ―――『闇の王』)

 

 

 

 

 

 

 

 

「無駄が多い戦い方だが、成程。面白みはあるかも知れないな」

 

『闇の王』はファーナムを()()()パルチザンを一瞥し、そんな事を言ってのける。久しく不死人と戦っていなかった彼はその余韻を愉しむように、地に手を付いて起き上がろうとするファーナムへと視線を移した。

 

「ぐっ……!」

 

「さて、次は何を出す?剣か、斧か、魔術か、呪術か―――何でも構わないぞ」

 

掌の上で虫を弄ぶように、『闇の王』は追撃すらしてこない。それが慢心でも何でもなく、純然たる実力差故の態度である事はファーナムも承知している。

 

そして、そこにこそ勝機がある。

 

(奴はこの戦いを愉しんでいる。最初から殺すつもりだったのならば、先程の攻撃に手を抜く理由がない)

 

口の中に広がる鉄の味を飲み下し、立ち上がる。

 

手を抜いた攻撃とは言えこの威力である。『闇の王』が本気になればどれほどの力なのか、考えただけで背筋が冷たくなってくる思いだが……。

 

(油断とも言えぬ油断を突く。出来うる限り打ち合い、穿つべき()を見つけ出す!)

 

その程度の危機を乗り越えられずして、勝利は得られない。

 

フィンたちが言う所の『技と駆け引き』。オラリオで学んだ冒険者としての戦い方を取り入れ、ファーナムは『闇の王』を打倒しようというのだ。

 

その戦い方は未だ成熟したとは言い難いが、そこはドラングレイグで得た力で補う。

 

呼吸を整え直したファーナムは小さく息を吐き―――再び、『闇の王』へと目掛けて走り出した。

 

「おおぉぉおおおおおおおおおっ!!」

 

その雄叫びは自らへの鼓舞か、それとも冒険者へと憧憬の表れか。

 

無手のまま飛び出したファーナムに対し『闇の王』は動かない。左手に握られたパルチザンをソウルへと還し、右手に握ったブロードソードをだらりと垂らしている。

 

(やはり、自分からは動かない!)

 

『闇の王』がこう来るであろう事は予想していた。()()()終わらせない為にも、こちらの攻撃を捌くかのように行動するであろうと。

 

その考えは見事的中し、ファーナムは己の持ちうる全てを総動員して再び戦いに挑む。

 

「ッ!」

 

肉薄する直前。懐からある物を取り出し、投げつける。至近距離とは言えないものの、それなりに近い間合いから放たれたそれを、『闇の王』は剣を振り上げて両断する。

 

次の瞬間。青白い魔力が解き放たれ、両者の視界を一時的に封じた。

 

「む?」

 

ファーナムが投げつけたのは『魔力壺』だった。火炎壺と同じように内部に魔力が封じ込められた攻撃用の飛び道具だが、今回はそれを目眩ましとして利用したのだ。

 

普通に使った所で通用するとは思えない。だからこその“目眩まし”である。その甲斐はあったようで、魔力の霧が晴れるより先にファーナムは新たな武装を展開させる。

 

「ぬぅんッ!!」

 

飛び掛かり、大上段の構えから振り下ろされた一斬。

 

気合いの入った掛け声と共に、両手で握り込んだ『巨象の大剣』が『闇の王』の頭蓋を叩き割らんと迫る―――が。

 

ガキィンッ!!と、凄まじい金属音が響き渡る。見れば、『闇の王』は左手に新たな武装を展開させていた。

 

それは奇しくも、ファーナムが持つ武器と同じ分類に当たるもの……つまりは『蛇人の大剣』であった。両手で振り下ろした巨象の大剣を、『闇の王』は頭上に構えた蛇人の大剣で防いだのだ―――左腕一本のみで。

 

「目眩ましか。随分と安直だな」

 

「ッ!」

 

攻撃が届かなかったと判断するや否や、ファーナムは手にした大剣を消し去り次の行動へと移る。

 

両手に持つのは『炎のロングソード』と『ハイデの騎士の直剣』。ドラングレイグでの旅路において、長く共に歩んできた信頼の置ける武器でもある。

 

着地した時には構えに入っていた。

 

二振りの特別な直剣を手に、姿勢を低くして即座に斬りかかる。雷剣と炎剣が十字を描き、『闇の王』目掛けて放たれる。

 

「ああ、やはり速い」

 

しかし。

 

無常にも斬撃はその身体に届く事はなく、血に錆びた重厚な刃によって破砕されてしまった。

 

「だが無意味だ」

 

「なっ……!?」

 

防御の為に構えられていた大剣を振り下ろした。たったそれだけの事なのだが、一瞬の判断でこれを実行できる者が果たしてどれほどいるだろうか?

 

下手に飛び退くよりも有効だが、それは防御に徹すればこその話。『闇の王』のように攻撃に転じ、あまつさえ武器を破壊するなど、常識外れにも程がある。

 

地面に大きな亀裂を残す斬撃を受け、呆気なく砕かれた二振りの直剣に驚きを隠せないファーナム。兜の奥で瞠目する彼は同時に、両断されたパリングダガーの事を思い出す。

 

(あれはまぐれでも何でもない、その気になればいつでも破壊できるという事か!)

 

戦場を掻い潜ったために耐久力が落ちていた訳ではない。恐らくは『闇の王』が破壊しようと思えば、短剣だろうが特大剣だろうが、それこそ大盾であろうが破壊されてしまうのであろう。

 

ふざけるな!と叫びたい感情に駆られるも、そんな隙を晒せば容赦のない攻撃がやって来る。ファーナムは柄のみとなった両手の剣をかなぐり捨て後退―――ではなく、更なる反撃へと打って出た。

 

「はァッ!!」

 

下手に距離を取らずに果敢に攻めゆく。流石に先程のような愚行は繰り返さないか、と『闇の王』は思ったが、そんな考えはすぐに頭の中から消え去った。

 

「……!」

 

『闇の王』の双眸が僅かに細まる。

 

身体の側面を狙ってきた長い柄を持つ()のよる攻撃。それをブロードソードで斬り上げて弾き返すも、すぐに次の攻撃がやって来る。その速度は槌にはあるまじきものだ。

 

まるで斧槍のように扱って見せるファーナム。それが彼の技量のみによるものではなく、そのように造られた()()である事に、『闇の王』は僅かに遅れながらも気が付いた。

 

『古竜院のメイス』。

 

分類としては大槌ながら、その取り回しは斧槍と同じ。振りの速さと槌の重さを兼ね備えたこの武器は、相手の受けを崩して隙を生み出すのに最適と言える代物だ。

 

「はッ!ぜあぁッ!」

 

「面白い。こんな武器もあるのか」

 

裂帛の気合いで打ち連ねてゆくファーナムの攻撃に『闇の王』が一歩後退する。それでも全ての攻撃をブロードソード一本で捌き切る姿は見事の一言に尽き、余裕の色は未だ消えていない。

 

追い詰められた様子もなく、むしろ武器の性能に感心するように独りごちる『闇の王』。その態度にまだまだ“隙”には程遠いと悟ったファーナムは、渾身の力で柄を握り込んだ。

 

「うっ……ぉぉおおおおっっ!!」

 

強く踏み込み、全身の筋肉を隆起させながら放った重打が『闇の王』の剣に挑む。

 

その一撃はこれまで以上の勢いで振るわれ―――そして遂に、ブロードソードは砕かれた。

 

「ッ!」

 

その瞬間、『闇の王』は確かに驚愕した。

 

剣が砕かれた事もそうだが、それ以上にファーナムという不死人の秘めたる力量を目の当たりにしたからだ。

 

何度もやって出来るものではないだろうが、この不死人はきっと武器破壊程度ならやってのける。今まで戦った事のある者たちの中でも、間違いなく上位に食い込む相手であると再認識する。

 

『闇の王』は砕かれた剣を手放し、新たな得物を自身のソウルより呼び出す。青白い光がその手に収束し始め、武器としての輪郭を形作ってゆく。

 

一方で、このまま続けて攻撃するかに思われたファーナムであったが、何を思ったのか『闇の王』の脇をすり抜けていった。背後を取るように地を蹴る彼は古竜院のメイスを消し去り、別の武器を右手に顕現させる。

 

すれ違いざまに振り返る『闇の王』。騎士然とした兜の奥から放たれた鋭い眼光を、ファーナムは真正面から睨み返した。

 

そして―――ドゴォッッ!!と。

 

ファーナムが振り下ろした『巨人兵の大槌』が、『闇の王』のすぐ足元を穿ち。

 

 

 

『闇の王』の突き出した『リカールの刺剣』が、ファーナムの左肩を貫いた。

 

 

 

「づッ……」

 

()()は失策だったぞ」

 

冷ややかに(わら)う『闇の王』に、ファーナムは呻吟の声を漏らすばかりだ。

 

ここで選択した武器が槍や剣であれば、あるいは手傷程度は負わせられたものを。一撃で決める為に選んだ特大武器が裏目に出たな―――鈍重に過ぎる大槌の攻撃をひらりと躱した『闇の王』の視線は、そう物語っていた。

 

彼はファーナムの左肩を貫いたリカールの刺剣を引き抜くと、そのまま目にも止まらぬ剣技を繰り出す。零れ落ちた血の雫が地面に落ちるよりも速く、甲冑に覆われたその身体を鋭い六連突きが襲った。

 

「かっ、はァ―――!?」

 

容赦のない攻撃が突き刺さる。

 

肩、胸、腹に鋭い突きを貰ったファーナムは再び血を吐き、巨人兵の大槌を手放した彼は背中から倒れ込むようにして、地面へと引き寄せられてゆく。

 

(終わりか、呆気ないものだ)

 

あっさりとやられてしまった敵を前に『闇の王』はつまらなそうに武器を構える。ならばこれで十分。次の刺突で頭部を穿ち、それで終いにしてやろうと腰を落として……そこで、気が付いた。

 

「……―――っ!」

 

バッ!と、視線を向けた先は自身の足元。

 

そこにあったのは、地面にめり込んだ巨人兵の大槌。朽ちた大木の先端にくくり付けられた巨大な岩―――それと自身の左足が、()()()()()()()()()()()()()()されていたのだ。

 

「これは……」

 

糸はべったりと絡みつき、易々と取れそうではない。『闇の王』は足元からファーナムへと視線を移動させ、その左手に持っていた武器を目にする。

 

それは歪な形をしており、ねばねばとした糸が付着した曲剣だった。

 

生理的嫌悪を催す生物の足にも似たその武器の名前は『蜘蛛の牙』。毒を打ち込むのではなく、獲物を捕らえる事に特化した異形の曲剣である。

 

(成程……狙いはこれか)

 

目を引く巨大な槌は囮。本命はその重量を利用し、『闇の王』をその場に繋ぎ止める事。半身を隠すようにして巨人兵の大槌を振り下ろしたために、左手に隠したもう一つの武器に気が付かなかったのだ。

 

『闇の王』がその狙いを理解するも、すでに状況は動いている。

 

ファーナムは倒れ込む直前に地面に手を付き、そのまま宙返りの要領で体勢を立て直すとふらつく足に力を込める。エストを飲む時間も惜しい。素早く輝雫石を取り出して砕き、体力の回復も待たずに行動に移る。

 

『闇の王』を中心に弧を描くようにして走り出す。魔術や呪術による攻撃を警戒し、つかず離れずの距離を保ちながら、再び背後へと回り込もうとしていた。

 

(まだだ……!)

 

動きを封じたとて安心はできない。むしろこの程度の足枷など、何でもないに違いない。

 

だからこそ徹底的に隙を作り、そこを突く。小さな隙ばかりを狙っていては決して勝てない、格上のモンスターを相手にするに当たっての冒険者としての定法(セオリー)を、ファーナムは実践する。

 

(決定的な“隙”を!!)

 

眦を裂き、ファーナムは『アヴェリン』と『聖壁の連装クロスボウ』を構える。互いに三連射が可能な機構を有したクロスボウは、都合六発の雷のボルトを撃ち出した。

 

紫電を纏って標的へと突き進んでいったボルトは、しかし『闇の王』が構えた巨大な鉄塊によって阻まれてしまう。

 

その鉄塊の刃はこちらに向けられている。この距離で当たる訳もなく、投擲でもする気なのかと感じたファーナムは―――次の瞬間、大きく前へと跳んだ。

 

「くっ!?」

 

『闇の王』がその鉄塊を……『ゴーレムアクス』を振り抜く。

 

その直後、飛んできたのは真空の刃であった。古き巡礼の地、センの古城において数多の英雄を屠り去って来たアイアンゴーレムの使った必殺が、ファーナムへと向けられたのだ。

 

「~~~~~~~っっ!?」

 

すぐ後方で爆発した衝撃波に背を殴りつけられながらも、どうにか直撃を免れたファーナム。大きく抉られた地面などには見向きもせず、半ば転がりかけながらも再び走り出した。

 

次に彼が手にしたのは『アザルの杖』。魔術の使用回数を大幅に減らすが、その分スペルの力を最大限まで引き出す事ができる賢人の杖だ。解き放つ魔術は『ソウルの槍』。道中、竜たちとの戦闘でソウルの奔流は使ってしまったが、それでも貫通性に優れたこの魔術の威力は侮れない。

 

槍状に練り上げられたソウルの塊がうねりを上げる中、『闇の王』は左手に盾を装備する。

 

煌びやかな意匠が美しい『紋章の盾』だ。彼はそれを迫り来るソウルの槍へと()()に構えると、あろう事か軌道をずらして無効化してしまったではないか。

 

「くそ……!」

 

憎らしいまでに見事な受け流し。パリングとも違う超高等技術を前に放たれた魔術は標的を失い、やがて淡い光の粒子となって霧散してゆく。

 

二度とも仕掛けた攻撃は失敗に終わった。

 

しかし、ようやく相手の背後を取る事が出来た。

 

これまでの攻撃は『闇の王』の気を引くものでしかない、本命はこれからだ。ファーナムは杖を呪術の火に切り替えると、下準備として『毒の霧』を発生させる。

 

―――これもまた、目眩ましのつもりか?

 

毒の霧越しに『闇の王』の声が聞こえてくるが、取り合っている暇はない。

 

十分に霧が充満したその瞬間を見極め、ファーナムは己がソウルより掴み取った得物を、力の限りに振るう。

 

 

 

「―――シィッッ!!」

 

 

 

振り下ろされた二枚刃の刀身は凄まじい斬撃を生み、それはそのままの威力で突き進んでゆく。

 

ファーナムが振り抜いた得物……『飛竜の特大剣』は、正しく竜の力を宿した武器。伝承に残る彼の竜には遠く及ばぬまでも、それでも十分な効果が期待できる。

 

クロスボウとも、魔術とも違う。正真正銘の竜から成る特大剣の一撃は、これまでのように簡単には防げはしない―――そんな淡い期待を込めて、ファーナムは霧の晴れた前方を見やる。

 

果たして、そこには………。

 

 

 

身体の前面に『ハベルの大盾』を構えた、『闇の王』が立っていた。

 

 

 

「―――――っ」

 

ぴくり、とファーナムの肩が揺れる。

 

それは動揺か。あるいは、やはり……という予感が確信に変わった故のものか。

 

「この力……(おおよ)そ、飛竜のものか」

 

衝撃波を防ぎ用済みとなったハベルの大盾を消し去りつつ、『闇の王』が口を開く。

 

「中々の威力ではあるが、残念だったな。たかだか飛竜程度の力が、岩の盾に敵うはずもない」

 

そう言って『闇の王』は、ファーナムへと()()()()

 

足元を固定していたはずの戒めはすでに解かれていた。それが強引に―――純粋に力のみで成されたのは、破壊された巨人兵の大槌が証明している。

 

「だが面白い手だった。こんな戦い方をする者は、今まで出会った事がない」

 

「………っ!」

 

悠々と歩みを進める『闇の王』。

 

一方で、ジリ……と後ずさるファーナム。

 

ここまでして一向に埋まらない力の距離。それをまざまざと見せつけられたファーナムが、兜の奥で苦々しく口元を歪める。

 

「どうした?……続きだ」

 

『闇の王』は笑みさえ浮かべていそうな声で、そう言った。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十一話 代償と真意

今回は戦闘2割、会話8割くらい?となります。展開が遅いと言われるかも知れませんが、そこはご容赦下さい。

また、これまでにご応募下さったオリ不死人の件ですが必ず登場させて頂きますので、もうしばらくお待ち下さい。


斬りかかる。

 

叩きつける。

 

穿つ。

 

射る。

 

……その悉くが意味を成さない。

 

斬りかかった剣は防がれ、叩きつけた槌は砕かれ、穿ったはずの槍は止められ、射った矢は空を切る。

 

返す刀で振るわれる『闇の王』の攻撃は正確そのもの。今までは手を抜いていたと言わんばかりに、武器の数々はファーナムの身体を傷つけてゆき―――今や彼は、満身創痍となっていた。

 

「はッ、はッ、はッ……!」

 

ザクッ、と地面に砕かれた剣が突き刺さる。

 

半ばで折られた『グレートソード』を支えに、どうにか倒れ込まずに済んでいるファーナムの全身は流血に塗れていた。

 

入団当初には団員たちから畏怖と羨望の眼差しを向けられていた見事な鎧の姿は見る影もない。ところどころが砕け、凹み、肩の毛皮はもはや赤く染まっていない箇所の方が多い。雫となって滴り落ちる血ばかりが溢れ、瀕死も同然の様相だ。

 

「存外に、よく粘る」

 

一方で『闇の王』。

 

その身に纏った騎士甲冑は黒く汚れているものの、目立った傷はほとんどない。細かな傷はあるものの、それはこれまでの旅路で生じたもの。この戦いで付けられたのはほんの一部に過ぎない。

 

彼はファーナムの手から離れた『タワーシールド』の()()を踏みつけ、周囲に散らばる数々の武器の欠片を眺めつつ、口を開く。

 

「不死同士の戦いならではの光景だな。果たして相手はどのような武器を、どれだけ持っているのか―――ああ、昔を思い出す」

 

「………っ!」

 

その言葉を無視し、ファーナムはエスト瓶を呷る。

 

途端に傷は癒え、流血も止まる。傷ついた鎧はそのままだが、少なくとも瀕死の状態からは脱したと言えるだろう。しかしそれで安心できるかと言われれば、それは違う。

 

エスト瓶の中身は残り僅かにまで減ってしまっていた。『闇の王』の攻撃は受けに徹しても肉体にダメージを与え、少しでも気を抜けば致命傷となるものばかり。即座の回復を要求され続けた結果、もはや雫石もエスト瓶の残りも心許無い状況だ。

 

(遊ばれている、のだろうな)

 

未だに底が知れない『闇の王』の戦力。

 

戦闘開始からすでにそれなりの時間が経過しているが、ファーナムの優勢に傾いた事は一度もない。いくら武器を振るおうとも、その攻撃がまるで通じないのだ。

 

(長引かせる訳にはいかないというのに……!)

 

早く終わらせなければ、と焦りばかりが募ってゆく。

 

今も戦場では多くの者たちが戦っている。アイズたち【ロキ・ファミリア】の面々に、椿やルカティエルやバンホルト、そして見ず知らずの不死人たち。呼びかけに応じてくれた彼らの恩に報いる為にも、徒に時間をかける訳にはいかない。

 

しかし、ファーナムが焦燥感を抱く理由はそれだけではない。

 

(何よりも……()()()()()

 

その焦りを悟られまいと、ファーナムは折れたグレートソードを捨て去り、新たな武装を掴み取る。

 

『茨の大剣』。ドラングレイグ王城にて戦った鏡の騎士のソウルより生み出された武器である。

 

刀身の半分ほどにまで茨が絡みついた大剣を手に、ファーナムは走り出した。対する『闇の王』はその手中に黒い弓を……『ファリスの黒弓』を出現させ、独特の構えを取る。

 

「!」

 

通常の弓の構えではない。縦ではなく横に構えられたその姿に、ファーナムの脳裏に『狩人の黒弓』が過ぎる。

 

使う者が使えば必殺にもなり得る熟達の黒弓―――その名を汚す事などあろうはずもなく、『闇の王』の放った矢はどの攻撃よりも鋭い一撃となって襲い掛かった。

 

咄嗟に茨の大剣を正面に構えたのは、半ば反射的なものだった。次の瞬間には目にも止まらぬ速度で放たれた矢が刀身にぶち当たり、その重さに似合わぬ衝撃が両腕に伝わってくる。

 

「っう!?」

 

疾走の勢いを失いかねない弓の一撃を、しかしファーナムは耐え切った。再び地を蹴るかに思われたその足で思い切り踏み締めた彼は、渾身の力を以て茨の大剣に秘められた力を解き放つ。

 

「―――ハァッ!!」

 

大斬撃。

 

彼我の距離では決して届かない刀身から放たれたのは、一条の雷であった。

 

鏡の騎士が使った技。その刀身から雷を放つ必殺は、確かにこの大剣にも伝わっていた。ドラングレイグ王城、その最奥まで辿り着いた数多の不死を屠り去って来た一撃が、『闇の王』目掛けて一直線に突き進んでゆく。

 

「……ふん」

 

迫り来る雷撃に対し『闇の王』はつまらない風に―――或いは不快そうに―――鼻を鳴らす。

 

彼はおもむろに前傾姿勢となった。その時には手中の弓は姿を消し、代わりに鞘に納められた極東の刀剣『居合い刀』が、その腰に備えられていた。

 

すでに目前へと迫った雷撃。瞬きひとつする間に直撃するであろうそれは―――『闇の王』が鞘より抜き放った斬撃によって真っ二つに切り裂かれてしまう。

 

「なっ!?」

 

雷撃を両断する光速の斬撃に、思わず絶句するファーナム。避ける、防ぐといった行動は予想していたが、まさか真正面から打ち破られるなど露ほども思っていなかったからだ。

 

紫電が纏わりついた刀身を振り払い、『闇の王』は悠然と刀を鞘へと納める。その姿にまだまだ本気になっていないと察したファーナムはどうにか状況を打開すべく、自身の持つ武装の中でも最重量の得物『溶鉄槌』をソウルより顕現させる。

 

それを()()に走り出そうとした―――その時であった。

 

(―――――ッ!?)

 

体内を駆け巡った()()が、彼の脳裏に警鐘を鳴らした。

 

ほぼ反射的に溶鉄槌を()()で握り直し、何事もなかったかのように突貫する。超重量の鉄の塊を振りかざすファーナムに、『闇の王』は『大竜牙』で以て迎え撃った。

 

「ぉぉおおおおおおッ!!」

 

ゴォンッ!!ゴキィンッッ!!と、凄まじい轟音が連続する。

 

(ほう。たかが金属とは言えここまで巨大な鉄塊であれば、朽ちぬ古竜の牙を相手にしても打ち合えるという事か)

 

ファーナムが振るう規格外の大槌を真正面から打ち払いつつもそんな事を考えていた『闇の王』は、しかしどこか違和感を感じていた。

 

(この不死人、これまでに相当量のソウルを吸収してきたに違いない……ではなぜ両手で振るう攻撃が()()()()()?)

 

今なお振るわれ続ける大鉄槌。

 

それは常人であれば持ち上げる事すら困難で、巨大な鉄塊。下手に扱えば隙を呼び込んでしまうような武器を取り出した以上、扱いが未熟であろうはずもない。にも拘らず繰り出される打撃は両手で振るっているとは思えない程に軽いのだ。

 

手からすっぽ抜けてしまう事を恐れているような、どうにも腰が入りきっていないような……そんな釈然としない感情を抱く『闇の王』であったが、そこである事に気が付いた。

 

 

 

それは淡い光の粒子―――すなわちソウルが、ファーナムの身体から放出されている事を。

 

 

 

「お前……それは」

 

「っ!!」

 

途端、バッ!と距離を取ったファーナムは、着地と同時にちらりと横目で自身の身体を確認する。

 

肩から、背中から、腕から、脚から、全身から。絶えずソウルの流出は続いている。勢いは極めて緩やかではあるものの止まる気配はなく、ある意味では幻想的とさえ言える光景である。

 

(くそ、始まったか―――っ!?)

 

声にこそ出さなかったものの、ファーナムの心は荒波の如くざわめいていた。

 

そしてその焦りを感じ取ったかのように、『闇の王』は兜の奥で口角を吊り上げる。

 

「なるほど……()()か」

 

「ッ!!」

 

確信をもって発せられたその言葉を、ファーナムは跳ね返す事が出来ない。ただ言葉を詰まらせ、視線を落とさずにするだけで精一杯だ。

 

それもそのはず。『闇の王』が見抜いたのは、紛れもない事実なのだから。

 

「思えば当然の事だ。これほどの数の同胞を招き入れる秘術―――ここでは魔法と言うのか?それを行使しておきながら、代償の一つもない訳がない」

 

「………」

 

否定はしない。ただ静かに見据えるのみ。

 

それこそが答えだとでも言わんばかりに、闇の王は笑みを深める。

 

そんな中で……ファーナムの身体は緩やかな喪失感に苛まれていた。

 

 

 

 

 

ファーナムが発現させた魔法【ディア・ソウルズ】。

 

それはドラングレイグを旅した他世界の不死人たちを実体として現界させ、共闘するための魔法。自分の為だけでは効果を発揮できない、仲間を想う強さに応じて効果範囲を増減させる魔法だ。

 

そして、その詠唱の一節にはこうある。

 

【出会いし友を胸に、奪いしソウルを糧に、()()()()()()―――火よ、盛れ】

 

そう。

 

この魔法は、正しくファーナムという不死人を薪に燃え続ける炎に等しい。

 

世界と世界を繋げる大禁呪。『白いサインろう石』も使わずに、およそ一千もの不死人を現界させる為の原動力。それは即ち万物の源、ソウルである。

 

ファーナムがこれまでに収集してきた、己が内に溜め込み、或いは血肉としてきたものすべてを捧げて初めて完成する魔法……それが【ディア・ソウルズ】の正体なのだ。

 

 

 

 

 

「ソウルを代償とした場合に起こる現象、それは恒常的な能力の低下。筋力や体力は衰え、覚えた魔術や呪術なども次第に使えなくなる……と言ったところか」

 

『闇の王』の分析は的を射ていた。

 

ソウルによって常人を凌駕した肉体を得られるという不死人の特性上、その身に宿るソウルを捧げるという事は文字通り自身の全てを捧げるという事になる。

 

高い筋力を必要とされる武器は持ち上げる事すら難しくなり、まともに剣技を振るうための技量すら失う。記憶した魔術、呪術、奇跡は次第に忘却し、行使に必要な最低限の力も消えてゆく。

 

これまでに自身が歩んできた証。血に塗れた旅路、強者たちとの戦いの記憶、その果てに得たもの全てが失われてゆき……最後には奇跡の炎は燃え尽き、非力な一人の不死人しか残らない。

 

自己犠牲という言葉で片付けるには、余りにも大きすぎる代償だ。

 

「………その通りだ、『闇の王』」

 

誤魔化す素振りすら見せず、ファーナムはこれを素直に認めた。

 

溶鉄槌を肩に担ぐのではなく地に付けている事が何よりの証拠だった。それに見合う筋力など、今の彼にはすでに無いのだから。

 

(知られる前に(かた)を付けたかったのだが……不味いな、これは)

 

こうしている間にもその内からはソウルが失われ続けている。

 

一千にも及ぶ不死人たちを現界させ続けている以上、それに見合うソウルの量も膨大なものだが無限ではない。ファーナムの内からソウルが尽きたその瞬間……呼びかけに応じた不死人たちも、元の世界へと戻ってしまうのだ。

 

(いたずら)に時間をかければかけるだけ、『闇の王』との戦闘が長引けば長引くだけ自分の首を絞める事となる。かと言って攻め切る事も出来ない。

 

(だとしても―――っ!)

 

そう。

 

だとしても、やるしかない。それ以外に出来る事はなく、また、それが唯一出来る事なのだから。

 

「……何が」

 

「……?」

 

いざ飛び掛からんとしたファーナムだったが、『闇の王』の呟きがその動きを留めた。

 

「何がお前を、そうまでさせる」

 

「何が、だと?」

 

「そうだ。己の歩んできた旅路の全てが無に帰すやも知れない。それ程の事を、何故お前はこの世界の神々のために実行できるのだ」

 

理解に苦しむ。『闇の王』の言葉の端からは、そんな感情が見え隠れしていた。

 

ここへ来ての質問を、ファーナムは無視など出来なかった。ソウルの流出は始まっており、時間も限られている。しかしこの問いかけを振り払うのは違うと、そう直感的に感じたからだ。

 

「……別に、全ての神々を助けたいと思っている訳ではない」

 

ファーナムの脳裏に浮かぶ神々の顔。

 

自身の主神ロキを始め、椿の主神であるヘファイストス、ギルドの主であるウラノス。他にも街中で目にした多くの神々がおり、彼らもまた今のオラリオを形成している重要な者たちだ。

 

その一方で、闇派閥(イヴィルス)に属する神々もいる。

 

今もオラリオのどこかで彼らは息を潜ませているとの噂だ。法と秩序とは正反対の、混乱と無秩序を望むその神々など、正直ファーナムはどうなっても構わないと……否、捕らえて天界に送還すべき存在であると理解している。

 

「善神は人々と共に在り続けるべきだ。俺はそう考えているが、お前は違うのだろう。善も悪もない、全ての神を殺そうとしているのだろう」

 

「無論だ」

 

「俺にはそれが許せない。全ての神を悪と決めつける、お前のその考えがな」

 

神という括りで全て悪であると断じる『闇の王』。

 

何故そこまで神を敵視するかを知らぬファーナムは、言葉に熱を込めて反論を加速させる。

 

オラリオ(ここ)を見ろ!人々の顔を見ろ!どこに悲劇がある?どこに絶望がある!?あるとすれば、それはお前たちが神殺しをした後の世界だっ!!」

 

「………」

 

「人々の穏やかな暮らしを壊してはならないっ!……どのような経緯(いきさつ)があれ本来お互いに知り得ない、関わりのない世界だ。俺たちが好きに踏み込んでいい道理はないだろう」

 

どの口が言う、とファーナムは我ながらに思った。

 

目覚めたらこの地にいた訳だが、それでもオラリオから出てゆく機会はいくらでもあった。誰もいない土地まで行き、そこで果てる道だって選べたはずだ。

 

それが人々の優しさに触れ、神の慈愛に触れ、今の自分がある。そうであるが故に、口を挟まずにはいられない。矛盾しているかも知れないが、それでも黙ってはいられなかった。

 

言いたい事を伝え終えたファーナムは、静かに『闇の王』の出方を窺う。

 

「………()()()を知らぬからそのような言葉を吐けるのだ」

 

「―――っ」

 

その言葉に、ファーナムの肌が泡立った。

 

声自体は大きくはないのに巨獣の唸り声を間近で聞いたかのような、そんな奇妙な感覚。理性ではなく本能に訴えかけてくるその声に、思わず後ずさりしてしまいそうになる。

 

そんな中、『闇の王』は唐突にこう切り出した。

 

「不死人よ、お前は神々がいなくなった後の世界を想像できるか」

 

「神々がいなくなった後の世界……?」

 

「そうだ。神々の駆逐を終え、ソウルという概念も、存在すらも消え失せ、真に人の世となった世界を」

 

『闇の王』は虚空を仰ぎ、瞼の裏にそれらの世界を思い浮かべる。

 

 

 

 

 

「独自の魔術体系を一から作り上げた世界があった。秩序が大地を駆け巡り平和を実現させた世界があった。我々が目にしてきた事の無いような、未知の技術で溢れた世界があった」

 

「魔術に依らず“光”を制し、呪術に依らず“火”を操り、奇跡に依らず“雷”を生み出した。それらの技術を()り合わせ、人々は更なる高みへと進化していった」

 

「鉄の翼で空を駆け、空より高き空へと旅立ち、更にその先へ思いを馳せる。海の底より更に底、未知の領域へと挑戦し続ける世界があった。これら全て、人のみの力によるものだ」

 

 

 

「無論、どれもが明るい世界ではなかった」

 

「とある世界では獣が跋扈し、血と臓物に彩られた世界があった。とある世界では不死(死なず)の探究が人々を惑わせ、怨嗟と炎に包まれた世界があった。とある世界ではすでに人類など息絶え、その創造物たちが鉄の人形たちと無意味な戦争を続ける世界があった」

 

「それでも、そんな世界にあっても人は強くあり続けた」

 

「神に干渉され続ける者には抱く事すらない、自分たちの力で生きていこうとする意志があったのだ」

 

 

 

 

 

「理解できるか、不死人よ」

 

神々がいなくなった世界……これまでに()()を終えた世界がどのようなものかを語り終えた『闇の王』はファーナムを見据える。

 

騎士兜の奥より注がれる静かなる視線には、嘲りも侮蔑も色もない。神々の存在しない世界に生きる人々の強さを説いた彼は、まるで諭すかのような口調で語りかけた。

 

「故に私は、神どもを駆逐せねばならない。奴らに惑わされ、玩具となる者を一人でも多く救うために。流さなくても良い涙を流す者を、これ以上増やさぬために」

 

「………」

 

「お前のその力は強大だ。その力があれば、きっとこれまで以上に多くの神どもを殺す事ができる」

 

「………何が言いたい」

 

声を固くさせるファーナムに対し『闇の王』は平然と答えた。

 

「我々と来い、不死人よ。共に神どもを殺し、真なる人の世を創り続けるのだ。他ならぬ、哀れな人の子らのために」

 

ザッ、ザッ、と歩を進め、近付いてくる『闇の王』。

 

その手から武器は消え失せ、戦意は既にない事を示している。その気になれば一瞬で武器を取れるのだろうが、自ら不利な状況を作り上げる事でその意思をより分かりやすくファーナムへと伝えてくる。

 

「さぁ。この手を取り、我々と共に来い」

 

「………」

 

壊れた武器で彩られた灰の丘に、静寂が落ちる。

 

手を差し伸べる『闇の王』と、伸ばされた手を見つめるファーナム。

 

そのまま数秒の時が流れ―――ファーナムは口を開いた。

 

「ふたつ、聞かせてくれ」

 

「構わん」

 

「……お前にとって人とは何だ」

 

「無論、救うべき対象だ」

 

「では、神とは何だ」

 

「なんだ、()()()()()

 

この問いかけに『闇の王』はフッと軽く笑うと、またしても平然と答えて見せる。

 

その言葉は淀みなく、『闇の王』の感情をよく表していた―――だからこそ、ファーナムは全神経を集中させてその声に聞き入った。

 

 

 

「神とは敵だ。殺しても、殺しても、それでもなお足らん……一匹たりとも逃す事など出来ない、駆逐すべき汚物どもだ」

 

 

 

「………そうか」

 

その答えを受け、ファーナムは小さく息を吐いた。そして握り締めていた溶鉄槌をソウルへと還元させると、無手となった右腕を持ち上げる。

 

差し出された手へと伸びる右手。次第に距離はなくなってゆき、遂に『闇の王』の手を取った―――――瞬間。

 

「ッッ!!」

 

ぐんっ!と、ファーナムは『闇の王』の身体を思い切り引き寄せる。左手にはいつの間にか『盗賊の短刀』が握られており、錆の浮き刃こぼれした刀身が『闇の王』の腹部めがけて吸い込まれる。

 

が、それは直前のところで止まった。

 

『闇の王』の左手がファーナムの左手首を掴んだのだ。紙一重で、という訳ではない。こうなる事も予想していたかの如き対応の通り、兜の奥から発せられた声は冷静そのものだった。

 

「何のつもりだ、不死人よ」

 

「ぐぅ……ぁあっ!」

 

ミシリ、と手首の骨が軋みを上げる。このままでは折られかねないと踏んだファーナムは咄嗟に右脚を振り上げ、半ば強引に『闇の王』から距離を取った。

 

縮まった距離が再び元に戻る。

 

手首を押さえながらも前方を睨みつけるファーナム。その視線に込められた意志は固く、もはや『闇の王』がいかなる言葉をかけようとも、彼の考えを変える事は出来ないだろう。

 

「……今の言葉で、はっきりした」

 

「何がだ」

 

「とぼけるなよ『闇の王』。人の子らを神から解放するなどと聞こえの良い事を言っておきながら―――お前の言葉には、()がない」

 

ファーナムは断言する。

 

『闇の王』は真の人の世を到来させる存在などではなく……神への殺意に支配された、ただの災厄でしかないのだと。

 

確信するに至ったのは、先ほどファーナムが投げかけた二つの問いが原因だ。

 

人とは何か、という問いに対し『闇の王』は救うべき対象だと即答した。これまで語ってきた世界の話と照らし合わせて考えれば、その答えにはどこもおかしな点はない。

 

だからこその二つ目の問いである。神とは何か、という問いに対する『闇の王』の答え。それは“人は救うべき対象”と答えた時よりも遥かに重い、怨嗟にも似たどす黒い感情が込められたものだった。

 

これでファーナムは確信した。

 

『闇の王』の目的とは人々の救済―――真の人の世を創り出す事ではなく、神という存在を殺し尽くす事、ただそれだけなのだと。

 

「お前は人々の事など大して興味がないのだ。神殺しを終えた後の世界で、人々が死に絶えようが繁栄しようがどうでも良いと、そう思っているのだろう」

 

「………」

 

「お前はただ殺したいだけなのだ。神というだけで全てを憎み、全ての世界からその存在を抹殺したいだけなのだ!違うか!?」

 

咆哮じみたファーナムの怒声が木霊する。

 

大気を震わす程の圧も、しかし『闇の王』には届かない。

 

無言を貫く彼が兜越しに見るファーナムは肩をいからせ、更に追求する。

 

「答えろ、何がお前をそうまでさせる。何がお前をそこまで掻き立てる!人々が笑って暮らしている今の世界を壊そうとしてまで……答えろ、『闇の王』ッ!!」

 

何がそこまで神殺しという行為をさせるのか。

 

それに対する答えを、『闇の王』は持ち合わせている。

 

彼の地、ロードランを旅した数多の不死人たちにとっても理解しがたい……否、そもそも理解する事すら不可能かも知れない、彼だけの答えを。

 

(私が神を殺し続ける理由、か―――)

 

『闇の王』の脳裏に過ぎる、かつての光景。

 

それは多くの不死人がそうであったように、人であった頃の記憶が消え失せ、最初の記憶が北の不死院にある薄暗い牢獄に入れ替わったあの光景……()()()()

 

彼が思い浮かべるその光景とは―――。

 

 

 

 

 

彼が身に着けているペンダント。

 

そこに彫られた横顔と同じ人物である、とある少女との記憶であった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十一・五話 遠い昔の話

今話は『闇の王』の昔話となります。

話の区切りの都合上短めとなっていますので、第五十一・五話とさせて頂きました。予めご了承下さい。


 

その頃の記憶は、(しか)と脳裏に刻み込んでいる。

 

初めて出会った日の事を。

 

その優しさに触れた瞬間を。

 

私を呼びかけるあの声を。

 

共に過ごした日々の温かさを。

 

そして―――血だまりの上で倒れる、彼女の姿も。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『闇の王』が持つ最初の記憶は、倒れ込んだ地面に感じた土の味から始まる。

 

身に纏うものは服とも呼べぬボロ切れのみ。靴などなく、足の裏は木の枝や岩によって付いた擦り傷でいっぱいだった。身体も枯れ枝のように痩せ細っており、死体と勘違いされてもおかしくない有様だ。

 

そんな状態で森の中に倒れていた彼に、一人の少女の手が差し伸べられた。

 

あなた、大丈夫?と。

 

木の皮で編まれた籠を持った一人の少女は、心配そうな顔でそう尋ねたのであった。

 

 

 

 

 

自身が何故そのような境遇にあったのか、『闇の王』には分からない……というよりも覚えていない。酷く痩せ細ってはいたが背丈は人並みにあったので、恐らくは人生のある地点で住む場所も食うものもなくなり、行く当てもなく彷徨い歩いていたのだろう。

 

そして、そんな中で彼女と出会った。

 

彼女は自分の住む村まで彼を運んだ。村長の娘であったその少女は家族を説得して、どうにか彼を家へと迎え入れた。

 

ボロ切れ同然だった服は簡素ではあるが清潔な衣服に着替えられ、全身に負った擦り傷も時間の経過と共に癒えていった。まともに得られなかった食事も手に入れた彼は、ようやく年相応の風貌を取り戻したのであった。

 

 

 

 

 

在りし日の『闇の王』が少女の住む村へとやってきて一年が過ぎた。

 

相も変わらず彼は少女の家に厄介になっていた。住まわせてもらっている以上、出来うる限り恩を返そうと手伝える事は全てやって来た。家事に炊事、狩りや農作などだ。

 

その働きぶりに当初は良い顔をしなかった村の者たちも次第に心を開き、いつしか彼が疎まれる事はなくなった。ようやく村の一員と認められたのだ。

 

良かったね、と。

 

少女はまるで自分の事のように、そう笑いかけるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつ頃からだったであろうか、彼女の事を意識し始めたのは。

 

栗毛色の長髪をゆるい一本の三つ編みにした彼女。垢抜けてはおらず、しかしそれでいて特別な存在。彼女が好きだと言っていた紫蘭(シラン)の花に囲まれて笑う姿など、どんな絵画よりも綺麗だった。

 

飾らないあの姿が好きだった。

 

無邪気に笑うあの顔が好きだった。

 

彼女の何もかもが好きだった。

 

だから……伝えた想いを受け取ってもらえた時は、涙が出るほど嬉しかった。

 

彼女もまた、涙を浮かべながら笑っていた。

 

 

 

 

 

ここから二人の暮らしが始まるのだと信じていた。

 

普通に生きて、普通に子供を授かり、普通に老いて、普通に死ぬ。高望みはしない、ただ人並みの幸せさえあればそれで良かったのだ。

 

しかし、運命とは残酷なもの。

 

その日の夜、突然に、なんの前触れもなく……彼の内に“ダークリング”が現れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

呪われた不死者は捕らえられ、遥か遠くにある『北の不死院』へと送られ、そこで世界の終わりまで牢に繋がれる。故に呪いが現れた者は身を隠し、息を潜めて目立たずに生きるしかない。永遠に、一人きりで。

 

かつての『闇の王』は、その事実に耐えきれなかった。

 

呪いが現れたその夜の内に、彼は村のある男の家へと向かった。その男にはここから離れた街に医者の知り合いがおり、もしかしたら助けてくれるかも知れないと考えたのだ。

 

そんな儚い希望を胸にドアを叩き、呪いを打ち明けた彼に突き付けられたもの……それは残酷な現実だった。

 

 

 

 

 

呪われた不死者を(かくま)った者は全て処刑される。例えそれが親しい友人、愛する人、そして家族であったとしても例外ではない。

 

過去には村の者全員で匿っていたと疑われ、一つの村が焼かれた事もあった。そんな一件があって以来、不死者が出た場合は速やかに突き出すのが人々の常識となっていた。

 

そんな常識さえも忘れてしまう程に、彼は切羽詰まっていたのだ。

 

 

 

 

 

『ふ、不死者だ!?呪われた不死者が出たぞっ!!』

 

男は悲鳴を上げながら、村の者たちを叩き起こした。真夜中にも拘らず人々は松明と農具を手に集まり、彼を取り囲んだ。

 

彼は自分は何もしていないと訴えたが、周りは聞く耳を持たない。

 

服を引っ張られ、殴られ、蹴られ、地面に押し倒され、更に何度も蹴られた。不死者となっても痛いものは痛い。歯は折れ、顔は腫れ上がり、折れた肋骨が肺に刺さったのか溺れるような苦しさと、焼けるような痛みに襲われる。

 

その時だった。人の波をかき分けて、彼女がやってきたのは。

 

彼女は目に涙を浮かべ必死な表情で村人たちに彼を許して欲しいと訴えるも、当然ながら聞き入れてはもらえない。そればかりか、彼女が匿っていたのではないかという憶測まで飛び始めた。

 

『お前、今まで黙っていたのか!!』

 

『一体いつからだ!?』

 

『俺たち全員を殺す気か!!』

 

一つの村が焼かれたという過去に恐怖した人々の不安は爆発的に加速し、それは歯止めが効かなくなり……とうとう冷静さを失った一人の村人が、手にしていた(くわ)を彼女の頭へと振り下ろした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゴッ、という鈍い音がした。

 

次の瞬間には、彼女は糸が切れた人形のように倒れた。

 

赤い血が見えた。

 

それはどんどん溢れて、彼女の下に血だまりを作った。

 

思考に空白が生じた。

 

全身を襲う痛みも、苦しさも消えた。

 

目に映る彼女以外の全てが遠ざかってゆき、そして―――。

 

 

 

『………■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッッッ!!?』

 

 

 

―――感情が、爆ぜた。

 

 

 

 

 

殺した。

 

殺した。殺した。

 

殺した。殺した。殺した。

 

ようやく親しくなった者たちも、気さくに笑いかけてくれた老夫婦も、遊んでとせがんできた子供たちも、住まわせてもらった恩がある彼女の両親でさえも―――目に映った者は全て殺した。

 

気が付けば村は燃えていた。人々が持ってきた松明が家屋の近くに落ち、それが燃え広がったのだろうが、彼にとってそんな事はどうでも良かった。

 

自分の血と村人たちの返り血で真っ赤に染まった手で、彼女の身体を抱き寄せる。

 

鼓動の止まった彼女はもう動かない。

 

瞳は二度と光を宿さないし、あの笑顔を浮かべてくれる事もない。

 

名前を呼んでくれる事も、手を取ってくれる事も、言葉を交わしてくれる事も……もうない。

 

何故、彼女が死ななければならなかったのか。彼は呆然とした表情で地面に座り込んだまま、いつまでも自問し続けた。

 

 

 

 

 

やがて火災を目にした他の村の者たちがやって来た事により、彼は不死院へと送られた。この夜の出来事は不死者となった若者が引き起こした虐殺劇として世間に知れ渡り、不死者への警戒をより高める要因となった。

 

それから数百年後。彼は一人の騎士の助けもあって、北の不死院から脱出する事に成功した。

 

騎士は彼に己の使命を託して逝ってしまった。助けてくれた恩はあるが、それに従わなければならない理由はない。それでも騎士の遺言に従って巡礼の旅に出たのは、純粋に彼女の為であった。

 

何故、彼女は死ななければならなかったのか。その答えはいつまで経っても出なかった。

 

ならばせめて、彼女の死を無意味なものにだけはしたくない。彼女が庇ってくれたこの命を、無駄に朽ち果てさせてはならない。その一心で彼は巡礼の旅へと出かけた。この世から呪いを消し去り、再び平和な人の世を取り戻す為に。

 

……その呪いが、他ならぬ神によってもたらされたものであるなど、この時は知る由もなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

深淵の蛇の口より明らかとなった世界の真相。

 

神々の時代を延命させる為だけに振り撒かれた、今なお人の世に蔓延(はびこ)る呪い。

 

全てを理解した『闇の王』の頭に真っ先に浮かんだもの―――それは彼女の事だった。

 

『神がこの呪いを振り撒いたのであれば、彼女の死は一体何だったのだ?』

 

『彼女は何故殺されなければならなかった?』

 

『これでは……これでは、彼女の死は全くの無駄ではないかッ!!』

 

『闇の王』は怒り狂った。

 

枯れたはずの涙が溢れ、全ての悲劇の元凶たる神への怒りに身を震わせる。呪いを根絶させる為にしてきた旅が、実は神々の時代を延命させる為だけのものであったと理解して。

 

その様を、深淵の蛇はただじっと見ていた。

 

 

 

 

 

……やがて落ち着きを取り戻した『闇の王』は、深淵の蛇に背を向け篝火の前に立った。

 

『不死の勇者よ。何処へ?』

 

『……決まっている』

 

『闇の王』は振り返る事もなく口を開いた。

 

『……神を殺しに』

 

『それは、グウィンの事か?』

 

『……それだけではない』

 

『?』

 

深淵の蛇は僅かに首をかしげ、続きを促す。

 

『あらゆる時代、あらゆる世界。過去、現在、未来……そこにいる全ての“神”どもを殺す。それこそが私の新たな使命……いいや、目的だ』

 

『何故、そこまでする必要が?』

 

『……ただ私が、そうしたいからだ』

 

酷く冷たく、しかし憎悪の炎に満ちた声。深淵の蛇はそこに“光”と“影”を見た。

 

“光”とは、即ち“確信”。この男ならば必ずやグウィンを斃し、世界に真の闇をもたらしてくれるだろうと。

 

そして“影”とは即ち“予感”。この男の行く末に待ち受けているであろう“終わり”に対する、漠然とした不吉さである。

 

しかし、それはわざわざ忠告すべき事でもない。

 

深淵の蛇は消えゆく『闇の王』の姿に目を細め、届かぬと承知で言葉を零した。

 

『……どうか貴公に、闇の導きのあらん事を……』

 

 

 

 

 

こうして『闇の王』の新たな旅が始まった。

 

あらゆる世界を行き来し、そこにいる神々を殺す。真の人の世を創ると語り、その大望を掲げる彼の元にはいつしか多くの不死人が集い、彼らは忠誠の証として闇の鎧に身を包んだ。

 

その中でも突出した強さを誇る五人がいた。

 

かつて心折れ、しかし再起した青き戦士。

 

師を追ってやって来た魔術師。

 

火を極めんとする呪術師。

 

父親殺しの大罪を背負った娘。

 

そして、自分だけの太陽を探しにやってきたという男。

 

この五人のみこれまでの姿で『闇の王』のそばにいる事を許され、組織における幹部のような存在となった。

 

神殺しの旅団の誕生だ。

 

しかし彼ら全員……否、()()()()()()()()見抜く事が出来なかった。『闇の王』が神々を殺し続ける、その真の理由を。

 

 

 

 

 

『闇の王』が神殺しを続ける理由。

 

あらゆる時代、あらゆる世界。過去、現在、未来……そこにいる全ての“神”を殺し続けるという執念の根幹には、やはり彼女の存在があった。

 

不死者となった自分を庇ったばかりに命を落としてしまった彼女。その死を無駄なものにしないという一心で歩み続けた巡礼の旅は、しかし神によって仕組まれたものだった。

 

もはやどこにも救いはない。ならば、そんなものはもう要らない。

 

真の人の世を創る。神々に縛られ生きる哀れな人の子らの目を覚まさせ、解放する―――そんなお題目を掲げて多くの不死人を扇動した『闇の王』は、“神”と名のつく者たちを殺し続ける事だけ……ただそれだけの存在と成り果てた。

 

“神”と名のつく者たちを殺し続ける事でしか、彼女の死に意味を見出せなくなってしまっていたのだ。

 

それで良いと、彼は理解している。

 

神々を殺し続ける為に、神々を殺し続ける。その目的を果たす為に行動し、その行動こそが目的そのもの。そんな破綻した理論が『闇の王』を歩ませ続け、正気を保つ原動力となっていた。

 

もはや止まれない。止まろうとも思わない。

 

北の不死院で見つけ、台座部分に彼女の横顔を自らの爪で彫り込んだペンダント。鎧の中に仕舞い込んだその輝きと、かつての思い出だけを胸に『闇の王』は歩き続ける。

 

神々の悲鳴と同胞たちの雄叫び、そして屍の山だけが築かれてゆく、血に塗れた旅路を。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十二話 憎悪より生まれし炎

今回少し長めです。PS5でデモンズリメイクが出ると知ってテンション上がったせいですかね?

内容もようやく変化を付けられそうです。まだもう少し続きますので、どうかお付き合い下さい。それではどうぞ。


「不死人よ」

 

何故そこまで神々を憎み、あらゆる世界からその存在を消し去ろうとするのか。ファーナムの怒気のこもった詰問に対し『闇の王』は、問いを投げ返す形で口を開いた。

 

「お前にはかつて、自分が人であった頃の記憶は残っているか」

 

「……人であった頃の、記憶だと?」

 

思ってもいなかったその言葉に、ファーナムの口が閉ざされる。

 

何故そんな事を聞くのか、その質問に一体何の意味があるのか。確信を持つ事は出来ないが、どうやらそこに『闇の王』にとっての重要な何かがあるのだろうと、そのように推測する。

 

(その記憶とやらに、神を憎むに至った原因があるのか?)

 

兜の奥で眉間のしわを深めつつ、『闇の王』の言葉の意味を探ろうとする。しかし、いくら考えども一向に答えは出ない。

 

それもそのはず。ファーナムは自身の“人であった頃の記憶”を喪失している。彼にとって最古の記憶は、雨と泥に塗れて森の中を歩き続けていたあの時の光景だけなのだから。

 

「どうした、答えられないか」

 

「っ」

 

故に、発するべき言葉すら見つからない。

 

催促するような『闇の王』の言葉を突き付けられても、ファーナムには沈黙以外の答えを持ち合わせていなかった。

 

「……そうか。お前もまた、人であった頃の記憶を失った者か」

 

『闇の王』の声は暗く、どこかこちらを(あざけ)っているようにも聞こえる。

 

その様子に言い様のない危機感を覚えたファーナムが、手中に新たな武器を出現させようとした―――その時。

 

 

 

気が付けば、すぐ目の前には『闇の王』が立っていた。

 

 

 

「っ!?」

 

振りかざしたその手に握られているのは大竜牙ではない。鋭利さとは全く無縁のように思える、刀身にびっしりと鋭い突起物が施された『トゲの直剣』だ。

 

『闇の王』の時代において悪名を轟かせたとある闇霊(ダークレイス)の得物を視界に収めたファーナムは、反射的にソウルより取り出した『蛮族の直剣』を手に防御の構えを取る。

 

しかし、その刀身は呆気なく斬り砕かれた。

 

それだけに留まらず、トゲの生えた刃はファーナムの右肩を抉る。

 

「~~~~~ッッ!!」

 

ヂャリリッ!と、まるでノコギリで切り裂かれたかのような痛みに歯を食い縛る彼に『闇の王』の追撃が炸裂する。襲い掛かって来たのは槍でも斧でもない、単純な蹴りだった。

 

強固な鉄板で守られていない下腹部へと吸い込まれた一撃は強烈の一言に尽き、勢いのままに蹴り飛ばされたファーナムは吐血しながら灰の地面を転がってゆく。

 

「っぁ、がァ……ッ!?」

 

気道が血で塞がったのか、呼吸すらままならない。視界の端で光がチカチカ弾けて何も見えない。

 

そんな中で、ファーナムは確かにその声を聞いた。

 

「そんな者に、私の抱く憎悪を理解できるはずがない」

 

酷く冷たいその声に、『闇の王』が纏っていた空気が一変した事を悟る。ならば、これまでのような()()()()()()戦いではなく、いよいよ仕留めにかかってくるはずだ。

 

無論、むざむざと殺される訳にはいかない。身体が悲鳴を上げるのを無視し、彼は立ち上がると同時に走り出す。

 

間合いが3M(メドル)を切った直後、ファーナムはソウルより『ウィングドスピア』を掴み取り、鋭い刺突を繰り出した。『闇の王』の眉間を穿つ軌道で放たれた攻撃は、しかし僅かに首を傾けただけで躱されてしまう。

 

「ふッ!!」

 

が、これは想定の内だ。回避行動を先読みしていた彼は一歩踏み込み、左手に出現させた『引き合う石の剣』を力強く振るう。

 

そのままでは当たるはずもないが、この直剣は他のものにはない“引き合う”という特性がある。クズ底の奥深くでのみ採れる奇石で造られ、刀身がいくつにも割れたそれは強い磁力のようなものを帯びているのだ。

 

結果、刀身はまるで鞭のようにしなり、元の数倍の長さを獲得。鋭利な刃を備えた石鞭と化した直剣は、迷う事なく『闇の王』の首元へと迫ってゆく―――が。

 

「ッ!?」

 

―――突如として、その軌道がブレた。

 

剣の先端は『闇の王』の首を掠りもせず、それどころか伸びた刀身は()()()()に巻き付き失速している。

 

その正体は『闇の王』の手にしていたトゲの直剣だ。ファーナムが振るった後にその軌道を見極め、回避するまでもなく攻撃を無力化してしまったのだ。

 

クソッ、と毒づく暇も与えられない。

 

『闇の王』は引き合う石の直剣が絡みついたトゲの直剣を振るってファーナムの手から引き剥がす。そして今度はこちらの番だとばかりに左手に掴み取った『ウォーピック』を真横に振りかぶり―――ファーナムの右脚へ、深々と突き立てた。

 

「ぐぁっ―――ぁぁあああああああああああっっ!?」

 

太腿に突き刺さったウォーピック。その激痛は瞬時に体内を駆け巡り、凄まじい電撃となって脳を焼く。

 

本能に任せて絶叫するファーナムを見下ろす『闇の王』は無言のまま彼の首を掴み、自身の目線の高さへと彼を無理やり立たせた。

 

「そうだ、理解できる訳がないのだ。人であった頃の記憶を失ったお前などに」

 

「が、はっ……!?」

 

左手一本でファーナムを締め上げる『闇の王』。その膂力に為す(すべ)もない彼の脇腹に、新たな痛みが生じた。

 

ドッ、という衝撃と共に突き刺さっていたのは、あの凶悪な姿をしたトゲの直剣だった。剣から鋭利さを廃し、苦痛を与える突起に覆われた刀身がファーナムの皮膚を、そして肉を引き裂いてゆく。

 

「づッ、ぅぅうぐっ………ッ!!」

 

刺さっているのは先端のみだが、『闇の王』はゆっくりと、いたぶるように傷口を抉る。ファーナムは手の平がズタズタになるのも厭わずに刀身を掴んで引き抜こうとするが、やはり膂力では敵わない。

 

「……いいや、誰にも理解などされないだろう。これは私が、ただ彼女の為にしている事なのだからな」

 

ファーナムの呻吟の声など聞こえていないのか、『闇の王』は独白にも思える呟きを落とした。

 

そのせいか、首を絞める力が僅かに弱まった。その隙を見逃さずにファーナムは刀身から手を離すとありったけの力で拳を握り、自身を拘束する左腕を殴りつける。

 

奇跡的にもそれが功を奏した。拘束から脱した彼はなりふり構わずウィングドスピアを振り回すと、『闇の王』はその攻撃を後ろに跳んでひらりと躱す。

 

両者の間に、再び3Mほどの距離が生まれた。

 

「はッ、はッ、はッ……っぐ、うッ……!」

 

地面に両膝を付いたまま、太腿に突き刺さったウォーピックを引き抜く。

 

脇腹からの出血と同様、まだこれほどあったのかと驚くほどの血が噴き出すが、いちいち気にしてはいられないファーナムは即座にエスト瓶を呷り、ついにこれを飲み干した。

 

(これで、エスト瓶は尽きた……)

 

肩、腹、左の手の平、そして右脚の傷は癒えたが、残る回復手段は雫石のみ。それだって手持ちは残り少ない。エスト瓶に比べて回復する力も弱く時間もかかる雫石を使うには、今まで以上に状況を見極める必要がある。

 

窮地ではあるが、しかし絶望的ではない。少なくともファーナムは、『闇の王』についての情報を一つ得られたのだから。

 

(今、奴は確かに“彼女”という言葉を口にした)

 

『闇の王』の零した呟き。それを加えて、先程の問いの意味するところを推理する。

 

 

 

―――お前にはかつて、自分が人であった頃の記憶は残っているか―――

 

―――理解できる訳がないのだ。人であった頃の記憶を失ったお前如きに―――

 

―――これは私が、ただ彼女の為にしている事なのだからな―――

 

 

 

(ここまで神を憎む理由、そして“彼女の為”というあの言葉。確証はないが、もしかすると奴は、神に“彼女”とやらを傷つけられた……否、殺されたのか……?)

 

ファーナムはロードランにいた神々の事を知らない。

 

彼が知り得る昔の話と言えば、せいぜいがシャラゴア……美しい毛並みをした、あの奇妙な猫が語った事だけだ。それに彼女の話には『闇の王』のいた時代に神々が何をしたのか、などは一片たりとも出てきていない。

 

故に憶測でしかないが、どこか確信にも似た感覚を覚えていた。

 

『闇の王』の神殺しに対する並々ならぬ執念の根幹。そこには“彼女”なる存在があるのだという事を。

 

「……喋り過ぎたな」

 

「!」

 

その声に、ファーナムの思考が現実へと引き戻される。

 

『闇の王』は殴りつけられた左腕など意に介していない―――事実、何の痛痒も感じてはいないだろう―――様子で口を開き、そして一歩前へと出る。

 

「終いだ。ここでお前を殺し、神殺しを再開するとしよう」

 

ファーナムの血に濡れたトゲの直剣を適当に放り投げた『闇の王』は、腰に下げていた剣へと手を伸ばす。『穢れた精霊』を一突きで泥のようなものへと変貌させた、あの不吉極まる直剣だ。

 

(不味い……!)

 

あれを抜かせてはならない、と本能が警鐘を鳴らす。そうしている間にも『闇の王』はゆっくりとこちらへと近付いてきている。

 

(……やるしかない、か)

 

そして、ファーナムは腹を決めた。

 

これからしようとしている行為が吉と出るか凶と出るかは、正直に言えば賭けだ。よしんば上手くいったとして、その好機をものにできるかはファーナムがこれまで培ってきた戦闘経験次第だ。

 

それでも試すだけの価値はあると自身に言い聞かせ、静かに息を吐く。

 

すぐ目の前にまで迫った『闇の王』がいよいよ剣に手をかけ、ついにそれが抜き放たれる……その直前で、ファーナムが言葉を滑り込ませた。

 

「……それが“彼女”の為になるとでも思っているのか?」

 

ぴたり、と『闇の王』の歩みが止まる。

 

否。呼吸すらも止まったかのように、『闇の王』は微動だにしない。代わりに注がれる視線はこれまで以上に冷たさを帯び、そしてどす黒いもの―――即ち“憎悪”を含んだものへと変貌していった。

 

「……何だと」

 

「神殺し。それが“彼女”の為になるのかと、そう言ったのだ」

 

歩みを止めた『闇の王』に臆する事無なく言い放つファーナム。右手に握られたままのウィングドスピアを消し去り、不穏な空気の中でゆらりと立ち上がる。

 

兜の奥から真っすぐに前を睨みつけ、彼は更に言葉を続けた。

 

「“彼女”とやらを傷つけられたのか、あるいは殺されたのか。それは俺には分からない。だがこれだけは言える、『闇の王』。お前は間違っている」

 

「黙れ」

 

拒絶の言葉を突き付けられても、ファーナムは退かない。

 

「この世界だけじゃない。他にも無数にある世界の神々を殺したところで“彼女”は帰ってこない」

 

「……黙れ……」

 

「こんな事が“彼女”の為になるとでも?血と悲鳴に彩られた世界を築き続けて“彼女”が喜ぶとでも、本気で思っているのか?」

 

「………黙、れ……ッ!」

 

ぶるぶると肩を震わせる『闇の王』。

 

その反応にもう一押しだと悟るファーナム。

 

そしてついに、彼は決定的な言葉を突き付けた。

 

 

 

「分からないのなら言ってやる、『闇の王』……“彼女”は決して、このような悲劇は望まない」

 

 

 

瞬間。

 

『闇の王』の中で何かが弾け―――それは内より解き放たれた。

 

 

 

(だぁま)れぇぇえええええええええええええええええッッッ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

―――一番やりづらい敵とはなんだ?

 

『遠征』へと赴く数日前。フィンがロキとファーナム、そしてレフィーヤを含めた幹部勢を集めた会議の中で、ふとこんな話題が上がった。

 

未開拓領域への進攻(アタック)をするに当たり、出現するモンスターへの対策は必要不可欠である。例えば火炎の息を吐く『ヘルハウンド』を相手にするならば、その攻撃から身を守る『サラマンダー・ウール』を装備する、と言った具合だ―――尤も、【ロキ・ファミリア】にとってその程度のモンスターなど問題にもならないが―――。

 

「やはり厄介なのは『ペルーダ』の毒針か。解毒剤も数が限られている以上、集団で襲い掛かられては他の団員たちの命に関わる」

 

「ハッ、んなモン躱せば良いだけだろうが」

 

「ちょっとー、皆がベートみたいに動ける訳じゃないんだからね!」

 

「これ、止めんか。話が脱線する」

 

リヴェリアの言を一蹴するベート。それに苦言を呈したティオナはべーっ、と舌を出し、血気盛んな狼人(ウェアウルフ)の青年は、あァ?と剣呑な視線を送った。

 

そんなやりとりを諫めつつ、次いでガレスが口を開く。

 

「深層ならやはり竜種じゃのう。あの階層まで来ると『強竜(カドモス)』とまではいかぬとて、一匹一匹の力も桁外れじゃ」

 

「そ、そんなに強いんですか。その、深層の竜って」

 

「あぁ、レフィーヤは52層から下は行った事ないんだっけ?本当に気を抜けないから覚悟しといた方が良いわよ」

 

あのガレスですら警戒する深層の竜種に戦慄するレフィーヤに、冗談すら言わずに忠告するティオネ。

 

そんな顔を青ざめさせたレフィーヤの背後に忍び寄ったロキが彼女の胸を鷲掴みにし、いつもの通りに背負い投げをかまされる光景に一同はげんなりしながらも、会議は続いた。

 

()ったたた……っと、アイズたんは何か意見とか無いん?」

 

「うん……私は、特には」

 

「そっかー。んじゃ、ファーナムは?」

 

「俺か?」

 

床にひっくり返ったままのロキを引っ張り起こしつつ、ファーナムはその質問に少しだけ頭を悩ませつつ、やがて口を開いた。

 

「そうだな……特定の敵という訳ではないが、強いて言えば一対多が苦手だな」

 

「えー、そうなの?なんか意外(いがーい)

 

「あんたにも苦手なものがあったのね」

 

「何というか、ファーナムさんならどうにかなりそうな気もしますけど……」

 

「とんでもない。少し気を抜いただけで、これまで何回死……にそうな目にあった事か。とにかく、そのような状況にならないよう気を付けるに限る。そうだろう、フィン?」

 

アマゾネスの双子とエルフの少女の反応に思わず口が滑りかけたファーナムだったが、どうにか軌道修正を図る―――そんな彼の様子を見ていたロキの笑みが一瞬強張ったのは内緒だ―――。

 

話題をパスされたフィンはファーナムの言葉に同意しつつ、そこに彼なりの補足を入れて話し始めた。

 

「確かにファーナムの言う通りだね。でも、そもそもそう言った状況に陥らないよう足並みを揃えるのが『遠征』では特に重要だ。仮に孤立した時に適切な行動をとるのも大切だけど、まずは一人で突っ走らない事だ。アイズとベート、二人は特にね」

 

「……はい」

 

「おいっ、俺はそんなヘマはしねぇぞ!?」

 

「ははは、悪かったよベート。一応釘を刺しておいただけさ」

 

素直に頷くアイズとは対照的に声を荒らげるベートを笑ってなだめるフィンは、更に続ける。

 

「最後になるけど、僕としては冷静な敵が一番やりづらいかな」

 

「冷静な敵?」

 

「はぁ?ンだよ、そりゃ」

 

フィンが語った“冷静な敵”という言葉に、一同はにわかに耳を傾けた。

 

アイズたち若き幹部勢とレフィーヤはその意味を知ろうと身を乗り出し、そしてリヴェリアとガレス、ロキの二人と一柱は既に意味を理解しているかのように静かに瞳を瞑っている。

 

そしてファーナムはアイズたちと同様に、小人(パルゥム)の勇者の言わんとしている事を理解しようと真剣な面持ちだ。

 

「その事を説明する前に、ティオナ。例えば大型のモンスターを相手取る時、君ならどう戦う?」

 

「え?あ、えーっとぉ……大双刃(ウルガ)で思いっきり斬る!」

 

フィンからの勉強の意味を込めての質問に、ティオナは清々しいほどの単純な答えを出した。半ば予想していたとはいえ、これには流石の一同もげんなりとした表情を見せる。

 

「この馬鹿アマゾネスが」と吐き捨てるベートに「な、なにをー!?」とぷんすか怒り出すティオナ。いつものやり取りで話が逸れてしまう前に、今度はティオネへと質問が移った。

 

「少し聞き方を変えようか。ティオネ、君ならまずどこを狙う?」

 

「はいっ、まずは足を狙いますっ!」

 

「うん、正解だ」

 

その豊満な胸を揺らして元気に答えるティオネからの熱視線に苦笑と共に受け流しつつ、フィンは視線をアイズたちへと向け、そして改めて説明する。

 

「こんな風に、どんな相手でも戦う時には定法(セオリー)とも言えるものが存在する。大型のモンスターと戦う時にはまず足を狙い、倒れた所で急所を攻撃する、という具合にね。どんな相手であっても、自分の優位になるように戦いを進める事が重要だ」

 

「それはそうですが……あの、その話と先ほど団長が仰られた事と、一体どんな関係が―――」

 

「そしてそれは、闇派閥(イヴィルス)を相手取る時でも同じ事が言える」

 

レフィーヤの言いかけの声を遮ったフィンの言葉。それを受けたアイズたちはハッと息を飲み、ファーナムもまた僅かに目を見開いた。

 

てっきり対モンスターの話をしていると思っていたところに突然出てきた闇派閥(イヴィルス)という存在。かつてのオラリオ暗黒時代、人々を混乱と恐怖に陥れていた悪神に仕える者たち。そして彼らは、つい最近ファーナムたちの前にも姿を現した。

 

「今や僕たちの敵はモンスターだけじゃない。存在が浮上し始めた闇派閥(イヴィルス)の残党、そしてアイズたちも戦った怪人(クリーチャー)なる者たち。これらが『遠征』の最中に仕掛けてくる可能性もないとは言い切れない」

 

だからこそ、フィンは“冷静な敵”という言葉を選んだ。

 

モンスターにあるのは人類に対する純然たる殺意のみだが、人類にはモンスターには無い知性と戦術がある。そして闇派閥(イヴィルス)は、一般人には想像もつかないような悪意までも兼ね備えているのだ。

 

数も実力も成長速度も未知数な怪人(クリーチャー)も危険だが、これらがいざ目の前に現れても敵の戦術に飲まれてはならない。闇雲に応戦するのではなく、弱点や隙を見つけ出して戦う事が重要だと述べるフィンの言葉に、一同は聞き入った。

 

「一見すると付け入る隙なんて無いような相手にも、必ずどこかに弱点はある。よく観察して見つけ出し、そこを突く。これが戦いにおける鉄則だ」

 

 

 

 

 

まぁ、これは対モンスターにおいても同じ事が言えるけどね―――そう言って締め括ったフィンの言葉を思い出したからこそ取れた行動だった。

 

どれほど力が強く技量も高い敵であったとしても、頭に血が上っては取るであろう行動はどうしても単純になり、そして予想しやすくなる。そこに賭けたファーナムは『闇の王』へと“挑発”を仕掛けた。こちらの攻撃が全て防がれるのならば、こちらが()(せん)を取ろうと考えたのだ。

 

果たして、その賭けは上手くいった。

 

狙い通り、怒りに任せて剣を引き抜こうとする『闇の王』。その瞬間にファーナムは全身の筋肉を躍動させ、ガシィッ!と力強く組み付いた。

 

「おおぉぉおおおおおっっ!!」

 

「ッ!?」

 

初めて驚愕により目を見開いた『闇の王』の動きが、一瞬だけ遅れる。一方のファーナムはようやく見せた隙を逃さぬとばかりに力を込め、腰を落として()()に備える。

 

そして、左の手の平に仕込んだ『呪術の火』を発動させた。

 

「なっ―――!?」

 

すぐさまファーナムを引き剥がそうとしたが、遅い。

 

これまで一切の攻撃を受け付けなかった『闇の王』に、呪術『大発火』が直撃する。黒く変色したサーコート越しに胸に押し付けた左手から放たれるゼロ距離の炎撃をまともに喰らった『闇の王』は、視界を真っ赤に焼かれながらたたらを踏んだ。

 

「ぐうっ……!」

 

爆発とも呼べる膨大な熱量に晒された『闇の王』に、新たな攻撃が仕掛けられる。

 

ボッ!!と爆炎の残滓を引き裂いて振るわれたのは『石の両刃剣』である。ドラングレイグ王城にて、常に王の傍らにあったという騎士ヴェルスタッドが率いたとされる騎士団の用いていた武器であり、それは見た目以上に扱いが難しい事で知られている。

 

しかし、ファーナムはそれを見事に操っている。同じ形状の武器を持つティオナ以上の技巧を以て振るわれる連斬撃に、『闇の王』は堪らず取り出した盾で防御の構えを見せた。

 

「調子に、乗るなよ……不死人!」

 

「っぐ!?」

 

が、『闇の王』の怒声と共に、その攻撃が弾かれてしまう。

 

攻勢から一転、窮地に立たされるファーナム。『闇の王』の手は腰の剣へと伸び、今にも引き抜かれようとしている。体勢を崩されたファーナムにそれを阻止する手立てはなく、このままやられてしまう……かに思われた。

 

確かに、ドラングレイグにいた頃の彼ならばやられていただろう。

 

しかし今の彼は違う。オラリオにて冒険者として生き、たった数か月とは言え仲間と共に冒険を続けて来た今の彼ならば、逆転の手立てはまだ残されている。

 

「―――ッシィ!!」

 

裂帛(れっぱく)の掛け声と共に、ファーナムは地面に石の両刃剣を突き立てる。

 

その反動を利用して強引に体勢を整え―――天地が逆転した状態から、渾身の回し蹴りを見舞った。

 

「がっっ!?」

 

ベートの脚技を彷彿とさせる蹴りが『闇の王』の頭部に炸裂し、脳を揺さぶる。身体を捻り器用に着地したファーナムは武器を直剣と刺剣に持ち替え、息もつかせぬ猛攻を繰り出した。

 

(何が……一体、何が起きている!?)

 

いつの間にか防戦一方となってしまう『闇の王』。その脳裏には疑問符が満ち、形勢が逆転してしまっているこの奇妙な現象の答えを探している。

 

実のところ、ファーナムは自身が優勢に動いているなどとは思っていない。こうしている今だって相手の一挙手一投足に細心の注意を払い、その前兆をつぶさに察知しようと全神経を傾けている。

 

と、同時に振るう武器も変えている。今は刀と槍に持ち替え、絶えず変則的な攻撃に徹していた。更には減少し続ける自らのソウルにも気を配り、その時々に最適な武器を選択しなければならない。

 

常人ならばとうに思考が焼き切れているであろう情報量を処理しながらも、ファーナムは止まらない。彼の視界には『闇の王』だけが映り、それ以外は全て不要なものとして即座に忘却している。これまで培ってきた全てはこの瞬間の為にあったのだと信じ、ただひたすらに武器を振るい続ける。

 

(オラリオを……この世界を、守る為……ッ!)

 

眦を裂き、血走った目で前方を睨みつける。

 

(お前を倒し……皆と、地上へ……帰還(かえ)る為に……ッッ!!)

 

自らを奮い立たせる雄叫びはいらない。それ以上に強い感情は、すでに己の内に満ちているのだから。

 

(勝負は今……ここで決めるッ!!)

 

己の役目を果たすべく、ファーナムの攻撃は更に激しさを増していった。

 

 

 

 

 

(何が、この不死人をここまで変えた!?)

 

一方の『闇の王』は、密かに混乱の真っ只中にいた。

 

確かにこれまではこちらが有利だったはず。なのにどうして今、自身が追い詰められているのかが理解できない。

 

(何故だ……過去を忘れた貴様などに、何故この私が押されている!?)

 

ファーナムの攻撃は次第に激しさを増していった。防ぎ切れていた攻撃が通るようになり、『闇の王』の身体に確かな傷を刻みつけてゆく。

 

剣が、槍が、槌が、斧が。一秒前とは異なる攻撃が雨のように振りかかり、『闇の王』の全身を苛む。

 

(私が負けるなどあってはならない!私は神を、殺さねばならない!!)

 

剣が腕を掠め、槍が肩を浅く裂く。

 

痛みが蓄積してゆくにつれ、『闇の王』の中に生まれた憎悪も膨らんでゆく。

 

(ふざけるな……何も知らぬ貴様如きが、彼女を語るな……ッ!!)

 

槌が脚を殴打し、斧が肉を打ち付ける。

 

蓄積された痛みが燃料となり、憎悪の炎を更に大きく膨らませてゆく。

 

(彼女の死を……彼女の死を無駄にしない為に。ただそれだけの為に……ッ!!)

 

『闇の王』の憎悪は留まる所を知らずに肥大し続ける。

 

“彼女”の死を無意味なものにしない為に歩み続けた幾星霜(いくせいそう)。それを否定するという()()を犯したファーナムに対し、『闇の王』はついに神々へ対する以上の殺意を芽生えさせた。

 

(彼女の為に……私は……)

 

私は……。

 

……私は……っ!

 

………私は………ッ!!

 

私はッッ!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「があああぁぁぁぁあああああああああああああああああああっっっ!!!」

 

「ッ!?」

 

突如として響き渡った咆哮。

 

同時に剣が弾かれるが、問題はそこではない。『闇の王』の口より放たれたその叫びは物理的な圧すら帯び、それはファーナムの身体を強制的に硬直させたのだ。

 

一瞬にも満たない僅かな硬直。しかしそれは戦場において命取りとなる。

 

振るった剣を弾かれたファーナムは先ほどのように身体を動かし、次の攻撃に繋げようとして―――そして、見た。

 

 

 

『闇の王』がその手に握り込んだ、暗月色の奇跡の触媒(タリスマン)を。

 

 

 

「―――――ッッ!!?」

 

瞬時に喉が干上がる感覚が襲う。

 

教えられずともそれを本能で理解したファーナムは両手から武器を消し去り、咄嗟に『ガーディアンシールド』を取り出した。

 

長い旅路の中でも信頼の置ける盾を構えた彼は、来るであろう衝撃に備えて踏ん張り―――気が付けば、遥か後方へと吹き飛ばされていた。

 

「―――かふっ」

 

口から漏れ出た音はか細く、そこに僅かな赤色が混じる。

 

しばしの浮遊感の後、地面へと叩きつけられる。構えていたはずのガーディアンシールドは粉々に砕けてなくなり、漠然とその事を理解した瞬間、ファーナムの身体はびくりと痙攣した。

 

「……が……はっ………!」

 

これまでとは比較にならない衝撃。まるで巨人による棍棒の一撃をまともに喰らったかのようであるにも拘らず、咳込む事も出来ない。口と鼻からどくどくと血が流れるばかりで、内臓の状態など考えたくもなかった。

 

「不死人。貴様を、呪うぞ」

 

混濁しかけた意識の中で耳にした怨嗟の声。

 

どうにか首を傾け、『闇の王』へと視線をやったファーナムは―――その瞬間、全ての痛みが消え去った。

 

その手にはすでにタリスマンはない。代わりに、更に分かりやすい武器が握られている。

 

右手には雷を帯びた十字槍……『竜狩りの槍』を。

 

左手には朽ちかけた異様な大剣……『深淵の大剣』を。

 

後の時代にまで伝わる二振りの武器に目を剥くファーナムに、『闇の王』は告げる。

 

「忌々しい……私に()()()を使わせた事、後悔の中で死ぬがいい……!!」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十三話 『深淵』

『闇の王』が放った奇跡『神の怒り』。

 

直前ではあったが、ファーナムは確かに盾を構えた。にも拘わらず盾は完全に破壊され、凄まじい衝撃が彼の身体を吹き飛ばした。内臓が傷ついたのか口と鼻からは血が溢れ、窒息するほどの息苦しさに見舞われる。

 

が、それは些末事(さまつじ)に過ぎない。

 

少なくとも、今この瞬間―――両の手に武器を携える『闇の王』を目の前にした、この状況では。

 

「ぐ……っ!」

 

必死に身体を起こそうとし、何度も失敗する。それでも震える手足を動かすのを止めようとしないのは、黙って殺されてなるものかという意志の表れか。

 

まるで死にかけの虫のような様を晒すファーナムに、しかし『闇の王』が抱く殺意は微塵も揺るがない。

 

(嗚呼、忌々しい……!)

 

開き切った瞳孔で標的(ファーナム)を兜の奥より睨む『闇の王』は、右手の十字槍へありったけの憎悪を込める。

 

かつてアノール・ロンドにて何度も戦いを挑み、その果てにようやく勝利した、大王グウィンに仕える四騎士の長【竜狩り】オーンスタイン。黄金の獅子鎧を纏った()の騎士のソウルより生み出された『竜狩りの槍』は雷の力を宿し、古竜の岩のウロコすらも打ち砕いたという。

 

左手に握られた『深淵の大剣』もまた、四騎士の一人【深淵歩き】アルトリウスのソウルから出来ている。

 

ウーラシールで遭遇した彼は深淵に飲まれ、すでに正気を失っていた。獣同然と成り下がったその姿に暗い愉悦を覚えつつ『闇の王』は戦い、そして倒し、そのソウルよりこの大剣を生み出した。かつての輝かしい姿ではなく、深淵の泥に塗れ、穢れきった大剣を。

 

他にも、彼のソウルの奥底には【王の刃】キアランの得物である『黄金の残光』と『暗銀の残滅』がある。そして【鷹の目】ゴーの愛弓である『ゴーの大弓』も……ソウルの底の、更に底に。

 

神族と、それに連なる者たちの武器を使う気など『闇の王』にはさらさらなかった。だと言うのに、捨て去るでもなくソウルの奥底に仕舞い込んでいたのは、ひとえにその身に宿る復讐の炎を絶やさぬ為だ。

 

見る事さえ忌み嫌い、触れる事さえ嫌悪する。それほどのモノを己がソウルの内に留めておくなど反吐が出る……それでも『闇の王』は手放さなかった。彼らの得物は、今も彼の中で燃え続ける復讐の炎の(たきぎ)であるが故に。

 

それを手にする。

 

その行為の意味するところは“絶殺”。『闇の王』の中でファーナムの死はすでに確定した事象であり、神々への復讐心から一人の不死人への憎悪に転じた黒い炎が、彼の中で一際大きく燃え盛る。

 

(殺す……絶対に、殺す……ッ!)

 

殺意の虜囚となった『闇の王』が、ついに動いた。

 

深淵の大剣を握った左拳で地面を噛み、極端なまでの前傾姿勢を取る。皮肉にも、忌み嫌う神族【竜狩り】オーンスタインと全く同じ構えとなった彼は右手にある竜狩りの槍を引き絞り、その狙いを立ち上がろうともがくファーナムへと集中させる。

 

そして―――ドンッッ!!と。

 

正しく雷のような速度で、『闇の王』はファーナムへ向けて突きを撃ち放った。

 

 

 

 

 

「ッッ!?」

 

その姿がかき消えたかに思われた瞬間、全身を駆け巡った尋常ではない程の圧力(プレッシャー)。しかしそれこそが、紙一重のところでファーナムを槍の一突きから救う事となった。

 

なりふり構わず、立ち上がりざまに前へと転がったファーナム。瞬間、今まで倒れていた場所には『闇の王』が振るった竜狩りの槍が突き刺さり、同時に激しい雷撃が周囲に解き放たれた。

 

その余波を受けたファーナムは再び吹き飛ばされ、受け身も取れずに地面に叩きつけられてしまう。

 

「ぐぅっ!?」

 

しかし、先ほどと同じように倒れる事は許されない。

 

即座に立ち上がり首を回して見てみれば、すでに『闇の王』は地面に突き刺さった穂先を引き抜き、こちらへ視線を向けているではないか。その十字槍は次こそは外さぬとばかりに、纏う紫電の激しさを増してゆく。

 

「貴様だけは……ここで、殺す……!」

 

怨嗟の込められた声に、ファーナムの双眸が見開かれた。

 

否、正確には『闇の王』の腰にある一振りの直剣。その鞘の隙間から滲み出る、()()()()()()()()()()()を目にして、だ。

 

(何だ、あれは……!?)

 

思わずそう口に出しかけるも、本心ではそれが何であるかを理解していた。

 

かつて見た事も耳にした事もない、しかし古くから続く不死という“呪い”に深く刻み込まれた、神々すらも侵す猛毒。どろりとした生あたたかい人間性の塊……即ち『深淵』であると。

 

明らかに尋常ではないが、『闇の王』本人は気付いてすらいない様子だ。今なお滲み出る『深淵』は彼の左腕に絡みつき、背中を伝って右腕へ。遂にはその先にある十字槍までも侵蝕してゆく。

 

(まばゆ)いばかりの紫電は消え、代わりに現れたのは淀みきった暗い雷光。煌びやかな意匠を穢すその輝きは意思を持ったかのように蠢き、穂先へと集まっていった。

 

「死、ね……不死人ッ!!」

 

「ッ!!」

 

腰を切り、『闇の王』が十字槍を薙ぐ。穂先から放たれた暗い雷撃は無数に枝分かれしながら放射状に広がり、砂嵐の如く前方にあるもの全てに襲い掛かった。

 

迫り来る黒雷に対し、ファーナムは『眠り竜の盾』を取り出し構える。

 

雷に対して高い耐久性を持ち、それでいて扱いやすい中盾だ。攻撃を耐え凌ぐにはまさに打ってつけかに思われたのだが……黒雷を防いだ瞬間、大きな衝撃が彼の身体を揺さぶった。

 

(何っ!?)

 

兜の奥でファーナムの表情が驚愕に染まる。

 

構えていた盾は弾き飛ばされ、後方へと吹き飛んでしまった。その衝撃に身体は開いてしまい、無防備となったところを目掛け、矢継ぎ早に第二撃が放たれる。

 

「ぜァああッ!!」

 

鋭い掛け声と共に放たれた黒雷は分散せず、今度は一直線に飛んできた。咄嗟の判断で自身のソウルより『巨象の大盾』を掴んだファーナムは、その影に隠れるようにして身構え、来たるべき瞬間(とき)に備える。

 

そして、激突。

 

黒雷が盾にぶち当たると同時に、先ほどとは比べ物にならないほどの衝撃がファーナムの全身を突き抜ける。

 

「ぐっ、ううぅぅうううううううううっっ!?」

 

ガリガリガリガリッ!と地面を抉る両脚。

 

ただの雷撃にあるまじき、恐ろしいまでのこの威力。この黒雷の正体を、ファーナムは歯を食い縛りながらも理解していた。

 

(そうか。これは、奴の……ッ!!)

 

思い出されるのは先ほどの出来事……『闇の王』が腰に差している直剣の鞘から滲み出た『深淵』が彼の両腕を覆い、そして竜狩りの槍までも侵した、あの瞬間の光景。

 

あの時に十字槍の性質が変質したのだ。ファーナムもよく知っている闇術と同様に、『深淵』の力を得た雷撃には物理的な“重さ”までも兼ね備えたという訳だ。

 

もはや神族の武器などではない。『闇の王』が左手に携えた大剣同様に、穢れたものへと成り果てた。

 

敢えて名付けるのであれば……それはさしずめ『深淵の十字槍』と言ったところか。

 

「っ……ぉおあッ!!」

 

渾身の力で盾を振るい、黒雷を弾き飛ばす。

 

軌道の逸れた黒雷はそのままファーナムの後方へと飛んでゆき、地面と衝突。轟音が響き渡るも、彼の思考は『闇の王』の次なる動きへと向けられていた。

 

(どこだ!?)

 

兜の奥より視線を飛ばす。

 

前方。

 

左。

 

右。

 

―――上。

 

そこへと目を向けたファーナムの瞳が、揺れる。

 

彼の瞳が映したもの……それは宙高く跳躍し、左手に携えた大剣を振り下ろさんとする『闇の王』の姿であった。

 

「ッ!!」

 

視認すると同時に盾を構えるファーナム。

 

屈強で知られる獣人戦士の得物だ。黒雷を弾いたように、この重厚な大盾はそうそう壊れはしないのだが……今回ばかりは相手が悪かった。

 

「がァああああああああああああッッ!!」

 

凄まじい咆哮が耳を打ち、深淵の大剣が振り下ろされる。

 

その穢れた刃は巨象の大盾を斜めに斬り裂き、そのまま両断。直前で手を離したファーナムであったが、その際に大剣の切っ先が彼の左腕を捉えた。

 

ザシュッ!という筋線維を切断される感触。見れば二の腕の半ばを斬り裂かれており、少なくない量の血が噴き出している。

 

「くッ!?」

 

回復しなくては、と焦るファーナムであったが、それは今ではない。ひとまずは無事な右手に呪術の火を灯し、牽制の意味も込めて『大発火』を撃ち込む。一度怯んだこの攻撃ならば、という判断からの行動であった。

 

しかし『闇の王』は止まらない。

 

「なっ!?」

 

爆炎を突き破り、繰り出される斬撃。少しも怯まない『闇の王』にファーナムの顔が驚愕に染まる。

 

身を捻ってどうにかこれを躱すも続けざまに放たれる斬撃の嵐を前に、傷の回復どころか距離を開く事さえままならない。左腕から溢れる血をまき散らしながら、ぎりぎりの所で回避し続ける。

 

『闇の王』の斬撃は荒々しく、それでいて反撃の隙すら与えない程のものだった。まるで剣技を身に着けた狼の如き体捌きにファーナムは翻弄され、その身に新たな傷を重ねてゆく。

 

「死ね、死ねッ、不死人!!死んでしまえェッ!!」

 

「ぬうっ……!!」

 

激しい連斬の最中にも紡がれる怨嗟の声。

 

幼稚なようにも聞こえる言葉は、それだけ『闇の王』の心から余裕を奪っている事の表れに他ならない。“彼女”について知った風に語ったこの男だけは許さぬと、この手で殺さねばならぬと、殺意の赴くままに剣を振るっている―――自身を覆う『深淵』にも気付かぬままに。

 

そんな中であっても、ファーナムは反撃の機を(うかが)っていた。

 

(まだ……まだだ……)

 

目の前に現れる幾つもの剣線。全身に浅い傷を負いながらも致命傷だけは回避しつつ、穿つべき一点を探る。

 

『闇の王』の動きを見極め、自身の呼吸と身体の状態を見極め―――ついにその時は来た。

 

「ッッ!!」

 

『闇の王』が剣を振り抜いた直後。次の斬撃を放つより早くファーナムは脚に力を込め、勢いのままに体当たりを決める。

 

「ぐっ!?」

 

防戦一方だった相手の突然の行動に『闇の王』のくぐもった声が上がる。何の痛痒もないだろうが、攻撃一色だった動きが乱れるだけで充分。ファーナムは素早く右腕を振り上げ、空を掴むその手に武器を顕現させる。

 

それは『ツヴァイヘンダー』。常人が振るう事の出来る剣の中でも、恐らく最大の大きさを誇る特大剣だ。

 

(これで……っ!)

 

死闘の末、ついに見えた勝機。

 

これでこの戦いは終わる。仲間たちも助かる。地上に帰還(かえ)れる。

 

 

 

……そう確信してしまったからだろうか。

 

 

 

勝利を目前にした瞬間こそが、最も気を抜くべきではない瞬間。そんな駆け出しの冒険者でも知っているべき常識を忘れてしまったファーナムの右手に―――()()()と、圧し掛かるような重量が襲い掛かった。

 

「ッ―――――!!」

 

瞬間、干上がる喉。

 

右腕を振り上げた姿勢から、崩れるようにツヴァイヘンダーを取り零すファーナム。ソウルの流出による能力の低下が、ここへ来て致命的な隙を晒してしまった。

 

当然、『闇の王』がそのような隙など見逃す訳もなく―――穢れた一閃が、ファーナムの胴を斜めに深く斬り裂いた。

 

「がっ……」

 

一拍遅れて噴き出す鮮血。

 

明らかな致命傷だが、『闇の王』はそれでも止まらなかった。より確実に仕留めるべく、駄目押しのように十字槍を振りかぶり……ドッッ!!と、彼の腹部を貫く。

 

そして。

 

「おォ―――ァァあああああああああああああああああッッ!!!」

 

勝利の雄叫びのように。

 

殺意の咆哮のように。

 

形容しがたい絶叫と共に―――深淵の雷撃を炸裂させた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハァ……ハァ……ハァ……!」

 

『闇の王』を起点として、灰の大地は黒く焼け焦げていた。彼が放った深淵の雷撃はファーナムの肉体のみならず、その周囲にまで放出されたのだ。

 

「……は、ははっ……ハハハハ……!」

 

ガランッ、と深淵の大剣を落とす『闇の王』。

 

意図したものではないにも拘わらず彼はそれを気にした様子もなく、目の前で力なく倒れているファーナムの姿に笑い声を漏らしていた。

 

「無様だな、不死人。あれだけ威勢の良い言葉を並べようとも、所詮はこの程度。過去を忘れた貴様などに、この私を殺せるものか」

 

「…………ぁ………」

 

轟然と立つ『闇の王』とは対照的に、ファーナムは正しく瀕死の様相だ。

 

胴を斜めに横断する深い裂傷に、腹部には突き刺さった十字槍がそのまま地面を穿ち、磔にされている。体内に直接黒雷を撃ち込まれたために炭化した腹部からは今も煙が上がり、まだ息があるのが不思議な程である。

 

「このまま放置しても貴様は死ぬのだろうが……それでは私の気が済まん」

 

故に、これで殺す。

 

そう言って『闇の王』は、腰に差した直剣の柄を左手で掴む―――『穢れた精霊』を泥へと変えた、あの直剣を。

 

「……彼女の心を好き勝手に語った罪。汚物となって悔いるが良い」

 

ずるり、と逆手で引き抜かれた刀身は深い紫色……『深淵』に濡れていた。鞘から溢れた『深淵』は汚水のように流れ落ち、『闇の王』の両脚に絡みつく。

 

両脚から這い上がり、流れに逆らい腹部へと、胸へと。ついに頭部意外を舐め尽くした『深淵』は蜘蛛の巣状に全身を覆いつくしたが、それでも『闇の王』は気付かない。

 

ひとえに、“彼女”への想いの強さが故に。

 

「貴様を殺し、神共を殺す……彼女の為に」

 

 

 

そう、これは彼女の為だ。

 

彼女の死を無意味なものにしない為にしている事だ。

 

彼女はいつも私と共にある。

 

私のしている事は間違っていない。

 

今もこうして目を閉じれば、彼女の顔が浮かんで―――。

 

………―――――?

 

 

 

ここで『闇の王』の動きが止まった。

 

彼の心の中に生まれた、僅かな違和感。それは壁に走った小さな亀裂のように些細なもので、しかしそれは次第に大きくなってゆく。

 

 

 

……待て。

 

待て、待て。

 

何故だ……?

 

何故、そちらばかりが浮かぶ?

 

彼女の顔ではなく………ペンダントに彫った、あの横顔が?

 

 

 

彼女の顔が思い出せない。脳裏に浮かぶのは今も胸に仕舞い込んだペンダントに彫られた、彼女の横顔だけだ。血の通わない、似ているだけの、あの横顔だけ。

 

それが『闇の王』の心を蝕んでゆき、同時に『深淵』の脈動は大きくなってゆく。

 

 

 

「………止めろ」

 

逆手に剣を構え、振りかぶった左腕が震える。

 

「……止めろ……ッ!」

 

急速に失われてゆく過去の光景。

 

彼女と過ごした日々。交わした言葉。向けられた笑み……その全てが『闇の王』の心から欠落してゆく。

 

「……止めろォ!!奪うなっ、私から、彼女を奪うなァ!!」

 

右手で兜に覆われた頭を押さえてもがき苦しむ『闇の王』。左手の剣をがむしゃらに振り回し、まるで見えない敵でもいるかのように、そこへ怒りの言葉を浴びせかける。

 

「まだ飽き足らないと言うのか!?彼女を殺しておいてッ、記憶すらも私から奪おうと言うのかッ、()()()()ッッ!!」

 

紡がれた名はかつて彼が殺した神、太陽の光の王のもの。

 

最初の火の炉にて殺し、そのソウルを踏み潰した。二度も殺した者がこの場に居るはずもなく、『闇の王』に見えているものは全て自身の妄想が生み出したものに過ぎない。

 

だからこそ、彼は逃げられない。

 

自身も気が付かない間に……“彼女”の顔すらも忘れてしまっていたという事実から。

 

「止め……止めろッ。か、返せ……彼女を、返してくれ………!」

 

怒りの言葉は徐々に消え失せ、次第に懇願へと変わってゆく。

 

しかしその祈りは叶わない。神々を殺す事に心を囚われ、いつの間にか愛する者の顔すら忘れ、“かつてそうであった”という事実のみを覚えていただけの哀れな男の懇願など、誰も叶えられないのだ。

 

そして『深淵』の脈動は留まるところを知らず、『闇の王』の心が弱まるにつれ、その力を強くしてゆく。

 

「お願いだ、もう……もう……」

 

 

 

 

 

()から何も、奪わないで………!

 

 

 

 

 

そこにはもう『闇の王』はいない。

 

いるのはただの、どこにでもいるような平凡な男。ごく普通の幸せを願い、しかし叶わなかった、悲惨な運命を背負う事となった一人の男の姿だけ。

 

神々を殺し続ける為の原動力。”彼女”との記憶という心の支えを失くし、強大な力のみが残ってしまった、そんな男に……『深淵』は容赦なく牙を剥く。

 

「ッ!?」

 

ビクンッ!!と痙攣する『闇の王』。

 

全身を蜘蛛の素状に覆っていた『深淵』が鎧の下の肉体を食い破り、急速に同化を進めてゆく。

 

「がっ、あッ!?ぁああがぁぁあああああああああああァァァアアアッッ!?」

 

耳を(つんざ)く絶叫。

 

この世の苦しみを全て注ぎ込んだかのようなその叫びは絶え間なく放たれ続け、ついには『闇の王』の身体を『深淵』が包み込んだ。

 

―――その時。

 

 

 

「ファーナムさんっ!?」

 

 

 

破壊された武器が散乱する戦場に、少女の声が飛んでくる。

 

金髪金眼に、女神と見紛う美貌を備えた女剣士……【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインがやって来たのだ。

 

同時に『深淵』が解け、『闇の王』の全身がアイズの前に露わとなる。

 

黒く変色していたサーコートは毒々しい紫色へと変わり、表面には血管のようなものが幾つもへばりついている。兜や手甲は焼け爛れたかの如く歪み、元の意匠からはかけ離れた印象をアイズに与える。

 

そして何よりも、その左手に握られた直剣。

 

それはもはや刀身などなく、ただ刃の形をした『深淵』だけが渦巻いていた。

 

不吉をそのまま形にしたかのようなその剣に、アイズの額に嫌な汗が滲む。

 

「貴方は……!」

 

意図せず漏れたその呟き。

 

それに反応した『闇の王』は、ごきりと首を鳴らしてアイズを見やる。

 

『……ヲォォ……』

 

そして―――。

 

 

 

 

 

『……ヲォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!!』

 

 

 

 

 

人ならざる叫び声を上げ、猛然とアイズへ襲い掛かった。

 

 




【神殺しの直剣】

『闇の王』が神を殺す際に用いる直剣。元はただの直剣だったこの刀身には、尽きぬ深淵が蠢いている。

殺した相手のソウルを斬り、消滅させる。この特性は『闇の王』が神へと抱く憎悪の念の結実であり、その根幹には彼が愛した女性への一途な想いがある。

しかし、想いが深いほど、重みも増す。いつか想いが弾けてしまえば、積み重ねて来た重みは容赦なく彼へと降りかかるだろう。

特殊効果:ソウル取得不可



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十四話 集いし彼ら

ようやく……ようやく言えた!出せた!!


 

アイズが駆け付ける少し前。

 

その“衝撃”がもたらした波動は、彼女たちの場所にまで伝わっていた。

 

「っ!?」

 

ゴォッ!と全身を叩いた空気に、フィンの双眸が揺れた。すぐ隣にいたアイズも感じ取ったようで、その端正な顔立ちに驚きの表情を浮かべる。

 

そして黒ローブの男も……フィンとアイズ、()()()()()()()()()()()()()()()()、ファーナムと『闇の王』がいる方向へと視線を向けた。

 

「これは……!」

 

初めて驚愕を含んだ呟きを零した男に、フィンとアイズは止められた得物を引き戻し距離を取る。

 

「ッ、フィン!」

 

「ああ、大丈夫だ。君は?」

 

「私も、なんとか……」

 

アイズの心配そうな声に、フィンは自らの無事を伝える。幼い少年の姿をした小人(パルゥム)の勇者は、口元に垂れた一筋の血を袖元で強引にぬぐい取った。

 

二人の身体は血と灰で汚れている。深手こそないものの、その見た目は痛々しい。そして男は二人がかりの攻撃をものともせず、未だ傷らしき傷すら負っていない。

 

彼我の実力の差を見せつけられたアイズとフィンであったが、その闘志は微塵も揺らがない。しかし先ほどの波動に嫌なものを覚えた二人は、この状況を打破出来ずにいる自分自身に歯痒い感情を覚えていた。

 

そんな時、アイズの脳裏に閃きが走る。

 

(あの人……私たちを見ていない?)

 

その視線の先にいる男は、波動を感じ取ってから動いていないのだ。まるで彫像のように微動だにせず、ただその視線を先にある丘へと送っている。

 

(……今なら!)

 

そこからのアイズの行動は早かった。

 

全身に『風』を纏い直し、両脚に力を溜める。すぐ傍らに立つフィンが気付いた時には、彼女はすでに全ての準備を終えていた。

 

そして、ダンッ!と。

 

フィンが制止する事すら叶わない速度で以て、丘へと向かって飛び出していった。

 

「ッ、アイズ!?」

 

咄嗟に叫ぶも、遅い。彼女は持ち前の速力を存分に振るい、男の脇を通り抜ける形で動いていた。

 

それをみすみす見逃す敵ではないと知っているフィンはアイズの無謀な行動を咎めるのではなく、その身を案じての声を発したのだが……それは杞憂に終わった。

 

何故なら、男は迎撃するでもなく―――そのまま何もせずにアイズを見逃したのだ。

 

「!!」

 

目を見開いて驚愕するアイズ。彼女自身もすんなり通り抜けられるとは思っていなかったのだろう。

 

刃を交える覚悟をしていただけに拍子抜けするほどの展開だったが、それならそれで都合が良い。彼女はそのままあっという間に男を置き去りにし、ファーナムのいる場所へと駆けて行った。

 

残されたのはフィンと男の二人のみ。

 

アイズ巻き起こした風が止みつつある中、フィンは彼方へと視線をやり続ける男へと語りかける。

 

「……何故、アイズを行かせたんだい?」

 

「……意味がないからだ」

 

「意味が、ない?」

 

どういう事だ、と訝しげに眉を(ひそ)めるフィン。その答えは男がここで二人と戦っていた理由を否定するものに等しく、だからこそ聡明なフィンであっても、その言葉の意図を理解する事が出来なかった。

 

やがて男は視線を前方へと戻し、黒ローブに覆われた頭を僅かに俯かせる。どこか諦めにも似た達観の空気を纏った彼は、小さな声で呟いた。

 

「それでも、俺は貴公と共に在り続けよう―――最期まで」

 

そして。

 

男は顔を上げ、大音量の号令を発した。

 

 

 

「聞けッ、“王”の騎士たちよッ!!」

 

 

 

直後、フィンの背後で激しい戦闘を繰り広げていた闇の騎士たちが硬直する。そして彼らと戦っていた、ファーナムの招集に応えた不死人たちも。

 

戦闘を一時中断させるほどの圧の込められたその声に、戦場の時が止まる。

 

 

 

「“王”が奇跡を使われたッ!!この意味が分からぬ貴公らではあるまいッ!!」

 

 

 

『ッッ!!!』

 

続けて放たれた言葉は、全ての闇の騎士たちの双眸を開かせる。

 

そうして噴き上がり、訪れるのは―――これまで以上の覚悟(殺意)

 

 

 

「“王”の為―――貴公ら自身の()()()()、敵を撃滅せよッッ!!!」

 

 

 

変化は劇的だった。

 

時を取り戻した戦場に佇む不死人たち。彼らは空気を一変させた闇の騎士たちに、異様なものを感じ取る。

 

そして……ガシャリッ、と。乾いた音が生まれ落ちた。

 

一、十、百、と―――闇の騎士たちがダークソードを手放す音が合唱のように木霊する中、彼らが新たに構えるのは別の武器。

 

短剣。直剣。大剣。特大剣。

 

槍。槌。斧。斧槍。

 

刀。鞭。拳。弓。クロスボウ。

 

杖。呪術の火―――そして、タリスマン。

 

「まさか……」

 

その光景に、誰かの呟きが漏れ、

 

「こ、こいつら、全員っ!?」

 

ラウルたちの表情が固まり、

 

「……()()()()()では、なかったというのか……!?」

 

椿の隻眼が見開かれる。

 

“王”への忠誠と神々の滅殺を誓った装束と根源を同じくする剣、ダークソードを捨て去り、古い武器()を手にする。それは“王”自らが奇跡を行使した事に対する、彼らなりの決意の表れに他ならない。

 

『闇の王』の元へと下るより以前。ただの不死人であった頃に最も慣れ親しんだ武器を手に、確実に“王”の敵を、そして神々を殺し尽くすのだと。

 

彼らは更に奮い立つ。

 

『―――“王”の為にッッ!!!』

 

戒めは解かれた。

 

此処より、本当の闘いが始まる。

 

 

 

 

 

戦場そのものを飲み込まんとする闇の騎士たちの勢いを背に感じ取り、フィンは自らが焦りを感じている事を自覚する。

 

これまでとは比べ物にもならないそれは、確かに状況が変わったせいでもある。しかしそれ以上に、先ほど黒ローブの男の言った台詞が、彼の心をかき乱していた。

 

(“意味がないから”だと……それは一体、何を指している?)

 

アイズをみすみす見逃した理由として答えたこの言葉の意味する所は何なのか。

 

普通に考えれば『闇の王』が“奇跡”という奥の手を使った事により、彼に従う配下たちも自身の戒めを解き放ったという見方が出来るが、どうもフィンには、そんな単純な事ではないような気がしてならなかった。

 

だからこそ、彼はその真意を見極めるべく探りを入れる。

 

「成程。これが君たちの奥の手という事かな」

 

「そう受け取ってくれて構わない。どの道、全てここで終わるのだ」

 

「……全て、だって?」

 

「その通りだ、人の子よ」

 

男はフィンの背後に広がる戦場を見渡す。至る所で戦火が暴れ、未だ止む気配のない轟音と絶叫が支配する光景を、ただ静かに眺める。

 

「貴公たちも、オラリオ(この世界)も、数多の世界も、全て終わりだ……そして俺たちも」

 

不吉極まる男の言葉。その内容は聞き捨てならないものであり、更に追求を続けようとしたフィンであったが、直前で彼の動きが止まる。

 

どこか物哀しい感情の宿った、戦場を見つめる男の視線。ただの殺戮者にはあり得ない、そんな姿を目にしてしまったが故に。

 

「……そう言えば」

 

不意に放たれた男の言葉に、フィンはぴくりと眉を動かす。

 

「互いに、名乗りがまだだったな」

 

そう言って両手から剣と盾を消し去り―――バッ!と、男は身に纏っていたローブを剥ぎ取った。

 

露わとなった男の姿。

 

全身を覆うチェインメイルに、飾り羽の付いた鉄兜。

 

白を基調としたサーコートのような布地。

 

そこに描かれた、自画と思しき太陽の印(ホーリーシンボル)

 

神殺しを行う者が身に纏うにはあまりに神々しく、その姿は正しく御伽噺に出てくる英雄のようである。

 

次いで男は武器を取る。

 

胴に描かれたものと同じ意匠の円盾と、素朴ながら業物であると一目で分からせる直剣。闇の騎士たち同様に彼本来の得物を取り出した男は、息を飲むフィンへ静かに名乗りを上げた。

 

「俺の名はソラール……アストラのソラールだ」

 

男は……ソラールは、自身を【太陽の戦士】とは言わない。その名は()と共に歩むと決めた時に、すでに捨てた名であるが故に。

 

そんな彼の覚悟を肌で感じ取ったフィンは、自らもまた名乗りを上げる。

 

「……【ロキ・ファミリア】団長。【勇者(ブレイバー)】、フィン・ディムナ」

 

それだけで十分だった。今この場で交わすべきは、名乗りの言葉以外にはないのだから。

 

そうして二槍を構え直したフィンに、ソラールもまた腰を落として戦闘の構えを取る。

 

「そうか……ではフィンよ」

 

張り詰める空気の中、互いが互いを睨みつける。そして―――、

 

「―――征くぞ」

 

「ッ!!」

 

―――両雄は、再び激突した。

 

 

 

 

 

自らの枷を外した闇の騎士たちに、状況は一変した。これまで以上に激しい攻撃に晒され、至る所で阿鼻叫喚の地獄が巻き起こる。

 

しかし……最危険地帯は、間違いなく()()であろう。

 

『ヲヲォォオオオアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!!』

 

「っ!!」

 

猛然と迫り来る『闇の王』に、アイズの背筋が戦慄(わなな)く。

 

瞬時の判断のもと、展開していた『風』を右脚へ一点集中させて跳躍。直後には『闇の王』の振るった剣が地面を直撃し、その場所は大きく陥没してしまった。

 

「くっ!?」

 

地面に走る夥しい亀裂、起き上がる岩盤。舞い上げられた灰が四方を暗く包み込む中、アイズは粉塵を突き破って数十M先へと逃れる。

 

咄嗟の緊急避難をどうにか成功させたアイズは、粉塵の舞う先へと意識を集中させる。一体何があったのかは知らないが、何か尋常ではない事が起きたであろう事は想像に難くない。

 

そしてそれは、『闇の王』の姿を見て確信に変わる。

 

「……っ!?」

 

毒々しい紫色に変色し、脈打つ血管が纏わりついたサーコート。焼け爛れたかのように歪んだ兜や手甲。それは先ほど、この場所へ駆けつけた時に見た通りだ。

 

違っているのはその佇まいである。

 

最初に目の前に現れた時の『闇の王』は、その名に相応しい風格があった。臣下の五人を引き連れ、更には一千もの闇の騎士たちを背にした姿は正しく“王”そのものだ。神殺しの集団だとしても、有無を言わさずそのような感想が浮かんでくるほどに。

 

しかし、今やその面影は何処にもない。

 

だらりと両腕を垂らし、こちらに背を向ける姿は幽鬼の如し。当初の風格は消え失せ、代わりに得体の知れない不気味さだけが彼とその周囲を支配している。

 

晴れつつある粉塵の中で立ち尽くす『闇の王』はごきりと首を回し、その両目をアイズへと向ける。

 

『……ァァァァァ』

 

ぐぢゃり、と水っぽい音と共に『闇の王』がゆらりと歩み出る。彼自身から零れ、今も鎧や兜の隙間から絶えず滴り落ちる『深淵』を引きずりながら、着実にアイズへと近付いてくる。

 

対するアイズは、足元から這い上がってくる悍ましさを押し殺して剣を構えた。

 

(多分、もう話は通じない)

 

人の形はしていても、あれはもうまともな思考回路は残っていないだろうと判断するアイズ。彼女は交戦の覚悟を決め、剣を握る手に力を込めた。

 

(早く倒さないと、ファーナムさんが……!)

 

焦る理由は、視界の端で倒れているファーナムである。腹部に十字槍を突き立てられ死人のようにピクリとも動かないが、それでも彼がまだ生きていると信じられる証拠は、その肉体が消滅していないからだ。

 

不死というのがどのようなものなのかを完全に理解できた訳ではないが、少なくとも息絶えれば死体は残らず、ソウルとなって霧散する事はこれまでの戦いで分かっている。それに加勢に来た他の不死人たちの雄叫びも未だ鳴り響いている。つまり、ファーナムの魔法はまだ発動しているのだ。

 

以上の事から生きているのは確かだが、瀕死の重傷を負っている事に変わりはない。一刻も早く『闇の王』を倒すか、或いは回復の手助けをしなければならない。

 

胸中で渦巻く焦燥に顔を険しくさせるも、時間は待ってはくれない。

 

そして、『闇の王』が再び動く。

 

『ィ゛ィ゛ィ……』

 

全身から『深淵』がどろりと溢れる。一体何がと警戒するアイズを尻目に、彼は左手の剣を弓のように引き―――ドンッ!!と、身体ごとアイズ目掛けて()()した。

 

『―――ァァアア゛ア゛ァァァァァァァァッッ!!!』

 

「!?」

 

予想だにしなかった動きに、アイズは目を見開く。

 

まるで斜面を垂直に滑るかのようにして迫る『闇の王』。彼が過ぎ去った後の地面には、黒い道が出来上がっていた。

 

『深淵』を利用して急速に距離を詰める―――その技は、かつて深淵に飲まれたアルトリウスが使っていたもの。常人の動体視力では目で追う事すら敵わず、ましてや防ぐなど出来るはずがない。

 

しかしアイズはオラリオが誇る第一級冒険者だ。予想外に対する定石(セオリー)も心得ている。

 

金の双眸は『闇の王』から離さない。

 

敵の体勢などから放たれるであろう攻撃を予測し、それに合わせる形で最適な動き(答え)を選び取る。まだ少女ながらも長い冒険者生活の中で培ってきた経験を元に、アイズは放たれた突きに合わせて宙へと逃れた。

 

「―――【目覚めよ(テンペスト)】!!」

 

攻撃を回避したアイズは額に浮かんだ汗を飛ばしつつ、魔力を込めた言葉を紡ぐ。直後に『風』が召喚され、それは右手に握られた愛剣《デスペレート》へと収束してゆく。

 

(いけるっ!)

 

『闇の王』の体勢は前のめり。こちらはすでに詠唱を終え、『風』も剣に纏わせている。どう転んでもこちらが先手を取れる―――そう確信した時だった。

 

突如、『闇の王』が右腕を振るう。

 

裏拳を見舞うようにして振るわれたその腕はアイズに届かない。しかし全身を覆っていた『深淵』は違う。それは飛沫となって襲い掛かり、虚を突かれた彼女の視界いっぱいを埋め尽くした。

 

「―――ッ!!」

 

アイズは咄嗟に剣に乗せた『風』を全身へと移す。それは『深淵』が肌に触れる直前にどうにか間に合い、二つの力は正面からぶつかり、そして大きく弾けた。

 

ドパァッ!!と四散する『深淵』。しかし直撃を免れたとはいえ、彼女はここで即座に後退すべきだった。

 

押し返した『深淵』。その、ほんの僅か。

 

雫より小さな一滴がアイズの右肩に付着した瞬間―――ドクンッ!と、彼女の視界は大きく揺さぶられる。

 

「ッ、あ―――!?」

 

開く瞳孔。止まる呼吸。

 

自らの身体の異常に気が付くと同時に頭に過ぎったのは、ダンジョン深層に潜むモンスター『ペルーダ』の猛毒だった。

 

打ち出す毒針が掠っただけで激しい痛みと喀血(かっけつ)を引き起こす恐ろしいモンスターだが、俊足を誇るアイズがそのようなものに後れを取った事など、今までに一度もない。

 

故に今この身を蝕んでいるものの正体は、その猛毒と同じようなものだと思ってしまいそうになったが、その考えを自身の中で否定する。

 

(違う、これは……っ!)

 

胸の奥よりも更に深い場所。肺や心臓などという臓器ではなく、人を人たらしめている存在そのものを侵されているような感覚。

 

不死の時代を知らずとも、その身に受けてしまえば否が応でも理解させられる。

 

『深淵』にまともに触れてしまったが最後。例えどれほどの強者であっても、どれほど強大なモンスターであっても、生あるものが触れてしまえばその在り方を歪められてしまう―――そんな代物であると。

 

そして。

 

「―――ッッ!?」

 

長い刹那は終わりを告げ、アイズの思考が現実へと引き戻される。

 

『ハァァァ……!!』

 

動きの止まったアイズ(獲物)をみすみす逃すはずもなく、『闇の王』は【神殺しの直剣】を振りかざす。

 

『深淵』の溢れる兜の下に、アイズは悍ましい程の狂笑を幻視()た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『おお、貴公!どうやら亡者ではないらしいな』

 

最初の会話はこんな始まり方だったと、ソラールは記憶している。

 

粗末な装備に身を包み、道中で倒した亡者たちから奪ったであろう武器を手にやって来たその男に、ソラールは自分だけの太陽を見つけるためにやって来たのだと話した。

 

自身が変人だという自覚はあった。これまで出会った者のほとんどが、そういう反応を示したからだ。しかし、まともな不死人を見つけたら話しかけずにはいられないのがソラールの(さが)であり、この時も笑われる事を覚悟で話しかけたのだった。

 

しかし。

 

『笑わないよ』

 

『……何だって?』

 

彼は少しも笑わなかった。

 

変人の戯言とも、狂人の妄言とも思わない。どれだけ荒唐無稽であろうと、確固とした目的がある者を笑いはしないと、そう言った。

 

そして。

 

『僕にも、この旅には目的があるんだ』

 

『ほう、貴公もか!それは良い!で、それはどういったものなんだ?』

 

『ああ。分を弁えていない、不遜とも思われるかもしれないが……』

 

 

 

―――この世界から“不死の呪い”を消し去る。

 

 

 

あの時の彼は―――かつての『闇の王』は薄く微笑みながら、そう言ったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドッッ!!という衝撃と共に、フィンのその小さな身体が灰の地面へと叩きつけられる。

 

「……くッ!」

 

込み上げる血を飲み下し、鋭い眼光で頭上を睨みつける。

 

次の瞬間、舞い上げられた粉塵を突き破って現れた剣の切っ先。額を穿たんとしたそれを首を捻ってギリギリの所で避けるも、刃が掠った頬には一筋の赤い線が刻まれた。

 

肉を斬り裂かれる鋭い痛みに、しかしフィンの目は揺るがない。ソラールの剣が地面に突き刺さった今が好機とばかりに、右手の金槍を力いっぱいに上へと薙ぐ。

 

「ふっ!!」

 

裂帛の気合いで放たれた攻撃だったが、これはソラールの盾によって阻まれてしまう。ガァンッ!と激しい金属音が響き渡り、その衝撃で辺りの粉塵が一気に晴れた。

 

「この状況でも逃げなかったか。流石は【勇者(ブレイバー)】だな」

 

「それは……どうも!」

 

地面に倒れたまま槍を振るった格好のフィンは、言い終わると同時に腰を切って蹴りをお見舞いする。倒れたままの為、十分な威力はなかったが、この状況から脱するにはそれで十分だった。

 

ソラールの脇腹を蹴りつけたフィンは、その力を利用して再度距離を取る。敵の懐から逃れた彼はふらつく両脚に力を入れるも、咄嗟に右手の金槍を地面に突き立て、支えとした。

 

「ハッ、ハッ、ハッ……!」

 

暴れる呼吸を無理やりにでも落ち着かせようとするフィン。

 

吐き出す息は熱く、そこには血の味も混じっている。今やアイズと共闘していた時以上に多くの傷を負い、足元に滴り落ちる血は不吉なまだら模様を描いていた。

 

それだけではない。椿に作成してもらった銀槍《スピア・ローラン》は戦闘の最中で弾き飛ばされてしまい、この灰の大地に埋もれてしまった。残ったのは今手にしている金槍《フォルティア・スピア》のみだ。

 

「槍の一振りは飛ばされ、おまけにその傷だ。これでもまだ戦う気か」

 

「……おかしな事を言うね」

 

ごし、と乱暴に口元を拭うフィン。

 

真っすぐにソラールへと顔を向ける彼の目には、僅かばかりの諦念も絶望もない。

 

「僕の後ろには戦っている仲間たちがいる。そしてファーナムも、アイズも、まだ戦っている。それなのに、僕が諦める訳がないだろう」

 

「勇気と蛮勇は違うぞ」

 

「確かに今の僕の姿はそう見えるのかも知れない。けどね、ソラール……」

 

フィンは地面に突き立てていた金槍を引き抜き、ヒュンッ、と風を切る。

 

身の丈以上の長槍を構え直し、彼は断言した。

 

 

 

冒険者(ぼくたち)は諦めが悪いんだ。どれだけ強大な敵だろうが、そこに(ゆず)れないものがある限り―――僕たちは絶対に諦めない」

 

 

 

血と灰に塗れた姿で言い切った小人(パルゥム)の冒険者の姿に、ソラールは兜の奥で僅かに両目を見開いた。

 

その脳裏に、かつての()との記憶が蘇る。

 

決して譲れぬ願い―――“不死の呪い”を消し去る事が目的であると語った、唯一無二の友との会話を。

 

「………そうか」

 

目の前にいる小人(パルゥム)が、古い記憶の中の人物と被る。

 

しかし、ソラールは目を閉じてその考えを頭の中から追いやると、極めて現実的な事実のみを突き付ける。

 

「だが、現実はそう甘くはないぞ」

 

 

 

 

 

ソラールの言葉は正しい。

 

 

 

「おらァッ!!」

 

「ぬぅっ!?」

 

青き戦士の猛攻に、あのガレスですら防戦一方を強いられ。

 

 

 

「死ねェ!!」

 

「“王”の為にッ!!」

 

「クソッ、たれがぁ!!」

 

雪崩のように襲い掛かる闇の騎士たちに、ベートは次第に飲まれてゆき。

 

 

 

「っ……ティオ、ナ……!」

 

「………」

 

「随分と粘りましたが……もう終わりですね」

 

ジークリンデに二人がかりで挑んだティオネとティオナは地面に倒れ伏し。

 

 

 

「はっ、はっ……リヴェリア様っ!?」

 

「私に構うな、レフィーヤッ!!」

 

魔術を放つグリッグスの攻撃に晒されるリヴェリアに、レフィーヤの悲痛な声が響き渡る。

 

 

 

「囲めッ、囲めッ!」

 

「八つ裂きにしてしまえ!!」

 

「“王”の敵を排除しろォ!!」

 

戦場の至る所から聞こえてくる、闇の騎士たちの雄叫び。

 

「ぐあぁ!?」

 

「ぎゃあッ!!」

 

そして、ファーナムの召喚に応じてやって来た不死人たちの断末魔と血飛沫。

 

これまでと一変して多彩さと激しさを増した闇の騎士たちの猛攻に、ルカティエルとバンホルトは窮地に立たされていた。

 

「ぬぅ!これでは押し負けるぞ、ルカティエル殿!」

 

「分かっている!だが、ここでやられる訳にはいかないッ!」

 

次々と襲い掛かる敵勢力相手に、二人は背中合わせとなって剣を振るう。

 

しかし、その程度でどうにかなる状況ではすでになくなっていた。

 

「“奇跡”を!」

 

「“平和”を使え!!」

 

四方から聞こえて来た闇の騎士たちの声に、ルカティエルはハッ、と周囲を見渡す。

 

そして気が付いた。数十人規模の闇の騎士たちが、いつの間にか自分たちを囲っていた事に。

 

その手に“奇跡”の触媒を……タリスマンを握っている事に。

 

「……全員、ここから離れ―――!!」

 

咄嗟に声を上げるも、間に合わない。

 

闇の騎士たちは同時にその“奇跡”を……『緩やかな平和の歩み』を発動させた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【ロキ・ファミリア】たち、及び不死人たちは正しく絶体絶命。【ディア・ソウルズ】を行使しているファーナムもまた、いつ息絶えてもおかしくない状況だ。

 

しかし、運命とは時として神々の予想や思惑すらも覆す代物である。

 

故に―――彼らの存在を予期していた者は、神殺しの旅団の中では誰一人としていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……そなたの旅は、未だ終わらぬのだな」

 

その勇士は、濃い霧の支配する森の中で静かに呟いた。

 

 

 

「今度は我が動くが道理か……」

 

その異形は、自身の連れ合いを解き放ってくれた者への義理を感じていた。

 

 

 

そして。

 

凍てついた氷の城。その最奥に一人座した闇の落とし子の一人。

 

『恐怖』の使徒である彼女は、長らく震わせていなかった喉で言葉を紡いだ。

 

「ああ、新たな『闇』が……『深淵』が……!」

 

ここではない何処か。

 

無数に存在する世界の内のひとつで生まれた新たな『深淵』の誕生を感じ取った彼女は、同時に()が窮地に陥っている事も察知した。

 

「ですが、私には何の力もありません。貴方を、助ける事さえも……」

 

沈痛な面持ちで言葉を絞り出す。

 

そんな彼女の耳が、小さな足音を感じ取る。

 

「………!」

 

ハッ、と、彼女は顔を上げる。

 

長い黒髪に隠されたその顔は、しかし先ほどまでの悲しみに彩られてはいない。

 

「……そうですか。貴方たちも、私と同じ思いなのですね」

 

振り向く事もなくそう呟く。

 

そして彼女は―――沈黙の巫女アルシュナは、再び手を組み合わせ、祈りの言葉と共に()()を送り出した。

 

「ならば行って下さい。我らが王の騎士たちよ―――あの方の与えてくれた大恩に、報いるのです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして、彼らはやって来た。

 

 

 

「がっっ!?」

 

「ッ、一体なにが……ぁぐッ!?」

 

その勇士は両の手の獲物を振り回し、“奇跡”を行使した闇の騎士たちの足元から突如として姿を現した。

 

 

 

『―――ォオオオッ!!』

 

「なっ……ぎゃぁああっ!!」

 

「ッ……ンだ、こいつは……!?」

 

その異形は現れるや否や、ベートに群がっていた闇の騎士たちをその長大な武器で薙ぎ払った。

 

 

 

そして、()()は現れた。

 

地面に浮かぶ白き言葉からではなく、空から。凍てつく氷の大地の風と共に。

 

「きゃあっ!?」

 

「くっ……!?」

 

その衝撃に思わず目を瞑るレフィーヤとリヴェリア。

 

突如として目の前で生じた冷たい突風が過ぎ去った後。目を開けたリヴェリアは、自分たちを守るかのようにして片膝を突く四人の騎士の姿を見た。

 

「お、お前たちは……?」

 

その声に反応した四人の騎士……白銀の甲冑に身を包んだ長身痩躯の騎士たちはリヴェリアへと向き直り、自身の胸元に手を当て無言のままに共闘の誓いを立てる。

 

 

 

 

 

―――実体 ヴァンガルの首が現界しました―――

 

―――実体 蠍のタークが現界しました―――

 

―――実体 エス・ロイエス 最後の騎士隊が現界しました―――

 

 




前回の投稿から時間が空いてしまいまして、申し訳ありません。

今回の話は書きたかったシーンが色々詰まっているので、楽しかったのと同時に書けて一安心といった所です。

また、感想を頂ければ幸いです。これまでの流れについてだとか、不自然に感じた点などでも構いません。作者のモチベアップにもなりますので、お時間があればお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十五話 反撃せよ、不死人。

思ったよりも遅い更新になってしまいましたが、どうぞお楽しみください。

※今話には皆さまからご応募頂きました不死人が登場します(なんと七人!)




ルカティエルとバンホルト、そして数十人の不死人たちを囲い、奇跡『穏やかな平和の歩み』を行使した闇の騎士たち。忌むべき神々の力を解放した彼らのこの包囲から逃れる術など無く、ルカティエルたちは絶体絶命かに思われた。

 

しかし、それは突如として現れた一人の巨漢によって覆される。

 

「ぉおおオッッ!!!」

 

地面に浮かんだ白き言葉から現れたその男は、獣を模した兜から覗く眼光を鋭く光らせる。そして両手に握られた得物『赤錆の曲剣』と『赤錆の直剣』を振るい、瞬く間に二人の闇の騎士の首を落とした。

 

「なっ!?」

 

「何だ、こいつは!?」

 

混乱する敵兵など意に介さず剣を振るい、次々とその首を落としてゆく。

 

男の名はヴァンガル。かつての戦場における戦いぶりは味方さえも震え上がらせたという逸話を持つ、猛獣の如き強さを誇ったフォローザの勇士である。

 

「む、何事か!?」

 

斬り暴れるヴァンガルに翻弄される闇の騎士たちの様子に、バンホルトが訝しげな声を上げる。

 

「よく見えないが、今が好機に違いない!」

 

“奇跡”によって逃げる事もままならない状況だったが、ヴァンガルの登場により敵兵は混乱の只中にいる。この機を逃す手はないとルカティエルは盾を構え、そして周囲にいる不死人たちへと向けて大きく声を張り上げた。

 

「固まれ!盾を持つ者は外側へ、持たない者は内側へ!!」

 

『 ッ!! 』

 

ルカティエルの声を聞いた不死人たちの行動は速かった。

 

小盾、中盾、大盾。あるいは幅広な特大剣を持つ者たちは前に出て、そうでない者たちは彼らの背に隠れるように。この場に居合わせた数十人の不死人たちはこれまでの戦いで得た経験を元に、ルカティエルの思い描いた通りの陣形を取る。

 

「なっ……!?」

 

ヴァンガルの猛攻に気を取られていた闇の騎士たちの内の一人が目を見開く。

 

そこには巨大な『甲羅』があった。

 

頭と手足を隠した亀の如く、全方位を己の盾で固めた不死人の集団。不揃いで隙間も目立つが、即席にしては十分すぎる陣形だ。

 

「くそっ、崩すぞ!!」

 

おおおおおおっ!!とルカティエルたちに殺到する敵兵。無数の剣や槍、槌などを振り下ろされるも、完全に守りに入った彼らは生半にはやられない。

 

「ぬぅ……ルカティエル殿、この後は!?」

 

「考えがある。バンホルト、お前はこれから言う事を皆に伝えてくれ!!」

 

構えた盾越しに伝わる衝撃に顔をしかめながらも、ルカティエルは次の一手を口にする。それを受けたバンホルトは陣の内側に引っ込み、その策を全員に伝えるべく人込みをかき分けていった。

 

一方の闇の騎士たちも痺れを切らしたのか、武器を振るう方とは逆の手にタリスマンを構え始めた。“奇跡”の効果が切れる頃合いを見計らい、再び行使しようというつもりだ。

 

ヴァンガルの奇襲により同胞の数は減らされてしまったが、ルカティエルたちが固まっているお陰で狙う範囲は小さくなった。これならば今いる者たちだけでも十分にやれると見た闇の騎士たちは互いに目配せをし、タイミングを見計らい一斉にタリスマンを頭上に掲げる。

 

―――その瞬間を見逃さなかったルカティエルが、大きく叫んだ。

 

「今だッ!!」

 

直後。

 

がばっ!!と()()()()『甲羅』。堅牢な盾を下げ、代わりに飛び出して来たのは幾つもの長槍だ。

 

パイク、パルチザン、ウィングドスピア。何の効果もないごく普通の槍だが、絶妙なタイミングで突き出された穂先は、敵兵にとって十分な奇襲効果があった。

 

「がはっ!?」

 

「ぐっ、小癪な……!」

 

槍の奇襲は敵兵を絶命させるには至らなかった。が、一瞬でも怯めばそれで充分。たたらを踏んだ闇の騎士たち目掛け、これまでのお返しだとばかりに不死人たちが攻撃に転じる。

 

「行けぇえええええええッ!!」

 

「「「 おおおおおおおおおおおおおおおおっ!!! 」」」

 

ルカティエルの声に合わせ、不死人たちが走り出した。手にした武器を振り上げ、奇跡を行使させる暇も与えずに次々と斬り伏せてゆく。

 

「ハァッ!!」

 

「ぎゃっ!?」

 

窮地を脱した不死人たちは皆、思い思いの戦場へと散って行った。

 

この逆転劇の立役者であるルカティエルもまた次なる戦場を探して、周囲へと目を配らせる……と、ここで彼女に駆け寄ってくる者がいた。

 

「上手くいったようだな、ルカティエル殿!」

 

「バンホルト、無事だったか!」

 

「はっは!(それがし)の心配ならば無用!あんな卑怯な手段を使う輩共に遅れなど取るものか!」

 

蒼の大剣を肩に担ぎ、豪快に笑うバンホルト。相変わらずの偉丈夫ぶりに頬を緩ませつつ、ルカティエルは今後の動きを手短に伝える。

 

「私はこれから前へ出る。お前はどうする?」

 

「無論、共に行こう……と言いたいところだが、少しばかり寄り道をしようと思う」

 

「寄り道だと?」

 

「ああ」

 

そう言って、彼は視線をある場所へと向ける。

 

そこには、他の者たちよりも頭一つ大きな巨漢がいた。両手の得物を振り回し、豪快に敵を蹴散らしている勇士の姿に、バンホルトの双眸がギラリと輝く。

 

()の御仁に、少しばかり助力をなッ!!」

 

言い終わるや否や、バンホルトは走り出した。邪魔な敵兵を片端から斬り飛ばし、その勇士―――ヴァンガルのいる場所を目指して、一心不乱に駆けてゆく。

 

「うおおおおぉぉおおおおおおおおおおおおおっっ!!!」

 

「!?」

 

野太い雄叫びにヴァンガルが振り返るや、すれ違うようにして彼の前へと躍り出たバンホルト。

 

瞬時に味方であると判断したヴァンガルは、彼と背中を預ける形で闇の騎士たちを睨みつける。

 

「そなたは……?」

 

「某の名はバンホルト!貴公の勇気ある姿に感銘を受け、馳せ参じた次第!」

 

役者がかった名乗りもそこそこに、バンホルトは鼻息を荒くして戦意を高めてゆく。

 

しかし、それも当然だろう。武と礼を重んじる砂漠の国ウーゴの武人である彼にとって、自分たちを救ってくれた者へ何の恩も返さないというのは、どうしても我慢ならない事なのだから。

 

「義を見てせざるは勇無きなり!故にこのバンホルトッ、しばし貴公と共に戦おう!!」

 

「……良いだろう、バンホルトとやら」

 

一方的な共闘の申し出をヴァンガルは素直に受け取る。

 

幾多の戦場を経験してもこれまで出会った事のないタイプの男に、彼にしては珍しく口元に笑みを湛え、こう言った。

 

「共闘といこう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

窮地に陥ったとて、それは不死人たちにとって必ずしも絶望するような事ではない。

 

それに、この場に集まったのは皆ファーナムの呼びかけに応じた者たちだ。半端な事で折れるような(やわ)な心は持っていない。

 

久しく同じ不死人と戦っていなかった闇の騎士たちは、愚かにもその事を忘れかけていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「がっ……!」

 

ずるり、と闇の騎士の腹部から引き抜かれる大剣。血を流し息絶えたその者の周囲には多くの同胞がいるが、皆武器を向けたまま動けずにいる。

 

「くそ、なんだこいつは!?」

 

「いくら斬っても倒れやしねぇ!」

 

その目に宿る感情は畏怖。常人からは化け物とすら言われる不死人だが、その大剣を持つ不死人は闇の騎士たちから見ても十分に異質だった。

 

全身を黒い鎧で固め、同じく黒いフードで隠された素顔は見る事が出来ない。いくら斬り付けても倒れず、獰猛に剣を振るう姿はデーモンすら彷彿とさせるほどだった。

 

「次はどいつだ」

 

「ッ……舐めるなァ!!」

 

自分たちが劣勢であるという状況に業を煮やした闇の騎士が叫びを上げ、不死人へと突貫する。

 

剣と剣が交差し、火花を散らして鍔迫り合いとなった。その瞬間を待っていたかのように、無防備となった不死人の背中目掛けて幾つもの剣や槍が突き立てられる。

 

「いい加減、死ね!」

 

「化け物めっ!!」

 

不死人に群がる闇の騎士たち。普通であればすでに勝負は決しているが、これまで散々同胞を殺された彼らは、それでもなお追い打ちをかけた。

 

最初に斬りかかった闇の騎士が『ダークハンド』の力を開放し、不死人の胸を穿つ。人間性を吸い尽くし、確実に息の根を止めようという魂胆だったのだが……。

 

「なっ……馬鹿な!?」

 

それでも倒れない。

 

致命傷を幾つも重ねているというのに、不死人はそれでも膝を突かないのだ。

 

驚愕し、立ち尽くしてしまった闇の騎士。その手を不死人は強く握り締める。

 

「っ!!」

 

「残念だったな」

 

不意にかけられたその言葉に、闇の騎士が顔を上げる。そこにはフードがめくれ上がり、亡者の素顔を晒した不死人が己を見下ろす姿があった。

 

「俺から奪えるものなど、もう何もないぞ」

 

 

 

―――実体 古いネームレスが現界しました―――

 

 

 

「ひっ……!」

 

完全に戦意を喪失してしまった相手にも容赦せず、古いネームレスは無慈悲に『喪失者の大剣』を振り下ろした。

 

身体を斜めに両断される闇の騎士。また一人、無残に殺された同胞を目にして動きを止めてしまった背後の騎士たちだったが、突如その身に受けた攻撃に悲鳴を上げる。

 

「ぁが!!」

 

「ぐぅっ!?」

 

ドドドドッ!と、彼らの身に襲い掛かったのはクロスボウによるものだった。雷と火の魔力を内包したボルトを嵐のようにお見舞いされた闇の騎士たちは身体をのけ反らせ、その隙を突かれ振り返った古いネームレスの手によって、まとめて斬り払われてしまう。

 

血を噴き出す死体など見飽きたとばかりに血振りをする古いネームレス。その脇をすり抜けるようにして、一人の不死人が彼の真横を走り去っていった。

 

「ヒャッハァ!!良いねェ、的だらけだ!!」

 

 

 

―――実体 乱れ射ちビルゴアが現界しました―――

 

 

 

「次、次ぃ!!」

 

両手に『アヴェリン』を装備したビルゴアは他の事など眼中にないようで、歓喜に満ちた声と共に次なる標的を求めて行ってしまった。

 

乱れ射ち(トリガーハッピー)の後ろ姿を見送った古いネームレスは自身の肩にもボルトが突き刺さっている事に気が付いたが、別段痛がる素振りも見せず、ゆらりとその場を離れる。

 

「……次に会ったら斬ってやる」

 

……撃たれた事については、納得いっていない様子だったが。

 

 

 

 

 

誰もが近接主体の攻撃に徹している訳ではない。戦場後方では弓や魔術、闇術を主に使う不死人たちが集まり、団結して敵兵との交戦を繰り広げていた。

 

彼らは大盾持ちの不死人たちに壁となってもらい、その後ろから攻撃するという戦術を取っている。誰もが一級の戦力持ちというこの戦場において、この一団は難攻不落の城塞と化していた。

 

「ふッ!」

 

バンッ!という大弓特有の強い反動で放たれた大矢が戦場を駆け抜け、闇の騎士の胸を穿つ。

 

勢いのままに吹き飛ばされ、地面に磔となり沈黙。それを確認した大弓の持ち主は小さく息を整え直すと、次の大矢へと手を伸ばした。

 

 

 

―――実体 流浪の傭兵アンルガが現界しました―――

 

 

 

「全く、こうも多いと流石に嫌気が差すな」

 

得物である『アーロンの大弓』に大矢を番えつつも、敵の多さに愚痴をこぼすアンルガ。その呟きは両隣で黙々と矢を射続けるシュミットとシェイ……ではなく、彼から少し離れた場所で杖を唸らせる不死人へと向けられていた。

 

「そうも言っていられないだろう。自分たちが取れる手段の中では、恐らくこれが最適解だろうさ」

 

頭のみ黒衣のフードを被り、それ意外をアーロン装備で固めたその不死人は、魔法強化した『叡智の杖』から魔術を放ちながら悠々と返答した。

 

 

 

―――実体 城塞の魔砲台 ジズが現界しました―――

 

 

 

戦場で出会い、こうして共に戦っているアンルガとジズ。見ず知らずの相手を呼び出し、あるいは呼ばれる事もしばしばな不死人たちにとって、すぐに呼吸を合わせる事は難しくない。

 

それが例え今回のような異常(イレギュラー)な事態であっても、二人の行動には何の支障もない。彼らは自身のやるべき事……即ち敵勢力の殲滅のみを第一に考え、大矢と魔術を放ち続けた。

 

が、ここで闇の騎士たちも戦術を変えてくる。

 

「撃て、撃てぇ!!」

 

最も敵を屠っているアンルガとジズに狙いを絞り、重点的に攻撃を仕掛けてきたのだ。敵側は弓や魔術、更には呪術や奇跡までも使用し、夥しい暴力の奔流が二人に牙を剥く。

 

「くそっ……ジズ!」

 

「っ、不味いな。このままだと……!」

 

削られてゆく大盾。すぐさま他の不死人たちが駆け付けて守りの強度を高めるが、多様な攻撃の嵐を前にして防戦一方となってしまう。

 

そして、その時が来た。最後まで踏ん張っていた大盾持ちの不死人が倒され、遂に難攻不落の城塞は瓦解してしまった。

 

「突撃ぃぃいいいいいッ!!」

 

先導する闇の騎士の声に従い、何人もの敵兵が押し寄せてくる。

 

チッ、と舌打ちを鳴らすアンルガはアーロンの大弓からセスタスへと武装を切り替え、正面切っての肉弾戦へと戦法を切り替えようとする。無謀としか言えないその行動に、ジズがせめて援護だけでもと杖を構えた―――その時。

 

「アッハハハハハハハハハハハハァァーーーッ!!!」

 

「!?」

 

と、ジズの隣から飛び出す者がいた。

 

ねじくれた角を持つ山羊の頭骨にも似た、術師の仮面を被った一人の不死人。彼は闇の騎士たちの前へと躍り出ると、左手の『クァトの鈴』を高らかと掲げ、特大の闇術を解き放った。

 

 

 

―――実体 渇望のソウダルクが現界しました―――

 

 

 

「『絶頂』!!!」

 

直後、現れた闇の塊。それは先頭を走っていた闇の騎士へと直撃した。

 

「うっ、おおぁああああああああっっ!?」

 

「なんっ……ぐぉあああ!?」

 

爆発四散する肉体。闇の残滓と臓物を周囲に撒き散らすだけでは飽き足らず、衝撃によって後方にいた敵兵までもが悲鳴と共に吹き飛ばされる。

 

余りに突然の出来事に周囲の者が沈黙する中、いち早く放心から復活したアンルガが大声で叫ぶ。

 

「呆けるな!立て直せ!!」

 

「っ、お、おう!!」

 

彼の一喝により、倒れた敵兵へ追い打ちをかけるべくアンルガ率いる不死人たちが走り出す。

 

ジズもまた杖から月光の大剣へと持ち替えて、彼らの後を追う。その途中で『絶頂』を放った張本人たるソウダルクが倒れていたので、助け起こそうと駆け寄ったのだが……。

 

「ふ、ふふ……やはり『絶頂』は良い……!」

 

(うっ……)

 

と、何やら恍惚とした様子でぶつぶつと呟いているのを目撃したため、思わず足を止めてしまう。

 

そんなジズなど気がついてもいない風に、ソウダルクはただ一人余韻に浸るのであった。

 

「ふふふ……あぁ、最高だ……!」

 

 

 

 

 

「があぁッ!!」

 

不死人たちが様々な戦闘を繰り広げている中、ベートは闇の騎士たちと相対していた。

 

ガレスと二人がかりで青き戦士と戦っていたが、一瞬の不意を突かれ敵兵の波に晒されてしまった。それから彼はずっと一人で戦っているのだが、戦況は非常に不味い。

 

青き戦士との戦闘で負傷した傷が尾を引き、真綿で首を絞められるが如く全身に傷を重ねていったベートは、本来の俊敏さを失っていた。すでに両拳は砕けかけ、自慢の両脚も鉛のように重い。

 

それでも攻撃の手は緩められない。先程までの快進撃に危機感を抱いた闇の騎士たちは確実にベートを潰すべく、常に複数で斬りかかっているのだ。

 

(畜生、キリがねぇ!)

 

倒しても倒しても一向に減らない敵の数。それと比例するようにこちらの体力は削られてゆき、いつ倒れてもおかしくない有様だ。その事実を何より許せないベートは怒りの形相で歯を食い縛り、立ちはだかる闇の騎士たちを睨みつける。

 

「ハァ、ハァ……クソがァッ!!」

 

しかし、毒づいたところで状況は変わらない。

 

失血により視界までもが霞んでゆく中、遂に踏み出した足がもつれる。戦場において致命的な隙を生み出すそれは、闇の騎士に接近を許す好機を与えてしまった。

 

(しまっ……!?)

 

引き延ばされる一瞬。

 

大槌を振り上げた闇の騎士が髑髏の仮面越しに笑みを深めるのを幻視し、ベートが焦燥と怒りが入り混じった表情を浮かべた―――次の瞬間。

 

 

 

バッ!!と、彼の後方から巨大な黒い影が飛び出した。

 

 

 

「!?」

 

その驚愕はベートか、それとも闇の騎士のものか。

 

何が起きたのかも分からないベートを他所にその黒い影は彼の目の前に着地すると、勢いよく身体を(しな)らせる。すると()()が闇の騎士の胴を打ち付け、血を吐きながら吹き飛ばされたではないか。

 

「なっ……!?」

 

いつの間にか危機から脱したベートは、そこでようやく目の前の存在を理解した。

 

巨大な蠍の下半身に、戦士らしき鎧を身に着けた上半身。歪な槍を握る手と、その肌は血の通っているようには見えず、しかしその立ち姿には明確な戦意が感じ取れる。

 

―――蠍のターク。それがベートを助けた者の正体だった。

 

『―――ォオオオッ!!』

 

タークはベートを振り返る事もせず、ただ目の前の闇の騎士たちへ突貫する。その長大な武器でひと息に敵を薙ぎ払う姿は、さながら『深層』に潜むモンスターのように苛烈だ。

 

「なっ……ぎゃぁああっ!!」

 

「ッ……ンだ、こいつは……!?」

 

困惑するベートだったが、そこへ更に二人の不死人がやって来た。

 

一人は兜を除き、およそ戦闘向きとは思えない聖職者のような衣服を纏った者。もう一人はゲルムの大兜と、堅牢な岩の如き超重量の鎧に身を包んだ者。

 

前者は『グランランス』を、後者は『妖木の杖』を手に、タークに続いて敵兵へと攻撃を仕掛ける。

 

 

 

―――実体 墓守の聖人 オルフが現界しました―――

 

―――実体 負けず嫌いのエルスが現界しました―――

 

 

 

「うおおぉぉおおおおおおおおおおっっ!!」

 

猛々しい雄叫びを上げながら、グランランスを手に走り出すオルフ。戦車(チャリオット)さながらの猛撃は何人もの闇の騎士たちを跳ね飛ばし、あるいはその穂先で串刺しにしてゆく。

 

「ぎゃっ!!」

 

「ぐあぁ!?」

 

三人ほどをグランランスの錆に変えたところでオルフの進撃は停止した。彼は素早く『古竜院の聖鈴』を取り出すと、息もつかせぬ動きで奇跡『神の怒り』を解放する。

 

彼を起点に吹き飛ばされる闇の騎士たち。紙切れのように宙を舞う同胞に気を取られた敵兵は、エルスの放った魔術『ソウルの結晶槍』によりソウルへと還っていった。

 

「くそっ!!」

 

厄介な魔術使いを始末すべく、曲剣を手に駆け寄る闇の騎士。遠距離主体の相手は総じて接近戦が不得手であるとの判断だったのだろうが、それが運の尽きだった。

 

「まぁ、そう来るだろうね!」

 

そう言ってエルスはあっさりと杖を仕舞い、今度は『古き混沌の刃』を手にする。そうして近付いてきた敵の懐に入り込むや否や、一刀の元に斬り伏せて見せる。

 

崩れ落ちる闇の騎士を跨ぎ、彼は『竜の聖鈴』を掲げた。行使するのは『固い誓い』。自身と周囲の仲間の攻撃力、防御力を一時底上げする奇跡である。

 

「っ! 悪いな、助かる!」

 

「良いさ、気にするな!」

 

エルスの気の利いた行動に素直に感謝を述べるオルフ。心強い味方に勢いを付け、彼は再びグランランスを唸らせる。

 

その加護はタークにも、そしてベートにも向けられた。タークは今まで以上に苛烈に立ち回り、見る見るうちに敵兵の数を減らしてゆく。その光景を、ベートは立ち尽くしたまま見ていた。

 

否、ただ立ち尽くしている訳ではない。ぼろぼろの拳を固く握りしめ、己の無力さを痛感していたのだ。

 

「クソ……ッたれ……!!」

 

自他共に強さを要求する一匹狼。

 

己の窮地を救われるという行為が、彼の内側に消え残る『傷』を、再び呼び起こそうとしていた。

 

 

 

 

 

同じ頃、リヴェリアとレフィーヤは突如目の前に現れた長身痩躯の騎士たち―――ロイエス騎士たちに困惑しながらも、彼らが敵ではない事に安堵の息を吐いていた。

 

「リヴェリア様、この人たちは……?」

 

「……分からない。が、ファーナムの仲間と見て良いだろう」

 

四人のロイエス騎士はすでに敵兵たちと交戦を開始している。

 

斧槍や大斧、直剣を手に戦う彼らは勇敢そのもの。次々と襲い掛かる闇の騎士たちに対し余りに多勢に無勢だが、一切怯んでいる様子はない。その雄姿にレフィーヤは杖をぐっと握り締め、自らを奮い立たせる。

 

「リヴェリア様!私も、あの人たちの援護を!」

 

「っ、待て!お前はまだ出るな!」

 

「えっ!?」

 

飛び出しそうになったレフィーヤの足を、リヴェリアの声が制止させる。何故止めるのか、と疑問を抱くエルフの少女に、ハイエルフの王女は冷静に現状を説明し始めた。

 

「奴らは雑兵だ。お前が一人二人倒したところで、大した痛手にはならないだろう」

 

「で、でもっ、あの人たちは私たちの為にっ!」

 

「お前の言いたい事はよく分かる。だからこそ、自分のすべき事を見失うな」

 

そう言って、リヴェリアはレフィーヤから視線を外す。次に彼女が見たのは、多くの闇の騎士たちを引き連れた魔術師グリッグスの姿だ。

 

ロイエス騎士たちの登場により先ほどまでの魔術の猛攻は止まった。標的を彼らへと変更したらしく、グリッグスの放つ魔術はリヴェリアたちへと向いてはいない。これを好機と見た彼女は、自身が思い描く戦術をレフィーヤへと告げる。

 

「私たちは一先ずここから離れ、身を隠す。彼らが足止めをしてくれている間に、出来うる限り最大の魔法で敵を討つ」

 

「でも……でもっ!」

 

「わがままは聞かないぞ……お前も理解できるだろう、グリッグス()の強さを」

 

「っ!!」

 

その言葉にレフィーヤは押し黙る。

 

彼女の瞳が映したのは、痛々しく血を流すリヴェリアの姿だ。この傷を刻んだのは、全てグリッグスの放った魔術によるものである。

 

「私の防護魔法を貫通する程の魔法を次々と使ってくる。そんな敵を相手に、お前は並行詠唱で太刀打ち出来ると思うのか?」

 

「………」

 

「そんな事は私でも無理だ。だからこそ、確実に倒す為の準備が必要なんだ……分かるな」

 

「………はいっ」

 

少女の身体に流れる気高いエルフの血が、ロイエス騎士(彼ら)と共に戦えと訴えかける。その叫びを鉄の心で押し留め、レフィーヤは強い眼差しで己の為すべき事を見極めた。

 

今は前に出る時ではない。魔法使いとしての本分を忘れるなという、リヴェリア()の教えを胸に。

 

「よく言った、レフィーヤ」

 

決意を固めた弟子の頭を優しく撫でたリヴェリアは振り返り、自分たちを守って戦ってくれているロイエス騎士たちへと声を張り上げる。

 

「ここは任せる!すまないが、もう少し耐えてくれ!!」

 

彼女としてもこの決断は容易なものではなかった。オラリオが誇る探索系ファミリアの一角【ロキ・ファミリア】の幹部勢であるリヴェリアが、易々と仲間の命を危険に晒せる訳がない。

 

そんな事など知る由もないはずなのに、ロイエス騎士たちは彼女の心情を理解しているかのように、力強く頷き返すのであった。

 

―――我々の事は気にするな、行け。

 

「……ありがとう」

 

騎士の名に恥じぬ言葉を幻聴()いたリヴェリアは、レフィーヤを連れて戦場の波へと姿を消してゆく。必ず戻り、助けに行くのだと誓って。

 

そんな二人を、グリッグスは慌てた様子もなく見送っていた。

 

「グリッグス殿、奴らが逃げますっ!!」

 

「追いかけますか!?」

 

「……いや、いい」

 

闇の騎士たちが慌てた調子で問いかけるも、グリッグスはそれに否と答える。

 

「先にこの騎士たちを倒してしまおう。彼女たちを追うのはその後だ」

 

そう答えたグリッグスの口元には笑みが浮かんでいる。

 

“王”の側近でもあるが、それ以上に一人の魔術師でもある彼の心には、リヴェリアとレフィーヤが何をする気なのか……という、好奇心が芽生えていた。

 

(良いだろう。見せてくれ、君たちの魔術を)

 

 

 

―――それを打ち破り、師の……老ローガンの魔術の偉大さを思い知らせてあげよう。

 

 

 




~今回登場した不死人~


古いネームレス リーバー様

乱れ射ちビルゴア    様

流浪の傭兵アンルガ 医療教会長レグド様

城塞の魔砲台 ジズ 灰の魔術師様

渇望のソウダルク £‰t#∮H婀?u様

墓守の聖人 オルフ 池ポチャ様

負けず嫌いのエルス サンラク様


以上の皆さまです。本当にありがとうございました。





※【乱れ射ちビルゴア】を考えて下さいました方は、ご本人様がハーメルンのアカウントを消されたようなので、お名前を書く事が出来ませんでした。ご容赦下さい。

※【捨て身のガラハ】という不死人を考えて下さいました方は、設定の書かれたコメントが消えてしまったので、よろしければメッセージにて設定を再度お送り下さい。(強要ではありませんので、無視して頂いても構いません)

以上、失礼致しました。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十六話 双子の獣は荒れ狂い、狼は牙を剥く

遅くなりまして申し訳ありません。


「随分と粘りましたが、これでお終いですね」

 

特徴的な形状のカタリナ鎧。その兜の隙間から発せられる声は、地面に倒れ伏す二人の少女へと降り注がれている。

 

双子のアマゾネスの冒険者、ティオネ・ヒリュテとティオナ・ヒリュテ。オラリオでも名を轟かせる彼女たちは、現在瀕死の状況にまで追いやられていた。

 

どんな困難にも臆さずに挑んできた二人は、もはや起き上がる気力があるかも怪しい。

 

「………」

 

ジークリンデの斬撃を防ぐ事で精一杯だったティオナ。

 

大双牙(ウルガ)の誇る堅牢な超硬金属(アダマンタイト)の刀身には(ひび)が入り、今や地面に無造作に転がっていた。持ち主たるティオナもまた、激しい戦闘によって砕かれた大岩の瓦礫の中に沈み、ピクリとも動いていない。

 

「……ぐ、ぅ………」

 

ティオネも似たようなものだ。

 

ティオナが倒れた後も果敢に攻めたものの、彼我の実力差は覆せない。得物を捨て去った徒手空拳で挑む戦意も空しく、全身に裂傷を負い、仰向けで灰色の空を仰いでいる。

 

完全なる詰み。誰の目にも明らかだった。

 

「放っておいても問題ないでしょうが、念には念を入れておきましょう」

 

ジークリンデは抜き身のバスタードソードを怪しく光らせ、ティオネの元へと歩み寄ってゆく。

 

顔にかかった自身の長髪の隙間からその姿を目にするティオネは、思い通りに動かない身体に必死に命令を送る。起き上がって戦え、目の前の敵をぶちのめせ、と。

 

が―――動けない。

 

もぞもぞとしか動かない指先は地面の灰をかき集めるばかりで、戦うどころか起き上がる事すら遠い。目前まで迫った死に対し、今のティオネが出来る唯一の抵抗は、目をそらさずに睨みつけてやる事だけだった。

 

「ク、ソ……ッ……!」

 

とうとう距離がゼロになった両者。ジークリンデは無言でティオネを見下ろし、そして手にした大剣をゆっくりと振り上げた……その時。

 

「………」

 

「? 如何しましたか、ジークリンデ殿?」

 

周囲に集まった十名ほどの闇の騎士の内の一人が声を漏らす。

 

後は振り下ろすだけとなった恰好で動きを止めたジークリンデ。彼女は首だけを動かし、戦闘のとある方向へと視線を向けていた。

 

そこから聞こえてくるのは戦闘の雄叫びと、斬り伏せられる者たちの悲鳴。前者はファーナムの召喚に応じた不死人たちのもの、後者は闇の騎士たちのものだ。

 

「……あちらの戦況が不利のようですね」

 

そう言うとジークリンデは身を翻し、そちらの方向へと足を向ける。振り上げた大剣を下ろした彼女は、すでにティオネから完全に関心をなくしていた。

 

「私は今からあちらの応援に行きます。彼女たちの始末は貴方に任せます」

 

「は、ハッ!」

 

唐突に(とど)めを刺す大役を任された闇の騎士は、若干声を上擦らせながらも素直にそれに応じた。

 

それを確認したジークリンデは、ティオネを一瞥すらせずにその場を離れていった。急速に小さくなってゆく背に、ティオネは思い切り目玉を剥いて憤怒の形相を浮かべる。

 

「て……テメェ!待ちやがれ……!」

 

己の手で止めを刺す価値もない。そう断ぜられた事実に、アマゾネスの血が沸騰する。その怒りはもがくだけだった手足に力を送り込み、ぐぐっ……と身体を起き上がらせるまでに至る。

 

「動くな!」

 

「がっ!?」

 

しかし、それまでだった。

 

闇の騎士の放った足蹴を顔面に受け、再び地を這う恰好となったティオネ。口元から新たな流血を見せつつも、彼女の怒りは途切れない。満足に動かない身体で、なおもジークリンデを追おうとしていた。

 

「ジークリンデ殿の邪魔をしようなどと。もはや虫の息のお前などに割ける時間など、一秒もないというのが分からんか」

 

「ぐぁッ!!」

 

再び蹴りを喰らったティオネは、ごろりと仰向けとなって闇の騎士を仰ぐ。止めを刺す役目を受けた彼は高揚感からか幾分か饒舌になったようで、死を目前にした彼女を更なる絶望へと突き落とさんと台詞を並べる。

 

「安心しろ、早かれ遅かれお前らは全員死ぬ。そこで倒れているお前の片割れも、同胞もな……ああ、だがあいつはもう手遅れだろうなぁ」

 

「っ……あいつ……?」

 

「ああ。なにせ奴は今、ソラール殿が相手をしている」

 

いたぶるように話しかける闇の騎士。普段ならば聞き流しているはずの敵の言葉(戯言)を、ティオネはこの時だけは何故か注意深く聞いていた。

 

そして、闇の騎士は続きを口にする。

 

ティオネと闇の騎士―――双方にとって()()()な言葉を。

 

 

 

「二本の槍を持った、あの金髪のガキだ。とっくに死んでいるだろうよ」

 

 

 

「     」

 

瞬間、ティオネの時が止まった。

 

彼女の五感は機能を停止し、闇の騎士が放った言葉を脳内で幾度も反芻する。それを絶望と受け取った闇の騎士は仮面の奥で満足気に笑みを深めると、見せつけるように剣を振り上げる。

 

「では、終いだ。真の人の世を創る為の礎となるが良い」

 

そんな陳腐な台詞を吐きながら、闇の騎士は渾身の力で剣を振り下ろした―――しかし。

 

ガッ!!と、剣が止まる。

 

「!?」

 

一体何が起こったのか。予想外の出来事に闇の騎士と、周囲にいる同胞たちは目を見開いた。

 

一同の驚愕を集めるのはティオネの右手である。振り下ろされた鋭い刀身を、あろう事か彼女は素手で引っ掴んでいるのだ。

 

「……テメェ、今なんつった?」

 

ギチギチと震える刀身。たまらず闇の騎士は両手持ちにして刃を押し込もうとするも、それは岩のように固い感触を前に少しも動かない。

 

「く、クソ……!?」

 

「団長が死んだ?ソラールだか言う、訳の分からねぇ奴が殺した?」

 

刃を掴む手は無事では済まない。皮膚を切り裂かれ、赤い血が幾筋も右腕を伝う。それでも刀身を握る力は少しも緩まず、逆に悲鳴を上げているのは剣の方だ。

 

そして倒れていたティオネはゆらりと起き上がり……血に塗れた顔に憤怒の形相を張り付け、咆哮を放った。

 

「……ンな妄想、よくも言えたモンだなぁッッ!!!」

 

バギンッ!!と砕け散る剣。

 

破壊した刀身を握り潰して作り上げた拳は、そのまま闇の騎士の顔面へと吸い込まれた。拳が直撃した瞬間に頭部がはじけ飛び、周囲に赤黒い霧を振りまく。

 

断末魔すら許されずに息絶えた同胞の姿に、周囲にいた闇の騎士たちも今になって異常事態である事を理解した。

 

「ぶ、武器を構えろ!!」

 

「一気に潰すぞ!!」

 

慌てて武器を構えるも、全てが遅すぎた。ティオネの姿がかき消えたかと思えば、近場にいた闇の騎士が身体をくの字に曲げて真横へと吹き飛んでゆく。

 

それを目撃した別の騎士は、すでに懐まで彼女の接近を許していた。

 

「なん……げァ!?」

 

強烈な突き上げ(アッパーカット)を喰らったその身体は数Mも宙を舞う。次から次へと新たな鮮血を噴き出す同胞の姿に敵が混乱する中、ティオネは叫んだ。

 

「ティオナァ!!いつまで寝てやがる、さっさと起きろォ!!」

 

「……うるっさぁーーーーーいっっ!!!」

 

ドカンッ!!という轟音と共に爆発した瓦礫の山。

 

否、爆発ではない。今の今まで意識を失っていたティオナが覚醒し、瓦礫を蹴り飛ばしたのだ。

 

「なっ!?」

 

声のした方へと目を向けた闇の騎士。彼が見たのは未だ落下を続ける瓦礫と、目前まで迫っていたティオナの顔だけだった。

 

姉同様にボロボロになりながらも、その顔に浮かんでいるのはいつもと変わらない笑み。ティオナとはまた違った威圧感に身体が硬直してしまった闇の騎士は、ティオナの放った拳をその身に受ける事となる。

 

「な、なんだ、こいつら!?」

 

「死に損ないのクセに、どこにこんな力が……!?」

 

目の前で荒れ狂う暴力の嵐。

 

闇の騎士たち(彼ら)は知らない、知る由もない。アマゾネスの姉妹がその身に刻んだ恩恵(ファルナ)こそが、この起死回生の逆転劇の正体である事に。

 

憤化招乱(バーサーク)】、そして【狂化招乱(バーサーク)】。

 

二人が持つスキルであり、損傷(ダメージ)を負う度に攻撃力が増していく―――ティオネの場合は更に、怒りの丈により効果が上昇する―――という効果を持つ。しかし絡繰りはこれだけではない。

 

大反攻(バックドラフト)】と【大熱闘(インテンスヒート)】。

 

前者はティオネのもので、瀕死時においてのみ『力』に超高補正がかかる。後者はティオナのもので、同じく瀕死時においてのみ全アビリティの高補正が働くという、まさに反則級のスキルだ。

 

手負いの獣が一番恐ろしいという言葉通り、今の二人は荒れ狂う獣そのもの。そんなものを相手に、闇の騎士たちに勝ち目などあろうはずもない。

 

「ねぇ、この後どうするー!?」

 

「決まってんだろ、ジークリンデ(あのアマ)を見つけ出して、ぶちのめすッ!!」

 

了解(りょーかーい)!!」

 

スキルの影響による赤い吐息を漏らしながら、ティオネとティオナはジークリンデの後を追う。

 

後に残ったのは、消えゆく闇の騎士たちの亡骸と、ソウルの残滓のみであった。

 

 

 

 

 

「ハァッ!!」

 

両軍入り乱れた戦場に響く、一際高い声。

 

女性に違いないその声の主は重厚な番兵装備に身を固め、『番兵の直剣』と『番兵の盾』を手に、周囲の敵兵たちと激戦を演じていた。

 

 

 

―――実体 放浪騎士ジャスクが現界しました―――

 

 

 

「がっ……!」

 

一刀のもとに斬り伏せた闇の騎士には目もくれず、次なる敵へと意識を尖らせるジャスクは、兜の隙間から鋭い視線を飛ばす。

 

「はぁ、はぁ……どうした。こんなものかっ、悪賊ども!」

 

威勢の良い言葉に違わず、ジャスクの実力は本物だった。

 

四方を敵に囲まれ、そう簡単に援軍の介入も許さない状況の中、彼女は襲い来る闇の騎士たちを迎撃し続けた。それは一重に、これまでの旅路で培ってきた力と技量が為せる技である。

 

「ちっ、しぶとい奴め!」

 

「ッ!!」

 

だが、何事にも限度というものがある。倒しても倒してもキリがない敵兵たちにジャスクは傷を重ね、次第にその剣技にも陰りが見え始めてくる。

 

いくら強くとも多勢に無勢という事実が覆る事はなく、エスト瓶の中身はすでに空。そして戦い通しによる疲労が僅かに足を鈍らせ、遂に闇の騎士が振り抜いた大槌による一撃が彼女の胴を強かに打ち付けた。

 

「かはっ!?」

 

堅牢な鎧のおかげで大事には至らなかったものの、転倒してしまうジャスク。

 

起き上がる暇も与えずに殺到する敵兵たちに、彼女の心は負けを悟る。それでもタダではやられぬと剣の切っ先を構え、刺し違えてでも一矢報いてやると覚悟を決める。

 

(くっ、ここまでか!)

 

剣、槍、斧。凶悪な武器の数々が、ジャスクの身体を貫く―――かに思われた、その直前に。

 

「おおおおおおおおおおッ!!」

 

「シィッ!!」

 

雄々しい雄叫びと、鋭い掛け声が耳を打つ。

 

それぞれ敵兵の真横、そして背後から強襲した拳と大剣は、ジャスクへと向けられていた殺意を見事に打ち砕いて見せた。

 

呆気にとられるジャスクを尻目に、『骨の拳』を備えた不死人は目にも止まらぬ連撃を闇の騎士たちへと叩き込む。慣れた身のこなしで敵の急所を突き、止めを刺した矢先には別の標的へと駆け出している。

 

生粋の接近戦特化(インファイター)である彼を止められる者は、敵の中には一人としていなかった。

 

 

 

―――実体 鉄拳のリーが現界しました―――

 

 

 

「ぅおらあああああああッッ!!」

 

暴れ回るリーの姿に呆然としていると、ジャスクの傍らにもう一人の不死人が駆け寄って来た。

 

彼はクレイモアで貫いた闇の騎士を斬り払って左手に携えた『王の盾』を消し去り、代わりに『クァトの鈴』を取り出す。

 

「大丈夫ですか?」

 

そうして聖鈴を鳴らし、奇跡を唱える。

 

 

 

―――実体 巡礼騎士ロートスが現界しました―――

 

 

 

『太陽の光の癒し』による温かな感覚を肌に感じつつ、ジャスクはすぐ目の前にいるロートスを見上げた。

 

「す、すまない。助かった」

 

「いえ、お気になさらず。こうしてここに来る事が出来たのも、貴女が果敢に戦って敵の数を減らしてくれたおかげです」

 

上級騎士の鎧に身を包み優しく語りかけるその姿は、さながら物語の主人公のよう。囚われの姫とは程遠い恰好の自分に奇跡を使ってくれたロートスに対し、ジャスクは言い様のない感覚に陥ってしまう。

 

「動かないで。今は回復に専念して下さい」

 

「っ……っ……!!」

 

優しく労わってくれる言葉に盛大に顔を赤らめても、武骨な番兵兜では全く分からない。そんな微動だにしないジャスクに違和感を覚えたのか、ロートスは心配そうな声で語りかけた。

 

「まだ、どこか痛みますか?」

 

「い、いいえっ!?」

 

シャキッ!と姿勢よく立ち上がったジャスクは、上擦った声でそう答えた。これ以上奇妙な空気が漂い始める前にと、彼女はこれまた盛大に上擦った声で捲し上げる。

 

「かっ……勘違いするなよ!傷を癒してくれた事は感謝するが、それ以上の他意はない!!だからっ、か、かかか勘違いするなよ!?」

 

「えっ、あ、はい……?」

 

勝手に暴走し始めるジャスクに、ロートスは困惑するしかなかった―――ちなみに、ロートスは生来誰にでも分け隔てなく接する性格であり、ジャスクが女性であると知らなかった。故にこの状況はジャスクの盛大なひとり相撲である―――。

 

「戦場のど真ん中で、何やってんだか……」

 

と、その様子をリーは横目で見て、げんなりとした声を漏らした。

 

こちらは着々と敵を殴り倒しているというのに、よもやこんな茶番(ラブコメもどき)の現場に居合わせる事など誰が予想できようか。他所でやれ、とでも言ってやりたかったが、生憎とここは戦場のど真ん中であり、そしてこの空間には戦場以外の場所はない。

 

詰まるところ、『やってらんねぇ』という訳である。

 

「一応、俺も駆け付けてきたんだがなぁ」

 

誰にでもなく愚痴を零したリーは、更に拳を唸らせる。

 

と、その最中で、彼のある()()の姿を目撃した。

 

「ッ、馬鹿野郎―――!?」

 

思わずそう口走ってしまうのも無理はない。何故ならその青年は不死人ですらないというのに盾すら持たず、同じく不死人ではない、仲間と思しき少年少女たちの元へと疾駆していたのだから。

 

―――その少年少女たちの数M先には、弓に矢を番えた闇の騎士たちが立っていた。

 

 

 

 

 

戦場を駆け、拳を振るい、足刀を叩き込む。身体に刻まれた幾つもの傷、そして胴に斜めに走った刀傷から、絶えず血を流しながら。

 

ベートはその痛みを一切合切無視し、怒りの形相で闇の騎士たちに襲い掛かる。

 

(畜生、畜生、畜生がっ!!)

 

彼の脳内を埋め尽くすのは、激しい怒りの感情のみ。そしてその怒りは、他でもない自分自身に向けられている。

 

彼が直面した先ほどの一幕。敵兵に殺されかけたところを、タークと不死人であるオルフとエルスに助けられた。その事実が、ベートの心をかき乱す。

 

狼人(ウェアウルフ)らしい一匹狼の気質が人一倍強い彼は、誰かに助けられる事を良しとしていない。強者はその身だけで降りかかる火の粉を払い、敵を蹂躙すべきであるという思考ゆえに。

 

だが、実際はどうだ。彼らがいなければベートはそこら中に倒れている闇の騎士たち、あるいは名も知らない不死人たちの仲間入りを果たしていただろう。これまで散々目にしてきた、道半ばで命を落とした冒険者たちのように。

 

(クソが……あぁ、クソッたれ!!)

 

己への呪詛が止まらない。頬の刺青が熱を持つ。

 

自他共に強さを要求するベートは、自身が助けられたという事実に腸が煮えくり返る思いだった。

 

自分がもっと強ければ助けられる事もなかった。自分にもっと実力があれば、そもそも窮地になど陥っていなかった。これではまるで、他の冒険者に助けられる雑魚共と同じではないか。

 

故に、暴れ回っている。己の未熟を払拭するかのように、弱い自分を殴り殺すかのように。

 

手当たり次第に敵兵を仕留めて回るベートは、気が付けば戦場の後方付近まで来ていた。怒りのままに足を進ませていた彼は、血走った目で目指すべき方角を探る。

 

―――そして、見た。見てしまった。

 

闇の騎士たちと不死人たちとが入り混じる戦場。この中において自身と同じく異物たる、冒険者たち(彼ら)の姿を。

 

「なっ!?」

 

ラウル、ナルヴィ、アリシア、クルス。【ロキ・ファミリア】に所属する中堅冒険者たち。手にそれぞれの得物を持ち奮闘する彼らの背後には、闇の騎士たちの攻撃を一身に受け持つ大盾持ちの不死人(ローデン)の姿があった。

 

しかし、混戦を極める戦場ではローデンの守りも鉄壁ではなくなってきていた。ラウルたちも降りかかる火の粉は自分で振り払っているが、それだけで精一杯という様子だ。

 

だから、彼らは気付いていない。

 

弓を持った闇の騎士たちが、ラウルたちに狙いを付けているという事に。

 

「―――――ッ!!」

 

次の瞬間には、ベートの身体は動いていた。

 

これまで以上の速度で地を蹴り、人の波をすり抜け、その一点―――ラウルたちの元へと走っていた。

 

何か考えがある訳ではない。闇の騎士たちを蹴散らそうと思えば出来ただろうに、そうはせずに彼らの元へ行く事を選択したのは何故か。それは彼自身にも分からなかった。

 

(何やってんだ、俺は)

 

今までの激情が嘘のように霧散し、代わりに沸き上がったのはそんな疑問だった。

 

数瞬後、ベートの身体はラウルたちの前へと躍り出て……。

 

「え―――?」

 

―――ドドドドドッッ、と。

 

幾つもの矢が、その身体を貫いた。

 

 

 

 

 

「ベ……ベート、さん……?」

 

ラウルの目に最初に飛び込んで来たのは、ベートの後ろ姿……ではない。文字通り、目の前まで迫っていた(やじり)だった。

 

血に濡れ、ぬらぬらと光る鏃。その矢はベートの身体を半ば貫通したところで止まっている。

 

ベートが身を挺して自分たちを守ったのだと、ようやく彼は理解した。

 

「―――ベートさんッ!?」

 

悲壮な叫びが迸る。その声に周囲に目を向けていたナルヴィたちも振り返り、そしてベートの無残な姿を目に焼き付けた。

 

「嘘!?」

 

「なんで、こんな所に……!?」

 

彼らの疑問は尤もだ。てっきり遥か先の戦場にいたと思っていたベートがこんな後方に居り、しかも自分たちの盾となっていたのだから。俊足の狼の接近に気付けた者など居らず、時すでに遅しとなった今になり、ようやく事の重大さを思い知らされる。

 

「し、しっかり!しっかりして下さい、ベートさん!!」

 

膝から崩れかけたベートの身体を、ラウルは泣きそうになりながらもどうにか支える。

 

その身に受けた矢傷は全部で五ヵ所。大腿に一つ、腹に二つ、肩に一つ、そして突き出した右の掌に一つ。その全てがラウルたちを庇ってのものだった。

 

「ッ、いけない!」

 

すぐ背後で防衛に徹していたローデンもベートの存在に気付き、声を荒げた。彼は大竜牙を振り上げて敵兵を牽制し、一気に攻め込まれるのを防ぐために大立ち回りを演じる。

 

「なんだ、あいつは」

 

「邪魔が入ったか」

 

「構わん、次で終わらせてやる」

 

矢を放った闇の騎士たちは舌打ちしながらも、早くも次の攻撃へと取り掛かっている。ベート諸共にラウルたちを射殺そうという算段なのだろう。

 

突如の窮地に、ラウルはこれまで生きてきた中で最も頭を回転させた。取るべき手段は避難か、それとも迎撃か、それとも……幾つもの選択肢が脳内を駆け巡り、そして消えてゆく。

 

そうしている内に敵は準備を終えていた。番えた矢が放たれ、第二撃が迫り来る。

 

「ッ!?」

 

咄嗟に動いたのはラウルだった。ぐったりと動かないベートをナルヴィたちに預け、今度は彼が全員の矢面に立ったのだ。

 

ちょうど足元に転がっていた盾を引っ掴み、腰を落として防御の構えを取る。直後に盾に突き刺さる矢の衝撃は常人のそれではなく、その感覚に戦慄しながらも決して無様に転げたりはしなかった。

 

「ま、守れ!ベートさんを、守れぇ!!」

 

そして、ラウルは声を張り上げた。

 

目尻に涙を浮かべ、焦燥と恐怖に駆られ、それでも意思は砕けない。頼りなさげなヒューマンの青年のその声は、しかしナルヴィたちの心を強く揺さぶった。

 

「ナルヴィ、クルス!転がってる盾を拾うっす!」

 

「えっ、ええ!」

 

「分かった!」

 

「アリシア!回復薬(ポーション)は!?」

 

「駄目です、もう手持ちは……!」

 

「なら、せめて傷口を押さえるっす!矢は抜かずに!」

 

これまでの姿が嘘のように正確に指示を飛ばすラウル。

 

ナルヴィとクルスに盾を持つよう伝え、アリシアにはベートの応急処置に当たらせる。敵を目の前にした状況で出来る事の全てを尽くそうと、彼は必死に考え、そして行動に移していた。

 

その姿を、ベートは朦朧とする意識の中で目撃する。

 

(……雑魚が、一丁前な口を叩きやがって)

 

アリシアに出血の激しい腹部の傷を押さえられながら、ベートは心の中で毒づいた。

 

次々に射かけられる矢を盾で防ぎ、己の身、そして何よりもベートを守ろうとするラウルたちの後ろ姿。先程とは逆の光景に、彼の身体に熱が戻ってくる。

 

ベートは弱者が嫌いだ。

 

困難にぶち当たっては容易く挫け、運よく生き延びてもヘラヘラと笑っているだけの軟弱者たち……『雑魚』が嫌いだ。

 

そんな奴らは冒険者になる資格はない。雑魚は戦場に出てくるな、巣穴にでも引っ込んでろ。口先だけの奴らは、真っ先に死ぬのだから。

 

ならば、今の自分は?

 

ならば、今のラウルたちは?

 

今、この状況で……雑魚はどっちだ?

 

「……………クソッたれ」

 

バキリ、と、乾いた音が鳴った。

 

ベートの拳が握られ、掌を貫いた矢がへし折れた音だ。え?と驚くアリシアの手を押しのけ、ベートはゆらりと立ち上がる。

 

そして―――『歌』を紡いだ。

 

己を過去の心傷(きず)と向き合わせる、この身に刻まれた忌々しい『魔法』を。

 

「【戒められし、悪狼(フロス)の王―――】」

 

その声にラウルたちは目を見開く。瀕死の状態から立ち上がったという事もあるが、それ以上に、ベートが『魔法』を習得していたのだという事に。

 

だが、今はそんな事に気を取られている場合ではない。襲い来る弓撃から身を守る事で手一杯なのだから。

 

(いいや、違う)

 

そう思いかけたラウルはその考えを否定する。

 

身を守るだけじゃない、背後に立つベートが紡ぐ『魔法』……反撃の体勢が整うまで敵の攻撃を防ぎ切る事こそが、自分たちに課せられた使命なのだと理解した。

 

「踏ん張れぇぇえええええええええええええッ!!!」

 

「「「 おおおおおおおおおおおおおおっっ!!! 」」」

 

ラウルの咆哮にナルヴィ、クルス、そして盾を拾い上げ防御に加わったアリシアが、同じく気を吐く。

 

そして四人の雄々しき冒険者たちに守られながら、ベートの『歌』は淀みなく紡がれ続けた。

 

「【一傷、拘束(ゲルギア)。二傷、痛叫(ギオル)。三傷、打杭(セビテ)。餓えなる(ぜん)が唯一の希望。川を築き、血潮と交ざり、涙を洗え】」

 

傷だらけの狼は歌う。己の過去を。

 

「【癒せぬ傷よ、忘れるな。この怒りとこの憎悪、汝の惰弱と汝の烈火】」

 

傷だらけの狼は相対する。己の『弱さ』と。

 

「【世界(すべて)を憎み、摂理(すべて)を認め、(すべて)を枯らせ】」

 

頬の刺青、その奥に刻まれた『傷』の痛みを受け入れ、更なる力を要求する。

 

「【傷を牙に、慟哭(こえ)猛哮(たけび)に―――喪いし血肉(ともがら)を力に】」

 

とうとう痺れを切らした闇の騎士たちが、手に得物を持って襲い掛かる。ラウルたちが構える盾が甲高い音を発するも、決して彼らは引かない。

 

「【解き放たれる縛鎖(ばくさ)、轟く天叫。怒りの系譜よ、この身に代わり月を喰らえ、数多を飲み干せ】」

 

残る詠唱はあと一節のみ。そこにベートは全ての想いを込める。

 

「【その炎牙(きば)をもって―――平らげろ】」

 

「ッ!!」

 

瞬間、ラウルの背筋が戦慄(わなな)いた。

 

何か途方もなく大きなモノが召喚されるという予感。今立っているこの場所こそが最危険地帯となる直感を得た彼は、闇の騎士が振り下ろした剣を渾身の力で弾き返し、叫ぶ。

 

「飛べぇぇええええええええええっっ!!!」

 

何の打ち合わせもなかったのにナルヴィたちが動けたのは、日頃の訓練と連携の賜物だった。声に反応した彼らは力いっぱいに地を蹴り、全力でその場から飛び退く。

 

「ッ!?」

 

後に残ったのは幾人かの闇の騎士のみ。彼らは突如として逃走したかに見えるラウルたちに気を取られ、行動が遅れてしまった。

 

そして―――。

 

 

 

「【ハティ】」

 

 

 

―――『巨狼(まほう)』が、顕現した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「づっ!?」

 

ズザザッ!と頬を汚して飛び退いたラウルたち。直後に彼らの背は、とんでもない熱量を感じ取る。

 

「一体、何が……?」

 

どうにか顔を上げたアリシアがその方向を見ると……そこには、一匹の炎狼(おおかみ)が立っていた。

 

四肢に炎を宿した、傷だらけの狼。身体に突き刺さった矢はとっくに燃え尽き、恐らくは体内にすら残っていないだろう。

 

変貌を遂げたベートの周囲に転がっているのは、炭化した黒い塊。それが今まで自分たちが相対していた敵兵たちであるという事に、ラウルたちは遂に理解する事が出来なかった。

 

「……おい」

 

「はッ、はいっす!?」

 

ドスの利いた声に、ラウルは背筋を伸ばして応える。彼の後方からは再び闇の騎士たちが集まり始め、こちらへと走り出していた。

 

「退け」

 

「は?」

 

「……ちっ」

 

言葉の意図を理解していないラウルにベートは舌打ちし、ぐぐ、と腰を落とした。それが跳躍の構えである事を、ナルヴィたちは瞬時に理解する。

 

「馬鹿っ、ラウル!?」

 

「伏せろ!!」

 

そんな助言も空しく、ラウルは口を半開きにしたままの間抜けな表情で固まっており……直後、ごうっ!!と、頭上を通過したベートがもたらした熱風に身体を煽られてしまった。

 

「おぶっ!?」

 

そのままゴロゴロと地面を転がり、ラウルは天地が逆転した視界でベートの姿を目にする。

 

その後ろ姿はすでに遥か遠く、闇の騎士たちの中で無双の限りを尽くしていた。

 

「なんっ、げぁっっ!?」

 

「ば、化けも……ぎゃッ!!」

 

炎を纏った腕が、脚が、乱舞する。

 

振るった拳はそのまま豪速の火球となり、当たった箇所を炭へと変えて打ち砕く。同じく蹴りも炎を纏った特大の矢、あるいは鞭となり、やはり片端から敵を炭化させてゆく。

 

両腕と両脚、二対四本のそれらは炎狼(おおかみ)の上顎と下顎だ。上牙(オルガ)で敵を捕らえ、下牙(ベネト)で噛み砕く。目の前で繰り広げられているのは戦闘ではなく、恐るべき巨獣による一方的な蹂躙(捕食)でしかなかった。

 

「るおおぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!」

 

ベートの咆哮が大気を揺さぶる中、ラウルたちは呆然とした様子でその光景を見ている。

 

彼らは等しく、ベートが【狂狼(ヴァナルガンド)】たる所以の一端を感じ取っていた。

 

 




~今回登場した不死人~


流浪騎士ジャスク 蛸助様

巡礼騎士ロートス 月夜見(アクセントは夜)様

鉄拳のリー No Name様


以上の皆さまです。本当にありがとうございました。



追記

今回はベートのパートが多めですが、オラトリアの中では個人的に一番好きなキャラなので、こうなりました。初めて詠唱を呼んだ時なんかは鳥肌モノでした。特に一番最初の部分がカッコいいですよね!



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十七話 ”王”の為に

「うわぁ……」

 

言葉にもなっていない呆けた呟きは、一体誰のものだったのだろうか。

 

四肢に業火を纏わせ戦場を疾駆するベートの姿に、ラウルたちの目は釘付けになっていた。自分たちがいる場所が危険地帯の真っ只中であるというのに襲われずにいるのは、突如として現れた炎の狼が、敵味方問わず注目を集めているからに他ならない。

 

そして、その隙を狙いすましたかのように、二人の不死人がラウルたちの視界に現れた。

 

「っ!?」

 

それ自体は別に驚く事ではない。ここで戦闘が始まってから、不死人など何人も見ているのだ。だからその驚愕、あるいは困惑の理由は別にある。

 

ぶわっ!と、瞬く間に広がった緑色の霧……呪術『猛毒の霧』を出現させたその不死人は、何とも珍妙な恰好をしていた。

 

異形の山羊の頭蓋とも言うべき仮面に、これまた奇怪な装束―――蝶、あるいは蛾を模したのであろうか―――を纏った男。更に右手には今にも朽ち果てそうなボロボロの刀という、身に纏うもの全てにおいて統一性がない。

 

ラウルたちはそう感じたが、ドラングレイグを旅した者ならば気が付いただろう。彼の装備が、相手を毒す事に重きを置いたものだという事に。

 

 

 

―――実体 嫌われもののニールが現界しました―――

 

 

 

「何だこいつ……うぶっ!?」

 

「く、糞団子っ、ごばぁ!?」

 

「ふははははは!まだまだ行くぞォ!!」

 

霧で相手の視界を奪い、更には毒投げナイフや糞団子―――生暖かい排泄物、要は大便。オラリオの冒険者ならば貴重なドロップアイテムだとしても拾わないであろう―――で敵を毒状態にし、駄目押しのように毒派生まで施した『人斬り』で襲い掛かる。いっそ闇の騎士たちが哀れに感じるほど()()()戦場が、そこにはあった。

 

そんなニールと離れた場所で戦う不死人も、ラウルたちにとっては理解出来ない恰好をしていた。何しろ、腰蓑しか付けていないのだ。

 

衣服と呼べるものなど一糸も纏っていない。両の手に持った精緻な意匠が施された六角形の小盾……『聖壁の盾』のみを頼りに戦う姿は、見ようによっては狂人のそれだ。しかし彼は当然だと言わんばかりに、慣れた様子で戦闘に挑んでいる。

 

 

 

―――実体 不明が現界しました―――

 

 

 

「はぁあッ!!」

 

敵の懐に潜り込み、盾を使っての連打(バッシュ)。そうして敵がよろけた所で繰り出すのは魔術『ソウルの大剣』だ。

 

牽制(けんせい)を兼ねた攻撃で『不明』は複数人を相手にしても互角の戦いを演じている―――否。魔術以外にも奇跡『フォース』、そして幾つもの闇術を的確に使いこなし、時には身体ごと攻撃を回避し、すかさず反撃。決して動く事を止めず戦闘を優勢に進めていた。

 

その姿は正しく歴戦の戦士のそれだった―――まともな装備をしていれば、の話だが。

 

珍妙な装備に身を包んだニール。

 

防具どころか盾しか持っていない『不明』。

 

これまで積み重ねて来た冒険者としての常識を悉く覆すような彼らの恰好。それに似つかわしくないほどの実力を目の当たりにしたラウルたちは、先程までとは別の意味で空いた口が塞がらなかった。

 

闇派閥(イヴィルス)の奴らみたいな仮面に、あんな衣装って……訳が分からねぇ」

 

「あっちの人なんて盾しか持ってないよ。それでも何か凄いけど……」

 

「……きっと不死人たちは、私たちとは価値観が色々違うのよ。うん、きっとそう」

 

クルスとナルヴィ、そしてアリシアが不死人の特殊性に打ちのめされる中、ラウルの口は、知らずの内に呻きを上げる。

 

「へ、変態っす……」

 

それは実に的を射ていた―――尤も、一部の不死人たちにとっては誉め言葉に過ぎないのだが。

 

 

 

 

 

戦場で赤くうねり狂うのはベートの足跡だ。彼が過ぎ去った場所は悉く焼け焦げ、消え残る炎が街灯のある夜道のようにはっきりと浮彫りになっていた。

 

そんな荒々しい進攻に、青き戦士は眉をひそめて不快げに唾を吐く。

 

「ちっ。何やってやがんだ、あいつらは」

 

毒づく相手は雑兵たち……ベートを掻っ攫っていった、あの闇の騎士たちだ。

 

俺に任せておけばこうはならなかっただろうに……胸中では苛立ちながらも、起きてしまった事は仕方がない。そう自分自身を納得させ、彼は己の足元へと視線を落とした。

 

「ぐ……ぬぅ……!」

 

そこにいたのは……倒れているのは、ガレスである。

 

得物である大戦斧はすでに砕かれていた。柄の半分のみを残した無残な姿が灰の大地に晒されており、持ち主たるガレスもまた、痛々しい姿で地面に突っ伏していた。

 

全身に刻まれた剣による傷。大小を合わせれば数十にも及ぶそれらからは、今も流血が続いている。血が固まりかけていた傷も無理に動いた―――傷を顧みずに戦った為であろう、開き、新たな血の筋を作っていた。

 

額から垂れた血で視界が悪くなる中、ガレスは横目で戦場を見やる。

 

その目に映るのはベートの進撃の跡。猛る狼が築いた炎の道である。

 

「……ッ!」

 

カッ、と、ガレスの瞳が見開かれた。

 

ガレスはその炎を知っていた。絶望的な窮地においてのみ顕現するベートの魔法(ほのお)を。五年前、ダンジョンでの死地で初めて目にした、彼の本領(すべて)を。

 

「ふ、はは……あの小僧っ子が」

 

「あん?」

 

喧嘩っ早く生意気で、気性の荒いあの狼人(ウェアウルフ)の青年が、力を願ったのだ。己の弱さを飲み下し、敵を倒す為だけに、全力を出しているのだ。

 

ならば……ならば。

 

 

 

自分が寝ていて良い理由など、あるはずがない。

 

 

 

「ぬぅ……ぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!!」

 

「ッ!?」

 

変化は劇的だった。

 

今の今まで倒れていた老兵が突然起き上がったのだ。猛々しい咆哮を迸らせ、小さな体躯に似合わぬ筋肉を隆起させ、無手のままに青き戦士へと掴みかかる。

 

瀕死の敵が動いた事に驚きながらも、青き戦士は動いていた。地を蹴り後方へ。不意を突いての奇襲なのだろうが、逃れてしまえば意味はない。これを躱して次の一斬で決着だ、と考える。

 

が―――ガシィ!!と、ガレスの手が青き戦士の胸倉を鷲掴みにした。

 

「なぁっ……!?」

 

今度こそ、本物の驚愕に目を剥く。十分に距離はあったはずなのに、一体何故!?

 

その答えは『慢心』。死に体も同然と決めつけていたが故に取るべき距離を見誤り、捕まってしまったのだ。

 

そしてそれは、余りに致命的だった。

 

「捕らえたぞ……ッ!!」

 

ガレスはその髭面にニヤリと笑みを浮かべた。同時に、青き戦士の背筋を冷たい感覚が這い上って来る。

 

不味い。直感的にそう思ったのも束の間。

 

グンッ!!と、彼の視界が急激に加速した。不死人や闇の騎士たちの姿が、視界に映っては瞬時に消えてゆく。それはまるで一瞬で消え去る流れ星の如くだ。

 

ガレスは青き戦士の胸倉を掴んだまま走っていた。雑兵などには目もくれず一目散に……一直線に、灰の大地に散立する大岩へと向かっていた。

 

「ッ、テメェ!?」

 

「ぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」

 

相手の狙いを理解した時には、すでに身を(よじ)る事も叶わない。

 

青き戦士の身体は、ガレスの全力を以て大岩へとぶち当てられてしまったのだ。

 

「……~~~~~~っっ!!」

 

凄まじい轟音と共に飛び散る、大小に砕けた岩石。人の背丈を優に超える大岩は見る影もなくなり、代わりにそこにあるのは、青き戦士の胸倉を掴んでいるドワーフの老兵の姿だ。

 

「まだまだぁッ!!」

 

「ッ!?」

 

今の一撃で脳が揺れ、視界も明転している青き戦士に、ガレスは攻撃の手を緩める愚行は犯さない。

 

胸倉を掴んだまま一本背負いの要領で腰を捻り、地面へと叩きつける。その威力は大岩に打ち付けられた時の比ではなく、地面には幾つもの亀裂が走り抜けていった。

 

「ぐふぅ……っ!!」

 

灰が舞い上がり、二人の姿を霧のように覆い隠す。それを払うかのように、ガレスが青き戦士を引き起こし、再び彼を地面に叩きつける。

 

衝撃は先ほど以上のものだった。身体が地面に半ば埋まるほどの剛力は肺の空気を全て追い出し、激しい苦痛を強いる。

 

そんな中、青き戦士は怒りの形相で反撃を仕掛けた。

 

「づッ……舐、めるなァ!!」

 

馬乗りにも似た状態からでは、下から繰り出せる攻撃など知れている。しかし青き戦士は不死人であり、その膂力はオラリオの一般的な冒険者のそれを優に超えている。

 

そんな力で振るわれた盾による殴打は、ガレスの顔面へと容赦なく叩き込まれた。

 

「うぐっ!?」

 

その一撃のみで鼻が潰れ、血が噴出した。近間ゆえに剣こそ振るえないが、青き戦士は代わりとばかりに何度も何度も盾でガレスを打ちのめす。

 

「放っ、せよ!この、くたばれッ!!」

 

「づッ!?ぬっ、ぐぅうッ!!」

 

響き渡る生々しい殴打音。

 

その度に尋常ではない量の血が舞い踊るも、胸倉を掴む力は少しも緩まない。緩めない。この手を放せばもう次はないという確信があるのか、ガレスは血塗れの顔で歯を食い縛り、懸命に耐えていた。

 

否―――耐えているだけではない。

 

ミシリ、と音を立てて身体を反らす。防具に包まれた素肌には、きっと凄まじい密度の筋肉が隆起しているに違いない。

 

その力を溜めたまま、ガレスは思い切り青き戦士の身体を強引に引き寄せる。そして―――。

 

「―――ぬうぅんッッ!!!」

 

ゴチャッッ!!と、炸裂する頭突き。

 

兜など不要なほどに固いドワーフの額が、青き戦士の額を叩き割った。

 

「が、ぁ―――――………?」

 

鉄杭の如く脳を突き抜ける衝撃。

 

打ち抜かれた額ではなく、後頭部に響く鈍痛のようなものを感じつつ、青き戦士の意識はかつての光景……ロードランでの日々を呼び起こしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

不死の使命なんざ知った事か、糞喰らえだ。そんな考えに至る程度には、彼の心は折れていた。

 

ロードラン。選ばれた不死たちの巡礼地。その祭祀場の片隅に、いつも青き戦士の姿はあった。崩れかけた瓦礫に腰かけ、陰気に笑っていた。

 

彼は何人も不死たちがやって来るのを見た。鴉に運ばれて来たり、どこからかふらりとやって来たり……ともかく何人も見てきた。

 

そして、そのほとんどが亡者になるのだ。

 

『残念だったな。お疲れさん』

 

嬉々として嘲笑う気はないが、かと言って同情する気もない。二言三言、言葉を交わした名前も知らない奴が勝手に旅立ち、勝手に亡者になった。ただそれだけだった。

 

だから、()()()の事は、当時でもよく印象に残っていた。

 

『よう、あんた、よくきたな。新しい奴は、久しぶりだ』

 

鴉に運ばれてやって来たその男は、ボロしか身に着けていなかった。武器と呼べるのは粗末な棍棒で、盾に至っては無いよりマシという木の板ときた。錆の浮いた自分の盾の方がずっと上等に見える。

 

しかも亡者面。実際の年はどうであれ、生身の外見が老人か若造かも分からないその男は驚いたように青き戦士の方を見て、恐る恐るといった足取りで近付いてきた。

 

『ぁ……ぁ、ぅ……』

 

『あん?何だよ、知恵遅れか?』

 

思わず口にし、そして違うなと判断する。長く不死院にいたのだろう、喉の使い方、音の出し方を忘れているのだ。でなければ、ここまで来れる訳もない。

 

運だけで出られる程、不死院は甘くないのだ。

 

『ハッハ。ああいや、悪いな。咄嗟に口が滑っちまった』

 

『……ぁ、ぼ。ぼく……は………』

 

『いい、いい。あんたの名前なんざ興味ねぇ。それよりもだ、少し話し相手になってくれよ。最近誰も来ないもんで、退屈してたんだ』

 

ただの暇潰し、時間潰し。どうせこいつもすぐに亡者になるんだから、少しいつもより多めにお喋りに興じても構わないだろう。

 

かつての青き戦士はそんな事を考えながら、一方的に話を始めたのであった。

 

 

 

 

 

数日後か、数か月後か、数年後か、数十年後か。その男の見た目は幾分かまともになっていた。

 

不死街の胡散臭い商人から買ったのか、男は青き戦士と同じ手足の装備を付けていた。頭部は亡者兵の兜で、武器は小盾と直剣に変わっていた。裸同然よりはマシだが、それでも平凡に過ぎる見た目だ。

 

『ああ、えぇと……久しぶり』

 

『ちっ、んだよ。何か用か?』

 

青の戦士はこれ見よがしに顔を顰めるも、男は困ったような苦笑をするのみ。その顔は亡者面などではなく、荒事とは無縁とも思える造形をしていた。

 

『……上の方で鐘の音が聞こえたが、あれはあんたがやったのか?』

 

『……うん』

 

『ほう、そりゃすげぇ。その調子で、もう一つのヤバい方も頑張ってくれよ?ハハハハハ……』

 

口ではそう言いながらも、応援する気などさらさらない。すぐに亡者になると踏んでいた優男が、一つとは言え鐘を鳴らしたのだ。自分が鳴らせずに、諦めたあの鐘を。

 

だが、もう一つは危険度の桁が違う。

 

きっとそこでくたばるに違いないのだから。青き戦士は暗い笑い声で、男を送り出していった。

 

 

 

 

 

数日後か、数か月後か、数年後か、数十年後か。二つ目の鐘が鳴った。あの男が成し遂げたのだと、すぐに気が付いた。

 

それからしばらく後、青き戦士は身動き一つせずに座り続けていた。祭祀場の奥には何やら変な奴が現れるわ、そのイビキはデカいし口は匂うわで散々な思いもしたが、それ以上にあの男の姿が脳裏から離れなかった。

 

『……やりやがったんだなぁ』

 

久しく震わせていなかった喉から出て来た呟きで、ようやく青き戦士は腰を上げた。長く座っていたために岩場の苔がチェインメイルを侵食しかけていたが、それを鎖を断ち切るかのように引き剥がす。

 

『……結構快適な場所だったのになぁ』

 

奥にいる変な奴のイビキはまだ続いている。口から漂う悪臭はここまで匂って来ている。それが立ち上がる理由だと自身を強引に納得させ、彼は祭祀場の足元に広がる巨大な空間……小ロンド遺跡へと続く階段を下りていった。

 

『ハァ……俺も、少しだけ頑張ってみるかなぁ……』

 

 

 

 

 

(まぁ、頑張ったところで結果は見えていたけどよ)

 

こんな風に、とダークレイスの冷たい刃の輝きに目を焼かれつつ、青き戦士は自嘲する。

 

記憶の限りでは最後に見た時は水浸しだったが、これもきっとあの男がやったのだろう、水は抜けていた。遺跡に巣食う亡霊共を退けながらどうにかここまで来たが、よもやこんな奴らが居ようとは。

 

終わりだった。こんな奴らに勝てる訳がない。やはりあのまま動かず、朽ち果てるのを待っていれば良かったんだ。

 

いよいよ冷たい刃が迫り来る。最期に見るのがダークレイスの面とはな、と思いながらも彼はそれを受け入れ、観念したように目を閉じた―――その時。

 

ドッ!と、突然ダークレイスの胸に大剣の切っ先が生えた。

 

『……あぁ?』

 

驚いた青き戦士の目が僅かに見開かれる。

 

ぐらりと斜めに崩れ落ちたダークレイス。その背後に立っていたのは……随分と前に話したきりの、あの男だった。

 

 

 

 

 

彼の姿はまたしても変わっていた。

 

安っぽい装備はどこにも見えず、まるでどこぞの国にでもいる位の高い騎士のような防具に身を包んでいる。意匠が美しいブルーシールドと片手でクレイモアを携えた姿など、自分とは比べようもない程に強者の風格に満ちていた。

 

『……ちっ』

 

思わず舌打ちを落とす。

 

青き戦士は男に助けられた後、瓦礫の上に腰を落としていた。乾く事の無い濡れそぼった瓦礫はそこかしこに散在しており、しかし男の方は立ったままだ。

 

『……また会うとはな』

 

『ああ。私も思ってもみなかった』

 

返って来たのは固い口調の声だった。

 

以前までの頼りなさげな優男の口調ではない。騎士姿の見た目に違わぬ話し方はより一層男の存在感を高め、ある種の威厳すら漂わせている。

 

実際そうなのだろう。不意打ちとは言えダークレイスを一撃で仕留める事が出来る者が、一体どれだけいるだろうか。男が以前までの口調や雰囲気まで変えてしまう程の修羅場をくぐって来た事を、青き戦士はそれとなく察した。

 

『……また鐘が鳴った。あんたの仕業だろ』

 

『ああ』

 

『やっぱりな。なら、こんな所で何をしてたんだよ。俺みたいな身の程知らずの馬鹿を相手にソウル稼ぎか?』

 

すっかり沁みついてしまった陰気な笑い声を上げる青き戦士。しかし男からの返答はなく、遺跡の中には空しく音が木霊するのみである。

 

『ハハハハ……ハァ。ところで俺が言えた事じゃあないが、あんた、使命とやらは良いのか?こんな所で時間潰しなんざ……』

 

『あれは偽りだった』

 

続けて出た言葉を遮り、男はそう断言した。

 

取り付く島もない、有無を言わせぬ口調に思わず口を閉じたのは青き戦士だ。驚いたような視線の先には、微動だにせずこちらに背を向けている男の姿がある。

 

『呪いを根絶させる手段はない。全てはあの神、グウィンの策謀に過ぎなかった。神々(奴ら)の時代を延命させる為だけに、我々は踊らされ続けていたのだ』

 

唐突に知らされた真相に、青き戦士は困惑してしまう。これまで語られて来た伝説や伝承が否定されたのだから、当然と言えば当然であろう。

 

しかし、絶望という感情はなかった。不死の呪いを解く方法がないと言うのは驚愕だったが、すでに心折れた彼にとってはどうでも良い事だったのかも知れない。

 

故に、へぇ、という言葉だけで片付けた。

 

『しっかし、それなら本格的にやる事がなくなっちまったなぁ。散々失った挙句に、目指していたものすら取り上げられちまうとは……ハハ、俺もあんたも不死人生積んじまったか?』

 

まぁ、俺はとっくに諦めてるけどな。

 

そう付け加えて再び笑い声を上げる青き戦士に対し、男は口を開いた。

 

『目的ならある』

 

『……何だって?』

 

『あらゆる時代、あらゆる世界にいる神共を見つけ出し、殺し尽くす。邪魔する者も全て殺す』

 

ひと息でそこまで言い切り、男は振り返る。

 

必然、彼は青き戦士を見下ろす形となる。苦笑していたあの時の顔は兜によって隠され、その中でどのような表情を浮かべているのかは分からない。

 

祭祀場で会話する時にはすっかり馴染みとなった構図で、しかしどこか、決定的な違いを見せつけながら、男は語りかける。

 

『だが、私一人の力では限度がある。必ずどこかで(つまづ)くだろう……協力者が必要だ』

 

そして、スッ、と手を差し伸べる。

 

騎士然とした手甲を、青き戦士へと差し伸べる。

 

『力を借りたい。共に来てくれるのならば心強い』

 

全く感情のこもっていないようにも聞こえる言葉。しかし青き戦士にとってそれは、ひどく心に響いた。心折れた自分に居場所はない。朽ち果てる瞬間を待つのみだったこの身に、よもや必要だと言われる日が来ようとは思ってもいなかった彼は、目を瞬かせる。

 

彼は頭をガシガシと掻き、無精髭を撫で、再び頭を掻く。

 

そして、ふぅ、と息を吐いた。

 

『……良いぜ。どうせ暇してたんだ』

 

付き合ってやるよ。

 

短くそう言って、青き戦士は男の……“王”の臣下となったのだ。

 

 

 

 

 

それから幾つもの時間が流れた。

 

数十年、数百年、或いはもっと……ともかく気の遠くなるような膨大な時間が過ぎ、“王”は戦力を増やしていった。

 

いつの間にやら彼らは『神殺しの旅団』と自称するまでに巨大化していた。あらゆる世界に存在する神々を滅する者たち。これ以上に相応しい名は無いだろう。

 

そんな中にあって、青き戦士の心にも変化が訪れる。

 

やさぐれ、捻くれた態度は消え失せていた。多くの不死人を纏め上げる“王”の姿に当てられたのか、言葉遣いまでも変わっていった。少なくとも“王”の前では。

 

『あいつは……“王”は、こんな俺を必要だと言ってくれた。なら応えなきゃいけないだろう』

 

不死人たちからの疎ましげな視線は未だ絶えない。心折れ、座っていただけの不死人が、たった五人しかいない側近の座についているのだから、不満が出るのも仕方のない事だろう。

 

だが、そんな事にいちいちかかずらっている暇などないのだ。

 

ふざけるな、と喚く暇があるなら“王”の為に行動する。側近として相応しい働きを見せる事こそが今の俺の使命だと、青き戦士は固く心に誓った。

 

故に―――故に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(……こんな所で、終われない)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――――ッッがあぁ!!!」

 

「ッ!?」

 

深い水の底から急浮上するかのように、飛びかけた青き戦士の意識が戻る。頭蓋骨を陥没させるつもりで頭突きを見舞ったガレスは、その覚醒に驚愕を露わにした。

 

実際、彼の額は割れていた。深く切れた額、そして鼻と口から血をまき散らしながら、それでもまだ起き上がってきたのだ。

 

驚愕によって生まれた一瞬の隙を突いた青き戦士は盾を放り投げ、空いた左腕でガレスに組み付く。

 

背中の布地を鷲掴み、決して離さぬよう身体を引き寄せ―――そして右手の剣で、深々とガレスの背中を貫いた。

 

「ぬ、ぐぅっ……」

 

と、くぐもった呻きが漏れる。

 

それはガレスのもの、そして―――。

 

「貴、様……!」

 

「ハッ……ざまぁ見やがれ」

 

―――青き戦士のものだった。

 

身体が密着した状態で相手の背に思い切り剣を突き立てれば、当然自分にも刃は届く。それでもガレスを確実に殺す為、青き戦士は自身が傷を負う事さえも厭わなかったのだ。

 

両者の口元からは鮮血が溢れ出し、ぼたぼたと地面を血で彩る。剣で穿たれた傷からは、それ以上に多くの血が流れている。双方が共に重傷を負っていた。

 

「俺は、“王”の臣下だ」

 

血塗れの顔に笑みを浮かべ、青き戦士は剣を握る手に力を込める。

 

貫通した互いの鎧を無視し、ぐぐぐっ……と、力任せに真横へと斬り裂いてゆく。

 

「ぐぅ、ぉおお……ッ!?」

 

「“王”の為にこの命を使う、そう誓ったんだ。だからよぉ……」

 

剣が動くたびに互いの命が削られてゆく。不死人の捨て身の攻撃という悪夢のような現実を前に、ガレスはただ呻くばかり。

 

そして、遂に。

 

 

 

「―――こんな所で、終われるかってんだッッ!!」

 

 

 

文字通り、命を賭した剣が振るわれた。

 

ガレスの胴が盛大に斬り裂かれる。背中から鳩尾までを貫通し、あろう事か、そこから身体を真横に半ば切断されてしまった。尋常ではない、それこそ全身の血液が噴き出したのではないかと言うほどの、凄まじい大出血が起こった。

 

青き戦士の腹部にも深い裂傷が刻まれたが、その顔に浮かんでいるのは勝利を確信した者のそれだ。不死人と、恩恵(ファルナ)が刻まれているとは言えども人の子。どちらに分があるかは明白だ。

 

その事実を証明するかのように、ずるり、とガレスの腹から赤黒い何かが零れ落ちる。命を支える重要な臓器が、真っ赤に染まった灰の大地へと引き寄せられてゆく。

 

しかし……彼こそは【ロキ・ファミリア】最古参の一人にして第一級冒険者。オラリオで一、二を争う『力』と『耐久』の持ち主、ガレス・ランドロックだ。

 

大破した巨大(ガレオン)船をたった一人で持ち上げたという逸話を誇る剛力の化身であり、ドワーフの大戦士【重傑(エルガルム)】が―――()()()()で終わるはずもない。

 

「……(ぬる)いわ」

 

ガッ!!と、ガレスの手が青き戦士の剣を掴む。

 

「っ!?」

 

「これでもう、剣は振るえまい……!」

 

信じられないといった様子で目を見開く青き戦士に対し、ガレスは僅かに口角を吊り上げた。同時に、自壊せんばかりに握り固められた右拳を持ち上げ、ゆっくりと振りかぶる。

 

老兵は猛々しく笑い、残された力の全てをこの一撃に捧げた。

 

 

 

「終いじゃぁぁあああああああああああああああああっっ!!!」

 

 

 

顔面目掛けて迫り来る巨拳。

 

逃れようもない一撃を前に、青き戦士は胸中で静かに呟く。

 

(ああ……“王”よ、申し訳―――――……)

 

そんな感情を最後に。

 

青き戦士の意識は……深い闇の底へと消えていった。

 

 




~今回登場した不死人~


嫌われもののニール イチゴリラ様

不明 かまややた様


以上のお二人です。本当にありがとうございました。




ダンまち3期、始まりましたね。

ウィーネがひたすら可愛かったです。そして紐神様ことヘスティアは今回もお胸からの登場でしたが(笑)。

WEB予告の戦闘シーンも気合いが入ってましたし、次回も見逃せません。楽しみです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十八話 ”火”

 

ソウルの粒子へと還ってゆく青き戦士の肉体。

 

敵とは言え、その最期は見事の一言に尽きる。これまで戦ってきた者たちの中でも間違いなく一番の強敵だった男の亡骸を見下ろしつつ―――ガレスはどさり、と倒れ込んだ。

 

「ぐ………」

 

受けた傷は深い。損壊とさえ言える。

 

半ば両断された腹部からは血が止まらず、臓器までもが流れ出ている。大量の失血により熱を失いゆく身体は、このままでは数分はおろか数十秒も経たずに死んでしまうに違いない。

 

手持ちの回復薬(ポーション)はすでに尽きている。あったとしても指一本動かせないこの状況では、何の役にも立たないだろう。

 

(ここまでか……)

 

薄れゆく意識の中、ガレスはこちらへ駆けてくる人影を見た。敵か味方かも分からないが、手にしている武器のおおよその大きさからして、恐らくは剣の類だろうか。

 

であればきっとあれは敵で、止めを刺すつもりなのだろう。待ち受けているであろう運命を前に、老兵はもはやこれまでと腹を決める。

 

(……後は、任せたぞ……フィン)

 

心の中であの小さな勇者の姿を浮かべつつ、ガレスは静かに瞳を閉じ―――、

 

 

 

彼の身体を、鋭い一太刀が通り抜けた。

 

 

 

「………?」

 

が、不思議な事に痛みはない。

 

ガレスはまだ生きていた。それどころか腹の傷を起点として、彼の身体に暖かなものが湧き上がってくるではないか。

 

何が……と頭に疑問符を浮かべているところに、涼やかな女性の声が降ってくる。

 

「……間に合いました」

 

声の主はガレスの傍らに跪くと、溢れ出た臓器をその手で押し戻し、傷口へとあてがう。何とも形容のし難い痛みも束の間、彼女は血に濡れたもう片方の手に『竜の聖鈴』を握り、リィン、と澄んだ音色を奏でた。

 

「……何、じゃ……!?」

 

戸惑いの色を隠せない声がガレスの喉からせり上がった。

 

その音色が響き渡った途端、みるみる内に傷口が塞がってゆくではないか。時間を巻き戻すが如きその速度は、回復薬(ポーション)よりも何倍も効果のある万能薬(エリクサー)であっても実現し得ないものだ。

 

「どうか動かないで。今は傷の回復に専念を」

 

語りかけてくる女性、ガレスの傷を治す者は純白のフードを揺らし、静かに安静を促した。

 

「貴方の傷は、(わたくし)が癒します」

 

 

 

―――実体 リンデルトのラトーナが現界しました―――

 

 

 

ラトーナはすぐそばに置いていた曲剣『エス・ロイエス』を腰へと戻し、再び聖鈴を鳴らす。

 

斬り付けた対象の傷を癒すという特異な性質の曲剣。優しき心を持つ闇の使徒、沈黙のアルシュナのソウルより生み出された武器を振るったラトーナは、溢れる光の中で申し訳なさそうに口を開いた。

 

「驚かせるような真似をして申し訳ありません。しかし急を要する状態でしたので、エス・ロイエス(これ)を使わせて頂きました」

 

「……いや、気にするな。おかげで助かったわい……」

 

一度の『大回復』では全快しないような大怪我も、二度三度と行使すれば話は別だ。それほどまでに奇跡を行使しなければならぬ程の傷も、今や見事に塞がりかけている。

 

オラリオ最高の治療師(ヒーラー)である【戦場の聖女(デア・セイント)】、アミッド・テアサナーレにも引けを取らない癒しの術もさることながら、ガレスは彼女の持つ曲剣、エス・ロイエスにこそ驚嘆を覚えていた。

 

(椿が見れば、目玉が飛び出るじゃろうな)

 

どころか、オラリオ中の鍛冶師(スミス)の顎が落ちかねない規格外の武器だ。炎や雷を放つ魔剣は数あれど、斬り付けた対象を癒す剣など聞いた事もない。

 

椿の片方しかない目が零れんばかりに開かれるのを想像し、ガレスの口元にもようやく柔らかい笑みが戻って来た。

 

が、いつまでも寝てはいられない。ここは未だ戦場であり、幹部勢の一人を倒しただけで、まだ戦いは続いているのだから。

 

「ぐっ……!」

 

傷も完治しない内に動こうとするガレス。

 

その動きをそっ、と手で制するのは、彼の治療をしている最中のラトーナだ。

 

「動いてはいけません」

 

「そうも言っておれぬだろう、まだ敵はっ……!」

 

「……ええ。確かにその通りです」

 

ラトーナはガレスの言を否定しない。その上で、心配はいらないと諭すような口調で告げる。

 

「だからこそ、()()がいるのです」

 

「なに……?」

 

その言葉に今更ながらガレスは理解した。

 

何故こうしている今も自分たちが無事なのか。凄まじい治癒の力を行使する一方、戦う術を持っていないであろうラトーナが、何故ここまで来る事が出来たのかを。

 

その答えは、二人から数十M離れた戦場にあった。

 

全身を白い金属鎧……ハイデ装備で固め、堅牢な『ハイデの騎士の鉄仮面』により素顔を隠しているその不死人は、左手に握られた『ハイデの騎士の直剣』で防御と牽制を行い、右手の『ハイデの槍』にて反撃を見舞っている。

 

低い姿勢から放たれた槍の一閃。それは闇の騎士の腹部を貫き、得物を振りかぶった姿勢のまま相手の動きを止めた。

 

「がふっ……!」

 

「ッ!」

 

ごぼり、と血を吐いた闇の騎士。その背後から飛び出してくる一つの影。

 

不死人はその動きを見逃さず、手首の動きでソウルへと還ってゆく敵の亡骸を引き寄せ、それを即席の盾とする。瞬間、大剣による一斬が振るわれるも、手中の()によって事なきを得た。

 

「ぐっ、こいつ……!?」

 

低く呻いた大剣持ちの闇の騎士はすぐ目の前。しかし不死人は深追いせずに亡骸をドンッ、と押し付け、地を転がりながらその場から離脱する。

 

そこに槍と大斧、そして数本の矢が突き刺さるのは、ほぼ同時だった。

 

「おのれ、ちょこまかと!!」

 

「逃がすなッ!!」

 

「………」

 

敵の罵声も怒鳴り声も、彼の無言……即ち“集中”を破るには至らない。数では圧倒的に不利でも、未だ優勢に立ち回っているのはこちらなのだから。

 

その動きは身軽にして的確。時には襲い来る闇の騎士たちの僅かな隙間を縫うようにして走り抜け、振り返りざまに放つ雷を帯びた斬撃、或いは刺突にて、確実に敵の数を減らしていった。

 

その一方で。

 

少し離れた場所ではこことは正反対に、豪快な戦いが繰り広げられている。

 

「ハァッハハハハハハハハハハァ!!」

 

(たが)の外れたような哄笑と共に『大竜牙』を振るうのは、ハベル装備に身を包んだ不死人。『ハベルの大盾』を背にし、堅牢な鎧に防御を預けて、単身敵だらけの戦場に身を投じている。

 

そこに相手を翻弄するような素早さはない。通常ならば即座に袋叩きにされてもおかしくはないのだが―――この状況において被害を被っているのは、闇の騎士たちの方だった。

 

「何だこいつ、全然止まらんぞ!!」

 

「近距離は無理だ、呪術でも魔術でも使って殺せぇ!?」

 

超重量の武器を手に思うさま暴れ回る姿は、まるで暴れ牛のよう。

 

生半な攻撃も矢も受け付けない鎧を纏った恐るべき戦牛は、周囲に味方がいないが故に、存分に力を発揮する事が出来るのだ。

 

「クソッ、一旦引いて―――げっっっ!?」

 

「弱腰になってんじゃねぇよッ!!」

 

一時距離を置こうと提案した闇の騎士の頭を、大竜牙が叩き潰す。

 

胴に頭部を埋めた亡骸がぴゅうっ、と血飛沫を上げるが、不死人はそれを確認する事なく呪術の火を取り出した。そして何の躊躇もなく、無慈悲にも特大の火球を撃ち放った。

 

「なっ……ぎゃぁぁああああああああああああああっっ!?」

 

着弾するや否や、大爆発。周囲を火の海に変えた呪術『封じられた太陽』に焼かれる敵の姿を前に、不死人はその哄笑を更に高めてゆく。

 

「燃えろ燃えろォ!!ハァッッハハハハハハハハハハアァッッ!!!」

 

 

 

―――実体 ハイデの騎士ルードルトが現界しました―――

 

―――実体 一人古城のフォレストが現界しました―――

 

 

 

「……凄まじいのう」

 

「……ええ。本当に、もう……」

 

心強い二人の不死人、これまでラトーナの護衛として共に来てくれたルードルトとフォレストの戦いざまを見て、ガレスは呆然と―――柄にもなく、だ―――呟いた。

 

片や熟練の動きで敵を翻弄するルードルト。片や圧倒的な暴力の嵐で暴れ回るフォレスト。不死人の真骨頂ここに在りという姿を体現する二人のおかげで、闇の騎士たちをここに近づけさせてはいないのだが……。

 

()()()の奴は、どうも正気か疑わしいのじゃが……」

 

「さっきまではああではなかったのですが、どうも昂ってしまったようですね……」

 

ガレスとラトーナの視線の先で広がる地獄絵図―――火の海の中で哄笑し、敵を叩き潰しているフォレストの姿は、控えめに言っても過激に過ぎる。自分たちを守ってくれている相手に対してこのような感情を抱くのは非常に心苦しいが……正直、積極的に近付きたいタイプではない。

 

と、ここで。

 

心中で意見を合致させていた二人に、近付いてくる者がいた。

 

「ガレス!?」

 

「っ! その声、椿か!?」

 

現れたのは椿であった。戦いの中で壊れたのか、戦闘衣(バトル・クロス)はすでにボロ切れ同然となっている。肩当てと手甲も一部破損しており、ほとんど袴にさらし一枚となった姿が、ここまでの激しい戦闘を物語っていた。

 

声に反応してどうにか顔だけを上げたガレスに、椿は細かな傷の浮かぶ顔に不敵な笑みを描く。

 

「お互い、なかなか手酷くやられたようだな。そっちのほうが重傷のようではあるが……」

 

「ふん、言いよるわい。ところでお主、後方にいたはずではなかったか?」

 

「ああ、戦況が変わってな。手前も出る事にしたまでよ」

 

さも当然という風に言い切った椿に、ガレスは嘆息しつつも仕方ないと諦めた。椿もLv.5の冒険者だ。ここまで敵味方入り乱れてしまった以上、敵の首魁を叩くための増援は多いに越した事はない。

 

再開に束の間の喜びを共有していた椿とガレスであったが、そこへラトーナの声が飛んできた。

 

「ああ、貴女も傷を負っていますね。動かないで、いま治療いたします」

 

「む?」

 

腕組みしていた椿が見下ろせば、そこには左手で聖鈴を……そして右手にエス・ロイエスを構えた、ラトーナの姿が。

 

「動かないで下さい。とりあえず、急ぎエス・ロイエス(これ)で手当てを……」

 

「ッ! ちょっと待て、早まるな―――!?」

 

直後、ガレスはラトーナに何かを言おうとしたのだが、時すでに遅し。

 

エス・ロイエスが振るわれた後……椿がもの凄い勢いでラトーナに詰め寄り、彼女が押し倒された事は言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……げほっ……」

 

小さな、しかし深刻さを滲ませた咳が落ちる。

 

咳を発した少女、アイズは喉奥からせり上がってくる血の味に顔を顰めたが、決して毒づいたりはしない。生来の気質という事もあるが、()()()に広がる光景を前にすれば、そんな気も起きなくなるからだ。

 

『ァ゛ァ゛ァアァァ………』

 

幽鬼のようなその姿を晒すのは、変貌した『闇の王』。左手に握られた得物【神殺しの直剣】を乱雑に振り下ろした格好のまま、『深淵』と瓦礫の中で佇んでいる。

 

そう、『深淵』と瓦礫の中だ。

 

『闇の王』の狂刃が振り下ろされる寸前、アイズはこれまでの人生の中で最も早く決断を下した。(ほど)けた『風』を練り直して愛剣《デスペレート》の刀身、その一点に集中させたのだ。

 

結果、剣と剣がぶち当たった瞬間にアイズの身体は後方へと吹き飛ばされた。受け身も何もかもを置き去りにした緊急離脱であったが、結果として彼女の判断は吉と出た。

 

少しでも躊躇していれば、きっとその身体は泥のようにぐちゃぐちゃになっていたに違いない。それが誇張でも何でもないのは、この光景が雄弁に証明してくれている。

 

……しかし、事態は依然として深刻だ。

 

「くっ……!」

 

アイズは痛苦に彩られた顔で、己の肩を見やる。

 

『深淵』の一滴が付着した箇所だ。たったそれだけだと言うのに、全身を言い様のない感覚が這いずり回っている。

 

鈍痛、疼痛、激痛。

 

悪寒、あるいは灼熱感。

 

果ては憎悪や怨嗟の念といった、およそ人が感じ取れるであろう負の感情を一緒くたにしたような不快感が少女の身体を蝕んでいる。それはまるで、『闇の王』の意思そのものであるかのようで―――。

 

「………っ」

 

そこまで考え至って、アイズは頭を振った。今はそんな事を考えている場合ではない、如何にしてこの状況に対処するか。それだけに集中すべきだ、と気持ちを切り替える。

 

……防御も絶対ではない、一滴でもあの『深淵』を受ける事は危険だ。

 

……隙を見ての反撃もリスクが大きすぎる。反撃を喰らっては、そこでお終いだ。

 

……だとすれば、出来る事は限られる。

 

数瞬の思考で、アイズはタンッ!とその場から大きく跳躍する。『闇の王』もそれに気が付き、大きく腰を落として勢いを溜め、轟音と共に少女の後を追う。

 

『―――ガァァァアアアァアアァァァアアアァァアアアアアアッッ!!!』

 

「ッ!」

 

思惑通り、『闇の王』は食いついた。

 

アイズの選んだ行動は“時間稼ぎ”だ。ファーナムの命が先に尽きてしまう懸念はあるが、それでもこの一手を選ばざるを得なかった。少しでも『闇の王』の注意を引きつけ、彼から遠ざける事だけが最善の策に他ならないのだから。

 

(みんな……!)

 

己の無力に歯噛みしつつ、アイズは胸の中で仲間を想う。

 

『闇の王』は全員でかからなければ倒せない……そう悟ってしまったが故に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ラレンティウスは大沼出身の呪術師である。

 

呪術とは火を熾し、利用する、原初の命の業。故に呪術師は自然と共にあろうとし、文明人とは相容れない存在になりがちだ。

 

『だから、大抵、呪術師は嫌われ者だ。まあ、俺は人嫌いだから、ちょうど良かったさ。不死になっても、何も変わらなかったしな。ハハハハッ』

 

そう自称するラレンティウスは、しかしどうも割り切れていないようだった。

 

最下層にて、巨大な包丁を手にした巨漢の亡者に生きたまま調理されるところを助けて貰った彼は、その不死人、かつての『闇の王』と親しげに話す仲になっていたのだから。

 

それでも呪術、火に対する憧憬は変わらない。

 

原初の呪術に触れる機会に恵まれれば、一も二もなく飛びついた事だろう。もっとも、それはかつての『闇の王』によって妨げられてしまったが。

 

『……そうか。俺の勘違いか……いや、あんたがそう言うんだ、そうなんだろう。忘れてくれ……』

 

すぐ目の前にぶら下がっていた原初の呪術。

 

それを無理やりにでも奪おうとしなかったあたり、やはり彼は“異端”などではなく……そして、人嫌いでもなかったのだろう。

 

 

 

 

 

場面は変わり、現在。

 

戦場を猛然と突き進む炎の柱に、ラレンティウスは目を輝かせていた。

 

「おいおい……おいおいおいっ!なんだよあれ!?すげぇ“火”だ!!」

 

後方支援……というにはあまりに苛烈な呪術の行使を中断していたラレンティウスは、その光景に目を釘付けにされる。

 

炎の柱の正体はベートだ。四肢に劫火を纏った狼は咆哮を迸らせ、前へ前へと進み続けている。これ以上進ませまいと押し寄せる闇の騎士たちを悉く灰塵に帰し、そればかりか味方の不死人たちも寄せ付けないその火力は、さながら『混沌の呪術』のようですらある。

 

「ラ、ラレンティウス殿!奴がこちらへ迫ってきます、一刻も早く撤退を……!」

 

「いや、良い!俺が相手をする!!」

 

共回りを務めていた闇の騎士の進言にも耳を貸さず、ラレンティウスはその手に呪術の火を灯す。

 

先ほどまでの気乗りしない表情は消え去り、今や満面の喜色を浮かべていた。自分の知らない“火”を前に、呪術師の本能を痛く刺激されたのだ。

 

「あんたらは他の奴らを手伝いに行け!ここは俺に任せてくれ!!」

 

言うが早いが、地を蹴り一目散にベートの元へと走り出す。そうしている間にも彼の手の中にある呪術の火は高まり、待ちきれないとばかりに爛々と輝きを増していく。

 

「来い、こっちだっ!!」

 

果たして、その声はベートの元へ届いた。

 

ともすれば挑発にも聞こえるその声音は、文字通り炎を纏ったベートを刺激する恰好の燃料となる。視線だけで射殺せそうな眼差しでラレンティウスの姿を捉えたベートは、牙を剥き出しにして吠えた。

 

「……るおぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!」

 

轟ッ!!と、踏み込んだ地面が爆散し、瞬時に灰となった。

 

正しく火球と化したベートが目指すのは、ボロ布に身を包んだ男。闇の騎士たちよりも遥かにみすぼらしい恰好だが、その男が雑兵とは一線を画す実力者である事を、獣じみた本能が忠告してくる。

 

それを理解した上で、ベートは上等とばかりに眦を裂く。

 

(ぶち殺してやる!!)

 

好戦的な狼人(ウェアウルフ)はその程度でビビらない。そんな事で弱腰になるような軟弱者―――雑魚ではない。

 

彼の主な戦闘スタイルである蹴撃。その利き足に劫火を溜め、一蹴の元に命を刈り取らんとベートは肉薄の瞬間に高く跳躍し、渾身の踵落としを振りかざした。

 

「消し飛べッ!!」

 

目前に迫る炎の槌。掠っただけで消し炭になりかねないその攻撃を、ラレンティウスは避けようとはしなかった。

 

「良いぜ、来いよっ!!」

 

代わりに振るうのは呪術の火を宿した右手。踵落としが炸裂する瞬間を見極め、『火球』の頂点となる呪術、『大火球』を放つ。

 

瞬間、大爆発。

 

ベートとラレンティウスの間に、一際大きな火柱が巻き起こった。

 

「ぐっ―――ッッ!?」

 

ボッ!!と火柱を突き破って現れたベート。

 

それは背中から現れ、爆発の勢いで跳ね飛ばされた事を意味している。それほどまでにラレンティウスの呪術は凄まじかったのだ。

 

「ぐぉ、ぉお……すげぇな、あんたの“火”は」

 

完全に勢いを相殺したかに思われたラレンティウス。しかし彼も無傷という訳にはいかなかった。

 

炎や毒といった自然の脅威に強い装備を全身に纏っていながら、その顔には痛々しい火傷が刻まれている。それでも彼は嬉しそうな笑みを絶やす事なく、そればかりか更に興味が湧いたとばかりに話しかけて来た。

 

「俺はラレンティウス。今は“王”の側近をしている呪術師だ。あんたの名前は?」

 

「舐めてんのか、テメェ」

 

名前を聞かれたベートは青筋をたて、怒りを露わにする。

 

彼もまた、その身体に火傷を負っていた。己のものではない炎によって出来た火傷―――『傷』を、四肢に纏った炎が舐めとり、更に火力を増してゆく。

 

損傷吸収(ダメージドレイン)』。

 

傷を負う度に火力が膨れ上がる、ベートの魔法の真骨頂。呪術にはない特性を目の当たりにしたラレンティウスは驚き、そして嬉しそうに口の端を吊り上げた。

 

「すげぇ、すげぇよあんた。今までも“火”を使う奴らを色々と見てきたが、あんたはその中でもとびきりだ」

 

純粋な賛辞の言葉も、ベートにとっては挑発にしか取れない。一刻も早くその減らず口を黙らせてやろうと腰を落とし、次なる攻撃の構えを取る。

 

「もっと見せてくれ、あんたの“火”を!!」

 

「ほざけッ!!」

 

轟ッ!!と、再び地面が爆散する。

 

今度は上ではなく、前へ。地面すれすれを滑空するかの如く迫る炎狼に対し、ラレンティウスもまた再度、呪術の火を振るう。

 

下から巻き上げるように生み出したのは『なぎ払う混沌の炎』。イザリスの魔女とその娘たちを飲み込んだ混沌の炎の業が、ベートに牙を剥く。

 

「ッ!? ちィ!!」

 

盛大な舌打ちを鳴らし、ベートは回避行動を取った。ぶち当たる直前で地面を抉り強引に進路を変えるも、中空に漂う溶岩に僅かに右腕が掠ってしまう。

 

ヘドロのように絡みつく溶岩はすぐに消えた。しかし超高温に触れた手甲は蒸発し、その下にある肌に深刻な火傷を負わせる。

 

「クソッたれ!!」

 

悪態を吐くも、その程度で済んだのはベートだからこそだ。己の劫火を纏う彼以外が触れれば、瞬時に腕が炭となり、砕け散ってしまうのだから。

 

ラレンティウスの攻撃はそれだけではない。

 

流れるように両手を天に掲げ、それを地面に叩きつける。次の瞬間には彼を起点として、幾つもの火柱が……『混沌の嵐』が顕現した。

 

「―――――ッ!?」

 

視界を埋め尽くす劫火……否、()()

 

全てを飲み込む混沌の炎に巻かれ、ベートの姿が赫くかき消されてゆく。

 

(ありがとうな、“王”)

 

その中でラレンティウスは―――密かに“王”への感謝を述べた。

 

 





~今回登場した不死人~


リンデルトのラトーナ 甲乙様

ハイデの騎士ルードルト タナト様

一人古城のフォレスト 大日小進様


以上の皆さまです。本当にありがとうございました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十九話 ”王”の呪術師

 

『……それとも、あんたも、呪術は気色悪い口か?』

 

命の恩人に拒絶されるかも知れないという不安はあったが、結局それは杞憂に終わる事となる。()はラレンティウスの提案―――呪術を学ぶ事を快諾し、その手に呪術の火を受け取ったのだ。

 

呪術の火とは呪術師の身体の一部。ならば、これは言うなればラレンティウスの分身でもある。今後の()の旅路で役立つのならば、それは喜ばしい事だ。

 

『ありがとう、大切に使わせてもらうよ』

 

『おう。せいぜい、大事にしてくれよな』

 

祭祀場の片隅で交わした、何てことのない会話。

 

あの時の()は、まだ大層な装備を身に着けてはいなかった。どこにでもあるような鎧に、どこにでもあるような武器。どこを見ても、普通の不死人だった。

 

『それじゃあ、また』

 

『じゃあな。無事でいろよ、あんた……亡者になんてなるんじゃねえぜ』

 

『うん……必ず、また来る』

 

これまで幾多の不死人が挑み、そして心折れた旅路。それに挑戦する、名もなき不死人の一人だった。

 

それが、まさか。

 

あらゆる世界、あらゆる時代の神々を殺す者―――『闇の王』となろうとは、この時のラレンティウスは、思ってもみなかった。

 

 

 

 

 

二人の交流はその後も続いた。

 

()の旅は続いていた。全てが順調という訳ではなかったのだろうが、その折れぬ心で立ちはだかる敵を打ち倒し、ソウルによって肉体を強化し、確かな実力を磨いていた。

 

そして、呪術も。

 

『やあ、ラレンティウス』

 

『おお、来たか!じゃあさっそく取り掛かろう』

 

獲得したソウルにより呪術の火を強化する。生粋の呪術師にのみ許された秘儀でもって、ラレンティウスは()の力を更に高めた。旅に同行できない自分が出来る唯一の手助けはどうやらきちんと役立っているようで、それがとても嬉しかった。

 

『……っと、よし。これで終わりだ』

 

『ありがとう。本当に助かるよ』

 

『気にすんな。これ以上の強化はもう無理だが、出来る事は全部やった。それに……教えられる呪術も、もう無いからな』

 

そう、手伝える事はもうないのだ。己の持つ呪術の知識を全て伝えたラレンティウスは満足そうに、しかし少しだけ寂しげに頷いた。

 

漂いかけたしんみりとした空気を払うように、彼は話題を変える。

 

『この地のどこかに、伝承にある最初の王の一人、呪術の祖だと言われているイザリスの魔女ってのがいるらしいんだが、果たして本当にいるのかどうか……なあ、あんた。もし道中でそれらしい奴を見かけたら、教えてくれないか?』

 

自分では出来ない事を頼むのは気が引けたが、それでも呪術師のはしくれだ。ラレンティウスは自身の欲求を抑える事が出来ず、ついついそう口走ってしまう。

 

『そいつなら俺が知らない呪術を知っているだろうし、あんたの旅の助けにもなると思う。勿論気が向いたらで良いんだが……』

 

尻すぼみになる頼み事にも、()は当然とばかりに首を縦に振ってくれた。

 

『良いとも。その時は真っ先に知らせるよ』

 

『良いのか!?……本当に、何から何まで悪いな』

 

『謝らないでくれ。君の助けがあって僕はここまで来れたんだし、お互い様だよ』

 

()はそう言って、旅に戻っていった。

 

知らせを座して待つだけの身というのが何とも歯痒かったが、それでも、どうしようもない事はどうしようもない。せめて()の旅路の成功と、その身を案じる事しか出来ない。

 

その後、ラレンティウスは再び会える時を待ち続けた。

 

数日後か、数か月後か、数年後か、数十年後か。どれほどの時間が経過したのか分からないが、ともかく長い間待ち続けた。

 

その果てに再会した()は―――酷く変わってしまっていた。

 

 

 

 

 

ガシャリ、という硬質な足音がラレンティウスの耳を叩いた。

 

『っ!あんたか!?』

 

見なくても分かる。わざわざ祭祀場のこんな一角に来る人物なんて、()以外にはいないのだから。

 

『心配したぜ、随分と久しぶりじゃない……か……』

 

久しく会っていない友人を歓迎するかのような笑みを浮かべて顔をそちらへやったラレンティウスは……しかし、その恰好のまま固まってしまう事となる。

 

『ラレンティウス』

 

『……あ、あんたか?』

 

『ああ』

 

上級騎士の鎧に身を包んだその姿。顔を兜で覆い隠してはいるが、直感でこの男が自分の待っていた人物であると理解する。

 

理解は出来るのだが、その雰囲気は以前に会った時とはまるで別物。暗く冷たく、近寄りがたい空気を醸し出す甲冑姿の男に、ラレンティウスはごくりと生唾を飲み込む。

 

しばしの静寂が降りる。

 

やがて、その静寂を破ったのはラレンティウスの方だった。

 

『……ああ、その……そうだ、頼み事の方はどうなった?それらしい奴はいたか?』

 

聞きたいのはそんな事ではなかったのだが、気を紛らわせるかのように口をついて出た言葉。本人も半ば諦め、期待などしていなかったのだがその問いかけに対し、男は僅かに右手を動かした。

 

その瞬間、呪術師の視界に()()()()が映る。

 

男の余りの変貌ぶりに今まで気が付かなかったが……それはラレンティウスが強化した呪術の火よりも更に輝きを増した、彼の知らない“火”であった。

 

『! あんた……それ……っ!?』

 

フードの奥の目が一際大きく見開かれる。この瞬間だけは全ての事が遠ざかり、その“火”に釘付けとなってしまう。

 

『それをどうしたんだ!まさか、見つけたのか!?教えてくれっ、俺もその“火”を知りたい!!』

 

長らく座ったままの腰を上げ、男に縋りつく。

 

肩を揺さぶり懇願するラレンティウス。しかし男の返答は、彼の望むものではなかった。

 

『……すまないが、お前の思い違いだ。これはお前がくれた“火”だ』

 

『………そう、か………俺の、勘違いか……』

 

ラレンティウスは力を失った両手をぶら下げ、項垂れる。

 

そんなはずがない、見間違えるはずがないと言いかけたが、目の前の男が違うと言っているのだ。ならば、きっとそうなのだろう。それなりに長い付き合いの男を問い詰めるような真似などしたくなく、彼の追求はそこで途絶えた。

 

『……少し良いか。話がある』

 

『……話?』

 

数秒後、男は再び語りかけた。

 

そして、決して長くはない会話の後……ラレンティウスは新たな道を進む事となる。

 

 

 

 

 

呪術の全てを知り、その業を極める。それは呪術師の本懐であり悲願でもある。そんな千載一遇の好機を逃したかに思われたラレンティウスに再びその機会が回って来たのは、『闇の王』と行動を共にしてからしばらくの時であった。

 

無数に存在する世界に降り立ち、そこで神を見つけ、『真の人の世』を作るという名目のもと殺戮を行う。幾つ目かの世界での神殺し、その終盤で『闇の王』が行使した“混沌の呪術”に、ラレンティウスは時を止めて見入っていた。

 

【神殺しの直剣】にてとどめを刺された神の断末魔が木霊し、焼け爛れた荒野に静寂が落ちる。

 

『……少し、外してくれ』

 

『闇の王』の言葉に、青き戦士を含めた四人の不死人は素直に応じる。二人きりとなった荒野にて、ラレンティウスは絞り出すように口を開いた。

 

『……やっぱり、隠してたんだな』

 

『ああ』

 

それは彼があの時見た“火”についての事。

 

なぜ真実を話してくれなかったのか。問いただすのではなく、その理由を知りたいのだと、ラレンティウスは切実な口調で尋ねた。

 

『話せばきっと、自分の目で確かめに行くと言い出しただろう』

 

『……ああ。俺も呪術師のはしくれだ、自力でどうにかしようとしただろうな』

 

『そうなれば、お前はきっと亡者になっていた。だから言わなかった』

 

今とは違い、あの時のラレンティウスは()()()()

 

最下層で出会いを果たした彼は、以降はずっと祭祀場の一角にいた。戦う機会などあろうはずもなく、故に戦闘の技術など磨きようがない。『闇の王』の言葉はもっともだった。

 

地の底にある病み村、その道中で力尽き、亡者となっていたに違いない。そうなる事を予想した『闇の王』は真実を伏せたのだ。

 

『弱さ』という容赦のない理由を突き付けられるも、ラレンティウスは怒らなかった。己の身の丈は理解していたし、その理由には邪なものは何一つなかったからだ。むしろ気を遣わせてしまったという後悔の念すら浮かんでくる。

 

『だが』

 

しかし、『闇の王』は次のように続けた。

 

『今のお前は違う。あの程度の試練など乗り越え、自分の力のみで彼女の元へと辿り着けるだろう』

 

『……!』

 

『無理に私に付き合う必要はない。お前は、お前の望む道を進んで良い』

 

そう、『闇の王』は見抜いていたのだ。ラレンティウスの生来の性格を。

 

人嫌いを自称しているものの、実は気が良く、そして話し好き。神殺しの邪魔になる存在には容赦はしないが、それでも気乗りしないような表情を良く浮かべていた……本質的に“殺す”という行為に向いていないのだ。

 

ラレンティウスは『殺す者』ではなく『呪術の神髄を目指す者』。今しがた行使した“混沌の呪術”を目にした際の反応こそが、その事実を明確に物語っている。

 

『……はは、参ったな』

 

だが、しかし。

 

ラレンティウスの返答は、『闇の王』の思っていたものではなかった。

 

『気を遣わせて悪いが、遠慮しとくぜ。俺はもうあんたに付いて行くって決めたんだ。それに、何か放っておけないしな』

 

『……それで良いのか』

 

『ああ。世話になりっぱなしだったのに、その恩をやっと返せそうなんだ。だから、一緒にいさせてくれ。そして良ければ……あんたが俺に教えてくれ、その呪術を』

 

『……私は呪術師ではない。この“混沌の呪術”も神を殺すための手段に過ぎない。それでも……良いのか』

 

僅かに顔をうつむかせた『闇の王』の肩に手を置き、ラレンティウスはにやりと笑った。

 

『良いんだ。あんたが教えてくれる呪術を元に、俺は俺なりに神髄を極めるさ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

呪術『混沌の嵐』によって、辺り一面は焦土と化した。点々と消え残る溶岩はなおも灰の大地に極熱を放ち、あたかも地獄のような光景が戦場に広がっている。

 

そんな中にいるのは、ただ二人。

 

呪術師ラレンティウスと、【凶狼(ヴァナルガンド)】ベート・ローガだ。

 

「まだ生きているみたいだな。嬉しいぜ」

 

「……づっ……はぁッ……!」

 

立っているだけで全身の水分を失いかねない熱に晒されながらも、ラレンティウスの態度は常と変わらない。一方でベートは片膝を突き、喘ぐような呼吸を漏らしていた。

 

回避し切れなかった火柱の一つが彼の左脚を飲み込んだのだ。負傷した脚を覆っていたメタルブーツ《フロスヴィルト》は焼失し、表面を無残に炭化させた肌を露出させている。

 

その火傷を、ベートの炎が舐めとる。

 

比喩でなく一回りも巨大化した四肢の炎に、ラレンティウスは口角を吊り上げた。

 

「やっぱりすげぇな、その“火”は。そんな性質は呪術にはねえ。なぁ、それに上限はあるのか?」

 

「……黙れ……!」

 

「つれねぇなあ。お互いこれが最後の戦いになるかも知れないんだ。もう少し喋ろうぜ」

 

「黙れってんだ……!!」

 

未知の“火”への素直な感想もベートにとっては腹立たしいだけ。しかし、その怒りすらも彼は糧とする。

 

呼吸をするたびに焼けつく肺、全身を苛む傷の痛み、それを喰らって膨れ上がる炎―――全てをつぎ込み、炎狼はその『牙』をより強靭に研ぎ澄ましてゆく。

 

「てめぇの下らねぇ話になんざ、付き合ってる暇はねぇんだよッ!!」

 

荒々しい怒号と共に、戦闘が再開される。

 

立ち上がったベートは地面を踏み砕くと、そのはずみで大小さまざまな岩盤が起き上がった。そして再び地面に落下するよりも速く二つの塊に蹴撃を見舞い、ラレンティウスへと投げつける。

 

「はっ、そう来るか!!」

 

砲弾さながらの速度で迫る二塊の岩に、ラレンティウスは腰に収めていた『ハンドアクス』を取り出した。

 

呪術師だからとて、呪術以外はからきしという訳ではない。ましてや『闇の王』の元で神殺しの旅を続けていたのだ。今やそのハンドアクスはそこらの武器を凌ぐ逸品となり、それを扱う膂力と技量もロードランにいた頃とは比べ物にならない。

 

瞬く間に岩を打ち砕いたラレンティウスは、すでに肉薄していたベートと視線を交わす。肉弾戦を得意とするベートの拳はすでに放たれており、それ真っすぐに頭部を狙っていた。

 

「ッらぁ!!」

 

ボッッ!!と炎の尾を引く拳。それを紙一重で避けたラレンティウスは呪術『大発火』を行使した。

 

手元に巨大な炎を発生させるという単純な呪術だが、それはこのような近間でこそ真価を発揮する。猛熱に晒されたベートが勢いを殺されのけ反り、その隙を突いてハンドアクスによる反撃を見舞う。

 

真横から迫る肉厚な刃。幾つも傷を刻んだ腹部を薙ぐ軌道で振るわれたそれを……ベートは左拳で迎え撃った。

 

「っ!?」

 

ラレンティウスの顔が、ここにきて初めて驚愕の色に染まる。

 

当然、真っ向から殴り掛かれば無事では済まない。ベートの固められた拳は半ばまで刃が埋まり、新たな流血を見せている。

 

が、それだけだった。

 

鍔迫り合いの如く互いの力は拮抗し合い、反撃の勢いは見事に相殺されていた。そればかりか……咆哮と共に、ベートは更に拳を唸らせる。

 

「ぐっ……ぉおオオッッ!!」

 

「な―――っ!?」

 

新たな傷により火力を増した炎を巻き上げ、渾身の左拳が振り抜かれた。力負けしたラレンティウスはとっさに右腕で防御の構えを取るも、踏み止まる事ができずに後方へと殴り飛ばされてしまう。

 

盛大な音を立てて粉塵が巻き上げられる。『深層』程度のモンスターであればこれで終わりだが、ベートは油断なく前だけを見据えて拳に埋まったハンドアクスを乱暴に引き抜いた。

 

やがて、灰色のもやの中からラレンティウスが現れた。

 

彼は()()()()()右腕のマンシェットを見下ろした後に顔を上げ、笑みを消した表情のままに口を開く。

 

「なるほどな……際限なしか」

 

その瞳が射抜くのはベートの四肢に宿る炎。それは戦闘を開始した時よりも明らかに大きくなっており、今や彼の身長の三倍にも迫らんばかりだ。

 

猛々しく、赤々と燃える炎。それはラレンティウスがこれまでに目にしてきた何ものよりも強大であり、そして油断ならないものだった。

 

「傷を負う程に強くなる、か。これは悠長にやってる場合じゃないな」

 

「………」

 

「……ああ、悪い。今更な話だった」

 

ぞり、と、頬に刻まれた火傷を指でなぞり、ラレンティウスは右手の“火”に意識を集中させ始める。それを感じ取ったのか、ベートもまた腰を沈め、攻撃のための構えを取る。

 

流れ落ちた血さえも蒸発するような灼熱が支配する只中。二人は互いの一挙手一投足が己の勝利、あるいは敗北に繋がる事を理解していた。その上で相手の攻撃を上回る一撃を繰り出すべく、来たるべきその時を待つ。

 

一秒後か、数秒後か。十には満たないであろう睨み合いの末―――動いたのは、やはりベートからであった。

 

揺れ動く炎の頭を置き去りに瞬時に加速を終えたベートは、最大速度で疾駆する。予備動作の一切ない接近に、ラレンティウスは目を見開いて次の行動を見極めんとした。

 

来たのは右腕による大薙ぎ。

 

軌道上にあるもの全てを焼き尽くす狼の上牙(オルガ)をどうにか回避したラレンティウスに、矢継ぎ早にけしかけられた下牙(ベネト)の蹴撃。直前で身を引くも、これは完全に避けきる事は出来ず、胴の大部分に灼熱の牙が喰らい付いた。

 

「づぅっ!!」

 

体勢を崩した隙を見逃さず、ベートは追撃を仕掛ける。真下からすくい上げるような炎拳を見舞おうと腕を引いた―――直後、その琥珀色の瞳をあらん限りに見開いた。

 

「ッ!!」

 

倒れかけの体勢からラレンティウスが放ったのは『火の玉』だ。呪術師の象徴とも言える炎が視界一面に広がり、ベートはぶつかる寸前で地を蹴り上空へと高く跳躍する。

 

「チィッ!!」

 

鋭い舌打ちと共に飛び上がったベート。

 

その最中で、見た。痛みに顔を歪ませつつも不敵に笑うラレンティウスを。その手の中で怪しく渦まく、次なる呪術の誕生を。

 

振りかぶられた右腕。何かを投げつけるような動作に違わず……その手からは呪術『混沌の大火球』が放たれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『闇の王』は混沌の呪術のみならず、“火”さえもラレンティウスに分け与えた。

 

魔女の手によって更なる高みへと昇華されたそれは、かつて自分が分け与えたもの。故にそれはラレンティウスが持つ“火”と溶けあい、ロードランにいた頃とは比べようもない程に、強く生まれ変わった。

 

だが……心なしか、その“火”はどこか冷たかった。

 

気のせいに過ぎないのかも知れない。しかしラレンティウスには、その冷たさは『闇の王』の変化を暗示しているような気がしてならなかった。神々を殺すという新たな使命を見出した彼が、本質的に別の()()へと変貌を遂げつつある―――そんな考えを捨てきれずにいたのだ。

 

それを裏付けるように、『闇の王』は少しずつ変わっていった。神々を滅ぼした数が百を超えた辺りから少なかった口数が更に減り、自分たちと接する時の態度も機械的なものに変化してゆく。

 

だからといって、今更どうしろと言うのか。

 

『今更どうしようもない。俺たちは、ただ彼と共に在り続けるしかないんだ―――神々を殺し尽くすか、俺たちが消えてなくなる、その日まで』

 

太陽が描かれた鎧を黒ローブで隠した戦士の言葉に、ラレンティウスは頷くしかなかった。

 

そう、共に在り続けるしかないのだ。さもなければ、酷い裏切りとなってしまう。彼……『闇の王』への恩を返す為に付いて行くと決めたのは自分なのに、それを反故にするような真似だけはしたくなかったから。

 

何か手はあったのかも知れない。しかし、その段階はとうに過ぎている。踏み止まれる地点を誤った以上、前に進むしかない。

 

神々を殺し尽くし、あらゆる世界に真の人の世を到来させる……『闇の王』の掲げる大義の裏にどのような考えがあったとしても、今更止まる事など出来ないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(そうだ、これが俺の呪術の神髄だ!!)

 

火の業を極めんとする呪術師としてではなく、“王”の臣下としての呪術師の神髄。彼と共に在り続ける為だけに己の技術を磨き続けた、ラレンティウス渾身の『混沌の大火球』がベート目掛けて放たれる。

 

それは火球の域を超えていた。煮え滾る溶岩を内包した灼熱の大塊が、人の身体などひと息の内に飲み込まんと大口を開けている。

 

一度(ひとたび)触れてしまえば死は免れない。

 

そんな大熱量の塊を前に―――ベートもまた、四肢に宿る劫火の(あぎと)を開いた。

 

 

 

「るおぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!!」

 

 

 

響き渡る炎狼の雄叫び。

 

直後、轟音さえもかき消す凄まじい熱波が発生し、ラレンティウスの頭上で火球が爆発した。

 

振りまかれる溶岩、散り散りにはじけ飛ぶ炎、刹那の輝きを見せる火の粉。そんな灼熱の壁を打ち砕き……ベートが姿を現す。

 

上衣は焼け落ち、無事な部分などほとんどない。身体の大部分を重度の火傷に包まれながら、その琥珀色の双眸に宿る戦意は毛ほども衰えてはいない。

 

身動きの取れない上空でベートは身体を捻り、加速。鞭のようにしなる利き足に劫火を纏い直し、眼下の一点へと向けて『牙』を剥き出した。

 

(……ああ、畜生。ここまでか)

 

己の持ちうる全てをつぎ込んだ一撃を突破されたラレンティウスは目を見開き、そして小さな笑みを浮かべる。これ以上の抵抗は無意味であると、目の前に迫る“火”が告げているからだ。

 

やれるだけの事はやった。ならばせめて、無様な姿だけは晒すまいと上空を見据える。彼は残された僅かな時間で右手に宿る“火”を確かめるように軽く握り、そして静かに目を閉じた。

 

(すまねぇな……“王”)

 

別れの言葉は間に合った。

 

瞬間、ベートの踵落としが炸裂し―――ラレンティウスの身体を縦断した。

 

 

 

呪術師として生まれ落ち、不死となり、その後の半生のほとんどを『闇の王』と共に歩み続けた男は、亡骸も残さず灰塵に帰した。

 

“王”の呪術師は、こうして壮絶な最期を遂げたのだった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十話 戦場を駆ける

 

最早、取り返しはつかない。

 

この戦いには勝者はなく、敗者もなく、双方がただ無意味に血を流すのみ。

 

他の者たちは戦闘に気を取られているが、彼には分かる。今こうしている間にも事態は悪化の一途を辿っている事を。“王”の身に何が起きているのか……背後から伝わってくる冷たい予感を、その粟立つ肌で感じ取っていた。

 

が、今更何が出来ようか。

 

その段階はすでに遠く過ぎている。止まる事の出来ないところまで来てしまった以上、進むしかない。振り返ったところで道はなく、立ち止まればそこで朽ち果てるだけなのだから。

 

(抗う者……名も知らぬ不死人よ。すまなかった)

 

視線の先で血を流しながら二槍を振るうフィンを相手取り、ソラールは胸の内でそう呟いた。

 

 

 

“王”を頼む、などと口走ってしまった事を。

 

もっと早く、自分の手でケリを付けられなかった事を。

 

―――――あの時、()を引き留められなかった事を。

 

 

 

在りし日の太陽の戦士。

 

そして、『闇の王』の臣下としてのソラール。

 

(そして、どうか許してくれ―――友よ)

 

彼の胸の内に残る後悔は……ただ、それのみ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「【アルクス・レイ】!!」

 

山吹色の長髪を振りまき、魔力と気迫を織り交ぜた声が飛ぶ。直後、展開された魔法円(マジックサークル)から閃光が放たれ、前方にいた闇の騎士の胴へと吸い込まれていった。

 

「はぁっ、はぁっ……あうっ!?」

 

魔法が命中した事に安堵するも束の間、それが原因で足のもつれたレフィーヤに新たな凶刃が迫る。

 

「レフィーヤ!!」

 

「がッ!?」

 

しかし、それはリヴェリアが許さない。魔導士とは言えその肉体はLv.6のもの、鋭く突きだされた彼女の杖の石突きが相手の喉を穿ち、怯んだ隙にレフィーヤの手を取ってその場から離れる。

 

「こっちだ!」

 

「っ、すみません、リヴェリア様……!」

 

「気にするな、それよりも走れ!」

 

走る、走る、走る。

 

怒号の飛び交う戦場で、二人は()()に適した場所を模索していた。何しろ相手は彼女たちもよく理解できない『ソウルの魔術』を扱う男、『闇の王』の側近たるグリッグスなのだ。

 

十全な状態で精神(マインド)を練り上げなければ力負けしてしまう。並行詠唱を修めているリヴェリアをしてそう確信してしまったが故に、現在二人はこうして身を隠すに相応しい遮蔽物……あちこちに散在する岩の影になりそうな場所を探している。

 

が、未だ狙撃に適う場所は見つけられていない。

 

戦況は先ほどよりも更に混沌とし、敵味方がそこら中に入り乱れている。身を隠せそうな場所はなく、あったとしてもすぐさま闇の騎士たちが駆け付けてくる。動けば動くほどに深みにはまり、時間ばかりが過ぎてゆく。

 

リヴェリアは魔法で辺り一面を掃討する事も考えたが、それも駄目だ。一撃に全てをつぎ込まなければ勝てないであろう相手が待っている以上、これ以上の魔法の行使は控えなければならない。

 

(何か手は……!)

 

リヴェリアは形の良い眉を歪ませ、レフィーヤの手を引きながら戦場を走る。

 

横目で確認すれば、四人のロイエスの騎士が今もグリッグスと闇の騎士たちと交戦していた。彼らが抑えている間にこちらも攻撃の準備に取り掛からなければならないというのに、状況がそれを許さない。

 

思わず歯噛みしそうになった彼女に、背後から弟子の声が上がった。

 

「リヴェリア様!?」

 

「ッ!」

 

それは警告の声だった。リヴェリアの一瞬の油断を突き、刺剣を手に姿勢を低くして突貫してくる敵の姿があったのだ。

 

白骨の仮面の奥に殺意を滾らせる闇の騎士は、その勢いのままに彼女の腹部を刺し貫こうとした―――が、その身体が突然、前のめりに崩れ落ちた。

 

糸の切れた操り人形のように倒れ込んだ闇の騎士の()が、ごろりと二人の足元まで転がってくる。ひっ、と声を引き攣らせるレフィーヤにも気が回らず、リヴェリアはいま起きた出来事に目を見開くので精一杯だ。

 

「……こんな偶然もあるものね」

 

ぽつりと呟かれたその言葉は、二人の目の前に現れた不死人のものだった。

 

彼女は右手の得物……たったいま闇の騎士の首を斬り落とした『闇朧』をヒュンと鳴らし、血振りをしながらニコリと笑いかける。

 

「困ってるんでしょ?これもきっと何かの縁だし、手を貸すわよ」

 

 

 

―――実体 古い闇姫が現界しました―――

 

 

 

 

 

 

 

 

リヴェリアとレフィーヤが動き回っている間、グリッグスとその取り巻きの闇の騎士たちは、ロイエス騎士たちと交戦していた。

 

主に剣戟を奏でているのは闇の騎士とロイエス騎士だ。彼らは一歩も引かず、戦力はどうやら拮抗しているようだ。数ではおよそ二倍以上はある不利をものともせず、痩身の騎士たちは互いに背を守り合いながらそれぞれの得物を振るっていた。

 

(さて……まだかかりそうかな、彼女たちは)

 

そんな戦場を眺めながら、グリッグスは悠々と、しかし油断なく周囲に意識を向けていた。

 

彼の狙いはリヴェリアとレフィーヤが仕掛けてくるであろう攻撃を真正面から打ち破る事。異なる世界の魔術を己の魔術で圧倒し、彼の師……“ビッグハット”ローガンの叡智を証明する事こそを目的としていた。

 

魔術師としての性とも言える。奇しくもラレンティウスがベートの魔法に見た“火”と似たような感情を、グリッグスも共有していたのだ。

 

が、己の本分を忘れてはいない。

 

今の彼はただの魔術師ではなく、『闇の王』の配下。敵対勢力の殲滅こそが使命であり、故にいたずらに時間をかける訳にはいかない。

 

リヴェリアたちがこの場から姿をくらましてからすでに五分が経過したが、未だ動きは見られない。こちらを倒す算段が付いていないのか、それともそのまま逃げ出したのか……いずれにせよ、そろそろ動かねばならない。

 

「……仕方がない」

 

グリッグスはスッ、と杖を掲げて魔力を練り上げる。

 

この世界の理に縛られない『ソウルの魔術』は詠唱を必要とせず、魔術は即座に発動した。放たれた『強いソウルの太矢』がロイエス騎士の内の一人に迫り、脚を直撃。白銀の鎧は無残にも砕け散り、周囲にソウルを振りまいた。

 

『―――!』

 

ガクンッ!と膝を折ったロイエス騎士に殺到する闇の騎士たち。仲間の危機に助太刀しようと他のロイエス騎士たちが動き出すも、そこへグリッグスの更なる魔術が襲い掛かる。

 

「今だっ!」

 

「畳みかけるぞ!」

 

おおおおおおっ!!と闇の騎士たちが殺到し、剣が、槍が、槌が振り下ろされる。蟻に群がられる哀れな餌のように、ロイエス騎士たちはその身を黒く塗り潰されていった。

 

(さあ、早く出てこなければ、彼らがやられてしまうぞ?)

 

水平だった天秤を傾けたグリッグスは、笑みを浮かべる事もせずにリヴェリアたちの出方を窺う。彼が纏う()()魔術師のコートは、その酷薄な行いと実によく合っていた。

 

そんな折、ふと彼の脳裏に―――かつての記憶が呼び起こされる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヴィンハイムにある『竜の学院』。かつてのグリッグスはそこに密かに存在する“裏の魔術師”であった。

 

通常の学徒とは異なる黒い魔術師のコートを身に着ける彼は、真っ当な魔術師ではなかった。表に出る事のない、汚れ仕事専門の魔術師。知の探究者という一般の描く像とは正反対の、後ろ暗い生き方をしてきた。

 

どうしてそうなってしまったのかは彼自身にも分からない。ただ確かなのは、もう二度と真っ当には魔術を学ぶ機会などないだろうという事だけだった。

 

しかし、そんなグリッグスに転機が訪れる。不死となったのだ。

 

それも、密かに師と仰いでいた大魔術師……『ビッグハット』ローガンと共に。

 

 

 

 

 

不死は人の世にはいられない。追放され、『北の不死院』へと送られる。そうなる前に、グリッグスはローガンと共にロードランを訪れた。

 

天にも昇る心地だった事を彼は覚えている。かの大魔術師と共に魔術を探究するという栄誉の前には、不死人になったという事実に感謝すらしたほどだ。

 

神の住まう都、アノール・ロンドにあるという神の書庫を目指すローガンと行動を共にしていたグリッグスだが、しかし大魔術師は書き置きだけを残して一人先へ行ってしまった。その意味を危険に巻き込まない為と受け取ったが、それでも諦め切れない。

 

―――でなければ、何のために不死となったのか。

 

彼はローガンの後を追った。しかし不幸にも、道中で亡者たちに襲われてしまう。どうにか民家に逃げ込んだは良いものの、亡者盗賊に鍵をかけられてしまうというおまけ付きだ。

 

『誰かいないか!鍵を開けてくれ!』

 

扉は存外に重く頑丈。魔術で壊す事も考えたが、あの俊敏な亡者盗賊たちを相手に魔術の無駄撃ちは避けたい。故に彼に出来たのは、情けなくも外に助けを求める事だけだった。

 

無論、こんな場所など誰も通るまい。それでも一縷の望みに懸けて叫び続け―――偶然にもそれが、()との出会いとなったのだ。

 

 

 

 

 

()と出会い、グリッグスはその礼として自分の知り得る魔術の全てを教えた。

 

裏の魔術師であった自分が誰かに魔術を授ける立場になろうとは思いもしなかったが、彼にとってそのひと時は貴重なものだった。ローガン程ではないにしろ、なりたかった魔術師像に近づけた気がしたから。

 

やがて時が経ちローガンが帰って来たが、またすぐに発ってしまった。その際に置いていった師の蔵書を元に、グリッグスは()に更なる魔術を与える事となった。

 

『やはり師は、神の書庫を目指されたのだろう。知識に関しては誰よりも貪欲な方だから、当たり前の事だ』

 

『神の書庫と言うと、アノール・ロンドにあるという……?』

 

『ああ、以前にも君に話した事があるだろう。私も君に師の魔術を全て伝え終えてから、そこを目指そうと思う』

 

ローガンの魔術は他の追随を許さない。

 

故に教える身であるグリッグスもそれは中々に難しく、また学ぶ側である()にとっては更に難解なもの。そう簡単には習得する事は出来す、だからこそ、会話をする時間はたっぷりとあった。

 

『あそこは危険だ、巨人の兵がそこかしこにいる。それでも君は、行くのか?』

 

『勿論。力不足である事は承知しているし、辿り着けないかもしれない……それでも行かなければならないんだ』

 

『どうしてそこまで……』

 

『……言ってしまえば、単に私の意地だ。老ローガンの後を追いたいという、子供じみた我がままのようなものさ』

 

ふっ、と小さく笑ったグリッグスはローガンの残した蔵書に視線を落とし、それを指でなぞる。

 

裏の魔術師として生きてきた、人であった頃の半生。その時から抱いていた願望は、純粋に魔術を極めてみたいというものだった。

 

それが、不死となった今になりようやく叶いそうなのだ。ここでローガンの後を追わなければ、どうして不死になったのか分からない。挫けそうになる度に思い出してきた行動理由を胸に、グリッグスは顔を上げる。

 

『君には君の使命が、私には私の願いがある。だから、どうか止めないでくれ』

 

『……分かったよ、グリッグス』

 

()は寂しそうに笑い、グリッグスの元を去っていった。

 

残る師の魔術は僅かに一つ。次にそれを教えた時が、最後の別れになってしまうだろうとグリッグスは予感していた。互いに過酷な旅路を歩む者同士、楽観視などできようはずがない。

 

しかし、運命は時として思いもよらぬ方向へと進むもの。

 

再びやって来た()は……『ビッグハット』ローガンの訃報を携えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

出会ったばかりだというのに、古い闇姫はリヴェリアとレフィーヤの為に尽力していた。うす汚れた上衣を翻し、戦場を駆け、二人に迫る脅威を片端から排除してゆく。

 

「このっ!?」

 

「ふッ!」

 

鋭く突き出された槍を闇朧でいなし、左手の『影の短剣』でもってすれ違いざまに首を掻き切る。その身体が倒れるよりも早く、次なる敵の元へと彼女は走り出していた。

 

「すごい……!」

 

「ああ、凄まじい戦いぶりだが……」

 

おかげで二人は先ほどよりも安全に行動出来ている。つかず離れずの距離で護衛に当たる古い闇姫の手腕に舌を巻くレフィーヤだったが、リヴェリアは彼女が発した言葉が妙に頭に残っていた。

 

(“こんな偶然”?一体何の事を言っていたんだ……)

 

その言葉の意味をリヴェリアは知る由もない。それは古い闇姫が一方的に抱いた感想なのだから。

 

……端的に言ってしまえば、ドラングレイグでの旅路において、彼女は緑衣の巡礼に恋心を抱いていたのだ。同性愛の気のある彼女であったがその恋は結局叶わず、今日(こんにち)を迎える事となった。

 

ファーナムの魔法に応じて呼び出された戦場で出会ったリヴェリア。彼女の纏っていた緑色の戦闘衣(バトルクロス)に緑衣の巡礼の姿が重なってしまい、結果としてこうして行動を共にしているという訳だ。

 

(顔つきも全然違うけど、放っておくのも何か嫌だしなぁ……)

 

闇の騎士の構えた盾を闇朧で斬り付ける。半ば“ずれた”場所に存在する刀身はその盾を貫通して斬撃を見舞い、よろけた所を影の短剣にて止めを刺す。

 

目の回るような戦闘の最中に頭の片隅でそんな事を考えていた古い闇姫であったが、やがて自分の中で納得のいく決断を下した。

 

(ま、協力者なんだし別に良いか。それにすっごい美人だったし)

 

女神にも引けを取らないあの美貌を思い出し、にへ、と古い闇姫はだらしなく顔を緩ませた。

 

「……っ!?」

 

「! どうかしましたか、リヴェリア様!」

 

「い、いや。何でもない……」

 

その背後でリヴェリアがなぜか急に悪寒を感じた事を、彼女は知らない……。

 

ともあれ、戦闘は続いている。気を取り直したリヴェリアは改めて辺りを見渡し、魔法を撃つに適した場所がないかを模索した。

 

すると彼女の視線の先に、周囲と比べて戦闘が激しくない場所があるではないか。数人の闇の騎士と不死人たちが戦っているが、それさえ除けばこれまでで一番理想的な攻撃場所となるに違いない。

 

「あそこだ、あの一帯を目指す!」

 

「っ! 分かった!」

 

リヴェリアの言葉に古い闇姫は顔を引き締め直し、指示通りの場所を目指して走り出した。

 

即座にその戦闘に加わり、背後から致命の一撃を見舞う。突如の事でがら空きだった背中に深く刃を突き立てられた闇の騎士は呻き声を漏らして倒れ込み、それと相対していた不死人は目を丸くして驚いたように彼女の顔を見つめた。

 

「詳しい説明は出来ないけど、この一帯を死守するから手伝って!」

 

「えっ……」

 

「返事は!?」

 

「ぁ……はい」

 

「よしっ!」

 

その不死人の返事を受け、古い闇姫は残りの敵を片付けに行ってしまう。

 

突然の出来事に呆気に取られるも己の本分を思い出したのか、得物である『黒鉄刀』を構え直してその不死人は……()()は再び動き出す。

 

 

 

―――実体 高笑いのフレイムが現界しました―――

 

 

 

(びっくりしたぁ。いきなり大声出すんだから)

 

『砂の魔術師』装備に身を包んだフレイムは大剣を手に、別の闇の騎士へと戦闘を仕掛けた。

 

振り降ろされる漆黒の太刃。それをどうにか防いだ相手はすかざす剣で斬り返すも、これをフレイムは紙一重で避ける。

 

「ちぃ!」

 

躱された事に舌打ちする闇の騎士はその後も二度、三度と切り掛かるも、やはり紙一重で躱されてしまう。次第に苛立ち、罵声すら上げ始める敵は、フレイムの目が鋭く光った事に気付かない。

 

「えぇい、ちょこまかとっ!!」

 

業を煮やした闇の騎士が剣を振り上げる。その瞬間こそを狙っていたフレイムはすかさず黒鉄刀を腰に溜め、そして一刀の元に胴を切り裂いた。

 

「かっ……!?」

 

一瞬の出来事に、敵の喉からは掠れた音しか出てこない。

 

血とソウルを振りまき倒れた亡骸を足元に、フレイムはその豊かな双丘をたゆんっ、と揺らしてひと息ついた。

 

(死守する、か。という事はあの人もここで戦うって事?)

 

ちらりと横目で古い闇姫の事を窺い、彼女は眉をハの字に寄せる。

 

(次に話しかけられたら、僕、上手く喋れるかな……)

 

ないとは言い切れない展開を想像したフレイムは、憂鬱そうに溜め息を吐くのであった……。

 

 

 

 

 

「よし、ここなら奴ヘ魔法も届くだろう。準備にかかるぞ」

 

「はい!」

 

古い闇姫とフレイム、そして数名の不死人たちが闇の騎士たちの相手をしている間に到着したリヴェリアは足を止めて周囲を見渡す。この場所が狙撃に適う地点であると認めた彼女はレフィーヤへと振り返り、手はずの説明をしようと口を開いた。

 

が、その時。数十Mは離れた先で大きな衝突音が響き渡り、次いで盛大な土埃が舞い上がった。

 

戦場の中であっても一際大きなその異変にレフィーヤの肩が跳ね、反射的にそちらへと視線を向ける。

 

「な、何が……、っ!?」

 

そして、悲鳴を抑えるように手を口にやった。

 

レフィーヤ、そしてリヴェリアの視線の先に広がる光景……それは一人のロイエス騎士が、()()()()()()()()()地面へと倒れ込んでいる姿であった。

 

それだけではない。近くには片足を失ったり、あるいは全身に幾つもの穴が穿たれたロイエス騎士たちがいた。無惨な姿を晒す彼らの周りを、何人もの闇の騎士が取り囲んでいる。

 

「……おや、ようやくお出ましか」

 

決して大きくはないその声。

 

恩恵(ファルナ)を授けられた事で鋭敏化された聴力を持つリヴェリアとレフィーヤは、グリッグスの呟きを聞き逃さない。

 

オラリオが誇る二人の魔導士と、不死の魔術師。

 

互いにとって本当の戦いの幕が、静かに切って落とされた。

 

 





~今回登場した不死人~ 


古い闇姫 Ciels様

高笑いのフレイム PLUS ONE様


以上のお二人です。本当にありがとうございました。





~以下、謝辞~

これでご応募頂きました不死人は、全員登場となりました。

読者の皆様に考えて頂いたキャラクターを出すという試みは初めてで、描写力不足な面も多々あったとは思いますが、私としても話の展開を多く考える事ができ、とても勉強になりました。

また、自分では考えもしなかった不死人の設定や性格なども多く拝見する事ができました。今後の作品作り、キャラクター作りに活かしていきたいと思います。

これもご応募頂いた皆様のおかげです。本当にありがとうございました。話の展開次第では再登場してもらう不死人が出るかも知れませんので、今後も読んで頂ければ幸いです。

再度にはなりますが、本当にありがとうございました。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十一話 覚悟

投稿が遅くなりまして申し訳ありません。

年末で思いのほか忙しく、中々書く暇がありませんでした……。


 

「時間は与えたつもりだったんだがな。少しばかり遅かったようだ」

 

「そんな……!?」

 

「っ!」

 

淡々と告げるグリッグス。彼の前には全身に痛ましい傷を刻んだロイエス騎士たち、そして彼らを取り囲んでいる闇の騎士たちの姿がある。

 

身を挺して時間を稼いでくれていた彼らの惨状に息を飲むレフィーヤを背に、リヴェリアは杖を構える。その顔を険しく歪めている彼女は、グリッグスの放った言葉の意味を正しく理解していた。

 

「この世界の魔術がどういうものなのか体験しておきたかったが、こちらも“王”の使命の為にある身だ。これ以上時間をかける訳にはいかなくてね」

 

そう言って、グリッグスは杖を掲げる。

 

放たれたソウルの矢は鋭く天を突き、周囲に散らばる闇の騎士たちは瞬時にそれに反応する。彼らの目を自らに集めた魔術師は、やはり淡々とした調子で静かに告げた。

 

「行け、“王”の騎士たち。我らの敵を殲滅しろ」

 

“王”の側近たるグリッグスの言葉。その重さを知る闇の騎士たちは即座に狙いを定めた。

 

幾人かの不死人、そしてリヴェリアとレフィーヤ。一塊(ひとかたまり)になっていた彼らを始末する事がこの場の最優先であると理解した彼らは、互いに互いを鼓舞するかのような雄叫びを上げ、猛然と突進してくる。

 

「ぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおっっ!!!」

 

その数は優に二十を超えていた。四方から押し寄せる髑髏の集団は、命を刈り取らんとする死神の如く武器を振り上げる。

 

剣を、槍を、槌を。そのどれもが血を求めていると言わんばかりの迫力に不死人たちは玉砕の覚悟を決め、リヴェリアは背後の弟子を庇うように片腕を広げ―――そしてレフィーヤは、高らかに詠唱を始めた。

 

「【誇り高き戦士よ、森の射手隊よ。押し寄せる略奪者を前に弓を取れ。同胞の声に応え、矢を番えよ】!!」

 

「!?」

 

驚き、振り返ったのはリヴェリアだ。自身でさえ絶望的と感じる状況の中、遥かに年下の少女は即座に状況を判断し、己に出来うる最良の判断を下して見せたのだ。

 

しかし、それも賭けだ。レフィーヤの魔法は強大だがその分詠唱に時間がかかり、本来であれば前衛が敵を抑えていて、初めて成功する代物である。

 

しかし。

 

「【帯びよ炎、森の灯火。撃ち放て、妖精の火矢】!!」

 

「ッ!お前たち、ここまで走れ!!」

 

レフィーヤの詠唱速度に目を剥いたリヴェリアは身を屈ませ、咄嗟にそう叫んだ。すでに走り出していた闇の騎士たちとの距離は近いが、仲間の不死人たちはそれよりもずっと近い。彼らはその声に従い、一も二もなく二人の元へと駆け出した。

 

「【雨の如く降り注ぎ、蛮族どもを焼き払え】!!」

 

「伏せろッ!!」

 

半ば転がり込むようにして集まった不死人たち。

 

リヴェリアの声に従い姿勢を低くした彼らは、彼女らの視界の隅でレフィーヤの足元に現れた山吹色の魔法円(マジックサークル)が眩い光を発するのを目の当たりにする。

 

直後。

 

少女の詠唱は完成し、発動の引き金となる魔法名を口にした。

 

「【ヒュゼレイド・ファラーリカ】!!」

 

魔法円(マジックサークル)より放たれる火炎の豪雨。一つ一つが必殺であるそれらは迫り来る闇の騎士たちの数を遥かに上回り、今まさに駆け付けようとした敵兵たちにまで猛威を振るう。

 

その内の一つは、グリッグスにも向いていた。

 

「っ!」

 

弧を描いて飛んできた火炎弾に目を見開きつつも、グリッグスは即座に杖を振るう。解き放たれた魔術『強いソウルの太矢』は真正面からそれとぶつかり、互いの威力を見事に相殺し合った。

 

が、無事だったのは彼ぐらいだ。他の闇の騎士たちは悉く焼き払われ、レフィーヤたちのいる一帯の周辺は焦土と化している。地面は抉れ、陥没し、舞い上げられた灰が辺りを薄暗く染め上げていた。

 

その中心で立つは、レフィーヤただ一人。

 

力を込めた二本の足でしっかりと立って杖を握り締め、僅かに乱れた呼吸を整えた彼女は、真っすぐにグリッグスの事を睨みつけている。

 

「させません……!」

 

額に滲んだ汗を滴らせつつ、少女は確たる意思を以て言葉を突き付ける。

 

「貴方はここで、私たちが倒しますっ!!」

 

それは自らを、そしてリヴェリアたちを鼓舞するものであった。

 

窮地を救われた不死人たちはしばし呆然としていたが、やがてその言葉に口角を吊り上げ、今度はこちらの番だとばかりに闘気を高めてゆく。

 

そして、リヴェリアも。

 

「……本当に、良く育ってくれた」

 

戦場に似つかわしくない穏やかな微笑みを浮かべた彼女は、レフィーヤの隣に立ち―――。

 

「ああ、倒そう。私たち全員で」

 

「はいっ!!」

 

―――勝利を誓ったその瞳で、真正面からグリッグスを見やった。

 

 

 

 

 

「詠唱を始める、時間を稼いでくれ!」

 

リヴェリアは不死人たちに指示を出し、自らもまた詠唱の準備に移ろうとしていた。

 

「リヴェリア様、私は……」

 

「勿論、お前にもやってもらう事がある。重要な事だ、一度しか言わないからよく聞いてくれ」

 

そんなやりとりを行う二人を背後に、不死人たちは各々の武器を構える。

 

レフィーヤの魔法で敵の第一陣を倒したとはいえ、周囲にはまだ多くの闇の騎士たちがいる。先程の魔法が目印となったのだろう、一直線にこちらへ向かってくる彼らの足取りには迷いがなかった。

 

しかし、そんな事は些事に過ぎない。共に戦うと誓った以上、最後までやり遂げてこその協力者なのだから。

 

「さあっ、踏ん張るわよ!」

 

(でも、これ、ちょっとキツいんじゃ……?)

 

やる気十分といった様子の古い闇姫とは対照的に、フレイムは内心で焦りを感じてしまう。

 

無論逃げ出すつもりは毛頭ないが、押し寄せてくる敵兵に対してこちらの数とでは、余りに多勢に無勢。全力で立ち回ったとしても、すり抜けて突破してしまう者たちが出てしまうのではないか。

 

そんな不安が頭を過ぎった矢先……新たな増援が姿を見せる。

 

「うおおおおぉぉおおおおおおおおおっ!!」

 

野太い雄叫びと共にやって来たのは、髭を蓄えた偉丈夫であった。血糊に濡れてなお蒼く輝く大剣をしっかと両手で握り締め、驚いた顔を見せるフレイムたちを尻目に、闇の騎士たちへと果敢に立ち向かってゆくではないか。

 

次いで現れたのは、獣を模した兜を被った巨漢の勇士。赤錆の浮いた、肉厚の曲剣と直剣を左右に携えたその男は先の偉丈夫に続き、自身もまた敵兵の前へと身体を躍り出させる。

 

バンホルトとヴァンガル。武に秀でた二人の不死人が、この戦いへと馳せ参じた。

 

それだけではない。

 

周囲にいた不死人、そして今までバンホルトたちと共に戦っていた何人もの不死人が駆け付けてくる。武器と鎧をけたたましく鳴らし、それに負けない程の気迫を交えて参戦する彼ら一人一人は、正しく一騎当千の戦士であった。

 

「皆の者、(それがし)に続けえぇぇえええええええっっ!!」

 

「「「 おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっ!!! 」」」

 

「あ……何とかなるかも……」

 

「何を呑気な事言ってるの!私たちも行くわよっ!」

 

ホッ、と安堵にも似た息を漏らしたフレイムに一喝を入れ、古い闇姫もまた後れを取ってなるものかと動き出す。

 

数の差は埋まった。

 

後は各々が死力を尽くして戦い、勝利を掴み取るだけである。

 

 

 

 

 

「はぁ!ぜぁあッ!!」

 

真正面から激突した両陣営。不死人たちを率いて先陣を切ったのは、やはりバンホルトであった。

 

猛然と得物を振り回し、単身で敵陣深くまで斬り込んでゆく。自殺行為にも等しい戦いぶりだが、前後左右を敵に囲まれているからこそ、彼は己の培ってきた武を遺憾なく発揮できている。

 

同時に敵陣に突っ込んだヴァンガルもまた、凄まじい戦闘を繰り広げている。

 

恵まれた巨躯と膂力から放たれる二つの斬撃は、目の前の敵を片端から斬り飛ばす。組み付いて動きを止めようとする者たちもいたが、彼は構う事なく突き進み、やがて敵の集団に体当たりをかまして難なく振りほどいてしまった。

 

「おぉぉおおおおおッ!!」

 

多少の傷など気にも留めない。すでに死したこの身体に、今さら一体何の未練があろうか。

 

果てしなく続く静寂の中でささやかな語らいの時を共有し、彷徨い続けていた己の身体を倒してくれたファーナム(あの不死人)の助力になるのであれば……ヴァンガルは何度でも、かつての猛獣を解き放つのだ。

 

そんな二人の開けた()に、不死人たちが流れ込む。彼らはその勢いのまま、それぞれの得物を振るいながら敵陣深くへと侵入してゆく。

 

「押せ、押せぇぇええええええ!!」

 

「喰い破れえぇぇえええええ!!」

 

破竹の勢いとは正しくこの事。初手で優勢を掴み取った不死人たちは止まる事なく突き進んでゆく。

 

(うわ、滅茶苦茶だ。こうなったらもう……)

 

そんな中、ポツリと胸の内で小さく呟いたフレイムは、手中にあった黒鉄刀を消し去り―――『黒騎士の大剣』を掴み取った。

 

「これで行くしかない、かっ!」

 

集団戦となった今、複数を同時に相手取る戦い方をせざるを得ない。敵の攻撃を避け続けて隙を突いて反撃という手段が難しくなってしまった以上、ひたすらに目の前の敵を斬り潰す方がずっと効率が良い。

 

常人の身に余る特大剣を難なく振り回すフレイムに、生半な盾や防御などは意味を成さない。よしんば凌いだとしても、内包した炎の衝撃によって身体はよろめき、すかさずやって来た別の不死人たちによって闇の騎士たちは次々に打ち倒されていった。

 

「よし、この調子で……!」

 

「斜め下に構えて!」

 

このまま更に進もうとした矢先、フレイムの背後から飛んできた声。それは先ほど短い会話を交わした古い闇姫のものだった。

 

「へっ?」

 

振り返った視線の先にいた彼女は、なんとこちらへ急接近してくるではないか。

 

つい間の抜けた声を漏らしてしまうも、避ける気配など欠片も感じさせないその足取りに、フレイムの身体はその指示に従う事を選んだ。

 

「うわぁ!?」

 

驚くフレイムを置き去りに、古い闇姫は黒騎士の大剣の腹を蹴って跳躍。猫のように軽い身のこなしで彼女の頭上を通過すると、着地と同時に敵兵の背後を取った。

 

「がッ!?」

 

何が起こったのかも分からないまま、背中を袈裟斬りにされた闇の騎士が崩れ落ちる。

 

「なっ、なっ、なあっ……!?」

 

「ふぅ、ありがと。お陰で上手くやれたわ」

 

突然の事に目を白黒させていたフレイム。しかし、自分の武器を踏み台にされたという事実に今更ながら怒りが湧いてきたのか……古い闇姫に向け、この日一番の大声を上げた。

 

「か、勝手に人の武器を踏み台にしないでよ!?」

 

「あぁ、ご、ごめんね?でもちょうど良かったし、つい」

 

「僕は良くない!!」

 

「ごめんなさい!今度はもっと早くに言うから!」

 

「そういう意味じゃなくてっ!!」

 

戦場の真っ只中に響くフレイムの抗議の声。

 

必死に弁明しようとし、火に油を注ぐ古い闇姫。

 

余りにも場違いなその光景に、周囲にいた闇の騎士と不死人たちは『何やってんだ、あいつら?』という共通の感想を抱くのであった……。

 

 

 

 

 

闇の騎士たちと不死人たちとの衝突から一拍遅れて、リヴェリアの詠唱は始まった。

 

「【―――終末の前触れよ、白き雪よ。黄昏を前に(うず)を巻け―――】」

 

一言一言を噛み締めるようなその詠唱速度は酷く遅いものだ。しかし彼女を起点として巻き上がる魔力の流れは、質も量も普段とは比べ物にならない。まるで別次元の魔法を行使しようとしているかの如きその背に、レフィーヤはごくりと生唾を飲み込んだ。

 

(っ、気後れしちゃ駄目!)

 

が、次の瞬間には己の役目を思い出し、弱気になりかけた自分を意識の外へと追いやる。

 

やれるかどうかではない、やるのだ。成し遂げなければ、ここにいる全員の想いを無駄にする事になってしまうから。

 

スゥ、と大きく息を吸い込み、静かに吐く。リヴェリアの教えである『大木の心』を胸に、レフィーヤもまた自分のすべき事だけ見据え、前を向いた。

 

 

 

 

 

「―――っ!」

 

リヴェリアの練り上げる魔力の高まりは、離れた場所にいるグリッグスにも伝わっていた。

 

視界を埋め尽くす闇の騎士たちと不死人たち。そんな中、()()だけ色が付いたかのようにはっきりと分かる。魔術師として『闇の王』に付き従ってきた彼だからこそ、リヴェリアが放とうとしている魔法(魔術)の強大さに気が付く事が出来た。

 

「まさか、これ程とは……」

 

グリッグスは己の中での認識を改める。見縊(みくび)っていた訳ではないが、それでも予想を遥かに上回る敵の存在に、とうとうこちらも本気にならなければと理解したのだ。

 

「師よ……使わせて頂きます」

 

そうして取り出したのは、一本の杖。

 

ヴィンハイムで広く使われているものと材料を同じくしながら、偉大なる魔術師が永きに渡って使用した事により鍛えられた、至高の杖―――『ローガンの杖』だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

魔術の叡智に満たされた書庫。そこに至る事こそがローガンの長年の目的であり、至上の喜びである。

 

しかし、師は白竜の妄執に飲まれてしまったのだと、彼は言った。

 

『だから……君は、殺したのか……』

 

『ああ』

 

祭祀場の片隅にてグリッグスにそう伝えた彼は、静かに頷く。

 

上級騎士の鎧に身を包み、兜によって阻まれた顔は表情を読ませない。恰好同様、以前とはまるで変わってしまった雰囲気は、彼にもまた何かしらの変化があったのだろうと察するには十分だった。

 

『そうか……ありがとう』

 

やがて、沈痛な面持ちのグリッグスの口から出たのは感謝の言葉であった。

 

『何故、感謝など……』

 

『師は……老ローガンは、確かに公爵の書庫へと至った。だがそれで終わりじゃない。その叡智を全て吸収し、更なる魔術の研磨こそが師の目的だったんだ。それが正気を失い、ましてや狂気に飲まれるなど……そんな醜態、あってはならない』

 

『………』

 

『だから、ありがとう。老ローガンを……偉大な魔術師を、狂気から解き放ってくれて……ありがとう』

 

口ではそう言っていても、震える手がグリッグスの感情を雄弁に述べている。

 

悲しみ。後悔。そして己の不甲斐なさ。もっと自分が力を付けていれば共に連れて行ってくれたのではないか。共に公爵の書庫へと至り、手遅れになる前に師を救えたのではないか。

 

それが思い上がりにも似た、厚かましい感情である事は承知している。それでも、考えられずにはいられない。

 

もしもあの時、もしもあの時、もしもあの時……幾つもの()()()がグリッグスの心に去来するも、過ぎ去った時は戻らない。時間を逆行する術など、どこにもありはしないのだから。

 

そんな己の無力さに震える魔術師に、彼は自身のソウルより一本の杖を取り出した。

 

『っ、これは……!?』

 

『ああ、ローガンの使っていた杖だ』

 

それは書庫にひっそりと残されていたもの。永年ともにあった杖から結晶の錫杖へと持ち替えた、ローガンの遺した至高の一本だ。

 

『私が思うに、これはお前が持つに相応しい』

 

『だが、私には……これを使う資格など……』

 

『ならば、私と共に来い』

 

手を伸ばしかけ、しかし思い(とど)まろうとするグリッグスに、彼はきっぱりと言い放つ。

 

『私はこれより、あらゆる世界の神々を殺す。その中でお前は魔術を磨き、極めればいい』

 

『な、何を言って……』

 

『過ぎ去った時は戻らない。ローガンは死んだ、私が殺した……故にお前が、ローガンの遺した魔術を継ぐのだ』

 

兜の奥より注がれる視線。それはどこまでも真っすぐで、ただグリッグスのみを見つめている。

 

変わり果てた雰囲気を纏っていても、その目だけは、以前と何一つ変わってはいなかった。

 

 

 

白竜()の妄執など踏み潰し、己の力に変えてやれ』

 

 

 

『ッ!!』

 

その言葉が、グリッグスを突き動かした。

 

気が付けば、その手にはローガンの杖が握られていて―――彼は『闇の王』の配下となる道を選んでいた。

 

過酷なる旅路の中で己の力を磨き、ローガンを超える魔術師となる為の道を。

 

そして、なにより―――……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かつての誓いを思い起こしたグリッグスは目だけを動かし、横へと視線を向ける。

 

そこには未だ抵抗を続けるロイエス騎士たちの姿があった。深手を負っている彼らは、それでもなお闇の騎士たちを相手に戦っている。

 

身を挺して戦い続け、リヴェリアが詠唱を行う為の時間を稼ぐ。その行動はまさに、英雄譚に謳われる騎士の在り方そのものだ。

 

(それなら、私たちはさしずめ“悪”の手先といったところか)

 

ふっ、と自嘲するように笑みを浮かべたグリッグスは瞳を閉じ―――、

 

(……それでいい)

 

無造作に杖を振るい、ソウルの矢を放った。

 

弾けた青い閃光は一直線に突き進み、全身に傷を負っていた一人のロイエス騎士の膝を撃ち抜いた。

 

『ッ!?』

 

崩れ落ちる巨躯。

 

仲間の身に起きた異変に他のロイエス騎士たちが驚愕するも、続けざまに飛んできた三つのソウルの矢が残る三人の膝を同様に打ち抜いてゆく。元々脚を負傷していたロイエス騎士に至っては、膝から下が千切れ飛んでしまった。

 

ただのソウルの矢でこれ程の威力を出せるのは、一重にグリッグスが積み重ねてきた魔術の研鑽の結果に他ならない。それを当然の事と理解する彼は、突然の援護射撃に驚く闇の騎士たちにきっぱりと言い放つ。

 

「君たちは彼らを始末しろ。私は前へ出る」

 

そうして悠々と―――目の前に広がる戦場に、グリッグスは足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(そうだ。私は君たちにとっての“悪”で良い)

 

 

 

(魔術を極める為。師を超える魔術師となる為に、この道を選んだのだから)

 

 

 

(そして、なにより―――……)

 

 

 

 

 

―――『闇の王()』と共に在り続けると、そう決めたのだから。

 




恐らくは年内最後の投稿となるかと思います。

コロナに振り回されっぱなしな2020年ではありましたが、2021年は良い年となるといいですね!今作も2021年中の完結を目指して頑張りますので、どうぞ宜しくお願い致します!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十二話 狂気と絆

お久しぶりです。

久々の投稿となりましたが、今年中の完結を目指して頑張ります。これからも、よろしくお願いします!


突き進む不死人たち。

 

勢い付く彼らは止まらない。先陣を切ったバンホルトとヴァンガルの後に続き、襲い来る闇の騎士たちを相手に、互角以上の戦いぶりを演じて見せる。

 

このまま行けば……ふとそんな考えが一人の不死人の頭を過ぎった、その時。

 

 

 

青白い閃光が、その不死人の額を撃ち抜いた。

 

 

 

パッ、と宙を舞う少量の血。同時に身体から力が抜け落ち、駆けていた勢いのままに地面へと倒れ伏す。

 

「ッ、気を付けろ!!奥に魔術師が……!!」

 

仲間の死に警告の声を上げるのは別の不死人。しかし彼もまた、人垣の奥から放たれた魔術によって頭部を穿たれる。

 

「なっ、ぁ!?」

 

「うッ!!」

 

「カッ……」

 

次々と放たれる閃光の正体は『ソウルの矢』だ。数ある魔術の中でも最もありふれたそれは、しかし桁外れの威力と正確さを以て、悉く不死人たちを仕留めてゆく。

 

加えて、多くの闇の騎士たちによって魔術の行使者の姿は見えない。奥にいる術者を叩く事も出来ず、攻勢に進んでいた不死人たちは一転、押し返されるようにその勢いを失ってしまう。

 

「これは……!」

 

バッ!と、一人の闇の騎士が後ろを振り返る。

 

その視線の先には―――。

 

「私も前へ出る。魔術の心得のある者は共に来てくれ」

 

―――ローガンの杖を真っ直ぐに構える、グリッグスの姿があった。

 

彼の鋭い眼差しは戦場へ……否、その更に奥にいる魔術師(魔導士)へと向けられていた。

 

 

 

 

 

「【―――閉ざされる光、凍てつく大地―――】」

 

詠唱を紡ぐリヴェリア。その佇まいや雰囲気は、同じ【ロキ・ファミリア】の構成員であっても見た事のないものであった。

 

真っ直ぐに前方のみに定めた視線。動かない表情。そして、その足元から噴き上がる魔力の奔流。静謐(せいひつ)さすら感じさせる詠唱とは裏腹に、オラリオが誇る最強の魔導士には明らかに余裕がなかった。

 

(一瞬でも気を抜けば、持っていかれる……ッ!!)

 

滲んだ汗は即座に浮き上がり、消える。脳内の細胞が焼き切れそうなほどの魔力を伴って詠唱したのは、一体いつ以来だろうか。

 

ふと浮かび上がった疑問も、汗と共にかき消える。今の彼女の中にあるのは詠唱の完成のみであり、それを実現させるには、限界まで集中する事が必要不可欠。故にリヴェリアは杖を握るその指を未熟者のように白くしながら、一言一言に魔力を込める。

 

……が、それをみすみすと許すグリッグス()ではない。

 

「ッッ!!」

 

カッ、と、味方である不死人たちの人垣の隙間を突き抜けた青き閃光。

 

リヴェリアがその閃きを視認したと同時に、彼女の右肩に鋭い衝撃が走った。

 

「―――ッ!?」

 

魔術『ソウルの矢』がリヴェリアの肩を射抜き、貫通する。

 

高い魔力耐性を持つ布に見事に開けられた穴から鮮血を流しながらも、彼女は倒れる事はなかった。崩れかけた体勢を無理やり立て直し、乱れた魔力の流れを再度詠唱する事で立て直しを図る。

 

「フ、ゥッ……【―――終焉の前触れよ、白き雪よ―――】……!!」

 

激痛(痛み)に噴き出した汗を飛ばしながら、目の前を睨むリヴェリア。こちらを正確に捉えているであろうグリッグス()の姿を脳裏に描きながら、彼女はただ黙々と魔力を練り上げ続けた。

 

 

 

 

 

「ぬぅっ!おのれ、猪口才な!!」

 

不死人たちの勢力の最前線では、バンホルトが苛立ちを隠さずに声を荒らげていた。

 

現在、彼らはグリッグス率いる魔術使いたちの攻撃の脅威に晒されていた。後から合流したグリッグスは魔術を使える者を集めて最前列に並べ、その隣に強固な盾持ちを並べてじわじわと進攻している。

 

不死人たちの中で強力な遠距離攻撃の手段を持つ者は率先してグリッグスの標的となった。彼らは等しく頭部を穿たれて絶命、残されたバンホルトたちの中には相手を一撃で仕留めうる、遠距離からの攻撃手段を持つ者は皆無であった。

 

「ぬうぅうっ!!これが貴様らのやり方かぁっ、恥を知れぇいっっ!!」

 

「無駄に吠えるな、バンホルト。狙われるぞ」

 

ヴァンガルは身を屈めたままの体勢で、額の前で交差させた双剣越しに敵を観察しながら、隣で怒鳴るバンホルトの事を諫める。

 

絶えず降り注ぐ魔術の雨に、彼らは防戦一方となっていた。最前列の者たちは盾を対魔術用のものに切り替え、それがない者はとにかく頑丈な盾を取り出し、盾すらない者は己の武器を前方に構えて防御の体勢を取る。つい数分前までとは正反対にひっくり返された戦いの構図が、そこにはあった。

 

(とは言っても、このままでは埒が明かない)

 

ヴァンガルは殺到する魔術の嵐を凌ぎつつ、この局面を突破する糸口を探していた。しかし攻撃の手は激しく、下手に動けばこちらが全滅されかねない。

 

何か手は無いのか……じりじりと後退させられる不死人たちの集団の先頭に立つヴァンガルは、ここで足元に一人の闇の騎士が倒れている事に気が付いた。

 

「ぐ、ぅぅ……!」

 

その騎士は呻き声を漏らしており、まだ完全に死んではいない様子だ。しかし深手を負っているのか、すぐ目の前にいる不死人たちに斬りかかる事も出来ずにいた。

 

「……!」

 

それを見たヴァンガルの脳裏に奇策が浮かぶ。

 

否、それは策とも呼べぬ代物だ。上手く行けばこの局面を打破できるが、それは余りに危険な賭けとなるだろう。

 

が―――それでもやらなければ状況は変わらない。

 

(……もとより、一度死した身だ)

 

それならば、何を躊躇う事があろうか。

 

ヴァンガルは目の前で交差させていた双剣を解き……それを足元に横たわる闇の騎士の身体に、深く突き刺した。

 

「ガッ!?」

 

「なっ……貴公、何を!?」

 

突然のこの行動にバンホルトが目を剥く中、ヴァンガルは双剣を持ち上げる。必然、闇の騎士の身体は彼の前方に掲げられ、それはあたかも大盾のようであった。

 

「私が奴らの気を惹き付ける。後の事は任せた、バンホルト」

 

「ッ、待て!早まるでない!」

 

言うや否や、ヴァンガルは地を蹴り飛び出してゆく。意図を理解したバンホルトの制止の声を置き去りにし、鎧を纏った獣は猛然と魔術師たちの群れを目指した。

 

「オオオォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!!」

 

迸る雄叫びは、正しく獣のそれだ。

 

魔術避けの為に掲げられた哀れな同胞の姿を目の当たりにした敵兵たちの間に動揺が走る。その身体が消えていないという事は、まだ生きているという事。闇の騎士たちにも存在する仲間意識を逆手に取ったヴァンガルのこの行動に、彼らは僅かに攻撃の手を緩める事となった。

 

「何をしているッ!!」

 

それを打ち破ったのはグリッグスの一喝。同時に放たれた魔術が闇の騎士の頭部を撃ち抜き、痛みに悶えていた身体から力が抜け落ちる。

 

「狼狽えるな!この程度の事で、我らの使命を忘れるなっ!!」

 

「は、はいっ!!」

 

その声に突き動かされ、再び魔術の嵐が吹き荒れる。標的をヴァンガルただ一人に定めての攻撃はすさまじく、激しい衝撃が彼の身体を突き抜けてゆく。

 

「ぐぅ、ぅおおおおおおおおおッッ!!」

 

しかし、死した直後の闇の騎士の身体はまだ完全に消えてはいない。それを頼みの綱としたヴァンガルは手足を裂く魔術など気にもかけずに、一気に敵陣へと到達した。

 

「ッ!!」

 

無謀としか言いようのない賭けに勝ったこの不死人に、グリッグスが信じられないという表情で目を剥く。が、即座に気を入れ替え直し、今度こそその息の根を止めんと杖を構えた。

 

が、それを遮ったのは、他でもない闇の騎士たちだ。

 

「っ、何を……!?」

 

「グリッグス殿、こちらへ!!」

 

「奴は我々が!!」

 

ただ一人で戦況を覆すほどの魔術を操るグリッグスを万が一にでも失わない為に、闇の騎士たちは彼の身の安全を最優先にして動いたのだ。

 

「……すまない、ここは任せる!」

 

「ハッ!!」

 

彼らはグリッグスを取り囲み素早くヴァンガルの前から逃し、入れ替わるようにして他の者たちがそれぞれの武器を振り上げる。

 

それに対し、ヴァンガルはその桁外れの膂力に任せ、両手の剣を存分に振り回す。

 

「逃さんッッ!!!」

 

「ぎゃっ!!」

 

「ぐあぁッ!?」

 

赤錆の浮いた直剣と曲剣にさほどの切れ味はない。それでも、その重さで振り下ろせば容易に肉は絶たれ、骨は砕かれる。暴力の化身と化したヴァンガルは大将首……つまりはグリッグスをこの手で討ち取らんと、殺到する闇の騎士たちを片端から斬り伏せてゆく。

 

が、それにも限度というものがある。

 

四方から放たれる魔術、そして剣や槍といった武器。直前に放たれたグリッグスの声に従い同士討ちをも辞さない彼らの攻撃は、確実に彼の体力を削ぎ落していった。

 

「ぐっ、ぬぅ……!!」

 

一人の敵を斬り飛ばしたところで、二人の敵に背後から斬り付けられる。

 

振り返り、まとめて首を刎ねたところを、今度は四人の魔術師から魔術を喰らう。

 

一瞬ごとに傷を増やしていくヴァンガルは血を吐きながら、それでも止まらない。この命は全て()の為に費やすと、この地に赴く時にそう決めたのだから。

 

「ぅぅ……ォォオオオオオオオオオオオオオッッ!!!」

 

斬る。斬る。斬る。

 

獣の咆哮を宿した斬撃を、命の続く限り放ち続ける。視界が赤くなり、黒く霞んでも。鼓膜を震わせる戦場の音が、脳内に響かなくなっても、なお。

 

そうして走り続けた彼の膝が、とうとう地に付いた。

 

辛うじて見えるのは鋭い槍の穂先。それを握る者の姿も、すでによく見えない。

 

(ここまでか……)

 

己の死を悟ったヴァンガル。その脳裏に、これまでの人生が走馬灯のように蘇る。

 

フォローザ……物心ついた時から隣国との戦争を繰り返していた国に生まれ、自身もまた戦しか知らなかった。そんな男が首だけとなり、そして()と出会い、今こうして()の力となって戦ったのだ。

 

そして、今になって思えば、このような死に場所を望んでいたのかも知れない。

 

自軍からも恐れられた愚かな力ではあったが、それが少しでも役に立ったというのであれば……。

 

「ああ……悪くない」

 

そう呟き、兜の奥で密かに口角を吊り上げる。

 

グリッグスを討ち取れなかったという心残りはある。それでも、ある種の満足感にも似た感情を覚えたヴァンガルは、静かに瞳を閉じ―――。

 

 

 

「うおおぉぉぉおおおおおおおおおおおっ!!!」

 

 

 

―――突如、彼の背後から凄まじい怒号が響き渡った。

 

「ぬぅぅんっ!!」

 

「がぁッ!?」

 

その声の主はヴァンガルを飛び越え、いざ穂先を突き出さんとしていた闇の騎士を、その蒼き大剣で両断した。

 

血飛沫を上げて倒れる敵兵の前に立つその男……バンホルトはすぐさま振り返り、力の抜けかけたヴァンガルの口元に自身のエスト瓶を突っ込む。

 

「さあ、早く飲め!!」

 

「む……っ」

 

途端に癒えてゆく傷口。エスト瓶の中身が少なく、そして深手ゆえに完治には程遠くとも、一先ず止血程度にはなる。

 

「誰でも良い!回復の奇跡を使える者は居らぬか!?」

 

バンホルトは身近な不死人にヴァンガルの傷を回復するよう指示を出す。すぐさま駆け付けて来た不死人たちは奇跡を行使し、その間彼は襲い来る闇の騎士たちとの戦闘の矢面に立った。

 

「死に急ぐでない、ヴァンガル殿!!」

 

敵と斬り結びつつ、自らも血に塗れた髭の偉丈夫は叫ぶ。

 

此度(こたび)の戦、まだまだ貴公の力が必要なのだ!我らがここで倒れる事などあってはならぬと心得られよ!!」

 

「ッ!!」

 

その言葉に、ハッと息を飲むヴァンガル。

 

そして粗方の傷が癒えた勇士は、両手の双剣を握り締め―――。

 

「……ああ」

 

―――再び、戦場に立つのであった。

 

 

 

 

 

ヴァンガルの特攻により、再び敵味方が入り乱れる戦場。

 

しかし、その戦場をひたすらに突き進む集団があった。

 

「ぐあぁっ!?」

 

「うッ!?」

 

連続する不死人たちの悲鳴と、風を切って放たれる魔術の発射音。それは着実に、リヴェリアのいる場所へと近付いてゆく。

 

「グリッグス殿を守れ!死守しろッ!」

 

グリッグスを中心に据えて移動する闇の騎士たち。彼らは得物を盾へと持ち替え、守りに徹している。単騎での機動性には大きく劣るが、その統率の取れた動きはさながら、堅牢な移動要塞のようである。

 

事実、近付こうとする不死人たちは悉くグリッグスの魔術の餌食となった。盾の隙間から放たれる魔術は直前まで動きが読めず、攻めあぐねた者から(まと)とされてしまう。

 

(このまま、彼女のもとへと向かう……!)

 

身を守られながら移動するグリッグスと、未だ詠唱を続けるリヴェリアとの距離は着実に詰まってゆく。

 

『闇の王』が臣下、最強の魔術師が彼女を射程圏内に収めるまで、もう僅かもなかった。

 

 

 

 

 

「ッ……【閉ざされる、光―――】!」

 

リヴェリアのまた、グリッグスの接近に勘付いていた。

 

しかし右肩を始めとする全身の傷が痛みを発し、上手く詠唱する事が出来ない。それもそのはずで、一度解れた魔力を練り直すだけでも至難の業なのだ。

 

(……心を乱すな、リヴェリア!!)

 

そう自らを奮い立たせるも、時間は残酷なまでに待ってはくれない。十全の魔力で魔法を放たなければならないと言うのに、その為の猶予すら碌に与えられないのだ。

 

それでもただ、ひたすらに魔力を練り上げ続けて、練り上げて、練り上げて……彼女の瞳に映ったもの。

 

それは闇の騎士たちに守られてこちらへ攻めてきた、グリッグスの姿であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

戦況が傾いた。

 

それを肌で感じ取ったロイエス騎士たちは、しかし動けない。

 

絶えず襲い掛かる闇の騎士たち。それは死にかけの蟷螂(カマキリ)に群がる真っ黒な蟻のようで、もはや防御に徹する事さえも難しい。

 

このまま死を迎えるのか……そんな受け入れ難い残酷な事実に彼らの心が折れかけた、その時。

 

ロイエス騎士たちは見た。

 

彼らの脚を穿った魔術士の歩みを。その先にいる、リヴェリアの姿を。

 

『―――――ッ!!』

 

瞬間、彼らの胸の内に湧き上がる激しい感情の奔流。このままでは彼女が……古き混沌に囚われていた我らが王を解き放ってくれた、()()()の仲間が死んでしまうという確信。

 

それに突き動かされたロイエス騎士たちは、渾身の力で闇の騎士たちを払いのける。

 

瀕死の状態からの爆発的な抵抗に、たたらを踏んだ彼らが顔を上げた次の瞬間には―――ロイエス騎士たちはその勢いのまま、リヴェリアの元へと疾駆していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

遂に、その時は来た。

 

「ッ!!」

 

焦燥感に彩られるリヴェリアの瞳が映すのは、グリッグスの姿。自身の周りを取り囲んでいた闇の騎士たちを四散させ、両者の間には誰一人として存在しない。

 

その距離、僅か10M。互いの世界の魔法(魔術)においても、一瞬で決着がつく間合いだ。

 

「よく粘った方だが、これで終わりだ」

 

(くっ―――!?)

 

冷酷に言い放つグリッグスが掲げる杖に青白いソウルが渦巻いてゆく。

 

放たんとする魔術は『ソウルの槍』。大魔術師ローガンが独自に編み出したこの魔術は、グウィンの雷に例えられる程の威力を誇る。そんなものを真正面から受けて無事でいられる者などいない。

 

魔法の詠唱に全てを注いでいるリヴェリアが生き残る為には、全てを投げ捨ててこれを躱すしかない。しかしそんな事をすれば練り上げた魔力は全て霧散し、これまでの努力が水泡に帰してしまう。仮にそうしたとして、即座の第二撃が襲い掛かるのは自明だ。

 

どう転んでも完全な()()

 

もはやこれまでと悟るリヴェリアは、しかし詠唱を中断しない。最後の瞬間まで足掻き続ける、冒険者としての生き様を捨て去りはしなかった。

 

「【―――凍てつく、大地】……ッ!」

 

己を貫くであろう魔術の高まりを真正面から睨みつける。その揺るがぬ意志に、グリッグスは僅かに目を伏せる。

 

「……悪く思わないでくれ。これも“王”の目指す理想の為だ」

 

そして、十分に高められた魔力を紡ぎ『ソウルの槍』を発動させようとした―――その時。

 

 

 

バッ!!と。

 

両者の間に割り込む、四つの人影が現れた。

 

 

 

「ッ!?」

 

その驚愕はリヴェリアか、それともグリッグスのものか。

 

現れた四人……敵味方が入り乱れる戦場を風のように駆け抜けてきたロイエス騎士たちは、満身創痍の身体でグリッグスの眼前へと立ちはだかる。

 

「くっ!」

 

突如の襲来にグリッグスは標的を彼らへと変更した。まだ詠唱に時間がかかるリヴェリアをひとまず捨て置き、『ソウルの槍』をロイエス騎士たちへ向けて撃ち放つ。

 

『ッッ!!』

 

貫通性の高いその魔術は、二人のロイエス騎士に当たった。しかし直前で対象を変えたためか、致命傷とはならなかった。一人目は脇腹を少なからず抉られたが、二人目は自身の武器を構える事で上手く衝撃を和らげる事に成功する。

 

かくして、リヴェリアの元へと集ったロイエス騎士たちは、彼女の身を守るような形でグリッグスと向き合う事となった。

 

(お前たち……!)

 

詠唱に専念しなければならないリヴェリアは言葉を発する事が出来ない。しかしロイエス騎士たちはそんな事は承知と言わんばかりに、無言の背中で雄弁に返答する。

 

 

 

 

 

―――我らは、もはや満足に動けぬ。

 

―――ならばせめて、貴公らの盾となろう。

 

―――我らに残された力の全てを、貴公らに捧げる。

 

―――だから、どうか……どうか。

 

 

 

 

 

勝利を掴め。

 

 

 

 

 

ロイエス騎士たちはそれぞれの得物を逆手に構え、地面に突き立てる。

 

直後、彼らの足元から凍てついた氷の大地の風が吹き荒ぶ。同時にロイエス騎士たちの身体が白銀に輝き―――次の瞬間には、巨大な氷壁がグリッグスの眼前に顕現した。

 

「これは……!?」

 

それは奥を見通せるほどに透き通っており、しかし城壁のような堅牢さを兼ね備えていた。

 

ロイエス騎士たちの精神をそのまま反映させたかのような氷壁は、かつてファーナムが彼らと共に古き混沌へと赴いた際に、灼けたロイエス騎士たちが現れる扉を塞いだものと同一のものだ。

 

それを盾として使う。魔法の詠唱を完成させる為だけにその身を捧げたロイエス騎士たちの行いは、正しく物語に謳われる騎士の最期のようであった。

 

(………っ!!)

 

堅牢な氷壁となって散った彼らの想いを受け取ったリヴェリアは、込み上げてくるものを抑えて眦を裂く。

 

今は悲しむ時でもなければ、感謝の言葉を述べる時でもない。それらは全てこの戦いに勝利した後にこそ言うべきなのだから。

 

だから。

 

彼女は心の中でのみ、誓う―――絶対に負けはしないと。

 

「【吹雪け、三度(みたび)の厳冬―――】!」

 

一方のグリッグスも引きはしない。我が身を犠牲に顕現させた氷壁を打ち破るべく、より高威力の『ソウルの結晶槍』を絶え間なく放ち続けている。

 

が、氷壁は彼の想像よりも更に堅牢であり、中々に破る事が出来ない。そしている内にもリヴェリアの詠唱は続き、いよいよ魔力の高まりが最大限にまで引き上げられようとしていた。

 

(不味いな、これは―――!)

 

ここへ来て初めて、グリッグスの額に焦燥の汗が滲む。

 

間もなく放たれるであろう魔法(魔術)は、間違いなくリヴェリアの全力を注いだ一撃だ。もう一刻の猶予もないこの状況下において、氷壁の破壊に固執するのは下策としか言えない。

 

(……ならばっ!)

 

『ソウルの結晶槍』を放つのを止めたグリッグスの動きが止まる。彼は精神を統一させるかの如く瞳を閉じ、より一層の魔力を込めた一撃を繰り出さんと意識を集中させる。

 

即ち、『白竜の息』。

 

それは狂気に飲まれたローガンが最後に生み出した、恐るべき白竜シースのブレスの再現。忌まわしくも誇らしいこの魔術で、氷壁ごとリヴェリアを打ち砕くというつもりだ。

 

(師よ。どうか、見ていて下さい……!!)

 

ローガンをも超える魔術師となれ。『闇の王』のその言葉を胸に、グリッグスは己の中で過去最大の威力を発揮できるという確信を得た。

 

そうして、その瞬間が訪れる。

 

「【―――我が名はアールヴ】!!」

 

詠唱が完成し、遂に魔法が発動する。

 

役目を終えたとばかりに砕け散った氷壁が降り注ぐ中、ハイエルフの王女は高らかに魔法名を口にした。

 

「【ウィン・フィンブルヴェトル】!!」

 

途端、解き放たれる白銀の世界。

 

ありとあらゆるものを凍らせる純白の細氷が吹き荒れ、グリッグスを目掛けて一直線に猛進する。それを真正面から睨みつけた彼は、臆する事なく己の魔術を解放した。

 

全てを結晶の内に閉じ込める『白竜の息』。そんな狂気を孕んだ魔術は全てを飲み込む貪欲な蛇のように、地を這いながら極寒の嵐に向かって突き進んでゆく。

 

そして、激突。

 

信じられないような衝撃が二人の身体を駆け抜け、氷塊が、結晶が、互いを食い破らんと牙を突き立てる。

 

「くっ、う、ぁぁああああああああああああ!!」

 

「ぉお、おおぉぉぉおおおおおおおおおおお!!」

 

リヴェリアとグリッグスは魔力をつぎ込み、一歩も引かぬ気迫を見せる。その衣服が結晶に蝕まれようと、肌が白く凍てつこうと、先に膝を突く事などあってはならないとばかりに咆哮する。

 

そんな拮抗の結末……僅かに結晶が競り勝った。

 

ガシャンッ!!と瓦解するリヴェリアの魔法。『白竜の息』の余波が彼女のもとへと這い寄り、その足首に噛み付いた。

 

「ぐッ―――!?」

 

膝を突くリヴェリア。咄嗟に杖を突きどうにか倒れる事は回避するも、すでに魔力は底を突きかけている。

 

無残に破壊された魔法と氷の残滓に視界を奪われつつも、グリッグスは彼女の現状を看破していた。すでに死に体も同然となった相手に勝利を確信した彼は、その顔に笑みを浮かばせようとして―――気が付いた。

 

(何故まだ、()()()()魔力を感じる?)

 

グリッグスの肌を刺す魔力の気配。それはリヴェリアが魔法を発動させる前と比較すると、ちょうど()()……否。もしかすると、それよりも僅かに多いくらいだろうか。

 

そこまで理解したグリッグスは、驚愕の視線をリヴェリアへと送った。正確には……彼女の後ろに立つ、もう一人の人物に向けてだ。

 

「【吹雪け、三度の厳冬―――我が名はアールヴ】!!」

 

その詠唱が耳に届いた瞬間、爆発的な魔力の渦が、周囲に漂う魔法と氷の残滓を吹き飛ばした。

 

グリッグスの瞳が映すのは、山吹色の長髪を風になびかせるエルフの少女、レフィーヤ・ウィリディス。彼女が纏う魔力の奔流は、ともすれば先ほどのリヴェリア以上のものかも知れない。

 

その事実に目を剥くグリッグスに、リヴェリアはふっ、と笑みを零した……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

話は両軍の衝突直前にまで遡る。

 

『レフィーヤ、お前は私の後に魔法を発動させろ』

 

『え?何で……』

 

レフィーヤの疑問も尤もだった。これまでリヴェリアが力を温存させていたのは、彼女がグリッグスを討つ為なのだから。

 

だからこそ今まで攻撃魔法の全てを受け持っていたレフィーヤは、当然の疑問をぶつける。しかし返ってきたのは、彼女が予想もしない答えであった。

 

『奴は私たちが思っていた以上に強い。私一人の力では仕留めきれないどころか、下手をすればこちらが力負けしてしまう可能性もある』

 

『そ、そんな……!?』

 

『だからこそ、レフィーヤ……お前の力が必要だ』

 

リヴェリアの策はこうだった。

 

レフィーヤを自身の背に隠して同時に詠唱を開始。そしていつもより入念に詠唱する事で、レフィーヤの魔法【エルフ・リング】を相手に気取らせる事無く発動させる。()()()の魔法に疎いグリッグスが相手であれば、二人分の魔力が全てリヴェリア自身のものであると錯覚させられると踏んだのだ。

 

無論、懸念はある。これまで魔法を行使させてきたレフィーヤの負担が大きすぎるのだ。

 

【エルフ・リング】は詠唱、及び効果を完全把握した同胞(エルフ)の魔法のみ再現する事が出来るが、それには魔法二つ分の精神力(マインド)が必要とされる。リヴェリアのスキル【妖精王印(アールヴ・レギナ)】のおかげで魔力の消費は軽減されているが、それを差し引いたとして、体力的にも酷な話なのだが……。

 

『……分かりました。私、やります』

 

彼女は力強く頷いた。

 

そこには、これまでの弱気な少女の姿はない。自身が勝利の要だという重圧にも屈する事の無い、一人前の冒険者としての姿があった。

 

『私、絶対にやり遂げて見せます!!』

 

『……ああ。頼んだぞ、レフィーヤ』

 

もはや『大木の心』を説く必要もない。この戦場で、果たして一体何回、弟子の成長を痛感しただろうか。

 

こうしてリヴェリアは、何の憂いもなく詠唱に専念する事が出来た。

 

その時の彼女にとって、レフィーヤは弟子ではなく―――運命を共にする、心強い仲間であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時間が停滞する。

 

リヴェリアの、グリッグスの、そして、レフィーヤの時間が。

 

(私が決着を付ける)

 

その誓いに、余分な感情な皆無であった。

 

“己の成すべき事を成す”……この大戦の直前に言い放ったファーナムの言葉が、ただ静かにレフィーヤの背を、そっと押していた。

 

そして少女は、告げる―――。

 

 

 

 

 

「【ウィン―――フィンブルヴェトル】ッ!!!」

 

 

 

 

 

―――この戦いの幕引きとなる魔法名を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

視界を埋め尽くす白銀の世界。

 

それはまるで、一切の雑念を祓う救いのようで。

 

グリッグスは、握り締めていた杖から、そっと力を抜いた。

 

(師をも超える魔術師となる……その感情すらも、ある種の狂気だったのかも知れないな)

 

霞みゆく視界にある師弟の姿。その確かに感じられる絆に羨ましさを感じつつ、“王”の魔術師は―――。

 

 

 

(“王”よ、そして……ジークリンデ)

 

 

 

 

 

―――私は、一足先に……。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十三話 大罪を背負った娘

『大樹のうつろ』より下った場所に存在する『灰の湖』。

 

その名の通り、灰で出来た砂浜の上に、一つの死体が転がっている。

 

物言わぬ骸と化した、亡者の……かつて父であったものの傍らに、ジークリンデは立ち尽くしていた。その背後には道中で出会った、騎士甲冑姿の不死人の姿がある。

 

彼がこの場所へとやって来た時には、すでに全てが終わっていた。素顔の見えない兜の奥で、ジークリンデは静かに涙を流していたのだ。

 

『ああ、お父様……お父様……』

 

自らの手で父を殺めた少女の背を、不死人はしばらく黙ったまま見つめていた。

 

やがて踵を返し、その場を立ち去ろうと歩き出した不死人であったが、ふと手元にある()()へと目を落とす。

 

それは『楔石の原盤』。武器、武装を最上のものへと強化する為には必須の材料であり、同時にそう易々と手に入れられるものでもない。

 

それほど貴重な代物を、ジークリンデは彼に手渡したのだ。もう自分たちには不要なものだと、そう言って。

 

『………』

 

不死人は歩みを止め、振り返る。

 

そして、父の亡骸の前で涙を流し続けるジークリンデへと向けて、口を開いた。

 

『……お前の手で逝けて、ジークマイヤーは幸せだったと思う』

 

『―――ッッ!!』

 

瞬間、ジークリンデはバッ!と振り返り、激情を宿した視線を不死人へと向けた。

 

『何を言って―――!?』

 

『私のような名も無き者の手によって殺されるよりも、遥かに』

 

『………っ』

 

淡々とした、しかし真にそう思っている事が分かる口調で話す不死人。その言葉にジークリンデは押し黙る。

 

『私にはもはや不要だが、死とはある種の救いでもある。お前は辛いだろうが、自分の娘の手からそれを受け取ったのだ。きっと……彼は感謝しているだろう』

 

『……そう、ですか』

 

不死人が言わんとしている事を理解しつつも、ジークリンデは俯きながら小さな声でそう呟いた。

 

覚悟はしていた。父が亡者となった場合、自分の手で終わらせるのだと。しかしそれは想像以上に辛く、堪えるものだった。

 

自分を殺そうとしてくる父の似姿。その身体を切り裂く自身の剣の感触。今まで倒してきた亡者や異形のそれと違い、生涯忘れる事など出来ない記憶をジークリンデの脳裏に刻み込んだ。

 

そんな“親殺し”という大罪に押し潰されそうになっていた彼女を、不死人の言葉が救ったのだ。

 

『故郷に帰ると言っていたな』

 

『……はい』

 

『そこで、彼の後を追うつもりか』

 

『………』

 

無言の返答を得た不死人は、数秒の間を置いて再び口を開いた。

 

『行くあてがないのなら、()()()と共に来ると良い』

 

『え……?』

 

『きっと、何かが変わるはずだ』

 

詳細は語らず、そう言って不死人は今度こそ踵を返した。

 

一人残されたジークリンデ。彼女は不死人の後ろ姿が見えなくなるまで、立ち尽くしたままその背を見送った。

 

後に残ったのはジークマイヤーの亡骸と、不死人の残した言葉だけ。彼女は灰の砂浜に座り込み、ぼんやりとした頭で彼の言葉を脳内で反芻させ続けた。

 

やがて彼女は立ち上がり、灰の砂浜に穴を掘り始める。時間という概念があまり意味を成さない不死人だが、その時間はジークリンデにとって妙に長く感じられた。

 

掘り終えた穴……簡易な墓穴(はかあな)に父の亡骸を横たえ、再び灰の砂を被せ直す。

 

徐々に隠れてゆくカタリナの甲冑には、古い傷と真新しい傷とが混在していた。後者は父がこの地に来てから出来たものに違いなく、それだけ多くの旅路を歩んできた証でもある。

 

そしてその場には―――恐らくは、あの不死人も居たのだろう。

 

完全に姿が見えなくなった頃には、すでに先ほどまでと同じ光景が広がっていた。僅かに盛り上がった灰の砂さえなければ、そこに遺体が埋まっているなど誰も分かりはしないだろう。

 

故に、ジークリンデは墓標を立てた。

 

父が振るっていた大剣ツヴァイヘンダーを灰の砂浜に突き刺し、ピアスシールドはそのすぐ下に。誇り高きカタリナの戦士にとって、これ以上の墓標は無い。

 

『……行ってきます、お父様』

 

埋葬を終えたジークリンデは、父の墓標に最後の挨拶をする。

 

彼が、あの不死人が為そうとしている事はまだ分からないが、きっとこの場所にはもう戻って来ないだろうと、そう思ったから。

 

別れの挨拶を終えた彼女は、まだ少しぼんやりとした足取りで地上へと歩き出す。

 

しかし、少なくとも……父の後を追おうとしていた娘の姿は、もうそこにはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現れる不死人たちを悉く斬り伏せ、ジークリンデは剣戟の鳴り止まぬ戦場を駆けていた。

 

戦況は拮抗している様子だが、それももうすぐ覆る。“王”が見抜いた強者と思しき者たちはすでに自分たちが対処に回り、それももう終えている頃だろうから。

 

(グリッグスさんたちの方は、もう終わった頃でしょうか?)

 

周囲に散開する同胞たちを見回しつつ、そんな事を考えていたジークリンデであったが……その視界の端で、突如として巨大な爆発が起こった。

 

「っ!?」

 

大気を振るわせたそれは、正確には爆発ではなかった。その正体は、二つの巨大な質量がぶつかり合った事による巨大な拮抗の音色であった。

 

一体何が……!?と警戒する彼女の鼓膜に突き刺さったのは、数秒後に発生した轟音。

 

今度ははっきりと視認できる程に巨大な()()が現れ、その大きさは戦闘の最中にあった者たちさえも呆けてしまう程のものだった。

 

時が止まった戦場に冷気が降りる。ジークリンデもまた同様に、その氷塊に目を奪われていた。

 

そんな彼女の足元に、ふっ……と、空から何かが振ってきた。

 

「?」

 

それは帽子だった。

 

通常のものとは異なる、黒く染められた、魔術師の帽子だった。

 

「………ぁ」

 

兜の奥でジークリンデの目が見開かれる。

 

結晶ではなく氷塊。爆発の起こった場所。そして、その直前の出来事。

 

想定し得る限り、最も可能性の高い事態が彼女の脳裏に流れ込む。

 

「………」

 

時間が止まったようだった。

 

だって、この胸騒ぎが本物だったのならば、それは……と、そこで。

 

「―――ッ!!」

 

ガイィンッッ!!と、反射的に構えた盾に衝撃が走った。

 

すでに彼方へと飛んでいったのは壊れかけた大剣。それを投げつけた人物は、盛大に舌打ちを打ってこちらへと急接近していた。

 

「チィッ!防ぎやがった!!」

 

「何やってんさーっ、ティオネー!?」

 

「うるせぇ!!黙ってろ馬鹿ティオナ!!」

 

場違いな口喧嘩をしながらやって来たアマゾネスの姉妹、ティオネ・ヒリュテとティオナ・ヒリュテ。彼女たちは赤い吐息を置き去りにしながら、ジークリンデの元へと矢のように接近する。

 

二人を視界に収めたジークリンデは無言で構えを解き、その姿を見据え―――、

 

 

 

ダンッッ!!と、地を蹴った。

 

 

 

「「 ッッ!! 」」

 

並んだ二人をまとめて両断する勢いで放たれた大薙ぎの一撃をティオナは跳躍で、ティオネは身体を反らせる事により回避する。

 

ザザッ!と地面を削り急停止した二人は素早く振り返り、大剣を振り抜いたままの格好で佇むジークリンデを睨みつける。

 

「……安心して下さい」

 

不意に呟くジークリンデ。

 

それは二人に向けられたものではなく、ここにはいない……否、もうすでにこの戦場にはいない()()へと向けられたものだ。

 

戦闘が始まってから感じた、一際大きな三つの戦いの余波。一つ目は離れていても分かる凄まじい轟音、二つ目は目を焼くほどの火柱。そして三つ目は、今しがた目撃した巨大な氷塊―――その数は、共に走り出した()()の数と同じなのだ。

 

全てを悟ったジークリンデは振り返り、大剣の切っ先をティオネとティオナへと向ける。

 

「……皆さんの分まで、私が倒しますから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『何を考えているんだい?』

 

そう言いながら、グリッグスはジークリンデの隣に座り込んだ。

 

場所は無数に散らばる世界の内の一つで、“王”がその世界の神を殺した直後の事だった。戦いの余韻が冷めやらぬのか、まだ数十人ばかりだった同胞、闇の騎士たちが勝利の雄叫びを上げている。

 

“王”は次の世界を探しに行っており、その間の僅かな休息を取っていた時、ジークリンデはグリッグスに話しかけられたのだ。身体の所々を戦いで汚した彼は、それ以上に鎧に傷を付けた彼女の事を心配している様子だった。

 

『何を、とは……?』

 

『共に行動してからそれなりに経つが、どうにも君は、自身の事をないがしろにしているように感じてね』

 

『ないがしろに……ですか』

 

グリッグスがそう感じた理由は、ジークリンデの戦い方にあった。

 

死をも恐れぬと言えば聞こえは良いが、その実、彼女は自分がどうなろうと構わなかったのだ。父を殺したという罪の意識は確実に彼女を(さいな)み、それが無茶な戦い方をする原因になっていた。

 

『……そうですね。でも、それで良いんです。私にはもう戦い続ける事くらいしか、生きていく意味がないので……』

 

『………』

 

自嘲するようなジークリンデの言葉を、グリッグスは静かに聞いていた。

 

そして彼は視線を前へと向け、ぽつりと話し始めた。

 

『私には師がいた』

 

『?』

 

『いや。正確には、私が勝手に師と崇めていただけなのだろうが……』

 

それは彼自身の話だった。

 

大魔術師ローガンとの出会いと、ロードランでの出来事。そしてその最期。全てを語ったグリッグスはローガンの遺した杖を取り出し、それを掌でなぞりながら、再びジークリンデに語りかける。

 

『私は、師の介錯を“王”にさせてしまった。私にもっと力があればと考えるのは傲慢以外の何ものでもないが、それでもと考えてしまう事はある』

 

『……“王”から聞いたのですね、私の事を』

 

『……ああ』

 

グリッグスが話しかけてきた理由、そして言わんとしている事を察したジークリンデは、しかし未だ虚ろ気だった。

 

大切な人を殺してしまった者の気持ちは当人にしか理解出来ない。いくら慰めの言葉を投げ掛けられようとも、決して罪の意識が取り払われる事はない。

 

だが……グリッグスが次に語ったのは、そんなありきたりな言葉などではなかった。

 

『私たちはすでに“王”の為に戦うと決めた者たちだ。君もここまで来たのなら、いい加減覚悟を決めろ』

 

『……え?』

 

予想だにしなかったその言葉に、ジークリンデの視線がグリッグスにぶつかる。

 

兜の奥にある眼差しを正面から受け止めたグリッグスは、真摯に己の言葉を紡ぐ。

 

『共に戦う覚悟がないのなら今すぐ去れ。だが共に戦うのと言うのなら、私たちは仲間だ。君が抱く罪の意識もいつか乗り越えられる日が来るまで私が、私たちが共に居よう』

 

『……っ!』

 

仲間。故郷を離れて久しく聞いていなかった言葉は、ジークリンデの心を強く揺さぶった。

 

これほど行動を共にして今まで気が付かなかったその存在を意識した彼女の目に、確かな気力の色が宿る。

 

『………はい』

 

口元に微笑を浮かべたジークリンデは立ち上がり、兜を取る。

 

素顔を晒した彼女の笑みを見たグリッグスもまた、安堵したように微笑んだ。

 

『ありがとうございます……グリッグスさん』

 

『良いんだ、仲間なら当然だろう』

 

その時、遠くの方から声が聞こえて来た。

 

ラレンティウスが呼ぶ声に応え、二人は並んで歩き出す。ソラールと青き戦士、同胞たち。そして次の世界を定めた“王”の待つ場所へ。

 

―――仲間たちの待つ場所へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゴキィィンッッ!!と響き渡る重厚な金属音。

 

「こんのぉーーーっ!!」

 

「……ッ!」

 

バスタードソードと大双牙(ウルガ)がぶつかり合い、激しい火花が散る。両手持ちで振るったティオナに対してジークリンデは右手一本だが、どうやら両者の力は拮抗しているようだ。

 

そう、拮抗しているのだ。

 

(力が増している?)

 

ジークリンデはその手応えに違和感を覚えた。先程の戦いではティオナは受ける事は出来ても、ここまで持ち堪える事はなかったからだ。

 

何か絡繰りがあると踏んだジークリンデはそれを突き止めようとするが、ティオネの追撃がその思考を中断させた。

 

「ッらあァ!!」

 

ティオナの背後、ジークリンデからは死角となる場所から飛び出したティオネの右拳が突き上がる。岩をも容易く打ち砕く剛拳が顔面に迫るが、彼女はこれを身体ごと回転させる事で迎えた。

 

「うあぁっ!?」

 

「くっ!?」

 

その勢いでティオナを吹き飛ばし、同時にティオネの身体を左手に構えた盾の(ふち)で殴り飛ばす。ヂッ!と掠った右拳の衝撃にジークリンデは目を見開き、反射的に二人から距離を取った。

 

(彼女も……!)

 

ぞり、と兜をなぞれば、拳が掠った箇所だけが僅かに抉れている。もしもまともに受けていれば、これだけでは済まなかったに違いない。

 

「……成程。()()が力の絡繰りですか」

 

先程までの二人ではないと理解したジークリンデの目がすっ、と細まる。

 

()()とは、二人の口から洩れる赤い吐息だ。

 

ティオネのスキルである【憤化招乱(バーサーク)】と【大反攻(バックドラフト)】。そしてティオナの【狂化招乱(バーサーク)】と【大熱闘(インテンスヒート)】。それらが合わさり、今の二人の力は過去最大にまで引き上げられている。

 

が、無償で得られる強大な力などありはしない。

 

(『赤い涙石の指輪』と似たようなものでしょう。なら、今の彼女たちは瀕死のはず)

 

気は抜けない、しかし決定打を与えれば勝てる。ジークリンデは今度こそ二人の息の根を止めんと、大剣を握る手に力を込めた。

 

時を同じくして、ティオネとティオナの二人はと言うと……。

 

「クソがッッ!!あと一歩だったってのにッ!!」

 

「あー、もー。ティオネったらうるさいー」

 

「黙ってろ馬鹿ティオナ!!」

 

怒り狂うティオネと、彼女らしく呑気な調子で不満を垂れるティオナ。

 

そんないつも通りの様子が神経を逆撫でし、ティオネは今にも爆発しそうなほどの激情を蓄積させ続けている。

 

「次こそぶっ殺すッ……!」

 

「でも、また同じようにやっても意味ないと思うよ?あの人、すっごく強いし」

 

「あァ!?ならテメェは何か手があるってのかよ!!」

 

「え?んー……」

 

今にも噛み付きそうな姉を、妹はうんざりした様子で見やる。同時に何か策はないかと考えを巡らせるが、自分はそれほど頭が良くない事を自覚しているティオナは即答する事が出来ない。

 

だから、最もやりやすい方法を提案した。

 

「じゃあ、あたしがティオネに合わせるよ」

 

「……はぁ?」

 

「だからさ、ティオネは好きに戦って?その方が多分やりやすいし」

 

一気に毒気を抜かれたティオネは間抜けな声を漏らしてしまう。

 

……そうだ、こいつは昔からそうだった。能天気な風に見えて、自分よりもよっぽど周りが見えている。怒りに我を忘れる事などなくて、決して離れる事のない月と太陽のように、生まれた時から常に自分と共に居た。

 

だから、こんな事まで言えるのだ。

 

「……くそっ」

 

「え?何か言った?」

 

「……うっせぇ」

 

ふぅ、と息を吐き、腹に溜まった熱を放出させる。そうして冷静になった頭で目の前の敵を見据えたティオネは、ティオナに言葉を放り投げた。

 

「頼んだわよ、ティオナ」

 

「うん!任せて!」

 

何の不安も感じさせない声を受け、ティオネは再び走り出した。

 

徒手空拳のままジークリンデに肉薄し、拳を見舞う。スキルによって大幅に強化された膂力は並み外れており、そのどれもが必殺に相当する。

 

「おおぉぉぉおおおおおおおおおッ!!」

 

「ッ、……ッ!!」

 

が、動きは単純。故に軌道は予測しやすく、ジークリンデはティオネの攻撃を正確に防いでいる。繰り出される拳には盾を、放たれる蹴りは大剣の腹で受け、致命の一撃には届かせなかった。

 

もちろん油断は出来ない。何せ敵は、彼女一人ではないのだから。

 

「だあぁぁああーーーーーっっ!!」

 

と、大きな掛け声と共に現れたのはティオナだ。

 

つい先程と全く同じ、立ち位置が入れ替わっただけの単純な奇襲攻撃を察知したジークリンデはピアスシールドを突き出してティオネを牽制。同時に頭上から迫るティオネの攻撃を、バスタードソードで迎え撃とうとする。

 

しかし……。

 

「―――なんちゃって!」

 

「なっ……!?」

 

その大剣は空を切った。

 

刃同士がぶつかる直前、曲芸さながらの動きで身体を回転させ大双牙(ウルガ)を引いたのだ。ティオナはそのままジークリンデの背後に着地し、一方で力いっぱい大剣を振るった彼女は、勢いのままに前のめりとなってしまう。

 

その隙をティオネは見逃さない。

 

「掴んだッ!!」

 

「! しまっ―――」

 

ガシィッ!と、盾を突き出した左腕を取られる。そのまま背負い投げの要領で、ジークリンデを思い切り地面へと叩きつけた。

 

「かはッ!?」

 

仰向けに倒れたジークリンデの上に跨るティオネ。圧倒的優位な体勢を掴み取り、このまま決着かに思われたが―――次の瞬間、目の前が白く染まった。

 

「っ―――ッッ!?」

 

気が付けば遠く飛ばされており、おまけに全身には強く叩かれたような痛みが走っているではないか。視界の端にはティオナが目を見開き、驚愕の表情をこちらに向けている。

 

奇跡『放つフォース』であった。地面に倒れたと同時にタリスマンを取り出したジークリンデが咄嗟に放ったこの奇跡により、再び戦局は分からなくなる。

 

「ティオネ!?」

 

「私に構うな!!」

 

吹き飛ばされながらも鋭く言い放つティオネ。その声に押されたティオナは視線を戻し、体勢を立て直したジークリンデと刃を交えた。

 

「フッ!!」

 

「うっ!?こ、のぉーーーっ!!」

 

ひと息の内に幾つも見舞われる斬撃。どちらも重量級に分類される武器だが、互いにそれを自分の手足のように巧みに操っている。

 

しかし、真正面からの打ち合いではジークリンデに僅かに軍配が上がる。バスタードソードと大双牙(ウルガ)では重量は大きく違い、その分前者の方が取り回しが速いのだ。

 

(やはり、単純な膂力ではティオネ(あの人)の方が強い)

 

打ち合いの最中で姉妹の腕力の差を見抜いたジークリンデは、先にティオナから始末するつもりのようだ。今の二人に協力されると厄介であると踏み、更に斬り結ぶ速度を上げてゆく。

 

「ぐっ!―――っつぅ!?」

 

嵐のように迫る斬撃が、次第にティオナの身体に傷を付けてゆく。肩や脇腹、太腿、致命的なものは辛うじて防いではいるものの、この状況が果たしていつまで保つ事か。

 

一方、盛大な土埃を上げて墜落したティオネ。彼女は全身の痛みも無視して立ち上がり、ぺっ、と唾を吐き捨てた。

 

「ンのアマァ……!!」

 

ラウルなどの気の弱い者が見れば、粗相をしかねない危険な表情を浮かべる。そんな彼女の背に迫るは、幾人かの闇の騎士たちであった。

 

「殺せ、殺せぇ!!」

 

「“王”の敵だ!!」

 

各々が武器を振り上げ、一斉に飛び掛かる。奇襲に成功したとほくそ笑んだ闇の騎士たちであったが―――その内の一人の意識が、瞬時に黒く染まった。

 

「げべぇ……?」

 

その者の顔面にめり込んでいるのは、ティオネの肘鉄。粉砕された髑髏の面の隙間から赤黒い液体が噴き出し、宙を舞っている。

 

「殺せだの何だの……」

 

どす黒い感情を剥き出しにした狂戦士(アマゾネス)は顔面を潰された闇の騎士の腕を引っ掴み、そして―――。

 

「ぎゃあぎゃあ喧しいんだよッ、この白蟻どもがぁッッ!!!」

 

フルスイング。

 

力に任せた大振りはその場にいた全員を巻き込み、悲鳴すらも残せずに戦場の遥か彼方にまで叩き飛ばされていった。後には、彼らが取り零してしまったいくつかの武器だけが残った。

 

「……あん?」

 

苛立ちに任せて頬をぐい、と拭ったティオネは、その時何かに気が付いた。

 

彼女の視線は足元へと向いており―――。

 

 

 

 

 

「うっ、おおりゃぁぁあああああああっ!!」

 

ジークリンデの猛攻にティオナは未だ耐えていた。

 

スキルによって強化された今の身体でなければ、とっくにやられていた。しかしそれも時間の問題。時が進むごとにティオナの身体には傷が重ねられてゆき、その分だけ劣勢に傾いてゆくのだから。

 

「くっ、ううぅう!?」

 

血が流れ、動きが鈍くなる。もうこれ以上は……と焦りが募り始めた、その時だった。

 

風を切って飛んできた短剣。それはジークリンデの兜に命中し、甲高い金属音を響かせる。

 

「ッ!?」

 

「ティオナ!!」

 

ジークリンデがよろめくのと、ティオネの声が耳を打ったのは同時であった。見れば彼女の右手には大剣―――クレイモアだ―――を携えているではないか。

 

自分たちが持つ本来の得物ではない、この戦場で手に入れた武器を真横に振りかぶったティオネは、地を蹴りながら大声で言い放つ。

 

「伏せろッ!!」

 

「うわぁっ!?」

 

その声に、ティオナは咄嗟に身を屈めた。振り抜かれた大剣は彼女の頭上すれすれの所を通過し、その先にいるジークリンデへと一直線に突き刺さる。

 

「ぐッ―――ううっっ!!」

 

直前でバスタードソードを滑り込ませる事に成功するも十分な体勢でなかった為か、彼女は地面に二本の線を削りながら大きく後退させられる。そしてこの機を逃してなるものかと、ティオネもまた即座に追いすがった。

 

「ちょっ、ティオネ!?」

 

またぞろ姉の悪い癖が出てしまったか、と焦るティオナ。しかし、そうではない。

 

「来なさい、ティオナ!!」

 

「!」

 

「あんたが私に合わせるなら、私もあんたに合わせる!!二人でやるわよ!!」

 

「っ―――うん!!」

 

滅多にない事……あのティオネが自分に合わせて戦うなど思いもしなかったティオナは、身体の痛みも忘れて満面の笑顔を浮かべた。そして刃こぼれだらけとなった大双牙(ウルガ)を手に、追従するように姉の背を追う。

 

性格も何もかもが正反対なアマゾネスの双子の、共闘(コンビネーションプレイ)が始まった。

 

「ッ、だから……何だって言うんですか!!」

 

ザッッ!!と強引に勢いを殺したジークリンデが吠える。

 

二対一は確かに不利だが、一人ずつ確実に相手をすれば問題はない。彼女は手始めにティオネをこの場から離し、その隙にティオナを仕留める事に決めた。

 

盾を消し去り、構えるはタリスマン。『放つフォース』を撃ち、白い光の束が肉薄するティオネを叩く―――直前。

 

彼女は手にした大剣を地面に突き刺し、タンッ!と軽やかに宙へと逃れた。

 

「二度も同じ手なんざ喰うか!!」

 

典型的な猪突猛進型だと思い込んでいた敵の予想外の動きに驚愕するジークリンデ。『放つフォース』は地面に突き刺さった大剣のみを破壊し、後方にいたティオナには全く影響を与えない。

 

上空より迫るティオネに対し、咄嗟にバスタードソードの切っ先を突き付ける。身体を反らして逃れようと、その先を読み取って両断せんとしたジークリンデだったが、ここでも彼女の思い通りにはならなかった。

 

接触する瞬間、ティオネが腰から一振りの短剣を抜き去ったのだ。そしてバスタードソードの刃を避けるのでなく、手にした短剣で刃を合わせながらジークリンデに肉薄する。

 

「なっ!?」

 

全く予想外の動きに身を固まらせる彼女の肩に着地したティオネがドンッ!と強く蹴りつける。肩で弾けた衝撃に身体を押し出されたジークリンデを迎えたのは、大双牙(ウルガ)による渾身の一撃だった。

 

「さっきのぉ、お返しぃっ!!」

 

「くあぁッ!!」

 

地を削り放たれた大双牙(ウルガ)の一撃が、今度こそ決まった。それは鎧に一直線の傷を付け、そこから少なくない量の血が噴き出す。

 

更に、追撃のティオネの回し蹴り。兜を歪ませるほどの蹴りはジークリンデの脳を揺らし、一瞬地面の行方を見失ってしまう。

 

が、それさえも踏み止まった彼女は、自身の中で戦法を変更させた。

 

(一対一に持ち込むのは無理……ならっ!!)

 

瞬間、がばっ!とティオネの方を振り向く。倒れはしないまでも怯みはするだろうと踏み、拳を振りかぶっていたティオネは瞠目した。

 

ジークリンデはすでに大剣を振りかぶっている。ティオネにあるのは短剣のみ。渾身の一撃で振るわれる大剣を防ぐ手立ては彼女にはない―――この瞬間までは。

 

「ティオネ!!」

 

「ッ!!」

 

己を呼ぶ声と共に飛んで来たのは、ボロボロの大双牙(ウルガ)だった。

 

短剣を投げ捨てたティオネはLv.5の反射神経でそれを掴み取り、すんでの所で大剣の一撃を防ぐ事に成功する。先にティオネを倒そうという目論みを崩されたジークリンデの顔が、苛立ちと焦燥の色で歪む。

 

「ぐうぅ―――ッらあぁ!!」

 

「ッく!!」

 

拳に体重を乗せかけていた不利な姿勢から無理やり押し返し、がむしゃらに大双牙(ウルガ)を振り回す。本来の持ち主ではないティオネの乱暴な扱いに大双牙(ウルガ)は振るわれるたびに刀身が軋み、欠け、悲鳴を上げ続けている。

 

しかし、それはジークリンデも同じ事だ。これまでの戦闘で酷使し続けたバスタードソードの刀身は刃こぼれし始め、ピアスシールドもまた罅が生じてきている。繰り広げられる打ち合いに限界が来ているのは、もはや明白であった。

 

そして、遂に―――バスタードソードの刀身が、根本から砕けた。

 

「「 !! 」」

 

同時に大双牙(ウルガ)が宙を舞う。その二つある刀身の内、片方は真っ二つに折れていた。

 

これでお互いに武器はない……という訳ではない。少なくともジークリンデの手にはまだ、ピアスシールドがある。

 

「はあぁッッ!!」

 

正しく渾身。二人は無理でも、せめて目の前にいるこの敵だけはここで自分が倒すと、そんな覚悟を込めた鋭い一撃。

 

確実に仕留めるつもりで放たれた一突きは、吸い込まれるようにティオネの顔面へと迫り―――。

 

 

 

ガギンッッ!!と、ティオネの歯がそれを止めた。

 

 

 

「………なっ」

 

本日最大の衝撃がジークリンデを襲った。

 

なんと繰り出された一撃をティオネは歯で、文字通り食い止めたのだ。思い切り牙を剥き、血走った目玉でこちらを睨みつけるその様相は、まさに獣そのものだ。

 

一歩間違えれば即死の危険極まる狂行に、流石のジークリンデも信じられないとばかりに声を漏らす。

 

「ばっ、馬鹿ですか、貴女は……!?」

 

「……舐めんな(はへんは)

 

驚き、動揺しているジークリンデの思考を引き戻したのは、左手に伝わった衝撃だった。

 

「えいさぁああーーーっ!!」

 

宙を舞った大双牙(ウルガ)を掴み取ったティオナが、ピアスシールドの先端部分を断ち切ったのだ。罅が生じていたせいもあり、その際の衝撃で盾は粉々に砕け散ってしまう。

 

呆然としていたジークリンデに、ティオネは金属片を吐き捨てながら問いかける。

 

「ぺっ……もう武器は打ち止めか?」

 

「―――ッ!!」

 

折られたバスタードソード。砕かれたピアスシールド。残るはタリスマンのみ。

 

すぐ目の前には二人の敵。奇跡を使おうと確実に躱される。予感ではなく、確信。

 

あらゆる思考がジークリンデの敗北に繋がる。しかし、それでも、彼女は諦める事など出来ない。

 

彼女にも―――仲間がいるのだから。

 

「うぅ……ぁぁあああああああぁぁぁああああああああああああああっっっ!!!」

 

選んだのは癇癪を起こした、子供のような反撃だった。

 

カタリナの騎士であった彼女が振るう拳は、単純に力任せのもの。生粋の戦士であるアマゾネスの双子が振るう拳に比べ、それはあまりに拙い。

 

この時すでに、勝負は決したのだ。

 

「ティオナぁ!!」

 

「うん、ティオネ!!」

 

二人は互いの名を呼び合い、拳を引いた。

 

それは鏡合わせのようにぴったりと息の合ったものであり―――次の瞬間には、二つの拳が繰り出されていた。

 

弾ける衝撃。

 

宙を舞うジークリンデの身体。

 

やがて地面に落下し、砕かれた兜と鎧の欠片をまき散らしながら、ごろごろと転がってゆく。

 

(みん、な………)

 

朦朧とする意識の中、彼女は瞼の裏に仲間の姿を思い浮かべた。

 

多くの同胞たちに、青き戦士、ラレンティウス。ソラールと、“王”の姿。

 

そして最後に浮かんできたのは、グリッグスの姿であった。

 

(グリッグス……さん………)

 

真に己を導いてくれた魔術師の笑みを幻視しながら―――ジークリンデは、意識を手放した。

 

 




前話で遅くならない内に投稿したいと言っておきながら、2ヵ月近くもかかってしまいました。

次回の更新もいつ頃になるかは分かりませんが、頑張って行きたいと思います。今後もよろしくお願いします!





……あとゴブスレ×ブラボの話って、需要あるのかしら?


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十四話 彼の”罪”、彼の決意

「さ、早く団長のところに行くわよ!」

 

「うん!……って、大双牙(ウルガ)折れてるーっ!?これどうすんのさティオネーっ!?」

 

「うるっさいわね!今までも何度も壊れてるでしょうが!!今更喚くな!」

 

「うぎぎぎっ……帰ったら絶対弁償してもらうからねーっ!?」

 

「誰がするか!」

 

ジークリンデを撃破したティオネ、ティオナは新たな目標へと向かって走り出す。

 

時を同じくして、傷を癒したガレスと椿も、また。

 

身体から噴き上がる猛火を置き去りにベートは戦場を駆け、リヴェリアとレフィーヤもまた、目指すべき場所を定める。

 

そして、フィンは―――。

 

 

 

 

 

不壊金属(デュランダル)の銀槍《スピア・ローラン》を弾き飛ばされ、全身に幾つもの傷を刻んだフィンは、しかし未だ倒れてはいなかった。

 

愛槍《フォルティア・スピア》を油断なく構える姿に隙はなく、その穂先は前へと向けられている。額から出血により赤く歪んだ視界で睨みつける先にあるのは、壁のように立ちはだかるソラールだ。

 

二人は一進一退の攻防を演じてきた。フィンの槍撃をソラールの剣が往なし、返された刃を紙一重で躱し、そして反撃……並みの冒険者であれば目にも追えぬ、他者の介入すらも許さない戦闘は、まさに強者同士の殺し合いという言葉が相応しい。

 

が、それも終わりが近い。

 

劣勢は、フィンの方であった。

 

「ハッ……ハッ……ハッ……」

 

心は折れていない。負けを認める気もない。しかしソラールの言葉通り、それだけで勝ちをもぎ取れるほど現実は甘くはなかった。

 

浅い呼吸を繰り返し、暴れる肺を強引に抑える。気を抜けば倒れ込んでしまいそうになる両脚に力を入れ、踏ん張る。

 

それが、()()フィンに出来る精一杯の事であった。

 

「……もう良いだろう」

 

「ハッ……ハッ………何が、だい?」

 

静かに語りかけるソラールに、フィンは口の端を僅かに吊り上げながら返す。虚勢とも取れるその返答にソラールは兜の奥で瞳を細め、そして諭すように口を開いた。

 

「【勇者(ブレイバー)】……いや、フィン。貴公はよく戦った、だがこれ以上は無意味だ。“王”が()()()()()以上、全てが無意味なのだ」

 

意味深な言葉を吐き出すソラール。

 

彼は……彼だけは理解していた。

 

“王”が奇跡を行使するという、その真の意味を。

 

そして……彼自身が抱く、途方もない“罪”を。

 

 

 

 

 

 

 

 

それは、かつて神殺しをおこなった世界での事。

 

そこでの戦いはかつてない程に苛烈だった。敵味方が地を埋め尽くし、天馬に跨った無数の騎兵が空を覆う。目を焼く雷光が絶え間なく降り注ぎ、その様相は終末戦争(ラグナロク)という以外に形容がつかない。

 

そんな大戦の終局で、『闇の王』は神との一騎打ちに挑んでいた。

 

理不尽としか言えない規模の攻撃。一瞬の内に放たれる無数の必殺は、『闇の王』の身体を確実に切り刻んでゆく。

 

そして死の間際、彼は“奇跡”を行使した。

 

自らに重く課した戒めを破り、『闇の王』は辛くも勝利を手にしたのだ。

 

だが、代償はあった。

 

『がっ、あっ……ぁああがが、がぁア―――――ッッ!!?』

 

『神殺しの直剣』で穿ち貫いた神の胸。泥のように崩れ去るその肉体と似たような淀み……『深淵』が、彼の身体を侵食し始めたのだ。

 

『ッ、“王”!?』

 

激戦を駆け抜けたソラールが追い付いた頃には全てが終わっていた。

 

しかし、『闇の王』がもがき苦しむその姿を目にして、瞬時に事の重大さに気が付いた。

 

『がァ、ァァあああアアァアアアア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッッッ!!!』

 

『深淵』は『神殺しの直剣』から溢れ出しており、既に左手を覆っている。根源を絶たねばとソラールはその手に掴みかかり、強引に引き剥がそうとした。

 

『ぐっ、う!?』

 

瞬間、ソラールの身体にも『深淵』が這い上がる。

 

二人を諸共に取り込もうとする『深淵』に鋼の心で抗い、同時にソラールは『闇の王』に自我を取り戻させるべく声を荒らげた。

 

『飲まれるな、“王”よ!!貴公には為すべき事があるのだろうッ!!』

 

『ギッ、ギぎぃィィイ゛イ゛イ゛……ッ!!!』

 

『思い出せっ、俺たちを!!貴公の仲間をっ!!……()()の事をッ!!』

 

『ギィィ……イ゛イ゛ッ―――――ア゛ア゛ァッッ!!!』

 

果たして、その声は届いたのか。

 

『深淵』が『闇の王』の身体を取り込まんとした寸前、パァン!!と、『深淵』は飛沫となって霧散した。

 

『ぐっ!?』

 

その衝撃に弾き飛ばされるソラール。

 

彼はごろごろと地面を転がるも、どうにか手を付いて身体を起こした。視線の先には荒々しく息を吐く『闇の王』の姿があった。

 

『はぁッ、はぁッ、はぁッ………!?』

 

『ッ……“王”……!』

 

『はぁッ、はッ……はぁ………ソラール、か………?』

 

酷く呼吸が乱れているものの、『闇の王』は再び自我を取り戻した。その事に安堵するソアラールであったが、次に放たれた言葉が彼の心を凍り付かせる。

 

『助かった……お前が居なければ、危うくこの神に殺されるところだった……』

 

『………なに?』

 

兜の奥で瞠目するソラール。何と『闇の王』は、自身の身に起きた事に気が付いてもいなかったのだ。

 

『何も、覚えていないのか……?』

 

『?……何がだ』

 

ソラールの動揺を訝しむ『闇の王』であったが、そんな事などは些事とばかりに『神殺しの直剣』を鞘に仕舞い、未だふらつく足取りでその場を離れてゆく。

 

『私は、次の世界を探す……お前は生き残った者たちを集め、次に備えよ』

 

『っ、待て!“王”よ!』

 

ソラールの制止に耳も貸さず、『闇の王』はそのまま姿をくらませてしまった。

 

遠く離れた戦場から勝鬨(かちどき)の声が響き渡る。無数の同胞たちの歓喜に染まった雄叫びを背に、ソラールは一人、荒れ果てた景色の中で動けずにいた。

 

そして、漠然と理解した……『闇の王』が次に“奇跡”を行使した時こそが、本当の意味での『終わり』なのだと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『次の世界を見つけた』

 

『闇の王』が定めた次なる神殺し。その決定は絶対であり、異を唱える者など皆無であった。

 

その後はいつもの通り。他世界に散らばる同胞たちにこの事を伝え、神殺しに備えさせる。青き戦士、ラレンティウス、グリッグス、ジークリンデ。そしてソラールの計五名は与えられたその任を全うすべく、それぞれが行動を開始する。

 

……常であれば、そのはずであった。

 

『……“王”よ』

 

『何だ』

 

他の者たちが去った後に、一人ソラールはその場に残っていた。彼が視線を向ける先には、篝火の前で座り込んでいる『闇の王』の姿がある。

 

ソラールは何も語らぬその背に、自らの思いをぶつけた。

 

『あの剣は、危険だ。深淵に濡れ、ソウルそのものを消滅させる……これ以上使い続ければ、いつか取り返しのつかない事になるぞ』

 

『……何を言うかと思えば、今更そのような事か』

 

『闇の王』の腰に下げられた『神殺しの直剣』。その危険性を説くソラールの言葉を、彼はにべもなく一蹴した。

 

そしておもむろに立ち上がり、振り返る。

 

互いに兜に覆われた顔を見据え、視線のみが交差する。

 

物音一つ、呼吸音すら感じられない闇の中で向き合う二人。やがて沈黙を破り―――声を発したのは『闇の王』であった。

 

『……少し、付き合え』

 

『……?』

 

兜の奥で怪訝そうな表情を浮かべるソラールの返答も聞かず、『闇の王』は篝火へと手をかざす。それは別の場所へと転移する為の行動であり、つまりは今から行く場所に付いて来いという事だ。

 

行き先に心当たりはない。『闇の王』は神殺しを開始してからというもの、この場所か戦場のどちらかしか足を運んでいなかったからだ。

 

漠然とした疑問を胸に、ソラールは『闇の王』の傍らに立つ。

 

次の瞬間には篝火が大きく燃え盛り、二人の姿を飲み込んだ。

 

 

 

 

 

まず目に入って来たのは、一面に広がる草原である。

 

腰の辺りまで伸び、人の手が加えられている形跡はない。しかしよくよく目を凝らしてみれば、伸び放題となった草むらの中には朽ちかけた人工物らしきものが見て取れる。

 

ぼろぼろの木材の欠片。鍬や鎌などの、鉄部分のみを残した農具の残骸。そして襤褸(ぼろ)切れ……これは恐らく衣服の類だろう。これらの事からソラールは、この場所がかなり前には一つの村であったのだろうと当たりを付けた。

 

何よりそう思った最大の根拠は、今も微かに感じられる……灰と骨の匂いである。

 

『こっちだ』

 

『闇の王』に言われるがままに付いてゆくソラール。

 

先頭を歩く彼は鬱蒼とした草むらを確かな足取りで進んでゆく。まるで目指すべき場所が見えているかのように。

 

そうして歩く事、数分……二人は目的の場所へとやって来た。

 

『ここは……?』

 

『ああ、()()の墓だ』

 

そこにはたった一つだけ建てられた、簡素な墓石があった。

 

長く自然に晒されていたのか、そこに刻まれた名前は掠れている。それだけではなく表面は苔むし、飛ばされてきた枯草もいくつか絡みついていた。

 

『闇の王』はそれらを慎重に取り除き、綺麗にしてゆく。

 

『……お前と初めて出会った時、彼女の事を話したな』

 

『……ああ。亡くなった彼女の為にも、不死の呪いを根絶させると……』

 

『だが、それはまやかしだった。不死の呪いはなくならず、呪われ人が消える事はない』

 

『闇の王』は手を止めず、淡々と会話を続ける。

 

『だから私は神殺しを行う事にした。神によって殺された彼女の死を無意味なものにしない為、そして未だ神々の玩具にされているであろう、他世界の人の子らを救う為―――そんな()()で、(みな)を扇動した』

 

『なっ……!?』

 

その発言に、ソラールは瞠目した。

 

他世界の人の子らを神々の呪縛から解き放つ。それが『闇の王』率いる神殺しの旅団が掲げる唯一の使命である。

 

数多の同胞たちはその言葉の元に集い、今日まで神殺しを行ってきた。己の運命はどうしようもなく終わっていようとも、せめて他の世界に暮らす人の子らだけは、神々の魔の手から救うのだと。

 

しかし、その使命を『闇の王』は建前だと言った。

 

自分たちが行ってきた神殺しが根幹から覆される発言であったが……ソラールが驚愕したのは、そこではない。

 

『……何故、それを俺に……?』

 

『お前はとうに勘付いていただろう、ソラール。私のこの行いが、単なる八つ当たりでしかないのだと』

 

ソラールが驚愕したのは、それを打ち明けたという事実である。

 

二人は不死の巡礼を全うしようとしていた頃からの付き合いだ。互いに語り合い、己の胸の内を明かし合った仲だ。その中で、()()が『闇の王』の中でどれほど大きな存在であったのか、ソラールは他の誰よりも理解しているつもりだった。

 

故にこそ、彼は『闇の王』が行う神殺しの真意に、密かに疑問を抱いていたのだ。

 

何の関係もない他世界の神々までも殺して、一体何がしたいのかと。

 

『奴を……グウィンを殺したところで、不死の呪いは消えなかった。不死の呪いを根絶させるという目的は砕かれた。彼女の死を無意味なものにしないという願いは……打ち砕かれた』

 

『………っ』

 

『だから私は(すが)った。神々を殺し尽くす事で……この『神殺しの直剣』で、あらゆる世界から神という概念そのものを根絶させる事で、彼女の死が決して無意味なものではなかった事に出来るのだと……そう信じたかった』

 

腰に下げられた『神殺しの直剣』に手をやりつつ『闇の王』が心中を吐露させるのを、ソラールはただ黙って聞く事しかできない。

 

彼の口から語られる神殺しの真実は確かに八つ当たりで、どうしようもなく破滅的であり……そして、救いようがなかった。

 

『……本当は分かっていたんだ。彼女を殺したのは神などではなく、この私なのだと。不死の呪いが刻まれた時点で姿を消していれば、彼女も死ぬ事はなかった。彼女の両親も、村人たちも、私に殺される事などなかったのだ』

 

物心ついた頃には既に一人。

 

身寄りのない少年を、彼女は優しく迎え入れてくれた。

 

村の人々も次第に心を開き、気が付けば良き隣人となっていた。

 

それを、『闇の王』は自ら壊した。

 

知ってしまったその『温もり』は手放し難く、故に何もかもを壊してしまった。

 

そんな己の罪を、醜くも神のせいにした。

 

……そう語る『闇の王』の告白を、ソラールはやはり黙って聞く事しか出来ないでいた。

 

『ソラールよ、私は間違っているだろうか』

 

『………っ!』

 

『神という概念そのものを滅ぼそうという私の考えは……間違っているのだろうか』

 

振り返った『闇の王』からの問いが、ソラールに突き付けられる。

 

何が、などと言えるはずもなかった。

 

己の罪を神のせいにし、あまつさえ他世界の神々までも殺すという所業。人の世が始まって以来の大悪行を成す『闇の王』の行いは、明らかに間違っているものだ。

 

しかし、それをソラールは口には出来ない。

 

自らも神殺しの片棒を担いでいたから……ではない。

 

それは今、目の前にいる『闇の王』が、あまりにも儚い存在であろうように思えたからだ。

 

『……俺には、貴公の問いに答えられる言葉を持ち合わせていない』

 

絞り出すようにそう前置いて、そして―――

 

 

 

『だが、俺だけは―――何があろうと、貴公の味方でいよう』

 

 

 

―――そう、言葉を濁した。

 

『あぁ………ありがとう』

 

『闇の王』から告げられた感謝の言葉を前に、ソラールは思い知らされる。己が今、どれほどの大罪を犯したのかと。

 

友の凶行を止められる最初にして最後の好機をみすみす逃し、無数に広がる他世界を危険に晒した。これより先に流れる暴虐と血の惨劇は、きっと今までの比にならない程のものになるだろう。

 

いっその事、この場で彼を……そんな思いが脳裏を掠めるも、やはりソラールは動けなかった。もはや『闇の王』を止める資格など、自身にはないのだと悟ってしまったが故に。

 

嵐のような後悔の念に駆られているソラールの胸中など知る由もない『闇の王』は、苔や枯草を払い終えた墓石に、己のソウルより取り出した花を手向けた。

 

『………それは?』

 

『ああ、彼女が好きだった花だ。名前は分からないが』

 

どうにか絞り出したソラールの言葉を受け止めた『闇の王』が呟く。

 

墓石の前に静かに供えられたそれは、たった一輪の紫蘭の花であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これがソラールの“罪”。

 

友の凶行を止める事も出来ず、取り返しのつかない過ちを犯してしまった、愚かな不死人が抱く罪。

 

しかし、それを嘆いたりはしない。否、その権利すらも今のソラールにはない。

 

共に在り続けると誓ったのだ。ならば、最期までそれを貫くのみである。例えどんな結末が待っていようとも。

 

が……その結末を前に、抗う者が彼の目の前にはいる。

 

「ハッ……ハッ……無意味、か……」

 

勇者(ブレイバー)】フィン・ディムナ。

 

矮小な種族である小人族(パルゥム)として生を受けながらも、落ちぶれた一族の再興を掲げる彼は、決して折れる事の無い火の輝きを宿した目でソラールを見据える。

 

「ハッ……ハッ……ハァッ……それは、君が決める事じゃない」

 

「なに?」

 

血に塗れた身体、そして顔で、フィンはソラールに不敵な笑みを向ける。

 

小人族(パルゥム)であるという以前に、両者の力の差は歴然だ。今も肩で息をしているフィンに対し、多少の傷を負っているとはいえ、ソラールはまだまだ戦闘に支障はない。彼がその気になれば一瞬の内に勝負を決める事だって出来るだろう。

 

にも拘わらず、フィンは不敵な笑みを崩さない。

 

それは単純な力の差ではなく……己が賭けているものに対する、自負心によるものなのだろう。

 

「君にも色々と事情があるのだろうけど……そんな事、今は関係ない」

 

ザリッ、と、フィンが腰を落とした。

 

槍の構えを解き、代わりにその穂先を己の額に押し当てる。槍を握るその左手は、まるで覚悟の証であるかの如く、揺るぎがない。

 

「【魔槍よ、血を捧げし我が額を穿て】」

 

直後、フィンの左手が鮮血の魔力光を帯びる。

 

そして―――

 

 

 

「【ヘル・フィネガス】」

 

 

 

発生した魔力光はそのまま体内に侵入し、魔法名―――超短文詠唱の最後の引金(トリガー)を告げると同時に、彼の美しい碧眼が鮮血の色に染まった。

 

狂猛の魔槍(ヘル・フィネガス)。フィンが持つ戦意高揚の『魔法』。

 

身体能力を向上させる代わりに、まともな判断力を失う―――この『魔法』を使ったという事は即ち、この場でソラールを倒すという事以外の全てを切り捨てたという、覚悟の表れに他ならない。

 

小さき英雄、【勇者(ブレイバー)】フィン・ディムナは金の長槍《フォルティア・スピア》を構え直す。

 

大気を震わせる雄叫びはない。好戦欲に駆られた表情も浮かべない。

 

ただあるのは、この瞬間に己の全てを懸けるという勇鉄の覚悟のみだ。

 

「そうか……やはりお前たちは、最期まで足掻くのだな」

 

この期に及んでも勝機を掴み取りにくるフィンの姿に、ソラールは眩しいものを見るかのような眼差しを送る。

 

そして彼もまた、フィンに応えるように、己の全てを懸けた一撃を放つべく動き出す。

 

『太陽の直剣』を鞘に戻し、取り出すは『太陽のタリスマン』。彼の自作であり、特別な力は何一つとして込められてはいない。

 

そのタリスマンを頭上に掲げた瞬間、凄まじい雷光がソラールの手元に出現する。それは自然の摂理に反し、まるで長槍のように姿を形作っていった。

 

『雷の槍』。その名の通り雷を槍状にして飛ばすというこの“奇跡”は、かつてロードランを旅した者たちにとって左程珍しいものではない。威力に関して言えば、それよりも上位の“奇跡”もいくつかある。

 

が、ソラールが行使した『雷の槍』は違っていた。

 

出現した雷は膨張し、それは留まる所を知らない。すでに槍という規格には収まらない程にまで膨らみ……気が付けば、フィンの紅眼を灼かんばかりの大雷となっていた。

 

その輝きは、正しく『太陽』。

 

長さ、推定50M以上。太さは巨木の幹ほど。神話に登場する世界樹を切り倒し、真横にすれば丁度このような姿になるのだろうか。

 

それほどに巨大だった雷の束は、ソラールが右手を握ると同時に小さくなってゆく。

 

否、圧縮されているのだ。失明しかねない程の光量は次第に収まり、数秒後には彼の手にはっきりとした形の雷槍が握られていた。

 

身の丈を優に二倍は超える巨大な雷槍。穂は肉厚かつ横幅があり、全長のおよそ半分を占めている。まるで大剣の刃のようなそれは、剣と槍の両方の性質を併せ持つようにも見える。

 

細かな意匠はなく、ただ淡く発光する巨大な剣槍―――ソラールが手元に出現させたのは、そのような形をした『雷の槍』であった。

 

「この一投に全てを乗せよう」

 

ぐぐぐ……っ、と半身を引き、投擲の構えを見せるソラールは静かに呟いた。

 

狙うは、小さな英傑。瞳を鮮血色に染めたフィンは、それに応えるように腰を落とし、疾走の構えを取る。ソラールの全力の一投に、彼もまた全力で応えるつもりなのだ。

 

そして……時は来た。

 

ビキィッ!!と、踏み締められたソラールの足が地を砕く。

 

直後、彼の右腕がかき消え『雷の槍』―――否、『轟雷の剣槍』が、フィン目掛けて射出された。

 

「―――――ッッッ!!!!」

 

放たれたと同時に、神速の反射神経で動くフィン。

 

弾丸さながらの速度で地を蹴り、突き出した金の長槍の穂先は、真っすぐに剣槍の穂先に合わされる。

 

そして、激突。

 

瞬間―――全てが白く染まった。

 

「ッッ―――~~~~~~~~ッッッ!!!!」

 

音も、大気も、時すらも。その衝突の前に霧散する。

 

槍を通じてフィンの身体を轟雷が駆け抜ける。血液、筋肉、骨、臓腑を焼く。

 

幾つもの雷がフィンの身体を貫く。貫いては新たな雷が突き刺さる。

 

刹那にも満たない拮抗の末―――その小さな身体は、宙を舞った。

 

「――――――――――」

 

飛散した血液は瞬時に焼き尽くされ、錆色の霧へと変わる。

 

全身を灼かれた小さき英傑の鼓動は、動きを止める。それを見定めたソラールの双眸が、僅かに細められた。

 

勝敗は決した―――かに、思われた。

 

「―――――ッッ!!!」

 

ドクンッ、と鼓動が蘇る。

 

ギンッ!!と、紅眼がソラールを射抜く。

 

宙を舞う小さな英傑は全身の力を総動員し、空中で体勢を立て直した。

 

瞠目するソラールを尻目に、フィンが取るは投擲の構え。半身を思い切り反らせ、渾身を一投に備えるその姿は、奇しくも直前のソラールに似ていた。

 

「言ったはずだよ、ソラール」

 

投擲の直前、フィンは口の端を僅かに緩め、そして言い放った。

 

 

 

冒険者(ぼく)たちは―――諦めが悪いんだ」

 

 

 

放たれるは黄金の輝き、勇者の一投。

 

投槍魔法『ティル・ナ・ノーグ』。己の全てを魔法威力に注ぎ込み放たれる、フィンの正真正銘の切り札である。

 

「―――――ぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!!」

 

迸る雄叫び。この瞬間まで封じ込めていたかのような猛々しい声が木霊する。

 

焼け焦げた大気に風穴を開け、ソラール目掛けて放たれた勇者の一投。そこに込められた想い以外の一切を打ち払う黄金の輝きに、ソラールは目を奪われていた。

 

(ああ、そうか……)

 

回避も防御も、彼の頭からは抜け落ちている。

 

その身に迫るフィンの一投は、それほどまでに眩しかった。

 

(これが………諦めない者たちの、力か)

 

待ち受けているであろう悲惨な運命を受け入れてしまった自分。

 

その運命を否定し、最期まで抗おうとする者たち。

 

未だ出会った事はないが、運命の女神というものが居るのであれば、どちらに微笑むのかは明確だ。

 

それほどまでに眩い輝きを……『太陽』を、ソラールは見たのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大地に積もった灰は全て払われていた。

 

剥き出しの岩の地面には至る所に亀裂が走り、この場で行われた戦闘の激しさを物語っている。

 

地に倒れている者は一人。地に立っている者も、一人。

 

勇者(ブレイバー)】フィン・ディムナは、ソラールとの戦いに勝利したのだ。

 

「ハッ……ハッ……ハッ……!!」

 

とは言え、消耗は激しい。幾つも傷を重ねた上に、高出力の雷をその身に浴びたのだ。屈強な不死人とて絶死に値する攻撃を耐え凌ぐ事が出来たのは、一重に彼が持つ不屈の精神の賜物に他ならない。

 

おぼつかない足取りでソラールに近付くフィン。彼は仰向けで倒れており、その右肩には金の長槍《フォルティア・スピア》が深く突き刺さっている。

 

「………何故、急所を外した」

 

「……そう、だね」

 

槍を握り、そのまま引き抜くフィン。

 

強引に引き抜かれた為に少なからず出血するソラールであったが、彼自身も全く気にも留めていない様子だ。

 

「……見せつけてやるため、かな」

 

「………何をだ」

 

「……僕たち、抗う者の力を……ね」

 

「………そうか」

 

短い会話を交わしたフィンとソラール。その直後、戦場より声が聞こえてくる。

 

ガレスと椿。ベート、リヴェリアにレフィーヤ。そしてティオネとティオナ。それぞれが激戦を終え、フィンの元へと集おうとしているのだ。

 

彼らの声に応えるように、フィンは槍を唸らせる。

 

そしてソラールに背を向け、最後にこう締めくくった。

 

「僕たちは絶対に諦めない……この先に何があろうと」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(何があろうと、絶対に諦めない……か)

 

一人残されたソラールは、脳内でフィンの言葉を反芻させる。

 

『闇の王』の凶行を止める事が出来ず、共にどこまでも堕ちてゆこうと決めていた彼にとって、その言葉は余りに眩しいものであった。

 

(ああ……眩しいな)

 

勇ましく走り出した八つの背を見送ったソラール。その兜に覆われた顔に、薄い笑みが浮かび上がる。

 

(貴公たちならば、或いは………)

 

 

 

―――――俺に出来なかった事を―――――。

 

 

 

そんな小さな希望を抱き、ソラールは。

 

微かに笑い声を上げるのだった。

 

 




エルデンリングの新トレーラーが発表されましたね。

騎乗やらオープンワールドやらの新要素がてんこ盛りのようで興奮がやばかったです。PS5を持っていないので、PS4でも発売するというのは嬉しい限りです。

トレーラーにも出た狼騎士やら、義手の女剣士やら、アリアンデルの器を頭に乗っけたスモウっぽい奴やら……早く会いたいですね。

そして海外ではあの壺人間が密かに人気を集めているようです(笑)。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十五話 幕開け

長らくお待たせして申し訳ありません。暑さやら何やらで意欲がやられていました。

これからもどうか、見てやって下さい。


 

『……太陽、俺の太陽よう……』

 

廃都イザリスにて、在りし日のソラールは絶望の淵に立たされていた。

 

求めていた太陽を見失い、全ての気力が尽きかけている。彼の熱く燃えていた火は陰り、何も分からぬ亡者へと堕ちようとしていたのだ。

 

その背に、『闇の王』は声をかけた。

 

『……ソラール』

 

『………あぁ、貴公か………』

 

これまで幾度となく語りかけてくれた強い口調も、今や見る影もない。

 

力無く座り込む彼は首だけを動かして振り返る。兜に覆われたその目に『闇の王』の姿が映っているのか、それすら怪しかった。

 

その姿に、『闇の王』の心はどうしようもない焦燥感に駆られた。

 

明確な理屈などない。ただこのままでは、ソラールは遠からず亡者へと堕ちてしまうと、そんな確信だけがあった。

 

『……私と共に来い』

 

意図せず出たのは、そんな言葉だった。

 

不死の呪いを根絶させる術はなく、己が愛した少女の死に意味を見出す事も出来ない―――そう思い知らされた彼は、半ば自暴自棄となった思考で、数多の世界に散らばる神たちを殺す道を選んだ。

 

そんな白痴じみた脳でも、たった一人で出来る事の限度というものは分かる。有象無象の不死人一人に出来る事などたかが知れている。遠からず朽ち果て、何も残せずに消えてゆくのだ。

 

しかし、共に戦う者が居れば?

 

無謀としか言えない道のりにも、光を見出せるのでは?

 

故に『闇の王』は、彼の心に()()()()()

 

『私がこれから成す事に、協力して欲しい』

 

『……何、を……?』

 

『“神殺し”。数多の世界に蔓延る神々どもを、この手で殺し尽くす』

 

太陽(導き)を失ったソラールに、それに代わる(導き)を与える。

 

澄んだ水面を泥で汚すように、『闇の王』はソラールに手を差し伸べた。自らの行いがどれほど卑怯で卑劣であるかを理解しているというのに、先の台詞がなぜ咄嗟に口をついたのか、それだけが分からない。

 

己の為に他者を利用しようとするエゴと、ソラール……()を亡者へと変貌させたくないという思い。その二つが共に『闇の王』の中に存在し、彼の中でぐちゃぐちゃに混ざり合う。

 

この選択は正しいのか否か。遂ぞ、結論が出る事はなかった。

 

それよりも前に―――ソラールが『闇の王』の手を取ったからだ。

 

『……良いのか?』

 

『……ああ、勿論だとも』

 

 

 

―――友の頼みだ。

 

 

 

そう言ってソラールは。

 

兜越しに、微かに笑うのだった。

 

 

 

 

 

それからはもう、歯止めが効かなくなった。

 

 

 

『力を借りたい。共に来てくれるのならば心強い』

 

ある時は、心の折れかけた青き戦士に。

 

 

 

『……少し良いか。話がある』

 

ある時は、呪術を極めんとする呪術師に。

 

 

 

『ならば、私と共に来い』

 

ある時は、師を亡くした魔術師に。

 

 

 

『行くあてがないのなら、私たちと共に来ると良い』

 

ある時は、父を殺めてしまった少女に。

 

 

 

心の隙に付け込み(導き)を流し込む。それを毒とも理解できない彼らは承諾し、神殺しの一党へと加わった。

 

多くの同胞たちも同様だ。不死の呪いで心身をすり減らし、次第に亡者へと近付いてゆく実感。その疲弊した心に『闇の王』は付け込み、着々と『神殺しの旅団』の数を増やしていった。

 

しかし時が経つにつれ、始めの頃に抱いていた感情は徐々に薄れていった。

 

ソラールたち、友を己のエゴに付き合わせている事に対する罪の意識も。

 

多くの同胞たちを欺き、偽りの大義を振りかざす事にも。

 

そして、己の行いが、本当に正しいのかさえも……。

 

それに呼応するように、腰に佩いた『神殺しの直剣』から滲み出る『深淵』が、『闇の王』の心を少しずつ、少しずつ侵していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでも、ふと考える事がある。

 

今の自分を見て、彼女はどう思うのだろうと。

 

よく頑張ったねと、褒めてくれるだろうか。

 

危ない事をして、と怒るだろうか。

 

それとも……悲しむだろうか。

 

―――――私は、私の復讐は、間違っているのだろうか―――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな過去の記憶も、疑問も。

 

今の彼は、思い出せない―――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ハア゛ァァアアアア゛ア゛ア゛ア゛……!!』

 

汚泥を煮詰めたような声が『闇の王』の兜より響く。

 

その兜も手甲も焼け爛れたかのように歪み、サーコートは毒々しい血管にも似たものがへばりつき、脈打っている。甲冑も含め『そのような形をしたモンスター』と言われれば誰もが納得するであろう。

 

そんな『闇の王』と数秒前まで激戦を繰り広げていたアイズは―――現在、砕けた岩盤に埋もれるようにして、うつ伏せの状態で倒れていた。

 

「はぁッ、はぁッ、はぁッ……!!」

 

額には玉の汗が浮かび、その呼吸は酷く荒い。健康的で瑞々しかった肌も、今や『呪い』でもかけられたかのように青白い。

 

……否。それは正しく『呪い』なのだろう。

 

『闇の王』の身体を覆い、滴り落ちるは『深淵』。この世のありとあらゆる負の感傷を凝縮させたようなそれは、かつて一人の英雄を飲み込み、その在り方さえも歪めてしまったほどに強大かつ凶悪な代物だ。

 

何人(なんびと)の手にも余る呪いの奔流。その僅か一滴を肩に受けただけで、アイズでさえも身体を硬直させてしまった。

 

そんな絶体絶命の状況下で彼女が幻視()た『闇の王』の狂笑。直後、アイズは全身全霊の力で以て周囲の『風』をかき集め、それを愛剣《デスペレート》に付与させた。

 

そして、刃が交わる。

 

高密度の『風』を纏った刃が、『深淵』に塗れた刃を迎え撃つ。刹那の拮抗の末、アイズの身体は弾かれたかのように後方へと吹き飛ばされたのだ。

 

「くぁ―――ッ!?」

 

吹き飛ばされ、地面に接触し、その身体で岩盤と土埃を巻き上げながら地面を削り、ようやく衝突の勢いが殺される。傷ついた身体に更なる負傷が刻まれるも、アイズにとってそれらは些末なものに過ぎなかった。

 

「……か、はっ……!?」

 

喉奥よりせり上がったか細い苦悶の声。その原因となったのは彼女の胸の上部、鎧を切り裂き刻まれた僅かな傷だ。

 

通常ならば気にも留めない小さなその傷は、しかし他ならぬ『神殺しの直剣』によってつけられたもの。文字通り神をも殺す呪いの片鱗を己の内に流し込まれたアイズは、遂に動きを止めてしまう。

 

(不味、い……っ!)

 

常人であればとっくに発狂していても可笑しくない程の呪いの奔流に蝕まれながらも、アイズは状況を打破すべく必死に頭を回転させる。

 

理性を失くした『闇の王』の前に、もはや言葉は意味を成さないだろう。距離を取るべく起き上がろうとするも、すぐに腕から崩れ落ちてしまう。瓦礫の中でもがく事しか出来ない今の彼女は、さしずめ強大な捕食者を前に成す術の無い、哀れな獲物という訳だ。

 

『オォア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァァ……』

 

「くっ、う……ッ!?」

 

“死”の予感が全身を包み込んでゆく。

 

比喩抜きでそう感じ取ったアイズは、それでもその金色の瞳だけは『闇の王』から逸らそうとはしなかった。それは、今まで己を築き上げてきたものを否定する行為に他ならないから。

 

幼い頃よりひたすらに力を求めて戦ってきた自分が、この『闇の王』(現実)から目を背けるなど、あってはならないのだ。

 

(諦め、ない……!!)

 

いつの日か、アイズは己にかけられた言葉を思い出す。

 

『最後まで諦めなかった者こそが何らかの形で報われる』。それはファーナムが【ロキ・ファミリア】に入団して間もない頃、あの酒場でアイズからの問いに返した言葉であった。

 

あの時はよく分からなかったが、今ならば何となく理解できる。あれは言葉通りの意味でもあるが、同時に『諦めてしまえば、そこで全てが終わってしまう』という意味でもあるのだと。

 

最後の最後まで足掻き続け、全てを出し尽くす。そうしない内に諦めてしまう者には、天は何も与えてはくれない―――全くもってその通りだ。

 

故に、諦める訳にはいかない。

 

己の歩んできたこれまでを否定させない為にも。そしてファーナムもまた、死の淵で今も抗っているのだから。

 

「っく、ぅ……!」

 

のろのろと緩慢な動きで起き上がるアイズ。ただ気力のみで身体を動かす彼女は、震える剣先を『闇の王』に突き付ける。

 

『闇の王』は兜越しにその目を爛々と光らせていた。今まで追撃もせずにただじっと見つめているその姿は、弱った獲物を追い詰める事を愉しんでいるかのようだ。

 

『ハァアアア゛ア゛ア゛アァァ……』

 

理性を失くしているにしては余りに嗜虐的な色を宿した唸り声を漏らす『闇の王』は腰を落とし、ついに凶剣の切っ先を引き絞る。どうやら『深淵』による高速移動を用いた一突きにて、アイズの身体を真正面から貫くつもりらしい。

 

死に体同然のアイズにこれを防ぐ術はない。ならば残された僅かな体力を全て費やし、迎撃する他に手段はない。揺るがぬ決意を宿した金の双眸が、『闇の王』を真っ直ぐに見据える。

 

激突の直前に訪れる空白の時。

 

一瞬が何倍にも引き延ばされたかのようなその時間は、しかしすぐに終わり―――その時が来た。

 

初手から最高速度。『深淵』の飛沫をまき散らし、絶死を伴った凶剣の切っ先がアイズの胸へと吸い込まれる。

 

避けられない、避けようがない。ならば相打ちも覚悟で、こちらも剣を叩き込もう。アイズは『風』も纏わぬ愛剣を固く握り、己の全てを賭した最後の一撃を繰り出さんとした―――その瞬間。

 

 

 

ドッッ!!と、両者の間に金の長槍が突き刺さった。

 

 

 

「ッ!?」

 

その驚愕はアイズか『闇の王』か、それとも両者のものか。

 

何の前触れもなく現れた金槍の輝きに『闇の王』は動きを止め、アイズは目を見開く。そしてそれが飛んで来た方角に顔を向ければ……そこには()()が居た。

 

「アイズ!!」

 

「大丈夫ーっ!?」

 

「くたばっちゃいねぇだろうな!?」

 

「……みんな!」

 

視界に映るのは仲間の姿。ティオネ、ティオナ、ベート。椿とガレス、そしてフィンが猛烈な勢いでこちらへと駆けてくる。

 

驚きを声に乗せたアイズに呼応するように、『闇の王』も振り返った。同時に弧を描いて飛来してきたのは、破損した『グレートアクス』だ。

 

刃が半ばから折れているものの重量物である事に変わりはない。にも拘わらずそれを投げナイフかの如く投擲して見せたのは、剛力の化身であるガレスであった。

 

『ィア゛アァッ!!』

 

『闇の王』は迫り来るグレートアクスを打ち払いガレスを睨む。が、すぐさま第二撃の投擲がなされた。

 

「アイズから離れぃ!!」

 

ここはファーナムと『闇の王』が戦った場所。その爪痕である壊れた武器は至る所に散乱しており、投げるものには困らない。矢継ぎ早に『ゲルムの大槌』を投擲し終えたガレスは落ちていた『獅子の大斧』を拾い上げており、すでに振りかぶっていた。

 

更にはベートが肉薄。両手足に猛火を纏ったその攻撃は、躱してなお身を焼くのには十分過ぎる。ガレスの投擲を打ち払ったとて、『闇の王』は炎狼の追撃に対処せざるを得ない。

 

「がるあぁあああああああああッ!!」

 

『ヲォ、ォオアアッ!!』

 

【ロキ・ファミリア】が誇るドワーフと狼人(ウェアウルフ)の戦士が『闇の王』を引き付けている隙に、フィンの的確な指示が飛ぶ。

 

「椿、アイズを引き離せ!」

 

「応よ!」

 

次の瞬間にはアイズの視界はぶれ、一気に『闇の王』との距離が開いた。気が付けば彼女は椿の肩に担がれており、乱れる自身の長髪の隙間からは傷一つない褐色の肌が見て取れた。

 

「椿、怪我は……!?」

 

「手前なら心配無用よ!ここへ向かう途中でガレス共々、怪我は完治させてきたからのぅ!」

 

戦場の聖女(デア・セイント)】さながらであったわ!そう言って呵々(かか)と笑った椿は十分に距離をとった場所にアイズを横たえらせる。数秒遅れてティオネとティオナ、そして槍を回収したフィンの三人も合流し、アイズの顔を覗き込んだ。

 

「アイズっ、怪我は!?」

 

「馬鹿ティオナ!揺らすんじゃないわよ!」

 

アマゾネスの姉妹のいつも通りのやり取りにアイズは小さく笑みを浮かべる。万が一の事も考えていたが、この様子ならどうやら心配はいらないようだ、と。

 

フィンも同様だ。傷だらけではあるものの、その瞳に宿る【ロキ・ファミリア】首領としての輝きは欠片も失われてはいない。

 

が、この場にいない者たちがいる。それはリヴェリアとレフィーヤだ。

 

魔法においては自分より何倍も格上であり、その使い方、戦い方も心得ている。そんな彼女たちがやられたとは考えにくいが、それでもアイズの唇は二人を、そして道中目にしたであろうファーナムの安否を問いかける。

 

「フィン、二人は……それに、ファーナムさんは……?」

 

「……大丈夫だ。リヴェリアとレフィーヤなら、彼の傷を治す為に残してきた」

 

「そ、う……良かった」

 

「それよりも今は君だ、アイズ。辛いだろうが教えてくれ、何があった」

 

フィンにはアイズの身に尋常ではない何かが起きた事を、漠然ながら分かっているようだ。

 

全身に傷を負うような事態はこれまでの『遠征』でも何度かあった。しかしそれらの時と比べ、今回は明らかに様子が違うのだから。

 

「あの人が纏っている、泥みたいなもの……あれに触れちゃ駄目。あの剣も、掠りでもしたら……私みたいに、なる……」

 

「……分かった、それだけで十分だよ」

 

アイズは自分の身に起きた事、そして『闇の王』の変貌について出来る限り詳細に、かつ手短に伝える。

 

事態を把握したフィンは肩越しに背後を振り返り、『闇の王』との熾烈な攻防を繰り広げるガレスとベートへと視線を向けた。

 

二人の動きは鈍っておらず、アイズの言う()、つまりは『深淵』をその身に浴びてはいないようだ。しかしそれもいつまで続くかは分からない。早急に加勢が必要だ。

 

「君はここで休んでいてくれ。僕たちは『闇の王』を倒しに行く」

 

「っ、フィン……」

 

フィンの声に、ティオナたちも動く。

 

ここへ来る途中で傷を癒したという椿を除いた三人は、アイズと同じく満身創痍の状態だ。それでも半ば壊れかけた得物を手に、傷だらけの拳に力を込め、先程までアイズが立っていた戦場に飛び込もうとしている。

 

「待って、私も……!」

 

「駄目だ、アイズ。君は休んでいろと言ったはずだ」

 

自身もまた戦場に戻ろうとするアイズの懇願を、フィンは短く切り捨てた。

 

今の彼女が剣を取っても出来る事はないに等しい。それは本人も心の底では分かっている事なのだが、幼い頃よりの性質からか、無理にでも動こうとしてしまう。

 

そんなアイズをフィンもよく理解している。故に、次にこう続けた。

 

「今は体力の回復に専念するんだ。君が満足に動けるようになるまでは、僕たちが受け持とう」

 

「!」

 

アイズの気持ちを汲んだその言葉は、彼女を押し留めるには十分だった。

 

『後は自分たちに任せろ』ではない。『ひとまずは自分たちが受け持つ、だから早く戻ってこい』という意味を持つ返答に、アイズは今の自分が取るべき行動を真に理解する。

 

「……うん、分かった」

 

回復薬(ポーション)はなく、傷口を抑える布すらないが、時間さえあれば多少は体力も回復させられる。『深淵』を受けた傷口も浅かったせいか、先程と比べると幾らか身体の調子もマシになっている。

 

「すぐ戻るから……みんなも、気を付けて」

 

「ええ。あんたもさっさと来なさいよ、アイズ」

 

「そうそう!じゃないとあたしたちが先にやっつけちゃうよー?」

 

いつもの調子に振るまう二人の声も、アイズの心に安らぎをもたらしてくれる。そのまま彼女は目を閉じ、静かに胸を上下させ始めた。

 

束の間の休息。回復に専念するという言葉は、どうやら本当のようだった。

 

「戦場のど真ん中で眠れるとは、いやはや大したものではないか。のう、フィン?」

 

「何かあればすぐに目を覚ますさ。どんな状況でも身体を休ませられるというのは、冒険者の基本だからね」

 

それでもここまで安らかな寝顔を浮かべられるというのは、やはりフィンたちの存在があるからに違いない。

 

全幅の信頼を置かれている彼らはそれに答えるように、決意に満ちた表情で身体ごと振り返る。

 

「……さて、僕たちも行こうか」

 

言うや否や、四人の脚は地を蹴った。

 

常人の目には姿がかき消えたかのようにしか見えない速度で目指すは、無論『闇の王』である。

 

「いぃ―――ぃいやああッッ!!」

 

先手を取ったのはティオナだった。

 

片刃を失った大双牙(ウルガ)を器用に扱い、怪力を以て振るわれた刃が地面を深く斬り抉る。捲り上げられた岩盤は無数の礫となり、ベートと肉弾戦を繰り広げていた『闇の王』の元へと迫る。

 

「ッ!!」

 

それを獣の反射神経で察知したベートが、即座にその場から離脱する。

 

直前に右脚を唸らせ、炎の煙幕を作る。それにより『闇の王』はティオナからの攻撃に反応するのが一瞬遅れてしまった。

 

『ギィッ!!』

 

弾丸さながらの石礫を全身に喰らうも、それだけで倒れる訳もない。硬い皮膚を持つモンスターすら穴だらけにする攻撃にも、『闇の王』は僅かに後ずさりするだけであった。

 

その“隙”を、椿が鋭く突く。

 

相手の腰の位置よりも更に低く。極端なまでの低い踏み込みから放たれるのは、音速の居合いだ。鞘に納められた太刀が閃き、『闇の王』の身体を左下から斬り上げる。

 

『深淵』に覆われたその下にある鎧により肉体には届かないものの、十全ではない体勢で斬撃を受けた事により、さらに後方へと追いやられてしまった。

 

『ゲッ―――ッッ!?』

 

そこへ襲い掛かるフィン。椿の背後から音もなく影のように現れた彼は、鮮血色に染まった双眸をカッ!と見開き、渾身の突きを見舞う。

 

長槍の石突きが突き上げるように『闇の王』の喉を深く抉り、遂にその両脚が地面から離れた。

 

そして。

 

「やれ、ティオネ!!」

 

「はいっ!!」

 

フィンと椿の正面、そして『闇の王』の背後を取っていたティオネが、フィンの指示に声を張って答える。その手にはいつの間に拾ったのか、ファーナムが落とした『ラージクラブ』が握られている。

 

「ぶっ飛べええぇぇええええええええッッ!!」

 

腰を思い切り捻り、咆哮と共に身体を真横から殴りつけるティオネ。強化された彼女の膂力にラージクラブはへし折れ、『闇の王』はおよそ100M(メドル)程も吹き飛ばされていった。

 

やがて『闇の王』は重力に従い地面へと落下し、派手な音と土埃を上げる。その光景を油断なく睨むフィンたちの身体は、『深淵』の一滴も汚されてはいなかった。

 

「すまないガレス、少し遅くなった」

 

「なに、全て片付いた後に酒でも奢ってくれれば良いわい」

 

「おっ。なら手前も誘ってくれっ、久々に一杯やりたい気分での!」

 

「ほう?お主がそんな事を言うなぞ、明日は雨かも知れんな」

 

「ははは。二人とも、もう祝勝気分かい?」

 

合流を果たしたフィンにガレスの気軽そうな声がかけられる。そこに椿も加わり、束の間の穏やかな空気が流れる。

 

「おいコラ馬鹿アマゾネス!さっきはよくもやってくれたなァ!!」

 

「えー?ちゃんと避けれたんだから良いじゃーん。ってゆーかベート、何で燃えてるの?」

 

「やる気十分って事でしょ。アイズは今ちょっと休んでるから、良いところは見て貰えないでしょうけど」

 

「あー、それは……ご愁傷様?」

 

「……マジで蹴り殺されてぇのか、テメェらは……ッ!?」

 

ティオネとティオナ、そしてベートの三人もいつもの調子だ。一触即発に見える雰囲気も、当人たちにとっては普段通りのもの。

 

張り詰め過ぎず、緩め過ぎず。程良い緊張を維持したまま、椿を加えた【ロキ・ファミリア】上位陣は、晴れつつある土煙の奥へと鋭い眼光を飛ばした。

 

『………ハア゛ァァ………』

 

巨大な岩盤を片手で押しのけ、起き上がる『闇の王』。連携の取れた一連の攻撃を前にしても、致命傷たり得るものはなかったらしい。

 

しかし、それも想定内。

 

想定外が起こる事こそ、冒険者にとっては想定の内なのだ。故に、平然と起き上がる『闇の王』を前に動揺する者など、誰一人としていなかった。

 

「アイズには悪いが、長引かせるつもりはない」

 

誰に言うでもなく、極自然な風にフィンが口を開く。

 

「今この瞬間にも、多くの不死人たちが戦っている。僕たちがいるこの場所を維持する為、血を流して戦っている者たちがいる……そして、ファーナムも」

 

『魔法』の行使で細かな指揮を捨てたフィンは、しかし、それでも言葉を紡ぐ。理性さえも捨て去った『闇の王』に、言い放つように。

 

多くの不死人たち、そして彼らをこの世界に繋ぎ止めているファーナムもまた、戦っているのだ。

 

そんな勇敢な彼らに無様な姿を晒さぬよう、【ロキ・ファミリア】首領にして小人族(パルゥム)の勇者は、決意を言葉に表す。

 

 

 

 

 

「もう一度言おう、長引かせるつもりはない……二分以内にケリを付ける」

 

 

 

 

 

堂々たる宣言が放たれる。

 

最終決戦の幕が、切って落とされた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十六話 電撃戦

 

フィンが高らかな宣言を言い放つ、その少し前。合流を果たした彼らは一丸となり、『闇の王』と戦っているであろうファーナムとアイズの元へと急いでいた。

 

二人の身を案ずる気持ちは勿論ある。しかしそれと同じくらいに、或いはそれ以上に、これ以上二人に後れを取ってはなるものかと、昂る心のままに地を蹴っていた。

 

そんな好戦的な意欲に駆られていた彼らだが、()()に足を踏み入れた直後、全員が高まっていた緊張の糸を更に張り詰めさせる。

 

折られ、砕かれた無数の武器。もう一つの合戦場があったのかと錯覚するほどに散りばめられたそれらが、無惨な姿で横たわっていたのだ。

 

その中心に、彼はいた。

 

折られ、砕かれた無数の武器たちの主―――ファーナムは、巨大な十字槍に腹部を貫かれた状態で、血だまりの中に倒れていた。

 

「―――ファーナムッ!!」

 

焦燥に染まった声で彼の名を叫び、フィンは弾かれたかのようにそばへと駆け寄った。一瞬遅れたガレスたちもファーナムの姿に目を剥き、即座にフィンの後を追う。

 

「嘘、ファーナム!?」

 

「ファーナムさんっ!?」

 

ティオナとレフィーヤの悲痛な声が響くも、ファーナムは何の反応も示さない。四肢を地面に投げ出し、十字槍を突き立てられたその姿は、誰がどう見ても死体そのものであった。

 

「……クソッ……!」

 

すでに手遅れ。

 

言葉にせずとも、ティオネの漏らした呟きの意味を誰もが理解していた。

 

腹部の傷だけではない。腕や脚にも幾つも傷を刻み、そのどれもが深い。人の形を保っている事が奇跡のような有様に、ベートですら息を忘れて立ち尽くしている。

 

その中で最も早く決断を下したのは、やはりフィンであった。

 

「リヴェリアはファーナムの治療に当たれ。レフィーヤは万一に備えて彼女の護衛を」

 

「ああ、分かった」

 

短い会話を終えたリヴェリアはファーナムの傍らで膝を折ると、すぐさま治療を始めた。

 

腹部を除き、最も深刻であろう胴に刻まれた傷に手をかざす。未だ流れる血を止めようと、魔力による治癒の光が淡く輝いている。

 

「ファーナムはまだ死んでいない」

 

フィンのその言葉に、レフィーヤたち若き冒険者がハッと顔を上げる。

 

「彼は不死人だ。僕たちとは違い、死ねばその身体は光の粒となって消えているだろう」

 

「っ!」

 

それは今までの戦いで得た不死人たちに関する知識の一つであった。その通り、本当に死んでしまったのであれば、ファーナムの身体がこうして形を残しているはずがない。

 

まだ生きている。その確証を得た彼らの瞳に、確かな希望の光が灯った。

 

「僕たちは僕たちのすべき事をする。やる事は何も変わってはいない」

 

フィンの下した判断はいっそ冷酷なまでに最適解であり、故に若き冒険者たちの心からは動揺、戸惑いの一切が断ち切られる。そして古くからの付き合いであるガレスと椿は、彼のその毅然とした態度に口の端を吊り上げた。

 

傷を完治させた自分たちと違いボロボロの姿であっても、やはりフィン・ディムナは【勇者(ブレイバー)】の二つ名に恥じぬ男なのだ。

 

「それじゃあ頼んだよ、二人とも」

 

「は、はい!」

 

「ああ、お前たちもな」

 

そうしてフィンたちは再び『闇の王』を目指し、武器の骸が散乱する大地を駆けていった。

 

後に残されたリヴェリアとレフィーヤは与えられた自らの役割を全うすべく、倒れたファーナムの傍らに付き添う。

 

「リヴェリア様……ファーナムさんは、本当に大丈夫なんでしょうか?」

 

「……分からない。ここまでの傷を負ってまだ生きている事自体、私たちからしてみればありえない事だ」

 

ファーナムの身を案ずるレフィーヤからの問いに、リヴェリアは答えられなかった。

 

傷はどれも深く、骨や筋肉、内臓もめちゃくちゃになっている。腹部の十字槍による傷口などは周囲が炭化しており、一滴の血すらも流れていない程だ。

 

それでも死んでいない……否、死ねない。

 

不死の呪いという理不尽なものに人生を狂わされた不死人たるファーナム。彼が今まで歩んできた道のりは、リヴェリアにも想像がつかない程の過酷なものであったに違いない。

 

しかし、それでも分かる事はある。

 

(ファーナムは、たった一人で『闇の王』と戦った……これ程の傷を負ってまで)

 

自身と同じ異分子が、オラリオに災厄をもたらす事を許容できない。

 

共に過ごした時間は短くとも、ファーナムであれば迷わずそうする。彼の示した勇気にリヴェリアは一人静かに敬意を表し、必ず癒す、助けるのだと固く心に誓う。

 

「……死なせない。絶対に死なせないぞ、ファーナム……っ!」

 

だから、帰ってこい。

 

彼女がかざした手から溢れる光が、未だ目覚めぬファーナムの帰還を静かに待っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「速攻でケリをつける。電撃戦だ」

 

ひりつくような空気の中、フィンの言葉に全員が武器を構え直す。

 

彼らが目指すは勝利のみ。欲するのは敵の首級ただ一つ。

 

この戦いに終止符を打つべく―――『闇の王』を討つ。

 

「……行くぞっ!!」

 

覇気の込められた合図の元、全員が一斉に走り出した。

 

一丸となり向かってくる、オラリオが誇る上級冒険者たち。それに対して『闇の王』は、右腕のみで支えていた巨大な岩盤に指を喰い込ませ、軽々と持ち上げてみせる。

 

『オォ゛―――ォアア゛ッッ!!!』

 

それを投擲。

 

超重量の塊がそれに見合わぬ速度で迫る。その光景にティオナたちが瞠目する中、フィンは彼の名を叫ぶ。

 

「ガレスッ!!」

 

「分かっておるっ!!」

 

阿吽の呼吸とはまさにこの事。フィンの言わんとしている事をつぶさに察したガレスは一人前へと躍り出ると、地面を踏み締めて大きく跳躍した。

 

「ふんッ!!」

 

跳躍と同時に引き絞られた右拳は超硬金属(アダマンタイト)をも打ち砕く。故に砕かれたのはどちらかであるなど、火を見るよりも明らかだった。

 

轟音を響かせ四散する巨大な岩盤。第一撃を打ち砕いたガレスは、しかしその双眸を驚愕に見開く。

 

(―――速い!?)

 

100Mは先にいたはずの『闇の王』が、すでに眼前にまで迫っていたのだ。打ち砕いた岩盤が一瞬視界を塞ぎ、ガレスはその接近に気付くのが遅れてしまう。

 

『深淵』を用いた高速移動からの跳躍。身動きの取れない空中でガレスは『闇の王』と相対する形となった。左手の剣はとうに振り上げられ、次の瞬間にもその狂刃がガレスの身体を両断せんとしている。

 

が、それよりも速くフィンが動いた。

 

「はあぁあッ!!」

 

反らした身体を全力で引き戻し、撃ち出される金の長槍。『竜狩りの大弓』さながらの速度で放たれたフィンの愛槍が、『闇の王』の直剣の腹を横から叩く。

 

『ッ!!』

 

十全の体勢は崩された。突然の衝撃に『闇の王』は一瞬、意識からガレスの存在が抜け落ちる。

 

その隙を見逃さないドワーフの老兵は、頭上を漂っていた一抱えもある岩を引っ掴み、それを目の前の兜へと思い切り叩きつけた。

 

「ぬぅうんッ!!」

 

『ガッ―――!?』

 

再びの轟音と共に、『闇の王』の身体は()()。落下以上の速度で地面へと叩きつけられた彼の元に、四方から取り囲むようにしてティオナたちが急接近する。

 

 

 

―――十秒。

 

 

 

最初に斬り込んだのはティオネだった。無手だったはずの彼女の手には穂先こそ折られたものの、刃は残った『ハルバード』が握られている。

 

辺りに散らばる武器の数々は、どれも全壊している訳ではない。接近の最中に拾い上げたハルバードを水平に振りかぶり、ありったけの力で『闇の王』の首を狙う。

 

「おらァッ!!」

 

『ッ、ィア゛ァッ!!』

 

起き上がりの隙を突いた奇襲。しかし『闇の王』はティオネの攻撃に合わせるように左腕を振るい、ハルバードの柄を両断した。

 

「チィ!」

 

盛大に舌打ちしたティオネは即座に切り替え、軸足を地面に突き刺す。そして回し蹴りを見舞うべく、乱れる黒髪の隙間から獰猛な眼光を走らせた。

 

「ちょっ、ティオネ!?直接触っちゃ駄目だって―――!」

 

「うっせぇ!()()じゃなきゃあ良いんだろ!?」

 

短気な姉の性質をよく知るティオナが慌てて制止の声を上げるも、彼女の予想していた通りにはならなかった。

 

ティオネの踵がハルバードの斧部分を横から掠め取ったのだ。それを自身の踵と『闇の王』の頭部の間に挟む事で盾のように扱い、一切の躊躇いのない回し蹴りが炸裂する。

 

「沈めッ!!」

 

パァンッ!!と破裂音にも似た衝撃が発生し、『闇の王』の視界が揺らいだ。

 

体勢こそ崩したものの、その身体は倒れず、代わりに兜の奥より咆哮が上がる。

 

『グゥ、ァアア゛ア゛ガアァァアア―――ア゛ッ!?』

 

が、それは半ばで途絶えた。

 

ティオネと入れ替わりに現れたベートが、炎を纏った拳で殴りつけたのだ。回し蹴りに次ぐ拳は『闇の王』の脳を更に揺らし、反撃に割く思考を削り取る。

 

「耳障りなんだよ、テメェの声はァ!!」

 

続けざまに振るわれた拳が狙うは、またしても頭部。

 

彼らの攻撃は全てそこに集中していた。最重要器官である脳を狙い、反撃に割くだけの思考すらも奪い去る。短期決着を狙う彼らは、その為の最善策を打ち合わせもなく実行していた。

 

「くたばりやがれえぇぇえええええええええええ!!」

 

拳、拳、そして蹴り。曲芸じみた動きで放たれる炎撃は留まるところを知らない。

 

この猛攻の前には『闇の王』の身体を覆う『深淵』も意味を成さない。四肢に宿した業火に触れた瞬間にそれらは焼き払われ、無意味な灰となって宙へと巻き上げられてゆく。

 

『ギッ、ギィィイ゛イ゛……ッッ!?』

 

永遠に続くかに思われた餓狼の暴力は、しかし突如として終わりを迎えた。

 

最後に放たれた下牙(ベネト)の踵落としと同時に、『闇の王』の両膝がガクンッ!と地に落ちる。それはベートだけではなく、背後に回り込んでいた椿の攻撃もあってのものだ。

 

鍛冶師ゆえに鎧の構造は熟知している。椿は装甲の薄い箇所、すなわち膝の裏側を狙って太刀を閃かせ、神速の居合を抜き放ったのだ。

 

「今だ、ティオナ!!」

 

『闇の王』の背後から離脱しつつ、椿が合図を送る。そしてベートの残した炎の尾を突き破り、片刃の砕けた大双牙(ウルガ)を振りかぶったティオナが現れる。

 

「ぶちかませッ!!」

 

(まっか)せてぇーーーっ!!」

 

『ッ!!』

 

寸前で顔を上げるも、遅い。

 

断頭台(ギロチン)の如き巨大な刀身が、その身体を逆袈裟懸けに斬り上げた。

 

『ッッ―――――ッガァ゛ッッ!?』

 

吹き飛ばされる身体。決して浅くない傷が刻み込まれ、『深淵』と共に真っ赤な鮮血が振り撒かれる。

 

全員が決死の思いで繋ぎ、遂に掴み取った“一撃目”であった。

 

 

 

―――二十秒。

 

 

 

「良いパスだ、ティオナ」

 

“二撃目”を飾ったのは、槍の一突きだった。

 

飛んで来た『闇の王』の背後へと回り込んでいたフィンが突き出した穂先は、その心臓を狙っていた。しかし『闇の王』が直前で身体を捻った事により、心臓からずれた位置を貫く結果となってしまう。

 

『ギッ……ァア゛ッッ!!』

 

「ッ、ふっ!!」

 

身体から穂先を生やした状態のまま『闇の王』はグリンと首を回し、がむしゃらに左腕を振るう。その斬撃をすんでの所で回避したフィンは、大魚を吊り上げるかのように槍をしならせ、そして地面へと叩きつけた。

 

「おおぉぉおおおおおおおおッ!!」

 

『ガァァア゛ア゛ア゛ア゛ッッ!!』

 

槍を引き抜き、起き上がりを待たず仕掛けるフィン。そうはさせじと立ち上がる『闇の王』。

 

腕を振るう度に振り撒かれる『深淵』を躱し、時には振るう柄で弾き、フィンは『闇の王』との接近戦にもつれ込んだ。

 

一手でも間違えれば死ぬ。そのような局面でこそ光る、これまで培ってきた経験の全てをつぎ込み、一瞬の内に幾つもの槍筋を閃かせる。

 

『闇の王』が剣を振るう。フィンは柄でそれを弾き、翻した穂先で傷を刻む。『深淵』に侵され、殺意以外が抜け落ちた『闇の王』は、戦意高揚の魔法をその身に宿してなお冷静さを手放さなかったフィンを前に、確かに押されていた。

 

「今じゃ、押し切るぞ!!」

 

この好機を逃してはなるものかと、ガレスたちが一丸となって押し寄せる。

 

フィン一人にここまで押されては、『闇の王』に彼らの進撃を止める手立てはない。辛うじてこの場から離脱しようが、先程の見事な連携の餌食となる事は目に見えている。

 

そのような思考など出来ずとも、しかし『闇の王』は、幾星霜もの時を神々との戦いに捧げてきた圧倒的強者だ。

 

故にこそ、このような局面でどう動くべきかは骨の髄、ソウルの奥底にまで染みついていた。

 

『オッ……ォォオオオ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛ッッ!!!』

 

(たけ)びと共にフィンの槍を弾く。

 

穂先が上を向いたフィンはすぐさま立て直そうとするが、そこで彼の瞳がこれでもかと見開かれた。

 

その視線の先にあるのは、黒く淀んだ炎。『闇の王』の右手から湧き上がるようにして現れた、『深淵』に侵された『呪術の火』である。

 

「ッ、総員散開!!」

 

「 ッ!? 」

 

親指が訴える疼痛に促されるままに放たれたフィンの命令に、一瞬だけガレスたちの脚が止まった。その一瞬の内に、『闇の王』はその呪術を解き放つ。

 

『ィィイ゛ア゛ア゛ア゛アアァ゛ァアアア゛ア゛ア゛ッッ!!!』

 

地面に叩きつけられた右手から黒い炎が弾け、それは地を這う無数の蛇のように四方へと伸びてゆく。

 

刹那に満たぬ時が終わり、現れるは黒く染まった無数の火柱。一つ一つが大木のようなそれらはかつて古竜を、そして世界を焼き尽くした、混沌の魔女の手により行使された呪術である。

 

『炎の大嵐』。

 

ただでさえ凶悪な呪術は『闇の王』が纏う『深淵』によって更に強化されていた。規模も威力もかつてとは比べ物にならない業火の大嵐が、フィンたちに襲い掛かる。

 

「ぬぅっ!?」

 

「うわぁっ!?」

 

不規則に噴き上がる極太の黒炎はまるで予測が出来ない。

 

彼らはその身を(よじ)り、或いは手にした得物を力いっぱいに振るって黒炎を凌ぎ、身体の端々を焦がしながらも、辛うじて回避する事に成功した。

 

「皆、無事か!?」

 

「何とか、な!」

 

フィンの声に返ってきたのは椿の声だ。

 

ガレスを始めとした全員も無事であるようだが、しかしフィンの親指の疼痛は治まらない。そして『闇の王』は、すでに次の行動に移っていた。

 

呪術の火をかき消したその右手に現れたのは、節くれだった古木の杖だった。

 

深淵の主のソウルから生み出されたその杖の名は『マヌスの大杖』。今や元となったその杖の持ち主と同等、或いはそれ以上に『深淵』に浸した『闇の王』は、淀みなく『魔術』を行使する。

 

『追う者たち』。

 

それは『闇の王』の掲げる杖より出でた。十や二十ではない、正しく無数の人間性の闇が、幽鬼の如く殺到する。

 

「ッ、避けろ!!」

 

絶叫にも似たフィンの声と、人間性の闇が牙を剥くのは同時だった。

 

被弾した地面が抉れ、砕かれた武器が跡形も無く粉砕される。仮そめの意志を与えられた彼らは人への羨望、あるいは愛の赴くまま、どこまでも追跡し続ける。

 

「何これ、何これぇーっ!?」

 

「絶対に喰らうでないぞ!!」

 

ダンジョン上層に現れる『ウォーシャドウ』にも似た人間性の闇を前に逃げ惑うティオナたち。見た目はどうあれ、被弾した際の威力は先の通りだ。

 

「ちぃっ、クソったれが!!」

 

「こんなモン!!」

 

しかし、ただ逃げ惑う事を良しとしない者たちがいた。しつこく追い続ける人間性の闇を迎え撃つ形でベートは足刀を、ティオネは拳を繰り出す。

 

「ッ、よせ!?」

 

フィンの制止の声も空しく、二人の攻撃が人間性の闇にぶち当たる。直後、暗い光が爆ぜ……ベートの右脚とティオネの左腕が、あらぬ方向へとねじ曲がった。

 

 

 

―――四十秒。

 

 

 

「ッッ!!」

 

「ぐぁ―――っ!?」

 

Lv.5の肉体がいとも容易く破壊される。【ロキ・ファミリア】きっての肉弾戦を得意とする二人がやられる光景をまざまざと見せつけられ、その場の全員が目を剥いた。

 

手足を折られるだけに留まらず、倒れ込んでしまうベートとティオネ。そこへ追い打ちをかけるのは人間性の闇と、再び呪術の火を手にした『闇の王』だ。

 

放たれる呪術は黒く染まった『大火球』。人一人を飲み込んで余りある特大の火の玉が、二人を焼き付くさんと飛来する。

 

「させんっ!!」

 

が、直撃まで残り10Mといったところで、ガレスが割り込んだ。拾い上げた半壊武器を両手に持って現れた彼は、その身体に似合わぬ速力を以て人間性の闇を打ち払う。

 

「ぐっ、ぬぅ……!?」

 

触れると同時に、人間性の闇は大きな衝撃を残して霧散した。受け流す暇などあろうはずもない。武器を振るったガレスの両腕の骨にはヒビが入り、鋭い痛みが駆け抜ける。

 

それを些末事と断じたガレスは、眼前に迫った大火球のその身を晒す。腰を落とし両腕を広げ、背後のベートとティオネを守る盾となったのだ。

 

「ぐぅ、ぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!?」

 

黒い炎が視界を奪い、業火の熱が全身を焼く。辛うじて形を保っていた鎧は瞬時に蒸発、残された己の肉体のみで、ガレスは黒い大火球と真正面からぶつかり合う。

 

皮膚が、筋肉が、骨が、その奥の内臓が一気に炙られる。

 

それでもガレスは黒炎を受け止める事を止めず―――拮抗から数秒後、大爆発が起こった。

 

「ガレスっ!?」

 

宙を舞うガレスの身体からは焼け落ちた皮膚が煤となって黒い軌跡を描き、後方の二人よりも更に遠くへと吹き飛ばされてゆく。

 

誰よりも堅牢な老兵のその姿に、ティオナの悲痛に叫びが木霊する。椿が絶句する。誰もが時を止める中、フィンただ一人だけが……誰よりも速く動いた。

 

「―――戦えッ!!」

 

そう言い放つや否や、襲い掛かる人間性の闇の群れへと向きを変えるフィン。

 

逃げ回り、機を窺うだけでは勝てない。リスクを冒してこそ『闇の王』へと刃が届くのだと、小人族(パルゥム)の勇者は腹を決めた。

 

「手足をもがれようと、首だけになっても喰らい付け!!その程度の事も出来ずに、何が冒険者だ!!」

 

身を挺して黒炎を受け止めたガレス。その行いに見合うだけの覚悟を見せろと、防戦一方のこの状況を覆せと、発破をかける。

 

人間性の闇の群れ。その僅かな隙間を縫うようにして、フィンはこれを突破した。小さな体躯を以てしても至難の業である芸当をやってのけた彼は、一人『闇の王』へと猛然と走り出した。

 

「……うんっ!!」

 

こうまで言われて黙っているような面子ではない。ティオナは逃げの姿勢から急停止し、腰巻を翻して人間性の闇を睨みつける。

 

フィンのような芸当は出来ないが、幸いにして動きはそれほど速くない。ぶつかるギリギリの所まで十分に引き付け、その直前に大きく跳躍する事で攻撃を回避してみせた。

 

「やーいっ、のろまー!」

 

それでも人間性の闇はどこまでも追いかける。上空へ逃れたティオナを逃がすまいと、弧を描いて追いすがる……はずだった。

 

ティオナと人間性の闇、その間を椿が通り過ぎたのだ。彼女のすぐ背後には別の人間性の闇が追尾しており―――次の瞬間、凄まじい衝撃が発生した。

 

「うわあぁぁ、っとおぉっ!?」

 

「っくぅ!!」

 

人間性の闇同士をぶつける事による相打ち。椿の狙いはそれだった。

 

爆風にも似たその衝撃に吹き飛ばされるティオナと椿であったが、それだけだ。地面に叩きつけられる事もなく上手く受け身を取り、起き上がるや否や、フィンの後を追って共に走り出す。

 

「はっはっは!上手くいったな、ティオナ・ヒリュテよ!」

 

「もう、やるなら先に言ってよぉー!すっごいビックリしたんだからねー!?」

 

「すまんすまん、次からは気を付けよう!」

 

軽口を交わし合う二人に、先程までの動揺は微塵もない。やるべき事を見失うなというフィンの言葉と、あの程度でガレスがやられる訳がないという絶対の自信、その二つが彼女たちの背中を後押ししているのだ。

 

そして、ベートとティオネも。

 

「「 クッソッ……ったれがァッッ!!! 」」

 

盛大な悪態は自分自身へ向けられたもの。

 

自らの軽率な行いが招いたガレスの負傷、その事実は決して消えない。故に結果で汚名を返上しようと躍起になり、折れた脚を動かし、砕けた腕をぶら下げて、立ち上がる。

 

「アイツは俺がぶち殺すッ、邪魔すんじゃねぇぞ馬鹿アマゾネス!!」

 

「ざっけんな!!テメェこそすっ込んでろクソ狼!!」

 

仲はどうあれ、目的は同じ。これ以上ない程に闘志を燃え滾らせ、二人は地面を爆散させて駆け出した。

 

「……全く、どうしようもない馬鹿者どもじゃのう……」

 

後に残されたのはガレス一人。彼は地面に仰向けで転がり、虚空を見つめながら呆れ顔を浮かべていた。

 

上半身をまんべんなく焼かれたものの、驚いた事に瀕死ではなかった。重傷である事に違いはないが、それを言ってしまえばこの場にいる全員がそうだ。

 

故に、いつまでも寝ている訳にはいかない。

 

「んぐっ、ぬうぅ……!」

 

巨岩の如き肉体が、ゆっくりと起き上がる。

 

身体の調子を確かめるようにゴキリと肩を鳴らしたガレスは、不敵に笑った。

 

「さて……事が済んだ暁には、あの二人に拳骨でもくれてやるか」

 

 

 

 

 

不屈の冒険者たちは、なおも『闇の王』に挑む。

 

戦闘開始からすでに六十秒が経過。

 

フィンの宣言した『二分』という刻限まで―――残り、六十秒。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十七話 決死の果て

フィンの紅眼は『闇の王』の姿のみを映していた。

 

人間性の闇は今なお追いかけてくる。それを彼は地面に散らばっている武器の破片を、愛槍の柄を使って器用に後方へと弾き飛ばす事で対処した。

 

接触するだけで恐ろしい威力で爆発する代物だが、それも肉体に直接、或いは武器を介して触れさえしなければ良い話だ。速度も遅く、幸いにしてこの場には様々なものが転がっている。これを利用しない手はなかった。

 

投げつけた武器の破片は全ての人間性の闇に命中。背後へ意識を割く必要がなくなったフィンはふっ、と息を吐き、一気に『闇の王』との距離を縮めた。

 

『ッ、ォヲオオッ!!』

 

穂先を向け突進してきたフィンに合わせる形で『闇の王』が剣を振るう。

 

穂先を真っ直ぐに向けた、肉薄には遠い距離。握った手から伸びる柄を半ばで両断するかに思われた『闇の王』の振るった刃は、しかし虚しく空を切った。

 

直前でフィンが槍を手中で回し、斬撃を躱したのだ。ぐるりと一回転した槍の先端は吸い込まれるように『闇の王』の頭部を直撃、刺突と偽った打撃が炸裂する。

 

それだけでは終わらない。身体を空中に預けたままのフィンはその体勢のまま、再び手中で槍を巧みに操る。ビュンッ!と風を裂いて振るわれた石突きが、今度はその顎を打ち抜いた。

 

『ガッッ!?』

 

一瞬の内に見舞われた二連撃に、『闇の王』が呻きを上げる。が、それだけだった。

 

(頭部への集中攻撃に加え、胴と胸には深手を負っている。だというのに、まだこれ程とは……!)

 

着地と同時に振り下ろされた刃を穂先で弾く。跳ね上がった『深淵』の飛沫を避けるべく身体ごと後退させるも、これに『闇の王』は剣を振るって追撃を仕掛けた。

 

不死人の肉体というものがどれ程の強度を誇るのかは知らないが、これは明らかに異常だ。自分たち上級冒険者を六人も同時に相手取って戦える目の前の怪物に、フィンは改めて戦慄する。

 

しかし、それに怖気づいて動きを止める事などあり得ない。どころか、愛槍を()るその動きは一層速く、そして精細さを増していった。

 

『ガァアア゛ア゛ァァアア゛ッッ!!』

 

「………ッ、……ッッ!!」

 

斜め上からの斬撃を、半身を捻って回避。同時に後ろ手で槍を左手に持ち替え、真横に振るった柄で腹部を打つ。即座に腕を引き穂先近くを手繰り寄せ、首を狙って突き出す。

 

必要な行動を、必要最低限の動きで。瞬きすら捨て去ったフィンは、真正面から『闇の王』と斬り結ぶ。

 

 

 

―――七十秒。

 

 

 

一呼吸の内に複数回の攻撃を繰り出すフィンの動きは常軌を逸していた。この戦闘における最適解を選び取り続ける彼の脳は、一瞬前の事さえも遠い過去のものへと変えてしまう。

 

瞳孔は開き切り、鼻からは血が垂れている。猛烈な負荷を脳と肉体に強いてはいるが、その甲斐もあり『闇の王』は徐々に押されている様子だ。

 

『グゥウッ!!』

 

ガイィンッ!!と、またしても弾かれる『闇の王』の凶剣。肉体ごとのけ反るかに思われたが、脚を踏ん張りこれを耐える。期せずして大上段の構えとなった『闇の王』は、力のままに思い切り振り降ろした。

 

「ッ!!」

 

フィンの判断は早い。防御も後退も反撃の暇を与えるだけだと踏んだ彼は、なんと『闇の王』の両脚の間をくぐり抜けたのだ。

 

小柄な体躯の小人族(パルゥム)にしか出来ない芸当。『闇の王』の振り下ろした刃は地面を爆散させ、『深淵』と瓦礫を盛大に巻き上げる。しかし肝心のフィンには当たらない、何しろ彼は『闇の王』の真後ろにいるのだから。

 

『ッッ!!』

 

フィンと『闇の王』が、ほぼ同時に動く。

 

首を穿ち絶つ軌道で放たれた黄金の穂先は、しかし命を奪うには至らなかった。『闇の王』は全力で回避したものの、首の横に深い裂傷を負う。噴出した血の量がそれを慮実に物語っていた。

 

『ギイィイッッ!?』

 

(ッ、()()!!)

 

頸動脈は絶った。それでも『闇の王』は動く。やはり確実に倒すためには首を切断するか、心臓を破壊する以外に方法はないと踏んだフィンは、振り向きざまに放たれた大振りの横薙ぎを回避しながら周囲に目をやる。

 

そこには仲間たちの姿があった。椿とティオナ、ベートとティオネ、そしてガレス。ボロボロになりながらも、自分と同じく諦めない者たちが、こちらへ向かって来ていた。

 

 

 

―――八十秒。

 

 

 

『ッガ、アッ、ァァアアア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッッ!!』

 

フィンの視線が外れたのを見抜いたのか、『闇の王』は雄叫びと共に右手に新たな武器を掴み取った。

 

『深淵』に濡れ、元の色を失った暗月のタリスマンだ。こちらへと向かうティオナたちを一網打尽にすべく、『闇の王』はそれを地に叩きつけた。

 

瞬間、乱立したのは無数の巨大な刃。最初の死者ニトに由来する奇跡『墓王の大剣舞』が、『闇の王』を中心にして全方位に猛威を振るった。

 

「くっ!」

 

その剣舞はフィンにも襲い掛かる。

 

自身の足元から出現した巨大な刃。それを槍で弾きどうにか回避するも、『闇の王』はこの隙を見逃さない。足元近くにいたフィンの腹部目掛け、強烈な蹴りが炸裂した。

 

「ぐぅ、ッッ!?」

 

今度は防御も間に合わない。ぐしゃり、という骨と内臓が潰れる嫌な感触を感じながら、彼の小さな身体は猛烈な速度で蹴り飛ばされてゆく。

 

「団長!?」

 

「っ、構うな!!」

 

途中で目が合ったティオネの口から叫びが迸る。不規則に乱立する巨大な刃を躱しながら進んでいた彼女たちの足が止まる事のないよう、フィンは全力で声を張り上げた。

 

「進めッ、この機を逃すなッッ!!」

 

血と共に吐き出される決意の声。全員が繋いだ攻撃で『闇の王』は確実に弱っている。この戦いが実を結ぶかどうかは、全員の力に懸かっている。

 

手足をもがれようと、首だけになっても喰らい付け。数十秒前のフィンの言葉を思い起こし、全員の身体がカッ、と熱くなる。

 

 

 

―――九十秒。

 

 

 

「言われなくても、そのつもりだッッ!!」

 

墓王の大剣舞の効力が切れる。

 

元の光景を取り戻した先にいるのは『闇の王』ただ一人。何の障害物もない荒野において、ベートが真っ先に辿り着いたのは言うまでもない。

 

折れた脚を筋肉で強引に固めた彼の速度に衰えはない。炎の尾を引き連れ、そのままの勢いで鞭のように鋭い蹴りを見舞った。

 

「ッラァッッ!!」

 

『闇の王』の肉体を覆う『深淵』さえも問題にしないベートの攻撃は非常に強力だ。しかし、それでも『闇の王』の命へは遠く届かなかった。

 

そんな『闇の王』が防御を固めればどうなるか。

 

「なっ……!?」

 

『………フゥゥ』

 

側頭を狙った炎蹴、しかしそれは『闇の王』が手にした『竜紋章の盾』により阻まれた。

 

奇しくも、ここまで『闇の王』を追い詰めた【ロキ・ファミリア】が、殺意の虜囚と成り果てた彼に、不死人としての戦い方を取り戻させたのだ。

 

『―――ヴゥンッ!!』

 

動きが止まったベートへと迫る凶剣。その胴を両断する勢いで振るった刃に、彼は獣の反射神経で反応した。

 

剣の側面を捉えた蹴りで辛うじて軌道を逸らすも、次の瞬間には右手の盾は消え去っていた。代わりに握られていたのは『メイス』。武骨な鉄の塊が、ベートの額を叩き割った。

 

「がッッ―――」

 

容赦のない一撃に、炎狼の身体が地に落ちる。

 

次に斬り込んだのはティオナだ。片刃の折れた大双牙(ウルガ)を大上段に構え、力の限りに振り下ろす。

 

「んにゃろぉーーーーーっ!!」

 

喰らえばひとたまりもない一撃。それ故に読みやすい。『闇の王』はそれまでの動きが嘘のように、ひらりと身体を横に逸らせるだけで躱してみせる。

 

瞠目するティオナを他所に、メイスを『竜骨の拳』に変える。すでに引ききられた拳が、吸い込まれるようにティオネの腹へと炸裂した。

 

「ぅぶ―――っっ!?」

 

「ティオナっ!?」

 

駆け付けたティオネからは彼女の顔は見えない。だがその口から吐き出され、撒き散らされた血の量に、奥歯がギシリと音を立てる。

 

「何してくれてんだッ、テメェッ!!」

 

己の片割れを殴られ激高するティオネ。せっかく拾い上げた直剣をも握り砕いて振るった拳も、やはり『闇の王』には届かない。

 

次に取り出したのは、この戦いで二度目となる暗月のタリスマン。それを見たティオネの脳内に、危険を知らせる警鐘が鳴り響いた。

 

「チィ―――!!」

 

決断は早かった。

 

腹を押さえて蹲るティオナをかき抱き、四肢に炎を宿したベートは極力威力を殺した蹴りで遠くへ飛ばす。そうして自身もまた後方へと大きく跳び退いた所で、『闇の王』は奇跡『神の怒り』を行使した。

 

物理的な攻撃力を備えた黒い衝撃波が発生する。それに全身を殴り付けられる感覚を味わいつつ、ティオネたちの身体は再び後方へと飛ばされてしまった。

 

「ぐう、うぅ―――――ッ!?」

 

そんな衝撃波に、椿は地面に太刀を突き立てどうにか耐える。

 

(これほど離れていても、この威力か……!?)

 

あと僅かでも近付いていたのなら、と戦慄する椿。

 

少しでも力を抜けば吹き飛ばされてしまいそうな、暴嵐にも似た衝撃波。それがようやく治まった頃に彼女は目を開け、そして愕然とした。

 

下を向いた己の視界。そこに、『深淵』に濡れた両脚があったのだ。

 

(速、過ぎる―――!)

 

接近に気付く事もできなかった。あたかも首を差し出す形となってしまった椿を前に、『闇の王』の左腕は頭上へと上げられている。

 

不味い、死ぬ―――そう直感してしまったところに、老兵の声が飛んで来た。

 

「椿ィーーーーーッッ!!」

 

「ッ!?」

 

咄嗟に上げた顔。椿の視界に、ガレスの雄姿が映る。

 

屈んだ椿を飛び越え、武器を拾い上げたガレスがやって来た。右手に大斧、左手には大槌。使用者と同様にボロボロの武器が、『闇の王』へと叩きつけられる。

 

そして、砕かれた。

 

頭部を守るように構えられた『グレートソード』は壊れかけの大斧と大槌などはものともせず、返す刀で『闇の王』は特大の刃を振るう。

 

「ッ、ぬうっ!」

 

ブンッ!!という風切り音。全身の筋肉を総動員しての緊急回避。首を刎ねられる事態だけはどうにか回避したガレスであったが、『闇の王』の攻撃は終わらない。

 

グレートソードを振り抜くと同時に次の武器を展開、逆手にして取り出した『デーモンの槍』の歪な穂先が、ガレスの横腹に深々と突き刺さった。

 

「がっ、ぁガ―――ッッ!?」

 

肉が引き裂かれ、血が噴出する。更には付与された雷が体内で弾け、臓腑を焼かれるような激痛が全身を駆け巡った。

 

「ガレスッ!!」

 

硬直から立ち直った椿が立ち上がる。

 

『闇の王』はこちらを見ていない。今が好機と確信した椿は太刀を両手で握り締め、全霊を以て首を狙った斬撃を解き放った。

 

しかし―――パキィンッ、と。

 

「―――ッ!?」

 

『闇の王』が持ち上げた凶剣。刃を合わせただけの動作で、椿の太刀は呆気なく折られてしまった。

 

武器の強度が、肉体の質がまるで敵わない。非情なまでの力量差を見せつけられた椿はこれでもかという程に両目を見開き、愕然として時を止める。

 

『ハァア゛ッ!!』

 

『闇の王』はガレスを突き刺したままデーモンの槍を振るう。老兵の肉体を鉄球のように扱い、椿の身体へとぶち当てる。

 

互いの骨が砕ける音を耳にしながら、二人の身体は地面を転がってゆき、そして停止した。

 

『ォォ……ォォヲオオオォオオオオオオオオオオッッ!!』

 

技を忘れ、獣性を取り戻した『闇の王』の咆哮が木霊する。

 

それは正しく、勝利を確信した雄叫びであった。

 

 

 

―――百秒。

 

 

 

 

 

 

 

 

度重なる戦闘により【ロキ・ファミリア】は瀕死も同然という有様。

 

腕を折られ、脚を折られ。肉を裂かれ、抉られ、焼かれていた。身に纏った戦装束は血に塗れていない所などない。

 

しかし、心までは折られてはいない。

 

「……寝ている暇なんてないぞ」

 

遠く吹き飛ばされたベートたちの耳を、フィンの声が静かに打つ。

 

全身から血の雫を落とす勇者は前だけを向き、立っていた。

 

「『闇の王』を、討つまでは」

 

 

 

―――百五秒。

 

 

 

 

 

 

 

 

『ォォ、ォ………ッ』

 

雄叫びは細く小さくなり、兜の奥より血と『深淵』が滴り落ちる。

 

瀕死なのは『闇の王』も同じであった。胴を斜めに斬られ、胸を穿たれ、更には首にも深い裂傷を負っているのだ。いかに異常な肉体であっても、これらは決して無視できない程の深手である。

 

それでも動く。

 

敵はまだ死んではいない。確実に息の根を止めるべく『闇の王』は、左手に握られた『深淵』が蠢く凶剣を携え、倒れ伏すガレスと椿の元へと足を踏み出した。

 

『―――――ッ!!』

 

直後、『闇の王』の視界に特大の刃が映る。

 

咄嗟に動かした左腕、その凶剣で刃を受ける。弾ける火花と『深淵』、その奥に口元を真っ赤に汚したティオナの姿があった。

 

「負ける、もんかぁ……!!」

 

『ギッ、ァアア゛……ッ!!』

 

血走ったその瞳に映るのは決意の炎。『闇の王』という理不尽な存在などには決して屈しないという、強靭な覚悟の(あらわ)れだ。それがティオナに力を与え、瀕死の肉体を突き動かしたのだ。

 

そして、彼女も。

 

『ガッッ!?』

 

『闇の王』の右肩に深く突き刺さる直剣の刀身。剥き身の刃を握り締めたティオネが、鬼の形相で歯を食い縛る。

 

「こんなモン、屁でもねぇ……ッ!!」

 

右手に付着した『深淵』の飛沫を、根性のみで耐え抜く。アイズでさえも全身を強張らせた神々を呪う毒に、狂暴な蛇は真正面から向かい合っていた。

 

「押し返すぞ、ティオナッ!!」

 

「うんっ!!」

 

息を合わせた押し戻し。ティオナは大双牙(ウルガ)で、ティオネは回し蹴りで以て『闇の王』の身体を突き飛ばし、空いた距離を即座に詰めて追撃を仕掛ける。

 

ティオナの大双牙(ウルガ)は一撃必殺の斬撃。その攻撃の合間を縫うように放たれるティオネの徒手空拳の猛打に、『闇の王』の肉体は更なる傷を刻み込まれた。

 

『ヲォ、ォオ゛オ゛ァガアァッッ!?』

 

先程までのような技は出ない。出せるはずがない。勝利を確信した『闇の王』は、獣性と引き換えにそれを手放してしまったのだから。

 

双子のアマゾネスの雄姿に、ガレスと椿も立ち上がる。若者にだけ戦わせていては冒険者の沽券に関わるとばかりに、互いに頬を吊り上げた。

 

「……いけるか、椿」

 

「……ああ、無論だとも」

 

言い終えるや否や、二人は走り出す。

 

傷付いた身体とは言え、その動きは速かった。十分な助走をつけたガレスが、ティオネとティオナに向けて大声で言い放つ。

 

「どけぃっ!!」

 

「ッ!!」

 

その声に、迷う事なく左右へ跳ぶ二人。直後にガレスは『闇の王』へと肉薄し、全力の剛拳をその胸に叩き込んだ。

 

「むぅんッッ!!!」

 

『ガッ―――――ッッ!?』

 

鎧が割られ、胸骨を粉砕する感触。手首までめり込んだガレスの一撃は凄まじく、上半身を覆う鎧が全て砕け散った。

 

噴出する血と『深淵』。盛大にばら撒かれたそれらを低い位置で躱しつつ、半ばで折られた太刀を鞘に納めた椿が突貫する。

 

折られた刀身の長さと彼我の距離とを見極め、三度(みたび)となる神速の居合が解き放たれた。

 

「ハアァッ!!」

 

『………ッッ!!』

 

折られ、しかし鋭利な刃が『闇の王』の腹を真横に斬り裂く。零れた臓腑に確かな手応えを感じた椿は、更なる一斬を叩き込もうと顔を上げる。

 

『ゴッ、オッ、オオ゛ヲ゛ォオア゛ア゛ア゛ア゛ッッ!!』

 

「ッ!?」

 

しかし、なおも『闇の王』も動いた。

 

腹から内臓を振り撒きながら、椿の身体を背中から串刺しにせんと凶剣の切っ先を振り下ろす。

 

「椿ッ!?」

 

ティオネの声が飛んでくる。しかしここで飛び退けば『闇の王』に体勢を整え直す時間を与えると判断した椿は、背筋の戦慄きのみを頼りに全力で身体を反らせた。

 

(ただでは、終わらんッ!!)

 

直後、凶剣の切っ先が地面に突き刺さる。そして絶死の突きを回避した椿は太刀を逆手に構え直し、その折れた切っ先を『闇の王』の左足の甲へと突き刺した。

 

『グッ!?』

 

蹲り、太刀の柄を両手でしっかりと握り込む。地面に縫い付けたこの左足を決して離さぬよう、渾身の力で捕らえる。

 

『ガアァッ!!』

 

「させないよっ!!」

 

地面に突き刺した凶剣を引き抜き、今度こそ椿を仕留めんとする『闇の王』。しかし振り上げられたその刃を、ティオナの大双牙(ウルガ)が弾いた。

 

「このクソ野郎ォッ!!」

 

『ッ!?』

 

同時に、ティオネが投げつけた槍の穂先が『闇の王』の右腕を穿つ。二人の攻撃により両腕が左右に開いた『闇の王』の身体が僅かに硬直し、その隙を突いた二人が右腕、左腕をしっかりと掴む。

 

「ガレスッ、今の内に!!」

 

「やっちまえッ!!」

 

防御の構えも取れない『闇の王』。これ以上の好機はないと、二人はガレスに(とど)めを刺すよう促す。

 

しかし、ガレスはそうはしなかった。『闇の王』の背後に回ってその両肩を引っ掴み、自らも動きを止める鎖となったのだ。

 

「なっ……!?」

 

「はぁっ!?」

 

「ちょっ、何してるの!?」

 

「落ち、着けい……!」

 

予想外の行動に困惑する椿たち。それらの声を涼し気に受け流したガレスは、しかし血管の浮き上がった顔で歯を食い縛り、前を見た。

 

彼の見たもの、それは真っ赤に燃え上がる一匹の餓狼の姿。十分……否、十全の溜めを以て飛び出したベートはひと踏みごとに地面を爆散させながら、ガレスたちが(いまし)める『闇の王』の元へと突貫する。

 

 

 

―――百十五秒。

 

 

 

『オッ……ォォヲオオ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛ッッッ!!!』

 

己の身に迫る最大級の危機を直感したのか、『闇の王』の激しい抵抗が始まった。

 

鼓膜を破くような咆哮を全身に受けながら、ガレスたち四人は巨大な鎖となってその肉体をこの場に縫い留める。

 

 

 

―――百十六秒。

 

 

 

「死んでも離すでないぞォッ!!!」

 

「「「 おおおぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっ!!! 」」」

 

『闇の王』の咆哮と、四人の気合いがぶつかり合う。

 

この場から離れようとする『闇の王』は藻掻き、全身から『深淵』をまき散らすも、()は少しも緩まない。

 

それもそのはず。その程度で綻びが生じるのなら、彼らはここまで抗ってはいないのだから。

 

 

 

―――百十七秒。

 

 

 

『ア゛ア゛ァッ、ァアア゛ガア゛ッッ!!ヲオオ゛オ゛オ゛ア゛ァアア゛ア゛ガガァアア゛ア゛ッッッ!!!』

 

藻掻き、足掻き、咆哮する。己のソウルより起死回生の一撃を繰り出す事さえも出来ぬほど、『闇の王』は暴れ狂う。

 

そして―――、

 

「るおおぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっっ!!!」

 

炎狼が、喰らい付いた。

 

業火を伴った蹴撃、それは炎の刃となって『闇の王』の左胸を縦断する。

 

『ッガ………!』

 

傷口は瞬時に炭化し、上空にその欠片が舞い上がった。割られた肉体のその奥、命の鼓動を司る心臓が剥き出しとなる。

 

 

 

―――百十八秒。

 

 

 

それを引っ掴むベート。そんな彼の背に、小さな人影が跳び上がった。

 

黄金の槍を携えたフィンが、ベートとは真逆の静かな表情で呟きを零す。

 

「……終わりだ、『闇の王』」

 

 

 

―――百十九秒。

 

 

 

一際大きく燃え上がったベートの手が、心臓を握り潰す。

 

同時に、フィンの金槍が閃く。

 

直後、『闇の王』の首が宙を舞い―――そしてそのまま、地に落ちた。

 

 

 

―――百二十秒。

 

 

 

『―――――』

 

二分以内にケリを付けるという宣言。

 

その言葉通り、『闇の王』は刻限と同時に心臓を潰され、首を刎ねられたのであった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十八話 顕現

明けましておめでとうございます(遅)。

とうとう2022年になってしまいましたが、今年中の完結を目指して頑張っていきたいと思います。

恐らく残り数話で完結すると思いますので、どうぞ今後ともよろしくお願い致します。


くるくると、視界が廻る。

 

灰の空。灰の大地。散乱した武器。『深淵(何か)』が混じって淀んだ血。

 

複数の人影。捕らえる者たちと、捕らえられる者。

 

紅蓮の炎と黄金の穂先。

 

崩れ落ちる人影。心臓は潰され、首もない。

 

ここはどこだ。あれは誰だ。

 

遂に地に伏した肉体。その胸元から零れ落ちたペンダント(あれ)は……何だ。

 

分からない。分からない。何も分からない。

 

ごろりと転がる首。狭まってゆく視界。

 

霞みゆく意識の奥底で、彼は思う。

 

―――――私は、何者だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

意識を黒く染めた『闇の王』。

 

それと入れ替わるように……『神殺しの直剣』に宿る『深淵』が、密かに胎動した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……みんな、生きてるか……?」

 

『闇の王』の首を刎ねたフィンは軽やかに着地した。しかしもう限界が近付いていたのか、倒れそうになった身体を、地面に突いた手で支え直す。

 

そうして彼は口元の血を拭い、魔法の効力が切れた蒼眼を背後へと向けた。

 

「はい、団長……」

 

「なん、とかぁー……」

 

「ハッ……誰に言ってやがる……」

 

同じく魔法とスキルの効力が消えたベートとティオネ、そしてティオナが気丈に答える。ガレスは倒れ込んだ椿を抱え起こし、同じく返答した。

 

「全く……流石に今回は、老骨には応えたわい……」

 

「それで済むあたり、お主も大概であろう……」

 

やはり【ロキ・ファミリア】は規格外揃いだ、と感心半分呆れ半分に息を吐く椿に、フィンは疲れ切った顔に笑みを浮かべる。

 

自分も含め酷く痛めつけられたが、生きている。異常(イレギュラー)続きの今回の『遠征』だったが、どうにかなったという実感を噛み締めつつ、彼は地に伏した『闇の王』の亡骸に目をやった。

 

緩やかにソウルの粒子へと還ってゆく亡骸は凄惨極まるが、こうまでしなければ『闇の王』は倒れなかった。一体何が彼にそこまでの執念を抱かせたのかはとうとう分からなかったが、それは考えても仕方のない事だ。

 

それよりも、今は地上への帰還が最優先だ。フィンは痛む身体に鞭を打ち、まずは今も回復に専念しているであろうアイズの元へと向かう事とした。

 

鈍い歩みで『闇の王』の亡骸から離れてゆく一行。一歩、また一歩とその距離は広がっていく。

 

誰も口を開かず、その顔に浮かんだ色濃い疲労を隠せずにいた。これ以上ない位の傷を負い、今すぐにでも倒れ込んでしまいたい程の疲労が身体を包み込んでいる。

 

―――だというのに。

 

フィンの親指は容赦なく、残酷な運命を突き付けた。

 

「っ、団長!?」

 

がくり、とフィンが膝を折る。前触れのないその動きに、真っ先にティオネが反応した。

 

疲労の限界が来たのかと思った彼女は、その小さな身体に寄り添うようにして身を屈める。心配なのはガレスたちも同じようで、彼らは各々の顔に緊張の色を浮かべていた。

 

しかし、事態はそれよりも()()悪かった。

 

「………しくじった」

 

「え……?」

 

ぽつりと呟かれたその言葉。ティオナはその意図が分からずに、間の抜けた声を漏らす。

 

「……あれはもう、僕たちの前に現れた時の『闇の王』ではなかったんだ。狙うべきは心臓でも、首でもなく……」

 

フィンが何を言っているのか分からない。

 

時を凍てつかせる全員を尻目に、フィンはぎこちない動きで背後を見る。

 

「狙うべきは、断ち切るべきは……あの()()だったんだ……!!」

 

極限まで見開かれたフィンの碧眼。その瞳に映ったものは―――、

 

 

 

 

 

心臓を潰され、首を刎ねられ、なおも立っている『闇の王』の身体だった。

 

 

 

 

 

「……マジ、かよ……ッ!?」

 

その姿にベートさえもが戦慄する。ガレスも、椿も、誰もかもが言葉を失った。

 

ひしゃげた身体、垂れ落ちた臓腑。がらんどうの腹を(さら)け出す殺意の化身は、しかし不気味なまでに微動だにしない。肉体の消滅を意味するソウルの流出も完全に止まり、ただその左腕だけが『深淵』の蠢きに蝕まれていた。

 

その根本となる凶剣の切っ先から、真っ黒な雫が滴る。地に落ち、潰れたそれは世界を侵すかのように『闇の王』の足元に広がってゆき、次の瞬間にはその身体を飲み込んでいた。

 

どぷんっ、と消え失せた『闇の王』の身体。それが意味するのが消滅ではないと悟ったフィンたちは、知らず己の拳を握り締める……否、硬直させる。

 

そして永遠にも感じられる数秒の時を経て、()()は顕現した。

 

深海より這い上がるように、黒い水溜まりから現れたのは先と同じ凶剣の切っ先。しかしそこから先は、全くの別物となっていた。

 

柄と手は完全に癒着し、左腕も全て『深淵』の色に染まっている―――それこそが()()

 

肩口より広がるのは瘴気の(たてがみ)。地上にありながら海の中を揺蕩(たゆた)うように揺れ動くそれは、絶えず苦悶の表情を浮かべる人の顔を形成し、竜にも似た長大な首へと繋がっている。

 

肉体は皮膚の爛れた獣のもの。歪み捻じれた背骨が大きく浮かび上がり、朽ちかけた船底のような肋骨は外へと飛び出ている。中に収められているはずの臓腑はなく、代わりに『深淵』が渦を巻いていた。

 

前足は巨大な人の腕で、後ろ足は蹄を持つ獣のもの。共に本来の形からは大きくかけ離れ、辛うじてそうであろうと感じさせるだけだ。

 

全長は20M(メドル)ほど。そのおよそ半分を占める、肉の剥がれ落ちた尻尾をゆるりと動かした怪物は、傍らに転がっていた己の首……否、『闇の王』の首を絡め取り、断面が接するように自らの()()、つまりは凶剣と一体化した左腕の付け根へと押し当てた。

 

すると、その箇所の肉が盛り上がり、『闇の王』の首を飲み込んでゆく。

 

上下が逆さまの状態で半ばまで取り込まれた兜。眉庇(バイザー)部分が震えるや否やガパリと開かれ、その内部をフィンたちへと晒した。

 

そこに、あるべき顔はなかった。

 

あるのは細かな乱杭歯と、口腔内を埋め尽くす無数の目玉。ぎょろぎょろと絶え間なく蠢くそれは、見る者に生理的嫌悪と吐き気を催させる。

 

そして、それは長大な首をもたげ―――、

 

 

 

 

 

「 お ■ぉヲ■■  おォア ■ ■■■ ォお  ■ん 」

 

 

 

 

 

―――産声を上げた。

 

「―――――っっ!!?」

 

無垢な赤子の寝息のような、悪意に満ちた吐息のような。頬を優しく撫でられるような、内臓を引きずり出されるような。愛されるような、殺されるような……そんな産声であった。

 

それだけ。

 

ただそれだけで、フィンたちは理解してしまった。これは()()()()()()()()()()だと。

 

例えるなら、荒れ狂う海に身を投げるようなもの。どんな抵抗も意味を成さず、そもそも立ち向かう事自体が間違っているのだ。

 

この怪物はそういう類のもの。『闇の王』が最期の瞬間まで抱いていた殺意を依代(よりしろ)に、『深淵』が形を得たのだ。

 

それがもたらすものは“終末”。

 

虫も草木も、人も獣も、モンスターも神も、そして夜空に煌めく星々さえも。ありとあらゆる形の生命(いのち)に無差別に襲い掛かり、啜り尽くし、やがては世界そのものを飲み干す大災厄。

 

この名もなき怪物を、あえて呼称するならば―――それは『深淵の獣』。

 

歪み切りながらも己が大義を貫き続けた『闇の王』は、今この瞬間、最も穢れた存在へと成り果てた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その大災厄の誕生を、この場にいる誰もが感じ取っていた。

 

敵味方の入り乱れる戦場。未だ激しい剣戟が絶えぬ場においても、その時ばかりは静寂が訪れる。

 

手にした武器をぶら下げる者。振りかぶったまま硬直する者。今まさに命を絶たれようとしているにも拘わらず、同様に動きを止める者……時を凍てつかせた者たちばかりが、この戦場を埋め尽くしていた。

 

彼らの視線はただ一つの場所へと向けられている。

 

「な、何が……?」

 

視界に映る異様な光景に、ラウルたちも戸惑うばかりであった。

 

今自分たちがいる場所よりも更に奥。フィンたちが居るであろう場所で起こっている事態に、その身を竦ませながら。

 

 

 

 

 

それは唐突にやって来た。

 

(な、に。これ……?)

 

リヴェリアによる治療を受け続けるファーナム。無防備となった二人を守る為に残されたレフィーヤは、不意に背筋に悪寒を感じ取った。

 

何気なく振り返る。

 

己の肩越しに視界に入り込んだのは、この場と同じく無数の武器が散らばる荒野と……その只中に小さく見えた()()の姿であった。

 

「………っひ、ィッ!?」

 

その姿をまじまじと見た訳ではない。だというのにレフィーヤの身体は恐怖に慄き、その余りの悍ましさに引き攣った声がせり上がった。

 

「レフィーヤ!?」

 

杖を抱えて蹲った愛弟子にリヴェリアが声を上げるも、彼女も同様にそれが、『深淵の獣』が発する負の気配を感じ取る。全身から冷や汗が滲み、生命そのものが警鐘の音をかき鳴らす。

 

しかし、リヴェリアはそれを強引に捻じ伏せ、蹲るレフィーヤの肩を掴んだ。

 

「気を、しっかり保て……!」

 

「はっ、はぁっ……リ、リヴェリア、様……?」

 

その声が無ければ、きっと自分はそのまま蹲り続けていただろう。

 

この戦場を駆け抜けてみせた精神を以てしても抗い難い恐怖心を飲み下し、レフィーヤは師の声を頼りに顔を上げる。

 

そしてリヴェリアは、フィンに代わる指示を出した。

 

「……レフィーヤ、私たちもフィンたちの元へ行くぞ」

 

「ッ!でも、それじゃあファーナムさんは……!?」

 

「お前の言いたい事はよく分かる。だが……正直に言えば、これ以上の治療が意味を成すかどうか、私には分からない」

 

己の力不足を悔やむように、リヴェリアはファーナムを見る。

 

腹部に十字槍が突き刺さったままの痛々しい姿ではあるが、懸命の治療によって発見当初よりは全身の傷も、出血の量も格段に減っていた。

 

それでもまだ目は覚めない。本来ならばとっくに死んでいるはずの傷を負っても息があったファーナムに、どこまでの治療が有効なのかが分からないのだ。

 

「不死人の生命力というものが分からない以上、ここで治療を中断して良いものかは分からない。だが今は、フィンたちも危険な状況にある事に違いない」

 

リヴェリアがフィンたちの元へ行こうとする理由は他にもある。それは、無事『闇の王』を撃破したのであれば、()()は何なのかというものだ。

 

この距離からでも視認できる『深淵の獣』がもたらした、心臓が締め上げられるような圧迫感。あれを放置してはならないと確信してしまったリヴェリアは、こうして苦渋の決断を下す事となったのだ。

 

ファーナムを再び一人にしてしまう事に躊躇いを感じていたレフィーヤもまた、同じ思いを抱いていたのだろう。痛々しい姿を晒す彼へと視線を向け、しかしここまで抗って見せたその力に賭け、キッ!と表情を引き締める。

 

「……私も、ファーナムさんを信じますっ!」

 

レフィーヤの言葉にリヴェリアは小さく微笑み、そして頷いた。

 

杖を手に、二人は立ち上がる。一人残してしまう事となったファーナムの、しかしその生きようとする力を信じて。

 

 

 

 

 

「………っ!!」

 

束の間の休息は唐突に終わりを告げた。

 

叩き起こされるように目を覚ましたアイズ。得体の知れない感覚に身体を突き動かされ、彼女は即座に戦闘態勢に入る。

 

(何、あれ……!?)

 

そうして見据えた視線の先。数十M先にいたのは傷ついた仲間たちと、アイズの知らぬ怪物の姿であった。

 

その怪物が纏う気配とも言うべきものは、正気を失った『闇の王』のものと酷似している。信じがたい事だが、どうやらあれが今の『闇の王』であるらしい。

 

瞬時に状況を把握したアイズ。その金眼が、フィンたちが攻撃を仕掛ける瞬間を目撃する。

 

同時に、怪物の身体が僅かに動く瞬間も。

 

(―――不味いッ!?)

 

それはほとんど直感に近い感覚だった。

 

全身に『風』を纏ったアイズは愛剣を構え、同時に強く地面を蹴った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何が起こったのかは分からない。しかし、()()が起こったのだ。ソウルの粒子へと還るはずだった肉体をこの場に繋ぎ止め、あまつさえ、より悍ましい存在へと『闇の王』を変質させてしまう程の何かが。

 

「『強化種』……どころの話ではなさそうじゃな」

 

モンスターの突然変異になぞらえ、そう呟くガレス。にやりと笑おうとして失敗したのを、誰もが感じ取っていた。

 

それだけではない。戦う事自体が間違っているのだと、生物の持つ生存本能が訴えかけてくる。今すぐ逃げろと心臓が早鐘を打つ。

 

だが、そうはしない。

 

元より逃げ場などないのだ。ならば取るべき手段は徹底抗戦のみ。こちらは誰も彼も満身創痍だが、それがどうした。冒険に窮地など付き物ではないか。

 

「フィンよ、作戦はあるか?」

 

「……相手がどんな手を使うか分からないけど、定石(セオリー)通りに行こう」

 

「つまり、脚狙いか」

 

「大物相手の基本、だっけ?」

 

「そうね。でも勝手に突っ走るんじゃないわよ、ティオナ」

 

「テメーも人の事言えねぇぞ、ティオネ」

 

方針は決まった。

 

『深淵の獣』は未だ動かず、首をもたげて虚空を仰いでいる。先手を取る絶好の機会だが、細かな指示を飛ばす余裕も、それを実践する余力もフィンたちには残されていない。

 

しかし、これだけは言わなければならなかった。

 

「戦う前にひとつだけ……死ぬなよ、皆」

 

勿論、と誰もが心の中で誓う。

 

死ぬ為の特攻ではない。勝利し、生きて帰還する為の戦いなのだから。

 

「―――行くぞ」

 

静かに放たれたフィンの号令の元、一同は地を蹴った。

 

先ほどまでの激闘に比べれば見劣りする速度。それでも十分に速く、彼らはあと数秒もせず武器を振るうに適う距離まで迫るだろう。

 

呆けたように宙を仰ぐ『深淵の獣』にはこれを防ぐ術などない……かに、思われた。

 

「 を■■ン 」

 

身じろぎするように『深淵の獣』が腹部を震わせる。するとその朽ちかけの腹部より、『深淵』が噴き出したではないか。

 

「ッ!!」

 

『深淵』は(せき)を切ったように噴出し、そのまま地面に叩きつけられた。本来ならば腹部には到底収まり切らないであろう量のそれは、自身を中心に全方位へと真っ黒な津波を生み出した。

 

突如として現れた黒い壁。『闇の王』が身に纏っていたものよりも更に凶悪で、触れただけで肉体に深刻な影響を与えるものだという事が一目で分かる。

 

フィンたちはこれを回避しようとするも、傷ついた身体の反応は鈍い。急激な方向転換に全身が軋み、一刻を争う事態で致命的な隙が生じてしまう。

 

飲み込まれる―――そう覚悟した、その時。

 

「―――ハアァッ!!」

 

裂帛の気合いと共に、風を纏った斬撃が真横から放たれた。

 

それはフィンたちの目の前を通過し、津波と化した『深淵』を千々(ちぢ)に吹き飛ばした。凄まじい風圧に瞠目する一同は、等しくその後ろ姿を目にする。

 

「アイズっ!」

 

「あんた、もう動けるの!?」

 

「皆……遅れて、ごめん」

 

喜びに声を弾ませるティオナと、こちらを心配するティオネ。それに対しアイズは振り返らずに短く言葉だけを返す。これ程までの傷を負わせてしまった事に対する、謝罪の言葉を。

 

誰も彼も、全身を血に(まみ)れさせている。今この瞬間に力尽き、倒れてしまっても可笑しくない。皆はここまで戦っていたというのに、自分は何を呑気に眠っていたのだ……と、アイズは唇を強く噛んだ。

 

(後は、私に任せて)

 

右手に握る愛剣に再び『風』を纏わせ始める。

 

後悔と焦燥。皆を傷つけた『深淵の獣(闇の王)』に対する怒りと、何よりその場に立ってすらいなかった、自分自身への激しい嫌悪。それらがごちゃ混ぜとなった胸の内を表しているかのように『風』は荒れ、巨大な暴風の塊へと変貌を遂げようとしていた。

 

(全部、私がやるから、だから……っ!)

 

大き過ぎる感情の昂りは、己をも飲み込んでしまう。自身も知らず表情が消え、暴風が爪を割ろうとも気が付かない。

 

「【穿て、必中の矢―――アルクス・レイ】!!」

 

感情の赴くままに振るわれる『風』が、アイズの肉体の限界をも無視して吹き荒れる―――彼女の後方から一条の光矢が飛んで来たのは、正しくその直前であった。

 

眩い軌跡を描いて現れた単射魔法(アルクス・レイ)は『深淵の獣』の肩に直撃、着弾と共に爆発音が轟く。

 

己の感情に飲まれかけていたアイズはハッと目を瞬かせ、肩越しに振り返る。そこには杖を前方に構えたレフィーヤと、その傍らに立つリヴェリアの姿があった。

 

「アイズ、無事か!?」

 

「リヴェリア……それに、レフィーヤ」

 

アイズの意識は二人の方へと向き、同時に心の中で渦巻いていた感情の奔流もかき消える。あれほど膨大だった『風』はそれと呼応するかのように静まり、冷静な思考が戻ってくるのを感じた。

 

「アイズ」

 

近付く事すら拒絶する、強大で孤独な『風』を解いたアイズにフィンが語りかける。

 

「僕たちの事を想ってくれるのは嬉しいが、一人で戦うような真似は止めてくれ。いつも言っているだろう?」

 

「フィン……」

 

血塗れの顔に、少しだけ困ったような微笑みを浮かべるフィン。

 

それは手のかかる子供を諭すような、そんな優しい顔だ。

 

「僕たちは【ファミリア】だ。だから、一緒に戦おう」

 

「……うん」

 

息を吸い、そして吐く。そこにはもう、感情の赴くままに剣を振ろうとしていた少女の姿はない。

 

今のアイズは、ただがむしゃらに力を求め、襲い来る敵全てを力任せに斬り伏せていたあの頃の幼女(アイズ)ではない。仲間と共に戦う事を覚え、仲間の為に戦える少女(アイズ)になったのだ。

 

ヒュッ、と、愛剣《デスペレート》を横に薙ぐ。先程までとは違う、透明な『風』が刀身を覆う。

 

「皆……力を貸して」

 

応じる声はない。そんなもの、彼らには今更必要なかった。

 

アイズを先頭に、フィンたちは戦闘態勢を取る。レフィーヤの魔法を受けた『深淵の獣』も『深淵』の放出を止め、攻撃が飛んで来た方向へと首をゆるりと動かした。

 

【ロキ・ファミリア】対『闇の王』……もとい、『深淵の獣』。

 

期せずしての第二戦目が、始まる。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十九話 兆し

ダンジョンの何処か。

 

薄暗い、閉塞的な空間に()()は現れた。

 

『ヴゥ?』

 

一匹のモンスターが背後を振り返る。そこにあるのは見知った暗闇と、点在する同胞たちの影と、とうの昔に喰い尽くした冒険者(余所者)たちの骨の欠片……そして。

 

天井から、壁から、地面から湧き出してくる、()()()()()()()()()

 

『ォ―――ッ!?』

 

それは現れるや否や、モンスターに襲い掛かった。全身を絡め取る粘液は動くほどに広がり、瞬く間に身体の自由を奪う。

 

目、鼻、耳、口。全身の穴という穴から粘液が流れ込み、肉体を包み込む。その時にはすでにモンスターの意識は消失。直後に形を失い、粘液と完全に同化してしまった。

 

抵抗すらも許されない。異常を感じ取った何匹かは逃げ出そうとするも、瞬間には粘液に絡め取られ、他の同胞たちと同じ末路を辿る事となった。

 

薄暗い、閉塞的な空間にそれは、『深淵』は現れた。

 

そしてそれは、ダンジョン各所に現れ始めた。

 

 

 

 

 

「……?」

 

第50階層の安全階層(セーフティポイント)にて警備に付いていた【ロキ・ファミリア】の団員が、遥か遠くの方角を訝しげに見つめる。

 

常であれば灰色の森林が広がっているはずの場所が、所々に濁った変色を認めたからだ。フィンたちが発つ前に話していた新種のモンスターたちの進攻、その前兆であると感じたその団員は、急いでアキたちの元へと駆け出した。

 

「皆、起きろ!例の新種が来るぞ!!」

 

その声に団員たちは一斉に目を覚まし、速やかに臨戦態勢を整える。

 

行動自体は間違っていなかった。魔力による誘導の準備、そこへ集まった新種のモンスターを一網打尽にする武装の数々。フィンたちが居なくとも確実に対処して見せるだろう。

 

それが、例の新種のモンスターだったのであれば。

 

 

 

 

 

「ッ!?」

 

神ウラノスの目がこれでもかと大きく開かれる。その顔には驚愕と困惑、そして焦燥の色がありありと浮かんでいた。

 

「フェルズ、今ダンジョンに【ロキ・ファミリア】以外の冒険者はどれ程いる!」

 

「なっ……!?」

 

『闇の王』が現れて以降、何の像も結ばなくなった水晶を懸命に調べていたフェルズは、背後から飛んで来た声に驚く。

 

不意に叫ばれたからではない。今までにない焦りが込められた神の声に、何か重大な事態が起こっているのだと察したからだ。

 

「……今は真夜中だ、この時間帯にダンジョンに潜っている者はそう多くはないだろう」

 

「ならば『異端児(ゼノス)』たちに伝えよ。正体を勘付かれないよう注意を払い冒険者たちを捜索し、地上に追い立てろと。彼らにも危険が及ぶ事になるが……」

 

『フェルズ!』

 

苦肉の策を打ち立てようとしたウラノスであったが、それを遮るようにフェルズが持つもう一つの水晶から連絡が入った。

 

「リド?どうした!?」

 

『ダンジョンに()()出た!何だよあれ、モンスターを片っ端から取り込んでる!俺っちたちはまだ無事だが、このままじゃあヤバいぞ!!』

 

「っ!?」

 

リドからの報告に、愚者と大伸は戦慄する。

 

『異端児《ゼノス》』たちを冒険者の救護に当たらせようとしたウラノスは、その術すらも失った。

 

「……やむを得ん」

 

しかし、指を咥えて見ているだけなど出来ない。ウラノスは被害を最小限に留める事にのみ集中し、次なる指示を飛ばす。

 

「フェルズ、ガネーシャへ(ふくろう)を飛ばせ」

 

「待て、待ってくれウラノス!ダンジョンに一体何が起こっているんだ!?」

 

「……全ては分からない。だが……」

 

かつての『賢者』であっても全く理解出来ない異常事態に、ダンジョンの守護者とも言える大神は、慄くように呟いた。

 

「このままでは……下界が飲み込まれる……!」

 

状況からしても、原因は『闇の王』と考えて間違いない。しかしそれに対処出来るのは、今まさに戦闘を繰り広げているであろう【ロキ・ファミリア】をおいて他にない。

 

新たな戦力の投入はおろか、現状すらも正しく把握出来ていない。未曾有の危機に対しオラリオが誇る大神は、大空間に広がる虚空を睨んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらを向いた『深淵の獣』に対し、アイズは先手必勝とばかりに突貫する。

 

全身に纏った『風』により『深淵』を跳ねのけられる事は実証済みだ。ならばフィンたちは敵の撹乱に尽力してもらい、自分は積極的に攻撃を仕掛けるまで。

 

レフィーヤの魔法による援護射撃もある。背後を気にする必要はないと、アイズは『深淵の獣』の左腕()に狙いを定め、一直線に跳んだ。

 

「 ォ■ 」

 

しかし、そう簡単にはいかない。

 

『深淵の獣』は再び腹部から大量の『深淵』を噴出させ、自身の周囲に壁を作った。触れれば終わりの死の壁が視界いっぱいに広がり、アイズの金の瞳が揺れる。

 

「【アルクス・レイ】!」

 

そんな彼女の背後から飛んで来た魔力の弾。レフィーヤの放った魔法が壁に穴を空け、そこをアイズの身体が通り抜ける。

 

死の壁を突破したアイズは目の前にまで迫った左腕()を目掛け、固く握った愛剣を迷いなく振り抜いた―――が、しかし。

 

その斬撃は、他でもないその凶剣によって防がれた。

 

「ッ!!」

 

ガキィンッ!という鋭い金属音が鳴り響く。

 

関節本来の駆動域を無視した動きでアイズの斬撃を迎え撃った左腕()。その余りの異様さに、アイズは自身の常識が一切通用しない相手なのだと改めて思い知らされた。

 

「避けろ、アイズッ!!」

 

彼女の意識に生じた刹那の空白を破ったのはベートの声であった。同時に『深淵の獣』の(たてがみ)を形成している無数の人の顔が一際大きく歪み、その口から魔術『闇の飛沫』が吐き出される。

 

「くッ!?」

 

超至近距離から放たれた無数の黒弾を、アイズは渾身の力で凶剣を押し返す事でその場を離脱。装甲の一部や髪の端を食い千切られながらも、奇跡的に身体への被弾は免れた。

 

「大丈夫!?」

 

「うん、何とか……!」

 

ティオナのすぐ近くに着地したアイズは使いものにならなくなった胸部の装甲を剥ぎ取りつつ、未だに一歩も動かずにいる『深淵の獣』を睨みつける。

 

そして、それが吐き出した『深淵』が、地面を侵すかのように蠢いている事に気が付いた。

 

「団長、あれは……!?」

 

「分からない。けど、早急に何とかしないといけないだろうね」

 

その正体が、今ダンジョン自体を侵食しつつあるものである事は誰も分からなかった。ただ、放置しておいて良いはずもない。

 

「リヴェリア、詠唱を!」

 

「【―――間もなく、()は放たれる】!」

 

飛ばされた指示に対し、リヴェリアは詠唱する事で返答した。

 

一番離れた位置に立つ彼女は足元に翡翠色の魔法円(マジックサークル)を展開させ、『深淵』を一掃する為の詠唱を開始した。

 

同時に、フィンたちも走り出す。

 

「リヴェリアが詠唱を始めた!魔法が完成するまで僕らに注意を引き付けろ!」

 

攻撃の主軸をアイズからリヴェリアへと切り替える。彼女へ意識が向かないよう、一同は『深淵の獣』を全方位から攻め立てた。

 

周囲に散らばる武器の数々。壊れていようが関係ない、片端から拾い上げ、投擲武器として使用する。

 

「くそ、ガラじゃねぇってのによぉ!」

 

「贅沢言うとる場合かっ!四の五の言わず叩き込めい!!」

 

近接戦主体のベートも、大戦斧が得物であるガレスもそれに加わる。特にガレスが投げつけるのはどれも特大武器であり、それらは砲弾の威力にも匹敵するものだった。

 

「【アルクス・レイ】!」

 

レフィーヤも矢継ぎ早に魔法を行使する。速射性に秀でた彼女の魔法は遠征前に習得した並行詠唱も相まって、正しく動く砲台となってその力を遺憾なく発揮していた。

 

通常の大型モンスターであればひとたまりもない集中攻撃の嵐。しかし『深淵の獣』が埒外の存在だと、彼らは身を以て思い知らされる事となる。

 

「  ■ァ お■■ ? 」

 

全身に突き刺さった武器の数々、そしてレフィーヤの魔法によって抉られた傷口。それらは『深淵の獣』を小さく身震いさせる以上の効果はなかった。

 

剣が、槍が、腐った肉体に飲み込まれる。抉れた傷が泡立ち、瞬く間に再生する。まるで蝿が身体にとまっただけのようなその反応に、一同は驚愕を隠せない。

 

「はは、何の痛痒もなしか……!?」

 

椿の乾いた笑い声が空しく響く。

 

それでも続ける。目的は撃破ではなく、単なる時間稼ぎなのだから。

 

「【汝は業火の化身なり】!」

 

リヴェリアの詠唱は間もなく終盤へと差し掛かる。幸いな事に『深淵の獣』からの反撃はなく、故にフィンたちは死に物狂いで投擲に専念する事が出来た。

 

「総員、引けッ!!」

 

タイミングを見計らい、フィンの声が飛ぶ。

 

一同は魔法の効果範囲外へと逃れ、『深淵の獣』の周囲は完全なる無人となった。

 

「【焼きつくせ、スルトの剣―――我が名はアールヴ】!」

 

魔法円(マジックサークル)が一際大きく輝き、そして―――、

 

「【レア・ラーヴァテイン】!!」

 

―――巨人の剣が降り降ろされた。

 

安全圏へと逃れた者たちの頬すらも焼く業火の一撃。その近くに突き刺さった武器すらも熔解するほどの超高温の炎の檻に、穢れた巨体は全身を閉じ込められた。

 

炎の檻が小さくすぼまり、勢いを失ってゆく。これで終われ、終わってくれ……!誰もがそう強く願い、灰塵と帰した敵の姿を脳裏に思い描く。

 

だのに……だというのに。

 

 

 

『深淵の獣』は、変わらずそこに在った。

 

 

 

「………!!」

 

絶望という言葉をこれほど強く感じた事はない。リヴェリアの魔法の威力を誰よりも強く理解するレフィーヤの瞳が、目の前の事実を否定したがっていた。

 

肉体の表面は黒く炭化しているものの、それもすぐに再生し、先程までと変わらぬ腐った肉体が姿を現す。しかしそれで終わりではなかった。

 

歪んだ背骨が軋みを上げ、反り返ってゆく。

 

朽ちかけた船底のような腹部を天へと晒し、内部に渦巻く『深淵』が大きく波打ち―――、

 

「ッ!?」

 

何をする気か分かった時には、すでに全員が動いていた。

 

『深淵』が噴出し、フィンたちの頭上より襲い掛かる。その範囲は先ほどまでの比ではなく、触れれば即死の漆黒の雨を避けるべく、彼らは散り散りとなって回避を強いられた。

 

「レフィーヤ!!」

 

「アイズさ―――!?」

 

身体を硬直させてしまったレフィーヤをかき抱き、全力で地を蹴るアイズ。『風』を纏う時間すら許されず、故に死に物狂いの逃走である。

 

他の者たちも同様に、痛む身体に鞭を打ってその場を離脱する。上級冒険者の肉体でなければ逃れられなかった漆黒の雨により、こうして『深淵の獣』の周囲数十Mの大地は黒く染め上げられた。

 

「 ■ァ 」

 

本当に。

 

それだけで終わっていれば、どれほど幸運であったか。

 

「そんな……!?」

 

レフィーヤの唇が震える。

 

それが何を意味するのか。彼女の呟きにつられて振り返ったアイズは、確かに一瞬呼吸が止まるのを感じた。

 

大地を黒く染め上げた『深淵』。そこから這い上がるのは無数の異形たち。

 

様々な鎧に身を包んだ亡者の群れ。頭と左足のない巨人。苔むした石の騎士。車輪と一体化した骸骨。歪んだ頭部と異常に長い腕を持つ人らしき何か……今なお次々と現れる彼らの身体は皆一様に、『深淵』一色に染まっていた。

 

「全く……本当に、参るね」

 

こうした局面において、普段のフィンであれば絶対に出ないような言葉。それが彼らの感じている絶望を如実に物語っていた。

 

ここへ来ての新たな敵、しかもそれは『深淵』から現れた。これ以上出てこない保証など、一体どこにあろうか。

 

絶句する彼らに、べたついた視線が向けられる。

 

『深淵の獣』の内に揺蕩(たゆた)う『闇の王』の記憶の残滓。その奥底より引きずり出され、『深淵』によって仮初の肉体を与えられた恐るべき異形たちが―――【ロキ・ファミリア】に襲い掛かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

真夜中のオラリオを、魔石灯の光が淡く照らし出す。

 

ダンジョンの真上に立つ白塔(バベル)。その周辺に居を構える住民たちは、現在【ガネーシャ・ファミリア】の団員たちの誘導に従い、大移動を開始していた。

 

「はいはーい、押さないでー!急いでいても押さない、走らない、喋らない、()()()を守って下さいねー!」

 

「ごめんなさいねー、ホント。でも大事な訓練なんで!いやホントに!」

 

【ガネーシャ・ファミリア】による大避難訓練。そのような名目で、ウラノスはダンジョン周辺の住民の避難を開始させた。

 

突然の避難訓練に戸惑う住民たちであったが、そこは【群衆の主(ガネーシャ)】の信頼の為せる業だ。目立った混乱もなく、彼らは素直に指示に従ってくれた。

 

「こんな夜分遅くに付き合ってくれて、ガネーシャ超感激!お前たちっ、愛してるぞぉぉおおおおお!!」

 

「ガネーシャ様うるさい!」

 

()()()を守ってって言ったばっかでしょう!」

 

「ふはは!すまん!」

 

象の仮面で素顔を隠した神ガネーシャの大声がオラリオに響き渡る。

 

普段通りの様子を装う男神は、しかしその笑みを消し、不気味に口を開いているであろうダンジョンを睨んだ。

 

(俺が出来るのはここまでだ、ウラノス)

 

神はダンジョンに入れない。故にガネーシャが出来る事は地上の住民の誘導と、後は―――。

 

「……頼んだぞ、シャクティ」

 

 

 

 

 

「私たちの役目はダンジョンに残った冒険者たちの捜索、及び地上へ誘導だ。リヴィラの街の住人たちも例外ではない。また『異端児(ゼノス)』たちを地上に連れ出す事は出来ないが、彼らが危機に陥っている場合は救助に当たれ」

 

【ガネーシャ・ファミリア】団長、【象神の杖(アンクーシャ)】シャクティ・ヴァルマの声が、目の前に整列した団員たちに放たれる。

 

彼らはガネーシャより『異端児(ゼノス)』の事を知らされた、ごく僅かな団員たちである。今回の件で動かせる数少ない人員である彼らは、オラリオの避難訓練に乗じて秘密裏に行動する任務を与えられた。

 

藍色の髪をした長身の麗人は、ダンジョンの入り口を背にして口を開く。

 

「現在ダンジョンには、我々も見た事がない()()が出没しているという。どの階層に、どれだけいるのかも不明だ。故に交戦せず、発見した場合は速やかにその場を離脱しろ。分かったな」

 

「はい!!」

 

「よし……では、作戦を開始する!」

 

 

 

 

 

オラリオをゆるりと包み込む異常を、聡い神たちは密かに感じ取っていた。

 

「……今夜は随分と外が騒がしいわね」

 

「神ガネーシャが避難訓練と称し、ダンジョン周辺の住民をここから遠ざけています。そして我々にも……如何致しましょう」

 

「そうね……」

 

白塔(バベル)の最上階に君臨する女神フレイヤは美しい銀の長髪をなびかせ、傍らに立つ猪人(ボアズ)の従者、【猛者(おうじゃ)】オッタルへと指示を出す。

 

「一応、ここは素直に従っておきましょう。それと、アレンたちにはこう伝えて頂戴。遠目からで良いからダンジョンを監視しておいて、って」

 

 

 

 

 

「こんな夜更けにいきなり避難訓練だって?子供たちの眠りを妨げてまで?らしくないじゃないか、ガネーシャ」

 

建物と建物の隙間から顔だけ出し、羽根つき帽を目深に被り直した神ヘルメスは意味深にそう一人ごちた。

 

「そんなのいつもの事でしょう。そんな事より早く本拠(ホーム)に戻りましょう。今日はもう疲れました……」

 

「ははは。いつも悪いね、アスフィ」

 

ヘルメスの警護の任に付いていた【万能者(ペルセウス)】アスフィ・アル・アンドロメダは疲労の色を隠しもせず、早く本拠(ホーム)へ帰るよう主神へと進言する。

 

しかし、神ヘルメスの返答はこうだった。

 

「でも避難訓練じゃあしょうがない。さぁ、僕たちもあの列に加わろうじゃないか!」

 

「……あー、もう。言うと思ってました……」

 

あっけらかんと笑うヘルメスに、げんなりとした顔で諦めるアスフィ。

 

故に彼女は、ヘルメスの油断ない視線がガネーシャへと向けられている事に気が付かなかった。

 

 

 

 

 

(なんや、これ)

 

列になって移動する住民たちの姿に、ロキは一人訝しげに眉間にしわを寄せる。

 

現在ロキはダンジョンの前、中央広場(セントラルパーク)にいた。真夜中というのに本拠(ホーム)を抜け出し、護衛も付けていないのは、彼女がふと心に抱いたざわめきが故に他ならない。

 

それは危険と隣り合わせの『遠征』に出かけたフィンたちの身を案じてか、それとも、その身に宿る魔法【ディア・ソウルズ】の存在を明かしたファーナムに対してのものか……ロキ自身も分からぬまま、気が付けばここまで来てしまっていたのだ。

 

そこで目にした住民たちの避難訓練。先導しているのは【ガネーシャ・ファミリア】のようだが、こんな夜更けに突発的に始まったこの出来事に、ロキは無視できない違和感を抱いていた。

 

(ガネーシャのやる事や、なんぼでも説明はつく。せやけどこんなタイミングで避難訓練?いくらなんでも出来過ぎやろ)

 

自身が抱いたざわめきと呼応するような異常(イレギュラー)。これをただの偶然と片付けられるほど、ロキは素直ではない。

 

思考の海に飛び込もうとした瞬間、彼女の視線がダンジョンの入り口へと向けられた。そこには通常はいないはずの存在【ガネーシャ・ファミリア】の団員たちが、得物を手に立っているではないか。

 

まるでダンジョンへの立ち入りを、何人(なんぴと)たりとも拒むかのように。

 

「………っ!」

 

その瞬間、ロキの中で何かが繋がった。

 

【ガネーシャ・ファミリア】は街の警備も兼任している。その彼らがこんな夜更けに住民たちの避難訓練を行い、更にダンジョンの入り口には団員たちが警備に付いている。

 

いくら【群衆の主(ガネーシャ)】とて、ダンジョンまで関わるような勝手な真似は出来ない。であればこの事態を黙認、あるいは指示した存在()がいるはず。そしてそれは一介の神などではない。

 

ガネーシャにこれを指示し、実行できるのはただ一柱(ひとり)

 

「……ウラノス……!」

 

ロキの瞳が剣呑に光る。

 

何が起きているのかは分からない。しかし何かが起きている。ダンジョンの底で、地上までも動かすような何かが。

 

ロキの足はすでに動き出していた。

 

向かうは白亜の宮殿、ギルド。その最奥に座する、オラリオが誇る大神の元だ。

 

 

 

 

 

「うっ、ぐぅうっ!!」

 

「このっ、クソ野郎!?」

 

牛頭と山羊頭の異形の群れの猛攻に、アマゾネスの姉妹が必死に抗う。

 

「椿、踏ん張れぃっ!!」

 

「くぅ、ぉおおおッ!?」

 

死体の山が吐き出す呪詛の嵐に、鍛冶師と老兵の声が重なる。

 

「るぉおおおおおおおおおおおおッ!!」

 

「くっ……!!」

 

幾匹もの飛竜が放つ『深淵』を含んだ黒雷に、餓狼と小さき勇者は懸命に立ち向かう。

 

「レフィーヤ、私の背に隠れていろ!!」

 

「リヴェリア様!?」

 

「はあぁあッ!!」

 

銀の鎧を纏った騎士たちが振るう剣、槍、そして大弓に、妖精の女王は弟子を守るべく障壁を張る。金色の瞳の少女は剣を振るう。

 

『深淵』より無尽蔵に湧く異形の群れ。いかに【ロキ・ファミリア】が手練れの冒険者集団であっても、この理不尽な現実の前には手も足も出ない。

 

圧倒的物量に()され、擦り潰され、無残な亡骸を晒すだけ。

 

そしてその亡骸さえも、『深淵の獣』はこの星ごと飲み込むだろう。

 

善も悪もない。『深淵の獣』は全ては飲み干す。人の営みも、その歴史も、そこに確かに在った命も、悉くを蹂躙し尽くす。何もかもが無に帰すまで、絶対に止まらない。

 

だから。

 

だからこそ。

 

その大災厄を止める存在があるとすれば―――それは、諦めぬ者に他ならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

戦場の何処か。

 

無数の武器が散らばる灰の大地に、十字槍にて腹部を貫かれた男が倒れている。

 

その男の指が、微かに動いた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七十話 家族

 

「!」

 

松明の灯りのみが照らし出す“祈祷の間”にて、フェルズは鋭く勘付いた。

 

「ウラノス、誰か来るぞ」

 

「何?」

 

水晶で『異端児(ゼノス)』たちと連絡を取り合い、何とかダンジョン内部の状況を探っていたフェルズの言葉に、ウラノスは怪訝げに眉を寄せる。

 

「ロイマンがいたはずだが……そうか」

 

彼の脳内に幾つもの可能性が浮かび上がり、それらは瞬く間に一つの解へと収束していった。

 

地上の住民たちへの避難誘導と、ダンジョンへの出入りの規制。これだけでは絞り込めるに至らないが、そこに『偶然』と『神の勘』を加えればどうなるか?

 

『偶然』ダンジョンの前に居り、『神の勘』が働いた。そしてこの場所を目指す者がいるとすれば、それは一柱(ひとり)しか考えられない。

 

「フェルズ、身を隠せ」

 

「心当たりが?」

 

「ああ」

 

コツン、コツンと、音の反響が大きくなる。

 

やがて祈祷の間へと足を踏み入れたその神物(じんぶつ)は朱色の髪を揺らし、ウラノスを真正面から見据えた。

 

「何の用だ、ロキ」

 

「とぼけんなや、ウラノス」

 

剣呑な雰囲気を纏うロキの眼差しは、ウラノスを射殺さんが如くだ。呑気に娯楽を謳歌しているそこらの神々がこの場にいれば、思わず後ずさりをしていたに違いない。

 

「単刀直入に聞くで。ダンジョンで何が起こっとる?」

 

「何かが起きていると、その証拠があるのか?」

 

「ない。けど確信はしとる」

 

勘や、と言い切るロキ。

 

そのような不確かなもので、と一笑に付すのは簡単だ。しかし『神の勘』ほど無視できぬものはない。それがこの道化神の抱いたものであるのなら、尚更だ。

 

「……良いだろう」

 

ウラノスは小さく頷き、改めてロキを見据えた。

 

「私の知り得る限りのことを話そう、ロキ。お前も全くの無関係という訳ではないのだからな」

 

「何やて……?」

 

眉を歪めるロキに、ウラノスは全てを開示する。

 

異界と化した59階層と、ダンジョン内で起きている異常事態。そしてその全ての元凶である、『闇の王』という存在について。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

底なしの沼に沈んでゆくような微睡(まどろ)みに絡め取られながら、ファーナムの意識はどこまでも深く落ちてゆく。

 

早く目覚めなければと思うも、身体は言う事を聞いてくれない。その内に思考すらままならなくなり、何もかもが曖昧になってゆく。

 

(何かを……忘れているような……)

 

大切な事だった気がするが、どうしても思い出せない。

 

そうしている間にも、彼の意識は更に深く落ちていって―――――

 

―――――

 

―――

 

 

 

 

 

 

……。

 

…………?

 

……!………っ!

 

(……何、だ……?)

 

音が……いいや、声が聞こえる。何やら楽しそうな声だ。

 

声の主に覚えはない。心地よい微睡みを妨げる存在に対し、自然と眉にしわが寄ってしまうのを感じる。

 

そんなささやかな抵抗も声の主には関係なく、唐突に訪れた腹部の衝撃によって、その微睡みは呆気なく破られてしまった。

 

「うっ」

 

しかし、それは衝撃と呼べるようなものではなかった。全く力を入れていない状態でも十分に受け止める事ができ、痛みなど全くない。

 

それでも驚きはする。閉じていた瞳を開け、視線を己の腹部へと向けると……。

 

「あっ、おきた!」

 

そこには、小さな子供の姿があった。

 

肩口で切り揃えられた柔らかな金髪の子供。5歳ほどであろう年の頃の女児は、続く言葉を口にした。

 

「おはよっ、()()()()()!」

 

目の前の子供の発した言葉に、()は困惑していた。

 

(おとーさん……お父さん?それはもしかして、俺の事か?)

 

男の頭に幾つもの疑問符が浮かぶ。

 

子供は返事を期待しているかのようにこちらを見上げ、ニコニコと笑っている。どうやらこちらが何らかの返答をしない限り、梃子(てこ)でも動く気はないらしい。

 

(……まぁ、仕方がないか)

 

自分の事を誰かと勘違いしているようだが、とりあえずは返事をしなければ始まらない。誤解を解くのは、それからでも構わないだろう。

 

そう結論づけ、男は口を開いた。

 

「ああ、おはよう。()()()()()()()()()()()()?」

 

その口から出て来た言葉に、誰でもない男自身が驚いた。

 

ただ“おはよう”とだけ言おうとしていたのに、自然と続く言葉が出て来たのだ。“母さん”とは誰なのか、彼自身にも分からぬままに。

 

「うんっ!もうすぐ朝ごはんができるから、おとーさんをおこしてきてって言ってた!」

 

「はは、そうかそうか。それじゃあ母さんが怒ってフライパンを持ち出す前に、早く起きなくちゃな」

 

またしても、男の口から自分の意志に反して言葉が飛び出す。しかも今度は腕が勝手に伸び、ごく自然に幼女の頭を撫でたではないか。

 

が、不思議と違和感はない。勝手に身体が動くという現象への驚きもかき消え、むしろ安堵感すら覚えたのだ。

 

ずっと忘れていた、或いは欲していたものがこの手の中にある……今の彼の感情を例えるのならば、ちょうどそんなところだろうか。

 

「残念。ちょっと遅かったわね」

 

そこへ、新たな声がかけられた。幼いものではない、成熟した女性の声だ。

 

女性はエプロンを外しながら穏やかな笑みを湛え、幼女と同じく、男へ目覚めの挨拶を投げ掛けた。

 

「おはよう、お寝坊さん」

 

「ああ―――おはよう、母さん」

 

この言葉も。

 

やはり男の口からは、自然に出てきた。

 

 

 

 

 

(かまど)で温め直したパンと、簡単なサラダ。そして朝には少し豪華な具沢山のシチューが三人分、中央に花瓶が置かれた食卓の上に並ぶ。

 

「それじゃあ、頂きます」

 

「いただきまーすっ!」

 

「ふふっ。はい、召し上がれ」

 

朝食が始まった。

 

まずはサラダから。レタスと玉葱のシャキシャキとした瑞々しい食感がドレッシングに良く合い、トマトの酸味も良いアクセントになっている。

 

次に、パンを千切ってシチューに浸して食べる。噛むたびに溢れる優しい味わいが胃を刺激し、あっという間にパンはなくなってしまった。

 

もうシチューは器に少ししか残っていない。スプーンで掬うほどの具もないので、男は器を直接手に取ってそのまま飲み干す事にした。

 

「あなた、お行儀が悪い。この子が真似したらどうするの?」

 

「うっ……わ、悪い」

 

「あははっ、おとーさんおこられたー!」

 

そんな若干の気まずさも、子供の笑い声が洗い流す。

 

女性もそれ以上に咎める事はせず、子供の口元に付いたシチューを優しく布でぬぐい取った。んむー、と、子供は少しだけくすぐったそうにして笑う。

 

そんな光景を、男は優しげな眼差しで眺めていた。

 

(ああ、幸せだ)

 

このささやかな幸福さえ続けば、他には何もいらない。

 

きっと寝ぼけていたのだろう。先程までの奇妙な感覚も、今や遥か彼方に消え去っていた。

 

(そうだ。俺は妻と娘と、三人でここで暮らしているんだ)

 

都市の中心地から少しだけ離れた住宅街に居を構え、周辺の村々からやって来る新鮮な野菜や家畜の肉などを店に卸す仕事をしている。オーナーなど大それた役職ではなく、一従業員として。

 

給料は一人暮らしには十分なものだが、家族を不自由なく養うにはもっと働き、もっと稼がなければならない。遊んでいる暇なんてない。

 

が、今日だけは特別だ。普段あまり構ってやれていない娘のために、オーナーに頼み込んで休みをもらったのだ。

 

窓から差し込む日差しが眩しい。外に出れば、きっとたくさんの楽しい事が待っているに違いない。何せここは世界の中心、()()()()()()()()なのだから。

 

「おとーさん。きょうはお仕事、おやすみなんだよね?」

 

「ああ、だから今日は色々と見て回ろうな。何か欲しいものがあれば、父さんに言うんだぞ?」

 

「やった!じゃああたし、お洋服がいい!」

 

「あら、駄目よ。今あるので我慢しなさい」

 

「えー!?」

 

「はは、大丈夫だって。実はこの日の為に、少し貯金してきた」

 

「……もう。本当に子煩悩なんだから」

 

賑やかな朝の光景が続く。

 

三人が笑い合う食卓、その中央に置かれた花瓶に生けられていた花―――白いカスミソウが、朝日を浴びて輝いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝食の後、少ししてから出かけた洋服店。

 

子供用の可愛らしいワンピースの数々に目移りする我が子と、そのたびに駆け出す後ろ姿をせわしなく追いかける妻。男は少しだけ離れた場所でそれを見ていた。

 

服が入った紙袋をぶら下げ、次に向かったのは出店が立ち並ぶ中央通り(メインストリート)だ。時刻は間もなく昼に差し掛かる頃で、住民や冒険者たちは思い思いの食べ物を購入し、口に運んでいる。

 

「おっと、そこの君たち!美味しい美味しいジャガ丸くんはどうだい、買ってかないかい!?っていうか買っておくれよ、ボクを助けると思ってぇ!?」

 

「え、あっ、はい。買います、買います」

 

途中で店を広げていた女神―――幼女に見えなくもない―――に『これじゃあ今日のノルマがぁああ!?』と泣きつかれて購入した揚げ物を手に、三人は次の出店へと足を延ばす。

 

「お祭りみたいでたのしいね!」

 

揚げ物を頬張り、口の端に衣をつけたままの我が子が満面の笑顔を向けてくる。

 

きちんとした昼食をとるべきだったが、娘がこんなに喜んでいるのだ。ならば今日くらい食べ歩きをしても良いだろう。典型的な子煩悩である男は、妻の少しだけ呆れを含んだ視線に苦笑いを浮かべた。

 

「あなた、次はどこに行くの?」

 

「うぅん、と。そうだな、次は……」

 

どこへ行こう。どこを見て回ろう。

 

ここがいい!そうか、じゃあそこに行こうか。

 

楽しげな会話は尽きない。

 

どこまでも、どこまでも続いてゆく。

 

この幸せな時間はいつまでも続くのだと、確証もないのに信じてしまう。

 

「お花は、綺麗なお花はいりませんか?」

 

雑踏と喧噪の中、とある花屋の前から売り子と思しき声が聞こえて来た。妻と娘には聞こえなかったようだが、男はその声のした方向へと、何の気なしに顔を向ける。

 

売り子は小人族(パルゥム)の少女だった。小さな身体で大きな花束を持ち、道行く人々にお花はいかが?と懸命に話しかけていた。奥では店主らしきヒューマンの老夫婦が、まるで孫を見るような優しい眼差しで少女の働く姿を見守っている。

 

店は花の種類も豊富だった。軒先に並べられている以上の花が店の中には溢れていて、きっと建物の中は良い香りに包まれている事だろう。そう考えるだけで、ここにまで花の香りが漂ってくるかのようだ。

 

「おとーさーん!」

 

と、花屋に気を取られている、その時だった。愛娘の声にハッと我に返った男はごめんごめんと謝りつつ、駆け足で二人の元へと急ぐ。

 

「お買い上げ、ありがとうございます!」

 

すでに離れた花屋から、少女の元気な声が響く。どうやら花が売れたらしく、その声は嬉し気に弾んでいた。

 

少女はぺこりと頭を下げ、次の花束を作るために店の奥へと引っ込んでゆく。

 

幾つもの花が置かれた店内。その一角に埋もれるようにして、白いアネモネの花が顔を覗かせていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

楽しい時間というのは、いつだってすぐに過ぎ去ってしまう。

 

友達と遊んでいる時。恋人と共に過ごす時。そして一家団欒の時……永遠に続くかに思えた時でも、いつかは終わりを迎えるものだ。

 

男は家族で外食を楽しみ、帰路についていた。魔石灯の明かりがオラリオの街並みを彩り、昼間とはまた違った喧噪に包まれている。

 

「晩ごはん、おいしかったね!」

 

「ああ、たまには外食も悪くないだろう。な、母さん?」

 

「ふふっ。ええ、そうね」

 

夕食は少しだけ高いレストランだった。落ち着きのない子供と一緒でも問題なく迎えてくれる所で、娘はオレンジジュースを、二人は葡萄酒を頼んだ。

 

酒など滅多な事では飲まないが、今日は特別な日なのだ。毎日の仕事と家事育児に専念している二人にとっても、たまにはこういうご褒美があってもバチは当たらないだろう。

 

奮発してしまった分、またしばらくは必死に働かなければならないだろうが、男は全く気にしていなかった。またこんなひと時を過ごせるのならば、どんな事にだって耐えられるのだから。

 

(ああ、いや。でも……)

 

ふと、男の頭に不安がよぎる。それはこの先数年後、あるいは十数年後の事だ。

 

(この子に好きな子が出来たらどうしようか。いや、まだ早いとは分かっているんだが、でも、しかし……うぅぅぅん……っ!?)

 

子煩悩、ここに極まれり。そんな()()()()()()の心配をしてしまう男の胸中は、愛しい妻子には伝わる訳もなく。

 

男は楽しげに言葉を交わす妻子の隣を歩きつつ、一人悶々とした考えに頭を悩ませていた。

 

(家族を養えるか、なんて聞くのは野暮か?いや、重要な事だ!でもそれで二人を愛の妨げにはなりたくない。というより、この子に嫌われたくない……!!)

 

密かにうんうんと唸る今の男には、周囲の光景も目に入らない。夜のオラリオの喧噪だけが雑多な音として聞こえてくるばかりで、それもすぐに不要な情報として忘却されていった。

 

「それじゃあ、明日という偉大な日の前祝いとして、乾杯しよう!」

 

「はははっ!さっきから何度目だよ、それ!」

 

「しかも俺たちの事じゃねぇし!他所のファミリアの事だし!」

 

「まぁどっちでも良いけどよ!よぅしお前ら、ジョッキは持ったか!?」

 

喧噪の中で聞こえてくる大声。酒場のテラス席で酒盛りに興じ、すっかり出来上がった冒険者たちの会話。

 

()()()()()自分の人生には何の関係のない彼らの隣を、男が通り過ぎようとした―――その時。

 

 

 

「【ロキ・ファミリア】の『遠征』、未到達領域への進攻(アタック)を祝って……乾杯!!」

 

 

 

【ロキ・ファミリア】。

 

一瞬しか聞こえなかったその単語に、男の身体が硬直した。

 

「     」

 

立ち尽くし、呼吸が止まり、瞳孔が開く。

 

行き来する人の波の中で、動かない男だけが異物のように浮彫りとなっている。

 

「おとーさん?」

 

「あなた?」

 

宙に浮かぶ妻子の声。

 

昼間と全く同じその言葉に、男が顔を上げてみれば―――二人の背後、その遥か先の方に。

 

歩みと共に揺れ動く、()()()()が見えた。

 

「―――――ッ!!」

 

気が付けば、男は駆け出していた。

 

妻子の横を走り抜け、人の波をかき分けて、一心不乱に足を動かし続ける。

 

「あなた!?」

 

「おとーさん!?」

 

妻子の呼び止める声も今ばかりは聞こえない。行き来する人々の肩に何度もぶつかりながら、点のように小さくなりつつあるその後ろ姿だけを、一心不乱に追いかける。

 

人込みを抜け、入り組んだ住宅街を駆ける。すでに見失ってしまった後ろ姿を、男は焦燥に彩られた表情で懸命に探していた。

 

「ハッ、ハッ、ハッ、ハァッ……!!」

 

何故こんなに焦っているのか、その理由は自身にも分からない。

 

真っ暗だった夜空は、いつの間にか早朝の色に塗り替えられていた。それほど時間が経った訳でもないと言うのに。

 

その異常な変化を気にかける事もなく、男はひたすらに足を動かし続けた。

 

そうして抜けた住宅街―――その先にあるのは、大勢の人だかりだった。

 

「………ぁ」

 

バベル……ダンジョンへと続く大穴の上に建てられた白亜の塔の前に集結した、恐れを知らぬ勇敢な冒険者たち。それぞれが得物を携え、これから挑む地下迷宮を真っ直ぐに睨みつけている。

 

彼らの名は【ロキ・ファミリア】。

 

これから彼らは前人未到の領域、第59階層へと挑まんとしているのだ。

 

「犠牲の上に成り立つ偽りの栄誉はいらないっ!!全員、この地上の光に誓ってもらう―――必ず生きて帰るとっ!!」

 

そんな彼らを前に、見事な演説を振るうのは小人族(パルゥム)の男。【ロキ・ファミリア】団長、フィン・ディムナ。

 

彼の言葉が全員を勇気づけ、士気を高めさせる。誰も死なず、死なせず、ダンジョンからの生還を心に誓う彼らの表情は、自信に満ち満ちていた。

 

正しく強者の一団。輝かしい英雄譚の一(ページ)そのものである光景を前に、男の顔はより一層の焦燥感に苛まれる事となる。

 

「駄目だッ!?」

 

叫べども、届かない。

 

男の制止の声も空しく、彼らは次々にダンジョンへと潜っていく。見送る者たちの声援を背に受けながら。

 

「行くな、戻れ!!59階層には奴が……『闇の王』がっ!!」

 

止めなければ。その一心で声を荒らげ続けるが、それは(つい)ぞ届く事はなかった。

 

やがて彼らの姿が見えなくなり……そして、誰もいなくなった。

 

ドッ、と、男が膝を突く。

 

いつの間にか、男の姿は変わっていた。オラリオではごく一般的な服から、冒険者のような武骨な恰好に変貌している。

 

重厚感のある金属鎧。その肩周りを覆う装飾のような毛皮に、鎧の端から伸びる緑を基調とした布地。兜こそ被ってはいないが、それは男を―――ファーナムを、ファーナム(不死人)たらしめる姿だった。

 

(……思い、出した……!)

 

瞬間、ファーナムは全てを思い出した。

 

自分が『闇の王』との激闘の末、腹部を十字槍で貫かれた受けた事を。今こうしている間にも【ロキ・ファミリア】が、仲間の命が危機に晒されている事を。否、そればかりか、この世界そのものが崩壊の瀬戸際に立たされている事を。

 

(……行かなければッ!)

 

これ以上寝ている訳にはいかない。

 

一刻も早く起き上がり、戦わなければ。項垂れていた身体に力を入れ直し、ファーナムは仲間の元へと駆け付けるべく、その足を動かそうとした―――その背に、不意に声が投げかけられる。

 

 

 

「おとーさん?」

 

 

 

(ッ!?)

 

振り返ったファーナムが見たもの。それは不思議そうな顔でこちらを見つめる、幼い娘の姿であった。

 

傍らに立つ女性はしっかりと娘の手を掴んでいる。微笑みながらも、僅かに寂しげな表情を浮かべながら。

 

「……ぁ」

 

掠れた声はファーナムのものだ。

 

全てを理解したファーナムは、もう今までのように二人を見る事が出来ない。何故ならこれは生死の境を彷徨っている自分自身が見ている、一時の夢に過ぎないのだから。

 

だからこそ、分かった。

 

この二人は、不死人となるより以前の自分……人間であった頃の自分が手にしていた、何よりも大切な、かけがえのない家族なのだと。

 

「………ッ!」

 

途方もない感情の波が押し寄せる。

 

オラリオで得た大切な仲間たちと、遠い過去に自ら手放してしまった最愛の家族。現在と過去。何ものにも代えがたいものが、天秤にかけられている。

 

仲間たちの元へと駆け付けなければ。失ってしまった家族の時間をここで取り戻さなければ。

 

選ばなければ、選ばなければ、選ばなければ……残酷なまでの二者択一を迫られるファーナムの脳裏に、ファーナム()の声が響いた。

 

 

 

―――また、裏切るのか?

 

 

 

ファーナムは全てを思い出した。それはかつて自身が人であった頃の記憶であり、その身に“闇の刻印”が刻まれたその日の事だった。

 

突如としてその身に刻まれた理不尽。当然村の住民たちに相談する事など出来ない。過去には“闇の刻印”が刻まれた事を隠そうとして、その家族全員が殺された、などという話も聞いた事がある。そのような危険を冒してまで他の者に打ち明けるなど、男には出来なかった。

 

だから男は家族を捨てた。妻と、まだ赤子の娘が寝静まった深夜にテーブルに書き置きだけを残して姿を消したのだ。他に女が出来た、お前たちは邪魔になった、と。

 

そうすれば自分は“妻と赤子を残して出て行った最低の男”という悪評が立ち、村の者たちが憐れんで妻子を養ってくれると考えたのだ。村の者たちの気の優しさは、男も良く理解していた。

 

そこまでした。そこまでやったのだ。二度と会えないと覚悟して出て行ったのだ。

 

酷い裏切りをしてしまった家族を前に、ファーナム()の声が再び頭の中で響く。

 

 

 

―――また、裏切るのか?

 

 

 

「………無理だ」

 

出来るはずがない。一度ならず、二度も裏切るなど。

 

そうだ。俺はよくやった。俺が『闇の王』を倒さなければなんて、思い上がりも甚だしい。後の事は【ロキ・ファミリア(みんな)】がどうにかしてくれるはずだ。

 

だから、良いだろう?

 

ここで、かけがえのない家族の時間を―――取り戻しても。

 

天秤が傾く。最愛の家族へと。

 

失ってしまったものは余りにも大きい。それが今、手を伸ばせばすぐ届くところにまで来ている。どうしてこれを拒めようか。

 

一度傾いた天秤はもう止まらない。ファーナムに止める術はない。

 

故にこそ、それを止めたのは……最愛の家族の手であった。

 

「あなた、行ってあげて」

 

女性の手がファーナムの手を優しく掴む。武骨な鎧で覆われた手に、微かな温もりが伝わった。

 

「大切な仲間なんでしょう?じゃあ、行かないと」

 

「……っ!」

 

ハッと顔を上げるファーナムに、女性は続ける。

 

「あなたが優しい事はよく知ってるわ。困っている人を見ると放っておけない優しい人だって事も、村の皆よく知ってる。だからあんな手紙、誰も信じてなかったわ」

 

彼女は可笑しそうに笑った。バレバレの嘘をついた子供を、優しく叱るように。

 

「ただ、心配だった。何か大きな事に巻き込まれたんじゃないかって。それでも皆、あなたの帰りを待っていたわ……結局あなたは、帰ってこなかったけど」

 

「……ぁ」

 

「でも……安心して。私たちはちゃんと、幸せだった」

 

女性は男を待ち続けた。男がいなくなった分、村の者たちは一丸となって彼女と娘の生活を援助した。

 

娘はすくすくと成長し、やがて成人し、結婚し、子も生まれた。

 

孫が生まれてからも、女性は男を待ち続けた。それでも時の流れには抗うことは出来ず、やがてその生涯を終えた。娘もその人生にさして大きな問題も起こらず、女性と同様に天寿を全うした。

 

女性は男の無事を祈り、娘は父の安らかな眠りを祈り、その生涯を終えたのだった。

 

「あなたと私の生きた証は、ちゃんとこの子に伝わったわ。そして、その子供にも。だから……ね?」

 

 

 

―――私たちは、ちゃんと幸せだった。

 

 

 

「……っぁ………ぁぁああぁぁあ……っ!!」

 

膝を突き、泣き崩れるファーナム。その兜を脱ぎ去り、素顔を晒したまま女性と娘をその腕でかき抱く。

 

「俺もっ、ずっと一緒にいたかったっ!」

 

滂沱の涙を流しながら、ファーナムは感情のままに泣き叫ぶ。

 

「もっと、もっと幸せにしてやりたかった!!この子の成長を見届けて、普通の人生を生きたかったっ!!」

 

それは“闇の刻印”に全てを奪われた男の慟哭。平凡な人生から一転、呪いと血に彩られた凄惨な道を辿らざるを得なかった男の、魂の叫びだった。

 

「ただの……普通の家族で、いたかった……っ!」

 

ファーナムは強く、強く二人を抱き締め続けた。この温もりを決して忘れぬようにと、この(ソウル)に強く刻み込むために。

 

やがて声が枯れ、静かな時間だけが過ぎていった。叶う事ならいつまでもこうしていたいが、それは叶わない。

 

「さぁ、あなた。もう行ってあげて」

 

女性の細い指がファーナムの涙を拭い去り、優しく立ち上がらせる。それに導かれるまま彼はゆっくりと、しかし確かな意志をもって立ち上がる。

 

「私の愛した人は、困っている人を放っておけない人なんだから」

 

「……ああ」

 

泣きはらし、赤くなった目で女性を見る。柔らかい微笑みはかつて仕事へと出かける際にいつも向けてくれた表情で、その事に再び視界が涙で滲みそうになってしまう。

 

その思いをぐっと堪え、次いで娘へと顔を向ける。女性の服の端をぎゅっと掴む娘は少し不貞腐れたような顔で、ファーナムを見ていた。

 

「おとーさん、もうお仕事にいっちゃうの?」

 

「……ごめんな。でも今度帰ってきたら、その時は一緒にうんと遊ぼうな」

 

「ほんと?やくそくだよ?」

 

「ああ……父さんとの、約束だ」

 

片膝を突いたファーナムは娘の頭を優しく撫で、小さく微笑んだ。

 

それは決して果たされない約束だ。これは一時の夢に過ぎないのだから。

 

それでも約束した。もしもまた、こうして二人に会う事ができたのなら、その時は一緒に遊ぼうと。

 

「じゃあ……おとーさんっ!はい、これっ!」

 

「? これは……」

 

娘から差し出されたのは、一輪のナスタチウムの花だった。道端に咲いているような珍しくもない花だが、鮮やかな色合いのそれは、まるで太陽のようだ。

 

「これからお仕事なんでしょ?だから、あげる!」

 

「―――っ!」

 

このナスタチウムにも負けないくらいの眩しい笑顔を向けてくれた娘に、ファーナムの身体は自然に動いていた。

 

小さな身体を抱き寄せ、もう一度だけ抱き締める。見届けられなかった成長をこの真っすぐな姿に想い、優しく育ってくれた娘に、一筋の涙を流した。

 

「ありがとう……大好きだよ」

 

「うんっ!あたしもおとーさん、だいすきっ!」

 

三人の周囲が淡く光り輝く。どうやら刻限が近いようだ。

 

最後に娘の頭をもう一度だけ撫でる。金属と革の手甲の感触は決して良くはないはずだが、それでも娘はくすぐったそうにして、笑ってくれた。

 

立ちあがったファーナムは、手の中にある兜に視線を落とす。これを被れば、また自分は不死人としてのファーナム(自分)に戻る。それでも、彼の心には何の悔いもない。

 

ずっと昔に忘れてしまっていたものは、確かにこの(ソウル)に刻み込んだのだから。

 

「おとーさん!いってらっしゃい!」

 

「行ってらっしゃい、あなた」

 

かつての日々と変わらず、そしてあったであろう未来と少しも変わらない姿で、二人はファーナムを見送る。

 

「ああ……行ってくるよ」

 

手の中の兜を被る。

 

そしてファーナムの視界は、光で満ち―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………かッ、は………!?」

 

最初に感じたのは、酷く重たい自身の身体の感覚だった。

 

次いで感じるのは痛み。鈍痛と激痛が入り混じった形容し難いそれらがファーナムの身体を駆け巡り、咳込んだ喉の奥には焦げた血の味がへばりついている。

 

「はっ、あ……ぐぅ……!」

 

見下ろした視線の先にあるのは、腹部を貫く十字槍の穂先。未だ『深淵』が蠢くそれを、震える手で鷲掴む。

 

「がぁあ……っぁああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛……ッ!?」

 

じゅう、と掌を焼く『深淵』の残滓。それでもファーナムは手を放さない。

 

苦悶の声と共に渾身の力で、どうにかそれを引き抜く。傷口は酷く焼け焦げており、もはや噴き出す血もないほどに凄惨な有様だ。

 

自身でも死んでいないのが不思議な状態であったが、それはリヴェリアたちが懸命に治療に当たってくれたからこその賜物だ。それを知らぬファーナムはこの奇跡に感謝しつつ、痛む身体を強引に動かして上体を起こす。

 

と、その時だった。

 

「……?」

 

掌に伝わる硬質な感触。見てみれば、それはすでに使い果たしたはずの、たった一つだけの雫石であった。

 

夢の中で娘に手渡された一輪のナスタチウム。それを受け取ったのと同じ手に、それが握られていた。

 

「……は、は」

 

ファーナムは小さく笑った。掠れた喉から出た声は酷く小さく、しかしとても穏やかなものだった。

 

「そうだな……頑張らないとな」

 

娘からの贈り物。それに感謝を込めて使用する。

 

淡い光がファーナムの周囲に溢れ、傷を癒す。雫石による治癒は微々たるものだが、それでも腹に空いた穴は仮初にも塞がった。

 

「……っ、う……ぐ……ッ!!」

 

その身に無数に刻まれた傷は未だ完治には程遠く、動くたびに血が滲む。

 

手足は鉛のように重く、歩き出す事さえ億劫になるほど。

 

視界の端々は暗く濁り、戦うなど以ての(ほか)だと理性が警鐘を鳴らす。

 

―――()()()、まだ戦える。

 

血が出るのはまだ生きている証だ。

 

手足の感覚があれば、まだ武器を握れる。戦える。

 

生き残るための本能など、今は切り捨てろ。

 

これから、大切な()()があるのだから。

 

 

 

「待っていろ……次は、お前の番だ」

 

 

 

立ちあがったファーナムの瞳は真っすぐに―――これより向かう戦場を見ていた。

 

 





~花言葉~

カスミソウ(白):夢心地

アネモネ(白):真実

ナスタチウム:困難に打ち勝つ



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七十一話 決着

とうとうここまで来ました

残り数話も、よろしくお願いします。


 

まず初めに、ウラノスは出会いを語った。

 

ファーナムという異質な冒険者を見つけた事。そして彼と接触した上で敵意がない事を確認し、ここ最近でダンジョン内で起きていた異変についての調査を依頼していた事も明かした―――フェルズの存在については伏せて、だ―――。

 

そして『闇の王』。数多の世界を渡り歩き、そこにいる神々を殺す事こそを使命とする神殺しの旅団。そんな者たちに、遠征中の【ロキ・ファミリア】が遭遇した。

 

しかしその後は分からず、同時にダンジョン内部でこれまでにはない異常事態が生じた。故にバベル周辺の住民たちへの避難と同時に、ダンジョン内に残る他の冒険者たちの救出を【ガネーシャ・ファミリア】に指示した。

 

以上が、ロキがウラノスの口から聞かされた全てであった。

 

「………」

 

ここまで、ロキは沈黙を貫いた。

 

狼狽も激高もせず、ただ静かにウラノスの言葉を聞いていた。ただその両手は固く握りしめられており、彼女の心中を如実に物語っている。

 

心の中では様々な感情が嵐の如く渦巻いている事だろう。『闇の王』という未知の脅威に、自分の眷属(子供)たちが直面しているのだから。

 

それでもロキは取り乱さなかった。オラリオが誇る二大ファミリア、その一角を担う主神が無様に叫ぶなど事など、あり得ない。

 

やがて沈黙を破るかのように息を吐き出し、ゆるりと拳を解く。そして彼女は踵を返し、ウラノスに背を向けた。

 

「何処へ行くつもりだ」

 

「決まっとるやろ。本拠(ホーム)に帰るんや」

 

厳しい表情で問いかけるウラノスに対し、ロキは振り返る事もせずにそう告げた。

 

「うちも自分も、ファーナムの事について黙っとった。だからそれに関してはお互い様や。で、いま起こっとる事については誰にも非はない」

 

「であれば、どうする」

 

「せやから、いま言ったやろ」

 

地上へと伸びる階段に一歩足を踏み出し、ロキはやはり振り返らずに口を開く。

 

本拠(ホーム)に帰るんや。今のうちに出来るんは、そんだけや」

 

 

 

 

 

魔石灯に照らされた夜道を、ロキは行く。

 

バベル周辺の住民たちの眠そうな声を聞き流しつつ、ロキの姿は夜の闇へと溶けてゆく。

 

(せや。()()まだ、待つ事しか出来ん)

 

今この瞬間も眷属(子供)たちは戦っている。それは紛れもない死闘であり、オラリオの存亡を、()いてはこの世界の命運を懸けた戦争でもある。

 

が、介入は許されない。ダンジョンは神々を憎んでいるからだ。その内部で神力(アルカナム)を行使すればどうなるか……ダンジョンの防衛本能が発動し、事態は今以上の混乱を招くだろう。

 

故に、想定し得る最悪の事態。

 

ファーナム、そしてフィンたちが敗北し、『闇の王』率いる神殺しの旅団が地上に現れたその時は―――。

 

(その時は……(うち)が出る)

 

魔石灯に照らされた夜道を、ロキは行く。

 

眷属(子供)たちの生還を祈り―――同時に、己が前に出る事も辞さぬ覚悟を抱きながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「上層にいた冒険者は今ので全員か!?」

 

「はい、シャクティ団長!」

 

「よし、次は中層へ向かう!一人も見落とすな!」

 

「了解っ!!」

 

 

 

 

 

「やべぇ、やべぇってボールス!あんなの見た事ねぇよ!!」

 

「ぐちゃぐちゃ言ってる暇がありゃあさっさと動け!絶対にあれを『リヴィラの街()』に入れんじゃねぇぞ!!」

 

「んな事言ってもよぉっ!あの気味悪ぃの、何でもかんでも喰ってるぞ!?」

 

「クソがぁ!一体何がどうなってやがるッ!?」

 

 

 

 

 

「駄目だ、アキ!矢も炎もまるで効かない!」

 

「森が枯れてる……いや、喰われてる!?」

 

「団長の言ってた『新種』じゃない!別の何かだ!」

 

「ッ……ギリギリまで堪えて!団長たちは今、59階層(もっと下)にいるんだから!!」

 

 

 

 

 

ダンジョンが、オラリオが、世界が喰われかけている。別の世界からの侵略者。悍ましき『深淵の獣』に。

 

宿主たる『闇の王』の意識は『深淵』の内に揺蕩い、今にも失われようとしている。身勝手ながらも確固とした信念も、かつて愛したただ一人の少女への想いも、全てが『深淵』に飲み込まれ、塗り潰されようとしている。

 

ああ、だから。

 

だからこそ。

 

『闇の王』を再び呼び起こすものがあるとすれば、それは―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「 ■ァ■■ア ヲ■ォ 」

 

命を冒涜する音色が、灰の大地に木霊する。

 

奏でるは『深淵の獣』。その身より産み落とした無数の異形たちの中心で、ボロ切れのようになって転がる【ロキ・ファミリア】を見下ろしていた。

 

彼らは傷だらけの身体を動かし続け、身体の端々を『深淵』に侵されながらも必死に抵抗を続けた。勝ち目のない戦いに、果敢にも挑んだ。しかし結果は残酷極まるもので、もはや逆転の可能性など皆無であった。

 

これが終わり。

 

オラリオが誇る二大勢力である【ロキ・ファミリア】の、誰にも知られる事のない末路。

 

地に伏し、命を絶たれるその瞬間を待つ事しか出来ない、哀れな人の子らの最期―――かに、思われた。

 

 

 

無数の武器の残骸が散らばる灰の大地。

 

その奥より、ふらつきながらも確かにこちらへとやって来る、一人の男が現れるまでは。

 

 

 

「……ファーナム、さん……?」

 

アイズの口から声が漏れる。

 

そのか細い呟きに呼応するように、全員がその姿を視界に認めた。彼らにも負けず劣らず酷く傷つき、それでもなお戦うべく戦場へと戻ってきた男の姿を。

 

「何をしている、『闇の王』……」

 

兜の隙間から血を滴らせながら、ファーナムは腰に()いた直剣に手をかける。

 

もはや己のソウルより武器を取り出す力もなくなってしまった彼に残された、唯一の武器。

それは椿の手によって鍛えられた、ファーナムの為に造られた武骨な直剣である。

 

それを引き抜き、『深淵の獣』へと切っ先を向ける。

 

「お前の相手は、俺だろう」

 

 

 

 

 

ぎょろぎょろと、乱杭歯の奥で蠢いていた無数の目玉が一点へと向けられる。

 

視線の先にあるのは、一人の男の姿。今すぐに倒れてもおかしくない程の深手を全身に負っているというのに、兜の奥より向けられる眼光は、その手にしている剣のように鋭い。

 

同時に、『深淵の獣』の内に揺蕩っていた『闇の王』の意識が、急速に覚醒してゆく。

 

 

 

―――ああ、そうだ。

 

 

 

前触れもなく、無数の異形たちの形が崩れ『深淵』へと還ってゆく。

 

その蕩けた『深淵』を足元より吸い上げた『深淵の獣』の肉体は泡立ち、肥大し、膨れ上がる。

 

 

 

―――こいつだ。

 

 

 

異形の頭部すらも飲み込み、見上げる程の巨大な肉塊と化した悍ましき獣は。

 

体外に露出した巨人の子宮の如き、災厄の化身は。

 

今一度、人の形となって顕現する。

 

 

 

―――この男だ。

 

 

 

肉塊に亀裂が走った。濃紫色の腐汁が流れ、死の香りの瘴気が立ち込める。

 

内より出でるは甲冑姿の男。零れた臓腑も、穿たれた心臓も、切り飛ばされた首も、全てが『深淵』によって補われ、繋ぎ止められている。

 

元の形を取り戻した男―――『闇の王』は、ただ唯一その左腕だけを『神殺しの直剣』と一体化させていた。

 

彼の内に宿る感情は、ただ一つ。

 

 

 

 

 

―――殺す。

 

 

 

殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺―――殺してやる。

 

 

 

 

 

獣の肉体から人の形へ。そこまでして残ったのは殺意だけだった。

 

何故そこまで殺したいのか。何故そこまで憎いのか……それすらも分からぬまま、途方もない殺意と赫怒(かくど)に支配された『闇の王』の喉が震える。

 

『   ふ、  シ   』

 

次の瞬間。

 

『闇の王』の身体は発火し―――。

 

『 ■■ 不 うぅ■うウ  し■死ィ■■い゛イ゛■ィぃ■いいいい゛イ゛ッッッ!!!! 』

 

―――その身を一つの砲弾と化した。

 

ただ、ファーナムを殺すべく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

凄まじい咆哮と共に『闇の王』が猛進する。その瞳にはファーナムしか映っていないのだろう、すぐ近くに倒れていたフィンたちには目もくれない。

 

爆散したかのように地面が抉れ、灰と(つぶて)が巻き上げられる。その中で、アイズの喉から焦燥に彩られた声が発せられる。

 

「駄目……ファーナムさんっ!?」

 

彼女だけではない。フィンの、ガレスの、リヴェリアの、椿の。レフィーヤの、ベートの、ティオネの、ティオナの……全員の意識がこちらに向けられている事を、ファーナムは肌で感じ取る。

 

(ここまで戦わせてしまった……と言うのは、思い上がりなのだろうな)

 

極大の殺意を纏った凶剣を前にしながら、口元に浮かぶのは小さな笑みだ。

 

オラリオ(ここ)へ来た当初ならば、疑いもせずそう思えていたに違いない。フィリア祭の時、突如として現れた食人花と戦い負傷したレフィーヤを下がらせようとしたあの時のように。

 

しかし彼らと時を共有し、死地を乗り越えてきた今ならば理解できる。仲間とは互いに助け合うものなのだと。

 

だからこそ、次はこちらが助ける番だ。自分が目を覚ますまで戦ってくれた彼らに代わり、この戦いに終止符を打つ。

 

それが自分なりの仲間への応え方であり……そして、自分がすべき事でもある。

 

「俺はもう十分、救われた……」

 

携えた直剣をしっかりと両手で握り込み、構える。

 

猛然と迫る『闇の王』を真っ直ぐに見据え、ファーナムは呟いた。

 

「だから『闇の王』……次は、お前の番だ」

 

そして響き渡る剣戟の音。

 

ファーナムと『闇の王』との最後の戦いが、幕を開けた。

 

 

 

 

 

『オ゛ォオオッッ!!』

 

力任せに振るわれる凶剣には何の技術も感じられない。だからこそ、今のファーナムであっても対応する事ができた。ソウルの流出により弱体化した身体能力を補っているのは、その身と(ソウル)に刻み込まれた戦闘技術。それこそがこの戦いを成立させていた。

 

しかし斬撃を受けるたびに両腕は痺れ、感覚も鈍くなる。動きが鈍ればそれだけ衝撃を受け流す事が難しくなり、ついには体勢すら崩されてしまう。

 

『ガアァッ!!』

 

「ッ!?」

 

『闇の王』の強烈な一撃に大きくよろめくファーナム。空いた胴を目掛けて放たれた振り下ろしに対し、後方へ跳んで回避しようとする……が、僅かに遅かった。

 

凶剣の切っ先が、腹部を斜めに切り裂いた。

 

「がっ、ッ―――!?」

 

少量の血が宙を舞い、視界が揺れる。肉体そのものが悲鳴を上げる。

 

『深淵』が(ソウル)を侵食してゆくのが分かる。それでもファーナムは割れんばかりに歯を食い縛り、たたらを踏みながらも体勢を立て直した。

 

「ハッ、はぁっ!!」

 

常人であれば……否、アイズたちであっても今の一撃で詰みだっただろう。不死という呪いをその身に宿した不死人であるからこそ、多少の『深淵』も許容できるのだ。

 

しかし致命傷を喰らえば終わりだ。その瞬間に(ソウル)を『深淵』に侵され、死は免れないだろう。あの穢れた精霊と同じように。

 

(まだ、まだだ……)

 

この状況も長くは続かない。傷が増えれば増えるほど、時間が経てば経つほど不利になるのはファーナムの方であり、必然、狙うは最良の一手に絞られる。

 

故に見極める。己の全てを懸けた一撃を放つに相応しい、その瞬間を。

 

例え、刺し違える事になったとしても。

 

 

 

 

 

ファーナムの意図しているであろう事は、フィンたちにも分かっていた。彼らも自分が同じ立場であれば、きっと同様の手段に出るからだ。

 

だからこそ、動かない自分の身体が恨めしい。今すぐにでも駆け付け、共に戦いたいのに。全身に刻まれた傷が、今もじわじわと肉体を蝕む『深淵』がそれを許さない。地に伏し、戦いの行く末を見守る事しか出来ない。

 

―――それで良いのか?

 

「アイ、ズ……!?」

 

驚愕するフィンの声に、全員の視線がアイズへと注がれる。

 

「は、ぁ……っ!」

 

愛剣を支えにして、どうにか上体を起こすアイズ。血に濡れる口元を引き結び、なけなしの体力を総動員して来たるべき瞬間に備える。

 

精神(マインド)はとうに枯渇し、【エアリエル(魔法)】はもう使えない。疲弊した肉体では万全の動きも期待できないだろう。それでも、あと一撃……『闇の王』の斬撃を弾く事ならば出来る。いや、やって見せる。

 

(私に出来る事を、最後まで……!)

 

金の瞳に決意の火が灯る。

 

その眼差しは、斬り結ぶ二人の不死へと注がれていた。

 

 

 

 

 

剣戟は続く。劣勢なのは、未だファーナムであった。

 

いくら理性を失ったとは言え、殺意のままに振るわれる凶剣はやはり脅威そのもの。満身創痍の肉体にも限界が近付き、もはや一刻の猶予もない。

 

(勝負に出るしかない、か……っ!?)

 

間もなく腕も上がらなくなる。まだ剣を握れる内に勝負に出ねば、しかし……と、脳内で僅かに逡巡(しゅんじゅん)する。

 

それが仇となった。

 

ゴキィンッ!!と、凶剣がファーナムの構えを切り崩す。

 

一瞬の迷いが生んだ、先程のように体勢を立て直す余力ごと弾かれた、致命的なまでの隙。しまった、という声すら許さず、『闇の王』は『深淵』の蠢く凶剣をファーナムの心臓へと突き立てんとする―――その直前に。

 

 

 

金色の風が吹き荒れた。

 

 

 

「―――はぁああああああああっ!!」

 

裂帛の気合いと共に現れたアイズは、ファーナムを貫かんとしていた凶剣を銀の剣で切り払う。軌道を逸らされ、真っ黒な刀身が宙を仰ぐ。

 

痛む肉体を無視した無茶な動きの反動か、アイズは灰色の土埃を巻き上げながら地面を転がった。

 

『ガアァァア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッッ!!!』

 

「―――ッ!!」

 

剣を弾かれた『闇の王』は即座に立て直し、今度こそその心臓を穿つべく凶剣を突き放つ。

 

しかし、ファーナムの方が速かった。

 

直剣を左手に持ち直し、(まなじり)を決して空いた右手を前へと突き出す。大きく開かれた掌は『闇の王』が振るう凶剣と真っ向からぶつかり―――その切っ先が、ファーナムの肘を突き破って現れた。

 

その光景にアイズが、フィンたちが、『闇の王』ですら硬直する。

 

掌から肘までを貫通した凶剣、その刀身で蠢く『深淵』がファーナムを侵食する。瞬く間に広がってゆく『深淵』は、すでに肘から先を真っ黒に染め上げていた。指先は形を失い、泥のように溶けている。

 

……そこまで想定の内だったファーナムは、躊躇うことなく己の右腕を切断した。

 

「づッ―――」

 

真っ赤な、『深淵』に侵されていない鮮血が噴き上がる。

 

絶叫を噛み殺したファーナムが『闇の王』の懐に潜り込む。一瞬の内の接近に『闇の王』は左腕(凶剣)を振り上げるも……やはり、ファーナムの方が速かった。

 

 

 

「……ぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!!」

 

 

 

正しく全身全霊。

 

喉よ爆ぜろ、この身よ砕けろとばかりの咆哮と共に、ファーナムは剣を振るい―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

地に落ちた左腕が、形を失い溶けてゆく。左手と同化していた剣の柄には、指の骨が癒着しているのが見て取れる。

 

途方もない力とて、それは依代(よりしろ)があってこそのもの。『闇の王』という宿主から切り離されてしまえば、呆気なく霧散するしかない。

 

そして『深淵』によって動かし続けていた、『闇の王』の肉体も―――。

 

「はっ……はっ……はっ……」

 

浅い呼吸を繰り返すのはファーナムだ。灰の大地に膝を突く彼に、『闇の王』は力なく寄りかかっている。

 

その時。チャリ、と『闇の王』の首から何かが落ちた。

 

それは銀のペンダントだった。開いた台座部分には、一人の少女の横顔が彫られている。

 

「………ぁ………」

 

か細く漏れ出た声は『闇の王』のもの。震える右腕でペンダントを掴もうとするも、もはやその力もない。

 

「………『闇の王』」

 

それを、ファーナムが拾い上げる。灰に塗れてもなお美しい、彫り込まれた少女の横顔に目を落とし、『闇の王』の右手に乗せてやる。

 

「……お前のしてきた事は間違っていたし、到底許されるものではない」

 

「………」

 

俯く『闇の王』に届いているのかは分からない。それでもファーナムは、彼へと言葉を紡ぐ。

 

「許されるものではないが……気持ちは、分かる」

 

共に不死の呪いを身体に刻まれた者同士。

 

ファーナムは最愛の妻子を守るために、自ら村を離れる決心をした。しかし『闇の王』は、後にそう呼ばれる事となった男は、その選択すら出来なかった。

 

ペンダントに刻まれた少女の身に何が起こったのか、どうなったのかファーナムは分からない。それでも恐らく、それが切っ掛けで一人の不死人が『闇の王』となり、神々の殺戮者にまでなったのだろう。

 

そしてその根幹には、少女への一途な想いがあったに違いない。

 

……『闇の王』のしてきた神殺し。それは間違っていたし、到底許されるものではない。

 

それでも―――それでも。

 

「それでも俺は……今だけは、お前を赦したい」

 

とうとう『闇の王』の肉体が崩壊を始める。

 

『深淵』によって繋ぎ止められていた傷が開き、(ソウル)が流れ出てゆく。残された時間は、もう十秒もないだろう。

 

「『闇の王』……いいや。人の心を忘れなかった、偉大なる先達よ」

 

ファーナムはペンダントをしっかりと握らせる。もう二度と落とさないように。

 

「せめて今だけは、安らかに……」

 

その時。

 

『闇の王』……否、不死人の兜が壊れた。

 

露わとなった銀髪は、灰の混じって僅かにくすんでいる。目元まで伸びた前髪が隠すその顔は、まだ青年にも満たないほどに幼さを残していた。

 

「……ぁぁ……」

 

不死人は手元のペンダントに視線を落とす。

 

灰に塗れてなお美しい少女の横顔が、少しだけ微笑んだ……少なくとも、不死人にはそう感じた。

 

 

 

「     」

 

 

 

そうして不死人は、誰にも聞かれぬ小さな声で少女の名前を口にし―――塵一つ残さず、消滅した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気持ちの良い風が吹いている。

 

一面に広がる鮮やかな紫の花々。その真ん中に、少年と少女が肩を並べて寝転がっていた。

 

 

 

―――おはよう。起きた?

 

―――うん、おはよう。ごめん、寝ちゃってた。

 

―――いいよ、私もさっき起きたところだし。

 

 

 

少年は空を見上げる。

 

少女はすぐ近くにある花を眺めている。

 

 

 

―――本当に、この花が好きなんだね。

 

―――うん。一番好き。

 

―――じゃあ、少し摘んで帰ろうか?

 

―――……ううん、いい。その代わり、また明日二人で()よう。

 

 

 

また明日、二人で。

 

そんな約束をして、少年と少女は顔を見つめ合い、笑った。

 

 

 

―――ねえ、この花……紫蘭(シラン)の花言葉って、知ってる?

 

―――え?えぇっと……ごめん、分からない。

 

―――あはは、やっぱり!

 

 

 

少女は楽しそうに笑い、少しだけ頬を染めて、こう続けた。

 

 

 

―――教えてあげるから、忘れちゃだめだよ?

 

―――紫蘭の花言葉はね……。

 

 





紫蘭の花言葉

永遠の愛、あなたを忘れない



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七十二話 旅の果て

 

ダンジョン内を逃走していたリドたちが。

 

冒険者たちの救出に当たっていたシャクティたちが。

 

『リヴィラの街』防衛に奮起していたボールスたちが。

 

そして第50階層の安全階層(セーフティポイント)にて必死に防衛戦を繰り広げていたアキたち【ロキ・ファミリア】の第二軍が、その動きを止めた。

 

「……消えていく……?」

 

蠢く何か、『深淵』は突然動きを止め、やがて息絶えるかのように跡形も無く消滅した。

 

唐突に現れ、唐突に消えた。何から何まで不明のまま終わったこの出来事に、真相を知らぬ者たちはただ茫然とする他なかった。

 

そして、その真相を知る者たちは―――。

 

 

 

 

 

ガランッ、と武器が落ちる。

 

それは剣であり、槍であり、斧であり、槌である。杖やタリスマンという分類すら異なる得物は、ただ一人の不死人へ捧げられた忠誠と覚悟の証でもあった。

 

「……“王”?」

 

それを落とした事にも気付かず、白骨の鎧に身を包んだ闇の騎士たちが呆然と立ち尽くし一点を見つめる。その姿に戦闘中だった不死人たちも動きを止め、彼らと同じ方向へと視線を向ける。

 

この場にいる者全ての視線が、灰の大地の最奥へと向けられていた。

 

闇の騎士たちは理解する。先ほどまであった強大な気配が消えた事を。そして自分たちとこの世界を繋げていた者、『闇の王』の力を感じ取れなくなっている事に。

 

「そんな、馬鹿な……」

 

「嘘だろう……?」

 

「“王”が……我らの、希望が……」

 

立ち尽くす者、その場に崩れ落ちる者。『闇の王』の掲げた神殺しに賛同した者たちが、絶望と共に戦意を喪失する。

 

「か、勝った………?」

 

その中で、盾を構えていたラウルが呆けたように呟いた。

 

ふらふらと立ち上がった青年の心に、確信と共に歓喜が沸き起こる。

 

「勝った……勝ったっ、勝ったっす!!」

 

擦り傷まみれの顔を破顔させ、ラウルはついに叫んだ。

 

「団長たちが、勝ったんだああぁぁああああああああっ!!!」

 

―――おおおぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっ!!!と、割れんばかりの歓声が巻き起こる。

 

武器を掲げ、声を張り上げ、勝利の雄叫びを上げる。

 

激闘の末に勝利を手にした不死人たちは互いの健闘を称え合った。ある者は全身で喜びを表現し、またある者は戦死した同胞へ静かに祈りを捧げる。バラバラではあるが、皆一様にこの勝利を喜んでいた。

 

 

 

「これで借りは返せたか……」

 

全身に傷を刻んだ蠍の下半身を持つタークは、その口元に滅多に浮かべない笑みを湛える。

 

「此度の戦、我らの勝利であるぞ!バンホルト殿!!」

 

「ああ……私は死に損なってしまったがな」

 

「ワハハハハッ!何を申されるか、互いにまだまだこれからであろうに!」

 

血に塗れながらも豪快に笑うバンホルトに、ヴァンガルもまた微かに笑って見せる。

 

「そうか、貴公……勝ったのだな」

 

そしてルカティエルは、灰の大地の最奥を見つめていた。

 

彼女は自身の指先へと視線を落とす。そこからは小さな光の粒子が溢れ、元の世界への送還の時が近付いている事を告げている。

 

「積もる話もあったのだがな……」

 

言葉の端に一抹の寂しさを滲ませるも、ルカティエルはふっ、と微笑んだ。

 

「まあ、次に会ったその時にでも、互いに語り合おう」

 

 

 

現界した不死人たちが元の世界へと還ってゆく。

 

その誰もが、満足げな笑みを浮かべながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『闇の王』が消滅する。

 

肉体の一片すらも残さずソウルの粒子となって消えてゆくその様子を、ファーナムは静かに見ていた。何か一つでも違っていれば、自身もまたこうなっていたのかも知れないのだと思いながら。

 

(さらばだ……『闇の王』)

 

これまで戦ってきた中でも最大の敵、そして偉大なる先達への別れの言葉を心の中で告げる。

 

そしておもむろに立ち上がろうとして―――ぐらりと視界が揺れた。

 

(ああ、そうだった、な……)

 

今になって身体に限界が訪れる。

 

右腕を肩と肘のちょうど中ほどで切断したためか、重心が崩れてバランスが取れない。血も大量に失ったせいもあり、思考も霧がかったように曖昧だ。

 

そのまま力なく倒れ込む……その寸前のところで、ファーナムは抱きかかえられた。

 

「大丈夫かい?」

 

「……フィン、か?」

 

霞む視界で確認すれば、目の前にはフィンがいた。

 

彼だけではない。ファーナムの周りには、いつの間にか全員が集まっていた。誰もがファーナムに負けず劣らず満身創痍で、それでもなお力強い出で立ちで彼を見つめている。

 

「……自分たちの心配が、先じゃないのか……?」

 

「まあ、正直もう限界だけどね。けど、君ほどじゃないさ」

 

「……はは、そうか」

 

軽口を叩ける以上、確かに命に別状はないのだろう。

 

今まで瀕死だったのは『深淵』が肉体を蝕んでいたせいだ。『闇の王』を倒し、『深淵』も消滅した。故に彼らは重傷なれど、こうして自分の足で立つ事が出来るのだ。

 

それを抜きにしても動けるのは上級冒険者の肉体と、これまで潜り抜けてきた修羅場の数が違うからに他ならないのだが。

 

「っ……皆は、どうだ……」

 

「ファ、ファーナムさんっ!動いちゃ駄目です!」

 

フィンの手を借りて立ち上がったファーナムをレフィーヤが制止する。この中でも比較的傷の少ない彼女は安静にするよう慌てて駆け寄ったが、それが決定打となった。

 

偶然にも肩に当たった彼女の手がなんとか立ち上がったファーナムの体勢を崩し、結果、フィン諸共に彼を地面に叩きつけてしまったのだ。

 

「ぐふっ」

 

「うぐっ」

 

「きゃっ、ファーナムさん!?すっ、すいません!?」

 

「団長ぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」

 

「ちょ、ティオナ!駄目だって!ファーナムをぶん投げちゃダメーーー!?」

 

「ちっ、馬鹿どもが……」

 

「……?」

 

「ふっ、はははははは!全く、揃いも揃って元気なものだ!」

 

「「 ………はぁ 」」

 

崩れ落ちるファーナム。その下敷きとなるフィン。驚くレフィーヤ。そして絶叫するティオネ。

 

動転したティオネをなだめるティオナと、やってられねぇと唾を吐くベート。その様子をきょとんとした顔で見守るアイズと、大笑いする椿。

 

【ロキ・ファミリア】が直面した最大の敵との戦闘の直後に発生した混沌(カオス)な状況に、最古参組のガレスとリヴェリアは揃って溜め息を吐くのだった。

 

 

 

 

 

しばらくして、ファーナムたちは灰の大地を歩いていた。

 

リヴェリアによる応急処置を受けたファーナムは、今は椿の肩を借りている。腰の鞘に納めた直剣に目を落としながら、ファーナムはポツリと呟いた。

 

「色々と、すまなかった」

 

「む?」

 

「この剣があったから勝てた。これからは何があっても、手入れは欠かさないようにする」

 

思い出すのはかつての記憶、椿に剣の手入れについて苦言を呈された時の事だ。

 

あの時は自身の中で激しい葛藤を抱いていたが、その後のロキの言葉によってファーナムの中ではっきりとした目標を持つ事が出来た。

 

そんな記憶を、ふと思い出したのだ。

 

「ふっ、何を言い出すかと思えば。それは当たり前の事だ、戯け」

 

にやりと口角を吊り上げる椿に、ファーナムも兜の奥で苦笑する。

 

「それと、そういう時は謝るのではない。『ありがとう』と言うのだ」

 

「……そうか」

 

本当に、まだまだだなと思う。

 

そんな事を考えながら歩いていた時だった。前方から、複数の声が聞こえてくる。

 

「団長!」

 

「皆さん、ご無事ですか!?」

 

「あっ、ラウル!みんな!!」

 

灰ばかりの大地に現れた複数の人影。後方に残してきたラウル、ナルヴィ、アリシア、クルスの四人が、こちらへ駆け寄ってくる姿が見えたのだ。彼らの声に一早く反応したティオナが、喜びで溢れた声で彼らを迎える。

 

「良かったー!みんな無事だったんだー!」

 

「皆さん!その怪我は……動いて大丈夫なんですか!?」

 

「見ての通りよ。どうにか歩けるけど、正直もうゴブリンの相手だってしんどいわ」

 

四人はフィンたちの姿に慌てふためいていた。

 

誰もかれもが血塗れで傷だらけで、今までに見た事がない程の深手を負っていた。その中でもファーナムは最も重傷で、右腕を失ったその姿に、ラウルたちは沈痛な面持ちとなる。

 

「ファーナムさん、その、腕が……」

 

「気にするな。こんな傷、篝火に当たればすぐに元通りになる」

 

「え?」

 

腕の切断という大怪我を、さも当然かのように治ると言い切ったファーナム。当たり前のように放たれたその台詞に、この場にいる面々は唖然とした表情を作る。

 

「……その腕が治るのかい?」

 

「そうだが……ああ、言ってなかったな」

 

「……蜥蜴(とかげ)かなんかかよ、てめぇは」

 

「いいや、俺は不死人だが」

 

「反応に困る返答じゃのう……」

 

「……すごい」

 

「あ、アイズさんっ?」

 

漂いかけた重たい空気が霧散する。

 

未だダンジョンの奥深くではあるが、彼らを胸中に宿るのは、戦いに勝利した者たちにのみ許される安堵の感情だ。

 

どうにかなったが、帰路はどうするか。ギルドにはどう報告するか。そんな帰還に関する事を彼らがしばし話し合っている時……ファーナムだけが、こちらへと向けられる視線に勘付いた。

 

「………」

 

「……どうか、したんですか?」

 

「……いいや、何でもない」

 

ひょこ、と顔を覗かせるアイズに、ファーナムはそう言って誤魔化した。

 

その視線の主に、何となく当たりを付けながら。

 

 

 

 

 

「……ああ、勝ったのだな、貴公」

 

常に被っていたその兜を脱ぎ去り、素顔を晒したその男……ソラールは静かに呟いた。

 

彼の足元には、横たえられたジークリンデがいた。彼女の纏っていたカタリナ鎧は半壊しており、気を失ったその姿はまるで眠っているかのように穏やかだ。

 

彼女をここまで連れてきたソラールは、この場所で戦いの行く末を見届ける事とした。その結末がどうであれ、全てを受け入れる。そう心に決めて。

 

そして、勝負は決した。

 

神殺しの旅団の首魁。『闇の王』と呼ばれた不死人は、完全に消滅した。元いた世界とこの世界とを繋げていた力が弱まっている事が、その何よりの証左だ。

 

「……すまない。本当は俺が……いいや、俺たちがやらなければならない事だったというのに」

 

ソラールは消えゆく己の指先へと視線を落としつつ、誰にも届く事の無い呟きを落とす。

 

それは謝罪であり、感謝でもあった。どうしたって自分には決して出来なかったであろう、『闇の王』を、友を止める(殺す)という役目をファーナムたちに託した事への、ソラールの独白であった。

 

どれだけ悔やんでも、望んでも、過去は決して戻らない。変えられない。それは悠久の時を歩む不死人であって、唯一常人と分け隔てなく定められた絶対の掟だ。

 

だからこそ、ソラールは強く心に刻み込み、誓う。己の犯した過ちを、そしてこのような過ちを、二度と繰り返さない事を。

 

如何なる理由があったとて―――かつて絶望の淵にいた自分をもう一度立ち上がらせてくれた、無二の友へと向けて。

 

「俺はもう間違えない。だから、どうか見ていてくれ」

 

間もなく、ソラールはジークリンデと共に元の世界へと送還される。

 

待っているのは、どうしようもなく終わっている世界だろう。停滞し続けるか、あるいは別の形で終わりを迎えるだけの世界だろう。

 

それでも、ソラールは歩き続ける事を決めた。

 

もう間違えないと。最期の瞬間まで自分を誇れる道を歩もうと決めたのだ。

 

そう。

 

あの不死人、ファーナムのように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

灰色の戦場は、流された血によって(まだら)な化粧を施されていた。

 

散ったいった者たちの墓標のように突き立てられているのは剣や槍、その他さまざまな武器だ。そのどれもが欠け、折れ、罅割れ、この場で壮絶な戦闘が繰り広げられた事を物語っている。

 

共に戦った不死人たちの姿はない。ファーナムの魔法の効果が切れ、皆もとの世界へと還っていったのだ。

 

後に残されたのは闇の騎士たちのみ。不吉な白骨の装束を纏う彼らは、しかし今や呆然と立ち尽くすか、或いは絶望に打ちひしがれるかのよう項垂れている。

 

「こいつら、まだ……!」

 

「待て……もうこれ以上は、必要ない」

 

報復を危惧したティオネたちが戦闘の構えを取るが、それをファーナムは左手で制す。

 

彼らに戦意がない事は、彼がよく理解していた。

 

「奴らはもう戦えない。警戒も必要ない」

 

「分かるんですか……?」

 

「ああ……同じ不死人だからな」

 

レフィーヤの問いかけに、ファーナムは答える。

 

敵であれ、彼らは不死人である。

 

不死人とは、死を奪われた者。終わりの見えない旅を歩まざるを得なくなった者。心の拠り所、希望がなくては、亡者と成り果てるのをただ待つだけしか出来ない。

 

彼らにとっての希望は『闇の王』であった。彼が掲げた“全ての世界の神々を殺し尽くす”という使命は、闇の騎士たちにとって唯一、不死人として生き続ける為の糧だったのだ。

 

故に、心折れた不死人の末路は―――。

 

「………」

 

ファーナムの言葉に誰もが口を閉ざした。

 

自分たちの世界を破壊しようとした者たちである事に変わりはない。

 

しかし想像を絶する程に残酷な世界、過酷な旅路を強いられた者たちがその果てに得た希望、『人の子らの救済』という使命を失ってしまった彼らを、【ロキ・ファミリア】の面々はどうしても責める事が出来なかった。

 

「何だか……悲しいですね」

 

「それが俺たちという存在だ……俺も何か一つでも違っていれば、同じようになっていたかも知れん」

 

闇の騎士たちが消えてゆく。彼らが抱いた唯一の希望と共に。

 

その姿に、ファーナムは自然と己を重ねていた。

 

「……でも」

 

そこで、アイズが口を開いた。

 

「でも、ファーナムさんは諦めませんでした」

 

「……!」

 

ファーナムが振り返る。

 

兜に覆われたその顔を、アイズは真っすぐに見つめ、更に続けた。

 

「諦めなかった人だけが報われるって、教えてくれました。だから私たちも戦えたんです」

 

その言葉に思い返されるのは、ドラングレイグでの記憶。殺し、殺される日々を送り続けた数百年。

 

尋常ではないソウルを持つ者たち。渇望の王妃デュナシャンドラ。そして最後に己の前に立ちはだかった原罪の探究者アン・ディール。彼らとの死闘の末に、ファーナムは擦り切れた思考のままに石の玉座へと着いた。

 

そんな、何もかもを投げ捨てたはずの自分を諦めなかった者だと、アイズはそう言った。

 

「だから、ファーナムさんなら、きっと大丈夫です」

 

口下手な彼女が必死に紡いだ言葉が、ファーナムの胸を強く打つ。

 

「すまない……いいや、違うな」

 

すでに口癖となってしまった言葉をすぐさま訂正する。

 

こういう時、言うべき言葉はそれではない。この世界でファーナムが学んだ数多くの事の内の一つであった。

 

 

 

「……ありがとう」

 

 

 

同時に、灰色の景色に変化が生じる。

 

蜃気楼のように周囲が歪み、視界に緑が溢れ出す。本来あるべき姿ではない、『穢れた精霊』によって熱帯林へと変貌を遂げた第59階層が、一同の前に再び現れた。

 

「も、戻った……?」

 

「やった、帰ってこれたんだ!」

 

それは『闇の王』の力が消失した事を意味している。

 

オラリオの危機は、完全に消え去ったのだ。

 

「竜どもの遠吠えが聞こえない。これなら帰路も安全に進めそうじゃ」

 

「ああ、だが悠長にはしていられない。皆、すぐに移動しよう」

 

ダンジョン中に現れた『深淵』の影響により、モンスターたちも怯えて姿を隠しているようだ。フィンの判断のもと、一同はすぐさまアキたちが待つ安全階層(セーフティポイント)へ帰還するべく歩みを再開する。

 

にわかに交わされる雑談。壮絶な戦闘を終え、誰一人として欠けずに生還できた喜びを分かち合う、安堵の空気が漂う。

 

その中で。

 

唯一ファーナムだけが、口を閉ざしていた。

 

「……む、どうしたファーナム?」

 

肩を貸している椿が歩き出そうとしても、彼は動こうとしない。何かを悟ったような、そんな雰囲気を纏いながら。

 

そうして、口を開いた彼が発したのは。

 

「……悪いが、俺はここまでだ」

 

―――あまりにも唐突な、別れの言葉だった。

 

「……え?」

 

呆けたような声が上がる。

 

誰のものかは分からない。しかしファーナムが放ったその言葉に、誰もが疑問と困惑を抱く。

 

「ここまでって、ど、どういう事ですか?」

 

「ファーナム、何を言っている」

 

レフィーヤとリヴェリアの声に続き、全員の視線がファーナムへと向けられる。それらを一身に浴びながら、彼は落ち着いた様子で語り始める。

 

「……ずっと疑問に思っていた。なぜ俺は、この世界に来たのかと」

 

いつだったか、夢で聞いた声が蘇る。

 

―――亡者よ。それは本当にお前が望んだ最期なのか?

 

―――もしもお前が、あの結末に僅かでも疑問を抱いているのだとすれば、私はお前に寄辺を与えよう。

 

―――考えろ。お前は何者で、何を望んでいるのか。

 

「きっと、だからこそ俺はこの世界に来たのだろう。俺が何者で、何をすべきか……いいや、何をしたいかを思い出すために」

 

そう言い、振り返ったファーナムの視線の先に、異形の者が現れる。

 

赤々と燃え盛る炎を纏った枯れ木。それらが形成するのは巨大な人の顔。ドラングレイグの王ヴァンクラッドの実兄にして、原罪の探究者―――。

 

「そうだろう……アン・ディール」

 

「これは……!?」

 

突如として現れた異形の者に、フィンたちの間に緊張が走る。

 

それを無言で制したファーナムは、落ち着いた様子で振り返った。

 

『数多の試練を超えた不死人よ……答えを聞こう』

 

「ああ……」

 

その問いに、ファーナムは。

 

 

 

「俺は、もう諦めない」

 

 

 

ただ一言、そう告げた。

 

『……そうか』

 

アン・ディールもまた、そうとだけ答える。そしてその身体は、消え失せるようにして樹海と化した空間へと溶けていった。

 

僅か数十秒の内に起こった事態を、フィンたちは未だ飲み込めずにいる。死闘を終え、疲れ果てた脳が見せた幻覚だと言われた方がまだ信じられるほどに。

 

今のは何だったのか、答えとは何か。それらの疑問を投げかける前に、今度はファーナムの身体に変化が起きた。

 

「ファーナムさん……!?」

 

アイズの息を飲む声が小さく響く。

 

彼らに背を向けたファーナム。その身体から、淡い光の粒子が立ち上り始めたのだ。それは先の戦闘を終えて自らの世界へと還っていった、数多の不死人たちと全く同じ光景である。

 

「俺のいるべき世界はここではない。だから……俺はここまでだ」

 

「ここまでって……待ってよ!ファーナムが不死人だって、そんなの気にする事……!」

 

「そうではない。これは俺が、俺自身で決断した事だ」

 

自身が不死人である事に、この世界の住民たちとは違う事に負い目を感じているのならと言うティオナに、そして未だ動揺する彼らに、彼は諭すように語りかける。

 

「思い出したんだ。俺が立てた誓いを」

 

それは在りし日の彼が心に決めた事。

 

この身に現れた闇の刻印。それによって彼は妻子の元を離れ、過酷を進み続けなければならなかった。

 

その中で、彼は誓いを立てたのだ。世界から不死の呪いを根絶し、これ以上の悲劇を繰り返させはしないと。

 

「先の見えない旅路、終わりの見えない戦いの果てに、俺は道を見失っていた……だがこの世界に来て、お前たちと出会って共に生き、戦い、ようやく思い出したんだ」

 

不死人となる以前の自分を。不死人となった自分が立てた誓いを。

 

二度と会えるはずのなかった妻子と夢の中で出会い、二人がどれだけ自分を愛してくれていたのかを知った。恨まれて当然だと思っていたのに、あんなにも温かい言葉をくれた。

 

だからファーナムは戻らねばならない。再び過酷を歩まねばならない。

 

だが、これは決して悲劇ではない。

 

「俺はもう諦めない。だから……心配はいらない」

 

「……分かったよ」

 

ふっ、とフィンは苦笑する。

 

聡明な小人族(パルゥム)の団長は、その言葉に込められた意志の強さを正しく理解した。その上で、彼が【ロキ・ファミリア】を去る事を、決して許しはしなかった。

 

「でも、これで終わりじゃない。君が誓いを果たしたその暁には、また戻ってきてもらうからね」

 

「ああ。約束する」

 

ファーナムもまた、当然だと頷きを返す。

 

淡い光の粒子はすでに全身を包み込み、輪郭は陽炎のように曖昧なものになっている。許された残り僅かな時間で、ファーナムは兜を脱ぎ去った。

 

開けた視界に仲間たちの姿が広がる。

 

この世界で得た、かけがえのない者たち。この中の誰よりも長く生きているにも拘わらず、教えられる事はとても多かった。

 

笑みの絶えない住民たちの暮らし。ダンジョンに挑まんとする冒険者たちの気高さ。そして仲間と背を預け合い、戦う事の意味……何もかもが得難く、この上なく眩しい事だった。

 

そして、この世界に未だ潜む『闇』も知った。

 

かつてオラリオを襲った『邪悪』の残滓。英雄の都の奥深くで蠢く闇派閥(イヴィルス)の残党たちとの戦いで、ファーナムは激しい葛藤と後悔を抱く事となった。仲間の命を天秤に掛けられ、容易く人を殺してしまった自分自身に対して。

 

そんな時に救ってくれたのは、あの女神(かみ)の言葉だった。

 

自身が抱いた葛藤と後悔こそが、自身が人である何よりの証拠なのだと。だからファーナムは再び立ち上がる事ができた。立ち上がる力を与えてくれた。

 

……いいや、違う。

 

最初から、すでに救われていた。

 

 

 

女神(お前)がいたから―――今のファーナム()がいるんだ)

 

 

 

「最後に、頼まれてくれるか」

 

微笑みを浮かべたファーナムは、フィンたちにある言葉を託す。

 

それは、たった一言だけ―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第50階層の安全階層(セーフティポイント)。アキたちが死守した拠点に、フィンたちが帰ってきた。

 

「団長!?」

 

「皆さん!ぶ、無事ですか!?」

 

【ロキ・ファミリア】の第二軍である団員たちが雄叫びを上げる。未到達領域への進攻(アタック)に挑み、そして生還した英雄たちへの、心からの喝采であった。

 

見た事もないほど満身創痍の姿に、彼らは戦慄した。そして、今の自分たちでは決して届かない高みへと挑んだ冒険者たちへ、心からの称賛を捧げた。

 

しかし、その熱気は次第に冷めていった。

 

帰還した英雄たちの中に、一人だけ姿の見えない者がいたからだ。

 

「団長……ファーナムさんは……」

 

「……皆、聞いてくれ」

 

顔色すらも窺わせない硬質な声色をもって、フィンはアキたちに耳を傾けさせる。

 

「僕たちは、これまでにない程に熾烈な戦いを強いられた。その末に、一人の勇気ある冒険者の尽力によって、辛くも勝利する事が出来た」

 

その冒険者とは誰か。誰の事を言っているのか。それが分からぬ者など、ここにはいなかった。

 

口を噤む全員の前で、フィンは毅然とした態度で言い放つ。

 

「その冒険者の名は―――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――ファーナム?」

 

【ロキ・ファミリア】の本拠(ホーム)、黄昏の館で。

 

ロキの声が、小さく響いた。

 

 




ラスト一話。

よろしくお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七十三話 新たなる冒険へ

 

【ロキ・ファミリア】が『遠征』から帰還して十日が経過した。

 

地上では何も変わらぬ日常が続いていた。十日前の【ガネーシャ・ファミリア】による深夜の避難訓練―――という名目での、住民たちの緊急避難だが―――には多くの住民たちから戸惑いの声が上がったが、それも今や忘れ去られている。

 

一部の神たちはこの出来事の裏を探ろうとしていたが、真実を知り得るには彼らは部外者に過ぎた。全ては終わった事であり、彼らもそれ以上追求するような事はなかった。

 

「………」

 

そんな日常が続くオラリオの、壁や天井が半壊した建物が放置された人気(ひとけ)のない場所に、一人立ちつくす者がいた。

 

土が剥き出しの地面にかつてあったはずの篝火は、今や影も形もない。

 

「……本当に行ってしまったんだな」

 

不死人の安息地である篝火が消失した事実に、フェルズはぽつりと呟きを落とす。

 

その時。懐に忍ばせていた水晶(マジックアイテム)に、ウラノスからの連絡が入った。

 

『フェルズ、地上の様子はどうだ』

 

「ああ。オラリオ中を見て回ったが、やはり被害があったのはダンジョンの中だけだ。リドたちにも手伝ってもらったが、もうその必要もないだろう」

 

『そうか……』

 

『深淵』が再び発生した際に即座に対応するため、『異端児(ゼノス)』たちの協力も得て地上とダンジョンの両方で警戒に当たっていたが、あれから一切の異常はない。

 

当時ダンジョンにいた冒険者たちにも被害者は出なかったとガネーシャを通して報告があった。『リヴィラの街』にいた冒険者たちも『異端児(ゼノス)』たちにも、誰一人として被害が出なかったのは奇跡と言って良い。

 

脅威が完全に消えた事を確信したウラノスは、フェルズに元の作業に戻るよう伝える。

 

『59階層に現れた『穢れた精霊』の件もある。今後はそちらに注力しろ』

 

「分かっているよ……なぁ、ウラノス」

 

本来の仕事……ウラノスの片腕となり地上を脅かす危機を速やかに察知、対応する役目を担っているフェルズは、自らが抱く未練がましい感傷を断ち切るように、神の言葉を乞う。

 

「彼は、本当に行ってしまったんだな」

 

『……ああ』

 

水晶越しでも分かる神妙な声色でウラノスはそう答えた。

 

僅かな時間ではあったが、しかし確かに仲間であった者の喪失を、一人と一柱は沈黙を以て噛み締める。

 

彼が歩み続けるであろうその旅路が、どうか報われるものである事を祈って。

 

 

 

 

 

時はフィンたちが本拠(ホーム)へと帰還した日へと遡る。

 

夜にも拘わらず、黄昏の館は多くの団員たちの盛大な出迎えの声で満たされた。死線を乗り越えた勇者たちへの歓声は、しかし徐々に鳴りを潜めていった。

 

そこにいるべきはずの人物、ファーナムの姿が見えない事に気が付いたからだ。

 

フィンたちの固い表情に、団員たちは何が起こったのかをすぐに察した。『遠征』に危険は付き物であり、そういう可能性がある事を知らない者はいない。故に誰もが口を噤み、本拠(ホーム)を静寂が包み込んだ。

 

「よっ。おかえりぃ、皆」

 

そして、ロキがやって来た。

 

口調こそ軽いが、いつもの道化じみた雰囲気はそこにはない。ただ静かに、帰還したフィンたちを出迎える。

 

「ロキ」

 

「疲れてるとこ悪いけど、ちょっと来てくれへん?今回の『遠征』の事、聞かせてや」

 

「……ああ」

 

主神の声に導かれるまま、フィンたちはロキのもとへと進んでゆく。招かれたのは59階層へと足を踏み入れた者たちに限られ、アキたちはそのまま休むようにと伝えられた。

 

「待って、ロキ!せめて明日に……!」

 

「いいんだ、アキ」

 

ファーナムの姿がない事にロキが気付いていないはずはない。神でなくともその意味は分かるだろう。誰もが辛い事を承知の上で、せめて今日はこのまま……とアキは食い下がろうとしたが、他ならぬフィンがそれを制した。

 

「ロキの言う通り、君たちは休んでくれ。ここにいない者たちには、明日僕の口から伝える」

 

「……っ」

 

有無を言わさぬその言葉に、アキたちは黙る事しか出来なかった。

 

彼らの視線を背に受けながら、ロキを先頭にフィンたちは彼女の神室へと進んでゆく。毎日歩いているはずの館の廊下が、やけに長く感じた。

 

そうして足を踏み入れた部屋の中で、ロキは全員へと向き直る。普段は閉じられている糸目は薄く開かれており、その面持ちに他派閥の椿はもとより、アイズたちまでもがごくりと唾を飲み込んだ。

 

ただ三人。最古参組であるフィン、ガレス、リヴェリアだけが、その表情を崩さなかった。

 

「今更だが、手前がいても良いのか?」

 

「ええよ。ファーナムの事を知っとるんは、ここにいるうちらだけなんやし」

 

ウラノスの事は伏せ、ロキは椿の懸念をさらりと受け流した。同時に、ファーナムの正体を知っていたという事実を明かす。

 

そして、フィンの口から見てきた事、起こった出来事が語られた。

 

59階層に待ち構えていた『穢れた精霊』。それを瞬殺し、この地上にいる神々の抹殺を企てた『闇の王』との戦闘。そしてこれを倒し、自分のいた世界へと還っていったファーナム……その全てが語られた。

 

「そっか……」

 

口を挟まず、ロキはただ黙ってそれを聞いていた。アイズたちもその場に立ち尽くし、彼女が口を開くまでその姿勢を崩さなかった。

 

「……やっぱり行ってしもたんやな、ファーナムは」

 

「心当たりがあったのかい?」

 

「主神やからな。『恩恵(ファルナ)』が消えた訳やあらへんけど、えらい遠くにいるように感じてしもて」

 

神だけにしか分からないその感覚。自らの神血(イコル)を分け与え眷属となった者が命を落とした時、神はその者との繋がり、即ち『恩恵(ファルナ)』の喪失を感じ取る事が出来る。

 

そうではなくとも、ファーナムに刻まれた『恩恵(ファルナ)』の感覚はとてつもなく希薄になってしまった。その事実にロキは、彼がもとの世界へと還ってしまった事を察していたのだ。

 

「ロキ……」

 

「にしても、あれやな!行くなら行くって一言くらいあってもええのにな!主神やぞ、うち!?しょーもない奴やなぁホンマ!」

 

机に寄りかかり、ロキはそれまでの雰囲気をぶち壊すかのように笑い飛ばそうとする。それがただの空元気である事は誰の目から見ても明らかだ。

 

集った眷属たちの前で、主神の笑い声が空しく響く。そんな中で、アイズが口を開いた。

 

「ロキ……ファーナムさんから、伝言があるの」

 

「!」

 

その言葉に、ロキは顔を俯かせたまま目を見開く。

 

「……ファーナムは、なんて?」

 

「うん……一言だけ」

 

 

 

―――ありがとう。

 

 

 

「……ははっ、なんやそれ」

 

いかにもファーナムらしいたった一言だけの伝言には、全てが込められていた。

 

不死人である自分を拒まず、ファミリアに誘ってくれた事。オラリオで人としての暮らしを与えてくれた事。

 

仲間と背を預けながら戦う心強さと、彼らと飲み交わす酒と食事の楽しさを教えてくれた事。

 

己を見失いそうになった時、手を差し伸べてくれた事。内に秘めた葛藤を振り払ってくれた事。

 

そして、仲間を守る為の魔法を与えてくれた事。

 

そのたった一言に、全ての想いが込められていた。

 

「そんな一言くらい、自分で言えっちゅうねん……ホンマ、しょーもない奴やな」

 

俯いた顔を見せないように、ロキはアイズたちに背を向ける。

 

そんな主神の様子に、フィンはアイズたちに退室するように告げた。

 

後に残ったのは三人。フィン、ガレス、リヴェリアのみである。

 

「……自分らは休まんでええの?」

 

「なに、一杯くらいなら付き合ってやろうと思っての」

 

「ああ。それくらいなら良いだろう」

 

そう言い、ガレスはリヴェリアに目配せをする。彼なりの気配りに普段は酒を嗜まないリヴェリアも賛同し、フィンもまた無言で頷いた。

 

「ん……三人とも、ありがとうな」

 

そうして取り出されるのは酒の入った瓶と、四つのグラス。

 

琥珀色の液体を注ぎ、一柱と三人はグラスを手に、部屋の中央で向かい合う。

 

「先に言っとくけど、これは別れの酒やない。自分で選んだ道を歩むと決めたファーナムへの、祝いの酒や」

 

ロキの顔に寂しげな面影はもうない。そこには新たな旅路へと向かった眷属の無事を祈る、神の顔があった。

 

「ファーナムの新たな旅路に……冒険に、乾杯」

 

小さく打ち鳴らされる四つのグラス。彼らはそれを一息に飲み干した。

 

「……っかぁー!やっぱ酒は美味いなぁー!」

 

「んっ……けほ、けほっ!」

 

「がははは!相変わらずリヴェリアは火酒が苦手か!」

 

「お前と一緒にするな、ガレスっ……くっ、喉が焼ける……!」

 

「リヴェリア、無理に一気に飲まなくても良かったんだよ?」

 

「ひゅー!酒でむせるリヴェリアなんて超レアもんやでー!萌えー!」

 

「うるさい、ロキ!……フィン、すまないが水をくれ……」

 

「はいはい。分かってるよ」

 

神室に残った湿っぽい空気を払拭するかのようにロキが声を上げた。

 

火酒の酒精にやられたリヴェリアをガレスが茶化し、フィンも呆れ顔で水差しを持って来る。まるで入団当初のように盛り上がる三人の様子に、ロキの頬が緩んだ。

 

そして、彼女の視線が戸棚へと向けられる。そこには『遠征』前夜、ファーナムがロキへと買ってきた神酒(ソーマ)の入った酒瓶が置かれていた。

 

(……ちゃんと取っとくから、ちゃんと帰ってくるんやで、ファーナム)

 

いつの日かまた酒を酌み交わすべく、ロキは心の中で静かに、そう呟いた。

 

 

 

 

 

翌日、【ロキ・ファミリア】全団員が本拠(ホーム)の広間へと集められていた。彼らの前にはただ一人、フィンが立っている。

 

「皆、聞いてくれ。今回の『遠征』について、言っておかなければならない事がある……ファーナムについての事だ」

 

その名が出た瞬間、多くの団員たちの顔に影が差した。

 

『遠征』から帰還したフィンたちの中に、彼だけがいなかった。その意味を理解できない者などいない。僅か数か月という短い時間ではあったものの、仲間を失う痛みに耐えるように、彼らはぐっと歯を食い縛った。

 

「彼の力がなければ、今ここに僕たちはいなかっただろう。その勇気は何ものにも代え難く、何よりも貴く……まさしく彼は、冒険者だった」

 

己の命に代えても仲間を守る。その覚悟で戦う事はできても、それを実現させられる者はほんの一握りしかいない。それこそ御伽噺、(ちまた)で語られる英雄譚に登場する主人公のように。

 

「そんな彼に対して、僕たちがすべき事は何だ?」

 

フィンの言葉に、俯いていた団員たちが顔を上げる。

 

「彼の英雄的行動を忘れないように心に刻む事か?違う。空の棺を納めた墓標に感謝の言葉を伝える事か?違う……僕たちは、彼の帰りを待つんだ」

 

ざわ、と団員たちがどよめく。

 

フィンは徹底した現実主義者(リアリスト)だ。時には非情な決断をも辞さない彼が放った先の言葉は、普段の彼からあまりに乖離している。

 

命に代えて仲間を救ったファーナムに対して、墓すら建ててやらないのか。それは余りにもむごい仕打ちだ。そういった非難の視線を一身に浴び―――フィンは真正面から言い切る。

 

「彼は言った。必ずまた戻ってくると」

 

瞬間、彼らの表情が驚愕に染まった。

 

そんな口約束を鵜呑みにしたフィンに対して、ではない。有無を言わせぬ気迫、そしてファーナムの生存を確信していると感じさせる、フィンの強い意志に対してだ。

 

「ならば、いつまでも待ち続けよう。そして再び会ったその時に、見せつけよう。今よりも遥かに成長した僕たちの姿を」

 

「………っ!」

 

その言葉にアイズが、レフィーヤが、ティオネが、ティオナが、ベートが、ラウルたちが、全団員が、己の胸に火が宿った事を確信した。

 

それは決意を新たにした冒険者たちの誓いの灯火。待ち受けるどんな試練にも決して膝を突かず、ただひたすらに前のみを見据えて走り続け、いつかファーナムに追い付き、追い越してやろうという、戦う者たちの魂の輝きだ。

 

「ふっ。相変わらず焚き付けるのが上手いの、あやつは」

 

「ホンマや、みんな目ぇギラギラさせとる。ベートなんか今にもダンジョンで大暴れしそうやで!って、アイズたんも!?」

 

「全く……今日くらいは大人しくしていて欲しいものだが」

 

壁際でフィンの言葉を聞いていたガレスとリヴェリア、そしてロキが顔を見合わせて嘆息する。そんな主神と幹部たちの胸中などお構いなしに、広間の士気はどんどんと高まっていった。

 

そんな次世代を担う若き冒険者たちに、フィンはこう締めくくった。

 

「そして存分に語らおう……僕たちの素晴らしい冒険を」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これより物語は本来あるべき形へと向かう。

 

オラリオを脅かす無数の悪意、邪神の演出する舞台上へと冒険者たちは(いざな)われる。

 

しかし、悲劇では終わらない。

 

彼らの胸の内には……これまで以上に燃え盛る、不屈と言う名の炎が宿っているのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

岩の玉座で目を覚ます。

 

兜の奥で薄く開かれた双眸に映るのは、まさに今閉じられようとしている岩の扉だ。

 

「………」

 

この扉が閉じられれば、もう後戻りは叶わない。強大なソウルを取り込んだこの身は、緩やかに滅びゆく世界を延命させるための薪となるだろう。

 

そして、世界は再び繰り返すのだ。真の終わりを迎えるその時まで、何度でも、何度でも。

 

 

 

―――ならば、抗おう。

 

 

 

不死人は立ち上がる。

 

擦り切れた心のまま、一度は薪となる事を選んだ己を葬り、不死の呪いを根絶するという途方もない旅路を歩み続けるべく、閉じかけた岩の扉に手をかける。

 

「……っ、………!」

 

岩の扉が開かれる。緩やかに死んでゆく世界の運命を拒むかのように。

 

眼下に広がるのは薄暗い空間だ。その光景に、原罪の探究者の言葉が脳裏を過ぎる。

 

 

 

―――試練を超えた者よ。お前は何を望む。

 

 

 

「……ああ、何度でも言おう」

 

不死人は階段を昇る。

 

一歩一歩を踏み締め、己の立てた誓いから目を背けず、真っすぐに前を向く。

 

「……あなたは……」

 

階段の先に、彼女はいた。

 

最後に見た時と同じ格好、同じ姿勢のまま立ち尽くしていた緑衣の巡礼……シャナロットと名付けられた人造の竜の子は、不死人の姿をその目に認め、ポツリと呟いた。

 

「そうですか……玉座を拒んだのですね」

 

「……ああ」

 

「……私から何かを言う事はありません。どの道を選ぼうとも、私の旅は既に終わったのですから。運命を受け入れるも、拒むも、あなたの自由です」

 

「そうだな……俺は自由だ」

 

「……?」

 

そんな不死人の言葉に、シャナロットは僅かに違和感を覚えた。

 

最後に会話した時と比べ、今の不死人にはどこか……初めて出会った時にも感じた、人間らしさのようなものを感じたのだ。

 

「シャナロット、お前の旅は既に終わったと言ったな」

 

「……はい」

 

「なら、俺と一緒に旅をしないか」

 

「……旅、ですか?」

 

シャナロットが僅かに首を傾げ、聞き返す。その様子に不死人は小さく笑った。

 

「俺は不死の呪いを根絶させる手段を探す旅に出る。そんなものなど何処にもないのかも知れない、そんな旅だ」

 

それは暗闇の中を松明も持たずに進み続けるようなものだ。だというのに不死人は、どこか楽しみにしているかのような口ぶりでシャナロットに話しかける。

 

「そして旅には……冒険には仲間が必要だ。一人では成し得ない事も、仲間がいればどうにかなる……かも知れん」

 

「……あなたは何を言っているのですか?」

 

「あー……まぁ、つまりだ」

 

不死人は困ったように頭に手を回し、やがて口を開く。

 

「一緒に来て欲しい。仲間がいれば心強い」

 

「……ふふ、可笑しな方ですね」

 

この時、シャナロットは初めて笑った。

 

生み出されてから初めて抱いた感情。それはとても奇妙なもので、これがどのような時に抱くものなのかさえも彼女は知らない。

 

それ故に、彼女はもっと知りたいと思った。自分の中には何があるのか、この感情の他にも何かあるのか。

 

それを知るために、この不死人ともっと話をしたいと、そう思った。

 

「……分かりました。この身があなたの役に立つというのであれば、共に行きましょう」

 

「ああ、ありがとう」

 

 

 

 

 

こうして不死人は仲間を得た。

 

来た道を戻り、その道中で新たな仲間も加わった。仮面を外した誇り高い女騎士と、家宝の大剣を担いだ気さくな戦士である。

 

彼らと共に、不死人は海を渡った。その先で数々の出会い、そして別れを繰り返し、彼の冒険は続いてゆく。

 

 

 

 

 

「皆さん、夕食の準備ができました」

 

「おおっ!これはかたじけない、シャナロット殿!」

 

「蜂蜜酒も少しならあるぞ。以前の村で山賊から助けてくれた、その感謝の品だそうだ」

 

「これは有難い!それではルカティエル殿、某がまず味見を……」

 

「駄目だ。一番の功労者はお前ではないだろう、バンホルト。最初に飲むのは彼だ」

 

「む、むむぅ……!?」

 

夜の帳が落ちた平原で、夕餉の光が灯る。

 

四人は車座になって地面に座り、暖かなスープを木の器に注いでゆく。

 

「さあ、飲め。これはお前の酒だ」

 

「ありがとう……うん、美味いな」

 

「なぁ、貴公!次は某が飲んでも良いだろうか?」

 

「ああ、ルカティエルとシャナロットが飲んだ後にな。お前は全て飲むまで瓶を離さないだろう」

 

「そ、それはっ……!?」

 

「ふふっ。あの時は頂いた火酒を一人で飲み干してしまいましたからね」

 

「ふっ、因果応報という奴だ」

 

楽しい時間はゆっくりと過ぎてゆく。

 

酔う事はなくとも、酒が入れば上機嫌にもなる。

 

「貴公、またあの世界の話を聞かせてはくれまいか!」

 

「またか。もう散々話しただろう」

 

「いや、私も興味がある。特にあの褐色の鍛冶師が鍛えたという、その剣についてな」

 

「私も聞きたいです。あなたから貸して頂いた『アルゴノゥト』以外にも、たくさんの物語があるのでしょう?」

 

「お前たちもか……良いだろう。なら夜が明けるまで話してやる」

 

不死人は笑みを(たた)え、語る。

 

僅か数か月だけの、しかし何ものにも代えがたい、オラリオでの素晴らしき日々の記憶を。

 

そして決まって、話の最初はこの言葉から始まった。

 

「俺はあの世界で、ファーナムと名乗っていたんだ―――」

 

 

 

 

 

~不死人、オラリオに立つ~   完

 

 




新年、明けましておめでとうございます。

そして『不死人、オラリオに立つ』、とうとう完結です。

この作品は私が初めてハーメルンに投稿したもので、読み返してみれば表現や文章が拙いところも多くあり、まだまだだなぁと痛感します。それでもここまで書き切ることが出来たのは、今まで読んで下さった皆様のおかげです。

五年と約半年もかかってしまいましたが、これにてファーナムの物語は終わりとなります。彼が歩み続ける旅路、冒険がどうか報われるものである事を皆様が祈って下されば幸いです。

これまで本当に、本当にありがとうございました。





……次回作はゴブスレとかで書きたいなぁ(遠い目)


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。