獅子王、ハルケギニアへ行く (強欲なカピバラ)
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プロローグ

 世界の果てに白亜の城が存在した。

 

 それはとある王国の再現だった。

 かつて存在したとされる王城、花のキャメロット。

 ブリテン島にてアーサー王が統治したという、超常の騎士たちが集った理想の城。

 最上階に位置する王の間の外壁は、無理やり引き剥がしたかのように消滅していた。

 そこから見える景色は限りのない荒野と光の海。無限に広がる最果ての地平が眺められる位置には、荘厳な椅子が用意されている。

 其は王のみが腰を下ろすことを許された玉座。

 ならばそこに在る人物は紛れもなく王である。

 

 瞑目するように目を閉じた騎士。

 王位を証明する装束を着こんだ美しい女性。

 かの人物こそは聖槍の獅子王。嵐の化身、亡霊を総べるワイルドハント。

 長きにわたり最果ての塔を所持した結果、伝説()の英雄から神々()の一端へと変質せしアーサー王。

 

 獅子王は瞼をゆっくりと持ち上げる。

 表情は優しげな微笑みを浮かべていた。

 

 ──そうか、人理修復は成った、か。

 

 安堵したのか感心したのか。それとも以前の自分の予想を超えてみせた、人類最後のマスターへの称賛か。

 この時に抱いた感情を彼女は上手く表現できそうもない。

 きっと、その全てではあったのだろう。

 

「……ならば、もはや私のすべきことは何もない。おとなしくこのまま消えるとしようか」

 

 彼女は魔神王の企みを利用した神霊だった。

 千をゆうに越える時間を神の一柱として過ごしたことで得た、魔術王ソロモンと同等の視界。

 過去を、未来をも見通す千里眼。

 

 人の営みを見た。

 人の幸福を見た。

 人の美徳を見た。

 人の嘆きを見た。

 人の悲哀を見た。

 人の憤怒を見た。人の慟哭を見た。人の邪悪を見た。人の絶望を見た。人の不幸を見た。

 そして人の──弱さを見た。

 その中で、魔神王が目的とするものを理解した。

 

 共感はなかった。見たものが同じでも感じ入ることまで同じとは限らない。仮に魔神王と同じ結論に至っていたなら、そちらと合流していたろう。どちらかと言えば賛同しかねる思想であり、叶うならば邪魔立てしたかったくらいである。

 だが、その計画には一点の隙もなく、神の身とは言え一介の霊体にすぎぬ獅子王には到底打ち破れるものではなかった。

 千数百年かけ力を得ようとも、同等以上の力が三千年も費やした策には届かない。人理滅亡は確実だった。

 ゆえに自らの手で人類を保護すると決めたのだ。

 特異点なる時代に赴き、理想的な人間たち──悪を知れど悪に傾かぬ魂を集めて自らが築いた理想都市に収容するという計画を立てた。

 人間を後世にまで残すため、善なる魂の持ち主をのみ最果ての塔(シェルター)に収容。人類史ではなく、個の人生でもなく、人間の魂の価値だけを保存する。

 ──それが、人々の伝説に生きていた時代の自分ならば決して選ばない道だと理解しながら。

 神霊に属するものとして、最も正しいと信じた手段をとった。

 

 結果は失敗。

 理想都市は失われ、いまや王は一人である。

 手足とすべく召喚した円卓の騎士たち、騎士王の臣としてアーサー王にかようなことはさせじと刃を向けた者たちも、獅子王と名乗る王もまたアーサー王なりと信じた者たちも、すべて、すべて消え去った。

 

 ……だが、これでよかったのだろう。

 既に最果ての塔はこの手にない。

 あるのはかつて失った聖剣のみ。その影響か、今の獅子王には人の頃の価値観が若干だが戻っていた。

 人間を人間たらしめるものが何であるか。ヒトの何を守りたいと願ったのか。

 神の視座にあっては忘れ去っていた、大切なことを取り戻しつつあった。

 ここに在るのは最果ての化身ではなく、その残滓である。

 

 もうすぐ特異点の歪みは無くなる。

 その消失をもって、特異点に現れたもう一つの歪みたる獅子王も消え失せる。

 世界は非ざる異常を許さない。元凶が絶えれば後は修復されるだけ。魔術王の影響も無くなった今、ワイルドハントは世界による修正の波に呑まれてこの世から消え去るのだ。

 どうせ自分のような間違いが生まれるのは剪定世界だ。幹を生かすために捨て去られる枝葉の歴史に生まれた獅子王は、この特異点に来なければ遅かれ消失していただろう。いずれ消える定めだったなら早いか否かの違いである。

 そう思えばこの結末に未練は一切なかったし、受け入れていた。

 元より己の命、人生に執着があったわけではないのだから、永らえようとも思わなかった。

 

 

 

 ──その筈だった。

 目の前に、古ぼけた鏡が現れなければ。

 

 

 

「姿見ではない。一見すると鏡だが、これは転移魔術によるゲートの類……」

 

 その異常がなんであるのか獅子王は一目で看破する。

 

 何者かが自分を呼んでいる。

 いや、聖槍の獅子王を選んでのことではなく此処に偶然つながっただけかもしれないが……とにかく誰かが、人では至れぬ最果てにまで手を伸ばしている。

 

「面白い。もはや消えゆくのみと思っていたが、召喚とあっては捨て置けない。これほどの力を持つ魔術師が何処なりに存在するならば、一介のサーヴァントのように振る舞うのも悪くはないな」

 

 玉座から立ち上がる。

 この鏡の向こうが見知った人類史ではないことは神霊としての感覚で理解していた。

 並行した世界とも違う、まったくの異界。見たこともない生態や風景、知らない常識を積み重ねた歴史。幹が根底からして違う次元が待っているのだと。

 下手をすれば全てが敵として襲い掛かってくる可能性すらあったが、嵐の王に恐れはない。未知なる領域を目指す彼女の横顔に翳りはなかった。

 かつて想った海の先──ブリテン統一の暁には、伝え聞く様々な異教の文化を手にしに行こう思ったあの頃。その熱意が心に湧き立っていた。さかのぼるならば、まだ騎士王の名乗りを上げる以前の花の旅路……その時の純粋な気持ちにも似ている。

 

 傍らには、呼ばずとも主の出立を察したらしい愛馬、英霊としての格をも有する白きドゥン・スタリオン。

 主人の共をせんと、鼻を鳴らして存在を主張する。

 

 ふむ。と口元に指を当てる。

 未開の地へと赴くのに、共が駿馬一頭では些か勿体ないか。と獅子王は考える。

 

「そうだな。円卓もなき今、側仕えは必要か」

 

 再び円卓の騎士らを召喚するのは(はばか)られた。

 一度目は人々の、二度目には神の理想を実現するためにつき合わせてしまったのだ。さすがに三度目の従属を求めるのはない。そうなった場合、円卓の半数以上が喜んで付き従うのだとしても。

 となると他の英霊か。

 存在が不安定となった此処から英霊の座に働きかけるとなると多少ノイズが多くなるかもしれないが。

 いや、いっそそのくらいがいいだろう。カルデアのマスターのようにランダムな召喚を試みるのだ。心機一転見知らぬ地へ赴くのだし、旅は道連れ。複数の、誰ともわからぬ者たちを連れていくのも悪くはない。

 

「我こそは異界に臨まんと願う者よ。我が手足となる代わりにその権利を与えよう」

 

 威圧的に呼びかける。

 神であり王である彼女はマスター以外の者に対して妥協する気はなかった。多少なりの圧力なくして英霊を束ねるなど務まらない、という確たる意思があった。

 同時に、その程度で怖気る英霊などいないだろうということも。

 

 ややあって複数の英霊の気配を感じ取る。

 何人か召喚の声が届いた英霊がやってきたらしい。

 それが何処の誰であるのか……いま確認するのはやめておく。

 せっかくだ。実体化は後回しにして、マスターとなる者の前でお披露目するとしよう。

 

「では行こう。私が──いや、お前たちも満足する世界があることをせいぜい期待するとしよう」

 

 これ以上マスターを待たせることもない。ついに獅子王は鏡に触れる。

 追従するドゥン・スタリオン、ついてくる英霊たちの気配と共に、獅子王は鏡のゲートをくぐっていった。

 

 残されたものは、座すべき者を失った玉座だけだった。

 













エタる可能性高め。


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第一話 召喚の儀式

「ふざけるなゼロのルイズー!」

「失敗するならまだしもこっちにまで迷惑かけてんじゃねえー!」

 

 広場に飛び交う怒号。

 トリステイン魔法学院で学ぶ生徒たちの怒りの声がそこかしこから聞こえてくる。

 この場にいる大多数の者は憤慨した様子で、一部の者は呆れ顔で、元凶となる少女に野次を飛ばしている。

 

 対象となる渦中の人物──ルイズ・フランソワーズは動かずまっすぐ前を見つめていた。

 

 魔法学院の落ちこぼれたる彼女は、『魔法』学院に所属していながら、一度も魔法を成功させたことのない生徒だった。

 ここトリステイン王国において貴族とは魔法を使う者(メイジ)であり、その素質は血統にのみ宿るとされている。ルイズはトリステインを代表する公爵家の生まれ──王室の血を引くヴァリエールの三女である。この国で最も由緒正しい名家の生まれ。ハルケギニアの常識で言えばこの上ない才覚を有していてもおかしくない。

 なのに、魔法の成功率はゼロ。何度やっても本来の効果ではない爆発を引き起こすのみ。

 つけられた二つ名は『ゼロ』のルイズ。

 貴族の家に在りながら、貴族の証である魔法が使えない面汚し。

 今回の必須授業、使い魔召喚の儀も失敗に終わるだろうと誰しもが思っていた。ルイズ自身、表には出さないものの不安と恐怖でいっぱいだった。

 いくら練習を積んでも上手くいかないのだから、失敗を恐れるなというほうが無理だ。

 これまで何度枕を濡らしたか、何度唇を噛んだか数えきれない。できることならば逃げ出してしまいたかった。

 

 それでもと臨んだ召喚の儀式。

 メイジとしてやっていくためには使い魔は不可欠であり、この儀式には進級すらかかっている。ただでさえ実技の成績が芳しくない彼女では、やり遂げなければ落第や退学といった措置は避けえず、どこにも逃げ場は用意されていない。なによりも高いプライドを持つ彼女には、出来ないからと言って背を向けることは選択肢になかった。

 普通のメイジには軽く行えることも満足にこなせないルイズにとって、今回の儀式は戦地に向かうも同じくらいの一大事。気分は必勝を命ぜられ死地に赴く兵隊も同然だ。

 結果は予想された通りの大爆発。魔法を成功させたことのない少女は、皆の期待を裏切ることなく同じことを繰り返した。

 もう一度、今度こそはと、担当の教官に頭を下げ続け、そのたびに失敗を積み重ねた。

 

(このままで終われるもんですか……! 私は、絶対に立派な貴族になるって誓ったんだから……!!)

 

 思い返すのは幼い頃に友人と交わした大切な約束。

 かならず公爵家に相応しい素晴らしいメイジとなって現トリステイン()()の力となる。ルイズの努力の源流にあるものがプライドなら、今その誇りを支えるのは誓いだった。

 であればこんなところで諦めるわけにはいかない。この学院を追い出されることになれば後は政略結婚の道具となる道しか残っていない。それでは約束を果たすも何もない。

 

 もはや両手では数え切れない回数の挑戦を終え、最後のチャンスを得たルイズは泣きの一回に全力を込め──やはり、爆発を引き起こした。

 

 そのあまりの威力と爆風に何メイル先も見えぬほどの土埃が巻き起こった。既に儀式を終え、安全な距離まで下がって笑いながら観戦していた同級生たちのところにまで衝撃が届いたほどだった。

 幸いにも怪我人は誰一人として出ていないものの、一歩間違えれば大惨事。あわやの事態に、ニヤニヤと眺めていた生徒らは顔を怒りに歪めて罵声を投げかける。劣等生を肴にしていたというのに、自分たちに危険が及ぶとなれば怒りだすのだから勝手なものである。

 

 ──だが、ルイズにとってそんなことはもはやどうでもよかった。

 

(これってもしかして……もしかするんじゃ……!)

 

 それは少女がはじめて味わう感覚だった。

 

 魔法を使ったとき、どこか遠くにいる誰かにまで声が届いたような確信があった。

 いつも以上に疲労感の伴う全力。そのためか爆発の規模はいつもより大きく、それが逆に成功の証であるような気がした。

 そう、確かな手応えを感じたのだ。

 目の前は粉塵に覆われて何も見えない。だがルイズは何かがそこに居るのだと直感した。

 

「ミス・ヴァリエール。残念ですが……」

 

 家名で呼びかけてくる担当教官の声も今のルイズの耳には入っていない。傍目にはショックで呆然としているように見えたかもしれない。

 周囲の怒号と悲鳴を聞き流しながら、ルイズは目の前の土埃がが晴れるのをじっと待った。

 時間にして十秒あったかもわからない。永遠の時間だったように錯覚した。

 

 そして──

 視界が回復するに連れて、徐々に爆心地の様子が見えてくる。

 そこにはやはり、何者か人影があった。

 

「おい、なんかいるのか!?」

「ルイズが召喚に成功したってのか!? 嘘だろオイ!」

「誰かいるのか成功するのに賭けてた奴! ……ツェルプストーの総取り? マジかよチクショウ!」

「待て、なんか多くないか……?」

 

 周囲の野次馬たちも状況を把握し、今度は混乱からざわざわと騒ぎ出す。

 土煙も完全に晴れ、ルイズが召喚した者()()の輪郭がはっきりと見えるようになると、皆一様に言葉を失った。

 

 

 

 そこには七人の男女がいた。

 

 

 

「へえー……魔力(マナ)は大分濃いわね。魔術が日常と同化してる世界かしら」

 

 フワフワと浮遊する巨大な弩に腰かけた露出過多な美少女。

 

「なるほど、空気からして違いますね。ここに良い被写体(モデル)があれば良いのですが」

 

 竜を模した赤銅の鎧、白いマントをつけた長髪の男。

 

「おや気が合いますな聖人どの。何を隠そう吾輩もまた良き題材(モデル)を求めての旅路でして」

 

 片手には開いた本を持ち、黒の外套を肩にかけた壮年の男性。

 

「オレとすりゃ満足いく相手がいればそれでいいんだがな」

 

 体に張り付くような青い装束に身を包んだ、青い長髪を束ねた筋肉質な青年。

 

「ゲッ、一人でやってくれや戦闘狂。最弱の身としちゃ、アンタとやり合えるようなのがいたら堪らねえよ」

 

 どこかの蛮族なのか、体中に異様な文様を刻んでいる腰布だけを纏った少年。

 

「ふふ、それは私もよ。別のことならお役に立つ自信はあるけれど、ね」

 

 妖しい笑みを浮かべる踊り子のような装束の艶めかしい美女。

 

 そして──銀の鎧を纏い、獅子を思わせる鉄仮面をつけた白馬の騎士が、代表であるかのように雑談を交わす彼らの前に立っていた。

 本来は一人一体の使い魔を呼び出す儀式で、あろうことかルイズは複数の人間を召喚してしまったのだ。

 

「──召喚に応じ、参上した」

 

 声は意外にも女性のもので、少しドキッとした。

 

「問おう──我々を呼びしたマスターは貴女に相違ないか」

 

 ルイズの小さな胸は歓喜で満たされた。

 初めて魔法が成功した、使い魔の召喚に成功した、しかも高望みしていた美しさと高貴さをも兼ね備えている──!!

 

 ゴクリ、と唾を飲む。

 目じりに涙が浮かぶ。嬉しさでむせび泣きそうになる。

 だが今そんな無様は晒せない。これから自分は彼らの主となるのだ。公爵家の令嬢として威厳は保たねばならない。

 隣では先ほどまでルイズを慰めようとしていた監督役の教師が硬直していた。宿敵であるツェルプストー家のキュルケもまた、こちらに近づこうとしていたのか他の生徒たちよりも近い位置で、息を飲んで立ち尽くしていた。

 この反応も仕方がない。使い魔召喚で人間を大勢、それも王侯貴族の佇まいすら感じさせる者を召喚するなど、前代未聞の事態であるのだから。

 そんな事実は感動で胸がいっぱいのルイズの知ったことではなかった。どのような扱いになるかなど後回しだ。いまは自分の成功を誇るように……実際、自分が誇らしくて、慎ましい胸を張って問いに応えようとする。

 

「そ、そそそ、そうよ! 私があなた達…………を………………」

 

 そこから先は舌が動かなかった。

 何故かうまく言えない。全身から力が抜けていくような気がする。瞼が重い。

 

 ──アレ? どうして地面が傾いているんだろう……?

 

 そんな思考を最後に、ルイズは気を失い地に倒れた。

 














アサシンで七夜を出してもいいものか否かで三日悩んだ


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第二話 始めの一歩

 ルイズは自室のベッドの上で目を覚ました。

 既に夜中だということに気がつき、目をこすって天蓋を見上げた。

 

「……なんで私、横になってるんだっけ……」

 

 どうも意識がハッキリとしない。寝起きはあまりよくないほうだから仕方ない。

 さっきまで昼だった気がするのに、なぜ自分の部屋で眠っていたのか判然としない。何か大切な出来事があった気がして眉根を寄せて記憶を呼び起こす。

 徐々に頭が覚醒すると共に今日の出来事が少しづつ脳内再生させれいく。

 

「んー………………っっ!! そうだ! 私の使い魔!!」

 

 ガバッと勢いよく体を起こした。

 そうだ、儀式の途中で倒れてしまったのだ。使い魔召喚の儀はどうなったのか。いったい、自分の扱いはどうなっているのか。ルイズは焦った。

 

「目を覚まされましたか。マスター」

 

 その凛とした声に心臓が跳ね上がるほどに驚いた。慌ててそちらを向くと、そこには貴族のような服を着た女性──両の瞳は金色の輝きを湛えている──がいた。

 

「と、う、うぇぇ!? ア、アンタ誰よ!?」

「失礼しました」

 

 すっと屈んで、ベッドの中のルイズに視線を合わせるよう、女性は居住まいを正す。

 つい、その美しさに見惚れてしまう。

 公爵家の娘として、式典などでの騎士の礼儀作法を見たことは少なからずあった。それと比べてもその所作は見事なもので、知らぬうちに溜め息をついてしまうほどのものだった。

 

「貴女の声に応え、使い魔(サーヴァント)となるべく馳せ参じました。私のことはセイバーとお呼びください」

 

 ……しばし思考が停止する。やがてゆっくりと騎士の言葉を反芻し、噛み砕いていく。

 

 ──馳せ参じた? 使い魔になるべく? 誰の? 私の? ああそうだ、そう言えば召喚したんだった。誰を? この人を? たぶん、そうだ。甲冑とか脱いでるけど、あの獅子面の騎士? 輝くような美しさだけは覚えている。デカイ。じゃあやっぱり? そうだ、きっとそう。召喚は成功した。やっと、やっとゼロと呼ばれ続けた自分が、魔法を成功させた──

 

「いやっっ……たぁー!」

 

 ばんざーい! と両手を上げた。

 やっと、やっと魔法が成功したのだ。しかもこんなに美しい女性を呼び出した。願った通りの、自分にふさわしい高貴な使い魔を──

 

 ……使い、魔?

 

「その……、ええっと……セイバー?」

「はい」

「え、そう。変な名前ね……あの、おかしなこと聞くけどアナタ、人間?」

 

 って言うか貴族? と伏し目がちに訊ねてみる。

 まさか使い魔召喚の儀式で人間を呼び出すなど考えもしなかったのだ。というか、人間の使い魔など聞いたことがない。見た目はヒトに見えるが実は亜人だったりするのかもしれないと聞いてみるものの、恐らくその可能性は低い。

 一番の懸念は、セイバーが纏う雰囲気が貴族を越えて王族のソレに似ているということだ。騎士、ということは恐らくメイジ。平民が騎士の位についたとはこの気品からは考えづらい。よもやどこか遠い国の王族を呼び出したんではなかろうかと恐ろしい想像をしてしまった。頭に外交問題という言葉がよぎる。

 

「マスターが疑問に思うのも仕方ありません。人間が使い魔として召喚されるなど前代未聞の出来事であると聞きました」

「聞いたって、だれに?」

「教官のジャンにです。召喚の儀式がどのようなものか、すでに詳しい説明も受けています」

 

 ジャンて誰だ? と一瞬悩むも、そう言えば召喚の儀に立ち会ったミスタ・コルベールのファーストネームだったかとすぐに思い出す。

 そう言えば呼び出すことを成功させたまではいいが契約も済ませていない状況だった。さすがに進退は保留状態であって留年決定ということは無いと信じたいが、短気なルイズはすぐに確認に行こうとする。

 

「召喚を成功させたことはジャンとご学友が確認しています。あとは使い魔契約の手順さえ終えれば進級は認められるとお墨付きも頂いています」

「そ、そうなの。よかった……」

「ええ。貴女が倒れてしまったのは強力にすぎる召喚を行った影響です。いかに召喚者に見合った者が呼び出されるとはいえ、ランダム性の強い術式でその状況になったのなら、マスターに責任はありません」

 

 上げかけた腰をベッドに降ろした。少しみっともないところを見せてしまったかとちょっとばかり後悔。公爵家の令嬢としては恥ずかしい粗相をしてしまった。

 

「まず、貴女が気にしていた我々の種族ですが、人間で間違いありません。正確には元、とつきますが」

「元?」

「我々は既に死した過去の存在……いわゆるゴーストと呼ばれるものと考えていただければよろしいかと」

「はぁ!? ゴーストって、幽霊!?」

 

 真顔で言い出されてつい声を荒げる。冗談を言っているようには見えないが、それにしたって信じられない。

 ジッと真剣な目でこちらを見つめてくるセイバーに──綺麗な人なので、少し照れる──近づいて、無遠慮かなと思いながらも手に触れてみる。

 

「足もあるし、体にも触れるじゃない。そんなこと言われたって信じられないわよ」

 

 もしかしたら爆発に巻き込んでしまって、死んだものと誤解させてるんだろうか。まさか自分が原因で頭でも強く打ったのでは。

 

「ははは、マスターはセイバーの言をお疑いですかな? それも無理はありますまいが」

 

 耳に馴染みのない男性の声がする。ルイズは驚きに飛び上がりそうになりながらもそちらを見る。なんだかビックリしてばかりな気がする。

 そこには二人の男がいた。

 手に本を持ったダンディな胡散臭い男と、戦人のイメージが強い全体的に青い男。どこかで見たような気がしたが、こんな知り合いがいた覚えはない。

 

「しかしながらご安心を。主を騙すような不誠実なまねをセイバーはいたしませんからな。なにを隠しましょう、セイバーこそは──」

「ちょっとアンタたちどこから入ったのよ! ここは男子禁制の女子療よ!?」

「あ? どこって、ついさっきそこの窓からだよ。そこしかねーだろ」

「おお、失礼いたしました。吾輩はキャスター、しがない作家にございます。あなたのしもべたるセイバーの配下というか、言わば付き添いですな。従者の従者もまた己のしもべと考えていただいて結構ですぞ。お近づきのしるしに、後で直筆の詩を送らせていただきましょう。

 あ、ちなみに吾輩は先ほどから机をお借りして執筆活動をさせていただいておりましたぞ。むろん疲労困憊のマスターを起こすわけにはいきませんので、気づかれぬよう最大の配慮をいたしましたが」

 

 大仰な態度で一礼してみせるキャスターを名乗る男。芝居がかった口調は歌劇の演者か何かのよう。

 青い男はあっさりと非常識な答えを返してくるしで、ルイズは呆気にとられるばかりである。その隙にセイバーは彼らと向き合っていた。

 

「どうだランサー。首尾の方は」

「ちょいと拍子抜けしたっつーのが正直なとこだな。魔術師の名門なんて言うんで期待したんだが、この学園に通ってるのは術も心も未熟な雛鳥ばかりときたもんだ。ザッと周って見たが周辺にゃさしたる脅威もない。少し先の森には魔物やら確認できたけどよ、サーヴァントの敵になるようなのはとりあえずいねえな。

 ま、しばらくは様子見だな。いまアサシンのねーちゃんとライダーのおっさんが街の方まで足を運んでるが、情報収集と合わせて戻るのは明日になるだろうぜ」

「そうか、では引き続き周辺を頼む。貴公ほどの英霊には退屈だろうが」

「請け負った仕事くらいはキッチリ果たすっての。なんせ異世界だ。こっちも初っ端から好き勝手できるとは期待してなんざいねえよ」

 

 話を終えたらしく、青年はキャスターを脇にどけて再びルイズに目を向けた。

 

「名乗るのが遅れて悪かった。オレのことはランサーとでも呼んでくれや。槍にはちょいと自信がある。立場上はセイバーの食客ってことになるが、扱いとしちゃメイジ(アンタ)を護衛する使い魔ってことで異論は特にないぜ」

 

 ルイズはここでようやく広場で召喚した者がひとりではなかったことを思い出した。セイバーを含めて数はたしか七人。その中に、今この場にいる二人の男たちもいたのだった。

 なぜ一人一体の使い魔を複数召喚してしまったのか。座学はトップ成績のルイズでも聞いたことのない事態に今更ながら混乱していた。そのためにランサーの態度が貴族に対するそれでないことを気づいていながらスルーしてしまった。……彼の人柄なのか、そんな態度でも不思議と不快に感じなかったというのも大きい。

 

 一方、キャスターはと言えばセイバーに叱られていた。

 

「キャスター、あまりマスターを困らせるな。執筆も夜だから許すが、日が昇ったなら貴公も与えられた役目を果たすがいい」

「英国紳士といたしましては、まさかまさか貴女様に逆らうなど出来ようはずもありますまい。しかしながらセイバー、しょせん物書きである吾輩に間諜の如き役目は不適切であることをお忘れなく」

「ああ。だが異郷の地で頼れる味方もいない以上、すべきことは我々で手分けするしかあるまい」

 

 セイバーは窓の外に視線を移す。

 釣られてそちらを見るルイズ。見えるものは学院を照らす青と赤の双つの月。ハルケギニアに生きる者にとって当たり前の光景だった。

 

「それにこれは、()()の作家としての観察眼を見込んでのものだ。ここの景色、この学院に集う者を情緒的に観るということに関しては貴方がもっとも信頼がおけると踏んだ。

 ブリテン島が誇る詩人よ。どうかその慧眼を貸してほしい」

「……っ!」

 

 晴れやかな笑みを浮かべるキャスターの肩が僅かに震えたのをルイズは見た。

 

「ははははは!! 〝この世は舞台、男も女もみな役者である〟ああ、まことその通り! よもや我らが大英霊からお褒めの言葉を賜る日がきましょうとは! よろしいでしょう赤き竜よ。貴女のご期待に必ずやお応えいたしましょう!」

「もういいか? んじゃ、オレは行くぜ」

 

 笑い続けるキャスターを置いて、ランサーはバク転の要領で窓を抜け、部屋の外へ飛び出していった。

 

 ルイズはここまでの流れをポカンとした顔で見送ってしまった。開いた口が塞がらない。まさに台風一過、どこからツッコんでいけばいいのか見当もつかない。

 いやいやこのくらいは許容しなければ、と自分を納得させる。ゴーストだ、などと無茶苦茶なことを言い出す者たちだ。この程度の無礼やトンデモくらい流さなければ身がもたない気がする。

 大きく深呼吸。そうだ、せっかく予想外の使い魔を召喚したんだから、細かいことは置いておこう。今は他に訊ねるべきことが沢山ある。

 

「ねえ。私が召喚した他の……アナタの仲間たちはどこにいるの?」

 

 他の使い魔、と言いかけたのを修正する。まだ契約を果たしていないのに使い魔と呼ぶのは躊躇われた。

 

「いえ、彼らは周囲の探索と防衛の準備を行っています。我々は、あなた方からすれば遠き地よりやって来た異邦の者。この地に詳しい者はおろか信頼できる協力者もいないので、自らの足を使うしかありませんでした。マスターの安全確保のためとは言え勝手な行動を取ったこと、なにとぞご容赦を」

「あ、そ、そう。ならいいのよ。謝らないで」

 

 頭を下げるセイバーにルイズは少し慌てる。

 彼らは彼らなりに使い魔としての役割を果たすべく尽力してくれているらしい。それはそれでうれしいが、命令も無しに動かれてはどうにも身の置き場がないように感じられてよろしくない。これでは自分がいる意味が──

 ぶんぶんと首を振って頭を切り替える。普通に考えたらトンデモない当たりなのだ。

 さっきのキャスターも自分を主と呼んだ。ランサーも使い魔として扱えと言った。使い魔となることを受け入れているように思える。ルイズとしては願ったりかなったりだ。

 ……だが、本当にいいのだろうか。

 

「じゃあアナタがゴーストだって信じるなら……使い魔になっても、何かその、外交とか、そういう問題になることはないのね?」

「ええ。細かいところは省きましたが、ジャンにもそういった問題が発生することはない伝えてありますので、その件で追及が来ることはありません」

「……アナタはそれでいいの? 身分ありそうなのに私の使い魔になるだなんて……」

「ルイズ。私は使い魔となることを承知で召喚に応じました。そこに私の以前の立場だとか、そういったものは関わる余地がありません。どうか御身が望む通りにしてほしい」

 

 セイバーも使い魔として扱ってほしいのだとハッキリ言う。であらば本格的に主従の契りを果たして立場を明確にさせておくべきか。相手のほうがここまで潔いと抵抗も薄れるというもので、ルイズは自身も覚悟を決めることにした。

 ンン゛、とひとつ咳払い。すっかり忘れ去っていた威厳を纏う。本人は纏ったつもりである。なにも取り繕えていないけれど。

 

「それじゃあ使い魔契約をしたいんだけど、いいわね?」

「ハイ。すでにパスは繋がれていますが、マスターがそれを望むならば」

「おっと、コントラクト・サーヴァントというヤツですな。吾輩、非常に興味がありますゆえ、ここでマスターのお手並みを拝見させていただきましょう」

 

 少し緊張してしまう。もしも失敗などしたらどうしようか。不安を訴える心に無理やり蓋をして呼吸を整える。凝視する見物人がちょっとうっとおしいが、陰口叩く生徒たちの前でやるのに比べたら幾分マシだと視線を無視するよう努める。

 目を瞑って手に持った小さな杖を振り始めた。

 

「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。五つの力を司るペンタゴン。この者に祝福を与え、我の「使い魔」となせ」

 

 呪文を唱えてから額に杖を置き、ゆっくり顔を近付け……やはりすごい美人なので気おくれしてしまった。これから自分がすることを意識してしまうと顔が熱くなっていくのを感じる。このままでは固まって動けなくなりそうだ。ええい、ままよと勢いで口づけをし、全く動じていないセイバーから顔を離した。

 これで使い魔契約のルーンが騎士に刻まれるはずだ。

 ……はずなのに、しかし何の変化も現れることはなく──

 

『ぅあぢいいいいいいいい!!?』

 

 屋根の上から声が聞こえてきた。

 

『ちょおおおおお!? なんだこれ! いて、いてててあつ、あついてえええええ!!』

 

「……アーチャー、アヴェンジャーを連れてきてはくれないか」

 

 ゴロゴロと屋根を何かが転げまわる音と、絶叫が響いてくる。眉間に皺をよせてため息をついて、セイバーはここにいない誰かに声をかける。

 何がなんやらわからないルイズの前に二人の人物が現れた。窓から。

 

「ハーイ。ご注文の品、お届けに参りましたー」

「もうちょい優しく運んでくれてもいいんじゃないですかねえ」

 

 一人はにこやかに笑う華やかな美少女だった。金糸の衣を着て、宙を浮遊する巨大な弓に跨っている。驚くことに疲れていたルイズもこれにはギョっとした。

 もう一人は真っ黒な肌の少年。体中には気味の悪い文様が描かれていた。少年は片腕を掴まれてぶら下がっていた。それを為す少女の筋力もまた気になるところである。細いようで案外力持ちなのか。

 

「あらマスター起きてたの。思ってたより早いじゃない。望み薄かと思ったけど、これはけっこう将来性アリかしら」

 

 少女は少年を「えいやっ」と文字通り室内に放り込むと、巨大な弓を窓の外に停泊?させて自分も入室する。窓が完全に出入り口扱いである。

 

 騒ぎを聞きつけたか廊下の外がざわついていた。屋根の上から男の声が聞こえたのだから当然か。だがすぐに収まった。どうやら隣人がまた男を連れ込もうとして問題を起こしたものと思われたらしい。持つべきものは淫らな宿敵か。

 

「さすがに看過できないぞアヴェンジャー。学生寮であのように騒いで、大事にでもするつもりか」

「仕方ねえだろ! なんか熱いわ変なもんが浮き出てくるわ、不意打ちすぎて大変だったんだよ!」

 

 ほらぁ! と自分の胸を指さして見せる黒い少年。全身を埋め尽くした模様の上にハルケギニアのルーン文字が浮かび上がっていた。

 

「ってかアンタの仕業だろセイバー。アンタから力が流れてきたと思ったらこうなったんだぞ」

「マスター、彼の胸の文字について覚えはありますか?」

「聞けよテメェ」

「え……っと、それ、たぶん使い魔のルーンよ。見たことないカタチだけど、間違いないと思う。メイジと契約した使い魔は体にルーンが浮かぶものだけど……」

 

 なぜ少年の胸にルーンが刻まれているかわからなかった。誰かの使い魔にでもなったのか?

 いや、絶叫で流してしまっていたが、そんなどうでもいいことよりもどうしてセイバーには使い魔のルーンが刻まれないのだろうか。そっちの方が重大だ。すわ失敗かと落ち込みかけた時、今度は少女が口を開く。

 

「ちょうどマスターとその契約をしている最中だったわけ?」

「ああ。恐らくはアーチャーが考えている通りだろう」

「ほう? お二方にはこの現象がおわかりで?」

「つまりセイバーに宿るはずだったものが、アベンジャーに流れてしまったのね」

「私の対魔力か変則的ながら重複契約となってしまったことに起因するのか、意識していなかったので原因はわからないが」

「ああん? つまりアレか、お嬢ちゃんの使い魔の証ってやつがオレについちまったってことかよ」

 

 うへぇ落ちねえぞこれぇ、と情けない声を出しながら、外したバンダナで少年が胸のルーンをこする。

 

「全身ボディペイントみたいな恰好のくせに今更なに気にしてんのよ」

「どこぞの金ぴかやケルトと一緒にするんじゃねえ。なんかヤな雰囲気するんだよコイツ」

「気になるようなら後で封印でもしておくがいい。キャスター……はアテにならないな。アーチャー、あとで処置を。ライダーの手を借りてもいい」

「おお、本人を前にしてこれは手厳しい。事実ですがね!」

「いいけど、そこまで上手くいくかわかんないわよ。私、どっちかって言えばそういうのブチ破る側だし」

 

 話を進めていく使い魔たち。

 ルイズは頭を抱えて叫んだ。

 

「ちょっと待ちなさいよ! それじゃあなに、使い魔をみんなに見せるとき、コイツを紹介しなくちゃいけないわけ!?」

 

 せっかく凛々しく美しい使い魔を得たのに、こんな蛮族丸出しの少年に自分の使い魔の証が刻まれてしまった。これではセイバーと契約したと言い張っても疑いの眼差しで見られかねない。

 彼女と契約ができなかったから蛮族相手で妥協したなどと揶揄されてしまうのではないか。これまで散々馬鹿にされてきたので、そんな想像をしてしまう。

 

「さっきからなんなのよワケわかんないことばっかりで! 私を置いてけぼりにしないでよ!」

 

 もうルイズの処理能力は限界だった。

 意味の分からない会話。全く自分が主導権を握れていないこの状況。悪意あってのものでないことはわかっているが、寝起きで上手く働かない頭は、目まぐるしく変わる室内の空気についていけない。新たに現れた二人にだって、空飛ぶ弓が一体どんなマジックアイテムであるかとか、少年は一体どこの部族なのかとか色んな疑問もあったのだが、もはやそれどころではなかった。

 もともと沸点は低い方なのだ。普段ならば既に当り散らしていた。ヴァリエール三女の日常を知る者なら、むしろここまでよくもった方だと評価するかもしれない。

 少年は迷惑そうな顔になり、キャスターは楽しげ、バツが悪そうだったのは美少女だけ。

 ルイズは周りに無視されるということを嫌う。ただでさえ常日頃から周りに馬鹿にされている分、他者に「軽んじられる」ということには敏感だった。平時であらば気にも留めないフリをするが、せっかく召喚できた使い魔と話が通じないなど我慢できるものでなかった。

 お前などいなくとも構わない──そう言われているような気分になるのだ。ひねくれた捉え方だという自覚はある。

 目元には涙が滲みだしていた。威厳をもって使い魔と接しようと決めていたのも頭からすっ飛んで、メイジでも貴族でもない、他人より悩み多き16歳の彼女の素が顔を見せ始めていた。

 

 ──頭を誰かに抱きしめられた。

 

「申し訳ありませんマスター。私たちにも未知の事柄が多かったので浮かれていたようです。配慮が足りていなかった」

 

 いきなり主人の頭を抱いた犯人はセイバーだった。割れ物を扱うような優しい手つきで、あやすようにルイズの髪をなでる。

 豊満な胸に顔が(うず)まって、むきゅうと変な声が出る。

 

(なんだかちぃ姉さまに抱きしめられてるみたい……)

 

 脳裏を掠めるのは二番目の姉と過ごした記憶。姉の慈愛と、いま向けられている慈しみが何となく重なって感じられた。そのためかスタイルへのコンプレックスが刺激されることはなく、安らいだ気持ちになる。

 

「落ち着きましたか?」

「……ちょっとだけ」

「では改めましてルイズ。私と、そして彼ら。それが貴女が召喚した者です。あと二人いますが追々紹介いたします。

 今日この日より私たちが貴女の剣となり盾となる──貴女にはご迷惑をおかけするかもしれませんが、これから、よろしくお願いします」

 

 腕の中の主人の顔を覗き込んで、薄く微笑んでみせる騎士。表情から思い遣る気持ちが伝わってきた。どこか、幼少期から大人びた雰囲気を纏っていた幼馴染みを思い起こさせる穏やかな笑みだった。

 

 たったそれだけのことであったが──ああ、この人を呼べてよかったと損得抜きに思えた。

 

「わかったわよ……」

 

 感情が表に出ないよう、照れ隠しでそっぽを向く。

 

「それじゃあ、まずは私が満足するまでアンタたちのことを聞かせてもらうからね! って言うかそっちの二人! まだ私、名前も何も聞かされてないんだけど!」

 

 なんだかもう吹っ切れた。とりあえずさっきから湧き上がる疑問をぶつけまくることにする。

 自己紹介の後、男は出て行けとアヴェンジャーとついでに隅にいたキャスターを部屋から追い出して、再び眠りに落ちるまでセイバーアーチャーと女同士の雑談(ガールズトーク)に花を咲かせるのだった。

 














会話させだすと止めどころがわからないままめっちゃ長くなるなった。


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第三話 失敗魔法(前)

 自分が召喚した七人はゴーストであるらしい。

 とりあえずのルイズの認識はそんなものだった。

 

 それぞれに役割があるらしく、クラス……いわゆる役職名で互いを呼び合うのだそうだ。

 

 自称、女神だという生意気な女。常に巨大な弓(本人曰く舟)に腰かけている少女、アーチャー。恰好があまりに煽情的なので、娼婦か何かかと皮肉で問うたら何がツボにハマったのか大爆笑された。

 

 見るものすべて珍しいとばかりにフラフラとして落ち着きのない駄犬。ルイズからの叱咤を受けてばかりのいかにもな蛮族、アヴェンジャー。

 

 紳士然とした立ち居振る舞いながらどこか胡散臭い、口を開くとだいぶうるさいキャスター。いまは人間観察と称してそこらの生徒に声をかけている。

 

 槍使いだというランサー。粗野な態度が多いが貴族への対応は弁えているようなので、元は傭兵か何かだったのだろうというのがルイズの予想だ。

 

 いまだ言葉を交わしていない、街まで探索に行っているというライダーとアサシン。話を聞くところ人格者らしいので会えるのを楽しみにしていた。

 

 そして……彼らの統率役の女性騎士、セイバー。

 

 この七人がルイズの使い魔となった。

 正確には、正式な使い魔となったのはセイバーのみであり、他六人を学院側はヴァリエールの従者というカタチで迎え入れてくれた。彼らにしてみれば自分たちはセイバーと契約関係にあるという認識らしいのだが、主の主ということで召喚者であるルイズもまた主人として扱われていた。

 

 昨夜、彼らの素性などを説明してもらったが、大雑把に元戦士だとか元作家の幽霊……が、肉を得た存在だというところしか理解できなかった。聞いたことのない国や常識が彼らの説明には混じっていたので上手く呑み込めなかったのだ。

 ハルキゲニアに異世界という概念は存在していない。そのため異世界についての概要と、使い魔たちの特技などの簡単な要点だけを抑えるに終わってしまった。

 

 彼らの待遇は召喚の儀を担当したミスタ・コルベールと相談して決めたことでもあった。

 使い魔召喚は神聖な儀式。ならば召喚者であるルイズが責任をもって彼らを従えるのが当然だと言う帰結である。もちろん七人の使い魔というのは前代未聞であるので、とりあえず代表者と契約をするということに落ち着いたのだった。先に済ませてしまったことを伝えた時は、教師の前で契約を行わなかったことにちょっとばかりお小言をいただいた。

 疑うわけではないがルーンを見せてくれないかと言われた時は焦った。なにせルーンはアヴェンジャーに刻まれたのだから、嘘をつかないにしても説明がしづらかった。これはセイバーが「女の肌を晒せとおっしゃいますか?」と凄んで見せたおかげで事なきを得た。

 

 召喚の儀式をダシにして荒稼ぎしたキュルケ・ツェルプストーにも自慢した。あちらも火竜山脈のサラマンダーという希少な使い魔を召喚していたので、人と竜とでどちらが上かと喧嘩にもなった。

 この時点でルイズは非常に天狗になっていた。

 誰もやってのけたことのない人間(幽霊だが)複数人を従える功績。成績優秀者がサラマンダーや風竜の幼体を召喚したことに比べたら劣るかもしれないが、少なくともセイバーやアーチャーそれにランサーが劣っているなどルイズは微塵も思っていない。

 これで召喚したのがどこぞの田舎平民であれば嘲笑を集めていたことだろう。元の期待値が低いものだったルイズにとって、そうでないだけでも無い胸を張るには十分な成果だった。儀式直後に倒れてしまったということで陰口を叩く者や、召喚がうまくできなくて人を雇ったのだと揶揄する生徒もいたが、その手の手合いはルイズが怒りに任せるよりも先に、常に傍に在るセイバーがにらみを利かせて黙らせていた。つい沸騰しそうになった年若い主にもしっかり注意するのも忘れない、できた使い魔であった。

 そんな風に、ルイズの新学期はおおむね順調な滑り出しを見せていた。

 毎日のように馬鹿にされてきた少女からすれば、多少の陰口で済むくらいなら上々である。このままの調子が続いていれば、しばらくはルイズの鼻は高いままだっただろう。

 

 

 

 

 

 ……そう。

 最初の授業で、ルイズが実践役に指名されていなければ。

 

 

 

 

 

「ほーんと。呆れてものが言えないわね」

 

 言葉とは裏腹に楽しそうに、アーチャーが雑巾片手に埃まみれとなった窓を拭いていた。

 ルイズは応えることをせず、半壊した教室で箒を握っていた。

 

 土の魔法による錬金の授業だった。

 授業に同席したのはセイバーとアーチャーだ。ルイズの護衛として常に傍にいると宣言したセイバーと違い、アーチャーは好奇心と探求心から授業内容を聞きにきたという。狭い教室に入るためわざわざ舟から降りたのだとネチネチ言っていたが、そんなのは知ったことではないとちょっとばかり口論になった。やはりこれもセイバーが止めた。

 そんな寸劇があっただけで特に問題は発生しなかった。普通に授業は進行し、普通に実技の段階で生徒が指名され、それが偶々ルイズであり、皆が止める中でルイズは錬金を発動させ──いつもの失敗をして、そして今に至る。

 ルイズが引き起こした爆発によって内装はメチャクチャになっていた。セイバーは応援として他の者たちを呼んだが、アヴェンジャーは面倒くさいと逃げ出したのか、いつの間にやら消えていた。あとでお仕置きコースである。

 すべて私たちがやりましょう。と主を気遣うセイバーの言葉に何の反応も返すことができないまま、ルイズは黙々と掃除を進めていた。キャスター、ランサーらは机を運んでいた。

 

「むう。肉体労働など作家系キャスターの仕事ではないのですが」

「か弱い女神が力仕事してんだから文句言ってんじゃないわよ」

「お前はそれなりに筋力あるだろーがアーチャー。筋力Dの赤いのが文句言いに飛んでくるぞ」

 

 キャスターが呟き、アーチャーがそれを拾う。聞いていたランサーが合いの手を入れる。

 

「あら、会いたいのランサー?」

「言葉のアヤだっての。あんな面倒くせえヤロウとやり合うなんざ二度とごめんだ」

「そ。じゃ期待に応えてあげなさいよキャスター。貴方の宝具って昔の知り合いを再現できるんでしょ?」

「おお、我が舞台をご所望ですかな! 〝愛が病み衰えるときは、大げさな儀礼がなされるものだ。平明率直な友情には技巧など必要はない〟それでは皆様ご照覧あれ。『開演の刻は(ファー)……』」

「するな! あのヤロウの精神攻撃とか嫌がらせすぎるだろうが!」

 

 使い魔たちはよくわからないことを言ってじゃれ合っていた。今のルイズにはそんなことはどうでもいいことだった。

 

「ってかよ、詳しく聞いてねんだが、なんでマスターが片付けさせられてんだ?」

「ルイズがへっぽこだったからよ。ほんとう呆れるわ。なんだって私が無能の後始末をつけなければならないのかしら」

 

 聞こえてくる会話に、ルイズは肩を震わせた。

 

 無能──

 それはルイズの胸に最も突き刺さる言葉。

 

 ゼロのルイズ。

 魔法成功率『ゼロ』の落ちこぼれ。それが彼女に与えられた二つ名だったのに。

 どうして勘違いしてしまったのだろう。

 どこかで自惚れがあった。

 どこかで、必ず成功するという余裕があった。

 だって使い魔はこんなに素晴らしい者たちを召喚できたのだ。召喚はこれ以上ないカタチで成功したのだから、魔法が失敗したら嘘だろう。もう自分はゼロじゃないはずだ。これからはちゃんと、魔法が使えるはずだ──

 心の中の何かがガラガラと崩れていく音がする。崩れて壊れてグチャグチャにかき乱れ、もう自分が悲しんでるのか恥じているのか、怒っているのか落ち込んでいるのかさえわからない。

 

 ここハルケギニア大陸において魔法の使えない貴族などいない。没落した家もあるし、跡継ぎ以外が野に下ったケースもあるので、必ずしも魔法を使える者すべてが貴族ということはないが、貴族ならば魔法が使えるのが常識だ。

 魔法とは偉大なりし始祖ブリミルがもたらしたもの。貴族は魔法の恩恵を民にもたらすもの。魔法をもって平民たちを導いてきたのだ。ゆえに貴族たちは魔法使い(メイジ)である証を立てなければならない。なのに、ルイズ一人がこの様だ。誰しもが大なり小なり持っていて当たり前の力を使う中で、彼女一人がそれを使えない。容姿が母親の若い頃に生き写しでなかったら、拾われたか貰い子だと使用人たちが噂するのを否定できなかったかもしれない。

 自分だけ、無能。

 使い魔が素晴らしいからこそ余計自分に嫌気がさす。

 何が神聖で美しく、そして強力な使い魔よ我が導きに応えよ、だ。召喚の時の口上が滑稽に思えてくる。確かに望み通りの使い魔を召喚したのだろうが、それを使役する立場の自分はいったいなんなのか。まるで釣り合いが取れていないではないか。

 どうしようもない使い魔だったら当たり散らせた。下賎な相手だったら怒鳴りつけることもできた。だけどここに至るまで彼らに欠点らしい欠点は見当たらない。強いて言えばアヴェンジャーだけが格落ちだが、彼という汚点を差し引いてもお釣りが来るほどに完璧な使い魔たちだ。主だけが出来損ないだという事実に、ルイズは心底から打ちのめされていた。

 

「ねえルイズ。貴女、この学園はふさわしくないんじゃない? 言いたくないけど、通う意味がないわよ」

 

 アーチャーが告げる残酷な真実。わなわなと震える主の小さな肩に手を置き、セイバーが反論をする。

 

「アーチャー、言い過ぎだ。その地にはその地の秩序(ルール)がある。貴女の言いたいことはわからなくもないが、異邦人たる我々が口を出していい話ではない」

「あら貴女だって同意見でしょうセイバー? ルイズのへっぽこさ加減をどうにも矯正できないんじゃあ時間の無駄でしょ」

 

 セイバーの言葉は何もフォローになっていないどころか追い打ちだ。アーチャーを諌める以外に意味を持たない言葉の羅列は、ルイズの心に暗いモノを落とした。せっかく召喚をした使い魔たちにも散々たる様を見せてしまい、完全に呆れられてしまっている。そう、思い込んでしまうのも無理からぬ話である。

 

「……なによ文句あるの。いいえ、あるんでしょうね。こんな、魔法もまともに使えない〝無能〟に召喚されて、不満がないわけないものね」

 

 強い口調に使い魔たちの視線が集まる。

 頭に血が上ったルイズの顔は朱に染まっていた。

 

「ええそうよ。私、失敗ばかりの魔法成功率『ゼロ』よ。いつも爆発が起こるだけ……。まともに魔法を成功させたこともない、出来損ないよ」

「ですがルイズ、貴女はまだ学生の身の上だ。失敗など、あって当たり前のことではありませんか? それに召喚の儀式は成功させているではないですか」

 

 セイバーの慰めめいた言葉は疑心にかられたルイズに届かない。どうせ心中では馬鹿にしているくせに。そんな想いばかりが先立つ。なまじセイバーが主を立てる騎士だったからこそ、そのように誤解してしまった。

 

「他のみんな一度で成功させる中、何度も挑戦してやっとね。何度も何度も失敗した。何度も何度も努力した。何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も!! 私は! 普通に魔法を成功させたことなんて一回もない……っ!!」

 

 話しているうちに激情が抑えられなくなった。ルイズは手にもった箒を力いっぱい握りしめ、家族相手にすら吐露したことのない弱音を吐き出していた。この場にいる使い魔たちは、皆黙って召喚主の言葉を聞いている。

 

「失敗の原因なんて誰にも何もわからなかった……! みんな才能がない、落ちこぼれと嗤うだけ! 召喚だって何かの間違いだったかもしれない……ううん、きっとそうなのよ……!! 少なくとも貴方たちはそう思ってるでしょうね! しょせん私はゼロなんだから、使い魔なんて召喚できるはずがなかったんだ……!!」

 

 悲痛なる絶叫。本来は内気だった少女は、心に巣食った闇によって歪められていた。

 自信の喪失。度重なる自己嫌悪。無様な姿は見せまいと決意して接していたはずの使い魔たちに自己否定をぶつける、完全な八つ当たり。これで本格的に見捨てられたかもしれない。だがもう、蔑まれることに耐えられなかった。下手に気を使われるくらいなら独りになったほうがいい。

 捨て鉢に叫ぶルイズを見て、ハァ、とため息をついたのはアーチャーだった。

 

「これちょっと重症ねえ。あれを単純に失敗だと思ってるだなんて。まったくもう、これだから無能が教育者なんてやるべきじゃないのよ。教師も生徒もルイズほどの才能を前にして、慄くでも忌避するでもなく見下すだけって何考えてるのかしら」

「仕方ないことだ。その地の基準がある以上、マスターがどれだけの才を秘めているとしても評価されずに終わる場合もあるだろう」

 

「…………え?」

 

 アーチャーとセイバーの言葉に激情が収まる。

 二人の会話の意味がわからなかった。まるで、アーチャーの言う無能とは、自分でなく学院の者たちに対する批評であるかのような──

 

「騎士として主の名誉を不当に貶める者たちに怒りはわかないのかしら?」

「ないと言えば嘘にはなる。だが現状のルイズは潜在能力の高さを示しているにすぎず、然るべき結果を出せなかったことは事実。である以上、この罰則が彼らの指導方針であるなら言えることは何もない」

「こんなの指導って言わないでしょ。やったことの片づけなんて当然だし。ルイズのは不注意や不真面目のミスでなく明らかな気負いすぎなんだから、力をコントロールする(すべ)を教えなきゃ意味ないじゃないの。理解できないものをただ理解できないものとして処理してるから無能って言ってるのよ私は」

「アーチャー、貴女も理解しているだろう。何の準備もなくその文化(ちしき)を誤りと指摘するのは、ただ(いたずら)に彼らの誇りを傷つけ、ルイズの立場を悪くするだけとわかっているからこそ──」

 

「あ、あの!!」

 

 白熱する二人に割って入る。

 ルイズは使い魔たちが何を言っているのか理解ができなかった。沸騰していた頭は困惑に取って代わられた。

 自分のことを罵っているのだと思った。だが違った。二人は、教師や生徒にこそ問題があり、自分は強い力を持っていると言っている。信じられなかった。

 

「あなたたち、私が魔法を失敗したこと……どう思ってるの?」

「どう?」

「どう、とは?」

「な、情けない主人だとか、普通のこともできない落ちこぼれだとか……」

「そんなの何回も言ってるじゃない。へっぽこよ、へっぽこ」

「う、うるさいわね!」

 

 自己分析でわかっていることもストレートに言われるとそれはそれで腹が立った。

 

「でもそのへっぽこさは教育者に恵まれていないせいよ。原石はしょせん原石。宝石のように輝くなら研磨しなくちゃいけない。磨き方を教えられる人間がいなかったんなら石を蔑んでも仕方ないわ」

「で、でも言ったでしょ! 私だけ普通と違うんだって……! 普通にみんなと同じ教えを受けて、私だけが失敗続きだったのよ? だから……」

「だから無能だってのよ。無知の罪はもちろんルイズのものだけれど、克服はできる。なのに指導者の立場にある者が何も出来ずその機会を奪い続けたんなら、それはもう悪と呼べるものでしょうよ」

 

 アーチャーの目には想像していたような冷たさはなかった。ただ純粋にルイズを見極めようとするだけで、失敗を理由に見下すつもりなどないのが見て取れた。そんな風に失敗魔法を通さずに見られたのは初めてのことだった。

 

「ルイズ、貴女の失敗魔法は決して意味のないものではありません。私たちはそこに貴女の才を見ました。自らを蔑む必要など無いのです」

 

 セイバーが己の主を正面から見据える。

 

「大丈夫。私はたしかに貴女の声を聴いてここにやって来たのですから。この出会いは間違いなんかじゃありません」

 

 あなたの魔法に間違いなんてないのだとセイバーは言った。失敗だらけの魔法モドキを嗤うでも貶すでもなく、ただ主を信じての発言だった。

 

 〝大丈夫ですルイズ。アナタの魔法にはきっと意味がありますよ──〟

 

 一度だけ、友人に失敗ばかりだと涙を零した時に言われたことを思い出す。セイバーの言葉はいつも幼馴染みを彷彿とさせる。

 ……もう少しだけ使い魔たちの言葉を信じよう。ルイズは思った。

 













落として、上げる。がやりたかっただけの回。


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第四話 失敗魔法(後)

「ところでメイジって杖がないと魔法使えないんだっけ。ちょっとその杖見せてみなさいよ」

 

 再び話を切り出したのはアーチャーだった。

 室内の掃除は完璧に終わっていた。動揺するルイズの横で、ランサーとキャスター……主にランサーが動いていたおかげだった。

 

「私の失敗の原因がわかるの?」

「わかるわけないでしょ。違う世界から来た私たちは、こっちの技術なんて門外漢なんだから」

 

 期待させておいてシレッと言ってのけるアーチャー。ちょっとだけ殺意が湧く。

 

「なんにせよ判断材料がもうちょっとほしいのよ。いいから貸してごらんなさい」

「……いいけど、杖には何も問題ないわよ。これまで他の杖だって試してみたけど何も変わらなかったし」

 

 持っていた杖を手渡す。アーチャーは受け取った杖をクルクルと回しながら杖先から取っ手部分までシゲシゲと眺める。

 

「んー……あ、あーあー、なるほどね。肉体への負担を軽減するんだコレ。発動媒体となる外付け魔術回路……切り替えのスイッチでもあり着火材でもあるワケか。これなら回路のない人間が持っても無意味、と。へー、コレ最初に考えたのって天才ね」

「なにか分かったかアーチャー」

「なんにも。杖には問題なさそうってことだけね」

「だからそう言ったじゃないの!」

 

 やはり馬鹿にしてるんじゃないのかと怒鳴りつけ、杖をひったくるように奪い返す。

 

「でもあの爆発の原因の予想くらいはできるけどね」

「ほんとに!? そういうことは早く言いなさいよアンタ!」

 

 幻滅したような顔から一転、期待に目を輝かせる。

 手のひら返しとも取れる反応。みっともないと気にする余裕がないくらいルイズは必死だった。予想だとは言え、誰も理解できなかった失敗の原因が解明されるかもしれないのだ。藁にも縋る想いだった。

 

「さすが。魔術師の霊基(カラダ)だけあって理解が早いな」

「こっちの仕組みに明るいわけじゃないけどね。ってゆーかアンタたちも薄々気づいてたでしょ。魔力の流れにフタがされてる状態なんだって」

「まりょく?」

 

 聞いたことのない言葉だった。この使い魔たちは会話の中でルイズの知らない言葉を度々使うが、これは聞き流していい単語ではないような気がした。

 

「あんだよ、こっちにゃ魔力の概念自体が無いってのか」

 

 ランサーが面倒そうに頭をかく。

 

「感覚に……いや逆か、技術に頼りすぎて力の流れを捉える感覚を忘れたのかしらね。『やればできる』ものの仕組みを解明しようとするのは天才(へんたい)くらいのものだし、何だって見ようと思わなかったら観測できないから」

「なるほど。パソコンが簡単に手に入るなら、どうすれば電源を入れ文字をタイプできるか、そのやり方を学べばいい。わざわざ中の仕組みや電気の流れを把握するのは不要ゆえ忘れ去られた、ということですかな」

「パソコンったらあのよくわかんねーヤツか。なんでお前さん知ってんだ?」

「いやなに、以前どこかの聖杯戦争で触れる機会があったようでしてな。よく覚えてはおりませんが」

 

 また使い魔たちがよくわからない話をする。ルイズは「ぱそこん?」と首を傾げた。

 

「今それは重要じゃないから忘れなさい。話を戻すけど、要するに魔力っていうのはアンタたちで言うところの魔法を使うエネルギーのことよ」

「なにそれ。私たちは精神力を消費して魔法を使ってるのよ」

 

 ハルケギニアの常識に魔力などという言葉は存在しなかった。

 授業においても魔法は精神力によって行使されるものだと習っていたし、ルイズが読み漁った文献にも全てそのように書かれていて、それ以外の力など可能性にも挙がらないものだった。

 

「その認識は改めたほうがいいわね。アナタたちハルケギニアの人間は私たちの知る人間とあまり変わりないみたいだし、なら私たちの知識が該当するはずよ。肉体を動かすにも体力を使うでしょ? 魔法を使うにも、肉体に対する体力に相当するエネルギーが必要なのよ」

「だからそれが精神力じゃないの」

 

 噛みつくようにルイズ。これまでの常識を〝無知〟と覆すようなことを言われれば当然の態度だろう。

 アーチャーはどこから取り出したか黒縁のメガネをかけた。妙に似合うと言うかサマになっていた。

 

「意志や感情に基づく精神力は、それ単体では物質界に干渉することのできないものよ。だって実態がないんだもの。極端な話、感情をモノに変えるようなものだし。だから現実世界に干渉する魔術……もとい魔法へと変換されるエネルギーは観測しづらくとも実態を持つものでなくてはならないの」

「それがまりょくだって言うの?」

「ええ。ヒトの肉体で生み出しうるもので、そういう現象に加工できる力だもの。

 簡単に言うと、アナタたちは精神によって肉体に魔力を生み出すよう命令して、生み出した魔力で魔法を使っているのよ。その観測ができないまま精神を疲弊させているから「精神力を消費して魔法が発動している」と認識されて来たんでしょうね」

「……言ってることはなんとなくわかったけど、」

 

 釈然としない。そう思った。

 理解できないのではない。仮にそれが正しい知識だとして、なぜ魔法学院の教師たちもそれを知らなかったのか。

 

「まあ、今は単純に言葉を置き換えてるだけだと考えてくれていいわよ。重要なのは『魔法を発動するための力』の流れを把握することだから」

 

 アーチャーが黒板になにやら描き始める。

 出来上がったのはデフォルメされたルイズと何層もの壁の絵だった。壁にはそれぞれ小さな穴もある。

 

「で、その魔力の流れを私たちはある程度感覚的に捉えることができるの。さっきの授業を見てた私とセイバーの見解だとルイズの爆発の原因は大きく二つ。一つは魔力が大きすぎること。もう一つは魔力の流れにフタがされていることね。後者は多分貴女の系統が目覚めてないのが邪魔してるんだろうけど」

「マスターよぉ。普通のメイジってのは、どうやって自分の魔法を使うんだ?」

 

 適当なところに腰を下ろして解説を聞いていたランサーが問いかけてくる。

 

「それは……お母様やお姉様が言うには、得意な系統の呪文を唱えると、体の中に何かが生まれて、それが体の中を循環する感じがするらしいわ。それがリズムになって、そのリズムが最高潮に達したとき呪文は完成するって」

「その『何か』にもうちょっと着目してほしかったわね……ちゃんと魔力の把握ができてるんじゃないの。ルイズはそういうの感じたことある?」

「体に何か生まれてるような感覚はあったけど、循環することはなかったわ。どこかでせき止められてるような──」

「しっかり捉えてるじゃない。ソレよソレ。ルイズの場合は文字通り壁にぶつかってしまって流れが止められてるのよね」

 

 黒板に描いた絵に、ルイズから壁に向けて大きな波が流れていく様が追加される。壁を通過したところで、波は小さな穴を抜ける極小の矢印の絵に変更された。矢印の先で更に爆発が加えられた。

 

「最初は行き場を失ったエネルギーが暴発しているかと思ったけど、たぶん体が無理やり適した魔法のカタチに押し込もうとして、結果的に爆発に変換されてるわね」

 

 次々と黒板に書き足されていく、ルイズから発せられる波。それが壁に到達すると矢印に変えられ、四方八方に散っていく図が出来上がっていく。

 

「爆発を引き起こした貴女はこれじゃいけないと力を籠めて、さらに余剰な力が穴から漏れ出して爆発に変換される悪循環になってるわ。根本的な解決じゃないけど、とりあえず力を籠めるのを抑えれば爆発の規模はグッと狭まるでしょうね」

「じゃあ、私の爆発は、才能がないんじゃなくて」

「魔術回路……魔法の才能の衰退・枯渇であるならばそもそも爆発自体が起こってない。ルイズだけなんでしょ魔法が失敗して爆発するの。つまり、それ自体が貴女には特殊な才能があるって証拠なのよ」

 

 ルイズは呆然とした。

 これまで多くのメイジが匙を投げ、長年悩まされ続けた失敗魔法。それにアッサリと答えが出てしまったのだ。それも良い方向に解釈されて。もちろんアーチャーの説明が正しい保障などなかったが、それでもルイズは一歩前に進めたと拳を握った。

 

「これで使えるようになれば文句はなかったけど……さすがにそれは贅沢よね」

「あら。私ならその壁に邪魔されず魔法を使えるようにしてあげられるけど?」

「うそ!? そんなことできるの!!?」

「本当よ。私たちが元いた場所では、その杖の役目を自分たちで果たす技術があったんだもの。アンタの体を通して、貴女たちの言う〝魔法〟に近い力を無理やり行使することで、その体の寝ぼけた部分を叩き起こすくらいワケないわ。ただし最初は死ぬほど痛い思いするわよ。慣れても魔法使うたびに気持ち悪い感覚はあるでしょうね。素でおすすめできないけど、それでもやる?」

「やるやる! やるわ!! どんなに痛くたっていい、魔法が使えるようになるんなら──!!」

 

 興奮するルイズに待ったをかけたのはセイバーだった。

 

「ルイズ。アーチャーの言っている意味が理解できていますか?」

「え?」

「貴女たちの魔法体系には存在しないモノを与えると言っているのですよ」

 

 その意味に敬虔な信徒でもあるルイズは気が付いた。気が付いてしまった。アーチャーの話の中には聞き逃してはいけない言葉が多数あったということに。

 

 例えば杖の役目を果たす技術があったという話。つまり杖なしで魔法が使えた?

 ──先住魔法?

 己の知識に沿ってそんな連想をする。

 そんな単純なものでないにせよ、そうでなくとも魔力という聞いたこともなかった知識を使って魔法を起こすと言われたのだ。学院の教師たちも、魔法を使うため座学トップにまで上り詰めたルイズも知らなかった知識。つまりこの考えは、始祖ブリミルの教えに存在して「いない」ものを元にしている。

 目の前が白一色に染まる。それはつまり、ルイズが16年の歳月で培った常識で言うならば、その考えは。もし仮にルイズがそれを受け入れ、その魔法に染まってしまったのなら。

 

 

 

 ──異端の謗りは免れないのではないか。

 

 

 

 ゾッとした。

 系統魔法は神と同義たる始祖がもたらした力だと信じるハルキゲニアの人間にとって、異端認定を受けるということは、自分の存在すべてが否定されることに他ならない。

 しかも公爵家の自分が異端認定など受けようものならば、家族のみならず多くに迷惑がかかる。最悪お家取り潰し……とまでは家柄の関係上ならないだろうが、万が一、下手を打てばそれほどの事態になることだってあり得るのだ。

 

「…………ま、強制はしないから、気が向いたら言いなさいな。望むならいつでもやってあげるから」

「え……あ……私、は…………」

「そんなに悩む必要ないわよ? 単にアンタの系統が目覚めてないのが原因ってだけだから、私の手助けなしでもいつか魔法使えるようになるでしょ」

「嬢ちゃんに才能があるって確認できただけよかったじゃねーの」

「なにもショートカットする必要はありませんぞ。〝険しい丘に登るためには、なだらかな歩みが始めに必要となる〟ものであります。マスターの至る頂きが他者より高いものでありますれば、道程もまた長いものでありましょう。されど逆もまたしかり、長く苦しい道のりであればあるほどより輝く丘へと上り詰めましょう」

「貴公はずいぶんとマスターの道行きが険しく長いものであることを望んでいるようだなキャスター?」

「ギク。いや何をおっしゃいますかなセイバーよ」

「嬢ちゃんのこと、いいネタがありましたと言わんばかりに熱い目で見つめてれば誰でもわかるぜおっさん」

「予め言っておく。マスターで悲劇は書くな」

「なんと!? それは酷い! あんまりですぞセイバー!! そも吾輩から筆を取り上げて一体何が残ると申されるか!?」

「筆を置けとは言っていない。ただマスターに対し四大悲劇を顕現させようものなら我が剣をもってでも全力で阻ませてもらうだけだ」

「なんだか吾輩、最近は悲劇が書けない現界ばかりな気がいたしますな……」

 

 想像に震える主と違って使い魔たちは平然としていた。彼らにとって、先のアーチャーの説明はなんでもないものだったのだと、嫌でも思い知らされることになった。

 すなわち彼らが『異端の智慧』をもたらす者なのだということを。

 ルイズは彼らにほんの少しの恐れを抱いた。

 

 それでもルイズは使い魔たちを危険な存在だとは思わなかった。否、思いたくなかった。

 初めて自分に道を示してくれた者たちだった。家族以外で、親友以外で初めてルイズを抱きしめた相手だった。そんな彼らのことを異端だと嫌悪するようなまねはしたくなかった。

 精神的に幼いルイズには、どうするべきなのか答えはでない。いまは主人として使い魔たちのことをもっと知らねばならないと、漠然と思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────

 

 

(わかったのはうちのマスターが特殊っぽいってことだけかしらね……)

 

 アーチャーはメガネを外しながら考えていた。

 自分の系統を理解しなければ上手く魔法が使えない。似たようなケースは魔術師の世界にもある。特別な属性に偏ってしまい魔術の発動自体がそれに流されてしまうパターンや、あまりに特異な魔術回路をもって生まれたために普通の魔術が上手く使えなかった魔術師もいると、この依代(カラダ)の知識にはあった。もしそれと同じであるならばルイズはやはり自分の系統(ぞくせい)を理解し、魔法の使い方を体で覚えなければならないだろう。

 ……そこが問題だ。ルイズはすべての系統を試したと言った。あれだけ努力家の彼女のことだから、文字通り知りうる全ての術式を試したのだろう。

 では、それでも目覚めない、魔法をすべて爆発へと最適化するルイズの系統とはなんなのか。

 爆発と言えば、この世界の四代系統だと『火』に分類されるものと思える。だが神霊であるアーチャーとセイバーだから気づけたが、ルイズの起こした爆発は単純に火力めいたものではなく……極小規模ながら核融合に近いものではなかったか。

 だとすれば、破壊に限定されるがルイズの秘めたる才能の大きさは──

 やはり判断材料が乏しい。そう結論せざるをえない。

 

(やっぱこっちの技術もうちょっと調べないと駄目かも)

 

 かつて人々の狼狽を眺め愉しんだ女神は、マスターのために動こうとしている自分がいることにハタと気がつく。

 我ながらお人よしになったものだ。アーチャーは苦笑を浮かべた。

 













ゼロ魔世界はファンタジック世界観なんで、理屈の方は型月風に擦り合わせてく感じですよという話。


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第五話 微熱

 使い魔召喚の儀式も終了し、新学期を迎えたトリステイン魔法学院。新たな授業や今後のことへの期待不安、自らが召喚した使い魔について生徒たちが語らう中、やはり一番の話題となるのはルイズが召喚した七人のことだった。

 

 あの獅子面はアルビオンの貴族ではないのか。

 東方のロバ・アル・カリイエの者ではないだろうか。

 ゼロのルイズが召喚など出来るはずがない。召喚を演出しただけで単に雇われた者たちではないのか。

 ところで弓に乗ってる子めっちゃ可愛くね? いや、いま姿見えないけど俺はあの踊り子っぽい女性の方が……。等々──

 召喚自体に立ち会っていない生徒も、学院のあちらこちらで出没する見知らぬ者たちを目にして、あれはなんだろうと噂を広めていく。

 一人は魔法学院の東側の塔の屋根に寝そべっている姿が目撃された。

 一人は取材と称して生徒や使用人に声をかけまくり、無礼だと怒鳴られても飄々として、舌先三寸で相手を丸め込んでいた。

 一人はマジックアイテムと思しき弩に腰かけて、優雅に空を遊泳しているところが見られている。

 あまりに奇異な存在ゆえに目立って仕方ない。皆、彼らのことが気になって授業どころではなかった。授業中、そのことで余計なおしゃべりをして教師に睨まれ、口に赤土を詰め込まれて物理的に黙らされた生徒がいたとかいないとか。

 

 だが……キュルケ・フォン・ツェルプストーが気になったのは、召喚者たるルイズ・フランソワーズその人のほうだった。

 

 トリステインの隣国、ゲルマニアからの留学生である褐色肌の少女はルイズの宿敵だった。

 正確には、彼女たちの生家が敵対関係だった。

 ラ・ヴァリエールとフォン・ツェルプストーは国境を挟んで隣同士。トリステイン、ゲルマニア両国の戦争ではしばしば杖を交えた間柄である。国境沿いという要所だからこそ王家の信頼厚いヴァリエールがその地を領地として任されているわけだが、そんな相手と累代の因縁を持つツェルプストーもまた、匹敵するほどの名家であることは言うまでもない。

 お互いに「そういう立場」だということは理解しているので、闘いの歴史を重ねながらも口にするほど深刻な不仲と言うわけではない……と言い切れないのは、ヴァリエール家が代々ツェルプストーの者に婚約者や恋人を簒奪されているためであった。よってヴァリエールはツェルプストーを目の敵にしているし、怨念パワーに押されてきたツェルプストーもまたヴァリエールを最大の障害であるとして子々孫々に教え込んでいた。

 そのためキュルケは学院に入学した当初はルイズを自身のライバルと期待していた。音に聞こえたヴァリエールの末娘がどんなものかと。寮でも隣室の関係。運命めいたものさえ感じていた。

 なのにゼロと呼ばれる無様な姿を見せられ続けては呆れる他にない。反応が面白いので、精々からかう対象にするくらいしか価値はないと思っていた。召喚の儀式の際に成功する方に賭けたのは、そうでもなければ面白みがなかったからでしかない。自分は女を磨きながらもトライアングルのメイジにまで至ったのに、なんて張り合いのない宿敵だと見下していた。

 だったのだが──今ではキュルケは考えを改めつつあった。

 

 あのピンクブロンドの少女は召喚の儀式で気絶してしまった。

 それを嘲る者もいた。燃えるような赤髪を持つ少女もまた、彼女を情けないと思った一人ではある。七人の人間──中には貴族(と思しき者)もいる──を召喚しておきながら、やはりルイズでは荷が勝ちすぎたのか、と。普段からゼロとして小馬鹿にしている相手であるので、その時はその思考に何の疑問も抱かなかった。

 時間を置いて冷静になると、考えてしまうのだ。果たしてラ・ヴァリエール三女に対する「無能」という評価は妥当なのかということを。

 これまでは彼女が魔法を使おうとするたびに爆発という失敗を起こす点から、期待外れの烙印を押していたが……前代未聞である人間複数の召喚を果たしたルイズには、相当な才能が眠っているのではないか。

 メイジの実力を測るには使い魔を見よと言う。ルイズが召喚したのが貴族や騎士ならば、凄腕のメイジの可能性も高い。であれば好敵手として、やはりこれ以上の相手はいないのではないか。決して嫌いではなかったが宿命のライバルと呼ぶには非常に物足りなかった同級生に、ようやく成長の芽が出てきたのだ。微熱の二つ名で呼ばれる少女の胸の内では、くすぶり続けていた闘争本能と競争意欲が燃え上がっていた。

 なので。

 

「ちょっとルイズー。待ちなさいよー」

「ゲッ、キュルケ」

 

 この日の授業がすべて終わって迎えた放課後。親友のタバサを誘って、学院の敷地外へと向かうルイズと(くだん)の使い魔の一団に声をかけた。

 使い魔たちの主人は露骨に嫌そうな顔をして見せるが、そんなことは気にしない。気にしてたらこの少女とはやっていけない。

 親睦を深めよう……などという意図ではない。本当に『ゼロ』の少女は成長したのか、いやもしかしたら召喚も単なる火事場の馬鹿力だったのかもしれない。ここは見極めるべきだと思ったのだ。

 

「キュルケでしたね。朝方はどうも」

 

 他の数人を待機させ、代表なのかセイバーが挨拶をしてくる。今朝、軽い自己紹介を済ませていたので面識があった。

 この女性騎士は、その主などよりよっぽど厄介な敵だとキュルケは考えていた。理由は鎧のせいで拝むこと叶わない肢体である。恐らく自分以上のものだろうと直感で見抜いていた。プロポーションには自信のあるキュルケは、それゆえか同等以上の存在には女特有の勘が鋭敏に働くのだった。

 

「ツェルプストーなんかに愛想よくしなくてもいいのよセイバー」

「いいえ。マスターのご学友とあってはそういうわけには参りません」

「学友って、別にキュルケはそんなんじゃ……」

「アッハハ。なあにルイズったら、使い魔のほうがしっかりしてるんじゃないの」

「う、うううるさいわね!」

 

 やはり弄りがいがあって楽しい。口にしたら更に怒りを買いそうなことを考える。

 

「失礼ながら、そちらの方は……?」

 

 セイバーに促されて、キュルケは自分の後ろで待っていた青髪の少女を前に押し出す。

 

「この子はタバサよ。私の友達」

 

 無口な親友を紹介する。それに倣ってルイズの使い魔たちはそれぞれ名乗る。ルイズ以上に小柄な少女はペコリとうなずいてそれっきりだった。必要最低限のことしか会話しない我が友人らしいなとキュルケは思った。

 

「私も彼らには興味がある」

 

 そう言って、案外あっさりルイズらに関わることを承諾した時はこれ幸いと思ったが、よくよく考えて見れば、普段は己の外界に興味の目を向けず本の虫となるタバサにしては意外な話だった。

 

「それで何の用よキュルケ。私たち忙しいんだけど」

「あら。学院の外に何かあるのかしら?」

「……敷地外じゃないとできないことをしに行くだけよ」

「まっ、学院内じゃできないことだなんて……意外と大胆だったのねヴァリエール……」

「ランサー見てなに勘違いしてんだか知らないけど! そういうんじゃないから!」

 

 もちろん、キュルケはルイズが男といかがわしいことをしに行くとは考えていない。この娘がそんな性格でないことは知っている。まさに撃てば響くピンクブロンドは、からかう相手として打ってつけなので、ついやってしまうのである。

 

「ただセイバーとランサーがちょっと体を動かしたいって言うから広いとこ探してるだけよ」

「そういうことだったら学院の広場でもいいじゃない」

「私もそう思ったんだけど、二人がもっと広いほうがいいって言うから」

 

 ルイズは律儀に質問に答える。知識を詰め込むタイプの少女は勉強ができるくせに頭の回転は早くない。抱えているのが軽い情報なら、ちょっと畳みかけてやれば簡単に喋るとキュルケは知っていた。

 

「それで結局何の用だったのよアンタ」

「私はこれからフレイムの散歩をしようと思ったの。やっぱり良きメイジたる者、使い魔の面倒はしっかり見なくちゃね~」

「あっそう。ってゆうか質問に答えなさいよ」

 

 フレイムと名付けた自らの使い魔(サラマンダー)の背中を撫でる。

 ところでフレイムがジッとセイバーを見つめているように思えるが、気のせいだろうか?

 

「そういうわけだから、外に行くならちょうどよかったのよ。私も着いていかせてもらうから」

「なんでそうなるのよ!」

「いいじゃないの。差し支えないでしょ別に」

「ツェルプストーが一緒だなんて差し支え大有りよ!」

 

 提案に当然ルイズは反発したが、ランサーの腕に抱き付くなどして強引にくっついて行った。男の子とのデートの約束もすべてすっぽかしたのだ。なんの成果も得られずに終わるわけにいかなかった。

 ──その行動の果てに、信じられないものを目にすることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「せえりゃあっ!」

「はぁっ!」

 

 気合い一閃。

 ぶつかり合う青いふたつの閃光。交差するたびに鋼の悲鳴が辺りに響き火花が散る。衝撃で空気が揺れ、雑草がざわめきたつ。遠くの木々から鳥が飛び立っていく。

 ランサーとセイバー。使い魔二人が激しい戦闘を行っていた。

 本人たちは軽い稽古だと言っていたが、素直に信じる者はいないだろう。キュルケはそう思った。隣でポカンと口を開いているルイズも、目を見開いているタバサも、きっと同じ意見だ。

 なにせ二人の動きは目で追うことすらできないのだから。かろうじて互いに距離を取って構え直した時や、足を止めての打ち合いをした時に確認ができる程度。これが軽い稽古などと冗談ではない。

 

 ランサーを名乗る男が握っていたのは赤い槍だった。どこか禍々しい気配を漂わせて、ジッと見つめていると身震いしそうだ。

 女騎士……セイバーの方は良く見えない。何かを振るっているのだけはわかるが、その得物が見えなかった。まるで見えない剣を手にしているかのような──

 

「そぉらそらそらそらそらぁ!」

 

 男は獰猛な笑みを浮かべながら、槍で突く。突く。突く。駆け引きなどいらぬ、薙ぎも払いも不要と、連続で高速の突きを放つ。

 息をつかせぬ猛攻。その稲妻の如き速度は風のメイジが使う魔法をも凌駕している。なんという出鱈目か。キュルケが知る限りの衛士なら五合ともたずに細切れにされよう。

 だが相対するセイバーはランサーが放つ連撃をすべて捌いた。捌き切って、そのうえ一撃を見舞おうと懐に潜り込む。即座に離脱し、距離を取ることでランサーはこれを回避する。

 力強い踏み込みは地面を陥没させる。刃を交えるたびに巻き起こる衝撃は、近くにあるモノを壊しかねない。なるほど広い場所を求めたのはこういうことか。学院の広場でこんな戦いを始めていたなら、周囲の壁などに少なからぬ被害が出たハズだ。

 

 ……次元が違いすぎる。

 恐ろしいことに二人は何も魔法らしきものを使っていない。傍で見ているメイジ三人に使用を覚らせないほど上手く隠蔽して使っているのなら、より恐ろしい。まさか他の使い魔たちも同等なのだろうか。

 抱く感想は驚愕と困惑。それ以外にない。

 キュルケの出身であるゲルマニアは、爵位を金で買うこともできる謂わば「成り上がりの国」だ。転じて、伝統や格式よりも即物的価値観を重視する競争社会……つまりは実力主義の国家であると言える。

 家柄に依存することなく、結果が出せれば上に行ける──その思いが互いを磨き合い高め合う社会形態を作り上げているのだ。そのため軍人たちの戦闘能力も、メイジ、一般兵を問わず高い水準にあった。キュルケはフォン・ツェルプストーの娘として、様々な軍事演習に公務で関わったことがある。まだ年若い身ゆえに見学程度のものだったが、それでも列強国の兵士を大勢見てきたという自負があった。

 ああ、だと言うのに──

 これほどの戦いに出会えたのは生まれて初めての事だった。

 

「お二人さーん、そこまでにしときなー。予定時間はとっくにオーバーしてるぜー」

 

 上空から声が聞こえてくる。

 見上げれば、そこにいたのはアヴェンジャー。太い縄でぐるぐる巻きに縛られて、アーチャーの舟に逆さ釣りでぶら下げられていた。一人だけ掃除を逃げ出した仕置きでこんな扱いがされていることをキュルケは知らない。ちなみに発案者はアーチャー、実行者もアーチャーである。

 並行して青い風竜が隣を飛んでいた。タバサの使い魔シルフィードだ。

 

「む。もうそんなに経ったか。軽く打ち合っただけだというに……」

「いや、あんだけ激しくやっといて軽くとか、円卓基準の物言いやめろや」

「オレも師匠と軽く流した時くらいのつもりだったんだがな」

「ケルト基準で考えるのもやめろ」

 

 アヴェンジャーに軽口を叩きながら刃を収める二人の戦士。同時に空気が軽くなる。まるで張りつめていた緊張が解けたかのようだ。キュルケは自分の腕に触れて、ようやく体が冷や汗をかいていたことを知る。あの戦闘の熱気にあてられていたらしい。

 

「きゅいきゅい!」

「シルフィードっていうんだ。イルククゥ? どっちも風にゆかりがありそうな響きね」

「きゅい! きゅいきゅいきゅい!」

「大いなる意思? そっか、私は遠い地の自然由来の存在だから似たような気配を感じてるんでしょうね」

 

 アーチャーはシルフィードと会話をしている……ように見えたが、きゅいきゅい鳴いてるだけの風竜と会話ができるはずがないので独り言だろう、と判断した。

 イルククゥという名前をアーチャーが発したとき、傍らの少女が僅かに反応したことには残念ながら気づけなかった。

 

 本当に彼らはなんなのだろう。同様に驚愕を浮かべている親友に意見を求めてみる。タバサもまた額から汗を流していた。ともすればキュルケより汗だくだ。

 

「タバサ。貴女は何かわかった?」

「……わからないということがわかった。彼らは、何者?」

 

 こっちが聞きたかったことを逆に問い返されてしまった。

 もう主人の方に直接訊ねたほうが早いと思い、ボーっとしているルイズの肩を小突く。ハッと我に返ったように振り返るピンクブロンド。圧倒的にスタイルで勝るキュルケはルイズを見下ろすカタチとなる。

 

「彼らは一体なに?」

「……自称、別世界の、過去の英雄たちの、幽霊」

「……何言ってるのヴァリエール?」

「彼らがそう言ってるんだってば!」

 

 英雄、という単語に食いついたのはタバサだった。

 

「英雄……イーヴァルディの勇者のような?」

「あの平民の英雄譚? さあ、私にだってよくわかんないわよ」

 

 肩をすくめるルイズ。ただタバサが連想した勇者という言葉は確かにセイバーたちに合っているように思えた。戦闘力もさることながら、どこか浮世離れした立ち居振る舞いには説得力がある。

 

「でもホントすごいじゃないの。そこらの衛士よりずっと強い……ううん、もしかしたら亜人や妖魔だって軽く倒せるんじゃない?」

「え、ええそうよ! アンタの使い魔より私の使い魔の方が上ってことがハッキリわかったようね!」

 

 フフンとドヤ顔を忘れないルイズ。キュルケから見ればちびっこでしかない少女が見栄を張っている姿には、微笑ましい気持ちさえ湧き上がってくる。

 だがキュルケとて自慢の使い魔を貶されては黙っていられない。

 

「でも主人が『ゼロ』じゃねえ……宝の持ち腐れじゃないの。彼らだってもっと自分たちにふさわしい主人がいいはずよね。

 そうだ、使い魔じゃなくて私の従者にしてあげようかしら」

「ハァ!? ふざけんじゃないわよツェルプストー! なに他人の使い魔を勝手に引き抜こうとしてるのよ!」

「あら。『ゼロ』のルイズが彼らを満足させてあげられるのかしらねぇ?」

 

 言い返すことができずぐぬぬと顔を歪めるヴァリエール。

 してやったり。ホホホと高圧的に笑って見せる。いかにルイズが優れた使い魔を召喚しようが、魔法は失敗ばかりなのに変わらないのだから調子に乗るなという話だ。

 ……しかし、いつもなら悔しさを押し殺すよう唇を噛み締める隣人は、大してダメージを受けた様子もなくそっぽを向いた。

 

「ふんだ。今は『ゼロ』でもいずれアンタより上に立ってやるんだからね。見てなさいよ」

「ハイハイ。期待しないで待っててあげるから」

 

 ムキー馬鹿にしてー! と猿のような奇声を上げて顔を真っ赤にしたルイズをあしらいながら、キュルケは違和感に気が付いた。

 どうしたことだろう。ルイズの虚勢はいつものことだが、今回のソレは本当に自信に溢れているように見える。少なくとも授業で大失態を犯した直後に自らの『ゼロ』を受け入れるような言動をするなど、これまでになかったハズである。

 チラ、と雑談に興じるヴァリエールの使い魔たちを見る。ちょうどアーチャーが死闘を演じた二人と喋っているところだった。

 

「で、どんな調子よランサー?」

「やっぱ思った通りだな。どうにも上手くいかねえ」

「ふぅん。セイバーはどう?」

「さてな。私の場合は久方ぶりに剣を握ったというのも大きいが」

「ああ、千五百年ぶりだったっけ。じゃあ槍でも使ったらどう?」

「カタチだけ似せたモノなら今の私でも作れなくはないが、それよりはこちらを使ったほうがいい」

「ねーねー、なんでもいいけどオレ下ろしてくれねー? 頭に血ィ上って視界がヤバいんだけどよぉー」

 

 やはり、彼らが何か良い影響をルイズに与えたのだろう。これからの学院生活には期待ができるかもしれない。

 

 クスリと笑みを浮かべ、キュルケは再びランサーに抱き着きに行った。初見でいい男だと思ったところに、さらに心ときめくような強さまでプラスされて、今や彼の評価はキュルケの知る男性でダントツ一位に立つ。恋に生きる女はアプローチを欠かさないのである。

 学院への帰り道、おかげでルイズにギャンギャンと怒鳴られたことは言うまでもない。

 














ちなみにアヴェンジャーはしばらく解放されなかったとさ。


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第六話 学院長の受難

「ふうむ。さっぱりわからんのう」

 

 読んでいた報告書の束を机の上に放り出し、トリステイン魔法学院長オールド・オスマンは長い白髭を撫でながらぼやく。

 ギシリ、と音が鳴るほど執務用の椅子に深く座る。もたれかかって天井を仰いだ。

 いずれ国の中核を成す貴族の子女の面倒を見る最高責任者。齢三百を超えると言われる、王国でも指折りの実力者。そんな彼が、珍しく女性絡みのこと以外で真剣な顔つきになって思案しているのは、ミス・ヴァリエールが召喚したと言う使い魔たちのことについてだった。

 

 彼女が召喚した使い魔たちのことはすぐにオスマンの耳に入った。

 慌てふためいたミスタ・コルベールが学院長室に駆け込むと同時に、生徒の一人が貴族を召喚したと言い出したのにはさすがのオスマンも吹き出した。

 しかし聞くところによると召喚された本人たちが言うには、彼らは船を使ってもたどり着けないほど遠方からやってきたということであり、すでに各々の役目を終えた存在だと言うことらしく、貴族の地位にある者ではないらしい。代表の騎士が「使い魔として召喚されたのだから使い魔として扱われなければ困る」と宣言したこともあって、政治的に害を成す存在ではないということを信じ、とりあえずは来賓ではなくミス・ヴァリエールの専属召使いとして扱っていた。オスマン本人は会わずコルベールを介しての通達だった。

 そこからが大変だ。急いで彼らの素性を調べようにも手掛かり一つない。一応は今内乱中のアルビオンや傭兵も多いゲルマニアの貴族らに、それと思える行方不明者がいないか調べてはいるが、通信技術が発達しているわけでもないハルキゲニアでは時間がかかりすぎるため、早期解決など期待できるものではない。

 マジックアイテム【遠見の鏡】を使って学院内での様子を監視しようと思い立つものの、彼らの姿は何故かボヤけてよく見えない。なんらかの魔法か別のマジックアイテムで妨害でもされているのか。ならばと自身の使い魔であるネズミのモートソグニルを放ってみても即座にバレてしまって失敗に終わった。モートソグニルと視界を共有した状態で女騎士に剣を向けられたのは若干トラウマものである。普通のネズミのフリをして逃走させたが、たぶん勘付かれているだろう。

 幾人かの教師たち、使用人やメイド、料理人数名にマルトー料理長……これまで彼らと接触した生徒以外の者たちにコルベールを使って聞き込み調査させてみたが、あまり役に立つ報告は上がってこなかった。強いて成果を挙げるならば戦場を経験している者たちではないかという推測が立ったこと。あとは学院と敵対する悪意はなさそうだというくらいか。個人が特定できるものは何もない。

 どこの出身であるのか。

 やはり本当に遠方から召喚された者たちなのか、さっぱりわからない。

 もういっそ放置しておいた方がいいんではないだろうか。そんな考えも頭をよぎる始末だ。ここに秘書のミス・ロングビルがいれば、お尻のひとつも撫でまわして英気を養いたいところである。残念ながら室内には自分一人だけなのでそれも味わえない。

 ひとまず一服するべく水タバコをくわえる。

 

「じゃがのう。いっくら敵対心がなかったとしても、彼らの素性次第では余計な火種になりかねんしのう」

「貴方たちに不利益を与える立場じゃないことは保証するわよ。ま、身元もわからないんじゃ警戒は当然か」

 

 オスマンの心臓が止まりかけた。

 声のした方に急いで顔を向けてみれば、そこには見知らぬ姿があった。

 足を組んでプカプカと浮いている、金糸の衣装を纏った少女。報告にあったミス・ヴァリエールの使い魔の一人だ。たしかアーチャーと呼ばれていたはずの。

 この学院長室(へや)には誰もいなかったはずだ。魔法で鍵もかけてあった。開錠(アンロック)の魔法が使われたのなら、オスマンが気が付かないわけがない。

 なぜここに人がいるのか。いつの間に入ってきたというのか。

 

「脅かさんでくれんかのうミス。老いぼれの寿命を縮めるなぞ、意地悪と呼ぶにはちぃと質が悪かろう?」

 

 動揺を抑え、驚愕を表に出さないよう平然とした態度で臨む。この程度の揺らぎを誤魔化せないようでは学院の長など務まらないのだ。

 

「あらごめんなさい。ちょっと気になったことがあるもんだから、頭が回らなかったわ」

 

 謝罪を口にするが悪びれた様子はない。そこに一切の情が見えなかった。他人に迷惑をかけるなど当然であるような傲慢が透けている。

 まるで、どうでもいい人間になど興味がないと、神か悪魔が告げるかのような──

 

「して、何用かな? ここが学院長室と知って侵入などしたのであれば、用件を言ってくれんではこちらも対処せざるを得なくなろう」

 

 甘い、と人によっては思うかもしれない。得体の知れない相手はすでに執務室に勝手に入ってきている。これだけで賊として扱うには十分足る理由だろう。

 それは間違いだ。オスマンは相手の狙いや背景がわからないから手が出せないとか、女性を傷つけたくないとか、そういった理由で話し合いを持ちかけたのではない。いかにオスマンが老獪さより情の深さが勝る善人でも、不心得者への対処を誤るほど耄碌してはいない。単に敵対したくないのだ。この、未知の魔法を使ったと思しい使い魔とは。

 正直に認めるならば、オールド・オスマンは少女を恐れた。

 彼が連想したものはエルフだった。自分も知らない、未知の先住魔法を使う者たち。メイジが束になっても敵わないとされる魔人の恐怖を想像してしまった。目の前の少女がエルフだなどとは言わないが、同じような脅威を感じ取ったのだ。

 三百年を超える人生で培った経験則が警鐘を鳴らす。波風立てないことが今は最善と、老齢のメイジは直感した。

 

 少女はどこからか本を取り出す。

 それは『始祖ブリミルの使い魔たち』という古書。どこの図書館にもある、さして珍しくもないものだった。文字通り、始祖の使い魔に関して書かれている。

 もっとも始祖が従えた使い魔に関してわかっていることは少なく、どんな姿かたちをしていたのか、どんな種族だったのかも語られず、タイトルに反した曖昧な記述しかされていないので、オスマンは軽く詐欺じゃないかとも思っていた本だ。

 アーチャーはパラパラと本を捲る。

 

「メイジの使い魔って、人間が呼ばれるケースはないって話を散々聞いたんだけど、ちょっとここのページ見てほしいのよね」

 

 オスマンにも見えるよう開いた本を机の上に置く。

 覗き込んでみれば、それは今では讃美歌としても使われる、始祖の使い魔たちを表した詩が書かれたページだった。

 

 

 

 

  神の左手ガンダールヴ。勇猛果敢な神の盾。左に握った大剣と、右に掴んだ長槍で、導き我を守りきる。

  神の右手がヴィンダールヴ。心優しき神の笛。あらゆる獣を操りて、導き我を運ぶは陸海空。

  神の頭脳はミョズニトニルン。知恵のかたまり神の本。あらゆる知恵を溜め込みて、導き我に助言を呈す。

  そして最後にもう一人……記すことさえはばかれる……。

  四人の僕を従えて、我はこの地にやってきた……。

 

 

 

 

「有名な詩じゃのう。これがどうかしたのかね?」

「できればとぼけないでほしいんだけど。人の武具を手に取り振るい、智慧をもって助言する。つまり人と同じ手先の器用さに、人の言葉を発する者ってことじゃない。最初はガンダールヴの剣やら槍ってのは爪や牙の比喩かとも思ったけど、千の武具を使いこなすとかこの後書いてるしね。あとは一人だの四人だのって数え方。これについて聞きたいの」

 

 気づいたか。と、オスマンは内心で舌打ちした。

 そう、先のアーチャーの言葉通り、魔法学院の歴史において人間を使い魔にしたケースはない。ないのだが、学院の外の歴史にはそれを示唆する記録が残っている。ほかならぬ始祖の文献に。

 魔法研究所(アカデミー)の中には気づいても見て見ぬフリをする者や、頑なに否定する者もいて闇に葬られた学説。それすなわち。

 

「……始祖の使い魔は、人の手足を持ち、人語を操る者だ、と?」

「妖魔や亜人がいるから人間だと断言はできないかもね」

 

 少女はそのように言うが、恐らくその線はないだろう。グリフォンなどの幻獣であれば絵にもなろうものを、まさか偉大なりし始祖のしもべが人を食らう怪物だなどと信仰薄いオスマンでも考えたくはない。人間と今現在敵対している亜人種だとも思えない。

 つまり人間であった可能性があるのだ。残された情報を鑑みるに。

 始祖がメイジまたは平民を使役していたかもしれない、などというのは風聞に関わるので、話題が持ち上がっても黙殺されることが多い。メイジならば同胞を使い魔にしていたことになるし、平民であれば奴隷の如く扱ったようなイメージがついて回る。貴族にはどうでもいいことだろうが、民の大多数が爵位を持たない平民である以上は、メイジに対する悪感情を増長しかねない情報となる。

 いや、始祖の使い魔が人間であったかどうかは今は大きな問題ではない。アカデミーに関わる案件か否かなどより目先のことが重要だ。

 ──いるではないか。人の姿をした複数の使い魔を召喚した者がこの学院に。

 虚無の担い手は始祖の系譜に現れると伝えられる。王室の血が流れるヴァリエールの血筋には可能性がないわけではない。

 

「ブリミル教ってのは国教でしょう? もし万一に『始祖の再来』とでも呼べるようなメイジがいたら王室にでも相談しなきゃいけないんじゃないかしら? 確認しときたくてね」

「もしその場合、そのメイジの使い魔はどんな行動に出るのじゃろうかのう」

「さあ? マスターに危害がなければ特になにもしないんじゃない? でも、そうね……例えば、争いの道具に担ぎあげようとでもするなら、徹底抗戦するかもね」

 

 釘を刺しに来たのか。オスマンは少女の狙いをそのように捉えた。

 今のところこの相手はミス・ヴァリエールに対して害意は抱いていないらしい。ゆえにこそ主人を害する芽を摘み取っておこうと考えたのだろうか。

 オスマンとしては最初からルイズを利用しようなどという考えは持ち合わせていない。そもそも虚無が復活するという考え自体が「無理のある仮説」の域を出ないので利用するも何もないのだが、ルイズの使い魔たちにすれば学院の思考など把握できるはずもない。主人を守ろうと行動するのは仕方ないことなのか。

 

「いやはや、しかしそれは杞憂というものじゃろうて。始祖の再来だなどと、そのような存在はこの六千年現れた試しがない。仮に始祖と同じ使い魔を召喚していたとしても、それが虚無の系統だという証拠とは言い切れん」

「何事にも例外はあるんじゃないかしら。少なくとも、貴方たちは始祖のことも碌に知らないんだから、ルイズが始祖と同じ系統だとでっち上げられても反論できないってことと同義でしょう」

「さすがにそれは始祖に対して不敬じゃな。ミス・ヴァリエールは座学こそ優秀じゃが実技では失敗ばかりの生徒と聞く。そんな彼女が始祖と同質の存在じゃと?」

「は──」

 

 オスマンの失言に壮絶な笑みを浮かべるアーチャー。

 ……老魔法使いは怯んだ。下手(したて)に出るつもりなどなかったのに、怯んでしまった。

 嘲笑と呼ぶにはあまりに凶悪なソレは、オスマンの額に汗を滲ませるには十分すぎた。

 

「笑わせないでちょうだい。たかだか三百年生きた程度の()()が、私のマスターを見極めたつもりだなんてちゃんちゃらおかしいわ」

 

 少女とは思えない凄みを出しつつオスマンに顔を寄せる。

 この娘は老体を前にして、恐れも敬意も嫌悪すらも抱いていない。神々しくも禍々しい深紅の瞳の奥に、人を人と思わないような……まるで家畜を見つめているかのような上位者の意思を感じた。常日頃から人間を玩具同然に考えている者の目だ。それが小娘の驕りなどではないと確信が持ててしまうのが恐ろしい。

 ローブに脂汗が染み込んでいくのを感じる。水タバコを床に落としてしまったことにも気づけなかった。魔法学院の長の胆力をもってしても、呑まれないように都合のいい言葉を重ねるのが精いっぱいだった。

 

「始祖ブリミルはメイジに魔法の奇跡をもたらした存在じゃ。なぜ今になって一介の生徒を同等に扱えようか」

「だったら確かめてみなさいよ。ルイズがどんな存在なのか。なぜ系統魔法に目覚めないのか」

「虚無の系統を確かめようなどという自体が恐れ多い。そもそも推し量る術はない。虚無の系統は伝説に語られるのみ。もはや誰もその系統の詳細を知らぬのだから」

「ならこっちで勝手に調べるから〝フェニアのライブラリー〟の利用許可を出しなさい」

 

 予想を超えた上からの提案に呆気にとられてしまう。

 本塔の中に存在する図書館はトリステインでも有数の蔵書量を誇ることで有名だった。高さ三十メイルにも達する巨大な本棚が幾重にも並び、始祖ブリミルが降臨して以来の歴史が全て詰め込まれているとさえ言われている。その奥の奥に教師のみ閲覧を許された本が保管された場所がある。それがフェニアのライブラリーだ。たしかに、虚無の系統が伝わっているとすれば可能性はそこしかない。

 ただ、宗教面や政治絡みで反体制的なモノが禁書として少なからず存在する。おいそれと余人に見せていいものではなかった。

 

「ずいぶんと無茶を言い出すのう。それは不可能じゃ」

「そう。じゃあ仕方ないわね。アカデミーとやらに情報を求める必要があるかしら」

「……それは脅しかね?」

「ルイズがなんでもないなら問題ないことでしょ。まあ、もし万一にもルイズが虚無の使い手なら、どんな扱いや勉学を行ったのか伝えなければならなくなるわね。その才を見抜くこともできず冷遇してきた学院の責任者はどう扱われるのかしら」

 

 口の端を釣り上げた少女を前に、老人は目を細めるしかなかった。

 この娘は本気で言っている。アカデミーの研究員たちが少女の言葉を信じずとも、それが疑惑として広まり、もしも一考の余地を唱える者が出てくればそれだけで騒ぎとなりかねない。

 下手な脅しなどではない。オスマンなど、路傍の小石と同じ程度にしか扱っていない。このままならば言葉通りのことを行う。それでオスマンに責任問題が及ぶならまだ良い……いや、大いに良くはないのだが、学院など飛び越えて王国全体に混乱を招くだろう。そして事態を起こした当人はまるで被害者の如く王国の敵となるところまで見えた。たとえ主人は守っても周囲に被害を出すことは厭わない、台風が擬人化したかのような、気まぐれで身勝手な天空の女。そんな姿を幻視する。

 内心の焦りを押し殺し、言い訳をひねり出す。

 

「学院の蔵書では虚無のことはわからんのではないかな。それでわかるならとっくに誰かが真実を得ているじゃろうて」

「その判断はこっちですることよ。ちょっとのヒントがあれば、貴方たちにわからないことも私たちにわかることだってある。詳細は伏せるけど既に実証済み。あなたは未来ある生徒のためになる行動をしてくれればそれでいいの」

「あそこにはゆえあっての禁書も存在しておる。素性もわからぬ輩に勝手に許可なんぞ出せやせんわ。最低でも王室の、口が堅い者と相談をしなければならん。……まあミス・ヴァリエールのためと言うなら前向きに検討させてもらうので、しばらく待ってはくれんかのう」

 

 大嘘だった。オールド・オスマンの権限があれば他者と相談するまでもなくライブラリの利用許可は出せる。ただ、この相手に禁書を見せるようなマネはできなかった。

 条件付きで、例えば教師立ち合いの元に虚無を調べるのを許すという手段もあったが、どうにも手玉に取られそうな予感がある。今は少しでも時間を稼ぎ、有耶無耶に終わらせてしまいたい。場合によっては判断材料を集めてから決断するしかない。そう結論せざるを得なかった。

 少女は食い下がることをしなかった。嘘が見抜けていないというわけではなさそうだが、検討するという言質が取れればそれでよかったのか「あっそ」と残して浮いたまま部屋から出ていこうとする。なんともあっさりとしたことだった。少し気になり「のう」と背中に声をかける。

 

「何故こんな回りくどいやり方を? おぬしならば勝手に禁書を漁ったところでバレずに済ませてしまいそうなもんじゃが」

「だって今の私はルイズの使い魔だもの。一応顔は立てるわよ。ご主人サマに変な責任が行っても面倒だし」

「その割には脅すんじゃのおぬし」

「言ったでしょ。本当に始祖の再来なんてものが現れないのなら、脅しにもなってないって。そっちが勝手にルイズと始祖を重ねて、確定もしていない未来におびえただけよ」

 

 ルイズに始祖の再来を予感したのは、いや、アーチャーに呑まれてまんまと口車に乗ったのは他ならぬオスマン自身である──そう告げると振り向くことなく、ひらひらと手を振って扉を閉める。

 ひとりになったオスマンは脱力する。ひどく疲れた。真の狙いは、学院長に敗北感を植え付けておくことだったのではないのか。

 

「まったくのう……ミス・ヴァリエールも厄介なものを召喚してくれたもんじゃわい。それも七人もいるときておる」

 

 他の者たちもアレと同格と考えるべきだろう。

 本当に面倒ごとを引っ張り込んでくれた、とオスマンは一人つぶやくのだった。

 












脅迫もとい交渉事はたぶんイシュタルさんのお仕事。


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幕間 サーヴァント会議

「始祖ブリミルとは、つまるところ魔術王ソロモンだ」

 

 まず初めに、獅子王がそのように切り出した。

 

 時刻は真夜中。場所はトリステイン魔法学院の屋根の上。地球にはない星々の動きと蒼紅の双月が見える場所。

 主人が寝入ったのを確認して、サーヴァントたちは今後のための会議を開いていた。

 高さは地上十数メートル。人の足場となることを想定されていない斜面は、話し合いを設ける場としては不適切に過ぎた。危機感を覚えるには十分すぎる状況で、それでもまったく問題視していないのは、既に死を経験した英霊たちはこの程度で恐れることがないからなのか。

 こんなところに集まったのは、此処ならば誰に邪魔されることもないと判断してのことだった。万が一を考えて人払いと魔術阻害の結界を張り、誰かが盗み聞きすることもないように配慮してあった。

 この場にいるのはセイバー、ランサー、アーチャー、アヴェンジャー。いまだ街まで出向いたライダーとアサシンは戻っていないが、そろそろ合流できるだろうと判断して先に始めることにした。

 キャスターはあてがわれた部屋に引きこもっている。学院長に許可を取って使い魔七人のための部屋をルイズが得たまではよかったが、セイバーは護衛として常にルイズのそばにあり、ランサーやアーチャーは使用人部屋ですし詰めになるより外で野営するほうを好んだため、もっぱらキャスターの仕事部屋と化している。今はまだこの世界の文字を勉強している段階なので、まだ執筆活動は行っていない。劇作家が原稿を仕上げるのはもう少し先になるだろう。

 

 会合が始まり、この世界について説明すると前置きしてセイバーはブリミルをそのように表現した。

 胸に包帯を巻いてルーンを隠したアヴェンジャーは獅子王の言葉にクエスチョンマークを浮かべ、ランサーもまたどういうことかと首を傾げる。「ああ、そういうことか」と、理解している様子を見せたのは現状でアーチャーだけだった。

 

「あー……なんだ。つまりソロモン王がこの世界に来てたってことか?」

「そうではない……いや、私の言い方が悪かったな。正確にはソロモンと同じ役割を課せられた、この世界における魔術王だということだ」

 

 始祖ブリミル──ハルキゲニアにおいて魔法を人々にもたらしたとされる人物であり、メイジたちの祖と崇められる存在。しかしながらこの世界の住民たちは誰一人、六千年前に突如として現れた彼の出自を正確に把握していない。なにせ神とも同一視されるがゆえに恐れ敬われ、その人間性について語り継がれることも、その姿を模造し偶像を崇拝することも禁じられてきたのだ。子細な情報が残されていないのは当然の結果であるとも言えた。

 ブリミルのことを詳しく説明できる者がいるとしたら、同じ時代を生きた者たちかあるいは──獅子王のような、過去をも見通す千里眼の持ち主だけだろう。

 

「我々の元いた世界。かつて神々は人間の認識力、変革力に慄いた。『このままでは自然界(かみがみ)が不要となる時代が来る』と。それはアーチャー、貴女が良く知っているのではないか」

「まあ、遊星の件とか色々あって神の弱体化も避けえなかったしね」

「見逃されてんだっけアンタの親父さんら。やだーかっこわるーい」

「るっさい」

 

 余計なことを言ったアヴェンジャーの頬をアーチャーがつねり上げた。地雷を踏んだ自覚がある黒い少年は痛みに文句を言いながらもされるがままとなる。

 

「そして神々は文明を築き上げる人間たちを神の手に収め続けるために、様々な策を試みた。

 例えば英雄王ギルガメッシュ。彼は神の側に立つ王として人間たちを管理する役目を負わされた存在だった。ヒトの認識たる物理法則が世界を支配することがないよう、神の支配を保つことが彼の使命だった。自我が強すぎて(おや)の言うことなどまるで聞かなかったらしいがな」

「やめてよねアイツの話なんて」

 

 アーチャーは嫌そうに顔をしかめる。

 真名をイシュタル。本来は神霊である彼女は、分体の霊基を依代足りうる人間に寄せることで、アーチャーのクラスとして獅子王について来た。その出自は古代メソポタミア。同郷のギルガメッシュ王とは色んな意味で因縁を持つ女神なのである。

 

「そして魔術王ソロモン。彼もまた、人を繋ぎとめるために利用されるはずだった存在だ。神に捧げられた、人を統べる偉大な王。これに英知を与えることで、神々の支配を盤石なものにしようとした」

「でもその試みは失敗ね。ソロモン王は神に与えられた十の指輪(ちから)を使うことを良しとはせず、ついには自らの手で返却してしまった。ソロモンを通して人心を繋ぎとめることはできなかったのよ」

「なるほどな。ブリミルとやらが魔術王と同一ってぇのは、そういう意味か」

 

 ランサーが納得したように頷いた。片手には酒杯を握っている。会議なら水モノは必要だろうと言ってワインをこの場に持ち込んでいた。いつの間にやら料理人数名と仲良くなっていた青年は酒を厨房から取ってきたのだった。ちゃんとコック長には断りを入れて酒のツマミにチーズなど貰っているあたり根回しがいい。

 ついでにアヴェンジャーが勝手に連れてきた食堂の小人たち(アルヴィーズ)の踊りを楽しんでいた。夜に動きだすという話を聞いて機会を伺っていたらしい。もはや傍から見れば会議と言うより宴会の様相である。

 

「ブリミルはこの世界の王として生まれた存在ではない。そこまでは見通せなかったが、遠き異世界……ともすれば我らと同じ世界より訪れた異邦人にすぎなかった。彼はとある魔術師の氏族の長として同胞を引き連れこの地に来た。その魔術回路の精度を神々は利用したようだ。来訪者たちは神秘の伝達役として最適であり、とりわけ才能が優れるブリミルは神輿に都合がよかったのだ」

 

 セイバーは淀みなく説明しながら自らのグラスにワインを注ぐ。気づけばしっかり相伴に預かっていた。

 

「この世界の知性体(ニンゲン)は疑似神経たる魔術回路を獲得する素質をまったく持っていなかった。それゆえ神代に適応するのではなく、神の支配からの脱却を目的とする方向に認識力を進化させ、神秘・自然法則を物理法則で覆し始めた。人間の膂力は脆弱だが知性体としての変革力は凄まじい。環境に合わせるのではなく、環境を都合よく合わせる霊長の特性はこの世界でも変わらなかったわけだ」

 

 神と呼ばれる存在。それは知性体によって崇敬されるモノ。

 多くの場合はヒトから変質したモノではなく、自然や概念がカタチと化した高次元の霊格である。

 ハルケギニアにおいても自然由来の神々の在り方は地球とさして変わらなかった。だが知性体の信仰を糧とするはずの彼らは、魔術回路をもって()の意志を伝えるための者たち──いわゆる巫女や神官を得ることが叶わず、ただ人間の生活を脅かすものとして人々に対抗手段を講じさせることとなった。

 地球という惑星が「終わりある命」を前提とした生命を作り出したのと同じく、ハルケギニアの生物も定まった寿命を持つ生命としてデザインされた。それゆえに備えた高い生存本能と、自然神の眷属である妖魔やエルフといった天敵の脅威が人々の抵抗力を高めていった。悲しいかな、人々がよりか弱い存在だったからこそ、独立する力を求めたのだと獅子王は語る。

 

「純粋に自然神の隷属だったエルフらでは神秘を暴く霊長の意志は止められない。時を経て、ついに自然現象からは神格が失われ始め、すわ手遅れかと思われた、ブリミルはそのあわやという時に現れた。これを好機と見た神々は彼に英知を授け魔道の始祖に仕立て上げたのだ。

 ブリミルは本来持ちうる魔術知識をハルケギニアの知識で応用し、系統魔法という魔術基盤を生み出した。以降、この世界は六千年もの安定期間を得ることとなる。幻獣や亜人への対抗策を手に入れた人間たちは率先して神秘を暴く必要性を失い、人の歴史は進まず衰退せず、確立した魔術法則をもって日々を紡いできた。

 ──そう。神の傀儡が人々の意志を停滞させることに成功した、いわばここは地球の神々の理想がほぼ叶っている世界と言っていい」

「六千年前って言えば都市国家ウルができたあたりね。あの頃はチャタル・ヒュユクの女神も終わって魔術が色々バラけてたから、けっこうブリミルが地球産ってのはあり得るかも」

 

 この中で最も神の事情に精通しているサーヴァントが言う。

 彼女は意識をきちんと会議に向けながらも、別のところに興味を持った。アルヴィーズだ。魔法人形を手にとって上から下から弄り回していた。なんとか逃げ出そうと小人がもがいてもお構いなしだった。

 

「それは妙な話ですね」

 

 あらぬ方向から声がする。屋根の下、結界の外側からだ。

 そちらに目を向けると、腕に美女を抱きかかえて赤銅の鎧を着込んだ男が跳躍してきた。腕の中の女性に負担をかけぬよう衝撃を上手く殺して見事な着地を見せる。赤い十字の入った白マントが風になびいた。

 ライダーのサーヴァント──ルイズが召喚した使い魔の一人だ。

 真名を聖ゲオルギウス。貴族の生まれであるとされ、邪悪な魔女に育てられたとも言われる竜殺しの聖人である。

 抱きかかえられているのはアサシン。やはりルイズが召喚し、初日に近隣の街まで情報集めに出た使い魔だった。揃ってようやく戻って来たらしい。

 

「帰ったか二人とも。夜が明けたならすぐマスターに挨拶するように」

「承知しております。おや、これはワインですか。私にも一杯いただけますか」

「あ、じゃあ私がお酌してあげる」

 

 鎧を着た聖人の腕から降りたアサシンがボトルを手に取る。斜面に少し足を滑らせるが、すぐに対応して絶妙のバランス感覚を披露する。舌を出して失敗を誤魔化す愛らしさとは裏腹に、非常に手馴れた様子でワインを注ぐ姿には艶めかしい色気があった。

 マルガレータ・ヘールトロイダ・ツェレ……マタ・ハリという名で知られるストリップ・ダンサーは、女スパイという裏の顔を持っている。こういった男を喜ばせる作法は一通り抑えているのだ。賑やかで楽しい酒の席を好むので、酌に回って皆を喜ばせるのは趣味にも近い。

 

「ああ、ありがとうございますアサシン。ふむ、芳醇で良い香りだ。産地に恵まれた葡萄だったのでしょうね」

「それでおっさん、妙って何がだよ」

 

 グラスに鼻を寄せるライダーを尻目にアヴェンジャーもまた槍兵から酒杯を受け取る。こちらも笑顔のアサシンが空のグラスに酒を満たしていった。ボトルを持つ体勢の問題で胸を寄せる恰好になる。「おおっ!?」と目の前の果実を復讐者の少年が喜々として覗き込み、やはり金星の女神にひっぱたかれた。顔までも覆う文様の上に赤い紅葉が出来上がる。

 

「こちらには始祖が現れる以前からの先住魔法があると聞きました。見る限り、系統魔法は神秘を頼りとするのでなく、むしろ強引な解釈で条理を捻じ曲げて人間に都合よく合わせる意味合いの方が大きい。神秘を保つべく狙って広めるとすれば系統魔法より先住魔法なのでは?」

「そうなのか? けっきょく霊長の法則で決定されてんじゃねえか。そこんとこどうなんだセイバー」

 

 疑問を受けたセイバーは苦い顔になり、黙って酒を呷る。誰かの名誉を慮って気を使っているような、そんな気配が漂う。しばし沈黙が流れるも、それでは話が進まないので仕方なくといった風に口を開く。

 

「……ブリミルが来訪した当時、この地の神の力は不安定だった。時期が悪かったと言うべきだろう。霊長が物理法則を確立させだしたことで、自然神秘が揺らぎ始めた曖昧な時……この世界の法則にはいくつかの隙があった。大量のプログラム移行に伴いバグが発生していたのだ。

 ブリミルは魔道の天才であると同時に、並み外れた変革者の才能も有していた。この地の知識を授けられたブリミルは元の世界との差異からバグの存在に気づき──あるいは気づかぬまま、より人間に都合がいい術式を追求した。結果、大気中に散布された多量の大源(マナ)を必要とすることがない、個人が生み出せる少量の小源(オド)のみで発動できる安価な系統魔法を作り出してしまった。その利便性は即座に日常生活と密接になり、先にあった自然現象や奇跡は置き去りにして、メイジの業として各地に広まった。……しかも彼は人間の世を確立すべく、残った自然神の大元に深手を負わせてしまった。人々の信仰はブリミルにのみ向けられることとなり、先住魔法という魔術基盤を残しながら神々は現世から姿を消してしまった。神々の望んだ安定期──人が変革を求めない低迷期に突入したのは、神が消えたその後の話だ」

 

 シンと静まり返る。

 神秘が脅威として存在し、異能が日常に溶け込んだ世界でありながら、神の存在は必要がなくなった世界。

 自然法則に頼らずとも魔術……魔法と呼ばれる技術が行使できる文明。

 皆、想いは一つだった。代表してアヴェンジャーが口を開く。

 

「要するに、こっちの神々は盛大な墓穴を掘ったってことじゃねーかそれ」

「あはははははははは!!」

 

 アーチャー、大爆笑。

 金星の女神(あくま)は異世界においても絶好調である。

 

「ちょ、まっておなか痛い……ヒーおかしいー」

 

 ツボにはまったのか腹を抱えて涙目になるほど笑う。器用にも空中に浮かんだまま転げまわる姿を見て、ランサーとアヴェンジャーはやれやれと溜め息をついた。

 

「シュメルの連中だって人のこたぁ言えねえだろうによ」

「だよなー。楔も鎖も天から離反して人の側に回ってるくせに……」

 

 自分たちの失言に気がついて言葉が止まる。

 だが時すでに遅し。万人を魅了する笑顔を貼り付けたアーチャーの手のひらの上には、巨大な火球が形成されつつあった。

 

「……」

「…………」

 

 ランサーは逃げ出した。

 逃げ遅れたアヴェンジャーは消し炭になった。

 アーチャーはランサーを追いかけ始めた。

 

「クランの猛犬に神殺しの逸話はありましたでしょうか?」

「彼の生き汚さならなんとでもなるだろう。アーチャーも生徒たちを起こすほどの騒ぎは起こすまい。ほおっておけ」

 

 結界を越えて追いかけっこを始めた二人は放置する決定が下された。この場にいる者にとっては既知のことであるので、ランサーの真名が光神ルーの子クー・フーリンであると晒されたことに関しては、特に誰も意見を唱えない。

 脇ではアーチャーの魔の手からようやく開放されたアルヴィーズが抱き合って無事を喜びあっていた。

 

「では、我々に介入してくるような高位の神格は残っていないと考えてよろしいのですね」

「そうだな。現在のハルケギニアは紀元前のメソポタミア……自然神との決別期に近い。いま意志を持つ神性は英霊と大差ない程度の精霊くらいなものだ。捕捉しておくが、この世界では言葉持つ亜人などは大源(マナ)を指してそれを精霊と呼ぶ場合がある。混同しないように」

 

 遠くの森で火柱が上がり、聞き覚えのある声で断末魔のような悲鳴が聞こえてきた気がするが、この世界特有のケモノが遠吠えしているのだろうと、皆で酒を飲んで忘れることにした。触らぬ女神に祟りはないのだ。

 

「一通りこちらの歴史は〝観〟た。今後、しばらく私の『視点』は封印する。未来を知りすぎてはマスターのためにもならないだろうからな。ここに来たのは一介のサーヴァントとして務めるためだ。それ以上の力は今は必要ない」

「へーへー。自ら縛りプレイとか、獅子王サマはお堅いこって」

 

 いつの間に復活したのか、黒焦げのアヴェンジャーが茶々を入れた。イシュタルがだいぶ手加減したのだろうが、それでもボロ雑巾の如き有様である。そんな状態になってさえ悪態をつくのは流石と言うべきか。

 

「あまりに〝観〟すぎてはつまらないのでな。未来視を手に入れればこの気持ちがわかるようになるぞアヴェンジャー。なんならその手の【祝福(ギフト)】を与えるか?」

「じょーだん。ただでさえ使い魔のルーンなんぞつけられちまったのに、これ以上余計なものくっつけられてたまっかよ」

「と言うか、今の貴女には【祝福(ギフト)】は使えないのではないですか? セイバー」

「んあ? そーなん?」

「……異世界に来た弊害だ。私は自然神ではないが、神の列に並ぶ者。【祝福(ギフト)】は地球(ほし)を寄る辺とする権能に近い。すでに此処は我々が信仰を集めた世界ではないのだから当然だろう。この手の弱体化は貴公らとて変わるまい」

 

 現に、模擬戦を行った際にランサーにも大幅な弱体化が確認できたとセイバーは語る。具体的にはいくつかのスキルの封印やステータスのランク低下などだ。それでも地力のみで幻獣たちにも打ち勝てるという確信はある。

 

「あら? でも王様は私たちを受肉させるくらいの力は残っているんじゃないの?」

 

 これまでの会話に興味なさげにチーズを頬張っていたアサシンが首をかしげた。

 本来ならサーヴァントたちは霊体であり、魔力供給なくしては現界を保てない不安定な存在である。にもかかわらずここにいる者たちは肉の器を得ていた。これをアサシンは最果ての化身たる獅子王の力によるものではないのかと考えていた。その考えは半分だけ当たっている。

 

「もはやそこまでの力は持ち合わせていない。ただこの世界に来る直前、今や私から失われた権能を総動員して、お前たちが受肉するよう働きかけておいたのだ。亡霊たちの王(ワイルドハント)としてそのくらいの融通は効かせなければな」

 

 でなければマスターに負荷をかけすぎてしまっただろう。そう言ってセイバーは二つの月を見上げた。釣られて皆がそちらを見る。

 赤と青、二色の衛星が照らす様は、この世界が地球とは異なる天体の上にあるのだと、否応なく再認識させるものだった。

 

「さて。ライダー、アサシン、お前たちには街で最近の情勢などを調べてきて貰ったと思うが。その報告を聞こう」

「ええ。最寄りの街はトリスタニアという城下町でして、この国の首都にあたる街だったのですが、最近は隣国との関係よりもレコン・キスタという──」

 

 話し合いは、空が白み始めるまで続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────

 

 

「ひとつ聞いておきたいことがあるんだけど、よろしいかしら獅子王陛下」

「あらたまって、なんだ女神イシュタル」

「この大陸ってさ、あとどのくらいもつの?」

「……さて、そこまでは見通してないので何とも言えないな」

「あっそう。けっこうウソツキなのね貴女」

「意外か? これでも男として生きた経験もある。必要とあれば虚偽も通そう」

「そういえばそうだったっけ」

 












こういうこじつけ的な独自解釈するの好きなんで。


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第七話 食堂での一幕

 アヴェンジャーのサーヴァント、真名をアンリマユ。

 世界を憎む復讐者の役割を与えられた彼は、自他ともに認める最弱の英霊だ。

 

 とにかく弱い。

 すこぶる弱い。

 風が吹いただけで倒れるんじゃないかってくらい弱い……とまでは言わないが、英霊同士による戦いでは、彼がいることで負けることはあっても勝利することはないと言い切れるくらいに雑魚である。

 

 英霊──英雄とは、本人が望むのではなく周囲に祭り上げられて発生するものだ。人々が尊敬し、畏怖し、あるいは嫌悪したものがその対象となる。多くを救った聖人であろうが、多くを屠った邪悪であろうが関係ない。要は、それが人々の〝益〟となる存在であるならば『そのように』扱われる。

 もちろん祭り上げられるだけの功績や偉業、ないし悪事を成した者たちばかりなので、何かしらの能力、才覚を持っているのが通例である。

 邪竜を退治した者には比類なき戦闘力が。

 新たな叡智を生み出した者なら高い知性が。

 大航海を成し遂げたならば開拓者としての強運とカリスマ性が、当然備わっている。

 しかるにアヴェンジャーにそんな背景は存在しない。英雄として扱われる前はどこにでもいる青年だった。国を興した経験もなければ、国を滅ぼした記憶もない。血筋も才能も持っていない。何の因果であったのか、たまたま英雄に指名された村人Aにすぎず、それ以上の力など持ち合わせていないのである。例えるなら各国の代表となる一流アスリートの中に、ひとりポツンと一般人が紛れ込んでいるようなものだ。

 まだ日常の中に魔術の名残が息づいていた時代の生まれ、かつ呪術に長けた村の出身ではあるものの、生粋の戦士でもなかった彼は魔術への抵抗力だって高くない。魔法学院のメイジたちを相手取ったとして、アヴェンジャーでは上位成績の生徒に簡単に負けることだろう。いや、ともすれば下位成績者にも敗北する可能性だってあるのだ。英霊のくせに。

 ないない尽くしで役に立たない存在。それがこの男、アヴェンジャー(アンリマユ)だ。事情により邪神の名前を冠しているが、こんなのは名前負けもいいとこだとは本人の弁である。

 

 そんな彼が、アサシンとライダーも戻ってきたことでマスターに必要とされなくなったのは仕方のないことだったろう。

 サーヴァントとして彼がやれることは特になかった。優秀なる同輩たちが全て行っている。戦闘に適した者が主の護衛や斥候の役を負い、知識持つ者が見知らぬ土地の分析を担う。各々のアビリティに合った役目をこなしていた。彼一人であったならば話は違ったろう。今使える特技のないアヴェンジャーに回ってくる仕事など雑事ばかりだった。

 だが、それも昨夜までのこと。アサシンとライダーが学院に戻ってきたことで、今では雑用係の地位すらも危ぶまれつつあった。

 朝の仕事であるマスターの着替えの手伝いも、女同士のほうがいいでしょと悪意なきアサシンに取られてしまった。ルイズも駄犬のごとき少年なぞよりは落ち着いた女性のほうが好ましかったらしく、あっさりとこの申し出を受けてアヴェンジャーは解任されてしまった。有り体に言ってお払い箱。解雇宣告されなかっただけマシなのだろう。無職はいかん存在意義に関わる、と常々考える彼にとっては、サボれる機会は大歓迎だがクビだけは御免こうむることだ。

 兎にも角にも基本的にひねくれ者のアヴェンジャー。どうせ自分の有用性など証明できない。サーヴァントの本分が戦闘にあるとは言え、それだって役に立てるか怪しいのだ。ならばと開き直り、統率役のセイバーに頼み込むこと三時間。大声で泣いてやるぞと脅しをかけたあたりで、ようやく溜め息交じりに「好きにしても構わない」との許可をもらい、トリステイン学院内の探索をすることにした。

 まあ、ようはただ部屋で待機しているのも退屈だったので、駄々をこねまくって散歩する権利を勝ち取ったのである。

 

「しっかしさあ、マスターはオレになにを期待してたんだかねー。せいぜい食い散らかすしかできないってのに。ま、それに関しちゃ負ける気しませんけど」

 

 キヒヒ、と笑うアヴェンジャー。

 自虐的な嘲笑が向けられる先は、彼がただの平民程度の存在に過ぎないと知って落胆を隠そうともしなかったルイズに対してだ。

 自己紹介をしたときに、目を輝かせていたマスター殿が露骨に残念がっていたのは記憶に新しい。なまじ他のサーヴァントたちが気品や一芸を有する存在だっただけに、全身文様の少年にも期待しすぎてしまったがゆえの反動だ。ただでさえ見た目が貴族には受け入れがたい姿だというのに「最弱がウリ」だなどと告げられてはそうもなる。失礼だとも思わない。むしろそのおかげで自由な時間を得たんだと前向きに考え、有効活用させていただきますかーと背伸びをする。セイバーに「ただし決してルイズの迷惑になることをするな」と口酸っぱく注意されたことなど忘却のかなたである。

 

 さて、今彼がいるのは生徒御用達の食事場、アルヴィーズの食堂裏の通路──厨房と食堂をつなぐ業務用の廊下である。

 ちょうど食事時であるので小腹が空いた。あわよくば何か盗み食いしようと考えてここに来たのだった。

 

「およ。あれは……」

 

 そこで見知ったメイドを発見する。

 

「シエスタじゃーん。おつかれー」

「あ、アヴェンジャーさん……」

 

 名前を呼ばれてこちらにやって来るメイド。

 少女はシエスタ。召喚以降アヴェンジャーが世話になりっぱなしのメイドだった。

 

「昨日はあんがとさん。おかげで助かったわ。いや、上等な下着の洗い方なんて知らねーっつーの」

 

 まだ雑用の一切が彼の仕事だった時の礼をする。ただの村人以上の経験を有してはいないアヴェンジャーは、どこぞのバトラーと違って貴族サマを満足させる知識や技術は持ち合わせて等いなかった。洗い場で腕を組んで悩んでいたところ、たまたま通りがかったシエスタに救援を頼んだという経緯である。

 

「いえ。お役に立てたのならよかったです」

 

 最初は蛮族丸出しの格好に怯えていたシエスタも、すっかり馴染んで普通に対応するようになっていた。そこは少年の人柄に警戒心を解いたと言うよりシエスタの人懐っこさだ。

 

「んで、何を運んでんだ?」

「貴族様にお出しするケーキですよ。もうすぐデザートの時間なので」

「へえ。うまそーじゃん、一個ちょーだい」

「だ、駄目ですよ! 言ったじゃないですか貴族様にお出しするものだって!」

「えー。でもさぁいっぱいあるじゃん? これだけあるなら絶対に余るっしょ? じゃ、いいじゃん」

「駄目です! たとえ余るにしてもまず皆さんにお配りしてからです!」

 

 何度もケーキに手を伸ばす少年とそれを必死に阻む少女。ケチーと口を尖らせて不満たらたらなアヴェンジャーを置いてメイドは食堂の方へと歩いていく。

 

「だったら貴族サマの食事が終わったら余った分くれよ。それまで食堂の外で待ってるからよ」

 

 良いこと思いついたとばかりに提案する。時間を持て余す彼もさすがに給仕を手伝おうとは言わない。こんな全身刺青(風)の男が平民禁制の食堂に入ろうものなら、お上品な貴族にどんな難癖つけられるかわかったものではないと、一応彼なりにシエスタを気遣ってのことだった。

 

「もう、しょうがないですね。それじゃあ厨房で待っていてください。どこかに行っちゃったりしたらこの約束はなしですから」

「あいよー。さっすがシエスタちゃん。はなしわかるぅ」

 

 了承を勝ち取ったアヴェンジャーは困ったようにはにかむシエスタの後姿を見送った後、通路の壁に寄りかかった。厨房で待っていろと言われたからと言って厨房に行くほど素直な性格はしていない。終わったらすぐに食べられるよう、入り口前で待つことにする。

 

「さいっ、しょは、グー。じゃーんけーん死ねぇー」

 

 右手がパー。左手がグー。

 待っている間、少年は物騒な掛け声と共にひとりジャンケンを始めた。

 ひとりジャンケンを侮るなかれ。左右の手で違うカタチを作り出す。時にはフェイントであいこも入れる。これを何度も繰り返すのだから脳トレにならないはずがない……! たぶん。きっと。楽しいか否か問われたなら「別に?」と答えるところではある。

 暇つぶしに励むこと数分。

 

 ──パァンッ!

 

「おうっ!?」

 

 右手が五十連勝してそろそろ飽きがきたところで、食堂の方から乾いた音が響き渡る。驚きの声を上げたアヴェンジャーはついつい食堂内をのぞき込んだ。

 見渡せば周囲の注目を集める男女があった。アレが原因かと推察して、視線の集まる先に意識を向ける。

 

「君が軽率に香水の瓶なんて拾い上げたせいで二人のレディが傷つくことになってしまったのだが、どうしてくれるんだね?」

「も、申し訳ございませんっ!!」

 

 頬に紅葉を作った見るからに坊ちゃんな貴族少年に対して、さっき別れたばかりの少女が頭を下げていた。

 

(おいおいマジでもめごとでも起こしたってのかシエスタ)

 

 別れてから五分も経っていないはずだが。いくら何でもやらかすスピード早くね? などと悪態をついて、抜き足差し足で傍に忍び寄り聞き耳を立てるスニーキングミッション。しかし坊ちゃんが平謝りのシエスタに文句を言うばかりで何があったかさっぱりわからない。しょうがないので近くの太った少年に後ろから尋ねてみる。

 

「なーなー、何があったんだ?」

「うん? いや、ギーシュがね。ミス・モンモランシからプレゼントされた香水を落としたんだけど、浮気相手の下級生がいたんで関係ないフリをしていたのさ。それを事情を知らないメイドが拾った結果、女性陣に手ひどくフラれてあの始末ってわけ」

 

 こちらを見ずに答えるふとっちょ君。これが蛮族風の使い魔からの問いだと知っていれば、彼はアヴェンジャーを追い出していたかもしれない。皆がこの一幕に集中していたためそんな事態は起こらなかった。

 

「へー……んん? じゃあなんでメイドのが怒られてんのよ。一応確認するんだが、平民如きが汚らしい手で自慢の香水触ったから女たちはキレて去っていった、とかじゃないよな?」

「まさか。その程度のことで怒る貴族は……まあ、いるとこにはいるだろうけれど。彼女らが怒ったのはそれでギーシュの二股が確定したからだよ。けれどレディたちが傷つく原因を作ったのはあのメイドだってギーシュは注意してるのさ」

 

 これにはアヴェンジャー、目が点である。言葉の意味を呑み込めたところでゲラゲラと笑いだした。

 

「ギャハハハハハ!! なんだそりゃ、そんじゃあギーシュクンは二股でフラれてんのに、ボクちゃんの落ち度でバレたんじゃないからって八つ当たりしてんのかよ! プレゼント落としといて!! すげーわ、その根性マネできねー!!」

 

 その下品な笑いは先ほどの平手打ちとは比べものにならないほど食堂内に響く。メイドと貴族のイザコザに向けられていた皆の視線は、当然のごとく乱入者に集まった。

 

「なんだこいつ……?」

「下民か? なんでこんな奴が食堂にいるんだ?」

「オイ、こいつヴァリエールの使い魔だぞ。遠目に見たことある」

 

 コトの成り行きを静かに見届けようとしていた見物人たちが今度はざわめき始める。シエスタも「アヴェンジャーさん……!?」と驚きの声をあげた。

 ……それどころではないのはギーシュ・ド・グラモン少年である。大っぴらに馬鹿にされた彼は顔を真っ赤にして、人の波をかき分けてアヴェンジャーの前に立った。

 

「そこの平民くん……いや、下民かな? まあどちらでもいい。なぜ君が今ここにいるのかはあえて聞くまい。だが、今の発言はこのグラモン家のギーシュを侮辱するものだとは理解しているのだろうね?」

「侮辱ぅ? おいおい、いつオレがアンタを辱めたよ。全部ほんとのことだろ。アンタは自尊心を守るために、自分で女ども傷つけといてシエスタのせいだと丸投げし挙句糾弾した。ここまで道化芝居やっといてお前、笑われて憤るのはそりゃ逆切れってもんだろ。え? 皆を笑かすためにやってたんじゃなかったの?」

 

 最後の方はあえてキョトンとした顔で問い、再び笑い出すアヴェンジャー。ここまで面と向かって堂々と批判されたことなどないのか、煽り返す余裕もないらしいギーシュは、怒りから拳に力を入れる。手の中でトレードマークでもあるトゲ抜きされた薔薇がへし折れた。

 ギーシュがなにか口を開く前に、アヴェンジャーは特大の爆弾を投下する。

 

「しかしさっすが貴族サマ。上に立つ者は責任転嫁が得意だねえ」

 

 ざわ、と周囲が色めき立つ。

 ギーシュを罵るだけならよかった。それだけなら、身の程知らずな平民がこの国の元帥であるグラモン家の子息を馬鹿にしているのを脇で傍観していられた。ギーシュが無礼な相手にどんな沙汰を下すか楽しみにもしていられた。この黒肌の使い魔の無礼はそんなところを通り越し、貴族全体を指して看過できない発言をしたのだ。

 

「……聞き違いかな? 平民くん。僕には君が『貴族は卑怯者の集まりだ』と言っているように聞こえたのだが?」

「だってよ、アンタに限った話じゃないだろ?

 自分の失敗は他人の横やりによるものだ、計画の破綻は部下が邪魔をしたせいだ。そうやって認めたくない失態を下位の相手に押し付けて知らんぷりなんざ、無能みーんながやってることじゃねえかよ」

 

 静まり返るアルヴィーズの食堂。

 給仕の者たちはとっくの昔に退散していた。とばっちりなど食らいたくない。既に忘れ去られたシエスタは、せめて成り行きを見守らなければと部屋の隅で震えていた。

 

「ああ、勘違いすんな。それが悪いなんて言ってないから。ただ生まれの運がいいだけだろうと、それは上位者の特権だ。システムの否定なんてする気はさらさらない。けどよ、平民には羨ましいかって聞き返すくらい開き直る度量は持てよ兄弟。図星つかれて青筋立てるなんてかっこわりいぜ?」

 

 頭に血が上りすぎてかえって冷静になったギーシュは、今にも飛び出さんとした同級生たちを抑えて冷ややかに告げる。

 

「よくわかった……君は平民でありながら貴族に意見しようと言うのだね」

「意見じゃねえよ感想だ。人間なんてのは一部を見て全体を判断する生きモンだろ。オレが見た権力者(アンタら)はそんなもんでしかないって話。貴族のイメージを貶めてると言うなら、それはアンタら自身だよ。無様晒して貴き血脈(ブルーブラッド)を自称されたところで、どこが尊いんだか理解できねってぇの」

「よろしい。学生とはいえメイジたる我らが、決して家名に頼るだけの存在ではないことを君に教えてあげよう。……ついでに、君の主人に代わって無礼な使い魔の教育もね」

 

 ヴェストリの広場に来い。そう言って、ギーシュは肩をいからせながら去って行った。他の生徒たちもそれについて行く。

 馬鹿なやつだ、と嘲る目。絶対に許さないものを見る目。憐れみはするが止める気のない上から目線。様々な目線がアヴェンジャーを射貫く。本人は大して気にした様子もなく、飄々としたもので、それが立ち去る生徒たちを余計に苛立たせた。

 

「アヴェンジャーさん!」

 

 貴族に喧嘩を売った平民が逃げ出さないよう監視する役の少年以外に誰も人がいなくなって、ようやく動けるようになったシエスタが駆け寄ってくる。

 さすがに、だいぶ本音が混じっていたさきほどまでのやり取りが、粗相をしたメイドから注意を逸らすためのものであるとバレていたらしい。

 

「そんな……私なんかのためにこんなこと……」

「いんや? 別にシエスタのためにやったってわけじゃねーよ。全部オレのため」

「嘘です! 貴族様に楯突くなんて、アヴェンジャーさんにいったい何の得があるって言うんですか!」

「だってオレがケーキ食べれなくなっちまうじゃねえか」

 

 あっけらかんと告げられる言葉に、ポカンと口を開けるシエスタ。

 たしかにシエスタには色々と手助けしてもらった恩もある。美少女のピンチをスルーするのも寝覚めが悪い。だから義理人情のため、と考えれば助け船を出すのもあるいはやむを得ないことであるのだろう。

 そんなものはついでだった。一番大切なのはケーキの確保である。あのままではシエスタが仕置きなりされて、約束が流れてしまいかねなかった。それは嫌なのだ。せっかく甘味の快楽に浸れるチャンスが訪れたのに、余計なトラブルで反故にされるなどあってはならない。

 

「で、でも、もうケーキを食べるどころじゃなくなったじゃないですか! こんなことになって……」

「先延ばしってレベルじゃなくなっちまったな。だがまあ、やりすぎちまったのはオレのヘマだ。アンタが気にするこっちゃないさ」

「ですが……!!」

 

 そう。アヴェンジャーが下手を打っただけでしかない。メイドに目が行かないよう大げさに立ち回ったのだが、どうやら少々入れ込みすぎてしまったようだ。

 いや、少々どころではないか。ここまで来るとちょっとまずいかもしれない。遠からずこの一件はルイズの耳にも入る。入るだけならまだいい。監督不行き届きとしてルイズに責任が行きかねない。そうなったら……その時はセイバーたちが上手くやるだろうが、アヴェンジャーはきっと切り捨てられる。ギーシュの言うことに従う義理なぞないが、マスターのことを想えばケジメをつけないわけにもいかない。ケーキや人情では釣りあわない事態。予想できたハズなのに、なぜこんな余計なマネをしてしまったのか。

 

 ──とある山頂からの風景がフラッシュバックする。

 

 ……それは心の奥底にしまっておくべき感傷だろう。

 ただ目についたというだけで勝手な責任を負わせられ糾弾されるという憎しみには、よく覚えがあったから無視できなかったという事実が、いくら言葉の飾りを並べても誤魔化せないものなのだとしても。

 

「ま、いーや。なるようになれだ。おいそこのアンタ。案内役ならさっさと連れてってくれよ」

 

 監視の少年は今この場でどついたろかと怒気を放ちながらも「こっちだ平民」と顎をしゃくって先導する。

 アヴェンジャーは自分の名を呼びなお止めようとするシエスタに手を振りながらついていった。

 

 その、広場に行く廊下の途中で。

 

「ゲッ……」

 

 目を吊り上げたルイズと呆れた様子のセイバーに出会い、顔をしかめるのだった。

 













ちょっと飛ばすか悩んだMr.チュートリアル戦。


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