彼女との1年 (チバ)
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4月

どうもチバチョーです。
なんだか変な衝動に掻き立てられたので蘭ちゃんの新作を書いていきます。



 現実とは非情なものだ。

 

 理想としていたものに、いともたやすく、呆気なく裏切られる。

これまで一緒だった、大切な宝物から切り離される。━━━そんなことが、当たり前のように起こる。

 

 人間に翼がない理由に、人間が空に高く飛びすぎないように、神様が翼を取ったという話がある。

 

 それと同じだ。

 人というのは理想に向かって走りながらも、スタミナ、障害物といった神様からの残酷な仕打ちが、人を転ばせる。

 

 その仕打ちに、耐えられるか、切り返せるか━━━それとも、悲しんで、その場で泣き崩れたままか━━━。

 

 中学二年生━━━春。

 今の私の心は、どちらかといえば後者だ。

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 思うに、中学生というのは人生のピークなのではないだろうか。

 義務教育というルールに守られ、高校生ほど大人でもなく、小学生ほど子供ではない。中間地点。

 個人的には、1番やりたい放題できるシーズンなのでは、と思う。

 

 しかし、そう思いながらも、俺は中学生になってからは楽しい、と思った瞬間は一度もなかった。

 

  別に、終始仏頂面で不機嫌な態度を取っている訳ではない。笑うときは笑い、遊ぶときは遊ぶ。

 しかし、心の底から「ああ、楽しいなー」そう思う瞬間がないのである。簡単にいえば、心地の良い楽しみというのか。それがないのだ。

 

 ━━━中学二年生。春。クラス替えの時期だ。

  廊下の壁に大きな紙が張り出されている。クラス表だ。

  同じ制服を着た生徒たちが群がって、自分のクラスを確認し、友達のクラスを確認する。

 

  ━━━ああ、騒がしい。

 

  そう心の中で愚痴りながら、少し背伸びをして紙を見る。

 縦に長く並んだ中から自分の名前━━━大槻京介(おおつききょうすけ)を探す。

 クラスは2-A。Aって響き、なんだか良いな。優秀な感じがする。

 見れば、少し話す程度━━━所謂“友達の友達”も何人かいる。

  中学二年生も、なんとか安定した生活を送れそうだ。

 そう思っていると、横から声が聞こえた。

 

「やった、つぐと同じだ!」

「お〜、幼馴染パワー発動ってやつ〜?」

「すごいすごい!」

 

  少し背の高い赤髪のショートヘアの、ボーイッシュな少女。気怠そうな雰囲気が喋り方からして出ている白髪の……まあ美少女。そして桃色の、いかにもスクールカーストの最上位にいそうな、はっきりとした美少女。

 

  クラスが同じかどうかで一喜一憂かー。青春しているなぁ。

 などと年齢に見合わない、老婆心めいたことを思いながらも、俺は新しい2-Aへと向かった。

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

  俺が中学二年生になってから早くも2週間が経とうとしていた。

 白衣を着たスタイル抜群の美人先生━━━俺たちの担任だ。ちなみに俺は去年もこの人が担任だった。そのせいもあってか、結構目をつけられていて怖い。

 そんな先生が、黒板に板書する。

 

「席替えしようか」

 

  朝のHRでの突然の宣告。クラス中が驚愕の声をあげる。

 無理もない。なんせまだ進級してから2週間だ。席替えをするにはいくらなんでも早すぎる。

 

「もう生徒の名前は覚えたし。お前たち男子も、いつまでもそんな同性と肩合わせてたくないだろう?青春しろよ。そして私の酒の肴となれ」

 

  おそらく、このクラスの人間の8割は“酒の肴”という言葉の意味はあまり理解していないだろう。

 しかし、完全に個人的な事情での席替えだ。生徒の名前を全部覚えてる辺りは優秀な先生なのだろうけど。

 

「というわけで、委員長。あと宜しく」

「えっ、はい」

 

  戸惑い気味に答える委員長。野球部の、長身の坊主頭だ。

 突然のフリながらも、奴はすぐにこなしてみせた。

方法はくじ引きとなった。まあそれが妥当だろう。スクールカーストが目に見えてわかる席順など見てて吐き気がする。

 

  出席番号順に、教卓に置かれた即興で作られたボックスから紙を一枚ずつ取り出す。紙に書かれている番号と黒板に板書された席順の番号を照らし合わせる。

  俺の席は、廊下側から一列目。後ろから二番目と言う何とも中途半端な席となった。

 

  まあ、寄っかかれる分まだマシか……。

 などと思ってクラスメートたちの会話を眺めていると、隣から何かを置く音が。俺の左隣。そこに短い黒髪の少女が席に座る。

 

「……」

「……なに?」

「……いや、なんでも」

 

  彼女の姿を見て真っ先に思ったのは、美少女だ。他の女生徒とは一線を画していると言ってもいいほどの整った顔立ち。凛々しさと厳しさが合わさったような雰囲気を醸し出している。

 しかし、その顔を見ていた俺のことを、まるで威嚇するかのように素っ気なく突き放す。

 

  なあお母さん。席替えで、美少女と隣になったよ。

 ━━━けれど、俺たちのファーストコンタクトはあまり良くなかったかもしれない。

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 俺の隣の少女の名前は美竹蘭と言うらしい。

 この街じゃ有名な代々続いている家系の一人娘らしい。らしい、というのは俺があまりこの街のことをよくわかっていないからだ。

  なるほど、いいところのお嬢様なら、あんな雰囲気を出せるのも納得だ。

 

「しっかし、お前も大変だよな」

 

  俺に声をかける男子生徒。

 さも友人のように接しられているが、俺はこいつの名前を知らないし、多分向こうも俺のことをよく知らないだろう。

 

「美竹の隣とはね……」

「どういう意味だ?」

 

  美竹の隣で大変?

 おいおい、日本語話してくれよ。意味がわからないぞ。

 

「あいつ、キツすぎるんだよね。周りと全く話さないし」

「……」

 

  ならお前から話に行けよ。

 などとは言わない。こんな所で俺のイメージを崩してたまるかよ。

 

「顔は良いんだけどなー。いかんせんあいつは笑わないからな」

 

  何を知ったようなことを言っているのか。お前、美竹と話したことないだろうに。見ていて悲しいぞ。哀れだぞ。

 

「ま、頑張れよ」

 

  ははは、と肩をポンと叩かれる。まるでさも友人のよう。しかし俺はこいつの名前を知らない。

 なんで知りもしない奴にそんは触れ合えるの?アメリカ人かお前は。

 

「そうか、まあ頑張るよ」

 

返答はするが、それでも、やはり思うことはある。

 

「━━━ところで、おまえ誰?」

 

  その場の空気が一瞬だけ凍てついた。




中学校は共学設定です。リサ姉が先輩の学校に入学したい人生だった…。


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5月

続けて投稿。


 遅刻。それは学校において定められている禁止事項の一つ。社会に出てからもマズイが。

 

 そんなわけで俺は今歩いている。遅刻しているのだから、ちゃんと走るべきなのだろうけど、遅刻ならどれだけ遅れたって同じだろう、と開き直ってこう行動に移してる。

 

 すると、携帯が鳴る。

 開くと、メールで『なにしてんだよお前』と書かれていた。おそらく俺の遅刻を聞いているのだろう。

 手短に『寝坊した。それはそうと1時限目はなんだ?』と送る。

 暫くしてから『数学』と返って来た。

 ふむ、数学か。

 

「…サボるか」

 

 一つ言おう。俺は理系が大嫌いだ。数字なんかを見れば血反吐が出そうになるぐらいに。

 だったらもっと遅く着いてもいいよな。数学嫌いだし、俺。

 意を決した俺はメールを既読無視して学校に向かった。

 

 

 結果的に学校に着いたのは9:20分となった。当然、授業真っ最中だ。他の生徒に迷惑をかけぬよう、忍び足で。先生に見つからぬよう、早歩きであるところへ向かう。

 

 この学校は意外にも、屋上を開放している。

 昼休みだと人が集まってしまうため、あまり立ち寄ってはいないのだが…今日は特別だ。授業中で誰もいない。まさしくパラダイス。

 

 ノブを回し扉を開ける。

 春特有の生暖かい風が肌にあたる。

 普段は人で溢れかえっている場所も、時によってはガラ空き。いい気分だ。みんながペンを走らせている間に、俺はこんな所でゆっくりするという優越感。素晴らしい。

 

「……っ…」

 

 何か聞こえた。

 誰かいるのだろうか。俺以外にサボる奴なんているのか?

 そう思い、声が聞こえた方へと向かい、首を伸ばして覗き見ると。

 

「…っ…ぅ…!」

「ーーー」

 

 言葉を失った。

 そこにいたのは、目を赤くし、涙を流している美竹蘭だったからだ。

 

「……っ!?」

 

 俺の存在に気がついたの美竹は慌てて力強く目をこする。

 

「目、痛めるぞ」

「…見たの?」

「…何も」

「嘘つかないで」

「……見たよ、お前が泣いてるところ」

 

 相変わらずの冷たい目と威嚇するような声で言う。

 ため息をつき、壁にもたれかかる。

 

「……」

「……」

 

 沈黙の間。

 それはそうだ。泣いているところを見られたのだ。話しかけずらいに決まっている。

 

「……聞かないの」

「ん?」

「私が泣いてた理由…聞かないの…」

 

 ようやく発せられた言葉は、やや意外なものだった。

 その事については、聞くほうが無粋というものだろう。何か事情があったから泣いていた、それでいい。そのことにそれ以上もそれ以下もない。

 

「興味ない。聞いたところで、なんになるんだ」

「…変な奴」

「……」

 

 この娘は口を開けば毒しか出てこないのか。

 

「…授業は?」

「サボり」

「…その鞄、遅刻?」

「ああ、そうだよ。遅刻ついでに数学をサボった。嫌いだし」

 

 何気なく、しかしまだ距離のある会話。

 

「サボって大丈夫なの」

「それはこっちのセリフ。名家のお嬢様が、こんな所でサボってて大丈夫か?」

「……」

 

 キッ、と睨まれる。たぶん名家と言われたのが気に障ったのだろう。

 

「……あまり、授業受ける気になれなくて」

「…なるほど。俺と同じか」

「違う」

 

 即答で切り捨てられる。ノリの悪いやつだ。わかってはいたけど。

 

 グラウンドから声が鳴り響く。1時間目から体育なのだろう。大変だな。

 相変わらず会話はない。そもそも相手が大して話をしないやつだし、俺もお喋り好きというほど喋ることはない。

 

 俺は美竹と対になる形で落下防止用フェンスに背中を預け、鞄から文庫本を取り出す。

 作品は村上春樹の「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」の上巻。村上春樹作品特有の難解な物語構成と、美しさと儚さを感じされる世界観が特徴的な作品だ。

 

「村上…春樹…」

「知ってるのか?」

「たまにニュースで名前を聞くぐらい」

「そりゃそっか」

 

 文庫本の表紙を覗くように見た美竹。もしかしてハルキストなのか、と期待を込めたがニュースで聞く程度ときた。まあ、普通はそうなのだが。

 

「本とか読むのか?」

「それなり…かな。趣味が多いってわけじゃないし」

「例えば?」

「…太宰治とか」

 

 意外だと思った。ライトノベルか何かが来ると思っていたら、純文学作品。家柄故に堅苦しいのしか読むことが許されてないとか、そういうのもあるのだろう。

 

「太宰治か。いいよな。俺は津軽が好きだな」

 

 好きというか太宰治作品はそれしか読んだことがないのだが。

 

「私は…なんだろう。最近読んだ女生徒は結構記憶に残ってる」

「どういう内容?」

「私ぐらいの女子の1日を、太宰の視点から描いた作品」

「盗撮か何かか?」

「違う。正しくは内面的な部分を書いてる」

 

 バカを見るような目で俺を見る。実際に今の質問は頭が悪かったか。

 

「で、どうだったんだ」

 

 言ったところで、俺は気づいた。

 あまり喋る方ではない俺が、太宰治という作家の話で美竹と通じ合っていることに。

 

「…半分共感できて、半分わからない」

「なんだ、それ」

「普通の女の子の心を映しているんだけど…どこか、私にはわからないこともあったりした。それが理由」

「…なるほど」

 

 確かに美竹は他の女子とは違う生活を送っているのだろう。心情にはズレがあるだろう。

 

「あと読みづらかった」

「読みづらい?」

「読点が多い。昔の作品はどれもそんなだって思ってたけど、他の読んでたら、やっぱりそれだけやたらと多かった」

「へー…」

 

 読みづらいのか。なんだか少しだけ興味が湧いてきた。

 

「…まさか、大槻と話しが合うなんて」

「は?」

「最初の席替えのとき。私のことずっと見てたから」

「…マジで?」

 

 俺の確認に美竹は肯定の肯きをする。

 

「最初は変態だと思った」

「そこまで見てたのか、俺」

「結構」

 

 思い返してみると、確かに美竹の横顔の記憶が蘇った。

 なるほど、確かに俺は見すぎていたかもしれない。

 

「あー…自覚はしてなかったんだ。不快だったら…まあ不快だっただろうけどさ、謝るよ」

 

 すると、美竹は俺の顔をパチクリ、と瞼を動かして見る。

 そんなに驚かれるようなことを言っただろうか。

 やがて耐えきれない、というように吹き出す。

 

「ふふっ…大槻って結構面白いね」

「…そりゃどうも」

 

 謝罪をしたら面白い、と返されるとは。さすがに初体験だ。

 

「…ありがと」

「…?どういたしまして…?」

 

 突然の感謝の念に戸惑いを隠しきれず、疑問形で返してしまう。

 

「なんで疑問形なの…」

「いや、突然そんなこと言われたらな…」

「ホント、面白い…」

 

 美竹は再び静かに笑い始める。悪意がないとはいえ、さすがに笑われるのは気持ちがよくない。そんな俺の心情を察したのか、美竹は真面目な顔つきになる。

 

「…私、ちょっと落ち込んでたんだ。話の合う人たちが周りにいなくて、みんな私を避けていく」

 

 クラスの人間から浴びせられる美竹への視線はやはり異質なものだ。まるで芸能人でも見るかのような、好奇の目をしている。

 

「やっと、話の合う人と会えた。おまけに面白いし」

「そりゃ良かったな」

「…ありがと。私なんかと話してくれて」

「隣の席だ。なんかあれば幾らでも話すよ」

 

 と、キーンコーン…と鐘の音が鳴る。美竹は立ち上がり、ノブを回し、扉を開けた。

 俺を一瞥し、何も言わずに階段を降りていった。

 

 残された俺は、不思議な感慨深さにふけっていた。

 

 なんともまあ、変な感じだった。もともと距離が1kmぐらいあった関係が、この数十分の邂逅だけでグンッ、と縮まった気がする。

 

 あの時間は本当に現実だったのかと、自分自身に問いてしまいたいぐらい不思議な感触に包まれている。

 

『2-Aの大槻。至急、職員室まで来なさい』

 

 そんな感触も冷たい声によって引き裂かれた。




最初に読んだ太宰治作品は女生徒でした。本当に読みづらかった記憶しかないです。


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6月

6月ももう終わりです。早い…。


 雨は嫌いだ。ジメジメしていて、濡れると冷たくて、何より傘をさしながら歩くのは意外と体力がいる。

 

 6月ーーー梅雨真っ只中のこの時季において、所謂土砂降りの豪雨が降るのはそう珍しいことではない。

 

 普段は青い空も、明るい日光も、今日という日はどんよりとした重苦しい雲によって阻まれてしまっている。

 太陽が出ていないだけで、気分というのは自然と下がっていく。

 

 重い書類を持って職員室まで歩く。何人かの生徒とすれ違うが、みんな何時もに比べて気分は良くないらしい。

 

「失礼します」

 

 簡素にクラスと自分の名前を言い、先生を探す。

 

「あー、美竹。ありがとう」

「いえ別に…。それじゃあ、失礼します」

 

 早く帰りたい。こういう雨の日は、家に早く帰って本でも読みたい。

 今日は傘を持ってくるのを忘れてしまった。雨が降らないうちにーーー。

 

 そう心に唱えながら、廊下を小走りに歩く。先生とすれ違えば歩調を緩めて、通り過ぎればまた歩みを早めて。その繰り返しで、ようやく下駄箱から靴を取り出す。

 

 扉を開き、出ようとするとーーー。

 

 ーーーポツリ

 

 手の甲に一粒の雫が当たる。水滴が付いていた。空を見上げると、ポツリポツリーーー徐々にザァァァ、と激しさを増していく。

 

「ーーーっ」

 

 慌てて屋根の下に入る。

 グラウンドの地面に雫が打ち付けられ、一つの音楽が完成した。

 

 ーーーやってしまった。

 

 心の中で舌打ちをする。

 もう少し早く終わらせるべきだったか、と日直の仕事を恨みながら、目の絵の光景を眺める。

 どうやって帰るか、頭の中はその言葉だけが巡り巡っていた。

 

 ため息をこぼし、諦めて走ろうとする。ーーーしかし、その直前に、誰かに名前を呼ばれ、行動を止められた。

 

「美竹?」

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 雨は嫌いだ。

 ーーー有名なフレーズだが、実際に俺は雨が嫌いだ。

 ジメジメとした空気、気分を落とさせる重苦しい雲。何もかもが俺の好みに合っていない。

 

 鞄を肩に掛け、教室から出る。廊下に備え付けられた窓を見れば、雫が窓についていた。

 

「降ってきたか…」

 

 ため息をこぼし、重い足を使って歩く。

 一応傘は持ってきているのだが、やはり気乗りがしない。

 雷は鳴ってていないが、豪雨になる予報だ。

 

 父親が昔使っていた黒い大きな傘を片手に、扉を開けて外へ出る。

 傘を広げようと構えると、見知った顔が目に入る。

 

 黒い短髪、凛々しい顔立ち。間違いない、美竹蘭だ。憂鬱そうな顔で空を見上げている。

 すると俺の視線に気がついたのか、振り向く。その反動で髪が揺れる。まるで絵画のようだ。

 

「…大槻?」

「何してるんだよ。そんなところで」

「…別に」

 

 素っ気なく返す。

 しかし俺はそんな彼女が、片手に傘を持っていないことに気がついた。

 

「傘、無いのか?」

「……」

 

 顔を背けながらも小さく頷く。

 なるほど、これはまたやや面倒なタイミングで外に出てしまったようだ。

 

 10秒ほど考え悩みながらも、仕方がないとため息をこぼして声をかける。

 

「俺のでよければ使うか?」

「え…?」

「俺は家が近いし、走って帰れば大丈夫だ」

「……」

 

 黙って傘を差し出す。しかし美竹は取ろうとせず、黙って傘を見ていた。

 

「…やっぱりいい。私の方が走って帰る」

「遠慮するな。俺のを使え」

「いいって」

「ほら」

 

 一進一退の攻防戦。

 引き下がろうとしない俺に美竹は呆れたのか、ため息を吐いて提案をした。

 

「…じゃあ、2人で帰るっていうのはどう?」

「2人?」

 

 どういう意味だ、と頭の中でイメージをする。浮かんできたのは、漫画や映画でよくある相合傘。

 

「…えっ」

「…躊躇ってる暇はないでしょ。…いくらこの時季とはいえ、豪雨のなか外に出てたら体も冷えてきた」

 

 見れば、少し美竹の体は震えていた。

 これは決めるしかないか。

 

「…わかったよ、2人でだな。噂になっても知らねーぞ」

「なったところで気にしないし」

 

 減らず口を叩き合いながらも、お互いに諦めの意を示して外へ出る。

 

 大人用のため、少しだけ大きいその傘は、しかし2人が入るにはやや小さかった。

 濡れないように肩を寄せ合う。かつてないほど密着する。異性とここまで密着するのは初めての経験のため、少しだけ緊張する。

 

 依然として美竹の体は震えていた。

 

「……」

「…なんで、相合傘なんか提案したんだ?」

 

 会話なくなりそうだったため、咄嗟に頭に浮かんだことを聞いてみた。

 

 少しだけの間。

 傘の布に当たる雨音だけが響く。

 

「…合理的に考えて、かな」

「合理的?」

 

 おうむ返しで聞き返す。

 

「そう。私は濡れて帰るのは…できることなら嫌だったし。かといって、私の代わりに大槻が濡れて帰って風邪を引くのも気分が悪いし」

「…なるほど」

 

 確かに、それは大変合理的だ。たぶん俺でもそうしただろう。

 と、そこで俺は先程から気になっていたことを口にした。

 

「震えてるけど…大丈夫か?」

「…平気。少しだけ寒気がするだけ」

「それ、大丈夫じゃないだろ」

 

 俺からの指摘が癪に触ったのか、軽く彼女の足で攻撃される。

 

「…あと、あまりこっち向かないで」

「は…?なんでまた」

「少しは察してよ…」

 

 そっぽを向く美竹の表情はうかがえない。しかし、黒髪から微かに見える耳は、真っ赤に染まっていた。

なるほど、つまりは俺と同じか。

 そう思った俺は、少しだけ悪戯心が芽生えた。

 

「……」

「……ちょっと…」

「……」

「…あのさ…」

 

 と、そこで堪忍袋が切れたように美竹は俺の鼻をつまむ。

 

「ふが…」

「こっち向くなって言ったでしょ」

「いや、だってよ…」

 

 抑えられた鼻をさすりながら言おうとするが、彼女の阿修羅像のごとき風格に押され、思わず黙り込む。

 

「…私だって、こうやって異性とくっつくの、初めてだから」

「俺もだ。だから気にするな」

「なんで大槻もだからって、気にしなくていいの」

「そこは、ほら」

 

 その場のノリで言ってしまったため、理由らしい理由が思い浮かばない。

 

「……やっぱり、大槻って変」

「変ってな…」

 

 後頭部をかきながらも、諦めて前を見ることにした。

 

 これまでの関わり合いでわかったが、やはり美竹蘭という少女はとても魅力的だ。

 凛々しさと厳しさ、一見すると近寄りがたい人間。しかし、実際には周りのことをよく見て、相手に気を使う、どこにでもいる普通の少女だ。

 家系というものが邪魔をして、誰も彼女に近寄らないだけであって。

 

 と、そこでふと疑問に思った。

 

「…そういえば」

「…?」

「お前は俺以外に話す奴っているのか?」

 

 失礼を覚悟で質問してみる。現状、俺が知ってる中で美竹とよく話をするのは俺ぐらいだ。他はみんな避けている。

 

「…いるよ。今は、少し離れてるけど」

 

 離れている、心の中で反復し、意味を考える。

 離れているというのはどういうことだろう。引っ越してしまったのか、それとも喧嘩か何かだろうか。

 

 どちらにせよ、話す人がいる、という事実に、俺はよくわからない安心感を抱いていた。

 

「…そうか」

 

 ただ一言、そう発した。

 

 と、美竹は「あっ」と声を上げた。

 なんだ、と思い彼女の視線の先へ目を向けると、そこには『大槻』と書かれた表札が。

 

「ここ?」

「ああ、ここだな」

 

 美竹からの問いに簡素に答える。

 意外と早く着いてしまった。

 

「お前の家は?」

「まだ先」

「…ふむ」

 

 顎に親指をつけて思考する。

 やがて、一つの結論に至る。

 

「この傘、持って行っていいよ」

「え…」

「まだ離れてるんだろ。この傘さして帰れよ」

「そんな…」

 

 いいの、と聞いてくる美竹に冷静に対処する。

 

「逆に聞こう。お前の家に突然見ず知らずの男が現れたらどうするよ」

「…お父さんは、多分ちょっとだけ荒れる…かも」

「だろ?」

 

 あとの理由としては、そんなお屋敷にビビっているからなのだが。その辺は言わないようにしとく。

 

「……」

 

 傘をじっと見る美竹。

 やがて少し歩きだし、振り返る。

 

「…今度、返すから」

「ああ、それでいい。気をつけて帰れよ」

 

 一礼をし、美竹は足早に帰って行った。

 

 玄関扉を開けて入る。

 家には誰もいなかった。風呂を沸かそうと洗面台に向かう。

 すると、自分の顔が鏡に映る。

 

 なぜか、俺の顔はあの時の美竹のように、真っ赤だった。



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7月

7月に体育祭って珍しかったりするのかな。私の学校は7月にやることもあったからなぁ…。


 パンッ、と聞き慣れない乾いた音が響く。それと同時に一斉に5人の男子生徒が地を蹴り駆け出す。

 

 一気に歓声、応援の声が湧き上がる。興奮のあまり立ち上がって見る者、応援団を煽る応援団長。

 

 今日は体育祭。

 全校の生徒たち(主に運動部)が自慢の力をこれでもかと見せつけるお祭りである。

 

 先ほど言ったように、このイベントのメインは運動部。文化部や帰宅部の我々からすれば陽の光が強くなる程度のものなのだ。

 運動ができない我々は、せいぜいお笑い担当になるしかない。

 

「なあ大槻、お前は何に出るんだ?」

 

 同じ用具係の先輩が聞く。用具係の打ち合わせで少し話すようになった人だ。

 

「…100m」

「意外だな。お前がそんなメインだなんて。足速いのか?」

「まあ、それなりに」

 

 100m走でタイムは13.59秒。自分でも驚いたが、結構速かった。クラスの人間もかなり驚いていた。…まあ、クラスメイトの陸上部や野球部などに比べたら大したことはないのだが。

 いわば余興だ。学校からの決まりで、1人2競技まで。陸上部や野球部はリレーや200m走に持っていく。そのため、運動部の次に早い俺が選ばれたのだ。

多分、他のクラスはもっと早いやつを出してくるのだろう。

 

 用具係の仕事が終わり、水を飲もうと水道に行くと、そこには蛇口から出る水を飲んでいる美竹の姿が。

 

「…大槻…」

「よぉ」

 

 あまり意識せずに蛇口のハンドルを捻る。そのまま水を飲む。

 

「どう、体育祭は」

「まあまあ」

「なにそれ」

 

 適当に返事をすると、呆れとも取れる返しが。

 

「個人競技、なに出るんだったっけ」

「100m」

「そういえばそうだった」

「ああ」

 

 淡々と、かつ何気のない会話。俺と美竹は会えば少し会話をする程度の仲になっていた。

 

「お前は?」

「…借り物競走」

「そういえばそうだった。…で、なんで?」

「余り」

 

 そういえばそうだった。黒板に板書された文字。余った借り物競走に美竹の名が書かれてた。

 

「やりたい競技とかなかったのかよ」

「別に…運動得意じゃないし」

「なるほど」

 

 走るのが得意な美竹とか確かに想像し難い。

 

「まあ、ビリにならない程度には頑張るつもり」

「借り物だろ?意外と難しくないか」

「それなりに話が出来る人じゃないとね。確かに、その点私は不利かも」

 

 冷静に自分を分析しているようだ。自分は話すのが苦手だということは自覚していたのか。

 

「らーんー」

 

 と、のんびりとした声が響く。振り向くと、そこには白髪の、気怠そうな瞳をした少女が。

 

「うん、今いく」

 

 美竹が返事をする。

 

「じゃ、また」

「ん」

 

 それだけ言って美竹は去った。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「今の誰〜?もしかして、彼氏とか〜?」

「…違う」

「お〜?間があったぞ〜?」

 

 私の横を歩く少女ーーー青葉モカがニヤニヤして聞く。

 

「何でもない。ただの友人」

 

 そう言って気づく。もう私と彼はそんな関係になっていたのか。

 

「その割には仲良さげだったけどー?」

「何でもないって言ってるでしょ」

 

 語調を強めて言う。懲りたのか、モカもニヤニヤ顔を崩さないながらも引き下がる。

 

「おっ、蘭。何に出るんだー?」

 

 赤髪の長身の少女ーーー宇田川巴が明るい声で私に聞く。

 

「借り物競走」

「借り物かー。なんか困ったらとりあえず私達のところに来なよー」

「いや、それじゃあルール違反だろ」

 

 桃色の髪の上原ひまりの言葉に、巴がすかさずツッコミを入れる。

 

「でも確かに、借り物競走って難しそうだよね」

 

 優しそうな顔をした少女ーーー羽沢つぐみが同乗するような声で言う。

 

「私やったことないからわかんないんだよな」

「わからないよー?もしかしたら意外と簡単!っていうのもあるかもだし」

「そうだといいけど…」

 

 実際はわからない。

 ひまりの言う通り、意外と簡単であればいいのだけど…。

 

「だいじょーぶ、蘭なら出来るってー」

「…まあ、できる限りやる」

 

 モカからよ激励の言葉をもらうと、放送で次のプログラムが流れる。

 借り物競走…私たちだ。

 

「じゃ、行ってくる」

「おお、頑張れよ!」

「蘭ちゃんなら出来るよ!」

「私たちも応援するから!」

「らーんー、ガンバ〜」

 

 最後の一声でずっこけそうになるが、何とか踏ん張って向かう。

 

 着くと、そこにはひとクラスぐらいの人数の男女が。全員、私と同じ借り物競走の出場者だ。

 係の人に促されて列に加わる。

 

 そうしてしばらく待機していると、プログラム開始の音楽がかかる。一切に、グラウンドに向かって走る。

 

 それぞれの列に並び、自分の順番が来るまで待つ。

 

 その間、私はずっと考えていた。

 もし失敗したらどうしよう。無理難題なお題が書かれていたらどうしよう。

 

 その時は、ひまりの言った通りに巴かモカでも連れて行こうか。ルール違反にはなるけど、オドオドしてその場に突っ立っているよりは遥かにマシだろう。

 

 お題が書かれているカードをシャッフル、入れ替えをする係員。

 私は楽なカードを引けるように、とずっと祈っていた。

 

 そしてついに、私に順番が回る。

 

 台の上に立った教師が、ピストルを上空に向けて構える。

 

『位置について、よーい…』

 

 放送の声に合わせ、構えを取る。私も横に並ぶ少女に合わせて、見よう見まねで構える。

 

 パンッ、と乾いた音が響く。

 それと同時に地を蹴り、駆け出す。

 走り、置かれたカードをめくる。急ブレーキをかけた負担により、脳の認識が遅れる。

 カードに書かれていたのはーーー

 

 ″好きな異性″

 

「ーーー」

 

 言葉を失った。

 何だこれ、無茶振りすぎるだろう。

 

 気がつけば、周りはそれぞれのお題の場所へと向かい始めていた。

 気になる異性なんて、いない。そう心の中で愚痴っていると、私の視界にある男の姿が入った。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「どうした、美竹のやつ」

 

 周りのクラスメイトが声をあげる。美竹はカードを取ってから固まっている。

 

 おそらく、無理難題なお題を引いてしまったのだろう。明らかに戸惑っている様子だ。

 

 すると、俺のことを見つけたのか、俺がいるほうを見始める。

 この間、俺は色々と考えた。

 そういえば、美竹とはよく話すな、と。最初は睨まれたりと上手くやっていける気は全くしなかったが、今となっては話の合う存在として良い印象を持っている。

 

 もしかすると、俺が学校で1番話す人間は美竹なのかもしれない。

 

 そう思うと、俺は自然と体が動いていた。

 自然と立ち上がり、自然と柵を越えてグラウンドへ出て、自然と美竹の前まで走っていた。

 

「なにしてんの…」

 

 突然の行動に出た俺を見て驚く美竹。

 それは無理もないだろう。なぜなら行動を起こしている俺ですら驚いている。

 

「うるさい。変なお題のカード引いたんだろ、それ」

「……」

 

 図星とも取れる沈黙。

 

「ほら、行くぞ。お前も俺も、ビリっていう恥はかきたくないしな」

「ぁ…」

 

 たくさんの視線が集まることへの羞恥心から、俺は早くこの場から脱したいと思って、美竹の手を掴んで走り出す。

 らしくない声を出しながらも、美竹はついてくる。

 

 その間の時間は、歓声も何も聞こえない、無音だった。無論、それは俺の幻聴なのだろう。そしてそのせいか、俺の鼓動は遠くまで響いているような気がした。それは、今手を掴んでいる美竹にも聞こえるのではないか、とも思えるぐらいに。

 

 カーブを渡り、ラストの一直線をかける。

 

 結果は4位だった。

 

 係員に俺は戻るよう言われる。

 

「……」

 

 何も言わずに手を離す。

 何故、その時の美竹が物足りなさそうな顔をしていたのか、俺にはよくわからなかった。

 

 戻ると、クラスメイトから色々と聞かれた。

 何で自分から前に出たんだ?

 結局お題は何だったんだ?

 

 正直に答えれば美竹にも被害が出るだろう。適当に答えておいた。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 戻ると、巴たちが出迎えてくれた。むろん、質問攻めをか食らったが。

 

「あの人ってさ〜、さっきの人でしょ〜?」

「…まぁ、そう」

「もしかして彼氏とか?」

「違う」

 

 ひまりからの質問に、私は冷たく答える。その様子を見た巴が笑いながら言う。

 

「でもあいつ、自分から出てきたように見えたぞ?お題は何だったんだ?」

 

 その問いに、一瞬だけ固まる。

 

 ーーー好きな異性。

 

「ーーー言いたくない、かな」

「おやおや〜?」

「これはこれは…脈アリ?」

「…うるさい」

 

 相変わらず絡んでくる2人に素っ気なく返す。

 と、そこで次に行われる種目が言われる。

 100m走ーーー大槻が出る種目だ。

 

「100m走か。面白そうだし、前まで見に行くか?」

「蘭ちゃんはどうする?」

 

 つぐみに聞かれる。

 大槻の先ほどの行動を思い返す。彼はなぜ、わざわざ前に出て一緒に走ったのか?

 ただの厚意か?

 考えてはみたけれど、結局わからなかった。

 

 しかし、私が取るべき行動は、何となくわかった。

 

「ーーー行く」

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 暫くすると、俺の出る種目ーーー100m走の時となった。

列に加わると、周りの人間のほとんどが体格の良い運動部だ。周りからは奇怪な目で見られる。

 それはそうだろう。運動部揃いの中で、1人だけ帰宅部の俺がいれば。

 

 まあ、余興程度だ。適当に走って笑いを取るぐらいで十分だ。

 

 ーーーそう思っていたのにだ。

 

 いざ俺の列の番になると、一つの声が聞こえた。

 

「ーーー大槻」

 

 美竹だ。

 決して叫んでいるわけでもなく、歓声に掻き消されてしまいそうなのに。なぜか、その声が聞こえた。

 

 そのせいなのか。

 ピストルの音が響き、走り出す。

 柄にもなく、俺は本気で走っていた。

 

 カーブを、体重などを駆使して倒れないようにバランスをとりながら駆け抜ける。

 最後の直線。

 俺の前にいるのは3人。

 力の入れどころだ。必死に走った。

 

 何でこんな本気出してんだよ、俺。

 (笑)、なんてつきそうなぐらい自分自身で自分の行動を嗤う。

 

 1人を抜かす。

 歓声からどよめきが伝わる。

 

 そんな声なんか関係なし。

 気がついた時には、俺はゴールについていた。

 前で肩をついて呼吸をしているのは1人だけ。

 遅れて1人の男子生徒が俺を追い越す。

 

「…あれ」

 

 係員に促され、俺は2位と書かれた旗のもとに座らされた。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 体育祭は終わり、今は教室に荷物を取りに行っていた。

 

 結局、今年の体育祭は色々と記憶に残る大行事となってしまった。

柄にもなく、声をあげて応援した。

 

 オレンジ色の夕焼けが教室を包む。

 

「……何してんだろ、私」

 

 空はオレンジ一面。

 窓越しに見て、ため息を吐く。

 

 すると、扉が開かれる。

 

「…美竹」

「……」

 

 悩みのタネが現れた。

 

「…今日はお疲れ様」

「おう」

 

 素っ気なく返す。

 机の横につけられた鞄を手に取る。

 

 あの時の彼を再び思い返す。

 思えば、結構な借りを大槻に与えてしまっているのでは?

 …せめて、礼ぐらいは言うべきなのだろうか。

 

「…大槻」

「ん?」

 

 何も気づいてなさそうな素振りで振り向く。

 その態度がまた少し腹立った。

 けど、冷静さを取り戻し、平常に行く。

 

「ありがと…あの時、正直言って助かった」

「ーーーああ、そんなことか」

 

 なんてことなさそうに言う。

 せっかく人が礼を言ったのに、そんな反応なのか。

 

「…けど、俺もお前に礼を言わなきゃな」

「…?」

「ありがとな。あの時、応援してくれただろ?おかげで2位取れたよ」

 

 普段の彼が見せない、笑顔で言う。なんてことなさそうに。いつも通りな声で。

 

「……っ」

「じゃあな」

 

 それだけ言い、彼は去っていった。

 そんな大槻とすれ違いに、モカたちが教室に入る。

 

「あ〜れ〜?さっきの人…ってどしたの蘭?顔赤いけど〜?」

「もしかして、何か言われたりした?告白的な…」

「なんでもないから…」

「おー?私も気になるなー?つぐもそうだろ?」

「えっ、ど、どうかな〜…」

「うるさい…!」

 

 モカたちのからかいを認めるのは癪に触るが、確かに顔が熱い。

 できることなら、この顔が赤いのは、夕焼けのせいにしたい。

 




いやー、青春してますね。


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8月

深夜と早朝の狭間あたりの投稿。眠い。


 8月になってはや数週間。

 宿題などに追われながらも、ペンを置き、家から出るイベント…それはお祭りだ。

 町内という近場というのもあり、1年で学生が最も楽しむイベントの一つだろう。

 

 俺はそれなりに仲のいい友人2人と、適当に回っていた。

 焼きそばを買ったり、たこ焼きを買ったり。浴衣を着た同年代の女子をナンパしては玉砕したり。

 

「なあ、吸わないか?」

「…何をだ?」

 

 そうやって歩いていると、横にいた背の高い友人が藪から棒に言う。

 

「言わんでもわかるだろ。コレだよコレ」

 

 人差し指と中指で挟む形をとり、それを口から話す仕草をとる。

 なるほど、つまりは煙草か。

 

「リスク高いぞ。教師が回ってるし、生徒に見られてチクられたら終わりだ」

「そんなこと想定範囲だ。神社だよ」

「神社?」

 

 神社と言われても場所がわからなかった。俺はここに来てから数ヶ月しか経っていないので、地形を把握しきれてないのだ。

 

「あー、あそこか」

 

 もう1人の小太りの友人もつぶやく。

 

「だからなんなんだよ。勿体ぶらずに言えよ」

「ああ、お前は知らないのか」

 

 雰囲気を出すためか、声質を少し重くする。

 

「ここのすぐ近くに神社があるんだ。長い階段のな」

「なるほど」

「で、だ。そこには出るんだってよ」

「何が?」

「決まってるだろ…ゴースト」

 

 手を力なく下げる。

 なんともベタな話だ。笑い話にすらならない。

 

「…おい、せっかく話してやったのに冷たいな」

「ベタすぎる。アーノルド・シュワルツェネッガー型の殺人ロボットが出てくるとかの方が1000倍はおもしろい」

「そんなB級映画、アホでも作らないぞ」

 

 などと軽口を叩き合う。

 

「ま、それは冗談なんだがな」

「おい」

 

 さらっと嘘を吐かれていたらしい。思わずズッコケそうになる。

 

「そんな話は無い。ただ人気がない上に神社っていうのもあってか、自然と人が寄らないんだ」

「…なるほど」

 

 人気がなく、場所が神社という。確かに近づきにくいだろう。ましてや、今のような夜中は特に。

 

「そこなら教師も生徒も来ないだろ」

「それはフラグだ」

「やめろ、言うな」

「まあ、やるならやれよ」

「お前は参加しないのかよ?」

「健康に悪いし、バレた時のリスクが高すぎる」

 

 煙草なんてやる意味がわからない。健康には悪いし、社会的立場も弱くなるし。マイナスな点しかない。

 

「…お前、なんか妙なところでノリが悪いよな」

「現実主義者と言えよ。嗜好品としては認めてるんだぞ、これでも」

 

 煙草によってストレスを解消している人物もいたりする。その辺は認めるしかない。

 

「まあ、いいけどさ。…チクるんじゃないぞ?」

 

 友人から釘打ちともいえることを言われる。

 

「安心しろ、俺の口の軽さは岡田以蔵の次ぐらいだ」

「軽いのかよ」

 

 岡田以蔵の次ぐらいだと責められたらすぐに吐いてしまう状態だ。

 

 その後、紆余曲折ありながらも神社に辿り着いた。

 確かに、灯りは周りから漏れる街灯程度、人の気配も全くしない。まるで″八幡の薪知らず″だ。

 

「確かに、雰囲気はあるな」

「だろ?ここなら誰も来ない」

 

 そう言って持っていたビニール袋から花火のセットを取り出す。

 カモフラージュとして用意されたものだ。

 

「さてと、俺はトイレにでも行ってこようかね」

「ついでに周辺警戒よろしく頼む」

「はいよ」

 

 近くのコンビニまで行く。

 お祭りのためか、いつもより人が多かった気がする。

 

 そうして少し周りを歩いて周辺警戒をし、戻って来る。

 しかし、そこに2人の姿はなく、カモフラージュ用の花火とライターだけが置かれていた。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 お祭りというのは、幾つになっても嫌いになれない不思議なイベンドだ。どんな大人でも、一瞬だけ子供の頃の頃に戻れる…そんな気がする。

 

「りんご飴おいし〜」

「モカ、それ少しくれ」

 

 人混みに揉まれながらも歩く5人組。周りから見れば、普通の女子集団だろう。

 

「蘭ー、迷子にならないでよ」

「ならない」

「蘭ちゃん、手を繋いでいれば大丈夫だから」

「はいはい、わかった」

 

 世話を焼く2人組。面倒見が良いので、少し人付き合いが苦手な私のことを心配したりしてくれる。

 面倒見がいいがそれ故に少し口うるさい。母親の感覚と同じだ。

すると、あたりで歓声がわく。

 

「おおっ、神輿だぞ」

「わー!大きいね!」

 

 ドンドン、と太鼓の音がなる。背伸びすると、煌びやかな装飾が付けられたお神輿が揺れているのが少し見える。

 と、後ろからお神輿目当ての観客たちに押される。

 

「うわっと…すごい人混みだな…」

「らーんー?モカー?」

「モカちゃんは大丈夫〜」

 

 しまった、完全に手を離してしまった。

 BGMのように飛び交う歓声の中に、幼馴染たちの声が僅かながらに聞こえる。

 

「っ…」

 

 しかし、押し潰されてしまいそうなこの状況では探すのもままならない。一旦。この人混みの中から出るしかない。

 

 人の波をかいくぐり、なんとか人混みからの脱出に成功する。

 

「巴、モカ…」

 

 幼馴染たちの名を呼ぶが、辺りにその姿は見えない。

 完璧に逸れてしまった。

 

 携帯電話を取り出し、ひまりの電話に向けて連絡を取る。

 

「もしもし、ひまり?今どこにいる?」

『あっ、蘭!そっちこそ、どこにいるの?』

 

 明るい声が耳に直に届く。

 

「…わかんない。多分だけど、正反対の所かな」

『正反対って…向こう側ってこと?』

「多分ね」

 

 人混みは今もまだ増え続けてる。

 一先ず、ここはすれ違いにならないように待ち合わせ場所を決める必要があるか。

 

「ひまり、とりあえず巴に変わって」

『う、うん。巴』

 

 しばらくガサガサっと音が鳴る。

 

『蘭か?』

「うん、とりあえず待ち合わせ場所を決めよう」

『待ち合わせ場所…?あっ、なるほどな』

 

 巴はすぐに私の考えを察したらしい。

 

『そうだな…なら、あの神社はどうだ?』

「神社…」

 

 彼女の言う神社というのは、ここからすぐ近くにある神社のことだ。人気がなく、灯りもない不気味なところなため、幽霊が出るなどと根も葉もない噂が立っているスポットだ。

 もちろん、実際に幽霊なんかは出ない。むしろ私たちはそこで昔から遊んでいたぐらいだ。

 

「うん、ならそこで待ち合わせしよう。今から向かうから」

『了解、私たちも向かうから。気をつけろよ』

 

 巴の声を聞き届けた私は、早速歩き始めた。

 思えば、あの神社に足を運ぶのは久しぶりだ。中学一年生の時の学力祈願で行って以来か。

 

 たまにはお賽銭でも入れていくのもアリかもしれない。

 心の隅にそのことを置いて、私は歩みを進めた。

 

 暫くして辿り着く。相変わらず灯りは少なく、霊が出るというホラが事実になってしまいそうなぐらいの雰囲気だ。

 人はいないーーーとも思っていると、そこに1人の少年がいることに気がつく。

 

 目を凝らすと、それは見知った顔ーーー大槻京介の姿が。

 

「大槻?」

「ん…その声、美竹か」

 

 向こうも見えていないのか、どうやら私の声で判断したらしい。

 しかし、それよりも…。

 

「何してんの、こんな所で」

 

 何よりはそこだ。こんな人気のない所で一体何をしているのか。

 

「あー…そうだな、ドタキャンされた、ってとこかな、うん」

「…何それ」

 

 歯切れ悪く答える。

 何かを隠している気がしてならないが、追求はしないでおこう。

 と、そこで彼の足元に置かれていたビニール袋が目に入った。

 

「それは?」

「花火」

「花火…?」

 

 予想外の解答にビックリしたが、先ほどの″ドタキャン″という言葉を思い出して彼の事情を察した。

 おそらく花火を一緒にやることになったのだが、なんらかの問題が発生して1人になってしまったのだろう。

 

「お前はなんでここに?わざわざ来るような場所じゃないだろうに」

「待ち合わせ」

「なるほど、迷子か」

「…違う」

 

 図星なのだが、それを認めるのが非常に癪にさったので嘘を言った。

 

「…なあ、線香花火やらないか?」

「は?」

 

 藪から棒に聞かれる。

 突然のことに素っ頓狂な声をあげてしまう。

 

「…なんで?」

「消費に協力してくれ。何もせずに捨てるとか、もったいないだろ」

 

 と、私の言い分なんか聞かないと言わんばかりに袋からセットを取り出す。その中からひときわ細くて小さい、紐のような線香花火を私に渡す。

 

「……」

「ほれ」

 

 ため息をこぼし、仕方なく受け取る。巴たちもいつ来るかはわからない。暇つぶし程度にやるのもいいかもしれない。

 

 どこからともなくライターを取り出し、先端に火を灯す。静かに着火し、幻想的な赤い球体が生まれる。

 

 静かに音もなく火花を散らす。その光景は、私の心をどこか不思議な世界へと連れて行く灯りの様にも見えた。

 だからだろうか、隣でしゃがんでいる大槻の横顔を見て、なんとなく口を開いた。

 

「……私、ひとりぼっちなんだ」

 

 火花を散らす赤い球体を眺めながら、ぼんやりと呟いた。

 

「なんだ、メンヘラ宣言か?」

「違う。…ただ語りたいだけ」

「それ、メンヘラだろ」

「だから違う。愚痴みたいなものだから、黙って聞いてて」

 

 「ふうん」とだけ声を上げて、彼はそれから黙った。わたしの愚痴を聞く態勢に入ったのだ。

 

「…中学一年…去年までクラスがずっと一緒だった幼馴染たちがいたんだ。でも、今年から違うクラスになって」

 

 ひとりひとり顔を思い浮かべる。

 みんな優しい娘だ。別のクラスになった私のことをずっと心配してくれている。

 

「…それで、少しだけ距離が離れたんじゃないか…関係が変わっちゃうんじゃないか…そういう不安が私を襲った」

 

 すごく暗くて真っ黒な、得体の知れない何かが私の心を襲った。

 

「あの時、屋上で泣いてたでしょ。あれ、それが理由」

 

 自嘲気味に笑う。しかし彼は何も言わなかった。

 

「その時は本当に、何をしても離れ離れになった悲しさしかなくて。何もする気になれなかった」

 

 だから授業をサボって、柄にもなく涙を流して。本当に、私らしくなかった。

 

「ーーーけど、その時に大槻と会った」

 

 今でも、覚えているあの光景。

 少し驚いた様子で私を見ながらも、特に何も言わずに気兼ねなく接してくれた彼の姿。

 

「あの時、大槻と話ができて…少し元気が出たんだ」

 

 火花が途切れ、火の玉が落ちる。

 まだ終わってほしくないーーーそう思ったのか、袋からもう一つ線香花火を取り出す。大槻が黙って火のついたライターを掲げる。

 私は静かに灯して着火する。

 再び生まれた赤い球体を眺める。

 

「あの時も言ったけど…ありがと」

「……」

 

 それでも彼は何も言わなかった。

 それがなんだか、心地が良かった。

 

「あっ」

 

 と、思っていたら大槻は突然声を上げた。

 見れば、赤玉が落ちていた。

「……長かった」

 

 ふと、彼は呟く。確かに、すぐに終わってしまった私に比べたら長かった。

 

「…よし、帰るか」

 

 そう言い彼は立ち上がった。

 

「その花火、その幼馴染さんたちと一緒に使ってくれ」

 

 伸びをしながら去って行こうとする。

 私も立ち上がると、彼は私の顔を見て、笑って言った。

 

「楽しかった。こちらこそありがとう」

 

 それだけ行って去って行った。

 

 しばらくぼうっとしていたが、我に帰る。

 ふと、彼の笑顔を思い出す。そして私が持った線香花火も。

 

 短かった。

 よくわからないが、なんとなく、さっきまでのあの時間が、彼が持っていた線香花火と同じくらい、もう少し長く続けばーーー本当になぜか、そう思っていた。




未成年の喫煙は禁止されています。絶対に真似をしないように。


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9月

とても暑いです。皆さん、熱中症、脱水症状には気をつけましょう。


 新学期ーーーそれは夏休みというパラダイスからの通学という絶望へ陥れられる悪魔のようなイベント。

 学生であるということを思い出させられ、再びペンを持ち机とにらめっこをするという地獄の時間の始まりだ。

 

 しかし、そんな事になっても俺の生活スタイルは変わらない。

 たとえ世界が滅びよとも俺が数学が嫌いだという事実は変わらない。

 そういう理屈で、俺は今サボっている。

 不定期で、怠いなと思ったら授業をサボる。最近の俺の日課だ。

 

 読む本もないため、俺は携帯電話に入れている音楽を聴く事にした。

 ミュージシャン名は″BUMP OF CHICKEN″。物語のような歌詞が特徴的なロックバンド。

 イヤホンを耳に付け、俺は横になった。

 

 8月の夏よりは涼しくなり、風も少し冷たい。そろそろ衣替えのシーズンか。

 

 そんな事を思っていると、不意に眠気に襲われた。

 これからの時間割を思い出す。次は理科か。

 正直、やる気というのが出なかった。数学と同じ理系だ。やる気になれる。ーーーなどというアインシュタインも裸足で逃げ出すような超理論を理由に俺はサボることを決意し、そのまま眠気の波に身を任せた。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「…きて」

 

 声が聞こえる。

 近いのか遠いのか、意識がはっきりと目覚めてない脳ではそんなことすらわからない。

 ボヤけていた視界も、しだいに色味を増していく。

 

「…起……て」

 

 だんだん鮮明化していく。

 その声もはっきり聞こえるようになってきた。

 

「起きて」

「んぁ…?」

 

 そして完全に意識が目覚めた。

 ボヤけをなくした視界には、美竹蘭の姿が。

 

「…なんでここにいるんだ?」

「こっちのセリフ。早くしないと授業に間に合わなくなる」

「わざわざ起こしに?」

「そう」

「ご苦労さま」

 

 他人事のようにして話を切り上げる。

 音楽を再生しようとボタンを押すが、音が流れない。

 耳に手を当てると、そこにイヤホンはなかった。

 

「これのこと?」

 

 そんな美竹が持っているのは、見馴れた白色の俺のイヤホン。なるほど、イヤホンを付けているのに彼女の声が聞こえたのは、彼女が取り外したからか。

 

「そうそれ。返してくれるとありがたい」

「これからあんたが起こす行動が目に見えているのに返すと思う?」

「思わないな」

「なら諦めて授業に出て」

 

 諦めの言葉を上げようときた直前、俺は心に少し引っかかることがあった。

 

「…なんで俺を呼びに?」

「なんでって?」

「俺が授業に出たところで、お前にメリットなんてないだろ。なのになんで?」

「……」

 

 小さく溜息をこぼす。

 

「確かに、あんたが授業にでところで、私にメリットはない」

「だろ?」

「でも他人から頼まれたとしたら別」

「頼まれ…?」

「先生」

 

 と、彼女から発せられたたった一つの小さな言葉で、俺は状況を理解した。

 

「…なるほど、つまりあの先生に頼まれたと」

「そういうこと。最近サボり癖が付き始めてるから、呼び戻して来いとのこと」

 

さすが去年の恩師なだけある。俺の行動パターンなどを理解していらっしゃる。

 

「さぁ、わかったなら早く…」

 

 美竹が口を開くと同時だった。

 

 ゴーン、ゴーン、ゴーン…と、鐘の音が鳴る。

 

「あっ…」

「おっ、授業開始だな」

 

 焦る美竹に対し、俺は呑気に声を上げる。

 キッ、と美竹は俺を睨みつけた。

 

「これを狙って?」

「どうだかな」

 

 しらばっくれる。本当は偶然なのだが、まあ黙っておこう。

 

「さて、どうする?今なら間に合うぞ」

「……もういい」

 

 諦めたように溜息を吐き俺の隣に腰を下ろした。

 予想外の反応に少し驚いた。

 

「いいのか?」

「別に先生に頼まれただけだし。あんたの言う通り、私にメリットなんてないし」

 

 と、なにやら興味深そうに美竹は俺の携帯電話を見ていた。

 

「どうした?」

「いや…なにを聞いてるのかな、って」

 

 意外なところに興味を示していた。

 

「BUMP OF CHICKEN。知らないか?」

「ばんぷ…?」

「…これとか」

 

 イヤホンを彼女の耳につけて、曲を選択する。

 曲名は″天体観測″。彼らの代表曲だ。

 

「あっ、聞いたことある」

「1番売れた曲だしな」

 

 それ以降もカルマやゼロといったヒット曲を生み出しているが。個人的にはプラネタリウムが好きだ。

 

「バンド…」

 

 興味深そうに美竹はつぶやいた。

 

「聞いたりするのか?」

「いいや、まったく」

 

 首を振る。「けど」とつけたし。

 

「興味はある、かな…」

「おっ、なら良いバンドがあるから教えようか?」

「ううん、そっちじゃない」

 

 数秒、彼女の言葉の意味を理解するのに間が出来た。

 

「そっちじゃない?」

「うん。弾く方のことね」

 

 弾く方ーーーつまりは自分で曲を作り、歌を歌うバンド側ということ。

 

「なんで、また」

「作詞に興味が湧いた。国語は得意だし」

「それだけでか?」

「悪い?」

 

 そう言われると何も言えなくなる。

 しかし、美竹がそんなことを言うとは思わなかった。

 

「楽器とかできるのか?」

「まったく」

 

 きっぱりと言われた。

 

「なのにやるのかよ」

「気になってるだけだし。やろうと思えば今からやっても遅くないでしょ」

「まあ、そりゃあな」

 

 彼女の話を聞く限り、音楽に関する知識は一般人よりも無いと思われる。

 

「ま、やるなら頑張れよ。何かアドバイスをしてやりたいが、専ら聞くだけなんでな」

「大丈夫、期待してないし」

 

 酷い言いぐさである。頼られても何も出来ないのは事実なのだが。

 

「何か、他に良いバンドとかあったりする?」

「ん?」

 

 藪から棒に聞かれたので少し戸惑う。

 

「さっきの…バン、なんとかっての以外のやつで」

「BUMP OF CHICKENな。他の、か…」

 

 携帯電話を操作しマイミュージックに保存されている曲を探す。

 そこで幾つか名前が出て来た。

 

「アジカンなんかどうだ?」

「アジ…?」

「ASIAN KUNG-FU GENERATION。それなりに有名なバンドだぞ」

 

 バンプと同じ時期にブレイクし、実力派バンドとして今もなお海外でも活躍するバンドだ。

 

「殆ど日本語の歌詞だし、国語が好きなお前なら好みだと思うぞ」

 

 そう言ってイヤホンを耳につけさせる。

 選曲は″君という花″。

 

「…なんか、変な感じ」

「同じく。俺も最初聞いたときはそう思った」

 

 変に脱力感のある曲なのだ。リライトや遥か彼方、未来の破片のような攻撃的なギターサウンドをした曲もあるのだが、なぜかこういうローテンションな曲も多い。

 

「でも、悪くはない」

「そうか」

 

 どうやらお気に召したらしい。

 美竹は案外ギターロックが好きなのかもしれない。

 

「他は?」

「他…」

 

 と、そこで一つのミュージシャンの名前が目に入った。

 

「……」

 

 そっと再生ボタンを押す。

 

「…これは?」

「スピッツ。さすがに知ってるだろ、この曲は」

 

 再生されているのはロビンソン。日本のロック史に残る名曲だ。

 

「メロディーは少し」

「どんだけ疎いんだ、お前…」

 

 ここまで疎いと、もうどれだけ疎いかどうかを調べたくなるぐらいだ。

 しばらくの間、お互い黙って曲を聴いていた。

 すると、2番のAメロが終わったところで美竹が呟いた。

 

「なんだか、すごく文学的な歌詞」

「文学的」

「うん。この″宇宙の風に乗る″ってところ。宇宙には風が無いのにこういう表現をするのは、結構すごいことだと思う」

 

 そう言われるとそうだ。

 物理学的にはありえないが、文学的にすると意味が不思議と通る。

 

「良い歌詞…」

 

 そう言う美竹の横顔は、なんだかいつもよりも魅力的に感じた。

 こういうのには何か効果などのような名前があったはずだが、思い出せない。

 

 彼女の横顔を見るのが少し照れくさくなったため、黙って雲を見ることにした。

 

 それからも暫く美竹はスピッツをはじめ、音楽を聴いていた。まるで新しいオモチャを手にした子供のように、彼女はイヤホンを外さず、手から俺の携帯電話を離さなかった。

 

 最初のうちはあまり顔を見ないようにしていたが、次第に彼女は俺のことを忘れているのでは思いはじめた。だから、俺はずっと美竹の横顔を見ていることにした。雲を見ているよりもずっと面白かった。

 

 美竹は、こんな表情もするのか。

 横顔を眺めながら、静かにそう思った。

 

 それから何分、何十分経っただろうか。

 突然、チャイムが鳴り響いた。

 

 突然の轟音に美竹は驚いたらしく、体を震わせた。

 

「……終わり」

「ああ、終わりだな」

 

 廊下を走る音、扉が開かれる音、生徒たちの談笑の声が湧き上がる。

 

「俺たちも行くか。もうHRだ」

「サボったくせに」

「お前もだろ」

 

 美竹の横を通り過ぎようとするが、彼女にズボンの裾をチョイ、と引っ張られた。

 

「ん」

 

 ぶっきらぼうに渡されたのは、携帯電話とそれに取り付けられたイヤホンだった。

 

「おお、忘れてた。ありがと」

「こちらこそ、ありがと」

 

 そう言って立ち上がり、すぐに俺を追い越した。

 

「今日のサボりは、やって良かったかも」

「……お前、それは」

 

 俺を取り締まりに来たのに、美竹はサボれて良かったという。なんとも矛盾している。ミイラ取りがミイラになったと言うべきか。

 

「ほら、行くよ。HRもサボるの?」

「……さすがに叱られそうだから行くか」

 

 扉を開ける彼女に続いて、俺は歩きはじめた。

 




蘭ちゃん、ロックを知るの巻。


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10月

渋谷マルイのイベチケ当たらなかったよ…


 日曜日。

 暇な俺は適当に散歩をしていた。この街に来てからまだ1年と少しだが、未だに地形を把握しきれていない。

 

 とりあえず散策をしてみる。

 途中、山吹ベーカリーというパン屋でカレーパンを購入し、昼ごはん代わりとして食べた。

 

 すると、横には約二ヶ月ぶりに見かける長い階段。

 

「……長」

 

 神社の御神体へと続く、とんでもなく長い階段だった。あの時は暗くてはっきりと見えなかったが、まるで天に届くかのような高さだ。

 

「……」

 

 俺は黙って一段目に足をかけていた。

 

 なんだか興味が湧いて来たのだ。どれぐらい高いのか、そこからみる景色はどうなのか。人間がゴミのように見えるのか。

 

 そう思って登ってみたのが間違いだったらしい。

 20段か30段か。詳しくはわからないが、ゴールが見えない。見上げる先には同じ光景。

 

「…この階段、長いから、不快…」

 

 最近某動画サイトで話題の動画のモノマネをしてみる。気晴らしになるかと思ったら、あまりの似てなさに寧ろ腹が立ってきた。

 

 その後も黙って進む。

 10月という冬も見えてきた季節なのにも関わらず汗が出てきた。

 

 心の中で愚痴を唱えながらもなんとかたどり着いた。

 時間にして数分か数十分か。たどり着いたという達成感からか、そんなことはどうでもよく感じていた。

 

 風が髪を揺らした。

 振り向くと、そこには絶景があった、

 ギッシリと密集された住宅街。多くはないが、少し目に入る程度の高いマンション。

 灰色の景色に、少しだけ混じる緑が心地よい。

 

「すごいな…」

 

 この街は、俺が思っている以上に綺麗だった。

 

 先ほどまで嫌味を言いつけていたあの階段も、この景色を見るまでの試練と思えば何ともなかった。

 

 暫く景色に見入っていると、階段から人が登ってくる音が聞こえてきた。

 

「…大槻」

 

 邪魔にならないように端へ向かおうとすると、不意に呼び止められた。その声には聞き覚えがあった。

 

「美竹かよ…」

「なんか、最近よく会うね、私たち」

 

 彼女の言葉に頷いて同意をする。

 最近よく会う。別にラインとか交換してないのに、何故こんなにもよく会うのか。

 

「何でここに?」

 

 美竹が聞く。

 特にやましい理由とかもないので、正直に答える。

 

「気まぐれ。まだ地形を把握しきれてないし、適当に散歩をしてた」

()()()()()()()()()()()?…どういうこと、それ?」

 

 一度だけ反復し、俺の言葉の意を聞く。

 

「言ってなかったか?俺はこの街に来てから一年と少ししか経ってない」

「1年と、少し…?」

 

 困惑気味に美竹が呟く。

 

「親父が転勤を繰り返していてな。俺はその巻き添えを喰らって特定の場所に長い間住んだことはないんだ」

 

 父親の職業はエリートサラリーマン。しかしNOとは言えない性格からか、転勤の指令を二つ返事で受けてしまっているのだ。

 それについて、母親は特に何も言わず、そして俺は何も言えず。

 

「今まで住む場所には何も思っていなかったけど…ここはいいな。この景色、綺麗だ」

 

 一目見た光景の感想を正直に言った。

 ここは綺麗だ。俺が今まで住んで来た街の中でも、一番。

 

「そうなんだ…」

 

 何かを考えるように美竹は唇に指を当てた。

 すると、何かを思いついかのように声をあげた。

 

「なら、案内するよ」

「案内?」

「この街。これでも生まれも育ちもここだし」

「いいよ、別に」

 

 口では断るが、内心では少し考えていた。

 この神社以外にも、良いところがあるのでは。そう考えると、美竹の提案も悪く無いと思い始めてきた。

 

「というか、俺を案内してどうするんだよ。いつまた別の場所に引っ越すかもわからない奴に、その時の街を教えたところで…」

 

 言ってて結構な屁理屈だと思った。

 

「それは…まあ、そうだけど…」

 

 俺からの指摘に美竹は言葉が詰まる。

 

「……引っ越す…そ、そう、引っ越す。この街の魅力を知らずに引っ越されるのは、ずっと住んでるこちらとしても不本意だから…」

「そ、そうか」

 

 必死に理由を取り繕う美竹の姿は新鮮だった。そして筋が通っているとも思った。

 

「…そう言われたら…」

 

 こうも美竹の必死な姿を見ると、引こうにも引けなくなる。

 

「…ま、今日は暇だしな。いいよ、案内してくれ」

「…そ、そう……」

 

 最後にボソリと「良かった」と呟いたのを俺は聞き逃さなかった。何が良かったのかはわからないが。

 

「じゃあ、私の後ろついてきて」

「ああ」

 

 黙って彼女の背中を追った。

 その背中は、まるで行きたいところに行けて喜んでいる子供のようだった。 

 

 

 その後、俺と美竹は二人で街を回った。隅から隅まで、余すことなく行った。

 

 歩き回ったことにより、小腹がすいた俺たちは、途中で山吹ベーカリーに寄った。

俺は本日二度目であり、店員の同世代の少女から「彼女さんですかー?」などと言われて美竹が必死に否定していた。

 

 今はそのパンと、ついでに他の店で買ったコロッケを食べようと公園のベンチに二人並んで座っていた。

 

「…このコロッケ、意外といけるな」

「この街の名物。一年半ぐらいいたのに知らなかったの?」

「あまり外出はしないんだ」

 

 普段はあまり外出をしない。基本的に俺は誘われなければ遊ばない。

 

「感想は?」

「いい街だな、うん」

「…それだけ?」

 

 もっと何か寄越せというように顔を覗かせる。

 

「究極に近くなるほど、形容する言葉は陳腐になるもの」

「なに、それ」

「その昔、どっかの誰かさんが残した言葉」

 

 実際はネットで見つけた言葉なのだが。個人的に気に入ったので覚えておいたのだ。

 

「ああ、けれど、本当にいい街だよ」

 

 景色、行き交う人々、雑音、全てが素晴らしかった。

 

「ここに、ずっと暮らしていたいぐらいだ」

 

 そうこぼすと、美竹は拗ねたような口ぶりで言う。

 

「なら、ずっと暮らしてればいいじゃん」

「それが出来たら苦労はしないし、この街にもいない」

 

 俺の言っていることは残酷なことなのかもしれないが、それが真実だった。それをわかっているのかいないのか、俺にはわからないが、美竹は言い返した。

 

「転勤…断れば」

「無茶言うな。親父の首が飛んで俺たちが野垂れ死ぬ」

「…ごめん」

 

 自分の発言の無責任さに気がついたのか、美竹は静かに謝った。

俺自身、別に気にしてはいないので黙っておいた。

 

「そもそも、なんでお前は俺をそんなに引き止めるんだ?」

 

 さっきからずっと気になっていたことだ。さっきからの美竹の発言は、俺の引越しを引き留めようとする意図が見え隠れする。

 

「…私だって、あんたがいなくなったら…まあ、少し悲しいから」

「悲しいからって…別に俺とお前は知り合い、隣の席って関係だろ?」

「そう、なの?」

 

 と、美竹の顔は悲しさで包まれていた。地雷を踏んだ、と心の中で舌打ちをしながら言い訳を述べる。

 

「…まあ、なんだ。確かに、今日みたいによく会うし…」

「……」

「…悪かったよ。ただの知り合いとかって言って。俺とお前は友達だ」

「そっか…」

 

 美竹は安堵のしたように微笑んで息を吐いた。その姿がやけに色っぽく、大人びて見えた。

 

「……」

「…?どうかした?」

「なんでもない」

 

 少しときめきかけた、なんて口が裂けても言えないから素っ気なく返した。なんだか、今日の美竹様子がおかしくないか?

 

「…あの景色」

「ん?」

「あの神社の景色、私、好きなんだ」

 

 美竹の横顔を見ながら思い出す。

 

「…お前が今日、神社に来た理由って」

「あの景色が見たくなったから」

 

 すると美竹は何かを思い出すような、じっと空を見つめながら語り始めた。

 

「昔から、私はあそこの神社に事あるごとに参拝してて。学力祈願とか無病息災とか」

 

 へー、とだけ相槌を打つ。

 

「だから、他の人たちが不気味とか出るとかって言ってるのが理解できなくて」

「実際は出ないのにな」

「そう。けど、大槻はそんなこと関係なしに登ってあの景色を見た。それだけで、私は嬉しかった」

 

 俺の顔を見て言う。その時の彼女の顔は、とても魅力的だった。

 鼓動が脈打つ。少しだけ耳と頬が赤くなるのを感じた。

 

「…そうか、それはよかったな」

 

 彼女に今の自分の姿を知られて弱みを握られたりしたら困るので、立ち上がって去ることにした。

 

「じゃあな、案内してくれてありがとう。また明日」

「あっ…また、明日」

 

 このよくわからない感情を押し殺すのに必死で、俺は振り向かずに歩き続けた。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 やっぱりだ。

 私は、どうやら彼のことを好きになってしまったらしい。

 神社の話をした時に、そう確信した。

 

 あの神社で彼の姿を見つけた時、時間が止まればいい、と思った。

 

 体が少し冷えてきた。

 10月とは言え、冬も見えてきた。冷たい風が吹けば体も震える。

 

 自動販売機で並べられたばかりのホットココアを購入する。

 

 手に当てて、その温度を感じる。

 プルタブを開け、少しずつ口に入れる。

 

 仄かな甘さと控えめな苦味が口の中に広がった。

 

「…恋、かぁ……」

 

 そんなの、ひまりがよくする世間話のお題の一つだと思っていた。

 まさかその当事者になるなんて、思いもしなかった。

 

 もう一口飲む。すると今度は、甘さを先に舌に突撃したが、苦味がすぐ後に広がった。

 

 これが、恋の味なのか。

 

 どこかの小説で書いてあったことを心の中でつぶやく。

 らしくない。馬鹿馬鹿しい。

 

 けれど、その味は口からなかなか消えなかった。

 

 その想いは本物だと、私に訴えているかのように思えた。




徐々に変化するその関係。
初めて経験する感情に、2人はただ戸惑うだけ。


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11月

中学生の頃とか1番話したくない。そんな闇を抱えたチバチョーです。


 中学二年生の校外学習を修学旅行と呼ぶか宿泊学習と呼ぶか、それは俺にとってどうでもいい問題だった。実際、数分後には忘れていた。

 教師に促され、それぞれ列を組み、歩き慣れない道を進む。

 

 11月ーーー宿泊学習。一泊二日の、お泊まり会だ。

 そのことにテンションが上がってるらしく、教師からの注意を聞かずに騒ぎまくる。

 

 あー、うるさい。

 そう思いながら景色を見る。

 あの神社の景色に比べたら、なんとも思えないな、などとつまらない感想を抱く。

 

 修学旅行に比べてやることもなく、宿に着き、各々部屋に入って荷物を置いた。

 

 晩御飯を食べ終え、風呂にも入り(覗きとかはしていない)、部屋で就寝の時間となった。

 

 さて、ここからだ。

 今日の宿泊学習は誰もが面白くないと直感していたためか、教師にバレないように部屋から出て、適当に散歩やら、付き合ってたらイチャイチャしようという計画を立てていたらしい。

 

 見回りはどうするのか、と言う疑問は俺も抱いた。そしたら、ジャンケンで負けた奴が残って身代わりになるという薄情な行為でやり過ごすという。

 

 そんな話を聞いた俺は、ジャンケンをせずに自ら身代わり役を買って出た。 別に好きでやってるわけではない。ただ、見つかった時のリスクを考えると、参加せずに、いざという時は奴らを裏切ればいい話だ。

 

 そういうことを考えて、俺は部屋に残った。

 教師が扉を開けて顔だけ覗かせるが、見た所異常はなかったのだろう。すぐに顔を引っ込めて扉を閉めた。

 

 もうこのまま寝てしまってもいいと思ったが、イマイチ寝れなかった。

 

 仕方なく、俺は散歩をすることにした。たとえ教師と鉢合わせをしても、トイレに行きたかってが迷ってしまった、と嘘吹けばどうにかなるだろう。最悪は出ていったあいつらを売って、俺の罪を帳消しにしよう。

 

 教師に会わないか、という緊張感に少し心躍りながら歩いていると、十字の廊下で、美竹蘭と遭遇した。

 

「……」

「……」

 

 お互いに硬直する。

 それから後を追うように鼓動が脈打ち始める。

 

「……ん」

「……」

「……なんか言ってよ」

 

 美竹の一声で麻痺から解かれる。

 

「あ、ああ」

「どうかしたの。風邪でも引いてる?」

「いや、違うな。ただ…まあ、あれだ」

 

 つまり何だ?というように眉を上げる竹。

 その空気感に耐えれなくなった俺は話題を変えることにした。

 

「それより、お前は何してるんだ?他の奴らと脱走してないのか?」

「リスク高いし、やるわけないじゃん。それに、巴たちも残るらしいし」

「ともえ…?」

「私の友達」

 

 以前に美竹は幼馴染がいると言っていたが、その()()()というのも多分その類なのだろう。

 

「大槻は?」

「お前と同じだ。リスク背負って冒険するなら、安全地帯から眺めて、いざという時は置き去りにして逃げるさ」

「薄情」

「計算高いと言え」

 

 まあ、友達を売るという行為なのだから、薄情と言われても仕方がないのだが。

 

「そうして今は暇つぶしという名の館内散歩ってわけだ」

「へえ…」

「お前はアレとかしないのか?俗にいう恋バナとか」

 

 ギクリ、というように体を震わせる。

 

「…しないんだな」

「しない…わけじゃない。する友達は2人ぐらいいるけど」

 

 いるのかよ、と心の中でツッコミをする。

 

「大槻はいたりするの?」

「何が?」

「その…好きな、人とか」

 

 美竹らしからぬ問いに、少し考えるが、揶揄わずに素直に答えることにした。

 

「いない…かもしれないか」

「かも?」

「断定できないからな。断定できない分、それを恋愛感情と決めつけるのもよくはないだろ」

 

 そのよくわからない感情を抱いているのが、目の前にいるとは、口が裂けても言えないが。

 

「それより、お前はいるのか?」

 

 話題を変えたかったから美竹に聞くことにした。

 

「私は…あんたと同じ」

「なんだ、つまらん」

「つまらなくて結構」

 

 と、その手の話題は美竹の一言で遮断された。

 

 しかし、そんな中でも俺は心の奥底で、美竹が「いる」と答えた時の反応をシミュレーションしていた。

 何故自分はそんなことを考えている?わからない。

 

「…まあ、いいか」

 

 そう言いながら窓を開けて、縁に腰をかけた。

 11月の風は少し冷たかった。

 

「もう11月か。お前と初めて話してから、もう半年が経つ」

「本当。そう思うと、時が経つのは早いもの」

 

 美竹はさりげなく俺の横についた。少し心がむず痒くなった俺は、少しだけ距離をとった。そのことに気がついた美竹は俺のことを訝しげに見たが、諦めたように目を離した。

 

「来月は、もう12月…一年が終わる」

「ああ、まったくだ。一年が終わる」

 

 頭の中でカレンダーを作るが、にしても時が経つのは圧倒的に早かった。

 

「…まあ、その前にテストだがな」

「ああ、そういえば」

 

 興味なさげにサラリと吐き捨てる。

 

「あとは、クリスマス」

「……」

「日本ってこう、なんで他の国の宗教の祭りを入れるんだろうな。紛らわしいというか、忙しいというか」

 

 などと俺のどうでもいい母国への感想なんかどうでもよかったのだろう、美竹は何か悩んでいるような表情をしていた。

 

「…どうかしたか?」

「……なんでも、ない」

 

 やや間を挟んで言う。

 すると、ずっと悩んだ顔をしていた美竹が、意を決したような顔に変えて言った。

 

「あのさ、クリスマス、予定ある?」

「……は?」

 

 突然の言葉に俺は人が豆鉄砲を食らったような顔をする。

 

「別に変な意味じゃなくて……そ、その、お礼ってやつ」

「お礼?」

「体育祭。まだあの時の借りを返してない」

「あー…」

 

 そんなこともあったな、と声をあげて思い出した。

 

「別にいいよ。気にしてない。というか、今の今まで忘れてた」

「…私が気にしているから」

「はあ」

 

 なんともまあ、自分勝手なやつだな、と俺は思った。

 

「空いてはいるけど…噂になっても知らないぞ?」

「それ、半年前に聞いた気がする」

「そうか?」

 

 俗にいうデジャブを感じたらしい。

 

「別にいらないんだがな…」

「私がしたいだけだから、空いてるなら暇しないでいいでしょ」

「ま、そうなんだけどな」

 

 美竹の言ってることも一理ある。

 

「わかったよ、行くよ」

「…!…ありがと」

「なんでお前が礼を言うんだ…?」

「なんでもない」

 

 疑問の声をあげると、美竹は背を向けて歩き出した。

 

「おやすみ」

「あ、ああ。おやすみ」

 

 その声には少しばかり怒りも込められていたような気がしたが…それもどこか、本気ではない雰囲気がある。

 そんな美竹を見送った俺も歩きだし、足を動かしながら考えた。

 

「……けど、なんなんだろうな、これ」

 

 俺の胸の中で、何かが動いていた。

 美竹の顔を見ると、少しだけ鼓動が早くなる。激しくなる。

 彼女の動向が、気になってしまう。

 

「わからねぇな…」

 

 天を仰ぎ息を吐く。

 そんなドラマみたいな事をしても、何も閃かなかったし、何も変わらなかった。

 




これは、転換点の前座。
だからこそ、文字数が少ないのだ(いつものこと)


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12月

日間22位ありがとうございます!


 俺にとってのクリスマスとは、12月のシーズンに入ってテレビのCMなどを見て初めて認識する程度のものだ。

 

 クリスマスなんて俺にとってはどうでもいいことだった。

 プレゼントは10歳ぐらいの時までもらっていたが、別段そんなことはどうでもよかった。

 

 だからこそだ。こうして俺がクリスマスに、しかも女子と出かけるという出来事に少しだけ動揺しているのは、必然的なのだ。

 

 待ち合わせは公園。理由は美竹の家から近いから。

 俺は待たすのも待たされるのも嫌いなため、10分ぐらい早く家を出た。しかし、そんな俺を嘲笑するかのように美竹はそこにいた。

 

「早くないか」

「待たすの嫌いだし」

「なるほどね」

 

 どうやら彼女も俺と同じ思考回路で動いているらしい。

 

「行くよ」

「はいよ」

 

 短いやり取りでそこから移動する。

 美竹はロングスカート、上にはグレーカラーのニットの長袖シャツに黒いジャケットを着ていた。

 意外とパンクで大人びたな装いをするんだな、と内心で思った。

 

 電車に乗り、少しだけ都会の方に行く。

 何を買うかは美竹次第ということにした。あの時の俺は勝手に前に出ただけであるため、この借りの返しも美竹の勝手ということになっている。別に嫌がらせでもいい、と 言ったが美竹の性格的にそれは無いだろう。

 

 2店3店、店を行き来したがいいものは見つからなかったらしい。俺は彼女に任せっぱなしなので、その店の興味の惹くような物を眺めてたりした。

 

 それから暫く時間が経ち、腹の虫がなる時間になった。

 俺たちは自然と足を飲食店へと運んでいた。

 立ち寄った店はファストフード店。

 

 注文をし、テーブルに肘をつけて適当に待つ。

 

 コップいっぱいに入った水を一気飲みする。

 

「何かお気に召したものは?」

「何も」

「そうか」

 

 俺のための買い物というが、ほぼほぼ彼女の買い物になってる気がしなくもない。

 

 暫く店の中で談笑している他の客の声がBGMとなる。

 俺は外の景色をぼうっと眺め、美竹はコップに入った氷を眺めている。

 

 暫くして注文していた料理が届いた。

 それがキッカケとなったのか、美竹は藪から棒にそれを言った。

 

「私、バンド組むことになった」

「ーーー……」

 

 突然の報告に、思わず言葉を失った。

 しかし、彼女の顔を見返すと、不思議とすぐに受け入れることができた。

 

「…そうか」

「なに、その間」

「驚いただけ」

 

 そう、と美竹は俺を見る。

 

「ギターとか弾けるのか?前までは弾けないとか言ってたけど」

「弾けない。これから練習」

「簡単に言うよな…」

 

 ギターの難易度とかは俺にはよくわからないが、多分気軽に口にして出来るものではないだろう。

 

「まあ、救いがあるとすればドラムをやる巴って人」

「出た、()()()

 

 以前から会話の内容に登場する()()()という人物。今の所、美竹の親友であるという情報しか得れていない。

 

「巴は太鼓とかやっててね。ドラムは初めてやるらしいけど、ある程度わかるらしいよ」

「経験者…ではないが、いるんだな」

「それが救いかな」

 

 美竹は水を一口飲んだ。そんな彼女を見て、俺は思ったことを口にした。

 

「曲はどうするんだ」

「曲…」

 

 答えずに氷を眺めているあたり、まだ具体的な案が無いのだろう。

 

「…多分、オリジナル」

「オリジナル?」

「そう。他人の歌詞を歌うのはなんだか気が引けるし…」

「そんなものか」

「そういうもの」

 

 それはおそらく、彼女なりのプライドなのだろう。彼女がどういう目的でバンドを組んだのかはわからないが、そういう理由でオリジナル曲を作るというのは、なんだか美竹らしい気がした。

 

「作曲は…わからないけど、作詞なら出来ると思うし」

「どこからその自信が湧いてくるんだ」

「国語の成績」

 

 なるほど、と肩をすくめた。

 確かに美竹の国語の成績は優秀だ。それは俺がよくわかっている。

 

 それからも互いに当たり障りのない世間話をしながら食事を進めた。

 

 十数分ぐらいか。

 食事を終えて、互いに会計して店から出た。

 

「で、次はどちらへ?」

「…少し遠いけど」

 

 何か考え悩んだよう間を挟み、美竹は提案した。

 黙ってその案を受け入れると、彼女は付いてきて、というように俺を見た。俺はその視線通りに美竹の背中を追った。

 

 それからどれぐらい歩いた…というか進んだだろうか。

 途中でバスに乗り、そこからさらに歩いた。

 

 そこで辿り着いたのが、古風な雑貨屋だった。そこは都心から少し離れた所にある。

 

「……」

 

 店に入り、辺りを見回す。

 インテリアから装飾品など、様々な物が置かれていた。

 その中に、朱色に輝くネックレスが飾ってあった。なんだか美竹みたいな色付きだな、と思った。

 

 都心から離れているという先入感が働いてか、映画のワンシーンの中にいる気分になった。

 

「あらあら、蘭ちゃん」

「ご無沙汰しています」

 

 店や奥から出てきたのは初老のご婦人だった。俺の顔を見て頭を下げたので、俺も頭を下げた。

 

「また大きくなって…」

「1年だとそんなに変わりませんよ」

「いやいや、蘭ちゃんはドンドン大人に向かってるよ」

 

 穏やかな声で美竹に語るご婦人。

 

「あちらの方は?」

「友達」

「まあ。蘭ちゃんがお世話になっております」

「あ、いえいえ、そんな…」

 

 なんて言って深々と頭を下げるものだから、動揺して上手く対処できなかった。

 

「もういいから…とりあえず今日はお客さんとして来たので」

「そうなの。なら、ゆっくりと選んでいってね」

 

 落ち着いた、温厚な声でそう促した。

 

 俺は美竹が品定めをしているところを見ながら、ご婦人から頂いたお茶を飲んでいた。

 

「えーっと…蘭ちゃんのお友達さん…?」

「大槻です。大槻京介」

「ごめんなさい、大槻さん。蘭ちゃんは普段、どんな感じなのかしら?」

 

 その落ち着いた声に、俺は普段の美竹の姿を思い出しながら答えた。

 

「…まあ、静か、ですね」

「静か」

「はい。それでもどこか熱いところがあって…見た目はクールだけど、中身は激情家、みたいな感じです」

「そう…ふふっ」

 

 と、俺の言葉を聞き届けたご婦人は笑いをこぼす。

 

「あなたは、よく蘭ちゃんを見ているのね」

「ええ、まあ…学校で1番とは言いませんが、よく話はします」

「そう。それでもいいことだわ」

 

 ご婦人はどこか、美竹のことを他者とは違う目線で語っていた。

 

「蘭ちゃんはね、硝子なの」

「硝子?」

「ええ。とても美しくて透き通っているけれど、一度衝撃を与えてしまえば割れてしまう…それが蘭ちゃんなの」

 

 その硝子の形を頭に思い描き、美竹の姿と重ねてみる。確かに、美竹は硝子だった。

 

「昔からお家のこととか、友達のこととかでね。何度も傷ついては泣いていたのよ」

 

 その言葉で、最初の屋上での彼女の姿を思い出した。

 

「ほら見て」

 

 美竹の姿を見る。

 

「今、蘭ちゃんはあなたへの贈り物を選んでいるのでしょう?」

「…そのようです」

「だったら、きっとあなたは蘭ちゃんからとても信頼、もしくは好意を持たれているのでしょうね」

「何で、そう言い切れるのですか?」

 

 その問いに、婦人は即答で返した。

 

「よく見てみて。あんなに楽しそうに物を選んでいる」

「……」

 

 その姿はいつもと変わらないように見えた。しかし、よく見てみると、目が笑っていた。

 表情は冷静で、いつもの美竹という感じだが、目は違った。輝かせていたのだ。

 

 そんな美竹の姿を見て、俺はふと思った。

 

「…すいません……」

 

 微笑んでいる婦人に、俺は静かに声をかけた。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 店から出て、徒歩、バスを使って街に帰ってくる頃には、辺りは闇の世界となっていた。

 空は黒色に染まり、その中で小さく星々が煌めいていた。

 

 はぁ、白色の吐息が宙を漂った。

 

「寒いな」

「そうだね」

 

 言葉を紡ぐ度に白い息が宙を舞う。

 

「雪とか降らなかったな」

「ホワイトクリスマス狙ってたの?大槻って意外とロマンチスト」

「思っただけだ」

 

 と、今朝の待ち合わせの公園の前に着いた。

 ここが俺たちの別れ道だ。

 そこで俺は肩に掛けていたショルダーバッグから小包を取り出し、美竹に差し出した。

 

「…これは?」

「さっきのあの店で買った」

「なんで、また」

 

 その美竹の疑問は当然だろう。

 俺もその場の思いつきで買ったのだ。理由などない。

 

「思いつきだ。別に気にするな、これは俺が勝手に買っただけだ。なんだったら、クリスマスプレゼントとして受け取ってくれよ」

「へぇ…」

 

 美竹は不思議なものを見るように俺を見た。

 

「大槻にも、そういうところがあるんだ」

「……まあな」

 

 言い返してやりたかったが、これといって文句も思い浮かばない上に、よく考えてみるとその通りだった。

 

 すると、美竹は夜空を見上げた。

 一つ大きく息を吸い、そして吐いた。

 そして何事もないように、それを言った。

 

「…大槻」

「ん?」

「私、あんたのこと好き」

 

 突然のことだった。予期せぬ場所で予期せぬ台詞。

 

「ーーー」

 

 言葉を失う。

 なんでそんなことを。俺は美竹を目だけで見ると、表情はいつも通りだったが、耳が赤かった。

 それを見て、俺は不思議とその言葉を受け入れていた。

 

「ーーーああ」

 

次に出てきた言葉は、そんなあやふやで掴み所のない言葉。

 

 しかし、俺はなんとなく、自分の中にあった変な思いを、形成することができていた。

 この不確かで初めて体験したあの思い、名前をつけるのながら、多分それは恋だ。

 

「俺も、同じだ」

 

 短く紡ぎ出されたその言葉。

 その言葉を聞き届けた美竹は、俺を横目に見て、微笑んだ。 

 

「そうか」

「ああ、そうだ」

 

 ひどく短いやり取り。

 しかし、俺と美竹の間にはそれだけで充分だった。

 

 美竹は歩きだし、振り向いて言う。

 

「おやすみ」

「ああ、おやすみ」

 

 俺はそう返し、美竹の後ろ姿を見届けた。

 先ほどの彼女と同じく、夜空を見上げる。

 この顔の熱さを冷ます雪は、やはり降らなかった。




2人の関係は目に見える形で進展した。
しかし、タイトルからわかるように、時間は刻一刻と進んでいく…。


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1月

真夏に1月


 冬休みも終わり、学校がまた始まる。

 三年生の先輩方は受験でピリピリとした空気を張り詰めている。

 

 あのクリスマスでの美竹の突然の告白から一ヶ月経つか経たないか。

 俺は不思議と、あれから美竹のことを意識していなかった。それが多分、美竹も同じなのだろう。

 

 俺たちは互いの気持ちを知った。

 しかし、そこから何処かに行ったり、記念日やら何やらをするということはしなかった。

 あんまりにもしないので、俺は何かしないのか、と美竹本人に聞いた。すると彼女は 「中学生の資金なんて限られてるし、無理させたくないし」との事。

 なぜ俺が払う前提なのかはよくわからないが、彼女らしい現実的な言葉だった。

 

 学校でも普段と変わらない程度に言葉を交わす。

 俺と美竹は付き合っているのか、と聞かれれば、それはハッキリと付き合ってると言えるのだろうか。

 これは個人的な価値観での感想だが、俺と彼女の今の関係は両想い止まり、といったところなのかもしれない。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 この寒い時季でも、俺は授業をサボって屋上にいた。我ながら性懲りもない人間だと思う。

 

 今日はどんよりとした重い雲が空を覆っている。雨が降るわけでも、ましてや雪が降るわけでもないのにだ。

 さらに冬の寒い風が容赦なく肌を攻撃する。

 この負の連鎖により、みんなテンションがとても下がっている。無理もない。俺も結構下がってる。

 

 しかし、こんは環境の中でも、この屋上に来るもの好きな人間はいるらしい。

 

「懲りないね、あんたも」

「お前もな」

 

 腰に手を当てて呆れのポーズをとる。

 

「サボって大丈夫なのか?」

「悩み事があったから、ここにきて気晴らし」

「何も授業中じゃなくていいだろうに」

「授業中だからこそ」

 

 美竹も俺のこの不良行為に慣れてきたのだろう。以前とは違って余裕な面持ちだ。

 

「で、悩み事って?」

「聞いてくれるの?」

「お前の彼氏だしな」

 

 と、少し気取ったことを言ってみる。そんな彼氏のような事はやっていないので、そう名乗っていいのかわからないが。

 

「それは嬉しいね」

 

 口ではそう言ってるが、表情はいつも通りクールで崩れない。

 

「…そりゃよかったよ」

 

 若干不貞腐れて気味に返す。

 

「作詞」

「は?」

「だから、作詞。その悩み事」

 

 出てきたのは作詞という、普段は耳に触れることのない言葉に、反応が少し遅れた。

 

「作詞って…バンドのか」

「そう。あまり浮かばない」

「国語、得意じゃなかったのか?」

「それとこれとは別、っていう感じ」

 

 バツの悪そうな顔をして言う。

 前まではあれほど自信を持っていたというのに。

 

「別のものなのか」

「良い言葉は思い浮かぶけど、想像力が必要らしい」

 

 俺は作詞なんしたことないし、する気もないからわからないが、よっぽど難しいのだろう。

 

「何かアドバイスとかないの?」

「そう言われてもな」

「悩み、聞いてくれるんじゃないの、彼氏さん」

「……」

 

 そう言われると何も言い返せない。ここは素直に何かアドバイスをするのが吉だろう。

 

「どういう歌詞を書きたいんだ?」

「反逆」

「……」

 

 随分と物騒な単語が出てきたものだ。

 

「正しくは反抗」

「どちらにせよ物々しいな」

 

 とても女子中学生が描く歌詞のテーマとは思えない。思春期という点で言えば合っているが。

 

「何で反抗なんだ」

「ひまり…私のバンドメンバーの娘からの提案。わんおく…なんとかっていうバンドかららしいけど」

「ああ、ワンオクか」

 

 知ってるの、という顔をされるが、むしろお前は知らないのか、と言ってやりたい。

 

「英語ばっかりでわからなかったけど…初期の頃の歌詞は日本語で、それこそ反抗的な歌詞だったから、アリかと思って」

「なるほど」

 

 彼らの初期の頃の歌詞は美竹の望む反抗的…つまりは厨二的な歌詞だ。

 

「何かいい案があれば、言ってもらえると」

「俺なんかじゃ役に立たないと思うけどな」

「大槻は私より想像力が富んでるから」

 

 遠まわしに馬鹿にされている気がしたが、気にしないことにした。

 

「じゃ、まずは学生であることを強調してみたらどうだ?」

「学生?」

 

 疑問の声をあげる。

 

「お前は学生なんだし、その特権を活かすべきなんじゃないか」

「そういうものなの」

「お前の言う富んだ想像力をフルで使った結果だよ」

 

 確かに、作詞というのは難しい。

 どれだけ語彙力や知識が優れていても、想像力などが欠けていては論外となってしまう。

 

「学生…制服、とか?」

「へえ」

「…何か言ってよ」

「いや、歌詞作るのはお前なんだし。俺が口出しするのはどうかと思うぞ」

「それもそっか」

 

 美竹は妥協したらしい。

 そこから学生…とブツブツ呟き始めた。

 

 どうやら俺の存在は頭の中に無いらしく、彼女はずっと考えてる。

 俺はそんな姿を見てから、腕を組んで横になり、睡魔に意識を預けた。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 どれぐらい時間が経ったか。

 携帯電話を手に取り、時間を見る。

 6時間目が終わる頃だ。

 

 そろそろ教室に戻らなければ。そう思い立ち上がると、扉の横の壁に背中を預けて、静かに眠りについている美竹の姿が。

 

「……寝てどうするんだよ」

 

 お前、歌詞はどうしたんだよ。と、文句を言いたくなったが、彼女の安らかな寝顔を見ていると、どうでもよくなってきた。

 

「…ん」

「起きたか」

 

 そう思ったが、彼女の目はまだはっきりとしていない様子だった。

 

「……大槻…」

「なんだよ」

 

 まだ寝ぼけているのだろう、口調もややゆっくりだった。

 

「…はな……れないで…」

「は?」

「……私を…1人に、しないで…」

 

 それはきっと、彼女の本心だったのだろう。

 かつて幼馴染と離れ離れになり、心の距離が開いてしまっていた。その時、美竹は恐怖していたのだろう。

 本当に1人になってしまうという危機感に。

 孤独であるという絶望に。

 

 何かを言うべきなのか。

 けれど、俺は何も言えずに、ただ唇を噛むだけだった。

 

 どうすることもできない。

 俺はまだ、ガキだから。

 歯痒いが、それが現実なのだ。

 

 と、彼女の寝顔を眺めていると目を覚ました。

 

「…何見てんの」

「別に」

 

 彼女から怪訝な眼差しを向けられるが、別にやましいことはしていないので堂々とする。

 

「行くぞ。時間だ」

 

 と、携帯電話を見せる。

 ホントだ、と呟き、彼女ら扉を開けて階段を降りた。

 

「どうだ、何か思いついたか?」

 

 前を行く彼女に聞く。

 

「…それなりに」

「それはよかった」

 

 表情は見えないが、どこか自信に満ちたような様子だった。

 

「世界観とか、テーマとか。そういうのは決まった。後は…みんなと考える」

「ああ、そうだな」

 

 彼女の後ろ姿を見て、俺は穏やかにそう言った。

 

「完成を期待しとくよ」

「うん、期待しといて」

 

 彼女は微笑んだ気がした。

 




2人は強く願う。
しかし、時というのは残酷なもの。
無慈悲に進み、その光景を、ただ感じることしかできない。


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2月

水着イベ最高か


 ーーー転勤することになった。

 

 もう何度かわからないぐらい聞いた、その言葉。

 夕食、いつものように静かに箸を進めていた俺と母は、突然降りかかったその言葉に動じず、ただ「そう」、と口をそろえるだけだった。

 

 ーーー明日、学校に行って説明しなきゃね。

 

 マニュアル通りかのように話を進める母。

 これも見慣れた光景だ。

 異常と言われれば異常なのだろう。しかし、こんなことは、俺にとってはただの日常に過ぎない。

 

 ーーーすまないが、よろしく頼む。

 

 父は申し訳なさそうに言うと席を外し、携帯電話を片手に自室へと向かった。

 

 母は何も言わない。言えないのかもしれないが、どちらにせよ俺にとってはどうでもいいことだ。

 

 ーーーごちそうさま。

 

 短く発したその言に、母は何か言いたそうな表情をしたが、すぐに消した。

 

 俺はその後何もせずに自室に閉じこもり、天井を眺め続けた。

 

 何度も聞いたあの言葉。回数なんてわからない。知りたくもない。

 けどなんだろう。

 何かが俺を鎖で繋いでいるかのように、俺の心はこの街から出たくないと言う。

 

 この鎖は何だ?わからない。

 この感情はなんだ?わからない。

 

 わからない。

 正体不明な感情に心覆われながら、俺はゆっくりと目を閉じた。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 その日、私は日直としての仕事をこなしていた。

 先生へのプリント提出。

 はっきり言って面倒だ。

 

「失礼します」

 

 短く自分のクラスと名前を言い、先生の机にプリントを置いた。

 用も済んだことだし、帰ろう。

 

 そう思い、踵を返した矢先だった。

 

「お手数をおかけして申し訳ありません…」

 

 女性の声が耳に入った。

 なんとなく目を向けてみると、そこには担任の先生と…大槻がいた。大槻の横には、見知らぬ女性の姿が。

 

「いえいえ、大丈夫ですよ。しかし京介くんが転校だなんて…」

 

 ーーーー。

 

「転、校…?」

 

 一瞬頭の中が真っ白となり、次いで出た言葉は鸚鵡返しだった。

 

「すいません、主人の都合で…」

 

 その女性の一言で、私は思い出した。

 

 

 ーーー親父が転勤を繰り返していてな。俺はその巻き添えを喰らって特定の場所に長い間住んだことはないんだ。

 

 

 その時、歯車が重なったような音が響いた気がした。全てが繋がった。

 また来るかもしれないと、彼自身も思っていたこと。

 

 叫びたかった。

 こんな運命を定めた神様に、私は一発、いやその10倍は殴ってやりたかった。

 

 そして気がつけば私は、逃げるようにその場から離れていた。

 

 なんで私、走ってるの。

 

 そう自分自身に問いかけながらも、その足を止めることはできなかった。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 鐘が鳴る。

 それと同時に鞄を手に取り、扉をくぐる同級生たち。

 いつもは教室の外で待っている幼馴染たちは、今日は私の事情で先に帰らせた。

 そして今から、私はその事情を果たす。

 

 校門の壁に背中を預けてしばらく待つ。すると、私の待ち人は来た。

 

「…美竹?」

 

 不思議そうに私を見る大槻。

 

「少し、付き合って」

 

 最初は私のその一言に怪訝な表情を見せたが、やがて彼は仕方がない、というようについて来た。

 

 冬も終わりが近づいているが、それでも2月だ。肌寒いし、日が暮れるのもまだ早い。

 

 私はあえて遠回りをした。

 別にどこかのお店に立ち寄るわけでもなく、ただただ歩いた。

 

 そして、私はそこでなんとなく止まった。

 河川敷。

 緩やかに流れる川に、オレンジ色の夕焼けが映される。

 

「どうかしたのか?」

 

 彼は聞く。

 それに私は、すぐには答えなかった。

 

「あのさ大槻」

「ん?」

「何か、私に言うことあるんじゃない?」

 

 その私の言葉に、大槻の表情は一瞬だけ固まった。しかしすぐに立て直し、彼は何の抵抗もなさそうに、私に言った。

 

「…引っ越すことになった」

 

 短く、とても簡単に理解できる言葉。

 

「知ってた」

 

 その言葉に、私も簡単に答えた。

 その事実は、もう私の手中にあると。

 

「知ってたって…」

「職員室で耳に入った」

「…なるほど」

 

 諦めたような表情で答える。

 

「また親父の転勤だ。いい加減、NOが言えないものかね」

「YESしか言えないって、良い人ってことじゃない」

「そういうものかね」

 

 いつものように、当たり障りのない会話を続ける。

 私は自然とコンクリート出来た道から、小石が重なって出来た自然の道へと降りていった。

 そんな私に続いて、大槻も降りて来た。

 

「そっか…離れ離れになるんだ、私たち」

「…すまん」

「何で大槻が謝るの。仕方のないことだし」

 

 そう、仕方のないことなのだ。

 私は彼に一瞥もせず、水面に顔を覗かせた。

 そこに映るは、何かを閉じ込めるように唇を噛み締めた、崩れかかった顔だ。

 

 それが嫌になって、私は後ろを振り向いた。

 そこには、大槻の姿が。

 申し訳なさそうで、どこか哀愁が漂う表情をしていた。

 

 初めて、そんな大槻を見た。

 

 そして、それが引き金だったらしい。

 

「……ざけないでよ…」

 

 知らず知らずのうちに、私は言葉を漏らしていた。

 

「ふざけないでよ…何で…」

 

 まるで大槻のあの表情がライフルのように、私の感情のリモコンをぶち壊した。

 塞がった唇が、大きく乱暴に開かれた。

 

「ふざけないでよ!何で、何で…何でまた…!」

「……」

 

 一度放たれたその弾丸(叫び)は、制御を失ったマシンガンのように暴発し続ける。

 

「まだ私は、何もしてない!出来ていない!なのに…どうして…どうしてどうしてどうして…!」

 

 ああ、神様。

 何で私から、また大切なモノを奪っていくの。

 何でまた、私から離れさせるの。

 私が何かを犯したというのなら、お願いします、何でもするから…!

 

「……」

 

 その間も、大槻は何も言わなかった。

 それが何処か、私の癇に障ったのだろうか。私は彼の襟を力強く掴んでいた。何故自分がそんな行動をとったのか、自分でもわからなかった。

 

「何か言ってよ!ねぇ、お願いだから……何か…何か言ってよぉ…」

「…ごめん」

 

 彼の胸に顔を埋めながら、私は泣き続けた。

 情けない。まさかこんな事で泣くなんて。

 

 どうしようもなくて、仕方がないことなのはわかっているのに。

 

 (わたし)が、それを認めようとしなかった。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「…落ち着いたか」

「…うん……」

 

 子供に戻ったようだ。

 あれから暫く泣き続けた私は、結果的に泣き止むまで大槻に頭を撫でられてた。

 

「取り乱して、ごめん」

「別にいいよ。むしろ、いつもと違う美竹が観れて新鮮だった」

「…それ、あまり嬉しくない」

「…そうか」

 

 いつもの調子で彼は私を揶揄う。

 それが私を元気付けさせるためにやったことは、さすがにわかった。

 

「…ありがと」

「礼を言われるようなことは、何もしてないつもりなんだけど」

「勝手に言っただけ」

 

 いつもの会話に戻っていくけど、内面はそうでもない。

 

「私、ついて行く」

「は?」

「大槻について行くことにする。一人暮らしとかで…」

「馬鹿なこと言うな!」

 

 初めて聞く彼の怒鳴り声に、私は驚いた。

 

「馬鹿なこと言うなよ…お前には、お前の家があるだろ。お前には、思ってくれる人たちがいるだろ」

「……っ」

 

 その言葉で、思い出す。

 父さんと母さん。

 巴、ひまり、つぐ、モカの姿。

 

「自分がどれだけ恵まれてるか、わかってるのか?自分の立場を弁えてから、そういうことを言え」

「……ごめん」

 

 まただ。また無責任なことを言ってしまった。

 

「…俺は、俺たちはまだガキだから、何も言えないんだ」

「…わかってる」

 

 そう、私たちはまだ子供。たとえ義務教育が残りわずかだとしても、関係はない。

 親の言うことは聞くべきだし、模範的な行動を取らなければならない。

 

「なあ、美竹」

「なに」

「俺たち、付き合ってるって言えるのかな」

「それは個人の主観じゃない?」

 

 少なからずとも私は、付き合っているとは言えないと思う。

 

「そうか。なら言わせてもらうよ。俺は付き合ってるとは思えなかったな」

「…だろうね」

「お前もか」

「うん、同じ」

 

 それは多分、酷い話なのだろう。

 ひまりが聞いたら、きっとひまりに何か言われるだろう。

 

「だから、これは別れじゃない」

「…どういうこと?」

「彼氏彼女の別れとか、そういうのじゃないんだ」

 

 彼は、何かを取り繕うにように言う。

 

「お前と幼馴染たちのように、また一緒になれる」

「…そう、なの」

「ああ。俺はまた、この街に戻って来る」

 

 彼は笑顔で、そう言った。

 それは多分、1年や2年で叶えられる願いでは無い。

 だから、私は小指を出した。

 

「約束。絶対に守ってよね」

「ああ、言い出しっぺなんだ。絶対に守る」

 

 そう言って、小指を交わした。

 川の前で夕焼けに照らされたその光景は、皮肉にも私には綺麗に見えた。

 

 その後、大槻の携帯電話が鳴り、親御さんから呼ばれた。大槻は私に謝りながら帰って行った。

 

 それからも、私は暫く河川敷の夕暮れを眺め続けた。

 特に深い理由はない。ただ心を落ち着かせたかっただけだ。

 

「あれ、蘭じゃん」

「ホントだ。らーんー!」

 

 と、背後から声が聞こえる。

 振り向くと、そこには幼馴染たちの姿が。

 モカが山吹ベーカリーの袋を持っているのを見る限り、遊び帰りなのだろう。

 

 彼女たちは川の方まで降りて来る。

 

 すると、彼女たちの顔が目に入った瞬間、気がつけば、私は巴の胸に飛び込んでいた。

 

「なっ…おい蘭!?」

「ど、どうかしたの、蘭ちゃん!?」

「えっ、ちょっ、どういう状況なの、これ!?」

「……蘭…」

 

 心は落ち着いてきた。

 この事実も受け入れることができた。

 彼とも約束をし、もう一度再会をすると誓った。

 

 けれどやっぱり、離れ離れっていうのは、悲しいもので。

 だからねぇ、神様。

 あと少し、この涙を流すのを許してください。

 




変えることのできない現実。


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3月

お別れというのは辛いもの。それは幾つになってもそう。


 学校は2学期が終わり、春休みとなった。

 その間、俺は引越しの準備を着々と済ませていた。

 春休みに入る前、先生からクラスメートに知らされたらしく、お別れ会なるものが開かれた。

 別段どうでもよかったので、そこら辺は説明を省く。

 

 ダンボールに私服を詰めて、手に持ち、外で待機していた業者さんに渡す。

 業者さんは受け取ると、小走りにトラックに荷物を乗せ、俺の両親に一礼をして、トラックに乗り走らせて去って行った。

 

「さて、じゃあ我々も出るか」

「そうですね」

 

 と、両親は話し合う。

 俺もそれについて行こうと、黙って両親の背中を追う。

 しかし、途中で頭の中で神社のあの光景がフラッシュバックした。

 

「ーーー」

 

 これで最後。

 そう思うと、最後にあの光景を目に焼き付けるのもいいのではないか、と思った。

 

「父さん」

「なんだ?」

「ちょっと、時間をくれないか」

「時間?」

 

 始め、父は怪訝な眼差しを俺に向けた。しかし、何かを察したのか、頷いて言った。

 

「少しだけなら」

「ありがとう」

 

 それだけ言い、俺は駆け出した。

 向かうは神社。少し遠いが、構わない。

 

 しばらくして、ようやく神社に着いた。が、

 

「そうかぁ…これがあったか」

 

 目の前には長い階段。走るのに夢中になって、この存在を忘れていた。ため息を吐くが、仕方がないと割り切って一歩を踏み出した。

 

 最初の10段はウンザリしたが、これが最後、と思うと、次第に悪くはないと感じ始めた。それからは一段一段をしっかりと踏みしめた。

 

 そうして、何分か時間をかけてようやく着く。

 しかし、天気は生憎の曇りだった。遠くでは少し明かりが見える。

 

「…まあ、悪くはないか」

 

 天候には恵まれなかったが、街の並びは相変わらず綺麗だ。

 これも別に良いだろう。

 

 一回深呼吸をし、俺は帰ろうと振り返ると、そこには肩で息をしている少女ーーー美竹の姿が。

 

「……大槻…」

「なんで、ここに」

 

 俺は美竹に何も言ってないのだが、何故か彼女はここにいた。

 おまけに、肩にはギターが入っているのだろう、黒いギターケースらしきものが。彼女の小さい体にはまだ似合わない。

 

「あんた…もう行くんでしょ」

「ああ、まあな」

 

 短くやり取りをする。彼女もまだ息が続かないらしく、途切れ途切れになっている。

 

「何でここにいるんだよ」

「何となく…っていうの嘘。練習帰りに、あんたが走ってるのが目に入ったから、それで」

「走って追いかけてきた、と?」

 

 うっ、と声を漏らす。図星か。

 

「…どうせ、これ見たらすぐ行くつもりだったんでしょ」

「そりゃあ、な」

「贈り物があったから、走って追いかけてきたの」

「贈り物?」

 

 美竹には似つかわしくない言葉だ。

 

 すると、彼女はおもむろにケースからギターを取り出す。

 

「何してんだ、お前」

「贈る歌…とでも言えばいい?」

「そんなキャラだったかな」

 

 そう交わしつつ、彼女はギターを構えた。

 初めて美竹がギターを構えてる姿を見た。やはりまだ小柄なその体躯には、緋色のギターは浮いて見えた。

 

「似合ってない、とでも言いたい?」

「バレたか」

「わかってる。他のみんなからも言われた」

 

 自嘲気味に笑いながら言う。

 ピックを手に持ち、一音、かき鳴らす。

 

「曲名は?」

「まだない。とりあえず完成一歩手前って感じ」

「未完成曲ってやつか」

「そ。ちなみに人の前で披露するのはあんたが初めて」

 

 それはつまり、毒味役ということか。それとも偶々か。何やら含みを持ったやうな笑みを浮かべて、彼女はギターを鳴らした。

 

 その歌詞は、とても短くまとめられていた。

 所々に英語を詰め込み、かつ誰でもわかるシンプルな日本語が入り混じっている。

 

 歌声も、先ほど走ったばかりで体力がないからか、やや縺れたりしてしまっている。ギターの方も、素人でもわかるぐらい音が外れてしまっている。

 

 しかし、そんな状態でも必死に歌う姿が、なんだか美竹らしいと感じていた。

 そしてギターを持ち、強く歌う美竹は、忙しなく人が動くその街と似合っていた。

 

 演奏が終わる。

 息をする美竹に、俺は拍手を送った。

 

「良い歌だな」

「名無しだけどね」

「それはお前達がこれから決めるんだろ」

 

 すると、彼女が持っていた鞄から1枚のCDが取り出された。

 

「これ、あげる」

「なんだこれ」

「CD。デモだけど」

 

 真っ白のディスクには「Afterglow・デモ」とだけ書かれていた。

 アフターグロウ。なるほど、それが彼女たちのバンド名なのか。

 

「…本当に、行くんだ」

「ああ。決まったことだ。取り消せない」

 

 携帯電話を見ると、時刻はもう17:30分だった。

 これで、本当に最後だ。

 

「じゃあな。いや、またな」

「…うん」

 

 たった二言。それだけで別れの挨拶は終わった。

 振り向き、歩く。しかし、その短いやり取りに心残りみたいなものが生まれた。

 俺は美竹の顔を見て、静かに言った。

 

「お前、緋色が似合うよな」

「………なに、突然」

「思っただけだ」

「…そっか」

 

 それで最後だった。

 階段を下る。上を見上げても、美竹の姿は見えない。

 

 俺は空を見上げる。

 別れによる悲しみか、理不尽さに対する怒りか、どちらとも取れる感情に押し潰されそうになる。

 

「……っ」

 

 強く唇を噛み、俺は駆け出した。

 まるでその感情なら逃げるように。全速力で、転びそうになりながらも走る。

外で外周をしていた部活動の生徒をも追い越してしまう。あの時の100m走が活きてるな、と嗤った。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 それがお別れだということを理解するのに、数分はかかった。

 まず感じたのは虚無感。次に悲しみ。そして最後に儚さだった。

 

 

 ーーーお前、緋色が似合うよな。

 

 

 それが最後の言葉か。笑える。前に冗談めかして言ったのだが、やっぱり彼はロマンチストだ。

 

 激励の言葉をもらったと解釈すべきなのか。しかし、それでも涙が出そうになる。

 堪えるために目を閉じて、空を仰ぐ。

 

 涙が引いてきた、と思って目を開けると、目の前に現れたのは、オレンジ一面に染まった空だった。

 いやその色はオレンジを越して、緋色だった。

 

 見ると、大きな夕日が沈もうとしていた。

 

「綺麗」

 

 綺麗だ。本当に憎たらしいぐらいに。

 だからだ。私は、この憎たらしいほど綺麗なこの空に、夕日に、何か一矢報いたいと思っていた。

 

「緋色は…スカーレット…」

 

 そう、この空はスカーレット。とても鮮やかな緋色だ。

 

「スカーレット…スカイ…Scarlet Sky…」

 

 その瞬間、私は初めて運命というものに勝った気がした。

 どうだ神様よ。あんたが私に見せてきたこの色を曲名にしてやったぞ、と。

 

 しかし、私は文句を言い足りてなかった。まだ不満は残っている。ムシャクシャする。

 

 私は、誰もいないのをいいことに、夕日に向かって思いっきり叫んでやった。

 

 その叫びはどれぐらい響いたのか。あいつには届いたのか。…まあ、そんなことはどうでもよかった。

 ただスッキリした。それだけで良い。

 

 緋色に照らされた街並みを見下ろし、私はつぶやいた。

 

「またね、大槻」

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 家に着く。

 明らかに様子がおかしい俺に、父は一瞥しただけで何も言わず、ただ車に乗ることを促した。

 

 車に乗り、助手席に座る。

 それから静かに車は走り出す。

 

 静かだ。静かすぎるお別れだ。

 なんだかお祭りのような騒がしさが恋しくなる。

 

 外を見ると、先ほどの曇り模様は何処へやら、真っ赤な空へと変貌していた。

 

「……」

 

 俺はCDを取り出し、ディスクトレイに入れた。

 すると、先ほど聞いたばかりの無名の曲が流れ始める。

 荒々しい演奏に、辿々しい歌声だった。

 

「良いな。何の曲だ?」

 

 父がこちらを向かずに聞く。しかし、その横顔はどことなくいつもよりも穏やかだった。

 

「そうだなーー」

 

 だから俺も穏やかに言った。

 宣言するように、誇らしく。

 

「俺の好きな(うた)だよ」

 

 




物語はこれにて終わり。しかし、まだ残っているのだ。約束を果たすその瞬間が。


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大学生編
4月 –––再会––– 1


まだ続いていた。そして深夜投稿ごめんなさい。


 多くの人の話し声が、空気を交う。

 時刻は12:40分。

 遮れるものが何もない太陽は、ここぞとばかりに明るく照り輝いている。

 

 人混みであふれている駅を出て、バス停に向かう。その間、携帯電話が鳴る。

 

「もしもし?」

『京介か。大丈夫か?』

「心配せずとも大丈夫」

 

 明日から大学一年生となる俺に、未だに心配の声をかける父。

 

『…本当に、すまなかったな』

「気にしてない。もうバスが来るし、切る」

『ああ…何か困ったことがあったら、いつでも言ってくれ。今の私にはお前に援助を送る義務があるからな』

「わかったわかった。何か困ったことがあったら、な」

 

 そう言って通話を切った。

 幼少期に俺を、家族を振り回したという罪悪感からか、俺が一人暮らしをすると言った時は呆気なく認め、さらには援助を勧めてくる始末だ。

 やや鬱陶しいとも思うが、あれが父なりの贖罪なのだろう。

 

 停車したバスに乗り、ガタガタと揺れること数十分。

 俺の新しい家は、六畳のアパートだ。父はもっといい物件を紹介してくれたが、いち大学生の身には手に余るので丁重に遠慮しておいた。

 大学からはそこまで離れておらず、電車一本乗り継ぎなしで辿り着ける距離だ。

 

 そしてもう1つ。

 あれ以来、俺は美竹とは会っていない。お互いにメルアドを交換していないというのもあるのだが。

 俺と美竹を繋ぎ止めるものは、あの未完成だった曲のCDだけだ。

 高校で出来た友人に、曲をウォークマンに入れてもらって以来、毎日というわけではないが、よく聞いている。

 

 彼女は、今ここにいるのだろうか。

 それはわからない。もしかしたら、あの時の俺のように家の都合で引っ越しているかもしれない。

 しかし、彼女がここにいてもいなくても、俺はこの街から離れる気はさらさら無いのだ。

 俺はこの街が好きになった。無論、美竹のこともだが。

 

 バスを降りる。ここからは歩きだ。

 

 5年ぶりとなるこの街。しかし不思議なことに、街並みや道は覚えていた。

 

 途中、小腹が空いたため、北沢精肉店に立ち寄ってコロッケ1つを購入。公園のベンチに座り、1人黙々と食べる。

 

「……」

 

 中学2年生の時以来、この街には一度も足を運んでいない。それどころか、あの後も転校を繰り返し、遠くなっていったほどだ。

 

 何度か諦めかけたものの、その度に彼女との約束、そしてCDを聞いて、虎視眈眈と時を待った。

 

 そして大学生になり、それと同時に一人暮らしを始めることにした。

 

「…行ってみるか」

 

 ただ一言、ポツリと呟いて腰を上げた。

 

 その足取りはゆっくりと、懐かしい街を眺めるように歩いた。

 覚えのある道、ここで曲がって、そういえばここから行けば近道になるのか。今使ったら不法進入で逮捕ものだが。

 

 思い出しながら、新しい発見に驚きながらも神社に辿り着いた。

 辺りは依然として、というより相変わらずというべきか、人気は無かった。

 

「変わらないんだな、ここは」

 

 5年前と変わらずに長い階段を見上げて、俺は一段、足をかけた。一段、一段、また一段。

 前までは面倒臭い長い階段と思っていたが、久しぶりに登ると気分が変わったらしく、無意識に走り出していた。

 

 そうして頂上に着いた。

 

「相変わらず、良い運動になるな」

 

 大学生になったら毎朝ここを走ってみよう。良い運動になるかもしれない。

 

 景色を見ようと伸びをして、柵の方へと目を向けると。

 

 そこに、彼女はいた。

 

「……」

 

 美竹蘭。

 綺麗だった黒いショートヘアに、彼女の瞳の色と同じ緋色のメッシュを入れていた。

 顔立ちも大人びており、簡潔に言うと艶が出た。しかし、そんな顔立ちと対照的にも、服装は革ジャンにジーパンというパンクな姿だ、

 身長の方も少し伸びたのか、5年前には似合っていなかったギターケースも様になっている。

 

「……大槻…」

 

 驚いたように、しかし静かに俺の名を呼ぶ。

 

 予想もしていなかった出会いに、俺は頭が真っ白な状態で、なんて言えばいいのかわからない。

 連絡をし忘れた?久しぶりだな?

 だめだ、こういう時に限って良い言葉が思い浮かばない。

 

 しかし、そんな懐かしの再会に戸惑ってる俺を一刀両断するように、彼女は優しく俺に言った。

 

「おかえり」

「ーーー」

 

 昔のぶっきらぼうでクールな彼女からは考えられない、優しさに満ちた笑顔だった。

 

 そんな優しく暖かい抱擁に応えるように、俺は答えた。

 

「ただいま」

 

 俺はこの街に再び来たのではない。帰って来たのだ。ここは俺の、故郷と呼べる場所なのだ。

 それは、いま目の前にいる彼女が、美竹蘭が証明してくれている。

 

 俺は美竹が好きだ。

 彼女の方はどう思っているのか、それはもうわかりきっている事だった。

 彼女は、懐かしむように、そして歓迎するような優しくて暖かい笑顔を浮かべて、俺を見ていた。



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4月 –––再会––– 2

蘭side


 上がり框に腰を下ろし、スニーカーの靴紐を結ぶ。

 結び終えたところで、壁にかけていたギターケースを背負い、その上にリュックサックを重ねて背負う。

 

「行ってきます」

 

 とは言っても、今家には私以外誰もいない。

 誰もいない家を嘲笑し、私は扉をあけて外に出た。

 

 Afterglowの練習は午後からだ。

 というのも、午前中は巴が妹のあこの買い物に付き合っているらしい。つぐとモカはバイト。

 残った私とひまりの2人では練習にはならない、ということで午前中は自主練となった。

 

 部屋では新曲のコード進行とアレンジを部屋で黙々とこなしていた。

 

 明日から大学生だというのに、全く高校生の時の変わらない生活スタイルだ。学年が一つ上がるという実感がイマイチ…というか、かなり湧かない。

 

 それにさらに拍車をかけているのが、Afterglowのメンバーとは全員同じ大学。それに付け加えて、高校生の時に知り合ったPoppin' Partyというバンドのメンバーとも同じ大学になるし。

 

 この変化のない日常というのも、案外悪くはないのだろうけど…にしても変わらなすぎるという文句は言いたい。

 

 すると、ポケットにしまっていた携帯電話のバイブが震える。

 取り出し、確認をする。

 

【モカちゃん、只今スタジオに向かっているであります】

 

 モカらしい掴み所ないメッセージだ。それに「わかった」とだけ送信をし、再びポケットにしまった。

 

 暫く歩いていると、廃棄物として道端に置かれていた鏡に映った。

 黒髪には緋色のメッシュを入れた姿。

 

 ふと、5年前に比べて随分と私は変わったな、と思った。

 5年前…私は、彼…大槻京介と会った。

 何かと私をからかう彼のこと。最初こそは、変な奴と思っていたが、いつの間にやら好きになっていた。

 可笑しな男に好意を持ってしまったものだ。ひまりほどではないが、悪い男に引っかかってしまいそうだ。

 

 しかも、クリスマスに告白をするという。

 今思えば、相当恥ずかしいことをしでかしていた。

 所謂若気の至というやつか。

 

 しかし、あの時の神社での邂逅以来、彼とは会っていないし、話してもいない。

 私と彼を繋ぎ止めるものは、何もなかった。ただ思い出が、私の記憶の中に残っているだけだった。

 けどきっと、それはそれで良かったのだと思う。

 

 彼はあの時言った。「またな」と。

 それはきっと、ここに戻ってくるということなのだろう。彼はこの街を気に入っていた。それは間違いない。

 しかし、彼が帰って来た時、私は暖かく受け入れることができるだろうか。もしかしたら新しく好きな人がいるのかもしれない。そんな時、私は彼に何か言えるのだろうか。

 そう考えると、少し自信が無くなってきた。

 

「……バカらしい」

 

 考えて、鼻で笑って一蹴する。

 そんなこと考えたって仕方がない。

 そもそも本当に帰ってくる確証も無いのだ。遠い未来のことになるのかもしれないし。

 

「…けど」

 

 けどまあ、偶には思い出というのを鮮明に思い出すのも悪くはないかもしれない、と思った。

 

 腕時計を見て時間を確認する。

 まだある程度時間はあるようだ。

 私は来た道を振り返り、小走りで駆け出した。

 目的地は、あの神社だ。

 

 

 相変わらず長い階段を登りきった私は、久しぶりに見る景色に魅入っていた。

 

「私は変わったけど、この街は変わらない、かぁ」

 

 その光景は5年前と変わっていなかった。家の並びも、空も、そこに住む人々も、何も変わっていないのだろう。

 

 そろそろ時間だと思い、一つ深呼吸をして振り向く。 

 

 そこに、彼はいた。

 

「……」

 

 大槻京介。

 顔立ちは5年前に比べて大人っぽくなった。

 身長も少し伸びたのか、私より頭一つ分大きい気がする。

 

 見た目は変わったが、しかし雰囲気は変わっていなかった。

 

 彼は驚いた様子で私を見ている。

 

 それは、私も同じだった。

 今さっきまで考えていたことが、現実となったのだから。

 

 暖かく受け入れることができるか。

 自分の心に問うてみる。

 答えは返ってこない、否、自分で決めろと言っている。

 

 だから私は、その時に思った事を、素直に受け止めて、そして彼にこう言った。

 

「おかえり」

「ーーー」

 

 心底驚いているようだ。

 無理もない。私でも何でそんな言葉が出たのかは覚えていない。

 

 ただ多分、これがきっと、私が思っている暖かい受け入れ方なのだろう。

 

 そしてそんな私に抱きつくように、彼は優しく返した。

 

「ただいま」

 

 私は彼が好きだ。

 彼の方は私のことをどう思っているのか、それはもう明白なのかもしれない。

 彼は優しく、そして5年前と同じ目をして私を見ていた。




これにて物語は終わりです。
色々と書きたいですが、とりあえず今まで読んでくださった方々ありがとうございました。
書きたいことは山ほどありますが、とりあえず活動報告でしようかと思います。これからの私の作品の展開と、「彼女との1年」の続編の有無…。


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5月 –––デート–––

というわけで続編書きました。
凄い数の続編希望のコメントに押されました。



 時刻は11:30分。

 照り輝く日差しが、ビルの窓を強く刺す。

 

 短い黒髪に、灰色のベレー帽を軽く被った少女ーーー美竹蘭は、悠然たる足取りで俺の元まで来た。

 

「おはよ」

「ああ、おはよう」

 

 短く朝の挨拶を交わす。

 

「じゃ、行こうか」

「はいよ」

 

 以前にも交わしたことがある様なこの会話。

 強烈な既視感に襲われながらも、俺は美竹の後ろ姿を追う。

 

 少し都心の方に出たからだろうか、交わる人の数はとても多い。

 その人混みにやや表情を崩しかけるが、仕方がない。美竹と恋人である、という関係上、こういった場面はこれからも多くなるだろう。今の内に慣れなくては。

 そんな俺の内情を察したのか、美竹はベレー帽により目元が見えないながらも配慮の声を上げる。

 

「大丈夫?」

「ああ、心配するな。直に慣れる」

「それって大丈夫って言えるの…?」

 

 現在進行形では大丈夫とは言えないが、未来形では問題は起こらないだろう。

 

「そういえば、こういう事も5年ぶりになるわけなんだ」

「ん…まあ、そうなるな」

 

 5年前のクリスマス以来か。

 俺たち2人はそこまで外に出ることはない。

 どちらかというと、休日は家でのんびりと過ごすタイプだ。

 

「どう、友達はできた?」

「お前の幼馴染たちを含めれば…4人かな」

「……それはすごい」

 

 呆れの眼差しを強く刺されるが、彼女の顔を見ないことでなんとか避ける。

 

 美竹の幼馴染ーーー宇田川巴、上原ひまり、青葉モカ、羽沢つぐみ、の4人だ。

 最初でこそ、俺たちのこの関係に戸惑いを見せた。

 宇田川は警戒するように、上原と羽沢は困惑気味に。

 そうなるのも無理はないだろう。なにせ、5年間も会っていない恋人同士なのだ。普通はまず疑うだろう。

 しかし、その中で青葉は早々に俺たちの関係を弄り始めた。その弄り方は嫌らしくはなく、寧ろ幼馴染たちの俺への凍てついた感情を溶かす様に。

 

 そんなこともあってか、今ではその4人とはそれなりに仲良くしているつもりだ。特に羽沢には、カフェによく立ち寄るため良く話す。

 

「ま、仲良くしてるならそれでいいけど」

 

 口でこそぶっきらぼうに言ってはいるが、内心では安心しているのだろう。なぜなら5年間も黙っていたことなのだ。下手をすれば関係が破綻しかねない状況だったのだ。

 

「それで?今日はどうするんだ?」

「そう、その事なんだけど」

 

 歩きながら彼女は語る。

 それは1週間ほど前のこと。

 幼馴染たちに「お前ら本当に付き合ってるのか?」と聞かれたらしい。

 なぜその疑問に至ったのかというと、会話が殺伐としている、とのこと。羽沢は人それぞれだから気にすることはない、と言ってはくれたらしいが、上原と宇田川は根をあげなかった。

 しつこく聞いてくる2人に、美竹の方もやけになったらしく、なら今度2人で買い物に行ってやる、とその場で言ったとのことだ。

 

 そうして俺の元へ連絡が届き、今はこういう状態というわけだ。

 

「…俺って巻き込まれただけだよな?」

「私たちの関係が疑われている以上、無関係というわけじゃないと思うけど?」

「……なるほど」

 

 確かにそれはそうか。

 彼女の言ってることは間違っていないので、それ以上口は出さない様にした。

 

「で、何処に向かうんだ?」

「決めてない」

「…決めてないのか」

「うん」

 

 誘った側としてそれはどうなのか、と言ってやりたかったが、美竹らしいといえば美竹らしいと思ったので追求しないことにした。

 

「まあでも、時間的に御昼ご飯じゃない?」

「む、そうだな」

「とりあえず適当にファミレスとかでご飯にしよ。それからの予定はそこで決めるとして」

 

 歩きながら話すというのも意外と体力を消費する。

 俺は無言で彼女の提案を飲み、近くのファミレスに入った。

 

 俺はピラフを、美竹はパスタを注文し、テーブルを挟んで対になる形で座る。

 

「で、これからどうするよ?」

「何も予定は考えてないけど…あ、楽器店とか」

「楽器店?」

 

 なんでまた、と思ったが、今の美竹の副業(?)を思い出してなんとなく納得した。

 

「ピックが切れそうだし、いいでしょ?」

「…まあ、いいけど」

 

 美竹はコップに目を移した。水と氷が入ったコップを傾けながら、美竹は静かに聞いた。

 

「5年間、何やってたの?」

「実質的には4年間だな。しかし…」

 

 外で道を歩く人々を眺めながら思考する。

 4年間とはいえ、高校生としての生活を終えている。

 その間、何があったかなどはあまり覚えていない。

 

「…そうだな。……あの時もらったCD、ウォークマンに移した」

「ウォークマンに?」

「高校で機械に強い友人が出来てな。そいつに頼んでやってもらった」

「へー」

 

 興味なさそうだった。

 会話が続かないというのも困るので、ふと思った疑問をぶつけてみることにした。

 

「あの曲、名前はなんて言うんだ?」

「名前…」

 

 そういえばまだ言ってなかったか、と言う様な表情をする。

 氷をカラカラと音を立てさせながら、彼女は静かに言った。

 

「Scarlet Sky」

「スカーレット…」

「緋色の空。意訳だと夕焼け」

 

 緋色…そう聞いて黒髪の中で一つ輝く様に自己主張をしている緋色のメッシュを見た。

なるほど。どうやら美竹は緋色に何か思い入れがあるらしい。

 

「曲としてはほぼ完成しているし、他の曲も何曲かできてるから…今度ライブ来れば?」

「どこでやるんだ」

「ライブハウス」

「そんな所があるのか」

 

 俺は音楽に関する知識が殆どない。先ほど聞いたライブハウスなるものも初耳だ。

 

「…あんた、本当に何も知らないんだ」

「ああ、知らない」

 

 美竹から呆れのため息を吐かれるが、事実なので気にしない。

 

「ま、私がそのうち案内するからいいか」

「その時はよろしく頼む」

「不本意だけどね」

 

 ネットで調べるよりは実物を案内してもらう方がいいだろう。

 

 と、そうしていると注文した料理が届いた。

 パスタを美竹の方へ差し出し、俺はピラフを自分のところへ寄せてスプーンを持つ。いただきます、と小さく言い、俺たちはそれぞれ食事を始めた。

 

 そこからはずっと黙っていた。お互いに食事中は無駄な会話は挟まないタイプらしい。

 

 結果的にその後も何もなく、食事は無事に終わった。

 それぞれ会計を済ませ、店を出た。

 

「さて、楽器店まで案内してくれ。わからないから」

「…そういうの、普通は男の人がする事だと思うんだけど」

「楽器店なんて5年前は案内されなかった。仕方ないだろ」

「…それもそっか」

 

 渋々と認め、彼女は俺の前を歩く。

 

 暫く歩き、目的地の楽器店に辿り着く。

 

「いらっしゃいませー。って美竹さんか」

「どうもハルさん」

 

 長身の美形の男性店員が俺たちを出迎えてくれた。

 

「そちらの人は?もしかして彼氏?」

 

 興味津々に、弄るように聞く。

 しかし、そんな声はなんのその。美竹はすまし顔で返した。

 

「彼氏です」

「お、おお…ふぅ…そうなんだ、それは、なんともまあ…おめでたいことで…」

 

 本人としてはからかったつもりなのだろうが、アッサリと返されることに驚いたらしく、動揺気味に祝杯の声をあげる。

 ハル、と呼ばれた店員は俺に軽く一礼をした。俺も彼に習って一礼をする。

 

「で、今日は何をしに?」

「ピックが切れそうなので、新しく仕入れようかと」

「なるほど」

 

 それだけで、美竹はピックなどが売ってるコーナーへと向かってしまった。

 俺は特別やる事もなく、楽器にも疎いため、適当に音楽雑誌を立ち読みすることにした。

 

 それから何十分が経っただろうか。

 雑誌を読み終えた俺は、店内の何処かにいる美竹を探すことにした。

 そんな彼女は思いの外、早く見つかった。

 

 並べられている品を、しゃがみこんで見定めていた。

 そっと彼女の背後まで近づくが、俺に気づいていない様子だ。

 

「……」

 

 見てみると、それは赤色の逆三角形のピックだった。

 しかし、セットで売られている他とは違い、単品だ。しかも値段はわりとはる。

 

「…おい、美竹」

「……」

 

 呼びかけてみるが、反応は一切ない。

 仕方がないため、彼女の頭に手をポン、と置いた。

 すると彼女は驚いたのか、体を震わせて後ろ向いた。

 

「大槻…いたの」

「結構前からな」

「いきなり頭を触ることはないでしょ」

「呼びかけても気づかないから仕方なくそうしたんだ」

 

 よほど驚いてのだろう、頭を少し触りながらも、先ほど見定めていた赤色の逆三角形のピックを手に取った。

 

「それ、なんなんだ。他と違って単品で売られてるが」

「…そういうものなの」

 

 俺からの疑問の声に素っ気なく答えた彼女は、そのままレジの方へ向かってしまった。

 しかし、彼女の片手には袋に何個か詰められたピックが。

 

「……?」

 

 ますます彼女の行動がわからなくなった。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 その後もショッピングをしたり、休憩でカフェに寄ったりしたが、結果的に買ったのは楽器店でのピックだけだった。

 

「悪い、待たせたな」

「ううん。じゃ、帰ろっか」

 

 トイレを済ませた俺は美竹と一緒に駅に向かい、そのまま帰りの電車に乗った。

 

 帰り道。

 夕焼け色に染まった空の下、俺と美竹は並んで歩いていた。

 

「しかし、変わらないな、この街は」

「本当に。しかもあんたが帰ってきてから尚更そう感じるようになった」

「そりゃどうも」

 

 美竹から皮肉を言われる。

 

「まあ、今日は楽しかったよ」

「ほとんど私の趣味に付き合ってもらっただけなのに?」

「そうだな、付き合わされただけだったが…お前の新しい面が見れた、ということに関して言えば楽しかった」

「それ、褒めてるの?」

「お前の受け取り方に任せる」

 

 2人でこうした濃密な時間を共に過ごしたのは5年ぶりだ。

 長い期間、俺たちは一緒に入れなかった。

 だからこそ、新しい面が見れたのだと思う。

 

「あのピック選びの時。俺の声が聞こえないぐらい集中して選んでたよな」

「ああ、うん。気づかなくてゴメン」

「それはいい。気にしてないし」

 

 心のこもっていない謝罪をスルーした。

 

「それほど、お前は音楽にのめり込んでいるんだってわかったんだ」

「……」

「そんな面を知れて、俺はなんか嬉しかったよ」

「…そりゃ、よかったね」

 

 そっぽを向いて言う。

 しかし、そう素っ気なく返しても、耳は赤かった。

 

「そう…そうだ。これ」

 

 そんな自分を隠すかのように、彼女はポケットからあるものを取り出した。

 それは、お守りだった。

 

「お守り?」

「ピック入りの」

「ピック?なんでまた」

 

 触ってみると、確かに逆三角形の型であるとわかった。

 

「そう言うお守りが実際にあるらしいから、作ってみた」

「作ってみたって…」

「帰郷記念のプレゼントとでも思って受け取って」

 

 しかし、よく見てみると、縫い目が粗かったりしていた。

 これは、手作りか。

 そう思うと、何も言えなくなる。

 

「……ありがとよ」

 

 俺は短く、そう言った。

 

「大切に使ってよね。その中のピック、めちゃくちゃ高いから」

「高い…ん?」

 

 彼女の発言に少し引っかかるところがあった。

 高いピック?

 

「…なあ、この中のピックの色って何色なんだ?」

「赤」

「買ったのは?」

「今日。あんたがトイレ行ってる間に、ピックだけ入れたの」

 

 あの単品の高いピックだ。

 ああ、なるほど。そういうことか。

 

「まあ、これは安全祈願とかそれぐらいしか効果ないと思うから、願いすぎには注意してよね」

「ああ…そうだな」

 

 涙が出そうになった。

 けど、ここで流したらダメだ。

 

 涙を隠すように、俺は彼女の頭を撫でることにした。

 

「……っ…何…?」

「いや、なんでも」

 

 不服そうに抗議はするが、満更でもなさそうだ。

 そんな彼女が愛おしくなったから、それから暫く撫で続けた。

 

 この時を永遠に味わっていたい。

 俺は、彼女の元から離れるわけにはいかない。

 

 そう心に決意をし、俺たちは家に帰った。




当然撫でられても怒ったりしない。蘭ちゃんも大槻くんとの再会に喜んでいるんです。かわいい。


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6月 –––縮む距離–––

今回はちょっとしたラブコメ。
息抜き程度にどうぞ。


 それは、とある少女の一言から始まった。

 

「なあ、お前たちって本当に付き合ってるのか?」

「……」

「……」

 

 大学に設置されているカフェテラス。

 宇田川はテーブルに肘をつき、呆れたような顔で俺と美竹に聞いた。

 

「付き合ってる、けど」

「ああ、一応」

 

 それに俺たちは短く真実を述べた。

 

「そうか…いや、そうだよな。けどさ、何でお前たち苗字呼びなんだよ」

「……」

「……」

 

 再びの沈黙。

 俺は美竹と顔を見合わせる。

 

「そういえば」

「そういえば」

 

 ポン、と出てきた言葉を同時に言う。

 そんな俺と美竹のシンクロを見た宇田川は、大きいため息を吐いた。

 

「何で呼ばないんだよ…あれか、彼氏がいない私たちへの当てつけか何かか?」

「巴はどちらかといえば彼氏の方じゃない?」

「あー、確かにな」

「おい」

 

 宇田川から怒気のこもった睨みをきかされたので、軽口が出そうな口を封じる。

 

「なら呼んでみなよ、見てるこっちがもどかしいし」

 

 紅茶とドーナツを乗せたトレイを上原が持ってきた。

 

「そうだぞ。名前で呼ばないと、なかなか進展しないものだぞ」

「……まあ、巴たちがそう言うのなら」

 

 すると美竹は改まったように俺の方に身体を向けた。

 

「大槻…じゃなかった……えっと…あー…」

「……おい、嘘だろ」

 

 宇田川が信じられないと言った声を出す。

 そんな彼女を置いて、美竹はずっと考えている。

 そしてそれが終わったのか、清々しい顔をして俺に言った。

 

「大槻、あんたの名前って何?」

「……マジか」

「蘭…お前って奴は……」

「嘘でしょ、蘭……」

 

 上から順に俺、宇田川、上原、と美竹に何言ってんだこいつ、という訴えの声をあげる。

 

 その目線に、美竹は少し顔を赤くして抗議をした。

 

「し、仕方ないでしょ。呼ぶ機会なかったんだから…」

「機会がないも何も、お前たち中学から付き合ってるんだろ?しかも元クラスメート」

「うっ……」

 

 宇田川から正論という名の論破をされ、美竹は何も反論できない、という反応をする。

 

「……呆れた。とりあえず、名前呼びの練習でもしてみろ。見てるこっちが恥ずかしいし」

「そうだよ、蘭。というか相手に失礼」

 

 グサリグサリ、と弓矢が美竹の身体に突き刺さる幻覚が見える。

 

「………はい、わかりました」

 

 なんと、あの美竹が幼馴染2人を前にしてしおらしくなってしまった。

 まあ、名前を覚えていないというのは事実失礼ではあるが。

 

「じゃ、私は教授に呼ばれてるから」

「私もバイト行ってくるー」

 

 それだけを言い残し、2人は風のように去って行った。

取り残された俺と美竹。

 下に俯き、廃人のようになってしまっている美竹のことが見ていられなかったので、一言だけ言った。

 

「……俺は気にしてないからな」

「……ごめん」

 

 申し訳なさそうに美竹は言った。

 気にするな、とは言ったが、彼女の性格上、それは無理な話なのだろう。 

 

「とりあえず、移動しよう」

「お、おお」

 

 彼女からの突然の提案に少し驚きながらも、俺は美竹の背中を追った。

 

 梅雨真っ盛りの6月にしては、よく晴れた日だと思う。生徒も、みんな外で談笑をしている。

 そして辿り着いたのは、裏庭のような所だった。

 人気が少なく、あまり陽も差さない。どことなく、5年前のあの屋上に似ている気がした。

 

「ここで練習しよう」

「移動する意味はあったのか?」

「大勢の前で自分の名前を連呼されるあんたの気持ちを察したの」

「……それはありがとよ」

 

 その気遣い、果たして本当にいるのかどうかは俺にはわからない。

 

「で、あんたの名前って何?」

「とても彼女から出される言葉とは思えんな…京介。大槻京介だ」

「そういえばそんな感じだったかも」

 

 いちいちムカつく小言だが、一つ一つ突っ込んでいたらキリがない。

 

「じゃ、呼ぶよ」

「ああ」

「……」

「……」

 

 しばらくの沈黙。

 そして彼女は、照れ臭そうに顔を赤くして俺の名を初めて呼んだ。

 

「……京介…?」

 

 なんというか、あれだ。改まってこう呼ばれると、恥ずかしい。

 先ほどの美竹の気遣いは、どうやら無駄にはならなそうだ。

 

「なんか言ってよ」

「いや、まあ…新鮮だと思ってよ」

「……それだけ?」

「それだけ」

 

 事実、それ以外の感想が思い浮かばないのだ。

 

「じゃあ、次はおお…っ…京介が、呼んでよ」

「…下の名前で?」

「そう」

 

 悔しそうで、試すような目で俺に言う。

 俺は彼女とは違って、しっかりとフルネームを覚えている。そんな無礼な人間ではない。

 

「蘭」

「……」

「どうした、何も言わないのか?」

 

 わからないが、多分今、俺はすごくニヤニヤした顔をしているのだろう。

 美竹…いや、蘭は悔しそうに歯軋りをする。

 

「なんか、恥ずかしかったりしないの?」

「いや?俺はお前ほどウブじゃないからな」

「……」

 

 挑発するように言うと、彼女は耳を赤くして睨んできた。

 などと雑談をしていると、ローテンションな声が俺たちを呼んだ。

 

「あれ〜、蘭ときょーくんじゃーん」

「…モカ」

 

 青葉モカ。

 手にはノートやプリントが入ったクリアファイルがある。おそらく講義終わりなのだろう。

 

「なになに、イチャイチャしてるの〜?」

「そんなんじゃない」

「そうなのか?」

「そうなの〜?」

「そうなの!」

 

 蘭が顔を赤くして声をあげる。

 青葉とは蘭を弄るという利害の一致もあってか、結構息が合う。

 

「まったく、モカも大槻も…」

「京介、じゃないのか?蘭」

「お〜?きょーくんだいたーん」

「…京介、も」

「ら〜ん、顔真っ赤だよ〜?」

「うるさい!」

 

 この短いやり取りで青葉は何かを察したらしく、ニヤニヤして蘭を弄る。

 

「なになに〜?蘭ときょーくん、やっと名前呼びになったの〜?」

「ああ、やっとな」

「……まあ、うん」

 

 蘭は照れ臭そうに肯定する。

 

「なあ聞いてくれよ青葉、蘭のやつ、俺の名前忘れてたらしいぜ」

「え〜、マジ〜?さすがにそれはないよ蘭〜」

「マジないよな〜」

「ね〜」

「それはごめんってば。っていうかお…京介は気にしてないって言ってたじゃん」

 

 よく会話を覚えていることで。

 

「改めて思い出すと、酷い話だな、と思って」

「事実、酷い話である」

「…本当にごめんって」

 

 本気で反省の声に入ったので、ここいらで引き上げることにする。

 蘭はかなり追求されたためか、割と落ち込んでいる。

 

「じゃーモカちゃんはこれにてドロンさせてもらいます〜」

「どこか行くの?」

「お昼ご飯〜。まだ食べてないんだよね〜」

 

 そう言ってるそばから青葉の腹の虫が鳴った。

 ほらね、と言わんばかりに俺たちを見返す。

 

「というわけで、モカちゃんはこれから好きな人と食べに行ってくるのです」

「えっ…モカ、彼氏とかできたの?」

 

 驚いた蘭は早口気味に聞く。困惑と驚愕が混じったような顔をしていた。

 

「んーん、沙綾だよ」

「…あっそう」

 

 しかし、そんな表情も青葉の一言でボロボロに崩れ去ったが。

 

「じゃーねー。末長くお幸せに〜」

「またな」

「……」

 

 小走りに去って行く青葉を、蘭は黙って手を振って見送った。

 困惑と驚愕から、今は疲労の顔となっている。

 

「大丈夫か?」

「誰のせいでこんな疲れたと思ってるの…」

 

 どうやら原因は俺と青葉にあるらしい。

 

「まあでも」

 

 蘭は表情を改め、青い空見上げる。

 

「京介とまた距離が縮まったと思えば、この疲れも大したことないかも」

「だな」

 

 俺も同じ気持ちだったので同意した。

 蘭と同じく、空を見上げる。

 

 6月にしてはよく晴れた青い空。

 その清々しさは、今の俺たち2人の心を表したようだった。




名前呼びですら苦労する蘭ちゃんマジ奥手。


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7月 –––七夕–––

そういえば七夕の話をやっていなかったな、と思った。


 閉まりの悪い襖を開けて、中から不要となる箱を取り出す。

 定期的に行っている掃除も、たまには徹底してやらないと見えないところに埃がたまる。

 

 1つ2つ、桜が描かれていたり、立派な富士山が描かれた箱を取り出し、蓋を開ける。

 中身は、過去に親戚の誰かからもらったのだろう、扇や髪飾り。

 手に取ってみてわかるが、どれも埃が溜まっている上に、老朽化が進んでいる。今から使い始めたとしても、そう長くは保たないだろう。

 そう判断した私は、自分にだけ見える「要る物と要らない物のライン」に沿って分別する。今の所は要らない物の方が圧倒的に多い。

 

 すると、奥から一際大きく、立派な虎の絵が描かれた箱を取り出した。

 なんだろう、そう思って開けてみると、中身は着物だった。紺の地の上に、紅色の椿がある。

 

「綺麗…」

 

 それなりに多くの着物を目にして着てきた私でも、その着物の繊細さと麗しさは一目見ただけでよくわかった。

 

 指でなぞってみると、不意に思い出した。

 そうだ。これは父から昔、大人になったら着なさい、と貰ったものだ。当時まだ幼かった私には、その着物を着る自分の姿が思い浮かべれなかったのだろう。今の今まで、ほとんどそんなことは忘れていた。

 

「そんなことも、あったっけ」

 

 当時の記憶の映像を鮮明に、懐かしく思い出す。

 

 少しだけ広げてみる。

 サイズ的には悪くない。今の私でもギリギリ着れるだろう。

 

 せっかくこんなに綺麗な着物なのだ。着てやらないと、この着物も涙を流すだろう。

 

 着ていた洋服を脱ぎ、慣れた手つきで着物を着付ける。

 鏡の前に立ち、クルリと回ってみたり、ポーズをとってみたりする。

 うん、悪くはない。

 

 しかし、着てみたはいいものの、この着物が陽の目を見ることは今後あるのだろうか。

 

「……なさそう、かな」

 

 すると、机に置いておいた携帯電話が振動する。

 少しビックリして、手に取ると、液晶画面に映し出されたのは、モカから送られた一言。

 

【七夕祭りどうする〜?】

 

 どうやら宝の持ち腐れにはならなそうだ。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 この街で七夕祭りなるものがあるとは知らなかった。

 何でも、俺がいた年は大雨により中止になってしまったらしい。

 七夕といえば7月7日。あと1つでギャンブルで言うところのラッキーセブンなので、俺が個人的に世界一惜しい日と呼んでいる。

 

 嘘だ。

 

 何はともあれ、俺は青葉から誘われた。

 七夕祭りに行かないか、と。

 別に七夕に対して何も特別な感情は抱いてはいないが、素直に面白そうと思ったので、参加することにした。

 

 青葉から指定された集合場所は祭りの開催場所にある大きな木、とのこと。

 抽象的すぎないか、とも思ったが心当たりはそれなりにあったため、言葉通りの場所で待つことにした。

 

 七夕祭りは、8月にある夏祭りに比べて参加人数が少ないのではないか、とも思ったが案外そうでもないらしい。それどころか、見たことのあるロゴマークが貼られたカメラや車があるのを見る限り、全国的にも知名度の高い祭りなのだろう。

 人混みを観察していると、ようやく現れた。

 その人物は、予想していたのと違ったが。

 

「…京介?」

「蘭?」

 

 現れたのは蘭だった。

 紺色の生地をベースにした、紅色の椿が彩られた麗々しい着物を着つけている。

 黒髪にいつもの緋色のメッシュを入っておらず、黒一色となっている。しかし髪型は違く、名前がよくわからないが、緋色に雨粒を思わせる金色の小さな円が描かれていた。

 顔にも化粧を施しているらしく、いつもの蘭よりも大人っぽく、艶やかだった。

 

「モカたちは?」

「知らん。まだ着てはないが…」

 

 と、お互いの携帯電話が同時に鳴った。

 取り出して見ると、呼び出し人は宇田川だった。

 

「もしもし」

「もしもし」

 

 2人同時に電話に出る。

 

『お〜?同時だね〜。仲がよろしいことで〜』

「モカ、今どこにいるの?」

『この状況になっても気づかないのか?察しが悪いな蘭は』

「どういうことだ、宇田川。というかどうやって話してるんだよ」

 

 色々とギミックが気になるが、多分2つの携帯を同時に、スピーカーにして話しているのだろう。だとしたら器用な奴らだ。

 

『私たちは、その〜4人で適当に遊んでるからさ。こっちのことは気にしないでね!』

「いや、気にするけど」

『蘭ちゃん!えっと…そのぉ…フ、ファイトだよ!』

『大槻、男見せろ!』

「うっせ」

 

 それぞれから謎の鼓舞をもらう。

 

『じゃ、切るね〜』

「ちょっ、モカ、待っ…」

『あれ〜?繋がりが悪いな〜?あーあー、聞こえませーん。ポツリ』

「もしもし?モカ?」

 

 まるで映画のような事をやっていたが、やるならせめてもう少し似せろよ、と言う暇もなく切られた。

 

「だめだ…繋がらない」

「何がしたかったんだ、あいつらは…」

 

 こちらの言う事を何も聞かず、まるで台風のように電話を切られたものだから、今の状況を理解するのに時間がかかった。

 

 つまりあいつらは、俺たち2人で祭りを楽しめ、ということなのだろうか。

 どうやら蘭も同じ考えに至ったらしく、俺と顔を見合わせる。

 

「え…どうするの?」

「どうするって言われてもな…」

 

 せっかくここまで来たのだ。ましてや、こんな豪勢な着付けをして来た蘭も、何もせずには帰りたくはないだろう。

 

「…まあ、行くか。腹も減ったし」

「…そう…だね」

 

 重い足を動かして、俺の蘭は屋台が出ている会場まで向かった。

 

 やはり人は多く、この街の人以外にも他の街、もしくは県、はたまた外国人すらもいる。

 

「意外とグローバルなんだな、この祭り」

「昔からやってはいたけど、ここまで人が来るようになったのは最近からだね」

 

 おそらくインターネットか何かを介して宣伝をしたのだろう。

 でないと数年でこんなに人が集まるわけがない。

 

 適当に選んだ屋台に立ち寄る。

 たこ焼きを買ったり、焼きそばを買ったり。

 ちなみに蘭は着物が汚れないようにと、俺のたこ焼きを1つ2つ食べる程度にとどめていた。

 

 そして少し移動すると、老若男女が並んだテーブルを囲んでいた。

 

「なんだ」

「短冊でしょ。私たちも書くよ」

 

 蘭の後をついていく。

 辺りを見回すと、大きな竹の笹が立てかけられていた。

 ペン差しからペンを取り、配られた青色の短冊に筆を進める。

 

 とは言っても。

 俺には大層な願いは特にない。

 日々を思い出し、何を願おうか考える。

 

 ふと、蘭の横顔を覗く。

 彼女とは色々あった。1度離れ離れにもなった。また再会した。

 まるで漫画のようだ、と笑ってしまいそうだ。

 そう笑い飛ばせる思い出だからこそ、俺はある願いを書くことにした。

 

 それは多分、世界で1番シンプルで、当たり障りのない願いだ。

 

 –––––––美竹蘭の隣に、いつまでもいれますように。

 

 書き終えた俺たちは、その場を後にした。

 

 すると、アナウンスが会場内で響き渡った。

 

『皆様にお知らせいたします。20時30分より、打ち上げ花火を実施いたします』

 

 その声を聞いた途端、周りの人々がどっと湧いた。

 

「花火なんてあるのか」

「最近始められたの。一昨年あたりに始めて、好評だったから今日まで続けてるみたい」

 

 口ぶりは冷静だが、蘭の顔は僅かに子供のような嬉々とした目をしていた。

 

「…まあ、食うものも食ったし。見に行くか、花火」

「え…いいの…?」

 

 意外そうな顔を俺に向けた。

 

「いいのも何も、俺がお前を止める権利は無いし」

「…そっか…ありがとう」

 

 蘭からの静かな礼を受け取り、俺たちは動き始めた。

 しかし、見晴らしのいい場所は殆ど取られていた。流石にこの人の多さでは、場所取りでもしていない限りは無理か。

 

「何かいい場所はないか?」

「いい場所は殆ど回ったから…」

 

 2人してこの街の見晴らしのいい場所を思考する。

 すると、蘭は何かを思い出したかのように「あ」と、声を上げた。

 

「神社」

「あー…」

 

 蘭からの提案は、俺たちとは馴染み深い神社だった。

 

「いや、でもあそここそ人はいるだろう。良くも悪くも、知名度はあるんだから」

「知名度はあるけど、好き好んで近づく人はいないかな」

「なんで?」

 

 俺の問いに、蘭はあっけらかんとした口ぶりで言う。

 

「悪噂が一人歩きして、遂には死人が出た」

「死人が?曰く付きスポットになったのかよ、あそこ」

「死人は出てない。噂が一人歩きした結果、デマが回ってるだけ」

「ああ、そういう」

 

 死人が出たことが本当だったら、俺と蘭は曰く付きスポットで再会を果たしたということになる。物々しすぎる。

 

「だから、あそこなら人はいたとしても少ないと思う」

「…まあ、少し離れてはいるが、他に無さそうだしな」

 

 彼女の提案を飲むことにした。

 そろそろ行かないと、花火が始まってしまう。

 

 小走りで神社まで向かう。

 神社に近づけば近づくほど、人気が少なくなってきた。噂の効果は絶大ということか。

 

 夜にここに来るのは、5年前の夏祭り以来だが、新しく街灯が建てられていた。もっとも、人がいないから逆に不気味さを覚えるが。

 

 長い階段を上りながら言う。

 

「しかし、夜にこの神社の階段を登るのは初めてだな」

「危ないからって理由で幾らか灯がともされてるけど…それが噂を助長させているって神主さんはわかってるのかな」

「まあ、俺たちみたいな物好きもいるし、ありがたいと言えばありがたい」

「…だね」

 

 そうやって話しているうちに、たどり着いた。

 意外なことに、人は誰もいなかった。

 

「意外だな、誰もいない」

「噂は強い、ってことかな」

「かもな」

 

 蘭の呟きに同意する。

 落下防止用の柵に掴まり、少し前のめりになって景色を見下ろす。

 そこには、暗闇の中で輝く街灯、家の灯、ビルの灯、そして会場の灯が。

 とても、幻想的だった。

 

「すごいな…」

「綺麗…」

 

 俺と蘭も、この幻想的な光景に惹かれていた。

 すると、笛の音が鳴り響き、赤色の閃光が夜空を切り上げた。

そして数秒。

 まるで花が咲くように、大きな音をたてて花火が打ち上がった。

 

「おお…すげぇ」

「うん…本当に…」

 

 俺と蘭の視線は絶え間なく打ち上がる花火に釘付けにされていた。

 

 まるで別世界にいるようだった。

 それはここに俺たち2人しかいないという静寂さと、幻想的な光景から現れた錯覚だった。

 

 それ故だろうか。

 お互いに、ある種のムードを感じていたのかもしれない。

 

 視線を動かし、蘭を見る。しかし、蘭も俺の事を見ていた。

 化粧と、この着物もあるのだろう。とても艶やかで、色っぽかった。

 

「……」

「……」

 

 何も言葉を発さず、ただ時間が過ぎ、そして花火の轟音が鳴り響く。

 花火の玉の補充からか、暫しの完璧な沈黙が流れた。

 

 それが、きっと背中を押したのだろう。

 何かに引っ張られるかのように顔を近づけ、そして静かに、ゆっくりと口づけを交わした。

 その瞬間、花火が再び打ち上がり、そして轟音が鳴り響いた。

 

 赤色の閃光が儚く消えたのと同時に、俺たちは顔を離した。

 

 蘭は顔どころか手まで赤かった。

 多分、俺の顔も真っ赤だ。

 

 初めての口付けに、少しの恥じらいと喜びを感じる。

 少し間を置いたが、再び鳴る轟音に、俺たちはまた押された。

 

 2度目の口づけは、少しだけ慣れた気がした。




イチャイチャしやがって。私が悲しくなる。


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8月 –––旅行–––

今回はR-17的描写があります。そういうのNOって方は回れ右をしてください。


 電車に揺れること数十分。

 外はもう暗く、隣では吊革を掴み、立ちながら寝ているサラリーマンが1人。

 

 財布の中に入れておいたカードをとる。

 

 【運転免許証】

 

 自分の顔が貼られている。

 そのカードを見て、俺は本日2度目となるガッツポーズを静かにとった。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 飛び交う男女の声。

 久し振りに5人集まった私たちは、学内にある食堂に集まって昼食を食べていた。

 私はサンドイッチを注文し、今トレイに乗せて持って来たところだ。

 

「おまたせ」

「遅いよ蘭〜」

「ごめんごめん。じゃいただきます」

 

 そう言って食事を始めた。

 私たちは同じ大学に入ってはいるが、学科まで同じというわけではない。こういう集まった時に話す内容は、決まってそれぞれの講義の様子などだ。

 

「そういえば、大槻はどうしたんだ?」

「うん、今日1日見てないんだけど…」

 

 巴の声に、つぐみも同意する。

 そういえばつぐみは彼とは同じ学科だったか。

 

「車の免許取りに行ってる」

「今?」

「単位は間に合ってるみたいだし、本人は心配するなって」

「フラグ立った〜」

 

 モカから縁起でもないことを言われている。

 

「まあ、大丈夫でしょ。その辺よくわかんないけど器用だし」

「器用で取れるもんなのか、免許って…」

 

 多分、平然とした顔でメールでも送ってくるだろう。

 

「…ん。ねぇ、蘭」

「なに、ひまり」

「髪ちょっと伸びたんじゃない?」

 

 ひまりからの指摘に、初めてそのことに気づく。

 確かに、少し髪が伸びてきたかもしれない。少し髪を触る。

 

「そうかな。…まあ、これからさらに暑くなるし、早いうちに切ろう」

「…あ、そういえば」

 

 巴が何かを思い出したかのように言う。

 

「来週の3連休、どうする?」

「あー、そういえばそうかぁ」

「私は特に予定はないかな

「モカちゃんも予定は未定さー」

 

 どうやら4人とも予定はないらしい。

 私はどうだろう、と考えたところで、ふと京介の顔がよぎる。

 

「蘭はどうするー?」

「おいひまり、蘭は大槻と何処かに行くんだろうよ」

「ああ、そうだったね!」

「まだ何も言ってないけど」

 

 早とちりする世話焼きコンビを置いといて、予定を考える。

 まだ彼からの連絡はない。ここは巴からの誘いは一旦保留ということにしておこう。

 

「わからない。もしかしたら行くかもだし、行かないかもだし」

「わからない、ってことか」

「そういうこと」

 

 その後もサンドイッチを頬張り、昼食を終えた。

 少し雑談をし、解散をした私たちは、それぞれの予定に沿った行動をとった。

 最も、私の場合は午後は講義も何もないため、このまま家に帰るのだが。

 

 帰ったらギターの練習と作曲をしよう。

 そう思いながらコンクリートの道を歩いていると、携帯電話が電子音をたてた。

 

 誰からだろう。そう思って携帯電話を取り出すと、京介からだった。

 

 【今度の三連休、予定あるか?】

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「…ここが、京介の家」

「なんてことのないアパートだがな」

 

 玄関前に立って扉を眺めている蘭。

 

「行くぞ」

「あ、うん」

 

 家を眺められるのも何だか変な感じなので、早々に蘭を連れて行く。

 

「車の免許っていうけど、車はあるの?」

 

 蘭が聞く。

 そう、車の免許を無事に取れた俺は、蘭と一緒に海に旅行をしようと誘った。「行かないか?」と。

 最初は断られるんじゃないかと思ったが、まさかの即決だった。

 

「ああ、あるよ。アレだ」

「アレ…」

 

 俺が駐車場に指を指すと、そこには白色のジムニーが。

 

「どうしたの、あの車」

「お袋の。全く乗らなくて豚に真珠状態だったからな。交渉してみたら何も言わずにくれたよ」

「へー」

 

 蘭と一緒に旅行に行く、と言ったら嬉々とした表情で俺にくれた。

 

 目を輝かせてじっくりと見始める。

 

「じゃ、行くぞ」

「うん」

 

 エンジンをふかし、頭の中で教習中に教官から言われたことなどを思い出す。

物に当たらないように、速度を出しすぎず…。

 

「…頼むから、事故だけは勘弁してよ」

「わかってる…1発だし、きっと大丈夫だ」

「1発ってことだけでなんでそんな自信がつくのかわかんないけど…ま、信用だけはしてみるよ」

 

 蘭の心配はわかる。が、俺も馬鹿ではない。1人ひとりの命が乗っているのだ。いつも以上に慎重に運転しなくては。

 

 くしゅんっ、と可愛らしく蘭はくしゃみをした。

 

「ティッシュどこ?」

「そこに…はないか。グローブにないか?」

「グローブって…これか」

 

 助手席の正面にあるグローブボックスを開ける。

 中にはCDや紙など、色んなものが入っている。

 

「どうだ?」

「あったあった。ありがと」

 

 ちり紙で鼻を押さえて、少し声が詰まっているが。

 そしてグローブにティッシュを戻そうとすると、何かを見つけたらしい。えっ、と声を漏らした。

 母から受け取って数日も経ってない。見てくれ以外、特に何もいじってないのだ。探そうと思えば珍しい物の1つや2つあるだろう。

 

「何かあったのか」

「いや、何かというか…」

 

 よほど珍しいものでも見つけたのだろう。彼女にしては珍しく、言い淀んでいる。

 

「お宝でも見つけたのか?」

「……これ」

 

 信号が赤になったので停車し、蘭が取り出した物を見る。

 それが目に入った瞬間、俺は言葉を失った。

 淫靡的なカラーリングをした蝶が描かれた、小さな箱。

 ああ、間違いない。

 俗に言う避妊具。別名″コンドーム″だ。

 

「……お袋…」

「……」

 

 完全に気まずい空気になる。

 蘭はそれを元にあったところに静かに戻した。

 

 その空気に耐えられんと言わんばかりに、蘭は震えた声で俺に聞いた。

 

「…で、海って言ってもどこに行くの?」

「ん?ああ、それはな」

 

 俺が目的地を言うと、蘭はマジで?と顔をした。

 心を落ち着かせようとラジオをつける蘭を横目に、俺は運転に集中した。

 

 

 暫くたち、ようやく目的地へ近づいてきた。

 

「へー、勝浦…初めて来た」

「良いところだぞ。海が綺麗で街も静かだ」

 

 そう、俺たちが来たのは、千葉県の勝浦市。海に面している千葉県の中でも指折りの知名度を誇る市だ。

 

「意外と人はいる」

「夏休みだからな。ここら辺の南房総周辺は、夏になると観光客がよく来る」

「…よく知ってるね」

「まあな。伊達に元住人じゃないよ」

 

 俺は昔…8歳ぐらいの時だったか。勝浦に住んでいた。

 今回、蘭を旅行に誘ったのは、日頃の感謝を込めてだ。もてなすなら、やはりそれなりに土地勘がなければ。

 

「海もいいが山もあってだな…」

「ふーん、よっぽど気に入ってるんだ」

 

 と、勝浦について話していると、蘭はやや不機嫌そうな顔で俺に言う。

 

「…安心しろ。1番好きなのはあの街だ。ただ、ここもここで良いところだ」

「…そう。ならいいけど」

 

 顔を背けて景色を見る。

 以外と子供っぽいな、と思いながらハンドルをきる。

 

 専用の駐車場に車を停め、砂浜に足をつける。

 

「じゃ、着替えてくる」

「行ってらっしゃい」

 

 蘭は袋を持って更衣室に向かって行った。

 俺はその間にパラソルを立てたりシートを敷いたりした。

 

 しかし。

 海には久しぶりに来た。ここの所、引越し先は内陸ばかりだったので、海に行く機会というのはほとんどなかった。

 

 涼しい潮風が気持ちいい。

 激しく照りつける太陽さえなければ、いい睡眠が取れるだろう。

 

 シートに上に仰向けになる形で倒れこむ。

 

「……眠いな」

 

 寝てしまおうか。

 そう思った矢先、腹の上に何かが落とされた。それにより一瞬で眠気が覚める。

 

「何寝ようとしてるの」

「潮風が気持ちよくてつい、な」

 

 蘭は、黒色を基調とした水着の上にパーカーを着ている。

 

「けど、海には久しぶりに来た」

「その久しぶりの海への感想は?」

「…ま、最高かな」

 

 静かに最大の賛辞を送った。

 

「さて、じゃあ泳ぎに行ってくるか」

「あんた泳げるの?」

「ん?まあ、泳げるが」

「…ならやりたい事があるんだけど」

 

 極めてクールに、いつも通りに言ってるつもりだったのだろうか。

 しかし、俺からすれば、おもちゃを買うのを強請る子供にしか見えなかった。

 

 少しだけ沖にまで出る。

 充分に膨らませた浮き輪に、蘭はくつろぐように身を任せていた。

 俺は馬という名の操縦係だ。

 

「あー…これやってみたかったんだよね」

「…そうかい」

 

 気分が良いのか、いつもより少々だらしがない声を上げる。

 

 あまり沖に出過ぎないように、周りの風景などに目を向けながら動かす。

 

 すると、ポチャンッ、と音を立てて水中から魚が飛び跳ねた。見事に蘭の腹の上に着地する。

 

「うわっ、なにっ」

「…ん」

 

 暴れる魚をなんとか抑えつけて、少しだけ観察する。そして海水の中へとリリースをした。

 

「あれ、なに」

「鰡だな」

「ボラ?」

 

 どうやら聞きなれない名前だったらしい。鸚鵡返しで俺に聞く。

 

「食う所はあんまり多くないんだが…唐墨が美味い」

「…食べるの、あれ」

「正しくは加工か?」

 

 などと言い合いながらその後も遊泳を楽しんだ。

 昼ごはんを海の家で済ませ、昼も少しだけ遊んだ。別に蘭が不良にナンパされて俺が助けるとか、そういう都合の良いイベントはなかったが、とても楽しかった。

 それは多分、蘭も同じ気持ちだったのだと思う。

 

 その日、彼女はずっと笑顔でいた。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 その後、ホテルに向かうまでの間に日が暮れてしまったため、夜ご飯はラーメンにすることにした。

 俺はこの地にいた時、よく食べていたものを注文した。

 

「…これが、あの勝浦坦々麺」

「おお、相変わらずエゲツないぐらい赤いな」

 

 出されたのは、どんぶりいっぱいに入った赤色のスープと、それに沈む面やその他具材。

 これぞ勝浦を代表する料理″勝浦坦々麺″だ。

 ちなみに蘭の方は普通の醤油ラーメンを頼んでいる。

 

「いただきまーす」

「いただきま…えっ、普通に食べれるの、それ」

 

 俺は別段辛いものが得意というわけでもないのだが、この勝浦坦々麺に関してはその価値観は通用しない。

 とにかく美味しいのだ。辛さの向こう側にある旨味が最高に美味しいのだ。

 

「……」

 

 すると、蘭が勝タンのスープをまじまじと見ていた。

 

「…飲むだけ飲むか?」

「……少しだけ」

 

 蓮華に少しだけスープを入れ、口に運び入れた瞬間。

 蘭は今までにない以上に顔を赤く、表情を崩壊させた。

 

「からっ!」

「そりゃあな」

 

 コップに水を注ぎ、悶絶している蘭に渡す。

 

「…!?なんだろう、あの辛さの中にあの美味しさ…」

「お、イケるのか」

 

 続けてさらに俺のスープを掬い、口に運ぶ。その度に辛いと言っては水を飲み、また掬い…その繰り返しが数分続いた。

 

「美味しい…勝浦坦々麺、アリかも」

「良かったな」

 

 俺のお気に入りの食べ物は、どうやら彼女のお気に召したらしい。

 

 その後、予約していたホテルに着き、受付でチェックをしていると、とある問題が起こった。

 

「え…2部屋ないんですか?」

「はい…申し訳ございません」

 

 ペコペコと頭を下げる職員。

 

「どうかしたの」

 

 手続きに長引いたのが気になったのだろうか、蘭が顔を見せてくる。

 

「ああ、どうやら俺が予約していた部屋が何かの手違いで埋まったらしくてな…」

「それは、また大変な」

「ああ、大変だ。ホテル側も俺らも」

 

 暫くすると、最高責任者の女性が顔を出し、空いているVIPルームを使っていいと言われた。こちら側のミスだということで、値段は当初予約していた時と同じになった。

 

 …のだが。

 

「それもひと部屋しかない、か」

 

 どうやらVIPルームもひと部屋分しかないらしい。

 蘭にどうするかを聞いてみると。

 

「別に…私はいいよ。あんたと同じ部屋でも」

 

 それを聞いた職員が案内を始めた。

 

 案内された先の扉を開けると、とんでもなく広くて豪勢だった。

 広々とした空間に、無駄とも思えてしまう装飾品の数々。

 窓の外は、人工的な明かりが一切ない、自然一色な世界が広がっていた。

 

「…こんなにいいのか」

「いいんでしょ。今はその権利を使わせてもらお」

 

 そう言って蘭は荷物をソファに置いた。

 一通り部屋の中を一瞥して、改めて思う。

 今、ここには俺と蘭しかいない。

 そう思うと、なんだか変に意識してしまう。

 

「……」

「……」

 

 それは、どうやら蘭も同じらしく、顔を赤くしてソファに座っている。

 

「…ベッド、1つしかない」

「…そうだな。俺は床で寝るよ」

「いやいいよ。私が床で寝る」

「女にそんなことさせられるか。俺が寝る」

「いいや私が」

 

 と、そんなやり取りをしていたが、次第に馬鹿らしくなった。

 とりあえずジャンケンでどっちが先に風呂に入るかを決めることにした。どっちが寝るか議論はそのあとだ。

 

 結果は俺の勝ち。

 

 俺は先に風呂に入った。

 湯船にも浸かろうかと思ったが、残り湯を嗅ぐとかっていうのを逆の立場で考えた結果、シャワーだけにすることにした。

 

 軽い寝巻きに着替えた俺は、風呂から出たことを蘭に告げて、適当に景色を眺めることにした。

 

「京介」

 

 と、バスタブの方から声が聞こえた。

 

「なんだ?」

「シャンプー取り忘れた。取って」

「……」

 

 それ、男の俺に頼むことなのか?

 そう疑問に思いながら、失礼ながら彼女の鞄の中を探る。

 あまり他のものを目に入れないようにシャンプーを手に取り、彼女の姿を見ないように色々と工夫をしながら渡した。

 

「……ねぇ、京介」

 

 また呼ばれた。

 

「今度はなんだ?」

「……あんたは、楽しかった?」

「楽しかったって…今日がか?」

「そう」

 

 予想外だった。

 まさか彼女からこんなことを聞かれるとは。

 少し間を置き、俺は言った。

 

「…お前の笑ってる顔が見れた。それだけで楽しかったよ」

「…そう、なんだ」

「ああ。寧ろ、それは俺が聞くことだと思ったが」

「京介が?」

 

 ああ、と返す。

 

「お前の方こそ、今日は楽しかったか?」

「……うん、楽しかった。海も久しぶりに入れたし、勝浦坦々麺も美味しかったし、こんな高級ホテルルームで寝れるし」

 

 最後の一つは予定外ではあるが。

 

 しかし、そんな蘭の感想を聞いて、俺は少し良い気分になった。

 

「それはよかったよ。お前の思い出に残るようなことが1つでもあったら、それだけで俺は嬉しい」

「……」

 

 蘭は暫く黙り込んだ。

 俺は再び窓に戻り、景色を眺め始めた。

 すると扉が開く音が聞こえて、俺は後ろを振り向いた。

 

「じゃ、どっちがベッドで寝るかだが…」

「……そのこと、なんだけどさ」

 

 瞬間。

 俺は、驚きのあまり一言も発することができなかった。

 彼女は、白いバスローブを着ていた。

 

「…なにバスローブ着てるんだ。普通の寝巻きあるだろ」

「…まあ、あるけど」

「で、どこで寝るかだ。俺は床で寝る気満々だが…」

「そのこと」

 

 と、蘭が震える声で言う。

 

「一緒に寝る、っていうのはどう?」

「…なんでだよ」

「その方がどちらとも床で寝なくて済む」

 

 彼女の言っていることは至極マトモだ。

 しかし、それにより生じる俺の理性や、倫理の問題がある。

 

「……一応言うが、今のお前…エロいぞ」

 

 自分でも最低なことを言っている自覚はしている。

 

「そっか…そう、なんだ」

「…何が言いたいんだ」

「……つまり…その、こういうこと」

 

 と、彼女は真っ赤になった手である物を取って見せた。

 それは、今朝彼女がたまたま発見したコンドームだった。

 

「おい…」

 

 ドクン、と鼓動が鳴るのがわかった。

 明らかに、緊張している。

 

 すると、蘭は自ら近づいて、息がかかるほどの距離で、こう言った。

 

「私、別に構わないよ」

 

 その瞬間だった。

 俺は知らず知らずのうちに、蘭をベットに押し倒していた。

 

「…悪、い……」

 

 当然の出来事に驚いた表情をしていたが、次第に全てを受け入れる、そして何かを望むような顔をした。

 

「……私さ、京介ならいいって、言ってるの」

 

 そう誘う彼女の表情、瞳、仕草、容姿の全てが淫靡的で。髪が伸びたのも、きっとそれに拍車をかけているのだろう。

 

「……っ…」

 

 心臓の鼓動が早い。

 顔が熱い。

 声が震える。

 

 声を絞り取って、なんとか形あるものに発する。

 

「いい、のか?」

 

 その投げかけに、蘭は笑った。

 

「いいよ」

 

 その瞬間、俺の理性を縛っていた鎖が、砕け散った。




「……まったく、物書きというのは嫌な生き物だな、中尉。
今……頭の中で嫁を作る為の人体錬成の理論を必死になって組み立てている自分がいるんだよ」
「……頭、大丈夫ですか?」
「大丈夫だ。––––––いかん、雨が降ってきたな」
「雨なんて降って……」
「いや、雨だよ」

※あとがきです。


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9月 –––優しい風–––

今回の内容をバトルシップって言うなよ。
チキンブリトーは食べないよ。


 それは昼ごはんを食べている時だった。

 

「あのさ…」

 

 何か言いづらそうに、少し控えたような声で言う。

 

「会いたいって…」

「会いたい?誰が」

 

 決定的に日本語として成り立っていない言葉に首を傾げながら尋ねる。

 

「いや…だから…」

 

 顔を青ざめて、まるで言えば世界が終わるといった様子で、蘭は聞き取れるか聞き取れないかのような音量で言った。

 

「父さんが、会いたいって」

「……は?」

 

 それを聞いた瞬間、俺は目の前の蘭と同じ顔色となったのを確かに感じた。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 数日後。

 学校から帰った俺は1度家に帰り、ちゃんとした服––––––もともとそんなに多くはないが––––––に着替えた。

 蘭からは気にしないでいい、とは言われたものの、やはり礼儀上、着て行くことに越したことはない。

 

 必要最低限–––––と急いで見繕った土産物を持って玄関の扉を開けた。

 そこではジーンズに無地の白シャツの上に黒のジャケットを着た蘭が待っていた。

 

「別に土産なんていらないって父さん言ってた」

「世間体というものだ」

 

 とりあえず持って行った方がいいだろう。こちらも蘭には迷惑かけたし、その謝礼の品としてでも渡そう。

 

 蘭の背を追い、彼女の実家へと向かう。

 

 少し歩いて、辿り着いた。

 俺は彼女の家には行ったことがなく、外装を見るのも初めてだ。

 しかし、それにしてもかなりの大きさだった。さすがは名家。俺のアパートとは桁が違う。当然か。

 

「……」

「どうしたの、ビビってる?」

「そりゃ、な」

 

 誰だって緊張するものだろう。相手の親御さんへの挨拶。映画やドラマではよく見る光景。しかその当事者となれば、心臓が破裂しそうで仕方がない。

 

「…大丈夫。私も出来る限りサポートする」

「……ああ」

 

 蘭のその言葉に、俺は曖昧な返ししか出来なかった。

 

 震える心に喝を入れて、鉄の如く重くなった足を動かす。

 インターホンを押そうかと思ったが、それよりも先に蘭が玄関扉を開けた。

 

「ただいま」

 

 短く、おそらく彼女にとっては言い慣れた言葉を言う。

 突然背中を押されたかのように、俺は背中が汗でびっしょりになったのを感じた。

 

 長く続く廊下の奥から姿を現したのは、シワのない着物を着込んだ、隙のない、貫禄を感じさせる顔立ちをした男性だった。

 

「っ……そ…の…」

 

 情けないことに、蘭の父の姿を見た瞬間、喉が掴まれたように声が出なかった。

 そんな俺を彼は一瞥し、静かに言った。

 

「君が蘭の恋人か」

「……はい」

 

 喉の奥から、腹の底から声を出した。

 大粒の汗が頬を伝った。

 

「…上がりたまえ」

「…はい。お邪魔します」

 

 靴を脱ぎ、揃えて、廊下を渡る。

 その重苦しい空気の中では、足音1つ1つが俺を追い詰めているかのようだった。

 

「…ねぇ、父さん」

「なんだ」

「あまり、その…」

「…別に何もせんよ。ただ彼と話がしたいだけだ」

 

 すると突然、部屋の前で彼は立ち止まった。襖を開けると、そこには畳とテーブルが1つ。

 

「別にいらないと言ったんだがな。…それは蘭に渡してくれ」

「は、はい」

 

 言われた通り、紙袋を蘭に渡す。

 

「…蘭、少し席を外しててくれ。2人で話したい」

「……っ」

 

 蘭は何か言いたそうに表情を強張らせたが、しかし諦めたように小さく返事をした。

 

「…わかった」

 

 そう言って蘭は去っていった。

 残った俺と蘭の父。とてつもないほどの重苦しい空気が張り詰めて、俺の心を蝕んでいる。

 

「そこに腰掛けてくれたまえ」

 

 促されるがまま、俺は畳の床に正座をして座る。

 

 そして俺と対になる形で、蘭の父も座り込む。

 その姿はさすがは当主といったものか、まるで1枚の絵のような迫力を醸し出していた。

 

 彼の眼鏡の奥の瞳は、俺をどんな人間か見定めている。

 そして現状、俺は引きっぱなし、ろくなことも言えてない。何かを言うべきだ。それを心の中で怒鳴りつけ、そしてようやく、俺は言う決心をした。

 

「あの…」

「君、将棋は出来るか?」

「は…?」

 

 言葉は、その一言で遮られた。

 予想外の言葉に、俺は暫く思考が停止していた。

 

「出来るのか?」

「いや、あの…」

「出来るか出来ないか、を聞いている」

 

 一変して厳しい言葉に、俺は固唾を飲んだ。

 毛穴から汗が噴き出すのを感じながら、短く答えた。

 

「…出来ます」

「そうか。それはよかった」

 

 すると蘭の父は将棋盤を取り出し、俺との間に置かれていたテーブルの上に置き、そして静かに駒を並べ始めた。

 

「ウチには将棋が出来る者がいなくてな。暇をしていたところなんだ」

「はあ…」

 

 慣れた手つきで、無駄なく並べていく。

 最後に歩兵を置き、あっという間に完成した。

 

「私は後攻でいい。君から始めたまえ。それと、遠慮して負けるなどと言う結末はどう見たくない」

「え、は、はい」

 

 言われるがままに俺は歩兵を一歩前進させた。

 将棋のルールは分かっている。というのも、暇な時はコンピュータを相手にボードゲームをやるのが趣味なのだ。将棋のみならず、チェスや麻雀もそれなりに出来る。

 

「君の名は確か…」

「大槻。大槻京介です」

「そうだった。すまないね、あまり蘭からは聞いていないもので」

「いえ…」

 

 蘭の父は何かを考えるそぶりなどを見せず、淡々と冷静に駒を進めていく。

 

「君と蘭が初めて会ったのはいつだった?」

「…中学2年です」

 

 今でも覚えている。

 屋上で、1人誰にも悟られぬように泣いていた彼女の姿を。

 

「そうか…その時期か」

 

 歩兵を1体取られた。それと同時に何かに思い浸るように蘭の父は静かにつぶやいた。

 

「ということは、蘭は随分と君に迷惑をかけたかな。謝るよ」

「いえ、とんでもない」

 

 寧ろ救われたのは俺の方だ。

 心が死んでいたと言っても過言ではない、あの時の俺に、楽しさというのを教えてくれた。

 

 桂馬を前進させるも、歩兵の列に隠れていた角行に取られる。

 

「…あの娘は、最近よく笑うようになった」

「…?」

「中学2年。あの時の蘭はどことなく楽しそうだった。今の蘭は、その時の姿と同じに見える」

 

 香車を手に取り、それを眺めながら呟く。

 

「私は、あの娘に何かをしてやれただろうか。そう思うことが度々ある」

「……」

「何度も泣かせた。何度も蘭の意思を折ってきた。気がつけば、あの娘は笑わなくなっていた」

 

 何も言えなかった。

 俺は昔から蘭を知っているわけではない。何かを言うのは無礼というものだ。

 

「そしてバンド活動を始めた…あの時は本当に驚いたものだ。しかし、その時から蘭は前しか見なくなった、前のみを進むようになった」

 

 歩兵のいなくなったその直通に、香車は突き進んで俺の香車を奪い取った。

 そして成香と成る。

 

「君はどう思う」

「いえ…前ばかりじゃありません。その成香のように、後ろを向くことだってあります」

「…そうか……」

 

 そうして俺は予め前進させていた銀将で成香を取った。

 

「君は、私の知らない蘭を知っているようだ。父親として、あるまじき結果だな」

「いえ、そんなことは…」

 

 父親にだって、娘に関する知らないことの1つや2つあるだろう。しかし蘭の父は首を振って答えた。

 

「さっきも言った通り、私は蘭に何かしてやれたかわからないんだ。親として、蘭に残せたことはあるのか…」

「……っ…」

 

 そのことは、何も言えなかった。否、言うべきではないのだろう。

 

 目の前の人物は、顔を上げずに盤を見ながら淡々と駒を打っていた。

 

「だから、今のこの話し合いは、私の自己満足だ」

「……」

「最後の最後に、父親らしいことをしたいのでな。娘が選んだ男を、見定める」

 

 鋭い目つきで、俺を見た。

 逃げ出したくなるが、その場に踏ん張る。

 

「君は、蘭を幸せに出来るか?」

「……っ…」

 

 その言葉に、すぐ答えられなかった。

 過去に1度、俺と蘭は離れ離れとなった。突然の出来事に、なす術なく。

 

 そう当然のことが起こるのだ。

 もしかしたら、明日俺は死ぬかもしれない。記憶を失って、蘭のことを何も覚えていなくなってしまっているかもしれない。

 その可能性がある中で、幸せにするという言葉はそう軽々しく言えない。

 

 しかし、何かを言わなければ、この場を脱することはできず、そして蘭ともまた離れてしまう可能性もある。

 気がつけば、戦いはもう終盤にまで迫っていた。

 あと数手で決まるだろう。

 

 必死に言葉を作り出していると、襖越しに外から物音が聞こえた気がした。

 

 その瞬間、俺は心の中に浮かび上がった言葉を何の迷いもなく言い始めていた。

 

「…俺は蘭を、幸せには出来ないかもしれません」

「…む」

「いえ、出来ることならしてみせたいです。けど、俺は蘭を1度独りにしてしまっている」

 

 思い出すのは、あの緋色に染まった河川敷での彼女の必死に訴えている時の表情。

 

「未来はわからない。だからこそ、そういう不安が生まれてしまうんです…」

 

 目の前で表情が徐々に険しくなっていくのが雰囲気だけでわかる。本当は今すぐに撤回してしまいたい。出来ることなら、時を巻き戻してしまいたい。

 しかし、言わなければならない。

 

「でも、俺は愛してます」

 

 力を振り絞り、出た言葉は陳腐でシンプルな、映画とかでよく聞く使い古されたものだった。

 

「蘭を愛してます。幸せに出来るかはわからない。けど、愛してます。それだけは、本心です」

 

 蘭への嘘偽りのない言葉を言うことしか、今の俺には出来なかった。

 しかし、それが全てだった。俺は全てを言った。なら後は、その答えを待つのみだ。

 

 数秒か数分か。時間がわからなくなるほどの沈黙の後、腕を組んで、そして口を開けた。

 

「…詰んだか。…いいだろう」

 

 そう言って彼は微笑んだ。

 

「これから蘭を、よろしくお願いします」

 

 そして頭を下げた。

 おそらく普段から頭を下げる立場じゃないからか、その姿は言ってしまうと、似合っていなかった。

 

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 

 俺も目の前の人物よりも低く、頭を下げた。

 目を開けると、そこには最初の揃った状態から、不規則に駒が置かれた盤が。

 

 俺の勝ちだった。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 その後、俺は美竹家で夕食をとった。

 蘭の父からの誘いだった。

 静かではあったが、決して気まずい食事ではなかった。

 蘭のバンド活動などを話し合ったり、色々と話した。

 

 人と触れ合った夕食は、随分と久しぶりな気がした。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 深く一礼をして去っていく京介を、2人は見送る。

 すると蘭は、父の方を見ずに言った。

 

「…父さんは、自分を責めなくていいよ」

「……」

「何かを残したとかじゃないんだ。そりゃ確かに、喧嘩しかしてなかったと思うけど」

 

 娘の言葉に、少し萎縮してしまう。

 

「…けど、これでも私なりに感謝はしてる」

 

 一貫して父の姿は見ず。しかし心のこもった言葉を、蘭は静かに口にした。

 

「私をここまで育ててくれて、ありがとう」

「……」

 

 父も黙ったまま。

 その言葉に目頭が熱くなるのを少し感じた気がしたが、踏ん張って堪えた。

 

 横で前を見ている娘に、父は言った。

 

「ついて行ってあげなさい」

「え…?」

「男とはいえ、夜道は危ないのでな」

 

 理由としてはやや無理のある内容に、心の中で自嘲気味に笑う。

 

「…ありがと」

 

 娘の小さな礼に、黙って頷く。

 小走りで駆けて行く娘の後ろ姿を見て、少し感慨に浸る。

 

 すると、控えめな風が頬に当たった。

 

「……蘭…」

 

 頬に何かが伝った。

 9月の風は、少し優しかった。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 俺の後ろを歩く蘭。

 

「お前、聞いてただろ」

「…ん」

 

 悪戯がバレた子供のようにそっぽを向いた。

 

「…その、さ」

 

 照れ臭そうに、少し顔を赤くして彼女は言った。

 

「ありがと。ああいうこと言ってくれて」

「……まあ、な」

 

 自分で思い出して、少し恥ずかしくなる。

 

 歩きながら夜空を見上げる。

 雲ひとつなく、澄んだ綺麗な闇だった。その闇に、スクリーンの如く蘭との思い出が映されたような気がした。

 

「なあ、蘭」

「なに」

「俺、お前に会えて幸せだ」

「……」

 

 突然発せられたその言葉に、蘭は顔を赤くして目を泳がせる。しかしやがて受け入れたように微笑んで言った。

 

「私も、幸せ」




9月の雨は優しいと言われてます。
9月の風はどうとも言われてません。ただの私の造語です。そこら辺は悪しからず。


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10月 –––ライブ–––

ハロウィンイベまだかな。


 左手でFコードを抑えてピックを持った右手で音を鳴らす。アンプには繋いでいないため、音は少しだけ軽い。

 

「なあ蘭。新曲の件なんだけどさ」

 

 ドラムスティックを器用にクルクル回していた巴が聞く。

 

「完成はまだだよ」

「いや、それはいいんだけど」

 

 先ほどまでドラムを叩いていたため、長い髪をポニーテールに束ねて、運動用のスリーブレスにハーフパンツという少々露出度の高い姿である。

 

「今の所完成している曲の名前、全部言ってみ」

「Scarlet Sky、True Color、That Is How I Roll…」

「…なあ、気がつかないか。どれもこれもテーマが同じなんだ」

「…む」

 

 言われてみれば確かに。

 私たちAfterglowは巷では王道ガールズロックバンドと呼ばれている。王道、と言われるように、基本的にギターロックでエモーショナルな歌詞が私たちの売りとなっている。

 

「そろそろ、新しい方向性の曲を1つぐらい作ってもいい頃だと私は思うんだ」

「例えば?」

「例えば……なんというか、エンターテイメント性に溢れるというか、あのパスパレっぽいというか…なんというか…」

 

 訴えている巴自身も、どんな曲を作りたいかどうかという具体的なビジョンは見えていないらしい。

 とは言っても、確かに巴の訴えもわからなくもない。

 

 簡単に言えばマンネリ化だ。これはバンド…いや、アーティスト全体に深く関わり続ける課題だ。

 強い意志を持って活動していれば、たとえそんな声が上がろうとも御構い無しに活動するのだろうが。

 

 そういうことを危惧しているからこそ、巴の訴えも出来る限りは取り入れたい。とはいえ、そう簡単にそんな曲を作れるわけでもなく。

 

「……」

 

 壁に掛けられたカレンダーを見る。

 本日は9月30日。9月の終わりだ。

 

 おもむろにコードを抑えて、音を奏でる。

 弾いている曲は、Green Dayの″Wake Me Up When September Ends″。9月の終わりになると、どうしても聞きたくなる曲だ。

 

「…10月って、何か行事あったっけ」

「行事?あー…」

 

 携帯電話を取り出し、それについて何かを調べる。

 

「ちょうど1ヶ月後に、ハロウィンがあるな」

 

 とりあえず新曲のテーマは決まった。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 10月にもなれば、9月までいやらしく続いていた残暑も影を潜め、翌月から本格的に吹くだろう冷たい風が控えめに街を駆け巡る。

 

 流石に10月にハーフパンツとかは履いたりせず、今日はジーンズにシャツ、その上に上着を一枚着る程度の軽装だ。

 

「なあ…そのギターって重くないのか?」

 

 俺の少し前を歩く蘭が背負っている、細い身体には見合わない大きいギターケースを見て不躾な質問をする。

 

「ん…別に。慣れ」

「慣れか」

「うん」

 

 人間、何事も慣れなのだろうか。

 慣れというのは恐ろしいとも言われているし、きっとそうなのだろう。

 

「というか」

 

 少し前に躍り出て蘭の前髪をかきあげて顔を覗き込む。

 そこにははっきりとわかる黒い隈があった。

 

「寝てるのか」

「……2時間ぐらい」

 

 馬鹿なのか、と言いたくなった。

 

「何でそんな寝てないんだ。バイトとかしてたか、お前」

「曲作り。捗ってるから休まないでぶっ続け」

「馬鹿なのか」

 

 今度は言ってやった。思考回路がぶっ壊れてる。寝なさすぎて頭がおかしくなったか、もしくはそれほど全力でやっているということなのか。

 どちらにせよ体にはあまり良くないだろう。

 

「1曲作るのにどれぐらいかかるんだ」

「コンディションによる。私は独学で始めたから、完成までに結構かかる」

「なるほど」

 

 コンディションによる、ということは今はそれなりにコンディションは良いのだろう。身を削った状態ではあるが。

 

「まあ、明日とかには完成すると思う。…来週にライブもあるし、寝なきゃ」

「ライブ…か」

 

 口に出して反復する。

 そういえば、俺はまだ蘭たちのライブを見たことがない。それどころか、Afterglowの曲はScarlet Skyぐらいしか知らない。

 

「なあ、その来週のライブ、俺も行けるか?」

「ライブハウスだし。当日でも大丈夫だけど…何で突然?」

「いや、お前らのライブ見たことないなって思ってよ。いい機会だし、見させてもらおうと」

「ふーん」

 

 何事もない。いや、寧ろ睡魔と戦っているからであろうか、俺のその言葉に無関心そうに反応する。きっとこれは数日後には俺がライブに行くということを忘れてるだろう。

 

 蘭の眠そうな横顔を見て、俺は蘭と別れた。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 夕焼けのオレンジ色の光が講義室の机に刺さる。

 プリントをまとめてクリアファイルに閉じ、それを鞄の中にいれる。

 

 さて、蘭を呼ばなくては。

 そう思って携帯電話を弄って欄に連絡をする。が、いくら待てどもコール音がなるだけ。今度はメールを打って送ってみるが、そちらも既読はつかない。

 

「……」

 

 怪訝な目で携帯の画面を見る。

 普段はすぐに連絡を返す蘭が何も反応なし……何かに巻き込まれたか。

 この時間なら殆どの学生は帰路につくか、サークル活動をするかだ。蘭は前者なので、後者の可能性は捨てよう。

 

 頭の中で蘭が普段受けている講義室までの道のりを確認し、ショルダーバッグを肩にかけて少し小走り気味にその場を後にした。

 

 

 5分ほどかけて辿り着いた。そうして扉を開けると、夕焼けの光が目を刺した。少し目を細めながらも、何とかして見る。

 すると、そこには机に肘を乗せ、静かに寝息を立てている蘭の姿が。

 背景の色合いもあってか、絵画の如く絵になる。

 

 しばらく眺めていたが、我に返って蘭の元に向かった。

 

「おい、起きろ」

 

 彼女にしては珍しく、少しだけ涎を垂らしていた。起こしてからしまった、写真を撮って弱みにすればよかった、と少し後悔した。

 

「…ん……」

 

 目を開けるが、まだ眠気が取りきれていないのだろう。気怠そうな半目で辺りを見回す。

 

「……あれ、京介…」

 

 まずは俺の顔を10秒ほど見て力なく呟く。

 

「…あれ、なんで夕方…?」

 

 次は外の空の色を見て、少し驚愕気味に呟く。

 

「…………え」

 

 ようやく現実に目覚めたのだろう。表情を固まらせて声を漏らす。

少し固まっているのをチャンスだと思った俺は、光の速さで携帯電話を取り出し、撮影モードにしてシャッター音を響かせた。

 

「………は?」

「おー、よく撮れてる」

「…ちょっと……」

「起きたか」

 

 何事もなかったかのように言う。

 しかし、蘭は肩を震わせて俺の額にデコピンを食らわせた。

 

「痛っ」

「何してんの」

「いや…衝動的に」

「馬鹿じゃないの」

 

 午前中に俺が蘭に向けて言ったことをそのまま返された。

 蔑みのこもった冷たい目で睨まれるも、やがて猫のように欠伸をして伸びをする。目尻に涙が溢れる。

 

「まさか、ずっと寝てたのか?」

「講義は起きてた。けどそれ以外は全部寝てた」

 

 身体を少し動かすたびに骨のなる音が聞こえる。

 ポケットから携帯電話を取り出すと、驚いた表情を見せた。

 

「連絡…すごい来てるんだけど」

「幾ら電話しても出ないし、メールを送っても既読つかないから、こうして直々に来たんだ」

 

 それ以外にも何かメールとかが来ていたのだろう。処理めんどくさい…と愚痴を吐きながら携帯をしまった。

 

「帰ろっか」

「ああ、帰りたいね」

 

 蘭の言葉に同意を示し、俺は歩こうと蘭に背を向ける。が、直後に鈍い音が聞こえた。

 何事か、とすぐに振り返ると、そこには机に手をつけて片膝をついている蘭が。

 

「おい、どうした」

「…ずっと同じ体勢だったから……足、痺れた」

「………」

 

 少し赤い顔をうつむかせて呟く彼女の姿を見て、俺は溜息を吐いた。

 

「馬鹿なのか」

 

 本日2度目となる呆れの言葉をを彼女に向けて言い放った。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 そうしてオレンジ色に染まる空の下、俺は蘭とギターケース、あと自分のショルダーバッグを背負って帰路についていた。

 

「……ごめん」

「もういい、気にするな」

 

 本日何度目かわからない彼女からの謝罪を適当に流す。

いかに男とはいえ、成人に近い女性1人にギターケースを背負って歩くのはさすがに応える。

 

「あの公園で降ろすぞ。痺れも治るだろうし」

「うん…ありがと」

「……」

 

 彼女からの謝礼を無言で聞き入れながら、俺は足だけを動かした。

 

 さすがに10月は日が沈むのも早くなる。

 気がつけば、辺りはうっすらと仄暗くなっていた。

 公園に入ると同時に控えめに点いた電灯の下に、道しるべのように設置されているベンチに蘭をゆっくりと降ろし座らせる。俺もその隣に座る。

 

「あー…地味に疲れた」

「今度からは気をつける」

「そうしてくれ」

 

 弱音に似た愚痴をこぼす。

 

「…なあ、来週のライブ…どんな感じになるんだ」

「来週のはいつもと違う。イベントみたいな感じ」

「イベント?」

「そうイベント」

 

 鸚鵡返しで聞く俺に済まし顔で答える。

 

「来週は10月29日。あと少しで何が始まると思う?」

「10月の下旬…」

 

 頭の中のネットワークに接続して、「10月 イベント」と検索する。そうして出てきた結果は、ああなるほどと頷ける内容だった。

 

「ハロウィンか」

「正解」

 

 無表情で拍手をされるが、正直反応に困る。

 

「内容については…まあ、その時のお楽しみっていうことで」

「そうか、なら楽しみにしとくよ」

「そうしといて」

 

 それだけ言って蘭は立ち上がった。

 空を見上げて、1つ深呼吸をする。

 

「ありがとう、今日は」

「あまり無理はするなよ」

「出来る限りそうする」

「出来る限りじゃねえ、するな」

 

 そのうち過労死するぞ、などと言い合った後に俺と蘭は別れた。

 それからも俺は暫くそのベンチから動かず、10月の少し冷えた風にあたりながら目を閉じた。

 初めて見る蘭たちのライブに、少し心が踊っているのがわかった。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 アインシュタインの相対性理論というのは偉大なもので、時間があっという間に過ぎたように感じた。

 10月29日。ライブハウスのイベント当日だ。

 

 蘭を筆頭とするAfterglowの面々は先にライブハウスに行った。

 俺は蘭から教えてもらったライブハウスの場所をマップで検索し、画面に映し出された道順に沿って歩みを進めていた。

 

 そうしてようやく着いた。

 そこには大きく″CiRCLE″と書かれた看板があった。

 ライブハウスとは言うが、意外と普遍的だった。

 

 そこには若い男女––−––どちらかというと女性が多いように感じる−–−–−がいた。

 

 何をしていいかわからなかったので、とりあえずということでカウンターにいる女性店員に話をかけてみた。

 どんなことを聞かれるかわからなかったので少しビビっていると、そこら辺の店と何ら変わらない普通の接客をされた。

 何か券を渡された。どうやら、ドリンクバーみたいなものらしい。

 

 特に何か飲みたかった、というわけでもなかったので今日のところは保留にした。

 

 そのまま暫く待っていると、やがて一際大きい扉が開かれ、入場可の意が伝えられた。

 

 店員に促されて進むと、そこには大きいとまではいかないが、広いステージがあった。ステージ上にはマイクスタンドが立てられており、赤青黄色…というカラフルなスポットライトが当てられている。

 

 いつ始まるのか、そう言いたそうに周りの人間たちは騒ついている。

 初めてで少々怖いので、俺は後ろの方に下がった。

 その時だった。

 

 照明が一切に消え、暫くして1つのギターの音が鳴り響いた。その後を追うようにドラムが激しく叩かれ、ベースの低音が場を調律しようと控えめに音を出す。

 

『Poppin' Partyです!』

 

 マイクにより反響する声と共にスポットライトが一点に集中する。スポットライトに照らされたのは、特徴的な、猫耳を思わせる髪型をした少女だった。

 Poppin' Party。

 そう名乗った少女達は、サウンドをステージいっぱいに響かせた。

 

 その音が体に響き、ようやく理解する。

 

 そうか、始まったのか。

 

 沸く歓声に少し遅れて、俺はステージをずっと見続けた。

 

 

 それからPoppin' Partyが終わり、続いてがハロー、ハッピーワールド!というバンドだった。こちらはロックバンドと言うより、コミックバンド感が強かったが。

 

 ちなみにボーカルの金髪の少女は、純白のドレスを着ていた。他にもギターの中性的な女性は、おそらく怪盗か何かを模しているのだろう。スーツを着ていた。ドラムの人はよく見えなかったが、不思議の国のアリスを意識したような服だった気がする。ベースの小柄な少女は、明らかに私服に血を模した赤い液体を塗っていただけだったが、そこは突っ込まないでおこう。後ろにいたクマは…存在がハロウィンとでも思っておこう。

 

 続いてステージに現れたのは、そのハロー、ハッピーワールド!とは対照的な、ダークでクールな雰囲気を出すRoseliaというバンドだ。ポップで進んでいたサウンドから、一気にヘヴィーで本来のハロウィンらしいサウンドがその場を支配した。

 全体的にRoseliaのメンバーの仮装は、先ほどのバンドに比べて派手なものではなかった。サウンドなどの雰囲気がダークなため、必要ないのかもしれないが。

 

 さらに続いて登場したのは、なんとあのPastel*Paletteだった。ボーカルに最近人気急上昇中のアイドル″丸山彩″に、ベースに元子役の女優″白鷺千聖″が所属しているバンドだ。

 こんなイベントに出るのか、と少し驚いた。

 

 そうしてついに現れたのが、Afterglowだ。

 蘭の姿を探すが、マイクスタンドが立っている場所にいたのは、身体中に包帯を巻いた蘭だった。

 

「え…」

 

 あいつ、こんな格好するのかよ。

 そんな感想を抱いたのも束の間、演奏は始まった。

 1曲めはTrue Color。蘭から歌詞は教えられているが、正直この姿で歌われてもどう反応していいかわからない。

 

 続いてはScarlet Sky。

 Afterglowの始まりの曲でもある。

 心に訴えかけるエモーショナルな歌詞と、王道的なギターロックは一気に会場を沸かせた。

 

 そして3曲目。

 

『えーっと…新曲です。Hey-day狂騒曲(カプリチオ)

 

 短く、ややぶっきらぼうな蘭のMCともに新曲が披露された。

 それはこれまでの2曲とは大きく異なる、エンターテイメント性に富んだ、ポップよりなサウンドだった。転調が激しく、これまでの彼女たちのサウンドとは大きくかけ離れていた。

 予想外の曲に、やや押され気味だった会場は、しかしやがて歓声をあげていき、新曲の歓迎の声をあげた。

 

 そうして大盛り上がりのうちに、Afterglowのステージは終わった。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 自動販売機でミネラルウォーターを買う。

 ライブハウスのステージ裏で待っていると、扉が開かれた。そこからTシャツのハーフパンツという軽装な身をした蘭が出てきた。

 

「お疲れ様」

 

 そう言ってミネラルウォーターを投げる。

 見事にキャッチした蘭は鮮やかに蓋を開けて水を一口飲む。

 

「すごい衣装だったな」

「ひまり考案の新衣装。私は反対したけど、モカと巴の一声で多数決で終了」

「なるほど」

 

 蘭らしくない派手な衣装だったので、ビックリした。

 流れる汗を拭って言う。

 

「どうだった、初ライブ」

「ああ…まあ」

 

 ライブの映像を思い返す。 その場で体験し、音を聞き、彼女たちの姿を見た。

 初めての体験で、最初は少し怖かったが。

 

「楽しかったよ」

「そう…それは良かった」

 

 蘭は微笑んで俺の方を叩く。

 

「Afterglowの打ち上げ、行く?」

「……」

 

 一瞬行くべきか悩んだ。

 しかし、俺の前で振り返った蘭の目は来い、と言っているように見えた。

 

「ああ、行かせてもらう」

 

 俺は蘭の背を追って、静かにそう答えた。




ライブシーンを書くのは楽しい。


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11月 –––学園祭–––

なんか気がつけば10月。作家活動1年越えちゃったよ。


 大学の学園祭というのは、高校に比べて幾らか自由だ。

 もっとも、それにより対価として払われる我々委員会への仕事の大変さは想像を絶するが。

 

「次はどこだ?」

「次はここだ」

 

 1枚のプリントを渡される。校内の地図に小さく赤い印が付けられている。

 

「見回りとかしんどいな…」

「同じく」

「なんで委員会になったのか…」

「ジャンケン。運に見放されたな」

 

 隣で歩きながらボヤく友人を尻目に、俺は羽目を外し過ぎている奴がいないか目を光らせる。

 

「よくお前はそんな真面目にできるな」

「運に見放されたとはいえ天から与えられた仕事。やり通すのが筋ってものだ」

「おーおー、いい子なことで」

 

 とは言っても、自由に学内を回りたいのは事実である。しかし、我々委員会への仕事は前述した通り想像を絶する大変さだ。

 休憩は昼ごはんのみ。

 

「ここと…次の次が終わったら飯にしよう」

「飯…どこかいいところあるのか?というか…金もあまりない」

「俺もだ。だがそこは俺の一声で安くなる」

「マジか」

「可能性がある」

 

 釘をつけるように言う。

 とは言っても、その望みは割と薄いが。

 

 昼ごはんを食べる場所は、蘭がメイドカフェをやっているというのだ。委員会権限と俺のコネを使って、なんとか安くならないだろうか。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「美竹さーん、こっちお願ーい」

「はいただ今」

 

 気怠げに返す。

 私は今までバイトというのをやったことがなくて、高校の時の文化祭程度だったけど…やっぱり接客って大変だ。休む間もない。

 …それに。

 

「うっ…」

 

 このメイド服。言ってはなんだが相当ヒラヒラしている。メイド服自体は高校の文化祭でも着たことがあったが、今回は何故か和風だ。振袖とかが邪魔なのだ。

 

 とは言っても、メイド服は着たことあるから、それについては特に何ともないし、羞恥心のようなものも忙しさで消えて無くなった。

 

「はい、いらっしゃいませ」

 

 接客としてはあんまりすぎるぶっきらぼうな対応に、客はやや苦笑まじりに声を返した。

 

「その対応はマズイんじゃないか、店員として」

「……なんだ京介か」

 

 右腕に委員会と書かれた腕章を付けた京介がいた。その隣には同じく委員会の者と思われる人も。

 

「なんだとはなんだ」

「えーっと、あっちの方に席が空いてるからそこに行って」

「おい」

 

 そう言いながらも彼は私の頭をポンポンと叩きながら進む。

 

「誰あの美人さん」

「彼女」

「彼女か……えっ、おい嘘だろ」

「早く行って食うぞ。時間が押してる」

 

 いつもの彼らしい様子で、店の奥へと進んで行った。

 

 彼から入った注文はオムライス。厨房に行き、手短に名を言う。

 接客などを中心にこなし、再び厨房に行って完成した料理を京介たちの元へ届ける。

 

「お待たせ」

「しました、は?」

「ふんっ」

 

 ニヤついた表情が気に食わなかったので鼻で笑ってやる。もちろん彼以外にはしないが。

 

「なんかないのか、ケチャップかけて言うやつ」

「言いたいことは伝わったけど、ウチはそういうサービスやってないから」

「サービス悪いな」

「贔屓って言葉、嫌いなんだよね、私」

 

 そう言ってやると渋々とケチャップを手に取ってかけ始める。それに習って隣にいた友人さんもかける。

 

「じゃ、また会計の時にでも」

「ああ」

 

 私が踵を返した頃には、彼はもうスプーンを口に入れていた。

 

 それから何分ぐらいたったか。

 昼ごはん時は過ぎ始めているというのにも関わらず、客足は途絶えるどころか、減る様子もない。

 

 レジで残りの小銭を計算していると、500円玉を静かに置く音が。

 顔を上げてみると、爪楊枝を咥えた京介が。

 

「500円?」

「足りるだろ」

「まあ足りるけど。ギリギリね」

 

 そう言って20円のお釣りを返す。本当にギリギリだ。

 

「さて、もうひと働きするか」

「面倒くせ…」

 

 伸びをしながら愚痴をこぼす2人。すると京介が思い出したようにこっちを振り向く。

 

「今日は一緒に帰れなくなりそうだから先に帰ってろ」

「…そんな忙しいの?」

「片付けやら報告やらがな。晩飯食えるかが心残りなぐらい」

「ふーん…」

 

 首をコキコキと鳴らして苦笑しながら言う。

 

「ま、身体には気をつけてね」

「そうするよ」

「じゃ」

「ああ、また」

 

 短く言葉を交わし、京介は出て行った。

 …知ってる顔がいなくなったことで、少し肩の重荷が取れたような気がした。変に意識してしまうのだ。

 

 今の所ピークが見えないが、少し経てば客足も減るだろう。この忙しさは、あと少しの辛抱だ。

 

 ガラガラ、と扉が開かれる。

 

「ら〜ん〜」

 

 気怠げでローテンションな声。

 その声が耳に入った瞬間、大きなため息を心の中で吐いた。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 程なくして営業は終了した。

 結果的に客足は少し減った程度で、忙しさはほぼ変わらなかった。おかげで大儲けだ。

 

 こった肩をマッサージしていると、メールが届いた。

 発信者は巴。

 

『これから打ち上げいかないか?』

 

 私と巴たちはやってた事が違うので、何の打ち上げなのかさっぱりわからなかった。

 

 普段なら京介の帰りを待つのだが、今日は彼直々に帰れないと言われてしまった。

 

 断る理由もなし。

 少し間を置き、短くメッセージを紡いで送信する。

 

『行かせてもらう』

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 打ち上げは近くの居酒屋で開かれた。メンバーはAfterglowだ。ポピパは別で開いてるらしい。少しだけ映像通信で話したりした。

 

 鍋をつつきあいながら、それぞれの恋バナを聞いたり、愚痴を聞いたり。ありふれた、ごく普通の事を話した。

 

 雰囲気に酔った巴が酒を飲もう、と言いだした時は私とつぐで必死に止めた。モカが笑ってたのが少し癪に触ったので軽くチョップしといた。危機感がないと困る。

 

 小一時間。あまり長くは続かずに解散した。巴は今日は両親が家にいないらしく、今は妹のあこが1人で家にいるらしい。心配だから早く帰るらしい。

 つぐみも明日はお店の準備を手伝わなければならない、ということで以下巴と同じ。

モカとひまりは帰る理由がない、との事でポピパの打ち上げに混ざるらしい。あの2人はかなり心配だけど…まあ沙綾がいるから大丈夫かな。

 

 私はというと、別にポピパの打ち上げに混ざってもよかったのだが…。参加しようか考えてる最中、コートのポケットの中に入っていた1つのキーに触れた瞬間、京介の顔が浮かんだ。

 その後、丁重に断った。

 なんだか、気分が乗らなかったのだ。

 

 今、私が手に持っているのは大槻京介の家の鍵。所謂合鍵というやつだ。1週間ほど 前、京介本人から渡されたのだ。何かあった時用という。

 

「何かあった時、ね…」

 

 夜道で1人呟く。

 

 何かあった…今、彼は忙しさで疲れているだろう。私も、疲れている。けど、それは京介のものに比べれば大したことはない。

 

「……」

 

 11月にしては少し冷えた、乾いた風が髪を揺らした。

 

「せめて、お味噌汁ぐらい」

 

 こんな寒い日には、暖かいお味噌汁が体を温めてくれる。疲れた彼の心も、きっと温めてくれる。

 

 

 コンビニに行くと、以外にも味噌は売っていた。最近のコンビニは何でも揃っているとは聞いていたが、まさかここまでとは。

 

 ビニール袋を片手に、あまり通らない道を歩く。

 そこでようやく、アパートにたどり着く。

 少し錆びついた階段を登り、彼の部屋まで向かう。扉の前でビニール袋を置き、鍵穴に鍵を差し込む。

 ガチャリ、という小気味いい音が少し心を愉快にさせた。

 

 扉を静かに開けるが、その部屋に電気はついていない。

 

 手探りでスイッチを探し、手に触れたところで押す。パチリと鳴り、音もなく電気が点いた。

 

 暗闇に目が慣れてしまっていたのか、突然の光に少し目が眩んだ。

 

 男の人の部屋はもう少し散らかっていると思っていたのだが、京介の部屋はひどく纏まっていた。整理整頓、その一言に尽きる。ひまりに見習ってもらいたいものだ。

 

 コートを脱いで、そこら辺にあったハンガーにかける。袖を捲り、キッチン前に立つ。

 

 レシピをしっかり思い出し、意気込む。

 

「よし」

 

 まずは水を入れよう。

 

 

 私の手際が良かったのか、それとも時間が早く過ぎたのか、どちらかはわからない が、割と早く終わった。

 早く終わりすぎたので、ついでに冷蔵庫にあった具材を拝借して何だか色々な物も作ってみた。それでもだ。

 

「……」

 

 畳に座り、テーブルに腕をのせる。夜遅くの静寂な空間に響くのは時計の針金が動く音と、偶にどこか遠くを通る車のエンジン音、あと飛行機。

 

「……」

 

 チクタクチクタク。

 時はゆっくりと進む。

 

「………」

 

 チクタクチクタクチクタク。

 さらに時は進む。無論、ゆっくりと。苛立ちを覚えるほどゆっくりだが、確実に進んでいるのだ。

 

 暇なので、何か面白い話はなかったか、と思い出す。

 すると、モカが高校1年生の時に話してくれた事を思い出した。

 

 

 ––––––男の子というのはだねぇ〜、部屋に必ずアレな本を隠してるのだよ〜。

 

 

「バカじゃないの」

 

 100%の再現度で頭の中でその映像をイメージした私は、その当時私がモカに言ったことをそのまま声に出してしまった。

 

 というか、よりによって彼氏の部屋にいるのに何でそんな話を思い出したのか。間が悪い。

 

「……」

 

 しかし、気にならないかといえば嘘になる。

 今は彼氏の部屋にいる。裏を返そう。調べ放題ということとなる。裏を返せているのだろうか、これ。

 

「……」

 

 そーっと、首だけを動かして小さな本棚に視線を向ける。

 もしかしたら、あの中にあるのかな。そんな淡い好奇心が私を突き動かそうとしている。

 

 しかし、いくら彼氏だとはいえ人様の物を勝手にいじっていいのだろうか。かなり小難しい哲学めいたことが頭を巡る。

 

「……いや」

 

 いや、むしろ彼氏だからではないか?彼女なら、彼氏の性癖やら何やらは知っておくべきじゃないか?そうではないか?うん、そうだ。

 好奇心に負けた私は心の中で開き直り、本棚に3冊本を抜き出す。

 出した本は村上春樹の″ノルウェイの森″と、河野裕の″その白さえ嘘だとしても″、辻村深月の″鍵のない夢を見る″と伊藤計劃の″屍者の帝国″だ。

 

 本を取ったことにより出来た隙間に手を突っ込んでみるが、何かを隠している様子はない。

 

「……む」

 少しだけ、ムキになった。

 私は、気がすむまで彼が持っているだろう如何わしい本を探すことにした。子供の頃にモカ達とやった様な宝探しのように。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 疲労困憊の体に、冷たい風が突き刺さる。1杯ホットコーヒーを飲んだが、温まる気配はない。

 

「……」

 

 腕時計を一瞥し、時間を確認する。23:30分。かなり遅くなってしまった。

 

 少し頭に痛みを感じ、左脳周辺を優しく摩る。疲れたストレスからか、偏頭痛が起こっている。

 

 軽い欠伸をして歩みを進める。

 時折止まり、夜空を見上げる。何だか人の温もりというのが恋しくなってきた。が、いくらそう思えど自宅には誰もいない。一人暮らしの辛いところが、こんなところで出てきた。

 

「……あ」

 

 飯、どうしよう。

 これから作る気もなければ、コンビニに寄れば遠回りとなる。

 

「……いいか」

 

 体には良くないだろうが、疲労困憊の身体を休めたいので今日は何も食わずに寝よう。

 

 1日気張った自分への待遇の悪さにため息、ついでに苦笑をしてまた歩みを進める。

 

 そこから数分の時間をかけて、ようやくアパート前にたどり着く。

 

 ああ、もう意識が途切れそうだ。

 あと少し、もう少し頑張れば家だ。

 

 重い足を精一杯の力で持ち上げる。倒れそうになるが、手すりに掴まって何とか支える。

 

 玄関扉の前に着いたところで、ある違和感に気がついた。

 なぜ家の明かりが点いている?家出るときに消し忘れたか?だとしたら電気代が痛いな。

 そう他愛もないことを考えながら、扉を開けた。

 そのとき、何故か俺は扉が施錠されていないことに気がつかなかった。

 

 ガチャリ、そんな音と共に光が俺を出迎える。

 そして、聞こえるはずもない彼女の声も。

 

「あ…帰ってきた」

 

 そこに、美竹蘭がいた。

 何故いるのか。理解が追いつかない。

 

「……」

「何突っ立ってるの、寒いじゃん」

 

 扉を閉めようと蘭が立ち上がってこちらに向かう。

 

「……蘭…」

「何……って、ちょっ…」

 

 名を呟いた俺に、扉を閉めて反応をした蘭に、俺は体を預けた。ああ、でも蘭は細いから少しキツイかな。

 

「……悪い、しばらくこのまま……」

「……」

 

 暫く蘭は黙っていたが、しかし受け入れたように俺の背に腕を回した。

 

「お疲れ様」

 

 一言、静かに俺に言い聞かせた。

 

「ご飯できてるから」

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 その後、京介は静かにご飯を食べて、すぐに横になってしまった。だらしが無いったらありはしないが、満身創痍な体に目を瞑ってあげよう。

 

 横になった彼に、洗い物をしながら聞いてみた。

 

「何で私に抱きついたのよ」

「……抱きついたわけじゃない…」

 

 疲れからか、やや覇気のない声で言い返す。

 

「疲れてて立つのがしんどかっただけだ…」

「…あっそう」

 

 これ以上聞いても何も返ってこなそうだったので、そこで引き下がった。

 

 家に帰ろうとコートを取ろうとするが、横になって寝ていた京介が苦しそうに声を漏らす。

 何か悪夢でも見ているのだろうか。何にせよ、あれほど弱々しい彼は初めて見た。

 

「……」

 

 仕方がない、と言葉には出さないがため息をつく。

 携帯で手短に『今日は帰れない』と父さんにメールを送る。

 

 置かれていた毛布を手に取り、彼に優しくかける。私は…コートでいいか。彼の隣に座り、胸を優しく摩る。

 

「おやすみ」

 

 それだけを言い、私は電気を消した。




今回の話は私が前々から書きたかった話です。割とスムーズに筆が進みました。更新速度?知らぬ知らぬ聞こえぬ見えん!


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12月 –––大晦日–––

大晦日はNHKではなくMXをつけてる系男子です。


 少し重い鐘の音がテレビから放たれ響く。アナウンサーが淡々とした声で、しかし瞳は新年への期待からか、やや輝いた目で時間を告げる。

「はい、年越しそば」

「ん、サンキュ」

 

 先ほどまで台所で簡易的な年越しそばを作っていた蘭がテーブルに置く。

 鼠色の麺に、醤油がベースとなるスープ、盛り付けにネギなどが乗った、ごく一般的な年越しそばだ。

 

「もう年の瀬…」

「割と早かったな」

 

 お互いに月日の進行の速さに驚きの言葉を口にしながら、小さくいただきます、と言って箸を進める。

 

 俺も蘭も、あまり食事中に余計なことは喋らない主義だ。時間は進み、今年という年もあと僅かになる。

 

 テレビではコメンテーターなどが今年の出来事などを振り返っている。まあ、大体はどうでもいいことだが。

 

 先に食べ終えた蘭がごちそうさま、とちいさく言って食器を流しに置いていく。

 

「お前は宇田川たちと一緒じゃなくていいのか?」

「別に。いてもよかったけど、巴はあこと一緒に、ひまりは遊びに行ってるし。無理して一緒に年越す必要もないでしょ」

 

 それもそうか。

 幼馴染とはいえ、1人の人間同士。そう簡単に予定などが合うはずもないか。

 

「親父さんは?」

「今回は父さんは実家に帰ってる。暫く挨拶も出来てないって言って」

「だから俺の所へと?」

「いいでしょ、別に」

 

 こちら側に問題は特にないため構わないと言えば構わないが。

 

「私は1人で年を越すのは流石に気がひける。それをあんたの立場でも考えてみて」

「……なるほど、お心遣い痛み入るよ」

 

 彼女からの素直ではない厚意を頂いたところで、お互いに落ち着く。

 

「しかし、大晦日。早かったな、今年は」

「それほど充実してたってことじゃないの」

「そうだな」

 

 確かに、今年は濃い1年だった。蘭との再会とか色々あったが、それも1年の出来事なのか。

 

 暫くテレビに見ていると、都内の某寺の映像が映される。派手な色の着物を着た若い女性や、俺たちとあまり年が変わらないであろう、同世代のカップル達も映る。

 

「うわっ」

 

 すると、蘭が突然声を漏らす。

 不思議に思った俺は彼女の引き気味の視線が突き刺さっているところを見てみる。すると、熱いキスを交わしているカップルが小さく映り込んでいた。アナウンサーはそれに気づいていないのだろうか、淡々とした声で話している。

 

「いつから日本はニューヨークになったんだか」

「文明開化って恐ろしい」

 

 お互いに全国放送されてしまったその行為に同情にも似た皮肉を言う。

 

「……」

 

 蘭の横顔を見ると、少し頬を赤らめた状態でテレビを見ていた。なんだかんだで見入っている。

 

「……き」

「ん?」

「京介は…したいの、ああいうこと」

「ああいうこと…」

 

 顎でテレビを見ろと伝えられる。なるほど、あのキスのやつか。

 

「最近は年越しと同時にああいうのするって流行ってるらしいけど…」

「別に…お前はどうなんだ?」

「私も別に…柄じゃないし」

「なら俺もだ。柄でもないことを無理してやる必要もないだろ」

「そっか」

 

 結論は出た。俺たちにああいう行為は似合わない。

 

「上原あたりはやりそうだけどな」

「ひまりならやるね」

 

 上原は流行りものに敏感なため、流行ってること全て試していくタイプだ。いつかそれで損をしなければいいが。

 

「コーヒー飲む?」

「いやいい。年越したらすぐ寝るし」

「じゃあホットミルクでいいか」

「それでいいや」

 

 蘭は再び台所まで行き、冷蔵庫から牛乳を取り出す。

 俺はその後もテレビを見続けた。

 少し経ち、蘭が2つのマグカップを持って俺の隣に座る。

 

「はい」

「おう」

 

 マグカップの取っ手を掴む。仄かな暖かさが手を伝った。

 

「あったかい」

 

 蘭も俺と同じことを思ったらしい。

 そんな蘭を見て、舌が火傷しないように啜る。

 

「甘いな」

「砂糖少し多く入れると美味しいってつぐが教えてくれた」

「さすが珈琲店の娘だ」

 

 控えめな甘さが口の中いっぱいに広がる。こういった冬の日に暖かい甘いものというのはとても落ち着く。

 

「紅白とか見ないの?」

「寧ろ、お前は見たいのか?」

「好きなアーティスト出ないし、今年は見る必要もないかな」

 

 繰り広げられるのは、他愛もない会話。世間話であり、ごくありふれた普通な内容。

 

「新年の目標とか決まってる?」

「いや全然。ぼーっと生きる、でいいか」

「絶対よくない気がするけど」

 

 最初の出会いの頃から、ずっと変わっていないこの調子。それは多分、来年からも、そしてこれからもずっと変わることはない。

 

「そういえば来年で20歳だけど、お酒とか飲むの?」

「さあ?成人式の時に飲まされるだろうがな」

「私も同じかな。昔舐めたやつは、あまり美味しくなかった」

「所詮は嗜好品だからな」

 

 来年への希望と、まあ無病息災を心の中で祈りながら。

 

「あ、あと少しだ」

 

 彼女の言葉と共に、テレビの中でカウントダウンコールが、そして1秒1秒動く時計の秒針も重くなった気がした。

 

 10、9、8。

 

「良いお年を」

 

 こちらに振り向かずに蘭は言う。

 

 7、6、5。

 

「こちらこそ、良いお年を」

 

 俺も振り向かずに言う。

 

 その年最後となる会話は、とても素っ気なく手短に、そして静かに終わった。

 

 4、3、2。

 

 しかし、床に置かれていた俺の手を、蘭はそっと握った。気づいた俺は何も言わず、優しく握り返す。

 

 1。

 

 空気が変わる。

 

 0。

 

 そして24:00となる。

 年が明けた。テレビでは歓喜の声に包まれてるが、俺たちはそんな声もあげずに少しの感慨に浸っていた。

 窓の施錠はしているが、近くにある寺の重い鐘の音が微かに聞こえた。

 

「あけましておめでとう」

「ああ。あけましておめでとう」

 

 新年の挨拶は、しっかり顔を見あって言った。

 その様子もまた、ごくありふれた普段の挨拶の様な気がした。




今回は初心に戻るというのをコンセプトに作りました。話も短いし、文もかなり素っ気なく感じますが、最初の頃は殆どこんな感じでした。


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1月 –––新年–––

サラッと自然にイチャイチャってなんか良いですよね。体験したことないけど。


 新年の祝い方は国によってそれぞれ異なる。花火を打ち上げたり、踊ったり。日本の場合は、夏祭りなどとあまり大差ない祝い方だ。

 

「人すごいな」

 

 混み合っている人混みを見て、俺は素直に思ったことを口にした。

 

「本当だ。今までで1番多いかも」

 

 隣にいた蘭が、静かに俺の声に答える。

 

「今まで、というと前はそんなでもなかったのか?」

「いや、昔も多かったけど、ここまでではなかったかな」

 

 蘭は黒のロングスカートに、上体は白いジャンパー、ニット帽を被った如何にも冬な着こなしをしている。

 

「何かやるか?」

「別に。やりたいの?」

「気分じゃないな」

 

 この場で金を使うとしたら、それはクジを引いたり、甘酒やら何やらを飲食したりする程度だろうか。

 

「とりあえず、詣に行く」

「そうだな」

 

 蘭の一声で、俺たちは歩き出す。

 

 祝い事というのは、老若男女問わずに数多くの人物が笑い、語り合う貴重な場だと思う。

 

 幼い子供はコマを回したり、出来たての餅を頬張って屈託のない笑顔を浮かべる。

 若い男女は、紙コップに注がれた酒を飲んだり、空いている片手で何かを食べたり。

 老人たちは、そんな子供や若い男女を、微笑みながらゆっくりと静かに語り合う。

 

 とてもバランスのとれた、綺麗な人間関係の図式だと思う。

 

「すごい並んでる」

「ああ。もう少し防寒するべきだったかな」

 

 文字どおり、長蛇の列だ。目の前にはそんな光景があった。

 

「どうする、やめるか?」

「詣しないと年越した感じしないし。寒いけど、並ぶ」

「そうか」

 

 短く言葉を交わし、最後列に並んだ。吐く息はみんな白く、静かに空に溶けていく。

 

 時折、両手を口の前に添えて息を吐く。悴んだ手が、少しだけ感覚を取り戻す。

 

「初詣、何にするんだ?」

「言ったら効果薄くなりそうだから、言わない」

 

 なるほど、と頷く。

 確かに言ったら効果薄くなりそうだ。根拠といえる根拠は一切無いが。

 

「どんぐらいかかるんだろ」

「30分か」

「長い」

 

 防寒装備であるとはいえ、30分も立ちっぱなしというのはさすが体が応える。

 

「詣が終わったらどうするんだ?」

「屋台でも適当に回りながら帰ろ。遅くなったら巴から怒られるし」

「あー」

 

 そういえば、と思い出す。

 この詣が終わったら、上原が今バイトをしているという居酒屋で飲み会をするんだった。

 

「そうだな、缶コーヒーでも飲むか」

「そこは甘酒じゃないの、情事的に」

「缶コーヒーの方が温まる」

「大差ないと思うけど」

 

 暖かさについては…まあ蘭の言う通り大した差は無いかもしれない。しかし味の方は缶コーヒーの方が個人的に好きだ。

 

「まあいいや。私は甘酒飲むから、あんたは何か缶コーヒーでも飲めば」

「そうさせてもらおうかな」

 

 並びながら、適当な世間話を。

 これから公開する映画で気になっているもの、それから発展して好きな映画やドラマ。そこで何故か挙げた作品に共通して出演していた俳優の話になったり。

 そんなことを話しながらも、気がつけば俺たちの番となっていた。

 

「えーっと、どうやるんだっけか」

「まずは姿勢を正すの」

 

 蘭から横目で言われる。

 家柄、やはりこういうのには詳しいのだろう。

 

「それでお賽銭箱にお金を入れる」

「5円は…無いな」

「別に5円じゃなくてもいいって言うし、なんなら500円玉でも入れれば?」

「それで効果上がるか?」

「そこは神様の気分と、日頃の行いじゃないの?」

 

 日頃の行いについては自信があるが、神様の気分はほぼ賭けではないか。俺たちは神様の気分で生きているのか?

 

「で、鈴を鳴らす」

「ああ」

「その後に二拝二拍手一拝をするの」

 

 蘭が簡易的にその動きをする。

 さすがは美竹の家の者というべきか、その姿はとても様になっていた。

 

「わかった?」

「大体」

 

 頭の中でさっきの蘭の動きを繰り返し再生する。多少は間違えるかもしれないが、500円も入れるんだ、神様も大目に見てくれるだろう。

 

「はい、私たちの番」

「まずは姿勢を正して…」

 

 それから蘭が教えてくれた動き通りに礼をする。

 横目で蘭を見ると、彼女の動きには無駄がない。慣れているというのもあるのだろうか、それにしてもだ。対して俺はというと、動きにぎこちなさが残る。素人目で見ても慣れていないというのがわかる。

 

 とまあ見てくれは怪しかったが、済ますことは済ました。

 

 鳥居を出た俺たちは、出たすぐそこで開かれていた屋台を見た。

 

「盛り上がってるな」

「新年だし、そりゃあ」

 

 とりあえず目に見える所にあった自動販売機でブラックの缶コーヒーのホットを1つ買う。

 振りながら、紙コップ1杯に注がれた甘酒を少しずつ飲んでいる蘭の元へ行く。

 

「本当に缶コーヒー…」

「買うって言っただろ」

 

 プルタブを開けると、ブラック特有の苦味のある香りが漂う。その香りを少し堪能し、1口口にする。

 混じりっけのない濃い苦味が口の中いっぱいに広がり、それと同時に体が温まる。

 

「あー、やっぱりブラックはホットだ」

「微糖はアイスなの?」

「微糖はどっちでもいいが、ブラックはホットがいいな」

 

 そんなことを話しながらお互いに手にしたものを飲む。

 

「…酔わないんだな、お前」

「え?ああ、甘酒のこと?」

 

 予想外な質問だったのか、一瞬だけ素の声を出す。

 

「漫画とかじゃよく酔う場面あるから」

「別に、甘酒ってアルコール成分ほとんど無いって言うし。寧ろこれぐらいで酔う方がおかしいんじゃない?」

「まあ、そうだろうけどな」

 

 容赦のないリアリストな返しに何も言えず、俺は紙コップの中身を見る。

 コーヒーの色とは対照的な白。

 そのことに、なんだか少しの興味が湧いた。

 

「1口もらうぞ」

「あっ」

 

 それだけ言って俺は蘭が持つ紙コップを少しこちら側に寄せ、俺は蘭の背と同じぐらいになるように膝を屈めて、1口だけ口にする。

 

「おお、美味い」

「私の甘酒…」

 

 あまり残ってないし、などと愚痴を吐く。

 ジト目で俺のことを睨む蘭に、仕方がないとため息を吐く。

 

「等価交換だ。お前の甘酒を1口もらったから、俺の缶コーヒーを1口やる」

「勝手に飲んだのそっちなのに何で上から目線なの」

 

 ごもっともな指摘だ。

 

「…まあ、ムシャクシャは収まらないし」

 

 ひとつだけため息を吐いた蘭は俺の手から缶コーヒーを分捕り、1口、それも勢いよく飲む。

 

「なっ、おいっ」

「…ぅ……」

 

 飲み終えたと同時に苦虫を噛み潰したような表情になる。

 

「苦…」

「そりゃあブラックだし」

 

 手渡された缶コーヒーを軽く振ってみるが、見事に何も音は聞こえない。全て飲みやがった。

 

「…私もつぐと同じで、ブラックはダメみたい」

「あーあ、全部飲んじまってよ…」

「あんたは1口とだけ言った。量については何も制限してなかったからいいでしょ?」

「…そう言われるとなぁ」

 

 見事に蘭の勝ちだった。まあ、元は勝手に飲んだ俺に非があるのだが。俗に言う因果応報ってやつか。

 

「そこまで言うのなら、私の残りの甘酒飲んでいいから」

「残飯処理だろ、これ」

 

 紙コップに残った量からして、残飯処理と言っても差し支えないが。まあ、このまま捨てるのも勿体無いし、飲むか。

 そうして俺が甘酒を飲んでいると、蘭の携帯電話に着信が入る。

 

「はい?」

 

 蘭が相変わらずの愛想のない声で答える。その様子からして、上原か青葉か。

 

「ああうん。わかったから、今行く。…うん、はいじゃあまた後で」

 

 それだけ短く言い終えた蘭は、容赦なく着信を切った。

 

「ひまり達が早く来いって」

「内容はなんとなくわかってはいたよ」

 

 あいつらのことだ。待ちきれないとか言って先に始めているだろう。

 

「なんだかあいつらが先に始めているんじゃないかって考えたら、少し腹が立ってきたな」

「奇遇だね、私も」

 

 こちらを見ないが、蘭から賛同の声をもらう。

 

「よし、コンビニでわさびでも買って帰るか」

「たこ焼きか、シュークリームにでも入れて泣かそう。主にひまりかモカ」

「ロシアンルーレットか。パーティーには必要不可欠だな」

 

 などと恐ろしいことを話し合いながら、俺たちは神社を後にした。

 




アフロと大槻くんの新年パーティーは男子高校みたいなノリになりそう。主に巴とかモカとか。


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2月 –––バレンタイン––−

バレンタインなんてあってないようなものだろう?


 2月13日。

 私を含めたAfterglowのメンバー5人は、何故かわからないが私の家にあがっていた。

 

「さ、チョコ作るよー」

「ちょっと待って」

 

 当たり前の顔で当たり前のように号令を始めたひまりをとめる。

 

「え、何?」

「何じゃなくて……なんで私の家なの?」

「えっ、何でって……」

 

 ひまりが私以外の3人のメンバーと目を見合わせる。

 

「家、広いし」

「だからって……」

 

 幸いにも偶々今日は父さんが家を空けているから良かったけど。

 

「っていうかさ」

 

 私はテーブルの上にどっさりと置かれたビニール袋を指差す。中には大量の市販の板チョコ。

 

「多すぎ。どんだけ作るの」

「えーっ、どんだけってそりゃあ…」

 

 ひまりが照れた顔をしながら言う。クネクネした仕草のせいもあってか、かなり腹が立つ。

 

「同じ学科の山口先輩!あの人に渡そうかと思ってるのー!」

 

 声を高く恥ずかしい、と乙女のような様子で言う。ひまり、あんた後少しで20歳なんだよ。痛々しいから見せないでそんな姿。

 

「あー、山口先輩?あの人確か彼女出来たらしいぞ?」

「あっ、それなら私も聞いたことある!」

「はっ、えっ?嘘嘘嘘だよね?」

 

 巴とつぐからの情報提供を頑なに信じようとしないひまり。そんなひまりにトドメを刺すようにモカが携帯電話の画面をひまりに見せつける。

 

「これ、私の先輩。で、その横にいるのが山口先輩〜」

「なっ、はっ、はぁぁぁ!?」

 

 崩れ落ちる。文字通り膝からだ。まるで漫画のような反応に、少しだけ笑みがこぼれそうになるが今笑ったら友達としてダメな気がするのでなんとか堪える。

 

「嘘…現実は残酷だ……」

「まあ、またいい男が現れるって。なっ?」

「そ、そうだよひまりちゃん!ひまりちゃんは可愛いから、きっといい人が……」

「ひーちゃん何連敗〜?」

「モカ」

 

 トドメを刺した当人はまだ死体蹴りを続けているので止める。

 とまあ1人が撃沈したとして。

 

「それでもこの数は多すぎない?」

「それぞれ誰に渡すか言うか」

 

 巴の提案にみんな乗った。

 

「私はお前らだろ。それとあこと父さんと母さん、あとは沙綾に、あこがいつも世話になってるRoseliaメンバーかな」

 

 巴は流石の交友関係の広さというべきか、渡す人はかなり多いようだ。

 

「じゃあ次は撃沈ひーちゃん〜」

「酷いよぉモカぁ……えっと、私は1つ減って、Afterglowでしょ、あと薫先輩とリサ先輩に彩先輩、それと友達のみんなかな」

「義理ばかり」

「モーカ」

 

 往生際の悪い。ガムテープで口を塞ごうか。

 

「モカは?」

「私は当然みんなでしょ〜。あと沙綾にリサさんでしょ〜、それから〜……自分用〜」

「行事の意味を調べてこようか」

 

 材料が残った際の処理はモカに決まった。

 

「つぐは?」

「私はお父さんとお母さんに、麻弥先輩にイヴちゃんかな。他はアルバイトの人にも渡して……あと、は…えっとぉ……」

 

 と、最後の方だけ顔を紅潮させ、歯切れを悪く言う。

 不審に思っただろう、私を含む4人はつぐに顔を寄せる。

 

「どうした?」

「あ、あの……」

「その反応……つぐ、もしかして…」

「え?」

 

 ひまりの言葉で、モカと巴は理解をしたらしいが、私はまったくわからない。何のことただろうか。

 

「マジなのか、つぐ」

「う、うん……ウチのお店の常連さんに、少し…その、気になる人がいて、ね……?」

「えっ……そういうこと?」

 

 そこでようやく、遅れて私は状況を把握した。

 なるほど、確かにこれは由々しき事態だ。

 

「お話も合って、雰囲気も古風って感じがして……ちょっとだけ、その、良い人だな〜って……」

 

 そう気になる人について語るつぐの瞳は、恋する乙女そのものだ。それもひまりのような下心満載ではない、そう、例えるなら美しく儚いなでしこの花のような。

 

「ちょっと、なんか変なこと考えてない、蘭?」

「別に何も」

 

 ひまりから鋭い視線を向けられる。

 なんだか考え方が京介に似てきてしまったのかもしれない。少し気をつけよう。

 

 でも、そっか。

 

「つぐも、もうそういう人を見つけるようになっちゃったか……」

 

 私たちの中で常に1歩引いた所で、常にみんなを支えて、笑顔でいて、優しかったつぐみが。

 普通の女の子だなんて言われていたつぐみが。

 恋をする、1人の女性になっていたんだ。

 

 知らず知らずのうちに、私はつぐの栗色の髪をポン、と優しく叩いて撫でる。

 

「えっ、ど、どうしたの蘭ちゃん…?」

 

 突然のことに、つぐは少し戸惑い気味に聞く。

 

「ううん、なんでもない」

 

 どうやら、私は酷い勘違いをしていたらしい。

 成長をしていたのは私だけじゃないんだ。

 先に道を進んでいたのは、私だけじゃないんだ。

 

 つぐも、いずれはモカや巴、ひまりは……昔からああだから放っておいて。

 この4人も、いつか大切な人を見つけて愛し愛されるんだろうな。

 そう考えると、なんだか少し感慨深くなる。

 

「さっ、チョコ作るよ」

「おいおい、蘭は誰に作るんだよ?」

「それは……」

 

 その質問は愚問だよ、巴。

 私は背後にいる巴に振り向いて、微笑みを浮かべて言う。

 

「あの京介(バカ)

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「ぃっ…し…っ…」

 

 くしゃみが出そうになるが、なんとか音を収める。

 

「風邪か?」

 

 隣で死んだ目で棒立ちとなっているバイト先の先輩に問われる。自分でも分からなかったため、首を傾げる。

 

「いや…体調は万全なんですけどね…」

「案外誰かが噂してたりしてな」

「そんな古典的な」

 

 嗤いながら言う先輩を尻目に、近くにあった塵紙を取って鼻をかむ。

 

「というかよ、明日バレンタインじゃん」

「そうですね」

「ですねって…反応薄いな。お前男かよ」

 

 相槌を打っただけで辛辣なことを言われる。

 

「お前って彼女いるんだっけ?」

「ええ、一応」

「くっそ、後輩に越されるとはな…写真とかあるかのか?」

 

 これで見せないという対応をとったらまた面倒くさくなりそうだったので、ポケットに入れてマナーモードになっている携帯電話を手に取り、写真フォルダの中から蘭の写真をタップし、大画面にして先輩に見せる。

 

「うわ、美人」

「そりゃどうも」

 

 大袈裟なリアクションを取られるが、適当に相槌を打つのみ。

 

「この娘からチョコとかもらったりするのか?」

「む……」

 

 先輩からの何気ない一言に、俺は言葉を詰まらせて少し考えた。

 そういえば、何も聞いていない。

 

「…いや、何も聞いてないですね」

「マジかよ。お前ら付き合ってるの、本当に」

「よく言われます」

 

 恥ずかしい話なのだが、これが俺たちの関係の内容なのだ。必要最低限のこと以外、特に干渉し合わないという。

 

「でも、まあ…流石に何かくれるだろう?」

「どうだか。味が山葵だったりっていうロシアンルーレット系になりそうですが」

「…なあ、お前ら本当に付き合ってるのか?」

 

 その言葉に俺は、苦笑交じりに肯定の意を持つ頷きをした。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 チョコ作りに着手してから何時間経過したか。

 進むには進んでいた。事実、つぐはそろそろ終わる頃だ。

 ちなみに私は何を使っているかというと、コンビニなどで売っているプチシューだ。中に具を入れるだけなので、比較的簡単だからだ。

 

 しかし、ここにきて新たな問題が発生した。

 

「チョコ、足らない…」

 

 ひまりが愕然とした表情で呟く。

 

「嘘、あんだけあったのに」

「残りが出そうなぐらいだったのに…」

 

 このメンバーで作る量が多いトップツーは巴とつぐ。しかし、その2人が作ったとしても、流石に幾らかは残るはずだ。

 

「モカー、モカは足りてるー?」

 

 そう黙々と作っているモカに呼びかける。しかし、反応はない。

 

「モカ?」

 

 モカがここまで集中するなんて珍しいこともあったものだ。明日は槍が降るか。

 そう思いながらモカの手元を除くと、そこにあったのはチョコを触ったことにより少し汚れた素手が。そしてそこからモカの顔を覗く。

 

 その顔は、主に口元がチョコの色で汚れていた。子供のようなその口元とは裏腹に、口元以外は何も汚れていない。

 キョトン、とした表情で私を見返す。

 

「んー?なーにー蘭ー?」

「……って、何食べてんの」

 

 あんまりにも平然とした態度に、なんとも言えなくなりそうになった。なるほど、犯人は大食らいのモカだったか。確かに、モカは食べることに関しては集中する。

 

「ひまり、犯人見つけた」

「あー!モカー!」

 

 ひまりが可愛らしい怒り顔でモカに声をあげるが、当のモカは何食わぬ顔で口を動かす。反省の色は全くない。

 

「…で、どうするんだ?モカはいいとして、ひまりは足りてないんだろ?」

「うんー…どうしよっか…」

 

 先ほどまでの怒り顔から打って変わって、次は困り顔のひまり。相変わらず表情豊かだ。

 

「新しく買いに行くか。私はもう終わるから、そのあと買いに行くよ」

「うん、ありがと巴〜」

「さっすがともちーん」

 

 反省の色なく口を動かすモカに、メンバーからの呆れの視線が集まるが、本人は何も気にしていない様子だ。

 

 私には何かできないか、そう思って自分の手元を見る。

 すると、1つの案が思い浮かんだ。

 

「ひまり、私のやつあげるよ」

「えっ、蘭いいの?」

 

 突然の私からの提案に驚き半分、嬉しさ半分といった様子のひまり。

 

「うん、いいアイデアが思い浮かんだ」

 

 多分、今の私はすごく悪い顔をしていたと思う。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 2月14日。

 世間ではバレンタインデーと呼ばれる日であり、朝から目に入る至る所で浮ついた雰囲気が漂っている。

 

 俺は彼女はいるのだが、その事に関しては何にも聞かされていない。

 まあ別にもらえなくても俺はそこまで大きいショックは受けないと思うが。あまりそういうのにも興味はないし、蘭自身もそうだろう。

 

 朝は蘭とは会わず、俺は1人でその日を過ごした。

 購買で買ったサンドイッチを食べ、残った時間で昼寝をし、午後の講義を受ける。

 まあ、言うなればいつも通りの流れだ。

 

 今日は諦めた方がいいか。そう思った瞬間だった。 

 

 草臥れた状態で廊下を歩いていると、後ろから肩を軽く叩かれる。

誰だと思い、振り向くと、そこには蘭がいた。

 

「お前か」

「そう私」

 

 相変わらずのぶっきらぼうさ。今日1日聞いていなかったその愛想のない声が、なんだか心地よく感じた。

 

「どうしたの、疲れてる?」

「ああ、疲れてる」

 

 今日はいつもより頭を使った気がする。

 

「…ねえ、今日は何の日か知ってる?」

「バレンタインだろ。何かくれるのか?」

「…図々しい。あげる気なくした」

 

 図々しくなったのはお前が全く何も言わないからだと思うけど。

 

「まあいいや。疲れたなら甘いものがいいって言うし。これ」

 

 そう鞄から取り出されたのは、黒に白の水玉の包みを掛けられたシンプルな箱だった。

 

「おー、本格的」

「開けてみれば?」

 

 そう促されたので、その通りに包みを剥がし、箱を開ける。

 中にはプチシュークリームらしきものが、10個あった。

 

「プチシュー?」

「作るの簡単だし。ひと口ならいいでしょ?」

「そうだな。食っていいか?」

「どうぞ」

 

 蘭からの許可ももらったので、とりあえず1つ手に取って口に運ぶ。

味はチョコだろうか、クリームだろうか。考えを巡らせようとしたその刹那。

 

「ぐっ……!?」

 

 まず感じたのは電撃のように舌に走る衝撃。次いで訪れる鼻腔を通ずる謎の爽快感。

 辛い。

 辛味だ。このプチシューの味は甘いわけでも、ましてや苦味があるわけでもない。辛いのだ。

 

「なんっ……っだこれ…!?」

「うわ、1発で当てた」

 

 蘭からは謎の拍手を送られる。

 思考が追いつかない。

 

「山葵か…?」

「正解。事情があって、仕方なく山葵いれたの」

 

 なんというサイコパス。まるで芸能人が食らう罰ゲームだ。まさかこんなことを体験する日が来ようとは。

 

「美味しい?」

「ああ、疲れが吹っ飛んだよ」

 

 それはもう強烈に。

 

「まあ、事情については聞かないよ。どうせ青葉が材料を食って足らなくなったから、数を揃えるためにやったんだろ?」

「そ、正解」

 

 しかも当たった。あまり嬉しくない達成感を感じる。

 

「まあ、そういうことだから。今日はこれだけ」

「なんか予定あるのか?」

「つぐのチョコ渡し手伝うの」

 

 そう言って手を振りながら去って行く。

 まるで嵐のようなバレンタインチョコの手渡しだった。

 

 家に帰り、風呂に入ってゆっくりしようとテレビをつける。机に蘭からもらったシュークリームが入っている箱を置く。

 

 酷い目にあった。まだ舌が痛い。

 頬杖をついてため息を吐く。すると、視線がプチシューが置かれてるくぼみに目が入る。先ほどまでは気づかなかったが、1文字ひらがなが書かれていた。

 

 『も』

 

 …も?

 思わず首をかしげる。そのくぼみの右隣にあるプチシューを1つ手に取り食べる。そこには『ら』と1文字書かれていた。

 

 …もしかして。

 蘭が思いつきそうな事を考え、俺は一気にプチシューを口に運ぶ。それにより1つずつ文字が生まれる。

 

 そして最後。最後の1つを残して、出来上がった文字を、否、言葉を眺める。

 

 『こ れ か ら も

  よ ろ し く 』

 

 残りの1つはきっと『。』だろう。

 

(あいつ)らしい…」

 

 呟いて笑う。

 全くもって素直じゃない奴だ。可愛らしい。

 

「ああ、俺からもよろしく」

 

 呟いて、残りの1つを口に運ぶ。

 その味は、マスタードだった。




こんなバレンタインを送りたい人生だったよ。


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3月 –––私たちの1年–––

突然ですが、これが最終話です。
一応Twitterでは言ってたけど、なんとなく察してる方も多かったと思うので、ハーメルン上では今まで黙っていました。
では、彼女らの1年の終わりをどうぞ。


 3月っていうのは別れの季節なのだと思う。

 春といえば4月と3月だが、別れを想起させるのは3月、出会いや始まりを想起させるのは4月だ。

 

 何故、私がこうも3月が別れの季節であると語っているのかというと、それは私が実際に別れというのを体験したからだ。

 

 5年前。

 まだ中学2年生だった私は、想い人と離れ離れになった。メルアドの交換などもしていなかった私たちは、実質音質不通の状態。

 忘却をする事で生きる人間にとって、その状況はあまりにも残酷で、絶望的であった。

 彼も、いや私もいずれはこの関係と想いを忘れてしまうのだろう。そして前へ進むのだろう。

 

 最初はそう不安にかられ、何度も泣いた。

 しかし、そんな不安を打ち消してくれたのは、たった1つの約束。

 

 –––––––俺はまた、この街に戻ってくる。

 

 彼が言ってくれたその言葉に、淡い気持ちと期待を抱きながら、日々を生きていった。

 

 そしてそれから5年。

 私と彼は、再会した。

 思ったよりも早く、そして特に何の感動もなく。

 

 それから関係は進み、恋人同士がやることは大体やったんじゃないだろうか。

人はきっと、私たちの姿を順風満帆と言うのだろう。少なくともモカやひまりからは常に弄られている。

 

 けれど、私の心情は、嬉しさと楽しさの中に、少しではあるが、しかし強力な存在感を持った、恐怖感があった。

 

 父と彼の語り合いを盗み聞きした時、酷く記憶に残っている彼の言葉。

 

 ––––––––未来はわからない。

 

 その言葉を事あるごとに思い出し、嘗てに抱いた恐怖心に陥れられる。その不安で眠れない夜も何度かあった。

 

 ああ、嫌だな。離れたくない。

 出来ることなら、この日々よ永遠に続いてくれ。

 

 私は、そう切に願いながら、日々を生きている。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「………ん……」

 

 瞼を開ける。

 カーテンから僅かに差し込む光が、腕に当たり、その辺りだけ少し暑い。

 

 置かれた時計を手に取って時刻を確認する。

 10:15分。

 私にしては、随分と寝てしまっていた。

 1度欠伸をし、次いでまだを目を覚まさない身体を起こすように伸びをする。

 

 リビングに降りるが、誰もいなかった。

 テーブルには1枚の置き手紙。

 

 『夕方には帰る』

 

 ああ、通りで静かなわけだ。

 頭をかき、冷蔵庫を開けて中身を調べる。

 とりあえず牛乳を手に取って、台所に置かれていたコップに注ぎ、一気飲みする。

 

「んー……」

 

 まだ取れない眠気を取るために、私は顔を洗うことにした。

 

 寝巻きから普段着に着替えた私は、それから暫くテレビの前で呆っとしていた。

 朝ドラの再放送が流れている。映像というより、どちらかというとBGMのようだ。

 

 小腹が空いたので、再び冷蔵庫を開ける。しかし、その中には何も無かった。あるのは牛乳などの飲料水。それと調味料。

 

「……」

 

 何かを作ろうにも、材料が無い。

 

 溜息をつき、再びテレビの前で呆っとする。

 すぐ横の窓から差し込む光を何となく眺める。

 今日はいい天気だ。春らしい、陽気で気分が楽になる、暖かい気候だ。

 

「……ん」

 

 立て掛けられた写真を見る。

 写っているのは、高校3年生の時の合宿で、わざわざ山吹ベーカリーのパンを持ち込んで、朝食としてそのパンを頬張っているモカ。

 

 たまには、外食の朝というのもアリだろう。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 思った通り、外はとても暖かった。

 外では部活動の一環だろう、体操着でランニングをする男子中学生。学校の前を通ると、これは吹奏楽部か、ホルンなどの楽器の音色が少しだけ聞こえる。

 そんな光景を見て、音を聞いて、どことなく懐かしい気持ちになった。

 

 それから桜並木の下を歩いて、少しだけ桜を堪能する。

 少しだけ遅くはなったが、目的地の山吹ベーカリーに辿り着く。

 

 モカや巴に比べて私はあまり来店はしないが、たまには良いだろう。

 

 扉を開ける。入店を知らせる鈴が小鳥のさえずりのように心地よく響く。

 

「いらっしゃいませー」

「どうも」

 

 明るい声で出迎えたのは、明るい亜麻色の髪をポニーテールに纏めた大人びた少女。山吹沙綾だ。

 沙綾は私の顔を見て、少し驚いた顔をする。

 

「あっ、蘭。珍しいね」

「気分が乗ったし、偶にはお店の売り上げに貢献しないと」

「あはは、ありがと」

 

 彼女にはモカや巴がよくお世話になっている。

 面倒見のいい性格らしく、個性の集合体であるPoppin' Partyの良心的存在だ。

 

「で、何を買うの?」

「そうだな…朝食がてらだし、サンドイッチかな」

 

 そう言って手に取ったトレイに、トングでサンドイッチを1つ取り置く。

 

「どう、彼氏さんとは?」

「特に何もなく、いつも通り」

「あははは、蘭らしくて安心した」

 

 気さくな笑顔を浮かべながらも、慣れた手つきでサンドイッチをビニール袋に入れる。

 

「じゃあまたね」

「うん。今度また来るよ」

「その時は彼氏さん紹介してよね」

「予定が合えば」

 

 最後まで気さくで明るい沙綾に微笑んで、山吹ベーカリーを後にした。

 

 その後も、公園でサンドイッチを口にしながら、元気よく遊ぶ子供たちを眺める。

 昔の私たち–––––Afterglowの幼少期の姿と重ねる。

 随分、時が経ったものだ。

 

「……ふっ、なんて」

 

 らしくもないことを考えたものだ。

 自嘲気味に嗤い、食べ終えたサンドイッチを包んでいた紙をビニール袋に入れ、その袋をゴミ箱に入れる。

 

 さあ、少し散歩をしながら帰ろうか。

 そう思って公園を出ると、予想外の人物に出くわした。

 

「お」

「あ」

 

 大槻京介。なんでここにいるのか。

 

「どうしたの?」

「散歩。暇だったし。そっちは?」

「同じく散歩」

 

 全く、普段はよく考えが相反することが多いのに、こういう時だけテレパシーを使ったように一致する。

 

「…ふむ。ならさ、これから一緒に昼でもどうだ?」

「ごめん。私今さっきパン食べたばっかり」

「……そりゃまた、タイミングがよろしいことで」

 

 苦笑交じりに言う。

 そういえば、この公園で彼と話をするのは随分と久しぶりになる。

 

「…ねぇ。お昼には行かないけどさ、私、行きたいところがあるの」

「…?何処だ?」

「それは––––」

 

 その言葉を聞いた瞬間、彼は少し驚いたような顔をした。しかし、次第に懐かしむような笑みを浮かべて、賛成の意を唱えた。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「しっかし、この階段はいつ登っても長いな」

 

 愚痴を吐く京介に、私は彼の背中を叩く。気合いの注入というやつだ。

 

「それがここの名物なんだし」

「ま、そうなんだけどよ」

 

 手すりをつかみ、時折見える景色で休息をとりながら、再びを足を運ぶ。

 そんなことを何度か繰り返し、ようやく辿り着く。

 

「おー、やっぱり綺麗だな、ここは」

「うん、そうだね。変わらない」

 

 5年前から全く変わらない、この景色。

 街は変わらず、私たちを受け入れる。ああ、なんて暖かい場所なんだろう。

 

「あの時の別れから、5年…ちょうどここだったよね」

「そういえばそうか…」

 

 忘れもしない、あの時のスカーレット色に染まった空。

 ある意味では、Afterglowの始まりでもある。

 

「私さ。今日寝てる時に、頭の中でポンって浮かんだんだ」

「何がだ?」

「3月は、別れの月だってこと」

 

 そんな私の突拍子もない言葉に、彼は目を見開くが、そして堪え切れないと言わんばかりに吹き出す。

 

「…そんなにおかしい?」

「いやあ?その認識は間違ってはないと思うぞ」

「…はあ。そういえば、あんたがそういうのあんまり気にしない能天気なやつだってことを今思い出した」

「笑っただけで随分と辛辣な」

 

 雰囲気をぶち壊す彼の笑いに、少しのため息を吐く。しかし、それと同時になんだかスッキリもした。

 

「私さ、怖いんだ。またあんたが何処か遠くに行くんじゃないかって」

 

 常に抱いている不安と恐怖心。

 彼の笑いで多少は和らいだが、それでもまだ残っている。

 

「幸せがいつまで続くかわからないし。そういうのを再認識すると、どうしても怖くなるんだ…」

 

 ずっと静かに聞いていた彼は、そんな私の言葉に篭った不安感や恐怖心を断ち切るように、静かに口を開いた。

 

「確かに、それは俺も同じだよ。俺じゃなくて、お前がいなくなることだってなきにしもあらずだからな」

 

 その可能性も、捨てきれない。

 言い出せばキリがないぐらい出てくる可能性。人生というのは、わからないのだ。

 

「たださ。それで何もせずに離れるなんて無様にもほどがあるだろ?抗おうぜ」

「あら、がう…?」

 

 ああ、と頷く彼は得意げに話す。

 

「あの時は俺たちはガキだったけどよ、今はもう大学生だ。それもあと少しで20歳。充分歳を取っただろ?」

「そう、だね。そういえば」

 

 ついつい最近よく感じるようになった、加齢。歳をとるというのは、なんとも複雑だ。

 

「例えばさ。2人で遠くへ行ったりとか、そういう映画みたいなことが出来るんだ」

「なにそれ、現実的じゃないじゃん」

「けど、出来る」

 

 そう。現実的じゃない。けど私たちはそれをすることが出来る。正しくは挑戦か。

 そんな彼のお笑い芸人のネタのような内容の話に、少し吹き出す。

 ああ。そうだ。抗うんだ。

 私は、私たちは抗うことが出来るんだ。理不尽な運命と人生に。

 嘗て叩きのめされた絶望に、抗うことが出来るんだ。

 

「ありがと。少し元気が出た」

「そりゃよかったよ」

 

 辛気臭い語り合いを終えた私たちは、綺麗な街並みを見下ろす。

 所々に街並みに並んでいるピンク色の物々は、この季節の名物の桜だ。

 

「あ、そういえばよ」

「なに?」

 

 突然口を開いた京介に、私は聞く。

 それに彼は、いつも通りの笑顔で答える。

 

「3月は別れだけじゃない」

 

 1つ、間を置く。

 

「後ろを振り向く。再認識の季節だ」

 

 再認識。それは、後ろを振り向くことにより、新たに改めて気づく愛の形。

 

 なるほど。彼にしては、まあ良いことを言ったものだ。

 

「そうだね。偶には、後ろを振り向くのもありかもしれない」

「ああ。前ばかり見ていても、何も始まらない」

「うん。少し足を止めて、今をしっかり見よう」

 

 それがきっと、上手い人生の歩み方だろうから。

 

 立ち止まって、改めてその幸せを噛みしめる。そしてまた歩き出す。

 そうやって、私は、私たちは生きていく。2人で寄り添って、軽口を叩き合いながら。

 

 短く感じながらも、しかし濃密な、私たちの1年が、これからまた、始まるのだ。




はい。というわけで『彼女との1年』はこれにて完結です。
初投稿から半年経つか経たないかぐらい。私自身も短く、しかし非常に濃密な半年だったと感じています。
京介と蘭は、まあ終始あのテンションでした。それが多分、というかほぼ確実に彼らの愛の形なのでしょう。

さて、この作品のこれからの展開は、まあ大学生編後のちょっとしたショートストーリーを考えています。
これからも何か気分が乗ったりしたら1話とか2話ぐらい投稿すると思います。結婚後の話とか?そんなこととか?
あと、今随筆している作品で巴の小説があるんですけど、その作品は『彼女との1年』と同じ世界観にしようかと考えてます。そこでもこの2人はチョイチョイ描写しようかと思っています。
他に何か「こういう話やって欲しい!」みたいなリクエストがあったら私のTwitterに言ってください(笑)Twitterでチバチョーと検索すれば1発で出ると思うので。

とまあ長くはなりましたが、ここまで読んでくださって本当にありがとうございました。
これからも他のバンドリ作品を頑張って投稿していこうかと思います。興味があればそちらの方も是非!
ではまた何処かでお会いしましょう。サラダバー!


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外伝
流星群


2017年もあと僅か。季節特に関係のない話を更新する千葉県民が通ります。


 冬特有の乾いた寒風が肌を突き刺す。

 マフラーを口元から鼻が少し隠れるぐらいにまで引き上げて寒風を防ぐ。

 

 寒い。

 シンプルでわかりやすい感想を抱いた私は少し早歩きにして目的地まで向かう。

 

 羽沢珈琲店の看板が目に入った時、少しの安堵感で顔が綻びる。そして寒さに追われるように私は店の扉を開けた。

 

「いらっしゃいませ」

 

 カウンターでレトロなコーヒーミルの取っ手を掴んでゴリゴリと音を立てて回している若い男性が爽やかな微笑を浮かべて出迎える。

 

「美竹さんでしたか」

「マフラー深くしてたから気づかなかったかもね」

 

 早歩きをしたことにより少し蒸れたマフラーを外す。

 

「つぐみを呼びましょうか?」

「忙しいでしょ。大丈夫、今回はそこにいる派手な赤髪に用があるから」

「聞こえてるぞー」

 

 親指で指差した方から女性としては少し低い声が聞こえる。

目を向ければ、そこには椅子に座った、少し派手な袖立ちをした赤髪の長身の女性がいた。

 名を宇田川巴。私の幼馴染だ。

 

「その格好、恥ずかしくないの。30歳も見えてきた歳なのに」

「まだ27だわっ」

「もう、の方が正しいと思うけど」

 

 私達以外に客は入っていなかった為、人目を気にせずに軽口を叩き合いながら彼女と対になるように正面の席に座る。

 

「旦那さんはなんか言ってないの、その格好」

「特に何とも。あんましそういうの気にしないタイプなんだろうな」

「良い旦那持ったね」

「おお、煙草の吸いすぎが偶に傷だけどな」

 

 皮肉を込めた言葉をぶつけるが、どうやら通じていないらしい。さすがAfterglowの2バカコンビの片割れだ。

 

「で、どうしたんだ。お前から誘うなんて珍しいじゃん」

「ああ、うん。それがさ」

 

 少し言葉に詰まりそうになったので、グラスに注がれた水を一口飲んで唇を潤した。

 

「すれ違い、してるんだよね」

「すれ違い?お前とアイツがか?」

 

 心底意外そうに、目を見開く巴。

 

「すれ違いとは言っても、そこまで酷いものじゃないんだよね。ただ前に比べて会話が素っ気ないというか」

「それって昔からだと思うんだけどな…」

 

 肘を立ててジト目で言葉を返す巴。

 そういう言葉が返ってくるのは何となく想像はしていた。

 

「まあ仕事も忙しいだろうし。蘭も大変なんだろ、華道は」

「私はそうでもないかも。昔から父さんに扱かれてたし。ただあっちの方は…」

「どこ就職したんだっけ?」

 

 温まっているコーヒーを啜った巴が聞く。

 

「大手出版社」

「出版社?言い方はあれだけど、そんな忙しいのか?」

「その会社の親会社、弦巻グループ」

 

 コーヒーを啜っていた巴が弦巻グループの名を聞いた瞬間に噎せて咳き込み始めた。

 

「弦巻グループって…あの弦巻か?」

「どの弦巻だっていうの。他は何もない、正真正銘の弦巻こころの親御さんが経営してるとこ」

「何の縁なんだろうな、それ…。というか弦巻グループっていうのには驚いたが、何か問題はあるのか?」

 

 確かに。親会社が知人の両親が経営しているというのは驚くべき縁のつながりだ。世界は狭いとはまさにこのこと。そのこと自体に特に障害はない。しかし、問題はここからなのである。

 

「その子会社…つまり京介の勤め先に、そのこころがいるの」

「はあ?なんでそこにこころがいるんだよ」

「そんなの私が知りたいぐらい。偶然なのか、それとも仕組まれてるのか」

「前者を願いたいな」

 

 巴に大きく同意する。

 

「しかしすれ違いか…そんなに深刻でもないんだろ?」

「私が認知している限りでは」

 

 顎に手を当てて考えるそぶりを取る巴。

 

「2人きりで出かけたり…っていうのはどうだ?」

「2人きり、か」

「そ。最近そういうのしてないんじゃないのか、お前ら」

「…言われてみれば」

 

 最近は2人で外出どころか、家での会話も少なくなりつつある。原因は帰ってきた彼の顔が窶れてて無理させないように私が寝かせているからなのだが。

 

「そういうのは結構大事だぜ?」

「へー…」

 

 家にいるよりは恐らく外の方が会話も弾むとか、きっとそういう効果があるのだろう。

 

「お待たせしましたー」

 

 と、私の幼馴染の1人である羽沢つぐみがトレイにホットコーヒーを乗せて運んできた。

 

「よ、つぐ」

「出て来ちゃって大丈夫なの?」

「寝かせてきたから暫くは大丈夫」

 

 つぐは私たち幼馴染達の中では最も早くおめでたを迎えた。今カウンターでコーヒーを作っている美形の男性がつぐの旦那さんというわけだ。

現在Afterglowメンバーの中で既婚者は私を含めて3人。1人はそういった話題が全く上がらず、もう1人は単純に望み薄だ。

 

「で、蘭ちゃんの悩みって?」

「旦那との間に出来てしまった溝の埋め方」

「言い方悪い。そこまで行ってないって」

 

 間違ってはないが。もう少しオブラートに包んでくれないと、離婚協定一歩手前の熟年夫婦感が出てきてしまう。

 

「現在進行形で円満なつぐからは何か言うことは?」

「えっと…あんまり無責任なことは言えないけど…」

 

 つぐらしい、相手に気を遣った前置きをして。

 

「2人でお買い物とか外食とか、そういうのがいいと私は思うよ」

「つぐもそういう答えか…」

「私と同じこと言ってる」

 

 巴はともかく、つぐまでそう言うのなら試す価値はあるのだろう。

 食事か買い物か…何かいい話題はないものだろうか。

 

「そういえば明後日の流星群は見るのか?」

 

 藪から棒に巴が聞く。

 

「私はどうかな…子供がぐっすり寝てたら…かな?」

「蘭は?」

「流星群…」

 

 流星群が夜空を流れる光景を頭の中に描いてみる。

 

「どうかな」

 

 私は首を傾げた。

 巴たちも苦笑いをしていた。

 今はなんだか、彼との溝の埋め方以外に興味が沸かなかったのだ。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 キーボードのエンターキーを押したと同時に心地の良い音が鳴る。その音を聞き届けた俺は糸が切れた人形のように椅子の背もたれに体を掛けて大きく伸びをする。

 

「お疲れのようね」

「あー…」

 

 その疲れの原因でもある女性…俺の勤め先の親会社の社長の令嬢、弦巻こころが俺の顔を覗き込む。

 麗しい金の髪に、人形のように丸く、宝石のような鮮やかさを持つ瞳、日本人離れした整った顔立ちはまさしく絶世の美女。赤色の眼鏡を掛けていることにより、聡明さも浮かび上がっている。

 

「そりゃ疲れますよ…身分に見合わない仕事をこなしてるんですから」

 

 入社して2年ほど。順調に行くかと思われた俺の生活は、見事にこの女史によって打ち砕かれた。

 弦巻こころ令嬢…何の目的があるのかわからないが、彼女が新入社員の俺をすっぱ抜いて別の部署へと強制移動させられたのだ。

 

「まったく…こっちは忙しすぎて嫁とも碌に会話もできてないっていうのに…」

「それは大変だわ。何とかしないと」

「誰が原因でその悩みを頭に抱えていると思ってるんですかね」

 

 当の本人は気づいてないようだ。元々人の話をあまり聞かないタイプの人物なので、何を言っても無駄だろう。それに実際問題、彼女の計らいのおかげで収入は暖かいのだ。少しのことには目を瞑ってやろう。

 

 目頭を押さえて疲れを解しているところで、俺は以前から抱いていた疑問をぶつけてみることにした。

 

「弦巻さんは、どうして私めなんかをこんな所まで引っこ抜いたんですか?心当たりがなくてちょっと怖いんですけど」

「そうね…」

 

 唇に指を当てる弦巻女史。それだけで絵になるほどの整った顔立ちと雰囲気から、非常に様になっている。

 

「まず1つは、貴方の名前よ」

「名前?」

「美竹京介…この辺りで美竹という名字を持つ人は僅かしかいないわ」

 

 俺は美竹の家に婿入りする形で入籍をした。なので俺の名前は美竹京介ということになっている。

 

 しかし、美竹の家の事を知っている。華道の家としては有名どころではあるし、弦巻グループとは何か繋がりがあるのだろうか。

 

「そして貴方の年齢などから考えて、1つの結論に至ったの」

「結論?」

「貴方が蘭の夫であることよ」

「ら、ん…?」

 

 何故、彼女の名前を。

 そう言葉を口に出すよりも先に彼女は答えた。

 

「私は昔、バンドをやっていたの。ハロー、ハッピーワールドっていうバンドを。その時にライブとかよく共演してたのが、蘭がやっていたAfterglowなの」

「ハロー、ハッピーワールド…聞いたことあるな」

「今は活動停止中だけれど。その時のつてで蘭とはよく話してたから、もしかしてと思って」

「友人の旦那だからすっぱ抜いたと…これって俗にいう身内贔屓ってやつですよね」

 

 すると弦巻女史は目を見開き、くすりと可愛らしく、しかしどこか意地悪く笑う。

 

「そうかしら?私は貴方の実力をしっかりと買っているのよ」

「そりゃまた。何を根拠に」

「前の部署の人達に貴方の評判を聞いたの。そしたら、ちょっと昔の友人に似ていたのよ」

「昔の友人」

 

 鸚鵡返しで言う俺に、彼女は「ええ」と頷く。

 

「その友人は常に自分を守ろうとしているけど、無意識に他人の世話を焼くような人だったのよ。それが少し、貴方に似ていたの」

「似ていた、ね…」

 

 似ていた、という曖昧な理由で俺を連れてくるということは、余程弦巻女史はその友人に何か思い入れがあったのだろう。

 最新式の薄いPCを操作し、シャットダウンを押す。

 

「まあ、つまり私は貴方のご友人とどこか重なる部分があったから、今こうして身に余る立場に立っている…ということですかね」

「言い方が悪いわ。けれど正解よ」

「光栄極まる事実と処置、改めてありがとうございます」

 

 メッセンジャーバッグを肩に掛け、席を立つ。

 

「お疲れ様です」

「お疲れ様。そうね…」

 

 と、弦巻女史は俺の肩に手を置き、耳元に顔を近づけて囁く。

 

「ふたご座流星群、行ってみたらどうかしら?」

「…流星群?」

 

 このような少々過激なスキンシップにはされなれたので、特に何も反応はしない。

 美しく、そして意地悪く笑う弦巻女史に呆れの視線を送る。

 

「偶には2人きりのデートを提言するわ。一応、その問題の根源の1つでもあるからね」

「…ご提言、痛み入ります」

 

 彼女の顔を見返すが、その眼鏡に映るのはやや疲れた表情をした男だけだった。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 相変わらず広いこの屋敷は、いつ見ても慣れる気はしない。

 玄関扉を開け「ただいま」と短く呼びかける。

 

「おかえり。今日は割と早かった」

 

 少し奥にある襖を開けてこちらに歩み寄るのは蘭…つまりは俺の妻。

 

「そうか?あまり変わってないように思うけど」

「待ってる側からすると、秒単位の違いでもわかるの」

 

 皮肉ともとれる、蘭の言葉に呻きを上げながら靴を脱ぎ、リビングの椅子に上着を掛ける。

 

 リビングに置かれていたポッドからお茶をコップに注ぎ、一口飲む。

 と、視線が刺さっている気がした。この空間には俺を含めて2人しかいない為、その1人である蘭を見る。

 案の定、頰をついて俺のことを見ていた。

 

「なんだ?」

「いや…別に…」

 

 妙に歯切れが悪かった。

 珍しいこともあるんだな、なんて思っていると、1つの言葉が頭を過る。

 

 ーーー偶には2人きりのデートを提言するわ。

 

 

 つい数時間ほど前、弦巻女史に言われたことを思い返す。

 

 ふたご座流星群、と携帯で調べてみる。どうやら明後日に見れるらしい。

 

「……」

 

 頭をかき、コップに残ったお茶を一気に飲む。

 1つ息を吸って吐く。

 

「今度…明後日、か。2人でどっかに行こう」

「え…」

「偶にはいいだろ、そういうのも」

「ぁ……そう、だね…」

 

 蘭はやや戸惑い気味に、少し驚いたような顔をしていた。

 そんな彼氏に初めてデートに誘われた少女のような、初々しい反応を取れたものだから。

 

「……まあ、そういうことだからよ」

 

 三十路も見えてきた年齢だというのに、妙に甘酸っぱい感情を思い出してしまった。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 2日後。

 早朝というわけでもなく、俺と蘭は家を出て、隣町まで行って適当にデートなようなものをした。

 最初こそ、やはり久しぶりなこともありかなりぎこちなかった。

 それはそう、まるで初めて2人きりで出掛けた、あの12月の様だった。

 

「やけに歩き方がぎこちないな」

 

 横を歩く蘭は、少し周りをキョロキョロと視線を配りながら落ち着きなく歩いていた。

 

「そんなこと…ある、かもしれない…かも」

「見てるこっちが心配するような歩き方するな。危ないだろ」

 

 雑談をしながら歩く。

 前方に建てられていたカーブミラーに自転車が写ったのを、俺は見逃さなかった。

 

「ほら、後ろから自転車も来てるし」

「ーーー」

 

 自転車に衝突しないよう、蘭の肩に手を回して俺の方に蘭の体を寄せる。

通り過ぎる自転車の背を見送り、蘭の方に視線を落とすと、紅潮した顔で俺を見ていた。

 

「……っ…」

「……」

 

 しばらく見ない蘭のこの表情を、今日は何度も見る。まるで60年代のラブロマンス映画のヒロインのような反応。10年前の蘭でもそんな姿を見ることは少なかった。

 

「……行くか」

「…うん」

 

 やけに素直な彼女の反応がむず痒く、俺は空を見上げて心の中でため息を吐いた。

 

 それから昼食を摂り、雑貨屋で軽い買い物をした。その頃には、もう慣れたのだろう。蘭は自然と俺の右手に手を絡めてきていた。

 

 周りの目が気になりはしたが、案外俺たち以外にもそういうことしてるカップルはいたので、拒むことなく俺も握り返した。

 

「やけに積極的だな、今日は」

 

 彼女の顔を見ずに言う。

 

「冷静に考えてみれば、今後こういう機会がそう多くあるとも限らないって気づいた」

「ああ、そう」

「だから、今日は…まあ、ちょっと若々しくいかせてもらう」

「……ああ、そう」

 

 なんて、光も影もない曖昧な返事を返すことしかできない。

 

 彼女は、こういう事を望んでいたのだろうか。

 2人きりの外出。言わばデート。

 久しく経験していないこの感情を、彼女は求めていたのだろうか。

 

 だとしたら。

 

「悪い事、したかもな」

「なに?」

「……なんでもない」

 

 今回のデートでその罪が償えるかはわからない。けれど、これで蘭の辛さが少し和らげれるというのなら。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 久しく経験しない鼓動の高鳴りに、私は終始戸惑っていた。

 まるで初恋をした乙女だ。10年以上前に彼に私の想いを伝えた時も、こんな鼓動が鳴ったことはなかったのに。

 

 病気か?

 いや違う。それは病気というにはあまりにも心地の良いものだ。

 

 彼の起こす仕草一挙一動に目が惹かれる。

 私は乙女ではない。しかし、私のいまの心の内は完全に恋真っ最中のティーンエイジャーの少女。それもとびきりウブでシャイな箱入り娘のだ。

 

 ああ、まったく。

 27になろうとしているというのに、何でこんな感情を抱かなければならないのだろうか。

 

 なんてことを心の中で吐き出した頃には、青かった空は黒に塗り潰され、辺りは街灯というオレンジ色の光に包まれていた。

 

 前を歩く京介の背を、私は無言でついて行く。

 途中、トイレに行きたいとのことで彼はコンビニへと入って行った。

 

 その間、私は暇だったので店の前に設置されていた喫煙所で煙草を1本ふかした。

 月に2、3本嗜む程度ではあるが、今は何だか、口の中で広がっているこの妙な甘酸っぱい味を、煙草の苦味で搔き消したかった。

 口の中にいっぱい、息を吸って吐く。白い煙が目の前に広がる。それはモヤモヤと曖昧な形となって宙を舞っていたかと思えば、跡形もなく消えてしまった。

 

「……」

 

 次いで煙を吸う。次は輪っかの白煙を作ろうと少し腹に力を入れて息を吐いてみるが、上手くはいかない。

 

 なんだか、上手くいかないな。

 物事を上手く運ぶことが、こんなにも難しいことだなんて、まだ10代の学生だった私には欠片も思っていなかった。

 現実の厳しさは、充分に味わったはずなのに。

 なんでまだ、こんなに辛い思いを味わわなければならないのだろうか。

 

「こういうこと、みんな思ってるのかな」

 

 もしかしたら、そんな甘えたことを思っているのは私だけで。

 それが社会の、大人が抱くべき感情と思いなのかもしれない。

 

 だとしたら、この世界はとても窮屈で、居心地が悪い。息苦しい。

 

 なんて、そんな子供っぽく視野の狭い考えを巡らせていると、京介がコンビニから出てきた。

 

 トイレだけだというのに、随分と待たせたものだ。

 吸い終え、フィルターだけ残った煙草を灰皿に捨て、彼の元へ向かう。

 

 が、暗くて見えなかったからか、近づくにつれて彼が持っているある物が目に入った。

 

「…何、それ」

「何って…ビール」

「…帰ってから飲むの?」

「まあ、そんなとこか」

 

 彼が持っているビニール袋の中には缶ビールが2本入っていた。

 デートの帰りにコンビニに寄って缶ビールを買うだろうか、普通。

 

「まあいいや」

 

 今日のデートが楽しくなかったかと聞かれれば嘘になる。変な鼓動の高鳴りで集中できなかったが、まあ悪くはない。

 

「なんだったら私の分も買って来なさいよ」、なんて事を肘で小突いて言うと、彼は何故だか意地悪く笑った。

 

 このまま帰るのかと黙って京介の後ろを歩いていたが、途中ーーーかなり遅くなったがーーー気づいた。

 帰り道から、大きく逸れていることに。

 

「ねえ、どこ行くの?」

「まあ散歩ってところだな」

 

 怪訝な眼差しを送るが、どうやら彼には届いていないらしい。

 別に早く帰っても家でやることはないので、無理に止めることはなくついて行く。

 

「…あれ、ここって…」

 

 と、またも遅くなったが気がついた。

 見上げる先は暗闇。永遠に続いてるのかも思うほどの長い長い階段。

 

 ああ、ここは。

 

「上がるか」

 

 私たちの思い出の場所ーーー神社だ。

 

 こう何度も階段を登っていると、登ることそのものが楽しく思えてくる。

 

 肌を指し、髪を靡かせる冷たい乾いた風。しかしそれは一昨日のそれとは違く、どこか心地良い気がした。

 

「寒い」

「確かに、寒いな」

 

 私の少し後を追う彼は手すりに触れてそう言う。

 

「何見せる気」

「楽しみに待っとけ」

「ハードル上げてるけど大丈夫?」

「…そう言われると不安になるな」

 

 などと話しながら、ようやくたどり着いた頃には、鳥肌が立ちまくっていた。

 

 7、8年経っただけでも随分と体力が落ちた気がする。

 落ち葉を掻き分けてベンチに座る。 

 

「大分体力落ちたな」

「言われずともわかってる。トレーニングでも始めようかな」

「それもいいんじゃないか」

 

 「よいしょ」などという年齢に見合わない言葉を吐いて私の隣を座る。

 ビニール袋から缶ビールを取り出し、私に差し出す。

 

「飲むか?」

「……」

 

 何故2個も買ったのかと思ったら、元々私の分だったのか。

 

「…頂く」

「素直でよろしい」

 

 プルタブを開けると空気が抜ける音が響いた。

 

 隣で黙ってビールを啜っているかと思ったら、おもむろに携帯電話を取り出した。

 

「そろそろ時間か」

「は?」

 

 ボソリ、と隣の私ですら聞こえる聞こえないかぐらいの声で呟いたかと思ったら、夜空に向かって指を差し出した。

 

「見てみろ」

「何、らしくもないことを…」

 

 彼の腕から手、そして指をなぞるようにして見る。行き着いた先は、満天の星が輝く夜空。

 真っ暗闇の空に、点々と大小様々、そしてカラフルに煌めく星たちが。

 

「綺麗…」

 

 一瞬で心が奪われた。

 なんて幻想的で、魅力的な光景だろう。

 

「まだだよ」

 

 少し朗らかな彼の声と同時に、夜空に流れる一筋の光。

 まぎれもない、流れ星だった。

 

「流れ、星」

 

 そして思い出す。

 

 

 ーーーそういえば明後日の流星群は見るのか?

 

 

 思い出すのは幼馴染の声。そしてその時の私の心境。

 

「まあ、なんだろうな。悪かったよ、最近話せなくて」

「…いいよ。仕事でしょ」

 

 彼は申し訳なさそうに言う。

 

「今回のこれは…まあ溝を埋めることもあったし、お前への贖罪でもあるんだ」

「贖罪、ね」

 

 贖罪だなんて。

 私にも罪はあった。あんただけが罪を償う必要はない。というよりも罪を償う意味がわからない。

 

「私もさ。辛かったよ。すごく、このまま終わっちゃうのかな…なんて、行き過ぎた不安を抱えたりもした」

「抱えても仕方ないかもな」

「…そうかも」

 

 ビールを飲んで、少し酔いが回ったのか。

 少し、口が回るようになった。

 

「…こんな初歩的なことで悩むような大人にはなりたくなかった筈なんだけどな…」

 

 私が嘗て憎んでいた大人の姿。

 気がつけば、そんな大人になってしまっていた。

 

「私って、馬鹿だな」

「お前が馬鹿なら、俺も馬鹿だな」

「それはそうでしょ」

「お前の方もやっと自覚したか」

 

 なんて軽口を叩き合い。

 

「今まで、ごめんな」

 

 改まった謝罪をされて。

 そんな大した罪でもないのに。あんたまで謝ると、私も謝らなきゃならなくなる。

 

「私も、ごめん」

 

 不器用だけど、昔のように、どこか懐かしさを感じさせる会話と、2人の距離感。

 側から見ればあまり縮まってはいない様に見えるのだろうけど。私たちには、それで充分だった。

 

 綺麗に、けれど儚く流れる星に、私は願った。

 

 どうか、私達の関係が永遠にーー長く続きますように。

 勿論、私達も出来る限りの努力はする。

 だからせめて、見守っててほしい。私たちが壁にぶち当たったら、少し手を貸してくれるぐらいでいい。

 

 そんなことを、星に願って。

 

「京介」

「ん?」

 

 応じる彼の声はどこか優しく。

 

「これからもよろしく」

「…ああ、こちらこそ」

 

 お互いの顔を見ず、私たちはお互いに向けて言った。

 そんな2人を見守るのは、夜空に浮かぶ満点の星たちだけだった。

 

 




2人の関係がさらっと夫婦になっています。
人妻になったアフロの面々、大人になった弦巻女史。
細かい設定を知りたい方は私の活動報告まで来るように。以上。


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あけましておめでとうございます。今年初更新でございます。
まだまだ未熟者で不束者でございますが、どうか今年もよろしくお願いします。


  夜に見るビルはなんだか嫌だ。

 夜空に突き刺さるように力強くそびえ立つビルは全てを飲み込みそうなほどに強大で、そしてどこか不気味だ。

 まるで生気を取られているようだ。肩が痛くなって重くなる。

 

「どうした?」

 

  そんな私の様子を察したのだろう、横で歩いている京介が声をかける。

 

「別に…ただ、夜のビル群が嫌いなだけ」

「嫌い…」

 

  突飛もない言葉だ。彼の戸惑いは正しい反応だ。

 

  歩行者信号が赤く光り、前後にまばらに歩いていた歩行者が足を止める。

 

「理由は?」

 

  同じく足を止めた京介が左手に持っていた紙袋を右手に持ち替えて聞く。

 

「怖いから」

「ビルがか?」

「そう。あるでしょ、自分よりも遥かに高いものを見上げた時に感じる威圧感とか」

「なるほど」

 

  私は昔から、そういった巨大なものを見上げた時の威圧感というものが苦手だ。父に連れていってもらった牛久の大仏や、Afterglowの面々と行った東京タワーでも少し怖くて長く見ることはできなかった。

 

「それなら俺でもあるな」

「でしょ。しかもそれが夜ってなると、ビルが兵器みたいに見えてくるの」

「どんな兵器だよ」

 

  鼻で笑われる。と、同時に信号も青色に変わり、私たちを含め足を止めていた人々は歩き出す。

 

「確かに、変な兵器かも」

「どっちかって言うと、兵器に壊されるのがビルじゃないのか」

 

  彼からの鋭いツッコミに少し笑い声をあげる。自分で言っておいてなんだが、少し面白い話題だ。

 

「けれど、そういう恐れを抱いているのもいいことなんじゃないか」

「そうなの?」

「恐れを忘れた人間はウンタラカンタラって言うだろ」

「あー、聞いたことがある」

 

  誰の言葉だったかは忘れたし、思い出せないけれど。

 

「うん…確かにそうかも。恐れがあるのは、良いことだと思う」

「こうして年を取っていくと、怒られるよりも怒る側になってくるからな」

「確かに」

 

  大人になるということは、怖いものが減っていくということだ。幽霊も平気になるし、ゾンビなんかも鼻で笑って追い出せるほどになる。

 けれど、それでも怖いものは無くならない。いや、無くならないようにしているのだ。

 現にこうして、20を超えたのにビルが怖いなんて言ってる女がここにいる。

  そしてその恐れは、私自身に良い影響を与えている。

 

「京介は何かあるの?怖いのもの」

「怖いもの…か」

 

  考える。すると彼が何かに気づき、引き攣った笑みを浮かべる。

 

「そこにいた」

「そこ…?」

 

  彼が指差した方を見ると、そこには金の髪をした美女が。黒髪が普通なここ日本の東京では非常に浮いているその女性。しかし、私はその姿に見覚えがあった。

 

「…まさか」

「俺の上司」

 

  足を止めて無礼ながらも女性を見ていると、その女性は自身を凝視している私たちに気づいたらしい。彼女が履いているハイヒールがコツコツと心地の良い音を立てながら近寄ってきた。

 

「奇遇ね、京介」

 

  下の名前呼びに、少しムッときた。

 大学生からの付き合いであるAfterglowならまだしも、なぜビジネス上の付き合いしかないはずのこころが下の名前を。

 

「ええ、ども…というか、なんで下の名前なんですかね?」

 

  京介本人も戸惑い気味に聞く。ということは、普段は呼ばれていないのだろう。

  その問いかけに、彼女は小悪魔チックな笑みを浮かべて答える。

 

「隣に奥さんがいたら、苗字で呼ぶのもむず痒いでしょう?ねぇ、蘭」

 

  視線を彼から私に向けて笑う。変わらないその綺麗な笑顔。しかし、10年前とは違ってどこか影がかかっていた。

 

「ああ、うん。久しぶり、こころ」

 

  歯切れ悪く答える。

  友人であるとはいえ、旦那の上司にこんな態度でいいのだろうか。

 

「あのメッシュは取ったのね」

「うん…まあ、もう20も過ぎたし」

 

  流石に30も見えてきた歳で赤いメッシュを付けてるなんて荒れているだろう。…巴のことは目を瞑ろう。

 

「けれど、休日に2人で夜デートなんて…京介、あれ以来から積極的になったわね」

「そうですかね。以前から誰かさんが時間を与えてくれたら誘おうかと思っていたのですけど」

「あら、誰のことかしら」

「さあ、誰でしょうね。胸に手を当ててみたらわかると思いますよ」

 

  なんて、上司と部下とは思えない無礼な会話をしている2人を見て、どこか懐かしい光景だなとふと思った。

 彼女ーーーこころの隣にいた、ある少女。本当の姿で公の舞台には立たず、作詞という形で携わり続けた少女。

 こころが心の底から信頼していた、少女のことを。

 

  そして、そんなこころの表情も、どこか寂しさと懐かしさのある、彼女らしくない顔をしていた。

 

「…なんか」

「どうかしたのかしら、蘭」

「いや、なんというか…変わったね、こころ」

「ーーー」

 

  その言葉に、こころは声にこそ出さなかったが、目を少し見開いた。僅かな変化だったが、私はそれを見逃さなかった。

 

「そう、かしら?」

「大人になった、っていうのもあるんだろうけど…」

 

  確かに彼女は大人になった。背も少し伸びたし、雰囲気も嘗ての無邪気さは影を潜めて、今は聡明さが出ている。

  しかし、それでもわかる。嘗ての彼女の姿を見ていた私だからこそ、わかるのだ。

 

「京介の姿を見て、追ってるんでしょ。美咲の背中を」

「…そんなことはないわ」

 

  美咲。その名を出した瞬間、こころの表情は一転して凍りついた。

 

「美咲は、私の手を離したの。けれど、それは仕方のないことだし、正しいことなの。だから、私は何も言わないわ」

「…けれど、やっぱり後悔はしてるでしょ」

 

  俯くこころの表情の様子は窺えない。しかし、そんなこころの心情を表すように拳は震えていた。

 

「…そうかもしれないわね。自分では気をつけてるつもりなのだけれど…」

「…ごめん。部外者が図々しく物言って」

 

  震えるこころの姿を見て、私は何も言わないことにした。部外者が簡単に言っていいことではない。

 

「じゃあね。2人のデート、最後までどうぞ楽しんで」

「ええ。そうさせてもらいますよ」

「うん。また今度お茶でも」

「…ええ」

 

  彼女を通り過ぎ、前を歩く。

 

「蘭」

 

  しかし、彼女の声が私たちを引き止めた。

  振り返り、こころの顔を見る。

 

「やっぱり蘭は、優しいわね」

 

  そう言うこころの笑顔は、やはりもの寂しさと懐かしさを含んでいた。

  そんなこころが、私はどこか哀れに思えて仕方なかった。

 

  ああ、彼女はまだ後ろを見ているのか。

  まだ彼女は、楽しかったあの幸福の世界で1人足をつけている。

  いつか自分の手を引いてくれる存在を待ちながら、1人でずっと生きている。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

  帰りの電車。

 その車両には私たち以外には誰も乗っておらず、至って静かだった。

 ガタンゴトン、と静かに揺れていると、座席に座った彼が聞く。

 

「美咲って誰?」

「……」

 

  そういえば、さっきの会話には彼が間にいたのだった。何も知らない彼からすれば、未知の国の言語の会話に近かっただろう。

 

「美咲っていうのは、こころが昔やっていたバンドのメンバーの1人」

「…ああ、友人さんか」

 

  こころからも何か聞かされていたのか、思い出したように呟く。

 

「…さっきの話を聞いてて、どう思った?」

 

  なんて、窓から夜景を眺めながら問う。

  さっきの会話を、何も知らない第三者からしたらどう捉われたのか。純粋に気になったのだ。

 

「…まあ、状況もわかってないし、余計なことは言えないが…」

 

  それはそうだろう。それに知っている。京介がそういう時には、無駄なことを言わないと。

 京介は次の停車駅を告げている電子看板をボーッと眺めながら答えた。

 

「弦巻さんは、後悔しているんだなっていうのは、なんとなくだけどわかったよ」

「……へー…」

 

  意外な答えに、私は無関心を装いつつも反応する。

 なんだ、こいつ。意外と核心に迫ることを言うじゃないか。

 

「その根拠は?」

「普段からあの人を見ているとわかるが、あのどうにも影のある笑顔は似合わないな」

「……普段からよく見てるんだ」

 

 少し胸に引っかかる。

 

「まあな。美人だし、最初の頃はよく目で追ってたな、そういえば」

「……」

 

  こいつ、よく妻の前でそんな下衆な話が出来るな。

 ある意味感心した私は彼の右足を思い切り踏んづけた。

 

「いたっ!何すんだよ!」

「…別に。なんかムカついたから」

 

  軽く戯れ合いとも言える口論をする私たち。

 そんな2人に訝しげな目を向ける人も、コソコソと話し合う人もおらず。

 そこは静かで、電車の車両ではあったが、なんだか居心地が良かった。




大人こころちゃんの評判が良かったので再登場。そして何故こころと美咲がお互いに身を置くことになったのか。そこまでに至る話を書こうかと思っています。


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終わり

ハッピーバレンタイン!名前変えました!


  正午過ぎになると、自治会の人間や営業マンがチラシなどをポストに入れる。家の中からでもその音は微かに聞こえて、私の生活音の1つとなっている。

 

  今日も雑誌を読んでいる中、コトンという心地の良い音が微かに聞こえた。

 

  雑誌をテーブルに置き、スリッパから簡素なサンダルへと履き替えた私はポストへと駆け寄る。

 大概はあまり興味のない内容や宗教の勧誘だ。懲りずによく頑張っているな、と少し感心する。

 3枚のチラシを重ねて家の中まで持っていく。

 さあ、今日は何の記事だろうか。少しドキドキする。暇つぶし程度だが、私にとっては立派な習慣で、なんだかんだで楽しみにしてるんだなと痛感する。

 

  1枚目。新しい保険への加入の是非についてだった。その話は困ってないのでスルー。

 2枚目。近場に新たに建つスーパーの紹介だった。興味深いのでとっておこう。

  3枚目。裏面が白紙だったので捲る。

 

「…え……」

 

  内容が目に入ると同時に、私は声を漏らした。

 その瞬間、私は膝から崩れ落ちたのだろうか。よくわからず、覚えてないが、少なからずとも負の感情が心の中を渦巻いていた気がする。

 

  花咲川神社の取り壊しのお知らせ。

  短く、氷のように冷たい文章は1文字も変わることなくそこに在り続けていた。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

  3月26日。

  よく晴れた、爽快感のある心地の良い晴れ空だった。

 

「春だな」

「うん、春だね」

 

  舞い乱れる桜吹雪。

  それはとても幻想的で端麗で、残酷なまでに春という季節をよく表していた。

 

  桜色の絨毯となっている並木道を私と京介の2人で横に並んで歩く。

  部活動の帰りなのだろう。羽丘の制服を着た女子中学生達が走って通り過ぎる。私たちよりも1回り歳下の後輩なのだろう。私も彼も歳をとったものだ。

 

  途中で沙綾の弟が店長となって経営している山吹ベーカリーに立ち寄って昼ご飯を食べたり、はぐみの精肉店にコロッケを食べに行ったりした。

  学校の帰りの立ち食いのようで少し懐かしい気持ちになった。

 

「久しぶりかも、こういうの」

「俺もだな。暫く山吹ベーカリーには行ってなかったし」

 

  クロワッサンをこぼさないように手を添えながら黙々と食べる彼を見る。あの頃よりはだいぶ大人な顔つきになっただろうか。

 

「暖かい」

「ああ。冬も終わったからな。これから暑くなる一方だよ」

 

  指についたカスを手を叩いて落とす。

 

「過ごしやすいのは春と秋だ。特にこの時期は尚更そう感じる」

「かもね。6月とかだと雨が降ってジメジメしてるし」

 

  昔から私と彼の季節への価値観は、予め決定づけられていたかのように同じだった。

「でも、最近は冬も好きかも」

「それは何故?」

 

  彼の問いに、私は口元に手をあてて少し考える。理由が思いつかなかったのだ。

「夜が長いから」

「長いから?」

「うん」

 

  それは歳をとって、最近になって僅かに変わり始めた私の価値観や考え方からだ。

  夜はいい。とても落ち着く。闇の中で輝いているモノは星の光と人々が作り上げた電灯など。それは光り方は違いながら、同じぐらいに綺麗なのだ。

 

「それに着れる服の幅が広がる」

「なるほど。それはわかるかもな」

「でしょ」

 

  そんな、些細でどうでもいい何気のない会話。

  それを続けながら、私たちは街を歩き回った。中学生の頃に遊んだところ、母校、ライブハウス、カフェテリア…行けるところは殆ど。

 

  そして最後に、私たちはある所にたどり着いた。

 夕方となり、スカーレットカラーの鮮やかな空が私達を見下ろしていた。

 

  目の前にあるのは立ち入り禁止と記された看板。可愛らしくお辞儀をしているキャラクターも添えられていた。

  奥には、何度も私たちの息を切らした恨めしくも、しかし愛らしくも感じる長い階段が見えていた。

 

  羽丘神社の取り壊し。

  唐突に私たちの元に入ってきた報せは、とても残酷で残念極まりなかった。

  反対運動を起こそうかとも思ったが、彼に相談し冷静になってから気づいた。もう、あの神社は死んでいることに。

 亡骸なのだ。1週間という短い生を終え、けたたましく元気に鳴いていた蝉が、ある日道端に落ち葉たちと変わらぬように落ちているのと同じように。

 

  あの神社に通う人間は誰もいない。かくいう私も、気まぐれで行ったりするぐらいだ、毎日通っている人間が反対運動を起こすならまだしも、偶にしか出向かわない人間がその時になって反対運動を起こすのは滑稽極まりない。

 

「思い出の場所だったのに、それが数日経てば無くなるんだね」

「ああ」

 

  私の言葉に、彼は簡素に相槌を打つ。

 人も全く訪れず、心霊スポットとしての方が有名な神社でも、私たちにとっては思い出の場所だ。しかし、少数意見より多数意見が採用されるこの世界では、そんな個人的な事情などは聞き入れてくれない。

 

「ねぇ、覚えてる?10年ぐらい前にアンタが私に言ったこと」

「さあ。覚えてない」

 

  だと思った。

 予想通りの反応に私はクスクスと静かに笑う。

 

「3月は別れだけじゃない。後ろを振り向く、再認識の季節だーーー確かそう言った」

「言ったけっな、そんなキザなこと」

「言った。今思えば恥ずかしいことをね」

 

 あくまでも惚ける彼の横顔を見る。

 

「どうするの。振り返るものも無くなっちゃったじゃん」

「ああ、そうだな」

 

  自嘲のこもった笑みをこぼして言う私に、しかし彼はやはり簡素に答える。

 いつもこうだ。こういう唐突な出来事が起こった時、彼は腹が立つぐらいに冷静なのだ。

 

  彼はしゃがみ込み、落ちていた桜の花びらを手に取る。

 どこか儚さを感じさせる目をそれに向けると、彼はポツリと呟く。

 

「もしかしたら、振り返るだけじゃなく、思い出せってことなのかもな」

「どうやって」

「自分の記憶の糸を手繰って。自力で」

「そう。意味わからない」

「俺もだ。言っててわけわからなくなった」

 

  そんな、中身のない見当外れなことを語り合う程に私たちはダークブルーカラーの渦に巻き込まれていた。

 

  彼は近くにあったベンチに指を指す。その方向に2人して歩いて、そして座った。

 座ると、心を覆っていた膜が溶けていくのを感じた。

 

「肩、貸そうか?」

「…お願い」

 

  彼は拳1つ分ほど距離を私との距離を詰める。近くなった彼の右肩に、私は糸が切れた操り人形のように頭を落とした。

 

「終わりなんだね」

「ああ、終わりだな」

 

  終わりというのは、いつも唐突にやってくる。それは死でもあり、別離でもある。

 そんな世界のルールで、当たり前のことすら残酷に思えてきた。

 

  頬を伝う雫、街と私達を覆う夕焼け、朗らかな春の空気、隣から伝わる彼の体温。

 私が感じている何もかも全てが、残酷なまでに温かった。




唐突の別れほど辛いものというのはありません。湧いてくるのは後悔だけで、何もかもが辛いものです。


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雪の日

春の嵐。なのに雪。


 大寒波。

 連日ニュース番組の天気予報ではその言葉が繰り返し報じられていた。

  大寒波なんて、さてどうということもないだろう。

 その大寒波の気温にも負けぬほどの冷たい視線を、テレビ局前であざとく明日の天気を予報している女子アナウンサーに向けて思っていた。

 

  そんな事をしていた数日前の過去が、猛烈に恥ずかしくなった。

 

「……嘘」

 

  カーテンを開け、淡い緑と土の色が浮かんでいるはずの美竹邸の庭は、白く覆われていた。

 

「雪……」

 

  好奇心に負け、窓を開ける。

 冷たい空気が容赦なく部屋に入り込んでくる。その空気に臆して一旦足を止める。しかし、目を開けばそこは白銀の世界。この地域ではそう易々と雪が降るわけではないので、物珍しさも後を押して外へと足を出す。

 

 積もった白雪に触れてみる。

 

「冷た」

 

  当然の事象か。心の中で嘲笑し、急激に冷えた指の先を温めるために、台所に向かう。無論、冷たい空気が入り続けている扉は閉めた。

 

 コーヒーメーカーでコーヒーを作っていると、京介が遅れて2階の部屋からリビングへ降りてきた。

 

「おお、雪か」

 

  窓から外の景色が見えたのだろう。目を見開いて呟く。

 

「おはよ。珍しいな。こんな積もるほどの雪なんて」

「おはよう。日本の経済、停滞してなきゃいいけれど」

 

  テレビでは電車の運行状況や各地の最新降雪量がテロップに流れている。

 

「会社は休みになった」

「良かったじゃん」

「無理して来させて事故って人員減ったり、モチベーション低下で事業に悪影響が及んだら元も子もない、という社長からの厚意だ」

 

  ブラック企業が社会問題となっている現代の中では、彼が勤務している会社は数ある社の中でもマシな方だ。

 

「まあ、今日は1日コーヒーを啜りながら舞い散る雪でも眺めてるか」

「私もそうする。こんな雪、なかなか見れないし」

 

  カップに温まった出来立てのコーヒーを注ぎ、椅子に座って啜る。なんて事のない、至って平凡な朝の光景だ。

 思えば、彼と私がこうして平日にゆっくりと朝を過ごすのも、かなり久しぶりになる。

 普段はいそいそと準備をしている彼の姿は、しかし今は余裕を持っている。久しぶりの落ち着きのある朝に、彼は少し満足感を覚えている様に見えた。

 

  普段はどうこき使われているのかは知らないが、よほど苦労しているのだろう。

  彼の横を通り過ぎる瞬間、ポン、と優しく彼の頭に左手を置いた。

 突然の私の行動に、彼は置かれた私の左手の上に手を重ねて首を傾げた。

 

「どうした?」

「なんでもない。気まぐれ」

 

  手を離し、私は朝食作りに取り掛かる為にキッチンへ向かう。

  暫く首を傾げ、私の事を眺めていた彼の姿は、なかなかに可笑しかった。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

  どのチャンネルを付けても、内容は類を見ない大豪雪の報道番組のみ。辟易としてくるが、国民の安全確保のためを思うと致し方がない。

  端的に言って、暇だ。

  雪が降るのを眺めることに飽きは来ないと思っていたが、意外なほどに変化がない。

 

  テレビの音声がBGMとなって部屋中に響く。私は料理雑誌を、彼は新聞紙を大きく広げて読んでいる。

 

  と、私が開いていた料理雑誌が最後のページとなる。4日かけて読み終えた雑誌をテーブルに置き、ふと外の景色に目をやる。

 

  力強く降り注いでいた雪は止み、雲の隙間から覗く太陽の光が白銀の世界を照らしていた。

 

「……」

 

  椅子から立ち上がり、台所に向かう。引き出しを開け、16cmのガラスボウルを取り出す。鍋つかみを両手に付け、玄関の扉を開ける。

 

  外へ出ると、冷たい風が肌を突き刺し、髪を揺らす。

 その寒さに負けじと足を動かし、こぶのように盛り上がっている積雪から両手1杯に雪をすくい上げる。

 少し力を入れて丸く固める。そして固めた丸雪をガラスボウルに入れる。ガラスボウルに雪を入れただけなのに、なんだかスノウドームのような玩具に見えてくる。

 

「できた」

 

  そのボウルを持ち、再び家の中に戻り、テーブルに置く。

「なんだ、それ」

 

  ボウルの中に置かれた丸雪を見て彼は言う。

「なんとなく。雪を堪能したいから」

「こんな暖房効いてる中だと、すぐ溶けるぞ」

「塩でもかける」

「意地でも溶けにくくさせるんだな」

 

  と、彼から呆れのこもった目を向けられる。

「別に、雪を楽しんだっていいじゃん。見てるだけじゃ暇だし」

「確かにそうだな。暇だ」

 

  彼はそう言うと、政治のコラム欄が載せられていたページを閉じ、2階へと向かう。

  なんだろう、と思い暫く待っていると、階段を降りる音が。

 そこにはモッズコートにスキニージーンズを着付けた京介の姿が。

 

「なに、それ」

「庭にでも出ようかと」

 

  そう言って彼は玄関の扉を開けて外に出る。私も部屋に行き、上着だけを取って彼の後を追うように外へ出た。ーーーその瞬間だった。

 

「わっ」

 

  顔に何かが当たった。そらは冷たく、微妙に少し硬い。

 顔についた何かを手で拭うと、それは先ほどまで私が持っていた雪だった。

  前を見れば、彼が子供のような意地悪い顔で雪玉を持っていた。

 

「雪合戦?」

「雪を堪能したいんだろ」

 

  そう言って彼は再び雪を投げてくる。驚いた私は屈む。しかし、それによって雪玉を避けることに成功した。

 

「意外と反射神経いいな」

「どういたしまし…てっ!」

 

  と、屈んだ体勢から適当に鷲掴みしたい雪を投げる。

  反応はしたものの、避けきれずに顔面に喰らう。

 

「冷た…」

「そりゃそうでしょ、雪なんだから」

 

  顔をさすりながら言う。

 彼と目が合う。それを合図に、2人揃って積もった雪を掻き集め、丸める。4個ぐらい出来上がったら、それぞれ相手に向かって投げた。

 

  私と京介は、暫くの間時を忘れてはしゃぎまわった。雪を投げ合い、かけ合い。

 それは子供のように、疲れなどを無視した遊びだった。

 雪で服がぬれようと、肌に冷たい雪がつこうと、関係なくはしゃいだ。暫くの間、時というのを忘れたかったのだ。

 

  仕事に追われ、現実に追い詰められ、疲れて寝る日々。わかってはいたことだが、かなりの苦行だ。

 だからこそ、こうして訪れた突然の休日を目一杯に堪能する。

 生きることは好きだ。けれど、この世界には向き合わなきゃいけないクソみたいな事が多すぎる。

 

  これは誰の言葉だったか。確か有名なロックスターの言葉だった気がする。けれど、どうでもいいや。今はただ、彼と遊びたい。馬鹿みたいに、滑稽に雪を投げ合いたい。

 今の私たちはピエロに見えるのだろうか。それともクラウンなのだろうか。

そんなの、もうどうでもいい。ただ1つ。今が楽しくて、幸せなのだ。

 彼が笑っているのが嬉しい。私自身が笑っているのも楽しい。

 

 私たちは、自分の心を道化はしない。いつでも純粋(ピュア)なのだ。いつでも、心に素直で正直であるだけだ。

  楽しいことに、幸せなことに、変に曲がった比喩を入れない。

 

  それが私と彼の、人生の歩き方だ。

 唐突に訪れた休日と豪雪、そして彼との戯れは、当たり前で常に私たちの隣にあった当たり前に気づかせてくれた。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

  雪合戦というのは、意外と体力を消費するものだ。激しい運動と厚着が合わさったことにより汗でビッショリとなった身体を休ませる為に、2人して仰向けになった。

 

「運動不足解消だな」

「確かに」

 

  息切れを起こしながらも言い合う。確かに運動不足だった。これから行う雪かきを含めれば、それなりの運動量になるだろう。

 

「ねえ、京介」

「ん?」

「今、あんた幸せ?」

 

  今日の豪雪のように唐突な問いかけに、彼は「んー」と声を上げて答える。

 

「わからん。楽しいが幸せと呼べるのなら、多分幸せだ」

 

  それは彼らしい、実に合理的でリアリストな答えだった。

 

「そう。私も同じ」

 

  私も彼と同じだ。

 幸せの意味が楽しいと同じなら、きっといま私は幸せなのだ。

 

「じゃあ、世界一幸せって言える?」

「それはわからん。逆に聞くが、お前は?」

「わかんない」

「だよな」

 

  けれど、いま私たちが世界一幸せかどうかと聞かれれば首を傾げる。

 なんせ、世界中の人々の事情を知らないからだ。日々誰かが死に生まれる世界で、無責任に世界で1番幸せだなんて軽々しく言えないし、わからないのだ。

 

「まあ、どうでもいい。1番だとか2番だとか、比べるのはくだらないだけだからな」

「同じく」

 

  彼の言葉に同意する。

 要は、自分次第なのだ。幸せかどうかなど。他人と比べる必要なんて、全く無いのだ。

 

「さて、いい運動をしたし。美味しい昼ごはんが食べれそうだ」

「ああそう。なら、久しぶりに私の平日の手料理でも食べる?」

「それは楽しみだな」

 

  そう言うと、彼は突然私の顔に雪をかけた。腹が立った私は、彼の腹に頭を乗せる。

 

「うおっ」

「お返し」

「…重い」

「うっさい」

 

  女性に対し重いとは、なんと無礼な男だろう。

 

「ムカついたから、雪かき全部よろしく」

「無理、死ぬ」

「だったらさっきの失言を詫びること」

「ごめんなさい」

 

  まったく心のこもってない謝礼を言う。

 まあ、形だけだが許してあげよう。私が手伝うという措置をとることにした。

 

「じゃあ、昼ごはんが出来るまで軽く雪かきしてるか」

「うん、よろしく」

 

  そう言って彼と別れ、私は家の中に戻る。

 ふと、テーブルの上に置かれていたボウルに目がいった。

 その中に入っていた雪は、まだ形をハッキリとして残っていた。




去年の9月ごろから最初の文だけ書いてた内容を完成させました。


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変わらない何か

誕生日おめでとう。


  人の感性とは不思議なもので、年を取るたびに様々な感情が渦巻く。

 10代のうちは1つ年を重ねても成長したと喜ぶことが出来た。だが20を過ぎてからはどうだろう。近づく死、進む老い、窶れてくる肌、鈍くなる身体。

 喜びの声は悲嘆へと変わり果てる。祝われても、複雑な気持ちでしか喜べない状態だ。

 

  だからだろう。もともと頓着があまり無かった誕生日を、愛し人からプレゼントに何が欲しいかと問われても缶ビール1本としか答えなくなったのは自明の理なのだ。

 

「…欲しいもの、無いのか?」

 

  雑誌を眺めながら顔を向けずに素っ気なく答える私に、彼は戸惑ったように聞く。

 

「強いて言うなら若返りの薬とか」

「青汁だな」

「ごめん冗談」

 

  青汁は苦手だ。通販番組で散々のように美味しいくなったと言っているが、それほど美味しくなった気はしない。

 

「別に、欲しいものなんてない」

「そう言われてもな。渡さなかったら怒られる。主に巴とか、上原に」

「……」

 

  なかなかどうして世話焼きのすぎる幼馴染たちだ。もっとも、そんな彼女たちだからこそこうして長く付き合えているのだが。

 

「そうだな…」

 

  考え込む。しかし幾らイメージしても思い浮かばない。無欲の塊だと自分を嘲笑いたくなる。

 

  ーーーと、テレビのニュース番組で花見の特集が放送されているのが目に入った。老若男女問わずに賑やかに桜の木の下で楽しんでいる。

 

「ーーー桜」

「は?」

 

  間が生じる。

 

「桜?」

「うん、桜」

 

  彼は鸚鵡返しで問い直す。

 それに私は頷き返す。

 

「お花見。誕生日プレゼントはそれをお願いする」

 

  困ったと言わんばかりに頭をかくが、やがて降参と手を挙げて「ハイハイ」と答えた。

  いくつ歳を取っても、このやり取りは変わらなかったようだ。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

  まさか結婚3年目の妻から所望された誕生日プレゼントがお花見だとは思わなかった。

 

  惣菜屋で買った唐揚げにおにぎり。更に6本1セットの缶ビールを1つ。どう見たって違和感しかない。片手に持っているビニール袋をチケットにし、服をスキニージーンズに白のシャツではなくスーツにして演劇に行く先を変更したいぐらいだ。

 

「これで本当によかったのか?」

「これでいい。おばさんになると、欲しいものがなくなるものなの」

「おばさんって年齢でもないだろうに」

 

  まだ27なのに。世の中の27歳以上の女性に謝った方がいいと反論したい。

 

「けど、私たちよりも1回りも年下の学生とかからしたら、私なんかの年齢はおばさんだと思う」

「ってなったら俺はおじさんか。悲しいな」

「そう。だから巴の子供からは数年後にはおじさんおばさんって呼ばれることになる」

「時は無常」

「だね」

 

  お互いに歳を取ったことと時の無情さを改めて噛み締めたところで、今回の劇場となる場所は辿り着いた。

 

  そこには年季を感じさせる色合いと荘厳さを漂わせた木に色を塗ったように咲き誇る桜が見事にーーー咲いていなかった。

 いや、正確には咲いている。しかし、それは咲き誇っているわけではない。所々には緑の葉も見え隠れしており、完全にフィナーレを迎えている最中だった。

 

「やっぱり遅かったかな」

「かもな。まあ、咲いている分マシだと言い聞かせながら飲もう」

 

  桜のメインステージは終わりを見せているためか、人はいなかった。たまに通る通行人ぐらいだ。

 空いていたベンチに絨毯のように重なっていた桜の花びらを優しく落とし、そこに腰掛ける。

 

  缶ビールのプルタブを開ける。空気の抜ける音と共に風が少し強めに吹く。

 

「それじゃあ、こんな景色だけど」

「こういう景色だから、でしょ」

「……お前の誕生日に乾杯」

「ありがと。乾杯」

 

  まだ少し冷えた缶ビールの体同士をコツン、と打ち合う。

 最初の1杯を口に含む。酒の肴としては課題の残る景色ではあるが、これはこれで良い。

 

「けれど、お前に言われた通り、本当に何も物は持ってきてないぞ」

 

  この前日まで、俺は何か他にプレゼントを買うと彼女に何度も言った。しかし、蘭は一貫してその要求を拒否し続けた。根負けした俺は仕方なく諦めて何も買わなかったのだが、今更になって少しその諦めを後悔している。

 

「いいの。私が何度も言ったんだし、それでいいの」

 

  割り箸で唐揚げを口に運び、穏やかな眼差しを足元の桜の花びらたちに向けながら答える。

 

「この歳になってくると、なんか悟ったっていうのかな。形あるものも嬉しいけどさ、こうやって語り合う場っていうか…記憶に残ることの方がもっと嬉しいし楽しいって思えてきたの」

「…なるほど」

 

 もともと彼女は無欲で、素直ではないが相手の気持ちをしっかりと受け取る性格だとは思っていた。だが、歳を取ったことによって更にそういった面が強くなっている。

 

「それに、花見なんて大学の…3年の時に巴たちとやって以来だったし。久しぶりにしたいなって思っただけ」

「ああ、懐かしいな。当時の上原の彼氏が二股してるのがバレたのもその日だったな」

「ふふっ。思い出すだけであのひまりの絶望に染まった顔が…」

「性格悪くなったなお前…」

 

  あと歳を取ったことによって少し腹黒くなった。多分これは青葉の影響だ。

 

「というか、ひまりはいつ結婚するんだろ」

「わからん。もう出来なさそうな感じもしてるけどな」

「いち幼馴染としては早く幸せになってほしいばかり」

「上原の男事情に幸あれ」

「乾杯」

 

  本日2度目の乾杯は友人の幸せへの祈りとなった。

 

「結婚といえば、青葉はその辺どうなんだ?」

「私でもわからない。そもそも都心の方に出て行ったし、メールで聞いても上手くはぐらかされるし」

 

  青葉は大学卒業と同時に街を出て行き、都心の大手の会社に就職したとだけ聞いている。それで成功もしているというのだから、彼女のポテンシャルの高さには驚かされる。

 

「まあ、結婚はしてないと思うけど…モカの彼氏…」

「あいつの彼氏…」

 

  想像する。しかしイメージは全く湧かない。そもそも彼女の彼氏遍歴すら知らないからイメージの組み立てようがない。

 

「まあ、それなりに幸せであることを祈ろう」

「だな」

 

  3度目の乾杯。

「けど、30まであと少し…というか四捨五入したら既にアラサーか…」

「20歳になった瞬間に酒を飲んで吐き出したお前の姿を昨日のように思い出せるよ」

「出来れば思い出してほしくなかったけど」

 

  今でこそ暇あれば酒やビールを口にしている蘭ではあるが、ほんの数年前まで全く飲めなかったのだ。曰く、アルコールは嫌とのこと。

 しかし度数の低いものから口にしていくに連れて徐々に耐性が付いてきたのか、今ではかなりの酒豪となっている。

 

「父さんからお酒はそんなに美味しいものではないって聞いてはいたけど、あの時はあれほど美味しくないとは思わなかった」

 

  缶ビールを片手に語っていては説得力が全くない。

 

「あの時ずっと笑ってたアンタの顔、最高にムカついた」

「実際に面白かったからな」

「コッチは必死だった」

 

  冷ややかな視線が突き刺さるが、そんなものは可愛らしいものだ。彼女の腿に乗せていたタッパーからからあげを1つ口に入れる。

 

「うま」

「…明日は朝昼晩でアンタの嫌いなもの詰め込んでやる」

「怖いこと言うな」

 

  流石にその処置は困るので、食べかけではあるが唐揚げを彼女の口元に運ぶ。「許す」とだけ静かに呟き、箸の先端ごと咥えて食べた。

  からあげ1つで鎮まる怒りとは、彼女も丸くなったものだ。

 

「つぐの子供はもう3歳だし。巴の子供も1歳になろうとしてるし」

「早いもんだ」

 

  嘗ては青春を共に励んだ仲間たちが、気がつけばその青春を見守り、見送る立場となっていた。

 

「…私さ」

「うん?」

「こんなに早く、大人になるなんて思ってなかった」

 

  先ほどとは正反対とも言える、細く硝子の様に繊細な声音。

「モカとか巴とかはどう思ってたんだろ。自分たちが大人になることと、子供でいれる短さを」

 

  優しくそよ吹く風が桜の花弁に羽を与えて飛ばす。

 

「私は、正直言ってもっと子供でいたかった。大人に反抗みたいなのをしていたかった」

 

  嘗て、あの校舎の屋上で蘭は自分の在り方を決めた。それを突き通して生きていくことを。

 

「大人になったら、変わらなきゃいけないのかな。…わかんないや」

 

  俺の右手に彼女の細い手が触れる。

 

「さあな」

 

  その手を、握り返すことをしなかった。

 

「変わることも必要だけど、変わらなくていいこともあるし、変わってほしくないこともある」

 

  俺の言葉を、蘭は黙って聞いていた。

 

「所詮、人生は取捨選択。自分にとって必要なものは取っておいて、いらなくなったものは捨てるだけだ」

「…やっぱり、そうだよね」

 

  そして蘭は、俺の右手を握りしめた。

 その手は温かく、どこか心強くも感じれた。

 

「京介の答えを聞いて、ちょっと楽になった」

「そりゃよかったよ」

 

  普段、俺と蘭はなんて事のない事を語り合う。それはとてもどうでもいい事で、けれどありふれた日常に必要な欠片。

 そして偶に、らしくもなくセンチメンタルな事も語り合う。その場合、大抵は俺が答えを言って終わりとなる。

 俺はその答えを言う役がとても好きだ。

  それは多分、男として女である蘭を導いているーーーなどという、浅はかで単純な思考回路から来ている愛着なのだろうけど。

 

  ーーー変わることがとても怖かった

 

  そして蘭は歌った。曲名は″True color″。

  アカペラだ。演奏は風の音と、微かに聞こえる生活音。

 

  久しぶりに耳にする彼女の歌声は、やはり綺麗で、それでいて泥臭くも感じた。

  その美しさは絢爛豪華なものではない。俺というフォーカスを通して見て、初めてわかる美しさなのだ。

 

「ーーー終わり」

 

 気恥ずかしそうにそう言う彼女に、俺は素直に拍手を送った。

 

「今度弾き語りでもしてくれよ」

「そうだね。今度みんなで集まった時にでも、やってみようかな」

 

  左手の指を細かく動かし、コードの進行を確認する。

 

「下手になってるんだろな、きっと」

「何年も弾いてなかったらそうなるだろうな」

「やっぱりそうだよね」

 

  微笑いながらおにぎりを食べる。

  俺も彼女に倣って黙々と口を動かす。

 

  きっと、外から見たら可笑しなペアだと思われているのだろう。

  散り際の桜を肴に、缶ビールを片手におにぎりを頬張るなど変にもほどがある。恐らく時が時なら当事者である俺たちもこんなことはしていないはずだ。

 

  しかし、それが今はとても良いのだ。この空気感と風の音と、目の前で控えめに舞う桜の花弁たちが心地良いのだ。

 

  おにぎりを食べ終えた俺たちは、暫くの間談笑をした後、ゴミをビニール袋に入れて帰路に着いた。

  いつのまにか日も落ち、照明柱の灯りも仄かに足元のゴミ箱を照らしていた。

 

「不思議な時間だった」

「けれど悪くはなかったでしょ?」

「ああ、それもまた不思議とな」

 

  ゴミ箱にビニール袋を捨てる。

「帰るか」

「うん」

 

  そう言って振り返る。

 

  ーーーその瞬間、目の前の蘭と目が合う。

  息と息が触れ合うほどの距離。こんな近くで蘭の顔を見るのも久しぶりだ。やはり整っている顔立ちをしている。見れば見るほど、俺とは不釣り合いだの美しさだ。

 

「あの」

「ーーー」

 

  俺は無意識に、蘭の頬に手を添えていた。

「ちょっと、何」

 

 そう言って蘭は俺の手をはたき落とす。結構容赦はなかった。

 

「急にセクハラ?」

「夫婦だから良いだろ別に」

「だからって、場所を選んで」

 

  時はいいのか。

  などという無粋なツッコミは置いておいて。

 

「どうかしたの。似合ってもないことして」

 

  蘭の問いかけに、俺はようやく先ほど、自分自身が取った行動の意味を理解した。

 

「ーーーああ、うん」

 

  静かに、ポケットに手を突っ込んで、似合わぬ格好で答える。

 

「お前の瞳。綺麗だから変わってほしくないなって」

「ーーー」

 

  一瞬、蘭は表情を固めた。けれど、やがて可愛らしく吹き出し。

 

「…だから、似合わないことしてるんじゃないの」

 

  なんて俺の背中を軽く叩いて。

 

「ありがと」

 

  風にかき消されてしまいそうなほどの静かな声でそう言った。

 

  人生は取捨選択。

 取っておくか捨てるかの二択だ。そしてそれは多分、捨てるものの方が多い気がする。

  その分、取っておくものは慎重に選ばなきゃならないのだ。

 

  変わるか変わらないかも、きっとそれと似たようなもの。

 

  蘭の、緋色でガラス玉のように綺麗な瞳。

 その色と輝きは、変わってほしくない。

 たとえ蘭の在り方が変わったとしても、俺は蘭について行く。

  けれど、その瞳の輝きは失わないでほしい。

 

  その輝きこそが、変わってはならないものだから。

 

「蘭」

「なに」

 

  2つの踏音をBGMに。

 

「誕生日おめでとう」

「…うん、ありがとう」

 

  立ち止まることはなく、足とともに口を動かす。

 

「そして、これからもよろしく、旦那様」

「ああ、よろしく」

 

  挑発的に少し歪むその瞳も、変わらずに美しかった。

 




遅れまくって各方面にごめんなさい。


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笑顔

お久しぶりです。


  サンタクロースが死んだ朝。

 冷えた空気に白い吐息を吐きかける。ふわりと独特な舞い方をした後、呆気なく色を無くす。

 

「さむ…」

 

  コンビニで購入したホットカフェオレを口に含む。程よく品のある暖かな苦味が口に広がり、冬だけに味わえる特権を噛みしめる。

 

  おそらく寝坊しているのであろう、親友たちを待つ間、私はここ最近のことを思い返した。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 先々週ぐらい前の、廊下での邂逅。

  1枚の紙を持ち、廊下の窓を覗いて黄昏ていた湊さんとの会話。

 

「何してるんですか?」

「考え事よ」

 

  開け放した窓から吹く冷たく乾燥した風。彼女のロングヘアーを靡かせるが、その姿は宛ら冬の星の姫さまだ。

 

「その紙は?」

「進路相談。渡されたの」

「ああ、なるほど」

 

  私は静かに、既に予定されていた行動のように湊さんの隣に居座る。

  冬の風を浴びているうちに、なんだか湊さんと話したくなったのだ。

 

「進学ですか、就職ですか?」

「一応、前者」

「進学ですか。意外です」

「そうかしら?」

 

  靡く髪を押さえる。

 

「はい。湊さんのことだから、てっきりそのままレコード会社に売り込みに行くかと」

「私はそんなに無謀な人間ではないわ」

 

 窓を閉め、そこに写る自分の顔を優しく手を添える。

 

「去年の私だったらそうしていただろうけど、今の私は内面を見る人間になった。私があの世界で生きるには、まだ力不足で弱いわ」

「力不足?」

 

  湊さんほどの歌唱力とソングライティングをもってしても?

  彼女の実力を認める1人のライバルとして、そして敬愛するイチ後輩として、少しムッとなった。

 

「ええ。専門校になるけれど、音楽に関する学校に通うつもり」

「そこで実力を磨くと」

「そうよ」

「ますます意外です」

「……」

 

  不服そうな顔を向ける。

  私は特に何も反応せずに、話を続ける。

 

「リサさんはどうするんですか」

「まだ何も聞いてないわ」

「そもそも、今後のRoseliaってどうするんですか?」

「わからないわ。でも、Roseliaのメンバーにはそれぞれの未来があるわ。足踏み揃わなければ、解散ね」

「解散…」

 

  あまり聞きたくない、忌々しい言葉。

 呟き、固唾を飲み込む。

 

「バンドでなくても、私は歌えるわ。それに、音楽の世界は荒波よ。個人的な目的で、リサ達を巻き込みたくないわ」

「…ですね」

 

  彼女の言い分はもっともだ。

 言ってしまえば、Roseliaというバンドは、活動初期は湊友希那と氷川紗夜の2人によるプロジェクトという名目に近かった。

 バンドとしての体を成せてきたのも、かなり最近になってからだ。

「…でも、1つ言っていいですか?」

「何かしら」

「湊さん、リサさん無しで大丈夫なんですか?」

「それは問題ないわ。今までもリサがいなくても……」

 

  電源が切れたように押し黙り、口元に手を当てて考える素振りをする。そして十数秒。

 

「……マズイわね、今までの困難全てにリサの姿があったわ」

「ほらやっぱり」

 

  これは彼女たちの活動を側から見ている私個人の感想ではあるが、多分だが湊さんたちはリサさんがいないと本当に何もできない。

 

「…それでもよ。私は前に進みたい。隣にリサがいなくても」

「湊さんがそう言うのなら、私は何も言わないです」

  そう、彼女は成功する人間だ。荒波に飲み込まれ、深い海底に沈んでも、絶対に這い上がって、頂点を取る人間だ。

 

  湊さんの将来に幸あれ。と、心の中で祈りを捧げる。

 

「美竹さんはどうするのかしら?」

「私…ですか?」

「ええ。高校生の1年なんて早いものよ。今から目星をつけていても、早すぎることはないわ」

 

  先輩からの助言に従い、少し自分の未来のビジョンを想像してみる。

  しかし、幾ら頭をめぐらせても、自分の将来のビジョンは砂嵐。何かが見えるわけでも、聞こえるわけでもなかった。

 

「…わかりません。まだ自分の将来の姿を想像出来ないというか」

「そう」

 

  横からでは見えなかったが、湊さんは私のことを一瞥したかのように思えた。

 

「Afterglowは続けるの?」

「それもわかりません。ある意味、そちら以上に纏まってないグループなので」

 

  Afterglowの音楽に対する向き合い方は、Roseliaとはまた違う。

 私たちにとっての音楽は、言わば離れないための紐。縁。繋がりだ。

 それに対し、Roseliaの音楽は信念と本能。

 彼女たちの音楽と私たちの音楽は、こうも違う。

 

「まだ進学か就職かも聞いてないし、お互いの将来の夢とかも決まってないと思いますし」

 

  10年来の親友たちであるというのに、お互いの将来のビジョンを共有してないなんて、中々に可笑しい話だ。

 

「どこの大学に行くのか、そもそも大学に行くのか、それすらわかってないです。だから、Afterglowの活動の行方も、まったくわかってません」

 

  私より少しだけ背の低い湊さんは、進路希望調査書を綺麗に折り畳んでいた。

 

「すいません。こんな中途半端な答えで」

「いえ、1年前の私たちもあなたたちと同じ状態だったわ。寧ろ、全員同級生のあなたたちの方がいいかもしれないわね。私たちにはあこがいるし」

「あー…」

 

  そういえばそうだ。いま高校1年生であるあこは、言ってしまえば他のRoseliaメンバーとは足並みがうまく揃ってない状態だ。

 

「大変ね、お互い」

「ですね」

 

  お互いにまだまだ苦労することが多い。まったく、人生というのは苦難の連続だ。

 

「けど、そうね」

 

  折り畳んだ進路希望調査書をブレザーのポケットにしまう。

 

「卒業まで3ヶ月を切って、今こうして後輩のあなたと話していると、つくづく実感するわ。当たり前がいつまでも続くわけじゃないってことに」

「それは…ですね」

 

  湊さんらしからぬセンチメンタルな言葉に少し驚きつつも、私は心の底から同意をする。

 

  当たり前が、いつまでも続くわけではない。

 私はそれを、既に4年前に経験している。

 

 愛しい人との唐突な別離。

  己の無力さを噛み締め、悲しみを胸の中に沈め、そして待っている。

 

「もしリサが私の元を離れたら。私はその時どんな顔で送り出すのかがわからなくなりそうだわ」

 

  湊さんには似合わない、ひどく不安の色に染まった声音だ。

 

「リサだけじゃない。紗夜や燐子、あこもよ。送り出す以前に、引き止めてしまうかもしれないわ」

 

  今この状況には場違いとも言えるチャイムが呑気に鳴り響く。遠くから駆け足のステップの音が聞こえる。

 

「どうしたらいいのか…」

「湊さん」

 

 と、私は彼女の言葉を遮るように名を呼ぶ。

 

「湊さんに、そんな声は似合いませんよ」

「え…」

 

  唐突な臭い台詞に、湊さんは目を見開く。

 そんな反応をするのも無理はない。先ほどのチャイムと同じくらい場違いで呑気な言葉だからだ。

  それでも、私は続けた。

 

「これは、まあ経験則なんですけど。送られる側の人間って、不思議と最後は笑顔で去るんですよ」

 

  彼は最後に笑った。

 こちらの気持ちを察しているのかわからないが、清々しく笑った。

 

「私も怖いです。モカはマイペースですぐにどっか行っちゃいそうだし、ひまりは悪い男に騙されて人生コース外れそうだし、巴も結構行動派だし、つぐは…わからないけど、いつかは私たちの元を離れると思う」

 

  一瞬だけ経験した幼馴染との離れ離れ。

 大した距離でもなかったのに、私は自暴自棄になった。

 本格的な別離になったら、もしかしたら私は気が狂って犯罪でも起こしてしまうかもしれない。

 

「けど、たぶんみんな笑ってどこかに行くんだと思う。相手が笑って行くのなら、私も笑って送ろうって…」

 

  冷静になってきて気づく。

 なにを先輩に偉そうなことを言っているのか。

 

「あー…何が言いたいんだろ、私」

 

  最終的にまとまらなくなった自分の言葉に頭を掻く。

 

「すみません、なんか偉そうなこと言っちゃって…」

「いえ、いいわ。なるほど、笑顔で去るから笑顔で送れ、ね…」

 

  ふふっ、と小鳥のさえずりのような、可愛らしい笑みをこぼす。

 

「そうね。リサなら、特にそうするかもしれないわね」

「ですね。リサさんならきっとそうします」

 

  この学校の姉さん女房である今井リサ先輩のことを思い、少しだけ会話に弾みが生まれた。

 

「…というか」

 

  と、湊さんは何かに気がつく。

  キョロキョロと探るように廊下を見渡す。

 

「誰もいないわね」

「あ、そういえばさっき、休み時間の終わりのチャイム鳴ってたな…」

「あら…」

 

  すでに過ぎ去った事実を確認し、2人して顔を見合わして、思わず吹き出す。

「こんなに話し込んでしまうなんて、美竹さんは喋り上手なのかしら」

「それは湊さんの方じゃないですか?私、MC下手って言われてますし」

 

  けどまあ、多分だけれど、こんなにも時間を忘れることができたのは、大切な人のことを思った話だったからなのだと思う。

 

「早く教室に向かわなきゃいけないわね」

 

  「それじゃあ」と後ろを向いて小走りに駆けようとする湊さんの手を、そっと掴んだ。

 

「美竹さん…?」

 

 しまった。

  無意識のうちの行動だ。しかし気がついたのが遅かった。湊さんは既に私に不思議という1つの感情が詰まった眼差しを向けていた。

 

「まだ何か用が?」

 

  けれど、そこから起こすべき行動は、引き潮の海から岩が顔を現すほどに、わかりやすく必然的に心の中で浮かび上がった。

 

「少し、私と付き合ってくれませんか?」

「付き合う…?」

「はい。まあ、世間話です。音楽のことも聞きたいし」

 

 湊さんな姿勢を正し、さらに問う。

 

「いいけれど…何処に?」

 

 なんだろう。

  誰かと話したい気持ちになって、こうして人を誘うのは久しぶりだ。

 

「屋上で、お茶でも飲みながら」

 

  懐かしさと愛おしさを噛み締めて、私は歌姫にお茶会を誘った。

 訝しげな目でもするかと思えば、意外にも小柄な歌姫は微笑んでうなずいた。

 

「いいわね」

 

  冬の廊下は思っていたほどに寒くて乾燥していて、だけれど、まるで2人きりの世界のように、静寂に包まれていた。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「おーい、蘭」

「ん…」

 

  額を突かれた感覚に違和感を抱き、目を開ける。

  するとそこには赤い髪をした幼馴染、宇田川巴が。

 

「あ、巴」

「何寝てるんだよ。冬眠か?」

「まさか。熊じゃあるまいし」

 

  というか寝てたのか。

 いくら暇だったとはいえ、流石に無防備ではないのか、私のセコム。

 

「気をつけろよ。モカたちはもうすぐ来るってよ」

「あ、そう」

 

  口を手を当てて欠伸をする。

 冬の中、それも外で寝ていたためか、体は少し冷えていた。当たり前か。

 

  目の前でストレッチをして体を温める幼馴染を見て、ふと思い浮かんだことを聞いた。

 

「巴はさ、私がいなくなる時は笑顔で送ってくれる?」

「…なんだ、急に」

 

  訝しげな目を指す。

 突然そんなことを聞かれたら誰だって気持ち悪がるだろう。

 

「そうだな…わからないな、その時にならないと」

「だよね」

「けど、いつかは離れ離れになるんだよな。想像できないけど」

 

  10年以上も一緒にいれば、離れ離れになることを想像できないのも無理はないだろう。

 

「ひまりとつぐは泣きそうだし、モカはいつも通りのノリだと思うし。ってなるなら、アタシぐらい笑って蘭を送るか」

「なにそれ消去法?」

「結果論で言えば笑って送ってるだろ?」

「まあそうだけどさ」

 

  理由に納得がいかなかったが、しかし彼女は私を笑って送ってくれるようだ。

 

「蘭がそういう言うなら、おまえも送ってくれよ?その綺麗な笑顔でさ」

 

  彼女の妹に似た、人懐っこく、この冬の寒さを一刀両断するようなサバサバした笑顔で私に言う。

 

「うん、その時は笑って送る。ギターでも持って、歌を歌うよ」

「そいつは楽しみだな」

  ははっ、と笑っ直後に徐盛らしからぬ派手なくしゃみをする。

  そのおかしな姿に思わず吹き出す。

 

「さみー…集合場所変えるか?」

「そうしよ。風邪ひいちゃう」

「ならアイツらにメールするか」

 

  そうして待ち合わせ場所を最寄の大手チェーンカフェ店に変えて、私たちは歩き出す。

 

  巴とか、みんなが私を笑顔で送ってくれるなら、私は歌いながら送ろう。湊さんや、他のみんなへも。

  ああ、でも。

 その前に、笑顔で迎える練習もしなくちゃいけないな。

 

  今はどうしているかわからない彼の横顔を思い浮かべて、私は静かに微笑んだ。




唐突ですが次回で最終話です(何度目とか言わないで)
そこで予め予告しておきます。最終話は鬱話です。それを予告するためだけに今回の話を書きました。


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エンド・スタート・エンド

鬱話と言ったな、あれは嘘だ。


 愛を育むには長い時間を必要とする。

 けれど、失う瞬間というのは光速よりも速い。

 

  たった一言。

 お互いの、たった一言同士の失言。

 

  それこそが、亀裂が発信するまでのアクセルになる。エンジンがかかり、ギアはオーバートップ。最高速度で、それは2人を切り裂こうとする。

 

「お互いの言葉を聞き合えばいいんじゃない?」

 

  私の幼馴染、青葉モカはアイスコーヒーが注がれたグラスにストローを差し込み、音を立てずに吸う。

 数年ぶりに見た幼馴染の顔からはあどけなさや幼さは抜け落ちて、クールで年齢不詳を感じさせる顔立ちに変化していた。

 

「そうしとけばよかったんだろうけど、私が冷静じゃなかった」

「まあ蘭ならそうなるだろうねぇ」

 

  ステンレス製のストローで氷をカラカラとかき混ぜる。店内で流れているジャズ調の音楽とセッションをしているようだ。

 

「仲直りしたいの?」

「そりゃ、もちろん」

「ふーん」

 

  頬杖を立てて私の顔を覗き込むように見る。

 

「蘭、大人になったね」

「それ、モカもでしょ」

「あ、わかる?」

「最初見た時、誰かわからなかった」

「あなたの愛しい幼馴染のモカちゃんです」

「口を開かなければ別人だね」

 

  私の言葉に口を尖らせる。

  こういう顔をした時とかは、昔のモカに戻ったように感じる。

 

「また、アイツの笑ってる顔が見たい」

「それ、たぶん向こうもそう思ってる」

「だといいな」

 

  テレパシーとか千里眼とか、そんな都合のいい超能力なんて持っていないから、アイツがいま何をして何を思っているのか、私にはわからない。

 

「まあ、何か甘い物でもあげて、90度に頭を下げればいいんじゃない?」

「甘いもの」

 

  彼はあまり自分の手の内を明かさない人間だ。現に私は彼の好物を知らない。出されても黙って食べるだけなのだ。

 

「…何にしよう」

「ケーキとか」

「それ、モカが食べたいだけでしょ」

「残念。今はエクレアの方が食べたいのです」

 

  甘いものに変わりはないじゃん、というツッコミを飲み込む。

 

「けど、それで大丈夫かな」

「大丈夫」

 

  弱気な私の声を、モカは静かに遮る。

 

「大丈夫だよ。信じてるでしょ、あの人のこと」

「…うん」

「なら、謝るしかないでしょ」

 

  モカは立ち上がり、高級そうな革財布を取り出す。

 

「もう帰るの?」

「私も忙しい身。予定が押してるのよ〜」

「へー」

「まあデートなんだけどね」

 

  どうやらプライベートの方も充実しているらしい。

 

「彼氏?」

 

  そう聞くと、彼女は悪戯っ子な笑みを浮かべて、人差し指を口元につけた。

 

「さあ?」

 

  やっぱり、私の親友は変わっていなかった。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「仕事に意識が向いてないわね」

 

  猫のような可愛らしい声でそう言った我が上司、弦巻こころは俺の背をその細い指でそーっとなぞった。

  気持ちの悪い感触に情けない声を出してしまう。

 

「なんですか、突然」

「イタズラよ」

「…ああ、そう」

 

  あまりにも堂々とした申告に何かを言う気力も消えてしまう。

「どうかしたのかしら」

「特に何も」

「嘘ね」

「何を根拠に?」

「なんとなくよ」

 

  相変わらずフィーリングで物事を見極める人だな、とため息をこぼす。

 

「なんとなく、ならあなたの主観的な判断でしょう。今日の僕は体調も良好。コンディション抜群ですよ」

「ええ、そうよ。なんとなく。なんとなくよ」

「え?」

 

  1人で頷きながら、しかし目は試すように俺を見ている。

 

「何ですか、気味が悪いですよ」

「ほぼ毎日会っている人間の、些細な変化を見逃すとでも思ったかしら?」

 

  両手を腰に、自信満々に、テレビのクイズ番組のクイズに答えた子供のような顔をする。

 

「…なら、俺が何についてそんな気負っているかわかりますか?」

「大方、喧嘩といったところかしら」

「盗聴器かなんか仕掛けてませんよね?」

 

  彼女の千里眼じみた勘の良さに戦慄しながらも、敵わないと降参の合図を出す。

 盗聴器がないかどうか専門の業者に調べてもらうか検討しておいた方がいいかもしれない。

 

「そうです、喧嘩ですよ。あー、何であんなこと言ったんだろ」

「どんなことを言ったのかしら?」

「傷口抉ってきますね…些細なことです。アイツ、体調不良でフラフラしてたんです」

 

  本人は明かそうとしなかったが、予想するに生理痛だろう。目に見えて体調を悪くしていた彼女は、苦しそうな表情ながらも家事をこなしていた。

 

「心配だったから俺が手伝おうとしたら、まあ多分ストレス溜まってたんでしょうね。強い口調で放っといて、って」

「あらら…」

「俺も余裕なかったんだろうな。そんなことにカチンときちゃって喧嘩…翌朝も一言も言葉を交わすことなく、こうして出社…っていうわけです」

「子供ね、あなたたち」

「少し口を噤んでくださいませんかお嬢様」

 

  おそらく弦巻女史は、傷だらけの天使を前にした時には「面白い羽をしているわね」とかと言うだろう。

  純粋というのは眩しいものだが、それと同時に恐ろしいものでもある。

 

「とまあ、そんなところです。今は解決の糸口を探っている状態です」

「ふーん…」

 

 弦巻女史は手に持っていたボールペンを器用にクルクル回してみせる。以前に俺がペンを回したのを見て、像を初めて見た子供のような顔をしていたので、きっと後で練習をしたのだろう。

 

「何かいい解決法ありますかね?」

「謝りなさい」

「ですよね」

 

  この手の問題で99%の確率で導き出される答えを堂々と突き飛ばしてきた。

 

「ただ、謝って許してもらえるかな…」

「何か贈り物でもすればいいじゃない。ケーキとか、お菓子とか」

「飯で釣ってるじゃないですか」

 

  それでは解決したと言えるのか。

 

「いいえ。釣るもなにも、それはただの土産よ」

「土産」

 

  ボールペンをクルクルと雑技団のように回したかと思えば、スイッチの部分を俺に向けて指した。

 

「あなたが蘭を信じないでどうするの。蘭があなたを求めるなら、あなたもそれに応えないと」

 

  漫画の主人公のような決めポーズで、彼女は言った。

 こんな1ミリでもズレれば滑稽な道化師になってしまう立ち姿でも、弦巻女史にかかれば彫刻作品のごとく様になる。

 

「蘭は許してくれるわ。あの娘は優しくて、誰よりもあなたを大事に思ってるわ」

 

  赤色のふちメガネを外し、黒スーツの胸ポケットにかける。

 

「オススメのお店を教えるわ。蘭に渡す物は、あなたなら知っているはずよ」

 

  茶封筒をデスクの上において、彼女は台風のごとく飄々と去っていった。

 茶封筒を見ると、そこには綺麗なカタカナで店の名前が綴られていた。

 

「世話焼きだな、あの人も」

 

  何年も共に仕事をしている身ではあるが、やはり彼女の全貌はわからない。掴み所のない性格をしているが、やはり彼女は善人だ、と俺は確信した。

 

 

  退社後、すぐに俺は弦巻女史に紹介された店に訪れた。

 

 蘭はビター味のスイーツなどを好んでいる。

 甘いものも出されれば口にはするらしいが、それでも横にビター味があればそちらを取る方だ。

 

  ビターチョコのケーキを店員に取り出してくれ、と頼む。値段が書いてなかったためかなり不安だったが、意外にもリーズナブルな値段だった。

 

「板チョコに何かメッセージを入れますか?」

 

  営業スマイルでそう聞かれた。

 誕生日でも、況してや結婚記念日というわけでもない。

 

「ごめんなさい、とでも書いといてください」

 

  冗談交じりに、そう注文した。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

  帰路の途中で、謝罪構文を考えていた。まるで謝罪会見をする芸能人になった気分だ。

  そういえば、テレビで頭を下げる時の角度とか、そんなこと言ってたな。役にたつかな。などと思っていれば、いつのまにか家の前に立っていた。

 

  いつもなら気楽に開けれる玄関扉も、今という時では鋼鉄の扉のように見える。開けるのが億劫になってしまう。

 

「ごめんなさい。いや、ここはすいませんの方がいいかもな」

 

  とか、そんな無粋なことを考える。

  要は、俺の誠意が伝わればいいのだ。ごめんなさいとすいませんの違いなんて、微々たるものだろう。

 

  男なら、旦那なら、進むべきだ。

 厳しい現実だろうとも、きちんと目視して受け止めて、そして答えを出す。

 

  震えてるように感じる膝を叩き、意を決して扉を開けるーーー筈だった。

 スムーズに扉は開くはずが、隙間ひとつすら開かない。

 

「いない」

 

  拗ねて家を飛び出した。実家に帰った。

 なんだそれ、旦那からDVを受けた母子かよ。

 

「いや、受け取りかたによってはDVになるのか、あれは」

 

  頭を抱える。

  最悪の結末になっているかもしれない。いや、もうなっているんだろう。

 

  蘭に連絡を撮ろうと携帯の液晶画面に触れる。しかし手が震えてキーパッドをタッチできない。

 

 ああクソが。

  苛立ちを抑えようと更に焦る。悪循環だ。これはマズイ。

 

  漸く番号を押し終えた俺は携帯を耳に押し当てる。

  プルルル、という古風な音が絶えずに鳴り続ける。

 

「出てくれ、出てくれ」

 

  今だったら命を差出そう。心臓でも脳みそでも、なんでもいい。

  ただ謝りたいのだ。許してくれなくても、この後悔を少しでも減らしたい。自己満ではあるけど、それでもいい。率直に言えば開きなりだ。

 

  無意識に意味のない足踏みをしてしまう。5秒ほど待っていたが、心臓の鼓動が早くなっている俺からは1時間にも感じた。

 

  しかし、そんな俺の焦りの糸を断つ音が、突如として鳴り渡った。いや、もしかしたらずっと前から鳴っていたのだろう。ただ聞こえていなかっただけであって。

 

  音の方を振り向けば、そこには怪訝な表情(カオ)で俺を見ている女性ーーー蘭の姿がそこにあった。右手にはビニール袋、左手に携帯電話を持っている。

 

「何してんの」

「…いつからそこに」

「今さっき」

 

  携帯電話をネイビーカラーのジーンズのポケットにしまいこみ、ポストの中を確認する。

 

「何してたの。家の前で携帯電話を片手に足踏みして」

「おまえに連絡を取ろうと」

「わかってる。私が聞きたいのは、なんでそんなに焦ってたの、っていうこと」

 

  3枚ほど重なったチラシを一瞥し、棒状に丸める。「また宗教勧誘」と、ため息を吐く。

 

「…おまえが、家を出て行ったんじゃないかと思って」

「はぁ?」

 

  と、普段クールな蘭にしては珍しい、素っ頓狂な声をあげる。

 

「なんでそう思ったの」

「昨日のことで」

「あんなことで家を出るの?私が?あんたバカかなの?」

 

  一瞬だけカチンと来たが、安心感からくる冷静さですぐにその小さな怒気は収まった。事実バカだから仕方がない。

 

  ため息をこぼし、力なく立ち尽くしている俺の横を通り過ぎ、玄関の扉の鍵を開ける。

 

「あんたから見た私はどれだけ弱い人間かなんて知らないし、まあ、あまり知りたくはないんだけどさ」

 

  サラリ、と扉を開ける。

  明かりが点き、蘭の姿がさっきよりもよく見えるようになる。

 

「別に気にしてないから。昨日のはお互いに非があった。私はそうやって、勝手だけど処理してもらった」

「…ああ、俺もだ」

「奇遇。さすが夫婦っていったところ?」

 

  彼女は振り向き、優しい微笑みを浮かべる。

 

「さ、晩御飯でも食べて、一緒に皿洗いでもして、チャラにしよう」

 

  俺に手を差し伸べる。

 後悔と懺悔と、謝辞と、そして感謝を込めた手で握り返す。

 

「おかえり」

「…ただいま」

 

  そしてゴメン、と心の中で呟いた。

  今は、その言葉をかざる必要はないと思った。

 

  夕飯はカップラーメンだった。

 結局のところ、米を炊いてなくて、オカズになるものも冷蔵庫の中には無かった。

  非常食用のカップラーメンーーー蘭はシーフード、俺はカレーだーーーを食べてデザートの時間になった。

 

  お互いがお互いのために買ったケーキ。ビターチョコのケーキを箱から取り出し、蘭の元に出す。

 蘭は色鮮やかなフルーツで彩られたショートケーキを出した。

 

「ラーメンの後にケーキって食べるものかな」

「贅沢なひと時だな」

「アンバランスだって言ってるの」

「まあ美味いんだからいいだろ」

 

 俺の意には同意なのか、蘭は目を伏せて黙々と口を動かした。

 ラーメンの脂っこい風味がまだ口の中で残っていて、蘭の言う通り確かにアンバランスな組み合わせだ。

 

「この歳で喧嘩なんて、バカだね、私たち」

 

  プラスチックのフォークを咥えて呟く。

  小さく薄くスライスされたキウイフルーツを口に運んだ俺は蘭のその言葉に頷いた。

 

「確かに。子供だよな、喧嘩の内容が」

「若々しいってこと?」

「馬鹿馬鹿しいってこと」

 

  むぅ、と顔をしかめる。わざとなのか天然なのか、若作に見える蘭のその態度は少し滑稽だ。可愛らしい、と思わなくなったあたりは、俺も歳をとったということだろうか。

 

「まあ、少し喧嘩が若々しいことなら、たまにしてもいいんじゃない?」

「しないことに越したことはないんだけどな」

「そうだね」

 

 少し風が強くなってきたからか、シャッターがガタガタと音を立てた。

 

「それ、美味しい?」

「美味い。そっちは?」

「美味しい。何処の?」

「どこのだろ」

「お店で買ったんじゃないの」

 

  弦巻女史がメモをしてくれた紙は生憎オフィスだ。店の看板なども見なかったため、名前は覚えてない。

 

「ちょっと頂戴」

「どうぞ」

「あ、美味しい」

 

  フォークで一切れ口に運ぶ。

 

「こっちのも食べる?」

「いや、いいよ。俺からの謝辞品なんだし」

「別にいいよ。貰った本人がそう言ってるんだから、遠慮する方が野暮なんじゃいの?」

「わかったよ、頂きますよ」

 

 一切れフォークで取る。チョコレートカラーのスポンジの間に、チョコクリームとチップが挟まっている。

 口に入れる。

 瞬間、口に広がったのは容赦のない苦味と、影に挟まれた光のような微かな甘さだった。

 

「意外と苦いな、コレ」

「そう?」

 

  どうやら蘭はかなりのビタースイーツ好きらしい。彼女の味覚を物差しで測るべきではなかった。メジャーをで測るべきだった。

 

「その苦さ、私があの時感じた心の痛みに置き換えてみたら?」

「…すいませんでした」

「冗談だって」

 

  悪戯っ子のような笑みでクスクスと笑う。

 

「気にしてないからさ、私は」

「でも」

「全部チャラ。終わり」

 

  パンパン、と手を叩く。

「…ごめん」

「それもなし。今日これから1回謝ったら1000円罰金ね」

「露骨だな」

「そうでもしないと壊れるぐらい謝ってきそうだから」

 

  彼女の言うことには一理あった。事実、今の俺はたぶん壊れる寸前だ。ああした蘭の許しでもなければ、壊れていただろう。

 

「…多分さ、これからもおまえに失礼なこととか言うと思うけどさ」

「大丈夫。たまに言い返すだろうけど、基本は受け止めるよ」

 

  それは蘭の優しさなのか、俺にはわからなかった。多分、とても残酷な面も持っているんだろうけど、今は気にかけたくなかった。

 

「…今日さ、モカに会った」

「青葉に?」

「うん。相変わらずだった」

「相変わらずなら、よかったよ」

 

  古いアルバムを眺めるような、懐かしむような眼で語る。

 

「少し大人っぽくなってた」

「そりゃそうだろうな」

「でも口を開いたら変わってなかった」

「何よりだな」

 

  「何よりってなに」と、軽く吹き出す。

 

「変わってなかったことに安心した」

 

 やがてケーキを食べ終えて、フォークを皿の上に置く。

 

「もしさ、アンタが変わっても、私は出来るところまで支えるよ」

「無理しなくていいよ。愛想尽きたら捨てていい」

「限界がきたらそうするつもりだけど、1度惚れた身としては、出来るところまで世話するから」

 

  照れ臭そうに、それでも顔は赤くなってなかった。もう、蘭はティーンを過ぎた。そしてさらにもう1つのステップを踏み越えようとしている。

 

「そんな覚悟持ってるからさ。多少の喧嘩じゃへこたれないよ」

「…出来る限りは、口調とかには気をつける」

「お互いにそうしよう」

 

  そして蘭は立ち上がり、俺の元に歩み寄る。

 自然に、体重を消したようにフワリと俺の頭を胸に寄せた。

 

「だからさ、そんなに気負わないで。私たち、夫婦じゃん」

 

  優しく後頭部を撫でる。他人に髪を触れられる感覚は久しぶりで、少しくすぐったい。

 額に触れる柔らかい乳房や、耳元で聞こえる蘭の声よりも、ただ体温だけを感じれた。

 

  これが、純粋な愛ってやつなのだろうか。

 

「私がこれからも支えるから」

「…ああ」

「自分1人が支えてるだなんて、思わないでよ」

「…うん」

 

  頬を伝う温かい涙。だらしなく、鼻水を垂らす。子供のように泣きじゃくる姿を他人に見せるのは、本当に久しぶりだ。

 

「その泣いてる姿とか、どんどん私に見せていいから」

 

  服が濡れようと、関係なく彼女は俺を優しく抱きしめた。

 

「2人で進もう」

「ああ、2人で」

 

  俺も蘭の背に腕を回す。

 お互いに抱き合う形で、静かすすり泣く。

 

「寝よっか」

「ああ、そうだな」

 

  夜はもう遅い。シンデレラの魔法が解ける時間だ。

 

「おやすみ」

「うん、おやすみ」

 

  時計の秒針が進む音が微かに聞こえる。

  外で吹いている風も負けじと音を立てている。

 

  蘭と出会ってから10年経った。

 その10年は濃すぎる気もしたし、まだ物足りない気もする。

 

 だからこそこれからが楽しみでもあり、不安でもある。

 

  それでも、手を伸ばせば届くところに、この温もりがあるのなら。

 

  それはきっと、とても幸せなことなのだろう。

 




これにて本当に終わりです。
長々と続けてしまったので、もう何も言いません。

ただ、1つ言うことがあるとすれば。

最終話で詐欺ってすいませんでした。

それでは。


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