【完結】もしも、藤ねえが同い年だったら (冬月之雪猫)
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第一話『幼馴染はタイガー!』

 ――――赤い世界を歩いている。

 

 燃え盛る炎が人々を呑み込んでいく。見慣れた風景が、地獄に変貌してしまった。

 何が起きたのか分からない。ただ、ジッとしていたら死んでしまう事だけは分かっていて、歩き続けている。

 もはや、原型を留めているのは自分だけで、後は黒い炭が横たわっているだけ。

 止まれば、彼らと同じ道を辿る事になる。それが分かっていながら、動けなくなった。酸素が足りなくなって、意識が明滅している。炎に空気自体を奪われたのか、熱気に空気を吸い込む機関が破壊されたのか、いずれにしても、終わりは近い。

 倒れたまま、空を仰いでいると、頬に冷たい感触が走った。

 雨だ。立ち上る炎が上昇気流を生み出し、雲を作り出したのだろう。少し前に理科の授業で習った事を思い出しながら、ぼんやりと空を眺め続けた。

 

「――――ッ」

 

 十年前の記憶から、急速に現在へ戻された。鍛え上げられた第六感が、意識する前に体を動かす。

 ゴロゴロと転がった先でガラクタに衝突し、悶絶すると、ケタケタと笑う声が響いた。

 顔を上げると、ついさっきまで俺が眠っていた場所を竹刀の先が穿っていた。

 

「フッフッフ、よくぞ避けたわね、士郎!」

「殺す気か!?」

 

 青褪めながら、眠っている所を襲撃して来た猛獣に向かって叫ぶ。

 

「やだなー! 起こしに来てあげたんだよー!」

 

 そう言って、藤村大河は天真爛漫な笑顔を浮かべた。

 そこに悪意は一切無く、それ故に恐ろしい。

 

「それにー、バッチリ避けられたじゃん! いやー、鍛えた甲斐があったってものよー! 褒めてしんぜよー!」

「褒められても嬉しくない!」

 

 このかくも恐ろしき幼馴染は、事ある毎に不意打ちをかましてくる。

 本人曰く、俺は見ていて危なっかしいから鍛えてくれているそうだが、余計なお世話だ。

 

「なによー、折角起こしてあげたのに!」

「普通に起こせよ! なんで、いきなり竹刀を振り下ろしてくるんだよ!」

「士郎なら避けられると信じていたよ!」

「信じるなよ! 普通は避けられないぞ!」

「でも、避けられたじゃん」

「……そうだけども!」

 

 不本意ながら、数々の襲撃によって、俺にも野生の勘のようなものが身についてしまった。

 旧友からは、『野生動物同士、相性抜群じゃないか』などとからかわれる始末。俺は断じて野生動物などではない。トラとは違うのだ。

 

「……ったく。とりあえず、朝飯にするか」

「今日はなに!?」

「えっと、豚肉が残ってるから生姜焼きにするよ」

「わーい! お弁当にも入れてよね!」

「はいはい」

 

 こうして、俺の一日は始まる。

 ここ十年、騒がしい幼馴染のおかげで穏やかな朝というものを迎えられた試しがない。

 困ったものだ。

 

「はやくはやくー!」

「分かってるってば! お、おい、押すな! 危ないだろ!」

 

 

★もしも、藤ねえが同い年だったら 第一話『幼馴染はタイガー!』

 

 

「美味い! いやー、士郎のご飯は最高なのだー」

 

 作り甲斐のある感想に、ついつい朝の暴挙を許してしまう。

 

「大河。夕飯は何がいい? 丁度、いつものスーパーがセールなんだよ」

「鍋! すき焼きが食べたい!」

「鍋と来たか……。なら、慎二と一成も誘うか」

「じゃあ、綾子と桜ちゃんも誘おう!」

「そうなると六人か……。慎二達に買い物を手伝ってもらわないとな」

 

 話している内に朝練の時間が迫っていた。

 

「ヤバッ! 急ぐよ、士郎!」

「だからって、慌ててかき込むなよ」

「分かって……ゲホッ、ヤバイ、ツマッた……たしゅけて」

「ああ、言わんこっちゃない! ほら、水を飲めよ!」

 

 朝の日課である猛獣の世話をこなして、俺は制服に着替えた。

 時刻は午前六時。

 

「急ぐぞ、大河!」

「合点承知の助!」

 

 制服の上にジャージを羽織った大河と共に学校を目指す。

 本当はのんびり歩いて行きたいのだけど、いつも途中からかけっこになる。ウォームアップにピッタリと大河は言うが、弓道部にここまでハードなウォームアップは必要ない。

 

 汗だくになりながら弓道場に入ると、後輩の間桐桜が待ち構えていたように濡れタオルをくれた。

 

「今日もお疲れ様です、先輩」

「おはよう、桜。いつもすまないな」

「それは言わない約束ですよ」

「……お前ら、よく毎日飽きないな」

 

 桜とのやり取りを友人であり、桜の兄である間桐慎二が呆れたように見ていた。

 

「あらあら、間桐くん。妹を士郎に取られそうだからって嫉妬は良くないぞ―」

 

 ウププと大河が慎二をからかいに行った。

 

「うるさいよ、タイガー! 誰が嫉妬なんてするもんか!」

「ムキー! タイガーって言うな―!!」

「だぁぁぁ!! 朝からウルセー!!」

「間桐くんの方がウルサイもん!!」

「いや、二人共うるさいよ」

 

 いつもの光景に、いつものようなツッコミを入れながら主将である美綴綾子がやって来た。

 

「おはよう、衛宮。いつも言ってるだろ? 藤村の手綱はしっかり握っとけって」

 

 目がマジだった。

 

「お、おう」

 

 とりあえず、ギャーギャー言い合っている二人の間に割って入る。

 

「そこまでにしとけって、二人共。さっさと練習に入ろう」

「ベロベロバー!」

「アホ! バカ! マヌケ!」

 

 大河と言い合っている時の慎二は語彙力が行方不明になっている。

 というよりも、大河に合わせている。実は大河と口喧嘩する事が慎二の数少ない楽しみの一つだそうだ。

 曰く、アニマルセラピーになるらしい。誰か、大河を人間扱いしてやれよ。

 

「さて、やりますか」

 

 射場の方から流れ込んでくる冷気が良い感じに気を引き締めてくれる。

 道着に着替えて、弓を構えた。

 

「……おい」

「なに?」

「なんですか?」

「なんだい?」

「なんだ?」

 

 いつもの事ながら、俺が射場に立つと、みんなが一斉に見てくる。

 

「やりづらい!」

「いやいや、気になさらずに」

「士郎の、ちょっといいとこ見てみたい!」

「頑張ってください、先輩!」

「衛宮! さっさとやれよ!」

 

 これはマナー違反ではないのだろうか……。

 

「まったく……」

 

 深く息を吐く。朝、乱されまくった意識を解きほぐしていく。

 矢を放つと、イメージ通りに的の中心に中った。

 

「おお!」

「相変わらず、衛宮の射は惚れ惚れするね」

「さすがです、先輩!」

「こんだけ見られてても中たるのかよ。全然参考にならないな」

 

 何と言うか、居心地が悪い。

 

「ええい、さっさと練習をしろ!」

 

 ギャラリー共を怒鳴り散らし、それから数本の矢を射った。

 弓道は精神統一にピッタリだ。

 

「……さて、的の貼り直しでもするか」

 

 道場の隅っこに移動して、貼り直しを始める。

 あんまり数は多くない。さっさと終わらせてしまおう。

 

「おい……」

「なんだよ、慎二」

「そういう仕事は後輩に回せよな。お前がやっちまったら、いつまで経っても覚えられないだろ」

「うっ……。それもそうか……」

 

 慎二が呆れた目で見てくる。

 

「お前って、ちょっとズレてるよな」

「……あはは」

 

 目を逸らしながら貼り直しの的を元の置き場所に戻していく。

 手持ち無沙汰になってしまった。

 

「すまん! 衛宮はいるか!?」

「あれ、生徒会長だ」

「衛宮先輩! 生徒会長が呼んでますよ!」

 

 どうやら、これで手持ち無沙汰が解消されそうだ。

 

「すぐに行くよ!」

「……お前って」

 

 慎二が何か言いたげだったけれど、俺は聞こえなかった振りをした。

 

 生徒会長の柳洞一成とはクラスメイトで、慎二同様に親しい友人だ。

 どうやら、冬場も佳境に入るこの時期にストーブが故障してしまったようだ。

 新品の導入の嘆願書がいくつも届けられているらしい。けれど、予算にそこまでの余裕はなく、こうして一成は俺に頼んできたわけだ。

 

「すまないな、衛宮。部活動の途中に……」

「いいって。丁度、手持ち無沙汰になってた所なんだ。むしろ、助かった」

「そうか? それなら良かったが……、美綴達が恐ろしい目で睨んで来たぞ」

「はは……」

 

 俺は深く考えないようにした。

 

「それじゃあ、一成。いつもどおりに」

「ああ、衛宮の邪魔はせんよ。外で待っている」

「ああ、頼む」

 

 さて、修理を始めよう。もっとも、俺の修理は普通と少し違うのだけど……。

 

「始めるか」

 

 ストーブに触れる。

 普通、どんなにこの手の修理に慣れていても、見るだけでは故障箇所など分からない。

 だけど、俺にはそれが手に取るように分かる。

 視覚を閉じて、触覚でストーブを見る。すると、頭の中にストーブの構造が浮かんでくる。

 どうやら、電熱線が断線し掛けているようだ。

 

「……これなら、絶縁テープで補強すれば間に合うな」

 

 さすがに伝熱管がイカれていたらお手上げだった。

 信じてくれた一成を裏切らずにすんでホッとする。

 

「割りと……、便利だよな」

 

 これが、切嗣が俺に教えてくれた魔術だ。

 十年前に起きた新都の火事。それに巻き込まれた俺を助けてくれたのが、養父の衛宮切嗣だ。彼は魔術師と呼ばれる存在で、俺は魔術を教えてくれとしつこくせがんだ。

 あいにく、衛宮士郎に魔術の才能はからっきしで、ろくな魔術を覚えられなかった。その中で、物の構造を解析する事だけはバカみたいに巧かった。

 切嗣にも『なんて無駄な才能なんだ!』と言われるくらい微妙な魔術だが、日常生活では思いの外役に立っている。

 

「よし、終わり。次に行くか」

 

 一成と一緒に校内を駆けずり回っていると、俺は殺気を感じた。

 

「シ~~~ロ~~~ウ~~~!!!」

 

 迫りくるタイガー。体が無意識の内に防御の姿勢を取る。

 

「部活動の途中で抜け出すとは何事だー!!!」

 

 空中でクルリと一回転して、勢いのあるキックが迫ってくる。

 まるで仮面ライダーのライダーキックだ。

 ……今日は、白だった。

 

「だから、それは止めろって言ってるだろ!」

「うっさい! 今日という今日はお説教だよ!」

「ま、待て、藤村! 悪いのは俺だ! 俺が衛宮を連れ出したのだ!」

「もちろん、柳洞君もお説教だよ! ほら、教室に行くよ!」

 

 どうやら相当にお冠のようだ。今日の夜は肉を多めにしておこう。



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第二話『すき焼きパーティ』

 放課後、俺は一成と慎二を連れてスーパーにやって来た。

 

「おい、衛宮! まさか、僕にそんな安物を食べさせる気かい?」

「黙れ、間桐! 御相伴にあずかる身で何を言っとるんだ!」

「ッハ、誘ってきたのは衛宮の方なんだ。もてなされる側として、僕は当然の主張をしているまでだよ」

「何という奴だ!」

「おーい、二人共。スーパーで騒ぐなよー」

 

 とりあえず、肉以外の材料をカゴに詰め込んでいく。

 

「おっ、春菊も安いな。卵は……、むむ! 一人一パックまでか、大河達にも来てもらえばよかったな」

「おい、衛宮」

「ん?」

 

 振り向くと、慎二が財布を渡してきた。

 

「なんだよ、これ」

「鈍いな。金は僕が出してやるよ。それなら柳洞も文句ないだろ」

「……ありがたいけど、遠慮するよ。今日は俺が誘ったんだから、経費も俺が持つよ。それに、肉も上等なのを選ぶつもりだ」

 

 そう言って慎二に財布を返すと、何故か睨まれた。

 

「六人分の食材費だぞ。お前の懐にそんな余裕があるのか?」

「大丈夫だよ。今日はセールだし、バイトの給料も出たばっかりなんだ。こういう時くらい、奮発しないとな」

「……ッチ。だったら、肉は安物でもいいぞ」

「いや、ちゃんと良い物を買うよ。折角だからな」

 

 そう言うと、慎二と一成は同時にため息を吐いた。

 

「な、なんだよ、その反応は」

「衛宮は無欲過ぎる。間桐のように財布丸ごとはやり過ぎだが、それでも一人分の食材費は出させて欲しい」

「悪いけど、受け取れないよ。一成から受け取っちゃうと、慎二からも受け取らないといけなくなる。そうなると、次から誘いにくくなるからな」

 

 それと、一つ訂正しておこう。

 

「あと、俺が無欲ってのは間違いだぞ。慎二や一成と一緒に夕飯を食べたいってのは、俺の我儘だ。それに付き合わせてるんだから、十分に強欲だろ」

「……それを強欲と称されたら、我々は実に生き難くなるのだがな」

「衛宮……。やっぱり、お前ってズレてるよ」

「なんでさ!?」

 

 酷い言われようだ。さっさと買い物を済ませてしまおう。

 折角だからと、大見得を切ってセール品の中で一番高い肉を選んだ。

 慎二と一成が睨んでくるけど、俺にも譲れないものがある。偶には、大河に高級な肉の味ってものを教えてやりたいんだ。

 

「あっ、そうだ」

 

 帰路をしばらく歩いていると、唐突に慎二が言った。

 

「お前ら、しばらくは夜に出歩くなよ」

「ん? どうしたんだよ、急に」

「まあ、出歩く予定も無いが……」

「いいから、僕の言うことを聞いておけって。ほら、近所で殺人事件が起きたじゃないか。物騒だろ」

「殺人事件……?」

 

 俺と一成が揃って首を傾げると、慎二は深く息を吐いた。

 

「お前ら、ニュースを見てないのか? 現場は新都じゃなくて、深山町だぞ」

「本当に近所ではないか!」

「だから、そう言ってるだろ! 後で美綴にも言っとくけど、藤村にはお前から言っとけよ、衛宮。アイツはお前の言うことしか聞かないからな」

「……ああ、分かった」

 

 近所で殺人事件が起きていたなんて知らなかった。

 

「衛宮。大丈夫か?」

「え? あ、ああ」

 

 いけない。つい、顔に出ていたようだ。

 

「っと、そろそろ大河が痺れを切らす頃だな。少し急ごう」

「うむ」

「……おう」

 

★もしも、藤ねえが同い年だったら 第二話『すき焼きパーティ』

 

 いつもは二人っきりの食卓が、今日は賑やかだ。

 すき焼き鍋を居間に運んでいくと、待ってましたと歓声が上がる。

 

「キタキタキタキタ―!!」

「この匂いを嗅ぐと食欲が湧いてくるね」

 

 大河と美綴が鍋を置く場所を確保して、鍋敷きを用意してくれた。

 

「兄さんは卵二つですよね」

「ああ、ありがとう」

 

 桜は卵を各々に配っている。

 

「衛宮。飲み物は爽健美茶でいいのか?」

「ああ、頼む」

 

 一成が持ってきた爽健美茶をそれぞれのコップに注いで準備完了。

 みんなで手を合わせる。食事の前の作法を忘れてはいけない。

 いただきますと同時に、大河の眼の色が変わった。

 

「ガルルル! 肉! 肉じゃー!!」

「ステイ! 大河の分は俺が取る!」

 

 長年の修練の成果。俺は大河の手から箸とお椀を掻っ攫うと、肉と野菜を均等に配膳した。

 

「何するのよ、士郎! 野菜より肉よ、肉!」

「ダメだ! 野菜も食え!」

「ブーブー!」

「ブーイングしてもダメだ!」

 

 こういう時、決して甘やかしてはいけない。一度隙きを見せれば、猛獣は容赦なく肉を食い尽くす。

 

「先輩達は相変わらず仲良しですね」

「……あれを仲良しと表現していいのか?」

「いいんじゃない? 実際、相当仲いいわよね、あの二人」

「実に良い事だ」

 

 何故か、一成が嬉しそうに頷いている。

 

「……うっ」

「ん?」

 

 肉を食べた瞬間、大河が俯いた。

 みんな、一斉に耳を抑える。次の瞬間、トラが吠えた。

 

「うーまーいーぞー!!!」

「……それは良かった。まだまだあるから、次は叫ぶなよ」

 

 大河は一心不乱に食べ始めた。お椀が空になる度、速攻で野菜と肉を補充する。

 少しでも間を置けば、トラは鍋そのものに目をつけるだろう。

 

「相変わらず、藤村は猛獣だな」

「もう、兄さん! 藤村先輩は猛獣なんかじゃありません!」

「……お前も藤村の事が相当好きだよな」

「えっへん!」

「別に褒めてないぞ……」

 

 間桐兄妹は相変わらず仲良しだ。

 昔は今よりも少し不仲だったけれど、とある事件を切っ掛けに今の関係へ変わっていった。

 

「柳洞。アンタの家って、寺なんでしょ? いいの? 肉なんて食べて」

「そこまで厳密に禁じられているわけではない。無論、殺生はいかんが、すき焼きに罪は無い」

 

 そう言って、一成は大河に負けない勢いで肉を食っている。

 

「……はい、ストップ」

 

 美綴が一成のお椀を奪い取った。

 

「何をする!?」

「アンタの分は私が取るよ。今のアンタ、藤村と同じ目をしてるよ?」

「なん……、だと!?」

 

 こうやって、みんなで食べる食事というものは良いものだ。

 普段から大河のおかげで賑やかな食卓だけど、やっぱり大勢で囲むほうが楽しい。

 

「ほら、ちょっと肉を多目にしてやるから、もう少し落ち着いて食べろよ」

「ガルルルル」

 

 ダメだ。ケダモノに人の言葉は通じない。

 

「おい、衛宮。藤村に構い過ぎだ。全然食べてないだろ」

 

 そう言って、慎二が俺のお椀に肉をよそってくれた。

 

「ありがとう、慎二」

「いいから食えよ。美味いぞ」

「おう」

 

 楽しい時間はまたたく間に過ぎていく。すき焼きパーティが終わると、すぐに解散となった。

 慎二の言っていた殺人事件の犯人はまだ捕まっていない。あまり、帰りが遅くなると危険だからだ。

 

「では、美綴は俺が送るとしよう」

「悪いね」

「なに、同じ釜の飯を食べた同士だ。遠慮はいらん」

 

 一成が付いていれば美綴は安心だな。

 

「ご馳走様でした、先輩」

「お粗末さまです。気をつけて帰れよ、桜」

「はい」

 

 桜は明るくなった。初めて会った時とは別人だな。

 

「衛宮。次は僕が誘うから断るなよ?」

「あんまり高い店だと遠慮するぞ?」

「……お前、僕に遠慮させなかった癖に」

「常識の範囲内なら喜んで」

「ったく……。分かったよ。常識の範囲内な」

「一般的な常識の範囲内だからな。慎二の常識じゃないぞ」

 

 何故か慎二にゲンコツを落とされた。解せぬ。

 

「ではな、衛宮」

「今日はありがとう」

「失礼しますね、先輩」

「また、明日」

 

 四人を見送ると、俺は居間に戻った。

 そこには食べすぎて動けなくなったトラが一匹。

 

「……まあ、偶にはいいか」

 

 大河の家に電話をすると、藤村組の若衆が出た。

 

「どうも、衛宮です」

『おう、坊主か! どうした?』

「それが、大河が食べ過ぎて動けなくなって」

『そっか、分かった! じゃあ、親分には伝えておくからよろしく頼むわ!』

「はい、お願いします」

 

 ここで迎えに来るという選択肢が出てこない辺り、俺の事を信頼してくれているという事なのだろう。

 俺はいつもの部屋に布団を敷いて、大河を運んだ。

 

「むにゃ……、士郎……、おかわり」

「夢の中でも食べてるのかよ……」

 

 どうやら、相当美味しかったようだ。

 ついつい頬が緩む。

 大河を布団に寝かせると、俺は土蔵に向かった。いつもの日課を熟すためだ。

 切嗣から魔術を教わった時、約束した事が二つある。

 一つは、魔術を自分の為ではなく、他人の為だけに使う事。

 もう一つは、鍛錬を怠らない事。

 

「いっちょ、始めますか」

 

 心地よい満腹感に、ついついボーっとしそうになる。

 こういう時は特に気をつけないといけない。

 

同調開始(トレース・オン)



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第三話『運命の夜』

 いつもと変わらぬ朝。大河の襲撃を躱し、朝食を済ませて学校へダッシュしていると、三叉路の所で猛獣が一匹増えた。

 自他共に認める大河のライバル。弓道部の猛虎と呼ばれる大河に対して、彼女は陸上部の黒豹と呼ばれている。名前は蒔寺楓。朝練の時間が同じだから、時々こうして相見えてしまう。

 目と目が合ったらポケモンバトルというか、言葉も交わさずに即猛獣対決のスタート。

 

「負けないぞ―!」

「なにをー!!」

 

 穂群原学園が誇る二大猛獣のデッドヒートに通学路が沸いた。

 

「おーい、待ってくれ―!」

 

 追いかける方の身にもなって欲しい。

 片や、陸上部のエース。片や、そのエースと渡り合う女傑。

 そのスピードは自転車通学の生徒を追い越し、スクーター通学の教師を追い越し、尚も加速している。

 鍛えている筈なのに、どんどん引き離されていく。何度、心が折れそうになった事か……。

 

「ちくしょう! 俺だって、毎日走り込んでるのに!」

 

 まったくもって不本意な形ではあるが、その甲斐あって、俺はクラスの男子の中では一番足が速い。

 それなのに追いつけない。

 悔しい。所詮、人の身では猛獣に勝てないという事なのか――――ッ!

 

「ゴール!」

「ちくしょう、負けた!」

 

 結局、追いつけなかった。

 猛獣達がなにやら良い笑顔で互いの健闘を称え合っている中、俺は必死に息を整えている。

 

「ゼェゼェ……」

「だ、大丈夫ですか、先輩!?」

 

 桜がタオルと水を持って駆け寄ってきてくれた。

 

「……桜、俺はもうだめだ」

「そんな、先輩! しっかりして下さい!」

「すまない、桜。苦労を掛けたな……」

「先輩!」

「……お前ら、本当に飽きないな」

 

 慎二のツッコミが入ったから俺は桜から受け取った水を飲んで立ち上がった。

 

「サンキュー、桜。助かった」

「いえ、このくらいはお安い御用です」

 

 何か言いたげな慎二を置いて、弓道場に向かう。すると、何やら挙動不審な影があった。

 

「あれ? 遠坂じゃないか。どうした?」

「え? あっ……」

 

 彼女は遠坂凛。学園のマドンナ的存在だ。

 クールで、他を寄せ付けない雰囲気を持つ彼女だが、なにやら様子がおかしい。

 

「……おはよう、衛宮くん。桜も」

 

 次の瞬間にはいつもの遠坂に戻っていた。気のせいだったのか?

 

「おはよう」

「おはようございます、遠坂先輩」

「……じゃあ、私は教室に行くから。朝練、頑張ってね」

「おう」

「はい」

 

 遠坂が去っていく。その後ろ姿を、何故か桜はジッと見つめていた。

 

「……桜。遠坂と仲良いのか?」

「え? ええっと……、まあ、それなりに」

「それなり?」

「そ、そんな事より、はやく朝練をはじめましょう! 先輩の射を見ないと、一日が始まりませんから!」

「えっ、それはどういう……」

「さあさあ、行きましょう! すぐに行きましょう!」

「わっ、分かったから押すなって!」

 

 なんだか、今日の桜は押しが強い。

 ……物理的に。

 

★もしも、藤ねえが同い年だったら 第三話『運命の夜』

 

 今日の朝練は激しかった。

 蒔寺とのデッドヒートで大河の猛虎魂に火が点いてしまったのだ。

 俺は手本になれと腕がつるまで延々矢を射させられ、他の部員達もヘトヘトになるまで練習させられた。

 

「……まだ痛い」

 

 授業が終わっても腕が痛いままだ。今日は風呂でしっかりとマッサージをしないといけないな。

 

「大丈夫か、衛宮」

 

 一成が心配そうにしている。

 

「ほら、痛み止め」

 

 大丈夫だと返そうとしたら、慎二が薬を投げてきた。

 

「うわっと」

「ナイスキャッチ」

「勘弁してくれよ、慎二。腕が痛くて仕方がないんだ」

「だったら、さっさとそれを飲んどけよ」

「はいはい。ありがとな」

 

 痛み止めを飲み込むと、大分マシになった。

 

「士郎! 慎二くん!」

 

 マシになった途端、猛獣が教室に駆け込んできた。

 

「さあ、部活に行くよ!」

「いや、今日は休むよ。さすがに朝のアレで腕が……」

「問答無用! 目指せ、インターハイ優勝!」

「……あっ、これはダメなパターンだな」

 

 慎二の眼が死んだ。きっと、俺の眼も同じことになっているのだろう。一成が気の毒そうに俺達を見ている。

 

「……健闘を祈る」

「逝ってくるよ、一成」

「骨は海に撒いてくれ」

 

 俺達が最後の別れを済ませていると、虎が吠えた。

 

「さっさとしなさい!!!」

 

 その後、俺達はメチャクチャ矢を射った。

 

 ◇

 

「……ダメだ、動けない」

 

 弓道場の掃除を終えた後、俺は床に倒れ伏した。

 

「だから、掃除なんて明日にしろって言ったんだ……」

 

 慎二も仰向けになったまま立てずにいる。

 今、弓道場にいるのは俺達二人だけだ。

 大河の扱きでみんなヘトヘトになっていたから、他の部員は全員帰した。ちなみに張り切り過ぎて真っ先にダウンした大河は美綴と桜に任せた。

 その後、一人で掃除をしようとしたら慎二にゲンコツを喰らい、そのまま一緒に掃除をする事になって現在に至る。

 

「悪いな、付き合わせて」

「まったくだ。なんだって、僕がこんな……。ああ、ダメだ! 動けない! このまま寝ちまいたいよ!」

「いやー、それはさすがに……。でも、気持ちはわかる」

 

 このまま瞼を閉じたら気持ちよく眠れそうだ。

 

「ほら、慎二。立とう。このままだと本当に寝そうだ」

「……ッチ。仕方ないな」

 

 立ち上がって、荷物を取る。

 

「ああ、しんどい……」

「早く帰ろう」

 

 欠伸が出て来た。このままだと帰り着く前に道路で寝そうだ。

 

「……ん?」

 

 何か、音が聞こえた。

 

「なんか聞こえないか?」

「ん? ……いや、聞こえないね」

「そうか? でも……」

「いいから帰ろうぜ。余計な事は考えずに」

「お、おう」

 

 慎二に背中を押されて、俺は弓道場を出てまっすぐに校門へ向かった。

 すると、音がどんどん大きくなっていく。

 

「なあ、慎二。やっぱり、なんか聞こえるぞ。金属音か……?」

「……どっかのバカが騒いでるんだろ。いいから、行くぞ! 校門を通ったら面倒な事になりそうだし、こっちから行こうぜ」

「いや、こんな時間に校内でバカ騒ぎをしているなんて放っとけないぞ」

「放っとけよ! 途中で110当番すればいいだろ!」

「けど……」

「いいから、行くぞ!」

 

 慎二に腕を引っ張られて、俺は渋々音がする方角とは逆の方へ歩き始めた。

 

「ったく、そういう所は直せって言ってるだろ。そんなんじゃ、いつか痛い目に合うぞ」

 

 慎二に説教されながら学校の柵を登り、道路に出た。

 

「……ここまで来れば大丈夫か。おい、衛宮! まっすぐに家に帰れよ! いいな!」

 

 三叉路の所に来ると、慎二は何やら怖い顔で言ってきた。

 

「わ、分かったよ」

「本当だな? 寄り道なんてしたらはっ倒すからな!」

「分かったってば! 寄り道しないで帰るよ。それでいいんだろ?」

「……ああ」

 

 なんだか、慎二は妙に神経質になっている気がする。

 

「……慎二。また明日な」

「ああ、また明日。いいか、絶対に道草なんて食うなよ?」

「分かってるって!」

 

 慎二は尚も疑い深そうに俺をチラチラ見ながら家の方へ歩いていった。

 

「……というか、この時間にここまで来て、どこで道草を食えばいいんだよ」

 

 家までは直線距離で百メートルもない。まさに目と鼻の先だ。

 

「まったく……」

 

 やれやれと家路につくと、目の前の女の子がいた。

 

「こんばんは、お兄ちゃん」

 

 すまん、慎二。どうやら、道草が自分の方からやって来たみたいだ。

 

「お、おう。こんばんは」

 

 白い髪。紅い瞳。記憶の中に該当する人物はいない。全くの初対面の筈だ。

 けれど、挨拶されたからには挨拶を返さなければいけない。それがマナーだ。

 

「……早く喚び出さないと、死んじゃうよ」

「え?」

 

 少女はそう言うと俺の横を通り過ぎた。

 

「それって、どういう……、あれ?」

 

 振り返ると、そこには誰もいなかった。

 

「……なんだったんだ?」

 

 狐につままれたような気分だ。

 

「帰るか……」 



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第四話『必中の槍、無敗の盾』

 

 ――――繰り出される一撃は、まさに稲妻。

 

 いつかの夜に同じ光景を見た。今と同じように、心臓を串刺しにせんと繰り出された槍の穂先。人の眼では捉え切れない神速の一撃に、為す術もなく死を覚悟した事を覚えている。

 だが、あの時は生き延びた。この身を貫こうとする稲妻は、この身を救おうとする星光に弾き返された。

 削られても、砕かれても、地獄に落ちようとも色褪せぬ記憶。

 

「……ッフ」

 

 彼女(・・)のような華麗さはない。だが、確かに弾き返した。

 

「……貴様」

 

 攻め切れないと判断した槍の担い手は大きく間合いを離した。

 どうやら、仕切り直す気のようだ。

 

「その俊敏さ、まさに獣だな」

「口の減らねぇ野郎だな。いいぜ、聞いてやるよ。テメェ、どこの英雄だ?」

「生憎と、君のように誇れる名は持ち合わせていないよ。槍兵には最速の戦士が選ばれると言うが、君はその中でも選りすぐりだな。これほどの使い手は世界に三人といまい」

「……俺の正体に気づいたって口振りだな」

 

 空気が変わる。研ぎ澄まされた殺意が、地を穿つかの如く下げられた真紅の魔槍の穂先に注がれていく。

 その双眸が宿す必殺の意志に、此方も必殺の意志で応えよう。

 

「――――ならば、受けるがいい。我が必殺の一撃を」

 

 大気が凍てつく。比喩ではなく、大気に満ちているマナが本当に凍っていく。

 世界の調律を乱す魔力が充満し、脳裏に直後の死が過る。

 アレは紛れもなく魔槍の類だ。それも、因果を乱す極大な呪詛を纏っている。

 

「止めはしない」

 

 繋がりを通じて、主の心が流れ込んでくる。そこにあるものは不安と恐怖。 

 彼女には、この身が絶体絶命の危機に瀕しているように見えているのだろう。

 その認識は正しい。これほどの危機的状況は、生前でも数える程しかない。

 だからこそ――――、

 

「来るがいい、ランサー!」

 

 ランサーの唇が動く。

 その魔槍の真価を発揮する為には、避けようのない()が発生する。

 宝具の真名解放と呼ばれる所作。一秒の空白。その瞬間に――――、

 

「アーチャー!?」

 

 全力で間合いから離脱する。

 魔槍ゲイ・ボルグ。その真価は、"放てば必ず心臓を貫く”というもの。"心臓を貫いた”という結果を先に確定させ、その後に"槍を放つ”という原因を齎す因果逆転の呪詛。

 ならば、放たれる前に離れてしまえばいい。その能力を把握した上で、離れる事に全力を尽くした結果、ランサーが真名を口ずさむ一瞬に槍の間合いから離脱する事に成功した。

 だが、そこで終わりではない。当然の如く、ランサーは追ってくる。敏捷の高さでは、この身は彼に遠く及ばない。

 

「なっ!?」

 

 主の驚く声が聞こえる。

 ランサーの前に剣の雨が降り注ぎ、壁を築いたからだ。

 

「……随分と芸達者だな。だが、それで我が槍の間合いから外れたと思ったのならば甘いぞ」

 

 剣の壁を容易く踏み越え、跳躍するランサー。

 伝承曰く。その槍は、敵に放てば無数の鏃を撒き散らしたという。

 

「――――突き穿つ(ゲイ)

 

 紡がれる言霊が魔槍の真価を呼び覚ます。

 もとより、その槍は投擲する為の宝具(モノ)。如何なる神速をもって躱そうとも、心臓を穿つまで獲物を狙い続ける影の国の御業。それこそが真髄。

死翔の槍(ボルグ)――――ッ!!」

 

 両手に握る双剣を手放す。

 

「躱せないのなら、躱さなければいい」

 

 彼方へ飛ばした獲物の代わりに、迫り来る魔弾を防ぐ為の盾を用意する。

 

 ――――I am the bone of my sword.

 

 降り注ぐ破滅の流星が直撃する直前、渾身の魔力をもって守りを固める。

 

熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)――――ッ!!」

 

 真名の解放と同時に、七つの花弁が展開する。

 あらゆる防壁、あらゆる回避を突破して、敵が息絶えるまで暴れ続ける筈の魔弾が、ここに停止する。

 これこそが、かのトロイア戦争で大英雄の投擲を唯一防いだアイアスの盾。七つの花弁は、一枚一枚が古の城壁に匹敵する堅硬なる壁。

 こと投擲武具に対しては、記録されたものの中でも最強の結界宝具だ。

 

「――――ッ!!」

 

 この守りを突破出来る槍などあり得ない。その常識を、死の槍は苦もなく打ち砕き、花弁を貫いていく。

 一枚、二枚、三枚……、次々に四散していく。

 しかし、五枚目。残り二枚を残して、魔槍の進撃は今度こそ停止した。

 

「……君が全力で無かった事にホッとしているよ」

 

 おそらく、彼が全開の力で同じ攻撃を仕掛けてきたら、確実に防げたかどうか分からない。

 だが、防いだ。

 

「――――馬鹿な」

 

 この瞬間を待っていた。両手には、既に新たな双剣を用意してある。

 その意味は――――、

 

「ガッ……、な、にぃぃぃ!?」

 

 ランサーの背中に、今握っているものと同じ双剣が突き刺さる。

 陰陽剣・干将莫邪。これは、磁石のように互いを引き寄せ合う性質を持つ。

 アイアスを展開する前に放り投げた方の干将莫邪を新たに取り出した干将莫邪で引き寄せる事で、ゲイ・ボルクを防がれた事に動揺したランサーの刹那の隙を突いた。

 だが、それだけで倒れてくれるような生易しい相手ではない。

 

「終わりだ、ランサー」

 

 とどめを刺す為に接近する。

 

「……ッチ」

 

 瞬間、地面に文字が浮かび上がった。

 

「なにっ!?」

 

 吹き上がる炎にランサーの姿が一瞬隠れた。その炎ごとランサーを引き裂くために莫耶を振るうが手応えがない。

 火の手が消えた跡に、ランサーの姿はなかった。

 

「……あの状況で逃走するとは」

「アーチャー!」

 

 主が駆け寄ってきた。

 

「……すまない、逃げられた」

「何を言ってるのよ! 凄いじゃないの! 私、三回くらいは貴方が死んだと思ったわ!」

「ムッ……。君はどうやら私を過小評価しているようだな」

「ええ、そうみたい。でも、訂正するわ。私のサーヴァントは最強ね!」

 

 その言葉に微笑が零れる。

 

「……さて、我々も帰宅しよう。さすがに少し疲れた」

「ええ、お疲れさま。この学校に仕掛けられた結界はランサーの張ったものじゃないみたいだし、長丁場になりそうだもの。まだまだビシバシ働いてもらうから、今はゆっくりと休んでちょうだい」

「やれやれ、サーヴァント使いが荒いな。了解したよ」

 

★もしも、藤ねえが同い年だったら 第四話『必中の槍、無敗の盾』

 

 アーチャーとランサーの激突を一人の女が見下ろしていた。

 

「……一先ず、余計な輩は居なくなったようですね。さて、最後の仕上げをしましょう」



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第五話『解放』

第五話

 

 ――――そこは、地の底。

  

 水面のように地面が波打っている。よく見てみると、それは無数の蟲だった。

 不快に思いながら、召喚者を見る。

 

「サーヴァント・ライダー。召喚に応じて参上しました」

 

 召喚者は応えず、代わりに隣の青年が口を開いた。

 召喚者の名は、間桐桜。彼女の性格は戦いに適さない。それ故に、兄である間桐慎二がマスターとして戦う。

 なるほど、理屈は通っている。

 

「……戦いに適さない。ならば、何故、サクラに召喚を?」

「僕には魔術回路が無いからだ」

 

 ならば、召喚を諦めればいい。

 召喚を強要しておいて、まるで、気の弱い妹の為にマスターを代わろうとしているかのような態度が気に入らない。

 

「ライダー」

 

 慎二に対して敵意を向けると、はじめて桜が口を開いた。

 

「どうか……、兄さんの言うとおりにして下さい」

「……それが、マスターの望みなら」

 

 敵意を解くと、暗がりの向こうから一人の老人が現れた。

 不快な臭気が立ち込める。地を這う蟲が人を真似て、耳障りな音を鳴らす。

 一目で理解した。これは魔物。人を狂わせ、害をばら撒く化生だ。

 

「それ以上、桜に近づけば殺します」

 

 老人は動いていない。だが、足元を這いずる蟲は老人の体の一部だ。

 

「……いいの、ライダー」

「しかし、マスター」

「いいの……。ジッとしていて」

 

 蟲が桜の体に張り付き、彼女の体を穢していく。

 悍ましい光景に感情が荒ぶる。

 

 ――――ああ、彼女も同じなのだ。

 

 見た所、聖遺物のような物はない。彼女は、その身を触媒に私を召喚したのだろう。

 彼女の望まぬまま、彼女は化け物に変えられようとしている。いつか、私のように何もかも壊してしまう。

 

「……桜」

「兄さん……」

 

 蟲に何かを奪われた桜は膝をつき、慎二は彼女に駆け寄っていく。

 

「……ふむ。問題なく作れたようだな」

 

 老人が慎二に一冊の本を渡した。

 

「それは、偽臣の書だ。説明は必要か?」

「……要らない」

 

 老人は呵呵と嗤うと、姿を消した。

 慎二が桜を背負い、場所を移す。薄暗い談話室で、慎二は私の能力を詳しく話すように言った。

 私のスキルや宝具について話すと、彼は更に詳しい事を聞いてきた。

 

「……結界宝具が二つか。なぁ、宝具以外にも結界を張る術があるか?」

「無論です。キャスターのクラスに呼ばれるような魔術師には劣るかもしれませんが、結界に限らず、ある程度の魔術は行使可能です。少なくとも、現代の魔術師には遅れを取りません」

「そうか……。もう少し、詳しく聞かせてもらう。結界にも種類があるだろう? 例えば、光や音、気配を遮断するもの。物理的に人や物を通さないもの。魔術的な干渉を阻害するもの。人を遠ざけるもの。ざっと考えてみたけど、お前ならどこまで出来る?」

「全てです、シンジ。その程度ならば、造作もありません」

「……そうか。けど、魔術的な干渉の阻害は難しい筈だろう? どの程度までいける? 例えば、神代の魔術はどうだ?」

「神代の時代のものが相手では……、確実とは言えませんね」

「確実とは言えない。つまり、ある程度は阻害出来るという事か?」

「はい、ある程度まででしたら」

 

 慎二は瞼を閉ざし、熟考し始めた。

 途中、桜がお菓子と紅茶を運んで来てくれて、一緒に飲みながら待っていると、唐突に慎二が言った。

 

「……とりあえず、実験してみよう」

「実験……、ですか?」

「ああ、そうだ。今度、お前の結界の性能について色々と試してみたい。構わないな?」

 

 ◇

 

 その数日後、慎二の指示に従いながら、宝具以外の結界を試した。

 出来て当然の事を要求され、些か不可解に思いながら付き合っていると、魔力の干渉を阻害する結界を張った途端に彼は呟いた。

 

「……僕は臓硯を殺す」

「シンジ……?」

 

 急な言葉に戸惑う私を尻目に、彼は瞼を閉ざした。

 青褪めた表情で、脂汗を浮かべている。

 

「どうしたのですか?」

「……よし、よし、よし! 死んでない」

「シンジ……?」

 

 彼は言った。

 

「ライダー。これから話す事は決行まで二人だけの秘密だ。桜にも話すな」

「……どういう事ですか?」

「臓硯を殺す。お前の能力を聞いて、出来ると確信した。決行日は週末だ」

 

★もしも、藤ねえが同い年だったら 第五話『解放』

 

 週末は先輩の家で料理を教えてもらえる日だ。

 ルンルン気分でエプロンや材料をカバンに詰めていると、兄さんがやって来た。

 

「桜。衛宮の家に行く前に付き合ってくれないか?」

 

 珍しい。兄さんが週末の料理教室に口を出す事なんて滅多にない。

 きっと、聖杯戦争絡みの事なのだろう。

 

「わかりました」

「悪いな。ちょっとした実験なんだ。すぐに終わるよ」

「はい」

 

 向かった先は学校だった。

 校内に足を踏み入れると、なんだか目眩を感じる。ここ数日、毎日だ。

 

「大丈夫か?」

「は、はい」

 

 カバンを落とさないように気をつけながら校内を歩くと、奇妙な事に気付いた。

 誰もいない。いつもなら、どこかの運動部が休日返上で練習に励んでいる筈なのに、声も気配も感じられない。

 

「ああ、人払いの結界だよ」

「結界の実験ですか?」

 

 そう言えば、ライダーが毎日結界の実験ばかりしていると愚痴を零していた。

 でも、兄さんは無駄な事を嫌うタイプだ。きっと、必要な事なのだろう。

 

「私はどうすればいいんですか?」

「ん? ああ、ちょっと待ってな」

 

 そう言うと、兄さんは偽臣の書を取り出した。

 同時にライダーが姿を現す。いつもと、何かが違う。

 

「さて、始めるぞ」

「え?」

「桜。僕を信じろ」

 

 兄さんは、偽臣の書に火をつけた。

 その暴挙に声を発する直前、ライダーが瞼を開いた。

 違和感の正体。それは、彼女が常に身に着けていたはずの眼帯を外している事だった。

 自己封印・暗黒神殿(ブレーカー・ゴルゴーン)。対象に歓喜と絶望の入り交じる混沌の夢を見せ、その力を封印する結界宝具。

 ライダーのサーヴァントは、その結界をその身に備わる魔性と魔眼(キュベレイ)を封じる為に使っていた。

 それが解き放たれた瞬間、私の体はまたたく間に石化していき、同時に風景が変化した。

 

「あれ? あれ? あれれ?」

 

 何故か、先輩と兄さんが私を囲んでいる。

 

『桜。お前って、本当に可愛いよな』

「ほ、ほえ!?」

『弓も料理もグングン上達してるじゃないか。桜は本当に頑張りやさんだな』

「ほえ~~!?」

 

 先輩と兄さんが普段言わないような甘い言葉を囁いてくる。

 なにこれ!?

 

『桜。好きだ』

『僕も愛しているよ、桜』

 

 頭の中が沸騰していく。

 ああ、これはライダーの宝具だ。絶望を取り払って、歓喜の夢だけを見せているんだ。

 だから、惑わされちゃダメよ、桜! ああでも、うぅぅぅぅ。

 

『赤くなった顔も可愛いな、桜』

『もっと見せてくれよ。お前がそばにいると、ホッとする』

 

 これはまずい。とってもまずい。

 

「ラ、ララ、ライダー。止めて、止めて! まずいから! すっごく、まずいから!」

『そんなに慌てるなよ、桜』

 

 ああ、先輩がキラキラしてる。

 

『お兄ちゃんがついてるぞ。お前は何も心配しなくていいんだ』

 

 兄さんまでキラキラしてる。

 ああ……、これは本当にまずいです。

 

 ◆

 

「どうだ、ライダー!」

「大丈夫です。今、桜の肉体と精神は完全にキュベレイとブレーカー・ゴルゴーンの支配下にあります。中に潜む害虫も暴れだす気配はありません!」

「よし! やれ!」

他者封印・鮮血神殿(ブラッドフォート・アンドロメダ)!」

 

 視界が紅く染まっていく。体内から、何かが吸い出されていく。

 

「耐えてください! 一匹残らず溶かし尽くします!」

「ああ、頼む!」

 

 立っていられなくなった。急速に死が近づいてくる。

 目眩がして、吐き気がして、それでも必死に生にしがみつく。

 時間にして数秒。けれど、何時間にも、何年にも思えた。息絶え絶えになりながら桜を見る。

 

「デヘヘ……。だ、ダメですよ先輩。あっ、兄さんったら……エヘヘ」

「……お前、どんな夢を見せてるんだ?」

「そんな事よりもシンジ! 行きますよ!」

「おい、誤魔化すな!」

 

 ライダーが乱暴に僕と桜を抱える。

 いつの間にか、彼女の横には翼の生えた白馬が待機していた。

 

「さあ、これで終わりです!」

 

 天馬が新都のビルの屋上に降り立つと、ライダーは僕達を降ろし、再び天に舞い上がった。

 これで終わるとは思えない。だけど、確実に雁字搦めになっていた鎖を破壊する事は出来る。

 

「やれ、ライダー!!」

 

 僕の叫びが彼女に聞こえたかは分からない。

 ただ、その瞬間に彼女は莫大な魔力を解き放った。

 騎英の手綱(ベルレフォーン)。それは、ライダーの騎兵としての真の宝具。黄金の鞭と手綱によって、彼女の跨る天馬は自己の限界すら超えて疾走する。

 それはもはや隕石だった。一直線に間桐邸へ降り注いだ魔力の塊は、そのまま地面を砕き、地下に広がる空間を焼き尽くす。

 

「そうだ、ライダー。全部壊せ! 壊しちまえ! あんな屋敷!」

 

 無意識の内に涙が溢れた。

 

「……これで、ようやく」

 

 ライダーが戻ってくる。僕は涙を拭った。

 

「終わりましたよ、シンジ」

「……ああ、ありがとう」

「では、ここでお別れです」

 

 ライダーは釘のような短剣を構えた。 

 臓硯を殺すための計画を練った時、彼女は言った。

 

 ――――では、その計画が完了した後、私は自害します。

 

 はじめ、何を言われたのか分からなかった。

 理由を問い詰めると、彼女はアッサリと言った。

 

 ――――貴方の望みは、この計画で叶う。ならば、それ以降は戦う必要がありません。

 

 ふざけるな。お前にも望みがある筈だろう。そう言うと……、

 

 ――――ありません。……いえ、強いて言えば、この計画の完遂こそが私にとっての望みなのです。

 

 彼女は語った。己の過去、桜への思い、この計画が意味するもの。

 

 ――――桜を普通の子に戻してあげたい。ええ、それが全てです。ですから、計画が上手くいったら、そこでお別れです。

 

 その言葉に納得できたわけじゃない。だけど、臓硯を殺せば、僕達に戦う理由はない。

 

「……ライダー。せめて、桜が目を覚ますまでは待ってくれないか」

「それは……」

「頼むよ、ライダー」

 

 僕は必死に頭を下げた。

 返し切れない恩がある。だから、せめて桜にもお礼を言わせてあげたい。

 

「……分かりました」

「ありがとう」

 

 僕達は新居へ移動した。もっとも、新都の一角で、冬木大橋に近い場所だ。

 ライダーが加護を施してくれているから、ここにいる限りは安全な筈。

 僕は桜の目覚めを待ちながら、なんとなく昔話をしていた。

 昔は桜と不仲だった事。魔術に憧れ、養子である桜が間桐の後継者に選ばれた事を嫉妬した事。そして、桜に手を上げてしまった事。

 

「……そのような経緯があって、どうして今のような関係に?」

 

 それは純粋な疑問だったのだろう。

 端から聞けば、その時の事は僕達兄妹の間に決定的な溝を作った筈だ。

 

「少し、長い話に付き合ってもらえるかな?」

「ええ、お付き合いしますよ」

「ありがとう。あれは……、そう、とても日差しが強くて、暑い日だった事を覚えているよ」

 

 僕は語り始めた。

 真夏日に起きた出来事。僕の全てが変わった日。血塗られた惨劇を……。

 

「あの日……、禁じられた魔剣(虎竹刀)が解き放たれてしまったんだ」

「……虎竹刀?」



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第六話『過去』

第六話

 

 僕と衛宮の出会いは中学生の頃だった。藤村との出会いもその頃。

 大人しくて、頼まれれば絶対にノーと言えない性格の衛宮は、常日頃から、完全な便利屋扱いを受けていた。その頃の僕は、そんな衛宮の事を軽蔑していた。抵抗する勇気も持てない軟弱者だと直接罵った事もある。

 

 その日、衛宮は文化祭の準備をクラスの連中に押し付けられていた。

 文化祭の準備と一言で言っても色々とあり、衛宮はキチンと自分の領分の仕事をこなしていた。けれど、遊びに行きたいからという理由でクラスメイト達が看板作りの仕事を衛宮に丸投げしたのだ。

 僕は、その光景を見ていた。

 

 ――――バカバカしい。断ればいいじゃないか。

 

 いつもの光景が、その時は妙に苛ついた。きっと、(さくら)の姿が重なったんだと思う。

 

 あの頃の桜は、自己主張が出来ない性格で、よく虐められていた。

 ハキハキと喋れ! 嫌味を言われたら言い返せ! 黙ったままで頷くな! 

 いくら言っても暗い表情を浮かべ続けて、まるで人形のようだった。

 

 僕は一人残って黙々と作業をこなす衛宮を睨み続けた。桜に言い聞かせるように、自己主張しろと、反抗しろと怒鳴り続けた。

 手伝いもせずに怒鳴り散らす僕を追い出す事もせずに、衛宮は「はいはい」と答えながら作業に没頭し続けた。その姿が我慢ならなくて、更に言葉を重ねた。

 だけど……、衛宮が完成させた看板を見た瞬間、僕の苛立ちは霞の如く消えてしまった。

 あの看板の出来は正に完璧だった。嫌々やっていたら、あんな物は作れない。

 その時になって、僕は間違いに気付いた。衛宮と桜は違う。一見同じように見えても、在り方が全く違う。

 

 ――――どうしたら、そんな風に生きられるんだよ。

 

 それ以来、僕は衛宮とよくつるむようになった。気付けば、友情のようなものを感じ始めていた。

 互いの家にも行き来するようになり、僕が桜を紹介して、衛宮は藤村を紹介した。

 藤村は桜の事を一目で気に入り、まるで妹のように可愛がり始めた。色んな所に連れ回して、桜にいろんな表情を教えていった。

 悔しかったし、羨ましかった。だけど、それ以上に嬉しかった。いつもウジウジして、本音を隠して、生きたまま死んだような日々を送っていた桜に命が吹き込まれたように感じた。

 ある時、修行だとか言って、藤村が桜を連れて山篭りをした時はさすがに焦って、衛宮と一緒に追いかけた事を覚えている。あの時は、結局大人が二人を見つけて、僕達は後から無事を知らされた。

 

★もしも、藤ねえが同い年だったら 第六話『過去』

 

 その日は雨が降っていた。

 

 ――――なんで、どうして!? なんでなんだよ!

 

 頭の中がグチャグチャだった。

 屋敷の中を歩いていて、偶然見つけてしまった地下への階段。

 その先には、僕の知らない桜がいた。裸で、蟲の海に沈んでいる姿を見て、父の言葉を思い出した。

 

『お前は魔術師には決してなれない』

 

 間桐の家は魔術師の家系だ。だが、その血は冬木の土地と合わず、代を重ねる毎に衰退して、僕の代では完全に枯渇した。

 桜は……、衰退した間桐の後継者となる為に他所から譲り受けた養子だと知った。

 

 ――――ちくしょう! ふざけるなよ! どうしてなんだよ!

 

 何度も、何度も、何度も桜を殴った。

 反抗もしないで、文句も言わないで、桜は僕の拳を受け続けた。申し訳なさそうに僕を見つめる桜の眼が、余計に僕を追い詰めた。

 その翌日だった。藤村が桜に会うために訪ねてきて、桜の怪我を発見したのは――――。

 

 ◇

 

 可愛がっていた桜に怪我を負わせた下手人が僕である事に気付いた藤村は激怒して、完全に理性を手放した。

 はじめは、自暴自棄になっていて適当に殴られようかとも思ったのだが、藤村の鉄拳は殺意に満ちていた。

 所詮、人は命が惜しい生き物なのだ。命の危機を感じた僕は逃げた。逃げ続けた。

 街に出て、息を潜めると、藤村は封印された魔剣を持ち出した。

 虎竹刀。トラのストラップがくっついているソレは、抜けば血を見ずには納まらない妖刀として、藤村組に封印されていた藤村大河の愛剣である。

 

「どこじゃ~~~~!! 出てこんかい~~~~!!」

 

 猛虎が吠える。冬木で生きる人間ならば誰もが知っていた。

 怒れる猛虎に触れてはならない。

 人々は悲鳴を上げながら窓や扉を締め切り、街はまたたく間にゴーストタウンへ変貌した。

 息を呑む音すら響きかねない静寂が広がる中で、僕は息を殺して隠れ続けた。

 

「グルルルルルル!!! で~~~て~~~こ~~~い~~~!!!」

 

 恐怖しかなかった。

 本能を警鐘を鳴らし続けている。

 見つかれば殺される。

 

「……慎二」

「ヒィ!?」

 

 悲鳴を上げた口をふさがれた。

 そこに居たのは、衛宮だった。

 

「静かにしろ!」

 

 衛宮はキョロキョロと周囲を見回した。

 

「……いないな。大丈夫か?」

「あ、ああ……」

「俺もいろいろと言いたいことがあるけど、今は逃げる事に専念しよう。今の大河に捕まったら……」

 

 青褪めた表情で顔を逸らす衛宮。

 おい、やめろ。怖いじゃないか!

 

「……移動するぞ。ついて――――」

 

 その時だった。突然、彼方から何かが飛んで来た。

 壁に突き刺さる竹刀。

 

「み~~~つ~~~け~~~た~~~!!!」

 

 顔を上げた先には、ゆっくりと迫ってくる猛虎の姿があった。

 

「ギャアアアアアアアアア!?」

「ギャアアアアアアアアア!?」

 

 僕達は逃げた。それはもう、一心不乱に!

 

「じゅ、住宅街はダメだ! 周囲に被害が出る!」

「お、おい、アイツはお前の幼馴染だろ! なんとかしろよ!」

「ふざけるなよ、殺す気か!?」

 

 僕が言うのも何だけど、幼馴染に対してなんて言い草だろう。

 

「とにかく、山に行くぞ! 和尚様に匿ってもらうんだ!」

「お、おい、藤村組に逃げ込んだほうがいいんじゃないか!?」

「今日は組の人間総出で箱根に行ってるんだよ!」

「孫娘を置いて!?」

「だから、余計に気が立ってるんだ!」

「なん……、だと!?」

 

 僕達は円蔵山へ向かった。すると、藤村が前からやって来た。

 どうやら、全力疾走していた僕達を追い越して回り込んだようだ。

 

「嘘だろ!?」

「こっちだ、慎二! 止まったら()られるぞ!!」

「衛宮!?」

 

 衛宮に腕を引っ張られ、山道を駆け上がる。

 

「とにかく走り続けるんだ!! 止まるな!!」

「うああああああ!!!」

「叫ぶな!」

 

 それから丸二日の間、僕達は山の中を逃げ続けた。飲まず食わずで、ほとんど寝る事も儘ならないまま、恐怖に怯え続けた。

 真夏だった事もあって、日差しが強く、蒸し暑い。

 限界を感じて、僕達は山を降りる決意をした。よろよろと、それでも細心の注意を払いながら人里へ降りていくと、どうやら戒厳令は解かれたようで、元の日常を取り戻していた。

 

「……はは、もしかしたら藤村もとっくに家に帰ってたのかもな」

「そうかもな。ちょっと怯えすぎたか」

 

 俺達は笑いあった。安心したのだ。これで、もう大丈夫な筈だと……。

 

「グルルルル」

 

 その一瞬の油断が命取りになった。

 

「うわああああああああああああ!?」

「うわああああああああああああ!?」

 

 振り向いた時には、猛虎の牙が迫って来ていて、避ける事すら出来なかった。

 

 ◇

 

「兄さん! 兄さん!」

 

 泣きながら僕の事を呼ぶ声が聞こえる。

 

「……桜かい?」

「兄さん!」

 

 怒りに任せて殴ってしまった妹は、僕を泣きながら心配してくれていた。

 

「僕はいったい……」

「兄さんは衛宮さんと一緒に運ばれたんです」

「そ、そうか、あの時僕達は藤村に襲いかかられて……。よく、生きてたな」

「え? あっ、いえ、違いますよ! 兄さん達が倒れたのは極度のストレスと疲労のせいだそうです」

「そう言えば……、とくに痛みはないな」

 

 なんというか、かっこ悪いな。

 

「……兄さん、私」

「桜……。すまなかったね」

「え?」

 

 藤村に追われて、衛宮と一緒に逃げている内に頭が冷えた。それどころじゃなかったとも言うが……。

 

「殴ったところ、痛くないか?」

「……いいえ、へっちゃらです」

 

 僕達が退院したのは、それから二日後の事だった。

 その間、桜は付きっきりで看病してくれた。

 

 ◆

 

「その時にいろいろな事を話したよ。桜が間桐の家に引き取られた事をどう思っているのかとか、魔術の修行の事とか、いろいろと」

「……そ、そうだったのですか」

 

 ライダーの顔が少し引きつっている。

 自分で話していても、まるでパニック映画みたいだと思った。

 

「……まあ、なんだな。それが一番の切っ掛けだよ。それまでの僕達は互いに一線を引いていた。だけど、あの事件のおかげで歩み寄る事が出来たんだ。桜は懐いてくれるようになって、僕も桜の事が大切に思えるようになった。なんていうか、何があっても守ってやらないとって思うようになったんだ」

 

 気付けば空が暗くなっている。少し、話し込み過ぎたな。

 

「っと、桜はまだ起きないのか?」

「後ろです、シンジ」

「え?」

 

 振り返ると、頬を赤らめている桜がいた。

 

「……えっと、いつからいたんだ?」

「シンジが後悔に塗れた表情で『僕は……、桜を殴ってしまったんだ』と呟いていたところからですね」

「教えろよ!! なんか、すごい恥ずかしいぞ!!」

「兄さん……」

「モジモジするな!」

 

 僕達が騒いでいると、急にライダーが窓へ駆け寄った。

 

「どうした!?」

「……どうやら、サーヴァントが現れたようです」

「なっ、近いのか!?」

「いいえ、川を隔てた先ですね。あの方角です。……ここからでも感じ取れるほど、強力なサーヴァントのようです」

「……待てよ。この方角は……」

 

 脳裏に衛宮と藤村の顔が浮かんだ。

 そんな筈はないと思っても、一度浮かんだ考えは簡単に消えない。

 

「おい、ライダー!」

「向かう気ですか?」

「……僕の勘違いならそれでいいんだ。だけど、もし違ったら……。頼む!」

「かしこまりました」

「兄さん!」

「桜はここにいるんだ!」

 

 僕はライダーと共に屋上へ上がった。

 ライダーが天馬を喚び出し、その上に跨る。すると、一瞬にして天馬は川の向こうへ飛翔した。

 眼下では、悪い予感が当たってしまっていた。

 

「……ふざけるなよ」

 

 地上では、明らかに人外と分かる巨人が、僕のよく知っている二人に襲いかかっていた。



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第七話『戦闘潮流』

「来ないね、桜ちゃん」

 

 居間でみかんを齧りながら、大河がポツリと呟いた。

 

「急な用事でも、入ったのかもな」

 

 普段の桜なら、必ず連絡を入れてくる。よっぽど切羽詰った用事なのかもしれない。

 大河はしょぼんとした表情を浮かべた。

 

「……今日はエビグラタンなのに」

 

 毎週土曜日は桜と大河に料理を教えている。

 はじめは慎二に頼まれて桜にだけ教えていたんだけど、気がつけば大河も参加するようになった。

 大河は桜の事が大好きだ。料理教室に参加するようになったのも、桜と一緒に料理をする事が楽しいからだ。

 

「一応、電話してみるか」

 

 大河が元気をなくすと……、困る。

 まるで、燦々と輝いていた太陽が急に沈んでしまったような気分になる。

 

★もしも、藤ねえが同い年だったら 第七話『戦闘潮流』

 

「……留守みたいだな」

 

 電話には誰も出なかった。やっぱり、急用が出来たのだろう。

 

「どうする? 今日はやめとくか?」

「……ううん。やる」

「そっか」

 

 大河はノロノロとエプロンと三角巾を身に着けた。

 なんだか、エプロンに刺繍されている虎まで元気をなくしているように見える。

 

「そうだ。グラタンが出来上がったら、桜と慎二に持っていこう。きっと、喜んでくれるよ」

「うん! そうする!」

 

 良かった。少し、元気になった。

 

「じゃあ、まずは手を洗って、ブロッコリーを切ろう」

 

 大河は意外と手先が器用だ。すぐにオリジナリティを出そうとするから、一人で料理をすると失敗するけど、そこさえ目を瞑れば包丁さばきは中々のものだ。

 トントンと軽快な音を奏でるまな板。俺はその間に鍋を用意する。

 

「出来たよ、士郎!」

 

 ドヤァと切ったブロッコリーを見せてくる大河。

 

「それじゃあ、水にさらして良く洗うんだ。……洗剤は使うなよ?」

「使わないわよ!」

 

 ガオーっと怒っているが、実際に昔やらかした事だ。

 その方がキレイになると本気で信じている目に、どうしたものかと悩んだ記憶がある。

 桜も天然というか、大河を信じて真似てしまい、かなりの食材が無駄になった。

 

「洗ったら水気を切らないで、そのまま鍋に入れてくれ」

「あれ? 水が入ってないよ? 茹でるんじゃないの?」

「蒸した方が栄養が水に逃げないんだよ。湯気が出たら火を止めて置いとくんだ」

「ほいほーい」

 

 それにしても、大河の口から茹でるという言葉が自然と出てくるとは、なんだか感慨深い。

 はじめの頃は、野生動物に道具の使い方を仕込んでいるような気分だった。

 

「なになにー? なんか嬉しそうだけど、どったの?」

「なんでもないよ。それより、蒸してる間にタマネギとマッシュルームを薄切りにするぞ。あと、忘れちゃいけないのがエビのワタヌキだ」

「オッケー! まかせたまえー!」

 

 大河は手際よくマッシュルームを切った後、タマネギを切り始めて悲鳴をあげた。

 

「ぅぅ……、染みるよー」

「大丈夫か? うーん、新鮮なものを選んだつもりだったんだけどな。じゃあ、タマネギは俺が代わるよ」

「……いい、私がやる」

「でも、目が痛いんじゃないのか?」

「いいの! 士郎まで目が痛くなっちゃうじゃない!」

「大河……」

 

 普段はハチャメチャな癖に、こういう時はドキッとさせてくる。

 上がりかけた心拍数を下げる為に、大河にバレないように深呼吸をした。

 

「出来たよ!」

「お、おう。じゃあ、次はエビの背ワタを取るぞ。爪楊枝を使うんだ」

 

 手本を見せると大河は目を輝かせた。コツがいる作業だけど、慣れると楽しい。

 夢中になって大河がホジホジしている間にソースの準備を始める。

 

「終わったよ!」

「じゃあ、次はベシャメルソースを作るぞ」

「ペルシャソース?」

「ベ・シャ・メ・ル。フランス料理でよく使われる基本的なソースだよ。まずはバターをフライパンで溶かすぞ。強火で焦がすと苦くなるから弱火でコトコトゆっくり溶かすんだ」

「はーい!」

 

 大河はフライパンにバターを入れると、楽しそうに箸で滑らせた。

 後ろに下がって見守っていると、三角巾の後ろから飛び出しているポニーテールがぴょこぴょこ揺れ動いている。

 ついつい掴みたくなる衝動に駆られるが、我慢だ。

 

「泡が出てきたら小麦粉を入れてかき混ぜるんだ。手早くな」

「うん!」

 

 大河は計量済みの小麦粉をゆっくり入れていく。

 ここでドサッと入れない辺り、成長が見える。

 初めてケーキを焼いた時はひどかった。三人揃って真っ白になってしまい、慎二に腹を抱えて笑われた。

 その後、怒った大河が慎二にも粉を投げつけて料理どころじゃなくなった事を思い出す。

 

「ダマにならないようにゆっくり混ぜながら牛乳を注いでいくんだ。何回かに分けて入れるとうまくいくぞ」

「うん!」

 

 途中で塩コショウとブイヨンを入れる。

 

「あと、これを乗せるんだ」

「なにこれ? 葉っぱ?」

「ローリエって言うんだ。香りつけにピッタリなんだよ。ただ、あんまり長く入れすぎると苦味が出てきちゃうから気をつけろよ」

「はーい」

 

 ソースを煮込んでいる間にお湯を沸かしてマカロニを茹でる。

 ソースが出来上がったら、今度はさっき下拵えをしたタマネギとマッシュルーム、エビをサラダオイルで炒める。

 

「うー、やる事が多過ぎるよー」

「まあ、グラタンはとくに工程の多い料理だからな。けど、あともう一踏ん張りだ。桜に食べてもらうんだろ? がんばれ!」

「……うん。がんばる!」

 

 頬が緩みそうになる。いかんいかん。

 

「よし、炒めた具材をソースと混ぜ合わせるぞ。それが終わったら耐熱皿に盛り付けて焼くだけだ。チーズとパン粉を乗せるの忘れるなよ。それが無いと台無しだからな。あと、ブロッコリーも」

「よーし、ラストスパート!」

 

 やばい。

 楽しい。

 

「……って、なにその顔!」

 

 いきなり、大河に睨まれた。

 

「えっ、どうした!? 変な顔でもしてたか?」

「してた! こーんな風に眉間に皺を寄せてたよ! 折角楽しく料理をしてるのに!」

「わっ、悪かった! ちょっと、工程が多いから疲れたのかもしれない」

「もう! ラストスパートなんだから、士郎も頑張ってよね!」

「お、おう!」

 

 バカヤロウ。何やってんだよ。

 せっかく、大河が楽しんでくれているのに、水を差すんじゃねーよ。

 

「士郎! ボーっとしてないで、耐熱皿を取ってよ!」

「あっ、ああ!」

 

 耐熱皿を出し忘れていた。余計な事を考えているからだ。

 楽しくて、幸せな時間に浸っていると、自分が許せなくなる。だけど、そんなのは俺の都合だ。

 

「よっと。これに盛り付けるんだ。丁寧にな」

「うん!」

 

 四つの耐熱皿にそれぞれ具を盛り付けて、チーズと粉をふるう。そして、最後にブロッコリーを乗せたら工程完了。

 我が家のとっておきのオーブンに耐熱皿を入れる。

 ずいぶん前に慎二が突然持ってきたものだ。桜がポツリと高性能オーブンが無いと作れない料理を作ってみたいとこぼした事が原因らしい。

 あとでデパートで見て値段にびっくりした。

 なんでも、慎二は株式なるものに手を出して稼いだらしい。

 

 ――――僕を誰だと思っているんだ? お前とは違って、僕にとっては端金なのさ。

 

 頼んでもいないのに見せてきた慎二の預金通帳には俺が見たことの無い数字が並んでいた。

 

「よーし、後は焼くだけだ」

「どのくらいで出来るの?」

「十五分くらいだ」

「おー! じゃあじゃあ、出かける準備をしようよ!」

「はいはい」

 

 気がつくと空が暗くなっていた。夕飯にはぴったりな時間だ。

 エプロンを外して出かける準備をする。

 

「あったかくしろよ。外は冷えるからな」

「士郎こそ、いつもみたいにシャツ一枚じゃダメだよ!」

「分かってるよ」

 

 準備が終わると、丁度良くオーブンから音が鳴った。

 取り出してみると、食欲を唆る香りが広がった。焦げ目も実に美味しそうだ。

 

「わーお! 出来た出来た!」

「ああ、バッチリだな! これなら桜も喜ぶぞ」

「わーい!」

 

 冷めてしまったらもったいないから、先に俺達の分を食べる事にした。

 大河はすぐに持っていきたがったけど、外に出たらさすがに冷めてしまう。

 

「う~~~ま~~~い~~~ぞ~~~!!!」」

 

 大河は一頻り吠えた後、頬を緩ませながらグラタンをパクパク食べ始めた。

 俺もグラタンを口に運ぶ。ああ、これは美味い!

 

「美味いぞ、大河! 頑張ったな!」

「えへへー、もっと褒めろー!」

「ああ、すごいぞ!」

 

 隣で指示を出していたとはいえ、これは大河が一人で作ったものだ。

 

「うまいな……、うまい」

 

 うまいという言葉しか出てこない。

 レストランで食べたものよりも断然上だ。

 

「ああ、もう無くなっちゃった」

「まだ、具は残ってるから焼けばいい。でも、まずは桜と慎二のところに持っていこう」

「うん!」

 

 耐熱皿に蓋を被せて、横にならないようにバッグに入れる。

 

「さあ、行くぞ」

「うん! えへへー、桜ちゃん喜んでくれるかなー」

「喜ぶに決まってるさ」

 

 桜も大河が大好きだからな。

  

「よーし、どっちが先に着くか競争だー!」

「ダメだ。走ったらこぼれちゃうぞ」

「うっ……、はーい」

「素直でけっこう」

 

 俺達はのんびりと間桐邸へ向かった。

 

「……あれ?」

 

 とっくにたどり着いている筈なのに、慎二の家が見つからない。

 

「おかしいな」

「通り過ぎちゃったのかな?」

 

 ちょっと、ボーっとし過ぎていたのかもしれない。元来た道を戻る。

 

「あれ?」

「あれれー?」

 

 三叉路まで戻ってきてしまった。

 

「えっと、こっちだよな?」

「うん」

 

 もう一度、慎二の家に向かって歩きだす。だけど、またもや通り過ぎてしまった。

 

「どうなってるの?」

 

 首を傾げる大河に俺も首をひねった。

 

「なにか探しもの?」

「え?」

 

 急に背後から声を掛けられた。

 振り向くと、昨夜帰り道で出会った少女がいた。

 銀色の髪に、真紅の瞳。彼女は面白がるように俺達を見つめている。

 

「えっと……、君は?」

「むぅ……。質問に質問を返したらイケナいのよ」

「わっ、悪い」

 

 つい謝ってしまった。

 

「うわー! 士郎! 誰なの!? すっごく可愛い!!」

「いや、俺もよく知らないんだ」

 

 そう言うと、少女はムッとした表情を浮かべた。

 

「あっ……えっと、その、君は俺とどこかで会ったことがあるのか?」

「……無い」

 

 ホッとした。これであると言われたら、俺はとんだ無礼者になってしまう。

 

「なら、俺に何か用があるのか? とりあえず、名前くらいは教えてくれ」

「ふーんだ。教えてあげない!」

 

 へそを曲げられてしまった。

 参った。この状況はどうすればいいんだろう。

 

「ちょっと、士郎。あの子、怒っちゃったよ? こういう時は、謝らなきゃ」

「いや、謝れって言われても……」

「もういい!」

 

 なにがもういいのか聞こうと思ったけれど、俺はいつの間にか彼女の隣に現れた存在に言葉を失った。

 それは、巨人だった。明らかに人外である事が分かる。

 

「えっ……、なに、あれ」

 

 大河も目を丸くしている。

 

「……やりなさい、バーサーカー! だけど、殺しちゃダメよ。そっちの女は好きにしていいわ!」

 

 巨人の目に剣呑な光が宿る。

 状況に理解が追いつかないけれど、一つだけ分かる事がある。

 

「……おい、好きにしていいって、どういう事だ?」

 

 ガチンと音を立てて、自分の中のなにかが変わる。

 いつもは時間を掛けてもすんなりといかない魔術回路の精製が刹那に完了した。

 

「ダメ、士郎!」

 

 大河を守るために動こうとしたら、逆に彼女に腕を掴まれた。

 

「逃げても無駄よ! バーサーカー!」

 

 大河に引っ張られて走り出したけれど、バーサーカーと呼ばれた巨漢はまたたく間に距離を詰めてきた。

 巨体のくせに、とんでもないスピードだ。

 

「士郎!」

 

 大河に引っ張られる。

 寸前まで俺がいた場所に岩を削った剣が振り下ろされていた。

 

「なっ、なっ」

 

 言葉が出てこない。

 そこには明確な死が存在していた。

 

「なんだよ、これ……」

 

 とにかく、大河を守らないと……。

 

「士郎に近づくな!」

 

 大河が叫んだ。

 

「バカ! 何やってんだ、さがってろ!」

「ダメ! コイツ、ずっと士郎を見てる!」

 

 大河の言うとおり、巨人の目は常に俺を睨んでいた。

 だったら――――、

 

「こっちだ、化け物!」

 

 大河から離れないといけない。

 化け物の狙いが俺なら、囮になる事で大河が逃げる時間を稼げるかもしれない。

 

「逃げろ、大河!」

「出来るわけ無いでしょ!」

「お、おい、バカ!」

「ニャー! さっきからバカバカ連呼し過ぎ!」

 

 大河は俺を追いかけてきてしまった。

 巨人が動く。

 

「だ、ダメだ。大河だけは絶対に!」

 

 俺が死ぬのはいい。こんな状況だ。生き延びられる未来があるとは到底思えない。

 だけど、大河が死ぬのは駄目だ。それだけは絶対に――――ッ!

 

「ちくしょう!!」

 

 俺は迫りくる巨人の前に躍り出た。

 

「殺すなら殺せよ! だけど、大河にだけは手を出すな!!」

「だ、ダメ! 士郎!!」

「■■■■■■■■■ッ!!!」

 

 巨人が吠える。巨大な剣が迫ってくる。

 もはや避けられない。いや、避けられたとしても動くわけにはいかない。俺の後ろには大河がいる。大河だけは守る。

 

 ――――衛宮!!

 

 瞬間、聞こえる筈のない声を聞いた。

 巨人の動きが止まる。その目が向いた先に、極光が走る。

 

「えっ……、流れ星?」

 

 大河が呟いた。

 たしかに、流れ星のように見える。けれど、俺はその光の中に親友の姿を見た。

 

「し、慎二!?」

 

 流星が迫る。俺は大河もろとも地面に転がり、そのまま大河の上に覆いかぶさった。

 直後、巨大な破壊音と共に巨人の叫びが轟いた。

 

「――――グッ」

 

 豪風に吹き飛ばされそうになる。

 必死に堪えていると、唐突に風が止んだ。

 

「……なにが」

 

 顔を上げると、そこには親友の姿があった。

 となりには紫の髪を靡かせる美女と、神話で語られるような純白の天馬がいた。

 

「……慎二?」

「無事か、衛宮」

「あ、ああ。でも、お前、なんで?」

「……決まってるだろ」

 

 慎二は言った。

 

「助けに来たんだよ!」

 

 慎二は怒りに満ちた顔で巨人を睨みつけた。

 

「ふざけんなよ、テメェ!! やるぞ、ライダー!!」

「かしこまりました、マスター!」

 

 一体……、何が起きているんだ。



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第八話『混戦』

第八話

 

「……ふーん。そんなサーヴァントでわたしのバーサーカーに挑む気?」

 

 甘ったるい声。これから血生臭い戦闘が起こる場には相応しくない声が響いた。

 見た目は子供だが、慎二は彼女の正体を看破した。

 

「お前、アインツベルンのマスターか?」

 

 白銀の毛髪と真紅の瞳はアインツベルンのホムンクルスに共通する特徴だ。

 

「ええ、わたしの名前はイリヤスフィール・フォン・アインツベルン。マキリは衰退した筈だけど、相変わらず小細工が得意のようね」

 

 睨み合う二人の魔術師。場に漂う緊張感に、大河が叫び声を上げた。

 

「コラー! 二人だけで分かり合わないで説明してよー! いきなり変な化け物は現れるし、慎二くんは空から降ってくるし! なに!? 慎二くんはラピュタの人なの!?」

「お、おい、大河!」

 

 慌てて士郎が大河を羽交い締めにした。

 その様子を見て、イリヤスフィールは不快そうに顔を歪め、慎二も険しい表情を浮かべた。

 

「おい、衛宮。一つ確認させろ」

「な、なんだ?」

「お前、サーヴァントはどうした? もう、脱落したのか?」

「サーヴァント……? なんだよ、それ」

 

 慎二は目を見開いた。

 士郎の答えは予想通りのものだった。予想通りだからこそ、慎二にはこの状況が不可解だった。

 士郎と大河が演技をしている可能性は考慮していない。この二人が腹芸を出来る性格ではない事を彼は熟知している。

 

「……召喚してないんだな」

「召喚って……、なあ、これはなんなんだ!? 頼むから、何が起きているのか教えてくれ!」

 

 士郎の必死な顔を見て、慎二はすこしホッとした。

 慎二は士郎が魔術師である事を知っている。だから、彼が聖杯戦争の事を知っていても不思議には思わなかった。けれど、知っていたとしても彼が参加するとは露ほども思わなかった。

 だからこそ、はじめにバーサーカーに追われている姿を見て『ふざけるなよ』と呟いてしまった。

 

「知らないなら、それでいいんだよ。ただ……なぁ、アインツベルン! お前、なんで衛宮を襲ったんだ!? こいつはマスターじゃないんだぞ!」

「あなたには関係のないことよ、マキリの末裔。けど……、邪魔をするなら潰すわ」

 

 イリヤスフィールはクスリと微笑んだ。

 

「やっちゃえ、バーサーカー」

 

 無邪気な声で、無慈悲に言った。

 

★もしも、藤ねえが同い年だったら 第八話『混戦』

 

「ライダー!」

 

 戦いが始まった。ライダーは自己封印・暗黒神殿(ブレーカー・ゴルゴーン)を解除して、魔眼(キュベレイ)を解放している。

 ギリシャ神話で語られる半神半人の女怪であるメドゥーサは、見たものを石に変えたと言われている。

 並のサーヴァントでは、彼女と戦うことすら出来ない。対魔力のスキルか、最低でもBランク以上の魔力を持たなければ肉体が石化して動けなくなるからだ。

 

「化け物め……」

 

 バーサーカーは健在だ。

 例え、対魔力のスキルやAランク以上の魔力を持っていても、彼女の魔眼を完全に防ぐ事は出来ない。

 現在、バーサーカーは全ての能力がワンランクダウンしている筈なのに、超高速で駆け回り、地表上空、前後左右から目まぐるしく襲いかかるライダーの猛攻を迎撃し、圧倒さえしている。

 天馬の上でライダーに聞いた。あの化け物の正体は彼女と同じ神話で語られる大英雄ヘラクレス。神が与えた十二の難行を乗り越えた最強の英霊。

 長い髪を靡かせ疾走する彼女が流れ星だとすれば、あの化け物はさしずめ恒星だ。

 一呼吸の内にライダーが繰り出す死角からの無数の攻撃を、バーサーカーはただ一振りで尽く弾き返し、返す刃でライダーの肉体を削っていく。

 時間はない。分かりたくないけれど、分かってしまう。ライダーでは、あの化け物には勝てない。のんびりしていたら、先にライダーが壊される。

 

「……ちくしょう」

 

 他に方法が思いつかない。

 どういうわけか、イリヤスフィールは衛宮を狙っている。ここで逃げたとしても、また狙われる。

 衛宮と藤村を助ける為には、勝つしかない。だけど、ライダーだけでは勝てない。

 

「衛宮! お前、藤村を守りたいよな!?」

「あ、ああ、当たり前だ!」

「……だったら、お前。悪魔と取引する気はあるか?」

「ある! 大河を守れるなら、なんだってする!」

 

 ああ、そう言うと思ったよ。

 

「……よし、一旦退くぞ。ライダー!!」

 

 僕の叫ぶと同時に、上空で待機していた天馬が向かってくる。

 

「アレに乗って離脱するぞ!」

「わ、分かった!」

 

 僕達が逃げれば、ライダーも逃げられる。彼女のスピードなら、天馬を使わなくても問題なく離脱出来る筈だ。

 

「……狂いなさい、バーサーカー」

 

 不吉な声がした。

 

「おい、待てよ……」

 

 イリヤスフィールが呟いた一言で、バーサーカーの動きが変わった。

 信じられない。今まで、バーサーカーは狂化という、理性を代償に強大な力を発揮するクラススキルの恩恵無しで戦っていたのだ。

 一瞬にして、戦況は一変した。狂化によって急激にステータスが変化した事で、キュベレイの支配下からも離脱したらしい。

 

「ライダー!!」

 

 ライダーが遠くへ転がっていく。

 そして、バーサーカーは僕達の方へ向かってきた。

 万事休すだ。僕は正規のマスターじゃないから、令呪による強制召喚も出来ない。

 天馬も間に合わない。

 

「クソッ、やるなら俺だけをやれよ!!」

 

 絶望に暮れた瞬間、目の前に衛宮が飛び出した。

 

「ダメ!!」

 

 その衛宮を藤村が引っ張り、僕に向かって投げる。 

 

「ばっ――――」

 

 バーサーカーの剣が振り上げられる。もう、割って入る暇もない。

  

 ――――直後、彼方から無数の光が殺到した。

 

 ◆

 

「……凛。聞こえるかね?」

『ええ、聞こえているわ。どうしたの?』

「どうやら、サーヴァント同士が交戦しているようだ」

 

 紅い外套を纏うサーヴァント。アーチャーは懐から宝石で作られた鳥の人形を取り出した。

 それは彼のマスターである遠坂凛の使い魔だった。

 

「見えるかね?」

『ええ、問題ないわ。あれは、バーサーカーかしら? 相手は速すぎて分からないわね』

「上空に天馬が待機している。おそらく、ライダーだろう」

『バーサーカーとライダーか……。もっと接近出来る? ここからだと、さすがに遠すぎるわ』

「了解した」

 

 斥候を得意とするアーチャーは交戦中の二騎に気付かれる事なく戦場を見下ろせる高台に移動した。

 そして、彼は戦場にありえない存在を見た。

 

「……なっ」

『どうしたの?』

「いや……、凛。どうやら、一般人が巻き込まれてしまったようだ」

『一般人?』

 

 使い魔越しに凛は戦場を俯瞰した。

 

『うそっ……、あの二人が、なんで!』

「……どうする?」

『どうするって……、それは……』

「凛。これはチャンスかもしれない」

『チャンス……?』

「あのバーサーカーは明らかに強敵だ。単独で打破する事は困難と言わざる得ない。だが、あのライダーと手を組めばあるいは……」

『共闘しようって事!?』

「この状況を利用すれば、共闘出来る可能性は高い。マスターも傍にいるようだからね」

『でも……』

「迷っている時間は無いぞ、凛! このままでは、ライダーが倒されてしまう」

『ぅぅぅ……、ああもう! 分かったわよ!』

 

 戦場が動く。バーサーカーの動きが変化した。

 交戦中のライダーが吹き飛ばされ、巨人は無防備な観戦者達に襲いかかろうとしている。

 

『アーチャー!!』

 

 凛の声が届くと同時にアーチャーは矢を射っていた。

 一息の内に放たれた矢の数は十。その全てが正確にバーサーカーの斧剣へ突き刺さる。

 わずかに軌道が逸れて、バーサーカーの剣は空を切った。

 

「――――投影開始(トレース・オン)!」

 

 両の手に干将莫邪を取り出し、バーサーカー目掛けて投擲する。

 迫りくる双剣をバーサーカーが弾くが、その隙にアーチャーは大河達の下へたどり着いた。

 

「さがれ!!」

 

 大河の首根っこを掴み、士郎に投げつける。

 

「大河!!」

 

 士郎は大河を抱きしめると、アーチャーを見た。アーチャーも士郎を見る。

 交差する視線を先に断ち切ったのはアーチャーだった。

 

「ライダーのマスター、共闘を申し出る! ここでバーサーカーを打ち倒す気があるのなら、力を貸そう!」

「なっ!? いきなり現れて、お前は何を――――」

『ゴタゴタ言ってないで、今すぐに決めなさい、慎二!』

「その声、遠坂か!?」

『イエス!? それとも、ノー!?』

 

 慎二はバーサーカーを見た。そして、ライダーとアーチャーに視線を移し、最後に士郎と大河を見た。

 

「……遠坂! お前、分かってるだろうな! もし裏切って衛宮と藤村が死ぬような事があったら、桜はお前を絶対に許さないぞ!」

『――――ッ! ええ、分かってるわよ!』

「だったらイエスだ! こいつは衛宮を狙っている! だから、ここで倒すぞ! ライダー!!」

『やりなさい、アーチャー!!』

 

 二騎の英霊が動き出す。

 その瞬間――――、

 

「ずいぶん面白そうな事をしてるじゃねーか」

 

 軽薄そうな声が響いた。

 

「なっ!?」

 

 慎二は近隣の家屋の上に青い槍兵の姿を見つけた。

 

『ランサー!?』

「――――ッハ! 俺も混ぜろ!」

 

 ランサーは意気揚々と三騎の英霊が争う戦場に乗り込んだ。

 

「ランサー、貴様!」

「昨日の続きといこうや、アーチャー!」

 

 ランサーはアーチャーに槍を向けた。

 彼はマスターの命令を受けていた。それは、サーヴァントが揃う前に始まった戦闘の監視。

 そして、バーサーカーの消滅の阻止。

 如何にアーチャーとライダーが共闘しようとも、バーサーカーが易々と敗れるとは思わないが、ランサーは喜々としてその命令に従った。

 

「邪魔をするな、ランサー!!」

 

 アーチャーが吠える。

 彼がランサーに戦場から引き離された直後、再びライダーはバーサーカーと孤軍奮闘する事になった。

 荒れ狂う暴風と化したバーサーカーに、ライダーは怪力のスキルを最大まで発揮して、己の肉体が悲鳴を上げるのにも構わず限界を超えた機動力とパワーを発揮した。

 けれど、彼女の短剣はバーサーカーの斧剣を弾く事は出来ても、彼の肉体を穿つ事は出来ない。

 彼女は知っている。それが、彼の宝具によるものなのだと――――。

 

十二の試練(ゴッドハンド)……。厄介ですね」

 

 共闘すると言いながらランサーに攫われたアーチャー。だが、仮に彼との連携が上手くいったとしても、この大英雄を倒す事は至難だ。

 なにしろ、Bランク以下の攻撃は無効化され、一度受けた攻撃には耐性を得る。加えて、この化け物は十二回殺さなければ蘇生し続ける不死の呪詛を身に帯びている。

 

「どうすれば……」

 

 彼女が呟いた時、戦場に新たなるサーヴァントが現れた。

 青い影が戦場を疾走し、同じく青の衣を纏う槍兵に刃を向けた。

 

「――――貴様、アサシンか!」

 

 藍色の陣羽織を纏う侍。アサシンのサーヴァントはアーチャーに言った。

 

「アーチャーのサーヴァントよ。この男は私が貰い受ける。貴様は目論見通りにライダーと共闘し、狂戦士を討ち取るがいい」

「貴様……」

 

 アーチャーは一瞬の逡巡の後、ライダーの下へ走った。

 

「テメェ、ちゃちゃいれんじゃねーよ!」

「そう喚くな、ランサー。それとも、私が相手では不服か?」

「……ッハ、上等だ。山門の守りはいいのか?」

「さて、私は女狐の指図を受けているだけだ」

 

 アーチャー、ランサー、ライダー、アサシン、バーサーカー。

 五騎の英霊が入り乱れる戦場は瞬く間に瓦礫の山へ変わっていく。



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第九話『And thus I pray, Unlimited Blade Works』

 アサシンのサーヴァントは歓喜していた。

 召喚されて今日まで、一処に縛り付けられ、思うままに刀を振るう事を禁じられてきた。

 その縛りが、今宵の一戦に限り解かれている。

 

「――――ッフ」

 

 ランサーのサーヴァントとは、以前にも刃を交えた事がある。

 あの時は足場が悪く、ランサーの方に枷が嵌められ、魔女のちょっかいが鬱陶しかった。

 余計なものが全て剥がれた今、ランサーの槍は見惚れる程に冴え渡っていた。

 

「それが貴様の真の実力か」

「ああ、前のようにはいかんぞ」

 

 ――――お前は全員と戦え。だが倒すな。一度目の相手からは必ず生還しろ。

 

 前回の戦いでは、そのようなふざけた命令の為に手加減を強制されていた。

 だが、この戦いでは全開で戦う事が出来る。

 宝具を打ち破ったアーチャーに雪辱を晴らしたかったが、これはこれで悪くない。

 

「佐々木小次郎と言ったな。端から飛ばしていくぜ!」

 

 大気を凍てつかせ、槍の穂先に魔力が充満する。

 

「心臓を穿つ魔槍か……。ならば、穿たれる前に貴様の首級を落とすとしよう」

 

 アサシンが一歩詰め寄り、太刀を振るう。

 五尺余りもある長刀を巧みに操り、ランサーの槍を尽く受け流し、返す刃は速度を上げ、彼の首を狙う。

 ランサーはアサシンの卓越した剣技に舌を巻いた。歴戦の勇者であり、無数の戦場を経験した彼ですら、これほどの剣技を持つ者を他に見た事がない。

 気付いた時には防戦一方。首を狙う太刀を紙一重で躱し、反撃に転じようと思った時には躱した筈の刃が肉薄する。それを受け流せば、途端に別の角度から刃が襲う。

 力で強引に弾き返そうとすれば、力が乗る前に次の一手が迫り来る。

 

「――――ック」

 

 これが侍。嘗て、狭い国土の中で百年以上も内乱を続けてきた日本という国の傭兵。

 西洋の騎士とは似て非なる戦士達。その得物も、重さと力で叩き切る西洋の剣とは大きく異る。一見すれば酷く脆そうに見える長刀は、速さと業で獲物を断ち切る。

 新鮮さすら覚える好敵手との出会い。これこそが聖杯戦争の醍醐味だと、ランサーは凶暴な笑みを浮かべる。

 否応にも血が滾る。

 

「ッ――――」

 

 唐突に、アサシンの猛攻が止んだ。

 戦慄が走る。アサシンは、これまでの攻防で見せた事のない構えを取っていた。

 

「秘剣――――」

 

 戦士としての直感が警鐘を鳴らす。

 

「――――刺し穿つ(ゲイ)

 

 考える暇はない。

 既に魔力の充填は完了している。

 

「燕返し」

 

 ランサーの宝具が発動するより一瞬早く、アサシンは刀を振るった。

 長刀はありえない軌跡を刻む。

 アサシンの握る刀は一つの筈。にも関わらず、迫り来る刃の数は三つ。

 ランサーの槍のように、神速であるが故に同時に放たれたように見える……などという、簡単なものではない。

 それは全くの同時に存在した。

 

 ――――多重次元屈折現象(キシュア・ゼルレッチ)

 

 魔術世界において、それは頂点に位置する五つの内の一つに数えられている。

 それを、アサシンは魔術も使わずに、ただの剣技で再現した。

 その光景に、ランサーは嗤う。

 

死棘の槍(ボルグ)――――ッ!!」

 

 ランサーが魔槍の真名を口にした時点でアサシンの死は確定した。

 死者に刀を振るう術は無く、長刀はランサーの首を撥ねる直前に停止した。

  

「ガッ――――、カハッ、ハッハッハッハッハッハ!!」

 

 心臓を貫かれ、アサシンは死を受け入れながら笑い声を上げた。

 

「……いや、楽しい一時だったぞ、ランサー」

「あばよ、佐々木小次郎」

 

 アサシンの消滅を確認したランサーは改めてマスターの命令に従う為に遠く離れた戦場へ向かおうとした。

 そして――――、

 

破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)

 

 女の声が響いた。

 

★もしも、藤ねえが同い年だったら 第九話『And thus I pray, Unlimited Blade Works』

 

 アーチャーの合流後も、戦況は明らかに不利だった。

 

「そうよ、バーサーカー。アーチャーなんて、無視して構わないわ。そっちの女を先に殺しなさい」

 

 バーサーカーはアーチャーの矢を意に介さず、ひたすらライダーを狙っている。

 

「おい、遠坂! お前のサーヴァント、全然役に立たないじゃないか!」

『うっ、うるさいわよ、慎二!』

 

 慎二と凛が口喧嘩を始める中、ライダーがバーサーカーに吹き飛ばされた。

 

「ライダー!」

 

 彼女の体はすでにボロボロだった。

 蓄積されたダメージは彼女の自然治癒力を遥かに上回り、既に彼女のスピードは最大値から大きく減衰している。

 

「……こっ、このままじゃ、ライダーが」

 

 慎二はアーチャーを噛み付いた。

 

「おい、お前! 共闘を持ち掛けてきたのはそっちだろ! なんとかしろよ!」

「……凛。許可をくれれば、切り札(ジョーカー)を切るが」

 

 アーチャーの顔色も悪い。退く気は無いが、このままでは状況が悪くなる一方だ。

 

『……他に方法はないの?』

「すまない」

『アンタ……、自分から共闘しようとか言っておいて……』

「……すまない」

 

 凛はしばらく逡巡した後に言った。

 

『帰ったら、全部話しなさい。アンタ、切り札を口にするって事は、記憶が戻ってるんでしょ』

「……ああ、了解した」

『だったら、いいわ。やりたいようにやりなさい、アーチャー!』

 

 その言葉と共に、アーチャーは詠唱をはじめた。

 

 ――――I am the bone of my sword.

 

 それは奇妙な呪文だった。

 あまりにも長く、そして、長さの割には何もおきない。

 アレだけ長い呪文ならば、必ず周囲に影響を及ぼす筈だ。

 なぜなら、魔術とは世界に働きかけるものだから。

 

 ――――Unknown to Death.Nor known to Life.

 

 状況に流されるまま、何も出来ない事に苛立っていた士郎は、その祝詞に意識の全てを吸い寄せられた。

 はじめて、あのアーチャーと視線を交差させた時にも感じた違和感。

 明らかに異質……、だが、何かが通じる。

 

 ――――Unlimited Blade Works.

 

 それで詠唱は完了した。

 アーチャーが左手を掲げると、彼を中心に炎が走り、その場にいた全員を呑み込んだ。

 咄嗟の事に、ライダーとバーサーカーの動きが停止する。

 そして――――、

 

「これ、は――――」

 

 誰もが言葉を失った。

 夜の住宅街が、無限の荒野に姿を変えた。そこかしこには、墓標のように無数の剣が突き刺さり、曇天の中からは巨大な歯車が顔を出している。

 

「なんだ……、これ」

 

 慎二は目の前の光景に呆然となった。

 

「……わーお。すっご―い! なにこれ!? っていうか、ほんとになにこれ!?」

「剣の……、世界」

 

 大河と士郎も、ただただ目の前に現れた世界に圧倒された。

 

「固有結界……ッ、バーサーカー!!」

 

 イリヤスフィールの声に、バーサーカーが吠える。

 気付けば、それぞれの位置が変わっている。慎二達はアーチャーの背後に移動し、ライダーとバーサーカーの間にも距離が出来ている。

 

「ライダー! ここならば、なんの遠慮も要らん!」

 

 アーチャーの言葉と共に、それまで上空で待機していた天馬がライダーを攫った。

 

「――――出し惜しみはしない。ここで倒れてもらうぞ、バーサーカー!」

 

 その背中を見て、大河は不思議そうに首を傾げた。

 

「……あれ? なんでだろう」

 

 その背中に、なぜだか見覚えがある気がする。

 とても嫌な気分と、とても嬉しい気分と、とても寂しい気分と、とても頼もしい気分が胸の中で絡み合う。

 そして、戦いは佳境へ向かう。



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第十話『剣参』

 正確に言えば、聖杯戦争はまだ始まっていない。だが、ここが勝負所だ。

 手駒(アサシン)を喪う代わりに、新たな番犬も手に入った。アーチャー、ライダー、バーサーカーの三体も能力を把握する事が出来た。

 ヘラクレスとまともにやりあっても勝機は薄い。だけど、他の二体はいくらでも対処が可能。

 

「……後、一手ね」

 

 おそらく、アーチャーとライダーは善戦するだろう。

 メドゥーサの魔眼は大英雄といえども容易にレジストする事は出来ない。加えて、天馬の疾走で確実に命を一つ削る。

 後はアーチャーの能力次第になるが、切り札を使った以上、ある程度の勝算がある筈だ。

 けれど、きっと彼らはヘラクレスに敵わない。アレは名のある英雄達が束になっても敵わない怪物共を蹴散らした化け物だ。格が違う。

 

「バーサーカーである事がせめてもの救いね。ナインライブスを使われたら、もう手の打ちようがなかったもの」

 

 万が一、アーチャーとライダーが勝利したら最上だ。後は疲弊している所を一網打尽にすればいい。

 だけど、そうはなるまい。

 

「……あの坊や」

 

 魔術師でありながら、隣の女の子と似たり寄ったりな反応を見せていた赤毛の男の子。

 彼ならば、どんな英雄を召喚しても障害にはなるまい。

 

「プレゼントよ。隣の子が好きなのでしょう? なら、守ってあげなさい」

 

★もしも、藤ねえが同い年だったら 第十話『剣参』

  

「■■■■■■■■■■■■ッ!!!」

 

 黒い巨人が鬼気迫る咆哮をあげる。薙ぎ払われる斧剣は砂塵を巻き上げ、飛来する無数の矢を撃ち落とす。

 矢は剣だ。アーチャーのサーヴァントが創り出した異世界に突き刺さる無数の刃。そのどれもが紛れもなく必殺の武器だった。

 一つ一つに語られるべき伝説があり、讃えられるべき銘がある。

 湯水のようにバラ撒かれる宝剣、聖剣、魔剣、妖刀の数々は、バーサーカーの斧剣を超え、確実に命を削っていく。

 

「……これで、七か」

 

 アーチャーの呟く声が聞こえる。今の攻撃で、バーサーカーは七度目の死を迎えた。

 残りは五つ。それで、バーサーカーの命のストックは尽きる。

 けれど、ここで戦況が変化した。

 

「ライダー!!」

 

 バーサーカーは命をすり減らしながら、背中の少女を守り抜き、そして、上空から幾度となく飛来してくる流星を削り続けていた。

 最初に限界を迎えたのは、ライダーの跨る天馬だった。突撃の瞬間、天馬の動きが鈍り、バーサーカーはその片翼を引き裂いた。

 地面を転がる天馬にバーサーカーが襲いかかり、その首が落とされる。

 ライダーは怒りと共に吠え、バーサーカーに襲いかかるが、彼女も限界が近く、容易に捕らえられてしまった。

 

「――――ック」

 

 アーチャーの攻撃が停止する。本来の彼ならばありえない失態。ライダーのサーヴァントが盾にされ、躊躇ってしまった。

 その瞬間、バーサーカーはライダーを投げ槍の如く、アーチャーに向けて投擲した。

 そして、その暴挙とも言える行動に気を取られた一瞬の隙を突き、バーサーカーはアーチャーに肉薄した。

 

「なっ――――」

 

 バーサーカーの斧剣が振り下ろされる。咄嗟に数本の聖剣を引き寄せて盾にするがアッサリと砕かれ、そのままアーチャーの肉体は引き裂かれた。

 

『あっ、アーチャー!!』

 

 アーチャーが負傷した為か、風景が元に戻る。

 彼の最後の悪足掻きか、イリヤスフィールとバーサーカーはかなり離れた場所にいた。

 

「だ、大丈夫!?」

 

 大河が駆け寄ると、アーチャーは「ああ」と応えて立ち上がり、すぐに膝をついた。

 

『……ここまでよ、アーチャー』

「なっ――――、待て! 凛!」

 

 アーチャーの姿が消えた。大河は目を丸くして、周囲を見渡している。

 

「……令呪による強制召喚ですね。ええ、賢明な判断です」

 

 ライダーは傷だらけの体で立ち上がった。

 

「シンジ。申し訳ありませんが、ここまでです。出来る限り時間を稼ぎますので逃げて下さい」

「……馬鹿言うなよ。その体で稼げる時間なんて、一分も無いだろ」

「ですが……」

 

 慎二は言った。

 

「悪かったね、ライダー。最初から最後まで我儘ばっかり言ってさ。だけど、これが本当に最後だ。一緒に戦わせてくれ」

「シンジ! サクラはどうするのですか!?」

「……もう、臓硯からは解放されたんだ。僕がいなくても問題ない。最悪、遠坂が面倒を見るさ」

 

 それ以上、ライダーは何も言わなかった。

 言っても無駄だと悟ったのだろう。

 

「……衛宮。助けに来たつもりなんだけど、悪いな。無理だった」

「慎二。アイツの狙いは俺なんだ。だから、大河を連れて――――」

 

 士郎が言い掛けた言葉を、慎二が拳で止めた。

 

「馬鹿言うなよ。藤村の面倒を見れる奴なんて、世界中探してもお前だけだ。っていうか、僕達も完全にロックオンされちゃったから、逃げても無駄なんだよ」

「……でも」

 

 士郎は大河を見た。

 

「士郎」

 

 大河は言った。

 

「最後まで諦めちゃダメだよ!」

「えっ」

 

 大河の言葉が理解出来なかった。

 よくある事だけど、ここまで理解出来ない事も早々ない。

 

「お前、何を言って……」

「ネバーギブアップ! 正直、何が何だかほとんど理解出来てないけど、諦めたらそこで終わりだよ! きっと、まだ何か手がある筈!」

「大河……」

 

 士郎は不思議に思った。

 こんな状況だと言うのに、大河に言われると、その通りなんじゃないかって気になる。

 諦めるのはまだ早い。まだ、やっていない事がある。逆転の手は残されている。

 ありえないと分かっていても、信じてしまう。

 

「……ああ、そうだな」

 

 魔術回路に火を入れる。自分の手札を数える。悲しいくらいに少ないけれど、それでも、必死に考える。

 

「お前ら……、本当に最後まで変わらないな」

 

 慎二は呆れたように微笑む。

 大河のハチャメチャも、そのハチャメチャに振り回される士郎も、いつもと変わらない。

 

「どうするってんだよ、この状況で……」

 

 バーサーカーは襲いかかってこない。もはや、此方が万策尽きた事を分かっているのだろう。

 

「……それでも、諦めない!」

 

 その瞬間、地面が光を放った。

 

「えっ……?」

「は……? これって、まさか!」

 

 その光を見て、バーサーカーが再起動した。ライダーも動く。

 

「シンジ!」

「ああ、分かってる! わけが分からないけど、これしかない!」 

 

 慎二は士郎を見つめた。

 

「僕を信じて、僕の言葉を復唱しろ!」

「……あ、ああ! 分かった!」

 

 ライダーとバーサーカーの戦いが再開された。

 おそらく、持ち堪えられる時間は一分にも満たない。

 

閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)! 繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する」

閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)。繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する」

 

 響き渡る二重の詠唱。足元に現れた光の魔法陣から、視認出来る程の濃密なエーテルが渦を巻いて吹き上がる、

 

「――――告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」

「――――告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」

 

 バーサーカーが唸り声を上げ、ライダーに渾身の一撃を放つが、ライダーはそれを紙一重で回避し、その動きを縫い止め続ける。

 

「誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者」

「誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者」

 

 魔力の奔流に、魔術回路を持たない大河にも尋常ならざる現象が起きている事を悟らせた。

 

「がんばれ、士郎!」

 

 その応援と共に、慎二と士郎は最後の一節を唱え切る。

 

「汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ――――!」

「汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ――――!」

 

 巻き起こる烈風。

 

「なっ……」

 

 自分の中から何かを引きずり出されていく。

 

「これが……」

 

 それまで戦いに集中していた筈のライダーとバーサーカーまでもがその存在に見入られた。

 立ち上る魔力の渦。他を圧倒する存在感。夜闇の中、現れた星。

 この聖杯戦争における最後のカード。

 サーヴァント中最強と謳われた剣の英霊、セイバーが出現した。

 

「――――問おう。貴方が私のマスターか」



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第十一話『セイバー』

 シャランという華麗な音が響き渡る。その佇まいに、鳥肌が立つ。

 

「……お前が、俺の」

「召喚に従い参上した。これより我が剣は貴方と共にあり、貴方の運命は私と共にある」

 

 翡翠の如き瞳に見つめられ、士郎はただ頷く事しか出来なかった。

 

★もしも、藤ねえが同い年だったら 第十一話『セイバー』

 

「――――ここに、契約は完了した。さあ、指示を下さい」

「し、指示……? えっと……」

 

 頭の処理が追いついていない。

 彼が戸惑っていると、バーサーカーが動き出した。

 

「て、敵はあの怪物だ! えっと、ヘラクレスって名前で、十二の試練っていう、何回も復活する力があるみたいなんだ! あっちの女の人は俺達を守ってくれた……、そう! 仲間だ!」

 

 とっ散らかった説明に、セイバーはただ一言、「了解」と応え、バーサーカーに向かって駆け出した。

 士郎は無謀だと叫びそうになった。ライダーはスピードで翻弄していたし、アーチャーも投擲に絞って攻撃を加えていた。それは真正面から挑んでも敵わないからだ。

 まるで、暴力という言葉が具現化したような存在。咄嗟に敵だと言ってしまった事を、彼は後悔した。

 

 ――――こんな状況に喚び出して、勝てる筈のない怪物にけしかけるなんて、俺は何を考えているんだ!

 

「――――セイバー!!」

 

 その思考が、次の瞬間に砕かれた。

 バーサーカーが振り下ろした斧剣は、まさに落下してくる隕石そのもの。災害を前に、人が出来る事など耐え忍ぶ事が精々。耐えられずに呑み込まれた者は無様な屍を晒す。

 にも関わらず、セイバーは振り上げた一刀によって、バーサーカーの斬撃を押し返した。

 あまりにも異常な光景に、出掛かっていた言葉が掻き消える。

 

「はっ……、はは、なんだよ、これ」

 

 慎二は呆然と呟いた。サーヴァント二騎が全力を尽くして尚も返り討ちにされた化け物を相手に、セイバーは単騎で圧倒している。

 それは、神話の再現だった。怪物に立ち向かう勇者。物語の中でしかありえない光景が現実に投影されている。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッッ!!!」

 

 雄叫びが大地を揺るがす。

 岩山をも砕く一撃が繰り出される。

 

「――――――――」

 

 その一撃は虚しく空を切った。

 そして――――、

 

「うそだろ……」

 

 士郎は呆然と呟いた。

 セイバーは乱れ飛ぶ土塊にも怯まず、バーサーカーの懐に入り込むと、その胴体を真横に両断した。

 

「――――まだです、セイバー! バーサーカーは、まだ命のストックを四つ残しています!」

 

 ライダーの忠告が聞こえているのか、いないのか、セイバーは振り向き様に蘇生中のバーサーカーの首を切り落とした。

 

「なんで……」

 

 その光景に、バーサーカーの主は肩を震わせていた。

 泣き出す一歩手前の表情で、自らのサーヴァントを見つめている。

 あり得ない。彼女にとって、このような状況は在ってはならないものだった。

 なぜなら、彼女のサーヴァントは最強だからだ。数多の英雄の中でも、最高の知名度を誇るヘラクレスに対抗できるものなど、それこそ一人か二人だろう。

 そもそもの話、彼の宝具はあらゆる攻撃を無効化する。超一流(Aランク以上)の攻撃でなければ、如何なる手段や武器でも彼の肉体を崩すことは出来ない。

 神話の時代、偉業を為した後の彼に傷を負わせる事が出来た者など、事実として一人もいなかった。

 

「……こんなの、うそ」

 

 ライダーの魔眼が常にバーサーカーへ重圧を掛け続けている事も原因の一つだろう。

 深淵なる闇を光が貫くように、セイバーの剣はバーサーカーの肉体を苦もなく両断する。

 一度受けた攻撃は二度通じぬ筈の肉体が刻まれていく。

 

「……終わりだ」

 

 セイバーの声に、イリヤスフィールはハッとした表情を浮かべた。

 

「だめ……、バーサーカー! もういいわ!」

 

 このままではバーサーカーが死ぬ。

 魔術師としての冷静な部分が、そう結論づけた。

 咄嗟に令呪を起動させる。だが、間に合わない。

 使うことなど無いと確信していた彼女が令呪を発動するまでの数秒間は、セイバーにとって十分過ぎる猶予となった。

 風の刃がバーサーカーの胸を穿つ。

 

「逃げて、バーサーカー!」

 

 如何なる忠義者も、死を迎えてしまえば何も出来ない。

 令呪が起動する事はなかった。

 

「そんな……」

 

 へたり込むイリヤスフィールにセイバーが歩を進めていく。

 すると、命が尽きた筈のバーサーカーが腕を振り上げた。

 

「……眠れ」

 

 セイバーが振り払うように剣を振るうと、バーサーカーの肉体は消滅した。

 残された彼の主は涙を流しながら、己の運命を理解した。

 

「ああ、終わるのね。結局……、わたしは」

「さらばだ、バーサーカーのマスターよ」

 

 セイバーが剣を振り上げる。

 

「まっ、待て、セイバー!」

 

 すると、彼女の主が割り込んできた。

 

「マスター?」

「何する気だよ、お前!」

「敵のマスターを倒すのです。サーヴァントを失っても、令呪が残っている限り、彼女はマスターですから」

「倒すって……、この子を殺す気なのか!?」

 

 怒りの滲んだ主の言葉に、セイバーは困惑の表情を浮かべた。

 

「マスター。彼女は魔術師であり、聖杯戦争の参加者です。当然、こうなる事は覚悟の上でしょう」

「そんな事――――」

「ええ、そのとおりよ」

 

 士郎の言葉を遮るように、イリヤスフィールは立ち上がった。

 

「殺しなさい、セイバーのサーヴァント」

 

 さっきまで涙を流していた姿が嘘のように、少女は毅然としていた。

 

「良い覚悟です。さあ、マスター。お下がりを」

「……下がるわけないだろ! お前もお前だ!」

 

 士郎はイリヤスフィールを睨みつけた。

 

「殺しなさいって、どういう事だよ!」

「言葉どおりよ。私は負けた。なら、この身は勝者のものよ。煮るなり焼くなり好きにするといいわ」

 

 その言葉に、士郎はカッとなった。

 

「女の子がそういう事を言うなよ!」

「マスター。少しさがって下さい。彼女はマスターとしても、魔術師としても一流です。追い詰められている現状、何をしてもおかしくない」

 

 そう言って腕を掴んでくるセイバーに、士郎は何か言おうと口を開くが、その口を慎二が塞いだ。

 

「はい、ストップ」

「……何の真似ですか、ライダーのマスター」

 

 敵意を向けてくるセイバーに、慎二は肩を竦めた。

 

「お前、サーヴァントの癖にマスターの言葉に逆らうんだな」

 

 慎二の言葉にセイバーの表情が歪む。

 

「……何が言いたいのですか」

「衛宮はそのちびっ子を殺したくないんだよ。そういうヤツだ、諦めろ」

 

 慎二は衛宮を見た。

 

「……お前って、本当に変わらないよな。どんな時でも」

「それ、褒めてるのか?」

「呆れてんだよ、馬鹿野郎。今さっき、全力で殺しに来た相手に無防備な状態で近づくな!」

 

 そう言って拳を振り下ろす慎二の腕をセイバーが掴んだ。

 その仏頂面に慎二は苦笑いを浮かべる。

 

「……お前、間違いなく衛宮のサーヴァントだな」

 

 顔を引き攣らせながら、慎二はため息を零した。

 

「離してくれよ。今のはじゃれ合いみたいなもんだ」

 

 そう言いつつ、敵意をセイバーに向けるライダーを牽制しながら慎二は衛宮邸の方角を指差した。

 

「とりあえず、衛宮の家に行こう。いろいろと状況を説明させてくれ。衛宮にも話さないといけない事があるんだ」

「……マスター」

 

 セイバーの視線の意味を理解して、士郎は頷いた。

 

「慎二は俺の友達なんだ。さっきも助けてくれた」

「……友人ですか。わかりました。少々気を張りすぎていたようです。数々のご無礼をどうかお許し下さい」

「べ、別にご無礼なんかじゃ……。えっと、とりあえず慎二も言ってるように、俺の家に行こう。ここだと落ち着いて話せそうにないし」

「……えっと、わたしもついて行った方がいいの?」

 

 士郎とセイバーの会話にイリヤスフィールが割り込んできた。

 

「お、おう! とりあえず、付いて来てくれるとありがたい」

「ふーん。いいわ。勝者には従わないとだし」

 

 とりあえず、一件落着。

 

「……そう言えば、大河のやつ、随分と静かだな」

 

 いつもの彼女ならガオーといろいろ叫び始めている頃なのに、声が聞こえない。

 

「ああ、安心しろよ。藤村ならお前と一緒に飛び出そうとしたからライダーが眠らせた。マスターのお前はともかく、藤村の事は敵認定されて斬られそうな空気だったからな」

「大河!!」

 

 士郎は慌ててライダーの傍で眠っている大河に駆け寄った。

 すやすや眠っている大河の顔を見て安心した士郎はそのまま彼女を抱きかかえた。

 

「じゃあ、行くか」



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第十二話『状況説明』

 家に帰ってきた。なんだか、随分と懐かしく感じる。たったの一時間離れていただけなのに、それほど濃密な時間だった。

  

「さあさあ、話してもらいましょうか! ハリーハリー!! 私は一から十まで何も分かってないよ!!」

 

 ガオーと大河が吠えた。慎二と俺は慣れたもの。ライダーとセイバーは面食らっている。イリヤスフィールは我関せずとテレビを物珍しげに見ている。

 

「とりあえず、落ち着け」

 

 干し芋を大量に乗せた皿を大河の前に置く。

 

「あっ、干し芋!」

 

 嬉しそうに食べ始める大河。これで静かになる。

 

「……藤村。お前、それでいいのか」

 

 慎二は呆れたように息を吐いた。

 

「とりあえず、まずは衛宮に聖杯戦争の事を説明……の前に、藤村に魔術の説明をするぞ」

「お、おい、慎二!」

「衛宮。一生関わらせるつもりがないのなら説明しない事がベストだけど、関わった以上は危険性を説明しないとまずい」

「けど……」

 

 大河を見る。干し芋を頬張りながらモゴモゴ言っている。

 

「食べながら喋るんじゃない」

 

 大河は口を勢い良く動かして、一気に口の中の干し芋を呑み込んだ。

 案の定、喉を詰まらせた。

 

「バカ! 何してんだよ!」

 

 慌てて水を飲ませる。

 

「プハァ! だって、士郎が食べながら喋るなって言ったんじゃない!」

「そうだけども! あんな風に慌てて飲み込む必要性はまったく無いだろ!」

「あー、責任転嫁だー! いけないんだー!」

「責任転嫁なんてしてないだろ! だいたい、大河はいつもいつも!」

「ストップストップ! お前らが漫才始めると終わらないんだよ!」

 

 慎二が声を張り上げた。

 

「見ろ! セイバーとライダーがさっきから馬鹿を見る目でお前らを見てるぞ!」

「えっ!? いえ、そんなつもりは!」

「す、少し驚いていただけですよ!」

 

 慌てるセイバーとライダー。

 二人共、真面目な性格のようだ。

 

「とにかく! 説明を始めるぞ。衛宮も、藤村が心配なら確りと聞いておけよ」

 

 そう言って、慎二は説明を始めた。

 

★もしも、藤ねえが同い年だったら 第十二話『状況説明』

 

 はじめ、言葉が見つからなかった。

 聖杯戦争。聖杯と呼ばれる万能の願望器を巡り、七人の魔術師が、七騎の英霊を使役して殺し合う争奪戦。

 以前、慎二が言っていた殺人事件や、ニュースで取り上げられていた新都の集団昏睡事件もまさか……。

 

「……えっと、つまり」

 

 大河が口を開いた。

 

「どういう事?」

「え? 今、説明しただろ」

「……難しすぎて、よくわかんなかったよ!」

「ハァ!? おい、二時間も掛けて説明したんだぞ! もう一回とか嘘だろ!?」

「だって! 専門用語多過ぎだよ! なに!? サーヴァントとか、なんとか回路とか、わけのわからない単語を一般常識みたいに語ってんの!? そっちも説明してくれなきゃ分からないよ!」

「さ、サーヴァントは普通に分かるだろ! ほら、召使とかそういう意味の英語だよ!」

「だったらメイドさんとかでいいじゃん! もっと分かりやすい言葉で説明してよ! まったく、慎二くんは説明が下手だね!」

「お、おまっ、おまっ、僕がどんだけ噛み砕いて説明したと思ってるんだよ! 衛宮は理解出来たぞ! 眉間にシワを寄せてる辺り、この街でそんな危険な事が起きてるなんて! とか考えている顔だ!」

「よ、よく分かったな」

「分かるよ! そんで、聖杯戦争なんて止めなきゃいけないとか義務感に駆られてんだろ!」

「……こ、心を読めるのか?」

「もう、お前はいいから! それより、藤村!」

「お、おい! お前はいいからって言い方はどうなんだ!? いつも思うんだけど、慎二の言葉の棘は尖すぎるぞ!」

「クソッ、こいつら面倒くせー!!」

「面倒くさいとはなんだ!!」

「面倒くさいとはなんだ!!」

 

 頭を抱える慎二。

 

「……よろしいですか?」

 

 セイバーが慎二に声を掛けた。そこに出会った当初の敵意は微塵も残っていない。

 

「なんだい?」

 

 ゴホンと居住まいを正す慎二。

 

「まず、先程の無礼を詫びましょう、ライダーのマスター。貴方とマスターの関係性はよく分かりました。マスターの為に奮戦して下さり、感謝致します」

「……別に、感謝される事じゃないよ。結局、お前を召喚させる結果になった」

 

 そう言って、慎二はセイバーを睨みつけた。

 

「僕は誤魔化すことが嫌いだ。だから、はっきり言うぞ。お前を召喚させたのは、他に手段が無かったからだ。そこのちびっこが完全に衛宮をロックオンしてやがったからな」

 

 憎々しげに睨みつける慎二をイリヤスフィールは涼しい表情で受け流した。

 

「正直、最悪の一歩手前くらいに思ってる」

「慎二くん!!」

 

 大河が吠えた。

 

「な、なんだよ」

「セイバーさんは私達を助けてくれたんだよ! なのに、なんでそんな怖い顔で睨むの!」

「……コイツがいると、お前らが危険な目に合うからだよ」

 

 慎二の言葉に首を傾げる大河。

 

「大河。とりあえず、座っとけ」

 

 大河を元の場所に戻してから、俺は慎二を見た。

 

「慎二。お前は俺を参加させたくないんだな」

「当たり前だろ。お前らに死なれると困るんだよ。桜がどんだけお前らの事を慕ってるか知ってるだろ!」

「慎二……。でも、俺は」

「俺は戦いを止めるって? ああ、そうだよな。お前はそういう奴だよ。藤村の事を引き合いに出しても、結局は無駄に終わるよな。なんせ、藤村も同じ意見なんだから」

 

 そう言って、慎二は大河を見る。

 大河はうんうんと頷いている。

 

「この藤村組の縄張りで好き勝手な事をするつもりなら、黙ってないよ!」

 

 よく分かっていないのだろうが、分かっていないなりに分かっているようだ。

 この街、さっきみたいな戦いがまた起こる。その時、俺達みたいに巻き込まれた人が死ぬかもしれない。

  

「……だよな。うん、分かってた」

 

 頭を掻きながら、慎二はライダーに視線を送った。

 

「そういう訳で、僕達の聖杯戦争も続行だ」

「……シンジ。すこし冷静になって下さい。貴方とサクラは聖杯戦争を降りるべきです。聖杯戦争に参加する事を決めた以上、彼らは被害者ではなく加害者の側に回ります。もう、義理は十分に果たしたのでは?」

「ダメだ」

「何故です? 彼らを守りたいという気持ちは理解しました。けれど、その為にサクラを危険に晒すつもりですか?」

「それは……」

「シンジ。全てを守ろうとしても、必ず破綻してしまいます。貴方はサクラを守るべきです」

 

 慎二は言葉を探すように視線を泳がせた。

 

「……ライダー。貴女は聖杯戦争を降りるつもりなのですか?」

 

 セイバーが問いかけた。

 

「ええ、既に役目は果たしました」

「……しかし、貴女にも望みがあるのでは?」

「望みは既に叶っています。シンジとサクラを守り抜く事。後は私が退場して、二人が安全な場所で嵐をやり過ごせば完璧です」

 

 ライダーの言葉に、セイバーは目を見開いた。

 

「セイバー。貴女もサーヴァントならば、主の為に殉じるべきです。存在する事が脅威となるなら、速やかに退場した方がいい」

「私は……」

 

 セイバーが苦悩の表情を浮かべる。

 

「まっ、待ってくれよ! 殉じるとか、何言ってんだよ!」

「……セイバーのマスター。貴方も、今一度考えた方がいい。聖杯戦争に参加するという事は、隣の少女を危険に晒すという事です。そして、恐らくはシンジとサクラも貴方を守るために命を削ろうとする。その事は、先程の戦いを通じて理解した筈です」

「それは……」

 

 何も言い返す事が出来ない。だって、そのとおりだ。ライダーは何も間違った事を口にしていない。

 俺が意志を通せば、大河達も巻き込む事になる。

 

「けど、俺達は聖杯戦争の参加者として他の連中にバレた。脱落したとしても、狙われる可能性は高いだろ」

 

 慎二が言った。

 

「それに、既にバーサーカーとアサシンが脱落しているんだ。セイバーとライダーを除けば、あとは三騎だ。逃げるよりも、戦った方が生き残れる可能性は高いと思わないか?」

「……シンジ。貴方は私を死なせたくないだけではありませんか?」

 

 図星だったのだろう。慎二の顔が引き攣った。

 

「アーチャーの固有結界は非常に危険です。それに、キャスターという搦め手の専門家が残っています」

「……ライダー」

「私の能力は既に割れています。加えて、天馬を失ってしまった。もう、私には貴方とサクラを確実に守り切る事が出来ないのです」

 

 ライダーの悲痛な言葉に、慎二は顔を歪めた。

 

「……セイバーにも言ったけど、僕は誤魔化す事が嫌いなんだ。だから、本心を言うよ」

 

 慎二は言った。

 

「死んでほしくない」

「シンジ……」

「返し切れない恩があるんだ! 僕と桜を臓硯から解放してもらった! 衛宮と藤村を助けてくれた! その上、僕らのために死のうとしてくれてる!」

 

 シンジはライダーの肩を掴んだ。

 

「ああ、我儘ばっかり言って悪いと思ってるよ! でも、死んで欲しくないんだ! 仕方ないだろ! ここまでしてもらって、何も感じずにいられるわけが無いんだ! そうだよ、お前が悪いんだ! だから、自害は無しだ!」

「……シンジ」

 

 慎二は俺を見た。

 

「衛宮。さっきは色々言ったけど、僕にも戦う理由が出来た。ライダーと一緒にいたいんだ。一分一秒でも長く」

「慎二……」

「だから、こっちから言わせてもらう。僕と一緒に戦ってくれ」

「……ああ、もちろんだ」

 

 握手を交わす。友だちになってから結構な年月が経つけれど、こういう風に手を握りあった事は無かった。

 

「……そういうわけで、藤村」

 

 慎二は大河の方に顔をむけた。

 

「あれ?」

 

 そこに、大河はいなかった。

 

「大河!?」

 

 慌てて部屋の中を見回すと、いた。

 

「よーし、ここでこうするんだよ!」

「ちょっと! わたしにもやらせなさいよ!」

 

 大河はいつの間にかイリヤスフィールとテレビゲームで遊んでいた。

 長話に飽きてしまったのだろう。

 さっきまで全力で殺しに来ていた少女と姉妹のように楽しく遊んでいらっしゃる。

 

「……アイツ、スゲーな」

「お、おう」

 

 俺は立ち上がった。

 

「……とりあえず、夜食を作るよ。小腹が減ってるだろ?」

 

 慎二と桜に渡す筈だったグラタンは、案の定と言うか、袋の中で大惨事になっていた。

 けど、まだ具は残っている。量が少ないから、他にも一品くらい作ろう。

 

「なら、僕は桜を迎えに行ってくるよ。一人で留守番させちまってるからね」

「……お供します」

 

 慎二とライダーが去って行った後、俺は台所に篭った。

 その間、手持ち無沙汰になったセイバーは大河に誘われ、気付けば三人でゲームを始めていた。

 あれが大河の凄いところだ。どんな人とも仲良くなれる。学校でも、大河に困った顔をする人間はいても、嫌っている人間は皆無だ。

 いつだったか、親父が言っていた。

 

 ――――あの子は自然体のまま、ただ居るだけで世界が少し平和になる。だから、ちゃんと守ってあげるんだよ。

 

 親父は正義の味方に憧れていた。

 天真爛漫で、誰とでも仲良くなれる大河の在り方は、親父にとって理想(こたえ)の一つだった。

 あの頃は、その事に中々納得する事が出来なかった。

 

「初めて会った時は、いきなり蹴り飛ばされたんだよな……」

 

 今でも覚えている。俺と彼女の衝撃的なファーストコンタクト。

 ……あの時も白だったな。



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第十三話『過去』

 十年前、俺は衛宮切嗣の養子になった。親父に連れてこられた新しい家はとにかく大きくて、土蔵や道場まで完備していた。

 まるで、異世界に迷い込んでしまったような気分で、家中を見て回った。

 そんな時だった。

 

★もしも、藤ねえが同い年だったら 第十三話『過去』

 

「――――この不届き者!!」

 

 庭を歩き回っていたら、突然声がした。

 何事かと声の方に顔を向けると、壁の上に女の子が立っていた。

 角度が丁度良すぎたというか、視界にとんでもないものが映り込み、思わず顔を手で覆った。

 そして――――、

 

「天誅!!」

 

 見事なライダーキックを決められた。

 ひっくり返って、そのまま意識を失った。

 

 ◇

 

 目を覚ますと、さっきの女の子が土下座をしていた。

 何がなんだか分からなくて、近くに座っている親父を見た。

 困ったように笑っている。

 

「この子は隣に住んでいる藤村家の娘さんだよ。元々、この屋敷は藤村さんが管理していたんだ。時々、近所の子が入り込んで荒らしていたみたいでね。大河ちゃんが追い払っていたんだ」

「そうか。それじゃあ、仕方ないな」

 

 別に怒ってない事を伝えようと思って土下座中の女の子に声を掛ける。

 けど、反応がない。首を傾げながら、しゃがみ込んで女の子の顔を覗いてみる。

 寝てた。

 

「おーい。謝ってる最中じゃないのかー」

「あっはっは。実は、士郎を運んだ後からずっとこの姿勢なんだよ。腰が痛くなるから止めたほうがいいって言ったんだけど、聞いてくれなくてね」

「それで、そのまま寝ちゃったのか」

 

 なるほど、困った子なんだな。

 

「笑ってないで、布団で寝かせて上げろよ。風邪引いちゃうだろ」

 

 とりあえず、俺が寝ていた布団を明け渡す事にした。

 

 ◇

 

 夕方頃、女の子は目を覚ました。どうやら、眠る前の事は綺麗サッパリ忘れてしまったらしい。

 また振り出しに戻ってライダーキックが飛んで来た。

 

「それ、パンツ丸見えだぞ」

 

 避けられないから、とりあえず注意しておいた。

 ふっ飛ばされながら、三回目はイヤだなって思って、なんとか意識を保った。

 

「エッチ!」

「……すごい理不尽だな」

 

 後頭部がズキズキする。でも、とりあえず誤解は解いておかないと。

 俺は寝転がったまま大河に事情を説明した。

 大河の顔が赤色から青色に変化していく。前に理科の授業で習ったリトマス試験紙みたいだ。

 

「ごめんなさーい!!」

 

 まさかの追撃が来た。

 頭痛に苦しんでいる所に大声とは、凶悪なコンボだ。

 

「うん。とりあえず、落ち着け」

「うえーん!! どこか痛くない!? 救急車呼ばなきゃー!!」

「ダメだ。聞こえてない」

 

 結局、親父が呑気な顔で様子を見に来るまで、俺は大河の凶悪コンボに苦しめられ続けた。

 

 ◇

 

 夕飯を食べる時間になって、切嗣が台所に立った。

 

「イタッ」「あっ、やば……」「あれ? これ、砂糖?」「うーん、ホワイトシチューの筈なのに緑色になったぞ」

 

 うん。これはダメだな。

 俺は切嗣を台所から追い出した。

 家庭科の授業で習った簡単な料理を作って出すと、切嗣と大河は大道芸を見る子供みたいな反応をした。

 

「すごい! 士郎は料理が上手なんだね!」

「うわー! 美味しそう! すごいすごい!」

 

 どうでもいいけど、大河は家に帰らなくていいのかな?

 

「切嗣。二度と台所に入るなよ?」

「……うん」

 

 切嗣はすごく哀しそうな表情を浮かべた。

 

 ◇

 

 夕飯の後、大河は家の人に連れて行かれた。

 大河はものすごく抵抗していた。迎えに来た人は泣きそうな顔だった。

 

「良かったね、士郎。いい友達が出来たじゃないか」

「ライダーキックを二回もくらったけどな」

「あはは……、元気があっていい事じゃないか」

 

 切嗣はなんというか、いつだって、なんだって、なるようになるさー、ケ・セラ・セラって感じだ。

 

「切嗣は爺さんみたいだな」

「えっ!?」

「うん。これからは爺さんって呼ぶよ」

「ええっ!?」

 

 やめてくれと一晩中泣かれたけど、俺の中では完全に爺さんで固まってしまった。今更変えられない。

 ムリなものはムリなんだと説得した。

 

 ◇

 

 翌日、深山の小学校に通い直す為の手続きをした。

 大河と同じ学校みたいで、その夜はパーティーになった。

 料理はもちろん俺の仕事。このパーティーの主役は誰なんだろうな。

 

「士郎! 明日はビーフシチューが食べたい!」

「いきなり難易度を上げてきたな」

 

 というか、明日もうちで食べるつもりなのか。

 別に構わないけど、家族と一緒じゃなくていいのかな?

 

「……うちのお母さん、メシマズなんだもん」

 

 すごく深刻そうな返事が返ってきた。

 うん。この質問は封印したほうがよさそうだ。

 

 ◇

 

 学校に通いはじめて一週間が経った日、俺はいじめの現場を目撃した。

 いじめっ子は悪いやつだ。だから、倒さないといけない。

 相手は上級生だけど、関係ない。

 

「おい、やめろよ!」

 

 傷だらけになったけど、いじめっ子を撃退する事が出来た。

 

「おい、大丈夫か?」

 

 虐められていた方に声を掛けると、何故か睨まれた。

 

「よ、余計な事するなよ!」

 

 とぼとぼ歩き去っていく。掛ける言葉が見つからなかった。

 次の日、そいつはまた虐められていた。

 前の日よりもいじめている側が増えていた。

 助けに入ろうとすると、いじめてる方が笑い始めた。

 

「おい、あのガキだぜ!」

「マジかよ! あんなチビに助けられたの、お前」

「うけるんだけど! あんだけ殴られて、また来るとか!」

 

 言っている言葉の意味がよく分からなかった。

 とにかく、いじめを止めさせないとって思って殴り込んだ。

 そして、負けた。殴られすぎて、動けなくなった。そのまま、蹴られ続けてる。

 いじめられている方の奴も一緒に蹴られている。

 

「おっ、お前のせいで……。余計な事するから、あいつら……」

 

 その言葉を聞いて、胸が苦しくなった。

 

「何やってるのよ!!」

 

 一週間、散々聞いた声が轟いた。

 

「やっ、やばい、藤村だ!」

「おい、逃げんな! 相手は女なんだぞ!」

「馬鹿! お前、知らないのか!?」

 

 壮絶な光景だった。それまで圧倒的な強者だった筈のイジメっ子達が次々にぶっ飛ばされていく。

 

「士郎、大丈夫!?」

「……大河」

 

 いじめっ子達が逃げていく。

 なんだか、自分が情けなくなった。

 いじめられっ子を助けるつもりが、女の子である大河に助けられるなんて……。

 

「……大丈夫だ」

「本当? 痛いところない?」

「大丈夫だってば!」

 

 なんだかムシャクシャして、乱暴な言い方になってしまった。

 

 ◇

 

 俺は、とにかく人を助けたかった。

 炎の中で、助けを求める手から目を逸らして、自分だけが助かってしまったから、あの時助けられなかった人の分まで、誰かの役に立ちたかった。

 

「やめろ!!」

 

 暴力を見つける度に、後先考えずに突っ込んでいった。

 

「衛宮だ!」

「また来やがった! 今日もサンドバッグにしてやるぜ!」

 

 いつもズタボロになって負けた。その度に怒った大河が乗り込んできた。

 その度に情けなくて、泣きたくなった。

 

「ついてくるなよ!!」

「ダメ! 士郎は放っておくと、すぐに無茶するんだもん!」

「うるさいな! 余計なお世話だ!」

 

 人を助けたいのに、助けられてばかりの自分がイヤになった。

 

 ◇

 

 その日も、俺は暴力の中に突っ込んだ。それまでと違う点は、相手が大人で、酔っ払っていた事。

 加減の出来なくなっている大人の拳は痛くて、本当に死ぬかと思った。

 だけど、いつものように大河がやって来て、ホッとしてしまった。いつの間にか、それを当たり前の事だと考えるようになっていた。

 その事に気付いて、愕然となっている俺の前で、大河が殴られた。

 

「……え?」

 

 いつだって、誰よりも強かった大河。だけど、それは子供の世界だけの話だって事を俺は忘れていた。

 大人に子供が勝てるわけない。

 

「や、やめろよ!!」

 

 倒れた大河に馬乗りになろうとしている男に必死に殴りかかった。

 だけど、腕の長さも違って、力の大きさも違って、なにもかも負けていて、俺は簡単に動けなくされた。

 

「やめろよ!! 大河に近づくんじゃねぇよ!!」

 

 地面を這うことしか出来ない自分が憎くて仕方がない。

 力が無ければ、誰も助ける事なんて出来ない。

 どうしようもない状態になって、ようやく気づいた。

 

「……何をしているんだい?」

 

 切嗣の声が聞こえた。

 その後の事は覚えていない。気付いたら、俺は大河と一緒に切嗣に背負われていた。

 

「……士郎。あんまり無茶をしたらダメだよ」

 

 切嗣は言った。

 

「大河ちゃんは女の子なんだ。ちゃんと守ってあげなきゃ」

「……俺は」

 

 大河が傷ついたのは俺のせいだ。

 守るどころか守られて、挙げ句の果てがこれだ。

 

「最低だよ、俺……」

「最低じゃないよ」

 

 びっくりした。眠っていると思ったのに、大河は起きていた。

 

「た、大河。その、ごめ――――」

 

 謝ろうとしたら、口を塞がれた。

 

「士郎は謝る事なんてしてないよ」

「だって……、俺は!」

「士郎はいつだって誰かのために必死になるんだもん。それって、すごく良い事だと思うの。絶対、悪い事なんかじゃないよ」

「何言ってんだよ……。俺が馬鹿やったせいでお前……」

「士郎が誰かのために必死になるなら、私は士郎の為に必死になりたかっただけ。私は、私がやりたい事をやっただけだよ。だから、士郎が謝る必要なんて無いの」

 

 勝てないと思った。

 

「……大河。痛くないか?」

「へっちゃら! ……イツツ」

「痛いんじゃないか……」

「士郎の方が痛そうだもん!」

「……うん。痛いよ」

 

 その日から、俺は後先考えずに突っ込む事を止めた。

 切嗣に懇願して鍛えてもらって、魔術も教えてもらった。

 大河に守られるんじゃなくて、大河を守れるようになりたかった。

 そして、いつか大河みたいに、本当のヒーローになりたいと思った。

 

 ◆

 

 あれからいろいろな事があったけれど、俺は大して成長していない。

 体を鍛えて、あの頃よりはマシになったと思うけど、今でも大河には勝てる気がしない。

 大河は強い。でも、それは肉体的な意味だけじゃない。

 あの後、俺は助けに入ったいじめっ子といじめられっ子が仲良くしている所を見た。どうも、大河が仲を取り持ったらしい。

 俺には出来ない事だった。

 だから、無闇に暴力を振るおうとしないで、出来る事をしようと思った。

 人から頼まれた事には全力で取り組んだ。慎二には、よく呆れられるけど、俺はまだまだ未熟だから、こういう事でしか人の役に立てないんだ。

 

 俺は――――、

 

 

 

 大河に負けない(認めてもらえる)ような正義の味方(ヒーロー)になりたいんだ。 



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第十四話『閑話休題』

 料理を運んでいると、丁度良く慎二とライダーが桜を連れて戻ってきた。

 

「先輩!」

 

 桜は入ってくるなり駆け寄ってきた。

 

「大丈夫でしたか!? その、怪我とかは!」

「落ち着けって、桜。大丈夫だって、言っただろ。なあ、衛宮」

「ああ、どこも問題無しだ」

 

 桜は不安そうに瞳を揺らし、大河を見た。

 

「藤村先輩!」

「よし、ここでとびちりカード!」

「イヤー!? 空からウンチが落ちてきた!?」

「……なんという光景だ」

 

 なんという事だろう。日本中がウンチだらけになってしまった。

 桃太郎電鉄。俺にとっては封印したいゲームだ。いつも借金地獄に苦しみ、慎二と大河に馬鹿にされる。

 どうやら熱中しすぎて桜が来た事に気付いていないらしい。

 

「……無事みたいですね」

 

 桜は肩を落としながら大河の背中に抱きついた。

 

「心配したのに気付いてくれないなんて酷いですよ先輩」

「ほえ? あっ、桜ちゃん! こんばんは!」

「はい、こんばんはです」

 

 桜は大河に対してだけは全力で甘える。

 たしか、二人が山篭りから帰ってきた時辺りからだったと思う。

 何があったのか教えてくれないけれど、二人の絆が深まる出来事があったのだろう。

 大河が桜にセイバーとイリヤスフィールの事を紹介している。

 

「慎二。とりあえず、今後はどうするんだ? なんか、お前の家に行けなかったんだけど」

「ああ、ちょっと爆発四散しちゃったからね。一応新居は用意してあるんだけど、聖杯戦争中はここに泊めてくれよ。いいだろ?」

「別にかまわないけど……って、え? 爆発四散!?」

「ああ、大穴が空いたから一般人が落ちないように結界をしいてあるんだ」

「いや、そこじゃなくて、爆発四散について詳しく!」

「だから、気にするなって。それよりお腹がぺこぺこなんだ。さっさと飯にしてくれ」

「おまっ、気にするなって……、ああもう! 分かったよ!」

 

 慎二は我が物顔で自分の指定席に座ると、テーブルの上のみかんを食べ始めた。

 これは『僕は何も言わないぞ』という意思表示だ。

 

「……ったく」

 

 付き合いが長いのも考えものだ。

 料理を並べ終えて、俺は大河達に声を掛けた。なんだかさっきよりもピリピリした空気が流れている。

 きっと、桃太郎電鉄のせいだな。あれは危険だ。友情を破壊しかねない。

 座ると、なんだかうつらうつらしてきた。やばいな。思った以上に疲れていたみたいだ。

 

「し、士郎!?」

 

 ああ、眠い。

 

★もしも、藤ねえが同い年だったら 第十四話『閑話休題』

 

 アーチャーのサーヴァントは針のむしろに立たされていた。

 

「アーチャー。貴方って、凄いのね!」

 

 マスターの笑顔が怖い。

 

「固有結界! なるほどね。干将莫邪なんて中国剣を使うかと思えば、アイアスの盾まで出してくるから、生前は武具のコレクターか、王侯貴族なのかと思ってたわ! まさか、魔術で一から作り上げていたなんてビックリよ!」

「り、凛。どうか、落ち着いてくれないか」

「……アーチャー」

 

 声のトーンが一段階低くなった。

 ビクッと肩を震わせるアーチャー。

 

「魔術で作っていたって事は、ランサーと戦う前から記憶は戻っていたって事よね? だって、魔術は武術と違って、体が覚えていれば使えるって代物じゃないもの。神代の魔術師や、吸血種ならともかく」

「……謝るから、尋問は止してくれ。事情があったんだ」

「事情って?」

 

 アーチャーは深く息を吐いた。

 

「……衛宮士郎だ」

「は? なんで、いきなり衛宮君の名前が出てくるのよ」

「私の名前だ」

「……はい?」

 

 首を傾げる凛に、アーチャーは言った。

 

「君の同級生が英霊となった存在。それが私だ」

「……ん? んん??」

 

 混乱している凛に、アーチャーは苦笑した。

 

「信じられない気持ちも分かるが、事実だ」

「いや……、いやいやいやいや! 嘘でしょ!?」

「嘘じゃない。……そうだな。これが証拠になると思う。この世界では、まだ君が持っている筈だ」

 

 そう言って、アーチャーは赤い宝石を取り出した。

 

「……これ」

 

 凛は目を見開いた。

 

「君が、私を召喚した理由がこれだよ。生前、君に命を救ってもらった事がある。その時から、ずっと預かっていた」

「……救ったって、私が?」

 

 凛はアーチャーの取り出した宝石をジッと見つめた。

 それは、世界に二つと無い特別なもの。大師父である宝石翁(キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグ)が彼女の先祖に与えたもの。

 彼女は、これと同じ物を持っている。

 在る筈の無い物が在る。その矛盾を前に、彼女はアーチャーの言葉が真実だと理解した。

 

「詳しくは覚えていない……。なにしろ、随分と昔の話だからね。だが、君が私を救けてくれた事は事実だ」

「……どうして、自分の正体を隠したの?」

「言っただろう。事情があったんだ」

「だから、その事情を教えなさいよ」

 

 アーチャーは気まずそうに表情を曇らせた。

 

「……きっと、呆れるぞ? 我ながら、情けないにも程がある話だ」

「別に呆れたりしないわよ。だから、話しなさい!」

 

 アーチャーは渋々といった様子で語り始めた。

 

「私は後悔しているんだ」

「後悔?」

「……衛宮士郎は、英雄になんてなるべきではなかった。だから、この千載一遇の機に乗じて、若い頃の自分を殺そうと考えていたんだ」

「なっ……」

 

 言葉を失う凛に、アーチャーは慌てて言い繕った。

 

「考えていただけだ。今は……、そんなつもりはないよ」

「……心境が変化した理由はなに? やっぱり、昨日の事?」

 

 アーチャーの態度が変わったタイミングを考えると、それ以外に思いつかない。

 

「……この世界の衛宮士郎は、私にはならない。一目で分かったよ。アレは、私のように破綻し切っていない。通じるものはあっても、明らかに私とは異質な存在だ。きっと、藤ねえの影響だな」

「藤ねえ……? えっ、それって藤村さんの事? なに、いつもは大河とか呼び捨てにしてて、二人っきりの時はそんな風に呼んでるの?」

「大河……、と呼んでいるのか。いや、私が生きていた世界では、藤村大河は年上の女性だったんだ。……いつも明るくて、いつも私の事を心配してくれていた。血は繋がっていないが、実の姉のように慕っていたんだ。それが、まさか同い年とは……、驚いたよ」

「年齢が違うって、そんな事があるの?」

「さて、平行世界は無数に存在するからな。……というか、そういう方面に関しては君の方が詳しい筈だぞ」

「……まあ、深く考えても仕方がないって事ね。あるがままを受け入れましょう」

 

 凛はコホンと咳払いをした。

 

「まあ、事情は分かったわ。要は、藤村さんを守りたかったのね」

「……あー、まあ、その」

「恥ずかしがってんじゃないわよ。藤ねえとか呼んじゃって、アンタも藤村さんの事が相当大好きだったのね」

「……人として尊敬していた。それに……、家族だった」

「だから、恥ずかしがらなくてもいいってば」

 

 凛はクスリと笑った。

 

「それにしても、化けの皮が剥がれたわね。今の貴方、ニヒルを気取ってた時より魅力的よ」

「……猫の被り方は君に仕込まれたのだが」

 

 凛は無言でアーチャーの膝を蹴っ飛ばした。

 

「それにしても、そういう事なら謝らないといけないわね」

「何の話だ?」

「撤退させたことよ。家族を見捨てさせたわけでしょ? 結果的に藤村さんも、衛宮くんも生き延びたけど、二人が死んでいたら……」

「君に非はない。むしろ、君を不安にさせた私の落ち度だ」

「ううん。この事に関しては謝らせてもらうわ。ごめんなさい」

「凛……」

 

 アーチャーは困ったように頬を掻いた。

 遠坂凛に関しては、生前世話になった彼女とほとんど変わらない。

 妙な所で律儀なところも。

 

 そんな時だった。来客を告げるチャイムの音が響いた。

 窓から玄関を見ると、そこにはこの時代の衛宮士郎と藤村大河が立っていた。



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第十五話『Let sleeping dogs lie』

 衛宮が眠ると、釣られるように藤村も眠ってしまった。

 

「……無理しやがって。大方、僕達に心配を掛けないように、無理に明るく振る舞ってたんだろうな」

 

 勝手知ったるなんとやら。僕は隣の部屋の襖を開いた。

 そこには藤村が寝泊まりする時に使っている布団が入っている。ついでに、一緒に入っている桜の布団も敷いておく。

 

「おい、ライダー。藤村をここに寝かせておいてくれよ。僕は衛宮の布団を取ってくる」

「かしこまりました」

「シンジ。私も手伝います」

 

 手伝いを申し出てくれたセイバーに待ったをかける。

 

「布団を運ぶくらい一人で出来るよ。それより、イリヤスフィールを監視しておいてくれ。あと、桜の事も見ておいてくれると助かる。桜は衛宮と藤村の事が大好きなんだ」

「……かしこまりました」

 

 セイバーも感じるものがあったようで、素直に従ってくれた。

 

★もしも、藤ねえが同い年だったら 第十五話『Let sleeping dogs lie』

 

 二人を寝かせると、とうとう痺れを切らした桜が口を開いた。

 藤村と衛宮の性格は桜も熟知しているから、今までは我慢していたのだろう。

 

「……なんで、先輩達を狙ったんですか?」

 

 少し怖い。

 腰が引けている僕とは対称的に、睨まれている当人であるイリヤスフィールは涼しい顔をしていた。

 

「あなたに教える義理はないわ」

「あなたはっ!」

 

 立ち上がりかけた桜の肩を掴む。

 

「落ち着けよ、桜」

「でも! 兄さん!」

「……ライダー。自己封印・暗黒神殿(ブレーカー・ゴルゴーン)を使え」

「かしこまりました」

 

 イリヤスフィールの表情が歪む。だけど、容赦するつもりも、躊躇う理由もない。

 

「シンジ。彼女に何をしたのですか?」

 

 セイバーの目に警戒の光が宿る。

 

「情報を吐き出させる。衛宮と藤村が嫌がるから、始末はしないが、安全は確保しないといけないからね」

「……なるほど」

「文句があるなら言っときなよ。聞くだけは聞いてやるからさ」

「ありません。彼女の危険性は未知数ですから、情報を抜き取る手段があるのならば僥倖です」

 

 理想的な回答なのに、苛立ちを覚える僕は本当に性格が悪いな。

 

「……衛宮なら、僕をぶん殴ってるぞ」

 

 そう言うと、セイバーは僅かに目を見開き、そして微笑んだ。

 

「なんだよ……」

「失礼。少々、知人を思い出しました」

「はぁ?」

「お気になさらず」

 

 意味が分からない。

 

「シンジ」

 

 どうやら、ライダーが情報を抜き取り終えたようだ。

 なんだか、困ったような顔をしている。

 

「どうやら、イリヤスフィールはエミヤシロウの姉のようです」

「……は? いや、え? 姉?」

 

 耳がおかしくなったのかと思った。

 

「ラ、ライダー。姉って、どういう事?」

 

 どうやら、桜の耳にもイリヤスフィールが衛宮の姉というエキセントリックな言葉が聞こえていたらしい。

 

「……なるほど。では、彼女はキリツグの娘なのですね」

「は?」

 

 理解が追いつかない僕とは裏腹に、セイバーは納得したような表情を浮かべている。

 どんな理解力だ!?

 

「……え、ええ、その通りです。彼女はエミヤシロウの父親であるエミヤキリツグがアインツベルンのホムンクルスとの間に設けた娘です」

「ちょっ、ちょっと待て! 処理し切れない! まず、なんで衛宮の親父がアインツベルンのホムンクルスと子作りなんてしてるんだよ!?」

「キリツグは前回の聖杯戦争に参加していたのです。アインツベルンのマスターとして」

 

 答えたのはライダーではなく、セイバーだった。

 

「……なんで、お前はそんな事を知ってるんだ?」

「前回、キリツグが召喚したサーヴァントも私だったからです」

「は?」

 

 駄目だ。何から聞けばいいのか分からない。

 

「ストップ! 待て! 整理させろ! クソッ、衛宮を起こすべきか!? いやでも、どう説明する!?」

「……落ち着いて下さい、シンジ」

「落ち着けるか! ……とにかく、一つ一つ確認していくぞ。いや、とりあえず抜き出した情報を全部聞いてからにしよう」

 

 僕はライダーに続きを話すよう促した。

 

「セイバーの言うとおり、エミヤキリツグは前回の聖杯戦争に参加していたようです。……ただ、過程は不明ですがアインツベルンを裏切り、イリヤスフィールの下に二度と戻ってくる事は無かったようです。その為、彼女は父親が自分を捨てたのだと考え、復讐しようと目論んだようです」

「……なるほどね。衛宮の親父は随分前に死んだらしい。本人がいないから、代わりに息子をターゲットにしたってわけか」

 

 僕はセイバーを見た。

 

「……で、その過程については教えてもらえるのかい?」

「長くなるので詳細は省きますが、キリツグと私はアーチャーとそのマスターを除く全ての敵を殲滅しました。そして、聖杯に後一歩の所まで近づきました。けれど、瀬戸際でキリツグが裏切り、私に聖杯の破壊を命じました。何故、彼が裏切ったのかは分かりません」

 

 聖杯を破壊した。万能の願望器に後一歩の所まで近づいておきながら?

 

「質問なんだけど、衛宮切嗣はなんでアインツベルンのマスターなんてやってたんだ? そもそも、アインツベルンは外部との接触を極端に嫌う一族の筈だぞ」

「……詳しい事は分かりません。なにしろ、彼とまともに会話をした回数は片手で数えられる程度でしたから」

「はぁ? なんだよ、それ。意味わからないぞ」

「必要性を感じなかった事と、私達は互いに……いえ、そこはどうでもいい事です。ただ、会話もほとんどが戦略を練る為のものだったので、プライベートな事はほとんど聞いていません」

「マジかよ……」

 

 そもそも、英霊は召喚される度に記憶がリセットされる筈だとか、ツッコミたいところがたくさんがあるが、僕も割りと疲れている。

 そろそろぶっ倒れそうだ。

 

「……とりあえず、事情は分かった。一応、ブレーカー・ゴルゴーンは維持しておいてくれ。明日、改めて衛宮達と話そう」

「かしこまりました」

 

 静かだと思ったら、桜も大分うつらうつらしている。

 時計を見ると、もう二時を過ぎている。

 あくびを噛み殺しながらライダーに桜を布団へ運んでもらって、その間にセイバーに話し掛けた。

 

「お前、なんであんなにペラペラ話したんだ?」

 

 衛宮の親父のサーヴァントだった事を含めて、仮にも敵対する可能性がある相手に話すべきではない事まで彼女は語りすぎていた。

 

「……先程も言いましたが、貴方は知人によく似ている。彼も妹を大事に思い、友を大切に思う人物でした」

「それが何だよ……」

「貴方は、口でどう言おうと、最期までマスターを裏切らないでしょう。ならば、むしろ話しておいた方がいいと判断しました」

「……意味分からねぇ。お前、そんな調子で他の奴にまでペチャクチャ情報を漏らしたりするなよ」

「ええ、もちろんです」

 

 なんというか、掴み所のない女だ。

 

「……僕も寝るよ」

 

 ライダーに警戒を頼み、布団に潜り込む。

 すると、ブレーカーが落ちたように意識が闇に沈んだ。

 まったく、濃密過ぎる一日だったな……。



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第十六話『A joyful evening may follow a sorrowful morning』

 目を覚ますと、目の前にセイバーの顔があった。

 

「おはようございます、シロウ」

「ほあっ!?」

 

 慌てて後退りすると、背中に何かがぶつかった。

 

「おはよう、シロウ」

 

 鈴を鳴らしたような声。振り向くと、そこには眼帯で両目を塞がれた状態のイリヤスフィールがいた。

 年端もいかない少女がしていい格好ではない。

 しかも、何故か腕を回してきた。

 

「なっ、何してるんだ!?」

「目が見えないから肌でシロウを感じているの」

「いやいやいやいや! 意味が分からない!」

 

 とりあえず、この状況はまずい。

 

「は、離れてくれ!」

「なんで?」

「なんでって……」

 

 無理矢理引き剥がそうとすると、更に強く抱き締められた。

 

「おっ、おい、いい加減に!」

「なんで、駄目なの?」

「えっ」

 

 声が震えていた。

 

「……マスター」

 

 突然の事に動揺していると、セイバーが気まずそうに声を掛けてきた。

 

「せっ、セイバー! これはだな、えっと……」

「彼女は貴方の姉です」

「……はい?」

 

 いきなり、何を言い出しているんだろう。

 姉? 百歩譲って、そこは妹じゃないのか? いや、問題はそこじゃないな。

 

「……どっ、どういう事だ?」

「シンジを呼んできます」

「え?」

「彼から話す事になっていたので」

「それってどういう……」

 

 セイバーは「しばし、お待ち下さい」と言って部屋を出ていってしまった。

 

★もしも、藤ねえが同い年だったら 第十六話『A joyful evening may follow a sorrowful morning』

 

 抱きついたまま泣きじゃくるイリヤスフィールをあやしていると、セイバーが慎二達を引き連れてきた。

 大河と桜、ライダーも一緒だ。この異様な状況を見られることに少し焦りを覚えたが、三人共落ち着いている。どうやら、既に事情を知っているようだ。

 

「し、慎二。これって、どういう状況なんだ? セイバーが、この子が俺の姉だって言うんだけど……」

 

 慎二は近くに腰をおろした。

 

「……単刀直入に言う。セイバーの言葉は事実だ。そいつ……、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンは、間違いなく衛宮切嗣の娘であり、お前の姉なんだよ」

「親父の……、娘!?」

 

 寝耳に水だった。

 

「順番にいくぞ。まず、衛宮切嗣は前回の聖杯戦争に参加していた。それも、アインツベルンのマスターとして」

「親父が聖杯戦争に……」

「……その時に召喚したサーヴァントも、セイバーだったらしい」

「セイバーが親父のサーヴァント!?」

 

 セイバーを見ると、彼女は小さく頷いた。

 

「事実です」

「……そっ、そうなのか」

 

 まずい。一つ一つの情報を整理していかないと、すぐにパンクしそうだ。

 

「大丈夫か?」

「あ、ああ、まだなんとか」

「……じゃあ、続けるぞ。さっきも言った通り、衛宮切嗣はアインツベルンの女にイリヤスフィールを産ませ、それから冬木の聖杯戦争に参加した。そして、他のマスターとサーヴァントを殲滅したそうだ」

「殲滅……」

「要するに優勝したって事だよ。ただ、理由はセイバーにも、イリヤスフィールにも分かっていないが、彼は土壇場で全てを裏切った」

「裏切った?」

「……いや、正確には裏切ったように見えた、だ。実際、衛宮切嗣が何を考えていたのか知る手掛かりが一切無いんだよ。分かっている事は、最後の最後でセイバーに聖杯を破壊させた事だけなんだ」

「聖杯を破壊って、万能の願望器なんだろ? なんでも叶うっていう」

「ああ。だから、分からないんだよ。ただ、セイバーの話や、お前から聞いた親父さんの話を統合すると、ちょっと気にかかる」

「気にかかるって?」

「……衛宮。十年前の大火災の事、覚えてるよな?」

 

 十年前の大火災。覚えていない筈がない。

 俺は当時、その火災に巻き込まれて、ただ一人生き残った。

 

「……十年前? まさか!」

「ああ、そのまさかだよ。あれは聖杯戦争中に起きた事件だ。しかも、セイバーの話と合わせると、どうも聖杯戦争の最終日に起きた事らしい」

「それって……」

「嫌な予感がしてくるだろ。聖杯を求めて参加してきた男が、土壇場で破壊しなきゃいけなかった理由。ほぼ同時期に起きた大火災。セイバーの話を聞くと、最終決戦の場ではセイバーも、相手のサーヴァントも、大火災を起こす規模の宝具なんて使っていなかったらしいんだ」

「おい、待てよ! それじゃあ、聖杯があの大火災を起こした原因だって言うのか!?」

 

 慎二は「わからない」と答えた。

 

「実際に何が起きたのかは分からないんだ。ただ、こういう推理も成り立つってだけの話なんだ。だけど、成り立つ事自体がまずいんだよ。万が一にも、アレが再び再現されたら……」

「この街が燃えるって事か?」

 

 今でも、鮮明に思い出す事が出来る。

 助けを求める手。焼け爛れた死体。苦悶の声。

 

「……あれが、また」

 

 大河の顔が浮かぶ。雷画の爺さんの顔が浮かぶ。藤村組のみんなの顔が浮かぶ。

 慎二、一成、桜、美綴、後藤くん、氷室、蒔寺、三枝、クラスのみんなの顔が浮かぶ。

 

「駄目だ……。あんな事、二度と!」

「……ああ、もちろんだ」

 

 慎二は拳を突き出してきた。

 

「僕も、お前も、願望器なんてどうでもいい。殺し合いなんてクソ食らえだ。だけど、なあ? この街が焼かれるかもしれないって聞いて、黙って見過ごせるわけないよな?」

 

 俺は、その拳に自分の拳をぶつけた。

 

「当たり前だ!」

「オーケー。なら、いっちょ街を救おうぜ」

「……なんか、軽いな」

「ああ、軽いさ。だって、出来ない筈が無いからね」

 

 慎二は笑った。この笑い方を、俺はよく知っている。

 

「僕とお前が組んで、出来なかった事が一つでもあったかい?」

「ははっ、無いな」

 

 主に大河の暴走関連だけど、他にも慎二と一緒に街で起きた騒動を解決した事がある。

 俺が一人で突っ走っても絶対に解決出来なかっただろう事も、慎二と一緒なら解決出来た。

 

「あっ、でも一回だけあったな」

「え?」

「ほら、大河が桜を山に連れ込んだ時の事」

「おい、衛宮。野生動物がホームグラウンドで野生を発揮している状況なんて勘定に入れるなよ」

「だよな。ああ、うん。ちょっと空気を読めてなかった。悪いな」

 

 慎二と笑い合っていると、肩をチョンチョンと叩かれた。

 

「ん?」

 

 振り返ると、牙をむき出しにした虎がいた。

 いつの間にか、イリヤスフィールがセイバーの傍に退避している。

 

「誰が、山がホームグラウンドの野生動物じゃー!!!」

 

 ぶっ飛ばされた。

 すごい。人間って、空を飛べる生き物だったんだな。

 おお、慎二も飛んでいる。

 あっ、桜が襖をそっと開けた。きっと、襖が破れないように気を使ってくれたんだな。できれば、襖よりも俺達に気を使って欲しかったよ。

 

「ギャアアアアアアア!!」

「ギャアアアアアアア!!」

 

 庭に真っ逆さまに落ちていく俺達。

 メチャクチャ痛い。

 

「……とりあえず、これからどうするんだ?」

「ああ、とりあえず……」

 

 二人揃って青空を見上げながら、今後の事を話した。

 

「大河が昨日のお礼を言いに行きたいとか言ってるから、お前らは遠坂の家に行ってくれ」

「遠坂の家に?」

「ああ。あいつがアーチャーのマスターだよ。一応、大丈夫な筈だけど、ヤバそうなら引き返せよ。ただ、いけそうなら十年前の事を聞いてみてくれ」

「十年前の事を?」

「遠坂なら、僕達より情報を持っている筈だからね。仮にも冬木の管理人(セカンドオーナー)だから」

「そうなのか!?」

「……そうなんだよ。とりあえず、注意点と安全策については飯を食いながら話すよ」

 

 そう言って、慎二は起き上がった。

 その目は人をぶっ飛ばしておいて和やかに談笑している大河と桜に向いている。

 

「頑張ろうな、衛宮」

「……ああ」

 

 大河を見る。

 普段通りに見えるけど、無理をしている。

 魔術師としての知識がある俺でさえ整理し切れていないんだ。何も知らなかった大河は俺以上に混乱している筈。

 それを必死に表に出さないようにしている。

 

「……大河」

「んー? なにー?」

 

 大河は強い。誰よりもいろんなものを見ている。

 だけど、女の子だ。

 

「朝食、生姜焼きでいいか?」

「おー! 生姜焼き大好き!」

 

 知ってる。だから、言ったんだ。

 

「よーし。腕によりを掛けて作るぞ」

「あっ、先輩、手伝います!」

「ああ、頼むよ」

 

 無理なんてさせたくない。

 ただ、朗らかに笑っていて欲しい。

 それだけで、世界はグッと明るくなるから。



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第十七話『地獄の蓋』

「……どうするの?」

 

 凛が問い掛けてくる。

 

「君に任せるよ」

「いいの? いろいろと複雑なんでしょ?」

「複雑ではないさ。既に道を違えている以上、アレと私は赤の他人だ」

 

 むしろ、シンプルになったと言える。

 

「凛。私は君のサーヴァントだ。それ以上でも、それ以下でもない。君は君の思うままに進み、私を使ってくれればいい。心理戦を仕掛ける為に私の名を明かしても構わない。今の私の望みは君を勝者にする事だけだよ」

「……そう。なら、好きにさせてもらうわ」

 

 そう言うと、凛は玄関に向かって行った。

 

「ああ、好きにしてくれ。君の選択なら、私は全力を出す事が出来る」

 

 主の意に背く必要がなくなった。ならば、後は全身全霊を賭けて彼女に尽くすのみ。

 

★もしも、藤ねえが同い年だったら 第十七話『地獄の蓋』

 

 待っていると、玄関から遠坂が出て来た。

 

「あっ、遠坂さんだ! やっほー!」

「お、おい、大河」 

 

 一応、相手は魔術師であり、聖杯戦争に参加しているマスターだ。

 慎二は大丈夫だと言っていたけれど、少しは警戒した方がいいと思う。

 

「こんにちは、藤村さん。衛宮くん」

 

 身構えていると、遠坂は門を開けてくれた。

 

「私に御用かしら?」

「うん! 昨日のお礼を言いに来たの。助けてくれて、ありがとう!」

 

 大河が深々と頭を下げると、遠坂は目をパチクリさせた。

 

「……ど、どういたしまして」

 

 戸惑っている遠坂を尻目に、大河がチョンチョンと俺の腕を引っ張ってくる。

 

「士郎も、ほら! お礼を言わなきゃ!」

「あ、ああ。ありがとう、遠坂。おかげで助かった」

「……うーん。途中でアーチャーを引き上げさせちゃったし、別にお礼を言われる筋合いは無いんだけどね」

「そんな事ないよ! 遠坂さんにも、アーチャーさんにも、すっごく感謝してるんだから!」

 

 遠坂が後ずさった。

 

「……やっぱり苦手」

「え?」

「あっ、ううん。なんでもないの」

 

 遠坂は周囲を見回した。

 

「ねえ、サーヴァントはどうしたの?」

「ああ、セイバーはいない」

「……慎二が何か企んでるわけ?」

「ああ、企んでるよ」

 

 遠坂が顔を引き攣らせた。

 

「アッサリ言うのね」

「慎二が言えって言ったんだ。それで俺達の安全を確保するってさ」

「ふーん。思ったより……いや、慎二の事を信じてるのね」

「友達だからな」

 

 遠坂は鼻を鳴らした。

 

「中に入る? 魔術師の根城に踏み込む勇気があるのなら、歓迎してあげるわよ」

「じゃあ、遠慮なく」

「……ふーん」

 

 遠坂は俺達に背を向けた。

 

「ついてらっしゃい」

「ああ」

「はーい!」

 

 少し緊張する。

 学校のマドンナの家って事もあるけれど、それ以上に魔術師の拠点へ足を踏み入れる事に二の足を踏みそうになる。

 一人ならともかく、隣に大河がいるから尚更だ。

 だけど、大丈夫な筈。ライダーは俺と大河に加護を施してくれている。現代の魔術師では、そうそう俺達に危害を加える事は出来ない。

 

「こっちよ」

 

 リビングに通された。

 

「アーチャー。紅茶を用意してちょうだい」

「了解した」

 

 いつの間にか、遠坂の隣にアーチャーが立っていた。

 なんだか、胸がざわつく。

 

「座ったら?」

 

 気がつけば、遠坂と大河が椅子に座っていた。俺も大河の隣に腰掛ける。

 

「さてと……。じゃあ、聞かせてもらおうかしら」

 

 何を、とは聞かない。

 本当にお礼を言いに来ただけなら玄関で間に合う。中に入った時点で、こっちに別の用事がある事を示した事になる。

 出来れば、大河は帰したかった。だけど、慎二が連れて行けって言った。理由はよく分からない。だけど、必要な事だと言われた。

 

「遠坂。十年前の事を教えてもらいたい」

「十年前? それって、第四次聖杯戦争の事?」

「いや、大火災の事だ。慎二の話によると、あれはサーヴァントやマスターじゃなくて、聖杯が巻き起こしたものである可能性が高いみたいなんだ。だから、詳しい事を聞きたい」

「……は? えっ、ちょっと待ってよ。大火災が聖杯のせいだなんて事……」

 

 遠坂は戸惑っている。

 

「遠坂でも分からないか?」

「だから、待ってってば! というか、どうしてそんな結論に至ったのよ」

「……その、慎二がイリヤから記憶を抜き取ったんだ」

「イリヤって……、アインツベルンの?」

「ああ。それで、いくつか分かった事があるんだ。まず、俺の親父である衛宮切嗣はアインツベルンが雇った魔術師で、前回の聖杯戦争に参加していた」

「衛宮くんのお父さんが!?」

 

 遠坂は何故かアーチャーを見た。

 

「……続けて」

 

 我ながら突拍子もない話をしている自覚がある。

 だけど、遠坂は冷静に話を聞いてくれた。

 

「それで、その……、俺が召喚したサーヴァントはセイバーなんだけど、親父が召喚したサーヴァントもセイバーだったんだ」

「ふーん。親子二代でセイバーを引き当てるなんて、相当な幸運ね」

 

 何故か睨まれたけど、論点はそこじゃない。

 

「……クラスだけの話じゃないんだ。切嗣が召喚したセイバーと、俺が召喚したセイバーは同一人物で、記憶を継続しているらしいんだ」

「はぁ? 何を言ってるのよ。サーヴァントは本体から伸びた触覚で、召喚される度に記憶はリセットされる筈よ?」

「セイバーが特殊らしいんだ。詳しい事はまだ聞いてないんだけど……。それで、セイバーにも十年前の事を含めていろいろと聞いたんだ」

「それで……?」

 

 俺は慎二に教えてもらった事をそのまま遠坂に伝えた。

 切嗣が聖杯を破壊した事。セイバーと、彼女が戦った最後の敵が宝具を発動する前に大火災が起きた事。

 すると、彼女は険しい表情を浮かべて、アーチャーを見た。

 

「ねえ、どうなの?」

 

 問われたアーチャーは俺を見た。

 

「……そこまで分かっていて、イリヤは何も教えていないのか?」

「え?」

「アーチャー。どういう事?」

 

 遠坂が問いかける。

 

「小僧の言っている事は正しい。一歩踏み込んで話すと、聖杯にイレギュラーが発生しているんだ」

「イレギュラーですって!?」

「第三次聖杯戦争の時にアインツベルンがやらかしたんだ。この世全ての悪(アンリ・マユ)という神を喚び出そうとした」

「神って……。聖杯戦争のシステムじゃ、神霊なんて喚び出せない筈よ? 仮に喚び出せても、制御なんて出来る筈がないし……」

「ああ、当然の如く失敗した。代わりに、どこぞの村で行われていた因習の生贄が召喚された。《この世全ての悪であれ》と、そう望まれた人物だ。まあ、神霊でもなく、英雄でもない人間が聖杯戦争で生き残る事など出来ない。すぐに脱落したそうだ。そして、彼は無垢なる魔力の渦……、聖杯の中で本物になった」

「本物って、神になったって事!?」

「ああ、そうだ。聖杯が正常に起動した、最初で最後の事例だろう。結果として、聖杯の中は悪神の悪性で汚染され尽くした。そんなものを使えば、どんなに崇高な望みも、どんなに清らかな理想も、すべて災厄という形に歪められる。実際、前回の聖杯戦争で聖杯に触れた男はただ……、《この戦いを誰にも邪魔されたくない》と願っただけだそうだ」

「邪魔されたくない。……だから、邪魔者を殺し尽くしたって事?」

「そういう事だ」

「そういう事だって……、アンタ! それを知ってて、なんで教えないのよ!?」

「教える意味がない。あくまで、私が知っている世界の話だからな。聖杯の汚染は」

「でも実際に、十年前に大火災が起きてるのよ!?」

「それは、私も今知ったばかりだ。だが、それでも問題などあるまい」

「何を言って……」

「なぜなら、勝者は君だ。君ならば、汚染された聖杯など使うまい。他の誰が手に入れるよりも正しく対処してくれる。……むしろ、君以外などありえない。つまり、君が勝利すれば何も問題など無いという事だ」

「あ、あんたねぇ……」

 

 遠坂は頭を抱えてしまった。

 俺の方は頭の中を整理する事でいっぱいいっぱいだ。

 アンリ・マユだとか、生贄だとか、神霊だとか、新しい情報がポンポン飛び出してきて処理し切れない。

 

「……あのー」

 

 大河が口を開いた。

 その目はアーチャーに向いている。

 

「むっ、なんだね?」

 

 大河は椅子から立ち上がると、しゃがむように言った。

 律儀にしゃがむアーチャー。なんだか、イメージと合わない。いきなりしゃがめって言われたら、何故そのような事をしなければいけないのかとグチグチ文句を言ってきそうなタイプに見えた。

 大河がアーチャーの耳元でゴニョゴニョと何かを言っている。

 すると、急にアーチャーの顔が変化した。

 

「なっ、なんでその事を!? っていうか、この世界でもそこに隠してたのか!? っていうか、バレてたのか!? ……あっ」

「あっ、やっぱり士郎じゃん」

「え?」

「え?」

 

 俺と遠坂は顔を見合わせた。

 

「た、大河。今、なんて?」

「だから、士郎だよ。いやー、士郎っぽいなーってずっと思ってたんだけど、やっぱり士郎だったよ」

「……ど、どういう事だ?」

「ほら、眉毛の形とか、耳の形とか、あと自慢する時の仕草とかも士郎だよ」

「いやいやいやいや。だって、アーチャーだぞ? 英霊だぞ? なんで、俺なんだよ」

「えー、知らないよ。でも、士郎の隠してるエロ本の事を話したら反応したし、間違いないよ」

「ほあっ!? ちょっ、ちょっ、な、な、なに、何を言い出してるんだよ!?」

「だから、押入れの奥の板を外した向こうの――――」

「ストップ! ストップ! そこまで!」

「馬鹿な……。藤ねえにバレていたというのか……。ちょっと待ってくれ、結構ヤバイの隠してたのに……」

 

 アーチャーが頭を抱えだした。俺も抱えたいところだけど、その前に言い訳しないと……。

 

「あ、あれは、慎二が持ってきたものなんだ!!」

「えっ? 慎二くんが持ってきたのはその手前のダンボールの下の巨乳女子高生物でしょ? 明らかに桜ちゃん似の」

「なんで知ってるんだ!?」

 

 ああ、これが絶望か……。

 マジかよ、バレてたのかよ……。

 

「いやー、机の上に並べておこうかとも思ったんだけど、桜ちゃんが『そっとしておいてあげましょう』って言うからさー」

「ゴフッ」

「ガフッ」

 

 俺とアーチャーは倒れ伏した。

 戦闘不能だ。もう、どうにでもしてくれ。

 

「……ップ」

 

 遠坂に鼻で笑われた。



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第十八話『虎と魔女』

 アーチャーと衛宮くんが揃って灰になってる。

 あれだけニヒルを気取っておきながら、やっぱり藤村さんには敵わないようだ。

 

「……それにしても、アーチャーの正体に気付くなんて、さすがね」

「えへへー、それほどでもー」

 

 こういう素直な所が彼女の魅力なのだろう。私が知る限り、彼女を嫌っている人間はいない。

 底意地の悪い人間なら、むしろ嫌いそうなものなのに、そういう人物でさえ魅了する。

 

「本当に、相変わらずなのね」

 

 こうして、彼女と話すのは一年振りだ。

 

★もしも、藤ねえが同い年だったら 第十八話『虎と魔女』

 

 ――――一年前。

 

 わたしは窮地に陥っていた。

 体調不良だ。それもとびっきり最悪な症状。

 怪我とか病気なら、対応する魔術もあるのだけれど、これは眠気とか食欲のような生理現象の一つだ。下手に魔力で狂わせられないものだけに、薬に頼る事しか出来ない。

 だけど、その薬をもってしても、今回は中々にキツイ。

 

「……やばっ」

 

 遠坂家の家訓には、『どんな時でも余裕を持って優雅たれ』というものがある。 

 その教えに則り、わたしは完璧な自分を演じている。

 

「おはよ、遠坂」

「おはよう、美綴さん」

 

 声を掛けてきた綾子に一部の隙もない笑顔で返す。

 この程度の事で隙を見せる事など許されない。

 

「調子はどうだい?」

「絶好調よ。そっちは?」

「こっちも悪くないよ。それで、あっちはどうだい? いい加減、頼りになる相棒は見つかったの?」

 

 ああ、まずい。この話題は長くなる。

 だけど、退く事も出来ない。

 

「……ノーコメント。貴女の方こそ、どうなの?」

「遠坂が明かさないなら、こっちもノーコメント。なーんか、疲れた顔をしてるから脈ありかと思ったけど、外れ?」

「大外れ。ちょっと寝不足気味なだけよ。こっちはまだね。綾子は? もうすぐ二年生になるわけだし、時間は多いように見えて少ないわよ」

「そうなんだけど、こっちも雲行きが怪しいね。とりあえずって感じで決めるには、重すぎる問題だもの。この先の命運が掛かっている以上、妥協は許されないわけだし」

 

 初対面でいきなり『アンタとはきっと、殺す殺さないの関係までいきそうだ』などという言葉をかましてきた彼女と、わたしは一つの賭けを行っていた。

 それは、三年になる前にどっちが先に彼氏をつくるか、というもの。

 実に女子高生らしい話題ながら、それを口にしている二人の空気は、華やかさとは程遠い殺伐としたものだった。

 

「ところで、賭けを楽しむのも結構だけど、目的を見失わないように気をつけなさい」

「分かってる。遠坂より早く、遠坂が心底羨ましがるような関係にならないと完全勝利とは言えないからね。まあ、私達にとってはそこが一番の難題なんだけど……。どんなにいい男を捕まえても、好きになれなきゃ意味がない」

「ちょっと! わたし達って、一括りにしないでもらえる。生憎だけど、わたしはどっかの冷血漢とは違うの。男の子を好きになる事くらい、問題でもなんでも無いんだから」

「はい、ダウト。気付いてないだけなのかもしれないけど、遠坂が男を気にかける事なんて絶対にないね。今まで数え切れないくらい告白されて来た癖に、尽く一刀両断にしてきたじゃない。要するにアンタ、男に興味無いでしょ」

「発想が貧困ね、綾子。その場合、既に好きな男の子がいると推理するべきよ」

「わーお。いいね、それ! 浪漫溢れる美談だわ」

 

 バカにするわけでもなく真剣にうなずかれた。

 そうだったら素敵だね、と彼女はため息で語っている。

 

「……あー、はいはい。認めるわよ」

 

 結局、この女にハッタリなど無意味なのだ。

 

「わたし、こと恋愛に関しては丸っきりの素人みたい」

「まあ、私達は似た者同士って事だね」

「そうね……」

 

 苦笑いを浮かべていると、第三者が現れた。

 秘密の話はここまでね。

 

「あれ、遠坂さんだー! 綾子もやっほー!」

「おはよ、藤村」

「――――おはよう、藤村さん」

 

 ああ、まずい。

 綾子と話している内に悪化してきた。

 おまけに会いたくない人間と会ってしまって、取り繕う余裕が……。

 

「遠坂さん!」

 

 いきなり、藤村さんに手を掴まれた。

 

「なっ、なに!?」

 

 気がつくと抱き上げられていた。

 

「お、おい、藤村!?」

「ダメだよ、体調が悪いのに無理したら!」

「え?」

 

 まだ、大丈夫だった筈なのに、どうしてバレたんだろう。

 あれよあれよという間に保健室へ運び込まれてしまった。

 

 気がつけば、ベッドで眠っていた。前後の記憶が曖昧だけど、藤村さんに保健室へ運ばれた後、ベッドで休ませてもらったようだ。

 授業中にベッドで眠っているなんて、人生初の体験だけど、なんだか妙な気分。

 

「……藤村大河か」

 

 常人を遥かに凌駕した親しみと気楽さを兼ね揃えた少女。

 天真爛漫とか、純真無垢という言葉が似合う彼女だけど、その実、剣道は段持ちで、《冬木の虎》などという物騒な通り名まで持っている。

 わたしにとって、彼女は綾子以上に複雑怪奇。虎という、慕われるよりも恐れられるべき二つ名を持ちながら、誰からも好かれる所や、剣道の達人なのに弓道部に所属している所など、彼女はどこまでも破天荒だ。

 

「やっぱり、苦手だな」

 

 わたしとは生きる世界があまりにも違いすぎる。おまけに、彼女は……。

 

「――――はぁ」

 

 訂正しよう。苦手な事も確かだけど、わたしは彼女が嫌いだ。

 理由は実に理不尽で、彼女に非は一切無い。だから、余計に彼女が疎ましい。

 

「嫉妬とか、バカみたい」

 

 彼女は、わたしにとって一番大事な存在から笑顔を引き出す事が出来る。

 自業自得の極みなのに、それが堪らなく悔しい。

 

「遠坂さん!」

 

 ガラガラと大きな音を立てて保健室の扉が開く。

 飛び込んできた少女にわたしはゲンナリした。

 

「体調はどう!? 大丈夫!?」

「えっ、ええ、大丈夫ですよ」

 

 常に猫を被っているわたしと違って、彼女は常に剥き出しだ。

 だから、心の底から心配してくれている事が分かる。

 ……やり難い相手だ。剣には剣で応じてくる蒔寺さんや綾子のようなタイプとは、似ているようで全然違う。

 まるで、剣ごと包み込んでくる羽毛布団みたい。

 

「迷惑を掛けてしまったみたいで、ごめんなさい」

「え? どうして謝るの?」

 

 不可解そうな顔をされた。

 

「無理をするのはよくないけど、遠坂さんは謝る事なんて一つもないよ。それに、遠坂さんも謝る気なんて無いでしょ?」

 

 ギクッとした。その通りだけど、謝る気が無いと明確に言葉にされると居心地が悪くなる。

 

「べ、別に謝る気がないわけじゃ……」

「遠坂さんにも事情があるんだろうけど、そうやって取り繕う為に無理をするのはよくないよ」

「……どういう意味かしら?」

「休むべき時は休まないとダメ! 辛い時に辛い事を隠すのもダメ! 誰かを頼りたくないなら、尚更だよ!」

「それ、お説教?」

「そうだよ!」

「そ、そう……」

 

 彼女の厄介なところは嫌味が通じないところだ。

 

「分かったわ。無理はしない。今日も、しばらく横になってから帰る。明日も無理なら休む。それでいい?」

「うん!」

 

 笑顔が眩しい。もう、さっさと寝てしまおう。

 

 そして、再び瞼を開いた時、彼女はそこにいた。

 

「……なんで、まだいるの?」

「Zzz…」

 

 眠っている。実に安らかな寝顔だ。

 

「ちょっと、藤村さん」

 

 肩を揺すると、ピクリと眉が動いた。

 そして、猛獣の雄叫びが保険室内に響き渡った。

 思わず意識が飛びそうになったけれど、なんとか踏みとどまる。

 

「ぅぅ、まだ眠いのに……。あっ、遠坂さん! おはよー!」

 

 この切替の早さは何なのよ……。

 

「お、おはよう、藤村さん。えっと、どうしてまだいるのかしら?」

「え? 遠坂さんを送ろうと思って」

「はぁ? 家の方角が全然違うじゃない。それに、二度も眠ったから体調は万全よ」

「ダメだよ! さっきも言ったでしょ! 無理はダメって!」

「いや、だから大丈夫なんだって……」

「ダメ! 送っていく!」

「わっ、分かったわよ……」

 

 押し切られてしまった。

 帰路を歩いているとふらつきそうになった。だけど、またギャーギャー言われても嫌だから平静を装ったけど、藤村さんに腕を引っ張られて近くの公園のベンチに座らされた。

 

「はい、お水」

「……ありがとう」

 

 説教は飛んでこなかった。隣に座って、何も言わない。

 考えが読みやすいようで、全く読めない。

 そもそも、わたしは彼女の事を殆ど知らないのだ。ボーイフレンドがいる事や、広域指定暴力団藤村組の跡取り娘である事や、冬木の虎としてみんなから慕われている事くらいで……、普通はここまで知ってれば十分な気もするのだけど。

 

「……ねぇ、藤村さん」

「なに?」

「どうして、わたしに構うの? わたしがその……、あんまり……」

「うん。わたしの事が嫌いなんだよね? 桜ちゃんと仲がいいから」

「……どうして」

「桜ちゃんから聞いてるの。遠坂さんが本当のお姉さんだって事」

「えっ……」

 

 予想外の言葉で、思考が止まってしまった。

 

「詳しい事情は知らないよ。桜ちゃんに『どうしても話せない』って言われてるの」

「……わたしの事、なにか言ってた?」

「昔はすごく嫌いだったって言ってたよ」

 

 当たり前の事なのに、息が出来なくなった。

 十年前、桜が間桐の養子になる事が決まった時、わたしは何も言わなかった。

 それが父の決定なら、仕方がないと……。

 

「でも、今は分からないって言ってた」

「……分からない?」

「うん。いろいろなものが見えるようになって、いろいろな事を感じるようになって、いろいろな考えが浮かぶようになって、それで、分からなくなったんだって」

「そう……」

 

 落ち込むわたしとは対称的に、藤村さんはやけに嬉しそうだ。

 

「な、なによ……」

「安心した。遠坂さん、桜ちゃんの事が好きなのね」

「え? そ、それは……」

「遠坂さん」

 

 いつも、子供みたいに振る舞っているのに、藤村さんの顔がなんだかやけに大人びて見えた。

 

「他人を偽るのはいいけど、自分を偽っちゃダメだよ」

「何を言って……」

「好きなのに、そうじゃないとか、そんな資格が無いとか考えるのはダメ」

「……だって、資格なんて無いもの」

 

 姉である資格を放棄した時点で、わたしは桜を想う資格も失っている。

 

「資格なんて、本当に必要だと思ってるの?」

 

 藤村さんは険しい表情を浮かべた。

 なんでだろう。いつものわたしなら、煙に巻く事くらい簡単なのに、今は言葉が見つからない。

 

「……帰るわ」

 

 立ち上がると、藤村さんも当然のように立ち上がってついて来た。

 

「来ないで……」

「ヤダ」

 

 ダメじゃなくて、ヤダときた。

 

「来ないで!」

「ヤダ!」

「ついて来るな!」

「い・や・だ!」

 

 言い争いをしながら、結局藤村さんはわたしの家の前までついて来た。

 

「……分かったわよ」

 

 このままだと負けた気がするから、家に入る前にわたしは彼女に言った。

 

「認めるわ。わたしは桜が大切よ。そして、貴女が……、苦手」

「……うん」

 

 苦手って言われて、嬉しそうな顔をしないでほしい。

 

「今後は無理もしない。自分も偽らない。それでいい?」

「うん!」

 

 負けた……というか、完全敗北だ。

 結局、わたしは彼女の要求をすべて受け入れる事になってしまった。

 

 ◆

 

 今でも、彼女の事は苦手だ。

 

「ごめんなさい、藤村さん。あの時は、途中で退いてしまって」

「謝る必要なんて無いよって言いたいけど、遠坂さんは謝りたいんだね」

「ええ、謝りたいの。だって、衛宮くんに貴女を見捨てさせたんだもの。あの判断が間違っていたとも思っていないけど、正しくも無かったわ」

「……じゃあ、許してあげる」

「ありがとう」

 

 さて、そろそろ衛宮ブラザーズを起こすとしよう。

 

「ほら、起きなさい。エロ本の隠し場所くらいでみっともないわよ」

「ウグッ」

「グホッ」

 

 しまった。トドメを刺してしまったようだ。

 

「……うーん。これはしばらく放置しておくしかないか」

「だねー」

 

 一番の戦犯は悪びれもせずにニコヤカだ。

 

「……紅茶を淹れ直すわ。美味しいクッキーもあるの。食べるでしょ?」

「食べる!」

「すぐに用意するわ」

 

 あの出来事以来、桜と話す機会が出来るようになった。きっと、藤村さんが桜に何か言ったのだろう。未だにギコチないけれど、それなりの関係になっている。

 

「……衛宮くん」

 

 クッキーをつまみながら、灰に向かって声を掛ける。

 

「大方、同盟の提案もしに来たんでしょ。いいわよ、乗ってあげる」

「いいのか!?」

 

 灰から人間に戻った衛宮くんが目を丸くしている。

 わたしが渋ると思っていたのだろう。

 

「もちろんよ。サーヴァントに過去の自分や家族を殺させる程、わたしも鬼じゃないもの。それに……、ううん。とりあえず、これからは仲間って事でよろしく」

 

 慎二が危険を承知でわたしの下に衛宮くんだけじゃなくて藤村さんまで送り込んだ理由は、彼女がわたしに対する切り札(ジョーカー)になる事が分かっていたからだろう。

 

「あっ、ありがとう、遠坂!」

「ありがとう、遠坂さん!」

 

 とりあえず、慎二には桜似のエロ本についてジックリ話を聞かせてもらおう。

 

「アーチャーも、それでいいわね?」

「あ、ああ。君が決めた事なら是非もない。私は従うだけだ」

 

 カッコイイ事を言っても、さっきの醜態は忘れてあげない。

 

「……ところで、アンタの隠してたエロ本の内容って、どんなのだったの?」

「聞かないでくれ!!」

 

 泣きそうな顔が、結構可愛い。

 悪い趣味を覚えてしまいそうだ。



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第十九話『家族』

「どうすんだ?」

「なにが?」

「いや……、これで三対二だぜ?」

「あら、手を貸す気になったの?」

「…………」

 

 ランサーのサーヴァントは、魔女が覗いている水晶から目を逸らした。

 裏切りを強制された事は気に食わない。けれど、セイバーとライダーの陣営にアーチャーが加わって尚も危機感を感じさせないキャスターの態度が妙に引っかかる。

 

「あの坊主がセイバーを召喚した時は、見てて面白いくらい狼狽してたじゃねーか」

「お黙り。少し驚いただけよ」

 

 あの時、衛宮士郎にサーヴァントを与える選択は紛れもなく最善だった。

 おかげで最大の障壁であるバーサーカーを排除する事が出来た。

 

「心配無用よ。勝算は十分にあるもの」

 

 水晶には、一人の少女が映っていた。

 

「ただの共闘関係なら厄介だけど、彼らは情で結びついている。だからこそ、致命的な弱点が生まれるのよ」

「……ッチ」

 

 不機嫌そうに舌を打つランサー。

 

「生憎、私は貴方達と違うの。勝つためなら、どんな手段も厭わないわ」

 

 そう言い残して、キャスターは水晶を仕舞い、どこかへ消えた。

 

「性悪を気取りやがって……ったく、面倒くせー女」

 

 ランサーは部屋を出て、山門に向かう。

 以前、そこにはアサシンのサーヴァントがいた。

 

「……はぁぁぁ」

 

 深い溜息を零す。

 彼にとって、主を裏切るのは二回目だ。いずれも彼の意志ではなく、姑息な罠によるもの。

 別に、二人目のマスターを気に入っていたわけではない。むしろ、いずれはツケを精算させる腹づもりだった。だが、裏切りは裏切りだ。

 英雄の中の英雄と謳われた彼にとって、キャスターの行為は腹に据えかねるものだった。

 その怒りは未だに腹の中を渦巻いている。だが、彼は山門から動こうとしない。

 命じられたわけでもない。そもそも、魔女は彼に何も命令を下していない。令呪が一画しか残っていない事が理由だろう。

 それでも、彼は山門を守る。

 

★もしも、藤ねえが同い年だったら 第十九話『家族』

 

 衛宮邸を前にして、遠坂凛は息を呑んだ。

 

「どうした?」

 

 玄関前で立ち尽くしている彼女に、士郎は首を傾げた。

 

「ほらほら! はやく入ろうよ!」

「うわっ、押さないでよ!」

 

 大河に背中を押され、凛は屋敷の中に入った。

 すると、そこには家主を出迎えに来たのだろう、間桐桜が立っていた。

 

「あっ……、桜」

「……こんにちは、遠坂先輩」

 

 他人行儀な笑顔を浮かべる桜に一抹の寂しさを感じながら、凛も余所行きの顔を作った。

 

「こんにちは、間桐さん。上がっても構わないかしら?」

「はい、もちろんです。先輩達も、お帰りなさい」

「ああ、ただいま」

「ただいまー!」

 

 羨ましい。凛は素直に思った。桜に対して、当たり前のようにただいまと言える関係が、とてもまぶしく見えた。

 

「すごい荷物ですね」

 

 桜が凛の大きな手荷物を見て言った。

 

「しばらく、ここで厄介になるわけだからね。着替え以外にもいろいろと必要になるのよ」

「そうなんですか」

 

 

 折角の会話が終わってしまった。

 何か話題が無いか考えている内に、凛は居間にたどり着いた。

 

「やあ、遠坂」

「こんにちは、間桐くん」

 

 凛は慎二に冷ややかな視線を送った。

 

「計画通りに事が運んで満足って感じ?」

「ああ、大満足だ。もっとも、ここからが問題なんだけどね」

 

 そう言うと、慎二は士郎と大河に言った。

 

「悪いけど、少し外してもらえるか? セイバーが道場にいるから、報告をして来てくれ」

「……いいけど、俺達がいると何かまずいのか?」

「ちょっと込み入った話をするんだよ」

 

 士郎は少し渋ったが、その背中を大河が押した。

 

「ほらほら、セイバーちゃんが待ってるよ!」

「おっ、おい、大河!?」

「じゃあ、頑張ってね」

 

 訳知り顔で慎二にウインクを飛ばす大河。

 

「おい、何か知ってるのか?」

「後で分かるから、とにかく行こうよ!」

「なんだよ、それ!」

「いいからいいから!」

 

 士郎と大河の声が遠ざかっていくのを確認して、慎二は遠坂に座るよう合図した。

 

「……家主を部屋から追い出すなんて、随分な態度ね」

「遠坂」

 

 いきなり、慎二は頭を下げた。

 

「……は? えっ、何をしてるの?」

「頼みがある」

「頼みって……、同盟なら承諾したわよ? だから、ここにいるわけだし」

「同盟の話じゃないんだ。これは……、本当なら聖杯戦争の後に頼む筈だった」

 

 凛は困惑した。互いにサーヴァントを召喚している以上、本来は殺し合う関係だ。それなのに、聖杯戦争の後に頼む事があるなんて、妙な話だ。

 

「遠坂。桜をお前の下に返したい」

「えっ!?」

「に、兄さん!?」

 

 桜にとっても寝耳に水だったようだ。

 凛以上に狼狽した様子で慎二に詰め寄った。

 

「どういう事ですか!? なんで、そんな話に!?」

「桜。僕は……」

「兄さん!」

 

 桜は声を震わせた。

 

「兄さんまで、わたしのこと……」

「そうじゃない! 勘違いするな!」

 

 桜の言葉を遮って、慎二は言った。

 

「ああ、先に断言してやるよ。僕はお前が世界で一番大切なんだ。だからこそ、お前を遠坂に返さなきゃいけないんだ」

「兄さん……?」

 

 キョトンとした表情を浮かべる桜から目を逸らし、慎二は凛に向き直った。

 

「……僕は魔術師じゃない」

 

 慎二は言った。

 

「だから、桜に魔術を教えてやる事が出来ないんだ」

「わ、わたしは魔術なんて!」

「桜。どうして、お前の親父がお前を間桐の養子にしたか分かるか?」

「分かりません!!」

 

 桜は声を荒げた。

 それは、どこか悲鳴のようだった。

 

「あ、あの人が何を考えていたかなんて、そんなの全然!!」

「……桜の為だったんだよ」

 

 慎二は苦悩の表情を浮かべて言った。

 

「えっ……」

 

 理解できない。桜の顔には、そう書いてあった。

 

「いいか、よく聞くんだ。桜の魔術属性は極めて希少なもので、魔術的な価値が非常に高いんだ。だから……」

「だから……、なんですか?」

 

 押し殺した声で桜が問いかける。

 

「……魔術師の家系は一子相伝だ。だから、その……、遠坂時臣は二人の娘の内の一人にしか魔術を教える事が出来なかった。だけど、二人が揃って希少な魔術属性を持っていたから、片方を放逐する事も出来なかった。下手をすれば、(よこしま)な魔術師がお前を……」

「邪って、なんですか? じゃあ、お祖父様は邪じゃないって言うんですか?」

「……そうは言わない。僕が言いたいのは、お前には後ろ盾が必要だって事なんだ。それに、身を守る術も……」

 

 桜は立ち上がった。涙を零しながら、慎二を睨みつけた。

 

「さ、桜……」

 

 桜は部屋を飛び出していった。

 

「……ライダー。頼む」

「かしこまりました」

 

 一瞬現れたライダーは、慎二の言葉に頷くと、再び姿を消した。

 

「……間桐は、桜に何をしたの?」

 

 凛は感情を殺した声で問い掛けた。

 

「最悪な事だよ。マジで……、クソみたいな事をしたんだ」

 

 慎二は唇を血が出る程噛み締めた。

 

「……アイツの髪の毛、昔は黒かったろ?」

「ええ……」

「臓硯は、アイツを間桐の属性に染め上げたんだ」

 

 慎二は語った。

 間桐が桜にして来た事を余すこと無く全て。

 凛は最後まで何も言わなかった。

 いろいろな事を思ったけれど、それでも、何も言う事が出来なかった。

 慎二の顔に浮かぶものは、苦悩を通り越していた。

 まるで、体に火を付けられたような、それほど壮絶な表情だった。

 

「……以上だ。ああ、分かってるよ。殺したいだろ? こっちから頼みたいくらいだ」

 

 バーサーカーとの戦いのとき、凛はアーチャーを引き上げさせた後も使い魔を通して戦場を見ていた。

 その時、彼が口にした言葉を思い出した。

 

 ――――……もう、臓硯からは解放されたんだ。僕がいなくても問題ない。最悪、遠坂が面倒を見るさ。

 

 妙だとは思っていた。

 あの時の彼は、まるで何かから解放されたようだった。

 

「慎二。アンタ……」

「頼むよ、遠坂。アイツには……、桜には僕じゃなくて、お前が必要なんだ」

 

 慎二は机に頭を擦り付けて言った。

 

「頼むよ……」

 

 慎二の声は震えていた。

 ずっと溜め込んでいたものを吐き出して、タガが外れてしまったのだろう。

 

「……慎二。それでも、あの子はアンタの事が好きなんでしょ」

「僕しかいなかったからだ。でも、今は違う」

「冗談じゃないわよ」

 

 凛は言った。

 

「アンタを殺したら、わたしはあの子から一生恨まれるわ。そんなの……、イヤよ」

「……だったら、自分でカタをつけるよ。元々、そうするつもりだったんだ。ライダーがあんな提案をしなきゃ……」

「慎二」

 

 凛は机を叩いた。

 

「アンタの自殺を止める気なんて無いけど、桜を悲しませたら……、許さない」

「……元から許してもらえるなんて思ってない」

「なら、桜は引き取らないわよ」

「っは、口だけだろ。お前、桜の事が大事で仕方ない筈だ。だから、弓道部にちょくちょく来てるんだろ。知ってるんだ。だから、この提案をしてるんだよ」

「どうしても考えを改める気は無いって事?」

「……ああ」

 

 凛は鼻を鳴らした。

 

「慎二。わたし、アンタの事が嫌いだわ」

「ああ、だろうね」

「だから、謝らないから」

「は?」

 

 凛は立ち上がると、襖を開いた。

 

「……は?」

 

 慎二は口をポカンと開けた。

 そこには桜がいた。

 

「兄さん……」

「ちょっと待てよ。いつから……」

「アーチャーに連れ戻させたのよ。アンタがバカなことを言い出しそうだったから」

「おっ、お前!」

「兄さん!!」

 

 桜は慎二を叩いた。

 あまりの事に、彼は放心状態になった。

 これまで、彼女が彼に反抗した事など滅多に無く、手を上げた事など初めてだった。

 

「さ、さくら……」

 

 また、桜は慎二を叩いた。

 

「ちょっ、さくら?」

 

 また、桜は慎二を叩いた。

 

「お、おい?」

 

 また、桜は慎二を叩いた。

 

「あの、痛いんだけど……」

 

 また、桜は慎二を叩いた。

 

「いや、本当に痛いんだけど」

 

 また、桜は慎二を叩いた。

 

「おい、やめろ! 冗談じゃなく痛いぞ!」

 

 桜はマウントポジションを取った。

 

「えっ?」

 

 桜は慎二を殴った。何度も何度も何度も何度も涙を流しながら殴り続けた。

 

「……兄さん」

「は、はひ!」

 

 慎二は恐怖に身が竦んだ。

 

「次、またバカな事を言ったら許さないから」

「ぼ、僕は……」

「兄さん」

 

 桜は慎二を睨みつけた。

 

「次は藤ねえと一緒に殴ります」

「藤ねえって……、藤村の事か?」

「はい」

 

 そんな風に呼んでいる所を見たことがないが、慎二の脳裏に士郎と山へ逃げ込んだ時の事が蘇った。

 ガタガタ震える慎二に桜は言った。

 

「兄さん。もう二度とバカな事は言わないって誓えますね?」

「……は、はい」

 

 それで用は済んだとばかりに桜は慎二の上から退き、凛に向き直った。

 ビクッと震える凛。

 

「姉さん」

「ほあ!? えっ、なにかしら?」

 

 いきなり昔の呼び方で声を掛けられて凛は戸惑った。

 

「わたしに魔術を教えてください」

 

 そう言って、桜は頭をさげた。

 

「……桜」

「わたし、兄さんに頼り過ぎてました。こんなに追い詰めていたなんて……」

 

 悔やむように桜は唇を噛み締めた。

 

「お願いします」

 

 凛は真っ白になっている慎二と桜を交互に見た。

 

「……ええ、いいわよ。ただし、厳しくするわよ?」

「姉さん……、はい! お願いします!」

「ただし、わたしの事は先生と呼ぶように」

「え? 先生……?」

「ええ、師匠でもいいわよ?」

「えっと……じゃあ、師匠で」

「よろしくね、桜」

「はい、師匠!」

 

 凛は思った。

 桜にとって、家族とは慎二を指す言葉なのだと。そして、姉とは藤村大河を指す言葉なのだと。

 正直言えば、寂しい。それに悔しい。

 だけど、いつか心から姉さんと呼んでもらえるように頑張ろうと思った。そうじゃなきゃ、慎二と大河に失礼だと思ったし、やっぱり桜の姉でありたかった。

 

『……やれやれ、素直じゃないな』

『うっさい』



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第二十話『望郷』

 その地は、常に白で覆われていた。空は青を忘れ、木々は緑を知らない。

 聖杯を探求する一族(アインツベルン)が、この不毛の地に根を張ってから千年の時が過ぎた。

 春を迎える事なく、永遠の冬の中に閉じこもり、聖杯を求め続けた彼らは、やがて聖杯を錬鉄するに至った。

 もっとも、作れたのは器のみ。その内には、宿るべき神秘もなく、がらんどうのまま。

 彼らは苦悩し、やがて恥辱に耐えながら外部に協力者を得る。その中身を満たす為の儀式には、必要な事だった。

 けれど、それは成功であると同時に、失敗でもあった。

 聖杯を成立させる方法は確立できた。だが、同時に多くの敵を生み出した。

 所有者であった筈の彼らは、他の凡俗と同等の提供者に成り下がった。

 彼らは一層の執念を燃やした。

 一度目は、そもそも想定の範疇に無かった。

 二度目にして、ルールの綻びを見つける。

 そして、三度目に喚び出してはならないものを喚んだ。

 ゾロアスター教の悪神。この世全ての悪(アンリ・マユ)と呼ばれる存在を彼らは選んだ。

 ところが、召喚されたサーヴァントはひ弱な人間だった。人里から隔絶された村の因習で《この世全ての悪であれ》と望まれ、生贄にされた者。神の力など一欠片も持たないソレは、四日で脱落し、その魂は聖杯を満たす為のエネルギーとして器に回収された。

 本来ならば、それで終わる筈だった。けれど、終わらなかった。

 ソレは、自己の願望など抱いていなかった。だが、ソレには、他者の欲望が絡みついていた。

 《この世全ての悪であれ》という、歪んだ欲望が聖杯の中で渦を巻き、ソレは受け入れた。

 

 ――――ああ。お前達が悪である事を望むのなら、わたしは悪になろう。

 

 そして、偽物は本物に変わった。

 聖杯は、願望器から悪神が産み出る為の胎盤に変貌し、純粋無垢だった魔力は悪意と災厄の塊に変容した。

 

 その事を、アインツベルンは知っていた。それでも、彼らは聖杯を求め続けている。 

 四度目の時は、待望していた最強のカードと、その繰り手を用意する事が出来て、今度こそ勝てると確信した。

 だが、結果は散々たるものだった。彼らが選びだしたマスターとサーヴァントは土壇場で彼らを裏切った。娘を冬の城に残したまま、彼は聖杯を破壊した。

 

★もしも、藤ねえが同い年だったら 第二十話『望郷』

 

 衛宮士郎によってセイバーが召喚される二ヶ月前、アインツベルンはあらゆるルールを破り、事前にバーサーカーを召喚した。

 それからの日々は、イリヤスフィールにとって地獄だった。

 聖杯が起動する前に召喚されたバーサーカーを、彼女は自身の魔力と令呪だけで繋ぎ止めなければならなくて、聖杯のバックアップを受ける事が出来ない状態では、如何に特別な存在である彼女でも負担は計り知れないものだった。

 バーサーカーが僅かに動くだけでも彼女は悲鳴を上げる。命そのものを引き裂かれる苦痛を味わい続けた。

 

 それでも、彼らは彼女に休む暇を与えなかった。

 維持するだけで満身創痍な彼女を飢えた獣の群に置き去りにした。

 悪霊や亡者の棲家に放り出した。

 失敗作の亡骸が浮かぶ廃棄場に投げ込んだ。

 助かるためには命を削り、バーサーカーに頼る他ない状況に、彼女を置き続けた。

 

 彼女は迫りくる死を払う為に死に続けた。

 弱音を吐く事を嫌い、彼女はバーサーカーに罵倒を浴びせる。醜いと蔑み、その存在を呪い続けた。

 ひたすら彼を憎み、怒りをぶつける。

 やがて、聖杯が起動し始めた事で彼女を襲う死が和らぐと、彼女は彼から理性を剥奪した。そして、物言わぬ狂戦士として扱った。

 己は一人で生きていける。頼りになる仲間も、親愛なる友人も必要ない。そう、胸を張った。

 

「バーサーカー……」

 

 本当の意味で一人になった時、彼女は否応にも自らの弱さに気付かされた。

 何も与えてもらえず、何も手に入れられない己の立場から目を逸らすための虚勢でしかなかった。

 

「……寂しい」

 

 ここに、彼女の居場所はなかった。

 勇気を振り絞って、歩み寄ってみたけれど、拒絶された。

 

 ――――は、離れてくれ!

 

 バーサーカーは、一度も彼女を突き放そうとしなかった。

 彼の存在の大きさを理解して、彼女は慄いた。

 彼は大海の中にぽつんと浮かぶ島だった。彼女が当たり前のように過ごしていた小島には、彼女の望むものが揃っていた。

 だけど、その小島は沈んでしまった。

 

「……イヤ」

 

 息が苦しくなる。

 当たり前だ。唯一の陸地を失った彼女は、もがき続けなければ沈んでいくばかり。

 

「イヤだ!」

 

 イリヤスフィールは逃げ出した。セイバーとライダーの監視の目も、今は遠坂邸に向いていて、彼女の行動を見咎める者はいなかった。

 街の中をあてもなく走り続ける。

 助けを求めても、誰も彼女の心は分からない。声を掛けてくる者に、彼女を救える者はいなかった。

 

「どこ……。バーサーカー、どこにいるの!?」

 

 守ってほしい。

 そばにいてほしい。

 イリヤスフィールは泣きじゃくった。

 

「……そんなところで泣いていたら、風邪をひくわよ」

 

 まるで、繊細なガラス細工に触れるように、誰かが彼女の頭を撫でた。

 イリヤスフィールが顔を上げると、そこにはローブを纏った魔女がいた。

 

「きゃ、キャスター……」

「怯えなくていいわ。別に、貴女に何かする気はないの。……ほら、涙を拭きなさい」

 

 そう言って、彼女はイリヤスフィールにハンカチを押し付けてきた。

 

「……う、うん」

 

 言われた通りに涙を拭う。

 

「……もう、お家に帰りなさい。一人で出歩いたら、危ないわよ」

「なんで……」

 

 イリヤスフィールは困惑した。

 キャスターが現れた理由は、一人になったところを攫う為だと思った。

 

「……はやく帰りなさい」

 

 そう言うと、キャスターは姿を消した。

 

「まっ、待って!」

 

 思わず手を伸ばして、その勢いで転んでしまった。

 膝を擦りむいて、また涙が出て来る。

 

「……なにしてるのよ」

 

 すると、消えた筈のキャスターが再び現れた。

 擦りむいた膝に手を当てる。

 

「ほら、これで大丈夫でしょ」

 

 キャスターが手をどけると、傷は跡形もなくなっていた。

 

「ついでよ……」

 

 そう言って、彼女はイリヤスフィールの胸をつついた。

 すると、体が急に軽くなった。

 

「なっ、なにを……」

「負担を軽くしたわ。一応、これで多少圧迫されても問題ない筈よ」

 

 そう言うと、キャスターは立ち上がった。

 

「待って!」

 

 イリヤスフィールはキャスターのローブを掴んだ。

 

「……何の真似?」

「連れてって」

 

 キャスターは見上げてくるイリヤスフィールの顔をしばらく見つめた後、深く息を吐いた。 

 

「……好きになさい」

 

 キャスターはローブから私服姿に変わった。

 

「こっちよ」

「歩いて行くの?」

「文句を言うなら置いていくわよ?」

「い、行く!」



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第二十一話『疾走』

 道場に向かうと、そこには誰もいなかった。

 

「あれ? ここにセイバーがいるって言ってたのに」

 

 大河と顔を見合わせると、入り口からセイバーが入って来た。

 

「シロウ!」

 

 どうやら、かなり慌てている様子だ。

 

「セイバー、ただいま。どうかしたのか?」

「それが、イリヤスフィールがいなくなってしまったのです」

「えっ、イリヤちゃんが!?」

「おっ、おい、大河!」

 

 止める間もなく、大河は血相を変えて飛び出していった。

 

「……ったく。それで、セイバー。イリヤは本当にいないのか?」

「ええ……。申し訳ありません。遠坂邸を見張るために目を離した隙に出ていってしまったようで……。彼女には令呪が残っています。それに……」

「それに?」

「……いえ、なんでもありません。それよりも、早急に探したほうがいい。まだ、聖杯戦争は終わっていませんから」

「そっ、そうだな。よし、探しに行こう」

 

 頷くセイバーと共に道場を出る。玄関に向かうと、そこには大河とアーチャーがいた。

 

「アチャ士郎! イリヤちゃんがいなくなっちゃったの!」

「アチャ士郎はやめろ! って、イリヤが……?」

 

 そうだ。アーチャーにも協力してもらおう。

 

「悪い、未来の俺。イリヤを探すの、手伝ってくれないか!?」

「未来の俺と呼ぶのもやめろ! アーチャーでいい。とりあえず、マスターに確認するから待て」

 

 その直後、玄関が勢い良く開いた。

 

「桜!?」

「桜ちゃん!?」

 

 玄関から桜が飛び出していった。俺達に気づかなかったようで、そのまま走り去っていく。

 

「桜ちゃん……、泣いてた」

「……むぅ。どうやら、面倒な事になっているようだ」

「面倒な事?」

「とりあえず、私は桜を追いかける。そっちが解決したら、イリヤの捜索に加わるから、それまではお前たちで探してくれ」

「待ってよ! 桜ちゃんに何があったの!?」

 

 大河が詰め寄ると、アーチャーは困った表情を浮かべた。

 

「家族の事で少しな。……いろいろと事情が複雑なんだ。桜の方は私に任せろ」

「……士郎。任せるからね?」

「うっ……。ああ、任せてくれ」

 

 そう言うと、アーチャーは逃げるように桜を追いかけていった。 

 

「なるほど……。信じがたい気持ちでしたが、彼がシロウだという事は事実のようですね」

「……どこらへんを見てそう思ったんだ?」

「さあ、どこだと思いますか?」

 

 意地悪な笑みを浮かべるセイバー。

 

「……イリヤを探しに行くぞ」

「はい、マスター」

「ほらほら、二人共! 急いで!」

 

 既に玄関の外に出ている大河が手を振っている。

 

「ああ、今行くよ!」

 

★もしも、藤ねえが同い年だったら 第二十一話『疾走』

 

 イリヤを探し始めて数時間。そろそろ日が暮れる時間だ。

 

「……ダメだ。どこにもいない」

 

 幼い子供の足で行ける場所など限られている。そう楽観していた。

 けれど、何処を探しても見つからない。

 

「士郎! 山本がそれらしい子を見たって!」

 

 大河は買い物帰りだったらしい藤村組の若衆を連れて来た。

 

「本当ですか!?」

「お、おう。……坊主。大河ちゃんと桜ちゃんだけじゃ飽き足らず、外人さんにまで手を出したんかい?」

 

 山本はセイバーを見ながら戦慄の表情を浮かべた。

 

「ちっ、違う! っていうか、大河と桜にも手なんて出してない! それより、情報!」

「……うーむ。切嗣の旦那もモテまくったからな。こいつはオジキにも……」

「山本!!」

 

 大河がガオーと吠えるとようやく山本は情報を吐いた。

 話によると、イリヤは見たこともないような美女と並んで円蔵山に向かったらしい。

 

「円蔵山……。柳洞寺かな? でも、見たこともない美女って……」

「まさか……、サーヴァントか!?」

「どうやら、そのまさかのようです……」

 

 セイバーは円蔵山の方角を見て言った。

 

「ライダーが言っていました。あの山には、魔女が根を張っていると……」

「魔女って……」

「おそらく、キャスターのサーヴァントです」

 

 キャスター。未だに姿を現さない正体不明のサーヴァント。

 

「そいつがイリヤを攫ったって事か……」

「おそらく……」

「なら、助けに行かないと!」

 

 大河の言葉にセイバーは首を横に振った。

 

「……魔女の根城に踏み込むなら、戦力は万全に整えたほうがいい。一度、衛宮邸に戻りましょう」

「でも!」

「タイガ。貴女の気持ちもわかります。ですが、今の状態で挑めば、キャスターは確実にイリヤスフィールを人質にとる。アーチャーとライダーなら、魔女の搦め手も封殺出来る可能性があります。ここは抑えて下さい」

「ダメだよ!」

 

 大河は言った。

 

「イリヤちゃんは寂しがってたの! きっと、飛び出していったのもそれが原因だよ!」

「寂しがっていたって、イリヤが……?」

 

 いきなり抱きついてきたり、妙な行動が多かったけれど、そんな風には見えなかった。

 

「士郎。イリヤちゃんはバーサーカーを失ったばかりなんだよ!? 寂しくて当然だよ! ぅぅ、帰ってから話そうとか悠長な事考えてたから……」

「バーサーカーを失ったばかり……」

 

 そうだ。俺達にとっては恐ろしい怪物だったけれど、イリヤスフィールにとってはライダーやセイバーのような存在だった筈だ。

 そのバーサーカーを失って、平気な筈がない。

 

「……なんで、気づいてやれなかったんだ」

 

 抱きついてきた時、俺はわけが分からなくて突き放してしまった。

 寂しいから、慰めて欲しかったのだとしたら……。

 

「何やってんだよ、俺は!」

 

 俺は円蔵山に向かって走り始めた。隣を見れば、大河も走っていた。

 

「ふっ、二人共、待って下さい! 気持ちはわかりますが、一度体勢を整えるべきです!」

「ダメなの! 今すぐ助けに行かなきゃ、イリヤちゃんはまた(・・)捨てられたって思っちゃう! それだけはダメなの!」

「しかし!」

「もう、あの子を傷つけちゃダメなんだよ!!」

 

 二人を止めようと手を伸ばしたセイバーに、誰かが近づいた。

 

「言っても無駄だ、セイバー」

「アーチャー!?」

 

 気付けば、アーチャーが並走していた。

 

「大まかな事情はマスターに通してある。拠点の防衛はライダーに任せ、我々はこのままキャスターを討つ。まったくの偶然だが、この陣形が最善だ」

「……わかりました。ならば、私が先行します!」

 

 セイバーは俺達の前に躍り出た。

 

「小僧。これを持っておけ」

 

 そう言うと、アーチャーは俺に白と黒の短剣を押し付けてきた。

 

「真髄は見せた。後は貴様次第だが、何が何でも彼女を守れ」

 

 そう言うと、アーチャーは突然離れていった。

 

「おっ、おい、アーチャー!」

「士郎。おそらく、アーチャーは遊撃の為に距離を取ったのだと思います。それよりも、決してタイガから離れないで下さい!

「わっ、分かった!」

 

 セイバーはサーヴァントだし、俺は魔術で肉体を強化している。それなのに、大河は遅れる事なくついて来ている。

 蒔寺とのいつもの競争の時よりも速い。それだけ、彼女は必死になっている。

 覚悟を決めろ、衛宮士郎。たしかに、一度衛宮邸に戻って大河を慎二達に預けた方が賢明だ。いや、俺もいないほうがいい。サーヴァントの相手はサーヴァントでなければ務まらない事はバーサーカーとの戦いで嫌というほど思い知った。

 だけど、イリヤの救出をセイバー達だけに任せてはいけない。俺達の手で助けなければ意味がない。

 

「大河。俺から離れるなよ!」

「うん!」

 

 柳洞寺へ続く石畳の階段が見えてきた。

 そして、その頂にある山門の前には見覚えのある男の姿があった。

 駆け上がるセイバー。その剣と、男の握る真紅の槍が激突する。

 

「――――ッハ、悪くない巡り合わせだ」

 

 あれは、バーサーカーとの戦いで邪魔に入った男。

 

「邪魔をするな、ランサー!」

「お生憎様。テメェの邪魔をするのが仕事なんだよ!」

 

 そして、戦いの火蓋は切られた。



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第二十二話『デスパレード』

 激突と同時に、石畳の階段全体に罅が入った。

 主が変わった事で、ランサーに掛けられていた令呪の縛りは解けている。故に、これは彼の全力だ。そして、セイバーはそれに応えた。

 沸き起こる歓喜の衝動に身を任せ、ランサーは更なる一撃を放つ。対するセイバーも渾身を以て迎え撃つ。

 その光景は、まさに疾風迅雷。渦巻く魔力は周囲に張り巡らされた魔女の結界を軋ませる。

 

「――――やるな、セイバー!」

「そこを退け、ランサー!」

 

 階段という不安定な足場を物ともせず、両者は縦横無尽に駆け巡る。

 もはや、人の目では負えない領域に達した彼らに、山門が消し飛んだ。石畳の階段は粉砕され、轟く烈風に押し上げられた。木々は薙ぎ倒され、上空を渦巻く怨霊達は悲鳴を上げる。

 士郎は大河を引っ張り、戦場から距離を取った。

 

「これがサーヴァント……」

 

 一度見た筈の光景。けれど、あの時の戦闘は、理性無き怪物に挑む勇者の戦いだった。

 これは、意志と意志をぶつけ合う英雄同士の決闘。

 見えない筈の激闘に、見惚れる。

 

「士郎!」

「えっ?」

 

 大河に腕を引かれた。すると、近くの木に矢が突き刺さった。

 

「これって、矢文?」

「なんて古風な……」

 

 矢には手紙が括り付けられていた。

 広げると、見覚えのある文字が踊っている。

 

 ――――合図と同時に令呪でセイバーを退去させろ。

 

 矢文の飛んで来た方角に顔を向ける。

 

「わかった」

 

 そして――――、

 

★もしも、藤ねえが同い年だったら 第二十二話『デスパレード』

 

 アーチャーのサーヴァントは深山町の北部に位置する小高い丘に立っていた。

 一歩足を前に踏み出し、その鷹の目によって戦場を詳細に観察し、唇の端を吊り上げる。

 

「――――さて、いつぞやの意趣返しといこうか」

 

 アーチャーの左手には弓が、右手には刀身が歪んだ漆黒の剣が現れた。

 彼は弓の弦にその奇怪な剣を矢の如く番えると、引き絞り、一節の呪文を唱える。

 

「I am the bone of my sword.」

 

 静かに、重々しく、魔力が注がれていく。

 

「……小僧。タイミングを見誤るなよ」

 

 合図とは言ったが、御丁寧に信号弾を打ち上げるような真似はしない。

 

 ――――この殺気こそが合図だ。

 

 アーチャーはセイバーとランサーの戦場目掛け、必殺の一撃を放った。

 

 ◆

 

「――――来る!」

 

 何かが聞こえたわけでも、何かが見えたわけでもない。

 ただ、ソレが来ることが分かった。

 

「令呪、装填! 聖杯の誓約に従い、第七のマスターが命じる!」

 

 同時に、遥か彼方から一本の矢が放たれた。音速を凌駕し、矢は一直線に突き進む。

 彼方から放たれたソレは、察知した時点で既に手遅れな距離へ迫り、防ぐ事叶わぬ絶対的な破壊力を放出した。

 

「撤退しろ、セイバー!!」

 

 瞬間、セイバーが目の前に現れ、同じくして光と音が炸裂した。

 

「これは……、アーチャーか」

 

 セイバーは息を呑んだ。

 ついさっきまで彼女が立っていた場所には巨大なクレーターが出来ている。

 とてもではないが、爆心地に取り残されたランサーは生きていまい。

 

「馬鹿な……」

 

 その確信が、次の瞬間に覆された。

 青き槍兵は、巨大なクレーターの中心にいながら、尚も健在だった。

 その顔には鬼気迫る怒気と殺意が混在し、一直線に矢の放たれた方角を睨みつけている。

 獣が嗤う。そして、同時に第二波が放たれた。

 先程放たれた一撃とは比べ物にならない威力の矢がランサーに迫る。対して、ランサーは退かず、それどころか、踏み込んだ。

 

 もはや、彼の目には宿敵と定めた男の姿以外映っていない。

 交差する音速。ランサーは矢を魔槍でいなし、魔弾の主に向かって疾走する。

 

「なっ……」

 

 誰かが驚きの声を上げた。

 いなされた筈の魔弾が向きを変えた。矢は既に距離を半分まで縮めたランサーの背中を追い始める。

 一瞬捉えた鏃の名が脳裏に浮かぶ。

 銘は赤原猟犬(フルンディング)。例え弾かれたとしても、射手が狙い続ける限り標的を襲い続ける魔剣。

 ランサーも、追ってくる魔弾の性質に気付いたのだろう。迎え撃つべく足を止めた。そして、第三の魔弾が放たれた。前後から襲い掛かってくる必殺。

 如何に優れた英雄でも、あれを同時に防ぐ事など不可能だ。

 

「……あれは」

 

 忘れるなかれ――――。

 その赤槍を掲げし英雄は、あらゆる死線を潜り抜け、あらゆる逆境を跳ね除け、常に勝利し続けた英雄の中の英雄。

 絶体絶命などという言葉を、彼は当たり前のように踏み越える。

 魔力を叩き込んだ眼球が映したのは、光輝く文字の奔流。

 

「ルーン魔術か!」

 

 ケルト神話を代表する大英雄クー・フーリンは、影の国(マビノギオン)と呼ばれる地で武術の手解きと共に北欧の魔術を仕込まれたという。

 十八の原初のルーンは、極大の魔力を篭められた魔弾の挟み撃ちさえ阻む結界を構築した。

 

 だが、今度こそ詰みだ。

 アーチャーの矢は放たれる度に威力を増している。次の一撃は、ルーンの防壁をもってしても防ぎ切れない。

 それを悟ったのか、ランサーは進撃を行わず、その魔槍に魔力を篭め始めた。

 天高く舞い上がる青に、彼方の赤も応える。

 聖杯戦争の開幕を告げた二騎の英霊の宿縁は、ここに終結を迎える。共に必殺を放った直後では、迎撃に移行する事など不可能。

 例え逃げても、彼らの放つ必殺は地球の裏側まで追いかけていく。

 故に待ち受ける結果は両者相打ち。

 

「アーチャー!!」

 

 知らぬ内に叫んでいた。

 その叫びの意図を察したのだろう、大河も彼の名を叫んだ。

 そして、魔弾と魔槍は担い手の手を離れた。互いに主の怨敵を排する為、その真髄を遺憾なく発揮する。

 槍を放ったランサーに魔弾を防ぐ手立ては無く、彼は獰猛な笑みを浮かべながら矢をその身に受け入れた。

 だが、主の死が決定した後も、彼の手を離れた魔槍は止まらない。

 因果逆転の槍は、放たれた時点で結果が定まっている。故に、放たれた直後に主が滅びようとも、その疾走が止まる事はない。

 そして、最大威力の魔弾を放ったアーチャーには、それを受け止める盾を展開する余力がない。

 万事休す。もはや、彼の死は覆せない。その思考が理解不能な感情を呼び起こし、叫び声を上げさせる。

 

 だが、忘れてはならない。ランサーとアーチャーには決定的な違いが在る。

 それは、ただならぬ絆で結ばれた主の存在。

 アーチャーのサーヴァントは、己の意志ならぬ思念に突き動かされた。残らず使い果たした筈の魔力が瞬時に最大値まで充填される。

 そして――――、

 

「――――熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)!!」

 

 展開する七つの花弁は、以前よりも一層鮮やかに輝いた。

 本来ならば、犯してはならない禁忌。

 サーヴァントの裏切りを抑制する為に残さなければならない最後の一画を含む、令呪の重ね掛け。

 そうしなければ、如何に令呪で回復したアーチャーとて十八のルーンを装填した最大威力のゲイ・ボルグは防げないと理解しても、迷わずに決断出来たのは彼と彼女の絆の深さによるものだった。

 マスターはサーヴァントを信頼し、サーヴァントはマスターに応える。

 

「オォォォォォォオオオオオオオオオオオオ!!!」

 

 花弁が崩れていく。だが、彼は退かない。

 主の傍を離れ、イリヤの救出に向かいたいという、己の自分勝手な申し出を二つ返事で肯定し、今また切り札を使い切ってくれたマスターに対して――――、

 

 ――――不甲斐ない姿など、見せられるものか!!

 

 押し返す。残り一枚まで削られた盾は、瀬戸際で魔槍の猛攻を凌ぎ切った。

 

「……っへ、負けたぜ」

 

 ランサーのサーヴァントはそう呟くと、円蔵山に頭を向けた。

 

「悪いな」

 

 そして、彼の姿は霞の如く消滅した。



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第二十三話『魔女の烙印』

 裏切りの魔女。それが彼女を指す言葉である。

 コルキス王(アイエテス)の娘、メディアは魔術の女神たるヘカテーに教えを受ける巫女でもあった。蝶よ花よと育てられながら、魔術の見識を深めていた彼女の下に、ある時栄光を求める英雄達が現れた。彼らはコルキスの宝である《金羊の皮(アルゴン・コイン)》を求めていた。

 英雄達の頭であるイアソンに傾倒する女神アフロディテは、彼の為にメディアを呪う。

 呪いによってイアソンを妄信的に愛するようになったメディアは父王を裏切り、国宝であるアルゴン・コインをイアソンに与え、そのまま国を捨てた。

 追い掛けてきた弟を魔術で八つ裂きにしながら……。

 それは女神の呪いによるものだったが、英雄達は彼らの為に弟を殺した彼女を責めた。

 

 その後、イアソンと共に彼の祖国であるイオルコスを訪れた彼女は、彼との約束を違えたベリアス王と、その後継である三人の王女を殺すよう命じられ、実行した。

 すべてはイアソンに捧げる愛の為の所業。けれど……、

 

 ―――― 貴方の為に国を捨てたのに。貴方のために、何もかも捨てたのに……。

 

 イアソンは、その悪行を民に知られ、国を追われた。

 そして、彷徨の果てにコリントスという地に辿り着く。そこで、コリントスの王に認められた彼は、王の娘であるグライアとの婚姻を求められる。

 イアソンは、それまで愛を捧げ続けてきたメディアを、二人の子供と共に迷うこと無く捨て、グライアを娶った。

 泣き縋る彼女に、イアソンは言った。

 

 ―――― 国を失ったのはお前のせいだ。お前を愛したことなど一度もない!

 

 その言葉は、彼女のこれまでをすべて否定するものだった。

 女神によって正気を奪われ、彼の望むままに行ってきた非道の数々。

 人々から裏切りの魔女と蔑まれ、尽くしてきたイアソンに一度も応えてもらう事も出来ず、そして……、

 

 ―――― あは……。あははははは……。

 

 愛を裏切られた彼女は憎悪に身を焦がし、イアソンを奪ったコリントスを滅ぼし、グライアを焼き殺した。

 だけど、イアソンを殺す事は出来ず……、彼女はギリシャの地をさまよい続けた。

 もはや帰る事の出来ない故郷を想いながら……。

 

 ◇

 

 その光景に、不思議と惹きつけられた。

 

 ―――― 士郎に近づくな!

 

 少女は少年を庇い、

 

 ―――― 殺すなら殺せよ! だけど、大河にだけは手を出すな!!

 

 少年は少女を守る。

 

 まるで、お伽噺のようだ。迫りくる死の恐怖に対して、彼らは迷うことなく自分の命よりも愛する者の命を優先した。

 だから、手を貸した。適当な人間を操り、召喚させた方が都合がいい事を理解しながら、英霊召喚の陣を彼らの前に用意した。

 少年は魔術師として未熟である事が一目で分かっていたから、召喚されるサーヴァントも高が知れている。脅威になる事などあり得ない。

 そう、思っていた。

 結果、少年は考えうる限り最強のカードを引き当てた。

 バーサーカーを圧倒する武勇、あらゆる魔術を無効化させる対魔力、思わず見惚れてしまう程の気品、未熟者であろうとマスターを立てる性格。

 どれを取っても一級品。あの時ばかりは水晶を乗せていた机をバンバン叩いてしまった。

 だけど、セイバーがバーサーカーのマスターを始末しようとした時、少年と少女が同時に飛び出す姿を見てため息が出た。

 愚かと呆れたのか、その在り方に安堵したのか、自分でも分からない。

 ただ、その二人から目を離す事が出来なくなった。

 羨ましいのか、妬ましいのか、それとも……。

 

 イリヤスフィールに声を掛けたのは、彼女を利用する為だった。

 マスターである衛宮士郎や間桐慎二、彼らが最優先で守ろうとしている藤村大河と間桐桜。

 彼女はもっとも捕らえやすい立場にあり、そして、彼女自身が思う以上の利用価値を秘めていた。

 だけど、泣きじゃくり、居場所を求めて彷徨う姿を見て、気が削がれた。

 衛宮士郎と藤村大河に心を揺さぶられたせいかもしれない。彼女の姿が、生前の自分と重なった。

 帰りたい癖に、帰れない。まるで陸地の見えない海の真ん中で溺れ続けているような彼女の絶望が手に取るように分かってしまった。

 

★もしも、藤ねえが同い年だったら 第二十三話『魔女の烙印』

 

 人が視覚を通して認識している世界など、所詮は表層に過ぎない。それよりも高位の次元には、森羅万象を定義する世界が広がっている。

 ある者はアカシックレコードと呼び、ある者はアストラル界と呼び、ある者は根源と呼ぶ世界。そこはすべての始まりにして、すべての終わりであり、そこには全てが存在する。

 遠い昔、一人の賢者が、その世界に足を踏み入れた。

 彼は、その世界に渦巻く無形にして不滅のエネルギー体に形を与える術を手に入れた。

 

 ある時、彼の下に数人の男女が現れる。彼らは、いずれ来る人類世界の破滅を防ぐ為に彼の技術を求めた。

 けれど、賢者の知恵は彼らの手に余るものだった。

 如何に師を真似ても、彼らは賢者の奇跡を再現する事が出来なかった。

 

 行き詰った彼らは、一つの考えに行き着く。

 それは、《奇跡の体現者である師と同一の存在を作り上げ、その者に奇跡を再現させる》というもの。

 

 九百年の歳月の末、彼らは遂に師と同等か、それ以上の性能を持つホムンクルス、ユスティーツァの鋳造に成功する。

 しかし、それは彼ら自身の技術や苦労とは関係のないまったくの偶然から生まれたものだった。

 彼らは、それを幸運とは思わなかった。むしろ、己の費やした労を嘲笑われたように感じ、自らの技術体系によってユスティーツァを超えるホムンクルスを創造しようと躍起になった。

 結果、彼らは挫折した。ある者は城を捨て、ある者は命を絶った。

 そして、ホムンクルスだけが残された。

 

 創造主を失ったホムンクルスは、それでも創造主の目指した理想と目的を叶える為に進み続けた。

 その果てに、ユスティーツァは己の肉体を基盤とした大聖杯の鋳造と、聖杯降臨の儀式を発案した。

 

 ◇◆◇

 

 円蔵山――――。

 この山の地下には、聖杯戦争の根幹を担う大聖杯が鎮座している。

 己の祖を近くに感じながら、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンはキャスターの淹れたお茶を啜っていた。

 

「……なるほど。つまり、構ってくれないから家出したってわけね」

「ちょっと! まるで、わたしがわがままみたいな言い方しないでよ!」

「あら、見事な自己分析じゃない」

「キャスター! あなた、どっちの味方なの!?」

 

 キシャーと怒鳴るイリヤスフィールに、キャスターはクスクスと笑った。

 

「……なによ、いきなり笑うなんて失礼だわ!」

「二時間近くも愚痴を聞いてあげたんだから、このくらいは許してほしいわね」

「むー……」

 

 イリヤスフィールが剥れていると、襖が開いた。

 

「キャスター。客人か?」

「宗一郎さま」

 

 現れた男にキャスターが駆け寄っていく。

 つられて男の方に視線を向けると、イリヤスフィールは目を見開いた。

 

「……キリツグ」

「ん? ……ふむ、人違いをしているようだな。私の名は葛木宗一郎という」

「クズキ……、ソウイチロウ?」

「そうだ。どうやら、迷い子らしいな」

「迷い子……」

 

 イリヤスフィールはキャスターを睨みつけた。

 キャスターは素知らぬ顔で宗一郎に頷いた。

 

「泣きながら道を歩いていたもので、見るに見かねました」

「……なるほど。家の場所は分かるのか?」

「ええ、歩いても一時間と掛からない距離です」

「そうか……」

 

 宗一郎はイリヤスフィールを見下ろした。

 

「……事情は聞かない。落ち着くまで、ここに居るがいい」

 

 そう言い残すと、宗一郎は部屋を出て行った。

 

「今の……、あなたのマスター?」

「ええ、素敵な人でしょう」

 

 微笑むキャスターに、イリヤスフィールは奇妙な感情を抱いた。

 どこか懐かしく、どこか悲しく、どこか寂しい。

 

「……さて」

 

 キャスターは手を叩いた。

 

「それじゃあ、脱いでちょうだい」

「……え?」

 

 いきなり何を言い出すのかとイリヤスフィールは目を丸くした。

 

「もう一度、今度はじっくりと調整してあげる。中々の技術だけど、ツメが甘いわね」

「……好きにするといいわ」

 

 途端に哀しそうな表情を浮かべるイリヤスフィールのおでこをキャスターがつついた。

 すると、イリヤスフィールは急激な眠気に襲われた。

 

「ええ、好きにさせてもらうわ」

 

 ◆

 

 目を覚ますと、そこには宗一郎の姿があった。

 

「……ここは」

 

 起き上がろうとして、違和感に気付いた。

 

「あれ……?」

 

 自分の中から、何かが欠落している。

 同時に、何かが満ちている。

 

「……起きたか。では、キャスターからの伝言だ。余分なものは取り除いた。代わりに、必要なものを付与した。これで、無理をしなければ人並み程度の生を歩めるだろう」

「え……? それ、どういう……」

「さて……。生憎だが、私にも詳しい事は分からない。だが、アレはお前を気にかけていた。言葉通りの意味だろう」

「人並みに……、わたしが?」

 

 己はホムンクルスだ。ホムンクルスは短命である。故に、人並みの生など歩める筈がない。

 

「では、私も行くとしよう」

「行くって、どこに……?」

「外でランサーが戦っている。そして、キャスターも……。アレは私に隠れていろと言ったが、それは出来ない。伝言は伝えたぞ。帰り道が分からなければ、この寺の僧に聞くといい。皆、心根が善良な人々だ」

 

 そう言って、宗一郎は立ち上がった。

 

「まっ、待って!」

「……待つわけにはいかない。すでに、戦いは始まっている」

 

 去っていく宗一郎の背中に、嘗て味わった絶望を思い出す。

 

「待って! お願い、待ってよ!」

 

 体が上手く動かない。けれど、そんな事はどうでもいい。

 

「あまり無理をするな」

 

 足を止め、振り返る宗一郎の顔に、父の顔が重なった。

 分かってしまった。彼は止まらない。だって、父がそうだった。なら、父と同じ雰囲気を持つ彼も……。

 

「ねぇ……、あなたはキャスターを愛しているの?」

 

 質問の意図がわからなかったのだろう。宗一郎は眉を僅かに寄せた。

 そして、再び背を向けながら言った。

 

「……さて、これを愛と呼んでいいものなのかは分からん。だが、私はアレの望みを叶えてやりたい」

 

 不器用な答えだ。だけど、聞きたかった答えだった。

 魔力を循環させる。この身は聖杯。キャスターに弄られようとも、それがわたしの意義。

 願いを叶える事こそ、我が魔術回路の本領。

 

 ――――立ち上がりたい!

 

 理論など、どうでもいい。ただ、そう願うだけで魔術は成立する。

 起き上がり、畳の上に立つ。

 

「……わたしも行く」

 

 キャスターは、わたしを利用すると思っていた。

 だから、わたしをここに連れて来た。だから、わたしの体を弄った。

 そう思っていた。

 

「ソウイチロウ」

 

 わたしを見てくれた。わたしの涙を拭いてくれた。わたしの愚痴に付き合ってくれた。

 なにを思っていたの? なにを考えていたの? 

 

「行くよ」

 

 知りたい。だから、会いに行く。

 宗一郎の手を握り、祈る。

 

 ――――わたしはキャスターに会いたい。

 

 願いは蓄積された知識にアクセスし、適切な魔術を選び出す。

 再現された魔術の名は、《空間転移》。

 刹那の後、わたしと宗一郎は戦場に降り立った。

 目の前には赤と青のサーヴァント。そして、シロウとタイガの姿。

 そして、上空にはキャスターがいた。

 

「なっ!? 何故出てきたのですか! それに、どうして……」

 

 キャスターが悲鳴のような声をあげる。

 

「キャスター」

 

 わたしはキャスターを見上げた。

 

「……どうして、わたしを利用しないの?」

 

 答えは返って来ない。

 

「どうして、わたしに未来(いのち)をくれたの?」

 

 答えは返って来ない。

 

「あなたの望みって、なに?」

 

 答えは返って来ない。

 

「答えてよ、キャスター!」

 

 答えは……、

 

「……故郷に帰りたい。それが、アレの望みだ」

 

 宗一郎が言った。

 

「何故……」

 

 キャスターはフードの向こうで目を見開いた。

 

「……夢を見た」

 

 宗一郎はわたしを見下ろした。

 

「迷い子は、家に帰さねばならん」

 

 そう言うと、宗一郎はセイバーの前に立った。

 

「なっ、何をしているのですか! そこにいてはいけません!」

 

 キャスターが降りて来た。飛行というアドバンテージを捨てる事は愚行以外の何者でもない。

 それでも、彼女は迷わず彼を守るために地に降りた。

 

「何をしている……」

「それは此方のセリフです!」

「……私はお前の望みを叶えなければならん。二対一では勝ち目が無かろう。故に、片方は私が受け持つ」

 

 その頑なな態度に、キャスターの動きが止まった。

 

「……それは、だめですよ」

 

 そう力なく呟くと、キャスターはフードをおろした。

 

「それでは、貴方が死んでしまいます」

「構う必要はない」

「構いますよ。だって……、貴方を失えば、私の望みは叶わなくなる」

「依代が必要ならば、他を探せばいい。魔術師ではない私などより、よほど上等な者が他にもいるだろう」

「居ませんよ、貴方以上の人など」

 

 そう言うと、キャスターは微笑んだ。

 

「……ここまでね」

 

 裏切りの魔女と呼ばれた女。

 だけど、彼女は彼を裏切らない。裏切る事など出来ない。

 なぜなら、彼女は恋をしている。女神の呪いなどではなく、真の愛を知ってしまったから。



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第二十四話『凛』

 ――――嫌な夢を見た。

 

 そこは牢獄の中で、わたしは(アーチャー)だった。

 正義の味方になりたい。まるで子供のように夢を抱きながら戦い続けた戦士の末路。

 嘗て救い、共に理想を語り合った友に裏切られ、咎人として処刑の日を待っている。

 

 なんだ、これは……。

 前にも、彼の夢をみた。

 必死になって戦場を駆けずり回り、一人でも多く救う為に命と心をすり減らし続けた彼の姿を知っている。

 これでは、あまりにも報われない。

 それなのに、彼の胸中に後悔の念はなく、裏切り者に対する怒りもない。

 

 屈強な看守が入って来た。その時が来たのだろう。

 牢獄から出て、いつもと違う廊下を歩く。数メートル毎に看守が立っていて、彼を睨んでいる。

 連れて来られた部屋で、彼の罪状が読み上げられる。身に覚えのない罪と、覚えのある罪が混在している。だけど、彼は何も言わない。

 罪状の読み上げが終わると、後ろ手に手錠をかけられ、目隠しをされた。

 見えないまま、看守に手を引かれる。

 

『なにか、言い残すことはないか?』

 

 最後の時が来た。

 

『ありません』

 

 遺書は遺さなかった。遺すべき相手など居なかった。

 辿り着いた首吊り台。階段を一段登る度に脳裏を過ぎるのは出発点であった遠い日の思い出。

 

 ――――子供の頃、僕は正義の味方に憧れていた。

 

 炎の中から彼を救い出した養父の言葉。それは彼の中に根を張り、この日まで彼を突き動かし続けた。

 報われる事もないまま、空気の抜ける音と共に彼は地の底へ沈んでいく。

 首が絞まり、骨が軋み、呼吸が止まり、そして……、

 

 彼は地獄に落とされた。

 それは人類の咎。確定した滅びを瀬戸際で防ぐために、滅びに関わるすべての人間の排除を命じられる。

 彼に拒否権など与えられていない。ただ、与えられた役割を実行する為だけの思考を残し、理性も理想も本能さえ奪われた。

 繰り返す事、数千、数万、数えるのも馬鹿らしくなった頃、彼の心は蝕まれた。

 人々に疎まれ、友人に裏切られ、理想すら破綻した彼に残っていたのは尽きぬ後悔と、終わらぬ地獄。

 それが、その英霊の末路だ。報われないどころの話じゃない。死後の安息さえ奪われた彼には、救いなど欠片も残っていない。

 

 ――――……衛宮士郎は、英雄になんてなるべきではなかった。だから、この千載一遇の機に乗じて、若い頃の自分を殺そうと考えていたんだ。

 

 あの言葉の意味が分かった。

 絶望の果てに、自分自身すら否定したのだ。

 

「ふざけんな!」

 

 夢から覚めた瞬間、わたしは部屋を飛び出した。

 ラインを通じて居場所を探り当てる。アーチャーは居間にいた。

 そこには葛木先生がいたけれど、挨拶をする余裕もない。

 台所でなにやら作業をしていたアーチャーが私に気付いて首を傾げる。

 

「おはよう、凛。どうかしたのか?」

「……一発殴らせろ」

「え?」

 

 私はアーチャーを殴った。

 何度も、何度も、衛宮くんと藤村さんが来て止めるまで、泣きながら殴り続けていた。

 

★もしも、藤ねえが同い年だったら 第二十四話『凛』

 

 居心地が悪い。あまりにも酷い醜態を晒してしまった。

 

「落ち着いたかね?」

「……ええ、ごめんなさい」

「視たのか?」

「……うん」

「そうか……」

 

 今、私はアーチャーと二人きりだ。

 散々当たり散らして疲れてしまった私をアーチャーが部屋に運んでくれた。

 みんな、ポカンとした顔だった。

 

「サーヴァントとマスターはつながっている。それも、とても深い部分で……。私は貴方を信頼しているわ。それに、貴方も私を信頼してくれている。おまけに、サーヴァントを律する為の令呪を使い切った事で、精神的な隔たりが更に薄くなってしまったの。だから、あそこまで鮮明に視えてしまった……」

 

 アーチャーに頭を下げる。

 

「……ごめんなさい。勝手に貴方の過去を見て、癇癪なんて起こして」

「謝らないでくれ」

 

 アーチャーは言った。

 

「……君は、私を想ってくれたのだろう? ありがとう」

 

 彼は怒らない。どんな理不尽に対しても、自分の為に怒ったり、憎んだりする事をしない。

 どこまでも他人の為にあろうとする。あれだけの裏切りを経験して、あれだけの苦痛を味わって、自己の否定なんて答えに行き着く……生粋のお人好し。

 

「なんで、そうなっちゃったのよ……」

 

 涙が滲んできた。彼の過去を一から十まで余さず見てしまったから、理由なんてイヤというほど分かっている。

 それでも、聞かずにはいられない。

 

「誰も止めなかったの!? 私も、藤村さんも!」

「……何度も止められたよ」

 

 アーチャーは苦笑した。そして、内罰的な笑みを浮かべる。

 

「すべて、私が悪いんだ。みんなが心配してくれたのに、衝動に任せるまま走り続けた。滑稽な話だよ。自業自得とは、まさにこの事だ」

「やめてよ!!」

 

 彼は確かに頑なだった。だけど、人の言葉に耳を傾けないわけじゃなかった。

 きっと、この世界の藤村さんなら止められる。

 アーチャーの世界の藤村さんが止められなかったのは、年上だったからだ。それに、魔術を知らなかった。だから、ここまでの最悪を想定出来なかった。

 私は気付いていた。衛宮士郎という男の在り方の異常性も、行き着く先も見えていた。それなのに、止めてあげられなかった。

 

「……なんで、自分の事ばっかり責めるのよ。アンタ、たくさんの人を助けてきたじゃない!」

「視たのなら……、知っているのだろう? 人を救いたいから救ってきた。その為に、多くの命を切り捨ててきた。実に悍ましい」

 

 アーチャーの顔には嫌悪感が滲み出ている。その矛先は、自分自身。

 

「もし、それがオレ自身の裡から表れたモノならば納得も出来る。だが、違うんだ。オレを突き動かし続けた感情は、オレが後生大事に抱いていた理想は、ただの借り物に過ぎない」

 

 吐き捨てるように、まるで体から際限なく溢れる膿を撒き散らすように、彼は言った。

 

「衛宮士郎という男は矛盾の塊だ。……欠落だらけの記憶の中で、焼き付いているものがある。一面の炎と、充満した死の匂い、地獄の中で救いを求め、叶えられた時の感情。衛宮切嗣という男の、オレを助けた時に見せた安堵の顔……」

 

 知っている。夢の中で、彼の心を視た。

 死を迎え入れる為に、心が先に終わりを受け入れていた。空っぽになった心に、衛宮切嗣の涙を讃えた微笑みが焼き付いた。

 唯一人救われてしまった事に後ろめたさを感じていたわけじゃない。そんな感情は残っていなかった

 ただ、彼は衛宮切嗣に憧れただけだ。己を助け出した時の、彼の笑顔があまりにも幸せそうだったから、自分もそうなりたいと想っただけだ。

 

「……あの時、救われたのは貴方じゃない。本当に救われたのは、衛宮切嗣。あの火災の原因は分からない。だけど、もしも彼に原因の一旦があったとしたら……」

「ああ、耐えられる筈がない。誰一人生存者のいない惨劇だ。正義の味方を志していた男が、そんな光景を前にして何を思っていたか手に取るように分かるよ。それこそ、死に物狂いだった事だろう。いる筈がないと知りながら、生存者を探し求めた。そして……、見つけてしまった」

「でも、そんな事はどうでも良かった。衛宮切嗣が何を思っていたとしても、貴方が彼に救われた事は真実。だからこそ……」

「そうだ。あの地獄の中から救い出してくれただけで十分だった。たとえ、それが自己に向けられていたモノだったとしても、オレを救おうとする意志や、助かれと願ってくれた真摯さは本物だった。だから、憧れたんだ。衛宮切嗣に……。彼が憧れた理想に……。だから、切嗣が死んだ時、オレは言ったんだ」

 

 ―――― じいさんの夢は、俺が。

 

「それが答えなんだよ。オレは、オレが救けたくて救けたわけじゃない。ただ、誰もが幸せでありますようにと願った彼の為に、彼が憧れ続けていたものになろうとしただけなんだ」

 

 彼は、親に憧れた。だから、親の為に頑張った。

 要は、それだけの事。

 純粋過ぎるくらい、純粋な感情。

 それが悪い事などと、誰が言えようか。

 

「馬鹿……」

「ああ、実に愚かだ。所詮、紛い物。そんな偽善では何も救えない。否、もとより、何を救うべきなのかさえ定まっていない! こんな男は、はじめから存在するべきじゃなかった!」

 

 長い時の果てに、自己を否定する(傷つける)事しか望めなくなった人。

 彼が衛宮くんと藤村さんを見つめる目は、とても羨ましそうだった。

 

 ―――― 一目で分かったよ。アレは、私のように破綻し切っていない。通じるものはあっても、明らかに私とは異質な存在だ。きっと、藤ねえの影響だな。

 

 嬉しそうに彼は語った。

 ただ、自分は道を間違えただけで、こうなる可能性もあったのだ。 

 衛宮士郎という人間ではなく、ただ、彼自身が愚かだっただけだと安堵していた。

 

「……アーチャー」

 

 思い出したのは、苦手だと感じている少女の言葉。

 

 ―――― 他人を偽るのはいいけど、自分を偽っちゃダメだよ。

 

 誰よりも素直な彼女に、今は倣おう。

 

「り、凛……?」

 

 私はアーチャーの手を引いた。ついでに足を蹴っ飛ばす。

 不意打ちなのに、少しもぐらつかないアーチャー。まったく、空気が読めていない。

 

「抵抗しないでよ」

「凛……?」

「……仕方ないわね。じゃあ、しゃがみなさいよ」

「えっ? こ、こうか?」

 

 困惑するアーチャー。しゃがみ込んだ彼を、私は抱きしめた。

 

「り、凛!?」

「このまま!」

「いや、その……」

「このままでいさせてよ……」

「凛……」

「アンタのわがままに散々付き合ってあげたんだから、今度はアンタが私のわがままに付き合いなさい」

「……凛」

 

 しばらくそうした後、私は言った。

 

「アーチャー」

「なっ、なんだ?」

「私は好きよ、貴方の事」

「凛!?」

 

 慌てふためくアーチャーに、思わず吹き出した。

 

「なによ、不満?」

「いや、そうではなくて!」

「貴方はとっても頑張ったわ。たしかに、その理想は借り物だったかもしれない。だけど、貴方は多くの人を救った」

「それは……」

「偽善だって、救った事は事実な筈よ。……っていうか、自分で言ってたじゃない。『あの地獄の中から救い出してくれただけで十分だった。たとえ、それが自己に向けられていたモノだったとしても、オレを救おうとする意志や、助かれと願ってくれた真摯さは本物だった。だから、憧れたんだ』って。貴方に救われた人々も、きっと同じ気持ちだった筈よ」

 

 アーチャーは目を見開いた。

 見えているつもりで、見えていなかったもの。

 答えは自分の中に既にあった。だけど、気づく事が出来なかった。

 だから、私は彼を『馬鹿』と言った。

 

「貴方の人生は間違ってなんていないわ。だって、貴方が救われたように、多くの人は貴方に救われた。なにもかも間違いだったと言うなら、彼らが救われた事も間違いだったの?」

「それは……、それは……ッ」

「違うでしょ。つまり、アンタはしっかり正義の味方だったわけ。借り物だとか、紛い物だとか、そんなつまらない事に拘って、見えてなかっただけよ。それでも自分が許せなくて、自分が嫌いなら、私が許してあげる。……私が好きになってあげる」

「……凛」

 

 呆然とするアーチャーを、強く抱きしめる。

 

「私はアンタのマスターよ。サーヴァントにとって、ご主人様の言葉は絶対なの。いいわね?」

 

 アーチャーは鼻を啜った。胸に冷たい感触が走る。

 まるで、背ばっかり大きくなった子供みたい。

 

「好きよ、士郎。いっぱい頑張ったわね。立派よ……」

 

 頭を撫でながら、少し昔の事を思い出した。

 校庭の片隅で、必死に棒高跳びの練習をしていた男の子。

 どこまでも頑なで、どこまでも実直で……、少しおバカ。



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第二十五話『Gather ye rosebud while you may.』

「朝から騒がしいわね」

 

 アーチャーが遠坂を抱えて出て行った後、キャスターが呆れたように言った。

 

「遠坂さん、どうしたんだろう……」

 

 大河が心配そうにしている。

 遠坂の様子は尋常じゃなかった。いつも悠然としていて、どこか浮世離れしている彼女があんな風に取り乱すなんて思わなかった。

 

「……大方、嫌な夢でも視たんでしょうね」

「夢……?」

「ええ、夢よ。あとで、何を視たのか教えてもらうといいわ」

「でも、夢なんだろ? それに、あんまり他人が触れるべきじゃ……」

「彼女の夢は、貴方の未来よ」

 

 よく分からない。

 

「……おそらく、彼女はアーチャーの過去を視たのでしょう」

 

 セイバーが言った。

 

「アーチャーの過去……?」

「そっか! だから、士郎の未来なんだね!」

 

 理解で大河に先を越された。すごくショックだ。

 

「なっ、なるほど……」

 

 そう言えば、葛木先生はキャスターの過去を視たと言っていた。

 サーヴァントとマスターの間には不思議な繋がりがあって、そこから互いの心の一部が流れ込むらしい。

 

「じゃあ、遠坂さんはアーチャーの過去……、士郎の未来を見て、あんな風に取り乱したって事?」

 

 不安そうに大河がキャスターを見つめる。

 

「そういう事ね。神秘の薄まった現代で英霊になるなんて……、間違いなくまともな人生を送っていないわ」

 

 大河は目を見開き、俺の服を掴んだ。

 

「大河……」

「そうね。それがいいわ。手綱はしっかり握っておきなさい」

 

 キャスターはクスクスと笑った。

 

「いっそ、首輪でもつけてみる?」

 

 そう言って、キャスターはどこからか犬用の首輪を取り出した。

 

「ちょっと待て! なんで、そんな物をもってるんだよ!」

「首輪……」

 

 大河は素直に首輪を受け取った。

 

「って、おい! そんな物、返しちまえ! っていうか、捨てちまえ!」

「えー」

「えー、じゃない!」

 

 俺達の様子を見てケラケラ笑うキャスター。

 なんだかな……。

 

★もしも、藤ねえが同い年だったら 第二十五話『Gather ye rosebud while you may.』

 

 ランサーが消滅した後、俺達はそのまま柳洞寺へ向かった。

 アーチャーも合流して来て、境内に入ると彼女が待ち構えていた。

 お伽噺や、童話に登場するような魔法使いの姿に足が止まる。

 

「――――こんな夜更けに訪ねて来るなんて、行儀というものを知らないのかしら」

 

 息苦しさを感じる。バーサーカーのような怪物とも、ランサーのような英雄とも違う。

 その魔女は、あまりにも得体が知れない。

 分かる事と言えば、この女が街で起きている原因不明の昏睡事件の犯人だという事。

 そして、イリヤを攫った犯人だという事。

 

「イリヤを返せ、キャスター!」

 

 山に登る道すがら、セイバーから聞いた。

 魔術師の英霊であるキャスターのサーヴァントには、陣地を形成する権利が与えられてる。

 ここに来て、すぐに分かった。ここがヤツの陣地だ。

 目を凝らしてみれば、この境内に渦巻く魔力が街の人々の魂の欠片である事が分かる。

 

「テメェは……ッ」

「さがって下さい、マスター!」

 

 セイバーが前に出る。同時にアーチャーも弓を構えた。

 二対一。しかも、セイバーは最高ランクの対魔力を持っている。キャスターに勝ち目など無い。

 にも関わらず、彼女が浮かべたのは、艶やかな冷笑。

 

「如何に優れた対魔力を持っていても、それだけで勝てるとは思わない事ね。ここは神殿……、私の領域よ」

 

 そう呟くと、キャスターの姿が闇に溶け消えた。

 そして、上空に巨大な魔法陣が現れた。陣に注ぎ込まれた膨大な魔力が、次に起こる災厄を予見させる。

 あれはダメだ。放たれれば、セイバーはともかく、俺や大河は助からない。アーチャーでさえ、生き延びられたら奇跡だ。

 

「シロウ! 宝具を使います!」

 

 言葉と共にセイバーが不可視の剣を構える。

 突風が巻き起こり、その真の姿が顕となっていく。

 

「遅いわ」

「――――ああ、そうだな」

 

 風切音が響く。

 

「いつの間に!?」

 

 それは弧を描き、上空のキャスターを狙う白と黒。

 左右から襲いかかる双剣に、キャスターのローブを引き裂かれる。

 

「さすがですね」

 

 セイバーが感嘆した。

 キャスターが空間転移によって上空に移動するまでの一瞬に、アーチャーは双剣を投擲していたのだ。

 放たれた剣は、這うように地を滑り、時間を置いて上空に現れたキャスターに襲いかかった。

 あの男は未来の自分だ。だけど、今の俺には到底真似する事の出来ない絶技に、思わずため息が溢れる。

 

「って……」

 

 呑気に止まっていた俺達を尻目に、アーチャーは《次》に移行していた。

 地面に片膝を立て、弓を上空の魔法陣に向けている。

 弓にあてがわれているのは、螺旋の刃を持つ剣。

 銘は、カラドボルグ。ケルト神話に名を轟かせる一騎当千の英雄フェルグス・マック・ロイの愛剣。

 神話において、無敵と評されるその剣は、一振りで三つの丘を切り裂くという。

 

「―――― I am the bone of my sword.」

 

 矢の形に加工されたソレを、アーチャーは一節の呪文と共に放った。

 

偽・螺旋剣(カラドボルグⅡ)

 

 放たれた矢は大気を根こそぎ捻じ曲げながら魔法陣に直撃した。

 如何に緻密に編み上げられた術も、あれほどの一撃を受けては形を保ち続ける事など出来ない。

 粉々になった魔法陣が光の粒になって舞い落ちる。

 その幻想的な光景の中に、キャスターはいた。

 

「……アーチャー」

 

 押し殺したような声。彼女はセイバーを意識し過ぎたのだろう。

 たしかに、セイバーだけなら、彼女は勝っていた。

 

「仕舞いだ、キャスター。今のがとっておきだったのだろう?」

「……舐めないでちょうだい」

 

 キャスターがローブをはためかす。すると、その内側に光り輝く文様が浮かび上がった。

 

「悪足掻きを……」

 

 アーチャーの頭上に二十を超える刀剣が現れる。

 一つ一つが並々ならぬ魔力を含有する宝具だ。

 どれか一つでも掠れば致命傷を免れない。

 

「チェックだ」

 

 そうして、魔女の魔弾と弓兵の矢が放たれる寸前、彼らの前に光が溢れた。

 

「なっ――――ッ」

 

 二騎の英霊の動きが止まる。

 そこに現れたのは、救いに来た少女。そして、見覚えのある男。

 

「イリヤちゃん!!」

「く、葛木先生!?」

 

 全く予想していなかった葛木先生の登場に驚いていると、上空のキャスターが血相を変えた。

 

「なっ!? 何故出てきたのですか! それに、どうして……」

 

 イリヤとキャスターのやり取りは、想像していたものよりもずっと穏やかだった。

 

「これは……」

 

 遂には地上へ降りてきてしまったキャスター。

 話を聞いていると、どうやら葛木先生がキャスターのマスターだったようだ。

 イリヤも無理矢理連れ去られたわけでは無いらしい。

 

「……ここまでね」

 

 そう言って、キャスターは諦めたようなため息を零した。

 

「やりなさい、セイバー。ただ……、マスターは見逃して。彼は、魔術師ですらないのよ。ただ、私の依代になってもらっていただけなの」

「……よい覚悟です」

「待って!」

 

 叫んだのはイリヤだった。

 セイバーとキャスターの間に割り込んで、彼女は言った。

 

「キャスターを殺さないで!」

「……そこを退きなさい、イリヤスフィール」

 

 対するセイバーの声は冷たかった。

 

「せ、セイバー」

「マスター。イリヤスフィールの時は折れましたが、今度ばかりは……」

 

 相手はサーヴァントだ。それも、奸計に優れた魔術師の英霊。

 その危険性は、道中で嫌というほど教えられた。

 実際、この女は街の人々から魂を奪い、その生命を脅かしている。

 生かしておけば、更なる被害が生まれる事になる。

 その中には……。

 

「……ああ」

 

 止めてはいけない。多くの人間の害となる存在を生かしておいてはいけない。

 

「待って、セイバーちゃん」

 

 大河がセイバーの横をすり抜けて、イリヤの前に立った。

 

「なっ!?」

 

 慌てて連れ戻そうと駆け寄ると、大河は言った。

 

「イリヤちゃんはキャスターさんを助けたいんだよね」

「……うん」

「オッケー」

 

 そう言うと、大河はイリヤを抱きかかえた。

 

「じゃあ、士郎。帰ろう!」

「……は?」

「だって、戦いは終わりでしょ?」

 

 不思議そうな顔をする大河。

 

「いや、まだキャスターが……」

「イリヤちゃんは殺さないでって言ってたよ」

「でも、街に被害が出てるんだぞ!」

「あっ、そっか」

 

 大河はイリヤを抱えたままキャスターの下へ向かった。

 

「お、おい!?」

 

 慌てて腕を掴むと、セイバーが大河の前に出た。

 

「タイガ! 迂闊な真似は控えて下さい!」

「えっ、だって悪い人じゃないみたいだし」

「悪い人じゃないって、なんで分かるんだよ!」

「だって、イリヤちゃんが助けたいって思う人なんだよ?」

 

 ねえ? と大河はイリヤを見下ろした。

 

「え? う、うん」

「ほらね」

「ほらねって……」

 

 唖然としていると、大河はキャスターに言った。

 

「あの、キャスターさん」

「……なにかしら」

「あの、街の人達に迷惑を掛けるの、もう止めて下さい」

 

 直球だった。

 

「……もし、ここで私が『止める』と言ったら、貴女は信じるのかしら?」

「モチ! 信じるッス!」

 

 キャスターは苦々しい表情を浮かべた。

 

「普通、信じないわよ?」

「だって、キャスターさんは葛木先生の事が好きなんですよね?」

「なっ!?」

 

 キャスターの顔が真っ赤に染まった。

 

「いっ、いきなり何を言い出してるのよ! な、何を根拠に!」

「いや、見てれば分かるッス」

「なっ!?」

「もう、丸わかりッス!」

 

 キャスターが恐る恐る葛木先生の方に顔を向けると、先生は表情一つ変えずに「そうか」と言った。

 

「大好きな葛木先生の前では嘘なんてつけないッスよね?」

 

 ニッコリと笑顔で言う大河。

 キャスターが凄い表情を浮かべている。

 

「……じゅ、純粋な子かと思えば」

 

 顔を引き攣らせながら、キャスターは言った。

 

「思った以上に食わせ者ね、貴女」

「ふっふっふ、それほどでもあるのです!」

 

 ドヤ顔を浮かべる大河。

 

「……相変わらず、敬語がちょっと変だな」

「敬語だったのか!?」

 

 いつの間にか隣に来ていたアーチャーが驚いている。

 

「……そう言えば、昔は変な敬語を使っていたな。教師になって大分改善されたのだが」

「え? 大河、教師になるのか!?」

「ん? あ、ああ。英語の教師で、生徒からの評判もすこぶる良かったぞ」

「嘘だろ……」

「本当だ。ちなみに、弓道部の顧問もしていてな」

「シロウ! アーチャー! 敵の前で世間話を始めないで下さい!」

「ご、ごめん」

「す、すまん」

 

 セイバーに怒られた。つい、緊張感が薄れていた。

 

「タイガも、相手は生粋の魔術師です。簡単に心を許してはいけません!」

「えー、大丈夫だと思うよ? キャスターさんって、悪ぶっているけど、割りと良い人な感じするし」

「……どういう評価なのよ、それは」

 

 キャスターはウンザリした表情を浮かべた。

 

「……ふむ。このままでは埒が明かないようだ」

 

 そう言って、口を挟んだのは葛木先生だった。

 

「キャスター。お前は望みを叶える為に私が必要だと言ったな」

「は、はい」

 

 キャスターはなんだかビクビクした様子で応えた。

 

「故郷に帰りたいのなら、依代は私でなくとも良い筈だ。ならば、お前の望みは別にあると見た。違うか?」

「……いえ、違いません」

「そうか……。では、お前の望みを教えてくれ」

「え!?」

 

 キャスターは辺りを見回し始めた。

 

「あ、あの、ここで……、ですか?」

 

 顔が赤い。

 

「ああ、そうしなければ場が収まらない」

「……えぇ」

 

 キャスターは困っている。

 鈍いと言われている俺でも、キャスターの望みが大体分かってしまった。

 大河とイリヤはワクワクした表情を浮かべている。

 

「あ、あの……、どうしてもですか?」

「なにか、言い難い事情でもあるのか?」

「……いえ、その」

「がんばって、キャスター!」

 

 イリヤが応援した。

 キャスターは真っ赤な顔でイリヤを睨んだ。

 

「……これは、どうするべきなのでしょう」

「何故か、出歯亀みたいな状態になってしまったな」

 

 セイバーとアーチャーが小声で囁きあっている。

 

「……わ、分かりました。言います」

 

 ささやき声が止む。

 みんなが固唾を呑んで見守る中、キャスターは言った。

 

「……そ、宗一郎さま。わ、わたしは……その、あ、あ、あ、あな、貴方と……」

 

 頑張れと心の中で応援した。

 

「貴方と一緒に居たいんです!」

 

 言った。思わず「おお……」と声がもれてしまった。

 

「……それがお前の望みか?」

「は、はい……」

 

 緊張した様子で瞼を閉じるキャスター。

 手に汗を握る。

 

「それがお前の望みなら、私に異論はない」

「そ、宗一郎さま!?」

「お前が望む限り、お前の傍にいよう」

「宗一郎さま……」

 

 キャスターの目元に涙が浮かぶ。

 その姿はまるで一枚の絵画のようだった。

 

「……それで、その望みに聖杯は必須か?」

「え? いえ……、まあ、あれば便利ですけれど、無くてもやりようは……」

「では、解決だな」

「え? あ、はい」

 

 葛木先生が近づいてくる。

 

「そういうわけだ。そちらが見逃してくれるのならば、此方も手を出さない事を誓おう。私は、アレの傍に居てやらねばならない」

「そ、宗一郎さま……」

 

 へなへなと崩れ落ちるキャスター。両手を頬に当ててだらしなく涎を垂らしている。

 

「キャスター。それでいいな?」

「ひゃ、ひゃい……」

 

 最初の威厳が完全に無くなっている。

 そこには告白に成功した乙女が一人。

 

「……帰るか」

「そうですね」

「そうだな」

 

 セイバーも剣を収めた。

 彼女とアーチャーはどこか遠い目をしている。

 

「キャスター!」

 

 イリヤがキャスターに声を掛けた。

 

「おめでとう!」

 

 嬉しそうに、彼女は言った。

 

「おめでとうございます!」

 

 大河も祝福の言葉を送る。

 

「あ、ありがとう」

 

 キャスターの頬はユルユルだった。

 

 ◆

 

 その後、イリヤがキャスターと一緒に居たがり、柳洞寺がボロボロになってしまった事もあって、キャスターと葛木先生は一時的にうちへ身を寄せる事になった。

 一悶着あるかと思ったが、慎二達もライダー謹製の使い魔を通して見ていたらしく、特に問題は起こらなかった。



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第二十六話『迎別』

★もしも、藤ねえが同い年だったら 第二十六話『迎別』

 

「坊や、料理が上手なのね」

 

 キャスターは煮物を食べながら言った。

 

「でしょでしょ! 士郎の料理は世界一なんだよ!」

 

 大河が我が事のように自慢する。なんだか、照れくさい。

 

「せ、世界一は言い過ぎだろ」

「言い過ぎじゃないもん! レストランに食べに行っても、士郎のご飯の方が美味しいもん!」

 

 大河は嘘をつかない。お世辞も言わない。だから、余計にたちが悪い。

 顔が火照ってきた。

 

「あらあら、お熱いことで」

 

 ニヤニヤと笑うキャスターの視線から逃れるように、俺は慎二に声を掛けた。

 

「な、なあ、慎二。これからどうするんだ?」

「ん?」

「ほら、これで聖杯戦争は終わりだろ?」

 

 ランサーとアサシン、バーサーカーが脱落して、残るサーヴァントは全員がここにいる。

 もう、戦いが起きる事はない。

 

「とりあえず、意思確認をしてからだな」

「意思確認?」

 

 慎二は言った。

 

「まず、キャスターに聞きたいんだけどさ」

「あら、何かしら?」

「あんた、大聖杯の真上に神殿なんて築いてるくらいだから、大聖杯の異常にも気付いていた筈だろ?」

「ええ、もちろん」

 

 あっけらかんと応えるキャスター。

 

「知ってたのか!? なら、どうして……」

 

 思わず立ち上がりかけると、慎二が「落ち着けよ、衛宮」と言った。

 

「もしかして、あんたなら聖杯を正常化出来るのか?」

「完全には無理よ。なにしろ、中身が神だもの。だけど、ある程度は制御出来るわ」

「本当か、キャスター!」

 

 セイバーがテーブルに身を乗り出した。

 

「ええ、本当よ。ただ、あまり大きな願望は叶えられないわ。なにしろ、サーヴァント三体分しか魔力が溜まっていないもの」

「サーヴァント三体分……? それは、どういう意味だ?」

 

 不可解そうに首を傾げるセイバー。

 

「ああ、知らなかったのね。この地の聖杯はそういうモノよ。それそのものが願望器であるわけじゃない。実際には、聖杯という空の器に中身を注ぐ必要がある。その注がれるべき中身こそ、サーヴァントの魂という高純度の魔力塊。聖杯が私達を喚び出す理由は聖杯の争奪戦に参加させる為じゃない。中身を満たす為の贄とする為なのよ」

「なに……? 待て、それでは話が違う!」

「それは当然の事よ」

 

 キャスターはどこからか小さな杯を取り出した。

 誰もが息を呑む。それが何か、分からない者はいなかった。

 

「これは、今世を生きる人間の為に、現人(うつしおみ)が創り出したモノ。本来、死者たる我々の為のモノではないのだから」

「待ちなさい! 聖杯は霊体であり、サーヴァントでなければ触れられないモノ! ならばこそ、聖杯は――――」

「――――聖杯は第三法へ至る為の礼装よ、セイバー」

 

 イリヤが言った。

 

「第三法……、魂の物質化ですか?」

 

 セイバーの言葉にイリヤが頷く。

 

「この際だから、教えてあげるわ。元々、願望器としての機能なんて、他の参加者を呼び集める為の謳い文句でしか無いのよ。英霊という、本来は向こう側の存在である貴方達を喚び出し、そして、還らせる事が本来の用途」

「喚び出して、還らせる……? それ、なんの意味があるんだ?」

「……そうか、そういう事か!」

 

 俺にはチンプンカンプンだったけど、慎二は理解出来たらしい。

 

「慎二?」

「向こう側の存在を喚び出して、還らせる。その時、一緒に向こう側へ渡る事が目的だな! つまり、聖杯っていうのは――――」

 

 その続きはイリヤが受け持った。

 

「――――根源への架け橋。そうよ、マキリの末裔。貴方の祖父が忘れてしまった我等共通の悲願」

 

 まるで、別人のように大人びた様子でイリヤは語った。

 

「いずれ来たる、人類の滅亡に対する我等の解答。嘗て、その場所へ至り奇跡を手にした賢者のように、向こう側へ至り、第三法を以って、人類すべてを次の次元へ押し上げる。……もっとも、その崇高であった筈の志も歪んでしまった。マキリは老いに敗れ、アインツベルンは妄執に埋もれ、今では救うはずの人類の滅亡を良しとしている」

「……イリヤ」

 

 恐る恐る声を掛けると、イリヤは微笑んだ。

 寒気を感じるほど、酷薄な笑みだった。

 

「キャスターの言葉は正しい。この聖杯は、生者の為のモノ。サーヴァントは、この聖杯を起動する為の贄に過ぎないわ」

「なんだ……、それは……ッ」

 

 目眩がした。一瞬、自分の体が細切れになったような錯覚を覚えた。

 

「せ、セイバー……?」

 

 セイバーの濃密な殺意にあてられ、俺の手は震えていた。繋がりを通じて、彼女の怒りが伝わってくる。

 無理もない。彼女は聖杯に託す願望を持って召喚に応じた。それなのに、実態は英霊を贄とする魔術品であると知り、怒らない方がおかしい。

 

「……失礼しました」

 

 そう言うと、セイバーは居間を出て行った。

 

「ま、待てよ、セイバー!」

 

 俺は慌てて追いかけた。

 

「セイバー!」

 

 彼女は道場にいた。

 

「……その」

「申し訳ありません、マスター。少し、一人にしていただけませんか?」

「え……」

 

 セイバーは頭を下げた。

 

「……申し訳ありません。少し、頭を冷やしたいもので……」

 

 すまなそうに、彼女は言った。

 

「いや……、ごめん」

 

 慌てて道場から出ようとして、足が止まった。

 

「……セイバー」

 

 振り向いて、彼女の顔をよく見る。

 苦悩の表情だ。だけど、何を悩んでいるのか、俺にはサッパリ分からない。

 当たり前の事だろう。他人の心なんて、誰にも分からない。

 

 ――――何を言ってるんだ……。

 

 セイバーは他人じゃない。命を救ってもらい、何度も力を貸してもらった恩人だ。

 それなのに、俺は彼女の事を何も知らない。知ろうとさえしなかった。

 彼女を召喚してから二日。僅かな時間だけど、話す時間はいくらでもあった。それなのに、彼女が前回の聖杯戦争に参加していた事も、俺は慎二の口を通して聞いた。

 

「セイバー」

「……なんですか?」

「話がしたい」

 

 返事は返って来ない。

 拒絶されている。

 

「……セイバー」

「マスター。聖杯戦争は終わりました」

「あ、ああ……」

 

 セイバーは言った。

 

「聖杯の処理も、キャスターが主導する事でしょう」

「ああ……」

「私の役割はここまでです」

 

 そう言って、彼女は浮かべたのは落胆と失望の表情だった。

 

「……セイバーは、聖杯が必要なんだよな」

「はい。その為に召喚に応じました。……ライダーのように無心で忠義を捧げられぬ浅ましい身です」

 

 自嘲するセイバーに、「そんな事はない」と言うと、彼女は笑った。

 

「……マスター。ここで、失礼致します」

 

 そう言うと、彼女の体から膨大な魔力が吹き荒れ始めた。

 

「な、なにをしてるんだ!?」

「……私には聖杯が必要だ。今回は手に入れる事が出来なかった。だから……、次に向かいます」

「待ってくれよ! 俺、お前の事を知りたいんだ! こんな、何も知らないままなんて――――」

 

 セイバーは首を横に振った。

 

「……失礼致します」

 

 そこにあるのは、明確な拒絶だった。

 さっきから、彼女とつながっているラインが閉じている。魔力が底を尽きれば、彼女は消えてしまう。

 だけど、何も出来ない。掛けるべき言葉も見つからない。

 彼女の気配が薄れていく。このままでは、本当に消えてしまう。

 

「待ってくれよ。まだ、お礼だって言えてないんだ!」

「不要です。私は私の目的の為に戦いました。これも、私の選択です。……マスター、あなたには平穏がよく似合う」

「セイバー……」

 

 ああ、また間違えた。

 キャスターの時も、いじめを止めた時も、俺は肝心な事を忘れてばかりだ。

 相手を知る事。何よりも先にやらなければいけない事を怠った結果がこれだ。

 

「――――待て、セイバー。勝手に消えるな」

「え?」

 

 誰かの声と共に、虚空から鎖が飛び出して、セイバーの体を拘束した。

 気がつけば、彼女の隣に男が立っている。

 黄金の髪に、真紅の瞳。浮世離れした美貌を持つ男はセイバーの顎を持ち上げて言った。

 

「迎えに来たぞ、セイバー。お前の答えを聞きに来た」



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第二十七話『王』

 いきなりの事に動転していると、道場の入り口が騒がしくなった。

 

「衛宮、何があった!?」

 

 真っ先に飛び込んできた慎二に状況を説明する。

 

「し、慎二! その、セイバーが魔力をバーって出して消えようとして、いきなり鎖がガーっと出てきて、セイバーがグルグル巻になったかと思えばどっかで見た気がする外人さんがセイバーに答えを聞きに来たって言い出したんだ!」

「……落ち着け、衛宮。語彙力が藤村になってるぞ」

「それどういう意味!?」

 

 慎二の暴言に大河がガオーと叫びながら道場に入ってくる。

 

「あれ? 王様だ! やっほー、ひさしぶりー!」

「えっ、知り合いなのか?」

「何言ってるの? ほら、よく公園で遊んでくれたじゃん!」

「……あー! 思い出した! 子供の頃によく遊んでもらったっけ!」

 

 こんなに特徴的な人をどうして忘れていたんだろう。たぶん、見た目が全く変わっていないせいで、逆に分からなかったのだろう。

 昔、俺と大河は他の子供に混じって、この人に遊んでもらった事がある。

 

「あっ、失礼しました。お久しぶりです」

 

 慌てて頭を下げると、嘗て王様と呼ばれていた男は声をあげて笑いだした。

 

「覚えているぞ、シロウ。そして、タイガ。どうやら変わりないようだな」

「王様も全然変わらないね!」

「まあ、サーヴァントだからな」

「……え?」

 

 王様は笑った。

 

「シロウ。以前にも言った筈だぞ。お前は視野が狭すぎる。魔術師ならば、一目で分からねばいかんぞ」

「……本当だ」

 

 目を凝らしてみれば一目瞭然だった。

 人ならざる者。超越者のみが持つ気を彼は纏っている。

 

「でも、どうして……」

「簡単な話だ。我は前回の聖杯戦争で生き残り、そのまま現界し続けている」

「そうだったんですか……。ところで、セイバーを離してあげてくれませんか……?」

 

 セイバーは殺気に満ちた表情を浮かべている。

 

「断る。これは我の女だ。どう扱おうが、我の勝手だ」

「……これって、情熱的って奴なのか?」

 

 慎二に聞いてみる。まるで、大河と桜がよく見ている過激なドラマのようなセリフだ。

 それにしても鎖はやり過ぎだと思うし、セイバーも嫌がっている。 

 

「……というか、なんで普通に会話してるんだよ。前回の生き残りとか、ツッコむべき所がいろいろあるだろ!」

「やかましいな、雑種」

 

 その言葉と共に光が瞬いた。

 金属がぶつかり合う音が響く。アーチャーが慎二を庇ったようだ。

 

「……貴様は不愉快だ、消えろ」

 

 さっきまでは友好的だった王様の顔が一変する。

 

「待ってよ、王様!」

 

 大河が慌てたようにアーチャーの前に出る。

 

「大河!」

 

 今の王様の前に出るのは危険過ぎる。

 アーチャーを見る目が、前に教室で出たゴキブリを視る女子の目と一緒だった。

 不愉快そうに、情けも容赦もなくか弱いゴキブリにゴキジェットを集団で吹きかける女子達の姿が記憶に焼き付いている。

 俺は大河の下へ駆け寄った。

 

「変わらんな」

 

 途端、王様は愉快そうに笑った。

 

「……それに、これはこれで面白い。同じ存在が、切っ掛け一つでここまで変わるものとはな」

 

 その視線は俺とアーチャーの間を行き来している。

 

「分かるんですか……?」

「無論だ。それはそれとして、セイバーはもらっていくぞ」

 

 そう言って、王様はぐるぐる巻きのセイバーを持ち上げた。

 

「待ってよ、王様! セイバーちゃん、すごい嫌がってるよ!?」

「問題ない。むしろ、躾甲斐があるというものだ」

「ダメだよ! 嫌がってる女の子に無理矢理なんて、絶対ダメ! 連れていくなら、せめてここで口説き落としてからにして!」

「口説き落とせだと?」

「そうだよ! 嫌がっている子を無理矢理なんて、口説き落とす自信もない軟弱者のする事だよ!」

「……言うではないか、道化」

 

 王様は笑った。

 

「この我を軟弱者と呼ぶとは、相も変わらず恐れを知らぬ。……だが、許そう。貴様には、それなりに借りもある。ここはその顔を立てるとしよう」

 

 そう言うと、王様はセイバーを降ろして鎖を外した。

 

「アーチャー!!」

 

 そう叫び、斬りかかるセイバー。対する王様は指一つ動かす事なく、彼女の動きを止めた。

 虚空から現れた布が彼女の握る不可視の剣を掠め取り、別の布が彼女自身の体を縛っている。

 

「あまり手間を掛けさせるな」

 

 そう言うと、セイバーの剣を道場の隅に放り投げ、王様はセイバーの布を外した。

 武器を奪われたセイバーは王様を睨みながら後ずさる。

 

「セイバー、我の物となれ。さすれば天上の快悦と―――――」

「断る!!」

 

 王様が固まった。

 

「……なんだと?」

「断ると言った。貴様の戯言に付き合う気はない!!」

「戯言と言ったか、貴様」

 

 不穏な空気が漂い始める。なんだか、昼ドラを見ている気分だ。

 

「王様! 暴力はダメだよ! ちゃんと言葉で口説き落としてね!」

「……分かっている!」

 

 王様は舌を打った。

 

「……それで、あの男は何なんだ?」

 

 王様が必死にセイバーを口説いているのを尻目に、慎二が小声でアーチャーに問い掛けた。

 

「ギルガメッシュ。世界最古の英雄王だ」

「……マジかよ。前回の聖杯戦争の生き残りとか言ってたな。なんで、そんな奴とちょっと親しそうなんだよ、お前ら」

 

 慎二がジトッとした目で俺と大河を見る。

 アーチャーとライダーも何か言いたげだ。

 

「昔、遊んでもらった事があるんだ。初めて会った時は……そう、雪が降ってたっけ」

 

★もしも、藤ねえが同い年だったら 第二十七話『王』

 

 冬木は一年を通して温暖で、雪はあまり降らない。だから、大河が大はしゃぎして、俺はいつものように彼女に手を引かれて、いつもとは違う風景の中を走り回った。

 王様と初めて会ったのは新都の海浜公園だった。雪合戦をしていたら、歩いていた王様に大河の投げた雪玉が当たってしまったのだ。

 

「ごめんなさい!」

 

 慌てて謝ると、王様は俺と大河を見た。

 

「……構わん。それより、お前達は何をしているんだ?」

「雪合戦! 雪をね! 丸めて、投げ合うの!」

 

 大河はキラキラした目で王様を見た。

 

「お兄さんカッコイイね! 王子様みたい!」

「王子ではなく、我は王だ」

 

 子供の冗談に付き合ってくれる良い人だと思った。

 

「王様なの? ねえ、王様! 一緒にやらない?」

「雪玉をぶつけ合って、楽しいのか?」

「楽しいよ!」

「楽しいのか、ならばやってみようではないか」

 

 ノリの良い人でもあった。途中から王様も熱中し始めて、気付けば全員がびしょ濡れになっていた。

 

「ぶえっくしょん!!」

 

 大河がくしゃみをした所で雪合戦は終わった。

 

「ついて来い」

 

 そう言って、王様が連れてきたのは新都のショッピングセンターだった。

 そこで、王様は俺達二人に服を買ってくれた。値札には見たことのない数字が並んでいる。

 

「遠慮はいらん。中々に楽しめたからな。これは駄賃のようなものだ」

 

 そう言う王様に何かお礼が出来ないかと思って、俺は近くの自動販売機に向かった。

 ホットココアを三つ買って、王様に一つを渡すと、王様は顔を顰めた。

 

「なんだこれは」

「ココアです。えっと、嫌いですか?」

「……珍妙だ」

 

 そう言いながら、王様はホットココアを飲んだ。そして、目を見開いた。

 

「美味いではないか!」

「わたしもココアだいすきー!」

「俺も」

 

 どうやら、かなり気に入ったようだ。王様は更に三本のココアを買って、二本を俺達にくれた。

 

「王様、ココアを飲んだ事が無かったの?」

「無い。よもや、このような飲料があるとは……。舌に媚びる甘さは不快だが、しかし、中々に癖になる」

 

 王様はなんというか、かなり浮世離れしていた。難しい事は知っているのに、俺達が当たり前のように知っている事を知らない。

 それがなんだか面白くて、俺達は王様を連れ回した。

 

「王様は庶民の暮らしを知らない箱入り息子なんだね!」

「箱入り息子……、だと!?」

「もしかして、コタツでゴロゴロとか、風呂上がりの麦茶も知らないの?」

「なんだ、コタツでゴロゴロとは! 教えろ!」

「ふっふっふ、仕方ないにゃー。教えてしんぜよー!」

 

 大河に引っ張られていく王様。

 そのままショッピングセンターで開催されていたミニ四駆の大会に飛び入りで参加して、金に物を言わせて作ったマシンで小学生相手に優勝の座を勝ち取ったり、ポケモンにハマったり、やりたい放題だった。

 

「ハッハッハッハ! 思いの外面白かったぞ!」

 

 レースに勝利した時の王様のガッツポーズは脳裏に焼き付いている。

 周りの小学生達は泣いていた。

 大人げない人だと思った。

 

「よもや、この我の知らぬ世界があったとはな。これが庶民の幸福というものか!」

 

 ちょっと他人の振りをしたくなるくらい、王様はテンションを上げていた。

 

「我は英雄の頂点に立つもの。この世すべての快楽を知っておかねばならぬ! そうでなくては何が王か!」

 

 周りの視線が痛い。

 

「――――良かろう。タイガ、そして、シロウ! お前達を、我を愉しませる道化に任じようではないか! さあ、庶民の幸せとやら、存分に教えるがいい!」

 

 それから、俺達はちょくちょく王様と一緒に遊んだ。

 焚き火をして、焼き芋を焼いた翌日、日本中の有名なサツマイモを探しに行くぞと金ピカなバイクで旅に出たり、自分のグッズを作って売り出したり、やりたい放題は相変わらず。

 シュメール煎餅とか、ウルク饅頭とか、超合金ギルガメッシュロボとか、名前のチョイスは謎ながら、かなり繁盛して、売り子を手伝った俺達は結構な額のお小遣いをもらった。

 

 ◆

 

「――――とまあ、そういう感じだ。グッズを全国展開するって言って会社を作ってから、遊ぶ機会が減ってな」

「アーチャー! 貴様、この十年の間に何をしていた!?」

 

 俺達の話が聞こえていたのか、セイバーが突っ込んだ。

 

「すべてを味わい尽くした! ハハッ、貴様も望むなら、我が手ずから教えてやるぞ。我が花嫁よ!」

「だ、誰が花嫁ですか!」

「そう照れるな、セイバー。いい加減、ツンデレなど時代遅れだぞ」

「なんですか、ツンデレって!」

 

 まだ時間が掛かりそうだ。

 

「おい、あいつツンデレとか言ったぞ。本当に世界最古の英雄王なのか?」

 

 慎二が疑いの目を向ける。 

 

「そっ、その筈だが……」

 

 アーチャーが自信を失いかけている。

 

「……これも大河の影響なのか。アレな英雄王が、輪を掛けてアレになっている……」

 

 アレ呼ばわりされている王様はセイバーの手を握りしめた。

 

「セイバーよ、いい加減に素直になれ!」

「……これ以上なく素直ですよ。他を省みぬ強大な自我は相変わらずか。邪ではないが、あなたはあまりにも理不尽過ぎる!」

「それが王というものだ! 貴様も王ならば、己の心に従うがいい!」

「だから、従っています! 断ると何度も言っているではありませんか!」

「何故、素直にならんのだ! この我が、こうまで真摯に口説いていると言うに!」

「迷惑です!」

「なんだと!?」

 

 よく心が折れないな、王様。

 だけど、なんだかんだでセイバーの顔から陰が取れたように思う。

 我儘で、大人げない人だけど、どこか人を惹き付けるところは相変わらずみたいだ。

 

「そろそろお昼の時間だねー」

 

 大河は道場の時計を見て言った。

 

「あっ、本当だ」

「王様! ちょっと休憩して、ご飯にしない?」

「むっ、我は要らん! セイバーが首を縦に振るまで、我はここから動かんぞ! 無論、セイバーもだ!!」

「ふざけるな、アーチャー!! 貴様の身勝手に付き合ってなどいられん!!」

「ええい、じゃじゃ馬め! 一言、我を愛していると言えばいいのだ! 何故、そんな簡単な事が出来んのだ、貴様!」

 

 まだ、当分掛かりそうだ。

 

「……お弁当作って、ここで食べるか」

「いいね! それでいこう! ……って、どうしたの? アーチャー」

 

 大河はなんだか微妙な表情を浮かべているアーチャーに声を掛けた。

 

「……いや、セイバーが奴をアーチャーと呼ぶせいで、私が罵声を浴びせられている気分になってな。アプローチの仕方に問題があるのだと思うが、ここまで言われて尚諦めない心の強さは見習うべきかもしれんな」

「アーチャー。……お前、疲れてるんだよ」

 

 慎二が労うように肩を叩いた。

 

「とりあえず、弁当作ってくるよ」

「あっ、坊や。どうせなら、ちょっと料理を教えてくれない?」

 

 キャスターが言った。

 

「え? なんで?」

「いいからいいから」

「あっ、だったら私も!」

「私もお手伝いします、先輩!」

 

 大河と桜も手を挙げた。

 

「いや、四人も台所に入れないぞ」

「その点は大丈夫よ。私がなんとかしてあげる」

「いや、なんとかって、どうにもならないだろ。うちの台所は狭くもないけど広くもないぞ」

「大丈夫大丈夫。ほらほら、行くわよ!」

 

 キャスターに背中を押されながら俺は道場の外に出た。

 

「王様、頑張ってね!」

 

 大河が声を掛けると、王様は親指をグッと上げて応えた。

 ダメそうだ。




タイコロのギル様ルート大好きです(*´ω`*)


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第二十八話『正義の味方の逆鱗』

 キッチンに入ると、俺は言葉を失った。

 

「うわっ、すごーい!」

 

 興奮した大河がキッチンの中を走り回る。

 おかしい。数分前まで、走り回るスペースなど無かった筈なのに。

 

「ふふふ、凄いでしょ! 空間拡張だけじゃないのよ。ほら、足元を見てみなさいな」

「足元? おお、これは! 床下収納!」

 

 なんという事でしょう。大河の足元には、以前までは無かった床下収納が……ッ!

 

「その床下収納は異空間化しているの。さらに固有時制御の応用も取り入れてるのよ! だから、中に入れた食材は十年二十年……、それこそ百年経っても腐らないわ!」

「うわー、凄いことになってますね」

 

 桜がポカンとした表情を浮かべて言った。

 

「どう? これなら何人でも大丈夫でしょ?」

「お、おう……。っていうか、いつの間にキッチンを劇的ビフォアアフターしたんだ!?」

「坊やがセイバーを探しに行っている間にちょちょっと。前から料理に挑戦してみたいと思っていたのよ。だけど、この家のキッチンって狭いじゃない? だから、改造してみたわ。ついでに強固な結界も張っておいたから、有事の際はここに逃げなさい。サーヴァントの宝具でも無い限り、絶対に破れないから」

「人の家のキッチンに何してくれてんだ!?」

 

 キッチンの中に入る。長年使ってきた愛着あるキッチンが魔改造されてしまった。

 酷すぎる。あんまりだ。こんなに広々としていて、収納に不自由しなくて、床下収納まで備えたキッチンなんて、俺のキッチンじゃない!

 

「……うわぁ、士郎が泣いちゃった」

「せ、先輩。そんなに嫌だったんですか」

「わかった。分かったわよ。戻すから本気で泣くのはやめてちょうだい」

 

 三人がドン引きしている。だけど、仕方ないじゃないか……。

 誰にだって、壊されたくない聖域というものがある。

 

「……これは、なんとエゲツない真似を! 魔女め……」

「お前、本当に衛宮なんだな」

 

 アーチャーと慎二がやって来た。

 

「おい、衛宮」

「慎二……。どうした?」

「……とりあえず、涙拭けよ。お前のマジ泣きとか久々に見たぞ」

 

 慎二が渡してきたハンカチで涙を拭う。

 

「悪い……」

「も、戻すから、それ以上罪悪感を感じさせないでちょうだいよ。……なによ、良かれと思ってやったのに」

 

 俺達がキッチンを出ると、キャスターはブツブツ文句を言いながら作業を始めた。

 

「それで、どうしたんだ? 王様の告白がうまくいったのか?」

「いや、全然ダメだな。押せ押せばっかで駆け引きにもなってないよ。セイバーみたいなタイプは途中でわざと退くほうが上手くいくと思うんだけどな」

「……さすが、百戦錬磨だな」

「さすがですね、兄さん」

 

 何故だろう、寒気を感じた。

 

「そ、そうだ。これを渡しに来たんだ」

 

 そう言って、青い顔をした慎二がサツマイモを取り出した。

 

「なんだこれ」

「南米で手に入れたサツマイモらしい。これを調理しろってさ、あの自称王様」

「南米……。えっ、まだ探してたのか!? 世界一のサツマイモ」

「五年もかかったとかすげードヤ顔で言ってたぞ。あと、藤村にこれを渡せってさ」

「え? なになに?」

 

 慎二は大河に奇妙な人形を渡した。

 

「……お土産だってさ」

 

 慎二とアーチャーが遠い目をしている。

 

「わーい! なにこれ、すっごい可愛い!」

 

 はしゃぐ大河。獣の顔を持つ黒い人形は、どちらかと言うと気持ち悪いとか、怖いという感想を抱かせるが、ここは黙っておこう。

 

「……とりあえず、いろいろ作ってみるか」

 

 程なくしてキャスターの作業が終わった。

 元通りのキッチン。これだよ、これ。

 頭の中でレシピを展開する。王様が認めた一品なら、間違いない。このサツマイモこそ、至高のサツマイモだ。

 さあ、始めるぞ!

 

★もしも、藤ねえが同い年だったら 第二十八話『正義の味方の逆鱗』

 

 なにやら興奮した様子でサツマイモの調理を始める士郎。

 

「……むむ。これは珍しい食材が手に入った時の鉄人モード。このモードになると、士郎ってば台所に入れてくれないんだよね……」

「おい、アーチャー。羨ましそうにするなよ」

「う、羨んでなどいない! ……ただ、あの至高の食材を小僧如きが扱いきれるのかと思っただけだ!」

「……ちなみに、お前ならどう料理するんだ?」

「私か? 私なら……、そうだな」

 

 アーチャーは慎二くんに熱い思いを語り始めた。やっぱり、多少の違いはあっても士郎は士郎みたい。

 慎二くんはゲンナリしながら聞いてあげている。

 

「はぁ、料理を教えてもらう筈だったのに」

 

 唇を尖らせるキャスターさん。

 

「士郎は料理にこだわりを持つタイプだからねー」

「先輩の料理指導は結構スパルタなんですよ」

「人畜無害な顔して、意外な一面を持ってるのね」

 

 キッチンの中を覗いてみる。

 実を言うと、鉄人モードの士郎が結構好きだったりする。

 だって、すごく生き生きしている。

 

「楽しそうね……」

「先輩、ノリノリです」

 

 キャスターさんと桜ちゃんが覗き込んでも、士郎はまったく気付かない。

 料理に全神経を集中しているんだ。

 

「仕方ないわね。私は宗一郎さまの所へ戻るわ」

 

 そう言って、キャスターさんは居間から出て行った。

 きっと、葛木先生に手料理を振る舞ってあげたかったんだろう。料理が終わったら、次はちゃんと教えてあげるように士郎を叱らなきゃいけないね。

 

「私達はどうしますか?」

「うーん……。とりあえず、こっちの士郎の話でも聞いてよっか」

 

 アーチャーは相変わらず慎二くんに語っていた。

 

「世界中を旅して回ったが、その途上で世界中の一流ホテルのシェフとメル友になってね。真の食の頂というものが見えた気がしたよ」

「……お前、なんで料理人にならなかったんだよ」

 

 慎二は呆れ半分に言った。もう半分は……、少し怒っているみたい。

 

「いや、料理はあくまで必要に迫られたからで……」

「なんの言い訳だよ! ったく、料理が好きなら、その道を突き進めば良かったじゃねーか!!」

 

 今度は怒りが前面に出ていた。

 

「……慎二」

「あーくそっ、今度、お前の料理も食わせろよ。世界中回って極めた味ってもんを評価してやるから!」

「あ、ああ。期待に添える物を用意してみせようじゃないか」

「言っとくが、僕は情けも容赦も掛けないぞ! 下手な料理を出してきたら辛口の評価を下してやる!」

 

 私は桜ちゃんとアイコンタクトを交わした。

 そそっと居間を出る。

 

「慎二くん、士郎の事が大好きだよね」

「兄さんと話していると必ず話題に先輩の名前が上がりますからね」

「うちの士郎はモテますなー」

「はい、モテモテです!」

 

 桜ちゃんと笑い合う。

 

「ふふふ、男同士でイチャイチャしている間にわたしは桜ちゃんを攻略してやるぜー」

「えへへー、とっくに攻略済みですよー」

「くぅー、かわいい!」

 

 桜ちゃんを抱き締めながら、近くの部屋に雪崩れ込む。

 畳に寝っ転がりながら、わたしは桜ちゃんに問い掛けた。

 

「……聞いてもいい?」

「なんですか?」

「桜ちゃんと慎二くんが聖杯戦争に参加した理由」

「……聞いちゃいますかー」

「教えてほしいな―」

「教えなきゃだめですかー?」

「だめー」

「そうですかー」

 

 桜ちゃんは体を起こして、わたしを見下ろした。

 

「……藤ねえになら、いいですよ」

 

 この呼び方は二人っきりの時だけのもの。

 桜ちゃんはぽつりぽつりと語り始めた。ずっとむかし、一緒に山に篭った時は聞けなかった話。

 桜ちゃんの、深い傷。



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第二十九話『桜』

 前日まで振り続けていた雨は止んでいた。いつものように桜ちゃんと遊ぼうと間桐の屋敷を訪ねたわたしは、アザだらけの彼女を見つけた。

 何が起きたのか聞くと、彼女は後ろめたそうに下手人を庇い立てた。それで、犯人が分かった。

 桜ちゃんは、あまり他人に関心がない。そんな彼女が庇おうとする相手なんて、世界に三人しかいない。士郎にはアリバイがあった。

 

「……なにがあったの?」

 

 慎二くんが桜ちゃんを殴った。その理由を問い質した。

 彼は彼女を大切に想っている。そんな彼が暴力を振るうなんて、異常だ。なにか、深い事情がある筈だけど、桜ちゃんは語りたがらなかった。

 辛そうに表情を歪める彼女に、わたしは何も言えなくなった。

 だから、慎二くんを問いただす事にした。自暴自棄になって、支離滅裂な事を口にする彼に気付けの一撃を与えると、彼は逃げ出してしまった。ちょっと、感情を乗せ過ぎたみたい。

 途中で士郎が横槍を入れてきて、三日三晩も追いかけ回す事になった。ようやく捕まえたと思ったら二人は仲良く気を失ってしまい、結局聞き出す事が出来なかった。

 

 結果オーライと言うべきか、入院中に慎二くんと桜ちゃんの関係は改善された。

 とりあえず、わたしは余計な事をした士郎にヘッドロックを掛けておいた。

 

「や、やめろ、大河! 痛いし、当たっちゃってるから!」

「ええい、問答無用!」

 

 三人が退院した後、桜ちゃんはよく笑うようになった。

 

「藤村さんのおかげです……」

 

 モジモジしながらお礼を言う桜ちゃん。とっても可愛かった。

 だけど、事情は教えてもらえなかった。

 それでも良いと思った。いま、桜ちゃんが笑っていられるなら、事情なんてどうでもいいと思った。

 

 それが間違いだと気付いたのは一ヶ月後の事だった。

 寸前まで笑っていた桜ちゃんが、急に涙を流し始めた。

 

「あ、あれ? お、おかしいな……」

 

 桜ちゃん自身も戸惑っているみたい。

 落ち着かせようと思って、抱き締めながら頭を撫でる。

 彼女が落ち着くまで、一時間以上も掛かった。

 

「……最近、苦しいんです」

 

 桜ちゃんは震えた声で言った。

 

「前は耐えられた事なのに、耐えるのが辛くなってきて……」

 

 それが何を示すのか、わたしには分からなかった。

 だけど、それが慎二くんの暴力事件と繋がっている気がした。

 

「桜ちゃん……」

「……なんで? なんで、こんなに苦しいの……? 前は平気だったのに……、なんで……」

 

 止め処なく涙を零しながら、彼女は肩を震わせた。

 

「平気じゃなかったんだよ」

「え……?」

「桜ちゃんは、いっぱい我慢して来たんだね」

 

 桜ちゃんは嗚咽をもらした。

 

「……私、どうしたらいいんですか?」

 

 絞り出すような声だった。

 

「じゃあ……、逃げちゃう?」

「え……?」

「我慢出来ないくらい辛い事なら、いっそ逃げちゃおうよ!」

 

 わたしは桜ちゃんを抱き上げた。

 

「……逃げて、いいんですか?」

「もちろんだよ。嫌な事があるなら、逃げたっていいんだよ!」

 

 わたしは家を出た。途中で士郎と慎二くんに出くわしたけど「修行に行ってくるね―」と誤魔化した。

 

「肝心な事は、負けない事だよ」

「負けない……? でも、逃げたら……」

「逃げる事は負けなんかじゃないよ。辛い事や、苦しい事に押し潰されたら、それこそ負け。耐えられないなら、逃げればいいの!」

 

 円蔵山に向かう。

 

「どこに行くんですか?」

「秘密基地!」

 

 山に入ると、道なき道を突き進んだ。

 しばらくすると、拓けた場所に出る。そこは、ずっと前に王様と遊んだ場所。

 大きなログハウスや、遊具が並んでいる。

 

「ここは……」

「ここなら誰にも見つからないよ」

 

 家出や山篭りの時に何度か使ったけれど、不思議な事に、一度も大人に見つかった事がない。

 士郎でさえ、この場所の事は知らない。王様と秘密基地を作ってた頃、ちょうど喧嘩をしていたからだ。

 

「案内してあげる! ここ、凄いんだよ!」

 

 なんと、ログハウスにはキッチンとトイレ、お風呂まで完備されている。

 しかも、お風呂は温泉だ。ライオンの口からドバドバお湯が出ている。

 

「すごい……」

「でしょー!」

 

 二人で温泉に飛び込む。泳いだって、誰にも注意されない。

 一人の時はすぐに寂しくなって一日ももたなかったけど、桜ちゃんと一緒だとなにもかもが楽しい。

 

 秘密基地で過ごす七日目の夜、桜ちゃんは言った。

 

「……明日、帰ります」

「桜ちゃん……」

 

 月明かりに照らされた桜ちゃんの顔には、強い意志が宿っていた。

 

「いっぱい我慢して来ました。いっぱい逃げました。だから、次は抗おうと思います」

「そっか……」

 

 頭を撫でてあげると、桜ちゃんは嬉しそうに頬を緩める。

 

「……わたし、お姉ちゃんがいるんです」

「お姉ちゃん……? えっ、慎二くんって、女の子だったの!?」

「違います! 兄さんは立派な男の人です! ……そうじゃなくて」

 

 桜ちゃんは悩ましげな表情を浮かべながら言った。

 

「わたしは養子なんです。間桐の家に貰われる前は、遠坂という名字でした」

 

 彼女は感情を抑えた声で語った。

 

「父が決めた事でした。母も、姉も、父の決め事なら仕方ないって……ッ」

 

 一瞬、桜ちゃんの声に怒りが滲んだ。

 

「……桜ちゃん」

「藤村さんが……、お姉ちゃんだったら良かったのに」

 

 桜ちゃんは涙を零しながら言った。

 

「いいよ、桜ちゃん」

「……え?」

「お姉ちゃんになってあげる!」

「藤村……、さん」

「大河でいいよ! あっ、名前で呼ぶのが苦手なら……うーん、藤ねえとかどう?」

「藤ねえ……」

 

 桜ちゃんは繰り返し「藤ねえ……。藤ねえ……」と呟いた。

 

「藤ねえ……、ありがとうございます」

「敬語もいらないよ。わたしはお姉ちゃんなんだから、妹の桜ちゃんはタメ口でいいの! そんで、思いっきり甘えてきたまえ!」

「……う、うん!」

 

 抱きついてきた彼女を抱き締めながら、その背中をポンポンたたく。

 

「……でも、いつかはお姉ちゃんを許してあげてね」

 

 桜ちゃんは応えなかった。

 

「わたし、桜ちゃんには幸せになって欲しいよ。……誰かを嫌うって事は、自分を嫌う事と一緒だから」

「……うん」

 

★もしも、藤ねえが同い年だったら 第二十九話『桜』

 

 ……あの時、わたしは藤ねえを守りたかった。

 あの秘密基地が何なのか、彼女が王様と呼ぶサーヴァントの存在を知って、ようやく分かったけど、当時は分からなかった。

 別に、秘密基地がどうこうという話じゃない。あの空間でわたしを庇ったせいで、藤ねえが臓硯の毒牙に掛かる事だけは許せなかった。

 今更、自分の肉体がいくら穢されても構わない。だけど、あの人には綺麗でいて欲しい。あのぬくもりを失いたくない。

 汚泥の底に沈むはずだったわたしを掴んでくれた手。

 

 ――――あの太陽(ひかり)を奪われてたまるか……ッ!

 

 あの時を境に、わたしは戦う事を決意した。

 結局、兄さんがすべて終わらせてくれたけれど、わたしもこの聖杯戦争中に臓硯を殺すつもりだった。

 どんな手を使ってでも、絶対に。

 わたしの心を屈服させる為に、あの悍ましい眼を藤ねえに向け始めていたから……。

 

「――――兄さんはわたしを助ける為に、わたしは……、間桐臓硯を殺すために聖杯戦争に参加しました」

 

 穢れた自分を晒す事は、死よりも辛い。

 だけど、彼女に知って欲しい気持ちもあった。

 なんて事はない。本当に、子供みたいな感情。

 

 ――――わたし、がんばりました。だから……、だから、

 

 洗い浚い、全部話し尽くすと、藤ねえは黙って頭を撫でてくれた。

 

「頑張ったんだね、桜ちゃん」

 

 欲しかった言葉。

 浅ましいわたしは、彼女に褒めてほしかった。

 

「……藤ねえ。わたし、がんばったよ」

 

 彼女に抱き締められると、心が安らぐ。

 

「……大好き」

 

 兄さんが好き。衛宮先輩が好き。美綴先輩が好き。部活の仲間が好き。クラスの友達が好き。

 なにもかもがイヤで、なにもかもを嫌っていたわたしが、こんなにもたくさんの《好き》を知る事が出来た。

 

「わたしも大好きだよ、桜ちゃん」

 

 過去を変える事は出来ない。

 出来たとしても、変えたくない。

 穢され尽くした体だけど、それでも、このぬくもりを知る事が出来た。

 

「……おっ、いい匂いが漂ってきたね」

「そろそろみたい!」

「戻ろっか」

「うん!」

 

 未来に絶望する日々は過ぎ去った。

 今は先輩の作る料理が楽しみ。

 

 ――――未来(あした)が楽しみ。



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第三十話『王の責務』

「セイバー、嫁になれ!!」

「断る!! 何回目ですか、これ!!」

 

 弁当を持って道場に戻ると、王様は未だにセイバーを口説き落とせていなかった。

 けれど、最初のように険悪な雰囲気はない。

 

「王様! 弁当が出来ましたよ!」

「むぅ、もうひと押しというところで……」

 

 セイバーが大きなため息を零した。

 

「……貴方の前向きさには感嘆を覚える」

「ようやく我の偉大さが理解出来たか! ならば、嫁に来い!」

「同じくらい、貴方の面倒くささにウンザリしています」

 

 青筋を立てるセイバー。

 

「と、とりあえず食事にしないか? 王様がくれたサツマイモでいろいろ作ってみたんだ」

「……そうですね」

 

 セイバーは大人しく従ってくれた。

 

「サツマイモづくしだぞ!」

 

 大河と桜に手伝ってもらいながら弁当を広げる。

 

「同じ食材を使って、これほど多彩な料理を……!」

 

 目を輝かせるセイバーに、王様は雷に打たれたような表情を浮かべた。

 

「ば、馬鹿な! 無愛想を絵に描いたような女であるセイバーを、こうもアッサリ笑顔にしただと!?」

「だ、誰が無愛想を絵に描いたような女ですか!」

「ええい、シロウよ! よもや貴様、料理でセイバーの我への愛を奪う気か!?」

「奪うも何も、貴方に向ける愛など一切ありません!」

「本来ならば、女が男の為に尽くす事が常道。それを逆手に取り、男の身で女に尽くす! これが、ギャップ萌えというものかぁぁ!?」

 

 王様の叫びに、慎二がウンザリした表情を浮かべた。

 

「……おい、アイツは本当に英霊なのか?」

「自称かもしれんな。……しかし、この甘露煮はまだまだだな。レモンの汁を加え、更に一摘みの塩をふりかけるだけで味がグッと引き締まるものを」

「あんたも英霊なのか怪しくなって来たけどね。アーチャーやめてコックになりなさいよ」

 

 料理の品評を始めるアーチャーに遠坂がツッコミを入れている。

 

「先輩。この冷製スープって、前に作ったものと違いますよね?」

「ああ、あの時は豆乳を混ぜ込んだけど、今回は牛乳にしたんだ」

「はやく食べようよー!」

 

 桜と話していると、虎が吠えた。

 

「じゃあ、食べようか」

 

★もしも、藤ねえが同い年だったら 第三十話『王の責務』

 

「……朝の続きだけど、聖杯が必要なのはセイバーだけでいいんだよな?」

 

 至高のサツマイモに舌鼓を打っていると、慎二が切り出した。

 

「いいんじゃない? イリヤが協力してくれる事になったから、わたしの目的は達成出来たし」

 

 キャスターが炊き込みご飯を食べながら頷く。

 

「協力って?」

「第三法の応用ね」

「……最初から、聖杯じゃなくてキャスターを喚べば良かったわ」

 

 イリヤがうなだれている。

 

「どうしたんだ……?」

「聞いてよ、シロウ! キャスターってば、わたし達の悲願をアッサリ達成しちゃったのよ!?」

 

 イリヤは涙目になりながら叫んだ。

 

「千年に及ぶ試行錯誤は何だったの!? 根源に到達する必要さえ無いじゃない!! 聖杯を作るための儀式の副産物だけで事足りていたなんて、もう! もう、もう、もう!」

「私を近代の魔術師の常識に当て嵌めないでちょうだい。今世の魔法使い達だって、私から見たら赤子も同然なんだから」

「……私、聞かなかった事にするわ」

 

 遠坂は耳を塞ぎながらアーチャーに煮物を食べさせてもらっている。

 その目はどこか虚ろだ。

 

「落ち込む必要は無いだろう。アインツベルンは第三法自体が目的だが、君の場合は第二法に至るまでの軌跡こそ重要なんだろう?」

「そうだけど……、そうだけど! そういう事じゃないのよ!」

 

 いろいろと複雑みたいだ。

 

「……とりあえず、わたしはキャスターに弟子入りする事にしたの。だから、アインツベルンも聖杯を放棄するわ。たぶん、そっちの方が早いし」

 

 渇いた笑みを浮かべるイリヤ。

 

「えっと……、遠坂はどうなんだ?」

「私も要らないわ。元々、聖杯戦争に勝つ事が目的で、聖杯自体に興味は無かったし」

「……となると、後はセイバーだな」

 

 みんなの視線がセイバーに集まる。

 気まずそうな表情を浮かべるセイバー。

 

「セイバー……」

「結末を変える事だ」

 

 応えたのは王様だった。

 

「アーチャー、貴様!!」

 

 掴みかかるセイバーの腕を掴み、王様はセイバーを組み敷いた。

 

「その様子では相も変わらずか、くだらん望みだ」

「貴様に何が分かる!!」

 

 殺意を漲らせるセイバーに、王様は言った。

 

「アーサー王よ。いつまで勘違いを続けるつもりだ?」

「勘違いだと……?」

「貴様は嘗て言ったな。『この身は既に国の物。女である前に王なのだ。故に己は誰の物のもならない。元より、この体にそんな自由は無いのだ』……と」

 

 王様は目を細めた。

 

「笑わせるな。国とは王の所有物に過ぎない。そこを履き違えているから、貴様は国に滅ぼされたのだ」

「……やはり、私と貴方は相容れない。唯我独尊にして、無慈悲なる裁定者よ。貴方には貴方の王道がある事を認めよう。だが、私にも私の王道があるのだ!」

「何故分からんのだ……。貴様が後生大事に守り抜いた国が、貴様に反旗を翻したのだ! ならば、そこで貴様の責務は終わっている! 貴様の言葉を借りるならば、貴様は国に捨てられたのだ! その上で尚も国を救おうなどと、愚かしいにも程がある!」

「……黙れ!」

 

 セイバーの体から魔力の旋風が吹き荒れた。

 残っていた料理が弁当箱ごと吹き飛ばされていく。

 

「セイバー。気高く、慈悲深く、孤高の王よ。貴様の清廉な輝きを、くだらぬ者達の為に曇らせるのは止めろ」

「……貴方は民を見ていない。だから、私が貴方を受け入れる事はあり得ない。彼らの営み、彼らの輝き、それを守るために剣を取った! 守ると誓い、王になった!」

「あの時代、あの情勢の中、貴様以上の結果を出せるものなどそうはいない! 何故、それで満足が出来んのだ!」

「出来る筈がない! だから、私は聖杯を望んだのだ! 国を滅びから救う為に!」

 

 置いてけぼりにされていた思考が、一気に追いついた。

 王様の怒り。それが何に端を発しているのか、ようやく理解出来た。

 

「セイバーは自分の為に聖杯を使うんじゃないのか……?」

「違うぞ、シロウ。この愚か者は国を守るために王になった。だが、その責務を果たす事が出来なかった。だから、『岩の剣は、間違えて己を選んでしまったのではないか』などという妄想に取り憑かれた」

 

 言葉を失った。それでは、あまりに救いがない。

 アーサー王の伝説は知っている。かの王が如何に苛烈な人生を歩み、凄惨な終焉を迎えたかも、本で読んだ事がある。

 王が歩んだ十年という軌跡。それを、彼女は無かった事にしようとしている。

 

「そんなの……、間違ってる」

「……シロウ。貴方までそのような事を言うのですか?」

 

 哀しそうな表情を浮かべるセイバーに、思わず喉を詰まらせた。

 

「当たり前だよ! だって、セイバーちゃんの望みって、選定をやり直すって事でしょ!? それでまかり間違って別の人が選ばれたら、今いるセイバーちゃんはどうなるの!?」

 

 そうだ。もし、違う人間が岩の剣を抜けば、アルトリアという少女は別の人生を歩む事になる。そこには一定の幸福があるかもしれない。

 だけど、今のセイバーは違う。彼女は過去のアルトリアと切り離され、その存在は……、一体どこへいってしまうんだ?

 

「タイガ。私は……、アルトリアは王としての責務を果たさなければいけません。その為に岩の剣を抜いたのですから」

 

 セイバーは迷いなく言った。

 

「王の誓いは破れない。責務を放棄すれば、それはみなに対する裏切りだ」

「貴様自身が散々裏切られてきた筈だろう」

「それでも、私は裏切る訳にはいかない。それが、私の王道なのだ」

 

 王様は大きく目を見開いた後、深く息を吐いた。

 

「……貴様は民を見ていると言ったな。ならば、何故シロウとタイガの言葉に耳を傾けない?」

「それは……ッ」

「我がこの二人に目を掛けているのはな、この二人が純粋故だ。子供の頃より、その気質は変わっていない。この二人が向ける感情や言葉に、嘘偽りはない。その二人が、貴様の願いを間違っていると断じた。それでも、貴様は一考すらせずに切り捨てる気か? それでよくもまあ、民を見ているなどと言えたものだな」

 

 セイバーは言葉を詰まらせた。

 

「……興が削がれた」

 

 そう言うと、王様はセイバーに背を向けて、その姿を消した。

 

「貴様に……、何が分かる」



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第三十一話『糸』

 ――――夢を見た。

 

 とても長くて、とても苦しくて、とても哀しく、とても美しい夢だ。

 

「……セイバー」

 

 本で読んだ事があったから、知っているつもりになっていた。

 全然違う。彼女の歩んだ足跡は想像を絶していた。彼女が剣を抜いた時、既に滅びは始まっていた。絶え間なく攻め入ってくる外敵。絶え間なく暴れ回る内敵。乏しい資源。こんな状態を立て直せる者などいる筈がない。

 王様の言っていたとおりだ。

 

 ――――あの時代、あの情勢の中、貴様以上の結果を出せるものなどそうはいない! 何故、それで満足が出来んのだ!

 

 彼女の功績は十分に賞賛されるべきものだ。他の誰が王になっても、より悲壮で悲惨な終わりを迎えていた筈だ。

 だけど……、

 

★もしも、藤ねえが同い年だったら 第三十一話『糸』

 

「士郎、泣いてるの?」

 

 いつの間にか、部屋に大河が入って来ていた。慌てて涙を拭うと、大河が言った。

 

「セイバーちゃんの事?」

 

 どうして分かるのか、なんて聞かない。大河の顔を見れば、彼女も一晩中考え込んでいた事がわかる。

 

「……俺って、あの頃から何も変わってないんだな」

「士郎?」

 

 セイバーの願いを知った時、俺は間違っていると思った。だって、セイバーは他人のことばかり考えて、自分のことを蔑ろにしている。

 だけど、彼女には彼女の過去があって、思いがあって、今がある。よく知りもせず、上辺だけを他人の口から聞かされて、それを否定する事は正しいことなのか?

 むかし、同じ過ちを犯した。虐められている人がいて、虐めている人間に挑みかかった。結果として、虐めはより苛烈なものになり、助けたはずの人間から恨まれた。それは上辺だけしか見ていなかったからだ。虐められている方にも、虐めている方にも、それぞれの思考や、その関係性に至る過程がある。それはまるで複雑に絡み合った糸のようで、解きほぐすことの難しいもの。それを無理に引き千切ろうとしたら余計にほぐし難くなる。当たり前のことだ。

 目の前の少女はその事を当たり前のように知っていた。いじめっ子といじめられっ子を仲良しの友達にしてみせた彼女の手腕を見てきたはずなのに、その姿に憧れていたはずなのに、何も変わっていない。

 

「士郎」

「イテッ」

 

 大河に眉間をつつかれた。

 

「なっ、なにすんだよ!」

「眉間にシワなんて寄せてるからだよ! まーた、考え込んでるの?」

 

 慎二といい、大河といい、人の心を簡単に暴かないでほしい。

 

「……大河はどう考えてるんだ?」

「わたし? もちろん、セイバーちゃんに幸せになって欲しいって思ってるよ」

「セイバーの幸せって、なんなんだ? 願いを叶えさせてやれば良いのか? 願いを否定して、こっちの考えを押し付ければいいのか? 俺には分からないんだよ! セイバーの力になりたいけど、俺は彼女のことを何も知らないんだ!」

 

 気がつけば、声を荒げていた。完全な八つ当たりだ。情けなくて、吐き気がしてくる。

 

「……わかってるじゃん」

「え?」

 

 大河は微笑んだ。

 

「士郎はセイバーちゃんの力になりたいんでしょ? わたしもそうだよ」

 

 大河は俺の手を掴んで立ち上がらせた。

 

「さあ、行くよ!」

「行くって、どこに?」

「みんなのところ! 分からないことがあったら聞けばいいの。一人で無理なら二人で、二人で無理ならみんなで力を合わせればいいの!」

 

 一人で悩んで答えの出る問題じゃない。分かっていた筈なのに、分かっていなかった。

 大河に引っ張られながら居間に向かう。そこには慎二と桜、ライダーの三人がいた。勢い良く扉を開いて現れた俺達に二人は目を丸くしている。

 

「慎二くん、桜ちゃん! プリーズ、ヘルプ・ミー!」

「カモン!」

 

 反射的に大河のノリに合わせる桜。慎二は呆れ、ライダーはポカンとしている。

 

「……説明しろ、衛宮」

「あ、うん」

 

 俺は慎二に促されるまま口を開いた。

 セイバーの力になりたい。だけど、どうしたらいいのか分からない。そんな俺の言葉を慎二は真摯に聞いてくれた。

 

「そっか、分からなかったのか」

 

 何故か、慎二は嬉しそうに言った。

 

「シンジ?」

 

 ライダーが不可解そうに首を傾げる。

 

「――――お前はどうなんだ? アーチャー」

 

 慎二は台所に向かって声を掛けた。すると、そこにはエプロン姿の弓兵がいた。隣で遠坂が鍋を振っている。

 よく考えると、普段ならとっくに朝食の準備をはじめているべき時間だ。それなのに、桜が居間で寛いでいるという事は誰かが台所を占拠しているという事。鼻をすませば、なにやら香ばしい匂いが漂ってくる。

 

「……昔の私なら、何としても否定していたことだろう。今の私は……、彼女に向けられる言葉を持ち合わせていないな。何を言っても自分に返ってきてしまう」

 

 俺と同じ存在であるはずの彼は言った。

 

「分からない……、か。やはり、私とお前は違うのだな」

 

 しみじみとした様子で言われて、俺はなんと返せばいいのか分からなかった。

 

「勘違いするなよ。明確な答えを持つ事が正しさと同義ではないのだ。ただ、お前は人間だということなのだから」

「何の話だ……?」

「おおいに悩め、という事だ」

 

 そう言い残すと、アーチャーは台所に戻っていってしまった。

 同じ存在であるはずなのに、彼のことも俺には何も分からない。分からないことだらけだ。

 

「衛宮」

 

 慎二が言った。

 

「僕にはセイバーのことなんて何も分からない。だけど、似ているヤツのことは知ってる。だから、これだけは言える。自分より他人のことが大切なヤツってのは、実は誰よりも我儘なヤツなんだぜ」

「はぁ? それって、矛盾してないか?」

 

 結局、慎二はそれっきり何も教えてくれなかった。まるで、言うべきことは言ったと言わんばかりの頑なな態度だ。

 

「よーし、次!」

 

 またもや大河に引っ張り回された。俺は桜から何も聞けていないのだが……。

 

「たのもー!」

 

 扉を開いた先にはイリヤと葛木先生、そしてキャスターがいた。ここはキャスターの部屋だ。

 

「もう、朝から騒がしいわよ、タイガ!」

 

 ふしゃー、と威嚇してくるイリヤに大河はお構い無しで用件を言った。

 

「はぁ? セイバーのこと? なんで、それをわたし達に聞くのよ」

 

 キャスターの言葉にイリヤもうんうんと頷いている。

 

「だって、先生は先生だし、イリヤちゃんとキャスターさんは凄い魔法使いなんでしょ?」

「そう言われても、私の願いも突き詰めて言えばセイバーと変わらないものだもの」

 

 キャスターは言った。

 

「要するに、失ったものを取り戻したいわけ。そのために自分を犠牲にするなんて本末転倒とも思うけど、私には否定することが出来ないわ」

 

 失ったものを取り戻したい。キャスターの言葉はセイバーの願いの本質を言い表していた。

 祖国の滅びを回避するという願いは、つまるところそういうことなのだ。

 

「先生はどう思いますか?」

 

 大河に問われ、葛木先生は少し間を置いてから言った。

 

「……藤村。仮にお前が死んだ後、何かの奇跡で蘇ったとする。その時に、衛宮の存在が無かったことになっていたら、どう思う? 衛宮も、立場を藤村と入れ替えて考えてみるがいい」

 

 その言葉と共に慎二の言葉が蘇った。

 

 ――――自分より他人の事が大切なヤツってのは、実は誰よりも我儘なヤツなんだぜ。

 

「そっか……」

 

 もし、俺が大河のおかげで蘇ったとして、そこに大河が居なかったら……。

 セイバーの願いは、彼女を愛している人々を絶望に突き落とすものだ。自分を蔑ろにするということは、自分のことを大切に想ってくれている人々の思いを蔑ろにするということだ。

 

「……大河、行くぞ」

「うん」

 

 次の行き先は決まっている。

 冷たい風が吹く道場の中、彼女は静かに佇んでいた。その姿は、まるで道に迷っている幼子のように見えた。

 

「セイバー」

 

 昨日は涙を流す彼女に何も言うことが出来なかった。ただ、ソッとしておけというアーチャーの言葉に従うしかなかった。

 

「……シロウ。それに、タイガも。どうしました?」

「もうすぐ朝食が出来るみたいだ。今日はアーチャーと遠坂が作ってる」

「アーチャーとリンの料理ですか、それは楽しみです」

 

 少しだけ頬を緩ませる彼女に、俺は言った。

 

「セイバー。俺はセイバーが好きだよ」

「……はい?」

 

 目を丸くするセイバー。

 

「わたしも好きだよ、セイバーちゃん!」

「え? あの、いきなりどうしたのですか……?」

 

 こっちの正気を疑うかのような目で俺達を見てくるセイバー。

 だけど、これは偽りなしの本音だ。

 

「何度も助けてもらった。食事をしたり、一緒に話したり、セイバーと過ごす時間が凄く楽しいんだ」

「シロウ……、酔っているのですか?」

「セイバーちゃん。わたし達はセイバーちゃんのことが好きなの」

「タイガ……」

 

 困惑しているセイバーに俺は言った。

 

「セイバー。俺達はお前が犠牲になるようなことをしてほしくない」

 

 セイバーの表情が歪んだ。

 

「……それだけを言いたかったんだ。さあ、朝食を食べに行こう」

 

 結局、言えたことはそれだけだった。彼女の願いを否定することも、肯定することもできない。もしかしたら、彼女が考え直してくれるかもしれない。もしかしたら、何の意味もないかもしれない。

 だけど、慌てる必要は無いと思う。糸を解きほぐす時と一緒だ。少しずつでいい。彼女に知ってもらうんだ。セイバーを大切に思う人がいることを。彼女を失うことを悲しむ人がいることを。



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第三十二話『平穏』

「随分と嬉しそうじゃない」

 

 アーチャーと一緒に料理を運びながら遠坂が言った。

 

「……僕、嬉しそうか?」

 

 ライダーと桜に聞くと、二人は揃って頷いた。

 不覚だ。僕は八つ当たりを込めてアーチャーを睨みつけた。よく観察してみれば、どうして初見で分からなかったのか不思議なくらい、アーチャーは衛宮だった。戸惑っている時の眉の下がり方、唇の吊り上がり具合、そのままじゃないか。

 色素の抜け落ちた髪。変色した肌。話を聞いていると伝わってくる深い自己嫌悪。それが堪らなくムカつく。

 

「トロトロやってないで、さっさと並べろよ。言っておくけど、半端なものを出したら徹底的にダメ出ししてやるからな」

「……お手柔らかに頼むよ、慎二」

 

 アーチャーが朝食を作っているのは昨日の約束を守るためだ。

 

「容赦なんてしてやらねーよ」

 

★もしも、藤ねえが同い年だったら 第三十二話『平穏』

 

 朝食が並べ終わった頃、衛宮と藤村が居間に入って来た。遅れてセイバーもやって来る。なんだか、少し居心地が悪そうだ。

 いつの間にか席を外していた桜がキャスター達を連れて来て、実に窮屈な朝食が始まった。

 

「いやー、我が家の食卓も賑やかになったもんだねー」

 

 正確にはお前の家じゃない、なんてツッコミは野暮だな。この屋敷が藤村と衛宮の共有財産になる日も遠くないだろう。ここから桜が逆転勝利したり、遠坂やセイバーがハットトリックを決めない限りは。

 

「さすが未来の坊やね、坊やの料理も凄かったけど」

「未来の坊やは止めろ! お褒めの言葉は素直に受け取らせてもらうが……」

 

 さて、実食だ。世界中の名のあるコックとメルアドを交換したと言っていたが、その成果は如何なるものか!

 

「いただきます」

 

 揃って手を合わせた後、最初は筑前煮に箸を伸ばす。朝食のメニューは純度百パーセントの和食だ。一口食べると、箸が勝手に更に伸びた。いつの間にか空になった皿を三回も突いてしまう。

 ハッとして顔を上げると、セイバーは言わずもがな、他の連中も無言で箸を進めている。アーチャーは当然だとばかりのドヤ顔だ。

 

「……ふむ。辛口の批評を覚悟していたのだが、その様子では杞憂に終わったようだね」

 

 イラッと来た。鯖の味噌煮に手を伸ばす。今度は油断などしない。空の器に手を伸ばすなどという無様な姿は二度と……、晒してしまった。

 これが世界を渡り歩いた末に行き着いた境地か、食べている間の多幸感と、食べ終わってしまった後の寂寥感に言うべき言葉がかき消される。頭の中はひたすら次を求めてしまう。

 味噌汁もまた、極上だった。一口だけ啜るつもりが、気付けば空になっている。白米を手に取ると、僕の中の常識が揺さぶられた。

 

「なんだ、これは……」

 

 ただの白米だ。こんなもの、誰が作っても同じ筈だ。それなのに、なんだこれは!

 納豆も、梅干しも、何も要らない。いや、むしろ何も乗せたくない! ただの白米なのに、それだけを何杯でも食べられてしまいそうだ。現にセイバーはさっきから五回もおかわりをしている。食い過ぎだろ! 他の人の分を考えろ!

 

「なっ……」

 

 心配は杞憂に終わった。なんと、アーチャーはおひつを三つも用意していた。その内の二つには『セイバー用』というメモが貼ってある。

 初めから、セイバーが何度もおかわりする事を見越していたのだ。なんという自信だ。おかわりされて、当たり前という思考の下でなければおひつを三つも用意出来る筈がない。

 

「まさか……」

 

 それまでひたすら料理に集中していたが、ここで緑茶が目に入る。

 紅茶の淹れ方にこだわる人間はいる。だが、果たして緑茶はどうだ? ただの白米がここまで美味いと、つい警戒してしまう。

 だが、躊躇っていれば折角の茶が冷めてしまう。敢えて不味くなるまで待つなどフェアじゃない。それはルール違反というヤツだろう。

 僕は意を決して緑茶を飲んだ。ゴクリと呑み込んだ緑茶は……、美味かった。

 だけど、一口で満足出来る味わいだった。そこで、アーチャーの笑みが視界に飛び込んできた。

 そうだ。この食卓(せんじょう)は料理こそが主役。ティータイムではないのだ。つまり、ヤツは緑茶を敢えて普通に美味く淹れたのだ。おそらく、真髄は更に美味! けれど、主役を引き立てる為に敢えて緑茶は脇役に徹している。

 

「どうやら、満足頂けたようだな」

「……クソッ、文句のつけようがない」

 

 悔しく思いつつも、おかわりを要求してしまう。なんという屈辱だ。この筑前煮、一生食べ続けても飽きない自信がある。

 

「慎二がここまで言うなんて……」

 

 何故か衛宮がショックを受けている。

 

「アーチャー、おかわりを下さい」

 

 白米六回、筑前煮五回、味噌汁七回、煮付け三回。おかわりし過ぎだろ。

 

「アーチャー、わたしもおかわり!」

 

 藤村も負けていなかった。というか張り合っている様子だ。朝っぱらからフードファイトなんてするなみっともない! 桜もノリノリでジャッジをするな!

 

「……っていうか、こんなに材料を使って大丈夫なのか?」

「この料理に使った材料はリンと昨夜の内に買い込んできたものだ、問題ない」

「その金はどっから出てきたんだよ」

「わたしの財布からに決まってるでしょ」

 

 遠坂が言った。

 

「極貧魔術師のお前がよくそんな金を出せたな」

「先行投資ってヤツよ。代わりに、聖杯戦争が終わった後も現界して一生わたしの奴隷って契約で」

 

 とんでもなくブラックな契約だ。話に聞くアラヤの契約とどっちが上か分からないな。

 

「……おい、アーチャー。どうしてもこの横暴な雇い主に耐えられなくなったら言えよ、僕が雇用してやる」

「ざっけんな、コラッ!!」

「ちなみに、僕なら望みのままに最新式の調理機材を揃えてやるぞ。株式で一財産築いているからね。それこそ、世界クラスの厨房で使われてるようなものでも好きなだけ」

「さ、最新式の調理器具を……」

「心惹かれてんじゃないわよ!!」

 

 まるでどこぞの幼児アニメの母親のような見事なグリグリ攻撃をアーチャーにかます遠坂。

 

「あげないわよ!」

 

 遠坂の威嚇にとりあえず舌打ちをしてからアーチャーを見る。

 遠坂のグリグリ攻撃に痛がる振りをしながら、どこか楽しそうだ。

 

「嬉しそうですね、シンジ」

 

 ライダーが言った。

 

「うるせーよ」

 

 大河と楽しそうに話している桜。セイバーに何かと話しかけている衛宮。遠坂に虐げられているアーチャー。まさに完璧じゃないか。

 

「セイバー!!」

 

 アーチャーが用意した絶品デザートを食べていると、例の王様が現れた。

 

「今日こそ、我の物になってもらうぞ!」

「……昨日の今日でよく来れるな」

 

 八番目のサーヴァントなんていうイレギュラーな存在もやっている事は青春白書の一ページだ。

 聖杯戦争が始まる前に固めていた覚悟や決意は何だったのだろう。

 騒々しさを増した食卓を尻目になんとなくテレビをつける。丁度、朝のニュースが流れていた。

 

『――――本日未明、冬木市で殺人事件が発生しました』

 

 被害者は若い女。犬と散歩中の老人が遺体の一部を海浜公園で発見し、警察が調査したところ、新都に住む女性のものだと判明したそうだ。

 ああ……、そうだよな。そう簡単にくたばるわけがないよな。

 聖杯戦争は、まだ終わっていない。



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第三十三話『誕生』

 ――――深夜十一時。

 

「じゃあ、また明日ね」

 

 女性は同僚と別れ、わずかに酒気を帯びながら家路に着いた。周囲に人影は無く、同僚の乗ったタクシー以外にロータリーには車一つ残っていない。

 人の気配が完全に消え、女性は薄ら寒さを感じながら駅前パークを横切った。マンションは直ぐ近くだ。二駅離れた場所に家のある同僚に別れを告げ、一人寂しく歩いて帰るのはいつもの事。

 そう、いつもの事である筈だった。無人の街並みを歩いていると、不意に光の届かぬ路地裏から寒気を感じた。

 

「えっと、誰か居るのかな?」

 

 無論、返答など無い。馬鹿馬鹿しいと、カタチの無い恐怖に怯える己を叱咤しながら女性は歩を進めた。

 早く、家に帰ろう。歩く度、何かが後ろから迫ってくるような錯覚を受ける。女性は至って普通の善良な一般市民だ。誰かが後をつけている、そんな事に気が付けるテレビや小説の主人公とは違う。霊感があるわけでもない。だというのに、体の震えが止まらない。

 イヤな気配だけが徐々に濃くなっていく。気付けば歩みは早くなり、小走りでいつもとは違う道を行く。どうして、いつもの道を行かないのか、そんな考えは浮かばない。ただ、こっちの道は安全だ。そんな直感だけを信じ、気付けば息を切らしながら全力疾走している。

 何を怖がっているのか分からない。何故、この道を安全だと思うのか分からない。ただ、犬のように走り続ける。喉はカラカラに渇き、眩暈がする。なのに、不思議と汗が出ない。

 女性の脳裏には朝のニュース番組でキャスターの女が語るここ最近の冬木における事件が思い出されていた。深山町で起きた殺人事件。各所で起こる集団昏睡事件。口には出さないけれど、何かがおかしいと誰もが思っている。

 今夜に限って、周囲に人影は無く、まるで、作り物の世界に迷い込んだかのような錯覚を受ける。やがて、女性は終着駅へと到達した。

 

「あれ……?」

 

 そこは海浜公園の真ん中だった。

 

「どうして、私、こんなところ……」

 

 何故か、喉から乾いた笑い声が響いた。

 どうして、こんな場所に自分から来てしまったのだろう。安全だと思う道を選んでひた走っていたというのに――――。

 

――――ああ、そうか。

 

 女性は漸く理解した。

 最初から逃げ道など無かった事に気が付いた。

 

「アハ」

 

 頭上から落ちて来るモノ。

 足元の地面から湧き出てくるモノ。

 悲鳴すら出てこない。足元には無数の蟲が這い回っている。いや、今では背中や後頭部の周りにも蟲が這い回っている。

 冗談みたいな痛みを感じた。足が、腕が、まるでバッサリと切り落とされたみたいに酷く痛む。そんな筈は無いと思いながら指を動かそうとするけれど、そもそも感覚そのものが無い。

 視界は血に塗れ、ギリギリ生きている目で腕の先を見た。それが何なのかなど、女性には分からない。それが何をしているのか、女性には分からない。

 

「――――アハァ」

 

 見た目は男性の性器に似ている気がする。

 本物を目にしたのは高校生の時に数度程度だから自信が無いけれど、芋虫のように男性器が自分の体を這いずり回る様はあまりにも現実味が無い。

 

「アハ……ヒャハ、わたシ、食ベラれてル?」

 

 まるで、むしくいだらけのリンゴのような自分の腕を見て、女性は狂ったように嗤った。

 こんな事、ありえない。

 

 きっと、今頃自分は――イタイ――部屋に戻り、お風呂で――イタイ――一日の疲れを――タスケテ――癒して、髪の毛を乾かして――イタイ――布団の中に潜って――ヒギ――目覚ましが鳴って――カエリタイ――起こされて――ヤメテ――会社に――タベナイデ――会社に――カイシャニ――会社に――イカナキャ――会社に――――イカナキャ。

 

――――凄惨な光景は五分とかからず終わりを告げた。

 

 そこに女性が居た痕跡は無く、代わりに一人の老人が横たわっている。

 老人はゆっくりと起き上がった。食事を終えた蟲共の姿は無い。

 

「う、む――――、この首の挿げ替えだけは、いつになっても……慣れるものではないな」

 

 しわがれた声が老人の喉から響く。老人の肉体はとうの昔に滅びていた。今、こうして立っていられるのは、ひとえに間桐……否、マキリの魔術のおかげであった。

 既に出来上がっている体に寄生し、今日においても生き続ける妖怪、それが間桐臓硯(マキリ・ゾォルケン)の正体であった。

 元の体などどうでも良い。一人分の肉を蟲に喰わせ、臓硯という老人の姿を象らせる。どのみち、中身は蟲であり、人間としての機能は蟲共が果たす。その様はまさしく擬態であった。

 

「慎二め、やりおるわい。よもや、わしを欺き、桜共々に我が手を逃れるとは」

 

 呵呵と大笑する老獪は新たな肉体を造る材料さえあれば不滅の存在だ。だが、それは死徒と呼ぶにはあまりにもお粗末な在り方だった。不滅を維持する為に血だけでは足りず、肉体そのモノを喰らい、その度に苦痛に苛まされる。そして、そうまでしても肉体は常に腐り続ける。

 今、作り上げたばかりの肉体も既に腐敗を始め、生きたまま肉体が腐り落ちる不快感と屈辱感、そして、自身が所詮蟲なのだと受け入れざる得ない絶望感を抱き続けなければならない。

 自らをヒトでないモノに変貌させ、ヒトに擬態する。ゾォルケンの魔術には限界があった。活きの良い蟲共の作り上げる肉体には何も問題は無いが、肉体を作り上げる際に必要となる設計図たる遺伝子を失った臓硯は己の魂を設計図として蟲共に肉体を復元させている。肉体が所属する物質界の法則ではなく、その上にある星幽界という概念に所属する『記憶』。それが、魂。

 魂が健在ならば、例え、肉体や遺伝子、細胞が滅びたとしても、己の肉体を復元出来る筈だと臓硯は考えていた。自身の魂のみを生かし、肉体を捨て去り、生きているヒトの肉を貪り、器を作り上げる。

 故に臓硯は老人の姿にしかなれない。臓硯とて、好き好み老人の姿を得ているわけではない。老人の姿にしかなれないのだ。そして、その肉体も定期的に挿げ替えなければ腐り落ちる不出来なモノであり、嘗ては一度の取替えで五十年以上を生きたものだが、今では数ヶ月に一度取り替えなければ存命出来ない矮小なる存在に成り果てた。

 その理由は設計図である魂の腐敗。時間の蓄積により、幽体が影響を受け、腐った構成図によって復元される肉体もまた、腐り落ちるのは当然の事であった。

 

「一度は不覚を取ったが二度はない。わしは、なんとしてもこの苦しみから解放されねばならん。骨の髄をも侵す時間という名の毒より解放されねばならぬ」

「相も変わらぬようだな、御老体」

 

 惨劇と老人の独白を聞き届けた男は義心に駆られる事もなく、さりとて恐怖に怯える様子もない。静かに細身の刃を抜き放った。

 

「……解せぬ。この状況はおぬしにとっても望ましいものではなかろう」

「おかしな事を言う。眠り子がようやく目を覚ましたのだ。私にとって、この状況はむしろ最善と言えよう」

 

 殺気すら灯さず、男は臓硯に肉薄した。悲鳴を上げる間も与えず、老人の肉体は刻まれていく。

 

「私が殺す。私が生かす。私が傷つけ私が癒す。我が手を逃れうる者は一人もいない。我が目の届かぬ者は一人もいない」

「馬鹿な……、何を考えている、言峰綺礼!」

 

 臓硯の言葉に返答はなく、その頭蓋を地面に叩き落された。くぐもった悲鳴は地面に座れ、その魂は天より降り注ぐ言霊によって焼かれていく。

 

「打ち砕かれよ。敗れた者、老いた者を私が招く。私に委ね、私に学び、私に従え。休息を。唄を忘れず、祈りを忘れず、私を忘れず、私は軽く、あらゆる重みを忘れさせる」

 

 肉が磨り潰されていく。作り直したばかりの手足はすでに無く、残ったものは押さえつけられている頭のみ。

 

「装うなかれ。許しには報復を、信頼には裏切りを、希望には絶望を、光あるものには闇を、生あるものには暗い死を」

 

 苦悶の声も、苦し紛れの言葉も許されず、経典の聖言を囁かれ続ける。

 肉体の死を克服した臓硯にとっても、霊体に対する直接的な攻撃には耐えられない。魂さえ失えば、今度こそ間桐臓硯は死ぬ。その恐怖に臓硯は慄いた。 

 

「休息は私の手に。貴方の罪に油を注ぎ印を記そう。永遠の命は、死の中でこそ与えられる。――――許しはここに。受肉した私が誓う」

 

 地面に押し付けられた口から声にならぬ声が漏れ出す。けれど――――、

            

「――――“この魂に憐れみを(キ リ エ ・ エ レ イ ソ ン)”」

 

 その声は風の音にかき消され、その魂は一欠片も残らず消失した。

 目的を果たした神父は己の胸に手を当てる。

 

「邪魔者は排除した。後は好きにするがいい。誰にも望まれぬ者よ。お前の誕生を、私だけが祝福しよう」

 

 聖杯戦争の停滞は、それを望まぬ者を目覚めさせた。綺礼の胸の内よりこぼれ落ちたそれは宿主の肉体を捕食していく。間桐臓硯の魔術とは似て非なる儀式の果てに、産声があがる。

 蹲っていた影が立ち上がった。黒一色で、顔もない。

 生まれ落ちた影はそのまま姿を夜の闇の中へ沈めていく。

 

★もしも、藤ねえが同い年だったら 第三十三話『誕生』

 

「最期まで飽きさせぬ男よ」

 

 その光景を見届けた赤い瞳もまた、夜の闇へと消えていった。



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第三十四話『アンサー』

 言峰綺礼という名は、父親が清く正しく育って欲しいと願った末に付けられた名だ。彼はその名に恥じぬ生き方を心掛けていた。良識を持ち、道徳を重んじて、善である事こそが正であると己に言い聞かせ続けてきた。

 けれど、彼の心には生まれながらの欠陥があった。他者が幸福と思う事、美しいと思う事を解する事が出来ず、他者が悪であると断じる事柄にこそ光を見てしまう。

 彼は苦しんだ。苦しみ抜いた。安易に道を外れる事もなく、目を背ける事もなく、己の業に立ち向かい続けた。人の道から外れている己をあるべき道に戻し、救おうとした。全てを赦すという神に頭を垂れ、全身全霊を掛けて信仰に臨んだ。結果、彼は『他者の苦しみ』以上の愉悦を識る事が出来ず、背徳を禁じる教会に身を寄せながら、背徳を捨て去る事が出来なかった。

 何故だ。彼は悩んだ。

 犯罪者が罪を犯した背徳に酔い痴れ、異常者である己を肯定するというなら分かる。

 我欲の為に他者を陥れ、その益によって更なる富を得ようというのなら道理が通る。

 けれど、両者は共に『善であったものが悪に変わる』という過程を経ている。己にはソレがない。初めから世界に対して害を為す為だけに生まれ落ちたかのようだ。

 悪は在ってはならぬもの。あらゆる常識、あらゆる倫理、あらゆる法律がそれを断じている。

 ならば、何故己はそのようなものとして生まれてしまったのだ。在ってはならぬ者ならば、そもそも生まれてくるべきではなかった。疎まれる為、憎まれる為、排除される為に生まれてくるなど――――。

 

「……答えは一つ、望まれたからだろう」

 

 ソレは母たる男に語りかける。

 

「悪という概念は、人が生み出したものだ。存在してはならぬもの? 違う、そうではない。存在してくれなければ困るものだ。何故ならば、それが無ければ人という矮小な種は正を証明する事が出来ないからだ」

 

 もとより、この世は矛盾に満ちている。

 人を殺してはいけない。その言葉を信じるならば、英雄と呼ばれた者達は一人残らず大罪人だ。

 罪人に死を宣告する裁判官も、罪人を射殺する警官も、名も知らぬ相手を殺し回る軍兵も、殺し合いの開幕を宣言する政治家も、それらを肯定する民衆も、揃って悪となってしまう。

 それはまずい。非常に困る。なぜなら、悪とは否定されるべきもの。己を否定してしまえば、人は生きる事が出来なくなる。だから、生きる為に悪が必要であり、悪とは他者でなければならない。

 

「言峰綺礼。君の人生を掛けた問いに答えよう」

 

 ソレは囁くように言った。

 

「――――君は生まれてきて良かったんだよ」

 

★もしも、藤ねえが同い年だったら 第三十四話『アンサー』

 

 朝のニュースで流れた海浜公園の殺人事件。慎二は間桐臓硯によるものだと言っていた。

 詳しい事は教えてもらえなかったけれど、臓硯は人の血肉を喰らう事で延命する妖怪らしい。慎二は本来、臓硯を討伐する為に聖杯戦争に参加したそうだ。

 話を聞いて、すぐに飛び出していこうとした大河はライダーに意識を刈り取られて眠っている。あの時の大河の顔は見たこともない形相になっていた。

 

「……なあ、セイバー」

 

 臓硯の行方を探るために新都を散策しながらセイバーに話し掛けた。

 

「なんですか?」

「大河は何か知ってるのかな?」

「知っているのでしょうね。人喰いの事を話しておきながら、シンジは話せない事があると言っていました。その話せない内容を知っているからこそ、彼女はあのように怒ったのでしょう」

「それって、やっぱり……」

「そこまでにしておいた方がいい。慎二も大河もあなたに教えなかった。そこにはそれなりの理由があるのでしょうから」

 

 ああ、まただ。また、俺は知らないままだ。知ろうとする事さえ許されない。

 

「シロウ……?」

「……どうしてだよ」

 

 知ろうとしなければ、知る事なんて出来ない。知らなければ、助ける事なんて出来ない。

 正義の味方としてじゃなくても、先輩としても、友達としても、相棒としても、誰も助ける事が出来ない。

 

「何が違うんだよ……」

 

 大河はすごい。大河に憧れている。だけど、どうやっても大河のようになれない。

 

「落ち着いて下さい、シロウ!」

「……セイバーだって、何も教えてくれないじゃないか」

「シロウ……?」

 

 セイバーの戸惑う声にハッとなった。俺は一体何を言っているんだ。それも、いつ被害者が出るかわからない時に……。

 

「変な事を言ってごめん、セイバー」

「……シロウ。そこの公園で少し休みましょう」

 

 セイバーは近くの公園を指差して言った。

 

「でも、今はそんな場合じゃ……」

「今のままでは見つかるものも見つかりませんよ。さあ、こちらへ」

 

 セイバーに強引に手を引かれて、近くのベンチに腰掛けた。顔を上げた先には芝生が広がっている。碌な遊具もない殺風景な公園だ。

 

「……そう言えば、そこに俺の家があったんだ」

「シロウの家ですか……?」

「うん。あっちは良平の家があって、あっちには真弓の家。あそこには小学校があった」

「リョウヘイ……。マユミ……。そうですよね、ここにはあなたの家があり、あなたの友人の家があった。そして、あそこには……」

 

 セイバーは、むかし建設中の冬木市民会館があった方角を見つめた。

 

「……シロウ。少し、私の話を聞いてもらえませんか?」

 

 セイバーが語り始めたのは、彼女が生前歩んだ日々の事だった。

 義父と義兄と共に過ごした日々。

 義兄が折ってしまった馬上槍試合で使う剣の代わりを探して、選定の剣の前に立ち、そこで未来の光景を見せられた事。

 人々の笑顔を見て、それを守りたいと思った事。

 近くにいた魔術師に再三警告されながら剣を引き抜いた事。

 それからの王としての日々。

 物語としてしか知らなかったアーサー王の伝説を、その人自身の口から語られた。

 その時に彼女がどう思い、何を悔い、何を願い、何を誓いながら歩み続けてきたのか、彼女は語り続けてくれた。

 

「……セイバー」

「シロウ。私は民の笑顔を守りたかった。だけど、守り抜く事が出来なかった。ある騎士に言われた言葉があります。『王は人の心がわからない 』。ええ、その通りでした。円卓の不和を取り除いてくれていたディナダン卿を失ってから、綻びはすぐに広がっていき、最期は外敵ではなく、本来は共に手を取り合う筈だった者達と殺し合いました」

 

 その言葉は、まるで傷口を指で抉るようなものだった。本当なら、誰にも話したくないもの。話すわけにはいかないもの。完璧であった理想の王が抑えつけていたもの。彼女の苦悩。

 気軽に聞いて、教えてもらえるわけがなかった。知るという行為は共有するという事。彼女の喜びや苦しみ、悲しみ、怒りを共に分かつ事だ。その資格もなく踏み込めば、拒絶されて当然だった。

 その事に今の今まで気づかなかった己が腹立たしい。きっと、桜も……。

 

「シロウ。あなたが何に苦しんでいるのか、私も分かっているつもりです。ですが、シンジやアーチャーが言っていたように、それは大切な事です。……そして、私が怠っていた事です」

「セイバー……」

「相手を理解し、相手に理解される。なんとも難しく、なんとも大切な事です」

 

 セイバーは俺の目を見つめながら問うた。

 

「……シロウ。あなたはどうなのですか? この風景をやり直したいとは思わないのですか? 家族と共に過ごした家。幼き頃の友と語り合う日々。そうした失われたものを取り戻す機を得られたら……、彼らを救う事が出来たら」

「言っただろ。……それはダメだよ、セイバー」

 

 大河はセイバーがいなくなるからダメだと言った。だけど、俺はセイバーがいなくならなくても、その願いを間違っていると思った。

 

「死者が蘇ることはない。一度起きた事は戻せない。過去は背負っていくべきもので、無くしてしまったら……、それまで積み上げてきたものが無意味になってしまうじゃないか」

「……そうですね、その通りです」

 

 セイバーは哀しそうに言った。

 

「失う事と、無意味なものにしてしまう事は違う事。……分かってはいたんです。それでも、私はみんなを守りたかった……」

「セイバー……」

 

 彼女を支えたくて、伸ばしかけた手が止まる。

 長く話し込んでしまっていたようだ。空はすっかり暗くなっていて、月が顔を出している。

 顔を向けたそこには、誰でもない、『何か』が立っていた。異常なまでの存在感を放ちながら、異常なまでに現実感がない。見ているだけでおぞましい。

 のっぺらぼうの影が言った。

 

「――――さあ、聖杯戦争の再開だ。異存はないよね? 魔術師くん」



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最終話『帰るべき場所』

 目を覚ますと、そこにはお爺ちゃんがいた。

 

「よう、お目覚めかい?」

 

 藤村雷画。冬木市を中心に根を張る指定暴力団藤村組の大親分。つまるところのわたしのお爺ちゃんが眉間に皺を寄せている。

 右を見れば見慣れた壁、左を見ても見慣れた壁。間違いなく、衛宮邸で寝泊まりする時のわたしの部屋だ。

 

「なっ、なんでお爺ちゃんがいるの!?」

「バッカモン!! 二日も学校を休んでおいて、なんでもなにもあるか!!」

 

 お爺ちゃんが怒った。普段から厳しい人だけど、こんな風に怒鳴った事は一度しかなかった。前の時は桜ちゃんと山に篭った時だ。

 放心状態になったわたしにお爺ちゃんが声を掛けてくる。

 

「……テメェ、何に巻き込まれてやがるんだ? ここ最近、物騒な事が続いてやがる。組のもんに警戒にあたらせているが、昨日も殺しがあった。まさか、関わってねぇだろうな?」

 

 わたしは何も言えなかった。だけど、お爺ちゃんの目は隠し事を許してくれなかった。

 

「……坊主はどうした? まさか、野郎が……」

「違うよ!!」

「何が違うんだ?」

「それは……」

 

 この数日の間で、わたしにも理解出来てしまった。魔術というものは、普通の人にはどうにも出来ないもの。だけど、お爺ちゃんが知ったら、街の人達の為にきっと組を動かす。組の人達も全力を上げて街を守ろうとする。

 間桐臓硯は魔術を使って人を殺す。もしも、お爺ちゃん達が臓硯に殺されたら……。

 

「お願い、お爺ちゃん……。少しだけ、待って……」

「……坊主はいつになったら帰ってくるんだ? もう、夕飯時の筈だろ」

 

 聞かれても分からない。みんなは今、何をしているんだろう。臓硯は見つかったのかな? それともまだ探しているのかな?

 

「いつ帰ってくるかも分からないってか?」

「帰ってくるもん!!」

 

 それだけは確実だ。朝だって、みんなでアーチャーと遠坂さんのご飯を食べた。

 今夜だって、みんなでご飯を食べる。

 

「そうだよ! こうしちゃいられない!」

「ど、どうした?」

 

 士郎が帰って来ていないのなら、他のみんなも出かけたままだろう。だったら、わたしがやるしかない。

 

「みんなが帰ってきた時の為にご飯を用意するんだよ!」

「……テメェがか!?」

「ふふん! 士郎に教えてもらったわたしの料理の腕前、お爺ちゃんにも見せてあげるよ!」

 

 台所に向かう道すがら、家の中を見て回ったけれど、やっぱり誰もいなかった。

 この静寂も、少し前までは当たり前だったのに、ここ数日の間があまりにも騒がしかったから奇妙に感じてしまう。

 士郎と二人だけの世界だった。そこに慎二くんが現れて、桜ちゃんが来るようになって、今では大きかった筈のテーブルが小さく見えるくらいの大人数になった。

 

「そうだ、アレを作ろう!」

 

 ずっと昔の話になるけれど、士郎が作ってくれたもの。

 あの時は士郎とわたしと切嗣さんの三人で食べた。今でも、あの時の味は忘れられない。オコゲが特に美味いのだ。

 

「えっと、土鍋は……あった!」

 

 材料も揃っている。

 

「ムフフ、見てなさいよ、士郎! 帰ってきたら、とびっきりの御馳走で出迎えてやるぞー!」

 

 まずはご飯をキレイな水で研ぐ。士郎曰く、米は最初と浸水させている時に特に水を吸うらしい。美味しいお米を炊くための基本テクだ。

 水を捨てた後に、その状態のままで米を研ぎ、水を入れて研ぎ汁を捨てる。これを数回。

 

「浸水させておいて、今のうちに……」

 

 人参、油揚げ、こんにゃくは短冊切りにして、椎茸は薄切り、えのきはざく切り、鶏もも肉も適度な大きさにカットする。

 

「よーし! 後は仕上げだけ!」

 

 料理を習っていくうちに分かった事がある。材料を食べやすい形にカットしたり、柔らかくする工夫を凝らしたり、料理というものはこだわればこだわる程面倒な作業なのだ。

 それを士郎は昔から続けてきた。誰かの為に頑張る彼の事が大好きだ。だから、わたしも頑張りたくなる。

 士郎が誰かの為に料理を作るのなら、わたしは士郎の為に料理を作りたい。

 

「よーし、完成!」

 

 会心の出来だ。

 ついでにおかずを作っていると、居間に誰かが入って来た。

 

「およ、桜ちゃん!」

「藤ねえ!? 起きていたんですか! ……うわぁ、いい香り!」

「ヘヘン! 自信作だぞー! 味見してみる?」

「是非!! ……って、それどころじゃなかった。大変なんです!」

「どっ、どうしたの!?」

 

 桜ちゃんに強引に手を引かれた先はキャスターさんの個室だった。そこには葛木先生とイリヤちゃんもいた。

 そう言えば、洋室の方は見ていなかった。桜ちゃんもここにいたわけだ。

 

「一体全体どうしたの? 桜ちゃん」

「大変なんです! 先輩が――――」

 

★もしも、藤ねえが同い年だったら 最終話『帰るべき場所』

 

 ――――さあ、聖杯戦争の再開だ。異存はないよね? 魔術師くん

 

 その言葉と同時にセイバーが飛び出した。疾風の如く迫り、刃を振り翳す。対して、影は奇妙な形状の双剣を構えていた。とても剣として振るうものには見えない。まるで獣の牙のようだ。交差する青と黒。振り下ろされた斬撃は影の牙によって絡め取られたが、それも一瞬の事。

 

「――――ッハァァァ!!」

 

 バーサーカーすらも圧倒したセイバーの斬撃を獣の牙如きが受け止められる筈もない。

 ソードブレイカーを逆に砕き、返す刃で影の首を狙うセイバー。あの双剣に特殊な能力がない事は解析で分かっている。そもそも、あれは宝具ですらない。

 

「……え?」

 

 セイバーの刃が止まった。

 

「その姿は……、貴様は一体」

 

 影は相変わらず影のままだ。それなのに、セイバーは影に後退を許してしまった。

 

「……うーん、やっぱり無理があるよね」

 

 影が困ったように言った。さっきまでとは雰囲気が一変している。

 

「一応? 産み落としてもらった分は頑張ろうと思ったんだよ? けどさー、自慢じゃないけどわたしって最弱なわけよ」

 

 愚痴り始めた。

 

「せめて、皮を被らせてもらえたら黒幕っぽく出来たかもしれないけどさ? お前自身の選択を見たいとか言って被らせてくれないし……」

 

 影は地面に『の』の字を書き始めた。セイバーがチラチラと俺を見てくる。

 

「本体は凄いのよ? 聖杯で神になったからさ? けど、サーヴァントとして現界しちゃうと強制的に人間までランクダウンさせられちゃうわけよ」

「ランクダウン……? それに、神だと!? まさか、貴様は!」

「あー、うん。アンリ・マユです。この世で一番のワルでーす」

 

 反応に困る。アンリ・マユと言えば、ゾロアスター教における悪神だ。アーチャー曰く、サーヴァントとして召喚されたアンリ・マユは、そうアレと望まれただけの人間だったそうだが、聖杯の中で本物と化した。

 人類六十億を呪う悪意の化身……にしては、あまりにも……。

 

「……えっと、元気出せよ」

「優しくしないでよ……。涙が出ちゃう……」

 

 どうやら、面倒くさい子のようだ。

 

「シロウ、さがって下さい」

 

 すっかり毒気を抜かれてしまった俺にセイバーの鋭い声が飛んでくる。

 

「貴様、なんのつもりでアイリスフィールの姿を模しているのだ!?」

 

 アイリスフィール。聞いたことのない名前だ。なんだか、イリヤの名前と響きが似ている気がする。

 

「怒らないでよー。わたしだって殺されたくないもん!」

 

 癇癪を起こすアンリ・マユ。対するセイバーの表情には憎悪が浮かんでいる。

 

「……えっと、セイバー。アイリスフィールって、誰だ?」

 

 セイバーは少し逡巡した後に言った。

 

「イリヤスフィールの母親です」

「イリヤの!?」

「そうだよー。あっ、君にも見えるようにしてあげるよ。写し記す万象(アヴェスター)

「貴様、なにを!?」

 

 咄嗟にセイバーが俺を庇おうと動くが、特に変化が起きた様子はない。

 いや、一つあった。影がイリヤを大人に成長させたような姿に変わっていた。

 

「警戒しなくていいって、セイバー。この宝具は起こった出来事を全て記録する 、ただそれだけのもの。応用は利くけど、とても戦闘の役には立たないよ」

 

 やれやれと肩をすくめてみせる美女。

 

「その言を信じると思うか?」

「……信じないよね。だから、わたしに出来る事は一つ!」

「貴様!?」

 

 セイバーが剣を振り上げると同時に、アンリ・マユは地面に向かって飛び込んだ。

 そして、三指をついた状態で叫んだ。

 

「命ばかりはお助けを!」

 

 それは見事な命乞いだった。

 

「……貴様、自分から仕掛けてきたくせに、サーヴァントとしての誇りはないのか!?」

「うるさいな! 義理で頑張ってみたけど無理なものは無理だったんだよ! クソッ、延命させてやったのに恩を仇で返しやがって、あのクソ神父!」

 

 クソ神父とやらが誰の事かは分からないが、すごく理不尽な事を言っている事だけは分かった。

 

「シロウ。迷う必要はありません。殺しましょう。コレは生かしておいても害悪にしかなりません。イリヤスフィールやキャスター達とは違うのです」

 

 情け容赦ないセイバー。ここまで哀れな姿もそうはないのだが……。

 

「助けてよ、正義の味方! わたし、暴漢に殺されちゃう!」

「貴様、いい加減にしろ!」

「……せ、セイバー。その……、ちょっとタンマ」

「シロウ! 土下座程度で情を抱かないで下さい!」

 

 すごい勢いで怒られた。

 

「……ッチ、これだから貧乳は」

 

 そこへ火に油を注ぐアンリ・マユ。死にたいのかな?

 

「死ね」

「待て待て、ストップ! 少しは話を聞いてやろうよ!」

「この者との問答など不要です!」

「……だから、王は人の心が分からないとか言われんじゃねーの」

 

 凄いな、コイツ。この状況で更に煽ってくるとは……。

 

「死ね」

「うわー、ウソウソ! 冗談だから、そんなにマジになって怒らないでよ!」

「アイリスフィールの顔でこれ以上戯言をほざくな!」

「だから、ストップ! アンリ・マユも黙ってろ!」

 

 二人を引き離してから、俺はアンリ・マユに向き直った。

 

「それで、お前は何が目的なんだ?」

「わたしの目的? それはもちろん、悪の限りを尽くして世界を――――」

「……殺すしかないのか」

「命ばかりは!」

 

 再び土下座の体勢になる美女。どうしたらいいのかサッパリだ。

 

「……とりあえず、いくつか聞いてもいいか?」

「なんでしょうか!?」

「悪の限りって言うけど、具体的には何をするんだ?」

「え?」

 

 ポカンとした表情を浮かべるアンリ・マユ。

 

「……それは思案中というか」

「思案中?」

「だって、悪って一言で言っても色々あるわけじゃん? ただ、闇雲に人を殺しても、ただの災害になって、悪とは縁遠いものになっちゃうし……。本体なら誰もが驚くような名案を披露してくれると思うんだけど、今のわたしはあくまでも人間の範疇なわけよ。だから、完全無欠の悪徳なんて、中々思いつかないのよね……」

「思いつかないって……」

「実際、対極である正義の味方なところの衛宮士郎くんに聞くけどさ、君は完全無欠の正義ってあると思う?」

「それは……」

「つまり、そういう事。人間の範疇にあっちゃ、正義も悪も曖昧なものなのよ。武勇に優れた英雄様だって、味方から見れば正義の勇者でも、相手から見たら悪の魔王よ?」

「つまり……、お前は特になにかするつもりがないって事か?」

「したいけど出来ないってところだね。どこかに正義の要素が含まれたら、それはわたし自身の否定に繋がるもの」

「アンリ・マユ……」

 

 とりあえず、土下座をやめさせようと思って声を掛けたら、肩に手を置かれた。

 

「衛宮くーん? まさかと思うけど、絆されてないわよね?」

 

 いつの間にか、背後に遠坂が立っていた。

 

「衛宮。臓硯を探してて、なんで聖杯の中にいるはずのアンリ・マユと遭遇してるのか不思議に思ったりしないわけか? もう少し、頭を使おうぜ。な?」

 

 その隣には慎二が立っていた。

 

「いや、その……」

「ああ、臓硯なら死んだわよ。クソ神父が粉微塵にしたから」

「……はぁ?」

 

 慎二が目を丸くした。

 

「クソ神父って……、まさか、綺礼の事!?」

「他に居ないでしょ」

「……一応、使い魔を通じて話は聞いてたけど、要するに……、綺礼がアンタを産み落としたって事?」

「そういう事! つまり、綺礼がお母さんなんだよ!」

「……あっ、やばっ、ちょっとキモい想像しちゃった」

「やめろよ、オイ。わたしまでキモい想像しちゃったじゃねーか」

 

 二人してゲンナリした表情を浮かべる遠坂とアンリ・マユ。

 

「……それで、どうするのですか? 個人的な意見としては、後腐れなく葬り去る事が最適かと」

 

 慎二がいるなら当然ライダーもいる。彼女は鎖のついた短剣をアンリ・マユの首筋に押し当てながら言った。

 

「ヒィィィ」

 

 情けない悲鳴をあげるアンリ・マユ。

 

「と、とりあえず落ち着こう。なんか、そんなに悪いやつでもなさそうだし……」

「いや、悪いヤツでしょ。この世全ての悪よ? むしろ、この世で一番悪いヤツじゃないの!」

「それはそうなんだけど……」

「助けて、正義の味方!! ぶっちゃけ、最初にここに来たのもアンタなら助けてくれると思ったからなんだよー! プリーズ! ヘルプ! ミー!」

「うわぁ……」

 

 慎二がドン引きしている。

 

「……ハッキリ言うぞ。こいつはここで殺しておいた方がいい。むしろ、殺さない理由がない」

「私も同意見。この態度が全部演技だっていう可能性もあるのよ。むしろ、それ以外には考えられないわ。懐に招き入れて不意をつかれるなんて愚か者のする事よ?」

 

 ライダーは何も言わないが同意見なのだろう。アーチャーの姿が見えないのは、どこかで狙撃を体勢を取っているからに違いない。セイバーだって、さっきから意見を変えた様子を見せない。

 だけど、土下座までして命乞いをしている相手を殺すのか? そもそも、アンリ・マユはとある村の因習で生贄にされた被害者だとアーチャーから聞いている。ただ、悪であれと望まれた者を、それを理由に殺すのか?

 

「……俺は、殺したくない」

「シロウ……」

 

 セイバーが厳しい表情を浮かべる。

 

「もし、その選択が誤りだったとしたら、多くの人間が死ぬのですよ? その中にはタイガも含まれるかもしれない。それでも、あなたは……」

 

 分かっている。一を助ける為に十を危険に晒すなど間違っている。それは正義の味方の下していい決断ではない。

 だけど、助けてくれと言われた。

 この世全ての悪を救う。そんな事、誰一人まともに救えていない俺には荷が重すぎる。

 それでも……、それでも……ッ

 

「助けたいんだよ……。だから、助けてくれ……」

「うん、いいよ!」

 

 顔を上げると、そこには大河の笑顔があった。後ろにはキャスターの姿もある。

 

「大河……」

「士郎が誰かを助けるなら、わたしは士郎を助けるって決めてるもん! ドーンと、任せ給え!」

 

 その言葉に慎二達が一斉にため息を零した。

 

「仕方ねーな……」

「仕方ないわね……、まったく」

 

 揃ってやれやれと肩を竦めるみんなに、俺は目を見開いた。

 

「助けてくれるのか?」

「当たり前だろ。お前に助けてくれって頼まれて、助けないわけにはいかねーよ」

「まさか、衛宮くんに助けを求められる日が来るなんて……、アーチャーのヤツがなんか感極まってる感じなんだけど……」

「……やはりと言うか、なんと言うか」

 

 セイバーが言った。

 

「了解です、マスター。もしもの事があれば、その時は私がみなを守る。あなたはあなたの望むままに」

「セイバー……。ありがとう!」

 

 俺はアンリ・マユに向き直った。

 

「クックック、計画通り」

「……お前、生きたいのか死にたいのかハッキリしてくれないか?」

「生きたいです!」

 

 そう言って起き上がり、抱きついて来るアンリ・マユ。

 

「士郎から離れろ不埒者!」

 

 そして大河に蹴り飛ばされるこの世全ての悪。

 

「いっ、痛い! なんで!? わたし、サーヴァントなのに!?」

「……無防備な状態でこんな場所に連れてくる筈がないでしょ」

 

 そう言って呆れた声を出したのはキャスターだった。

 

「帰るわよ、坊や。お嬢さんが折角用意してくれた夕飯が冷めてしまう」

「お嬢さんって、桜の事か?」

「違うわ。あなたのガールフレンドの方よ」

 

 その言葉に大河が照れた様子を見せた。

 

「エヘヘ……、頑張って作ってみたんだ。自信作だよ!」

「……大河が一人で」

 

 食べてみたい。純粋に、そう思った。

 

「おーい、アンリ・マユ! はやく起きろ! さっさと帰るぞ!」

「ほえ!? 待ってよ、わたしの命綱!」

 

 キャスターが作ってくれた衛宮邸への光の通路を進み、ものの一分で帰宅を果たした俺達に待ち受けていたものは土鍋の炊き込みご飯だった。

 

「これを大河が一人で……」

 

 誰よりも先に箸を取った。野菜が小さくカットされている。キチンと子供(イリヤ)が食べる事を想定したサイズだ。口に含むと、味がしっかりと染み込んでいる。

 付け合せの味噌汁にも、俺が教えた秘伝が存分に取り入れられていた。

 

「美味い……」

 

 気がつくと、皿が空になっていた。何故か、セイバー達がポカンとした表情を浮かべている。

 だけど、今は気にしていられない。だって、大河が作った料理だ。

 

「……美味そうに食いやがって。ったく、説教の一つもかましてやる筈だったんだがなぁ」

 

 おかわりしようとしたら、隣から渋い声が聞こえてきた。振り向くと、そこには大河の祖父である雷画の姿があった。

 

「雷画の爺さん!? なんで、ここに!?」

「……揃いも揃って学校を二日も無断でサボっていやがるからだろ!! そうでなくとも、四日も孫娘が男の家から帰ってこなかったらさすがに焦るわ!!」

「ご、ごもっとも!」

「……さすがに明日からは学校に行くか」

「そ、そうね……」

 

 慎二と遠坂も雷画の爺さんの怒声にはさすがに肝を冷やしたようだ。

 

「……しっかし、見ねぇ内に随分と賑やかになりやがったな。そこの兄さんは坊主の親戚か? やけに似てやがるな!」

 

 そう言って、今度はアーチャーに絡み始める雷画。アーチャーは困った様子ながら、どこか嬉しそうだ。

 

「おかわりを頼む、藤村大河!」

 

 アンリ・マユの声でハッと我に返った。いつの間にか、ポカン顔から再起動を果たしていたセイバーと桜まで皿を空にしていた。

 このままではまずい。

 

「大河、おかわり!」

「……はいはい」

 

 ああ……、やっぱり大河の笑顔はすごい。

 どんな悩みも苦しみも、この笑顔の前ではどうでもよくなってしまう。

 人は何よりも大切にしなければならないモノの席を心の中心に据えている。多くの人はそこに自ら座る。けれど、俺の心のその席は十年前から空っぽだった。 

 だけど、彼女がいつも満たしてくれていた。そして、いつの頃からだろう。その席には彼女が居座っていた。誰よりも愛おしくて、誰よりも幸せにしたいと思う女性。

 だからこそ、俺は思う。彼女に対して、胸を張れる自分になりたい。

 義父の笑顔に憧れて、彼の為に志した理想は、彼女の為のものになっていた。

 とんだ親不孝者だけど、どうしてか思い描く親父の顔は笑顔だった。

 

 ――――子供の頃、僕は正義の味方に憧れていた。

 

 遠い昔の話だ。親が子に己の夢を語る。どこにでもある光景。

 

 ――――しょうがないから、俺が変わりになってやるよ。

 

 子供は親にそう言った。そして、親は……、

 

 ――――士郎。大河ちゃんと仲良くね。あの子は自然体のまま、ただ居るだけで世界が少し平和になる。だから、ちゃんと守ってあげるんだよ。

 

 子供はその言葉に不満を抱いた。そこは、『任せるよ』と言うべきところだ。

 だけど、それ以上の言葉はなかった。

 その言葉の意味が、今ならば分かる。この笑顔を守りたい。彼女の笑顔を守れる存在でありたい。その先に、俺の正義はある。

 

「士郎。美味しい?」

「……ああ、美味い!」



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エピローグ『未来』

「待ちなさい、アンリ!!」

「助けて、正義の味方!!」

 

 今日もこの世全ての悪がイリヤから逃げている。出会い方がまずかった。あの時、アンリ・マユはイリヤの母親であるアイリスフィールの姿を借りていたから、イリヤに蛇蝎の如く嫌われている。

 今は宝具に記録されていた人間の姿を混ぜ合わせて作り上げた異国風の少女に変わっている。元々、アンリ・マユに自我と呼べるようなものはなく、あの下品で卑屈な性格も記録されていた人間達のそれを混ぜ合わせて作り上げたものらしい。

 

「そこまでにしておきなよ、二人共! そろそろ出来るから!」

 

 隣で包丁を握っていた大河が注意すると、二人は素直に従った。俺だとこうはいかない。アンリ・マユは悪の権化の癖になんの躊躇いもなく俺に助けを求めてくるし、その度にイリヤの怒りゲージが跳ね上がる。

 

「アンリ、イリヤ。セイバーを呼んできてくれ。さっき、王様が来てたから道場にいると思うんだ」

「不屈王来てるんだ!」

「諦めない男、ギルガメッシュが来てるんだね!」

 

 英雄王という名も今は昔の二つ名。もう、三年もセイバーにアタックし続けているけれど、王様は相変わらずセイバーに振られ続けている。時には花束、時には億単位のマンション、時には詩を送る王様。その度に一刀両断するセイバー。その光景が日常の一コマになって久しい。

 出来上がった年越し蕎麦を居間に運んでいると二人につれてこられた王様コンビが現れる。

 

「何が気に食わんのだ!? 世界中の美食を喰らい尽くすグルメツアーだぞ!?」

「人を食いしん坊みたいに扱わないで下さい!! ……わ、私はそんなものには……、つ、釣られない!!」

「クッ……、強情な……ッ」

 

 今日もダメだったみたいだ。それにしても、あと一歩に感じる。前に遊びに来た時、慎二もいい線いってると言っていた。

 やはり、食べ物で釣るべきだという俺達の意見は正しかったようだ。頑張れ、王様。セイバーの胃袋を掴めば、勝利は目前だ。

 

「……時にシロウ。今年はコタツを出さないのですか?」

「去年はみんなが亀になって動きたがらないせいで柳洞寺に行けなかったからな」

「別に大晦日のお参りなんて必要無いでしょ。わたし達は聖杯に招かれたんだよ? 仏教に浮気なんて良くないと思うな―!」

 

 よっぽどコタツが恋しいのだろう。ゾロアスター教の悪神がキリスト教の神を擁護し始めた。

 

「だいたい、シロウの目的はタイガの着物姿でしょ? 明日でいいじゃない!」

「ばっ、馬鹿言うな! な、な、何言ってんだよ!」

 

 楽しみだけれども、別にそれが目的というわけでは……、ない。

 

「おコタは明日わたしが持ってきてあげるよ。だから、今日は大人しく柳洞寺に行こうよ。王様も行くよね?」

「無論だ!! セイバーの着物姿を見る数少ない好機を逃してなるものか!!」

「来るな!!」

 

 うん、いつもの光景だ。

 

「そろそろ食べよう。着替える時間もあるし」

 

 今年は麺を粉から打ってみた。アーチャーに負けない為に色々と研究している成果が現れている。

 

「……シロウ。やはり、お前達が我にとっての一番の敵なのではないか?」

 

 蕎麦を啜りながら王様が睨んでくる。

 

「ギルガメッシュ! 己の不徳をシロウのせいにしないで下さい!」

「はいはい、喧嘩しないの!」

 

 三年の間、変わらないものがある。それと同じように、変わったものもある。

 例えば、大河と桜は教師になるために同じ大学に通っている。俺は慎二と同じ大学で、慎二は経済を、俺は法律を勉強中だ。

 聖杯戦争の間に……いや、これまでの人生の間に何度も思い知らされた。この世界には、完全無欠の正義はなく、完全無欠の悪もない。それでも、世の中を良くするためにルールが存在する。そのルールを捻じ曲げてしまう魔術に頼っていては、正義の味方になんてなれないと思った。

 

「……なんか、タイガってば、大人っぽくなってきたね」

 

 イリヤがコソッと言った。

 

「ああ、そうだな」

 

 昔のように暴走する事が少なくなった。代わりに優しさに磨きが掛かって、教育実習先での評判も上々らしい。どんどん成長していく大河に、置いていかれないようにするのは大変だ。

 

「シロウとタイガはいつ結婚するの?」

「けこっ!? い、いきなり何言ってんだよ、イリヤ」

「いきなりじゃないもん。キャスターも言ってたよ。どうせくっつくなら早めにくっついておいた方がいいって! その方が幸せな時間を長く楽しめるって!」

「ちょっ、イリヤ、声がデカイって」

「亜魅ちゃんも可愛いけど、わたし、シロウとタイガの赤ちゃんも早く見たい!」

「だから、声がデカイってば!」

 

 慌てた時にはすでに遅く、大河が俺達を見ていた。

 どうやら、バッチリ聞かれていたようだ。

 

「シロウ。結婚する?」

 

 照れた様子も見せずに大河は言った。

 あんまりだ、これは……。

 どうせなら、もう少しシチュエーションとかを考えたかった。プロポーズの言葉だって、色々と考えていたんだ。慎二にも何度も相談したんだぞ。

 だけど、先に言われてしまったら応えないわけにはいかない。答えは十年前から決まっていた。

 一秒の思考も入り込む余地はない。

 

「うん。結婚しよう、大河」

 

 歓声が上がる。王様が黄金の酒瓶を取り出し、アンリは宝具で俺の情けないシーンを虚空に表示して何度も再生して「プー、クスクス」と実にイラッとくる笑い声を上げ、セイバーとイリヤも楽しそうに笑う。

 三年前、聖杯を解体した時は、この日常の風景が壊れてしまうのではないかと恐ろしくなった。だけど、キャスターのおかげでセイバーがいてくれる。本体を破壊された筈のアンリも独立した個体として受肉し、イリヤも元気に成長していて、アーチャーは遠坂に扱き使われている。時計塔の食堂のキッチンを任せられたと自慢された時は拍手を送っておいた。時々、新作のレシピを送ってくる。ライダーも慎二と桜の行末を見守るつもりらしい。

 

★もしも、藤ねえが同い年だったら エピローグ『未来』

 

 それからの日々も特に変わらない。どこか非日常的な日常はいつまでも続いていく。

 俺と大河が結婚するのが半年後の事、

 アーチャーがテムズ川に落とされるのが一年後の事、

 大河が教師になって、俺が弁護士になり、慎二が会社を立ち上げるのが三年後の事、

 大河が母親になる日が四年後の事、

 王様がセイバーを初デートに誘える日が来るのが五年後の事、

 そして、七十年の時が過ぎていく……。

 

「……いやー、いろいろあったねー」

「だなー」

 

 賑やかで喧しい衛宮邸の軒先で緑茶をすする。ここ十年程の日課だ。

 アーチャーのように世界を股にかけて戦う事はなく、俺は弁護士として悪と戦い続けた。

 アンリが「そうか! 悪の弁護士になればよかったのか!」などと言って、悪党を弁護する悪徳弁護士になって法廷で争った日々も今は昔の事。

 そうした日々を二人で思い返す時間がなんとも心地よく、楽しい。

 

「……お疲れさま、正義の弁護士さん」

「お疲れさま、冬木の美人教師さん」

 

 肩を寄せ合い、瞼を閉じる。それが俺達の望んだ最期の過ごし方。

 

「おやすみ、大河」

「おやすみ、士郎」

 

 END



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