オーバーロードは稼ぎたい (うにコーン)
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プレイヤーは稼ぎたい

 

 

 

 吹き抜ける風が、短く切り揃えられた黒髪を揺らす。 呆然と立ち尽くす俺の耳に、葉擦(はず)れの乾いた音が聞こえてくる。 ポカーンと口を開いたまま上を見上げれば、抜けるような青空と燦々と照りつける太陽の光が目に突き刺さった。

 

 気付いた時には、大自然の真っ只中でした  

 

 いやいやいや、待て待て待て。 幾らなんでも可笑しいだろ。 確か俺は、ついさっきまで街の工房でアイテムを作っていた筈だ……多分。 自分の脳ミソがワンダーランドになっていなければ、この記憶は正しい。

 

 いや、それよりももっと重要なことがある。

 

 草……かな、これは。 木かもしれないが、そんな感じの匂いが鼻をくすぐる。

 

「え、なんで匂いがわかるんだ? 感覚の仮想再現(エミュレーション)は規制されている筈だろ……?」

 

 俺が今までダイブしていた没入型仮想現実は、あまりにもリアルに作ると色々と弊害……つまり、混乱してリアルとバーチャルの区別がつかなくなってしまう恐れがあるので厳しく規制されている。 ゲーム感覚のままで、例えば終電が無くなったから死に戻りしよ! な~んてされたらたまったもんじゃないからだ。

 

 自分の身なりをザッと確認するが、製作用の地味ぃ~~な茶色いエプロンと、雰囲気出す為に選んだ作業着のまま。 どう見てもついさっきまで遊んでいたユグドラシルのアバターの身なりだ。 意味が解らない。

 

 じゃあつまり俺はなんだ? 昔流行った異世界転移っつーヤツに巻き込まれたって事か? いやいやまさかありえんだろどう言う原理だよソレ。 百歩譲って、転移するのはアリだとしても、こんな自然の真っ只中に飛ばされるってどうよ? 右見ても左見ても木! 石! 草! 土! 原始時代ですかここは?

 

 もしかしてアダムとイブ的なアレか? 自分の種族ゾンビよ? イブ居ても居なくても、な~んも生産的なことできませんことよオホホホホ  

 

「誰かあ  ! 助けてくれえ  !」

 

 もしかしたらこの世界にひとりぼっちかも……と考えが進んだ瞬間、俺は居ても立ってもいられなくなり、目的地も方角も出鱈目に走り出していた。

 

「うわああああ  !」

 

 奇声を発しながら森の中を進む。 小枝とか葉っぱとかが、顔とかにぺしぺし当たって痛い。 リアルの環境では物凄い贅沢な状況だが、生憎そこまで自然大好きってワケでもない。

 

 20分くらい叫びながら走り回って、ようやく心が落ち着いてきた。 そうだ、落ち着け、俺。 まずは現状を把握することが大事だ。 今の俺が、本当にユグドラシルのアバターのままなら、餓死の心配は無いのだから実質時間は無限にあるハズ。 空腹のバッドステータスが鬱陶しいって理由でゾンビを選んだくらいなんだからな。

 

 ふー。 オーケーオーケー。 ゆっくりと記憶を探ろう。 何か役に立つヒントが隠れてるかもしれない。

 

 そう、あれはユグドラシル最終日の事だった……

 

 

 

 ◆

 

 

 

 ヘルヘイム。 それが大体の時間を過ごすワールドだ。

 

「流石に最終日ともなると投売りされるよなぁ~~」

 

 異形種専用の街にある、委託販売用の掲示板にアクセスした俺は、ありとあらゆるアイテムが値崩れしている様をまじまじと見せ付けられていた。 そして、登録していた消耗品やアクセサリーが全く売れてない事も。 はぁ、とリアルの肉体で溜息を吐いた。

 

 このまま並べていてもラチが空かないので、全ての登録を解除し、代わりに花火だとか、クラッカーだとか、栓が飛んで中身も飛び出す極彩色のシャンパン等のパーティーグッズを並べる。 定価で。 そして即効売れた。 最終日効果、恐るべし。 需要が狂いすぎているぞ。

 

「製作材料の物価下がりすぎて俺のメシがうまい。 大人買いじゃぁ~~」

 

 纏まったカネが出来たので、金属インゴット、魔法糸や布、宝石類その他諸々。 そしてデータクリスタルをゴッソリと買い占めた。

 

 このゲームを遊ぶユーザーは、大体の区分に分ける事が出来る。

 

 PVPに価値を見出すガチ勢。 仲の良い友人と緩~く遊ぶライト層。 そして最後に、俺もその口なのだが、キャラそのものに成りきるロールプレイヤーだ。

 

 俺は金を稼いだり、その金で装備や消耗品を作って売ったりするのが楽しくてこのゲームを遊んでいた。 苦労して作ったアイテムが売れた時は嬉しいし楽しい。

 

 ただ、外装のデザインはセンスに大きく左右されるので、製作依頼主の指定のデータを使うか、お気に入りのデザイナーさんに外注したりする。 デザインは売れ行きに直結するほど重要だ。 そうでなかったら、そもそもデザイナーやモデルなんて職業など存在しない。 そうだろう?

 

 稼いだ金をパーッと使って、他の製作者さんが作った見た目や機能が素晴らしいアイテムをコレクトするのも楽しかったりする。 大体は、貸し倉庫に並べて置いてあるが、気に入ったいくつかはインベントリに入れておいて、時々眺めたりするんだ。 まぁ、それも今は限界まで買う為に、そして材料がインベントリを圧迫してはち切れる寸前なので、倉庫に保管してあるのだが。

 

「あ、そうだ。 ブックデータの売りはどうなってるかな?」

 

 コンソールを操作して、検索カテゴリーを材料から製品に変更する。

 

 ユグドラシルの面白い所は、著作物ですらも売り物になることだ。 著作権フリーの書籍をデータ化し、凝った装飾を施した本   大体はギルド拠点の賑やかしの為に購入される   だとか、中には自分で執筆した本や、音楽なども売られていることがある。 ゲーム内通貨で買うようなブック&ミュージックだが、なかなかに掘り出し物があったりする。 なので、今の値崩れ状態は俺にとって、最高にハイってヤツだ。

 

「これと……これ。 あとは…これかな」

 

 読んだことの無いフリー本や個人出版の本を、かたっ  ぱしから買い占めていく。 本の容量は極僅かなのでインベントリが溢れる事はない。

 

 ただし、今日は最終日。 あと6時間もしない内に、サーバーが落とされてこの世界とも永遠にオサラバだ。 何冊も買うが、読む時間が無い……とはならないんだなぁ。 俺は端末を操作し、ブックの中身をローカルの記憶領域に保存してあるのだ。 個人で複製するには何も問題ないからね。 これでサーバーが落ちた後で読めるし、残り少ない時間で買い集めた素材で好きなだけ製作を楽しめると言う訳だ。

 

 そして製作所へ向かい歩き出したというワケ。

 

 指を突き出し、手馴れた動きでコンソールを起動し指を動かす。 こう……指先でチョンチョンっとコンソールを突っついて、1から10までの位階を表す数字のどれかを選ぶワケだが、これはユグドラシルのスキルリングシステムのショートカット機能を使う為の動作だ。 ソレを選ぶと4重の、時計の文字盤のように12分割された円が出る。 つまりリング1つに48個の登録が出来、そして10位階まであるので総数480ものスキルをショートカットに登録できるという事だ。

 

 今日は最終日だ。 何度も言うが、最終日なのだ。 つまり、いまなら何をしても……何を作っても……ナニしてGMに警告されても、ぜぇ~~んぜん痛くも痒くも無いっつーことだよなぁ! どうせ終わりなんだからよぉ! へっへっへ。 だから、色を変えるデータクリスタルを悪用して透ける水着だとか、ちょっとカゲキな外装や装飾を施したビキニアーマーとか、大人の玩具を撃ち出す銃とか作り放題じゃね?

 

 ……と、思っていた時期も俺にはありました。

 

 だってさ、まさか速攻無警告で対処されると思わないじゃん? サーバーシャットダウンでGMはイベントで忙しいだろうし、こんなしょっぱい違反者を一々相手にするとは思わないじゃん……思いっきり油断してました。

 

 手元で弄っていたコンソールがいきなりプツッ―と消えて、変だなと思って顔を上げたら大自然の真ん中に立っていた、と言うワケさ。 そして俺はその時こう思った。

 

(ああ、コレが通称『お仕置き部屋』とかいう場所か……)

 

 ってね。 正直ビビリました、ハイ。

 

 2ch連合のヤツが送られた時に撮ったらしい、似たような画像を見たことがある。 そいつの理由は、確かキャラクターの名前が不適切とかだったか? 確か『ちくび大乳輪』って名前が通報されたかでGMにお仕置き部屋へ強制転移させられ、名前が無意味な数字の羅列に変えられていた。

 

 ちなみに、お仕置き部屋とはMAPやワールドとは隔離された場所の事だ。 ユーザー側からは入ることも出ることも出来なくなっていて、ここでGMからアカウントの凍結だのペナルティがどうだのと、裁判所みたいに通告されるわけだな。

 

 俺はその時完全に諦めていた。 正規ログアウトが出来ないようにコンソールは凍結されているだろうから、接続を切って逃げるのは強制終了以外に無いし、適当に「はいはーい、すみませーん反省してまーす」って言ってさっさとログアウトするつもりだったからだ。

 

 だが、数分たってもGMは現れないし、いい加減焦れてきた。 ええい構うものかと、コンソールに依存しない強制終了の命令を  

 

 

 

   出せなかった。

 

 

 

「……はぁ?」

 

 と、素っ頓狂な声を発した。

 

 一体何が起こっているのか、自分が今どんな状況なのか全く解らなかった。 これは明確な電脳法違反じゃないのか? ゲーム参加を強制するなど営利誘拐だし、強制終了ができないなんて監禁と取られてもおかしくない。

 

 オンラインゲームという特性上、ユーザーがゲームを遊ぶには運営側のサーバーへアクセスし『何々の操作をした』と情報を送る。 そうすると、運営はユーザーの『操作をした情報』を元に処理をし、結果のデータをユーザーに送る。 ユーザーの端末はそのデータを受け取り、ゲームクライアント   ゲームの基本ソフトウエア   の処理を経て、サーバーから帰ってきた結果をユーザーに提示する。 この時に、通信障害などで運営側とのやり取りが遅れたり切断したりすると、ユーザー側に結果が返ってこない時間が出る。 これがタイムラグの正体で、貧弱なサーバーで処理が滞ったり、貧弱な通信環境ではデータの転送速度の遅さとかで発生する。

 

 つまり、運営がゲームクライアントを弄ってコンソールの表示を凍結することは出来るが、運営が介入することの出来ない端末側の操作は妨害できない……筈だ。 できるとしたら、それはもうコンピューターウイルス……マルウェアを送りつけられ感染したと言う事になる。

 

「……っ」

 

 急に怖くなった俺は、ダイブ用端末の通信を物理的に切断しようとリアル側の腕を動かそうとして……失敗した。 何度やってもアバターの腕が動いてしまう。

 

 まさか、ハッキングを受けた……? ダイブ用端末がやられたのではなく、運営は俺の脳のナノマシンを直接狙い攻撃してきたのか? 何重のセキュリティ防壁がかけられていると思ってるんだチクショウ!

 

 これではまるで夢だ。 走ろうとして上手く走れず、水の中を必死でもがいているような、そんな夢みたいな感覚だ。

 

「ばかな! あり、ありえないだろ! そこまでするのか!?」

 

 殆ど悲鳴に近い声だった。 それ程焦りが出ていた。 そして気付いた。 声を出す際、自分の口が動いている事に。 その瞬間、思考に冷水を浴びせられたかのように頭の中が真っ白になって、立ち尽くしてしまったのだ。

 

「……高度すぎる」

 

 周りをよく観察してみると、まるで現実と見間違うかのように美麗な環境だった。 この中に1つとして、不自然に凍りついたように動かない草木なんて無いし、荒くギザ付いたテクスチャの物体も無い。 全ての動体の動きは流れるように滑らかだし、物理法則に逆らって動いたりも、タイムラグすら存在しなかった。 

 

「おいおい……フレームレート幾つだよコレ……」

 

 動画を映す処理というのは、まぁ言ってしまえば紙芝居みたいなものだ。 ちょっとずつ違う画を高速で入れ替えることで、まるで絵が動いているかのように脳は錯覚する。 一秒間に何枚の絵を入れ替えるか……で、滑らかさが変わるんだが、こいつをフレームレート   FPS(フレーム・パー・セカンド)って単位で、動画の滑らかさとかを表すんだ。 多ければ多いほど滑らかに動くように見えるんだが、あたり前のように処理もデータ量も重くなる。 だから、なんというか目の前の状況は……高級すぎる感じだ。

 

 そんな事を考えながら呆然としていると、爽やかな風と共に草木の青々とした匂いが鼻に届いた。 俺はなんだか馬鹿らしくなってしまって、乾いた笑いが唇の隙間から漏らす。

 

「ハハハ……匂いの感覚パターンなんて、一体何種類あると思ってるんだ……」

 

 人間の感覚で、最も再現が難しいのは嗅覚と言われている。 視覚なら小さい点を並べれば絵のように見えるし、聴覚なんて空気の振動の波の周波数と大きさを変えればいい。 味覚のパターンなんて5~6種類の味の強弱でしかない。

 

 だが嗅覚。 こいつはダメだ。

 

 匂いの分子は数十万種類あって再現不可能だ。 その組み合わせや強弱で何の匂いなのか判断するのだが……例えるとコーヒーと紅茶の匂いは簡単に嗅ぎ分けられても、味だけで判断することが至難の業なのは、そのパターンがハッキリとしているからだ。 だから、脳内のナノマシンが、匂いデータのパターンに沿って脳に擬似信号を流すなんて不可能だし、技術的ブレイクスルーが起きて再現が可能になっても、リアルとバーチャルの境が曖昧になって日常生活に支障をきたしかねない。 だから法で規制されているというのに……

 

 

 

 ◆ 

 

 

 

  てな感じが、俺の記憶している全部だ。

 

 ふむ。 じゃあつまりなんだ、これが夢でもゲームでもなければ…つまり現実かこれは。

 

「くそ、何で俺がこんな目に合わなけりゃなんねーんだ」

 

 規約をわざと破ったことは棚上げして、俺はブツブツ文句を垂れながら当ても無く彷徨う。 いくら昔流行った転移系のアレが起きたつっても、原始時代に飛ばされるなんて幾らなんでもあんまりじゃなかろうか?

 

「いや、待てよ? そうだとしたら、なんで今の俺はゲームのアバターのままなんだ?」

 

 ピタリと足を止め、腕を組んで頭を捻る。 もしかしたら、何らかの不具合か何かで起きた事故かもしれないし、ただ単にまだゲームの続きかもしれない。 とりあえず消去法で確認しておくか。

 

 と、言う事で俺は装備を全て解除してマッパになった。

 

 いや、狂ったわけでは無い、俺の頭は正常だ。 今の状況が運営によるドッキリだとか、俺が知らないうちに何らかの誤操作してしまったかもしれない可能性を潰す為だ。 こうやってプラプラさせておけば、怒った運営が強制切断だとか警告とかの対処をして来る筈だからだ。 決して、開放感に浸りたいからだとか、脱ぎたかっただけとかじゃない。

 

 しばらくの間、腰に手を当てて仁王立ちしていた俺は、キョロキョロと辺りを見回す……が、特に変化は無いようだ。 やはりこの世界はゲームなどではなく、事態は思った以上に深刻かもしれない。 特にこの、木々に遮られた視界が鬱陶しい。 俺はインベントリに手を突っ込むと、小鳥の羽っぽい形のネックレスを取り出し装備した。

 

「<飛行(フライ)>」

 

 キーワードを呟く。 ネックレスは淡い青色の光を一瞬解き放つと、内に込められた魔力を開放する。 フワリと両足がうきあがり、重力のくびきから逃れた俺はグングンと高度を上げていく。 2000フィート(約610メートル)くらいの高度まで上がると、その場で静止した。

 

 腕を組んで眼下を見下ろす。 鮮やかな草木の緑が、燦々と照りつける太陽の光を浴びて、両腕を天に伸ばすようにその枝を茂らせていた。 やや丸く見える地平線の輪郭は、非常に遠くにあるだろう山脈の(いただき)が、ポツポツと顔を覗かせていた。 スモッグによって覆われ、薄汚れた灰色をしていた空気は澄み渡り、真っ白な綿のような雲がフワフワと流れている。

 

「…………」

 

 美しかった。

 

 喉が張り付いたように何も言えなくなるほど感動的な景色だった。 自然とはこれほどまでに美しいものだったのか。

 

「フ……フフフ……」

 

 胸の奥から湧き上がってくる、とある衝動……何だこの気持ちは?

 

「ハハハ……ハ  ッハッハッハ! ハハハハハ!」

 

 ああ、そうか。 俺はワクワクしているんだ。 運が良かったのか悪かったのか解らないが、あの緩慢に死んでいくだけだった何も出来ない退屈な世界に別れを告げ、何もかも自分で決定し自分の力で生きて行ける世界が現れた。

 

 いいだろう。 この世界に飛ばされたのは、何らかの意思の介入があるような気がしないでもないが、望み通りこれから俺が歴史を作ってやる。 ……この異世界を、あんな退屈で汚らしい世界になど絶対にしない。 俺の前に道は無く、俺の後ろに道はできるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……え―っぷし!」

 

 くそ、なかなかに冷えやがる。 俺はチクショウと悪態を吐くと、グズグズと鼻を啜りながらインベントリから取り出した防具を着込むのだった。

 



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サバイバルで稼ぎたい




あらすじ

謎ゾンビ「来いよ運営ィ……服なんて捨てて、掛かって来い!」


 現在位置は湖の畔。 上空で機嫌よく高笑いしていた時にふと気付いたんだが、けっこう近くに、昔絶滅した『瓢箪』と言う果実に似た形をした湖か池か沼のどれかがあった。 ちょっと遠くて俺のステータス&スキルじゃどれなのか解りませんね。

 

 そこからの距離は15kmって所か? リアルの大気とは大違いの透明度に、ちょっと感動しつつ<飛行(フライ)>の効果が切れる前に向かうことにしたんだ。 移動中のポーズはもちろん、腕を組んでの仁王立ちだ。 堂々たる姿でカッコ付けたかったワケではない。 ただ単に、昔の動画で見たような、両手を伸ばして弾丸のように飛ぶのは首の角度的に前が見辛いし、自分より上は全く見えないし、それに何より姿勢の維持がキツかったんだよ。

 

「さて。 まず何をするか、だが……目標がねーんだよなぁ」

 

 太陽の光を鏡のようにキラキラと反射している、尋常ではないほど透明な真水   リアルではクソ貴重品かつ高額だった   の前で、俺は途方に暮れていた。

 

 先程威勢のいい事を言ってみたは良いものの、なんというか……その……なんだ。 一言で言うならば『始まる前に終わっていた』って感じだった。

 

 俺の種族はゾンビでアンデッド。 死体は2度も死なないから不死だっつー何だか納得できるような出来ないような理由の不死者だ。 じゃあ機械のオートマトンも不死なんじゃねーのか。 ……まあいいや。

 

 アンデッドは眠らない。 死体は生きていないので、眠る必要が無いからだ。 寝ようと思っても寝られないのは先程試した。 別に手持ち無沙汰だから不貞寝したわけではないぞ。

 

 アンデッドは疲れない。 死体は生命活動をしていないので、疲労物質が発生しないからだ。 これも先程、20分くらい全力疾走する機会に恵まれたお陰で、証明済みだ。

 

 アンデッドは食べない。 死体はあたり前だが死んでいるので、カロリーを消費しない。 新陳代謝も止まっているので汗もかかず、総じて喉も渇かない。 ソンビなのに飲食不要なのは……ちょっと変だが、そーゆー仕様なのだからしょうがないだろ。 腹が減らない、つまり空腹を感じないだけで食えないわけではないんだが。 まぁ、料理系バフが得られないのは、ユグドラシルの時と一緒だろうと思う。

 

 ふと思ったのだが、今の俺の動力は何なのだろう? カロリーを消費しないって事はつまり、今の俺は永久機関って事か? 超エコじゃん俺。 無意識かつあたり前の様に無からエネルギーを生み出す俺、スゴイ。

 

 ……話が逸れたが、今の俺の状況を纏めると。

 

 餓死しないように食料を集める必要が無く、凍えないようにする居住地も必要無く、疲れを取るために休む場所すら必要としないという事だ。

 

 うん。 これサバイバルゲーだったら積んでるわ。 遊ぶ気すら起きないって意味の積みゲーだぞ! チートはゲームの寿命を縮めるんだよ……

 

 くっそー。 だが、こればっかりはしょうがないと割り切るしかない。 考えれば考えるほどアンデッドっつーのは、ブラック企業専用・最終社畜兵器にピッタリすぎてビビるぜ。

 

 うむ……こうなったら発想の転換が必要だな。 逆に考えるんだ。 目的の為には手段を選ばないつもりだったが、手段の為には目的も選ばない事にしよう。

 

 ではそうと決まれば……せっかく自然があるんだ。 『サバイバル生活』ってのを満喫してやろうじゃねえか。

 

 設定はそうだな。 船が沈没して無人島に漂着……あのキッタネー海に浸かったら即死だな。 無し無し。 えーっとじゃあ飛行機事故でってことに……ダメだ、残骸とかで道具を作りたくなる。 ……よし、マッドサイエンティストがタイムスリップ装置を作ったら、事故って俺がクソ昔に飛ばされたことにしよう。

 

 先立つものが必要って事で、先ず最初に石器……石斧作りだな。 作り方は簡単だ。 本で読んだからな。 石と石を衝突させて鋭利になるように割るだけで刃先で作れるから、その石を先を割った棒で挟んで結べば良いだけだ。

 

「こんなもん楽勝にきまってんだろーがよぉ~~ その辺の石をこう……ホイッと」

 

 片手に1つずつ持った石を、車両の正面衝突のようにパコーンとぶつけた。

 

 結果は砕けた。 パコーンと砕け散った。 粉々だ。 何度やっても結果は同じ。

 

「フ  ック! 何で上手くいかねーんだ!」

 

 怒りに任せ、粉々になった石を地面に叩き付ける様に投げ捨てた。 アンデットのステータスの数値が高いから力が入りすぎているのか、それとも石の材質が悪いのか、この方法はダメだと見切りを付ける。

 

 次に選んだ加工法は、石と石を擦り付ける方法だ。 これは上手くいった。 時間は掛かったが、斧っぽい形にする事が出来た。 後は柄を付ければ完成だ。

 

 親指と中指をくっ付けたくらいの太さの若木を、力任せに圧し折って引き千切る。 指で片方の端を縦に引き裂いて、石の刀身を挟む。 その辺に生えてたツタの皮を剥ぎ、ネジって作ったヒモでキツく縛れば……

 

「ッシャオラァ! ストーン・アックスの完成じゃオラァ!」

 

 軽く素振りしてみる。 ブンブンと、空気を掻き分ける風切音を響かせながら、石斧は俺の作り出した遠心力に耐えた。

 

「少しグラついてるが、まぁ、及第点だな」

 

 本当はズレないように、この継ぎ目に接着剤として『粗タール』を塗るようだ。 原始人はすげえなぁ、こんなクソみたいな道具で生きてたんだからなぁ。

 

 このタールを作るにはまず材料として、マツ、トウヒ、モミとかの樹脂の多い針葉樹の木片を密封できる容器に入れて、焚き火に突っ込んで炙る。 そうすると木片の表面に、黒いニチャニチャしたタールが染み出てくるので、ソレを掬い取って使う。

 

 だがこの接着剤を作るのは面倒臭かったのでやめた。 近くに針葉樹なんて無いし、容器も無いし陶器で作るっつっても粘土が無い。 よしんばあったとしても、ツボつくるのに何日かかるんだ?

 

 ってことでこれで石斧は完成なのだ。

 

「さーて、それじゃあ試し切りといきますかァ  ッ?」

 

 コンソールをポチポチ弄って作ったアイテムとは違い、俺が自らの手で作った道具だ。 嬉しさもひとしおと言うもの。 口の端がニヤニヤと吊り上るのもあたり前の事だ。

 

 俺は適当に選んだ木の幹に向かって、石斧の刃を水平に振りぬいた。 ダコンと、ユグドラシルの時と同じ音を立て、斧は木に食い込んで……バラバラに砕け散った。

 

「…………」

 

 元・石斧だった棒っ切れを、振りぬいた姿勢のまま固まる。 必死こいて作った石器は、戦闘スキルがほぼ皆無であっても、異形種の優遇されたステータス値に耐えられなかったようだ。

 

 無言で棒を捨て、インベントリの中に手を突っ込む。 そして、今ある製作用素材の内で最低レベル材料である『アイアン・インゴット』を2個取り出す。 ただの余り物の素材だが、石よりはいくらかマシだろう。

 

「<普通武具製造(フォージ・コモン・アイテム)>」

 

 有り難い事に、ゲーム中使用できたスキルや魔法はこの世界でも問題なく使えるようだ。 剣鉈……つまりマチェーテを作るつもりで手に持っていた地金は、ひとりでにグニャリと姿を歪ませると、頭の中で思い描いていた形に落ち着いた。 持ち手の部分に余り紐を硬く巻きつけ、鋭さ+1のデータクリスタルをブチ込む。 こうすることで、例え低レベルの装備だとしてもアイテム破壊のスキルか魔法を受けない限り破壊されないし劣化しない。

 

 道具作りに飽きた俺は、次に食料の調達に挑んでみることにした。

 

 野草や木の実を探すってのもオツなもんだが、せっかく湖畔(たぶん)に居るのだから、魚を獲ってみようと思う。 釣竿を作ろうと考えた俺は、そこらに生えてる若木の中から粘り強くしなる木を選び、ナタをナナメに振り下ろして切断する。 水平に切らないのは、こうすることで楽に繊維を断ち切ることが出来るからだ。 切り口が竹槍のように鋭利になるので、自分や他の誰かが怪我をしないように、硬い靴底で切り株を踏み付け潰しておく事。 これは最低限のマナーだ。 

 

 もし手元にナタのような重く大きい刃物が無く、果物ナイフやハンティングナイフのような刃渡りの短い刃物しかない場合は、ナイフの背を薪のような木の棒で叩いて刃を食い込ませる。 体重で容易にしなるような細い木であれば、しならせた外側をナイフの刃で叩けばいい。 切断された繊維がささくれ立って、切り口は汚くなるが……楽に切り倒せる。

 

 次に小枝を切り払う作業をする。 刃物を使う際は、刃が自分に向かないように手前から奥へ動かす。 そうしないと、手や刃が滑って失敗した時に、自分で自分の身体を切ってしまうからだ。 木の枝は、→∠ こんな感じで、広い方向から刃を入れる。 ノコギリなら問題ないのだが、ナタの場合こうしないと枝の一部が残ったまま剥がれ、バナナの皮のようにベローンとなって失敗してしまう。

 

 とまぁこんな感じで生木製釣竿を作り、透明なナイロン糸なんて無いから太糸で道糸を作る。 古代の人類は、レの字に削った木の枝や、動物の骨を加工した物を釣り針として使っていたらしい。 当然、材料の入手も加工も面倒(つまらないとも言う)なので、俺の釣り針は鉄製だ。 木片を浮きに使い、餌はミミズにした。

 

 準備完了。 レッツ! フィッシーング!

 

 

 

 

 

 そして2時間が過ぎた。 傾きかけてきた太陽を一瞥すると、今まで読んでいた本を閉じ、深い溜息と共に竿を上げる。 釣れないのは場所が悪いのか、エサの質か、それともバレバレの糸のせいか。 まさか魚自体がいないってワケじゃないよな……?

 

 水を吸ってブヨブヨになったミミズを捨て、さっき捕まえたクモを針に付け、水面(みなも)に投げる。 味は見ていない。 ポチャンと音を立て、小さい水飛沫を上げた手作りの仕掛けは、ミミズの時と違いエサであるクモが軽い為か、水面に浮いていた。 暫くの間、溺れまいと必死でもがくクモが小さな波紋を立てているさまを眺めていたが、すぐに興味を失って読書に戻った。

 

 1時間が過ぎた。 とうの昔にクモは動かなくなっている。 波紋が魚の興味を引くかと思ったが、それは浅はかな考えであったようだ。

 

「クッソ釣れねえし飽きたぜ  ッ!」

 

 軽く背伸びをして読書を中断した俺は、大切な本が濡れないよう、念のためインベントリに仕舞う。 地面に突き立てておいた釣り竿を引き抜き、糸を引きちぎる。

 

 湖の水面近くに、そこそこのサイズの魚影を見つけた俺は、竿の細い方を持ち太い部分を背に回す。 イメージとしては担ぐ感じだ。 魚影にこっそりと近付き、竿を振り被りムチのようにしならせ、元竿の根元を魚影に叩き付けた。

 

 バシャーンと大きな音がして、尋常でない水飛沫が顔に掛かる。 うげっ水が鼻に入って痛い。

 

 上手く魚を殴れたら、プカ~~っと気絶した魚が湖面に浮いてくるハズなんだが……うむ、失敗したようだ。 あークソ。 どうすりゃ魚が獲れるんだ?

 

 網で捕まえる……いや、飢えで苦しいわけでも無いしそれはヤメよう。 労力の割りに合わない。

 

 モリで突くってのも考えたが、製作極振りのステータスではマトモに当たらないだろう。

 

 昔の中国じゃあ、毒を川の上流に流し、死んだ魚を拾って売っていたらしい。 砒素毒くらいなら鉱山に行けば水溜りから採取できるが、うーむ。 ……毒殺した魚を食料として売るって、ロールとは言え商人としてどうよ? ダメに決まってるだろ。 あ、ちなみに原因が毒殺だとしても、食い物で死んだら死因は食中毒なんだぜ。

 

「あ゛ーもー面倒臭えー!」

 

 直径50cmくらいの大きさで、85kg程の重さの岩を見つけた俺は、岩を地面から引っこ抜くと湖から顔を覗かせる岩に向かって投げる。 岩と岩がぶつかり、バコンだかガコンだか重そうな音を立てて、砕けた岩は湖面に沈んでいった。

 

 この漁法はガチンコ漁って言うんだが、元居た日本では違法だ。 しかし! ここは日本じゃないのでセーフ!

 

 注意深く水面を観察していると、失神した魚が数匹浮いてきた! よっしゃ、魚ゲットだぜ!

 

 

 

 ◆

 

 

 

 よーやく魚が捕れたので、食材が生臭くならないように血抜きをする……前に、魚が暴れて体温が上がり、鮮度が急降下する『身が焼ける』状態にならないよう、即死させないといけない。 魚の急所は頭の付け根にある延髄だ。 ここにナイフを突き刺せば神経が切断されるので、暴れられる心配がなくなる。

 

 血抜きは、エラの内部の脊椎に近い部分の太い血管と、尾びれの2箇所を切るだけでいい。 頭を下にして吊りさげ、5分~10分待てば血が抜ける。 心臓が止まると抜けるのに時間が掛かるので、できれば動いている状態で血抜きを行ないたい。

 

 ……ってーのをやって、内蔵とエラ   魚のエラは微生物や汚れがたまり易く汚いので取る   を捨てて、さーて早速味見を……と、言いたい所だが淡水の寄生虫は海水のと比べてヤバイらしい。 肝吸虫とかは肝硬変を引き起こすし、顎口虫は脳に達し食い破るそうだ。 ゾンビとは言え、さすがに寄生虫持ちにはなりたくないぜ。

 

 と、言う事で調理をしなければいかんのだが……

 

「火がねえわ」

 

 うん。 無いんだ。 ライターもマッチも火打石も無いの。 炎系の魔法を込めた、売れ残りのワンドならあるが……迂闊に使ったらケシ炭になるんだろどうせ。 まずいぜ~~ッ! 楽観的に考えたせいで、無計画過ぎたか!? とりあえず燃料は小枝とかがあるからいいとして、火種がねーよ!

 

 ……あ! そうだ閃いた。 電球的なアレが頭上でピカッたぞ。 そうだよ叩けばいいんだよ叩けばよぉ~~っ。 

 

「えーっと……金床(アンヴィル)と金槌で、火種は……鉄の端材でいいか」

 

 俺の考えはこうだ。 鉄を金床の上でガンガン叩く。 叩かれた鉄は、形を変えるときに圧力やら何やらを熱に変える。 木や紙が燃える温度は300度以下だから、600度以上に達して赤熱して見えなくても温度は十分だ。

 

 何度も何度も、鉄の小片に向けてハンマーを振り下ろす。 少々槌の音が耳障りだが、幸いな事に近所迷惑にはならない。 だって近所に住む人居ないんだもん。

 

 温度が上がってくるにつれて、小片に付着していた揮発性の不純物が蒸発し、僅かに白い煙が上がった。 後は火口(ほくち)に移してやれば着火するハズだ。

 

 火口(ほくち)はナイフがあれば容易に作ることが出来る。 作り方は、剃刀でヒゲを剃る感覚で、乾燥した小枝をナイフで擦るとフカフカの繊維状になるのでソレを使うといい。 更にもっと火が着き易い火口(ほくち)が欲しい場合は、新聞などの再生紙   最初から繊維がガサガサだから都合がいい   や脱脂綿を空き缶に入れ、やや隙間を空けて密封し、粗タールの時のように火で炙り炭化させる。 まあとにかく乾いてて空気に触れる面積が多けりゃ良いのさ。

 

 ほぐした火口(ほくち)を椀状に窪ませ、その窪みに鉄片を落とす。 火種をフンワリ包んだら、焦って一気に吹くと火が消えるので、そーっと息を吹きかける。 だんだん白煙が出てくるが、まだ途中なので酸素を送るのを止めてはいけない。 やがて、息継ぎの為に吹くのを止めた際に、ガス爆発のように白煙にボッと火が着くが、火は上に行くから火口(ほくち)の下を持ってれば熱くないし焦らなくて大丈夫だ。

 

 よくある焚き火のシーンで、焚き木を円錐状に組むが、アレは空気の通り道を確保する為だ。 ミッチリ並べると酸素が遮断されて、最悪火が消えてしまうのさ。 あの組み方は灯りを得たいなら全然問題ないんだが、調理をするとなると……ちと熱効率が悪い。 熱が行って欲しくない方向を何かで断熱すれば、薪を節約できて、薪拾いや薪割りの時間も節約できる。

 

 っつー事で地面を少し掘り、そこに焚き木をブチ込んでおいた。 穴の側面の一部を崩し、なだらかなスロープにすれば空気の通り道が出来るし、これで風除けにもなる。

 

 おっと、忘れる所だった。 ココで注意をしなければいけないのは、毒のある木を燃料や食器にしてはいけない、だ。

 

 アメリカ大陸には毒サボテンが自生しているらしく、枯れた毒サボテンを燃料に肉を焼いた家族が、食中毒で亡くなる事故が起きた。 そして、日本にも夾竹桃っていう、幹・葉・根・実の全部に毒のある木も自生しており、夾竹桃で作った串でフランス人も死んだらしい。 この木は、葉を食っただけで牛が死ぬくらい毒性が強いようだ。

 

 で、自衛の方法なんだが、確実なのは知らない木は使わない事。 そんなん言ってられない状況なら、生木を刃物で切って樹液を観察するべし。 白い樹液が出てこなければワンチャンあるぞ。 毒サボテンも、食用になるウチワサボテンの透明な樹液と違って、白い樹液だったそうだ。

 

 塩を尾に沢山つけるのは、燃えてみすぼらしくなるのを防ぐためで、魚に串を通す時にS字に曲げるのは、串から魚がズリ落ちないように……だ。

 

 煙が食材にかからないように注意して焼いていく。 作りたいのは焼き魚で、燻製ではないのでね。 暫く加熱していると、身から出てきた油が皮を焦がし、メイラード反応によって茶色く変色し芳ばしい香りを振り撒く。 ヤバイ超うまそう。

 

 焼きすぎると硬くなるらしいので、魚からポタポタと滴る余分な水分が止まったのを確認して、火から外した。 うおお……! すげー! 天然物の川魚だぜ……ッ! リアルだとコレ1尾でいくらするんだ!? いやもうそんな事どうでもいい我慢出来んいただきまーす!

 

 がぶっ。 噛み付くとパリパリの皮が弾けて、口いっぱいに豊かな香りが広がった。 ピリリとした塩気に負けないくらい強い旨みと、その奥から湧き出てくる脂の甘み。

 

「うんまぁ~~い!」

 

 うっひょおおおお! 涙が出てくるくらいウメーぜ!

 

「ご馳走様でしたッ!」

 

 一瞬で骨も残さず食い切って、マトモな食事にあり付けた事と、犠牲になった魚の命に感謝の礼を言う。

 

 小魚は逃がしたが、腹を開いて10%の塩水に漬けた、干物進行中の魚が5匹ある。 正直食ってしまいたいが、物々交換のチャンスが訪れた時の為に我慢だ。 

 

 ……いや、まてよ? 干物よりも燻製の方が保存できる期間が延びるな。 第一村人発見まで何日……下手したら何週間かかるかわからないし、手間はかかるが此処は燻製しよう。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 魚を塩水に漬けて2時間が経った。 濃い目で漬けたので、もう十分中まで塩が回っただろう。 後は真水で30分塩抜きすれば、表面の強すぎる塩が抜ける。 塩分は燻製の質を大きく左右するので、ここは慎重に作業した。

 

 幸いにも気温が低いから、良い感じに乾燥が進むと思う。 塩抜きが終わった魚の肉を、少し食べてみて味の確認をしたら、タコ糸……は勿体無いのでツタの皮で作った紐を口に通す。 まず紐の端を口に入れ、エラから出し、後頭部をぐるっと回って再びエラの中に入れ、口から出す。 これで吊り下げる準備が出来た。 後は乾きやすいように腹につっかえ棒を挟んで半日待つだけだ。 水っぽいと、熱で出てきた水が魚を覆ってしまい、いつまで経っても燻製にならないぞ。

 

 金属製の装置なんて無いので、木の枝と葉っぱで隙間だらけの燻製機を作ることにする。 使い捨てだが……まぁ職業にするわけでもないしな。

 

 真っ直ぐで、やや太めの枝を縦に数本並べ、上部を紐で8の字のように結び、三角錐になるように広げると、テントの支柱みたいな骨組みが出来た。 その骨組みに交差するように細めの枝を縛りつけ土台にする。 葉っぱ付きの枝を根元で2つ以上結んだ物を用意し、布団を干すように骨組みに挟ませる。 葉っぱ製ミニテントを作る作業は、下から上に作っていかないと、煙が漏れるので注意して作った。

 

 煙を出させる燃料は、針葉樹を避け胡桃などの広葉樹を選ぶ。 ヤニの多い木は適さないらしいからな。

 

 吊り下げた魚に煙を浴びせている間、温度が60度以上になると焼けてしまうので、温度計なんて便利なものは無いので手を突っ込んだ。 空気の熱伝導率は水よりも悪いことを鑑みて……やや熱いくらいだと50~60度くらいだな。 隙間だらけの装置なので、指で少し弄るだけで温度が調節できた。

 

 とまぁこんな感じで、時々温度とかの様子を見ながら5~6時間煙で炙りつつ魚を温めると、マスっぽい魚の半生レアな燻製が出来上がったのだった。 1つ食ってもまだ4匹あるので、大失敗しない限り交渉材料になるだろうと思う。

 

 日はもう既にどっぷりと暮れている。 正直、超暗いので、暗視ゴーグル的なマジックアイテムで視界を確保する。 ……しかし不思議だ。 こいつは見た目が眼鏡のくせに、なんでこの装備は仮面扱いなのだろう?

 

 燻製を作っている間、遠くの方の空が明るく光ったと思ったら、急に暗くなった。 一体何が向こうにはあるのだろう? 燻製が途中だったから動けなかったが、あの地平線の先……というよりも森林の先にある何かが、俺の好奇心をツンツンと刺激してくる。 明日、太陽が昇り明るくなったら、フライのアイテムを使って確認してみよう。

 

 俺はフカフカの草むらにドッカリと腰を下ろし、背を木に預けると、インベントリから取り出した200年近く前の小説を読み始めるのであった。




ほくち、について。

 炭化した可燃物は、焼け木杭に火が着く…という慣用句にもあるように、簡単に火が着きます。 ただ、バーベキューがしたいのであれば、素直に着火材を使うほうが楽です。
 叩いた鉄片が火種になるのか? と疑問に思うかもしれませんが、これは車の設備のシガーソケットとほぼ同じ原理であり、違うのは電熱か圧縮の熱かの違いなだけです。


メイラード反応、について。

 食事において美味しさとは、香りが6~7割を占めるという研究結果があります。 熱によって食材が化学変化を起こし、茶色く色を変え、芳ばしい香りとスッキリとした苦味を生み出すこの反応は、特にパンのトーストで実感できます。
生臭いと感じるであろう肉や魚であっても、メイラード反応は生臭さを消し、逆に食欲をそそる香りを生み出します。 料理において、火加減は非常に重要なファクターですね。


燻製、について。

 燻製にむいている食材は、脂質と蛋白質が豊富であるものです。 スモークチーズやハム、ベーコンにソーセージ等、動物性の食材がよく好まれます。 煙は密閉できれば何でもよいので、段ボール箱等でも可能ですが火災の可能性があります。 ホームセンターで5000円ほどの、金属製の折り畳み燻製機が売っているので、アウトドア旅行での酒のつまみを作るなども楽しいかもしれません。


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カルネ村で稼ぎたい

あらすじ

謎ゾンビ「ねんがんの アウトドアレジャーを したぞ!」



作った商品

魚の燻製……4尾



 150年くらい前に発行された、このファンタジー小説が面白くて、ついつい読み耽ってしまった。 特に少女が1人で旅するってのが、今の俺の状況にそっくりだ。 この少女の持つ銃のチョイスが、パーカッションリボルバーってのも面白い。 装薬が液体火薬ってのが謎だが、まぁファンタジーだしな。 雷管の部分から液漏れしそうだが、木工ボンドとかマヨネーズみたいにネバネバなんだろう。 もしかして、残り少なくなった火薬が勿体無くて、最後まで使うために歯磨き粉みたいに端っこをグルグル巻いたり、マヨネーズみたいにブンブン振り回すんだろうか? そう考えると、なんか面白くなってくる。

 

 ついつい読むのに熱中してしまった小説から顔を上げると、すでに太陽が上がっていた。 時刻は午前6時くらいだろうか? 持ってる時計と現地の時刻が合ってるかどうかなんて、仮定するための情報すらないから判断が出来ない。 時差とかはどうなっているのだろう?

 

 焚き火はかなり前に消えていたが、一応念のために土をかけて埋めておく。 インベントリに魚の燻製を4つと本を収納し、燻製の1つかじりながらネックレスを装備した。

 

ふふぁい(フライ)。 もぐもぐ」

 

 歩き食いならぬ飛び食いをしながら、俺は高度を上げていく。 原住民的な何かに見つかりにくく、矢とか弾丸を撃ってきても余裕で回避できるであろう高度4千フィート(1.2km)まで上昇した所で、水平飛行へ移った。 金属製の航空機でもないのだから、そう易々とはレーダーに映らないはず。 ……これ以上高度を上げると地形がよく見えないから、ちょっと不安だがこれくらいが良い塩梅だな。

 

 いやー、それにしても生身で空を飛ぶのは最高に気持ちが良い。 冷たい風が全身を打ちつけ、ビュウビュウと耳元で鳴る渦もBGM代わりになる。 飛行速度は、全力を出せば時速120kmくらいだろうか? 祖父が、バイクで高速道路をかっ飛ばし、風を切るのが最高に気持ちよかったと昔話をしてくれたが……これだけ高度を上げると、ドン亀の気分だ。 歩くよりも相当速いのは解ってはいるんだが、流れる景色がゆっくりだとどうしてもな……

 

 30分ほど飛んでいたが、でかすぎる森のせいでちっとも移動できている気がしない。 単純計算で60キロは移動したはずなんだが……

 

「まさか……ロシアみたいに人が殆ど居ない地域なのか?」

 

 あり得る事態だった。 よくあるフィクションの先入観で、この地域はヨーロッパ的な場所だと思っていた。 もし、ここがユーラシア大陸の内陸部だとしたら……月単位で移動し続ける可能性がある。

 

「ああ~~……マジかよぉ~~っ。 サバイバルはもう飽きたよぉ~商売とか楽しい事したいぜー」

 

 ハァーッと溜息を吐いて、がっくりと肩を落としうつむいた、その時だった。

 

  !? 民家だ!」

 

 あっぶねー。 危うく見逃す所だった。 森の影に隠れるように、小規模な家屋の集合体……村があったのだ。

 

 眼を凝らしてよく見ると、麦っぽい草が植わっている。 農地があるってことは、もしかしたら人間か……それとも、ファンタジーなんだからケモ耳とふさふさ尻尾が生えたカワイイ娘ちゃんもいるかもしれない! うおお俄然燃えてきたぜ!

 

 いそいそと木陰に降り立ち、住民を威圧しないように防具を交換する事にした。 いや、まぁ、それだけの理由ではないが。 だって防御力だけで選んだから、外装もデータもてんでバラバラ、キメラ状態だったのだ。 正直、これで人前に出るのは恥ずかしい。

 

 さて、どんな服装で会おうか? 悩ましい所だが、ここは俺のお気に入りのアレを着よう。

 

 インベントリーに手を突っ込むと、2着の薄い服を引っ張り出した。 薄い青のジーンズと、背中に超達筆の筆字で『職人』って書かれた紺のTシャツだ。

 

 スーツみたいなガチガチに肩肘張った服だと農村じゃあ浮いちゃうし、鎧ってのも喧嘩の準備してるようで変だ。 リアルで鎧着てるヤツいたら何かのコスプレかと思うし、すぐに警察がすっ飛んでくるだろ? それに21世紀のアフリカ原住民だってこんな格好で農作業してたのだから、この格好がこの世界にベストマッチで丁度いいのだ。

 

 物々交換用に作った燻製を手に、人影を探して村に入った……のだが。

 

「なんだこの村? やけに人気が少ないけど……農作業に出ちまったのかな?」

 

 寂れすぎていた。 なんというか、活気が無いのだ。 廃村ってワケではないのは、家屋や足跡の新しさからわかる。 特に、家は人が住まなくなるとすぐに痛むからな。 ……ってことは、やっぱり農作業の仕事に出ちまったんだろう。 確か、中世辺りの労働者の労働時間は、午前4時~午後8時の16時間労働だったらしいからな。

 

「さて、今は西暦何年くらいですかね……」

 

 人がいなくて暇だったので、家屋の作りや設備等を調べていく。 水車、風車、乗用車などの動力源は何か? 家屋や家具、道具の材質は? ステンレスがあれば少なくとも近代は過ぎて1900年以降だし、プラスチックやペットボトルがあれば、この世界の技術力は20世紀以降って事になる。 特に、軽く便利で安価なプラスチックは、一瞬で世界中で使われるようになったくらい重要な素材だから、()()()()()()()()限りどこにでもあるはずだ。

 

「……無いな。 プラスチックは何処を探しても無い」

 

 ゴミ捨て場をつっつきまわしていた木の棒を捨てる。

 

 ざっと上面をあさっても、出てくるのは僅かな量の木や陶器やガラス片、あとは生ゴミくらいなもの。 有用であるが故に大量に作られ、道端にポイ捨てされるくらい価値の低い、ポリや、ビニール、アルミは無かった。 それどころか、窓に板ガラスが使われているというのに、枠は安く腐食しにくいアルミでは無く、加工に手間がかかり腐食しやすい木枠が使われていた。

 

 窓に使われているガラスをじっと見る。

 

「クラウン法の円盤ガラスじゃ無いな、跡が無い。 材質もかなり透明で気泡も混じっていないし、鋳造研磨か円筒法? まさかな……」

 

 古代ローマでも、ガラスはフツーに浴場とかで使われていた。 砂で型を作って、溶けたガラスを流しただけのブロック状のヤツだ。 だから別に紀元前でもガラスがあるのは変じゃない。 ただ、不純物として鉄が混ざってワイン瓶のように緑色だったり、溶かす時に細かい気泡が浮いてきてしまって脆かったりするので、分厚く作られているんだ。

 

 そして、ガラスは溶かすだけじゃ使えない。 形を変えなければいけない。

 

 クラウン法ってのは吹きガラスで作った、コップを作るのに失敗し過ぎたって感じで伸ばす円盤状の板ガラスだ。 円の中心に棒が付いていたあとが必ず残って、厚みもバラバラだから、牛乳瓶の底みたいな歪んだガラスを使った味のある窓になる。

 

 そして、1700年のフランスで鋳造研磨法が考え出された。 このやり方は、鉄板の上にガラスを流して、ローラーでうどんのように伸ばし平らにする。 傷やでこぼこがどうしても出来るので、何日もかけて研磨剤で磨いて平らにして、ようやく完成する板ガラスだ。 厚みのある板ガラスが作れるが、とにかく手間がかかって値段が高いので、こんな田舎の農村で使われているはずが無い。

 

 円筒法は、筒を吹きガラスで作って縦に切り開き、暖めながら木の棒で伸ばして作る。 1851年に開かれたロンドン万博で、パビリオンを作るときに30万枚使われたらしい。 だいぶ沢山作れたにしても、これもそこそこの値段がする。

 

 寒く、日照時間の短いヨーロッパにおいて採光窓は死活問題のはず。 だから窓に金をかけるのは自然ではある。

 

 だが、しかし……この村はおかしい。 どの家も窓ガラスを使う余裕はあっても、トラクターやそれに接続するプラウ、砕土機(ハロー)、筋蒔き機は無く、(くわ)やフォークとかの人力で使うものしかない。 だというのに家具や内装は近世風だし、オマケにオイルランプなんかが天上からぶら下がっている。

 

 技術ってのはスキルツリーみたいに、前提条件ってのがいる。 だから、一番新しい技術を見つけられれば、ここは一体何処で、何年で何時代なのかわかる……と、思ったんだ。 せめて、銃が発明された後なのか前なのか知りたい。 戦闘能力がほぼ皆無の俺には、それが死活問題だ。

 

 あーくそ。 頭がこんがらがってきた。 古典的な囲炉裏の横に、瞬間湯沸かし器が備え付けられているような感じで、これはもうキメラってレベルじゃねーぞ。 この村には中世初期から近世までの物がごっちゃすぎて、わけがわからない。 なんでこんな状況になってるんだ? こりゃあまるで、魔法でも……ああ、そうか、魔法か。 俺の製作スキルみたいに、物理法則を無視する存在がこの世界にいて、格安で作りまくってやがるんだなクソ。 つー事は、俺よりも前に、この世界に来たヤツがいるって事だ。 なるほど、これがこの世界のオーパーツの正体か。

 

「なら、まだ俺の入り込む余地はあるな。 家具は作れても、高度な農具は作れない程度の……」

 

 確かに製作系のスキルや魔法を使えば、一時的に高度な道具を作れるだろう。 だが、その作った何かが社会に受け入れられるかどうかは別問題だ。 未熟な社会基盤には未熟な技術しか定着しないし、教育水準の低い奴隷を何人使ったって、ハイテク技術が広まった俺が居たリアルの世界じゃあ社畜にすらなれんだろう。 木に竹を接ごうとしても無駄無駄……失敗するに決まっているんだよ。

 

 どうやら、先に来た奴らは詰めが甘かったらしい。 高度な数学や、便利な道具を与えても、受け皿が整っていないのだから道具を使えても複製すら出来ない。 もしかしたら使い道すら解らなくなって打ち捨てられた物もあるかもしれない。

 

 考え事をしながら歩いていたら、村外れに出た。 眼前には、()()()()()実を付ける麦が育てられていた。 粒の大きさも大きく、たっぷりと種子を蓄えた麦は、その青々とした頭を重そうに垂れ下げている。 正直呆れたが、たまたまユグドラシル産の種籾を所持していたプレイヤーがいたのだろう。 時代が近世に入り品種改良が進むまで、壁画などに書かれているように、稲や麦は穂の高さが2mもあったのだから。 当然、茎を伸ばすのに養分を取られるので収量は低く、一粒の種籾から4~5粒取れれば豊作……とされていたのが11世紀なのだ。

 

「…………」

 

 辺りを見回し、畑の状況をざっと見る。 ひげの短い小麦のみが植えられており、ライ麦、大麦、燕麦(えんばく)、豆類等は無いようだ。 いくつかの農地が休耕地として放置されていて、伸びた雑草もしくは牧草を家畜が()んでいた。

 

二圃式(にぽしき)か。 麦の性能に農法が追いついていないな……」

 

 確か三圃式農業(さんぽしきのうぎょう)は11世紀に考え出された農法のはず。 この農法を取り入れた11世紀以降は、収量が2~3割増えたそうだ。 この土地を治めている領主が、農地の配分を三圃式ですら決められないくらいアホか、農民を纏められないくらいカリスマ性が低い能無しでない限り、それ以前の技術体系のはず。 最も原始的な銃が発明されたのは15世紀だから、たぶん、この世界には『火薬』はない……と思いたい。

 

 俺は作物を踏まないように農地へ入ると、農作業をする村人からやや離れて作業する、1人の少女に声を掛けた。 

 

 別に、一人で作業している少女を選んだのは、この時代のヨーロッパの有色人種の人権が家畜以下だったらしいから、いきなり殺されるかもって怖かったわけではない。 ないったらない。

 

「すんませーん。 ちっと時間いーですかね?」

「あ、はいどうぞ。 どうかしましたか?」

 

 振り返った少女の姿に、2重の意味でドキリとした。 後ろ姿に話しかけた俺の声に振り返ったのは、金の髪をサイドで三つ編みにしている、ドイツ系白人の   ように見える   少女だったからだ。 そして、そんな彼女に日本語が通じる異常事態に。

 

(なんというご都合主義! 英語ならまだしもよー、ドイツ語とか難しすぎてお手上げだったから助かるぜ!)

 

 流石は異世界、言語の壁なんて既に破壊済みか  ッ! 

 

「自分、巡礼の旅してる腐田博士(ドクトル・クサダ)って言うんですが~」

「巡礼……ですか? あ、私はエンリ・エモットです」

 

 あれ? マズったかな? 中世では、私財を投げ打ってでも聖地巡礼するのがトレンドらしかったので、怪しまれないように巡礼者を名乗ろうと思ったんだが……やばい、訂正しないと。

 

「あ、いえ、ただの旅の者です。 通りがかりに麦畑が見えたんで、この燻製と小麦粉を交換してほしいなぁと」

「えっ、魚の燻製ですか! はい。 大丈夫ですよ、他に何か欲しい物はありますか?」

「おお~~ありがとう。 それじゃあ発酵種(スターター)を少し分けて欲しいのと、パン焼きオーブンを貸してくれませんかね?」

 

 そう、小麦といったらパンだ。 一部の地域の方は麺だろと怒るかもしれないが、乾燥寒冷地で育てられている小麦は大体グルテンを多く含む強力粉なので、麺よりもパン向きなのだ。

 

 小麦のグルテンってヤツは不思議な蛋白質の鎖で、大麦には存在しない。 だから小麦は粉で、大麦は粒で(麦飯などで)食うとうまい。 グルテンは水を含ませて練ると鎖がお互いに絡み合い、小麦独特の粘りが生まれる不思議な性質を持ち、コイツがないと発酵させCOガスを発生させても抜けてしまい、うまく膨らまないのだ。

 

 そして、発酵種(スターター)を分けて貰ったのは時間の節約の為だ。 作るのは簡単なんだが、時間がかかるんだ。 1週間ぐらいな。

 

 まぁ、発酵させなくてもナンだとかトルティーヤなら作れる。 が、俺が今食いたいのは、ふっかふかのパンなんだ。 俺の胃は今、パン専用と化しておりそれ以外は……受け付けるが満足しない!

 

 ……ゴホン。 さて、発酵種(スターター)の作り方はとても簡単。 水3分の2の中に、麦の全粒粉を1入れ12時間待つ。 発酵してなかったら(泡が出ていなかったら)かき混ぜてもう半日待つ。 発酵したら中身を半分捨てて、同じ割合の液を継ぎ足し、この作業を1日2回繰り返す。 1週間作業を続けて

匂いを確認し、異臭がしていなかったら成功だ。 この発酵種(スターター)を使うのは、古代エジプトで『サワードゥ』として作られた酸味が特徴のパンだ。 様々な種類の乳酸菌が共生したコレは、天然酵母としてけっこうな人気があったんだぜ。

 

 日本でよく使うイースト菌は、日本人向けに改良された菌で、ヨーロッパのパンと日本のパンは味にかなりの差がある。 日本では砂糖を入れるがヨーロッパでは入れないんだ。

 

 日本の菌株(きんしゅ)は、柔らかかく瑞々しいパンを作るために発酵する時に糖を使う菌だ。 日本人は唾液が少ないから仕方ない。 食パンですら、結構な量の砂糖を入れるから、ヨーロッパの甘くないパンを食べている外国人は日本のパンが、まるで菓子パンのように感じられるのだそうだ。 そのかわり、ヨーロッパのパンは硬く、塩気があって、スープとかと一緒に食べるんだ。

 

 

 

   で、俺は緑色のチビマッチョゴブリンに囲まれながら、エンリちゃんに共同のオーブンへと案内された。 なんでこんな良い筋肉(ナイスバルク)な野郎に見つめられながらパン生地の発酵を待たねばいかんのだ。 解せぬ。

 

「姐さん。 ここは俺達が見てますんで」

 

 なーにがここは俺達に、だクソ緑色が。 暑苦しいんだよマッソーモンスターめ。

 

「この兄ちゃん、全然ヤバイ感じはしねえんですが……だからこそ、なんで丸腰で旅が出来てるのかわからねえんです」

「格好もかなり妙ですぜ」

「ああ!? んだとコラ緑色がやんのかテメーおおん? このイカした服が変たぁ~テメーの目ん玉ガラス玉かコラ!」

「イカレたの間違いじゃねーですかね?」

 

 俺のお気に入りを変呼ばわりしやがった、胸甲(ブレストプレート)を装備したクソ緑にガンつけてやったぜ。 テメーのレベルが10ちょいだってのは知ってんだぞ!

 

「あーもう、なぁ~んでゴブリンがいんだよこんな所によぉー」

「だ、大丈夫だからって止めたんですが!」

「姐さん、油断しちゃいけねぇ。 この兄ちゃんはオレ達を見ても驚かなかったんですぜ?」

 

 警戒心むき出しのゴブリンをなだめようと、あたふたしている彼女はゴブリンの一人を俺のそばから引き剥がした。

 

「こ、こんな事言ってますが、このゴブリン達はアインズ・ウール・ゴウンという、村を救ってくださったお方から頂いたマジックアイテムから出てきたゴブリンなので危なくないですよ!」

 

 うん、まあ知ってるけどね。 ここは知らないフリをしておくのが得策だろうな。

 

「あー召喚モンスターなんだ。 んで、村を救ったっていってたけど……」

 

 俺はやや閑散とした村を見渡した。

 

「ええ……私の両親も帝国騎士の鎧を着た男に……」

「あーワリー事聞いちゃったかなぁ」

 

 過去の惨状を思い出したのか、ぐっと唇を噛み締めた彼女は目元に浮かんだ涙を拭い「妹の為にも悲しんでばかりじゃいられない」と決意を口にした。

 

「そか。 強いねぇ」

「はい! 田舎の女は強いんです!」

 

 文献では、夫を亡くした妻は、生きる為に成るべく早く再婚したらしいが……この世界ではどうなんだろうか。 作物として最適化された麦。 かたや非効率な農法。 片方の欠点を、片方の長所が補い、奇妙なバランスを取っているこの世界では。

 

「だけどよー、女手一人で養っていくのも大変だろ?」

 

 そう、中世レベルの社会基盤なら尚更に。 この時代の国は、警察権すらマトモに行使する力が無く、復讐する権利が(おおやけ)に認められるほどに自助努力せねばならなかった。 故意であろうと、過失であろうと被害者の縁者は犯人を探し出し、被害者自身が裁判所に訴え自身で裁いたほどだ。

 

 ただ、彼女から聞く所によると、アインズ・ウール・ゴウンというヤバイ級のマジックキャスターが始末してしまったらしい。 彼女は幸運だったと言う事か。 しかし、解らない……そんな強者が何故こんな資源の乏しい村を救ったのだろう?

 

「最初は不安でしたけど……今はジュゲムさん達がいるので何とかやれてます。 アインズ様には感謝しています!」

「へぇーっ。 その、アインズって人は奇特な人なんだねぇ」

 

 と口では調子の良いことを言いつつ、たしかあの角笛ってゴミアイテムだよねと、内心で冷や汗を流した。 あ~あ、この世界であの角笛を使うとランニングコストの低い労働者が制限時間無しで出てくるのなら、俺も捨てずに持っておけばよかったよ。

 

 ……おっと! そろそろ発酵が終わるな。 オーブンの余熱も準備完了している。 あとは真ん中が生焼けにならないように円盤状に伸ばし、焼くだけだ。

 

 彼女がついでにゴブリンの食べる昼食も作りたいと言ったので、生地の量が多く作るのが大変だが、パン焼きは楽しい作業なので俺としては渡りに船だった。 小麦と水と塩だけでは、乾パンみたいで味気ないので、ユグドラシル産のオリーブオイルもたっぷりと使ってある。 これでいい感じにフワッフワに膨らむだろう。

 

 持ち込んだアイテムがどんどん減っていくが……まぁ後で考えよう。 夏休みの宿題は30・31日に終わらせる派なんだよ俺は。

 

「よっしゃ! 後は200度で15分焼けばパンは完成だな。 燻製とイモと玉葱と茸のスープもあるし……昼食としてはこんなもんかな」

 

 低温でじっくり焼くと、水分がよく飛んで日持ちする固いパンに。 逆にサッと焼けば、柔らかいパンになる。 今回はすぐに食うので、柔らかさ重視だ。

 

 パンだけだと寂しいのでついでに作ったスープが、かまどで湯気を立てている。 ファンタジーっぽく狼に乗ったゴブリンが   羨ましい俺も乗りたい   拾ってきた茸と玉葱、俺の作った燻製、エンリちゃんの馬鈴薯で作ったシンプルなスープだ。

 

 外に長机と人数分の椅子を並べ、テーブルクロスが掛けられた机に熱々の料理が置かれた。 総数22名分ともなると、かなりの規模で壮観だった。

 

「あのう、作ったのはクサダさんなのですから遠慮しなくても……本当にそんな少しで良いんですか?」

「あー……うん、実は小食なんだよ。 気にしないで全部食ってちょーだい」

 

 俺の前には、1人の成人男性が食べる分には少なすぎる量が置かれていた。 身体はゾンビだから、本当は食う必要すらないが……味が気になるから味見程度は食わせてくれ。

 

 年齢による幼さに見合わず大人しく席に座るエンリちゃんの妹と、その姉である彼女は隣り合って席に着いた。 遊びたい盛りだろうに、一言も文句を言わず姉の手伝いをするネムちゃんに、俺は同情せざるをえなかった。 のだが……

 

「さーメシだメシだ! 俺はこの姐さんが練ったパンを食うから、パイポにはあの兄ちゃんがこねくり回したパンをやるよ」

「ふざけんなカイジャリ! 俺だって姐さんの白魚のような手で触れたパンが食いたいんだ!」

「テメーは兄ちゃんのゴツイ手で作ったゴツイパンでガマンしろ!」

「何を~~ッ!」

「なぁ。 ゴツイパンって……なんだ?」

「醜いですねぇ。 誰が作ろうと、パンはパン。 そんなに作り手に拘るのなら、私のように最初から眼を離さず追跡していればよかったのです」

「おいコナー! テメー良いこと言ってるフウを装いつつ、一人だけ抜け駆けしてんじゃあねえ!」

 

 おいクソ緑、オメーは大人しくしろよコラ。 まぁ、塞ぎがちの2人を元気付けよーってんのは解ってるから、文句こそ言わんが……もっと別のやり方があんだろうがよ。 俺をダシにしやがってよ。

 

 フン。 まあいい。 俺は心が広いから、姉妹の可愛い笑顔が見れたことでチャラにしてやるよ。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 時は少し遡る。

 

 執務室の扉がノックされ、硬い音が響く。

 

「お忙しい所、失礼致しますアインズ様」

「ん? アルベドか。 どうした」

「人間の村に送り込んだ影の悪魔(シャドウ・デーモン)から、動きがあったとの報告が入っています。 行動、姿からプレイヤーかと  

 

 ガバリ、と跳ね上げるように、アインズは手に持っていたデミウルゴスからの報告書から顔を上げた。 つい先程まで読んでいた報告書を机の上に戻すと、(あわただ)しく椅子から立ち上がる。

 

「隠密能力に長けたシモベを先に向かわせ、村を取り囲め。 だが、向こうから攻撃があるまで敵対の意思と取られる行動は絶対にするな」

「畏まりました。 直ちに向かわせます」

「罠や囮の可能性を十分に留意しろ。 特に、少人数の場合は囮を使った待ち伏せの可能性が高い」

「はい、徹底させるよう厳命いたします。 プレイヤーと思われる影がここまで早く現れたのは、スレイン法国の陽光聖典部隊員を捕えた件と何か関係があるのでしょうか?」

 

 ふむ……と、アインズは顎に手を当て考え込む。

 

「まさか……あの法国とやらの特殊部隊と関係があるのか……? まだ使い道があるのだとしたら、拷問して情報を吐かせたり、用済みを始末するのは避けたほうが無難か……」

 

 執務室を半ばまで移動した所で立ち止まったアインズは数秒考え込み、アルベドへと振り返った。

 

「ニグンら捕えた人間からの情報収集は一時凍結する。 ニューロニストへ知らせ、捕えた者は全て牢へ入れておけ」

「承知いたしました」

「逆探知、攻勢防壁、盗聴等への対策として、念のため情報系魔法の使用はナザリックの外で行なう。 装備を解いた後ですまんが、もう一度完全装備を着け護衛を頼む」

「頼むなどと! アインズ様は絶対にして唯一なる支配者……ただ命令していただければ如何様にも。 それに、愛する殿方の頼みを断る女などいるでしょうか!? いいえいません!」

 

 潤んだ目を輝かせ、胸の前で手を組み、反語を使ってまで猛アピールするアルベドに、気圧されたように腰を引くアインズ。 彼女の設定を変えた負い目を感じてか、強く出れない彼の態度を脈アリと受け取り、アルベドのアピールは留まる事を知らない。 まぁ、全くの脈無しと言う訳でもないのだが。

 

「う、うむ。 お前の意気込みは十分に伝わった。 今は時間が無い……さあ行動を開始せよ、アルベド」

「畏まりました、アインズ様」

 

 命令されるのが幸福であるとでも言った様子で彼女は微笑む。 花嫁衣裳のように白いドレスに身を包んだ彼女は、絶対的支配者の前に(うやうや)しく跪いたのだった。




キメ顔でゴミ捨て場を漁るゾンビ!
ようやく名前が明らかになったゾンビ!
アンデッドのくせに食い意地張ってるゾンビ!


中世の暮らし参考書

・安部謹也、著。 『中世の星の下で』を参考にしています。


板ガラス、について。

 現在大量生産されている板ガラスは、フロート法という溶けた錫のプールにガラスを流し込み、ベルトコンベア式に作る方法で作られています。 網入りガラスや模様入りガラスは、ロールアウト法というラップを引き出すような感じで、ローラーで伸ばす方法で作っています。


原始的な銃、について。

 13世紀ごろに発明され、15世紀辺りで火縄銃の原型が出来ました。 木の棒に青銅製の筒をつけただけの、手持ち大砲みたいな簡素な物であり、一般的にはスタジオジブリ作の『もののけ姫』に出てくる、石火矢で有名です。 イタリアでは、この新兵器を空洞のある弩(アルコブジオ)と呼びました。 かなり重く、肩に担ぐか脇に挟んで構えて狙っていたので命中率が低い武器でしたが、女性でも扱えるので重装騎士にとってはとても厄介な武器でした。


じゃが芋、について。

 初期のじゃが芋は、食用作物として育てられる発見から農作までかなりの期間が開いていました。 なぜかというと、青くなった、芽が出た、まだ未熟、なイモには天然毒素であるソラニンやチャコニンが多く含まれているのですが、その頃はまだ一般的に知られておらず、そのまま食って食中毒を起こしたので毒草として認識されていたからです。


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お菓子作って稼ぎたい



あらすじ

ドクトル「フッ……まずは情報収集だ。 よしゴミ捨て場漁ろ」
影の悪魔「なんだアイツいきなりゴミ漁りだしたぞ……ア、アインズ様ァー!」
アインズ「何!? プレイヤーらしき影が現れただと!」ピカー



 ナザリック地下大墳墓の入り口から遠く離れた地表。 黒く、血に濡れたような怪しい光の反射を返す鎧に全身を包み込んだアルベドと、常闇をそのまま布に染み込ませたかのような美しい黒のローブを纏ったアインズ。 そして、その身辺を固める高レベル傭兵モンスターの群が、昼間だというのに薄暗い森林に身を潜めていた。 虚ろに輝くアインズの眼孔の前には、浮かび上がった薄い魔法のスクリーンがあり、幾重にも防御用魔法を施された状況下で、シモベによって用意された椅子に座って眺めていた。

 

 かたやカルネ村では、村人に知る由も無いことなのだが、隠密能力に優れた複数の八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)が取り囲んでおり、その輪の少し内部にプレアデスの姿もあった。

 

 その中の一人。 黒髪を白いリボンで束ねた、まん丸卵の戦闘メイド   ナーベラル・ガンマは、両の手程度では零れ落ちるであろう数のスクロールを前に、精神を剃刀のように集中させスクロールを消費していく。

 

  集団完全不可視化(マス・パーフェクト・インヴィジビリティ)><生命の精髄(ライフ・エッセンス)><不死の精神(マインド・オブ・アンデス)>」

 

 1つ、また1つと、スクロールが発動の意思を汲み取り、ひとりでに開封され塵も残さず燃え尽きていく。

 

  虚偽看破(ディサーン・ライ)>、<偽りの情報(フェイク・カバー)>、<探知対策(カウンター・デティクト)>」

 

 アインズの指示により渡された、対情報戦防御魔法が込められたスクロールを何枚も使い、幾重にも重ねられた防御の中に身を置く彼女たちは……一言で言ってしまえば、偵察を兼ねた囮。 50を優に越す平均レベルを持つ彼女達は、100LVのプレイヤーとて決して無視出来ない戦力を持ち、かつ命が失われても100LVの守護者よりも安いコストで復活できる。 明らかに主力ではなく囮だと解っている敵側としては、食い付く程美味くは無く、無視出来る程安くは無い。 手が出しにくく無視もできず厄介極まる戦闘メイド   それがプレアデスが6名なのだ。

 

「<千里眼(クレアボヤンス)>」

 

 手順にミスが無いように何度も何度も確認を重ね、慎重に発動させた監視の魔法。 攻勢防壁の反撃を覚悟しての発動だったが、それはまるで肩透かしを食らったかのように呆気なく通った。

 

「妙ね。 あの暫定プレイヤーの動死体(ゾンビ)……全く探知対策していないわ」

「全くぅー警戒してないってことぉー?」

「あらあら……襲われるかも、なんて思ってないのかしら? 無用心すぎるわね」

 

 不可視化され声の届くはずの無い距離ではあるが、なんとなく声を潜めて会話してしまうエントマとソリュシャン。

 

「ねぇねぇ、ナーちゃん。 ターゲットは今、何してるんすか?」

「一言で言うと……パン作ってるわね。 何が目的でこの村に居るのかは解らないけれど」

「ええっ、パンツ食ってるんすか!? ちょっとナーちゃんだけズルイっす、わたしにも見せて見せてー!」

 

 自分が囮役なのをいいことに、不可視化されているとは言え身を隠そうともせずに騒ぐルプスレギナ。 ナーベラルの肩を後ろから揺さぶり、自分だけ見るなんてずるい面白いものを見せろ、と要求した。

 

  ? なんでそんなに見たいの? まあいいけれど……<水晶の画面(クリスタル・モニター)

 

 ルプスレギナに揺さぶられて頭をガクガクと揺らしながら、しかし全く気にせずにスクロールを発動させる。

 

 目を輝かせ、現れたモニターに駆け寄るルプスレギナ。 しかし、ルプスレギナの間違った期待は空振りした。 浮かび上がった画面に食い付かんばかりであったテンションは急降下し、秒とかからず興味を失った。

 

 画面に映っているのは、モッチモチの1次発酵が終わったパン生地を机に叩き付け、大きい気泡を潰してキメ細かい気泡に変える作業をしているクサダとエンリの2人と、太い指が生えた手で器用にナイフを使い、ジャガイモの皮を剥いているゴブリンの姿だったからだ。

 

「なーんだ。 パンを、作ってるのかぁー期待して損したっすぅー」

 

 アホな期待を裏切られ、理不尽にブンむくれるルプスレギナ。 頬を膨らませ、腿の根元まで顕になった足を投げ出し、ブラブラとダラける姿は、女性という物を全て捨て去っていた残念な姿だ。

 

 シズはそんな彼女を指差し副リーダーに問いかける。

 

「……ユリ姉。 ルプスの言ってること……理解できない」

「それでいいのよシズ。 むしろ理解出来無い方がいいの」

 

 が、返ってきた答えはシズの期待した答えではなかった。

 

 

 

 

 

 それから1時間経過する。 画面の向こうでは、練り上げたパン生地を小分けにし、2次発酵を待つだけの動きの無いものに変わっていた。 <千里眼(クレアボレアンス)>の魔法は、景色だけを見る魔法であり音は拾えない。 故に、ただでさえ動きが無い映像に加え、無音であったから……

 

「う~っ……飽きて来たっす! ユリ姉ぇ、ちょっくら偵察行ってくるっす!」

 

 待ての出来ない犬が暴走してどっか行くのは自明の(ことわり)である。

 

「はぁ!? なっ、ダメに決まってるでしょ! 何考えてるの!」

「え~っ、でもぉ~ いずれはあのゾンビが囮かどうか確認しなくちゃいけないっすから、さっさとやっちゃえばいいんっすよぉー」

 

 と、唇を突き出しながら言う。 

 

「って事で、ちょっくら行ってくるっす!」

「あっ! ま、待ちなさいルプスレギナ!」

 

 シュタッ! の擬音が似合いそうな動きで、指を伸ばした右手を掲げると、振り返りもせずに村の方角へ走り去る。

 

 絶句して固まるユリの後ろで、ソリュシャンが溜息を1つ吐く。

 

「はぁ。 きっとつまみ食いするつもりね」

「んもー…ルプーったら、いっつも人の食べてる物欲しがるんだからぁー」

「そういえば、エントマのだけは欲しがったことは無かったわね」

「……わたしの合成溶液は飲まれたよ」

 

 たっぷり数秒固まったユリが再起動するまでの間、好き勝手喋る4人の声。 その声を背後に聞きながらハッと我に返ったユリは<伝言(メッセージ)>を使い、アインズに連絡を取る。

 

「も、申し訳ございませんアインズ様! ルプスレギナが制止を聞かず、村へ向かってしまいました!」

『はぁ!? 何を考えて……ないんだろうなぁ……ふぅ。 あー…ルプスレギナの姿はこちらも今確認した。 少し予定を早め、奇襲もしくは逆探知に備えよ』

「はい。 了解いたしました、アインズ様」

 

 プツリと、脳裏に魔法の接続が切れる感覚が走る。 極度の緊張状態から脱したユリは、溜め込んだストレスを吐息と共に深く吐き出し「ル・プ・ス・レ・ギ・ナぁぁ~~ッ……」とガントレットの両拳を打ちつけ、ガチンと鳴らしたのだった。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

「ヘイ! ヘイヘイヘイ! おいコラ筋肉達磨共、いいかげん静かにしろ!」

 

 ガタンと椅子が音を立てる。 クサダは勢いよく席を立ち、エンリが作ったパンを誰が食うかで揉め始めたゴブリン達を黙らせる為に、人差し指をゴブリンに突きつけ声を張り上げた。 エモット姉妹の笑顔を誘ったのはいいが、それで調子に乗り始めたゴブリンはヒートアップしていたのだ。

 

 しかし、その後のゴブリン達の様子がおかしかった、 不思議な事に突きつけられた指先を見ると、突かれた猫のように肩を跳ね上げ静かになったのだ。

 

「……?」

 

 クサダは首をかしげる。

 

(何だこいつら? 俺の指先見てビビリやがって……先端恐怖症なのか? さっき普通にナイフ使って芋の皮剥いてたくせに、変な奴らだぜ)

 

 変に思いながらも、クサダは椅子の位置を元に戻し着席した。

 

「あーっと……それじゃあ冷めないうちに食っちまいましょうかね」

「あ、ああ、そうしよう。 せっかく料理の出来ねえ俺達の為に、姐さんが作ってくれたんだからな」

 

 大人しく食べ始めたゴブリン達を一瞥しフン、と鼻を鳴らす。

 

 今のクサダは、やれやれと言いたい心境だった。 だが、苦労して作った昼食を前に何時までも気分を害していては食材となった命に失礼だと考え、割り切ることにしたのだった。

 

 普段の習慣通り、料理を食べる前に手を合わせ、散った命と食事にあり付ける幸運に  

 

「頂きます」

 

 と、感謝の言葉を表す。

 

 何故、十分な対価を支払っているのに、礼の言葉を言うのか? と聞かれたらクサダは「これは伝統だ」と答えるだろう。 あたり前の事を、あたり前だと感じないようにと。 日々の義務的な栄養補給の為のルーチンとして食べているのではないのだと。

 

「先ずはパンからかな。 全粒粉のパンを食うのは初めてだ……」

 

 クサダの木皿には、扇状にケーキカットにされた2切れのパンが木のボウルに乗せられている。 そのうちの1つを手に取ると、フンワリと焼きあがったパンを頬張った。

 

 先ず最初に、メイラード反応によって芳ばしく焼かれた表面がサクリと砕け、オリーブオイルのフルーティーな香りが口いっぱいにフワリと舞った。 やがて、酵母が生成した僅かなアルコールがオーブンの熱によって蒸発した、パン特有の焼きたての香りが鼻腔に届く。 全粒粉のためか、普段食べているパンよりもしっかりとした歯応えがある。 噛み締める度に、塩の刺激と乳酸菌の酸味、そして僅かな甘みが広がっていった。

 

 クサダは満足そうに頷くと、木匙を手に取りスープを掬い口に運ぶ。

 

 鰹節の製法と似ていた為か、マスのような魚からは良いダシが取れていた。 魚の旨みのイノシン酸と、茸の旨みのグアニル酸が合わさり、それを熱が加えられて甘みを深めたワイルドオニオンが纏め上げる。 燻製の塩分に負けないくらい強い旨みは、素朴なスープを御吸い物のように上品な仕上がりに変えていた。

 

「うんうん。 確かに派手さは無いが、だがそれがいい」

 

 さて。 もう一切れのパンを……と、匙をボウルに置いた。 その時だった。

 

「…………んん? あれ、おかしいな。 パンが消えた」

 

 木皿の中は空だった。 見事にすっからかんだった。

 

「んー…ボウルから落ちたか? ……ねぇな」

 

 パンを乗せていた木皿を持ち上げる。 しかし、無い。 木皿の陰になっている所に落ちた訳ではなかった。

 

「……机の下に落ちたか。 やれやれ……まあパンなら砂を払えば  ってねぇし」

 

 テーブルクロスを持ち上げ、机の下を覗いてみても、パンは見つからなかった。 不可解な状況だった……が、クサダは舌打ちを1つ打つと、パンを諦め机の下から視線を戻す。

 

「……は?」

 

 そして、今度はスープが空になっていた。

 

(誰かが盗み食いしてんのか? いやいや、俺に気付かれないくらい素早くゴブリン共が食えるはずないし……)

 

 手足の短いゴブリンが気付かれないように盗れるわけが無い。 さらに、いくらなんでもゴブリンとは言え召還モンスター……エンリの前で恥を晒す理由も無いが……

 

(……はぁ。 まあいいか。 ゴチャゴチャ考えるのも面倒臭ぇわ)

 

 簡単に諦めたクサダは、椅子の背凭れに体重を預け、談笑しながら食事を取る姉妹を眺める。

 

 一口も食えずに料理が消えたのなら、流石に血眼になって犯人探しをしただろう。 しかし先程の数口で満足していたし、それになにより食べ残しはしない主義だったから全て食べるだけで、アンデットの自分が生きる為に食事を取る彼らのようにパクパク食べるのも気が引ける。 

 

 

 

 時が数分経ち、昼食を食べ終えたネムが皆の食器を持って席を立つのを、クサダはボーっと眺める。 向かう先は洗い場だろう。

 

(姉のエンリちゃんに負担を掛けたくねーって思ってんだろうな……)

 

 クサダの心には、どうにも釈然としないものが渦巻いていた。 この子はどうにも子供らしくない。 早くに両親を亡くし、()()()()()()()()()()()のは理解出来る……できるのだが……納得が行かない。 上手く言葉に表せないのも余計に腹立たしさを加速させる。

 

(あークソ。 深入りしないつもりだったんだがなぁー……まぁ、かかわっちまったもんは仕方ねーか)

 

 億劫そうに席を立つと、ゴブリンの中では一番レベルの高いゴブリンリーダーを捕まえる。

 

「おいアボカド野郎。 ちょっとツラ貸せやオラ」

「な、何だって? あぼかど……って食えるのかそれ?」

「うん、まぁ、それなりにうまい……じゃなくて、いいから来い!」

 

 問答無用で首の後ろの襟を掴み、力尽くで引き摺っていく。

 

「一体何なんですかね、ってうわ力強え!」

「エンリちゃん、ちょっとゴブリン借りるよ」

「え? あ、はい……」

 

 呆気に取られるエンリから離れ、話が聞こえないように物陰でゴブリンと話す。

 

「ジャガイモと、芽の出た大麦か小麦。 それから牛乳か羊の乳を集めてこい」

「はぁ? また変なこと言い出して……芽の出た麦とか、今度は何やる気なんですかね?」

「…………」

 

 訝しげに見上げるゴブリンの問い。 クサダはその質問に答えず、洗い場で一人食器を洗うネムに無言で視線を送る。

 

「あー……なるほど。 ……大体わかりはしましたがね、出来れば一言教えてくださいよ」

「まぁ、また今度な」

「芋も牛乳もあるにはありますけどね、芽の出た麦とかそう都合よく有るかどうか解りやせんよ?」

「そう多くはいらねーから大丈夫だよ。 コップに1杯くらいあればいい」

 

 暫くゴブリンは難しい顔をしていたが、やがて諦めたような顔をして頭をガリガリと掻くと、穀物庫の方角へ向かっていった。

 

 クサダはその後姿を見送ると、炊事場へ向かい鍋等の食器と水を用意した。 手早く薪に火をつけ竈を暖めると、湯を沸かす。 丁度作業中に材料を持ってきたゴブリン達が戻ってきたので、洗ったジャガ芋を摩り下ろさせる事にした。

 

 明らかに嫌な顔をしてブツクサ文句を垂れていたが、ネムとエンリの為に菓子を作ると説明すると、急に手の平を返したゴブリン達は手伝いを開始した。 各自真剣な顔付きで作業を進めている。

 

「摩り下ろした液は後で水で洗うから、洗濯する感じで擦り下ろしてくれ」

「芋の汁を洗うんですかい? 兄ちゃんの言う事は変なことばかりだな」

「まぁとにかくやろうや兄弟。 これもネムさんのためだ」

 

 芋が摩り下ろされるまでの間、クサダは発芽した麦……つまり麦芽を、乾燥させるためにフライパンで炒った。 焦がさないように慎重に温め、水分が抜けたことを確認すると、日本の道具とは違うローラー式のすり鉢で皮ごと砕いていく。

 

 麦芽が砕き終わった頃に芋が全て擦り終わったので、ゴブリン達が摩り下ろした芋の汁に井戸水を足し茶色く濁った水を捨てる。 すると、計画通り白く沈殿したものが見て取れた。 何度か綺麗な井戸水で洗うと、雪のように真っ白な片栗粉が完成した。

 

「俺等は火を使う前までしか手伝えねえが……」

「ああ、もう大丈夫だ。 随分助かったぜ……感謝する」

「そうですかい。 それじゃあそろそろ、何作ってるのか教えてくれませんかね?」

「これは……水飴。 麦芽糖を使った麦芽水飴だ」

「なっ……水飴って、あの水飴ですかい!?」

 

 そうだ。 と、クサダは作業の手を止めず、振り返りもせずに言った。 日本で売られている水飴の原料は薩摩芋であり、伝統的な麦芽水飴の原料は米だが……ジャガ芋は澱粉を取り出しやすいので今回はこれでいい。

 

 片栗粉に水を加え焦げ付かないように混ぜながら加熱する。 すると、最初は白く濁っていた液が透き通り、粘りのあるドロドロした糊の状態になった。 これが障子紙を貼る際に使ったり、日本刀の鞘を接着したりする澱粉糊だ。

 

 粘りが出た状態になったら、大体60度まで冷まし麦芽を入れる。 すると、ドロドロしていた液の粘度が下がっていく。 これは、麦芽に含まれるアミラーゼという酵素の働きで、唾液にも含まれている消化酵素だ。 甘くなるのは澱粉が糖化され麦芽糖(マルトース)に変換されているために起こる現象であり、大根にも含まれている。

 

 こうして澱粉を糖化する技術は古くから酒造に利用されており、この麦芽を利用する方法は大体ビールもしくはエールの醸造に使われている。 だからこの世界でも然程珍しい技術ではない。

 

 ちなみに、同じような原理を利用してトウモロコシを糖化させたものがある。 コーンシロップだ。 『果糖ぶどう糖液糖』という名前で、食品添加物として殆どの加工食品に入っているほどメジャーな材料だ。 低温で固まらず、口当たりが良いのでアイスにはほぼ入っていると見て間違いない。 食品添加物ではあるが、澱粉とは単に鎖状に繋がった炭素と水の化合物である糖がさらに繋がり、鎖状になった物であり、それを再び酵素で分解しているだけなので健康被害など起こりようが無い。 ……太るという結果意外は。

 

 この方法で作られた麦芽糖は、蔗糖(しょとう)(テンサイ・サトウキビ等から作られる天然糖)の半分くらいしか甘みを感じないという欠点があった。 だが、この欠点を日本の科学者が解決し、トウモロコシ澱粉(コーンスターチ)が豊富に手に入る国で爆発的に広まった。

 

 あとは皆さんにもお分かりだろう。

 

 そう、はち切れる寸前の風船みたいな、太った国民がワンサといる肥満大国アメリカ。 そんな肥満の原因を作り、国庫を医療費でパンク寸前に追いやったのは日本だったのだ!! ……いや、そんなワケ無い、ただの食いすぎだ。 コーラSサイズが日本のLサイズよりも大きいとか、ナメてるとしか言いようが無い。 ジャガイモは野菜だから太らないとか頭沸いてるのかと言いたい。 まあ、ただの自業自得なのに、人のせいにするのはアメリカっぽいともいえるが。

 

「……よし、問題なく糖化が始まった」 インベントリから取り出した生地で蓋をした鍋を包む。 「後は保温して6時間待てばいいんだが……日が暮れてしまうか。 さて……」

 

 やっぱり、おやつと言ったら3時だろうと、クサダの妙な拘りが訴える。

 

「くっそー……魔法やスキル使うとチートみたいで負けた気分になるな。 <魔法最強化(マキシマイズマジック)製作時間加速(クラフティング・アクセレレイション)>」

 

 最強化を使い、ランダムだった効力を最大化させた魔法で製作待ち時間を短縮させ、瞬時に加工を終わらせる。 鍋の包みを取り外し、用済みの麦芽を捨てて煮詰め、同時に別の鍋で牛乳も暖める。 数十分かき混ぜながら暖めていくと、液糖がフツフツと泡立ちながら煮詰まり茶色の水飴になった所で、暖めた牛乳を投入した。

 

(牛乳の乳糖と合わせれば、甘味の薄い麦芽糖でも十分甘みを感じられるはず。 乳脂肪も上手くいけば相乗効果を出すはずだ)

 

 乳に糖を加え熱する。 つまり練乳の完成だ。 糖が濃くなって行くにつれ、粘性と焦げやすさが飛躍的に高まる。 今が一番失敗しやすい手順の為、クサダは慎重に鍋にある練乳を温めてゆく。

 

 辺りに広がる甘い香り。 水分が蒸発するにつれ徐々に練乳が硬くなっていき、メイラード反応によって糖がカラメルのように芳ばしく香る。

 

 クサダの隣りで興味深そうに観察していたゴブリンアーチャーが唾液を飲み込み、ゴクリと音を立てた。

 

「な、なんか、すげえ良い匂いしねえか……?」

「あ、ああ、物凄く甘い匂いがする。 ううっ、ヨダレが出てきた……!」

 

 炊事場の周りには、農村では嗅ぎ慣れない甘い香りに誘われて、人だかりが出来ていた。 その中には、エモット姉妹の姿もあった。

 

(サプライズ……は無理だったか。 流石にこんだけ甘い匂いさせてちゃあなぁ……)

 

 ネムの姿を視界の端に捉えたクサダは、苦笑いを浮かべる。

 

 練り上げた練乳が小麦色に変わった所で暖めるのを中止し「よし。 おい、そこのアボカド」と、近くのゴブリンに話しかけた。

 

「兄ちゃん。 俺にはカイジャリって名前がだな……」

「あーはいはいカイジャリ君そこの机にある金型を取ってくれたまえ」

「んー少し引っかかるが、仕方ねえなぁ」

 

 ほれ、と差し出された金型に、離型剤とするために素早くバターを塗り、鍋の中身を流し入れた。 そしてクサダは「熱っち、熱ちち!」と騒ぎながら、冷えた井戸水を張った容器に型を浮かべ  

 

「で? 兄ちゃんよ。 一体これで何が出来るんだい?」

 

 村人からただならぬ注目を浴び、あんたらずっと俺達のこと怖がってただろう、と苦笑いしたゴブリンライダーの一人が言った。

 

「フ……聞いて驚け。 こうやって冷やすことで、あのドロドロが固まって  

 

 水に浮かぶ船のようにプカプカと浮いている『アレ』を、クサダはオーバーなジェスチャーで指し示す。

 

「キャラメルが完成するのダァ  !」

「…………?」

「あれ? なんかピンと来てない感じ?」

 

(おかしいな……キャラメルはフランスで大流行したから知ってると思ったんだが)

 

「あーっと、でーそのーキャラメルってのは?」

「あーうん……砂糖菓子の一種だ。 水分が少ないからスゲー腐りにくい上に、軍事糧食(ぐんじりょうしょく)に採用されるくれーカロリーが高い食い物だ」

「腐りにくくて  軍にって事は……!」

「おう。 オメーの考えその通り、国とかのでかい組織に売れば纏まった金になるな?」

 

 集まっていた村人が一挙に沸き立つ。 それもそのはずだ。 こんな田舎の農村では、外貨の獲得手段はほぼ無かっただろう。 しかも甘味とくれば高額で、しかもコレは軽量。 さらに長期保存が可能   約6ヶ月~1年   なら、貧弱なインフラ事情でも都市部にだって売りにいける。

 

 キャラメルは別名『軍粮精(ぐんろうせい)』と言い、旧日本軍が軽量高カロリーの携帯食として採用した。 たった50gで250kcalものエネルギーが摂取できるので、棒状に成型した物を防水紙に包装し、2本1纏めで紙箱に収めて激戦地の部隊へ増加食として配給した。 特に、軽量である特徴は好まれ、航空機からの空中投下が容易なため山岳地帯で重用された経緯がある程なのだ。

 

 一方、アメリカはチョコレートを使った。

 

「ネムちゃん」

 

 切り分けたキャラメルを一粒、ネムに差し出す。 

 

「え……で、でも……」

 

 差し出されたキャラメルと、姉のエンリに交互に視線を彷徨わせ、戸惑った様子で口ごもる。 どうやら、村の商品として作ったのだと考えていたようで、自分の口に入るとは全く思っていなかったらしい。

 

「俺はさ、ネムちゃんの為にキャラメルを作ったんだぜ? それなのに食ってくれねーのかい?」

 

 クシャクシャに表情を歪め、クサダは舞台役者のようにわざとらしく悲しんで見せた。 が、その後ろでゴブリン達が怒り出した。

 

「ちょっとちょっと兄ちゃんよ。 俺等も手伝った事をサラッと省略しないでくださいよ……まったくもう」

 

 チッ……それに気付くとは、と表情で表すクサダ。 顔芸か! と突っ込みたくなるくらい表情を歪めるゴブリン達。 それを見て噴き出すエンリ。

 

 一気に和んだ場の空気に押され、ネムはキャラメルを受け取ると怖ず怖ずと口に運ぶ。

 

  っ! 甘ぁ~いっ! すごい甘いよお姉ちゃん!」

 

 普段口にしない強烈な甘みに、目を輝かせたネムが両頬を押さえ飛び上がり破顔した。

 

 いかに甘いか、美味しいかを拙い言葉で姉に報告しようとする姿は、年齢相応の幼い少女に見える。 やはり、塞ぎ込んだ表情よりも笑顔の方が、見ている此方もよい気分になると、クサダもつられて破顔した。

 

(液糖とマヨネーズでも作る会社を立ち上げようかなぁ……)

 

 次に作るとするならば、鶏卵・油脂・穀酢で作れるマヨネーズだろうか。 材料の入手加工が簡単で、脂っこいのでヨーロッパ系の人々に受け入れられやすく、消耗品のため売れ行きが落ちない商品。 足がかりとしては悪くない商材だ。

 

 クサダはそう考え、脳内で算盤を弾く。 この世界の情勢が解らない為、やったとして本当にスポンサーを見つけられるか謎だが、やるとしたら投資家から資金提供を募るか……株式として集めるか……それとも。

 

(株式を発行して投資を募るのは無理っぽいよなぁ。 株式市場の原型が出来たのは17世紀以降……東インド会社をオランダが作ったからだ。 大航海時代……海賊や難破でのリスクの分散化を()()()()()()()()()()できた仕組みだからなぁ)

 

 腕を組み、熟考する。 思考の深き海の底まで、ブクブクと潜っていく。

 

(この世界の社会に、高度な経済基盤を組めるとは思えねぇなぁ。 この異世界は日用品を作る技術はあっても、効率化する発想が無い……いや、違うか。 あっても余裕が無いのか?)

 

 少し離れた場所から彼らを眺める。 視線の先では、村人がゴブリン達に誤解を謝罪している様子が見えた。 貧すれば鈍すると言うが、心に余裕が無い状態では異質は恐怖を生み排除される。 逆を言えば、余裕さえあれば……よいのだ。

 

(村人の態度から見るに、ゴブリンは敵で恐ろしいっつーイメージを持っているな。 村人はゴブリンを知っている……つまりこの世界には、少なくともゴブリンのモンスターがいる)

 

 なんという事だ。 異世界此処に極まり。 たぶんこの世界には、熊や虎なんて猛獣ではなく、文字通り怪物が人間の天敵なのだろう。

 

 常に天敵から命を狙われ、音も無く飢えが背後から忍び寄り、無力を脱する為の力が無い。 これでは商売どころの騒ぎでなく、その前に生きるか死ぬかの生存競争を勝ってからでないといけないのか。

 

(くっそー……怪物自体もユグドラシルから持ち込まれた異物だったりしてなぁ。 笑えねぇなぁ……)

 

 どうやら、事態は思ったより深刻らしい。 そう溜息を吐き掛けた時だった……クサダの背後で、バチィ  ン! と音がしたのは。

 

「いい  っでぇ  っす!」

 

 キャラメルを入れたボウルに仕掛けておいた、クリエイト系スキルで作った<完全不可知化>したネズミ捕り式跳ね罠(使い捨て)に指を挟まれた1人の女性がいた。 編んだ赤髪をツインテールにし、腰辺りまでスリットが伸びた修道服を着ている、明らかに村人でない女性が。

 

 役目を終えた罠は、彼女が痛みで振り回した腕からすっぽ抜けると、空中で砂のように崩れて消える。 涙目で、挟まれた指にフーフー息を吹きかける……彼女の背後に、さらにもう一人が立っていた。 いや、現れたと言ったほうが正しいか? 黒髪を後ろで束ねた夜会巻き  度の入っていない幅広の伊達眼鏡  げに恐ろしげな極太のトゲが生えたガントレットを装備した、阿修羅と見紛うほどのオーラを噴出させたメイドが。

 

 彼女を見たクサダの第一印象は『女教師』であった。

 

「ぐえっ!」

 

 赤髪の女性は、突然カエルが潰されたような悲鳴を上げた。 彼女の脳天に、後ろから空手チョップを振り下ろしたのだろう。 黒髪の女性は、攻撃によって不可視化が解けたらしい。

 

 脳天の痛みと、凄まじい迫力をその背に感じ、油の刺さってないロボットのように赤髪の女性はギギギと振り向く。 その表情は、恐怖によって完全に引きつっていた。

 

「ルプスレギナ。 ちょっとこっちに来なさい」

「な、何すかユリ姉……そんな怖い顔して……か、監視は  

「何処かの誰かさんのせいで作戦は中止よ。 そ・れ・と! 口答えせずにいいから来なさい!」

 

 ユリ姉と呼ばれた女性はルプスレギナの耳をむんずと掴み、そのまま引き摺っていく。

 

「いい、痛いっすユリ姉! 耳引っ張らないでぇ~~!」

「あんたって娘は調子に乗って! よりにもよって作戦中に盗み食いとは! 恥を知りなさい!」

 

 彼女達が消えた物陰の向こうから、バシンだかドカンだか何かがぶつかる音が聞こえてきた。 

 

「ぎゃーっす! お尻にトゲ刺さないでユリ姉! 3つ目の穴が増えちゃうっす  !」

「また! あんたは! そうやってはしたない事を!」

 

 そして、騒音と共に足音が走り去って行った。

 

 ポカンと口を開いて呆気に取られるクサダ。 村人もゴブリンもエモット姉妹も、急に現れ急に退場していった見知らぬ美女2人に、複雑な表情を浮かべたのだった。

 

「なーにやってるんだか……」

「おおう!?」

 

 クサダは飛び上がって驚いた。 突然真横で声が聞こえたからだ。 いつの間にか、泣き笑いの表情を象った   通称嫉妬マスク   仮面をつけた、身長2メートルを越す恵体のマジックキャスターが立っていたのだ。

 

「ゴウン様!」

 

 ネモット姉妹が彼の名を嬉しそうに呼んだ。 どうやら、彼があの伝説の魔法詠唱者のようだ。

 

「突然の訪問。 失礼するよ村長」

「いえいえ、村を救って下さった恩人を歓迎しない者はこの村におりません。 ようこそおいでくださいましたアインズ様」

 

 村長と2、3挨拶を交わしたアインズは、クサダに向き直り「さて……」と姿勢を正し「私の部下が迷惑をかけてしまったようで……申し訳ない」頭を下げて謝罪した。

 

「あーいえ、とんでもない。 別にそこまで迷惑って程では……」

「そうですか? 許していただけるのなら此方としても有り難いのですが」

「ああ、うん……所で、貴方がこの村を救ったと言う……あの伝説の?」

「その通り。 私の名はアインズ・ウール・ゴウン。 アインズと呼んでいただければ幸いです」

 

 そうアインズが自己紹介をすると、クサダは何かを思い出したかのように「あっ」と呟くと、インベントリに手を差し入れた。

 

  ッ」

 

 その行動を見て、軽く身構えたアインズに疑問を感じつつ、インベントリから抜き出した手には1枚の紙が摘ままれていた。 その紙に両手を添えつつ、軽く会釈をし「申し遅れました。 わたくし、こう言う者です」とアインズに差し  

 

「あっこれはご丁寧にありがとうございます」

 

 アインズは慌てて両手で受け取る。

 

「頂戴します。 ええと、腐田博士(ドクトル・クサダ)様ですね、どうぞよろしくお願いします。 ……ですが申し訳ございません、ただいま名刺を切らしておりまして」

 

 何度も繰り返してきたであろう洗練された動きで、差し出された名刺を両手で受け取りつつ頭を下げるアインズ。 そして、クサダもアインズに合わせて頭を下げた。

 

「あっいえいえ御気になさらずに結構です。 ええと、アインズ様は確か  

「あ、はい、ギルド長をやらせて頂いてましたギルドの名前でして、現在は私の名前として名乗っております」

「ああやはりそうでしたか。 記憶では組織の名前だと思っておりましたので……これで納得できました、有難うございます」

 

 いえいえ、いえいえいえ、と高度なやり取りが交わされる中。

 

「なぁカイジャリ。 何だ……これ」

「わからん……俺に聞くな、ジュゲム」

「よくわかんねぇだすが……なんか、すげえだぁ」

 

 放ったらかしにされるゴブリンと村人達だった。

 

 

 

 

 やがて、二人の話題はアインズの装備していた仮面の話になり  

 

「あの、その仮面に見覚えがあるのですが、もしかして……」

「これですか? ええ、これは『アイツ』から強制的に受け取らされまして」

「実は私も同じ仮面を『アイツ』から頂いてるんですよ」

「おや、奇遇ですね」

「では失礼して……」

 

 クサダはインベントリから、アインズの仮面と同じ仮面を取り出し装備した。

 

 そして、そのアイテムを持つ意味と、その結果の答えに至る。 2つの、狂気を体現したマスクを被った両者は、硬く握手を交わしたのだった…………

 

 

 

 

 

 

 

 

 ジュゲムは叫ぶ。

 

「…………なにこれ!?」




様の意味合いがNPCや村人と微妙に違うゾンビ!
普段の習慣で素が出たちゃった骸骨!
嫉妬する骸骨と死体!




株式のしくみ、について。

 株の仕組みが出来たのは、1602年にオランダが『東インド会社』を設立したことに始まります。
 当時のヨーロッパでは、肉を保存しておく為に必要な胡椒(ペッパー)丁字(クローブ)肉豆蔲(ナツメグ)(にくずく)と言った香辛料が必要とされていました。 冷蔵庫・冷凍庫など無かった時代だったので、冬季の間は家畜飼料が賄えない為潰される肉の保存は、餓死するかどうかの非常に重要な問題です。
 つまり、高い需要を満たす為に船で遠出せねばならず、その航路は海賊の脅威や、現在と違い、
排水量が200t~1500tほどの小さな船だったので(船の排水量が多いと転覆し辛い。大和が6.4万tで、現在の貨物船は20万t)嵐によって難破しやすく、かなりリスキーでした。
 そこで、1人の出資者がリスクを負うのではなく、損も益も平等に分配する仕組みの『株式会社』を編み出しました。 莫大な資金の調達が容易になったので、大きなプロジェクトも計画できるようになり、巨大な船でより遠くへ行くことが出来るようになりました。


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ナザリック入りして稼ぎたい

あらすじ

ドクトル「パン作ったろ」
ルプス 「盗み食いしたろ」
アインズ「盗み見したろ」

ドクトル「子供は笑っとらんとアカン。甘い物で無理矢理笑顔にしたろ」
アインズ「はえーすっごい。仲間にしたら金策楽になるかな」

ドクトル「アインズ……? 超大物やんけ! 名刺渡さなきゃ」
アインズ「ひぇ。ついついリーマン時代の癖がでちった」


 どーもコンニチワ。 あの後いろいろあってカルネ村を後にした俺は、現在ナザリックって名前のギルド拠点に御呼ばれしております。 具体的には第9階層のロイヤルスイートって所にいて、赤絨毯の敷かれた廊下を食堂まで移動中です、ハイ。 つーかギルド拠点に食堂なんて作ったんだね。

 

 何で呼ばれたかっていうと、ルプスレギナって赤毛のねーちゃんが盗み食いしたり騒がせたりして迷惑をかけたから、お詫びにと会食のお誘いを頂いたのだ。 流石上位ギルド、太っ腹である。

 

 まーでも普通それだけじゃ無いよねー。 そんなもん、ただの口実だって解ってはいたよ。 んでも断れないし、よく見たら周囲を完璧囲まれてるし、料理食いたいしって事でホイホイ着いて行っちゃったのだ。

 

 あっ、ちなみにカルネ村であったイロイロってのは主に調理器具や(かまど)の後片付けですぞ。

 

 ルプーの姉ちゃんのケツが、ガントレットのトゲで穴だらけにされそうだったもんで、アインズさんに「あのルプスレギナって姉ちゃんに話があるんだけど、呼んでもらっていい?」って聞いたんだ。 そしたら、<伝言(メッセージ)>で呼んでくれた。 魔法マジ便利だよね、電話すんのに端末いらねーんだもん。

 

 速攻でアインズさんのとこに戻ってきた2人は、どうも実感が湧かないんだけどNPCらしい。 ゲームの時は傭兵モンスターと違って、拠点から出せない仕様だったんだが……今考えると、それってゲームならではのご都合規制だよね。 物理的に閉ざされてるってんなら解るけど、システムの都合上出せませんーなんてさ。

 

 んで、俺は2人の内の赤毛の姉ちゃん。 ルプスレギナに「キャラメル食いたい? 食いたいよね?」って聞いたら「えっ、まぁ、食いたい…っす」って返ってきた。 だから1粒彼女の口の中に放り込んで、後は皆で食べなってボウルをエンリちゃんに渡した。 ルプーは「じわぁ~っと甘いっすねー」って言ってたけど、これは恐らく普段甘いものを食える環境だったから、麦芽糖の低刺激な甘みがそんな感想だったんだろう。

 

 ルプーに半ば無理矢理キャラメルを食わせたのには狙いがあった。

 

「食ったね?」

「え?」

「働かざるもの、食うべからずって……知ってる?」

 

 彼女は今まで浮かべてた笑顔を引きつらせた。

 

「それじゃあ……しよっか?」

 

 俺は彼女の肩をポンと優しく叩くと、洗い場に残された鍋だの型枠だのを指差した。 水飴を煮た鍋はニチャニチャしているし、バターを塗った型枠は乳脂がべったりくっ付いている。 これを洗うのはリアルの時と違って、強力な洗剤も柔らかいスポンジも無い現地では、大変な手間だ。 何故なら此処にはタワシも石鹸もないんだからさ。

 

 アインズさんの見ている手前拒否するワケにも行かず、ルプーは渋々といった様子で洗い場に立つと型枠を水に突っ込んで洗おうとした。

 

「あー待て待て、違う。 そーゆー洗い物は灰を使うんだよ」

「灰……ってあの灰っすか?」

 

 彼女は竈に残された灰を指差した。

 

「そうだぜ? 灰はアルカリ性だから、油と混ざると加水分解されて鹸化するんだ」

「かすい……ってよくわかんないっす」

「まぁ、灰が洗剤の代わりになるって思っときゃいいよ」

 

 俺は薪木から皮を剥がすと、揉んで繊維を解し、纏めて紐で縛った。 そうして作った即席のタワシをルプーに渡し、洗い物が終わるまで待った。

 

 そん時にアインズさんから、ナザリックで会食がてら話でもしませんか? って誘われたんだ。 答えはモチロンOKさ。 あの上位ギルドなら、説得次第で俺のスポンサーになってくれるかも知れんからね。

 

 ……っと、何時の間にやら食堂に到着したらしい。 <伝言(メッセージ)>か何かで既に連絡が行っていたようで、扉を挟んでるっつーのに料理の芳醇な香りが漂って来る。 アインズさんが扉の前に立つと、一般メイド   と彼が言っていた   2名が、両開きの扉を片方ずつ担当して開けてくれた。 大衆居酒屋でちょっと1杯引っ掛けるくらいに考えてたんだが……なんか高級ホテルのディナーに招待された気分だ。  緊張してきぜ。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「ドラゴンのステーキだと」

 

 ナイフを肉に食い込ませると、ステーキは軽い力で切断される。 素晴らしい焼き加減で調理された霜降りの肉は、切断面から透明な肉汁を滝のように滴らせる。

 

「乗ってる大蒜チップはサクサクに揚げられているが、ステーキは食感を損なわないミディアムレアだ……それと付け合せは人参のグラッセ」

 

 ステーキが乗せられた鉄板は、食べ終わるまで冷めないように熱々に熱せられており、肉の脂がジュブジュブと音を発していた。 立ち上る芳ばしい香りは唾液を強制的に湧かせ、喉が無意識の内にゴクリと鳴った。

 

「なんだこれはぁ~~~っ。 シュペトレーゼ……赤ワインのソースが濃厚なバターとマッチしている……!」

 

 口に含んだ肉を噛むと、プツリとした食感と共に筋繊維がホロリと解け、肉汁の暴力的なまでの旨みが脳髄の奥まで揺さぶる。

 

「うっ、美味すぎる……何だ…この料理は……!!」

 

 1口、もう1口と食べ進めていくうちに、熱せられた鉄板の熱によってメイラード反応が進み、変化に富んだ深みのある味わいをもたらしてゆく。 一気に300gはあろうステーキを平らげたクサダは、食器を丁寧に置くと料理長へ微笑む。

 

「……堪能させて頂いた」

「私の拙い料理が、お客様の口に合えばよろしいのですが」

 

 クサダは、緩やかに首を左右に振った。

 

「空腹を感じぬ体とは言え、味わう事は出来る……料理を芸術の域にまで高め、心に『感動』の風を吹かせる腕を持つ君には、心から敬意を表するよ。 今……『幸せ』な気持ちだ」

「褒め言葉として受け取らせて頂きます。 では、次にデザート  禁断の果実(インテリジェンス・アップル)甘煮(コンポート)をお持ちしてまいります」

 

 普段、質より量の料理を作っているからであろう。 自らの作品を『芸術』だと評価された彼は、嬉しそうに微笑むと一礼して退室して行った。

 

「満足してくれたようで何よりだ」

 

 階層守護者のNPC達が見ているので、アインズの口調は重く、固い。 一応、クサダが招かれNPC達と顔を合わせる前に、彼から「この話し方だとウケがいい」と聞いているので納得済みだ。

 

「ああ。 随分、御馳走になってしまったねアインズさん。 ただ……村での件にしては少々受け取りすぎなくらいだけどねー」

 

(懐柔しよーってのかねぇ……俺みたいな、ただの一般ソロプレイヤーを……)

 

 働かざる者食うべからずと自分で言った手前、全て残さずしっかり食ったクサダが、程度の差こそあれアインズの要求にNOと言えるはずが無い。 しかし、唯々諾々と要求を右から左まで飲むのも、商人として失格だ。 此処から先は交渉だ。 舌と言葉での戦いなのだ。

 

「ふむ。 どうやら私の狙いも薄々感付かれてしまっていたか……」

 

 アインズは、内心で舌打ちを打つ。 会社員時代の経験から、接待のつもりで用意した料理だったが、逆に狙いがあると見抜かれてしまった。

 

(下手に隠し事をして、見抜かれたら心象が悪くなってしまう……ここは素直に、メリットを提示して協力してもらうしかない)

 

 最終手段の、武力によって無理矢理言う事を聞かせる事も出来ない。 チラつかせた武力で嫌々承諾させても、従順なフリをして中から潰されかねないからだ。

 

 プレゼンを前にした時のような緊張をアインズは感じるが、縮み上がりそうになる心を気合で奮い立たせると口を開く。

 

「ドクトル・クサダ。 貴方のその豊富な知識を見込んで、頼みがある」

「うん?」

「ナザリックの防衛力強化に、その力を貸して頂けないだろうか?」

 

 クサダは表情を変えず、何も言わず、アインズの白き骸の顔をじっと見つめた。

 

「私達、異形種は常にPKの存在に(おびや)かされてきた。 このナザリックに攻め込まれた事だってある。 まるでゲームが現実になったかのような状況……世界のどこかに敵対的なプレイヤーが何人潜んでいるか。 ……私は座して死を待つわけには行かないのだ」

「……俺にアインズさんの仲間になれってことかい? ハハ、自慢にすらならないが……俺はただのソロプレイヤーだよ。 買い込んだ材料で消耗品や装備を作れても、戦闘用のビルドじゃないから自分より30LV低いモンスターにすら苦戦する、ただのザコプレイヤーさ。 自分一人じゃ、材料を得る為の狩りすら満足に出来ない……ね」

 

 肩を竦めて、アインズは自分を過大評価しているだけだと言った。 そんな大したヤツじゃないと。

 

「戦力としてでなく、その知識を存分に振るっていただきたい。 もし事業を興すなら、私はそれを全力でバックアップする用意があるし、異業種狩りに遭ったとしても助ける事だって出来る」

「どーも要領を得ないねぇ。 俺の力なんて借りなくても、これだけ巨大なギルド拠点はそう簡単に攻め落とされないだろう?」

「先手を取って、此方から他の国や種族に積極的に打って出るつもりだ。 今の所、私達は強者だが……これからもずっとそうだとは限らないからな」

 

 クサダは片方の眉を吊り上げ、何を言っているのか理解出来ないと疑問を表情に浮かべた。

 

「オイオイオイオイ……ソコにいるヤツが敵なのかも、居るかどうかすら解らないのに攻めに行こうって誘ってるのかぁ~~?」

 

 人差し指をアインズに突きつける。

 

「それって『侵略』って事だろう!?」

「暴力的な手段は私達がやる。 ……ドクトルはその費用を稼くアイデアを教えてくれれば、それで良い」

「なぁなぁなぁなぁ!」

 

 クサダは映画に出てくる外国人のように、かなりのオーバーリアクションで肩を竦め、天を仰ぎ、首を振った。

 

「カネを稼ぐだけって……ゲームが現実になったみたいって、アインズさんもさっき言ってたろ!? 俺はユグドラシルでもPVPなんてしたこと無かったし……しかも! 平和に暮らしてたカルネ村の少女達を救ったあんたが、今度は襲う側に回るってことだろう!? 侵略する側に回ったと、そう知った姉妹の落胆は想像に難くない!!」

 

 身振り手振りで、まるで鼻につきそうなほど臭い演技で訴える。 自分の意図している事は何か。 何を自分は求めているのか。 容易にそう気付くように。

 

 

 

 ……だったのだが。

 

「その手を離しんし、おちび! わたしはもう、悔しくって悔しくって!」

「あ゛ーもう、あんたねぇ。 今いい所なんだからアインズ様の邪魔をしちゃだめでしょーが」

 

 アウラに首根っこを掴まれ、椅子から立ち上がれずにいたシャルティアが、ジタバタと両手を振り回していた。

 

「はぁ? いい所……でありんすか?」

「だからぁ、アインズ様にあんな口利いて、デミウルゴスとアルベドが何も言わないって変でしょ?」

「あー……確かにそうでありんすねぇ。 言われてみれば、アルベドなら真っ先に暴れだしそうだと思いんしが……」

 

 ようやく、と言った感じで落ち着きを取り戻したシャルティアが視線を移動させると、これから何が起きるのか全て知っている……といった様子で2人は笑顔を湛えていた。

 

 クサダはそんな2人を見てニヤリと悪い笑みを浮かべた。 まさしく何か企んでますよという感じで。

 

(へぇ。 俺の演技に気付いたNPCはこの2人で……後のメンバーは、その2人をそこまで信頼して黙ってたんだね。 NPC同士も信頼しあってて良い部下……そう、部下を持てて羨ましいぜ、アインズさん)

 

 とにもかくにも、意図してなかったとは言え、この2人のヒントで何が聞きたいのかアインズも気付いたろう。

 

 意味深な微笑みを浮かべなからアインズを見つめていると、彼は少しの間考え……真っ暗な眼孔の奥にある炎を燃え上がらせ、ちょっと便所に行ってくるくらいの気軽さでこう言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「『世界征服』をします」

「だから気に入った」

 

 

 

「必ず、そう答えてくれると思っていたよ……ドクトル」

「別に。 ……俺はただ、スポンサーが欲しかっただけさ。 だが、そう簡単に行くワケが無いって解ってるのかい?」

 

 聞きたかった答え   彼が何をしたがっているのか   を聞き、予想以上に面白そうな答えが返ってきたクサダは、肩を小刻みに揺らしながら背凭れに体重を預ける。 目的も言わず、ただ対価を支払うから手を貸せ……では、それでは仲間ではなく労働者だ。 金を稼ぐのが趣味である以上、クサダとしてもそんなものは認められないのだ。

 

「ああ……十二分に理解しているとも。 ……アインズ・ウール・ゴウンは敵も多かったからな。 だから、敵より先んじて情報を集める為に、こうしてドクトル……貴方をナザリックに招いたのだよ」

 

 アインズの言葉を聞き「案ずるより生むが安しだぜ!」と突っ走るタイプじゃない性格に安堵したクサダ。

 

「うーん……」

 

 腕を組んで天井を仰ぐ。 暫くして視線をアインズに戻したクサダは、唇を突き出すようにしてこう言った。

 

「この世界の情報……って言われてもね。 質問の範囲が広すぎて答えようが無いんだけど」

「では……そうだな。 ……この世界に私達以外にプレイヤーが居ると思うかね?」

 

 NPC達の注目がクサダに集まる。 無遠慮に注がれる視線は、値踏みと未知なる敵への警戒心から来るものだろうか。

 

 アインズの行き成り核心に迫る質問に、クサダは「ああ、それね」と軽く相槌を打つと。

 

「ユグドラシルプレイヤーかどうかは判断付きかねるけど、現地の者じゃない存在の不自然な介入の跡がそこら中に見て取れたよ。 あの村ではね」

  なッ!」

 

 絶句したNPC達の反応は、三者三様といった様子であった。

 

 湛えた微笑をより深くする者。 丸眼鏡の奥に隠された、金剛石の瞳を曝け出す者。 興奮して机を叩き、顎をカチカチと打ち鳴らす者。 楽しそうに攻撃的な笑みを浮かべる者。 それを見て呆れる者と怯える者。

 

「一体その跡とは何なのですか!? クッ、私とした事が……こんな近くにまで接近を許してしまうとは…!   っ、早急にナザリックの防備を固めなくてはいけません!」

「フシュー……至高ノ御方々ノ聖地、ナザリック地下大墳墓ヲ穢ス害獣メ。 一刀ノ元ニ切リ捨テテクレル!」

「腕を捥いだらどんな声で鳴くんだろう……足を裂いたらどんな血の味がするんだろう。 待ち遠しいでありんす……」

 

 一気に殺気立ったNPC達の熱気で、食堂は異様な雰囲気に包まれた。

 

「……ふぅ。 落ち着くのだ、皆の者。 急かさずとも彼は話すのを辞めたりしない」

「そーそー、アインズさんのゆーとーりだぜ。 っていうか、みんな勘違いしてるけど……プレイヤーがこの世界のどっかに居たっつー証拠があっただけで、近くに居るってワケじゃないよ?」

 

 今すぐどうこうするワケではない。 守護者達はそれを聞き、明らかに落胆した様子を見せた。 アインズと比べ、なかなかの戦争狂(ウォーモンガー)っぷりに苦笑いを浮かべたクサダ。

 

「あーそうだ。 そうやアインズさんはよぉー」

「ん? なんだ?」

「世界征服してどうしたいんだい? 征服するつったって、そいつぁー手段で目的じゃぁねーからさ、ちっと引っかかってよ」

「……一応、先に述べた通りの理由だ。 ナザリックを脅かす敵に対処する為に、力が欲しい。 ユグドラシル金貨を定期的に手に入れられれば、傭兵モンスターや罠の作動コスト……それからギルド拠点維持のコスト等に使えるからな」

「ん~? つまり……生存権を侵害されないように、軍拡したいのかな? オーケーオーケー、理解したぜ」

 

 一人で勝手に納得したクサダは、コクコクと頭を振るジェスチャーをした。

 

「ほいじゃぁさ、目下の勝利条件を『文化勝利』に設定しないかい?」

「文化……って、シヴィとかの?」

 

 とある文明発展系ゲームが例えに出てきて、アインズは思わず聞き返した。 過去のメンバーが好んでいたゲームだったので、遊びこそしなかったが聞きかじった程度の知識はあるのだ。

 

「そーそー。 この拠点とNPC達、そして大切な財産が護れればいいのなら、何も()()()()()()()()()()()()()()()は無いやん? 戦う理由、敵対する理由、得られるメリットを潰せば勝手に自滅すんだろー」

「喧嘩するよりも仲良くしたほうが得と思わせ……タカ派とハト派の内部分裂を誘い、戦力を分断する訳か。 成程、そんな手が……」

「そそ、ナザリックの威光を世に知らしめるのじゃーつってさ。 徒党を組まれるから厄介なのであって、個人個人が単騎で来るなら対処も余裕っしょ? カネも軍備も安全も得られて1石3鳥じゃん。 ……つまりアインズさんは、社長ちゅう事やね」

「ふーむ。 ナザリック地下大墳墓……いや、アインズ・ウール・ゴウン…株式ではないな。 ……合資会社か?」

 

 アインズは顎先を摘まんで考え出す。

 

 悪い考えではない。 元々カネが必要なのだし、失敗しそうになったら何時でも力尽くで捻じ伏せる、制覇勝利にも方向を変えられる手なのだから。 カネのパワーで自らを強化し、味方を増やし、敵対者に二の足を踏ませ、不和を誘うのだ。 1度に全て相手をしたのならナザリックの剛の者とてタダでは済まないだろうが、各個撃破できるのなら勝率はグンと上がる。

 

「どーせリアルの時は、カネをしこたま払わねーと大したもん食えなかったんだし……うまい物とかクセになる物とか作って、そのメーカーがアインズ・ウール・ゴウンって知れば食えなくなるのを恐れて攻めてなんてこねーって。 異形種狩りとかココと敵対してた奴は人間種だったんだろ?」

「その通りだ」

「だったらなおさら、焼き鳥をウシウシ食いながらキンッキンに冷えてやがるビールを飲みたがるハズさ。 まぁ、中には力こそ正義、なーんて脳筋もいるだろうから、ソイツは力尽くでねじ伏せるか……滅ぼすかだなぁ。 まぁこれはしょうがない。 協調性が元からねーんだもん」

「……ちょっと何言ってるか分からん部分があるが、まぁ、説得力は……あるな」

 

 うーん、まぁ少し不安だが、その方向で行こう。 そう、アインズが言おうと口を開きかけた   その時だった。

 

  私は反対だわ」

 

 アルベドの冷たい声が響いたのは。 肯定しようとした所に、否定的な意見が出たため、アインズの存在しない心臓がドキリと跳ねた。 人間嫌いの彼女は、こんな回りくどい手を打つのが嫌なのだろう。

 

「何故わざわざそこまで人間のためにしなければならないのかしら。 つべこべ言うのなら、全て狩り殺してしまえばいいのよ」

「ふーん、人間嫌いなんかアルベド? まぁ恐怖政治は楽っちゃー楽だがなぁ……」

「当然です。 害虫のように地を這い回る下等生物を、残らず踏み潰せたらどれほど気が晴れるか」

 

 アルベドは眉間にシワを寄せて毒を吐いた。

 

「害虫て……」 クサダは失笑した 「だが、脅威として見らちまったら数で攻めてくるぞー? それこそ暗くてジメジメしたところに居るカテゴリーGみてーに、ワラワラとよーウジャウジャとよー」

 

 両手をワサワサ、ワキワキ動かして想像力を煽るクサダ。 踏んだらパキグチャだなーとか言っている。

 

 クサダのたとえ話で想像してしまったのか、あの黒い甲虫がワラワラと向かってくるシーンを考え、踏ん付けた感触まで錯覚してしまった彼女は、小さく悲鳴を上げブルリと身を一度震わせた。

 

(よし、いまだ!)

 

 クサダはその隙を見逃さなかった。 アルベドの鳥肌の浮いた手首を掴み「まぁまぁ、いいからちっと聞けや」と部屋のスミへ連れて行き、耳打ちする。

 

 最初は混乱していた様子だったが、彼女は話を聞くうちにコクコクと感心したように頷いたり「なるほど…そんなメリットが……」と小声で相槌を打ったりして  

 

「先程の発言は取り消します」

 

 席に戻ってきての第一声が、ソレであった。

 

「ええー!? ど、どうしちゃったのさアルベド! らしくないじゃない!」

「そ、そうでありんす! あんなに人間嫌いでありんしたのに!」

 

 表情に余裕を湛えたアルベドは、フフッと涼しげに笑った。

 

「別に。 大した事じゃ無いわ……でもね……」

(大した事じゃない? うーむ、ドクトルはどうやってあの人間嫌いのアルベドを改心させたんだ……!)

 

 もったいぶって話す彼女に、アインズの好奇心がツンツン刺激され、ついつい彼はアルベドの言葉をに注目してしまう。 ……が、その答えは予想外のものであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「シャルティアに社長秘書の座は渡さないわ!」

 

 

 

「オイィ  !? 落ちてるゥ―! 語るに落ちてるぞアルベドォ  ッ!」

 

 あまりの衝撃展開に、アインズは思わず突っ込んでしまう。

 

「なぁっ! 抜け駆けするなんてズルイでありんす! わたしも『おふぃす・らぶ』したいっ!」

「はぁ!? ちょ、シャルティアおまッ、何処でそんな言葉を覚えてきた!」

「え? あの、ペロロンチーノ様から教わりんしたが……」

 

「ペロロンチーノォ  !」

 

 そして、別方向からの衝撃的な暴露に、罪深き親友の名を叫び、頭を抱え机に突っ伏す。

 

「デミウルゴスはさー」 そしてクサダはマイペースに男性NPC達と談笑している 「火が得意なんだって? MP消費しねーで物暖められるんならさ、光熱費ゼロじゃんね?」

「ええ、部下の中には、存在するだけで熱を発する者もおりますし……私の守護階層には、溶岩の流れる活火山もありますよ」

「へぇーっ、プライベート火山持ってんだ。 スゲーじゃん」

 

「プライベート火山!?」

 

 アインズは伏せた顔を跳ね上げるようにして叫んだ。

 

「なにもーアインズさんさっきから大きい声出してぇー」

「い、いや、その……ちょっとカルチャーショックがだな……」

「ところでドクトル様。 先程プレイヤーの痕跡とおっしゃいましたが、それは一体どのような……?」

「ああ、それね。 そういや言い忘れちまってたなぁ」

「自由だなお前ら!?」

 

 クサダはカルネ村にあった高度な家具類に反して、貧弱な科学力である矛盾を指摘した。 さらに、自身のインベントリから1冊の本を取り出すと、アインズへ向けて机の上を滑らした。

 

「なんだ、この本」 アインズはパラパラと本を捲った 「……小説か? タイトルは……

『ライ麦畑で捕まえて』?」

Catcher in the Rye(キャッチ・イン・ザ・ライ)。 昔の民家にはプライバシーなんぞ、あったもんじゃぁ無かったからな。 2メートルあった麦穂の影が、唯一プライバシーの守られる環境だったのサ! 夜中に男がそんな場所で女捕まえて、何する気なんでしょうかねー」

「しらんがな。 で、それがどうかしたか?」

「つまりだな、あの村には短い麦しかなかったぜっつーこと。 つまり、品種改良の余裕が無い、概念があるかも怪しいあの村にだな。 あんな性能のいい作物の種があるのがおかしいのさ。 あれはぜってー俺達より前にこの世界に来たプレイヤーがバラ撒いたに違いないぜ」

「ふーん。 まぁ、言ってる事は凄い参考に……その人差し指と中指の間に親指突っ込むジェスチャーをしてなければ、なるんだが……って、あーもーほらルプスレギナが真似してるから早く止めろってホラ!」

 

 パタンと本を閉じ「まったくもう……」と呟くと、同じように机の上を滑らせてクサダに返した……その時だった。 ガタタンと椅子を蹴って、勢い良く立ち上がる影が2つ。

 

「はぁ……大体予想は付くが、聞こう。 アルベド、シャルティア……何処に行くつもりだ?」

「カルネ村の麦畑へ行こうかと。 お待ちしておりますわ、アインズ様」

「わたしも麦畑に重要な用事がありんす。 捕まえに来ておくんなんし、アインズ様」

 

 アインズへ向けて、アンデッドで無ければ1発で恋に落ちるような爽やかな微笑みを向ける両名。 だが、その見た目とは裏腹に、その心はドッロドロの欲望にまみれていた。

 

「麦畑で待ち合わせして……その後は……クフフ  !」

「ああ…我が君は逃げるわたしの唇を力尽くで……」

 

 とか言いながら2人は妄想の世界へ旅立ち、海中を揺れるコンブのように自らの肩を抱きグネグネ揺れている。

 

「捕まえても私は何もしないし、捕まえに行こうとも思わないし、そもそも村に迷惑がかかるから止めろ……」

 

 しかし、疲れたように言ったアインズの言葉に、2人は落胆した様子で席に戻ったのだった。

 

 まぁ、カルネ村の麦の高さは70cmくらいしか無いから、ヤったとしてもたぶん丸見えだ。 プライバシーなんて、あったもんじゃないだろう。

 

「んん゛っ! さて、ドクトルの示したこれからの方針は『文化勝利』を目指すとの事だ。 世界の隅々までナザリックの威を示し、名を轟かせ、畏敬させる。 気付いた頃には、誰もアインズ・ウール・ゴウンに逆らえぬ仕組みになっている……この方針に異論のある者は?」

 

 アインズは視線を巡らせる。 

 

「居ないのか?」 杖の石突きが床に打ちつけられ、涼やかな音が響き渡った 「では世界征服の手段は『文化による侵略』に決定する!」

 

 割れ響くような拍手が巻き起こり「アインズ・ウール・ゴウン万歳」と喝采が何度も繰り返される。 守護者達が、戦闘メイド達が、一般メイド達が、男性使用人達が一様に。

 

「さーて、これからどんっどん忙しくなるぜ? アインズさん」

 

 まだ拍手は鳴り止まない。

 

「頼れる仲間達が残した、守護者達も手伝ってくれる。 そして、ドクトル。 貴方も手伝ってくれるのだろう? なら、必ず成功するさ」

「期待されてるねぇ……こりゃぁ負けらんねぇな。 使い切れねぇくれー稼いでやるぜ!」

「ほう……望む所だよ。 楽しみにしているよ、ドクトル」

 

 攻撃的な笑顔を   片方は骨だが   突き合わせる2人……だったのだが。 急にクサダの表情が、何時ものふざけた感じに崩れる。

 

「それじゃぁ社長には社長らしー格好してもらわねぇとな。 ずっとその一張羅ってワケにもいくまいて」

「えっ。 いや、まあ、確かにこの装備はフルゴッズの一点物だが……アンデッドは老廃物を出さないし、埃くらいなら叩けば落ちるが?」

「いやいやいや、今の装備って戦闘用だろ? ブチのめしに行くんならサイコーの衣装だが、そうじゃないんなら他の服に変えるべきだぜ」

 

 やれやれだぜ……と言った様子で、肩を竦め両手を挙げる。 奇襲敵襲に備えるなら、アインズの今の装備は最適解である。 しかし、いかにも『魔王』な見た目なので、交渉事や商談には不向きであった。

 

 TPOに合わせた服を着るべき。 そう述べたクサダの意見に乗っかる形で、目をキラキラさせた一般メイドから「ドクトル様のおっしゃる通りでございます!」と言われてしまう。 ただし、41人のメイド中全員がだ。 アインズに似合う色はコレだ  とか、組み合わせはこうだ  とか、興奮した様子で意見を言いまくっている。

 

 アインズの与り知らぬ所だが、この状態になった女性は手がつけられない。 たとえばブティックに入って興奮した女性には、連れの男は絶対に敵わないのだ。 大人しく諦めて「ハイ。 ハイ。 大変似合ってゴザイマス」と言うべき他無いのだ……間違っても早く帰ろうとか、どれも同じだと言うと、ヘソを曲げて当分口を利いてくれなくなってしまう。

 

 そして、一般メイドの熱気に当てられた戦闘メイドと、守護者達までが参加し、コキュートスが勧めた甲冑の案が即却下されうな垂れた所で。

 

「ドクトル様は、アインズ様のお召し物は何が一番お似合いになると思いますか!?」

 

 と、一般メイドの1人、フィースに鼻息荒く尋ねられてしまった。

 

「え゛っ!? あ、今はもうお客様じゃないから様はいらんよ……で、ええと服、服ね、うーん」

 

 数秒考えた所で面倒になった彼は、アニメに出ていたキャラクターを頭に浮かべ、適当に答えた。

 

「スケルトンメイジなんだから、本当は線が細いはずだろ? だから死ぬほどほっそい袖や裾のフォーマルウェア着てよ、んで黒いボルサリーノ帽被って、首に掛けたマフラー垂らせばいいんじゃない?」

 

 服飾に詳しいホワイトブリムが此処に居たら、まるでマフィアだなと笑い出しただろう。

 

 細く作られたフォーマルウェアは着る者を選ぶが、骨しかないアインズなら完璧に着こなすハズだ。 高い身長のアインズが、細く作られたデザインでさらに手足が長く見え、黒い服と白い骨のコントラストがメリハリを生む。

 

 メイド達は互いに目配せした。 ゆったりとしたローブもいいが、確かに体のラインを強調する服も悪くないと。 メイド達は互いに頷いた。 今すぐお召し物を変えるべきだと。

 

 アインズは担ぎ上げられる。 胴上げでもするのかなとクサダはそう考えたが、そのまま神輿のように退室していった。

 

「し、失礼します。 デザートをお持ちしました……のですが、先程の騒ぎは一体……?」

 

 入れ替わるように料理長が入室して来た。

 

「衣装変えしに行ったよ。 今頃はメイドさん達に着替えさせてもらってるんでない?」

「そ、そうですか……」

 

 料理長は複雑な表情を浮べながらクサダの横までやって来ると、洗練された手つきで料理を配膳した。 真っ白な皿の上には、甘く煮られ半透明に透き通った林檎が乗っており、色取り取りのソースが幾何学模様を描いている。

 

「インテリジェンス・アップルのコンポート。 で、御座います」

「ありがとう、料理長。 相変わらず美しい盛り付けだ」

「お褒めの言葉、感謝いたします。 では、ごゆっくりどうぞ。 食後のお飲み物はいかが致しますか?」

「ホットコーヒーをマグでお願いできるかな?」

「ミルクと砂糖はいかが致しましょうか」

「いや、ブラックで頼む。 久しぶりの合成品でないコーヒー……余計なもので味を鈍らせたくない」

 

 料理長は「畏まりました」と一礼すると、退室していった。

 

 クサダはわくわくしながらコンポートを一口食べ「あンマァ~~ィ!」と表情をほころばせ  

 

「さて、今ならアインズさんの前じゃ聞き辛い事も聞けるよ?」

 

 と、フォークを口に含んだままそう言った。

 

「気付かれておりましたか」デミウルゴスはそう答え、疑問を口にした。

 

「1つ、気になっている事が御座います」

「なんだい?」

「なぜ、アインズ様はドクトル様を  

「博士でいいよ」

「失礼。 博士をナザリックに招き、食事に誘ったのでしょうか? ただ単に気を良くさせて協力の約束を取り付ける……そんな浅はかな狙いでは無いはずです」

「あ-それね……」

 

 クサダは皮肉げに笑うと、フォークの先で皿を突きコツコツと音を立てた。

 

「この料理は   『脅迫』だよ」

「……詳しく聞かせて頂けますか?」

 

 クサダの予想外な答えに、NPC達から、ほうと呟きが漏れる。

 

 そして、1言も聞き漏らすまいと集中力を高め、自らのものにせんとする。 守護者達が常に抱く『至高の御方の深遠なる智謀』に一歩でも近付きたい……その欲求が故に。

 

「料理ってのはね。 外交の場において1つの武器たりうるんだ」

「……ただの料理が武器に?」

 

 クサダは、セバスの疑問に頷きで返す。

 

「例えば材料。 何処で取れる物かで手の広さが見え、どれ程貴重な物かで組織の財力が見えるのさ。 刺身か、塩漬けかでその国の流通まで分かる事だってある」

「たしか……アインズ様は、メインディッシュに『フロストドラゴンの霜降りステーキ』をお選びになられんした。 これにも深い意味がありんすね?」

「その通り。 この世界にドラゴンが居るのかどうかは……まだ明らかじゃあないが、一般的に《ドラゴン=強い》と認識されてるはずだ。 だから、そんな強い動物の肉を食材としてだす。 つまり……」

「我々ハ容易ク龍ヲ屠レル。 ソウ言ッテイルノト同ジ……ト言ウ事カ」

「そそ、財力や国交…技術。 そして武力が透けて見える……いや、()()()()()()事で相手に無言の圧力を掛けることが出来るんだ。 つまり、アインズさんは、俺に外交戦を仕掛けてきたのさ。 シビれるねぇ……不意打ちだったよ」

 

 次々と感嘆の声が吐息と共に呟かれる。 アインズの張り巡らした深謀遠慮の一片に触れた守護者達は、あまりの智謀の深さに身震いを起こした。

 

「あ、あの…どっどうしてアインズ様はそ、そんな回りくどい事をするんでしょうか?」

「言質を取られない為さ。 『私は彼に脅されて仕方なく』って言い訳させない為にね。 しかも、都合が悪くなったら『其方が勝手に勘違いしただけだ』と突っぱねる事だって出来るからね。 切れる手札が多くなるんだよ」

 

 アウラが、次は私が質問するんだと立ち上がる。

 

「でもさでもさー! 料理って相手を選ぶんじゃないの? 例えばシャルティアならトマトジュースって具合にさー」

「吸血鬼だからトマトジュースを飲んでるとか思われるのは、どうしてなんでありんしょう……偏見はやめておくんなんし……」

 

 クサダはニヤリと、悪戯好きの子供のような笑みを浮かべた。

 

「実はな……この方法は、コストがやや掛かる以外デメリットが余り無く、相手もほぼ選ばねーんだ! まぁ、物理的に食事が出来ないとかじゃなければ、だけど」

「ええー! ちょ、続き早く早く!」

「例えば……頭の良いヤツなら国力差を感じ取って戦う前に降参するし、カネに困っている国の王とか商人なら金借りたり投資を募ったり出来るかもしれないから仲良くしたいって思うし、外敵に悩まされているのなら庇護下に入れる属国にして欲しいって思うだろうね」

「財力を見せ付けるには、例えばどんな料理が適当なのですか?」

「おっ、良い質問だね、セバス。 んーと、カレーが費用対効果が高いと思うぜ?」

「カレー、ですか」

「この世界で高額な、香辛料をたっぷり使ってるからね。 金貨の山を直接食ってるようなもんさ。 わが国ではポピュラーな料理ですーって言えば、大商人も目の色変えるぜ絶対」

 

 真剣な表情をしたアルベドが、小さく手を挙げた。

 

「どしたー?」

「……そこまで頭が回らない人間ならどうなるのかしら?」

「人間に限った話じゃないけどね……まーそうだなーアインズ様スゲー! ……ってなって終わりじゃない?」

「最も資金の無駄になりそうな相手のようね……」

 

 アルベドは呆れたように溜息を吐いた。

 

 この辺りで、守護者からの質問は一通り終わる。 途中、料理長から食後のドリンクを受け取ったクサダは、芳ばしい褐色の液体がたっぷりと入ったマグをゆっくりと傾けていた。

 

  ん?)

 

 そこで、シャルティアの様子がおかしいことに気付く。

 

「どったの? シャルティア。 なんか震えてっけど?」

 

 俯き加減で肩を抱く彼女は、見た目では寒そうに震えているようにみえた。 しかし、彼女は冷気に完全耐性を持つアンデッドだ。 寒さを感じるのは不自然である。

 

 酸素不要のアンデッドだというのに、息を荒げるシャルティアに疑問符を幾つも浮べていると。

 

「………ビッチ」

「……はぁん?」

 

 アルベドから短い侮蔑を受けたシャルティアが、斜に構えてアルベドを睨み付けた。

 

「所構わず盛るなんて……発情した雌犬以下じゃない。 畜生ですら場所は選ぶわよ?」

「おやおやおやおや……今までの行いを全て忘れてしまうなんて、可哀想な子でありんすねぇ。 この鳥さんは胸ばかりに栄養が行って、頭には  

 

 親指と人差し指の腹をくっつける。 ゼロだと言いたいのだろうか。

 

  これっぽっちも行かんせんでありんすねえ」

「おめーは何処にも行ってねぇな」

 

 クサダの口調が移ったのか、それとも興奮すると素が出るのか。 アルベドの即座の返しはキレッキレであった。

 

 凍りつく程の重圧と、燃え上がる程の殺気がぶつかり合う。

 

「「………」」

 

 睨み合う2人。 処置無しと、早々に諦めて距離を取る男性NPC達の行動から、クサダは答えを察すると自身の皿を避難させつつ席を立つ。

 

 ……爆発したのは、その数瞬後だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「テメェやんのかよォオアアァァ  ッ!」

「ブチのめしてやんよォオアアァァ  ッ!」

 

 

 

「また始まりましたよ……」

「え、何、よくある事なのコレ」

「なにしてるんだ2人共!? 100LVとは言え、女のお前達がデスナイトみたいな声を出すんじゃないぞ!」

 

 後ろを振り向くと、完璧にイタリアンマフィアの格好になったアインズがいた。 アイドルを追っかける少女達のように目をキラキラと輝かせたメイドが、彼の姿を祈るように手を組んで幸せそうに眺めている。 この状態の彼の両隣をセバスとデミウルゴスが固めれば、まさに組織のボスに見えること間違いない。

 

 ビシッと隅々までアイロンがかけられ、歩いても型崩れしない礼服と対照的に、マフラーがゆらゆらと振り子のように揺れている。 葉巻がとてもよく似合いそうであった。

 

「おーおー、スゲー似合ってんよアインズさん。 しっかし、もてる男は辛いねぇ」

 

 クサダはそう言うとカラカラと笑い、アインズは恨めしげにソレを睨みつける。 そして「人事だと思って……」と抱き付こうとする夢魔と吸血鬼の顔面を手で突っ張りながら呟いた。 骨の手の向こうの2人は、まるでタコのように唇を突き出していることだろう。 アインズは透視能力を得たかのように、そんな彼女らの姿を幻視した。

 

「少し、よろしいでしょうか博士」

「はいはい、何の質問かなデミウルゴス?」

「先程お借りした、料理のカタログに載っている  この『刺身』に興味がありまして」

「ほほー。 だがスマン、この料理は実は食ったこと無いんだ。 相当昔に環境汚染のせいで廃れてしまってね……」

「いえ、知りたいのは味ではなく、先程おっしゃっていた『効果』の事でして……もし(ドラゴンの)刺身を(滅ぼされかかっていて)困っている立場の者に提供した場合、恫喝と懐柔を1手で出来ますでしょうか?」

「え? うーん(魚介の)刺身かぁ~っ……(食糧難に)困ってるって言っても、生食文化が定着して無いとゲテモノとして見られるかもしれないよ? まぁ、栄養的にはビタミンが熱で壊れなくて良い手だとはと思うけど……」

「つまり、出来るが難しいと?」

「まぁ、鮮度の良さは強調できるね。 でもよー無理に生で食わさなくても、ライブ感を演出できる『ア・ラ・ミニュット』って言うんだが()()()()調()()()()って手もあるよ?」

「ほう、それはとても興味深いですね……」

 

 やや否定的だった『刺身』を使う外交の1手。 デミウルゴスは少しがっかりした様子だったが、クサダの示した代替案を聞くと、とても良い笑顔を浮かべた。 悪魔だと言うのに、それはもう無邪気な子供のように純粋な笑みだった。

 

(確か、あの料理の名は……活き造り、でしたか。 とても…とても興味をそそられる料理ですねぇ……)

 

 そして、後に来るであろう『ショー』の場面を思い描き、彼は期待に胸を膨らませるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「イイ加減ニシロ2人トモ! 至高ノ御方ニ対シテ不敬デアルゾ!」

 

 コキュートスの怒号が響き渡る。

 

「し、失礼致しましたアインズ様! 罰をお与えになるのならいかようにも!」

「我が君のあまりの美しさに我を失ってしまいんした。 申し訳ありんせん……」

 

 冷静さを取り戻したアルベドとシャルティアは小さくなってアインズに謝罪した。

 

「良い、良いのだ2人とも。 お前達の好意は私としても嬉しく思う。 だが、お前達は私の大切な仲間が残していった親戚の子供のようなものなのだ……分かってくれ」

 

 アインズはそう諭すと、2人の頭を撫でる。 濡れた様に輝く髪が骨の間をさらさらと流れていった。

 

「親戚の子供、かぁ  っ」

 

 アインズが視線を横に向けると、クサダが分厚い本を手に難しい顔をしていた。

 

「NPC達は世継ぎの心配をしているみてーだが……まぁ、確かに、源氏が最終的に北条氏に乗っ取られてしまったように、外からの血を取り入れるってのはある程度のリスクがある。 無駄に親族増やすと危険だぜ……」

「デハヤハリ、ナザリックノ一員カラ選バネバナランナ」

 

 最初からナザリック外の者が血縁として入るのは、それが妾の立場であったとしても気に入らなかったのか、コキュートスは満足そうに頷いた。

 

 しかし、クサダはそれに苦笑いを浮べる。

 

「まぁーしかし……ハプスブルク家ってドイツ系貴族が居るんだが、そいつは政略結婚を繰り返したせいで奇形児の生まれる確率が高なっちまったんだ。 ホレ、これが肖像画なんだけどね?」

 

 クサダは資料のページを開いたままでアインズに手渡す。

 

「へぇー…ってアゴなっが! え、奇形ってそう言う奇形なのか⁉︎」

「アインズさんも長くね?」

「いやこれは外装だから」

「アインズ様のアゴは、良い長いアゴでありんす!」

「鋭角に磨かれた磁器のようで、大変美しいアゴだとアルベドは思います!」

「良い長いアゴって言葉……何だ? それと、アゴ連呼しないでくれないか?」

 

 そこで、クサダがアインズに手招きをした。

 

「あ、ちょちょちょ、突然だけどアインズさん」

「突然何なんだドクトルさん」

「遠い遠い昔のひとだから、ロングロング顎ーなんつって」

「うーわ、おもんな」

「ひでぇ」

 

 軽い笑いが沸き起こる。 何処か漫才じみたやり取りで、緊張していた空気は適度に解れ、和やかなムードが流れていた……その時だった。 彼の口から爆弾が投下されたのは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まぁそれでも、エジプト文明はホモは普通で、何より近親相姦が高貴な人たちの粋な嗜みだったとか。 自分の娘を嫁にして子供まで産ませてたらしいぜ?」

 

 アインズは、存在しないハズの血液が引いて行くのを幻覚した。

 

「まっ  たお前はそうやって余計な事を!!」

 

 そして、アインズの悪い予感は的中する。

 

「アインズ様ァー! 子を、子を作りましょう! 今作りましょうスグ作りましょうもう作りましょう!!」

「ほんの少し、少しで良いのです! 情けを! お情けを、アインズ様ァ  !」

「ムゥゥン……武人ノ間デハ、衆道トシテ嗜マレテイタト言ウガ。 ……オオ、若。 御戯レヲ……オ止メ下サレ、爺ハモウ年デスゾ……」

「お、お姉ちゃん! ぼく、アインズ様の期待に、こ、答えられるようにがんばるよ!」

「その意気よマーレ! あたしも頑張るから、あんたも精一杯頑張んなさい!」

 

 左右から100LV近接職にガッチリホールドされ、身動きが取れなくなる。 止める者は冷静さを失っているので、助けは期待できない。 というか参加しそうな雰囲気があるので下手に触れない。

 

 突如訪れた狂乱の宴へ参加するチャンスに、全ての女性NPCは参加を表明し、順番を決めるとか言ってじゃんけんをしだしたりしている。

 

「あー! やっぱりこうなったぁ  ッ! お、落ち着くのだ皆の者! ここはエジプトではないぞ! ちょ、くっ付くな! 柔よ……じゃない止めよ! コ、コラまさぐるな!」

 

 もしかして、クサダはわざとNPC達をけしかけているのでは? と考えたが、その本人はというと……

 

(両手に花のくせに、拒否するとか裏山死刑だぜアインズさん。 ちったぁ苦労しろやケッケッケ……)

 

 やっぱりアインズの考えた通り、故意に煽っていた。

 

 そう、アインズは失念していた。 自身と同じように彼もまた、狂気を体現した仮面の所持者だと言うことを……そして、気付いていなかった。 今までは裏山死刑する側だった立場が逆転し、裏山死刑される側に回っていることに……!

 

 アインズへと、血に飢えたゾンビのように群がってくる美女集団の隙間から、クサダ、デミウルゴス、セバス達が見えた。

 

「おーあったあった。 これがクレオパトラとプトレマイオスの家系図なんだけどね」

「何故…家系図に斜線が引いてあるんですかね……」

「ジジイと孫娘的な組み合わせだからじゃね?」

「これは……流石にやりすぎとは思いますが」

 

「お前ら冷静すぎだろぉ  !」

 

 そしてそのまま、暖かなふわふわに包まれてしまう。 肉団子に爪楊枝を刺したかのように、黒山と化した彼女達の中心からアインズの片腕が出ていた。 これがゾンビ映画ならば死亡確定シーンである。

 

 

 

「うわああああ  ! どうしてこうなった、どうしてこうなった!」

 

 

 

 絶対絶倫の危機! 美女集団の魔の手から、果たしてアインズは無事脱出できるのか!?

 

「こんなんで本当に敵対プレイヤーと戦えんのか!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数時間後……体中に付いた口紅や唾液や粘液を洗い落とす為に、アインズは疲労困憊(ひろうこんぱい)の身体を引き摺るようにして風呂へと向かったのであった。

 




ドクトル「ダシに使えばNPCの説得も楽勝。 骨なだけに」
アインズ「あんのやぁろぉう」ゴシゴシ


このゾンビ。混ぜるな危険、ナザリック。



石鹸の加水分解、について。

 石鹸は予防可能な病気が蔓延するのを防ぐ上で欠かせない物質です。 日本で重症急性呼吸器症候群、通称SARSがあまり流行しなかったのは、洗剤で身体や食器を洗う衛生観念が行き届いていたから、という研究結果もあるくらいなのです。
 石鹸は油脂、つまり脂肪「酸」にアルカリを混ぜ加水分解させる事であり、鹸化反応とも言います。
 酸とアルカリが出会うと互いを中和し、後には水と塩が出来ます。 つまり、石鹸は脂肪酸塩なのです。


ライ麦、について。

 英語名では、ただのライと呼ばれることが多いです。 高さが1.5mから3mにもなるイネ科の植物で、寒冷な気候や痩せた土壌などの劣悪な環境に耐性があるので、主にコムギの栽培に不適な寒冷地で栽培されます。 ……が、近年では肥料や農法の進化によって、味の落ちるライ麦は生産量が激減しており、現在で消費されるのは小麦の半分以下です。 しかし、ビタミンB群や食物繊維が豊富なため健康食材として認知されており、昔と違って蔑まれる事はなくなりました。
 作付けが激減した背景から、少しの不作が価格の暴騰を引き起こすので、小麦のパンよりも高値で取引される事も。 昔と立場が逆転してしまった作物がライ麦です。
 麦角菌が子房に寄生すると、麦角アルカロイドと呼ばれるマイコトキシンという毒が発生します。 アルカロイドとは大麻やアヘンの成分です。
 麦角菌に寄生されたライムギは黒い角状のものを実の間から生やし、体積がキノコのように数倍になります。 これが麦角の由来です。
 麦角アルカロイドの毒性は、流産、末梢血管の収縮による四肢の組織の壊死、幻覚などの中毒症状で、この麦角菌中毒は中世に大流行し多くの人の命を奪いました。
 『狼と香辛料』でも、麦の毒として扱われています。


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資源GETで稼ぎたい

あらすじ

アインズ「ドラゴン肉使った接待して取り込んだろ」
ドクトル「ひえ、初手脅迫かい。 気に入ったわ」

アインズ「つれーわー。 モテ過ぎてつれーわー」
ドクトル「……もっとモテるようにしたろ」






「あ゛  ……生き返る。 ……俺、オーバーロードだけど」

 

 カポーン、と手桶が空気を振るわせる。 アインズは、ギルド拠点に浴場を作っておいて本当に良かったと、過去の仲間に感謝し風呂から上がる。

 

「それにしても、まさか自分の身体を洗うのがこれほど手間だったとはなぁ……何か効率的な方法を考えないといけないな」

 

 脱衣所まで歩いてきたアインズは、後ろ手で引き戸を閉めた。

 

「メイド達が洗うのを手伝ってくれるって言ってたけど……」

 

 アインズは入浴しに行くと告げたときの事を思い出すと、ゾクリと寒気が走るような感覚が……今は無いが、したのだった。

 

 流石にこの年になって異性に身体を洗われるなんて恥ずかしい。 肉も皮も無い、骸骨の身体だとしてもだ。 特に、シャルティアとアルベドの両名の眼が血走っているのが恐怖と羞恥を殊更に煽るのであった。

 

 視線を下げ、自らの骨の体をまじまじと見る。

 

「…………無くなっちゃったなぁ」

 

 妙な喪失感が、心に北風を吹かす。

 

 視線を下げ自らの下腹部を見ても、慣れ親しんだ相棒の姿は今は無く。 定期的にメンテナンスするだけだったが、今ではメンテナンスすら出来なくなってしまった。 結局、1度も見せ場が来ず仕舞いで相棒を失ってしまったのだ。 生まれてから1度も離ればなれになった事なんて無かったが、まさか相棒を失う日が来ようとは。 失ってしまったモノの大きさに、アインズは再び深い溜息を吐いた。

 

 濡れた体を拭くのも一苦労だ。 奥まった部分がある上に狭い部分や尖った部分が多く、タオルが一々引っかかるし、リアルの時と比べ表面積が数倍にまで広がっている。 面倒臭い事この上なかった。

 

 あの馬鹿(ドクトル)なら、アインズの身体の洗浄をどうやって楽に終わらせるだろうか? アインズには想像しがたいが、もし実際に聞いたとしたら  

 

「高圧洗浄機と強力な送風機使おうぜ!」

 

  と、まるで洗車でもするかのような気軽さで言ってのけるだろう。

 

 やがて体を拭き終わり、アインズはいつも通りの漆黒のローブ姿へ着替える。 デミウルゴスやセバスは、お揃いの服でなくなってしまうので残念がるだろう。 しかし、アルベド達が興奮しすぎるのでマフィアのボスの格好は封印せざるを得ないのだ。 自身の安全の為にも。

 

 火照った骸骨の体から、水分が水蒸気に変わって蒸発するのを感じつつ、アインズは『男湯』と書かれた暖簾を潜る。 ……すると、アインズが浴場から出てくるのを待っていたのか、そこにはデミウルゴスがいた。

 

「わざわざ出てくるまで待っていたのか。 遠慮せず入ってきても良かったのだぞ?」

「はい、ですが、この浴場は至高の御方の為に創造された場所。 私共のような下々の輩がおいそれと入るわけには……」

「別に誰の為に作ったとかではないのだが……ふむ、ではこうしよう。 また今度、マーレやコキュートスを誘って一緒に風呂に入ろうか」

「おお……お心遣いありがとう御座いますアインズ様。 固辞するのも失礼ですので、その際は是非にも」

 

 思わず感心してしまうような流麗な動きで、デミウルゴスはお辞儀をした。

 

「うむ……それと、この事はアルベド達には絶対に内緒にしておけ」

「畏まりました」

「絶対だぞ……それで? 何の用件で此処まで来たんだ、デミウルゴス」

「はい。 アインズ様にお伺いしたのは、博士からナザリック内で取れる資源を調査し、アインズ様へご報告の後、使用許可を得られるか調べる……というものです」

「ナザリックで取れる……資源?」

 

 はて、ナザリックから資源が取れただろうか? と、アインズは小首を傾げてしまう。 パッと思いつくとしたら、第1層~3層で自動的にPOPするスケルトン等だろうが、それが商品になるとは到底思えなかった。

 

 アインズはデミウルゴスから資料の束を受け取ると「歩きながら話そうか」と、歩みを進める。

 

「はい。 博士が言うには、私の担当する第7階層の火山から噴出する硫黄、火山灰、溶岩、地熱などが資源として使えると」

「ふーん……」

 

 デミウルゴスから渡された資料を捲る。 紐で閉じられた資料の上部に『硫黄』と書かれており、黄色い水晶のような結晶の写真が添付されている。 綺麗な標本のような見た目から、恐らくは図鑑か何かを魔法で複製して、切り抜いたのだろうとアインズは判断した。

 

(硫黄……って何だ? 写真を見るに宝石みたいだが……

 proton16 S 硫黄 原子量32.07ってどういう意味なんだ? Sってレア度の事か? まずい…目が滑る……)

 

 専門的な用語をふんだんに使った資料は、実の所、切り抜いたのは図鑑のページそのものであった。 クサダは、ただの資料として写真だけ切り抜くよりも、ページそのものを貼り付けたほうが便利だと判断したためだ。 しかも、所々に英語なんかがあったりして、それが一層アインズを混乱させる。

 

 そのため、その資料には原子量だとか、陽子、中性子、電子、Å(オングストローム。原子の大きさなどの小さいものに使う単位)などの専門用語がモリッモリだった。 科学に興味の無いアインズの眼が滑るのも無理からぬ話である。 なので……

 

「……うん。 まぁ、いいんじゃないか?」

 

 アインズは匙を投げた。

 

「畏まりました。 博士にはそう伝えておきます」

「その階層中をほじくり返すなんてマネは避けるぞ?」

「その点は大丈夫かと。 どれも地表に堆積する物のみなので」

「なら良いが……」

 

 資料を更にめくると、6階層の章ではアウラ・マーレの魔法を用いて、実験農場や実験牧場を作る計画のようだ。

 

 このくらいなら自分にも理解出来ると、アインズは胸を撫で下ろす。

 

「6階層はアウラ、マーレの能力を使うようだな」

「はい。 博士が言うには、簡単に真似をされないようにあえてミッシングリンクを作る。 だそうです」

「アウラ達でしか出来ない事を根幹に据える訳か」

 

 アインズは満足そうに何度も頷く。 そうそう、こういう事は独占してこそ価値があるんだ……と。 熱素石(カロリックストーン)も、隠し七鉱山の金属をアインズ・ウール・ゴウンが独占できたから手に入れることが出来たのだ。 後に、ワールドアイテムを使用されてまで鉱山を暴かれてしまった……つまり、情報が漏れたため、2つ目の入手が不可能になってしまった。 だから尚更、独占する必要性と重要性がアインズには身に染みて理解出来る。

 

 次の章は、コキュートスの居る第5階層だった。 低温である事を利用し、冷凍技術を使うようだ。

 

「ふーん、フリーズドライ製法ねぇ……」

 

 アインズの手元には、1ページ丸々つかったイラストがあり、圧力を下げると沸点が下がることを利用し、高熱に晒さずに物質を乾燥させるフリーズドライの装置の概要が書かれていた。 しかし、その次のページには技術的にも難しいとも書かれていたのだが。

 

 必要なのは、空気を抜く為のポンプ。 気密を維持する為のゴムか、シーリング材。 冷却はコキュートスの能力でよいとしても、立ちはだかる壁は高かったのだ。

 

 使い道の欄には、液糖を変色させずに乾燥させグラニュー糖を作ったり、食品を常温で腐らせないようにする  と書かれている。

 

「物質と言うものは、暖めるよりも冷やす方が大変らしいそうなので、コキュートスはもっと後から忙しくなるとの事です」

「そうなのか?」

「はい。 いずれ液体窒素や液体酸素、ドライアイス等を作りたいと言っておりました。 しかし、設備が整わないと無理とも」

 

 アインズは興味深そうに何度も頷くと、デミウルゴスの仕事ぶりを褒め、そして「ご苦労だったな」と労った。

 

「ありがとうございます、アインズ様! その一言を頂けるだけで、励まされます!」

「……おう。 所で、ドクトルの姿が見えないが……何処に行ったか知っているか?」

「はい。 アインズ様に報告しに行くと伝えた所、博士は私と別れ、副料理長のいるBARへ向かいました」

「BARに?」

 

 アインズは「まったワケのわからん奇行を……」と、怪訝な顔を  できないが  浮かべた。

 

「何しに行ったのか気になるな……よし、今後の予定を詰める為にも話す必要があるし、向かってみるか」

「ハッ! お供いたします!」

 

 

 

 

 

 

 

「ゴミ箱を漁って出てった!?」

「は、はい。 『え、それ捨てちゃうんですか?』と仰られ、そうですと答えると貰ってもいいかと……」

 

 クサダが何をしに来たか、の質問に答えた副料理長の答えは、アインズの想像の斜め上をはるかに越えていた。

 

 頭から幻痛がしてきたアインズは、側頭部を押さえて溜息をつく。

 

「あー…それで、それから何処へ向かったか知っているか?」

「ええと、確か……マーレ様の所へ行くと独り言を言っていました。 ですので、6階層にいると思います」

「そうか。 仕事の邪魔をしてすまなかったな」

「い、いえ! 邪魔などと!」

 

 こうして、恐縮しまくるピッキーに別れを告げ、アインズはクサダの後を追うのであった。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 うーむ。 こうして見ると、やはり魔法ってのはズルいな! マーレ君がグッと力を込めただけで、にょにょにょーっとさっき植えた種から芽が出たぜ。 動画の早送りみたいにワサワサ植物が茂っていって、数分で花が咲いて実がなった。 マーレ、恐ろしい子!

 

「おお~~っ。 やっぱスゲーねぇマーレ君の魔法はよー」

「い、いえ、ぼっぼくの魔法なんてそんな……アインズ様に比べれば、たっ大した事なんて無いですよぉ」

 

 えへへと、はにかんで笑うこの少女は、実は少女では無く……魔法少年なのだッ! スカートが翻らないように手の甲で押さえながら小走りしたり、内股でモジモジしたりするが……少年なのだ!

 

 確かに俺は最初、このかわいらしい仕草と内気な性格に混乱した。 が、今は理解している。 『彼』は男の娘らしい。 女装と男装させるなんて作成者は罪作りだが……まぁこいつぁーロマンだからな! だがそれがいいってヤツだ。 こうしてじっくり観察すると……うーむ、いい仕事してますね。

 

「此処に居たか、ドクトル。 これは  一体何の実験だ?」

「おー! いい所に。 丁度アインズさんを呼びに行こうと思ってたんだよ~~」

 

 振り返ると、いつの間にやらデミウルゴスとアインズさんが6階層の実験農場に来ていた。 アインズさんは珍しそうに、地を伝うツルや、青々と茂った若木に結実した果実を眺めている。

 

「ちょ、マーレ君てばスゲーんだぜ? 数十分前に種植えたのに、もう収穫できるんだからさぁ」

「ああ、だから捨てられていた種をそこらから集めていたのか……」

 

 マーレのもとに歩み寄ったアインズさんは、親戚のおじさんが小さな子を褒めるように、よしよしと頭をなでている。 そして、睡魔に襲われた子犬のような顔で、マーレは幸せそうにウットリと顔を綻ばせた。

 

「投資額が少なくてもある程度の商品が作れるし、なにより需要が高いだろうからね。 まずは農業。 それからさ」

 

 そう、まずは先立つ物が無いと話にならないから、少ない投資額で利益が上げられそうな、果物の栽培を実験的に行なった。 産業にとって農業は根幹に関わる大事な部分だから、マーレ君のドルイドの能力をフル活用して、即効性のある商品調達を画策したのだよ!

 

 全盛期の日本では、果物農家がベンツだのフェッラーリだの高級外車をぽこじゃか買い換えられる程儲かっていたらしい。 まぁ、その分莫大な初期投資と、農業の知識が要るけどね。 昔は農家になるために大学に通ったって言うんだからスゲーよなぁ。 なーんでリアルはあんなクソな環境になっちまったんだろうか?

 

「突然ですがアインズさん」

「突然何なんですかドクトルさん」

「スイカもメロンも同じウリ科で、しかもスイカは野菜なんですよ」

「なんで突然敬語……ああ、はいそれで?」

 

 取り出した嫉妬マスクを右手に高らかに掲げ、俺はキメ台詞を言った。

 

「俺は人間を辞めるぞ~~!」

「……いやお前元からゾンビだろうが」

 

 かぽ。 嫉妬マスクを装着し、スイカとメロンを片手ずつ持ち、丸々としたソレを高々と掲げた。

 

「瓜ィィイイ  ッ!」

「……それはさっき聞いたぞ」

 

 むう、なかなか伝わらないな。 じゃあ次の台詞を。

 

「完熟、完熟ゥ!」

「もう意味わかんねぇ」

 

 

「ハァ!? DI○様に決まってんだろ!!」

「デオ様知らねぇんだよこっちは!!」

 

 

 何ィ! マスク持ってるんだから当然知ってるもんだと思っていたぜ。

 

「嫉妬マスク配られた時に、2chの奴らが『俺は人間を辞めるぞー』って、わざわざワールドチャット課金アイテムまで使って騒いでたじゃん」

「ああ、そう言えばそんな事もあったな」

「あれ昔流行ったJ○J○ってマンガの人気シーンでね?」

「あー……たまにするワケのわからん発言の理由はコレか。 まぁ、漫画も本と言えば本……だからな」

 

 アインズさんは呆れたように首を左右に振る。 むう、冗談の伝わらんヤツめ。 ユーモアだよユーモア、楽しくやらんと続かねぇぜ?

 

 まぁとりあえず、果物農家ならこの世界に同業他社も居なさそうって事で、売り込み先のアンダーカバーが得られない今、当たり障りの無い部分から攻めようって考えたのだ。

 

 今実験的に育てているのは、BARで貰ってきたメロンやスイカなどのウリ科の果物と、オリーブの木だ。 品種改良がスデに終わっているこの種を育てれば、面倒な作業をしなくても糖度の高い果物が育てられるし、育てやすいオリーブの実と種からは品質の良いオリーブオイルがジャンジャカ採れる。 特に、オリーブオイルは油の入手先として最強に君臨するのではと俺は思っているぜ。

 

 搾りかたも結構簡単で、まず熱くないお湯でオリーブを煮る。 そうすると柔らかくなるから種を取る。 果肉をすり潰してゆっくり搾ると、食用として優秀な一番搾りのバージンオイルが取れる。 焦って圧力を掛けすぎると不純物が混ざってしまうので注意だ。 搾りカスに更に搾ると二番搾りの、果肉が混ざってしまっている低品質の油が取れる。 種からもギッチギチに圧力をかければ、更に質が落ちるけど油が取れるので捨てずにとっとくといいぞ。

 

 だがまぁ、早いとこラテックス素材『ゴム』を手に入れたいなぁ。 アレがあると無いとではやれる事が段違いだし、硫黄の入手は済んでるから材料はもう半分終わってるようなもんだ。 まぁ、タンポポの根からも少量手に入るが……手間が掛かりすぎるから、やはり、何処かからゴムの木を探してきてもらうしかない。 ……確かアウラちゃんが探索任務に当てられていたな。 よし、今度アインズさんに頼んでおこう。

 

「この木……オリーブを育ててどうするのですか? 油を搾って売るのでしょうか?」

 

 デミウルゴスが、3メートルくらいの若木から熟した実を一つ取り、鼻を近付けて若々しい香りを嗅いだ。 ちなみに、この状態で齧ると渋くて食えたもんじゃあ無いぞ。

 

「うんにゃ、質のいい油はエクストラバージンオイルとして売れるけど、2回目3回目の搾り油は質が落ちるからね。 そう言うのは石鹸とかに加工しようと思ってるぜ」

「あの石鹸ですか?」

「そそ、あの石鹸だよ。 まぁ、オリーブオイルでなくても、油なら獣脂とかでも作れるけどね。 最初の石鹸は羊の焼肉の脂が土に染み込んだヤツだったし」

「ほう、羊ですか!」

 

 デミウルゴスはにっこりと微笑んだ。 彼はどうやら羊が好きらしい。 話の流れ的に、ペット的な好きではなく産業動物として、だろうけど。

 

「実は私も牧場を作ろうと思っておりまして。 そこで取れた脂も、是非加工して販売しましょう」

「あーそれは厳しいかなぁー……獣脂石鹸は洗浄力が強くて安いんだが、くっせーんだわ」

「くっせーのか、嫌だな」

 

 アインズさんが、うへぇーって感じで嫌がると、デミウルゴスはかなりショックだったのかションボリと肩を落とす。

 

「あーまーそうだな、香料とか入れればマシになるかもだから、やるだけやってみたらいいと思うよ。 作る時はフツーに獣くせーけど」

「ちなみに、良い石鹸は何の油を使っているんだ?」

「あーっと……トルコの有名な石鹸はオリーブオイルで作ってるらしいぜ? 後は~~……台所用洗剤はヤシ油が多いかな?」

 

 収穫したメロンを1つ、半月切りにしてみんなに配った。 摘果した未熟な実と余った部分は男性使用人に渡し、料理長の領域へ料理の実験材料として送ってくれと伝える。 覆面を被った男性使用人は「イーッ!」と了承すると、荷物を抱えて走り去って行った。

 

 未熟な実は甘くないから、漬物にすると美味いらしい。 料理長の新作が楽しみだぜ……じゅるり。

 

「これは……食べられるのか? 俺は」

「あ、そうか。 アインズさんオーバーロードだったね……まあ物は試しで食ってみたら?」

「ううむ……」

 

 彼はしばらく逡巡していたが、覚悟を決めたようにメロンに噛み付く。 ジュブと瑞々しい音を立てたメロンは、アゴの隙間からポロリと転げ落ち、予想通りだったのか左手で受け止めた。

 

「クソ、やはり駄目だったか」

「味はどうだった?」

「全く感じなかったな。 せいぜい食感が分かる程度か」

「厳しいな~~っ。 なんかこう、都合よく行けばいいのになぁ」

 

 骸骨の謎動力で動いてるんだから、筋肉とか皮膚が無くても……こう、ご都合主義的なアレな感じで食べれたら良かったのに。

 

「私は食欲を感じないし、食べる必要も無い。 だから試食を求められても……な。 まあ確かに興味はあるが、それだけだ」

 

 アインズさんは寂しそうに少し笑い、俺にメロンを返して来た。 ……ちょっと待て、食いかけじゃねえか。 どうすんだよコレ。

 

 捨てるのもアレだし、どうしようか……と思っていたら、いつの間にか近くに居たソリュシャンにパクられた。 こう、ひょいっと摘み上げたと思ったらズルッと手の中に飲み込まれていった。 皮ごと。

 

 ううむ、まるで手品でも見ているかのようだったぜ。 もしかしたら、彼女なら首筋に突き刺した指から吸血とかできるかもしれんな。

 

 そして、やや遅れてセバスが現れた。

 

「お忙しい所、失礼しますアインズ様。 出立の準備が完了致しましたのでご報告に参りました」

 

 ビシッと背筋を伸ばしたセバスが、完璧な仕草で礼を取る。

 

「うむ、ご苦労だったなセバス。 リ・エスティーゼ王国の情報収集の際は、脅威への警戒を厳とせよ。 いいな」

「ハッ、重々承知しております!」

「俺からもいいかな? 接触してくるヤツらの言動行動にも注意してねー。 特に商人は頭が回るから要注意だぜ」

「……そういえば、セバスに与える馬車を指定したのはドクトルだったな」

 

 俺は今思い出したと、手の平をポンと打った。

 

「おーそうそう、ちょっとこの世界の工学が気になってねぇ。 だから18世紀ごろに流行った、板バネサスペンションを装備した馬車を用意してもらったんだよ」

「あまり高度な技術を使ったら、オーバーテクノロジーだと現地の者に警戒されないか?」

「うんにゃ、この程度じゃあ大した事にならんよ。 せいぜい、真似して小銭稼ごうと考えた商人ギルドか工業ギルドの連中が、製法を聞きだそうと接触してくるくらいさ」

 

 俺は肩を竦めて、皮肉げな笑みを見せる。 あの馬車程度の工学技術では、精々かなりの金持ち程度にしか思われないだろう。

 

 この馬車のサスペンションの構造は、湾曲した鉄板を数枚重ねた物を2枚貝のようにあわせた物だ。 この構造だとデッドスペースが広すぎるし、そのしわ寄せが車内まで及ぶ。 車高も高くなってしまって乗り降りが大変だし、横転の危険も高まる。 その後、エンジンを積んだ自動車が発達すると、三角形の法則を利用した構造に進化した。

【挿絵表示】

 

 

 サスペンションにも色々と種類があって、板バネを使う安価で丈夫な物。 コイルスプリングを使う高性能な物。 あとは、戦車のサスペンションに使われた、捻れを利用したサスペンションなんて物があるぞ。

 

「構造自体は簡素なもんだしね。 コロンブスの卵みたいに、思いつけば誰だって真似できる……が、逆に馬車に使われた技術に()()()()()()()()()のなら少々厄介だね」

「……魔法の存在か」

 

 俺は鷹揚に頷いた。

 

「商品作っても魔法があるからいりませんーじゃぁ、作っただけ損しちまうしー……作成コストの差で戦うにも、マジックアイテム化させた商品がどれ程の脅威か調べないといけない。 わかりやすく言うと市場調査かな?」

 

 とは言いつつ、現地の工業技術の発達具合は、カルネ村の状況である程度の目星は付けてあった。 村にあった荷車は、荒地走破性を上げる為に大型にした木製の車輪を、鉄の板で補強しただけであり、衝撃吸収(ショックアブソーバー)の機構は無し。 車軸は南京カンナで削っただけの木製。 車軸の接点は木で挟んだだけで全く補強されておらず、使ってるうちに擦れて折れるから、そのつど交換する原始的な物だ。

 

 これでは荷車の重心が高くて少し傾いただけで横転してしまうし、荷物を載せる場所も狭い。 ガタガタ揺れるから、たまに陶器の入れ物は途中で割れるし、摩擦とかの抵抗が大きいから馬も疲れて時間が掛かる。 道半ばで車軸が折れたら最悪だ。

 

「つっても、商品を作るための工場……を建てるための建材が今ないんだけどねぇ。 うーん、レンガ……は面倒だなぁ……焼かないといけないし。 やっぱコンクリがいいかな?」

「近くには深い森が広がっているが、木では駄目なのか?」

「いや、木は木で使い道があるし、やっぱ強度とか施工の容易さを考えると鉄筋コンクリートがいいなぁ。 そうだアインズさん」

「ん? 何だ?」

「コンクリートの材料が欲しいから、外回りに出るシモベ達に石灰岩を見つけてくるように頼んでくれない? 白亜(チョーク)でもいいけど、大理石はちょっと勿体無いかな」

 

 アインズさんは了解したと承諾すると、回覧板に副目標として記しておくと言ってくれた。 話のわかる支配者で助かるぜ。

 

 石灰岩。 つまり炭酸カルシウムの塊は、色んな物に使えるから便利なんだ。 真っ白で美しい漆喰も作れるし、手軽に手に入るアルカリ物質でもあるコレは、工業的にも重要だ。 対して珍しくない素材だってのも嬉しいね。

 

「よっしゃ、後は大量の鉄材だな……」

 

 さて、どうやって手に入れようか……やっぱ高炉を立ててジャンジャカ精錬するべきか。

 

 ん? まてよ? デミウルゴスが居るんだから、第7層で酸化鉄……鉄鉱石(ヘマタイト)か砂鉄を、炭と混ぜたヤツを暖めてもらえば出来るんじゃないか? コークスとか炭を燃やすのは、炭素を含んで融点が下がった銑鉄をドロドロに溶かしたいからなのだし、熱を別の所から持ってこれれば……うん。 行けるかもしれんね。 問題はスラグの融点を下げるのにも石灰石が要るって事か。

 

 ええと、酸化鉄の元素はFeO若しくはFeだから、炭素1個ちょいで酸化鉄2個くらい還元できる。 だから、鉄鉱石1トンにつき木炭500kgあればいい。 んで、鉄鉱石に含まれる酸化鉄は50~60%くらいだから……約300kgくらい木炭があれば、銑鉄(ピッグアイアン)が得られるな。 ……計算上ではだけど。

 

 そうして、俺が頭の中で算盤を弾いていると……

 

「ああ、そうだドクトル。 大量の……とはいかないが、鉄の入手先に心当たりがある」

 

 と、アインズさんが上層に俺を誘ったのだった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

   ナザリック地下大墳墓・第三層  

 

 第三層に到着した俺、マーレ君、デミウルゴス、御付メイドは、アインズさんが何処から鉄を入手するのか見当も付かなかった。 何処から鉄を手に入れるか……それが解ったのは、その後すぐだった。

 

「これが我がナザリックで採れる鉄だよ、ドクトル」

「……まじかよ」

 

 正に、してやったりと言った感じで、アインズさんは得意げにクツクツと肩を揺らしている。 まさか、まさか自動POPするスケルトンウォリアーの装備をぶんどるとは考えも寄らなかった。

 

 は、発想の柔軟さで…負けた……

 

「この、自動でPOPするモンスターは無料で幾らでも出てくる……ギルドの維持費用さえ払っていればな。 つまり、鉄はほぼ無料で無限に手に入るという事だ」

「す、すごいですアインズ様! ぼ、ぼくには考え付きもしませんでした!」

「おお……まさに、まさに神算鬼謀の主にして智謀の王。 私などアインズ様の足元にも及びません……!」

 

 ……なんか俺の時と温度差違くない?

 

「そ、そんな事は無いぞお前達。 私などまだまだだよ」

 

 俺が、アインズさんの『鉄鋼が無いなら鉄スクラップを溶かせばいいじゃない』作戦に愕然としていると、シモベ達はまるでアイドルを前にした少女のように目を輝かして口々にアインズさんを褒め称えていた。

 

 た、確かに、これならほぼ無料で鉄スクラップが手に入るぞ。 エネルギー消費は鉄鉱石から作るよりも格段に減り、十数にも渡るプロセスはかなり省略されるはず。 鉄鋼業で稼ぐのならまだしも、建材や道具に必要な分あればよいので、このアイデアは最適解だと言えるぜ……余ったら売れるし。

 

「アインズさん。 この余ったスケルトンどうすんの?」

「そうだな……次のモンスターがPOPするように砕いてしまうか」

「え? このスケルトン捨てちゃうんですか?」

「またそれか……今度は何をするつもりだ?」

 

 俺はプラチナのインゴットをインベントリから取り出すと、ニヤリと笑った。

 

「肥料を作るのさ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 




初期の馬車荷車、について。

 中世時代の製鉄法は熱効率や金属の回収率が悪く、鉄鉱石1トンにつき3トンものコークスを使っていました。 さらに、硫黄や燐の成分を除去できなかった為、スラグの中に鉄が化合物として混ざってしまい、回収率も悪い。 というものでした。
 なので、その頃の鉄生産量は、年1~2トンあれば良いほうで、鉄泥棒が横行するほど貴重な資源であり、消耗品でしかない荷車に使われるのは僅かな量でしかありませんでした。
 その乗り心地の悪さは、貴族の乗る馬車も例外ではありません。 車軸をフレームにポン付けした馬車は、座席に厚手の座布団を敷いていても耐えられないほどで、手で少し尻を浮かして乗るくらい凄まじかったそうです。

コンクリート、について。

 鉄筋コンクリートを考え出したのは、フランス人でした。 1867年当時ジョセフ・モニエという庭師が、値の張る素焼きの植木鉢をコンクリートで作る際に補強として入れた鉄の輪がコンクリートと良く馴染んだからです。
 コンクリートの主成分は珪酸カルシウムです。 地中に鉄鉱石として埋まっていた鉄が、岩石の主成分である珪酸塩と馴染むのは、よくよく考えるとそこまで変ではない……かもしれません。
 そして、鉄とコンクリートの熱膨張率は偶然にも一致しており、夏の暑い日…もしくは冬の凍て付く日に、鉄がコンクリートを突き破る。 なんてことは有りません。 引っ張る力に弱いコンクリートを鉄骨が補い、押しつぶす力に弱い鉄をコンクリートが補う事で、鉄筋コンクリートは史上最も用途の多い建材になりました。


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商品作って稼ぎたい

あらすじ


ドクトル「初期投資(イニシャルコスト)低めの農業で資本金稼ご。 科学なめんなよ!」
マーレ 「魔法ドーン! 単価高めの果物ワッサー!」
ドクトル「グエー! 魔法しゅごいのー!」


ドクトル「大量生産でコスト下げるんにも、まずは基礎が大事や。 木材? 煉瓦?
     強度が足らんし施工メンドイわ!
     セメントと鉄骨作らなきゃ。 鉄作るのに耐熱セラミックと鉄鉱石と木炭と……」
アインズ「魔法ドーン! ほぼ無料の鉄スクラップワッサー!」
ドクトル「やっぱ魔法には勝てなかったよ……」




現在のナザリック生産物

☆NEW!
・そこそこの量の硫黄
・そこそこの量の高シリカ火山灰
・やや少なめの鉄スクラップ
・まぁまぁの量のスケルトンの骨
・数十個単位の瓜科果物
・数百個単位の柑橘果物
・数千個単位のオリーブの実


 右手に感じるのは、ずっしりとしたプラチナの確かな重み。 リアルの時は希少金属として重宝されていたこの金属は、ユグドラシルではあまり日の目を見ることは無かった。 それもそのはずだ。 オリハルコン、アダマンタイト、ヒヒイロカネ、青生生魂(アポイタカラ)などのレアでデータ量を多く取れる素材の方が人気が出るのは、ゲームではあたり前だからだ。

 

 過去のリアルでは、様々な場所でこの希少金属は使われた。

 

 強酸にも塩基にも侵されない性質は、化学反応を促進させる触媒として。 融点が1763℃と高く、過酷な環境に耐えるため『るつぼ』『電極』『1メートル原器』などの工業機器として。 温度と電気抵抗の特異な性質は、13.81    1234.93 ケルビン(-259℃ ~ 961℃)まで計れる標準温度計として使われる程だ。

 

 その、何物にも侵されない白き輝きは、宝飾品としても   日本では   人気で、数多くの婦人の首や指を、その輝きをもって締め付けた。

 

「肥料を作る? わざわざそんな面倒な事をせずとも、マーレの土壌の恵みを回復させる魔法を使えば良いだろう」

「まあ、アインズさんのゆーとーり、魔法を使えばスゲー早い。 ……今はね」

 

 そう『今』は魔法を使えばそれでいい。 だが  だが、なのだ。 今はそれで良いとしても、これから『先』はそうは行かない。

 

「でも、マーレ君がやる仕事じゃあ無いね、これは。 彼の持つ能力に対して、仕事の強度が低すぎてお話にならないし、そして何より『非効率』過ぎるぜ」

 

 確かにマーレ君の魔法を使えば、1個銀貨2~3枚で売れるメッチャ質の良い果物をパッと作ることが出来る。 確かに出来る……が、生産量はどれ位あるんだ? 10か、20か? 100か、200か? ()()()()()()んだよそんな量じゃあね。 しかも単位も間違ってる。 個じゃなくて、トン単位で必要なのさ、これから先はね。

 

「どうせやるんなら、仕事のやり方を教えてやるから利益の数%よこせってゆーフランチャイズ契約で楽に行くべきだぜ!」

 

 そう、農業なら何もLV100のマーレ君がやらなくても良いハズだ。 メロンやスイカは、ここはヨーロッパ的な気候だから温室が要るけど……リンゴやオリーブなら十分生育可能で、柑橘類はビタミンの効率的な供給源にもなるし、日持ちもする優秀な果物だ。 イチゴやブドウとかの繊細な果物は育てるのが難しいけど、成功すればその分得られる利益もでかい。

 

「ふむ、だからその為に肥料が必要なのか。 マーレが地力回復のために奔走しなくても済むように」

「そのとおりだぜ。 しかも、AOG合資会社と敵対しても、ただの果物なら食えなくなるだけだけど……農業の根幹部分の肥料がアインズ・ウール・ゴウン社から禁輸されたら、ソレに頼っていた組織は大ダメージだろ?」

「なるほど、それはすばらしいですね博士。 この仕組みは資金源にもなり、発言権の増強にも成ると言う事ですか」

 

 俺は、まさに何か企んでますよって感じで悪い笑みを浮かべ、デミウルゴスから硫黄を受け取る。 この素材を拾ってくるために、わざわざ彼の部下に7層へお使いに行ってもらったのだ。 ちなみに硫黄自体は無臭なので臭くないぞ。

 

「おっ、早速来たね硫黄が。 こいつはスゲー使える素材だから、自前で産出するのは本当にありがたいねー」

「もし、無かったとしたら博士はどのようにして入手を?」

「愚者の金として有名な、あの黄鉄鉱を焼くと硫黄が蒸発するか二酸化硫黄になるから……それを使ったよ」

「なるほど、黄鉄鉱ですか」

「まぁ、安定している物質から元素を単離させるのはそこそこ面倒だから、出来ればずっとこの硫黄が使いたいねぇ」

 

 光にかざすと透き通って見える硫黄だが、この硫黄は粒が細かくてやや白っぽくなってしまっている。 まぁ、性能には関係ないから問題ないのだが。

 

 早速この硫黄を、優秀なあの物質へと加工することにしよう。

 

「このプラチナって金属は工業的にもスゲー優秀でね。 様々な製品にレアメタルとして使われてるんだよ。 自動車の排気を処理するフィルターとか、点火プラグとかね」

「リアルでは自動車は全てモーターだったが」

「電気自動車になる前は、油を燃やして動いてたのさ。 まぁ、あん時は博物館行かないと……見ることすら出来んくなっちまったけどねぇ」

 

 昔、南米へスペイン人が侵略したんだが……銀と白金を間違えて略奪し、その融点の高さから加工出来ず大量に捨てられた経緯があるらしい。 ふざけんなよスペイン人。 捨てるんなら俺にくれよ! 俺が有効活用してやるからよ!

 

 ゴホン……さて、と。 えーっと、板状に伸ばしたプラチナに、ズラした間隔で切れ目を入れ横に引き伸ばす。 こうする事で菱形の穴の開いた網状に広げることができ、空気と接触する面積が増えるのだ。

 

 このままだと長くて邪魔なので、お互いに接触しない程度の隙間を開けて丸める。 これでプラチナを使った『触媒』の完成だ。

 

 後は硫黄の結晶に火を付けて燃焼させると、酸素と反応し二酸化硫黄に変わる。 その二酸化硫黄ガスが熱せられてプラチナに触れると、さらに酸化燃焼されて三酸化硫黄に変わる。

 

 後は水にこの三酸化硫黄を溶かしてやれば、『硫酸』の出来上がりだ。 まぁ、触媒のプラチナは粒子状の白金石綿にして反応速度上げたいし、そもそも無くても硫酸が作れないことは無いけど、反応速度も効率も段違いだから出来れば使いたい。 酸にも強いし。

 

 ただ注意する事があるんだが、この作業に鉄の道具は使うことが出来ない。 硫黄と反応して硫化鉄に変わってしまうからだ。 だから、この硫酸を作るプラントの配管には鉛がコーティングとして厚く貼り付けられている。

 

 今回はただの実験だからアインズさんに手伝ってもらって作った、黒曜石のガラス機材で反応させた。 ビンの中で硫黄を燃やし、出たガスを同量の空気と混ぜ、余熱した後プラチナと接触させ、水に突っ込んだガラス管の先からブクブク泡立たせて反応させた。

 

 あ、そうそう。 硫黄ガスが硫酸に変わるこの反応は熱を発生させる。 だから、貧弱な設備で希硫酸ではなく、横着して濃硫酸を作ろうとすると事故る。 気を付けましょー。

 

 工業ラインに乗せるとしたらこんな感じ。

【挿絵表示】

 

 

 これで出来た硫酸で骨を溶かせば、過リン酸石灰って言う優秀な肥料が作れるんだ。 骨の主成分はリン酸カルシウムで、硫酸と反応させて過リン酸石灰にすると肥料としての能力が増すんだぜ! リン肥料は枯渇が心配される程貴重な物質だから、これはでかい。

 

「……なぁ、ドクトル」

「ん? なんぞ?」

「クリエイト魔法では酸を作れないのか?」

「…………あー」

 

 ハ、ハハハ。 そんなばななかな。 いやいやいや、酸を作るのはアルカリよりも大変なのがあたり前なのだよ。 だから魔法で作るなんて……そんな……

 

「これで出て来たのが硫酸だったら……いっそ笑えるな。 <普通材料創造・酸(クリエイト・コモン・マテリアル・アシッド)>」

 

 黒曜石で作ったボウルの中に、透明な液体がタプンと注がれた。 見た感じで…は……うん、わからん。

 

「もし、この酸が濃硫酸だったらこいつ  」 俺は紙片を取り出した。 「  を入れると脱水が起きて炭化する。 つまり真っ黒に焦げちまうんだ」

 

 紙片に液を付ける。

 

「……変わらんな」

「変わりませんねぇ」

「変わんねーなぁ」

 

 液をつけた紙片に変化は無かった。 って事は希硫酸か塩酸か。 硝酸だったらスゲー嬉しいけど……まさか酢酸じゃぁねーだろうな。 だったとしたらMPの無駄以外なにものでもないぞ……

 

 まさか酸じゃない別の液じゃないだろうな……と、思ったので今度は鉄片と錆びた銅を入れてみる。 すると、鉄片がブクブクと泡を立てて激しく反応し始めたではないか!

 

 俺は「おいおいマジかよ……」と、苦笑いを浮かべながら、火の付いた木片を近付ける。 すると、案の定パチパチと破裂するような音がした。 そして、僅かに感じ取れた特有の刺激臭。

 

 うん。 間違いない。 この発生している気体は水素だ。 酸に鉄が溶け、銅錆で色が変わらない……つまり、このクリエイト魔法で作った酸は  

 

「あ゛あ゛~~……よりにもよって濃塩酸かよぉ~~っ! 微妙すぎんだろーがよぉー……はぁ」

「今の……鉄が酸に溶けた現象で、コレが何の酸なのか解ったのですか?」

「決定打は匂いだけどね……」

 

 MPを対価にして作り出した酸の微妙さに俺が頭を抱えていると、守護者達が不思議そうに質問してきた。 ああ、そうか。 ユグドラシルの時は、なんでも溶かす酸vs耐性付加装備の戦いだったから、このイオン化傾向の違いで溶ける溶けないが決まる性質は不思議に思えるっちゅーことか。 まぁイオンとか普通知らないのがあたり前だからいいんだけどさ。

 

 溶かす仕組みが理解できれば、そこまで不思議な現象じゃないんだけど……例えば、塩酸はイオン化傾向の大きいコンクリートのカルシウムとか、鎧や武器に使われている鉄。 そしてブリキ缶の亜鉛、トタンの錫、カリウムはよく溶ける。 逆に、銅や金、白金などのイオン化傾向の小さい物資は溶けないんだ。

 

 ちなみに、塩酸の場合は銅の錆と反応して塩化銅に変わるから、塩酸で銅を磨くと錆だけ取れてピカピカになるぞ。

 

 今考えると、酸性の物資で安定した物資である岩石が、酸の魔法でシュゥーッて溶けるのは不自然だった。 酸で、珪素と酸素で出来た地面は普通溶かせないからね……出来なくはないけど。 それに、出てきた気体も気になる。 あの泡は何だったんだ? 酸素か?

 

 考えれば考えるほど変すぎる世界観だったが、ゲームの世界にそこまで求めるのも酷だってことかね。 あんまり厳密にプログラム組むと、ゲーム通り越してシミュレーターになっちまうからな。 まぁ演出って大事だし、何事も程々がいいのさ。

 

「まぁ、普通は不思議に思うよね……ええと、何処から説明したものか。 ……物質ってのは全部元素ってモノで出来ててね?」

「全て? でしたらこのスケルトンも、墓石も、砂もですか?」

「そうだぜ? 空気も水も、それこそデミウルゴスやマーレ君も、ぜーんぶ元素で出来てるんだよ。 ……一部怪しいのもあるけど」

 

 魔法の存在がややこしさを増している。 と、その後に続けた。

 

「全ての物質は1つの物から出来ていて、1つの物で全てが作れる……っていう、錬金術の基礎になった考えがあるんだけど  

「それは、タブラ・スマラグディナ様が仰っていた『全は一・一は全』と言うものね?」

「おっ、察しがいいねアルベド。 ……って、なんか風呂上りっぽい?」

 

 恭しく3階層に現れたアルベドの肌は上気し、濡れ羽色のロングヘアはより一層深みを増していた。 白いドレスは洗いたてのように、シミひとつ無く真っ白だ。 これで息切れして無かったら、急いで仕事終わらせたんだろうなぁと、想像すら出来なかっただろう。 ……いやちょっと待て。 これ本当に息切れかコレ?

 

「アインズ様に汚れた姿でお会いするのは不敬と言うものでしょう? そ・れ・に。 偶然!  ええ偶然、アインズ様も風呂上りなようですし?」

 

 偶然の言葉を何度も強調しながら、アルベドは100レベル近接職に見合うだけの体裁きでアインズさんとの距離を詰めた。 巧みに逃げ道を塞がれ、退避出来なかったアインズさんの腕を取り、アルベドは彼の腕に胸を押し付けている。 むう、鮮やかなる『当ててんのよ』攻撃だ。 フェイントを織り交ぜた、氷上を滑るような動きで距離を詰められたアインズさんは、全く反応できずに為すがままだった。 ……おっと、嫉妬マスクの出番ですかこれは?

 

「このまま2人で寝室へ~なんて、お誘いを……」

「……行かないぞ?」

「ですよねーわかってましたー」

 

 アルベドは、サキュバスらしい下半身を中心とした作戦でアピールしているが、どうやらアインズさんみたいな堅物には逆効果らしい。 にべもなくサラッと断られた彼女は、落胆した様子で肩を落とした……が、アインズさんの左腕に抱きついたまま離れない。 腰の翼が小さくパタパタしている所を見ると、これはこれで満足しているらしい。

 

 ふーむ……感情表現が犬みたいで、中々可愛らしいな。 彼女の製作者は中々にツボを抑えてらっしゃる。

 

「全く……どうしちゃったんだアルベドは。 ドクトルの馬鹿が移っちゃったのか?」

 

「ん? アインズさん今なんか言った?」

「いいや何も言ってないとも!」

 

 おかしいな? 今、名前を呼ばれたような気がしたんだけどな。 そう疑問に思って、首を捻って記憶を掘り起こそうとしていると  

 

「さ、さあドクトル! 話の続きを進めてくれ!」

 

 アインズさんが話の続きを急かしてきた。 おっと、そうだったぜ! 元素の話をするんだった。

 

「元素は約138億年前の宇宙開闢(うちゅうかいびゃく)によって出来たんだ。 昔過ぎてあまり詳しくは解ってないけど、そん時に突然空間が膨らみだしたらしい」

「確か『ビッグバン』という現象が起きたんだったか?」

「そうそれ。 そのスゲー安直な名前の現象がおきて、空間と時間の概念が生まれたんだ」

「……此処にブループラネットさんが居ないのが悔やまれるな」

 

 アインズさんはやや俯き、悔しそうに……そして寂しそうに呟いた。 ……のだが、左腕にアルベドをぶら下げたままでは全く様になってないぞ……って、おや? デミウルゴスがものすごい形相でアルベドを睨みつけて、それに対抗するように勝ち誇ったような笑みをアルベドが浮かべているぞ?

 

  !」

 

 ははーん、そういう事か。 成るほど成るほど、アインズさんも罪作りな男だぜ。 まさかソッチからもか。

 

 へぇ~~っと、そうやってニヤニヤ笑いながら2人を見ていると、俺の視線に気付いたのかアインズさんはアルベドをベリベリと引き剥がした。 

 

「……そん時に生まれた元素が『水素』と『ヘリウム』で、比率が12対1になったんだ。 まだそん時の宇宙は熱々で、37万年かけてゆっくりと冷えたんよ」

「さっ37万年、ですか……す、すごいのんびりとした所なんですね、宇宙って」

「これでも早いほーなんだけどなぁ。 天文学とかだと億年とか光年とかフツーに出てくるからよー……なんつーか、中二病みたいな感じさ。 宇宙ってね」

「その元素が全ての物質の元となったのね?」

「いえす。 宇宙がゆっくりと冷え、ガスが引力によって集って塊になり、星が生まれた。 んで、高温高圧になったガスの塊の中で  

 

 取り出した元素周期表の1番上の左と右を差した。

 

「原子番号1番の水素が2つくっ付いて、原子番号2番のヘリウムへと変化した。 これが核融合反応つーヤツで、物質そのものを純粋なエネルギーに変えるスゲーヤツさ」

「つまり、水素こそが『全は1』なのね?」

「いや、その水素を作ってるのが原子っつーヤツで、陽子・中性子・電子のセットで出来てるんだ。 だから『全は原子で、原子は全』って感じかな? 多分ね」

「多分なのか」

「これ以上は勘弁してくれよアインズさんよぉ~~っ。 これ以上は小さすぎて観測が難しいんだぜ? 眉唾な情報も多いし、ひとまずそういう事にしといてちょうだい」

 

 俺は元素周期表に指し棒を滑らせ  4番、6番、8番、10番を示した。

 

「ヘリウムが2つ集まると4番のベリリウムに。 3つ集まると6番の炭素に。 4つで酸素。 5つ……ネオン」

「なるほど、そういう事ですか。 この元素周期表に書かれている物全てが、原子の融合によって生まれたのですね? つまり……この79番の『金』までもが融合反応で出来たと言う事ですか……」

「金の……合成、か」

 

 ポツリとアインズさんが呟く。 そして、ザワリ  と。 いつの間にか講義みたいになっていた会話を聞いていた、一般メイド達や守護者の部下達が気色立(けしきだ)った。 それもそうだろう。 これこそが、この科学の産物こそが……つまり  『錬金術』なのだから。

 

 奇妙な熱気に包まれた墳墓の中で、俺は彼らの眼を覚まさせるためにパンパンと手を打った。

 

「錬金術の悲願ここに現れり、だけどね。 まだ続きがあんのよ続きが。 この核融合反応で作れるのは26番までの鉄までで、それ以上重い元素は作れないんだ」

「!?」

 

 皆が皆、ハァ? って顔をする。 じゃあこの金貨はなんなんだ? って言いたいのだろう。

 

「これ以上は温度と圧力が足らない。 だから、27番のコバルトから92番までのウランを作るには……星の死  

 

 握った両手を放射状に広げ、爆発を模したジェスチャーをする。

 

「超新星爆発が起きた時に作られるのさ。 だから量が少なくて貴重なんだ……この元素はね」

「1つ思いついたのですが、博士」

「ん? なんだいデミウルゴス」

「星の死によって飛び散った破片が集まり、また死に、そして生まれたのが我々のいる星だとしたら  

 

 地球が生まれたのは3世代目らしいが、話の腰を折るのでそれは突っ込まない。

 

「……宇宙を探せば金で出来た隕石も見つかるのではないでしょうか?」

 

 皆の注目が俺に集まる。 視線で穴だらけにされそうなほどに。

 

「確かに、大部分がダイヤで出来た星や……金を多量に含む小惑星が見つかったこともあるぜ」

「ならば魔法でその隕石を持ち帰れば  

「いや、無理だよ。 小惑星は太陽みたいに光らないし、衛星や惑星と比べて凄く小さい。 見つけるのすら苦労するし、それに何より距離が遠すぎるんだ」

 

 天文学の本に書かれている図では近そうに見える、地球から最も近い星  月。 その月ですら地球から35万キロも離れている。 例えるなら地球の直径の6.5倍程だ。 地球から最も近い火星に行くのですら、高速ロケットで片道8ヶ月から3ヶ月かかるくらいだ。 夜が明ければ明るく照らしてくれる太陽ですら、()()()()()()()()()()()()到達するのに7分掛かるくらい、宇宙は遠い。 魔法で飛んで行ったとして、その速度はどれくらい速いんだ? 時速100キロか? 200キロか?

 

 物体が地球の重力を振り切るのに必要な速度  第一宇宙速度は秒速7.9km。 太陽の周りを地球のように回る第二宇宙速度になるには毎秒11.2km必要なんだ。 そして、太陽系の外に行く第三宇宙速度にはもっと加速しなければならず、毎秒16.7kmも必要。 宇宙を隔てるのは、ただただ広がっている距離の暴威。 宇宙はそんなに甘くないのだよ。

 

「行って、帰って来るころには全部終わってるかもしれないけど……それでも行く?」

「……できれば遠慮したいですね」

 

 珍しく、デミウルゴスは苦笑いを浮かべた。

 

 そういえば、どこぞの究極生命体(アルティミット・シイング)さんは宇宙空間で考えるのを辞めていたけど……真上に飛ばされて返ってこれなくなるためには、この第二宇宙速度になる必要があるわけで……それに、昔のアニメで手から出たビームで、太陽に敵をブチ込むシーンあるけど……あれ光の速さでブッ飛ばしたとしても7分掛かるんだよねぇ。 なんか一瞬で到達したように見えるのは気のせいか?

 

 あと、ロケットが太陽に向かって加速していって突っ込むとか。 実際に太陽に突っ込みたいのなら、地球は太陽の周りを公転しているのだから加速するために『太陽に向かってロケットを噴射する』のではなく、真横に向かって『減速するために』噴射するべきだね! そうすれば遠心力が打ち消されて、無事太陽で泳げるのに!

 

 ……まぁ漫画だからいいか。 俺は深く考えるのを辞めた。

 

 

 

 

「ならば転移の魔法を使えばいいでありんす。 探査魔法で位置を確認したら、わたしが距離無限の<転移門(ゲート)>の魔法を使えばすぐに行って帰って来れんしょう? 宇宙に空気がありんせんでも、呼吸不要のわたしは大丈夫でありんすぇ?」

 

 俺は斜め上を眺めて考え込んでいたが、話しかけられた声に気付いて視線を戻すと、そこには何時の間にかシャルティアがいた。 まぁでも第3層はシャルティアの領域だし、これだけ騒げば気が付くか。

 

「……それなんだけどねぇ。 <転移門(ゲート)>の魔法って、そもそも一体何なんだろうか?」

  ? 魔法は魔法でありんしょう?」

「一回訪れたことのある場所や、魔法で位置を確認した場所に、空間が繋がった転移門をつくる魔法……だよな?」

「その通りだ」

 

 俺が、ユグドラシルの魔法に詳しいアインズさんにそう言って確認をとると、肯定の返事が返って来た。

 

「それってさーよくよく考えるとおかしいんだよ」

「だから何処がおかしいのでありんす?」

「地球はクルクル自転しているワケだろ? さらに太陽の周りを公転してるわけだし、その太陽だって渦巻く銀河を漂ってるわけだ」

 

 地球儀をベシンと弾くと、抵抗無く青色の玉は回転しだした。 地球儀を持ち上げ、横に歩きながらクルリと一回転。 1年の動きを示す。

 

「移動している馬車に繋げようとすると失敗するのに、なんで移動・回転している星の上で成功するんだ!?」

  !!」

 

 アルベドとデミウルゴスが、ハッと息を飲んだ。 マーレ君は「なんとなく言われてみればそうかも」と言っているが、当の本人であるシャルティアはポカンとしている。 アインズさんは  ちょっと表情が読めない。 ずるい。 さすが骸骨、ずるい。

 

「何を基準にして<転移門(ゲート)>を繋ぐ場所を決めているんだ……?」

 

 俺はそう、ひとりごちた。 しかし、答えは返ってこない。

 

   右手ひと指し指を立てる。

 

「仮説1。 <転移門(ゲート)>は、木の枝に結ばれた風船のように俺達と一緒に移動している」

 

   中指を立てる。

 

「仮説2。 <転移門(ゲート)>は、俺達から見て動いていないように見える点P……つまり、この星の中心を基準とした座標に固定されている」

 

 もし、<転移門(ゲート)>の仕組みが仮設1だったら何も問題ない。 月にも、火星にだって日帰り旅行できるだろう。 ただし、得られるものは石コロだけで意味無いが。

 

 しかし。 もし、仮説2だったら? 空間を繋げた向こう側で見る景色が、猛スピードで過ぎ去っていく惑星の姿だったらまだマシだ。 もしかしたら、音速の数倍の速度で惑星に叩き付けられるかも知れないし、()()()()()()()()かもしれない。 これは危険すぎる。

 

 そして  仮説3。 天動説の三文字が脳裏をよぎる。 これは……正直SF過ぎて馬鹿馬鹿しくなる説だろう。 俺は、考えるまでも無いと一笑に付した。

 

「アインズさんは、どう思うよコレ」

「……不確定要素が多すぎて結論が出せないな。 実験するにもリスクが高く……この方法は現実的ではない、か」

 

 俺は、アインズさんの慎重な姿勢に満足そうに頷く。

 

「逸れた話しを戻すぜ。 原子は、陽子・中性子・電子のセットで出来てるんだが、この原子の構造は図にするとこんな感じだ」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 原子核の周りの、土星の輪みたいなのは電子殻と言って、内側からそれぞれ K殻・L殻・M殻・N殻・O殻・P殻 と言う。

 

 んで、入る電子の数はそれぞれ、2個・8個・18個・32個・50個・72個入るんだ。

 

「こんな感じで、陽子と中性子が集まって出来た原子核の周りを、ブンブン電子が飛び回っているのが原子の構造ってワケだぜ」

「ふーん。 まるで惑星の引力に捕らわれ、周りを回る衛星のようだな」

「そう! その通りだぜ!」

 

 正解だ! と、アインズさんに拍手を送る。

 

「この原子核の周囲を回る電子にはスゲー強い引力が働いているんだぜ? 例えば  

 

 水素原子2個がくっ付いた分子が1モル……つまり2gの水素分子あるとして、この引力を断ち切るためには435キロジュールのエネルギーが必要なんだ。 わかりやすく言うと、1リットルの0度の水を沸騰させるくらいのエネルギー量だ。 それくらい強い力で分子ってのはくっ付いてるのだ。

 

 逆に、それだけ強い力が働いているからこそ、ある物質と物質を混ぜただけで激しい反応が起きたりするし、安定した物質を引き離すには沢山のエネルギーを必要とするんだ。 例えば、水の電気分解とか、酸化した鉄を還元するとかね。

 

 さらに、原子には奇妙な性質があって  

 

 ①一番外側の電子殻の数を定員まで満杯にしたい。

 ②一番外側の電子殻に入る電子を8個入れたい。

 

 という性質があり、この条件を満たすと安定した物質になるんだ。

 

 だから、例えば1個の電子を持っている水素はもう1つの水素とくっ付いて、K殻の中の電子を2個にして①の条件を満たそうとする。 んで、そこへ電子を8個持つ酸素があると、原子同士で電子を融通して、擬似的に①と②の条件を満たそうとするんだ。 だから水は安定してるのさ。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 ちなみに、原子単体でこの条件を満たしてるのはたった6種類しかなくて、それを『希ガス』って言うんだが……うーん、キセノンガスとか聞いた事無いかなぁ? ないよなぁー……あの教育システムじゃぁなぁー……はぁ……

 

 

 

「これで、電子のやり取りを行なうことで物質の組み合わせが決まる仕組みがわかったかな?」

 

 皆が頷く。

 

「よしよし。 んじゃあ次に、イオンについて説明するぜ。 この例に挙げた原子は、陽子の数と電子の数が同じだからプラスとマイナスが打ち消しあって電気を帯びてないんだ」

「ふーむ。 陽子の数は、電子の数といつも同じなのだな」

「そのとーり。 だけど、元素はいつも安定したがってるから、要らない電子を他の原子に押し付けてプラスイオンになったり、逆に必要になった電子を他の原子から奪ってきてマイナスイオンになったりするんだ」

「とすると、博士。 その原子の陽子の数と電子の数のバランスが崩れてしまいますね」

「そう、崩れるんだ。 陽子よりも電子が多いとマイナスに帯電して、少ないとプラスに帯電する。 これを『イオン化』っていうんだぜ」

「先程言っていた、イオン化傾向の事ですね?」

「いえす。 マグネシウムも鉄も、最も外の電子が2個しかなくて、その電子を何かに押し付けたがっている。 だから鉄が塩酸に触れると、塩素と水素の結びつきをむりやりひっぺがし、鉄が塩素とくっ付き塩化鉄に。 追い出された水素は気体となって液の外に追い出される……と言うわけだぜ」

 

 よくアニメやマンガなんかで重力や引力を操作する特殊能力が~~とか、そんな超能力もったキャラクター出てくる作品あるけど……もし引力操作できるんなら、触れた物質を原子レベルで分解したり再構築したりするほうが強いと思うんだけど。 ……マンガでそんなガッツリ科学したら、そっ閉じされちゃうか。

 

「マイナスイオンと言えばドクトル。 『向こう』でそんなモノを発生させる機械があったが  

「あーダメダメダメ。 クソだクソ。 あれは詐欺以下のゴミ」

「そこまで言う!?」

「何かの原子が、電子を他から奪ってきた状態のモノを『負に帯電した○○イオン』って言うのであって、何のマイナスイオンなのか言わない時点で論外だよ」

 

 昔っから流行っていた、エセ科学の詐欺商品を売りつける悪徳業者は何処にでもいるぜ。 買う側の『科学への絶対的信頼』を利用した、カスみたいな売り方だ。 そんな技術を発展させないで儲けようだなんて考えで売ろうとするヤツが、コツコツと研究を続けてきた他社に後々になって追い抜かれシェアを奪われるのはあたり前だ。

 

「例えるんならそうだな……よし、焼肉で例えるとー」

「よりにもよって何で焼肉なんだ。 食いたいのか?」

「家電屋が、『この掃除機にはマイナス焼肉(イオン)発生装置が組み込まれていて、このボタンを押すとマイナス焼肉(イオン)が出てきます』って言ったとする」

「焼肉がで出てくる掃除機ってなんだそれ。 掃除したいのか散らかしたいのかどっちなんだ。 それとマイナス焼肉って何だ」

「そこで俺が『肉の種類は何だ』って聞くと、その業者は『マイナス焼肉(イオン)です』って言いやがる。 テメーふざけんなよと」

「いや、ふざけてるのはお前だろう」

「そのマイナスに帯電した(イオン)はなんの(イオン)なんだと。 ビーフ(金属イオン)ポーク(窒素酸化物)チキン(水酸化物)のどれなんだと言いたいんじゃ!」

「誰なんだお前のその口調は。 言えばいいだろう勝手に」

「言ったよ! 言ったら言ったでマイナスイオンだって言いやがったんじゃ!」

「本当に言ったのか勇者だな」

 

 半笑いで、アインズさんはスゲェなと言った。

 

 ……ふぅ。 なんか、好き勝手言ったらスッキリしたぜ。

 

「まあ、あんなやつらの事なんてどーでもいいさ。 それよりも今は肥料だよ肥料! 食料に関する技術は時代関係ないし、買い手も多いぜ」

 

 時代にあった商品を作るのはとても重要だ。 石器時代に乗用車作っても誰も買わないだろう?

 

「そうだな。 質のよい作物が取れたなら、ナザリックの維持費削減にも回すとしよう」

「その辺俺わかんねーからアインズさんに任せるぜ」

「リン肥料は……確か砕いた骨を硫酸と混ぜるんだったな」

 

 アインズさんは数体のデスナイトに、スケルトンを砕けと言う。 すると、命令を受けたデスナイトは控えめなオァァアアで了承の意思を伝え、硬そうな骨を乾いた泥を素手で細かく砕くように擦り潰していく。

 

 そうして出来た骨粉に硫酸を加えると、骨粉はシュゥ  ッと激しく反応して100℃くらいの温度まで上がり、自前の熱で反応を進めていく。 こうして、反応が落ち着くまで待てば、泥のように灰色になったリン肥料が手に入るのだよ。 成分は『リン酸2水素カルシウム』と『硫酸カルシウム(石膏)』だ。

 

 過燐酸石灰は、世界で一番最初に生まれた化学肥料だ。 リービッヒっていうドイツ人科学者が1840年に発見し、世界初の化学肥料製造工場をロンドンに建設したのが始まりだ。 この辺りの時代のドイツ人はモリモリ色んな物を発明するが、生きるチート人間なので気にしないほうがいいぞ。

 

「さて、と。 後は作った肥料のテストをしなきゃならんのだが……」

 

 第6階層の実験農場はマーレ君が魔法で富栄養化させちゃったから実験にならないし……そもそもこの肥料の売り先は地上だし……今から開墾するのも面倒だなぁ~っ。

 

 と、言うことで。

 

「場所がねえわ」

 

 とりあえずアインズさんに相談してみる。 すると、すぐさま答えが返ってきた。

 

「肥料の効果が知りたいのなら、カルネ村の畑を借りればいいだろう?」

 

 おお! 言われてみれば、あの村を助けたのはアインズさんだったぜ。 見ず知らずの農家に畑貸してくれなんて言っても、胡散臭そうな顔して誰も貸してくれないだろうが、カルネ村ならアインズさんが休耕地を一部借りたいと言えば快く貸してくれる。

 

「おお、流石はアインズさんだぜ。 んじゃぁ早速……っと言いたい所だけどアインズさん」

「ん? なんだ?」

「服。 チェンジで」

 

 ザ・金持ち   そんなイメージの服に着替えてきてちょうだいと言う。

 

「……それ、必要か?」

 

 サラリーマンスーツ、もしくは落ち着いた色合いの服装が好きなアインズさんは不満そうな顔を   出来てないが   した。

 

「もち。 話の進めやすさにスゲー関わるから、マジで頼むよ」

「……はぁ。 仕方ないか。 了解した」

 

 深呼吸を兼ねた深い溜息を1つ吐くと、彼は覚悟を決めた。

 

 指輪の能力で、禁じられた場所に転移の渦を作り出したアインズさんは、短く「行くぞ」と告げ暗黒の渦に身体を滑り込ませる。 気乗りしないしない様子の彼と、後を続く目を爛々と輝かせたメイド達   それと夢魔と吸血鬼   の対比が印象的だな、と俺はそう思ったのだった。

 

 

 



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大規模農業で稼ぎたい

あらすじ

ドクトル「水素の核融合で全部の分子ができたんだぞ」
アインズ「はえーすっごい」
デミウル「金で出来た隕石を探しましょう」
ドクトル「遠すぎてむりだぞ」
デミウル「がっかり」




現在のナザリック生産物

・そこそこの量の硫黄
・そこそこの量の高シリカ火山灰
・やや少ない量の鉄スクラップ
・まぁまぁの量のスケルトンの骨
・数十個単位の瓜科果物
・数百個単位の柑橘果物
・数千個単位のオリーブの実

☆NEW!
・やや少ない量の過燐酸石灰
・バケツ数杯の硫酸
・MPが続く限りの塩酸


 日が最も高く上り、やや傾きかけてきたくらいの時刻。 カルネ村の中央広場に、アインズとクサダ……護衛のアルベドとマーレ、そして、王国へのスパイ任務を受けたソリュシャン以外の戦闘メイド達が勢揃いしていた。

 

「はい、と言うことでですね、俺達は今カルネ村に来ていま~っす!」

「……誰に言ってるんだ?」

 

 ちょっとふて腐れ気味なアインズが、いつも通りテンションが妙に高いクサダに突っ込んだ。

 

 両腕を広げて青空を仰いでいた姿勢からクルリと向き直ったクサダには、アインズが少し不機嫌な理由が解っていた。 それは服にある。 彼のローブは、ものの見事にキンキラキンだったのだ。

 

「気にせんでええよ。 ……ただのお約束だからね!」

「……忙しいと言うのに、何度も村へ訪れて申し訳ない、村長」

 

 白い歯を覗かせて親指を立ててそう言ったクサダ。 言われた通りクサダを無視する事にしたアインズは、村長に社交辞令的な謝罪をすると頭を下げた。 それに慌てた村長は、しどろもどろになりながら答える。

 

「いっいいえ! ととと、とんでもありませんゴウン様! こんな、なな、何も無い村ですが、どっどうぞごゆっくりしていってください!」

 

 滝のように冷や汗を流す村長夫妻の表情は、既に青を通り越して白に近かった。

 

 クサダの機嫌のよさは、アインズのコスチュームチェンジによる効果が予想以上である事にあった。 アインズの衣装を見た村人の第一印象は、死を与え命を奪う恐ろしい魔法詠唱者(マジックキャスター)からガラッと変わる事になっただろう。 最初の印象が驚愕と恐怖であったからこそ、それはもう強烈に。

 

 容姿に優れた美しいメイド   一般的にはこれを高価であると言う   を何人も連れ立ち。 纏う衣装は、鮮やかな赤い生地に大粒の宝石を複数取り付け金で装飾した豪華なローブと、煌びやかな仮面。 身の丈を越す黄金の杖を握った彼の側には、呼吸を忘れてしまうほど目を奪われる1人の美女と、若くしてドルイドの魔法を極めたダークエルフの少女。

 

 彼を1目見た者は、10人中10人がこう思うだろう。 礼儀を重んじ丁寧な言葉使いをする彼は、自分の知るあの傲慢な態度を取る貴族の器には到底収まりきらない。 高度な魔法の訓練を受け、そして仮面で素顔を隠すのは、尊き身分であるからこそではないか。 もし、あるとしたら、恐らく他国の王族ではないか……と。 だから、知っててあたり前なことを知ら無かったのかと考える。

 

 よって、村人の思いは恐怖から、畏れへと変わる。 星空のようにいくら手を伸ばそうとも届かない、自分の遥か高みにいる彼を畏れ、尊敬し、そして混ざり合い、畏敬へと変わるのだ。

 

 

 

 クサダの狙い通りに。

 

 

 

「おっすおっす、2日ぶりだねそんちょーさんよ~~っ。 ちょいと邪魔するぜぇ~~」

「クサダ様もお元気そうでなによりです」

 

 とは言え、少しビビらせ過ぎたかと考えたクサダは、萎縮されないように1つ手を打つ。

 

 陽光聖典員から無理矢理奪った無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァザック)を開き、丸い玉が2つ入れられた網袋を4つ取り出すと、それを近くに居た村人に渡す。

 

「ハイこれお土産ねそんちょー」

「おお、お気遣いありがとう御座います。 これは  見たことも無いほどまん丸で……とても大きいですね」

「網みたいな模様があるのがメロンっつー果物で、縞々な柄があるのがスイカっつー野菜だよ。 そろそろ3時だし、休憩がてらおやつにしたらどうかなーってさ」

 

 と、クサダは不安を感じさせないように、にこやかに言った。 不安そうな表情を浮かべていた村人達は、クサダの仕草と表情、そして言葉を聞くとホッとしたように緊張を解く。

 

「本題なんだが、村長。 この村の使っていない休耕地をいくらか借りたいのだが……」

「休耕地……ですか?」

「ああ。 もちろんタダでとは言わない。 相応の対価を支払おうと考えているのだが、どうだろうか?」

「め、滅相もございません! 村を救って下さったゴウン様から、これ以上対価を頂こうなどとはおもいません!」

「そうか? ……まぁ、要らないと言うのなら有り難く使わせてもらおう」

「所で……ゴウン様。 差し障りが無いようでしたら、使い道をお伺いしても……」

 

 アインズと違い、不安が表情から容易に見て取れる。 クサダには、村長の不安に抱えているモノが何なのか解っていた。

 

 農地を借りたいと言った、彼。 アインズ・ウール・ゴウンは、カルネ村を救う際に召喚したアンデッドモンスターを使役した……だから、死霊魔法を使った邪悪な実験を彼が行なうとでも考えているのだろう、と。 ……村長のその予想は半ば当たっているのだが。

 

「なに、別に大した事じゃ無いさ。 少し……『家庭菜園』をしてみたくなってな」

 

 ピラピラと手を振って、アインズがつまらない事のように言った答え……家庭菜園という聞きなれない単語に、村長と村人達は不思議そうに顔を見合わせたのだった。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 カルネ村の村長さんに聞いた、耕作放棄地まで移動している道すがら。 たまにすれ違う村人は、アインズさんの姿を一目見た途端、アゴが外れそうな程ビックリして立ち止まる。 効果は上々。 これで、俺達が何を言っても大体信じてもらえるし、村人が見たことも無い謎の機械を作っても「まあゴウン様だし」の一言で片がつく。

 

 俺は、紺色のTシャツの上に羽織った白衣を見る。 上着のような見た目だが、扱いはローブなのだ。 あまり戦闘しなかった俺が、唯一作った自分用の防具だ。

 

「こいつを着るのも久しぶりだなぁ~~っ。 LV上げの必要が無くなってから、ずーっと使ってなかったぜ」

「普段は何を使ってたんだ?」

「鍛冶屋みたいな装備だったよ。 製作系スキルが上昇するゴッズアイテムのローブで……巻物とか短杖とかの消耗品はPVPギルドに飛ぶように売れたなぁ」

「ふ~ん。 材料はどうしたんだ? やはり露天や委託NPCから買ったのか?」

「んだね。 メインの収入は消耗品で……装備の製作はたま~にあるくらいで、手数料をもらって代わりに作るとかだったぜ」

 

 稼いだカネの使い道は、他の職人さんが作ったイイ感じの見た目した装備とかをコレクションする為に使った。 殆ど中古物だったし、ほぼレリックかユニーク系だったけど……中にはゴッズもあった。 ああ……貸し倉庫に入れてあった俺のコレクションはどうなっちまったんだろうか。 こんな事になるなら色々持ち出してこれば良かったよう。

 

 これが諸行無常というヤツか。 と、ホロリと悲しくなってきた所で、俺達は耕作放棄された農地に到着する。

 

「おんや~? あの見慣れた後姿と小さい緑色は、まさか」

 

 風に揺れる緑の絨毯に埋もれるように、チラチラと金髪のお下げを結った後姿が見える。 手を振りながらオーイと呼びかけると、しゃがみ込んで草むしりしていた少女が立ち上がりつつ振り返った。

 

「あら、お久しぶりですクサダさん」

 

 額に浮かんだ汗を手の甲で拭いつつ、ニコリと眩しい笑顔を見せるのは、予想どおりエンリちゃんだった。 いや、妹のネムちゃんもいるから、ここはネモット姉妹と言ったほうが適切かな。

 

「おっすおっす。 テヘ、また来ちゃった」

「来ちゃったとか突然何言い出すんだお前は……」

 

 会って早々に一発ギャグをかますと、呆れたような口調でアインズさんがツッコミを入れる。 ガハハと、俺がタイミングばっちしのツッコミに機嫌よく笑っていると、片足に衝撃があった。 視線を下に下げると、足に抱きつく赤毛の子供がいる。

 

「えへへ、いらっしゃいクサダのおにいちゃん!」

「おう、いらっしゃったぜネムちゃん。 姉ちゃんのお手伝いしてたのかぁ~~? えらいぞー」

 

 グシグシとやや乱暴に頭を撫でると、ネムちゃんはくすぐったそうに目を閉じて肩を竦めた。

 

「あ、あの……」

「ん?」

 

 なにやら言い辛そうにしているエンリちゃんの視線を追うと、その先にはアインズさんが。 ああなるほど、服装がガラッと変わったからわかんないのか。

 

「前と服がちげーしキンキラキンだけど、アインズさんだよ。 今日は使ってない農地を借りに来たんだ。 試験する為にね」

 

 親指で後ろを指すと、エンリちゃんは目をまんまるに見開き、口を開けたまま放心してしまった。 状況が処理しきれなくてオーバーフローしてしまうのも、まぁ無理も無いか。 彼女が襲われても逃げるしかなかった騎士を、デコピンだけで倒せるくらい強い魔法詠唱者(マジックキャスター)が、今度は札束で殴り倒しそうな格好で現れたんだからよ。

 

「……ゴウン様?」

「うん?」

 

 ネムちゃんがポツリとアインズさんの名を呼んだ。 印象が変わりすぎてまだ実感が湧かないのかな?

 

「……そうだ。 服装こそ前回と違うが、私こそがアインズ・ウール・ゴウンである」

 

 アインズさんは、ゆっくりと両手を広げてそう名乗った。 堂々としたその佇まいは、彼は自分の事を大したことないとは言うが、俺には中々にキマっているように見えた。

 

 

  凄い!」

 

「うお、びっくりしたぜ」

 

 ネムちゃんが突然大声を上げながらアインズさんの所まで駆け寄っていった。 血相を変えたエンリちゃんが「ネム! 戻ってきなさい!」と言っているが、興奮状態の子供は物理的にしか止まらないのだ。 気が動転しているのか、彼女は右手と右足を同時に前に出しながらネムちゃんの後を追おうとするが、全く追いつけていない。

 

「凄い! 凄い! ゴウン様凄い!」

 

 子供特有の、少ない語彙(ごい)でなんとか表現しようとする現象が起きていた。 アインズさんの格好を見て、凄い。 戦闘メイドやアルベドの容姿を見て、綺麗。 子供ゆえの経験不足からか、その言葉には何の具体性も無かった。 が、何が言いたいのかは、全身で表現するネムちゃんの行動で普通以上に伝わってくる。

 

「……そんなに凄いかね?」

「凄すぎるよ! どうしてゴウン様はそんなに凄いの!?」

「むう……どうして、か。 それは  どうしてだろうな」

「一人だけの力じゃなかったから。 だろ? アインズさん」

 

 アインズさんと、姉妹。 そしてNPC達が俺を見る。 その先を早く言えと急かしているかのように。

 

「一人一人の能力に限界があっても、欠点や欠陥があっても、助け合って補えば……スゲー事ができるのさ。 だろ?」

 

 NPC達に向かって親指を立てると、アルベドは当然だといった表情で胸を張り、マーレ君はエヘヘとはにかんだ。

 

「そうか……いや、全く、その通りだな」

 

 アインズさんは手に持った杖をジッと見つめ、1つ頷く。 そして、彼はスッと手を伸ばすと、目ん玉キラッキラのネムちゃんの頭を優しく撫でた。 あんだけゴツイガントレット装備しておいて器用なやっちゃな。

 

「凄いだろう? 私達の仲間達が成した事は」

「うん、すごーい! ゴウン様も、そのお仲間の方たちもすごーい!」

「そうか。 そんなに凄いか……」

 

 そして、彼の肩がクツクツと震えだし  

 

「はっ  ははは! はっはははは!」

 

 陽気に笑い出す。 え? え? アインズさん急に笑い出して大ウケなんだけど、どうしてこうなった? 何がアインズさんの琴線に触れたんだ!?

 

 そんなような事をアルベドに視線で訴えてみるが、彼女は困惑した表情で首を小さく振った。 彼女も、アインズさんがここまで楽しそうに笑う姿は初めて見たらしい。 一緒になって笑うネムちゃん以外、凄まじい急展開に呆気に取られた。

 

「ははは   チッ、抑制されたか。 ……凄いものはこれだけではないぞ、ネム。 私の住む屋敷も凄いんだ」

 

 急に賢者モードに入ったアインズさんは、何度も頭を下げるエンリちゃんに「構わないさ」と大人な態度で対応すると、ネムちゃんを抱え上げ肩車した。 ……と、同時にアルベドサンの方角から歯軋りみたいな音が聞こえますよ!? この距離で聞こえてくるとかどんだけだよ! 100LV近接職すげえな!

 

「どうだ? 私の  いや、私達の作った凄い家を……もっと見たいと思わないか?」

「ええっ! いいんですか、ゴウン様!」

「ああ構わないとも。 そうだろう、アルベド?」

「……アインズ様の決定に不服を申し立てる者など此処にはおりません」

 

 アインズさんは、守護者統括の地位にいるアルベドにそう問いかけた。 彼女は不服は無いと、優雅にお辞儀をするが……握り拳作ってちゃ台無しだよ。 子供に嫉妬するなよ夢魔だろうがアンタ……

 

「……ドクトル?」

「あー……うん、まぁ確かに『アレ』は凄かったけどさ……ゴホン。 アインズさんが持ち主なんだから聞くまでも無い  っていいたい所だけど、そんな答えは求めちゃおらんか。 まぁ、9階と10階なら見せても問題ないと思うよ」

 

 言外に他の階層を見られると困ると含ませておく。 察しのいい彼なら気付いてくれるだろう。

 

「では、許しも出たことだ。 今  からは忙しいから無理だが……また今度、私達の作った屋敷に招待するとしよう」

 

 約束だ。 と、アインズさんはネムちゃんと小指を絡ませ、指切りする。 ちょアインズ様お止めください血涙(ちなみだ)流したアルベドサンがそろそろ限界ですマーレ君手伝ってェェエエ  ッ!

 

 どうどうとアルベドをなだめながら、俺はそっと溜息を吐く。 全く……天然の人たらしこと、アインズ・ウール・ゴウン殿には困ったものである。 幼女とはいえ、これだけナチュラルに誑し込んでおいて、なんで彼は嫉妬マスク保持者なんだろうか?

 

「こ、こいつぁ…ヤベェ。 マジか、これ……」

「いっ今すぐ姐さんを拐ってでも逃がすべきなんじゃねえか……?」

「無理だ……動いた瞬間殺られる……」

 

 喘ぐように発せられた言葉に、ふと視線を巡らせ  発生源は容易に特定できた。 冷蔵庫から出したてのアボカドが結露したみてーになってるゴブリン共が、守護者達と戦闘メイドを見て立ち尽くしていたのだ。

 

 まさか、こいつら『気』とか『オーラ』とかが見えるのか? 野生の感だとか、それとも特殊能力とかスキルの類でLV差を感じ取れるのか? うーん、能力値隠しのアクセサリを装備したアインズさんに無頓着って事は、何らかのスキルで戦力差を理解しているのか。 ふむ……なかなかに興味深いが、ちょっとした隠蔽で解らなくなってしまうのなら、要らないな。

 

 よし、放置しよう。 相手すんのもめんどくさいし、さっさと農業したい。 アルベドが「ま、まあいいでしょう。 相手は子供なのですし」と、負け惜しみを言いつつ落ち着いた事を確認した俺は、インベントリから小型の農業機械を取り出す。

 

「わっ、おおきな道具ですね」目の前でおもむろに引っ張り出したのでエンリちゃんが驚いた。「なんて複雑な形……」

 

 興味深そうにエンリちゃんが眺める農業機械、これの名前はモールド・プラウと言う牽引式の耕耘機だ。 プラウ……つまり(すき)は、何千年前から使われてきた基本的な農具で、モールドボードプラウ、ディスクプラウ、チゼルプラウなどの種類がある。 俺が選んだプラウはモールドボードプラウという、稼動部分が少なめで4枚刃のヤツだ。

 

 ただし、プラウの本質は土を耕す事ではなく、雑草が生えた表面の土を掬い上げて土を上下にひっくり返し、そのまま草を地中に埋めてしまうことにある。 そうすればついでに雑草の種も深く埋まって生えてこなくなるし、光が遮られた草は萎れて肥料の足しになる……という寸法だ。 よく出来ているだろう?

 

 ただ、最も原始的な構造のチゼルプラウには、このひっくり返す効果が無い。 コイツの構造は、乱暴に言ってしまえばナナメに突き刺した棒を引っ張って、土をゴリゴリと引っ掻き回しているだけだからだ。 まあ、カチカチになった土を地中深い所までほぐすにはもってこいなので要らない子ではないぞ。

 

「コイツは引っ張って使う農具で……解りやすく言うとクワみたいなもんさ。 牛とか馬とかパワーのあるヤツに引っぱらせて使うのさ。 上手くいったら村で使ってちょうだい」

「クワ、ですか? これが……」

「おっきいねぇ!」

 

 ネムちゃんは好奇心から目を輝かせているが、エンリちゃんは初めてみる農業機械に懐疑的だ。 ま、農家の娘とは言えど教育を受けてないのだから、見ただけで理解出来るはずも無いか。 デミウルゴスやアルベドなら、持ち前の聡明さのおかげで……少ぉ~し説明するだけで理解してくれたんだけれども。

 

 とは言え、そんな子にも解りやすく説明できなければ、ちゃんと理解しているとはいえない。 ナメるなよ、俺の名には博士(ドクトル)の単語がはいってるんだぜ!

 

「なぁに、仕掛けがわかれば簡単なもんさ」俺は浅い平皿を取り出すと土に突き立てた。「こんな感じで土に食い込んだ鉄板がひっぱられると……」

 

 盛り上がった土は皿の曲面に添って流れていき、ついには上下がひっくり返って黒い部分が露出した。

 

「削れた土が上手い具合に回転して逆さまに落ちるのさ」

「す、すごい。 ただのお皿なのに耕せてる……」

 

 へぇ~~っと、エンリちゃんは感心した様子で土と皿を交互に眺めていた。

 

 今やって見せたような、この皿みたいな鉄板を使うプラウはディスクプラウの仕組みだ。 回転する皿がナナメに傾いた角度で取り付けてあり、多少小石や根っこがあってもピザカッターのように回転するので乗り越えられるっつー優れもの。 欠点はあまり深く耕せない事と、稼動部が多いので故障しやすい事だ。 回転するからね。

 

「んじゃあ仕組みを理解した所で早速農耕馬に接続を……っと言いたい所だけど、まずは地質調査だな。 データの蓄積こそが科学の真髄だぜ」

「かがく? ……って何ですか?」

「物事の仕組みを解き明かす学問のことさ。 火はなぜ熱いのか? 空はなぜ青いのか? 何をどうすればコレが出来るのか?   ってのを調べる感じかな?」

「わぁ、クサダさん()学者様だったんですか!」

 

 おおっと、このタイミングで気になる言葉が出て来るとは予想外。 俺『も』学者なのか、と。 つまり、彼女の知り合いに俺と似たような事をしているヤツがいると言う事だ。 これは警戒すべき情報として、デミウルゴス達に連絡しておこう。

 

 さすがアインズさんが自らの手で確保した村だ。 覚悟はしていたが、このカルネ村……ただの寒村じゃあない。 そこかしこに油断ならないポイントが隠れていやがる……おっと! 質問の返事がまだだったぜ。

 

「フフ、さぁ~どうかな? もしかしたらただの物知りのプーさんかもしれないぞぉ~?」

 

 不確定要素が多すぎるから、とりあえず言葉を濁しておく。

 

「実際、今アインズさんの家に転がり込んでるわけだし」

「あー……」

 

 エンリちゃんが苦笑いで口ごもった。 オイコラ納得すんな納得すんな! そこは形だけでも否定しろよ!

 

 

 

 

 ……これ以上何か言うと、墓穴がさらに広がりそうなので作業を再開する事にした。

 

 ズルリと取り出した、でかい牛乳瓶みたいな透明なガラス容器に農地の土を3分の1詰める。

 

「農業で人が出来ることは意外に多くねーんだ。 日照の調整は出来ねーし、気候も変えられない。 季節も選べねぇ。 灌漑(水撒き)と排水で水分量を調節できても、降水量のコントロールは出来ない。 一番管理できるのが土壌なんだよ」

 

 ガラス越しに、有機物がタップリと含まれた黒土を眺める。 化学物質に汚染されていない自然の土だ。

 

「<天候操作(コントロール・ウエザー)>の魔法を使えば気温も天気も変えられるが……」

「一般人の話デスよアインズさん?」

 

 はいでました魔法魔法。 そんな便利な魔法があんなら、タップリコスト掛けて水耕栽培の工場建てる必要なくなるね!

 

 俺が濁り(ニッゴリ)と笑顔を向けると、彼は仮面越しに頬を掻いた。

 

「はぁ。 まあいいやアインズさんちっと水頂戴」

「冷水でいいか?」

「うん、真水ならなんでも」

 

 無限の水差しからビンの中に水が注がれると、すぐさま黒土は水を吸収し、ぬかるんだ泥に変わる。 ビンにしっかりと蓋をし、激しく揺さぶって中身が均等な泥水に変わったことを確認したら、1日放置。 そうすれば、泥水が水中で層になって沈殿するので、砂、シルト、泥の分量が視覚的に把握できるのだ。 耕作に理想的な土は、砂40%、シルト40%、粘土20%の『ローム』と言う土だ。 ここから砂が多くなると水はけが良くなり、放牧向けの土になる。 しかし、土中の栄養が流れやすい。 粘土が3分の1以上ある重い土質は耕すのが困難で、改善するには石灰を多く撒く必要がある。

 

 カルネ村の土は、森林が近いからか、有機物が多いやや重めの土だった。 石灰を使うほどではないが、雨が降るとそこかしこに水溜りが出来るだろう。 小麦に適した土質はローム層なので、これは改善する必要がある。

 

 消石灰の原料である石灰岩は、もう大量に採取してあるが……今回は石灰を使わない方法でやる。

 

 アインズさんのクリエイト魔法で作った黒曜石を熱すると、内部に含まれた水が蒸発してポップコーンのように膨らむのだ。 コイツは黒曜石パーライトと言って、水捌けを良くし、土中のミネラルを改善し、根腐れを予防するスゴイヤツだ。

 

 え? 石灰岩をどうやって採掘して来たんだって? まーまー慌てんな、採ってきたのは俺じゃなくてマーレ君とアインズさんだ。 土壌のペーハー値、つまり酸性か塩基かを調整する為に石灰が欲しいって言ったら、アインズさんが掘ってきてくれた。 こう、マーレ君が土系魔法でパッカ  地面割って、アインズさんが<全体飛行(マスフライ)>掛けてグゥワ  降りていって、目視で発見した岩盤をバァコ  ン砕いて持って来てくれた。

 

 掘ってくるの……早すぎるぜ。 まさか1時間ちょいで採掘して戻ってくるとは思わなんだ。 確かに石灰岩は脆いし、そこまで硬くないけど……それでも岩は岩だ。 そんな、砂場の砂をほじってバケツに移すようには行かない。

 

 もし人力で掘るのなら、ツルハシ使ってコツコツ掘る以外に、一列に穴を開けて楔を打ち込んで割るって方法がある。 先端をマイナスドライバーみたいな形に尖らせた鋼鉄の棒を、ハンマーでノミのように打ち込む。 そうするとIの字の窪みが掘れるので、棒を少し回転させて打つ。 コレを繰り返すと、*のような模様に削れていくので、少しづつ掘る事ができるのだ。 そうして掘れたら、その穴に楔をブチ込むのも良いし、マイトを突っ込んで爆破しても良い。

 

 石灰岩(炭酸カルシウム)の使い道は非常に多い。 細かく砂状に砕き、830℃の高温   900℃以上が望ましい   で焼くと生石灰(酸化カルシウム)として農業に。 水を加えると激しく反応しながら熱を出し、消石灰(水酸化カルシウム)と石灰水が得られる。 消石灰と白亜(チョーク)   貝殻でも良い   を混ぜれば真っ白な石灰塗料(ホワイトウォッシュ)が。 海藻糊と繊維を混ぜれば耐水、難燃の漆喰が作れ、石灰水は汚水の排水処理に使える。

 

 そして、釜で焼く際に赤粘土   つまりレンガ用の粘土   と混ぜて粉砕し、高温で焼くとセメントが。 粘土の代わりに炭と焼けば、ガス溶接に使えるアセチレンガスが作れる。 塩素と反応させれば塩素系漂白剤と殺菌剤(カルキ)。 硫黄なら石膏が作れるのだ。

 

 まさに万能。 変幻自在の優等生だ。 ただし、消石灰は強塩基で苛性(皮膚をドロドロに腐食する)の性質を持ち、塩基での傷は自然治癒しない。 大変危険なので決して素手で触らず手袋を着用し、失明の恐れがある為、目に入らない様に気を付ける。 

 

「さて、泥が沈殿するまで1日放置しないといけないんだけど……それまで暇だなぁ」

「ペーハーを測ると言ってなかったか?」

「あっ、そうだった忘れてたぜ!」

 

 うっかり土壌酸性度の測定を失念してしまっていた。 アインズさんのナイスアシストで思い出した俺は、ポーションの空き瓶に詰めて来たph指示薬を取り出す。

 

「クサダさん、その紫色のポーションは何ですか?」

「ああ、これはポーションじゃないよエンリちゃん。 これはエタノール…ああいや、ええと、紫キャベツのリキュール……かな?」

「これ、お酒なんですか?」

 

 ph指示薬は意外にも簡単に作れる。 アルコールで刻んだ紫キャベツを、沸点以上にならないように60℃くらいで数分温めるだけだ。 アルコールの入手先はBARナザリックのスピリタス(96%)で、紫キャベツは食堂から少し分けて貰った。

 

「いきなりペーハーが、つっても分かんないよね」

「えっと、すみません。 ただの村娘なので……」

 

 やっぱりダメか。 これじゃあ、溶液に含まれる水素イオン濃度でphが決まるなんて言っても、何かの呪文か何かとしか受け取ってくれないだろう。

 

 一応説明しておく。 水は、マイナスイオン化した一酸化水素と、プラスイオン化した水素がくっついた物なので電気的にもph的にも中性だ。 だから、電子を奪われた水素原子(H2でなく、H+)つまりプラス水素イオンが少なくOH-ばっかりだと塩基になり、逆にH+が多いと酸性になる。 つまり、電子を奪おうとするのが酸で、電子を押し付けるのがアルカリだ。

 

「わかりやすく言うと、酸っぱいのが酸性で苦いのがアルカリ性だよ」

「凄くわかりやすい!」

 

 ザックリとした説明だったが納得してくれたようだ。 俺はその反応にあまり納得出来なかったが、とりあえずうんうんと頷きそれで良しとした。

 

「この本によると、小麦に適した土のphは6。 酸寄りの中性だね。 だから正常なら薬の色はほぼ変わらないハズ」

 

 小皿の中で試薬と混ぜると、色が少し赤っぽくなった。 ジャガ芋は酸性を好むからこれが適した土だが、小麦の場合少し酸性過ぎか。 肥料として過燐酸石灰を使えば、さらに酸性度が高まるだろう。

 

 子供でも覚えやすいようにと、勢いに任せたボディランゲージでアルファベットを描く。

 

「肥料の基本はNPK! 窒素リン酸カリウムだぜ!」

「あはは! えぬぴーけー!」

 

 計画通り! 面白がって、ネムちゃんは一発で覚えてくれたぜ……エンリちゃんは鳩が豆鉄砲な顔をしているが。

 

「……ドクトルはシリアスやると死ぬ呪いでも掛かっているのか?」

「え? なんて?」

「い、いや、何でもない」

「……? まあいいや。 カリは薪の灰を撒けばいいし、リンはここにある。 窒素は……雑草ごと耕して豆を植えれば、ある程度はだいじょうぶだな」

 

 マメ科の植物は、根粒菌という空気中の窒素を地中に固定する、スゴイ菌を根っこに飼えるのだ。 豆を育てて枯れ草と一緒に耕せば、土も肥えて収穫も出来ての一石二鳥だ。

 

 だが、多分この程度の肥料の追加では足らないだろう。 何かヒントは……と、辺りを見回すと放牧された家畜が数頭、草を食んでいるのが見えた。

 

「……そーいやぁ人手が減って飼いきれなくなった家畜を数頭潰さねーと……ってそんちょーが言ってたなぁ」

 

 酪農と農業は切っても切り離せない。 野菜屑や飼料を家畜に食わせ肉や乳を得て、出した糞を堆肥に加工し畑に撒く。 堆肥は、化学肥料のように即効性は無いが土壌改良効果が高いので、開墾したての農地に混ぜると、保水、栄養の保持、土を柔らかく保つ…などが期待できるのだ。

 

「……ふーむ? なーアインズさん。 ついでに鉄筋コンクリートのテストも兼ねて、この村に畜舎作ろうぜ」

「はぁ? 他人の土地に、かってに建てていいワケ無いだろう」

「そこはまあ何とかしてさ〜〜そんちょーから許可を得てさぁ〜〜」

「うーん……」

「出来るよぉ  出来る出来る。 アインズさんなら出来るよぉ  っ」

「私が取ってくる事になってるじゃないか……いつに間にか……」

「テストになってさぁ〜〜暇も潰せてさぁ〜〜カルネ村も助かるよぉ〜〜」

 

 うーん、しかしなぁ、と。 アインズさんは渋っていたが、俺の説得に根負けして、村長宅へ行くと言ってくれた。

 

「頼んではみるが、許可取れるか解らないからな! 一応言ってみるけれども! 絶対じゃ無いからな!」

「でぇーじょーぶだってー。 ほいじゃーよろしくねー」

 

 ネムちゃんを肩から降ろしたアインズさんは、守護者達を引き連れ村長宅へと歩いて行く。 ネモット姉妹に案内されて小さくなって行くその後ろ姿を、俺はピラピラと手を振って見送った。 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 クサダのインベントリから取り出された幾つかの農具が、短い草の生えた休耕地の地面に並べられている。

 

 四枚の鉄板で作られた鋤に取り付けられた刃先は、アダマンタイト特有のやや青い光を反射している。 そして、Sの形に作られたバネを多数取り付けた砕土機。 一定の間隔で種子を撒き、タイヤで踏み、軽く土を被せる播種機(はしゅき)。 熊手のような爪で雑草を引き抜く除草機など、様々な農業機械のプロトタイプが並べられていた。

 

「お疲れ様です、博士」

 

 マグカップに注がれた褐色の液体が、湯気と共に芳香を放つ。 一人の女性からマグを受け取った、博士と呼ばれた男は一言礼を言うと、さも美味そうに褐色を一口……喉へと流し込んだ。

 

「……ありがとうございます、博士」

「うん? 何か礼を言われるような事……したっけ?」

 

 本気で解らないと言った表情を浮かべ、男は首を傾げる。

 

「この人間達の村の事です」

「ああ、なるほど」

 

 ある日、突然の不幸によって村は滅びの危機に瀕し、全滅の恐れは無くなったものの未だに深く抉られた傷跡は癒えていない。 彼女  ユリ・アルファは、両親を殺されてもなお気丈に振る舞うあの姉妹を不憫に思っているのだろう。

 

「慈悲深くも、お優しいアインズ様は村をお救いになりました。 ですが、これ以上人間に情けを掛ける事を……アルベド様は反対なされる事でしょう」

「ま、そうかも知れないけど、そうじゃ無いかも知れない」

「はい。 これは単なる推測に過ぎません」

 

 クサダは香り立つ珈琲を一口飲むと、村を見た。 人口が半分に減り、活気が削がれた村を。

 

「別に、俺は村の救世主になろうなんて思っちゃおらんよ? ただ、普通の村落よりも簡単に話が通ると思って……カルネ村を選んだに過ぎないさ」

「利益を優先したに過ぎない、と?」

 

 頷くクサダ。

 

「……では、何故あの姉妹にキャラメルの作り方を教えたのですか?」

「その質問こそ無意味だね。 まぁ、人脈作りの結果、何らかの手がかりが得られるかなーと。 ……はは、ウソウソ…偶然会った野良猫にエサをあげたみたいな感じさ」

「ただの気まぐれ……自己満足だと? そうおっしゃるのですか?」

「そうだ」

 

 クサダは振り返り、感情の抜け落ちた無表情でユリへと向き直った。

 

「効率こそが全てにおいて最優先される。 ユリ、君の目には慈悲に見えようとも、それは効果が高い手段を選んだに過ぎない」

「貴方は……一体何を……」

「なあユリ。 凶暴な野生動物の子供を人に懐かせる方法は……何だと思うね?」

「…………」

「犬と一緒に飼うことだ。 その野生動物の子供は、犬が人にどう接するかを見て、人との接し方を学ぶ。 危険な相手なのか、甘えていい相手なのか、尊敬すべき相手なのかをそれで知る」

「彼ら村人は犬だと、そう仰るのですか!?」

 

 その通りだ。 と、クサダは断言した。 前例を作るのだと。 アインズ・ウール・ゴウンに刃向かえば滅び、服従すれば慈悲を得て繁栄する、アインズ・ウール・ゴウンの為の走狗を作るのだと。

 

「見たことも、聞いたことも無い、珍しい果物をポンと譲渡できる懐の深さ。 譲渡の理由はただの気遣いだと言う、その慈悲深さ。 俺達の行動に、村人は感謝と感動を覚え、返しきれない恩に無力感を感じるだろう。 そして、同時に、ある感情が心に芽生える。 その感情は……罪悪感だ」

(わかるぞ。 お前達の思考が……手に取るようにハッキリとな)

 

 急に人口が半分に減り、農作業に必要な人手が絶望的に足らない……作付けにも収穫にも。 この時代の租税は収入に比例しての徴収では無く、耕作している土地面積に比例しての課税。 40%で格安、60%で重税の世界だ。 このままでは収入は半分に減り、耕作放棄せざるを得ない農地は荒れ、徴税史が来れば作物のほぼ全てを持ち去られてしまう。 来るのは破滅、行き先は墓の下だ。

 

 何故私たちがこんな目に。 理不尽な世界から助けてくれ。 ……この村人全員がそう思っている。 しかし、命の恩人のアインズさんにも頼れない……いや、命を助けてもらっておいて、更に経済的にも助けて欲しいなんて……言い出せないんだ。 一方的に殺されるだけだった襲撃者を、一方的に殺して見せた彼に、図々しい要求をしたせいで愛想を尽かされ、見捨てられるのが怖いんだ。 その武力の矛先が此方に向いたら? そう考えると、村人同士で相談する事すら出来ないんだ。

 

 もしかしたら、もし怒らせたら、もし見捨てられたら……そして、もし次が来たら。 今度こそ本当の(おわり)が来てしまう……とな。

 

「心は身体を支配する……精神は行動を決定する。 失望されたくない。 恩知らずと思われるのは嫌だ。 そこまで思考が進んでしまったら……もう、誰も  刃向かえない」

 

 体でではなく、心を支配するのだ。 と、歩く死体は凶暴な笑みを浮かべる。

 

「状況さえ整えてやれば、この程度の思考誘導なんて簡単だ。 実際、彼はそう計画していたし、そうしようと行動していた。 俺はそれを前倒しに早めたに過ぎない」

「彼…とは、一体……」

「ナザリック地下大墳墓の支配者にして最上位。 お前達NPCが至高の存在と呼び、絶対的な忠誠を捧げる超越者。 王にして頂点……アインズ・ウール・ゴウン」

 

 此処でふと、雰囲気を180度反転させたクサダは呆れたように乾いた笑い声をあげ「たった3日でここまで計画するとは……流石だぜ、アインズさん」と、熱にうなされるように呟いた。

 

「努力と環境で得た知識しか無い俺は……やっぱ本物の天才には敵わないなぁ」

 

 諦め切った溜息を吐いたクサダは、ガシガシと頭を掻き毟ると「サンキュー! 珈琲、美味かったぜ」と、空になったマグをユリに返す。

 

「んじゃ俺まだやる事あっからぁ~~」

 

 いつもの無邪気な笑い顔を浮かべたクサダは、硬直して佇むユリを残し、作業に戻るのだった。



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コンクリ使って稼ぎたい

あらすじ

アインズ「農地貸してちょうだい」
そんちょ「ひえ、命の恩人は王族だった!?」
ドクトル「ビビリ過ぎィ。 メロン食って落ち着け」

ネム  「アインズ様パネェ! その仲間もパネェ!」
アインズ「気に入ったァ  ッ!」
ドクトル「チョロ過ぎィ! アルベドも落ち着け」





現在のナザリック生産物

・そこそこの量の硫黄
・そこそこの量の高シリカ火山灰
・やや少ない量の鉄スクラップ
・まぁまぁの量のスケルトンの骨
・数十個単位の瓜科果物
・数百個単位の柑橘果物
・数千個単位のオリーブの実
・やや少ない量の過燐酸石灰
・バケツ数杯の硫酸
・MPが続く限りの塩酸

☆NEW!
・プロトタイプの農業機械
・計測不能の量の石灰岩
・かなり多い量の生石灰
・かなり多い量の消石灰
・かなり多い量の石灰水
・そこそこの量のセメント


 時は少々巻き戻る。

 

 ナザリック地下に設えられた図書室。 その、幾つもの大きな本棚と頑丈そうな長机が並べられた室内に、普段とは打って変わり幾つもの人影があった。

 

「…………」

 

 しかし。 室内にいる人影全員が口を閉ざし、静寂だけは普段と全く同じだった。 いや、いるはずも無い。 至高の存在が造りしこの図書室で、無闇に騒ぐ軽率な者はナザリックに存在しない。

 

 だが、全くの無音でもない。

 

 魔化されインクが尽きぬようにされた羽根ペンが、クリーム色の普通の羊皮紙の表面を引き摺られてカリカリと音を立てる。 毛羽立った羊皮紙の上を、ペンが足跡を残すようにインクで航跡を残していく。 たまにある会話は、品の良い装丁が施された本のページが捲られ、内容の解説を同僚に問う散発的なものしかなかった。

 

「ねぇデミウルゴス。 ちょっとここが解らないんだけど……x-22=3xってどうやって解くんだっけ?」

「……ああ、これはxの付いている数を左に、付いていない数を右に移せばいいのですよ」

「あっそっか。 えっと x-3x=22 は -2x=22 になるわけだから…… xは-11。 合ってる?」

「ええ。 正解ですよ、アウラ」

 

 やったぁ。 と、小声で喜びの声を挙げるアウラ。 彼女の前にあるのは『やさしい数学』とタイトルが振られた……異界の世界から持ち込まれた1冊の教科書だった。

 

「うう……こな事学んで、何の役に立つでありんすか?」

 

 弱弱しく呟かれたその言葉に、ムッとしたアウラがジト目で睨みつける。 普段なら食って掛かる所だが、睨まれたシャルティアはその挑発に答えられないほど消耗していた。

 

「マーレやセバス達は、もうアインズ様のために働いていんし。 わらわも今すぐアインズ様の役に立ちたいでありんす……」

 

 ぐったりとした様子で、シャルティアは背凭れに体重を預け天上を仰ぐ。 

 

「学ぶ理由も、その必要性も、全て博士から聞いた通りですよ。 シャルティア」

「ええ、理解していんす。 理解は……でも……」

 

 勉強疲れと焦燥感が混ざり、弱々しい声で「わたしだってアインズ様とデートしたいのよ~~」と、つい先程アインズとカルネ村に行く事を散々自慢したアルベドの顔を思い出しながら、悔しそうにそう言った。

 

 つまりシャルティアはこう言いたいのだ。 理解は出来るが、納得は出来てない! ……と。

 

「あんのねぇシャルティア~~っ。 アインズ様も博士も、あんたに『期待』してるから  」 柱のように(そび)え立ち、仰ぎ見るほど高い本棚をアウラは指した。 「  至高の方々が集めた叡智に触れるのを許可してくれたんじゃないの!」

 

 そう……彼女達は、自身が至高の存在と崇める者達が集めた叡智を自らのものとする   つまり、勉強をしていたのだ。

 

 きっかけはアインズの一言だった。 クサダが提案した幾つかのプランを相談している際、シャルティアの話題になった時のことだ。

 

 

 

 

 

「シャルティアは、相手のリソースを削るため矢のように使うことを想定して造られた。 ……だが、本当にその運用方法は正しいのか、と私は思うのだ」

「シャルティア……って最初に接敵するNPCだったっけ。 先陣を切るんなら、それが正しい運用だと思うけど」

「うむ……AIの時はな。 だが、今のシャルティアは自分で考え、行動出来る。 経験を積む事で、もっと最善な手が打てるかもしれない」

「なーる。 プログラムの時の人工知能とは違い、今は『学べる』訳かぁ」

 

 腕を頭の後ろで組み、クサダは背凭れに寄りかかる。 頑丈で質のいい木材を使ったイージーチェアは、グッと体重を掛けられても全く軋んだ音を発しない。

 

「んじゃあとりあえず、シャルティアの仕様教えてくれる?」

「勿論だ。 まず、使える魔法とスキルは  

 

 自分が組んだ訳でもないのに、シャルティアのスキルビルドを空で喋るアインズの説明を聴きながら、クサダは思考の片隅でふと、思う。

 

(経験を積ませ、ベテランにする。 プレイヤースキルを向上させようってか……NPCの。 流石9位のギルド長、発想がブッ飛んでやがるぜ)

 

 普通、戦力増強を考える者は確実性を取り、物量の増強や装備の更新を狙う。 目で確認しやすく、確実なためだ。 コンマ何秒を競う、走り屋と呼ばれるスピード狂ドライバーですら、エンジンなどのハードをカスタマイズしても電子制御などのソフトを最適化させようなどとは考えない。 そんな事を考えるのは、何億も資金を注入して作るレーシングマシンくらいだ。

 

 だが、白衣の男の前に座る骸の王は、ハードの向上よりもソフトの性能を求めた。 いや、もしくは両方か。

 

(『向こう』の教育のクソっぷりは(すさ)まじいっつーのに、教育制度の重要性に気付くとかスゲーじゃん。 一体どんな頭してたらこんな発想がポンポン出て来んのかねぇ……)

 

 クサダはアインズに向けて不敵な笑みを浮かべ「かなり難易度がたっけーけど」と前置きをし  

 

 その場に居た階層守護者全員が戦慄する案を出した。

 

 

 

 

 『最凶の囮』としたらどうか……と。

 

 

 

 

 高レベルなバランスで纏まったスキルビルドは隙がなく、羽による飛行能力は足場の悪さを物ともせず。 高い近接攻撃能力と、スポイトランスの回復に後押しされた継戦能力の長さは、スタミナ切れの早い魔法詠唱者が喉から手が出る程欲しがる特性だ。 さらに<異界門(ゲート)>によって裏付けされた移動・輸送能力は、セルフで増援を呼ぶ事すら可ならしめるので無視も出来ない。 やっとの事で包囲しても、転移を封じねば易々と離脱されてしまう。

 

 正に、走・攻・守が揃った万能なのだ。

 

「シャルティアと対峙した指揮官は悪夢だろうね。 チェスで言う所のクイーンが縦横無尽にワープして来るっつーのに、増援まで沸かせて来るんだからよ」

「放置スレバ悪戯ニ被害ガ拡大スルバカリ……明ラカニ囮ト解ッテイテモ、全力デ対応セザルヲ得ナイト言ウ訳カ」

 

 クイーンのコマを手で弄んでいたクサダは、例を見せるようにルールを無視してコマを移動させて見せた。 前線に、後方に、キングの真後ろに。

 

「少し待って下さらないかしら博士」

 

 しかし、アルベドがそれに待ったを掛ける。 聡明な彼女には、この作戦の弱点に気付いたのだ。 致命的で、大き過ぎる弱点に。

 

「確かにシャルティアには、主力を2分させてでも抑える必要があると思わせるポテンシャルがあるわ。 でも、それ以上にリスキーではなくて?」

「ああ、そうだぜ。 アルベドの言う通り、この()()()()()()()()使()()プランはよー……超リスキーでスリリングだぜ」

 

 クサダは笑う。 ハイリスクを愉しむように、破滅の道をスキップするように、スリルを求めるギャンブラーのように。

 

「失敗すりゃあこっちの鬼札(ジョーカー)であるシャルティアを失うし、切り札として取っておくべき鬼札を真っ先に切る事になるんだからよ」

 

 大き過ぎるリスク。 それは、作戦の成功如何がシャルティア自身の判断能力に大きく左右されることだ。 慎重に動き過ぎれば敵を引き付けられず、踏み込み過ぎれば離脱に失敗し狩られてしまう。 罠や虚偽の情報を見破る目と、敵の弱点を鋭く察知する注意力も要る。 そして何より、速度が最重要なため指示を仰ぐ時間が無く、独断専行(スタンドアロン)で行動しなければいけないのだ。

 

「……私もアルベドの意見に賛成です。 アインズ様ならともかく  

「えっ」

  シャルティアにその重責……耐えられるでしょうか? まるで一人でゲリラ戦をこなすような事に思えますが……」

「はは。 一人でゲリラ、ね。 映画の主人公みてーだな……ま、ノウハウ次第でそんな事も出来るよーって言いたいだけさ。 高額チップをベットすんのが怖ぇーってんなら、ベストじゃなくベターな方法を考えりゃいい」

 

 そう言うと、クサダはおどけるように肩を竦めた。

 

「……シャルティア」

「ひゃっ、ひゃいアインズ様!」

 

 話を振られるとは思っていなかったのか、つつかれた猫のように肩を跳ね上げ、やや裏返った声で返事をするシャルティア。

 

「お前はドクトルの提案をどう思う?」

「あの、もっ申し訳御座いません…どうしたらいいか、わたしには良く解りません……ですが、アインズ様がそうすべきだとお考えになられたのでしたら、それが正しいのだと思います」

「はぁ……少し落ち着け、シャルティア。 私はお前の望みを聞きたいのだ。 色々と経験させる為だと言って、望まぬ事を強いるのは度し難いと思わないか?」

「いいえ!」

 

 跳ねるように顔を上げ、即座に否定するシャルティア。

 

「……わたしは至高の御方の望みを叶えんし為に作られんした。 アインズ様の望みを叶える事、これより嬉しきことは無さんすえ」

「製作者のよ~~ペロロンチーノさんが想定してる運用とは違ぇとしたらどうなんだ? ってアインズさんは言いてぇのさ。 例えるんなら……運動着としてスパッツを用意したけど、ペロロンチーノさんはブルマ派だった~とかよ!」

「お前はもう少しまともな例えを用意できなかったのか……?」

「ううっ! た、確かに、ペロロンチーノ様の好みと違ってしまいんしたら元も子もありんせん……!」

「シャルティアも律儀にドクトルのボケに反応しなくていいんだぞ……?」

 

 頭を抱え、くうう~~っ! と悩み出したシャルティアに、今までの悲壮感というか緊張感と言うものが雲散霧消したアインズは、心の中で(でも、ペロロンさんならありうるかも……)と思ったのだった。

 

 

 

 

 

 アンデッドであるシャルティアに疲労などと言うバッドステータスは存在しない。 だが、精神的には疲れるのか、ぐったりとしはじめた彼女にデミウルゴスは溜息を1つ吐く。

 

「博士も言っていたでしょう? 数学は基礎中の基礎だ、と。 至高の御方があれ程まで強くあられたのは、全てのお方が数学をマスターなされているからなのですよ?」

「それにさー……制服? も、ぶくぶく茶釜様が御用意なされてたんだから、わたし達がこうやって勉強するのを望んでたって事でしょうが」

 

 鼻息荒く立ち上がったアウラのスカートが、ヒラリと(ひるがえ)った。 そう、スカートが、だ。 アウラの着ている服は、普段着ている乗馬服のような装備ではなく、かわいらしく装飾が施されたセーラー服であった。 これは、ナザリック内に学園を作ろうとの声が出たときに、それぞれの製作者が用意した学生服である。

 

 ちなみにデミウルゴスと、今はいないマーレに用意されていたのは詰襟の学生服であり、クサダはスーツ姿から着替えたデミウルゴスを見て「なんか生徒会長って感じ」と感想を口にした。

 

「コキュートスはいつもの格好でありんすが……」

 

 ただ、何事もにも例外があった。 コキュートスである。 外骨格が装甲の役目を果たしているコキュートスは防具を一々用意する必要が無いメリットを持つ。 しかし、外皮鎧ゆえに防具を一切装備出来ないデメリットも持っていた。

 

「まあコキュートスは、いっつも全裸だからね!」

「ムウ……ソンナ、マルデ変態ミタイニ言ワナイデクレナイカ。 裸ガ好キナノデハナク、防具ヲ一切装備出来ナイダケナンダガ……」

 

 黙々と読み進めていた本から視線を上げたコキュートスが、困ったような表情をアウラに向ける。

 

「どうですか? 進み具合は」

「……次ハ負ケヌ。 イヤ、善戦…一矢報イテ……」

 

 だんだんと声と威勢が小さくなっていく友人を見て、デミウルゴスは(やれやれ、先は長そうですね……)と苦笑いを浮かべた。

 

 コキュートスの傍らに詰まれた本の山。 その一番上に置かれた本に、チラリと視線を向ける。

 

「図上演習……ですか。 博士もなかなか面白い方法をご存知でいらっしゃる」

「一振リノ剣トシテナラ誰ニモ負ケヌ自信ガアル。 ダガ、兵ヲ指揮スルトナルト……難シイナ」

 

 兵法、戦略、補給。 そのような単語が綴られた厚い本をコキュートスが真剣に読もうと思ったのは、クサダと交えた図上演習でボロ負けしたからだ。

 

 定石を知らないズブの素人であるコキュートスが、本当のPVPならまだしも、チェスや将棋などとも違う図上演習で勝てるはずも無い。

 

「マルデ思考ヲ読マレテイルカノヨウダッタ。 伏兵ノ使イ方モ素晴ラシイ……」

 

 徐々にコキュートスの眼が遠くを見るようなものになり、口から冷気が漏れ出してくる。 

 

「フシュー……。 若様…殿(しんがり)ハ爺ニ任セ御行キ下サレ……ナニ、後デ追イツキマスノデ心配ナサレズトモ……」 コキュートスの腕がスッ   スッ  と空を切る。 「(つわもの)達ヨ、死ヌルハ今ゾ。 サラバデス、若。 爺ハ、若ノ立派ナオ姿ヲ見ラレテ幸セデシタ……」

 

 絶望的な撤退戦の状況。 執拗な追撃を振り切るために僅かな兵を率いて殿(しんがり)を志願。 迫る敵は強大かつ多勢。 何度も振り返るアインズの息子の視線を背に受け、決死の戦いに挑む  ッ!

 

「コキュートス? おーいコキュートス戻っておいで」

  ハッ!」

 

 と、妄想が進んでいた所で、コキュートスは現実に引き戻された。

 

「イヤ、素晴ラシイナ。 コレハ確カニ憧レル」

「そ、そう。 それは良かったコキュートス。 でも、その状況にならないようにするために学んでるって事を忘れないようにね」

「アア、十分承知シテイル」

 

 そう言って楽しそうに何度も頷くコキュートスは、興奮冷めやらぬ様子で読書に戻ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 デミウルゴスに数学の基礎を叩き込まれて、シャルティアがウンウン呻りながら勉強している辺りと同時刻。 カルネ村の村長から二つ返事で畜舎の建設許可を得た2人は、森の反対方向の村外れの場所を選んで基礎工事を始めていた。

 

「にしてもよぉー……マーレ君が本気だしたら、ドカタに勤めてる人は失業だな。 フツー数日掛かる基礎打ちが物の数分で終わるんだからよー」

「ほ、褒めすぎですよ~ ぼ、ぼくなんてそんな、アインズ様に比べたら……」

 

 エヘヘと、普段見せている陰気な表情と打って変わって、にこやかに緩めているマーレ。 人間だらけの村にいるというのに、何処からどうみても彼の機嫌は良い。 なぜならば、アインズから直々に褒美を貰ったからだ。

 

 クサダから「ご褒美としてANN(アタマナデナデ)してやるんだアインズさん!」と言われ、そんなものが報酬になるわけが……と試しに実行するとあら不思議。 ふにゃんふにゃんに蕩けた表情を浮かべ、眠そうな猫のような感じで受け入れたのだ。

 

(ええー! 褒美って、それでいいのか!? 頭撫でてるだけだぞ!?)

 

 アインズの感性では、仕事の報酬が上司からANNされる権利だったら、即・労組へGOするだろう。 だが、ナザリックのNPC達は無償労働があたり前、働くことこそが生きがいなのであり存在意義だと思っている。 むしろ、働く事は息をすることのように日常で、無くてはならない事なのだ。 アインズには理解出来ないが。

 

(これは……早急になんとかしないとなぁ。 AOG合資会社がブラック企業化するのは耐えられないし、どうにかしないと……)

 

 NPC達に払う給料は幾らくらい支払えば良いのだろうか。 ユグドラシル硬貨で払うのか、それとも現地通貨でいいのか。 正直、どっちの通貨もアインズの財布には心もとない量しかない。 そもそも、鈴木悟の頃は貰う側であったし、払う側の事など考えたことも無かった。

 

(……そうだ! ポイント制にしたらどうだ? 何ポイント溜まれば、何かと交換できる~みたいな! ……いや、何と交換するんだ。 今までタダで使えるナザリックの設備を有料化するなんて論外だし……)

 

 中身の入ってない頭で何故思考できるのだろうと哲学的な事を考えつつ、直接何が欲しいか聞いてみようか……と思ってアルベドをチラリと見た。

 

   その時であった。

 

 アルベドと目が合う。 ずっとこちらを見ていたのか、それとも偶然か。 まるで監視されているかのような居心地悪さを感じた。 そして、悪い予感も。

 

(……待て、愚か者。 プレゼント等を本人に直接、何が良いかと聞く奴がいるか)

 

 背中に氷柱を突っ込まれたかのような悪寒から、アルベドに「欲しい物はあるか」と聞くことは却下した。 実際、好奇心に負けて聞いてしまったら……

 

 アインズは、得も言われぬ恐怖  は今は無いが、今までPVPで培ってきた勘で居心地悪さを感じ取り  

 

(人払いした部屋で、ドクトルに何か良い案は無いか相談してみよう……)

 

   と、安全策を模索するのであった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 セメント作りは、火の扱いに長けたデミウルゴスがやってくれた。 なんてったって光熱費タダだからね。 CO2出ないから超エコってのも嬉しい。 石灰岩を焼く作業、これは紀元前からずーっと人が続けてきた産業だ。 産業革命が訪れ、21世紀ごろの時代、排出する二酸化炭素の2割くらいはコンクリートを作るための炉から出てるくらい凄まじい。

 

 まぁ、炭酸カルシウムの石灰岩を、酸化カルシウムの生石灰にする時は二酸化炭素が出るから……全くのゼロって訳じゃあないけどね。

 

 ま、とりあえず、セメントの作り方はこうだ。

 

 セメントは石灰岩と粘土を細かく粉砕し、それを約1450℃の高温の窯で焼いて作る。 そうすると石灰岩の炭酸カルシウムが、粘土の珪素(シリコンとも言う)とくっ付いて、珪酸カルシウムに変わるんだ。 その時、あまりに高温の為ちょっと溶けて材料がくっ付くが、あとでまた砕けばいいので問題ないぞ。 そうして出来た灰色の(クリンカー)をできるだけ急いで冷やす。 そうすると水硬性(水を加えると固まる性質)を持つようになるからだ。 これをサボると、いつまで経っても固まらない、灰色の泥を作るだけになってしまう。 後は(クリンカー)を細かく砕いて、袋に詰めて、出荷すればOK!

 

 粘土の主成分はシリカ(二酸化珪素)や、アルミナ(酸化アルミニウム)だ。 「え? アルミニウムが?」と思ったかい? 実はアルミはスゲーいっぱいある物質だ。 この物質は、実は地球の地殻を構成している成分の第3位であり、クッソ大量にある元素なんだぜ。

 

 岩と粘土を砕く装置……俗に言う『臼』又は『ミル』は粉砕機って言うんだが、よく見る水平に詰まれた円盤が回転するヤツではうまくいかない。 砕きたい材料が硬過ぎるからだ。

 

 ミルの種類は中々多い。 なんてったって原始時代からあるんだからね。 最初は平ったい石に穀物を乗せ、丸っこい石でグリグリするっていうカスみたいなミルだった。 それから、よく生薬や漢方薬を作るときなんかに見かける、筋トレ用具みたいなミルが出来た。 このミルのお陰で、材料を早く細かく砕けるようになったが、欠点があった。 一々中身を入れ替えないといけないのだ。

 

 これを解決したのが、よく見る円盤の石臼だ。 これが、回転を一々止めなくても、上から入れた小麦が下から小麦粉になって出てくるっつー画期的な道具だったんだなぁうん。 ちなみに、脱穀には木の臼を使ったそうだ。

 

 そして14世紀。 この『粉砕する』工程が、とーっても重要になる出来事……いや材料……いや発明があった。 火薬だ。 炭と硫黄と硝石(硝酸カリウム)をいい感じに混ぜたものが黒色火薬なんだが、細かく砕く作業が工程の殆どを占める。 しかも、粒子が細かければ細かいほど、燃えカスも少なく威力もある火薬になるのだ。

 

 その時に活躍したのが『ボールミル』だ。 仕組みは簡単、密閉した筒に鋼鉄の玉と材料を入れグルグル回すだけだ。 筒の中で鋼球がぶつかったり、回転したり、落ちてきたりして、材料を細かく細かく砕いてしまうのだ。

 

 え? 火薬をそんなフウに扱ったら爆発する? しないんだなぁ~これが。 コレで火薬作る時は、爆発しないように少量の水を入れて泥状にした状態で回転させて砕く。 黒色火薬は後で天日干しして乾かせばちゃんと発火するからダイジョウブ。 こうして作った火薬で、コロンブスはアメリカ原住民を無事虐殺できたから。 だからダイジョウブ。

 

 他には、コーヒーだとか胡椒だとかを指定した大きさに砕く、ウイリーミル。 鋼鉄で出来たタイヤで踏み潰す、ローラーミルなんかがある。

 

 ……とまぁいろんな種類があるミルだが、どれも一長一短だ。 今回使ったのは『ボールミル』で、こいつは細か~く砕くにはもってこいで構造も単純、動力も小さくて済むっつー高性能な装置だぜ。 欠点は中身を入れ替える必要がある事と、時間が掛かる事と、ガラガラと物凄いウルサイ事かな……

 

 そんなこんなで完成したセメントだが、これは建材として革命的性能を持っているんだぜ。 石材、木材、レンガで建てようとすると、資源の産地から材料をえっちらおっちら運んでこないといけないが……コンクリートはその辺にある砂と小石と水を、セメントと混ぜて練れば良いだけだ。 しかも、鉄骨を入れれば職人技で難しいアーチの形にしなくてもいいし、木枠の中に流し込むだけだから曲面も平面も自由自在だ。

 

 セメントと細骨材を水で練った物が、レンガやブロックを繋ぎ合わせるときに使うモルタル。 で、そこに粗骨材と混和材を入れたものがコンクリートだ。 細骨材や粗骨材ってのはつまり、砂と小石だ。 主に河の砂や砂利を採掘してくるんだが、海の砂は塩が含まれてるので鉄骨が錆びてしまう。 だから河や山から掘ってくるんだぜ。

 

 混和材ってのは少しややこしい。 混和材ってのは、製鉄する時にでる濁ったガラスみたいなスラグや、石炭を燃やした(フライアッシュ)、排ガスから硫黄を取り除く時に出来た石膏とかを入れて、強度を高めるために入れる材料のことだ。 本当は(フライアッシュ)を入れたかったんだが……無いので、鉄スクラップを鉄鋼にリサイクルする時に出たスラグと、第7階層で入手できた火山灰を使ったぜ。

 

 

 

 

 マーレ君が硬い地層まで開けてくれた穴に鉄骨を差し込み、灰色でドロドロのコンクリートをそこへ流し込む。 この基礎工程は、建物が完成した後で傾いたりヒビが入ったりするのを防ぐ為にも重要な工程だぜ。 なんてったって、コンクリートってのは液状の石と考えても良いくらい重い。 鉄骨を入れて丈夫にしようとすれば、1m四方のブロックで重量が2tから2.5tくらいの重さになる。 せっかく作った建物がズブズブと沈んでいって欲しくなければ、基礎はしっかりと作らないとね。 ……まぁ高層ビルじゃなければそこまで神経質にならなくてもいいが。

 

 コンクリートの配合は、セメント1に対して水0.6。 そして、砂2・小石4の割合で作った。 砂と小石の割合を多くして、砂4・石6にすると強度が増すが、滑らかに仕上げるのが難しくなってしまう。 ただ、ここで水の分量を間違えるとコンクリートの強度が大幅に下がってしまうので、絶ッ対に間違えてはいけない。 許容範囲はセメントの重量の50%から65%の間で、これはコンクリートの固まる仕組みが化学反応だからだ。

 

「なあドクトル」

「ん? どした?」

 

 ストーンゴーレムの作業を興味深そうに見ていたアインズさんが、こちらを振りった。

 

「コンクリートが乾くまで何日くらい掛かるんだ?」

「え? 乾かないよコンクリートは」

「何? 乾かないのか?」

「よく、コンクリが固まることを『乾く』って表現する人が居るけど……糊みたいな固まり方じゃなくてゼリーみたいな固まり方だからね、コンクリは」

「ふーん……ゼリーねぇ」

「だから、逆に乾かしちゃいけないんだよ。 実際、乾いて固まってたら水が減った分小さくなんじゃん」

「ああ、なるほど。 言われてみればそうだな」

 

 セメントに水が混ぜられると、セメントは水をいとも容易く吸収して灰色でドロドロしたゲルになる。

 

 水っぽいゼリーが形を保っていられるのは、ゼラチンと言う物質で出来た骨格を持っているからで、イメージとしては水を吸ったスポンジに近い。

 

 セメントの骨格は『珪酸カルシウム水和物フィブリル』と言う、成長していく結晶のような物質だ。 細長い水晶のように成長していった骨格は、その隙間に水を取り込みながら成長していき、骨格同士や砂や小石や鉄骨と出会うとお互いにくっ付いて固まる。 その時に水が多すぎると、内部に水が余って(もろ)くスカスカなコンクリに。 少なすぎると化学反応が進まないセメントが余って、こちらもやはり脆くなるんだ。

 

「コイツの内部で、栗のイガとかウニのトゲみたいに成長したカルシウムが絡み合ってくっついて、固体になるんだよ」

「……ドクトルの例えは食い物ばっかだな」

「いいじゃねーかそんな事。 わかりゃいいんだよ、わかりゃーよ」

 

 固まるまでの期間は15度以上で3日。 10度で7日。 5度以下だと14日かかる。 コンクリートがしっかり固まるには水が必要なのは説明したとおり。 だから、反応が終わるまでの間、表面が乾かないようにしないといけないのだ。 リアルではビニールシートとか便利なものがあったが、異世界(ここ)にはそんなものは無い。 なので、麦藁を編んで作ったゴザに水をかけ湿らしたヤツを被せておいた。

 

「これでよーし! あとは待ってりゃー平らで硬くて水に強い、コンクリでできた基礎が出来るぜ!」

 

 こうして頑強な基礎が出来れば、鉄骨でもコンクリでも好きな材料で柱を立てられる。 え? 強度計算? 鉄骨がそう簡単に折れるかー! 鉄骨もコンクリも、強度がチート建材なのだよはっはっは!

 

 ……とまぁこうして畜舎を建てるわけだが、床がコンクリなので牛を此処で飼うには藁を敷かないといけないが……それが狙いだから問題ない。 フンは肥料として使うことが出来るからだ。 だが、直接畑に未処理の汚物を撒き散らすわけにはいかない。 そんな事をすれば、多数の病原菌を食物にぶっかけることになり、病気を大発生させる事になるからだ。

 

 この現代版畜舎で牛・豚・鳥を飼うと、家畜は寝藁の上でフンをする。 なので毎日掃除するのだが、藁とフンが混ざったコレを適切に処理すると肥料……つまり堆肥を作ることが出来るのだよ。

 

 家畜の排泄物には寄生虫の卵や病原菌を含んでいることがあるため、70度くらいの温度で低温殺菌してやる必要がある。 処理の仕方は、コンクリートで3方向を囲った作業場に、掃除した藁を積んで過燐酸石灰を振り掛け、たまにかき混ぜて空気を含ませてやると、発酵が進んで温度が上がり3ヶ月くらいで堆肥が作れるのだ。 ちなみに、雑草や落ち葉、藁を積んでおくだけでも腐葉土が作れる。

 

 ただし、この堆肥を肥料として使うには問題点があって、100m×100mの大きさ(1アール)の農地につき500kgから3tもの量が必要だ。 全盛期の日本では、堆肥散布機って言う農業用のトラクターがあるし、牧場も300頭くらい飼ってるから堆肥の量も莫大にある。 だから、カルネ村では肥料として堆肥を……ではなく、土壌改良剤として他の肥料と併用して使うべきだ。

 

 今ある化学肥料は過燐酸石灰だ。 森に行けば  手間が掛かるが  腐葉土が手に入るので、堆肥を得るために3ヶ月や半年待たなくても良い。 この2つで期待できる栄養はリン(P)とカリ(K)なので、後は窒素だけだ。

 

「肥料の基本はNPKなんだが、それぞれ効果かが違うんだ。 窒素は茎や葉っぱを大きく育てる。 リンは花や実を大きくする。 カリは根を丈夫で広く張らせる効果があるんだ」

「ふむ……つまり葉物野菜は窒素が。 果物にはリンが重要なわけだな?」

「そういうこと。 今足らないのは窒素だけど、これは油を搾った時に出たカスが使えるんだぜ」

「油か。 そういえば、マーレが育てたオリーブの実があったな」

「察しが良くて助かるぜ。 その絞りカスが窒素の肥料になるから、これでNPK全部揃ったっつーことになるな!」

「うーむ、捨てる所がないとは素晴らしい。 流石は我が……いや、我らがナザリックの階層守護者だ」

 

 アインズさんが本日2度目のANNをすると、マーレ君は顔を耳まで赤くしながらも、嬉しそうに顔を(ほころ)ばせたのだった。

 

 とんでもないスピードで建てられていく畜舎。 その建造物の骨組みが組み終わった辺りで、さすがに日が傾いてきたので一旦ナザリックに帰還し   そして翌日。

 

「ほいじゃマーレ君! いっちょブワーッとやっちゃって!」

「は、はい! いっいきます!」

 

 ぎゅっと握り締めた杖を、マーレ君がえーいっと掛け声とともに振りかざす。 すると、プロトタイプの農具を使った畑から麦が発芽し、根を張り、茎を伸ばし、実を付け、成熟する。 解りやすいようにロープで区分けされた農地から、まるで高速再生した動画のようにワサワサと麦が伸びていった。

 

 わざわざロープで区分けしたのは、環境によって収量がどう変わるか調べる為だ。 そうしないとテストの意味が無いし、何が原因で失敗したのかわからなくなってしまう。

 

 細かい話は省略し、結果を言う。 土壌PH、水、気温、肥料など全ての環境を最高に整えると  狭い畑で作ったので誤差はあるだろうが  単純計算すると1アール(100平方メートル)で49kgの収穫があった。 カルネ村の村人が耕作する畑の面積は、1家族あたり3ヘクタール(300アール)で、1年のうち半分は休耕地だ。 そこから計算すると、1家族あたり1.8tくらいの小麦を生産している事になる。 これで、1アール12kgの小麦を収穫する現在のカルネ村の農法と比べ、この魔法をつかった農法は約4倍の収量になることがわかる。 全盛期の日本ですら37kgが精々だったというのに、魔法とはこうも凄まじいものなのかと俺は驚いた。

 

 150年前の21世紀ごろのアメリカは63.5ヘクタールの農地を ()()() 耕作して、年間152.2t生産したと記録に残っている。 今のカルネ村の農民の力じゃぁ足元にも及ばないな……

 

 次に、マーレ君のチート肥料魔法無しでNPK肥料のみで耕作した畑……これは2倍ちょいの収量になった。 流石に、土壌の栄養を問答無用でパーフェクトにしてしまう魔法には叶わなかったし、科学肥料をジャブジャブ使える現代農法にも今1歩及ばない結果に終わったが……いや、努力次第で収穫が倍になるのはこの世界の農民にとって無視出来ないハズだ。 それに、面積辺りの収穫が少ないならもっと広い畑で作ればいい。 農地を倍、収量を倍にすれば、マーレ君の魔法無しでも4倍の収穫が得られるハズだからね。

 

 ああ、ちなみに実験的に作った耕耘機とかの農具は大きな問題があった。 馬や牛では力が足らずに耕せなかったのだ。 おかしいな、と思って調べてみると……4枚刃のプラウは100キロワットのパワーがいるらしい。 馬力で言うと140馬力だ。 ……普通乗用車くらいの力が無いと使えないってどんだけやねん。 これだから商品化前のテストは大切なんだよ……

 

 そこで、農耕馬ではなくゴーレムに引っ張らせてみると、問題無く耕すことができた。 しかし、ゴーレムを作るには今は手に入らないユグドラシル産の材料が必要になる。 村人が言うにゴーレムは  信じられない事に  高級品らしく、盗難されるかもしれないとの事。 なので、簡単に量産できるアインズさんお手製のデスナイトに引っ張らせてみたのだが……

 

 結果は失敗。 デスナイトの足が畑に膝まで埋まってしまった。 原因は、パワーに対して足の大きさが小さすぎたゆえに接地圧が高かったから。 急遽、鋼鉄製の『かんじき』をデスナイトにとりつけ再テスト。 そして成功。 俺は胸を撫で下ろしたのだった。

 

 こうして、ナザリックに帰ったアインズさんを見送った後、カルネ村で実験的に育てていた麦の記録を細々(こまごま)と取っていると  

 

「どうぞ、博士」

 

 もはや日課となったコーヒーをユリから受け取る。

 

「おっ、あざーす! ずびずび……あ゛~~この一杯の為にナザリック入ったって気がする……」

 

 マグを傾け一口飲めば、芳ばしい香りとスッキリとした苦味が喉を通っていく。 アルコールに依存するヤツの気持ちは全く理解出来ないが、コーヒー中毒になるヤツの気持ちなら完璧に理解出来る……かもしれない。

 

「これで村人達も、アインズ様から肥料を購入すれば豊かに  

「ならないんだなぁ~これが」

 

 俺が苦笑いを浮かべてユリにそう告げると、彼女は残念そうに「……そう、ですか」と俯いた。

 

「何しろ肥料だの何だのを使った農法は、教育を受けてないこの村人には難しいからね。 ……たぶん自分の畑が何ヘクタールあるのかすら計算できないんじゃあ無いかな?」

「計算、ですか。 あっ、まさか、アインズ様が守護者様達に勉強をさせていらっしゃるのも  

「そ、教育を受けさせる為さ。 数学はなんでも使うからなぁ……これが出来てないと、農業も、商売も、戦争も出来ないのさ。 この村人に農業のやり方を教えても、来年あたりには……肥料の計算方法も、使う種籾の量も解らなくなっちゃうんじゃねーかな?」

 

 それに数学を学んでいないと『数学的思考』も出来ない。 A+B=Cであるだとか、AがBになるのでCをする必要があるだとかを理解出来ないのだ。 なぜそうしないといけないのかを()()()()()()()()()()。 数学を学んでいないからだ。

 

 実際に学んでいないとどうなるか。 例えば料理をするとする。 小麦粉100グラム、卵60グラム、砂糖50グラムetc……で、ケーキを焼くとしよう。 数学を学んでいないと「少し甘すぎるので砂糖を40グラムに減らそう」だとか「倍の大きさで焼きたいから小麦粉を200グラムで~」だとかの思考に()()()()()()()()()。 順序立てた思考、未来を見据えた計画、それらの能力を獲得させる為に数学はマジで大切なのだ。

 

「ま、せっかくの努力が水の泡ってのもムカつくから……そうだな。 挿絵つけた説明書を……村長に渡して、なおかつ用法用量をみっ~~ちりと教え込んでこようかね」

「村長にですか? 大丈夫なんでしょうか?」

「まー村長なんて立場に居るんだ。 四則演算くらいはできるでしょ、たぶん。 税金とかの計算もしなくちゃならんし、出来ないほうがおかしいって」

 

 それに、村長の言う事なら村人も大人しく聞くだろうって打算もあるぜ。

 

「ほいじゃぁいくぜ! 村長の家へ!」

「えっ、わ、わたしも行くのですか!?」

 

 ユリの手を引くと、自分も手伝わされるとは思っていなかったのか、驚いた声をあげた。

 

「タリメーだよぉ。 俺はザコいんだから護衛がいるのさ、ゴエーが。 あと助手」

 

 ユリは、雑用係が欲しいだけでは無いのですか! と、何やら言っていたが……そこまで解ってんなら言わせんな恥ずかしい。

 

 こうして、俺はガハハと楽しそうに笑いながら村長宅へと足を進めたのだった。

 

 




☆睡眠無効のアンデットは24時間学習も余裕!


アウラ   「地図書くのにも数学が必要だから、勉強会は渡りに船だったわ!」
シャルティア「う~っ、まだ方程式までしか進みんせん……先が長すぎるでありんす……」
ドクトル  「早いと思うんだけどなぁ……」






モルタル、について。

 中世のレンガ建造物に使われた接着剤『モルタル』は、今と違い、セメントではなく消石灰を使っていました。 砂と混ぜて水で練って作られるのですが、だんだん空気中の二酸化炭素を吸収して炭酸カルシウム……つまり石灰岩に変質します。 それで固まるって仕組みです。 ただ、固まるのに時間が掛かるので、今ではレンガもセメントでくっつけてしまいます。


スラグ、について。

 鉄屑をリサイクルする際、どうしてもスラグとして不純物が発生します。 スラグとは、鉄鉱石に元から含まれている不純物の事で、鉄に精製する時にガラス状の岩石も一緒に溶けて混ざってしまいます。 この不純物が多いと、鉄鋼の強度は大きく下がり、破断の原因になります。
 なので、鉄を作ったり剣を加工するときにスラグを搾り出し、取り除かなくてはいけないのです。 製鉄炉から作ったばかりの、スラグを含んだ鉄を『ブルーム』または『玉鋼』と言い、ヨーロッパではローラーで挟んで雑巾を絞るように。 日本では大きな槌で叩いて、火の粉のようなスラグを弾き飛ばして製鉄していました。 日本刀を作るときに何度も折り返して叩くのは、スラグを搾り出している作業です。


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ニグンだって稼ぎたい


犯罪者瞳のネイアちゃん。 自分の中では、どこぞフレンズのキャラにちなんで、ハシビロコウちゃんと呼んでます。 無口なのに胸中ではお喋りな所とかイイですねぇ~


あらすじ

コキュー「武士道トハ死ヌ事ト見付ケタリ!」
ドクトル「ダメです」
デミウル「覚悟なさい。スパルタ教育ですよ」
ありんす「グワー!」

ドクトル「科学の力、耐えてくれよ! うおお収穫量2倍弱だぁぁああ!」
マーレ君「私の収穫量は4倍です」
ドクトル「魔法には勝てなかったよ……」



現在のナザリック生産物

・そこそこの量の硫黄
・そこそこの量の高シリカ火山灰
・やや少ない量の鉄スクラップ
・まぁまぁの量のスケルトンの骨
・数十個単位の瓜科果物
・数百個単位の柑橘果物
・数千個単位のオリーブの実
・やや少ない量の過燐酸石灰
・バケツ数杯の硫酸
・MPが続く限りの塩酸
・プロトタイプの農業機械
・計測不能の量の石灰岩
・かなり多い量の生石灰
・かなり多い量の消石灰
・かなり多い量の石灰水
・そこそこの量のセメント



「ふー……やっぱりこの格好が一番落ち着くな……」

 

 カルネ村から帰還したアインズは、グレート・モモンガ・ローブに装備を変更すると、執務室へ入る。

 

 自分で開けたほうが早いのに……。 と考えながら、扉を開けてくれたフィースへつまらなそうに手を振り  何度も隠れて練習したポーズなので自信がある  感謝の意を伝えた。 アインズの中に居る鈴木悟は、社会人であるがゆえにこの行為に強烈な忌避感(きひかん)を訴えているが……

 

(おおう……やはりフィースもか)

 

 視界の端で様子を伺っていると、眼を輝かせたフィースは嬉しそうに頭を下げた。 コッソリ取ったアンケートの結果『支配されてる感があって良い』と、高圧的な態度は非常にウケが良く、受け取る本人がコレで喜んでいる以上アインズの嗜好は二の次になる。 支配者は部下が気持ちよく働ける環境を作らねばならぬのだ。 それがたとえ、生身の鈴木悟の場合、胃に穴が開きそうなストレスを感じるとしても。

 

(なんでだ? まさか、全員がこうなのか?)

 

 かつての仲間が作ったNPCは、全員Mなのだろうか。 アインズは表面に出ないように心の中で首を捻る。 世の中には、そんな特殊性癖を持つ人物が居るとバードマンの友人から聞いた事があるが、まさかナザリック全体がそうなのだろうか。

 

 答えが出ない悩みを抱えたまま席に着いたアインズが、アルベドが用意してくれた報告書を読んでいると。

 

「アインズ様。 捕らえたまま放置してある陽光聖典部隊員の処遇の件ですが  

 

 すっかり頭から抜け落ちて忘れてしまっていた存在の名を挙げた。

 

(あ……。 しまった、ドクトルのキャラが強烈過ぎて言われるまで完全に忘れてた!)

 

 流れるハズの無い冷や汗が、骨の額を流れた気がした。

 

「も……んだい無いとも、アルベド。 あの程度の連中なら、優先順位などいくらでも下げれよう」

「はい、アインズ様の仰る通りかと」

 

 ニコリと微笑んだアルベドは、急に目を輝かせ。 「ちなみに私の優先順位はアインズ様がトップです!」 と、胸の前で手を組んで興奮した面持ちでアインズに迫った。 突然の事に虚を突かれ、至近距離まで来る事を許してしまったアインズは、アルベドの異様な様子に少し仰け反る。

 

「トップなのです!」

「お、おう……」

「私がちょー愛してる魅力値MAXを振り切ってるアインズ様を差し置いて、外に何か優先すべき事などありますでしょうか!? いいえ、ありません!」

「お、落ち着くのだアルベド! お前の思いは嬉しく思うが、時と場合をだな!」

 

 ハッとして落ち着きを取り戻したアルベドは、謝罪を口にすると頭を下げた。

 

「まったくもう……はぁ。 さて…そうは言ったものの、流石にこれ以上放置も出来んか」

 

 そもそも、陽光聖典隊長であるのニグンがユグドラシルプレイヤー……つまりクサダと繋がりがある可能性があったため、拷問官が行なう情報収集を一時凍結していたに過ぎない。 クサダが、カルネ村を襲った武装集団や陽光聖典と係わり合いが無いと解った今、わざわざ生かして監禁している必要はないのだ。

 

「ドクトルの案で作った製品の、実地テストも問題なく終わった事だ。 今度は情報収集といこうじゃないか」

「その事なのですがアインズ様。 陽光聖典隊長のニグンの存在を知った博士が是非話を聞いてみたいとの事で、既に尋問を開始しています」

「……何? ドクトルが?」

「はい。 何か不都合が御座いましたでしょうか?」

 

 クサダのこの行動に不都合が生じ得るか。 アルベドの言葉を受け、アインズは腕を組んだ状態で顎先を摘まみ考える。

 

(問題……ないよな? 話を聞くくらいなら別に……。 むしろ、シモベ達の前では口を閉ざしていたニグンも、ドクトルの前では何か喋るかもしれないしな。 一応、ドクトルの見た目は人間に見えない事もないし……ナザリックのシモベは見た目からしてアレだからなぁ……)

 

 以外と結果オーライかも。 と、結論を出したアインズは、余裕タップリといった様子で鷹揚に頷き、うんざりするような思いでいつもの支配者ロールを続けながら言った。

 

「いや、それでいい。 好きにやらせておけ」

(かしこ)まりました」

 

 (うやうや)しく跪き、臣下の礼をするアルベド。 アインズは、無条件に向けられる好意を嬉しいと思いつつも、その重過ぎる忠誠心にぐったりしてしまう。

 

 アインズは肉体的な疲労を無効にしてくれるアンデッドだが、精神的な疲労までは無効化してくれないのか、何だか身体が重いような気がしてくる。 どうせなら精神的疲労も無効化してくれよ……と、都合の良い事を考えながら、タップリ2時間練習した動作で椅子の背もたれに寄りかかると、アルベドに気付かれないように小さくため息を吐いた。

 

(はぁ。 疲れる……支配者ロールには結構慣れて来たとは言っても、24時間ずっとじゃ集中力も続かないよ……。 ああ、昔みたいに何も考えずに冒険がしたい。 真っ赤なマントを翻して……剣は健御雷さんみたいなデカイのをブンブン振り回すんだ)

 

 王者に相応(ふさわ)しい  とアインズは思っている  ポーズで、現実逃避気味にそんな事を考えていたのだが。

 

(ヤッベ、熟考なされるアインズ様カッケ! クフフ  !)

 

 なんて感じで、アルベドはアインズへの忠誠心をますます高くしていくのだった

 

 

 

 

 

 一方その頃。

 

 ナザリック地下大墳墓、第五階層―表決牢獄。 真実の部屋(Pain is not to tell)と名付けられた拷問部屋に、五大最悪と言われる『最悪な』NPCの内の1人。 役職最悪の名を持つニューロニスト・ペインキルの姿があった。

 

「うふん。 アインズ様のお許しが出たら、た~っぷり可愛がってあげるからねん。 楽しみにし・て・て、ねん」

「…………」

 

 バチコーンと音がしそうな豪快なウインクを打ったニューロニストは、水掻きの付いた細い指で、心底嫌そうな表情を浮かべているニグンの胸元に円を描いた。

 

 二度と戻らないぞ。 鳥肌が全身に浮き出るのを感じながら、彼は心の底から決意する。 一刻も早くこの場から去りたいニグンは、腰紐を引く拷問の悪魔(トーチャー)の指示に素直に従い、少し離れた場所に新しく建てられた『取調室』なる一室へ足を踏み入れた。

 

 その部屋は閑散としていた。 打ちっ放しのコンクリートで作られた壁は、ゾッとするほど無味乾燥で、冷たく灰色に染まっている。 備え付けられた机も椅子も、鉄であろう金属で出来ており、木を革で覆っただけの硬い物で座席が(しつら)えられていた。 そして、用途のわからない巨大な鏡が壁に一枚掛けられている。 じっと覗き込めば、向こう側のもう一人の自分が、こちらを冷たく睨み返してきた。

 

 悪魔に指示されるがまま、扉から一番遠い席に腰を下ろし数分待つ。 裁判官から判決を下されるのを待つ囚人のような気分で待っていると、唐突に鉄扉のノブが回され、ガチャリと硬質な音を奏で  

 

(なっ…人間だと?)

 

 ニグンは驚愕に眼を見開いた。

 

 滑らかに開く扉から現れたのは、ラフな服装の上に白衣を羽織った短髪の男だった。 醜悪な異形の者が支配し、人間種は家畜以下の扱いを受ける空間に、拘束もされていない人間が自ら歩いて入室してきたのだ。

 

 クサダと名乗ったその男は、ニグンの標的だったガゼフと同じ黒目黒髪の、南方風の姿をしている。 だが、日に焼けてはおらず、その白さは病的な印象を受けるほどた。 案内役であろう悪魔の物腰は柔らかく、アインズ・ウール・ゴウンと名乗った魔法詠唱者が『崇拝』されているとするならば、この男は『尊敬』だろうか。

 

「おう。 テメーが陽光聖典とか言うダセェ名前した組織のリーダーか」

「…………」

 

 そして、一際異質なのがその喋り方だ。

 

 服装。 異形の者達からの扱い。 博士と言う肩書き。 知的な雰囲気を匂わせるその男は、まるで知識の欠片も無いチンピラのような喋り方をするのだ。 

 

 ニグンは混乱した。

 

 何もかもが異常な空間で、何一つ異常が無いように見えるクサダの風体(ふうてい)。 正気と狂気の混じり合った歪な空気が、ニグンの心に強烈な違和感を刻み込む。

 

(いや、正も狂も沙汰(さた)(ほか)だ)

 

 自分の実力を凌駕した、逆立ちしても勝てぬ存在が数え切れぬほどひしめく地獄の底で、今更何を考えようと全てが遅すぎる。

 

(クソッ、なんだこのザマは!)

 

 ニグンは人知れず(ほぞ)を噛む。 祖国へ怪物の出現を知らせるどころか、魔法で機密情報を吐かされかねないと言う失態に。

 

(機密が漏れる事だけは何としても防がなくては)

 

 支配の魔法を掛けられた状態で3回質問に答えると、新しく開発された信仰系の魔法  最早呪いの類いだが  の効果が発動し、機密保持が行われるが……それでも3つは漏れてしまう。 3つ……少ないようで、されとて決して無視できぬ数字だ。

 

「なあオイ。 なんか言ったらどーなんだ。 ああ?」

 

 悔しさに打ちひしがれていたニグンが視線を上げると、だらしない姿勢で椅子に座ったクサダが、ジロリとこちらを睨み付けている。 利発そうな外見からは想像もつかない所作に、どこかの国の錬金術師にチンピラの精神が乗り移ったのではなのいかと、あり得ない想像をしてしまう。

 

 路上のチンピラに絡まれている気分になったニグンは、皮肉を込めて吐き捨てるように言った。

 

「俺が特殊部隊の隊長だと知っているのなら、立場上何も言えなくなっている事ぐらいわかるだろう」

「……ああ?」

 

 不遜な態度に腹を立てたのか、目の前の男は片眉を吊り上げ不快感を露わにする。 ニグンも負けじと睨み返し、室内の空気は張り詰めていく。

 

 数分か、それとも数秒か。 威嚇するように見開かれていたクサダの眼が、スッ  と細く狭まり、纏わり付いていた空気が激変する。 凍てつくものへと。

 

「お前、何も言えなく()()()()()と言ったな。 ……何故、そんな回りくどい言い方をしたのか…な?」

「ッ  !」

 

 ニグンの心臓がドクン  と、大きく跳ねた。

 

 罠だった。 この状況も、チンピラのような男の行動も、挑発的な口調も何もかも。 あえて粗暴者を装って油断を誘い、ニグンの口が滑るのを舌舐めずりして待っていたのだ。

 

(こいつ…人間だと思っていたが……違う! こんな場所にいる人間がまともなワケが無かったッ! 悪魔だ! この男の精神は悪魔そのものだ!)

 

 致命的に歪んでいた。 クサダと名乗った男の内面は、精神は、心は、2度と元に戻らない程までに異形であった。 獣の思考を読み、罠を幾つも仕掛け、獲物が罠に掛かるのを虎視眈々と狙う悪意そのものだ。

 

 最初からもっと警戒するべきであった。 異形の怪物達からの扱いや、博士と言う肩書きなど、ヒントになる情報は幾つか転がっていた。 全ては演技……ニグンの油断を誘う、三文芝居だったのだ。

 

「さて……これで記念すべき1発目の尋問内容が決まったな」

 

 邪悪な笑みを浮かべたクサダの背後に。

 

「ひっ……や、やめろ……」

 

 カラスのクチバシを模した黒いペストマスクを身に付け、純白の衣装を身に着けた道化師。

 

「これわこれわ。 至高の御方の為に働く機会を作って頂き、ありがとうございます」

 

 プルチネッラが姿を現した。

 

「おう。 コイツを自白させたい……精神支配、使えるな?」

 

 プルチネッラは、クサダとニグンヘ大袈裟にお辞儀をすると、抱きすくめるように両手を広げ。

 

「もちろんでございます。 ニグンさん、怖がる事わありませんよ。 気を楽にして。 さあ、偉大なる御方に役立てる事を共に喜びましょう」

 

 精神支配のスキルを発動させた。 思考が霞み掛かる様にホワイトアウトして行くニグンは、歯を食いしばり、額に血管を浮き立たせ支配の魔力に抵抗する。 しかし、やがて事切れるように静かになる。

 

「……大丈夫です。 支配の力わ、完全に効果を発揮しています」

「素晴らしい手際だぜプルチネッラ。 創造主の方達も鼻が高いだろうな」

「お褒めの言葉、有り難う御座います」

 

 クサダは「さて……」と呟くと、改めて向き直る。 眼から光が消え、虚ろな表情になったニグンヘと。

 

 クサダは悪巧みするのが楽しいと、悪戯を考える子供のように白い犬歯を覗かせニヤリと笑うと、1つ目の質問を口にした。 何故『言えなくなっている』のか、と。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 突然、椅子を蹴り飛ばしながら立ち上がったクサダは、怒り任せに両手を机に叩き付けるとニグンの髪を掴み上げた。

 

「はぁ~~? 無理矢理3回喋らされると爆発して死ぬ魔法だと!? んな都合のいい魔法があってたまるかこのモヒカン野郎!」

「イィィ痛だだだ! う、嘘じゃ無い、本当だ!」

 

 激痛に涙を浮かべ、抜ける抜けると叫びながらクサダの腕に追従して頭を揺らす。 何度も揺すられてから突然手を離されたニグンは、頭皮を庇いながら崩れ落ちるように椅子へ座る。 

 

 クサダは心底不快だと言いたげに盛大に舌打ちを打つと、乱暴に椅子へ腰を下ろした。

 

(くっそ~っ……そんな呪いじみた魔法があんのかよ。 コイツ等が使っていた魔法がユグドラシルにある魔法ばかりだったって聞いてたから、異世界の魔法やスキルはユグドラシルに順ずると思ってたぜ)

 

 クサダは大きく溜息を1つ吐く。

 

 3回あるチャンスは、先程の1回で潰れた。 故に、ニグンから得られる情報は残りあと2回……とはならない。

 

(しかも()()()()()()、じゃなく()()()()()()()()と発動するんだから性質(たち)が悪いぜ……)

 

 この情報流出を防ぐ呪いは、ニグンの認識が正しければ拷問などでも発動するのだと言う。 つまり、何処かで偶然、もう1回のチャンスを消費している可能性があるのだ。 今現在ニグンが生存している事を考えると、少なくともあと1回は情報を吐かす事ができる。 しかし、それは同時に次の質問でニグンが死亡するリスクも持っている。

 

 捕えられたニグンの部下は40……いや、1人が頭部が弾け飛んだ死体だったから39人。 だが、ニグンを合わせ合計120の質問が出来る……とは行かない。 何故なら  

 

(厄介だな……精神支配と言えど、間違った認識で喋られたら意味が無ぇ。 得た情報が正しいかどうか、他のヤツから聞いて擦り合わせをしてもチャンスを消費しちまうんだからな)

 

 質問しても期待した答えが返って来るとは限らず、裏を取るにも数が足らない。 蘇生の魔法を使ったとしても、蘇生するかどうかを選ぶのは魔法を受けた本人であり、結果は火を見るより明らかだ。 確実にニグンは拒絶するだろう。 これは蘇生を悪用してリスキル  リスポーンキルの略  を繰り返すハラスメント行為を防ぐ為にあるシステムだ。

 

(うーん……『テメーが持っている一番ヤバイ情報を吐け』つっても、それが本当かどうか調べられねえよな。 どうせ部下は何も知らされてない駒でしかねーハズだし)

 

 裏が取れていない情報を鵜呑みにするのは非常に危険だ。 嘘とは、真実の中に紛れ込ませるように混ぜる事で最大の効力を発揮する。 嘘の情報に踊らされた敵を罠にかけるなど、()()()のだ。

 

「チッ……しょうがねぇ。 無理矢理じゃなく、自発的に喋れば爆死しねーんだろ?」

「う……あ…な、何?」

 

 精神支配の効果時間が過ぎたのか、薬物中毒者のような顔をしていたニグンの眼に光が戻る。

 

「こっちが持っている情報を教えてやる。 『等価交換』だ。 テメーが機密情報を言えねーように、俺もヤバイ情報は伏せるがな」

「とっ…等価交換……だと? お、俺の知っている情報を、お前らに売れと言うのか」

「ああ、そうだぜ。 テメーは死なずに済む。 俺達は情報が手に入る。 テメーの国は金をタップリつぎ込んだ特殊部隊が戻ってくる。 3方丸く収まるって寸法だぜ」

 

 口を開けたり閉じたりして言い淀む、ニグンの額には冷や汗が大量に浮き出ていた。 泳ぐ目、大量の発汗、浅く早い呼吸。 クサダは見抜く…ニグンは今、過大な重圧(ストレス)を感じていると。

 

「うっ…ぐ……。 し、しかし俺は体制側の人間……公務員だ。 幾ら大した事の無い情報でも、おいそれと漏らすワケには…ッ」

 

 目端に涙を浮かべたニグンは、下唇を噛み締めながら絞り出すように言った。

 

 ニグンの弱々しい返答を好機と見たクサダは、僅かに力を込めただけで折れると判断した。 故に、ここで手の平を返し、突き放しに掛かる。

 

「あーそう。 そんじゃあテメーの部下に吐かせた情報で、今からテメーの上司を呼びつけっから」

「な、そっそれは」

 

 クサダの態度が急変し、焦るニグン。

 

 交渉決裂、奴は情報源になり得ない…と、判断されれてしまえば、彼はあのタコのような見た目をした拷問官に(もてあそ)ばれる運命が待っているだろう。 自爆の呪いの存在がバレた今、彼を待つ未来は、只々痛めつけられるだけの処刑でしか無い。

 

「土下座して『大変ご迷惑をお掛けしました』つって謝る上司の背中眺めてよぉ。 身内から余計な事をしてくれたなって目で見られてよぉ。 一般人から『アレが通りすがりに負けた特殊部隊の隊長よ』って後ろ指さされながら歩いて帰れや」

 

 薄汚れた捨て犬を見るような冷たい目で、クサダはそう言った。

 

 ニグンは考える。 まずい、このままではまずい…と。 何とかしてこの最悪の状況から抜け出さなくては…と。

 

(嫌だ! あ、あああ、あの怪物の玩具として弄ばれるのは、それだけ……は   何だ?)

 

 唐突に耳に聞こえて来る異音。 カタカタと、何かが小刻みに震え打ち付けられる音だった。

 

 ふと、辺りを見回し……謎が解ける。

 

 震えていた。

 

 怯え、恐怖し、青ざめていた。

 

 悪魔が。

 

 ありとあらゆる悪を凝縮させた異形の怪物供が、雷鳴に怯える子犬のように震えていた。 クサダの発した、嫌がらせとしか思えない仕打ちの案に、この化け物達は恐怖したのだ。 自分が同じ状況に陥り、自分の失態から支配者であるアインズに()()()()()()()しまったら、と。

 

 化物共にここまで崇拝されているアインズ・ウール・ゴウンとは、一体何物なんだ。 ニグンは、そんな疑問と共に自身の心が落ち着いていくのを感じていた。 周りの人物が自分以上にパニックを起こすと、逆に冷静になる現象だ。

 

 ニグンは思い込んでいた。 交渉と見せかけた一方的な口撃。 この男、ドクトル・クサダの狙いは、重要情報を持つニグンの希望を奪い去り、プライドを打ち砕き、尊厳を踏み躙り屈服させるのだと。 そして、実際その通り  

 

 

 

(いや……違う! こいつは誘っているのだ!)

 

  では無い!

 

 

 

 

 

(ドクトル・クサダ! 奴の狙いは  孤立したスレイン法国との戦争だ!)

 

 

 冷静さを取り戻したニグンは、ふと立ち止まり……現在の状況を整理して思考する。

 

(俺を取引材料にされたく無い祖国の神官長達が、新たな特殊部隊を此処へ侵入させ、奪還作戦や口封じを考えるだろう。 アインズ・ウール・ゴウンが持っている戦力を隠していた場合、賭けに出た長達が強行手段を取る可能性を排除出来ない……)

 

 祖国、スレイン法国が武力行使に出た場合どうなるか。

 

 虎の子である秘密特殊部隊・漆黒聖典の投入  不可能。 1度しか使えない至宝を(もち)いてまで召喚した威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)の1撃を平然と耐え、あまつさえ1発の魔法で消滅……そう、正しく『消滅』させたアインズ・ウール・ゴウンの力は凄まじい。 絶対に勝ち目は無い。

 

(神人……いや、駄目だ。 祖国最大の切り札はあの場所から動かせない。 あのクソったれの竜族に見つかったら、アインズ・ウール・ゴウンが無傷の状態で法国が滅ぶか弱体化してしまう。 そうなっては、この化け物供の思う壺だ。 クソ、個でも群でも勝てる者がいない……ッ!)

 

 ならば。 国力を総動員しての戦争  不可能。 アインズ・ウール・ゴウンの護衛の黒い鎧を着た騎士……今だから解るが、恐らく此処にはあんな怪物が大量に居るのだ。 全面戦争に入れば、これ幸いと「こちらは被害者。 宣戦布告されたのは我々である」と吹聴するだろう。

 

 人間至上主義を掲げる法国は周囲の国々  主に亜人国家やエルフなど  と外交上・軍事上共に問題を抱ええいるし、(あまつさ)えエルフの国とは戦時中ですらある。 そんな状態で援軍や支援を求めても一笑に付されるどころか、好機と見た敵対国・敵対種族から逆に攻められかねない。 絶対に弱みを見せられ無いのだ。

 

 戦争・外交とは1対1ではないのだ。 政務者は第三国の存在も加味せねば、その国は容易に亡国と化すだろう。 主義故にとは言え、全方位敵対外交を取る法国であれば尚更に。

 

(マズイ……マズイぞこれは……。 上からの指示とは言え、リ・エスティーゼ王国の村々を襲ったのはバハルス帝国の騎士に偽装させた工作員だ。 ガゼフ・ストロノーフを生かして帰してしまった今、祖国が工作員を送った事は知られている……。 ああクソ、これでは帝国・王国両方に恨まれてしまうではないか!)

 

 人間が人口の大半を  帝国はエルフも  占め、なおかつ国力もそこそこある国は、帝国と王国の2つのみ。 現在の状況でこの2国に支援を求めても、良い顔をしないに決まっている。 しかも、相手が耳障りのいい大義名分を主張する強大な組織であれば尚の事。

 

(だ…めだ……打つ手なし…………だ。 なにもかも、すでに詰んでいる……)

 

 ニグンは絶望した。

 

 底なし沼に()まり込んでしまった気分だった。 もがけばもがくほど、ズブズブと音を立てて汚泥が体を包み込み、口を覆い、鼻を塞ぎ、眼を閉じさせていく。 まさにそんな気分であった。

 

 ガックリと力無くうな垂れると、両手の平を見せて降伏の意思表示をする。 手首にまわされた手錠が、チャラリと金属音を響かせた。

 

「わかった……()()()()だ。 そちらの案を全面的に飲もう」

 

 不機嫌そうな表情をしていたクサダは、ニグンが全面降伏の意思を見せると急に真顔になり「…………ふーん。 ま、それならそれでいいけどな」と、つまらなそうにそう言った。

 

 突然、金属製の簡素な机に陶器製の器が、ドンと音を立てて乱暴に置かれた。 白地に青い縦縞模様の入った底の深い食器で、同じく陶器製の蓋が被されており中身は(うかが)い知れない。 だが、食欲をそそる良い香りが(わず)かに漏れ出ており、何らかの料理ではないかとニグンは予想した。

 

「とりあえずコレがテメーの昼飯だ。 報酬の前払いってヤツだな」

 

 ダルそうに立ち上がったクサダは「今さら爆死してもらっちゃー困るからな」と、ピラピラと手を振りながら肩越しにそう言うと、扉を開けて出て行く。 同時に、クサダの背後で護衛のように立っていた悪魔も、室内の片隅で黙々と会話を記録していた悪魔もノートを閉じると退室していく。

 

 一人、取調室に残される形になったニグン。

 

「なんなのだ、一体……」

 

 誰も居なくなった部屋で、ひとりごちる。 今、ニグンの胸中を渦巻くのは、強烈な敗北感だった。

 

「昼飯、と言っていたな……あの男は。 そうか……今は昼なのか……」

 

 窓が一切無く、人工の光しか届かない環境に長時間晒され、時間の感覚はすでに無い。 魂まで吐き出しそうな深い溜息を1つ吐くと、おもむろに目の前に置かれた器の蓋を開け  

 

「こ、これは!」

 

 ニグンは驚愕に眼を見開いた。

 

 蓋を持ち上げた瞬間、フワリと暖かな湯気が立ち上り、良い香りが鼻腔(びこう)をくすぐる。 高価な、大量の油で揚げられた分厚いカツレツが黄金色に輝く卵でとじられており、まるで金貨の海原を漂う1艘の船のようだった。 久々の暖かい食事に、胃は空腹を訴え泣き叫び、唾液は洪水のように溢れ出る。

 

 ゴクリと無意識に喉を動かしたニグンは、匙を手に取りそのまま肉へと差し込んだ。

 

(柔らかい!)

 

 殆ど力を入れていないのに、プツリと抵抗無くカツレツは断ち切られる。 震える手をそっと持ち上げると、黄金色の卵の下には真珠のように白く輝く粒が敷き詰められていた。 見た事のない未知の食材に若干気後れするも、強力な食欲に背を押され1口頬張る。

 

  ッ!」

 

 言葉にならなかった。 美味いの一言では表せない。 かなりの空腹である事も関係しているであろうが、それでも記憶にある何よりも美味であった。

 

 ニグンは無心で頬張る。 2口、3口と、かきこむ様に嚥下し……頬を暖かいものが流れる。

 

(くそっ! くそぉっ!! 何の涙だこれは!)

 

 ニグンの眼からは、何時の間にか涙が流れ落ちていた。 何の変哲も無い、バフ効果も回復効果も無いただの料理に、だ。 アインズに見せ付けられた力量差か、クサダに思い知らされた敗北感か、祖国の情報を売って得た安心感か。 どれが理由なのか本人にもわからなかった。 ただ、無性に、泣けてきたのだ。

 

 

 

 ……器が空になるまで、大して時間は掛からなかった。

 

 

 

 

 

 

 情報収集の途中経過をアインズに報告するため、クサダは第9階層ロイヤルスイートを歩く。

 

「思ったより()()。 ニグンと言ったか……途中で俺の狙いに気付きやがった。 かろうじて、だがな」

「狙い、ですか? 私にわ、あの人間の男が博士の智謀に膝を屈しただけに見えましたが」

「いんや、あんなもん大した事無いさ。 セオリー通りに進めただけなんだからよ」

 

 歩み寄ってから突き放し、主導権を握り有利に交渉を進める。 なんて事は無い、ただの交渉人(ネゴシエイター)の技術だ。

 

「練習すりゃー誰にでも使える、ただの技術さ。 ……どうだ? 仕掛さえわかっちまえば、つまらねえだろ?」

「いえ。 私わ素晴らしい技術だと思います、博士」

「まっじっめだねぇ〜〜」

 

 そう言ってクサダが苦笑いを浮かべると同時、執務室に詰めていた一般メイドの1人が、両開きの扉を開けてくれる。

 

 手動自動ドア……いや、自動手動ドアか。 と、どうでもいい事を考えながら、クサダは執務室に備えられた長椅子に座る。 対面にはアインズが  そして何故かアルベドも  座り、その後ろに困った表情を浮かべたデミウルゴスが、控えるように立つ。

 

「あ゛  ……ニグンの尋問結果なんだけどよぉ〜〜」

 

 どう言ったものかと言い淀むクサダ。

 

「なんつーか……わからねぇ事がわかったっつーか、その、なんだ。 ……3回口を割らせようとすると自爆する、謎の魔法食らってるらしい」

「……はぁ?」

「いやマジで。 精神支配ブッ込んでゲロさせた情報だから嘘じゃねー。 ヤツら……殺られた(slain)法国とかフザケた名前の組織は、新しい魔法を()()出来るんだとさ」

 

 人間種の最大の国スレイン法国は、個人名や何らかの固有名詞ではなく、物騒な英単語を国の名に冠する国だ。 名前からしてユグドラシルプレイヤーか、少なくともリアルの世界に繋がりがある『何か』が、その国には存在すると容易に想像出来ると、クサダ面倒そうに漏らす。

 

「それは……厄介だな」

(あっぶね  ! 自分でやってたら自爆される所だった!)

 

 未知の国に、未知の魔法があり、未知の脅威が居る。 スレイン法国が、この世界の覇権国家になり得て無いことから、軍事力等は他の国とあまり変わらないのだろう。 しかし、プレイヤーの影がチラつく国が脅威足り得ないともならない。

 

(なるほど……やっぱりドクトルに任せて正解だった。 ゲームが現実になったみたいな状況だったけど、やっぱりゲームの時とは色々違うのか)

「やはりスレイン法国は一筋縄ではいかないか」

「だねぇ。 おっと、言い忘れる所だった。 聴取の記録をトーチャーにしてもらってたんだよ」

 

 アインズはトーチャーから一冊のノートを受け取り。

 

(こんなの渡されても弁護士とかじゃ無いんだから分かるわけ無いんだけど……とりあえず頷いておくか)

「フム……なるほど……」

 

 パラパラと流し読みした後、デミウルゴスに渡し。

 

「御苦労だったな」

「いえ、ナザリックのシモベとして当然の事をしたまでです」

 

 アインズが労いの言葉をかけると、デミウルゴスとその部下であるプルチネッラ達が喜色満面の笑みで頭を下げた。

 

「それにしても……人間のくせに味な真似をするわね。 一息に踏み潰せたらどんなに気が晴れるか」

(……え?)

「それは難しいと思いますよ。 まあ、個人的にはアルベドに同意しますが」

(……は?)

「そうだねぇ。 今んトコわかってる中じゃあ、法国が一番邪魔かな」

(……ちょ)

 

 やがて、何やら話の流れが怪しい方向へと向かい始め、アインズは嫌な予感に背筋を凍らせる。 そして、その予感はすぐに的中する事になった。

 

 くつくつと肩を揺らしながら、攻撃的な笑みを浮かべたクサダは「だからよぉ〜〜」と続ける。

 

「ニグン餌にしてこっちのホームグラウンド に誘い出してよぉ〜〜皮を1枚1枚剥ぐように少しずつ国力を削いでいって潰してやろうと思ったんだがよぉ〜〜」

 

 勘付かれて降伏されちった。 てへ! と戯けてみせるクサダ。

 

「惜しいですね。 もう少しで()()()()()かもしれませんでしたのに」

「だな〜〜 シャルティアやコキュートス達の見せ場が作れるかと思ったんだがよぉ〜〜……ま、獲らタヌだ獲らタヌ。 欲張りすぎは良くないぜ」

「でも情報収集の目的は果たせそうじゃない。 これなら、機密情報以外なら吐かせられそうね」

 

 聴取の記録を見ていたアルベドが、微笑みながら言った。

 

「まあな。 ……大幅ショートカットは出来なくなっちまったが  」腕を組んだクサダは頭を(かし)げる「スレイン法国にプレッシャーも掛けれるし、これはこれでアリなんじゃねぇかな」

「しかし、命を取らない約束をしてしまって良かったのですか?」

「ッハ、んなもんタダの口約束なんだから『殺さないと言ったな、アレは嘘だ』の一言でオシメーだよ」

「ああ、それもそうですね」

 

 ハッハッハ。 と、(なご)やかに談笑を楽しむ3人だった……が、しかし。

 

(ええ  !? な、何笑ってるんだ3人とも!)

 

 アインズ1人だけ、カルマ値-500の会話にドン引きしていた。

 

(の、農業で外貨を稼ぐんじゃあ無かったのか!? いつの間に国盗りする事になってるんだ!? キャー怖い! ドクトル怖いアルベドとデミウルゴスも頭良すぎて怖いけどドクトルも別ベクトルで怖いぃぃ!)

 

 アインズの想定をはるかに超えたクサダの行動。 例えるならば、鈴木悟の勤める会社の後輩が彼を過剰評価し、ただでさえ胃が痛いのに「先輩ならこれくらい余裕っすよね」と、キャパシティを超える契約を取り付けてきたようなものだ。 しかも、そのやり方が結構エグイと来た。

 

 マジグッジョブ! と、アインズがこの場にいないニグンへ心の中で親指を立てていると。

 

「フフフ…… デミウルゴス、重要なのはそこじゃないわよ?」

 

 悪戯が成功した子供のような笑みを浮かべたアルベドが、なにか気付かないかしら? と指を振る。

 

「ほう……アルベドは気付いたようですね。 さて、この情報ですと……」

 

 考え込むデミウルゴスに、クサダはパチンと指を鳴らし、謎解きを楽しむかのようにヒントを口にした。

 

「……ヒントは『手札』だぜ、デミウルゴス」

 

 少なすぎるヒントを得たデミウルゴスは、顎先を摘まんで考え込む。 そんなんでわかるか! と心の中で絶叫するアインズの背後で「…………! 成程、そう言う事ですか。 流石はアインズ様……」と、常に微笑を絶やさないデミウルゴスの表情が驚愕に染まり、一瞬だが金剛石の瞳が顔を覗かせた。

 

「全ては御身の(たなごころ)の上。 アインズ様の深謀遠慮(しんぼうえんりょ)、感服致しました。 少しでもアインズ様に近付けるよう精進いたします」

 

 デミウルゴスはアインズの前に来て跪き、悪魔達も慌てて続く。 そうする事がもっとも正しく、あたり前であるかのような滑らかな動作であった。 アインズの背筋に、存在しないハズの汗が滴る。

 

「へっへっへ…… そう、今回重要なのは『俺は手札を一切用意して無い』ことだぜ。 俺はスデにあった手札を順番に切っただけっつー事さ……!」

 

 と、未だに理解の色が見えていなかった悪魔達に、クサダは人差し指を立てて補足した。 眼を一層輝かせ、口々にアインズの智謀を褒め称えるシモベ達にかける言葉を、アインズは1つしか知らない。 そう。

 

「さ……すがはアルベド。 我が狙いを見抜くとは」

 

 である。

 

 



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ガゼフだろうと稼ぎたい

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あらすじ

アインズ「将を討ちたいならまず馬を、だ。 ここは慎重に情報収集を……」
ドクトル「あ゛あ!? 将を撃ちてーんなら撃ちゃあ良いじゃねーか!
     オラ上司呼んで来いニグンオラ!」
モヒカン「あっ(察し やめてください(毛根が)しんでしまいます」
ドクトル「チッ。 気付かれたか」
アインズ「ニグングッジョブ!」



現在のナザリック生産物

・そこそこの量の硫黄
・そこそこの量の高シリカ火山灰
・やや少ない量の鉄スクラップ
・まぁまぁの量のスケルトンの骨
・数十個単位の瓜科果物
・数百個単位の柑橘果物
・数千個単位のオリーブの実
・やや少ない量の過燐酸石灰
・バケツ数杯の硫酸
・MPが続く限りの塩酸
・プロトタイプの農業機械
・計測不能の量の石灰岩
・かなり多い量の生石灰
・かなり多い量の消石灰
・かなり多い量の石灰水
・そこそこの量のセメント


 アインズへの報告を終えたクサダは、ニグンのいる取調室に戻りがてら食堂に寄り、受け取ったマグを口へ運びつつ廊下を歩く。 側には3人の悪魔。 デミウルゴスと、その部下であるプルチネッラとトーチャーだ。

 

 口々にアインズの智謀を褒め称え、感動に身を震わせる部下の熱気を背に感じ、デミウルゴスは思考する。

 

(一体、いつの時点で御計画なされていたのでしょうか)

 

 人間の中で、最大かつ最多の軍事力を持つであろう法国。 アインズが最初に立てた計画は、その、最も厄介で影響力の強い国を()()()()()()()、国家スケールでの斬首作戦。 軍事に身を置く者にとって、最も誉れとする最高の作戦。

 

 ナザリック随一の知力と自負するデミウルゴスをして、なお足元にも及べぬ主人の智謀。 1歩も2歩も先を見た、未来視に達する策謀の片鱗。 流石は『頂点(アインス)』を名に戴く至高の存在である……と、彼は微笑む。

 

 アインズが打ったのは1手。 カルネ村を救うという、たった1手を投じただけである。 それだけ……あの寂れた村1つ救うだけで国が滅ぶとは、一体誰が気付けるだろうか。 あのアルベドですら「人間しかいない無価値な村」としか考えなかったのに……だ。 

 

 しかし、アインズは違った。 あの寒村で得た僅かな情報で法国を追い詰め、陽光聖典を生け捕る事で尻尾を掴み、クサダをナザリックに引き入れる事で王手を掛けたのだ。

 

 アインズの執務室で  クサダからのヒントがあったにせよ  気付いたその時、足の爪先から頭の頂まで、甘い痺れのような歓喜の波が登っていったのを感じた。 絶頂に至るような、蠱惑的な痺れを。

 

 デミウルゴスは思う。 もっと主人の叡智に触れたいと。

 

(しかし……本当に惜しいですね。 ギリギリで気付かれてしまうとは)

 

 1つミスがあったのは、クサダに着けた部下が恐怖に慄き、それをニグンに悟られてしまった事だ。 聴取記録の筆跡が僅かに震えているのを見つけ、恐怖心から慄いた事に気付いたデミウルゴスは、自らの部下の大きな失態に強く叱責しようかと考えたが……左右に軽く頭を振って、いいえと却下した。

 

 あの状況では、誰を貸し出そうと恐怖に震えただろう。 デミウルゴス本人ですら、ああ言われてしまえば恐怖心を隠し通せたか解らないのだ。

 

(フフ……だとしても、追い詰められている事に変わりはありませんが……ね)

 

 そう、変わらないのだ。 すぐ滅ぶか、時間が経ってから滅ぶか。 詰みの状態で負けるか、キング以外のコマを剥ぎ取られてから負けるかの違いでしかない。 精々足掻いて貰いましょう。 と、デミウルゴスは悪魔的な笑みを浮かべる。

 

 だが、1つ気掛かりな事があった。 不安と言ってもいい。

 

「……何故、アインズ様は何も(おっしゃ)らずご自身で計画為され行動されたのでしょうか。 一言仰って頂ければ……まさか、私どもの能力にご不満が?」

 

 心に重くのし掛かる不安は、口を()って言葉に変わる。

 

 此処にいるのがアルベドであれば「デミウルゴス。 アインズ様のお考えは私達の及ぶものではないわ」と、慰めにも似た答えが返ってくるだろう……しかし。

 

「恐らくは、だがよぉ〜〜……間者を警戒しての事なんだろうな」

「間者……ですか? まさか、我々の中にスパイがいるのですか!?」

 

 血相を変えて叫ばれた不穏な単語に、プルチネッラ達の表情が凍った。

 

 だが、クサダは手の平を向け「待て待て、早とちりするんじゃあない」と(たしな)める。

 

「将来的な話だろうよ。 アインズさんがNPC達の教育を重要視する事から鑑みて……『間者には理解できないが、守護者には理解できる』方法で意思を伝えたいんだろ」

「つまり……私にアインズ様のお考えを代弁する機会を頂けるのも……」

「そうだ」

「間違った指示では無いか考えよ……と仰られるのも……」

「その通りだ」

「なるほど……それでアインズ様は自分で考えるようにと。 スパイが虚偽の情報を流した場合を想定していたのですね」

「そうだな。 命令書とかも、署名が偽造されちまったら嘘の命令で誘き寄せたりされちまう。 報 、連、相を重視するのも、情報強度を上げる為だろうぜ」

 

 もっともらしい理由に得心がいったのか、ブルリと身を震わせたデミウルゴスは「流石はアインズ様…」と、熱っぽい吐息を吐き出した。

 

 そんなNPC達の姿を横目で伺いつつ、クサダは(基本的な事なんだがなぁ)と心の中で頭を傾げる。

 

 違和感の正体には薄々気付いている。 最初から強者であれと創造された彼らNPCは、創られた存在(NPC)であるか故に経験が足らないのだ。 失敗した経験が。

 

 敗北を知らない者は、攻勢に出ている時は強いが…一旦、守勢に回ると脆い。 自分の弱点に気付かなかったり、背後に迫る敗者の烙印に、未経験が故に人一倍恐れてしまうからだ。 だから認められない。 負ける事が恐ろしいから。 まだ終わって無い、まだ負けたワケじゃ無い、まだ取り返しが付く……そしてズルズルと深みに嵌って行く。

 

 一般的に埋没費用(サンクコスト)と呼ばれるこの心理は、金銭的・時間的・精神的に支払ったコストが高ければ高い程強く現れる。 多額の投資を行った事案に対し、それが損失であることが判明したにも関わらず、それまでの投資を惜しみ、さらに投資を続け損失を拡大してしまう事をこう呼ぶのだが……コンコルド症候群(Concorde syndrome)と言った方が解り易いだろうか?

 

(やって見せ、言って聞かせて、させて見せ。 褒めてやらねば……だったかなぁ。 『子供』とはよく言ったもんだぜアインズさんよ。 確かにまるで、子供のようだ)

 

 それならば  教えてやればいい。

 

 幸い、彼らは聞く耳は持っている。 モチベーションもたっぷりだ。 ちゃんと理由を説明すれば、嫌な顔1つせずに  恐らくはだが  学びの門を潜ってくれるだろう。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 最後の1枚の報告書を読み終えたアインズは、既読の印として朱色の判を押す。 これから先、報告書だけでなく企画書や始末書なども増えて行くとなると、気が滅入りそうになる。

 

(やっと読み終わった……プレゼンする側だった俺が、まさかされる側になるなんてなぁ)

 

 一仕事終えたアインズは、肩を回したり目元を摘んだりして  意味はないが  コリをほぐす。 しかし、疲労は肉体的にではなく精神的に感じているので、疲れが取れた気が全然しない。

 

(明日からお前社長なーなんて、急に組織のトップに据えられて苦労してるのは、どうせこの世界じゃ俺だけなんだろうなぁ)

 

 かなり精神的に参っている様子のアインズ。 ヘッ…ってな感じで、やさぐれた彼は慣れない毒を吐く。

 

 息抜きにナザリック内を見て回ろうか、なんて事を考えていた時だった。 ふと、ニグンと情報交換しているクサダの様子が気になる。 あれ? そう言えば、ナザリックに取調室なんてあったっけ? と。

 

 アインズが席を立った瞬間、瞬時に立ち上がるフィース。

 

(早っ。 ヤル気が凄いのは嬉しいんだけど、なんか監視されてるみたいで生きた心地がしないんだよなぁ。 俺、オーバーロードだけど)

 

 後を付いて来ようとする彼女に、氷結牢獄へ行くだけだからと言って押しとどめる。 仕事を中断される形になるからか渋るフィースに、代わりに机の上の書類を片付けておく様に頼み、アインズはリングを起動して移動した。

 

 

 

 眼前の景色がスライドを交換する様に入れ替わり、寒風が吹き荒ぶゴウゴウと唸るような音が耳元から聴こえて来る。 普段であれば、冷気ダメージを持続的に与える仕掛けが施された第5階層だが、現在省エネ運転中であり……今はただ寒いだけだ。

 

「うっわー…雰囲気出てるなぁ」

 

 取調室は目立たない場所に建てられていたが、すぐに見つかった。

 

 打ちっ放しのコンクリートで固められた無機質な壁に、これまた装飾が一切無い普通の扉が2つ。 それが4セットあり、同時に4人から聴取が出来るようになっていた。

 

「うっわ懐かしい。 ウチのアパートとほぼ一緒だよこのドア」

 

 手慣れた動作でドアノブを回す。

 

 そこは、アインズがまだ鈴木悟だった頃の自室より一回り狭いくらいの部屋だった。 冷たい灰色の壁、冷え切った椅子、無機質な机。 ギルド随一の策士、ぷにっと萌えがこの室内を見たら「なんともまぁエグい方法を考えつくものですね」と、呆れた声を上げるだろう室内だった。

 

(ひえーっ。 こんな部屋で『お前がやったんだろ!』って凄まれたら、何にもやってなくても『よくわからないけど私がやりました』って言っちゃうよこれ!)

 

 アインズの戦闘スタイルは、ぷにっと萌えからの教えに大きく影響を受けており、まるで詰将棋のようだと揶揄される。 アインズが正々堂々と  奇襲も騙し討ちも、基本的にゲームのルールに則っていると言う意味で  PKにはPKKで応じるように、ぷにっと萌えも奇策を使いつつも清いPVPを(たしな)んでいた。 ならば、クサダもそうか……と言うと、アインズ達とは毛色が違う。

 

 クサダのやり口は、所謂(いわゆる)ちゃぶ台返しだ。

 

 強敵には正面から挑まず、敵対する理由そのものを潰す。 邪魔な者が居れば、騙して誘って自滅させる。 バグの利用が規約違反に書かれていなかったら、嬉々として利用しただろう。 例えるならば、いかに最高効率を叩き出すかに価値を見る、ハイスコアゲーマーと言うやつか。

 

(それにしても……面倒くさいからって、自分で立てた手柄を俺のせいにして押し付けて来るのやめて欲しい……)

 

 大量の知識を持つクサダに難点があるとしたら、性格が愉快犯そのものである事だ。 過程を愉しむ事にしか興味が無く、得られた利益を持て余した結果、全部アインズへ投げて来る。

 

 例えば、とある少女がトリック オア トリートと言ったとしよう。 「うるせえイタズラさせろ!」となるのがバードマンで、一緒になってトリック オア トリートと()()()()()のが堕天使だとしたら、困り顔見たさに山吹色のお菓子(ゲンナマ)の束を差し出して来るのがコイツ。

 

(さあ盛り上がってまいりました脳内が!)

 

 そんな想像……いや、妄想の景色が頭の中で展開され、自身の疲労を再確認したアインズ。 軽く頭を振って現実に戻って来ると、踵を返して無人の部屋を後にする。

 

(一体、何を考えてるんだろうかドクトルは。 まさか、ノリで言っちゃった世界征服の冗談を間に受けて、世界を滅ぼす算段とか付けてないよな……ないよな?)

 

 少し前に、何故クサダはユグドラシルで金を稼ぐロールプレイを続けていたのか気になったアインズは、それとなく  ポロっととも言う  聞いて見た事があった。 金を稼ぐだなんて、そんな仕事みたいな事を……と。

 

 その時クサダは、何故そんな質問をするのか解らないという、ポカンとした表情で「だって楽しいだろう?」と言った。

 

「遊ぶ理由なんて、そりゃあ楽しいからに決まってるだろー。 ユグドラシルはゲームなんだぜ?」

 

 何を当たり前の事を、と笑うクサダ。 後頭部をガツンと殴られたような気がした。

 

 ユグドラシル最終日、自分は何を思ったか。 楽し()()()と過去形で考えていなかったか。 遊ぶためのゲームだったのに。 そんな考えがグルグルと巡った。 アインズ・ウール・ゴウン全盛期の頃は、会社での飲み会を断ってでも早く帰宅し、1秒でも長く遊ぶぞと胸を踊らせていたが……後の方は、拠点の維持費を稼ぐだけの惰性でしか無かった。

 

 いつからだろうか。

 

 ゲームを作業と感じるようになったのは。 ゲームが楽しいだなんて当たり前の事を忘れてしまったのは。

 

(まさか…ドクトルはそんな俺を見抜いて、あえて明るく振舞っている……?)

 

 そんな馬鹿な……と、思う。 自分に都合の良過ぎる考えだと。

 

 だが、偶に「人の心を読めるのでは……」と、ドキッとする事もあるのも事実。

 

(もし…もし俺がただのサラリーマンで、そんなに大した奴じゃ無いってバレているとしたら……)

 

 クサダの()()()()()は、一体何なのだろうか。

 

 アインズの背筋に、冷たいものが流れる。 そしてそのまま、不安に背を押されるように隣室のドアノブを捻り  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前があの辺で色々やっていたのはわかっている! いい加減認めたらどうなんだ!」

 

 バンと大きな音が響く。 前を見ると、マジックミラー越しに、金属机に平手を振り下ろしているクサダの姿が見えた。 やや薄暗い室内の中で、お椀を逆さにしたような形の安っぽい卓上照明が光を机上に落としており、机を叩いた衝撃でカタカタと小刻みに揺れていた。

 

 

 

「何これ!?」

 

 

 

 クサダは卓上ライトを引っ掴むと、黙秘する容疑者(ニグン)の顔にライトを当ててすごむ。 眩ゆい光を間近に浴びて、ニグンは迷惑そうに表情を歪めた。

 

「あ、ドクトルこれ自分が遊びてぇだけだわ」

 

 今まで不安に考えていた問題の答えが、ストンと降りてきた。 重く受け止めていたのが馬鹿らしく思えて来る。

 

「バカバカしい……面白い推理ですね刑事さん」

「刑事さん!?」

「お前があのおっさんを誘き寄せるために、あの辺をやったんだろう!」

「あの辺をやったって何だ。 おっさんってガゼフの事か」

「ああそうだよ……あんたの言う通り、あのおっさんをアレするためにやったんだよ!」

 

 大真面目に茶番を続ける2人のやり取りを見て、膨らんでいた風船が萎んで行くように全身の力が抜けていく気がする。

 

「……話がフワッとしてんだよなぁ」

 

 無いはずの脳が痛んだ気がして、アインズは側頭部を押さえた。

 

 情報収集  正しくは情報交換だが  という大事なことを、クサダは大真面目に茶番を演じながら楽しそうに進める。 それに付き合わされているニグンに同情的な視線を向けつつ、アインズは2人を眺めた。

 

 

 

 急に神妙な顔付きになったクサダが、ニグンの肩に手を置き、諭すような口調で語りかける。

 

「田舎の母さんにどう顔向けするつもりだ」

「母親とか言っても、そんな簡単に行くワケが無いだろうが。 そもそも田舎って何処だよ」

 

 安っぽい刑事ドラマなら、ここで犯人(ホシ)の情に訴えかけた説得で真犯人(ホンボシ)の名が割れたり、犯人が改心したりする所だが……

 

「うっ、うう…グスッ……」

「嘘だろオイ!?」

 

 なんと! ニグンは涙を流さずに泣き始めたではないか!

 

「罪をつぐなって、またやり直すんだ。 お前なら、まだやり直せる……!」

 

 物凄い棒読みで再起を促したクサダは、壁に向かって歩き出すと人差し指でクイッとやった。

 

「ねーよ地下にブラインドカーテンは!」

 

 改心した犯人らしいニグンは、刑事っぽいクサダとガッチリと握手を交わす。

 

「おいニグンお前それで本当にいいのか!?」

 

 一人、納得の行かないアインズを置き去りにして……

 

 

 

 ◆

 

 

 

 日が高く上り、そろそろ昼食に何を食べるか考え出す時間帯。 王国首都リ・エスティーゼの町並みの中で、肩を怒らせながら歩く一人の男がいた。 人類最強の名を冠する王国の切り札……ガゼフ・ストロノーフだ。

 

「クソッ! 批判する事しか能の無い、無能共め! そもそも、お前ら貴族が装備の持ち出しを禁じたせいで苦労したのではないか!」

 

 適当に立ち寄った屋台で購入した鶏肉のグリルと、日持ちするように硬く絞まったパンが入ったカゴを片手に、不満を口々に噴き出させつつ歩く。

 

「裏に法国が一枚噛んでいると言っても、信じない所か真っ向から否定し、あろう事か任務の失敗を隠すための方便とまで言うとは!」

 

 流石に失敗隠しの言い訳とまで言わせるのは、ガゼフを雇っている国王への侮辱とも捉えられるので撤回させたが、今回の襲撃に法国が裏で暗躍している事は最後まで認めさせられなかった。 証拠として帝国騎士に扮していた工作員の鎧を提出しても、帝国の鎧なのだから帝国の騎士だ……の一点張りで認めようとしない。

 

 あまりにも強固に認めようとしないのは、国王の名声を貶める作為のためだろうと、ガゼフは睨む。

 

 自国民の命が失われていると言うのに、そこまでしてなお王の存在が邪魔なのか……と、貴族に対して怒りを通り越して殺意すら覚えた。 しかし、国王であるランポッサⅢ世を差し置いて、ただの暴力装置である自分が反論するのもまた出来ない。

 

「今は、派閥が違うからとくだらない理由で争っている場合ではないと言うのに……貴族の者達は楽観的ときた! 来る日も来る日も、王の力を削ごうと無意味な政争を繰り返す!」

 

 陽光聖典の一人でも捕らえられたらグウの音も上げさせずに認めさせる事も出来ただろう。 しかし、ガゼフはアインズに助けられた身であり、逃げられてしまったと言った  本当は捕えたのではと疑っている  陽光聖典を引き渡して欲しいなど言えるはずも無い。

 

 結果、やった・やってないの押し問答となり。 結局は、法国の関与は疑わしいものの確たる証拠が無いため保留と、グレーの判断をランポッサ王は下した。

 

 そして、紛糾(ふんきゅう)するだけして、何も得られずに報告を終えたガゼフは、昼食と昼休憩のため一旦自宅へと足を運んだと言うわけだ。

 

「……ん?」

 

 が、普段見慣れた我が家に見慣れないものが1つある。

 

「馬車? しまった、来客があったのか」

 

 (しつら)えの良い馬車が1台停まっていたのだ。

 

 来客の予定をあらかじめ知らされておらず、何らかの連絡手段も持たないガゼフが、来客を待たせた事を申し訳なく思う必要は無いが……こればかりは性分だとしかいいようが無い。

 

 少しでも…と、小走りで近付くと、馬車の陰から1人の老紳士が姿を現した。

 

「連絡もせず、突然の来訪申し訳御座いません。 王国戦士長ガゼフ・ストロノーフ様でしょうか?」

「いかにも。 して、何用かな?」

「申し遅れました。 わたくしアインズ・ウール・ゴウン様の執事を申し付かっております、セバス・チャンと申します。 以後、お見知りおきを」

 

 一本の柱のように背筋がピンと伸びたセバスは、ピシッとした姿勢で頭を下げる。 王室で様々な執事・メイドを眼にする機会があったが、どれよりも素晴らしいと思える所作だった。

 

 セバスが馬車に「アインズ様。 ストロノーフ様が参られました」と言い、扉を開ける。 中から姿を現したのは、漆黒のローブと前回会ったときとは違う意匠の仮面を被った魔法詠唱者……アインズ・ウール・ゴウンだった。

 

「おお、ゴウン殿!」

 

 アポ無しの訪問を詫びるアインズに、何時でも訪問してくれと言ったのは私の方だから、頭を下げる必要は無い。 と、ガゼフはにこやかに笑みを見せる。

 

 そして、馬車から降り立つ影がもう一人姿を現す。 ラフな服装の上に真っ白な上着を羽織った1人の男。

 

「おっすおっす、俺は腐田っつーんだ。 よろしこ」

 

 ピッと片手をチョップの形にして挨拶するクサダ。 懐から取り出された1枚のカードを受け取ったガゼフは、アインズ達とは雰囲気がまるで違うその男に眼を白黒させる。

 

 ガゼフは文字が印刷された名刺に目を落とす。 受け取ったカードには、しなやかな硬さがあり真っ白だ。 柔らかく、クリーム色をしている羊皮紙ではない未知の素材が使われていた。 字を書く為に使われているインクもまた見た事の無いくらい深い黒(カーボン・ブラック)で、普段使っている没食子(もっしょくし)インク  鉄と虫こぶ(タンニン)を混ぜた強酸のインク。 ベートーベンもこれで楽譜を書いた  の濃い紫色よりも綺麗に印字されていた。

 

「こ……れは、異国の文字ですかな? 失礼。 不勉強ゆえ読めず、なんとも言えないのだが……」

 

 渋い表情で頭を捻るガゼフ。

 

 ここで、アインズの脳裏に豆電球的なものが発光するイメージがピコーンと浮かんだ。

 

「その通りです戦士長殿。 実は、私達はかなり遠方の場所から来た者でして」

「ははぁ。 確かゴウン殿は旅の途中と……それで魔法に長けた貴方の名を聞いた事が無かったという訳ですな。 いやいや、それにしても良くぞ参られた。 立ち話も何でしょう、狭苦しい場所ではありますがどうぞ中へ」

 

 よっしゃ! と、アインズは袖の中で小さくガッツポーズを作る。 これで多少、常識知らずだったり、当たり前の話を知らなかったりのミスがあっても「まぁ外国人だから」の理由で、勝手に納得してもらえる。

 

 上座を勧めてくるガゼフの気遣いを、やんわりと断ったアインズは、ガゼフの対面の下座に座ると姿勢を正す。 これは最早、癖というか鈴木悟の性質と言ってもいい行動であり、客の立場で上座に座るのは非常に居心地の悪い思いをしてしまうのだ。

 

「ところで、ゴウン殿は昼食は取られましたかな?」

 

 頑丈な木の机の上に、香り立つカゴをドサリと置いたガゼフが問いかけた。

 

「いえ、まだですが」

「それは丁度良いタイミングでしたな。 どうだろう、一緒に昼食でもと思うのだが」

「それは  

 

 ガゼフは知らないが、アインズはアンデッド。 それも、肉も皮も無い骸骨だ。 噛み付いて食い千切ることは出来ても、頬も舌も無いため、飲み込む事はおろか咀嚼する事すら出来ない。

 

 しかし。

 

「お気遣いありがとうございます。 折角ですし、お呼ばれしましょうか」

 

 アインズは朗らかに了承した。

 

「それは良かった。 いや、ゴウン殿が参られる事を知っていたら、そこらで買った安物でなくもっと良い物を用意したのだが」

「いえいえ。 急に訪ねたのは此方ですし、そこまでしていただかなくても。 ……それに、頂くばかりでは申し訳ないですし、此方からも幾つか提供させて貰いましょう」

 

 アインズは無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァザック)を取り出すと、中からナザリックで生産したオリーブオイルや、各種果物を取り出していく。 ちなみに、オリーブオイルの蓋はネジ式だと怪しまれるので、コルク式だ。

 

「ほほう。 これはなんとも珍しい……果物? ですな」

「ええ、実は戦士長殿のお宅へ訪問したのもこれらと関係した事でして」

 

 アインズは仮面を取り、目深に被っていたフードを下ろす。 現れたのはガゼフと同じ、黒い髪に黒い虹彩の痩せ気味の男。

 

  !」

 

 仮面の下から出てきた予想外の姿に、ガゼフは驚きに眼を見開いた。

 

「成る程…仮面を取りたがらない訳だ。 その出で立ち……南方の血を引くのだな。 さぞご苦労なさった事だろう」

「ええ、まぁそれなりに。 この辺りの人達とは肌や髪の色が違うので、色々と厄介事に巻き込まれやすいのですよ」

「魔法に長けたゴウン殿が異邦人と知られれば、無用なやっかみを受けかねないからな。 ……私も昔は、この見た目で苦労したものだ」

「戦士長殿が? はは、にわかには信じられませんね」

 

 昔を懐かしむように喋るガゼフに、アインズは冗談っぽく茶化す。

 

「いやいや、本当に。 王に戦士長として登用して頂け無かったならば、私は今も傭兵団の中で腐っていだろう。 ……お! これは美味いな」

 

 雇われている老夫婦が切り分けてくれたバゲットにオリーブオイルを塗り、塩胡椒を振りかけて焼いたトーストを囓ったガゼフが驚きに目を見開く。

 

「それは良かった。 では、私も1つ頂きましょう」

 

 アインズもバゲットを1口頬張る。 カリカリに焼けた香ばしいパンが、心地よい音と共にサクリと弾けると同時、オリーブオイルの爽やかな香りが鼻腔を抜ける。 みっちりと詰まったパンをひとたび噛み締めれば、染み込んだオリーブオイルのスッキリとした渋みと、塩胡椒のピリッとした刺激が舌の上で踊った。

 

「こ…れは……ふう。 戦士長殿の言う通り、とても美味しいですね」

「ははは、ゴウン殿から頂いた油が良いのだろう。 普段のパンは、もっとパサパサしていて味気なかった」

「いえ、自分で持って来ておいて、こう言うのは何ですが……味見をしたのは今が初めてでして」

 

 意味が解らないと首を傾げるガゼフ。

 

「このオリーブオイルを作ったのは、私の守護……部下です。 実の所、我々は少々路銀に困っている状況で……いえ、今すぐどうこうと言う訳では無いのですが、収入源が限られてしまっているんですよ」

「ほう……この油や果物はゴウン殿の地方の特産品なのだな」

 

 2人は食事を進めながら会話を交わす。

 

(よっしゃ、けっこう打ち解けてきたな。 このまま行けば大丈夫そうだ)

 

 話の内容はともかく雰囲気は悪く無い…と、アインズはサラリーマン時代の経験から感じ、イヤッホォォウ! と飛び上がる。 無論、心の中でだが。

 

「はい。 と言っても、これを商品にしようと言い出したのは私では無いのですが」

「中々に鋭い着眼点を持つ部下がいるようだ。 ……本当に、優秀な部下がいるのは羨ましいな」

「ええ。 それが先程挨拶させて頂いた、ドクトル・クサダと言う男です。 あの白衣を着た彼が  

 

 クサダに商品の説明をさせようと思い、姿を探すが……いない。

 

「え、どこ行ったあいつ。 一緒に玄関潜っただろ……」

 

 あ〜そう言えば妙に静かだったなー。 と、額から汗を流しつつ、アインズはガゼフに聞こえないように小さく溜息を吐く。

 

 状況を察してくれたガゼフが一緒に辺りを見回して探してくれる。 そして、ふと2人の視線が窓の外  中庭に向く。

 

 そして、2人は目にする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんと、そこにはガゼフの飼い犬と戯れるクサダの姿が! 端を結んだロープの引っ張り合いっこをして遊んでいるではないか!

 

 肩の力が、ガクゥーッと抜けて行くのをアインズは感じた。

 

「うん、まぁ、たまに凄いんだ……たまに……」

「た、たまに…か。 はは、何と言うか……個性的だな」

 

 ガゼフに気の使われた言い回しをされ、通信簿の所見欄みたいな事を言われているクサダ。

 

「それにしても…ゴウン殿。 大分雰囲気が変わりましたな」

「えっ、そ、そうですか?」

(まずい、何か勘付かれたか?)

 

 アインズの表情が引きつり、ガゼフは「いやいや、深い意味は無いのだが」と豪快に笑う。

 

「何と言うか…そう、余裕を感じると言うのかな。 最初に会った時は、もっとこう……張り詰めているような印象があった」

「あ……すみません、気が抜けていたようで」

「いや、咎めているのでは無い。 むしろ、私は今のゴウン殿の方が親しみやすくて良いと、そう思う」

「は、はぁ……」

 

 自分よりも年上に手放しで褒められると、何だか恥ずかしいような照れるような。 あまり褒められる経験を積んで来なかったアインズは、何と返して良いか解らず、曖昧な返事をしてごまかす。

 

「ん゛ん! そ、それで本題なのですが、戦士長殿に折り入って頼みたいことがありまして」

 

 アインズは勤めて真剣な表情を作り、口を開く。

 

「リ・エスティーゼ国王、ランポッサⅢ世に御目通り願いたい」

「…………」

 

 ガゼフは答えに窮する。 国王に面会したい理由……それは、今テーブルに上げられたアインズの故郷で採れるらしい特産品を、国に直接買い上げて欲しいのだろう。

 

 確かに、商人ギルドを通すやり方は色々と弊害が多い。 そもそも、商人ギルド・工廠ギルドなどの組織は、外部の者が新規参入する事で過当競争が起き、結果的に争った両者が共倒れする事を防ぐために作られた。 自国の者ですら参入が難しいと言うのに、人種的にも外部の、しかも王国商人に何のパイプを持たないアインズが簡単に加入出来るはずがない。

 

 心情的には、ガゼフもアインズの手助けがしたい。 アインズは命の恩人であり、友人なのだ。 自分の代わりにカルネ村の村人を守って貰った恩もある。 だが  

 

「……難しい。 それは難しい頼みだゴウン殿。 私は戦士長の位を与えられてはいるが、平民出身なのだ。 陛下に陳情するまでは出来る…いや、必ずしてみせるが、お会いになられるかどうか……」

 

 立場上、王から直接命令を受けられたり話したりする機会があると言うだけで、頼みや相談が出来る訳では無いのだ。

 

「私はそれで構いませんよ、戦士長殿。 ……それに『彼』の事を知れば、()()()会って下さると思います」

「……彼?」

 

 訝しげに眉を潜めるガゼフの前で、アインズは仮面とフードを被り直す。

 

 ギギィーと間延びした扉の開く音に、ガゼフは視線を移し   眼を零れ落ちぬ程に見開き、絶句した。

 

  なッ!」

 

 ガゼフはその男を知っていた。 つい数日前に会った事のある男だったからだ。

 

 ガゼフはその男を探していた。 つい先刻前まで話題に登っていた男だからだ。

 

 ガゼフはその男に殺意がある。 その男に自国の民を無差別に殺されたからだ。

 

 ガゼフの前に姿を現したのは……罪無き民間人を無慈悲に殺し、数多の亜人種の命を奪った、頬に傷のある黒衣の男。 法国特殊部隊・陽光聖典隊長。 ニグン・グリッド・ルーインだった。

 

 

「貴様! どうやって首都(ここ)まで進入した!」

 

 

 無防備に棒立ちでいるニグン。 ガゼフは、魔法詠唱者のニグンに魔法を使わせる隙を与えんと、瞬時に抜刀し首を刎ねる   前に。

 

 いつの間にか背後に迫っていたクサダに右手首を掴まれ、鞘から剣を抜けないでいた。

 

「まほーだよ、まほー。 ホント、魔法ってヤツは理不尽だぜ……なぁ? そう思うだろ?」

 

 クサダに掴まれた右腕が全く動かせず、ガゼフは瞠目する。 こんな細く見える腕に、何故この様な膂力があるのか。

 

「あーコイツな。 ニグンっつーんだが、ガゼフのおっさんが知らんとこで…まぁ色々あってよ。 運良く逮捕出来たんで連れてきたんだわ」

 

 カラカラと笑いながら、偶然だぜ偶然。 と、クサダは(うそぶ)く。

 

「おっさんさぁ~~カルネ村での件で法国が関わってんの貴族連中に認めさせたかったんだろ? 渡りに舟じゃあねーか」

「な、何故それを!」

「んな事どうでもいいだろ? 重要なのはよぉー……全ての黒幕を知る人物が此処にいて、ソイツの身柄を俺達が自由に出来るっつー事だ。 ……あとはお前さん次第だな?」

「……話が見えないな。 一体何が言いたいのだ」

 

 ガゼフの興奮が収まってきた事を確認したクサダは、掴んでいた手を離す。 万力にでも締められたような跡が、手首に痛々しく色付いていた。

 

「なぁ……貴族の連中がよ。 あの状況証拠タップリ、証言からも法国のニオイプンプンの状態で、それでも頑なに認めようとしなかったか……何でだろうなって疑問に思わなかったのか?」

「それは……」

 

 チラリとガゼフはニグンの様子を見る。 だが、王国の国王派閥と貴族派閥の確執(かくしつ)は最早知れ渡っている事だ。

 

「……貴族共は王の権力を削ごうと、少しでも不利になるように  

「はいバーカ、おまえバーカ!」

「なっ!」

「そんな上っ面ばっか見てるから追い詰められんだよ! 性根が腐ってるとは言え貴族っつー名前した組織のトップだぞ? そんだけ材料揃ってて気付かねぇワケね  だろうが!」

「何だと!? では、法国の関与に気付いていて、なお否定していたのか!」

 

 売国奴め……! と、ガゼフは唇を噛む。

 

「いいか常識人! テメーにありがたーい格言を教えてやるぜ……『弱い犬ほど、良く吼える』だ」

 

 何が面白いのか、何が楽しいのか、クサダは笑みを絶やさず喋り続ける。 得意げに人差し指を立て、出来の悪い生徒に言い聞かせるように、ゆっくりと。

 

「随分キャンキャンと煩く吼えてくれたよなぁ……何でそこまで()()()吼えたんだろうなぁ……?」

 

 諦めきった表情をしているニグンが口を開く。

 

「弱い犬が吼えるのは、それだけ恐怖を感じているからだ。 こちらに来るなと威嚇している」

「そう、その通り」

 

 パチリとクサダは指を鳴らす。

 

「では何故……恐怖を感じる? 法国が1枚噛んでると認めた先に、何があって恐怖している? ……そういえば、随分都合の良いタイミングで装備の持ち出しが禁じられたなぁ?」

「ま…さか……! ……確かに私は貴族達に恨まれている。 私を消せば国王派は大きく力を削がれるだろう……しかし  

 

 1つの答えに行き着いたガゼフは、その吐き気を催す程の邪悪に戦慄(わなな)いた。

 

「だからと言って他国の武装集団を招き入れ、あろう事か自国の国民を殺させるとは! いくらなんでもあり得ないだろうが!」

 

 貴族は法国に操られていたのではなく、()()()()()()()からニグンに協力したのだ。 自分の利益の為ならば、例え隣人だろうと敵国に売り渡す……最もドス黒い邪悪。

 

 その答えに行き着いたガゼフは、行き場の無い怒りを拳に込めて両手を机に叩きつける。 太い骨組み、厚い板で作られた机は、ガゼフの(いきどお)りを受け止めてヒビ割れ軋む。 震える程に握り締められた拳は白く変色していた。

 

「まぁ、洗い浚い喋るのと引き換えに、お咎め無しの交換条件にしねぇとニグンも協力しねぇだろうがな。 よーするに司法取引ってヤツだぜ」

「なんだと! 何の償いもさせぬまま解き放てと言うのか!」

「はん? じゃあどうするかね? 怪しい貴族を拉致して拷問して吐かせるかね? ……それじゃあヤクザじゃん」

「うっ……ぐ……!」

 

 何も言い返せずにいるガゼフを、クサダは冷たく見下ろす。

 

 ガゼフは視界の端で、顔面を蒼白にしたニグンが少しでもクサダから距離を取ろうと後ずさるのが見えた。

 

「ふん……お前も人を殺すのは悪い事だと言うクチか? 命を奪う事は罪な事だと?」

「……当たり前だろう。 直接手に掛けていないだけで、この者の行いで多くの民が傷付いた」

 

 (かぶり)を振って、搾り出すように答える。 そんな彼を見て不機嫌そうに鼻を鳴らしたクサダは、残り物の鶏肉を1切れ摘まんで眺める。

 

「命なら、この鶏肉にも宿っていたぞ。 お前の飼っている犬も、その老夫婦も生きている。 この鶏肉の命と、その犬の命と、そこの老夫婦の命……全て平等にひとつの命だ」

 

 指先で弾くように放り投げられた肉は、吸い込まれるように中庭へ飛んでゆき、犬が空中でキャッチする。 鳥の死肉を、ガゼフの狗はその獰猛な牙で噛み砕き、磨り潰し、嚥下した。

 

「ストロノーフ。 お前も罪無き鳥の命を奪い、空腹を満たす為だけにその肉を貪ったろう。 王の命令で、戦争や治安維持などの理由で『敵』を殺したろう」

「鳥と人間では比べものにならん! それに、敵は殺さねばならん理由がある!」

「では、それらの命の何が違う?」

 

 ガゼフが口を開くよりも前に、クサダは遮るように言葉を発した。

 

「それは価値だ。 価値が違うのだ。 生物・無生物分け隔て無く、全ての存在は平等に不平等だ。 皆同じく等しいものなど、この世に存在しない」

「何が言いたい。 ……言っておくが、罪無き無辜の民を傷付ける事は邪悪の他ならないだろう!」

「違うな」

「……なに?」

「殺しは悪ではない。 そう言ったんだよ、ストロノーフ。 ……いや、正しくは()()()()()が悪なのだ。 自分の損になることを悪、得になることを善と決めただけだ。 正義など、それ以上でもそれ以下でも無いのさ」

 

 戦争で敵を殺しても罪にはならんが、仲間を殺すと罪だろう? と、クサダは背を向けたまま言った。

 

「1人殺せば人殺し…10人殺せば殺人鬼……100人殺せば英雄か。 皮肉なもんだな」

「お前は…一体……」

「選べ、ストロノーフ」

「……な、何?」

「お前は持たざる者だ。 自分の我を通す武力も、窮地を脱する知恵もない。 迫り来る運命に抗う(すべ)を持たないお前には、両方を取る資格はない。 お前は弱いから」

 

 だから選択しなければならない。 何を生かすべきなのかを。

 

 だから切り捨てなければならない。 何を殺すべきなのかを。

 

「さあ、選べストロノーフ。 誰を救うのか……犠牲にするのか……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  生贄を選べ  

 




アインズ様の食事トリックは、2つのアイテムを使いました。
口唇虫じゃないよ。


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あらすじ


おっさん「あー貴族ウッザ。 あ、お客さんきとるやん!」
アインズ「王様に会わせて欲しいなー果物も油もあるのになー」
おっさん「でもお高いんでしょう? 私平民だし……」
ドクトル「そんな事はありません! 今ならニグンも無料で付いてくる! お買い得だよ!」






現在のナザリック生産物

・そこそこの量の硫黄
・そこそこの量の高シリカ火山灰
・やや少ない量の鉄スクラップ
・まぁまぁの量のスケルトンの骨
・数十個単位の瓜科果物
・数百個単位の柑橘果物
・数千個単位のオリーブの実
・やや少ない量の過燐酸石灰
・バケツ数杯の硫酸
・MPが続く限りの塩酸
・プロトタイプの農業機械
・計測不能の量の石灰岩
・かなり多い量の生石灰
・かなり多い量の消石灰
・かなり多い量の石灰水
・そこそこの量のセメント


 翌日、王都最奥部。

 

 外周1.4キロメートルの城壁、12もの巨大な塔に囲まれた場所に、国王の住むロ・レンテ城が天を突くように建っていた。

 

 面積にして東京ドーム3つ分と、軍事拠点にするには非常に手狭な印象を受ける。 しかし、機甲戦も航空戦も()()()()存在しないこの世界では、十二分に機能を発揮する堅城であると言えた。

 

 そんな城壁に、燦々と照りつける暖かい朝日を浴びるロ・レンテ城は、普段の静かな朝と違い喧騒に包まれていた。

 

「控え室の清掃はまだ終わらないの!?」

「ただいま終わりました、メイド長!」

「執事長! 陛下の沐浴が済み次第、すぐ朝食に移れますがどうしますか!」

「時間が有りません。 今回は着替えの前に、陛下に御朝食を召し上がっていただきます。 その間にお召し物の準備を」

「畏まりました!」

 

 身分尊き者の朝は遅い。 いや、別に王族・貴族と言った者達が怠惰だからと言うワケでは無い。 単純に夜が遅いのだ。

 

 会合や会食、立食パーティーなど、人付き合いに重きを置いた政治活動をする都合上、どうしても夜遅くまで起きていなければならない。 そのしわ寄せが、俗に言う重役出勤といわれる遅出だ。

 

 しかし、今日は違った。

 

 緊急の要件の無い主だった貴族達に、強制的に召集が掛かったのだ。

 

 深い眠りに落ちている所を叩き起こされ、不満を顔中に表した貴族達が王城の貴賓控え室に通される。 欠伸を噛み殺す者、腹立ち紛れに召し使いに当り散らす者、船を漕ぐ者など様々だ。

 

「こんな時間に突然呼びつけおって! 大した用件でなかったらただじゃ置かんぞ!」

 

 唯でさえ騒がしい待合室に、怒号が響き渡った。

 

「落ち着かれよリットン伯爵。 騒ぎ立てても時間は戻りませんぞ」

「おお、これはこれはボウロローブ候」

 

 今の今までしかめっ面をしていた男の表情が、パッと明るくなる。

 

「伯爵は今回の一件、何も聞かされておらぬのか?」

「その通りです。 昨日は大事な会合に深夜まで掛かり切りだったというのに……迷惑な話ですな、全く!」

 

 眉を吊り上げて吐き捨てるように言ったリットンは、腹立たしさを隠そうともせず膝を上下に揺らす。

 

「ふむ。 ……噂によると、今回の召集…あのガゼフ・ストロノーフを救ったと言う魔法詠唱者(マジック・キャスター)が望んだとの事とか」

「ガゼフ・ストロノーフを? ……確か、アインズ・なんとか・なんとか、でしたか?」

「まぁ、噂では……な」

 

 ボウロローブは、そう言葉を濁すと腕を組んで口を閉ざした。

 

 ……本当はそんな噂など流れていない。 ボウロローブの息の掛かった間者が最初から王城に配置されていただけで、たまたま御喋りな第三王女の口から漏れた情報が流れてきただけだ。

 

「理解出来ませんな。 何故そんな、どこぞの馬の骨とも解らぬ者の望みを聞いたのです」

「さあな。 ……まぁ、ガゼフ・ストロノーフは国王のお気に入りだからな。 甘い判断を下すのも無理も無かろう」

 

 平民上がりの下賎の輩のくせに! と、憤慨するリットンの言葉を聞き流していると。

 

「皆様、大変長らくお待たせいたしました。 謁見の間の準備が整いましたので、移動をお願い致します」

 

 深々と頭を下げ、執事長が謁見の開始を知らせに来たのだった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 アインズの朝は早い。

 

 と言うのも、睡眠など不要……というか眠りたくても眠る事ができない身体では、何時起きるかではなく、何時始めるかでしか無いからだ。 

 

 クサダは「うひょー! 何日徹夜しても全ッ然眠くなんねーぜ!」と喜んでいたが、ただの一般市民でしかなかったアインズとしては手放しに喜んでいいものかと思う。 まぁ、その後クサダは「せっかく寝なくて良くなったのにゲームが無ぇぇええ!」と、膝から崩れ落ちていたが。 絶対、不眠不休でゲームざんまいする気だったな……と、アインズは呆れる。

 

 確かに眠くは無い。 人間の三大欲求、食欲・性欲・睡眠欲は無くなって  性欲は仄かに感じるが  いるとしても、ずっと中身の入ってない頭を使いっぱなしだったのだ。 生活リズムが狂うからとか、気分を落ち着かせるためとか適当な理由をでっち上げて、1人になる時間を確保したかった。 それがダメなら、せめて何も考えないで居られる時間が欲しかった。

 

 1度だけ、アインズ当番の一般メイドに、それとな~く一人になりたいと伝えた事があったが……それはそれはもう、世界の終わりみたいな表情をして泣き崩れられてしまった事がある。

 

「フフ、それだけではありませんよ」

 

 アインズは、鷹揚に両手を広げながら振り返る。 そして、数秒間静止した後、振り返る前の姿勢に戻る。

 

「フフ、それだけではありませんよ」

 

 再び、鷹揚に両手を広げながら振り返る。

 

「……せんよ。 ……こうか? もう少し斜に構えた方が見栄えがいいか?」

 

 巨大な姿見の前で、手首や腕の角度を微妙に調整しながら何度も繰り返す。 プレゼン中の自分が自信タップリに見えるように、尊大な態度の手本はクサダを選んだ。

 

「ん゛ん! ……フフ、それだけではありませんよ」

 

 自分のポーズに納得したアインズは、(かたわ)らのメモ帳を手に取るとペンで丸を付ける。 この次は、デミウルゴス達に深読みされた時に使う「やはりそうか……」の練習だ。

 

 アインズが鈴木悟であった頃。 プレゼンに挑む前は、ありとあらゆる状況を想定し、来るであろう質問の答えは全て用意する……と言う方法を取っていた。 クサダのように、ある程度準備したら後は適当〜なんて雑な方法は無理なのだ。

 

 もちろん、アインズだってハッタリの練習など恥ずかしい事だと分かっている。 そうでなければ一般メイドはおろか、秘書のアルベドや八肢刀の暗殺蟲(エイト・エッジ・アサシン)などの護衛の入室を禁じたりしない。

 

 結果的には一人になる時間は出来た。 クサダのおかげというか、クサダの所為でというか、そんなこんなでこうして理想の支配者を装う練習する時間は出来た……が、色々と失う物もあった。

 

 1人になりたい事を伝え、一般メイドに泣き崩れられた話には  アインズは思い出したくも無いが  続きがある。

 

 

                                            

 

 

 クサダは、自分は必要とされていないと泣きじゃくるフォアイルの肩に手を置き、真剣な表情でこう言った。

 

「男にはな……プライバシーが守られた、1人にならなければいけない時間と言うものが必要なんだ……!」

 

 クサダは右手を上下に振った。

 

  ハッ! ま、まさか……!」

 

 アルベドも右手を上下に振った。

 

「そのまさかだッ……!」

 

「いや違ぇーから!」

 

 キメ顔でとんでもない事を言い出したクサダ。 アインズは慌てて否定の叫びをあげた。

 

「も、申し訳ございません! そこまで考えが至らず!」

 

 沈痛な表情を浮かべたアルベドが、アインズに跪いて頭を下げる。 そのような事がしたくて1人になりたいワケじゃあ無いと、アインズは否定しようとするが慌ててしまってうまく言えない。

 

 モタモタしている内に、胸の前で手を組んだアルベドがパッと顔を上げる。 潤んだ目、上気した肌、恍惚とした表情で見つめられ、アインズの存在しない心臓が跳ねた。

 

「ですが、何も1人で致さなくてもよろしいのではとアルベドは思います! 宜しければ、私の口でも胸でもお好きな場所を肉便k  「いや違えーつってんだろ! アルベドも律儀にドクトルのボケに付き合わなくてもいいんだぞ!?」

 

 これ以上アルベドに発言させては危険と判断したアインズは、被せるように声を張り上げた。

 

「ですが、ですがアインズ様!」 しかしアルベド、食い下がる。 「ちょっとだけ! ほんの少しでいいのです! ほんのちょっとだけ頂けるだけでいいのです!」

 

 何をだ。 などと聞けはしない。 アルベドなら一片の躊躇(ちゅうちょ)なく言ってのけるだろうからだ。

 

 アインズは静かに、そして少し寂しそうに首を左右に振ると口を開く。

 

「……アルベド。 私は偽りの生命しか持たぬアンデッド……オーバーロードだ。 私にはもう、この骨の体とナザリック以外……何も無い」

「しかし……アインズ様!」

 

 

 

「ナニも無いんだよ!!」

 

 言わせるなコンチクショウ! である。

 

「大丈夫だアインズさん!」

「どこがだよ! 大丈夫な部分がひとッッつもねーわ!」

「まぁまぁまぁまぁ………あーほら、ゾンビってさ……心臓止まってんじゃん?」

「……? まぁ、アンデッドだからな」

「心臓止まってるって事はさ、血圧もゼロって事じゃん?」

「……はあ」

「血圧が無いってのは海綿体にも血が(かよ)って無いって事だからさ……」

「あ  ………」

 

 クサダは戦う前から戦闘不能である。 夜戦どころか演習すら不可能なのだ。

 

「…………」

「…………」

 

 辺り一帯を沈黙が支配する。

 

 アンデッドとは、何故これほどまで悲しい存在なのか。 何故このような仕打ちを受けねばならないのか。 同じアンデッドでも女のシャルティアは  同性同士だが  構造の違いで致す事が出来ているというのに、男は偽りの生を受けた時点で役立たずなのだ。

 

 なんたる性差別。

 

「…………やめよっか、この話題」

「…………そうだな。 ……誰も得しないしな」

 

 とまぁ、その場にいた全員の心に苦いものを残しつつも、そんなこんなでフォアイルの誤解を解き、アインズはプライベートな時間を手に入れることが出来たのだった。

 

 

                                            

 

 

 以上が事の顛末である。

 

 喪った相棒の存在は大きい。 いや、物理的にでは無く精神的に。 だが、いつまでも嘆いてはいられない。 アインズ・ウール・ゴウンはアンデッドであり、空腹も睡魔も感じなければ疲労も無い。 感情だってある一定のラインで抑制され、常に冷静な自分で居られる。 ……タイムラグはあるが。

 

 だが、流石にそうだとしても  

 

「休みたい……」

 

 精神的疲労までは無効化してはくれないのか、鈴木悟の精神は疲労を訴え悲鳴を上げている。 休憩しようと懇願してくる。 だが  

 

「何をしている。 時間が無いんだ……頑張れ、俺」

 

 そう、時間が無い。 休むワケには行かないのだ。

 

 まさか、謁見の出来る日が翌日になるとは思わなかった。 例えるならば、商談のアポを取りに行ったら「では明日朝イチに本社に来てください」と言われたようなものだ。 普通は「来週のこの時間に〜」となるハズだった。

 

 もう1度言うが、鈴木悟がプレゼンに挑む前は、ありとあらゆる状況を想定し、来るであろう質問の答えは全て用意する……と言う方法を取っていた。 ……話が速すぎた。 イメトレも資料も、何もかも用意出来ていない。 だからアインズは、こんな朝っぱらから『テスト開始ギリギリまで必死こいて勉強する受験生』みたいな気分でプレゼンの練習しているのだ。

 

「ナザリック最高支配者に相応しい……手本となるようなプレゼンを……」

 

 アインズは血反吐をブチ撒ける思いで学術書を開く。 専門的な、突っ込んだ質問に答えられず商談が失敗したら、マーレやデミウルゴス達がせっかく作ってくれた商品が全て無駄になる。 失敗は許されないのだ。

 

 ビッシリと文字が書かれた本を開き、化学肥料や現代農法の項目をブツブツと口に出して暗記する。 ワケのわからない数式、始めて見る単語、日本語以外で書かれた文章などを見ていると眩暈がしてくる気さえする。

 

 だが、今は理解する必要は無い。

 

 どうせ、貴族のような教育を受ける機会があった人間でさえ、科学においては鈴木悟以下の理解力しかないのだ。 難しい単語を並び立て、自分は理解していますよとポーズを決めればいい。 つまり煙に巻くのだ。 本当に理解している必要があるのは、社長ではなく技術者……クサダなのだから。

 

 幸い、アインズは暗記が得意だ。 自分の持つ700以上ある魔法を全て覚え、敵が使って来るだろう魔法もかなりの数を覚えた。 たとえ、ルシャトリエの原理とは可逆反応が平衡状態にあるとき、外部から平衡を支配する条件(温度・圧力・濃度)を変えると、その影響を緩和する方向へ平衡が移動し新しい平衡状態となる事……とか書かれてて「呪文かよ!」と理解出来なくとも、覚えてしまえばいいだけだ。

 

 そこで、アインズの左腕からピピピと電子音が鳴る。

 

「時間か……」

 

 かつての仲間が直々に声を吹き込んだ激レア腕時計は、設定されたデジタル目覚まし時計のような音を奏でながら、光の点滅と音で時間の経過を告げた。 アインズはショッキングピンクの腕輪に指をかざし音を止めると、学術書をパタンと閉じインベントリにしまう。 正直言って準備不足も(はなは)だしい。 上手く行く自信は無いに等しかった。

 

 だが、それでもやるしかない。 賽は投げられたのだ。 

 

 寝室を後にし、執務室へ向かう。 

 

「では行ってくる。 私が居ない間、ナザリックの事は任せたぞ……アルベド」

「はい、行ってらっしゃいませアインズ様。 御武運をお祈りしていますわ」

 

 思わず見とれてしまう流麗な所作で跪き、臣下の礼を取るアルベド。 アインズは熱のこもった視線を送る金の瞳に見つめられながら、暗黒の渦に身を投じるのであった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 リ・エスティーゼ首都王城。 玉座の間。

 

 ガゼフは自らの身だしなみを再度チェックした。 もう間も無く、アインズ・ウール・ゴウンと王が謁見する時間が来る。 その際、王の側に仕える自分が恥ずかしい身なりをしていては、自身の主・ランポッサ3世の品格まで疑われてしまうし、アインズにとっても失礼だ。

 

 国王へ先日の話を事細やかに伝えると、異例中の異例で、かの魔法詠唱者(マジックキャスター)との面会は即座に行なわれる事となった。 もちろん、アインズ・ウール・ゴウンが恩人である事、そして法国特殊部隊隊長・ニグン捕縛の功績が大きいのだろう。

 

 だが。 クサダにその事を伝えると、彼は少し苦笑いして「ふーん…やっぱ警戒されてんねぇ……」と言った後、すこし楽しそうにクスリと笑ったのだ。

 

(ううむ……確かに話を伝えた翌日に謁見、とは異例だが……様々な政務を後回しにしてまで優先するほど、王が感謝していると言う事ではないのか?)

 

 ガゼフは自身の無学を呪いたかった。 剣一本で成り上がってきた自分には、王が何を望んでいるのか、何を危惧しているのか解らない。 アインズの話を聞く限りでは、ただの商談で終わる…………ハズだ。

 

 無力感が心を(さいな)む。

 

 暗い感情が心の中で頭をもたげ……頭を振って心を入れ替える。 今はそのような事を考えている時ではない、と。 自分は王を害なす者を誅するのみ。 一本の剣なのだ。

 

  おや?)

 

 続々と入室してくる貴族達の中に、一際目立つ2人の姿が眼に飛び込んでくる。 得に眼を引くのは、2つ名の元となった美しい髪を輝かせ、海千山千の貴族をして思わず振り返ってしまう美貌を持つ第三王女  ラナー・ティエール・シャルドロン・ヴァイゼルフ。

 

 そして、ニコニコと満開の花のように笑顔を振りまく彼女の後ろには、日焼けした小麦色の肌を白い鎧に押し込んだ、(いわお)のように表情を硬くした少年  クライムの姿があった。

 

「ねえクライム。 今日はお父様にお客様が来られるんですって。 戦士長様の危機を救った魔法詠唱者(マジックキャスター)って一体どんな方なのかしら?」

「ひ、姫様。 もう玉座の間ですので……」

「もう…クライムったら硬いのね。 まだ準備の途中なのだから、少しくらいお喋りしてくれてもいいじゃない」

 

 ラナーは頬をプクッと膨らませるとそっぽを向く。 ただでさえ巌のように硬い表情をしているクライムの表情がダイヤモンドのように固まった。

 

「もっ、申し訳御座いません姫様。 ですが  

「……クスッ、冗談です」 ラナーは破顔した。 「話の続きなのですけれど、その方はお父様にとても珍しい物をお持ちしたいからなのですって! 何があるのか楽しみね、クライム」

「姫様、御戯れを……。 しかし、珍しい物…ですか。 私には想像すら付きません」

「うふふ、知りたいですか? では、クライムには特別に教えてあげます」

 

 まずい、とガゼフは思った。 ニグンの事を貴族に知られると、焦った貴族が何をしでかすか予想が付かない。

 

 悪戯好きの子供のように笑うラナーは、口元に人差し指を当てる。 彼女を注視こそしないが、明らかに貴族達の意識が王女と少年の会話に向けられているのが感じ取れた。 しかし、第三王女とは言え相手は王族……止めて良いものかと迷ってしまう。

 

「その方は王国では絶対に手に入らない、とても美味しい果物を何種類も育てられるんですって。 水と混ぜると石のように固まる、珍しい錬金術粉もあるそうよ」

 

 握った両手を上下に振る彼女は、まるで楽しみにしている演劇がどれ程凄いかを語る少女のようだった。

 

 声量は落とされているが、やや離れた位置にいるガゼフにもかろうじて聞き取れた。 もっと近くにいた貴族達には丸聞こえだろう。 流石にニグンの事までは知らないのか、首の皮1枚で繋がったとガゼフは胸を撫で下ろす。

 

(あ、危なかった……しかし、王女にも困ったものだ……)

 

 母親の美貌を余す事なく受け継いだラナーは、箱入り娘。 悪く言えば、甘やかされて育てられた。 混沌とした政治の暗部と切り離されてきた故に、その無邪気さは貴族に良いように利用されてしまっている。 貴族に介入され、成果の横取りや、決まりかけた法案の立ち消えならまだしも、ただの権力闘争の道具とされてしまう事だってある。

 

 嘆かわしい。

 

 哀れだ。

 

 才能の無さを努力で補おうと、血豆を潰しながらも剣を振り続ける少年も。 黄金の輝きを見せる頭脳と精神の成果に、下らない嫉妬心から泥を塗られる少女も。 血の滲むような努力が徒労に終わるのは、見ていて胸が締め付けられるような思いを覚える。

 

 腐敗した貴族さえいなければ。 何度思った事だろうか。

 

 闘争の修練を積んでいない貴族を、一刀のもとに切り捨てるのは簡単だ。 だが、それをすれば国が割れる。 王国は、確実に泥沼の内戦に突入するだろう。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()。 ガゼフが手伝わなければ、無辜の民が10万単位で失われると言われてしまえば……そして、まだそれが()()()()だと独り言で呟かれてしまったら。 ガゼフに選択肢など残されていなかった。

 

「では、定刻となりましたので謁見の儀を開始致します」

 

 執事長の凜とした声が通る。

 

「ようこそいらっしゃいました。 アインズ・ウール・ゴウン様、どうぞお入り下さい」

 

 凝った装飾の鎧を纏った儀仗兵が、両開きの扉をゆっくりと開く。 簡単そうに見えるこの作業……速すぎるとみっともないし、遅すぎると鬱陶しいので、なかなか加減が難しい。 なので、今日は儀仗兵の中でもベテランの、やや壮年の人物が選ばれた。

 

 扉が開ききると、アインズはゆっくりと歩き出す。 集まる視線に緊張して、早足になってはいけない。 こんな事、日常茶飯事だよ……みたいな態度で、勿体振りながら歩く。

 

 アインズの威風堂々とした態度に、先程まで騒がしかった部屋が静まり返る。

 

 貴族達を黙らせたのは、この場にいる誰よりも見事な、装飾品の無言の圧力。 ゆったりとしたデザインのローブは、アインズの身長の高さ故か、全くだらしなさを感じさせない。 アインズの動きに合わせ、豪奢な漆黒のローブが無風の室内でたなびくと、眩い朝日を浴びて絹のように光を反射した。 白磁のようにシミひとつ無い仮面には金の文様が刻まれており、大粒の宝石が幾つも埋め込まれている。

 

 圧倒されるとはこの事だ。

 

 昨日の会議でのやり取りは、一体何だったのか。 最早、誰もアインズの事を(あなど)った発言など出来ようも無い。 無理にでもこき下ろそうとすれば、それはただの嫉妬から来る負け犬の遠吠えにしかならない。

 

 やがて、アインズは部屋の中心に到達する。

 

「…………」

 

 スグには言葉を発しない。 一度、ぐるっと視線を巡らせ、更に注目を自身に集める。 もう、誰もアインズから目を離せなくなっていた。

 

 十分興味を引けたと確信したのか、彼は満足そうに頷くと、正面に座る国王に向けて口を開く。

 

「急な申し入れを、快く受け入れて頂き感謝します。 リ・エスティーゼ王国国王ランポッサ三世殿。 そして、第一王子、第二王子、第三王女の皆さんも」

遠路遥々(えんろはるばる)よくぞ来られた、アインズ・ウール・ゴウン殿。 貴殿の勇姿(ゆうし)は戦士長から予々(かねがね)聴いておるよ。 本来ならば我々が成さねばならなかった仕事であった上に、戦士長の命まで救って頂いたとか」

 

 両名、あえて名乗っての挨拶はしない。 ()()()()()()()()()()()()のだよ……と、互いに相手の名を呼合う事でアピールする狙いだ。 よって、一歩出遅れる形になる貴族に焦りが生まれる。

 

 座礼でもって国王が頭を下げた。

 

「私の最も忠実なる側近を救ってくれて、心より感謝する」

「いえいえ、当然の事をしたまでです。 ……それに、私としても報酬目当ての事でしたので」

「……ならば、貴殿の望む額を用意しよう」

「結構です。 報酬は既にカルネ村の村長から受け取っていますので」

「貴殿の損になる話では無かろう? 私から感謝の印として、支払わせてはくれないか?」

「……私に二重徴収をしろ、と?」

「…………聞いていた通り、お堅い方だな…ゴウン殿は」

「……性分ですので」

 

 ランポッサは苦笑いを浮かべ、王座の背凭れに体重を預けた。

 

 チラリ、とガゼフは貴族達の様子を伺うと、皆一様に困惑した表情を浮かべているように見える。 金にガメツイ貴族の事だ。 金の匂いを全身から立ち上らせるアインズに近付き、取引を独占して旨い汁を啜りたいに決まっている。

 

 だが。 誰1人として、自分からアインズに話しかける者は居ない。

 

 交渉・外交・談話といえば、賄賂と脅迫ばかり繰り返し使ってきた貴族は、アインズの清楚潔白さに困窮しているのだ。 謂れの無い謝礼は頑として受け取らず、弱きを助けるのは当然と言い放った彼には、賄賂など逆効果。 弱味を掴んで脅そうにも、後ろ暗い部分など皆無だろう。 抜け駆けは不可能。 貴族達は最初から手詰まりなのだ。

 

 小声で相談する声が集まり、ザワザワと騒がしくなる室内に、パン   と、乾いた音が響いた。 見るとやはり、アインズが手を打ったようだ。

 

「さて……本題に入る前に、朝早くお集まり頂いた皆さんに手土産があります。 ユリ、例の物をここへ」

「はい。 畏まりました、アインズ様」

 

 思わず見惚れてしまう程の絶世の美女が、銀色サービスワゴンを押して入室して来る。 持ち手のついた角形のトレイには、ドーム型の埃除けの蓋が被せられていて、中が何なのかは窺い知れない。

 

 アインズはゆっくりと、そして鷹揚に片手を広げてワゴンを指す。 好奇心をくすぐる憎い演出に、その場にいる全員の注目がトレイに集まった。

 

「こちらからは菓子を御用意させて貰いました。 数々の果物と、砂糖をふんだんに使用した『8種のフルーツショートケーキ』です」

「砂糖…あの貴重な……!」

「おや、ランポッサ殿は食された経験がお有りの様子。 ですが……私の用意した菓子は、その時以上の感動を得られる事と御約束しますよ」

 

 超重要ワード『砂糖』の出現に、一気に騒がしくなる。 だが、それは長く続かなかった。 ユリが被せられていた蓋を開けたのだ。

 

 真珠色のクリームが塗られた歪みの無い真円の土台には、色取り取りのフルーツが美しくカットされ、所狭しと並べられており、まるで宝石箱のようだった。

 

「おお…なんと見目麗しい……!」

「精巧なガラス細工の様に輝いているぞ……!」

 

 その場にいる王族・貴族問わず、微に入り細に入り装飾を施したケーキに眼を奪われる。

 

「果物をただ切って盛るだけでは無く、ゼラチンと水飴でグラサージュしました。 だから輝いて見えるのでしょう」

 

 薔薇の形に整えられたホイップクリーム。 透き通った絹糸の様な飴細工。 金銀の箔であしらった紋様。 全く自重せずに作られたこのスイーツは、ナザリックの料理長率いるパティシエ達が技術を競う様に作成した一品である。

 

 ナザリックでの作戦会議……もとい、いかに金持ち(ランポッサ)に効率よく商品を買わせるか、のアイデアを出し合っていた時の事だ。

 

「なぁにぃ〜〜? 奴等のド肝を抜きたいだとぉ〜〜? よろしい、ならばスイーツだ!」

 

 と、突然白スーツと金髪ウィッグを装備したクサダが、妙なポーズを取りながら宣言した。

 

 へっへっへ、と笑いながらインベントリから数冊の雑誌を取り出し、料理長に渡す。

 

「料理長、君に異界の技術に触れる事を許そう。 この世界中の作品が載った書籍を読み、アインズ・ウール・ゴウンへ捧げるに最も相応しい品を創造せよ! ナザリックが威を示せ!」

「ハッ! 謹んでお受け致します! アインズ様、ドクトル様両名の期待に必ずや応えて見せます!」

 

 とまあ、こんな感じでクサダに焚き付けられ、闘志を焔のように燃え上がらせたパティシエ達。 味もさる事ながら、見た目まで1級品になるのに、そう長く時間はかからなかった。

 

 

 

「あの……戦士長殿」

「……え? あ、いや、ん゛んっ! 如何なされたゴウン殿」

「いやその、毒味をお願いします。 皆さん待っておられますので」

 

 ハッとするガゼフ。 いつの間にか、貴族達の焦れた視線がガゼフに突き刺さっていた。

 

「あ……こ、これは失礼致した!」 慌てて頭を下げる。 「では、恐れながら……リ・エスティーゼ王国戦士長、ガゼフ・ストロノーフ。 毒味役として賞味させて頂きます」

「崩れやすいので気を付けて」

 

 ガゼフはフォークを手に取ると、切り分けられたケーキに恐る恐る差し込む。 掬い取られケーキは、触れただけで崩れてしまうのではと思える程柔らかく、手の震えに合わせてフルフルと揺れていた。

 

「ぬううッ! こ、これは……ッ!」

 

 口にした瞬間、目を剥くガゼフ。

 

「非常に……その、甘くて…美味しく……」

 

語彙(ごい)が少ねぇ!)

 

 アインズは白目を  無いが  剥いた。

 

 ダメだこいつ、早く別の人に代わって貰わないと。 こんなあやふやな感想では、せっかく果物の宣伝を兼ねたケーキを作ったのに、空振りに終わってしまう。

 

 誰か他に居ないか。 祈るような気持ちで辺りを見回し  そして、助けは意外な人物から差し伸べられた。

 

「これはまた、今生(こんじょう)味わった事のない美味……!」

 

 ほう。 と、ため息を吐くように、ランポッサの口から感嘆の声が漏れた。

 

「フワリとした食感の生地に、まろやかな…そしてこの上なく滑らかな舌触りの物が……」

「クレーム・パティシエール。 鶏卵・砂糖・小麦粉などで作った、カスタードクリームと言う餡です」

「成る程、この深いコクは鶏卵によるものなのだな。 濃厚な味わいのクリームが、瑞々しい果物と口の中で溶け合うようだ」

 

 ランポッサは満足そうに1つ頷く。 ガゼフの尻拭いのつもりだろうか、その感想は聴いているだけで味が想像出来そうなほどだ。

 

「柔らかな甘さが身体中に染み渡ってゆく……正に佳絶なり」

 

 国王のベタ褒めに触発されたのか、貴族達がゴクリと喉を動かした。

 

 好機。 アインズが空かさず「では、皆さんもどうぞ遠慮無くご賞味下さい」と促すと、待ってましたと言わんばかりにフォークを手に取り、ケーキを口に運ぶ。

 

「泡を薔薇の形に整えるとは、なんと洗練された技術だろうか!」

「おお…王のおっしゃる通り、これはまた美味……!」

「このクリーム、薔薇の香りが付けてあるぞ! なんと雅やかで清らかな香りだ……」

 

 次々に飛び出す褒め言葉は、アインズを煽てたい気持ちもあるのだろう。 だが、いい歳した大人がケーキを前にして子供の様に(はしゃ)ぐのは、それだけナザリックのパティシエが優秀だからだ。 栄養を効率良く摂取出来るように加工する料理と違い、嗜好品でしかない菓子は……言ってしまえば無駄であり、国力に余裕のある国でしか発展させられない。 甘味とは、歴史と国力がモロに現れるジャンルなのだ。

 

 まぁ、実際に発展させたのはナザリックのシモベでは無く、リアルのパティシエ達だが。

 

「アインズ・ウール・ゴウン殿。 この菓子は我に至高の時を与えてくれた……」 少し困った様な笑みを浮かべたランポッサが頭を下げる。 「戦士長の件といい、この菓子の事といい、貴殿には貰ってばかりだ。 せめて、感謝の言葉を意を述べさせてくれ」

「いえいえ、そこまで言って頂かなくても……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「…………そうか。 羨ましい限りだ」

 

 食べ終わった食器が片付けられる。 

 

「では、進物の贈呈も済んだ事ですし、本題に移らせて頂きます。 無駄な言葉を省き単刀直入に言いますと、本日参ったのは我々の作った商品を国に買い上げて欲しいからです。 要するに商談ですね」

「成る程。 貴殿の国の特産品の価値は、先程の品で十二分に理解出来た。 こちらとしても、あのような美味なる品の購入に異存は無い」

 

 余程気に入ったのだろう。 いつもは国王の邪魔ばかりしている貴族からも反対意見は出なかった。

 

「して、詳しい話を聞かせて頂けるかな?」

「ご購入有難う御座います。 ですが、我々が取り扱っている商品は食品だけではありません」

「ああ、確か……水で固まる錬金術粉であったか」

「そのような認識で結構です。 現在、レンガで建築する際に使っている接着剤(モルタル)ですが、雨などの湿気に弱く強度も低いという欠点がありました。 その欠点を特殊な処理をする事によって克服した、新たなる材料   セメントをご紹介します」

 

 アインズの背後の大扉が開かれ、ガゼフの部下達が数人がかりで灰色の石柱を運んでくる。

 

 長さ3メートル、直径30センチ程の細長い石柱は、台座代わりの木材の上に置かれ、橋のように中央が浮いた状態で鎮座する。 継ぎ目の一切無い石柱は、不自然なまでに均一で、直線で、そして滑らかだった。

 

「この石柱がそのセメントを使って成型した『コンクリート』です。 ご覧のように、ただの石材には無い特徴が幾つも存在します……まずは強度」

 

 アインズは石柱へ無造作に歩み寄ると、ドカリと音を立てて乱暴に腰を下ろす。

 

「馬鹿な……あんな細い石柱に乗って折れないとは、一体どんな錬金術だ?」

「空を飛ぶ魔法を使って、インチキしているに違いない」

「仮にそうだとしても、自らの重さで折れないのは不自然だ」

 

 眼を丸くし、驚愕の表情を一様に浮かべた貴族達が、ザワザワと相談する声が聞こえる。

 

「す、少し良いだろうかゴウン殿!」

 

 そんな喧騒を切り裂くように、声を上げてアインズに問いかけたのは第二王子   ザナック・ヴァルレオン・イガナ・ライル・ヴァイセルフ。

 

「どうぞ」

「それは、そのコンクリートなる素材は、私の体重でも耐えられるのか?」

「ええ、もちろん。 試してみますか?」

 

 ワクワクした表情のザナックは、激しく頭を上下に振ると席を立つ。

 

 コンクリートの柱を前にした彼は、興味深そうに撫でたり叩いたりし、やがて恐る恐ると言った様子で片足を乗せ……

 

「は……ははは、凄いぞ! 本当に壊れない!」

 

 上で飛んだり跳ねたりしてもビクともしないコンクリートの柱に、子供のようにはしゃぐザナック。

 

「父上! これがあれば城も家も柱だらけにならずに済みますし、嵐の度に流される橋や少し増水しただけで氾濫する川ともおさらば出来ます! まさに夢のような素材だ!」

「まさか……い、いや、にわかには信じがたいが…しかし……」

「お気に召していただけたようでなにより。 ですが……フフ、それだけではありませんよ」

 

 漆黒のローブを翻し、正に威風堂々たる態度で抱きすくめるように両手を広げる。 何百、何千と契約を交わして来た豪商に相応しい動きだ。 さらに、彼の態度や言葉からは自信の程が伺える。 この商品が世界一だと、態度だけで有無を言わせず認めさせる圧力のようなものがあるのだ。

 

「この素材の特徴はなんと言っても  

 

 思わず息を飲む。

 

  安さ。 そう、この『セメント』は非常に安い建築材料なのです」

「ふむ……して、具体的には一体幾らなのかね?」

「そうですね……石材や煉瓦での建築の、20分の1から30分の1と考えて頂ければ良いと思います」

「なに!? 20分の1から30分の1だと!?」

 

 次に声を荒げたのは第一王子のバルブロだった。

 

「馬鹿な! ありえん! そのような粉が何故それ程まで安く……騙っているのではあるまいな!?」

「いえいえ、滅相も無い……この安さにはちゃんとした理由があります。 この柱を作るのに使う材料は、今まで無価値だと思われていた物や、捨てていた物が使われているのですよ」

「……捨てていた物?」

「例えば  割れてしまった煉瓦の破片、石材を切り出す時に出たクズ石、建物を解体した時に出た廃材、川原で掘ってきた砂……」

「つまり……今まで見向きもされていなかった、その辺に落ちている石ころや砂を混ぜているから安い、と?」

 

 アインズは鷹揚に頷く。

 

 何を当たり前なことを。 と、言いたげな態度に全てを察したバルブロは、頭を抱えて黙り込んでしまった。 アインズが言っている事は全て事実である、と。

 

 多額の費用を捻出して建ててきた今までの建築物は、今この瞬間に全て過去の物となったのだ。 煉瓦も石材も、作るのにコスト。 運ぶのにコスト。 建てるのにもコストコストで、とにかくカネがかかる。 このコンクリートは、作るのにも運ぶのにも大したカネが掛からず、強度も自由度も雲泥の差。 この材料で城を建てれば、正に難攻不落の魔城が建つだろう。

 

「砂や石で約10倍くらいまで(かさ)が増えるので、安く作れる、と言うワケです。 ちなみに、今まで通り煉瓦用の接着剤としても使えるのでご心配なく」

「1つ良いだろうかゴウン殿」

 

 貴族の1人が質問する。

 

「利点ばかりあるように思えるが、欠点は無いのだろうか?」

「もちろんあります。 コンクリートは熱に弱いので、カマドやオーブンを作る際には今まで通り煉瓦で作って頂きます。 そして、水の分量を間違えると非常に脆くなってしまうので、計算が出来る労働者が施工しないといけませんし、中に鉄骨を入れないとココまでの強度は出ません」

「なるほど……まぁ、強度と値段とを比べれば些細な欠点ですな」

 

 他に質問は御座いますか。 と、視線を巡らせ問いかける。 そして、何も質問が来ないのを確認し、アインズは1つ頷く。

 

「纏めますと、我々がお売りしたい商品は  」 アインズは懐からメモを取り出す。 「オリーブ油が2500リットル。 柑橘・メロン・スイカなどの日持ちする果物が合計18トン。 新素材ポルトランドセメントが100バレルで20トン。 肥料……は用法が難しいので今度にしましょう。 それから  

「ちょ、ちょっと待って頂きたいアインズ・ウール・ゴウン殿!」

 

 アインズの口から飛び出したトン単位の量に、髪型をオールバックにした痩躯の男、レエブン候が顔を青くし待ったをかけた。

 

「アインズで結構ですよ」

「い、いやそれは流石に……ではなくて!」

 

 引きつった笑みを浮かべながら、慌てる様子は普段のレエブンらしくない。 ガゼフは、何時も不敵な笑みを浮かべる蛇のような印象を持っていた彼の、意外な一面を見て瞠目した。

 

「お売り頂ける量が尋常でないのだが、本当にそれだけの量を用意なさるおつもりですか!?」

「ええ、馬車にして大体……40台くらいでしょうか? 少し大きめの輸送船なら1回で運べる量ですが、何か?」

「こっ、此処は内陸ですぞ!?」

「ああ、そういう事ですか。 今回は急な話ですし、運搬に関しては特別に無料で王都近郊までお運びいたしますのでご心配なく。 今回限りですが」

「なっ……そ、それは有り難いですが……」 レエブン候は視線を彷徨(さまよわ)させる。 「ゴウン殿は馬車40台分と仰った。 確かにキリギリまで詰め込めば、帆馬車1台に2トンくらいは乗せられるでしょう。 しかし、馬に食べさせる(まぐさ)はどうなさるおつもりか?」

 

 そう、馬を働かせるにはエサである秣が大量に必要だ。 主に用いられる飼料は、牧草を刈って干した干草や、青草。 イネ科の牧草ではチモシーやケンタッキーブルーグラス、マメ科の牧草ならクローバーやアルファルファなどが用いられ、場合によっては小麦や大麦を脱穀せずに茎葉ごと与える事もある。

 

 馬は1日に10kg~15kgもの飼料を食べ、20~40ℓの水を飲む大飯食らいなのだ。 道端の雑草を食べさせようにも、大量の馬車が通ればすぐに食い尽くされるし、食わせている間は移動が出来ない。

 

 つまり、2頭引きの馬車で片道10日も掛かれば、馬車に乗せる飼料と水で約7~8割が埋まってしまうのだ。

 

「……魔法的な方法で解決する、とだけ御答えしておきましょう。 それに、1度で運ばないといけないワケでもありませんしね」

 

 アインズは仮面越しに顎先を摘まむと、視線を天井に向けた。

 

「トレーラーが使えれば1度に20トン運べるのですが……」

「あの……ト、トレーラーとは…一体……」

  ああ、すみません。 こちらの話です、忘れて下さい」

 

 アインズがくつくつと肩を揺らし、小さく笑った。

 

「それと、こちらの商品を御渡しするにあたって、幾つか条件があります。 流通させる際には、こちらの指定した商人を使う事。 そして、王家の紋章を容器に掲示する事が条件です」

「王家の? 焼印や塗料で?」

 

 する意味も必要も解らない、とザナックが首を傾げた。

 

「はい、これは偽造を防ぐ為に使います。 このセメントは建築資材……粗悪品が出回ると重大事故の原因 になります。 なので、あえて国を流通の間に挟み、偽造防止の意味合いで王家の紋章を刻みます」

「成る程、確かに王家の紋章の偽造は重罪。 抑止力になる上、こうして責任の所在を明確にする事で取り締まりが円滑に進む……と、言う事か」

「父上、それだけではありません。 関税と言う名目で最初から課税してしまえば、脱税は事実上不可能になります。 苦しい国庫が少しでも潤うのは有難いのでは無いでしょうか」

 

 バルブロの、物を右から左に流すだけで税収増が見込め、自分で使いたい場合は商人に手数料を渡さずに済む分費用が浮くとの鋭い指摘に、ランポッサは唸る。 王国の利点ばかり目立つので、都合が良過ぎるのではと不安になったのだろう。

 

「ゴウン殿。 その申し出は非常に有り難いが……それでは貴殿の利が薄すぎるのではないかね?」

「いえ、こちらとしても煩雑な業務から解消されるので、人件費が浮く分利益になります。 まあ、言ってしまえばランポッサ殿の骨折りが対価ですね」

「指定した商人、とは?」

「こちら側で背後を調べ、素性がハッキリしている者……という意味です。 後は才能などですかね」

「……将来有望な者を見繕ったと?」

「そのような認識で構いません」

「…………なるほど、相分かった」

 

 ランポッサは仰ぎ見る様に玉座の背凭れに体重を預け、ゆっくりと深呼吸をする。 その、まるで覚悟を決めるかの様な、諦めと言ってもいい仕草に、ガゼフは違和感を覚えた。 王のこんな表情は初めて見る……と。

 

「アインズ・ウール・ゴウン殿。 我は貴殿の申し入れ、全面的に飲もうと思う」

「なっ! 王よ何を仰って  !」

 

 ランポッサはギロリとレエブン候を睨み付け、彼の口を閉じさせる。

 

「配下の者が無作法を……失礼致した」

「いえ、お気になさらず」

「……本格的な取引の前に、ひとつ聞きたい。 貴殿程の叡智を持ってすれば、我々の手を借りずとも自分の力だけでやっていけるのではないか? その方が貴殿が得られる利益も多くなるであろう?」

「…………経済は  カネの動きは流れに例える事ができます」

 

 アインズは静かに、そして噛み締めるように言う。

 

「経済とは…閉鎖的なコミュニティで停滞した点でも、強者が弱者から一方的に搾取する線でもない。 経済とは円、それも螺旋なのです。 貨幣は人伝てに縁を巡り、円を描き、少しずつ登り成長するための手段でしか無い。 貨幣が澱みなく、血液のように国中を巡る……『豊である』とは、そう言う事です」

 

 成長無き経済は、停滞ゆえの死である。 生きた化石と成りたく無ければ、変化を恐れて2の足を踏んでいる暇など無く……移ろう時代に取り残されれば、清らかな水を湛える渓流も、流れが止まった腐敗した沼となってしまうのだ。

 

「成る程……どうやら思い違いをしていたようだ。 我の謝罪を受け入れてくれゴウン殿」

「……受け入れるも何も、謝罪される様な事は何もされてませんが」

 

 アインズは不思議そうに首を傾げる。 わざとらしくはあるが、あえて知らないフリをする事で(わたかま)りを残さない様にしたいのだろう。 その証拠に、国王は苦笑いを隠せないでいた。

 

 

 

 その後は価格交渉とも呼べない話が続いた。 代金支払いの方法や期日を決める擦り合わせが、2〜3言葉を交わしただけの短い時間で決められる。 大金が動く話だと言うのにここまでスムーズに終わったのは、アインズが提示した希望売価が王国の相場よりも安く、値切る必要が無かったからだ。

 

「では、本日の商談は以上になります」

「ああ、こちらとしても得る物の多い取引であった。 改めて礼を言う」

「それは何より。 良い取引が出来るよう我々も努力していきますので、今後ともよろしくお願いします。 本日はありがとうございました」

「うむ、貴殿も息災でな」

 

 国王とアインズが互いに頭を下げ、儀仗兵が開いた扉をアインズが潜る。 退室して行く彼の足取りが軽いのは、肩の荷が下りたからでは無く、連れ立つ者を養う為の収入源が無事確保出来たからだろう。 何処までも義に厚い方だ…と、ガゼフは破顔した。

 

 

 

 

 

 

「あの量はちょっとした買い物とは言えません! あれでは最早『輸入』ですぞ!」

 

 昼休みに入り、伽藍堂になった玉座の間。 泣き叫ぶような男の声が部屋中に響く。

 

「しかもあれ程まで安く……! あのような物が国内に流通すれば、国中に失業者が溢れ返りますぞ!」

「わかっておる。 そんな事、我とて百も承知だ」

「ならば……ならば何故!」

 

 ランポッサは目を伏せる。 思い返すのは、アインズが言っていた『我々』との言葉……そして、ガゼフに接触してきた1人の男。

 

 チラチラと、視界の端で姿を隠そうともせず、存在を意識させるように蠢めく影。 アインズは義に厚い人物だとのガゼフの見立てが正しいのなら、警戒すべきはアインズでは無く……もっと別の人物だ。

 

「レエブン候。 ゴウン殿は…いや、ゴウン殿の背後におる者は、我等に問うておるのだ」

 

 話のあった日の翌日に、高価な砂糖を大量に使った菓子をいとも容易く差出せる財力と実行力。 不可思議な粉を、売るほど作れる技術力。 僅かな期間で王国の商人を調べ上げ、自分の陣営に引き入れる権力と人脈。

 

 それら全てを見せ付けて   問う。

 

「王国は、『我々』を敵に回しても良いのか……と」

 

 ならば答えは。

 

(いな)、だ」

 

 ランポッサは玉座から立ち上がり、背後に掛けられている国旗を見上げる。

 

「時は無情にも我を置いて去りゆりけり……か。 変わるべき時が来たのやもしれぬな……」

「……お言葉ですが、王よ。 外科的な治療など、野蛮で眉唾な代物ですぞ」

「……………」

 

 隣で同じように国旗を見上げていたレエブンが、釘を刺すように呟く……その時であった。

 

 レエブンとランポッサの背後で、ギギギ…と、扉が開く音がする。

 

 2人が振り返ると、そこには1人の男がいた。

 

「初めまして御二人方。 俺はアインズ・ウール・ゴウンから相談役の任務を仰せ付かっている  

 

 胸に手を当て、ゆっくりと頭を下げる白衣の男。

 

「ドクトル・クサダと言う者です」

 

 そう言うと彼は、口端を歪めて笑うのだった。




ショートケーキ、について。

ショートケーキは日本発祥です。
ショートの意味は「短い」では無く「脆い」の意味で、非常に柔らかく崩れやすいスポンジケーキに滑らかなクリームを塗る事で、まるで雲や霞でも食べたかのような口溶けに仕上がります。
日本でケーキと言うと、ショートケーキのような丸いホールケーキがまず最初に浮かびます。
が、そういったホールケーキは意外に歴史が浅く、海外でケーキと言うと、四角くて茶色い菓子パンのような物からドーナツ状のもの、エクレアのように細長い物やシュークリームなどの球状の物まで多岐に渡ります。






ロレンテの塔の数、20だったり12だったり書籍でブレてるんだけど……20だったら過密だし12で合ってるよね多分。


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クアイエッセと稼ぎたい

あらすじ


アインズ「食え」
こくおう「はい」
アインズ「買え」
こくおう「はい」
アインズ「カネ」
こくおう「はい」




現在のナザリック生産物

・そこそこの量の硫黄
・そこそこの量の高シリカ火山灰
・やや少ない量の鉄スクラップ
・まぁまぁの量のスケルトンの骨
・数十個単位の瓜科果物
・数百個単位の柑橘果物
・数千個単位のオリーブの実
・やや少ない量の過燐酸石灰
・バケツ数杯の硫酸
・MPが続く限りの塩酸
・プロトタイプの農業機械
・計測不能の量の石灰岩
・かなり多い量の生石灰
・かなり多い量の消石灰
・かなり多い量の石灰水
・そこそこの量のセメント


 しかと握り締められた異形の拳が、天を衝くように掲げられていた。 鋭く尖った、白い骨の指は丸められ、今はボールの様に固く握り込まれている。

 

「やったー! やったぞ、よくやった俺!」

 

 朗らかな声と、ピョンピョン飛び跳ねて喜びを表現しているのは、ナザリック地下大墳墓の最高支配者にして骸の王。 アインズ・ウール・ゴウンその人である。

 

 商談を終え、自室の寝室に戻って来たアインズは、その場で噛みしめる様に(成功だよな? 守護者達が作った商品、ちゃんと売れたんだよな?)と自問自答し、YESであると到達した瞬間……

 

「イヤッホー!」

 

 プレゼン成功の達成感と開放感が、アインズの心を爆発させたのだ。 両拳を天に掲げ、思わず声を上げてしまうくらいに。

 

(おっと、守護者や一般メイド達に聞かれたらマズイか)

 

 ひとしきり達成感に酔いしれた後、ふと冷静になったアインズは掲げていた拳を元の位置に戻す。 鈴木悟の残滓は、もう少しの間ハッチャケていたいと訴えているがグッと我慢だ。

 

 確かに、先の商談は鈴木悟の精神をゴリゴリとすり減らすプレッシャーがあった。 それもそのはずで、国王や貴族とは会社で例える所の社長だ。 領地と言う名の会社を経営し、領民と言う名の社員を纏め上げる経営者なのだ。 ……まあ、現実と同じように無能有能の差がある所もソックリなのだが。

 

 総社員数900万人のリ・エスティーゼ社CEO(最高経営責任者)のランポッサと、6人の子会社の社長。 そして中小と、大きさの違いこそあれど組織のトップが雁首揃えて集まった所に、元営業マンでしかない鈴木悟(現アインズ・ウール・ゴウン合資会社CEO)が単身でカチ込み入れたのだ。 異形種の身体と変質した精神を持ち合わせて無かったら、ものの数分で胃に穴が空いただろう。

 

(フフフ。 さっそくアインズ・ウール・ゴウン合資会社の主要取引先欄に記載できるな……)

 

 自分のベッドにダイブしたアインズは、寝具の柔らかさを背に感じながら仰向けに寝転がる。 もし骨の身体でなかったなら、口元はだらしなく緩んでいただろう。 取引先第1号が、大阪府くらいの人口を抱える国である事を鑑みれば、浮かれるのも無理は無い。

 

 考え無しに油だの果物だのを作りまくるクサダの行動から、地方の交易商人や旅商人辺りに目立たない様に広く薄く買って貰うのかと考えていた。 だが、クサダの作戦は国王に仲介業社の真似をさせるという、アインズの想像の斜め上だった。

 

 改めて考えてみれば、効率厨のクサダがそんな手間の掛かる方法を取るハズが無かったな…と、アインズは呆れる。 王に直接プレゼンをしたのはアインズなので、デミウルゴス辺りが深読みしそうだと、そこはかとなく不安な気持ちもあるが……

 

(いや待てよ? 私はドクトルのシナリオに沿って動いただけだ  って言えば、矛先が変わるんじゃないか?)

 

 正に天啓だった。 降りかかる火の粉を払いつつ、反撃に転じる一手だ。

 

 今度はクサダが、デミウルゴス達からのプレッシャーに胃を悪くする番だ……と思ったのだが。

 

(プレッシャーとか感じなさそうだなぁ、あいつ。 悩みとか無いんだろうな……)

 

 アインズは眉間に皺を  不可能だが  寄せる。

 

 今回、王族相手に商談を進めるにあたって、クサダは「何がどう転んでもアイツ等は買うからヘーキ」と楽観的だった。

 

 しかし、何の根拠も無いその言葉を鵜呑みに出来る程アインズの心臓に毛は生えて  両方存在しないが  いないし、ぶっつけ本番で100%上手く行くと考える程自惚れてもいない。 だから必死にプレゼンの練習をして、一夜漬けで(比喩では無い!)なんとかしたし、それでも足らない時間は玉座の間でワザとゆっくり歩いたり、オーバーな仕草をしたりして稼いだ。 牛歩戦術と言うヤツだ。

 

 確かに「あの時こう言えば良かった」とか、「アレをこうして置けば……」と、思う部分は無くはない。 事前にしっかり準備さえ出来ていれば「その様な認識で結構です」だとか「魔法的な方法で」だなんて、あやふやな答えで言葉を濁さずに済んだのだ。 結果的にそれで上手く行ったのが驚愕だが。

 

(必死で覚えた専門書も、深い質問が来なかったから全部無駄になったしな!)

 

 しかも、1番キツかった専門書丸暗記が全部無駄になったのが腹立たしい。 魔法の〜とか、錬金術で〜と言えば納得してしまうなんて、普通有り得ないだろう。 もし、リアルの時に「飲むだけで痩せる魔法の粉です」とか唄った何かの薬が売っていたら、100%詐欺だと思って絶対に買わない。 それだけ、この世界では魔法や錬金術は万能だと思われているのだろうか? と、アインズは首を傾げる。

 

(まあ、何にせよ上手くいって良かったよ……首都に居るセバスの活動資金も、これで目処が立つだろうし。 余った金貨は……シュレッダーでユグドラシル金貨に変換して、ナザリックの維持費に当てよう)

 

 ゴロリと寝返りを打ち、撫で下ろした胸に空気を取り込むように深呼吸する。

 

 すると  

 

(ん? なんだろう、この甘い匂いは。 プレゼン前は、ベッドからこんな良い匂いはしなかったのに)

 

 一般メイドがアインズの部屋を清掃する際、ベッドメイキングのついでに香水でも振りかけておいてくれたのだろう。 何の花の香りなのかは、環境汚染で自然が消滅したリアルでは学べようもない事だったので想像も出来ないが……何やら落ち着く感じだった。

 

 後は商品をシャルティアの<異界門(ゲート)>と魔獣に引かせた馬車を使って首都の貸し倉庫に運び込み、引き渡しを終えれば纏まった金額が手に入る。 しかもそれが毎月手に入るのだ。

 

(一時は金欠でどうなることやらと思ったけど……このまま何事も無ければ一安心だな。 ……そうだ!)

 

 アインズはポンと手を打ち合わせた。

 

(ひと段落ついたら、息抜きに俺も冒険者になってみよう! あぁいや、アルベドには何て言おうか……)

 

 絶対、反対されるか私も連れてけ〜と言い出すに決まっている。 息抜きのお遊びがしたいのに、アルベド達守護者を引き連れていては本末転倒だ。

 

(ドクトルに相談……いや、ダメだ。 あいつなら多分「女の子が居るお風呂屋さんをハシゴしたいんだ〜」とか言い出しかねない! くっそー、何でソッチ方向に持って行こうとするんだ……それで引き下がる守護者達もそうだけどさーあ!)

 

 アインズはNPC達から、普段から取っ替え引っ換えしてるモテモテギルド長だと思われているのだろうか? 現実はその逆だと言うのに。

 

 少し悲しくなって来たアインズは、ゴロリとうつ伏せになるとベッドに顔を埋める。 かつての仲間たちがデザインしたベッドは、陶器のように硬い骨の身体でも優しく受け止めてくれる。

 

 あ゛  と奇声を発しながら、アインズは良い匂いのするベッドの上で転げ回り……おや? と気付く。 アインズはこの匂いを知っている。 と言うよりも、ごく最近嗅いだことのある香りだ。

 

 どこで嗅いだ匂いだったか。 記憶を遡り思考する。 アンデッドの身体になってスグのような気がするが……イマイチ思い出せない。

 

 早々に記憶の発掘を切り上げ、やれやれと言わんばかりにため息を1つ。 ベッドから起き上がったアインズは魔法を発動させ、漆黒の全身鎧姿へ変わる。

 

(冒険者姿は…これで良いか。 顔も隠せるし。 武器は技術の無い俺でも扱えて、かつ筋力で振り回せる大剣で…アルベドに何て言おう……)

 

 ほぼ確実に立ち塞がるであろうラスボスの姿を幻視し、アインズは頭を抱えて知恵を絞る。 そこで、ふとクサダが言っていた事を思い出す。

 

「例えばそうだなぁ……よし、アレだ。 拷問具に鉄の処女ってあんじゃん?」

「あぁ、あの……トゲトゲしいヤツ」

 

 あの時は、何の話題で喋っていたのだったか。 

 

「実はあの拷問具、実際に使われた事は無いんだよ」

「へぇ」

 

 ハッキリと思い出せないが、確か支配者ロールが難しい的な話だった気がする。

 

「回転式の扉になってんのに、あんな直線の長い釘が上手く刺さるハズねーからね。 本当に使うなら前後にスライドさせるか、釘を鎌みてーに湾曲させねーと」

 

 場所はアインズの自室。 クサダは相変わらずで、この時もマグカップを傾けていた。

 

「ああ、確かにあの構造では無理があるな。 なるほど、恐怖心を煽る為のオブジェとして作ったワケか……尋問をスムーズに行う為に」

「しかも名前からしてそうだから」

「名前?」

「だってホラ、使われてねーって事は、血を流した事がない。 つまり処女っつーね?」

「……何か急に話の流れが下衆な方向に行ったな」

「まぁ今の話は全部、即興で作った嘘なんだけど」

「嘘かい!」

 

 アインズは、あまりにもあんまりな嘘に仰け反った。

 

「何で急にそんなしょうもない嘘吐いた!?」

「へっへっへ。 いやなに、ちょっと嘘の吐き方を教えとこーと思ってね」

「はぁ?」

「思わず信じちまうくれーには信憑性あったろ?」

「まぁ、そうだけれども」

「嘘を信じさせんには、並び立てた真実の中に致命的な嘘を1つだけ混ぜるのさ。 行き着くゴールは1つだけでも、過程の道筋はいくつもあっからね」

 

 クサダは肩を竦ると、苦笑いを浮かべて「嘘も方便さ」と、そう答えたのだった。

 

 

 

(嘘も方便、か。 はは、嘘だらけじゃないか俺は)

 

 守護者達に、本当は大した奴じゃ無いと言えたら、どれだけ楽になるかと思う。

 

 だが、真実は劇薬だ。 正しい事が最善だとは限らない。 だから、今はまだ言えない。

 

 そう、今はまだ、だ。 もしかしたら、時間が解決してくれるかもしれない。 今は打ち明けられずとも、いつかきっと本当の事を話せる機会は来るハズなのだ。

 

(うん。 今、やるべき事をやる。 それだけだ)

 

 

 

 それがたとえ、ただの先延ばしだったとしても……

 

 

 

 ◆

 

 

 

 コツ、コツ、コツ……と、薄暗い地下空間に硬い靴底で石畳を打つ音が響く。 何度も反響した音は、ぐわんぐわんと震え、間延びした印象を覚えさせた。

 

「それは?」

 

 人の声とて例外ではない。 反響して返ってくる声のせいで、声を発した人物の年齢を特定するのは難しい。 ただ、なんとなく若そうだ……としか感じ取れないだろう。

 

 風の流れが滞りがちの地下において、空気を汚す松明やランタンを照明にするのは難しい。 よって、この通路にも多分に漏れず魔法の灯りが使われている。 松明や蝋燭のように揺れない安定した魔法の光は、頑丈そうな鉄格子越しに光を届ける。 鍵のかかった、狭い密室の中へと。

 

「紙ヒコーキ、だ」

 

 薄暗がりに身を潜めるように座り込んだ人影。 頬に傷を持つ男は、鉄格子越しに短く答えた。 その手に持った、ノートの切れ端で作られた白い紙飛行機に視線を落としたままに。

 

「ふうん? ヒコーキ?」

 

 初めて聞く単語だね。 と、人懐っこい笑みを貼り付けた彼は首を傾げる。

 

「神…ぷれいやー様のおわす世界の『りある』では、ヒコーキを用いて音の3倍の速度で空を飛び…星々を巡る船で月に降り立つのだそうだ」

「へぇ……月ってあの、空に浮かぶ月にかい?」

 

 天井越しに空を見上げた男は、不思議そうに声を漏らす。 そして、彼が視線を上げると同時。 金の前髪がハラリと避け、紅い瞳が姿を見せた。

 

 それはアルビノの瞳。 生まれつき色素を作る事が出来ず、血液の色がそのまま虹彩に現れた、血潮の瞳。

 

「……随分と豪華な出迎えだな。 任務を失敗させ、至宝のマジックアイテムまで失ったこの俺に……漆黒聖典第五席次の貴様が遣わされるとは」

「我が国スレイン法国には、1度や2度失敗した程度で、優秀な人員をクビにする余裕など無いんですよ」

 

 アルビノ症の様に赤い瞳を持つ彼は、スッと目を細めてにこやかに笑みを浮かべ  

 

「………ふん」

 

 返答としてニグンは鼻を鳴らす。

 

 上層部の判断は慈悲ではない。 自らの失態は今後の働きで帳消しにしろ、と言っているのだ。

 

(多勢を相手取る事を得意とする彼とは言え……1人? アインズ・ウール・ゴウンの情報は既に伝わっているはずだが……奴等を刺激しないようにか、それとも単純に手が足りないだけか。 前者であればいいが……)

 

 何処までも合理的で、冷徹で、それゆえ危うい祖国をニグンは憂いた。

 

「それに、いくら殲滅を得意とする貴方(あなた)でも、ぷれいやー様が相手ではいささか分が悪過ぎる」

「嬉しくて涙が出そうだ。 『一人師団』の君にそう言ってもらえるのはな……」

「本当に驚きましたよ…突然貴方から〈伝言(メッセージ)〉の連絡が届いたのは」

「やれ、と言われれば拒否など出来無いだろう。 俺はその時、身柄を拘束されていたのだ」

 

 とは言うものの、まだアインズ・ウール・ゴウンなるアンデッドが『ぷれいやー』だとは判断出来ていない。 神の名を騙る愚者なのか、はたまた本当に神なのか……

 

 だが、本当に神にも等しい『ぷれいやー』である可能性があるのなら、彼らと敵対しながらも生きて返されたニグンの処遇を簡単に決められるハズも無い。 下手に処分などしようものならば、彼から怒りを買う恐れもあるのだ。

 

 もし、絶滅の危機に瀕している人間を救って頂けるのなら、例えアンデッドだろうとニグンは構わなかった。 ただ、逆に怒りを買って滅びを早める結果にはしたくない。 時間さえ掛ければ、何か逆転の秘策が見つかるかもしれないのだ。

 

「ハッキリ言いましょう。 『上層部』は、彼らの要求を飲む判断を下しました」

「賢明だな」

 

 ニグンは突き放すように言うと同時、内心ホッとする。 だが、まるで他人事のようなその態度に、金髪の男の表情にヒビが入る。

 

「……実の所、巫女姫の力を使い、そちらの様子を定期的に観察していました」

「知っている」

「至宝のマジックアイテムの使用が確認されたので、異常事態だと判断した上層部は急遽、遠視の魔法で貴方の様子を確認しようとしました」

 

 ここで、初めて彼は渋面を作り「ですが……」と続けた。

 

「突如空間が爆発し、火の神殿は崩壊。 犠牲者多数……火の巫女姫も亡くなりました」

「あの時か……」

 

 ニグンの脳裏に、陶器のようにヒビ割れた空の景色が()ぎる。

 

 あの夜は、本当に、初めてだらけの夜だった。 自らが積み上げてきた常識が、音を立ててガラスのように砕け散るくらいに衝撃的だった。

 

「心当たりをご存知のようで」

「ああ。 ……確か、攻勢防壁と言っていた。 情報系魔法に対する防備だと」

「防御と反撃を同時に? ……成る程、攻撃は最大の防御、と言う事ですか。 恐らく、抑止力の意味も持たせているハズ……」

 

 ニグンは、一字一句間違えぬよう必死で記憶を呼び戻し、言った。

 

「範囲を強化した〈爆裂(エクスプロージョン)〉の魔法だと、あの魔法詠唱者(マジック・キャスター)……アインズ・ウール・ゴウンは言っていた。 さらに、もっと強力な魔法を反撃に選ぶのも可能だとも」

「更に強力な? ブラフ  と切り捨てるのは危険ですね。 信じられませんが、全て事実だと想定して動くべきでしょう」

「同感だ」

 

 ニグンは重々しい声でそう言うと、深々と頷く。

 

「奴等の武力は凄まじい上に、頭も切れると来た。 今は王国に意識が行っているが、今後どうなるかはわからん」

「……今の所、何故か彼らは商人の真似事をしているようですが……何が目的なのか解りますか?」

「さあな」

 

 ニグンは草臥れたように首を左右に振った。 深い溜息を吐いてから、眼だけで彼の赤い瞳に視線を送る。

 

「見当も付かん。 だが、本当かどうかはわからんが1つ聞いたことがある。 ナザリック……これは奴等の拠点の名なのだが、そこを守るため行動している……と話していた」

「ナザリック、ですか……」

 

 巨大な腕輪を填めた腕を持ち上げ、男は顎先を摘まみ唸る。

 

「うーん、なんとも奇妙な話ですね。 ニグンさんの言う通り、彼等が凄まじい武力を持つのなら、誰だろうと簡単に手出し出来ないでしょうに」

「考えるだけ無駄に思えるが、そうもいかんのが口惜しいな。 化け物共が畑を耕し、食材を加工し商売を始めた……人間相手に。 それだけでも信じられんのに、裏に隠された真意など見抜けようも無い」

「商売  となると、貨幣を集める事が目的なのでしょうか? ……食べるんですかね?」

「金属を食べるモンスターは知っているが……もしかしたら、真の目的を隠す為の隠れ蓑にする気かもしれんぞ」

「ふうむ。 真の目的……『ナザリック』を守る為に、予め世界中の知的生物を絶滅させようとしている……とか? ですが、それだと商売と関連がありませんね」

 

 苦笑いを浮かべ、冗談っぽく言った彼の言葉に、ニグンは掌で目元を覆い天を仰ぐ。

 

「冗談みたいな話だが、本当に企んでいそうで冗談にならん」

「……まさか、ですよね?」

「奴等に『まさか』は通用しない。 特にあの魔法詠唱者(マジック・キャスター)と白衣の男にはな」

「それ程まで……」

 

 重々しく吐き出されたニグンの声には、地獄から生還した者ゆえの説得力があった。 2人を隔てる鉄格子のように、冷徹な沈黙が間に横たわり空間を支配する。

 

 すると突然、離れた所からガチャリと扉の開く音がする。 カツカツと踵で石畳を叩く音が真っ直ぐに近づいて来て、ニグンの前で止まる。

 

「お話中失礼します。 定刻となりましたので、囚人を移動させます」

 

 現れたのは看守、ではない。 王国戦士団の副隊長だ。 彼は金髪の男にキレのある敬礼をした後、手際良く牢の扉を開ける。

 

「移動? 彼の身柄を引き受けるのは僕なのですが」

「俺が頼んだのだ」

 

 牢から出たニグンは、振り返ってそう言った。 手に持っていた紙飛行機を、大事そうに懐にしまっている。

 

「まだ1つ、俺はこの国でやらねばならん事がある。 それが上手く行けば、ご褒美にビーストマンに滅ぼされ掛かっている竜王国を()()()()()()()のだそうだ」

「救わせて? 強力なマジックアイテムでも融通していただけるのでしょうか?」

「多分な。 キャロットは既に用意されている。 ……後は、俺が馬車馬のように働くだけだ」

「解放されるのはその後、と?」

「ああ。 それさえ終えれば、こんなシケた国とおさらばできる……と思えば少しは気が楽になるか」

 

 トゲのあるニグンの言葉に、むっと副長は眉と唇を歪める。

 

「私としても、貴方の顔は二度と見たくありませんね」

「俺も二度とこの国を訪れるつもりはない」

 

 フン! ハン! と、そっぽを向く2人。 遺恨とは、そう簡単に消えやしないのだ。

 

「あの…ニグンさんの居ない間、私はどこへ?」

「あ、失礼しました。 では、控え室まで御案内いたしますので、そちらで今しばらくお待ちください  

 

 副長は、金髪紅眼の男に頭を下げた。

 

 

 

「クアイエッセ・ハゼイア・クインティア様」



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科学捜査で稼ぎたい

あらすじ


アインズ「仕事終わった遊ぶぞヤッホイ!」

一方その頃

モヒカン「紙飛行機フシギ! りあるってきっと神代の世界の事だよね!」
パツキン「ナザリック……凄い力と知識だ! 彼らはきっと神に違いない!」




現在のナザリック生産物

・そこそこの量の硫黄
・そこそこの量の高シリカ火山灰
・やや少ない量の鉄スクラップ
・まぁまぁの量のスケルトンの骨
・数十個単位の瓜科果物
・数百個単位の柑橘果物
・数千個単位のオリーブの実
・やや少ない量の過燐酸石灰
・バケツ数杯の硫酸
・MPが続く限りの塩酸
・プロトタイプの農業機械
・計測不能の量の石灰岩
・かなり多い量の生石灰
・かなり多い量の消石灰
・かなり多い量の石灰水
・そこそこの量のセメント


 さーて、世界征服の仕掛けも大詰めだぜ。 後は俺が仕上げを施せばフィニッシュだ! 二つの意味でな!

 

 前段階の準備である、商談に見せかけた懐柔と圧力は、アインズさんが完璧にこなしてくれたからな。 後はチョチョイのチョイよ。

 

 俺が今いんのは、王国の玉座の間。 完全不可知化のバフをアインズさんに掛けて貰い、監視を兼ねて姿を隠しているのだ。

 

 予定通り、ニグンに操られた哀れな貴族を『裏切り者』として、ガゼフに生贄に選ばせておいた。 ソイツの名前を知らせるのはランポのじっちゃんだけだと思っていたんだけど、何故かレイブン……レェブンだったか? が居たので、ついでに教えておいた。 証拠付きでな!

 

 反応は「ああ、やっぱりな」だったぜ。

 

 ふん、知ってたんならさっさと対処しろよってんだ。 だから俺みてーなのに付け込まれるのさ。 ま、俺としては楽が出来てハッピーなんだがよ。

 

 おっと、そうこうしている内に貴族共が全員揃ったようだ。 偉そうな感じのおっさん達が、王に向かって挨拶している。 顔色が悪いレェブン以外ケロっとしているっつー事は、今から何が起きるか知らないな。 よしよし、つまり情報の漏れは無しと。

 

「では、午後の会議を始める……前に」

 

 キッと眼を鋭くしたランポッサが一拍おいて、合図を送る。 事前に示し合わせていたのか、コクリと頷いた儀仗兵が大扉を開く。

 

 扉一枚隔てた先には、憮然とした態度のニグンが佇んでいた。

 

 手枷すら装着されず、装備も普段通りの黒っぽいローブで、帰れと言われれば直ぐにでも踵を返して立ち去れる   つまりはフル装備の出で立ちだった。

 

 辺り一帯が騒然とする。

 

 当たり前っちゃあ当たり前か。 自国の兵士に突然襲い掛かってきた武装勢力の隊長が、縛られる事も無く自由な状態で、しかもフル装備状態で目の前に現れたんだからな。

 

「所属と氏名を述べよ」

「スレイン法国所属。 陽光聖典隊長……ニグン・グリッド・ルーイン」

 

 ランポッサが硬い声で問うと、たった1人で入室してきたニグンは静かにそう答えた。

 

「何故、スレイン法国の特殊部隊員が我が王国に不法入国をした?」

「リ・エスティーゼ王国のとある貴族が、国王派の権威失墜を狙い、国境近くの村を偽装させた野盗に襲わせる計画を立てている情報を掴んだからだ」

 

 嘘だ。

 

 権威失墜を狙ったのは本当だが、襲ったのは野盗では無いし襲わせたのはニグンだ。 情報を掴むも何も、仕向けたのがニグンなのだから国境付近に武装集団が居るのはわかりきっているし、裏切った貴族が誰なのかもよーく知っている。

 

 つまるところコレから先は全てただの茶番だが、これだけ大掛かりだと……へっへっへ。 ワクワクしてくるな。

 

「よって我が国スレイン法国の上層部は、2カ国間に報復の連鎖が起きる事を懸念し、事態を沈静化させるべく対集団戦闘に特化した陽光聖典を派遣した」

「貴国の陽光聖典は、武装集団討伐に派遣された王国戦士長ガゼフ・ストロノーフと戦闘しているが、これをいかんとする」

「不幸な遭遇戦であると結論付ける」

「本意では無かったと?」

 

 ニグンは大きく頷いてから、その通りだと言った。

 

「俺の部隊が現場に到着した時には、スデに武装勢力はアインズ・ウール・ゴウン殿によって討伐されており存在しなかった。 代わりに、村には同じような規模の王国戦士団がおり、我々はそれを誤認し戦闘状態に陥った」

「我が国の戦士とバハルス帝国の騎士を見間違えるのは難しいが?」

「当時は暗く、判別が難しかった事を考慮に入れて頂こう。 さらに、ガゼフ・ストロノーフの装備も普段と違い、それも発覚に時間が掛かった原因だ」

 

 嘘だ。

 

 アインズさんがカルネ村を襲った雑魚を蹴散らした   正確には召喚したデスナイトだが   のは本当だし、ニグンが村に来た時にガゼフがいたのも本当だ。 ガゼフのおっさんがニグンに負けかけたのも本当。

 

 コレのキモは殺意の否定にある。

 

 ワザとじゃ無いんだよ。 勘違いしただけなんだよ。 本当は助けたかったんだよ。

 

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()なんだよ……と。

 

 

 

 最初に自分の非を最小限の部分だけ認め、それ以上の追求を転嫁する。 そうすれば、法国は責任を負わずに済み。 王国と法国は互いに外交問題にならずに済み。 王国は帝国の他に敵対国家を作らずに済むのだよ。

 

 裏切り者を断罪しさえすればな。

 

 一挙両得さ。 選ばない筈が無い。 アインズさんみてーに知・武・金が揃ってるならともかく、今のコイツらには、それ以外を選ぶ選択肢すら存在しないのだよ。

 

「野盗を使って国境付近の村々を襲わせた貴族は誰であるか」

 

 ランポッサが本題だとばかりに、覚悟のこもった声で問う。 そしてニグンは答えた。

 

「……リットン」

 

 ザワリと、驚愕の呻きが重なり合い場が一瞬騒がしくなる。 その名に一際驚いたのはボウロロープだ。 突つかれた猫の様に振り返ると、傷だらけの顔を大きく歪めて、リットンの顔を目を溢れ落ちんばかりに見開いて見ている。

 

「そこで顔を青くして座っている、リットン伯爵だ」

 

「違う!」

 

 即座に否定の声を挙げたのは、当たり前だが六大貴族のリットンだ。

 

「 わ、わた…私では無い! 何を証拠に  この男は戦士長を襲った犯人ですぞ! そのような者の妄言を信じるのですか!?」

 

 口角泡を飛ばしながら、必死の形相で逃れようと弁明する。 先程までずっと静かだった奴が、今際の際で必死に逃れようと暴れる姿は……水面まで引っ張られた釣られた魚のようだ。

 

「そのストロノーフから聞いた。 装備の持ち出しを禁じたのはお前だそうだな、リットン」

「なっ……!」

 

 やせぎすの男、リットンは目を剥き絶句する。 当たり前だ。 そうさせたのはニグンなのだから。 だが、(お前がそうしろと言ったのだろう)とは思っていても言えない。 それはつまり、自らの関与を認める事になるからだ。

 

 ん~~だが、まぁ、この状況だと普通は否定するわな。 このままじゃあ、やったやって無いの言い合いになるだけだから……次の手を打ちますかねー。

 

 俺は完全不可知化を解除すると同時、手の掌を打ち合わせる。

 

 パン  

 

 乾いた音が響き、何事かと振り返った貴族達の表情が、再び驚愕に染まる。

 

「な、何者だ! いつからそこに居た!?」

「最初からだが? 酷いなぁずっと気付かないなんて……無視されてるのかと思ったぜ」

 

 名も知らない貴族(MOB)に向けて、やれやれと言わんばかりに肩を竦めて見せると、半信半疑の微妙な顔をした貴族共が周りと相談しだす。 貴公は気付いていたか〜だの、あの男は何者だ〜だの、何故王は何も言わないのだ〜だのゴチャゴチャとな。

 

 周りと相談するだけで俺の正体がわかるワケねーだろうが。 話が進まないので、わざとらしい咳払いでソイツらを黙らせる。 そして、俺は肩越しに背後の大扉を親指で指した。

 

「まだ証言させられる証人が居るぜ?」

「な、なんだと?」

 

 哀れな子羊は、滝の様に汗を流して聞き返して来た。

 

 顔面を蒼白にしたリットンにニヤリと笑顔を返し、俺は指を鳴らす。 パチリと小気味よい音がして、それを合図に扉が開く。

 

 扉一枚隔てた先には、後ろ手に縛られ猿轡を咬まされた、身なりの見窄らしい男と。 その男を連行する、セバスの姿があった。

 

「コイツの顔に見覚えがあるよなぁ? リットン。 そう、お前の一番身近にいた手下……側近だよ」

「な……ば……」

「……『馬鹿な』って言いてーのかな? 今からコイツが洗いざらい喋ってくれっから。 オメーはそこで座ってるといいぜ」

 

 俺は「さて」と言い、話を一旦区切る。 この状況での俺の評価は、突然現れた謎の男だ。 この状態で俺の話に説得力を持たせるには、圧倒的な存在感と共に証拠を突きつければいい。

 

 つまり虎の威を借る狐作戦だ。

 

「初めまして、かな? 俺の名はドクトル。 アインズ・ウール・ゴウンから『相談役』の御役目を仰せ遣っている  」 笑顔を深めながら、ゆっくりとお辞儀をする。 「ドクトル・クサダと言う者です」

 

 目に見えて緊張感が拡がるのがわかる。 やれやれ、もう少しポーカーフェイスと言うものを学んだ方が良いぞ。 例えばアインズさんみてーにな。 無理か。

 

「先の商談では、俺の開発した商品を即決で購入して頂き、誠に有難う御座いました」

「あ……まさか、ゴウン殿が仰っていた『技術者』とはもしや  

「然り。 だが……フフフ、()()()()で満足して貰っちゃあ困るけどね」

 

 よーしよし。 コレで俺は油断も無視もできない存在になった。 運良くスムーズに行って良かったぜ。

 

「だが。 だが、だ。 我々の重要な取引先であるリ・エスティーゼ王国が、こんなつまらない事件に時間を割かれてしまうのは勿体無いだろう?」

「勿体無い?」

「無駄を排除すれば、もっと豊かになれる。 王国の皆さんには、もっと豊かになってもらって、更に多く商品を取引して頂きたいのだよ。 だから来たのさ。 手伝いにね」

 

 一部の人間を除く、貴族共の瞳に欲望の炎が燃え上がる。 ……楽過ぎて不安になってくるぜ。

 

「こう思ったことはないかな? 『もっと金があれば』……と」

「…………」

「帝国と戦争中の皆さんなら、必ず思った筈だけどねぇ? 潤沢な資金があれば、寡兵の帝国騎士など圧倒出来る……と」

「…………」

「圧倒的な物量で、有無を言わせず、害虫を踏み潰すが如く蹂躙出来るのに。 僻地での決戦など片手間で終わらせ、雲霞(うんか)の様なツワモノ達が一気呵成(いっきかせい)に敵国首都へとなだれ込み、乾坤一擲(けんこんいってき)の一撃をもってスカしたアイツに目に物を見せてやれるのに」

「…………言われるまでもない」

 

 低く、唸る様に言ったのはボウロロープだ。 衰えを感じさせる額に血管を浮き上がらせ、震える拳を握り締めている。

 

 事前に調べておいた情報では、コイツ…昔は戦場でブイブイ言わせてたクチだそうじゃねえか。 思った通り、敵対国家の帝国に()()()()()()のを腹に据えかねているぜ。 ちょいと煽るだけで、すぐ頭に血が上りやがる。

 

 やれやれ、この程度で冷静さを失うとか指導者失格だぜ。 昔ぁ〜しの偉人、孫武(又は孫子)も言っていただろう?

 

主 不 可 以 怒(しゅはいかりをもって) 而 興 師    (しをおこすべからず)

 将 不 可 以 慍(しょうはいきどおりをもって) 而 致 戦』   (たたかいをおこすべからず)

 

 1時(いっとき)の感情に任せて軍を興したり、戦闘を始めたりすんな……ってな。 それは罠かもしれねーんだからよ。

 

 でも、まぁ、いいや。 肩透かしを食らった気分だが……これはこれで、だいぶ場が温まってきた。 では、そろそろショーを始めようか。

 

「では、こんな茶番さっさと終わらせようか。 対帝国に向けて、ジャンジャカ国力と財力を増やさないと! 無駄な時間は1分たりとも使えねーぜ?」

 

 はい、お判りの通り時間制限を設定する事で焦らせる作戦で御座い。

 

「んじゃ、早速コイツから洗いざらい聞いちゃいますかねー」

 

 懐に手を突っ込み、見えないようにしてインベントリから1本の注射器(シリンジ)とアンプルを取り出す。 薄青い液体の入った、ガラスのアンプルの口をべキリと圧し折り、シリンジ内に適当な量を吸い出す。

 

「な、なんだそれは……?」

 

 不安に耐えかねたのか、リットンが聞いて来た。

 

「これはね。 『自白剤』って言う、おくすり…さ」

「じ…じは、く?」

「ああ。 コレが体内に入ると、クスリが脳ミソをいい感じに破壊して……質問に反射的に答えちゃう人形みたいになるのさ」

 

 嘘だ。

 

 コレは自白剤では無いし、自白剤に色なんか付いてないし、そもそも自白剤なんて薬物は都市伝説だ。 ……似たようなモノはあるけど。

 

 コイツはソリュシャンに調合して貰った、ただのダメージ毒だ。 ソレを0.9%の生理食塩水で割って、着色料で色を付けた。 彼女曰く、全身の血管が()()()()()()ような痛みに襲われるのだそうだ。 ま、それなら強酸でも同じような事が出来そうだと思うが、シリンジが痛むので試したくは無いなぁ。

 

 そんな事を考えながら、シリンジ内の空気をデコピンで抜いていると、リットンが机を叩いて立ち上がる。

 

「う、う、嘘だ! そんな……そんな薬があってたまるか!」

  ハハハハハ!」

 

 やべえ。 恐らく偶然だろうが、リットンに毒だってのがバレたぜ。 くっそー、よりにもよってコイツかよ……とりあえず笑い飛ばして、と。

 

「そう、その通りコレは薬じゃあ無い。 毒だ。 射たれると頭が馬鹿になるように濃度を調整した、弱毒さ」

 

 全く可笑しくなど無くても、心底可笑しいのだと自己暗示してクツクツと笑う。 とりま、笑っとけば余裕がありそうに見えるからな!

 

「放っとくと完全に馬鹿になって、息をすんのも出来なくなって死ぬ。 でもまぁ、大丈夫だ。 質問した後で、解毒と回復の魔法を神官に掛けて貰えば、完全に元どおりになっからさ」

 

 斯くも魔法は偉大なり、だ。 都合が良すぎて涙が出るぜ。 お陰で、リットンは何も言い返せないでいる。

 

 薄青い毒の入ったシリンジの針を向けると、リットンの側近はビクリと肩を跳ね上げ後退った。 情け無く眉をハの字に曲げ、目からは大粒の涙をボロボロ溢し、イヤだイヤだと首を振っている。 何故か?

 

 それは、『この液は激痛を伴って脳細胞を破壊する毒である』と前もって教えてあるからだ。

 

 そりゃあ、普通、痛いのは嫌だろう。 でも、今は無理にでも嫌がってもらわんと俺が困るんだよね。 この側近の男がこーして嫌がれば嫌がる程(そんなに重要な情報を持っているのか)と、説得力が増すからよ。

 

「ンググ〜〜!」

 

 男が暴れる。 足をバタつかせ、駄々をこねる子供のように。 ソレを無視して、セバスに力付くで抑え付けられ、袖を捲られた腕に針先を沈める。 鋭い針先は容易く皮膚を貫通し、静脈へと到達した。

 

 薄青い液体が注入され、瞬き数回のタイムラグの後  

 

  !」

 

 男は声にならない悲鳴を上げて、より激しく暴れ出す。 毒の正体を知らない奴らには、必死で自白剤の効果に抗っているように見えるだろう。

 

 希釈した毒の効果時間は短い。 スグに痛みは引いていき、疲労感からぐったりするハズだ。 そのギリギリの瞬間を狙って、男の頭を固定するフリをしていたセバスが、スキル〈傀儡掌〉を発動する。

 

 事前に調べておいた……っつーかニグン情報では、精神支配による証言に証拠能力は無いらしい。 虚偽の証言を意図的にさせられるから……と言うのが理由なのだが、おかげでこんな面倒な手順を踏まなければならなくなっちまった。

 

 この方法で一番優秀なのはステルス性だ。 魔法では無くスキルなら魔力感知に引っかからないし、詠唱も必要ない。 オマケに精神支配を受けたこの男も、喋り終えて効果が切れた後、クスリのせいで喋ったんだと思い込む。 つまり、俺たち以外の全員が、この男が精神支配を受けた事に気付かないっつーことだぜ。

 

「あ…うう〜〜」

 

 スグにスキルの効果は出た。 男は焦点の合わない、まるで薬物中毒者のような眼をして、意味不明なうめき声を出している。

 

「ん、よしよし。 効果アリだな。 ……さて、そんじゃリットンについて知っていることを洗いざらい喋って貰おうか?」

 

 男の中には今、霧中に放り込まれたような微睡みに似た感覚だけがある。 ああいや、アンデッドの身体になった俺では、その精神支配の感覚を直接感じる事は出来ないので、聞いた話から想像する以外にないけど。

 

 で、そんな感覚が、この男をペラペラの腑抜けにせずを得ないのさ。 今この男は、聞かれた事に全て答える『楽器』と化していた。 プログラム通りに演奏する、音声合成プログラム……いや、それ以下の磁気テープレコーダーのスピーカー同然の装置にされていた。

 

「リットンは、ガゼフのおっさんが襲われるであろう事を予測できていたか?」

「……はい」

「それはつまり、国境付近にニグンが向かっている事も知っていたと言う事だな?」

「……はい」

「では、リットンは、ガゼフとニグンが偶発的遭遇(エンカウント)する可能性が非常に高いにも関わらず、()()()()()()()()と言う事だな?」

 

 言葉巧みに男の証言を誘導しつつ……()()()()()、ニグンを利用しようと画策した。 と、印象付ける。

 

「……はい。 ……旦那様は……五宝物さえ剥ぎ取ってしまえば……邪魔者を始末できると……仰っておられました……」

 

 (つい)に出た決定的な一言。 他貴族や、ランポッサ王の無言の視線に晒されたリットンは、「違う……違う……」と呟くように否定していた。

 

 その後も、リットンの汚職を証明する証言が男の口から出るわ出るわ。 よくもまぁ、そこまで出来るな。 と、咎める側の無能さを含めて感心すらした。

 

 俺の予想としては、窮地に立たされたコイツは次に、ランポッサの慈悲に縋るか  

 

「お、王よ! この者の言う事を信じるのですか!? こんな……こんな得体の知れない薬で無理矢理喋らせた(げん)に如何程の信用がありましょうか!?」

 

 このように、俺の用意した『自白剤』の信頼性の低さを突いて来ると予想していたのだが……やっぱりか。

 

 ふむ、ココまでは(おおむ)ね予定通りだな。 うーむ、ニグンが中々にキレ者だったからかなり用心してたんだがなぁ。 俺の知ってる『貴族』と、この異世界の『貴族』のイメージはかなり乖離(かいり)してるっぽいな……なんでこんなアホが貴族出来てるんだ?

 

 アインズさんなら、この男の証言をひっくり返すような『何か』で逆転の1撃を食らわせてくれるんだろうけど。 ……例えば、何らかの方法でスキルによる精神支配を看破して、「この証言に証拠能力は無いな」つって証言を全部台無しにするとか? 後は~~ 実は俺の本当の目的を看破してて、最後の最後で「そうか……! 俺は…最初から泳がされていたのかッ!」みたいな。

 

 ……期待するだけ無駄か。

 

 おっと、そろそろ傀儡掌の効果が切れるな。 ……コイツに解毒ポーションを使うのは勿体無いから、青汁を解毒だって言って飲ませとこう。 傀儡掌の効果が切れるのを見計らい、小さめのビンに入った、濃い緑色をしている見るからに不味そうな青汁を男の口に突っ込んだ。

 

「まー確かに? 証言だけではイマイチだと思ってたよ?」

 

 ラッポッサ王が何か言う前に、俺が先手を取る。 馬鹿にしたような口調で冷静さを奪いつつ、大袈裟に肩を竦めて、さも予想通りでした~みたいな感じで。

 

「だろうと思ってね……」 ニヤリと笑い、俺はインベントリから1枚の羊皮紙を取り出した。「こんな物も手に入れてるんだよねぇ」

 

 透明な板ガラスに挟まれた羊皮紙は上下を紐でキツく縛られており、直接手で触れないようになっている。 そして、内部の羊皮紙には、判を押したような奇妙な模様が描かれている。 渦のような、跡のような  

 

 

 

「見えるかな? この模様が……」

 

 指紋が。

 

 

 

「ハッキリと」

 

 ベッタリと。

 

 

 

「書類に浮き上がっているのが」

 

 まるで、濃い紫色のインクで押し付けたかのように。

 

 

 

 書類を見て、零れ落ちんほどに眼を見開いたリットンが、呼吸困難に喘ぐように口を開く。

 

「な…んだ、それは……」

「指紋だよ。 素手で触る時に付着した指の跡を、薬品の蒸気で炙って浮かび上がらせたんだ」

 

 そう、俺の用意した決定的な証拠。 それは指紋。 検出と採取、照合が容易で、かつ言い逃れできないほどに決定的な   ()()()()だ。

 

「指の…跡だと……? そんなもの、ただの汚れや手垢と同じだろう! それに……それに何の意味がある!?」

「誰が書類に触ったのかがわかる」

「な、なに!?」

「指についている模様……指紋はな。 たとえ一卵性双生児の双子でも、世界中の人間が二人とて同じ指紋を持つことは無い……んだよ」

 

 まぁ、知らないのは当然だろう。 指紋の証拠能力が正式に認められたのは西暦1686年。 中世なんてとっくの昔に過ぎ去ってるぜ。

 

 当然、600年前(ついこないだ)まで原始人だった、この世界の人間   もしかしたら知的生物全て   には、知る由も無い事だ。 俺達プレイヤーからは1000年以上も昔の技術が、此処では最新技術とはな。 やれやれ、って感じだ。

 

「指の跡を浮かび上がらせる薬品が錬金術で作れるのか?」

 

 ランポッサが静かに言った。 これ以上指紋が付かないよう、ガラスで保護された書類を手に持ち、浮かび上がった指紋に視線を落としながら。

 

「いや、これは魔法じゃあ無い。 現象だよ」

「ふむ。 現象」

「薪に火をつけると熱く燃える。 その火に水を入れた鍋を掛けると湯が沸く。 誰がやっても、子供だろうが老人だろうが関係無く、やり方が同じなら同じ結果が待っている」

 

 俺は、全員によく見えるよう、黒っぽい破片が入ったアンプルを掲げた。

 

「これもそう。 『昆布』って言う海藻を焼いて、その灰から取り出した…沃素(ようそ)って言う物資だよ」

「その粉をどうするのだ? 炙ると言っていたが……」

「コイツを火で炙って温めると、ロウソクみてーに溶けて紫色の煙が出るんだよ。 それが指の跡に含まれてる脂とくっついて、目に見えるようになる、っつー仕組みさ」

 

 人間の皮膚からは通常、皮膚の汗腺を通して汗と皮脂が染み出てくる。 脂肪のしみ出しは皮膚を湿らせ、柔らかく保つ用途として。 さらに、脂肪は皮膚にいる常在菌のエサになり、病原菌を寄せ付けないバリヤーのような効果をもたらすのだ。 だから、洗剤や薬品に多く晒されて皮脂が失われると、手荒れする1原因になるのさ。

 

 んで、指紋が付くと、汗は蒸発するが皮脂はそこに残る。 揮発したヨウ素ガスを脂肪と接触させると、ヨウ素はこれらの物質と反応し、暗褐色の化合物をつくる。 脂肪だけがヨウ素と反応し褐色となるので、指紋の隆起、すなわち紙と接触した指の模様が現れ、指紋の輪郭を見えるようにすることが出来るのだ。

 

「成程。 油にだけ溶ける塗料のようなものか」

「まぁ、大体そんな感じ。  今から実際にやって見せるが、蒸気に絶対触らないように。 毒じゃあない(※少量の場合)が、手や服に付くとシミになっからね」

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 ヨウ素の溶けだす温度は113℃くらい。  ロウソクが燃える炎の温度は300℃くらいあるので、普通のロウソクでも十分な量のガスを発生させられる。 後は、指紋があると思われる箇所に吹き付けてやれば……指紋が浮かび上がるっつー寸法さ。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 俺は、ヨウ素のフレークをガラスアンプルに入れたままロウソクの炎にかざし、温める。 すると、スグに黒い砂粒のようなヨウ素フレークが、シュウシュウ音を立てて蒸発   正確には昇華   し、紫色のガスになった。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 更に容易に指紋を採取するには、アルミニウムとチョークの粉を混合した粉を振り掛ければいい。 アルミとチョークの粉は、ボールミルで1日~2日くらい砕けば作る事ができるぞ。

 

 採取する時はゼラチンで作ったシートを使う。 いい具合にベタベタしてて、柔らかいので曲げられ、それに透明なので照合しやすいからだ。 古代の接着剤、(にかわ)だってゼラチンで出来ているくらい、それはベタベタしてるのだよ。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

「っとまぁ、こんな具合に浮かび上がるんだ。 コイツは誰がやっても同じ結果になるから、この国の一般的な警察…いや、衛士でも同じようなことが出来る。 ……道具さえあれば、だが」

 

 ハッキリと紙に浮かび上がった指紋を、全員に見える様に掲げ。 読み終わったチラシを棄てるが如く、その紙から手を離す。

 

「調べてみると、あの書類には3種類の跡が浮き上がったのが分かったぜ。 赤で丸く囲ってあるのが武装集団の頭目、べリュースの指紋。 ……では、残りの2つは?」

 

 俺が懐から紙と朱肉を取り出し、リットンの方へと歩き出す。 当然、誰も俺の行動を止めようとしない。

 

「……ッ!」

 

 指紋を取る為に手首を掴み、グッと寄せる。 すると、身体を硬直させたリットンは、手をぎゅっと握って抵抗する。

 

「ま、待て……ちょっと待ってくれ! 違う! 本当に違うんだ!」

「どうした? ん? 何故嫌がるね?」

「私じゃない! やめてくれ! 私じゃないんだ!」

「全て事実無根で、書類の指紋はお前のじゃあ無いんだろう? ……無実が証明できるんだぞ?」

 

 何故、リットンは必死に俺じゃあ無いと叫ぶのか? 何故ならば、この書類は一度破棄されて燃やされているからだ。 コイツは内心、こう思っている。 (何故ここに! あの書類は確実に燃やしたハズだ!) と。

 

 確かに灰にはなっていた。 それを魔法で元に戻すのは容易だったし、リットンには『枝』を付けていたので完全に消される前に灰を回収するのも簡単だった。 だが、魔法では何が書かれていたか……までは修復出来ても、『記述された』とは見なされないのか指紋までは元に戻らなかった。  それに、リットンが本当に触ったかどうかも確実には分かってない。

 

 もしかしたら、リットンは本当に触って無いかもしれない。 側近かなんかに読ませて、暖炉に放り込んだのかも。

 

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 ドッペルゲンガー。 便利だよなぁ、コイツ。 看破の魔法かスキル、もしくはマジックアイテムを使わないと、外見からは全く判別出来ないレベルで変身するモンスター。 対抗手段が無い場合、言動などの乖離から推理する以外、手が無いのは最早チートと言っても過言では無いと思うぜ。

 

「……もうよい」

 

 ランポッサの無機質な声が、リットンの身体を硬直させる。

 

「リットン候……いや、リットン。 我は、最後まで何かの間違いではないかと信じたかった」

「お、王よ! 私は…! 本当に何も  

「黙れぃッ!」 無言でランポッサの側で立っていたガゼフが一喝した。 「王の話されている途中であるぞ!」

 

 ビクリと身体を跳ね上げたリットンは閉口する。

 

「リットン。 そなたは本件に深く関わりがあるにもかかわらず荒唐無稽な弁解を繰り返し、自己の責任を免れようとしており、こうした態度からは一片の良心も伺う事ができず、反省の情は微塵もない。 国全体を脅かしてでも自身さえ益を享受出来ればそれでよいとの、身勝手な発想は常軌を逸しており、その思考態度には戦慄すべきものがある。 ………よって、生命をもって罪を償わせる他はない」

 

 大きく、覚悟を決めるように深呼吸したランポッサは、声に威厳を込めて言い放つ。

 

「決を言い渡す。 国家反逆罪。 及び、外患誘致(がいかんゆうち)の罪により……リットン。 そなたを死刑に処する」

 

 連れて行け。 そう、冷たくガゼフが衛士に指示すると、鎧を着た2人の男は脇を抱えるようにして退室して行く。

 

 あの生贄はもう助からないだろう。 事がソレなのだ。 国の重要な戦力であるガゼフのおっさんを暗殺しようとするって事は、自国の防衛戦力を低下させ窮地に立たせる。 つまり国に対するテロと同じだ。  戦時中なら尚更にな。

 

 バレた汚職。 遅過ぎた対処。 どれも致命的だが、決定的な敗因はソコじゃあ無い。 コイツの敗因はたった1つ。 たった1つのシンプルな答えだ。

 

 

 

 お前は恨み(ヘイト)を溜め過ぎた。

 

 

 

 敵からは怒りを買い、味方からも疎ましく思われ、助けを求めても誰も手を差し伸べる奴はいない。 そりゃそうさ。 好き好んで、自から沈み行く泥舟に乗る奴が居るワケが無ぇ。 無理して助けようとすれば、共犯なのかと疑われる事になるからな。

 

 つまる所……テメーは少し、はしゃぎ過ぎたのさ……リットン。

 

 

 




ドクトル「首おいてけ! 大貴族だ! 大貴族だろう!? なあ六大貴族だろうお前!」
アインズ「もうやだこの蛮族」



指紋、について。

 指紋の有効性が正式に認められたのは西暦1686年です。 イギリスの科学者が「たとえ一卵性双生児でも、世界の二人の人間が同じ指紋を持つことは無い」と論文を出しました。 最初は懐疑的で信じられなかったものの、数年後、とある強盗殺人事件に試験的に導入された指紋照合の技術は、見事犯人を逮捕へと導きました。 それにより警察に本格的に導入され、今でも広く使われています。

 日本では更に歴史が古く、平安時代末期(大体1100年頃)には拇印の原型の『手印・押し手』が使われていたのが記録に残っています。 確認されている物で有名なのが、藤原仲子という貴族が作成した文書に残っている拇印と、後鳥羽上皇の作成した文書に本人確認の署名として朱肉で押された手形です。

 牛や馬の場合、肉球が無い蹄なので、鼻紋で個体識別します。


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オーバーロードは稼ぎたい

あらすじ


ドクトル「静粛に! 静粛に! (ランポッサが)判決を言い渡します!」
じーさん「死刑!」
リットン「俺は無実だアアァァ  ッ!」


現在のナザリック生産物

・そこそこの量の硫黄
・そこそこの量の高シリカ火山灰
・やや少ない量の鉄スクラップ
・まぁまぁの量のスケルトンの骨
・数十個単位の瓜科果物
・数百個単位の柑橘果物
・数千個単位のオリーブの実
・やや少ない量の過燐酸石灰
・バケツ数杯の硫酸
・MPが続く限りの塩酸
・プロトタイプの農業機械
・計測不能の量の石灰岩
・かなり多い量の生石灰
・かなり多い量の消石灰
・かなり多い量の石灰水
・そこそこの量のセメント


 深い嘆息を吐きなから、ランポッサはコリを解すように左手で覆った目元を揉む。 1時間にも満たない間だったとは言え、クサダがもたらす奇妙な空気は如何なる者の精神をも疲弊させる事を、ニグンは身に染みて理解していた。

 

 あいつを、あの男を前にすると、心を見透かされ自分の行動を操られているような気分になるのだ。 自分の行動は正解なのか。 もしかしたら、奴の罠なのではないのか、と。 海千山千の貴族を相手取り、腐敗させつつも今までリ・エスティーゼ王国を延命させてきたランポッサ3世とて同じ事だろうと、しみじみ思う。

 

「さて……」 疲労を顔に色濃く浮かべたランポッサが静かに言う。 「司法取引、だったな。 ニグン・グリッド・ルーイン」

「ああ。 俺は嘘偽り無く、全てを話した。 これで、過失とは言えそちらの戦士団と戦闘し、死傷者を出させた罪は免責されるんだったな」

 

「その通りだ」 ランポッサは頷く。 「だが  

 

 そう続いた言葉に、まだ何かあるのか。 と、ウンザリとしたニグンが片眉を上げた。

 

「不法入国の罪までは含まれておらん」

「…………」

「他国の軍が相手国に断りも無く国境を越える……これがどう言う事か解らぬハズも無かろう」

 

 ニグンは兵士では無く特殊部隊員だが、国に遣える暴力装置としてなら同じような立場だ。 宣戦布告なしの奇襲戦争をするつもりか……と言われても仕方の無い事だろう。

 

「決を言い渡す。 不法入国の罪により、ニグン・グリッド・ルーイン。 そなたを国外追放の刑に処す。 2度と我が王国に足を踏み入れることは許さん。 即刻退去せよ」

 

 ここで、ニグンはクサダの言葉に得心が行く。

 

(ああ、そうか。 奴が言っていた『すぐに出れっから装備を全て持って行け』とはこの事か)

 

 ランポッサも操られているのか、それともクサダの計画を知っての行動か。 どちらにしろ、用済みになったニグンが1秒でも多く王国に居ると、嘘が露見する確率が増えるのだろう。 ニグン自身としても、露見して得することは何も無いので否も無い。

 

 無言で踵を返し、ニグンはその場を後にする。 分厚い木の大扉が、バタンと音を立てて閉められ……1歩、2歩。

 

「よーう。 おつかれちゃーん」

 

 横合いから、突如投げかけられた労いの声。 首を回し、見るとやはり……そこにはクサダの姿。

 

「これでオメーは無罪放免。 大手を振って外を歩けるっつー寸法だな?」

「……また〈透明化(インヴィジビリティ)〉で姿を隠していたのか」

「うんにゃ、今のはタダの技術さ。 意識の隙を突いただけの、つまんねーヤツだよ」

 

 ニグンは薄く眉間を顰める。 その技術を得る為に、我が国の隊員はどれ程の修練を必要とし、時間を割いていると思っているのだ、と。 この男が暗殺者(アサシン)だったら、今の一瞬で命を絶たれていただろう。

 

 皮肉の1つ2つでも言ってやろうか。 そうニグンが思案していると、クサダは懐から1枚のスクロールと、冊子を差し出して来る。

 

「ほれ。 ご褒美だよ〜」

「これは……魔法を封じ込めた巻物か?」

「おーともよ。 中身は効果範囲を強化した〈雲操作(コントロール・クラウド)〉だぜ。 あと指示書」

「……数万匹の獅子人(ビーストマン)を相手取る、廻天(かいてん)の策が……〈雲操作(コントロール・クラウド)〉のスクロール1枚……?」

 

 ニグンは、ふざけるなと声を張り上げたい気持ちだった。 雲を動かしたから何だと言うのだと。

 

 少々天候が曇天になった所で、人間の能力を生まれながらに凌駕している獅子人(ビーストマン)が老人の様に膝が痛くて歩けなくなるだとか、気が滅入ったから帰るだとか、するワケが無い。

 

「ま、足らねぇアイテムがいくつかあっけど……量が多いからそれはまた今度だ。 そうだな……オメーの部下が持ってたスリングショット、あれに使われていた素材『ゴム』と交換してやんよ」

「ゴムを? あんな物、ただの樹液ではないか」

「へっ。 そんな物がスゲー役に立つんだよ」

 

 クサダは鼻を鳴らしてそう言うと、肩を竦めた。

 

 ニグンが訝しげな眼で見ていると 「ホームの近くまで送ってやっから」 と言ったクサダは、顎で控え室を指し示し、歩き出す。

 

 道すがら、ニグンは手に持ったスクロールに眼を落とす。 確かに、クサダの言った通りスクロールからはタダの〈雲操作(コントロール・クラウド)〉にはない強力な魔力を感じる。

 

(雲……雲を操作……日差しをどうにかするのか? 夜に使えば、星明かりも月明かりも無い暗闇にする事が出来るが……獅子人(ビーストマン)に暗闇は効果が薄い)

 

 更にいえば、獅子人(ビーストマン)が何時襲って来るのかわからない。 いくら明かりを雲で遮ったとしても、日中に獅子人(ビーストマン)が来れば暗闇には程遠く無意味だ。

 

(ならば、重要なのはこの冊子か)

 

 スクロールの他に渡された、数枚の紙を閉じただけの簡素な冊子。 それの表紙には、王国語で指示書と走り書きされてあった。 本や指令書にしては、不安になる厚みしかない。 中には何が書かれているのだろうか。

 

 狭い城内だ。 ニグンが冊子を開こうと指を掛ける前に、クサダが控え室の扉を無造作に開け放つ。 出鼻を挫かれる事となったニグンは、中身の確認を諦め入室した。

 

「お疲れ様でした、博士」

 

 頭を深く下げ労をねぎらうのは、つい先程姿を見せた老執事。 ストライプ柄のスーツに身を包んだ   耳の形から恐らくエルフ族   若い男。 そして、金髪をロールヘアにした、奇抜なメイド服に身を包んだ美女だった。

 

「おーう、わざわざ待っとったんか。 お疲れつってもよぉー疲労無効だけどね、俺」

「お(たわむ)れを」

 

 クサダの言葉を皮肉と受け取ったのか、スーツの男は苦笑いを浮かべながら椅子を勧めた。

 

 ドカリと無造作に腰を下ろし、クサダは美女から受け取ったマグカップを片手に言う。

 

「さーて。 紆余曲折はあったが、まぁ大体は予定通り事が進んだなー」

「はい、博士。 資金の調達と同時に、王国政府に(くさび)を打ち込むとは流石です」

 

(何……?)

 

 不穏な言葉に、ニグンは片眉を上げる。

 

 男の口から出た『(くさび)』とは、何かの暗号だろうか。 クサダのやり口的には、何らかの仕掛けや仕込みなのでは、と思うが……

 

「なあに、大したことしとらんよ。 アインズさんが大成功してなければ、そして貴族達が予想以上に馬鹿共じゃあなければ、ここまで上手く進まんかったろ」

 

 肩を竦めて言ったクサダの言葉に、ニグンは驚く。

 

(何だと? 奴は膿を取り除く事で貴族の味方をしつつ、王にも恩を着せたのでは無かったのか? あの言い様では、まるで貴族達が敵のようでは無いか)

 

 いや、とニグンは思い直す。 カネをギリギリまで搾り取る為、とも考えられる。 つまり、王国貴族達は獲物だと言う事か。

 

「王国の人間は全て、博士の考案された『セメント』に夢中になるでしょう。 スグにでも増産の願い出が来るかと」

「まぁ、月に20トン程度じゃあ速攻枯渇すんだろうね。 壁だろーと、家だろーと、橋も道路も高層建築も、何もかも作れるようになるからなぁ…アレは。 奪い合いになるかもしれねーな」

「はい、おそらくは。 次はどの様に致しますか?」

 

 クサダは珈琲を一口啜ると、数秒考え込む。 やがて答えが出たのか、小さく頷いた。

 

「鉄が足らなくなんだろうな。 そろそろ炉を増設して製鉄し始めねぇと、鋼材が間に合わなくなるぜ」

「では、その様にしてまいります」

「マジかよ。 言っちゃあ何だが、製鉄を効率的にっつーのは中々に難しいぜ?」

「お任せ下さい、博士。 このデミウルゴス、必ずやナザリックとアインズ様に繁栄をもたらしましょう」

「頼りになるねぇ……」

 

 デミウルゴスと名乗った男は、(うやうや)しく礼をする。 クサダはその返答に満足したのか、機嫌良さそうに口角を吊り上げ笑った。

 

 言葉だけを鑑みれば、王国はカネと引き換えにナザリックの手助けを得て、急成長するだろう。 上手く行けば、他種族に滅ぼされかけている人間種が、起死回生だと勢い付くチャンスかもしれない。

 

 だが  

 

 何故だろうか。 心の中で、不安が頭をもたげるのは。

 

(裏がある。 この男の行動には、必ず裏があるハズだ)

 

 この白衣の男は、初手で人類最強の法国との戦争を望み、そして法国のアキレス腱を攻撃する事で滅亡寸前まで追い詰めた男なのだ。 それに、何と表現していいのかニグンは苦心するが……あの寒村で対峙した、骸骨の顔を持つ魔法詠唱者(マジック・キャスター)とは性質や方向が違う感じがした。

 

「それにしても……御二方の智謀には舌を巻くばかりです」 デミウルゴスは、ブルリと身震いをして楽しそうに言う 「至高の御方が打たれた手により、王国政府は今後ナザリックの傀儡政権も同然となりましょう」

傀儡(かいらい)……政権ですか? 私の眼には、そうは見えませんでしたが……それは何故です?」

「やれやれ……セバス。 君はもう少し思慮を深めるべきだと思うがね? アインズ様も仰っていただろう。 問えば必ず答えが返って来るわけではない、と」

 

 デミウルゴスの小馬鹿にしたような態度に、老執事……セバスの眉間に、ヒビが入る。

 

 ゾクリ。 と、背筋が凍るような空気が2人の周囲から発せられ   パチン、とクサダが指を鳴らす。 すると、どうだろうか。 今の今まで、心臓が止まりそうな程重く()し掛かっていた空気が、雲散霧消する。

 

「これから先、リ・エスティーゼ王国の税収がドカンと上がる。 俺達との取引でな」

「はい。 関税の名目で手数料を取る、と聞いております」

「うんにゃ、それだけじゃあねーぞ。 物資不足で八方塞(はっぽうふさが)りだった経済も、一気に活性化するハズだぜ。 そりゃそうさ……デフレーションが起こり『カネが無くて出来ない』から『金が無くても出来る』に変わるんだから。 インフラ等の建造物が雨後(うご)(たけのこ)のように整備され、効率化が一気に進むさ」

「失業率は史上稀に見る低さになるでしょう。 閉口するレベルの無能でない限り、働き口に困る事は無くなります」

 

 椅子の背凭れに体重を掛け、机の上に足を上げた、だらしの無い姿勢でクサダはクツクツと静かに笑う。

 

「これを『バブル期』と言う」

「バブル……成程。 泡や風船のように、一気に規模が膨れ上がるのですね」

 

 感心するように、セバスが何度も頷く。

 

「ああ。 市場は活性化し、カネの回りも良くなる。 上向き経済だから、銀行も貸し倒れが起きないだろうと融資を積極的に行うハズだ。 ま、国営銀行は貸金をしていないので民営だけだがな」

「活性化した経済に気を良くした貴族達は、更にナザリックから物品を購入し、投資するでしょう。 それも、限度額ギリギリまで資金を借りてでも」

「そん時、売った買ったをすれば国民は収入を得て、国にはその分の所得から税を取り立てる。 不満が噴出する増税しなくても収入が増えるし……それに何より  

 

 珈琲を煽るように一気に飲み干したクサダは、マグカップを机に叩きつけ笑い   いや、嗤った。

 

()()()()()()()()()()。 いまいち利益がパッとしない農家と比べて、商業なら利益が数字で帳面に出てくる。 現物で税を納められかねん農家よりも、現金で一括して支払われる商人の方が、国としても()()()()()()()()

「これから先、商人は国の稼ぎ頭として優遇・重用されるでしょう。 ……つまりだねセバス。 輸入して掛けた関税以上の税収を、我々ナザリックに依存するようになるのだよ」

「へへ、此処でミソなのは、これは王国が自力で成長させたっつー事じゃあ無いってね。 今の税収が倍になったとしても、その増えた分は大元で()()()()()()()()()()()()()()()()()んだよ」

「では……いくら王国の国力が増したとしても、それは輸入あっての事。 いくら強国になろうと、ナザリックが命綱である以上、敵対も切り捨ても出来ないと……」

 

 得心が行ったと、セバスはポンと手を打ち合わせ、ニグンは内心舌打ちをする。 これから先、王国はナザリックのカネヅルとなるのだろう。 これから先、カネに物言わせた懐柔や、賄賂を用いた内政干渉にも法国は気を付けねばならなくなった。

 

 嫌な手を使う。 ニグンは反吐をぶちまけたくなる気分だった。

 

「まぁ、細かい所は別として大体はそうだな。 ……良いかセバス。 そして、デミウルゴスとソリュシャンも。 よく覚えとけ」

 

 突然真顔になったクサダは、椅子から立ち上がり言った。

 

「火の粉の届かぬ場所から。 自陣営に一滴の血も流させず。 失敗しようが成功しようが警戒されない方法で。 敵対する『前に』(あらかじ)め潰()()()()()。 勝つってのは、こう言う事だ」

 

 言い終わるやいなや、複数人の足音が聞こえ、扉が勢い良く開かれる。

 

「おお! ここに居られましたかドクトル殿!」

「おやおや、貴族の皆さんがそんなに急がれて……何か有ったのかな?」

 

 真顔だった表情がガラッと変わり、人懐っこい笑顔を浮かべたクサダは、歓迎するとばかりに両手を大きく広げた。

 

「御礼を申し上げたいのです、ドクトル殿。 貴殿のお陰で、国の存在そのものを(おびや)かす痴れ者を白日の元に引きずり出せました」

「ああ、それで。 一つ聞きたいんだけど、リットンの領地はどうなるのかな?」

「は? かの者の領地ですと?」

 

 でっぷりと贅肉を携えた男は、不思議そうに首を傾げ「何か理由に心当たりがあるか」と貴族同士で目配せしている。

 

「ああいや、急に領主が居なくなったら領民が困るかな、と」

「おお……我が国の将来をそこまで。 ご心配召されるなドクトル殿。 彼奴の領地は周辺を治めている領主に吸収される事に決定致した」

「ほーん。 んじゃ、路頭に迷う国民は出ないんだね?」

「然り、然り。 罪を犯したのはリットンであり、領民に罪はありませんからな」

 

 ただし。 近くに居ながら止めず告発もしなかった部下や血縁達は、知る機会がありながらも故意に黙っていたとして、リットンと同じ命運を辿る事になるだろう。 見て見ぬ振りをした者も同罪として、見せしめに処分しなければならないのだ。 第2第3の裏切り者を出さない為に。

 

「国王はリットンの私財を没収し、そこから捻出した見舞金を被害に会った村に支払う事も決定なされた。 これで、彼奴の背任行為に傷ついた民も多少は報われるでしょう。 ……全く、まるで癌の様な人物でしたな!」

 

 そうだそうだ。 と、芝居臭い仕草かつ仰々しく憤慨して見せる貴族達。 胡麻擂り、へつらい、クサダの機嫌を取ろうと言うのか。

 

 案の定…いや、当然の帰結として、王国貴族達は正規ルート以外に輸出枠を願い……そして、クサダに「事務の人手が足りなくなるから」と断られている。

 

 ……いや、何処か不自然だ。 本当にカネが目的なら、国に仲介料の税を取られる正規ルートよりも、貴族達と直接取引する密輸入じみた方法のが取り分が増えるだろうに。

 

(奴の本当の狙いは何なのだ……いや待て。 つい先程、あの男は『潰させる』と言っていた)

 

 記憶を辿れば、確かにクサダはそう言い放った。

 

 何故そんな回りくどい言い方を? いや、それは重要では無い。 本当に重要なのは  

 

(『させる』だと? 誰に、何をだ?)

 

 その言葉は、対象が2つ必要だ。 潰すのではなく、潰させるのだから。 誰かを利用しているのだ。

 

 クサダは既に万事終わったと言いたげだった。 ならば、自ずと対象は割れて来る。 国王と、リットンだ。 つまり、クサダは国王を操り、リットンを殺したかったと言う事。

 

 輸出入。 王国商人。 カネ。 傀儡政権。 リットンの死刑。 経済成長。 バブル。

 

 いくつもの単語が、フラッシュバックする様に浮かんでは消える。

 

 

 

   この瞬間、ニグンの脳裏で全ての点が線へと繋がった。

 

 

 

(そうか……そうかわかったぞドクトル・クサダ! 貴様の欲した物はカネでは無い……首だ! 王国のトップ、六大貴族の首……命を欲したんだ! 邪魔者を消したかっただけなのだ!!)

 

 クサダは過去に、ニグンに向かって言い捨てた。 『貨幣なんてもんはタダの道具だ』と。 目的を達成する為の、手段でしかないと。

 

(こいつは……商談に見せかけて気付かれぬよう貴族を揺さぶり、偶然大きく隙を見せたリットンを()()()()()()()()()()()のだ! 他の貴族自身にも害が及ぶと認識させ、反対意見を封殺した上で!!)

 

 毅然とした態度で、裏切り者を始末した国王の意思は見せしめだ。 法を踏みにじれば断罪する……レッドラインを越えれば容赦はしないと、『私は強権を持っている』との意思表示なのだ。 それさえ出来れば、死ぬのは誰でも構わなかった。

 

(毅然とした態度を取った王は権力を増し、貴族は迂闊な手を打て無くなり……必然的に膠着状態に入る! 貴族は真綿で首を締めるように徐々に弱体化し、一か八かの賭けに出るか、諦めて降伏する以外の手が取れなくなる……!)

 

 資本(カネ)こそが主義(チカラ)の時代になる。 全員が全員、金儲けに夢中になった環境で、最も利益を上げるのはナザリックの息がかかった商人連中だ。 ()()()()()()。 国に収める税金の大部分を稼ぐ商人の発言権は増し……必然的に、相対的に、資本の面で貴族は弱体化して行く。 たかが商人と侮っていた貴族も、政府も、そのたかが商人を無視できなくなる。

 

(馬鹿野郎共が! 国王も、貴族も、全員馬鹿野郎だ! どいつもこいつもクサダが用意した税収増(エサ)に夢中で……今、奴に、貴族が、()()()()()()()()()()()()()()()ではないか!!)

 

 そうとも知らず、目先の利益に釣られる貴族達。 我先にと争いながら、嬉々として自ら泥沼に肩まで浸かり行く。 待ち受けるのは、もがけばもがく程沈む底なし沼だと言うのに。 クサダの仕掛けた罠は、ひとりでに広がって行くのだ。 まるで、自覚症状の出ない癌細胞のように、誰にも気付かれる事無くゆっくりと。

 

(クソ、クソッ! 化け物め! 奴の所為で王国の貴族はもう詰んでしまった! ギリギリになって気付いた貴族が強引な手段を選んだら、嬉々としてランポッサ王に恩を売りつつ刈り取る魂胆だろう! まるで狩を楽しむかのようにな!)

 

 気付いた時にはもう遅い。 全身に癌細胞が転移した末期癌患者の様に、幾ばくか残された余命が尽きるまで震えて過ごすのだ。

 

(王国との商談も、高性能な製品も、商人も、カネも……全て……貴族を()()()()()()為の道具でしかなかったんだ! 奴は…奴は………ッ!)

 

 

 

 

 

 

 

 

(自分に都合の良いように世界を創り変える気だ!!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 制度そのものが陳腐化すれば、貴族など全く尊くはない。 そんな地位に価値など無い。 価値無き地位を欲しがる者も居ない。 そして、求められぬ制度に意味も無い。

 

 今、この瞬間に、貴族は過去の物となった。 これから先、相手が()()()()かなど誰も気にしなくなるだろう。

 

 極々当たり前の流れとして、時代の移り変わりとして……必要とされ無くなった『貴族』は自然消滅して行くのだ。

 

 

 

 

 貴族達が去り静かになった室内で、ニグンは青褪め震えていた。

 

 まさかと思っていても、にわかには信じられなかった事が……いや、信じたく無かっただけか。

 

 破滅の龍王(カタストロフ・ドラゴンロード)の復活。 100年毎の揺り戻し。 神代の世界、ユグドラシルに住まう神の降臨。

 

 恐れていた事が現実となった。 それが、紛れの無い事実だと信じたく無かっただけ……見て見ぬ振りをしていただけだ。

 

(嗚呼、神よ……600年前に我らを救いし6大神よ。 なぜ、私達に試練を与えるのですか……)

 

 異界からの来訪者。 600年前から、唐突に訪れる様になった『ぷれいやー』は、誰も彼もが神の名に恥じぬ凄まじいチカラを持っていた。 だが  

 

 今回の旅人は性質が違った。

 

 山を砕き海を裂く、圧倒的なパワー? 違う。

 

 幾千幾万の敵を屠り、不可能を可能にする魔力? 違う。

 

 たった1つで世界を変えうる世界級遺物(アーティファクト)の所有者? 断じて違う!

 

 奴等の……ナザリックの扱う武器は、剣でも弓でも魔法でも無い。 政治だ。 金と技術と言葉で戦う、策略家なのだ。 そしてニグンは、はたと気付く。 先程感じていた違和感の正体は……()()()、と。

 

 頭脳だけなら、まだ何とかなった。 敵とハッキリ割れた時点で、軍事力と物量で押し潰せば良いからだ。 八欲王の様に力任せに暴れるだけならば、まだ対抗出来た。 驕る者の裏をかき、油断させた所で袋叩きにすれば良い。

 

 だが。 文字通りの化け物共の支配者が……あのアインズ・ウール・ゴウンが油断せず、驕らず、圧倒的な魔力を持ち、聡明であったとしたら? そこにクサダの『悪辣さ』が加わるとしたら?

 

(終わりだ……人間国家に未来は無い……)

 

 今となって考えてみれば、世界を滅ぼす寸前まで追い詰めた八欲王ですら、あのアインズ・ウール・ゴウン相手には霞んで見える。 アレが欲しい、コレが欲しいと、感情の赴くまま自らのチカラを誇示する様に振りかざす八欲王は、棒を振り回し駄々をこねる子供にも等しい。

 

 だが、今回は違う。 ナザリックは違う。

 

 まさしく武力の扱いを熟知するあの2人は、圧倒的な格の違いを持って命令する大人だ。 そして、あの2人はニグンを通じ、法国へ問いかけているのだ。

 

  逆らえば、潰す。 見えず、感じず、理解も出来ぬ方法で、立ち枯れる植物の様に静かに始末してやる。 生き残りたければ……解るな?

 

 そう、言っているのだ…………

 

 

 

 ◆

 

 

 

「そんなに…貴族が憎いか……?」

「あん?」

 

 冷や汗を流したニグンは、静かに言った。

 

「リットンを罠に掛けたのは、貴族を始末したいからだ。 違うか?」

 

 恐怖に引き攣ったニグンの顔を、まじまじと眺め。 クサダは眼を細め「ほほーう」と笑う。

 

「ちょっと違うかな……憎いんじゃあ無く、邪魔だったから消そーとしてんだ」

 

 至極簡単に肯定して見せるクサダ。 言葉だけでも否定してくれれば、どれ程良かったか。

 

「奴ら……権力を持った奴は、業突く張りだって相場は決まってんだよ。 いずれ、この状況に満足出来んくなる時が来る。 ……必ずな」

「全員がそうだとは限らんだろう。 探せば  

「ああそうさ。 中には聖人君子な、正真正銘の『貴族様』もいるかもしれん。 だが、それも所詮…少数派(マイノリティ)だ。 この国の貴族の殆どが、高潔さ故の義務(ノブレスオブリージュ)もヘッタクレも無いクズだって言ったのは、何を隠そうお前じゃあないか」

「…………」

 

 ニグンは、その言葉を否定出来なかった。 いずれ、王国貴族は下らない嫉妬心や欲望で、神の住まうナザリックに喧嘩を売るだろう。 これは最早、確信と呼べる。 最悪の場合、こちらに飛び火する可能性も無くはないのだ。

 

「俺達のプライベートに首を突っ込んでくるか。 産業スパイを送って技術を盗もうとするか。 税金の名目で圧力を掛けて来るか。 それとも力尽くか。 いずれ、所謂(いわゆる)経済戦争ってヤツが起きるだろうが……へっへっへ」

 

 クサダは自身の目の前で、チッチッチ。 と、舌を鳴らして指を振る。

 

()()()。 まともに、正面から、正々堂々と、()()()()()()()()よ」

「だから……だから(あらかじ)め有力な貴族を潰しておこうと画策したのか……!」

「入らんシュートを打つのなら、ゴールポストを動かそう。 勝てない試合をするのなら、勝てるルールに変えてやる。 ……コレに気付くとはお前、思ってたよりも『こちら側』かもしれねーな?」

  化け物め……」

「ふん。 よく言われる」

 

 クサダは聞き飽きたとばかりに、唇を尖らせ詰まらなそうに言った。

 

 やがて、肩を竦めたクサダは「やれやれ、お前も頭の固い連中と同じか」と、これ見よがしに溜息を吐く。

 

「なぁに、ただの効率化さ。 少ない労力で最大限に稼ぐ為の…ね」

「……効率、だと?」

「ああ、そうさ。 乾いた雑巾をいくら絞っても、水は出て来ないだろう?」

「その為に貴族を潰すのか……それでは搾取(スポイル)する側が変わるだけで何も変わらん! お前は一体、何が目的だ!」

「だから最初っから言ってんだろぉ〜〜? 金を稼ぐ為だよ。 会社を興して、商品売って……『オーバーロードは稼ぎたい』のさ」

「お、オーバー……な、何?」

 

 知らぬ単語に困惑するニグン。 理解出来ぬのならそれで良い、と突き放すクサダ。

 

 沈黙が空間を支配する。 それから数秒か数分か……重くのしかかる室内の空気を打ち破ったのは、扉を叩くノックの音だった。

 

「あ……隊長!」

「隊長、よくぞご無事で……!」

 

 開かれた扉の向こう。 そこには、陽光聖典隊員とクインティアがいた。

 

「お前達……」

 

 ニグンは驚き、声を少し上ずらせてしまう。 総勢39名。 邪悪な風体をした、全身鎧の戦士に殺された1人を除いて、全員揃っている。

 

(もう用済みと言う事か)

 

 全てが終わり、人質としての価値が今、彼らから消えたのだろう。 つまりは、抱えているだけ損をする無駄飯食らい。 兎にも角にも合理的な思考に、ニグンは舌を巻く思いだった。

 

「隊長、ありがとうございます!」

「あ……な、何?」

 

 突然頭を下げた部下に、ニグンは目を白黒させた。

 

「邪悪なる者の指示通り動いたのは、人質となった私達を解放する為だったんですよね!」

「……え?」

「村では私達を売ったのかと思いましたが、あの状況では1人でも帰還し報告するべきだと後で気付きました!」

「……は?」

「国王派閥の弱体化が難しいと見るや、貴族の汚職を逆手に取る機転! 私達の罪も無かった事にするなんて……流石です、隊長!」

 

 ワケがわからなかった。 ニグンは部下の為では無く、祖国と自分の命を助ける為に行動したに過ぎない。

 

(何だ、これは。 高評価……だと?)

 

 この状況は都合が()()()()。 まさかと思い、クサダをチラと見ると。

 

 ドヤァ  

 

 っと顔を歪め、ニタ付いた笑顔を向けている。  恩と一緒に、今回の件の責任を、全てニグンに押し付ける腹積もりか。

 

(いちいち行動が癪に触る……!)

 

 ならば一言伝えるだけで良いのだ。 ギブアンドテイクだ、と。 呆けた顔が見たいが為に、端々にイタズラを仕込むとはタチが悪いにも程がある。

 

 額に青筋を浮かせ、頬を引攣らせながら、突如現れた暗黒の渦〈異界門(ゲート)〉を使って祖国に帰るまでの間、ニグンは曖昧な返事をして部下の話に合わせるのだった。

 

 

 






読者にだけ 「あっ(察し」 出来るドクトルの仕込み。



バブル経済、について。

現在発展目覚ましい発展途国のインドは、日本でいうと1960年代後半ぐらいの状況です。
まだ経済が成熟していないインドは、金融政策以前に、インフラ整備など初歩的な国の整備が終わっていません。 水源は汚染されたガンジス川に頼り。 舗装されていない道路も多く、信号も未整備のため、事故や渋滞が頻発しています。 満員電車ときたらそれは殺人的です。
そこが整備できていないからこそ、需要に対して供給が賄えず、物価が上がりやすい体質になっています。 例えば、流通が滞っているため、農村では余って値崩れしている食料も都市部では十分供給されず高騰している…などです。
インフレを抑えるために金融を引き締めたいが、それではインフラを整えるカネが用意できない。 おカネを増やしてインフラを整えようとすると物価が急激に上がってしまう……そんな体質からは抜けきれないという難しい局面に立っています。


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あらすじ

ドクトル「近代国家に貴族とか時代遅れでしょ。つーか資本主義広まれば勝手に陳腐化するし」
モヒカン「貴族潰しが目的だったのか! 悪魔! 化物!」
ドクトル「えぇ……」

ドクトル「急にインフラ整備するとバブルになるけど頑張って。借金とか投機とか程々にしないとヤバイぞ」
モヒカン「人間社会をめちゃくちゃにする気だ! 悪魔! 化物!」
ドクトル「えぇ……」


現在のナザリック生産物

・そこそこの量の硫黄
・そこそこの量の高シリカ火山灰
・やや少ない量の鉄スクラップ
・まぁまぁの量のスケルトンの骨
・数十個単位の瓜科果物
・数百個単位の柑橘果物
・数千個単位のオリーブの実
・やや少ない量の過燐酸石灰
・バケツ数杯の硫酸
・MPが続く限りの塩酸
・プロトタイプの農業機械
・計測不能の量の石灰岩
・かなり多い量の生石灰
・かなり多い量の消石灰
・かなり多い量の石灰水
・そこそこの量のセメント


☆NEW!
ナザリックは売りました

セメント → 王国
食用油  → 王国
果物   → 王国
鉄材   → 王国
???  → 法国


ナザリックは買いました

法国   → 生ゴム


 拠点であるナザリック地下大墳墓に帰還するには、いくつかの手順が必要だ。

 

 先ずは、偽装を施した経由地へ行き、転移の魔法又は道具で尾行を振り切る。 リアルの世界では、地下道を掘るだとか潜水艦を用いるなど、少なくない労力を支払う必要があったが……此処は異世界だ。 便利な魔法が存在する。

 

 最も、潜在的な敵対プレイヤーも同じ条件なのだが。

 

 兎にも角にも、最低コストで最大の自衛をするには見つからない事だ。 ターゲットにさえならなければ、超位魔法だろうが世界級遺物だろうが無用の長物。 それどころか、準備に掛かったコスト分無駄ですらある。

 

「あ゛  やっと終わったよ種蒔きがよぉ」

 

 デミウルゴスに付き添われナザリックへ帰還したクサダ。 事の報告と情報の共有をする為にアインズの自室へと足を運んだ彼は、備え付けの長椅子に身を預け「家に帰るまでが遠足だからな」と、その時初めて気を抜いて見せた。

 

「ご苦労だったな、ドクトル」

 

 湯気の立つ湯呑みをテーブルに置き、アインズはクサダをねぎらった。 そう、湯呑みを…だ。

 

 今、アインズの顔は空虚な骸骨では無く、肉と皮が存在する人のソレだ。

 

「おっ、さっそく雄山くん使ってんね」

「うむ……アウラやマーレに規則正しい食事を摂るように言っておきながら、自分は何もしないのでは示しが付かないからな」

 

 アインズは感慨深げに自らの頬を撫で   撫でられた頬の肌が、くすぐったそうにプルプルと波打つ。

 

 実の所、この肉体は肉では無い。 不定形モンスターの代表格・スライムである。 

 

 事の発端は、リ・エスティーゼ王国国王に会うためにガゼフを説得せねばならないと、アイデアを出し合っていた時の事だ。

 

 

 

 ▼

 

 

 

「うーん……いくら何でもよぉ〜いきなり国王に会わせろっつーても、断られるよね」

「うむ。 カルネ村の一件でも、戦士長にはかなり警戒されてしまったからな。 転移して間も無く、知らなかったとは言え……この世界では、デスナイトですら伝説のモンスターだったとはな……」

 

 アインズは額に手を当て嘆息を1つ。 それもそのはずだ。 100LVのプレイヤーにとって、デスナイトなど雑魚中の雑魚。 例えるならば、チワワやポメラニアン等の仔犬が、現地では猛犬扱いを受けていたようなものだ。 想定出来る方がどうかしている。

 

 いかにしてガゼフの警戒心を解きほぐすか。 それが難題であった。

 

 いくらアインズが命の恩人であったとしても、彼ら現地人から見れば、凄まじい魔力を持つ謎の魔法詠唱者(マジック・キャスター)だ。 暗器を使う暗殺者よりも、素手で魔法を放てる魔法詠唱者(マジック・キャスター)の方が厄介極まる。 「そちに褒美を取らせる。 何なりと申せ」と言ったが最後「じゃあ貴方の命を下さい」と、心臓掌握(ハートキャッチ)されてはたまったもんじゃあ無いのだ。

 

 いい感じに脳内が盛り上がって来た所で、クサダはソリュシャンに淹れてもらったコーヒーを1口啜り、ほうと一息。 カフェインの文化的な香りと味わいに舌鼓を打つと、脱線しかけた思考が元に戻る。

 

(ん? 待てよ?)

 

 手に持った、褐色を抱えたマグカップを見て…気付く。 いや、思いついたと言うべきか。

 

 チラと横を見れば、ソリュシャンが濁った瞳を向けて微笑んでいる。

 

「そういやあよぉ〜ソリュシャンの種族って確か  

「はい。 私の種族は不定形の粘液(ショゴス)にございます、博士」

 

 そう、ソリュシャンは姿こそ人の形をしているが、ナザリックの例に(たが)わず異形の存在だ。  光の無い瞳も、艶めく金の髪も、おおよそ肉体と呼べる部分は全て、不定形ゆえの能力による変化に過ぎない。 変えようと思えば   ある程度までだが   顔付きどころか肢体の形状すら変えられるその体は、暗器を仕込み、閉所を移動し、死体さえ残さず仕留める事すら出来るのだ。

 

(そういやぁ、たまにプレアデス達で集まってお茶会開いてる〜つってたな。 って事は…不定形だろうが、首が切断されてようが、ロボだろうがメシが食えるって事……)

 

 ふむふむ、ほほーう。 と、1人で勝手に納得するクサダ。 (はた)から見れば珍妙極まり無いが、クサダの奇行は今に始まったことでは無いので誰も驚かなかった。

 

 が、しかし。 次に発せられた言葉にアインズは慌てる。

 

「ちょ、ソリュシャン。 ちっと触らして貰っていいか?」

「ド、ドクトル? 一体何を!?」

 

 ワキワキと手を動かすクサダの行動から「構わにゃいな?」と台詞を噛んでしまった時の思い出がアインズの脳裏をよぎる!

 

(わー! 違うあの時は本当に現実なのか確かめる必要があったからで別にセクハラしたかったとかアルベドのおっきい胸を触りたかったワケじゃ…ああでも柔らかかったなぁ…って何言ってんだ俺  !)

 

 アインズは混乱した! が、瞬時に精神の沈静化が発動し平静を取り戻す。 何度かの沈静化を受けた今、心をジリジリと灼くように燻る羞恥心が僅かに残るだけである。

 

 そんなアインズの葛藤をつゆ知らず「はい、構いませんよ。 どうぞ、博士!」と、快諾して胸を突き出すソリュシャン。

 

 そして再び沈静化が発動する。

 

「……何で胸強調してんですかね…ん゛ん! いや、触りたいのは顔だけだよ」

「そう、ですか。 残念です」

 

 スキルビルドが生産職に振ってあり戦闘が苦手とは言え、クサダはやや物理寄りの100LVキャラクターである。 その辺にいる人間ならまだしも、膂力とHPに優れるゾンビを吸い込むなどステータス的に不可能なのだが……

 

(何がどう残念なんですかねー)

 

 ちょっとした悪戯心なのだろう。 良い兆候である。

 

 苦笑いを浮かべて、クサダはソリュシャンの肌に触れる。 驚いた事に、湿った感じがする以外は人の肌とほぼ同じ質感であった。 例えるなら湯上り直後と言った感じだろうか。

 

「ふーむ、なるほど……こいつぁー凄いな。 ほぼ完璧に再現してんぜ……なぁソリュシャン」

「はい?」

「味覚や触覚はあんのか?」

「ええ、ございます。 私の種族は不定形ですので、口でも腕でも体内でも感じ取る事が出来ます」

 

 ああ、それで。 クサダはポンと手を打ち合わせた。 アインズの食いかけのメロンを腕から食い「大変美味しゅうございました」と言っていたのは事実だったのか、と。

 

「おーおーおー! ファンタジー万歳だぜ。 こうも都合良くいくとはなぁ!」

「ふぁん…た? 博士の仰る事は難しくて、私には理解が及びません」

「あー、ソリュシャン。 別に大した事言って無いから、ドクトルの事はあまり気にしなくともよいぞ」

「流石はアインズ様。 私達下々の者では足元にも及ばない智謀をお持ちですね」

「え、ああ、うん、はい」

 

 こうして、なんやかんやと紆余曲折しながら、金貨を消費し召喚したスライムを用意し、クサダの私物にあった流れ星の指輪(残数1)を使って  

 

「さぁ指輪よ! このスライムを装備した者が都合良く飯を食えるようにしてくれ!」

「願い方が雑!」

 

 と言う風に、願いをかけた。

 

 効果は覿面だった。 クサダの雑な願い方でも齟齬なく力を発した流れ星の指輪は、アインズの腕に抱かれたスライムに膨大な魔力を注ぎ込む。 流石は課金アイテムと言う事か。

 

 指輪が、塩のような見た目の砂粒にその身を変化させ、クサダの指から崩れて消える。 同時に、スライムはドロリと溶け出した。 水面を広がる油膜のようにアインズの全身を覆った不定形の粘体。 しかし、まるで着色されていない樹脂人形のようだった見た目は突如、鮮やかな肌色と艶やかな黒髪へと色をかえた。

 

(あー、俺こんなフウに変身する液体金属ロボ知ってる)

 

 あいるびーばぁーっくな既視感を感じながら、想像以上に上手くいった〈星に願いを〉の魔法に、クサダは歓声を上げた。

 

「おお〜っ! ダメ元でやってみたけど、意外と上手くいくもんだなぁ!」

 

 上機嫌にパチパチと拍手しながら笑うクサダに、アインズはギョッとして眼を   スライムだが   見開いた。

 

「だ、ダメ元で流れ星の指輪(シューティング・スター)を使ったのか!?」

「あー……うん、まぁ、中古だったし?」

「はぁ!? ちゅ、中古だと!」

 

 何たる事。 クサダが言うには、最終日に使い掛けの課金アイテムが投げ売りされていたらしい。

 

(こ、この指輪を手に入れる為にボーナス丸々突っ込んだのに…!)

 

 リアルマネーの力で出るまでガチャを回し、結局夏のボーナスを全て吸い取った指輪を恨めしげに睨み付ける。 すると、蒼い流れ星を刻んだ指輪は、冷たく濡れたような輝きで返答した。 自らの愚かさを象徴するこの指輪は、起死回生の能力を持つが……持つが故に、サービス終了のその時まで使わず仕舞いであった。

 

 こういった、強力なアイテムを温存し過ぎて使うタイミングを失する現象を「勿体無い病」又は「ラストエリクサー病」とバードマンの友人は呼称していた。 そして、結局ラスボスでも使わずに終わる……とも。

 

 

 

 その後、何処からか連絡を受けたクサダが「ラナーっつー王女に会ってくっから、後よろしこ!」と急に居なくなったり。 アルベドに肉の身体になったと勘違いされ襲われたりした。 まぁ、味覚は復活しても、アインズの愛棒は復活してないので大丈夫だったが。

 

 何はともあれ、特殊なモンスターを装備する事で味覚と表情を   擬似的にだが   取り戻したアインズ。 アンデッドになり、食欲と無縁の身体とはなったとはいえ、一般メイド達の食事風景やプレアデス達が開くお茶会など「どんな味がするのかな」と、好奇心をくすぐられヤキモキした場面も少なくない。

 

 だが、それも過去の事。 クサダが四六時中飲んでいる、甘く香ばしいブラックコーヒーも今なら自分の舌で味わう事が出来るのだ!

 

 

 

 しかし、この後アインズは難敵と対峙せねばならない。 そう  

 

 

 

(うわっ、苦! 甘い匂いがするのに、印象と全然違う味じゃないか!)

 

 貧乏舌と言う強大な敵と。

 

 結局の所、アインズは緑茶を選んだ。 サラリーマン時代の営業で飲んだ事があったし、会社のお茶汲みで淹れる訓練をした事があって馴染みがあったからだ。

 

 ちなみにその時、クサダが「ちょ、アインズさん。 湯呑み持って『お茶ァァアア  ッ!』って言ってみてくんね?」とリクエストしたが、怪訝な顔をしたアインズに即時却下されている。

 

 

 

 ▲

 

 

 

 アインズが食事可能になったとの報は、瞬く間にナザリック中に知れ渡った。

 

 それが今の状況……守護者やメイド達とのお茶会である。 穴が開けられない仕事中のシモベ達を除いて、休憩時間に入ったNPC全員が参加している。

 

(フフーフ。 アインズさんは知らない……NPC達の間で『アインズ様と一緒にお茶する権利』が相当な価値を持っている事を……ッ!)

 

 ヤケに自己評価の低い   謙遜が過ぎるとも言う   不死の支配者様は「そんなバカな。 ただのコーヒーブレイクでは無いか」と信じていない。 だが、実際にはNPCにとって無価値であった休憩時間を『何物にも代え難い至福のひと時』にまで押し上げてしまう程に効果は覿面(てきめん)だった。

 

 どれくらいかと言うと、仕事を奪わないで欲しいとの声が一瞬で消え去る程の威力。 斯も鮮やかな手の平返しである。

 

(ふーむ。 それじゃあ握手券とか作ったら、欲しい物が無いNPC達も欲しがるかな……?)

 

 どこぞの会いに行けるアイドルグループの商法を思い浮かべ  

 

(はて? なんか聞いた事あるけど…AKM48……ちげぇな。 ……何だったっけ?)

 

 気の抜けた頭で記憶を掘り起こしていると「失礼します」との声。 輪番でアインズの世話をする『アインズ様当番』らしい一般メイドの1人が、サービスワゴンを押してやって来たようだ。

 

 滑らかで、気品を感じさせる動き。 伏し目で引き締まった表情のリュミエールは、しかし口元が僅かに崩れていた。 彼女の心境を代弁するならば(くうう! 私、今働いてるっ!)だろうか。

 

 ちなみにクサダはコーヒーしか飲まないので菓子は無い。

 

「本日の主菓子は水信玄餅(レインドロップケーキ)にございます、アインズ様」

「ああ、これは美味しそうだ。 ご苦労だったなリュミエール」

 

 アインズがそう薄く微笑んで労うと、リュミエールは顔を朱に染めて息を飲む。 自室で鏡を前に3時間も練習した表情と声色であり、アインズは結構自信があったのだが……なんとリュミエールは顔を真っ赤にして俯き、絞り出すような小声で「しっ、失礼しましたっ!」と慌てて去って行ってしまった。

 

(しまった、怒らせてしまったか。 うーん……人間の姿で今のは、流石に高圧的過ぎたかなぁ)

 

 一部の例外を除き、基本的に人間嫌いのナザリックだ。 普段の骸骨姿ならまだしも、リアルの鈴木悟姿で言われるのは我慢ならなかったのだろう。 歪曲(わいきょく)にブサメンと言われたようで、アインズは少し悲しくなった。

 

 だが、人の受け取り方は千差万別。 クサダはコーヒーを一口啜り、ほうと吐き出す息で嘆息を覆い隠す。

 

(あぢゃぁ~~っ! アレは狙ってやったのか、それとも素か? ま、どっちだろーと、あのメイドの子は完璧オチたな。 難しい漢字のほうね)

 

 歩く人タラシことアインズ・ウール・ゴウンは本日も絶好調だ。

 

 表現し辛いのだが、彼には不思議な……そう、引力のようなものがある。 対峙し言葉を交わした者は皆、器の大きさと危うさに目が離せなくなり……そして、すぐに夢中になってしまう引力が。 全てが(いびつ)であり、(ゆが)んでいるからこそピッタリと合わさると言うか……まるでマーブル模様の様な彼とこの異世界(しくみ)

 

 だからこそと、クサダは笑う。

 

(面白ぇなぁ異世界(ここ)は。 たまらんな)

 

 異世界転移など、傍観者で居られるからこそ笑っていられる。 何処かの誰かではなく、自分が過去やら違う時間軸やらに行くのは真ッ平御免だし、ありえないと思っていた。

 

 しかし、実際にはどうだろうか? 人間万事(じんかんばんじ)塞翁が馬とは良く言ったものだ。 何が起きるか分から無い……これが中々に心を揺さぶる。 ワクワクして来るのだ。

 

「アインズ様。 お飲み物のお代わりは如何ですか?」

「ああ、そうだな……では頂くか」

 

 アインズから湯呑みを受け取ったアルベドは、腰の羽を嬉しそうにパタパタと揺らしながら茶を注ぐ。 ちなみに、料理スキルの無いNPCが茶を淹れようとすると100%失敗してしまうので、ティーポットから注ぐだけだ。 アルベドがティーポットを傾けると、雪よりも白い湯呑みに若葉色の緑茶が注ぎ込まれ、若々しい香りと湯気が立ち登る。

 

 鈴木悟でいた頃の、お茶汲みで使っていた合成粉末茶とは比べ物にならない味と香り。 本物を知った今でこそ分かるリアルの酷さは、例えるならば色の付いた湯であり、絵の具を水で溶いた物以下の代用品だった。

 

(役員の爺さん達がアレ飲んで苦笑いしてたっけ……)

 

 ユグドラシル産の高ランク食材『宇治の誉』を使った緑茶は、ピッキー曰く精神系ステータスを底上げしてくれると言う。 だが、今のアインズはスライムの感覚を共有させて貰っているだけなので、料理バフを受けるのはスライムだけだ。

 

 アインズは、両手で差し出された湯呑みを片手で、それでいて詰まらなそうに受け取る。 こうすると王者っぽく見えるらしく、ウケがいい。 サラリーマン時代の経験から、心の中の鈴木悟が違和感から胃を抑えて悶絶しているがガマンだ。

 

「すまんな、アルベド」

「礼など! 我々守護者は皆、至高の御方に仕える為だけに存在しています。 私は当然の事をしたまでです」

 

 せめてもと。 御礼を言えば、礼などいらぬと返される。 どうしろと言うのだ。

 

 ……NPCは良くも悪くもスキルに左右される。 初めてソレを知った時は、アインズもクサダも驚いた。 バグった機械のように、無表情で急須に茶葉を山盛り入れたり、湯呑みに葉が浮いた状態の茶が完成したりしたからだ。

 

 よって、アインズは「スキルが無いと料理が出来ないのはユグドラシルの時と同じか」と分析し、クサダもそれに同意する。 ただし、ソレに追加で、未熟と言うよりも妨害……規制の類いだと睨んでいた。 スキルや魔法を『学ぶ』のでは無く、スキルに依存する行動を段階的に『許可』しているのだと。

 

 謎が沢山あってよろしい。 解き明かすのが楽しみだ…と、機嫌良くクサダはコーヒーを啜る。

 

(さて、と。 王国上層部の傀儡化には成功したし……後は蒔いた種が芽吹くまで待つだけか。 しっかし、仮に上手く芽吹いてバブルが発生したとして……弾けるタイミングをコントロールしなきゃならねぇから、トドメの一撃は手動で針を刺さなきゃなぁ)

 

 ソレはソレと、先ずは自衛の為に影響力を増さねばならない。 それも、敵対的なプレイヤーへの発覚を成るべく遅らせた上で。 こちらに気付いた時には、もう手出し出来なくなっていた……と言うのがベストだ。 そうすれば『プレイヤー』の得意なPVPでは無く、『社会人』の得意な外交・経済戦に持ち込める。

 

 対外的な影響力。 クサダが最も重要で、喫緊の課題と考えていたのが軍事力だった。

 

 全ての事柄は、軍事力に裏付けされてなければ全くの無意味だ。 国が価値を保証した通貨だって、発行した国が滅べば、ただの金属片としか扱われない。 国同士の取り決めも、軍事力の裏付けが無ければ踏み倒されてしまうし、第三者の国も「約束が果たされる前に滅びるんじゃ無いか? ソレはリスクだ」と思われ契約を渋られてしまう。

 

 要するに「我が組織は、約束を守る能力も守らせる能力もあります!」と言えねばならない。 だからクサダは、カルネ村でこの先どうするかを悩んでいたのである。

 

 幸運な事に、アインズからギルド加入の誘いを受け、ナザリックに   アインズ・ウール・ゴウンと言うと混乱する為にナザリックと表現した   加入した事で、その件は一先ずクリア出来ているのだが……

 

 マグカップを睨み付けていた視線を動かし、コキュートス達…武闘派連中に眼を向けた。

 

(強力な軍事力は諸刃の剣だからな……便利な分、使えば警戒されっちまう。 使わないで済むならそれで良いんだが……)

 

 訓練ばかりですまん。 活躍は我慢してくれ。 そう言って軍事的オプションが取れない理由を説明し、耐えよと言えば了承してくれるだろう。 ……納得してくれるかは別として。

 

 だが、それでも、悪戯(いたずら)に悪名を立たせるのはマズイ。 悪名は拡がるのが早い。 悪目立ちするワケにはいかないのだ。 ……少なくとも、後数年は。

 

(大いなる力には、大いなる責任を伴う……か。 誰が言った言葉だったっけかな)

 

 そう、ナザリックは強い。 対外的に見て、組織単体でナザリックとマトモにやり合えるのは、この異世界にはほぼ存在しないだろう。 だからこそ、使い所が限られてしまう。 怖がられてしまうから。

 

 恐怖政治は二流の証で恥ずべき行為だ。 どんな無能でも実行可能なコレは、私はアホですと宣伝しているようなもの。 例えるなら「ボクの言う事を聴かないと、こうだぞ!」と、威張り散らすガキ大将と同じ……いや、大人でソレなのだから以下か。

 

(外の国を、力付くで占領しても無意味なんだよなぁ。 うーん……どうにかしてカルネ村みてーに恩を押し売り出来りゃあいいんだが)

 

 これから先、国盗りして行くのなら体では無く心で屈服させる必要がある。 つまり畏れられなければならない。 面従腹背の部下など足枷でしか無く、いない方がマシな土壇場で裏切る役立たずだ。

 

(だとしても手が足りねーんだよな。 どんなに効率化しても、ナザリックだけじゃあ生産力に限界が来る。 それに、異形種は優秀だが対外的に問題がなー)

 

 対プレイヤーを想定した作戦で、現地の人間や亜人を戦力として期待するのは不可能だ。 LVが圧倒的に足らない。 活躍は難しいだろう。

 

 

 

 それならば、正面に立たせなければ良い。

 

 

 

 勇者気取りのアホに向けて、現地の人間種が「余計な事をするな」「お呼びじゃねーんだよ」と、中指を立ててくれるだけでも十分な牽制になる。 ヤジを飛ばして士気を(くじ)き、ヤル気を減じられれば内部不和からの内戦や造反を狙えるし、敵ギルドから不満分子を引き抜けば情報源になる。 戦力の面から見ても、気軽に矢面に立たせられるし使い勝手が良い。 もし、ナザリック入りが難しいのなら子会社を作ればいいだけだ。

 

(プロパガンダ……か。 難しいな)

 

 その為には高度な宣伝戦の計画が必要だろう。

 

 大正義アインズ・ウール・ゴウンが、大悪党で独裁者の何某(なにがし)を懲罰的戦争で打ちのめす。 拳も剣も、そんな背景でもって振るわなければ、20世紀のナチ・ドイツ張りに袋叩きにされるのは目に見えている。

 

 もしくは、息の詰まるような暗黒時代に、暗雲分かち舞い降りた一条の光  ってな感じで、英雄か救世主じみた存在を演じれば食い付いてくれるだろうか。 それが例え自作自演(マッチポンプ)の偽善だとしても。

 

 ううむ、どうしたものか。 気分を変えようと、クサダがマグカップを口元まで持ち上げると  

 

「……むぅ。 冷めちまったか」

 

 熟考が過ぎたからか、褐色のソレは人肌以下にまで冷めてしまっていた。

 

 ホットでもアイスでも無い、どっち付かずで中途半端な温度のコーヒーを前に、どうしたものかと考えあぐねていると。

 

「こちらをどうぞ、博士」

 

 テーブルにコトリと置かれたのは1つのマグカップ。 礼を言い受け取ると首を回し……舌をヤケドする程熱いコーヒーを差し出してくれたのは、やはり出来る男筆頭のデミウルゴスだった。

 

「おっ、サンキューなデミウルゴス。 気が効くじゃねーか」

「先程から思索(しさく)(ふけ)っておられるご様子でしたので、勝手ながらご用意させて頂きました」

 

 それと、と差し出されたのは1冊の本。 タイトルからして以前譲った、蔵書をコピーして作った写本だろう。

 

「ああ、もう読み終わったんか。 わざわざ返さんでも……スキル使って作ったコピーなんだからよ。 俺は譲ったつもりだったんだし?」

「そうですか? では、有難く頂戴します」

 

 デミウルゴスが、本を大切そうに空間に仕舞う様子を見ていたアインズも心の中でウンウンと頷く。

 

(分かる、分かるぞデミウルゴス。 本って良いよな。 俺も『好かれる上司になるには~』だとかのハウツー本なら結構読むし)

 

 アインズとて本は好きだ。 『目指せ! 敏腕営業マン ~飛び込み営業編~』はアインズの愛読書だ。 逆に、難しくて良く分からない本は枕の下に忍ばせておけば、それはそれで役に立つ。

 

「本が好きなようだなデミウルゴス。 わた  

「はい! 少しでもアインズ様の智謀にお近付き出来るよう、日々研鑽を積んでおります!」

「あっ、ハイ」

 

 話を膨らませる前にメッチャ良い笑顔で肯定されてしまい、出鼻を挫かれてしまうアインズ。

 

「……んで、デミウルゴスは今も何か読んでんの?」

「はい、今は君主論を拝読させて頂いております」

「あーってぇと……マキャベリか。 ふふ~ん? 中々シブいチョイスだねデミウルゴス」

「流石にわかりますか。 思うのですが博士、このマキャベリズムは他の書籍で述べられている程、権力主義では無いと思うのです」

 

 君主論  マキャベリズムとは『国主は、国を守る為なら如何なる手段も正当化される』という考え方である。 国主は国を守る為に強くあらねば成らず、なんとしても権力を掌握して国を纏め上げねば成らない。 更に、自国の存続の為ならば他国を侵略しようが民間人を虐殺しようが、全て国益のために正当化される。 ……というフウな、何とも過激な主張だ。

 

「あー確かによぉ〜現実主義な面が見え隠れしているなぁアレは」

「策士策に溺れる、と言いますか。 身の丈に合った努力をするべきだと論説しているように感じました。 その姿勢に学ぶ所は多く、とても新鮮です」

 

 権力の掌握を歌った本。 一言でいうと中央集権しろって事であり、王が大小貴族を取りまとめる代表でしか無い封建国家から、1人の王を絶対者に統べた絶対君主制に政治体制を移行するべきだ……と書いて   だいぶ端折ったが   ある本だ。

 

「ほーん……デミウルゴス! 貴様、読み込んでいるなッ!」

「何だ今の」

「ダービー弟」

 

 片眉を上げたアインズに、クサダはニヤリと笑って返す。

 

「ちょいちょい解り辛いネタ挟んで来るよなお前」

「へっへっへ。 それにしても、結構気に入ったっぽいねデミウルゴス」

「はい。 博士にお借りした本を読むと、アインズ様の叡智に近付けるような気がするのです」

(え  ! いやいやいや、それ完ッ全に気のせいだってばデミウルゴス! 逆に離れていっちゃってるから!)

 

 さも尊敬しています的な眼差しで見つめられ、アインズは心の中でわちゃわちゃと両手を振る。

 

「う、うむ。 いや、残念ながらそう言った類いの本とは縁が無くてな。 興味はあるのだが~~その  ……読んだことは無いのだ。 すまんな」

 

 細心の注意を払って、そんな難しい話題を振られてもなぁ〜って伝えたかったのだが。

 

「なるほど……尋常ならざる叡智を持つアインズ様であれば、本など読まずともこの程度の事。 自明の理であると言う事ですね」

(やめてくれ……これ以上ハードルを上げないでくれ……)

 

 支配者像がNPC達の中でどんどん肥大して行く気がする。 最初からカンスト気味だった忠誠心や情景の眼差しも、クサダがナザリックに加入してから加速度的に増しているように感じるのは気のせいだろうか?

 

「所で博士。 今後の展開ですが  

「いや、デミウルゴス。 今こちらから打って出てヤレる事は……今の所だけど、無いよ」

「そう、ですか。 残念です」

「正味働き過ぎだと思うがねキミは……鋼鉄で出来た機械ですら、定期的に休ませてメンテナンスしないと壊れっちまうんだぜ?」

 

 肩を竦めてクサダが心配そうに言うと、デミウルゴスは苦笑いを浮かべた。

 

「うむ、ドクトルの言も一理あるぞお前達。 余り根を詰め過ぎて心配させてくれるな」

「そーそー。 楽しみは後に取っとかねーと。 王国貴族らに付けておいた『枝』から情報がいずれ来っからよ。 果報は寝て待てってね 」

 

 アインズは、そう言う意味で言ったんじゃあないと思ったが口を出さなかった。 マーレが手に持っていたオレンジジュースを机に置き、おずおずと手を挙げたからだ。

 

「あ、あの…博士。 そっ、その『枝』って、何の事ですか?」

「木の枝の事じゃ無いですよね!」

(あー! うん、ソレ俺も気になってた!)

 

 クサダは時折、暗号や暗喩的な表現を使うので困る。 まあ、その時は「デミウルゴス。 皆に解りやすく説明してあげなさい」と言うだけで解決するのだが。

 

「間諜や盗聴っつー意味だよ。 『枝分かれ』の枝さ」

「へ、へぇー」

「なるほどー!」

(そうだったのかー!)

 

 はえーなるほどなぁ。 と、感心する2人の子供と骨。

 

「しっかし……ラナーだっけか? 第3王女の。 付けた枝が速攻バレた挙句、逆探して向こうから接触して来たのはド肝抜かれたなぁ〜〜っ。 ハッハッハ」

「フフ、そうね。 正に『瓢箪から駒』の慣用句が適切な状況だったわ。 どちらかと言うと、躓いたと言うより拾い物の類いでしょうけれど。 デミウルゴスもそう思うでしょう?」

「そうですね、アルベド。 内通者が直ぐに手に入ったのは幸運でしたが……だとしても、忍ばせたシャドウ・デーモンの存在が、たかが人間如きに気取られたのは如何(いかん)ともしがたいですね。 まぁ、怪我の功名と言うべきなのでしょう」

 

 邪悪な笑みを浮かべ、さも悪巧みが楽しいと笑う3人に、アインズはドン引きしていた。 しかも、その輪の中に自分がその3人を超える存在として含まれているらしく、内心冷や汗ダラッダラなのも追加でだ。

 

(無理だよ……もう既に話に付いていけてないもん……)

 

 もう黙って座っときゃいいかなー、なんて思えてくる。

 

「ま、結果オーライっつーことでさ、あんま叱ってやんなよデミウルゴス。 あーゆーのはさ、たまに居るんだよ、たまぁ〜によ」

「ほう。 あの様な存在が他にも……」

「んむんむ。 売国奴ってヤツだな。 しかも投資家でもあると」

「小娘のくせに、最も良い値の付く時を見逃さず、そして売り切ってみせたわ。 いっそ感心してしまうくらいの変わり身の速さね」

 

 アインズの隣に座るアルベドが、ナザリックの暗躍を知るなり一瞬でバハルス帝国からアインズへと鞍替えした王女へ向けて、全くそう思ってなさそうな声で皮肉を口にする。

 

「シカシナガラ博士。 平気デ国ヲ売リ渡ス者ナド、信用シテ良イノデショウカ?」

「そ、そうですよ博士! あ、あの、きっとまた裏切るに決まってます!」

「忠誠心に疑問が残りんす。 アインズ様に不敬を働く心配はありんせんか?」

 

 頭脳派のアルベド達と比べ、武闘派と揶揄される守護者達は警戒心が先に立ったようだ。 役には立つみたいだが、同時に危険では無いか……と。

 

「ヤツは……『裏切った』とは思ってねーだろーなぁ」

 

 しかし、呟くように発せられたクサダの言葉に、眼を見開く。

 

「えっと、あの、それは何でですか?」

「最初から国や組織に忠誠を感じて無かったって事ですよ、マーレ」

 

 アルベドとデミウルゴスを除く、全てのNPCが頭頂に疑問符を浮かべて首を傾げる。 忠誠を尽くす事が当たり前であり存在理由の彼らには、尽くす事とはつまり呼吸すると同然であったため理解出来なかったのだ。

 

「王国は政治の失敗から腐敗が進み、滅亡まで秒読みの状態でした。 例えるなら、そうですね……枯れかけの古木でしょうか」

「ああ、そうだな。 完全に枯れちまって、腐った倒木に巻き込まれちゃーたまんねー……だからあの娘は考えた。 自分を巻き込んで倒れる前に、前もって()()()()()()()()()()ってよ。 なあ、アルベド」

「でも、自分で斧を振って倒すのは無理……白蟻に食わせようとしていた所へ偶然、木こりが古木を切りに来たわ。 その木こりこそが  

「アインズ様トイウ事カ。 シカシ、偶然ナドデアルハズガ無イ」

 

 興奮から冷気をフシューと吐き出しながら、コキュートスはブルリと身を震わせる。 全ては至高の御方の計画通りであったのだと。

 

(え? そこで俺に来るの?)

 

 突然の事にアインズは驚く。 黙って座っていれば大丈夫だと思ったが、別そんなことはなかった。 喋ってもダメ、黙ってもダメだなんてどうしろというのだ。

 

「フフフ、そうでも無いさコキュートス」

 

 とりあえず含み笑いをしてお茶を濁す。 上手いやり方が思い付くまで、手に余る事態はアルベド達に「良きに計らえ」で丸投げだ。

 

「へっへっへ。 いやはや、あのパツキン王女のお陰で()()()()()()()()()ぜぇ〜? デブ王子やバカ王子に、あえて情報を盗まして……あー、これはヤツ自身盗聴されてんのに気付いてっから出来た事なんだがね?」

「自分の力で得た情報と思い込ませたのでありんすね?」

「でもさー」

 

 黄金色(こがねいろ)のリンゴジュースを飲んでいたアウラが、隣のシャルティアを半目で見た。

 

「シャルティアじゃあるまいし、そんな都合のいい情報を鵜呑みにするかなぁ〜?」

「ああ〜ん? 何寝ぼけた事を言ってるんでありんしょうかぁ、こんおちびさんはぁ~?」

 

 仲が良いねぇと考えながら、じゃれ合う2人にクサダは微笑ましく思う。 それはアインズも同じなようで、表情が   スライムだが   普段より和やかだ。

 

「なぁアウラ。 オメー、例えば知らねーおっさんから林檎貰ってスグ食うか?」

「え゛え!? い、いや、食べませんよ。 気持ち悪いし」

「だろ? 怪し過ぎて食えたもんじゃあねぇ。 だが、林檎が果樹に実っている状態だったら、そしてソレを()いだのが自分自身だったら……どうだ?」

「あ、そっか」

 

 アウラはポンと手を打つ。

 

「理解できたみてーだな。 そ、食うのは同じ毒林檎だとしても、入手経路の怪しいブツを無警戒に食っちまうヤツぁーアホのスノウホワイトだけなのさ」

 

 俺なら農薬漬けの果樹園に連れてくね。 と、肩を竦めた。

 

「こん仕込み、自惚れの強い者ほど引っ掛かり易そうでありんすね」

「我等モ、アインズ様ニ御迷惑ヲおオ掛ケセヌヨウ警戒セネバナ」

「んむんむ、十二分に警戒してちょーだい」

 

 会話が途切れた頃を見計らい、ずっと黙して聞いていたアインズは咳払いを1つ。 さて、と区切りを入れて注目を集めた。

 

「これで理解出来たと思うが、あのラナー王女は使()()()。 ナザリックの戦力強化に一役も二役も買ってくれるハズだ……どうだろう、皆の者。 彼女をナザリックに迎えると言うのは」

「至高の御方であらせられるアインズ様の御意志に異を唱える者などナザリックにおりません。 ……ですが、それはアインズ様の求める答えではないと思いますので  」 デミウルゴスは顎先を摘み、少し考えた後口を開く。 「そうですね。 ご推察の通り、能力はともかく彼女自身が問題になるかと愚考致します」

「ふむ。 やはりそうか」

 

 アインズは鷹揚に頷く。 何がそこまで問題なのかさっぱりだが、デミウルゴスがそう考えるのならそうなのだろう。

 

「はい。 客人としてではなく、部下やシモベとして迎え入れるのは僅かながら不満が出るかと」

「では……どうするべきだと思う? デミウルゴス」

「お言葉ながら……アインズ様のご計画通り進めて宜しいかと……」

 

 胸に右手を当て、惚れ惚れする所作で頭を下げるデミウルゴス。

 

(その、俺が考えた計画ってのが知りたいんだよ!)

 

 と、常々思うアインズだが、言えるはずも無いのがもどかしい。 ここはもう少し探りを入れるべきか。

 

「……ドクトルからは何かあるか?」

「あ〜……俺マジックアイテムには詳しく無いからパース!」

 

 じゃあ俺も支配者に詳しくないからパース! そんなフウに言えたらどれ程肩の荷が下りるだろうか。

 

(くっそー自由人め……ああいや、待てよ? さっきドクトルはマジックアイテムって言ってたな。 って事は……報酬か? ナザリックに入れず、報酬だけ渡して下請けに丸投げ(アウトソーシング)すれば良いって事か?)

 

 とは言っても、女性とお付き合いした事もなければプレゼントも渡した事もない鈴木悟には、あの少女が貰って喜ぶような物が何かなんて想像もつかない。 それでも、ユグドラシル産の武具など貰っても困るだけだろうな……くらいは予想出来るし、想像出来るからこそ悩み所なのだが。

 

 指輪やネックレスなど、耐性やバフ効果のあるアクセサリーなら女性に渡すプレゼントとして妥当なのだろうか。 しかし自慢にもならないが、同じ首に巻く物だとしても、ネクタイを選ぶセンスはあってもネックレスを選ぶセンスは無いのは自覚していた。 もし「褒美をくれてやろう」と偉そうに渡しておきながら「えっ、よりにもよって…コレ?」みたいな反応をされようものなら、アインズの心はザックザックと切り刻まれてしまうだろう。

 

(たっちさーん!)

 

 心の中で、かつての仲間に助けを求めるが返事は無い。 リア充筆頭の彼なら、瞬時に最良の答えを出してくれただろうに。

 

 仕方がない。 ここは素直に分かりませんと言うべきか。

 

「ううむ、悩ましいな。 どうも、こういった贈り物の類いは苦手でな……」

「えっ!? まさか、ご冗談でしょう!」

 

 眼を丸くして驚いたアウラの声に、アインズの存在しない心臓がドキリと跳ねた。 支配者ロールで騙していた事が露見したのかと思ったのだ。 しかし  

 

「やれやれ、これだからおちびさんは察しが悪くて困りんす」

「むぅ。 あんぽんたんのシャルティアには言われたくないんですけどー」

 

 ほほほ、と口元を手で軽く隠し、わざとらしく笑うシャルティアの態度から見当違いである事に気付く。

 

「アインズ様は至高の御方々の纏め役であらせられたお方でありんすぇ? 美の結晶たる御方のカリスマに惹きつけられんせん女などおりんせん。 アインズ様ご自身が何かせず…とも、お…女の方から……よ、寄って……来る……」

「自分で言っておきながら自爆してるし」

 

 ざっぷざっぷと眼を泳がせながら、心の何処かで(そうであって欲しくない)と辛そうに言うシャルティア。 そんな彼女を横目に、アウラは肩を竦めて心底呆れたとばかりにわざとらしい溜息を吐いた。

 

「た、確かにシャルティアの言う通りでしょうね」 ティーカップを片手にアルベドが微笑む。 「アア、アインズ様くらい魅力的な男性なら、ごっ、ご自身で特に何もせずとも女の方から寄って来るでしょうしね。 べべべ別に、おかしな事ではないわ」

 

 澄まし顔のアルベドは、平静を装って気丈に肯定する。 だが、ティーカップを持つ指が震えて受け皿(ソーサー)と擦れあったカップがカタカタと硬質な音を立てている。

 

「じ、重要なのは最終的に横に立つのが誰なのかよ。 か、過去に誰を愛したかは問題じゃ無くて、最後に私がアインズ様の横に立てればそれでいいの」

 

 勿論、その小娘がしゃしゃり出てきたら殺すけど。 と、小声で付け足すアルベド。

 

「なんかソレ、ラオウみてーだな」

「らおう?」

「眉毛の無い筋肉キャラなんだが、こう…『くどい! 誰を愛そうが、どんなに汚れようが構わぬ。 最後にこのラオウの横におればよい!』……つってよぉー」

「……?」

 

 指で眉を隠しながら、野太い声でモノマネをするクサダ。 しかし、当然ながらユグドラシルのNPCだった守護者達に伝わるハズも無く、アインズにもネタが古すぎて通じなかった。

 

「……まあいいや。 その王女の目的なら心配いらねーよ。 今飼ってる『犬』と一緒に、平穏に暮らしたいんだと」

「何? ドクトル、それは本当か?」

「いえーす。 直接聞いたから間違いねーよ」

「そうか…犬か。 それは随分と   ()()()()()願いだな」

 

 アインズは、過去に小動物を飼っていたギルドメンバーの事を思い出し、懐かしさに微笑む。

 

 汚染されたリアルの環境でペットを飼う事は非常に困難であり、故に一定のステイタスシンボルとしてアーコロジー内で流行していた。

 

 呼吸するための空気ですらタダでは無く、人間の水食料の確保にすら苦労するのだ。 まして、何の取り柄も機能も持たないペットを飼う事は究極の無駄であり「私は無駄金を払う余裕がある」と、自らの豊かさを知らしめる道具   指標用として、犬や猫などの愛玩動物は辛うじて絶滅せずに存続していたのだ。

 

 アインズは微笑ましく思う。 犬を飼いたいだなんて少女らしい所もあるじゃあないか、と。

 

(なんだ。 恐ろしい事を考える子だと思ったけど、デミウルゴスの言っていた国を内部から倒すなんて……蓋を開けてみれば勘違いだったってオチなんだろうな)

 

 その王女も俺みたいに勘違いされているのかなぁ、と考えると親近感すら感じる気がする。

 

「アルベド。 1つ頼んでもよいか」

「はい、アインズ様。 1つと言わず、何なりと」

「ラナー王女に渡す『褒美』を、適当に見繕っておいて欲しいのだが」

「はい、かしこまりました」

  む?」

 

 小さく唸ったアインズに、アルベドは小首を傾げる。

 

「どうかなさいましたか?」

「ああいや、大した事ではない……少し疑問に思ってな。 ただ……そう『他の女に渡す贈り物を私に選ばせるのですか』と叱られてしまうと思っていたのだが」

「まあ!」

 

 アルベドは可愛らしく口元を抑えて驚く。

 

「先程申し上げたように、アインズ様が誰を愛そうと最終的に私の元へ戻って来てさえ頂ければアルベドは幸せなのです」

 

 もちろん今から愛して頂いても~と、アルベドが言うなりススッと距離を詰め、身の危険を感じたアインズがススッと離れる、いつものやりとりが行われる。

 

 頬を膨らませるアルベドを慌てて宥めながら、アインズは「さ、さあ休憩時間もそろそろ終わりだろう」と、お茶会を切り上げたのだった。

 

 

 



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冒険稼業で稼ぎたい



あらすじ

アインズ「へぇ、ラナーって王女は使える子だな。 望みは?」
ドクトル「あのパツキンは『犬』が飼いたいんだぞ」
アインズ「なんだ、恐ろしい事考えるなぁと思っていたが……王女と言えど子供なんだな」
ドクトル(王は王でも、嬢王様だけどな)



現在のナザリック生産物

・そこそこの量の硫黄
・そこそこの量の高シリカ火山灰
・やや少ない量の鉄スクラップ
・まぁまぁの量のスケルトンの骨
・数十個単位の瓜科果物
・数百個単位の柑橘果物
・数千個単位のオリーブの実
・やや少ない量の過燐酸石灰
・バケツ数杯の硫酸
・MPが続く限りの塩酸
・プロトタイプの農業機械
・計測不能の量の石灰岩
・かなり多い量の生石灰
・かなり多い量の消石灰
・かなり多い量の石灰水
・そこそこの量のセメント


ナザリックは売りました

セメント → 王国
食用油  → 王国
果物   → 王国
鉄材   → 王国
???  → 法国


ナザリックは買いました

法国   → 生ゴム


「承服出来ません! 御身に万が一の事があっては!」

 

 アインズの執務室中に、焦燥と困惑混じりの悲鳴に似た声が響く。

 

「アルベド……何度も言うが供は許さん。 第一、アルベドまで居なくなってしまったら誰がナザリックを運営する?」

「しかし!」

「私が留守の間、ナザリックの運営を信頼して頼める者はアルベド以外おらんのだ」

 

 信頼している、との言葉に多幸感が湧き上がるが、同時に焦りも募る。 このままでは置いて行かれてしまうと。

 

 だが、アインズの言う事も一理ある。 守護者統括の役目を仰せ付かっており、アインズ以外のギルドメンバー……至高の41人がいない以上、実質的にアルベドがナザリックのナンバー2である。 権限が大きければ、責任も制約も当然大きいのだ。

 

 アルベドは内心、(ほぞ)を噛む。 実際に噛んでいるのは下唇だが。

 

「……どったの?」

「はい、それが  

 

 そして、そんな彼女を困った顔をして眺めるスーツの悪魔と、ホケェ  ッと呆けた表情の白衣の男。 デミウルゴスとクサダである。

 

「ふーん、冒険者ねぇ……」

 

 備え付けのソファーに腰掛けたクサダは、コーヒーを啜りながらデミウルゴスから顛末を聞く。

 

 事の始まりは、アルベドが報告書と共に何時もの定時報告終え、アインズが全ての書類に読了の印を押し終わった時の事であった。

 

  アルベド。 私は街に出て冒険者なる職業に就くつもりだ。

 

 青天の霹靂。 寝耳に水。 突然の事にアルベドは驚きこそすれ、今のように強く反発はしていなかった。 供は許さぬ、と言われるまでは。

 

 カルネ村での一件から、今度もまた恋敵シャルティアではなく、ベスト・オブ・正妻(自称)の自分が選ばれるものと思っていたのだ。 

 

 だが、詳しく話を聴くと、アインズは単独で……ソロで冒険者とやらになると言うのだ。

 

 二人旅シャオラァ! とか考えていたアルベド。 しかし、完全にアテが外れた格好になった彼女は、一抹の望みに賭けて1人は危険だ〜だの、せめて護衛を〜だのとゴネておいたのだ。

 

「なぁ〜んで、また冒険者なんかをやろうなんざ思ったんかねぇ。 小遣い程度しか儲からんだろーに……」

「アインズ様の智謀は我々を凌駕致しますので、私には何とも」

 

 それもそうか。 と、クサダは返事を返す代わりにコーヒーを啜る。

 

 少し離れた所で、まだ押し問答しているアインズとアルベドの声を頭から叩き出し、集めた情報を纏めたノートを脳内のライブラリーから取り出す。 勿論それはタダのイメージでしか無いが、こうやって視覚的に記憶すると思い出すのが楽なのだ。

 

 クサダはイメージ上のノートを広げる。 そこには、ニグンやラナーなどの現地人から集めた情報や、NPC達が枝を使って得た情報……そして、自分で集め考察した所見などがビッシリと書き込まれてあった。

 

 そこから冒険者について記述されているものを探す。 あった。 1つ残さずピックアップする。

 

 

 

 冒険者(アドベンチャラー)

 

 実世界(あちら)に存在した、新大陸を発見・未開のジャングルを踏破・世界最高峰を制覇などの偉業を成した彼らとは違い、異世界(こちら)の冒険者は『勇気』よりも『武力』に重きを置いている。 実際に、良い冒険者……つまり高ランクの冒険者は『難易度』付けされたモンスターを何匹倒したかによって考課や評価が決まる。

 ベテラン・ルーキーを区別する為、ドックタグに似た認識票が配られ、タグの材質により8段階のランクに区別される。 なお、低レベル魔法金属のアダマンタイトを最高位に指定している事から、現地の冶金・掘削技術はユグドラシルの比ではないと推測される。

 最高位冒険者の実力は約1ガゼフ。 誤差は0.2ガゼフ程度と思われる。 ただし、低い能力を補う為に連携を重視する傾向があり、正確に脅威度の測定は不可能。

 

 

 

 ……と。 なるほど、まるでゲームだ。

 

 NPCからクエストを受け、LV上げのついでに目標をこなしていたアレと同じだ。

 

 全く、これの何処が冒険者なのだろうか。 なにも挑戦(ベンチャー)していないではないか。 まあ確かに、命のやり取りに『挑戦』しているとも言えなくはないが、だったら冒険者より野蛮人(バーバリアン)の方が的を射ている。

 

 よって、この名ばかり冒険者の主な業務は、例に違わず害獣……野生のモンスターの討伐なのだそうだ。

 

(猟友会かな?)

 

 クサダは苦笑いした。

 

 いや、野盗の排除   逮捕では無い   を依頼される事もあるらしいので、民間軍事会社(プライベート・ミリタリー・カンパニー)(PMC)と言った方が正しいか。

 

 確かに、100LVプレイヤーのアインズなら低LVモンスターなどドラゴンでも出てこない限り敵では無い。 ガチビルドでなくても、文字通り鎧袖一触だろう。

 

 それに、歩く天変地異と化す80LV近辺の(キャラ)が作る戦闘痕などが発見されない以上、そのような存在は表舞台から遠ざかっている……もしくは存在しないか、牽制しあっていて動けないと考えていい。 いきなり奇襲される可能性は少ないだろうし、遭遇したとして即敵対される事も無いハズ。 こちらが味方が欲しい様に、あちらも味方を増やしたいと考えるからだ。 冷戦期の米ソのように。

 

(なるほど。 考えりゃぁ考えるほど、ヤルには今しかねーって結論になるな)

 

 物語やゲームと違い、現実はだいたい先手必勝だ。 ライバルを出し抜き、さっさと準備を終わらせ、モタモタしている準備不足のアホを奇襲・撃破すれば勝ち。 それで「卑怯者」と声を上げるのは何時だって敗者側であり、平等に不平等である現世において、時間だけは平等に過ぎるからこそ速攻は強力なのだ。

 

(だが何故『冒険者』なんだ? 異世界(ここ)の冒険者に旨味はねーだろうに)

 

 そりゃあナザリックは荒事が得意だがよぉ。 と、クサダは首を傾げた。

 

 情報収集の為? いや、それなら知りたい情報を持ってそうなヤツに枝を付ければ事足りる。

 

 外部とのパイプを作る? いや、もう既に王国上層部には深く食い込んであり、そこを通じて他国との繋がりを手繰れるから必要ない。

 

 ではただ単に戦いだけ? モモンガ時代の思い出話しに出て来た、武人健御雷の様に戦闘に飢えているのか……はたまた、白銀の聖騎士(たっちみー)の様に『困っている人を助けたい』のか  

 

  !」

 

 その思考に至った瞬間、クサダの脳裏にスパークのような閃きが沸き起こる。

 

「ああ……そうか。 その手があったか……!」

「いかがなさいました博士?」

 

 何故こんな単純な手に気付かなかった……と、クサダは天を仰ぎ、くつくつと自嘲的に肩を揺らす。

 

「わからんかデミウルゴス。 アインズさんはな……『英雄』を演じるつもりなのさ! こいつぁ  面白ぇ、最高のプロパガンダだぜ!」

「英雄……ハッ! ま、まさか!」

「ああ、そうさ……! アインズさんは  

 

 悪魔よりも邪悪な笑みで、男は嗤う。

 

「世界征服の計画を……世界の舞台、表と裏から()()()()するつもりだ……!」

 

  まさか。 そんな事が果たして、現実に可能なのか? 世界に糸を張り操り人形(マリオネット)にするなど。

 

 その思考に至り、そして事実、至高の存在である彼であれば『可能』であるという結論に達したデミウルゴス。 額に冷や汗を浮かべ、畏怖とも歓喜とも言えぬ感情に  

 

「な、なんという……流石はナザリックの頂点で在らせられるアインズ様。 私のような無知蒙昧たる下々の者には近付く事すら及びません……!」

 表情を狂喜に大きく歪め、ブルリと身体を震わせるのだった。

 

 

 

 

(やばい……まさか、こんなに強硬に反対されるなんて思ってなかった……)

 

 一方その頃、アインズはアルベドを前に内心どうしたものかと頭を抱えていた。

 

(コレ絶対、本当は冒険者のフリして息抜きしたいだけってバレたら面倒な事になるよ……どうしよう……)

 

 リ・エスティーゼ王国との商談を、胃のない身体に感謝しつつ終わらせたアインズは(ナザリックに帰ったら、あんなプレッシャーのかかるロールは当分やりたくないな……)と音を上げていた。 結果こそ良かったものの、クサダの作戦が勇み足過ぎて心労が祟ったのだ。

 

 よって、自室でプライベートな時間を得る事に成功した   クサダのボケを真に受けたアルベドのせいで一悶着あったが   アインズは、反対するであろうアルベド攻略の作戦を練っていた。

 

 しかし。

 

 まさか、用意していた説得カードが全て論破されてしまうとは思っていなかった。

 

 アインズは焦る。 表面上は平静を保ちながら。

 

(流石は守護者統括……いやいやいや、感心している場合じゃないでしょ! なんとか、早くなんとかしないと……)

 

  休暇が潰れてしまう。

 

 ココは一旦引いて体勢を立て直すか? いや、それはマズイ。 ココで引き下がったら過保護のアルベドのことだ。 箱入りが如く、二度とお外に出してもらえなくなりそうだ。 肩書きは最高支配者の癖に、実際には軟禁状態とか御免被りたい。

 

 窮地に立たされたアインズは救いを求め、なんとなくクサダに視線を巡らす。 だが、眼に入ったのは、とばっちりを避けて離れたところでソファーに座り、マグを片手に(くつろ)いでいる役立たずの姿だった。

 

 くっそー、これがデミウルゴスだったら都合よく解釈してアルベドを(なだ)めてくれるのに…… そんな事を考えながら、アインズは顎先を摘まんで黙考する。

 

(仕方ないか。 本当は気楽な一人旅がしたかったけど、アルベドの意見を飲んで護衛を付けて……)

 

 平行線に陥った時は、妥協案を提示するか破談する以外ない。 アインズは駄々をこねる子供ではないので、勤めて建設的な提案をしようと……口を開きかけた時であった。

 

「おうおうおう、アルベド。 こんな話を知ってるか?」

 

 いつの間にか近付いて来たクサダが、洋画のキャラクターのように彼女の肩に肘を掛け、体重を軽く預けた姿勢で意味深に笑う。

 

「男は船。 女は港……ってな」

「……それは?」

「女は男の浮気を認めろっつーフゥに解釈してるヤツもいるみてーだが……なぁに、そのまんまの意味さ。 男は稼ぐ為に船を出す。 女は漁を終えた船を待つ」

 

 だから何? つまり、女だから耐えろと言いたいの? と、そんな表情でアルベドは眉を顰める。

 

 しかし、それだけだ。 ここでヒステリックにわめき散らすアルベドでは無い事をクサダは知っているし、だからこそ彼女を高く評価しているのだが  

 

「海原を自由に航行する船だが   当然、船は港に必ず戻ってこなければなんねぇ。 物資の補給や仕事を終えたりするからよぉ」

 

 1つ、弱点がある。 難点と言ってもいい。

 

「…………」

「何度でも、何回でも船は出航する。 しかしそれと同時に、毎回同じ港に戻ってくんだよ。 厳しい航海を終え、満身創痍の『船』を  」 ここでクサダはニヤリと笑う 「暖かく『港』が迎え入れる。 毎回、必ずな?」

 

 ここまで言われてピンと来ないアルベドではない。

 

 勢い良く振り向いたアルベドの顔は、艶やかな狂気に染まっていた。 アルベドがたまに見せる、この情欲に濡れた表情が苦手なクサダは、ビクリと肩を跳ね上げた。

 

「な、なるほど! つまり、これは  」 

 

 アルベドの弱点……それがコレだ。 アインズの事になると、普段の聡明さが月までブッ飛び本能全開になってしまう……サキュバス故の個性(ヒドイン)

 

「新婚さんごっこと言う事ね!」

 

 ブフッ! と、アインズは肺も無いのに(むせ)る。 その後、沈静化が起きたため、どうやら原因は心因性のようだ。

 

 アルベドは桃色に染まった頬を両手で抑え、クネクネと奇妙な軌跡を描きながら腰をくねらせた。

 

「もう、アインズ様ったら。 そうならそうと仰ってくれればいいのに……いけずなひと!」

「えっ?」

「こうしてはいられないわ! 送り出す準備をしなくっちゃ……あっ、妻なら行ってきますのキスをするべきよね!」

「はぁ!?」

「そうよ、博士の言う通りだわ! 正妻たるもの、家と子供を護らなくってどうするのよ!」

「ちょ、待ッ、おおお落ち着くのだアルベド!」

「はい、アインズ様! 御食事にしますか? ご入浴でしょうか? そ・れ・と・も……キャー!」

 

 

 

 興奮状態のアルベドを宥めるのに、プラスで1時間費やした。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 アインズ自室。

 

 冒険者の戦士職を偽装するため、闘技場にてクサダから「それっぽく見えりゃーええよな」と、剣術のレクチャーを軽く受けたアインズは、全身鎧のヘルムだけ外した状態で水槽の前に立つ。

 

「魔法詠唱者の『アインズ』の存在は、もう王国に知れ渡っているので  

 

 アインズは水槽の蓋を開け、葉の茂みに隠れるように休んでいた『生き物』を掬い上げるように持ち上げクサダに見せる。

 

「金貨で召喚した、この傭兵モンスターの力を借りる事にした」

 

 ソレの大きさは手の平大で筒状の形をしていた。

 

 胴体……だろうか。 肌色のツルンとした見た目の体は、乾燥から身を守る為とも摩擦を減らす為とも思える粘液で覆われており、ヌラヌラと光を反射していた。 特に眼を引いて特徴的なのが、モンスターの体格から不釣り合いな程大きい……人間の口と同じ大きさの唇が、目も鼻も無い頭部に存在している事だろう。

 

 クサダは、生物の内臓を思わせるモンスターを見て、感想を一言。

 

「えっ、なにそれ。 大人のオモチャ?」

「突然何を言い出すんだキミは」

 

 いきなり妙な事を言い出したクサダに、なんだかドッと疲れた気がしたアインズはガクッと項垂れる。 溜息混じりの呆れ声は、カサカサに(かす)れていた。

 

「いや、だってさ。 大きさは手の平サイズの円筒形でぇー」

「……まぁ、喉に装着するからな」

「表面はツルンとしてて、なんかローションでも塗ったみてぇに粘ついてっし」

「……内臓的なデザインなんだろう」

「先端なんかもう、まんま人の口だしよぉ〜」

「……腹話術の様に喋るんじゃあ無いか?」

「コレさぁ……」

 

 

 

 

 

「どっからどー見てもオナ◯じゃあねーか!」

「何処をどう見ればそうなるんだお前は!」

 

 

 

 

 

 何故そんな発想に至るのだろう。 アインズは不思議でならなかったが……

 

「はぁ〜〜……まぁ、いい」

 

  今に始まった事じゃあ無いしな。

 

 溜息と共にツッコむ気も失せたアインズは、口唇蟲を水槽に戻す。 もう少しプニプニとした感触を味わっていたかったが、ストレスを感じて不調になられると金貨がもったいないな、と思ったのでやめた。

 

「……でだ。 この口唇蟲を装着すると、声を変える事が出来るのだが……食った相手の声帯の声を真似るらしい」

 

 ただし、コレはただの設定で、ゲーム中にそんな面倒な手順は無い。 準備した音声をアップロードし、音声データをリンクさせるだけだった。 音声作製ソフトが日進月歩する中、有名声優の肉声データでNPCをカスタマイズするのが流行った事だってある。

 

「へぇ〜〜……装着ねぇ」

 

 視線をスッと下げるクサダ。

 

「何処を見て言ってるんだ何処を。 喉に付けるに決まってるだろう」

「え? ああ、うん、まぁそのぉ〜万が一ってのがあんじゃん?」

「無いから。 むしろ、そんな万が一があってたまるか」

 

 アインズは適当に否定すると、水槽の側らに置かれた皿からキャベツの葉を取り。

 

「ほーらヌルヌルくん。 餌だぞ〜〜」

 

 と、数枚与える。

 

 しかし不思議だ。 アインズに口はあっても舌は無く、骨しかない身体で、何故発声出来るのか不思議だ。 更に、短い脚でピタリと頚椎に張り付いた口唇蟲の効果で声が変わるのも、もっと不思議だ。 逆位相波で消音するスピーカーの様に、リアルタイムで変音させてるのか……それとも不思議発声メカニズムに干渉しているのか。

 

 クサダは首を捻りながら、楽しそうにヌルヌルくんへキャベツの葉を与えるアインズを他所にふと思う。 そう言えばオーバーロードって、略すとバーローだな……と。

 

 チラと見れば、ペットに餌を与え終わったのか……彼は頚椎に口唇蟲を装着し発声練習をしていた。

 

(オ◯ホ型変声機とか言ったらブン殴られそーだな……)

 

 表情こそマジ顔だが、考えている事はコレである。

 

「ん? どうかしたかドクトル」

「いんやぁ〜? 別に何もぉ〜」

 

 藪をつついて蛇が出そうな予感に、クサダは口を(つぐ)むのだった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 早朝。 まだ夜が完全には明けておらず、東の空が白み朝霧が薄く漂う。 そんな人気の無い草原の空中に、空間そのものに穴が開いた様な暗黒の渦が突如浮かび上がる。

 

 ソレには実体が無かった。 弱い日の光を浴びても影が出来ず、風が吹こうとも揺れさえしないソレには現実味が無く、まるでそれ自体が何も無い所へ現れた影の様だった。

 

 何もかも吸い込んで、飲み込んでしまいそうな渦。 光すら1度囚われたら抜け出せなくなってしまうのではないかと思えてしまう闇黒の渦から、何かがズルリと這い出る様に現れる。

 

 ソレは、人の腕だった。

 

 腕だけでは無い。 肩…足…胴と、この世ならざる方法によって産み出された人の形をしたソレは、両の脚で土をしかと踏み締めると素早く辺りを見回した。

 

 そして、渦から現れた人影が何やら合図をすると、また1人…2人と渦から這い出る。 人影が合計4人に達すると、突然暗黒の渦は小さくなり、文字通り影も形も無く消え去った。

 

 

 

 4人の内、比較的丸みを帯びたシルエットの2人が、残る2人に跪く。

 

「付近に〈敵感知〉(センス・エネミー)に反応する者はございません。 転移の妨害も無い所から、敵性者の存在は希薄と思われます」

 

 髪をポニーテールにした1人  ナーベラル・ガンマとユリ・アルファが言った。

 

「御苦労だった。 だが、偶然と言うものもある。 見られる可能性がある以上、外でそのように跪くのはやめよ」

「あっ……! こ、これは失礼しましたアインズさ  

「違う。 私の名前はモモンだ。 そしてお前は冒険仲間のナーベとユリ。 そしてドクだ」

 

 慌てて立ち上がり、頭を下げるナーベラル。 だが、全身鎧を着た偉丈夫   アインズは謝罪の言葉を遮り、彼女の間違いを正す。

 

「それと敬語も止めろ。 仲間同士で敬語とか……ギクシャクしてると思われるじゃあないか」

「しっ、しかし、それは不敬では……」

 

 絶対者と崇める存在からそう言われ、顔を見合わせて困惑する2人に、アインズは肩を竦める。 その斜め後ろで、苦虫を嚙み潰したような表情のクサダが不安そうに問う。

 

「あーっと……アドリブっつーか演技っつーか、そういうのが苦手っぽいけどよぉ〜……大丈夫なのコレ?」

「誰しも間違いくらいするだろう。 最初から全て上手く行くとは思ってないさ」

「今から育てるんかい。 仕事しながら教える(オンザジョブトレーニング)は(教える方の)負担がデッケーぞぉ」

「……まぁ、何とかなるだろう」

 

 人選ミスなのではないかとヒヤヒヤするクサダを他所に、歩き出すアインズの足取りは軽い。

 

 冒険のメンバーに選んだのは、近接にアインズとユリ。 遠距離火力のナーベラル。 そして、プレイヤーの痕跡に鼻が効き、悪知恵の働くクサダが近〜中距離だ。 4人構成なのは、クサダが「古代から冒険パーティといやぁ4人と決まってるから!」とグイグイ推したからである。

 

「うーん、そこはかとなく不安だぜ。 まぁモモンがソレで良いっつーならソレでいいけどよぉ…… ま、一応おさらいはしとくぞ〜?」

 

 この旅の目的は複数ある   と、クサダは思っている   が、第一目標が冒険者の肩書きを利用してプロパガンダを流布すること。 そのついでの第2目標が、付近の土地を調査し、資源や労働者の確保をする事とプレイヤーの痕跡の発見・追跡だ。 その為に、ガゼフからそれとなく聞き出した情報を元に、エ・ランテル城塞都市へ冒険者登録をしようと移動しているのだが  

 

「あの、博士」

「今はドクだぞ、ユリ。 嘘が苦手か?」

「あっ、申し訳ございません」

「気をつけてくれ……それで? 何か質問があったんじゃあ無いのか?」

 

 コクリと頷いたユリは質問する。 端的にかいつまむと、何故名声を求めるのか不思議な様だ。

 

 クサダはその質問に、説得力を増す為だと答えた。 大正義モモンを支援するアインズ・ウール・ゴウン合資会社が、悪徳無法ブラック企業を捻り潰しても、世論がアインズを支持するように。 しかもそれが、力付くの武力侵攻だとしてもだ。

 

「つまり、名声を高めりゃぁ、モモンが『雪は黒い』って言やぁ黒くさせられる様になるのさ」

「そこまでしてあげないとアインズ様の威光に気付け無いとは……下等にも程がありますね」

「ナーベ。 時には歩み寄る事も大切なのよ?」

「姉さんは人間に甘すぎます。 あんな野生動物など、鞭で言う事を聞かせれば良いではないですか」

 

 眉間に皺を寄せ、苛烈な意見を述べるナーベラル。 アライメントが悪に寄っているからか、攻撃的な言動が多いが……善性で姉の   設定では   ユリが上手く……とは言えないが、抑えている。 

 

 各々(おのおの)会話を交えつつ、アインズ先導の元しばらく歩いていると、だんだん人通りが増して行き……やがて石造りの外壁が見えてくる。 エ・ランテル城塞都市の一部、3重に張り巡らせた障壁の最も外郭である城壁だ。

 

 クサダは視線を巡らし、素早く推察する。

 

「へぇ〜っ、アレがエ・ランテルの城壁か。 意匠や設計はフランスに似てるが  うん、そこはかとなくドイツの特徴もあるな……〈飛行(フライ)〉」

 

 マジックアイテム『飛翔の護符(アミュレット)』を起動し、グンと高度を上げる。

 

 ちなみに、このアイテムはNPCの店員から端金で買えるものだが、あまり人気が無い。 たかが〈飛行(フライ)〉の為にアクセサリー装備枠を1つ潰すのはもったいないので、ガチ勢程スクロールやワンドなどの消耗品で代用し、常用するプレイヤーはあまりいない。

 

「なんだぁ〜こりゃあ?」

 

 都市の風景を一望し、クサダの口から漏れたのは困惑の声だった。

 

「そっこら中の窓に板ガラスが嵌め込まれてんのは良いとして……イタリア・ドイツ・フランス・イギリスの建築様式がごちゃまぜなのは、ど〜いう事だコリャ……」

 

 統一感のない街並みは、正にヨーロッパ()建築様式だった。

 

 寒冷地のドイツに良く見られるキツイ傾斜の屋根や、反りのある細長い円塔の屋根は、積雪を考慮した逆三角形だ。 それだというのに、民家だか商館だかの家屋は緩い傾斜と平面を組み合わせた温帯地域の   ヨーロッパは夏に涼しく冬暖かい。 ただし、降雨量が少なく土地が痩せている   の台形。

 

 かと思えば、丘上にそびえるアーチ状の屋根はイタリアの建築様式だ。 コレは、過去に高度な建築技術と文化を誇り、単一(たんいつ)コンクリート建造物としては今だに世界最大を誇るパンテオン神殿   現代コンクリートには継ぎ目がある   を建設した、ローマ帝国の名残だ。

 

 アーチ状の建築は手間がかかるが柱が減らせるので、あの建造物は恐らく高級住宅か市庁舎なのだろう。

 

「うーわ。 ……なんだこれ」

 

 クサダの心中に渦巻く違和感は、言うなれば……日本の事をよく知らない外人映画監督が、中華街と京都を混ぜた物を和風だと言い張るような物。 どう見ても似非(エセ)であり、ツギハギもいい加減にしろと失笑を禁じ得ないお粗末さである。

 

 ただ、それでも21世紀のT京のような、カオス渦巻くコンクリートジャングルよりはマシではあるが……

 

 クサダは、期待に膨らませていた胸をベッコベコに(しぼ)ませて地上に降りる。

 

「意外に早かったな、ドク。 どうだった?」

 

 偵察に上がったクサダが想像以上に早く戻り、少し驚いたアインズが労いつつ結果を問う。

 

 しかし。 アインズに返って来た答えは、想像のナナメ上だった。

 

街並み(アレ) 作ったプレイヤー絶てぇ許さねぇ」

「そんなに!? 一体何が起きた」

 

 偵察から戻って来るなり、未だ見ぬプレイヤーへ殺意全開にするクサダ。

 

 何にそんな怒っているのかとアインズが問えば、街並みがヨーロッパ『風』なのが気に入らないと言う。 どこぞのユグドラシルプレイヤーが、西洋建築の意匠を一度に全部伝えたのが統一性の無い街並みの原因だろう……と。

 

(ホント、どうでも良い所でプレイヤーの痕跡見つけるよなぁ)

 

 感心するべきか、呆れるべきなのか。 アインズはヘルムの中で苦笑いする。

 

 クサダは今だにブツブツ文句を垂れているが、別に大したことはない。 言っている事は、例えると  アニメを原作通り作らなかった事に視聴者が憤慨しているようなもの。 建物に興味の無いアインズからしてみれば、面白ければどっちでも良いのである。

 

 

 

 正午前。 暖かな太陽の日差しは、地上を這う生物全てに(あまね)く降り注ぐ。 実世界(リアル)ではいくら金を積んでも物理的に不可能だった日光浴に、不思議な感動を覚える。

 

 やがて、雑談しながら歩いていた一行は城門前に到達し、門番らしき衛兵に止められた。 奇妙な程フレンドリーに微笑み、片手を上げて挨拶した衛兵は一行へ話しかける。

 

「ようこそ旅の方。 通行税の支払いと、手荷物検査を受けてもらっても?」

「ああ、問題ないとも」

 

 快く了承したアインズ達が通されたのは、城門の横に併設された詰め所。 木造の壁には消石灰を使った白い漆喰が塗られ、火矢を受けても燃えにくくなるよう工夫されていた。

 

「では2、3聞きたい事がありますので、こちらへお掛けになって下さい。 なお、通行税は一人銅貨2枚です」

「銀貨でも良いかな?」

「ええ、構いませんよ……はい、では確かに」

 

 アインズは釣り銭の銅貨を受け取ると、皮袋にしまう。

 

「それではお名前と、街に来た目的を聞かせてくれますか?」

「私の名はモモンと言う。 冒険者登録をする為に、街にある冒険者ギルドへ訪れたい。 そして彼が仲間の錬金術師、ドク。 魔法詠唱者のナーベと、拳闘士(カンフー)のユリだ」

「ほう……錬金術師殿ですか」

 

 聴き取りをしていた衛兵の表情が一瞬強張る。 そして、背後にいた同僚へ目配せしつつ「あの方を呼んで来てくれ」と言った。

 

 2分足らずで戻って来た彼の同僚は、これまた奇妙な出で立ちの男と一緒に戻って来た。

 

 手には捻れた杖を持ち、頭にはヘタくれた三角帽子が乗っている。 鮮やかな黒染めのローブは通気性に優れたメッシュ地……という事は無く、顔面に噴き出た汗が普通の羊毛布だと語っていた。 ワシの嘴の様にひねくれた鼻は自前か……違うのだとしたら、美容整形な魔法があるのだろうか。

 

 胡散臭いし奇妙だが、その姿は正に魔法詠唱者だった。

 

「彼がその錬金術師かね?」

 

 静かに言った魔法詠唱者(マジック・キャスター)の声は、見た目以上に若そうだった。

 

「テメー誰だおっさん」

「彼は魔術師組合から来ていただいている魔法詠唱者(マジック・キャスター)の方です。 危険なマジックアイテムや違法薬物などを所持していないか、魔法で調べて貰っています」

「ふーん……そのカッコー暑くねぇのか?」

 

 冬に乾いた北風が吹き、夏に湿った南風が吹く日本と違い、この地域は湿度が低く過ごしやすいとはいえ、この初夏の陽気にずっと当てられていれば普通に汗ばむくらいに暑い。 真夏にスーツを着て満員電車に鮨詰めにされるサラリーマンも大概アホだが……この男の服装が強制された制服などで無く、好きでこの奇妙な格好をしているのだとしたら、もっとアホだ。

 

 クサダの何気無い質問に、魔法詠唱者は汗を滴らせつつ、待ってましたと言わんばかりに鼻で笑う。

 

「ふん、確かに暑い……が、見栄も貼れぬ人生などに意味はない。 見せつけてやるのだよ……これこそが魔法詠唱者だと。 魔を操る法術師だとな!」

 

 アホでした。

 

「へぇ〜〜っ…… ダッセェ  ッ!」

「お前もっと歯に衣着せた言い方をしろよお前!」

 

 感心する……と見せかけて罵倒するクサダに、アインズは思わずツッコんだ。

 

 初対面相手に失礼極まるクサダの言動だが、魔法詠唱者自身も薄々そう思っているのか……それとも暑くて怒る気も失せたのか、あまり気にした様子はない。

 

 早めに終わらせようと、無言で一歩踏み出した魔法詠唱者(マジック・キャスター)は、大仰(おおぎょう)に杖を構えると呪文を詠唱する。

 

〈魔法探知〉(デティクト・マジック)

 

 指先から発生した青い光が、薄い膜の様に皮膚を伝う。 睨んでいるつもりなのか……それとも鋭い目付きのつもりだったのか。 魔法詠唱者は薄眼を開けていた目を突如見開く。

 

「馬鹿な! 何も反応が無いじゃと!? あり得ん、こやつの白服はどう見ても魔法が付与された物!」

 

 異世界(こちら)では情報系の魔法を修める者が少なく、だからこそ探知系の魔法に余程自信があったのだろう。 魔法詠唱者は椅子を蹴り飛ばしながら立ち上がると、汗だけでなく口角泡まで飛び散らせながら狼狽する。

 

「いや、ただ単に抵抗(レジスト)食らっただけだろ。 魔法耐性マシマシだからな、コレ」

 

 クサダはそう言うと、見せびらかす様に襟元を振った。

 

「ドク、そのローブは魔法抵抗に特化させてあるのか? 物理火力でなく?」

「いえーす。 俺ぁー足が遅っそいから。 距離取って魔法撃たれたらボコられっちまうからね、しょがないね」

「ふむ…なるほど」

 

 ゾンビの種族特性により、体力(CON)筋力(STR)の伸びはすこぶる良い。 だが、代わりに瞬発(DEX)知力(INT)は伸び辛い特徴がある。 故に、最も効率的なスキルビルドは厚い装甲とデカイ武器で前線を暴れまわる脳筋プレイなのだが……クサダは何を思ったのか生産職に就いてしまっていた。

 

 クサダは腰に付けていた小物入れをベルトごと外すと、中身を1つずつ机に置く。

 

「コレで感知出来るよーになったろ?」

「これは……魔力を封じた短杖か。 ふん、道具に頼らねば何も出来ぬとは……錬金術とは不便なモノよの」

 

 妙に『錬金術』の部分へ噛み付いてくるが、過去に何かあったのだろうか。

 

「さぁ、丸裸にしてやろうぞ。 〈道具鑑定〉(アブレーザル・マジックアイテム) ……ぬううぅぅッ!」

 

 今度は目だけでなく、口までカッ開き歯茎を剥いた。 オーバーリアクションが過ぎる。

 

「なんじゃ、この込められた魔力の量は!?」

「お、落ち着いて下さい魔法詠唱者殿! 一体何がどうしたと言うのです!?」

「どうしたもこうしたもあるか! ……どうやらこの短杖は空気や水、音を生み出す魔法が込められた物の様じゃ。 だと言うに、その総魔力量は只の短杖にはあり得ん程多い! 多すぎる!」

 

 呼気を荒くし、目を血走らせた魔法詠唱者がクサダに詰め寄る。

 

「貴様、ただの錬金術師では無いな! このような妙な短杖をコソコソと街に持ち込んで、何をするつもりだ!」

 

 鬼気迫る表情の男に睨まれるが、しかしクサダはどこ吹く風。 その質問を待っていたと言わんばかりに口端を吊り上げ、並べられた短杖を1つ拾う。

 

「これはねぇー空気作成(クリエイト・エア)のワンドで、こう……魔法を掛けたい相手に向けてホイッと振るんだよ。 そうすっと  

 

 ゴエエェェッ。

 

 衛兵の1人が突然、人目もはばからずゲップを出す。

 

  という、胃の中にクリエイト魔法で空気を作り出して大音量のゲップを出させる……っつーマジックアイテムだよ」

「迷惑過ぎるだろそのジョークグッズ」

 

 渋面をしたアインズは言った。

 

「どうでも良いですけど私で試すの止めて貰っていいですか」

 

 しかめ面をした衛兵も言った。

 

「な、な、なんじゃと? ゲップ!? まさか、イタズラがしたい為だけに貴重な原料でマジックアイテムを用意したのか!」

「 ……あん? 貴重? ……まぁ、そうだぜ?」

「なっ……!」

 

 魔法詠唱者は絶句するが、クサダはそんな事はお構い無しに次のアイテムを選ぶ。

 

「それでねぇー……次はこれ!」

「……今度は何だ?」

 

 ウンザリとした声色でアインズは、クサダの持つアイテムの事を聞く。

 

「これも指定した場所に空気をクリエイトするワンドでねぇ。 こう、ホイッとやると  

 

 ブビィィィ!

 

「という感じで、尻たぶの間に空気を作って音を出すマジックアイテムだよ。 ああ、出てるのはただの無色透明無味無臭の空気だから大丈夫だよ」

「大丈夫な部分がひとッ  つもねーわ!」

「だから私で試すのやめてもらえますか」

 

 クサダは好奇心を抑えられないと言った感じで、両手をブンブン上下に振って言う。

 

「作ったのは良いけど使う相手が何処にも居なくて、もう誰かで試したくって試したくってしょーがねーんだよ!」

「どうしようもないなこいつ」

「後は黄色く着色した水を指定した場所に作るワンドもあるけど……」

「お前絶対ここで試すなよソレ」

 

 

 

 その後すぐに、まるで追い出される様に解放された事は言うまでも無い。



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ブロンズランクは稼ぎたい

あらすじ

もんばん「ヒャッハ  ! ここを通りたかったら税金と手荷物検査を受けてもらおうか!」
ドクトル(杖ボロン)
もんばん「なんだぁ〜〜この短杖は?」
魔法使い「いまどき空気作成の魔法なんざ物の役に立ちゃあしねぇってのによぉ」
ドクトル「お前はもう、死んでいる」
もんばん「ゴエエェェッ!」
魔法使い「ブビイイィィ!」



現在のナザリック生産物

・そこそこの量の硫黄
・そこそこの量の高シリカ火山灰
・やや少ない量の鉄スクラップ
・まぁまぁの量のスケルトンの骨
・数十個単位の瓜科果物
・数百個単位の柑橘果物
・数千個単位のオリーブの実
・やや少ない量の過燐酸石灰
・バケツ数杯の硫酸
・MPが続く限りの塩酸
・プロトタイプの農業機械
・計測不能の量の石灰岩
・かなり多い量の生石灰
・かなり多い量の消石灰
・かなり多い量の石灰水
・そこそこの量のセメント


ナザリックは売りました

セメント → 王国
食用油  → 王国
果物   → 王国
鉄材   → 王国
???  → 法国


ナザリックは買いました

法国   → 生ゴム


 ゆらゆらと、小瓶に詰められた液体が揺れる。 安物の灯油を燃料としたランプの明かりは、あらゆる物を橙色に染めてしまうが、小瓶の中だけは別世界であるかの様に青い輝きを反射していた。

 

「にひひ。 買っちゃった、ついに買っちゃった」

 

 人目のある酒場だと言うのに、小瓶の頭頂部を指先でつつき、ニヤケ顔を晒して彼女はご満悦だ。 彼女の名はブリタ。 首から下げられた金属片が放つ燻んだ黒金の輝きは、彼女が鉄級冒険者(ドベから2番目)だと言葉もなく語っていた。

 

 熱っぽい視線を何度目かの嘆息と共にポーションに向けていた彼女は、酒場内が静まり返っている事に……ふと気付く。

 

 チラ、と視線を上げ前を見る。 そこには、盃を口元まで持ち上げたままの姿勢で、酒場の入口を凝視する同業者の姿。

 

(……?)

 

 一体何が起きているのか。 好奇心を刺激されたブリタは、男達の視線を追って振り返る。 すると  

 

(わっ、すっごい美人! それが2人も!)

 

 そこには、正に絶世と言える女が2人いた。 同業者の男達程ではないが、ブリタも驚き目を剥く。 女であるブリタですらそうなのだ。 普段から女の尻ばかり追いかけている男共など、呪われた絵画に魂を奪われたかのように2人の美貌に釘付けだった。

 

 だが、更に輪をかけて異質と言えるのが、美女の背後に佇む長躯の騎士。 漆黒のプレートで作られた全身鎧には、金のラインが慎ましく引かれている。 背には真紅のマントがそよ風に揺れており、その鮮やかさたるや血潮をそのまま染み込ませたようだ。

 

 そして、冗談のように思えるのが彼の得物だ。 背に帯びた2本の巨大な両手剣の柄が、肩からひょっこりと顔を覗かせており、刃先に至っては床に擦りそうな程だ。 まさか、全身鎧を着込みながらグレートソードを双剣として振り回すつもりだろうか。

 

 ブリタは、流石にソレはないだろう。 と、かぶりを振る。 いくら膂力に自信があっても、重心がアンバランス過ぎて構える事すら出来ないだろうから。 2本あるのは、斬れ味が鈍った時の予備だろうと結論付けた。

 

 騎士が1歩踏み出す。 そして同時に、チャラリと金属の擦れる軽い音がした。

 

(銅のプレート……?)

 

 その形。 その色。 見間違うハズが無い。 ブリタ自身、過去にその色の首輪で締め付けられた経験があったのだ。

 

 ソレは証。 彼が首から下げているのは、紛れも無く銅級冒険者(ドベ)の証だった。

 

 

 

 ゴツ、ゴツ。 全身鎧(フルプレート)に身を包んだ長身の男が、装甲靴の硬質な音を響かせながらカウンターまで歩いて来る。 

 

 野伏のスキルも持つブリタは目敏く観察する。 真新しい首輪を付けた彼らは、自分の脅威(ライバル)となりうるかどうかを。

 

(スゴイ装備の戦士にしては、なんだか素人くさい足運びね)

 

 重板金鎧を、まるで皮革製品(ひかくせいひん)の様に軽やかに着こなす膂力は瞠目に値するが、歩行時に重心がブレてしまっている。 鎧を着ている状態で普通に歩く様子は、最近戦士になりました……って感じだ。

 

 ブリタは「また見掛け倒しか」と評価を下すと、軽く鼻を鳴らす。 見た目ばかりで中身の伴ってない、この手の輩は昔から多々いるのだ。

 

 まだ未発見のダンジョンで、たまたま伝説的な武具を運良く拾ったという可能性は、元から排除している。 何故ならば、彼がかなり恵まれた体格だからだ。 身長は幼少の頃の栄養状態に大きく左右されるため、これだけでバランスの取れた食事が可能な環境に長くいた事が分かる。 実際に、普段から肉ばっかり食っている貴族共は、芋や麦を食べる事の多い平民と比べて身長が高い。

 

 そして次に、美女の2人も理由の1つだ。

 

 辺りを観察する鋭い視線。 油断も隙も無い重心移動。 そして、高い警戒心。

 

 間違いない。 彼女らは護衛だ。

 

 特に、髪を結い上げた眼鏡の彼女からは只ならぬ気配を感じる。 確実に達人クラスだろう。

 

(ふーん、なるほどね。 ま、どこぞの金持ちのボンボンが冒険者に憧れて   あの2人はソレに付き合わされた、って所ね)

 

 よって、彼との今後の付き合い方は、煽てて持ち上げ利用するか、下心を隠しつつ近付き恵まれた環境を自分も利用させてもらうか  

 

「おいおい、痛いじゃあないか」

 

  早々に現実を突きつけ、怪我をする前に諦めさせるか……だ。

 

 またぞろ、同僚は足を打っただの肩が当たっただのと、安い挑発を仕掛けたのだろう。 手慣れた仕草でガントレットを装着すると、わざとらしい笑みを浮かべながら立ち上がった。

 

(あーあ。 ほんッと、お人好しなんだから)

 

 ブリタも同じような目に会ったことがあるので、この先に何があるのか分かっている。 力試しを兼ねて、未だに冒険者に夢見ているだろう新人君へ、()()()()現実を突きつけようと言うのだ。

 

 コレで「話が違う。 冒険者なんて名前だけだ」と、幻滅して帰るも良し。 叩きのめされ、いつか見返してやると悔しさに反骨するも良し。 あとは  ……ほぼありえ無いだろうが、返り討ちにしてしまうか。

 

 まぁ、その時は「いやぁアレは運が悪かった」と、一足跳びに追い抜いて行く大物ルーキーの背を眺める他無い。 さっさとランクが上がるだろうし、ランクが1つでも違えば仕事を取られる心配もほぼ無いだろうから。

 

 互いに交わされる売り言葉に買い言葉。 何も知らない御坊ちゃんのくせに、根拠のない自信をふりかざされる程腹の立つ事はない。 全身鎧の彼は、自身の腕っ節によほど自信があるのか、余裕の態度を崩そうとしなかった。

 

「そこの女を1晩貸してくれたら許してやんぞ?」

 

 同僚は怒りに肌を班目(まだら)に染めつつも、すんでの所で理性を保ち「お前が戦地で倒れたら、連れの女は死ぬよりも酷い目にあうんだぞ」と、歪曲に言っているが……伝わった様子は無さそうだ。 その証拠に、彼は挑発的な笑いをもって返答としている。

 

 一触即発。 緊張が危険な領域にまで高まってゆく。 正直、どちらが勝とうがブリタにはどうでもいいが、冒険者ギルドに所属している以上彼らがやり過ぎない様、機を見て止めに入らねばならない。

 

 卓上のポーションを落として割らぬよう、布で包んでポーチに入れ   いつでも立ち上がれるよう、やや腰を浮かし臨戦態勢を取る……その時だった。

 

 

 

「オイテメー何だ今のセリフは!? 全部テンプレのまんまとか何のヒネリも無ぇじゃあーねぇか! ちったぁ考えて物を言えよ、テメーの頭に詰まってるのは両生類のクソか!?」

  な!?」

 

 突如響いた、その場にいた誰とも違う第三者の声。 

 

「ちったぁ工夫ってモンをしろよおしゃぶり小僧(コッ○シャッカー)!」

「なっ何だお前、何処から出てきた!」

 

 何たる事だ。 いつのまにか同僚は、謎の白衣の男に詰め寄られていた。

 

 転移魔法でも無ければ、超スピードでも無い。 その男は最初からそこにいた。 見えていたのに、視界に入っていたのに気付けなかった。 ブリタがハッと気付いた時には、彼は同僚のスグ目の前に歩み寄っており、少し手を伸ばせば届く位置に居たのだ。

 

 他の3人の印象が強烈だとはいえ、なんと存在感の薄い男だろう。

 

「どっからでもいーだろうが! それよりも俺等の連れを一晩貸せだと? そんな粗末なブツぶら下げといて随分思い上がったセリフだなぁオイ!」

「なっ、お、お前こそ枯れ木の様な貧弱な身体の癖に……」

人食い巨人(トロール)の巨○ンが租○ンになる奇跡が起ころうとも、貴様が生涯愛して良い恋人は貴様の右手だけなんだよハゲ頭(スカムバック)! わかったか!」

「ぐっ……こっ、この……ケツの青い銅級の分際で、随分とフカしやがる……!」

 

 白衣の男が言っていた「てんぷれ」と言う物がブリタには何なのかは分からないが、話の流れを鑑みると、芝居で出てくる悪党のような口振りが相当気に入らなかったのだろう。 彼の口からは、収納魔法のかかった箱をひっくり返したかの様に、次々と辛辣な言葉が出て来る。 その勢いたるや、黒い全身鎧の彼もあたふたしている気がする程だ。

 

「この野郎、言わせておけば調子に乗りやがって!」

 

 ついに同僚がキレた。 白衣の男の度重なる挑発に、我慢の限界とばかりに声を張り上げ拳を握る。 そして、そのまま振り下ろさんと肩口まで振りかぶる   が、白衣の男は避けも受けもせずに同僚の胸の辺りをトン。 と、軽く押した。

 

(え?)

 

 ブリタは目を瞬かせた。 白衣の男は軽く押しただけだ。 だと言うのに、同僚はバランスを崩し後方に()()()のだ。

 

「う、うおぉっ!」

 

 けたたましい音を立てて、転倒した際に触れた机が倒れる。 木のコップが滑り落ち、入っていたエールが男の顔にかかった。

 

 同僚は、倒されたのでは無い。 突き飛ばされたワケでも、打ち倒された訳でもなく、なんとか立て直そうと腕をバタバタと振りながら、ゆっくりと転んだのだ。 近場で見ていた野次馬は、何が起こったと目を丸くしている。

 

「て、てめぇ、何しやがった!?」

「はん? 『何しやがった』ってこたぁ、何されたのか分からなかったっつー事だな? そんなザマで先輩ヅラかよ」

 

 白衣の男の口振りから、何かをした事は確実だ。 だが、その場にいる者達には、実際に何をしたのか予想すら出来ていない。

 

 

 

  ブリタを除いては。

 

(足だ! あいつ、あらかじめブーツの爪先を踏んでおいて、それから突き飛ばしたんだ!)

 

 それは偶然でしかなかった。 レンジャーのスキルを持つブリタが、俯瞰できる距離に偶然いたから目視出来たに過ぎなかった。

 

 だが、そんなトリックの存在を知らない同僚の仲間は、何か魔法でも使われたと思ったのだろう。 白衣の男の襟首に掴みかかる。

 

「やっ、やりやがったな! ただじゃあ置かないぞ貴様!」

「…喋ってる暇があるなら  」 が、指を捕まれヒネリあげられる。 「さっさと攻撃しろ、ノロマめ」

 

 ()()()に指を曲げられ、悲鳴を上げた男は少しでも苦痛から逃れようと自分から動き出す。 それはまるで、糸を掛けられた操り人形のように、白衣の男の思うがままだ。

 

 男は平らな床を転げ落ちるように自ら振り回され、そしてそのまま、慌てて腰を浮かそうとしていたもう一人の仲間に自分から突っ込まされた。 そうして2人は、縺れ合うように倒れ伏したのだった。

 

「合気道っつーんだよダボが。 豆粒並みの脳みそに叩き込んどけ」

 

 痛みに呻く男達に人差し指を突きつけ、そう捨てセリフを残した白衣の男と。 額に手を当て、天井を仰ぐ黒騎士の姿は……なんだか対照的に見えた。

 

「ドク……」

 

 どうやら、白衣の男の名はドクと言うらしい。

 

 深々と嘆息を吐き出した黒騎士は、ドクの肩に手を置き、一言。

 

「やり過ぎだ」

 

 

 

 ▲

 

 

 

 ここが、この自然豊かなこの場所が、本当に異世界なのだとクサダが身に染みて実感したのはつい先程。 アインズが「冒険者に、俺はなる!」と宣言した為「それじゃあついでに対外プロパガンダ垂れ流そっか」と現地の細かい情報を調べようとした時の事だ。

 

 情報収集に出たシモベ達が集めた情報をまとめた報告書を、デミウルゴスやアルベドの助力を得つつ、まだ裏も取れて無いような書きかけの物も含めてかき集めた。 それはもう、異世界での公然の事実から、にわかには信じ難い風の噂まで、全て集めまくった。

 

 幸か不幸か、そうして集めた情報の中に走り書きで『ここの海水には塩が含まれていない』と一行だけ書かれているのを見つけてしまったクサダは、比喩でなく頭を抱えてしまう。

 

「じゃあ、なんで塩無しで生きてられんだよ……」

 

 実世界(あちら)の常識が通用しそうでしない、奇妙で異常な法則にクサダは呪詛を吐く。

 

 そんな様子を見て疑問を感じたのか、アルベドが不思議そうに問いかけた。

 

「そこまで頭を悩ませる程の事でしょうか? 私にはそうは思えませんが……たかが塩ではないですか」

「私もアルベドの考えに同意します。 確かに、海水から塩が取れないとなると入手経路が限定されてしまいますが……普通に市場に流通しておりますし、肉などの保存に関しても塩漬けでなく冷凍すれば良いと考えます」

 

 たかが塩。 別に、無かったら無かったで困るもので無し。 アルベドとデミウルゴスの意見は一致していた。

 

 しかし。 その後に詳しい話を聞くと、2人は今のクサダの様に苦虫を嚙み潰したよりも酷い表情を浮かべる事となる。

 

「あー……そうか。 まぁ、そうだよな。 君らNPCは誰かから教育を受けたワケでないし、むしろ受けて無い状態でこの優秀さなんだから、むしろズルイ部類ではあるんだが……はぁ」

 

 なんと言ったら良いものか。 と、クサダは、あーとかうーとか唸りながら語り出す。

 

「2人は塩を『食い物』として見ているね? ああいや、フツーはそう見るのが当たり前だ。 別に変でもないし、責めてもいない。 だが、正しくは『食う事も出来る』が正しいんだ」

「……? 博士、塩は調味料なのでは?」

「ああ、そうだ。 だが、塩ってぇのは、正しく言うと『塩化ナトリウム』っつー物質なんだよ。 ……昔に電子と陽子の話をしたな?」

 

 一言も聞きもらすまいと、真剣な表情のアルベドが頷く。

 

「ええ、覚えていますわ。 全ての物資は安定しようと引力で引かれ合っていると」

「その通り。 物覚えが良くて助かるぜ」 クサダは満足そうに何度も頷く。 「塩化ナトリウムはその名の通り、塩素とナトリウムがくっついた物資だ。 それはもう、強力にな」

「たしか……不安定な物資ほど、引力が強いのでしたね」

「いえす。 塩素もナトリウムも、ソレ単体だと電子が1つ足らないだけだったり、逆に1つ多いだけだったりする。 覚えているか? 電子を奪おうとするのが酸で、押し付けるのがアルカリだ〜つった話」

 

 教師の様に、確かめながらクサダは話す。 2人が理解している事を確認すると、良しと呟いて話を続けた。

 

「塩素は電子が1個だけたらねぇ。 逆に、ナトリウムは1個だけ余ってる。 つまり、塩を分解すれば楽に酸とアルカリが手に入るんだが  

 

 ここで、大きく溜息を吐き出したクサダは机に突っ伏す。

 

「あ゛あ゛〜〜何て事だチクショウ! 塩素は消毒や漂白、融雪剤なんかに使うしよぉ〜〜 ナトリウムは石鹸やガラスだとか、ボーキサイトからアルミ作んのにも要るんだよ……」

「何と……! そこまでとは、想像以上でした」

「古代エジプトが発展出来たのも、重炭酸水素ナトリウム…つまり『重曹』が鉱脈として存在していたからだっつー学者も居るぜ。 使い道の多いコレは、あらゆる国が欲しがる商品だったから、掘って売るだけでウハウハだったとか」

 

 ここまで言われれば、いかに箱入りの  実際には墳墓だが  NPCだとて事の重大さに察しが行く。 楽観視していた2人も、今は表情が強張り危機感をひしひしと受け止めていた。

 

 普段、余裕の笑みを絶やさないデミウルゴスも、この時ばかりは眉根を寄せて発言する。

 

「……シモベ達の報告によると、1位階以下にあたる『生活魔法』なる、謎の魔法か技術によって塩・砂糖などの香辛料や紙などを、魔力と引き換えに生産しているようです」

「あー…だからパルプ紙見せても大して驚かなかったのか…クソ……」

 

 どちらかと言うと、生産と言うよりも召還に近いのでは。 我々には理解も使用も出来ない魔法は脅威かと。 塩を大量に輸入する必要がありますね。 買い占めると相場が急騰する可能性が。

 

 相談し合う2人を前に、苦々しい表情で頭を抱えるクサダ。 アルベドとデミウルゴスが相談する声を遠くに聴きながら、2人が戦慄する事となった1言を呟く。

 

 

 

 

「つまり、これから先、俺達ユグドラシル勢は、()()()()()()()()()()()()()()っつー事だな」

  !!」

 

 

 

 

 アルベドは、驚きの余り書類を取り落とし。 デミウルゴスは金剛石の瞳を溢れ落ちん程に見開いた。

 

「いや、正しくは『殺せない事に気が付いた』って感じか……?」

 

 そう、これは人類が何度も犯して来た過ちだ。 考え無しに狩り尽くし、生態系をメタメタに狂わせてしまう愚は侵せない。 向こうの場合は、食物連鎖が狂い、悪影響がドミノ倒しの様に連鎖()()()()()()()()が、魔法の存在が事をややこしくしている。

 

「ま、まさか……アインズ様の仰っていた『殺すと利用出来なくなる』とは……!」

「……ああ」

「あの寒村で、脆弱な人間を自らの御手で救われたのも……!」

「……うん」

 

 震える声で言ったデミウルゴスの言葉に、クサダは皮肉げに口端を吊り上げた。

 

「まぁ、()()()()()なんだろうな」

「なん…と、なんと言う……! アインズ様の智謀に少しでも近付くなどと、身の程知らずにも程がありましたね。 過去に戻れるのなら、自らの頬を張ってやりたい」

「素晴らしい、素晴らしいですわアインズ様……! ああ……流石は至高の存在を纏め上げられた御方。 そんなアインズ様が……素敵! 愛してます! くふー!」

 

 ブッシャァァッと、突然鼻血を噴き出し始めたアルベドにティッシュを渡し、クサダはクツクツと肩を揺らす。

 

「ったく、どんだけ先を見据えてんだあの人(アインズ)は。 まさか、本当に未来視できんのか? はっきり言って、唐突に『私には刻が見える』とか言い出しても『あーやっぱりねー』で終わる気がするぜ」

「フフッ……無い、と言い切れないのが素晴らしくもあり、誇らしいですね」

「ま、それでも『何、大した事はして無いさ。 ただの偶然だ』って言うんだろうけど。 むしろ、敵側からしたら負けた理由が偶然とか悪夢だろ……なんせ、本当に運で勝たれただけならマジで対処の仕方がねーんだからさ! ぶははは!」

「ははは、正にその通りですね」

「ヤッベ、アインズ様ヤッベ」

「……アルベド。 間違っても書類を汚さないでくださいよ?」

 

 冗談混じりの会話に緊張が解れたのか、先程とは打って変わって、軽口を飛ばす余裕を見せる2人。 至高の御方ニュータイプ説が現実身を帯び始めた瞬間である。

 

 さて。 と話を区切り、クサダは場の空気を入れ替える。

 

「……デミウルゴスの計画書にあった『牧場』の運営。 あれ、一先ず凍結しておいてくれ」

「残念ですが……致し方ありませんね。 かしこまりました」

「ニグンの奴も、1位階にも満たない魔法が切り札になるたぁー思ってねぇだろーが…… ぜってー気取られたらいかんぞ、マジで。 それから  アルベド」

「はい」

「この情報は秘匿しつつ、なるべく殺すな〜ってシモベ達に言っといて。 ま、理由があれば別だけど」

「ハッ、命に代えても」

 

(いちいち返答が重いんだよなぁ)

 

 苦笑いを浮かべたクサダは「ほんじゃ、そろそろ出る時間だから」と言うと、会議室から席を立つのであった。

 

 

 

 ▼

 

 

 

 ありとあらゆる工業に、材料として塩の存在は必要不可欠だ。

 

 この世界ではなんと、信じられない事に砂糖や香辛料から、紙やコーヒー豆まで魔法で生産  と言うよりも発生に近い  しているらしい。 はっきり言って、鼻で笑ってしまう程信じられない話だ。 だが、質量保存の法則に真っ向から中指立てる度胸も技術も驚きだが、実際調べてみるとそうなのだから信じる他ない。

 

 生活魔法なる、謎の魔法の使えない種族はどうしているのか〜だとか、何処かに岩塩坑でもあるのだろうか〜などの疑問があるが、あれこれ手を出すよりも輸入した方が早いし確実……と言う結論になった。 だが、産業用として塩を輸入すると、その取引量は莫大な規模になる。 さらに、塩は生活必需品の為、市場は過剰に反応する可能性が高い。 市民の生活が脅かされるのではと規制が入ったり、最悪輸出停止されかねない。 

 

 と、言う事で「消費が多過ぎるなら生産を増やせばいいじゃない」と軽く言うクサダ。 塩はどうにもならないが、それ以外の砂糖だの紙だのは魔法で無くとも工場で製造出来るので、採算度外視で市場に流しまくれば(おの)ずと生産は塩に集中するハズ。

 

 コレが上手く行けば、ナザリックは塩が安く入ってハッピー。 原住民は安い製品が買えてハッピーで、八方丸く収まるだろう。 

 

 

 

 とまぁ、そのような理由で、異世界(ここ)の資源調査をしようと言う話になったのだが。

 

(いや、それにしてもケンカ慣れし過ぎだろ……)

 

 トブの森の中にある湖までの道すがら、アインズは宿屋でのクサダの暴れっぷりを思い出してドン引きしていた。

 

 確かに、ナザリックにもヤケに腕の立つメンバーはいた。 ワールドチャンピオンの『たっち・みー』はリアルの職が警官だと言う事もあり、ジュージツなる格闘技を修めていた。 口では弱い弱い言いつつも、膨大な知識を持っているクサダが只者では無い事は分かりきった事だったし、格闘技も立派な技術だ。 クサダが知っていてもおかしくない。 ここまで()()()()()()とは思わなかったが。

 

 では、クサダの言っていたアイキドーと何だろうか。 ジュージツの親戚か何かなのだろうか。 もしかしたら、喧嘩殺法か何かかもしれない。

 

(めっちゃ気になるけど……リアルの事を根掘り葉掘り聞くのはマナー違反だしなぁ。 地雷だったら怖いし)

 

 ネトゲ中にプライベートの事をしつこく聞いてくる奴に、ロクな者は居ない。 その中でも特に、女性プレイヤーだと知るや否やオフで会おうとする、下半身でしか考えられない迷惑プレイヤーは『直結厨』として忌み嫌われているし、アインズも嫌う内の一人だ。 ……どの辺が()()なのかは言わずもがな、である。

 

「そういえば、ドク」

 

 なので、当たり障りの無い所を聞いて見る事にした。

 

「『向こう』ではどのように戦っていたんだ? 狩りは?」

「あ〜っと、一言で言うと『銭投げ』だな。自分で用意したワンドやスクロールを使ったり…… あと、罠のスキルがクリエイト系と相性が良いからさ〜〜」

「……うむ」

「野良のパーティ入って、タンカーが引いてきた(MOB)を罠に掛けて、みんなで袋叩きにする方法で狩りしてたよ」

「なるほど……」

 

 思っていたより普通だった。

 

 詳しい話を聞くと、集めた敵の足を止めて魔法職が範囲魔法で一網打尽にしたり。 地雷系の罠に誘い込んで一度に倒す、爆弾採掘ならぬ爆弾狩りをしていたそうだ。

 

 今思い返すと、罠を主体としたスタイルは戦えば戦う程損をするので、人気の無いスタイルだった。

 

「MPだけ消費する罠もあるけど、発動にアイテムを消費するスキルのほーがツエーよね。 お財布にダメージくっけど」

「そうだな。 ナザリックに仕掛けてある罠も、全盛期は金貨消費型が一番の主力だったからな。 ……一応、バランスが取れている…と言えるか」

 

 未知を冒険? 説明が面倒なだけだろ。 と、悪態を吐きたくなる糞運営に糞製作だったが、ユーザーフレンドリーのフの字も無かった割りにバランス調整だけは気を付けていた……気がする。 一部のブッ壊れ(ワールド)アイテムを除いて。

 

 そんな世間話  ゲーム内のだが  を交えながら歩いていると、一気に視界が開ける。 湖の(ほとり)に到着したのだ。

 

「おお…これは……」

 

 アインズの口から感嘆の声が漏れた。

 

 非常に透明度の高い水を覗き込めば、小魚の群れが列をなして泳いでいる。 思わずその影を目で追い視線を上げれば、そこには鏡のような水面が。 逆さまに木々の新緑が写り込んでいる湖面を吹き抜ける風も、どことなく爽やかな涼風のような気がした。

 

「湖面が陽の光でキラキラと輝いて……まるで、絵画の世界に入り込んだみたいだ……」

 

 震える心のままに感動の言葉を紡ぐ。 出来るのなら、かつての仲間達とこの感動を分かち合いたいと思う。 もしこの場にブルー・プラネットがいたのなら、その巌の様な表情に笑みを浮かべ、熱く蘊蓄(うんちく)を語ってくれただろうに。

 

「俺の言った通り、綺麗な湖だろ? モモン」

「ああ。 何と言うか…上手く言葉が出てこないな……」

 

 クサダは膝を折り、しゃがみ込むと湖の水を一口含む。

 

「ん〜〜? 軟水……かな。 このまま使っても大丈夫そうだ」

「水が……硬い? ドク、ソレに何の意味がある?」

「ん? ああ、それはだね……」

 

 クサダは、カルシウムイオンの濃度で硬水と軟水と分かれる事。 石灰岩の多い土地では水が『硬く』なり、硬水で洗濯物を洗うとバリバリになってしまう事などを説明した。

 

「口の中になんか、こう、残る感じがするんだよ。 硬水はね」

「ふーん……それで、製紙に適した水かどうか調べていたのか」

「んだね。 ここなら木も水もあっから、工場立てるだけで回せるぜ」

 

 クサダは、爪先で地面を蹴って土を掘り起こしてみた。 すると、10cmも掘らぬうちに黒く湿った土が現れる。 このように水気を含んだ土は、井戸を掘ったり重量物を建てると、地盤沈下などを起こす。 地面がへこめば建物が傾いてしまうし、最悪は引き裂かれた様に断裂してしまうだろう。

 

 一応、畔の土は締まった地面をしているが、何トンもある工作機械や材料を置いては耐えられまい。 慎重に基礎打ちを行い、地盤を固める必要があるが……この世界には魔法があるので、そう手間のかかる事では無い。

 

 本当に問題があるとすれば  

 

「む? 何だ、アレは」

 

 湖面を眺めていたアインズが、不思議そうな声を上げる。 疑問に思ったクサダが振り返り、アインズの視線を追う。 するとそこには、水面から顔を覗かせる何本かの杭と、その杭に結ばれているであろうロープがプカプカと浮かんでいた。

 

「何だあこりゃあ……生簀、か?」

「生簀?」

「獲った魚を腐らないようにーだとか、大きくなるようにーだとか、そんな理由で生かしておくための設備だよ」

「アクアリウムの様なモノか」

「……んだね」

 

 厳しい表情をしたクサダが、静かに肯定する。 そう、本当に問題があるのは  

 

「先住民がいんのか、クソ……」

 

 現地に生活している、先住民との縄張り争いだった。

 

 クサダはネックレスから〈飛行(フライ)〉の能力を発現させると、生簀に近付き素早く観察する。 材質は、構造は、技術は、と。

 

「網は植物性で、目が細かい割に不揃いだな……手作業で作ったのか? 網の底が湖底に着いちまってるし、水苔が付着して水の循環が滞ってんぞ。 これでは食い残しの餌が腐って水質が悪化するし、病気の原因になるぜ。 網もいくつかのブロックに分割しねーと、1匹病気になっただけで全滅しちまうだろーに」

 

 ふーむ。 もしかして、この生簀は実験的な意味合いが強いのか? と、クサダが腕を組んで考えていると、ナーベラルの〈全体飛行(マス・フライ)〉によりアインズが横に立つ。

 

「どうだ、ドク」

「そーだなぁ。 魔法の感じもねーし、技術も然程(さほど)進んでねぇって感じかな」

「つまり?」

「原始人」

 

 プレイヤーの気配無しの報を聞き、ホッと胸を撫で下ろすアインズ。 何年も異業種狩りに怯えながら金策をして来た苦い経験は、ちょっとやそっとでは拭えるものでは無いのだ。

 

「ただ……魚を家畜みてーに増やそうっつー養殖ってのは、結構新しい考え方でね。 獲ってくるよりも、どうしてもコストがかかっちまうんだ」

「ふむ。 まぁ、育てるにも手間掛かる上、エサ代などが必要だからな」

「自然豊かなこの環境で、漁をすればいい魚を養殖しようと考えた奴が居る。 だから、妙っちゃあ妙なんだよなぁ……」

 

 全ての結果には、過程と原因がある。 何故こうなったか。 何故そうしたか。 何故そうなったかを推理すれば、現実と言う舞台に立つ役者の思惑を透かして見る事が出来る。 そして、何を考えているのか分かってしまえば、後は好きなように料理するだけだ。

 

 では、なぜ養殖をしようと考えたのか。 こんな森林のど真ん中の湖で、街道すらない僻地だと言うのに。

 

 この答えは簡単だ。 非効率な方法を、わざわざ選ぶ時はソレ以外の選択肢が無かったからだ。 そう、せざるを得なかったのだ。

 

 この湖は森林の奥深くにあり、交通の便は砂利道すら無い貧弱なもの。 こんなインフラでは魚を育てても売りに行けないし、逆に買いに行く事もできない。 ソレはつまり、元々交易するつもりは無いと言う事。 自分で食べるつもりで作ったのだろう。

 

 では、なぜ非効率な方法で食料を生産しているのか。 普通に考えれば『不漁だから』なのだが……魚が獲れないのなら麦などの穀物を食べればいいハズ。 だが、辺りを見回しても、畑どころか耕した跡すらない。 今まで採取・狩猟生活でやってきたため、農業の技術がないのだろうか? そうだとすると、農業をスッ飛ばして養殖を始めた事になる。

 

(あー、もしかして農業を『()()()』んでなく、農業が『()()()()』なのか?)

 

 つまり、ココの原住民は地上に上がれない種族で、現在食糧難である可能性が高い。 それも、養殖技術を暗中模索して開発せねばならない程に、行き詰まって追い詰められている。

 

 

 

 なるほど。

 

 

 

 こいつは所謂(いわゆる)、よくあるアレだ。

 

 

 

 ()()()()()()()()()ってヤツだろう。

 

 

 

(上手く行けば、恩の押し売りが出来っかもしんねーな)

 

 そう、心の中で算盤を弾いた……その時だった。

 

 

 

「あの……少し良いだろうか」

 

 二足歩行するトカゲに声を掛けられたのは。

 





・ソーダ工業、について。


 ソーダの利用の歴史は古く、古代エジプトではミイラの保存用に天然ソーダ(ナトロン)が用いられたという記録が残っています。 天然資源を掘ってきただけなので、岩塩や硫黄、カリウムなども不純物として混ざっていました。

 その後、18世紀ごろまでは石鹸やガラス製品の製造などに木草灰、海藻灰などが用いられていました。 得に、ガラス製品はイギリスの主要産業であり、輸出品の売り上げの大部分を占めていた為、大量の森林が伐採されたり焼かれるなどしました。 そして土の保持力が落ちた土地は、山では表土が失われ耕作できない土地になり、低地では流された泥土で居住地や畑が埋まる被害が多発しました。

 1789年、フランスのオレルアン公の侍医を務めていたニコラ・ルブランが、食塩から人工的にソーダを得る技術を発見します。

・ルブラン法

 まず食塩と硫酸から硫酸ソーダを造り(同時に多量の塩酸ガスが発生)ます。 次に、硫酸ソーダに石灰石(カルシウム)とコークス(炭素)を混合し、灼熱融解させ、黒灰と呼ばれる溶融塊を造ります。 炭酸ナトリウム(重曹・ソーダ灰)は水に溶け、硫化カルシウムは水に溶けないので、この黒灰を水で洗うと重曹を分離できます。

 ただし、ルブラン法は塩に含まれるナトリウムだけを必要とします。 残った有害なガスは煙突からそのまま捨てられ、余った黒灰は工場の周囲に野積みにされました。 そして、捨てられた塩酸ガスは酸性雨となって地上に降り注ぎ、黒灰は土壌を汚染します。 当然森林は枯れますし、人間にも健康被害も起こるので、政府は有害な排気ガスの排出を規制します(世界初の大気汚染規正法)が、工場が取った対策は塩酸ガスを水に溶かしただけで、さらにそれを廃液として川に垂れ流すというずさんなものでした。

 このような中、ルブラン法に強敵が現れます。

・アンモニアソーダ法

 この方法は、石灰岩を焼いた時に出る二酸化炭素と、石炭から分離したアンモニア、そして食塩水から重曹と塩化カルシウムを製造する方法です。

 炭酸水にアンモニアを吸収させ、そこに飽和食塩水を注入すると、炭酸水の炭素がナトリウムに移り重曹が沈殿すると言うものです。 余った塩素は塩化アンモニウムとなり、窒素肥料(塩安)やマンガン乾電池の材料に出来ます。 ですがそこに生石灰を混ぜると、アンモニアと塩化カルシウムに分離できるので、貴重なアンモニアをリサイクルするのが一般的です。

 塩化カルシウムは融雪剤として使われますが、鉄錆びを促進させるので車愛好家からは嫌われています……


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奴隷制は稼げない

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あらすじ

ドクトル「ここの海に塩が無い!? だからMPを塩に変換!? 魔法理不尽!」
アルベド「塩で何が作れるんです?」
ドクトル「え〜と漂白剤・カルキ消毒液・融雪剤・洗剤・重曹・ガラス・アルミ鋼材・パルプ紙・素焼きの陶器……etc」
デミウル「予想以上でした」



アインズ「はえ~湖の景色すっごい」
ドクトル「なんやアレ。 すっごい原始的な養殖場じゃん」
トカゲ男「その養殖場俺のなんすよ」



現在のナザリック生産物

・そこそこの量の硫黄
・そこそこの量の高シリカ火山灰
・やや少ない量の鉄スクラップ
・まぁまぁの量のスケルトンの骨
・数十個単位の瓜科果物
・数百個単位の柑橘果物
・数千個単位のオリーブの実
・やや少ない量の過燐酸石灰
・バケツ数杯の硫酸
・MPが続く限りの塩酸
・プロトタイプの農業機械
・計測不能の量の石灰岩
・かなり多い量の生石灰
・かなり多い量の消石灰
・かなり多い量の石灰水
・そこそこの量のセメント


ナザリックは売りました

セメント → 王国
食用油  → 王国
果物   → 王国
鉄材   → 王国
???  → 法国


ナザリックは買いました

法国   → 生ゴム


 トブの大森林は長大なアゼルリシア山脈の麓に位置しており、重く湿った空気が山脈にぶつかると上昇した空気が冷え、雨が降る。 頻繁な降雨のおかげだろうか、トブの森を構成する木々は太く巨大で、立派だ。 この材木を利用した家屋や家具は、さぞ高品質になる事だろう。

 

 頻繁な降雨の恵みを受けているのは木々だけではない。 清浄な土に受け止められた雨粒は地中深くまで浸透し、その更に地下に存在する花崗岩に磨かれ、豊富にミネラルを含む地下水となる。

 

 地下水の一部は、そのまま地下を通り海中へ。 そのまた一部は井戸水として。 そして、森の中で湧き水となった地下水は斜面を流れ、谷を下り、滝を落ちる。 無数にある小さな水の流れは渓流へと姿を変え、トブの森北側に存在する盆地にて巨大な湖を形成していた。 

 

 瓢箪をひっくり返したような形をしている湖の大きさは直径20kmと巨大で、日本の北海道に存在する屈斜路(くっしゃろ)湖に近い面積を持つ。 と言っても、湖の南側は水深の極浅い湿地であり、イメージ通りの湖は水深が深い北側の部分だけなのだが。

 

 

 

 その湿地から少し離れた場所。 少し水際から離れただけで木々が鬱蒼と生い茂りだす湖畔に、1人の人影が   いや。

 

 トカゲが。

 

 ペタペタという擬音が似合いそうな歩き方で森の中を進んでいた。

 

 彼の名は、ザリュース・シャシャと言う。 トブの大森林に住む多種類の亜人の1種『蜥蜴人(リザードマン)』のオスだ。

 

 水中・水上生活に適した身体構造の彼が、下生えの生い茂る乾いた地面を歩くのは、目的地周辺のパトロールを兼ねている為である。

 

 視線を遮る物の多い環境に神経をすり減らしながらザリュースは歩き続け   目的地を目前に、驚きに眼を見開いた。 予想だにしない人物を発見した為に。

 

 その者の身体には黒い鱗に覆われ、立派な尻尾が生えていた。 背には刃渡り2メートルを越す大剣をぶら下げており、無骨で重厚な(やいば)が、薄暗い中でキラキラと光を反射している。

 

  兄者」

 

 ザリュースは口の中で転がすように言った。 膝を折り、身を低くしたその姿勢は、見るからに様子が変だったからだ。

 

「……お前か」

 

 ザリュースの兄シャースーリュー・シャシャは、低い姿勢のまま振り返らずに言った。

 

 ザリュースは身を屈め、足音を立てないように兄の横に並ぶ。 そして、鋭く先を睨みつける表情に瞠目した。 シャースーリューの表情は、見るからに鬼気迫るソレである為に。

 

 どうした、何があった。 そう質問する前に、兄の視線を追ったザリュースは得心が行く。

 

「なっ、人間? こんな場所にか?」

「むぅ…… どうやらそのようだ」

 

 そう。 シャースーリューの視線の先には、魔法の力で水上を浮遊する1人の人間が居たのだ。 ヒラヒラした、白いローブのような衣服を着た男は、しきりに水面を覗き込んでいる。

 

「……! マズい、あの場所には養殖用の生簀が……」

 

 ザリュースの脳裏に、さまざまな可能性が浮かぶ。 通りすがり、魚泥棒、斥候・偵察…… どの可能性であろうと面倒な事には違いないが、もし人間が生活圏を延ばそうと偵察しに来たのであればマズ過ぎた。

 

 全ての人間が危険な存在ではないとザリュースは知っているが、同時に全ての人間が友好的な存在とも言えない事を知っている。 リザードマンにも色々なヤツが居るように、人間にも様々な考えを持つ事を過去の旅で知った。 そして、大多数の人間は、亜人と必死の生存競争を繰り広げている事も。

 

(どうする…… ただの通りすがりに期待するのは愚か過ぎるが……)

 

 ザリュースは悩む。

 

 魚を1匹2匹盗まれる程度なら諦められる。 生簀を壊されるくらいなら、腹は立つがまた作り直せば良いし我慢できる。 だが、生簀の存在から『脅威が住んでいる』と判断されたら、村が危険に晒されてしまう。 もし殺し合いになった場合、かなり苦しい戦いになるだろう。

 

 と言うのも、人間は数が多い。 個々の戦力は微々たるものでも、人間は数を頼りにした戦いをするので非常に面倒なのだ。 この湖に住むリザードマン5部族全てを足しても1万を少し越える程度。 そこから戦える者を、となると更に減る上   人間は悪知恵もよく回る。

 

(今なら…… 魔法詠唱者(マジックキャスター)が1人の今なら、この俺の凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)で何とかなる……か?)

 

 空中に浮く魔法を使っている事から、仮想敵はおそらく魔法詠唱者(マジックキャスター)なのだろう。 油断して高度を下げている今なら、奇襲を仕掛けて組み付けば……高度を上げられる前に墜とせる可能性がある。

 

 ザリュースは、腰に下げた愛用の武器に手に掛け、口封じをするかどうか逡巡する……が。

 

「止めておけ、ザリュース。 ……見ろ」

 

 左右に首を振ったシャースーリューに、制止するように手を上から被されてしまう。 

 

 見ると、陰になった場所から3人の人間が現れ、空中を移動して白ローブの男と合流する所であった。

 

(うっ……危なかった! 魔法詠唱者(マジックキャスター)1人では無かったのか。 もし飛び出していたら、やられていた……!)

 

 <飛行(フライ)>の魔法は、達人クラスと言われる第3位階の使い手が使用する呪文である。 1人居るだけでもかなり厄介だと言うのに、ソレが4人もいるチームを1度に相手にしては……

 

 ギリリ。 と、ザリュースが口惜しそうに歯を食いしばった   その時。

 

 前屈みに水面を覗き込んだ、白ローブの男の胸元から赤銅(しゃくどう)色のプレートがこぼれ出る。

 

  アレは……!」

「どうした、ザリュース」

 

 あの色、あの形。 見間違うハズが無い。 アレは銅級冒険者プレートだ。

 

「兄者、あの人間達は冒険者だ。 銅級ならなんとかなるかもしれん」

「むう……信用できるのか?」

「ああ、間違いない。 少なくとも、リザードマンは人間と敵対していないから一先ず安全なハズだ」

 

 ザリュースは旅の道すがら、街にいる吟遊詩人が冒険者の事を歌っているのを何度も聞いていたため、シャースーリューよりも人間社会に詳しかった。 そして、冒険者は組合から余計な事に首を突っ込むことを禁じられている事も。

 

 希望が見えたからか、それとも偶然か。 ザリュースの元に、会話する4人の声が風に乗って届く。

 

「網は植物性で、目が細かい割に不揃いだな……手作業で作ったのか? 網の底が湖底に着いちまってるし、水苔が付着して水の循環が滞ってんぞ。 これでは食い残しの餌が腐って水質が悪化するし、病気の原因になるぜ。 網もいくつかのブロックに分割しねーと、1匹病気になっただけで全滅しちまうだろーに」

「うっ」

 

 グサッときたザリュースは、小さく呻く。

 

 話をチラッと聞いただけの養殖を、四苦八苦しながら失敗を重ね、司祭の力を借りてはいるが1年で軌道に乗せた。 が、ザリュース自身まだまだアラが在るのは自覚していたし、改良しようとも考えていた。

 

「つまり?」

「原始人」

 

 グサグサッ。

 

 しかし。 ココまで直裁に言われると、打たれ強いザリュースとて、中々に来るものがある。

 

(手探りだったのだから仕方ないだろう……)

 

 言い訳がましいと思いつつも、心の中で言わずにはいられなかった。 集落の皆から養殖を賞賛され、少し有頂天になっていたのかもしれない。

 

 しかし。 この程度の事でヘコんではいられない。

 

 どうやら、白服の男は養殖に詳しい様子。 上手く交渉すれば、もっと高度な事を聞けるかもしれない。

 

「兄者。 俺は、あの人間と取引しようと思う」

「人間とだと? 危険ではないのか? それに、何と何を取引すると言うのだ」

「魚と情報を。 これは旅をして初めて知ったのだが、食料は意外に嵩張(かさば)るし重いから、出来るだけ節約するのが常らしい。 魚は腐りやすいから俺も苦労した覚えがある。 味気なくパサパサした携帯食料よりも、新鮮な肉や魚の方がいいハズだ」

「むうぅ……」

「あの人間が、ここへ何をしに来たのかは知らない。 薬草を取りに来たのか……水を汲みに来ただけの可能性もある」

「…………」

 

 シャースーリューの尾が左右に揺れる。 これは迷っていたり、考え事をしている時のクセだ。

 

「危険と決まったワケではない」

「だが  

「兄者。 どちらにせよ、あの人間が危険な存在かどうか確かめる必要があるだろう?」

「ならば、俺も行く。 4人を同時に相手にするよりも、2対1の方が生き残る確率が高い」

「いや、兄者はここで待っていてくれ。 もし戦いになったら、すぐに村へ危険を知らせられるように」

「何? 緑爪(グリーン・クロー)族の長たる俺に、背中を見せて逃げろと言うのか? 弟を身代わりにして」

 

 尻尾を持ち上げ、シャースーリューは空気の漏れるようなシューッと言う様な威嚇音を発する。 だが、ザリュースには、それが嘘臭く見えた。

 

「そうだ。 ここは旅人である俺が行くべきだ。 部族から追放された俺ならば、何があろうと緑爪(グリーン・クロー)族は知らぬ存ぜぬを貫ける」

「むぅうう……」

 

 唸るシャースーリュー。 だが、ザリュースはもう話は終わったとばかりに返事を待たず茂みから立ち上がった。 何か言いたそうにしている兄を残し、冒険者を驚かせない様、わざと水面を蹴り上げバシャバシャ足音を立てながら近付く。 

 

 距離を保ちつつも、話すのに声を張り上げる必要が無い程度まで近付き、ザリュースは言った。

 

「あの……少し良いだろうか?」

 

 

 

 ◆

 

 

 

 リザードマンの存在は都合が良かったと、アインズはその時のことを振り返る。

 

 豊富な水と木材が近場で手に入るからとは言え、労働者を大森林の奥地にある湖まで通勤させるのは無理があったからだ。

 

 たとえ住み込みでやらせるにしても、そこはライフラインも無ければ住居も無い場所である。 そんな場所で働いてくれる労働者なんて、そう簡単に見つかるハズが無いし、たとえ希望者が見つかっても賃金を割り増しに支払う必要があっただろう。

 

  まるでカモネギですね、モモンガさん。

 

 軍師だったかつての仲間なら、嬉々としてそう言うだろうとアインズは思う。 少し思い浮かべるだけで、声まで聞こえる気がする程に。

 

 魚の養殖に深い関心があるのも良かった。 余った魚をナザリックが買い取るか、農作物などで物々交換すれば、無視出来ないくらいに膨れ上がっているホムンクルスの食費を節約出来る。 味などでNPC達から不満が出なければ……だが。

 

 さて、緑爪(グリーン・クロー)族の集会所に招かれたアインズである。

 

 ナーベラルが「モモンさ  んを、こんな馬小屋に案内するとは」と、ブー垂れていたのをチョップで黙らし、アインズは草を編んだ座布団に座る。

 

 村の代表だろうか。 数匹  いや、数人のリザードマンが車座になった中で、一際立派な体格をした1人が頭をスッと下げた。

 

「まず、忙しい身であろうに我が愚弟が無理を言った事を詫びよう。 そして、その我儘を快く聞いていただいた事に感謝の言葉を述べたい。 俺は緑爪(グリーン・クロー)族の族長、シャースーリュー・シャシャだ」

「ご丁寧にどうも。 冒険者のモモンです。 こちらが仲間のユリとナーベ、そして  

「ドクだ。 よろしこ」

 

 軽く挨拶を済ませ、シャースーリューは本題に入る。

 

「話の概要はスデに弟から聞いている。 俺の考えとしては、技術指導の見返りに魚の一部を渡す事に否はない」

「ええ、その事についてなんですが……少し条件を変えさせて頂きたいのです」

「……条件を?」

「実のところ、私達はこの湖の(ほとり)を開発しようと考えていまして。 そこで、リザードマンの方たちを労働力として雇わせてもらえませんか? 職場も仕事もこちらが用意しますし、賃金も満額支払います」

「むぅ……それでは此方にメリットばかりある様に聞こえるが……」

 

 人は、あまりにも都合のいい話だと裏を疑う。 甘言で惑わし、食い物にする気なのではと考えるのだ。

 

「いえ、賃金は労働力の対価として支払うものなので、どちらかが一方的に有利と言うワケではありません。 もし、貨幣では使い辛いと言うのなら物々交換でも構いませんよ」

「……やはり、そちらで勝手にやって頂く、と言うのは  

「あーそりゃダメだわ」

 

 手を顔の前で振るジェスチャーをしつつ、クサダは軽い調子で言った。

 

「最初の頃は良くても、後で必ず縄張り争いになっからさ。 今の内に引き込んどけば後々手間がかかんねーだろ?」

「もし、御断りすると言ったら……?」

 

 様子を窺うようにシャースーリューが慎重に問うと、クサダは口角を吊り上げ邪悪な  フウに見える様にしている  笑みを浮かべた。

 

「フッ…フフフ。 別に、君達()()何もしないさぁ。 約束したっていい。 ……ただ、突然他種族が武装蜂起したり、魚が謎の大量死したりする()()()()()()けどねぇ」

「……ドク」

「へぇへぇ、わっかりましたよー」

 

 アインズから注意を受けたクサダは、態度と表情をコロっと変えた。 人を食い物にする悪辣さも、ドロドロとしたプレッシャーも、たちどころに雲散霧消してしまう。

 

(冗談だったのか……?)

 

 全くそのようには聞こえなかったが、もしそうなのだとしたら性質(たち)が悪すぎる。 リザードマンは古来、トードマンと度々縄張り争いがあったが……もし、そこまで知っていて言ったのだとしたら全く油断ならない相手だろう。 ……これだから人間は  

 

「……信用ならんな。 そうやって脅し、我々を奴隷の様に働かせるつもりなのだろう」

「ッハ!」

 

 馬鹿らしいと言いたげな態度で、クサダは鼻を鳴らす。

 

「出た出た奴隷。 事あるごと奴隷にされるだ何だとよぉ〜馬鹿の1つ覚えかよってんだ。 奴隷なんかに頼ってっから経済が発展しねーんだよ。 ローマ没落の原因だぞ奴隷制は」

「……ローマ?」

「5680万人の人口を抱えていた大帝国だよ。 つっても、今じゃドイツやイタリアなんかに分裂してっけどね」

「5千!? い、いや、あり得ない。 そんなに大きな国なら知らないハズが……」

「だから言ったろーが。 滅びたんだよ。 めつぼー。 もう無いの。 OK?」

 

 本当の事なのか、それとも謀っているのか判断が出来す、相談するように顔を見合わせる長老達。

 

 嘘か、本当か。 受け入れるべきか、突っぱねるべきか。 誰もが慎重になり、今一歩踏み出せずに居る……そんな中、スッと手を挙げる者が1人。 ザリュースである。

 

「……ドク殿。 先程、そのローマなる国は分裂した、と言っていたが」

「あ〜っと、まぁ、滅亡の原因がアレだったからね。 外敵勢力に攻められて皆殺しに〜ではなく、国の経営が上手く行かなくなって地方が独立っつーメソメソした滅び方だから」

「どちらかと言うと、衰退に近い……と」

「んだね。 ま、何度も再興させようと頑張ってたようだけど、どれもこれも上手く行かんかったみてーだ。 神聖ローマ帝国、ドイツ帝国、ナチス第三帝国と失敗続きさ」

「そんなに……」

「それでも諦めずに、最近ネオナチとして4度目の挑戦してたけど……ありゃダメっぽいぜ……なぁ?」

 

 クサダが隣に居るアインズに同意を求めるが、企業戦士スズキ・ザ・ブラックであった彼に判断は付かない。 興味の無かった事であったし、休日はもっぱらユグドラシルにINしていてそれどころでは無かった。

 

 なので、腕を組みつつ「うむ……」とか言ってはぐらかす。 早くレッド役のヘロヘロさんやピンク役の茶釜さんに会いたいよ……と思うアインズであった。

 

 会話が途切れた頃を見計らい、次に口を開いたのはシャースーリューだ。

 

「むぅ、その、なんだ。 寡聞にして外の事はよく知らないのだが、奴隷制が衰退の原因になると言うのは……」

「ああソレね。 実は、奴隷制は効果的に思えて、全然そんなこと無い穴だらけもいいとこの制度なんだよ。 一言でゆーと非効率なのさ」

「何故だ? 少ない対価で働かせられるのだから、その分奪える利益が増えるのでは?」

「短期的にはな。 だが、社会・国家運営的に見ると奴隷は非効率なのさ。 よく考えてみろよ。 奴隷を所有するのが一番効率よく稼げるなら皆そうしよーとするだろ? 同じ仕事でも、自由人を雇うより奴隷を購入する方が得られる利益が多いと()()()()()のなら、奴隷ばかりに仕事が割り振られて  

「自由身分の人達は仕事を奪われてしまいます。 直接的にも、価格競争による間接的にも」

「むうぅ……なるほど。 自由な身分の労働者は失業して飢え、逆に奴隷は大量の仕事に忙殺される事になるのか。 不自由な身分の方が生き残れるとは……皮肉だな」

 

 クサダは指を振りながら「チッチッチ。 それだけじゃあ無いぜ」と舌を鳴らす。

 

「ここで重要なのが『人は自分の利益が最大になる様に行動する』と言う事だぜ。 支配者は費用……賃金や配給食を減らそうとするし、奴隷側はサボって少しでも楽をしようと考える」

「だから見張りを立てたり、力付くで命令したり恐怖で縛るのでは?」

「まだ気付かねーか? 見張りは何も生産してねぇし、存在するだけで損をする。 コイツは元々、労働者がサボらなけりゃー居る必要がねぇ人員なんだぜ?」

「それに、見張りには十分な報酬を渡さないと被支配者と結託されてしまいますし。 よって、掛かる費用は少なくありません」

 

 セキュリティに掛かる費用をケチったが故に、意識の低い警備員が賄賂を貰い窃盗犯を自ら招き入れる、と言った事はよくある話だ。

 

「いくら頑張っても貰える報酬が増えないと、気力…ヤル気が沸かねぇ。 ヤル気がねーんだから向上心なんざ元からねーし、技術を磨こうとも思わねー。 ただでさえ低い奴隷の生産能力は低いままだっつーのに、維持費はインフレで年々上がっちまう。 儲からねーんだから可処分所得が減り、経済は停滞し、技術は陳腐化し、文明は衰退する」

 

 そして、クサダは疲れたとも呆れたとも取れる溜息を1つ。

 

「そーして、二進も三進も行かんくなった時に初めて気付くのさ。 右見ても左見ても奴隷だらけ。 文字が書けなけりゃ計算すら出来やしねー労働者しか居ない社会が……高度な文明を維持できると思うかい?」

「でき……ないのだろうか。 よくわからんが……」

「出来ねーさ。 非効率な制度にしがみ付いてんのは、その場で足踏みしてんのと同じだからな。 その都度変化出来ねぇ奴は時間に置いて行かれ、コツコツやってきた外国勢力に潰されるのがオチさ。 ま、適者生存っつーヤツだな」

 

 クサダは不安そうな表情を浮かべるリザードマン達を見て、肩を竦めて言った。

 

「なぁに、つまるところ兎と亀だよ。 童話にもなりゃしねぇ」

 

 とある有名な童話を例えに出したが……リザードマンがイソップ寓話を知っている確率は、まぁほぼ無いだろう。 だが、話の流れや抑揚、話す態度などで大体は伝わったハズ。 今は、AOG合資会社が先進的な…この世界ではオーパーツ並みの先進性を持つことを理解すれば、それでいい。

 

「で、今話したのがマクロ的な視点での事なんだがな? ミクロ的な視点でも奴隷制は非効率なんだよ」

「むぅ。 マクロ……とは?」

「あ〜……大規模と小規模って意味かな。 でだ。 社会的に損する奴隷は経営的にも損するんだ。 まず前提として、奴隷ってのは基本的に奴隷商から購入する資産だ。 一括でカネを払って労働力を得るわけだが〜〜……ここに落とし穴があるんだよ」

「落とし穴……」

 

 仕事……日々の糧を得る労働の中で、少しでも辛かったり苦しい思いをした者は必ず考える。

 

 もっと早く、楽に、効率的で効果的に出来ないものかと。

 

 結局そう思うだけで、その後何も変わらなかったり変えられなかったとしても、辛かった記憶はずっと消えずに残るだろう。 心にささくれを残して。

 

「奴隷ってのは買っただけじゃあダメなんだ。 仕事を用意して働かせねーとよ。 だが、利益を増やす為に奴隷の食費を削るとヘロヘロになって作業が滞るし、だからと言って費用が利益を上回っちゃぁ本末転倒だ。 奴隷買ったカネを取り戻そうと短期間で酷使すれば、すぐに肩だの腰だのが壊れて元手を取り戻す前に使えなくなっちまう」

 

 だから、彼らは、聞いてしまう。 もっと上手いやり方があるよ、こうすれば楽になるよと言われては、()()()()()()()()()()のだ。

 

「ムジュンした存在なのさ、奴隷っつーのは。 長く使おうとすると利益が上がらず、利益率を上げようと回転を早めりゃスグ壊れる」

「ではどうするのだ?」

「そこで『雇用』の制度を作ったんだよ。 奴隷の場合は一括で払っていたカネを、奴隷商ではなく労働者に直接、期間を決めて支払ったのさ。 毎月とか毎週ってな感じにね」

「なるほど。 それが先程モモン殿が言っていた『人を雇う』という考え方か」

「労働力を……と言うよりも、あなた達の時間をお金で買っている、と言ったほうが分かりやすいでしょうか」

 

 アインズの例え話に得心が行ったのか、大きく頷くリザードマン達。

 

「買って数年か……何十年か。 それとも3日で壊れるか分からない奴隷を大金支払って買うよりも、欲しい時に欲しい分だけ買える労働者の方が安全で都合が良いんだよ。 奴隷はやらせる仕事がなくなっても養わないといけないけど、労働者なら解雇すればいいし……逆に、労働者は更に条件の良い勤め先があれば移ればいい。 これを『雇用の流動性』と言う」

 

 そして、彼らは術中に嵌る。 クサダの話術に乗せられて、思想を変えられてしまう。

 

 効率こそ正義の……資本主義者へと。

 

「良い条件で働きたい労働者は自分の実力を上げて  つまり価値を増やせば雇用主に好待遇をしてもらえてハッピー。 雇用主は、他より3倍働ける労働者なら3倍の給料を支払っても、その他の費用  食費や交通費など  は3分の1になるからハッピー。 国は生産能力が増え、経済が活発になれば税収が増えるからハッピー」

 

 クサダは両手を広げ、ワザとらしくおどけて見せる。

 

「3方向まぁるく収まるって寸法さ。 ……ザリュース、奴隷ってのは普段どんな仕事してるか知ってっか?」

「え? ええっと……畑を、耕したり……鉱山で採掘したりだろうか?」

「そう、正解だ。 あとはガレー船の漕役奴隷だとか、手紙を運んだり伝言を伝えるなんて仕事もある。 中には楽器で音楽を奏でたり、計算が得意な奴は会計なんかもしてたんだ。 ……しかぁし!」

 

 興が乗ってきたのか、クサダはグッと拳を握り突然声を荒げた。

 

「そんなもん機械がありゃ全部出来る! そう、奴隷が出来る仕事は全て機械に置き換え可能なのだ!」

「は? き、機械? え?」

「手紙も通話も音楽も、これひとつあれば奴隷だって解放出来る。 そう、iP◯neならね」

「あ……あいぽ……?」

 

 突然話が理解できなくなり目を白黒させるリザードマンと、なぜそうなるのだと頭を抱えるアインズ。

 

「イマイチ納得しかねるっつー顔だな?」

「当たり前だ。 むしろ今のが通じた方が怖いわ逆に」 

「よーしいい度胸だ」

「はぁ!?」

「この俺が、文明の力ってヤツをたっぷりと味合わせてやる……覚悟するんだな」

「あーもうダメだコイツ」

 

 

 

 ◆

 

 

 

 突然集会所から退室し、1時間程して戻ってきたクサダの姿を見て、アインズは言う。

 

「で? 出てきたのがコレか」

 

 なんと、クサダの手には大皿に山と盛られた魚のフライが。

 

「まさか……ドクの策とやらは、その料理か?」

「そのとうり! 雑魚として捨てられていた、イワシに似た何かの小魚をタップリの油で揚げた  

 

 キラリと歯を輝かせたクサダは、オーバーな身振りで宣言する!

 

 

 

「似ワシのフライだ!」

 

 

 

 デデーン!

 

 

 

「いや確かに味わえるけれども。 ……まあいいや」

 

 アインズは呆れ顔だ。

 

「むぅ……まさかその小魚は  

「済まぬ、兄者。 この魚は小骨が多く、食えたモノでは無いと伝えたのだが……」

「でぇじょうぶだ」

「と言って聞かないのだ……」

 

 ぐったりと言うザリュース。 珍しく疲れを隠さずにいる彼の様子から、シャースーリューは全てを察すると、決死の覚悟で魚のフライと相対する。

 

 クサダの用意した料理は、シャースーリューにとって全くの未知であった。 ザリュースに視線で問いかけても、知らない料理だと首を振られる始末。

 

 それもそのハズで、この周辺地域の料理なんて煮るか焼くか蒸す以外の調理法はほぼ無い。 大量の熱した油を用意し、そして使った後は捨てるなんて贅沢、例え出来たとしても経済的に許されざる行為なのだ。

 

(匂いは……良い、か?)

 

 アツアツのフライからは、湯気と共に芳ばしい香りが立ち上る。 クンクンと鼻を鳴らさずとも、部屋中に充満した香りはリザードマンの鋭敏な嗅覚を嫌でも刺激し、口の中に唾液が広がってゆく。

 

 フライを1つ摘み上げる。

 

 形は扇状で、干し魚の様に開きにされていた。 一部違うのが、頭が取られている事だろうか。

 

(ええい、ままよ!)

 

 シャースーリューは族長であり、組織の代表だ。 決して無様な姿は見せられない。 それに、フライを1つ手に取った瞬間、期待と不安の混じった視線が自身に集まるのを感じていた。

 

 このまま逡巡していても仕方がない。 魚相手に怖がっていると思われては事だ、と意を決して口にした   その時だった。

 

「うむぐぅッ!」

 

 突然尾をバタバタと跳ねさせ、口を押さえて悲鳴を挙げたシャースーリュー。

 

「ど、どうした兄者! 何が  

「ア、アツツ……!」

 

 涙目でそう零した兄に、ザリュースは思わず「……は?」と、聞き返えしてしまう。

 

「まさか…兄者……」

「むぅ……噛み切った瞬間、熱せられた脂が口中に広がったのだ。 ……仕方が無かろう」

「ああ、そうか。 揚げ物初めてだから……」 クサダはポンと手を打ち、言った。 「はっはっは。 トカゲなのに猫舌かよ」

「いくらなんでも反応が過大だぞ兄者……」

 

 ヘラヘラ笑うクサダと、ジト目で睨んでくるザリュースに居心地の悪さを感じたシャースーリューは、話の流れを変える為にも皿を持ち上げ「お前も食ってみろ」と勧めた。

 

 族長命令だ。 いくら何でも湯気立つ料理を1口に放り込むのはどうにかしているぞ、との言葉をグッと飲み込み、ザリュースはフライを1つ摘んで1口囓る。

 

「ッつつ、本当に熱いな……」

 

 ザクリ、と心地よい音を立てて歯型が穿たれたフライは、いとも容易く噛み切る事ができた。 口の中の熱を吐息で追いやり、ある程度冷めたところで咀嚼する。

 

「なんと……」 驚きに目を見開く。 「これがあの小魚を使った物とは、到底思えんな。 ……うむ、やはり全く骨を感じない。 いや、苦味も感じない所から内蔵も取り除いたのか?」

「おう。 似ワシの背中側の首をグッと摘んで頭を外し、そのまま真っ直ぐ引っ張ると内臓が頭に付いたまま外れるんだよ」

「なるほど。 しかし、小魚の骨をナイフで取り除くのはかなりの手間だろう。 よくこんな短い時間にこれだけ用意出来たものだ」

「いや、包丁は使ってねぇ。 素手だ」

「ほう、道具無しでこんなに綺麗に取り除けるものなのか」

 

 ザリュースはフライをまじまじと観察し、感心した様子で2つめを口にした。

 

「手開きっつー技術だ。 コツは頭から尾の方向に手を動かす事。 さもねーと小骨が爪の間に刺さるぜ?」

「それは勘弁願いたいな……」

「さて、工夫次第でこんな小魚でも立派に食えるのを身をもって理解した所で〜〜……まだ利点が幾つかあるぜ。 まず、こうして加熱する事で、寄生虫症を含む食中毒を予防出来る事。 そして次に、加熱で消化吸収しやすくなり、結果多くの栄養を得る事が出来るようになるんだ」

「つまり少ない量でも満たされる、と?」

「おう。 だが、加熱でビタミンCが破壊されてしまうから、この  

 

 クサダは緑色の粉が入った瓶を取り出すと、スプーンを使いフライに振りかけた。

 

「乾燥ハーブの一種、パセリ粉と一緒に食え。 こんな見た目だが、パセリはレモンの3倍以上ビタミンを含んでいっからよぉ〜〜健康にメチャ良いんだぜ?」

「その、ビタミンとやらが分からんのだが」

「そうだな……病気に強くなる為に必要な栄養、かな? 今までは生食で補っていても、加熱調理が一般的になると不足しがちになっから気ぃ付けねぇといかんぞ」

 

 このビタミン不足が顕著に現れるのが航海によるもので、壊血病などは長い間呪いの一種と考えられていた。 だが、ビタミン不足が原因と知られると、イギリスは柑橘の一種ライムの果汁(歯が溶けてガタガタになるくらい酸っぱい)を飲む事で。 ドイツはキャベツの酢漬けのザワークラウトを食べる事でビタミン不足を補ったのだ。

 

 これが後に、イギリス人の事を『ライム野郎(ライミー)』と呼ぶ語源になる。

 

「むうぅ……料理、か。 いや、まさかこんな方法があったとはな」

 

 大皿が回され、フライの山が1つ、また1つと減ってゆく。 初めて口にする揚げ物の味に様々な意見が交わされるが、殆どが肯定的なものばかりだ。 頑固者で有名な祭祀頭ですら無言でパクついている。

 

「全く、養殖といい料理といい、人間の知恵には驚かされるばかりだ」

「これが『文明』の力だぜ。 どうだ参ったか!」

 

 踏ん反り返って、何が可笑しいのか楽しそうに言うクサダ。 そんな姿に釣られたのか、シャースーリューはフッと笑い  

 

「そうだな……変わるべき時が来たのかも知れぬな」

 

 そう、呟いたのだった。

 

 

 

 

 初めて目にする料理を、村中のリザードマンが堪能した頃。

 

「いやはや、御見逸れ致したモモン殿。 そしてドク殿。 先程は失礼な態度をとってしまい申し訳無かった。 謝罪を受け入れて欲しい」

 

 両拳を床に付けると、シャースーリューはアインズに向き直りスッと頭を下げる。 そして、やや遅れて狩猟頭や戦士頭などの代表者も頭を下げた。

 

「よぉ〜〜っし! それじゃあつまり、契約成立って事だな!?」

「ああ、その事なのだが  

 

 シャースーリューの視線を受け、ウンザリとした様子でアインズは言った。

 

「お前が居ない間に、もう話全部まとめといたよ……」

「さっすが我らのリーダー! 有能!」

 

 皮肉が一切通じず、それどころかニカッと笑って親指を立てるクサダに、アインズは深ぁい溜息を吐くのだった。

 

 

 

 




アインズ「アホの居ぬ間に商談!」

※オバロ界の魔法を科学的に考察するのはもっと後にやります。




・ローマ帝国時代における奴隷制、について。

 古代ローマでは、皇帝が奴隷を持つ事は当たり前の事で、奴隷とは車や機械、家畜などと同じ資産とみなされていました。 人でなく物として扱われていた奴隷には法的権利が一切無く、奴隷よりもずっと強い立場である主人の命令は、逆らえ無い事でした。

 奴隷の主な供給源は戦場からで、ローマ帝国は隣国へ従順か戦争かの2択を突きつけ、相手国が拒否した場合侵略戦争を仕掛ける、と言うものでした。 つまり、ローマ帝国は常に侵略・拡大し続けないと奴隷制を維持出来ないと言う、いびつな社会構造だったのです。

 法的には物扱いの奴隷ですが、結局のところ人なのが現実です。 よって、犬猫や牛馬のように扱った場合不都合が出ます。 よって、ある程度奴隷の所有者を戒める法がありました。
 例えば、年端も行かない少年を去勢し、実際の年齢よりも若く見せようとするような悪辣な者もいたため、当時のローマの法律では奴隷の売買は厳しく規制されていました。 また『奴隷を娼館や売春宿で働かせてはならない』との法律もあり、奴隷がそのように過酷に扱われていた事への証拠でもあります。

 奴隷が性的虐待を受けていた証拠は数多く残っています。 例を挙げるとするならば、『哲人皇帝』の異名を持つマルクス・アウレリウスが、2人の美しい奴隷の誘惑に負けなかったという話が残ってますが、その話自体が裏を返すと、殆どの奴隷所有者がそうでは無かったとの証拠です。
 また、主人が少年ないし青年奴隷と関係を持っても、不名誉な事とは見做されませんでした。



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リザードマンは稼ぎたい


あらすじ

緑爪族長「ウホッ、いい職場!」
ドクトル「(工場経営を)やらないか」



現在のナザリック生産物

・そこそこの量の硫黄
・そこそこの量の高シリカ火山灰
・やや少ない量の鉄スクラップ
・まぁまぁの量のスケルトンの骨
・数十個単位の瓜科果物
・数百個単位の柑橘果物
・数千個単位のオリーブの実
・やや少ない量の過燐酸石灰
・バケツ数杯の硫酸
・MPが続く限りの塩酸
・プロトタイプの農業機械
・計測不能の量の石灰岩
・かなり多い量の生石灰
・かなり多い量の消石灰
・かなり多い量の石灰水
・そこそこの量のセメント


ナザリックは売りました

セメント → 王国
食用油  → 王国
果物   → 王国
鉄材   → 王国
???  → 法国


ナザリックは買いました

法国   → 生ゴム


 正午の湖に、陽の光を遮る物は何もない。 強い光が容赦なく、真上から燦々と照りつける。

 

(陽の光って、こんなに眩しいんだなぁ)

 

 アインズは存在しない目を細め、刻々と姿を変える豊かな自然を眺めていた。

 

 仮拠点のエ・ランテルを出立したのが早朝であり、途中から日差しを(さえ)ぎる森の中を歩いて来たので気付かなかったが、想像していたよりも太陽とは眩ゆいものだった。

 

 前世……鈴木悟のいた世界は、物心つく前から全て汚染されていた。 大地は人工物で覆われ、虹色の毒に海は濁り、夜空を彩る星は姿を消した。 生きる為に必要な食品にすら例外などなく、『天然』と言う言葉は不安定で危険な物へと意味を変え、人工的に合成された純粋な物だけが安全だと認識される。 そんな世界だった。 それが全てだった。

 

 しかし、ここは違った。

 

 容赦なく降り注ぐ陽の光は凄まじく、文字通り灼ける様に熱いが、湖面を流れる清浄で涼やかな風が熱を持った肌を優しく冷やし、心地よかった。 身を乗り出し湖面を覗き込めば、透き通った真水が湖底まで光を届かせ、大小様々な生物が織り成す命の営みを魅せてくれる。 自然とは正しくナチュラルなモノであり、人の手が一切介入していないそこには動植物全てが生命を謳歌していた。

 

 こんな所、向こうには何処にも無かった。

 

 こんな所、こちらには何処にでもあった。

 

 出来る事ならば、この感動をかつての親友達と分かち合いたい。 そう思うアインズであった。

 

 

 

 ギシリ、とアインズの乗った舟が軋む。 いや、舟と言うには少々歪だ。 

 

 小舟の底には、金属製のランナーと呼ばれる板が取り付けられてあり、実際には舟よりもソリに近い形状をした乗り物だ。 そして、この干潟の様な地形には、この形が最も適していた。

 

 先頭を歩くのははザリュースの飼っていたペットで、ロロロと名付けられた突然変異種の多頭水蛇(ヒュドラ)だ。 首が絞まらないように装着されたロープは舟ソリと繋がっており……つまり荷馬扱いされているワケだが、ロロロ自体は『みんなでお出かけ嬉しいな』と言った様子であり、全く気にしていない。

 

 犬ソリならぬ多頭水蛇(ヒュドラ)ソリで向かう先は、ザリュースのいた緑爪(グリーン・クロー)族とは違う部族  朱の瞳(レッド・アイ)族の集落だ。 あと半刻もすれば到着する。

 

「兄者はなぜ……『この話を他の4部族全てに伝えよ』と言ったのだろう」

 

 ザリュースは呟くようにごちた。 集落を出立してから今になるまで、ずっと気掛かりだった疑問を。

 

 このまま黙っていればいいじゃないか。 苦労して見つけ、身に付けた養殖技術を足掛かりにし、兄が部族に極力有利になるよう苦労して取り付けた雇用契約だ。 それを、何もしていない、何があったかも知らない他部族にタダで教えてやるなんて。

 

 別に、大して不満があるワケではない。 それに族長命令だ。 否応も無い。 だが、兄が何を考え判断したのか少し気になったのだ。

 

「そりゃあ〜〜オメーらのタメだろうさ。 集落の奴らの生命と財産を守る『義務』がある……アイツは族長だからな」

「俺達の為に……?」

 

 少し驚いたような声でザリュースは聞き返す。 それにアインズは「先を見越した判断ですよ、これは」と、船べりに凭れ掛かり景色に視線を向けながら言った。

 

「この湖で獲れる魚は日を追う毎に少なくなり、このままでは餓死者も出かねない状況。 それが貴方達リザードマンの置かれた状況なのはご存知ですよね?」

「ああ。 だから俺は旅人になった。 この状況を打開する為に」

 

 そして見事、養殖技術を会得した。 ザリュースのおかげで緑爪(グリーン・クロー)()()()飢えから遠ざかったのだ。

 

「ソレが原因ですよ」

「……は?」

「その、養殖技術の存在が原因と言ったんです」

「馬鹿な!」

 

 声を張り上げ、ザリュースは勢いよく立ち上がった。 舟がグラグラと揺れ、異変に気付いたロロロが心配そうに顔を近付けて来た。

 

「すまん、ロロロ。 いや、なんでも無いんだ……なんでも」

 

 ザリュースが言うと、ロロロは蛇の頭を甘える様に数度擦り付けた後、前を向く。

 

「それで……」 ザリュースは冷静に腰を下ろし、言った。 「何故、俺の養殖が……?」

 

 ザリュースの問いを受け、アインズはゆっくりと姿勢を変える。

 

「簡単な事ですよ」

 

 フルヘルムを脱いだ彼の髪は風になびき、濡羽色に輝いていた。 漆黒に塗り潰された双眸に見つめられると、全てを見透かされている様な錯覚さえしてくる。 一挙手一投足が洗練された、まるで王者の様な風格に、ザリュースの背中にゾクリと悪寒が走った。

 

「5つの部族の内、養殖が出来る緑爪(グリーン・クロー)族だけ全員生き残る可能性があります。 他の部族は飢えて弱体化しつつあるのに、1部族だけ。 ……そんな彼らが、自分一人だけ飢えていない部族にどんな感情を持つか? 考えるまでもありませんね」

(いくさ)になると……俺が良かれと始めた養殖が、戦の引き金になるというのか……」

「なるでしょうね」

「ま、ほぼ100パーだな」

 

 仰向けに寝転がっていたクサダが、アインズの言葉に同意する。 そして、そのまま寝転びながら補足して行く。

 

「1部族だけ元気なままっつー事はつまり、戦力の均衡が崩れるって事だ。 そこでヤツらは考える。『ウチの部族がヨロヨロになったタイミングを見計らって、緑爪(グリーン・クロー)族が()()()()()()()』ってね」

「そんな事はしない! あの兄者が、打ち上がった魚に石を落とす様な非道を行うハズが無い!」

「かもしれねーが、そうじゃあないかもしれねぇ。 そう考えるだろーな」

「ザリュースさん。 他の部族の長は、貴方ほどシャースーリューさんの為人(ひととなり)を知らないんですよ。 僅かでも可能性がある以上、備えなければ」

 

 後頭部をガツンと思いっきり殴られたような衝撃があった。

 

 兄はそこまで考えていたのか。 自分は何も知らなかった。 ただ、自分は、飢えから逃れさえすれば全て上手く行くと、甘い考えを持っていた。

 

 悔しさからザリュースは食い縛り……ギリリと歯が悲痛な音を立てる。 

 

「でだ。 仮にこのまま何もせず、漁場の取り合いになった場合だがよぉ」

「養殖場があれば緑爪(グリーン・クロー)族は巻き込まれずに  

「いられねぇんだなぁ〜〜それが」

 

 確信を持って断言するクサダに、ザリュースは戸惑いを隠せなかった。

 

「ザリュースさん。 争いが起きた時、真っ先に狙われるのは貴方の養殖場でしょう」

「そんな、まさか」

「ソレを否定するだけの根拠をお持ちで? 『絶対』に無いと断言出来る程、他部族の考え方や性格を知っていますか?」

 

 知らない。 ザリュースは何も知らない。 先の争いで他部族の族長が何を考え、何を思い、闘う道と争わぬ道の2択をどう選んだのか。 考えてもみなかった。

 

「飢えに困った奴等はこう考えるだろーぜ。『俺達はこんなに苦しいのに何故アイツは』『何かズルをしているのでは?』『いや、そうに決まっている』『そう言えばあの部族は魚を捕まえて何かしているらしい』『稚魚を根こそぎ捕まえているから不漁なのでは』『なんて卑怯なヤツだ』……ってな」

「そんな…デタラメだ……」

「ああそうさ。 全て根拠のねぇ憶測さ。 だが、正しいかどうかなんて、どーでもいいんだ。 ()()()()魚を()()()()ための、ソレっぽい理由がありゃーそれでいいんだからよ」

 

 嫉妬・焦燥・恐怖など負の感情に後押しされた判断は得てして、悪い方へ……悪い方へと向かう。 こうして、図らずとも悪のレッテルを貼られた緑爪(グリーン・クロー)族は真っ先に狙われるだろう。 仮に貼られなくとも、食糧はある場所から持って来ねば飢えるのは確実なのだから、()()()()襲わねばならないのは、どちらにしろ同じなのだ。

 

 こうした争いは向こう側でも何度も起こり、同じ歴史が繰り返された。 世界大戦と名付けられた集団自殺は三度(みたび)勃発し、奇しくも全ての国が『自衛戦争』を唄い戦争の発端(ほったん)を開く。 殺られる前に殺らねば。 そう、考えてしまったら、行きつく場所は1つだけだ。

 

 地獄である。

 

「だからそうなる前に  」 アインズは風圧で乱れた髪を片手で整え、言った。「競い合う仲から、助け合う仲に変えてしまおう。 そう考えたんですよ」

 

「つまり、5部族に別れたリザードマンを統一しようと。 兄者はモモン殿の持つ、かがく、なるチカラで戦を回避しようと考えたのか……」

「まぁ、大体そうですね」

「ヤツはつまり、こー言っているのさ。『儲けたいんだろう? だったら少しは手伝いやがれ』 ってな。 ッハ! あんなツラして、頭が意外によく回る」

 

 シャースーリューには解っていた。 定期的に食糧難が起これば、争いが起きるのは確実だと。 ザリュースが養殖技術をモノにしたが、それでも決定打には足りえなかった。 このままではジリ貧だが、全てが好転する回天の策など知るハズもなし。

 

 では養殖技術を他部族に教えるか? 不可能だろう。 部族民の殆どが強固に反対するのは確実だ。 苦労に苦労を重ねて、ようやく手にした命綱を、簡単に差し出せるワケが無い。

 

 八方塞がり。 そこに偶然出会ったのがアインズ達だった。

 

 最初に発見した時は、ただの泥棒か何かだと思った。 ……クサダの口から養殖の話が出てくるまでは。 自分達が持つ技術よりも、はるかに高度な知識を持っている。 そう気付いた時の心境は、まるで喉に氷柱を突き込まれたようだった。

 

 弟の機転により、運良く話す機会が設けられたのは行幸だった。 さらに、冒険者なる組織によって身分の証明された……代表者らしき全身鎧の男は聡明であり、話せばわかる人間だった。 ここまでは問題ない。

 

 問題があるとすればその連れ。 白いローブを着た男が居たことだ。

 

 性質(たち)の悪い事に、その男は自分達よりも高度な養殖技術を『売り物』にするつもりだったのだ。 

 

  まさか、ここで断ったら他部族に売り渡す魂胆ではあるまいな。

 

 その様な事をされては()()()()()。 その様なことをされては、緑爪(グリーン・クロー)族にあった僅かな優位性は逆転してしまう。 今後、最弱の部族として泥を啜る事になってしまうだろう。

 

 まさか、と聞かれれば、確信を持ってシャースーリューは断言する。

 

 やる、と。

 

 この男はやる。

 

 必ず、やる。

 

 そして、その予想が確信に変わった時。 シャースーリューは、モモンと名乗る男の話を全面的に飲む以外……選択肢は残されていなかった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 舟が止まる。 |朱の瞳(レッド・アイ)族の住まう集落、その門前に到着したのだ。

 

 水上歩行の効果がある消耗品を発動させ湖面に降り立ったクサダは、ひと抱えもあるクーラーボックスを舟から降ろす。 コレは〈保存〉(プリザベイション)の効果があるマジックアイテムであり、中には鯖折りにして血抜きした真鯖がギッシリ詰まっていた。

 

 売るの? ってくらい多いが、コレでロロロの一食分だ。

 

 どうやら彼女はまだ成長期らしく、非常によく食べる。 なので、大釜で生み出した食材が現地の生物に悪影響があるかどうかの実験を兼ね、弁当がわりに持ち出して来たのだ。

 

 ただ、残念な事に金貨を消費して生み出した肉系食材は既に『下処理』されてあり、切り身などの状態で出て来る。 食材アイテム時の見た目に忠実だからだろうが、そのせいで育てて増やしたり出来ないし、畜産系の産業は1から品種改良せねばならないだろう。

 

 アインズがノリノリで給餌し、ソレが終わる頃。 門番と話し込んでいたザリュースが戻って来て、言った。

 

「部族を纏め上げる者と話せる事になった。 何故族長ではないのか気になるが、まぁ、代表者には違いあるまい」 

「ふーん。 思ったよりスンナリ行ったな」

「ああ。 ここの代表は、想像以上に切れ者やもしれん」

 

 ザリュースの期待と警戒の入り混じった声に、クサダは少し考えて 「……ま、楽でいいわ。 ほな行こか」 と、舟を手で押しながら歩き出したのだった。

 

 

 

 さて、朱の瞳(レッド・アイ)族の集落である。

 

 種族が同じだからか、木造家屋は緑爪(グリーン・クロー)族とほぼ変わらない。 強いて挙げるならば、少々大きいくらいか。 其処彼処(そこかしこ)が水浸しだが、湿地の所々に桟橋が掛けられており、意外に歩きやすい。

 

 当初の目的、代表者との会合は、無用な警戒を防ぐため同種のザリュースが担当してくれている。 要するに暇なのだ。

 

 だからと言って、技術支援の名目で来ている以上、その辺で寝転がって読書に興じるワケにも行かない。 背伸びをして気合を入れて、クサダは機材を舟から降ろし店を広げる。

 

「えーはい。 ほんじゃあ今から、ボソボソ魚肉もプリプリミートに出来ちゃう技術、練り製品の製造法を教えっからぁー」

 

 身振り手振りで指し示すのは石鉢などの道具。 木製でないのは木屑の混入を防ぐためだ。 そして、練り製品をチョイスした理由は、クズ肉もちゃんと食べられるのだと意識を変える事で、養殖が軌道に乗るまでの時間稼ぎを狙った為である。

 

「さぁさぁ寄ってらっしゃい見てらっしゃい。 蒸して蒲鉾、焼き竹輪。 煮れば半平(はんぺん)、さつま揚げ。 どんな料理もなんのその。 何でも出来る、何にもなれる、練り製品だよー」

 

 好奇心をツンツン刺激する口上を並べたて、器用に両手を動かすクサダ。 喋りながら次々と料理を完成させるさまは、大手通信販売会社の社長のごとしだ。

 

「こーして塩で味を整えて……板に盛る。 後は蒸し器で加熱すれば完成だ。 ……ヘイそこの。 ちっと味見してみるかい?」

 

 ガン見していた彼に向けクサダが問うと、彼は苦笑い  多分  を浮かべる。

 

「いいのか?」

「いいとも」

「へへ、悪いな。 正直、どんな味なのか興味津々だったんだ」

 

 やはり食べ物に関しては強い関心があるようだが  それもそのはずだ。 原始社会かつ日々の糧を得るので精一杯なリザードマン達にとって、娯楽に興じる暇など元から無く、出来るとしたら食うか寝るかヤるかくらいである。

 

 紀元前7千年前から脈々と続いて来た酒造も、こんな湖のど真ん中では非常に厳しい。 材料になる果実や穀物も農業が出来ない以上手に入らず、したがって酒造も不可能だからだ。 手に入れるためには交易に頼るしかない……が、繰り返すが、ここは深い森に隔てられた湖のど真ん中なのだ。 不可能だとしても、さもありなん。

 

「その切り身は比較用だ。 加工せず蒸しただけのヤツな」

 

 出来立ての蒲鉾を小皿に移し、額にキズのあるリザードマンに渡す。

 

「ほう、これまた真っ白な肉だな。 何の魚だ? うっ、これは……ううむ、思っていたよりもパサパサしてて…味も薄いぞ」

「タラっつー白身魚だぜ。 沢山水揚げされっから安く、さらに身が多く取れて臭みも無い。 だが、癖が無い分味もねーんだ」

 

 なるほど、と額にキズのあるリザードマンは、蒲鉾を一切れ指で摘まみ口に放り込んだ。 そして、味を確かめながらゆっくりと咀嚼する。

 

 うむ、と頷くリザードマン。

 

「ほお〜コレは凄い。 この歯を押し返すような歯応えは新しいな。 いつまでも口に残ると言うか、ボソボソしていた食感がプリプリとした食感に変わっているぞ。 まるで海老だな。 味にも深みが増している……元が同じ魚とは到底思えん」

 

 いやはや、素晴らしい。 そう手放しに褒め称える彼に感化されたのか、俺にもくれ私にも頂戴と、奪い合いの如く野次馬ならぬ野次蜥蜴が試食に殺到する。

 

「こりゃ塩気が丁度いい。 プリップリでずっと噛んでいたいくらいだ!」

「仄かに木の香りがするわ。 これは……蒸す時に木の板から移ったのね? これなら泥臭い魚も美味しく食べられそう」

 

 リザードマンの主食が魚だからか、やはり魚介系の料理は『ウケ』が良い。 それに、日本は昔から魚料理を好んできた歴史がある。 環境破壊により魚自体が消滅し、今は料理どころか国自体が衰退・消滅したとは言え、食文化は記録として残っている。 そこらのポッと出に負ける程ヤワではない。 

 

 練り物の製法は単純だ。 解説を交えながら1回実演すれば、質はともかく形にはなるだろう。

 

 料理に興味を示したメスリザードマンに、残りの材料で好きなようにさせて暇を作ったクサダは、朱の瞳(レッド・アイ)族の長用に料理を作る事にした。 脅しと懐柔を兼ねた、一挙両得の手だ。

 

 練り製品を教える際、住民からそれとなく聞きだしたのだが、ここの代表者はメスリザードマンだとか。 成る程、男しか族長に成れぬ伝統ならば、別の名前に変えてしまえば良いとトンチを利かせたのか。

 

 独断と偏見でメスが好みそうなメニューを考えたクサダは、イタリア料理にする事にした。

 

 白身魚の半身を香草で包み蒸し器に入れ、その間に葉物野菜を食べ易い大きさに切り、冷水で絞めておく。 魚が半ナマの状態(これが結構難しい)になったら、氷水で一気に冷却。 その後水気をしっかりと拭き取る。

 

 フグの様に薄切りにした魚と野菜を盛り付け、料理長お手製のドレッシングで軽く和えれば、カルパッチョの完成だ。 オニオンスライスがあると良いのだが、犬の様にネギを苦手とする種族だと困るので、ナザリック産チーズを僅かに振りかけた。

 

 余った時間でもう一品作り、皿を手に持ち代表の居る家屋へ向かい……入り口前で立ち止まる。

 

(しっかし、さっきからスゲェうるせぇんだが……ザリュースの奴何やってんだ?)

 

 クサダは(いぶか)しげに眉を潜める。

 

 料理教室の時から無視していたのだが、ザリュースが入室してからずっと騒がしいのだ。 バシンバシンと、何か弾力のあるもので木を叩く様な音や絶叫やらがずっと。

 

 ザリュース曰く、ここの代表は中々のキレ者らしいので、交渉が難航しているのだろう。 だから暇潰し……じゃなくて、助太刀に料理を、と思ったのだが  

 

 バシン、バシン、バシン、バシン。

 

 小屋の中から話し声は聞こえず、得体の知れない騒音だけが響いていた。 何の音だ? 何をしているんだ? リザードマンだけに伝わる伝統か何かか? 

 

 面倒臭そうで嫌だなぁ。 と思いながら、クサダは扉に手を掛け  

 

「うるっせぇぞテメーら! さっきから何やってんだ!?」

 

 勢いよく突入すると同時。 クサダが目にしたのは、白いリザードマンとザリュースが暗闇の中で慌てて離れ、背を向け合った姿だった。

 

 申し合わせたかの如く息の合った意味不明な行動に、クサダは片眉を上げて困惑し、こう言った。

 

「………はぁ?」

 

 

 

 

 

 

「私の名はクルシュ。 クルシュ・ルールーと言います人間(ひと)のかた。 非才の身ではありますが、この朱の瞳(レッド・アイ)族の代表を務めています」

 

 ほぼ光の差し込まぬ暗い室内で、アルビノのリザードマンはクルシュと名乗った。

 

 座礼でもって礼を示す姿は落ち着いて見える……が、鱗の尾が居心地悪そうに(せわ)しなく揺れていた。 言葉の節々に知性を感じさせる彼女は理性的であり、確かに部族の代表なのだろう。 だが、だからこそ先程の行動に説明が付かない。

 

 リザードマンに伝わる謎の儀式か何かだろうか?

 

 いや、そんな話はザリュースからもシャースーリューからも聞いていないし、緑爪(グリーン・クロー)族の集落でも、そんな対応はされなかった。

 

 まあいい、とクサダはかぶりを振る。

 

「なるほど、アルビノだから真っ暗んトコにいんのか」

「はい。 日光を長時間浴びると、私の肌は火傷をしたように爛れてしまうのです。 強い光を見ると目に痛みも走ります」

「ふーん……」

 

 腕を組んで少し思案したクサダは、自身のインベントリー空間へ手を突っ込む。 突然手首の先が黒い渦へ入り込み、消えてしまった事に目を丸くして驚くリザードマン両名。 そして、渦から引き抜かれた手中には、なにやらチューブのような物が握られていた。

 

 ポカン、と呆気に取られている2人を差し置いて、クサダはキャップを外し  

 

 

 

 ブッチュゥゥウウ~~ッ、と。

 

 

 

 白濁し粘ついた液を、まるで苺に練乳をかけるかのようにクルシュの脳天へブチ撒けた。

 

「ギャァァアア! 何これ!? 何なのよこれ!?」

 

 絶叫するクルシュ。 白濁液をデローンと垂らしながら。

 

「何って……日焼け止めだよ。 シャルティアの私物に化粧品セットがあってな、少し分けてもらったんだ」

「日焼け止めぇ!? だからって頭から被らなくてもいいでしょぉ  !?」

 

 クサダのワケの突飛な行動に、パニックを起こしたクルシュは涙目で訴える。 尻尾で床を何度も打ちながら、渋々と言った様子でクリームを塗り広げ  

 

「背中にゃ手が回んねーだろ。 だから〜〜ホレ」

 

 ザリュースに、日焼け止めを投げ渡すクサダ。 悪っるい顔をして 「()()()()()()」 と言い放てば、鏡に写した様に2人は慌てふためく。 そして、青臭ぇなぁ! と、腹を抱えて笑うのだから始末が悪い。

 

 大体クサダのせいで紆余曲折を挟みながら、つば広の帽子や薄手の長手袋などを装備したクルシュは、日傘を受け取り外に出る。

 

 強い日差しに目を細めるクルシュ。 だが、鉱物由来のサン・スクリーン剤は惜し気も無く効力を発揮し、強い紫外線を反射して皮膚に通さない。 対策無しで陽を浴びれば、ものの数分で火膨れが浮くであろう肌は、まるで変化しなかったのである。

 

 さらに、短い波長の光のみ弾き返すコレは、赤外線などの長い光はそのまま通す。 よって、陽光の暖かさは変わらず感じられるのだ。

 

 最早安心感すら感じられる効果に、クルシュは「凄い」と短く呟いた。

 

 クサダに連れられ少しの距離を移動すると、盛り上がった土が中洲の様になっている場所にパラソルが開かれ、丸テーブルと椅子が置かれていた。 先客は3人。 求人活動を終えたアインズ達だ。

 

「やっぱりよぉ、メシは外で食ったほーが美味く感じっからな……こっちがスズキのカルパッチョ。 で、コレがマグロのタルタル・スパイシーガルムソースだ」

 

 『タルタル』とは、新鮮な生肉を挽肉にし食べ易くした料理であり、ハンバーグやソーセージなどの挽肉料理の原型だ。

 

 今回は牛肉の代わりにマグロを挽いた。 生臭さがあるが強烈な旨味のある魚醤(ガルム)を醤油の代用として使い、アクセントに擂り下ろした山葵(ホースラディッシュ)を添えたモノだが……まぁ、一言でいうとネギトロだ。

 

 テーブルに料理を並べ、クサダは椅子に座るようザリュースとクルシュに勧める。

 

 2人が着席すると、アインズは湯呑みを置き「そちらの方は?」と問いかけた。 すると、ザリュースが間髪入れずに答える。

 

 

 

「嫁だ」

「違うわよ  !」

 

 

 

 先程のやりとり  日焼け止めを塗る『前』の出来事も含めて  によって、ザリュースの頭は予想以上に茹だっていたようだ。 クルシュに全力で否定されると、多少冷静になったのか口を紡ぐ。 なお、今頃恥ずかしくなって来たのか、2人とも俯きながら尾で地面をバシンバシンと叩いている。

 

 ワケが分からない。 と、味わい深い表情を浮かべているアインズへ「政略結婚的なヤツらしい」と説明し、クサダは珈琲を1口。 文明化された苦味に舌鼓を打つ。

 

「時間がもったいねーから俺が説明すっと、彼女が此処の代表で  

「あっ、も、申し遅れました。 クルシュ・ルールーと申します」

「これはご丁寧に。 モモンです」

 

 お互いに座礼を交わす。

 

「ヘイ、かしこまった席でもねーんだ。 挨拶はそのくれーにしてよぉ、さっさとメシ食っちまいな」

 

 クサダに促され、慌ててフォークを手に取るクルシュ。 陽の光の中で食事など、何年振りだろうか。

 

「にしても、あんな真っ暗な場所で食事とかどんな罰ゲームだよ全く。 便所飯じゃあるまいし……うん?」

「どうした、ドク」

「ああいや、ちっと気になった事が……なぁクルシュ。 オメーあの暗さで普通に暮らしてたんだよな?」

 

 フォークを咥えながら目を剥いて固まっていたクルシュに問うと、少し置いて我に返った彼女から、肯定の返事が来た。 リザードマンは種族的に、闇を見通す目を持つとの事だ。

 

「うーむ、そいつぁーおかしいなぁ」

「そうなのか?」

「ああ。 アルビノっつーのは、生まれつき重度の弱視なんだよ。 光を受け止めねぇといかん網膜に、受け止める為の色素が無いんだからよ」

「成る程。 ガラスのように透過してしまうワケだな」

 

 つまりクルシュは見えないハズの目で物を見ている事になる。

 

「虹彩(黒目の部分)に血が透けて赤く見えるほど重度のアルビノなら、昼は眩し過ぎだわ夜は何も見えんわで、正直やってらんねーだろうに……ううむ」

 

 物理的には盲目に近くても、もっと別の方法で視覚を得ている可能性が大であり、そして此処は魔法のある世界だ。 ()()()()があってもおかしくないし、アインズに至っては目玉自体存在しない。 不思議である。

 

 どのような構造になっているのか解剖して見てみたい……が、腑分けした程度で遺伝子の塩基配列が読めるハズも無し。 いずれ研究所(ラボ)を建ててやる、と心のメモに書き加えつつ、今は棚上げしておく。

 

「アルビノの自然発生確率は、大体20万分の1。 パーセントだと0.0005%くれーだな」

「ふうむ、SSRガチャ以下か………」

 

 アインズの持つ感想が廃人のソレだが突っ込まない。

 

「ドク殿、遺伝はするのだろうか?」

「うんにゃ、基本的にアルビノは劣性遺伝だから、子供に遺伝する事はまずねーさ……動物実験用のマウスなど例外はあるけどな。 だが、マイナス同士の掛け算がプラスの答えになるよーに、孫に遺伝が現れる可能性はある」

 

 ピンと人差し指を立て、クサダは締め括る。

 

「コイツを『隔世遺伝』と言う。 子が親よりも祖父母に似る事が多い理由が、コレだ」

「覚醒遺伝……」

 

 言うと思ったぜ。 お約束のセリフを呟くザリュースに、クサダは半目になって呆れる。

 

 しかし、あながち的外れとも言えないのがもどかしい。 突然変異よろしく、何らかのパワーに文字通り覚醒したから、副作用のように何らかの作用で白くなった可能性もある。

 

 実世界(むこう)で常識や真理とされて来た事が、異世界(こちら)で通用するとは限らない。 言葉にすると簡単だが、先入観のせいでコレが中々受け入れ難い。 消去法での判断が難しくなっているのだ。

 

 ただ、全く役に立たないワケでも無く、どちらかと言うと……新しい法則だとか作用とか、+αが存在する感覚に近い。 まるでバージョンアップかダウンロードコンテンツでも入れたゲームのようだ。

 

「ま、なんだ。 もし産まれた子供までアルビノだったら、高い確率で新種っつー事だな」

「ほほう、新種か……! それは、つまり、レアだな」

 

 低確率かつ新キャラという、コレクター魂をダブルでくすぐるクルシュの存在はアインズにとってドンピシャだったらしく、ついつい遠慮の無い視線を投げかけてしまう。

 

 だが、当の本人は顔を両手で覆って、「子供…子供……ザリュースとの子供。 ……ああ、でも、ダメよそんな事」と何やらブツブツ言っていてソレに気が付いていない。 朱の瞳(レッド・アイ)族取り込みの為この集落へ来たが……この様子なら放っておいても如何(どう)にかなるだろう。

 

 リザードマンとて家族の絆は強いものだ。 原始的な社会なら尚更に。 一族の代表であるクルシュと、族長の弟たるザリュースが()()()()()、単なる利害関係上の同盟よりも強固な関係が築けるだろう。 想像以上に上手く行った事に、クサダは満足そうにマグカップを干した。

 

 こうして、朱の瞳(レッド・アイ)族の取り込みは滞りなく進んだ。 湖にあるリザードマンの部族4つの内、半分はシャースーリューが受け持ったので、コレで残すは後1つ。

 

 

 

 

 

 

 

 異変に最初気付いたのは、集落の外に居たロロロであった。

 

 大好きな主人に 「此処で待っていろ」 と言われ、言い付け通り昼寝をしたり空を流れる雲なんかを眺めたりして過ごしていた彼女は、バシャバシャと水の跳ねる音に目を覚ます。

 

 なんの音だろう? 暇を持て余した彼女は、何の気無しに長い首を持ち上げて音のする方向を見る。   そして、疑問はスグに解けた。

 

 こちらへ近付いてくる影が複数。 数人のリザードマンがこちらへ向かって来ている所だった。 水の跳ねる音は、彼等の足音だったのだ。 その数、十数人。 1人だけ異様に体格が良く、右腕だけが妙に太い左右非対称なリザードマンがいた。

 

 彼等は全員武装しているが、野生のモンスターなどに出会う事を考えれば不思議ではない。 むしろ持っていて当然と言えるし、狩りや漁の帰りなら銛などを持っていて当たり前の話だ。

 

 彼等は近付く。 集落の方角へと、真っ直ぐに。

 

 どうするべきかロロロは迷う。 彼等が敵対種族のトードマンだったら威嚇して追い払えばいし、ここが緑爪(グリーン・クロー)族の集落だったら見覚えの無いリザードマンは余所者として警戒すべきだ。 だが、ここでは自分こそが余所者なのだ。 どうすべきか判断が付かない。

 

 やがて、鎌首をもたげたロロロの見ている先に見張りが気付き、集落が慌ただしくなる。 どうやら彼等は、この村の者ではなかったようだ。

 

 ニヤリと、不敵な笑みを浮かべた太い右腕のリザードマンは、そのまま村へと近付き、ロロロの側を通り、門前で大きく息を吸い込みこう言った。

 

「俺は竜牙(ドラゴンタスク)族の長、ゼンベル・ググー! なんだ? 族長自ら来てやったってのに、出迎えも無しかよ?」

 

 

 

 ◆

 

 

 

「お前か、珍しい技を使って器用に魚を美味くしちまうって人間は」

「あん?」

「漁師の間でスゲェ噂になってるぜ?」

 

 鰐に似た姿をしたリザードマンは、アインズ達の姿を見つけると無造作に歩いて来て、言った。

 

 どうやらアインズ達の存在は既に、噂好きな漁師達の間で話題になっていたようで、せっかちな竜牙(ドラゴンタスク)族の族長  名をゼンベルと名乗った  が自らの目で確認しに来たらしい。

 

「まぁ、確かに美味ぇ……が、なんだ。 こんなショボくれた技じゃあ負けを認めるワケにはいかねぇ。 お前らに手を貸すにはもっと漢らしさがねぇとな」

 

 ゼンベルはテーブルに並んだ料理を勝手に摘み、フンと鼻を鳴らす。 素材そのものの旨味を感じるように作られた料理では、肉体派の彼は納得できなかったようだ。

 

 クサダは粗野に振る舞うゼンベルをチラと見ると、マグを置いて舌打ちを1つ。

 

「漢らしさ、ね。 ……あのレシピはやりたくなかったんだがな」

「あるのか、ドク殿? 竜牙(ドラゴンタスク)族の長を納得させられるだけの料理が」

「ああ、あるぜ。 スゲェ簡単に作れて、それでいて旨いレシピが……よ」

 

 クサダは席を立ち、そしてものの10分で戻って来た。 その手には1つの(ボウル)があり  それを机に叩きつけ、クサダは短く「漁師飯だ」とだけ言った。

 

 ボウルを覗き込めば、新雪のように輝く白い粒の上に、様々な種類の刺身が整然と並べられている。 透き通った身の魚や、紅玉(ルビー)の様に深みのある赤。 真珠の如く真っ白なモノもあれば、キラキラと光を反射する銀もある。 そしてその上に浅葱色の良い香りがする葉と、黒い紙に見える海藻を加工したものが刻まれ、振り掛けてあった。

 

 クサダの言う『漢らしい料理』とは、1つの皿  ドンブリだが  で様々な味が楽しめる『欲張りな』モノなのだろうか。 いやそんな事はないハズだ、と違和感にザリュースは首を捻る。

 

「成る程、見た目は良いな。 だが、要は味だぜ」

 

 ゼンベルはクサダの説明通り、味付け用に用意された『めんつゆ』なる芳醇な魚の匂いがする黒い汁へ、香辛料の一種と言っていた山葵(わさび)の摩り下ろしを加えた。 そこへ卵黄を落とし、ある程度混ぜたら丼全体に回し入れる。

 

 芳醇な香りがザリュースの鼻腔を刺激し、先程食べたばかりだと言うのに唾液が溢れ喉が鳴る。

 

 離れた場所にいるザリュースですらこうなのだ。 目の前からマトモに香るゼンベルはさぞ……と思いきや、彼は非常に真剣な表情を浮かべている。

 

 準備が終わったゼンベルは、匙を使い一口頬張ると、言った。

 

「……味が薄い」

「食い方が違ぇ。 上品に匙で掬うんじゃあなく、カッ込むんだよ。 下品にな」

 

 チラとクサダを一瞥したゼンベルは、丼を持ち、口を近付け、言われた通り流し込むように頬張った……その時であった。

 

 ゼンベルは目をカッ開き、口一杯に広がる魚の旨味に驚愕する。

 

(そうか……味を薄くしたのはこの為か。 確かに濃い味付けじゃあ一度に沢山食えねぇからな)

 

 味が薄く、だがそれ故に大量に頬張る事の出来る濃さ。 控えめとは言え、麺ツユの塩気は口一杯に広がると、しっかりと感じる事が出来た。 さらに、塩の尖った味が出汁(ダシ)の旨味と卵黄のまろやかさにより柔らかくなっている。 かと思えば、山葵の刺激的な香りが鼻と舌を時間差で攻めて来るのだ。 ソレはまるで旨味と刺激の波状攻撃であり、常に新しく新鮮な味が現れる連続攻撃であった。

 

 様々な種の魚介で構成されたボウルは、一口毎に味を変え全く飽きさせなかった。 多種の魚介それぞれが味も触感も違う刺身だからだ。 口一杯に含んだソレは、数回噛んだだけで喉をスルリと落ちて行く。 水気をたっぷり含んだ飯粒が、口の中でほろほろと崩れ、自ら喉を突き進むが如く胃の腑へと突撃して行くのだ。 名残惜しいと思う間も無く飲み込んでしまうが、それ以上の幸福を喉を通る度に感じた。

 

 まるで(むさぼ)る様に料理を一息で平らげたゼンベルは、静かにボウルを置き、言った。

 

 

 

「ウマいッ!」

 

 

 

 絶叫である。 心の底からの絶叫である。 それはもう、爆声と共に飯粒がブッ飛んで行くくらいの絶叫だった。 そして、視界の端で、クルシュが飛散する飯粒を全力回避していた。

 

「ドク殿。 先程、この料理は作りたくなかったと言っていたが」

「ああ、それね」

 

 ブチ切れたクルシュがゼンベルに罵詈雑言を浴びせかけているのを脇目に、クサダは肩を竦めて言う。

 

「あんま生食して欲しくねーのよ。 食中毒とか~寄生虫……特にイカや青魚にはアニサキスとかが居っからさ。 ま、1度冷凍すりゃ死滅すんだけど」

「アニキ……」

「アニサキスな。 兄貴刺すのは間違いだ、って覚えときゃいい……この虫、胃酸から逃れようとして胃に噛みつくから相当痛いらしいぞ?」

 

 サッと胃のあたりを押さえるザリュース。 腹痛にのた打ち回る所を想像してしまったのか、青くならない顔の代わりに尻尾が痙攣するように震えている。

 

 寄生虫症は、細菌による感染症よりも予防しやすい。 だが、それは『比較的』であって、油断すれば先進医療の整った国でも容易に罹患してしまう食中毒だ。(食事によって健康を害する事を食中毒と言うので、青酸カリを盛られたからだとしても死因は食中毒となる)

 

 予防法としては、適切に農薬を使用する。 調理前に材料をよく洗浄する。 中心温度が65度以上になるまで加熱する。 48時間以上冷凍する。 そもそも家畜などに感染させない等の方法がある。

 

 しかし、衛生環境が悪い発展途上国などでは予防もままならず深刻な健康被害が出ていたし、先進国であっても狩猟肉(ジビエ)料理ブームによって感染が広がってしまうケースがあったので油断できない。 むしろ、寄生虫症が身近な存在でなくなったゆえに重症化する場合すらあるのだ。 ……まあ、野生の獣は軒並み絶滅したが。

 

「それに、あの丼は材料を皿に盛っただけだからなぁ……ありゃー材料がウマイのであって、料理がウマイんじゃあねぇ。 材料もほぼ持ち込みだし」

 

 ザリュースは料理などした事がないのでピンと来ないが、要するにプライドの問題なのだろうと理解した。 味が良ければ構わないのでは……と思うが、まだクサダは口を尖らせて不満を漏らしている。

 

 やがて、クルシュの怒りも収まった頃に、ゼンベルがクサダに軽く頭を下げて言った。

 

「堪能させてもらったぜ、人間。 あの一皿こそが男の料理だ」 ゼンベルは不敵に笑う。「素早く作れ、食い終わるのも早く、たった一皿で全てが完結している。 まさに忙しい男のための食い物だな」

 

 腕を組んで、うんうん頷きながら、いかにあの丼が素晴らしいかを語るゼンベル。 ユグドラシル金貨数枚で生み出せる、たかが30LV程度の食材だったのだが……相当気に入ったようだ。 組織に入社したら又食えるのか~だとか、次に食えるのはいつ頃になるのか~としつこく質問してきたので、「査定で良い成績がでたら賞与(ボーナス)で食えんじゃねぇの」 と適当に言った。

 

 こうして、朱の瞳(レッド・アイ)族と竜牙(ドラゴンタスク)族は、シャースーリューが提案した蜥蜴人連合に加わる事となったのだった。

 




 著者・丸山くがね先生が、リーダー格のキャラは(1人を除いて)総じて頭良いですよ、と言っていたので、INTマシマシに書きました。
 なお、書けてるかどうかは別の模様。


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お酒使って稼ぎたい

あらすじ


アインズ「AOG合資会社は人員を募集しています。 入社すると美味しい料理が食べられます!」
クルシュ「ウンマーイ!」
ゼンベル「ウンマーイ!」

蜥蜴人ズ「入社します!」



現在のナザリック生産物

・そこそこの量の硫黄
・そこそこの量の高シリカ火山灰
・やや少ない量の鉄スクラップ
・まぁまぁの量のスケルトンの骨
・数十個単位の瓜科果物
・数百個単位の柑橘果物
・数千個単位のオリーブの実
・やや少ない量の過燐酸石灰
・バケツ数杯の硫酸
・MPが続く限りの塩酸
・プロトタイプの農業機械
・計測不能の量の石灰岩
・かなり多い量の生石灰
・かなり多い量の消石灰
・かなり多い量の石灰水
・そこそこの量のセメント


ナザリックは売りました

セメント → 王国
食用油  → 王国
果物   → 王国
鉄材   → 王国
???  → 法国


ナザリックは買いました

法国   → 生ゴム


 夕刻……と言うにはまだ早い、日が傾きかける辺りの時刻。 クルシュとゼンベル、そして2つの部族から供回りを何人か引き連れ、アインズとザリュースは緑爪(グリーン・クロー)族の集落へと戻る。

 

 そこにはスデに会合を終えたシャースーリューが帰還しており、ひょろりとした体格のスーキュ・ジュジュ族長と、骨をそのまま身に纏ったような鎧を着ているキュクー・ズーズー族長が集まっていた。

 

「よくぞ来られた朱の瞳(レッド・アイ)族、そして竜牙(ドラゴンタスク)族の族長方よ。 俺はシャースーリュー・シャシャ。 緑爪(グリーン・クロー)族の長を務めている」

「シャースーリュー……ほぉ、お前が司祭の力を使いながら戦うことのできる戦士かよ。 相当ヤるってぇ噂だがな?」

「……竜牙(ドラゴンタスク)にまで名が知られているとは光栄だな」

 

 野獣を彷彿とさせる笑みを浮かべながら、ゼンベルが無遠慮に闘志を剥き出しにして言った。 

 

「でよぉ……早速っちゃあなんだが、ちっと戦わねえか? 最初に白黒つけといた方が、何かと良いだろ?」

「フフ。 悪くない、と言いたいところだが()しておこう」

「……なんでだよぉ」

「まずはザリュースからの報告が先だな。 客人であるモモン殿達を待たせる事になってしまう」

 

 視線で促されたザリュースは、訪れた2つの部族両方がAOG合資会社の求人に前向きである事と、隣にいるアルビノのリザードマンが自分の惚れたメスである事を話した。 その報告にシャースーリューは大いに喜び、一言「面食いめ」とだけ感想を(こぼ)したのだった。

 

 その後、スーキュとキュクーへ、なんだか恒例になってしまった料理を振る舞う。

 

「魚食べて惨めな気持ちになったのは……初めてだね」

「おい、しー」

 

 そろそろ準備するのが面倒臭くなって来たので、クサダが選んだメニューは天ぷらだ。 殆どのリザードマンは白身魚や小魚の天ぷらに舌鼓を打っているが、やはり個体差  好みがあるようだ。 クルシュは海老を使ったかき揚げが、シャースーリューは磯の風味が香ばしい磯辺揚げを気に入った様であり、ゼンベルに至っては、つい先程食べたばかりだと言うのに天丼をモリモリと平らげていた。

 

 そして、食事会が宴会に変わるのに、然程時間はかからなかったのである。

 

 

 

 

 ゼンベルが盃を掲げ、言う。

 

「おうおう、飲めや歌えや踊ろうや! 今日は祝って然るべき日だ! 美味ぇサカナがあんのに、酒が無ぇなんざ我慢出来やしねえ。 そうだろ!」

「おおー!」

「酒を配れや野郎共! 所詮、尽きねえ酒だ。 ケチんじゃねぇぞ!」

 

 ざぶり、ざぶり。 壺、と言うよりか最早(かめ)である、非常に大きい陶器の器から液体が汲み出される。 それと同時に、辺りに漂う強い発酵臭。 これは、『酒の大壺』と呼ばれるマジックアイテムの作用によるものであり、リザードマンに伝わる4つの至宝の1つだ。

 

 ちなみにクサダは、同じ至宝であるフロストペインを「微妙」と切り捨て、キュクーが装備している鎧も「いくらハードが優秀でもソフトがダメなら大無しだろうに」との評価を下した……のだが。

 

 

 

 1つだけ、クサダに「ヤバイ」と言わしめたものがあった。

 

 

 

 ゼンベルが持ち寄った酒の大壺である。

 

 

 

「な……ちょ、オイオイオイ、今のは俺の聞き間違いか? 酒を……酒を無限に生み出す……?」

「ああ、そうだぜ。 まぁ、旅した時に飲んだあの……ドワーフが作った酒にはイマイチ味は劣るがよ。 なぁに、蜥蜴人は質より量なんだよ! 飲めて酔えりゃ良いのさ……なあ!」

 

 木の実の殻を半分に割って作った盃を掲げ、ゼンベルが同意を求めると、周りの蜥蜴人も乾いた笑いを上げて同意した。 無料とは言え、どうせ飲むなら美味いほうが良いのはどの種も同じなのだ。

 

 しかし。 発酵臭のキツイ酒を囲み、微睡みと酩酊に舌鼓を打つ中で、狼狽える者が1人いた。

 

「ば、かな。 そんな事……あり得ないだろ……いや、むしろ何故そんなモノがこんな所にあるんだ……?」

「それ程驚く事だろうか、ドク殿。 このような…とは行かないが、伝説のマジックアイテム、となれば然程(さほど)珍しくも無いだろう?」

 

 そう、レアなマジックアイテムに限れば珍しくない。 ナザリックの収支は、そのようなマジックアイテムによって拠点維持費  通称家賃  以外を賄う仕組みであるし、そうで無くともクリエイト系の魔法を使えば水も食料も、魔法の城に好みの家具まで全て作り出せる。 MPと引き換えに、簡単な錬金術材料も生み出せるばかりか、武器そのものだって  使い捨てだが  召喚出来るのだ。

 

 実際、エ・ランテルには巨大なマジックアイテムが水源として機能している。 近くに水源となる川が無く、山から雪解け水を上水道のように引くインフラも整っていない城塞都市が、何故渇きに殺されないかの答えがソレだ。

 

 日々の暮らしを、ちょっとだけ楽にしてくれる生活魔法。 そして、作成に莫大なコストと労力が必要だが、ソレに見合った恵みをもたらしてくれるマジックアイテム。 劇的に変えてくれるワケでは無いが、ほんの少しの変化でも貧しい自分達には有難い   と、()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

「はぁ!? 何を言ってるんだザリュース! アルコールだぞ、わからないのか!?」

 

 目の前の現実が信じられないと言った様子で、クサダはザリュースの肩を掴み、叫ぶ。 お前は本気で言っているのか……本当に理解していないのか、と。

 

「ア、アルコ……な、何?」

 

 その答えがコレだ。 突如豹変したクサダのことばに目を白黒させるだけで、言われた言葉をそのまま聞き返す。 無から有を生み出す理不尽さだけで無く、アルコールの意味すら理解していない。 彼らの中で、この壺は常識になってしまっている。

 

「糞が、事実かこれは! これだから魔法は理不尽なんだ……!」

 

 頭を掻き毟りながら、クサダは焦りを隠し切れず狼狽する。 それはザリュースが初めて見る、クサダの余裕の無い姿であり、アインズも同様であった。 常に余裕の態度を崩さず、全て計画通りだと笑っている普段とは、全く違ったのだ。

 

「これだけか? 生み出す系のマジックアイテムは他に存在しないのか……? いや、すると考えて行動しなければ……!」

 

 ゾッっとした。 正しい意味でゾッっとしたのだ、クサダは。 まるで、いつのまにか薄氷の上を歩いていた事に、ふと気付いたかのようだった。 何の気無しに足元を見たら、奈落の底が口を開けた崖っぷちに立っていたかのようだった。 音も無く、背後に必死の猛獣が迫っていたかのようだった。

 

 原始的な採取狩猟生活を送るリザードマンには、思ってもみない事なのだ。 質こそ良くないが、日々の疲れを潤してくれる酒を無料で生み出してくれる便利な壺……としか、思っていない。 水車や風車を使って、自然からエネルギーを取り出している位の感覚。 あって当たり前の日常。

 

 だからだろう。

 

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()。 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。 と思いもよらないのは。

 

 

 

 酒なんて、呑んでウェーイする為()()()存在していると思っている。 不可視の釣り糸、破れぬ服、割れない容器の材料になるだなんて、夢にも思わないのだ。

 

 

 

  エタノール。

 

 日本語で酒精と称するこの物資は、6つの水素と2つの炭素、そして1つの酸素を持つ。 エタノールを脱水処理  水素2個と酸素1個を分離  すると、不飽和炭化水素(アルケン)の中で最も単純な構造を持つ『エチレン』と言う物資が手に入る。

 

 エチレンは石油化学の重要な原料である。 石油化学製品のほとんどがエチレンを出発原料にしているくらいに。

 

 そして、分子を鎖のように繋ぎ合せる事を重合体(ポリマー)と呼ぶ。 略されて『ポリ』と呼ばれる事の多いこの構造は、樹脂製品に囲まれた現代の人々にとって、身近でよく耳にする単語だ。

 

 そう、人間が人工的に生み出した高分子『ポリ・エチレン』ですら製造出来る。 さらに、伸縮性に富んだビニールでさえも。 塩素を加えれば塩化ビニルに(塩ビ)。 絹のようにしなやかで、鋼鉄よりも頑丈なナイロン。 さらに、高度な技術と多くの段階を踏む必要があるが、熱にも酸にも強いポリエチレンテレフタラート……いわゆるペットボトルの材料も生み出せる。

 

 もし、この壺が実世界(あちら)に1つだけあったらどうなるだろうか?

 

 壺の存在を知った米・露・中・欧はどのような反応を示すだろうか?

 

 1カ国だけが独占出来るとしたら()()()()()だろうか?

 

 石油に代わる資源の産出は、産油国にどの様な影響を与えるだろうか?

 

 おそらく……いや『確実』だと確信を持って「()()()()()()()()()」と全員が答えるハズだ。

 

 ローリスク・ハイリターン()()()()()()()。 対価を必要としないマジックアイテムに、リスクなど元より存在しない。

 

 アインズが壺の価値を問えば、クサダはこう答えるだろう。 世界級(ワールド)に届きうる、と。 ソレ程までの物なのだ。

 

 無尽蔵のアルコールがあれば、燃料も、樹脂も、ゴムも、医薬品も手に入る。 生み出す事が出来る。 祖先の日本がかつて、苦難に喘ぎ身を破滅させる原因となり、それでも手に入れられなかった戦略資源のいくつかは、このちっぽけな壺から文字通り()()()()()()()のだ。 これを世界級(ワールド)クラスと呼ばずして何と言う。

 

 確かに、加工するのに高い技術力が必要になる事だろう。 道具を作る道具すら()()作ってない今の状況では、有機化学プラントを建設出来る日は遠い。 体力回復ポーションがガラスビン入りから樹脂ボトルに変わるのは、何年・何十年先の事だ。

 

 だが、いずれ来る未来だ。 と、実世界(むこう)から来た我々(プレイヤー)には確信出来る事である。

 

 

 

(あ…危な………かった!)

 

 クサダは胸を撫で下ろす。

 

 何故、こんな起死回生のアイテムをリザードマンのような弱小が所持しているのかは知らないが、敵対組織……特に他ユグドラシルプレイヤーに渡る前に確保したのは幸運だった。

 

 仮に、他の組織と同時期に発見したとしたら、全面抗争に発展してでも確保するか……湖ごと消し飛ばしてでも破壊せねば成らない所であった。 また、リザードマンとのファーストコンタクトが上手く行かなかったり、敵対する道を選んだとしても同じ事になったろう。

 

 過去に同族同士で大きな争いが起こり、大量死した経験があったのも上手く働いた。 言外に「このままでは()()同族で争いになるぞ」と含ませれば、面白いように罠にハマってくれる。

 

 まだ、致命的ではない。 むしろ危機を回避出来たのだと結論付けたクサダは、静かに深呼吸を一度行い、頭のスイッチを切り替えた。

 

 そこでクサダは、蒸留すれば酒精の強い酒を飲めるようになるぞと誘う。 そして、しかし大きい設備が必要で作業も難しいから本社の方</