真面目な彼女の家に居候することになった (グリーンやまこう)
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1話 真面目な彼女の家に居候することになった

 どうか温かい目で見守ってください。


「今日からあなたは、私たちの家に居候することになりました」

「……はっ?」

 

 高校一年生になって、2か月ほどが過ぎた頃だろうか? 「もうそろそろ梅雨だなぁ」と思っていたところに、突然すぎる宣言。

 思わず俺、真嶋和希(まじまかずき)は間抜けな声をあげてしまった。

 

 おばさんの海外出張に伴って、下宿先を紹介してくれると聞いたのは昨日の話。そして、住所とグー〇ルマップを照らし合わせつつ、この家に着いたのは今さっき。そして思いもよらなかった居候宣言。ただただパニックになっている。

 

 今日は取り敢えず、挨拶をするだけにしようと思っていたのに……。そもそも俺、居候することについて、おばさんから一言も聞いてないよ?

 

「す、すいません。突然すぎたんでもう一度、ゆっくり、はっきりと言ってもらってもいいですか?」

 

 とにかく一度冷静になろう。もしかしたらさっきの宣言は俺の聞き間違いだった……なんて事があるかもしれないし。

 

「いいですよ。それではもう一度。あなた、真嶋和希君は、今日からここ、園田家に居候することになりました」

 

 うん、聞き間違いであることを期待してたんだけど、その期待は無残にも消え去ってしまった。

 しかし、居候すること自体はさしたる問題ではない。俺自身が今住んでいる(過去形になってしまったが)家は、おばさんの家だしな。

 一人で住んでも寂しいだけであり、そもそも俺に生活費や光熱費もろもろを払うお金なんてどこにもない。

 

 そんなわけで、居候の件に関しては大歓迎なのだが……問題は別の部分にある。

 

「お母さま!! どうして私が、真嶋君のような素行の悪い人と一緒に暮らさなければならないのですか!?」

 

 俺の横で叫び声をあげたのはこの家の娘である園田海未。

 

 玄関で『園田』と書かれた札を見かけ、嫌な予感がしていたのだが……見事に予想が当たってしまった。

 

 容姿端麗であり運動神経、学力共に抜群。さらさらと流れるような黒髪に、整った顔立ち。そして普段の丁寧な立ち振る舞いから、大和撫子を体現したかのよう美少女である……と、クラスの男子たちは評価していた。

 大事なことなのでもう一度言っておくと、”クラスの男子たち”がである。俺は決して、そんな事を思っちゃいない。

 

 容姿云々は置いておくとして、こいつには容姿以外に問題があり過ぎるのである。

 

「あの、すいません。えっと、園田のお母さん?」

「そんなにかしこまらなくても大丈夫ですよ。私の事は気軽に睦未(むつみ)とお呼びください」

 

 意外とフランクなんだな、園田のお母さんは。それにべらぼうに美人である。

 

 高校一年生の娘を持っているとは思えないほどの美貌。髪にも艶があり、肌も実に若々しい。美魔女とはこの人のようなことをいうのだろう。あと、胸も大きい。娘である園田とは大違いだ。

 もう一度言おう。貧相な胸を持つ園田とは大違いである。

 

「それじゃあ睦未さん。……取り敢えず、隣でバカみたいに叫んでいる、あなたの娘さんを一度静かにさせてもらってもいいですか? 近所迷惑なので」

「誰がバカですか、誰が!! 私よりもあなたみたいな人のほうがよっぽど近所迷惑です!!」

「海未さん。そんなに大きな声を出してはいけませんよ?」

「お、お母様……ですが、悪いのは横にいる真嶋君であって」

 

 睦未さんに怒られても、なお引き下がろうとはしない園田。鬱陶しいし、うるさいし、なによりうざい。よしっ、これから園田を言い表すときは3Uの園田と呼ぼう。我ながら、素晴らしい呼び名を考え付いたもんだ。三種の神器みたいでかっこいい。

 

 さて。取り敢えずここまでのやり取りで、園田に対する俺の評価がある程度分かったであろう。逆に園田が俺の事をどう思っているのかも……。

 一言で言い表すのなら、俺と園田は犬猿の仲という感じであった。そりゃもう、目を合わせれば喧嘩ばかりである。

 干支で言えば犬と申の間を取り持ってくれる、酉のような存在が欲しいものだ。

 

「ちょっと真嶋君! 聞いているのですか!? そもそも、あなたが普段から真面目な人であったら私も反対しないのであって――」

 

 再び、マシンガンの如く、お説教を俺に浴びせる園田。よくもまぁ、そこまで人の悪口がいえるってもんだ。

 

「少しは黙ったらどうだ? 3Uの園田さん」

「はいっ? 3U?」

「鬱陶しい、うるさい、うざい。それを簡単に言うと三U。お前の名前も海未でUだし、なかなかいい呼び名だろ?」

 

 俺の返答に、園田の顔が怒りによって真っ赤に染まる。いやー、顔を真っ赤にしてプルプル震えてますなぁ~。実に滑稽である。

 

「まぁまぁ、二人とも。今日から一緒に住むのだから仲良くお願いします」

 

 そう言って、睦未さんが俺たちの仲裁に入る。しかし、そんなものじゃ怒り狂った園田は収まらない。

 

「お母さま! 私は絶対に反対ですからね! こんなバカみたいな男と一緒に住むだなんて!! あなたなんて、公園のベンチ……いえ、地面の上で十分です!!」

「睦未さん。俺の荷物って、届いたりしていますか? もしあるのなら、早速整理をしたいんですけど」

 

 園田のお小言より、自分の荷物が大事。それに仕事の早いおばさんのことだ。荷物なんてとっくに園田家へと送ったことだろう。

 

「話を聞きなさい!! 真嶋君!!」

 

バシッ!!

 

 無視したらめちゃくちゃ怒られた。しかも頭を叩かれた。訴えてやる!! 

 

 まぁ俺が頭を叩かれたとか、そんな事はどうだっていい。まずは置いてきぼりになっている読者の皆さんに、俺と園田の関係を教えておかなくちゃいけないな。後はどうして園田が俺をここまで毛嫌いするのかを……。

 隣で未だギャーギャーうるさい園田を他所に、俺は出会った当初の事を思い出す。

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

「真嶋和希です。よろしく」

 

 桜の花びらが舞い踊る4月。

 

 高校受験を乗り切った俺は無事、音ノ木坂学院に入学し、今はクラスで自己紹介をしている最中だった。しかしそれも5秒ほどで終わり、軽く頭を下げて席に腰掛ける。

 

 そんな俺に、クラスメイト達は訝しむ様な視線を向けてきた。いや、訝しむというよりは危険視するような視線って言ったほうが正しいのかもしれない。

 なぜなら俺の容姿は、お世辞にも真面目な学生が多い音ノ木坂に置いてかなり異質だったからだ

 

 金に近い色をした髪の毛に、着崩された制服。更に耳にはピアスと、よくこのなりで高校に入学できたものだと思えるほど。

 

 つまり何を隠そう俺は、自他ともに認める立派な不良だったのである。

 

 ちなみに俺が不良化(なんだか悪い製品になった気分)したのは、中学二年生のころからだ。

 その当時は親が離婚し、思春期真っ只中で精神が不安定だった俺は見事不良に。まぁ、一種の現実逃避と言うやつだ。

 しかし俺が不良化しても、周りからは何も言われなかった気がする。両親の離婚で気を遣われたという事も、もちろんあるだろう。

 ただ髪色は元からだし、不良になったからといって喧嘩もしてなければ、学校をさぼって遊んだりもしていない。問題を起こすと後から面倒だし……。ピアスだけは自主的にだけど。

 取り敢えず俺の事を簡単に言い表すとするならば、迷惑をかけない不良という感じである。

 

(まぁ、授業は真面目に受けなくなったけどな。学校には行くけど授業はサボったりしてたし、出ててもほぼ寝てた)

 

 最終的に、先生方には多大な迷惑をおかけしておりました。それって結局サボってるじゃんとか言う、野暮なツッコミは禁止。

 ちなみに授業をサボることはこれからも継続していく予定なので音ノ木坂の先生方、よろしくお願いします。多分、普通の不良より質が悪いだろう。

 

 なんて思いつつ、俺が持参した漫画を読み始める。10年以上前の漫画だが、これがまた面白いんだよなぁ。アメフトのルール知らなくても面白いし。

 そんなわけで俺はマンガへと集中し始める。すると、どこからか感じる鋭い視線。いつもなら無視をしているところだが、あまりの鋭さに俺は一度顔を上げる。

 

 すると、一人の女子生徒と視線が合った。

 

(あいつは……誰だったっけ?)

 

 自己紹介を全く聞いていなかったため、まるで記憶に残っていない。

 顔は抜群に整っている。多分、今まで見てきた中で一番可愛いと言っていいかもしれない。黒い髪をストレートに伸ばし、真面目ですというオーラが全身からにじみ出ている。あいつは間違いなく、真面目も真面目。くそ真面目なタイプの女子だろう。

 

 正直、この手のタイプの女子は一番苦手だ。中学でも、何かと俺に突っかかってきて苦労した記憶がある。

 しかし、俺が一睨みすれば大体のやつは怖気づいたので今回もその作戦で行こう。

 

ギロッ

 

 俺はこちらを見てきていた女子を、鋭い視線で脅すように睨む。すると、

 

ギロッ!!

 

 あろうことか、俺よりも鋭い視線で睨まれた。しかも相当目力が強い。こんな経験、不良になってから初めてだったので、俺は思わず面食らってしまう。

 

(おっかねぇ女子もいたもんだ。そこら辺にいる男子より、よっぽど怖いぞ……)

 

 世界はまだまだ広い。どうやら俺は、井の中の蛙状態になってしまっていたようである。反省反省。そんなわけで、俺の記憶に新たな女子のタイプがインプットされた。

 

 彼女の事をインプットした俺は彼女からゆっくりと視線を逸らす。根拠はないが、あのタイプとは非常に相性が悪そうだ。第六感がそう警告している。

 

(真面目で融通が利かなそうで、頭が固そうだ)

 

 それに何度言っても構わず、俺に突っかかってきそう……。しかし、それも漫画の世界に入ってしまえば問題がない。

 その後、俺が集中してアメフトマンガを読みふけっていると、ガタガタという音が耳に入ってくる。恐らく自己紹介が終わり、HRも終わったのだろう。思ったよりも早かったな。

 

(さーて、面倒な学校も終わったし、家に帰りますか。あっ、その前に本屋でジャ〇プの新刊を買いに行かないと)

 

 俺が机の上に広げていた漫画(10冊ほど)を片付けていると、

 

「あの、少しいいでしょうか?」

 

 凜とした声が俺の耳に響く。その瞬間、俺の第六感がかつてないほどの警告音を発した。

 

(なんだかわからないけど、このまま顔をあげたら面倒ごとに巻き込まれそうな気がする。よしっ、ここは用事があるってことにして、さっさと退散しよう)

 

 取り敢えず適当な用事を考えた俺は、愛想笑いを浮かべて顔を上げる。

 

「ごめん。俺、今日忙しいからまた今度にしてくれ!」

 

 そう言って、足早に立ち去ろうとする俺。我ながら完璧な作戦だ。これだけ迅速に目の前から立ち去ろうとすれば、止めるやつはほぼいないだろう。

 しかし俺の考えは少々見込みが甘かったらしい。

 

「待ってください!」

 

 ガシッと右腕を掴まれる。ま、まずい。この展開は完全に想定外だ……。

 

「な、なんでしょうか?」

 

 俺は冷や汗を流しながら振り返る。するとそこには案の定、先ほど俺に鋭い視線を向けてきていた女子がいた。

 そして先ほどと同様、俺に鋭い視線を向けてきていて……。

 

 これが俺と園田の出会い。

 後はもうどうなったのか、想像がつくだろう。

 

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

「真嶋君!! 授業中に漫画を読むなと、あれほど言っているじゃないですか!!」

「うるせーな、園田。今いいところなんだから邪魔するなって。それに先生が何も注意してこないんだから、別にいいだろ?」

「先生が良くても、私が良くないんです! だから早くしまって下さい。他の生徒にも迷惑がかかります」

「俺はそうやってぴーぴー騒ぐ方が、迷惑だと思いまーす」

 

 これが今日の授業中。もう、完全に先生を放置して、俺と園田はギャーギャーと言い合いを繰り広げていた。

 あれからというもの、園田は俺が風紀を乱している行動をとるや否や、こうしてやんややんやとお説教を繰り広げるのである。

 

 ほんと、迷惑極まりない。声も大きいので鼓膜が破れてしまいそうだ。そして周りの連中は「また真嶋と園田が喧嘩してるよ……」とあきれ顔。というか、もう慣れ始めたのか、俺たちの事を微笑ましげに見守ってくる奴さえいる。

 見守っている暇があったら、園田を止めてほしい。

 

 ちなみに俺と園田は、隣同士の席である。どうしてこうなったのかといえば、単純にくじ引きの結果である。窓側の一番後ろが俺。その隣に園田という感じだ。

 神様は実に不平等である。

 

「はぁ……お前が隣じゃなきゃもっと静かな学校生活を送れていたというのに」

「それはこっちのセリフです! こっちの!! 元はといえば、あなたが学校にふさわしくない格好、ふさわしくないものを持ち込んだからいけないのであって――」

 

 くどくどと、再開されるお説教。五月蠅くてかなわないので、俺はあらかじめ持参しておいた耳栓を装着。そのまま、読みかけだった漫画の世界へ……。

 

「話を聞けと言っているじゃありませんか!!」

 

 園田が思いっきり、俺の手から漫画を弾き飛ばす。弾き飛ばされた漫画が無残にも床を転がる。

 

「ぎゃーーー!! てめぇ!! 俺の頭を叩くのは構わんけど、漫画を叩くなって言っただろ!? 傷がついたらどうするんだ!!」

「全部、自業自得です!! 今は漫画ではなく、教科書を読む時間なんですから。さぁ、早く現代文の教科書を机の上に出してください!」

「今日は、おうちに教科書を全て忘れてしまいました。なので勉強はできません。よって私は、漫画を読むことだけに集中したいと思いまーす」

 

 煽るような俺の言葉に、園田のこめかみがぴくぴくと震える。しかし、俺は何も間違ったことは言っていない。教科書を持ってきていないのだって本当だしな。

 そんなわけで俺が三度、漫画の世界へ入ろうとすると、

 

バシッ!!

 

 再び床に転がる、俺の漫画。二度目という事もあってか、お気に入りの漫画に少しだけ傷がつく。

 

「て、てめぇ……園田!!」

 

 俺が鬼のような形相で振り返ると、同じく鬼……いや、般若のような顔をした園田と目が合った。

 

「真嶋君……今日という今日は、あなたを絶対に許しません!! 今すぐその腐った性根を叩き直してあげますから、そこに、今すぐに、正座してください!!」

「嫌ですー。僕は正座なんてしませんー。園田さんが正座したらどうですかぁ? きっとそのお堅い頭も幾分かやわらかくなると思いますよ」

 

 売り言葉に買い言葉。そして何度目か分からない、言い争いが始まる。

 

「お、お前ら……一応授業中なんだけど」

 

 悲しいかな、先生の注意は全く俺たちの耳に届かない。

 結局俺と園田の言い争いは、授業が終わるまで続いたのだった。

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

 以上が今日に至るまでの、俺と園田の関係性である。細かいことよりも俺と園田はめちゃくちゃ仲が悪いんだな、ということが伝われば問題ないです。

 

「ちょっと真嶋君!! 話を聞いているのですか!? 私の話は何一つ終わっていませんよ!」

「はいはい、聞いてます、聞いてまーす」

 

 回想から戻ってきた瞬間に、このお小言。イラッとしたので、適当に返事をしてやった。

 

「っ!! ……真嶋君、真面目に聞いてください!!」

 

 そして、俺の言葉に見事噴火する園田山。見慣れた展開すぎてあくびが出る。

 

「まぁまぁ、お二人とも。喧嘩はその辺りにしてください。どうせ、今日から一緒に住むのです。喧嘩ならいつでもできるでしょう?」

『好きで喧嘩してるわけじゃないです(よ)!!』

 

 園田のお母さんは、少し天然なのだろうか? 俺たちだって、好きで喧嘩してるわけじゃないのだ。

 お互い譲れないものがあるからこそ、喧嘩しているのであって――。

 

「でもよく言うじゃない。喧嘩するほど仲がいいって」

『仲良くない(です)!!』

 

 もしかしたらこの人、からかっているだけなのかもしれない。彼女の天然? な一言に俺と園田の声が被る。ここだけ無駄に息ぴったりだ。

 

「なんだ。やっぱり仲がいいじゃない。これなら一緒に生活しても問題なさそうね」

 

『…………』

 

 もはや何も言うまい。園田もその辺りを悟ったらしく、疲れた顔をして頭を抱えていた。疲れてるのはむしろこっちなんだけど……。

 

(これからの生活は一体どうなるんだろう?)

 

 今までは学校だけでよかったのに、これからは園田と朝昼晩365日顔を合わせなければならない。

 大っ嫌いな奴と一つ屋根の下で生活。もしかしなくても、これからの日々は今までより大変なものになるだろう。

 

「はぁ……」

 

 先の見えない日々に対して、俺の口からため息が漏れるのだった。




 海未ちゃんに怒られたい……そう思って書いた作品です。
 前書きでも言いましたが、どうか温かい目で見守ってくれればと思います。


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2話 真面目な彼女の幼馴染と出会った

 海未ちゃんに怒られたい。


「んんっ……?」

 

 目を開けると、いつもとは違う天井が俺の視界に飛び込んできた。一瞬戸惑うもののすぐにその理由を思い出し、朝からため息をつく。

 

(……そうか。俺、園田家に居候をすることになったんだ……)

 

 何が楽しくて大嫌いな奴と同じ家で過ごさなくちゃならないんだよ。しかし、文句を言える立場でない事も自覚しているので、今の状況を受け入れるしかない。

 

(さて、そろそろ起きないと睦未さんに迷惑をかけるな)

 

 布団から起き上がり大きく伸びをすると、関節がパキパキと小気味よい音をたてる。自分のベッド以外で寝たのは久しぶりだが、とてもよく眠れた。

 ちなみに聞くところによると、園田の家は日本舞踊の家元らしい。どうりで家が今どき珍しいくらいの和風で大きいわけだよ。

 

 昨日門構えを見て「本当にここなのか?」と、何度も確認してしまったからな。そして当たり前だが家の中も広く、風呂なんかも滅茶苦茶広くて感動してしまった。

 いつもは風呂に入るのが面倒で、シャワーで済ませることが多い。しかし昨日の今日で、すっかり風呂好きになってしまいそうだ。旅館のような風呂に毎日入れるのなら、ある意味当然である。

 園田家の風呂についてはこの辺にして、俺は朝食をとるためにリビングへ。

 

「おはようございます、睦未さん」

「おはようございます、和希さん」

 

 ふんわりとした笑顔で迎えてくれたのは、もちろん睦未さん。断じて園田なんかではない。というか園田は俺に、笑顔を向けたことなんて一度もない。向けてくるのはいつも怒っている顔。もしくは、不機嫌そうな顔だけである。

 それにしても、睦未さんは普段から和服を着ているんだな。流石、日本舞踊の家本である。

 

「朝食はできていますが、まずは顔を洗ってきてはどうですか? 寝ぐせも酷いですよ?」

「言われてみれば……。それじゃあ、先に顔を洗ってきます」

 

 そう言って洗面所へと歩いていく。洗面所は風呂場に隣接しているのだが、ここもそれなりに広い。どのくらいかといえば、5人同時に朝の身支度を整えてもお釣りが返ってくるほどの広さ。

 

(昨日の時点ではどうなることかと思ったけど、男が一人暮らしをするよりはよっぽどましだな。至れり尽くせりの寮に下宿した気分だ)

 

 この時の俺は少し油断していたらしい。

 

 ここには俺と睦未さんだけでなく、もう一人住人がいることをすっかり失念していたのだ。

 もう一人の住人に気付くことなく、俺は洗面所の扉をガラッと勢いよく横にスライドさせた。

 

「えっ?」

「……ん?」

 

 洗面所にいた人物と目が合う。

 

 ブラウンの瞳が大きく見開かれる。そこにいたのは園田だった。

 

 さらに情報を追加しよう。彼女は……裸だった。下着も何もつけていない、生まれたままの姿。

 

(……はぁ)

 

 恐らく風呂にでも入っていたのだろう。タオルを持つ園田の身体はほんのり桜色に染まり、髪からはお湯の雫がしたたり落ちている。

 そして、なぜ俺がため息をついたのか……それはこの後の展開が容易に想像できてしまったからだ。

 

「あっ……うぅ……」

 

 状況を理解し始めた園田の顔がどんどんと真っ赤に染まっていく。それもそのはずで、現在進行形で自身の裸を、しかも男である俺に見られているのだ。恥ずかしくないわけがない。

 

(これは言い訳しても無駄だろうな)

 

 仕方がないので俺は……もっと彼女の身体を観察することにした。ここまできて、何も見ないという選択肢はあり得ない。存分に堪能させてもらおう。

 

 きめが細かく、眩いくらいの白い肌。スラっと伸びた美脚。彼女の華奢な体には濡れた髪が張り付き、何とも言えない背徳感を醸し出す。

 非常に不本意ではあるが、園田の身体は美しいと言わざるを得ないだろう。脚フェチの俺にとっては程よい肉付きの太ももなんてたまらない。

 

 最後に、彼女の胸へ視線を移した。幸いなことに、彼女は恥ずかしさで隠すという行為を忘れているため、じっくりとその胸を堪能できる。そんなわけで俺は彼女の胸をこれでもかと凝視する。

 

(これは……少し評価を変えなきゃいけないな)

 

 そう思った俺はゆっくりと顔を上げ、真っ赤になって狼狽えている彼女と視線を合わせた。

 

「なぁ、園田」

「っ!? な、何ですか?」

 

 俺は大きく息を吸い、思っていたことを口に出す。

 

「貧乳とばかり思ってたけど、お前って意外と胸あるんだな。わりぃ、俺勘違いしてたよ」

 

 ごめんごめんと、頭をかく俺。一方園田は俺の言葉にポカンと口を開けていた。しかし、それも一瞬のことで、

 

「…………」

 

 タオルを身体にしっかり巻きなおすと、園田はゆらゆらとこちらに近づいてくる。

 

 ここで逃げると余計に面倒だから、素直に罰を受けるとしよう。そうすれば遺恨を残すことなく……いや、遺恨は間違いなく残るな。この先3ヵ月は裸を見たことでネチネチ言われそうである。

 

(まぁ、それも仕方のないことか)

 

 どうせ殴られるのなら早いほうがいい。そう覚悟を決めた俺は目を閉じる。

 

 

 

「私の裸を見るだなんて……あなたは最低です! 最低の人間です!! 見たもの全部忘れなさいっ!! この不埒ものぉおおおおおおお!!」

 

 

 

 ボコッという鈍い音と共に、彼女の右ストレートが左頬にヒット。正直、ビンタだと思っていた俺の体が情けなく傾く。

 

(ここでグーとは、流石園田。恐れ入った。そして、俺はお前の身体を忘れたりはしない)

 

 想像の斜め上を行くその姿。そこに痺れない、憧れない。ちなみに俺は殴られた後、10分程度気を失っていた。

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

「ったく、グーで殴るなよな。グーで。おかげで腫れがまだ引かねぇじゃねぇ」

 

 殴られた左頬をさすりつつ、俺は園田に恨みのこもった視線を向ける。気絶から回復したのはいいが殴られた左頬は腫れ、痛すぎてまともに朝食を食べられなかった。

 俺にも責任があるとはいえ、朝からイライラがマックスである。

 

「うるさいです!! 原因は真嶋君にあるんですからね!! ノックもせずにいきなり洗面所内に入ってきたりするからです!」

 

 しかし園田も負けじと俺に言い返してきた。全くと言っていいほど、責任を感じていないらしい。畜生、これだから園田は嫌いなんだよ。

 

「……鍵を閉めなかったお前にそもそもの原因があるんじゃ?」

「し、仕方ないでしょう! 真嶋君がいることをすっかり忘れていたんですから。それよりも、その乱れた制服を何とかしてください!」

「はっ! やなこった。これは俺のアイデンティティだからな!」

 

 朝の登下校から、ギャーギャーと言い争う俺たち。本来なら時間をずらして登校したいところだったのだが、睦未さんの圧力に屈し一緒に登校する羽目になっていた。

 あの時の目は、今思い出しても恐ろしい。

 

「一緒に行きますよね、ふたりとも?」

 

 ……これからは睦未さんに逆らわないようにしよう。

 

 

 

「あっ、海未ちゃんだ! おーい!!」

「海未ちゃん、おはよう!」

 

 

 

 

 ぶるぶると震えている俺の耳に元気な声と脳が蕩けそうな声。二つの声が響いてきた。

 視線を上げると、二人の女子生徒が園田に向かって手を振っている。

 

(園田の友達か?)

 

 首をかしげている俺を他所に、園田が二人に駆け寄っていく。

 

「す、すいません、二人とも。待たせてしまったみたいで」

「全然気にしてないから大丈夫だよ。いつもは穂乃果が二人を待たせてるわけだしね!」

 

 そこで胸を張るのはおかしい。心の中だけでツッコむ。

 

「うん、私も気にしてないから。それにしても……」

 

 ベージュ色の髪をした女の子と目が合った。その顔はニヤニヤとしていて……嫌な予感しかしない。

 

「そちらは海未ちゃんの彼氏さん?」

『違います(よ)!!』

 

 うん、そんなとこだろうと思ったよ。楽しそうに笑う彼女に対して俺と園田は同時にツッコむ。

 確かに、男女が朝から二人で登校してくればそう勘違いするのも無理はないだろうけど……それでも、俺が園田の彼氏扱いをされるのはまっぴらごめんだ。間違ってもそんな関係だと勘違いしないでほしい。

 

「えぇっ!? 海未ちゃん、いつの間に彼氏ができたの!? もぅっ! 彼氏がいるならいるで、ちゃんと穂乃果たちにも報告してよ!」

 

 今度はサイドテールの女の子が大きな声を上げる。元気いっぱいなのは構わないが、そんな大声で間違ったことを叫ばないでほしい。一応、ここは住宅街なので。

 

「ち、違います!! 私がこんな人の彼女だなんて、虫唾が走ります」

「その言葉、そっくりそのままお前に返してやるよ」

 

 バチバチと火花を散らして睨み合う俺たち。すると、状況を見守っていたベージュ色の髪をした女の子がぽんっ、と手を叩く。

 

「あっ! もしかして、この人があの真嶋君?」

「ま、まぁ、俺があの真嶋ですけど……もしかして、園田から聞いたんですか?」

「うんっ! 海未ちゃん、よく真嶋君の話をしてくれるから♪」

「ちょ、ちょっとことり! その言い方では、ものすごく誤解を招くのでやめて下さい!!」

 

 少しだけ顔を赤くした園田が、ことりと呼ばれた女の子の口を押さえる。しかしことりさん? は「やーん♡」と、全く意に介していない様子。

 それにしても可愛い声だな。朝からこんな可愛い声を聞けるだなんて。俺は幸せ者だ。今ここで昇天してもいいかもしれない。

 

「おい、園田。お小言なら後で聞いてやるから、横にいる二人について紹介してくれないか?」

 

 取り敢えず何一つ状況が分からない俺は、目の前で百合百合している園田に声をかける。

 

「どうしてあなたはそんなに偉そうなんですか……まぁいいです。えっと、その話は歩きながらでもいいですか? このままだと学校に遅刻してしまいます」

 

 スマホで時刻を確認すると、確かに予想以上の時間が経過していた。園田の言う通り、のんびりしていたら遅刻してしまうだろう。

 不本意だがここは彼女に従うほかない。不良なのに真面目だなぁ俺。

 

 歩き出した俺たちはまず自己紹介から始める……その前に、俺はちょいちょいと園田を手招きした。

 

「どうしたんですか?」

「なぁ、俺がお前の家で居候している件についてはどうするんだ?」

「そ、そういえば、穂乃果たちはまだ知りませんでしたね。……話して構いませんよ。どうせ、隠してもいずればれてしまうことですから」

「了解」

 

 確認を終えた俺は、改めて二人に向き合った。

 

「俺の名前は真嶋和希。園田と同じクラスな。知り合った経緯については……園田から聞いていると思うけど」

「うん! 海未ちゃんからはよく聞いてるよ! クラスに、どうしようもない不良がいるから困ってるって!」

 

 困っているのはこっちなんだけど……その言葉を何とか飲み込む。

 

「それで君たち二人は?」

「はいっ! 私は海未ちゃんの幼馴染兼親友の、高坂穂乃果です! よろしくね、和希君!」

 

 サイドテールの女の子は高坂穂乃果というのか。

 はじける様な笑顔を見せる彼女は、天真爛漫という言葉を現実に表したかのようである。あと、どことなく犬っぽい。

 

 それにしてもいきなり名前呼びとは……。ちょろい男子なら勘違いするぞ。俺はしないけどね!

 

「私も海未ちゃんの幼馴染兼親友の南ことりです♪ これからよろしくお願いします、和希君!」

 

 ベージュ色の髪をした女の子は南ことりというらしい。おっとりとした雰囲気に、可愛らしい容姿。なによりも、脳が蕩けそうになるその甘々な声。

 

 どこをとっても非常に女の子らしい。まるで天使の様である。園田もちょっとは見習ってほしい。名前を呼ばれた瞬間、文字通り昇天しそうになったのは内緒。

 

「えっと、高坂に南、これからよろしくな」

「穂乃果でいいよ! こっちも和希君って呼んでるわけだし」

「えっ!? い、いや、名前はちょっと……」

 

 名前で呼び合うなんて、見る人が見れば勘違いしそうだ。その為、俺は断ろうとしたのだが、

 

 「穂乃果は気にしないからいいの! ほらっ、名前で呼んでみてっ!」

 

 とても断れそうな雰囲気ではない。というか、人の話を聞いてくれない。

 しかも悪気がないから余計に断りずらいんだよな……。仕方がないので俺は、彼女の事を名前で呼ぶことにする。

 

「それじゃ、これからよろしくな。……穂乃果」

 

 思ったよりもかなり恥ずかしかった。すると、南が何かを期待するような目で俺を見つめていることに気付く。

 もしかしなくても、あれをご所望なのだろう。

 

「あぁ……まぁ、なんだ。ことりも、これからよろしくな」

 

 視線を逸らしながらそういうと、ことりは嬉しそうに「うんっ!」と頷いた。なんかもう可愛すぎ。抱き締めて持ち帰りたいくらいだ。

 

 ことりを見てニヤニヤしていると、わき腹に鋭い痛みが走る。見ると、なぜか園田が不機嫌そうな顔をして俺の脇腹をつねっていた。

 

「何だよ?」

「……別に。ただ、ニヤニヤしているあなたを見たらイラッとしたので」

 

 ふんっ、と顔を逸らす園田。な、何なんだこいつは? ……ところでことりさん。どうしてあなたは、俺たちを見てニマニマしているんですか? 何か裏がありそうで怖いです。

 

「それよりも、どうして海未ちゃんと和希君は一緒に登校してきたの?」

 

 穂乃果が最もな疑問をぶつけてくる。まぁ、普通は気になるよね。

 

「えっと、それについてなんだけど……俺、昨日から園田の家に居候してるんだ」

 

 事情を知らなかった穂乃果とことりの目がまん丸に見開かれた。そりゃいきなり親友の家に居候が、しかも男と一緒に住むことになれば、誰だって驚くだろう。

 

「ほぇ~。なんだか穂乃果の知らないうちに、凄いことになってたんだね! ところで、どうして和希君は海未ちゃんの家に居候することになったの?」

「……両親が海外出張するのに伴って、って感じかな。親が心配症でさ。俺一人だと心配みたいなんだ。だからこうして園田家に厄介になったってわけだよ」

 

 取り敢えず、離婚云々の件は誤魔化しておくことにした。朝からこんな気の重い話、聞かせたくないし言いたくもない。言ったところでどうにもならないしな。

 

「ちなみに和希君は、一日海未ちゃんちで過ごしてどう思いましたかっ?」

 

 いちいち仕草が可愛いすぎだろ、ことりは。

 

「うーん……園田がうるさい」

「あっ! それ、穂乃果もよく分かるよ!!」

「ちょっと穂乃果!!」

 

 なんと……。穂乃果とは結構気が合いそうだ。

 

「海未ちゃんってさ、穂乃果が宿題忘れても見せてくれないんだよ~」

「当たり前じゃないですか! 宿題は普通、自分がやってくるからこそ意味があって――」

「うんうん、それは本当に酷いな。人間のすることじゃない」

 

 よしよしと穂乃果の頭を撫でると、甘えるようにすり寄ってくる。益々犬っぽい。

 彼女に尻尾があるとすれば、今頃パタパタとせわしなく動いていることだろう。お菓子をあげたい気分になってくるな。

 

「……真嶋君、また殴られたいんですか?」

「いえ、それだけは結構です」

 

 ニッコリと笑顔を浮かべた園田に、俺もニッコリと微笑み返す。笑顔なのに笑顔じゃないのが一番怖いな。特に園田がやると元が美人だけあって、迫力が段違いである。

 

「まぁまぁ、二人とも落ち着いて。海未ちゃんも女の子が殴るなんて言っちゃだめだよ?」

 

 ことりが俺たちの間を取り持つ。そして園田に対して「めっ!」と怒っていた。

 いいなぁ、俺もことりからあんな風に怒られたい。

 

「それにしても、和希君ってピアス着けてるの? 見せて、見せて!」

「ん? これか?」

 

 穂乃果が興味津々という顔で「見せて!」とせがんできたため、俺は耳にかかっていた髪を後ろにながす。

 

「俺の付けてるピアスは普通の奴だよ。ブランドは結構、有名なところらしいけど。そんなに珍しいか?」

「うんっ! だって穂乃果の周りにピアスをつけてる人なんていないから」

 

 本当に興味があるらしく、しげしげと眺めたり、時折ちょんちょんと触ったりしている。

 

「穴をあけるときって痛くなかったの?」

「どうだったかな……開けたのが中2の頃だし、もう忘れちまったよ」

「そんな早くからつけてるの!? 和希君ってその頃から、不良さんだったんだね!」

「どうだ? 怖くなったか? それとも幻滅したか?」

 

 少し意地悪な質問。しかし穂乃果は、俺の質問に屈託のない笑顔で答えた。

 

「ううん、ぜんっぜん! だって和希君、見た目は不良だけど、すごく優しいもん!」

「……そ、そうかよ」

 

 裏表のない素直すぎる言葉をぶつけられ、俺は思わずどぎまぎしてしまう。いやねぇ、まさかこんな風に言われるとは思ってもいなかったから。

 

「あれあれ? 和希君ってば、照れてる? ことりも和希君の事、怖いなんて思っていないから安心して♪」

 

 いち早く俺の顔色を察したことりが、つんつんと頬をつついてくる。

 

「て、照れてねぇよ!! というか、頬をつんつんするな!」

「あっ、穂乃果もやるー!!」

「穂乃果もやるー、じゃねぇ!!」

 

 歩きながら両頬をつんつんされるとか、もう意味が分からん。しかも美少女に……。誰でもいいから助けてくれぇ!!

 

「穂乃果、それにことり。周りの目もありますからその辺にしてください」

 

 冷静な声と共に、穂乃果とことりが俺から引き剥がされる。ふぅ、朝から美少女二人に両頬ツンツンとか、危うくラノベ主人公に仕立て上げられるところだったぜ。

 

「ふぅ……ありがとう、園田。助かったよ」

 

 今回ばかりは、素直にお礼の言葉を園田に伝える。

 

「……どういたしましてっ! それじゃ学校も近いですし、私は先に行きますから!! あなたは穂乃果とことりと、仲良く登校してください!!」

 

 しかし、園田はなぜか怒ったような言葉視線を俺にぶつけ、そのままずんずんと歩いて行ってしまった。

 

 思わずその背中をポカンと見つめる俺たち。

 

「何であいつ、あんなに怒ってたんだ?」「海未ちゃん、どうかしたのかな?」

 

 俺と穂乃果が首をかしげる中ことりだけは、

 

「……海未ちゃんってば、素直じゃないんだから♪」

 

 と意味深な発言をして、ニマニマ微笑んでいたのだった。

 

(素直じゃないってどういう意味だ?)

 

 言葉の意味はよく分からない。まぁ、きっと深い意味はないのだろう。そのまま二人と登校し、クラスの前で別れる。その直前、

 

「和希君、今日は頑張ってね!」

 

 そうことりから声をかけられた。頑張るも何も、今日だって普段と変わらない一日を過ごす予定なんだけど……。

 はてな? と思いつつクラスに入っていくと、

 

「真嶋君!! 制服が乱れています! そういうのは風紀を乱すと、何度言えばわかるんですか?」

 

 仁王立ちしていた園田に、いきなり注意を受ける。それに普段より強い口調。

 別に怒るのは構わないのだが、なんか怒り過ぎじゃね? 生理でもきてんのか? ……我ながら今のは最低だな。謹んで謝罪します。

 

「い、いやだから、この服装は俺のアイデンティティであって―――」

「いいから、早く直してください!!」

 

 うーん、服装のことについて怒っているというよりは、別のことに対して怒っている気がする……。

 結局この日、俺はいつもの三倍増しで園田に怒られたのだった。学校でも、家でも。




 読了ありがとうございます。


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3話 真面目な彼女の過去を少しだけ知った

 今回はちょっと真面目に。


「なぁ、ことり」

「ん? どうしたの和希君」

「園田ってさ、昔からあんな感じだったの?」

 

 居候を始めてから早いもので、既に2週間が経過していた。今日も変わらない授業(園田に怒られていた記憶しかない)を乗り越え、今は学校から帰る途中。

 俺は、校門でたまたま出会ったことりと並んで帰り道を歩いていた。ちなみに園田は、先に帰ってしまって一緒ではない。

 

 そして、口からこんな質問が出たのも、ほんとたまたま。ただ、どうしてあそこまで俺を目の敵にするのかなと思って。

 穂乃果は? と聞いたら今日は宿題を忘れて補習なのだと。今度勉強でも見てやろうかな。

 

「うーん、昔はもう少し大人しかったかな。私もだけど、普段は穂乃果ちゃんの後ろに隠れているような子だったし。それに今だってかなりの恥ずかしがり屋さんだよ?」

「とても信じられんな……」

 

 あの鬼のような姿からは到底想像ができない。穂乃果が元気いっぱいなのは言うまでもないが、園田が恥ずかしがりやねえ……。

 本当に恥ずかしがり屋なら授業中、大声で俺を叱ったりしないと思うんだけど……。

 

「いつからあんな風になったんだ?」

「……多分、お姉ちゃんが家を出ていってからだと思う」

 

 園田にはお姉ちゃんもいたのか。てっきり一人っ子だとばかり思っていた。

 

「これは私の想像なんだけどね、多分海未ちゃんは、日本舞踊の家本の娘として厳しい教育を受けてきたと思うんだ。それこそ日本舞踊から、礼儀作法に至るまで。本来なら、海未ちゃんのお姉ちゃんがやるべきだったことを子供時代からずっとね」

 

 なるほど……。推測でしかないが、今までよく分からなかった園田のことが、何となくつかめてきた。

 

「小学生の頃も恥ずかしがり屋だったけど、ダメなことをしている子には、いつも厳しく注意してたんだ。それも多分、家で厳しく育てられてきたからだと思う」

 

 別に俺は園田家の人間に、どうこう言うつもりは全くない。その家にはその家なりの事情というものがあるからだ。

 それでも……本来なら長女が負うべき責任を、まだ幼い園田が負うことになってしまった。

 幼いころから園田は、俺が知る由もないプレッシャーと戦ってきていたのである。

 

「……結果として責任感が強くなって、礼儀のなっていないやつが許せなくなった。園田の性格があそこまで頑ななのは、恐らくこんな所だろうな」

 

 ことりがこくんと頷く。このままいけば、園田が次期当主なのはほぼ間違いない。だからこそ、余計に自分にも相手にも厳しくなってしまったのだろう。

 

「でも私ね、和希君が海未ちゃんと一緒のクラスでよかったと思ってるんだ」

「……ことり、お前熱でもあるのか?」

 

 彼女のオデコに手を当てて、熱があるかどうかを確認する。……というのは建前で、本当は「ね、熱なんてないよぉ……」と、少し困ることりの声を聞きたかっただけ。

 

「まぁ、熱についてはおいといて、どうして俺が園田と一緒のクラスでよかったんだ?」

「海未ちゃんって、あんな感じの性格でしょ? それが災いして一度、クラスで浮いちゃったことがあるんだ」

 

 確かに……それは容易に想像がつく。あんな性格でくどくど言われれば、誰だって嫌になるだろう。現時点で俺はくどくど言われ過ぎて、頭がおかしくなりそうだ。

 

「だからこそ、和希君でよかったんだよ」

「……ごめん、だからこその意味が全く分からないんだが?」

「今まではね、海未ちゃんに注意された子は、その場では何も言わないの。大人しく従っている。でも、影でこそこそ言い合って、そこから海未ちゃんを避けるようになるんだ。クラスで浮いた時もそうだったから……」

 

 ことりの顔が悲し気に伏せられる。恐らく幼馴染で親友でもある自分が、その時どうにもできなくて悔しかったのだろう。

 

「多分、和希君が初めてだと思う。その場でちゃんと、海未ちゃんに言い返したのは」

「褒められたことではないと思うんだけどな。それに俺も、売り言葉に買い言葉って感じだったし」

 

 俺が苦笑いを浮かべると、ことりは「それでも」と首を振る。

 

「陰でこそこそ言い合って避け始めるよりは、和希君の方がよっぽど男らしいよ。だって言い方は悪くても、ちゃんと海未ちゃんと向き合ってくれてるんだもん」

「だけど、園田にとっては大迷惑だと思うぞ。俺は何言っても屁理屈を並べて、園田に従おうとはしないし」

「でも、海未ちゃんのこと、無視しないでしょ?」

 

 痛いところをつかれた俺は、にっこり微笑むことりから目を逸らす。

 

 ことりの言う通り、俺は園田のお小言に反論こそするものの、無視したことは一度もない。

 なぜ彼女を無視しないのか。理由は俺にもよく分からなかった。しいて言えば、

 

「だって、あいつも俺の反論に対して無視しないだろ? だから、お互い様だよ」

「……ふふっ♪ 海未ちゃんもだけど、和希君も素直じゃないなぁ」

 

 だから、頬をつつくのやめて。近づいてきたからか、甘い香りが鼻腔を刺激して、思考まで蕩けそうになるから。

 

「和希君がいてくれたおかげで、海未ちゃんは今のクラスで浮かずに済んだ。私は本当に感謝してるんだよ? あの時、私は何もできなかったから……」

 

 愛らしい彼女の瞳が少しだけ潤む。ほんと、それだけでうっかり惚れてしまいそうだ。

 

「その上目遣いはやめてくれ。反応に困る。それに園田からしてみれば、きっと親友がそう思ってくれるだけで十分だと思うぞ?」

 

 俺の言葉に、ことりの目が大きく見開かれる。彼女のためとはいえ、我ながらキザなことを言ったもんだ。あぁ、頬が熱い。

 

「…………」

「……頼むから、何か言ってくれ」

 

 ことりが何も言わないお蔭で、めちゃくちゃ恥ずかしいんだけど……。

 

「ふふっ……やっぱり和希君は不良っぽくないね。穂乃果ちゃんの言う通り、すごく優しいよ♪」

「ことり……お前絶対からかってるだろ?」

 

 俺が非難の視線を向けるも、彼女は微笑むばかり。多分だが、このまま彼女と友達を続けていく限り、俺は一生頭が上がらない気がする。

 

「はぁ……ったく、お前には敵わないな。ほんと、ずるい」

「いえいえ、それほどでも♪」

 駄目だ。さっきからことりのこと、可愛いとしか思ってない。いや、でもこれはしょうがないことである。だって可愛いんだもん。

 ことり=天使。これ、今度テストに出しますよ?

 

「だからね、これからも海未ちゃんをよろしくお願いします!」

 

 彼女から「おねがぁい!」を受けた俺は、仕方ねぇなという表情を作る。

 

「本当は嫌なんだけどな。俺は園田のこと大嫌いだし……。だけど、海未ちゃんのことが大好きで、大好きで仕方のない、ことりからのお願いだ。とてもじゃないけど、断れないよ」

 

 彼女に頭は上がらないけど、これからもっと良い友達になれそうだ。もちろん、今日この場にいない穂乃果も同じである。

 

「まぁでも、よろしくと言われたところで俺が園田に嫌われて、無視されるようになったらどうしようもないけどな」

「大丈夫。それは絶対にありえないから♪」

「だ、断定ですか……」

 

 その自信はどこから来るのだろう? 

 

 だけど、まだしばらくの間は園田家に居候するわけだし、もうしばらくは一緒にいれそうだな。……まさかこんなことを考えてしまうなんて。俺もすっかりことりに毒されてしまったらしい。

 

「あっ! 私の家、このあたりなんだ!」

「おう、そうか。それじゃあ、また明日」

「うん、また明日!」

 

 手を振り振りしながら、途中で俺の方を振り返ったりしながら、ことりは自分の家へと帰っていった。そんな可愛い彼女の後ろ姿が見えなくなるまで俺は見送る。

 

(何というか、園田のイメージが少しだけ変わったな)

 

 帰り道を歩きながら、思わず空を見上げる。

 本人に聞いたわけでもないので推測の域を出ないのだが、彼女も彼女なりに苦労を重ねてきていたのだ。

 今までは理不尽に怒られているとしか思えなかった彼女の言葉が、今になって少しだけ意味のあるものに聞こえてくる。

 

(園田が俺の事を嫌いになるわけだよ)

 

 彼女から見た俺という存在は、学校という一つの社会からあぶれた半端者。ルールも守らず、自由気ままに過ごすその姿が許せなかったのだろう。

 

「……少し謝る必要があるのかもな」

 

 悪気がなかったとはいえ、俺は園田の神経を逆なでするようなことをしてきてしまったのだ。今後もルールを守らない可能性は十分にあり得るのだが、一度謝っておいた方がいいだろう。

 いつの間にか家に辿り着いていた俺は、自分の部屋に鞄を置くとそのまま園田の部屋に。

 

「なぁ、園田」

 

 俺はガラッと部屋の扉を開ける。そう、またノックもせずに開けてしまったのだ。風呂場で殴られた経験をすっかり忘れて……。

 

 

 

 

 

「ラブアローシュート!!」

 

 

 

 

 

 目の前に飛び込んできた園田の奇行に、俺はあんぐりと口を開いてしまった。ぞわわっ、と得体のしれない感覚が俺の体を駆け巡る。

 えっ、こいつ弓道の弓と矢を持って何やってるの? ら、ラブアローシュート? バカなの? 

 いつもの凛々しい姿からは想像もつかない彼女の様子を見て、俺が固まっていると、

 

「……はっ!」

 

 我に返った園田と目が合った。

 

「…………」

「…………」

 

 痛いほどの沈黙。どうしていいのか、全く分からない。しかし、耐え切れなくなった俺が「まぁ、なんだ」と言って、園田の肩をポンポンと叩いた。

 

「俺はさ、園田の事嫌いだけど……悩みがあるんなら遠慮なく言えよな。穂乃果やことりに言えないような悩みだって、俺相談にのるよ」

 

 かっこつけたいとか、よく見られたいとか、そんな事はどうだっていい。俺は優しい声、優しい瞳で園田を見つめる。

 俺はただ単純に彼女の事を、というか精神状況を心配していた。

 

「……じゃ、俺は部屋に戻るわ。くどいようだけど……疲れとか、悩みを溜め込みすぎんなよ?」

 

 そう言って俺は園田の部屋を後に――。

 

「ち、違うんですぅうううううう!!」

 

 しようと思ったけど、涙目の園田が俺に抱き付いてきたため、それが出来なくなってしまった。何気に家族以外の女に抱き付かれたのは、生まれて初めてである。ほっぺツンツンならあるけどな。

 だけど、状況が状況の為、素直に喜べない。ましてや、園田だしなぁ……。

 

「ま、真嶋君! さっきのは、その、とにかく違うんです!! 忘れてください!!」

「……疲れてるのなら、今日は風呂に入ってゆっくり休め。睦未さんには俺から伝えておく。早く寝ればきっとゆっくり体を休められるぞ」

 

 忘れてと連呼する園田に、俺は優しく微笑む。きっとこいつは、普段の稽古やら部活やらで、想像以上に疲れているんだ。そうに違いない。

 じゃなければ、あんな頭のおかしいことしないもの。

 

「どうしてこんな時ばかり優しいんですかぁああああ!!」

 

 園田の絶叫が、広い園田家に響き渡る。こんなに取り乱す彼女の姿も珍しい。取り敢えず動画に収めておこう。

 結局彼女が落ち着いたのは「分かった、分かった。忘れるから、俺から離れろぉおおお!!」と、俺が叫んでからだった。

 落ち着くまでにかかった時間は実に30分。ことりと話していた時の雰囲気を返してほしい……切に願う俺だった。

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

「お前って、本当にパンが好きだよな。いつも食ってないか?」

「えぇ~? そんなことないよ! お昼前と、お昼と、放課後にしか食べてないもん!」

「いやいや、十分だろ……」

 

 園田海未ラブアローシュート事件(勝手に命名)から、一週間ほどが経過していた。最初こそ、心に傷を負っていた園田だったが、流石は次期当主ともいうべきである。一日ほどで回復し、無事元気になっていた。

 おかげで、お説教もいつも通りである。ことりとはあんな風に話したものの、うるさいものはどうやったってうるさい。結局、今日も授業中に言い争いを繰り広げていた。

 最近では先生すら、気にせず見守るようになってしまい……ちゃんと注意しろよ!

 

「ちょっと、和希君! 穂乃果の話、ちゃんと聞いてる?」

 

 隣で歩く穂乃果が、ぷくっとほっぺを膨らませる。うん、構ってもらえないとプンスカ怒る辺り、やっぱり犬みたいだ。

 ちなみに今日は、穂乃果と一緒に帰っている。その理由はさっきまで穂乃果の宿題を必死に片づけていたからだ。

 しかし、穂乃果のため込んでいた宿題の量が思っていたよりも多くて……。現在の時刻は、既に6時を回っていた。

 ほんと、終わった時には無駄な達成感に満ち溢れていましたよ。

 

「ごめんごめん。で、何の話をしてたんだっけ?」

「むぅ、やっぱり聞いてないじゃん! 今は最近のランチパック動向について話してたのに」

 

 ほんと、なんの話してんだよ……。経済の動向ならともかく、ランチパック動向なんて正直どうでもいい。普段からちゃんと宿題をやってくれ。

 しかし、話を聞かないと今度は拗ねてしまいそうなので、機械の如く首を上下に動かし、聞いているふりをする。

 そして同じ話を二回ほどループしたところで、穂乃果が「あれっ?」と声をあげた。

 

「ねぇ、和希君。あそこにいるのって海未ちゃんじゃない?」

「ん? どこに……って、確かにあれは園田だな」

 

 視線の先には腰に手を当て、何やら不機嫌そうな顔の園田。その横には同じく不機嫌そうな顔をした男子生徒が三人。その三人は、めんどくさそうに園田から視線を逸らしていた。

 

「あの人たち、ネクタイの色的に三年生だと思うんだけど……海未ちゃんの知り合いなのかな?」

「……いや、多分違うと思う」

 

 注意深く目を凝らすと、彼ら三人の服はだらしなく着崩され、髪色も派手(俺と違って染めたものだ)。更にはピアスをつけているなど、俺とほぼ変わらない格好となっていた。

 これは嫌な予感がする。

 

「海未ちゃん、大丈夫かな?」

「俺が見に行ってくるから、穂乃果はちょっと待ってろ」

 

 心配そうな穂乃果をその場に残し、俺は園田たちの元へ。近くに行くと案の定、俺にするものと変わらない言い争いが繰り広げられていた。

 

「あなた達、どうして制服をそんな風に着崩しているのですか? ここは学校なんですよ!」

「……ちっ、うるせぇやつだな」

「それにピアスまで着けて、早く外してください!!」

 

 先輩たちにも臆することなく、彼女はいつも通り服装の乱れを注意している。そう、ここまではいつも通りだ。クラスで俺に注意するのと、何ら変わりはない。

 問題は相手の方である。注意された先輩たちは、皆揃ってめんどくさそうなオーラを隠そうともしていない。

 恐らくその態度が、余計に園田の気に障っているのだろう。彼女の語気がいつもより強い。一触即発とは、まさに今の状況を指し示すはずだ。

 

(……あぁ、もう!!)

 

 俺は頭をガシガシとかく。そして、そのまま園田と先輩たちの間に割り込んだ。いきなり現れた俺に、先輩たちはギョッとしているがむしろ好都合である。

 だって俺、不良だけど喧嘩は全く強くないからな。三対一とか勝てる気がしない。なのでここは波風を立てず、やり過ごすしかないのである。

 

「いやー、すいません、先輩方。うちのクラスメイトが迷惑をかけたみたいで」

 

 へこへこと頭を下げつつ、俺は園田を腕をガシッとつかんだ。

 

「ちょ!? 真嶋君!」

「こいつには後で、よーく言っておきますから、ここは取り敢えず穏便にいきませんか? 先輩たちも面倒ごとを起こしたくないですよね?」

「ま、まぁ、そうだけど……」

「はい、交渉成立です。それじゃあ、俺たちはこのへんで!」

 

 呆気にとられる先輩たちをその場に残し、俺は園田を無理やり引っ張っていく。後ろからギャーギャーとうるさい声が聞こえてくるも、今は無視するほかない。

 

「海未ちゃん、和希君!!」

 

 帰ってきた俺たちに、穂乃果が勢いよく駆け寄ってきた。

 

「悪いな、穂乃果。心配させて。取り合えず、俺も海未も無事だから安心しろ」

 

 よしよしと穂乃果の頭を撫でると、安心したような笑みをこぼす。一方、無理やり引っ張られてきた園田は、不機嫌そうな表情で俺を睨む。

 

「どうして止めたんですか? あの人たちはあなたと同じように、風紀を乱していたんですよ!? 注意するのは当たり前です!!」

 

 彼女からしたら当然の言い分だ。でも、やっぱり時と場合、更には相手を気にしなくちゃいけないと思う。

 

「お前の考えというか、行動力は素直にすごいと思う。だけど、もう少し相手を考えろ。女一人に男三人だ。下手したらお前、怪我してたかもしれないんだぞ?」

 

 いや、怪我だけで済むなら全然そのほうがいい。下手すると襲われていた可能性だってある。

 精神的な傷は、どうしたって治りにくい。今回は運よく穂乃果が見つけたからよかったものの、もし見つけられなかった時は……。

 

「とにかく、無駄な心配をかけんな。俺じゃなくて、お前の大切な親友が心配するだろ?」

「…………」

 

 大切な親友という言葉に、園田がばつの悪そうな顔で俯く。

 

 彼女が怪我をして、心に傷を負った時、誰よりも傷つくのは穂乃果やことりだろう。今の穂乃果の表情が何よりの証拠だ。

 いつも元気いっぱいの彼女が、心配そうな顔で園田を見つめている。だからこそ、俺は親友という言葉を口に出した。

 

「……申し訳ありません、穂乃果。心配をおかけして」

 

 今回ばかりは素直に頭を下げる。これでまだ御託を並べるなら引っ叩いてやろうと思ったが、そんなことにならなくてよかった。

 やっぱり園田も、穂乃果たちのことが大切で、大好きらしい。

 

「ううん、大丈夫だよ。海未ちゃんに怪我がなくて本当に良かった」

 

 穂乃果がそう言ってニッコリと微笑む。その太陽のような笑顔につられて、園田もようやく笑顔になった。

 

「そんじゃ、今日はもう帰りますか。穂乃果、もう暗くなってきたし、家まで送ってくよ。園田もいいだろ?」

「もちろんです。今回は私のせいで、穂乃果に迷惑をかけたのですから」

「えぇ~、でもそれじゃあ和希君たちに悪いよ。帰るのも遅くなっちゃうし……だから大丈夫!」

 

 そう言ってグッと親指を立てる。

 穂乃果って一見何も考えてなさそうに見えて、意外と考えているんだよな。別にそんなこと気にしなくてもいいのに……。

 

「いいからいいから。穂乃果も一応、女の子なんだしな」

「一応って、酷いよ和希君!! 穂乃果だって、ちゃんと女の子なんだからね」

 

 ぷくっと頬を膨らませる。そして、なぜか俺の右腕に抱き付いてきた。いきなりの事すぎて俺の顔が赤くなる。

 

「どうどう? 女の子の身体って意外とやわらかいでしょ?」

「う、うん、そうだな……って、違う違う! オイコラ、何やってんだよ!?」

 

 一瞬、本音が漏れてしまったじゃないか! 穂乃果は突然、こんなことをやってくるから困る。というか、さっきから穂乃果のが、その、当たって……。

 

「和希君ってば、顔真っ赤だよ! これでもまだ穂乃果のこと、『一応女の子』だなんて言えるのかな~?」

 

 楽しそうに笑う穂乃果に、俺の顔が益々真っ赤になる。ことりにいじられるのはいいけど、穂乃果にいじられるのはなんか屈辱だ……。

 後、人が少ないとはいえ、ここはまだ学校の敷地内である。さっきからチラチラ見られて、恥ずかしいのなんの……。

 

「…………」

 

 俺が視線を右往左往させていると、何やら不機嫌そうに口を尖らせる園田と目が合った。

 

「なんだよ、園田?」

「……別にっ! なんでもありません」

 

 なんなんだこいつは? いつにもまして意味が分からん。取り敢えず、思った事だけ言っておこう。

 

「怒ってるのか知らないけど、顔がいつにもましてブサイクになってるぞ?」

「ぶ、ぶさっ!?」

「はぁ……和希君、いくら海未ちゃんが嫌いだからって、流石にそれはどうかと思うよ……」

 

 俺の腕に抱き付いたまま穂乃果がジト―、と俺に非難の視線を向ける。確かに今の言葉は、女の子に対する気遣いにかけていたのかもしれない。

 なので俺はコホンと咳払いをする。

 

「悪い、さっきのは訂正して……園田さん、いつもより10倍増しでお顔が崩れていらっしゃいますよ?」

「もっと酷いじゃないですか!!」

 

 バチンッ、と俺の頭を園田が力いっぱい叩く。そのおかげで目の前にお星さまがチカチカと……。ボウリョクダメゼッタイ。

 

「どうしてこの二人ってこうなっちゃうのかなぁ?」

 

 横ではあの穂乃果が、珍しくため息をつくのだった。




 今回は少しまじめすぎましたね。申し訳なかったです。
 海未ちゃんにラブアローシュートされたい人生でした。


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4話 真面目な彼女がピンチに陥った

 


「真嶋君!! 授業中に教科書以外の物を読むなとあれほど言っているじゃありませんか!!」

「……ただいま真嶋は忙しく、口うるさい園田の相手をしている暇はありません。つきましてはこちらの連絡先にご用件を――」

「ま、じ、め、に、聞いてください!!」

 

 もの凄い形相。これには閻魔大王様もびっくりである。

 

「なんだよ、園田。そこまで怒ることはないだろ? いいじゃねぇか別に。今日はいつも月曜日に読んでるジャ〇プじゃなくて、普通の小説を読んでるんだから」

 

 ちなみにジャ〇プを読んでいない理由は単純で、今週は土曜日発売だったからだ。

 

「そもそも、授業中に何かを読むという事が間違っているんです!! だから早く教科書を机の上に出してください」

「今日は、書道の教科書しか持っていませーん」

「逆に何でそれだけ持っているんですか!?」

 

 真っ赤になってフーフー言ってる園田は、怒った猫みたいである。なかなか素直になってくれないところなんてそっくりだ。

 いや、こいつに限って素直になったらそれはそれで気持ち悪い。

 

「おーい、園田に真嶋。仲がいいのは結構だけど、程ほどにな~」

「すいません、先生。うちの園田が」

「だから、どうして真嶋君がえらそうなんですか!!」

「大丈夫だ真嶋。先生も園田の五月蠅さにはもう慣れたから」

「先生も、悪ノリしないで下さい!」

 

 ナイスだ先生。この人はノリがいいので、お気に入りの先生である。不良である俺にも、差別的なことをすることなく接してくれるし。将来の校長先生候補だな。

 そんなノリのいい先生に、クラスからドッと笑いが起こる。園田は「何なんですかもぅ……」と不満顔。

 しかしそれもいつものことだし、気にしない。と、ここで授業終了のチャイムが鳴り響く。

 

「チャイムも鳴ったことだし、今日はここまでな。……あっ、そうだ。真嶋~」

「なんすか先生?」

「今日、資料室の整理をお願いしたいんだけど、時間空いてるか?」

 

 うぐっ……先生が実に良い笑顔で笑っている。これは暗に「いつも授業でさんざんやってるんだから、手伝うよな?」と言っているに等しい。

 まぁ、どうせ暇だから断らないんだけど。

 

「暇なんで大丈夫ですよ。だからその笑顔、やめて下さい」

「よしよし。じゃあやる事を説明したいからHR後、職員室に来てくれ」

 

 先生の言葉に頷いた俺は、そのまま園田の元へ。

 

「聞いててわかる通り、俺今日帰るの遅くなるかもだから、睦未さんに連絡しておいてくれ」

 

 小声で用件を伝える。どうして小声なのかって? 居候の件は、穂乃果たちにしか伝えてないからだよ。知られたら問い詰められる気しかしない。

 

「分かりました。それじゃあ、お母さまにもそう伝えておきます」

 

 相変わらず愛想のない返事だ。もう少し、というかことりみたいに、愛想よくしてほしいものである。

 

「園田は今日部活だっけ?」

「そうです。大会も近いですし、練習をしないといけませんから」

 

 へぇ~、弓道部は大会が近いのか。まぁ、興味ないけど。それに、応援なら穂乃果とことりが行ってくれるだろう。どっちにせよ、俺は事後報告で十分だ。

 

「まっ、練習もほどほどにしろよ。この前みたいに、頭がおかしくなられても困るし」

「っ!! あの事は忘れろと――」

「それじゃあ、俺は先生のところに行ってくるから」

「は、話を聞きなさい!! ちょっと、真嶋君!! まだHRも終わっていませんよ!」

「HRは園田が代わりに受けといてくれ」

 

 園田とHRを放っておき、俺は職員室へと向かう。

 

「おぉ、真嶋。随分早かったな。HRはどうした?」

「園田にうけといてもらうことにして、俺は抜け出してきました。さっさと終わらせたいんでね」

「お前は不良なんだか、不良じゃないんだかよくわからんやつだな」

 

 あっはっはと笑う先生。この人は本当にいい人だよ。ちなみに俺らの学年主任でもある。この人のお蔭で、俺の成績が保証されていると言っても過言ではない。ほんと、マジで助かってます。

 

「それで、俺は何をすればいいんですか?」

「ここの校舎の一階。それも一番右隅の所に資料室があるんだ。そこがあまりに汚くてな。軽くでいいから掃除をしてほしいんだよ」

「掃除ですか……」

 

 うーん、途端に面倒になってきた。これはもう、適当な理由を付けて――。

 

「成績は弾むぞ?」

「まっかせてください! 掃除でも何でもやりますよぉ!! テンション上がってきたぁああ!」

「現金な奴だな……」

 

 呆れる先生を他所に、俺は箒と塵取り、それに雑巾を持っていざ資料室へ。しかし、入って2秒で後悔することになる。

 

「き、きたねぇ……」

 

 資料室の中は、様々な教科の資料や資材が散乱し、足の踏み場もない状態となっていた。

 更にはめちゃくちゃ埃っぽい。マスクを持ってくるべきだったな。

 

「……しかし、成績の為だ。最後までやり通そう」

 

 俺はまず、散らばっているプリントや資材の整理から始めることにする。そして始めてみると意外に楽しく(実は俺、綺麗好きなんです)、結局俺は二時間ほど集中して資料室の掃除をしていたのだった。

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

「先生、資料室の整理終わりました」

「おっ! お疲れ真嶋。随分、時間がかかってたみたいだけど?」

「いやー、始めてみたらこれが楽しかったんすよ。おかげですごく綺麗になりましたから……成績の方、期待してますよ?」

「はいはい、わかったわかった。ちゃんと上げといてやるから期待して待っとけ」

「あざっす!」

 

 先生に頭を下げた俺は、職員室を後にする。そのまま昇降口まで歩いていくと、

 

「あれ、ことりから着信が入ってる」

 

 何気なく確認したスマホに、ことりからの連絡が入っていた。

 家に帰ってからでもいいかなと一瞬躊躇したが、天使の着信にはやっぱり早めに返さなければいけない。これは国民の義務である。そんなわけでことりに向けて電話をかけた。すると、

 

「あっ、和希君!」

 

 切羽詰まったような彼女の声。それだけで、何かあったのだという事を悟る。しかし、ここで焦ってはいけない。

 

「どうした、ことり?」

「今まだ学校にいる!?」

「まだ残ってるけど、取り敢えず少し落ち着け。焦ってもいいことはないぞ」

 

 まずは彼女を落ち着かせるために、努めて冷静な声で返事をする。

 

「あっ……ご、ごめんね和希君。ことり、少し焦り過ぎてたみたい」

「まぁ、緊急事態みたいだし、気にすんな。それより、学校に残ってるのなら一度合流しよう。多分スマホ越しで話すよりは、ちゃんと状況が伝わるだろ?」

 

 聞くと、ことりは校門前にいるらしい。なので俺は急いで彼女の元へと走っていく。

 

「ことり!」

 

 校門で待っていたことりに声をかける。そわそわしていた彼女は俺の顔を見ると、涙目になって駆け寄ってきた。

 

「和希君っ! あのね、海未ちゃんがね――」

「まてまて、落ち着けことり。まずは深呼吸をして」

 

 彼女の肩に手を置き、とにかく落ち着かせるように宥める。するとことりは、ようやく落ち着いてきたようだ。目の端の涙を拭い、顔を上げる。

 

「あのね、海未ちゃんと……連絡が取れないの」

「連絡が取れない?」

 

 ことりの話をまとめるとこうだ。

 

 今日はことりも学校で用事があったらしく、部活帰りの園田と一緒に帰る予定だったらしい。しかし、それが30分たっても園田が現れず、気になったことりは弓道部の友人に連絡。

 すると、その友人はとっくに練習は終わり、園田も既に帰宅したと言ってきたのだ。

 

「その後ね、海未ちゃんに何度も連絡を取ったり、家に連絡を入れたりしたの。でも海未ちゃんから返事はないし、睦未さんもまだ帰ってきてないっていうし……。どうしよう、和希君!? 海未ちゃんが、海未ちゃんが……」

 

 再びことりの瞳に涙が溜まり始める。

 

「ことり、大丈夫。大丈夫だから!」

 

 今度は少しだけ強い力で呼びかける。多分、彼女は今ちょっとした錯乱状態に陥っているのだろう。

 まぁ、親友と全く連絡が取れていないのだ。無理もない。

 

「待ってろ、今穂乃果に連絡とってみるから」

 

 ワンコール、ツーコール目で彼女は出てくれた。

 

『はいはーい! 和希君? どうしたの?』

「ごめんな、穂乃果。急に電話なんかしちゃって。それで、穂乃果の家に園田って来てないか?」

『海未ちゃん? ううん、来てないけど』

「そうか……」

 

 穂乃果の家にも来ていないとなると、これはいよいよまずくなってきた。

 学校内にいるにしろ、学校外にいるにしろ、友達といるならば電話くらい出れるはずである。

 それが出来ないという事はつまり……園田は電話にも出れない状況に陥っていると考えたほうがいい。

 

『……海未ちゃんに何かあったの?』

 

 心配そうな穂乃果の声。恐らく俺が黙っているのを聞いて、心配になったのだろう。

 

「いや、実はな――」

 

 彼女に現在、園田が行方不明だという事を伝えると、

 

『穂乃果も一緒に探すよ!!』

「ちょっと落ち着け。多分そう言いだすだろうとは思ったけど、やみくもに動いても仕方ないだろ? まだ学校内外、どっちにいるのかもわからないわけだし」

『うぅ……で、でも、それじゃあ海未ちゃんが』

 

 全く、ことりも、穂乃果も園田のこと好きすぎるだろ。ちょっと嫉妬しちまうぜ。

 

「大丈夫、園田なら大丈夫だから。それよりも、まずはどこにいるかの見当をつけないと……」

 

 賢い園田のことだ。男に連れられて、ホイホイと外に出ていくとは考えにくい。なので彼女はまだ学校内にいるだろう。

 問題はどこにいるのかだ。

 

「ことりか、穂乃果、どっちでもいい。学校内で人目につかず、先生にも見つかりずらい場所ってあるか?」

「うーん……」『どこかにあるかなぁ?』

 

 むしろ、ありすぎて困ると思う。時間もかなり遅い影響で、辺りはかなり暗い。だからこそ、隠れようと思えばどこにでも隠れられるのだ。

 

(だめだ、焦れば焦る程、どんどん思考が鈍ってくる。このままじゃ園田が……)

 

「あっ!」『あっ!!』

 

 ここで穂乃果とことりが同時に声を上げる。

 

『体育器具庫じゃない?』「ことりもそう思った!」

「……どうして体育器具庫なんだ?」

 

 体育器具庫って、普段は開いてないはずじゃ……。

 

「今日と明日にかけてなんだけど、体育器具庫の整理が行われてて、その時だけは体育器具とは開いてるんだよ!」

「それでも、やっぱりそこに園田を連れ込むにはリスクがあるんじゃ?」

『もしも、海未ちゃんを連れてった人が、体育器具庫の掃除を担当していたら? それでその人たちが最後まで残っていたら、連れ込むのだって可能じゃない? 相手が一人であるとは限らないし』

 

 穂乃果の言葉にハッとなる。そして続けざまにことりが口を開いた。

 

「和希君、確か体育器具庫と弓道場って近いはずだよ!」

 

 無茶苦茶理屈付けかもしれないが、もう体育器具庫に行くしかない。

 

「ことり、俺は今から体育器具庫に行ってくる」

「私も一緒に――」『穂乃果も一緒に――』

「ダメだ。言い方は悪いけど、ことりがきたら園田を助けられなくなるかもしれない。穂乃果はそもそも間に合わないだろ?」

 

 電話越しで穂乃果が『うぐっ』と呻く。

 

「それに、ただでさえ俺は喧嘩が弱いのに、ことりまで一緒に居ると、もっと酷い事になっちまう」

「で、でも、海未ちゃんが困ってるのに、また何もできないなんて嫌だよ!」

 

 ことりの気持ちは痛いほどよく分かる。それでも、一緒に行かせられないものは行かせられない。

 ただでさえ何が起こるか分からないのだ。これ以上、誰かを危険にさらすわけにはいかない。

 

「ことり、分かってくれ。俺だって、お前のことが嫌いでこんな事を言ってないんだ。それに」

 

 こんな時だからこそ、俺はことりに向けてグッと親指を立てた。

 

「園田を絶対に助けてくる。俺に任せろ!!」

 

 何度だっていう。俺は園田のことが嫌いだ。だけど、あいつの悲しい顔を見るのはもっと嫌いだ。理由は知らん。ただ、本能的にそう思っただけである。

 

『……ことりちゃん。ここは和希君に任せようよ』

「穂乃果ちゃん……」

 

 穂乃果の言葉に、ことりは大分迷っているようだった。

 

『大丈夫だよ。和希君なら、絶対に海未ちゃんを助けられる!』

 

 ほんと、どこからそんな期待が出てくるのだろう? でも、俺の事を信じてくれてすごく嬉しかった。ことりも、穂乃果の言葉に背中を押されたらしい。

 

「……和希君、お願い。海未ちゃんを助けてあげて」『和希君、穂乃果からもお願い!!』

 

 こんな美少女二人にお願いされて、断らないわけにはいかないな。

 

 本来なら、こんな面倒ごとに首を突っ込みたくない。園田が何をされようと全部彼女の自業自得である。

 それでも、俺は断れなかった。何でって? そんな事、改めて聞くんじゃねぇ。

 

 俺はことりと穂乃果の言葉に「もちろん」と頷く。そしてそのまま体育器具庫へと走り出した。

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

「んー! んんー!!」

 

 私の身体は恐怖に支配されていた。

 ここがどこだか全く分からない。目隠しをされ、口にはガムテープ。悲鳴をあげようにも「んー、んー!」と、くぐもった声を出すことしかできない。

 

(ことりぃ……穂乃果ぁ)

 

 私は今日部活が若干遅くなり、急いでことりの元に向かおうとしていた。そんな時に私は何者かに連れ去られたのだ。

 背後から口と身体を押さえつけられ、目を塞がれ……。気付くとこんなことになっている。すると、

 

「そろそろ目隠しとガムテープを外してやれ」

 

 その声と共に、付けられていた目隠しとガムテープが外される。しかし、手に巻かれていた紐までは解いてくれない。

 

「うっ……」

 

 あまりの眩しさに私は目を細める。そして目が慣れ始めると、三人の男が私を見つめていることに気付いた。

 それに、どうやらここは体育器具庫の中らしい。

 

「こうしてみると、口うるさいのを抜きにすれば意外と上玉だな」

「こいつ、顔だけは校内でもいい方だし。胸は小さいけど」

「あ、あなた達は一体……」

 

 あまりに汚い言葉。私は声の主をキッと睨みつける。すると三人のうち一人が私の元に近づいてきた。

 

「お前、俺たちを覚えているか?」

「覚えているかって、そもそも私とあなた達は初対面……っ!!」

 

 私は思わず目を見開く。なぜならここにいた三人は以前、私が服装等を注意した三人だったのである。

 

「どうやら覚えてくれていたみたいだな」

「……どうしてこんなことを」

「どうしてって……ただ単に、お前がうざかったからだよ。俺たちが先輩であるにもかかわらず、色々言ってきてくれたよな? それがほんっと、うざかったの。だから一回、先輩の威厳ってものを見せてあげようと思って」

 

 余りに身勝手な理由。ゲスのような笑みが先輩の口から零れる。それを見た瞬間、私の身体に悪寒が走った。

 

 怖い……目の前にいる三人が怖くてしょうがない。私は真嶋君の言葉を思い出す。

 

 

 

『もう少し相手を考えろ』

 

 

 

 あの時は言っている意味が分からなかった。注意をしてきた真嶋君にイラッとした。だけど今は違う。

 

(真嶋君は、私の事を心配して……)

 

 彼の言った事は正しかった。でも理解するのがあまりにも遅かった。

 

 今までの私は、ただ運が良かっただけ。注意しても無視されるだけで済んだ。言い返されるだけで済んだ。

 真嶋君からは悪意なんて感じなかったが、目の前にいる先輩からは悪意しか感じない。

 

「おいおいこいつ、滅茶苦茶震えてんぞ。この前、俺たちに注意してきた時は大違いだな」

 

 ぎゃはははと、品のない笑い声をあげる。そんな彼らに、私はますます恐怖を感じていた。

 

「や、やだ……助けてください」

 

 叫ぼうとしてもか細い声しか出ない。そんな私を見て、再び笑い声をあげる先輩たち。

 

「助けてくださいだって。可愛いねぇ~」

 

 にやにやとしながら、先輩が私の顎に手を添える。触れられた瞬間、またしても全身に悪寒が走る。

 

 気持ち悪い……すごく、気持ち悪い。

 

「い、やぁ……」

 

 身体を必死に捩る。見られたくない、触られたくない……。だけどその仕草が、逆に先輩たちの興奮を煽ってしまう。

 

「いいねぇ。元々強気な女の子が、ここまで弱々しくなるなんて。益々興奮してくる」

 

 顎に添えられた手が頬に移り、そして唇に移った。私の唇をなぞるようにしていやらしく指が動く。

 

「や、めて……下さい。おねがい、します……」

 

 いつの間にか、目からは涙が溢れてきていた。

 

「おいおい、泣いちゃったよこいつ」「こんな姿見ると、もっと泣かせたくなるよなぁ」

 

 今までになく、下劣な表情を先輩方が浮かべる。何を……そう思った時にはもう遅かった。

 

「どうせこのあとやるんだし、取り敢えず服を脱がせちゃおうぜ」

「……えっ?」

 

 私が言葉の意味を理解したときには既に先輩たちが私の周りを取り囲み、ブレザーを脱がし始めていた。

 

「いやっ! 何をしてっ!!」

「動かれると面倒だな。おいっ! 取り敢えずブレザーを脱がした後は、こいつの身体を動けないように抑えとけ」

 

 そう言って、私のブレザーはあっという間に脱がされ、雑に放り投げられる。そして宣言通り、一人が私の身体を動けないよう、押さえつけてきた。

 

「ちっ、ベストも着てるのか」「それならハサミで切っちゃおうぜ」「それもそうだな」

 

 無情にも私の着ていたベストがハサミによって、じょきじょきと切られていく。

 

 何とかして抵抗を図るものの、二人がかりで押さえつけられているため、抵抗らしい抵抗もできない。そして私の上半身を守るのは、白い制服のみとなっていた。

 

「さーて、こいつはどんな下着をつけているのかな?」

 

 制服のボタンに先輩の指がゆっくりと近づいていく。

 

「嫌ッ……いやぁっ!! むぐっ!?」

 

 口を塞がれ、声を上げるどころか呼吸もままならない。そんな私を満足そうに眺めた後、改めてボタンが外されていく。

 

(もぅ、やめて……穂乃果、ことり)

 

 心の中で親友の名前を呼ぶも、その声は決して届くことはない。

 一つ、二つと、ボタンが外されていくたびに素肌があらわになっていく。

 

 そして、最後のボタンが残酷にも外されてしまった。

 淡い水色の下着があらわになり、私はキュッと唇をかみしめる。あまりの屈辱と羞恥に、瞳からは涙がとめどなく零れていた。

 

「なかなか可愛い下着をつけてんじゃん」

 

 舐めまわすかのような視線。好きでも何でもない人たちに、自分の下着を見られている。気持ちが悪くてたまらない。

 

「やぁ……っ」

 

 耐え切れなくなった私が俯く様にして下を向く。

 

「おいおい、勝手に視線を下げんじゃねぇよ」

 

 グイッと無理やり視線を上に引き上げられる。再び向けられる、下劣で無遠慮な視線。

 せめてもの抵抗として、私は視線だけ横に逸らす。

 

「いいねぇ、その表情。ほんと、たまらない。大丈夫、これからたっぷり犯してやるから」

 

 犯すという具体的な単語が先輩の口から飛び出し、私の恐怖はますます高まっていく。だけど私の身体には、もう抵抗するだけの力が残っていなかった。

 全身が恐怖で震え、絶望が心を支配する。

 

(来ないで……お願いだから、こっちに来ないでくださいっ!!)

 

 心の声とは裏腹に、身体は震えるだけで全く動かない。抵抗を止めたのを諦めたと感じ取ったのか、相手の顔が愉悦に歪んだ。

 

(やだっ、こんなことで私は……)

 

 涙が止まらない。相手の手がスカートのファスナーに迫っている。

 屈辱、羞恥、恐怖と様々な感情が私の身体に渦巻く。

 

 そんな中、一人の顔が心の中に浮かんだ。

 

 つい最近、私の家に居候をしてきて、目の前にいる人たちと同じようにだらしのない格好をして……。

 だからこそ、私は頼りたくなかった。でも、今はもう――。

 

 

 

「助けて……真嶋君」

 

 

 

「はいはい、ちょっとごめんなさーい」

 

 

 

 おおよそ、この場に最も適さない間延びした声が、体育器具庫内に響く。私は驚いて、視線を声のした方に向けた。

 こんな状況であんな声を出せる人。私は少なくとも一人しか知らない。先輩たちも驚いたように、体育器具庫に入ってきた彼を見つめていた。




 読了ありがとうございます。後感想や、評価を送ってくれた人、本当にありがとうございます。


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5話 真面目な彼女と少しだけ仲良くなった

 海未ちゃんが可愛いです。


「あーあー、やっぱりひもで縛られてたよ。これ、ちゃんと解かないと痕がついて大変なんだよな」

 

 ぶつぶつ言いながらその人物、真嶋君は臆することなく私の傍に歩み寄ってくる。

 そして、手際よく丁寧に結ばれていた紐をほどくと、同時に着ていたブレザーを放り投げてきた。

 

「取り敢えず、それでも着てろ。どうせ手が震えて、ボタンも留められないと思うからな。後、その格好は目に毒だ」

 

 いつも通りの口調に、いつも通り私を馬鹿にしたような言葉。だけど、今の私にとってそれが何より安心できるものだった。真嶋君から受け取ったブレザーを羽織る。

 

「お前っ、あの時の!」

 

 先輩たちも、彼の事を思いだしたようだ。一方、先輩たちのことなんてどうでもいいらしい真嶋君が、ペタンとその場に座り込む私に声をかける。

 

「おい、園田。動けるのか?」

 

 彼の言葉に私は首を縦に……振ろうとしたのだが、足に全く力が入らない。

 

「……う、動けないです」

「それじゃあ、作戦Bで行かないとな」

「さ、作戦B?」

 

 めんどくさそうに頭をかく真嶋君。私は意味が分からず首をかしげた。彼は一体何を?

 

「取り敢えず、お説教なら後でいくらでも聞いてやる。だから今は暴れるなよ?」

「へっ? 暴れる……って、ひゃぁああああああ!!」

 

 突然、私の身体は真嶋君によって横抱きにされる。いわゆる、お姫様抱っこをされたのだ。思わず口から情けのない声が漏れる。

 

「な、なな、なななな、何をするですか!? バカっ! 変態!! 不埒ものぉおおお!!」

「だぁー! 暴れるなって言っただろ? いてぇ、いてぇ!! 叩くんじゃねぇ!! こちとら、持ち上げるだけで結構いっぱいいっぱいなんだよ!!」

 

 恥ずかしさのあまり、ぽこぽこと真嶋君の頭を叩く。そんな私に、ギャーギャーと文句を言う真嶋君。

 も、持ち上げるだけでいっぱいいっぱいとか、私はそこまで重くありません!!

 

「お前ら、何やってんだよ……」

 

 さっきまでの絶望感とか、緊張感とかが完全に霧散してしまった。先輩たちまで呆れた声を上げる。

 

「おいっ! お前が暴れるせいで作戦Bが完全に失敗だ! せっかく、いい感じに逃げ出せると思ったのに」

「あ、あなたがいけないんじゃないですか!! きゅ、急にこんなことを……」

 

 うぅ……園田家の次期当主という身でありながら、こんな破廉恥なことをしているだなんて。

 

「と、とにかく一度下ろしてください!!」

「おろしてもお前、どうせ動けないだろ?」

「いいですから!!」

 

 何とかして横抱きの状態から下ろしてもらう。は、恥ずかしかったです……。

 

「えっと、夫婦漫才はそこまでで終わりか?」

 

 待ちくたびれたのか、こめかみをぴくぴくと震わせながら私たちに歩み寄ってきた。

 

「先輩方、いくらイライラしてるからって、夫婦漫才はやめて下さい。鳥肌が立ちます」

「それはこっちのセリフです!!」

『お前ら、マジでうるせぇよ!! 状況を考えろ!!』

 

 先輩たち三人が、揃って怒りの声を上げる。堪忍袋の緒が切れてしまったらしい。

 そのまま先輩の一人が、真嶋君の胸倉を思い切り掴み上げる。

 

「うおっ……こ、これは流石にやばくないですか、先輩方?」

 

 いつものように生意気な言葉で反論するものの、額には冷や汗が滲んでいた。彼の表情を見た先輩が、ニヤッと笑みをこぼす。

 

「お前も俺たちと同じ不良みたいだけど……喧嘩は強くなさそうだな」

「……ソ、ソンナコト、アルハズガゴザイマセン」

 

 冷や汗をダラダラと流しながら視線を逸らす真嶋君。

 私はどこかで、ある種の勘違いをしていたのかもしれません。

 

 不良は喧嘩に強い。

 恐らく私と同じように思っている人は、それなりの人数がいるはずです。だからこそ私は、真嶋君が体育器具庫内に入ってきた時、少し安心してしまいました。

 

『あぁ、これで助かる……』

 

 しかし、思い込みと現状は、かなりかけ離れていて、

 

「いや、先輩方。暴力は、暴力だけは俺、絶対にいけないと思うんですよね。これだから世界中で戦争が無くならないんですよ」

「こんなところにホイホイやってきて、殴られる覚悟もできてないのか? お前も、多少なりとも想像してただろ?」

「そ、想像してなかったとは言いませんけど、もっと穏便に……」

 

 真嶋君の旗色がどんどんと悪くなっていく。幸いなことに体の震えもすっかり収まり、動けるようにはなっていた。

 しかし、私が動けるようになったからといって、現状が打破できるわけでもない。

 

(い、一体どうすれば……)

 

 するとそこで、真嶋君が体育器具庫の扉をちらちら見ていることに気付く。

 

(彼はどうして扉なんかをみているのでしょう? ……はっ! まさか、誰かに助けを呼んでいて、その人を待っているのでは?)

 

 思いのほか頭のいい、彼が無駄なことをするとも思えない。仮にもし助けが来るとしたら、その人が来るまでうまく時間稼ぎをすればいいのではないでしょうか? 

 それなら今、真嶋君が言葉を並べて先輩たちの気を惹いているのも理解できます。

 

(多分、助けはもうすぐ来る。でも、遅すぎれば真嶋君が先輩たちに……)

 

 脳裏に一瞬、先輩たちに殴られ、血を流し、その場に倒れる真嶋君の姿が映る。体温がスッと下がるような感覚。

 私の目の前から、真嶋君がいなくなるかもしれない。気付くと私は無意識的に叫んでいた。

 

「先輩たちの、あ、アホぉおおおおおおお!!」

『っ!?』

 

 突然上がった叫び声に真嶋君も含め、男子全員がポカンと私を見つめる。誰かに対して大声を出すだなんて、真嶋君以外にほとんど経験がない。

 だけど、構いません。この際、時間さえ稼げれば何でもいいのです。

 

「先輩たちは、本当に頭が残念な人たちです。私に対して逆恨みをして、三対一で私の事を捕まえて、こんなところにまで連れてきて、服を無理やり脱がせたり、ほ、他にも色々な事を……。普通に考えて、今やってることは立派な犯罪です! 頭、大丈夫ですか!?」

 

 一度啖呵を切ると、次から次へと言葉が出てくる。

 

「それにこの前も言いましたが、先輩たちの服装は相変わらずだらしなさすぎです! ネクタイはちゃんと締めない、シャツもズボンから出す。ブレザーの着方だって適当で……その格好、すごくダサいですからね!!」

 

 とにかく、相手を見て思いつくだけの言葉を(半分ただの悪口だが)並べ続ける。視界の端では、真嶋君が珍しく私に笑みを浮かべていた。

 

「あと、最後に一つだけ。その金髪……ぜんっぜん似合ってないです! 似合っていないにもほどがあります! 正直、気持ち悪いです! 虫唾が走ります! 早急に黒に染め直してください! いや、むしろ坊主にしてください!! それに……」

 

 一度、真嶋君に視線を移す。彼は相変わらず微笑みを崩していなかった。

 

「それに……金髪なら真嶋君で十分、間に合ってます!! もう、これ以上金髪の問題児を増やさないで下さい!!」

 

 私は最後の一言を言い終え、はぁはぁと息を吐く。終始静寂が体育器具庫内を支配する。

 しかしその静寂を破ったのは誰でもない、彼の笑い声だった。

 

「……ふふふっ。あーっはっはっは!!」

 

 真嶋君が声をあげて笑い出す。先輩に胸倉を掴まれながら笑うその姿は、どことなくシュールだ。でも彼は楽しそうに笑い続ける。

 

「あっはっは! 園田、お前やっぱすげぇわ。こんな状況でよくもまぁ、それだけ悪口が出てくるもんだよ。最後のセリフも本当に最高!」

 

 いつの間にか先輩たちの手を払った真嶋君が、私の元に歩み寄ってくる。そして目じりにたまった涙を指で拭いながら、バンバンと背中を叩いてきた。

 

「い、いたっ! 急に何するんです!?」

「おっと、悪いな。そこに叩きやすそうな背中があったからつい」

「叩きやすそうな背中って……」 

 

 こんな状況にもかかわらず、いつも通りの真嶋君にため息が漏れる。今は彼の性格が羨ましい。でも、それがたまらなく安心できた。

 

「うそうそ、冗談だよ。本当は感謝してるんだ。……俺の為に時間を稼いでくれてな」

 

 やっぱり彼は、私がいきなり叫び出した意味を理解していたらしい。

 

「お、お前、何を言って――」

 

 先輩たちの言葉が言い終わらないうちに、足音が二つ聞こえてきた。

 

「先生、こっちです!!」

「ナイスタイミングだ、ことり!」「こ、ことりっ!?」

 

 体育器具庫に聞き慣れた声と共に、親友が飛び込んできた。そしてもう一人。

 

「全く、最初は冗談だとばかり思っていたが……こりゃ、こいつらにはじっくりとお灸をすえてやらんとな。おい、真嶋。まだ生きてるか?」

「生きてますよ先生。というか、人を勝手に殺さないで下さい」

 

 真嶋君の返事に「がっはっは!」と大きな笑い声をあげるのは今日、6時間目にクラスで現代文の授業をしていた先生。

 どうやらことりが連れてきてくれたらしい。

 

「せ、先生……どうして?」

「説明は後だ。それよりもまずは――」

 

 ギロッと、先輩方に恐ろしい視線を向ける先生。その視線に怯えてガタガタと震える先輩方。普通なら、ここまで怯えるのもおかしな話である。でも、彼らは震えてしまうのだ。なぜならこの先生、

 

「いやー、元柔道全日本チャンピオンの実力がこの目で見れるなんて。先生、こんな高校生三人に負けないで下さいよ?」

「全く、バカも休み休み言え。確かに俺は引退して10年以上たつ。でも……性根の腐った男子生徒三人を叩きのめすくらいの実力は残っているさ」

 

 ぽきぽきと拳を鳴らし、先生がニッコリといい笑顔を浮かべながら三人に近づく。

 何を隠そう、先生は柔道の有段者であり、日本でも指折りの実力者だったのだ。そのことを学校で知らない生徒はいない。ちなみに、その実力を生かした生徒指導は、もはやこの学校の名物にもなっていた。

 そんな先生だが、上着を脱ぎつつ三人へ更に近づく。鍛え上げられた肉体美があらわになり……はわわわわっ!

 

「……せ、先生! どんな、どんな柔道技でも俺たち受けますから。痛くたって構いません。だから……せめて上着だけは、上着だけは着てください!!」

「そんな厚い胸板に挟まれたら死んでしまいます!!」

「あっはっは! お前らもなかなか面白いことを言うな。俺の胸板なんて全国的に見れば大したことないぞ?」

 

 隣で真嶋君が「いやいや、あの胸板は全国レベルだよ……」と呟き、ことりが「あ、あはは……」と困ったような笑みを漏らしていた。

 

「おい、真嶋。お前は南と園田を連れて、今日はもう帰っていいぞ。詳しい話はこいつらに聞いておくから」

「サンキューです、先生。そんじゃ、ことりに園田。お言葉に甘えて今日はもう帰ろっか」

 

 真嶋君が私とことりの背中を優しく押す。まるで、この後に起こる惨劇を私たちに見せないように。そんな意図がこもっていた。

 

「さぁーて、お前らにはとびっきりの寝技をかけてやろう。これでも寝技に関しては全国一のレベルを誇ってだな―――」

 

 体育器具庫を後にしてから数十秒後。断末魔のような叫び声が聞こえてきたのは言うまでもない。

 真嶋君は想像してしまったのか、若干青い顔をしていた。

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

 学校を出てから聞いたのだが、やっぱり真嶋君はあらかじめ、ことりに先生を連れてこいと言っておいたらしい。

 そして、まだ職員室に残っていた中で一番屈強だった先生をことりが選択。結局、先生を連れてそのまま体育器具庫へ来たというわけだった。

 

「仮に私が体育器具庫にいなかった時、真嶋君はどうしていたんですか?」

「……さぁ?」

「さぁって……」

 

 どうやら何も考えていなかったらしい。こんなこと言うのは良くないかもしれないが、連れてこられたのが体育器具庫で本当に良かった……。

 

「でも、そんな事考えるだけ無駄だろ? 現に園田はこうして助かったわけだし」

「ま、まぁ、そうですけど……」

 

 頭の後ろで手を組み、呑気な声を出す真嶋君。

 

 ちなみに今は、彼と共に家までの帰り道を歩いている。さき程までことりと一緒だったのだが、終始「うみちゃぁーん……よかった、よかったよぉ」と涙を流していた。

 ことりには本当に心配をおかけしたので、後日もう一度しっかり謝らなければいけませんね。

 穂乃果にも私が助かったことは、既に連絡済みである。『明日、お説教だからね!』とまで言われてしまい、思わず苦笑いだった。私が穂乃果に怒ることはあっても、まさか、穂乃果に怒られる日が来るだなんて。

 

「なぁ、園田」

 

 先ほどの会話を思い出し、少しだけ笑顔を浮かべていた私に、真嶋君が声をかけてくる。

 

「何ですか?」

「……怖かったか?」

 

 いつもより優しい声。彼が何に対して怖かったと聞いてきたのかなんて、すぐに分かった。私の脳裏に先ほどの情景が読みがってきて――。

 

「……はい」

 

 ちょっとだけ、ほんの少しだけ、声が震えた。そんな私に気付いたのか、気付かなかったのか、それは分からない。でも彼はぽそっと呟く。

 

「そっか……今は?」

「今は……もう、大丈夫です」

 

 大好きな親友が、穂乃果とことりが心配してくれたから。それに何より……あなたが来てくれてから。私がそう答えると真嶋君がホッと息を吐く。

 

 そして、私の頭を二度、ポンポンと叩いてきた。

 

 

 

「よかった」

 

 

 

 こちらに振り向くと、一瞬だけ彼が笑顔を浮かべる。その笑顔に私はしばらくの間、釘付けになった。

 私に向けてくれた嘘偽りのない、始めて笑顔。思わず歩みが止まる。

 

「ん? どした?」

「……何でもないです」

 

 理由は分からない。なぜか涙が零れそうになった。それを悟られないように、うまく話を変える。

 

「ところで、真嶋君は喧嘩が弱いんですか?」

 

 何気に気になっていたところだ。

 

「うぐっ!?」

 

 私の指摘が真嶋君の心にクリティカルヒット。そのままずるずると地面に膝をつく。

 

「す、すいません。そんなに落ち込むとは思っていませんでしたので……」

「い、いや、いいんだ……。喧嘩に弱い俺が悪いんだ。だって、仕方ねぇだろ。食っても食っても、太らない。そういう体質なんだから……。畜生、こんなことになるくらいならもっと鍛えておけばよかったよ……」

 

 いつもなら私に言い返しているところだろう。しかし、相当心に響いているのか、自己嫌悪に陥ってしまっているらしい。

 

「昔から喧嘩だけは弱くてな。中学から今まで喧嘩をしてこなかったのは、それが原因でもあるんだよ」

 

 どうせ喧嘩吹っかけても負けるだけだし……真嶋君が遠い目をして呟く。口には出さなかったが、何となく一度喧嘩に負けて酷い目を見ていそうだ。

 

「そうだったんですか」

「そうだったんだよ。多分、腕っぷしだけならお前にだって負ける!」

「自慢することではないと思うのですが……」

 

 男として腕っぷしが弱いのを自慢するのは駄目なんじゃ……。最近、より彼のことが分からなくなってきました。

 まぁ、真嶋君が嬉しそうなのでいいとしましょう。

 

「……真嶋君」

 

 その後、少しだけ歩いて私は口を開く。

 

「どうして助けに来てくれたのですか?」

 

 ずっと聞きたかった。だって真嶋君は、私の事をよく思っていないはず。

 何時だって私は彼に突っかかって、理不尽なことも言ったりして……とても彼が進んで私を助けようとは思えない。逆に私が真嶋君の立場なら、助けるのを躊躇しただろう。

 

「そりゃ、俺が行かなきゃ、ことりと穂乃果が行くことになったかもしれないんだ。そんな危険なことさせられるかよ」

「そう……です、か」

 

 言葉が途切れ途切れになる。思いのほか彼の返事に、ショックを受けている自分がいた。私の為ではなく、穂乃果とことり、二人のため。

 当然なのに……どうしようもなく悲しくて――。

 

 

 

「あと……俺だって心配だったんだよ。園田のこと」

 

 

 

「……えっ?」

 

 聞き間違いでしょうか? 私が顔をあげると、少しだけ赤い顔の真嶋君が視線から逃れるようにそっぽを向く。

 

「これでも一応、一緒の家で暮らしてるんだ。心配するのは普通だろ?」

「で、でも私は、散々あなたを馬鹿にして……」

「んなこと、今更気にするかよ。お互い様だ、お互い様。それに俺は落ち込んでるお前よりも、普段からうるさくて、騒がしいお前のほうがいい」

「っ!?」

 心臓をキュッと、掴まれるような感覚がした。

 

「……へ、へぇ~。そうですか……///」

 

 髪の毛の先をくるくるといじる。そうしていないと恥ずかしさのあまり、蹲ってしまいそうだった。顔がどんどんと熱くなる。

 

「というか、落ち込んでるお前は気持ち悪くて見てられん」

 

 なんて頬を真っ赤にしていたら、いつも通りの憎まれ口が飛んできた。

 普段と変わらない彼の言葉。だけど今はそれが妙に嬉しくて、

 

「……ふふっ。なんですかそれ?」

 

 笑みがこぼれてしまった。そんな私に真、嶋君が驚いた表情を浮かべる。

 

「? どうしたんですか?」

「い、いや……お前が俺に笑いかけてくれたの、初めてだなぁって。なんだ、ちゃんと笑えばかわ……何でもない」

 

 また心臓がキュッとなった。

 

「わ、私だって、笑顔くらい浮かべますよ……」

 

 駄目です。恥ずかしくて、真嶋君の顔をまともに見られません……。途中、何かを言いかけていた気もしますが、そんな事を気にしていられる余裕はないです。

 少し収まっていた顔の火照りが二倍になって戻ってくる。彼も彼で恥ずかしかったのか、頬をかいていた。

 私たちの間に微妙な空気が流れる。だけど、いい雰囲気かもしれない。あの事を言うためには……。

 

「そんじゃ、これ以上遅くなるわけにもいかないし、さっさと帰ろうか」

 

 そう言って真嶋君がゆっくりと歩き出す。

 

「あっ……待ってください!」

 

 私は彼の制服を反射的につかんでいた。

 

「……園田?」

「あの、ま、真嶋君」

 

 言うなら今しかない。

 こんなことを彼に言うのはおこがましいかもしれないけど、やっぱり……。私は大きく息を吸い込む。

 

「私の事を……名前で呼んでほしいです」

「…………へっ?」

 

 真嶋君が間抜けな声を上げる。まさか私に、そんなお願いをされるとは思っていなかったのだろう。目をぱちくりとさせていた。

 そんな彼を私は、見上げるようにして見つめる。

 

「ずるいです。ことりと穂乃果は名前で呼ぶのに、私はいつまでたっても名字で……ずるいです」

 

 多分、私はどうしようもない疎外感を感じていたのかもしれない。穂乃果たちと話している時の真嶋君は何時だって楽しそうで……。

 

「私だって……名前で呼んでほしいです」

 

 寂しいと思ってしまった。

 

 制服を掴む右手に力がこもる。

 

「…………ったく」

 

 真嶋君が困ったような顔をする。

 

「やっぱり無理ですよね……」

「海未」

 

 ………………あっ、名前。

 

「……へっ? あっ、はいっ!」

「どうしてそんなに驚くんだよ? そのだ……海未の方から、そう頼んできたんじゃねぇーか」

「す、すいません。まさか本当に呼んでくれるとは思わなかったもので……」

「何だよ。嬉しくなかったのか?」

 

 からかうような彼の言葉。私は反射的に口を開く。

 

「っ! そ、そんなわけありません!! すごく嬉しかった……あっ!」

 

 思わず本音が漏れてしまい、私は顔を真っ赤にして俯きます。うぅ、こんなことを言うつもりは全く考えていなかったのに……。

 

「自分で自爆して、照れるのはやめてくれ。こっちまで恥ずかしくなる」

 

 顔を真っ赤にして俯く私に、真嶋君が呆れたような声を上げる。

 

「あ、あまりその事を言わないで下さい……というか、忘れてください」

「大丈夫だ。以前のラブアローシュートよりは全然ましだから」

「そっちも忘れてください!!」

 

 むしろそっちの方が忘れてほしいです! あの時の私はどうしてあんなことを……。

 

「まぁ、いいじゃねぇか。人間、黒歴史の一つや二つ、持って当然だよ」

「それの黒歴史を知られているのがあなただってことに、嫌気がさします。本当、かつてないほどの屈辱です」

「相変わらず、口の悪いことで」

「私の事をからかう、和希がいけないんじゃないんですか……」

 

 何気なく、ごく自然に、努めて意識しないよう、恥ずかしがらないように、彼の名前を呼ぶ。

 だって、彼は私の事を名前で呼んでくれたのに、私だけ呼ばないなんて不公平じゃないですか。べ、別に他意はありません! ……私は一体、誰に言っているのでしょう?

 

「俺の事も普通に名前で呼ぶのな。しかも呼び捨てで」

 

 名前で呼ばれたことに和希は少々驚いているようだ。

 

「だって、名前で呼んであげないと和希が悲しむかなと思ったんです」

「お前に呼ばれないくらいで悲しむほど、メンタルは弱くねぇよ。大きなお世話だ」

「……ことりに名前で呼ばれなくなったら?」

「土下座でも何でもして、もう一度名前で呼んでもらえるように頑張ります。だってことりは、俺にとっての大天使様だから!!」

「どれだけことりが好きなんですか……」

 

 全く、これだから和希は……。私が冷ややかな目でツッコむと、和希は「うるせぇ!」と短く一言。

 その後、私たちは珍しく笑いあいました。何とも穏やかな空気が私たちの間に流れます。

 

(いつもギャーギャー言い合っているのが嘘みたいに感じてしまいます)

 

 今の私たちを穂乃果とことりが見たら、すごくびっくりするでしょうね。『どうしたの二人とも!?』って感じに。

 

「あぁ! そういえば一つだけ海未に言いたいことがあったんだ!」

 

 和希が突然大きな声を上げる。

 

「何ですか、和希?」

 

 いつもなら大きすぎる声に文句の一つでも言っていたかもしれません。でも、今は雰囲気のせいなのか、和希の事をうるさいと感じなくなっていました。

 ……もしかしたら私、彼の事を少しは認めて――。

 

 

 

「お前をお姫様抱っこしたときの太もも、最高だったぜ!」

 

 

 

 ピシッ

 

 彼の一言によって空気が凍り付く。この人は……本当にこの人は!! 

 はぁ、和希の事を一度でも認めようとした自分がバカでした。

 

「和希……」

「なんだ? おぉっ! もしかしてまた触らせてくれるのか!? 海未の太ももは、程よい肉付きで、やわらかくて……」

 

 自分から性癖を露出していくスタイル。それに痺れませんし、憧れません! 興奮気味の和希に、私は腕を振り上げる。

 

「えっ? その振りかぶっている右手は――」

「あなたは最低ですっ!! 少しでも認めようとした私がバカでした!! この不埒ものぉおおおお!!」

「ぶほぉ!?」

 

 やっぱり、あなたのことなんて大嫌いです!!

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

 ちなみにその後、園田家にて。

 

「なぁ、海未。そこにある醤油をとってくれ」

「分かりました、和希」

 

 食事中。海未に醤油をとってもらい……なんかすごい視線を感じる。

 

「あら……あらあらあら!!」

 

 鼻息の荒い睦未さん。嫌な予感しかしない。

 

「なんすか、睦未さん?」

「あなた達……いつから付き合い始めたのですか?」

 

 やっぱりこうなったか……。

 

『付き合ってない(です)!!』

 

 海未と共に全力で叫ぶ。

 

「明日はお赤飯かしら?」

『話を聞け(聞いてください)!!』

「初孫は女の子がいいわね~」

『…………』

 

 ヤダこの人。話聞いてくれない……。海未は顔を真っ赤にして俯き、睦未さんはそれを見て益々ニヤニヤが止まらない模様。

 

「この状況、どうすりゃいいんだよ……」

 

 お願いです。誰でもいいので助けてください。報酬は弾みます。

 




 ちょっと長かったですかね? 今回も読了ありがとうございます。
 また感想等、お待ちしております。


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6話 真面目な彼女とテストで勝負することになった

 テスト……嫌な響きです。


「それじゃあ、お母様。行ってきます」「睦未さん、行ってきます」

「はいはい、行ってらっしゃい!」

 

 海未が連れ去られたり、名前で呼ぶようになってから、約一か月が経過していた。

 

 海未の事を名前で呼ぶことにも慣れ、名前で呼ばれる事にも慣れ、そのたびに睦未さんがにやけるのにも慣れ……。うーん、最後のはわりとどうでもよかった気がする。慣れたからいいんだけど……。

 まぁ、とにかくこの一か月間は何事もなく平和で、平凡な日々だった。あと、ことりが相変わらず可愛い。これ、すごく重要。

 

「それにしても、今日は暑いな」

 

 手をうちわ代わりにして仰ぐものの、まるで意味をなさない。既に梅雨も明け、じりじりと夏特有の厳しい日差しが、容赦なく俺たちの身体に降り注いでいる。

 

「天気予報では、30度を超えると言っていましたからね」

 

 海未もポケットからハンカチを取り出して、額や首元の汗を拭う。チラッと見えるうなじがなんとも艶めかしい。

 これが海未じゃなく、ことりだったらよかったのにな。

 

「和希。今、私の事を馬鹿にしませんでした?」

「いやいや、あなたの考えすぎですよ。あははは……」 

 

 絶対零度の視線を、乾いた笑いでやり過ごす。こいつ、鋭すぎるだろ……。一ミリたりとも表情筋を動かさず、心の中だけでバカにしたというのに。

 そんな感じにいつもの場所まで歩いていくと、

 

「海未ちゃん、和希君、おっはよー!!」

 

 夏の暑さをものともしない、元気な声が俺の耳に響いてきた。こんなくそ暑い状況の中で、元気に挨拶をできるやつを俺は一人しか知らない。

 

「おはようございます、穂乃果」

「おう、おはよう穂乃果。お前は相変わらず、元気だな」

「そういう和希君はぐったりしすぎだよ! もっと熱くなっていかないと!」

 

 脳裏にあの熱いお方がよぎる。しかし、すぐに頭の中から追いやった。だって、余計に暑くなるもん。

 

「海未ちゃんに、和希君。おはよう♪」

 

 こ、この声はもしかしなくても、大天使ことり様だ。取り敢えず、深々と頭を下げる。

 

「おはようございます、ことり様。ご機嫌麗しゅう。今日も良いお日柄で」

「さっき、思いっきり暑いと言っていたではありませんか……」

「あ、あはは……」

 

 ちっ、隣にいるやつがなんだかうるさいな。俺はお前ではなく、大天使ことり様に挨拶をしているんだ。いちいち、口を挟まないでもらいたい。

 

「何でしょう。今、無性に和希の頭を叩きたい気分です」

 

 だからお前はエスパーかよ! そう心の中でツッコみながら、俺も海未と同様に流れてきた汗をタオルで拭う。

 梅雨のじめじめした暑さよりはましなのだが、それでも暑いものは暑い。しかし、正直に言おう。俺は夏が好きだ。いや、好きになったというべきか。

 

「…………」

「どうしたの真嶋君? ことり、何か変かな?」

「いや、変じゃない。……最高だなって」

 

 何が最高って、夏服がもう最高。言葉には言い表せない魅力が、夏服という一枚の衣類にはつまっている。ほんと、肌の露出が増えるってたまりませんなぁ。

 

「ねぇねぇ、海未ちゃん。和希君はどうして、ことりちゃんの夏服を見てうんうん頷いてるの?」

「彼は変態なんです。病気なんです。だから穂乃果。和希を見ると病気が映るので、あまり見ないように」

 

 誰が病気じゃ! 女子の、しかも可愛いことり様の夏服姿を見て、興奮するのは俺だけじゃないと声を大にして言いたい。

 男はみんな変態。これ、次の期末テストに出します。

 

 そんなわけで(どんなわけだ)、いつも通り仲良く4人で学校に向かう。そのまま学校で授業を受けつつ、海未に怒られたり、海未に怒られたり、海未に怒られたり……していくうちに(おかしい。俺の一日、海未に怒られてばっかり)最後の授業である現代文が終了した。

 

「よーし。今日はここまでな。ちなみに、来週の期末テストの範囲もここまでになるから。しっかり復讐をしておけよ」

「先生、なんだか復習の字が違うような……」

 

 先生の言葉に若干ビビりつつ、俺は一週間後に迫ったテストに「はぁ」とため息をつく。

 個人的にテストは嫌いだ。というか、好きなやつのほうが珍しいと思う。

 

「どうしたんですか? そんな物憂げな顔をして」

「いや、来週からテストだろ? 嫌で嫌でしょうがないんだ」

 

 ぶつぶつ文句を言う俺に、海未はあきれ顔だ。

 

「嫌なのは当たり前でしょう。あんな授業態度をとっていれば、テストの成績が悪くなるのも当然です」

 

 聞き捨てならないことを言われた気がする。

 

「おい、ちょっと待て。俺がいつ、テストの成績が悪いと言った?」

「確かにあなたの口からは言っていませんけど、どうせ酷い成績なんじゃないですか? それこそ、進級が危ぶまれるほどに。まぁ、その点、授業を真面目に受けている私は何も問題ないですけどね」

 

 ふふんと、ない胸を張る海未。これは現実を見せてやらないといけないな。

 

「ちょっと待ってろ」

 

 俺は、プリントで溢れかえっている机の中を必死に漁る。確かこの辺に……おっ! あった。

 

「全く、机の中くらいきちんと整頓してください」

「教科書が一冊も入っていないことについては何も言わないんだな」

「言ってもしょうがないから諦めたんです。それはそれとして、何ですかその紙?」

「中間テストの結果用紙」

 

 そう言って俺は、海未に結果用紙を手渡す。さて、これを見た彼女は一体どういう反応をするのか?

 

「どうせ、穂乃果と同じような点数が並べられているのでしょう?」

「おいおい、俺を侮辱するのは構わんが、穂乃果は関係ないだろ?」

「大ありです。和希は穂乃果のテスト結果を知らないから、そんな事が言えるんです」

「そんなに悪いのか?」

 

 海未が俺の耳に顔を寄せ、穂乃果のテスト結果を囁く。そして俺は絶句した。

 

「……お前の親友、大丈夫なの?」

「こればっかりは何とも言えません。一応、中学時代からテストがあるたびに「勉強しなさい!」と、口酸っぱく言ってきたのですが……」

 

 全く進歩がありませんでした……遠い目で海未が呟く。どうやら相当苦労を重ねてきたらしい。ほんと、ごくろうさんです。

 そもそも、よくその成績で音ノ木坂にはいれたもんだ。

 

「まぁ、穂乃果の勉強云々はどうでもいいとして、取り敢えず俺のテスト結果を見て見ろよ」

「和希はそんなに恥をさらしたいのですか?」

「お前は本当に失礼な奴だな!! とにかく結果を見ろって」

 

 俺からのお叱りを受け、海未が渋々テスト結果に目を通し始める。

 

 最初こそ、どうでもよさげに結果を眺めていた海未だったが、次第にその目が大きく見開かれていく。そして、最終的には顔が真っ青になっていた。

 

「あ、ありえません。こんなこと……絶対にあり得るはずがありません!! 和希、カンニング、もしくは先生に賄賂を渡したんじゃないですか? そうに違いないです!」

「んな事するか! 正々堂々とテストに臨んだ結果、この点数だ!」

「だとしてもあり得ません。どうして……どうして、和希の点数が私の点数を上回っているのですか!?」

 

 海未がテストの結果用紙を掴みつつ、机をバンバンと叩く。どうでもいいけど、学校の備品は大切にね。

 

「その疑問は最もだ。でも、授業を適当に受けていたからと言って、テストの点数が悪いとは限らない。そう、俺は授業を真面目に受けないだけで、テストはいいんだよ!」

 

 最近、授業中に俺が好き勝手に過ごしていても、先生は何も言わなくなっている。その最たる理由が、テストでの結果だった。数字とは正義。絶対無二の存在なり。

 ちなみにテスト返却の際、「真嶋君、これだけ点数取れるなら真面目に授業を受けたらどう?」と、目のハイライトが消えた先生全員(一部を除く)に言われた。

 

「ありえません、ありえません、ありえません……。全教科平均85点なんて、私は認めませんよ」

「これが現実なのだよ園田君。それで……君の中間テスト。結果はどうだったのかな?」

「……全教科平均80点くらいでした」

「ほーん。それで、全教科平均80点の園田君。この結果を受け、あなたはどうお考えですか? これでもまだ、俺の事を勉強ができないとバカにするのですか?」

 

 悪代官のような笑みを浮かべる俺。

 

「く、屈辱です。どうしてこんな人に私が……」

 

 何も言い返せず俯く海未に、あーっはっはっはと高笑いを上げる。いやー、いつも散々海未には怒られてるからな。

 こうして屈辱に歪む彼女の顔を見ていると、実に気分がいい。……今の俺、性格最悪だな。

 

「ふ、ふふふ……」

「お、おい、どうしたんだよ?」

 

 不気味な笑い声を上げ始めた海未。夏の暑さと、テストの点数に負けたショックで、頭がおかしくなったのか?

 

「こうなったらもうやるしかありません。和希! 次の期末テスト、私と勝負です!!」

「勝負?」

「はい! このまま負けっぱなしではいられませんからね。というか、和希に点数負けてるままとか、屈辱のあまり発作が出てしまいそうです」

「お前、どれだけ俺の事嫌いなんだ。発作とか、いくら俺でも泣くぞ?」

 

 いくら嫌いな相手とはいえ、流石に傷つく。というか、ショックのあまり号泣しそう。

 

「和希が泣く、泣かないなんてどうでもいいんです」

 

 酷いっ!!

 

「それよりも、私からの勝負受けるんですか?」

「いや、受けるも何も、そんなことをしたところで、俺にメリットが一つも無い――」

「もし私に勝てたら、ことりとのデートを取り付けてあげてもいい……」

「よしっ、勝負だ海未。信じられないくらい勉強して、ことり様とのデートを実現させるんだ!!」

「ことりが絡むと相変わらずですね……まだ、ことり本人から許可も貰っていないのに」

 

 一人勝手に盛り上がる和希に、海未は大きなため息をつく。そしてぷいっとそっぽを向いた。

 

「どうしてことりばかり……ばかっ」

「ん? 何か言ったか?」

「別に、なんでもありませんよ。それより、勝負するということで問題ありませんね?」

「当たり前だ。男に二言はないよ。後、俺が負けた時には、何でも一ついう事を聞くってことで大丈夫か?」

「問題ないですよ」

「あれあれ~。二人して何話してるの?」

 

 あっまあまな声に振り向くと、ほんわか笑顔を浮かべることりが。その隣にはどういうわけか、げんなりとした顔をしている穂乃果も一緒。

 

「いや、テストの点数で勝負しようって、海未と二人で話をしてたんだ。勝ったほうに報酬付きで」

「あっ、それ面白そう! ことりもその勝負に参加してもいいかな?」

 

 報酬という言葉につられたのか、「はいはーい!」と、ことりが手を挙げる。もう、その仕草だけで悶え苦しむほどに可愛い。

 

「も、ももも、もちろんです!! それでですね、私がことり様に勝ったあかつきには、どのような報酬を……って、いたたたたたっ!?」

 

 わき腹に強烈な痛みが走る。なんだなんだと隣を見ると、むすっとした顔の海未と目が合った。

 

「んだよ、海未? 俺、今変なことしたか?」

「……別にっ!! ただ、和希があまりにも気持ち悪い顔をしていたので、イラッとしました」

 

 ぷっちーん。

 

「俺は現在進行形で、海未にイラッとしているんだが?」

「それはこっちのセリフです。いい加減夏にもなったので、そのふざけた金髪をどうにかするべきじゃないですか?」

 

 バチバチと、火花が散っているんじゃないかと勘違いするほど睨み合う俺たち。何度でも言うが、俺の金髪はアイデンティティだ。

 

「はぁ~。素直になれない海未ちゃんも、ついつい憎まれ口を叩いちゃう和希君も、見てて飽きないなぁ~」

 

 ことりは相変わらず、天使の笑みでにこにこしている。しかし、裏がありそうで若干怖い。

 

「まぁ、海未に対してイラッとするのはいつものことだし、気にしないことにして……それよりも、穂乃果。お前、どうかしたのか?」

 

 いつもなら、他人の会話を遮ってまで自分の存在をアピールする穂乃果が、今日に限って全く口を開いていない。

 

「だってぇ……和希くぅーん!!」

「おわっ!?」

 

 突然抱き付いてきた穂乃果を、何とか受け止める。どうでもいいけど、胸が当たっていた。穂乃果って意外とある……すごーく心臓に悪い。ドキドキしちゃう。

 

「どうしたんだ、穂乃果?」

「先生が、次のテストで全教科30点以上取れなかったら、赤点にして夏休み補習だっていうんだよ!! おかしいと思わない?」

「いや、まったくおかしいとは思わない。むしろそれが普通だと思う」

「酷いよっ!!」

 

 おっと、先生の言い分が正論すぎて思わず本音がぽろりしてしまった。それにしたって、平均30点以上をとれないと喚いているだなんて……。こりゃ、相当まずい状況だな。

 

「穂乃果、来年からはきっと違う学年になると思う。でも、俺は穂乃果がもう一度、一年生をやり直すとしても、俺はずっと友達だ」

「その笑顔がすごく心に刺さるよ!?」

 

 清々しいほどの笑顔を浮かべる俺に、穂乃果が涙目になって「嫌だよぉー。穂乃果も一緒に進級したいよぉー」と、さらに身体を密着させてきた。

 犬っぽいけど、犬ではない。だって本物の犬は、こんないい匂いしないもん。

 

「分かった、分かったから。俺が勉強見てやるから、取り敢えず離れろ!!」

「えっ! いいの?」

 

 キラキラと穂乃果が目を輝かせる。勉強を教えると言った途端にこの態度……なんて現金なやつだ。

 

「でも、和希君って不良だし、頭よくなさそうだよね。もしかして、穂乃果より悪かったりする?」

「……おい、海未。穂乃果に現実を見せてやれ」

「分かりました。穂乃果、これが現実ですよ」

 

 そう言って海未が、テストの結果用紙を穂乃果に見せる。ついでにことりも覗き込んできた。そして、

 

「わぁ! 和希君って勉強できたんだね!」

「酷いよ、和希君! 穂乃果、和希君がバカだって信じてたのに!! バーカ、バーカ!」

「残念だったな。俺はお前とは違う。現実をしっかり受け止めろ」

 

 ワーワーうるさい穂乃果に、達観した笑みを浮かべた。あなたとは違うんです。

 

「まぁ、取り敢えず俺が穂乃果に、勉強を教えてあげられるだけの学力が確認できたところで、勉強はどこでやろうか? 別に学校の図書館でもいいんだけど」

「うぅ、和希君が勉強できるだなんて……。神様は不公平だよ」

「いつまでもぶーぶー言ってるんじゃねぇ。文句を言っている暇があったら、早速勉強会を始めるぞ」

「あっ! それなら穂乃果の家でやろうよ!」

「そりゃ別に構わないけど、親御さんは大丈夫なのか?」

「うん、ぜんっぜん大丈夫。よしっ! そうと決まればレッツゴーだよ! 海未ちゃんも、ことりちゃんも!」

 

 グイグイと、元気な穂乃果に引っ張られ、そのまま学校の外へ。というか、ことりと海未も一緒に勉強するのね。

 

「和希、本当に良かったのですか? あなた自身の勉強もあるのに」

 

 穂乃果家への道を歩いている最中、海未がそう訊ねてくる。少しだけ申し訳なさそうな声。

 

「人に教えてやった方が自分の理解も早く進むしな。別に問題ないよ。それに、自分の分の勉強は夜にでもやればいいし」

「それならいいのですが……」

 

 真面目な海未のことだ。きっと俺が穂乃果に勉強を教えることによって、不公平が生じるのではないかとでも思っているのだろう。

 

「いいんだよ。お前は何も気にしなくて。それに、海未が俺に勝つためには、多少なりハンデは必要だろ?」

「……あなたは相変わらずですね」

 

 困ったような、だけど少し嬉しそうな顔で海未が微笑む。

 柔らかなその笑顔は、俺にとって完全に不意打ちだった。畜生、海未のくせに……。

 

「あぁ! 海未ちゃんと和希君が穂乃果たちを放っておいて、イチャイチャしてる!!」

「なぁっ!? い、イチャイチャなんてしていません!!」

「穂乃果知ってるよ! そうやってムキになって否定するところがすごく怪しいって!!」

「俺たちの関係を怪しんでいる暇があったら、お前は目の前のテストに集中しろ」

「和希君、海未ちゃんとイチャイチャしていたことに関しては否定しないんだ」

「ことりさん、それ以上は勘弁してください……」

 

 ことりと穂乃果、両方にいじられつつ、俺たちは穂乃果の家へと歩いていくのだった。

 




 今回も読了ありがとうございます。感想や、評価等、いつもありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
 それにしても、ほのことうみの三人と一緒に勉強とか、絶対集中できないですね。いろんな意味で。


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7話 真面目な彼女とテスト勉強をした

 日間ランキング8位になっていました。皆さん、応援ありがとうございます。


「ここが穂乃果の家だよ!」

 

 そう言って穂乃果が指差す先には、和菓子屋『穂むら』と書かれた看板。えっ、なに? 穂乃果の家ってここなの? 全然、話についていけていないんだけど!?

 

「穂乃果ちゃんの家に来るのって、久しぶりだなぁ」「確かにそうですね。最近は部活やその他の活動が忙しくて、遊ぶ暇もなかったですから」

 

 戸惑う俺とは対照的に、海未もことりもスタスタと穂むらの中に入っていく。

 ちょっと待って! 意味がよく分かってない俺を置いていかないで!!

 

「なぁ、穂乃果。お前のうちって本当にここなの? 和菓子屋なの?」

「あれ? 言ってなかったっけ? 穂乃果の家、和菓子屋なんだ。まぁ、そんな事どうでもいいから、入って入って!」

 

 初耳ですという暇もなく、グイグイと背中を押されて俺も店内に入る。

 

「あっ、穂乃果。海未ちゃんとことりちゃん、先に穂乃果の部屋に通しといた……って、あら?」

 

 そこで店内にいた女性と目が合った。多分、穂乃果のお母さんなのだろう。

 

「初めまして。穂乃果たちの友達で、真嶋和希です」

 

 簡潔に挨拶をして、俺は頭を下げる。取り敢えず、海未の家に居候しているというのは言わないでおいた。

 なぜって、そりゃ男が女の家に居候しているなんて、世間的に見たらあまりいい気分にならないだろうし。それに居候の件を勝手に言うと、海未に怒られるかもしれないからな。

 

「お母さん、この人が海未ちゃんちで居候している和希君だよ!」

 

 オイコラ、穂乃果てめぇ! 俺の気遣いを返せ! 気遣いは日本人の美徳だぞ。

 

「あぁ、この子が。睦未さんから色々と話は聞いてるわよ。何でも、『海未に最適なお婿さん候補が来てくれて嬉しい』って」

 

 オイコラ、睦未てめぇ!! 勝手なことを……おっと、あまりに驚きすぎて、穂乃果と同じようなことを考えてしまった。

 それにしたって酷すぎる。色々って、一体何を話したんだろう? というか、海未に最適なお婿さん候補って……。俺じゃなく、海未にダメージが大きい気がする。

 

「えっと、穂乃果のお母さん。すいませんが、睦未さんの言う事は9割方嘘ですので、鵜呑みにしないで――」

「聞いてよ、お母さん。和希君ってば、今日も穂乃果たちの事を放っておいて、海未ちゃんとイチャイチャしてたんだよ?」

 

 バカやろう!! お前は地雷を自ら踏まないと気が済まないのか!? またしても余計なことを言いやがって。

 

「あらあら、やっぱり海未ちゃんとはそういう関係なのね」

 

 ほらみろ。お前のお母さんが俺を見て、ニヤニヤし始めたじゃないか! あぁ、否定するのも面倒になってきた。

 

「穂乃果? そんなところで何を話しているのですか?」

 

 はい、もうタイミングばっちりです。ありがとうございます。

 

 穂乃果の部屋から降りてきたらしい海未に、俺はため息をつく。こいつら全員、裏で手を組んでるんじゃないだろうな? そう思えるほどのタイミングである。

 案の定、穂乃果のお母さんは海未をみて、さらにニヤニヤし始めたし……。

 

「ねぇねぇ、海未ちゃん」

「はい、なんですか?」

「いつから和希君と付き合ってるの? というか、どこに惚れたの?」

 

 穂乃果のお母さん(面倒だから穂乃果ママにしよう)の言葉に、海未の顔がボッと火が付いたように真っ赤になる。

 

「な、なな、ななな、何を言っているのですか!? 私は和希となんか付き合っていません! こんなダイオウグソクムシと同等の価値しかない、和希なんかと付き合うだなんて、ありえません!!」

「誰がダイオウグソクムシと同等の価値だ!! 俺は深海のお掃除屋さんじゃないぞ!?」

 

 そもそも、ヒトとダイオウグソクムシとを比べないでほしい。相手にも失礼だし、もちろん俺にも失礼だ。

 別に、どっちが上の立場とは言わないけどさっきの言葉、地味に俺の心を引き裂きましたからね? 比べるならせめてヒトと比べろ、ヒトと!

 

「ほらっ! 和希も、穂乃果も行きますよ! ただでさえ時間が乏しいのですから」

 

 これ以上追及されたくなかったのだろう。海未が俺たちの手を引いて、穂乃果の部屋へと引っ張っていく。

 うんうん、素晴らしい危機回避だ。……さっきからグソクムシに引きずられている気がしてならない。あっ、これはポ〇モンの方だった。

 

「海未ちゃん、何か進展があったらちゃんと聞かせてね」

「進展なんてありません!」

 

 海未も律儀に返事をしなきゃいいのに……。まだ一分も勉強していないのに、既に疲れている。体力のなくなった自分に、思わずため息が出るのだった。

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

「さて、取り敢えず……何からやるべきか」

 

 海未から穂乃果の惨状については聞いている。しかし、やみくもに手を付けていては絶対に終わらない。なので、優先順位をつけて勉強していかなければ……。

 適当にやって、30点以上取れなかったその瞬間、穂乃果は赤点決定。補習も決定である。

 

「ちなみに、穂乃果は何が得意なんだ?」

「うーんと……体育は得意だよ!」

「俺は勉強の話をしてるんだよ!!」

 

 この子バカなの? イラッとしたので、穂乃果の頭を一分間ほどぐりぐりとする。解放した穂乃果は若干涙目だった。

 

「うぅ……頭が割れそうだよぉ」

「自業自得だ。それよりも、得意な教科は?」

「現代文とか、歴史とか……」

「なるほど。完全な文系タイプだな。それじゃあ、今日は数学をやろう!」

「どうしてそうなるの!?」

 

 涙目のままツッコむ穂乃果。うーん、なんだか悪いことをしている気分になる。

 

「いや、全教科30点以上取らなきゃならない以上、苦手な科目を重点的にやっとかないと、どうしようもないだろ? それに、得意な科目なら気合で何とかなる」

「まさかの精神論!?」

 

 彼女は驚いているものの、テストまで残り一週間しかないのだ。それくらいしないと、彼女の絶望的な数学と科学、物理の点数はどうにもならない。

 特に酷い数学は、今のうちからしっかり対策しないと大けがをしかねないのである。

 

「和希の言うことに賛同するのは非常に癪ですが、今回ばかりは彼の言う通りです。そうしなければ、流石に間に合いません」

「お前さぁ、俺の事を馬鹿にしないと気が済まない病気なの?」 

 

 そろそろ本格的に泣いちゃうよ?

 

「ちなみに、ことりは前回の中間、何点くらいだったの?」

「うーんと、私は平均70点くらいだったかな。私も数学がちょっと苦手で」

「大丈夫、大丈夫。ことりの苦手は穂乃果の苦手と雲泥の差があるから」

「ことりちゃーん! 和希君がナチュラルに穂乃果の事を馬鹿にするよぉ!!」

「あ、あはは……よしよし、穂乃果ちゃん」

 

 バカにされてショックを受けたのか、穂乃果がことりの胸に顔を埋める。くそっ、なんてうらやま……怪しからんやつなんだ。

 

「泣いててもしょうがないし、そろそろ勉強を始めるぞ。ほらっ、さっさと教科書を出した出した」

 

 俺の言葉に、穂乃果が渋々教科書を取り出し始める。よっぽど数学の勉強をやりたくないらしい。

 

「あれ? 和希君。数学の教科書は?」

「数学なんて、問題集解いてれば十分だから捨てた。今日だって、穂乃果のを見ればいいし」

「…………へ、へぇ」

「すいません、ことり。和希はこういう人なんです。慣れてください」

 

 教科書捨てた発言に絶句することり。そんな顔も可愛いなぁ。

 

「そんなわけで、早速勉強を始めるぞ。まずは、穂乃果。分からないところを教えてくれ」

「分からないところって言われても……穂乃果、分からないところが分からないよ」

「…………ほ、ほぉ」

「すいません、和希。これが穂乃果なんです。慣れてください」

 

 ぜ、前途多難すぎて発狂しそうである。でも、勉強を見ると言った以上、最後まで付き合うしかないんだよな……。心の中だけでため息をつく。

 その後三十分以上かけて、まずは穂乃果のわからないところを探して、それからようやくテスト対策が始まったのだった。

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

「す、数式が……数式が頭の中をうろうろしてるよぉ」

「うろうろって、どんな状況だよ。まぁ、やった数式が全部抜けてるよりは、よっぽどましだ」

 

 机に突っ伏す穂乃果に、俺は苦笑いを浮かべる。

 

「テストの数学なんて、数をこなせば絶対にできるようになる。英語とか現代文よりよっぽどましだぞ?」

「それは和希君だから言えるんだよぉ……穂乃果は二度と数式なんて見たくない」

 

 嫌だ嫌だと首を振る穂乃果。こりゃ、毎日でも付き合ってやらないと、マジで30点に届かないかも……。

 

「ねぇねぇ、和希君」

 

 どうしたもんかと悩む俺の制服を、ことりがくいくいと引っ張る。その仕草は非常にまずいですよ。可愛くて!!

 

「はいっ! なんですかことりさん!?」

 

 思わず興奮気味に振り向く。案の定、困ったような、若干引いたような顔をされ、冷静になる俺。

 うーん、ことり相手だと、どうしてこうなってしまうんだ?

 

「えっと、私も数学で一つ聞きたいところがあるんだけど……」

 

 ことりが指差した問題に目を通す。

 

「あぁ、これは、まずはこうして……最終的にこうやって解くんだよ」

「なるほど! 流石和希君! 教えるの上手だね」

「い、いやぁ……それほどでも」

 

 あぁ、これはまずい。顔がにやける。ことりさん、マジで天使。

 

「…………」

 

ギュゥウウウウウウウ!

 

「いたたたっ!? なんだよ一体?」

「私も一問だけ、あなたに教えてもらいたいところがあって。なので呼びました」

「普通に呼べ、普通に!!」

「それで、この問題なんですけど――」

「答えを見てやり方を確認しろ。以上!」

「私だけ雑すぎませんか!?」

 

 俺の返答は雑なんかではなく、効率的と言ってほしい。ただでさえ穂乃果の相手で手一杯なんだ。

 隣でギャーギャーうるさい海未を放っておき、俺は立ち上がる。

 

「なぁ、穂乃果。トイレってどこだ?」

「部屋を右に曲がったところの突き当りにあるよ~」

「了解。ちょっとお借りします」

 

 そう言って用を足すために、穂乃果の部屋を出る。そしてすることを済ませ、部屋に戻ろうとしたところで、

 

「あっ、どうも」

 

 部屋から出てきた、穂乃果の妹さんらしき女の子に頭を下げられた。慌ててこちらも頭を下げる。

 

「どうも。穂乃果の友達で、真嶋和希です。えっと、穂乃果の妹さんで合ってるのかな?」

「はい、そうです。穂乃果の妹で、高坂雪穂と言います」

 

 赤みがかった茶髪に、ツリ目。それに、しっかり者だという事が今の会話だけで分かる。何というか、あんまり穂乃果と似てないな。

 

「えっと、真嶋さん」

「俺の事は和希でいいよ。みんなそう呼んでるし」

「あっ、はい。それじゃあ、和希さん。今日はどうしてこんなところに? 後、私の事も雪穂で構いませんから」

 

 疑問符を浮かべる雪穂ちゃんに、今日高坂家にお邪魔した経緯を説明する。

 

「それは何というか……すいません。うちの姉がだらしないせいで、和希さんに大変なご迷惑を……」

「いやいや、雪穂ちゃんが謝ることじゃないから大丈夫だよ。それに俺も教えるついでに、復習が出来るから一石二鳥だし」

 

 やっぱり、雪穂ちゃんは姉と違ってしっかりしているなぁ。それにどことなく、クールである。

 元気いっぱいな穂乃果を太陽とすれば、少しクールでしっかり者の雪穂ちゃんは月ってところかな?

 

「私が言える立場ではないですけど、これからも姉のことをよろしくお願いします」

 

 ぺこっと頭を下げる雪穂ちゃん。うーん、やっぱり真面目だ。

 

「どうなるか分からないけど、取り敢えず任されました」

 

 ニコッと雪穂ちゃんに微笑むと、彼女もぎこちないながらも笑顔を浮かべてくれた。そのまま彼女と別れ、穂乃果の部屋に戻る。

 

「遅かったね、和希君。迷っちゃった?」

「いや、部屋に戻る最中、穂乃果の妹、雪穂ちゃんに会ってな。少し話してたんだ。穂乃果とあまりにも違うもんだから驚いたよ」

「ちょっとそれどういう意味?」

 

 穂乃果がぷくっと頬を膨らませる。あざといなぁ。可愛いからいいけど。

 

「ほんと、穂乃果に少しでも雪穂のしっかりさがうつればいいものの……」

「海未ちゃんまで酷いよ!」

 

 性格的に、海未と雪穂ちゃんは話が合いそうである。お互い真面目だし。

 その後、穂乃果のやる気を何とか阻害しないよう注意を払いながら、俺たちは勉強を続けていったのだった。

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

 そしてテストの前日となった日曜日。

 

 俺はテスト前、最後の追い込みと称して勉強に励んでいた。穂乃果は……うん、何とかなるだろう。そんなわけで明日の教科を勉強していると、

 

トントン

 

 部屋の扉が控えめにノックされる。

 

「どうぞ」

「失礼します」

 

 コーヒーを持った海未が俺の部屋に入ってきた。

 

「お母さまが和希にって」

「おう、サンキューな」

 

 海未から受け取ったコーヒーに口をつける。

 何となく、園田家はコーヒーとか飲まなそうなので、実際に初めて出された時には驚いてしまった。最近はもう慣れたが、やっぱり先入観とは恐ろしいものである。

 ちなみに味は……うん、俺の好みのブラックだ。猫舌の俺には少し熱いけど。

 

 そんなわけで、俺がちびちびとコーヒーを飲んでいると、海未がいつまでたっても部屋から出ていかないことに気付く。

 

「どうした? 部屋に戻らないのか?」

「いや、その……」

 

 俺の問いかけに、海未はもじもじと恥ずかしそうに視線を逸らす。

 

「トイレなら早く行ったほうがいいぞ。それとも、この年になってトイレに行くのが怖いとか言わないよな? そんな事言ったら俺はドン引きです」

「と、トイレくらい一人で行けます!! バカにしないで下さい!」

「じゃあ、なんたっていつまでも俺の部屋に居座ってるんだよ?」

「うぐっ……そ、それは」

 

 再び言葉に詰まる海未。そしてしばらくの間、「うぅ~」とうなった後、ようやく口を開いた。

 

「……えてほしいです」

「はい? ワンモアプリーズ」

 

 声が小さすぎて全く聞き取れなかった。

 

「だ、だから、勉強を教えてほしいんです!!」

「……はっ? 勉強?」

 

 素っ頓狂な声で聞き返してしまう。だって、明日テスト本番だよ? この時期になって分からないとか結構やばくない?

 

「そうです、勉強です! どうしても一問だけわからなくて。答えを見てもやり方まで載っていなくて、その……」

 

 どんどんと声が尻すぼみになっていく。普通に頭のよい海未が俺に尋ねてくるだなんて、よっぽど難しい問題なのだろう。

 

「ただでさえ、和希は穂乃果に勉強を教えていて時間がないのに……でも、何度解き方を確認しても答えが出なくて、困ってしまったんです」

 

 悲し気に目を伏せる海未。

 どうやら教えてほしいと言い出せなかったのは、俺に教わるのが屈辱とかそんな理由じゃなく、俺の勉強時間を気にしていたかららしい。

 こいつ、普段は俺の気持ちを気にせずばんばん悪口を言ってくるくせに、こんな時ばっかり余計な気をまわすんだよな。

 

「分かった、分かったから。そんな悲しそうな顔するなって。俺もちょうど一息ついたところだったし、一問くらいなら大丈夫だよ」

 

 俺がそういうと、ぱぁっと彼女の顔が明るくなる。なんだかんだ、こいつも穂乃果と同じくらいに分かりやすい。

 取り敢えず勉強机では教えにくいので、小さな机を取り出して部屋の真ん中に広げる。

 

「それでどの問題なんだ?」

「えっとですね……この問題なんですけど」

 

 海未が指し示したのは、とある数学の問題。

 

「あぁ、この問題な。俺も難しくて手間取ったんだよ」

 

 今回のテスト範囲の中で、一番難しいと言っても過言ではない問題だ。海未が苦戦するのも無理はない。

 ちなみに穂乃果には、もちろん時間の無駄なので諦めろと言っておいた。こんな問題を解くだけ無駄だし、基礎問題を解いていたほうがよっぽど点数が取れる。

 それにしても、穂乃果はちゃんと勉強してるのかなぁ? お父さん心配だよ。まぁ、穂乃果のことはいいとして、

 

「この問題はな、ちょっとしたコツがいるんだよ。今から説明していくから」

「はい、わかりました」

 

 そう言って、海未が覗き込むようにして俺のノートを見つめる。垂れてきた髪を耳にかける仕草が妙に色っぽくて、思わず生唾を飲み込んでしまった。

 

「どうしたんです、和希?」

「い、いや、何でもない。えっとそれで解き方なんだけど」

 

 キョトンと首をかしげる海未に、何でもないと手を振りつつ、俺は丁寧に問題の解説をしていく。

 しばらくの間、難しい顔で説明を聞いていた海未だったが、どうやら理解できたらしい。

 

「なるほど、こうやって解くんですね。納得できました!」

「理解が早くて助かるよ。穂乃果とはえらい違いだ」

「全く、そうやって穂乃果を馬鹿にすると、後で怒られますよ?」

 

 そう言って海未が咎めるものの、いつもに比べたら全然怖くなかった。むしろ、今の状況を楽しんでいるようにも思えてくる。

 

「……あの、和希」

 

 すると海未が、ちょいちょいと服の袖を引っ張る。正直、普段とのギャップにより、滅茶苦茶ドキッとしたのは内緒。

 

「和希がいいならですけど……今日は和希の部屋で勉強してもいいですか?」

「……なんで?」

 

 思わず素の声でツッコんでしまった。そんな俺に、海未があわあわし始める。

 

「い、いえ、その、決してあなたの邪魔をするつもりはなくて、また分からない問題が出てきたら嫌だと思いまして。和希次第ですけど、ここにいれば分からなくなってもすぐに聞けますし……だ、だから、変な気は全然ないんです!」

「そういうことだったのね。まぁ、いいよ。俺もいちいち来られるよりは楽だしな」

「あ、ありがとうございます!」

 

 俺の返事に再び顔を輝かせる海未。本当に分かりやすいことで。

 そのまま海未は、教科書とノートを広げて勉強し始めた。そんな彼女に倣って、俺もやりかけだった問題集をもう一度開く。

 そのままの状態で一時間ほどが経過しただろうか? きりがいいところで一度大きく伸びをした俺に、海未が声をかけてくる。

 

「和希って、勉強するときだけは眼鏡をかけるんですね」

「普段の視力でも、全然問題ないんだけどな。かけたほうが若干見やすいってのと、あとは気分。眼鏡をかけてたほうがやる気になるだろ?」

「眼鏡をかけたほうがやる気になるって、あなたらしい理由ですね。それなら普段も眼鏡をかけてください」

「流石に普段からは嫌だよ。金髪にピアスに眼鏡とか、キャラの大渋滞を起こすしな」

 

 たまにいるけどな。不良でも眼鏡かけてるやつ。俺からして見れば、真面目なのか、真面目じゃないのか分からないので、はっきりしてほしい。そう思っている。

 

「確かに、それもそうですね。ただでさえ、和希はキャラが濃いですから」

「キャラが濃いってどういう事だよ?」

「不良で、変態さんで、ことりに目がなくて、素直じゃなくて、授業を真面目に受けなくて、私のいう事を全く聞かなくて……」

 

 なんだよこの悪口祭。しかし、彼女の言葉にはまだ続きがあって、

 

 

 

「だけど、私のピンチを助けてくれて、困った時には文句を言いながらも手伝ってくれて、今だってこうして勉強を見てくれて……そんな優しさを持った、憎みたくても、憎めないキャラです」

 

 

 

 妙に色香を帯びた口調で、海未が囁くようして呟く。最後の言葉がなんとも彼女らしい。それでも、少しだけ嬉しいと感じてしまう自分がいた。

 

「……確かにこうしてみると、俺ってめちゃくちゃキャラ濃いな」

「…………」

 

 返事が返ってこない。チラッと海未の顔を確認すると、

 

「……すぅ……すぅ」

「寝てんじゃねぇか……」

 

 既に彼女は夢の中へと旅立っていた。スマホで時間を見てみると、いつの間にか11時半を回っている。

 

「そういえば海未って、寝るの異常に早かったな」

 

 この前、「寝るのはやっ! おばあちゃんかよ」ってツッコんだら、普通に怒られた記憶がある。

 そんな海未がこんな時間まで起きているのは、流石に無理があったのだろう。今は気持ちよさそうに、むにゃむにゃ言っていた。

 

「こうしてみると、普通に美人なんだよな、海未って」

 

 眠る海未の頬をつんつんとつつくも、全く起きる気配がない。

 長い睫毛に、さらさらとした黒髪。肌もきめ細かくて……頼むから、普段もこれくらい静かにしてほしいものである。

 

「それにしてもさっきのセリフ、多分寝ぼけてたんだろうな」

 

 理性のある状態なら俺に対してあんなこと、絶対に言わないだろう。何というか、舞い上がって損した気分だ。

 

「うーん、こんなところで寝られても困るし、取り敢えず俺の布団にでも寝かせよう」

 

 彼女の部屋は、俺の部屋から少しだけ距離がある。その為、海未を部屋に運んでいくよりは、俺の部屋で寝かせたほうがよっぽど楽なのだ。

 

 海未を起こさないよう机を片付け、慎重に布団をセッティングする。

 

「よっと」

 

 貧弱な俺でも持ち上がる程、華奢な海未の身体を横抱きにする。ずっと持ち上げてるのは無理だけど、それにしたって軽い。本当にちゃんと飯食ってるのか? そのまま彼女を布団に寝かせて、掛け布団をかける。

 

「……さて、俺は勉強の続きでもしますか」

 

 その後勉強机に移った俺は、一時間ほど勉強を続け、いい感じにテスト範囲を終わらせることができた。

 あくびを噛み殺しつつ、布団で眠る海未に視線を移す。

 

「……すぅ……すぅ」

 

 彼女は相変わらず、気持ちよさそうに寝息をたててていた。

 

「んぅん……」

 

 くぐもった声を上げ、寝返りをうった海未の体勢が少し変わる。そのせいか、若干服装が乱れ、見えてはいけないものが見えてしまった。

 

「……あぁ、もう!」

 

 無防備なその姿に俺はガシガシと頭をかく。青い色をした何かなんて、決して見ちゃいない。

 流石にこのままではまずいので、なるべく海未のほうを見ないようにして布団をかけ直した。

 

「今日は机に突っ伏して寝るか」

 

 本来なら予備の布団を出して寝ているところだが、今日ばかりは仕方がない。疲れは取れないけど、明日の朝、シャワーを浴びれば何とかなるはずだ。

 それに朝起きて海未の顔が真横にあるとか、悪夢を見るよりも怖い。というか、先に海未が起きたら、状況を理解しないうちにぶん殴られそう……。

 そんなわけで俺は机に突っ伏した。

 

(明日のテスト、大丈夫かな。……特に穂乃果)

 

 しかし、彼女の心配をしている暇もなく、俺の意識は睡魔によってのみ込まれたのだった。

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

「んっ……」 

 

 目を開けると、いつもとは違う天井が視界に広がる。

 

 あれっ? ここはどこでしょうか? 確か昨日は和希の部屋で勉強をしていて……。和希の部屋で……。

 

「っ!?」

 

 色々と思い出した私は、勢いよく起き上がる。この布団は私の物ではありませんし、そもそも布団に移った記憶もありません。

 恐らく和希が自らの布団を敷き、そこに眠ってしまった私を運んだのでしょう。そんなわけで乱れた服装を戻しつつ、きょろきょろとあたりを見渡すと、

 

「ぐぅ……ぐぅ……」

 

 勉強机に突っ伏すような形で眠っている、和希の姿が目に入った。私は布団から出ると、和希の元に近づきます。余程ぐっすり眠っているのか、私が近づいても起きる気配はありません。

 

「……こんな所で寝ると風邪をひきますよ?」

 

 その背中に優しく布団をかける。一瞬だけもぞもぞと彼が動きましたが、すぐにそれも収まり、再び規則正しい寝息が聞こえてきました。

 

「……昨日はありがとうございました。勉強を見てくれただけでなく、私を布団に寝かせてくれて。また一つ、あなたに借りができてしまいましたね」

 

 彼のことは、相変わらず好きになれません。服装は乱れていますし、授業は真面目に受けないないし、ことりにはデレデレしますし、穂乃果には甘いですし……。

 でも、完全には嫌いになれません。だって和希は、

 

 

 

「たまに優しくて、そのたまにが、抜群にかっこいい……って、私は何を考えてるんですか!?」

 

 

 

 思わず恋する乙女のように、うっとりと呟いてしまいました。彼の優しさが心に響くのは、普段とのギャップが激しいからです。

 ま、全く、普段から優しくしていれば私がドキドキすることもないのに……。

 

「和希はずるいです」

 

 そう言って、彼の頬をつんつんと指でつつく。い、意外とやわらかいですね。男のくせに……。

 たっぷり1分ほどつんつんした後、私は彼の耳に顔を寄せる。

 

「聞こえるわけないですけど……今日のテスト、頑張りましょうね」

 

 小さな声で囁いた私に、彼の口元が少しだけ緩んだ気がしました。

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

 ちなみにみんな気になるテストの結果は、

 

 俺、全教科平均86点。海未、全教科平均83点。穂乃果、全教科平均40点(一応、30点切った教科は一つも無かった。やったね!)。

 

 ことり、全教科平均90点。

 

「う、嘘だろ……」

 

 ことりの点数に、本人を除く全員が絶句したのは言うまでもない。本人曰く、「ちょっと頑張っただけだよぉ」とのこと。

 いやいや、ちょっと頑張ったくらいでとれる点数ではない。何というか、ことりの持つポテンシャルの高さを認識する、今回の期末テストだった。

 

 その後、勝ったことりのお願いということで、四人仲良くケーキバイキングに行くことになったのだが、

 

「こ、ことりさん? 俺の見間違いじゃなければこの店、チーズケーキしか置いてませんよね?」

「うん、そうだけど何か問題でもあるの?」

「い、いやぁ~、流石にチーズケーキだけで二時間は持たないんじゃ……」

「大丈夫だよ♪ ことり、チーズケーキ大好きだから!」

 

 胸の前で拳を握ることりとは対照的に、俺は早くも胃がもたれ始めた。いくらあっさりおいしいチーズケーキでも、二時間ぶっ通しで食べたら流石にまずい気がする。

 

「おい、海未に穂乃果。今からでも遅くないから、ことりを止めてくれ」

「諦めてください、和希。私たちは勝負に負けたんです」「ことりちゃん、チーズケーキには目がないからねぇ~。ファイトだよ、和希君!」

 

 役に立たない幼馴染共め……。畜生、チーズケーキ二時間食べ放題とか、いろんな意味で拷問だよ。

 結局勝負に負けたため、どうすることもできずチーズケーキバイキングがスタートし、

 

「あれ? 和希君、お皿にチーズケーキが乗ってないよ? はいっ、ことりが持ってきた分を分けてあげる」

「……うっぷ」

「わぁっ! 和希、出すならトイレに行って出してきてください」

「いっそのこと、チーズケーキを鍋にしちゃえばいいんじゃない? そうすれば流し込むようにして、たくさんのチーズケーキが食べられるよ!」

 

 バカなことを言いだした穂乃果を無視してトイレに走る。

 

 チーズケーキを鍋にすると言った瞬間、ことりの目が光った気がするけど、見なかったことにしよう。

 結果として俺の心には、チーズケーキというトラウマが刻まれたのだった。




 読了ありがとうございます。また、感想や評価等、いつもありがとうございます。


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8話 真面目な彼女が看病をしてくれた

 海未ちゃんに看病されたい。


 さて、悪夢のようなチーズケーキ事件を乗り越え、終業式も無事に終わり、誰もが待ち望んだ夏休み。

 ……夏休みに入ったのだが、

 

「ごほっ、ごほっ……」

「38.5度。完全に夏風邪ですね」

 

 隣に正座する海未が残酷な宣言をする。

 

 そう、俺は夏休みに入って早々、風邪をひきダウンしていた。ガンガンと頭が痛み、咳と鼻水も止まらない。意識まで朦朧としてきており、はっきり言って最悪の気分である。

 更に、この最悪の気分に追い打ちをかけているのが、

 

「うみぃ……俺は夏風邪なんかじゃねぇ。だから、だから俺は今日、ことりたちとショッピングに行くんだぁ」

「そんなぼろぼろの状態で、ショッピングに行けるわけがないでしょう。今日は家で大人しくしていてください。風邪が悪化しますよ?」

 

 起き上がろうとした俺の額を押さえて、海未が再び寝かしつけようとする。しかし、そんな事でことりとのショッピングを諦めるわけにはいかない。

 楽しみで楽しみで仕方なかったのだ。それはもう、一週間の間、夜も眠れないくらいに……あれ? 風邪の原因ってもしかすると睡眠不足?

 

「いやだぁ、俺はショッピングに行くんだぁ。ことりぃ、ほのかぁ……」

「どうしてそんなにショックを受けているのですか? ただ、遊びに行くだけでしょう?」

 

 遊びという言葉に俺の全神経が反応し、くわっと目を見開く。

 

「遊びだって? ……ことりとのショッピングは遊びじゃないんだよ!! 遊びでやってんじゃないんだよ!!」

 

 叫ぶだけ叫ぶと、頭に猛烈な痛みが走った。そんな俺を海未は、ミジンコを見るような視線で見つめる。

 

「はいはい。遊びじゃないですね、そうですね。私が悪かったですよ」

 

 なんか軽くあしらわれた。キレそう。

 

「安心してください、和希。ことりと穂乃果にはきちんと、和希がいけなくなったことをしっかり連絡しておきますから」

「や、やめろぉ。俺はまだいけるぞぉ……」

「あっ、穂乃果ですか? 今日、和希が風邪をひいてしまって……」

 

 俺の言葉を聞き流し、海未が穂乃果に現状を説明している。そして、その電話はことりにも、

 

「うがぁああああ!! ことりだけは、ことりだけには……」

「ことり、すいません今日、和希は風邪をひいたのでいけなくなりました」

 

 ……もうダメだ、お終いだ。俺の夏休み終了。電話越しからことりの「ほんと? 和希君、大丈夫なの?」という声が聞こえてきたものの、ことりとショッピングにいけないのならば何も意味がない。心配はありがたいけど。

 

「和希、取り敢えず二人には連絡できた……って、どうして泣いているのです?」

「これが泣かずにいられるか!! せっかくの、ことりとのショッピングなんだぞ!? 楽しみでしょうがなかったのに……うわぁあああああああ!!」

 

 ことりと一緒に服を選んだり、ことりからレストランでパフェを「あーん♡」されたり、疲れたらちょっとしたカフェでくつろいだり……とにかく色々楽しみで楽しみで妄想しない日はなかったんだよ!! 

 

 高校一年生の男子が、こんなしょうもないことで号泣する。そんな俺を見て海未がドン引きしていた。というか、ゴミを見るような視線を向けてきていた。やめてっ、ゾクゾクしちゃう!

 

「取り敢えず、今日は家で大人しくしていてください。これ以上悪化させると、貴重な夏休みを無駄に浪費しますよ? それに、ことりに風邪がうつったらどうする――」

「今日は大人しくしています」

「……ほんと、ことりの名前を出すと、すぐにいう事を聞きますね」

 

 呆れたような海未の声。しかし、それ以上何も言わないところを見ると、すっかり慣れてしまったようだ。

 

「それじゃあ私は行ってきます。ポカリとお茶、それに薬はここに置いておきます。お腹がすいたら、冷蔵庫にお母さまが作ってくれたお粥が入っていますから。後、タオルと着がえはここに。それと、もし体調が今以上に悪くなったらいつでも私に連絡を――」

「心配しすぎだ。お前は俺の母ちゃんかよ?」

 

 本物でもこんなに心配しないぞ。今、どこで何してるのかは知らないけどな。

 

 ちなみに、今日睦未さんは用事があってこの家にはいない。つまり、海未が遊びに行くと、この家にいるのは俺一人になる。

 だからこそ、海未は執拗なまでに俺を心配していたのだ。全く、俺は子供じゃないんだよ。

 

「で、でも、やっぱり心配で……」

「いいから、いいから。俺の事は心配してないで、ことりたちと遊びに行ってこい」

 

 最後まで心配そうな表情を崩さない海未だったが、最終的には俺の説得? におれて家を出ていった。

 

「さて……」

 

 五月蠅いやつもいなくなったことだし、早速漫画でも……そう思ったのだが、立ち上がろうとする足に力が入らない。というか、頭が痛すぎて漫画を読む気にすらならない。

 

「……今日は海未の言う通り、おとなしく寝てるか」

 

 海未の言う通り、これ以上悪化させると貴重な夏休みを無駄に浪費してしまう。その為、俺は大人しく目を瞑ると、すぐに睡魔が襲ってきて俺の意識はなくなったのだった。

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

(ん? ……なんだかおでこが冷たいような)

 

 おでこに心地のいい冷たさを感じ、俺の意識が夢の中から戻ってくる。ちなみにどうでもいいのだが、夢の中でも俺は海未に怒られていた。愛されてるな、俺。

 それにしても、なんだろうこの冷たさ? 俺は少しだけ目を開ける。

 

「あっ! 和希君、おはよう♪」

 

 大天使コトリエルが目の前に降臨していた。状況が呑み込めない俺は、取り敢えず目を閉じる。

 うん、きっと錯覚か、風邪のせいで頭がおかしくなってしまったのだろう。そうじゃなければ俺の部屋に、ことりという大天使様がいるわけない。

 

「あ、あれっ? 和希君、今起きたよね? おーい、かーずーきくーん!」

 

 甘い声が脳に染み渡り、ゆさゆさと身体が揺さぶられる。すごいなぁ、最近の夢は。こんなリアルに状況を再現してくれるだなんて。

 きっと、ここが俺にとってのユートピアだ。

 

「和希君、また寝ちゃったの? じゃあ、穂乃果がことりちゃんの代わりに起こしてあげるよ!」

 

 今度は穂乃果の元気な声まで聞こえてくる。ことりに起こされるのもすごくいいけど、穂乃果に起こされるのも、これはこれでいいかもなぁ。

 穂乃果ならきっと俺のお腹の上に飛び乗って、「早く起きなきゃ、キスしちゃうぞ?」とか言ってくるんだろうなぁ。というか、いってほしい。

 

「和希君、起きて起きて!」

「…………」

 

 我慢だ我慢。ここは必死に耐えろ。

 

「むぅ……起きてくれなきゃ、キスしちゃうぞ?」

「はいっ、喜んで!!」

 

 血走った目を見開く俺。そんな俺の目に、

 

「あなたは一生眠っていなさい!!」

「ぎゃぁああああ! 目がぁ、目がぁあああ!?」

 

 冷たい布巾が目にダイレクトヒットした影響で、俺は布団の中で情けなく悶絶する。

 

「ちょ、ちょっと海未ちゃん、流石にやり過ぎなんじゃ……」

「和希がいけないんですよ。風邪をひいているのにバカなことを……ある意味、自業自得です!」

 

 死んでいた視界がようやく回復してくると、不機嫌そうに俺を見下ろす海未と目が合う。とても病人に向ける視線とは思えない。

 俺は上半身だけ起こすと、キッと海未を睨みつけた。

 

「てめぇっ! 俺は病人なんだぞ? もっと優しくしろ、優しく!!」

「穂乃果の冗談に、バカみたいな返事をする病人を、私は知りません!!」

「うるせぇ! 俺は素直だから穂乃果の冗談にも敏感に反応しちゃうんだよ!!」

「び、敏感に反応……破廉恥です!!」

「どうしてその結論に至ったんだよ!?」

 

 自分が病人であることを忘れ、海未といつも通りギャーギャーと言いあう。すると、

 

「うぐっ!?」

 

 頭に激痛が走り、そのままへなへなと枕にノックアウトした。そういえば俺は今日、熱があったんだっけ……。

 ダウンした俺に、ことりが優しく布団をかけ直す。

 

「全く、駄目だよ二人とも! 海未ちゃんは病人相手にムキになり過ぎです! 和希君は病人なんだから、もっと大人しくしていなさい!」

 

 ぺしっと軽くおでこを叩かれる。ありがとうございます。むしろご褒美です。

 海未も流石に悪いと思ったのか、ことりの言うことに素直に従っていた。なんだかんだ、この四人の中で一番強いのはことりかもしれない。最近、本当にそう思う。

 

「ところで、三人がいるってことはもう夕方なのか?」

 

 そんなに寝たつもりはないのだが、病気になるとバカみたいに寝るからな。時間が経つのもかなり早かった記憶がある。なんて思っていたのだが、

 

「ううん、今はまだお昼を回ったところだよ」

「えっ? まだお昼?」

 

 穂乃果の返答に、俺は思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。それもそのはずで、今日海未たちが帰ってくるのは、早くても夕方くらいになるはずだったのである。

 

「どうしてこんな時間に帰ってきたんだ? ショッピングモールが閉まってたの?」

「全然、今日も元気に開いてたよ!」

 

 元気に開いてたってどういう状況だよ? まぁ、そんな野暮なツッコミはしないけどね。つまり、いつも通りだったということだろう。

 

「だけどね、海未ちゃんがあまりにも和希君の―――」

「わ、わーわー!! ほ、穂乃果! その話はしないという約束だったじゃないですか!」

 

 何かを言いかけた穂乃果の口を、海未が大慌てで塞ぐ。しかし、最初の部分はばっちり聞き取れていた。

 あまりにも和希……その後、彼女は何といったのだろうか? あまりにも和希君の顔が気持ち悪すぎて……言われてそうで怖い。やばい、涙が出てきちゃう。だって、男の子だもん。

 

「あのね、海未ちゃんがことりたちと遊んでいる最中、あまりにも「和希が心配です……」っていうから、帰ってきちゃったの♪」

「ことりっ!!」

 

 穂乃果に気を取られているうちに、ちゃっかり本当の事を話すことり。海未が真っ赤になって口を押さえるも、彼女は「やーん♡」というばかりだ。

 

「ち、ちち、違うんですよ和希。私はただ、あなたを家に一人残すと、何をしでかすか分からないので、仕方なく、仕方なくなんです!」

 

 おいおい、海未の言い方だとまるで俺が問題児みたいに聞こえるぞ? いや、海未にとって俺は問題児だったか……。そんな彼女に、俺はやれやれとため息をつく。

 

「全く、俺の事は心配せず、楽しんでこいって言ったのに。さっきも言ったけど、お前は俺の母ちゃんかよ?」

「で、ですが、和希一人では心配だったので……」

 

 口を尖らせてそっぽを向く海未。その表情から察するに、心配してくれたのは本当なのだろう。

 正直、病気で弱っている時にその優しさは嬉しい。なので俺は、素直にお礼を言うことにする。

 

「でも、帰ってきてくれてサンキュな、海未。今回ばかりは感謝してあげてもいいぞ?」

「……病気になっても減らず口は相変わらずですね」

「あれあれ~? 海未ちゃんってば、口元が緩んでるよ?」

「っ!? ゆ、緩んでなんかいません! ただ、和希があまりにもバカなことを言ったので、嘲笑っただけです!」

「またまたぁ~」

 

 ことりがニマニマと、海未の脇腹をつんつんとつつく。それに対して海未は、真っ赤な顔で反論していた。

 風邪ひいてるからツッコまなかったけど、嘲笑うとかどれだけ俺の事を馬鹿にしてるんだよ……。

 

「あっ、そうだ! 和希君。今お腹減ってない? 穂乃果、ここに来るまでにプリンを買ってきてあげたんだよ!」

 

 そう言って穂乃果がコンビニ袋の中から、「プッチンプリン」を取り出す。しかし、お腹の減り具合は正直言って微妙だ。

 

「うーん……あんまりお腹減ってなくて、半分くらいしか食べられなさそうだな」

「じゃあ、半分穂乃果が食べていい?」

 

 目をキラキラと輝かせて穂乃果が聞いてくる。彼女が犬なら、間違いなく尻尾を振っているだろう。

 多分、俺の為というよりは自分が食べたくて買ってきたんだろうなぁ……。

 

「問題ないよ。でも、食べるなら先に穂乃果からな。俺から食べると風邪がうつるかもしれないし」

「うん、わかった!」

 

 元気よく返事をすると、穂乃果は早速蓋を開け、美味しそうにプリンを食べ始めた。穂乃果が食べると、何でもおいしそうに見えるから不思議である。

 ものの十秒ほどでプリンを半分食べ終えた穂乃果は、残ったプリンを適量スプーンですくうと、

 

「はい、あーん!」

 

 俺に差し出してきた。穂乃果みたいな美少女に「あーん!」されるとか、風邪最高。これからも定期的に風邪をひこうかな? 

 そう思いつつ、俺も口を開ける。すると、

 

「ほ、穂乃果! 何をやっているんですか!?」

 

 海未が俺たちの間に割り込んできた。

 

「どうしたの海未ちゃん? 穂乃果、何か変なことした?」

「変なことをしてるから注意したんです! だ、だって、そのスプーンはさっき穂乃果が口をつけて、それを和希の口にいれたら、か、間接……」

 

 もにゅもにゅと、最後の言葉は聞き取れなかったものの、何となく言いたいことは分かった気がする。

 

「お前、まさかこの年にもなって間接キスとかを気にしてるのか?」

「っ!? そ、そんな事……」

 

 そんな事あるらしい。顔を真っ赤にして俯く海未を見てそう思う。元々恋愛に耐性がなさそうとは思っていたのだが、まさかここまでとは……。

 思考が完全に小学生で止まっている。ト〇ブルとか見せたら卒倒しそうだな。あっ、ちなみに俺は持っていませんよ。ただ、男子は全員、一度は見たことあるものだと思っている。

 それにしても、俺もリ〇さんのようにすってんころりんして、女の子の胸に顔を埋めてみたいものだ。……刑務所に送り込まれる未来しか見えない。

 

「今さら、間接キスなんか気にするかよ。なぁ、穂乃果?」

「そうだよ、海未ちゃん! 今更だよ、今更!」

 

 穂乃果は本当にそういうこと気にしなさそうだからな。男でもグイグイ距離を詰めてくるし、人懐っこいし……。

 計算されていない彼女の魅力に、どれだけの男子が犠牲になったのだろう? 裏では醜い争奪戦が繰り広げられている気がする。

 

「そういうわけで和希君。改めて、あーん!」

「あーん」

 

 差し出されたプリンを口の中に入れると、ことりの声のような甘さが口一杯に広がった。風邪をひいている時にこの甘さは、やはりたまらない。何歳になってもプリンはいいものだ。

 

「あっ……」

 

 俺たちの様子を見ていた海未の口から少しだけ漏れた声に、切なさが混じっていた気がしないでもない。まぁ、気にしないことにしよう。

 

「ふふふ……」

 

 こ、ことり様の口から若干黒いオーラが……。うん、これも気にしないことにしよう。世の中には知っていいことと、知らなくてもいいことがあるんだ。

 今は、穂乃果からプリンを食べることだけに集中しよう。そう思った俺は、穂乃果が差し出すプリンを食べることだけに、集中するのだった。

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

「和希君、寝ちゃったね~」

 

 穂乃果が目の前で眠る和希の頬を、つんつんとつつく。

 

「穂乃果、ちょっかいをかけては駄目ですよ? これでも一応、病人なのですから。一応ですけどね!」

「なんだかんだ、海未ちゃんが一番酷い気がするよ……」

 

 ジト目の穂乃果に、私は視線を逸らします。確かに、病人である和希に対して言い過ぎかもしれません。でも、仕方ないじゃないですか。

 穂乃果が和希に「あーん」した時から心がモヤモヤして、なぜか切ない気持ちになって……。とにかく、どうしようもないんです。

 

「ふふっ♪ 海未ちゃんは穂乃果ちゃんに、和希君を取られたと思って嫉妬しちゃったんだよね?」

「し、嫉妬!? そんなのありえません!」

 

 ことりの指摘に、私は思わずムキになって声をあげてしまいました。そんな私を見て、ことりが益々ニヤニヤと楽しそうな笑みを浮かべます。

 

「えぇっ!? 海未ちゃん嫉妬してたんだ! それなら早く言ってくれればよかったのに」

「別に嫉妬なんてしていませんし、気を遣わなくても――」

「安心して海未ちゃん! 穂乃果、和希君の事は好きだけど、そう言う意味の好きじゃないから!」

「どういう意味ですか!? 私は和希のことなんて、これっぽっちも好きじゃありません!!」

「あれっ? 海未ちゃんって和希君の事好きじゃなかったの?」

「当たり前です!」

 

 全く、どういう勘違いをすればその結論に辿り着くんですか……。

 

「でも和希君って、すごくいい男の子だと思うけどな~」

「あっ、それことりもずっと思ってた!」

「……二人して何を言っているのです?」

 

 思わず真面目なトーンでツッコんでしまう。あの和希がいい男の子? そんなの絶対にありえません!

 

「だって、顔は凄く整っててかっこいいし、なんだかんだ優しいし、頭もいいし、喧嘩は弱いけど、運動神経はそこそこでしょ? もう、言うことないじゃん!」

「金髪でピアスもしてるから、どうしても怖がられちゃうんだけどね。だけど、不意に優しくされるとギャップでキュンキュンしちゃうって、女子の間ではもっぱらだよ!」

 

 二人の和希に対する評価を聞いても、やはり私は納得できなかった。だって和希はすぐことりにデレデレして、言うことも聞かない。授業だっていつも適当で……。

 

「二人の言うことはやっぱり理解できません。だって和希は――」

「だけど、和希君の優しさは海未ちゃんが一番よく知ってるんじゃないのかな?」

 

 ことりは相変わらず痛いところをついてきます。思わず私は口を噤んでしまいました。

 顔云々に関しては置いておくといて、和希は確かに優しいです。

 先輩たちに捕まった私を助けてくれて、テスト勉強で困った時には文句を言いつつ、分からなかったところを教えてくれました。

 

 不意に見せる彼の優しさは、何時だって私を惑わせる。

 

「……だから、余計に困るんです」

 

 和希がそこら辺にいる不良と同じなら、何も困ることはなかった。でも、彼には不良というデメリットをカバーするほどの魅力がたくさんある。

 ギャップがあるからこそ、余計に分からなくなるのだ。

 

「ふふっ♪ まぁ、海未ちゃんも和希君の優しさは理解できてるみたいだし、この話はもう終わりにしよっか」

 

 ニッコリと微笑むことり。今回ばかりは彼女の優しさに救われました。あのまま話を続けられたら、どうなるか分かりませんでしたからね。

 その後、和希が起きたらいけないということで、私の部屋に移り、いつも通り三人でお喋りをして、解散となりました。

 

「それじゃあね、海未ちゃん!!」

「和希君の風邪が直ったら、改めて遊びに行こうね♪」

「はい、わかりました。和希にも伝えておきます」

 

 手を振りながら帰っていく二人を見送った後、私は和希の部屋へ。

 和希は相変わらず眠ったままでしたが、少し苦しそうな顔をしていました。

 

「大丈夫でしょうか?」

 

 取り敢えずおでこに乗せていた布巾を改めて冷たい水に浸し、絞ったものをもう一度頭に乗せます。しかし、それでも彼の表情が晴れることはありません。

 もしかすると風邪が悪化して……。悪い予感が脳裏によぎる。すると、私の視線に彼の右手がうつりました。和希の右手は何かを求めるように、弱々しく握ったり、開いたりを繰り返す。

 

 私は、反射的にその右手を両手でしっかりと握り締めました。じっとりと汗ばんだ彼の右手。苦しそうな表情。

 

「……和希」

 

 小さな声で名前を呼ぶ。すると、彼の右手が答えるように、しっかりと私の手を握り締めてきました。

 一瞬起きたのかと思ってドキッとしましたが、和希は無意識だったみたいです。

 

「全く、驚かせないで下さい……」

 

 少しだけ怒っているという意味を込めて、握り締める手に力を籠める。握ってみて彼の手が意外と大きく、そしてごつごつしていることに気付きました。

 やっぱり女の私とは少し違うんですね。そのまま何気なく和希の顔を眺めます。

 

「こうしてみると、ことりたちの言う通り、和希ってかっこいいですよね」

 

 黙っていればですけど……。こんなこと言ったらきっと和希に怒られますね。

 

『俺がうるさくなるのは海未のせいだろ!?』

 

 なんでしょう? 一瞬彼の声が私の心の中に聞こえてきた気がします。私の心の中にまで文句を言ってくるだなんて、流石和希ですね。

 そして、彼の右手を握り締め続けていると、

 

「……先ほどよりも大分顔色が良くなってきたでしょうか?」

 

 苦しそうな表情が幾分か和らぎ、呼吸も穏やかになっています。眠る前に飲んだ薬が大分効いてきたのでしょう。

 これならもう、右手を握り締めていなくても大丈夫そうですね。そう思って私はゆっくりと彼の右手から両手を離します。

 

「すぅ……すぅ……」

「また顔色が悪くなるんじゃないかと少し心配したのですが……」

 

 どうやら杞憂に終わったらしい。もう一度、頭に乗せた布巾と取り換えると、私は簡単なメモを残して立ち上がります。

 

「……早く良くなってくださいね。私だって、心配してるんですから」

 

 眠っている和希にそれだけ伝えると、私は彼の部屋を後にするのだった。

 

 繋いでいた手を離した時、少しだけ名残惜しかったのは内緒です。




 今回も読了ありがとうございます。そしてお気に入りや、感想、評価などありがとうございます。本当に励みになっております。
 これからもよろしくお願いします。


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9話 真面目な彼女と花火を見に行った

 こんなに長くなる予定じゃなかった……。


 俺の風邪も無事に完治し、数日が過ぎた。

 

 その間に、面倒な宿題を穂乃果と共に片付けたり(あの海未が俺に対して頭を下げてきたのである。何でも毎年夏休み最終日に穂乃果が「うわーん! うみちゃぁーん、宿題が終わらないよぉ」と泣きついてくるのが恒例行事なんだとか。その面倒ごとを避けるため、今年は俺に頼んで早く終わらせたかったらしい。面倒ごとは俺に丸投げですか、そうですか……)、ことりと一緒に改めてショッピングに行ったり、海未に怒られたりしていた。

 あっ、最後のだけは毎日の恒例行事だったっけ。

 

 そんなわけで既に夏休みも中旬。折り返し地点に突入していた。

 今現在、俺が何をしているのかといえば、冷房の効いた部屋に寝っ転がり、漫画を読んでいる最中である。

 ちなみに読んでいるのはるろうに〇心。うーん、俺も天〇龍閃をうってみたいものだ。もしくは九〇龍閃。最悪、二〇の極みでもオッケー。

 そんなわけで俺が、部屋に置いてあった棒のようなものを手に取り、飛天〇剣流の練習をしていると、

 

「あ、あなたは昼間から一体何をやっているのですか?」

 

 まるでダニを見るような視線を感じ振り向くと、そこでは海未が頭を抱えてこちらを見ていた。というか、今のシーン見られたよね? めちゃくちゃ恥ずかしいんだけど。

 まぁ、「天〇龍閃!!」と声に出していない分、よしということにしよう。

 

「いや、何でもないよ。ただ、改めて不殺を心に誓っていたところであって……うん、違います。ただ、漫画を読んでいただけなんです。だからそんな目で俺を見ないでェえええ!!」

 

 海未からの冷たい視線に耐え切れなくなった俺は、本当の事を話す。いやー、流石にメンタルがもちませんでしたわ。

 

「それで、一体どうしたんだ?」

「いえ、先ほど穂乃果とことりから、花火を見に行かないかと誘われまして。和希も誘っておいてほしいと言われたんです。私は正直、誘わずにこっそり見に行ったほうが面白いと思ったんですけどね」

「そんな事をしてみろ。俺は毎晩、海未の部屋の前ですすり泣いてやるからな」

「何ですかその地味すぎる嫌がらせは……」

 

 俺の言葉を聞いて、あきれた様子の海未。だけど、本当に俺だけハブられた日には、孫の代まで呪ってやるからな。

 

「まぁ、流石にあなたを一人のけ者にするようなことはしませんから、安心してください。それでですね、場所と時間なんですけど……」

 

 聞くところによると、園田家から30分程度の場所で行われるらしく、地元の人たちも沢山来て、それなりに盛り上がるらしい。

 花火を見に行くだなんて、かなり久しぶりのことである。なんだか楽しみになってきた。ことりと穂乃果とも一緒だし。一名、おまけがいるけど。

 

「お母さまには既に話を通してありますから。お小遣いも貰いましたし」

 

 そう言って5千円札を二枚取り出す。

 ちょっと待って。睦未さんや、お小遣いがちと多すぎやしませんか? 花火大会なんて、多くても2千円程度で十分な気がする。

 

「なぁ、海未。花火大会に5千円は流石に多すぎない?」

「私もそう言ったんですけど、お母様がきいてくれなくて……最悪、余った分は穂乃果たちに使ってもらうか、返しましょう」

 

 うーん、それでも絶対に余る気がするなぁ。まぁ、海未の言う通り余ったら返せばいい。

 ぶっちゃけ俺の楽しみは花火や出店よりも、穂乃果やことりたちと花火大会に行けるという事なので、お金のほとんどは返すことになるだろう。だけど、二人に貢ぐのも悪くないな。これで俺の好感度上昇はほぼ間違いない……ぐふふ。

 

「……何を考えてるのか知りませんけど、どうせロクなことを考えてないですよね?」

「……顔に出てた?」

「はい、はっきりと」

 

 半眼で俺を睨む海未から視線を逸らす。畜生、これで俺の考えていた「二人に貢いで好感度上昇作戦」が台無しになってしまった。

 これからは、マスクを着けて日々を過ごしたほうがいいかも……。その後はる〇うに剣心の続きを読んだり、武〇錬金を呼んだりしていると、

 

「やっほー、海未ちゃん! お邪魔しまーす!」

「海未ちゃん、今日はよろしくね♪」

 

 穂乃果とことりの声が、玄関から聞こえてくる。しかし、時間を確認するとまだ三時を回ったところだ。

 花火大会自体は5時から始まると聞いているし、いささか早すぎる気がしないでもない。なんて俺が首をかしげていると、ドタドタと騒々しい足音が近づいてきて……ノックもせず、勢いよく部屋の扉が開かれた。

 

「和希君、元気?」

「少なくとも、お前よりは元気じゃねぇよ。後ノックをしろ、ノックを」

 

 ちょっとエッチな漫画を見てたらどうするんだよ? あっ、でも穂乃果なら気にしなさそう。

 これが海未ならその本を八つ裂きにされて、最終的に俺も八つ裂きにされそうだ。

 

「和希君、こんにちは♪」

「おぅ、今日はよろしくな。それにしても、来るの早すぎないか? 花火大会が始まるのって、5時くらいからなんだろ?」

「あっ、今日はね、浴衣を着ていくことになってるんだ。それで浴衣って一人だと着方が良く分からないから、海未ちゃんに教えてもらおうと思って早く来たの」

 

 なるほど。確かに海未は着物を着てる時があるからな。

 浴衣と着物の違いはよく分からんけど、同じようなものなのだろう。

 

「二人とも、お母様を呼んできたので、こちらに来てください」

『はーい!』

 

 海未に呼ばれた二人は、返事をして俺の部屋から出ていった。海未だけでは時間がかかるのだろう。睦未さんも一緒に着がえを手伝うみたいだ。

 それにしても二人の浴衣姿。非常に楽しみだ。取り敢えず着替え終わったら、真っ先に写真を撮らせてもらおう。

 俺が妄想を広げ続けること約一時間。

 

「和希君、入るよー!」

 

 今度はちゃんと声をかけて(相変わらず返事は待ってくれないが)、穂乃果たちが部屋の中に入ってきた。

 

「えへへぇ~、どうかな?」

 

 そう訊ねてくる穂乃果はもう、抱き締めてあげたくらいに可愛い。

 髪の毛をお団子に纏め、普段とはまた違った印象与えてくれる。着ている浴衣は白地に水玉があしらわれ、金魚が描かれているものだった。

 

「そりゃもう、すごく似合ってるぞ。文句なしに可愛い!」

 

 もう少し気の利いた事を言えればよかったのだが、仕方がない。でも穂乃果はそんな感想でも喜んでくれたらしく、顔を綻ばせていた。

 

「和希君、ことりの浴衣はどうかな?」

 

 続いてことり。そのままでも十分なのだが、浴衣を着ることによってよりその可愛さが際立っている。

 彼女が着ていたのはピンクを基調にし、所々に桜? の花が散りばめられた浴衣だった。髪には編み込みなんかも入れており、結局可愛い。異論は認めない。

 

「もちろん、似合ってるよ。ことりらしくて、最高だ!」

 

 グッと親指を立てると、ことりはニコッと微笑んでくれた。鼻血が出そうです。さて、二人の浴衣を堪能したところで早速写真を……。

 

「あれっ? 海未ちゃんどうしたの、そんなところに隠れちゃって?」

 

 柱の陰に隠れる海未に、穂乃果が声をかける。

 ……やばい。二人の姿を写真に収めたい一心で、海未の事を完全に忘れていた。まぁ、適当に褒めとけば大丈夫だろ。

 そんなわけで、俺は海未を呼ぶ。

 

「おーい、海未。そんなところに隠れてないでこっちに来いよ。本当なら穂乃果とことりの浴衣姿で十分だけど、特別に今回だけは褒めてやるから」

「あなたは一体何様なんですか……」

 

 首から上だけを出した状態で、海未がため息をつく。何でもいいけど、早くしてほしい。

 俺はことりと穂乃果の姿を写真に収めたいんだ!

 

「ほらほら、海未ちゃん。どうせみられるなら早い方がいいでしょ?」

「わっ! こ、ことり!?」

 

 ことりに背中を押された海未が、柱の陰から出てくる。その姿を見た俺は……少しの間彼女に見惚れてしまった。

 

「……み、見てるだけじゃなく、何か言って下さい!」

 

 海未が、浴衣の帯を手で握り締めながら叫ぶ。

 そんな彼女の着ている浴衣は淡い水色を基調とし、青と紫の朝顔が浴衣のいたるところで花を咲かせていた。髪もいつもとは違い、ハーフアップに纏めている。

 元々和装が似合う海未なのだが、その中でも今着ている浴衣は一番似合っていると言っても過言ではなかった。

 

「い、いや悪い。普通に似合ってたから見惚れてたんだよ。お前って、浴衣めっちゃ似合うな」

 

 思ったことをそのまま口にすると、海未の顔が真っ赤に染まる。

 

「な、ななっ!?/// あなたは急に何を言っているのですか!?///」

「急にも何も、思ったことを言っただけだよ。普通に似合ってんじゃん、その浴衣。俺、変なこと言ったか?」

「へ、変なことはいっていませんけど……。普段は絶対にこんなこと言わないくせに……ずるいです」

 

 顔を真っ赤にしたと思ったら、俺に聞こえないような声でぶつぶつと呟く海未。変な奴だなぁ。

 

「和希君って突然素直になるから、ある意味怖いよね。特に、和希君から褒められ慣れてない海未ちゃんにとっては」

「だけど、案外その方がいいかもしれないよ。海未ちゃん、自分の気持ちに気付いてなさそうだし」

「確かに……海未ちゃん、そういうのに疎いからねぇ~」

 

 こらこら、そこの二人。俺に隠れて、コソコソ話し合うんじゃない。嫌われてると勘違いしちゃうじゃん。

 

「それじゃあ三人の着がえも済んだことだし、そろそろ行こうか?」

「えっ? 何言ってるの和希君。まだ、和希君の着がえが済んでないよ」

「はいっ? 俺の着がえ? 別に俺は今の格好で十分――」

「穂乃果ちゃん、和希君を捕獲して!」

 

 適当な理由を付けて断ろうとした俺の体を、穂乃果が文字通り捕獲する。背中には何やら柔らかい感触。……うん、発展途上ではあるが、小さすぎもしない、実に良い理想的なおっぱいだ。

 じゃなくて、早く振り払わないと。しかし、どこからそんな力が湧いてくるのか、穂乃果を全く振りほどけない。

 

「よしっ、穂乃果ちゃん。そのまま和希君を連れてレッツゴー!」

「レッツゴー!!」

「おいっ、穂乃果にことり。流石に無理やりすぎだろ!? 俺はこのままの格好で十分なんだ! 海未も何とか言ってやってくれ!」

「和希、諦めてください。こうなったことりは、もう誰にも止められません」

 

 達観したような海未の声を背に、俺はずるずると引きずられていくのだった。

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

「はい、完成♪」

 

 楽しそうなことりの声と共に、俺はようやく彼女たちから解放される。畜生、着たくないって散々駄々をこねたのに……。

 誰一人として味方がいなかったため、無理やり俺も浴衣を着る羽目になったのだ。というかなんだかんだ、睦未さんが一番ノリノリだった気がする。「これもいいんだけど、やっぱりこっちかしら?」という感じで。

 

 結局俺は、黒色を基調とした浴衣を身に纏っていた。

 

「わぁ~! 和希君、すっごく似合ってるよ!」

「はいはい、ありがとよ穂乃果。お世辞でも嬉しいぞ」

「もぅっ! お世辞じゃないってば!」

 

 俺の返事にプンスカと怒る穂乃果。やっぱり穂乃果は怒っても可愛いなぁ。

 

「ほんとだよ和希君。ことりから見ても、今の和希君は凄くかっこいいから安心して!」

 

 おいおい、目の前にいることりはただの天使かよ? いや、天使だったか。俺はことりに、かっこいいと言われるだけで昇天しそうです。

 

「海未ちゃんも和希君の事、かっこいいと思うでしょ?」

「……ま、まぁまぁですかね。ようやく人前に出れるようになったレベルです」

 

 腕を組みつつ、何故か偉そうに感想を述べる海未。その言い方だと普段の俺は、人前に出れないような恰好をしてることになるんだけど……。

 別に、ことりたちと同じく褒めろとは言わんが、せめてまともに評価してほしいものである。

 

「ふふふっ、海未ちゃんってば相変わらず、素直じゃないんだから」

 

 そっぽを向く海未の隣で、黒いオーラを出して微笑むことり。毎度のことなので気にしないようにしよう。

 彼女の本音を知ることは、世界の理を知ることより怖い気がするからな。触らぬ神に祟りなし。

 

「さて、そろそろ良い時間だし、花火大会の会場まで歩いていこうか?」

 

 浴衣を着るのに予想以上の時間がかかっていたらしく、時刻は既に5時を回っていた。

 

「和希の言う通りですね。あまり遅くなると、人がどんどんと増えて大変ですから」

 

 そんなわけで俺たちは園田家を後にし、花火大会の行われる会場まで歩いていく。海未たちが履いている下駄の、カランコロンという音が祭っぽくていい感じだ。

 ちなみに俺は草履。普通にスニーカーを履こうとしたら「雰囲気が壊れるから草履をはいてください!」とことりに怒られたため、草履をはいている。

 個人的には歩きやすいスニーカー、もしくはクロックスが良かったんだけどね。ことりに怒られちゃ、仕方がない。

 

 そのまま、海未たちの後をついて歩いていくと、花火大会の会場に到着した。花火自体は7時からなのだが、もう既にそこそこの人で賑わっている。

 

「うわぁ! 出店も一杯だね! ねぇ、和希君、まずはあれからやろうよ!」

「お、おいっ! 分かったから、そんな強い力で引っ張るなって!」

 

 グイグイと穂乃果に引っ張れていくと、彼女はまず射的屋の前で足を止めた。

 

「和希君、どっちが沢山景品を落とせるか勝負しようよ!」

「いいけど、射的ってあんまりやったことないんだよな~」

 

 というか、当たっても全く倒れないという印象がある。だけど、穂乃果がやりたいっていうんだし、断る理由もないか。

 そんなわけで、俺は屋台のおじさんにお金を渡す。

 

「取り敢えず二人分で。海未とことりはどうする?」

「うーん、私は見てるだけでいいかな。一度だけやったことあるんだけど、全く当たらなかったんだ」「私も射的は苦手なので、今回は見ていることにします」

 

 二人は見ているだけになったので、俺と穂乃果の勝負となった。

 

「ふふふ……負けないからね、和希君! こう見えて、穂乃果は射的得意なんだよ?」

 

 立派なフラグが立ったところで、穂乃果が弾を詰め、小さなおもちゃに向けて発射。

 しかし、当たらない。二発、三発目と立て続けに発射するも、かすりもしていない。一体どこを狙っているのだろう?

 

「うぅ~……」

 

 涙目で穂乃果が唸っている。俺は一発も撃っていないが、流石にこれ以上は見ていられない。

 そう思った俺は穂乃果の後ろに回り込むと、彼女の身体を包み込むようにして両腕を掴んだ。

 

「俺が支えててやるから、あとはちゃんと的を狙って――」

「……和希君って意外と大胆だね?」

「んなこと気にしなくてもいいから、早く弾を発射しろ!」

 

 振り向いてニヤッと、悪い笑みを浮かべる穂乃果を一喝する。穂乃果には絶対小悪魔の気質がある気がしてならない。

 

「それじゃあ、行くよ! それっ!」

 

カコンッ

 

 穂乃果の撃った弾は無事、よく分からん小さなおもちゃに命中。そのまま後ろに倒れる。

 

「おめでとう、お嬢ちゃん。ほらっ、持っていきな」

「わーい! やったー! 和希君、見て見て! 取れたよ!!」

 

 おっちゃんから景品を受け取った穂乃果が、満面の笑みで俺におもちゃを見せてくる。何というか、手伝って良かったなと素直にそう思える笑顔だった。

 今どき、こんなピュアな女の子がいるだなんて。おじさんは涙が止まりません。

 

「それじゃあ今度は、和希君の番だね!」

 

 取り敢えず穂乃果の笑顔を守るため、俺は全弾当たりそうで外れるという絶妙なところに撃っておいた。

 

「あーあ、結局一発も当たらなかったな」

「それじゃあこの勝負、穂乃果の勝ちだね!」

「勝った穂乃果には、好きなものを一つ奢ってやる権利を授けよう」

「ほんと!? じゃあたこ焼き! ……あっ、そういえば射程のお金」

「あぁ、それも勝った権利の中に含まれてるから気にするな」

 

 ポンポンと穂乃果の頭を撫でると、彼女は再び無邪気な笑顔を浮かべる。いい、笑顔です。

 穂乃果の笑顔を見て癒されていると、ことりが俺の脇腹をつんつんとつついてきた。

 

「どうした、ことり?」

「和希君、さっきの射的、穂乃果ちゃんを勝たせるためにわざと全弾外したでしょ?」

「……さぁ、何のことやら」

 

 とぼけると、ことりは「やっぱり和希君は優しいね」といって微笑む。どうして女子ってこんなにも鋭いんだろうか? 

 その後は約束通り、たこ焼きを穂乃果にプレゼント。とってもいい顔でたこ焼きを頬張ってくれた。

 

「さて……あれっ? 海未はどこに行ったんだ」

 

 あたりをきょろきょろと見渡すと、海未がある屋台の前で立ち止まっているのが目に入る。

 あれは、りんご飴?

 

「おーい、海未」

「あっ、和希。すいません、勝手に離れたりして」

「いや、それはいいんだけど……それ欲しいのか?」

 

 りんご飴を指差すと海未は、「いいえ、そういうわけではないのですが……」と首を振る。

 

「昔、夏祭りでよく買ってもらったんです。その時には、お姉さまも一緒で……少し懐かしい気分に浸っていたんですよ」

 

 そういえば海未には年の離れた姉がいることを、ことりから教えてもらったんだっけ。

 恐らくこれは想像だけど……海未は姉のことが大好きだったんだろうな。少し悲し気に微笑む彼女にそう思う。

 

「なぁ、海未」

「はい、なんですか?」

「りんご飴、買ってやるよ」

「えっ?」

 

 俺は海未に許可を取ることなく、睦未さんからもらったお金……ではなく、バイトで稼いだお金を取り出す。

 何となく、自分のお金で買わないとダメな気がしたから。ちなみに、いい忘れてたけど、俺週二でバイトしています。

 

 そのまま屋台のおっちゃんにお金を渡すと、買ったりんご飴を海未に手渡した。

 

「ほらっ、大きい方でよかったか?」

「それは構いませんけど……本当にいいのです?」

「気にすんなよ。俺が好きで買ったんだから。好意には素直に甘えとけ」

 

 半ば強引にりんご飴を押し付ける。しばらく逡巡していた海未だったが、

 

「……分かりました。あの和希が、私に向けてくれた好意ですもんね。素直に受け取っておきます」

 

 ニッコリと笑顔を浮かべたのだった。少し余計な言い回しも混ざっているが、まぁよしとしよう。

 

「海未ちゃん、和希君! もう少しで花火が始まるって!」

「おうっ! すぐに行くから」

 

 穂乃果に呼ばれた俺たちは彼女の元へ……行く途中、ある屋台の前で立ち止まる。

 

「和希?」

「……ちょっと先に行っててくれ。俺もすぐに行くから」

 

 海未を先に行かせて、俺はある屋台で買い物を済ませる。とあるものを買った後、俺は急いで穂乃果たちの元へ。

 

「和希君、遅いよ! 何やってたの?」

「いや、ちょっと野暮用でな」

「野暮用?」

 

 可愛く首をかしげることりに、俺は先ほど買ったわたあめの袋を差し出す。

 

「えっ? これって……」

「穂乃果と、海未にだけ買って、ことりにだけ買わないってのも不公平だろ? それに、いつも仲良くしてもらってるお礼だ」

 

 言ってて恥ずかしくなってきた。そんな俺に、ことりは悪戯っぽく微笑む。

 

「和希君ってば、顔真っ赤だよ?」

「うるせぇ!」

「だけど、ありがとう和希君! ことり、嬉しいよ♪」

 

 やっぱりことりは、ただの天使だった。かわゆすぎるぜ、チクショウ! 天使すぎることりに悶え苦しみつつ、花火の見えやすい場所まで歩いていく。

 

「……さて、穂乃果ちゃん。そろそろだね」

「……うん、ことりちゃん。ふっふっふ、和希君と海未ちゃん……」

 

 何やら、こしょこしょと話し合う穂乃果とことり。嫌な予感しかしない。

 

「おい、二人とも。一体何を話して――」

『何でもないよ!!』

「あっ、はい。そうですか……」

 

 有無を言わさない迫力に、俺は口を噤まざるを得なかった。ふ、二人は何を企んでいるのだろう? 

 結局二人の企みが分からないまま、目的の場所に辿り着く。すると、ことりと穂乃果がわざとらしい声をあげた。

 

「あー、ことりちょっとお花摘みに行きたいなぁ~。ねぇ、穂乃果ちゃんも一緒に行かない?」

「いいよ! 穂乃果もちょうど行きたいなって思ってたところだから」

 

 いくらなんでも酷い演技力だ。しかしそれに気付かないのが、園田海未というやつである。

 

「あっ、それなら私も――」

『海未ちゃんはここで和希君と待っててね』

「へっ?」

 

 海未の返事を待つことなく、というか返事を無視して、ことりと穂乃果はトイレへと駆けていってしまった。その後姿を、俺と海未は呆然と見つめる。

 嫌な予感が現実になってしまった。あいつら絶対、トイレが目的じゃないだろ……。

 

「はぁ……取り敢えず、二人が帰ってくるまでここで待ってようぜ」

「そ、そうですね……」

 

 いまいち事態を呑み込めていない海未は放っておき、俺は持ってきたレジャーシートを地面に敷く。

 そのレジャーシートの座ってからほどなくして、ことりからメッセージアプリに連絡がきた。

 

『トイレが予想以上に混んでて、道も大混雑で……取り敢えず戻れそうにありません。なので海未ちゃんと二人、花火を楽しんでください♪』

 

 あいつら……思わず頭を抱える。

 

「どうしたんですか、和希?」

「……これを見ればすべてわかる」

 

 俺は海未にメッセージアプリを見せると、

 

「な、なんですかこれはっ!?」

「俺に聞くなって……」

 

 俺だってわけわかんないんだから……。

 

「二人に連絡を取ってみます」

「出ないと思うけどなぁ……」

 

 もちろん、俺の予想通り二人が出ることはなく、海未はがっくりと肩を落とす。

 

「まぁまぁ、落ち込んでてもしょうがないし、花火見ようぜ? 花火に行く前も言ったけど俺、花火なんて久しぶりだから結構楽しみなんだ」

「……それもそうですね」

 

 今回ばかりは海未も素直に頷くと、二人揃ってレジャーシートに腰を下ろした。

 

「和希は何時振りなんですか、花火?」

「うーん、家からなら何度も見たことあるけど、こうして花火大会に来るのは10年ぶりくらいかな」

 

 何気ない会話を交わしていると、俺たちも仲良くなったなぁと思わず感心してしまう。

 たまに言い合うのは変わりないけど、こうして普通の会話をするようにもなった。出会った当時に比べたら、格段の進歩である。海未も俺も、それなりに丸くなったということかもしれない。

 

「ふふっ」

「どうかしたんですか、和希? ニヤニヤと……気持ち悪いですよ」

 

 ちょっと褒めようとしたらこれだよ。まぁ、ある意味これが海未らしいんだけどな。

 

「……あの、和希」

 

 隣に座る海未が浴衣の端を引っ張る。

 

「どうかしたのか?」

「えっと、その……今日の和希の浴衣姿、すごくか――」

 

ドーンッ!!

 

 頬を染めた海未が何かを言いかけた。まさにそのタイミングで、夏の夜空に大輪の花が咲く。

 様々な色、形の花火が夜空を彩り、俺たちはその様子に釘付けとなった。

 

「綺麗、だな……」

「はい、そうですね……」

 

 そのまま海未と共に花火を見続ける。スターマインやら、よく分からん形の花火やら、最近の花火は凝ってるなぁ。

 体感時間およそ5分。あっという間に花火終了のコールが辺りに響く。しばらくは余韻に浸っていたものの、俺はゆっくりと立ち上がった。

 

「それじゃあ花火も見終わったことだし、そろそろ帰るか」

「そうですね」

 

 ことりたちとは合流できそうにない。その為、俺と海未は二人きりで帰り道を歩き始めた。

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

「ところで、さっきは何を言いかけたんだ?」

「……別に、何でもないですよ。だから気にしないで下さい」

 

 そう言って海未は首を振る。きっと何でもなくはないんだけど、本人がそう言ってるんだし、深追いはしないことにしよう。

 

「…………」

「…………」

 

 人気の少ない帰り道。歩いているのは俺と海未だけ。下駄のカランコロンという音が耳に残る。

 先ほどまでの喧騒とはうって変わって、二人の歩くこの道はとても静かだ。

 

「きゃっ!」

 

 短い悲鳴に、俺が海未のほうを振り返る。

 

「どうかしたのか?」

「下駄の鼻緒がきれてしまって……」

 

 彼女の足元を確認すると、ぷっつりと下駄の鼻緒がきれてしまっていた。

 

「あぁー、こりゃどうしようもないな……」

 

 生憎、切れた鼻緒を結び直す技術を俺は持ち合わせていない。だからといって、裸足で帰れというわけにもいかない。

 裸足で帰れば、どこかで怪我をするかもしれないからな。その為俺は、彼女に背を向けるような形で屈みこむ。

 

「ほらっ、海未」

「えっ? 何をしてるんですか?」

「それじゃまともに歩けないだろ? だから、お前を背負って帰ろうと思ったんだ」

 

 俺の提案に、海未の顔が少しだけ赤く染まる。

 

「せ、背負って帰るだなんて、そんな恥ずかしいこと……」

「じゃあ、裸足で帰るか?」

「そ、それは……」

「というわけだ。ほらっ、早く俺の背中に乗れ」

 

 そこまで言って、ようやく海未が俺の両肩に手を添える。そして、おずおずと身体を密着させてきた。

 ふわっと鼻腔をくすぐる甘い香りに、一瞬ドキッとする。

 

「……それじゃ、持ち上げるぞ」

「は、はい……」

 

 俺は海未の太ももをしっかりとつかみ、彼女の身体を持ち上げる。お姫様抱っこをした時にも思ったのだが、やっぱり海未の身体は軽い。

 

「お、重くないですか?」

「俺の筋肉でも持ち上がるくらいには軽いよ」

 

 そんな会話を交わして、俺は園田家に向けて歩き出した。しばらくの間、俺たちは無言で帰り道を歩いていく。

 

 そのまま帰り道を半分ほど歩いた頃だろうか?

 

「……和希」

 

 背中にいる海未が小さな声で俺の名前を呼ぶ。

 

「ん? どうした?」

 

 歩きながら返事をする。一体どうしたんだ――。

 

 

 

「あの時は恥ずかしくて言えませんでしたけど……その浴衣、すごく似合ってます。……かっこいいです///」

 

 

 

 完全に不意打ちだった。彼女の言葉に身体がカッと熱くなる。それに伴って心臓も、狂ったように早い鼓動を刻み始めた。

 

「あ、ありがとな。……その、なんだ、さっきも言ったけど、浴衣が似合ってるのは本当だから。海未の浴衣姿も……可愛いから」

 

 動揺を隠すようにそう答えると、首にまわされている腕に力がこもる。そして海未は俺の背中に顔を埋めると、小さな声で、

 

 

 

「……嬉しい、です」

 

 

 

 一言、それだけ呟いた。たった一言だけだったが、俺の心拍数は何倍にも跳ね上がる。

 心臓をキュッと掴まれたような感覚に襲われ、さっきよりも身体が熱くなった。

 

(うわぁ……なんだよこれ)

 

 顔を手で覆いたい気分になったが、海未をおんぶしているため、仕方なく俺は夜空を見上げる。

 正直、素直な海未がここまで可愛いだなんて想定外だった。いつもは、俺の悪態ばかりついてるくせに……。

 

 今はどうしてこんなに可愛いんだよ。

 

(取り敢えず、海未に今の顔を見られなくてよかったな……)

 

 そう思った俺は、少しだけホッと息を吐くのだった。

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

(うぅ……どうしてあんなことを言ってしまったのでしょうか?)

 

 和希の背中に顔を埋めながら、先ほどの言葉を悔やみます。おんぶをされているというだけで恥ずかしいのに……。

 い、いえ、別に後悔はしていません。ただ言うつもりがなかった分、恥ずかしくて、恥ずかしくて……。その場をのたうちまわりたい気分です。でも、

 

(可愛いなんて、いつも言わないくせに……ずるいです、反則です。そんな事言われて……嬉しくないわけないじゃないですか)

 

 また心臓が、トクントクンうるさくなってきました。これじゃあ、私を背負っている和希にまで聞こえてしまいます。だから早く止まってください! 

 

 しかしそんな私の気持ちとは裏腹に、心拍数はどんどんと上昇していく。

 

(どうしてこんなに……今日の私は変です。おかしいです……)

 

 顔も熱くて、和希の言葉を思い出すたびに、心がキュッと締め付けられて……。すごく、切ない気持ちになってきます。

 だけど、全然嫌な気持ちじゃない。むしろ嬉しい……本当、私が私じゃなくなったみたいです。

 

(どうしてこんな風になってしまったんでしょうか?)

 

 私はもう一度、和希の背中に顔を埋めました。

 

 きっとこれは和希がいけないんです。和希が余計なことを言うから……だから私は悪くないんです!!

 

「……和希のばかっ」

 

 私は彼に聞こえないくらい小さな声で、ぽそっと呟いた。

 




 今回も読了ありがとうございます。そして感想など、いつもありがとうございます。次回も頑張ります。
 ちなみに三人の着ていた浴衣はスクフェスの物を参考にしました。若干色が分かりずらかったので、色に間違いがあっても大目に見てください。


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10話 真面目な彼女が素直になるとただただ可愛い

 お久しぶりです。お待たせしました。


「えー、本日で夏休みが終了して新学期になったわけですが、しっかりと気持ちを切り替えて――」

 

 夏休みが終了し、今は始業式の最中。最低でも15分は話す校長先生の、ありがたいお言葉もそろそろ終盤戦という所だった。理事長さんはサクッと終わらせてくれたというのに……見習ってほしいものである。

 

「ふわぁ……ねむ」

「ちょっと和希、あくびなんてだらしないですよ?」

 

 隣に座る海未が、怪訝そうな顔をして俺を注意してくる。ちなみに海未は眠そうな表情など一ミリたりとも見せずに、しっかりと話を聞いていた。

 多分、校長の話を真面目に聞いているのはこいつくらいだろう。生徒の大半はもれなく夢の中だし。

 

「仕方ないだろ。つまらないものはつまらないし、眠いのものは眠いんだ。そんなわけで俺は寝る!」

「ダメですよ?」

「っ!?」

 

 そういって、俺の脇腹をかなりの力でつまむ海未。思わず声をあげそうになるも、何とか堪える。め、めっちゃ痛かった……。

 

「おいっ! すげぇ、痛かったんですけど?」

「知らないです。寝ようとした和希が悪いんです」

 

 本当、可愛くないやつだな。夏祭りの時の、素直な海未は本当に何だったんだよ……。

 

 一応言っておくと、あの夏祭り以降、俺と海未の関係が変わったと思いきや、何一つ変わっていなかった。前進も、後退もしない。つまりいつも通り。

 海未がこちらをちらちら見てくる時はあるけど、それ以外は特段変わったことはなかった。

 

(あんときの海未は、最高に可愛かったんだけどなぁ)

 

 はぁ、と思わずため息をつく。

 

「どうしたんですか、ため息なんかついて?」

「……夏祭りの時みたいな、素直な海未ちゃんを見たいと思って、ため息をついたんだよ」

「――っ!? あ、あの時のことは忘れてくださいと、家でも言ったじゃないですか!」

 

 海未が俺の右腕をポコポコと殴る。しかし、海未は恥ずかしさが勝ると途端に力がなくなるので、さっぱり痛くない。あー、丁度いい力加減で気持ちいいなぁ。

 

『……あいつら、新学期早々イチャイチャしてるよ。バカップルっていう、自覚ないのかなぁ……』

 

 ちなみに、起きていたクラスメイト全員は和希と海未の様子を見て、こんなことを思っていた。クラスメイトの中では、あれで付き合っていないのが不思議らしい。

 全員の口から、和希たちとは違うため息が漏れる。後、その中の8割がリア充爆発しろとも思っていた。

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

 さて、無事始業式も終わり、ロングホームルームや席替え(一番後ろの席なのは良かったのだが、また海未の横になってしまった。神様はやっぱり不平等だ!)なども終了し、あっという間に下校時刻。

 

「ねぇねぇ、真嶋君。海未ちゃんと夏休みの間、何もなかったの?」

 

 とあるクラスメイトの女子が話しかけてきた。

 どうして夏休みの予定なんか? とも思ったが、一応答えておこう。

 

「うーん、夏休み? 特に何もなかったよ。風邪の看病してもらって(穂乃果とことりも一緒)、夏祭りに行った(穂乃果とことりも一緒?)くらいだ」

『きゃー!!』

 

 なぜか女子の間から黄色い歓声が上がる。そして海未が、俺の後頭部を力いっぱい叩いてきた。

 暴力反対!

 

「ってぇ! オイコラ海未、いきなり何するんだよ?」

「和希がいけないのではないですか! 今の説明では、そ、その、私たちが二人きりで、もにゅもにゅ……とにかく、和希の言い方では、色々と誤解を与えてしまいます!」

 

 ひとしきり俺を怒ったり、もにゅもにゅした後、周りの女子に「穂乃果とことりも一緒でしたから!」と必死に弁明を繰り返す。どうでもいいけど、その弁明方法だと逆効果じゃないか? 

 だってクラスの女子全員、『海未ちゃん、真っ赤になって……可愛いなぁ』って顔してるし。

 

「まぁまぁ、落ち着けって海未。そんなに怒鳴っても血圧が上がるだけで、いいことはないぞ?」

「誰のせいで怒鳴ってると思っているのですか!?」

 

 おっと、火に油を注ぐようなことをしてしまった。我ながら、反省反省。

 ところで、どうして俺達の関係をクラスメイトからこうもいじられるのか? 原因は以前俺が、「おい、海未。さっき睦未さんから連絡があって、今日の夕食は二人でお願いしますだとよ」というセリフを、うっかりクラス内でもらしてしまったからである。

 

 もちろん、居候していることを知らないクラスメイトは全員、目が点に。文字通り、クラス内に激震が走ったのである。

 しかし、ここで止まっておけば、というか海未も気付いて受け答えをしなければよかったのだ。

 にもかかわらず海未は、「あっ、そうですか。それでは部活が終わり次第、なるべく早く帰れるようにしますね」と受け答えてしまったのだ。居候ということに慣れ過ぎて、俺も海未も油断していたのだろう。

 俺自身が原因とはいえ、あの瞬間は思わず頭を抱えてしまった。

 

 もうその後は、主に女子から質問攻めである。質問内容は覚えていないが、滅茶苦茶疲れたことだけは記憶に残っていた。

 まぁ、俺と海未が名前で呼び合うようになった時から、怪しまれたんだけどね。今ではこの有様だった。

 クラスの女子からはいじられ、男子からは疎まれ……不良の面目丸つぶれである。というか、俺の事を不良として見てるクラスメイトなんてもういない。ほんと、おかしなクラスに出会ってしまった。

 そこで、意味のない弁明を終えた海未がふらふらと帰ってくる。

 

「おうっ、お疲れさん」

「全く、誰かさんのせいで余計な体力を使いました……」

「弁明なんかしても、意味ないんだからしなきゃいいんだよ。……っと、海未。少しじっとしてろよ」

「えっ?」

 

 首をかしげる海未に近づいていき……髪についていた糸くずを優しく取り除く。

 

「急に悪いな。髪に糸くずがついてたんだよ」

 

 彼女は俺の行動に少し驚いた様子だったが、

 

「あ、ありがとうございます……」

 

 ぽしょぽしょと小さな声でお礼を言った後、顔を真っ赤にして俯いてしまった。

 指でくるくると髪の先をいじっているあたり、照れているのだろう。海未のくせに、反応がいちいち乙女だ。

 

「お、おぅ……」

 

 そんな反応されると、こっちまで照れるのでやめてほしい。俺も頬をかきながら彼女から視線を逸らす。

 個人的には怒られるかな? と思っていた分、素直にお礼を言われると、ただただ恥ずかしかった。

 

『…………』

「生温かい視線を向けるのはやめろ!」

『…………ちっ』

「あからさまな舌打ちも同様だ!」

 

 このクラスは変わってるよ。いろんな意味で……。

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

 始業式の日から二週間ほどが経過し、

 

「ねぇ、海未ちゃん。和希君にはいつ告白するの?」

「ぶっ!!」

「わぁっ! 海未ちゃん、大丈夫?」

「だ、大丈夫です……それよりも穂乃果! きゅ、きゅ、急に何を言いだすんですか!?」

 

 私は口元を拭いつつ、変なことを言いだした穂乃果を、真っ赤な顔で睨みつける。

 

 今日はたまたま部活が休みで、穂乃果とことりと一緒に遊ぼうということになっていたのだ。そして今は、遊び疲れて近くにあったファミレスで休憩しようということになったのである。

 しかし、席に着くなり穂乃果がとんでもないことを言い出した為、私は大声を上げる羽目に。

 

「何って、穂乃果、別に変なことを言ったつもりはないよ? むしろ変なのは海未ちゃんだよ!」

「穂乃果の言っていることが理解できません……」

「えぇー! ことりちゃんは、穂乃果の言ってること、理解できるよね?」

 

 流石のことりでも、今回ばかりは穂乃果の味方をすることはないはずです。……そのはずだったんですけど、

 

「ごめんね、海未ちゃん。実は私も、穂乃果ちゃんと同じ事を聞こうとしてました♪」

「ど、どうして……」

 

 ニッコリと微笑むことりに、私は思わず絶句する。今だけは天使の様なことりの頬笑みが、悪魔の微笑みに見えます……。

 

「だって、夏祭りのことが本当なら、海未ちゃんもう和希君の事好きなんでしょ?」

「っ!? べ、別に、和希の事を多少認めただけで合って、好きというわけでは……」

 

 ちなみに、夏祭りで穂乃果たちと離れた後のことは、二人に根掘り葉掘り聞かれたため、全てばれていました。

 その、浴衣姿をかっこいいと言ったことも……。

 

「穂乃果知ってるよ! 海未ちゃんみたいな人の事をツンデレって言うんだって!」

「つ、ツンデレ?」

「特定の人の前でツンツンした態度をとったかと思ったら、急にデレデレしだす人の事を言うんだよ!」

「なぁっ!? べ、別に私は和希の前でデレデレなんて――」

「そこで迷いなく、和希君の名前が出てくる海未ちゃん、可愛い!」

「…………」

 

 死ぬほど恥ずかしいです。何も考えずに答えた自分が迂闊でした。これからはもっと、鍛錬を積んでいく必要がありますね……。

 

「和希の名前が出てきたのはたまたまです。たまたまなんですからね!!」

「あっ、そのセリフもすごくツンデレっぽい!」

「…………穂乃果、これから宿題を見てあげませんからね?」

「べ、別にいいもん! 海未ちゃんが見てくれなくても和希君がいるから」

 

 これは後で和希に、穂乃果を甘やかしすぎるなと言っておかなければなりません。和希は、隙あれば穂乃果を甘やかしますから。

 

「穂乃果ちゃん、海未ちゃんの和希君をあんまり取っちゃ駄目だよ?」

「誰が私の和希ですか! 別に和希が誰のものになっても関係ないです」

「じゃあ、穂乃果が和希君の彼女になっちゃってもいいの?」

 

 何気ない穂乃果の言葉に、私は色々と想像します。穂乃果と和希が仲良く並んで手を繋いで、笑顔で会話して……。

 

「…………………………だ、だから、和希が誰の彼女になっても、私には関係ないです」

「それじゃあ、ことりも和希君の彼女候補に立候補しちゃおうかな♪」

 

 穂乃果につられて、ことりまで手を挙げだす。彼女は冗談で言っていると分かる口調なのに。冗談だと分かるのに……。

 私の中の何かがきれてしまったらしく、

 

「だ、駄目です!! 和希は、和希は……あっ!」

 

 思わず私はファミレスであることを忘れて、立ち上がってしまった。突然立ち上がった私に、店内の視線が集中する。

 

「す、すいません……」

 

 私は真っ赤な顔で頭を下げ、着席すると、キッと穂乃果とことりを睨みつけた。

 しかし、そこは長年幼馴染をやっているだけあります。今更、私の視線くらいでは全然怯んでくれません。

 

「ふふっ、和希君の前でもそのくらい素直になればいいのに?」

「こ、ことりぃ……」

 

 恨みがましい視線を改めてことりに向けますが、彼女はニコニコと微笑むばかり。

 

「海未ちゃん、それってもう、和希君のこと好きだってことだよね?」

 

 穂乃果が、身を乗り出すようにして私に迫ってくる。確かに穂乃果の言う通りなのかもしれません。でも、

 

「……分からないんです、自分の気持ちが。今まで誰かの事を好きになる事なんて、一度もありませんでしたから」

 

 子供の頃の私は今以上に引っ込み思案で、恥ずかしがりやで、穂乃果の後ろに隠れるばかりで、男の子と話す機会なんてほとんどありませんでした。

 中学に入ってからはご存知の通り、私はむしろ男子と対立する立場にありましたから、当然誰かを好きになる事もなかったです。

 

 だからこそ、和希は少しだけ特別でした。

 

 一緒に住み始めた頃の私たちは、最悪の関係だったと言わざるをえません。和希は私の大嫌いなタイプの人で、言うことも全然聞きませんでしたから。

 

 でも、彼は不良だけど私の事を助けてくれて、いつも憎まれ口ばかり叩いてくるけど、不意に見せる彼の優しさは、いつだって私の心をドキッとさせる。

 

 特に夏まつり以降は、彼の事を自然に目で追ってしまうことが増えている気がした。和希の言葉に、行動に、ドキッとしたりすることも同様に……。

 始業式の日。髪についていたゴミを取ってもらった時は、本当にどうにかなりそうだった。

 和希の整った顔が近づいてきて、ふわっと和希の匂いが鼻腔をくすぐって……。いきなり過ぎて、相当動揺してしまったのはよく覚えている。

 

「あんまり難しく考える必要はないと思うよ。誰かを好きになる気持ちは、理屈じゃ説明できない部分も多いはずだから」

 

 ことりが私を諭すように話しかけてくる。

 

「理屈じゃない……」

 

 夏祭りの時、彼の言葉に思わず「嬉しい」と言ってしまった。「可愛い」と言われてすごくドキドキした。彼女の言う通り、この気持ちは理屈で説明できることではない。

 

 だって、頭ではあれだけ和希を悪く言っていたのに、心はそう思ってくれなかった。ギャップと言われればそれまでかもしれないが、それでも彼の優しさに惹かれたのは事実であって……。

 

「和希君から止められてたんだけど、ちょうどいい機会だから言っちゃうね。この前和希君、告白されてたんだ」

「……えっ?」

 

 思わず間抜けな声をあげてしまった。

 

「ことりも聞くつもりはなかったんだけどね。たまたま告白されてる近くを通りかかっちゃったから」

 

 ことりの声がやけに遠く聞こえる。心がぎゅうっと締め付けられ、スッと体温が下がっていくような感覚。血の気が引くとはまさにこのことだった。

 

 もしかしたら和希に、彼女がいるのかもしれない。そう考えるだけで目の前が真っ暗になっていくようだった。

 

「そ、それで、和希の返事は?」

 

 思わず声が震える。次の言葉を聞きたいけど、聞きたくない。ことりの口から返事を聞くのがすごく、怖かった。

 

「……もちろん、断ってたよ。今は好きな人がいないんだって」

「……そう、ですか」

 

 私はホッと息を吐く。和希に彼女がいなくて安心した反面、好きな人がいなくて残念な気持ちがもう反面。

 

「海未ちゃんって、和希君の事になると穂乃果以上に分かりやすいよね~」

「えっ? 私、顔に出てましたか?」

「うんっ! 彼女がいなくてすごく安心したけど、好きな人もいなくて少し残念……みたいな感じの顔だったよ!」

 

 元気よく頷く穂乃果に、私はますます恥ずかしくなってきました。ことりならともかく、単純な穂乃果にまで見破られたとなると、これは少々問題です。

 

「海未ちゃん、今穂乃果のこと、心の中でバカにしたでしょ?」

「……バカにはしていないで安心してください」

 

 ジト目の穂乃果に私は苦笑いを浮かべる。そして私は気付いてしまった。いえ、違いますね。認めたくなくて、意固地になっていただけかもしれません。

 

「穂乃果、ことり……私」

 

 胸に手を当てて、私は静かに、だけどしっかりと二人を見据えて、一つの答えを出した。

 

 

 

「私は、和希のことが、好きです」

 

 

 

 もちろん、イラッとすることも多いです。それでも、私は和希のことが好きだったんです。多分、私の事を助けてくれた日からずっと……。

 

 

 

「和希に褒められると、すごく嬉しいです。思わず、顔が緩んでしまいます。和希に名前を呼ばれた時、すごくドキッとしました。まさか、本当に呼んでくれるとは思いませんでしたから。和希が他の女の子にデレデレしてると、すごくイラッとします。でも、和希が取られちゃうんじゃないかと思って、すごく心配になります」

 

 

 

 誰かを好きになる気持ちなんて、今でもよく分かりませんし、一口で語れるようなものでもありません。

 一目見た時から好きだという人もいる。最初は友達だったという人もいるし、私のように最初は嫌いだったという人もいるでしょう。

 「好き」という気持ちの説明は簡単なようで、意外と難しい気持ちですから。だけど、今私の言った全てが、誰かを好きになる事なんだと思います。

 

 

 

「……私は和希の笑顔が好きです。たまにしか見せてくれませんけど、彼の笑顔は優しくて、その……とてもかっこいいです」

 

 

 

 先ほどからニヤニヤと見つめる、二人の視線が妙にむず痒い。おかげで顔が余計に熱くなってしまう。これだから本当の事を言いたくなかったんです。

 

「まぁ、和希君、穂乃果の目から見てもかっこいいからねぇ~。海未ちゃんがそう思うのも当然のことだよ!」

「ことりもそう思うな♪ それに海未ちゃんと和希君は、タイプも似てるからすごくお似合い」

「……ちなみに私と和希はどう似ているのですか?」

「なかなか素直になれない、ツンデレタイプ♪」

「ものすごくバカにされた気分です……」

 

 和希はツンデレ? なのかどうか、わかりませんけど、きっと私と和希はバカにされていることでしょう。

 

 

 

 

 

「……ふえっくしょい! 誰か俺の噂でもしてるのか? いやー、人気者は困るぜ」

 

 

 

 

 

「素直になれないのは、その、は、恥ずかしくて……どうしても、思っていることと違うことを言ってしまうんです」

『海未ちゃんは可愛いねぇ』

「二人とも、真面目に聞いてください!!」

 

 のほほんとした二人に、再び私は机をバンッと叩いて立ち上がり……周りの人たちに頭を下げてもう一度座り直しました。

 

「ま、全く、本当に穂乃果とことりは……」

 

「だって、和希君の事を想って乙女になる海未ちゃんを見てると面白くて!」

「だって、和希君の事を想って乙女になる海未ちゃんが可愛くて♪」

 

 うぅ……二人が必要以上に私の事をいじってきます。顔が熱くて、熱くて……。

 

「改めて聞きますけど、どうやったら和希の前で素直になれるんでしょうか?」

「うーん、穂乃果は別に無理して素直になる必要はないと思うけどな~」

「そもそも和希君の事だから、「どうした、急に素直になって? 海未がそんなに素直になるだなんて、気持ち悪いぞ?」って言うんじゃない?」

「……想像できるから怖いですね」

 

 私は思わずため息をつく。和希は私の好意を、なかなか受け入れてくれませんから。

 

「だから、ちょっとずつでいいんだよ海未ちゃん。まずは一日一回、和希君の事を褒めるみることから始めたらどう?」

「ほ、褒めるですか……」

「もうっ! 褒めることくらいで恥ずかしがってたら、和希君と付き合った時どうするの?」

「つ、付き合うっ!?」

 

 思わず声が裏返る。

 

「そうだよ。だって海未ちゃん、和希君の事好きなんでしょ?」

「そ、それはそうですけど、いきなり付き合うだななんて……」

「ま、まぁまぁ、穂乃果ちゃん。海未ちゃんはさっき自分の気持ちを自覚したばかりなんだし、驚いちゃうのも無理ないよ。まぁでも」

 

 そこでことりは、私に向かってニッコリと微笑む。

 

「和希君は鈍感だから、海未ちゃんが素直にならないと、一生気持ちに気付いてもらえないよ?」

「…………」

 

 本当にことりは痛いところを絶妙についてきますね。私はそんな彼女に苦笑いを浮かべる。

 

「確かにそうかもしれません。私は穂乃果やことりと違って、和希に良い印象をそこまで持たれていないでしょうから」

 

「……和希君って、本当の所、海未ちゃんのことどう思ってるのかな? 穂乃果的には海未ちゃんが思ってるより、印象は悪くない気がするんだけど」

「……多分、最初の頃の印象が強すぎるからじゃない? あの時はお互い、悪口を言い合ってたわけだしね。それでも、夏祭りの後の会話を聞いてる限り、かなり好印象を持たれてると思うんだけどなぁ~」

 

「? どうしたんですか、二人とも」

『ううん、何でもないよ!』

 

 息を揃えて、首を振る二人。なんでしょう? いまいち、納得できません。

 

「そんな事よりも、海未ちゃんが考えなきゃいけないことは、これからどうやって和希君の事を褒めるのかだよ!」

 

 私が不満げな顔で二人を見つめていると、穂乃果が強引に話を元に戻す。

 

「ほ、褒めるって言っても……あっ!」

 

 私の頭の中にとある和希の姿が浮かぶ。

 

 誰にも話したことがない、私がかっこいいと思う彼の姿。今日も和希が家で勉強をしていれば、その姿が見れるかもしれません。

 

「ふふっ♪ 海未ちゃん、何か言い褒め言葉が浮かんだのかな?」

「い、一応ですけど……」

「それじゃあ、帰ったら早速褒めてあげなきゃだね! ファイトだよ、海未ちゃん!!」

「海未ちゃん、頑張って♪」

 

 ほのかとことりから激励の言葉を受ける。まだ言えると決まったわけではありませんが、もし言えるのであれば、頑張って素直にならなければいけませんね。

 せっかく、こうして幼馴染二人が応援してくれているのですから。

 

「二人の期待に沿えるよう、あと自分の為にも頑張ります!」

 

 私の言葉に穂乃果とことりが優しく微笑む。その後は二人といつも通り、とりとめもない会話をして、私は和希の居る自宅に帰ったのだった。

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

 穂乃果たちと別れ、家に帰ってきた私は、一つ深呼吸をしてから彼の部屋の扉をトントンと叩く。

 お母さまから、ご飯の用意ができたことを伝えてほしいと言われたのだ。しかし、先ほど和希のことが好きだと自覚してしまったため、なんだか気恥ずかしい。

 

「和希、いますか?」

 

 声をかけるも、返事は帰ってこない。恐らく、イヤホンをして音楽でも聞いているのだろう。

 

「入りますからね」

 

 もう一度確認を取り、私は和希の部屋の中へ。

 中では案の定、和希がイヤホンをつけて勉強をしている最中だった。よっぽど集中しているのか、私が入ってきた事にも気づいていないみたいです。

 

「和希」

 

 彼の肩をトントンと叩く。そこでようやく私の存在に気付いた和希が、驚きのあまり瞳を真ん丸くさせました。

 

「何だ、海未か。びっくりさせないでくれ」

「私はちゃんと声をかけましたよ? 和希こそ、私の声が聞こえない音量で音楽を聞かないで下さい」

「これでも音量には気を付けてるんだけどなぁ~。それで、どうかしたのか?」

「お母さまから、夕食の準備ができたので、和希に伝えてきてほしいと言われたんです」

「了解。それじゃあ、勉強道具を片付けて行くから、先に戻ってていいぞ」

 

 そう言って和希は、机の上に広がっていた勉強道具の片づけを始めます。

 チラッと見えましたが、彼は数学をやっていたみたいですね。何やら数式が、所狭しとノートに書き込まれていましたから。

 

 ちなみに和希が勉強をしているのは、先日行われた実力テストの結果が芳しくなかったためです。それでも私より点数は上なのですが、彼曰く「これじゃあまずい」とのことで、先日から暇を見つけては勉強をしているというわけでした。

 

(最近は特にそうですけど、和希は本当に不良なのかと疑問に思うことが増えてきました。実力テストの点数が低くて勉強を始める不良なんて私は知りません)

 

 真面目な生徒ならいざ知らず、和希ですからね。ほんと、訳が分かりません。そう思いながら、私は眼鏡をかけている彼の横顔を眺めます。

 眼鏡姿の和希は私のお気に入り。彼はキャラの大渋滞を起こすとのことで、学校では眼鏡をかけていません。

 

 だから今の和希は穂乃果も、ことりも知らない。私だけが知っている特別な姿。

 

 初めて見た時からギャップにやられてしまった私は、見るたびに心がドキッとします。

 だって、仕方ないんです。すごく似合っていて、その、か、かっこいいですから……。

 

「なんだ? 俺の顔に何かついてる?」

 

 じろじろ見ていたせいか、私に向かって和希が首をかしげてきます。

 

「い、いえ、そういうわけではないんですけど……」

 

 適当に誤魔化そうとして……頭の中に先ほどの会話がよぎる。

 

 

 

『和希君は鈍感だから、海未ちゃんが素直にならないと、一生気持ちに気付いてもらえないよ?』

 

 

 

「…………」

「海未?」

 

 和希は他の女の子に告白されるくらい、モテる男の子です。もしかしたら、私がこうして素直になれないうちに、和希は他の女の子と付き合ってしまうかも……。

 自分の気持ちを理解してしまった以上、そんなの絶対に嫌です。だから私は胸の辺りをキュッと握り締めて、顔をあげた。

 

 

 

「和希はやっぱり、その眼鏡姿が一番、似合ってるな、と思いまして……」

 

 

 

 カッコいいです。

 その一言は恥ずかしくて口に出せなかった。お祭りの時は言えましたけど、あの時は背負われていて、顔を見る必要がありませんでしたし……。

 それと、最後のほうは恥ずかしくて声が小さくなってしまった。でも、素直になれないときに比べたら格段の進歩です。

 

「…………」

 

 私の言葉に和希は何も言いません。あ、あれっ? もしかして逆効果でした? だけど、悪態をついてこないあたり、怒ってるとも思えません……。

 

(和希は一体何を考えているのでしょう?)

 

 なんて考えていると、和希は無言のまま眼鏡を外し、こちらに近寄ってきて……その眼鏡を私にかけさせてきました。

 そして私の頭を一回ポンッとなでると、

 

 

 

「うん。やっぱり眼鏡は、海未の方が似合ってるよ」

 

 

 

 少しだけ微笑みながらそう伝えてきたのだった。

 

 

 

「…………へっ?」

 

 

 

 まさか和希に褒められると思っていなかった私は、しばらくの間、何を言われたのか分からず放心状態に。

 しかし、徐々に彼の言った事を飲み込み始めると、ボンッと顔が熱くなった。

 

「な、ななっ!? きゅ、急に、何を――」

 

 戸惑う私を他所に、

 

「さてと、それじゃあ晩御飯を食べに行こうか」

 

 和希はさっさと部屋を出ていってしまいます。

 残された私は体から力が抜けてしまい、その場にへたへたと座り込んでしまいました。

 

「うぅ……///」

 

 顔と耳が熱いやら、褒められて嬉しいやら、急に言うなんてずるいやら……様々な感情が私の心を渦巻く。

 だけど……私は和希の眼鏡に手を添えて、

 

 

 

「えへへ///」

 

 

 

 堪えきれずに笑みをこぼしたのだった。

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

(はぁ、驚いた……)

 

 俺はリビングまでの廊下を歩きながら、思わず心臓を押さえる。未だにバクバクと、信じられないほどうるさい。

 

(ほんと、どうして急にあんなことを……)

 

 ほのかに頬を染め、上目遣いで俺の事を見つめてきた海未の姿が頭をよぎる。

 あの時は突然のことに思わず言葉を失ってしまったが、何とか誤魔化せた。……と思う。海未に眼鏡をかけさせ、取り敢えず頭に浮かんだことを言ったのだが、自分でも何を言ったのかよく覚えていない。

 うん、それぐらいテンパってたんだと思ってほしいです。だってさ……素直になった海未、めっちゃ可愛かったんだ。それはもう、抱き締めたくなるほどに。

 

 あんなの反則である。元が美人なんだから、素直になった海未が可愛くないわけがない。

 

(晩ご飯の時、どんな顔して海未と話したらいいんだろう?)

 

 この後のことを考えて、若干憂鬱な気分になる俺だった。

 

(まぁでも、嬉しかったしそこまで気にしなくてもいいかな?)

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

 ちなみに夕食時。

 妙にギクシャクする俺たちを見て睦未さんが「何々? どうしたの二人とも? もしかして、付き合っちゃった?」と楽しそうに突っ込んできたのは言うまでもない。

 

 その時に海未が、いつも通り「付き合ってません!!」とツッコんでくれたらよかったのだが、

 

「べ、別に、付き合ってなんて……」

 

 もにょもにょと言い訳? みたいなことを言った後、なんかすごく幸せそうな顔をして頬を緩ませたもんだから、もう大変だった。

 詳細については面倒なので省略させていただきます。

 




 今回も読了ありがとうございます。そして、感想やお気に入り等、いつもありがとうございます。励みに、これからも頑張ります。
 それにしても、眼鏡姿の海未ちゃんも可愛いんだろうなぁ~。


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11話 真面目な彼女と遊園地に行った

 ひたすら海未と和希が、イチャイチャしているだけだった気がする。


「和希君、早く早く!」

「ちょっと待てよ穂乃果。そんなに急いでもアトラクションは逃げないから安心しろ」

「穂乃果、前を見ないと転びますよ?」

「穂乃果ちゃん、まだ何もしてないのに楽しそうだね♪」

 

 元気いっぱいな穂乃果に、若干心配そうな俺と海未。そして、いつも通り天使の如く、微笑みを浮かべることり。

 

 なんか、海未が素直になってドギマギし始めてから、一か月ほど。

 季節は10月に突入し、あれだけ厳しかった日差しも、うるさかったセミの声も、ここの所はすっかり落ち着いて、だんだん秋らしい気候になってきた今日。

 俺と海未、それに穂乃果とことりは、とある遊園地に足を運んでいた。

 

 最初に言っておくと、ここは某ネズミの居る夢の国ではない。ここはジェットコースターなどの絶叫マシンが多くあり、絶叫好きにはたまらない遊園地である。

 夢の国でも別に構わなかったのだが、人が多そうなのでやめた。俺、人ごみがあんまり好きじゃないし、海未たち三人と一緒に居たら、背中を刺される気しかしない。

 それに、海未を除く三人がジェットコースター系のアトラクションが好きなので、こちらの遊園地のほうが性に合ってるっていうのも理由の一つだな。

 ちなみに海未は、遊園地に来るのが久しぶりすぎて、絶叫マシンに乗れるのか、乗れないのかも、よく覚えていないらしい。

 この遊園地で絶叫系が無理だったら、乗れるアトラクション、ほとんどないと思うんだけど……。まぁ、そん時はそん時で考えればいいや。

 

「ほらっ、和希君! ぼーっとしてるとおいてっちゃうよ?」

 

 おっと、穂乃果が大変ご立腹だ。そんな穂乃果に「ごめんごめん」と手を合わせる。そのまま三人と一緒にチケット売り場に行き、一日フリーパスを購入。

 

「それじゃあ、まずは何から乗ろう?」

「はいはいっ! 穂乃果、まずはあのジェットコースターがいい!」

 

 穂乃果が指差した先にあったのは、FU〇IYAMAと呼ばれるジェットコースター。

 このコースターはこの遊園地を代表するものであり、王道中の王道である。キングオブコースター。

 まぁ、一発目にしては無難な選択だろうな。

 

「俺は穂乃果の意見に賛成だけど、二人は大丈夫か?」

「うん! ことりもこれで大丈夫だよ!」

「私も構いませんよ。多分、これくらいなら何とかなります」

 

 うーん、本当に大丈夫なのかな? 乗った後に泣き喚かれても困るけど……。まぁ、海未は意外と肝が据わってるし、問題ないだろう。

 二人に了承を取ったところで、俺たちは待機列の最後尾へ。

 

「それにしても、開園直後だっていうのに、結構並んでるな~」

「まぁ、並んでいる時間はみんなで話してれば、あっという間だって!」

「そうそう。それに待っている間はきっと、和希君が面白い話をしてくれるから♪」

「こ、ことりさん? そんな無茶振りは勘弁してほしいっす……」

 

 ことりたちを満足させられるほどの話を、俺は持ち合わせちゃいない。というか、何を話してもスベる気しかしない。くそっ、こういう時に場を盛り上げる小噺(こばなし)の一つでも持っていれば……。

 

「それじゃあ、ことりから和希君の事について、色々質問しちゃってもいい?」

「別に構わないけど、それって面白いのか?」

「もちろん♪ それじゃあ早速……和希君はどんな女の子がタイプですか?」

「ぶっ!?」

 

 どういうわけか、ことりの質問に海未が過剰に反応してる。

 

「何で海未が狼狽えてるんだよ? 質問されてるのは俺なのに」

「い、いえ、なんでもありません。それより、和希は早くことりの質問に答えてください!」

 

 よく分からないけど、海未に怒られた。理不尽にもほどがある。

 

「まぁ、タイプって言っても、可愛くて、性格が合えば、誰でもいいんじゃないか?」

「……誰でもいいって、和希は最低ですね」

「そこだけピックアップするんじゃねぇよ! マジで最低な奴になるから!」

 

 皆さん、改めて言っておきます。私は誰でもいいわけではありません。

 まず第一に、性格が俺と合うことが大事です。決して、可愛ければビッチでも、ギャルでもいいわけではありません!! 

 そこのところ、海未みたいに勘違いしないで下さい。

 

「うーん、それじゃあ全然分かんないよ。あっ! それじゃあ、穂乃果たちの中なら誰が一番タイプ?」

「穂乃果たちの中なら?」

「ちょっと穂乃果!? あなたは一体何を聞いて……」

 

 相変わらず慌てた様子の海未を無視して、俺は穂乃果たち三人をそれぞれ眺める。

 こうしてみるとタイプは全然違うけど、みんな可愛いんだよなぁ~。これは悩む……。

 

「は、早くしてください!」

「まぁまぁ、海未ちゃん。和希君も真剣に悩んでくれてるんだし、待ってあげようよ♪」

 

 悩み続けること、約二分間。俺は結論を出した。

 

「顔だけなら、海未が一番タイプかな。ただし、黙っている時に限る」

 

 後、素直な時も同様かな。あの時の可愛さはマジでやばい。

 

「……最後の言葉のお蔭で、素直に喜べません。全く、これだから和希は」

「そう言ってるけど海未ちゃん、口元すっごく緩んでるよ?」

「穂乃果っ!? て、適当なことを言わないで下さい!! 別に緩んでなんかいません。普通です、普通!!」

 

 穂乃果の指摘に、顔を真っ赤にして海未が反論している。完全に弄ばれてるな。ことりもことりでニマニマしてるし。

 

「ふふっ♪ 予想以上の答えが聞けたところで、どうして海未ちゃんの顔がタイプなの?」

「どうしても何も、別にいいだろ。理由なんて」

「え~。でもことり、海未ちゃんがタイプだって言った理由が、とっても気になるなぁ~?」

 

 ツンツンと俺の頬をつつくことり。くっ……この上目遣いと甘い声は反則だ。というか、本当の事を言わないと解放されない気がする。

 

「こ、ことり! そこまで追求しなくても……」

 

 いいぞ、海未。もっと言ってやれ! 今だけはお前のことを、全力で応援してやるぞ! 

 しかし、何やらこしょこしょとことりに耳打ちされている。これはもう、嫌な予感しかしない。そして、話を終えた海未は少しだけ頬を染めながら口を開く。

 

「ま、まぁ、理由くらいなら聞いてあげてもいいですよ?」

 

 一体全体、ことりに何を吹き込まれたんだ? 突然の方針転換に、俺は絶句するしかない。

 

「ほらぁ~。和希君、海未ちゃんもこういってることだし」

「い、いや、無理して言うほどでもないし。それより結構時間も経ったことだから、俺たちの番じゃ――」

「穂乃果たちの番はまだまだだよ。だから、安心して和希君!」

「…………」

 

 親指をグッと立てる穂乃果。おかしいな。俺の周りに味方が一人もいない。三人の視線が俺に集中する。

 

「あぁ、もう! 分かった、分かったから!」

 

 視線に耐え切れなくなった俺は、半分やけになって叫ぶ。畜生、こんな予定じゃなかったのに……。どうしてこうなった!? 

 

「…………だよ」

「えっ? 和希君、もっと大きな声で!」

「だ、だから、普通に可愛いと思うからだよ!」

 

 穂乃果とことりの厳しい追及をうけ、思わず声が高くなる。気分は、国会答弁中に野党から厳しい追及を受ける与党議員みたいだ。

 くそっ、可愛い宣言と相まって余計に恥ずかしい。この場に埋まりたい気分だ。

 

「へ、へぇ、可愛いですか……和希にしては、よくできたほうですね」

 

 腕を組み、そっぽを向きながら、えらそうなことを言う海未。ここが遊園地じゃなかったら、普通に頭を引っ叩いている気がする。

 しかし今は、周りの目があるプラス、恥ずかしさが勝っているため、何もできない。顔を真っ赤にして耐えるだけである。く、屈辱だ……。

 

「海未ちゃん、あんなこと言ってるけど、すごくデレデレしてるよ。和希君は気付いていないみたいだけどね」

「可愛いね、海未ちゃん♪ 嬉しいのなら、素直に嬉しいっていえばいいのに!」

 

 そんな俺たちを、穂乃果たちが生温かい目で見つめている。そんな感じで女子三人から羞恥プレイをうけていると、いい感じに時間が経過してたらしい。次はもう、俺たちの番となっていた。

 

「二人掛けで座るみたいだけど、どうやってすわ――」

『海未ちゃんと和希君。私と穂乃果ちゃん(ことりちゃん)で!!』

「お、おぅ……」

「どうしてそんなに息ぴったりなんですか……」

 

 俺と海未がドン引きする中、半ば強引に俺と海未は隣同士で座ることに。そして、ようやく俺たちの番となった。

 

「安全バーの確認を行います」

 

 係りの人が、一つ一つの安全バーを確認していく。そして、

 

「安全の確認が完了しましたので、出発いたします。それじゃあ、いってらっしゃい!」

 

 手を振られながら、ジェットコースターが出発した。

 

 そのままガタガタと頂上に上がっていく中で、緊張気味に目の前のバーを握る海未が視線の端に移る。

 

「緊張してるのか?」

「は、はい。少しだけ。やっぱり怖くて……」

 

 そういう海未の顔は少しだけ青い。俺はこっそりと、前に座る穂乃果とことりの姿を確認する。……よしっ、今なら大丈夫だな。

 

「……ったく、仕方ねぇな」

 

 心のなかで10ほどの言い訳を重ねた後、俺は緊張気味に座る海未の左手をしっかりと握り締めた。

 そんな俺に、海未の身体がピクッと震える。

 

「ど、どど、どうしたんですか!?」

 

 顔を赤くしてテンパる海未に、俺はそっぽを向きながら答えた。

 

「お前が、あまりに緊張してるからだよ。……他意はない」

 

 俺の言葉に、海未が恥ずかしそうに俯く。だけど、

 

ぎゅっ

 

 海未が指を絡めるようにして手を握り直してきた。

 

 

 

「……こっちの方が、いいです」

 

 

 

 絡めた指を通して、彼女の体温がじんわりと伝わってくる。

 何というか、ジェットコースターにのっていることを忘れてしまいそうだ。

 

「……海未、これはずるい」

「えっ? なんですか和希?」

「何でもないよ。それより、もう直ぐで落ちるから、心の準備をしておけよ」

 

 俺の言葉の数秒後、

 

「きゃぁあああああああ!」

「うぉおおおおおおおお!」

 

 俺たちを乗せたジェットコースターは、ものすごいスピードで落ちていくのだった。

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

「和希っ! 次はあのジェットコースターに乗りましょう!!」

「はいはい、ジェットコースターは逃げないから、大丈夫だよ」

 

 キラキラと目を輝かせた海未が、俺の腕をグイグイと引っ張る。

 取り敢えず、この状況を説明しておくと、海未がジェットコースターにハマりました。

 

「あんなにはしゃいでる海未ちゃんを見るのも久しぶりだね~」

 

 呑気に声を上げる穂乃果に、俺もうんうんと頷く。

 

 FUJI〇AMAに乗り終えた後、「和希! ジェットコースターって、すごく面白ですね!!」とテンション高めに話しかけてきた時には、若干引いてしまった。海未って、こんなに無邪気に笑うんだなと。

 

 その後、ド・ドド〇パと、え〇じゃないかにも乗ったのだが、ずぅーっとキャーキャー騒いでいた。俺じゃないよ。海未がだよ。

 ちなみに俺は、ええじゃないかに乗った際、とんでもないスピードとGの影響で後頭部を強打していた。め、めちゃくちゃ痛かったです。楽しかったからいいんだけどね。

 しかし、そのおかげでしばらくの間、脳が震えていましたよ。……決して俺は魔女教ではない。無宗教です。

 

「もうっ! 和希ってば、何をボーっとしているのです? 早く行きますよ! 次は高〇車です!!」

 

 ほんと、最初のうちとはまるで別人だな。穂乃果が二人いるみたい……。思わず苦笑いを浮かべながら、海未の後についていく。

 それにしても、高〇車か……あの角度はどうやって出しているのだろう? 首をかしげながら、高飛車の列に。待っている間、海未はずっとそわそわしていた。そして高飛車に乗るや否や、

 

「和希、すっごく楽しみですね!」

 

 なんて純粋に笑いかけてきたものだから、別の意味でドキドキしてしまった。いつものツンツンした海未はどこに行ったんだよ? 調子狂うな、全く……。

 そのまま121度の角度で落下した後、俺たちは遊園地内にあるフードコート内で昼食をとることにした。

 

「ところで次は何に乗るんだ?」

 

 正直、ジェットコースターはお腹一杯なんだけど……。俺の問いかけに海未……ではなく、ことりが手を挙げる。

 

「はいはい、和希君! ことり、次はお化け屋敷に行きたいな♪」

「…………ごめん、もう一回言って」

「えっ? お化け屋敷に行きたいなって」

「あ、あぁ、お、おおお、お化け屋敷ね。う、うん、それじゃあ、昼食を食べ終えた後はお化け屋敷に行こうか。あ、あははは……」

「和希君、どうかしたの?」

「いや、何でもないぞ穂乃果。何でもないったら、何でもないんだ」

 

 頭にクエスチョンマークを浮かべる穂乃果に、俺は冷や汗を流しながら首を振る。

 

 この遊園地にあるお化け屋敷、日本一長く、怖いとまで言われていた。もう、最悪である。

 

(何とか理由を付けて、その場から逃げ出さないと……)

 

 この後のことを考えて、ため息が出る俺だった。

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

(和希の様子がなんだかおかしいです)

 

 お化け屋敷に向かう道のりを歩く中で、私はそう思う。

 そわそわして落ち着かないし、視線は右往左往しているし、冷や汗は酷いし……。これはもう、何かを隠しているとしか思えません。

 

「和希、さっきから落ち着かないですけど、どうかしたんですか?」

「べ、べべ、別に、何もないし、俺はいつも通りだよ。ほ、ほんとだからな!?」

「まぁ、和希がそこまで言うなら、これ以上は問いませんけど……」

 

 絶対に大丈夫じゃなさそうです。声は上擦ってますし、相変わらず冷や汗も酷いですし……。

 もしかして、お化け屋敷が苦手なのでしょうか? それなら一連の行動に説明がつくんですけどね。

 挙動のおかしい和希に注意を向けつつ、私たちはお化け屋敷までの道のりを歩いていき、

 

「やっと着いた! それにしても、すっごく怖そうだね~」

 

 穂乃果の言葉に私たちも頷く。外観から既におどろおどろしく、いつ本物の幽霊が出てきてもおかしくない。そんな雰囲気だった。

 

「だけど、すごく面白そうだね♪」

「うんうん! ことりちゃんの言う通りだよ! 怖そうだけど、やっぱり面白そう!」

「二人ともすごいですね。私はあまり得意ではないですから。ちなみに、和希はどうなんです?」

 

 怖がっているのか確認するという意図も込めて、和希に話を振る。すると、

 

「…………な、なかなか、怖そうじゃないか。お、お化け屋敷はこれくらいじゃないと」

 

 和希は顔面蒼白になりながらも、精一杯強がっていた。これはもう、完全に黒ですね。

まぁ 、穂乃果とことりもいますし、今は黙っていてあげましょう。

 

「それじゃあ、早速入ろうよ! ここのお化け屋敷、距離も長いから、出るまでに結構時間がかかるみたいだし」

「分かりました。ほらっ、和希も行きますよ?」

 

 未だに顔が青白い和希を、無理やり引っ張っていく。

 

 お化け屋敷に入る途中で和希が「い、イタタタタ……ちょっとお腹が痛いから、お化け屋敷は無理かもなぁ~」という、下手くそな演技を披露していたが、穂乃果とことりと共に問答無用で引っ張っていった。

 後ろから「鬼、悪魔、海未!!」と大変失礼な言葉が聞こえてきたものの、無視させてもらった。誰が鬼で悪魔ですか、全く。そして、

 

「次の方、どうぞ~」

 

 無事に? 私たちの番となった。

 

「それじゃあ、私とことりちゃん。海未ちゃんと和希君のペアで!」

 

 今さらツッコみませんけど、やたら穂乃果とことりが私と和希を組ませるのは、まぁ、その、つまり……そういうことです。察してください。

 

「海未ちゃん、それに和希君。また出口でね♪」

 

 手を振りながら穂乃果とことりが、先にお化け屋敷の中へ。しばらく待った後、私たちもお化け屋敷の中へと入っていく。

 しかし、隣にいる和希の足取りが相変わらず重い。

 

「和希、そんなに遅く歩いていると、出る時間がどんどん遅くなりますよ?」

「う、うるせぇ! 今はちょっと調子が悪いだけだ!!」

「歩くのに調子も何もない気がするんですけど……」

 

 本当に苦手なんですね、お化け屋敷。……ちょっと、からかって見ましょうか。私はバレないよう、静かに和希の後ろに回って、

 

「わぁっ!」

「おひょぉ!?」

 

 驚かしたら、予想以上に面白かったです。お、おひょぉって……。

 

「……ぷっ」

「う、海未、てめぇ……」

 

 思わず吹き出してしまいました。そんな私に、和希が鋭い視線を向ける。だけど、涙目なので全然怖くないですね。膝も現在進行形で震えていますし。

 

「ふふっ♪ 和希ってば、やっぱりお化け屋敷が苦手なんですね。……可愛いです!」

 

 私の言葉に、和希が真っ赤になって俯く。

 

「だ、だからお化け屋敷なんて嫌だったんだよ……」

「昔から苦手なんですか?」

「小さい頃、お化け屋敷に入ったんだけど、その中で親とはぐれてな。それ以来、お化け屋敷はトラウマとして俺の心に刻み込まれてるんだよ」

 

 思い出しただけで寒気が……和希がぶるぶると震えている。これはよっぽど怖かったんでしょうね。

 私はそんな和希にニッコリと微笑んだ。そのまま右手を差し出す。

 

「はい、和希」

「……なんだよ、その右手は?」

「このままだと、和希はずっと怖がったままでしょう? だから手を繋いであげようと思ったんです」

 

 普段ならこんなこと、恥ずかしくて絶対に言えません。でも、今の可愛い和希なら大丈夫です。

 そ、それに、今なら誰にもバレることなく、手を繋げますし……。

 

 私の差し出してきた右手を見て、和希はしばらく悩んでいたみたいですが、ギュッと握り締めてくれました。

 どうやら、自分のトラウマには勝てなかったみたいです。

 

「ふふっ♪」

「わ、笑うんじゃねぇよ!!」

 

 再び真っ赤になって憤慨する和希。なんでしょう。和希は怒っていますけど、私は新たな彼の一面を知ることができて、とても嬉しいです。

 怒りながらも、右手を離さない和希に、私はお化け屋敷がずっと続いてもいいのかなと思うのだった。

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

「あっ、海未ちゃんに、和希君。お疲れ……って、どうしたの和希君、その顔!?」「か、和希君、大丈夫!?」

「い、いや、気にするな……」

「ふ、ふんっ!」

 

 お化け屋敷後、穂乃果たちの合流したのですが……和希の顔を見て二人が驚きの声を上げる。なぜならその右頬には、大きな紅葉マークがついていたからだ。

 

 か、和希がいけないんです! 手を繋ぐだけならまだしも、まさか驚いて私の身体を抱き締めてくるだなんて思いませんでした。

 和希は目の前の恐怖から逃れるために必死だったので、分からなかったかもしれないですけど、あなたの事を好きなこっちに身にもなってほしいです。

 

 抱き締められた時は、心臓が止まるかと思いました。全く、お化けより驚きましたよ……。

 でも、和希の胸の中は温かくて意外と心地よかった……な、何でもありません!

 

「きっと、和希君が驚いて海未ちゃんに抱き付いちゃったんじゃない? 和希君、お化け屋敷に苦手そうだったから」

「当初の予定とは違ったけど、それならそれで美味しい展開だったのかもね♪」

 

 穂乃果とことりが私たちを見て、ニヤニヤと悪い笑みを浮かべています。きっとろくでもないことを考えているのでしょう。

 しかし、これでツッコむと墓穴を掘る気しかしません。なので私は、取り敢えず黙っていることにしました。

 

 その後は、まだ回りきれていなかったアトラクションに乗ったり、園内をぶらぶらしたり……。

 

 いい時間になったところで、穂乃果とことりがあるアトラクションを指差しました。

 

「ねぇ、最後に観覧車に乗ろうよ!」「もちろん、ペアは海未ちゃんと和希君。私と穂乃果ちゃんでね♪」

「別にペアに関しては何言わないけど、最後くらい一緒に乗ろう――」

『いいからっ!!』

「あっ、はい。なんか、ごめんなさい」

 

 二人の迫力に、和希が素で謝っています。迫力だけなら、和希も負けていないはずなんですけどね。

 そんな事はどうでもいいとして、私たちは観覧車の乗り場まで歩いていく。ジェットコースターのように、混む様なアトラクションでもないので、あっという間に私たちの番になった。

 

「お客様は、四名様で――」

『いえ、二名ずつで!!』

「あっ、そ、そうですか……それでは最初のお二人はお乗りください」

 

 係りの人も、穂乃果とことりの迫力に若干引いている。まぁ、あれだけ食い気味に言われたら当然でしょう。

 そんなわけで、先にことりたちが観覧車に乗り込む……寸前に二人が私たちの方に振り返り、

 

『海未ちゃん、頑張ってね!』

 

 意味深な笑顔を浮かべてきたので、私の顔は一瞬で真っ赤になりました。

 

「っ!? ほ、穂乃果、ことり!?」

「じゃあねぇ~」「ばいばい、海未ちゃん♪」

 

 狼狽える私を残して、穂乃果たちは一足先に上へと上がっていきます。

 

「……頑張ってって、お前観覧車に乗るだけなのに、どんだけ気合入ってるんだよ?」

「そ、そう言う意味じゃないですから! あれは穂乃果たちが勝手に言っただけなんですからね!?」

 

 和希が変な勘違いをしたところで、私たちも係りの人に誘導され、ゴンドラに乗り込んだ。乗り込んだ後は、向かい合うようにして座る。

 

「観覧車なんて乗ったの、ほんと久しぶりだなぁ。おぉ、高くなってきた!」

「そ、そうなんですか……」

 

 外を見て呑気に呟く和希を他所に、私は緊張で会話に全く集中できません。

 こんな狭い空間に和希と二人きり。観覧車が回っている間は、好きな人と二人きりで、誰にも邪魔されない空間。

 

(うぅ……///)

 

 私は思わずギュッとこぶしを握り締める。トクントクンと、和希にまで聞こえてしまうんじゃないかと思うほど、うるさい鼓動。

 頬に手を当てると、信じられないくらいに熱を持っている。穂乃果とことりがあんなことを言わなければ、もう少し緊張も和らいだというのに……

 

(ところで和希は私と二人きりで、緊張しているんでしょうか?)

 

 今更、和希が緊張するような性格には見えませんけど、一応確認です。私はチラッと、彼の方に視線を向ける。

 

 

 

「…………」

 

 

 

 和希は頬杖をつきながら、外を眺めていた。何時になく真剣な表情。

 最初は疲れたのかと思いましたが、どうやら和希は考え事をしているみたいです。

 

「和希、大丈夫ですか?」

 

 少し心配になった私が和希に声をかける。すると和希はこちらに視線を向け、困ったような表情を浮かべた。

 

「……海未、ちょっとそっちに行ってもいいか?」

「えっ?」

 

 私の了承を得る前に和希は立ちあがると、そのまま私と隣にストンと腰を下ろした。

 

 それもお互いの間を開けることなく、ゼロ距離の位置に。

 肩が触れ合って、私と和希の体温が混ざり合う。

 

(えっ!? えぇっ!? か、かか、和希は急にどうしたんですか!?)

 

 突然のことに、私の頭が真っ白になった。和希は普段からも行動が読めないですけど、今回ばかりは本当に訳が分かりません。

 

「…………あのさ、海未」

 

 そこで和希が口を開く。

 

「ど、どうしたんですか?」

「海未は俺の事、どう思ってる?」

「…………………………はいっ!?」

 

 とんでもないことを聞いてきた和希。

 おかげで冷静になってきた思考が、再びフリーズする。

 

「な、なな、なんでそんな事を聞くんですか!?」

「何でって、気になったからだけど?」

「それなら、まずは和希から聞かせてください! わ、私の事どう思ってるんですか!?」

 

 質問を質問で返した私に和希は、

 

 

 

「俺? 俺は海未のこと好きだぞ」

 

 

 

 一瞬、呼吸が止まった。

 

「もちろん、友達としてだけどな」

「……ま、全く、びっくりさせないで下さい!」

 

 まぁ、分かってましたけどね。分かってましたけど……色々と期待してしまったじゃないですか! 

 ヤキモキする私を知ってか知らずか、和希は前を向きながら話し出す。

 

「最初は海未のこと、大嫌いだったんだから不思議だよな。口うるさくて、理不尽で、うざくて……」

「和希は私に殴られたいのですか?」

「まぁまぁ、落ち着けって。今はたまに、口うるさいなぁって思うくらいだから」

「たまにでも大問題です!!」

 

 怒っていますという視線を和希に向ける。そんな私を見て和希は優しく微笑んだ。

 

「ど、どうして笑っているんですか?」

「いや、こうして海未と話してると、やっぱり楽しいなって」

「ふぇっ!?」

「あっ、別に今のことは冗談でも、お前をからかってるわけでもないからな」

 

 むしろ、冗談でないことが大問題なんですけど!?

 

「半年も一緒に住んでるからかもしれないけど、最近は特にそう思うんだ。海未と他愛もない話をして、笑って、怒られて……これがすごく楽しく感じるんだよ」

 

 恥ずかしがるでもなく、取り繕うでもなく、自然な笑顔を浮かべる和希。

 

 

 

 そんな彼の笑顔は、今まで見てきた中で一番魅力的なものだった。

 

 

 

(そ、そんな顔で私を見ないで下さい……あなたのことしか考えられなくなってしまいます///)

 

 思わず手で顔を覆う。和希の笑顔を見るだけで顔が熱くなって、口元が自然と緩んでしまって……。

 こんな顔、とてもじゃないですけど和希に見せられません。

 

「……それで改めて聞くけど、海未は俺の事どう思うんだ?」

 

 赤面する私に、和希の声が聞こえてくる。うっ……このまま流そうとしていたんですが、和希は見逃してくれませんでした。

 覆っていた手をどけると、ニヤニヤといじるような視線を和希が向けてくる。

 

「ほらほら~、早く言わないともっと言いにくくなるぞ?」

 

 さっきの笑顔をとは違い、いつも通りの笑顔を浮かべる和希。こ、これもこれでドキッとしま……な、何でもないです!!

 

「わ、分かってますよ!!」

 

 思わず声を荒らげてしまう。あなたはいいかもしれませんけど、私は違うんですからね!! 

 心の中で和希に一喝した後、私は深呼吸を繰り返す。そして、

 

「……わ、私も和希のことは、き、嫌いじゃないですよ」

 

 べ、別に私は間違ったことは言っていません。だから、和希もこれで許してくれるはずです。

 

「ふーん。嫌いじゃないってことは?」

 

 許してくれませんでした。私は言葉に詰まる。

 きっとお化け屋敷での出来事を、根に持っているに違いありません。

 

「き、嫌いじゃないってことは、その、つまり、そういうことです……」

「そういうことって?」

「だ、だから、嫌いじゃないの反対と言う意味で……」

「嫌いじゃないの反対って?」

「……か、和希は意地悪です」

「いやいや、俺は頭が悪いからな。ちゃんと言ってくれないと、意味をしっかりと理解できないんだよ」

 

 ニヤニヤと笑う和希に、非難の視線を向ける。テストの点数が学年で10位以内の人が、何を言っているんですか……。

 しかし和希は、そんな私を見ても許してくれるそぶりをみせてくれない。むしろ、楽しんでいるようにすら見える。

 そのまま10秒ほど躊躇っていたのだが、和希の視線に耐え切れず、私は重たい口をゆっくりと開いた。

 

 

 

「す、好きですよ。友達としてですけど……」

 

 

 

 キュッと目を瞑り、顔を真っ赤にして答える。

 そんな私を見て和希が、満足げに息を吐いた後、

 

 

 

「よくできました」

 

 

 

 そう言ってポンポンと頭を撫でてきた。優しい手つきに思わず頬が緩んで……、

 

「こ、子ども扱いしないで下さい!」

 

 我に返った私は、勢いよくその手を払いのけた。

 

「嫌われてるんじゃないかと思って、心配してたんだけどなぁ。でも、海未の本音が聞けて良かったよ」

「和希は本当に意地悪です!」

「でも好きなんだろ?」

「そういう所は大っ嫌いです!!」

 

 ふんっとそっぽを向く私。プンプンと怒る私を宥めた後、和希はまじめな顔になって、私のことを見つめてきた。

 

「ど、どうしたんですか?」

「……今日、帰ったら海未に話したいことがあるんだ」

「話したいこと?」

「うん。話したいこと。だからさ、家に帰ったらご飯の前に俺の部屋に来てほしい」

 

 真面目なトーンで話された彼の言葉に、私はこくんと頷く。

 

「ちなみに、どんなことを話すんですか?」

 

 私の問いかけに和希は悩む様なそぶりを見せた後、小さく呟くようにして口を開いた。

 

 

 

 

 

「睦未さんはもう知ってるんだけどな。……俺の両親のことだよ」




 今回も読了ありがとうございます。そして感想やお気に入り等、いつも励みになっております。次回の話も頑張ります。
 さて、この作品もいよいよ佳境という所まできておりますが、最後まで書ききりたいと思います。


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12話 真面目な彼女と少しだけ真面目な話をした

 今回は最後までシリアスですが、設定も含めて色々と許してください。


 

 

 

 

 

「…………」

「…………」

 

 遊園地からの帰り道を俺と海未は、お互い無言で歩く。

 原因はもちろん、観覧車の中での出来事にあるだろう。今日の出来事を話そうと思っても、言葉が出てこない。

 そのまま無言で帰宅し、俺の部屋の前に辿り着いた。

 

「海未はまず、着替えてきたらどうだ? 別に急いでるわけじゃないし」

「いえ、このままで大丈夫です。今は早く、和希の話を聞きたいですから」

「そうか。じゃあ、取り敢えず入れよ」

 

 俺は海未を自室に招き入れ、座布団に座らせる。そして俺は、彼女の隣に腰を下ろした。

 

「……」

 

 俯く海未の表情はよく分からない。

 

「……取り敢えず、何から話せばいいかよくわからないけど、まずは一番伝えたかったことだけ話しちゃうな」

 

 一度大きく息を吸った後、俺はゆっくりと口を開いた。

 

「俺の両親ってさ、離婚してるんだよ」

「……えっ?」

 

 驚きの声と共に、海未が顔を上げる。

 

「中学二年生の頃だったかな。家に帰ってきたら、荷物のほとんどが段ボールに詰められてて母親から、『……ごめん和希。母さんたち、離婚することになったの』って言われたんだよ」

「そ、そうだったんですか……」

 

 何とも言えない表情を浮かべる海未。まぁ、海未に離婚の件を話すのは初めてだし、ある意味当然かもな。

 だけど、彼女に話したいことは離婚という事実だけではない。

 

「それで、ここからが一番伝えたいこと。……俺は、母親にも父親にも引き取られなかったんだ」

 

 多分、今まで見てきた中で海未の瞳が一番、大きく見開かれただろう。俺はそんな彼女にあえて視線を向けず、前だけを見ながら話を続ける。

 

「まぁ、俺が見ていた中でも両親は、そこまで仲がいいとは言えなかったんだよ。だから、離婚っていう事実はすぐに受け入れられた。でも、まさか一人になるだなんて……」

 

 あの時は悲しかったというよりも、ただただショックだった。そこで隣に座る海未がキュッと、俺の服の袖をつかむ。

 

「だ、だけど、和希の母親は、引っ越しの時に来てくれた人では?」

「あの人は、母さんの友達だった人なんだ。ほんと、引き受けてくれたから感謝はしてる。だけど、あの人は親戚でもないし、血も繋がってない。他人って言っちゃえば、他人なんだよ」

 

 悲し気に微笑む俺に、海未の表情が益々暗いものに変わっていく。あの人が引き取ってくれなかったら、今頃俺はどうなっていたのか分からない。でも、血は繋がっていない。すごく、複雑だった。

 

「じゃ、じゃあ、和希が不良になったのは両親が離婚して、どちらにも引き取られなかったからということですか?」

「……まぁ、その答えでも間違っちゃいないけど、正解ではないかな。俺が不良になったのは多分、寂しかったからなんだと思う」

「……それって、ほぼ同じ意味なんじゃ?」

「そう言われたら、そうなんだけどな。……さっき、両親に引き取られなかったって言ったけど、母さんは最後まで俺を連れて行こうとしたんだ」

 

 外で女を作り、さっさと家から出ていった父さんとは違い、母さんだけは最後の最後まで、何とかしようとしてくれていた。俺を連れて行こうと、奔走していた。

 

「……父さんは元々俺の事を嫌ってたんだよ」

 

 小さい頃はよく分からなかったが、小学校の高学年にもなってくれば、自分が好かれるのか、好かれていないのかくらい判断できるようになる。

 

 俺は別に父さんから暴力を受けていたり、暴言を吐かれたりはしていない。ただ、もの凄く煙たがられていたのはよく覚えている。

 俺が話しかけても、曖昧な返事しか返さない。リビングに俺が入ってくると、当たり前のように自室へと戻っていく。

 だから俺は、なるべく父さんと関わらないようにしたし、話しかけないようにもしていた。話しかけても、極めて事務的な会話のみ。もう、最後に話したのは何時だったかもよく覚えていない。

 しかし、母さんは専業主婦であり、収入があったのは父さんだけ。だから、嫌でも一緒に住まざるを得なかったのである。

 

「ひ、酷い……」

 

 海未は口に手を当てて絶句していた。

 

 確かに海未からしてみれば、信じられない話だろう。彼女の父親は現在出張で、家にいないとはいえ、海未と睦未さんの事を一番に考えている、優しいお父さんだと聞いている。

 たまに海未が父親と電話している姿を見るからな。その姿は実に微笑ましい。

 

 

 

「そんな父親だったからかな? 俺は母さんのことが大好きだったんだよ」

 

 

 

 母さんは、父さんが俺を愛してくれなかった分を埋め合わせる位に、愛情を注いでくれた。精一杯、俺の事を愛してくれた。

 俺はスマホを操作して、とある写真を海未に見せる。

 

「こ、これは……」

「そう、俺の母さんだよ」

 

 写真に写っていたのは中学に入学したばかりの俺と、俺の母さんだった。ピースをしている俺の横で、微笑を浮かべている母さん。

 俺の髪よりもさらに美しい、プラチナブロンドの髪。とても子供を一人生んでいるとは思えない、抜群のプロポーション。入学式の日、「だ、誰だあの美人は!?」なんて囁かれ、随分と注目されたもんだ。

 

「和希のお母様は、日本人ではないですよね?」

「そういえば言ってなかったけど、母さんはイギリス人でな。俺はイギリス人と日本人のハーフなんだよ」

 

 この金髪も、母さんの遺伝子を色濃く継いだもの。俺はこの髪が自慢であり、大好きだった。

 小学生の頃は「なんだよ、その髪?」といじられたりもしたが、そんな奴には「いいだろ? うらやましいだろ?」と胸を張ってやったことをよく覚えている。

 そのうち、誰も俺の髪色についてはとやかく言わなくなっていった。きっと、俺があまりに笑顔で自分の髪を自慢するものだから、ある意味呆れてしまったのだろう。

 

 小学生の高学年の頃になると俺の金髪はいじられる対象から、尊敬の対象に代わっていた。不思議なものである。

 男子からは「なぁ、和希。お前みたいな金髪にどうしたらなれる!?」と聞かれ、女子からは「和希君の金髪って本当に綺麗だよね!」と褒められた。もちろん、褒められてすごく嬉しかったのだが、それ以上に、

 

「この髪を褒められてることが、母さんのことを褒めてくれているみたいに感じてな。すごく、嬉しかったんだよ」

 

 自身の髪に手を添える。黒髪になりたいと思ったことは一度もない。中学に入って先生から「染めろ」と言われても、絶対に染めなかった。母さんからもらった大切なものを汚したくなかったからな。

 その時には、小学生時代に俺の髪を褒めてくれた友達が、一緒になって抗議をしてくれた。それも、先生がドン引くくらいの勢いで……。

 お節介な友達のお蔭で、俺の髪色は認められ、今に至るというわけだ。ほんと、その友達には今でも感謝している。

 正直、音ノ木に入って何も言われなかったのには驚いたけど……。

 

「そんなお母様が、どうして和希のことを見捨てたりしたんですか?」

「見捨てたというよりは、見捨てざるを得なかったんだよ」

 

 俺はもう一度スマホを操作し、別の写真を海未に見せる。

 

「母さんの隣に写ってるのが俺のばあちゃんな。これは確か、5年くらい前の写真だった気がするけど」

 

 小学校5年生の時に、イギリスにいるばあちゃんが日本を訪れ、その時に撮った写真だった。

 

「優しそうなおばあちゃんですね」

「優しそうじゃなくて、本当に優しいぞ。まぁ、ほとんど会うことはできなかったんだけどな」

 

 記憶がある中でばあちゃんと会ったのは、この一回しかない。俺が生まれた時に一度会っているらしいけどな。

 日本からイギリスが遠すぎる、という理由はもちろんなのだが、ばあちゃん家自体が裕福ではない影響が大きい。

 この時だって、少ない貯金を切り崩して来日らしい。

 

 もちろん、父さんはこの時もいなかった。ほんと、どうして二人は結婚したんだと思っているのだが、詳しい理由を聞いたことはない。というか、教えてくれなかった。

 その話をすると、母さんが悲しそうな顔をするから。だから俺は聞くことを止めたし、今後もし会えたとしても、聞くつもりはない。

 母さんが話したいと思うまで待っていようと、そう決めたのだ。

 

「そんな状況で、中学二年生の時かな。ばあちゃんが、重い病気にかかっちまったんだよ」

 

 すぐに手術をしなければならないほどの病で、その後も、介護なしでは生活できないほどの状態になってしまったのである。

 

「幸い、手術代は何とかなったんだけど、介護のほうが問題でな。ばあちゃんには頼れる身内が母さん以外、いなかったんだよ」

 

 じいちゃんは俺が生まれる前に死んでしまったらしいし、子供も母さん一人だけ。

 老人ホームに入るということも考えたのだが、それではあっという間に貯金が尽きてしまう。しかし、そのままにしておけば、ばあちゃんが死んでしまう。

 

「つまり、母さんがイギリスに戻る以外なかったんだ」

 

 母さんは、ばあちゃんの事をとても大切にしていた。自分の我が儘で日本に行くことを決めた母さんを、ばあちゃんは否定しなかったと聞いている。それどころか、日本でしばらく生活できるようにと、ある程度のお金まで出してあげたらしい。

 

 だから、見捨てるという選択肢は初めからなかったのである。

 

「まぁ、今の話は全部、酔った母さんが独り言のように話してたやつだから、本当かどうかはよく分からないんだけどな」

「…………」

 

 冗談めかして話すものの、海未からの反応はない。ギュッと唇を噛んで、俯くばかりだ。

 必死に何かを耐えているような表情。そんな彼女を見ないように、俺は話を再開する。

 

「その当時は、父さんとの離婚の話も進んでいたらしいし、帰国することに関して、何も問題はなかったみたいなんだ。ただ、一つだけ問題があって……それが俺だったってわけ」

 

 母さんも一応、父さんと結婚する前は働いていたらしいけど、貯金なんてほとんど残ってなくて、実家も裕福じゃなくて……。

 

「とても、俺と母さん、そしてばあちゃんと三人で生活できるほどの余裕はなかった。一応、三人で生活できないこともなかったらしいんだけど、それだと俺が学校に通えなくなったみたいなんだよ」

 

 これは母さんと別れた後、俺を引き取ってくれたおばさんから聞いた話だ。

 

 子供と一緒に過ごしたい。でも、子供にはちゃんとした教育をうけさせてあげたい。将来、自分のように苦労してほしくない。

 そんな葛藤のはざまで、母さんは悩んでいたと聞いた。

 

「その時に俺を引き取ると言ったのが、今のおばさんってわけなんだ」

 

 元々母さんとは、小学校時代の授業参観で始めて出会ったみたいなのだが、そこからずっと俺たちに気をかけてくれていた。

 おばさんの子供と俺は同級生だったし、そこそこ交流もあったのである。だから、俺たちの複雑な家庭環境も全て知っていた。信頼できる相手だったからこそ、母さんは俺をおばさんに預けたのだろう。

 

「まぁ、さっきも言った通り、母さんは最後の最後まで悩んでいたみたいだけどな」

 

 母さんがイギリスへ旅立つ日の朝は、今でも鮮明に覚えている。母さんは俺を抱き締めて、ずっと泣いていた。俺も母さんと離れたくなくて、バカみたいに涙をこぼしていた。

 

 『ごめん……ごめんね』と何度も謝る母さんの声を思い出すたびに、胸が締め付けられるような感覚に襲われる。それくらい、辛い出来事だった。

 

「……こうして母さんはイギリスへ。俺は、おばさんに引き取られたんだ」

 

 ひとしきり話し終えた俺は、「ふぅ」と息を吐く。久しぶりに昔のことを話したので、少し疲れてしまった。

 

「そう……、だったんですか……」

 

 顔をあげないまま、海未が返事をする。その声に少しだけ涙の色が混ざっていると感じるのは、気のせいじゃないだろう。

 俺はそんな彼女の頭をポンとなでながら、再び視線を前に移す。

 

「……母さんはさ、すげぇ優しかったんだ」

 

 記憶にある限り、母さんが怒った姿を一度も見たことがない。俺に向けてくれるのはいつも優しい笑顔。

 母さんは、俺が頑張るといつも褒めてくれた。どんな話でも、にこにこと聞いてくれた。だから俺は褒められたくて、母さんを笑顔にしたくて――

 

『母さん、テスト100点だった!』

 

『母さん! 今日は学校でね……』

 

 いつも、いつも、母さんを困らせる位にテストの結果や、今日あった学校での出来事を話していた。

 母さんにとってはどうでもいい話や、今日は体調がすぐれなくて聞きたくない日もあっただろう。

 

 だけど母さんは、笑顔を絶やさなかった。最後まで話を聞いてくれたのである。そして話を聞き終えた最後には必ず、

 

 

 

『そうなの! よく頑張ったわね、和希!』

 

 

 

 優しく、温かい手で俺の頭を撫でてくれた。

 

 でも、母さんがいなくなって俺は、頑張る理由を見失ってしまった。学校を楽しむ必要性が無くなってしまった。

 

「最初は、母さんがいなくなっても頑張ろう。いなくなったからこそ、頑張ろう。そう思っていたんだけどな……」

 

 母さんがいなくなってすぐにあったテスト。俺は勉強をして、いい点数を取った。

 俺の点数を見て先生も、周りの友達も、おばさんも、みんな褒めてくれた。口々にすごいと言ってくれた。もちろん、褒められて嫌な気分にはならない。だけど、俺の心は何も満たされなかった。

 

 なぜなら、一番褒めてほしい人がもう俺の傍には居ない。一番笑顔にしたい人が、家にはいない。

 母さんが俺の事を褒めてくれることは、もうないから……。

 

「それを改めて理解した瞬間、頑張る気が失せちゃったんだよ」

 

 よい点数をとっても空しくなるだけ。学校でどんな出来事があったとしても、一番話したい人がいない。心の中にあるどうしようもない寂しさを満たすことができない。

 

「多分、それを自覚したあたりからかな。俺が授業を適当に受け始めたのも。服装とかがどんどん適当になっていったのも」

 

 おばさんに迷惑をかけるわけにはいかないので、テストだけはちゃんと点数を取っていた。でも普段の授業はサボる。もしくは出ていても寝ているか、漫画を読んでるかという状態になってしまった。

 友人との会話も、俺から話しかけるということはなくなった。もちろん、気を利かせて話しかけてくれたやつもいる。しかし、気を遣っていることが分かってしまったので、むしろ辛い部分もあった。

 

「先生も、俺の事情は知ってたからな。急に服装がだらしなくなったり、授業態度が変わっても、何も言われなかったよ」

 

 あの時の先生には、迷惑をかけたと思っている。ほんと、腫れものを触るように俺と接してたからな。

 

「こんな感じで不良になってから一か月後だったかな? 俺はこれまで住んでいた家に忘れ物をしていたことに気付いて、一度戻ったんだ」

 

 俺は戻った家で自分の忘れ物を回収した後、何気なく母さんの部屋に立ち寄った。

 多分、そこに入れば今ある寂しさが少しだけ紛れると思ったんだろう。

 

「そこで俺は母さんの使っていた机の上に、とある箱が置いてあることに気付いたんだ」

 

 

 

 

▼ ▽ ▼

 

 

 

 

 勝手に開けるのはまずいと思ったのだが、どうせこの家にはもう誰も戻らないのだ。

 

 そう思った俺は綺麗にラッピングされていたリボンを解き、中身を取り出す。

 箱の中に入っていたのは、母さんがいつもつけていたピアスの新品と、手紙らしきものだった。

 

「どうしてこんなものが?」

 

 取り敢えずピアスは箱に戻し、手紙を開く。

 

 そこには『ハッピーバースデー! 和希!!』という、でかでかと書かれた文字と、ちょっとした文章が書かれていた。

 

(そういえば、俺の誕生日って今日だったな)

 

 色々なことがあり過ぎてすっかり忘れていたのだが、それにしてもすごいタイミングである。そのまま手紙に目を通していく。

 

 

 

 

 

『お誕生日おめでとう、和希。これが母さんからのプレゼント。お揃いのピアスよ。和希にはちょっと早いし、恥ずかしいかもしれないけど、大人になって付けてくれたらとっても嬉しいわ。最後に……和希。私の元に生まれてきてくれてありがとう。大好きよ』

 

 

 

 

 

 読み終えた俺は手紙を折りたたんで、そっとポケットの中にしまう。

 目にたまっていた涙をごしごしと拭うと、改めてプレゼントされたピアスを手に取った。

 

「……ったく、これだから母さんは。大人になるまでなんて、待てるわけないだろ」

 

 壁に刺さったままだった画鋲を引っこ抜き、部屋に置いてあった消毒液でよく消毒をする。

 

 そして、画鋲の針先を勢いよく耳たぶに刺し込んで穴をあけ、母さんからもらったピアスをはめ込んだのだった。

 

 

 

 

▼ ▽ ▼

 

 

 

 

「じゃ、じゃあ、そのピアスって……」

「そう。母さんからもらったやつ」

 

 俺と母さんの最後の繋がりともいえる、このピアス。あの日から俺は、一度もピアスを外すことはなかった。

 

「……それにしても、俺はほんと、やばいレベルでマザコンだよな。母さんのことが大好きで、貰ったピアスも四六時中つけてるくらいだし。海未もそう思うだろ?」

 

 空気を変えるために俺は、わざと明るい声を出す。しかし、そんな事をしても海未の表情が晴れることはない。

 

「あのさ、海未。別に気にする必要は――」

「どうして……」

「えっ?」

「どうして、話してくれなかったんですか!?」

 

 大きな声を出して顔を上げる海未。その瞳からはボロボロと涙が零れ落ちていた。

 

「和希が最初から話してくれれば……。黙っているんじゃなくて、その事をもっと早く、言って欲しかったです。そうしたら……私は和希にあんな酷い事を言わなかったのに!」

 

 流れる涙を拭おうともせず、海未が叫ぶように言葉を吐きだす。とても辛そうな、その表情。

 

 酷い事とはきっと、俺の髪色やピアスを着けていたことに対して、注意したことを言っているはずだ。そして、彼女がこれほどまでに泣いているというのは、本当に今まで言ってきた事に対して、責任を感じているからだろう。

 

(別に、お前が泣く必要なんてない。だって海未は、何も知らなかったんだから)

 

 キュッと唇を噛みしめる海未。

 

 人によっては、「あっ、そうだったの。ごめんね、何も知らずに」と会話が終わってもおかしくない。ここまで軽くないにしても、泣くことなんてまずないだろう。

 

(本当にまじめだよ、海未は)

 

 彼女は真面目だから……。真面目だから、相手を思いやれる優しい性格だからこそ、必要以上に色々と考えてしまうのだろう。

 今回のことだってそうだ。相手の事を真剣に想っていなければ涙なんて、絶対に出てこない。

 

「ひっぐ……っ、……うぅ」

 

 海未の嗚咽が酷くなっている。

 

 早く言ってほしかったというのは、本当にその通りだ。しかし、俺が何も考えずに両親の件を海未に伝えていなかったわけではない。

 

「和希のばかっ……ばか。っ……ごめんっ、なさい」

「海未、少しでいいから、落ち着いて聞いてほしい」

 

 俺に対して怒ったり、謝ったりと情緒不安定になっている彼女の肩を優しくつかむ。ピクッと海未の肩が可愛く反応するものの、振り払ったりはしない。

 

「なん、ですか……?」

 

 涙で濡れる瞳で、海未が俺を見つめる。こんな時であるにも拘らず、ドキッとしてしまった。

 一度、咳払いをしてから話し始める。

 

「俺がさ、海未に対して何も言わなかったのは……これから一緒に住むのに気を遣われたら嫌だったからなんだ」

「……えっ?」

 

 俺と海未は元々、お世辞にも仲がいいとは言えなかった。だらしない格好をしていけば海未が注意して、俺が言い返して……。

 だから両親の件は、海未を黙らせえておくために使うこともできた。でも、俺はそれをしなかった。

 

「だってさ、今まで散々言い合ってきたのに、俺の過去を知ったからって、いきなり何も言わなくなるのも無理な話だろ。きっと、わだかまりが残ると思ったんだ」

 

 お互いが、お互いの事を認め合った状態で両親の事を話したい。そうすれば、お互いの事を嫌いあって気を遣われるよりは、よっぽど良い関係を海未と築いていけると思った。

 だからこそ俺は、遊園地の観覧車の中であんな質問をしたのだ。

 

 

 

『海未は俺の事、どう思ってる?』

 

 

 

 ここで海未が微妙な反応を示せば、きっと今頃は睦未さんが作ってくれた晩御飯を食べていたことだろう。

 でも、そこで海未は俺に対して好意を示してくれた。だからこそ、今こうして話している。

 

「ごめんな海未。俺の我が儘で、お前を傷つけちゃって。でも、今回の件に関してはお前は何も悪くない。だから、何も気にしなくて大丈夫だ」

 

 海未の頭を今度は優しく撫でる。

 本当に今回の件に関して、海未は何も悪くない。話さなかった俺が悪いのだ。

 

「そう言ってくれて、嬉しいです」

 

 海未が少しだけ笑顔になる。よかった。これで海未ともっと仲良くなれただろう。この時の俺は本気でそう思っていた。話して良かったと。

 

 しかし、海未が笑顔を見せていたのは、ほんの一瞬だった。

 

 

 

「……でも、私は和希から離れたほうがいいですよね」

 

 

 

「はっ!?」

 

 

 

 思わず耳を疑ってしまった。全身の体温がスッと下がる。

 

「ど、どうしてそんな結論になるんだよ!?」

 

 なぜかは分からない。分からないけど、海未がいなくなるかもしれないと考えた俺は……俺はめちゃくちゃ焦っていた。

 そんな俺に、海未は涙を拭いながら淡々と話す。

 

 

 

 

「だって、私はあれだけ酷い事を言ってしまいました。和希の大好きなお母様を否定するようなことを何回も……。だから和希は……、私のことが……っ、嫌いでしょう?」

 

 

 

 

 

 嫌いでしょう……彼女の言葉が頭の中をぐるぐると回る。俺は海未のことが嫌い……嫌いなのか? 

 そもそも、俺は海未の事をどう思っているんだ?

 

 

 

「知らなかったとはいえ、私は和希の事を何回も、何回も傷つけました。気にしていないと言われても、私がとてもそう思えません。だって、私が和希の立場ならきっと、ものすごく傷ついているはずですから」

 

 

 

 泣き笑いのような表情を浮かべる海未。その表情からは、隠しきれない悲壮感が漂っている。

 

 

 

「こんなことで許されるとは思えませんけど、それでも何もしないよりはましです」

 

 

 

 答えを出せずに呆然とする俺を他所に、海未はどんどんと話を進めていく。

 

 

 

「一緒に暮らすのは許してください。でも、家ではなるべく話しかけないようにします。勉強で分からない部分も、自分で解くようにします。だから、あなたを傷つけてしまったことを許して――」

 

 

 

 完全に無意識だった。彼女を失いたくない。離れていってほしくない。その一心で手を伸ばす。

 

 俺は、彼女が何かを言い終える前にその身体を胸元に引き寄せていた。そして、先ほどの海未と同じように叫ぶ。

 

 

 

「ばかっ! 俺は離れろだなんて一言も言ってねぇ! どうしてそんな事を言うんだよ!?」

 

 

 

 無我夢中だった。本能のままに言葉を紡ぐ。

 

 

 

「俺はお前の言葉で傷ついちゃいないし、嫌ってもいない! だから、お前がそんなに気を遣う必要はないんだよ!」

「で、でも……」

「でもも、何もあるか! 俺が離れなくていい。そう言ってんだよ! だから、だから……」

 

 

 

 俺はもう一度、彼女の身体をきつく抱き締めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「海未、お前はずっと俺の隣にいろ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 言って数秒後に気付く。

 

 あ、あれっ? 今の言葉って、完全にプロポーズじゃね!?




 今回も読了ありがとうございます。そして、いつも感想やお気に入り等、ありがとうございます。
 後大体、三話くらいですかね? 何とか夏休み中に終えられるよう、頑張ります。


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13話 真面目な彼女に恋心を抱いた

 さぁーて、二人の仲は進展するのかな?


 前回のあらすじ。自分の気持ちを自覚しないまま、和希が海未にプロポーズまがいの事を言いました。おしまい。

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

(やばいやばいやばいやばい!!)

 

 俺は海未を胸に抱きながら、ひたすら焦っていた。

 どうして焦っているのかって? 当たり前じゃねぇか! 

 俺は、誰が聞いてもプロポーズにしか思えないような言葉を口走ったんだぞ!? これを焦らずにしていつ焦るというんだ? 

 

 と、取り敢えず、今の言葉を早く撤回しないと……。でも、あんな言葉を口走っておいて、すぐに撤回とか俺ってなかなか酷いやつじゃね? とんだクソ野郎じゃないか! まともな思考すら回らずに俺がテンパっていると、

 

「和希……」

「ひゃ、ひゃい!」

 

 胸の中にいる海未が、小さな声で俺を呼ぶ。びっくりしすぎて声が裏がってしまった。

 

「ど、どうした?」

「……いいんですか?」

「えっ?」

 

 ま、まさか、俺のプロポーズを本気にした!? こ、これは非常にまずい……。

 冷や汗をダラダラと流す俺に、抱き締められていた海未が顔を上げる。

 

 

 

「いいんですか? これからもずっと一緒にいて? 隣にいてもいいんですか?」

 

 

 

「…………」

 

 

 

 あ、あれっ? 俺は海未の言葉にしばしの間、固まってしまう。

 どう考えても、今の反応はプロポーズとか、そういうことを何も考えていないよな? もうちょっと、話を聞いてみよう。

 

 

 

「……私、和希と離れるのなんて、本当は絶対に嫌です。ずっと一緒に居たいです」

 

 

 

「………………」

 

 

 

 そ、その事を言ってたのか。純粋すぎる彼女の言葉に、俺は顔を真っ赤にして俯くしかない。

 

(うわぁ……一人で勝手にプロポーズとか考えてた俺、すげぇ恥ずかしいやつじゃん!!)

 

 その場をゴロゴロと転げまわりたい衝動に襲われる。そういえば、海未って恋愛とかにものすごく疎いやつだった。

 そんな海未が、今の言葉をプロポーズと思うのにはきっと無理があるだろう。

 

(なんだよ。じゃあ海未は、ただ純粋に俺と離れるのが嫌で、一緒に居れることが嬉しくて、泣いたり、笑ったりしてたって事なのか?)

 

 もちろん、自分自身に責任を感じて流していた涙もあるはずだ。でも、俺と一緒に居たいからこそ流した涙も、きっとあるはずで……。

 

 

 

(っ!?///)

 

 

 

 俺の為に泣いてくれたのだと思った瞬間、とても嬉しくなった。そして、今、胸の中にいる海未のことを、ものすごく可愛いと感じてしまった。

 

 いや、元々美人で可愛んだけど、何というか、芸能人を見て思う可愛さとはまた違う。えっと、この可愛さはまるで、

 

 

 

(本当に、好きになった人だけにしか感じない可愛さだ)

 

 

 

 誰かから聞いたことがある。

 本当に好きになった人は、どんな芸能人よりも、どんなモデルよりも、可愛く見えるものだと。

 

 今の海未はまさにその通りだった。……あれ、好き?

 

 

 

(えっ……えぇっ!? お、俺、今好きだって……)

 

 

 

 そんな訳がない。今のは気の迷いだ。自分にそう言い聞かせ、もう一度海未の顔を確認する。

 

 

 

「? どうしたんですか?」

 

 

 

 俺の視線を感じた海未が、可愛く首をかしげる。

 涙で濡れた瞳。少しだけ赤く、上気した頬。全てが彼女の魅力を引き出す、スパイスのように感じられた。

 

 これ以上見ていられなくなった俺は、急いで視線を逸らす。

 

 

 

(な、なんだよ……なんだよ。今、海未の事を誰よりも可愛いって、そう思ったんだけど!?)

 

 

 

 周りにキラキラと演出がなされているのでは? と疑うほど、彼女は瞳の中で魅力的に映った。世界一、可愛いと思った。

 

 そして、海未の事を……誰よりも好きだと思った。

 

(んぉおおおおおおお!?)

 

 心の中だけで叫び声をあげる。もう、何が何だかわからなかった。

 

 一つだけ分かるのは、海未の事を好きになってしまったという事実だけ。まぁ、これが全ての元凶なんだけど……。

 

 そこで海未が若干、不満げな顔をしていることに気付く。不満げな顔ですら可愛く映ってしまうというのは、完全に恋の病なのだろう。

 

 

 

「ど、どど、どうしたんだよ?」

 

 

 

「ねぇ、和希。……私は、和希と一緒に居てもいいんですよね?」

 

 

 

 不安げな声を上げ、俺の胸に顔を埋めてくる海未。

 

 思わず、叫び声をあげそうになった。

 なんだ、今の!? 本当に、なんだ今の!? 俺の背中に腕をまわして、胸に顔を埋めてきて……悶え苦しむほどに可愛かった。

 彼女の体温がダイレクトに伝わってくる。後、どことは言わないけど、やわらかい彼女の一部分も……。

 やっぱり、小さくない。むしろ丁度いい……何を考えてるんだ俺は。

 

「も、もちろんだ。これからも、俺と海未は、ずっと一緒だ」

 

 取り敢えず、彼女を不安にさせておくわけにもいかないので、途切れ途切れに言葉を絞り出す。

 海未の事を好きだと自覚してしまったため、顔を見るのも恥ずかしい。言葉を口にするだけで身体が熱くなり、身悶えしたくなる。

 しかし、俺の気持ちなんて知る由もない海未は、ずっと一緒という言葉に目を輝かせ、

 

 

 

「はいっ! これからもずっと、私の傍に居てください。約束ですよ?」

 

 

 

 幸せそうな表情で微笑むのだった。

 

 その笑顔に、信じられないくらい鼓動が早くなる。多分、今までで一番鼓動が早いと思う。

 やばい、海未ってこんなに可愛かったっけ? 最後の「約束ですよ?」とか可愛すぎだろ……。

 

 彼女から目を逸らすことができない。しばらく、お互い無言で見つめ合う。……というよりは、一方的に俺が海未の事を見つめていた。

 

 

 

「か、和希。そんなに見つめられると、その、恥ずかしいです……」

 

 

 

 真っ赤な顔で目を逸らした海未を見て、俺もようやく現実世界へと戻ってくる。

 

 

 

「それで、私から抱き付いておいてなんなんですけど……少し、苦しいです」

 

 

 

「へっ?」

 

 気付くと俺は、自分から海未の身体を抱き締めていたらしい。完全に無意識だった。

 

 海未も抱き付いているのだが、俺の力に比べればはるかに弱い。きっと、俺よりもずっと前に、我に返っていたのだろう。

 

「わ、悪いっ!!」

 

 すぐに抱き締めている腕を離し、彼女と一定の距離を取る。

 しかし、腕の中には海未の温もりがしっかりと残っていて……。

 

 

 

「…………」

「…………」

 

 

 

 お互い、真っ赤な顔をして俯く。

 

 海未はどうだか知らないけど、俺は彼女の事を完璧に好きだと自覚してしまったのだ。まともに話せないのも無理はない……と思ってほしい。

 唯一の救いは、プロポーズまがいの言葉を、海未自身が自覚していないということだろう。これで自覚していたら目も当てられない。

 

「……そ、それじゃあ私は一度部屋に戻りますね」

「そ、そうだな。着がえもしてないし、夕食もまだだから」

「は、はい。じゃあ、和希は先にリビングの方に行っていてください。私も着替えてから向かいます」

 

 ギクシャクしながら部屋を出ていく海未。どうでもいいけど、右手と右足が同時に動いてたな。

 そんな彼女を見送った後、俺は一足先にリビングへ。リビングの机には既に、睦未さんが料理を並べて待っているところだった。

 

「……話は済みましたか?」

「まぁ、一応」

「その様子だと、うまくいったみたいですね」

「……ま、まぁ、一応」

 

 そこで鋭い睦未さんの瞳がキラリと光る。

 

「和希さん、何かあったんですか?」

「……何もないです」

「一瞬の沈黙、とても怪しいですね。まさか、遂に海未と付き合うことになったのですか!?」

「遂にって何ですか!? 俺たちは、『まだ』、そんなことになっていません!」

「まだ?」

「あっ!」

 

 やばい。海未の事を好きになった影響で、恋人になりたいという欲望を隠しきれなかった。

 慌てて口を押さえるものの、時すでに遅し。睦未さんがニヤニヤと近寄ってくる。

 大人とは思えない、とても悪い顔。ゲスの極みである。

 

「もしかして和希さん。海未さんの事を本気で好きになっちゃいましたか?」

「は、はぁっ!? べ、別に好きになんてなっちゃいませんよ。いつも通りです、いつも通り!!」

「海未さんの事を可愛く思うのもいつも通りですか?」

「それに関しては、今日が一番可愛いと……って、ちがーう!!」

「うふふ……今日が一番可愛い、ですか」

 

 この野郎。図ったな……。

 

「隠さなくたっていいんですよ。自分の心には素直になりましょう! 海未さんのことが、とっても可愛く感じるんですよね?」

 

 うわぁ、この人すごく楽しそうだよ……。そのくせ、妙に鋭いとかやめてほしい。

 睦未さんに翻弄され、どんどんとボロを出していく俺。

 

 

 

「これは遂にきましたね。海未さんが和希さんの事を好きなのは知ってましたけど……やっとです。やっと、和希さんも海未さんの事を……」

 

 

 

「何を一人でぶつぶつと言っているんですか?」

「いえ、なんでもありませんよ。それよりも、海未さんにいつ告白するんですか?」

 

 脳裏に先ほどの言葉がよぎる。一瞬で顔が熱くなった。

 その反応を見過ごしてくれるほど、睦未さんは甘くない。

 

「そ、その反応……まさか、もう告白済みですか!? 告白、しちゃったんですか!?」

「お前、ほんとうるせぇよ!!」

 

 あまりのウザさに、勢い余ってお前とか言ってしまった。

 しかし、今回ばかりは許してほしい。目の前にいる、男子中学生みたいな反応をする睦未さんが全て悪いのである。

 

「和希さん、別に教えてくれたっていいじゃないですか。ほらほら~」

「それ以上言ったら、頭引っ叩くぞ!?」

 

 もう、居候させてもらっている相手とは思えないくらい、全力でツッコむ俺だった。

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

「…………」

 

 和希の部屋から一度部屋に戻った私は、部屋着に着がえ……る前に、ベッドへ。ベッドの上で足をバタバタさせたり、ゴロゴロしたり、悶えるだけ悶えた後、枕を膝に抱え「うぅ……」と唸っていた。

 

 心臓がドクンドクンと早いリズムを刻んでいる。だけど、今のドキドキは凄く心地がいい。

 

「和希、すごく優しかったです……」

 

 彼の過去を聞き終えた時、私の心は絶望感で埋め尽くされていた。

 なにより辛かったのは、自分が何も知らないうちに大好きな人を傷つけてしまっていたということ。

 和希が不良化したのにはわけがあって……それなのに、私は和希の大切なものを踏みにじってしまった。

 だからもう私は、和希の傍には居られない。一緒に話すこともできない。本気でそう思った。

 

 そして、自分はきっと和希に嫌われている。和希に好かれることは絶対にありえない。

 それが一番悲しかった。涙が止まらなかった。だけど和希はどこまでも優しくて……。

 

「少し恥ずかしかったですけど、抱き締めてくれてとても嬉しかったです」

 

 今でも、抱き締められた時の感触が残っている。お化け屋敷でも抱き締められたのだが、あんなのとは比べ物にならない。そもそも、比べちゃいけない。

 

 和希の胸の中は温かくて、和希の匂いがして、すごく安心できた。

 

(好きな人に抱き締められるのが、こんなにいいものだなんて思わなかったです……)

 

 思い出すだけでも顔が熱くなり、枕に顔を埋める。だけど、嫌じゃないから困る。

 

 あの時は恥ずかしさがピークに達して、自分から苦しいと言ってしまったが、本当はもっと和希に抱き付いていたかった。大好きな人に、くっついていたかった。

 

 そこまで考えた私は恥ずかしくなって、再びベッドの上をゴロゴロと転がる。

 

(うぅ……ずっと抱き付いていたいだなんて、私は何時からこんなに破廉恥な人になってしまったのでしょうか?)

 

 だけど、和希から私の身体を抱き締めてきてくれた時は、すごく嬉しくて……。

 ひとしきりニマニマした後、三度ベッドの上をゴロゴロと転がった。

 

 そして、あまりお母様と和希を待たせるわけにはいかないと思い、立ち上がって着がえを済ませる。

 

(そういえば、和希が最初に私の事を抱き締めてきた時、何かもの凄いことを言われた気がするんですけど……)

 

 あの時は、彼の言葉をしっかり理解する余裕もなかったですから。

 私は記憶を遡り、抱き締められた時の事を思い出す。

 

 

 

『海未、お前はずっと俺の隣にいろ!!』

 

 

 

「………………」

 

 

 

 ぼふんっ!!←海未の頭から湯気が出た音。

 

 

 

(あ、ああ、あの言葉は、ま、まさか……ぷ、プロポーズ!? はわわわわっ!!)

 

 い、いやいや、あの和希に限ってそんな事はあり得ません。落ち着くのです、園田海未! 

 きっとこの言葉も、私を励ますために言ってくれたんだと思います。そうに違いありません! 

 

 ……でも、もしもです。この言葉がプロポーズじゃないにしても、和希が私の事を女の子として好きになってくれて、恋人になりたくて言ってくれた言葉だったら?

 

 

 

『海未、好きだ! 俺と付き合ってくれ!』

 

 

 

(◎△$♪×¥●&%#!?///)←色々と想像してしまい、声にならない叫び声をあげる海未。

 

 

 

 私は両手で頬を押さえる。抱き締められた時よりも熱くなっています……。

 

(だから、もう少し冷静になりなさい、園田海未!! 物事を楽観的に考えすぎです! 和希は元々、私の事を嫌っていたじゃないですか! 観覧車の時も、友達として好きと言っていましたし……)

 

 そう思ったら、少し頬の熱も引いてきた。

 

 ふぅ、やっぱり私の考えすぎでしたね。あのまま、和希の元に行っていたら大変なことになっていました。

 最悪、お母様にもいじられたかもしれません……本当に良かったです。そして私は自分の部屋を後にし、廊下を歩いていく。

 

(だけど、最後の方の和希はやけに顔が赤くて、ぽーっと私を見ていた気がしますね……)

 

 あれは、たまに和希の事を無意識に見てしまう、私の視線とよく似ていた。それに和希は、私の事を無意識に抱き締めたりしてきました。後、私が苦しいというまでずっと……。

 

 ………………。

 

 

 

(……あ、あれっ? 和希ってやっぱり私のことを!?)

 

 

 

 思考が再び元の場所に戻ってくる。もう何度目だろうか? 

 

 そんなこと、あるはずがない。あるわけないのに……どうして自分本位にばかり考えてしまうのでしょう? 

 都合のいいことだってわかってる。まだ、和希に何も聞いていないというのに……。

 

 でも少しだけ、ほんの僅かだけ期待してしまっている自分がいた。思わず、廊下のど真ん中で頭を抱えてしまう。すると、

 

 

 

「な、何やってるんだ、海未?」

 

 

 

 頭上からの声に顔を上げると、今一番会いたくなかった人が私の事を見下ろしていた。

 

 

 

「か、和希!?」

「お、おぅ、その和希だけど……どうしたんだ? なんか、ニヤニヤしたり、難しい顔になったりと、かなり忙しそうだったけど?」

 

 和希が、変な人を見る様な視線を私に向けている。でも今はどんな視線であれ、見つめられるだけでどうにかなりそうだった。

 

「ど、どうしてこんなところにいるんですか!?」

「いや、お前が来るまで待ってたんだけど、いつまでたっても来ないから、心配になって見に来たんだよ」

 

 頬をかきながら理由を伝える和希。心配してくれたのは凄く嬉しいです。

 

 でも、彼の頬は少しだけ赤く染まり、私とは決して視線を合わせようとしない。やっぱり和希がいつもと違う。

 

 

 

『海未、お前はずっと俺の隣にいろ!!』

 

 

 

 頭の中にまたしても和希の言葉が出てきて、私の心をかき乱す。

 

 

 

「お、おいっ、海未。大丈夫か?」

 

 

 

 挙動のおかしい私の元へ和希が心配そうに近寄ってくる。

 

 さっきも言った通り、心配してくれるのは本当に嬉しい。私の事をちゃんと見てくれていると、すごく幸せに感じる。

 しかし、今はそれが完全に逆効果だった。

 

 

 

「海未?」

 

 

 

 整った和希の顔が目の前にある。少しでも動いたら……触れてしまいそうだ。

 心臓が狂ったように早鐘をうっている。

 

 

 

「か、かずき、近いです……」

 

 

 

 絞り出すようにして声を出す。

 

 

 

「えっ? あっ! わ、悪い……」

 

 

 

 和希もそこで自分が、かなり顔を近づけていたことに気づいたらしい。飛びのく様にして私と距離を取った。

 そこからしばらく、私たちの間には痛いほどの沈黙が流れる。しかし、その沈黙を破ったのは、意外なことに私だった。

 

「あの、和希!」

「は、はいっ! なんでしょうか?」

 

 何度も何度も深呼吸を繰り返す。そして私は口を開いた。

 

 

 

「さ、先ほどの言葉なんですけど……」

「っ!?」

 

 

 

 これだけで全てを察したらしい和希の顔が、今まで見たことないくらい赤く染まる。そんな和希の反応を見た私の顔もきっと、真っ赤になっているだろう。

 

「い、いや、さっきのあれは、何というか、言葉のあやというか……」

 

 弁明の声が聞こえてくるものの、内容が全く入ってこない。

 

 

 

「海未が勘違いをしたのなら謝るけど、さっきのは本当に――」

「きょ……」

「えっ? きょ?」

 

 

 

「……きょ、今日の晩御飯はいらないと、お母様に行っておいてください!! 私は部屋に戻りますぅうううう!!」

 

 

 

「あっ、おいっ! 海未!!」

 

 

 

 和希の制止を振り切って私は自室に戻る。そして、ベッドの中に飛び込んだ。

 様々なことが頭の中を埋め尽くしているが、取り合えずの心配事は一つだけ。

 

(明日から私は、どんな顔をして和希と会えばいいのでしょうか?)

 

 それがある意味、一番の問題だった。

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

 その場に残された和希はしばらく放心状態で立ち尽くしていたのだが、

 

 

 

「あぁ~~~~~~~、もう!」

 

 

 

 大きなため息とともに、頭を抱えて俯く。

 

 最悪だった。海未のことだから、きっと意味なんて深く考えるわけないと思っていたのに……。本当に迂闊だった。

 あの質問は完全に、意味を分かったうえで聞いてきたものだろう。というか、聞いてきた時の表情とか動きとかを見てれば全部わかる。

 

「これから、どんな顔して海未と会えばいいんだよ……」

 

 俺は平気でも(いや、まったく平気じゃないんだけど)、海未が大丈夫な気がしない。これはあんなプロポーズまがいのことを言った自分に責任があるんだけど、一体どうすれば……。

 

 いや、答えなんてもう決まっている。

 

 

 

「告白、するしかないんだよな」

 

 

 

 本当は自分の気持ちを一度整理したうえで、告白する予定だった。そのため、告白するにしてももう少し後になる予定だったのだ。

 しかし、こうなってしまった以上、のんびりしてもいられない。タイミングが遅れれば遅れるほど、俺と海未の仲はもっとギクシャクしてしまうだろう。

 

 ただ、問題は告白のタイミングで……、

 

「最適なタイミングって言ったら……文化祭か」

 

 俺たちの学校は来週から文化祭の準備期間に突入し、再来週に本番を迎えるという日程になっている。告白するには、もってこいのイベントだろう。

 そこまで海未が平静を保っていられるというのは不確実だが、ここ以外によい場面もないので仕方がない。

 俺は覚悟を決めると言った意味で頬をパンッと叩く。

 

 

 

「よしっ。……取り敢えず、穂乃果とことりに相談しよう」

 

 

 

 気合を入れても心配なものは心配なので、後日相談にのってもらおう。だって、告白とか人生で初めてだし……。

 

 これでことりから、『えっ、和希君、海未ちゃんの事好きなの? ……脈がなさすぎるから、やめておけば?』と笑顔で言われたら、再起不能になりそうだ。

 そんな心配をしつつ、俺は食卓へ戻る。

 

「あらっ? 海未さんはどうしたんですか?」

「あっ……」

 

 その後、海未がリビングに現れない理由を睦未さんに、根掘り葉掘り聞かれたのだった。

 







 読了ありがとうございます。今回は7500文字くらいですから、私の作品にしては結構少ないですね(もう、基準がおかしくなっている)。
 さて最後に、いつも感想やお気に入り、評価をありがとうございます。励みにして頑張っております。次回から文化祭編です。最後まで頑張りたいと思います。


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14話 真面目な彼女と文化祭でメイドカフェをすることになった

 後三話で終わると言ったな? あれは嘘だ!! 

 とても三話では終わりませんでした。毎回毎回、どうしても文字数が多くなってしまうのを何とかしたい……。


「ねぇねぇ、今日はどうして海未ちゃんと和希君、喧嘩してないの?」

「……なんで俺たちが喧嘩してないとおかしい、みたいな聞き方をするんだよ?」

 

 目の前に座るクラスメイトの女子から声をかけられ、俺は適当に返事をする。多分、暇になってしまったのだろう。

 

 現在は、文化祭の出し物を話し合っている真っ最中。しかし、俺は話し合いに参加することなく漫画を読んでいた。まぁ、俺が意見を出さずとも、一部の人が頑張っているおかげで、議論は順調に進んでいる。

 だからわざわざ意見を出す必要もない。漫画を読んでいても、何も問題ないだろう。ちなみに海未は、隣で真剣に議論の行方を見守っていた。……たまにチラッとこちらを確認するのは、心臓に悪いのでやめてほしい。

 

「だってさ、海未ちゃんと和希君だよ? 喧嘩をしてないだなんて、地球が自転をしていないレベルでおかしいよ!」

「いつから俺と海未の喧嘩は地球規模になったんだ……」

 

 そして話は冒頭部分へ戻ってくる。

 

 どうでもいいけど、地球の自転が止まったら人類滅亡だぞ。つまり、俺と海未が喧嘩を止めたら人類が滅亡することになる。……この理屈は絶対におかしい。

 

「……別にいいだろ、喧嘩してなくても」

 

 というか、今の俺たちは喧嘩できるような状態じゃないのだ。そもそも今日は朝起きてから、一度も海未と話していない。いや、まぁ朝起きてすぐ顔を合わせたんだけど、

 

「あっ、海未。おは――」

「っ!? し、しちゅれいしまっしゅ!!」

 

 既に制服姿だった海未は、俺と会うなり顔を真っ赤にして、セリフを噛みまくって、そのまま学校へ行ってしまった。引き留める暇もなかったぜ。

 それにしても、俺の起床時間は7時だったにも関わらず、制服姿で朝ご飯も済ませていたらしい海未。

 一体何時に起きたんだか。目の下のクマはかなり酷かったけど……。おっと、それは俺も同じだったな。

 

「ねぇ、海未ちゃーん。今日はどうしていつもみたいに和希君と喧嘩しないの? 夫婦喧嘩?」

「おいっ、ばか! やめろって!」

 

 その質問の仕方はまずい。夫婦とか、今の俺たちにとって禁句みたいなもんだから。案の定海未は、

 

「はぇっ!? ふ、夫婦!?」

 

 ピンポイントに単語を聞き取って、盛大にテンパっていた。

 いやいや、もっと他にも言ってただろ? どうしてそこだけ聞きとってるんだよ!? お、俺まで照れるからやめてくれ!

 

「う、うん?」

 

 海未の反応がおかしいのを感じ取ったのか、クラスメイトの女子も怪訝そうに首をかしげる。横の俺も、顔真っ赤だしな。

 完全に海未を疑っているような視線。少しツッコまれたら、たちまちボロが出てしまうだろう。しかし、ある意味丁度いいタイミングで、文化祭の実行委員が大きな声を出した。

 

「はいっ! それでは、私たちのクラスは文化祭で、メイドカフェをやることになりました! 皆さん、取り敢えず拍手~」

 

 パチパチと、クラスからまばらな拍手があがる。あれ以上追及されなかったのは良かったのだが、どうしてメイドカフェ? 

 黒板にでかでかと書かれた「メイドカフェ」の文字を眺めながら首をかしげる。

 

「ど、どうしてメイドカフェなんですか!?」

 

 おっ! 首をかしげていた俺の代わりに、海未が質問してくれた。まぁ、話を聞いていない身としては至極まっとうな質問だろう。いや、話を聞いてろよって? だが断る!! 

 そんな俺の一人芝居はどうでもいいとして、海未の質問に実行委員の男子が答える。

 

「だって、クラスの大半が園田さんのメイド服姿を見たいって言うから」

 

 予想の斜め上をいく答えが返ってきた。

 そもそも答えになっていない気がする。海未も海未で、ポカンと口を開けているし。多分、俺も同じような顔をしているだろう。

 

「い、いやいや、私は絶対にメイド服なんて、そんな破廉恥な服、着ませんからね!?」

 

 秋葉原とか、その他もろもろの地域にいるメイドさんたち全員に謝れ! あの人たちは、お前が破廉恥だと言う服を毎日着て接客しているんだぞ!

 

「でも、これはクラス全員の総意なんだ。男子も女子も、園田さんのメイド服姿を見たくて、見たくて、夜も眠れないくらいなんだから」

 

 それが本当なら、このクラスには変態しかいないことになる。

 俺は嫌だよ。変態に囲まれながら、文化祭の準備をしなきゃいけないだなんて。

 

「まぁ、今言ったことの2割は冗談として」

 

 残りの八割は本気なんですか!? 残りの八割は海未のメイド服姿を見る為なら、努力を惜しまない変態なんですか!? 

 実行委員の言葉に、海未が顔を真っ青にしてドン引きしている。今回ばかりは、海未がとっても可哀想だ。

 

「つまり、私たちのクラスは園田さんのメイド服姿を拝めるなら、どんなことでも取り組む所存であります」

 

 実行委員の言葉に、クラスの俺たちを除いた全員が頷く。何と統率のとれた組織だろうか?

 訓練された変態ほど怖いものはない。……もうヤダ、このクラス。穂乃果たちのクラスに逃げ込みたい。

 

「い、嫌です! やっぱりメイド服なんて私には無理です!!」

 

「そ、そこを何とかお願いします、園田さん!!」「園田さん、もうあなたしかいないんです!」「園田さん!! そこを何とか!」「園田さん!!」

 

 実行委員を含めた男子全員(ど変態)が、その場に土下座する。

 傍から見れば、酷い光景としか言いようがない。プライドって、大事だよね?

 

「無理なものは無理なんです!! だから別の出し物にしましょう?」

 

 しかし、プライドをかなぐり捨てた土下座でも海未の心は動かない。

 まぁ、当然っちゃ当然だよな。海未は元々、かなりの恥ずかしがり屋だし。メイド服を着て接客だなんて、本当に嫌なのだろう。

 まぁ、海未のことだから似合うには、似合うと思うんだけどね。一人蚊帳の外で状況を眺めていると、女子たちがひそひそと、俺を見ながら話しているのに気付く。

 

 そこっ! 本人に隠れてコソコソ話さない! 訝しむ様な視線を彼女たちに向けると、なぜかニヤニヤしながらこちらに近づいてきた。オーラが半端じゃない。というか、怖い。

 

「にゃ、にゃんでしょうか?」

 

 緊張のあまり言葉を噛んでしまう。ここでガツンと言い切れない自分が情けない。ほんと、不良の面目丸つぶれである。

 

「和希君も見たいでしょ? 海未ちゃんのメイド服姿?」

「まぁ、似合うとは思うけど……」

 

 頭の中に、メイド服姿で接客をする海未の姿が浮かぶ。

 ミニスカフリフリメイド服でもいいけど、やっぱり海未にはロングスカートの正統派メイド服だろうな。そんな彼女の姿を2分ほど妄想し、

 

「……いいな」

 

 そう呟いた俺はきっと、間抜けな顔をしていたことだろう。間抜けな俺の反応を見て、女子たちがしめたとばかりに海未の元へ。

 

「海未ちゃん、海未ちゃん。和希君が海未ちゃんのメイド服姿を、どうしても見たいらしいよ?」

 

 ちょっと待て。確かに『いいな』とは言ったが、『どうしても』とは言っていない!

 

 しかし、女子たちの言葉を真に受けてしまったらしい海未が、チラッと俺に視線を向ける。

 

「和希……」

「な、なんだよ?」

「……見たいですか?」

 

 少しだけ頬を染め、俺を見上げるようにして海未が訊ねてきた。どうやら朝のギクシャクは多少直ったらしいが、今度は俺の方がやばい。

 惚れた男を殺すためにやってきているのか、瞳までウルウルと潤ませるおまけつきである。こんな可愛く訪ねられて、否定できるわけがない。

 

「みたい、です……」

 

 女子のようにか細い声で呟く。今の俺は最高に女々しくて気持ち悪い。だけど、

 

「ま、まぁ、和希が見たいというなら……」

 

 髪先を指でくるくるといじりながら海未が答える。

 今までは何とも思わなかったけど、俺は今の仕草めっちゃ好きだわ。

 恥じらいもあり、可愛さもあり、嬉しさもあり。三拍子揃っているとは、まさにこの事である。

 

(海未ちゃんと和希君がデレたぁ~)

 

 どういうわけか、クラスメイト全員が俺と海未を見てニヤニヤしている。……いや、違った。男子は全員、目を血走らせて嫉妬の視線を向けている。醜いったらない。

 

「ちなみに当日、真嶋は執事服姿で接客だからな」

 

 はぁっ!? なんだって!?

 

「は、はぁっ!? 聞いてねぇぞ、そんなの」

「まぁ、今言ったからな。それに女子たっての希望なんだ。金髪執事には需要があるんだとよ。つまり、そういうことだ」

「…………」

 

 いやいや、どういうことだよ!? しかし、反論空しく、クラスの女子たちに丸め込まれてしまった。畜生めぇ!!

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

「珍しいね、和希君の方から誘ってきてくれるだなんて!」

「確かにそうかもな。誘うにしても、穂乃果たちからが多いし」

 

 執事役を押し付けられた日の放課後。俺は穂乃果とことりと共に、帰り道を歩いていた。

 海未は部活があるとのことで、先に帰っていてと言われている。その為、この場には居ない。というか、いたらいたで相談事ができないし。

 そのまま二人を連れて洒落た喫茶店の中に入る。ちなみに今日のお代は俺持ちだ。まぁ、相談する身でもあるから当然であろう。

 そして窓際の席に着くと、早速ことりが声をかけてくる。

 

「ところで和希君。今日はどうしてことりたちを呼んだの?」

「あ~、うん。その事なんだけど……」

 

 いざ口にしようとすると、めちゃくちゃ恥ずかしいな。それに、いつも喧嘩していたところをことりたちには見られていた分、余計に恥ずかしい。

 こんなことになるくらいなら、海未と普段からもっと仲良くしておけばよかった。と、取り敢えずここは落ち着くために水を一杯――

 

「もしかして~……海未ちゃんのこと、好きになっちゃった?」

「ぶぅーーーー!?」

「わわっ! だ、大丈夫、和希君?」

 

 含んでいた水を吹き出した俺に、穂乃果がナプキンを差し出す。それをありがたく受け取り口を拭っていると、ことりがいい笑顔でこちらを見ていることに気付いた。

 うわぁ……いじられる気しかしない。

 

「今の反応を見ると、本気で海未ちゃんのことが好きみたいだねぇ~」

「ええっ!? 和希君、海未ちゃんのこと、好きなの!?」

「このおバカ! 声が大きい!」

 

 おでこにチョップをかますと、涙目になる穂乃果。

 

「うぅ、痛いよぉ~」

「大きな声を出す穂乃果が悪い! それで、まぁ、なんだ、その、えっと……」

 

 恥ずかしさのあまり、全身から変な汗が吹き出し始める。顔がどんどんと熱を持つのが分かる。

 後、ことりのにまにま顔のお蔭で、言いづらくてしょうがない。

 

「だから、あれだよ、あれ。俺は……」

「おれは~?」

 

 うわーん。ことりがおれをいじめるよぉ~。しかし、泣いていてもしょうがないので、俺はようやく覚悟を決める。

 

「俺は……海未のことが好きなんだ」

 

 やった、やったぞ。俺は遂に成し遂げた! ……告白もしていないのに、何が成し遂げただよ。

 

「ふふっ♪ 和希君、海未ちゃんのこと好きになっちゃったんだぁ~?」

「そんな楽しそうな瞳を俺に向けんじゃねぇ!」

 

 ことり様は天性のドSなのかもしれない。いや、絶対にドSだ。一方穂乃果は、またしても大きな声を上げる。

 

「和希君も、海未ちゃんのこと好きだったんだ!」

「……ん? 和希君も?」

 

 首をかしげる俺に、ことりが慌てて穂乃果の口を塞いで、「あはは……」と乾いた笑い声をあげる。

 

「い、今のは、海未ちゃんも一緒だったらいいねってことだよね? 穂乃果ちゃん?」

「う、うん。そうそう、それが言いたかったの!」

 

 一瞬、ことりから物凄い圧を感じたが、なんだったのだろうか? 穂乃果もぶるぶる震えてるし。まぁ、気のせいだと思いましょう。

 

「話を元に戻して……和希君は海未ちゃんのどこを好きになったの?」

「……それって言わなきゃ駄目か?」

「うんっ! もちろんだよ。言わなきゃ、相談にのってあげません♪」

 

 なんて理不尽な……。楽しそうに微笑むことりに、がっくりと肩を落とす。

 あんまり海未のどこが好きだとか、考えたことないんだよな。しかし、ことり様の、おねがぁい! には逆らえない。

 たっぷり時間を使って考え、俺はとても恥ずかしいセリフであると分かりながら口を開く。

 

「多分……どこってわけじゃないんだと思うんだ。俺は、海未だから好きなんだと思う」

 

 もちろん、海未は可愛い。それに、スタイルだっていい。理由を探せば、いくらでも出てくるだろう。

 だけど、俺の好きは可愛いからとか、スタイルがいいからとかじゃない気がする。

 

 海未だったから。

 海未だから、好きになったんだと思う。俺がそう、呟くようにして二人に話すと、なぜか穂乃果とことりの顔が真っ赤になっていた。

 

「う、うわぁ……和希君、思った以上に海未ちゃんにデレデレだったよ」

「き、聞いてるこっちが恥ずかしくなっちゃった……。今の言葉を、そっくりそのまま海未ちゃんに聞かせてあげたいくらい」

 

 二人でぼそぼそと話し合っているが、一体何を話しているんだろう? というか、今の言葉に少しくらいツッコんでもらわないと、流石に恥ずかしい。

 海未に惚れてるとはいえ、恥ずかしいという自覚はあるからな。

 

「どうしたんだ二人とも?」

「な、何でもないよ和希君! ただ、和希君がすっごく海未ちゃんの事を好きなんだなって、びっくりしちゃったんだよ」

「そ、そうだよ和希君! ことりもまさか和希君が、ここまで海未ちゃんにぞっこんなんだとは思わなかったんだ!」

「そんな恥ずかしいことを大声で言わないでくれ……」

 

 店内の人から、物凄く生温かい視線を浴びているから。惚れてるのは認めるけど。

 

「でもさ、不思議だよね。この前まで和希君、海未ちゃんのこと意識してなかったのに、突然好きになるんだもん!」

「あっ、それはことりも思った! ……もしかして~、あの遊園地の時か、もしくは遊園地後に、何か海未ちゃんとあったのかな?」

「……何にもないです」

 

 相変わらず鋭いことりの視線から逃れるように目を逸らす。穂乃果も十分鋭いのだが、ことりはやはり一つ抜けているよな。

 海未は論外。ちなみにことりに言わせれば、俺も論外らしい。自分では結構鋭いと思っているんだけど……。

 

「今の間がすっごく怪しんだけど……今日のところは見逃してあげます♪」

「助かります、ことりさん……」

 

 追及されたら、あの日に抱き締めて、プロポーズまがいの事を言った事実まで聞きだされてしまいそうだ。

 ニッコリ微笑むことりに苦笑いを浮かべる。

 

「それでさ、文化祭後の後夜祭で、海未に告白しようと考えてるんだけど……告白して大丈夫かな?」

「えっ、どうして?」

「いや、俺って海未に好かれてるとは思わないんだよ。不良だし、よくケンカもするし……だから、フラれるかもって」

『…………』

 

 二人から、「えっ? 何言ってるのこいつ?」って感じの冷たい視線を感じる。お、俺、今何かまずいこと言った?

 

「聞いた、ことりちゃん? フラれるかもって……和希君も海未ちゃんの同じくらい、鈍感だよね?」

「ほんとだよ~。周りから見れば両思い同然、というよりも、ただ恥ずかしいカップルなのに……本人たちは意外と気付かないものなのかな?」

 

 だから、俺に聞こえないような声でコソコソ話さないで。嫌われてるかと勘違いしちゃうから。

 少しだけ肩を落とす俺に、話し合いを終えた二人が顔を上げる。

 

「答えは言わないけど、穂乃果は和希君が告白するのなら、全力で応援させてもらうよ!」

「えっ、答え知ってるの!?」

「もちろんっ♪ なんたって、私たちは海未ちゃんの幼馴染だからね!」

「……ち、ちなみに、海未は好きな人っているの?」

 

「ふふっ、秘密だよ~」

「教えたら面白くないもん♪」

 

 答えをはぐらかされ、もやもやとした気分になる俺。「うがぁー!」と、頭を抱える俺を見て楽しそうな穂乃果とことり。

 しかし、そんなほんわかした空気が一瞬にして凍り付く。

 

「か、和希君! そと、そとっ!」

「っ!?」

 

 あれだけ楽しそうだった二人の顔が、真っ青になっている。

 

「はっ? 外?」

 

 穂乃果に言われるがまま、窓の外に視線を移すと、

 

 

 

「………………」

 

 

 

 氷の女王様が……じゃなくて、海未が冷ややかな眼差しでこちらをみつめていた。

 

 恐らく、部活が終わって帰ってきたのだろう。隣に友達の姿もちらほらと見えるし。まぁ、そのお友達は、冷ややかに俺を見つめる海未をみて、すごく困惑してるけど。

 そもそも、海未はどうしてあんなにご立腹なんだ?

 

「……ねぇ、和希君。今日、海未ちゃんに私たちと遊ぶってことをちゃんと言った?」

「えっ? 言う必要はないと思って、別に言ってないけど」

 

 俺の返答にことりが「あちゃ~」と声を上げる。そして海未と同様、冷ややかな視線を俺に向けてきた。

 

「そういうことはちゃんと、海未ちゃんにもいってあげなきゃ駄目でしょ?」

「な、なんで? 穂乃果とことりと遊んでるだけだぞ?」

「それでも、今は大切な時期だからダメなんです! ほらっ、早く海未ちゃんの所へ行ってきなさい!」

「わ、分かったから、そんな強い力で押さないで!」

 

 グイグイとことりに背中を押され、喫茶店の外へ。

 あっ、ちゃんと三人分のお金は机の上に置いていきましたからね! そして、

 

 

 

「…………」

 

「お、おっすおっす……」

 

 

 

 後ろから、ゴゴゴゴゴゴ……という効果音がしてきそうな海未と、会いまみえる。

 彼女の後ろに、スタンドっぽいモノは見えない。というか、見えたら多分、俺はぼっこぼこにされている。

 

「…………」

「あ、あの~、海未さん?」

 

 ひ、一言もしゃべってくれない。今の彼女は、その雰囲気と視線だけで人を殺せそうだ。口を開かない海未に、びくびくと震えていると、無言のまま右手をギュッと掴まれる。

 

「は、はいっ? なんですかこの手――」

「……帰りますよ。すいません、今日はこの人を連れて先に帰らせてもらいますね」

 

 無視された。泣きそう。

 悲しみに暮れる俺のことなんてお構いなしに、海未が弓道部の人たちに頭を下げる。そして、俺を引っ張りながら帰り道を歩き始めた。

 

『キャー!』

 

 なんか後ろから歓声が上がった気がする。

 

「海未ちゃんってば、大胆だなぁ♪」「海未ちゃんも和希君もファイトだよ!」

 

 なんかよく知った声も聞こえてきた気がする。

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

 喫茶店から園田家までは5分ほどの距離なのだが、その時間がえらく長いと感じた。

 そりゃあ帰り道、俺たちの間に会話はなかったからね。ストレスがマッハで溜まりましたよ。そのまま玄関で靴を脱いだところで、ようやく海未が手を離す。

 

「あ、あの~、海未さん? そろそろ喋ってくれると嬉しいんですけど?」

 

 手を離しても一向に口を開こうとしない海未に、恐る恐る声をかける。

 

「……和希」

「は、はいっ!」

 

 相変わらず、怒った時の目力が半端じゃない。ちびるかと思った。

 そんな事はいいとして、俺は彼女の呼びかけに背筋を伸ばす。

 

「まだ夕食まで時間がありますので、一度私の部屋に来てください」

「わ、分かりました……」

 

 自室に俺を呼び出すだなんて……。一体、どんな説教が俺を待ち構えているのだろう? 夕食までの間、尋問でもされるのだろうか? 

 もしくは江戸時代の罪人の如く、三角の木材の、一番尖った部分の上に正座をさせられ、石をのせられていくのだろうか? 

 

 あれは見てるだけで地獄だとよく分かる。どっちにしろやりたくないし、絶対に行きたいとは思わない。

 だからと言って、立ち止まっていれば余計に海未を怒らせかねないので、仕方なく彼女についていく。そのまま彼女の部屋に入り、

 

「そこに座ってください」

 

 座布団を指差す海未。良かった。取り敢えず、江戸時代の罪人になることはなかったらしい。

 しかし、気を抜けるわけでもない。だってこれから鬼のような海未からの、鬼のような説教が待ち受けているのだから……。

 

「は、はい……」

 

 好きになったとはいえ、怖いものは怖い。ガタガタ震えながら、座布団の上に腰を下ろす。

 それを見た海未が、別の座布団を手にして……どういうわけか、俺の隣に腰を下ろしてきた。

 

 お互いの肩が触れあう程の至近距離。ゆっくりと温かさが広がる。

 

「な、何してんの?」

 

 思わず、素でツッコんでしまう。

 

「……う、うるさいです! しばらくの間、このままじっとしていてください!」

 

 よく分からんが、すごい剣幕でまくしたてる海未。そんな彼女に「は、はぁ……」と気の抜けた返事をする。

 だって、本当に言っていることが分からないし。

 

 ま、まぁ、好きな人とこれだけ近づけるなんて、俺からしたら役得なんだけど……。

 彼女から漂ってくるシトラス系の香りに頭をくらくらさせていると、海未の方からようやく声をかけてきた。

 

「どうして私がこんなことをしたか、分かります?」

 

 彼女の言葉に、思考を必死に回転させる。しかし、ことりに言われたこと以外、なにも浮かんでこない。

 まぁ、誰かに指摘されたことを言うわけにもいかないので、俺は海未に向かって首をふる。

 

「……ごめん。さっぱりわからない」

 

  

 

「……どんかん」

 

 

 

「海未だけには言われたくないよ」

 

 分からないと言った俺に、むすっと口を尖らせる海未。怒った顔も可愛いのがちょっとだけムカつく。

 そんな風に不満げな様子の海未だったが、ふっと表情を緩ませる。

 

 

 

「……でも、私が隣に座っても逃げなかったので、許してあげます」

 

 

 

 ムカつくけど、ふっと緩ませた表情も可愛かった。少しだけ頬に熱を感じたため、海未にばれないようそっと目を逸らす。

 

「というか、結局海未はどうして怒っていたんだ?」

「和希が分からなければ気にしなくていいですよ。私はもう、気にしていませんから」

「それならいいんだけど……」

「はい、気にしなくても大丈夫です♪」

 

 そう言って笑顔を見せる海未は、先ほどより大分機嫌がよくなったみたいだ。だけど、距離が近いのでとっても心臓に悪い。全く、俺の気も知らないで……。

 

 そのままの体勢でしばらく引っ付いていると、海未がこちらに顔を向ける。

 

「和希」

「ん? どうした?」

「文化祭、頑張りましょうね」

「……そうだな」

 

 

 

 今一度、身体を寄せてくる海未に、顔がにやけるのを必死に我慢し、冷静に頷くのだった。

 

 

 

 

 ちなみにその後、夕食を伝えに来た睦未さんに、身体を寄せ合っている俺たちの姿を見られ、無茶苦茶いじられました。

 




 今回も読了ありがとうございます。そして、いつも感想やお気に入り等、ありがとうございます。これからも頑張りたいと思います。

 それにしても、現実の高校でメイドカフェをやる学校、本当に存在するんですかね?


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15話 真面目な彼女のメイド服姿が予想以上に可愛くて…

 まぁ、タイトル通りの話となっております。
 壁必須です。


 

「おーい、ちょっとそれとって!」「はいよ~」「やばっ、材料が全然足りない……」「それってちょっとまずいんじゃないの? 誰か貰いに行ける?」「あっ、私いけるよ!」「あっ、じゃあついでにお菓子も買ってきて!」

 

 放課後のクラス内に、様々な声が響き渡る。ただいま俺たちのクラスでは文化祭に向けて、準備の真っ最中だ。

 他のクラスからも様々な声や音が聞こえてきて、これぞ文化祭の前って感じの空気になっている。

 ちなみに俺は、メイドカフェの入り口部分を担当していた。普段使っている扉を全てはずし、よりメイドカフェっぽくなるよう、工夫を施している。というか、一から扉を作っていた。

 

「ふぅ、流石に疲れるな……」

 

 別に不器用ではないのだが、のこぎりなどの工具を使って、一から製作するというのはなかなかに骨が折れる。

 大工っぽいことなんて今までに一度だってやったことないからな。

 

「大丈夫ですか?」

 

 俺がふぅと息を吐くと、隣に座って店内を彩る装飾品を作っていた海未から声がかかる。

 ずっと休まないで作っていたからな。心配してくれているのだろう。しかし、その声から少しウキウキした気分が伝わってくるあたり、海未も文化祭という雰囲気に充てられているのかもしれない。

 そしていつもなら放課後、彼女には弓道部の活動があるのだが、文化祭期間中は休みだと言っていた。

 これも文化祭の準備に対する配慮らしい。部活で手伝えないと、クラスの雰囲気が微妙になるからな。その点、全部活動を休みにする音ノ木坂の判断は素晴らしいと思う。

 

「おう、大丈夫だよ」

 

 動かしていた手を一度止め、海未の方に視線を向けて返事をする。

 

「あまり無理をしないで下さいね。怪我でもされたら、家で和希をこき使えなくなってしまいますし」

「できれば、身体の心配をしてほしかったんだけどな」

「ふふっ♪ 冗談ですよ」

 

 楽しそうに笑った海未は、再び装飾品づくりに取り掛かり始める。楽しんでるみたいで、何よりだよ。

 

 ところで、俺と海未は近い場所、というか隣通しで準備をしているが、これはどうもクラスメイトの策略によるものだと思っている。

 だって、俺と海未が何をするにも、わかりやすく俺たちを近づけようとしてくるんだもん……。いくらなんでもあからさますぎだ。

 しかし、俺も海未も別に文句を言うことなく、こうして隣り合って準備を進めている。

 

 俺が文句を言わない理由は、もはや言うまでもない。好きな人とこうして話しながら準備を進めていると、面倒な装飾品製作も楽しくなってくるから不思議だ。

 

(海未も俺と一緒で、隣り合って準備をすることに何の不満を感じてなければいいんだけど)

 

 これで本当は嫌で嫌でしょうがないとか言われたら、俺は多分文化祭を休むだろう。そのまま、ショックで三日間ほど寝込む気がしてならない。

 

「どうしたんです? 私の顔に何かついてました?」

 

 ぼーっと海未の横顔を眺めていると、視線を感じたのか海未が首をかしげる。

 

「いや、文化祭の準備を海未が楽しんでるなって思ったんだよ」

「えっ! 私、楽しそうな感じが出てました?」

「おう! すげぇ、ウキウキしてたぞ」

 

 するとなぜか海未は顔を少し赤くした後、俯いてボソボソと呟く。

 

「そ、それはこうして和希と一緒に準備をしてるからであって……和希がいなければ、こんなに楽しくないですよ」

「えっ? もう少し大きな声で」

「な、何でもないですっ!」

 

 よく聞こえなかったの聞き返したら、怒鳴られました。どういうことなんだよ一体。

 

「そ、それを言うなら和希だってさっきからずっと楽しそうですけど、それには何か理由があるんですか!?」

 

 うげっ……あんまり聞かれたくなかったことを聞かれてしまった。若干怒っている気がしないでもない海未に、俺はどうしたもんかと腕を組む。

 準備を楽しんでいる理由はもちろん、海未が隣にいるから。しかし、こんなことを張本人の前で言うのにはかなりの勇気がいる。というか、本当なら言いたくない。

 

 俺たちの間に、何とも言えない沈黙が流れる。

 

『…………』

 

 その沈黙に伴って、なぜかクラスも静かになった。いや、別にあんたらは喋っていて構わないんだけど……。むしろ、喋っていてほしい。

 でも、後夜祭で告白すると決めたのだ。こんなことくらいで躊躇っていては一生告白なんてできないだろう。

 

 その為、俺は何度も咳払いを繰り返して喉の調子を確認した後、明後日の方向を向きながら沈黙を破る。

 

 

 

「楽しそうに見えたんなら、多分そうなんだろうよ。だって……海未とこうして準備してるわけだから」

 

 

 

 言ってみた感想。ただただ恥ずかしかった。言って後悔した。

 一方、俺の言葉を聞いた海未も、

 

 

 

「へ、へぇ~、そ、そうなんですか……」

 

 

 

 返事が予想外だったのかどうか知らないけど、海未は頬をかきながら視線を逸らす。そういう俺も、恥ずかしすぎて彼女と全く視線を合わすことができない。

 少しの間、そっぽを向いていたのだが、

 

(……視線を合わせないと感じ悪いかな?)

 

 そう思った俺は、海未の方に視線を向ける。すると。

 

「っ!?」

 

 こちらを見ていた海未とバッチリ視線が合った。

 

 

 

「………………」

「………………」

 

 

 

 …………カァァァァァァァァァァァァァ。

 

 見つめ合う二人の顔が真っ赤に染まっていく。再び訪れる、何とも言えない沈黙。

 いたたまれなくなった俺は海未に声をかける。

 

 

 

「海未っ!」

「和希っ!」

 

 

 

 しかし、考えていることは海未も同じだったらしい。見事に声が被る。余計に恥ずかしい。

 

 

 

「あっ、その、海未からでいいぞ」

「い、いえ、和希から先に……」

 

 

 

 お互いに譲り合ってしまう悪循環。ベタな展開すぎて、先ほどよりも顔が熱くなる。最終的に俺も海未も、顔を真っ赤にして俯いてしまった。

 

 

 

「も、もうダメ。あの二人、もどかしすぎてみてられない……」「こっちが恥ずかしくなってくるよ……」「あれで本当に付き合ってないの!?」「俺にあの青春は眩しすぎるぜ……」「ガハァッ!」「先生っ!! ○〇君が、血を吐いて倒れましたぁああ!!」

 

 

 

 俺たちを見ていたクラスメイト達がギャーギャーとうるさいが、心臓の音に比べたら大したことはない。

 さっきから全力疾走したとき並みに、ドクンドクンと狂ったように鼓動が鳴り響いている。顔の火照りも全く引いてくれない。

 

 

 

「……和希のばかっ。ばかっ、どうしてあんなことを……。こんなにやけた顔、和希に見せられません……」

 

 

 

 海未も海未で恥ずかしさから逃げるように、顔を両手で覆っている。しかし、真っ赤に染まった耳までは隠しきれていなかった。

 照れる彼女を見て、一層恥ずかしさが込み上げてくる。そして、そんな俺たちを見てクラスメイトも悶絶し……結局この後、俺たちのクラスは30分ほど準備を中断していたのだった。

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

 そして、文化祭の準備を順調に進んでいたある日。

 

「おーい、海未ちゃんに和希君。ちょっとカモーン」

 

 実行委員の女子から声がかかり、俺と海未は彼女の元に歩いていく。

 

「どうしたんだ?」

「いや、ようやく二人専用のメイド服と執事服が完成してね。だから、二人に着てもらおうと思ったんだ! 二人のだけ、とある人が作った特別仕様だからね」

『とある人?』

 

 俺と海未が首をかしげていると、そのとある人がぴょこっと顔を出した。

 

「二人とも、準備お疲れ様♪」

「こ、ことり!?」

 

 海未が驚いたような声を上げる。ちなみに彼女と同様、隣にいる俺もびっくりしている。

 

「いやー、二人以外のメイド服と執事服なんてどうでもいいからネットで適当に買ったんだけど、看板である二人のはしっかりしたものが良くてね。だけど、裁縫が得意な人なんて誰もいなくて困ってたんだ。そんな時に私たちを救ってくれたのがことりちゃんってわけ!」

 

 よく誰も裁縫できない状態でメイドカフェをやるとか言ったな。その実行力に、ある意味感動してしまう。

 しかしそんな事よりも大切なのは、ことりにメイド服と執事服を作るだけの裁縫力があるのかどうかだ。これで出来なかったら元も子もな――

 

「そういえば、昔からことりは裁縫が得意でしたね」

 

 はい、俺の心配はあっという間に杞憂となりました。海未は幼馴染だから知っていたのだろうが、俺は初耳である。

 

「裁縫が得意ってのは置いておくとして、ことりは大丈夫だったのか? ほら、自分たちのクラスの出し物もあるだろ?」

「うん、それは全然大丈夫だよ。クラスの方の準備はもう終わってるし、たとえ準備が終わってなくても、二人の為ならクラスの出し物を犠牲にする覚悟だから!」

「そこはクラスの準備を犠牲にしないでほしかった……」

 

 だけど、ことりのことだ。

 彼女が「ごめんね♡」と手を合わせれば、男女構わずイチコロだろう。俺なんて逆に、ことりの仕事を引き受けてあげる位の勢いで許してあげるはずである。

 まぁ、ことりは可愛いからね。仕方ないね。

 

 そんな風に思考を巡らせていると、ことりが手にしていた袋の中からメイド服と執事服を取り出した。

 

「じゃーん! どうかな二人とも?」

「……おぉ、普通にすげぇ」

 

 実物を見た俺と海未は思わず目を見張る。彼女が手に持っていたメイド服と執事服は、素人の俺が見てもかなりの出来であると分かってしまうほどの代物だった。

 

 シンプルなタイプであるのだが、細部まで丁寧に作り込まれている。知らない人が見れば、本物と勘違いしてしまうだろう。

 

「ことりが器用なのは知っていましたが、まさかメイド服まで作れるだなんて……」

 

 海未もまさかここまでの腕だとは思っていなかったらしく、口に手を当て、驚きを隠せないようだった。ほんと、ことりの持つポテンシャルの高さには驚かされるばかりである。

 この前、彼女がお菓子を作ってきてくれたのだが、お店のよりもおいしかったくらいだし……。

 

「それじゃあ早速、和希君から着てもらおうかな。サイズが合わなかったら作り直さなきゃだし」

 

 実行委員に促されるまま、俺たちは誰もいない空き教室へ。そのまま俺は執事服に着がえを済ませる。

 執事服なんて着たことなかったため、スマホを見つつ着がえたのは内緒。

 

「和希くーん、着替え終わった?」

「終わったよ~」

 

 返事をし、着替えていた場所から海未たちの前に出ていく。

 

「取り敢えず、こんな感じになったけど、どうですかね?」

 

 ことりが作ってくれたのは、黒を基調としたアニメでよく見る一般的な執事服だった。執事服なんてこれまでの人生で一度も着たことないし、似合っているかどうかもよく分からない。

 

 それに、俺って金髪だしなぁ。執事と言ったら黒髪という勝手なイメージがついているため、金髪はどうしても邪道に感じてしまう。しかし、そんな俺とは対照的に、

 

「ふぅ……金髪執事、最高」

 

 実行委員の女子は、鼻血を拭きながらグッと親指を立てる。とてもいい表情をしていた。そしてことりもバッチリと言わんばかりに、うんうんと頷いている。

 

 ……あえてツッコまなかったが、金髪執事を推していたのは間違いなくこいつだろう。これは後で何か奢ってもらわないと……。

 

「それで、和希君。どこかキツイ所はない? 一応、和希君の体格に合わせたつもりなんだけど」

「今のところ、特にキツイとかはないかな。腕も足も動かしやすいし」

 

 ぶんぶんと手をふったり足を動かしたりしても、特段動きにくいということはない。これなら当日の接客もばっちりだろう。

 ……ことりがどうして俺の体格を知っているのかについては、ツッコんじゃいけない。

 

「じゃあ、次は海未ちゃんのメイド服――」

「あっ、ちょっと待って!」

「? どうかしたのですか、ことり?」

「だってまだ海未ちゃん、和希君の執事服姿について何も言ってないなぁ、って思ったから」

「っ!?」

 

 ニマニマと指摘することりに、少しだけ顔の赤くなる海未。何度目だろう、このやり取り。

 

「ねぇねぇ、海未ちゃん。和希君の執事服、どうだった?」

「……べ、別に何とも思っていませんよ」

「そ、そうか……」

 

 い、いや、別に落ち込んでなんかいないよ。感性は人それぞれだしね。

 ただ、好きな人に何も思われてないって結構ショックだなぁ……。

 

 ズーンと、あからさまに落ち込む俺に対し、海未が少しだけあわあわし始める。

 

「か、和希! い、今のは本当に何とも思っているわけではなくて、ただ恥ずかしくて……」

 

 ひとしきり言葉を並べた後、海未はキュッと目を瞑り、蚊の鳴くような小さな声で、呟くようにして言葉を発した。

 

「……和希の執事服、似合ってますから/// だ、だから、そんなに落ち込まないで下さい」

「…………」

 

 やばい。褒められたのが嬉しすぎて顔がにやける。

 

「ことりちゃんって、いつもこんな恥ずかしいやり取りを間近で見てるの? 私だったら耐えられずに吐血すると思う」

「あ、あはは……」

 

 実行委員がとっても失礼なことを言っている気がしてならない。ことりの困った表情が何よりの証拠である。

 

「そ、それじゃあ、気を取り直して、今度は海未ちゃんのメイド服を確認しちゃおうか」

「うんっ♪ 海未ちゃんのメイド服は気合入れて作ったから、すごく自信があるんだ」

「お、お手柔らかにお願いします……」

 

 困惑気味の海未を引っ張るようにして、着がえの場所へと連れていく二人。

 俺はこの教室に誰かが入ってこないよう、見張り番という役割を仰せつかった。

 

「あっ、和希君。分かってると思うけど、覗いちゃ駄目だよ?」

「の、覗くわけないだろ!!」

「ふふっ、和希君ってば顔真っ赤♪」

 

 ドSのことり、ここに爆誕。予想外のボディブローに顔を真っ赤にする俺。

 

「…………」

「ほ、本当に覗かないから!! ほんとだって!!」

 

 変態を見るような視線を向けてくる海未に、必死の弁明を行う。か、身体まで抱く必要ないじゃないか! 

 そんな俺を楽しそうに見つめることり。ほんと、ことりさんが楽しそうで何よりです!! 

 

 そんなこんなで、ようやく海未たちは着がえの場所へ。しかし、ここからがある意味本番だった。

 

「それにしても、海未ちゃんの髪って本当にまっすぐで綺麗だよねぇ~。惚れ惚れしちゃう!」

「ま、まぁ、この髪はお母様譲りの物ですから」

 

 キャピキャピと、着替えている場所から女子トークが繰り広げられている。微笑ましい限りだ。

 

「ブレザーを脱ぐと分かるけど、ほんと海未ちゃんて細いよねぇ~。毎日ちゃんと食べてる?」

「わわっ! どこを触っているのです!? ちゃ、ちゃんと食べてますから、あんまり変なところを触らないで下さい……///」

 

 ことりの楽しそうな声と、海未の少し恥じらったような声。……ま、まだ、これくらいなら大丈夫。問題ない。煩悩を振り払うんだ!

 

「わぁっ! 海未ちゃんの下着、水色ですごく可愛いね♪」

「ぶほぉっ!?」

「か、和希は耳を塞いでいてください!!」

 

 一瞬で舞い戻ってきた煩悩。

 上下水色の下着を身に纏った海未を頭の中で想像してしまい……色々と大変なことになった。どこが大変とは言わん! というか、ことりもわざとやってるだろ!? 

 その後はしっかり耳を塞いで、ついでに目を閉じて(見張り番の意味なし)待っていると、背中をちょんちょんとつつかれる。

 

「和希君、準備ができたから目を開けていいよ」

 

 ことりの声に俺はゆっくりと目を開き――

 

「ど、どうですか?」

 

 天使がいた。……じゃなくて、メイド服姿の海未が頬を少しだけ赤くして、目の前に立っていた。

 

 黒と白色を基調としたロングスカートの、オーソドックスなメイド服。頭には可愛らしくカチューシャをのせている。

 恥じらいながらも、上目遣いで俺を見つけてきてくれているのも、非常にポイントが高い。うっかり抱き締めそうである。

 とにかく、それくらい海未のメイド服姿は清楚で、とても似合っていた。

 

「本当はミニスカートにしてもよかったんだけどね~。海未ちゃんって、足も綺麗だし!」

「み、ミニスカートのメイド服なんて破廉恥すぎて、着れるわけないじゃないですか!」

 

 ミニスカメイド服……とっても破廉恥だな! めちゃくちゃ見たかったけど。

 

「……和希、今変なことを想像しませんでしたか?」

「い、いや、変なことなんて、想像なんてしてないぞ!」

 

 ジト目で尋ねてくる海未に、首をぶんぶんと振る。危うく、妄想していたのがばれるところだった……。

 

 それにしても……俺は改めて海未のメイド姿に視線を移す。

 

(この姿で接客するんだよな)

 

 今の海未は誰から見ても可愛い。とても魅力的だ。

 そんな彼女を見て、少なからず好意を寄せるものも出てくるかもしれない。純粋な海未に、手を出そうとするやつが出てくるかも……。

 

 

 

(……嫌だな)

 

 

 

 もやもやとした気持ちが込み上げてきた。

 付き合ってもいないのに、こんなことを思うのは迷惑極まりないだろう。

 しかし、嫌なものは嫌なのだ。俺以外の男に、メイド服姿の海未を見せたくない。

 

 

 

「……本当にこの姿まま海未を出すの?」

 

 

 

 気付くと俺は思っていたことをそのまま口に出していた。

 

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

 

 

「そ、そりゃ、海未ちゃんがメイドカフェの看板だしね。出さなきゃ、何のためにことりちゃんの手を借りたか分かんないよ」

「だよなぁ……」

 

 でも……と、駄々をこねる和希。正直、今の彼は何を言っているのかさっぱり分かりません。

 私が首をかしげていると、和希がチラッとことりに視線を向ける。すると、視線だけで何かを察したらしいことりは、

 

「ちょっと、クラスの様子が気になるから、一回見てくるね。ほらっ、○○ちゃんも一緒に♪」

「えっ? えっ? ちょ……」

 

 問答無用で引っ張られていく実行委員を見送った後、教室には私と和希の二人が残りました。

 

「和希、どうしてあんなことを?」

 

 視線を合わせようとしない和希に質問をぶつける。

 

 

 

「……そのままの意味だよ。俺は今の海未をみんなの前に出したくない」

 

 

 

 ぶっきらぼうに言い放つ和希。

 

 

 

「……私のメイド服姿が気に入りませんか?」

 

 

 

 少しだけ震える声で尋ねる。もう、和希がここまで駄々をこねている理由がそれくらいしか考えられません。

 

 鏡で見た時にはそこまで違和感を感じませんでした。自分で言うのもなんですけど、むしろ良く似合っていたほうだと思います。

 でも、和希は私の姿をよく思っていないみたいで……。

 

 

 

「あぁ……。ほんと、みんなの前に出すのが嫌すぎて、ずっと裏方に張り付けておきたいくらいだ」

 

 

 

 和希の返事に、身体の奥から何かが込み上げてきそうになった。それを寸でのところで必死に抑える。

 

 

 

(……そんなに似合っていませんか?)

 

 

 

 潤んだ瞳のまま、メイド服のエプロン部分を力いっぱい両手で掴む。そうしていないと、ショックのあまり涙を流してしまいそうだった。

 

 

 

 

 

「可愛すぎて、嫌になる……」

 

 

 

 

 

 そんな私の耳に届いた和希の声。

 

 

 

「…………えっ? 和希、今何と?」

 

 

 

 聞き間違いかもしれない。そう思って私はもう一度彼に尋ねる。

 

 

 

「だからっ! メイド服姿が似合いすぎて、嫌になるって言ったんだよ!!」

 

 

 

 聞き間違いではありませんでした。やけくそ気味に叫んだ和希が真っ赤な顔を片手で覆い、その場にうずくまる。

 ここまで取り乱した和希を見るのは初めてな気がします。ま、まぁ、私の顔も現在進行形で真っ赤になっていますけど……。

 

「か、和希?」

「うるせぇ! どうせ、俺個人の醜い嫉妬ですよ!! 俺はどうしようもない男だよ!! 笑いたきゃ、笑え!!」

 

 どうやら今の和希は恥ずかしくておかしくなっているみたいです。落ち着かせるべく、声をかけましたが逆効果みたいでした。

 

「べ、別に笑ったりしませんよ。それより、先ほど言ったことは本当なんですか?」

 

 追撃をかけるようで申し訳ないですが、もう一度だけ確認したいんです。私にとっては凄く、すごく重要なことでしたから。

 もしかすると、メイド服が可愛いだけなのかもしれませんし……。

 

 私の問いかけに和希は少しだけ間を取り、

 

 

 

「…………似合ってるのは本当だよ」

「か、可愛いのもですか?」

「……可愛いよ」

「へ、へぇ……そ、それはメイド服がですよね?」

 

 

 

 そこで和希が顔を上げ、私に視線を向ける。その顔は少しだけ怒っているようだった。

 

「ど、どうしたんで――」

 

 

 

「メイド服もだけど、メイド服を着た海未は、もっと可愛い」

 

 

 

 今度は視線をそらすことなく、真っ直ぐに気持ちを伝えてくる和希。一方私は、顔を真っ赤にして口をパクパクと動かすばかり。

 素直に好意をぶつけられ、どうしていいのかさっぱり分かりません。パニックに陥る私に畳みかけるよう、和希が口を開く。

 

 

 

「俺は、海未のメイド服姿を不特定多数の男に見られたくない。だから、嫌だってさっきから言ってるんだよ」

 

 

 

 も、もう、これ以上、何も言わないで下さい……心臓がドキドキのあまり、爆発してしまいそうです。

 嬉しいやら、恥ずかしいやら、やっぱり嬉しいやら……。

 彼の言葉に、私の心はいつも揺れ動かされてばかり。何時になく真っ直ぐな彼の言葉は、容赦なく私の心を貫く。

 詳しい理由までは分からないですが、とにかく和希は今の私を他の人に見せたくないみたいです。

 

 そんなやり取りの中、私の心にはとある気持ちが込み上げてきた。

 これまで私が知ることのなかった感情。多分この感情は、今の和希が抱いているものとほとんど変わらないだろう。

 

 それに、和希の執事服を初めて見た時から何となく心はモヤモヤしていた。

 

 私は改めて和希の格好に意識を向ける。誰が見てもカッコいいというであろう、彼の執事服姿。

 今の和希に微笑まれた女性の方は、キュンとしてしまうに違いない。もしかしたら、好きになってしまう人も出てきてしまうかもしれません。

 

 そのまま和希と付き合って――――

 

(そんなの絶対に嫌です……)

 

 ズキンッと痛む胸を押さえる。

 

 私以外の誰とも付き合ってほしくない。和希の事を一人占めにしたい。

 きっとこの気持ちは『嫉妬』というものなのだろう。

 

 今までも和希に対して、嫉妬っぽい感情を抱くことはあった。でも、今回ほど強烈に感じたことはなくて……。

 

(和希……)

 

 熱っぽい瞳で彼を見つめる。

 

 彼のことが好きよりもっと、大好きだから。……だから、和希の事を一人占めしたい。私だって、和希に素直な気持ちをぶつけたい。

 

 もう、我慢できなかった。

 

 

 

「……和希はずるいです。ずるいです……。自分は好き放題に言って……。そんな事言われたら、私だって我が儘を言いたくなってしまうじゃないですか」

 

 

 

 急に声をあげた私に、困惑する和希。それでも、込み上げてきた気持ちは簡単に収まってくれない。

 私は、和希の右手をギュッと両手で握り締める。

 

 

 

「私だって、嫌です。今の和希は誰よりも執事服が似合っていて、かっこよくて……だから、誰にも見せたくないです。私だけが、見ていたいんです」

 

 

 

 一度堰を切った言葉は、次々と溢れて止まらない。

 

 

 

「同じです……私だって、同じなんです。みんなの前に今の和希を出すのなんて、絶対に嫌です。不特定多数の女性に見られたくなんてないです。だから、みんなの前に出てこないで下さい!」

 

 

 

 すごく身勝手なことを言っている自覚はもちろんある。

 でも、和希の事を顔だけでしか判断しないような人に、和希をとられたくなかった。

 

 自分の気持ちを、そのまま口に出す。

 

 

 

「それに、誰かが和希の事を好きになったら、私がすごくこま――」

 

 

 

 最後の言葉を言い切ることはできなかった。なぜなら――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 和希が私の身体を引き寄せ、きつく抱き締めてきたから。

 

 

 




 今回も読了ありがとうございます。そして、いつも感想やお気に入り、評価をありがとうございます。励みに頑張りたいと思います。
 予定ではもう少し先まで書こうとしてたんですけどね……いつも通り、文字数が大変なことになったので区切りました。
 ちなみにメイド服は一応、ワンダーゾーンの時に着ていたものだと思って下さい。もぎゅっとの方も可愛いので悩みましたけど、海未ちゃんが着る可能性が高いのは多分ワンダーの方だと思ったので。


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16話 真面目な彼女と一緒に文化祭前日の夜を過ごした

 またしても気付かぬうちに一万字越え……短くまとめられる技術を身に着けたいと思う、今日この頃。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 周りの喧騒がやけに耳につく。

 

 楽しそうに笑いあう声や、何かを指示するような声。様々な声が聞こえてくる中で、この教室は対照的に静黙を保っていた。

 まるで、この空間だけが切り取られたように感じるほど。それ程までに静かだった。

 

「…………」

「…………」

 

 私と和希しかいないこの教室。

 

 既に外は薄暗くなり始めており、明かりをつけなければ中の様子がよく見えないだろう。

 そんな状況で私は、和希に抱き締められていた。

 

 抱き締めてきた和希は、未だに口を開いていない。ただ、私の身体をきつく抱き締めてくるだけ。

 絶対に離さない。そう言われているようだった。

 あまりにきつく抱き締められていた私は、言葉を発することもままならない。ただただ、和希の胸に顔を埋めることしかできなかった。

 

 ドクンドクンと、力強い彼の脈動をゼロ距離で感じ続ける。二人の体温が混ざり合う。

 

「……海未」

 

 そこでようやく和希が口を開いた。しかし、耳元で囁くように呟く彼の声は、いつもより数倍、甘美な響きをもって私の耳に届く。

 

 彼の吐息が私の耳をいたずらにくすぐる。

 

 

 

「あっ……///」

 

 

 

 自分の口から、聞いたこともないような甘い声が漏れた。その瞬間、信じられないほど身体が熱くなり、恥ずかしさが込み上げてくる。

 私は恥ずかしさから逃れようと、無意識に彼の腰辺りに腕をまわした。

 

「海未、一回だけ顔上げて」

 

 和希の問いかけに私はふるふると首をふる。

 

「……や、です」

 

 どんな顔をしているか分からない。どれほど顔を赤くしているか分からない。

 今の自分を見られたくない一心で、私は和希の胸に顔を埋め続ける。

 

「……ごめん、これじゃ話できないから」

「えっ……」

 

 気付くと私は、和希の身体から無理やり引き離されていた。隠していた顔が露わになってしまう。

 

 

 

「っ!? み、見ないで下さいっ!!」

 

 

 

 恥ずかしい……。私は両手を顔の前でぶんぶんと動かす。ひとまずこうしていれば、真っ赤に染まった顔を見られることはないだろう。

 しかし、和希はそんな私の腕をガシッと掴んだ。

 

 

 

「海未、今はちゃんと顔を見て話したい!」

 

 

 

「っ!?」

 

 

 

 彼が発した強い意志のこもった言葉に、私の抵抗が止まる。

 そのままおずおずと顔を上げると、同じく真っ赤な顔で私を見つめる和希と視線が絡まり合った。

 

 

 

『………………』

 

 

 

 ドクンドクンと、早いリズムを刻んでいる鼓動。真剣な瞳で私を見つめてくる和希。

 

 心臓がきゅぅと締め付けられ、張り裂けそうな想いが奥底から湧き上がってくる。

 既に周りの喧騒は聞こえなくなっていた。

 

 

 

「海未……俺は、その」

 

 

 

 和希の声しか聞こえない。和希の姿しか目に入らない。

 

 今は和希のこと以外、考えたくない。

 

 

 

「は、はい……」

 

 

 

 潤んだ瞳で彼の事を見つめ、次の言葉を待つ。

 もう、顔を見られたら恥ずかしいとか、そんな事はどうでもよくなっていた。

 

 

 

「えっと、俺は……う、海未の事が」

 

 

 

 一つ一つ、ゆっくりと言葉を発する和希。私は、胸の前でギュッと両手を握り締める。

 

 ……期待していいんですよね? 私の気持ちと和希の気持ちが、同じだと思ってもいいんですよね?

 

 あなたに、恋をしていてもいいんですよね? 

 

 私は和希の事を見つめ続ける。

 

 

 

「海未のことがす――」

 

 

 

 和希が大切な言葉を言いかけた、まさにその時だった。

 

 

 

ガタタッ!

 

 

 

『っ!?』

 

 

 

 突然の物音に、先ほどまで流れていた甘い空気が霧散する。

 

 い、いったい誰ですか、私たちの邪魔をしたのは! そのまま物音のした方へ視線を移すと、

 

 

 

『あっ……』

 

 

 

 先ほど自分のクラスへ戻ると言っていたことり、そしてやっちゃったという顔でこちらを見つめる穂乃果の姿。そして、ちらほらとクラスメイトの姿も見える。というか、ほぼ全員が私たちのやり取りを覗いていた。

 

 私たちと視線が合うと、全員が「あはは……」と気まずい笑みを浮かべ、わざとらしく視線を逸らす。

 

「はぁ……」

 

 やりきれないという風にため息をつく和希。こめかみが若干ぴくぴくと動いているところをみるに、とても怒っているようです。

 まぁ、あの場面を邪魔されたのですから、当然ですよね。……怒っているのは私も同じですが。今は恥ずかしさよりも、怒りが勝っています。

 

「……海未、ごめん。この続きはまた別の時でいいか?」

 

 掴んでいた手を離して和希が問いかけてくる。

 

「……はい、構いませんよ。どうせこの状況で話なんて、できるはずがありませんから」

 

 許可なく覗いていた人たちにお説教をしなくてはいけませんからね。

 二人で頷きあった後、許可もなく覗いていた野次馬共に視線を向けます。

 

 

 

「穂乃果、ことり? 一体何をしているのですか?」

 

 

 

 ニッコリと気持ち悪いくらいの顔で微笑むと、二人が「ひぃっ!?」と短い悲鳴を上げる。まるで化け物を見た時のような悲鳴だ。

 

 

 

「オイコラ。首謀者は手をあげろ。というか、何時からいた?」

 

 

 

 和希も怒りのオーラを隠そうともせず、クラスメイト達に近寄っていく。

 金髪の不良、更に執事服というだけあって、怒った時の迫力は相当の物がありますね。目力が半端じゃありません。

 

 そんな和希にクラスメイト達は、

 

「い、いや、俺はこいつから誘われただけで……」「はぁっ!? 俺は誘ってないだろ!?」「見苦しいよ、二人とも。さっさと罪を認めたほうが楽にな……」「てめぇ、逃げる気かよ!?」「そ、そもそも、結構な人数で覗いていたのに気付かない、和希君が悪いと思いまーす!」「そうだ、そうだ! あんな恥ずかしいことしておいて、今更だよ!」

 

 見苦しい言い訳を重ね、最終的にはみんなで開き直ってしまった。

 しかし、そんな事で許す和希ではない。

 

「……お前ら、そこに正座」

『…………はい』

 

 一人の圧力に屈するクラスメイト達およそ30名。しょぼんと俯きながら正座をする姿は、何だか間抜けに見えます。

 そんな私の視界の端で、こそこそと逃げ出そうとする二人。

 

「穂乃果にことり? 一体どこへ行こうとしているのですか?」

「う、海未ちゃん! ここは穏便にね?」「そ、そうだよ海未ちゃん。別に穂乃果だって見たくて見たわけじゃ……」

「正座、してください」

『…………はい』

 

 問答無用で二人もその場に正座をさせる。

 

 結局、私と和希の説教が終わったのは三十分後だった。わ、私たちの大事な瞬間を邪魔したのですから、当たり前ですよね。

 ちなみに説教後、クラスメイト+幼馴染二人が足の痺れに苦しんでいたのは自業自得です。

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

 波乱に満ちた文化祭準備期間もほとんどが終了し、今日は遂に文化祭の前日。その夜に突入していた。

 どのクラスも最後の追い込みとばかりに、気合をいれて制作物の作成に力を入れている。

 みんな疲れているはずなのだが、アドレナリンが出ているらしく、どのクラスからも楽しそうな声が聞こえてきていた。

 

 もちろん、俺たちのクラスも例外ではない。

 

「い、いらっしゃいませ、お嬢様? どうぞ、こちらの席へ?」

「ストップ、ストォーップ! 和希君、どうして全部の言葉が疑問形なの? それじゃあ、お嬢様は満足してくれないよ」

 

 実行委員から檄が飛び、俺は頭をかく。クラスの準備と並行して行われていたのが、明日の接客練習だった。

 しかし、見ていれば分かる通り、俺は執事の経験なんてあるわけがないので、演技が酷いものとなっている。

 これでも精一杯やってるんだけどなぁ。ほんと、俳優さんは凄いと思う

 

「お、お帰りなさいませ……ご、ご主人……さま」

「海未ちゃーん、恥ずかしいのは分かるけど、もっと大きな声で! それじゃあ、ご主人様が満足してくれないよ」

 

 こちらもこちらで苦戦しているようだ。顔を真っ赤にした海未が、同じく実行委員から苦言を呈されている。

 まぁ、海未は極度の恥ずかしがり屋だし、メイド服も着てるからある意味しょうがない。多分、穂乃果とかことり相手なら何とかなると思うんだけど……。

 

 というか、実行委員の格好が腹立つな。映画監督っぽい帽子をかぶり、サングラスをかけ、メガホンを持ち、足を組みながら指示を出している。

 お前は何時からそんなに偉くなったんだよ! 

 

 その後、特訓のかいあって、俺の演技力は何とか見れるようにはなった。問題は海未で、

 

「うーん、クラスの男子相手で恥ずかしがってちゃ、明日はどうなるんだろう?」

「す、すいません……」

 

 やっぱり恥ずかしさが取れないらしい。申し訳なさそうに頭を下げている。

 

 クラスの男子相手に練習しているらしいが、それでも顔を真っ赤にしてもにゅもにゅしているからな。実行委員が頭を悩ませるのも無理はない。

 穂乃果とかことりなら、うまいことメイドさん役をこなすと思うんだけど……。そこでクラスの中から声が上がる。

 

「ねぇ、一回和希君相手に接客練習させてみたら?」

「お、おれっ?」「か、和希にですか!?」

 

 思わず素っ頓狂な声を出してしまった。いや、だってねぇ……。

 クラスの男子で緊張してるのなら、俺がやっても結果は変わらない気がする。

 

「も、もう少しいい考えがあるだろ?」

「そ、そうですよ! 別に和希である必要は……」

 

 そんな俺たちの気持ちとは裏腹に、その作戦はクラスのみんなには好意的に受け止められたらしい。

 

「よしっ! 取り敢えず、その作戦で接客練習してみよう。じゃあ二人とも準備して!」

 

 見事に俺と海未の意見は無視された。結局、実行委員に指示されるまま、俺は一度廊下に出る。

 どうでもいいけど、執事を接客するメイドってかなりシュールだな。なんて考えていると、教室内からお声がかかったので扉を開けて中に入る。

 

 

 

「おかえりなさいませ、ご主人様♡」

 

 

 

 甘い声に、やわらかい笑み。そして、洗練されたメイドと仕草。一瞬、本物のメイドさんに挨拶をされたのかと思った。

 

「あ、はい、どうも、帰ってきました」

「それではこちらの席へどうぞ」

 

 先ほどとは、まるで別人のように接客をこなす海未。そのおかげで、へんてこな挨拶をしながら着席する羽目になった。動揺しているのがまる分かりである。

 

「ご注文はどうなさいますか?」

「え、えっと……それじゃあコーヒーを」

 

 声が上ずってしまった。は、恥ずかしい……。

 

「はい、コーヒーですね。かしこまりました」

 

 顔を赤くしている俺に、にっこりと海未が微笑む。その可愛らしい姿に、鼓動が早くなる。メイド服姿の海未は、俺に対して効果抜群だったらしい。

 その後も問題なく、接客業務をこなしていく。最後まで接客をこなした時にはクラスメイトから拍手をもらうほどだった。

 

「凄い、すごいよ海未ちゃん! パーフェクトだよ!! これなら明日の本番も問題ないね!!」

 

 実行委員が興奮気味に、海未の肩をバシバシとメガホンで叩く。そして、なぜか俺もバシバシと叩かれる。しかも頭……。結構痛かった。メガホンで人を叩いちゃいけない。

 

「と、取り敢えず、うまく接客出来て良かったです」

 

 ホッと息を吐く海未。そんな彼女に、一人が疑問を投げかける。

 

「でも、どうして和希君とだとうまくいったのかな? 他の男子と大して違いはない気がするんだけど」

 

 そう言われてみれば、そうかもしれない。海未も問いかけに首を傾げ……ぽそっと口をひらく。

 

 

 

「……多分、和希だったからだと思います」

『…………』

 

 

 

 俺だけでなく、クラスメイト全員がシーンと静まり返った。まぁ、あんなことを言い出せばある意味当然だろう。

 しかし海未はその変化に気付かない様子で、

 

 

 

「和希が相手だとすごく安心できて、接客もしやすくて、楽しくて……。うまく言い表せないんですけど……和希だけが私の特別、みたいです」

 

 

 

 少し顔を赤くして、でもどこか嬉しそうに、とんでもなく恥ずかしい事を口に出した。

 幸せそうに微笑む海未。その笑顔を見た瞬間、教室中から『はぁ……』とため息をつく声が聞こえてくる。

 

「もう、どれだけ私たちに見せつけてくるのよ……」「今の海未ちゃん、何も計算してないからすごいよね」「破壊力が段違いだ……はやく付き合えよ!!」「何度も俺に青春を見せつけてきやがって……」「グボハァッ!!」「先生!! ○○君の口と鼻から、大量の血が噴出しましたぁああ!!」

 

 可愛すぎる海未に、騒がしくなる教室内。血を口から鼻から噴き出したやつは大丈夫なのだろうか? 

 

 一方、海未から恥ずかしいことを言われた俺も例外に漏れることなく、顔を真っ赤にして俯いていた。

 

「か、和希? どうして顔を真っ赤にしているのですか?」

 

 少し慌てた様子で俺の元に駆け寄る海未。この無自覚ちゃんが……。

 

 

 

「……海未があまりに可愛いことを言うからだよ」

「か、かわっ!?」

 

 

 

 お返しとばかりに呟くと、今度は海未の顔が真っ赤になる。

 

「い、いい、いきなり何を言い出すんですか! こんな人前で!!」

「こんな人前で、あんなセリフを吐いた海未にだけは言われたくない」

「あんなセリフって……私は何も変なことを言っていませんよ! ただ、思ったことをそのまま口に出しただけであって……」

「それが大問題なんだよ。海未のばーか」

「な、なぁっ!? バカって言うほうがバカなんですよ! 和希のばーか、ばーか!!」

 

 ムキになって言い返してくるが、「ばーか」の言い方が可愛すぎ。ほんと、恋をすると相手のどんなことでも可愛く見えてくるから不思議である。

 うっすら笑みを浮かべていると、

 

「どうして笑っているのです!? 私は怒っているのですよ!!」

「はいはい、海未ちゃんは可愛いねぇ~」

「絶対、私の事を馬鹿にしていますよね!?」

 

 ……久しぶりだな。海未とこんな風にギャーギャーと言いあうのも。顔を真っ赤にして、猫のように唸る海未を見てそう思う。

 

 好きになってからというもの、海未とこうして口喧嘩をすることなんてほとんどなかったからな。

 たまになら、こうして喧嘩するのもいいかもしれない。毎日は勘弁だけど……。

 

「和希っ! 私の話を聞いているんですか!?」

 

 やれやれ、うちのお姫様が話を聞いていないからって、大変ご立腹のご様子だ。

 俺はそんな可愛いお姫様に、ごめんと手を合わせる。

 

「わりぃ、何にも聞いてなかった!」

「全く、和希は本当に仕方ないです! もう一度言いますから、ちゃんと聞いていてくださいね?」

 

 そこから海未にお説教らしきものをありがたく頂戴したのだが、ありがたく頂戴した割に、全く頭に入ってこなかった。

 まぁ、海未が終始満足そうだったので、気にしないことにしよう。

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

 あれからクラスメイト達も回復し、一時間以上作業を進めていたのだが、

 

「海未ちゃんに、和希君。まだ準備は終わってないけど、一度休憩して来たら? まだ二人とも、シャワーだって浴びてないでしょ?」

 

 またまた登場の実行委員から、休んだほうがいいと声がかかる。

 確かに言われた通り、俺と海未はあれからまともに休憩をとっていない。頭もボーっとしてきているので、休憩という提案はとてもありがたかった。

 

 ちなみにこの音ノ木坂。文化祭の前日はお泊りあり。しかもシャワー室が解放されたり、タオルや布団の貸し出し、ちょっとした軽食が支給されたりと、なかなかの大盤振る舞いだった。

 更に、洗濯機や乾燥機なんかもあったりと、ちょっと普通の学校とずれていたりする。まぁ、流石に着がえとかは持ってきているので洗濯機、乾燥機はあまり使うことはないんだけどね。

 

 そんなわけで、文化祭前日はよっぽどのことがない限り、生徒は誰も家に帰ったりしなかった。

 

「俺は休憩したいけど、海未はどうする?」

「私もちょっと疲れてしまいましたから、休憩したいです」

 

 普段よりもトロンとした瞳で海未が答える。

 海未は寝るのも早いからな。今の時間ですら、きついのだろう。

 

「うんうん、準備はこっちで進めておくから、まずはシャワーから浴びてきたら? 今はちょうど人があまりいない時間帯だと思うし」

「じゃあ、お言葉に甘えて」

 

 実行委員に促されるまま、俺たちはシャワー室へ。

 

 初めてシャワー室を使ったのだが、滅茶苦茶綺麗で驚いた。シャンプーやリンス、洗顔料まで常備されているし。

 カネのかけどころが違う気がしないでもないけど……。まぁ、汚いよりは綺麗な方がいいし、不便よりは便利な方がいいからな。気にしない、気にしない。

 

 手短にシャワーを済ませ、近くにあったソファに腰掛けて海未を待つ。うわっ、このソファもふかふかだ……。だから、カネのかけどころが(ry。

 

 

 

「すいません、和希。お待たせしてしまって」

 

 

 

 数分後、シャワーを浴び終えた海未が、ソファに座る俺の元に小走りでやってくる。

 

「おうっ、全然待ってないから大丈夫だよ」

 

 そのまま俺たちは並んで歩き始める。しかし、好きな人のシャワー後って相当やばかった。一応、家でもたまに見かけたりするのだが、学校という特殊なシチュエーションのお蔭で、より一層彼女の事が魅力的に見えてしまう。

 

 しっとりと少しだけ濡れた髪に、桜色に染まった頬。ショートパンツからのぞく、瑞々しく真っ白な生足。

 俺は何を隠そう足フェチなので、彼女のすらっとした長い足を見るだけで思わず生唾を飲み込んでしまう。

 

 

 

「か、和希……そ、その、あまりじろじろ見られると、恥ずかしいです///」

 

 

 

 どうやら、彼女の事を凝視しすぎたみたいだ。海未が恥ずかしそうに、もじもじと足をすり合わせる。

 うん、どこを凝視していたのかも完璧にばれていた。

 

 

 

「……本当にごめんなさい」

 

 

 

 誠心誠意を込めて頭を下げる。

 これからは不用意に見つめないよう、努力しなきゃな。いや、努力する必要なんて全くないんだけど……。

 

 その後は極力、海未の身体(特に足)を見ないよう注意しつつ、教室まで戻る。

 

「お帰り~、二人とも」

「悪いな、準備を任せちゃって。それで俺たちも準備に戻るけど、どこを手伝ったら――」

「あっ、二人はもう二時間くらい休んできて大丈夫だよ。二人は明日の主役だし、倒れられても困るしね。それに準備だってこの通り、順調に進んでるから」

 

 実行委員が得意げにクラスを指差すものの……絶対に順調じゃないだろ。

 女子はまだいいけど、男子はもれなく全員の顔色が悪い。というか、ゾンビみたいな顔をしている。

 まぁ、結構な重労働を男子一同は請け負ってきたからな。疲れるのも当然だろう。

 

「いやいや! そんな半分死にかけの男子たちを見て放っておけるかよ!」

「そうですよ! 私たちはまだまだ元気ですから、むしろ男子の皆さんを休憩させてあげて下さい」

 

 クラスの状況を見かねた俺と海未が声を上げるも、実行委員は頑として首を縦に振ろうとしない。

 それどころかゾンビ化した男子からも「俺たちは大丈夫だ。問題ない」と力のない声が上がる。

 力のこもっていない時点で大問題なのだが、彼らの意志は固く、実行委員同様全く折れる気配がない。

 最終的にはクラスの女子たちも参加してきて――

 

 

 

 

 

「ほ、本当に良かったのでしょうか?」

「絶対に良くなかったとは思うけど、俺たちが休まないといつまでたっても準備が進まなかったと思うし……」

 

 俺と海未はタオルケットのようなものと、二人分のクッションを持たされ、空き教室の休憩スペースに押し込まれていた。

 この時点でクラスメイトの考えはある程度分かっていたが、あえてツッコむ様なことはしなかった。あいつらも、あいつらなりに応援してくれているのだろう。まぁ、遊ばれているだけかもしれないけど……。

 

 なんて思いながら床にクッションを敷き、壁にもたれかかるようにして腰を下ろす。海未も俺に倣うようにして、腰を下ろした。

 

「……それにしても、和希とこうして文化祭の準備をしているだなんて、すごく不思議ですね」

「確かに、出会った頃の俺たちからしたら、考えられないもんな。今みたいに仲良く隣り合って座っている事とかも」

 

 まだ半年ほどしか経っていないが、いがみ合っていた日々がすごく懐かしく感じる。それだけ俺と海未のこれまでは、とても濃い日々であったということだろう。

 

 

 

「……なぁ、海未」

 

 

 

 何気ない会話を交わしていた最中。俺は覚悟を決めて口を開く。

 本当なら、文化祭が始まる直前にでも言おうと思ってたんだけどな。何時誘っても変わらないし、今なら誰にも邪魔されないだろう。

 

 

 

「どうしたんですか?」

「……海未は後夜祭、誰かと過ごす予定はある?」

 

 

 

 鈍感な海未でも、流石に今回は分かってしまったらしい。

 彼女の頬が少しだけ赤く染まる。

 

 

 

「……と、特に予定はないです」

 

 

 

 恥ずかしそうに俯く海未に、俺はふぅと息を吐いた。取り合えず、予定はないみたいで一安心。

 これで予定が入ってるとか言われたら、俺の計画が全て台無しだったからな。……この前は計画関係なしに、告白しそうになったけど。

 

「それじゃあさ、その時間を少しだけ貰ってもいいか? あの時、最後まで言えなかったことを、改めて言い直したいんだ」

「わ、分かりました……」

 

 海未がこくんと頷く。そして顔をあげると、俺に向かって僅かに微笑を浮かべた。

 

 

 

「待ってますからね?」

 

 

 

 ……表情といい、言葉といい、俺の事を殺しにかかっているとしか思えない。ほんと、ずるいなぁ……。

 

 もっと好きになっちまうよ。

 

 

 

「よしっ、話も済んだことだし少しだけ休ませてもらうか」

 

 俺は熱くなった顔を手で仰ぎながら、タオルケットを海未の身体にかける。

 

「ほら、風邪ひいちゃいけないからな。ちゃんとかけて寝ろよ?」

 

 10月の夜はわりと冷えるし、風邪をひかれても困るしな。俺は男だし、タオルケットがなくても多分、問題ないだろう。根拠は何一つないけど。

 しかし、海未は少しだけむすっとした顔になる。

 

「な、何かお気に召さないことでも?」

「……これでは和希が風邪をひいてしまうかもしれないじゃないですか」

「い、いや、俺は丈夫だし、別にかけてなくても大丈夫……」

「和希が大丈夫でも、私が嫌なんです!」

 

 そう言って海未は俺との距離をさらに詰めると、二人の身体を覆うようにしてタオルケットをかけ直した。

 二人の体温がタオルケットの下で混ざり合う。正直、これは想定外だった。

 

 俺が驚きを隠せないでいると、

 

 

 

「こ、これなら、二人で一緒に、温まれるでしょう?」

 

 

 

 上目遣いで俺を見つめてくる。恥ずかし気に俺を見上げる彼女はとても可愛かった。

 

 全く……これだから海未には敵わない。

 

 

 

「……サンキュな、海未」

 

 

 

 赤く染まった頬を隠すように、俺は彼女の頭をポンポンとなでる。

 

 

 

「……どういたしまして」

 

 

 

 返事をする海未はいつもよりも嬉しそうに微笑んでいた。

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

「やっほー、海未ちゃん! 疲れてると思って、穂乃果の家のお饅頭をおすそ分けに来た……って、あれ? 海未ちゃんも和希君もいない」

「えっ……あっ、本当だ。海未ちゃんも和希君も、どこに行っちゃったんだろう?」

 

 クラスの出し物がひと段落した穂乃果たちは和希たちのクラスにやって来たのだが、肝心の二人がどこにもいない。

 キョロキョロとあたりを見渡していると、クラスの中の一人が彼女たちに気付き、声をかける。

 

「二人とも、誰かをお探し?」

「うん! 海未ちゃんと和希君を探しにきたんだけど……」

 

 穂乃果たちが二人を探していると告げると、クラスメイト達が一斉にニヤニヤとし始めた。

 意味が分からず首をかしげる、穂乃果とことり。

 

「どうかしたの?」

「まぁ、その事は実際に現場を見せたほうがいいかな? 二人とも、こっちだよ!」

 

 言われるがままに引っ張られていく。そして彼女が連れて行ったのは、休憩スペースとして提供されている空き教室だった。

 

「こんなところに連れてきて、一体何が……あっ!」

「わぁっ♪」

 

 二人が楽しそうな声を上げる。その視線の先には、

 

『すー……すー……』

 

 肩を寄せ合って眠る、和希と海未の姿があった。仲良く同じタオルケットにくるまって眠っている。

 

「二人とも、すっごく仲良しだね!」

「ふふっ! そうだね穂乃果ちゃん♪」

 

 眠る二人を見てほっこりする穂乃果とことり。

 

「穂乃果ちゃん、二人のタオルケットをめくってみなよ!」

「えっ? そんなことしてもいいの?」

「いいの、いいの。問題なし! それにクラスメイトは全員見ちゃったし、今更だよ」

 

 果たしてそれがいいのかどうかは分からないが、気になる二人は言われるがままにタオルケットをめくる。

 

 

 

『わぁっ!』

 

 

 

 穂乃果とことりが同時に声を上げた。

 

 タオルケットをめくった先にあったのは……しっかりと繋がれた二人の手だった。

 しかも、恋人繋ぎというおまけつき。

 

「いや、二人の様子を見に来た人が何となくタオルケットをめくったら、こんなことになっててね。繋ぎ合って眠ったのか、無意識なのかはわからないけど、相変わらず見せつけてくれるよ」

 

 穂乃果たちを連れてきたクラスメイトが呆れたような声を出す。

 

「うーん、穂乃果はきっと、無意識につないだと思うけどな~」

「二人が起きている時につなぐとも考えられないしね。海未ちゃんは恥ずかしがり屋だし、和希君は意外とヘタレだし」

 

 和希が起きていたら確実にへこむであろうことを口にすることり。

 それを聞いた穂乃果は、困ったような表情で笑っている。

 

「さて、これ以上は二人が起きちゃうかもだから」

 

 そう言ってタオルケットをかけ直す。だったら最初から何もするなよというツッコミは禁止。

 

「それにしても、本当に二人とも起きないねぇ。海未ちゃんは知ってるけど、和希君もだなんて」

「寝つきがいいのもあるかもしれないけど……ことりはそれ以上に理由があると思うな」

 

 

 

 ことりの言う通り、和希と海未はとても幸せそうな寝顔を浮かべていた。

 そんな二人を満足げに眺めた後、三人で空き教室を後にする。

 

 

 

「あっ、そういえば和希君と海未ちゃんの事を写真に収めておいたんだけど……二人とも欲しい?」

『欲しいっ!!』

 

 

 

 

 

 和希と海未が起きた後、クラスラインには二人寄り添って眠る二写真が何枚も貼られており……。

 二人が顔を真っ赤にして激怒したのは言うまでもないだろう。




 今回も読了ありがとうございます。そして、感想やお気に入り、評価をありがとうございます。感想なんかは毎回、楽しく拝見させてもらっております。
 さて、この物語もあと2話ぐらいでラストを迎えるんじゃないかと思います。まぁ、本当に2話で終わるか怪しいですけどね。

 まぁ、そんな感じで進めていきますが、最後までお付き合いしていただければ幸いです。


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17話 真面目な彼女と文化祭の一日目を過ごした

 やったね、今回も無事に一万文字越えだよ!

 とまぁ、一万字越えはどうでもいいとして、今回はいつもに比べてイチャイチャが少ないことを謝罪しておきます。その代わりに文化祭の楽しい雰囲気が伝わってくれば幸いです。
 そのため、ブラックコーヒーでも飲みながらのんびり読んでいってください。


 

 

 

 そして迎えた文化祭当日。

 

「今日は待ちに待った文化祭当日です。皆さん、目一杯楽しんでください。しかし、羽目を外し過ぎないよう、節度を持って行動してほしいと思います」

 

 現在は講堂に全校生徒が集まり、文化祭の開会式を行っているところだった。ちなみに、今挨拶しているのは先日行われた生徒会選挙で見事、生徒会長に当選した絢瀬絵里先輩。

 

 モデルのような出ているところは出て、引っ込むところは引っ込むと言った完璧なスタイル。碧眼の瞳はまるで、宝石が煌めいているかのよう。

 更に、金髪ポニーテールというところも非常にポイントが高い。密かにファンクラブが存在しているというのも納得である。ほんと、女神がこの世に現れたらこんな容姿なんだろうなって感じの人。

 

 同じ金髪として親近感も沸くしな。まぁ、親近感とかは俺が勝手に思っているだけで、生徒会長もそう思ってくれているかは分からない。というか、絶対に思っていないだろう。面識もないしな。

 

 だけど、可愛さだけでいったら海未には敵わない。これ、とっても大事。

 そりゃ、スタイルとかでは多少劣っているかもしれないけど……それでもやっぱり海未の方がいいと思う。惚れた弱みってやつだな。

 

「和希、先ほどから生徒会長の事を熱心に見ていましたけど、どうかしたんですか?」

 

 どうにも女子って生き物は、視線というものに敏感らしい。隣に座る海未がキョトンと首をかしげる。

 一瞬、本当の事を言いかけ……急いで口をつぐんだ。自分で言うのもなんだが、ろくでもないことを考えていたわけだし。

 取り敢えず、適当なことを言って誤魔化しておくか。

 

「いや、新しい生徒会長の金髪がすごく綺麗だなぁって」

「……和希はやっぱり金髪のほうが好きなんですか?」

 

 海未が少し不満げな表情を浮かべる。

 よく分からないが、俺の返事が気にくわなかったらしい。き、金髪を褒めたのがいけなかったのかな? 

 

「い、いや、特別金髪が好きってわけじゃないぞ! たまたま俺と同じ髪色だったからであって……」

「別に怒っていないので、必死に弁明しなくて結構ですよ。でも、和希は金髪には目がない変態さんだった、ということがよく分かりましたから!!」

 

 めっちゃ怒ってるし、めっちゃ気にしてるじゃん! 女心は本当に難しい。

 ぷいっと顔を背ける海未に、どうしたもんかと腕を組む。……いや、まぁ、言うことは一つしかないと思うんだけどね。

 

 好きじゃない人の髪を褒めて好きな人が拗ねたら、好きな人の髪を改めて褒め直せばいい。だって人間だもの。……相田みつをさん。大変失礼なことをおっしゃってしまい、誠に申し訳ございません。

 名言みたいだけど、欠片も名言ではない。むしろ迷言である。

 

「…………」

 

 しかし、褒めてあげないことには状況が全く改善しないだろう。相変わらず海未は口をとがらせてむすっとしている。

 

 めんどくさいけど、可愛いなぁ畜生! ほんと、あんまり拗ねてるようなら、その尖らせた唇にキスしちゃうぞ? ……はい、そんな度胸があったらとっくに告白を済ませて付き合っています。

 

 俺はまごうことなき、ヘタレです。

 

「はぁ……」

 

 自虐をしたところで、頭をガシガシとかく。言わないと、海未はずっと拗ねたままだろうし……。

 

「俺は確かに金髪も好きだけど、その、う、海未の髪が一番好き……です」

 

 最後の言葉の声量が小さくなり、敬語になってしまうヘタレの鏡。ほんと、ことりとか裏で俺の事をヘタレ扱いしているに違いない。

 恥ずかしさと情けなさに、ため息すら出ない俺。

 

「……へ、へぇ、そうなんですか」

 

 海未がそっ気のない返事をする。しかし、その耳は真っ赤に染まっていた。

 髪の毛の先をくるくるさせているところを見るに、恥ずかしがっているのだろう。怒りのオーラも少なくなっているし、取り敢えず機嫌を直してくれたらしい。

 無事……ではないけど、拗ねているよりはよっぽどましである。

 

((和希と、海未さんや。たのむから、はよぅ付き合ってくれ……恥ずかしくて見てられん))

 

 クラスメイト達の声が聞こえてきた気がするけど、空耳だろう。……やけに悶えている気もするけど、多分俺の視力が悪くなっただけだろう。

 クラスメイトの挙動がおかしい中、生徒会長の話も終わり、文化祭一日目に突入していくのだった。

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

「よーし、今日は校内発表とはいえ、クラスの売上は全員で山分けだから、稼ぐだけ稼いで、打ち上げでパーッと騒ぐわよ!!」

『うぉおおおおお!!』

 

 実行委員の声掛けに、クラスの全員が拳を天へと突き上げる。

 

 ほんと、このクラスは無駄に結束力が高い。まぁ、俺も多分に漏れず拳を高々と突き上げているんだけど……。やっぱり沢山稼ぎたいしね。

 何時の時代でも、お金って人を動かす原動力になると思う。

 

「そして、クラス売り上げのキーマンとなるのが、和希君。それに海未ちゃんの二人よ! 心の準備はできてる?」

「サーイェッサー!」

 

 既に執事服への着替えを終えて準備万端の俺は、元気よく敬礼を繰り出す。ここまできたら怯んでいられない。今まで培ってきた練習の成果を前面に出すだけだ。

 

「の、ノリノリですね、和希は……」

 

 俺の姿を見て、海未は若干引いている。そんな彼女も、既にメイド服へと着がえを済ませていた。相変わらず、似合いすぎていて辛い。

 

 ちなみにもう分かっている通り、俺と海未は普通にお客さんの前で接客することになっていた。

 一応、実行委員には『裏方がいい!』って言ったんだけどね。俺も海未もお互いの姿を他の客に見られたくないわけだし……。

 

 だけど、そんな俺たちの思いも空しく、お願いは却下されていた。何でも、俺たちが前に出ないとお客が来ないかららしい。他のクラスメイトを信じてやれよ……。

 それでも渋っていたのだが、「お願い、後生だからぁああ!!」と泣きつかれ、最終的にこっちが折れる形のなったのである。

 鼻水まで垂らされたら仕方がない。というか、必死すぎて気持ち悪かった。

 

 その代わりと言っては何だけど、自由時間は二人一緒とさせてもらった。ここでも実行委員は、最後まで引き下がってきたけどね。こればっかりは譲れなかった。

 時間は1時以降。ちゃんと一緒に回ろうぜとお誘いは済ませてあった。めちゃくちゃ楽しみである。

 

「どうしたんですか、和希? ニヤニヤと……気持ち悪いですよ」

 

 顔をにやけさせていると、隣にいる海未から辛辣なツッコミが入った。泣きそう。

 

「……いや、何でもないよ」

 

 これで本当のことを言うと、また気持ち悪いと言われそうなので適当にはぐらかしておく。

 

「まぁ、深くは聞かないでおいてあげます」

「助かるよ……」

「ふふっ♪」

 

 へこむ俺を見て楽しそうな声を漏らす海未。そして、

 

 

 

「自由時間、楽しみですね♪」

 

 

 

 無邪気な笑顔を浮かべるのだった。

 

「……お、おぅ」

 

 これだから無自覚は怖い。何も計算されていないその笑顔に、俺の顔が一瞬にして熱くなる。

 

「二人とも、始まる前からイチャイチャしないの~」

『イチャイチャなんてしてない(です)!!』

 

 ジト目でこちらを見つめてくる実行委員(というか、クラス全員)に、二人の声が見事に被った。

 

 そんなこんなで、開店の準備を進める俺たち。一応、軽い軽食とかは十分すぎる位、用意してあるけど、実際の所どれくらいの人が来るんだろうな? 

 海未目当てに来た客は、片っ端から俺がぶっ飛ばす! 決意を新たにしている俺の耳に、

 

 

 

『それでは、第○○回、音ノ木坂学院学園祭をスタートします。皆さん、終了時刻まで目一杯楽しみましょう』

 

 

 

 と、アナウンスの声が聞こえてきた。それと同時にクラスメイトの数人が、宣伝用のパネルを持って外に飛び出していく。

 どうやら勧誘係りらしい。気合入ってるなぁ~。

 

「おーい、和希君。早速お客さんが来たから、接客よろしく!」

「はいよ~」

 

 勧誘係りに感心していたら、お客さん第一号が来店したらしい。俺は返事をしつつ、扉の元へ向かう。

 

 基本的に女子のお客さんの相手は男である俺たちが、男子のお客さんは海未たち女子が行うことになっていた。今回のお客さんは女子二人なので、男である俺が向かうというわけである。

 そしてやってきた女の子たちに、精一杯の営業スマイルを浮かべた。

 

「お帰りなさいませ、お嬢様。どうぞ、こちらの席へ」

 

 声もなるべく色っぽくしろとのことなので、自分ができる最大限に甘い声を出す。

 俺にしてみれば気持ち悪いことこの上ないのだが、女子からの反応は結構いいものとなっていた。海未も俺の声を聞いて、照れていたくらいだし。

 

『は、はい……』

 

 よかった。来てくれたお客さんもドン引くことなく、素直に従ってくれている。

 これで引かれたら執事服を脱ぎ捨て、教室の外へぶん投げていたところだったぜ。どっかの制服好きが、身を乗り出してまで拾ってくれそうだけど……。

 取り敢えず二人を着席させ、メニュー表を手渡す。

 

「こちらからメニューをお選びください」

 

 ちなみに、メニューと同時に何やら特典も選べるらしいのだが……俺はその特典とやらの内容を全く聞かされていない。それは海未も同様だった。

 正直、嫌な予感しかしない。ま、まぁ、変な特典はついていないだろうから、大丈夫大丈夫。

 きっとグッズとか、写真サービスとかだろう。

 

 

 

「それじゃあ、ケーキセットを二つと……特典は金髪執事からの壁ドンでお願いします!!」

「おいっ、ちょっと実行委員。こっちに来なさい。怒らないから」

 

 

 

 何一つ大丈夫じゃなかった。俺は元凶である実行委員を、ドスの利いた声で呼び出す。

 あの実行委員を少しでも信用した俺がバカだったよ……。

 

「一体何? 接客は練習した通りだよ?」

 

 めんどくさいという顔をしてやってきた実行委員を、思いっきり怒鳴りつける。

 

「接客の事を言ってんじゃねぇよ。俺が聞きたいのは、この特典のことだ!! なんだよ、金髪執事からの壁ドンって! 頭おかしいのか!?」

 

 俺が大声を上げると、実行委員は「ふふんっ!」と得意げに鼻を鳴らす。

 何も聞いてないけど、ぶっ飛ばしてやろうかな、こいつ。

 

「これがうちのメイド執事喫茶の見どころなんだよ! ただ、執事とメイドが接客するだけじゃつまらないからね!」

「確かにつまらないけど……特典をやらなきゃいけない、俺たちの気持ちを考えてくれ! 海未を見てみろ! 衝撃の事実に、顔を真っ赤にして固まってるじゃないか!!」

 

 指さす方で、海未が口をパクパクさせて固まっていた。

 ただでさえ恥ずかしがりやな海未にとって接客業はハードルが高いのに、これ以上ハードルを上げてどうするんだよ!!

 

「大丈夫、やってみれば何とかなるって! やらない後悔より、やる後悔だよ!!」

「あんたはいいでしょうね! 接客せず、裏に張り付いてるだけなんだから!!」

 

 実行委員が、ここまで身勝手だとは思わなかった。怒りで身体を震わせていると、追い打ちをかけるように実行委員が口を開く。

 

「ついでに勧誘係にも特典の事を中心に、勧誘をしてもらってるから! これでお客さんが大量に来ること間違いなしだね!」

「今すぐにでも勧誘係りを止めに行きたい気分だよ……」

 

 これはもう、どうしようもない。俺は、はぁとため息をつく。

 

 視界の端で海未が「勧誘係りを止めに行きます!!」と走り出そうとしていたが、クラスメイト数人によって取り押さえられていた。

 可哀想に……。強く生きるんだぞ、海未。

 

「ほらほら、ケーキセットの用意もできたことだし、覚悟を決めなって!」

「分かったよ! やりゃいいんだろ、やりゃ!!」

 

 やけくそ気味に叫んだあと、その顔をすぐに営業用に戻し、お嬢様方にケーキセットを持っていく。

 

「お待たせしました。ケーキセットです」

 

 その後、二人がケーキセットを食べ終わるまで別の人の接客をしながら待っていると、

 

「そ、それじゃあ、特典の方を……」

 

 僅かに頬を染めたお嬢様(お客様)が声をかけてくる。何回でも言うけど、本当にやるのこれ? 黒歴史確定じゃん……。

 

「………………」

 

 そんな期待を込めた瞳で俺の事を見つめないで! なんか、俺が悪いみたいだから!

 仕方がないと覚悟を決めた俺はお嬢様を壁際まで連れていく。

 

「そ、それじゃあ……」

「ひゃ、ひゃい!」

 

 うわぁ、緊張してんな。それでもやるしかない。

 俺は彼女の右耳辺りに、思いっきり右手をドンッと押し付ける。

 

 

 

「…………」

「…………」

 

 

 

 えっ、こっから先、どうすればいいの? 俺、何も聞いてないんだけど……。

 困った俺が視線を巡らせていると、実行委員がカンペらしきものをこちらに見せてきていた。

 

『そこで甘い言葉を囁いて!』

 

 その後には、しっかりと囁く言葉まで指定されていて……あいつ、マジで文化祭終わったら覚えてろよ? 

 視線を再び彼女に戻すと、俺は甘い? 言葉を彼女の耳元で囁く。

 

「他の男なんて見てんじゃねぇ。お前は……俺だけを見てろ」

 

 言ってみた感想。死にたい。あと、実行委員をビンタしたい。

 こんなの、とんだ公開処刑じゃねぇか!

 

「……は、はい///」

 

 しかし、壁ドンされていたお嬢様は顔を真っ赤にしてこくんと頷くだけ。う、うーん? 今ので本当に満足できたのかな? 

 ちらりと実行委員の方に顔を向けると、カンペで『バッチリ!!!!』と返してきた。どうやら満足してくれたらしい。

 

 

 

「…………」

「っ!?」

 

 

 

 もの凄い視線を感じて振り返ると、鬼のような形相をした海未と目が合い……ゆっくりと逸らした。

 よく分からんけど、後でちゃんと謝ろう……。自由行動の時、ずっと不機嫌だとたまらんし。

 

「じゃ、じゃあ、次は私にお願いします!」

 

 しまった。相手は二人じゃなかったっけ……。

 そのまま彼女も同じように壁際に連れていき、ドンッと壁ドンを敢行する。

 

(えっと、次の指示は……)

 

 カンペを確認すると、またしても黒歴史確定の言葉が綴られていた。そういう言葉はイケメンだから許されるんだよ! 

 軽くため息をついた後、再び気持ちを作る。今の俺はめちゃくちゃイケメン。金髪のイケメンだ……。

 

「そんなに可愛いことばっかり言ってると、その唇にキスしちゃうぞ?」

 

 今度は先ほどと別の意味で心を抉られる。タイプが違うと、傷つき方も違うんだな……。

 

「…………///」

 

 取り敢えず、今回も引かれなくて済んだみたいである。

 ところでさっきの女の子と言い、どうして顔を真っ赤にさせているんだろう? トイレにでも行きたいのか?

 

 

 

「…………」

 

 

 

 相変わらず背中に突き刺さる、凍てつくような視線。何となくドラクエに出てきそう。シリーズ一つもやったことないんだけどね! ポケモンとカービィなら死ぬほどやった。

 そんなドラクエとか、ポケモンとかは心底どうでもよく、海未の機嫌を何とかすることがとんでもなく憂鬱である。

 

『あ、ありがとうございました!』

 

 ぺこぺこと頭を下げながら出ていく二人を見送った後、俺はすぐさま海未の元へ――

 

 

 

「和希くーん! 次はこちらのお客様に特典をお願いね! 今度は顎クイをしてほしいんだって!」

「…………」

 

 

 

 人間、本当に絶望すると何も言葉が出てこないということがよく分かった。

 海未からの視線がより一層強くなる。俺には弁明する時間すらないというのか!? そもそも、特典って壁ドンだけじゃないのかよ……。今の俺は完全に歩く黒歴史である。

 

 その後、渋々お客様の元へ行き、強い気持ちを持って顎クイをさせていただいた。

 ちなみに、一日目が終了した後に聞いた事なのだが、時間によって男性、女性のお客さんを分けて集客していたらしい(俺は全く知らなかった)。

 

 つまり、開店直後の今現在、やたら女性のお客さんが多いのはそのためらしかった。それにしたって、俺ばかり呼ばれるのは納得いかないんだけど……。

 

「こっちだってお前ばっか呼ばれるのは納得できないんだよなぁ~? どうして俺たちには特典のお願いが来ないんだぁあああああ!!」

 

 なんか、ごめんなさい。後、うるさいから声量を押さえて。

 血眼で俺と見つめる男子たちに頭を下げた後、接客業に戻る。

 

 引き続き、壁ドンやら顎クイやらケーキを食べさせてあげるやら……精神がゴリゴリとすり減ったぜ。誰かさんの視線にもやられたし。

 そんなこんなで無事、女子パートが終了し、今度は野郎どもが雪崩のように店内に押し寄せてきた。むさくるしいったらない。まぁ、俺は裏に行って休むからいいんだけど。

 そのまま俺は、すり減った精神を休ませようと裏に戻り――

 

 

 

「す、すいません、こちらの特典をやってほしいんですけど」

「こ、これを、ですか!?」

 

 

 

 面白そうな声が聞こえてきたので、俺は回れ右をする。店内に視線を移すと、海未が真っ赤な顔でアワアワしているところだった。

 近場にいた実行委員に声をかける。

 

「女子の特典ってどんなのなんだ?」

「別に特段、変なのは入れてないよ。一緒に写真を撮ってあげるサービスだったり、『あーん♡』してあげるサービスだったり……」

 

 多少、モヤモヤするが致し方ない。俺も同じようなことをやっていたわけだからな。でも、それくらいなら海未があんな声を上げるもんかね?

 

「あと、本当のメイドカフェみたいに料理を運んできた後、『萌え萌えキューン♡』をやるサービスなんかも取り入れたりしたわね!」

 

 あぁ、絶対それだわ。海未があれだけテンパっている理由。俺が女だったとしてもやりたくない。

 メイドカフェにいるメイドさんは、あれを臆することなくやるんだもんな。ほんと、尊敬する。

 

「お願いします! どうか、お願いします!!」

 

 床に頭を擦り付けんばかりの勢いで土下座するお客さん。

 周りを見ると、同じように土下座をする人たちがちらほら……。クラスメイトの数人も頭を下げている。やべぇ、この空間に変態しかいない。

 変態共は、どんだけ海未の「萌え萌えキューン♡」見たいんだよ!! 俺も見たいけどさ! 

 

 しばらくの間、逡巡していた海未だったが、野郎どもの圧力に負けたのか胸の前に指でハートを作る。そして、

 

「お、おいしくなーれ、おいしくなーれ、も、萌え萌えキューン……うぅ~~~///」

 

 顔を真っ赤にして魔法の呪文を唱え終わった海未は、恥ずかしさのあまり両手で顔を覆い、その場にうずくまってしまった。

 それを間近で見ていたクラスメイトの間に、ポワンとした空気が流れる。

 

 

 

(か、かわえぇえええええええええ!!)

 

 

 

 

 恐らく、店内にいた全員がそう思っただろう。恥じらった仕草も相まって、とんでもない破壊力だった。

 

「あ、ありっ、ありがとう、ございましたぁああ!!」

 

 実際にやってもらった人なんか、感動のあまりむせび泣いている。

 そして、クラス内お客さんたちから『万歳!!』という声まで上がり始めた。つられて万歳をし始めるクラスメイト一同。

 ほんと、このクラスにはバカしかいない。

 

「バンザーイ!!」

 

 そう言ってる俺も万歳してるんだけどね! 雰囲気はこれぞ文化祭って感じだ。

 そんな俺の頭を、いつの間にか近くにやってきていた海未がバシンッと叩く。

 

「和希まで、なに悪乗りをしているんですか! 怒りますよ!!」

「いや、もう怒ってるじゃん……」

 

 叩かれた頭をさすりながらそう呟く。

 結局、この万歳は海未が『萌え萌えキューン♡』をするたびに行われるのだった。海未もなんだかんだ断らないあたり、偉いと思う。

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

「ま、全く、酷い目にあいました……」

「そう言うなって。俺としては十分面白かったし、可愛かったぞ?」

 

 そして自由時間。

 

 制服に着がえ直した俺は、海未と一緒に文化祭の雰囲気を楽しむべく、校舎の外をのんびり歩いていた。

 ここでは様々なお店が並んでいたり、勧誘の声が響いたりしている。

 

「……私は何も面白くありませんでした」

 

 ぷくっと頬を膨らませてそっぽを向く海未が可愛い。

 

「ごめんごめん。俺も笑っちゃったし、悪いかったよ」

「それもそうですけど……私は和希が他の女の子に壁ドンやら顎クイやらをしていたのが、すごく面白くなかったです」

 

 海未が拗ねたように呟く。

 

「えっと、それは俺に嫉妬してくれてるってことでいいのか?」

「っ!? べ、べべ、別に嫉妬だなんて…………」

 

 きっと図星なのだろう。海未の視線がせわしなく動いている。毎回思うけど、分かりやすいなぁ。

 まぁ、あれだけ凍てつくような視線を向けられたら、いやでも気づくぞ……。

 

 そんな彼女の頭をぽんっとなでる。

 

「まぁ、俺も海未があーんしてる姿とか見て嫉妬してたから、お互い様だよ」

「……だ、だから、別に嫉妬なんてしてないですよ」

 

 ここまで言ってもまだ、嫉妬していた事実を認めない海未。しかし、俺が嫉妬していたと聞いて、口元がゆるゆるに緩んでいた。

 可愛い彼女に癒されつつ、俺たちはお店を見ながら歩いていると、隣からぐぅと可愛い音が聞こえてきた。

 視線を向けると、真っ赤な顔でお腹を押さえる海未が目に入る。

 

「そういやまだ何も食べてないから適当に買って食べようか。……誰かさんもお腹がすいてるみたいだし」

 

 ニヤニヤと悪い笑みを浮かべる俺の右肩を、ポコポコと海未が叩いてきた。よっぽど恥ずかしかったのか、涙目になっている。

 

「ばかっ、ばかっ!! 今のは忘れてください!!」

「分かった、分かった。忘れてやるから、取り敢えず何か食べようぜ?」

 

 真っ赤な顔のまま無言でこくんと頷く海未。

 それを確認した後、近くにあった出店でたこ焼きを一パック。それと自販機で飲み物を二人分購入する。俺は炭酸飲料。海未はお茶にしておいた。確か海未って炭酸が苦手だったはずだし。

 たこ焼きと飲み物を持って俺たちはベンチに腰を下ろす。

 

「たこ焼きと、飲み物はお茶でよかったか?」

「は、はい。大丈夫です。ありがとうございます」

 

 俺からたこ焼きとお茶を受け取り、海未が頭を下げる。

 そして、きちんと「いただきます」と手を合わせ(こういう所は流石だと感心する)、たこ焼きを頬張った。

 

「あっ、意外とおいしいですね! 文化祭のモノというだけあって、あまり期待はしていなかったんですけど」

「うん。素直なのはいいけど、もう少し声を抑えてください。さっきのお店からあんまり距離がないから」

 

 チラッとお店の方に視線を向ける。幸いなことに俺たちの会話は聞こえていなかったらしく、お店の人は黙々とたこ焼きづくりに熱中していた。

 ふぅと息を吐いた後、俺は何気なくたこ焼きをもぐもぐと頬張る海未を見つめる。

 

 美味しそうに食べているのだが、たまに唇をペロッと舐める仕草がなんとも艶めかしい。

 

「どうかしたんですか、和希?」

 

 しまった。どうやら、またしても海未の事を見つめすぎてしまったらしい。首をかしげる海未に、ダラダラと冷や汗を流す。

 唇を舐める仕草が艶めかしかったなんて、口が裂けても言えない。下手したら変態扱いされてしまう。

 そんな俺に海未の目がスッと細められる。や、やばい。バレた?

 

 

 

「和希……もしかして、たこ焼きを食べたかったんですか?」

 

 

 

 よかった。取り敢えず、ばれていなかったらしい。

 正直、俺はそこまでお腹が減ってなかったので、食べたいわけではないんだけど……。

 

「ま、まぁ、そんなところかな。あ、あはは……」

 

 海未の勘違いに便乗して、乾いた笑いを浮かべる。そんな俺に海未は、

 

「それじゃあ……はい」

 

 タコ焼きに爪楊枝を指して、それを差し出してきた。何事だと固まる俺。

 数秒後、どうやら海未が俺に食べさせてくれようとしていることに気付く。

 

「えっと、これは、その……」

 

 周りにちらほらと人がいる分、結構恥ずかしい。

 俺が差し出されたたこ焼きを前にまごついていると、

 

「た、食べさせてあげようとしているのですから、は、はやく口を開けてください!!」

 

 海未が真っ赤な顔で大きな声を出す。恥ずかしいのは彼女も一緒らしい。

 恥ずかしいのなら、無理してやらなきゃいいのにと言ったら、弓道の矢で射抜かれそうだ。

 

「あっ、はい!!」

 

 俺も覚悟を決め、口を開く。

 

「あ、あーん……」

 

 「あーん」って言うの止めて! キュンとしちゃうから!! 

 それに加えて、上目遣いと真っ赤に染まった頬というコンボをくらい、瀕死一歩手前まで追い込まれる。

 しかし、こんなことで死ぬわけにはいかないので、口を開け続ける。そして、口の中にたこ焼きがゆっくりと入ってきた。

 

「…………」

 

 もぐもぐと、たこ焼きを咀嚼する。しかし、全くと言っていいほど味が分からない。

 

 よく漫画とかで、好きな人にあーんされると味が分からなくなるとか言ってる描写があるけど……それは正しいことだと、今この場で証明された。

 

「お、美味しいですか?」

 

 だから、味なんてさっぱり分かりません!

 

 

 

「ごめん、美味しいのかどうか全然で……海未の『あーん……』が強烈すぎたから///」

「はぇっ!?///」

 

 

 

 あ、あれっ? 俺、今心の声をそのまま口に出してた? 

 それについては、目の前でアワアワしてる海未を見ていれば一目瞭然だろう。頭から湯気を出さんとする勢いで、顔が真っ赤になっている。

 

 余計な一言で気まずくなった俺たちは、お互い真っ赤な顔で正面を向いた。

 

 

 

『…………』

 

 

 

 数分に渡って、俺たちの間に沈黙が流れる。

 

 しかし、その沈黙を破るようにして海未がこてんっと、俺の肩に頭を預けてきた。

 

 

 

「ど、どど、どどど、どうしたんだ!?」

 

 

 

 突然のことに、言葉を詰まらせる。今度はこっちがアワアワする番だった。

 そんな俺に向かって海未は、ゆっくりと口を開く。

 

 

 

「いえ、特に理由はないんですけど……ただ、こうしたくなったので」

 

 

 

 なにその可愛い理由? ふわっと香る彼女の甘い香りがより一層強くなる。

 

 

 

「……私、文化祭が始まる前までは少し不安だったんです。本当にちゃんと接客ができるのかなとか、文化祭をちゃんと楽しめるのかなって」

 

 

 

 そんな事は少しも感じなかったけど……。海未も海未で緊張してたんだな。

 

 

 

「ごめん、全然気づかなかったよ」

「顔に出していませんでしたからね。でも、今はもうそんな事は考えられません。すごく文化祭を楽しめています。だって……」

 

 

 

 そこで海未がちょいちょいと制服の端を引っ張ってくる。

 

 

 

「どうしたんだ――」

 

 

 

 

 

「和希とこうして、文化祭を一緒に過ごせているんです。楽しくないわけがないじゃないですか。……和希と一緒だから、文化祭が楽しいです。和希と一緒に居るこの時間がすごく……幸せです」

 

 

 

 

 

 ふわっと、花が咲いたような笑顔を海未が浮かべる。

 

 

 

 振り返るタイミングを計ったかのように浮かべた笑顔に、俺は釘付けになった。

 ばっくんばっくんと波打つ鼓動。可愛いのはもちろん、何より幸せだと言われたことが一番嬉しかった。

 

「……そりゃ、よかったよ」

「ふふっ♪ 和希ってば、照れてます?」

「照れてねぇ!!」

 

 その後は別のクラスの出し物を楽しんだり、行動で行われていた劇を鑑賞したりした。二人での時間は楽しく、海未の言う通り幸せを感じる。

 

 こうして初めての文化祭。その一日目が終わっていった。

 

 明日は文化祭二日目。その後には後夜祭が控えている。

 

 そう、海未に告白すると決めた後夜祭が。

 

 

 




 今回も読了ありがとうございます。そして、感想やお気に入り、評価をいつもありがとうございます。前話がランキング入りしており、感謝以外ありえません。
 さて、次回は最終話になります。ここまで応援して下さった方には感謝してもしきれません。
 色々言いたいことはありますが、取り敢えず最終話をかき終えてから色々言いたいと思います。
 それでは、最終話まで付き合ってもらえれば幸いです。


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最終話 前編 真面目な彼女に告白をして……

 遅くなったあげく、最終話を前後編に分けるという始末……。
 前編は後編までのつなぎだと思って下さい。


 そして、運命? の文化祭二日目。

 

「今日は一般客も多く訪れる文化祭二日目だからね! 稼いで稼いで、稼ぎまくるわよ!!」

『おぉーーー!!』

 

 金に目のくらんだ文化祭実行委員に、同じく金に目のくらんだクラスメイト達がこぶしを突き上げる。良い雰囲気だと言われればそれまでなのだろうが、欲望が前面に押し出されているため、素直に賛同できない。

 そもそも、今の俺にはクラスのノリについていけるほど、心に余裕がないのも事実である。

 理由はもちろん、後夜祭で海未に告白しようと思っているから。

 

(はぁああああ~~~。胃が痛い……)

 

 昨日までは何とも思っていなかったのだが、いざ当日になってみると、とんでもなく緊張している自分がいる。告白するということで、これほど神経質になるとは……。

 キリキリと痛む胃を抑えつつ、俺は視線を海未の方へと移す。彼女は既にメイド服を着用し、クラスメイトの女子と談笑しているところだった。

 すると、彼女がチラッとこちらに視線を向ける。

 

「…………」

 

 しかし、海未は何も言わずに俺から視線を逸らすと、クラスメイトとの談笑を再開する。若干、へこみそうになる光景だが、こうなるのも無理はない。

 

 後夜祭に呼び出す=告白するのと、ほぼ同然のことだからな。いくら恋愛関係に疎い海未でも流石に気付くだろう。

 それに今朝、起きてから今に至るまで事務的な会話こそしたものの、世間話というのはほとんどしていない。

 俺が意識しすぎているというのもあるのだけど、それ以上に海未も俺の事を意識しているような気がした。まぁ、全て想像にすぎないんだけどね。

 

「おーい、和希君に海未ちゃん。なんだかボーっとしてるみたいだけど、話ちゃんと聞いてた?」

 

 実行委員の声に意識が現実へと戻ってくる。

 

「あぁ、わりぃ。何も聞いてなかった」

 

 手を合わせると、実行委員はプンプン怒りながらも再び今日の予定について俺に聞かせてくれた。

 しかし海未は、その説明の最中もどこか上の空で……、

 

「海未ちゃん? 本当に大丈夫? なんだか顔も赤いみたいだし」

 

 実行委員からの指摘に、ぶわっと顔を赤くした海未がぶんぶんと首をふる。

 

「だ、だだ、大丈夫です!! えっと、それで何の話をしていたのですか?」

「何の話をしてたか分からない時点で、結構大丈夫じゃない気がするんだけど……」

 

 とっても苦しい言い訳に、若干呆れ気味の実行委員。

 そんな海未を見て俺は思う。今日、無事に文化祭を乗り切り、告白までつなげられるのかと。

 しかし、今更うじうじ考えたところで時間は止まってくれない。告白は既に約束された事実なのだ。

 

(取り合えず今は、目の前の文化祭に集中しよう)

 

 少しだけ熱くなっていた頬をパシッと叩いて気合を入れる。

 そして、昨日と同様の放送の後、文化祭二日目、一般公開日がスタートした。

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

「和希くーん、お客様が来たから接客お願い!」

「あいよ~」

 

 扉の前にいた女子から声がかかり、俺はお盆を持ちながら返事を返す。

 

 昨日もそれなりに人が来たと感じていたのだが、一般公開日である今日のほうが断然多い。

 開店直後からコンスタントにお客をさばいているのだが、それでも間に合わないほどである。

 加えて、今日は男女で時間を分けるということはしていない。おかげで俺も海未も、というかクラスメイト全員がせわしなく働いているという状況だった。

 

(おっと、ぼーっとしてる場合じゃなかった。お客さんを早く席に案内しないと)

 

 足早にお客さんの元へ向かう。しかし、そこで俺を待っていたお客さんを見て思わずあんぐりと口を開けてしまった。

 

「やっほー、和希君!」「こんにちは、和希君♪」

 

 挨拶をしてきたのは穂乃果とことり。うん、この二人はさして問題ではない。

 むしろ、問題は二人の後ろにいる面々で……。

 

「なんで睦未さんがいるんですか……」

 

 呆れたような声出す俺に、睦未さんはなぜか「ふふんっ!」と胸を張る。

 

「逆にどうしてそんな質問をするのか、知りたいくらいですね。娘と、将来息子になるかもしれない男の子の晴れ姿を見てはいけないのですか?」

 

 いや、だって海未から「絶対に来ないで下さいね! 絶対ですからね!?」とか言われてたじゃん……。しかし、娘からの忠告を無視して堂々と来る辺り、言うことを聞くつもりなんてはなからなかったのだろう。

 それにしても、なんか将来の息子とか聞こえた気がするけど……気のせいに違いない。

 

「あらあら! やっぱり和希君は海未ちゃんのお婿さん候補なの?」

 

 せっかく何事もなくスルーできると思ったのに!! 

 

 余計な一言を口にしたのは同じく文化祭に来ていたらしい、穂乃果ママ。恐らく、穂乃果か睦未さん辺りに誘われたのだろう。

 

「候補というよりも、将来の息子であると断言したほうがいいかもしれませんね」

「ちょっ!? 勝手に断言しないで下さい!! 俺と海未はまだ……」

『まだ?』

 

 やべぇ、完全に墓穴を掘った。ニヤニヤと俺を見つめる四人。ちゃっかり穂乃果とことりも入っている。

 

「……何でもないですよ。忘れてください」

 

 この四人に付き合っていると埒が明かない。後ろもつかえているので、早急に中へと案内しよう。

 

「えっと、人数は四人で大丈夫ですか?」

「あっ! 和希君、ちょっと待って。あと一人がもう直ぐ来るから」

 

 もう一人? 俺が首を傾げていると、その一人はすぐにやってきた。

 

「ごめんなさい、お待たせしちゃったかしら?」

「ううん、大丈夫だよお母さん!」

「り、理事長!? ってか、お母さん!?」

 

 やってきた人物に思わず目を剥いてしまう。だって、いきなり目の前に学園の理事長が現れたんだぞ? しかも、ことりのお母さんって……理解が追いつかなくて大渋滞を起こしている。

 

「そう言えば和希君には話してなかったね。こちら、ことりのお母さんです♪」

 

 紹介された俺は改めて南家の母と子を見比べる。……うん、確かに似ているな。

 銀色の髪とか、おっとりした雰囲気とか……さすがは家族。そこで理事長が俺に向かって頭を下げる。

 

「初めまして。ことりから和希君の事については色々と伺ってるわ。色々とね♪」

 

 色々という部分をやけに強調された気がする。からかい上手だという部分も親子で似ているらしい。大迷惑である。

 

「それにしても……和希君は海未ちゃんのお婿さんって認識で大丈夫かしら?」

「大丈夫じゃねぇよ!!」

 

 理事長相手に思わずため口でツッコんでしまった。

 

「ことりから聞いたんですか!?」

「いえ、睦未さんからそう聞いたのよ。『海未にぴったりのお婿さんがうちに来てくれたの!』って」

 

 俺はキッと睦未さんを睨みつける。しかし、肝心の睦未さんはニマニマと微笑むばかり。畜生、あいつは悪魔の生まれ変わりかよ……。

 

「……中に案内するのでついて来てください」

「和希君ってば、耳真っ赤だよ?」

「うるせぇぞ、穂乃果!!」

「素直になればいいのにぃ~」

「ことりもだ!!」

 

 味方が一人もいない。そのまま5人の視線を背中に受けながら席へと案内する。

 

「あっ、いらっしゃいま……って、お母様!?」

 

 素っ頓狂な声をあげたのはもちろん海未。できれば、気付いてほしくなかった。だって、この後いじられるのが目に見えてるし……。

 

「絶対に来ないで下さいと、そう言ったじゃありませんか!!」

「あらあら、ごめんなさい。てっきり、そういうフリなのかと」

「そんなわけないじゃないですか!!」

 

 よっぽどメイド服姿を見られたくなかったのか、海未は顔を真っ赤にして母親に詰め寄る。

 しかし、睦未さんは気にした様子もなく、スマホでパシャパシャと娘のメイド服姿をカメラに収めていた。

 

「ちょっと、お母様!!」

「ああ、ごめんなさい。あまりに海未さんのメイド服姿が可愛かったもので、つい」

 

 この人、ただの親バカなんじゃないだろうか? 話を聞かない母親に憤慨する娘。

 しかも二人は無駄に美人なもんだから、周りからの注目もかなりのものだった。

 

「まぁ、落ち着けって海未。今のこの人に何を言っても無駄だし、さっさと注文を済ませちゃおうぜ」

「そ、それもそうですね」

「流石に今の言葉は傷つきましたよ……」

 

 心にダメージを負った睦未さんを無視して、俺と海未は注文を受ける。一通り注文を聞いたところで、

 

「えっと、ご注文を頂いたお客様には執事とメイドから、か、壁ドンや顎クイのサービスなどがあるんですけど……」

 

 自分で言ってて死にたくなってきた。どうして、やりたくもない特典を進めなきゃいけないんだよ!! 海未も昨日の事を思い出したのか、眉間にしわを寄せている。

 

「あっ、別にことりたちは特典をつけなくて大丈夫だよ」

『へっ?』

 

 ことりの言葉に、俺と海未は気の抜けた返事を返してしまう。

 

「ほ、本当にいいのか?」

「うんっ♪ その代わり、後で聞いてほしいことがあるんだ!」

 

 聞いてほしいこと? 

 俺と海未は顔を見合わせるが、ことりの考えていることは全く分からない。

 

「ま、まぁ、別に大丈夫だけど……」

 

 嫌な予感はする。しかし、断る理由も特にない。その為、俺はことりの提案に乗ることにした。

 

「ふふっ、約束だよ?」

 

 意味深な笑みを浮かべることり。そして、追随するように他四人もにんまりと微笑む。まさに作戦通り、という笑み。

 彼女たちの笑顔に身震いを感じたが、もう後に引くことはできない。注文された料理を準備し、五人のテーブルに運ぶ。

 そのまま穂乃果たちは楽しそうに談笑してたのだが、あらかた料理を食べ終えると、ことりが俺たちをちょいちょいと手招きしてきた。

 

「な、なんでしょうか?」

 

 身構える俺と海未。そんな俺たちにことりはニッコリと微笑み、

 

「私たちの聞いてほしいことはね……和希君が海未ちゃんに壁ドンしてほしいってことなんだ♪」

『…………はいっ!?』

 

 ことりの一言に、時が止まったように感じた。しかし、それも一瞬のことで、俺と海未は同時に疑問の声を上げる。

 

「だからね、和希君が海未ちゃんに壁ドンをしてる姿を見たいって言ったの! もしかして、顎クイもつけてほしかった?」

『いやいやいや、そう言うことじゃなくて!!』

 

 嘆息することりに、俺たちは全力でツッコミを入れた。

 顎クイが欲しかったとか、そう言う問題じゃない。そもそも、根本的な部分から間違っている。

 

「ど、どうして、壁ドンなんかされなければいけないんです!?」

「そうだ、そうだ! どうして壁ドンなんてしなきゃいけないんだ!?」

 

 思ったことを素直に口にすると、ことりを筆頭に五人とも不満げな表情を浮かべる。

 

「どうしたんですか、和希さん。壁ドンをするのに理由が必要なんですか?」

「理由もなく壁ドンするやつがどこにいるんだよ!!」

 

 キリッ! とした顔で、何もかっこよくないことを言い放つ睦未さん。少なくとも俺は、理由もなく壁ドンをする変態を見たことがない。

 

「むぅ~……和希君、文句ばっかり言ってないで早く壁ドンしてよ!!」

「穂乃果は黙っていてください!!」

 

 待ちくたびれたらしい穂乃果が不満げな声を上げ、それを海未が一蹴していた。

 しかし、そのおかげで周りがさらに注目してしまい……完全に俺たちの分が悪くなっている。

 

「お、おいっ! お前らも何か言って――」

 

 救いを求めてクラスメイトの方へ振り返る。

 

『…………』

 

 しかし、クラスメイト達は皆、「うんうん」と頷くばかりだ。

 おいっ! お前ら、なに「その手があったか……」って顔してんだよ!! 

 クラスメイトからの反撃も期待できず、事態はますます悪くなっていく。

 

(海未、これはもうやらなきゃ駄目な気がする)

(ほ、本当にやるのですか!?)

(だって、もうこの状況、逃げられないだろ……)

 

 生徒だけでなく、一般の人たちからも期待の視線を一身に浴びる俺たち。その視線に気づいたらしい海未が「うぐっ……」とうめき声をあげる。

 これ以上抵抗するのはほぼ、不可能だろう。

 

「……海未!」

「っ!? は、はいっ!」

 

 意を決して海未の名前を呼ぶと、彼女もビクッと反応して背筋を伸ばす。そんな海未の手を掴むと、壁際に押しやった。

 

 

 

「…………」

「…………」

 

 

 

 無言で見つめ合う俺たち。

 

 しかし、見つめ合っていても始まらないので、ふぅと息を吐いた俺は、海未の右耳の横あたりにドンッと右手をついた。

 

『…………』

 

 教室の中にいる全員が固唾をのんで、状況をを見守っている。一方俺たちはというと、

 

 

 

『…………』

 

 

 

 お互いが何かを言うわけでなく、ただ無言で見つめ合っていた。

 

 いや、違う。俺は目の前にいる海未があまりに綺麗で、言葉が出てこないだけだった。

 

 昨日、今日と、顔にうっすらと化粧を施している海未。

 普段は化粧などしない(しなくても十分綺麗)からこそ、化粧とした時の破壊力が一段と増す。

 俺は男なので化粧のことについてはさっぱりわからない。でも、海未が化粧をしてより可愛く、より綺麗になったことだけは分かる。

 

 少しだけチークの入った頬。いつもより瑞々しく、ぷっくりとした唇。ハニーブラウン色の瞳は涙で少しだけ潤み、俺を誘惑するようにゆらゆらと煌めく。

 

 

 

「海未……」

 

 

 

 無意識に彼女の名前を呼んでいた。頬に優しく手を添える。

 

 

 

「和希……」

 

 

 

 トロンとした瞳で俺を見上げる海未。甘える様な声で名前を呼んだあと、そっと俺の手に自身の手を重ねてきた。

 元々近かった顔の距離が少し、また少しと縮まっていく。あと少しで海未の唇に――――

 

 

 

『ごほん、ごほんっ!』

 

 

 

 突然聞こえてきた咳払いに俺と海未はハッと我に返る。見ると、クラスメイト達が顔を少しだけ赤くして俺たちの事を見てきていた。

 視界の端では穂乃果たち五人が、『あと少しだったのに!』という顔をしている。そんな視線を一通り眺め、俺と海未は今一度顔を見合わせた。

 

 

 

「わ、悪い海未!!」

「こ、ここ、こちらこそすいません!!」

 

 

 

 自分たちのしていたことを自覚した俺たちは、横に飛びのく様にして距離をとる。ふ、雰囲気に充てられていたとはいえ、俺はなんてことを……。

 ドクドクとうるさい心臓を押さえつつ、ことりたちのテーブルへ。

 

「えっと、その、取り敢えず満足してくれたか?」

「うーん、ことり的には若干物足りない感じだけど……今回は可愛い海未ちゃんと和希君を見れたことだし、許してあげます!」

 

 色々なものを失いかけたものの、一応は満足? してくれたらしい。良かった、よかった。

 

「何もよくないよ! あそこまでいってどうしてキスしないの!?」

 

 うるさい穂乃果は、今度なんでも奢ると言って黙らせておいた。痛い出費には違いないが、今回ばかりはしょうがないだろう。蒸し返されても困るし……。

 

 ちなみにお母様方は真っ赤な俺と海未を見て、ニヤニヤとご満悦の様子でした。

 




 読了ありがとうございました。
 後編はそこそこかけているので、書き終わり次第投稿します。


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最終話 後編 真面目な彼女に告白をして……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「全く、余計な提案をしてくれたおかげで酷い目にあったよ」

「まぁまぁ、怒らないで和希君♪ はい、ジュース。ことりからのサービスだよ」

 

 あれから自由時間まで接客をこなした俺と海未は、まだ行っていなかった穂乃果たちのクラスへ足を運んでいた。

 そして、今は文句を言いつつ、ことりから受け取ったジュースを口に含んでいるところである。ちなみに海未はトイレに行っているため一時、席を外していた。

 

「そうだよ、和希君! 怒ってもいいことなんてないんだから」

「誰が怒らせたと思ってるんだよ!?」

 

 相変わらず呑気な穂乃果に、思わず声を上げる。さっきと言い、今と言い、悪気がない分、余計に質が悪い。

 それに、穂乃果もことりも可愛いから怒るに怒れないのだ。可愛いって本当に得である。今の二人の格好も、可愛さに拍車をかけてるしな。

 

 穂乃果たちのクラスは、休憩所的な感じで提供されている。ここで休憩がてら、飲み物を飲んだり、食べ物を食べたりできるというわけだ。

 そんな穂乃果たちのクラスなのだが、格好はなぜか可愛らしいフリフリのエプロン姿。穂乃果はピンク、ことりは水色を基調としたエプロン姿で、見ただけで可愛いと分かる。いや、見なくても可愛い。これを目当てに来るお客さんも多いというのは納得である。

 おかげで、休憩所らしからぬ人数でクラスは溢れていた。しかし、お客さんがたくさんいる中で穂乃果とことりを独占している俺は、主に男性陣から鋭い視線で睨まれている。

 落ち着かなくなった俺は、ことりからもらったジュースを飲み――。

 

「それよりも、和希君は海未ちゃんに捧げる告白の言葉は決めたの?」

「ぶほっ!?」

 

 ことりの一言によってジュースが器官に入り込み、俺は思いっきりせき込む。

 いや、告白だけなら俺も咳き込まないよ。彼女が海未に捧げる、なんて言い方をするから……。

 

「わわっ! 大丈夫和希君?」

 

 穂乃果が差し出してきたハンカチで口元を拭う。そして、ことりを睨みつけ……なんか睨み返されました。イミガワカラナイヨ。

 

「そんな風で本当に告白できると思ってるの、和希君?」

「す、すいません……」

 

 反射的に謝ってしまった。ことりって、有無を言わさぬ迫力がある気がする。まぁ、プンプン怒ることりも可愛いからいいんだけど。

 

「全く! ことりは、和希君がいざ告白の場面になってヘタレてしまうんじゃないかと思って心配です!」

「返す言葉もございません……」

 

 がっくりと肩を落とす俺。実際にヘタレる自分の姿を想像してしまったからだ。

 その場面が、やたらリアルに想像できてへこんだぜ……。

 

「まぁまぁ、ことりちゃん。和希君も好きでヘタレてるわけじゃないんだし、ここは許してあげようよ」

 

 何のフォローにもなっていない穂乃果の言葉。むしろ先ほど以上に心を抉られる。乾いた笑いすら出てこない。

 すると、そんな俺を見ていたことりの表情がふっと緩む。

 

「嘘嘘、冗談だよ和希君。確かに和希君はヘタレだけど、大事な場面で逃げ出すような人だとは思っていないから♪」

「それは、褒め言葉として受け取ってもいいんでしょうか?」

 

 どうにも貶されている気しかしないんだけど……。

 

「もちろん! 最大級の褒め言葉だよ」

 

 ことりにそこまで言われたら仕方がない。褒め言葉として受け取っておこう。

 

「それで、和希君は本当に何も考えてないの?」

 

 穂乃果からの問いかけに、俺は少しだけ逡巡した後、

 

「えっと、べ、別に考えてないわけじゃないんだけど……正直、告白の場面になってみないと分からないって感じで」

 

 という答えを出した。

 

 煮え切らない答えかもしれない。だけど、本当にこれ以外に言いようがないのだ。

 前にも言ったかもしれないけど、告白するのなんて初めてなわけで、どうなるのかも全く想像がつかない。

 

「だから俺は、その時感じたことをそのまま海未に伝えようと思う」

 

 告白なんて、これに尽きる気がするんだ。

 色々と言葉を考えても、その場に行ったら全部吹き飛んでしまう。好きな人を目の前にしたら頭が真っ白になってしまう。

 緊張の度合いは人それぞれかもしれないけど、何も考えられなくなるところはみんな共通……だと、俺はそう思うけどね。

 

「穂乃果も、和希君の言った通りでいいと思うよ。穂乃果が和希君の立場でも、同じように思ったことを言う気がするし」

 

 うん。穂乃果の場合は、何も考えずに「好きッ!!」って言いそうだ。後、ハグもしそう……。

 まぁ、穂乃果は私生活でもあんまり考えて行動してないからな。ほとんど、感性だけで動いているのだろう。ある意味凄い。

 

「むぅ~、和希君、今失礼なこと考えてたでしょ?」

「いや、何も考えてないよ。ことりも、感じたことをそのまま伝えるでいいと思うか?」

「うんっ♪ ……それに海未ちゃんも、感じたことをそのまま伝えてもらったほうが絶対に嬉しいと思うし」

 

 後半の言葉は聞こえなかったけど、取り敢えずことりも俺の考えを受け入れてくれた。これでもう、思い残すことはないだろう。

 

 

 

「まぁ、俺の言葉なんてどうでもいいことなんだよな。下手したらフラれる可能性だってあるわけだし」

 

 

 

『…………』

 

 

 

 なんて付け足したら、二人が冷たい視線を俺に向けてきた。

 

 

 

「全くもう! 和希君はどうしてそうなっちゃうのかなぁ~」

「海未ちゃんがあれだけ分かりやすいのに……これはもう早く告白を済ませてもらわないと」

 

 

 

 二人の不満げな声だけが聞こえてくる。な、何かまずいこと言ったかな? 

 そんなタイミングで、海未がトイレから戻ってくる。

 

「すいません、トイレが予想以上に混んでいたもので……あれっ? どうかしたんですか?」

「ううん、何でもないよ。全部和希君が悪いんだし」

「そうそう! 和希君が全部悪いんだから、海未ちゃんは気にしなくても大丈夫だよ!」

「そうですか……一体何をしたんです、和希?」

「俺は何もやってないんだけど……」

 

 こんな感じで文化祭を楽しんでいる間にも、俺は自覚していた。

 

 刻一刻と、告白の時間が近づいているということを。

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

『以上で、第○○回、音ノ木坂学院学園祭を終了します。各クラス、片付けられるものは片付け、夜に行われる後夜祭も全力で楽しみましょう!』

 

 アナウンスの声と共に、楽しかった学園祭が終わりを告げる。

 しかし、学園内を包む熱気はまだまだ収まりそうもない。それもそのはずで、この後は片付けがそれなりに済み次第、後夜祭が行われるのだ。

 

 後夜祭では、校庭の真ん中に大きなたき火が置かれ、その周りで好きな人と音楽に合わせて踊ったりする。

 まぁ、ここまでは一般的な後夜祭とほぼ変わらない。しかし、この好きな人というのがみそで、後夜祭で好きな人にアタックし、恋人を作るというのが毎年の恒例行事のようになっていた。

 

 告白に成功した人はそのまま恋人と踊り、敗れたものは敗れた者通しで慰め合う。まさに、天国と地獄。それ以外は友達と楽しく踊るって感じだ。

 そして俺も多分に漏れず、恋人を作ろうとしているわけで……。

 

「どうしたの和希君? 随分、顔色が悪いみたいだけど」

「い、いや、何でもないよ……」

 

 クラスメイトの女子に指摘された俺は、無理やり笑顔を作り、何でもないと手をふる。現在、絶賛緊張中の俺は、激しい胃の痛みに襲われていた。

 だって、片付けが終わったら海未に告白するんだぜ? 1時間、2時間後には俺、海未に告白してるんだぜ? 心の準備ができなさ過ぎて、どうにかなりそうである。

 

「あ~、もしかして、後夜祭で海未ちゃんに告白しようとしてるんでしょ?」

 

 まだ何も言っていないのに、一瞬でバレたんだけど……。これだから、女子の勘ってのは恐ろしい。

 

「ま、まぁ、そんなところかな」

 

 特に隠す理由もないので素直に白状すると、女子の目がキラキラと輝く。

 

「ふぅ~ん、そうなんだ。やっと告白するんだぁ~」

 

 うわぁ……めっちゃ楽しそう。言うんじゃなかった。

 

「まっ、頑張りなよ! クラス全員が応援してるから」

「頑張ります」

 

 痛む胃を押さえながら返事をする。

 本当に応援してくれているかは分からないが、人からの好意は素直に受け取っておこう。

 

 その後は、なるべく告白という言葉を考えないように黙々と手を動かす。考えちゃうと片付けに集中できないし……。

 1、2時間ほど手を動かしたところで、細かい部分を残す以外の片付けが全て終了した。辺りは既に薄暗い。

 窓から校庭に視線を向けると、既にキャンプファイヤーの準備が完了しており、あとは生徒が踊るだけといった形になっている。そこへ、

 

 

 

『キャンプファイヤーの準備ができました。片付けの終わったクラスから外に出てきてください』

 

 

 

 タイミングよく放送が流れてきた。それを聞き、俺たちは教室から校庭へと向かう。

 ちなみに海未は片付けを終えた後、穂乃果とことりたちの元へ行くと言っていた。きっと今頃、放送を聞いて校庭に歩き出しているだろう。

 彼女たちの所にはこれからいろんな意味で人が集まると思うので、近づくのが大変かもしれない。三人が三人とも、タイプの違う可愛さを持っているからな。

 まぁ、そんなの知ったこっちゃないんだけどね。海未とは元々約束してるわけだし。どんなイケメンが海未に言い寄っていても、関係なしに押しのけていくだけである。

 

 そんな思いを胸に歩いていくと、既に校庭は多くの生徒たちで活気づいていた。

 見ると、告白が成功して仲睦まじい様子を見せる恋人たち。膝から崩れ落ち、周りから慰められている人たちなどがいた。早くも告白タイムが始まっているらしい。

 成功した人、失敗した人をしり目に、俺は辺りを見渡す。すると、一際多くの人が集まっている集団が目についた。恐らく、あそこに海未たちがいるのだろう。

 

 

 

「ふぅ……」

 

 

 

 俺はゆっくりと深呼吸を繰り返す。

 そして、目的を果たすため、その集団に向かって歩き出した。

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

「海未さん、俺と一緒にダンスを踊ってください!」

「い、いえ、私は、その……」

「それじゃあ、ことりさんと穂乃果さんは?」

 

 しかし私と同様に、穂乃果とことりは首を横に振った。私たちに断られ、撃沈した彼はトボトボと哀愁を漂わせながら帰っていく。

 

 もう、何人目だろうか? こうして、男性が私たちの元に言い寄ってくるのは。

 同学年の人はもちろん、先輩方までが私たちと踊ろうと誘ってくる。正直、少しだけ鬱陶しい。

 

「ふぅ、それにしても海未ちゃんはモテモテだね♪」

「私が人気なのではなく、穂乃果とことりが人気なんじゃないですか?」

「そんなことないと思うけどな。海未ちゃんは大和撫子美人だし!」

「べ、別に、よく知らない人にそう思われていても戸惑うだけです」

「じゃあ、和希君は?」

 

 ことりの一言に私は言葉に詰まる。多分からかってくるとは思っていましたけど、やっぱり反応できませんでした。

 

「か、和希は……」

『和希君は~?』

 

 いつの間にか、穂乃果も一緒になって耳を傾けている。これも、幼馴染だからこそできる技なのかもしれません。……まさか、裏で示し合わせているのではないでしょうね? 

『海未ちゃーん。和希君に褒められたら、どう思うのぉ~?』

 

 黙っている私に、追撃をかける様な二人の言葉。まぁ、黙っていたところで許してくれる二人ではありませんから……。

 覚悟を決めた私は、一つ深呼吸をして口を開く。

 

 

 

「か、和希なら……嬉しい、です」

 

 

 

 口に出すと恥ずかしくて、声が尻すぼみになる。

 

 でも、二人だって分かっているはずです。私が和希に褒められて、嬉しくないわけがないことくらい……。

 

『ふぅ~ん。そうなんだぁ~』

 

 楽しそうに微笑む二人に、私はやけになって声を上げる。

 

 

 

「そ、そりゃあ、嬉しいですよ。当たり前じゃないですか!!」

「海未ちゃんってば、可愛い!」「可愛い♪」

「うぅ……」

 

 

 

 可愛い、可愛いと言われて、私の頬が少しだけ熱くなった。ま、全く、穂乃果もことりも私で遊ばないで下さい! 

 その後、ひっきりなしにやってくる男性たちを(主に穂乃果とことりが)あしらい続けること約10分。

 

「あっ! ……海未ちゃん、ちょっとこっちに来て」

 

 声をかけられた私がことりの元へ向かうと、なぜか優しい手つきで前髪を整えられる。

 

「い、いきなりどうかしたのですか?」

「うん♪ 海未ちゃんにとってすごく大事な人が来てくれたから」

「大事な人?」

 

 後ろを振り返ると、ある一人の男性が熱のこもった瞳で見つめていた。

 

 真っ直ぐでぶれない彼の視線。特徴的な金色の髪が10月の夜風に靡いている。

 そこで彼の口が小さく、だけどしっかり動いた。

 

 

 

 

 

「海未」

 

 

 

 

 

 彼が私の名前を優しく呼ぶ。

 後夜祭が始まってからずっと、待っていた相手。私にとってすごく大切な人。そして、大好きな人。

 

 自然と口元が緩む。私も彼に答えるよう、口を開いた。

 

 

 

 

 

「……遅いですよ、和希」

 

 

 

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

 

 

 

 海未に遅いと言われた俺は、「仕方ないだろ」と言いつつ頬をかく。

 

「お前らが人気すぎるんだよ。おかげで近づくだけでも一苦労だった」

 

 というか、海未目当ての男子多すぎだろ……。遠目から眺めても人気ぶりがよく分かったので、若干嫉妬していた。

 そんなわけで、思わず不満げな言葉を口にしてしまった俺。しかし、なぜか海未はやわらかい笑みを浮かべる。

 そして、次に発せられた彼女の言葉は、ちっぽけな俺の不満など、簡単に吹き飛ばしてしまった。

 

 

 

「でも、私は嬉しかったです。和希はこうしてちゃんと来てくれましたから」

 

 

 

 胸の前で手を合わせ、少しだけ首を傾ける。

 うっすら桜色に染まった頬。さらさらと風になびく彼女の黒髪。そんな彼女の姿にしばらくの間、釘付けになった。

 

「和希?」

 

 海未の声にハッと我に返る。見ると、傍にいた穂乃果とことりも不思議そうな顔で俺の事を見ていた。

 

「ご、ゴホンゴホン!」

 

 わざとらしく咳払いを繰り返した俺は、海未の右手をギュッと掴んだ。

 

「海未、行くぞ」

 

 人ごみをかき分け、校舎の方向に向かって歩いていく。

 

『和希くーん!!』

 

 不意に聞こえてきた大声。俺は声のした方向に顔を向けると、そこでは穂乃果とことりが口に手を当てていて、

 

 

 

「和希君、ファイトだよっ!」「頑張ってね、和希君♪」

 

 

 

 どんな意味を込めた言葉なのか。そんなものは、聞かなくても分かるだろう。

 激励の言葉をかけてくれた二人に俺は、「ありがとう」という意味を込めて右手を上げる。そして俺たちは再び、校舎に向かって歩き出した。

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

「か、和希、一体どこに行くのですか?」

 

 昇降口に辿り着いたところで、海未が戸惑いの声を上げる。そう言えばどこに行くのか、まだ何も説明してなかったっけ。

 

「教室だよ。あんなにうるさいところだと、いつ邪魔が入るか分からないしな」

 

 まぁ、うるさいというのは建前で、本音はみんなの前で告白するのが恥ずかしいからだ。

 一応、後夜祭を行っているとはいえ、教室の鍵はどこも開いている。だからこそ、今の教室は告白するのにうってつけの場所であると言えるだろう。

 

 海未の手を引きながら夜の校舎内をずんずんと歩いていく。文化祭の時、あれだけ五月蠅かったのがまるで嘘のようだ。

 廊下はしんと静まり返り、聞こえてくるのは校庭から流れてくる音楽と、生徒たちが楽しそうにはしゃぐ声だけ。

 

ドクン、ドクン、ドクン……

 

 周りが静かなこともあって、鼓動の音がいつもより鮮明に聞こえる。

 いつもより……というか、人生で一番早い。て、手汗とか大丈夫かな? 

 

 余計な心配をしているうちに、俺たちは目的の教室に辿り着いた。

 メイドカフェなどで使ったテーブルなどは既に撤去され、いつも通りの机と椅子が並べられている。

 そのまま、海未と一緒に校庭の様子が見える窓際へ。

 

「おっ! ここからだとキャンプファイヤーが綺麗に見えるな」

「そ、そうですね……」

 

 返ってきた海未の声は固い。彼女も俺と同じで、かなり緊張しているのだろう。

 

 そう思った瞬間、気持ちが少しだけ楽になった。

 

 

 

「……なぁ、海未。この席、覚えてる?」

 

 

 

 とある席に腰掛けた俺は、海未に視線を向ける。

 

 

 

「? その席がどうかしたんですか?」

「俺が初めて誰かさんに睨まれた席」

 

 

 

 俺の言葉に、海未もハッとした顔になった。

 

 そう、ここは入学して自己紹介をした後、海未に睨まれ、口喧嘩をした思い出の席。言い換えれば、海未と初めて出会った場所でもある。

 

「もう半年以上前にもなるのか……懐かしいな。あの時は海未にすごい顔で睨まれたっけ」

「あ、あの時は和希の事を何も知らなかったんです! それに和希にだって原因が……」

 

 楽しそうに笑うと、反対に海未は拗ねたように口を尖らせる。

 

 

 

「ごめん、ごめん。怒らせるつもりなかったんだ。……ただ、今から話すことの前に、少しだけ思い出すのもいいかなって」

 

 

 

 出会った当初、俺たちの仲は最悪だった。でも、それから紆余曲折を経て、お互いがお互いの事を大切に思えるほどの関係にまでなった。

 俺に至っては、海未を好きになってしまったのである。仲が悪かった時期を思い出すと、今でも信じられない。

 

 

 

「確かに、和希の言う通りかもしれませんね。あの時の会話があって、今があるわけですから」

 

 

 

 感慨深そうに頷く海未。彼女も彼女なりに思う所があるのだろう。

 ……さて、思い出に浸るのもこの辺にして、そろそろ本題に入ろうか。

 

 俺は立ち上がると、大きく深呼吸をする。そして背筋を伸ばし、彼女の方へと向きなおった。

 

 

 

「…………」

 

 

 

 海未も雰囲気の違いを感じ取ったらしく、黙って俺の事を見つめている。

 

 外からの光しか入らない教室でも、彼女の姿だけは鮮明だった。思わず、生唾を飲み込む。

 それ程までに海未は美しく、可憐だった。

 

 

 

「海未――」

 

 

 

 彼女の名前を呼ぶ。

 

 一応、告白の言葉は考えていたつもりだった。

 しかし、伝えたいことが次から次へと溢れて止まらない。これまでの出来事が走馬灯のように頭の中を駆け巡る。

 

 言いかけてはやめ、言いかけてはやめを繰り返し……最終的に出てきたのはたった一言だった。

 

 

 

 

 

 

「好きです」

 

 

 

 

 

 

 一番シンプルで、それでいて気持ちを一番ストレートに伝えられる言葉。

 

 

 

 

 

 

「俺と、付き合って下さい」

「――っ!?」

 

 

 

 

 

 

 海未の瞳が大きく見開かれ、頬が桜色に染まる。

 

 結局、考えていた言葉は何一つ伝えられなかった。だけど、一番伝えたかったことはしっかりと伝えられた。それだけで俺は満足だった。

 後は海未の返事を待つだけ。

 

 

 

「…………」

 

 

 

 俺の告白を聞いた海未の瞳は涙で潤んでいた。そして、視線が少しだけ右往左往する。告白の返事をどうするべきか、悩んでいるようだった。

 俺は黙って海未の答えを待つ。

 

 彼女の視線が再び俺の元へ戻ってくると同時に、告白の返事が耳に届いた。

 

 

 

 

 

 

「はいっ!」

 

 

 

 

 

 

 シンプルな答え。しかし、海未の気持ちは十分すぎるほど俺に伝わった。

 緊張の糸が切れてしまった俺は、思わずその場に座り込んでしまう。

 

 

 

「良かったぁああああ~」

 

 

 

 嬉しいやら、ホッとしたやら、やっぱり嬉しいやら……。ここが家であれば間違いなく、奇声をあげて悶えていた。

 

「だ、大丈夫ですか、和希?」

 

 戸惑いの声を上げる海未に、俺は大丈夫だというジェスチャーをする。

 

「大丈夫だよ。大丈夫だけど……あと少しだけ待って」

 

 こんな顔を海未に見せるわけにはいかない。

 たっぷり時間をかけてにやけた顔を何とかした後、改めて顔を上げる。

 

 

 

「海未」

「な、なんですか?」

「これからもよろしくな」

 

 

 

 そう言って俺は笑顔を向けた。

 

 関係が変わるとはいえ、これからも海未とは同じクラスメイトであり、居候先として一緒に住んでいくということは変わりない。

 だから俺は、改めて笑顔を向けたのである。

 

 最初こそ海未は、言っている意味が分からず戸惑っていた。しかし、すぐ俺の気持ちに気付いてくれたらしい。

 

 

 

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 

 

 

 何度でも見たくなるような、そんな魅力的な笑顔を俺に向けてくれた。

 

 

 

「……さて、それじゃあ穂乃果たちの所に戻ろうか」

「そうですね」

 

 

 

 そこで俺はゆっくりと海未の左手に手を伸ばす。そのまま彼女の手をしっかり握りしめた。

 

 

 

「っ!?」

 

 

 

 何も言わずに手を握ったため、海未は一瞬驚いたように自身の左手に視線を移す。

 

 嫌がるかな? そう思ったのだが、意外にも海未は手を離さずにいてくれた。

 海未の手はすべすべてしていてやわらかい。繋がれた右手に意識を向けつつ、教室を後にして廊下に出た。

 

『…………』

 

 無言のまま廊下を歩き、恐らく告白の結果を待っているであろう穂乃果たちの元へ戻っていく。

 

 

 

 

 

「あ、あの、和希」

「どうした?」

「……手、恥ずかしいので、昇降口までにしてください///」

「……うん。俺もすっげぇ恥ずかしいから、昇降口までにしような///」

 

 

 

 

 

 恋人として普通に振る舞えるようになるのはお互い、まだまだ時間がかかりそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

 

 

 

 それから数年の時が経過し――。

 

 

 

ジリリリリリリリリッ!!

 

 

 

 休日であるにも関わらず、けたたましい目覚ましの音が鳴り響く。

 

「う、うぅーん……」

 

 目をつむったまま、目覚ましまで手を伸ばし……それを止め再び夢の世界へ。

 

 せっかくの休日だ。昨日も仕事で遅かったし、もう少し寝かせてほしい。二度寝ほど気持ちのいいものもないからな。

 そんな俺の願いも空しく、

 

 

 

「お父さん!!」「おとーさん!!」

「ぐえっ!?」

 

 

 

 お腹の上にそれなりの重さの塊が二つ、飛び乗ってくる。それによって、カエルの鳴き声のようなうめき声を上げる俺。

 結構な痛みに顔をしかめつつ、渋々目を開く。

 

 

 

「……卯月、それに空。起こすのは構わないけど、もう少し優しく起こしてくれないか? 毎回こんな起こされ方してたらお父さん、死んじゃうよ?」

「だってお父さん、こうしなきゃ絶対に起きないじゃん!」「じゃん!!」

 

 

 

 そう言ってにぱーと笑うのは長女の真嶋卯月(まじまうづき)と、長男の真嶋空(まじまそら)。俺の大切な子供たちだ。

 

 卯月の方は五歳。母親の遺伝子を色濃く継いでおり、容姿やまっすぐに伸びた黒髪は母親そっくりだ。

 空は今年で三歳になる。こちらは俺の方の遺伝子を継いでおり、金髪を受け継いでくれていた。

 

 そして、名前の由来なのだが、卯月の方は俺と海未の名前をくっつけたって感じ。空は海の反対という形で名付けていた。自分ではいい名前を付けたと思っている。

 

 子供の成長とは早いもので、少し見ない間にものすごい成長を遂げていることもしばしば。身長も然り、体重も然りである。

 まぁ、体重に関しては毎朝のタックルによって変化がよく分かるんだけど。

 

「あっ! お母さんが朝ご飯って言ってたよ!」「いってたよ!」

「分かった。お父さんもすぐに行くから、卯月と空は先に言っててくれ」

『うんっ!』

 

 パタパタと駆けていく二人を見送った後、洗面所で顔を洗い、朝ご飯が用意されているというリビングへ。

 そこでは俺の妻がいつも通り、柔らかな笑みを浮かべて俺の事を待っていてくれた。

 

 

 

「おはようございます、和希さん」

「おはよう、海未」

 

 

 

 最愛の妻である海未に挨拶を済ませ、俺は朝ご飯の並んだ食卓に腰を下ろす。

 

「はい、ご飯とお味噌汁です」

「おっ、ありがとう」

 

 伸ばした艶のある黒髪を腰辺りで束ね、ご飯を差し出してくれた海未は、お礼の言葉にニッコリと微笑む。ほんと、俺にはもったいないくらいの奥さんだ。

 ちなみに今日の朝食は、日本人の愛する和食。海未の作る和食は、世界で一番おいしいと思う。

 

「それじゃあ、いただきます」

「いただきます」『いただきます!』

 

 みんなで挨拶を済ませ、朝食を口にする。うん、今日も最高にうまい。

 その後、ある程度食べ進めたところで卯月からお声がかかる。

 

「ねぇねぇ、お父さん! 今日、卯月たちはおばあちゃんの家に行くんだよね?」

「そうだよ。ちょっとお父さんとお母さんに用事があってな。だから、今日はおばあちゃんの言うことをちゃんと聞くんだぞ?」

「はーい!」

「空も、おばあちゃんの言うことをちゃんと聞くんだぞ?」

「わかったぁ!」

 

 元気よく手を上げる子供たち。この笑顔を見るだけで元気100%だ。何でも買ってあげたい気分になる。一度やろうとしたら海未に止められた。「親バカも大概にしてください」と。

 そのまま朝ご飯を食べ終え、家を出る準備を整える。

 

「和希さん。すいませんが、子供たちの送り迎え、よろしくお願いしますね」

「いいって。普段は家のことを散々やってもらってるからな。それに、おばあちゃん……睦未さんの家はそんなに遠くないし大丈夫だよ」

 

 卯月と空の誕生を経て無事、おばあちゃんとなった睦未さんなのだが、現在は一緒に住んでいない。

 一緒に住んでもよかったのだが、元々俺と海未は就職後、家を出て同棲していたのだ。だったら、結婚後もそのまま二人で……ということになったのである。

 

 まぁ、さっきも言った通り、俺たちの住んでいるマンションと海未の実家はそこまで離れてないんだけどね。

 卯月と空が生まれたばかりの時は本当、お世話になりました。俺がまるで役に立たなかったもので……。

 

「お父さん、準備できたよ!」「たよっ!」

 

 子供たち二人の準備が完了したということで、親子三人で海未の実家へと向かうことにした。

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

「それでは睦未さん。子供たちをお願いします」

「はい、わかりました。……今日は子供たちの事を気にせず、楽しんでください」

 

 ニッコリと微笑んでくれた睦未さんに「ありがとうございます」と頭を下げ、海未の待つマンションへと戻る。

 

「ただいま~」

「おかえりなさい。ありがとうございました」

 

 出迎えてくれた海未と共にリビングへ。

 

 ソファに腰掛けると、海未が寄り添うようにして俺の隣に腰を下ろした。そんな可愛い妻の頭を撫でると、甘えるようにしてすり寄ってくる。

 

 

 

「和希♪」

 

 

 

 はい、もう可愛い。恋人になってからというもの、彼女の可愛さは留まることを知らなかった。一体、可愛さの上限はどこにあるんだという感じである。

 高校生の頃に比べて表情も、身体付きも大人っぽく変わっていた。スタイルの良さも相変わらずで、とても子供を二人生んだとは思えない。

 

 ちなみにここだけの情報、海未は二人きりの時、常にこんな感じだ。普段は世間体を気にして和希さんと呼ぶが、二人きりになると昔のように俺のことを和希と呼ぶ。

 何でも、昔の気持ちを忘れずにいたいからということらしい。ほんと、海未が俺の奥さんでよかった。

 

 

 

「和希」

「ん? どした?」

「ふふっ、呼んでみただけです♪」

 

 

 

 あぁ、もう! 可愛いな、俺の奥さんは!! 

 少しだけイチャイチャした後、俺は話を本題へと持っていく。

 

「それにしても、今日はよくみんな集まれたよな」

「本当にそうですよね。無理だったら構わないと言ったのですが……」

 

 カレンダーに視線を移すと、今日の日付に大きく〇がついていた。〇印が示す意味。それは、

 

 

 

「でも、せっかく元μ'sのみんなが俺たちの結婚記念日を祝ってくれるんだ。全力で楽しませた貰うとするよ」

 

 

 

 〇印の中には結婚記念日という文字が刻まれている。

 もうお分かりかもしれないが、今日は俺と海未の結婚記念日だった。ちなみに、今年で七回目になる。

 

 大学を卒業して、三年後に俺と海未は結婚。だから俺も海未も、もう32歳になる。

 俺はそれなりに有名な企業へ就職し、家族を支えるべく毎日奮闘していた。海未は保育士として働いているのだが、今はとある理由で休業中。

 とある理由は後で語るとして、結婚後は卯月と空という子宝にも恵まれた。自分で言うのもなんだが、俺は世界一幸せだと思っている。

 

 そして、先ほどチラッと話したμ'sという言葉。

 これは今や伝説となっているスクールアイドルの名前だ。高校二年生の時、廃校に陥りそうだった音ノ木坂を救ったスクールアイドルでもある。

 穂乃果が発起人として始めたのだが、海未やことり、その他6人のメンバーで活動していた。

 詳しい説明は省略するが、とにかくその人気は凄まじかったのである。間近で活動を見ていた俺が言うのだ。間違いない。

 

 そんなμ'sだったのだが、三年生の卒業とともに解散。しかし、メンバー同士は解散後も頻繁に連絡を取り、仲良くしているということは海未からよく聞いていた。

 卒業後はそれぞれがそれぞれの道を歩んでいる。海未の幼馴染だけ説明すると、穂乃果は実家を継ぎ、ことりは世界的なファッションデザイナーになっていた。

 

「穂乃果はいいとして、ことりなんてよく予定があったよな。今でも海外を飛び回ってるんだろ?」

「はい。そう聞いています。ですが、私たちの結婚記念日を祝いたかったらしく、無理やり予定を無くしたとかなんとか言っていました」

「なんか、ことりらしいな……」

 

 他のメンバーも結構忙しいはずなのだが、ことりと同様に無理やり予定を開けたらしい。ありがたいやら、申し訳ないやらという感じである。

 

「でも、私は嬉しいです。全員が集まれることなんて、なかなかありませんから」

「確かに。集まるのは、誰かが結婚した時とかくらいだからな」 

 

 俺たちの結婚式も、しっかり全員集合していた。

 あの時もみんな、相当忙しかったはずだけど……メンバーに何かお祝い事があると全員集合するのは、それだけμ'sの絆が深いということなのだろう。

 

 今回はもちろん結婚式ではなく、結婚記念日なのだが、最近全員で集まっていないということで海未が提案したのである。

 ……まぁ、呼び出したのはメンバーに報告したいことがあったからでもあり、

 

 

 

「みんな、驚くかな?」

 

 

 

 俺は海未のお腹をさする。

 

 

 

「きっと、驚くと思いますよ。穂乃果なんて特に「えぇ~~!? 三人目っ!?」といって驚きそうです」

 

 

 

 くすくすと笑った後、海未も俺と同じように自分のお腹を優しくさすった。

 今、海未のお腹には三人目の命が宿っている。つまり報告というのは三人目を妊娠しているということであり、これが休業の理由でもあった。病院の先生が言うには、女の子らしい。

 

「どんな名前にしようかな~」

「随分と気が早くないですか? 生まれるまでにはまだ時間がありますよ?」

「俺が好きで考えているからいいんだよ。良い名前を付けてあげたいからな」

 

 うーん、うーんと名前を悩み始めた俺に、海未が苦笑いを浮かべる。

 

 しかし、その苦笑いをすぐに引っ込め、柔らかな表情を浮かべると、頭を俺の肩に預けてきた。

 

 

 

「海未?」

「私は、よっぽど変な名前でなければこの子は幸せだと思いますよ。だって生まれてきたら、こんなにかっこよくて優しいお父さんに出会えるのですから」

 

 

 

 ……本当に海未は困る。思わず涙が出そうになった。

 彼女にばれないようそっと涙を拭い、俺は笑顔を向ける。

 

 

 

「確かに、子供は幸せだよな。生まれてきたらこんなに可愛くて美人で、優しいお母さんに出会えるんだから」

 

 

 

 そう言って俺たちは微笑み合う。まさにそのタイミングで家のインターホンが鳴り、

 

 

 

『海未ちゃーん! もうみんな玄関で待ってるから扉開けて~』

 

 

 

 元気な声がリビングに響き分かった。顔を見なくても分かる。穂乃果の声だ。

 

 

 

「……さて、早く扉を開けないとうるさいから、行ってくるわ」

「そうですね。……和希、最後に一つだけいいですか?」

「どうかしたのか?」

 

 

 

 

 

「和希、私と結婚してくれて、本当にありがとうございます。……大好きです」

 

 

 

 

 

 思わぬ不意打ちに俺は少しだけ面をくらう。

 しかし、それも一瞬のことで、俺は海未に最大限の気持ちを込めて返事をしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺の方こそ、結婚してくれてありがとう、海未。……大好きだよ」




 本当に、本当に読了ありがとうございました。

 色々と言いたいことはありますが、それは全て活動報告でしたいと思います。良ければそちらをご覧ください。


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AFTER STORY 1 真面目な彼女も風邪をひく

 お久しぶりです。最終話から一か月くらいですかね。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「んぅん……?」

 

 陽の光を感じた俺は、目をこすりつつ窓の外に視線を移す。10月も後半。もう季節は11月に移ろうかという季節だった。

 昨日まで学園祭で疲れていた俺の身体をゆっくりと起こす。最近は風もめっきり冷たくなり、朝起きるのがだんだん辛くなっている。

 暑いのも嫌いだが、寒いのも嫌い。ほんと全部の季節が、春か秋になればいいのにと真面目に思っている。

 

「……起きるか」

 

 今日も普通に学校だ。学園祭分の振り替え休日を要求したいところなのだが、それは全て冬休みや春休みにまわされるらしい。

 個人的には疲れているので休ませてほしいところなんだけど……。しかし、文句を言って学校が休みになるわけではない。布団から出た俺は、洗面所へと向かう。

 

「うわぁ……なかなか酷い顔してるな」

 

 顔を洗う前、何気なく鏡に視線を移したのだが、これは中々に酷い。

 

 目の下にはクマができており、顔も若干やつれている。とても若さが売りの高校一年生とは思えないほどだ。

 まぁ、こんな顔になった理由は至極単純で、海未と付き合えることに興奮して眠れなかったからである。

 

 先日色々あって付き合うことになった俺と海未。流石にその夜はとても疲れていたのですぐに寝ようと思ったのだが……布団の中でずっと悶えていたため、全く眠れなかった。

 さっきも、昨日の出来事は全部夢なんじゃないかって疑ってたくらいだし。

 

「取り敢えず、顔を洗おう」

 

 あえて冷たい水で顔を洗い、ぼさぼさの髪を整える。改めて鏡を見直すと、少しはましな顔になっていたので安心した。

 すると、後ろから足音が聞こえたので俺は振り返る。

 

「…………」

 

 そこには今起きてきたらしい海未が立っていた。しかし、どこか様子がおかしい。

 顔がやけに赤く、瞳は潤んでトロンとしている。

 

 最初は俺に見惚れているのかとも思った。だが、それにしては余りにもリアクションが薄い。

 海未の性格を知っている以上、今日初めて顔を合わせたら緊張でテンパるに決まっている。ところが今の海未は俺の視線に気づいても慌てるどころか、挨拶もしてこない。

 

 いつもの海未ならどれほど慌てても、挨拶だけは絶対にしてくるのに……。

 

「おはよう、海未」

 

 一応、挨拶をしておく。ちなみに、俺の方も海未と顔を合わせたら絶対に緊張でがちがちになると思っていた。しかし、状況が状況なので緊張はどこかへ飛んでいってしまった。

 

「……あっ、和希。おはようございます……」

 

 覇気のない声であいさつが返ってくる。相変わらず反応が鈍い。

 俺を認識しても慌てるそぶりを全く見せない海未。うん、今の彼女は冗談抜きで絶対ににおかしい。

 

「ちょっとごめんな海未」

 

 俺はそう言って、彼女のおでこに右手を当て体温を確認する。

 

「……熱いな」

 

 彼女の額は明らかに熱かった。

 念のため自分の額に右手を当て、もう一度彼女の額に右手を当て直す。……やっぱり海未の方が熱い。しかも、かなり熱は高そうだ。

 

「こりゃ、風邪だな。海未、自分の部屋まで戻れるか?」

「和希の右手、ひんやりしてて気持ちいいです……」

 

 熱のせいなのか知らないけど、海未と会話がかみ合わない。これは早いとこベッドに寝かせないと。

 

「海未、悪いけどちょっとごめんな」

 

 俺は海未の身体を横抱きにする。いつもなら全力で抵抗されただろうけど、身体がだるいのか海未はされるがままだ。若干、息遣いも荒くなっている。

 彼女を部屋のベッドに寝かし、俺は睦未さんが待っているであろうリビングへ。

 そこでは睦未さんが既に朝食を並べて待っているところだった。

 

「おはようございます、和希さん。いつもより遅かったようですけど、何かあったんですか?」

 

 海未の母親である睦未さんが訊ねてくる。

 

「睦未さん、おはようございます。いえ、それが……」

 

 俺が事情を説明すると、

 

「分かりました。それでは海未さんの様子を見てきますね。ついでに熱も測ってきます」

「よろしくお願いします」

「別に和希さんが熱を測ってもいいんですよ?」

「早く行って下さい!!」

 

 余計なことを言った睦未さんを追い出し、俺は朝食を食べ始める。悔しいけどやっぱりうまい。

 そのままもぐもぐと口を動かしていると、体温計を持った睦未さんが戻ってきた。

 

「どうでした?」

「多分風邪ですね。熱もありましたし。今日は学校を休ませて病院に連れて行きます。和希さんは担任の先生に連絡をお願いできますか?」

「分かりました。穂乃果とことりにも伝えておきますね」

 

 ひとまず朝食を済ませ、身支度を整える。本来なら休みたいところだが、睦未さんもいるし大丈夫だろう。

 準備のできた俺は学校へ……向かう前に一度海未の部屋へと向かった。ベッドでは既に海未が寝息を立てている。その寝息も少しだけ苦しそうだ。どうやら、思った以上に体調が悪いらしい。

 辛そうな彼女を見てずっと傍にいてあげたくなったが、何とかその気持ちを断ち切った。

 

 そして俺は、海未の頭を優しく撫でる。

 

「……いってきます」

 

 一言だけ声をかけ、俺は海未の部屋を後にしたのだった。

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

「えぇーー! 海未ちゃん、学校休みなの!?」

 

 俺がいつもの待ち合わせ場所で待っていた穂乃果とことりに海未が休みだと伝えると、案の定穂乃果が大きな声を上げる。心配するのはありがたいが、もっと声のボリュームを考えてほしい。一応ここ、住宅街だから。

 

「海未ちゃん、大丈夫なの?」

 

 ことりが心配そうな表情を浮かべる。心配そうな表情を浮かべることりはやっぱり天使だ。

 

「結構体調悪そうだったな。熱も高かったし。午前中、睦未さんが病院に連れていくとは言ってたけど。恐らく、文化祭の疲れが出たんだろうな」

「確かに海未ちゃん、文化祭頑張ってたからね~。それにしても、海未ちゃんが風邪をひくなんてびっくりだよ!」

「海未の事をなんだと思ってるんだよ……」

 

 失礼なことを言った穂乃果にツッコミを入れる。しかし、俺も海未が風邪をひくとは思っていなかったから、人のことは言えない。

 海未=健康優良児、みたいなイメージがあるからな。

 

「ま、まぁ、風邪をひいたのが文化祭後でよかったね。文化祭中だったら和希君、海未ちゃんに告白できなかったわけだし~」

「ソウデスネ」

 

 いじる気満々の視線を向けてくることり。その視線を俺は必死にやり過ごす。

 やり過ごせていないじゃないかというツッコミは禁止。

 

「今日、ことりはすっごく期待してたんだけどな」

「何を期待してたんだ?」

「和希君と海未ちゃんが、らっぶらぶで登校してくる姿に!」

「……言っとくけど、そんな事絶対にしないからな? そもそも、人前でイチャイチャなんて海未が嫌がるだろ」

 

 それに、俺だって恥ずかしいので人前でイチャイチャしたくない。たまに腕を組んだり、ベタベタしてるカップルを見かけるがよくできるなとある意味感心してしまう。

 しかし、俺の答えは穂乃果とことりには不評だったらしい。「はぁ……」と、思いっきりため息をつかれた。

 

「全く……これだから和希君は駄目なんだよ!」

「穂乃果ちゃんの言う通りです! 和希君の方からもっと積極的にいかないと!!」

 

 女子二人からお説教を受ける俺。何とも情けない光景だ。

 

「そ、そんなに駄目なんでしょうか?」

「ダメだよ! 海未ちゃんも口では恥ずかしいって言うかもしれないけど、多分本心では甘えたいって思ってるはずだしね!」

「そうそう。海未ちゃんも和希君と同じで素直じゃないけど、和希君の事は大好きなんだから!」

 

 少しだけ貶された気がしないでもないけど、どうやら俺はもっと積極的にいったほうがいいらしい。一応、これでも頑張ってるんだけどね。

 

「じゃ、じゃあ、これからは手をつなぐことから始めてみるよ」

「キスはしないの?」

「……ハードルが高いです」

『はぁ……』

 

 再び二人からため息をつかれる俺だった。

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

 自分のクラスに辿り着いた俺は穂乃果たちと別れ、教室の中へ。

 すると、クラス内から一斉に視線を向けられる。

 

「えっと、どうしたんだ? みんなしてそんな視線を――」

『ねぇ、海未ちゃんは?』

 

 息ぴったりだった。息ぴったりすぎて若干たじろいでしまう。しかし、抱いている気持ちは男女まるで違っていた。

 

 女子は俺と海未の話に興味津々といった感じ。一方野郎どもからは憤怒と嫉妬のこもった視線を感じる。理由は言うまでもない。お前ら、どんだけ俺の事を羨ましがってるんだよ……。

 

「ねぇねぇ、和希君。海未ちゃんはどうしたの? まさか、もう別れちゃった?」

 

 クラスの女子を代表して一人が俺に話しかけてきた。

 

 それにしても、もう別れちゃったって失礼な質問だな。付き合った次の日に別れるって、付き合った意味を疑われる気がする。

 そもそも俺は限りなく一途だと自負しているからな。海未は知らないけど、性格から察するに一途だと勝手に思っている。というか、一途でいてください。

 

「そんなわけないだろ。俺と海未は相思相愛だ」

『リア充爆発しろ!!』

 

 今のセリフはもちろん男子の皆さんからです。俺は男子どもをあえてスルーし、女子たちに視線を向けた。男子に絡んでたらロクな目にあいそうじゃない。

 

「今日、海未がいないのは風邪をひいて学校を休むからだよ」

「なぁーんだ。せっかくイチャイチャする二人を見れると思ったのに~」

 

 ガッカリといった風にため息をつく女子たち。なんかこの光景、デジャヴを感じるな。

 多分人前でイチャイチャするつもりなんてない、と言ったらことりたちと同様に怒られるのだろう。だから、絶対に言わない。

 

 ちなみに、俺と海未が付き合っていることはクラス全員にばれている。まぁ、後夜祭の告白タイムに二人で抜け出して、二人で顔を真っ赤にしてクラスメイトの元へ帰ってきたのだ。バレないほうがおかしいだろう。

 それでも根掘り葉掘り聞かれたんだけどね。告白の言葉とか、キスをしたのかとか、色々と……。もちろん、本当のことは言っていないけど、告白より疲れた記憶がある。

 海未なんて終始顔を真っ赤にして俯いていた。

 

「おーい、お前ら席に着け~。HR始めるぞ」

 

 担任の先生がクラスに入ってきたため、クラスメイト達は自分たちの席に戻っていく。さて、俺は海未が学校を休むことを伝えないと。

 無事先生に欠席の件を伝え終えた後、いつも通りの授業が始まる。俺も今日くらいは真面目に受けようかな? と教科書を取り出し授業に臨んだのだが、

 

(海未のことが気になって授業に全く集中できねぇ……)

 

 俺は思わず頭を抱えてしまった。

 集中しようと思うのだが、そのたびに今朝見た海未の苦しそうな表情が浮かんできては消え、浮かんできては消えを繰り返す。正直、授業どころではない。

 睦未さんがついているとはいえ、今すぐクラスを抜け出して家に帰りたいくらいだ。

 

「……君、真嶋君!」

 

「……へっ?」

 

 名前を呼ばれた俺は、妄想の世界から現実へと戻ってくる。

 声の聞こえてきた方を見ると、クラスメイトの女子が呆れたような視線を向けてきていた。

 

「えっと、どうしたんだ?」

「さっきから英語の先生にずっとあてられてるよ」

「嘘だろ?」

 

 確認のため前を向くと、英語の先生が涙目でこちらを見ていることに気付く。まだ若い先生なので、俺の事を怒るに怒れなかったみたいだ。

 この先生とは一学期からの付き合いなのだが、一応毎回の授業で寝てはいない。

 横に座る海未が寝たり漫画を読んだりしていると、いつも怒ってきたからな。サボるにサボれなかったのである。

 

「あっ、すいません先生」

「先生、気にしなくていいですよ。和希君ってば、今日風邪で休んでいる可愛い彼女のことが心配で心配で集中できていないんですから」

「変なこと言うんじぇねぇよ!! 先生、これこそ気にしなくてもい――」

「えっ! 真嶋君、園田さんと付き合っているんですか?」

 

 先生が会話に乗ってきちゃったよ。目を子供のように輝かせる先生にため息が漏れる。

 やっぱりこういう話題は大人になっても気になるんだな……。

 

「そうですよ先生。和希君と海未ちゃんは昨日から付き合い始めたんです。それも、和希君から海未ちゃんに告白したんですよ?」

「えぇっ!? 真嶋君からですか? あれだけ園田さんの事を邪険に扱っていたのに? 園田さんも真嶋君の事を嫌っているように見えましたけど」

「先生、よく言うじゃないですか。嫌よ嫌よも好きのうちって。つまり、和希君と海未ちゃんはそういう事なんです」

 

 隣の女子とは違うクラスメイトが得意げに胸を張る。

 

「どうしてお前がそんな得意げなんだよ!!」

 

 なんか俺を無視して会話が続けられていたため、大声をあげざるを得なかった。しかしそんな事では、一度盛り上がった女子トークは止まらない。

 

「先生、和希君が海未ちゃんのどこを好きになったか気になりませんか?」

「だから、俺を無視して話を――」

「気になります!」

 

 ほんと、ノリのいい先生だな!! 結局、俺への追及は授業が終わるまで続いたのだった。

 海未のどこを好きになったのかは話さなかったけどね。

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

「あらっ? 和希さん、今日はいつもより早かったですね」

「いや、まぁHRが若干早く終わったので……」

 

 玄関で俺を迎えてくれた睦未さんが、少し驚いたような声を上げる。それもそのはずで、いつもに比べて帰ってくる時間が20分ほど早い。

 いつもより長く感じた6時間の授業が終わった瞬間に俺は教室を飛び出し、速攻で園田家へと帰ってきたからだ。久しぶりの全力疾走はなかなかに堪える。

 

「もしかして、海未さんが心配で早く帰ってきたのですか?」

「……だから、HRが早く終わっただけですよ」

 

 相変わらず勘のいい睦未さん。完全に図星だったのだが、俺はHRが早く終わっただけだと言い張る。

 

「ふふっ、まぁそういうことにしておきますね。それと申し訳ないんですけど、海未さんの看病をお願いできますか?」

「それは構いませんけど、どうかしたんです?」

「実はこの後に予定が入ってしまいまして。終わるのが夜遅くになりそうなんですよ」

「なるほど。それなら大丈夫ですよ。俺が責任もって看病しますから」

 

 多分言われなくても看病はしてたと思うけど。

 その後、薬の場所やお粥が冷蔵庫に入っていることなどを伝え、睦未さんは足早に家を出ていった。どうやら結構時間がギリギリだったらしい。

 

「さて……」

 

 残された俺は、制服から部屋着へと着がえを済ませる。そして、海未の様子を確認するために彼女の部屋へ。

 

「まだ寝てるみたいだな」

 

 海未はいつもより少しだけ赤い顔で眠っていた。そんな彼女の布団をかけ直す。

 

 ちなみに彼女は、インフルエンザとかではなく普通の風邪だったらしい。ただ、普段はあまり風邪をひかないせいで、若干酷くなっているみたいだった。

 

「取り敢えずタオルだけ変えるか」

 洗面器に水と氷を入れ直し、海未の額に乗っていたタオルを浸す。十分に絞った後、額に乗せ直すと彼女の表情が少しだけ和らいだ。

 

「……やることが無くなった」

 

 海未は眠ってしまっているため特にすることもない。仕方がないので一度部屋に戻り、最近読み始めた漫画(今更ながらスラダンにハマった)を手に戻ってくる。

 海未の部屋に置いてあった座布団に座り、漫画を読み始める俺。

 

 2時間ほどが経過した頃だろうか。

 

「んっ……」

 

 布団がもぞもぞと動き、くぐもった声が聞こえてくる。

 顔を向けると、目をこすりながら起き上がる海未の姿が見えた。俺は読んでいた漫画を閉じて立ち上がる。

 

「大丈夫か、海未?」

「はい……あれ? どうして和希が私の部屋に? お母様はいないんですか?」

「用事があるって、俺が看病を変わったんだよ。それで体調はどうだ? 苦しかったりしないか?」

「まだ少しだけ辛いですけど、薬を飲んだので午前中よりはましになりました」

 

 確かにまだ顔は赤いけど、朝より大分ましにはなっていた。

 

「まぁ、これでぶり返したらいけないから今日はゆっくりしてるんだぞ。あと、睦未さんがお粥を作ってくれたんだけど、食べられそうか?」

「そうですね。少しなら食べられそうです」

「よし、じゃあ温めてくるから少し待っててくれ」

 

 冷蔵庫に入っているお粥を取りにキッチンへと向かう。お粥を温め直してお盆に乗せた後、俺は海未の部屋へと戻る。

 

「これだけあるけど、食べられるだけでいいからな」

「…………」

 

 しかし、海未は俺からお粥を受け取ろうとしない。

 

 

 

「どうかしたのか?」

「…………さい」

「えっ?」

「……食べさせてください」

 

 

 

 海未から出た言葉が信じられなくて耳を疑ってしまう。しかし彼女は、真面目に食べさせてほしいと言ってるらしい。

 それは彼女の耳が真っ赤に染まっていることからもよく分かる。明らかに熱のせい以上に、赤く染まっているからな。

 

「えっと、それは冗談とかじゃないんだよな?」

「だ、だって、今の私が一人で食べるとこぼしてしまいそうですし……」

 

 もにゅもにゅと海未が呟くようにして話す。どうやら先ほどの言葉に嘘偽りはないらしい。まぁ、海未は冗談をいうタイプじゃないし本気で食べさせ欲しいのだろう。

 

 そこで俺の頭に穂乃果の言葉が思い浮かんできた。

 

 

 

『多分本心では甘えたいって思ってるはずだしね!』

 

 

 

 俺はもう一度海未に視線を向ける。

 

 少しだけ恥ずかしそうな様子で。だけど、どこか期待するような視線を俺に向ける彼女。

 

(穂乃果たちの言うことが正しいのかもな)

 

 少しだけ笑みを浮かべた俺は、レンゲを手に取りお粥をすくう。そしてお粥を十分に冷ました後、彼女の前にそのレンゲを差し出した。

 

 

 

「はい、海未」

「えっ……いいんですか?」

「いいからこうしてレンゲを差し出してるんだよ。それで、食べるのか食べないのか?」

「た、食べます!」

 

 

 

 勢いよく海未がレンゲに食いつく。しかし、勢いが良すぎたせいか、若干お粥がこぼれてしまう。

 

「あっ……こぼれてしまいました」

「…………ちょっと待ってろ。今ティッシュ持ってくるから」

 

 少しだけ間が開いたのは、口から零れたお粥が若干エロくて……ゴホン、ゴホン。

 お粥を拭き終えた後は、海未にあーんして食べさせるを繰り返す。

 

「なんだかんだ全部食べちゃったな」

「そうですね。午前中もほとんど食べてなかったですから、お腹がすいていたのかもしれません。……ま、まぁ、和希が食べさせてくれたからかもしれないですけど」

「ん? 何か言ったか?」

「な、何でもないです!」

「それならいいけど。あっ、忘れないうちに薬だけ飲んでくれ。飲まないと、治るもんも治らなくなるからな」

 

 俺は海未に水と薬を渡す。これでもうひと眠りでもすれば完治するだろう。

 そう思って俺がベッドから離れようとすると、

 

「あっ、待ってください和希」

 

 海未が俺の服の端をギュッと掴んできた。

 

「海未?」

「えっと、その、実は眠ったら寝汗をかいてしまっていたみたいで……」

「おっと、悪いな気が付かなくて。それじゃあ俺は一度部屋の外に出てるから。着替え終わったら呼んでくれ」

 

 恐らく新しいパジャマに着がえたかったのだろう。確かに、熱がある時っていつも以上に汗が出てくるからな。

 

「そ、そうわけじゃないんです」

 

 しかし、海未は出て行こうとした俺を呼び止める。はて……じゃあ一体どういうわけなんだろう? 

 俺が首を傾げていると、意を決したように海未が口を開く。

 

 

 

「寝汗をかいて少し気持ちが悪いので……身体を拭いてもらえませんか?」

 

「……へっ?」

 

 

 

 今度こそ聞き間違いだと思った。というか、聞き間違いだと思いたかった。

 

「あの、それは俺が海未の身体をタオルで服と言うことで間違いないでしょうか?」

 

 思わず敬語になってしまう。いや、食べさせてやるのはともかく、まさか海未がここまで要求してくるとは思わなかったから……。

 

「っ!? ……そ、そうです」

 

 恥ずかしそうにキュッと目を瞑った海未が頷く。

 

「じゃ、じゃあちょっと待ってろ。今お湯とタオルを持ってくるから」

 

 俺は海未の部屋を出て浴室へ。新たな洗面器にお湯を入れ、タオルを手に取り戻ってくる。

 

「……そ、それでは上着を脱ぐので、少し後ろを向いてもらってもいいですか」

「お、おぅ……」

 

 ドクンドクンとうるさい心臓を押さえ、俺は後ろを向く。

 

 すると、すぐに服の擦れる音だけが聞こえてきた。しゅるしゅると布の擦れる音だけが部屋に響く。そして、

 

 

 

「もう、いいですよ……」

 

 

 

 今にも消え入りそうな声で俺の名前が呼ばれる。

 

 

 

「わ、分かった」

 

 

 

 振り向くと海未はベッドの上に座り、背中だけをこちらに向けている状態だった。

 

 

 

「そ、それじゃあ、お願いします」

 

 

 

 そういって海未は背中が見えるように髪を手で束ねる。彼女の背中が見えた瞬間、俺の口からため息が漏れた。

 

 シミ一つない、きめ細かく真っ白な肌。あまりの美しさに一種の芸術作品なのではないかと勘違いしてしまうほど。

 

 思わず生唾を飲み込んでしまう。

 

 

 

「…………」

 

「か、和希。あまりじろじろ見られると恥ずかしい……です」

 

 

 

 どうやら、海未の背中に見惚れすぎてしまったらしい。海未から恥じらいの声が上がり、俺は我に返る。

 

「わ、悪い。あまりに綺麗だったから……」

「そ、そういうことは言わなくてもいいです!」

 

 お叱りの言葉を受け、俺はようやく動き出した。タオルをお湯に浸し、よく絞って適当な大きさに畳む。

 

「そ、それじゃあ、拭くからな?」

「は、はい……」

 

 海未の了承を得たところで、俺は背中に向かって手を伸ばす。

 

 

 

「っ!!」

 

 

 

 タオルが背中に触れると、海未の身体がピクッと反応した。

 声をもらさないよう、彼女は口元を手で押さえる。しかし、そのせいで声がくぐもった感じになり余計彼女を妖艶に魅せていた。

 手の間から漏れる熱い吐息も、艶っぽさに拍車をかけている。

 

(無心だ無心。無心で素数を数えるんだ俺)

 

 海未の背中を傷つけないよう慎重にタオルを動かしつつ、俺は無心で素数を数え始める。しかし、余計な煩悩が俺の頭を駆け巡っていた。

 

 目の前には上半身裸の彼女がいる。こんな状況で無心になれというのは、男としても彼氏としても土台無理な話。だからといって、襲うこともできないのが現状だ。

 

 そもそも、海未を押し倒す勇気も持ちあわせていない。仕方がないので素数を数え続ける。心の中での素数が229に達したところで、

 

「取り敢えず、背中は全部拭いたぞ」

 

 生殺しのような時間がようやく終わった。俺はふぅ、と息を吐き背中を拭いていた手を離す。

 

 

 

「……流石に前は自分でやってくれよ?」

「っ!! 言われなくても自分で拭きますよ!!」

 

 

 

 自分でもなかなか最低なことを言った気がする。海未に頭を下げ、俺は再び部屋の外へ。

 5分後、

 

「もう、入って大丈夫ですよ」

 

 海未から了解を得たので、俺は再び部屋の中へと戻る。部屋の中では顔を赤くした海未が、女の子座りでベッドの上に腰掛け俺を待っていた。

 パジャマは先ほど着ていた水色のものから、ピンクの色のパジャマへと変わっている。

 

「…………」

「…………」

 

 さっきまであんなこと(別にいかがわしいことはしていない)をしていたため、少しだけ気まずい。

 

「……た、体調はもうよくなったのか?」

「は、はい。朝に比べたらだいぶ良くなりました」

「そりゃよかったよ。まぁ、さっきも言った通りまたぶり返すといけないからな。今日はもう大人しくしてるんだぞ?」

 

 海未は「分かりました」と言って布団にもぐる。

 

 首だけ上を出した海未の頭を俺は優しく撫でると、そっぽを向いて今日一番言いたかった本音を呟いた。

 

 

 

「早く風邪を治せよ。……海未がいないと家でも学校でもつまらないんだ」

 

 

 

 耳まで赤くして呟いた俺の言葉を受け、海未が布団を深く被り直す。そして、「……熱が上がっちゃいます」とこれまた俺と同じく小さな声で呟いた。

 

 さて、海未が寝てしまえば看病もこれにてお終い。この後は勉強でもしようかなと考えていると、

 

「……和希」

 

 身体を俺の方に反転させた海未が名前を呼ぶ。

 

「どうした?」

「最後に一つだけ、我が儘を聞いてもらってもいいですか?」

 

 海未が我が儘? それって何気に珍しいことだな。

 俺が頷くと海未は布団の中から右手を差し出してくる。

 

 

 

「私が眠るまで握っていてください」

 

「……そんな事でいいのなら」

 

 

 

 両手で包み込むようにして右手を握ると、海未は安心したように目を瞑る。そして数分も経たないうちに、

 

「すぅ……すぅ……」

「寝ちゃったか」

 

 可愛い寝息が俺の耳に聞こえてきた。多分、薬の影響が出たのだろう。気持ちよさそうに眠っている。

 

「……じゃあ海未も寝たことだし、俺は自分の部屋に戻ろう」

 

 そう思って立ち上がろうとしたのだが、

 

 

 

ギュッ

 

 

 

 海未が俺の左手を離してくれない。幼い子供のような彼女に、俺は思わず苦笑いを浮かべる。

 

 

 

「今日はここで寝るか」

 

 

 

 部屋に戻ることを諦め、俺は座布団の上に座り直した。

 特にやることもないので眠っている海未の顔を眺める。眠っていても俺の彼女はやっぱり可愛かった。ずっと眺めていたかったのだったが、俺も俺で疲れていたらしい。

 

 気づくと俺は、海未のベッドに突っ伏すようにして眠ってしまったのだった。

 

 

 

 ちなみに帰って来た睦未さんが海未の部屋を訪れ、俺たちの姿を写真に撮りまくったのはまた別の話。




 読了ありがとうございます。
 こうして復活を遂げたわけですが、これからはのんびり続きを書いていこうと考えております。あまりに期間をあけすぎることもしませんが、一週間に一度というのは考えておりません。他の作品との兼ね合いもありますし、リアルも忙しくなってきているので……。
 まぁ、自分のペースで更新していきますが、これからもよろしくお願いします。


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AFTER STORY 2 真面目な彼女ともギクシャクする

 大変お待たせいたしました。


 

 

 

 海未が風邪をひいてから月日は流れ、既に11月の下旬へと季節は突入していた。肌を撫でる風が日に日に冷たくなっている。もう二日もしないうちに12月である。ほんと季節の流れは早い――。

 

「ねぇ、和希君!」

「ん? どうしたことり?」

 

 声をかけられた俺は、並んで歩いていた彼女の方に視線を向ける。見ると彼女、南ことりは少し怒っている様子だった。

 ちなみに今は朝の登下校中で、ことりの隣には穂乃果もいる。海未は弓道部の朝練があるとのことで不在。

 

「最近海未ちゃんとなんかギクシャクしてない?」

「……別に、普通だと思うけどな」

 

 相変わらずの鋭い観察眼に俺は視線を逸らす。しかし、目を逸らしてしまったことが逆に良くなかったらしい。

 

「目を逸らしたってことは、和希君もギクシャクしてるって思ってるんじゃないの?」

「だ、だから別にギクシャクなんて……」

「えぇーー!! 和希君と海未ちゃん、喧嘩してるの!?」

「穂乃果、うるさい」

 

 大きな声を出した穂乃果の頭に軽く手刀を下ろす。

 

「い、痛いよ和希君……」

「穂乃果の声が大きすぎるんだよ」

「そんな事よりも、和希君はどうして海未ちゃんとギクシャクしてるの?」

 

 穂乃果とのやり取りで先ほどの質問を誤魔化せるかと思ったら、全く誤魔化せなかった。流石ことりさんである。

 

「俺たちってそんなにギクシャクして見えた?」

「見えました! お互いの距離が若干開いてるし、会話もチグハグしているように見えるし」

 

 頬を膨らませながらことりが答える。

 

「きょ、距離はそこまで離れてないだろ? 会話だって普通に――」

「普通に見えないからこうして怒っているんです! 付き合ってから今まで集合場所に歩いてくる二人を見てきたけど、すっごくギクシャクしてるんだもん! まるで付き合ったのはいいけどお互い恥ずかしくてどうしていいか分からない感じに!」

「あっ、それは穂乃果も思った! なんていうか、初めて知り合ったみたいによそよそしい感じがする!」

「うぐっ!?」

 

 二人の言ったことが的を得ていた……というか、まんま図星だったので俺はうめき声をあげる。ここまで見破られていると隠し通せるとは思えないので素直に認めるしかない。

 

「い、いや、まぁ、そうなんだけど……」

「はぁ……」

 

 ことりがため息をつく。そのため息には「はぁ、このヘタレはどうしようもないな」という意味が込められていることだろう。

 

「和希君って意外と恥ずかしがり屋なんだね! 女の子みたい!」

 

 悪気のない穂乃果の言葉に、俺のメンタルが益々抉られる。無邪気な彼女の言葉はことりのため息よりダメージが大きい。まさか、不良で名が通っている俺が女の子みたいと言われる日が来るとは……。

 

「もうこの際だから色々聞いちゃうけど和希君、正直に答えてね」

「はい」

「付き合ってから手をつないだ?」

「外では繋いでません。なんか付き合ってから妙に意識しちゃって」

「どれくらいの頻度で一緒に帰ってる?」

「う、海未の部活があるから、週一くらいでしか一緒に帰ってません」

「……ねぇ、和希君」

「何でしょうか?」

「ちょっと想像以上に酷くて、ことりすっごく驚いてます」

「返す言葉もございません……」

 

 呆れを通り越して感心すらしていることりに俺は情けなく首を垂れる。改めて口に出すと、自分のヘタレ加減がよく分かった。ほんと俺、何してるんだろう?

 

「和希君って、想像以上にヘタレだったんだね!!」

「そんなに元気よくヘタレって言わないで……」

 

 俺のライフはとっくにゼロだから。ぼろくそに言われ過ぎて涙が出そうである。

 

「もうっ! どうして和希君と海未ちゃんはそんな事になってるの? 普通、付き合って一か月くらいって一番楽しいときじゃないの?」

「いやまぁ、そうなんだけど……」

 

 プンプン怒ることりに対して、俺は歯切れ悪く答えるしかない。

 

「海未と付き合えて本当は凄く嬉しんだけど、なんというか『付き合う』って単語をすごく意識して、普段通りに振る舞えないんだよ。気恥ずかしいし、何話していいか分からないし……」

 

 付き合う前はあれだけ普通に話せていたのに、いざ付き合ったら全くと言っていいほど会話が続かないのだ。正直、普通に話せるのは家にいる時くらいである。まぁ、それも二人きりじゃなくて睦未さんがいる時限定なんだけど……。

 

 海未も海未で妙に意識しすぎているのか、二人だけの時は口数が少ない。それが余計に俺たちのギクシャクを助長していた。

 

「和希君と海未ちゃんは中学生なんですか?」

「ふぐっ!?」

 

 きょ、今日はことりのツッコミが容赦ない。裏を返せば、それだけ今の俺たちが見ていられないのだろう。

 

「確かに和希君も海未ちゃんも初めて付き合ったわけだし、ギクシャクするのも分かるんだけど」

「今の状況はあまりに酷過ぎて目も当てられない……そういうわけですか?」

「概ねその通りです」

 

 改めて肯定されるとやっぱり心にグサッとくる。

 

「というか、和希君って付き合い始めて次の日、海未ちゃんの看病をしてなかったっけ?」

「看病はしたけど、あの時は状況が状況というか……」

 

 海未は風邪をひいて、俺と話すことなくほとんど寝てたわけだし。

 

「海未ちゃんの背中も拭いたのに?」

「ちょっとことりさん!? その話はいったい誰から?」

「もちろん、海未ちゃん♪」

「う、嘘だろ……」

 

 恥ずかしがり屋の海未がどうしてそんな事を言ったんだろう?

 

「すごく恥ずかしそうだったけど、すごく嬉しそうだったよ?」

「やめて、そんないい笑顔で俺のをからかわないで!」

 

 久しぶりにドSなことりを見たところで穂乃果がキョトンと首を傾げる。

 

「和希君って海未ちゃんのこと好きじゃないの?」

「そんなわけあるか。大好きに決まってるだろ」

「海未ちゃんがいないとそう言うことは平気で言えるんだね……」

「逆に本人がいたら絶対に言えない」

「和希君、今の言葉は流石の穂乃果でもフォローできないよ……」

 

 朝から二人に呆れられつつ、俺たちは学校に到着したのだった。

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

『…………』

 

 その日の帰り道。

 

 部活が休みだといった海未と一緒に帰っているのだが、全くと言っていい程会話がなかった。

 一応、話はしているのだが長続きしない。少し話しては無言になり、少し話しては無言になる。気まずい空気のまま、帰り道も既に半分以上を消化していた。

 

(ことりが今の状況を見たららまたプンプン怒るんだろうな)

 

 余計なことを考える余裕はあるのだが、隣にいる海未と盛り上がれるような話題を考えることはできない。出てくるのは緊張による冷や汗だけである。

 更に、お互いの距離もやっぱり付き合う前に比べて少しだけ離れていた。付き合う前はなんだかんだで拳一つぶんくらいだった距離が、今では拳三つ分くらい離れている。

 

 すぐに手の届く距離ではあるのだが、今はその距離が限りなく遠い。

 

(無言のまま歩くよりも、喧嘩してた方がよっぽど気まずくならなくてすんだかも……)

 

 喧嘩している時はお互い遠慮なく言いたいことが言えたのに、いざ付き合ってみると今度は遠慮ばかりで言いたいことが言えない。何とも、もどかしい感覚だった。

 世間一般のカップルはこんな時、どのようにして気まずさを解消しているのだろう?

 

「あ、あのっ、和希!」

「……えっ? あっ、はい」

 

 考え事をしていた俺は海未への反応が少しだけ遅れ、何とも言えない返事を返す。

 その瞬間、海未の顔が悲し気に歪んだ気がした。

 

「え、えっと、どうかしたのか?」

「……いえ、何でもなかったです。だから気にしないで下さい」

 

 そう言って海未が笑顔を浮かべる。しかしそれは張り付けただけの、かなり無理をしているような笑顔だった。

 

「そうか。ならいいんだけど……」

「はい……」

「…………」

「…………」

 

 再び始まる無言の時間。気まずい雰囲気のまま、俺たちは園田家まで歩いていく。

 海未の部活の都合で週1,2回しか一緒に帰ることができないのに、こんなことになってしまっているもどかしさ。

 

 だからこそ俺はこの空気を解消させるために――

 

 

 

 

「……そんな訳で、二人に集まってもらったというわけです」

 

 あの日から三日ほど経った放課後。

 俺は園田家に穂乃果とことりを招いて相談にのってもらうことにした。

 

「和希君がいきなり呼び出すから何事かと思ったけど……やっぱり海未ちゃんとのことだったんだね」

 

 目の前で可愛く女の子座りをすることりが呆れたような声を上げる。何というか、最近ことりに呆れられてばかりのような気が……。俺がヘタレすぎるんですね、本当にごめんなさい。

 

「和希君、まだ海未ちゃんとギクシャクしてたの?」

「まだって……いや、そうなんだけどさ」

 

 目の前でおせんべいをかじりながら、呑気な声を上げる穂乃果。もう少し緊張感を持ってください。まぁ、さっきも言った通り俺がヘタレじゃなければ全て解決する問題なんだけど。

 

 ちなみに、今俺たち三人がいるのは先ほども言った通り園田家にある俺の自室。喫茶店でもよかったのだが、お金もかかるしあまり長居をするのもという理由で俺の部屋になったというわけだ。

 もちろん、海未はいない。今日は弓道部の活動があると言っていたので、しばらく帰ってくることはない。つまり、ことりたちに相談するには最適のタイミングだったのだ。

 

「えっと、まずは端的に聞きたいんだけど、まだ俺と海未ってギクシャクして見える?」

『見える!』

「こ、声を揃えて……」

 

 声を揃えて即答されるほど、状況は何も解決していないということなのだろう。あの日からは何とか間を持たせようと努力してたのに。

 

「い、一応、俺なりに積極的に話しかけたりしてたんだけど?」

「確かに話しかけてはいたみたいだけど……和希君、すごく無理して話しかけてたでしょ?」

 

 いきなり見破られて俺は押し黙る。

 

「今日の朝とか二人の会話聞いてたけど、とても一緒に住んでて付き合ってるカップルには見えませんでした!」

「なんか和希君の一方通行って感じがしたよね~」

 

 ことりだけでなく穂乃果にまでそう思われているということは、本当にその通りなのだろう。

 ことりはともかく、穂乃果って意外と直観的に鋭いところがあるし。

 

「会話をすることも大事だと思うけど、無理して話しかけられたら海未ちゃんもあんまりいい気分はしないんじゃない?」

 

 言われてみると話しかけていた時の海未は、どこか困ったような表情を浮かべていた気がする。それに海未の方から話しかけてきた事は一度もなかった。

 俺の額にスーッと冷や汗が流れる。

 

「もしかして、今日話しかけてたのって逆効果?」

「少なくとも、いい効果は何一つなかったと思うよ」

「…………」

「わぁっ!? 和希君の顔が真っ青に!」

 

 容赦のないことりの言葉に俺はただただ呆然と固まってしまう。

 

「ねぇ和希君。ギクシャクし始めてから海未ちゃんとしっかり話をした?」

 

 そんな俺を見てことりが少し優しい声色で聞いていた。俺は彼女の問いを頭で反芻させ記憶を思い起こす。そして、

 

「……多分一度もしてない気がする。家にいても基本的には世間話をするくらいだったし」

「なるほどね。ことりの個人的な意見なんだけど、やっぱりちゃんと話し合ったほうがいいと思うな。和希君、海未ちゃんに色々言いたいことがあるんでしょ?」

「まぁ、確かに色々言いたいことはあるけど」

「だったら、尚更ちゃんと話し合わなきゃ駄目だよ。喧嘩もしてないのにギクシャクしてるって、一番よくない状況だと思うから。それに、海未ちゃんだって色々言いたいことがあると思うしね」

「海未も?」

「口に出してないだけで、言いたいことは沢山あると思うよ。もしかすると、和希君以上にね♪」

 

 そう言ってパチッとことりがウインクを決める。もしかすると、ことりは俺からだけじゃなく、海未からも相談を受けていたのかもしれない。

 

「確かに海未ちゃん、言いたいことたくさんありそう! だって、和希君とあんまり仲良くなかった時はあれだけ色々言ってたんだから」

「そう言われてみると確かにその通りだよな。だけど、穂乃果に指摘されたのが納得できない」

「何でっ!?」

「冗談だよ」

 

 プンプン怒る穂乃果を宥めつつ、俺の頭にはある一つの疑問が浮かんだ。

 

「でも、それじゃあなんで付き合ったら前みたいに色々言ってこなくなったんだろうな?」

「そんなの決まってるじゃん! 海未ちゃんは和希君の事が大好きだからだよ!」

「はぇっ!?」

 

 自信満々で宣言した穂乃果に、思わず変な声が出た。顔が熱くなる。

 

「ふふっ♪ 和希君は恥ずかしがってるみたいだけど、ことりも穂乃果ちゃんの言う通りだと思うな。だって考えてみてよ。和希君は海未ちゃんのことが大好きなんだよね?」

「そりゃ、まぁそうだけど」

 

 口に出すのも恥ずかしいことを平然と聞いてこないでほしい。

 

「でも、大好きな海未ちゃんに色々我が儘を言ったら嫌われるって、和希君思ってない?」

 

 俺はことりの言葉にギクッとして体を震わせる。なぜなら彼女言ったことがまさに的を得ていたからだ。

 

「……思ってます」

「そこまで自覚できてるなら、もう答えは出てるよね?」

「えっ?」

 

 首を傾げる俺に、ことりがいつも通りふんわりとした笑顔を浮かべる。

 

「ギクシャクの原因はね、多分お互いが遠慮しちゃってるからだよ。海未ちゃんも和希君もお互いのことが大好きで、すごく大切にしたいって思ってるから。だから遠慮しちゃうの」

 

 ことりの言葉がストンと俺の心に落ちる。心のつっかえが取れたような感覚。

 

「お互いの事を大事にしたい、大切にしたい。そう思えることはとっても素敵なことだと思う。でも、だからといって遠慮しすぎるのもよくないんじゃないかな? せっかく両思いで付き合ってるわけなんだし!」

「そもそもこれまで散々喧嘩してきてたんだし、我が儘を言ったところで今更だよ! 海未ちゃんと和希君はそんな事で別れたりしないから安心して! それは穂乃果が絶対に保証できるから!」

 

 ニコッと笑顔を浮かべる穂乃果につられて俺も笑顔になる。穂乃果らしい、素直で真っ直ぐな言葉。だけど、その通りだと思った。

 

「和希君は海未ちゃんのことが大好きだし、海未ちゃんも和希君の事が大好き! ぜんっぜん問題ないじゃん!!」

「問題はないけど、恥ずかしいから大きな声で大好きを連呼しないで……」

 

 人から言われるとめちゃくちゃ顔が熱くなるから。

 

「それじゃあ、和希君はこの後海未ちゃんが帰ってきたら言いたいことを、全部話すんだよ?」

「なんかことり、お母さんみたいだな」

「もうっ、茶化さない! そんな事言うと今度から相談に付き合ってあげないよ?」

「そ、それだけは勘弁してください」

「これからも和希君の恋愛相談は続きそうだね~」

 

 一通り相談が済んだところでことりが確認とばかりに口を開く。

 

「それで和希君、最後にことりの質問に答えてください」

 

 一体何を質問するんだろうと身構えると、

 

「和希君は海未ちゃんのことが好きですか?」

 

 ズルッとその場に転びそうになった。恐らく、ちゃんと素直になれるようにといった意味が込められているのだろう。

 俺は一度深呼吸をして口を開く。

 

「好きだよ」

「じゃあ今海未ちゃんと、どんなことしたい?」

 

 け、結構踏み込んだところまで聞いてくるんだな。

 

「まずはちゃんと話したい。ギクシャクが無くなったら、もっと手をつないで歩きたいし、もっと一緒に帰りたい」

「他には?」

 

 これで終わりかと思ったら追撃があった。ことりさんの目がキラキラしている。

 

「ほ、他に!? そ、そりゃ、もっと色々したいけど……」

「海未ちゃんを抱き締めたいとか? 海未ちゃんとキスしたいとか?」

「…………まぁ」

「ふふっ♪ 和希君ってば照れちゃって、可愛いっ!」

「ことりが聞いてきたんだろ!!」

 

 気付けば穂乃果までニマニマしてるし……あぁ恥ずかしい。

 

「これだけ素直になれれば海未ちゃんと話すときも大丈夫だね! 多分海未ちゃんも同じように思ってるから!」

「海未ちゃんも女の子なんだから和希君、大事なところでヘタレないように!!」

「これだけ言われてヘタレるわけにはいかないから頑張るよ」

「じゃあ頑張ってね和希君! あんまり遅くなると海未ちゃんが帰ってきちゃうかもだから、ことりたちはこれで帰るね」

「おう。話を聞いてくれてありがとう」

 

 そう言ってことりが部屋を出るためにふすまを横にスライドさせる。すると、

 

「きゃっ!?」

 

『!?』

 

 まだ帰って来ていないはずの海未が俺の部屋に転がってきた。いきなりのことに目を丸くする。

 

 もしかしたら、ことりと穂乃果があらかじめ海未に連絡していたのかもしれない。そう思って二人に視線を向けると、俺と同様に目を丸くさせていた。恐らく、この二人も予想だにしていなかったのだろう。

 しかし、ことりは目を丸くすると同時に口元をニヤッとさせていた。「すごく面白いことになった」という感じに。

 

 

「いたた……あっ!」

 

 

 そこで腰をさすっていた俺と海未の視線がばっちりと合う。見つめ合うこと約三秒。

 

「っ!!」

 

 海未の顔が真っ赤に染まった。俺はその反応を見て思わず片手で顔を覆う。

 恐らくことりたちとの会話はほとんど聞かれていた。じゃなきゃ、ギクシャクしてる中でいきなり顔を真っ赤になんてしない。

 

「穂乃果ちゃん、私たちはさっさとお暇しようか?」

「そうだねことりちゃん。二人の邪魔をしちゃ悪いもんね」

『っ!?』

 

 俺と海未が顔を真っ赤にしている間に二人は、『頑張って~』と手を振りながら帰っていってしまった。

 

 

「…………」

 

「…………」

 

 

 部屋の中に訪れる沈黙。しかし、ギクシャクしている時の沈黙とは違い、不思議と息苦しさはなかった。

 

「……なぁ、海未」

「は、はいっ!」

 

 黙っているわけにもいかないので、俺は海未に声をかける。一方海未は少し緊張している様子だった。

 

「さっきの話、いつから聞いてた?」

 

 聞かれていたことに間違いはないけど、一応聞いてみる。

 

「えっと……ことりが私たちのギクシャクの原因を言っている時くらいからです」

「その、ことりが海未の事を色々俺に聞いてきた会話は?」

「……全部聞こえてました」

 

 消え入りそうな声で海未が答える。最初からではなかったのだが、恥ずかしいところはばっちり聞かれていた。

 

「ところで、今日は部活じゃなかったのか?」

「それが、今日は先生の急用でミーティングだけになったんです。それで家に帰ったら、和希の靴以外に二足の靴が置いてあったので……」

 

 なるほど。だからこんな早く家に帰ってきたのか。

 

「誰の靴か気になって俺の部屋まで来たら、あんな話が聞こえてきて入るに入れなくなったと」

「……はい。すいません、盗み聞きするような感じになってしまって」

「いや、それ自体は問題ないよ。むしろ、最初から話す手間が省けて助かったくらいだし」

 

 どうせ後から話そうとしていたことを全部聞かれていただけだ。早く話すか遅く話すかの問題だけ。

 俺は頭をかきながら海未と視線を合わせる。

 

「もう海未は俺の話を聞いてたわけだからさ……今度は海未の話を聞かせてほしい」

「……我が儘なことでも聞いてくれますか?」

「むしろ我が儘なことを言ってほしいかな?」

「ふふっ、なんですかそれ?」

 

 少しだけ海未の表情が和らぐ。そして海未は俺の右手をギュッと握ってきた。

 

「私も和希と手をつないで歩きたいです。朝、穂乃果たちと会うまでの時間でいいですから」

「うん。むしろ、そんな短い時間でもいいのか?」

「ま、まだ人前でつなぐのは恥ずかしいので」

 

 恥ずかしそうに海未が顔を赤く染める。理由が実に海未らしい。

 

「他には?」

「あと……一緒に帰れる日をもっと増やしたいです」

 

 ボソッとそういった後、慌てたように海未がぶんぶんと手を振る。

 

 

「で、でも、無理にとは言いませんからね! 部活だっていつも同じ時間に終わるとは限りませんし、何より和希は私の部活が終わるまで残ってないといけませんから。……でも、一人で帰ってるとやっぱり寂しいというか、空しいというか」

 

 

 はぁ、俺は自分の大好きな彼女になんて思いをこの一か月間させていたんだ。自分で自分のヘタレ具合が嫌になる。

 

「いいよ。むしろ、その事は俺から言い出さなきゃいけなかったことなんだけどな」

「やっぱり、私が和希を嫌うと思ってたんですか?」

 

 さっきの話を聞いていただけあって察しがいい。

 

「まぁ、うん。恥ずかしい話なんだけど」

「確かに恥ずかしいです。出会った頃はあれだけ好き放題、私に言ってきたのに。よくうるさいとかうざいとか言われましたっけ?」

「あん時の話はしないでくれ……」

 

 顔が急に熱くなり俺はそっぽを向く。

 あの時は、本当に海未の事をただうるさいやつとしか思ってなかったんだよ。

 

 

 

 昔を思い出して恥ずかしがる、そんな俺の胸に海未が抱き付いてきた。

 

 

 

「はぇっ!?」

 

 突然のことに俺は目を白黒させる。俺から衝動的に抱き付くことはあっても、海未からはほとんど抱き付いてこないからだ。

 

「う、海未!? いきなりどうしたんだ――」

 

 

「嫌うわけなんてないです」

 

 

「っ!!」

 

 

 囁くようにして彼女が呟く。

 

 

 

「好きです……、和希……」

 

 

 

 強い力で抱き付きながら、甘い言葉をもらす。俺の身体は固まってしまったかのように動かない。海未の表情は見えないが、耳は真っ赤に染まっていた。

 

 

「だけど、私も同じです。私も我が儘を言ったら嫌われると思ってました。……変ですよね。付き合う前はあれだけ普通に振る舞えてたのに」

 

 

 真っ赤になった顔を上げ、海未が潤んだ瞳を向ける。その瞳は不安げにゆらゆらと揺れていた。

 

 

 

「嫌うわけない」

 

 

 

 今度は俺の方から海未の身体を抱き締める。

 彼女の身体は少しだけ震えていた。その震えが彼女の寂しさを物語っている。

 

「この一か月間、ずっと不安にさせてごめん」

「……気にしないで下さい。不安にさせたのはお互い様ですから。私も和希を不安にさせてごめんなさい」

 

 海未の言葉を聞いて俺はホッと一息つく。なんだかやっと胸のつかえが取れた感じだ。思わず笑みが漏れる。

 

 

「何だろう。付き合うって意外と難しいことなんだな」

「多分、そう感じているのは私たちくらいだと思いますよ」

「そんなわけ……いや、否定できない」

「ふふっ♪ 私たち、意外と似た者通しだったんですね」

 

 

 胸の中で微笑む海未が可愛い。そんな彼女の頭を優しく撫でる。

 

 

「これからはもっと俺から手を繋いだり、一緒に帰ったりする」

「はい」

「海未が部活の日は図書館で勉強でもして待ってるから。終わったら連絡してほしい」

「分かりました。和希も何か私にしてほしいことがあったら言って下さいね? 私、何でもしますから」

「…………海未、今の言葉自覚ある?」

「何の自覚ですか?」

「いつも通りの海未で安心したよ」

 

 

 可愛く首を傾げる海未に苦笑いを浮かべる俺。普段はしっかりしてるんだけど、意外と天然な部分があるから困る。そんなところも可愛いからいいんだけど。

 

「よし、それじゃあ話は終わりで……ん?」

 

 俺は話を終わらせようとしたのだが海未が一向に離れてくれない。

 

 

「えっと、どうしたんでしょうか?」

 

 

「……も、もう少しだけ」

 

 

 彼女の口から漏れたのは小さな我が儘だった。

 言った後で恥ずかしくなったのか、抱き付く力が強くなる。

 

 

「お、おぅ……」

 

 

 一方俺の口から漏れたのは何とも間抜けな返事だった。

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

「ことりちゃん、和希君たち大丈夫だったかな~?」

「うーん、昨日あれだけ色々言ったから、多分大丈夫だと思うんだけど……」

 

 次の日の朝。いつもの待ち合わせ場所で心配そうに話す穂乃果とことり。心配しているのはもちろん、和希と海未のことだった。

 和希も最後にはちゃんと話すと言っていたものの、やっぱり心配なものは心配だったのである。

 

「これで何も話せていなかったら二人、別れちゃうかも……」

「流石に別れそうになったらことりがなんとしてでも二人を離し合わせて……って、あれ?」

 

 ことりが何かに気付いたような声を上げる。

 

「ことりちゃん?」

「穂乃果ちゃん、こっち!」

「わわっ!?」

 

 穂乃果を電柱の影へと引っ張ることり。

 

「いきなりどうしたの?」

「ふふっ♪ 穂乃果ちゃん、あれ見て」

「あれ? あれって一体……あっ!」

 

 電柱の陰に隠れながら指さす方に視線を向けるとそこには、

 

 

 

 手を繋いで仲睦まじく歩く、和希と海未の姿があった。

 

 

 昨日まで感じていたギクシャクは全くと言っていいほど感じられない。穂乃果とことりはその光景を見て思わずにっこりと微笑む。

 

「……私たち、少しだけ心配し過ぎちゃったみたいだね」

「うんっ! それにしても和希君と海未ちゃん、幸せそうだな~」

 

 気恥ずかしさは若干残っているものの、二人の表情からは幸せだという気持ちが滲み出ている。

 

「和希君ってば、すごい優しい表情を浮かべてるよね。普段からあんな顔してたらすっごくモテてたんじゃない?」

「確かにそうだけど、多分あの優しい顔は海未ちゃんにしか見せないと思うな。私たちにだってなかなか見せてくれないでしょ?」

「言われてみると……海未ちゃん、愛されてるなぁ」

 

 二人が聞いたら恥ずかしさで顔を真っ赤にするような会話を、二人でニマニマしながら話す。

 

「それに海未ちゃんの顔も写真に収めたいくらい可愛いよね」

「ばれないように撮っておこうか?」

「賛成!」

 

 スマホでパシャっと撮られた写真の中で海未は子供のような、どこかあどけなさの残る笑みを浮かべていた。

 いつもキリっとした顔でいることの多い海未にしては珍しい表情。その写真を見て二人は再びニマニマと笑みを浮かべる。

 

「……さて、二人の幸せそうな姿を写真に収めたところで、私たちもそろそろいつもの場所に戻ろっか」

「穂乃果たちが電柱の影から突然現れたらびっくりさせちゃうもんね」

 

 二人は電柱の影から出て、いつも通りの場所で二人を待つ。

 

 すると二人に気付いた和希たちは慌てて手を離すと、何事もなかったかのように待ち合わせ場所に歩いてきた。

 ギクシャクは直っても基本的には初心な二人に、三度口元が緩む穂乃果とことり。

 

「おはようございます穂乃果、ことり」

「おはよう、穂乃果にことり。……ってどうしたんだ? そんなにニヤニヤして?」

「何でもないよ~。私たちに気付いて手を離す二人には分からないよね、ことりちゃん?」

 

『っ!?』

 

「そうだね、穂乃果ちゃん♪ 幸せそうな顔で手を繋いでいた二人には絶対に分かりません!」

 

 予期しない言葉に和希は口をパクパクさせ、海未は俯いてしまう。もちろん、顔はどっちも真っ赤。

 

「ふふっ♪ それじゃあ可愛い二人も見れたことだし学校に行こうか?」

「うんっ! ほらっ、和希君も海未ちゃんも早くしないと遅れちゃうよ?」

「ふ、二人とも、手を繋いでいたことをどこから見て――」

『れっつごー!』

 

 和希からの言葉を遮って学校に走り出す二人だった。




 読了ありがとうございました。タイトルで心配した方もいたかもしれないですが、中身はいつも通りでした。
 さて、大体二か月ぶりに投稿したわけですがこの作品は今後もこんな感じでのんびり投稿していきます。となると、次投稿するのは二月かな? どうかゆっくりとお待ちいただければと思います。

 それにしてもサンシャインがもう直ぐで終わってしまう……。個人的には果南の弱点が二つも出てきて可愛かったです。特に三話ではどこかの生徒会長を思い出しました。


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AFTER STORY 3 真面目な彼女との短編集

 あけましておめでとうございます。この作品は新年初投稿ですので一応ご挨拶を。前回からおよそ二か月ぶり。何とかペースを維持できています。次は何とか4月中に投稿できれば思っております。
 

※短編集とか書いてますけど、2話しか掲載されていませんのでご注意を。前半の方が長くて、後半が短めです。


 

 

 

 

『帰り道』

 

 

 

「それじゃあこれでHRを終わりな。みんな気を付けて帰れよ~」

 

 帰りのHRが終わり、クラスメイトは各々席を立ち始める。

 

「あ、あのっ、和希……」

 

 俺も帰りの支度をする中、隣に座る海未が少し緊張気味に話しかけてきた。少しだけ頬が赤い。しかし、俺はその理由が分かっているので彼女が何か言う前に答える。

 

「分かってる。今日も部活が終わるまで待ってるから」

 

 俺がそういうと、海未の表情がぱぁあっと明るくなり……恥ずかしくなったのかすぐにその表情を引っ込めた。

 

「私はまだ何も言っていません」

 

 拗ねたようにそっぽを向く。

 

「言われなくても海未の表情で分かるよ。一緒に帰るって言ってくる時は、いつも緊張気味で顔も少し赤いしな」

「す、少しだけしか緊張してませんよ!」

「緊張はしてるんだ」

「っ!? し、してませんよ! 言葉の揚げ足をとらないで下さい!」

 

 顔を先ほどよりも赤くして海未が声を上げる。ほんと、俺の彼女は可愛いなぁ。

 

「そもそも部活後は一緒に帰ってるんだし、わざわざ言わなくてもちゃんと待ってるって」

「で、ですが、和希にだって早く帰りたい時があるんじゃないかなと……。それに部活のある時はいつも待たせているわけですし」

「だからそんなの気にするなっていつも言ってるだろ? 俺は海未と一緒に帰りたいから待ってるんだ。それに待ってる間は宿題が出来るわけだし、何も問題はないよ」

 

 それだけ言ってもまだ申し訳なさそうな表情を浮かべる海未の頭をぽんっとなでる。

 

「それとも、海未は俺と一緒に帰りたくないのか?」

「……その言い方はずるいです」

「分かったのなら早く部活に行ってこい。遅れると先輩たちに迷惑をかけるぞ?」

「和希に言われなくても分かってます!」

 

 弓道の道具を背負って部活へ向かう海未を見送った後、俺は改めて帰りの準備に取り掛かる。

 

「和希君たちって、何か最近吹っ切れた感じあるよね?」

 

 海未が教室から出ていったタイミングで、目の前に座るクラスメイトが話しかけてきた。

 

「そんな風に見えるか?」

「うん、そう見える! 以前までは付き合ってるとはいえ少し遠慮してる感じがしたんだけど、最近は人目もはばからずイチャイチャしてるでしょ?」

「イチャイチャなんて別にしてな――」

「さっきまでイチャイチャしておいて何を今さら……。あれでイチャイチャしてないって言ったら、世間一般的なイチャイチャの概念が音を立てて崩れ落ちるわよ。見てるクラスメイトの身のもなりなさい」

 

 若干やさぐれたように呟かれ俺は頭をかく。さっきの会話は別にイチャイチャなんてつもりは全くなかったんだけど……。

 俺がそう話すと、

 

「だったら早く結婚しなさいよ。もう一緒の空間にいるだけで砂糖を吐きそうになるの。この際、法律は無視して構わないわ」

「言ってること無茶苦茶だな……」

 

 より一層やさぐれてしまった。これはもうどうしようもないので、放っておくことにしよう。俺は会話を切り上げ、さっさと図書室へ向かうのだった。

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

「んん~……ようやく終わった」

 

 宿題を終わらせた俺は、誰もいない図書室で大きく伸びをする。今日は授業で出された宿題が多く、そこそこ大変だった。

 

 スマホを確認すると既に海未の部活が終わる時間になっている。しかし、海未からの連絡はない。恐らく部活が長引いているのだろう。

 

(ここにいてもやることないし、取り敢えず弓道場へ向かおうかな。近くで待ってれば海未もわざわざ図書室まで来る必要がなくなるし)

 

 一応海未に連絡を入れ、俺は図書室から弓道場へと向かう。

 季節も十二月になり、時折肌を撫でる風に一層の肌寒さを感じるようになっていた。これからもっと寒くなるのだと思うとかなり憂鬱である。

 なんてことを考えているうちに弓道場に到着し、遠目から中を確認する。

 

(あー、まだやってるっぽいな)

 

 道着を身に着けた女子生徒がちらほらと動いている。俺の予想通り練習時間が伸びているみたいだ。

 

(取り敢えず終わるまでこの辺で待ってるか)

 

 あまり近づきすぎると不審者と勘違いされかねないからな。

 俺は壁に寄りかかり、ポケットからスマホを取り出す。最近始めたソシャゲをしつつ、海未を待っていると、

 

「あ、あのっ!」

「……はい?」

 

 誰かに声をかけられ視線を上げると――。

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

「ふぅ……」

「お疲れ様、海未」

 

 最後の一本を打ち終え、タオルで汗を拭う私に部長が声をかけてきた。

 弓道の腕は確かなのですが、結構ボディタッチが激し目の先輩です。

 

「あっ、お疲れ様です部長」

「最近絶好調だね。矢を放てば全部的の中心に行く感じ。調子がよさそうだけど、なにかあったの?」

「へっ? え、えっと、それは……」

 

 返答に迷う私を見た部長の口元がニヤニヤと緩み始めた。

 

「もしかして、愛しの彼氏とラブラブできてるから?」

「っ!?」

「その反応は図星みたいね」

 

 顔を真っ赤にした私を見て再びニヤニヤと笑みを浮かべる部長。

 

「だ、誰から聞いたんですか!? 私、付き合ってること部長に話してませんよね?」

「他の一年生から聞いたのよ。というか、後夜祭で結構目立ってたから弓道部に所属している人、全員知ってると思うわ」

「そ、そんなに目立ってました?」

「そりゃね。元々海未は大和撫子美人でモテてるわけだし、彼氏も金髪で目立つでしょ? そんな二人が周囲の目もはばからず手を繋いで校舎の中に入って行くんだもの。目立たないわけがないわよ」

 

 あの時は告白されるかもということに頭がいっぱいだったため、そこまで気にしている余裕はなかったのだ。しかし、今思い出すと確かに目立っていたのかもしれない。

 

「うぅ……急に恥ずかしくなってきました」

「ほんと海未は付き合っても変わらないわね。まぁ、そんなところが可愛いんだけど!」

 

 手で顔を覆った私の頭を部長がよしよしとなでる。

 

「それにしても調子が良くなったのはやっぱり部活後、彼氏君と一緒に帰るようになったのが要因なの?」

「えっ? ど、どうしてそれが分かった……あっ!」

「ふふっ、ほんと海未は素直で可愛いわね」

 

 口を滑らせた私を見て部長が三度微笑む。

 

「……だ、だって仕方ないじゃないですか。一緒に帰れるって思うと、その……やっぱり嬉しいですし、練習にも気合が入るんです」

「あぁっ! もうっ、海未ってば可愛すぎ。ほんと彼氏君が羨ましい!」

「部長、そこまでにしてください。海未さんと彼氏君に迷惑が掛かりますから」

 

 私を抱き締めようとした部長の首根っこを掴んで引き離す副部長。部長とは対照的でいつでも冷静沈着。滅多に大きな声をあげたりしないものの、部長に対してだけは辛辣な人です。

 

「ごめんなさいね海未さん。練習が終わったのに、このおバカな部長に付き合わせちゃって」

「い、いえ、私は大丈夫ですので気にしないで下さい」

「そう言ってくれて助かるわ。でも、早く帰りの支度をしないとあなたの彼氏が誰かにとられちゃうんじゃない?」

「えっ?」

 

 副部長の視線の先には和希が弓道部の女子に囲まれている姿が見えた。ど、どうして和希が弓道場の近くにいるんでしょう?

 

「多分、いつもより練習時間が伸びたからじゃないかしら? それで、図書室から弓道場まであなたを迎えに来たんだと思うわよ」

「あっ、確かにいつもの時間よりは遅くなってますね……って、副部長がどうしてその事を!?」

「さあ? でも、練習が終わるたびに一人でいそいそと図書室へ向かう海未さんは部長の言う通り、可愛かったわよ」

 

 いつもとは違い、悪戯っぽく微笑む副部長。誰にもバレないようこっそり図書室に向かっていたのに、まさか見られていたなんて……。

 

「ちなみに、私以外にも知られてるからね」

「…………き、着替えてきます!」

 

 これ以上ここにいるとさらにいじられそうだったので私は副部長に頭を下げ、更衣室へと向かう。か、和希も待たせてしまいますし、仕方ないですよね。

 

「……私も後夜祭で校舎内に連れて行って告白してくれて、遅くなったら弓道場まで迎えに来てくれる彼氏が欲しかったわ」

「いつまでも夢見てないで現実を見なさい」

 

 部長が遠い目をして何かを呟いているが、気にしないことにしましょう。

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

「ねぇねぇ、和希君は海未ちゃんのどこが好きになったの!?」

 

「海未ちゃんへの告白の言葉を教えて!」

 

「というか、喧嘩ばっかしてたのにいつから好きになったの?」

 

「いっぺんに喋らないでくれ……。なにを言ってるのかさっぱり分からん。というかうるさいから」

 

 私が着がえを終えて戻って来ても、和希をとり囲む輪は小さくなるどころかむしろ大きくなっていた。輪の中心にいる和希は女子からの質問攻めに、若干鬱陶しそうな表情を浮かべている。

 どうやら、同じ女子高生といっても穂乃果やことりとは別扱いらしい。特にことり相手にあんな鬱陶しそうな表情を浮かべたりしませんからね。

 その表情を見た私は心の中でほっと息を吐いた。

 

(和希がニヤニヤしていたら……と思いましたけど、安心しました)

 

 相変わらず弓道部の女子からの質問を鬱陶しそうにあしらう和希。出会った当初の頃、私を邪険に扱っていたころの和希に似ていますね。昔を思い出し微笑んでしまう。

 さて、いつまでもあの状況下に和希一人ではキレてしまうかもしれないので助けに行ってあげましょう。和希は元々、気の長い方ではないですから。

 

「和希!」

 

 私が名前を呼ぶと、和希は「助かった!」と言わんばかりの表情を浮かべる。そして、女子生徒の壁をずかずかと押しのけると、いきなり私の手を握ってきた。

 

「ふえっ!?」

 

『きゃーーーー!!』

 

 驚く私と黄色い歓声などまるで気にせず、校門へ向かって歩き始める和希。

 

「よしっ、帰るぞ海未!」

「あっ、はい……」

 

 弓道部の皆さんにお疲れさまでしたの一言も言えませんでした……。

 

 そのまま校門まで歩いていき、校門から5分ほど歩いたところで和希が立ち止まってこちらを振り返る。

 

「ごめんな、無理やり連れだしたみたいになって」

「い、いえ、それは構わないんですが……どうしてこんな無理やり?」

「……あの空間に耐えられなかった。どうして女子は集まるとあんなにうるさいんだろう」

 

 げんなりした様子の和希に思わず「ふふっ」と吹き出してしまう。

 

「笑い事じゃないぞ。海未が図書室に来る時間になっても来なくて弓道場に行ってみたら……これから弓道場に迎えに行きたくなくなるよ」

「まぁ、私も皆さんがあそこまで興奮するとは思いませんでした。普段はもっと落ち着いてますから安心してください」

「今度からマスクでもつけて行こうかな?」

 

 マスクをしてもその金髪でバレるんじゃ? とは言わないでおきました。

 

「そもそも、皆さんの前で急に手をつないだことの方が問題で……」

「あ、あの時は逃げることで必死で何も考えてなかったんだよ。それに付き合ってることバレてたっぽいし、今更じゃないか?」

「それでも、恥ずかしいものは恥ずかしいんです!」

「冷静になって考えると、確かに恥ずかしい行動だったけどさ……」

 

 和希も顔を赤くしてそっぽを向いている。やっぱり何も考えずに手を繋いだらしい。そんなところが和希らしいと思っていたら、

 

「……あのまま質問攻めにあってると、海未に勘違いされるかもって思ったから。海未と同じ弓道部の人たちとはいえ、女子に囲まれてたわけだし」

 

 頬をかきながら答える和希の顔は少しだけ申し訳なさそう。そんな和希をからかいたくなった私は、少しだけムッとした表情を浮かべてみる。

 

「勘違いされるかもって、和希は浮気でもするつもりなんですか?」

 

 さて、和希はどんな反応を――――。

 

「それは絶対にないよ。だって、あの中だったら海未が一番可愛いし。そもそも、海未が彼女なのに浮気とかありえないだろ」

「っ!? そ、そうですか……」

 

 からかうつもりが、逆にとんでもない一撃を返されてしまいました。「俺、なんか変なこと言った?」と言わんばかりに平然としている和希とは対照的に、私の頬はゆでだこのように赤く染まる。

 い、いつもはどっちかというとヘタレなくせに……。

 

「海未、本当にどうかしたのか? 顔も赤いし」

「な、なんでもありませんよ!! 和希のバーカ! 私だって和希のことが大好きですし、浮気なんて絶対にしませんからね!!」

「ほんとにどうしたんだよ!?」

 

 今度は和希の頬が真っ赤に染まる。ふぅ、これで一死報えました……って、これじゃあただの恥ずかしいカップルでは?

 

「…………」

「…………」

 

 お互い無言で俯きあうこと30秒ほど。

 

「……ぷっ!」

「……ふふっ!」

 

 同じタイミングでふき出す私たち。言わなくても考えていることは同じだろう。

 

 そして、もう一度しっかり手を繋ぎ直す。もちろん恋人繋ぎ。

 

「じゃあ、遅くならないうちに急いで帰ろうか。睦未さんも心配するだろうし」

「そうですね。あっ、今日の晩御飯は鍋にするってお母様が言ってましたよ」

「それは早く帰らないとな。海未、早く帰るぞ」

「ちょ、ちょっと! 急に歩くスピードをあげないで下さい!」

 

 部活終わりに二人で歩く帰り道。その時間は私にとってすごく楽しくて、大切な時間です。

 こんな時間が来年も、再来年も続けばいい。心の中でそっと願ったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

『小悪魔海未ちゃん』

 

 

 

「それで和希、この問題は……」

「…………はい」

 

 どうも皆さんこんにちは。真嶋和希です。

 

 いま俺が何をしているかというと、海未に勉強を教えている最中です。その最中なんだけど、

 

「和希、聞いてますか?」

 

 挙動のおかしい俺を見て海未は首を傾げる。しかし、俺の挙動がおかしいのは今、目の前にいる海未に原因があるのだ。具体的にどの辺がおかしいのかというと、

 

「和希?」

 

 俺の名前を呼ぶついでに距離を詰め、膝に手を添える海未。少し分かりづらいかもしれないが、いつもより距離が近く、先ほどからなぜかボディタッチも多い。

 いつもはこんなことしないだけに、俺はかなり混乱していた。

 

(ど、どうしてこうなった?)

 

 取り敢えず少し前に時を遡ることにしよう。

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

「和希、今大丈夫ですか?」

 

 部屋の扉をノックする音に俺は読んでいた漫画から視線を外す。

 

「大丈夫だよ」

「じゃあ入りますね」

 

 返事を聞いた海未が扉を開け部屋の中に入ってきた。彼女の右手には数学の教科書らしきものが握られている。

 そして今日の彼女は、普段と少しだけ違う格好をしていた。風呂上がりなので部屋着を着ているのだが、それが何だか色っぽい。

 ショートパンツに、ゆったりとしたシャツと薄手のパーカーの組み合わせ。ショートパンツを履いているおかげで彼女の生足が惜しげもなく披露され、ゆったりとしたシャツは少しかがむと中が見えてしまいそうになる。

 

 つまり、いつもの海未に似合わない大胆な格好をしていたのだ。

 

「和希? どうかしたんですか?」

 

 雰囲気の違う彼女に見惚れすぎたらしい。海未が首をかしげて俺を見つめる。

 

「い、いや、何でもないよ。それよりどうして俺の部屋に来たんだ?」

「それが宿題でちょっと分からない部分があったので、教えてもらおうと思ったんです」

「そういえば今日出た数学の宿題、結構難しかったからな」

 

 海未にそう答えながら俺はいつも通り小さな机を準備し、ノートを取り出す。俺は既に宿題を終わらせ、答えも出ているので海未にやり方を教えることは容易であろう。

 

「ありがとうございます和希。それじゃあ隣に失礼しますね」

 

 俺の隣に座った海未は教科書を開く。なるべく彼女に視線を向けないよう注意しつつ、俺も教科書を視線を移す。

 

「この問題なんですけど……」

「っ!?」

 

 海未が問題の個所を指摘しようと前かがみになった瞬間、俺は慌てて視線を逸らした。ゆったりとしたシャツのお蔭で、いつもより胸の部分が緩くなっている。

 つまり……その、見えそうになったので視線を逸らしたのだ。

 

「あの和希、そっぽを向いたら問題が見えないのでは?」

「わ、分かってるよ!」

 

 誰のせいだと……。しかし、その事は口に出さず問題だけに集中する。気にするだけで時間の無駄だし、何より余計な体力を使うからな。まぁ、完全に気にするなって言うのは無理なんだけど。

 

(横を気にするんじゃない。横を見たらいろんな意味で死ぬぞ)

 

 必死に自分の中の欲望を押さえつつ、何とか問題を海未に説明すると、

 

「あっ、なるほど。そうなってたんですね!」

 

 納得してくれたようでふむふむと頷いている。ちなみに俺の方はかなり体力を持っていかれていた。勉強を教えただけなのに……。

 

「さて、これで終わりか?」

「えっと、まだもう少しあるんですけど……」

 

 そこまで言うと海未はなぜか俺との距離を詰める。ぴったりと肩が当たる距離。更に俺の太もも辺りに手を添える。いきなりのことに俺が目を白黒させていると、

 

「……教えてくれませんか?」

 

 上目遣いで俺の瞳を覗き込んでくる海未。俺の頭が見事にフリーズする。

 

 ちょっと待って。こんな小悪魔みたいな事する海未なんて俺は知らない。その後、何とか再起動した俺は「分かった」とコクコク頷くしかなかった。

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

 こんな感じで冒頭部分に戻るというわけである。海未がいつもと違うということだけ理解してもらえれば幸いです。なんて考えている余裕もなく、

 

「和希、ちゃんと聞いてます?」

 

 今度は両手を太もも辺りに添え、俺の瞳を覗き込んでくる海未。ぷくっと膨らんだ頬も相まって、男を惑わす小悪魔感が半端じゃない。

 

「き、キイテマスキイテマス」

 

 機械のように抑揚のない声を出す。海未があざとくて、色っぽくて、可愛くて……。

 

 その後は回らない頭を何とかして回転させ、海未のわからなかった問題を教えることができた。

 

「ふぅ……教えてもらいたい問題は終わりました」

「そりゃよかったよ……」

 

 ある意味地獄のような時間がようやく終わり、俺はため息交じりに返事をする。取り敢えず終わってくれてよかった。今みたいな時間がいつまでも続いたら俺の理性が持たない。

 

「ちょっと水飲んでくるわ」

「あっ、和希! 少し待ってください」

「ん? どうかしたの……か?」

 

 服の袖を引っ張られ後ろを振り返った俺は声を失う。なぜなら、

 

「…………」

 

 海未が俺の袖を引きながら、目を瞑っていたからだ。まるでキスを待っているかのような顔。

 

(はっ? えっ? はぁっ!?)

 

 突然のことに混乱する俺の頭。しかし、混乱しても海未は瞳を瞑ったまま。

 

(こ、これは……そういうことなのか?)

 

 もしかすると海未はキスをしたくていつもと違う格好をして、ボディタッチを多めにしてたのか? そう考えると、今までの行動に辻褄が合う……かもしれない。

 

(……なら、してもいいよな? だって海未の方から誘ってきてくれたわけだし)

 

 回らない頭のまま、顔を海へと近づけていく。海未との距離が20センチ、10センチ、5センチと縮まっていき、そして遂に海未と唇が触れあ――――。

 

 

 

パチッ

 

 

 

「えっ……?」

 

 

 

「あっ……」

 

 

 

 触れ合う寸前で海未が目を開けた。ガッツリと目が合い、無言で見つめ合うこと数秒。

 

 

 

「きゃあーーーー!!」

「ふげっ!?」

 

 

 思いっきり突き飛ばされた俺はしりもちをつく。えっ? 一体全体何が起こったの? 訳が分からず呆然とする俺を他所に、海未は真っ赤に顔をして口に手を当てている。

 

「……し、し」

「し?」

「失礼しますっ! 勉強を教えてくれてありがとうございました!」

 

 それだけ口にすると、一目散に俺の部屋から出て行ってしまった。残された俺はしばらくの間、海未の出ていった扉を見つめる。

 

「な、なんだったんだ……」

 

 せめて少しくらい説明してほしいと思う俺だった。

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

「ぶ、部長!! 言った通りにしたらき、き、キスされかけてたんですけど!?」

 

 私は顔を真っ赤にして自分の部屋に帰った後、電話越しの部長に捲し立てる。ちなみに今回のことの発端は、私がいつも勉強を見てくれる和希を喜ばせたいと部長に相談したものだった。

 

「あちゃー……彼氏君、あと少しだったのに。まぁ、喜ばせることはできたと思うけど」

「聞いていますか部長! 私はちゃんと緩めの服を着て、なるべくボディタッチ多めにして和希との距離を詰めました。それで、最後の袖を引いて15~20秒まったらキスされかけて――」

「なるほど。それなら30秒にすればよかったかな?」

「部長!!」

 

 すべての原因は部長にあったようです。それから部長は海未から1時間ほど説教を受けたとかなんとか。




 読了ありがとうございました。そして、短編集? に付き合っていただきありがとうございました。次回からまたいつも通りに戻るのでご安心を。
 これからも応援よろしくお願いします。


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AFTER STORY 4 真面目な彼女とクリスマス 前編

 二か月後とか言いましたけど、珍しく少しだけ書き溜めがあったため一週間くらいで投稿することができました。
 前編後編でお送りしますがよろしくお願いいたします。


「ねぇねぇ、和希君!」

「ん? どした穂乃果?」

 

 学校終わりの帰り道。名前を呼ばれ、俺は穂乃果の方へと視線を向ける。もちろんその隣にはことりの姿も。

 

 今日、海未とは一緒に帰っていない。理由は弓道部の人たちと一緒に部活終了後、ご飯を食べに行くと言っていたからだ。

 そんなわけで、たまたま昇降口であった穂乃果たちと一緒に帰っているというわけである。

 

「クリスマスの予定はどうなってるの? もう海未ちゃんと話しはした?」

 

 目をキラキラと輝かせ、クリスマスの予定を聞いてくる穂乃果に「そういえば……」と呟く。現在は12月の中旬で、あと一週間もすればクリスマスだ。

 去年までは恋人なんていなかったため、クリスマスはチキンを食べるイベント程度しか認識していなかったけど今年は違う。なぜなら今年の俺には海未(彼女)がいるのだから。しかし、

 

「あー、そういえばもう直ぐクリスマスだったな……何も決めてないけど」

 

 一応何をしようかなとか、どこに行こうかなと考えていたのだが、結局何も決めていなかったことを思い出す。いや、だって彼女の居るクリスマスなんて初めてだし、どうしていいのか分からないんだよ。

 そんな俺を見たことりは「はぁ……」といつも通りため息をつく。

 

「もうっ! 決めてなさそうだったけど、やっぱり決めてなかった! 駄目だよ和希君! 今年は海未ちゃんと過ごす初めてクリスマスなんだから!」

 

 海未とクリスマスをどう過ごすか決めてないと言った俺の言葉を聞いて、ことりがプンプンと大変ご立腹の様子。しかし、その反応は何となく予想はできていた。……予想できていたのなら、クリスマスの予定を決めておけという話だけど。

 

「う、うん、まぁそれはそうなんだけど、彼女ができたのも初めてだし何していいのか全然わからなくてな。プレゼントは準備しといたほうがいいと思うんだけど」

『当たり前だよ(です)!!』

「なんかごめんなさい……」

 

 ことりだけでなく、穂乃果にまでツッコまれるとは思わなかった。俺は反射的に視線をそらしてしまう。

 

「むしろ、彼女がいるのにプレゼントすらも準備してない和希君に驚きだよ!」

「で、でも、海未だって準備してない可能性が……」

「そんなことないよ! 海未ちゃんは穂乃果たちに相談して……ふがっ!?」

「ほ、穂乃果ちゃん、それ以上はダメッ!」

 

 失言しかけた穂乃果の口を慌ててことりが塞ぐ。具体的には分からなかったけど、海未は既にプレゼントの準備をしているらしい。

 

「とにかく今の和希君を見てるとことり、とっても心配です!」

 

 ことりに言われるまでもなく、俺は既に頭を抱えていた。

 やべぇ、どうすればいいんだよ……。

 

「…………ことりさん」

「何ですか?」

「助けてください」

「よろしいっ♪」

 

 素直に頭を下げると、ことりは待ってましたとばかりに頷く。恐らくこうなることも彼女は予想していたのだろう。やっぱりことりには敵わない。

 

「だけど、プレゼントだけは自分でちゃんと決めること! ことりたちもアドバイスはしてあげる。海未ちゃんの彼女はやっぱり和希君なわけだし!」

「それは大丈夫だよ。プレゼントについては自分で決めるから」

「デートのファッションについては穂乃果たちに任せて!」

「是非ともお願いしたいところだけど、穂乃果も来るの?」

「もっちろん! だって面白そうだから!」

 

 面白そうだからついてくるという、なんとも穂乃果らしい理由。まぁ、アドバイスをしてくれる人は多いに越したことはないのでありがたい。

 

「ところで、ファッションについてもアドバイスしてくれるんだな」

「だって和希君、デートに行くような服ってあまり持ってないでしょ?」

「……言われてみると、俺ってろくな服持っていなかった気がする」

 

 今までなら気にしてこなかったけど、いざ彼女ができてみるとまともな服の大切さを痛感する。俺のクローゼットはユ〇クロでいっぱいです。

 

「だから、ファッションについても穂乃果たちでアドバイスしてあげるんだよ! ことりちゃんに任せておけば問題なし!」

「その言い方だと穂乃果はいらないんじゃ?」

「ほ、穂乃果はプレゼント選びとかデートプランで活躍する予定だから!」

 

 少しだけ心配だけど、穂乃果と海未は幼馴染でもあるからきっとよいアドバイスをしてくれるだろう。そもそも、俺がポンコツ過ぎてこんなことになってるわけだし……。

 

「それじゃあ、二人に色々と頼らせてもらうよ。えっと、プレゼントとか服を見に行く日は何時にする?」

「和希君が大丈夫なら明日にでも見に行きたいけど……どうかな?」

 

 ことりの提案に大丈夫だと頷く。というか、予定が入っていたとしてもその予定を別日に移していたと思う。

 

「穂乃果ちゃんも大丈夫?」

「うんっ! 本当は店番頼まれてたんだけど、雪穂にやってもらうことにするから!」

「それって本当に大丈夫なのか?」

「あはは……」

 

 雪穂ちゃん、すごい怒りそうだな。まぁ、高坂家のことなので気にしない気にしない。

 その後は集合場所と時間を決めてからお開きとなった。

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

 時が過ぎるのは早いもので、今日はもうクリスマス当日。

 

(うーん……落ち着かない)

 

 自室で海未を待つ俺は、先ほどから落ち着きなくベッドの前をうろうろと歩き回っていた。

 ことりと穂乃果の協力によって服やデートプラン、プレゼントは問題ない。しかし、それだけ揃えてもらっても緊張してしまう。

 

 ちなみに今日は5時ごろに家を出て、あらかじめ予約をしておいたお店で晩御飯を食べた後、イルミネーションを見たりする予定だ。

 テンプレではあるのだが、初めてのデートは無難なもので言ったほうがいいとことりにアドバイスされたため、このようなデートプランになったのである。俺も初めてのデートで恥だけはかきたくないからな。

 

(というか海未の奴、結構時間かかってるけど何してるんだろう?)

 

 時計の針は既に五時を指している。そういえば、穂乃果とことりが来てたような気がするけど、一体なにをしてるんだろう? 

 一応、お店の時間に余裕はあるのだが、遅くなりすぎてもお店に迷惑がかかるからな。

 

「和希、遅くなってすいません」

「和希くーん、お待たせ!」

 

 部屋の外から海未の声と穂乃果の声が聞こえてきた。どうやら準備が終わったらしい。

 

「いや、全然大丈夫だよ。遅かったけど一体何をして――」

 

 取り敢えず扉を開けた俺は海未の姿を見て……言葉を失った。

 

「…………」

 

「……か、和希? どうかしたのですか?」

 

 よく分からないけど、海未がいつもの十倍増しくらいで可愛くなっている。いや、元々可愛いんだけどそれがパワーアップしたというか、なんというか……。

 服も普段はあまり穿かないスカートを身に着けて、とにかく可愛い。自分にもっと語彙力があれば海未の魅力を最大限に伝えられるのにと思い知らされる。

 

「ふふっ♪ 和希君ってば海未ちゃんを見てびっくりしてるみたい!」

「へっ!? 今の私、そ、そんなに変ですか?」

「逆だよ海未ちゃん。和希君は、今の海未ちゃんが可愛すぎて見惚れてるの!」

 

「か、かわっ!?」「っ!?」

 

 ドストレート(図星)な穂乃果の言葉に俺と海未の顔が真っ赤に染まる。

 

「海未ちゃんはね、いま薄くだけどお化粧してるの!」

「そ、そうなんだ……」

「それで~、今の海未ちゃんを見て和希君は何も感想がないんですか?」

 

 ニヤニヤと楽しそうな笑みを浮かべることり。横の穂乃果もニマニマしている。畜生、わざわざ口に出さなくても分かってるだろうに……。

 

「べ、別に……言わなくても分かるだろ」

「言わなきゃわかんないよ! ねっ、ことりちゃん?」

「うんうん、言わなきゃわからないよ!」

「ふ、二人とも、私は別に……」

『海未ちゃんは黙ってて!』

 

 こ、この二人、俺を弄んで楽しんでやがる。海未がせっかく助け船を出してくれたのに一刀両断されてるし……。

 

 言わなきゃいつまでたっても家を出れそうにないので、俺はやけくそ気味に叫んだ。

 

「だから、可愛いに決まってるだろ! いつも可愛いけど、今日はそれ以上だった! 思った以上に変わっててびっくりした!! はい、お終いッ! 海未、行くぞ」

「……えっ!? は、はいっ!」

 

 既に準備のできていた俺は海未の右手を掴むと、急いで玄関へと向かう。

 

「じゃあ二人とも、行ってくるから」

「和希君に、海未ちゃん。ファイトだよ!」

「お土産話、楽しみにしてるね♪」

「別に今日は無理して帰ってこなくても大丈夫ですからね。ただ、泊まるのなら私に連絡を――」

「睦未さん!!」「お、お母様!!」

 

 余計なことを言った睦未さんに一喝を入れ、園田家を後にする。しばらく歩いたところで、ようやく二人で息をついた。

 

 

 

「……何にもしてないのに疲れたな」

 

 

 

「……そうですね」

 

 

 

 お互い疲れたような表情を浮かべ……笑いあう。

 

「それじゃあ改めて今日はよろしくな海未」

「はい、よろしくお願いします和希! しっかりエスコートしてくださいね?」

 

 彼女の言葉に応えるように、海未の左手をもう一度しっかり握り直す。もちろん俺も海未も手袋なんてしていない。理由は聞かなくても分かるだろ?

 

「ところで、今日の俺の服装どうかな?」

「服装ですか?」

 

 目的地であるレストランまでの道のりで一番気になっていたこと訊ねる。ことりや穂乃果と相談しつつ決めたとはいえ、やはり心配なものは心配なのだ。

 ほんとなら家を出る直前に聞いてる予定だったんだけど……。海未はしばらく俺の服装を眺めた後、

 

「そうですね、すごくよく似合ってると思いますよ。……流石、穂乃果とことりですね!」

「そうそう、二人のお蔭で今日の服を揃えることができた……って、ばれてる!?」

 

 驚く俺を見て海未はクスクスと笑みを漏らす。

 

「ちょうど一週間前くらいでしょうか? 少しコソコソしながら出かけて言ったのでもしかしてと思ったんですけど、図星だったみたいですね」

「おかしいな。俺としては海未にバレてないと思ったのに……」

「ちょっとでもおかしいと気づいちゃうんですよ。挙動もおかしかったですし。それに、私はいつも和希の事を見てますから!」

「お、おう、そうなんだ……」

 

 海未は平然と笑ってるけど気付いてるのかな? 自分が「いつも和希を見てますから」と言ったことに……。

 

 

「……あっ! い、いつもって言うのは、その、言葉の綾というか、別に和希の事を四六時中観察しているという意味ではなく……」

 

 

 やっぱり気付いていなかった。恐らく顔を赤くした俺を見て気付いたのだろう。慌てたように、つないでいないほうの手を顔の前でぶんぶんと動かしている。顔はもちろん真っ赤だ。

 

 

「そんな一生懸命否定しなくても分かってるから大丈夫だよ。まぁ、俺としてはいつも気にかけてくれてるんだと思って嬉しかったし……」

 

 

 口から出たのは自分でもびっくりするくらい素直な言葉。俺も俺で何ってことを言ってんだ……。

 真っ赤になった頬をかきながらそう答えると、海未の瞳が大きく見開かれる。その瞳は少しだけ潤んでいるように見えた。

 

 

「……ばか和希。そこはいつもみたいにからかって下さいよ」

 

 

 小さな声で海未が呟く。

 

「い、いや、本当はからかう予定だったんだけど、なんか言葉が出なかったというか、何というか……」

 

 これ以上言い訳しても墓穴を掘るだけなので俺は一度咳払いをする。

 

「この話は取り敢えず終わりにして……それと、さっきことりたちと服を選びに行ったって言ったじゃん?」

「はい。それがどうかしたのですか?」

「その、服を選ぶだけとはいえことりたちと一緒に出掛けたこと、海未はあんまよく思わないんじゃないかなって」

「あぁ、その事ですか。確かに和希が私のよく知らない女の人と出かけていたらよくは思わないですけど、相手は穂乃果とことりですから。全く気にしてませんよ。だから謝らないで下さい」

「そっか。ありがとな海未」

「……むしろ、私と一緒にクリスマスを出かけるために服やデートプランを考えてくれたんだと思うと、すごく嬉しいです」

 

 やわらかい笑みを浮かべた海未はそっと身体を寄せてくる。

 

 

 

「私は和希とクリスマスを過ごすことができて本当に幸せです。……ありがとう、和希」

 

 

 

「……えっ!? 今敬語が取れて……」

 

 

 

 思わず目を見開いてしまった。う、海未が敬語を使わずに話して――。

 

「……どうでした、敬語じゃない私の言葉は?」

 

 してやったりの表情を浮かべる海未。一方俺はしばらく固まった後、

 

「は、はぁっ!? お前、まさかわざとやったのか!?」

「ことりに言われて半信半疑でやってみたのですが、効果てきめんだったみたいですね♪」

 

 どうやら色々とことりに吹き込まれたらしい。何でも『和希君にしたら効果抜群だよっ!』という感じに。

 

 

(畜生、ことりの奴め。死ぬほどドキッとしたじゃねぇかよ……)

 

 

 あぁ、これは駄目だ。顔が熱い。海未の顔をまともに見れない。

 敬語の取れた彼女は正直、破壊力抜群だった。ぶっちゃけもう一回言ってほしいくらいに……。

 

 彼女らしからぬ大胆な行動と言葉に気恥ずかしくなった俺は、顔を逸らして歩くことに集中する。

 

 

「ふふっ♪ 和希ってば照れてますか?」

「……照れてない。よそ見ばっかしてると転ぶぞ?」

「和希の腕に掴まっているので大丈夫です」

 

 

 今日の海未はいつもより楽しそうに俺の事をからかうのだった。




 今回も読了ありがとうございます。今後も応援よろしくお願いします。
 ちなみに後編は全く書けてません……なるべく間をあけない様に頑張ります。

 最後にこのシリーズについてですが、残り5話以上10話以下で完結させる予定でいます。ころころと言うことの変わる私ですが、最後までお付き合いいただければと思います。


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AFTER STORY 5 真面目な彼女とクリスマス 後編

 お待たせいたしました。
 忙しさが取り敢えずひと段落したので投稿しました。あぁ、就活したくない……。
 次は多分また一か月後かもしれませんが、変わらずよろしくお願いします。


「和希の選んでくれたお店、すごく良かったですね! 料理もおいしかったですし、雰囲気も良かったです」

「喜んでくれたみたいで何よりだよ。俺も入ったことなかったから少し心配だったし」

 

 二人並んで電車を待ちながら、先ほどまで晩御飯を食べていたお店の感想を言い合う。

 予約をしていた店はことり、穂乃果と一緒に選んだものだ。レビュー等を参考したのだが、レビュー通りのお店で俺と海未は大満足だった。

 

「それでこの後はどこに行くのですか?」

「電車で移動した先でイルミネーションの綺麗なところがあるんだ。今日はそこに行こうと思って」

 

 この場所はことりたちと選んだというよりは、二人と出かける前日に調べていたものを提案したものだった。俺の提案したものにしては珍しくことりと穂乃果から好評だったため、デートプランに採用となったのである。

 まぁ、クリスマスデートにイルミネーションは定番だしな。この時期は至る所でイルミネーションが行われているため、ある意味場所選びには困らなかった。

 

「イルミネーションですか。楽しみですっ!」

「俺もイルミネーションに行くのは初めて見たいなもんだから楽しみだよ。……おっ、電車が来た」

 

 駅のホームにやってきた電車に二人で乗り込む。

 電車内は流石クリスマスというだけあって、それなりに混んでいた。空いている席はないかと視線を巡らせるも、生憎一つも空いていない。

 

「どこも空いてないし、邪魔にならないとこで立ってるか」

「そうですね。私もこんなに混んでるとは思いませんでした」

 

 扉付近に並んで話していると、次の駅に到着したらしくお客さんがドッと乗ってきた。

 

「うおっ! 結構乗ってきたな。海未、もっとこっちに」

「は、はいっ……わっ!」

 

 こちらに来ようとしていた海未が誰かに背中を押され、倒れ込むようにして俺の胸に飛び込んできた。

 

 

 

「…………だ、大丈夫か?」

 

「だ、大丈夫です……」

 

 

 

 意図せずに抱き締めあうような形になってしまった俺たち。漫画やラノベのような展開に、一瞬で体温が急上昇する。

 

『………………』

 

 お互い完全に油断していたため、顔を真っ赤にして俯きあう。心臓が狂ったように早鐘をうっているが、それは海未も同じらしい。さっきから、ドクンドクンと早いリズムを刻む彼女の心音が俺にまで伝わってきていた。

 そのままの状態を維持すること約3分。

 

「うわっ、また人が……」

 

 先ほどの駅よりも少ないがそこそこの人数が乗車してきたため、電車内は更に狭くなる。しかし、これ以上引っ付くのは色々とまずい。

 そう考えていたのだが、海未が背中に腕をまわし俺との距離をさらに近づけてきた。

 

「う、海未!?」

「し、仕方なくです……こうすれば邪魔にならないでしょうし。仕方なく何ですからね!」

 

 口ではそう言ってるけど、髪の間から覗く彼女の耳は真っ赤に染まっている。

 

「た、確かにそうだけど……」

「……問題ないです」

 

 俺の胸に顔を埋めてそう答える海未。彼女の言う通り、邪魔にはならないだろうけどこれはこれで問題である。例えば、

 

『…………』

 

 周りの視線とか。好奇の視線に耐え切れず俺は目を瞑る。唯一の救いは、周りがカップルばかりだということくらいである。これでカップル以外が多かったら目も当てられない。

 そのままの姿勢で周りからの視線に耐え続けること約10分。ようやく目的の駅に到着し、俺と海未はいろんな意味でへとへとになりながら電車を降りる。

 

「ふぅ……海未、生きてるか?」

「……生きてます。生きてますけど……ちょっと疲れちゃいました」

 

 海未はそう言って苦笑いを浮かべる。まぁ、俺ですら結構疲れたので無理はない。

 

「ちょっと休んでから行こうか」

 

 近くにあったベンチを指差すと、海未の手を握って歩いていく。彼女をベンチに座らせ、俺は飲み物を買いに自販機へ。

 

「ほいっ。緑茶でよかったか?」

「あっ、ありがとうございます」

 

 海未に緑茶の入ったペットボトルを手渡し、俺はその横に腰掛ける。

 

「いやー、それにしてもクリスマスの電車があれだけ混んでるとは思わなかったよ」

「本当ですね。私も少し驚きました。混むとはわかってたつもりだったんですけど、まさかここまでとは……」

 

 緑茶を飲みつつ海未が答える。その後、少しだけ休み、

 

「さて、取り敢えずこの辺りをぶらぶらしてみないか? イルミネーション自体は夜遅くまでやってるみたいだから」

「私もこの辺りはあまり来たことがないですから、少し楽しみです」

 

 海未の手を取って駅周辺を歩き始める。俺自身もあまり来たことのない場所だったので目に映る景色は少し新鮮だ。目についたお店から二人一緒に入って行く。

 本屋から様々な専門店。そして、最後にお洒落な雑貨店に入った後、いい時間になったので俺たちはイルミネーションを見に歩き始める。

 

「良かったのですか和希?」

「ん、何が?」

「このスノードームを買ってもらって」

 

 申し訳なさそうに眉を寄せる海未の手元には、先ほどの雑貨店で買ったスノードームの袋が握られていた。

 

「だって物欲しそうに見つめてたじゃん」

「それはそうですけど……結構いい値段しましたし」

「気にしなくていいよ。俺もいいなって思ってたし、見に行こうと思えばいつでも見に行けるだろ? だから俺が見せてほしいって言ったら見せてくれよな」

 

 そういうと海未がようやく笑顔を見せる。

 

「どうしましょうか?」

「いやいや、そこは『わかりました』って頷くところだろ?」

「ふふっ、冗談ですよ。ありがとうございます和希。大切にしますね」

 

 スノードームの入った袋を海未はギュッと抱き締める。

 

「じゃあそろそろ良い時間だし、今日の目的でもあるイルミネーションを見に行こうか」

「はいっ!」

 

 時間にも余裕があり、二人揃ってのんびり歩いていく。俺たちの他にもカップルらしき人たちがちらほらと見える。恐らく目的地は同じだろう。

 

「どうかしたんですか?」

「……いや、俺たちの他にもカップルがたくさんいるなって」

「そう言われてみればそうですね。……私たちはちゃんとカップルに見えてるでしょうか?」

「多分見えてるだろ。少なくとも手をつないで歩いてるわけだし。それに他人からどう見られようが俺たちは俺たちだろ?」

 

 俺がそう言って笑うと、海未もつられて笑みをこぼす。

 

「やっぱり和希は和希ですね。安心しました」

「褒められてる気がしないけど、取り敢えずありがと」

 

 いつもより強めに海未の頭を撫でると、俺たちは改めて歩き出す。そして、

 

 

「すげぇ……」

 

「綺麗ですね……」

 

 

 目的地に辿り着いた俺たちは思わず声をもらす。遠目から見えていたのだが、近くに来るとより圧巻だ。

 

 周りの木が全て青色のLEDで装飾され、その光景はさながら青の洞窟といっても過言ではないだろう。そんなイルミネーションに視線を映しながらゆっくり歩いていく。

 

「去年まではテレビで見る程度でしたけど、やっぱり実物は違いますね」

「俺も同じ事思ってた。穂乃果たちとは来たことないの?」

「クリスマスはむしろ誰かの家で過ごすことが多かったので、こうしてイルミネーションを見るのは和希が初めてです」

 

 そこで言葉を区切ると、海未は上目遣いで俺を見つめる。

 

 

「……だから、和希が初めてでよかったなって」

 

「…………」

 

 

 セリフも相まって鼻血を噴き出すところだった。多分、自分の中で可愛いことを言った自覚なんて全くないんだろう。そこが海未の魅力的なところなんだけどね。

 

「海未はずっとこのままでいてくれよ」

「? 別に私はずっとこのままですけど?」

 

 首を傾げる海未の頭をそっと撫で、俺たちは青の洞窟を歩き続ける。

 

 そして青の洞窟が終わったところで、俺は用意しておいた紙袋を鞄の中から取り出す。

 

「はい、海未」

「……これは?」

「ベタだけどクリスマスのプレゼント」

「ありがとうございます! 開けてもいいですか?」

「いいよ」

 

 海未がガサゴソと紙袋を漁り、中から取り出したのは、

 

 

 

「これは……ピアス?」

「そう。ノンホールのタイプだけどな」

 

 

 

 今言った通り、俺がプレゼントしたのはノンホールタイプのピアスだった。海未は取り出したピアスを珍しそうに眺めている。

 

 これはプレゼントを探しているとき偶然お店で見つけたものだったのだが、海未に似合うと思ったので即決して買ってしまった。

 

「どうしてこれを?」

「いや、特に理由はないんだけど、海未に似合うと思ってさ。それに俺がつけてるやつは穴をあけなきゃだけど、それだったら穴をあける必要もないし」

 

 ノンホールなら体に傷もつかないし、海未もつけやすいだろう。普段はつけなくてもいいけど、デートとかの時につけてほしいという願望も込めている。

 一方海未は、しばらくノンホールピアスを眺めていたのだが、

 

「……和希、プレゼントしてくれたピアス。今私につけてくれませんか?」

「えっ、いま?」

「はい、今です」

 

 そう言って海未が髪を耳にかける。海未の事だからつけるにしても帰ってからだと思ったんだけど……。しかし断る理由もないので、俺はノンホールのピアスを袋から取り出す。

 

「じゃ、じゃあ失礼します」

「どうして緊張してるんですか?」

 

 海未は笑っているが、こっちは結構緊張するのだ。ノンホールとはいえ、人にピアスをつけるのは初めてなわけだし。

 そんなわけで、手を緊張でプルプルさせながら海未の耳に触れる。

 

「んっ……か、和希、くすぐったいです」

「……も、もうしわけない。あと、変な声出さないで」

 

 変な気分になりつつ俺は右耳にピアスをとりつけ、ほっと息をつく。これで俺の任務は終わり――――

 

「それじゃあ反対側もお願いします」

「…………」

 

 反対側があることをすっかり忘れていた。いや、忘れてたってのもどうかと思うけど……。

 終わった気分になっていた俺はもう一度気合を入れ直す。そして、

 

「どうですか?」

 

 はじめてピアスをつけたらしい海未は、少しだけ恥ずかしそうな笑みを浮かべる。

 青色を基調としたピアスが光に照らされて美しく煌めく。

 

「もちろん、すごく似合ってるよ。流石、俺が選んだだけあるな」

「そこで調子にのったりしなければもっと良かったです」

「冗談だって。……本当にすごく似合ってる」

「……最初からそう言って下さい」

 

 口ではそう言っているものの口元は緩み、左手でピアスをしきりにいじっていた。気に入ってくれて何よりです。

 

「それじゃあ私からもお返しです」

 

 今度は海未が鞄からプレゼントらしき包みを取り出す。

 

「開けても大丈夫か?」

「はいっ!」

 

 許可をとって開けると中からは長財布が出てきた。俺には財布の良し悪しなんてわからないけどお洒落で、かなりいいものだと思う。

 

「ありがとう海未。でもいいのか? 結構高そうに見えるけど」

「高そうに見えて、意外とリーズナブルだったので気にしないで下さい。それに、和希の財布が結構痛んでいたように見えたので丁度良かったです」

 

 言われてみると今使っている財布は使い込んだせいか痛んでおり、変えようかなと思っていたのである。

 ただ口には出していなかったので、まさか気付いているとは思ってもいなかった。

 

「……気付いてくれてありがとな。嬉しいよ。これ、大切に使うから」

「べ、別に、これくらいなら誰でも気付きますって……」

 

 髪をくるくるといじる海未。お礼を言われて嬉しいのだろう。

 

「……さて、プレゼントも渡しましたしそろそろ帰ろうか。あんまり遅くなると睦未さんが余計な事を考えそうだし」

「それもそうですね」

 

 俺たちはもう一度手を握り締め……おっと、恒例のセリフを言ってなかった。

 

 

 

「海未」

「何ですか?」

「メリークリスマス」

「……ふふっ、メリークリスマス!」

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

「ふぅ、今日は疲れたな」

 

 クリスマスデートから帰宅した俺はベッドに寝転がっていた。既に風呂にも入り、いつでも眠れるような状態である。

 しかし、心地よい幸福感とデートでも興奮が入り混じったおかげで、眠気はそれほどではない。そんなタイミングだった。

 

トントントン

 

 部屋の扉がノックされる。こんな時間に珍しいなと思いつつ扉を開けると、そこにいたのはやっぱり海未だった。

 

「すいません、こんな時間に」

「それはいいけど、どうかしたのか?」

「ちょ、ちょっと渡したいものがありまして……」

 

 もじもじしている海未の手元には何やら紙袋らしきものが。

 

 あれっ? だけど俺はデート中にプレゼントは貰ったけど……。取り敢えず海未を部屋に招き入れベッドに座らせる。

 

「えっと、渡したいものって?」

 

 俺からの問いかけに海未は持っていた紙袋をごそごそと漁り、とあるものを取り出した。

 

 

 

「これは……マフラー?」

 

「は、はい……」

 

 

 

 彼女が取り出したのは紺色のマフラーだった。しかも、手編みっぽい。

 

「ことりに編み方を教わって自分で編んだものなんですけど……」

 

 せわしなくマフラーと俺の顔に視線をいったり来たりさせる海未。

 

「その、初めて作ったものですから、うまくできてないかもしれないですけど、そこは許してほしいです」

「いやいや、パッと見ただけでも普通にうまいし、大丈夫だよ。ただ、マフラーにしては少しだけ大きい気が……。少なくとも二人が巻けるくらい長さがあって……これは普通にミスしたのか?」

「っ!!」

 

 気付かれた! と言わんばかりに海未が顔を赤くする。しばらく言いかけてはやめ、言いかけてはやめを繰り返した後、

 

「……それはミスというわけではないんです」

「ミスじゃない? それじゃあ――」

「最初から二人でまこうと思って編んでました」

 

 思いがけない海未の言葉に俺は数秒の間思考が止まってしまう。その後、復活した俺は確認のために口を開く。

 

「え、えっと、それはことりの案とかそういうのだよね」

 

 海未の言葉がにわかに信じられなかったためあんな聞き方をしたのだが、彼女はふるふると首を横に振る。……取り敢えず頬をつねった。うん、痛い。

 

 

 

「そ、それで、このマフラー……二人でまきませんか?」

 

「お、おう……」

 

 

 

 震える海未の声。断る理由はなかった。そのまま海未と二人でベッドの淵に腰掛ける。

 

「じゃ、じゃあまきますね」

「お、おう……」

 

 俺はオットセイかよ……って言うくらい間抜けな返事しかできない俺。未だに夢の中ではないかと疑ってしまう。

 しかし、ぴったりとくっつけた肩からは夢では感じることのない温かさが広がっていた。

 するすると海未がマフラーを巻いていく。彼女が動くたびにふわっと甘い香りが漂い、二人の体温が言い訳できないくらいに上がっていく。

 

『…………』

 

 そしてマフラーを巻き終えた時、俺と海未の身体はピタッと密着し、お互いの時が分かる程の距離となっていた。

 

「……あ、温かいな」

「……あ、温かいですね」

 

 緊張からかうまく言葉が出てこない。

 

 少しでも首を横に向けたら、唇が触れそうな距離に恋人の顔がある。横を向かなくても彼女の体温と香りを感じる。

 さっきから心臓がドクンドクンと壊れそうなくらい早鐘をうっていた。

 

「ところで、これを作るのにどれくらいかかったんだ?」

 

 沈黙が辛くなった俺は気になっていたことを海未に尋ねる。これほど大きいと、それなりに時間がかかったと思うんだけど。

 

「これですか? えっと、大体一か月くらいかかりましたかね」

「そんなに……」

「時間はかかりましたけど、作ってるときは意外と楽しかったですよ。その……和希とこうしたかったですし。なにより和希の喜ぶ顔が見たかったですから」

 

 最後の方の声は小さかったけど、しっかりと聞こえた。自分の部屋であることから海未の身体を優しく抱き締める。

 

「ありがと海未。すげー嬉しい」

「……もう、急に抱き締めないで下さい」

 

 そう言いつつも海未は俺の背中に腕をまわす。多分照れ隠しなのだろう。そのまま一分ほど抱き合い続け、どちらからともなく視線を上げる。

 

 

 

「…………」

 

「…………」

 

 

 

 熱っぽい視線が絡まり合った。二人の距離は10センチもない。

 

「……海未」

 

 俺が名前を呼ぶと返事をする代わりに、彼女の瞳がスッと閉じられた。

 俺は首を少しだけ傾けながら残り10センチ未満の距離を詰めていく。

 

 ゆっくり、ゆっくりと……。

 

 

 

 

 そして二人の距離がゼロになった。

 

 

 

 

 

「んっ……」

 

 海未の口からくぐもった声が漏れる。信じられないくらいに柔らかい感触。30秒ほどキスをしてから一度唇を離す。

 

 

 

『…………』

 

 

 

 再びお互いの視線が絡まり合う。海未は頬を赤く染め、ポーっとした瞳で俺を見つめる。

 無意識なのだろうが、唇に人差し指と中指を当てている姿は何とも艶っぽい。そんな彼女の姿に欲情した俺はそっと海未の頬に右手を添える。

 

 

 

「……もう一回したい」

 

「っ!?」

 

 

 

 驚いたように目を見開く海未。しかし、すぐに瞳が閉じられた。今度はさっきよりも深く、時間をかけてキスをする。

 

 キスを終えて目を開けると、瞳を潤ませ顔を真っ赤にした海未と目が合う。

 それだけで歯止めがきかなくなりそうになった俺は、さっと視線を逸らした。すると、

 

「……もっとしなくていいんですか?」

 

 思わぬ彼女の言葉。流されそうになる気持ちをぐっと堪える。

 

「いや、もっとしたいけど……これ以上は多分まずい気がする。止められなくなりそうで」

 

 海未の髪を優しく梳きながら答える。

 

「その、俺は海未の事を大事にするって決めてるから。だから、えっと、雰囲気に流されてやりたくないって言うか……もちろんしたくないわけじゃないんだけど」

 

 頭をかきながら必死で言葉を探す。

 

「でも、欲求だけで行動するのは駄目だなって思ったんだ。俺は良くても、もしかしたら海未を怖がらせるかもしれないし、傷つけるかもしれない。ちゃんと海未を見て動かなきゃ駄目だなって。怖がらせたり、傷つけたりしたらきっと、今みたいに海未と笑い合えないから。……そんなの俺は絶対に嫌だから」

 

 聞く人によっては言い訳がましい言葉を並べているだけかもしれない。でも海未は黙って俺の言葉に耳を傾けてくれている。

 

 そして俺の言葉を聞き終えた海未は、

 

 

 

「ふふっ、和希はやっぱり破廉恥ですね」

 

「んなぁっ!?」

 

 

 

 海未の言葉にショックを受ける俺。しかし、

 

 

 

「破廉恥ですけど……やっぱり優しいです」

 

 

 

 ギュッと抱き付きながら言葉を紡ぐ。

 

「ほんとの事を言いますね。私、実はこれ以上進むのがすごく怖かったんです。さっきは『もっと……』なんて言ったんですけど」

 

 胸の中にいる海未は苦笑いを浮かべるも、身体は少しだけ震えていた。

 

「和希とその……そういうことをしたくないわけではないです。和希のためならなんだって……そう思ってました。でも、いざそういう場面になってみたら、全然心の準備ができてなくて……すごく不安でした。すごく怖かったです。でも……」

 

 そこで海未は俺をしっかりと見つめ――

 

 

 

「今日で再確認できました。和希は私の事をちゃんと見てくれて、大事にしてくれてるだなって。……私、改めて思いました。和希を好きになってよかったなって」

 

 

 

 幸せそうな表情ではにかむ海未。たまらなくなった俺は、思わず胸の中にいる海未を力いっぱい抱き締める。

 

「海未……俺も、海未の事を好きになって本当に良かった」

「……もう、力が強いです。もっと優しく抱き締めてください」

「ごめん。だけどもう少しだけ」

「……全く。仕方ないですね」

 

 そう言いつつ海未も抱き付く力が強くなっていた。しばらく抱き締めあっていると、

 

「えっと、それでですね……」

「うん、どうした?」

「だ、だから、えっと、その……そ、そそ、そういうこともしたくないわけではないので、少しずつ段階を踏んでいけば大丈夫です……」

 

 とんでもないことをカミングアウトした海未に俺は思わず呟く。

 

 

 

「……俺より海未の方が絶対に破廉恥だと思うぞ」

 

「っ!? そ、そんな事ありません!!」

 

 

 

 プンプン怒る海未の頭を優しく撫で、俺たちは笑いあったのだった。

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

 ちなみに、

 

「そういえば、あのマフラーってどんな時に使うんだ? 流石に外でまくのは勇気がいると思うけど」

「っ!? え、えっと、その……私が、和希に甘えたいと思った時につ、使いたいです……」

「…………海未、今のセリフ可愛すぎ」

「へっ!? 別に可愛いことを言った自覚なんて……ほ、微笑みながら頭を撫でないで下さい!!」




 今回も読了ありがとうございました。少し駆け足気味になってしまったのが申し訳ないです。
 次もいつになるか分かりませんが読んでいただければ幸いです。それでは。


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AFTER STORY 6 真面目な彼女と向かえる新年

 さて、ある意味激動だったクリスマスを終え、今は12月31日。大晦日だ。

 そして、今俺が何をしているのかというと、

 

 

「海未~、部屋の掃除が終わったらついでに俺の部屋も掃除しておいてくれ」

「バカなことを言っている暇があったら、漫画を読み直してないで手を動かしてください!」

 

 

 年末の大掃除をしている真っ最中だった。しかし、海未が声を荒らげた通り俺は懐かしい漫画を読むのに必死で掃除がまるで進んでいない。

 いやー、掃除あるあるだと思うけど、懐かしい漫画とか久しぶりに出た来たアルバムとか見ると普通は読んじゃうよね? そのままもう一度漫画の世界へ戻ろうとすると、

 

 

「いい加減にしてください!!」

「ぎゃあっ!?」

 

 

 頭を引っ叩かれ、その反動で床を漫画がすべっていく。……このやり取り、少しだけ懐かしさを感じるな。

 そもそもどうして海未が俺の部屋にいるんだよ?

 

 

「和希を一人にすると掃除をしないと思ったからです」

「ナチュラルに人の思考を読むなよな……というか、いきなり引っ叩くなよ! 鬼、悪魔、海未!」

「掃除をしない和希が悪いです! というか、誰が鬼で悪魔ですか!」

 

 

 二人でギャーギャーと口喧嘩をしていると、居間の掃除をしていた睦未さんが呆れた様子で顔を出す。

 

 

「二人とも、喧嘩をするのは構いませんが、大掃除が終わってから存分に喧嘩してください」

「お、お母様。ですが悪いのは掃除をしない和希で……」

「俺はいきなり暴力を振るってくる海未の方が悪いと……」

「はいはい、喧嘩……と言うよりはイチャイチャしてただけみたいでしたね。そういうのも掃除が終わった後にしてください」

『…………』

 

 

 睦未さんに論破された俺たちは再び大掃除へと戻る。それに今日の夜は穂乃果たちと初詣に行く予定なので、どっちにしろ早く掃除を終わらせないとまずいのだ。

 自分の部屋だけじゃなく、園田家全体の掃除もまだまだ残ってるわけだしな。

 

 

(それにしても園田家は本当に広いな……)

 

 

 真面目に掃除をし始めて一時間。こうして掃除をしてみるといかに園田家が広いかと言うことが分かる。

 さっきから物を運んだり、雑巾をかけたりしているのだが終わる気配が全くない。

 

 

「和希、こっちの段ボールを運んでおいてくれませんか?」

「はいよ~」

 

 

 そうしている間にも海未から声がかかり、俺は段ボール運びに勤しむ。こういう重いものを運ぶ作業は男の仕事でもあるからな。

 そして再び一時間ほど大掃除に取り組んだ後、ひとまず昼食ということになった。

 

 

「和希さん、ちょっと見てほしいものがあるんですけど」

 

 

 食後のお茶を飲んでいた俺の元に、睦未さんがアルバムらしきものを持って近づいてきた。海未は着替えてくるとかで、自分の部屋に戻っている。

 

 

「いいですけど、それってアルバムですよね?」

「そうですよ。掃除をしていたら懐かしいアルバムが出てきたので、和希さんにも見せてあげようと思ったんです」

 

 

 そう言いながらアルバムを開く睦未さん。一体何を見せてくれるんだろう? 

 なんて考えつつ、アルバムの一ページ目に視線を移すと、

 

 

「……何ですかこれ? 天使の生まれ変わりですか? いやすいません、どこからどう見てもただの天使でした。いやー、天使って本当にいたんですね」

「落ち着いてください。これは海未さんですよ」

 

 

 壊れかけた俺を睦未さんが窘める。

 彼女の言う通り、開いたアルバムには小さい頃の海未が映っていた。今よりも引っ込み思案な様子で、一緒に写っている睦未さんの服の袖を掴んでいる。

 

 

「確か、幼稚園の年長さんだったと思うんですけど、ほんと可愛いですよね~。もちろん、幼いころの穂乃果さんやことりさんも可愛かったですけど、やっぱり自分の娘が一番です」

「完全に親バカですね。可愛さに関しては否定しませんけど」

 

 

 この少し心配そうな表情でカメラのレンズを見つめている姿が愛おしすぎる。別に俺はロリコンではないが、ロリコンになりそうだ。

 

 

「この写真もいいんですけど、次の写真も中々ですよ」

 

 

 次のページには満面の笑みを浮かべた、ロリ海未ちゃんが写っていた。

 

 

「かはぁっ!?」

 

 

 取り敢えず吐血した。ロリってだけでも可愛いのに、こんな無邪気に笑われるともうダメです。

 

 

「ふふっ、やはりこの海未さんには和希さんも勝てなかったようですね」

「こんなの、誰だって負けますよ。何でこんなに可愛いんですか」

「やっぱり私の子供だからだと思いますよ」

「サラッと自慢するのはやめて下さい」

 

 

 だけど、この人もほんと美人だからな。昔の写真と今を比べてもあんまり変わってないし、スタイルだって相変わらずである。とても子供を二人生んでいるとは思えない。

 

 

「まぁ、私の事はどうでもいいんです。次はこの写真なんですけど……」

 

 

 アルバムをめくり、次の写真に目を通していく俺たち。他にも姉と移ってる写真や、穂乃果やことりと移っている写真もあった。取り敢えずロリことりは最高です。

 10分ほど写真を見ていたところ、自分の部屋から海未が戻ってくる。

 

 

「二人とも一体何を見て……っ!? な、何を見ているんですか!?」

「なにって、小さい頃の海未だけど?」

「は、恥ずかしいので見ないで下さい!! お母様も勝手に見せないで下さいよ!!」

 

 

 この後、俺たちは海未にしこたま怒られた。

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

 アルバムを見終わった後は大掃除を続け、気付けば夜の11時を回っていた。

 

 

「和希、準備はできましたか?」

「おう、大丈夫だよ。それじゃあ行こうか」

「それじゃあお母様、行ってきます」

「はい、行ってらっしゃい」

 

 

 睦未さんに見送られつつ、俺たちは夜の道を二人で歩いていく。目的地は穂乃果の家だ。

 毎年海未は穂乃果、ことりと一緒に初詣へ行っているらしく、今年は俺もそれについていく形になっている。

 穂乃果とことりはしきりに、『海未ちゃんと二人きりでいけばいいじゃん!』と行ってきたのだが、俺は固辞した。

 理由は海未と二人きりで初詣に行きたくないということではなく、毎年行っているのだから今年も三人で行ったほうがいいといったのだ。

 そこで二人は折れてくれたのだが、どういうわけか俺もついてきて! ということになり今に至る。

 

 

「はぁ……それにしても寒いですね」

 

 

 海未が白い息を吐きながら両手をこすり合わせている。冬なので寒いのは当然なのだが、今日は特に寒いとニュースでは報道されていた。

 そんな日なので俺も海未も厚着でマフラーはしていたのだが、手袋はつけていない。

 

 

「海未、手」

「…………はい」

 

 

 流石の海未も意図が分かったのか、素直に左手を差し出してくる。俺は海未の左手をしっかり掴むと、コートのポケットの中に二人の手を突っ込んだ。

 

 

「……右手は寒いと思うけど我慢してくれ」

「……はい。でも大丈夫です。左手がすごく温かいですから」

 

 

 そう言って微笑む海未に俺も笑い返す。どっちも言わなかったけど、お互い手を繋ぎたかったからこそ手袋をつけてこなかったのだ。

 こんな光景、穂乃果やことりが見ていたらニヤニヤすること間違いなしである。

 

 

「いやー、今年も一年が終わるんだな」

「そうですね。去年も色々ありましたけど、今年はそれ以上でした」

「それは俺もだな。まず、居候するなんて思ってなかったし」

 

 

 お互い、俺が居候を始めた4月を思い出して苦笑いを浮かべる。本当に今年は濃い日常を過ごしてきた。

 告白したときにも思い返したけど、あの時の俺たちが今こうして付き合って、手を繋いで歩いていることが奇跡に思えてくる。

 

 

「居候してきた時は最悪でしたね。男性の方が来るとはあらかじめ言われていましたけど、まさかあなたが来るなんて思ってもみませんでしたから」

「俺だって居候先が、敵対心を抱いていた海未の家だったなんて、微塵も思ってもなかったよ」

 

 

 そこで俺は少し気になっていたことを海未に聞いてみる。

 

 

「ところでさ、海未っていつから俺のこと好きだったの?」

「へっ? い、いつから……ですか!?」

「いや、そういう話ってお互いしたことなかったなって。言いたくなければ全然大丈夫だけど」

「ぎゃ、逆に和希は何時から好きだったんですか?」

「ん、俺? 俺は自分の母親の事を話した時、海未がずっと一緒にいたいって泣いてくれた時かな。あの時に海未の事がたまらなく可愛く思えて……好きになったと思う」

「そ、そうですか……」

「自分から聞いてきて、顔真っ赤にするのはやめてくれませんか?」

「か、和希だって真っ赤ですよ!!」

 

 

 うーん、傍から見れば完全にバカップルそのものだ。しかし今のは絶対に海未が悪いと思う。

 

 

「そ、それで俺は答えたわけだけど、海未はどうなんだよ?」

 

 

 相変わらず顔を真っ赤にしたまま海未は逡巡し、

 

 

「……多分、お祭りに言った時だと思います」

「えっ、そんなに早かったの?」

 

 

 驚いて聞き返す俺。告白するまで不安の方が大きかった俺にとって、その話はかなり意外だ。

 一方海未は「はい」と頷き、

 

 

「ただ、お祭りの時はあくまで好きかなと思った時で、意識し始めたのはもちろん不良から助けてくれた時です」

「あー、そう言えばそんな事もあったな。今思えばかなり危なかったけど、海未が叫んでくれたから助かったんだっけ」

 

 

 今となっては懐かしい思い出の一つだ。

 正直、あのタイミングで海未が叫んでくれていなければ確実に俺は相手の拳を頬に貰っていただろう。拳を貰っても助かっていただろうけど、やっぱり痛いのは嫌だからな。

 

 

「あ、あの時はとにかく必死だったんです! でも、それから和希の事を意識して、和希が私の中で特別になって……それで好きになったんです」

「なんか改めて言われると恥ずかしいな……」

「まぁ、最終的に気持ちを自覚したのは、和希が別の女の子に告白されたと聞いたからなんですけどね」

「えっ!?」

 

 

 半眼で睨んでくる海未に俺は思わず間抜けな声を上げる。

 

 

「だ、誰からその事を?」

「ことりからです。全く、モテる男はつらいですね」

「いや、告白されたのもその一人だけだから」

「……別に怒ってませんよ。それがあったからこそ気持ちを自覚できたわけですし、今はこうして和希と手を繋いで歩いていられているんですから」

 

 

 ギュッ、とポケットの中で握られている手の感触が強くなった。視線を移すと、潤んだ瞳の彼女と目が合う。

 

 

「私、あなたを好きになれてよかったです」

「そんなの俺もだよ。俺も海未を好きになれてよかった」

 

 

 海未に出会えてなかったら、こんな気持ちを味わうこともなかっただろう。自然と俺と海未は向き合う形になっていた。

 

 

「……和希」

 

 

 俺の名前を呼ぶ彼女の唇に視線が釘付けになる。ここが外であることも忘れて俺は、彼女に吸い寄せられるようにして距離を詰める。

 空いている左手で海未の髪を梳くと彼女は気持ちよさそうに目を細めた。

 

 

「……海未」

 

 

 二人の距離が縮まっていき、そして――――

 

 

 

「あー、えっと二人とも。お楽しみのところ悪いんだけど、流石に外だからほどほどにしておこうね~」

 

 

 

『っ!?』

 

 

 

 少しだけ困ったような声が聞こえてきて、俺たちは我に返って距離をとる。声の聞こえてきた方に顔を向けると、「あはは~」と頬をかくことりと目が合った。

 

 

「こ、こここここ、ことり! い、今のは違うんだ!」

「何が違うのかなぁ~? 私には外でもお構いなしにイチャイチャするバカップルにしか見えなかったんだけど?」

 

 

 ことりの笑みが少しだけ黒い。もしかすると随分前からいたのかも……。

 

 

「それに、ここってもう『穗むら』の前なんだよね~」

「えっ!?」

 

 

 驚いて振り向くと、目の前には見慣れた『穗むら』の看板があり、その下では穂乃果と穂乃果ママがニヤニヤと俺たちを見つめていた。

「いやー、手を繋いできた時点でラブラブだなーと思ってたんだけど、まさかうちの前でキスをしかけるほどだったなんて」

「これは睦未さんにも報告ね。二人の交際は順調ですよって」

 

 

 二人の言葉に顔が熱くなる。穴があったら入りたいのだが、生憎入れるほどの穴はない。

 ちなみに海未は、先ほどから顔を真っ赤にして固まってます。

 

 

「取り敢えずここにいてもしょうがないし、二人をいじるのは道中でしなさい」

「できれば道中でもしないで下さい……」

 

 

 そんな状態で俺たちは神社までの道を歩いていくのだった。……海未は無理やり引っ張っていきました。

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

「全く、和希君も海未ちゃんも付き合って幸せなのはいいけど、時と場所を考えてください!」

「め、面目ないです……」

「すいませんでした……」

「まぁ、私としてはいい写真が取れたし、満足な部分もあるんだけど」

「しゃ、写真を撮った!? すぐに消してくれ!!」

「二人が反省するまで消しませーん♪」

「三人ともー、早く来ないと遅くなっちゃうよ!」

 

 

 先をいく穂乃果に促されつつ、俺たちは参拝客の並ぶ列を進んでいく。新年までは後数分というところまできていた。

 

 そして俺たちの番となり、お賽銭を投げ入れ手を合わせる。

 

 

(取り敢えず、来年も健康で過ごせますように。そして……海未とこれからも一緒にいられますように)

 

 

 お祈りを済ませた俺たちは列から離れて帰り道を歩き始める。

 

 

「ねぇねぇ、和希君は何をお願いしたの?」

「人に願いを教えると叶わないって聞いたことがあるから、秘密です」

「えー! そんなの迷信だって~。教えてよー!」

 

 

 いや、健康はともかく海未と一緒って恥ずかしくて言えねぇよ……。

 

 

「海未ちゃんは、なんてお願いしたの?」

「……言いません」

「ふふっ、その反応でもう何となく予想できちゃうけどね♪」

 

 

 海未もことりに聞かれてるみたいだけど、願いについては口を噤んでいた。まぁ、ことりの事だから今言ったように予想できてそうだけど。

 

 

「あっ、12時になった」

 

 

 新年を迎えたのはまさにそんなタイミングだった。俺は三人の方を向き直り、

 

 

「あけましておめでとう。今年もよろしくな」

 

 

 テンプレともいる挨拶を三人に向けて言うと、これまたテンプレともいえる返事が返ってきた。

 

 

『あけましておめでとう(ございます)!』

 

 

 三者三様の笑顔を向けられ、俺もつられて笑顔になる。今年もいい年になりそうだと、我ながらじじくさいことを考える俺だった。

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

 そして穂乃果たちと別れ、俺たちは園田家に帰ってくる。お互い軽くお風呂を済ませてから、俺の部屋に集まっていた。

 しかし、夜も遅いということで海未は大分眠そうである。それもそのはずで、普段ならとっくに眠っている時間帯だからな。

 

 

「海未、そろそろ自分の部屋に戻って寝たほうがいいんじゃないか?」

 

 

 すると海未はギュッと俺の服の袖を握る。

 

 

「……今日は和希と一緒に寝たいです」

 

 

 甘える様な声色で海未が呟く。一瞬、何を言われたのか分からなかった。彼女の言葉を一分ほどかけて飲み込む。

 

 

「えっと、寝ぼけてるとかじゃないんだよな?」

「…………」

 

 

 俺の問いかけに無言で頷く。どうやら寝ぼけて適当なことを口走ったというわけではないようだ。

 

 

「……じゃ、じゃあ一緒に寝るか?」

「っ! は、はい……」

 

 

 消え入りそうな声で返事をする海未。

 俺は俺で緊張しつつ先にベッドの中へと入り、海未が入れるくらいのスペースをあける。

 

 

「ほらっ」

「し、失礼します!」

 

 

 海未は律儀に挨拶をしながら俺の横に潜り込む。

 

 

『…………』

 

 

 背中合わせになった俺たちは無言になる。

 

 しかし、俺はすぐに身体を反転させ彼女の華奢な身体を優しく抱き締めた。

 

 

「……和希、もっと強くても大丈夫です」

 

 

 そう言って海未が首に手をまわし、俺の胸に顔を埋める。そのいじらしい姿や言葉は本当にずるい。

 

 

「海未、ちょっと一回だけ顔上げて」

 

 

 すると、上目遣いになりつつ顔を上げる海未。そんな彼女の右頬に手を添える。

 

 

「……さっきにできなかったから」

「…………」

 

 

 言葉の意味を理解した海未が目を瞑る。

 

 

 

 

 

 俺はもう一度彼女の頬を優しく撫でた後、唇に優しくキスをした。

 

 

 

 

 

「んんっ……」

 

 

 彼女の口から艶っぽい声が漏れる。

 

 気付くと、俺は海未の身体を先ほどよりも強く抱き締めていた。

 

 いつもより少しだけ長いキスを終え、俺たちは改めて見つめ合う。

 

 

「……そういえば、穂乃果にも聞かれてましたけど神社で何をお願いしたんですか?」

 

 

 さっきは誰かに言うと願いは叶わないとか話したけど、海未だから別にいいか。

 

 

「自分の健康と後は……これからも海未と一緒にいたいって」

「……ふふっ」

「どうして笑うんだよ?」

「いえ、私と同じことを願っていたんだなって……嬉しくなったんです」

 

 

 嬉しそうにはにかむ海未はとにかく可愛かった。そこで俺は改めて言いたかったことがあったので口を開く。

 

 

「えっと、海未。さっきも言ったんだけど、三人同時にだったから改めて……あけましておめでとう、海未。今年もよろしくな」

「こちらこそ。あけましておめでとうございます、和希。そして、今年もよろしくお願いします」

 

 

 俺たちはそうして新年のあいさつを交わし……糸が切れたように眠りに落ちたのだった。

 

 ちなみに、次の日の朝。睦未さんが二人仲良く眠っている俺たちを写真に収めたのはまた別のお話。




 次は一か月後とか言いながら、気付くと5か月が経過してました。遅くなったことについては大いに反省しております。しかし、次もいつになるか……失踪だけはしないように頑張ります。
 あと2話か3話くらいで完結ですので最後までお付き合いお願いします。


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AFTER STORY 7 真面目な彼女とバレンタイン

「ねぇねぇ、海未ちゃん。バレンタインの日に、和希君にどんなチョコをあげるか決めた?」

「へっ!? な、なんですか藪から棒に!?」

 

 

 新年を迎え、二月も中旬に入ろうかというある日。穂乃果の家に集まってわいわい話していたのですが、親友であることりの質問に私は思わずびっくりしたような声を上げてしまいました。

 

 

「全然藪から棒じゃないよ~。だって、もう直ぐバレンタインだよね? 大好きな彼氏がいる海未ちゃんにとって、このイベントは結構重要だと思うんだけど」

「ま、まぁ、確かにそうかもしれませんけど……あと、恥ずかしいので大好きなって言うのはやめて下さい!」

「和希君の事、大好きじゃないの?」

「ほ、穂乃果もうるさいです!」

 

 

 今日も私の事をからかってくる親友に一喝入れた後、私はぽつりとつぶやきます。

 

 

「……べ、別に考えてないわけではないですよ。その、このような関係になって初めてのバレンタインなわけですし」

 

 

 彼氏と言うとまたからかわれそうだったので、このような関係といって誤魔化す。一方、二人は私の言葉に『おー!』と手を叩く。

 

 

「バレンタインなんて全く興味のなかった海未ちゃんがこんなことを言うなんて……穂乃果、すごく嬉しいよ」

「うんうん、そうだね穂乃果ちゃん。バレンタインのバの字も知らなかった海未ちゃんが……やっぱり彼氏の存在は女の子を変えるんだね!」

「二人揃って酷いです! あとバレンタインくらい私でも知っています!! そもそも、元はと言えば二人が言わせてきたんでしょう!!」

 

 

 顔を真っ赤にして叫んでも、二人は『きゃ~♡』と楽しそうに笑うばかり。なんだか、怒っているこっちがバカらしく思えてきました。私は「コホン」と咳払いをすると、話の流れを元に戻す。

 

 

「それでバレンタインの話に戻るのですが、正直どんなチョコをあげればいいのかと迷ってしまいまして」

「迷うも何も、和希君ならどんなチョコでも喜んでくれるんじゃない?」

「そうなのですが……」

「もしかして海未ちゃん、あの噂の事気にしてる?」

「…………」

 

 

 ことりの言葉に私は思わず黙りこくってしまう。

 

 その噂というのが、和希が生徒会長である絢瀬絵里先輩と一緒に居たということだった。

 一月の下旬ごろに二人が歩いている姿を、とある一年生が見たことが事の始まりである。私自身、まだ二人一緒に居る姿を見かけたことがないのだが、噂として出回ってしまっている以上どうしても気になってしまう。

 

 

「あの噂って、和希君が生徒会長と一緒にいたって噂? でもあれって本当に噂程度のモノじゃなかったっけ?」

「それが、最近になってまた二人一緒に居るところを見た人がいたみたいなんだよ。ことりも見た本人に聞いてみたんだけど『二人は目立つから間違いない』って」

 

 

 確かに絢瀬先輩はスタイルもよく美人なので目立つし、和希も和希で目立つため間違えたというのはあまり考えようがないだろう。

 しかも、ただ一緒に居るだけじゃなくて楽しそうに歩いていたと言われているのが私のもやもやに拍車をかけていた。

 

 

「もうっ! 和希君ってばこんなに可愛い海未ちゃんをほったらかしにして! お説教してあげないと!」

「ま、待ってください! まだ本当かどうかも分かりませんし、本当だったとしても和希に何か意図があっての事だったかもしれませんから」

 

 

 今にも園田家へ走り出しそうな穂乃果を必死に止める。今言った通り、まだ噂の域を出ないような話を和希にしても迷惑をかけるだけです。それに今、和希は買い物に行くとかで園田家には居ないはずですし。

 

 

「和希自身も特に変わった様子を見せていませんし、いつも通り私と一緒に帰ったりしてくれます。だから、きっと大丈夫だと思うのですが……」

「甘い、甘いよ海未ちゃん! 男の子は必ず浮気するものだってどこかの番組でも言ってたし、もっと怪しまないと!」

「いくらなんでも酷すぎです、穂乃果」

 

 

 男性の皆さんに失礼なことを言った穂乃果の代わりに私から謝ります。すみません。ただ、最近もよく芸能人が誰々と浮気したという話はよく聞くので、和希に当てはまらないともいえないのが何とも……。

 

 

「ま、まぁ、穂乃果ちゃんの言ったことは少し極論過ぎるから、和希君に関しては心配しなくてもいいと思うよ。私の目から見ても浮気する心配なんて全くないと思うから。それに浮気なんてしたらすぐにばれそうだしね! でも、何かあったのだけは聞いてもいいんじゃない?」

「それは私も思ったのですが、あまり詮索しすぎるのもよくないのかなって。詮索しすぎて和希に嫌われるのもよくないですし」

 

 

 女性の方が詮索しすぎて男性に嫌われるのはよくある話だ。確かに疑わしい動きをする男性にも問題はあるかもですが、あれは女性の方にも同じく原因がありますし……。

 

 

 だからこそ、ここは余計な詮索をせずに黙っているべき……黙っているべきだったんですけど、

 

 

「ね、ねぇ、海未ちゃん。あれって和希君と生徒会長だよね!?」

 

 

 穂乃果たちと三人で集まった次の日、バレンタインの二日前の日に事件が起こりました。

 和希と生徒会長が、何かを話しながら生徒会室から出てきたのです。しかも、二人とも笑顔で。

 

 

「…………」

 

 

 私は見た光景を信じられず呆然としてしまいました。どうして? なぜ? という気持ちが頭の中をぐるぐると回っています。

 

 

「う、海未ちゃん、大丈夫?」

 

 

 呆然とする私を見てことりが焦ったように声をかけてきました。

 

 

「は、はい、大丈夫ですよ。……大丈夫です」

 

 

 何とか平静を装ったものの、動揺した気持ちはまるで隠しきれていませんでした。声はかすれ、頭の中は相変わらず真っ白。もちろん、事情を聴いてみるまで確かなことは言えませんが、それでも悪い方へ悪い方へと考えてしまいます。

 二人は私たちに気付くことなく別方向へ歩いていきました。しかし、今回ばかりは私たちに気付かなくてよかったと思います。今、出会ってしまえば冷静に話が出来るわけないですから。

 しばらく間呆然と立ち尽くす私。

 

 

「……海未ちゃん、バレンタインどうするの?」

 

 

 恐る恐るといった様子で穂乃果が声をかけてくる。私は何とかして平静を取り戻すと、いつも通りの笑顔を幼馴染二人に見せる。

 

 

「予定通り作りますよ。じゃないと、昨日集まった意味がなくなってしまいますからね」

 

 

 それに、この事ならバレンタインのチョコと渡した後で聞けばいい。……と、自分を納得させてバレンタイン当日を迎えたのだった。

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

「珍しいな、海未が自分の部屋に俺を呼ぶなんて」

「ま、まぁ、そういう日だってたまにはありますから」

 

 

 そしてバレンタイン当日の夜。……既にバレンタインは夜になっていた。

 

 どうして夜になってしまったかというと、結局、噂のもやもやが晴れずに学校でチョコを渡せなかったためです。

 しかし、せっかく作って渡さないのも嫌だったので、仕方なく和希を部屋に呼び出したわけですが……正直、どうやって話を切り出していいのか分かりません。

 ひとまず、あらかじめ用意しておいたお茶を和希の前に差し出します。

 

 

「お茶を持ってきたので、どうですか?」

「おっ、ありがと。それじゃあ遠慮なく」

 

 

 和希は特に緊張した様子もなく、呑気な顔でお茶を啜っています。その様子を見て安心すると同時に、少しだけイラッとしました。

 私がこれだけもやもやしている中で和希は平然とお茶を飲んでいる。それが何となく許せなくて、

 

 

「和希……この前、生徒会長と一緒に居ましたよね?」

「ぶっ!?」

 

 

 ついに我慢できなくなった私からの質問に、和希が飲んでいたお茶を噴き出しました。

 何もやましいところがなければこんな反応はしないと思います。ということは、信じたくないですけど……。

 

 

「い、いや、まぁ、確かに一緒に居たんだけどさ」

 

 

 口元をタオルで拭いつつ、歯切れ悪く答える和希。私と視線を合わせようともしません。どういったものかと逡巡しているようにも見えます。

 

 

「一緒に居たのは間違いじゃないんだけど、その色々あってさ」

 

 

 和希はそう言って肝心な部分をはぐらかす。やっぱり和希は……そう思った瞬間、鼻の奥にツーンとしたような感覚が走りました。目の前が涙で霞む。私は彼にバレないようそっと涙を拭き、

 

 

「……わかりました」

「えっ? 分かったって何が?」

「和希は、生徒会長の事が好きになってしまったのですよね?」

「…………はい?」

 

 

 間抜けな声を上げる和希を他所に私は俯きつつ、半ば自暴自棄になって口を開きます。

 

 

「分かっています。私が至らないばかりに和希にたくさんの迷惑をかけていたんですよね? 確かに私はなかなか素直になれませんし、スタイルだってあまりよくありません。さらに言えば、和希に我慢ばかりさせてしまっています。それで私に愛想をつかした和希は、生徒会長とどこかで知り合いになって惹かれあったと」

 

 

 うぅ……自分に原因があるとはいえ、言っていて泣きそうになります。あの時、怖がらずに和希を受け入れていればよかったのかもしれません。

 しかし、今となってそれは後の祭り。自業自得というやつです。そんな私を見て和希がどういうわけか大きな声を上げる。

 

 

「ま、待て待て! お前急に何言ってんの!?」

「急にも何も、こうなったのは和希が生徒会長と浮気してたのが原因じゃないですか!!」

「うわきぃ?」

「だ、だって、私の友達にも和希と生徒会長が一緒に歩いているところを見た人がいるって聞きましたし、実際に私も見ました。二人が誰もいない生徒会室から出てきて……つまり、もうできているということでしょう?」

「……まじか。あの時の事をピンポイントで見られてたって事かよ」

 

 

 私の言葉を聞いて、何やらぶつぶつと呟きながら和希が頭を抱えています。恐らく浮気がバレたので、どう言い訳しようかと考えているに違いありません。

 そして覚悟を決めたように頭を下げてくる和希、

 

 

「……ごめん、海未」

「…………はい、大丈夫です。私はもう覚悟を決めて――」

「それ、全部海未たちの勘違い」

「……はい?」

 

 

 今度は私が首を傾げる番でした。

 

 

「か、勘違いってどういう事ですか!?」

「そのまんまの意味だよ。俺が絢瀬先輩と一緒に居たのは、別に惹かれあったから一緒に居たわけじゃない。……はぁ。この事はもっと後に言う予定だったんだけど、こうなるんだったら隠さずに言っておけばよかった」

 

 

 恥ずかしそうに頭をかいた後、

 

 

「俺さ、来年から生徒会に入ることにしたんだ」

「せ、生徒会!?」

 

 

 次から次へと新たな情報が頭の中に入ってきて、処理が間に合いません。私が目をぐるぐるさせていると、おでこに痛みが走りました。

 

 

「痛っ!?」

「落ち着けって。これじゃあ話が先に進まないから」

 

 

 どうやら和希にデコピンをされたみたいです。しかし、おかげでパニックになっていた頭が少しだけ落ち着きました。

 

 

「す、すいません、取り乱してしまったみたいで……」

「まぁ、原因は俺にあるみたいなもんだから別に大丈夫だよ」

「それでは改めて聞きたいんですけど、どうして生徒会に?」

「海未の影響を受けたからかな?」

「私の?」

 

 

 言葉の意味が分からず首を傾げる私。

 

 

「海未ってさ、いろんなことを頑張ってるだろ? 部活動もそうだし、家での習い事だってそう。普段は恥ずかしくて言わないんだけど実は俺、海未の事彼女である以上にすごく尊敬してるんだ」

 

 

 思ってもみないことを言われて私は戸惑ってしまいます。だって、彼氏である和希からそんな事を言われるのは初めてだったから。

 和希も改めてこんなことを言うのは恥ずかしいのか、僅かに頬を染めています。

 

 

「そ、そんな……部活動は好きでやっているだけで、習い事も昔からやってきただけなので、別に尊敬されるほどの事はなにも……」

「そういう、謙虚なところもすごいと思ってるんだよ。……海未は知らないだろ。俺がどれだけお前の事をすごいって思ってるのか」

 

 

 和希はそう言って不貞腐れつつも、どこか恥ずかし気に視線を逸らす。

 

 

「だからさ、俺も何か頑張ろうかなって思ったんだ。そんな時に、生徒会でメンバーを募集してるって張り紙を見たんだよ。それで絢瀬先輩に話を聞いてみたら、たまたま書記に空きができたって事だったんだ」

 

 

 ここまで聞いてようやく、色々なことが繋がりました。そして同時に私はとてつもなく恥ずかしくなりました。

 

 

「多分、絢瀬先輩と一緒に歩いていたのは生徒会の事を細かく色々と聞いてたからだよ。入ってから実は……なっても困るからな。生徒会室にいたのも同じ理由で、後は正式に加入する書類を書いていたからなんだ」

 

 

 つまり和希が生徒会長と一緒に歩いていたのは浮気でも何でもなく、何かを頑張ろうとした結果というわけです。

 そんな誠実な理由だったのに私は勝手に色々と決めつけて――。

 

 

「うぅ……」 

「海未?」

 

 

 私の中の恥ずかしさがキャパシティを超え、手近にあったクッションを顔に押し付けて真っ赤な顔を隠します。

 つまり、私は勝手に勘違いをして勝手に嫉妬していただけだったのです。こんなの恥ずかしくないわけがありません。すると、

 

 

「ったく、海未は普段しっかりしてるのに、こういうことになると途端にポンコツ化するよな」

 

 

 優しい手つきで私の頭を撫でる和希。普段なら「ポンコツじゃないですよ!」とツッコミを入れるところですが、事実なので何も言い返すことができません。

 

 

「……どうせ私はポンコツですよ」

 

 

 おかげで拗ねてしまう始末。これでは和希も呆れてしまうはずです。

 

 

「ぷっ……あはは!」

 

 

 しかし、聞こえてきたのは和希の笑い声でした。

 

 

「わ、笑ってほしいとまでは言っていません!」

「いや、ごめんごめん。自分でポンコツって言う海未が可愛くてさ」

 

 

 目じりにたまった涙を拭きながら、和希が私の頭をポンポンとなでる。

 

 

「別に今回の事は海未だけのせいじゃないから大丈夫だよ。そもそもは、隠してた俺に原因があるんだしさ。ごめんな、沢山心配かけて」

 

 

 もう一度頭を撫でると、和希は私の瞳をしっかりと見つめる。

 

 

「絢瀬先輩は確かに魅力的な人だと思うよ。でも、だからって俺が浮気するなんて絶対にありえない」

「どうしてそう言い切れるんですか?」

「だって、俺は海未のことがめっちゃ好きだから」

 

 

 そう言って少し恥ずかし気に微笑む和希。一方私は、

 

 

「…………ふーん、そうですか」

 

 

 多分、今までで一番顔がニヤニヤと緩んでいたと思います。

 ど、どうしてこんなに嬉しいんですか!? 別に好きなんてこれまでも言われてきたはずなのに……。でもニヤニヤが止まってくれません。嬉しすぎてどうにかなってしまいそうです。

 

 

 ……ずるいです、その笑顔は。

 

 

 私が恥ずかしさで悶えていると、和希が急にそわそわとし始めます。どうかしたのでしょうか?

 

 

「それでさ、こんなタイミングで言うことじゃないと思うんだけど、今日はバレンタインじゃん? それで海未は俺にチョコをくれないのかなーって?」

「あっ! 申し訳ないです。このごたごたですっかり忘れていました」

 

 

 私は慌てて鞄の中から今日、和希に渡す予定だったチョコを取り出す。

 

 

「はい、どう――」

 

 

 チョコレートを渡そうとしたところで、私はとあることを思いつきます。今回の事は元々和希のせいでもあるんですから、これくらいお願いしても罰は当たらないと思います。

 

 

「ん? どうしたんだ?」

「いえ、ちょっといいことを思いつきまして」

「いいこと?」 

 

 

 和希が少しだけ嫌な表情を浮かべていますが、そんな事私にとっては関係ありません。

 私はチョコの入った容器の包装を解くと、その中から一つだけチョコを取り出して、

 

 

「…………何してんの?」

「私が食べさせてあげようと思いまして」

「自分で食べられるからいいよ」

「……私、今回の事でとても傷つきました。和希に浮気されてるんじゃないかと思って」

「うぐっ……それはお互い様で」

「傷つきました」

「…………あーん」

「ふふっ、あーん♪」

 

 

 観念したのか、和希がしぶしぶ口を開けたので、私は上機嫌になりながらチョコを口の中に持っていく。しばらくもぐもぐと口を動かす和希。

 

 

「どうですか?」

「……美味しいよ。これ、手作り?」

「はい、そうですよ」

「いつの間に作ってたんだ?」

「見られるのが嫌だったので、和希が眠ってからこっそり作ったんです。いわゆるサプライズというやつですね!」

 

 

 私はそう言って胸を張りましたが、全てことりの受け売りです。彼女から「チョコを作っているところを見られないほうがいい!」といったアドバイスがなければ、普通に和希のいる前で作っているところでした。

 ちなみに教えてもらったことはこれだけじゃなくて――

 

 

「…………」

「なぁ、次からはもう一人で食べられるからその箱を俺に渡してもらえないか?」

「……嫌です」

「嫌ですって、流石に高校生にもなって「あーん」は恥ずかしいんだよ」

「じゃあ、「あーん」をしなければいいんですよね」

「うん、だから普通に……え? ちょ、ちょっと何してんの!?」

 

 

 狼狽えたような和希の声。それもそのはずで、私は容器から取り出したチョコを自分の口で加えていたのだから。

 私はチョコを咥えたまま和希の首に腕をまわす。顔は確認するまでもなく真っ赤だろう。

 

 

「……海未、本気なのか?」

 

 

 彼の問いにコクッと頷く私。

 

 

 ことりに言われたこと。それはもう少し先に進んでもいいのではないかといったことでした。

 私たちは普通のキスをしたことがあっても、その先の事をしたことは一度もない。長めにキスをするときも、基本的に唇同士が触れ合っているだけ。

 そんな感じのことを話したところ(どっちかと言えば根掘り葉掘り聞かれたというほうが正しい)ことりに、

 

 

『うーん、こんなことあんまり言うことじゃないと思うんだけど……多分、和希君は相当我慢してると思うよ』

 

 

 思わずギクッとするようなことを言われました。

 

 和希と付き合い始めてから、何となくそういうことを意識することもあります。でもやっぱりどこか恐怖心が抜けなくて……和希に甘えてしまっている。

 

 彼は以前、『海未を怖がらせたり、傷つけたくない』といってその先に進むことを一旦やめてくれました。しかし、同時に『したくないわけではない』とも言いました。

 多分、今だってずっと我慢してくれている。もしそのような雰囲気になっても、私が『怖い』と言えばやめてくれるだろう。

 

 でも、それじゃ意味がない。いつまでたっても前に進めないままだ。私が変わらないといけない。

 これまで我慢してくれた和希に今度は私から――。

 

 

 和希の口元までチョコと持っていく。一口サイズのチョコが和希の唇に触れ、少しずつ口の中に入って行く。ゆっくり、ゆっくりと二人の距離が縮まる。

 そして、チョコがもう少しで全て口の中に入るという所で和希が私の後頭部に手を添えると、グイッと彼自身の方に私の頭を引き寄せてきた。

 

 

「んむっ!?」

 

 

 一瞬で私たちの距離がゼロになり、和希と唇が触れあった。続けざまに彼の舌が私の咥内に侵入してくる。チョコの甘さと和希の舌が入ってきて、私は思わず目を白黒させる。

 しかし、和希はこの深いキスをやめてくれません。むしろ、どんどん舌の動きが激しくなってきます。

 

 

「ふっ……んっ……んぁ」

 

 

 私の口から喘ぎ声のような声が漏れる。まるで自分の声ではないような、甘ったるい女の声。

 その声が恥ずかしくて……でも、その声を出さないように息をする方法が分からない。声を抑えようとするたびにもっと声が大きくなる。

 

 

「んちゅ……ん……っ、……ぁん」

 

 

 恥ずかしい声が漏れるたびに和希の舌の動きも激しくなる。そして、私もいつの間にか彼の舌に自分の舌をゆっくりと絡ませていた。

 

 こんなはしたないこと……心ではそう思っている。でも身体は意思を反して和希を求めている。彼を求めて舌を動かしていた。

 

 

「んっ……んぁん……ふっ、……ちゅっ……ぷはっ」

 

 

 ようやく唇を離す私たち。つつっと私たちの間に唾液が糸を引く。たまらなく身体が熱い。私は空気を求めて「はぁはぁ」と荒い息を吐く。

 私は今一体どんな顔をしているのだろう? 自分の身体を支えられなくなった私は、和希のに抱き付くような形で身体を預ける。和希はそんな私の身体を優しく抱き締めると、

 

 

「…………ごめん」

 

 

 一言、そう謝ってきた。

 

 

「……どうして謝るのですか?」

「いや、我を忘れてがっついちゃったからさ。海未の気持ちも考えずに」

「……別にいいんですよ。そもそも誘ったのはこっちなわけですし」

「本当にびっくりしたよ。それで、今のはその……これからもう俺は我慢しなくていいってこと?」

 

 

 ギュッと私を抱き締める力が強くなる。

 

 

「……はい、もう大丈夫です。だからもう、我慢しないで下さい」

「じゃあ、これからは我慢しないから。……俺の部屋に来てもらってもいい?」

「………………はい」

 

 

 身体が再び熱を持った。返事を確認した和希は私の手を掴み、そのまま和希の部屋へと向かう。

 部屋に入ると私は和希のベッドで仰向けに寝転がり、和希は私の上に覆いかぶさるようにして横になった。

 

 

 

『…………』

 

 

 

 お互いが無言で見つめ合う。私の心臓は狂ったようにどっくんどっくんと早鐘をうっている。

 でも不思議と嫌な気分ではない。色々と吹っ切れたからだろうか?

 

 

「……海未」

 

 

 和希が私の名前を呼んで頬に手を添える。恐らく、最後の確認ということだろう。

 

 私は彼の右手に自身の左手を優しく重ねた。

 

 

「はい、大丈夫です」

 

 

 微笑む私に和希は安心したような表情を浮かべ……再び私たちの唇が重なった。

 

 

 

 今年のバレンタインはいつもより少しだけ濃く、そして甘かったです。




 生徒会の云々の所は実際、どうなっているのかよく分からないので想像です。違和感があっても許していただければと思います。なんか生徒会長だけ選挙で決めるってイメージがあったんですよね。
 あと、二話くらいで終わるといいなぁ。


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AFTER STORY 8 真面目な彼女と母親に会いに行くことになった 前編

 大分お待たせしました。
 今回はほぼ海未ちゃん視点です。


 さて、波乱あり甘い時間ありのバレンタインから一か月ほどが経過し、今日は修了式が行われていました。その後は成績表が配られたり春休みの宿題が配られたり……もう一年生が終わってしまったと思うと寂しい限りです。

 和希は特に気にした様子もなく、いつも通り淡々とHRを受けていました。……来年、また同じクラスになれるとは限らないので、少しくらい寂しがってくれてもいいのにと思ったのは内緒です。

 

 

「それじゃあ、生徒会での話し合いが終わったら部室まで迎えに行くから」

「はい、わかりました」

 

 

 そう言って教室で和希と別れます。ちなみに誤解が解けた後、絢瀬先輩と話す機会が合ったのですがその時に、『ごめんなさいね。あなたの大切な彼氏君を何度も連れまわしちゃって』と言われて赤面したのも内緒です。

 絢瀬先輩はクールな外見と相まって、意外とお茶目なのかもしれません。というか、誰がバラしたのでしょう? 

 そんな事を考えているうちに弓道部の部室が見えてきた。今日、弓道部自体の練習はなく、来年度に向けてのミーティングを行う予定である。

 ミーティング自体は一時間ほどで終わり、私は荷物をまとめていつもの待ち合わせ場所へ。

 そこでは既に和希がスマホをいじりながら待っていました。

 

 

「すいません和希。遅くなりました」

「いや、俺もさっき来たところだから大丈夫だよ。それじゃあ帰ろうか」

 

 

 二人で校門まで歩いていき、校門を出たところでどちらからともなく手を絡ませる。流石に学校の敷地内で手をつなぐのはお互いに恥ずかしいので、いつもこのタイミングで手を繋いでいた。

 

 

「ところで、今日は生徒会室で何をしていたんですか?」

「来年度からの動きと、離任式、始業式に向けての確認かな。まぁ、俺はひとまず生徒会の仕事に慣れてほしいと絢瀬先輩からは言われたよ」

「確かに、和希は生徒会の経験が全くありませんからね。ちょっとずつ慣れていけばいいと思いますよ」

「絢瀬先輩たちの足を引っ張らない様に頑張るよ。海未たちは?」

「私たちも似たような感じです。春休みの練習予定を確認して、来年度の活動についてを話し合ったという感じでした」

 

 

 たわいのない話をしながら私たちは帰り路を歩く。でもこの帰り道が今は一番好きな時間だったりします。

 家で話すのとはまた違った感覚。見慣れた横顔も、また違って見えてくる。

 

 

「ん? 俺の顔になんかついてる?」

 

 

 和希の顔を見つめすぎたのか、彼が首を傾げる。そんな彼に「何でもないですよ」と首を振る私。

 

 

「ただ、来年も同じクラスだったらいいなと思ったんです」

「別に、同じクラスじゃなくても家で話せるじゃん」

「……そういうことではないんです」

 

 

 拗ねたように話して私はそっぽを向く。全く、これだから和希は……。私がぶすっと口を尖らせていると、和希が笑いながらポンと頭を撫でてきた。

 

 

「うそうそ、冗談だよ。俺だって海未と来年も同じクラスだったらいいって思ってる」

「じゃあ始めからそう言って下さい。言っていい冗談と悪い冗談がありますよ」

「ごめんって。お詫びに、自販機で飲み物買ってやるから機嫌直して」

「モノでつらないで下さい!」

「いらないの?」

「……いつもの緑茶でお願いします」

 

 

 別にモノでつられたわけじゃありません。ただ、今日は少し暖かくて喉が渇いていたので仕方ありません。

 そのまま和希は、近くにあった自販機で自分の分と私の分の飲み物を買う。

 

 

「ほい、いつもの緑茶」

「……ありがとうございます」

 

 

 お茶を飲みながら再び歩き始める。

 

 

「まぁ、海未と同じクラスになりたいって言うのはもちろん本心だよ。確かに家とか帰り道とかでも話はできるけど、同じクラスで話すのはまた違うからさ。なんだかんだ海未と話してる時間が一番楽しいから」

「……へ、へぇ、そうですか」

 

 

 か、和希はこうやって急にキュンッとすることを言ってくるから困ります……。顔が熱くなった私は再び視線を逸らす。すると和希がニヤッと笑みを浮かべ、

 

 

「海未って照れてるときって、必ず髪をくるくる触ってそっぽを向くよな? 今だってそうだし」

「っ!? へ、変なところに気付かないで下さい!!」

「可愛いよ、海未ちゃん」

「も、もうっ!! 和希!!」

 

 

 私をからかっている時の和希は本当に幸せそうな顔で笑っている。複雑ですけど、その顔も好きなのは絶対に内緒です。言ったらもっとからかってきますから。

 

 

「ごめん、ごめん。あまりに面白いからつい」

「全く、あまり人をからかわないで下さい。……和希だから許してあげますけど」

「えっ? 最後、なんて言った?」

「何でもないですよ。ほら、早く家に帰りましょう」

 

 

 私は和希の手を取って歩き出す。その足取りはいつもより軽やかだった。

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

 家に戻ってきた私は部屋着に着がえ、和希の部屋の前に立っていた。理由は、和希と少し話したいことがあったからです。

 ノックをすると「どうぞ~」と返事が返ってきたので私は和希の部屋へ。

 

 

「すいません、急に」

「いや、それは気にしてないけどどうかしたのか?」

「ちょっとだけ話したいことがあったので。あっ、まずはお茶でも飲みませんか?」

 

 

 和希の部屋で私たちはお茶を飲みつつホッと一息つく。

 

 

「それにしても、和希がうちに来てからもう一年が経つんですね」

「言われてみれば確かに……時の流れは速いなぁ」

 

 

 しみじみと頷く和希に私は思わず吹き出してしまう。

 

 

「和希ってば、なんだかおばあちゃんみたいですよ?」

「せめておじいちゃんって言ってくれよな。だけど、海未もそう思うだろ?」

「まぁ、そう言われると否定はできませんけどね」

 

 

 本当に一年はあっという間だと感じますね。もちろん、穂乃果たちと過ごしてきた中学時代も十分に濃い日々でしたけど、和希が家に来てからはそれ以上毎日が楽しい日々でした。

 

 和希に色々助けられたことや夏祭りの事、遊園地に行った事やクリスマスの事などが昨日の事のように脳裏に蘇ってきます。そして最近で言えば――。

 

 

『…………』

 

 

 お互い、顔を真っ赤にして俯きます。私だけじゃなく、和希も顔を赤くして俯いたということは恐らく同じことを考えているのでしょう。

 私たちは、その、バレンタインの日の夜、1つになりました。和希のアレが入ってきた時の感触は今でも強烈に覚えています。

 あんなのが本当に私の中に入って行くのかと思いましたけど、人間の身体は凄いものですね。最初はものすごく痛かったのですが、慣れてからは、まぁ、き、気持ちよくなりましたけど……。

 

 でも、それ以上に幸せだという気持ちが強かったです。和希はがっつきたい気持ちを我慢して何度も「大丈夫か?」とか「痛くないか?」と聞いてくれました。

 後、次の日の夜に赤飯が出てきた時は二人揃って悶えてました。お母様が同じ階で寝ているのに、声の音量を気にしなかった私たちが悪いんですけど。

 

 

「なぁ、海未」

「は、はい! なんですか?」

「海未ってさ、やっぱり結構むっつりだよな?」

「はぁっ!? 何を言い出すんですか急に!?」

「だって、バレンタインの時……結構大きめに声も出すし、ことが終わった後に『……もう終わりですか?』って聞いてきたし」

「っ!? あ、あああ、あれは仕方ないんです!! 雰囲気に充てられていたというか何というか……それに、和希だって最後の方は私の事なんてお構いなしにシてたじゃないですか!! それに避妊具がなかったらもう一回する気満々の様子でしたし!」

 

 

 私の反論に今度は和希が顔を真っ赤にする。

 

 

「だ、だって仕方ないだろ!? ずっと、海未とそういうことシたかったわけだしさ……そもそもあんな声を出して反応する海未が悪い! 一回じゃ我慢できるわけないじゃん!!」

「せ、責任転嫁です! 私だって和希じゃなければあんな反応してませんよ!!」

「お、俺だって海未じゃなかったらあんなに激しくしてないって!!」

「あのー、海未さんに和希さん?」

『っ!?』

 

 

 突然の声に私たちは我に返る。声のした方を向くと、お母様が半眼で私たちの事を見つめていました。

 

 

「……初めてエッチした時の事を話すのはいいですけど、もっと声を小さくしてくださいね? ご近所に聞こえたら流石に私も恥ずかしいですから」

 

 

 それだけ言ってお母様はぴしゃッと扉を閉める。一方、残された私たちはこれまた顔を赤くして俯くのだった。

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

 ひとしきり恥ずかしがったところで、本題の事をすっかり忘れていたことに気付く。

 

 

「と、ところでですね、私が今日和希の部屋に来たのは何もこの話をしに来たわけじゃないんです。とあることを話したいと思いまして」

「とあること?」

「その……和希のお母様の事についてです」

「……なるほどな」

 

 

 私の言葉で察しのいい和希は色々と感じ取ったみたいです。実は以前、和希が一緒に暮らしていたおばさんが海外出張先から一時帰国して、我が家に寄ったのですがその時に言われたのです。

 

 和希のおばあ様が亡くなったと。

 

 その話を聞いて私は思わず口に手を当て、和希はしばらくの間、上を向いて瞑目していました。彼の中でおばあ様の記憶も多少なりとも残っていたでしょうから、気持ちの整理をつけていたのかもしれません。

 しかし、その後に言われたことの方が私たちにとってある意味衝撃的なことでした。

 

 

『ねぇ、和希君。これは一つの提案なんだけどイギリスに行ってもう一度、お母さんと暮らしてもいいんじゃないかしら』

 

 

 今度は流石の和希も面食らったようで、驚きのあまり目を見開いている。隣にいた私も「えっ!?」と声をもらしてしまいました。

 

 

『別に今すぐにってわけじゃないけど、和希君のお母さんもおばあちゃんがいなくなったことで一人になったのよ。多分、寂しい思いもしているはず。だから、和希君がもう一度一緒に暮らしてあげれば、お母さんも嬉しいんじゃないかって』

 

 

 優しく微笑むおばさんとは対照的に和希は声も発しない。いや、絶句していると言ったほうが正しいのかも……。

 

 

『もちろん、すぐに結論を出せだなんて言わないわ。だけど、もし迷うようなら一度、お母さんに会いに行ってほしいと私は思ってるの。彼女は絶対口に出さないけど、和希君に会いたがっているはず。和希君が私の家に住んでいる時も遠回しではあるけど、和希君の事をよく聞いてきたから』

 

 

 おばさんの話を聞いている和希の表情は複雑そのものだ。何と答えればいいのか、何と返事をすればいいのか……。様々な感情が和希の中で渦巻いていることだろう。

 そして、その複雑な感情は私の中でも渦巻いていた。最初聞いた時には今すぐにでも和希はイギリスへ行くべきだと思った。

 でも……そうなってしまうと和希はこの家からいなくなることになる。これまでみたいに他愛のない話をしたり、帰り道を一緒に帰ったりできなくなってしまう。

 

 もちろん、今の時代ならば離れていてもスマホを使えば顔を見たり、話したりすることは十分可能だ。それでも、寂しいものは寂しい。やっぱり和希とはずっと傍にいたい。

 でも彼の気持ちは尊重すべきで……こんな気持ちが先ほどから押し問答を続けていた。

 

 

『まぁ、その話は一旦保留にしましょう。和希さんも大分、混乱されているみたいですし。恥ずかしながらうちの娘もですが』

 

 

 そこでお母様が助け舟を出す。混乱する頭で考えても余計に混乱するだけなので、一度冷静になってから考えたほうがいいだろう。

 しかし、最後の言葉は少しだけ余計です。まぁ、確かに混乱していたので否定できませんけど……。

 

 

『……なるほど。和希君もこの一年で変わりましたね。とてもいい方向に。これも睦未さんのお陰ですか?』

『いえ、私は何もしていませんよ。変わったように見えるのなら和希さんが自分で変わったということと、微量ながら私の娘の影響もあるかもしれませんね』

 

 

 ニッコリと頬笑みを浮かべるお母様。一方私は嬉しいながらも、どこか複雑な思いで和希の事を眺めていたのでした。

 

 

 

 

 

 そこで話は終わったのだがそれ以降、和希の母親関連の話はお互いしていなかったのだ。

 しかし、春休みに入るということで一度話しておいた方がいいと思ったのは事実です。春休みが終わってしまえば、イギリスに行くとなると少なくとも夏休みまで待たなければなりません。

 そうなってしまう前に、結論を出しておいた方がいいというのが私の考えです。和希はどのように考えているのか分かりませんが。

 

 

 

「俺は……行かなくてもいいと思ってるよ」

 

 

 

 びっくりして私は和希の顔を見る。しかし、和希は動揺した様子を全く見せません。いつも通りの表情で、普段通りの口調で淡々と話します。

 

 

「今さら母さんとあったところで何を話せばいいのか分からないし、母さんもきっと困るだろ。数年前に別れた息子がいきなり現れるわけだからさ。それに俺には生徒会の仕事もあるし、何よりお金もない。だからいいんだ今は。また、俺が就職してお金がある時にでも行けば――」

 

 

 私は途中から彼の言葉が頭に入って来ていませんでした。ことさらにいつも通り話そうとする和希に違和感を感じたからです。

 普段通りだったのは最初だけで、それからは隠しきれない悲哀の色が表情に滲み出てきていました。

 

 そして私の中には行き場のない怒りが込み上げてくる。

 

 どうしてそんなに寂しいことを言うんですか。どうしてそんなに悲しいことを言うんですか。どうしてそんなにつらそうな顔をするんですか……。

 

 

 そんな顔をして話していれば、誰だって本音じゃないって分かっちゃいますよ。

 

 

「良くありません!!」

 

 

 気付くと私は和希に向かって大声をあげていた。驚きのあまり目を見開く和希を無視して私は口を開く。

 

 

 

「和希は絶対にお母様の所へ行くべきです。なにを迷う必要があるんですか? 私たちの事なんて考えてないで、自分の気持ちを優先させてください! 優しいのは和希のとてもいいところで、私の大好きなところでもあります。だけど、和希は優しすぎるんです。自分の事はお構いなしで、いつも人の事ばかり考えて……。この話だって私は和希が本当の気持ちを話しているなんて、全く思っていません。もっと、我が儘になってください……。和希の本当の気持ちは何ですか? 私は、本当の気持ちを正直に話してほしいです」

 

 

 溢れた言葉が止まらなくなり、捲し立てるように話してしまった。和希の気持ちを考えずに、一方的に自分の気持ちをぶちまけてしまった。

 後悔する私を他所に和希はポカンとした表情を浮かべていたのだが、しばらくして呆れたように頭をかく。

 

 

「……ったく、海未ってほんと人の気持ちにお構いなしの所があるよな。今の話だって俺がさんざん悩んで出した答えだっていうのに」

「あっ……それはごめんなさ――」

「いや、別に俺は怒ってるわけじゃないんだ。むしろその逆だよ。海未の言葉を聞いて色々と吹っ切れた。確かに俺は本当の気持ちを話してなかったなって」

 

 

 そう言って和希は少しだけすっきりした表情を浮かべる。

 

 

「睦未さんとか海未に迷惑をかけるとか、母さんがどう思ってるか分かんないなんて色々言ってきたけど、多分色々と逃げてたんだ。母さんが今更俺に会っても迷惑に思うんじゃないかって気持ちがどこかにあったんだ。でも、いつまでも逃げてるわけにはいかないよな。俺だって母さんにはいろいろと話したいことがあるんだよ」

「色々、ですか?」

「母さんと別れてからの生活とか、今の生活とか色々だよ。それと……大切な彼女の事も母さんに紹介したいし」

 

 

 頭を優しく撫でられ、私の頬がリンゴのように赤く染まった。大切な、という不意打ち的な言葉も私の心拍数を早くします。

 頬を真っ赤にして俯く私を見て和希は優しく微笑み、

 

 

「だから俺は……母さんに会いに行くよ」

 

 

 覚悟を決めたように言葉を口にした。そんな彼の言葉に私も微笑を浮かべる。

 これで和希もようやく母親の元へ……しかし、すぐにその表情が曇ってしまう。

 

 

「どうかしたんですか?」

「……重大な問題を忘れてた」

「えっ? お母様に会いに行くことに何か問題でも?」

「金がない」

「……た、確かに」

 

 

 一番大事なことをすっかり失念していました。いくら会いに行きたい気持ちがあっても、お金がなければ会いに行けません。

 日本にいるならまだしも、和希のお母様はイギリスに居ます。つまり、ある程度まとまったお金がなければ会いに行くことすらできないのです。

 

 

「い、今から頑張ってバイトをすれば……」

「バイトをしているうちに新学期が来てしまいますよ!」

「海未さん、あなたをお金を借りるわけには?」

「私も和希とほとんど変わらないくらいのお金しか持っていません……」

 

 

 貯金がないわけではないですが、管理しているのはお母様ですしそのお金は将来のためのものです。

 ……でも、和希が困っている今こそ本当に使うタイミングなんじゃ? 散々助けられてきた恩を今こそ返す時ではないでしょうか? 

 

 

(迷っている暇はありません!)

 

 

 私が口を開こうとしたその時、

 

 

「ふふふ、一部始終を聞かせてもらいましたよ二人とも。そしてお金の事なら何も心配はいりません」

「睦未さん!?」「お、お母様!?」

 

 

 いつの間にいたのだろうか? 部屋の前で妙なドヤ顔を浮かべるお母様に私はびっくりしたような声を上げる。

 

 

「お金の事なら安心してください。私が全額を負担します」

「えっ!? だけどイギリスですよ? 飛行機代とか向こうでのお金とか考えたら、かなり高額になって――」

「でももヘチマもありません! いいから、黙って私に負担させればいいんです!」

 

 

 かっこよく言い放つお母様。あまりのカッコよさに後ろから後光が差しているかのように錯覚してしまいます。更にお母様は畳みかけるように口を開いた。

 

 

「和希さんには居候してきてから色々手伝ってきてもらいましたし、何も問題はありません。それに、やっぱり私も和希さんにはお母様と一度話してほしいと思っていたところですから」

「睦未さん……すいません、俺の為に」

「いいんですよ。本当に、あなたは気を使いすぎです。海未さんも言ったかもしれませんけど、もっとわがままになっていいんですから」

 

 

 優しく微笑むお母様に和希が頭を下げる。ふふっ、良かったですね和希。私が頬笑みを浮かべていると、

 

 

「それに海未さんも頼みましたよ」

「はい、わかりました……って、私もですか!?」

 

 

 驚く私にお母様は当たり前だというように頷く。

 

 

「当たり前です。和希さんだけではもしかすると本音で話し合えないかもしれませんし、海未さんがいればきっといい潤滑油になると思うんです。だから、海未さんもなんですよ」

 

 

 いきなりイギリス行きが決定してしまい、私は狼狽してしまう。英語の成績が悪いわけではないのですが、それでも不安は不安だ。逡巡する私。

 すると和希は私の両手をギュッと握り、

 

 

「ごめん、海未。俺のせいで……でも、俺は海未についてきてほしいかな。一人だけじゃ不安なんだ。俺の我が儘、聞いてほしい」

 

 

 ……もう、ここでその言葉はずるいですよ。私は少しの間瞑目してから、

 

 

「分かりました。私も覚悟を決めて和希と一緒に行きます」

「決まりですね。それでは私は早速、チケットなどの予約をしますので」

 

 

 そこでお母様が部屋から出ていく。なんだか、そこまで時間が経ってないはずなのに処理することがあり過ぎて少しだけ疲れてしまいましたね……。

 

 

「海未」

 

「えっ?」

 

 

 少しボーっとしていた私の身体を和希はいきなり抱き締めてきた。

 

 

「か、和希!? 急にどうして――」

「……ありがと、海未。本当にありがとう」

「……いいえ、気にしないで下さい。それに、私だけではどうしようもなかったことですから」

「それでもだよ。だから……もう少しこのままで」

「全く、仕方ないですね」

 

 

 私と和樹はその後しばらく抱き締めあっていたのでした。

 

 

 

 

☆ ★ ☆

 

 

 

 

 これは後日の話。

 

 

「あの、睦未さん。流石に飛行機代とかをただで貰うのはまずいので、将来的には必ず返します」

「別にお金なんていりませんよ。……あっ、お金じゃないですけど一ついいですか?」

「はい、何でも構いません!」

 

 

 力強く頷く和希にお母様はニッコリと微笑んだ。隣にいた私も首を傾げ――。

 

 

「それなら、孫の顔を見せてくれることで手を打ちましょう!」

「はい……って、えっ?」

「はぇっ!?」

「それでは、私はこの後少し予定がありますので」

 

 

 衝撃な一言を残して私たちの元を去っていくお母様。一方、残された私たちは顔を見合わせ……すぐにそらした。

 

 

(うぅ……お母様のバカ! ま、ま、孫の顔なんて、まだ早すぎる……って、この反応も間違ってます!!)

 

 

 混乱しすぎて思考回路もおかしくなってしまったみたいだ。そして私と同じくらい顔を赤くした和希と目が合い、

 

 

「……え、えーっと、流石にまだ作らないからね?」

「あ、当たり前ですよ!!」

 

 

 そんなわけで私たちは和希の母親に会うため、イギリスへ向かうことになりました。




 多分、後二話で最終回なので、なんとか3月末までには書き終わるように頑張ります。


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