感度3000倍の世界で非モテは吠える (Re鯖)
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プロローグ:今は枯れ落ちぬ物語

祝Dies iraeアニメ化と決戦アリーナ3周年ってことで書いていきます。
リハビリがてらのんびり書いていきます。


 ある日、気がついた時から不快だった……なんていうつもりは無いが、少なくとも今俺が置かれている状況はそれに近かった。

 別に何かが俺にまとわりついているわけでもなければ雑多な魂が常に俺の周りをウロウロしているわけでもない。ただ、身体を貫く異物の感覚が不快だった。痛いのではなく、不快だった。

 

「…………」

 

 目には何かを巻かれているのか何も見えず、気配を探ろうにも周辺に俺以外の気配はない。人はおろか、生物の気配すら感じることは出来ない。音も、俺を縛っている鎖が擦れる音と、俺の胴体を貫いて地面に縫い止めている柱のような太いものと肉がぶつかることで聞こえる水っぽい音しか聞こえない。

 

「…………」

 

 俺は、まるで断頭台による処刑を待つかのような体勢で跪いていた。身体を柱で貫かれているにも関わらず、不思議と痛みは感じなかった。

 一体いつからその体勢だったのか、覚えていない。昨日からだったかもしれないし、1年以上前からだったかもしれない。まぁ、そんな時間の感覚がなくなっている時点で、ろくでもない時間をここでこの体勢で過ごしているのだろう。水とか食料とかはどうしているのだろうか、自分のことのはずなのに、他人事のように俺は考えていた。

 

「……ぁ……ぅ」

 

 声を出そうにも、喉が乾いているのかしゃがれた声しか出せない。こんな状態では、少なくともまともな会話はできないだろう。

 

「…………」

 

 現状、分かることはそれだけだった。この回想も何回もやったことなのだろうが、まるで初めて感じたことのように新鮮で、俺にはそれ以外何もわからなかった。自分の身の上も思い出せないし、家族も、思い出も、何も思い出せなかった。

 

「…………?」

 

 そんな思考を繰り返して数えるのをやめた頃。誰かの視線を感じた。

 

「……だれ……か……」

 

 誰か居るのか? そう聞きたかったのだが、残念ながら大破状態の俺の喉ではほとんど喋ることができなかった。ぐぬぬ、この状況的にそんな日が来るのかどうかはわからないけど社会に出た時に俺こんなので大丈夫なのか?

 そんな事を考えて居ると、初めて俺の耳に聞き飽きた効果音以外の音が聞こえた。

 

「ご機嫌は如何かな? 大罪を背負った少年よ」

 

 いや、誰だよあんた。

 

 主人公に地球の半分くらいは与えそうな仰々しい口調の、おそらく老人のそれであろう男性の声が聞こえた。その声色から察する事のできる年齢の割には張りがあり、若々しい印象を与えるその声は、おそらくではあるが俺に向けて話しかけている。俺は今こんな状態なのだから俺に覚えは一切ないが何かやらかしたのだろうとは考えていたが、まさか生まれつきとは。

 

「いやはや、流石の私もこれを用立てるのには中々苦労したよ。なにせ実際の吸血鬼よりも御伽噺の吸血鬼に特徴が似ていると来た。十字架に炎とは、君は一体いつの時代の吸血鬼なのかな?」

 

 ……何やら俺は吸血鬼らしい。いやもう状況的に普通じゃないっていうことは分かっていたが吸血鬼ってどういうことだ。俺は自身に関することすらほとんど思い出せないが少なくともパッと思いつく知識は常識的な範疇に収まっている。間違っても吸血鬼だの魔女だのそんなメルヘンチックな知識は存在しない。

 

「だが、これさえあれば君は我々の忠実な下僕である対魔忍になるというわけだ。魔族の力を利用するのは些か不愉快だが、これも対魔忍の未来のためだ。悪く思うなよ?」

 

 あれ、何か俺何かされるっぽいんですけど……というかそれ以前にすっごい嫌ーな固有名詞が聞こえてきたんですけど気のせいですよね?気のせいだよな?誰か気の所為って言ってくれよこんちきしょう。

 俺が内心で若干のパニックになっていると何やら俺の元へと歩み寄る音が聞こえた。ザリ、ザリ、と砂利を踏み躙る音が聞こえることから周囲は砂利で覆われているのだろうかと適当な予測を立てていた所、さっきから俺に話かけているおっさんらしき気配が目の前までやってきた。

 そして、俺の首に、首輪らしきものをつけようとして、

 

「……ぁ」

 

 痛い。

 

 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。

 

「アァああぁアアアアアアあぁあぁああああ!!!!」

 

 いっっっったぁ!!? 何!? 痛い痛い痛い痛い痛い痛い!! 首が何か万力っていうか、針っていうかバイサーデスっていうかなんかそんな感じの奴で首が! 首がああああ!!?

 

「あがああああ!? ひっギイいいいいあああああ!!?」

 

 さっきまでかすれた声しか出なかったけど流石に関係ない。痛みを抑えるためにただひたすらに妙に甲高い声を上げた。甲高い声ではあるが一応俺の身体は男だ。それは流石に感覚だけでも分かる。けど、今はそれどころじゃない!! 胸を柱が貫いているのは少しも痛くなかったのに何でこんなに痛いのおおおおおお!?

 

「あああああああ!! ああ……が……」

 

 痛みで叫ぶ中、俺の視界が暗くなって、何も考えられなくなった。

 

―――――――――――――――――

 

「…………」

「どうしました? そんなに暗い表情をしていては、せっかくの息子さんとの再会が台無しになってしまいますよ?」

 

 一体どの口がそんなことを言うのか。どこからどう汲み取っても悪意しか感じられない皮肉めいた口調で喋る眼の前の男性。もう見るからに利権を貪っているであろう肥えた中年を、彼とは対象的に町中を歩けば誰もが振り向くであろう大人特有の色気を感じる美貌をもった長い黒髪と赤い瞳が特徴の女性。水城不知火は睨みつけるが、その男性は一切気にすること無く歩を進める。

 周囲は洞窟を申し訳程度に整備しただけの貧相にみえる薄暗い通路だが、各所に見え隠れする鉄筋や導線などから、少なくない資金がここに使われていることが分かる。

 

「おお、生きているようですね。結構結構」

「っ…………」

 

 そんな通路を歩いていくと、一気に開けた場所に出て、同時に視界も開け、そこに広がっている光景に不知火は息を飲んだあと耐えられないとばかりに目を背けた。

 そこに広がっていたのは、凄惨という他はない光景だった。

 少し開けて、小さなドーム状になっている空間には、中心でやせ細った少年が鎖に縛られて跪くような体勢で座っていた。それだけならまだいい。いや、決して良くは無いがそれでもまだいい。

 その少年はオークの腕程もある太さの黒い柱で胸の中心部を貫かれて、地面に縫い付けられていた。おそらく端正であろう事が窺えるその顔に巻かれた布には身動きを封じる効力を持った術式が刻まれており、少年を貫いている柱にも様々な効果をもった術式が所狭しと刻まれていた。

 その柱からは血が滴り、少年の周囲の床は殆どが血で赤黒く染まっていた。少年の肌はもはや体中の血液が抜けてしまったのではないかと思うほどに真っ白で、元々は周囲に烏の濡れ羽と褒められた艷やかな黒髪は、見る影もないほどに真っ白に染まっていた。

 

「……ぅ……ぁ……」

 

 虚空に向けてかすれた言葉を呟くその少年、水城京士郎(みずき けいしろう)は不知火の息子だった。だった、という表現を使う理由は、京士郎は書類上では死んだことになっているからだ。

 彼は、何の変哲もない1人の少年だった。あの井河アサギと並んで最強の対魔忍とすら言われていた不知火は、1年後に妹であるユキカゼを産み、2人の子供と頼れる夫に囲まれて幸せな生活を送っていた。

 が、その平穏は数年後に破られる事となる。

 夫が任務の最中に魔族に襲われ殉死したのだ。当時7歳になったばかりの京士郎は父の死を受け入れることが出来ずに不知火が任務で家を空けていた際に家を飛び出してしまい消息を絶ち、他の対魔忍によって発見された頃には魔族の者の手にかかっていた。それも、とても無事とは言えない状態になっていた。

 魔族の実験の一環によるものなのか、紛い物の吸血鬼になっていたのだ。

 とはいえ、何か異能に目覚めたわけでも無く、ただ単純に人間ではなくなり、死ななくなってしまったと言うだけ。それだけで彼は対魔忍の上層部からは対魔忍にいてはならない存在とし、このような措置をとったのだ。

 大方、不老不死故にゆくゆくは権力を横取りされることを恐れたのだろうと、ここまでの流れ全てを気がついたときには終わらせられていた不知火は踏んでいる。彼女が京士郎が発見されたという報せを聞いたときには、京士郎は既に研究の名目で今のような状況に落とされ、世間一般には死亡したということになっていた。

 暇を見つけては会いに来ていた不知火は、なんど見ても慣れることの無いその光景に眉をひそめる。これまでも、京士郎は幾度となく幹部達のストレス発散の道具として様々な実験の実験動物にされていたのだ。

 そして今日も、彼は1つの機器の実験台にされる。吸血鬼の能力を封じ、普通の人間と何ら変わらない存在にするという機器の実験台に。それがまっとうな機関から送られたものならば不知火も喜んで賛成したが、それは対魔忍の上層部。即ち一刻も早く京士郎を消したい者達からのものだというのだ。

 無論、不知火は反対した。だが、京士郎だけでなく、もう一人の家族であるユキカゼまで盾にされてしまっては黙るしか無かった。あのときほど、不知火は自分の無力を恨んだ日は無かった。

 

「だれ……か……」

 

 誰かが居ることを察したのか、京士郎はかすれた声で言葉を紡いだ。

 

『誰か』

 

 それは、不知火から聞いても男から聞いても、助けを求める痛々しい声にしか聞こえなかった。それを聞いた男は悪意しか感じられない笑みをより一層深め、不知火は耐えきれずに目を背けた。その目尻には涙が一粒浮かんでいた。

 

「ご機嫌は如何かな? 大罪を背負った少年よ」

 

 その芝居がかった口調に、不知火は今すぐその場でその男をミンチにしてやりたい衝動に駆られた。だが、そんなことをした所で結果は覆らず、それどころかユキカゼまで命の危険にさらしてしまう。不知火はその衝動を両の拳を強く握りしめて必死に堪えた。

 

「いやはや、流石の私もこれを用立てるのには中々苦労したよ。なにせ実際の吸血鬼よりも御伽噺の吸血鬼に特徴が似ていると来た。十字架に炎とは、君は一体いつの時代の吸血鬼なのかな?」

 

 遊び半分でやっておいてどの口が言っているのか。不知火の握りしめた拳から血が滴り落ちた。

 

「だが、これさえあれば君は我々の忠実な下僕である対魔忍になるというわけだ。魔族の力を利用するのは些か不愉快だが、これも対魔忍の未来のためだ。悪く思うなよ?」

 

 弱い者いじめがそんなに楽しいのか、それとも不知火の反応を楽しんでいるのか、胸ポケットから取り出した首輪のような機器をまるで新しい玩具を見せびらかす子供のように自慢げに見せびらかした後、躊躇など微塵もする事無く、その首輪を京士郎にはめた。

 

「……ぁ」

 

 その声が、不知火にはどうしてと言っているように聞こえた気がした。

 

「アァああぁアアアアアアあぁあぁああああ!!!!」

 

 瞬間絶叫が炸裂した。わかっていた、こうなることはわかっていた。なぜ、こうなる前に止められなかったのか、もっと上手く出来たのではないか。自責と後悔の念が京士郎のその叫び声と共に不知火の中で沸々と湧き上がってきた。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……!」

 

 男が満足げに京士郎が悶え苦しむ様子を眺める中、不知火は両耳を押さえて蹲った。何故諦めてしまったのか。何故助けられなかったのか。自分の命と換えてでも救うことはできなかったのかと、発狂しかねない程の後悔の念が不知火を包んでいた。

 

「あがああああ!? ひっギイいいいいあああああ!!?」

 

 京士郎の悲鳴は中々止まなかった。痛み以外に何も考えられないとでも言わんばかりのその絶叫は、不知火の心を深く深くえぐっていった。

 

「あああああああ!! ああ……が……」

 

 が、突然電池が切れてしまったかのように京士郎の頭がガックリと落ちた。

 

「京士郎?……京士郎!?」

「ふ、ふは、あーははははははは!!!」

 

 我慢できずに不知火が駆け寄る中、男は耐えられないとでも言いたげに笑い始めた。

 

「殺せた!! やったぞ、吸血鬼を殺せた!! これでもう魔族など恐れるに足りなくなったというわけだ!」

「ころ……した? 貴様!! 一体何をした!!」

 

 これまでと同じく上の人間のストレス発散のサンドバッグに使われるとばかり思っていた不知火は、現実を受け入れることが出来ずに男に刀を向けた。

 

「だから殺したと言っているだろう? この首輪は吸血鬼にとって天敵とも言える日光や十字架といった要素を全て詰め込んで叩き込むことの出来る特性の機器だよ! 喜び給え! このなりそこないの犠牲により、対魔忍は魔族を恐れる必要はもうなくなったのだ!!」

「きっさまああああああああああああ!!」

 

 もう我慢の限界だった。離反でもなんでもしてやる。ユキカゼも、今は死んでしまっている京士郎も救ってみせる。そんな覚悟を持ち、不知火は男に刃を向けた。

 

「出来ると思うかね?」

 

 男がそういうと同時に不知火の周囲を幹部直属の腕利きの対魔忍が囲み、不知火の首に刃を押し付けた。

 

「なっ……いつの間に……!?」

「この周辺の空間には凄腕の対魔忍ですら認識を阻害してしまう忍法をかけさせてある。いくら君と言えどもその精神状態で察知するのは無理だったろうね!」

「くっ……!」

 

 この状況からは何をどうやっても挽回は出来ない。下手に実力があったがゆえに、不知火はそのことを確信してしまった。何が最強の対魔忍と肩を並べる凄腕だ。何が実力者だ。守りたいと思ったものも、愛しいと思ったものも、何一つ守れていないではないか。ただひたすらに悔しさと怒りを抱き、不知火は刀を手放した。

 

「さて、とは言え最高戦力の1つである君を失うのは惜しいな……そうだ、君には私のこの興奮の捌け口になってもらおう、今更慰める人もいないだろうしねぇ?」

「っ……くそっ……」

 

 この世には救いなど無い。不知火が無念の中でそう考えた。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 本来ならば、この物語はそのまま最悪の結末を迎えるのが筋である。

 

 だが、彼はそれを認めない。

 

 彼は夜に無敵となる魔神である。

 

 それは誇張でも何でもなく事実であり、夜である限り誰であろうと彼を殺すことは敵わない。

 

 望んだものは全て手から零れ落ちていく。

 

そのような呪いなど知らぬ忘れた心底どうでもいい。

 

 まぁ、色々と下らない御託を並べたが要するは、

 

「黙れよカス共が」

 

 気に入らねえからてめぇら全員吸い殺すということだ。

 

「……え?」

 

 気がついたときには、照明で照らされていたはずの周囲が暗闇に包まれた。とは言え、照明にトラブルがあったわけではなく、照明は問題なく光っていた。だが、その光すらも覆い尽くさんとする勢いの赤黒い闇、否、瘴気が周囲を包んでいただけの話であり。

 

「……形成(Yetzirah)

 

 先程までのかすれた声は何処へやら、地面に倒れ伏した京士郎の口からはっきりと言葉が紡がれる。そのことに男と不知火を抑えていた対魔忍は驚愕の表情を浮かべる。だが、そんな雑多の声など気にしないとでも言わんばかりに瘴気はよりその濃さを増していく。

 

闇の賜物(クリフォト・バチカル)

 

 本来ならば場違いの力が発動する。本来ならばそこまで力を発揮する必要がないにも関わらず、情け容赦無くその力は出力を上昇させていく。特に論理的な理由があるわけではない。彼女に涙を流してほしくなかった。串刺公(カズィクル・ベイ)にはあまりにも似合わない優しい理由で、血の杭は死骸を晒す。

 

「何、が……ごはっ!!」

 

 状況が理解できないとでも言いたげに、男は絞り出すかのように呟いた。男は何かが勢い良く京士郎の身体から飛び出すのを見てとっさに目をつむっただけだった。それだけのはずだった。

 なのに、

 なのに!!

 

「一体……何をしたぁ!?」

 

 不知火を除いた全員が、京士郎の身体中から突き出している無数の赤黒い杭によって貫かれていた。うつ伏せになっている京士郎の表情は、男からは見ることが出来ない。

 だが、唯一無事である不知火は、うつ伏せになっている京士郎の横顔が確かに笑っているのを見た。

 

「吸い殺せ……」

 

 先程のはっきりとした声とは違い、かすれた声で京士郎がそう呟いた瞬間、赤黒い杭で貫かれた男と対魔忍達は断末魔すらあげる暇もなく、肉が潰れる音と同時に骨と皮だけになった。生死など、確認するまでもなかった。

 




最初に言っておきます。これ書いてるときは大抵テンションが変な事になっているのでプロットはあっても何が起こるかは作者にもわかりません()。


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第1話 とりあえず生きてるだけで最高さ!

思っていたよりたくさんの方に見てもらったようで嬉しい半分緊張半分な今日此の頃です。とりあえずdiesファンが思ったより多いのでdies要素濃くしていこうかなと思います(無計画)。
あ、時系列的にはムラサキが終わった後って感じです。原作ではあとちょっとで不知火が堕ちます←。


 近未来、魑魅魍魎が跋扈する日本。

 

 魔族という御伽噺の中の存在が当たり前のように存在し、太古より人と魔族の間で守られてきた互いに不干渉という暗黙のルールは、人間側の堕落により形骸化してしまった。

 

 人と魔族が結託した犯罪組織や企業が誕生し、法律などあってないようなものとなった混沌とした時代。

 

 そんな中で、魔に抗う正道を歩む忍びの者達がいた。

 

 人は彼らを対魔忍と呼んだ。

 

―――――――――――――――――

 

 京士郎によって対魔忍の幹部が1人殺された日の翌日。拘束具の全てを破壊し、男と男の部隊を一撃で全滅させた京士郎は幹部達にとってもあまり事を大きくしたくなかったのか、実は生きていたということにして対魔忍達が住んでいる五車町の病院に送られることとなった。柱で貫かれて空いていた胸の穴は既に傷跡すら残らず元通りになっており、真っ白な肌と髪を除けば、知り合い達の知る水城京士郎がそのまま成長した姿となった。

 

「この子が?」

「ええ、私の子、京士郎よ」

 

 患者服を着てベッドに横たわっている京士郎を彼の母である水城不知火と、名実ともに最強の対魔忍である女性、井河アサギが見ていた。京士郎は昼間ではあるものの熟睡しており、不知火とアサギが入ってきても起きる兆しを見せることはなかった。

 

「人為的に吸血鬼となった……か」

 

 アサギは今朝、不知火からその話を聞いた。対魔忍の中でも最強とされるアサギとそれに近いとされる不知火の仲は浅くないものがある。だが、そんなアサギでも今回の話はにわかには信じ難いものだった。

 不知火曰く、水城京士郎は魔族に捉えられた際に身体を作り変えられ、吸血鬼になってしまったというのだ。

 そもそもからして、対魔忍達が持つ異能ははるか昔に人間と魔族が交雑したことによるものなのだから、異能を持つ対魔忍達は多かれ少なかれ魔族の血が混じっていることになるし、かつてのふうま八衆には吸血鬼のハーフがいた。だが、人為的に魔族になった例は聞いたことがあっても、吸血鬼になったという例はアサギは聞いたことがなかった。

 

「……本当にこの子が1人で幹部お抱えの対魔忍を倒したっていうの?」

「ええ、忍法のようなものを使ったのは確かだけど……正直、私もあんな忍法は見たことがないわ」

 

 さらに信じられない話があった。まだ年端もいかない少年である京士郎が、幹部お抱えの対魔忍の部隊を1人で殲滅してしまったというのだ。

 対魔忍は正道を行く組織ではあるが、人で構成された組織である以上腐った人間も当然存在する。しかもそういう人間に限って上の立場につくことが多く、それぞれが個人の権限で動かすことの出来る対魔忍の部隊を密かに持っている事が多い。

 当然部隊に所属している対魔忍はアサギや不知火までとはいかずとも腕利きの者達が多く、間違えても対魔忍にすらなっていない少年が1人で蹂躙できるようなものではないのだ。

 そう考えると、幹部達がそんな強力な存在を放置するはずもない今、水城京士郎に近寄る人物にも注意を払わなければならない。アサギはそう考えた。

 

「とりあえず、幹部の老人達を糾弾するにしても京士郎くん1人だけでは証拠が少なすぎるし、下手を踏めば京士郎くんが抹消されかねないわ。保護のためにも五車学園に入学させましょう。貴女もそれでいいわね?」

「……やっぱり事実を公表するだけでは駄目かしら」

「ある程度の効果はあるでしょうけど、きっと最終的には京士郎くんを危険に晒すだけになるわ」

「……そうね」

 

 不知火は悔しそうに俯いた。そんな彼女を見て、アサギは対魔忍という組織の在り方に苛立ちを覚えた。

 

―――――――――――――――――――

 

 水城ゆきかぜには1人の兄がいた。

 名前は水城京士郎。ゆきかぜとは1つ違いのごく普通の少年だ。

 ゆきかぜのように雷遁の術に対する才能は全くと言っていいほど持っておらず、大人達から出来損ないと言われることも少なくはなかった。

 だが、ゆきかぜは兄である京士郎が好きだった。無論恋愛的な意味ではない。

 京士郎は才能が無いことを理由にして努力を怠ることはなかった。常に誰よりも努力し続け、稽古中の手合わせではユキカゼの幼馴染の達郎の姉である凛子以外にはほとんど負け無しだった。強く、時に厳しく時に優しい。そんな京士郎のことがゆきかぜは好きで、母である不知火にも抱いていた憧れも抱いていた。

 故に、そんな彼が死んだと聞いた日。ゆきかぜは泣き明かした。達郎がいなければ何をやらかしていたかわからないぐらいには取り乱し、気持ちに整理をつけるまで1ヶ月かかったほどだ。

 

「…………」

 

 そんな彼女は今、対魔忍達が普段暮らしている街である五車町の中で一番大きな病院の入院病棟の一室の前にいた。そうはいってもまだまだ幼いゆきかぜは少々大げさな仕草で深呼吸をした後にドアをノックした。

 

「京兄、入るわよ」

 

 そう言った後、部屋の主の返答を待つこともなく部屋に入った。

 

「……ぁ……りが……」

「はいはい、無理に喋らなくていいから」

 

 部屋の主、件の人物である水城京士郎はベッドの上で上半身を起こした状態でお見舞いに着てくれたユキカゼに向けて礼を言おうとするが、口からはかすれた声しか出ない。ゆきかぜはそんな京士郎の様子を見て苦笑いしながら、花瓶の水を入れ替え始めた。

 そう、死んだということになっていた水城京士郎は生きていたのだ。

 細かい事情こそゆきかぜは説明されなかったものの、ゆきかぜからしてみればそんな事はどうでも良かった。京士郎が生きていた。それだけでゆきかぜは有頂天になり、京士郎の元へと向かった。

 

「それにしても、本当に真っ白になっちゃったわね~。まぁ、京兄に似合ってるからいいけど」

 

 花瓶の水の入れ替えを終えたゆきかぜは壁に立てかけられていたパイプ椅子をベッドの傍まで持っていき、それに座ったかと思えば身を乗り出して京士郎の髪を触り始めた。ゆきかぜの記憶の中での京士郎は、艶やかな黒髪と白い肌をもち、年相応の愛嬌をもった少年だった。

 だが、今の京士郎はゆきかぜの記憶の中の京士郎とは大きく変わっていた。

 艷やかだった黒髪は、その質こそ失われていないものの真っ白に染まっていた。元から白かったその肌はもはや何かの病気にかかってしまったのではないかと思うほど白くなり、全体的にやつれていた。いつも柔らかい微笑みが浮かんでいたその顔は何の表情も浮かべておらず、成長した端正な顔立ちと相まって人形のような印象をゆきかぜに与えた。

 その変わり果てた姿をみたゆきかぜは、恥も外聞もなく泣きじゃくってしまった。ゆきかぜもまだ小学校高学年程度の年齢だが、変わり果てた京士郎の姿から彼がこれまでにどんなに辛いことがあったかは具体的に理解することは出来なくても何となく察することくらいは出来るからだ。

 

「京兄は、京兄よ」

 

 まるで、自分に言い聞かせるかのようにゆきかぜは京士郎の髪をなでながらそう呟いた。数年後には将来有望な若き対魔忍になるとはいっても、今の彼女はただの少女だ。変わり果てた家族の姿を見て、不安に思わないはずがないのだ。

 

「……ぁ……」

「んっ……京兄?」

 

 それに対し、京士郎は不安そうな表情を隠しきれていないゆきかぜの頭をなで始めた。あまりにも長い時間同じ姿勢を取りすぎて、すこしも動くことがなかったために少しでも力を込めれば折れてしまいそうなほどに細くなった腕と指は非常に頼りないものであったが、冷たいはずのその手はゆきかぜにはとても温かく感じられた。

 

「……うん、京兄は京兄よね! ありがと京兄! もう大丈夫だから!」

 

 それは、稽古が上手くいかなかった時、何か嫌なことがあった時、いつもゆきかぜが京士郎にしてもらっていたことだ。例えどんなに外見が変わってしまったとしても、今目の前にいる人は紛れもなく自分の兄、水城京士郎だ。そう結論づけたゆきかぜはパイプ椅子から立ち上がり、屈託のない明るい笑みを浮かべて歩き出した。

 

「じゃあ、またね京兄! 明日は達郎と凛子さんもつれてくるから!」

 

 元気良くそう言って、ゆきかぜは病室を出ていった。

 

――――――――――――――――

 

 俺の妹が天使過ぎる件について。

 いや、色々説明しなきゃいけない事があるのは分かっているんだ。だけどさ、俺の妹らしい幼女が可愛すぎる。無理、ヤバイ。ナデナデしたい衝動を抑えられなかった。おそらく長年ニートしていたせいで凝り固まっていた俺の表情筋が仕事していたらまず間違いなく放送事故レベルの事になっていたね間違いない。

 

 とまあ、現実から目を背けるのはこれくらいにしておこう。

 まず、まるで意味がわからないが俺にはあそこで鬱ゲーも真っ青な拘束方法で封印されていた以前の記憶がない。俺の知る限りの知識の中で類似したケースを探してみるが、俗に言う神様転生というわけでもない。神様転生なら俺にはこことは違う世界の記憶があるはずだし、この世界に関してももっと知っていていいはずだ。

 この世界、対魔忍と魔族による争いが絶えないこの世界のことを俺はお世辞にもよく知っているとはいえない。少なくとも、これから何が起こるかとか、こいつはどんな能力を使うか、みたいな神様転生した人が当たり前に知っていることは俺は知らない。あくまで、この世界における常識程度の事しか知らない。

 俺の事を京兄と呼ぶゆきかぜという幼女とか、俺がずっといた場所から連れ出してくれた(と思われる)俺の母だというありえないくらいの美人さんは既視感があるんだけどな……きっと家族だからだろうけど。

 

 まぁ、それは別にいいんだ。重要なことじゃない。

 

(……非モテ中尉、だよなぁ)

 

 窓に映る俺自身の顔を見る。現在表情筋が仕事していない整っている顔、鋭い目つき、何かの病気としか思えない真っ白な肌と髪。俺がもし仮に転生してこの体に憑依したとしても前世の記憶が無いため前の俺の顔は一切思い出せないが、この顔に関してはしっかりと覚えがある。

 スペックは悪くないはずなのに神からすらも中ボスと呼ばれ、

 気に入った相手とはどうあがいても結ばれず、

 逆に絶対にお近づきになりたくないヤンデレやメンヘラにはやたらモテるどうしようもない体質。

 ベイ中尉こと、聖槍十三騎士団黒円卓第4位、ヴィルヘルム・エーレンブルグの顔だ。

 

(しかもご丁寧に杭まで生成できる、と……どうなってんだ?)

 

 イメージをすれば、若干透明な、まるで染料を雑に入れたガラスのような杭が掌から出てくる。ヴィルヘルムの能力、というか彼が持つ聖遺物『闇の賜物』の能力が使えるということは、この体はヴィルヘルム・エーレンブルグの身体と見ていいだろう。

 

(ただ、それだと尚更分からん……少なくとも俺の知識の中ではそれはフィクションってことになってる)

 

 そう、俺の記憶の中では対魔忍やら魔族やらは現実の物事として記憶しているのに、ベイ中尉のことや彼が登場する物語のことはしっかりとフィクションの枠組みに入っている。何を言っているのかわからないかもしれないが、俺という一個人からしてみればどちらもどこの作り話だよと突っ込みたいはずなのに、対魔忍のことは普通に現実のこととして受け入れてしまうのだ。

 

(薔薇騎士は……だめだな)

 

 ベイ中尉のもう1つの能力が使えるかどうかはまだわからない。どうやればいいのかもわからないし、下手に発動しようものならこの付近にいる人が全員死ぬ。ただでさえ非モテの宿命を背負った身体なのにその上殺人犯にまでなるなんてごめんだ。

 

(……今の所、わかんないことだらけか)

 

 だめだ、現状わからないことが多すぎる。行動しようにもおそらく長年動かなかったせいで全身の筋肉という筋肉は衰退し、治療を受けてマシになったもののの全身が棒きれのように細い。情報収集をしようにも寝たきりの今の俺ではどうしようもない。

 

(……まぁいいか、あんな状況から助けられて生きてるだけで儲けもんだ)

 

 とりあえず、これ以上考えることが面倒くさくなった。とりあえずあの状況から生きて戻ることができたんだからこれからのこともまぁなるようになるだろう。考えることが面倒くさくなったし、いろいろな不安から目を背けたかった俺はあっさり眠りについた。




あんま進んでない……妹キャラのゆきかぜが書きたいだけの回だった。一番ヒャッハーしたがっているのは作者だということだけは言っておきます。
にしてもdies要素を強くするとエロの存在を忘れそうになるのが怖いです。


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第2話 これじゃあ形成(笑)だよ!

日間ランキング1位。約7倍に膨れ上がったお気に入り。色の付いたバー……ふむ、 ワシに(プレッシャーで)しね というんだな! いや本当にありがたいです。本当に有難うございます。皆さんがどんだけベイが好きかがわかりました。
決戦アリーナの新規LRがアスカと知って動機が押さえられなくて投稿が遅れました。すみません。


 あの状況から開放されて一週間。俺は治療を受けながらゆきかぜや彼女の友達だという姉弟の秋山達郎と秋山凛子からさりげなく、怪しまれない程度に俺のことについて筆談で聞いてみた。

 曰く、学校の剣道では凛子以外には負け無しだったとか。

 曰く、勉強の方では同い年の中では敵う人はいなかったとか。

 おいおいおい、どこの聖人君子だよと。やっぱりモテたんだろうか……いや、この身体に限ってまさかそんな……いやでも前は白くなかったって言うし……

 なんて事を考え込んでいたら変なものを見る目で見られた。俺は悪くねえ。

 

「……あ、ぁー、ぁ」

 

 そんな俺は、現在声を出せるようになるために1人でリハビリをしている最中だ。

 俺の身体は、医者や医療班に所属している対魔忍曰く軽く、というか実際人間をやめているらしく、尋常ではない回復速度で身体を修復しているらしいが、喉だけは何故か異常に治りが遅いらしい。針治療をしてくれる八雲玲さんも不思議そうにしていた。それだけ俺の身体がファンタジーということなのだろうが、俺からしてみればこの世界自体がファンタジーなのだから一緒にしてほしくないといった所だ。

 今現在も何とかして声をだそうとしているのだが、どうにも上手くいかない。何気なくやっていることでも、いざ意識してやろうとすると中々難しく未だにしゃがれた声しか出ない。

 

「……ぁ……あ……けほっ」

 

 何だろう、息は不自由なく出来るのだから、声も出せるはずなんだが、声を出そうとした瞬間に喉に蓋をされるような感覚といえばいいんだろうか? 何にせよ、身体の方は一週間でだいぶ回復し、一応そこそこ動けるようにもなってきた。点滴の類は全部外れたことだし、少し外に出てみよう。日が暮れるまではまだだいぶあるし、病院内を探検するくらいはいいだろう。

 

「…………」

 

 思えば、俺が俺を自覚するようになってから自分の意志で出歩くことは初めてだ。いくら若干過保護な不知火さんやゆきかぜが大量の読み物を病院に置いていったとはいえ、もう少し外へ興味を向けるくらいのことはしなかったのだろうか。

 

(ハッ!? まさか前世の俺は引き篭もり……やめよう、虚しくなるだけだ)

 

 適当な所で思考を切り上げて、外に出る。対魔忍という名前からして、和風な施設なのかと思いきや、ごく普通の病院と何ら変わらない清潔な廊下が続いていた。部屋の窓から見える風景から2階か3階に居るということはわかっていたから、とりあえずまずは階段を探すところから始めよう。 

 思えば、この弱肉強食の世界で狙われている子供が1人で外に出ようと思った事自体が間違いなのかもしれない。いや、確かにここは対魔忍の里だけども、自分の事をあんな風にした奴らがのさばってるって段階でだいぶアレだってことくらい考えるべきだった。

 

 

――――――――――――――――――

 

「姉さん、京士郎さん元気そうでよかったね」

「達郎……ああ、そう、だな」

 

 病院内の廊下を、まだ幼い姉弟が歩いていた。無邪気な笑みを浮かべている男子、秋山達郎は姉である秋山凜子に向けて話しかけるが、凜子は何か納得が行かないことでもあるのか、若干返答が雑になっていた。

 凜子にとって、京士郎とはまだそんな事を言うには当時の凜子と京士郎は些か幼かったかもしれないが、競い合い、互いに互いを高め合う仲だった。座学においても、剣術においてもそれは同じで、昨日は凜子が勝ったと思えば、次の日は京士郎が勝ち、その次の日は凜子が……と言った具合に、2人の実力は拮抗し、それぞれの実力は日を追うごとに高まって行った。

 京士郎がいなくなる、その日まで。

 京士郎がいなくなった後も、凜子は自分を鍛え続けた。いつも一緒にいたはずなのに、自分の手の届かない所で消えてしまった京士郎の事を忘れようとするかのように訓練に打ち込んだ。気がつけば大人ですら凛子に敵う者は少なくなり、対魔忍の里に代々伝わる逸刀流の皆伝に到達する日も近いとされていた。

 だが、凜子の心に空いた穴はどんなに力をつけても埋まることはなかった。

 だからこそ、京士郎が生きていたということを弟の達郎から教えてもらったときに、嬉しさを感じると同時に申し訳無さを感じていた。彼がいない間に、彼女は逸刀流を皆伝する日も近いと言われるまでに実力をつけてきた。それは、決して誰に責められるものでもない。それでも彼女は、できることなら京士郎と共にこの道を進みたいと願っていた。京士郎と凜子の差は、間違いなく広がっていた。

 しかし、数年ぶりに出会った京士郎は、彼女の知っていた京士郎とはあまりにもかけ離れた存在となっていた。外見上の変化も然ることながら、彼女は、まるで京士郎の中身がそっくりそのまま入れ替わってしまったかのような印象を受けた。確かに、ゆきかぜの言う通り、彼の優しさは変わっていない。元より自分のことよりも他人を優先する京士郎のそれは何ら変わってはいなかった。

 だが、凜子が数年ぶりに見た京士郎の瞳は、只々空虚だった。何の感情も示さないその顔は、この数年で彼の中にあったものがすべて抜け落ち、ただ水城京士郎を演じる機械となってしまったかのような印象を凜子に与えた。

 

「すまない、達郎。先に1人で帰っていてくれるか? もう少し京士郎と話がしたいんだ」

「そう……? わかった、じゃあまた後でね!」

「ああ」

 

 そう言って、凜子は達郎と一旦別れを告げて来た道を引き返した。やはり、彼に何があったか知りたかったのだ。

 

(京士郎……一体、何があったんだ?)

 

 そんな事を考えながら、1階の廊下を歩いていると、

 

 瞬間、忍犬や忍熊などの動物を治療する棟に通じる扉を突き破り吹っ飛んできた京士郎が壁に激突した。

 

「っ……」

「京士郎!? 何があった!?」

 

 京士郎はこんな時でもその無表情を崩すことはなく、また言葉を発することも無く、自分が吹っ飛んできた方向を指差した。凜子がそちらの方を向いてみれば、治療中なのか各所に包帯を巻かれた忍熊が明らかに正気を失った状態で吠えていた。

 周辺にスタッフはいるものの、戦闘向けの能力を持った人は居合わせていないのか、止めようにも止められない状況だった。

 

「…………」

「け、京士郎?」

 

 京士郎は何事も無かったかのように起き上がると、凜子の手を引いて忍熊がいる方向とは反対方向へと走り出した。忍熊はまるで京士郎しか眼中にないとでも言わんばかりに京士郎と凜子以外には目もくれずに2人を追いかけてきた。

 凜子は状況にも十分に驚いていたが、京士郎の行動にも驚いていた。凜子の知る京士郎なら、流石に倒すなどという夢物語は言わないが、周りの人間の避難まで時間をかせぐくらいの事は言い出しかねないからだ。

 

「……っ」

「うわっ!? な、何を……え?」

 

 そんな事を考えながら京士郎に引っ張られるがままに凜子が走っていると、唐突に京士郎が凜子を空いていた病室に突き飛ばし、そのまま勢いよくドアを閉めた。その唐突な京士郎の奇行に凜子は文句を言おうとしたが、その頃には京士郎は既に走り去ってしまい、忍熊もそれを追いかけてしまった。忍熊は最初から京士郎以外は視界に入っていなかったのだ。

 

「京士郎!!」

 

 彼が凜子の為に凜子を突き飛ばしたことは明白だ。少しの間呆然とし、一瞬でも京士郎の事を疑ってしまった自分を恥じつつ立ち上がる。

 確かに彼の実力は凜子の知る限りでは確かなものだ。しかし、今の彼は当然絶好調ではない。まだまだリハビリをしなければ満足に運動をすることすらも出来ないと医師も言っていたのだ。とてもではないが、助けが来るまで走りまわれるとは思えない。そういった心配を胸に凜子が元いた廊下に戻り京士郎と忍熊が走っていった方向へ走り出した。すると、少し走った後に京士郎と忍熊の姿が目に入った。

 

「…………」

「な、何が……」

 

 結果として、京士郎は無事だった。無事ではなかったのは忍熊の方だった。忍熊は、両手と両足を赤い染料が雑に入り混じったガラスのようなもので出来た杭で縫いとめられ、身動きが取れない状態になっていた。

 京士郎は、縫い止められて身動きが取れなくなった忍熊を、先程までと何ら変わらない機械のような無表情で見つめていた。

 

―――――――――――――――――――

 

 どうもこんにちは、中庭に行こうと思ったら何故か動物病院的な所に迷い込んでなんかすっげえ凶暴化した熊にタックルされた水城京士郎です。

 いや待て、人間の病院と動物病院が併設されていてそこで熊が治療されているのもツッコミ所だけど何で拘束具とかされてないの? 馬鹿なの?

 熊は俺の姿を見た途端に怒り狂ってこっちに突っ込んできた。俺は確かに突っ込んで来るのは確認できたけど何が起きたのか理解している間に吹っ飛ばされた。アニメの如くドアを突き破って壁に激突したけど流石ベイ中尉(の身体)だ! 何とも無いぜ!

 なんて下らない事を考えている最中も熊は怒りが収まらないのかこっちに走ってきた。いや待て(2回目)、周りにスタッフさんとかいるじゃん? 何で俺の方にむかって一直線に突っ走ってくるの? 俺なんかフェロモン的な何かでも出してる?

 とはいえ、この体は黒円卓が誇るヒャッハー野郎ことベイ中尉の身体、しかも聖遺物まで使えると来た。そんじょそこらの熊の1頭や2頭杭で倒すことなんて朝飯前だろう。

 故にここは、

 

(逃げるが勝ちィ!!)

 

 突っ込んできた熊を躱して熊に背を向けて全力疾走! いや無理だよ! だって仕方ないじゃん! いくら身体がベイ中尉でも俺はそういうキャラなんだもん! 冷静に考えてみて欲しい。何の前触れもなくいきなり熊の前に刀持って立たされて「その刀は何でも切れちゃうチート能力を持った刀だ! さあやっちゃって!」って言われてまともに戦える? 俺は無理だね。そんなのが出来るのは主人公か化物かのどっちかだよ。

 

「け、京士郎?」

 

 そんな中、俺の進行方向にさっきまで話していた凜子がいた。何故居る。まぁ、見た感じあの熊は俺以外には興味なさそうだけどこれで置いていって美少女をお茶の間に見せられない惨状にしたら悔やんでも悔やみきれない。一旦一緒に来てもらおう。何やら凜子は俺の事を不思議そうに見てるけどまさか俺があんなのに立ち向かうとでも思ってんの? 死ぬよ? 何の面白みもなく。

 さて、熊はお前実はどこも怪我してないだろってな勢いでこっちに向かって走ってくるけど今の所距離は詰められていない。ここが山の中とかだったら俺は一瞬で追いつかれてミンチよりひでえ死体になってる所だけどあいにくここは病院の中。道をあっちに曲がったりこっちに曲がったりすることで引き離すとまではいかなくても距離を保つことは出来る。

 

(……今!)

「うわっ!? な、何を……え?」

 

 そして、後ろを振り返って熊が完全に視界から外れた一瞬の隙を突いて凜子を適当な病室に突き飛ばす! 瞬間! すかさずドアを閉める! 熊は相変わらず俺以外は眼中にないようで凜子が入った病室には目もくれずにこっちに向かってきている。マジで俺の身体からフェロモン出てんじゃないだろうか。

 

(……とは言え、本当に何で……まさか)

 

 追いかけられながら何故俺だけが追いかけられているのか、そしてそもそも何故すぐに助けがこないのか考えていると、俺の中である1つの仮説が2秒で生まれた。

 

(……お偉いさん、なのか?)

 

 あんな状態になっていた俺だ。きっと各方面から怒りを買っているのだろう。だとしたら、事故という形を装って俺を殺しにかかっても何ら不思議なことではない。いや、これを事故っていうのはちょっと無理があるんじゃないのお偉いさん?

 

(……けど、だとしたら)

 

 が、もしこの仮設が本当なのだとしたら、俺の体力が尽きるまでこの鬼ごっこは続けられることになる……あれ? もしかしなくても詰んでね?

 いや、弱気になるな! この身体を誰の身体だと思ってるんだ、ベイ中尉だぞ? 熊を1頭倒すなんてベイ中尉なら(余裕で)出来たぞ? ベイ中尉なら出来たぞ? ベ(ry。とにかく、病み上がりとは言え戦闘力だけなら間違いなく勝っているはず。覚悟決めてやるしか無い!

 俺は逃げるのをやめて熊の方を向く。熊は相変わらず怒り狂ってこちらに突進してきている。……凄まじく怖いけどやらなきゃ死ぬんだやるしかない。俺は両の手の平から若干色が薄い杭を生み出し。熊の両前足が地面についた瞬間を狙って射出した。当然、熊にそれを避ける術はなく、数本の杭は吸い込まれるように熊の前足へ向かっていき、

 

 ガキン

 

 弾かれた。

 

 ガキン

 

 弾かれた。

 

 いやおかしいだろ!! こっちはベイ中尉だぞ!? 何で熊1頭貫けないの!?これじゃあ形成(笑)以下じゃねえかいい加減にしろ!

 表面上は無表情ながらも内心ではこの理不尽に若干キレていた当時の俺は、聖遺物を必要とする彼らの能力は保有する魂の量によって強さが変わることを完全に忘れていた。うん、ただの馬鹿だね。

 

「っ……」

 

 とはいえ、はいそうですかと受け入れるわけにはいかない。俺は続けざまに杭を、今度はより鋭いものを作り出してより速い速度で射出した。今度は弾かれることはなく熊の前足に突き刺さり、その痛みに熊は怯んだ。その隙を突いて俺は恐怖で動けなくなりそうになるのを必死に抑えて熊に肉薄し、熊に突き刺さっている杭を思いっきり踏んだ。杭は熊の両手を貫通して地面に縫い付けた。俺はそれを確認すると同時に考えるよりも先に身体を動かして熊の後ろに周り、先程と同じ要領で後ろ足も縫い止め、熊の動きを封じた。

 ……自分でやっておいて何だけどめちゃくちゃ痛そうだなこれ。すまん、熊よ。お前もきっとこれをやらされているだけなんだろうが許してくれ。

 

(こ……怖かった……)

 

 何はともあれ、とりあえずの危機は去った。俺は今になって溢れ出してきた恐怖心に任せるがままにその場に座り込んだ。とりあえず、こんな危ない橋はもう二度と渡りたくない。

 

「京士郎! 怪我はないか!?」

 

 熊を駆けつけてきてくれたスタッフさんに任せて、少し離れた場所でボーっとしていると、さっき別れた凜子が心配そうに駆け寄ってきてくれた。わかってはいたが、凜子には何事も無かったようだ。

 

(……疲れた)

「京士郎……? 京士郎!?」

 

 そのことで何故か無駄に安心した俺は、過度な緊張状態から解放された影響からだろうか、気がつけば俺は意識を手放していた。




いくら無能でも対魔忍だからで済ませてしまうことの出来る対魔忍はもう少しどうにかした方がいいと思う。
常時深夜テンションで書いている二次創作ですが今後も暇な時にでも読んでくださると幸いです。


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第3話 日常と非日常の境界線

物語がゴリゴリ進みます。
アスカがでなくて若干しょんぼりしてます。



 この世界の東京湾には、とある人工島がある。

 東京キングダム・シティ。

 政府の主導によって建設されたその人工島は、今や当初の目的からは大きく外れ、魔族と人が入り混じった闇社会が形成された無法地帯となった。

 薬物、人身売買が当たり前のように行われ、一度路地裏に入れば強姦が行われているのが日常茶飯事。そんな、魔都とすら呼ばれるようになった無法地帯に、最近1つの噂が流れるようになった。

 曰く、屋外で対魔忍を犯すとその者は必ず惨殺され、文字通り骨と皮だけになるという。

 ある者はその噂を信じ、ある者は下らない噂に過ぎないと笑った。

対魔忍という組織は、かなり個人主義の傾向が強い組織だ。というのも、対魔忍達はその戦闘能力の大半を能力に依存しているため、下手に連携をしようとしてもそれがかえって命取りになるケースも少なくないのだ。だが、単独行動が多いということは救助が困難になるというデメリットも有る。

 そんな理由から、対魔忍が堕ちて奴隷娼婦となっていることは何ら珍しいことではない。道端で犯されている少女が元対魔忍だったという話もよく聞く話だし、彼女達が任務で使っていた対魔忍スーツを着た状態のまま犯されていることも多いため、見分けもつきやすい。

 故に、それが殺すべき対象を間違えるということはあり得ない。

 

「んほおおおお!! おちちゃう、おちちゃうからああああ!! ちんぽぬいてえええええ!!」

「うるせえよメスガキがぁ! 恨むなら俺の山に手ぇ出した自分を恨むんだな!」

「ひっぎぃ!? いや、いやああああ!!」

 

 東京キングダムのどことも知れない路地裏で、まだまだ駆け出しだった対魔忍の少女が魔族の中でも階級が低いとされているオークに犯されていた。精液に媚薬効果があるというまさしく性交するためだけに生まれてきたような生命体は、恐怖の表情を隠そうともしない少女を見て下品な笑みをより深め、腰を振る速度をより加速していった。

 

「オラァ! 中に出すぞ!」

「おごぉっ!? な、中は、中はだめええええ!!」

 

 オークのピストンの勢いに耐えきれずに膣が切れたのか、性器から少量ではあるものの血を流しながら少女は泣き叫ぶが、そんなものをオークが聞き入れるはずもなく、オークが少女の膣内に射精しようとした次の瞬間。

 

「がっ!? ごっ!?」

「……え?」

 

 オークの全身の至る所を、赤黒い血のような色をした杭が貫いていた。脳と五臓六腑をぶち抜かれたという事を知覚する暇も無く、オークは即死した。対魔忍の少女は何が起こったのか理解できないのか、呆然と一瞬で亡骸となったオークを見つめていた。

 次の瞬間、オークは何かが潰れるような音と同時に、骨と皮を残してそれ以外が全て杭に吸い込まれてしまった。当然、身体を支える筋肉も吸い出され、何かのスーツと言われる方がしっくり来るような薄っぺらい何かになったオークは倒れ、その後ろにいた白髪の少年が対魔忍の少女の視界に入った。

 その顔は下半分が赤いマフラーで覆われており、少女からは彼がどんな顔をしているかは分からなかった。だが、元はオークのものだったであろう内臓の破片がその手にこびりついていることから、先程のあれをこの少年がやったことは明白だった。

 

「…………」

「ひっ!?」

 

 彼はその手にこびりついている内臓の破片をなんでもないことのように払った後、少女に歩み寄った。先程の一撃(?)を見るだけでも、少年が途方もない実力を有していることはわかった。そして何より、少女は彼の何の感情も宿していないかのような空虚な瞳が怖かった。自分もあのオークと同じようにされるのでは無いのだろうかと、ギュッと目を瞑った。

 

「……無事?」

「……え?」

 

 少女の肩に手を置き、少年が発したその言葉が少女の無事を確認するものだと理解するまでの、少女は若干の時間を要した後、ゆっくりと1つ頷いた。

 

「……帰ろう」

「は、はい……」

 

 少女が着ていた対魔忍スーツは、至る所を破かれ、胸や性器などが露出していたため、少年がどこからともなく取り出したマントで少女の身体を包み、少女を背負った。

 

「あの、あなたは……?」

「……名前はない」

 

 少女を背負った白い髪の少年は、そう答えたのを最後に何も喋らなくなった。

 

――――――――――――――――

 

「…………」

 

 表向きは普通の何処にでもある高校だが、その実態は対魔忍達を育てるための学園、五車学園。その職員室にて、アサギは1つの資料を睨んでいた。その顔は、お世辞にも穏やかとはいえなかった。

 アサギの見ている書類に書かれていたのは、ここ最近で五車町に戻ってきた対魔忍のリストだった。一度行方不明になった対魔忍が戻ってくるのは珍しいことではない。彼らも一通りの訓練を終え、ある程度の実力はあると認められた上で任務についているのだから自力で戻ってくるということも普通に有り得る。

 

(だが、いくら何でも多すぎる)

 

 そう、多すぎるのだ。それ自体は非常に喜ばしいことではあるが、帰還した彼女達が言っていたことにある共通点があるのが気にかかった。

 

(白い髪の少年か……)

 

 心あたりがないわけではない。いや、アサギの知る限りの人物の中では、彼以外にはあり得ない。

 

「水城、京士郎……」

 

 人の身でありながら、完全な吸血鬼となった人物。水城京士郎。聞けば、おそらく誰かの差し金で凶暴化していた忍熊をたった一人で、しかも万全ではない状態で無力化させたという。精神に干渉できる忍術を使った調査でも、彼女達の記憶の中での少年は彼の外見と一致していたため、彼と見て間違いないはずだ。

 

(けど、どうやって……?) 

 

 それがわからない限り、上層部の者達が京士郎を消したがっている以上下手に追求する訳にはいかない。東京キングダムと五車町にはそこそこの距離がある。彼が五車学園を欠席したという情報もないから、活動時間は必然的に夜となる。だが、それだけの距離を往復し、おそらくオークに襲われているであろう対魔忍を助ける事が可能なのだろうか?

 確かに彼は五車学園の中では成績的な面で言えばかなり優秀な方だ。だが、それはあくまで五車学園の中では、の話だ。五車学園で教師も勤めているアサギではあるが、その立場上多忙であり、あまり京士郎の様子を見ているとはいえない。とはいえ、成績表などを見る限りでは彼には一晩の内に五車町と東京キングダムを往復出来るような能力はないはずだった。

 謎は、深まるばかりだった。

 

――――――――――――――――――――――――

 

 病院内で熊に襲撃されてから約半年、俺の周りではいろいろなことがあった。俺を襲った熊は、治療中で精神状態が不安定だった熊が俺という刺激に耐えきれずに暴走した。ということになったらしい。なんか、さらっとフラフラしていた俺のせいにされたが、特に罰もなかったため、まぁ仕方ないかということで俺は受けいれていた。不知火さんは笑顔のままありえないくらいキレていたけど。

 

「…………はぁ」

 

 俺は個人的にやっていたリハビリの結果、まだまだ喋る事はできないが単語を1つ2つ発することくらいなら出来るようになった。まだまだそれだけでは会話の効率が悪いから本格的な会話をしたいときはノートとシャーペンが欠かせないけどね。

 

「京士郎、どうかしたのか?」

「……大丈夫」

 

 そして現在、俺はこの町の学校、五車学園に通っている。最初その話を聞いたときには俺の肉体年齢はゆきかぜより少し上くらいだと思っていたのだが、なんでも五車学園に年齢はあまり関係ないそうだ。

 というのも、五車学園というのは通常の教育機関を装ってはいるものの、その実体は対魔忍を育成するための訓練施設で、近年増加している魔族による被害に対抗するために設立された施設らしい。つまり、ここに通っている生徒達は見習い対魔忍といったところだ。

 

「早く次の授業に行かないと遅れるぞ?」

「……わかった」

 

 というわけで、五車学園の中では俺は同い年のはずの凜子の後輩となる。入院生活を送っていた最中は出来る限りゆきかぜの前では理想のお兄ちゃんであることを心がけていた俺としては若干微妙な気分になるが、こればっかりはどうしようもないため諦めることにした。

 

―・―・―・―

 

「―――であるから、こういった状況において最も優先すべきことは」

「…………」

 

 この学園での授業は、座学よりも実技を重視している場合が多い。まぁ、見習いの段階でも実力さえあれば任務への参加も許可される徹底的な実力主義らしいから対魔忍という組織としてもできるだけ規模を増やしたいのだろう。座学では地理的な知識や、緊急事態での対処法などを学ぶ。それ自体は別にいいし、俺もこんな状況に生まれてしまった以上ゆくゆくは対魔忍となることは分かっているから授業を真面目に受けなければならないのは分かっているのだが、

 

(……眠い)

 

 眠い。凄まじく眠い。瞼がとんでもない引力で引っ張られる。しんどいなんて次元じゃない。理由がないわけじゃないけど、能力と一緒に夜行性までゲットしてしまったのではないのだろうか。

 眠たい瞼を必死にこすってノートを文字で埋めていくが、段々と異世界語の比率が増えてきている。意識が覚醒するたびにノートがミミズと文字の中間の何かで埋まっているのを見て憂鬱になるのも最近ではもう慣れっこだ。

 

「……水城くん、水城くん」

「っ……ありがとう」

「ひっ……ど、どういたしまして」

 

 どうやらまた知らないうちに意識が何処かへ旅立っていたのか、隣の席に居る前園桃子さんにまた起こされてしまった。寝ていたためか、若干気だるげな声でとっさに礼を言うが、桃子さんを怖がらせてしまった。いや、確かに目つき悪いけども。まだ年相応の可愛げがあるのに寝起きとかだと確実に5人は殺ってる目つきしてるけども、結構起こされてるのだからいい加減慣れて欲しいのだが……表面上は無表情でも結構傷ついてるのよ?

 

 さて、夜行性であることを考慮に入れても何故俺がここまで睡魔に悩まされているのか、それには理由があった。

 

―・―・―・―

 

「…………」

 

 その日の夜。不知火さんもゆきかぜも寝たことを確認し、俺は自分の部屋の窓から外に出る。素人なりに気配を消して移動し、自宅から十分に離れたことを確認した後、足元から杭を飛び出させることで歩幅を大幅に増大させて駆け抜ける。分かりやすくいえば、足をめっちゃ長くすれば走る速度もめっちゃ速くなるはずだよね? という脳筋理論だ。

 普通だったらバランス取れずに倒れる所なのかもしれないが、あいにくとこの体のバランス感覚は抜群で、普通に走っているときと殆ど変わらずにスムーズに駆け抜けていく。

 そんじょそこらの車やバイクよりも余程早い速度で五車町を出て、目指す先は東京湾に建設された人工島。東京キングダムだ。

 

「…………っ」

 

 東京キングダムに到着した俺は、出来る限り気配を消して移動する。この島にとっての夜というのは、寝静まる時間ではない。むしろ逆。魔族の中でもカースト的に低い立場に存在するオークはヒャッハーして普段こき使われてるストレスを発散するかのようにそこら辺で身体を売っている娼婦やら薬物中毒者やらをレイプしたり、吸血鬼や貴族などの上流階級の人間はおおよそ公にすることは出来ない賭け事に興じている。

 うん、端的に言ってしまえば世紀末。

 正直なことを言ってしまえば、俺だってこんな所来たくない。けど、これは俺のためでもあるから、仕方ないのだと割り切って行動するようにしている。

 とりあえず高い建物の上に登った俺はそこから周囲を見回してある人を探す。探しているのはこう言ってしまうとあれだが、任務に失敗し、オークとかにレイプされている元対魔忍だ。対魔忍スーツという非常にわかりやすい目印があるから、探すのには苦労しない。

 

「…………いた」

 

 2秒とせずに、目標の人物は見つかった。いや、いくら何でも簡単に見つかりすぎだろう。黒髪が精液であろう白い液体で所々固まってしまっている女の子はその身体に纏った対魔忍スーツをビリッビリに破かれ、もうほとんど裸なんじゃないかっていう状態で複数人のオークにレイプされていた。

 ……男として何も思わないわけじゃないが、あいにくと俺に無理矢理やる趣味なんて無いし、どっちかというと俺の目的はオーク達の方にある。

 

「…………いくよ」

 

 さぁ、燃料集めの時間だ。

 

―・―・―・―

 

「ゆ、許してくれ! 女ならやぎゃああああああああ!!」

「……ふぅ」

 

 以前よりも明らかにその色を濃くしている赤黒い血の杭達が最後の1人であるオークの全身を貫いた。次の瞬間、骨と皮以外の全てを血の杭が吸い込んだ。俺の身体の中に異物が入り込むような感覚が一瞬あった後に、ほのかな暖かさと力が貯められたという本の少しの充実感が俺を包む。

 最初の頃は、何かが一瞬つっかえた後にそれすらも貫いていく感触と目の前で広げられるそれまで生きていた奴が真空パック機の如く薄っぺらい何かになる光景に不快感も覚えたが、今となっては慣れっこだ。

 そして、いくら数で圧倒的に勝っているとしても、ただ鈍器で殴るか銃で撃つしか出来ない奴らにいい加減戦いにも慣れてきた俺が負ける道理はない。

 

「…………」

 

 俺がこんな事をしている理由は至極単純で、俺の能力の強化のためだ。

 俺の能力である『闇の賜物(と思われるもの)』は、単純に杭を生成するという能力ではなく、これで刺した敵から魂や血を吸収し、それを俺の力にするという能力がある。前の熊との戦いでは、それがあまりにも不足しすぎていたせいでいくら鍛えられているとはいっても熊の身体を貫通することが出来ない程度の出力しか出なかったんだ。

 成果はあった。以前は赤い染料を雑に混ぜたガラスのようだった杭が、今となっては全体的に赤黒くなっている。俺の記憶の中にある闇の賜物が生成する杭にもかなり近くなってきている。

 

「あ……う……」

「…………はぁ」

 

 レイプがあまりにも激しすぎたからだろうか、意識を失っている対魔忍の女の子をお姫様抱っこの要領で持ち上げ、来たときと同じ方法で足早に東京キングダムから引き上げる。

 俺も、俺自身の意志で命を殺めることに何も思わないことがないわけではない。自分たちとは違う生き物だから。同じ対魔忍の仲間を救うためだから。こいつは嫌がる女を平然と犯す奴等だから。俺自身の身を守るためだから。そんな免罪符を並べても、俺は腹の底にずっしりとのしかかる罪悪感を感じていた。

 虫とか、家畜とか、そういうのを殺すのとは訳が違う。オークはいくら種族が違うとはいっても、俺達と同じ言語を喋り、喜怒哀楽もはっきりと分かる。死にたくないという思いもひしひしと感じるし、命乞いだって嫌というほどにされた。

 

 でも、俺だって理不尽な理由で何も出来ずに殺されたくない。

 

 自分の中に芽生えているひどく自分勝手な理由に心底嫌気を感じつつ、俺は五車町に戻ってきた。




一番最初は思いっきり形成してたからいけんだろって? それはまぁ……ねぇ?


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第4話 こいつガチだ! 助けてくれおまわりさん!

お待たせしました。お気に入りがいよいよ4桁に突入して嬉しいのはもちろんですがプレッシャーで吐きそうになってます。
いやぁ、三周年記念イベントは強敵でしたね。


 ここは、地下帝国ヨミハラ。昼夜の概念が存在せず、常に暗闇に包まれ、いっそ毒々しいまでに光り輝く照明が明かりとなっている地下深くに構成された地下都市。吸血鬼の真祖が長を務める企業ノマドによって支配された無法地帯だ。

 そんなノマドの深部に存在する闇の宮殿に、彼はいた。

 銀色の髪を持ち、誰が見ても美丈夫と言えるであろう大柄の男性。豪奢なスーツを身に纏った彼は、いかにもといった感じの豪華な装飾に彩られた個室にて、ある人物を待っていた。

 その男が退屈そうに虚空を見つめて何かを待っているその最中、彼が腰掛けている玉座の隣に突如暗い瘴気のようなものが発生し、そこからピンク色のロングヘアとグラマーな肢体が特徴の美女、イングリッドがスーツ姿で現れた。

 

「ブラック様、Kの所在が判明しました。やはり、五車の里に隠されていたようです」

「ふむ、ご苦労……そうか。やはり、囚われていた、という表現が正しいのかな?」

「はい、対魔忍の上層部にあれを制御しきれる輩はいないかと」

 

 ブラックと呼ばれたその男性、このヨミハラを統べる王と言っても過言ではない存在、エドウィン・ブラックは、イングリッドの身も蓋もない言い方にほんの少しではあるが笑みを浮かべた。それは、まるでKと呼ばれた何かの持つ力を喜んでいるようだった。

 

「なら、一度は招待しなければ礼儀に欠けるというものだな」

「……お言葉ですが、あれは元々反乱分子によるものです。無駄な面会はリスクが高いと思われます」

 

 エドウィンがその顔に浮かべた楽しそうな笑みを引っ込めることも無いまま興が乗ったとでも言いたげにそんなことを言うと、イングリッドは若干表情をこわばらせて指摘した。

 

「別にそのまま事を構えるつもりなど無いさ。私は彼が縛り付けられていた姿しか知らないのでね」

「……では、準備をします」

「頼んだよ」

「失礼します」

 

 イングリッドは、未だに若干苦々しい表情のままだったが、エドウィンが決めたことに逆らうつもりはないのか、すぐに表情をもとに戻した後、一礼して姿を消した。

 

「……さて、束の間の退屈しのぎにでもなればいいが……」

 

 再び1人になった室内にて、エドウィンは楽しそうに呟いた。

 

――――――――――――――――――

 

「ねぇ、京士郎、少しいいかしら?」

「…………何?」

 

 京士郎が自身の能力強化の為に深夜にオークを狩り始めてから約2ヶ月がたっていた。既に殺したオークの数は三桁をとうに超えており、もう京士郎自身でも何人殺したか覚えていない。段々とオークを殺すことに何も感じなくなってきた自分に京士郎自身気味悪さを感じているが、同時に力がついていることも分かっているため、やめるつもりはなかった。

 そんなある日の夜。京士郎は不知火に呼び出されていた。ここ最近は休み無しで東京キングダムにオークを狩りに行っているため、若干寝不足の京士郎は若干反応が遅れる。

 

「私、これから任務で少し遠出しなくちゃいけなくなったの。その間、家事諸々をお願いしたいの。一応、お隣さんにも何かあったら手伝ってもらえるようにお願いしておいたし、洗濯とか掃除とかは終わらせておいたけど、ゆきかぜのこと、お願いね?」

「……わかった」

 

 とりあえず自分のオーク狩りがバレたのではないと知った京士郎は内心で胸を撫で下ろし、頷いた。流石の京士郎も、そんなときにまでゆきかぜを独りにしてオーク狩りに行くつもりはなかったため、家事を自分がやらなければならないということをしっかりと覚えておいた。

 だが、京士郎は東京キングダムで対魔忍が堕ちた姿を散々見てきたからか、一抹の不安も抱いていた。

 

「……母さん」

「ん? 何?」

「……気をつけて」

「っ……ええ、もちろんよ」

 

 不知火は一瞬、ほんの一瞬だが、無表情を貫くはずの京士郎の表情に影がさしたのを見逃さなかった。

 京士郎は、この世の地獄というものを知っている。他ならぬ彼自身がその苦しみを、感情も痛みすらも忘れるほどの時間晒され続けたのだ。

 不知火は京士郎のその優しさが痛いほどにわかったからこそ、京士郎を抱きしめた。

 

「大丈夫よ。私は強いから」

 

 京士郎は不安に思っていたことは事実だ。この半年で、京士郎はこの世界での暮らしにもだいぶ慣れてきた。彼の中では、まだ気恥ずかしさの方が勝るのか不知火の事を不知火さんと呼んでいるが、その認識は自分の母ということに間違いない。

 子供を得て、半ば隠居気味になっていた不知火にまわってきた任務。元々は井河アサギと並んで最強と謳われていた水城不知火にまわされた任務。当然、並大抵のものではないはずだ。京士郎は嫌な予感を感じずにはいられなかった。

 

――――――――――――――――

 

 不知火さんが任務に行くらしい。それ自体は別に俺がどうこう言えることじゃないし、不知火さんが俺が心配する必要が無いことくらいは分かる。

 けどさ、まぁ、真夜中のオーク狩りで散々任務に失敗した対魔忍を見てきた俺としてはね? 不安にもなるわけですよ。何せ成功例は見たこと無いのに失敗例ばっかり見てきたからね。不安になっちゃったとしても俺は悪くねえ。

 

「それじゃあ、行ってくるわね。ユキカゼの事、頼んだわよ」

 

 とはいえ、だからって俺に何かできるわけじゃない。というか不知火さんは噂に聞く限りでは対魔忍の中でも最強クラスらしいからいくら俺の能力がチートだとしてもかえって足を引っ張りかねない。

 俺の能力は段々強くなってきているけど、俺がオークを狩る手段なんて対魔忍をレイプしている所を後ろからブスリ。複数人いたとしても1人死んで浮足立ってる所をブスリがほとんどだ。まだオークとしか戦ったことがないからよくわからないけど、多分まだ実力者を相手に出来るほどの実力はない。そんな状態で下手に首を突っ込んでもミンチよりひでえ死体にされかねない。俺だって死ぬのはごめんだ。

 まぁ、それでも万が一の時のために行き先くらいは聞いてもいいかもしれない。

 

「……何処?」

「え……すごく、遠い所よ」

 

 むむむ、場所すら教えてくれないのか……これは相当やばい場所と見ていいな。少なくとも俺が現状知ってる中で一番ヤバイ所は授業でも習った東京キングダムだ。それすらも言わないということは冗談抜きで更にやばい所ということだ。万が一にも、俺やゆきかぜを巻き込まないために。

 

「……いってらっしゃい」

「ええ」

 

 それだけを言い残して、不知火さんは行ってしまった。

 今更になって、後悔の念が俺を襲った。いや、今ならまだ間に合う。でもそんな勝手が俺に許されるのか。ああだめだ、今とんでもなく面倒くさい思考回路してるって自分でも分かる。いやでもやっぱり嫌な予感しかしないから居場所だけでも聞いたほうが……

 そんな思考回路を俺が繰り広げている間に、不知火さんは行ってしまった。うん、ただのバカだね。

 

―――――――――――――

 

「ふぁ……おはよ、京兄」

「……おはよう」

 

 俺がどうするべきかを悩んだまま寝落ちしてしまった翌朝。その日から朝食は俺が作らなければならなくなってしまったため、不知火さんが作り置きをしておいてくれたものと合わせて適当な朝食を用意する。

 

「あれ? お母さんは?」

「……任務」

「え、珍しいわね」

 

 ゆきかぜからしてみれば、母の不知火さんが任務に出ることはあまり珍しいことではないのか、若干驚いただけで終わってしまった。俺の心配のし過ぎで終わればいいんだけど……

 

「……何処?」

「んー、お母さんが行かなきゃならないレベルだと、ヨミハラとかじゃないかしら」

 

 約半年の生活の中で、詳細を省略してもゆきかぜに俺が言わんとすることが伝わるようになってきた。なんかこういうのいいよね、以心伝心的なさ。

 とはいえ、ヨミハラか……なーんか授業で言っていた気がしなくもないけど授業中なんて大抵意識が朦朧としているからなー、こんな事になるならもっとマジメに聞いとくべきだった。

 何にせよ、調べることが必要だ。今日図書館にでも行って調べればあるだろう。まさかゆきかぜでも知っているのに図書館に出ていないなんてことはありえないだろう。

 

―・―・―・―

 

「…………」

 

 うん、まぁ、フラグだったよね! 調べるって決意してから数日学校の図書館で調べてみたけど、血気盛んな対魔忍を抑えるためなのか何なのか知らないけどヨミハラは日本某所にある地下深くに形成された地下都市ってことしか分からなかった。冷静に考えたら水城家って不知火さんは言わずもがなだしゆきかぜだって将来有望って言われてたから普通の人が知らないことを知ってても別に不思議じゃないよね……

 とはいえ、ゆきかぜにそのことを聞いても場所までは知らなかった。

 うーん、大丈夫だとは思うけど、やっぱり不安なものは不安だ。足を引っ張るかもしれないけど、それでも何処に居るかくらいは知りたい。

 

「…………」

 

 そんな俺は、門限ギリギリまで図書館で調べ物をしていたからか、もう夕方っていうよりは夜の時間帯に帰路についていた。この体のせいかは知らないけど、夜になると昼に比べて当社比三割増しで元気になる感じがする。まぁ、あくまで気がするだけだから先入観とか色々ありそうだけどね。

 今日の夕飯は自分が作るのだったか。さて、何を作ろうか。そんな感じで、のんきに考えていた。

 

 自分の身体に突き刺さる、殺気に気がつくまでは。

 

「っ!!」

 

 長い束縛生活の成果なのか夜になって神経が過敏になっているせいなのかは知らないが、俺は殺気が飛んできた方向を一瞬で見極めてそちらを向いた。既に掌には杭を生成して、いつでも射出可能な状態にしてある。

 

「ここまで近づかねば気づけないとは、仮にもブラック様に期待されている身なのだ。あの方を落胆させるようならば死より恐ろしい苦痛を与えるぞ?」

 

 そこにいたのは、マントを羽織った騎士姿のピンク色のロングヘアが目立つ女の人だった。この世界基準で言っても美人さんだけど、今はそんな事を言っている暇はないレベルで殺気を叩きつけられている。結構魂を吸収したつもりだけど、だからって喜んで死ぬような性癖は持ち合わせていない。俺は最大限警戒し、目の前の突如現れた騎士さんに意識を向ける。

 

「貴様が、水城京士郎だな? 一緒に来てもらうぞ」

「…………」

 

 間違いなく、一瞬でも気を抜けば彼女が携えている剣で真っ二つにされる。だからこそ、彼女の一挙一投足全てに注意していると、いきなり何を言い出すかと思えばデート()のお誘いだった。間違いなくこれに乗れば得体の知れない施設に連れてかれてナニカサレルパターンだね。ただでさえ人間やめてるって周りから言われてるのにこれ以上人間をやめるつもりはない。

 というかせめて名乗れよ女、戦の作法も知らねえか?

 心の中で言いたい事を言った後に、落ち着いて言葉を紡ぐ。

 

「……目的は?」

「ブラック様がお待ちだ。お前も魔族の端くれならば、その栄誉を喜べ」

 

 いや、だから知らねえよと。こっちはブラック様なんて知らないし騎士さんからしてみればそのブラック様と面会できるのは名誉なことなのかもしれないけど明らかにろくでもない所に連れてかれる気しかしない俺としては罰以外の何物でもない。

 というかそれ以前に身体は魔族かもしれないけど俺をあんなレイプ魔集団と一緒にしないで欲しい。

 

「……断ったら?」

「拒否権などない。力尽くでも連れて行くまでだ」

 

 ……まだ断るって断定していないのに臨戦態勢に入られた件について。いやいやいや冗談じゃない。こんな奴が崇拝する奴とか絶対ヤバい奴だって。きっとちょっとでも気に入らないことがあったら雑草むしる勢いで命を奪うような奴に違いない。

 

 さて、一旦落ち着いてここでシミュレーションをしてみよう。

 ルート1:このまま大人しく従ってついていき、ブラック様とかいう人に会いに行く。

 そのブラック様と面会してわけも分からぬ内にナニカサレルかミンチよりひでえ死体にされる。

 ルート2:この場で全力応戦して助けが来るまで耐える。

 構えからしてガチなこの人が相手だと多分5分も保たずにミンチよりひでえ死体にされる。

 

 ……おかしいな、ミンチ以外の選択肢がない。

 

 いや、まだそのブラック様がそんな世紀末覇者な人だと決まったわけじゃない。そもそもどの組織に所属する人なのかもわからないし、だったらまだそっちについていったほうが……

 

「……わかった」

「ふん、最初からそう言っておけばいいのだ」

 

 俺はあいにくと主人公のように明らかに自分より格上と分かるような奴に挑みかかるような勇気は持ち合わせていない。頭の中で必死にそう言い訳をして、俺はその騎士さんについていった。

 

――――――――――――――

 

 というわけで、やって参りました! ヨミハラ!

 

 ……って待てコラ! ブラック様が何者なのかは知らないけど思いっきり敵の本拠地じゃねえか! 地下深くとは聞いてたけどなんかめっちゃ速く動くエレベーターみたいなのに突っ込まれて数時間かかるってどんだけ深いんだよここ! しかもヨミハラの中でもいかにもヤバそうな豪華な建物に連れてかれたかと思えばなんかいかにもなVIPルーム的な雰囲気が立ち込める扉の前に騎士さんと一緒に立たされてるってどういうことだよ! ガァチじゃねえか!

 と、まぁ端的に言って俺は冷静を失っていた。表情筋が仕事をしていたら敵の本拠地でとんでもない無様を晒していたことは間違いない。

 

「この部屋にブラック様がいらっしゃる。万に1つも不敬な真似はするなよ?」

「……わかった」

 

 ワンチャンここで俺がそのブラック様を倒せばちょっとは手柄になるんじゃね? とも思ったけどやめた。その後ミンチになることが見え透いているからね。

 

「ブラック様、Kを連れてまいりました」

「ご苦労、入りたまえ」

 

 騎士さんがノックをすると、中からダンディないい声が聞こえた。騎士さんは扉を開けて、一礼した後に部屋に入った。失礼な真似をすると愉快なオブジェにされるというお墨付きだから、一応俺もそれに倣って礼をしてから部屋に入る。

 そこにいたのは、スーツを身に纏った銀髪の美丈夫だった。その整った顔に浮かべた笑みはどこか楽しげで、それでいて何を考えているのか俺にはさっぱりわからなかった。

 

「イングリッド、君は下がって構わないよ」

「……失礼します」

 

 騎士さん、イングリッドさんはちょっと不満気な表情を浮かべたけど、その後すぐに一礼をして退出し、扉を閉めた。

 部屋の中にいるのは、俺とブラックだけになった。

 ブラックから放たれているものであろう尋常ではないプレッシャーが俺の身体を包み込んだ。敵意があるわけではない。むしろそれ以前の問題。蟻が像の前に立たされたような、どうしようもない格の差を感じさせられた。

 

「初めまして、水城京士郎君。ああ、別にそう縮こまる必要はない。今日はあくまで、同類である君をアリーナに招待しただけなのだからね」

 

 ブラックはその笑みを消すこと無く、俺に話しかけた。正直、何で冷や汗をかいていないのかが不思議なほどのプレッシャーだったけど、とりあえずすぐさま俺をどうこうするつもりがないということを確認した俺は一旦力を抜いた。無論、警戒は少しも解いてはいない。

 同類。ブラックが吸血鬼なら、確かにそうなのかもしれない。俺の身体が吸血鬼になっているということは、不知火さんから教えてもらった。別に日の光に当たったら灰になるわけでもないし、ニンニクの臭いで死にかけるなんてこともないから、今の所は特に苦労はしていないから気にもしなかった。

 けど、こうして敵と同類だと言われると、少し虚しいというか、悔しいというか、なんとも言えない感情が胸の中に広がった。

 とりあえず、今は少しでも情報を集めるほうが先決だ。俺は慎重に言葉を選んで喋った。

 

「……アリーナ?」

「そう、ここの娯楽の1つだ。上質なものとは言えないが、まぁ、退屈しのぎにはなるだろう」

 

 ……その退屈しのぎに何故俺が付き合わされなければならないのかとも思ったが、まあ接待ゴルフ的な何かだと考えれば不自然なことではない。

 ブラックが俺とどんな関係を築きたいのかは分からないが、とりあえずここはのったほうがいい。俺はとりあえず頷いた。

 

「ふむ、実際に見たほうが早いだろうね。特等席を用意してある。ついてきたまえ」

 

 そう言って、ブラックは俺に背を向けて歩きだした。ここがどこなのかもわからない以上、俺はブラックについていくしか無かった。

 

――――――――――――――

 

 いつだって夜のその都市で、京士郎は見てしまった。

 

 京士郎の大切な人が、無残な姿で戦いの場に立たされているのを。

 

 本来なら歯牙にもかけないオーク達に、好き放題殴られ蹴られているのを。

 

 ボロボロになったその状態で、レイプされているのを。

 

 それを見て、観客たちが汚い欲望に塗れた歓声をあげているのを。

 

 

 自分が、自分でなくなっていくのを感じていた。

 

 視界が赤く染まっていくのを感じていた。

 

 

 ああ、いつだってそうだ。

 

 あの時も、

 

 あの時も、

 

 あの時もあの時もあの時もあの時もあの時もあの時もあの時もあの時も、

 

 夜は全てを壊してしまうから。

 

 夜は全てを奪っていくから。

 

 夜に無敵となる魔神になりたい。

 

 畜生共の血を絞り出し。悲劇に幕を降ろしたい。

 

 枯れ落ちろ下郎共。

 

―――――Briah(創造)――――――

 

死森の薔薇騎士(Rosenkavalier Schwarzwald)ォォオオ!!」

 

 激情と共に、その夜は発動した。




ブラック様の口調わかんない……もう本編の記憶なんて遠い昔の話だよ……
あとエロシーンいつ入れるの……
最後が読みくくてすみません。不気味な感じにしてみたかったんです。あとわかる人にはわかると思いますが、何がとは言いませんが既にズレています。


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第5話 この夜をあなたの為に

感想や評価本当にありがとうございます。
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 夜が発動する時から、時間は少し遡る。

 

 アリーナへと向かう通路をブラックと共に歩く中、京士郎はブラックへの警戒を切らさずにいた。今の所、ブラックから敵意は感じられない。いや、むしろ敵意以前に興味すら抱かれていないと言っていいかもしれない。

 だが、それでもなお京士郎はブラックから威圧感を感じていた。

 

「……時に、京士郎君。君から見た今の世界はどう見える?」

「……?」

「理解できない、といった顔だな」

 

 ブラックから投げかけられた唐突な問いに、京士郎は答えることができなかった。質問の意味が理解できないというのも理由の1つではあるが、それ以上にブラックが何故そんな質問を投げかけてきたのか、ここでどう答えるのが正解なのかがわからなかったからだ。

 

「言い方を変えよう。君は、今を退屈だと感じたことはあるか?」

「……別に」

「……そうか。まぁ、せっかく外に出られたのだから全てが輝いて見えるのは当然というべきか」

 

 ブラックは京士郎が質問の意味を理解できていないことなど気にする様子もなく、そのまま歩みを進めた。京士郎も、結局何の為にそんな質問をされたのかわからなかったため、その顔にほんの少しではあるが怪訝な表情を浮かべた。

 

「……何故?」

「私と君は同族だ。故に、この質問の意味も、いずれ君は理解することだろう」

 

 そんな意味深な言葉を残した後は、特に会話を交わすこともなく、2人はアリーナへと続く道をただ無言で歩いた。

 

―・―・―・―

 

「…………」

「ここが、デモンズ・アリーナ。この街で堕ちた者たちを見て慰みものとする者達が集う場所だ」

 

 そこそこの距離を移動し、通路の突き当りの扉を開いた先に待っていたのは、中規模の闘技場だった。リングの周囲には観客席が設けられており、そこには既に大勢の観客が押しかけており、見世物が始まるのを今か今かと待っていた。

 京士郎とブラックがたどり着いたのは、そういった観客席もリングも一望することの出来るVIP席と言えるであろう一室だった。

 

「…………」

 

 京士郎は、その光景を見て再びほんの少しではあるものの、不快な表情を露わにした。もし、これがまっとうな見世物だったとしたならば、京士郎はただの無表情を浮かべるだけだっただろう。

 ならば、何故京士郎が一瞬とは言え表情を歪めたのか。

 単純な話だ。観客席に居る観客達の笑みが、京士郎にはあまりにも不快に映ったからだ。誰であっても、人の失敗や痴態を笑うことは、多少なりともあることだ。だが、彼らはレベルが違う。人が死ぬさまや、痛みつけられる様をあざ笑う。しかも、それに何の罪悪感も抱いていない。それが見るだけでも分かる下品な笑みが、京士郎には不快に見えたのだ。

 

「もうそろそろ、始まるだろう。こういうこともあると知ることくらいは君にとっても悪いことではないはずだ」

「…………はい」

 

 京士郎は、とりあえず観客たちのことは視界から外して、リングだけに視線を集中させた。ブラックはこれまた豪華な椅子に腰掛けており、京士郎はその隣に置かれている若干簡素な椅子に座り、とりあえずその見せ物が始まるのを待った。

 

―・―・―・―

 

 リングの中央に、司会と思われる男性がやってきた。それと同時に、観客達はVIP席にいる京士郎ですらもやかましいと感じるほどの歓声を上げた。とはいえ、世間一般でいう歓声と比べると些か不快感が伴うものではあったが。

 

「始まったか」

「…………」

 

 京士郎は無心になって、リングを注視し続けた。が、司会が話していることは話半分どころか本気で聞いていなかった。一応見せ物を見ているふりをしないとブラックが何をしてくるかわかったものではないが、正直言って見ているだけでも不快なものを音声つきで楽しむつもりなど一切なかった。この後どうするか。京士郎はそれしか考えていなかった。

 

「さて、今日は珍しい者が捕らえられたと聞く。少しは退屈しのぎになればいいがな」

「…………っ」

 

 だからこそ、警戒を向けていたブラックのその一言が、京士郎には嫌にはっきりと聞こえた。

 ここはヨミハラ。そして、数日前に任務に向かった不知火。そしてここの常連であろうブラックが言った珍しい者。

 それら全てが連鎖し、最悪の仮定を導き出した。

 

「さあ! 本日の出場者は対魔忍のなかでもあの井河アサギと並び立つと言われたほどの天才! 水城不知火だあああ!!」

 

 そして、その仮定を証明するかのように、司会は興奮を隠しきれない口調で叫んだ。それと同時に、京士郎の記憶の中の不知火と比べて、少しやつれた様子の不知火がリングに現れた。その身体には所々に痣があり、手首には縛られていたであろう痕が残っていた。

 

「……水城?」

「…………っ!?」

 

 司会が叫んだ名前に、ブラックは若干ではあるが怪訝な表情を浮かべ、京士郎は誰が見てもはっきりと分かるほどに驚愕の表情を浮かべ、思わず椅子から勢い良く立ち上がった。

 

「……ほう」

「……失礼しました、何でもないです」

 

 京士郎の様子から、不知火が京士郎の親族だと確信したブラックはその笑みを深めた。それに対して、京士郎は見え透いた嘘をついて椅子に座り直した。が、その内心は荒れ狂っていた。

 本音を言うならば、すぐにでも助け出したい。だが、この施設がどういう構造なのかもわからないし、敵の本拠地から必ず脱出できるという自信を京士郎は持ち合わせていなかった。

 

「ガアアアアああアアあ!!」

「かっはぁ!!」

「っ!!」

 

 どうすればいいのか京士郎がわからないまま、闘いはどんどん進行していく。リングには不知火と、普段京士郎が狩っているようなオークが3人立っていた。

 ゴングがなると同時にオークが不知火に向かって殴りかかった。本来ならば、あの程度の攻撃を避けることなど容易いはずだ。京士郎ですらも避けれると考えたそのパンチは、吸い込まれるように不知火の腹に直撃し、不知火の身体はくの字に折れ曲がった。それを見た京士郎は再び一刻も早く彼女を助け出したい衝動に駆られるが、今ここで自分が突っ込んだ所で不知火共々無様に殺されるだけだという迷いがその足を踏み留める。

 

「…………」

「っ………!」

 

 その後も、不知火は反撃らしい反撃をすることなく、オーク達にされるがままに殴られ蹴られ続けた。その様を、京士郎は拳を握りしめながら眺めどうにかして助ける手段はないかと思考を巡らせ、そしてブラックはそんな京士郎の様子を面白そうに眺めていた。

 結局、勝負はそのままオーク達の勝ちとなった。観客席に居る中年男性やオーク達は、何がそんなに嬉しいのか歓喜の歓声をあげた。

 

「さあさあここからは皆さんお待ちかね! オーク達による陵辱ショーです!」

「……は?」

 

 わかっていた。わかっていたことのはずなのに、京士郎はそんな声を上げた。

 あいつは今何をすると言った?

 犯す?

 あんなにボロボロの不知火さんを?

 京士郎が司会の言った意味を理解する暇もなく、2人のオークが不知火の股を開かせて秘部を覆い隠している対魔忍スーツを引き裂いた。

 そして、不知火が抵抗しないのをいいことに、少しも濡れていない不知火の秘部に残りの1人のオークが乱暴に性器を突っ込んだ。

 

「あっぎいいいい!?」

 

 人間のそれと比べると明らかに大きすぎるオークの性器が不知火を貫き、それと同時に不知火が苦悶の声を上げた。不知火が陵辱される様子を、観客たちは興奮した歓声を上げて食い入るように見つめていた。

 次第に陵辱はエスカレートしていき、このまま行けば、あと少しでオークは不知火の膣内に射精するであろうことがわかった。

 

 

 あ、もうダメだ。

 

 

 京士郎の中で、何かがキレる音がした。

 

「あ……あ……」

「どうかしたか?」

 

 両手が震え、口から何かが漏れ出すかのような声を上げている京士郎に、愉快そうな笑みを浮かべたブラックが問いかけるが、それに京士郎が答えることは無かった。

 

 

 

 そして、彼の激情は薔薇の夜を発動させた。

 

 

―――――――――――――――

 

「おおおおああああああああ!!!!」

 

 彼が叫び声を上げる。怒り、悲しみ、後悔、そういった暗い感情が濃縮され、彼の中で混ざりあい、形容し難いおぞましい何かが京士郎を中心に流れ出した。

 次の瞬間、アリーナ内を暗闇が包み込んだかと思えば、再び照明が照らし出した。

 リングにいたのは、リング内に突如現れた京士郎と、京士郎にお姫様抱っこの要領で抱き上げられている不知火と、京士郎から飛び出している赤黒い杭によって全身を貫かれている3人のオークだった。

 最初こそ起こったのか分からずに呆然としていた観客達は、陵辱ショーを邪魔した京士郎に向かってブーイングの声を上げるが、そんな声など聞こえないとでも言わんばかりに、床から大量の杭が上に向けて射出され、アリーナの天井に大きすぎる穴を空けた。

 

 天井に空いた穴からは、この地下都市においてはどうあがいても見えることはないはずの赤い月が見えた。

 

「ぎゃああああ!!?」

「くっ苦しい、苦しいいいいい!!」

 

 そして、アリーナ内は阿鼻叫喚に包まれた。まるでそれが発動のキーであったかのように、アリーナ内の観客が次々と死に絶え始めた。

 本人達から見ればこれほど恐ろしいことはないだろう。自分が何をされたか分からない内に苦しみながら抜け殻になって死んでいくのだ。生物というのは、本能的に理解できないものを忌避する傾向にある。それが命の危機に直接関わるものならば尚更だ。

 

 今現在、彼の周囲の世界の常識は塗り替えられていた。

 本来のそれとはかけ離れてしまっているが、それでもなお薔薇の夜は遺憾なくその効力を発揮している。

 薔薇の夜は、周囲の生きとし生ける者全ての生命力を吸収し、発動者の糧とする。ここにいる者達の魂は一部を除いて質は低いが、それでもこれだけの量があれば彼の能力は大幅に強化される。

 それに、この場にはエドウィン・ブラックという不死の存在がいる。彼からも例外なく吸収しているため、彼の能力はただ量を吸収するだけでは届かない領域まで到達しようとしている。

 

 この夜に込められた願いは、己自身の不幸を己の身体に流れる畜生の血を入れ替えることで打ち消してしまいたいという願いのはずだった。

 だからこそ、元の術者は血と最も縁が深い存在である吸血鬼になることを願ったのだ。

 元から己が吸血鬼であるという前提を用意することにより、彼の周囲は吸血鬼が動き出す時間である夜に無理矢理調整され、彼は吸血鬼が持つ弱点も抱えることでより完全な吸血鬼となる。

 

「くっ! 貴様何者だ!」

「うるせええええ!!」

「なっ、ぎゃあああ!?」

 

 とは言え、京士郎がこれまでに吸収した命の数はまだ少ないため、その能力は全開のそれには遠く及ばない。観客はほぼ全て即死したものの、騒ぎを聞きつけてやってきた兵士たちは弱体化こそされているものの、死ぬ様子はなかった。斬りかかってくる兵士達に対して、彼らの周囲から凄まじい勢いで杭を射出させる。京士郎に注意を向けていた兵士たちが虚空から射出された杭に反応出来るはずもなく、もはや原型がわからなくなるほどに、杭に貫かれて息絶えた。

 

 薔薇の夜が弱体化している原因は、京士郎が吸収した魂の総量ももちろん影響しているが、それ以上に影響している要因がある。

 即ち、渇望の変化だ。

 本来の薔薇の夜は、『夜に無敵となる吸血鬼になりたい』という願いから、己の身を吸血鬼へと変化させ、周囲を人間の精気を吸い上げることの出来る夜に染め上げる能力だ。

 だが、本来の術者が吸血鬼になることを望んでいるのに対して、京士郎は望む望まない以前に吸血鬼になってしまっている。

 本来の術者が夜を肯定しているのに対して、京士郎は夜を否定している。

 夜は、京士郎の大切なものを壊していってしまうから。

 夜は、京士郎の大切なものを奪っていってしまうから。

 

「どけええええええええ!!」

 

 叫び声を上げて暴れる京士郎を殺害するべく兵士たちが一斉に襲いかかるが、兵士達に向けて四方八方から襲いかかる杭が、動きが鈍重になっている兵士たちを一斉に貫き京士郎の糧にしていく。京士郎は激しすぎるレイプによって意識が朦朧としている不知火を抱き上げ走り出す。

 だが、それでも兵士達が退く気配はない。完全に平静を失ってしまっている京士郎にとって、それらは激情をより激しくする材料でしかない。

 

 夜は大切なものを壊し奪っていくから、夜に大切なものを守れる無敵の何かになりたい。

 

 大切なものを守りたい。そんな余程の異端者でなければ誰もが抱くであろう渇望をもはや狂気と呼べるレベルまで昇華させたもの。それが水城京士郎の渇望だ。

 その渇望により、薔薇の夜は変質を見せる。

 

「ぐっ……ああああ!!」

 

 彼にとって、他者とは敵ではない。彼はあくまで他者が大切な存在を壊そうとするから怒りに身を任せながら守ろうとしているだけだ。どうでもいい塵屑との勝敗や優劣など、元より彼に興味はない。

 京士郎にとって大切な者は薔薇の夜の影響を免れ、全てを守れる無敵の存在となるため、元の能力以上の再生能力を有する。

 全ては大切なものを守り抜くため、そして、大切なものを壊す者達を完全に排除するため。

 

「おおおああああ!!!!」

 

 叫び声を上げ、自分達に刃を向ける者達を片っ端から串刺しにし、己の糧としていく。確実に軍勢を削っているはずだった。だが、ノマドとて伊達や酔狂でこの都市を支配しているわけではない。

 京士郎に襲いかかる兵士たちの質は加速度的に上昇していった。それに応じて京士郎の能力でより大きな力を吸収できる為、京士郎自身も強化されていく。

 だが、ここで1つ問題が発生した。

 

「ごっ!? っ!」

 

 即ち、京士郎の能力の許容限界が訪れようとしていた。

 死森の薔薇騎士は確かに強力な能力だ。だが、無制限で効果範囲内にいる全ての人間の生命力を吸収できるわけではない。この短時間で京士郎は大量の魂を吸収した。だが、能力発動時の京士郎が保有していた魂の量は本来のそれと比べて大きく劣り、それに比例するかのように彼が発動した夜の許容限界も本来のそれと比べて大きく劣っていた。

 許容限界を超えた力など、もはや術者にとっては毒でしかない。

 一瞬、体中の機能が停止したかのような感覚に襲われた京士郎の動きが鈍った。

 その隙を練度の高い兵士たちが見逃すはずもなく、その一瞬で京士郎の全身に剣や槍が突き刺さる。身体の動きが止まる直前に不知火を床にそっと置き、杭を生成してドームのように不知火を包んだため不知火には傷一つないものの、京士郎自身の体を包むことは間に合わなかったため、京士郎の全身から血がポンプのように吹き出す。

 

 だが、

 

「なめんじゃねええええ!!」

 

 京士郎は止まらない。体中に突き刺さった剣や槍を身体を乱暴に動かすことにより無理やり引き抜き、全身から血を振りまきながら生やした杭と四方八方から射出される杭で敵を蹴散らすその様は、悪鬼以外の何物でもなかった。そして、薔薇の夜は京士郎の傷を瞬く間に修復していく。

 

 質で押す? 許容限界を超えた量で以て押しつぶす?

 勝手にやってろ、俺はその程度じゃ殺せねえ。

 

 そう言わんばかりに、水城京士郎はノマドの被害だけを拡大していく。

 

―・―・―・―

 

「クク……ハーーハハハハハ!!!!」

 

 アリーナに突っ込んだ京士郎により、窓ガラスを叩き壊されたVIPルームにて、ブラックは顔に片手を当てて笑い声を上げていた。

 当然だ。暇つぶし程度に思っていた者が、思いもよらぬほどの輝きを放っていたからだ。

 

「素晴らしい……素晴らしいぞ……水城京士郎!」

 

 ブラックの視線の先にいたのは、今もなおノマドの精鋭達を片っ端から殺し回っている京士郎だった。先程まで眉一つ動かすことのなかった京士郎のその顔には憤怒の表情が浮かんでおり、全身を返り血と己自身の血によって真っ赤に染め上げていた。

 だが、その勢いは収まることはない。むしろ、周囲の力を吸収することにより、その勢いはより強くなっているといえる。

 そして何より、

 

「何と、素晴らしい夜だろうか!」

 

 アリーナの天井に空いた穴より見える赤い月。そして京士郎が暴れだした事をキーにするかのように、ブラックの中から生命活動に支障のない範囲ではあるものの、生命力が抜け落ちてゆくような感覚がした。

 本来ならば、それは恐れるべき事態なのかもしれないが、ブラックにとって、それは何よりも待ち焦がれた事態に他ならない。

 もしこれが成長したら。ブラックはそう思わずにはいられなかった。

 彼にとって、自らの生命の危機とは得難い最大の興奮なのだから。

 

 ここで終わらせるにはあまりに惜しい。

 

 そう思った所で、何の不思議でもない。

 

「そこまで!!」

 

 アリーナに降り立ち、ブラックが放ったその一言は、それまで京士郎に向けて臨戦態勢をとっていたノマドの中でも腕利きの兵士たちを一瞬で退かせた。

 だが、京士郎は今ひとつ何が起こったのか理解が追いついていないのか、薔薇の夜こそ消えてしまったものの、全身から杭を生やし、肩で息をしながらブラックを睨みつけていた。

 

「素晴らしい。その名、私の記憶に深く刻んだぞ。水城京士郎。今日はもう去るがいい。そこの女と共にな」

「……何?」

「君のその力が私の命に届く時、然るべき舞台でまた会おう」

 

 ブラックはそれだけを言い残し、兵士達とともに、アリーナから去っていった。周囲に不知火以外の生命がいなくなったことを確認した後、京士郎はようやく不知火を包んでいた杭を消し、再びお姫様抱っこの要領で抱き上げた。

 

「……けい、しろう?」

「……帰ろう」

 

 能力を使いすぎた弊害だろうか、その目は焦点があっておらず、足取りも確かなものではなかったが、それでも一刻も早く帰る為に京士郎は足元から杭を生やし、凄まじい速度でアリーナを抜け出し、ヨミハラを駆け抜けた。

 京士郎と不知火が地上に出た頃には、夜が明けようとしていた。

 




で、エロシーンは?←
何というか、書いていてとっても疲れました。


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第6話 大宇宙の意志がフラグを回避しろと囁いている

投稿が遅れてしまい申し訳ありません。普段このssを書いている深夜に家族麻雀に延々と付き合わされるという咲みたいな事案が発生していました。麻雀に消えた時間を無駄にしないためにも今度咲と秀真学園のクロスを書きます()
あ、若干の矛盾が発生してしまうので前話を少々修正しました。


「はぁ……はぁ……」

 

 ヨミハラから五車町へ続く道を、京士郎は傷だらけの不知火を背負って歩いていた。最初の頃こそ、色々当たるからという羞恥心でお姫様抱っこをしていたものの、体力をすり減らしていく中でそんな事をする余裕はなくなった。何しろ地下にあるヨミハラから地表に出るまでにも相当な距離がある。それ故に地表に出るまでにもかなり体力を使ってしまったのだ。

 いくら京士郎が吸血鬼となり、チートじみた能力を得て不老不死になったとはいえども、彼の身体自体はまだ年端も行かない少年のものなのだ。燃料があるとは言えども、燃やし方を知らなければどうにもならない。身体だけでいうなら、京士郎はまだまだ体力に恵まれているとは言い難い。

 

「っく……はぁ……はぁ……」

 

 限界を超えていた原因はそれだけではない。京士郎は、一刻も早く帰りたいが為にここまで一度も休んでいないのだ。いくらブラックが去れと言った所で、別に五車町へ戻るまでの道すがらでの安全が保証されたわけではない。道中で魔族に襲われ、それらの全てを不知火を守りながら撃退できる保証はないのだ。

 既に杭を使っての移動は京士郎自身がバランスを取れなくなっているため使えず、元々ふらついていた足取りは、もはやまっすぐ歩いている方が珍しい程になっていた。

 

「はぁ……ごめ……なさ……」

 

 そして、これまで精神力だけで歩いていたのもいよいよ限界を迎え、足がもつれて不知火を背負ったまま倒れてしまった。

 

「おい! いたぞ!」

「京士郎君! 大丈夫!?」

 

 薄れ行く意識の中でそんな声を聞きながら、京士郎はゆっくりと瞳を閉じた。

 

―――――――――――――――

 

 五車町の中でも最も大きな病院の一室で、京士郎は寝かされていた。身体に傷らしい傷は見られないものの、その肌は普段にもまして白く、彼を見ているゆきかぜの心配そうな表情からも、事態が深刻な事が見て取れた。

 

「……っん」

「……京兄? 京兄!!」

「っぐ……」

「あっ、ご、ごめん……」

 

 そんな中、京士郎が目を覚ました。ゆきかぜは居ても立ってもいられず勢い良く京士郎を揺さぶるが、ゆきかぜの揺さぶりが激しかったせいか、京士郎が無表情のまま顔色を悪くした。

 

「ゆき……かぜ……?」

「京兄の……京兄の馬鹿ぁ!!」

 

 若干痛む身体を押さえながら上半身を起こした京士郎にまず待っていたのは顔を林檎のように真っ赤にして涙目で怒っているゆきかぜからの罵倒だった。

 

「やっと帰ってきたと思ったらまた帰ってこなくて……心配したんだから」

 

 が、その勢いも一瞬で鳴りを潜め、優しく、まるで繊細なガラス細工でも扱うかのような力加減で京士郎に抱きついた。

 そう、ゆきかぜからしてみれば、やっと一緒にいられると思った家族が1年もしない内にまた消えてしまうかと思ったのだ。また帰ってこないのかも知れない。その不安の重さは本人にしかわからないものだろう。

 

「……ごめん」

 

 京士郎は、慌てることもなければ表情を変えることもなく、ただゆきかぜと同じくらいの力加減で優しく抱き返した。その手つきがひどく弱々しく感じたゆきかぜは、このまま京士郎が消えてしまうのではないかという恐怖に襲われ、京士郎を抱きしめる力を少し強めた。

 

「……どのくらい、寝た?」

「4日よ。京兄とお母さんが五車町の近くで倒れてるのが見つかってから4日寝てたわ」

「……母さんは?」

「お母さんなら任務の報告に向かっているわ。もうそろそろ帰ってくる頃だと思うけど……」

 

 ゆきかぜが落ち着いた後、とりあえず現状どうなっているのかが知りたい京士郎はゆきかぜに必要最低限の情報を聞き出してから考えた。

 

(……あの人がどんな奴かは知らないけど、とりあえずろくな人じゃないんだろうなー)

 

 正直な所、京士郎自身にもあまり詳細を覚えているわけではない。覚えているのはブラックと共にアリーナに行ってそこで不知火がリングに上がってきたところくらいまで。気がついた時には周りが死骸の海だった京士郎は、自分が何をやらかしたのかをよく覚えていなかった。

 それ以前に、京士郎はブラックが社会的にどういう人物なのかすら知らない。

 

「……京兄、大丈夫?」

「っ……平気」

 

 再び何かを考え込み始めた京士郎を、ゆきかぜは心配そうな表情で見つめる。また、自分の知らない所で危険な何かに向き合っているのではないかという不安がゆきかぜを襲った。

 そして、そんな彼女の問いかけに、京士郎はハッと気がついたかのように答えた。その様子は、ゆきかぜの不安を助長させた。

 

「……大丈夫」

「んぅ……本当に、大丈夫、よね?」

「……きっと」

 

 すると、流石にゆきかぜが不安そうに思っている事も気がついたのか、不安そうに京士郎を見つめているゆきかぜの頭を優しく撫でた。彼女からへの問いかけには、未だにはっきりと答えることはしなかった。

 

―・―・―・―

 

 いやー、相変わらずゆきかぜちゃんはかわいいなぁ! 抱きしめられた時には色んな意味で心臓が止まるかと思ったよ。というかこの体の非モテの呪い効いてるのかな? もしかして魂が違うから無効だったりする? ヒャッホウ! ハーレムロードまっしぐらだぜ!

 

 ……はぁ、せっかく不知火さんを助けてきて一件落着だと思ったのにもう一悶着ありそうだ。この人生ちょっとハードモード過ぎない?

 

 さて、ふざけるのはこの辺にしておこう。

 とりあえず、現状では俺は対魔忍という組織について詳しいかと言えばそうではない。誰が仕切っているのかも、そもそもどういう組織体制なのかもよくわかっていない。

 ただ、俺がされたことが普通じゃないってことくらいは流石に俺でも分かる。そもそも気がついた時にはあんな状況だった俺がとてもではないけどただ人間やめてるだけとは思えない。これからどういう扱いを受けるのか。割りと深刻な問題だ。俺自身は百歩譲っていいとして、いやよくないけど、ゆきかぜや不知火さんにはあまり迷惑をかけたくない。

 

「…………」

 

 とはいえ、もう身体に異常はないけど検査入院的な感じで病室に突っ込まれている俺が現状何かできるわけじゃない。今俺に出来ることは読書と勉強くらいだ。前回の経験から散歩すらも立派な死亡フラグになることは確認済みだ。自分で言ってて悲しくなってきた。

 

「……ふぅ」

 

 そんな感じで読書をしている内に一冊読み終わってしまった俺は本を机におき、喉が乾いたから冷蔵庫に飲み物を取りに行こうとした時、

 

「水城京士郎だな? 取り調べがある。一緒に来てもらうぞ」

 

 ……フラグが向こうから来やがったぜ!

 

 俺の病室に入ってきたのはいかにもな感じの黒服の男3人だった。あまり特徴のない。アニメとかのスタッフロールでエージェント、A、B、Cって書かれそうな感じの男達は、何考えてるのかよく分からない目でこちらを見ている。

 取り調べなんて言葉を信じてこれについていったらあの串刺し生活に逆戻りかそのまま殺されて人生が終了するかのどっちかだ。相変わらずバッドエンド以外の選択肢がない。

 当然、そのまま素直についていくなんて冗談じゃない。もとから身体はもう異常なしなんだから抵抗だって出来る。ヤバイ所に行ってきたせいか若干心が強くなった俺は即座に両手に杭を生成して構えた。交渉において一番重要なのは主導権を握り続けることだからね。それが武力であれ何であれ。

 

「……っ」

「まあ待て、取り調べと言ったが私達はあくまで交渉に来ただけだ。今の君を止められるような戦力は用意していない」

「……?」

 

 いや、言っちゃうのかそれ。

 罠の可能性も無きにしもあらず、というか十中八九罠だろうけど、わざわざそんな事をいう必要があるとは思えない。まぁ、俺もまだまだ子供だからそれで騙せるって思われても仕方ないのかも知れない。とりあえず、今は嘘であれ何であれ相手から情報を引き出すことが大事だ。

 

「……交渉?」

「ああ、君の今後を左右する案件だからね。君が居ない所で決めてしまうのはよくないだろう」

 

 今後、か。

 さっきまで俺自身でも考えていたことだ。この人達についていけばヤバイかも知れないけど何か分かるかもしれない。そう考えた俺は頷いた。

 

「よし、ついてきなさい」

 

 男達は頷いた後に歩き出した。俺はそれについて行った。当然、いつでも杭を射出できるように準備しながら。

 いや、自分でもチョロいやつだなって自覚はあるけど元から色んな意味で人生ハードモードだからね。多少の無理は覚悟の上だよ、仕方ないね。

 

―――――――――――

 

 その一室には緊迫した空気が充満していた。

 その緊迫した空気の原因はそこそこ豪華な装飾が施されたその和室で向き合っている老人と不知火だった。不知火は怒りを隠そうともせずに老人を睨みつけており、老人はそんな不知火を受け流そうとするかのように飄々とした表情を浮かべている。

 彼女達以外には、老人の側近と思われる黒服の男と、不知火と老人のやり取りを苦々しい表情で見つめているアサギだった。

 老人は対魔忍の中でもかなりの重役に位置する男だった。

 

「だから! 何故その2択しか用意出来ないのかと聞いているのです!」

「何度も言わせてくれるな。我々としても水城京士郎を野放しにするのは惜しいし、恐ろしいと言っているのだ」

 

 不知火が老人を怒鳴りつけるが、老人はいつでもどうとでも出来るかのように不敵な笑みを浮かべ、先程から繰り返している答えを言うばかりだった。

 

(あの子すら……戦力にしか捉えられないのか)

 

 不知火と老人の会話を聞いているアサギは、拳を握りしめながら考えた。

 先程から話されているのは、水城京士郎の今後の扱いについてだった。

 

 先日、同日に行方不明になった京士郎が任務に行ったまま消息を絶った不知火を連れて帰ってきた。

 推測ではあるが、ヨミハラから五車町周辺まで歩いてきたのだろう。まだ年端もいかない子供が意識を失った母親を背負って、だ。それを証明するかのように、京士郎が意識を失っている原因は極度の疲労だった。

 そして、同日にノマドに潜入していた対魔忍からの報告で重役達が知ることとなったカオス・アリーナの半壊。不知火は、任務の最中に敵の手に落ち、カオス・アリーナに居たという。彼女が覚えている記憶がオークにレイプされている所で途切れているとは言え、これと京士郎を結びつけるのはあまりにも容易かった。

 

 即ち、水城京士郎は何の事前準備もなしにノマドの支配下であるヨミハラへと潜入し、カオス・アリーナを強襲し、ノマドの精鋭達を単身で退け、不知火を救出して脱出したということになる。この時点で、水城京士郎の実力は最強の対魔忍と称されているアサギと肩を並べるほどの強者である不知火と同じか、それ以上ということになってしまう。

 対魔忍という一つの組織としては、こんな人材を野放しにしておくということは愚か以外の何者でもないだろう。

 理由はそれだけではない。

 京士郎は検査の結果、既に身体のほぼ全てが人間ではなく吸血鬼になってしまっているということが分かっている。その結果として、京士郎は不老不死の身体を得ており、その上夜中でしか行動できないというはずの吸血鬼の欠点が無かったかのように平気な顔をして日中でも行動している。

 京士郎はただの吸血鬼ではなく、ノマドの頭領であるエドヴィン・ブラックと同じ種の吸血鬼になったのではないかという意見が出ることはひどく自然なことであり、魔族の中での京士郎の価値がわからない以上、ブラックに近い特徴をもった吸血鬼である京士郎が魔族側に寝返ってしまうということも十分にあり得る話だった。

 いつか裏切るかも知れない不老不死の実力者を放置する理由など、探すほうが難しいだろう。

 

 とはいえ、それらの理由は所詮建前に過ぎない。

 結局のところ、重役達は己の都合のいい駒として水城京士郎という存在を己の懐においておきたいのだ。アサギや不知火に勝るとも劣らぬ実力を持ち、今後の教育次第では鋼より硬い忠誠心を持たせる事ができる。何かと裏社会に通じている重役達にとって、これほど魅力的な人材はなかなかいないだろう。

 

 対魔忍の上層部が保護者である不知火を呼び出して提示した選択肢は2つだった。先日京士郎を痛めつけることのできた首輪などのなんらかの制御装置を京士郎に取り付け、対魔忍として活動するか。もしくは以前までの串刺しでの拘束状態に戻すか。

 不知火からしてみれば、どちらもふざけているとしか言いようが無い選択肢だろう。不老不死であれども、京士郎は生きているのだ。痛いものは痛いし、苦しいものは苦しい。その様を嫌というほどに見てきた不知火にはわかる。そして、老人が言ったことが事実ならば、京士郎の実力は確かに計り知れないものとなるだろう。だからこそ、きっと京士郎は老人達に使い潰されてしまう。そんな確信にも近い予想を不知火は抱いていた。

 かと言って、以前の串刺しでの拘束状態に戻すなどという選択肢を不知火が取れるはずもなかった。

 そして、不知火はこの話を京士郎に伝えたくは無かった。不知火は京士郎がどういう子かを誰よりも知っていた。自分の身など少しも心配すること無く、不知火を助けに来るような優しい京士郎は、きっと京士郎自身が使い潰されることを望んでしまうからだ。

 不知火が老人を睨んでいると、老人に黒服の内の1人が近づき、耳打ちを一つした。それを聞いた老人は、悪趣味な笑みを深めた。

 

「何だ?……そうか。ふむ、このまま話しても平行線だな。どれ、ここは本人に聞いて尋ねて見るとしよう」

「なっ!?」

「……母さん?」

 

 不知火が驚いて振り向いた先には、相変わらずの無表情で首を傾げる、おそらく黒服の男達につれてこられたのであろう京士郎がいた。既に身体の不調はなさそうだが、ずっと意識を失っていて、今がどういう状況なのかも分からない京士郎に一見友好的な笑みを浮かべながらそんな選択を迫るという老人の悪質さに、不知火も、アサギも眉をひそめた。

 

「君が、水城京士郎くんだね?」

「……はい」

 

 状況を飲み込めていないのだろう。京士郎は老人からの質問に素直に頷いた。

 

「っ京士郎!」

「…………」

 

 このまま会話を進めてはいけない。そう思った不知火は老人と会話をしやすくするために老人に歩み寄る京士郎を呼び止めた。老人と不知火の間に立っている京士郎は不知火の方を振り向いて声を出さずに口を動かした。

 

 だいじょうぶ。

 

 不知火にそう伝えた後、京士郎は老人に向き直った。その顔は相変わらずの無表情であり、何を考えているのかは本人以外には誰も分からない。

 

「君に一つ尋ねたい事がある。何、そんなに難しいことではない。不知火くんを助け出してヨミハラからここまで連れて帰ってきたのは君かい?」

「……はい」

「素晴らしい、君はきっと将来優秀な対魔忍になるだろうね」

「……ありがとうございます」

 

 老人に賞賛を言われるがままに受け取り、頭を下げる京士郎に老人は笑みを深める。今の所、京士郎の言動はほぼ全て老人の予想通りだ。情報であった通り、優秀ではあるが子供らしい純粋さを持っている少年。老人から見た京士郎はそういう人物だった。

 

「そこで、だ。我々に君が立派な対魔忍になるまでの手助けをさせてもらいたいんだ」

「……何故?」

「優秀な人材にはより手厚い教育を施すべきだと私は思うがね?」

 

 その言葉に京士郎は無表情を貫いたが、不知火は不快な表情を浮かべた。それもそのはず、行方不明になる前の京士郎には才能の欠片も存在せず、雷遁の忍術を代々使用する家系であるはずの水城家においては歴代きっての出来損ないと呼ばれ、教育どころか、誰も注目すらしなかったのだから。それが効率的だとはわかっていても、不知火には胸の内で燻るものがあった。

 

「……そう、ですね」

「そうだろう? 君も然るべき教育を受ければその才能を更に伸ばすことができ」

「……お断りします」

「…………ほう?」

 

 一瞬自分が何を言われたのか理解できなかったのだろうか。老人が声を漏らすまでには若干の時間差があった。一見して、この町にいるものならば乗る以外の選択肢はない美味しい話のような形にしたつもりだった老人には、彼が何故断ったのか理解できなかった。

 

「何故。そう聞いてもいいかな?」

「…………」

 

 理由を尋ねてきた老人に対し、京士郎は目を閉じ、少しの間考え込むような仕草をした後に目を見開いた。

 次の瞬間、その場の空気が変わった。

 先程までは無表情とは言えども年相応の愛嬌があった京士郎の顔には、明らかに人を殺し慣れており、これまでに飽きる程の血を浴びてきた事が分かるただ鋭いだけではない目つきがあった。

 それに睨まれるわけでもなく見据えられるだけで、老人は身体の奥が冷えるような感覚に襲われた。

 だが、京士郎は周りの反応を気にすること無くゆっくりと言葉を紡いでいく。

 

「……ブラックが、言っていた」

「何?」

「然るべき舞台で……決着を」

「何だと!?」

 

 京士郎の口から飛び出してきた人名は信じられない名前だった。老人だけでなく、アサギや不知火などの、その場に居た人全員が驚愕の表情を浮かべた。

 ブラック、ヨミハラでその名前が当てはまる人物など1人しか居ないだろう。エドヴィン・ブラック。多国籍複合企業ノマドの創始者であり、生まれながらの吸血鬼。実質的に、対魔忍と本格的に対立している魔族の長と言っても過言ではない存在だ。

 京士郎の出任せと言ってしまえばそれまでだ。現状、それを証明する証拠は何もない。だが、そもそもまだ対魔忍の見習いでしかない京士郎が実力を持った対魔忍しか知ることの出来ないエドヴィン・ブラックという存在や、ヨミハラの場所を知っているはずがないし、行けるはずもないのだ。

 

「……招待、された」

「……ブラックにか!?」

「…………」

 

 京士郎は落ち着いた様子で頷いた。それならば、居場所を知らないはずのヨミハラに京士郎が行けたのも納得がいく。だが、それは京士郎を改造したのがノマドか、もしくはそれに近しい組織であり、少なくともブラックという1個人は京士郎に興味を抱いている。即ち、アサギとほぼ同等の存在ということになる。

 

「……母さんが、襲われていた……だから、助けた……それだけ」

「…………」

 

 もはや、老人は言葉を発することができなかった。藪をつついて蛇を出し、それを捕らえて使役しようとした過去の愚かな己を殴り飛ばしたい気分だっただろう。藪をつついて出てきたのは蛇どころではなく、制御できない巨大な龍に成り得るかもしれない存在だ。

 京士郎は、ただ母親が襲われていた場所に居合わせていたという理由だけでノマドの精鋭達を敵の本拠地で相手取り、意識を失っていた不知火を守りながら脱出してみせたのだ。一流の対魔忍であるアサギや不知火でさえ、確実に出来るかと聞かれれば難しいところだろう。

 化け物、その言葉が、老人の口から咄嗟に出てきた所で、何の不思議があろうか。

 

「……ほっといて」

 

 京士郎はこらえきれないとでも言わんばかりに両手から杭を生成させた。

 自分自身の日常を、ようやっと手に入れることの出来た愛しい刹那を守りたい。そのためならば、おそらく京士郎は魔族だの対魔忍だの、そう言った垣根を一切考慮しない。その宝石のような日常を汚そうとするならば誰であろうとも排除する。

 水城京士郎とはそういう人物なのだと、その一言で老人は確認した。

 排除でも拘束でもない。そもそもどうこうしようと考える事そのものが間違いなのだ。何もしなければ、少なくとも敵になることはないのだから。

 

「わ、わかった。君も複雑な境遇だからね。こちらとしてもサポートしようと思っていたのだが、拒否するのならば仕方ない。病み上がりに呼び出して悪かったね。不知火君と一緒に帰っても大丈夫だよ」

 

 冷や汗を拭い取った後に、老人は若干ぎこちない笑みを浮かべながら京士郎にそう言った。そこまで言って、ようやく京士郎は杭を消し、その目から鋭さが消え、年相応の愛嬌を持った顔に戻った。

 

「……失礼、します……帰ろう」

「そ、そうね……」

 

 京士郎は一礼した後に、背後にいる不知火に向けて声をかけて、その部屋を出ていった。

 京士郎と不知火が出ていった後に、その部屋には静寂だけが残った。




長い(確信)。なんかとんでもないポカをやらかしてそうで不安です……


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第7話 通信教育で剣道6級だった腕を見せてやる!

家族麻雀は悪い文明、破壊する(三暗刻)


 あー、死ぬかと思った。

 不知火さんがめっちゃシリアスな表情してたからやっぱヤバイ所に来ちまったって思って緊張でガチガチに固まっていたと思ったらいきなりウトウトし始めるしさ、目が覚めたと思ったらなんか爺さんが冷や汗かいてるしいきなり化け物って言われるしさぁ……

 

 うるっさいなぁ! 化け物って自覚は本人が一番持ってんだからほっといてくれよぉ!!

 

 ってな感じで怒り心頭で杭を出したら爺さんもわかってくれたのか帰っていいって言われた。いい人で良かったね、うん。

 病室に戻ってきてからも、不知火さんはどこかぎこちない感じだった。やっぱりあの爺さん偉い人っぽかったし俺何かやらかしたのだろうか。これでも空気が読める方の人間(自称)である俺も、若干居心地が悪くなってしまった。

 

「ねえ、京士郎」

「……何?」

 

 っと、そんな事を考えていたら花瓶の水を入れ替えていた不知火さんが戻ってきた。未だにまともに話せないけどそれでも無視はご法度だ。

 

「あの人に言ったことは……本当なの?」

「……うん」

 

 言ったことっていうとブラック関連のことか。まぁ、俺自身ブラックがまさかあそこまでお偉いさんから重要視されてる人物だとは思わなかったからまぁビビったよね。俺としては当たるも八卦当たらぬも八卦なハッタリ的な感じで言ったことがまさかあそこまで効果的だなんて思わなかったよ。

 

「……京士郎、前のあなたに、一体何があったの?」

 

 ……おおっと、これはまずい。

 今の俺には串刺し生活より前の記憶がない。ゆきかぜや不知火さんの話からどういうやつだったとか何があったのかとかは大体わかってはいるけど何がどうして串刺しになったのかとかは覚えていない。まぁ、不知火さんも知らない様子だし適当にやり過ごせばいいだけの話なのかも知れないけどそれでもいつもお世話になってる人が真剣に聞いているのにそうやって嘘をついてやり過ごすのは若干の罪悪感がある。

 

「……気がついた時には、不快だった」

 

 故に、ここは適当にはぐらかす! いや、自分でも中々の屑だなとは思うけどしょうがないじゃん。覚えてないんだもん。

 ただ、連れ去られる前に何があったかは知ることが出来た。騙すような真似になってしまうのは心が痛むが、これでもし俺が何も覚えていない、下手したら京士郎ですらない誰かだという事実が判明したら事態が余計ややこしくなることは明らかだし、何より不知火さんやゆきかぜを深く傷つけてしまう。それだけは何としてでも避けたい。

 

「気がついた時にって……」

「……痛かった、苦しかった」

 

 あんな状態にされた上に身体を串刺しにされて地面に縫い付けられるとかいうどんなドMでもお断りな状況に置かれていた上に、身体を吸血鬼に作り変えられてしまった俺のことだ。きっと仮面の下で涙を流すバイク乗りよろしく改造手術的な何かを受けたことは間違いない。きっととんでもなく痛かっただろうし苦しかったに違いないはずだ。

 

「……それだけ、しか、覚えてない」

「……そう」

 

 そして、水城京士郎としての意識を手放すくらいには、それを覚えたくなかったはずだ。まぁ、元々の水城京士郎っていう人格を消して俺を作った可能性は無きにしもあらずだけどそんな事を不知火さんが知っているはずもない。

 

「……ごめんなさい」

「ううん、思い出したくもない事聞いてごめんね?」

「……大丈夫」

 

 俺の適当な出任せをそのまま信じてくれる不知火さんに罪悪感から精神崩壊しそうになったがどうにかこらえた。

 いつか、本当のことを言える日が来るのだろうか。

 それとも、それより前に俺という人格が消えるほうが早いのだろうか。

 ……やばい、考えたらちょっと怖くなってきた。誰だって死ぬのはごめんだからね。

 

「京士郎? 大丈夫?」

「っ、大丈夫」

 

 と思ってたら普段仕事しないはずの俺の表情筋が仕事していたのか不知火さんに心配されてしまった。自分で勝手にいらん事想定して勝手に不安になって心配されるとか間抜けすぎる。

 

―――――――――――――――――――

 

 不知火は、自分の不甲斐なさが情けなくなった。京士郎の前では笑顔を保つことが出来たものの、病室を出てからのその表情は若干険しいものだった。

 京士郎は、おそらく五車町を離れていた間の記憶が曖昧である。京士郎との少ない会話から不知火がたてた予測がそれだ。

 京士郎は、人の身体から吸血鬼にされる際に耐え難いほどの苦痛を受けた。それ故に、思い出そうとしても身体が勝手にストッパーをかけてしまうのだ。早い話が一種のトラウマと言える。

 そんな事を何の思慮もなしに聞いてしまった自分も、あの時確かにその苦痛を思い出して震えていた京士郎をみて、その京士郎に助けられた自分にそんな事が許されるのかという考えが頭をよぎり、ただ抱きしめる事すらできなかった弱い自分に、不知火は嫌気が差していた。

 

「不知火さん?」

「あら、凜子ちゃん?」

 

 とりあえず家にかえってやることをやらねばと考えを切り替えた不知火は廊下で凜子と出会った。凜子は何かを迷っているような様子だったが、その足取りが確かなものであることから道に迷っているというわけではなさそうだった。

 

「京士郎に会いに来たの?」

「はい、目を覚ましたと聞いて……面会駄目でしたか?」

「ううん、そんな事ないわ」

 

 凜子は、少し険しい表情をしている不知火に向かって若干引き気味に尋ねる。そこでようやく自分の表情が険しい事に気づいた不知火は険しい表情を引っ込めて笑みを浮かべる。

 彼女のように、長い間疎遠になっていたにも関わらず京士郎に親しくしてくれる友人がいることを、不知火は嬉しく思っていた。京士郎の周囲にいる人間は決して悪人ばかりではないのだ。

 

―・―・―・―

 

 秋山凜子は、将来有望な対魔忍の見習いだ。

 未だに若いながらも、逸刀流の免許皆伝まであと少しの所まで来ており、現役の対魔忍を相手取っても剣術ならば引けを取らないレベルに到達している。

 そんな彼女には、一つ確かめたいことがあった。

 いや、彼の状況を考えるのならば、その結果はわかりきっていることだ。

 でも、確かめずにはいられないのだ。

 

「京士郎、入るぞ……」

「ん…………」

 

 一つ深呼吸をした後にノックをして京士郎がいる病室に入った。そこでは、最後に凜子が見た時には文字通り死んだように眠ってしまっていた京士郎が読書をしていた。その肌は以前にもまして白くなっており、もはやアルビノの一種なのではないかと思わずにはいられないほどになっていた。

 そのまま消えていってしまいそうなほどに白くなっていく京士郎だが、当の本人はそんな事は起こらないと確信しているのか、それともただ単純に状況を理解していないだけなのか、のんきに読書をしていた。

 ここ最近、京士郎のことは五車町の中では小さな眉唾ものの噂となっていた。

 曰く、魔族の精鋭達を相手に京士郎が一歩も退くこと無く闘い、不知火を守り抜いたと。

 不知火は五車町の中でも五指の中に入る超実力者だ。普通に考えるのならば、出来損ないの烙印を押され、数年前に死亡したはずの京士郎がそんなことが出来るなどとは誰も考えるはずもない。

 

「えっと……目を覚ましたと聞いて来たんだが、身体の方は大丈夫なのか?」

「……明日には、退院」

「そ、そうか」

 

 だが、凜子は違った。

 彼女は知っているのだ。京士郎が時折見せる恐ろしいほどに空虚な瞳を。感情と呼べるもの全てが排され、まるで人形になってしまったような瞳を知っているのだ。何をやってしまってもおかしくないような彼を知っているからこそ、凜子はその噂を信じていた。

 

「……京士郎、もしよかったら、また稽古に付き合ってくれないか?」

「……わかった」

 

 凜子の申し出に対して、京士郎は少しだけ考えるような素振りを見せた後に頷いた。とりあえず了承してくれたことに対して、凜子は胸を撫で下ろした。

 

「……け、京士郎。大丈夫、なのか?」

「…………?」

 

 凜子の申し出に対して答えを返してから、再び黙りこくってしまった京士郎に対して凜子が唐突に質問を投げかけた。その質問は脈絡を得ないものであり、京士郎も何が? とでも言いたげに無表情の中にほんの少し不思議そうな表情を浮かべて首を傾げた。

 

「ああ、いや、すまない。お前はもう長いこと鍛錬をしていないだろうと思ってな。頼んでおいて何だが、いきなりで大丈夫かと思ったのだが……」

「……大丈夫」

 

 京士郎はそんなことかとでも言いたげに再び頷いてみせた。

 

―・―・―・―

 

 うん、まぁ断れるわけなかったよね! 凜子ちゃんも美少女だからしょうがない!

 そんなわけで無事退院した俺が今いるのは凜子が普段鍛錬しているらしい道場。事前情報によれば凜子はそこでは師範代以外には負け無しとのこと。そんな奴と剣なんて握ったことない俺が戦えって? HAHAHA! 随分と笑えない冗談だぜ。

 ゆきかぜ曰く、串刺し生活以前の俺は凜子と同じくらいの実力を持っていたらしいけどそんなこと俺には少しも関係ない。とりあえず凜子の構え方真似してるけどほんとなら構えすらも知らねえよ。

 

「よろしく頼む、京士郎」

「……ん」

 

 凜子は何故か若干緊張した様子で向かい合っている。そして向かい合っている俺と凜子を見ている大量の観客。俺は知ってるぞ、皆どうせ俺を笑うために来たんだろ。事前に凜子に言われたから知ってんだぞ。何か凜子もちょっと悲しそうな表情してるしやっぱりやってる人には見よう見まねの構えだってはっきり見抜かれるんだね。

 

「では、始め!」

「はああああ!!」

 

 と思ったら審判さんの声とほぼ同時に凜子が距離を詰めて俺に向かって剣を思いっきり振り下ろしてきた。いや容赦ないね!? 今絶対殺る気だったでしょ!? 少なくともあれが直撃してたら俺の頭が愉快なことになっていたことは間違いない一撃をどうにか木刀で受け止める。とりあえず素人丸出しだったとしても反撃しないことには始まらない。とりあえず振ってみた一撃は凜子にあっさりと受け止められてしまった。

 

「っ……はぁ!!」

「んっ……」

 

 うおわああああ!? ものすごい連撃が飛んできたあああ!? もう描写とか知らねえよ! 常時命の危機に置かれてるのにんなこと考えてる暇ねえよ! 受けるのだけで精一杯だよ!

 構えもクソもあったものではなく時に躱し時に木刀で受けながらどうにかその連撃をやり過ごすが、その騙し騙しの対応も流石に限界が来た。とりあえず距離を取るけど、このままじゃまた距離を詰められてさっきの二の舞いだ。どうすれば……

 と、その時下らないひらめきが頭をよぎった。

 

(どうせ慣れてないんだったら兄様みたいに逆手持ちの方がワンチャンあるのでは……?)

 

 ねーよ。って普通なら言えるところだろうけどこの体はなんたってあのヒャッハーな闘い方が得意なベイ中尉の身体だ。身体が覚えているとしたら型にはまった闘い方じゃなくて荒々しい闘い方のは確かだ。よしそれで行こうそうしよう。

 

「……足りない」

 

 冷静になって考えたら兄様はクナイを両手持ちして戦ってたのを今更になって気がついた。1本足りない。うん、バカだね。

 とは言え、今更構え直すのは非常に良くない。既に皆からの何やってんだこいつって感じの視線が強いからここで構え直したらただでさえ嫌な視線が突き刺さっているのにそれが強くなったら羞恥心から創造をやらかしかねない。

 というか、もうやだ、これ以上見せ物みたいな扱いを受けたくない。

 もう俺が勝っても負けてもどっちでもいいから速く終わらせたかった俺は、体勢を低くして、いつもオーク狩りの時に使っている奇襲戦法よろしくひとっとびで凜子との距離を詰めて怪我をしないレベルで思いっきり木刀を振るった。

 結果として、俺の放った一撃は凜子の木刀を弾き飛ばすことには成功した。

 が、俺は1つ大事な事を忘れていた。

 俺がオークを狩る時にこうして飛びかかる時には、そのままの勢いでオークの巨体に張り付いてそのままの勢いで吸い殺すことを。

 それがどういう結果をもたらすかというと、

 

「あっ」

「ふぇっ? け、京士郎!?」

 

 これがゲームならば間違いなくイベントCGが入るであろうシチュエーションになった。端的に言ってしまえば、俺が凜子を押し倒しているかのような体勢になっていた。いや、駄目だろ。この体でこんなイベントが起こるわけがないし、何よりまだ男のおの字も知らなさそうな凜子にこれ以上の辱めを与える訳にはいかない。

 

「ごめん……審判」

「え……そ、そこまで!」

 

 俺が凜子の首に木刀を添える。これだけやりゃいいよね? ってな感じで審判さんに確認をとったら審判さんも気がついてくれた。

 

「……じゃあ」

 

 とりあえず、俺は周囲の「え、なにこいつ試合中に女の子押し倒してんの」的な視線に耐えられなくなった俺は道場から出ていた。

 

―――――――――――――――――――――

 

 凜子が普段鍛錬しており、かつては京士郎もそこで鍛錬をしていた道場にて、京士郎と凜子が向かい合っていた。もはやこの道場では師範代以外には殆ど負け無しの凜子と、最近何かと噂になっている死んだものとばかり思われていた京士郎が打ち合うということもあり、彼らの周囲には見物している人々が多めに居た。

 

「よろしく頼む、京士郎」

「……ん」

 

 それぞれの手には木刀が握られており、一定の距離を置いた後に凜子は正眼の構えを取り、京士郎もそれに従い、ややぎこちないながらも正眼の構えを取った。そのぎこちなさは、この道場では負け無しの凜子の前に立つには力不足であることを声高に言っているようなものであり、周囲からも失笑が聞こえてきた。

 その構えには、非常に都合がいい事とはわかっていても、誘った凜子も少しだけ動揺していた。わかっていたことだとしてもだ。

 京士郎が置かれていた状況を、凜子はよく把握してはいない。だがそれでも、京士郎が普通じゃない仕打ちを受けたことくらいは、真っ白になってしまった彼の容姿からみても明らかだ。

 それでも、基本に忠実でどこまでも真っ直ぐだった彼の剣がなくなってしまったということに、何も思わないわけではなかった。

 

「…………」

「っ………」

 

 だが、そんな彼女の思いも、目の前で剣を構えて凜子の方を見据える京士郎の瞳の前では、何の意味もなさなくなってしまった。

 相も変わらず何を瞳に映しているのかわからないその空虚な瞳は、何かの決意に満ち溢れていた。

 

「では、始め!」

 

 審判が振り下ろした手刀と共に、まず最初に動き出したのは凜子だった。

 

「はあああああ!!」

「っ!……」

 

 裂帛の気合と共に振り下ろされた凜子の上段からの振り下ろしは、京士郎が冷静に木刀を横に構えて防いだ。当然、凜子の木刀は横に構えた京士郎の木刀に直撃するのだが、

 

「なっ!?」

「…………」

 

 その時、凜子が感じた手応えは異常の一言だった。普通、凜子ほどの腕前の者の一撃を受ければどんなに僅かであったとしても後ずさったり、受け止めたとしても勢いに押されたるするはずなのだ。

 だが、それらの感覚が一切凜子には無かった。文字通り巨木に向けて剣を打ち付けたかのような、打ち込んだ衝撃が全て跳ね返ってきたような感覚を凜子は感じていた。

 

「……ふっ」

「くっ……!」

 

 そのままの勢いで体勢が崩れた凜子の隙をついて京士郎は片手で以て軽く息を吐きながら木刀を横薙ぎに振る。構えも何もあったものではないメチャクチャな動きだったが、一応それなりの重さがあるはずの木刀を片手で小枝を振るかのように振っているその一撃が軽いはずがない。そんな力任せの一撃に、防御にまわったはずの凜子の木刀が弾かれかけた。

 単純な力による一撃。凜子が知っている基本にどこまでも忠実な京士郎の剣とは対極を為すその剣は、間違いなく凜子が知っている京士郎の剣よりも強かった。

 

「っ……はぁ!!」

「んっ……」

 

 だが、凜子とて決して劣っているわけではない。凜子もこの数年間で京士郎がいなくなってしまった穴を埋めようとするかのように己を鍛え続けたのだ。たとえどんなに京士郎の身体が人の道を踏み外していようが彼女が磨き上げてきた剣術も決して劣るものではないのだ。

 攻めに転じた凜子によるまるで流れるようになめらかな動きで繰り出される連撃に、京士郎も防戦一方になる。

 

「っ…………」

 

 が、いよいよ裁き切れなくなったのか、京士郎が大きく後ろへと飛び退いた。それを追おうとする凜子だが、牽制の意味合いが強いであろう京士郎の一撃によってそれを阻まれた。

 

「…………」

「……京士郎?」

 

 再び距離を取ろうとした凜子の前で、京士郎は何を考えたのか木刀を逆手に持ち始めた。

 確かにこの試合は剣道の試合もなんでもないため、厳格なルールはない。実戦ならば相手の命を奪える所まで持って行った方が勝ちということだけがルールのため、例え木刀を逆手に持ったとしても不備があるわけではない。だが、普通ならクナイなどの類を持つときの持ち方であろうそれを木刀でやった所で利点があるとは思えない。

 凜子が疑問に思うのは至極当然のことであり、見物していた人たちも疑問に思うのは当然のことだ。終いには野次まで飛ばす者まで出る始末だが、京士郎はそう言った者達の事を気に留める様子も無く、ただポツリと一言呟いた。

 

「……足りない」

 

 足りない、その一言が何を意味するものなのか、その場にいる誰もがすぐに理解をすることは出来なかった。

 次の瞬間、まるで大砲でも発射されたかのような轟音が道場に響き渡った。

 それが京士郎が床を蹴った音だと周囲が理解するのに、少し時間がかかった。

 

「なっ!?」

「ふっ」

「ぐぅっ!!」

 

 京士郎はまるで野生の獣のような跳躍を見せていた。ただ単純に長距離を跳ぶだけではなく、そこに圧倒的な速さも込められた跳躍だった。そして、それだけで少々開いていた凜子との距離を詰めた京士郎は、その跳躍の勢いそのままに空中で回転し、全体重を乗せた一撃を凜子に叩き込んだ。

 その速さから回避しきれないと踏んだ凜子は再び防御しようとするものの、そのあまりの勢いに、思わず剣を手放してしまった。

 

「あっ」

「ふぇっ? け、京士郎!?」

 

 そして、そのままの勢いで京士郎は凜子の動きを封じるために飛びかかった勢いを殺しつつ凜子を押し倒して動きを封じた。いくら彼女がここ数年を鍛錬に費やしてきて、自分のことよりも弟の方が気になるブラコンだったとしても、いくら京士郎が人間をやめて化け物の領域に全身を突っ込んでいたとしても、京士郎の容姿は整ったものであり、それに押し倒されて何も感じないほど凜子は女を捨てた覚えはないのだ。

 早い話が床ドンになっている今の体勢で、相変わらずの無表情で凜子を見つめている京士郎に対して凜子は顔を若干赤くしていた。

 

「ごめん……審判」

「え……そ、そこまで!」

 

 が、それも長くは続かず、木刀を凜子の首に優しく添えて、京士郎は審判に声をかけた。未だ呆然としていた審判に京士郎が声をかけると、呆然としていた審判はハッとしたかのように我に返り、試合の終了を宣言した。

 

「……じゃあ」

「け、京士郎……」

「……何?」

「……すまない、何でもない」

「……そう」

 

 京士郎と凜子が互いに一礼した後、汗一つかいていない京士郎がその場に居た人に対しても一礼した後に道場を出ていった。凜子は呼び止めようとしたものの、やめた。今、自分には京士郎を呼び止める資格がないような気がしたからだ。

 

 足りない。

 

 その意味を、この場にいる誰もが理解した。

 足りないのだ。

 京士郎と相対する者の、力も、速さも、技量も。技も何もあったものではない力任せの京士郎の剣で軽くあしらえる程度のものでしかないのだ。

 悪く言ってしまえば、才能任せの剣。

 だが、それがいかに強く、才能を持たないものからしてみれば残酷なものなのかを京士郎は知っている。だからこそ、京士郎はこの場に自分がいらない存在だと思い。出ていったのだ。

 自分のほうが先を行っていると思っていたのに、気がつけば京士郎に孤独を感じさせてしまうほどに実力を突き放されていた。

 その事実が異様なほどに悔しくて、凜子は拳を握りしめた。




エッチなのはしっかりおとなになってからにしましょーねー()
……一番書きたがってるのは作者です。


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第8話 些細な選択でルートは決まるって熊本先輩が言ってた

大変長らくお待たせしました。果てしなく忙しかったのと一度データが全て吹き飛んだことでモチベが消え失せかけましたがエタるのだけは嫌なので頑張っていきます。原文はいいとしてもプロットも消えたのがキツかったです……今年度中は不定期更新となってしまいますが暇な時にでも読んでくださると幸いです。


「……っ」

 

 カーテンの隙間から差し込む朝日に少し顔をしかめた後に、ゆっくりと目を開ける。京士郎は眠そうな雰囲気を隠すこともなく布団から身を起こし、頭をかいた。

 とりあえず、洗面所へと向かい、歯を磨き、顔を洗う。顔を洗ったところでようやく眠気が8割方消えたため、自室に戻り、五車学園の制服へと着替える。

 

「……おはよう、母さん」

「おはよう、京士郎」

 

 リビングへと向かうと、朝食の準備をしている不知火が笑顔で京士郎を迎えた。

 当たり前の日常。それが何物にも代えがたいものであることを、京士郎は理解している。

 

「ふぁ……おはよ、お母さん、京兄」

「……おはよう」

「おはよう、ゆきかぜ」

 

 京士郎より少し遅れて、五車学園の制服を着たゆきかぜがあくびをしながらリビングにやってきた。

 

 早いもので季節は流れ、京士郎が五車町に帰ってきてから3年の月日が経過していた。

 記憶を失ってしまった京士郎もいい加減に五車町での生活に慣れ、言語能力もまだまだ寡黙ではあるもののかなり流暢に喋れるようになっていた。

 成長期が訪れたこともあってか、身長は一気に伸びて歳の割にはかなり高い方と言える180近くまでになり、相変わらずの中性的な童顔ではあるものの、少しは大人びた顔つきとなった。

 結局、白い髪と白い肌が変わることはなく、その目つきは普段は柔らかいものの、戦闘時や寝起きは鋭い癖も変わることはなかった。

 

「京兄、今日の放課後は……」

「ごめん、仕事……」

「あ……い、いいのよ! 私だけでも頑張れば何とかなるから!」

 

 京士郎は、まだ五車学園の生徒ではあるものの、そのあまりの実力から、時折正式な対魔忍として活動していた。彼よりも五車学園の中では先輩で、学園内でも相当な実力者のはずの凜子がまだ見習いの対魔忍であることを考えれば異常な速度であると言えるが、彼の活躍を鑑みれば仕方のないことなのかもしれない。

 母親である不知火が目を光らせていることもあり、明らかに死ににいくような任務や過酷すぎる任務こそないものの、その日々は多忙を極めている。

 

「明日は、大丈夫……」

「本当!? じゃあ、私と模擬戦を」

「ちょっとゆきかぜ、京士郎にも休ませてあげないと」

「大丈夫」

「……はあ」

 

 京士郎はどこまでも利他的に行動するのが目立つ。彼の無尽蔵なのではないかと言うほどの体力があるからこそその考えが貫けているものの、いつか過労で倒れてしまわないかと不知火は心配で仕方がなかった。

 

―・―・―・―

 

「京士郎くん……京士郎くん」

「んっ……ごめん」

「ううん、大丈夫だよ」

 

 次の日、五車学園のとある教室にて、京士郎の身体を長い間彼の隣の席である桃子が揺さぶって起こした。この教室ではもはや日常になっている光景だ。

 京士郎は少しだけ身じろぎした後、その鋭すぎる目つきを隠そうともせずに桃子の方をみて礼を言う。流石に何年も起こしていれば慣れてしまったのか、他の生徒達は未だに少し怯えているにも関わらず、なんでもないことのように首を横に振った。

 京士郎の多忙さは、五車学園の中でもかなり有名であるため、教師陣もそこまでとやかく言うことはない。京士郎自身が教師陣よりも遥かに強いというのも理由の一つではあるが。

 

「明日は他学年と合同で山中での訓練を行う。それぞれ装備の持参を忘れないように」

 

 教師がそんな一言でホームルームを締めくくり、教室から出ていくと、生徒達は堰を切ったかのように雑談をし始めた。

 だが、そんな教室の中で、一箇所だけ静かな場所があった。

 言うまでもなく、京士郎と桃子の席だった。

 

「…………」

 

 帰り支度をしている京士郎に、話しかける者は居なかった。桃子もチラチラと京士郎を見ながらではあるものの、帰り支度を始めていた。

 

 今や、校内で京士郎を知らない者は居なかった。

 京士郎自身が吸血鬼になってしまっているという情報こそゆきかぜや凜子や達郎などの京士郎と親しい人しか知らないものの、それらを抜きにしても、彼はあまりにも周囲とは隔絶した実力を持っていた。

 彼の能力、一応『忍法・血染花』と呼ばれる能力はこれまでの対魔忍達の能力の中でも群を抜いて強力なものであり、もはや現状で京士郎に対抗出来るのは最強の対魔忍である井河アサギくらいなのではないかとすら言われる始末だ。

 

「…………」

 

 そんなあまりにも強すぎる能力により、周りからは完全に腫れ物扱いをされている京士郎だが、当の本人は特にそれほど気にしているわけではなかった。これがもしまっとうな学園生活ならば、京士郎ももう少し気にしたのかもしれないが、あいにくと授業以外では任務に行っているかゆきかぜや凜子達の鍛錬に付き合っている京士郎にとっては割とどうでもいい話なのだった。

 

「京兄! 道場行こ!」

「……わかった」

 

 そんな感じで丁度帰り支度を整えた京士郎の元にやってきたのは、昨日一緒に鍛錬するという約束を取り付けたゆきかぜだった。その活発な性格と優秀な成績から、クラスの中でも大きな存在となっている。

 ゆきかぜに引っ張られる形で京士郎が教室を出ていってから、初めてクラス全体の雰囲気が弛緩した。

 

――――――――――――――

 

「それでは、本日は2人組での訓練を行う。本来ならば能力や特性などの相性を鑑みて2人組を決める所だが、今回はそういった事よりも連携を重視した訓練だ。各自事前に提出した2人組で固まって行動するように」

「「「「はい!」」」」

 

 次の日、その学年とそれより一つ上の学年による合同訓練の内容は、五車町を離れ、とある山奥にて行われるものだった。それぞれが自分の対魔忍スーツを纏っており、その顔には若干ではあるものの緊張している様子が伺えた。

 

「それぞれが保有している巻物を他のペアから奪い、最終的に巻物の保有数が多かった組から評価をつけていく。山中には監視の教員が徘徊しているから、不正をした場合は罰則を課する」

 

 教員である八津紫が生徒達に注意事項を確認していくが、生徒達の視線は時折ある場所に移っていた。それも一部ではなく、殆どの生徒が、だ。

 

「…………」

「……はあ」

 

 生徒達の中でもかなり前の方で教師たちの話を聞いている2人組。秋山凜子と水城京士郎。現在の五車学園の中でも実力的な意味でのトップ2ならば誰もが迷うこと無くこの2人を選ぶであろう2人がタッグを組んでいたのだ。五車学園の中でもかなりの人気を誇り、それに見合う実力を持っている凜子だけでも殆ど勝ち目がないのに、それに加えてその凜子との手合わせで無敗の京士郎がタッグを組んだとあっては他のタッグからしてみればたまったものではないだろう。

 

「なお、秋山と水城のペアを倒したペアには本来の評価とは別に評価を与える。無理に倒せとは言わないが、留意しておくように」

 

 紫からそんな特別ルールが宣言されても、生徒達が沸くことはなかった。元から倒せると思っていない故に、加点されたところでどうしようもないからである。紫はそんな生徒達をみてため息をつくが、そんな紫でも納得できてしまうほどに凜子と京士郎の強さは突出していた。

 

「では、20分後に開始する。各自思い思いのスタート地点につくように」

「よし、行くぞ京士郎」

「……了解」

 

 紫がそう言い終わると同時に、生徒達は大急ぎで走り出した。そんな生徒達に反して、京士郎と凜子のペアは比較的ゆっくりと歩き始めた。京士郎も凜子も既に実戦を経験しているため、その顔に緊張の色は見られない。

 

―・―・―・―

 

「京士郎、どうだ?」

「……今の所は、大丈夫」

 

 とはいえ、流石に凜子も京士郎も望んでこのコンビを組んだわけではない。そんな事をしたら勝負にならないことは客観的な事実であるし、それでは凜子も京士郎も成長しない。

 今回凜子と京士郎がコンビを組んだのは、教員からの指示によるものだった。

 

「それにしても、私達まで監視に使うとは、教員側も人手不足なのだな」

「……仕方ない」

 

 周囲を警戒しながら、彼女にしては珍しく愚痴をこぼした。そんな凜子に対して、京士郎は相変わらず何を考えているのかよく分からない平坦な口調で答えた。

 今回、凜子と京士郎は訓練以外にも、生徒達の監視を命じられている。とはいっても、不正を見つけろとかそういったものではなく、単純に不測の事態に備えてのものだ。

 現在、五車町から少しとはいえ離れた山にて訓練を行っている。事前に一般人が立ち入ることは禁止することが出来るものの、敵対勢力の襲撃となると流石に防ぎようがない。生徒の中でもかなりの実力を誇る凜子と京士郎に命じられたのは訓練をこなしつつ、敵対勢力を探すことだった。

 今の所、敵対勢力は見つかっていない。まぁ、あくまで万が一の事を考えてのことであるため、必ずいるというわけではないのだが。

 

「京士郎、いつごろになったら集め始める?」

「……まだ大丈夫」

 

 二人とも下手に真面目なため、規定時間の半分が経過しても未だに索敵に専念していると、

 

「……いる」

「京士郎? ちょっ、京士郎!?」

 

 京士郎がその無表情を少しだけ歪ませたと思ったら、弾かれたかのように走り出した。既に彼の足裏から杭が生成されており、歩幅を大幅に広げた京士郎が走り出した。突然走り出した京士郎の後を、凜子が慌てて追いかけた。

 

「待て京士郎! いるって何がだ!」

「……多分、魔族」

「何だと!?」

「……先生に報告しに行って」

「あっ、京士郎!!」

 

 京士郎はそれだけを言い残して、足裏に生やした杭を更に伸ばし、全力の凜子でも追いつけないレベルのスピードで標的との間合いを詰めた。

 

―・―・―・―

 

「にしても、本当に捕らえるだけで良いのか?」

「ああ、何でも今回の本命は別なんだと」

 

 生徒達が訓練している範囲から少し離れた山中で、銃器を持ったオーク数人が退屈そうにしていた。彼らの近くには、拘束具で身動きが取れなくなっている五車学園の生徒が数人おり、その誰もが意識を失っていた。拘束された生徒の中には桃子もいた。

 

「はぁ~、どうして目の前に女がいるのに犯すことも出来ねえんだろうな……」

「しょうがねえだろ。逆らったらマダムに何されるか、考えたくもねえ」

 

 オーク達がそんな愚痴をもらしながら周囲を超がつくほど適当に警戒していると。

 

「ふっ」

 

 誰かが軽く息を吐く音と同時に、数人いたオークの内2人のオークの頭を弾丸の如きスピードで飛んできた血の杭が貫いた。貫かれた2人のオークは、何が起こったのかも分からない内に即死した。

 

「は?」

 

 それを目撃した残りのオークは、何が起こったのかまるで理解できていない呆けた声を上げた。

 その一瞬の間に、京士郎はオークに突き刺さった杭を掴み、掴むと同時に血肉と魂を全て吸収した。

 

「こっ、こいつ!」

 

 ここでようやく我に返ったオーク達がその手に持っていたサブマシンガンを京士郎に向けて乱射するが、今の京士郎にとって銃弾など食らった所でどうもならない上、止まって見えるため全弾躱すことも容易だ。

 

「遅え」

 

 故に、京士郎がそれらを喰らうことはあり得ない。凄まじい音を立てて地面を蹴り飛ばし、一瞬でオーク達の背後にまわった京士郎は彼ら全員の頭を同じく杭でぶち抜いた。当然、オーク達は即死し、最初にオークが頭を打ち抜かれてから10秒と経たない内にオーク達は全滅していた。

 この程度、この3年間で数えるのがアホらしくなるほどオークを狩ってきた京士郎からしてみれば造作もないことである。

 

「……まだ」

 

 だが、京士郎はまだ杭を消すことはなかった。まだ魔族がいる。そんな確信とともに、杭を生成し、周囲を警戒する。

 

―・―・―・―

 

「……京士郎」

 

 そんな風に、一瞬でオーク達を虐殺してのけた京士郎が、教師を連れてくるために走りだしていた凜子の視界の隅に入った。あまりの早業だったため、凜子が教師を呼びに行く前に京士郎が事態を終息させてしまったのだ。

 凜子は何故か隠れて悲しそうな表情で見ていた。

 別に何か後ろめたいことがあるわけではない。

 ただ、あまりにも変わらなさすぎる無表情でオーク達を殺している京士郎に、本能的に恐れを感じ、競い合う仲であるはずの京士郎に恐れを抱いた自分に嫌悪感を抱いたのだろう。例え既に見習いではあっても対魔忍として任務をこなしている凜子であっても、命を奪うことにはまだ抵抗がある。

 

「け、京士郎……」

「あら、ちょうどいい人質発見っ」

「え……ごっふ!?」

 

 そんな京士郎をただ見ていたが為に、凜子は気付かなかった。背後に敵が迫っていることに。京士郎のその様に呆然としていたのが隙となったのか。それとも敵はもう既に京士郎がすべて倒したと思ってしまったのが隙となったのか。何にせよ、凜子が敵の前で致命的な隙をさらしてしまったことは事実だ。

 

「あいつがいないのは残念だけど、面白いことになりそうだわぁ」

 

 紫紅色の姫カットの髪と、赤いレオタードのようなボディースーツが特徴の女。朧は、その顔に歪んだ笑みを浮かべながら、凜子の腹に拳を叩き込んで意識をなくさせた凜子に近寄ると、

 

「さぁ、私の手駒になってもらうわよ」

「ぁ……が……」

 

 その手に持った特殊な呪術を施したアクセサリーを凜子の首元に添えた。すると、そのアクセサリーは凜子の首元に溶けるように消えていってしまい、凜子の首元には朧の忍法、催眠刻印によるものである入れ墨のような黒いハートマークが浮かび上がった。

 催眠刻印。対象者を催眠状態にすることで朧の思うがままに動かすことのできる操り人形にする強力な忍法。本来ならばこの発動にはかなりの時間が必要になるはずだが、規模をできる限り小さくし、アサギのような実力者には効かないような実用性の薄いものであるならば、このように即効性のある能力としての応用が可能である。

 

「----------」

「……はい」

 

 時間にしてほんの数分しかもたない極短い催眠状態の中で、朧は凜子に耳打ちをして凜子の背中を押した。凜子はその虚ろな瞳を揺らしながら、京士郎の元へと一目散に駆けて行った。

 

「死んだら死んだでそこまでって言ってたし、別にいいでしょ」

 

 朧は気楽にそんな事を言いながら凜子とは別のルートで移動を始めた。

 

―・-・-・-

 

「…………?」

「京士郎。終わったのだな」

「……うん」

 

 京士郎が周囲を警戒していると、教師を呼びに行ったはずの凜子が戻ってきた。凜子は何故か顔を俯かせながら京士郎に話しかけていた。京士郎は顔を俯かせている凜子を不思議そうに見つめているが、今の自分が返り血やら吸い損ねた血肉やらで凄まじく汚れているのを思い出し、きっとそれが理由だろうと自己完結した。

 

「……無事で、よかった」

「んっ……」

 

 すると、俯いていた凜子が耐えきれないとでも言いたげに京士郎に抱きついた。既に年相応に、いやそれ以上に成長している凜子のさまざま部分が京士郎の体にあたっており、表面上では無表情を貫いている京士郎の内心が荒れ狂っているが、そんなこと知ったことではないとでも言わんばかりに凜子は京士郎を抱きしめる力を強くし、

 

 一瞬で彼女の得物である日本刀「石切兼光」による居合斬りを放った。

 

「……え?」

 

 完全な無意識で京士郎はとっさに体を捻ったものの、流石の京士郎といえども、あそこまで完全に密着した状態から完全に回避することは難しく、致命傷こそ回避したものの、右腕を凜子によって斬り飛ばされた。

 何が起こっているのか分からない。京士郎の無表情の中に明らかに動揺の色が混じる中、凜子は虚ろな瞳で京士郎を見据えたまま距離をとった。

 

「あーはっはははは!! 最高! 最高よあなた!」

「……誰?」

 

 すると、凜子の背後に高笑いをしながら朧が現れた。凜子はそんな朧の方を見向きもせずに、ただ京士郎の方をじっと見つめていた。京士郎はいつもと変わらない無表情で、否、若干キレている事がわかる雰囲気を漂わせながら凜子と朧を見据え、右腕の切り口から血が吹き出すのも構わずに左手から杭を生成させた。

 

「糞どもに名乗る名前なんて持ち合わせてないわねえ。そんなことよりもいいのかしら? 大事なお仲間はこちらのものよ?」

「ぅあ……」

「っ………」

 

 朧が凜子の髪を掴んで自分の方へと引き寄せた。凜子は少しだけ苦しそうな声を上げたものの、抵抗しようとはせずにされるがままになっていた。

 京士郎が少しでも行動をおこしたらどうなるか。朧の持つ鍔のない忍刀が鈍く輝き、凜子の首に添えられていることが何が起こるかを示している。

 現在、京士郎は創造を発動させていない。

 今から何かを発動させる素振りを見せれば、おそらく京士郎の創造が発動するよりも早く朧の忍刀が凜子の喉元を引き裂くだろう。

 

 少なくとも、朧の遺伝子より作られた彼女はそう思っている。

 

「自分がどういう立場にいるのかは理解できたよう、ねっ!」

「っ……」

 

 特に抵抗する様子も見せない凜子の首を掴みながら朧は京士郎に歩み寄り、京士郎の顔を忍刀で思いっきり引き裂いた。構えも何もあったものではない力任せの一撃だったが、凜子が朧の手の中にいる以上京士郎は抵抗することが出来ない。

 京士郎の顔に深く傷が刻まれるが、京士郎は動じるどころか後ずさることすらせずにただ朧に掴まれている凜子を見つめていた。

 

「やせ我慢した所で! なんにもならないわよ!」

「…………」

 

 いくら忍刀で切り刻まれても何の反応も見せなかった。まるで、いくら自分の事を傷つけようが朧のことなどどうでもいいと言わんばかりに。

 既に京士郎の身体は至る所から血が流れており、本来ならば失血死してもおかしくない量の血が流れているにも関わらず、京士郎は平然とそこに立っている。

 

「……チッ!」

 

 そうなってくると、面白くないのは朧だ。本当ならば一息で殺せる所を自分が大嫌いな対魔忍が悶え苦しむ所を見たいがために甚振っているのだ。それをこんな反応で返されれば機嫌が悪くなるのはある種当然といえる。

 

「っん……っ!? 京士郎!?」

「っ……ったく、急拵えとはいえ、もうちょっと保ちなさいっての」

 

 さらに、タイミングが悪いことに凜子にかけられた催眠刻印がここで解けてしまった。意識が戻った凜子の視界に真っ先に入ってきたのは全身傷だらけで血を流しながら立っている京士郎の姿だった。これで動揺するなと言うほうが無理な話だろう。

 そして、想定外の事態が発生すれば当然朧の機嫌は悪くなっていく。

 となると、次に求めるのはストレスの捌け口だろう。

 

「京士郎!? っ誰だ貴様はっがっ……!」

「はぁ、もういいわ。ブラック様はお前以外には興味ないみたいだし、あんただけでも殺さないと気がすま―――――」

 

 首を掴まれているにも関わらず凜子は毅然と朧を睨みつける。そんな凜子を豚を見るような目で見据えた朧が首を持ったまま持ち上げる。当然、凜子は顔を苦痛に歪ませながらあがくがそんな些細な抵抗が朧に通じるはずもなく、朧の忍刀が凜子の首元へと勢い良く向かっていく。

 確かに、彼女は京士郎について詳しくは知らなかった。せいぜいエドウィンが興味を引いている人物の1人としか捕らえていなかった。

 だが、結果としてその選択が、気晴らしとして凜子を殺そうとしたその選択が間違いだった。

 彼にとっての大切なものを壊そうとする何かが現れたのならば、勝てるという確信を持っていなかったとしても、彼はそれを排除する。

 

「……あ?」

「っ!? こいつ……!」

 

 朧も、そして凜子ですらも、その場の空気が凍りついたのを感じた。それが京士郎から発せられていることを察することなど、誰の目から見ても明らかだった。

 咄嗟に凜子の首元に忍刀を添えつつ京士郎から一気に距離を取った。

 

 次の瞬間、世界が暗転した。夜空を照らすのは、鮮血で染め上げたかのような赤い月だった。

 

「ぐっ!?」

 

 朧を凄まじい脱力感が襲う。気を抜けばそのまま命を落としてしまいそうなほどの脱力感。

 このままではマズい。理性ではなく本能で理解した朧は凜子と共に一旦退こうとするが、

 

「ひっ!?」

「…………」

 

 気がついた時には退こうとしていた朧と凜子の背後に京士郎が現れた。まるで突然その場所に瞬間移動したかのようだった。

 当然、朧は京士郎から一瞬たりとも意識を外してはいない。周りに他の脅威がいるかもしれないという可能性を排除して全ての意識を京士郎へ向けたのだ。

 にも関わらず、朧は京士郎が背後を取ることを許した。

 とは言え、これはある種仕方ないこととも言える。

 

 本当に瞬間移動したのだから。

 

 京士郎が展開する薔薇の夜は、当然ではあるがそこが彼の能力の範囲内であることを示している。言うなれば、その空間は京士郎の体内だ。

 京士郎の体内なのだから、京士郎は能力の範囲内ならばどこのことだろうと近くできるし、どこからでも現れる事ができる。

 

「おおあ!!」

 

 京士郎の全身に刻まれた無数の切り傷から、赤黒い髑髏がまるで笑うようにうごめいているのが垣間見えた。それが、朧の遺伝子から作られた彼女が見た最後の光景だった。

 情に厚いのだから人質を取ればどうにかなると思った事自体が間違いだった。

 いくら強くても一方的に攻撃し続ければ倒せると思った事自体間違いだった。

 力量が違う。

 魂の総量が違う。

 次元が違う。

 いくら激しく燃え盛る炎の絵を描こうが、現実を燃やすことなど出来はしないのだ。

 

―・―・―・―

 

「ふむ、出来の悪い劣化品だとは思ったが、偵察程度には役に立ったか……」

 

 ヨミハラの最深部にて、エドウィンは虚空を見つめながらそう呟いた。

 

「見事だ、水城京士郎。あの日小さな可能性の種だったそれは、今まさに君の中で開花しようとしている」

 

 その顔には、まるで子供のように純粋で、かつ残酷な微笑みが浮かんでおり、彼の側近であるイングリッドですら中々見ることは出来ないエドウィンの姿がそこにはあった。

 

「だが、まだだ。まだ私の命には届き得ない」

 

 あまりにも長過ぎる、終わりのない生。既知に満ちている世界。その中において彼にとっての唯一の未知は己の絶命のみ。

 

「君が望もうが望まなかろうが、その日はいずれ訪れる。ならばその日を、私は待つとしよう」

 

 その日。おそらくエドウィン以外は誰も望んでいないであろうその日はいつ来るのか。

 まだ、誰もわからない。

 

―・―・―・―

 

 京士郎が朧、正確には朧のクローンを退けた後、訓練は中止となった。原因となったその事件は、被害者と一部の者以外には秘匿され、他の生徒にはトラブルが発生したためとだけ伝えられ、五車学園の生徒達はその山を離れることとなった。

 

「…………」

 

 その日の夜、凜子は自室の布団の中で今日の事を思い出していた。ただでさえ人間ではなくなってしまったかのような印象を受けていた京士郎の傷口から見えた無数の赤黒い髑髏達。それらについては、凜子は誰にも話していない。

 凜子は、何の役にも立てなかった。

 無力だった。

 それどころか、ただの足手まといでしか無かった。

 操られていたとは言え、京士郎に取り返しのつかない傷を負わせてしまった。

 もう、京士郎はどうしようもない所まで、凜子の手など爪の先すらも届かない所まで行ってしまったのかもしれない。そんな思考が凜子を包む。

 

「っ…………」

 

 まるでそれらから逃げ出すかのように、凜子は布団を頭までかぶった。嫌でも思考の片隅にこびりつく絶望と、身体の疼きから目を背けるために、凜子は眠りについた。




この投稿ペースでいくとどれだけ時間かかるかわかったものではないのでかっ飛ばしました。空白の時間の間の話は、忙しくなくなったら書くかもしれません。
本作とは関係ありませんが(厳密に言えば関係ありますが)活動報告の方にアンケートを設置したので回答してくださると幸いです。


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第9話 変わらない日常なんてない

久しぶりの投稿にも関わらず日間ランキング一桁入り&お気に入り2000突破本当にありがとうございます。皆さんの感想や応援が私のモチベの8割(残りは愛)を占めるため、何か思うところや感じたことがありましたらどんどん感想を書いてくださると幸いです。
今回は色々とちょっと無理がある上に導入なので短めです。何の導入かは……まぁ、読めばわかります。長いこと文章書いてきましたけどエロ描写初めてなので過度な期待はご遠慮ください。

追記:活動報告の方にこの作品に関するアンケートを設置しました。もしお時間ありましたら回答して頂けると幸いです。


 山中での実戦訓練から1週間が経過していた。あの事件の後、現場にいた凜子と京士郎は暫くの間拘束されることとなり、敵の目的がほとんど不明であることから、取り調べは念入りに行われ、凜子が寝食以外で開放されるのには2日、京士郎が開放されるまでには5日を要した。

 

「…………」

「姉さん、どうしたの?」

「達郎か……いや、何でもない」

 

 その日も、凜子は稽古において負け無しだった。あと少しで逸刀流を皆伝という彼女の立場ならば当然といえば当然だが、その帰路において彼女の顔色が晴れることはなかった。

 あの事件以降、凜子は目に見えて落ち込んでしまった。彼女からしてみれば、悔やんでも悔やみきれないことなのだろう。いくら操られていたとは言え、彼女の手で、京士郎の右腕を切り落としてしまったのだから。

 凜子達と相対した相手が本物かどうかは不明にしてもあの朧だったということもあり、凜子が罰を受けることこそ無かったものの、むしろそれに最も納得していないのは凜子自身とも言えた。

 普通、右腕を失うということは義手という手段こそあるものの対魔忍を引退することも十分に視野に入る事案だ。

 にも関わらず、京士郎はあまりにも変わらなかった。その精神も、強さも、変わらなすぎた。

 むしろ、ギリギリではあるが型と呼べるものがあった以前と比べ、現在の京士郎の戦い方には型と呼べるものが全くない。型がないことに京士郎本人の怪物じみた身体能力が加わり、彼と真正面から相対した場合、例え京士郎が能力を使わなかったとしても互角に戦えるものが何人いるかといったレベルにまで到達していた。

 

「すまない、達郎。先に帰っててくれ」

「姉さん……わかった」

 

 帰り道の途中で、凜子は達郎と別れる。以前までの弟に対して若干過剰なまでの愛情を注ぎ込んでいた凜子からしてみれば考えられないことだ。

 

―・―・―・―

 

 はい、ということで皆さんお久しぶりです。突然のイベントにまさかこんな事が!? って思ってたら案の定そんなわけなかった水城京士郎です。非モテ中尉の身体を侮ってたよ。あんなおいしいイベントがベイ中尉に降りかかるわけがなかった。右腕はぶった斬られるしで本当にろくなことがないよ。さすがはベイ中尉。

 正直な所、何をしたのかはよく覚えていない。あのおば……お姉さんが何かやたらめったら煽ってたことくらいしか覚えてない。いや、ほんの少しだけど戦った記憶もある。ただ、何ていうか夢を見ていたような感覚っていうか、うーん、例えが難しい。

 そんな俺は現在、長い長い取り調べが終わったと思ったら検査入院的な意味合いで病院に突っ込まれた。とはいっても2日間の短い入院だから本当に検査だけが目的なんだろう。

 右腕はぶった斬られたまま元に戻ることは無かった。てっきり創造が発動してるんだったら生えるもんだと思ってた。うん、自分でも何言ってんだって感じだけど余裕で生えてきそうじゃない?

 

「京士郎、いるか?」

「……ん」

 

 そんな感じで自分的には外出歩きたい気分ではあるんだけど外出歩いたら絶対に死亡フラグに付き纏われる事がわかりきっているため若干不便ではあるけど片手で読書をして適当に時間を潰している。右腕がなくなったから社畜生活から開放されるのかなーとか思ってたけど何か稽古にも駆り出されたし多分それはないっぽい。対魔忍ってのも相当なブラックだね。

 なんて事を思ってたら凜子が病室に入って来た。あの事件以降、後から聞いた話によると操られていたらしいけど俺の右腕を切り落としたことを相当気にしているのか、俺に対して若干過保護な傾向が見られる。いや、俺はおいしい思いが出来るから嬉しいと言えば嬉しいけど目に見えてやつれちゃったしこれ以上俺の事を気にし過ぎないでほしいっていうのも正直な所ではある。

 無くしたものは戻らない。いくら悔やんだ所で、腕が生えるわけでもないんだから凜子には立ち直って欲しい。酷なお願いってことはわかってるけどさ。

 

「京士郎、何か困ったことはないか?」

「……大丈夫」

 

 ぶっちゃけ、右腕がなくなった所で本気で不便だなーって思ったのは着替えくらいのものだからそこまで介護は必要ない。これが足だったらまた違っただろうからむしろあの斬撃は当たりどころが良かったまである(錯乱)。凜子は俺がいるベッドの傍に備え付けられた椅子に腰掛けると俺の方をいかにも心配してますって感じの目つきで見つめてきた。

 

「私なんかが言えることではないが……無理しなくてもいいのだぞ? 私は、お前が言うなら何だってやるつもりだ。それだけのことを……したのだからな」

 

 ……何やらいつにもまして献身的だな。いや、凜子みたいな美少女に心配されるなら男冥利に尽きるってところだろうけど、昨日までの凜子の過保護っぷりも中々のものだったけどそれでも何でもとかは言い出さなかったと思うんだが。

 

「……大丈夫。大丈夫、だから」

「んっ……だが……私は」

 

 参った、中々しつこいぞ……というか何となくゆきかぜを諭す時のノリで頭を撫でた時に妙に色っぽい声が聞こえた気がした。え? 撫でただけだよね? 実は俺に秘められたセンスによって撫でるだけでも感じさせることが出来るとかそんな事は決してないはずだ。確かに俺の身体のスペックはバケモノ以外の何物でもないけどそんないらん能力までついていた覚えはない。

 

「…………」

「んっ、京、しろ……あっ……何、を……」

「……ごめん」

 

 いや絶対おかしいだろ! 今俺頭撫でてるだけだからね!? 何で、その、いかがわしい事されてるみたいな反応すんの!? 

 俺が慌てて手を引いて謝ると、凜子は顔を赤くしながら自分でも困惑しているのか黙りこくってしまった。や、ヤバイ、半端なく気まずい……ラノベの朴念仁な主人公とかはこんな状況でも平然としてるってのか……正気じゃねえな! いや、まぁ外から見たら俺も平然としてるんだろうけどさ。

 

「わ、私はそろそろ帰るぞ。京士郎。困ったことがあったらいつでも私に言ってくれ」

「……うん」

 

 若干気まずい空気を残したまま、凜子は部屋を出ていってしまった。ある意味助かったと言えば助かったけど、凜子との距離が離れてしまったような気がして地味にショックだった。

 

―・―・―・―

 

 凜子は少し沈んだ表情で帰路についていた。

 京士郎は、決して凜子を責めるようなことはしなかった。それは、凜子にとっては余計に自分を責める要因にしかならなかった。いっその事、全部お前のせいだと責められた方が凜子は楽なのかもしれない。

 だが、京士郎は責めなかった。それどころか、利き腕がなくなったことすらまるで気にも止めていないかのような様子だった。

 嘘だと思いたかった。強がりだと信じたかった。だが、表情を少しも変えることのない京士郎からは何の感情も読み取れることが出来ず、その空虚な瞳を見ても何を考えているのかは凜子には全く分からなかった。

 

「…………」

 

 先程、京士郎が撫でていた自分の頭を撫でる。凜子の知るかつての京士郎なら、そんなことはしなかった。互いに互いが唯一無二の存在であり、競い合う仲だと思っていた。京士郎に悪意がなかったことは、凜子も分かっている。だが、それでも、その行動は、凜子に京士郎との距離を感じさせるものがあった。

 無論、凜子に今の京士郎を否定するつもりなど毛頭ない。

 凜子自身、自分が今の京士郎をどう思っているのかわからないのだ。

 思えば、京士郎が戻ってきてから既に3年以上の年月が経っていたにも関わらず、凜子は本気で闘っている京士郎の姿を見るのは初めてだった。いや、これまで全力だと思っていたものが全力ではなかったというべきか。

 

 どれほど全身を傷つけられ、果てには右腕を切り落とされようとも眉1つ動かすこと無く、その傷口から赤黒い髑髏が除き、一瞬赤黒い何かが煌めいたかと思った次の瞬間にはすべてが終わっていた。

 その瞬間の京士郎の命を命と思っていないような眼光を恐ろしく思わないと言えば、嘘になる。

 

「京、士郎……」

 

 凜子が京士郎の名前を呟く。やっとまた共に歩めると思っていた。それは無理だとしても、同じ日常を歩めると思っていた。

 だが、あの時の京士郎を見て、凜子は思った。自分がただそう思っていただけなのだと。

 突然独りになってしまったかのような、幼い頃、京士郎がいなくなってしまったとしったあの時と同じ感覚を抱いた凜子はその寂しさから逃げるように京士郎の名前を呟いた。

 

 その時、精神的に疲弊していた凜子は凜子が感じたことのない熱っぽい感覚が全身を包んでいることを知覚した。

 

「んっ! なんっ……だ……?」

 

 いくら気分が沈んでいたとは言え、凜子は見習いではあるが対魔忍だ。切り替えきれているとは言えないが、気持ちを切り替えて自分の状態を確認する。

 外傷などと言った異常は見られない。今日摂取したものにも不自然なものはないため、外部から気づかれぬ内に毒を盛られたという可能性はない。

 

「はぁ……はぁ……んっくぅ!」

 

 身体が火照り、吐息がどんどん荒くなっていく。それに呼応して、体中が何かを求めるかのように疼き始めた。既に日が沈みかけているため、周囲に人こそいないが、凜子は自分が出している艶っぽい声に気づくと手で口を塞ぎ、近くの塀に背を預け、身体の火照りが治まるのを待つ。

 

「駄目、だ……治まら、な……んんっ!」

 

 が、いつまでたっても身体の火照りと疼き、否、性感が治まる気配はなかった。彼女の頭の中を性的欲求が埋め尽くそうとするが、凜子の理性はそれに必死で抗い、凜子は寄りかかっていた塀から背を離し、フラフラと頼りない足取りではあるが家に向かう道を歩き始めた。

 

―・―・―・―

 

 凜子は数日前に、朧の忍法、催眠刻印を喰らっている。数年後には彼女が用意したアクセサリー1つで完全な催眠状態に陥れることのできるその忍法は、早い話が対象者を術者の思い通りのままに操ることが出来る能力だ。

 とは言え、朧のクローンである京士郎に殺された彼女の場合、そこまでの完成度には至っていないため、事前に彼女に言われた状態に己を当てはめ、そして彼女に指示された行動をおこなうといったある程度のことしかできない。

 朧のクローンは催眠刻印を凜子にかける段階において、凜子の身体に2つの指示をしていた。1つは、京士郎に警戒を持たれないように接近しつつ手傷を負わせること。そしてもう一つは、朧から見たら京士郎に好意を寄せているようにしか見えなかった凜子を京士郎の目の前で犯させ、京士郎の目の前で数日かけてじわじわと落とすために凜子が京士郎の事を強く意識した瞬間から徐々に性感度を高めていき、最終的には通常の何倍もの性感度に到達する暗示だ。

 確かに、事件の直後に凜子が検査を受けた際には朧のクローンによって受けた催眠刻印に関しても検査を受けた。だが、本人が操られている状態ではなかったため、異常なしと判断されてしまった。彼女にかけられたもう一つの暗示は、未だに深く根付いているにも関わらず、だ。

 

「あ、姉さん。おかえり」

「っ!? た、達郎か。ただいま」

 

 凜子がふらついた足取りでどうにか凜子の家へとたどり着き、扉を開けると、ちょうど達郎とばったり出くわす形となり、一瞬動揺するものの平静を装おうとする凜子だったが、今の凜子は対魔忍としてはまだまだ未熟である達郎にも分かるほどに様子がおかしかった。

 

「? 姉さん、大丈夫? 何か具合が悪そうだけど……」

「あ、ああ、少し、風邪っぽくてな。部屋で、寝ているから、母さんには、夕食はいらないと伝えてくれ」

「わ、わかった。ゆっくり休んでね」

 

 それだけ言うと、凜子は靴を脱いで自室へと向かって行った。ブラコンの気がある凜子からしてみれば考えられないほどに雑な回答だったが、今の凜子にはそれに気づく程度の余裕すらもなかった。

 

―・―・―・―

 

「はぁ……はぁ……」

 

 自室に入ると、凜子はそのままもはや限界といった体で布団に倒れ込んだ。その紅潮した顔は彼女の年齢からは考えられないほどの色気を醸し出しているが、今の彼女を見ているものは誰もいない。

 

「んっ……」

 

 凜子は全身がうずく中でもその疼き最も強い箇所、彼女の秘部へともう我慢できないとばかりに、しかし恐る恐る右手を伸ばした。彼女が履いていた下着は既に彼女の秘部から出たものであろう愛液によって濡れそぼっていた。凜子の顔に若干困惑の表情が浮かぶが、白魚のように美しい彼女の指は躊躇うこと無く彼女の秘唇に触れた。

 

「くっ、ううん!!」

 

 それだけで、彼女の口から彼女が思っていた以上の大きさの嬌声が漏れる。いくらここが自室とは言え、別に防音設備が整っているわけではない。凜子は慌てて自分の口を顔ごと枕に埋め、もはや彼女自身ですら止められなくなっている指は秘唇をいじる速度を加速度的に激しくしていく。

 

「んっ、ふあっ、うぅ……っ!!」

 

 凜子の身体は面白いように反応し、時折腰がピクッ、ピクッと浮き上がる。だが、いくら秘唇を弄り回しても身体の疼きが治まる事はなく、むしろより大きな快楽を凜子の精神とは無関係に身体が求めていってしまう。そんな本能に呼応するかのように左手が彼女の平均以上に膨らんだ形の良い胸、その乳首を凜子の意志とは無関係にいじりだす。

 

「っああああ!!」

 

 うつ伏せになっていた凜子の身体が大きく仰け反り、そのせいで凜子の嬌声が抑えられること無く部屋に響き渡る。

 

「っ!!……はぁっ、あうぅ」

 

 その事に咄嗟に理性が僅かに戻った凜子は息を潜めようとするが、止めることのできない両手の動きに耐えきれず、沈黙は数秒で引き裂かれてしまい、凜子は枕に顔を埋めることで必死に声を抑えようとするものの、徐々にその声は押さえられなくなっていく。

 

「んくぅぅっっ!!」

 

 徐々に声が押さえられなくなっていき、彼女は徐々に、だが確実に快感の波に飲み込まれていく。元々真面目で、恋愛にもそれほど興味を示さなかった彼女にとって、その快感は完全に未知のものであり、その快感に困惑しつつも、その甘い快感に精神的に疲弊している彼女が抗えるはずもなく、凜子は快感の波に飲み込まれていく。

 

「あっ、くっ、うっ……な、何か……何か、くる……っ!!」

 

 彼女の両手の動きは更に激しくなっていき、彼女は自分の元へと寄ってくる一際大きな快感の波を感じていたが、まるで蛇口を捻ったかのように秘部から溢れ出す愛液で布団を濡らすのも構わずに快感に身を委ね、

 

「ん--っ、んんっっ、んんーーーーっ!!!!」

 

 絶頂を迎えた。彼女は一際大きく腰を仰け反らせ、身体を快感でビクビクと震わせながら、両手の動きが止まると同時にクタリと布団に横たわった。

 

「はぁ……はぁ……んっ……はぁ……」

 

 彼女の顔はいまだにほんのりと赤く、朦朧とした意識の中、何を考えるわけでもなく、ぼんやりと虚空を眺めていた。彼女の脳裏には変わり果ててしまっても優しい京士郎の顔が浮かんでいた。




これぐらい暴論展開しないとエロゲー✕エロゲーなのにエロにすら入れないとかやっぱすげーよベイは。はい、自分のせいですね本当にすみません。いや、エロ描写は初めてでしてこれが限界です。いや、難しいなんてもんじゃないレベルでビビりました。


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第10話 ただそれだけを追い求めたから

年内最後の投稿になるかと思います。次回が本番だと思っていた皆様。誠に申し訳ありません。


 私は誰だ。

 

 ここは何処だ。

 

 何かが見える。だが、それがなんなのかを理解することが出来ない。

 

 それらは全て理解できているはずなのに、認識しようとするとまるで濃い霧に包まれてしまうかのようにぼやけてしまう。

 

 私には、ただその風景を傍観することしか出来ない。

 

 どう考えても異常な事態だとわかるはずなのに、私の心は穏やかだった。

 

 

 しばらくすると、見えていた何かの輪郭がはっきりしてきた。

 

 まず最初に見えたのは、道場で剣を振る誰かの姿だった。彼は独りで懸命に木刀を振っていた。周りに人がいるにも関わらず、誰も彼の事を見ていなかった。あんなにも真っ直ぐな彼の剣筋を、誰も見ていなかった。

 

 世界が暗転した。闇が晴れてくると次に見えたのは、暗闇の中を魔物と人間によって見下され、手術台に横たわっている誰かの姿だった。スーツを着た人間が何かを言っているが、聞き取ることは出来ない。彼以外の人が出ていってしまった。全身を手術跡で埋め尽くされている彼は独り、生に縋るかのようにか細い呼吸を続けていた。

 

 また世界が暗転した。次に見えたのは、誰かが地面に縫い止められている姿だった。彼はその胸を黒い柱によって貫かれ、地面に縫い止められていた。周囲の地面が彼の血だった赤黒い何かで染まりきっている中、彼は独りで、ただひっそりと生きていた。

 

 また、世界が暗転した。

 

 彼は独り、全身から血を流し、白い雪原を真っ赤に染め上げながら、仰向けに倒れていた。

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 俺の腕が切り落とされてから、凜子の様子がおかしい。

 いや、日常的に言えば変わってないと思う。若干俺に対して過保護になっている事を除いては多分、きっと、いつも通りのはずだ。俺は朴念仁というつもりはないから多分あっている。

 ただ、おかしい。

 

「…………」

 

 今、俺がいるのは五車学園。調度昼休みの時間だ。俺は基本的にゆきかぜと達郎と凜子と一緒に弁当を食べさせてもらっている。そうでもしないと基本的にぼっちだからね。うん、自分で言ってて悲しくなってきた。

 さて、俺が何で凜子の様子がおかしいと思ったかというとだねぇ……

 

「……はぁ」

「……ね、姉さん、どうかした?」

「ふぇっ? あ、ああ、いや、何でもない。少し、考え事をしていただけだ」

 

 どう考えても飯を食っている時に女子が浮かべるそれではない若干色っぽい表情を浮かべてるんだよ。何だろう、俗に言うトリップ状態とでも言うべきか。ゆきかぜと達郎にも分かるレベルでその表情を浮かべているため、普段は会話で賑わうはずの食事の場が割りと気まずい状況になっていた。年中表情筋がニートしてる俺がそんなこと言えるもんじゃないけど料理漫画の皮被ったエロ漫画じゃないんだからもうちょっとまともな表情で飯を食べて欲しい。

 しかも、その上で若干ぎこちない。そんな表情を浮かべては正気に戻ったかのように頭を振り、また頬を若干赤らめる。そしてまた……無限ループって怖くね?

 凜子の弟の達郎ですらも何があったのかわからないんだから俺やゆきかぜに分かるはずもなく、ゆきかぜは助けを求めるかのように水を飲む振りをしながら俺の方をチラチラと見てくる。その行動自体は犯罪レベルで可愛いけどすまない、俺にはどうにもならないんだ。非力な俺を許してくれ。

 

「えっと……ごちそうさま」

「わっ、私もごちそうさま!」

 

 そんな中、ゆきかぜと達郎がこの空気に耐えきれなくなったのか弁当を急いで食べて行ってしまった。ってちょっと待てコラ!! ここで喋れる達郎とゆきかぜが行ったら俺はどうなるんだよ!? 俺があんましゃべれないこと知ってて行ったってのか!?

 

「…………」

「…………」

「「……………………」」

 

 俺も、凜子も、特に何かを言うこともなく、箸を進める。俺と凜子の2人になってからは凜子も先程までの情緒不安定者のような様子は見られず、何かに緊張しているかのような様子で黙々と食べていた。

 …………気まずい。原因がさっぱりなだけに余計気まずい。

 

「…………なあ、京士郎」

「……何」

「…………付き合ってくれ」

 

 俺以上に寡黙になっている凜子から飛び出したのは、そんな爆弾発言だった。

 

 ……OK、一旦落ち着こう。とりあえず俺がフラグを立てた覚えはない。と言うか凜子だってあれだけ俺の右腕を切り落としたのを気にしていたんだから流石にそんな状態で告白しようとなんて思うはずがない。いや、ワンチャン償いきれないから責任を取る的な意味かもしれないけど流石にそれは考えすぎだろう。

 

「……何に?」

 

 故に、ここはとりあえず確認から入るのが得策だ。そりゃ、凜子みたいな美少女と恋人になるのは男の夢かもしんないけど、それが誤解で勝手にこっちが勘違いしてただけなんて冗談じゃねえ。

 俺が詳細を尋ねると、凜子も自分が言ったことがどんな誤解を招きかねないのかようやく気がついたのか、その顔を徐々に赤くしていき、最終的には林檎のように真っ赤になった。こんな時に思うことじゃないだろうけど可愛い。

 

「……鍛錬だ」

「……わかった」

 

 まぁ知ってたけどな! そんなおいしいイベントが降り掛かってくるわけないことなんて知ってたけどな! 

 

――――――――――――――――――――

 

 その日の放課後、普段ならば凜子と京士郎と達郎とゆきかぜの4人で帰路につくところなのだが、その日家路を歩いているのはゆきかぜと達郎のみだった。

 それだけではなく、普段は例え達郎とゆきかぜの二人っきりだったとしても騒がしいはずの帰路がその日は会話が殆どなかった。お互いに、頭の中ではそれぞれの兄と姉について考えようとしているのだが、上手く考えがまとまらないでいたのだ。

 

「達郎、凜子さんどうしちゃったの?」

「そんなこと言われても……実習から帰ってきたからはずっとあんな感じだったよ」

「でも、昨日まではあんなに……その……大人しい? しおらしい? 上手く言えないけど、あんな様子じゃなかったわ」

 

 あの実践訓練以降、凜子の調子があまり良くないのは五車学園の中ではもうかなり知れ渡っている。元より多くの生徒の憧れの的であり、ファンクラブまである凜子に関する噂であるため噂にはどんどん尾ひれがついていき、どこでそうなったのかもはや定かではないが気がつけば噂では京士郎が全て悪いようなニュアンスへと変わっていた。

 とはいえ、あの凜子ですら手も足も出ないとすら言われている実力を持つ京士郎に表立ってつっかかる生徒などいるはずもなく、京士郎が受けた被害と言えば一部の生徒から陰湿な嫌がらせを受けただけである。無論、その時ばかりは心ここにあらずだった凜子もゆきかぜと共に嫌がらせを行った生徒へ軽い仕返しを行ったのは言うまでもない。

 

「京兄は何もやってないって言うし……」

「いや、でもあれは……」

 

 京士郎はいつもどおりだ。いや、例えいつも通りでは無かったとしても何を考えているか読み取れたものではないのだが、それでもゆきかぜとしては変わっている所はないように見えた。となれば、凜子が1人で悩んでいるだけなのか、それとも……

 彼女達にはわかるはずも無かった。

 

――――――――――――――――――――

 

 五車町にある山中の道を凜子は歩いていた。夕焼けが照らすその服装は五車学園の制服から対魔忍スーツへと着替えられており、彼女の愛刀である石切兼光ではなく木刀を持っている事を除けば任務時の姿のままだ。剣術を修めているものらしく、身体に一本筋の通ったいい姿勢で歩く彼女が纏う雰囲気は自然体そのものであった。

 

(……まぁ、仕方ないものなのかもしれんな)

 

 その顔には、五車学園にいた時の表情から想像することは難しい清々しさを感じさせる爽やかな微笑が浮かんでいた。だが、その笑みには自嘲のそれも含まれており、木刀を持つその手には微かな震えがあった。それが武者震いからのものなのか、それとも恐怖からのものなのか。それは、本人にしかわからないものだ。

 

 林を抜け、開けた場所に出る。風で木々がそよぐ音以外何も聞こえないその草原に、京士郎は立っていた。その顔には相変わらず何を考えているのか少しも読み取ることが出来ない無表情が浮かんでおり、凜子に気づくまではただぼうっと空を見つめていた。

 

「すまない、待たせたな」

「……今、来たところ」

 

 京士郎も凜子と同じく、任務の時の軍服姿でそこに佇んでいた。既に凜子よりも多くの任務をこなしてきているせいか、対魔忍としてはかなり風変わりと言えるであろうその姿は妙に様になっていた。病的なまでに白いその手には、凜子と同じく木製の小刀が1振り握られていた。

 

「では、言った通りで頼む、京士郎」

「……本当に、いいの?」

「ああ、これは私が望んだことだ。操られてなどいないさ」

「……わかった」

 

 それだけの短い会話を済ませると、凜子の顔つきは真剣そのものになり、木刀を構えた。京士郎は構えることはなく、あくまで自然体。だが、京士郎の身体能力を以てすれば四方八方への対処が可能な万能の体勢だ。

 仕合を始める合図が決められていたわけではない。だが、2人が戦闘態勢に入ってから数秒後、少し強い風が吹き、まだまだ青い葉が僅かに舞う。それによって2人の視界がほんの一瞬遮られた瞬間が合図だった。

 

「っ!!」

「ふっ」

 

 互いの間合いが一瞬で詰められ、それまで静寂が支配していた草原にとてもではないが木と木がぶつかりあったものとは思えない音が響き渡った。互いに同時に動き出したかに見えたが、厳密に言えば最初に仕掛けたのは凜子だった。

 というのも、京士郎には奇襲する時を除けば基本的に自分から仕掛けるという考え方は存在しない。相手が京士郎の守りたい者である凜子ならば尚更といえるだろう。

 一見して2人の斬撃がぶつかりあったかのように見えた初撃だったが、実際には凜子の一撃に対して京士郎が迎え撃つ形となった初撃の中で、凜子は微かに表情を歪ませた。一度切り結んだだけでも分かる。あのときと同じ、まるで巨木に思いっきり剣を打ち込んだときのような違和感。

 やはり凜子と京士郎の間にはどうしようもないほどの力量の差が横たわっている。3年前に打ち合った時よりその差は縮まっておらず、むしろ開いているのではないかとすら凜子は感じた。

 だが、そんなことは凜子も元より覚悟の上だ。

 故に、最初から全力。それは、剣術のみに他ならない。

 

「空遁!」

 

 凜子がそう叫ぶと同時に凜子の姿がそこから消失し、次の瞬間京士郎の背後にすでに木刀を振りかぶった状態で現れた。

 凜子の忍法。『空遁の術』は、彼女を中心とした半径1km以内を範囲として己の五感や物体を空間ごと跳躍することが出来る異能系忍法だ。その特性上汎用性に長けているものの、物質を跳躍させる際には一時的に激しい疲労を強いるという欠点も存在する。

 

「はぁっ!!」

「んっ……」

 

 凜子の姿が消えたことで一瞬戸惑う京士郎だったが、半ば直感で後ろに短刀を振り凜子の木刀に合わせようとした。このまま再び2人の斬撃がぶつかりあえば、ただでさえ全身を疲労感が包んでいる凜子が更に不利になることは明白だ。

 

「まだだぁ!!」

「っ!? ……」

 

 故に、凜子は再び空遁の術で以て空間を跳び、京士郎の真上に転移する。既に凜子の身体には常人、いや、対魔忍であったとしてももはや一歩も動けないほどの疲労感が襲っているはずだ。

 にも関わらず、京士郎の頭上に転移したままその勢いで木刀を振る凜子の裂帛の気合には少しの衰えも見られない。

 流石に二重の転移は京士郎も予想していなかったのか、その目をほんの一瞬ではあるが見開いて身体をひねることでどうにか回避した後、思いっきり距離を取った。

 

「っはあ……はあ……」

 

 どうにか着地したあとも凜子は隙を見せること無く再び木刀を構えた。肩で息をしながらではあるものの、膝をつくことは決してしない。先程の二重の空遁の術が躱されてしまった以上、もはや勝ち目など殆どなかったとしても、凜子のその目から闘志が消えることはない。

 筋肉が全て断裂してしまったならば動けないかもしれない。両腕を断ち切られたら刀を持って戦うことは出来ないかもしれない。

 だが、彼女が今直面しているのはたかが疲労だ。確かに過度の疲労は身体を壊しかねないが、凜子が感じているそれはその類のものではない。ならばあとは単純だ。疲労に精神力で打ち勝てばいい。疲労の全てを精神力でねじ伏せ、凜子はその場に立っていた。

 

「っはああ!!」

「ん……」

 

 この3年間、凜子と京士郎は数え切れないほど打ち合ってきた。だが、凜子が京士郎から1本を取ったことは一度もない。凜子が弱いわけではない。ただ、京士郎が圧倒的なまでに強すぎるのだ。それこそ、手加減に手加減を重ねてようやっと届くかどうかと言った所だ。

 それでも京士郎は決して手を抜かない。彼女がそういったことを最も嫌う事を記憶としてではなく本能で理解していたから。

 そんな京士郎を見て、凜子の中は様々な感情が入り交じった複雑な感情で満ちていた。その中でも、羨望と嫉妬の色が、彼女自身が最も忌避するであろう感情が色濃く彼女の中で膨らみ上がる。彼女自身、京士郎がその力を望んでいないことも分かっている。それでも、それだけの力があれば何が出来るかとは、誰しもが考えてしまうことなのだ。

 いっそ恨めしいという感情にまで届きかねないほどのその思い。己の胸の中に存在するその思いを全て斬り伏せて、凜子は次なる一撃を繰り出す。

 まだだ、まだ倒れる訳にはいかない。まだ自分は何も確かめられてはいない。

 その一心で凜子は再び木刀を構え、京士郎との間合いを再び詰める。

 

「はあああ!!」

「っ…………」

 裂帛の気合と共に凜子が連撃を放つ。それらは全て時に躱され、受け止められるが、京士郎が放つ反撃もまた、凜子に躱され、受け流される。

 当然だ。いくら身体能力がずば抜けているとしても、今の京士郎は剣術に関してはほぼ素人と言っても過言ではない。

 それに対して凜子は逸刀流皆伝にまで至るほどの剣の腕を持つ。京士郎がいなくなった穴を埋めようとするかのように、剣の道をひた走ってきた凜子の努力は、決して意味のないものなどではない。

 例え何の才能もなかったとしても、諦めなければいつかきっと何かを為せる。かつての京士郎ならばきっとそう言うのだから。

 

「逸刀流、胡蝶乱舞!!」

 

 三度目の転移、そこから一瞬の間すら置くこと無く繰り出されるのは縦横無尽の剣撃。本来ならば多対一の状況を想定して編み出された無数の斬撃が全て京士郎へと襲いかかる。

 

「っ……」

 

 が、それらでさえも京士郎には届かない。確かに京士郎に剣術の心得はない。だが、京士郎の身体はそれら全てを小細工と嘲り笑う。時に受け、時に躱し、無数の斬撃を無傷でいなしていく。凜子としてはこれ以上は不可能といえるほどの斬撃だったのだが、それでもなお京士郎には届かない。

 

「ふっ……」

「っぐっ!? ああああ!!」

 

 京士郎が凜子を迎え撃つ形で木刀を振った。度重なる転移で限界が来たのか、転移することはせずに木刀で受け止めると、大きく吹き飛ばされてしまった。どうにか受け身をとって着地するものの、もはや精神力だけでどうにか立っていると言った様子だった。

 

「っはぁ……はぁ……まだ、だぁ!!」

 

 だが、それでも尚彼女は諦めない。体中を蝕む痛みすら伴うほどの疲労を耐え、再びその身体に染み付いた構えをとる。

 

 身体能力の差など、実力の差など百も承知だ。ああ、遥かな高みに立っている京士郎に対して羨望も嫉妬も抱いているとも。

 

 だが、それでも、剣だけは。大切な人への思いすらも糧とした剣の道だけは。ただそれだけを追い求めたのだから、それだけは誰にも譲れない。

 

 それで勝てないというのなら、限界の1つや2つ喜んで超えてやろう。

 

 大切な人に追いつくためには、それ以外に方法など無いのだから。

 

「逸刀流、奥伝」

 

 居合の構えを取り、腰を深く落とし、次なる一撃への原動力を蓄えていく。疲労状態で構えもおぼつかなかったはずの彼女から、疲労と呼べるものが消え失せていく。一挙一投足が冴え渡っていき、そんな彼女を見た京士郎の表情も、少しではあるが緊張に引き締まったように見えた。

 

「天嵐、月華ァ!!」

 

 地面が爆ぜ、初撃以上の速度で凜子と京士郎の間合いが0になる。その速度もそのままに、音さえも置き去りにして鞘から刀を抜き放つ。

 放たれるのは、正しく嵐の如き一撃。もしそれが一足一刀の間合いから放たれたものであるならば、防御も回避も許しはしない。もはや殆ど同時と言っても過言ではない全方面からの多重斬撃。木刀だったとしてもまともに受ければただではすまない一撃は、

 

「っ!!」

 

 京士郎が両腕両足から発生させた赤黒い杭で以てその全てを防がれた。如何に対魔忍の訓練に耐えられる木刀と言えども、流石にそのような衝撃は想定されておらず、凜子の木刀は柄から折れてしまった。否、砕けてしまったという表現の方が正しいだろう。

 

「はぁ……届か、ないか」

 

 身体の中に残った僅かな力も吐き出すかのように、凜子は小さなため息をついた。

 間違いなく今の彼女の全身全霊、それ以上の一撃だった。その証拠に、京士郎は能力を使わなければ効いたかどうかは別として直撃をもらっていたのだから。

 もはや柄と鍔だけとなった木刀を握ったまま、凜子はその場に倒れ込んだ。闘志は未だに消えてはいない。今も凜子の身体を動かそうと必死に燃え盛っている。

 だが、身体がまるで動かない。どれほど全身に力を込めようとしても、端から全て流れ出ていってしまう。まるで自分という器の底にぽっかり穴が空いてしまったかのような感覚に襲われた凜子は再度全身に力を込めて寝返りを打つ。

 

「……京士郎」

「……何?」

「一歩も動けない、すまないが麓まで運んでくれないか?」

「……わかった」

 

 打ち合う前までのぎこちなさは何処にもなかった。どこか憑き物が落ちたかのような表情で、凜子は京士郎を頼った。京士郎は相も変わらず表情を少しも変えること無く、息も乱さず、凜子をお姫様抱っこの要領で抱き上げた。自分が何をされているのか若干のラグを挟んで理解した凜子の顔が赤くなる。

 

「っ……」

「……大丈夫?」

「あ、ああ、大丈夫だ」

 

 凜子に配慮してか、走るようなこともせずに歩いて山を降り始めた。

 そんな中で、凜子は顔をほんのりと顔を赤らめたまま、右腕を京士郎の首に回し、抱きつくような姿勢になって頭を京士郎の胸に預けた。

 

―――――――――――――――――――――――――――

 

 暗闇の中、少年は独りだった。

 

 足を引っ張るだけかもしれない。

 

 取り返しのつかない代償を背負ってしまうかもしれない。

 

 それでも、彼女は少年の支えでありたかった。

 

 彼女は少年に寄り添っていたいと願ったのだ。




ただでさえ時間が無い中で無理矢理時間をひねり出して書いたので何かとんでもないガバがないか不安で仕方ありません。
何か思う所や感じたことがありましたらどんどん感想を書いてくださると幸いです。


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第11話 それでも物語は進む

はい、どの面下げて帰ってきたんだって話ですねすみません。打ち切りエンドみたいなタイトルですがまだ進みます。暇な時にでも読んでくださると幸いです。


 

 我々は何故これを生み出せてしまったのだ。

 既に施設は研究所としての機能を失っており、私の同僚も皆死んだ。私も数分後には死ぬだろう。

 あれは一体何なのだ?

 何を以てあそこまでの力を得てしまったのだ?

 もしこれを読んでいるものがいるならば、これだけは知ってくれ。

 

 アレを外に出してはならない。

 

『対魔粒子を利用した魔族の生成実験報告書のメモ』より

 

―――――――――――――――

 

「……この情報は本当なの?」

「必ず、とは言えないけれど、9割方間違いないわ」

 

 五車学園の校長室にて、2人の女性が机を挟んで向かい合っていた。

1人は、五車学園の校長を務めるために最前線を退いても尚、対魔忍の中でも最強クラスの呼び声が高い井河アサギ。もう1人は、現役を殆ど退いているものの、アサギに並ぶ実力者とされる水城不知火。それぞれの表情は暗く、それに引きずられるかのように室内の雰囲気も重苦しいものになっていた。

 机の上には書類の束が置かれており、表題には『対魔粒子を利用した魔族の生成実験』と書かれていた。

 そしてその次の紙には『被験者K-16』という名前とともに、幼い頃の京士郎の写真が載っていた。

 

 対魔忍達は、何の原因も無く異能力や異常な身体能力を獲得しているわけではない。彼女達は体内に対魔粒子という物質を内包しており、これによって異能を獲得しているのだ。

 しかし、この物質も無条件で圧倒的な力を獲得できるわけではなく、むしろその根源は魔族のものなのではないかと推察されており、あまりにも異能を酷使すると暴走し、術者を魔族にしてしまうという欠点も存在する。

 その紙に書かれていた実験の内容は、対魔粒子を持つ者の中にある対魔粒子を意図的に暴走させ、魔族化する際にある特定の指向性を持たせて暴走させることにより、通常の魔族よりもより優れた存在に出来るのではないかというものだった。

 その実験における唯一の成功例。それが、水城京士郎という存在だった。

 実験の内容は、おおよそ対魔忍ならば考えたくもないようなおぞましいものだった。体内に存在する粒子を暴走させる。それに苦痛が伴わないはずもなく、この実験を受けた多くの者の死因が痛みによるショック死だった。拷問などにも耐えられるように訓練を受けたはずの対魔忍達がだ。

 そして、そんな人道を外れた実験を行う者達を支援している者のリストの中には、

 

「まさか、政界にもいるとはね……」

 

 日本の政界に身を置いていた者も居た。名は矢崎宗一。元与党の民新党の幹事長を務めていた者だが、選挙の大敗により野党に退いた際に捜査当局から逃れるために亡命したという。そんな男が何故この実験を与党にいた頃から支援していたのか。

 

「大方、支配者が変わった時に甘い蜜を吸いたかったのでしょうね」

 

 それは、この実験の真の目的にあった。

 この実験の本当の目的。それは、この実験によって生み出された強力な魔族によって編成された兵隊を作り上げることだった。確かに、もし実験が上手くいき、京士郎クラスの実力を持った者しかいない軍隊を作ることが出来たのならば、世界すらもその手に収めることが出来るだろう。

 だが、実験は思うようにいかず、この書類が発見された施設の機器の殆どが何かで貫かれたかのような跡を残して破壊しつくされていたという。調査した対魔忍の報告からも、実験は失敗したのだろう。何処かで実験を再開しているという可能性も存在するのだが。

 問題はそれだけではない。

 

「現状、私個人で信用できる者と調査できたのはここまでね、組織全体を動かせれば良いんだけど……」

「いいえ、十分よ」

 

 そう、対魔忍という組織の中にも、この計画に肩入れしている存在はいるはずなのだ。何しろ、不知火やアサギが「京士郎が生きている」とわかった時には京士郎はあまりにも酷すぎる方法で五車の里の地下で縛り付けられていたのだ。そちらに関しては不知火を都合よく動かすための道具として誰かがやったもののはずなのだが、そちらは未だに分からないでいた。

 

「それじゃあ、私はこれで」

 

 不知火はアサギに背を向けて歩き出した。普段の彼女ならば愛想笑いの1つでも浮かべるところなのだが、その表情は依然として真剣なままだった。

 

「待って」

「……何かしら?」

 

 そんな不知火を、アサギが呼び止めた。不知火のその背中に、その表情に、ある種の既視感を感じた彼女は、呼び止めずにはいられなかったのだ。

 

「復讐とか、報復とか、そんな馬鹿な事だけは絶対にやめなさい……そんな事をするくらいなら、京士郎くんを支えてあげて」

「っ……ええ」

 

 かつて想い人を失った者のその言葉は、不知火の心に深く突き刺さった。

 

―――――――――――――――

 

「…………」

 

 エドウィン・ブラックの支配下にある巨大地下都市。ヨミハラ。地下にあるとはとてもではないが思えない町並みの中、ちょうど街を見下ろすことができる建物の屋上に、京士郎は立っていた。その表情は相も変わらずの無表情であり、内心で何を考えているのかは本人以外の誰にもわからない。

 

「やぁ、待たせてしまったようだな」

 

 すると、背後に突如として京士郎より一回り大きい男性が現れた。上機嫌な笑みをその顔に浮かべる彼の名はエドウィン・ブラック。この街の支配者だ。

 突然現れたエドウィンに対しても、京士郎は特に驚くような様子も見せずエドウィンの方を向く。

 

「腕の経過はどうかな……いや、愚問だったか」

「…………」

 

 最後にエドウィンと会ったのはあのアリーナでの出来事が最後だ。実に3年もの時がたっており、そもそも両者の対面などそれが最初で最後であったにもかかわらず、両者の間に気兼ねと呼べるものは存在しない。

 京士郎の右腕は操られた凜子によって断ち切られ、そのままだった。斬り飛ばされた腕は発見された頃にはすでに再びつなげることは不可能となっていた。

 だが、そのことを京士郎が気にしているような様子もない。元からその顔には何の感情も浮かんでいないため、何かを気にしていたとしてもわかるはずがないのだが、それでもブラックには確信に近いなにかがあった。数年前から背格好も大きく成長し、体つきや佇まいだけを見ても京士郎がどれだけ成長したのかはブラックにも用意に伺える。

 だが、こと眼の前の水城京士郎という人物に対して言うならば、そのような外見の変化など些細なものである。

 

「…………何の用だ」

 

 先程まで無言を貫いていた京士郎が初めて言葉を紡ぎ出し、その黒い瞳を赤く染め、左腕全体から赤黒い杭を発生させる。並の者ならば本能でそれが如何に強大なものであるかを否が応でも理解し、その場で死を覚悟するのだろうが、ブラックはその限りではない。むしろその顔に浮かべた笑みをより一層深め、ある種の美しさすら感じさせるその様を見つめる。

 

「素晴らしい。3年でここまでのものになるとは」

「…………?」

 

 京士郎がやや疑問を孕んだ眼差しでエドウィンを見つめる。つい先日オークを引き連れて五車学園の生徒たちを襲撃させたのはお前の引き金ではないのか。言外にそう尋ねる京士郎に対し、エドウィンは再び言葉を紡ぎ出す。

 届かぬとばかり思っていたが、今の彼ならばもしや。

 そんな甘い誘惑に流されるまま。

 

「ああ、先日の件は私の部下によるものだ。何しろ名も知れない有象無象によって作られたものだからな。まさか君の腕一本を取るなどとは思わなかったよ」

「……そうか」

 

 言質が取れたからだろうか、京士郎は杭を生やした左腕をエドウィンへ向けた。その行動に反し、その赤く輝く瞳には敵意と呼べるものは存在しない。ただ、己の周囲を害するものを排除する。そんな機械的な意思だけがそこにはあった。

 

「ここで事を構えるかね? 今の君では、まだ私の命には届かないと思うが?」

「……知るか」

 

 そう告げると同時に、左腕から数十発の杭が射出される。

 

「フッ」

 

 だが、それらの杭はエドウィンがまるで小蝿を払いのけるかのように手を振るだけで失速し、その場に落ち、少しした後に蒸発するかのように消えてしまった。

 京士郎は再びその顔にわずかながらの疑問と驚きの表情を浮かべながら、確認するかのように再び数十発の杭を射出する。今度は先程よりも威力を上げ、それに加えて杭の形状そのものもより鋭利にしたものだ。

 だが、結果は変わらなかった。先程よりも少しはエドウィンに近づいたが、それでも届かなければ同じことだ。

 今度はそれだけでは終わらず、京士郎自らも、体中から杭を生やしてエドウィンへむかって飛びかかった。

 

「っ!?」

「無駄だと言ったはずだが?」

 

 だが、京士郎の足が地面から離れるのとほぼ同時に京士郎の体が押さえつけられるようにして地面に叩きつけられた。京士郎は初めてその顔にほんの少しではあるが苦痛の表情を浮かべた後に、ゆっくりとした動作で以て立ち上がった。立ち上がる頃には苦痛の表情は消え失せており、いつも通りの無表情でエドウィンの事を見据えていた。そしてそんな様子の京士郎を見て、エドウィンは不敵に微笑んだ。

 

「通常の数十倍の重力も不意を突かなければ効果なし、か」

「…………」

 

 まるで新しい玩具を試しているかのような様子のエドウィンに対して、京士郎の様子は変わることはなく、その無表情の裏で何を考えているのかは彼と対面しているエドウィンにもわからない。

 エドウィンの力、重力を思いのままに操る力はとてつもないものだ。重力の大きさ、向き、存在の有無。おおよそ重力という概念において、まだまだ発展途上の現段階ですらエドウィンに操作できないものは存在しない。現在、京士郎の周囲の重力は通常の数十倍となっており、常人ならば立つことはおろか、数分と経たずに死に絶えるであろう環境だ。

 対する京士郎は左腕をだらりと下げ、姿勢を低くし、一見すれば脱力をしているようにも見える、この環境においてはむしろより一層負荷がかかっている体制でありながら、重力による負荷を受けているような様子は一切見られない。

 

「……っ!」

 

 京士郎が駆け出した。エドウィンの能力が本当に発動しているのかと疑いたくなってしまう速度で以てエドウィンとの間合いを詰めた。

 

「フンッ!」

「っ!」

「何?」

 

 先ほどと同じように京士郎に向けて進行方向とは反対方向への重力が叩きつけられ、京士郎はそちらの方向へと吹き飛ばされかけるが、事前に地面に突き刺しておいた杭を足場にすることによって跳び、重力操作の影響から逃れると同時に大量に杭を生やした左手で以てエドウィンへと襲いかかった。

 

「フンッ!」

「んっ……」

 

 だが、エドウィンとてその程度のことにも対応できないような人物ではない。京士郎に向けて先ほどと同じ向きでの重力場を叩きつけると同時に自分自身にはそれと逆方向への重力を与え、京士郎と距離を取った。

 

「フフフ……まさかここまでとはな」

「…………」

 

 エドウィンは喜びの色をより強くにじませた笑みを浮かべ、京士郎は再びエドウィンへ向けて駆ける。

 

「だが、あの夜を使わずにこの私に立ち向かえると思うな」

「っぐ……!?」

 

 次の瞬間、京士郎に今のエドウィンが使役できる最大出力の重力が叩きつけられ、再び京士郎の体が地面に縫い付けられる。今度は立ち上がろうとしてもなかなか起き上がることができない。

 

「ようやっと言葉を交わせそうだな」

「っがぁ……!?」

 

 身動きが取れない京士郎に歩み寄ったエドウィンはどこからともなく取り出した剣で以て京士郎の左腕を地面に縫い止めた。京士郎の口から初めて苦悶の声が上がるが、苦痛に悶えることは許されない。

 

「何をそこまで焦る。以前の君は、ここまで生き急いではいなかったが?」

「……黙れ」

 

 エドウィンからの問いかけに対し、京士郎は解となる答えを持ち合わせていない。それもそのはずだ。京士郎にとって「大切なものを守りたい」という渇望は他の何を捨ててでも叶えたいと願うものなのだ。周りに守るべきものは居ない。そして目の前にいるこいつを消せば自分の身の回りに降りかかる危害が減る。ならば京士郎には目の前のエドウィンを殺すという選択肢以外は何一つとして存在しない。

 それは()も、()()()()()ですらも変わることはなく。

 

「そう寂しいことを言うな。私の命に届きうる、そのような存在を、みすみす失うのは惜しいのだ」

 

 その大切なものに、自分自身は欠片もない。

 守りたい。そんな優しい願いのはずの渇望が暴走していく

 お前は俺の大切なものを傷つける。そんな塵屑を生かしておくなど許しはしない。

 

 許さない。許さない。許さない許さない許さない許さない。

 

 

「……黙れよ」

 

 

 許さない。

 

 

 もはや狂気と呼んでも過言ではないそんな意志に従い、あのときと同じように、己自身を枯らし、死森の薔薇が咲き誇る。

 

Es ist was kommen und ist was g'schehn,(何かが訪れ 何かが起こった)Ist mocht Sie fragen(私はあなたに問いを投げたい)

 

 だが、それでもなおそれはまだ不完全なのだ。何故なら京士郎には何もないのだから。忠義を尽くすべき黄金の輝きも、唯一無二だった陽光の暖かさも、全ての根源である狂気の愛でさえも知りはしない。

 

Darf's denm sein?(本当にこれでよいのか)Ich mocht' sie fragen: warum zittert was in mir?(私は何か過ちを犯していないか)

 

 何故こうなるのだ。一体どうすれば良かったんだ。そもそも俺は何がしたいんだ。一寸先どころか自分ですら見えない暗闇の中でも、ただ一つだけわかることがある。

 

die Fräulein mag Ihn nicht.(己よ枯れろ。薔薇よ咲き誇れ)

 

 守りたい。その渇望だけが彼の、京士郎自身の最後の縁である。

 

―――――Briah(創造)――――――

 

Rosenkavalier Schwarzwald(死森の薔薇騎士)ォオオオオオ!!!!」

 

 地下都市に存在しないはずの月が浮かび、まるで血を吸い赤く染まる花の如く、月もまた赤く染まる。黒く染まった眼球と赤い瞳はそんな赤い月を彷彿とさせ、先程までの京士郎からは考えられない凶暴な獣のような目つきで滅ぼすべき敵を見据える。

 気がつけば重力と剣によって拘束されていた京士郎は消え失せ、その場より2mほど離れた場所に正しく獣のように姿勢を低く保ち、今にもエドウィンに襲いかからんとする京士郎の姿があった。

 

「素晴らしい」

 

 その顔に浮かべる笑みを浮かべる笑みをより獰猛なものにし、エドウィンが剣を引き抜く。エドウィンの体が3年前のそれとは比較にならない脱力感に包まれる。確かに命を奪われている。エドウィンの命を己の血肉にせんと薔薇の夜がエドウィンに牙を向く。それはエドウィンにとって代えがたい快感でもある。

 四方八方から数百発はくだらない赤黒い杭が現出し、それらが腕の立つ者ですら視認できるものはごく少数であろう速度で以てエドウィンへ襲いかかる。

 

「我はぁ……無敵なりぃ!!」

 

 だが、エドウィンはまるで宣誓の如く高らかに吠えると同時に剣を大きく振るう。その剣の軌道に従うかのように、青い炎が乱れ狂い、杭を全て焼き尽くす。。完全燃焼による青い炎などではない。生きているかの如く乱れ狂う業火と完全燃焼が両立するはずもない。

 それは魔界の炎。人間界の法則ではなく魔界の法則によって燃え盛る炎。

 確かに薔薇の夜を発動させることによってより完全な吸血鬼と化した京士郎には吸血鬼として完全すぎるがゆえに、十字架や炎などといった吸血鬼特有の弱点を内包してしまっている。だが、いくら弱点とは言え、通常の炎などでは京士郎を焼き尽くすことなど夢のまた夢。そもそもの格が違うのだ。

 だが、全く別の世界の法則、そしてエドウィン自身の力がその格の差を埋め、薔薇の夜を焼き尽くさんと燃え上がる。

 

「おおおおおおおおぁ!!!!」

「フハハハハハハハハ!!!!」

 

 京士郎は重力場の影響など歯牙にもかけず、エドウィンもまたそんなものを欠片もあてにせず、両者の間合いは一瞬で0となり、剣と杭がぶつかりあう。

 何事もなく終わるはずだったその日、図らずも両者はぶつかり合う事となった。




一応追加の詠唱の元ネタも『ばらの騎士』だったりします。一見最終局面ですが割と中盤です。


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