回生のライネル~The blessed wild~ (O-SUM)
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プロローグ
駆ける獣


 二次SSなんて書いたことないのに、ゼル伝ブレワイに飢えてついつい書いてしまいました。
 少ないのは原作ストーリーが完成したハッピーエンドだからですよね、仕方ない。

 でももう少し、この世界に浸らせて頂きたい!




 ……獲物はもう動いてはいなかった。

 

 槍に僅かに残った血を払う。刃こぼれはなく、血のキレも良い。

 どうやら余計な臓物を傷つけず、肉もイタズラに痛めずに仕留めることが叶ったようだ。

 

 ただの獣の身で、自らの足からここまで良く逃げたものである。これはなかなか味も期待できるのではないだろうか。引き締まった肉厚の後ろ足など、さぞかし円熟した脂が乗っているに違いない。

 思わず舌なめずりをしてしまうが、ここで喰らってしまってはここまで追い回した意味がない。我慢せねば。

 

 今日の獲物がなかなか見つからず、仕留め終えたのがつい先程。彼の分まで用意せねばと欲張ったのが余計だったか、ここまで時間が掛かってしまった。ようやく見つけた獲物に、待ち合わせた場所とは反対方向の森に逃げられてしまった時点で諦めてしまうべきだったかもしれない。これではやや遅れてしまいそうだ。

 

 律儀な彼のことである。月の位置からして、既に待ちぼうけとなっているかもしれない。表情をあまり変えない御仁ではあるが、あまり待たされることには寛容ではなかったはずだった。

 特上の肉質を思わせる、この二本槍の獣で機嫌を宥めてくれると助かるのだが。

 

 ――さて、これは気合を入れて急がねばなるまい。

 全ての脚に力を込める。前足を勢いよく跳ねあげることで上半身を立たせると、その重量を支える自慢の後ろ足が、先程仕留めた獲物とは比較にならない太さに膨れ上がった。

 

 直後、爆音と共に夜空へ飛ぶ。

 ただの跳躍である。しかし、同じく翼を持たぬ種族達と比べて遙かに高く空へと打ち上がるさまは、跳躍というより飛翔と呼ぶべき滞空時間を得ている。宵深い森の中にあって最も背の高い梢をも軽々と飛び越えて、俺は自らの肌を夜空の下に晒す。

 

 ゆったりと周囲を見渡しつつ、ふと、視界を満たす月明かりを意識して思う。

 当代の勇者の肉体は、今夜の月にどう映えているのだろうか。

 

 

 ――決して折れぬ鋼を骨に、身を覆う肉は鉄塊の如く。

 火山岩を思わせる黒々とした墨色を下地に、極北の山嶺を染める純白をそのまま流したような模様を躍らせた肌は固く引き絞られ、生半可な刃を通すことはない。

 そうした厚く堅固な皮の下にありながらも、なおその肌を突き破らんばかりに詰め込まれた筋肉は、俺が戦士を目指した時より永い時を掛けて鍛え上げたものだ。夜闇の中にあっても躍動するソレは肌の陰影を強力に浮かび上がらせ、内側に宿した暴力の規模を見る者に悟らせる。

 着地と同時に四つの轟音が周囲に響き渡るも、柔らかくも強靭な肉を備えた身体からは、本来上がるべき軋みの音は僅かにも聞こえない。

 

 衝撃に備えて踏ん張った態勢を解き、やや(うつむ)かせた顔を持ち上げる。

 ……曰く、一族の顔は「獅子」と呼ばれる獣と多く共通した特徴を宿しているらしいが、我々の額より伸びる双角は獣との大きな相違点として挙げられ、外観上の個性を最も色濃く映す部位であった。自身の上へ向かって天を衝くかのように突き上げられた双角。雄々しく捻れて尖ったソレは牙と爪に並ぶ我が武器であり、密かな自慢でもある。

 その角の根本を覆い隠すようにして頭全体を包む(たてがみ)は、宙にあっては勢いよく身体をくすぐる風に(なび)いていたが、地上である今ではいつも通り、一本一本解き解したばかりの荒縄のように燃え広がっている。その艶を消した白毛は、墨色の肌との対比で浮き上がらんばかりの存在感を放っており、同族と比べてもなお大きい我が身の威容を一層際立たせる印象を周囲に与えた。

 

 日々の手入れを欠かさぬ武具は、冴え冴えとした月光を照り返すまま背中に収まり。

 それによって仕留められた獲物の肉もまた、かぶりつくのを努めて抑えねばならぬ程の芳しさを放っている逸品である――。

 

 

 (……とりあえず久しぶりに会う彼の前に姿を現しても、恥ずかしくない程度には整っている、か?)

 

 少なくともいきなり失望されるほどではあるまいと一人納得し、身体の向きを巡らす。

 先程の跳躍によって見渡した森。現在位置と向かうべき方角は大体把握できた。あとは向かうべき場所を目指して移動するのみ。

 今度は縦ではなく横へ。一族の中でも特に優れた加速を生み出す四脚をもって、俺は駆け出した。

 

 目指すはここより下った先にある平原にそびえる【二つ岩】。

 夜の闇が最も深まる頃のその場所に、俺を呼んだ「友」が待っている。

 

 

   *   *   *

 

 

 ――駆ける。駆ける。駆ける。

 走り抜ける身体の後ろで、その一瞬置きに地面が連続で爆発を起こしている。

 俺の全力駆けを支えるには、困ったことにこの森の大地は少し柔らかい。後ろ足が生んだエネルギーで不安定に傾きかける上半身を、しかし後ろ足に劣らぬ二本の前足が危なげなく支え、持ち上げる。そして爆発。その繰り返し。

 視界の先では爆音と振動に飛び起きたのだろう。夕焼け色をした小さな獣が柔らかそうな尻尾を振り回しつつ、必死になって四本の脚を動かし、進路上から逃げ出すのが見える。惰眠を貪っているところ叩き起こしたのは悪いが、これ以上の肉を狩ろうとは思わない。

 静かに突っ込んでそのまま轢き潰してしまった、というよりは親切な行為だったと考えてもらおう。

 もちろん、だからと言って周囲に配慮してスピードを緩めるつもりもなければ、そうしなければならない必要性も感じはしなかったが。

 そのまま減速せず走り抜けることとする。……どうやら無駄なケモノ肉は生まれなかったらしい。結構な事だ。

 

 障害物は障害足り得ず、速度を緩める枷にも成り得ない。

 思うままに古木を蹴り砕き、沢を飛び越え、岩を揺らす。

 

 そうする間にあちらこちらの木々に隠れて、こちらに向けられる視線の数々が増えてきた。肌に感じられるそれらに、一様に込められた感情は警戒か恐怖か。

 困ったことにこれから突き進む先からも弱弱しい気配が漂っている。竦んだように固まっているのは小動物の類だろうか。無為の殺戮は正直望むところではないのだが。

 

 仕方ない。

 

 『この地の獣よ、魔獣共よ。騒がしくしてすまない。

 しかし俺は急いでいる。

 我が身は獣王。

 この極北東の地にあって、この身の前進を阻める者なし。

 命が惜しくば、我が向く先より退くが良かろう―― 』

 

 意を込めた咆哮を一つ轟かせる。それは(ひづめ)が起こす爆発を更に掻き消す、今宵一番の衝撃波となって真夜中の森を駆け巡った。

 ……進路上の動物のみならず、周囲にて視線を寄越していた者達まで追い払ってしまったが、結果としてこの後に煩わしい視線を向けられなくなったことは上々だった。

 

 

   *   *   *

 

 

 そうして駆け続けてほどなく、森の出口を抜ける。

 森さえ抜ければ、【二つ岩】まで続くのは青々と生い茂る草原のみ。ここを下り切った先に、彼の棲み処である平原がある。ほどよく急な勾配に面したこの草原の頂点から見下ろせば、その平原に点在する様々な色に彩どられた木々を一望できる。

 

 俺はこの景色が好きだった。季節を通して様々に変化する景色は、狡猾な獲物を追い回す時とはまた違った心地良さを味あわせてくれる。

 良質な肉の少ないあの地に、彼がわざわざ居を構えた時は相変わらずの変わり者だと思ったが、それはこの美観を最も近くで独占したかったからかもしれない。【二つ岩】から見下ろす景色は、遠くの山々を含めて一望できない代わりに木々の色合いを間近に見渡せるため、この場所とは違った平原の趣きがあるのだ。

 

 白の剛毛が視界の端にチラチラと映る。

 ……どうやらお気に入りの景色にやや意識を向け過ぎて足を緩めてしまっていたようだ。後ろの森と台地の合間を抜けて吹きつける北風によって、いつのまにか(たてがみ)を煽られている。

 自らを追い抜いた風が、急な勾配をとって下る一面の草原を駆け抜け、埋め尽くす緑を海面のようにさざめかせていた。駆けていた理由をようやく思い出し、その斜面へと踏み出す。

 真夜中であろうと、僅かな月明かりさえあれば俺にとっては真昼と何ら変わらない。まして今夜は満月だ。

 風を抜き返す速度で駆ける両足は、揺れる草花を荒々しく掻き分けつつ、再び目的地を目指した。

 

 

   *   *   *

 

 

 走り続けていくらか経った頃。

 天に向かって弓なりに曲がった巨岩が二つ。左右対称の形をとってその先端を突き合わせてそびえる姿が、ようやく視界の中に見えてきた。

 

 生き物の肋骨を思わせるその奇形は異様であり、魔物の中においても比較的巨体を誇る俺の種族をして見上げるほどの巨大さを誇る。どのようにしてこのような不可思議な威容を備えたのかは知る由もないが、先祖がこの地を訪れた時より、この岩はそのままの形で存在し続けている。

 【二つ岩】。我々がそう呼ぶ片側に蹄を乗せる。緩やかな角度で反りかえった上面は、歩行することに不都合はない。硬質な音を響かせる岩盤の上を慣れた足取りで進む。

 

 特徴的な造形であり、かつ景色に富んだこの地は、会合の環境として持ってこいの場所と言える。彼がもう訪れているならば、お気に入りの岩の突端に居座り、景色でも眺めていることだろう。

 

 先端に近づくにつれ徐々に細くなっていく足元。それに伴い常歩(なみあし)程度へと速度を緩め、岩と蹄を丁寧に噛み合わせて進んでいく。

 不安定になっていく足場ではあったが、無論それでも駆けること自体は決して不可能ではない。しかし響く蹄の音によって、仮に待たせていたとしてもコチラの到着は気付いただろうから、今更なお急ぐことも無い。

 なにより力強く駆けた衝撃によって、起こってしまうかもしれない事態を恐れてもいた。いつポッキリと折れるか分からない程度には風雨に削られたこの名所への、最後のトドメを刺した者という誹りを受けたくはなかったのである。

 

 

 

 ゆっくり登った岩の頂き。はたして彼はそこにいた。

 

 しかし、彼を一目見て思う。

 それは前回会った時にも、感じたことではあった。

 

 (細くなられた。いや、小さくなってしまわれたのか…… )

 

 遠目の視界に収めた彼の第一印象。そこには往年に無かった、徐々に色濃くなっていく衰えの気配が漂っている。

 しかし改めて近寄って見る彼の姿からは、俺が小さく胸に宿らせた暗い感情を打ち払わせてくれるモノもあった。

 

 なるほど全盛期を過ぎて久しい肉体は、いつか憧れと共に見上げていた頃と比べれば、いささか以上に衰えている。けれど近づく蹄の音に既に気付き、振り向いていた顔に宿る眼差しには相も変らぬ、いやより深みを増した幽玄さを湛えていた。

 今なお世界を巡って高め続けている叡智と、培った年月からなる思慮深さを窺わせる見識は、力を以って序列を定める我が一族においてもなお特別な存在へ彼を位置付けるほど。

 彼に習い世界を旅したりもしたが、種族の違いを無視して比べても、目の前の存在以上の智者と呼べる魔物とは出会えなかった。

 あえて並べるとしたら、ある山で見かけた輝く馬のヌシくらいであろうか。言葉こそ交わすことは叶わなかったが、かの存在もまた、悠久の時を生きた者にのみ宿る智性を漂わせていた。

 

 彼は先代の勇者にして当代随一の賢者。

 未知を既知に変えて未来を告げる偉人。

 そしてこの身を当代の勇者へと導き鍛えてくれた、大恩人。

 

 そうして【二つ岩】の突端に辿り着く。

 彼と並び立てるこの時に感謝を。向かい合えば、いつも伸びてしまう背筋を意識せずにはいられない。

 

 そして今夜の始まりもまたいつかと同じ。彼の変わらぬ厳かな声に告げられた。

 

 「……その獣の後ろ脚と心臓。私が貰えるのだろうね、【ライネル】?」

 

 弟子の遅刻に案の定拗ね始めていたらしい師の一言に、俺は獲物の最も美味なる箇所を差し出しながら苦笑した。

 

 




 このゲーム、目的もなく山を駆けまわるのが、すごく楽しいです。

 同原作の二次小説がハーメルン様で今後増えていくことを願いつつ、ぼちぼち更新させて頂きます。初投稿物は長くするとエタるらしいので、できるだけまとめて完結を目指したいと思います。


 ※【二つ岩】は公式名称にはありません。アッカレ地方にあるキタッカレ平原からカザーナ裂谷へと至る道中に存在する地形を、勝手に作中で呼称しています。「友」はキタッカレ平原、「俺」は奥アッカレ平原にいる個体のライネルさんがイメージ。

 ※ハイリア人等から付けられるだろう種族名。当の本人達は知らないはずですが、ここでオリジナルの名称なんか振ってもワケ分からないことになりそうなので、たまたまその名称を彼らも使用していることをお許し下さい。


 追記:表現があいまいだった【ライネル】の外観描写を一部変更しました。ライネル種は角が立派であればあるほどイケメンで、異性にモテるという誰得設定追加。



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1章 白髪のライネル
獣の晩餐と不穏な影


○前回のあらすじ

ライネル♂「いっけなーい!遅刻遅刻☆」


 「ング、なかなかの味だな。君の目もそれなりに肥えたようで何より。どこの獣か……いや、当ててやろう。この脂のノリと引き締まった肉質。北の海沿いに広がる高台の森といったところかな?」

 

 受け取った右脚を早々に片付け、そのまま左脚に取り掛かり始めた彼が、肉の産地についても鋭いらしい賢者の目利きを披露している。正しくその場所にいた二本槍の獣はどうやら彼の御眼鏡に叶ったらしく、得意げな鼻息から察するに機嫌も持ち直してくれたようだった。

 勇壮な角に相応しい活躍をしてくれた今夜の肉には、感謝すら捧げたい気分だ。

 

 その肉だが、彼に譲った部位を除いても、その身にはまだまだ美味な箇所が多い。特に今噛み千切った部位は、俺が最も好むものだ。

 柔らかく、脂肪も少ないその部位。野山を駆ける獣の中にあって、最も運動しない箇所といったところか。肉が持つ独特のコクが薄く、歯応えも乏しいため、一族の者でもこの肉を好まない者は多く、中でもそれは若い世代に顕著だった。

 

 しかし、それは未熟者故の無知というものだろう。少しの工夫を施すだけで、この肉は極上の旨みを発揮するということを、少なくとも彼と俺は知っている。師がこの肉を好まないのは、単に年を経て味覚が変わったからに過ぎない。

 噛み締めた歯を剥き出しにしたまま、腹の奥からそっと火炎を吐き出す。舌の上に乗せた肉を消し炭にしてしまわない程度の熱量で短時間の炙り。表面を焼き固めたらすぐさま裏返すのがコツだ。

 口内を踊る肉が、焼けた特上の脂を舌の上へ慎ましやかに垂らし出すのが伝わってくる。蒸発した血が鼻から抜けて鼻孔をくすぐるのは、ある種の爽快さすら感じられた。

 思わず我慢できずに歯を立ててしまいそうになるが、ここは抑えなければならない。まもなく訪れることが約束された極上の味を損なうことは許されないのだ。速やかに、けれど慎重に表面を炙ってゆく。

 舌触りによって両面の焼きが回ったことを確認できれば完了だ。刺激される食欲のままに舌の上から歯の間へと肉を運び、咀嚼する。

 

 すると、どうだ。

 炙られたことで血を失い、熱によって風味や旨みが格段に増した肉は、多少の手間を掛けても釣りがくる味わいと言って相応しい代物となっていた。

 熱された肉は生の状態と比べれば遙かに脆く、油断すれば舌の上で溶けてしまった気になって、思わず飲み込んでしまいかねない柔らかさ。貪ろうと上下する顎の速度は速くなってゆくが、そうなる身体を抑えることはできなかったし、我慢を終えた今ではそうしようとする気持ちにもならない。

 

 こうして手間を掛けて肉を味わうようになって以来、あまり積極的には行っていないものの、この旨さを知らぬ前まではそうしてきたような生食が嫌いというわけではない。火を通すことによって失われた気になる、獲物の生命を直接取り込んでいる気分にさせてくれる獲物の踊り食いは、野生を生きる者としてそれはそれで好ましいモノだからだ。

 そして肉を焼くだけの行為であれば、その辺りにいる子鬼達ですら楽しんでいるモノでもある。魔物の中でも最上位の武と智を合わせた存在である我らが、ただ生で肉を貪ったり、焼いて終わりでは詰まらないではないか。

 火を加える調理法は、その過程によって肉の味を千差万別に変えてくる。焼きが過ぎれば肉は縮んで硬くなる上に旨みすら失ってしまったりする等の失敗もあるが、穀物や水分を含んだ材料と合わせて創意工夫の末に新しい味覚を開くのは、知的好奇心を刺激されて中々に心地よい。

 

 次はどの部位に手を付けるかと考えつつ口内の肉を全て嚥下し終えた後、ふと静かになっていた隣人を見やる。すると先程までじっくりと焼き続けていた心臓の肉を、ようやく口内より取り出していたかと思えば、どこからともなく摘まみ上げていた小ビンから、赤々とした粉をまぶしている彼の姿が目に映った。

 ただの岩塩ではない。彼曰く、【火の山】に住まう種族の荷物よりヒントを得たという『香辛粉』というモノらしい。何でも、ガツンとした辛さが素材の旨さを引き出していた調味料であったらしく、それを再現した代物が目の前のそれだという。

 粉によって味付けされた焼肉が、次々と口に放り込まれている彼の肌が、適度に発汗していることがここからでも分かる。そしてそれが決して体調を悪くしてのことではないことは、彼の表情を見るに明らかだろう。

 

 全く交流のない種族の知恵ですら、わずかな切っ掛けから取り込んでみせるとは、流石は当代一の賢者と称えるべきか。

 ……だが同時に、大事な話をすると告げられたはずの会合の場に、なぜ調味料を持ち込んでいたのかと思わなくもない。

 

 以前訪れた際、目上に対して手土産を持参しないことに苦言を零していた時。その香辛粉は既に懐にあったのだろうか。 

 もし仮に手土産を持たず、けれど遅刻せずにこの場に赴いていたならば、それでも彼は笑って話を始めてくれたのかは、今となっては確かめようがないことではある。

 しかし現状、小ビンに入った香辛粉を俺の目の前に置いたまま、見せつけるように肉を頬張る彼を見る目が、段々白けたものになっていくことを自覚せずにはいられなかった。

 

 

 そんな、まるで調理の技を煽られているようなコチラにあるのは、道中で見繕った岩塩のみ。

 極上の肉を味わうには塩こそが至高であると思っている俺ではあるが、未知の味を試さぬままでは、それは無知からくる戯言だと言われかねない。

 

 (その叡智、この弟子にもご教授頂くわけにはいかないだろうか…… )

 

 皮を丁寧に取り除いた脇腹の肉を片手に、俺は師匠の食事が一段落する時を待つのであった。

 

 

   *   *   *

 

 

 いくらか肉の譲歩を許したものの、結果的に塩が最も優れた味付けであると確信が得られた有意義な食事が終わり、骨だけとなった獣の残骸を囲んでいた俺達。

 食後まず最初に行ったことは、彼に対して塩が如何に香辛粉より優れた調味料であるかを力説することではない。俺が今回の大陸中央寄りの地域への潜入によって得られた、詳細な視察結果の報告であった。

 

 これは、そもそも俺が各地方へ旅をしていたことに端を発する。

 見知らぬ土地への旅をすることになった切っ掛けは、かつてほど世界各地を旅することが無くなった彼に変わり、その見聞を広げる手伝いをしようと思った孝行心が始まりだったが、縄張りに留まっているだけでは得られない経験が面白く、今では自らにとっても大切なライフワークとなっていた。

 もちろん俺にとって伝聞でしか知らない未知でも、彼にとっては触れたことのある既知である場所は多い。だから俺は異郷で遭遇した土地の風景や出来事を、自分の主観からの感想や思いを交えた話題として話し、聞き手の彼は知識や薀蓄(うんちく)を添えた相槌を打つ。

 

 その場所の事なら知ってる、そいつらの生態だって調べたことがあるなどと、既知の話題には愚痴めいた言葉で返すことが多かった彼も、決して迷惑だと口にしたことは無かった。

 そんな彼が会話の最中にふと、ひどく穏やかな眼をする時がある。当時のその地での思い出を懐かしんででもいるのか、常に厳粛な雰囲気を湛えている師のその眼差しはいつも優しく新鮮で。その都度俺はそこへ訪れて良かったと満足したり、まだ行っていない師の昔話に出てきた地名は何があったかと、当初の目的を忘れて思いを馳せていたりしたのだ。

 

 俺の旅とはそんな、師弟による何でもない酒の肴の一つに過ぎなかった。

 

 

 

 だが今回は違う。

 

 大陸中央とは、魔物の勢力圏とは言い辛い場所であった。

 

 

 そもそも大陸には我々魔物とは異なる種族が多数存在しており、中には他のいくつかの協力関係にある近似種族達と結び、自らの生活圏から魔物達を排除することを躊躇わない種族もいる。

 小コミュニティでまとまり、その集団ごとに独立している魔物と異なり、大規模な『国』と呼ばれるシステムを築くことで最大勢力となって君臨している種族、"人"が最も多く生活している土地。それが大陸中央という場所なのだ。

 

 奴らは魔物と比べ総じて知能が高く、その知恵を活かした戦略と戦術を駆使して立ち回るため、子鬼のような一般的な魔物では歯が立たない。

 そして知恵しか取り柄が無いかと言えばそうでもなく、強力な武具に身を包み、戦闘においても優秀な個体は存在しており、その武力は時に我々一族であっても警戒しなければならない場合だってあるほどだ。

 かつてまだ勇者の称号を師より引き継ぐ前の頃ではあるが、黒い大剣を持って挑みかかってきた耳長の男との戦闘は、過去最も死を意識した経験であったと言っていいだろう。

 

 そのような存在がもしかすると、集団でひしめいているかもしれない場所へ戦闘力はともかく、隠密行動には一切向いてない俺が赴かせた理由。

 それは、戦闘力に優れた者でなければ、今の大陸中央から生きて戻ることは難しいのではないか、と考えられたからであった。

 

 "中央の情報を持ち帰る"

 それを実行するためだけに【ライネル】の俺が彼に頼まれた。

 

 旅先の指定をされたのは今回が初めてだったし、求められるのが物見遊山ではなく斥候としての立ち回りである。もちろんこの時、一族自体は常のように各地へバラバラに散ったままであり、特別ヤツらと戦を起こしているわけでもなかった。

 

 しかし、何故わざわざ俺が、と不思議に思ったりはしなかった。それだけ中央は危険地帯なのだと直感できたし、今その危険地帯に俺を行かせることこそが必要なのだと、彼が考えていることを理解したためだ。

 

 「魔物の頂点に君臨する【ライネル】よ。君は世界の動きを正しく認識しておかなければならない」とは、その時告げられた彼の言葉である。

 

 いくつかのやり取りを経て間もなく中央地方に向かった俺は、まず戦闘を行わず、出来るだけ目立たない行動を心掛けた。理由は我々の一族が人にとって、特に危険視された魔物である可能性が高いからだ。

 不意の遭遇戦を除いて我々と戦う際、連中は鍛え上げられた戦士のみによって構成された部隊を寄越し、常に多対一を強いるような戦術を仕掛けてきた。

 対策を練り、不意を打ち、集団で襲い掛かる。こちらが返り討ちにして屠った人の数は膨大なものだが、人の手によって討ち取られたらしい身内の数も、決して多くないが存在している。

 

 目撃されれば、ヤツらの国はその姿から俺を一族に連なる存在だと看破し、立ちどころに選りすぐった強者を送り込んでくることが予想される。

獣王の勇者としては受けて立つべきかもしれないが、発見されてしまっては情報の収集というそもそもの目的の達成が難しくなってしまう。

 力を振るいたい強者の欲を抑えて均された道を避け、森を走り、山を越え、ヤツらの国を静かに目指すことに徹した。

 

 

 そしてようやく辿り着いた国中枢の建造物の近く。

 伏せた森の中から、俺は信じ難く異様な光景を目の当たりにした――。

 

 




うっかり食事風景込みで1万字超えてしまったので、蛇足の晩餐風景をカット。
それでも長かったので、前後編にこの話を分けました。

美味しそうな食事の表現って難しいですね。


※子鬼の魔物=ボコブリン



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厄災の気配

○前回のあらすじ

ライネル♂「ヒレ肉ステーキには塩こそ至高!」


 ――現地で行われていた人間の行動

 ――掘り出された無機質の蛸に宿る冷たい光

 ――異なる人種によって構成された、複数の英傑の気配

 ――散発的に人への無謀な襲撃を行う、魔物達の様子

 

 十数日に渡る今回の潜入によって得られた発見を、出来る限り客観的な分析を加えた上で彼に伝えてゆく。自分が見落としているかもしれないモノを言葉の端々からでも彼が拾い上げてくれるように、無駄と思えた細部まで漏らすことはできなかった。

 全部話し終わったのは、夜もすっかりと過ぎて、月が山の向こうに隠れようとしていた頃だった。

 いよいよ朝になろうかというその時刻。長くなった報告が終わった後になって、ようやく気付いたことがある。

 

 彼の顔が険しい。

 恐らく今より平穏であったはずの中央地方に踏み込んだこともある彼が、休憩がてら道中で見た風景の話などを聞きながらも、過去に思いを飛ばすこともせず雰囲気を終始崩さなかった。

 相槌は打つし、会話の合間に確認や問い掛けなどを挟んだりはしていたにも関わらず、その眼差しは鋭さを失わない。

 今回がいつもの旅とは、その行動目的がまるで違うものであったからといえばそれまでである。自身が命じたことによって強いられた、俺の行き帰りの道程における緊張を考えて自制してくれているのかもしれない。俺から向けられる視線に気付いているのかいないのか、彼は今も得られた情報を頭の中でまとめるべく黙り込んでいるようだった。

 ……いつもと比べて比較にならないほどの情報量を喋り終えた直後にも関わらず、感じられた達成感が驚くほど薄いものであったのは、まだこの会合が終わってないからだけなのだろうか。

 

 そうして朝日がそろそろ山峰から顔を出そうかという頃。

 最近活動が活発になってきている大火山を手持ち無沙汰に眺めていると、おもむろに彼が呟いた。

 

 「ここは景色が良い。空が見渡せるし、吹き込まれる風が大陸の様子を伝えてくれる」

 

 そう零した彼は俺を軽く労った後、いつか語ってくれた話を繰り返した。

 過去彼から伝えられ、今また語られるそれは、大陸に伝わる古い歴史。

 

 ――魔物には、それを総べる王がいる。

 神話の時代より、過去幾度も世界を巻き込む戦いを起こすも、その度に人の持つ『力』と『光』による封印を強いられる王。

 王が封印を破る時、世界は王の魔力に満ちる。

 紅に染まった月は魔物達に大いなる祝福を与え、骨となった(むくろ)にすらその力は宿った。

 

 しかし遙か古代の節目のその時、現代とは比較にならぬ高度な技術文明を誇るに至った"人"は、その技術によって魔物を全く恐れない世を築いていたらしい。奴らの放つ輝く弓矢は一撃で、当代の勇者【ライネル】を葬り去ったというのだから、その計り知れない威力に驚かずにはいられない。

 加えてその時代の奴らは、それまで人が王に対抗するために元々備えていた2つの力に加え、四体の巨大兵器と無数の自動兵器をその技術によって生み出した。

 その破滅的な力を束ねることによって、再び復活した魔獣の王は徹底的に打ち据えられ、強力に封印されたという。

 この出来事は『大厄災』と呼ばれ、王が姿を隠してから現在に至るまでの間、その恐ろしい技術と文明は名残のみを残して枯れ果てはしたものの、未だ王の帰還は果たされてない――。

 

 王が人によって封印され、今もそれが続く限り、魔物が人の上に立つことはないとする、忌々しい昔話だった。

 そしてこの話を今更語ることに、現状とどう繋がるのかという疑問は持つほど、俺は愚鈍であるつもりはない。薄々ではあるが、そうなのかもしれないと潜入の間に考えていたことである。

 

 地を耕すそれとは異なる、人が行っていた発掘行為。それは蛸の魔物を模した多くの造形物を地中から掘り出すためのものだった。

 現代の人が作ったモノとは全く趣きが異なる意匠ながらも、人が彫り出し、緩慢な動きで人の周りにはべっていたことから考えるに、それが無数の自動兵器と呼ばれる存在なのだろう。

 その体躯は我々と比べてなお大きいにも関わらず、中には短時間ながら空を飛んでみせた個体も存在した。そしてそれらは共通して光輝く単眼を有しており、その目から放たれた光は目を焼くほどに眩しく、俺の放つ火球を上回る速度と飛距離でもって、標的にされた大鬼を中心にその周囲を焼き払う威力を見せた。

 

 もし掘り出された代物が全て同じように動き出すならば、我々からしても厄介に過ぎると言わざるを得ない。

 巨大兵器とやらを中央で見かけはしなかったが、この【二つ岩】の上からでも時折見かけるようになった大火山の頂上付近を這い回るアレが、その内の一体なのかもしれない。……あれほどの存在が、人の手によるものだとは俄かには信じ難いものだが。

 

 さらに【ライネル】である俺をして警戒する必要があると思わされる存在は、何も無機物ばかりではなかった。

 中央に集っていた五つの強者。奴らは姿形が多少異なっていたようだったが、それは魔物と比べれば些細な違いでしかない。注目すべきはその身にそれぞれが宿した水・炎・風・雷の力の強大さであり、それぞれの力のみを比べるなら、魔物であの個体達に匹敵する者はいないのではないかと思わされるほどであった。

 

 何より気になったのは、もう一つの存在。

 感じた強者の内、最後の一つ。洗練された身のこなしには技術が詰まり、蓄えられた努力によって振るわれる剣技。なるほど爪も牙も持たないゆえの、人の戦い方の究極であるかのようなそれは、生来の力のままに本能に任せて暴れる魔物や魔獣にとって確かな脅威だろう。

 しかしながら我々が魔物の膂力に魔獣の爪と牙を持ちながらも、人のように修練を重ねることを旨とした一族である以上、それだけの要因で警戒はしても脅威とはならない。そう、それだけならば。

 

 その個体が背負う、得物が問題だった。

 

 ハッキリと言えばその得物の存在があったことで初めて、今回の一連の流れを昔話と結び付けることが俺にもできたと言って良い。それほどの異常な存在感を、その武具は放っていた。

 

 あれは、神話の武器だ。

 

 恐らく。いやあれこそが、歴史に語られる太古の昔に王を繰り返し封印させたという『剣』なのだろう。

 地中から次々と掘り出されるカラクリ達や、山に足をかけるほどの巨体を誇る巨大兵器。あれらは確かに大きな脅威だ。だが所詮は意思なき存在であり、そこに「魔」への敵意というものは感じられない。

 それに比べ、あの剣には「魔を打ち払うため」だけに存在しているとしか思えないほどの悪意が宿っていた。例え空を渡り、海に潜ったとして、それこそ時を遡ろうとも、あの剣を上回る「魔」に対する致命的な存在は有り得ない。

 そしてそんな凶器が、その力と意思を十全に発揮させるだろう「担い手」の背に収まっている光景こそが、俺の背筋を武者震いとは違う理由で震わせた。

 

 情報を集めて偵察を終えた後、行きと同じルートを選んだにも関わらず、より短い時間で帰還していたのは既知の道に慣れていただけではない。俺は、その目で見た存在達に発見され、神話で語られる魔物の王のように束ねられた力によって一方的に滅ぼされるのを恐れ、出来るだけ早く中央の地から離れたいと無意識に願ってしまったのだ。

 

 【ライネル】としてあるまじきこの思いを恥じようにも、一度間近に感じてしまった近寄ることも避けたいほどの忌避感は、今も身体の奥に燻っている。中央地方の方角に視線を向ければかなりの距離があるにも関わらず、はっきりと剣に宿る悪意を感じ取れてしまう。

 

 ……もしかすると彼はこの地にあって、既にこの不吉な気配を感じ取っていたのかもしれない。だからこそ今回の旅の目的地をあの場所に指定したのではないだろうか。この世界を襲おうとしている二度目の『大厄災』の兆しを知らせるために。

 

 その結果得られた様々な事実。それは不吉なもので占められているようにしか見えないが、決して否定的な出来事ばかりではなかった。確かな希望が一つ、確実に存在している。

 出立前に彼が繰り返し確認してくるように念を押していた現象を、現地で確認することができたのだ。これを話した時、彼はその場所や実際の様子を事細かに説明するよう促したほどである。

 

 それが子鬼をはじめとする、魔物達の人への襲撃。

 比較的本能のままに生きている類の魔物や魔獣が組織的に動くことなく、手当たり次第といった有様で人を襲おうとしていたのだ。そして、その傾向は中央地域においてより顕著であった。 

 局所的ではない広い地域に渡り、魔に生命を宿した者がそれ以外の者達へ敵意を剥き出しに襲い掛かる、その理由。

 我が身を省みないその行動が、身を包む魔力の高まりに酔っているのだとしたら。

 その原因として考えられることは一つだけだ。

 

 

   *   *   *

 

 

 彼が俺を見ていた。

 厳かで、けれど静かな眼。

 この魔物全体の危機と呼べる状況にあって、俺の心底を覗こうとしているのだろうか。

 立ち向かうのか、それとも静観か――。彼の瞳が問い掛けているかのようだった。

 

 だが安心して欲しい。不安はある、恐怖だって覚えている。けれど決して逃げはしない。

 

 

 何故なら俺は【ライネル】だからだ。

 彼に認められ、一族の皆が憧れる勇者の称号を持つ者だ。

 当代の最強が守らねばならないのは、一族の繁栄。

 赤い月の祝福を我らの頭上に輝かせるためならば、魔を滅ぼす存在が相手だろうと躊躇ってはならない。

 

 (貴方が勇者の時代に同じ事が起こっていたとしても、こうしたはずだ )

 

 歯を剥き出しにして笑ってみせる俺を見て、彼は控えめに歯を見せて応える。

 その眼には、いつも見せてくれていた穏やかな光が浮かんでいた。  

 

 

 ――魔物の王が、復活する。

 

 

 今度こそ、その邪魔をさせるわけにはいかない。

 

 




1万年前のガノン様、ようやく外に出れたと思ったらフルボッコ。
出待ち狩りとか勇者のやることでしょうか……


※大鬼の魔物=モリブリン
 蛸の魔物=オクタ


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∴ 姫巫女の嘆き

○前回のあらすじ

 この作品の守られる姫ポジ = 厄災ガノン

※姫様視点のお話。
 この話から、『ウツシエの記憶』を含むネタバレが登場し始めますのでご注意下さい。




   *   *   *

 

 

 「皆の者、今日のために各地より集まってくれたことを感謝する。ハイラルの王として、これまでのそなたらの働きぶりには満足しておる。……だが諸君らがもたらしてくれる成果にも関わらず、世界を覆わんとする闇、かの占い師が告げた厄災復活の予兆。その預言は未だ覆ってはおらん」

 「かつて何度もこの地を襲った災いを未然に防ぐことはできぬのかもしれん。だが、今日の平穏を明日のハイラルへと繋げるため、そなたらの変わらぬ忠勤を期待する。……では、始めるがよい」

 

 ――上座に相当する玉座より立ち上がっていたハイラル王の労いの言葉と共に、開始宣言が下された。それは今日の定期評定の始まりを告げるものである。

 豪奢な意匠を凝らした長方形のテーブルは、宣言を受けて上げられた顔を見渡すためには首を巡らせる必要があるほどに長く伸びている。

 謁見の間に集まり、それを囲むように座っている面々には、各部門の大臣をはじめとしたハイラルの重臣や地方より派遣された特使、遺跡の研究者、近衛の隊長、そして4人の英傑達が揃っていた。

 

 「全国主要穀物の生産状況の途中報告からさせて頂きます。ハイラル米は前年比より―― 」

 「続きましてカカリコ村からの報告です。前々回の報告にありました、新しいカボチャ品種についての栽培状況ですが―― 」

 

 報告は各地における作物生産高の前年比との増減報告から、東南部開拓村の進捗状況など、各地から挙げられる内容は様々なものに及ぶ。ゲルドの街にて発生している例年より多い干ばつの被害は頭が痛くなるが、ゲルドキャニオンを通してハイラル中央からの輸出量を増やして対策とすることになりそうだ。

 しかし、国を運営していく上で処理すべき産業や国政について案を出し合うことが、この評定の目的ではない。

 箇条書きのような形式で国内の動きを報告しているのは、これから行われる議題に対する枕詞のようなもの。世界最大の関心事のためにこそ、特殊機関の長や各国の使者達は出席している。

 

 『厄災ガノン』

 

 この約束された伝説の災いを水際で回避、もしくは発生した場合の対処法を決定するために世界の意思が集められた会議が進む。

 各機関での研究結果が発表される。

 古い書物に、厄災に関して未発見な伝承の一説が確認された。

 新素材による、武具の強化案の提出。

 神獣の機能調査と調整の進捗状況は――。

 

 ……次々と挙げられた日進月歩の勢いを感じる頼もしい報告の中、とうとう私が関わる案件の成果を報告する順番が回ってきた。

 自信を持って報告できる案件と言えば考古学の観点から研究した古代兵器復活の進捗状況だが、残念ながらそれは、担当する研究所の所長が報告するべき内容であり、私がすべきことではない。

 そして私がしなければならない報告の是非は「厄災に関する重要度」という点において、先に挙げられた成果達をして余禄と言わねばならないほどには中核を成すモノである。

 期待される結果もまた、重い。

 

 立ち上がる私に向けられる視線。外国から参られている方々にはまだ僅かに期待の色も感じられるが、事情を詳しく知る家臣達からは憐憫、焦燥、あるいは冷ややかな熱を伴う感情が、その視線には込められているように思えてならない。

 そんな視線を意識しながら、私は努めて感情を込めないように発言する。そうしないと、申し訳なさで語尾が震えてしまいそうになるから。

 

 先日、王妃の側に長く使えていた者から彼女の修行風景、その一部を聞き及べたこと。

 今はそれに習った修行を行っていること。

 各地方によって少しずつ形が異なる女神像。それらを収集、あるいは訪れてその全てに祈りを捧げていること。

 勇気の泉に続いて、力の泉にも(おもむ)いたこと――。

 

 結果を先送りに。明言を避けて経過を報告し続ける展開に既視感を覚えた参加者達は、悩ましげに目を伏せていく。私自身、この針のムシロのような状況を続ける徒労感を強く感じていたが、世界中から集まった知恵者が私の行動のどこかから、改善へのヒントを見つけることが出来るかもしれない。

 何より厄災封印の大きな要となる二つの力の内一つの現状が世界の要人達に正しく把握されていなければ、緊急の際に国家の舵取りを誤ってしまう可能性もある。

 そう思えばこそ、説明を怠ることは決して出来なかった。

 

 虚無感が漂う報告を結ぶ、最後の言葉。

 参加者全員が予測していただろう、評定の場に馴染みとなってしまった言葉が響く。

 

 ――未だ、姫巫女の力に目覚めることは叶っておりません―― 

 

 ……会場に、決して短くはない沈黙が満ちる。

 報告を終えると共に着席した私の耳に入ってくる、小さく抑えた溜息の音。聞こえてきた方向なんて確かめたくもなかった。それは家臣、あるいはこの場に詰めた研究者達からだろうか。各地の使者からだろうか。それとも、……御父様からだろうか。

 英傑達、そして背中を向けた壁に控える彼からわずかに向けられる、痛ましそうな気配。これに反感を覚えるほどに愚かなつもりはないが、自らの至らなさをみじめに思う心を止めることは出来ない。

 

 

 私の最も嫌な時間は、いつも通りの後味を残して終わった。

 

 

   *   *   *

 

 

 ……自分の感情を抑えることには慣れていた。目頭に籠りかけていた熱も今は無い。進行していく報告も、頭の中で滞ることなく処理できている。

 

 私が気にしていた遺跡調査の報告だが、『(ほこら)』の解析による成果は未だ得られてはいないようだった。あのシーカーストーンが鍵になると予想されるが、どうしてもその起動方法が分からず、ガーディアンや神獣達との進捗具合と比べれば進展は何もないに等しい現状。

 しかし書物に書かれた、あの遺跡を開放することによって得られるはずの勇者への恩恵を考えると、諦め切れるものではないので引き続き調査を続けなければ。

 

 驚いたのは近衛からの報告だ。なんと部隊の装備に、あの漆黒の武具を正式配備することにしたらしい。あれは攻撃力という点で従来の武具とは一線を画す性能を発揮するが、比例するように下がってしまった耐久性が問題となって欠陥品のような扱いを受けていたはずである。その問題が解決されたという報告もまた聞いていない。……そのことを疑問視したのは私だけではなく御父様も同じだったようで、その採用理由を尋ねていた。

 すると壮年の隊長は「あのガーディアンの装甲は堅固であり、将来的に技術班の報告通りの機動力を発揮するのならば、これと連携することで装備の耐久性はカバーできるかと。破損しても防御をガーディアンに任せている間の交換は容易です。近衛の役割は盾であり剣。ガーディアンがその盾の役割を担うならば、我らは剣としてガーディアン達の届かぬ足元、王室に這い寄る影を打ち払う力となりましょう」と御父様に答えつつ、最後に私へ微笑んだのだ。

 その言葉を聞いた時の喜びと言ったら! 彼は未だ砲台としての機能がギリギリの、満足な稼働をしていないガーディアンを通して、古代兵器の性能を正しく認識していた。そしてそれだけではなく、その発掘調査と技術の復活に心血を注いでしまっているこの無才の姫に、理解を示してくれたのだ! 求めてやまなかった突然の肯定に、口から飛び出ようとした感謝の絶叫を抑えられたのは奇跡だろう。

 評定が終わったら、すぐにでも近衛の兵舎を訪ねて武具の耐久値を調べさせて貰うべきかもしれない! ガーディアンに予備の武具を担がせるラックみたいなものを増設できないか、取付けるとするならどんな形にすべきかも、隊長達と協議しなければ!

 

 ……お腹の底からこみ上げてくるような熱は、御父様が隊長の言葉を是としながらも、酷く不快げに見える視線を私に向けられたことで、まもなく冷まされてしまった。私の研究は御父様にとって、姫がするべきではない努力としか、受け取って下さらないのか。

 学問による貢献を求められていないのは知っていたが、考えていた以上の認識の隔たりに口の中が乾いていくのを感じる。テーブルの下、いつの間にか両膝に置かれた掌は握り締められていて、その緊張をほどくためにはしばらくの時間が掛かった。

 

 叩き落とされた気分に追い打ちをかける事件もある。ここハイラル城の周辺で確認されていた魔物達による人への無差別な襲撃事案が、今日の英傑達からもたらされた報告によって、ハイラル各地にも及んでいるということが発覚したのだ。

 今までも街道を通行する旅人への散発的な襲撃事件はあった。しかしそれは、およそ魔物の数は1~3匹程度のボコブリン、もしくはモリブリン達の小さな規模で、いずれも街道を歩く旅人や行商人達が相手の、いわば不幸な遭遇の事故として扱われてきたはずだ。

 しかし報告される物の中には、組織化されたとしか思えないような集団。5匹以上で構成された上位個体を含んだボコブリン等が、人の集まる場所を能動的に襲撃しているような事件が散見されている。これは、例年には見られない兆候だ。

 

 魔物の活発化。それが一体何を示唆しているのか。

 厄災の復活が噂されるこの時期に起こっていることが、嫌な想像を膨らませてゆく。無関係だと楽観視することは決してできないだろう。

 もし厄災復活の前兆だと言うなら、猶予はあまり残されてはいない可能性すらある。

 

 遺跡の調査や神獣の復活、そしてガーディアンの発掘。厄災復活に備えて私達は様々な準備を進めてきた。しかし最も重要な柱として封印に求められるのは、勇者と聖なる姫の持つ封印の力なのは伝承の記述から見ても疑いようがない。

 今代の勇者はその類まれなる才能に努力を積み重ね、若くして退魔の剣の主に選ばれた。

 完成され、今なお研磨され続けるその実力に不足はないはず。

 

 

 ――では姫は?

 

 

 幼い頃よりどれだけ修練を積んで、女神ゆかりの地で祈りを捧げてなお、封印の力を宿すことの叶わなかった私は?

 ならばと奮起し、封印の助けとなるはずの古代遺跡の調査と研究を、ひたすら重ねてようやく得られた成果を示しても、王や家臣達の失望しか受け取れない私は?

 

 (……どう行動すれば、正しいことに繋がってくれるの……? )

 




※ゼルダ姫は宮廷雀の方々にはかなり低評価を受けていましたが、王国崩壊後にリンクと二人で逃げ落ちていた時でも、シーカー族の戦士が助けに現れました。
 封印の姫巫女としての是非はありますが国が滅ぼされるような窮地なら、いくら上からの命令でも自分の身を優先して、無能の姫は放り出されそうなものですが。全自動殺戮兵器ガーディアンが複数突っ込んでくるような土壇場にも救いの手が駆けつけるほどには、下の者に慕われていたように思います。

 そんな解釈の元、継戦能力が重視されそうな近衛としては不良品としか思えない上、武具説明にすら「実際の戦いには使われなかった」と書かれるほどに脆いネタ装備が、姫様の関わった仕事を評価する経緯で近衛の名前を冠する武器として採用された設定を作っております。
 (これによりガーディアンを奪われたことで生まれる「抵抗続かず壊滅する近衛」という悲劇の何割かを、姫様の行動結果の影響だと捏造することに成功。拙作の『ウツシエの記憶』で流れる自責の涙は、きっと原作よりも美しく輝いておられるはずですぞ……! )


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∴ 王の決断と姫の決意

○前回のあらすじ
 
 近衛隊長「カッコイイ俺様は火力にステ全振りする。守りは任せるから全部身体張って受け止めろ。後頭部どうせガラ空きで使い道無いよな?武器をしこたま括り付けて有効活用してやる。耐久値減らさないように、間違っても武器で攻撃受けるんじゃないぞ。……え?弱点が前面にある?いいから正面で受けろ甘えんなタコ。手持ち武器壊れたら交換するから、敵と俺様の間に割って入って背中を俺様、弱点は敵に晒せ」
 歩行型ガーディアン「……┌┌(┌ ◎ )┐ピピピピピピピピピピィィ ィ ィ!! 」

 ※今話は、前回からの続きです。


   *   *   *

 

 

 何回かの休憩を挟みつつも、評定は終盤に差し掛かっていた。

 

 報告から抽出された、改善すべき問題点への方針は軒並み決定されている。後はそれぞれ、各所の専門機関で対策を煮詰められていくだろう。

 今議題に挙がっているのは、民に直接影響する喫緊の課題として最も議論に時間を要するだろうと事前に判断され、当たり前のように最後に回された案件であった。そしてそれは予想通り、その場にいる全員の頭を悩ませている。

 

 ――各地で活発化した魔物襲撃に対する、国としての方策をどうすべきか。

 

 ごく少数で都市に特攻してきたかと思えば、二桁を超える数で開拓村を蹂躙したという報告もあり、現在のところその出現地域や物量の法則性は明らかになっていない。共通するのは、リスクや目的度外視で本能のまま暴れているとしか思えない、その凶暴性だろうか。手傷を負えば命を失う前に逃げ出す程度には知能があるはずの魔物が、全て死に絶えるまで突撃を止めようとしないのだ。

 それが全国いたる場所で発生しているという異常事態に、どう対処することが正解なのか。

 

 各地方で発生した襲撃報告を持って来た英傑達はそれぞれの部族の代表として、事態に対する姿勢を既にある程度固めていた。それは各地の故郷に所属するブレーン達によって作られた検討策によって示され、提案という形で参加者全員に伝えらえている。

 

 彼らの持ち込んだ検討策、そしてこの場で纏められつつある方針は、大別すれば2つに分けられるだろう。被害拡大の阻止を第一とし、大規模な討伐軍でもって魔物の巣を狩り尽くすという拙速を求めた攻勢か。発生原因の究明を第一とし、それが判明するまで村や都市の防衛を優先させる巧遅を重視する守勢を選ぶかという2択だ。

 そのどちらも、取組みの入口こそ違うが、今回の現象の背景にあるかもしれない厄災を意識した方針であるのは間違いない。

 しかしながらこの時代、国同士の戦争が無いハイラル王国は、そもそも保有する兵数が乏しい。数に勝る魔物との戦闘においては、画一された性能の武具と培った訓練による、個人の戦闘能力に頼っている部分が多いのだ。元々多くない兵士達のみでは、どうしても頭数が要求される人海戦術を行う場合、攻守両方に一長一短のメリットとデメリットが浮かび上がってしまう。

 

 食い違う主張に躍る協議の中、ハイラル王が支持した方針は――守備。

 

 攻撃を選べば、魔物による民の被害を未然に防げる確率は上がる。積極的な対応を国内に示すことは、防衛設備の整っていない小規模な集落に住む者達への安寧の保障にも繋がるだろう。しかしながら人の目を避けるように点在する魔物の巣を見つけ出すことは容易ではないし、不規則に出現する魔物達の対応に振り回されてしまう事態も十分有り得る。そうしていざ、厄災発生の時には国力と兵力が分散されて消耗していました、という可能性は大き過ぎるデメリットだ。魔物を警戒して辺境の集落を守った結果、厄災に王国が滅ぼされたのでは本末転倒である。

 

 ならばと、人口の多い生活圏の守備を固めることにまず注力。その間に各地で出現する魔物の分布や個体としての強さの統計を取ることで、厄災復活の地点を事前に割り出せる可能性があるとした研究者の意見を容れたのだ。

 もし事前に厄災復活の地点が大まかにでも予想できるならば、神獣やガーディアンの配置、民の避難などの対処が容易となるため、その利点は大きい。ある程度の規模以上を持つ街に限って防備を固めるのなら、国力をさほど減らすことなく被害を抑えることもできるだろう。

 反面防衛に専念することは、その範囲に含まれない小村や集落への魔物襲撃に対して初動を遅らせてしまうために、その地に住む国民の出血を強いる可能性が高い。しかし、王国という大を救うためには止む無しというのが、王の決断であった。

 

 まずは都市規模を持つ街周辺の防備を固める。しかるのち魔物襲撃の報告が寄せられる最寄の都市から、防衛戦力を除いた余剰兵力による討伐と調査を行う。

 その基本方針は家臣達はもちろん、英傑達も理解を示したことで、最後の評定はそのまま採決される――、はずだった。

 

 「お待ち下さい、ハイラル王」

 

 近衛の報告から以降、まるで置物のように消沈してしまい一言も発さずに座っていた王女が一転、決然とした雰囲気で王の言葉を遮るまでは。

 

 

   *   *   *

 

 

 目の前で国の行く末を話し合う大事な評定が行われているにも関わらず、全く無関係の傷心に私はしばらく顔を伏せてしまっていた。

 心が落ち着いてようやく耳に入る言葉を理解し始めた時には、もう評定は最後の議題、魔物達への方針策定の詰めを行う段階に入っていたことに気付き、慌てて中断してしまっていた自分の考えをまとめようと試みる。

 ただ情報を整理することにさえ焦る頭は空回りしていたが、それでもようやく状況を理解した時、「国王として決断せねばならぬようだな」という小さな呟きが聞こえてきた。傍に控えていた私くらいにしか届いていない言葉。民の犠牲に目をつぶってでも、厄災への備えを万全とすることこそが急務であるとお考えになられたのだろうか。その後に続けられた御父様の発言は全て、その責を自分に集中させようとしているようであった。

 既に採るべき選択は決められているのだろう。けれど清廉果断の王として知られるお父様が、自らは守勢を選びたいと表明された後も王命として即言い渡すことなく、反対する意見も含めた皆の発言を許されている。

 初めはその姿を訝しんでしまったが、これには賛成の数を増やして責任を分散させたいのではなく、出席する臣下や英傑達に遺恨を残さず納得して貰い、勤めに迷いを残さないように促す意図があった。これに気付けたのは、間もなく彼らの瞳から、王の決定に対する不安や不満が薄れて、その決断を間違ったモノにしないように努めなければならないという使命感の輝きが、ハッキリと浮かんでいるのが分かったからだ。

 

 頼もしい。――素直にそう思える、揺れない王を信じて支える家臣達。

 その姿に、いつでも私を見つめ返してくれる"彼"の藍色の目を思い出す。

 

 そうだ。

 振り返れば部屋の壁際に、いつも通りの距離を保って控える彼がいる。

 近衛の方々もいる場である以上、もう少し気を緩めても良いのではないかと思う。けれどそう伝えたところで、彼はただむっつりと頷いてみせるだけだろう。そしてきっとこれまでと同じように、自分に課せられた使命と絶やさない正義感でもって、「王に任された姫を守る」という騎士の誓いを誠実に果たそうとするに違いない。

 私の騎士は酷く融通が利かず、頑固者なのだ。

 

 ……私からの一方的な嫉妬によるわだかまりが解けた今でも、彼のこうした姿勢は時々眩しく感じてしまう。鍛え上げ、結実した意志と剣技によって課せられた使命を全うする姿は、まさに正しい騎士の模範。目指したモノを体現する様は、私が求めてやまない、けれど未だ手の届かないものだから。

 それでも理想の騎士が無才の姫を見る瞳に、失望や嘲りの心を浮かばせてはいないことを、私はもう知っている。だからこそ、そんな彼と視線を合わせるたびに思う。この瞳と向き合えなくなる行いはできないと。

 私の器はまだまだ空っぽで、少し周りに突かれただけで揺れてしまう薄っぺらな姫だけど。そんな私を支えてくれる彼は、王が認めた本物の勇者なのだ。

 

 (御父様……)

 

 姫巫女としての修行を始めて以来、為政者然とした国王の顔しか、娘の私にも見せて下さらない御父様。

 けれど王国の危機に際し最悪を回避し続けなければならない王として、公私の区別無く甘えや情を挟めずにいることに気付けたのも、彼のおかげだった。才能故に集める周囲の視線を意識し過ぎた結果、感情を表に出せなくなったという彼が打ち明けた話を聞いて以来、「どんな人にも他人からは見えない悩みがある」ことが意識できるようになった日を境に、私は御父様の叱責の裏に隠れた愛情や苦悩を感じている。

 しかし父の愛に安堵して、闇雲に姫巫女の修行に明け暮れることは正しいと言えるだろうか?

 務めを果たせられない自分が軽んじられるのは当然だと、そんな自分の評価にあぐらをかいて、王国の姫が民に迫る脅威を知り、それも仕方ないと振る舞うのが正しい姿だろうか。

 

 御父様が国王であるなら、私もまた王女である。

 王族とは民を守り、民に支えられ、民を導く存在。今回の王の決断は国を保つことを第一にして最終的に民を護るためのモノであり、臣下もそうした方針を理解して動いている。だけど民の全てが、行われた政策から王の想い全てを受け取れるとは限らない。

 守備戦力が常駐しない小さな村々が魔物に襲われれば、そこにいた民は生活の手段を失って土地を離れてしまうかもしれない。もし厄災復活前にその状況が長く続くならば、民の心が王権から離れてしまうことだって起こるだろう。そうして国内がバラバラの状態で、厄災復活の際に国を守ることが出来るかは疑問だ。

 民が苦境の中にも王権を信じる心を保たせるためには、王が民を見据えた政策を行い続けなければならない。しかし、1万年前から伝わる伝承でしか厄災の規模を計れない国王は、どっちつかずの方針で中途半端な舵取りを行うことはできない。今回に限らず、王の迷いが臣下に伝われば最悪、中央である城内が割れてしまう恐れもあるのだ。

 

 ――だから、私が動かなければならない。

 出来損ないの姫が政治に、しかも王の決定に意見することは、臣下達からの悪印象を決定的にしてしまうかもしれない。王もその内心はどうあれ、国の方針に感情で逆らう愚か者の提言など一蹴することだろう。すげなく断られる可能性は決して低くない。

 しかし王族として、王が民を見捨てない姿勢を示すことができないならば、せめて王女はその為に立ち上がらなければならないのではないだろうか。「姫巫女」としては優先順位を違えた行動をするべきではないと分かっている。……けれど、御父様が繰り返し私に説いて下さった「王家の姫として気丈に振る舞うべし」という言葉。御母様を失ったばかりだった幼い私を慰めるだけの言葉ではない、王族の心得を諭された「王女」の私が、民が生餌のように放置される状況を見過ごしてはならないと叫んでいる。

  無才の姫の言葉などに大した力は無いかもしれない。けれど王が非情の判断で国を守るならば、姫はその王の良心を民に示さねばならないではないか――!

  

 背中を向けた今の私には、後ろの"彼"の瞳を見ることはできない。

 それでも彼はきっと、"勇者"が守るべき姫として、今も私の背中を見守ってくれていると信じている。

 

 「お待ち下さい、ハイラル王」

 

 だからこそ私は、苛烈な君主の仮面を被った国王の、けれど悲痛に目元を歪ませるその瞳を知りながら、声を上げることが出来たのだった。

 

 

   *   *   *

 

 

 「おやぁ? 姫のお()りをしなくて良いのかい、ウルボザ? 」

 

 隣に座るリーバルが、嫌味そうにクチバシの端を持ち上げる。

 青いスカーフをいじりながら、退屈そうに会議を聞いていたと思ってたんだだけど。どうやら今は、目の前の光景を楽しむことにしたらしい。面白そうな表情は何とも、性格が悪そうに見えて仕方ない。

 遠く離れた獲物も捉える鋭い目は、今はハイラル王に一喝されて怯みながらも、懸命に自分の考えを押し通そうと問答している御ひい様を眺めていた。

 

  「あーあ可哀想に。姫、足が震えちゃってるよ? 何を頑張っちゃってるのやら」

 

 私が普段から御ひい様を気に掛けていながら、こうして座ったまま眺めているのが意外だったのだろう。いかに御ひい様が精神的に追い詰められているかが分かる様子を、さっきからやたらと伝えてくる。

 

 (……このリト族の英傑様は、どうやら私に御ひい様の援護をして欲しくてたまらないらしいねぇ)

 

 コイツなりに御ひい様を心配しているらしい。遠回しで捻くれた、ひどく分かりにくい気の遣い方だが、それでも他人の機微には敏感なのがリーバルだ。最も普段は、鉄仮面染みた私達のリーダーの心情を読み取り、煽ることばかりに使われているのが玉に瑕だろうがね。

 リンクは国の近衛騎士だから立場があるのさ。王と王女の間に割って入れるはずもないだろう? だからコラ、御ひい様の後ろで動けないでいるアイツを見て露骨な舌打ちは止めてやりな。

 

 「そんなに気になるならアンタが助けてやれば良いじゃないか」――そう言い返してやろうか?

 そう言えばまたピーピー騒ぐかもしれないが、内心穏やかじゃない気持ちでいるところに分かり切っている実況を聞かされるのは、いい加減鬱陶しいんだよ……。

 そう考えつつ横目で見ると、リーバルを挟んだ向こう側の席、その特注の椅子をなお窮屈そうに軋ませながら座っている英傑の一人が、堪え切れないといった風に笑いを零しているのが視界に入った。

 

 「姫さん、頑張ってるじゃねぇか。いいねぇ、熱いこったぜ! ……だからまぁ、水入れてやんなよ」

 そう自慢の顎ヒゲを撫でながら、やや熱が入りそうになった私とリーバルを牽制するダルケル。

 

 「ただの頭でっかちな学者じゃできねぇ振る舞いだぜ。ちっ! ルーダニアの件が無けりゃあ、俺が村の巡回を買って出てやりたいところなんだがよぉ」

 ゴロン族らしい豪胆な物言いである。

 しかし自身のコンプレックスから来る卑屈さが最近目立っていた御ひい様の、驚きとも言える大立ち回りをしっかり見守ろうと声を抑えている辺り、何ともダルケルらしい配慮だった。

 その仲裁に肩をすくめつつ「防衛の要のアンタが手伝ったら本末転倒だろ」と返すリーバルも、最早ハイラル親子に茶々を入れるつもりは無くなったようだ。……いや、このあっさりとした退き方から見るに、初めから無かったのか。

 

 「姫様の誰かを守りたいって気持ち、報われてくれると良いな……」 

 

 リーバル達とは反対側の私の隣に礼儀正しく座っているミファーも、心配そうに御ひい様を見つめている。治癒魔法を得意とするゾーラ族の姫らしく、傷付けられる民を想う御ひい様と共感する気持ちも強いんだろうね。

 

 御ひい様が今どんな気持ちで王と言葉を交わしているか、身近に彼女と接してきた私にはそれが分かるつもりだ。常に自分自身の非才を責め、少しでも何かを成そうと我武者羅に頑張っている御ひい様のことだ。封印の巫女姫として国に何も貢献できない以上、王女という立場を使ってでも民の為の何かをしなければならない、とでも思っているんじゃないかね。

 内情はどうあれ、公式の場における王女の発言ってヤツは、決して無下に出来るもんじゃない。ましてや国民の為の発言ならば尚更だ。

 政治にまだ関わっていない世間知らずの姫の言葉でも、真っ向から却下することは臣下達には難しいだろうし、王だって民への手前、その発言の全てを否定することはしないだろう。

 

 しかし厄災を前にして、娘の言葉で国防の見積もりを甘くするハイラル王ではない。

 

 ……恐らく各地の泉への修行、または未だ叱責されながらも黙認されている姫の遺物調査の途中に立ち寄るだろう村への『慰撫訪問』のみ許す、といった名目を与えられるくらいが落としどころではないだろうか。表向きは「王族は国民の全てを気に掛けている」というアピールになる行動への許可は得られても、主要都市や砦の防衛戦力から戦力が割かれることはないはずだ。

 

 それでも御ひい様が率先して国民達を守りたい場合、自前で戦力を用意する必要がある。広い意味では私達も御ひい様付きの戦士となるかもしれないけれど、私達4人の英傑は神獣の操作に一刻も早く習熟するという最優先の使命を抱えている上、それぞれの故郷も守護しなければならない立ち位置にいる。とても長期の間、御ひい様の側にくっ付いてやることなどできない。

 そうなると御ひい様が自由に動かせる戦力と言えば、封印の巫女姫に付く近衛騎士ただ一人。ハイラル王は、そんな娘の現実だって知っているはずだ。そして、近衛騎士へ自分の我儘で大きな負担を掛けることを、今の御ひい様が望まないだろうということも。

 王は国を守り、王女は民を想う。しかし騎士を慈しむ王女は、危険な場所へ深入りできない。自らの行動範囲を広げることはそのまま、大事な近衛騎士への負担に繋がるということを理解するがゆえに。

 

 (つまりは、そういうことだろうね )

 姫が動いて変わることは、王家に対する民の不満を和らげる程度。

 辺境に住まう民を救う手段とは、なり得ないということ。

 

 ……御ひい様はまた自分の無力を嘆くだろうか。まるで思い通りにならない現実に打ちひしがれるだろうか。そんな彼女に、励ましの言葉を掛けるだけしか出来ないだろう自分が、歯痒くてならない。

 今も、御ひい様の王女としての経験を邪魔してはならないという理由を勝手に心の棚に作って、その報われないだろう頑張りを静観している。これが砂漠の民の英傑、ゲルド族最高の戦士の様とは笑わせるじゃないか。

 

 (けれど、アンタは違うだろう?御ひい様の一番近くにいてやれる、アンタは私達には出来ないことが出来るはずさ…… )

 

 剣の天才。現代の英傑の要。退魔の剣の主。

 様々な二つ名を贈られている、私達のリーダー。御ひい様がリンクを酷使するはずも無ければ、リンクもまた御ひい様の指示を無視して動くこともないだろう。けれど出来ることならリンクには、御ひい様の想いを汲んでやって欲しい。そしてその人生を捧げ続ける愚直な頑張りが実を結ぶその時まで、その心身を守り通して欲しい。

 

 

 『王が認めるゼルダ姫付きの近衛騎士』

 この称号こそを、私はリンクに誇って欲しいのだ。

 

 

 

   *   *   *

 

 

 

 

 その日、ハイラル王は国の方針として『各地で活発化する魔物への防衛策』を告知。

 

 主要都市や砦、大規模な集落を中心とした防衛陣地を常設し、魔物への備えとすることを発表する。なお、その陣地は辺境の小村には設置されない為、早期の移住や避難が推奨された。

 

 合わせて近日中に行われる、ゼルダ姫の地方訪問の予定を公表。

 目的は『泉の聖地への巡礼』。

 魔物によって故郷を追われることを余儀なくされた民を慰めんとする心優しき姫の噂は、ハイラル城から泉への道中に存在する村々に留まらず、国全体へ拡散。口頭の噂話とは思えないほどにバラつきを見せることなく地方を巡り、リト族・ゴロン族・ゾーラ族・ゲルド族の長達は、揃ってこの行動を賞賛する。

 

 引き摺られるように姫を称える民の声。やがて、高まった気運はハイラル王家と共に国の困難を乗り越えようとする決意を、国民に固めさせた。

 

 

   *   *   *

 

 

 

 

 ――その告知後、しばらくして。

 

 オルディン峡谷の山間で、老いたライネルを従えた獣王が立ち上がった。

 




 第三者 → 姫様 → ウルボザ → 第三者の視点移動分かりにくい……でも(**視点)とか付けたらなんか間抜けな感じに。文章力が切実に欲しい。
 1話を3000~4000文字で収めようと思ってましたが、たださえ4話と前後半に分かれてるのにさらにブツ切りはマズイかとそのまま上げました。

※ブレワイの姫様と王様は大好きです。念のため。
 母親が急逝して以降この親子は心温まるシーン皆無ですが、娘は御父様すごく慕い切っているのは見てて安心しますね。普通なら闇落ち不可避ではないでしょうか。
 ハイラル城では二人の本心が綴られた手記を読めつつ、すぐその近くに存在する『ウツシエの記憶』でその心がすれ違いまくる様を見せつけられるのは、スタッフの憎い遊び心を感じます。
 姫が生まれて以降、散々復活するよーって予約をしていたにも関わらず、満を持して復活したら「空気読めよ」「1万年も寝てたんならもう少し遅らせろよ」と煽られてそうなガノン様マジ不憫! 

 次回から、白髪のライネル視点へと戻れるかと思います。


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賢者の軌跡、勇者を導く

○前回のあらすじ

 ハイラル王「9を救うため、1を切り捨てる」
 家臣「苦渋の時代。耐えねばならぬ」
 ゼルダ姫「1を出来るだけ0に近づける努力をしましょう」
 家臣「政治にまで口を出すのか。修行しろ」
 魔物「おいすー^^」

 空回りと裏目の連続。それがブレワイの姫様の魅力(確信)




   *   *   *

 

 【二つ岩】で行われた彼との会合。

 普段通りならば、朝日が昇る頃合いで別れを告げて御開きとなるのが習慣であったが、今回ばかりは事情が事情である。俺は当然として、彼も話を終わらせようとは言い出さない。

 山頂から零れ出している朝の光が、彼の顔を照らしている。

 老いて【ライネル】の称号を辞退したとはいえ、一昼夜休まない程度で疲れを表情に浮かばせるほどに、衰えてしまってはいないようだ。彼も早急な打ち合わせを行う必要があると感じているのは、続く言葉からも分かった。

 

 「厄災の危険性を理解しながらも、それを倒さんと立ち上がる決意を固めてくれたことに感謝しよう。ならば目的達成のため、差し当たって問題となる点を解決させねばならぬな」

 

 俺の偵察した内容は、既に頭の中にまとめられているのだろう。今後の方針を固める為にも、彼の知恵を続けて借りられるのは有難かった。

 一族を集め、【ライネル】として皆の先頭に立って戦いを挑むにしても、策があるに越したことはない。人の砦や城を攻めた経験など俺は持ち合わせていなかったので、出来るならばその辺りについて詳しく突き詰めたいと思っている。

 

 そうした思惑を伝えて頷きを返す俺と目を合わせた彼ははっきりと。

 幼子に言い聞かせるような、あるいはお気に入りの肉を咀嚼するようなゆっくりとした口調で、おもむろに彼は告げた。

 

 

 「まず念頭に置くべきこととして、奴らに正面から挑んではならぬ」

 

 

 ――その内容は、【ライネル】に対して最大の侮辱だった。

 正々堂々、力押しで挑んでは負ける。俺に戦い方を教えた張本人がそう言い放ったのだ。

 

 瞬間。目の前の老人の教育を離れて久しいこの肉体が、どれほどの暴力を宿すに至ったかをその老いぼれの体に味あわせてやろうか――そんな獣の情動が頭を占める。瞬間的に拳を握り込んで二の腕の筋肉を威圧するように膨らませたのは、無意識の元に行われた行動でしかない。獣王を侮辱した愚か者をそのままの拳で殴り飛ばしたなら、さぞかし気分が晴れることだろう。

 

 ………

 …………

 ………………まぁ、実際にこの方を殴るつもりは、毛頭無いのだが。

 

 身体が勝手に高めてしまった熱を吐き出すために意識して深く吐き出した呼気に、多少の威嚇音が混じっているのを聞き取った彼が、「まだ若いぞ? だがそれで良し」などと笑っている。

 呼気は、ハッキリと溜息に変わった。

 

 「自分の目と耳で知った君なら十分理解しているだろうが、奴らの戦力が集中している場所に我らが乗り込むことは、獣がノコノコ狩人の前に飛び出す愚行と何も変わらん。この遙か遠い地にあってなお、老いた私ですら漠然と感じるあの忌々しい気配は、尋常なモノではないはずだ」

 

 正直に言えば腹立たしくて仕方ない。だが、それは言われずとも自覚してしまっている事実でもあった。

 彼自身は直接見ていないが、この地にあって存在を感じられる気配で俺に心当たりがあるものは、あの『魔を滅ぼすためだけに存在するような剣』しかない。そんな凶器を振るう者が超一流の剣士であるということは、それだけで計り知れない脅威だ。

 そこに四体の強者、熱線を吐き散らす自動兵器まで同時に相手取っては、勝ち目など万に一つも無いとすら思える。それでも頭にプライドだけ詰めて、戦略も無しにノコノコ奴らの前に姿を晒すのならば、確かにそいつは勇者ではなく愚者だろう。

 

 そうした言葉で【ライネル】としての己を納得させようとし、いやけれど、と葛藤している俺の内心を見透かしているだろう彼は、構わず話を続けた。

 

 

 「既に人の戦力の中心は、かつて古代に語られた"魔物を恐れぬ"水準に至っていると判断するべきだ。【ライネル】が言う我らの弓より早く、そして強い熱線を撃ち出す自動兵器。それが地中より複数体掘り出されていた光景が真ならば、発掘範囲が広がればその数は増え続けることになるかもしれん。中央地方でしか出土しないとは限らん以上、その規模を想定することは不可能と言っていい」

 

 そこまで言い終えてかぶりを振った彼が見据える視線の先を追えば、【火の山】を這うような形でそびえる巨影の姿。

 

 

 「不安要素と言えば、アレもそうだぞ」

 

 彼が『アレ』と呼ぶあの存在がいつの間にか【火の山】に湧いて出た時は、山や滝にトグロを巻き、天を裂いて飛ぶ超自然の存在『龍』の類かと思ったものである。それほどまでの巨大な存在。

 だが人共の後ろをついて動いていたあの自動兵器。その造形は、どうにも見上げる巨影の細部に込められた意匠と、どこか似通っている点があるかのように思えてしまう。一度気付いてしまえば、あの巨体がどこの陣営に属した存在であるかを連想せずにはいられない。

 

 「もしあのトカゲの化け物が自動人形の一種、四体あると言われる巨大兵器の一つだとしたら。あの巨体さを誇り、【火の山】の熱をものともしない存在が本格的に動き出した時。どれほどの脅威となるのかは、私をして想像もつかんのだ」

 

 ――だからこそ、今しかない。

 

 彼がそう結んだ言葉は、全くもって同意するところであり。それこそが、俺を自身でも勝算が低いと思える突撃に駆り立てた原因である。

 現実、既に人共が持つ戦力は、魔物の中でも最上位に位置する我々を超えている。人共とは異なる長い寿命を誇る我々だが、今回ばかりは時が味方とはならない。決して長くない時間の中でも奴らは力を蓄え、魔物を追い詰める牙を増やしていくだろう。

 

 動くならば、生え変わったばかりの危険な犬歯が伸びきる前しかないということか。十分に生え揃ってしまった後では、『大厄災』を今の時代に蘇らせることとなるのは明白だった。

 つまりは彼も、人への襲撃自体は早ければ早いほど良いと考えていたようである。

 

 ……しかしそれでは、彼が無謀ではあっても【ライネル】が先頭に立った一族の突撃、という策を諌めた理由が俺には分からない。

 

 

 「だが先程も言ったように、何の策も無しに攻め掛かっても恐らく、奴らを崩すことは到底不可能。ならば目指す目的を一つに絞り、その達成のために全力を注がねばならん。

 我らが何を目指し、その達成条件を満たすためには何をすれば良いのかを考えてみるがいい」

 

 敵を滅ぼすことだけが勝利ではない、と。彼は俺に言って言葉を終えた。続きを話さないのは、俺にその解答を示してみろということなのだろうか。どうやらヒントは既に出揃っているらしいことは、これ以上答える気は無いと言いたげに外された視線からも察せられた。

 時間が無いというのに、こんな問答を強制させられていることに不満はあるが、それでもこうして問われた以上、彼の頭の中には突撃以上の『大厄災』を挫く策があるはずだった。黙っていても切迫した状況である以上教授して貰えるだろうが、恐らく彼に弟子の不明を嘆かれることは間違いなく、そんな落胆を伴う評価を他でもない彼から受けることは耐え難い。

 気持ち良くその策を授けてもらうためにも、今はこの問答に従う他無いのだろう。

 

 

 では大前提として、目指すべき最大の目標とは何か?

 

 ――考えるまでもない。

 それは『大厄災の回避』である。

 

 

 これを未然に防ぐことこそが、歴代の獣王【ライネル】が果たすべき目的と断言していい。厄災から魔王を守り、魔物を守り、魔獣を守る。そうしてこそ初めて獣の王は、食物連鎖の頂点に君臨することを許されるのである。

 加護をもたらす魔王を封印され、同じ存在である魔物や魔獣を蹂躙され続けることを容認するようでは、獣王を自認したところで空しく響くだけだ。

 

 ……では魔王の復活を達成させ、封印も行わせない為に俺がすべき行動とは、中央地方へ向けた集団突撃以外に何があるのか?

 こういった身体を動かさずに頭を使う場面で思い出すのは、やはりと言うべきか、目の前の師と行ってきた言葉遊びの数々である。かつて未熟であった自分を導き、励まし、時にはからかわれ続けた説教と会話の蓄積は、今でも俺の視野を広げる大切な選択肢の引き出しであった。

 

 当然その中には、戦闘に活かされる知識も多分に含まれている。

 そして今日思い起こした記憶は、彼が未だ今より若かった頃の話。複数の一族が集った晩餐の獲物狩りの合間に行ったものだった――。

 

 

   *   *   *

 

 

 遠い遠い昔。

 彼が【ライネル】で、俺が【ライネル】ではなかったあの日。

 

 ――森の奥深くでその群れを見つけたのは、陽が傾きだして間もなく、といった頃合いだった。その数は全部で8頭。あの獲物を全て持ち帰れたのなら、恐らく全員の腹をぴったり満たすことが可能だろう。自分達が都合良く切り立った高台の上に陣取っているのに対し、彼らは眼下の森の中。弓を持って狩りを行う我々にとっては、気付かれずに先制で仕掛けることは決して難しくはない。

 けれど彼らは二本槍の角を持つ獣の種族である。警戒心が強く足も速いため、俺では1頭を仕留める間に他の7頭には逃げられてしまうかもしれない。

 

 しかし、自分と共にいた今日の同行者である、師は違う。

 この方の弓の腕は凄まじく、1射撃で同時に放たれる3本の矢は百発百中の精度を誇る。直射は言うに及ばず、森の障害物をものともしない大きな射角で放たれる曲射であっても、容易く3匹の獲物を同時に仕留めるだろう。

 

 そして自分の弓でも1匹倒せれば合計で4匹。後はこちらに気付いて逃げ出す獲物を後ろから上手く仕留めることが出来ずとも、もう一度4匹以上の他の群れを見つければそれで終わりである。

 

 けれど、今日の師はどうしたことか。

 一度弦の調子を確かめるかのように、矢を1本だけ獲物を挟んだ反対側、遠くに見える丸みを帯びた白い大岩に勢い良く撃ち込んだかと思えば、それで獲物達が射程圏であることが分かっているにも関わらず、弓へ次の矢を番えようともしない。獲物の群れ全体を見渡せる高台に伏せたまま、じっと動かずにいるのである。

 もしかすると、視界を塞ぐ木立が流石に邪魔であると感じ、射線が通る位置に獣が移動するまで待っているのかもしれない。

 しかしこの群れを見つけるまでにも時間を掛けてしまった以上、日暮れまでに次の獲物を探す時間があるかどうか分からないことに焦った俺は、集中している様子の師に叱責されることを覚悟で声を掛けることにした。

 

 『あの、【ライネル】? どうしてあの群れを早く襲わないのですか? 早く仕留めて次の群れを探さないと、日が暮れてしまいますよ』

 

 急かす俺に視線だけを向けた師は、狩猟中に水を差す若造に対し、しかしニヤリと笑いながら「まぁ黙って見ておけ」と答えるだけだった。

 

 

 ……そうして時が経過すること間もなく。

 こちらが何の動きも起こしていないにも関わらず、突然眼下の獣達がざわつき出した。まさかの狩り失敗かと焦っていたら、なんと獲物達がこちらに向けて走り出して来るではないか。

 木々をわざわざ避けながら迫ってくる獲物達の姿は、梢に隠れて見え辛かった先程までとは異なって一目瞭然である。その有様からは前方への警戒心を全く感じることは出来ず、わざわざ難しい曲射を挑まずとも、そのまま直射による急所への狙い撃ちが行えそうですらあった。

 

 そんな風に獲物が狩人の前に無警戒で集まってくるという、珍事が起きた理由が解らず戸惑っている俺を尻目に、横に潜んでいた師がおもむろに弓を構え、矢を放つ。強力な剛弓から繰り出された矢によって3つの悲鳴が上がり、そして同じ数だけ地面に肉が叩き付けられる音が森に響いた。

 流れるような動作で再び引き絞られる弓が弧を描いてしなる。

 そして放たれた3本の矢。

 鳴り響く断末魔。地面を打擲する肉の音――。

 

 

 あっという間の出来事だった。自分が介入する暇も無く、気付けば師は1人で6体もの獲物を難なく屠ることに成功していた。そしてそれは、こちらに向かってきていた全ての獣の数でもある。突然の好機に慌てることなく対応してみせたのは、まさに熟練の狩人の成せる技といったところだろうか。

 対してそのイレギュラーに慌ててしまい、結局1匹も仕留めることなく残りの2体を追うことも出来なかった自分は、まだまだ未熟であると言わざるを得なかった。

 

 恥じる俺を促しつつ、師が高台から飛び降りる。

 さっさと獲物を回収して、次の群れを探すのだろう。

 失態を演じてしまった以上、せめて肉の運搬だけでも十全に果たさなければならない。尊敬する先人の足を引っ張ることだけはしたくない俺は、急いで師の後を追った。

 

 地面に散らばる獣達は、そのことごとくが急所に矢を受けて絶命していた。冴え渡る【ライネル】の腕前に改めて憧れの気持ちを強くしつつ獲物を拾い集めると、やがて仕留められた獲物達の中に角を生やした獣がいないことに気付いた。

 

 上から見下ろした時には、立派な二本槍を頭部に備えた個体が、最低でも2体いることは確認できていたのだが。やや離れた位置にあった獲物を回収している師の手元を見やれば、その個体にも角が生えていない。

 どうやら運良く逃げ延びた2体がその角持ちだったらしい。身体の大きさは角持ちの方が大きかったので、残念と言えば残念である。

 

 師が2体、俺に4体の分配でそれぞれ獲物を分けて抱える。先程働けなかった詫びだと伝えると、4体も抱えながら狩りが出来るのかと笑われた。もちろん両脇に2体ずつ抱えたままでは剣すら振れないので、いざという時には獲物は一旦地面に置くことになるだろう。

 そう言えば、

 「生きている獣を追うのに夢中になり過ぎて、狼に獲物を掻っ攫われるなよ? 」

 と可笑しそうに忠告されてしまった。そこまで間抜けなつもりはないが、ついさっき獲物の前で棒立ちをしてしまった無様を見せている以上、何も言い返せないのが悔しい。

 

 

 さて集め終わった獣の肉は6匹分。師の友人達を迎えるささやかな晩餐としては既にして必要最低限な量と言えるが、今夜集まる方々には、取り分け大食漢の御人もいる。あの隻眼の戦士の腹を満たすことを勘定に入れた満足な量を確保するならば、やはりもう2体は欲しいところだ。

 先程のような群れを捕まえられるかは難しいところだが、それほど難しい数の狩りでもないので、日暮れ前には何とかして終わらせたい。師の先導に従って、森の移動を開始する。

 

 足音が少し響く程度に駆ける速度は、狩りの最中にしてはやや早足が過ぎる気がしないでもない。向かう先が、先程取り逃がした2体が駆けていった方向であることは俺にも分かっていた。

 だがこの速度では逃げたあれらの足には追いつけないだろうし、そもそも真っ直ぐ逃げているとも限らない。あの2体を追っている訳ではないにしても、これだけ足音を出してしまっては、近寄った端から他の獲物達も逃げ出してしまいそうだ。

 残りの時間を気にして逸ってしまっているとは今更思えないが、何か考えがあるのだろうか?

 

 俺が訝しんでいるとその気配が伝わったのか、師が走りながら振り向く。

 

 俺の顔に浮かんでいる表情が予想通りだったのか、師は笑う。何も言わず再び前を向いて走り続ける後ろ姿からは、気のせいか悪戯を企んでいる子供のような雰囲気が漂っていた。

 

 ……本当に何を考えておられるのだろうか。

 

 

 やがて辿りついたその場所は、幹の太い大樹が目立つ深い森の中にあって、若干開けた小さな広場みたいな場所であった。大樹の梢が大きく横に広がっているおかげで、十分な日光が注がれていない地面は背の高い草花もあまり生えておらず、言うなれば見渡せる程度には身を潜ませる障害物がない空間である。

 その広場の淵を囲うように聳える木々に辿り着いた俺達の視点からは、その空間を一望できるという具合だ。

 

 そして俺の視界に映し出された光景。

 それは一言で表すならば、「……え?」といったモノだった。

 

 果たしてそこには角持ちの獣がいた。しかも2匹揃って、だ。

 そしてそれだけならば意外ではあるものの理解はできる。視界が広い空間まで逃げ延びて俺達の追走がすぐさま行われなかったことを確認し、ひとまずの休憩中であったという可能性があるからだ。

 小さいながらも確実に蹄を鳴らしながら近づく俺達に気付かなかったのも、緊張から解放された油断であったというならば、野生の動物としては致命的ながらも考えられなくはない。

 

 けれど目の前の光景。そう、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()獲物の姿というのは、まるで想像していなかった。

 たまたま逃げた先の広場で子鬼の集団に出くわしてしまったのか? だとするならどうして脇に逸れて逃げようとしない? 棍棒に殴られながらもなお子鬼達に抵抗し、後ろからやってくるかもしれない俺達を警戒していないのは何故だ? そんな疑問が頭を占める。

 

 やがて動きが鈍くなった獣の片割れが、子鬼の持つ錆びついた剣によって胸を貫かれた。ドォッ、と音を立てて崩れ落ちた獣を見て、甲高い勝ち鬨を上げる子鬼達。見れば、残った獣は未だ立ってはいるものの、殴られ続けたせいか足元がひどくフラついている。

 

 そんな状況に至って、ようやく気付く。

 絶好のチャンスだった。

 

 師を見やれば戦闘の推移を見つめるだけで手を出す様子は無く、こちらの視線に顎をしゃくって指示を出すのみ。それを容認の意だと受け取った俺は、4匹の肉をその場にそっと置く。愛用の大剣を抜こうかと一瞬考えたが、あの状態の獲物にその必要は無いし、弓にしても矢を消費するのも勿体無く感じた。俺の牙を持ってすれば、十分に事足りる。

 

 4本の脚と両腕に力を込め、一気に大樹の陰から躍り出す。両手の爪もスパイクにして地面に打ち込みながら駆ける走法は、初速から一息に最高速へと加速するための一族独自の技だ。

 合計6本の脚によって矢の如く撃ち出されるスピードは、こちらに後ろを向けている生き残った獲物はもちろん、向かい合っている位置にいる子鬼達にすら、俺がいつ接近したかを脳で認識させることは許さなかったはずだ。

 

 ようやく気配に気付き、後ろを振り向こうとする獲物の首に、鋭く尖った牙を強靭な顎の力でもって突き立てる。一際強く痙攣した後、身体からゆっくりと力が抜けていく様は、命が尽きるのも時間の問題だと確信させるものだった。

 最早これ以上暴れる力は、この獲物に残されてはいないだろう。

 

 

 ……そして幸い当たり所が良かったようで、どうやら死んではいない様子なので一安心といったところではあるが―― 突っ込んだ勢いが強すぎたせいで、その前方にいた子鬼を何体か跳ね飛ばしてしまった。

 加速には優れていても制動にやや問題があるのが、この突進の難点だった。

 

 

 やがて動かなくなった獲物を咥えた口を開き、未だ事態が呑み込めていない様子で茫然とコチラを見上げる子鬼達に向け威嚇の咆哮を上げる。

 争うでもなく喰うつもりもない魔物を、無闇に殺す趣味は無い。

 せっかく助かった命だ。是非とも大切にして欲しい。

 

 直後、雷に撃たれたように跳び上がった彼らは短い手足をバタつかせながら、一目散に白い大岩を目指して逃げ出した。

 その大岩は、近づいた今でも滑らかな丸みを帯びているだけの、何ら変哲もない形状をしている白い岩だった。

 周り込めばその表面には大小の穴がいくつか開いており、中は空洞が広がっているだろうことは分かっている。高台からは気付かなかったが、今はそれが子鬼達が好んで住まう棲み処の共通した特徴であることを思い出したからだ。

 

 そしてその棲み処の背中に当たる部分に、狩りを始める前の師が1本の矢を突き立てていたということも。

 

 

 振り返れば、子鬼に胸を刺されて既に絶命していた獲物を改めていた師がいた。向けられる視線に気付いたのか、視線を合わせて師が言う。

 

 「子鬼共の住み処が丁度獲物達の近くにあったのでな。ちょっとノックしてやって出てきて貰ったのだ。後ろからこいつらに襲い掛かってくれれば、労せずこちら側へ獲物を追い込んでくれると思ってな。この2体の雄達は踏み止まり、雌達を逃がす時間を稼ごうとしたのだろう。二本槍を掲げる獣に相応しい、なかなか天晴な振る舞いだったな」

 

 俺に獲物を掲げ、丁度致命傷となった傷口が見えるように向けた師は続けた。

  

 「動きが鈍るまで静観し、漁夫の利を狙って獣に止めを刺した際の手際は悪くない。だが、もう少し早く仕留めようとは思わなかったのか? 見ろこの傷を。せっかくの心臓が潰れてしまっているではないか! 」

 

 お前の未熟で御馳走を台無しにされてしまったわ、と愚痴を零す師の姿は、狩りの最中に魅せた【ライネル】の技量と智謀からはあまりにかけ離れており、好物を取り上げられて癇癪を起す子供にしか見えなかった。

 

 

   *   *   *

 

 

 どれほど昔の頃の話だったかは、正確には覚えていない。

 しかし彼と交わした言葉の一つ一つは、良くも悪くもハッキリと覚えている。時折やる瀬無い思いに捉われてしまうのが頭の痛いことであるが。

 彼が複数の獲物と出会った際に行った子鬼の吊り出し。この記憶が、閃きとなって今に甦ったのも、憧れた【ライネル】の雄姿が俺の糧として、今も胸の中に宿っているからだ。

 

 彼の軌跡はいつだって、力に偏ろうとする俺の思考を少しだけ高い場所へと導いてくれる。

 だから俺は、今回もそんな彼に肖ってみることにした。

 

 ……現状、既に中央地方に集中している人の戦力は我々の手に余る。それは例え一族の者を集めたとしても同じことだろう。それほどの格差が両者には横たわっており、時間を置けばその戦力はより強大化する恐れがあった。

 だが後々どれだけその戦力を増やそうとも、今その戦力の頭数は限られており、それはこちらの頭数を大きく下回るのも事実。それが中央に固まっている点こそが問題である。

 

 ならばその戦力を分散させれば良い。幸い、魔王の復活が迫った影響を受けたのか、全地方の魔物は人族への敵意を剥き出しにした行動を行っている。それも、自身の生存本能より人への襲撃を優先するほどに苛烈な勢いであった。

 この状況を活かして魔物の中でも特に力の強い我々が、あえて力によって他の魔物達を統率し扇動すれば、子鬼のみならずより強力な魔物も巻き込んだ騒乱を全地方で起こすことも叶うだろう。

 

 単独、あるいは小さな群れで活動する魔物と違い、人族はより大きな単位のコミュニティを作ることで繁殖してきた生き物だ。だからこそ同じ仲間を攻撃された時、奴らは被害を受けた個体達を救おうとする。大きな群れを保たなければ強さを維持できないからだ。

 そして、騒乱が大きくなればなるほど、撃退に要する力は大きくせざるを得ない。子鬼や大鬼、蜥蜴程度なら並みの戦力でも数さえ揃えれば防衛も成功するかもしれないが、我々の種族がこれに加わればその限りではない。

 

 奴らが必勝を期するなら。

 そこに投入される戦力は、"中央の戦力"しかないだろう。

 

 我々にとって警戒に値する強者の数は限られている。コミュニティを見捨てる判断をせずに、全地方で起きる騒乱に対応しようとすれば、奴らは戦力の分散を強いられるはずだ。

 

 そうした状況を作れたならば、伝説に記された人が持つ『力』―― 魔王を封印する要となるあの"剣"を孤立させる好機を生みだすことに繋がる。

 その時こそ【ライネル】が力を振るう時なのだ――と、彼はそう言いたいのではないだろうか。

 

 

 

 俺が出した考えを聞いた彼は、少し驚いた顔をした後。

 ……つまらなげに。しかし、満足そうに頷いた。

 

 

 

 ――自分の考えた策など、所詮は彼の行いをなぞったものに過ぎない。内容には人族の動きへの願望が多分に入ってることも自覚している。

 貴方の策は何だったのかと尋ねてみても、改めて何かを言い加えることなど何もない、と返されてしまう。

 

 

 「では行こうか、私が認めた【ライネル】よ。全国に散らばる一族の者共に協力を求めるとしよう。そうよなぁ、北から巡って西へぐるりと全国一周の旅とするか。中央は怖いからな」

 

 

 

 ……朗らかに笑う彼の顔に浮かんだ皺は、あの頃にはまだ無かった。

 ふるまいの一つ一つをとっても、逆らえない年月の衰えが見て取れてしまう。

 

 

 それでも歯を見せて笑う彼の顔は、いつかの記憶を刺激するモノだった。

 

 




 【ライネル】さんは高い知性を持つ存在ですが、彼もまた野生を生きる半人半獣の魔物。
 プライドを傷付けられれば誰に対しても怒りますし、求める獲物は相手が格下であっても堂々と横取りします。


 ※蜥蜴(トカゲ)の魔物=リザルフォス


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出発の夜

○前回のあらすじ

 勇者「都会の英傑全員とガーディアン同時対戦とかマジ無理ゲー。仕方ないから田舎の弱い者いじめて回るべ? 舎弟達にも声掛けて集団でボコるとかどうよ! そんで正義漢ぶった連中引っ張り出せたら、儲けもんじゃねw 」
 賢者「よくぞここまで……そなたこそ、紛うことなき勇者……」

 タン♪ タララ♪ ラ~~ン♪




   *   *   *

 

 

 やがて太陽が最も高く昇る時刻に至った頃、俺達の長い会合は終わった。

 

 一日の中で最も強く大地を照らす光は、今は錦秋(きんしゅう)の色に飾られた四季の森を煌やかな暖色に輝かせている。

 柔らかく賑やかな色合いには、限られた季節でしか誇ることを許されない豊かさが宿っていた。それは今少(いますこ)し遠征における経路や方針を詰めようと、性急に気負った心により狭まっていた視線すら奪うほどの絶景であり、言葉を発する行為は無粋であると俺達に思わせた。

 その場に偶然生まれた、無言の空間。それは会合の終わりとなる切っ掛けとしては十分であった。

 

 

 そうしてしばらく【二つ岩】から見渡せる美景を見渡した後、一度俺達は解散。

 お互いに身体を休め、装備を整えた上で再び合流、夜が更けるのを待って出発となる。

 

 「会合後すぐに出立」という速度優先の選択肢は、道中における〈安全〉と〈秘匿〉の重要性を踏まえた段階で即破棄となった。これには俺と彼、二人の見解も一致している。

 食糧や水などは道中でいくらでも確保できるが、武具はそういう訳にもいかないというのも主な理由だ。既にして小規模ながら魔物の襲撃が各地で発生している以上、早々にその討伐に動いているかもしれない人族の強者と、不意に遭遇する可能性を無視することは出来ない。

 "剣"の強者に並ぶ個体がいるとは思えないが、世界は広いのだ。

 あの存在が念頭にあればこそ、万が一にもそれに近しいレベルの未発見な個体と遭遇し、なおかつ敵対してしまった場合。会合で身に纏っていた狩猟を目的とする気軽な装備では、満足に立ち回れるはずがないと考えたのである。〈安全〉を考えれば、武装の充実は最低条件だ。

 

 加えて最上位の戦闘力を誇る一族であるところの我々が、その同族達と接触するために地方を回るという行動は最も〈秘匿〉されなければならず、これが露見されることは最も避けるべき事態として警戒しなければならない。

 人族に対し《各地に強者を派遣しなければならないが、それは単独でも対処可能である》と演出するためには、これから各地方で次々に発生させる予定の大小規模が入り乱れた魔物の襲撃を、あくまで無計画かつ散発的な襲撃だと誤認させる必要があった。

 最終的な作戦の大目的が"剣"の強者を単体で引き摺りだすことにある以上、魔物の側に()()()()()()()()()()()()()()()()()が存在することを掴まれてしまうことは非常に厄介である。その魔物こそが、真に警戒すべき対象であるという意識の発生を許すことになるからだ。

 

 特に我々は一体であっても、人族にとっては徒党を組んで挑んだとしてなお全滅させられることもあるほどには恐ろしい存在なのだ。奴らの先祖達に支払わせ続けてきた莫大な血によってもたらされた教訓は、人族に我々の戦闘力はもちろん、生半可な戦術では見破って突破される知性の高さを突きつけている。

 討伐隊を組んで攻めてきた歴史もあることから、奴らは我々が個々の縄張りを持ち、その場所に定住して以降は外界とほとんど干渉しない特徴を持つことも承知しているだろう。そのような魔物が二体、連れ立って人目につくところを移動している姿などを複数回目撃されては、その足跡を辿るように大規模化するだろう、魔物の襲撃とやがて結びつけて考えることは決して難しい推理ではない。 

 そうなれば、全ての強者を引き上げて襲撃への対処自体を取り止めたりはしなくとも、少なくとも最強の駒を遠征させるようなことはしなくなるだろう。深刻な事態に発展するまではその「主犯」を警戒し、大事に温存される恐れもあった。

 

 行動の露見はそのまま、作戦の失敗に直結している。

 

 次善の策が無い以上、準備時間を与えることを恐れるならば、呼び集めた魔物による一斉攻撃という、強者の巣へ向けた突撃を行うか。それとも古代の兵器群を含めて人族が準備を整える姿を放置してコチラも戦力を蓄え、復活した直後の魔王を援護する形で攻め込むか。

 どちらにせよ、この作戦が失敗すればより厳しい戦いを強いられることは確実となる。

 

 だからこそ求められるのは、夜半にこそこそと移動するような行いに始まる、自らよりも遥かに弱いはずの雑兵の視線すら恐れるような、戦士にあるまじき臆病な間者の振る舞い。

 ――そして不幸にも人族が俺達を発見した時、それがどれだけ儚く脆い存在であっても必殺を徹底するという心構えである。

 

 姿を見られたなら殺す。

 戦を知らない女子供であっても殺す。

 喰らうことが目的ですらなく問答無用で殺し、死体はただ埋める。

 

 全ての準備が整い、"剣"の強者を目の前に引きずり出すその時まで、俺達に繋がり得る一切の情報を人族に渡すことは許されない。俺個人が抱える戦士の誇りと魔物の未来を背負った【ライネル】の矜持、どちらを優先すべきかは比べるまでもないと信じている。

 

 

 ……個人の考えは挟まずに、今回の遠征を立案したことに偽りはない。

 しかしながら、決定の全てを俯瞰的な視点で支えられたという訳でもなかった。

 

 彼にはあえて言わなかったが、夜に出発の時刻をずらした理由は、何も「人共に発見される可能性を下げる」というだけではない。世界を大回りに一周する強行軍を、徹夜明けの老体に強いることは憚られる、といった個人的な思いも含まれていた。

 三日三晩寝ずとも何ら問題などない、若い我が身とは違う。

 今の彼は有事に際、全盛期の1割も動くことはできないだろう。そこに疲労の要因を加えようものなら、万が一という事態も起こってしまうかもしれない。

 

 今回に限って言えば時間は有限であり、作戦に費やす時間は短ければ短いほど望ましい。

 

 当然、俺一人の方が移動は早い。

 日程も短縮できるため、人間の準備時間を出来るだけ与えたくない視点に限って言えば単独で行動するべきではあったのだろう。

 彼を連れて移動することは行軍速度が遅くなることに加え、頭数の増加に伴って発見される確率が上がるという明確な危険もある。

 行動の露見を避けて慎重に事を推し進めるならば、彼の同伴は避けるべきなのは間違いなかった。

 

 ――しかし『主だった魔物の協力を呼び掛ける』という、そもそも地方を巡ることになった目的を主眼に置いた時、『彼を同行させること』は移動中の危険管理を差し引いたとして、なお優先させるべきメリットを持っているのだ。

 

 子鬼、大鬼、蜥蜴の魔物。彼ら程度なら力だけで屈服させることも可能だろう。力のみ信奉し、本能で生きる魔物達だけであれば、その説得と統率は俺だけで事足りる。

 

 しかし、そうではない存在。

 同種族である一族が相手となると「力任せで即解決」という訳にはいかない。

 ……そして、そんな面倒な者達を説得する時にこそ、彼の存在は覿面といって良い効果を発揮するのだ。

 

 

   *   *   *

 

 

 圧倒的な武力と優れた知力を持つがゆえか、己の身一つで世界に存在できるようになって初めて一人前と扱われる我が一族。そうした風習も手伝ってか、団体行動や他者に歩調を合わせるといった、群れを成して生活することは基本的にない。

 成体となってなお、(つがい)でもないのに常時同じ場所で過ごすといった個体は稀ですらあった。

 

 そうして里に定住する者でない限りは、一生のほとんどを孤独に暮らすことの多い我らはやがて、1人1人がその胸の中に完結した価値観を確立する。

 それは他の生物と比べてなお永い寿命すら持つ強者として、容易に多くの生命を左右できる力を持つ我々が世界と付き合っていく上での、姿勢と言い換えても良いだろう。

 

 【ライネル】の称号を引き継ぐ者が代々、「己は魔物の繁栄を守る存在であること」を自らに課す傾向にあるのは置かれた環境、求められる立場がそうさせるのかもしれない。

 対してこれから向かう地方に棲む彼らは、取り巻く地形や気候はもちろん、関わってきた者や環境も当然それとは異なる。個人単位で世界と向き合える同族は同時に、己とは違う道のりを経て全く違う視点を持つに至った成体でもあるのだ。

 

 その中には、今回の我々の目的に沿わない矜持を持った者も当然いるだろう。

 現にかつて世界を旅した彼が出会った同族には、それぞれ戦闘とは別の楽しみを見出して以来、世間との関わりを一切絶って、人跡未踏の地に引き籠ってる者も多いのだという。

 

 向かった先にいる同族が厄災の気配に気付いていたとしても、能動的に他者と関わることや、魔物を率いることに否定的な考えを持つ者であった場合、出会い頭に協力を要請したとしても即快諾とはならない可能性は高い。

 そんな者達をそれぞれ説得しようと全ての経緯を説明していては、とんでもない時間が掛かってしまうはずだ。そうしている間に人族の戦力が整い切ってしまっては、全てが水の泡となる。

 

 では殴って言うことを聞かせれば解決するのか? と、単純な答えにも繋がりはしない。

 同一種族である以上、スペックが他種族と比べて俺と肉薄しているため、戦闘行為を繰り返しては消耗が激しすぎる点のみではない。継続してその場所に貼り付けない、俺達の事情が問題だった。

 人族に対する魔物の襲撃を世界中の同族に呼び掛ける必要がある以上、その場に居残って目を光らせるという選択肢が取れないのである。力で無理矢理屈服させても、その後目の上のたんこぶが取れたとばかりに自由に行動されては意味がない。

 彼ら個人の矜持に作戦の意義を落とし込ませ、十全の力を振るって貰うための理解が得られるのならば、点在する人間の拠点を襲撃する際、その武力と知力は他の魔物を統率する中核的な役割を果たせるはずである。

 

 

 だからこそ同族たる彼らだけは力ではなく、理で引き込む必要性があった。

 しかし、それを短期間の内に成し遂げることは容易ではない。

 

 

 【ライネル】。一族の中で最強を誇る存在に贈られる称号。

 歴史もあり、時代の一人にしか許されないこの二つ名は、力に対する敬意や信仰を集めるものではあるが、それだけでもあった。

 この称号に、一族の者達への命令権がある訳ではないのだ。

 

 しかし今回は、世界の危機という漠然とした空気を明確な言葉にして理解させ、なおかつ今の生活を守るために必要なこととして、強者の矜持を一時とはいえ捨てさせなければならない。

 他の魔物を率いた多勢によって、肉体的に劣る人族を蹂躙(じゅうりん)する行動を素直に是と答える同族が、果たしてどれだけいるだろうか。

 

 【ライネル】の別名には、【勇者】という俗称もまた存在する。

 もしこの単語が他の種族にもあるとして、それがどういった意味となるかは不明だが、少なくとも我々にとっては「勇気を振るう者」「最強の戦士」「魔物の守護者」という意味でしか語られないこの単語に、「人を率いる者」といったニュアンスは込められていなかった。

 1人でも十分過ぎる戦闘力を誇る我々が、種族の危機を感じて団結する事態など、伽話(とぎばなし)の世界にしか存在しないのだ。

 

 戦闘における助言の類であれば無類の補助となるこの輝かしい称号に、今回の目的に沿うような都合の良い付加価値は無い。

 そしてこの称号を抜きにすれば、成体の中ではまだ若年の扱いを受ける俺自身の言葉だけで、酸いも甘いも味わい尽くしてきた経験によって築かれた彼らの信念を、早期に曲げさせることは非情に困難だと言わざるを得ないだろう。

 

 

 ――今は【賢者】と称えられる、元【ライネル】の彼が共にいなければ。

 

 

 

   *   *   *

 

 

 ……考えられる限り最も強力な武具を身に纏い、再び訪れた【二つ岩】。

 

 そこには昨日の夜と同じようにして、彼が一人佇んでいた。

 まるで同じ時を繰り返したかのような光景ではあるが、お互いの武装はまるで変わっている。

 

 「殺すための戦い」に赴く際に装備する、自身の最強装備。

 これを身に着けたのは、果たしてどれほどぶりのことだろう。

 

 彼は自身が直接譲った、『獣王』の名を冠する装備一式を持ち出した俺に笑い掛ける。

 

 「まだ壊れていなかったとは驚きだな。何年もその槍や弓を見ていなかったから、てっきりとうの昔に使い潰してしまったのかと思っていたぞ。

 ……手入れはしていたのか? 特にその弓などは本体はもちろん、弦すら金属を編み込んで作ったこだわりの特製品だったからな! いざ用いた時に弦が切れましたと泣きつかれても敵わんのだが 」

 

 そう言ってからかう彼は、懐かしの武具を久しぶりに目にした感慨もあってか、どこか楽しげである。そして、この装備群を陽の下に出すのは実に久しぶりであることは事実であった。

 嬉しいサプライズを受けたとばかりに声を弾ませる彼の姿を見るに、たまには披露するべきであったかと少し申し訳ない気分にもなる。

 

 しかし【ライネル】を賭けた一族の決闘にすら、最近はコレを持ち出すことはなくなったのだ。彼と会った時に行う狩猟程度には、あまりにも過ぎた代物であると言わざるを得ない。獣相手では使ったが最後、射られた部分を根こそぎ吹き飛ばし、肉の大部分を損なうことになるのは請け合いである。

 近接戦闘に用いる武具は悩んだ結果、移動が大半となる遠征である以上、走りながら振るうことに真価を発揮する槍を選んだ。懐に入り込むような敵がいれば、腕に巻き付けてある三枚の刃で構成した盾で切り裂き潰すつもりだ。

 

 手入れを怠っていないことを示そうとしたところ、近づく彼の装備に違和感を抱いた。

 弓と盾はいい。それは俺が今背負っている得物を譲った後、自ら時間をかけて作り出した逸品らしく、常日頃から彼が使い込んでいるものである。

 形状はこの「獣王の弓」と「獣王の盾」に酷似していたが、構成するパーツのほとんどは用途に合わせた特性を持つ、厳選された木材によって作られていた。老いた彼でも楽に取り回せるその装備はなるほど、この遠征へ携えるに相応しいだろう。

 

 しかし背中に背負った片手剣。あれは俺が知る限り、彼の所持品の中には無かったものである。

 漂わせる雰囲気から決してナマクラの類では無いことは分かるが、秘蔵の業物としては首を傾げざるを得ない(こしら)えだった。

 何より、擦ったような小さい傷が目立つ。使用に耐えるかどうかは刀身を確認しないことには何とも言えないが、彼がそのお粗末な状態の剣を良しとしている姿はどうにも収まりが悪い。

 

 往年の彼は遠距離からの正確無比な狙撃を中心に、大小織り交ぜて火球の目くらましを放つ戦闘スタイルを好んでいたが、いざ接近戦に持ち込まれても、剣と盾でもって攻撃を巧みに捌き切る技量も当然のように備えていた。

 そうした時咄嗟の命を預ける武具を、消耗品であっても大切に扱う精神を持つ男であった彼が、攻撃力に影響しない(さや)部分であっても傷を放置しているのはどうしたことか。人より自分の武具の心配をするべきではないのか。

 

 そう思って問い返してみれば、彼は苦笑いしながら手持ちの刀剣は修理している最中であり、これは俺と別れた後、再び合流する前に偶然手に入れたばかりの拾い物であると語った。

 

 刀身の状態を見せつけるような、芝居がかった態度の彼によって鞘から抜き払われた剣は、なんと外気に触れた一瞬で刀身を赤熱させていた。

 夕陽の照り返しに目が眩んだわけではなく、その剣は鮮やかな赤色を刀身に宿らせたままの状態を維持している。振るえばその紅は灼熱の炎となって吹き出すだろうことを予感させるほどに、刀身を囲む空気をその熱によって歪ませていた。

 

 ――炎を宿した魔法の剣。

 間違いなく、現代には失われた製法によって作り出された刀剣だった。

 

 古の時代には亜人族の鍛冶職人によって鍛えられたという話だが、今ではその技術も失われていたはず。俺も魔法剣自体を見たことは何度かあったが、それらは全て人族の中でも高位の実力を持つ者に限られていた。

 火炎の剣に限って言えばそれこそ、一度か二度見かけた記憶があるかといった程度だろう。……間違っても、道端に落ちていて良い剣ではない。

 

 魔法剣を持っていた者ならば、その種族ではそれなりに名の知られた存在であることは間違いない。この剣の元の所持者はどうしたのか。殺して奪ったならば、その死体の痕跡を隠さなければ。獣に喰わせるか、地面に埋めるか。行方を探す者が近辺に現れるかもしれないが、死因からこちらの存在を気取られる可能性は潰さねばならない。

 

 仮にも賢者と呼ばれる彼が、出発前早々に計画を破綻させるようなミスを仕出かすとは思わないが、俺と別れてから合流するまで半日しか経っていないのだ。

 死体は未だそのままという可能性もある。

 

 念のため確認しなければ――

 

 

 

 ミシ、ミシミシィ……ベキッッ!

 

 

 突然の事態に浮かぶ思考を抑えつつ、再び彼に問い掛けようとした直前。

 遠く北の方角から、いくもの木がへし折れるような音が鳴った気がした。

 

 思わず耳をそばだてると、何か、とてつもなく重いモノが地面に叩き付けられた時に起こりそうな地鳴りの音が、ゆっくりとその音量を上げていた。

 

 やがてその震源地は、連続したリズムを刻んでコチラに近づいていることが、【二つ岩】のアーチを伝って登り、俺の蹄をコツコツと叩く振動が、徐々に強くなってゆくことからも分かった。

 

 

「あぁ、気付いてしまったのだなぁ 」

 

 ――隣から小さく、そっと零したような呟きが聞こえる。

 

 

 あぁ、なるほど……。

 殺された人族は、最初から居なかったということか……。

 

 

 音の正体に検討がついた俺は、とりあえずその方向を見やる。

 

 見晴らしの良い天然のアーチから向けられた視線に臆することなく走ってくるのは、魔物の中では大きい存在である俺達と比べても、なお見上げねばならないほどの体躯を持つ巨人。子鬼の体をそのままに、肉のつき方だけだらしなくさせて比率を膨らませたような体格を持ち、へし折った木の幹だったものを、小枝を扱うかのように右手で掴んで振り回している。

 そしてその顔の中央、一際印象的な特徴である縦に裂けた大きな眼は限界まで開かれ、彼が持つ魔法剣へと視線を固定していた。

 

 

 彼が剣を振れば、口から涎を撒き散らしながら何かを吠え立てる。

 

 その様子を見て、確信してしまう。

 

 

 「あれは最近になって、ここから北側にある池のほとりに棲みついた一つ目の巨人でな。この魔法剣を首からブラ下げているのを見かけたのは一昨日のことだ。

 丁度武器を痛めてしまっていた折、急遽決まった今日の出立に間に合わせるため、申し訳ないとは思ったが拝借させてもらった。

 ……眠っていることは確認していたはずだが、まさか追いかけられるとは思わなんだ…… 」

 

 

 一つ目の巨人が持つ習性として、光り物を首からブラ下げることを好むというものがある。

 

 鳥類に特に見られる、異性へのアピールとしての意味合いがありそうなその行為から察するに、赤く光る剣は大層なお気に入りだったに違いない。複数個の煌びやかな刀剣が括り付けられた首紐の中心、そこに今は空いてある大きなスペースが、それを物語っている。

 

 恐らく盗まれた時点では気付かなかったのだろうが、目覚めた時に失くなっていたその宝物を探していた時にでも、彼が抜刀してしまったのだ。

 太陽が暮れたこの薄暗がりにその見慣れていた愛しい光はとても、とても目立つモノだったに違いない。あんな勢いで走ってくるのも当然だった。

 ……【二つ岩】の足元まで辿り着いたその被害者は、足元の石を拾い上げ、次々に投擲を試みる。

 

 

 しかしいかんせん、アーチは高かった。

 

 

 巨人の想いが込められたその石は、岩の上面に陣取った俺達に届くことなく、空しくアーチの下を潜り続ける。

 

 充血した目は真っ赤に染まっているし、頭に血が昇り切っているのは一目で分かる有様である。何としても取り返してやると石を放り続ける姿からは、【二つ岩】の根本まで回り込み、この岩の突端まで登ってくるという考えをしばらく思いつく気配はなかった。

 

 

 ……ここにきて、俺は小さくない疲労感に襲われていた。

 

 彼が強力な武具を求めて、巨人からその剣を盗み出したのは分かる。

 自身も多用する火球の特性への理解から火炎の魔法剣を上手く扱えたならば、俺や彼の予備武器を持ち出すよりも、様々な状況で有利に立ち回れると考えたのだろう。

 夜半の行動中は光輝く剣の使用など当然厳禁であるが、いざ戦闘になった際には大いに役立つことは間違いない。そして普段は、弓と盾だけを用いてくれれば良いだけである。もしもの場合、元々彼には後衛として動いて貰うつもりだったのだ。

 

 巨人を殺して奪わなかったのも、同じ魔物であることに加えて、所持品を盗むという行為に後ろめたさがあったためだろう。その良心の呵責から出たせめてもの行為は、巨人に気付かれたことでご破算となってしまったが。

 

 

 そして彼に巨人を追い払わせることもまた、忍びなくもないのである。

 

 「窃盗が発覚したので、その被害者を叩いて追い払いました」という様は、どう取り繕っても醜態である。俺は尊敬する恩人が、情けなく背中を丸めた姿など見たくない。

 であるならば、俺が対処する他無いのではあるが……

 

 眼下の巨人がいた場所を、もう一度見下ろす。

 果たしてそこには正しい怒りに燃えた巨人が立っており、視線が重なった俺を睨みつけていた。他種族とコミュニケーションを行う知性を持たない一つ目の巨人と言葉を交わすことは不可能であり、言い聞かせて交渉するという手段が取れないことが歯痒くて仕方ない。

 

 ……正直に言えば魔法剣を返して解決としたいのだが、こちらにも譲れない目的がある。勝手な話なのは重々承知ではあるが、その成功率を少しでも上げるため、この火炎の剣の存在を知った以上は返すわけにはいかなかった。

 

 ――太陽が沈み、夜の時間が訪れた。

 これ以上巨人に対して時間を掛けるわけにもいかない。出発の時だった。

 このまま放置して遠征を開始しても、その怒りを(ほぐ)さない状態で放置しては、どこまでついて来るか分からない。あの巨体で騒がしく後ろを追われてしまえば、隠密も意味自体が無くなってしまう。

 

 「獣王の弓」に矢を2本番える。目標は右足と両足。その膝下内側の筋肉だ。もちろん眼球といった、取り返しのつかないことになる可能性のある箇所を狙うようなことはしない。

 ふくらはぎの内側の一部を同時に抉り飛ばし、その痛みで俺達を忘れてもらう。もし俺達への怒りが痛みを忘れさせても、しばらくの間は筋肉の損傷から早く歩行することも叶わなくなるはずだ。

 世界を巡ってこの地に戻った時には、必ずこの行為の謝罪と治療はさせて貰うと、自分の行いへの弁明を心の中で繰り返しながら、全開時の半分ほどの力で引き絞られた弦を開放した。

 

 王を冠した弓から放たれた2本の矢が静かに空気を切り裂く。手厚い整備を欠かさず受けていた証を示すかのように、盗難を受けた被害者の肉を優しく抉ったことを確認しながら、ふと思う。

 

 

 ……この遠征中、弓を最初に射る時は戦士の誇りを捨てて【ライネル】の矜持を守るために射るものとばかり思っていたが。まさか身内の窃盗行為を誤魔化すために構えることになるとは……

 

 

 込み上げる苦々しさは、きっと覚悟していた感情とは違う。

 けれど本来の意志に沿わない思考から放たれた矢であっても、目標を外すことなく貫いた結果は、俺に小さな安堵を与えていた。

 

 

 

 ――苦痛と怒りを宿した絶叫が、夜の空に響き渡る。

 

 ――その叫びは魔物の未来を賭けた、俺達の旅の始まりを告げたのだった。

 

 

 




 感想で優しくおだてて下さる方々のお蔭様で調子に乗った結果、ダイジェストで終わらせるつもりだった二人の遠征シーンが、前後編に膨れました。
 火炎剣ゲットのヒノックスシーンは、原作リンクの「勇者がそれでいいのか?」という振る舞いをリスペクトして、多少のお茶目が勇者にも必要かとやや冒険しています。
 今後話が進む上で浮き過ぎるようであれば、もしかしたら修正するかもしれません。 

 余談ですが、原作最終ステージでは「本丸」を除き、城の重要部である「二の丸」「三の丸」の防衛を二つとも任されるほどラスボスに重用されながら、通常フィールドではイワロックやヒノックスにも劣る通常の魔物扱いであるライネルさん。
 マモノショップのキルトンは本編クリア後のお楽しみ要素として、フィールド上に存在する巨大モンスターを種類ごとに全討伐すると「イワロックキラーの証」などを渡してくれますが、そのリストに雑魚魔物扱いのライネルは存在しません。……こいつ何も分かってねぇな!

 反発してライネル族を特別扱いした結果、主人公だけでは連合に参加させることすら難しい気位の高さを獲得してしまったというジレンマ。

 ※一つ目の巨人=ヒノックス


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『厄災』討伐作戦 ~東の大集落にて~

○前回のあらすじ

 勇者「装備を整えよう。一番強い武器持って集合! 」
 賢者「ねんがんの 火炎の剣を てにいれたぞ! 」
 ヒノックス「な なにをする きさまらー! 」
 勇者「すまない……すまない…… 」

 ※前回との時間が吹っ飛んでいるようですが、今話は『出発の夜』の続きで間違いないです。




   *   *   *

 

 

 「ギャッギャゥ!……ギガッ!? 」

 

 ヤツらの族長と向き合っていた俺の不意をついたつもりだったのだろう。後ろから勢いよく飛びかかってきたそいつを、身体の向きを変えないまま後ろ脚で蹴り飛ばす。

 襲撃者は、周りを取り囲んでコチラを伺っている赤色の体表を持つ者達よりも、いくらかの戦闘経験があったらしい。恐らくは死角であったはずの地面から飛んできた迎撃に対して、手に持っていた棍棒を自らの身体の前に差し込ませてみせたことが、その棍棒を砕きつつも骨を折るまでには至らなかった蹄の感覚で察せられた。

 

 骨を折るつもりで放った一撃に返ってきた意外な手応えに、それを防いだ存在に若干の興味を覚える。受け流されたりその場にこらえられた訳でもなく、吹き飛ばすこと自体には成功していたので脅威を感じるほどではなかったが、違う武器を探して再び掛かってくるかもしれないと、頭だけ振り向かせてその姿を確認する。

 肩越しに見える視界には、その濁った黒色の体表を持つ個体が、砕かれた棍棒に巻き付けていたらしい固く尖った骨を脇腹に突き立たせ、仰向けに倒れこもうとしている姿があった。

 骨は相当深くまで腹に突き刺さっているらしく、苦悶の表情らしきものを豚顔に浮かべていたそいつの傷口からは、抑えた手では止めきれない血が溢れている。重症だ。あの体格にしてあの血の量は、放っておけば命に関わるだろう。

 

 ドサッ、と。まもなく倒れた姿の四肢からは力が抜けており、最後まで握り込んでいた棍棒の残骸も、倒れた拍子に手の中から零れ落ちた。それを見た外野の赤色達が、悲鳴とも驚きともつかない鳴き声を上げながら救護に走り寄っている。

 血止めなどの治療をするつもりなのだろうが、少なくともこの戦いに決着がつくまでの間、あの黒い子鬼が戦線に復帰することはないだろう。

 

 ……俺に向けられる周囲の赤色達の、恐怖や焦燥感がより強く増したことが感じられる。

 どうやら、あの黒色は群れの中でも相当な強者であったらしい。そんな存在が後ろ脚の一撃で武器ごと沈んでしまったことで、彼らの危機感が一気に煽られたようだった。

 まだ敵意を持って俺を(にら)める個体。目の前の黒い大鬼の警戒心が更に高まった様子からも、あながちこの考えは間違っていないだろう。

 再び正面に戻した俺の視線を受けて、これまで決然とした顔つきを崩さなかった統率者の顔に浮かぶ、小さくも確かな怯えの色。

 俺が後ろを肩越しとはいえ、振り返っていた隙にも掛かって来なかったことからもその弱気は察していたが、こうなると後は向こうの出方次第といったところか。最初は多勢に無勢であった戦闘も、残るは一対一のこの状況。俺が余力を十分に残していることを知らしめるためにも、焦って襲い掛かることもないだろう。

 玉砕するも良し、降参するも良し。辺りに蔓延する雰囲気は暗く静かであり、見守ることしかできない周囲の者達も含めて、彼我の戦力差は十分に理解したはずである。素直に降参を選んでくれた方が、話が早くて助かるのだが。

 なかなか決心がつかないらしいその最後の一体の決断を待つ間、俺はここに至るまでの道のりに思いを馳せることにした――。

 

 

 

 ――大陸を大回りに巡って辿りついたこの地には、南に広がる樹海に存在した蜥蜴(とかげ)達の集落に勝るとも劣らぬ、これまでの魔物の群れの中でも最大級を誇る子鬼と大鬼で構成された大集落があった。

 まるで嵐の海に逆立つ高波のように綿々(めんめん)と連なる南東の山脈にあって、ぽっかりと取り残された浮島のように開けた雪原。高山を挟んだ反対側には人共による集落があるにも関わらず、人に攻め寄られた様子がないことから察するに、未だこの地は露見していないのだろう。

 俺自身、おおよその場所を事前に把握していなければ見落としてしまっていたかもしれないほど巧妙な場所に、この集落は存在した。

 ……いや、集落という表現には語弊があるか。

 人族の拠点に見られる石造りの壁のようなものこそ備えていないが、周囲にはいくつもの(やぐら)を組んで侵入者を警戒し、地面には棲み処へ一直線に突撃できないようジグザグに配置された馬防柵が並んでいる。外側に対して向けられた丸太の突端は鋭く尖り、見せかけの作りではないことも察せられた。

 生活のための『集落』ではない。戦うための『砦』がここにあった。

 そして魔物達もまた、これまでの集落とはその層が違った。これまでの平均的な集落において見かけた子鬼や大鬼の上位存在は、一つの群れに対してせいぜい2~3匹であったにも関わらず、この場に集まっていた青色、そして黒色の体表を持つ者達の数は、今朝捕まえた魚の鱗を思わず想像させるほどだ。全体の母数を考えれば、赤色の数も

 はっきりと桁が違うその戦力に、よくもここまで集まるまで大人しくしていたものだと驚いたものだ。群れの長は、よほどのカリスマを持った存在だったのだろう。

 

 事実、俺がこの地に訪れた時、青と黒によって固められた集団の先頭に立つ古傷にまみれた黒色の大鬼の姿には、確かな風格が感じられたものだ。

 本来子鬼や大鬼の生活圏とは言えない雪原の中に砦を構えた上で、微かながらも世界に漂う魔王の魔力に狂わず配下も統率し続けた器は、なるほど長に相応しい。"力こそが全て"の価値観を持つ魔物である鬼族を率いている以上、その実力は群れの中でも突出しているに違いない。

 俺がここに来た理由は、前もって東や南にいる部族からの()()によって知っていたはずだが、それでも即服従することは良しとしなかったのだろう。「我らを従えたいのなら力を示せ」と、50は超える戦士の群れで襲い掛かってきたのである。

 事情を知りながらも力を以って屈服したいというのならば、言葉を駆使する必要もない。その魔物らしい対応は、俺も好みとするモノだ。

 号令の雄叫びのもと打ち出された数十の矢を、背中より抜いた槍を連続で回転して切り払ってみせたことにより、この戦いは始まったのである――。

 

 

 

 「……ブゥアァァゥッ!! 」

 

 その族長が葛藤の末、とうとう選択した行動は、降参ではなく突撃だった。

 長く伸びた豚鼻の上に走る特徴的な一筋の古傷を歪ませた表情は、異種族ながらも分かりやすい決意に彩られている。

 統率者のプライド。それが後退しようとする足を留め、俺に一矢報わせようとしているのか。

 繰り出してくる大きな両手棍は、獣の骨で固く覆われて補強された面がしっかりと俺に向けられており、その攻撃が我を失くした末の盲目的な特攻ではないことを伝えていた。

 歪な骨の凹凸に裂かれて濁った風切り音をかき鳴らす凶器が向けられた先は、人馬の境となる胴部。脚や頭では、これまでに見せつけた技量の差から避けられると判断したのだろう。当てやすく、けれど防がれやすいその場所を狙ったのは、防がれてもその勢いと重量によってコチラの体勢が崩れることを期待したのかもしれない。

 実際、脚を持ち上げてくぐらせることや、伏せて避けることも一見不可能に見える絶妙な位置を薙ぎ払おうとするソレは、今日の戦いで見た攻撃の中で最も速く、巧みな一撃であった。

 

 ――しかしその乾坤一擲(けんこんいってき)を掛けた一撃も、【ライネル】にとっては些細な「抵抗」でしかない。

 

 二の腕に(くく)り付けた盾を持つ左腕を避けて、俺から向かって右側より襲い来る両手棍。跳躍して避けることは造作も無いが、敵大将が放つ最高の一撃を避けてしまっては、この集団を心底から屈服させることは不可能だろう。

 命を賭けた作戦を強制させることになる以上、この戦いは圧倒的な力でねじ伏せる必要があった。

 後になって振り返った時、あの一撃が当たってさえいれば、などという「もしも」を作らせる余地を与えるつもりはない。

 

 ではどうするか。右手に抱えていた槍で切り飛ばすことも一瞬考えたものの、族長が愛用する武器を失わせては、今後のリーダーシップに支障が出るかもしれないと思い直す。俺がこの地に常駐出来ない以上、強者として安定した君臨を果たしていたオスの求心力を無闇に下げる必要はない。

 

 ……そうした諸々の事情を踏まえた結果。

 俺は槍を左手に持ち替え、素手となった右手を両手棍に対して差し出していた。

 右腕を突っ張るように伸ばして五指も大きく広げた手のひらを、攻撃が通るだろう軌道上に置く。また、『全力』で力を込めれば鋼と化せる筋肉をそのままにしていては、それとの衝突に耐えられず、族長が持つ得物の方が砕けてしまうかもしれない。

 狙われた胴部から上の上半身は弛緩させ、その時に備える。

 

 ――手のひらに両手棍が触れる直前。

 肩幅に開いていた左前脚、その膝より下を持ち上げ。

 

 ドドン!!

 

 ――手のひらに両手棍が触れた直後。

 宙に浮いたその蹄を、元の位置よりやや外側の地面へと叩きつけた。

 

 2つの音が重なり合ったような激突音が響いた一瞬後、雪原に降り積もっていた厚い雪が高く舞い上がり、俺と族長の周囲を雪煙となって包み込む。

 自らが所属する陣営の明らかな劣勢に静まりかけていた周囲の観客達は、自分達のボスが放った一撃によって引き起こされたようにみえる尋常ではない光景に、息を吹き返したかのような喝采を上げた。

 もちろん空中へ大量に吹き上がった雪は、俺が雪原に向かって蹄を打ち込んだことに起因するモノだ。しかしこれは、相殺するためにはこれだけの勢いが必要となるだろうと判断した、族長の誇りを賭けた一撃に対する俺の評価でもある。

 結果として、相手の力不足によってこちらが勢い余ってつんのめり、丁度2人の姿を隠す程度の規模しかない白煙から姿をハミ出させるといった事態は起こっていない。今も両者が白い幕に包まれているのは、俺が地面を叩くことによって得た推力を、族長の一撃が完全に殺してみせたという証だと言えるだろう。

 

 ……もっとも、お互いがその場から動いていないという結果は、俺がその威力に押されて後ろへと態勢を崩すこともなく、薙ぎ払いの一撃を完璧に抑え込んだという事実でもあるのだが。

 

 本気で地面を叩いたなら、この巨体をしばらく空中へと留まらせるほどに強靭な脚力によって生み出した推力は、繰り出される一撃とは逆向きの力となってその大部分の威力を相殺させていた。そしてわずかに残った勢いも、しなやかに脱力させた上半身の筋肉とバネによって、残り3本の脚を動かすことなく吸収され尽くしたというのが、2人の身体が動くことなく雪煙の中に留まってる事態の真相である。

 一族の望みを託された族長の力は、俺の体の軸を揺らすことすら叶わなかった。

 

 受け止めた瞬間に爪を立て、引き戻されないように確保していた棍は、その爪によって傷つけてしまった固い骨の箇所を除き、目立った新しい損傷は負っていない様子であることは確認できた。――おおむね、全ての要件は満たされたと言えよう。

 

 ならば後は、この戦いに決着をつけるだけ。

 捕えた両手棍を握り締めた右腕はそのままに、左腕の槍をぐるりと半回転。刃を付けていない側の石突(いしづき)部分を相手に向ける。

 後の目的のためコチラに優れた戦士を殺すつもりは無いにしても、最後まで戦う意思を捨てずに挑んできた者に武器を奪って終わり、という結末は納得できないだろう。

 

 わずかな隙も見逃さないとばかりに細められていた目を今は限界まで見開き、異種族である俺にも分かりやすい驚愕の表情を浮かばせる戦士の長。

 勇猛果敢に戦ったその闘争心を認めながらも容赦はしない。

 俺は貫通しない程度の加減を加えた石突を、その腹部に向かって突き出した。

 

 ズドッッ!!……――ドザァ、ザシャシャァン……

 

 低く短い、悲鳴とも(うめ)きとも取れる音を口から漏らした大鬼は、その長身をくの字に折り曲げた恰好のまま、薄れ始めた雪煙の空間を突き破り、吹き飛んでいく。

 短い滞空時間の末に地面を一度跳ね、更にはもう一度地面に叩きつけられてからなお少し滑った身体は、うつ伏せの体勢をとった後にピクリとも動かなくなった。

 その族長の背中に、立ち上がろうとする雰囲気は皆無である。

 

 完全に声を無くした周囲の赤色達と、沈黙を守ったまま地に伏せ続ける青と黒の群れ。その雪原に相応しい無音の空気を破るように、『砦』の全体に響くだけに抑えた獣王の雄叫びを轟かせる。今より従うべき強者は誰なのか、魔物が持つ本能に理解させるために。

 

 長く伸びた耳を伏せ、一斉に頭を垂れる赤色達。

 俺の視線を浴びて縮こまる子鬼達の顔にはもう、わずかなわだかまりも残っていない。

 

 

 ――東の大集落、制圧完了の瞬間であった。

 

 

 

 

 

 ……全ての赤色が、戦いの結果を飲み込んだ様子を見届けた後。

 俺はまだしばらくは意識を戻さないだろう集落の元ボスに代わり、この戦いに参加して傷を負ったり、気を失っていたままだった者達への治療をさせていた。

 

 新しいボスの号令によって動き出した赤色達の行動は迅速であり、その動きに迷いはない。

 これまで自分達を率いていた存在が目の前で打ち倒されたばかりにも関わらず、唯々諾々(いいだくだく)と従う様子には思う所がないでもなかったが、今も赤色の大鬼達に両脇を支えられて運ばれてゆくあの誇り高い黒の大鬼が、事前に知らされていた()()に沿って戦士集団が敗れた際の取り決めでも言い含めていたのだろう。自らが命を落とした場合も考えて、事後の不手際で一族を全滅させるような結末を避けようとしたならば、この都合の良い流れも不思議ではない。

 そもそも、圧倒的な強者との力の差を理解した魔物という生き物は、自分の生命がいたずらに脅かされない限り、その上位者に対しては従順な存在だ。この地の族長が下した力で打ち負かされれば従うという判断は、戦士以外の一族達に余計な反逆心を持たさず、かつスムーズな権力移行を行える下地を整えるものであった。

 力だけを信奉する傾向にある大鬼には珍しく、弱者にも及んだ一族全体への配慮は素直に好ましい。この厳しい自然の中に砦を築いた統率力と合わせてまさしく、族長の器であると言えるだろう。

 

 ……そうして先程まで行われた戦闘を振り返りつつ、砦と化している集落の中を動き回る赤色達を眺めていると、西の空より1匹の魔物が飛んでくる姿が目に映った。

 それは一般的な蝙蝠(こうもり)に準じた大きさと形をした、一つ目の大きな魔獣であった。亜種も含めて様々な種類が全地方に広く分布しているが、その力は通常の獣と比べても取り立てて強力という訳ではない。

 

 だがこの魔獣こそは遠征で得た者の中で、かなり重要な働きを果たしている存在であった。

 いくつもの子鬼の部族に分かれた集落が寄り集まって形成された集落郡。西の地方を彼と巡っていた際、その土地を発見したことがこの遠征の手順を見直す大きな契機となったのである。

 

 

   *   *   *

 

 

 ――その集落郡の頭目であった年老いた黒い子鬼から聞いた話によると、元々多くの独立した部族が存在していたその西の土地にて、ある時に大規模な飢饉が発生したらしい。多くの餓死者を出すほどに追い詰められた子鬼達は、部族間の縄張り主張の食い違いから始まり、ついには直接的な武力行使による食料の奪い合いへと発展していったという。

 共食いするような凄惨な争いの末、生き残ったのはいくつかの部族。それも狩猟を担う戦士が討ち死にしていたり、メスが全滅していたり、子供が全て餓死していたり。それぞれが歯の欠けたようにどこかしら重大な問題を抱える有様であったらしい。

 多くの同族が死んだことにより、結果的に種族全体が餓死に追い込まれる当面の危機は去ったものの、それまで殺し合った関係にあるはずの互いと寄り掛からなければ生活もできない。そんな状況に直面して、とうとう子鬼達は互いの集落を寄せ合い、足りない部分をそれぞれの部族が補完することで生き残ることにしたのである。

 それが現在の西の集落郡を形成するに至る成り立ちであるが、通常の集落と違う点にその集落の一つ一つでは、自給自足を行っていないシステムであることが挙げられる。

 戦士を失った一族は生産を担い、戦士しか残っていなかった部族は狩猟を一手に引き受けた。そして成体の少ない部族もまた違う形で集落全体を支える仕事を作り出し、それぞれの分野に特化した集落が集まったコミュニティで生活が回っているという形式が今も続いているのだ。

 

 その中に新しく生まれた産業の一つ。

 それが蝙蝠の魔物を用いた周辺地域に住む子鬼との外交と貿易であった。

 子鬼という魔物は、自らの種族が持つ頭蓋骨を模した形状にくりぬいた大岩を好んで棲み処とし、その内部を生活の場とする種族だが、必ずしも単一の種族で暮らしているということはない。大鬼であったり、時にはゼリー状の魔物と一緒に生活している場合もある。そうした中で、子鬼とかなり高い割合で共生関係を築いている魔物こそが、蝙蝠の魔物なのである。

 

 そして西の集落郡の一画。成体の多くを失った一族の大岩には、失った個体によって広がった生活スペースを埋めるように、平均より多くの蝙蝠達が住み着くようになった。そして狩りも満足に行えないでいた子鬼達は、その魔物を使って何かが出来ないかを考えたのだという。

 一族は蝙蝠の生態を独自に研究し続け、一見無意味な試行錯誤のもと、やがて同じような形式の大岩の間を往復させることが可能ということを奇跡的に突き止めた。そして偶然か必然か、任意の大岩へと飛ばすことを可能とするまでの調教技術を、いつの間にか獲得することに成功していたということだ。

 

 残念ながらその奇天烈極まる調教の様子は、とても俺達の一族で流用しようとは思えない代物であったが、その成果たる「迅速な情報の空輸手段」だけは、是が非でもこの遠征を通して活用したいと考えさせるモノであった。

 俺達はすぐさま頭目と交渉。そして蝙蝠の魔物を飼育する一族の長老に、人間への攻撃を行う際にこの集落郡からは戦士達を抽出しないという条件の元、数体の蝙蝠を貸し出すことを快諾させたのである――。

 

 

   *   *   *

 

 

 西の空から飛んでくる蝙蝠の魔物。

 それが野生か、それとも調教を受けた個体であるかを見分ける方法は容易であった。

 野生の個体はそれぞれの縄張りの中をゆっくりと旋回するように、2匹連れ立って飛ぶのが基本的である。群れを成して飛ぶ光景も時折見られるが、今回それは除外しても構わない。つまり今、遠い空から一直線にコチラを目指して単独で飛ぶアレは、調教を受けた情報伝達を行う個体であると判断して良い。

 雪原に舞う雪の中、遠目にも確認できる蝙蝠の色は、ほのかに雷光を瞬かせる黄色。炎を宿した赤色ではないため緊急連絡ではないようだが、それなりに重要な連絡事項を持って飛ばされたモノのようだ。

 大集落の端、特徴的な大岩に降り立ったその蝙蝠。この地に到着して間もないため確率は低いが、もしその体に括りつけられた文が俺宛てであれば、子鬼の誰かが知らせてくるだろう。

 

 ……間もなくして、俺の元にバタバタと走ってくる赤色の子鬼が1体。その手には、獣の皮を薄くなめした物が握り込まれていた。予想に反し、あれは俺に宛てて送られたものであったらしい。

 受け取った皮は小さく、広げても手のひらの中に隠せてしまうほどの大きさであり、そこに書かれている文章もそう長くない。そこには、見慣れた彼の文字でこう書かれていた。

 

 

 『ニシ ト ミナミ ノ ドウゾク ヘノ セットク カンリョウ』

 

 

 ――何とも後味の悪い滑り出しで始まった俺達の遠征だったが、その後の経過は極めて順調であった。

 

 




 長すぎるプロローグを、思い切って章を使って区切らせて頂くことにしました。

 原作ボコブリン(子鬼)とモリブリン(大鬼)は、その体色で強さが変化する魔物です。赤<青<黒<白銀<金色で強くなります。白銀以上はガノンの凶悪な魔力を受けて生まれる個体なので、厄災復活前の現環境では存在してません。
 なお今回登場した東の大集落と西の集落郡ですが、原作には登場しません。

 ※遠隔地の魔物同士が連絡を取るとして、郵便手段を持たない彼らの情報伝達手段とは?
 今話登場した蝙蝠の魔物キース。原作では手懐けた馬を乗り回すほどに知能の高いボコブリンがこの魔物を「調教」、遠くの同族への連絡手段に用いているという設定を加えました。キースは通常、黒の体色ですが、地域環境によって炎・冷気・電気属性を宿した個体も存在してます。その青→黄→赤の3色で、連絡の重要度を示していたり。
 そして主人公はこれをジャイアンしています。慎ましやかに生活するボコブリンの財産を大義名分のもと奪い、我が物とする主人公の【ライネル】を得る前の個人名は多分たけし。

 加えて衣服通り越して、明らかに鍛冶の技術が必要そうな鎧や武器を自作している文明レベルを誇るライネル族なら、魔物文字だって開発してると信じてます。ボコブリン等は流石に絵文字的な表現になるかもしれませんが、上位個体が装備している「竜骨ボコ」シリーズは『これを装備している個体は強力』等と広く世界で規格化されている意味合いに取れる説明文から、もしかすると知識を正確に全地域で共有する手段を持っているかもしれませんね。
 
 ※蝙蝠の魔物=キース
  ゼリー状の魔物=チュチュ
  黒小鬼の棍棒=トゲボコこん棒
  黒大鬼の両手棍=トゲモリブリンバット


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『厄災』討伐作戦 ~魔物連合~

○前回のあらすじ

 勇者「俺TUEEEEE!! 」




   *   *   *

 

 

 北の地は極寒の気候に加え、切り立った高山地帯が多い地方である。その厳しい環境ゆえか、同族や他の魔物と接触している間の行動中、こちらを監視するような視線を感じることはなかった。

 俺達の視界に入る限りにおいても人の姿を見ていないので、そもそもこの地は人共の生活圏ではないのだろう。

 

 ……違和感を初めに感じたのは、彼と連れ立って北の地域を発ち、西の地方へ入ってしばらくしてからだった。

 

 現在、全国では散発的かつ小規模ながらも、魔物達による小村や砦への攻撃が起こっているのは人共にも周知の事実であるはずだ。それは子鬼や大鬼の小集団であるために大した被害は出ていないようだが、こうした継続的な襲撃は人の記録上でも珍しい事件であるはず。地方のコミュニティを切り捨てるなどの選択肢を人の王が選ばない限り、村や街の周囲には哨戒を担った兵が配置されてしかるべきではないだろうか。

 道中俺達は、夜目が効かない人族の特性を踏まえた日没以降の行軍を心掛け、およそ考えられるだけの警戒をしてはいた。とはいえ俺達の体格の大きさや慣れていない隠密行動、そして魔物の集落を制圧する際に時々起こしてしまう決闘騒ぎによって起こる騒音。

 念入りに魔物の拠点を探し出そうと人共が動いていたならば、露見していた可能性は少なくなかったはずである。

 

 しかし北の地と変わらず、人共の存在を五感に感じることすらないという状況が、西の地方へ入ってなお続いていた。

 

 そこで俺達は、一つの仮説を立てる。

 敵の王は辺境のコミュニティを切り捨て、中央の都市と砦の防備だけに戦力を絞っているのではないか、と。少なくとも俺達に捕捉されず逃げ出せて情報を持ち帰れるほどの強者を、ただの哨戒には用いていない可能性が高い。

 

 北の地方を慎重に立ち回った結果、当初想定していた以上に時間が掛かってしまっていた。安全な行動を心掛けるならば二人で移動するスタイルを崩すべきではないが、北で掛けた時間と同じだけ全地方で消費してしまっては魔王の復活の前に人族の準備が整い、"剣"の強者を釣り出すことが出来なくなってしまう可能性がある。それでは俺達の行動が露見しなくても本末転倒だ。

 幸いにも俺達には、西にある子鬼の集落郡で手に入れた、遠く離れても情報を交換できる連絡手段が手元にある。

 そこで彼からの提案で二手に分かれて行動することを決断。彼には同族の説得を、俺は魔物の集落の制圧をそれぞれ手分けして担当することとなった。彼を単独にしてしまうのは万が一そちらが強者と遭遇してしまった場合の不安が残るが、仮説通りの現状だったなら同族が住まう場所は基本的に人里離れた奥地。その危険性は低いだろう。

 

 敵対する者と遭遇しないならば、同族への説得は【賢者】一人で事足りる。

 

 なぜならば、地方で独り立ちしている年代の同族達にとって彼という存在は『特別』だからだ――。

 

 

   *   *   *

 

 

 彼が全盛期であった頃を共に生きた一族の中には、未だ【ライネル】といえば彼を指す言葉であると認識している者は多い。彼は強者であることが当たり前の一族にあって、当時の【ライネル】を打ち倒すことで己こそが最も優れた武の持ち主であることを周囲に認めさせた後、老年による引退を理由に称号を手放すまでの間、無敗を貫き通した存在であるからだ。

 彼に土をつけた存在はおらず、やがて俺にその剣と共に称号を譲り渡すまでの数十年、【ライネル】とは彼を指す言葉であった。

 

 しかし今日の彼を有名にしているのは、伝説に謳われた武芸の冴えばかりではない。

 その旺盛に過ぎる好奇心によって磨かれた智がもたらす恩恵の数々によって、である。

 

 昔話によれば、最強に至った彼は【ライネル】となって間もなく、世界を巡る旅を繰り返すようになったらしい。そのことを聞いた一族の者は誰もが、更なる力を求めた武者修行に出たのだと確信したそうだ。

 しかし本人曰く、その目的は物見遊山。世界を走破するに足る脚力を身につけたと思えた途端、果たしてそれが出来るのか試したいという欲が抑えられなくなったという。

 その偉大な称号に伴う責任を本人から叩き込まれ、血を吐くほどの努力も強いられて引き継いだ身としては、あんまりではないかと思えたその軽い動機。翌朝起きた時、朝食を何にするかを考えている間に忘れてしまいそうなほどに薄弱なソレは、しかし残念ながら人跡未踏の大自然を越える原動力として、彼にとっては十分だったらしい。

 

 一族の歴史においても、彼ほどその4本の脚で世界を駆けた存在はいないだろう。世界の奥地に隠棲した同族の元に押し掛ければ、その永い生涯で培った成果を継承し。交流の記録が無かったはずの他種族と遭遇すれば、その種族と縁を結びに結んだ。

 ……もし仮にだが、人族が我々を見るなり問答無用で攻撃を仕掛けてきたり逃げ出すような種族でなければ、彼はそれが魔王に仇なす一族に連なる者であると知った上で、なお朗らかに挨拶を交わしていたのではないだろうか。そう思わせるほどに、彼の「未知への飢え」は強烈だった。

 

 その飢えは、彼に同族の中でも最高峰の知識を蓄えさせた。

 ――そして彼が今に【賢者】と呼ばれる所以。

 新しい鍛冶技術を。貴重な薬草の群生地を。優れた武技の鍛錬法を。その知識を独占せず、広く同族に広めたのだ。その恩恵によって戦士達はより強い装備と力を蓄え、女子供も怪我や病気によってその命を落とす確率を大幅に下げたのである。

 発見して終わりのモノもあれば、彼自身が長い時間を掛けて練り上げたモノもあった。

 

 そうした財産の全てを同族達に惜しげもなく公開して貢献した彼は、【ライネル】という時代に常在する称号を手放した後も、本名ではなく個人で完結する彼だけに贈られた敬称、【賢者】と呼ばれるようになったのだ。

 

 

   *   *   *

 

 

 ――戦士として確かな経歴を打ち立てた【賢者】が説く危険ならば、当代の【ライネル】がそばで支持を表明するまでもなく、地方の同族達への説得は成るだろう。

 

 だから俺は西の集落郡を発って以降、南の蜥蜴達の水郷(すいきょう)そして東の大集落へと、その道中に存在する小規模な集落を攻略しながら単身で進んだのである。

 西の子鬼の頭目にあらかじめ、連絡のつく全ての集落に「【ライネル】を名乗る者に従え。力をもって歯向かうならばそれも良し」といった伝令を送らせていたのも功を奏した。小規模な集落は強力な発言力を持った西の頭目の言葉であるためにそのまま従い、南と東の大集落は時間の掛かる交渉を行わず力に訴えて来てくれたことは、大幅な時間短縮に繋がったと言える。

 

 結果、西南東に存在してバラバラに人間を襲っていた魔物達の大集落を中心とする、魔物の連合軍を構成することに成功した。

 そして彼から送られてきた、同族達の説得が完了したという通知。ネックとなっていた強者を釣り出すための戦力も確保できたことは非常に大きい。

 出来ることならば残った東の小集落を巡りながら、各地域には辺境に絞って小規模の攻撃を繰り返すことを指示し、再び北を目指したいところではある。

 

 しかしながら、この南東に位置する大集落より北側は亜人を含め、多くの人共のコミュニティが点在する地区でもあった。慎重に立ち回っては時間が掛かり過ぎるし、無理矢理突破するほどのメリットがあるような大集落もまたない。魚の亜人国周辺にいる同族についても、若く幼い個体が多いためにこの戦いに借り出すのは(はばか)られる。

 

 

 以上のことを踏まえ、彼といくつかのやりとりをした上で、俺は決断した。

 

 

 今までの散発的な弱い魔物のみによる襲撃ではない、同族が加わった戦力が辺境の地域を続けて攻め立てれば、どんなに敵の統率者が中央を固めようとしても、コミュニティを保つために防衛の戦力を派遣せずにはいられなくなるはずだ。そして、なおも中央に兵力を保持したままにしようとするならば、送られてくる兵力は雑魚の大集団ではなく一騎当千の強者となるだろう。

 

 

 よって俺は、伝令の及ぶ大岩に駐在しているらしい同族達に向け、俺は以下の旨の内容を指示したのである。

 

 

 ――戦力の確保は現時点をもって終了。

 北西南東の魔物達に同族を加えた地方軍は、段階的に攻め立てよ。

 中央に引きこもる人共を釣り出し、"剣"の強者が放つ気配が孤立する状況を作り出せ。

 

 その好機が訪れたならば、全軍に改めて下記の伝令を飛ばす。

 

 "剣"の強者周辺の同族と魔物を含めた全戦力は、これに集中して挑み状況を維持。

 それ以外の全地方軍はそれぞれの戦地に強者を縛りつけて"剣"への応援を遮断せよ。

 "剣"が存在する戦場には、【ライネル】と【賢者】が合流して一気にこれを叩く――

 

 

 一斉に全地方に向けて飛び立つ赤色の蝙蝠の群れ。

 そこに俺は、これから始まる人魔の戦争の火蓋を切ることになる一文も加えていた。

 

 

 

 ――獣人の力を示せ。攻撃を開始せよ――

 

 




 雷獣山のライネルは未熟設定。
 赤色固定の個体などは【ライネル】にとって若造です。

 次話でようやく、タグの『厄災』出せそうです……


 ※ライネル社会形態の謎。
 群れは無いにも関わらず、ライネル専用装備は片手剣・大剣・槍・弓・盾といった多岐に渡って存在し、しかもその仕様がそれぞれ3段階に分かれるほどに充実し規格化されている以上、全ての個体が勝手気ままに野を駆け回るといったことはなく、供給を行う存在、または集団がライネル族の中に形成されているのは間違いない……でしょう?(他の魔物も専用装備みたいなものはありますが、それらは個人による手作り感が強かったりします)
 ライネル族の里というものがもしあるなら、最強の専用装備「獣神シリーズ」の武具説明に出てくる材質の産出場所、デスマウンテンの近くなのでは?と想ったりしますが、原作のライネルが出現する地図分布では、特にその周辺に密集している様子もありません。
 公式には知能が高いとしか説明されておらず、一体その超強力な武器は誰が作っているんだと思わずにはいられない。

 ※【ライネル】檄文一部修正しました。


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『厄災』討伐作戦 ~”剣”の気配~

○前回のあらすじ

 ライネルA「強者とは孤独であること。誰ともつるむ気などない。立ち去られよ」
 賢者「俺の名声と扇動に掛かればなぁ? ちょいと撫でてやりゃあこの通り」
 ライネルA「はわぁ~、一生ついていきますぅ! 」

 勇者「目標が辺境で孤立するまで、お前ら玉砕してこい」
 魔物連合「」




   *   *   *

 

 

 『南の小村への襲撃、成功。防衛戦力はごく少数であり援軍の影も無し。こちらが被った被害は子鬼3、蜥蜴1と極めて軽微。3日待って敵側に動きが無ければ、引き続き別の村への襲撃を再開する。なお襲撃予定地については【賢者】と協議の元、中央へ寄せるか辺境域に留まるかを決定したい』

 

 『西の集落へ攻撃。建造物は一通り破壊し、一時占領に成功するも、「翼」持ちの強者が引き連れた一団が襲来。援軍の勢力は全て飛行能力を有しており、こちら側に有効な対空手段が少なかったために子鬼以下多数の被害が発生。軍団の勢力維持を優先して現在撤退中。再侵攻か別地区への襲撃か是非を問う。なお、「翼」持ちの強者は健在である』

 

 『北西は雪山地帯の各勢力を併合中につき、現在のところ戦果無し。されど進行中に遭遇した人族は全て仕留めており、軍団が敵に露見している可能性は極めて低いと思われる。北東に関しては、退路を確保し辛い火山地帯内部に存在する亜人の大集落などは今回の作戦目標を考えると攻略価値が低いと思われるが、それでもなお攻撃を仕掛けるべきか【ライネル】殿の判断を伺いたい』

 

 

 ……全地方の同族へ「緊急・最重要」を示す赤の蝙蝠を飛ばした日よりいくらかの時が経ち。

 ようやくといった心持ちではあったものの、やがて次々と手元に舞い込むようになった伝令の報告には、各地で行われる戦況が思惑通りに推移していることが示されていた。

 

 東の地区においては亜人の都市や比較的大きな人共の大集落が存在する土地であるためか守備戦力はさすがに厚く、攻めては跳ね返されを繰り返すとても良好と言えるものではない戦況であった。同族を含まない勢力では、この結果は妥当と考えるべきか。

 しかし、それらの大きなコミュニティの周囲に点在する少なくない小村への攻撃については悪くない成果も挙げており、その手腕は雪原に砦を築くまでに人族への攻撃を計画していた大鬼の族長の面目躍如と言ったところだろう。

 俺が東の大集落を征服した後、それまでまとめていた鬼の戦士達をそのまま引き連れることを許してみれば、すぐさま近場の集落を落としてみせた黒の大鬼。そのことを報告を直接俺に渡してきた時の「この程度は当然だ」といった雰囲気には、完膚無きまでに叩きのめされた力への従順な態度に紛れてなお(くすぶ)らせる反骨心が感じられて、少し愉快でもあった。

 

 その後の経過報告も直接俺が受け取っているが、この大鬼は指揮官としても優秀であるらしいことを結果で示し続けている。

 

 

 そう。

 俺は長期間は留まるつもりのなかったはずの東の大集落を情報の集積場所として定め、そのまま居続けていた。

 

 

 理由を挙げるならば、この地は今まで巡った土地にある大岩の中でも有数の防御力を誇る拠点であると共に、人が立ち入ることが少ない豪雪地帯の中にあるといった、色取り取りの蝙蝠が往来しても存在が露見しにくい環境という魅力的な立地であったことが一つ。

 そして西の大集落が調教した蝙蝠が把握している大岩が東の地方においては数少なく、ここより先は北の地方に点在する大岩まで蝙蝠達が飛来可能な大岩を把握出来ていないらしいことが、その大きな原因だった。

 

 もちろん北の土地にある蝙蝠達が飛来可能な大岩については既に把握しており、当初の構想では俺と彼のねぐらに近いそこまで戻った上で、2人で腰を据えて情報分析と各地域への指示に当たるつもりであった。

 しかし、北の地域の中にある最寄の大岩までの距離はそれなりにある。亜人や人共の勢力圏を迂回しようとするならば、俺の脚で全力で駆けたとしても最短で3日、あるいは5日掛かってしまうだろう。

 魔物による一斉攻撃を受けている人共が、"剣"の強者を早々に孤立させるような対策を打ち出した場合に伝令のやりとりを滞らせては、千載一遇の機会を見逃してしまうかもしれない。その可能性を考えれば最大5日間の空白というのは、移動を躊躇するに十分な日数だった。

 

 しかも5日間というのは俺一人で駆けたなら、という場合である。

 人共にこれ以上の時間を与えたくない理由で既に攻撃を開始してしまっている以上、東の地においても敵の警戒は、通常時のそれよりも強化されているはずなのだ。

 

 中央への潜入をした際に目撃した強者の中に、東の地で都市を築いている亜人と特徴が一致した者がいることは記憶に新しく、その存在、ないしはそれに類する複数の強者がその都市周辺に詰めている可能性は極めて高い。

 彼を単独で移動させた場合の強者との遭遇率が高くなっている現状、俺が先行して現在南にいる彼を後から追わせるといった行為は危険過ぎた。移動は彼がこの南東の大集落への合流を果たしてから俺と2人で行く必要があり、そうなれば彼の移動速度に合わせるしかない以上、5日での到達は不可能となるだろう。

 

 加えて俺が未だ東に留まる理由には、そもそも北の地で彼と俺が揃うメリットが失われていた事も大きい。 

 彼は今、複数の同族達と共に南地方の攻撃を担当する軍団に身を置いている。南の軍勢は人間勢力との大きな衝突も現時点では発生しておらず、だからこそ次へ次へと続く襲撃先の選定には慎重になる必要があった。

 西の軍勢は強者が引き連れた一軍による反撃を受けた。では未だ目立った迎撃を受けていない南では、どういった侵攻ルートを進み、どこにどれだけの戦力を振り分ければ、効率良く"剣"の強者を孤立させるように釣り出すことが出来るのか―― 地形や軍勢、各地の情報を汲み取った上でそうした判断を下すために、【賢者】の存在は辺境で引き籠もっていた同族にとって無くてはならないものであるはずだ。

 そして彼もまた、南における自らの立ち位置が占める重要性のほどを良く理解していた。

 蝙蝠の存在を知り、遠隔地であればあるほどの時間差が生まれるものの確立された連絡手段が獲得できた以上。移動を繰り返す遠征向きな武器として槍を担いで来た俺とは違い、既に北の地を発った時に自身が振るえる「最強の装備」を持っている彼は、無理して北の地へ戻る必要もないのである。

 

 後は"剣"の強者が単独で出現した際、俺達が固まっていないことは現場に急行する際、どちらもが遠い場所にいるという具合の悪い事態を避けることが可能になるのでは? とメリットが挙げられたことも要因の一つだろう。

 寄せ集めの魔物全体の指揮を取るにしろ"剣"に挑むにしろ、どちらかがいち早く現場に到着できる体制というのは魅力的であった。

 

 だから彼は移動を望まず南の軍勢の軍師役を務めることにし、俺も防衛力と隠密性に優れた東の大集落にて各地方への指示に専念することにしたのだった。

 ……正直に言えば彼という旅の道連れがいない以上、取り急ぎ北のねぐらまで戻って遠征用ではない、完全な戦闘用の装備に取り換えようかとも思ったのだが、やはり"剣"の強者の早期登場を警戒してしまい、この場の大岩から離れられなかったのである。

 

 そうして早急な対応を取れるようにと、蝙蝠が飛んでくる大岩に連日貼り付いていた俺であったのだが……。

 寄せられる蝙蝠の色はしかし、どれも「重要」の黄色か、「通常」の青色ばかり。

 

 待ち望む「"剣"の強者発見」の報告を知らせる赤色の蝙蝠は、今までただの一度として飛んで来てはいなかった。

 

 

   *   *   *

 

 

 ――規則正しく重力の流れに従って地面まで辿り着くはずだった雪の粒達が、薙ぎ払われる槍の軌跡に巻き込まれて乱れ散る。堅固な岩盤であろうと斬り砕く槍の一閃は、空気も切り裂ける証を残すかのように雪が存在しない空間を生み出していた。

 その凶器が向けられる先は、油断なく長剣を構える長い耳を持つ1人の剣士。

 

 眼前の剣士は自身と槍の間に剣を構えており、左手を添えたその剣の腹で受け止めるつもりなのだろう。しかしこちらの狙いは敵の肉体ではない。右手に握り込まれた剣をその手からはじき飛ばすことこそが目的であった。

 有難くもわざわざ差し出された目標物。腕の力だけで振り回していたその一閃を、とっさに腰を回転させることで上乗せした加速をもって渾身の一撃へと変える。それまでの攻防から防げると判断していただろう剣士は、この変化に対応出来ないはずだ。

 そして狙い違わず、二又に分かれた分厚い刃は剣の中心を捉えることに成功した。

 

 直後、一瞬もこらえ切れず宙を舞い、吹き飛ばされる剣士。

 その姿はこの大集落で俺の後ろ脚によって吹き飛ばされ、不幸にもその得物を砕かれて重傷を負った黒の子鬼を思わせる。

 ……違う点は、この一撃では戦闘は終わらないといったところか。 

 抱え持つ剣は斬り砕かれておらず、刃が欠けた様子すら皆無。そうだろう、あの"剣"はこの程度の攻撃で折れはしない。剣士もまた、自ら後方に飛んでみせることで衝撃を受け流し切っていた。2本の脚で危なげなく着地し、再び右手のみで保持した剣の柄を握り締める力には、一切の緩みも感じられない。不意を打ったはずの一撃だが、どうやら見事に対処されてしまったようだ。

 

 距離が開いたこの状況。飛び道具を持たないヤツに対し、火球か弓矢で遠距離戦に持ち込んでもいいが、一瞬とはいえ俺自身の視界が大きく塞がれる火球に乗じて懐に入り込まれては厄介であるし、弓矢を切り払う技量は確実にある存在に、いくら矢を放ったところで無駄に終わるだろう。

 何より弓を構えている間は槍を振るえない。腕に括り付けられた盾の刃だけでは、ヤツとの接近戦に対処できるかは怪しいところだった。

 

 結論、槍での立ち回りを続行させるのが最も勝率が高いと判断。

 遠距離で様子を伺って攻めこまず、待ちの体勢を維持している剣士に対し、4脚の力を解き放って空へと跳び上がる。剣以外の装備を持たないヤツには、上空の自分を攻撃できる手段はない。

 こちらの狙いを察知した剣士がそこまでいた場所から飛び出す。俺の着地点であったその空間はただの雪原のみとなってしまい、こちらが着地する頃には長大な槍の間合いからも逃げおおせるだろうタイミングだ。

 しかし構うものか。

 着地と同時に、槍を地面に向けて叩き込む。彼の鍛えた「獣王の槍」は、俺の渾身の一撃と地面の激突に晒されようと壊れることはない。

 東の族長との戦いで見せた足踏みとは遙かに規模の違う雪の煙幕が、土砂と共に爆発したかのような勢いで周囲に拡散していく。揺れた地に足を取られてくれれば幸いであるし、少なくとも辺り一帯は雪煙によって包まれた。人の眼ではその視界にこちらの姿を捉えることも難しいだろう。

 

 だがこちらは違う。

 あの時背筋を凍らせた「魔への災い」の気配。弱肉強食の喰らうために殺すというものでもない、『魔なら殺す、魔だから殺す』というただただ殺戮を求めるような醜悪な"剣"の意志。これほどの近距離であるならば、目をつぶったとしてもその位置は手に取るように分かるはずだ。

 

 白く立ち込める煙の向こう。そこにいるはずの剣士に向け、槍を構える。

 足音を鳴らさない短めの跳躍を持って、俺は再び突撃を敢行した。

 

 

   *   *   *

 

 

 ――頭の中で作り出した"剣"の強者の影との模擬戦闘を終えたのは、それから間もなくのこと、雪原の結構な範囲を荒地に変えた頃だった。

 

 徹底してヤツが持つ剣を狙った攻撃を重ねて打ち合いに持ち込み、獣人と人間、その種族からくる筋力差を利用して疲弊させた。やがて両手で保持しなければ構えられないほどに失われた握力で支えられたその剣を弾き飛ばし、その首を斬り落としての決着である。

 

 【ライネル】と一騎打ちして長時間戦闘を続け、技量よってその戦闘方法を制限させる。生まれついての筋力によって負けはしたものの、異種族との戦闘でこれほど苦戦を想定される相手はいないだろう。間違いなく最強の敵と呼ぶに相応しい……。

 

 

 「赤」の蝙蝠が飛来してくるまでの間、"剣"の強者との戦闘を見据えて毎夜行ってきたのが、この模擬戦闘であった。

 倒せば倒しただけ相手の動きを鋭く、早く設定し直し、難易度を上げ続けてもう何度目になるだろうか。避けて、受けて、反撃してくる仮想の敵。もはや過去出会った強者の中でも、これほど自分に対して立ち回れた敵など存在しないと、ハッキリ断言できるほどの域である。

 

 しかしこうして全て終えて振り返る時、やはり毎度思ってしまうのだ。

 なんと甘い想定なのか、と。

 

 ヤツが剣を振るう姿を目撃した、たった一度の光景。

 それは実際の戦闘ではなく鍛錬の場面であったが、あの剣士は右手のみで保持した長剣を下段に下げ、刀身を身体の横か後ろに引いた構えを基本としていた。

 そんな体勢から繰り出される攻撃、その選択肢はさして多くない。

 

 恐らくヤツの剣術は剣で攻撃を受け止めるようなものではなく、先手を打たせて襲い掛かってくる攻撃を身のこなしだけで避けるか剣でそらし、返す刀で斬り返すことを主眼に置いているのだろう。膂力(りょりょく)に優れた個体の多い魔物に対して、隙を晒さない後の先を取る剣というのは合理的であり、一定以上の実力を持った人共の戦士にはありふれたスタイルでもある。

 

 力をもって先の先を奪い合う魔物の剣からほど遠いその剣術を理解できたのは、ひとえにヤツの同輩達―― 過去にそうした構え、剣の運用を持って我が身に挑んできた人共を屠った経験があったためだ。

 同時にその星の数ほどいた挑戦者達は一切の例外無く、俺の一撃に反応できずに避け損なったり、受け損ねてその身を切り潰されたのだ。記憶に残る同様の剣術で最強の使い手を思い出しても、10合も持ちはしなかったのではないかと記憶している。

 

 そしてその経験こそが、"剣"の強者を想定した訓練に影を落としていた。

 

 あの"剣"の持ち主なのである。俺の剣を完璧に避け、あるいは受け切って容易に反撃してくることも想定して然るべきだ。しかし過去の人共との数多ある戦闘経験が、【ライネル】の一撃をそう何度も捌き切れるはずがないと勝手に判断させる。

 結果生まれるのがやがて捌き切れずに何度も剣で攻撃を受け止め、やがては崩れ落ちるひ弱な対戦相手だった。炎や弓矢の使用を自ら(いまし)めているにも関わらず、余力を持って打倒し切れてしまっている。

 

 これではとても訓練とは言えない。いやかえって、余計な自信を抱え込んでしまっているだけなのではないだろうか? ――眼前に広がる荒れ果てた地面を、健気に舞い降りる雪が再び覆い隠そうとしている光景をじっとりと眺めながら、俺は小さくない溜息をついた。

 

 

   *   *   *

 

 

 そんな体たらくで本物のヤツが持つ技量が明らかにできない以上、自身の持つ戦力を万全にしなければならないのではないかという焦燥が、いよいよ我慢出来なくなっていた。

 

 今持つ主武器は「獣王の槍」。彼が鍛え、俺が信じる最強の槍でもあるが、これはあくまで『遠征』という移動が主体となる行動に照らして、最も相応しい武器ということで選んだ得物でしかない。仮に"剣"の強者が戦士としてこちらと実力が伯仲するレベル、あるいは上回る存在であった場合、取り回しに劣る槍では不覚を取る可能性が高い。

 武芸百般を求められる【ライネル】にも、得意なスタイルとそうでないものはあるのだ。彼がそうであった時は弓の名手として称えられたように。

 

 俺もまた、幼い頃より鍛え上げ、『最強の剣』と称えられるだけの自負がある。

 

 ……一族において戦士を目指す者は、まず剣の訓練から始めるものが多い。

 槍や弓、盾を用いた格闘術などと比べて子供の目からも見栄えが良く、振り回すだけでもある程度は様になるからだ。師となる者の考え次第では違う武器を選ぶことになるだろうが、俺が握らされた最初の武器は剣―― 片手剣であった。

 ただ俺にはその武器の取り扱いが同世代の者達、やがてはそれ以上の年代の者も含めて、最も優れるほどの才能があったのである。

 

 武器を自ら作る戦士というのはあまり多くなく、大多数は鍛冶を担う者が作る武具から選んで身に付けている。俺も初めはそうしていたが、実力が上回るたびに師を変え続け、やがて辿り着いた一族最強の者はその辺りが大変凝り性であった。

 「量産品では強者の力を引き出せない」という言葉通り、その身を包む武具は全てが特注品、あるいは自ら作り出すほどの情熱を持って武器を語る姿は鬼気迫るほどであり、弟子入りしたばかりだったその頃の俺は、【ライネル】がそう言うならそうなのだろうと、全く疑わずに武器を作ったものである。

 さほど武器作りに対する情熱が長持ちしなかったために、最も得意とする片手剣の他に手をつけることこそしなかったが、それでも剣だけは彼の薫陶(くんとう)、そして成長して得られるようになった素材をふんだんに注ぎ込み、改造と強化、あるいは完全な打ち直しを繰り返した。

 

 やがて【ライネル】を継ぎ、それまで彼が使っていた特注の最強装備一式を譲られた時も、片手剣だけは俺が鍛えた物の方が優れていると評され、その時俺が持っていた剣を指して当代の「獣王の剣」と呼ばれるようになったのである。

 

 自慢する訳ではないが。

 俺が持つ剣が「獣王の剣」となって以来、若い世代ではその形状を真似て既製の剣に手を加えようとする者が続出したらしい、下手な工夫は剣の強度を下げるということで師の連中に一喝されて以来は下火となったが、時々会う若者の中には、俺の剣の意匠をささやかに模倣したらしい物を肩に背負っているのを見掛けたこともあった。

 鼻の穴を膨らませながら自分の剣の出来を報告してくる未熟者達に、特に思うようなことはない。一目で分かる程度には特徴的な「獣王の剣」の形状に合った運用法を、一人一人に丁寧に伝えるのは手間だったというだけだ。

 そもそも形が歪な物も多かった。俺の剣は、あんな無様ではない。

 それをまた個別に教え込むのも億劫なので、彼らには伝統的なまっすぐの形状をした剣で場数を踏んでから、自らに合った剣を作り上げて欲しいものである。

 ……その結果、俺の剣に沿う形状の剣となるのであれば、別に言う事は無いのだが。

 

 俺の剣は同族が持つ伝統的なそれと違い、希少性の高い素材を用いて【火の山】に住む亜人由来の製法で仕上がった刀身は、叩き潰すだけではない、対象を切り裂くことが可能な切れ味を誇る。二又に大きく分かれた剣先は相手を引っ掻けて引き倒したり、より幅広になった刀身で相手の攻撃をとっさに受け止める盾とすることも容易と、一つの戦い方に特化した使い方を担い手に求めない。

 状況によって使い分けを行える形状は歴戦の経験に基づいたものであり、柄の突端にも取り付けられた刃は、どんなに体勢が崩れても即座の反撃を可能としている。剣士が思わぬ動きでこちらの懐に潜り込んだとしても、この剣さえあれば様々な対応が可能となるだろう。

 

 ともかく相手の戦力への情報が不足している今、全局面に対処可能な最も信頼を置くその武器が、手元に無いことが大きな不安要素だった。

 

 

 そうして抱き続けた焦燥感を解決するため、俺は数日前に彼へ向けて蝙蝠を飛ばしていた。

 決戦用の武器が手元に無い状況への不安を鑑み、今日の夜までに"剣"の強者の影が捉えられなかったならば、一時全軍の指示を預けて北のねぐらに剣を取りに行って構わないかという意図を伝えるものだ。移動中に状況が動くならば北の地に留まり様子を見て、動かないならば再び東に戻ることになるだろうとも。

 その要請に、今朝返ってきた返事は了承。今日より5日後を目安に、北の大岩に状況の経過を知らせるとも付け加えられていた。これで不意の好機にも【ライネル】と【賢者】のどちらもが駆けつけられないという状況は無くなるだろう。

 

 そうして東の大集落を出発することになる迎えた夜明け。残念というか幸いというべきか、やはり"剣"の強者の発見、または孤立したという情報は寄せられることは無かった。

 まずは俺の剣を取りに行こう。それでひとまず、武器に不安を残したままという状況は解決できる……、と。一息ついてしまったことが、はたして呼び水だったのだろうか。

 

 

 ――中央地方に潜入した時に感じた、背筋を冷やす感覚。

 ――【ライネル】となって以来、味わうことのなかった『恐怖』を呼び覚ます悪意。

 

 それが北東の方角から鎌首をもたげるように感じられたのは、出発の準備を整え終えた直後のことだった。

 

 

 ……なぜ今? とは思わない。

 

 あの強者が持つ"剣"の気配。

 実のところ、あれは常時ぼんやりとしたものであり、存在感としてだけなら遙か空を浮かぶ『龍』の方がよほど強烈だと断言出来る程度に儚いものだった。

 普段はその存在の方向すら朧げであり、恐らく彼が遠い北の地にいながら中央の地に不穏な気配を感じ取れたのは、何らかの要因であの気配が一時的に強まったことがあったからだろう。遠く離れてしまえば気付けるようなモノではないのだ。

 

 魔を滅するためだけに蓄えられた力と意思を宿らせている――と感じ得たのは、遠目にも直接視認したからこそであり、今その気配を他と分けて認識出来るのは、その時に今までにない嫌悪と恐怖を覚えたからに他ならない。

 当初あれだけ慎重に遠征を進めたのは、"剣"が近づけばすぐ察知できるよう、弱々しい気配であっても辿れるように意識を索敵に研ぎ澄ますためでもあった。

 

 それが今感じられるということは、"剣"の強者がそれだけ近くにいるというだけの話なのだ。

 俺を見送りに来ていた青い子鬼には、突然立ち尽くしたままでいる俺に対する、何事かと伺うような感情しか、その視線からは読み取れない。

 彼らには気配を察知すること自体が難しいのかもしれないが、たとえ察知できる感性があったとしても一度見て体験しなければ感じ取れない程度には、遠方に存在しているのは確かだろう。

 

 だから思うのは、なぜその方角から? という一点に尽きる。

 

 この大陸の南東に位置する場所から北東。つまりは東の奥地。そこには同族で統制された軍勢もなく、蝙蝠を飛ばせる大岩もまた、無い。

 意図しての行動ではないはずだが、俺と彼の感覚が届かず同族達の網も潜り抜け、そんな地に"剣"が現れる事態は想定の外、大誤算だった。

 

 そもそも、今は西から南東にかけての場所で魔物達が大暴れしているのだ。

 俺の認識できる限り人側最強の兵器を持つ戦力がなぜこの時に、大した騒ぎも起きていないはずの東へ、しかも亜人が都市を構えて治安を確保している場所である奥地へ赴こうとしているのか。

 強者が一極集中して投入されることを避けるため段階的に戦力を投入させる指示をしている以上、同族はまだ戦線に姿を見せていないので、まだ明確な危機意識を敵側の王は抱いていないのか。

 それにしても子鬼を中心とした下位の魔物とはいえ大攻勢が掛けられている現状である。最強戦力を理由も無しに関係のない土地へ送るとは思えないが……。

 

 

 そこまで考えた時、不意に思い出すべき事柄があったことに気付いた。

 

 その方角から気配が湧いた原因に直接繋がるものではないものの、徐々にではなく唐突に気配が感じ取れた、その理由に繋がるかもしれない記憶の一つ。

 

 あの"剣"は鞘の納められた状態よりも、その鞘から抜かれている時の方が、その気配が「強まって」いた。ならばそれまで感じ取れない程度には、遠方にあったはずの"剣"の気配が唐突に感じられるようになった事態とは、鞘に納められていた"剣"が今、抜刀されたことを示しているのではないだろうか。

 

 あの東の奥地に、亜人の都市が持つ戦力が健在でありながらなお"剣"の強者を呼び出さなければならない理由を持たせ、ついにはその"剣"を抜かせるほどの存在など――

 

 

 

 (『【ライネル】! 俺の剣の柄にも、刃を取付けてみたんですが……うっかり手を傷付けるばかりで、上手く攻撃に活かせないんですよ……。どうすれば貴方みたいに扱えるのでしょうか? 』)

 

 

 

 (ふところ)に常備していた獣皮を急ぎ取出し、『"剣"の気配を東の奥地に感知。向こうの戦力が不明の為戦いを仕掛けはしないが、北の地への移動を兼ねて偵察に行く。報告は予定通り、5日後の北の大岩より送る』――の文を走り書く。

 思考に長い時間固まり、そして突如動き出した俺に驚く子鬼に向けてその薄皮を突きつけ、これを大至急【賢者】のいる大岩まで「赤」の蝙蝠を使って送れと吠えるように追い返す。

 

 逃げるように走り出す青色の背中を見届ける間も惜しんだ俺は、すぐさま全力で駆け出していた。

 

 

 今はまだ北の地に置かれている「獣王の剣」へと考えを巡らせた時に思い出していた顔の一つ。

 最も俺に剣の話をせがんでいた年若い同族が今は棲む、山がある方角へ。

 

 東の奥地から漂ってくる"剣"の気配に向けて――。

 

 

 




 ……『厄災』出せませんでした!
 ダイジェスト風な魔物連合の推移で『厄災』を登場させたら、前振りに比べて【ライネル】とリンクの背景がペラペラになってしまったので、原作勇者にはちょっとヘイトを稼いで頂きます。


 ※赤の蝙蝠=ファイアキース
  黄の蝙蝠=エレキース
  青の蝙蝠=アイスキース


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『厄災』討伐作戦 ~追憶の雷獣山~

○前回のあらすじ

 勇者「厄災出てこないなぁ~。槍じゃイマイチ本気出せないし、今の内に家に置いてきた自慢の武器でも取りに戻るか! 」
 厄災「ゾーラ王の依頼でハイキングなう」

 ※人によっては「残酷な描写」回かもです。苦手な方はご注意を。




   *   *   *

 

 

 「おう、アンタが当代の【ライネル】か! 俺と最強を賭けて勝負しろよ!! 」

 

 

 ……ヤツが俺に向けて放った第一声は、確かこのような感じのモノだったと思う。

 

 正確に覚えていないのは、こうした跳ね返りの挑戦を受けることが【ライネル】を引き継いで以来、珍しいことではなかったからだ。

 

 伝説的な功績を多く残した、先代の【ライネル】を引き継いだ若いオス。

 何か特別な事を成した訳でもない、その新しい【ライネル】は偉大な名を持つ師匠の贔屓(ひいき)で選ばれただけの存在ではないのかという噂が、一回り下の世代で密かに囁かれていたことを知ったのは、俺の実力が同族に広まり切った後の話である。

 

 俺の【ライネル】襲名が決まった時、【賢者】の判断に絶対の信頼を置く上の世代と、同じ環境で武を競ってお互いの格付けがハッキリしていた同世代からは、異を唱える者は皆無であった。

 

 だが、智と共に武を重視する魔物の同族ゆえと言ったところか。

 種族本来の高い身体能力がもたらす、自らこそが最強だと思い込める全能感溢れた時期の若者達にとって、自分達が暮らす里まで目立った逸話が聞こえて来ない程度の【ライネル】とは、自分達でも手を伸ばせば届く称号だと思えたらしい。

 幸いにもその空気を問題視し、なおかつ俺の実力を正しく伝えようと思った慈悲深い師達に学んでいた者は、言葉で勇気と無謀の違いを認識することができた。選択を誤らなかった。

 けれども、そうした意気込みを評価してしまう戦闘狂の師や、そもそも無謀な行為を面白がるだけで、むしろケツを叩いてしまう残念な師を持ってしまった者達は、その高く尖った自信を()められる機会が得られなかったのである。

 

 最も当初こそ俺自身、そうした彼らの思い上がりを戦士の初々しさと捉えて可愛く思わないでもなかったので、初めの頃は丁寧に剣を何回か合わせて指導染みた真似をしたこともあった。

 しかしその光景に味をしめた里の師匠連中が、わざと弟子の功名心を煽って送り込むようになって以降。彼らへの対応が徐々におざなりなものになったとして、誰が俺を責められるだろうか。

 

 

 そうして哀れな若者達への扱いが極まった辺りの時期に、名乗りを挙げて挑んできた者がいた。

 

 鼻息も荒く決闘を望んで吠えるその若者は、その宣言に応えたにも関わらず武器すら構えない俺を臆病者と罵り、そんな者に【ライネル】は相応しくないと真剣で飛び掛かってきたのである。

 

 対してその時の俺は、正式に称号を賭けた厳格な決闘でない限り、明らかに実力が開いている者には下手に力量を調節して打ち合わせず、圧倒的一撃で力の差を理解させることを心掛けていた。そうした方が下手な野心を持たせずに、目上を敬う心を若者に叩き込めると学んだためだ。

 

 そんな心構えのもと、真正面から襲い来る馬鹿の顔面に繰り出した正拳は、あっけなくその鼻の骨をへし折った。そして突っ込んできた勢いとは正反対の方向へと吹き飛ばされた身体は、背後にあった大木の幹へと強かに打ちつけられ、そのまま沈黙した。

 

 ヤツが言う「決闘」の名残を感じさせるものと言えば、主人がいつ間合いを詰められたかも分からなかったせいで振り下ろされもせず、殴られた衝撃で手放されてしまったことで俺の足元に取り残されて転がる、新品の片手剣ぐらいなものだろう。里の中で行われた戦いであったが、周囲で見ていた見物人も分かり切っていた結果に早くも興味を失い、それぞれの用事を済ませようと散り始めている始末だ。

 

 無謀な若造は、いずれその仲間や師が回収するだろう。俺もさっさとこの場を離れようか―― と思ったその時。足元に転がる片手剣が、同じような跳ね返り達がよく持っている代物とはやや趣きが違うらしいことに気が付いた。

 ヤツの手から離れた瞬間に横目で見た時には、何の変哲もない店売りの新品だと思い、今はそう思えない。そんな小さな違和感が気になって拾い上げてみると、その正体はすぐに分かるものだった。

 

 その剣はなかなかに使い込まれており、そもそも新品ではなかった。

 新品だと勘違いしたのは、修行中につくはずの細かな傷や狩りによって付着するだろう獣脂が分からないほどに磨き込まれた刀身と、使い込んで取り換えられたばかりと思われる新品の柄巻きの布のせいだ。

 愚かな若者にありがちな無意味な改造をしているわけでもなく、誠実に武器を手入れしているだろうことが、一目で分かるものだった。

 

 大木の下で今も伸びているヤツは、どうやらこれまでの跳ね返り達とはやや違ったらしい。少なくとも、功名心だけに駆られた愚か者というワケではなかったのだろう。

 【ライネル】にこだわりを持つ勤勉な馬鹿者であったということならば、もう少し真面目に相手をしてやっても良かったかもしれないと、少し罪悪感めいた感情も湧いてくる。紛らわしい態度で挑んできたものだから、おざなりに対処してしまったのは少々後味が悪い。

 

 ……まぁそれも終わったことだ。

 一撃で殴り飛ばされたことに腐らず、なお鍛錬に励むならそれで良し。【ライネル】の力を知り、研鑽を重ねるならまた会うこともあるだろう。

 

 剣を身体のそばに置いてやった後、俺はその場を離れた。

 

 

 

 それから里に訪れた目的を済ませて族長宅に一泊し、夜が明けて里を発とうとした翌朝。

 ――里の出入口にて俺を見つけるなり駆け寄ってきたヤツの姿は、かなり印象的だったことを覚えている。

 

 何とも早い再会が意外だったこともあるが、その精神的なタフさに感心させられたのだ。

 鼻っ柱をへし折られた若者が、一夜明けただけで再びその相手と向き合うべく行動するのはなかなか豪胆な行為だろう。少なくとも【ライネル】に喧嘩を売った者達が、誰も引き連れずに翌日会いに来たという記憶はそれまで無かった。

 俺の元まで来た途端、4脚を折って頭を地面にこすり付ける最上位の謝意を表す体勢を取った姿は、完全に屈服した者のソレであったが。しかし顔をあげてこちらを見る眼には、卑屈な光は欠片も宿っていなかった。これも、初めての経験だった。

 

 なんでも自分が反応出来ないほどの一撃で沈められたことに衝撃を受けたらしい。最近では、自らの師にすら気絶させられることは無くなっていたのに、と。

 必死な形相で謝罪と歓喜の言葉を並べ立てる姿は、いきなりの襲撃行為を働いたことを謝っているのか、それとも【ライネル】の武に僅かなりと触れて感激しているのか分からず、その異様な様子には困惑したものだ。……引きちぎれんばかりに左右に振られる尻尾が視界にチラチラと入る以上、どうやら歓喜の感情の割合の方が高そうではあったが。

 

 ヤツは自身の名前を『ジャグア』と名乗り、剣の腕前は里の同世代でも抜きん出た存在なのだと語る。あの手入れが行き届いた武具を見るに、あながち嘘という訳でもないのだろう。だからこそ、自分の実力にはかなりの自負があったとも。

 なお、彼の師匠は俺の実力を分かりやすく伝えてくれるタイプではあったようだが、戦士なら誰もが憧れる称号、当代の【ライネル】持ちが同じ片手剣を得意とする存在だとも聞かされて以来、どれほどの実力か肌で確かめたいと常々考えていたらしい。

 そして昨日たまたま里を訪れた俺と出会ったために、 気持ちが先走ってつい挑戦してしまったというのだ。

 

 その結果は、拳による一撃での決着だった。

 普通の同族、いや向こう見ずな跳ね返り共であっても、大抵はここで俺ともう一度戦う気を起こさなくなる。それほど、俺達の種族が正面からの一撃で意識を失わせられるという事実は衝撃的なのだ。初めて剣を握り師に挑んだ時にすら、一撃で意識を奪われた経験をした者などは稀だろう。それほどのタフネスを持つのが、俺達という種族なのだ。

 

 まず間違いなく格の違いを感じ、それ以降【ライネル】に挑むことはない。――だというのに、ただの跳ね返りではないはずのジャグアは、ひとしきり昨日の無礼を謝罪した後、俺との再戦を熱望してきたのである。しかも、今度は剣を使って立ち会って欲しいと。

 

 ――拳じゃない、剣の腕を見せて下さい

 ――剣の腕だったら俺だって引けを取りません

 ――剣で負けるのが怖いのですか

 ――【ライネル】の称号は、剣じゃくて拳で勝ち取ったのですかね

 ――背中の剣は、ただ形が歪なだけのナマクラなのですか

 

 

 覚えているだけでもこれだけの言葉を、先程まで土下座していた目上の存在に対して投げつけてきたのである。貼り付けた敬語の裏で燃え盛る青い感情は、透けるばかりの勢いであった。

 

 どうやらただの馬鹿であったらしい。

 何かしらの見所を感じたのは、気の迷いだったようだ。

 

 剣を構えたまま道の真ん中に陣取り、『いざ! いざ!』と煽り立てるジャグアに向けて、俺は無言で拳を振り下す。

 

 ……今度は地面に叩き付けられて再び気絶した馬鹿を放置し、俺は今度こそ里を発った。

 

 

   *   *   *

 

 

 その日の出会い以降――。

 

 

 その里に立ち寄る度に、何故か俺はジャグアに絡まれるようになってしまっていた。

 

 俺の姿を見つければ、ヤツは必ず俺への敬意を全身に溢れさせながら近づいて来る。

 そして必ず言うのだ。「剣で勝負しましょう! 」と。

 

 最初に別れた時に抱いた印象からコイツを面倒な若造であると断じていた俺は、その申し出そのものを断り続けた。一発殴るだけで勝負が終わるのだから、わざわざ剣を合わせるまでもない。

 そしてヤツは、断られればその場は素直に引き下がりはするものの、再び出会えばその言葉を忘れたように「剣で勝負しましょう! 」と懇願してくるのだ。

 武と共に智も重んじる種族の誇りを、コイツはどこに置いてきてしまったのだろう。

 

 一度ジャグアの師に会ってどんな教育方針なのかと尋ねてみても、その師も武芸と同じく知識の教育も抜かりはないはず、とのたまうばかりで、ヤツが持つ勝負熱の原因は分からず仕舞いだった。

 

 

 やがて何度目かの訪問においてもやはり挑まれる勝負に、無視することも殴り飛ばすことにも飽きてきた俺はその熱意に根負けし、とうとう問い掛けることになった。

 ――【ライネル】の武力に憧れを持っていることは伝わっている。だがならば何故、「稽古をつけてくれ」と頼まないのか? それほど勝負という形式にこだわる理由は何なのか? と。

 

 【ライネル】を継いで以来、これほど自らに食い下がってきた年下の者はいない。剣を教えて欲しいと素直に頼んでくるならば、しつこく付きまとわないことを条件に指導してやろうかという気分にもなっていた。

 ジャグアほどの迷惑を掛けたとは思わないがかつての昔、俺が彼への弟子入りを願い出た時も同じように断られ続けたものだ。世界中を飛び回る彼の元にしつこく食い下がり、何か月も押し掛け続けた結果にようやく出された課題をこなし、とうとう弟子入りが叶った自身の記憶を思い出したということもある。

 まだ彼から学び切ってない部分があったり、ジャグアには既に師がいるという事情から正式に弟子を取るつもりは皆目無かったが、狩や稽古をたまに付き合ってやるくらいはしても良いかもしれない。

 

 そうした俺の問いを意外そうに受け取ったヤツは、やがて得心したのか。その熱い情熱を感じさせる眼でまっすぐ俺を見つめながら言い放った。

 

 「俺は"最強"を自分の剣で打ち負かして【ライネル】になりたいんです!それなのに貴方から手取り足取り学んで模倣の剣で勝っても意味が無いじゃないですか? ……あぁ、俺の才能を感じて自分の剣を学ばせたいって言うのなら、剣で俺を倒すことですね! 」

 

 

 ニコニコと笑って剣を構えながら、「さぁ!勝負しましょう!! 」と吠える愚か者の顔を殴り飛ばした後、俺の脚はコイツの師の元へと再び向かっていた。

 弟子への教育をおろそかにした無能な師へと雷を落とすべく。

 そして馬鹿な弟子に許している【ライネル】に度々絡めるほどに長い自由時間を、力ずくで奪い取るために。

 

 

 ――知識と礼儀の教育時間を徹底的に増やし、【ライネル】が如何に尊いモノかを教えてくれる。俺以上の"最強"の剣を持つと()()()()なら、俺の剣が井の中の小僧にすら模倣する価値がないかどうかを、じっくりと味わわせてやろう――

 

 

 ……これが俺が初めての弟子めいたモノを抱えるまでの、おおまかな経緯である。

 

 

   *   *   *

 

 

 大剣の振り方を矯正した。

 槍の突き方を学ばせた。

 彼から教えられた弓の何たるかを伝えた。

 盾の格闘術を体に叩き込んだ。

 ――そして、"俺"の片手剣を教えた。

 

 その里に滞在した時間はさほど長いモノではなかったが、それでも気付いたことはある。

 

 例えばジャグアの才能。同年代の中では最も強いといった自己申告は嘘ではなかったらしく、剣の鍛錬において俺に見せた剣筋は、確かな力量が感じられた。ヤツの師匠は礼儀についての教育はかなりおざなりだったようだが、代わりに武術の修練は徹底的に行ったのかもしれない。剣を除いたその他の武芸に対しても、音を上げずについてきたのは小さな驚きだった。

 

 俺が里を発つ最後の日。

 俺が戦士になるならば一通りこなすべきだと考えている程度の訓練を終え、弟子クラスでは全ての武芸において、右に出る者はもういないだろう――そう思える程度には鍛えられたジャグアが、再び里の出口に陣取っていたのを見た時、思わずにはいられなかった。

 

 ……あぁ、訓練の合間に入れた礼儀の教育については、さほど成果が上がらなかったか、と。

 

 『俺、今度里を出て東の山で独立することにしたんです。 ……だから最後という訳じゃないんですが、もう一度勝負して下さい! そして俺が強くなったことを、貴方に勝って証明してみせます!! 』

 

 そういつかのように威勢良く吠えるジャグア。その手に握られた片手剣には、俺の剣の柄に良く似た意匠の刃が取り付けられていた。

 ……もしかするとそれは、短い期間であっても確かな俺の弟子であったことを示す証であったのかもしれない。

 

 そんな小さくも確かに感じられる敬意に(ほだ)されたつもりはなかったが、不思議と殴り飛ばして別れようとは思えなかった俺は、訓練の間はずっと使わないでいた「獣王の剣」を抜き放つ。

 明らかに隙が減ったジャグアの立ち姿は、無手で挑むにはやや躊躇してしまうほど。その構えは訓練中、模擬刀(もぎとう)にて教えていた俺のソレを明らかに意識しているものだった。

 

 誘われるまま、あえて先攻を取って打ち下ろした俺の一撃を、しかと受け止める目の前の若者。そして防いだことに慢心せず、すぐさま放たれた反撃の切り上げはなかなかの鋭さがあった。

 軽くこちらも剣で捌きつつ、しかしその一撃に未来の【ライネル】の可能性を感じてしまった俺は、自らの口の端が持ち上がるのを自覚した――。

 

 

 

   *   *   *

 

 

 

 ――腹の底を冷たい風が撫でるのを感じる――

 

 やがて広がる俺の視界に、ようやく辿り着いていた山の頂上の風景が写り込んできた。

 

 この山の頂上は、それなりの大きさを誇る広場のような空間を有しており、俺は今、その中央に位置する場所に立っている。周辺には月光を照り返す水溜りに、俺の身長を越える大岩。もう少し見回れば、俺のような魔物が棲み処とするような場所も見つかるかもしれない。バラバラと生えている背の高い木に突き刺さっている雷の属性を宿した矢は、同族が好んで使う戦闘用のものだ。 

 

 ……目の前に転がる同族の亡骸に結びついて、思い出されてしまったかつての記憶を振り返り終えた頃。そうした情報が、ゆっくりと頭の中で処理され始めた。

 

 あの片手剣こそ失っているものの、その身のそばに転がっている弓と盾の意匠には、どことなく既視感がある。横倒しに倒れ、力を失った視線は地面に向けられたまま固定されており、二度と動かなくなってしばらくの時間が経っているだろうことが、その冷たい肌からも伝わってくる。

 

 腹から背中にかけて貫通した大きな傷跡。

 恐らくこれが致命傷だったのだろう。

 ……しかし体のあちこちに刻まれた大小の傷から察するに、恐らくは出会い頭の一撃で殺されたというような短い戦闘ではなかったに違いない。

 盾は限界まで敵の剣を受け止めた証のように、所々に深い刀傷が目立つ。もう少し使えば、真ん中から二つに折れてしまいそうなほどだ。周辺の木々のあちらこちらに刺さる雷の矢は数多く、それほどに放たれるまでの戦闘時間の長さを物語っている。

 ……あれほど【賢者】仕込みの弓を教えたというのに、どれだけの矢弾を無駄にしたのだろうか。わずかに呆れる気持ちが持ち上がってくるが、相手はあの"剣"の強者だということを思い出す。俺と別れてからも弓の腕を鍛え続けていたとして、それでもなお(かわ)してみせるほどの敵だったのだろう。

 

 えぐれるように裂けた頬から覗く奥歯は噛み締められており、ほとんどが欠けていた。

 頬とは違い、斬撃を受けての傷ではない。縦にひび割れるように走った亀裂は、自らの噛み締める力に耐えかねて起こったソレだ。満身創痍になっても最後まで武器を離さず、敵との戦闘を最後まで諦めなかった者だけが浮べられる死相だ。

 

 ――俺の足元に転がるかつての弟子は、そうした紛うことなき戦士の顔をして事切れていた。

 

 

 視界に入れるだけで、いくつかの淡い感情がこみ上げるその死体を眺めてしばらくした後。

 やがて肌に感じる"剣"の気配に導かれるように広場の端に移動した俺は、切り立った山肌の先、眼下の光景を改めて見る。

 

 その視線の先にあるのは、亜人の都市。

 夜の帳がそこだけは落ちていないかのように、煌々とした光に包まれていた。"剣"の気配は、丁度その中心にある方向から感じられる。

 遠く離れた山にも微かに聞こえてくる声の色は、喜びの感情一色に彩どられているようだった。都市全体を悩ませるほどの問題が、解決したかのような賑やかさである。

 

 例えば、亜人の天敵になり得る魔物を。

 中心にいる個体――"剣"の強者が討伐したならば、このくらいの大騒ぎにもなるだろうか。

 

 ……"剣"の強者の近くには、他の強者もいる可能性が高い。武器も槍では、【ライネル】の全力を振るうことはできない。そもそも、亜人の集落の中に単身挑んだところで勝ち目は無い。

 戦術的に不利な条件を頭の中に浮かべ、それを何度も繰り返す。

 そうやって自らに強く言い聞かせなければ、今すぐにでも眼下の都市に向けて突撃しようとする自身の体を、抑え付けることなど不可能だった。

 

 

 "剣"に手出しが出来ない以上、この場に留まる理由もない。

 後に亡骸を検分しに来るとも限らない以上、ヤツを弔って第三者の痕跡を残すことは避けた方が良いだろう。"剣"によって滅ぼされた魔物は、打ち倒されたままの状態でなければならない。

 

 歓声に包まれる亜人の都市を避け、大回りの経路でもって北を目指すべく、山を下る。

 道中、周囲に満遍なく気を配って警戒することが出来ていたのか、その時の俺には自信が無かった。

 

 

   *   *   *

 

 

 北の地。

 【二つ岩】を越えて俺のねぐらに辿り着いたのは、南東の大集落を発ってからちょうど4日目の夜だった。

 

 ……全力でジャグアの棲む東の山奥に駆けて、到着したのは1日も経っていなかったように思う。そこからこの地へは同じくらいの距離しかないにも関わらず3日も掛けてしまったのは、単純に周囲への警戒に気を割いていたことだけが原因なのだろうか。

 警戒すべき"剣"の強者は亜人の都市にいることは分かっており、その場所から北の地にかけては、警戒すべき強者はいないだろうことは分かっていたのに……。

 

 まずは、彼との連絡を確保しなければならない。連絡の蝙蝠が飛んでくる大岩への移動を急いだ方が良いだろう。

 ここでの用事を、早々に済ませることにしよう。

 

 ねぐらの奥にある、一見するだけでは分からないように隠しておいた入り口。被せた草の葉を脇に寄せ、積み上げた岩をどかし、その先に開いた空間へと進む。

 蓋を外されたことで(あらわ)になる空間は、一言で表すなら武器庫という表現になるだろうか。

 入り口から差し込む月光を受け、自らの出番を欲するように冷たい輝きを一斉に見せつけてくる刃達は、言い換えるならば俺の戦闘の歴史だ。今はもう使うこともなくなった古い武具達も、暇があれば磨き込んできた甲斐もあり、まだまだ戦えるとばかりに塗れた光を照り返す様は頼もしい。

 

 だが、今回持ち出す武器はもう決まっている。

 一瞬俺の視線を奪う模擬刀を尻目に、俺は最も奥に据えていた片手剣に手を掛けた。

 

 柄尻に刃をあしらったソレ。持ち上げた刀身の先は二つに裂け、そこから広がる刃は敵を殺傷せんとする意志を隠さない。その形状は偶然にも、今の俺の感情をそのまま反映したかのようでもある。

 

 

 ねぐらを出て、思いのままに握っていた剣を一閃する。

 

 空気を裂き、振り下ろされる剣。

 ――その先に、弟子の仇が血を撒き散らして倒れる姿を幻視してしまう。

 

 

 あぁ、これではいけない。

 俺は【ライネル】なのだ。

 既に多くの魔物達の運命を捻じ曲げているのだ。

 

 魔物の守護者として冷静に、あの強者と向かい合わねばならない。個人の私怨に囚われて剣を振るうなどあってはならない。頭を冷やすのだ……冷やさなければ……

 

 一つ一つ、気合いを込め直して振り回す剣は時折、月の光を受けて俺の視界に瞬く。

 その度にくず折れる強者の影が瞬いては消えるような気がして、俺はまた剣を振り回す――。

 

 

 

 ――かつてジャグアが憧れた剣による、殺意を乗せた弔いの剣舞。

 それはやがて朝陽の光を受けた刀身が、その暖かくも強い輝きを反射させて【ライネル】の眼を焼くまでずっと、ずっと続いていた。

 

 




 原作に登場するゾーラの石碑に刻まれた「ゾーラ史 第7章」にて、100年前の時代に雷獣山のライネルはリンクに一度討伐されていることが明らかになっています。
 どのタイミングで討伐されたかは定かではありませんが、外伝を除き全部で7つ存在する石碑の最終章に刻まれている以上、前史6章で英傑ミファーがヴァ・ルッタと巡り合って云々した時よりは後の出来事ではないかと考えています。(ゾーラ族の偉業ではないために一連の章の流れから後回しにされた感も否めませんが)

 なのでヴァ・ルッタの主が定まった後も雷獣山ライネルが生存しているのは確定という時系列を拙作として定めた以上、雷獣山ライネルを魔物連合に参加させてしまうと、石碑に残されたような一騎打ちによるリンクの雷獣山ライネル討伐のシーンが生まれにくいかと思い、「魔物連合」話にてちょっぴり触れたように雷獣山ライネルは連合からハブらせていました。

 原作メインストーリーの進行にある程度絡むためか、強さが固定されて最も弱いライネルでありながらも、恐らく最も多くのプレイヤーを殺戮した初見殺しの大御所、雷獣山ライネルさん。
 ヴァ・ルッタ解放からストーリーを進めていた作者もまた、「戦う必要はない」とわざわざ言われていたにも関わらず、「別に倒してしまっても構わんのだろう? 」と勇者気分で挑み、武器と盾を軒並み砕かれた上でブチ殺されたのは良い思い出。

 拙作では死体で登場&退場です。


 ※東の奥地の大山に棲む同族『ジャグア』=雷獣山のライネル
  オリジナル個体名は出したくありませんでしたが、『彼』以外の人称代名詞を個人に固定させると文章が大変なので登場。
  何か一つのモチーフに統一して一群の名前を命名されるゼルダ世界に習い(リト族:鳥の部位、ゲルド族:メイク関係等)、今後出すかもしれないライネルの名前は「ネコ科」に連なる動物の名前をもじった物を割り振ろうかと思います。
  そして彼の名前ネタ元はジャガー。安直。


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『厄災』討伐作戦 ~刻まれた熱情~

○前回のあらすじ

 リンク は 雷獣山 の ライネル を 退治 した !




   *   *   *

 

 

 夜を徹して剣を振り回し続けた、若くして散った同族に捧げるために始めたはずの剣舞。

 しかしその剣に乗せられていたのは、純粋な弔いの気持ちだけではなかった。

 

 削られた岩、木に突き立つ矢、撒き散らされた血を吸って赤黒く変色した地面。

 あの山で行われた戦いの痕跡を思い出すたび、その惨状を作り出した仇を想って溢れる感情があった。命の危険に晒されたことのない幼子ですら容易に感じ取れるだろうほどに黒々と濁った殺意。それが否応なしに溢れ、剣に込めようとする哀惜の念に割り込んでくるのだ。

 どうしても目の前にチラついてしまう敵の幻影は、刃の輝きに殺意を(たた)えさせ、目標を得た剣筋は鋭さを増して加速する。

 

 あの里でいつか開かれた宴のひととき。

 俺は戦士達に乞われるままに、その場で剣舞を披露したことがあった。その時ジャグアもまた宴の末席に加わっていたが、ヤツは普段の口数はどこへやら、食い入るようにその剣筋を目で追っていたことを思い出す。

 今にして考えれば、ヤツはその剣舞の中から俺の剣を学ぼうとしていたのだろう。宴である以上、集まっていた戦士ではない者の目にも分かりやすいようにと、型はそのままにゆっくりと振られる【ライネル】の剣はなるほど、剣を極めようとしたジャグアにとっては得難い代物だったに違いない。

 

 だからこそヤツが憧れた剣舞によって、夢半ばで命を絶たれた者への最後の慰めを送ろうとしたのだが。加速を繰り返す剣先は既に、戦士となってまだいくらの時も経っていないジャグアの目では、視認も難しいだろうという高速になっていた。

 これでは誰のためを想って始めた行為なのか分からない。憂さ晴らしに剣を振り回して余計な体力を浪費するくらいなら、さっさと蝙蝠の連絡が受けられる北の大岩へと移動するべきだ。

 

 余計な情報を入れないように眼を閉ざし、振り上げる。

 私怨を抑え、冷静な太刀筋を取り戻すべく、一振り一振りを思考しながら薙ぎ払う。

 

 やがてゆっくり、ゆっくりと自己に埋没していく意識は、透徹(とうてつ)した集中力によってそれまで身体と頭に纏わりついていた何かが払い落とされていき、速度を緩めてゆく剣先を感じていた。

 

 

 ……しかし。

 感情が乗せられなくなって緩やかな速度を保ち始めた剣先とは全く別の場所。

 剣を振り回し続けていくうち、殺意だけではない、別の何かが胸の奥に湧き上がり始めていたこともまた、外の情報を遮断して己の中に意識を集中した自己は捉えていた。

 

 

 

 それは一つ一つでは形を成していない、欠片と呼ぶにも(おぼろ)げでしかない(おり)

 ゆっくりと少しずつ、けれど確実に胸の奥底から浮かび上がってくる。

 剣を一つ振るたび、様々な材料を混ぜて煮立てた鍋の上辺に寄り集まる灰汁の如きソレは、やがてわずかな"熱"と、意味として形容し得る言葉の形を備えるようになっていた。

 徐々に(かたど)られる言葉の群れ。その全てはソレらは仇や弟子に対するものではなく、俺に向けて作られていたものであった。 

 

 自らの立場。

 背負った使命。

 人共への総攻撃を決意しなければならなかった理由。

 達成のために払うと覚悟した犠牲に見合わせる、作戦の目的。

 

 それは、俺が選んだモノの足跡を確かめるような言葉達だった。

 連なる文字に含まれた熱によって持ち上げられるのか、ソレらはやがて胸の奥から移動していく。じりじりと首筋を焦がし、脳裏に何かを焼き付け、それが終わると役目を果たしたとばかりに消滅した。

 

 自問自答をしようと意識していたわけではない。

 無自覚の内に湧き上がり、形を成していく言葉の羅列は俺にとっての当たり前なモノ、答えが出ているモノでしかなかった。

 ただただ、己がやるべきことや果たすべきことを再認識させるため()()の意味しか持たない言葉達は、文意を運んできた証を残すかのように脳裏を焼き、蓄えていたわずかな"熱"を頭の奥に残して消えてゆく。

 澱を溜めて集め、形となったそれらを頭に刻み、言葉は消え、その度に冷めることのない熱が上乗せされる。それをひたすら繰り返す。

 

 一時は苦労して殺意を抑えたにも関わらずいつの間にか、次々と湧き出る言葉を抽出させるための作業の一貫と成り果てた剣を振り回す姿は、端から見れば最早、弔いの剣舞としての面影などは残っていなかったに違いない。

 冥府の底では、ジャグアもさぞや肩を落としていることだろう。

 もしかすると身の程知らずにも、愚痴や罵声などを飛ばしているのかもしれない。

 

 それでも俺は、その行為を今度は改めようとは思わなかった。

 なぜならばかつての弟子を弔って己の心を慰めることよりも、偶然己の中に意識を集中することで突如始まったこの行いこそが、これから迎える"剣"との決戦を制するために重要なのだと直感してしまったからだ。

 そうする必要がある、と、今や完全に己の中へ埋没しきった意識が確信したのである。

 

 そしてその確信を自覚したのを最後に、残っていた意識の端くれもまた、作業を完遂させるべく己の中へと没頭していった――。

 

 

   *   *   *

 

 ――山間の切れ目から差し込む朝の光。

 

 暗色に包まれていた地上を万遍なく色付かせるその輝きの恵みは、半人半獣が持つ凶悪な形状をした片手剣にも、分け隔てなく降り注がれた。

 あらゆる生物を殺傷することのみを求めて造られたはずの血塗られた存在である自身に、それでも余すことなく朝の恩恵をもたらされたその刃は、もしかすると歓喜に震えたのかもしれない。

 

 その剣の主は、種族を同じくする者であっても持て余す重量を誇る剣を、今も片手で軽々と振り回してはいるものの、それは普段からは考えられないほどに遅々としたものであった。

 忘我の境地で佇み、己を無気力に振るう主。

 もしその剣に意識があったのならば、常に己を最高の状態に維持させるため、日夜磨き込んでくれる主の頼りない姿を心配したかもしれない。やがてはその主を元気づけるため、いつもは棲み処の奥に安置されているがために縁が無かった、久しぶりの朝の日差しを浴びることが出来た喜びを分かち合うことを思いつくこともあるだろう。

 

 まるで、鏡面と呼んでも遜色がないほどに磨き込まれた刀身の中に捕らわれた太陽の鏡像は、特殊な鋼によって生まれる光沢と合わさり、独特な艶を持って輝いている。

 左から右へ向かって横に自身を薙ぎ払い、伸ばし切られた主の右腕の手首が返された瞬間。

 剣は最も広い平面を持つ横腹で陽光を受け止め、そのまま最も強く光を集中できる角度でもって、自らの主の閉じられた(まぶた)の奥にある眼を温めるのであった――。

 

 

 

 もちろん、その剣に意識などはない。

 たまたま構えた剣に映り込んだ太陽の日差しが、偶然持ち主のまぶたを焼いたに過ぎない。

 

 日の照る空の下、主がこの剣を持って戦いに臨んだ場面は数多い。

 その戦闘中、主の目をその剣が焼いたことなどは皆無であることや、度々敵の目をその輝きで眩ませて隙を作り出したことなども偶然の産物であり、剣の意識を証明することにはならないのである。

 

   *   *   *

 

 

 ……朝日を受けて輝いた刃に目を焼かれ、そのはずみに覚醒させられた意識で最初に自覚したものは、茹だるように頭の奥に籠もり続ける"熱"だけだった。

 

 開かれた視界に差し込む朝の光とは無関係な"熱"。脳裏に刻まれていた言葉の意味は今も理解しているものの、無数に湧き上がっていた言葉の群れ自体は全て消え去り、胸の中に満ちていた澱もまた無くなっていた。

 "熱"とて肉体的な発熱ではなく精神的なものでしかなく、悪影響を感じるような類ものではなかったし、緩やかな剣舞もどきで体調を崩すほどには、俺の身体も柔ではない。

 

 今も"熱"は意識の片隅に残り続けている。

 思考を巡らすことに苦を感じるものではなかったが、昨夜までそれを感じていなかった時と比べての落差には、少々の戸惑いがあった。

 やがて慣れるだろうとは思うが、その影響か頭の中に改めて浮かぶものといえば、あの山からこの北の地への道中、何度も考えて思考の堂々巡りを繰り返した、改めて思考の道筋を作る必要のない事柄に占められていた。

 ジャグアを心の中で弔い切らず、己に宿った"熱"と向き合うことを優先したのがまずかったのだろうか。ねぐらに戻って一夜明けてなお、俺の頭に思い浮かぶのは、あの山で見た光景に端を発することばかりであった。

 

 そうだ。

 俺の剣をもしかすると継いでいたかもしれない、礼儀知らずで未熟な同族は、もういない。

 

 若々しい赤髪が示す通りの経験しか未だ積んでいなかったヤツでは、同族であっても多くの死者が出ると予想される種族全体の浮沈を占う「戦争」に参加させるのはまだ早いと考えた。

 優れた才能を持っていても、戦いの趨勢を決めるほどではない。ならば無闇に駆り出さず、丁度戦力の空白地帯となっている東のねぐらに置いたままにしておこう。次代を率いる可能性を持つ者ならば尚更だ―― そうした判断の結果、ヤツは人知れず最も危険な"剣"に襲われ、誰に看取られることなく討たれるという最悪の結末を迎えてしまった。

 

 弱肉強食。それはこの世界の摂理だ。

 しかしジャグアが援軍もなく孤立し、"剣"と遭遇するような状況が生まれた原因は他でもない。

 年若い同族を強者と遭遇しないように蚊帳の外に置いた結果、手遅れとなるまで軍に合流させることを良しとしなかった、【ライネル】の下した判断にあったのだ。

 

 その点に思い至った瞬間だった。

 俺の胸の奥に、【ライネル】に相応しくない感情群が宿ってしまったのは。

 

 失った後継者の卵、後悔、恐怖、無念、怒り、復讐―― 北の地へ到着したことの連絡にかこつけて、同族を率いて今も戦い、俺からの連絡を待っているだろう彼へ、この戦いを始めた【ライネル】としてあるまじき悪意と自己嫌悪を文章に込めて伝えかねない、そう思ってしまった。

 

 作戦も終盤、後は"剣"の強者を引きずり出すことのみを目指すだけといったこの状況で、そんな歪んだ生の感情を彼にぶつけて、どうするというのか。

 労わりの、慰めの言葉が欲しいのか。優しい言葉を掛けて欲しいのか。

 そんな無様をわざわざわ文に起こし、彼に縋りつくのか。

 彼に認められた【ライネル】が。

 

 

 あり得ない。だからこそ、そんな思考と感情を削ぎ落とすべく、あの山からねぐらのある北の地へと向かう道中、がむしゃらに剣を振った。

 ジャグアに捧げる剣舞を行っている最中も、この行為によってそれらが拭われることを願った。

 

 だがしかし。

 そんな思考と行為の最後に導かれて残ったモノは――"熱"だった。

 

 積もった(うれい)をぬぐい去り、心機一転を成したまっさらな春のような心境には程遠く。求める凪いだ心には至れなかった。

 かといって悩みや後悔、寂寥(せきりょう)感が漂う秋の如き(あえ)ぎを引きずっている訳でもない。

 ましてや、次代の最強を見込んだ者を屠った"剣"と向かい合わなくてはならないことに怯えて、冬の厳しさに息を潜めて(すく)んでいる、という感情とは真逆の――"熱"。

 

 今、目を細めても直視できないほどに輝く日の出の輝き。

 その陽光が最も熱を放つ季節のギラつく炎気を宿したような"熱"が、胸の奥でくすぶっていた愚かな感情の澱全てを燃料として昇華し、ひたすら俺を焼き続けている。

 

 かつての弟子の仇を討とうとする復讐心か?

 それとも、己が鍛えた者を打倒するほどに強い"剣"の強者への高揚感か?

 ……求める平常心は得られなかった俺の精神は【ライネル】として失格なのか?

 

 違う。

 違うだろう。

 

 智と武を兼ね備えた魔物。その頂点に位置する【ライネル】。

 その存在に最も重要視されるモノが武であるなら、この"熱"を表現する言葉は、正負で仕切りを入れた感情の名前に押し込める必要はないはずだ。

 そして武を尊ぶ存在であるならば、称号に課せられた使命や戦を起こした者としての責任、そうした言葉の重みを背負ってなお燃える熱を、悪であると感じるべきではないだろう。

 

 敵ならば倒して殺す。それが魔物の戦士だ。

 "剣"に勝利した結果に得られる物がその日の糧だけではなく、『魔物が繁栄する未来』にも繋がるというのは、【ライネル】が望むに相応しい戦とすら言える。

 

 同族を含め、今なお地上に満ちる魔物達。

 それを脅かそうとする敵がいるのだ。打ち倒そうと気炎を上げて何が悪い。少なくともここに至って俺が感じている衝動は、魔物の敵を滅ぼす【ライネル】として何の瑕疵も無い。

 

 

 (――敵を倒す、か )

 

 戦う前から相手を「敵」として認めたのは、どれほどぶりのことだろう。

 【ライネル】を継いで以来、立場はいつも挑戦を受ける側であった。格下に胸を貸す、そうした心構えに慣れ切っていた。

 一つ目の巨人、砂の巨大魚、大岩の巨人――魔物の中でも少ない俺よりも大きな体躯を誇る者達でさえ、俺に"熱"を感じさせることはもうなかったのだ。

 

 けれどヤツは違う。"剣"の強者は、確実に俺の命を脅かせる存在だ。

 かつて中央地方へ偵察として潜入した時に直感した"剣"とその持ち主に対する危険性は、ジャグアの亡骸に刻まれた致命傷を見てより深い確信へと変わった。

 

 そんな存在が、今改めて俺の「敵」なのだと考えた時、俺の身体に宿った"熱"はどうしようもなく昂ぶるのだった。

 

 

 ……これは別に"熱"で良い。

 それが最も体を表している呼び名だ。しっくりとくる。

 清濁が合わさり、どうしようもなく名状し難い気持ちを持って敵に挑む機会など初めての経験であり、どんな言葉で形容すればいいのか分からないのだ。

 

 

 それでもあえてこの"熱"の集合体に、智をもって言葉を当てはめるならば。

 

 この"熱"は、『闘志』と呼ぶべきモノに違いなかった。

 

 

 




 次話でようやく『厄災』が登場出来そうです(9話あとがきで失敗した予告再び)。

 リンクが登場する前に、【ライネル】の称号への義務感だけじゃない、主人公なりの"剣"を倒したい心境が生まれる過程を書きたかったのです。話が冗長に膨れているようで申し訳ない……。

 出来るだけ週1~隔週ペースは守って投稿したいとは思ってますので、今後とも他の投稿者様の作品のついでに覗いて頂ければ幸いです。


 ※砂漠の巨大魚=モルドラジーク
  大岩の巨人=イワロック


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『厄災』討伐作戦 ~選択を求める紅~

○前回のあらすじ

 獣王の剣「御主人様、 朝ですよー♪! 」

(朝の光で主の眼を焼く親切目覚まし)


※2017/09/28:最後の【ライネル】独白部分で過剰にメンタルが弱い描写を修正し、展開を変更しました。



   *   *   *

 

 

 太陽が完全に山から顔を出した頃になって、ようやく落ち着いた頭で考えたことは、北の大岩へと急ぎ向かい、彼と連絡をつけることであった。

 

 東の大集落を発って今日で5日目。彼が北の大岩宛てに連絡を届けると約束していた期日丁度のタイミングではあるが、これはあくまで余裕を持って告げられた日程だ。

 俺の脚であれば東の山奥を経由する遠回りのルートを辿っても、トラブルさえなければもっと早く到着しているはずだったのだ。彼もまた、俺が北の大岩に辿り着くまでに5日間も時間を掛けているとは思ってないだろう。

 変事が起こっているならば5日目をまたずに蝙蝠が飛ばされているだろうし、そもそも俺は大集落を発つ際、"剣"の気配が東の奥地から感じたので偵察に行くという旨の文を送っている。

 5日が過ぎても俺からの連絡が無ければ、いらぬ推測をさせてしまうかもしれないので、最低でも今日中には彼への蝙蝠を飛ばしておく必要がある。

 

 幸い最寄りにある北の大岩までは、日が空の頂点にかかる前に辿り着ける程度の距離しかない。

 ねぐらに戻るまでの道中では消化できずにいた感情に捉われ、全力では駆けれなかった脚に力を込める。

 

 ――走り出した身体に、それまであった強張りは残っていなかった。

 

 

   *   *   *

 

 

 北の大岩がある集落に着いた時、太陽はまだ東の空で輝いていた。

 

 木で組まれた見張りのやぐらで哨戒していた者から知らされていたのか、到着した俺の姿を見つけるなり、大岩の中から1頭の子鬼が駆け寄ってくる。

 手に持って掲げているのは1枚の獣皮。恐らくそれは、蝙蝠によって送られてきた彼からの戦況報告などが記されたものなのだろう。既に届いていた以上、もしかすると5日を待たずに送られていたのかもしれない。定期報告であるならば急ぐ必要もないはずだが……もしかすると何か突発的な事態が南で発生しいているのかもしれない。

 

 短い距離にも関わらず一刻を争うかのように走ってくる様は、書かれている内容がそれほど深刻なものなのかと一瞬考えてしまうものだが、この大岩に棲む子鬼達には俺達の文字を読み書きできる個体はいなかったはずであり、内容を把握しているとも思えない。

 もちろん、これが「"剣"の強者発見」を含む「緊急・最重要」の事柄を知らせる赤の蝙蝠によって飛ばされてきた知らせであって、その重要性を思えばこそ―― というのでならば、その焦りも納得のいくものではあった。

 

 ……この大岩をねぐらとしていた小鬼達の集落は、遠征を始めて最初に遭遇した他の魔物の拠点ということもあり、どれほどの武威を示せば屈服するのかという加減が分からず、今思えば明らかに必要以上に暴れて脅し過ぎてしまっていたこととは、あまり関係が無いと思いたいものだが。

 俺の足元に近づき、薄い獣皮を両手で捧げ持つ青色の子鬼。

 わずかに震えている手と、その背後の大岩を貫通している、いくつかの最近出来たばかりの見覚えがある穴をあえて意識から外しつつ、手渡された獣皮を広げる。

 

 

 ――結論から言えば、書かれた内容は緊急の対策を訴えるものではなかった。

 しかし書き込まれた文面は長く、これまでの戦況とは大きく変わる事態が発生したことが事細やかに記されてもいる。

 中でも特に重要な点を挙げるならば、南や西の地方において"剣"とは別の強者が「複数」で現れるようになったという一点だろう。

 

 東の奥地にある亜人の都市に"剣"の強者がいたことは、俺が自身で把握していることではある。東を除いた各地で魔物の軍勢が蜂起している現状において、恐らく敵が有する最強の戦力である"剣"が東の奥地の同族狩りに派遣された。

 このことから、人共はまだ俺達に対して正面から構えず、本格的な反攻勢には出ないだろうと考えていたのだが、どうやらそうではないらしい。

 

 既に戦端を開いていくつもの村を落としていた西や南において、2体の強者が確認されたようだ。そしてそれらは単独ではなく、極めて攻撃力の高い黒の武具を持った集団を少数ながら引き連れていたらしく、同族が率いていた魔物の一軍であっても少なくない被害が発生したという。

 こうした今までにない戦力は、西と南に存在する人共の関所や砦への攻撃を開始した途端に戦場へ投入されたとのことなので、ヤツらは初めから辺境の小村は切り捨てる構えだったのかもしれない。

 

 ようやく戦力の併合が整い、侵攻の準備が完了したことが確認されていた北の地に関しての記載は無かったが、この様子ならば北方で侵攻を開始しても同じように、関所や砦に差し掛かった辺りで強者の妨害を受けることだろう。最初の情報収集で確認できただけで、脅威を感じれた強者は"剣"を除いても4体は居たのだから。

 

 戦線を伸ばして敵の防衛戦力を分散させるべきか、それとも戦力を集中させて一点突破を図るべきか――いよいよ人共と雌雄を決する戦が近づいているのかもしれない。

 

 まずは彼との連絡を再開させ、各地の同族から現在の戦況に関わる情報を集め直す必要がある。

 ここの大岩は、何体の蝙蝠を飼っているのだろうか? 急いで各地へと伝令を飛ばさせるべく足元にいた子鬼へと視線をやるも、そこにはいたはずの青色の族長はいなかった。

 

 (いぶか)しんで視線を上げてみれば、(えぐ)られたような傷跡が残る大岩の影に隠れるようにして、露骨に怯えた視線を俺へ向ける子鬼が一匹。

 目が合った途端にこの世の終わりのような鳴き声を上げて尻餅をつくその姿に、同じ族長でも東の大集落をまとめていた大鬼との差を思わずにはいられない。

 思わず口から零れた溜息には大きな呆れと、僅かばかりの申し訳ないという感情が(こも)っていた。

 

 

   *   *   *

 

 

 北の大岩に腰を据えてより、幾日かの時が過ぎた。

 

 東の大集落から自分が場所を移したことを各地の同族へ知らせて以降、地方からこの地へと寄せられるようになった蝙蝠の連絡には、とうとう"剣"の強者が出現したという情報が散見されるようになっていた。

 

 ……いや。個人的に固執する内容を、あえて抜き出すべきではないだろう。

 この戦いにおける最も重要な情報が"剣"の動向であることは以前変わらないが、情報を一手に集める者として作戦に参加する魔物全体への影響を考えるならば、この表現では大いに不足がある。

 

 正確には。

 各地における要害攻略の前線にて"剣"を含む複数の強者が登場して以降、コチラの進撃は止まり、戦況は停滞するようになった――という情報がもたらされたのだ。

 魔物による群規模の襲撃を重ねている以上、強者の登場はいずれ起こるだろうと想定していた事態ではある。むしろ"剣"を前線に引っ張り出せているこの現状は、望んだ展開ですらあった。

 

 

 しかし想定外であったこともある。

 それは、この状況が生まれるのがあまりに遅かった、ということだ。

 

 

 ヤツらは自らの生活圏であるはずの辺境の小村が襲われようと、その奪還に繋がる動きを一切見せることはなかった。魔物側の動向を探るようにわずかな偵察を寄越す程度のことはしていたが、俺が東の大集落にいた間は、魔物が順調に版図を広げることを見逃し続けていたのである。

 

 そして地方に残された人共の拠点が一定以上の規模を持った大集落や都市、砦といった施設のみとなってからようやく、ヤツらは兵力と強者を動員した。

 守る範囲を中央へ繋がる要所のみに絞ったその防御の厚みは尋常ではなく、この北の大岩よりそうした戦況となっていることを彼から知らされて以来、それら要害の突破を果たしたという報告は一切挙がっていない。続報で知らされるコチラに強いられた犠牲の中には、数人の同族も含まれるようになってきたにも関わらず、だ。

 

 しかしそうして押し寄せる魔物の群れから見事に拠点を守り切っておきながらも、人共はその勢いのまま周辺の集落を奪還しようと要害から打って出ることはしなかった。

 魔物を撃退しても、そこから戦力を分散させず、近寄る魔物を払うためだけに戦力を集中させ続けており、その姿勢は一貫して崩れる様子はないらしい。

 籠城という手段しか取れないほどに追い詰められているのかと指揮官が軍勢を門に寄せれば、雨あられと矢の攻撃を受け、崩れたところを狙って強者が打って出てくるのだ。総力戦を許していない現状、各地方に分けた軍勢の中から出される小規模な群れでは、攻略に至らないのも頷ける。

 

 俺が北の地で初めて彼から連絡を受けたばかりの時は当初、この状況は一過性のものであると考えていた。魔物を追い返し、要所への襲撃自体もまばらになれば、自分達の縄張りを取り返すべく、間を置かずに攻め返してくるだろうと踏んでいたのだ。

 そう考えて敵地に寄せる魔物の密度を調整したり、襲撃の間隔を意図的に長く取ったりしたのだが、ヤツらが要所から打って出ることは一度としてなかった。

 

 なので俺と彼は確信した。人共は初めから辺境の縄張りを切り捨て、中央のみを守るために防衛線を張るつもりだったのだということを。

 そしてこの状況が続くことは、我々魔物側にとって決して歓迎できるものではなかった。

 

 戦線を維持され時間を稼がれることで最も困る事態が、間もなく起こるであろう魔王復活の際、人共が『大厄災』を再現し得る準備を整え切ってしまっているという一点であることは変わらない。  ……だが、これを阻止することは戦略的な視点の話だ。大局的、長期的なものを見据えた話ではなく、今の我々にはもっと目の前に生まれた出来事こそが問題となっていた。

 

 膠着を続ける戦場の中からもたらされた報告の1つ―― それによって、あの『光線を放つ自動兵器』が戦線に投入されていたことが判明したのだ。

 

 その敵の砦、外壁にある石でできた塔の頂点に据え付けられたソレは1体のみであり、脚を持たず自らは動けない個体ではあったらしい。だがその攻撃力は俺が中央へ潜入した時に目撃したモノと遜色ないものであろうことは、一撃で数体の子鬼がまとめて焼き殺されたという内容からも察することが出来た。

 そしてあの潜入時には既に、ぎこちないながらも6本の脚を動かし、移動することに成功していた個体もあったのだ。遠からずそれらの個体も戦場に投入されるだろうことは、想像に難くない。

 このまま敵とのにらみ合いが続けば、神話に語られた兵器群によって、戦力のバランスは一気に覆させられることになるかもしれなかった。同族はともかく、他の魔物ではあの自動兵器に対抗できるとは思えない。時間の経過は、戦術的に魔物側が敗北することを告げているのだ。

 

 加えて、こちらの軍勢の内側から持ち上がっている問題もまた、戦争の長期化を難しくさせている。 一つは兵站。人共とは違って農耕の文化を持たない我々は、安定した食糧を確保する手段に乏しい。急いで始めた戦争なので俺達が魔物の食事を前もって準備することも叶わなかったために、野生の動植物や落としてきた人共の拠点、集落に残っていた食物をもってこれまでの戦線を支えてきたわけだが、それも膠着したこの状況ではそろそろ限界を迎えるだろう。

 

 もうひとつは士気だ。我々魔物は弱肉強食を前提とした社会形態である以上、元々あった彼らのコミュニティの上下関係に俺達が実力でもって割り込むことに問題は無かった。

 しかし、同族達ほどの世界へ対する視野を持たない個体が多い下位の魔物達にとって、人魔のパワーバランスが崩壊することへの危機感を意識させることは難しい。

 彼らにとって、優先されるのは身内の群れの安全と、日々を生きるための糧を確保することだ。糧を得る目的ではない戦闘で仲間が殺され続け、またその糧すらも乏しくなりつつある現状、力と恐怖で彼らを縛るのもそろそろ限界だった。

 

 兵站の枯渇と士気の低下によって他の魔物の統制に綻びが出てきているらしいことは、最近の同族からの報告からも察することが出来てしまう。

 こうした問題が持ち上がる前に辺境へと"剣"を釣り出したかったものであるが、人共が取った中央偏重の防衛策によって、それは頓挫(とんざ)してしまったのだ。

 

 

 では、これからどうするべきか。

 

 現在、"剣"の強者は南西にある人共の関所付近にいるらしいことが、最後にあった目撃情報によって分かっている。流石にこの北の地からではヤツの気配を感じてその存在を感じることは出来ないが、その関所付近ではまだ小競り合いが続いているということもあり、その周辺から大きく移動しているということはないだろう。

 もちろん、その情報のみを当てにして"剣"が南に貼り付いていると思い込んだ作戦を立てることは危険でもある。他の強者達はそれぞれの種族が集まって生息している地から、さほど遠くない戦地によく出没する傾向があるらしいのに対して、"剣"はそういった偏りが無いのだ。

 様々な場所に出没し、その法則も分からない。

 激戦区だった戦場に現れたかと思えば、今回の戦争には全く関わりのなかったはずの東の奥地、同族の中でも脅威度の低かったはずのジャグアを"剣"がわざわざ出向いて討伐したりと、その行動と行き先を読み切ることは不可能だった。

 

 それでも、大まかではあっても存在する場所が分かっている今、"剣"が『駆けつけられる』位置に戦場を用意し、今度こそ"剣"を俺の前に立たせなければならない。

 そしてその戦場になるべく多くの同族を集わせ、かつ他の魔物を戦力として数えることのできる状況を望むのならば、脚を持った自動兵器が未だ現れていない今この時より後は難しいだろう。

 

 不確定要素を多分に含んではいるが、やるしかない―― 俺はそう考えた。

 そして、彼もまた同じ結論へと至っていたらしい。

 

 今日、彼から送られてきた「黄色」の蝙蝠。

 そこに記された内容は南の簡単な戦況。

 そして相談を飛ばした、これから起こす行動の指示であった。

 

 ――西と南の全戦力を併合し、南西の関所から一気に戦線を押し上げる。

 ――北の軍勢は【ライネル】が率い、"剣"が戦場に現れたなら敵の後背を突ける位置より合流せよ。もし出現せずに行方が知れないままであるならば、そのまま南西の軍に合流して欲しい。

 ――中央本拠地へと攻め込むのは最低でも南西の関所を突破し、強者達を何体か間引きした後とする。

 ――自動兵器の件もあり、それらがどれだけ戦力化されているかは現在不明である以上、情報の少ない中央への北軍のみによる奇襲は無用である。まず何よりも、まだ数の利であちらの質を推し込める戦場を作り、”剣”の強者を囲い込むことが肝要であると心せよ。

 

 

 以上のことが綴られた文章は、末尾に「反対が無ければこの方針で動く」と添えられて終わっている。今動かなければ、やがて投入される自動兵器によって同族諸共押し切られるだろうことは、戦場により近い場所にいる彼の方が感じているのだろう。

 辺境で時間を掛け、中央から離れた場所に"剣"を誘い出して圧殺するという手段は、もう取れないのだ。

 

 すぐさま返事を送った後、待機を指示していた北の同族達へも、今回彼から伝えられた方針を踏まえた作戦を告げるべく、新たに数匹の蝙蝠に獣皮を持たせ、空へと放つ。

 数日と経たず、この地へ北の魔物達が集まることとなるだろう。

 

 ……そう、後少し。もう少しの辛抱に違いない。

 

 

 

 

   *   *   *

 

 

 

 

 ――待ちに待った時が来た。

 

 あの後何回かのやりとりを終えた後、彼と示し合わせた南西の戦端が開かれる日の前日。

 雲一つない空で輝く真昼の太陽は高くあり、眼前の光景を隅々まで照らし出している。

 北の端、中央地方へとほど近いこの台地は、山の裾野から広がる開けた平原へと繋がる開けた場所であったが、今は俺の伝令を受け取り、ようやく集まった魔物達によって埋め尽くされていた。

 

 子鬼、大鬼、蜥蜴、そして同族。

 各種族において確かな戦士の実力を示す、青以上の体色を持った個体を多く含んだこの軍勢は、赤と黒が混じってマダラに染まり上がる暴力の群れだ。

 北は極寒の地ということもあり、元々生物が暮らすにはそれほど適した場所ということはない。西と南でそれぞれ集められた軍勢と比べれば、最も規模が少ないことは間違いないだろう。

 しかし小競り合いを続けて戦力を減らし、士気も低下してきている南西の魔物達とは違い、まだ戦っていないことから手に持つ武器は欠けることなく鋭く尖り、切り裂く獲物を求めて日光をまぶしく跳ね返している。そして戦士としての本能か、それとも血を求める魔物の本性なのか、かつて自らが経験したことのない規模の戦場へとこれから参加するのだという意識が、彼らの戦意を異様なほどに高めていることが肌で感じられた。

 

 ……これならば、充分に南西の軍勢への援軍となり得る。

 この士気を持って応援すれば、現地の魔物達の勢いを取り戻させることが叶うだろう。

 

 朝方に届けられた情報によれば、西と南の勢力を併合させたことをとうとう人共に察知されたらしく、中央の外縁部分までに潜り込めた蜥蜴の斥候によると、攻略目標である関所にはこれまでにない数の敵が集められようとしているらしい。

 その中にはまだ”剣”こそまだ確認されていないが、既に分かっているだけでも同じ色合いの装飾品を身に着けた4体――中央で見た強者と同じ数―― の強者が詰めていることは確実だと言うのだ。

 同族も単独で殺し得る力を持った強者が4体。そこに"剣"の強者が現れ、その者達と連携するようなことになれば、【ライネル】と【賢者】が揃った戦場であっても、はっきりと言えば分が悪い勝負となることだろう。

 どんな勝負であってもどう転ぶかは、終わって見なければ分からないとは言え、多大な犠牲を払って消耗させるなり分断させるなりしなければ、間違いなく負ける。最悪、手順を誤れば全滅だって有り得るかもしれない。

 

 ……だが、それも今更だ。

 これは総力戦。数えるのも億劫となる魔物達に加え、十数ともなる同族の戦士達がこちらにおり、それを率いて戦うのは【ライネル】と【賢者】なのだ。

 その場にまだ古代の兵器が運び込まれていないならば俺達の指揮の元、下位の魔物達も充分に戦力として力を振るえるだろう。もし仮に存在していたとしても少数であれば、俺達が先行して破壊することだって十分可能なはずである。

 

 

 ”剣”を万全の状態で迎え撃つため、これまで一切の戦闘に参加していなかった。

 ――戦場を想って起こる武者震いをなだめる必要は、もう無い。

 

 この戦場で勝利すれば、魔物の輝かしい未来へ大きく前進することとなるだろう。

 ――負けてしまえば、『大災厄』を再びこの地で起こすこととなる。

 

 全力の武威でもって戦場を支配し、どこかにいるであろう"剣"を引き摺り出す。

 ――姿を見せないならば、他の有象無象(強者)達を()で斬りにするまで。

 

 魔王の復活。その誓願を叶える【ライネル】は、この俺だ。

 ――『最強』の魔物が磨いた爪と牙で、"剣"の供物を捧げてみせる。

 

 ――そうだ。

 【賢者】にこれまで任せきりになってしまった分を、この戦いで取り戻すのだ!

 

 

 ……言葉を吐き出す度に、口元から火炎が零れていないのが不思議だった。

 これからの道程と作戦を淡々と伝え、迅速に戦地へと向かおうと思っていたはずなのに、いつの間にか振り上げている拳には、あの夜明けに我が身を包んでいた闘争の意志が強く宿っていた。

 大きく振り回したくらいでは到底冷めることのない灼熱が、やがて開いた口から紡がれる言葉と共に吐き出されていたのだ。

 

 言葉に込めてしまった"熱"が、向き合う魔物達の戦気をいつの間にか更に高めていたことに気付いたのは、説明が終わり、1体の同族へと視線を合わせた時だった。

 その眼に宿っていたのは、猛るような闘志である。

 見渡してみれば、そうした熱を眼に灯した者はそこかしこにいた。明らかに勢いを増した士気に包まれ、出発の合図を今か今かと待っている戦士の一団が目の前に生まれていたのだ。

 魔物の命運を決する戦いへの参加を望む彼らの表情は、頼もしかった。この者達を【ライネル】として率いれる我が身は、歴代に類を見ないくらいには幸運なのだろうな、と思ってしまうほどに。

 

 ――さぁ行こう、魔物の戦士達よ。

 

 いざ号令を掛けようとした、その時。

 

 頼もしい戦士達の背後、もはや用済みとなったはずの大岩へ1匹の、「赤色」をした蝙蝠が近づいてくる姿が視界に入った。

 

 

   *   *   *

 

 

 ……我々の前に立つ【ライネル】が大岩の近くにいた子鬼の一匹によって手渡された、赤の蝙蝠からもたらされたらしい情報が刻まれた獣皮を受け取ってから、もう少なくない時間が経過しようとしている。

 その間に【ライネル】が取った行動は少ない。

 最初にその獣皮を一読し、我々へ「少し待て」と指示したかと思えば、既に読み終わっているはずの1枚きりの文面を何度も無言で読み返した後は、腕を組んで眼を閉じたまま固まってしまったのだ。もう【賢者】が待つ戦場へと進軍するのみなはずであり、このような場所で時間を潰す行為は無駄でしかないはずなのだが……。余程の内容が獣皮には書かれていたのかもしれない。

 

 周囲は盛り上がり切っていた熱狂から徐々に、訝しげなざわめきへと喧騒の質が変わりつつある。先程まで【ライネル】の号令に合わせて盛大な(とき)の声を上げようとしていただけあって、突然生まれたこの空白への落差に堪えられなくなったのだろう。

 そうした感情の動きは理解できるが、彼を侮らせる空気の下地を作らせる訳にもいかない。周囲の魔物に静まるよう威嚇を行い、私自身も彼がいつ再び口を開けても聞き漏らしがないよう注意を払い続ける。

 

 少し強めの風が、山側から吹き降ろしてきた。

 自慢の青髪が一房、視界を邪魔するように入って来たので、手櫛で後ろへと撫でつける。幸い風は一吹きするだけで勢いも収まったので、煩わしい思いを繰り返すこともなさそうだ。

 対して、吹かれるままにその豊かな白髪を風に踊らせていた【ライネル】は、明らかに考えに没頭していて風が吹いたことにすら気付いていない様子だった。

 

 しかし、髪を乱れるままにしているその立ち姿をして、隙だらけなのかと問われるならば、そんな事は断じてないと答えるしかないだろう。

 もし仮に今、私が彼に剣を抜いて斬り掛かろうとしても、どこから斬り込めばいいのか判断がつかない。どこを狙おうと容易く捌かれてしまう気がしてならないのだ。そして、繰り出される反撃の一撃を私が防ぐこともまた、難しいだろうとも感じてしまう。

 

 かつて彼と会うなり、【ライネル】の座を賭けて決闘を挑んだ若造がいたという話を聞いたことがあるが、それを耳にした時は、そいつが仕出かしたあまりの無鉄砲さと未熟さに飽きれたものだ。

 

 彼こそが【ライネル】。

 あの【賢者】から「最強」の称号を引き継いだ者。

 

 こうして姿を間近で見るのは彼の襲名以来、随分と久しぶりであったが、立ち振る舞いから醸し出される強者の気配には一層の磨きが掛かっているように感じられた。武力だけではない、頂点に位置する者が纏う覇気と言えばいいのだろうか、そういった重厚な気配を身に纏っているように思えてならないのだ。

 

 先程の演説にも、そういった「力を振るう者」が持つモノが(にじ)み出ていた。

 

 彼が言葉を語るたび、現実の物理に干渉するような熱ではない、しかし荒々しく高揚感を持たせる、何かを焦がさずにはいられないような狂おしさが、確かに拡散されていた。

 この戦いの目的を知り、言葉の意味を知れる私を始めとする同族、闘争を前に高まる熱を感じ取れる蜥蜴、握り込んだ拳の軋む音と、それが振り回されて起こる風切り音の強さに耳をそば立てる鬼達。

 今回の戦いへと臨むに辺り、居並ぶ私達にはそれぞれの事情があった。

 使命感に駆られた者、弱肉強食の理に従う者、戦いを求める者――。そうした者達が先程まで全て、伝染する熱病のようにじわりと、一体の魔物が生み出した"熱"に呑み込まれていたのだ。

 

 その"熱"は、こうして間を置かれた今も、身体の奥に熾火(おきび)のように根付いてしまっている。もしあの時に蝙蝠が飛んで来ず、演説の終わりと共に号令を掛けられていたのなら、周りにいる魔物達と一緒になって外聞もなく雄叫びを上げてしまっていたのかもしれない。

 そうして熱狂に包まれれば、私は彼を先頭に戴いて【ライネル】が望むままに敵へと攻撃を仕掛ける魔物の一体となっていたことだろう。

 

 そして、だからこそ思う。

 なぜ彼は、赤色の蝙蝠が飛んできた「だけ」のことで思い悩んでいるのだろうか、と。 

 

 赤色の蝙蝠に彼と【賢者】が持たせた意味についてはもちろん聞き及んでいる。それは「"剣"の強者発見」を含む「緊急・最重要」を示すものだ。これが飛んできたということは、恐らくはどこかの地で彼らが『"剣"の強者』と呼ぶ個体が発見されたのだろう。

 彼は以前、連絡網を配してなかった東の奥地で突然"剣"の気配を察知した事があり、その時には初動が遅れて取り逃がしてしまったことがあったらしい。そして当時のような失態を繰り返さないように、東の地区にはいくつかの目ぼしい範囲に子鬼のチームを伏せさせることにしたようだ。

 番号を付けた赤色の蝙蝠を1匹ずつ連れて行かせており、"剣"発見時の戦闘は厳禁、その蝙蝠を飛ばさせることを何よりも優先させる段取りを組んでいたという。またその際には、伴っている者の数まで知らせることを最低限義務付ける徹底ぶりには驚いたものだ。

 もしかすると、そうしたチームの中の1つからもたらされた蝙蝠だったのかもしれない。

 

 この戦争はその存在を殺すことで勝利条件を満たすというほどの重要な獲物である以上に、余程の強者であるらしい。

 合流して以来、夜ごと彼はその"剣"を倒すための修練を欠かさなかったことを私は知っている。何もない空間に向かって繰り返し放たれる彼の本気の斬撃は、身震いするほどに凄まじいものだった。彼と種を同じく私ではあるが、その斬撃を一回でも受け止める自信はない。ましてや人などが、どうやってあの攻撃から逃れることが叶うというのだろう。……正直【ライネル】がそうまで警戒しなければならない存在が人の中にいるとは、未だ信じられない思いである。

 

 状況はもう総力戦へと推移している。

 その戦場に"剣"が現れようが現れまいが、そこへ合流することは確定事項ではなかったのだろうか? "剣"がいるならばそれで良し。いなくとも目障りな他の強者を殺し尽くすことで、後に行われる中央への総攻撃への障害を取り除けるのだ。ならばどこに"剣"がいようが、この地を移動しない理由にはならないはずだ。

 

 ……彼はまだ黙したまま動かない。

 

 【ライネル】と【賢者】が揃った戦場に敗北など有り得ないというのに――。

 一体あの蝙蝠は、どんな知らせを運んできたのだろうか?

 

 

   *   *   *

 

 

 獣皮に書かれていた文章は、極めて簡潔な一文のみだった。

 

 『13 : "ケン"ハッケン : カズ ハ 2』

 

 13の番号を振っていた地は、中央地方寄りの北東にある、【火の山】沿いの峡谷。そこで"剣"を発見したという報告である。

 

 それだけならば問題はない。

 "剣"が南西の戦場とは離れた位置にいる、ならば南西にいる4体の強者と人の大群を相手にするために当初の予定通り合流すれば良い。"剣"がいない以上、戦闘に勝って関所を突破することだって難しくなくなるはずだ。

 迷う事などない。

 『南西の【賢者】と合流する』

 ただその言葉を作戦通りに居並ぶ魔物達に告げるだけだ。

 

 

 ……しかし、口から零れたのはかすれた呼吸音。

 意識した言葉の羅列が発せられなかった。

 

 

 一瞬、なぜ自分が躊躇ったのか。本気で分からなかった。

 そしてその理由を探した時、目にとまったのは手に持ったままだった薄くなめされた獣皮。

 

 ……そこに刻まれていた"剣"の同行者の数を示す数字が、俺の号令を留めた答えだったと分かってしまった。

 

 

 『カズ ハ 2』

 

 

 2。2人である。

 これが"剣"を含めずに子鬼が数えていたモノであっても、最大でたったの3人。

 そして俺が知っている限り挙げられる数の強者が南西で全て確認されている以上、その同行者は強者ではない可能性が高いのだ。

 であるならばこの瞬間、俺は北の軍勢を丸々温存している状態で、ここからさほど離れていない場所に、単独も同然の状況にいる"剣"を捕捉し得たのかもしれないということを示しているのではないだろうか。

 

 無意識では気付いていたはずの可能性。

 そして自覚してしまったその可能性の存在は、()()()考えていなかった選択肢として、俺の頭の中に浮かび上がりつつあった。

 じわり、じわりと。海面に浮上して徐々に輪郭を現す巨大魚の影のように、本来なら考えて然るべきだったはずのその選択肢が俺に突きつけられようとしている――。

 

 仮にこのまま南西の戦場に合流したとして、その関所を落とすことは果たして俺達の目的を果たすことに繋がるのだろうか?

 強者を全てその場で殺し尽くせたならばまだいい。しかし、それは現実的ではないのだ。ヤツらの戦況が劣勢になれば、全滅の前に退却を選ぶのが常識的だ。何故なら人の本拠地は中央に健在であり、"剣"もまたそこにいるのだ。むしろ、撤退しない方がおかしい。

 そして強者達を逃がすための時間を稼ぐだけの兵力は、既にあの関所には集まっているのだ。4体の中には翼を持つ個体だって存在していた。最低でも1体以上、まず間違いなく討ち漏らすことになるだろう。

 そうなればより自動兵器が投入される可能性が増える敵本拠地に近い位置で、今度はその強者と"剣"が協力して立ちはだかることになる。しかもその時、北南西を合わせた魔物の軍勢は、南西の戦場で支払った犠牲により弱体化している。

 その新たな戦場で戦った場合の勝率は、果たして北の軍勢だけで単独の"剣"と戦う場合よりも高いだろうか……?

 

 ……そうだ。

 もう、とぼけることは出来ない。

 紅の蝙蝠が運んできたモノとは、劣勢に立たされた魔物にもたらされた魔王の祝福ともいうべき、値千金の情報だったのだ。

 

 

 『北の魔物を率いて孤立している"剣"を討つ』

 という新たな選択肢の存在を、認めなければならない。

 

 

 【ライネル】が北の魔物を引き連れて増援に来る――そういう前提で飢えかけた腹と挫けようとしている士気をごまかし、人共の大軍へ総力戦を仕掛けようとしている南西の魔物達を見捨てる。

 加えて彼らを可能な限り、"剣"への応援に来させないための囮として動かす必要がある。

 4体の強者、存在するかもしれない神話の兵器、数多くの敵、堅固な関――これらを前にして最強の戦力が現れないと知ってなお、そこにいる強者達を足止めさせることを目的とした、全滅を辞さない戦闘を強要させる選択肢だ。

 

 俺には子鬼や大鬼、蜥蜴の魔物達の個体差は良く分からない。

 長く付き合った個体であれば特徴を見つけて判別のつく者もいたが、今目の前に揃った彼らのような、付き合いの浅い者達の区別をつけることは難しい。

 恐らくは南西の魔物達も、ここに並ぶ顔ぶれと同じような姿形をしているのだろう。

 

 劣勢を強いられるだろう戦闘の中、ようやく俺から届いた蝙蝠を受け取り【ライネル】が来ないことを知らされた【賢者】が、勝利を目的としない玉砕を命じることになるだろう魔物と同じ顔。いつまでも号令を下さないことに疑問を感じてるのか、俺の顔を伺うように見上げて多くの魔物達の姿を見ていられなくて、思わず目を閉じてしまう。

 その視線から先程まで感じていた幸福感は、もう胸の中には欠片も残っていなかった。

 

 

 選びたくない。

 いや、選ぶべきなのだ。

 その選択肢を。

 俺は「魔物の守護者」と称えられた、【ライネル】を名乗っているのだから。

 

 

 決意を新たに口を開け、

 ……しかし再び零れたのは、かすれた呼吸音だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――無意識に組んでいた腕の下、隠した俺の指が震えている。

 

 

 思い出すのは、彼と交わした【二つ岩】での誓い。

 戦いを起こすと決めたのは、誰だ?

 俺だ。【ライネル】だ!

 

 「魔物の王を再びこの地に復活させる」……この作戦の目的は、魔王を封印したと語られる『力』であるはずの、"剣"を滅ぼす一点のみに絞られている。

 それを果たせるならば、どんな犠牲を払うことになっても躊躇してはならないはずだ。

 

 失わせた命に結果を伴わせられないのであれば、俺が【ライネル】を名乗る資格は無い。

 だから、より目的を達成できる確率の高い選択肢を、俺は選ばなければならないのだ。

 

 例えその払わなければならない犠牲の中へ、彼の命を俺の手で叩き込むことになろうとも。

 

 

 

 『今日からお前は―――ではなく、【ライネル】を名乗れ』

 

 

 

 ……あの日から、彼は俺を名前で呼ばなくなった。

 彼は今日まで、俺のことを【ライネル】としか呼ばない。

 

 その決断を、この称号を譲った彼の心を。

 俺個人の(した)わしさなどで、貶めることは許されないのだ。

 

 

 

 

 だから三度、口を開く。

 

 

 

 

 ……喉は揺れ、舌が動いた。

 音は後戻りの出来ない言葉となって、全ての魔物の鼓膜を震わせる。

 

 

 

 『孤立した"剣"を討つため、我々はこれより東へと移動する』

 

 

 有無を言わさぬ力を込めて発せられたその言葉は、それまで溜め込まれた勢いを開放するかの如く、晴天の空の下を響き渡った。

 

 




 ……この作品のリンクさんはシャイなんです……。
 登場は次話に持越し。

 ※今話終盤で視点が入った青髪のライネルは、今のところ名無しのモブです。

 四英傑たちのamiibo、11月10日に発売が決まりましたね。
 各神獣をモチーフとした兜が手に入ることが目玉ですが、1つ選ぶとしたら……。デザイン的に最も好きな神獣はヴァ・ルッタですが、ヴァ・ルーダニアの兜が、DLC第1弾で登場したコログのお面のようなギミックとして、原作のように「パカァ……」してくれるのでは?と思うと悩みます。
 横に大きく張り出した頭部を持つヴァ・ナボリスなどは、ゴテゴテした「古代兵装シリーズ」の胴・足装備と合わせるとカッコイイかもしれません。
 ヴァ・メドーは……ピノキオみたいに長いクチバシが素敵ですね。

 私はモチロン大人買いです。


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『厄災』討伐作戦 ~対峙~

○前回のあらすじ

勇者、賢者との待ち合わせをドタキャンする




   *   *   *

 

 

 南西の戦場へと向かわず、孤立しているらしい"剣"を目指して東へ向かう――。

 

 居並ぶ魔物と唯一向かい合って立つ、大きな体格を持った半人半獣の魔物がそう宣言した時、それを聞いた魔物達の反応は様々であった。

 

 ようやく戦場に行けると、待ちかねた鬨の声を思う存分に叫ぶ大多数の者。

 演説の中で触れた当初の目的地とは異なることに疑問を感じつつも、群れの頭がそういうならそうしよう、という唯々諾々とした姿勢を見せる者。

 中には事前に聞いていた大きな戦場とは打って変わって、蹂躙(じゅうりん)するだけの小さな規模の戦闘になりそうだな、というような獰猛な戦士らしい不満をその顔に浮かべる者もいたが、異論をその場で口に出し、主張を唱える者は一匹として出なかった。

 

 何故か?

 その命令を下した魔物が『強い』からである。

 

 子鬼や大鬼、そして蜥蜴の魔物達。

 北の地の各地で生活していたそれらの集落を、単騎の力でもって攻め落としてみせた半人半獣の魔物は、この場に全て揃っている。けれどそんな強者達までもが服従を強いられた自分達側の集団に混じり、そう発した個体と向かい合って、その言葉を聞き入れている。

 

 己では到底勝てないと思えた、単騎で隔絶した力を振るう恐怖の存在。

 それほどの魔物が先程まで言葉を発していた、同族であるはずの個体がいる側に立っていない。横に並べたり、その後ろに控えさせたりということすらない。

 巨大な剣を背中に背負ったその個体にとっては、自分達には及びもつかない力を持つその同族らですら、その他大勢の力でしかないとでも言うのだろうか。

 あちら側とこちら側。

 力を至上とするそれぞれの種族の中でも、戦士として野生を生き残ってきた魔物達の中に、その間に横たわっている確かな差を感じ取れずにいた者はいなかった。

 

 ……やがてこの場で異を唱える声が上がらないことを全員に確認させた『あちら側』の魔物は、改めて進軍を命じる。

 北の地方、そこに点在している魔物の棲み処から特に戦闘に秀でた個体が選りすぐって集められた魔物の群れは雪崩を打つかのように混然と、しかし明確な意図を持って東の地方へと移動を始めるのであった。

 

 目標はハイリア人の戦力が集う拠点、ハイラル城より北東。

 デスマウンテンの西側を縦断する灼熱の土地――『オルディン峡谷』である。

 

 

   *   *   *

 

 

  「……これで良かったのか? 」

 

 東へと向かう進軍中、周囲に気付かれないように潜められた声が俺へと掛けられた。

 その声の主は突然の侵攻先変更の宣言を聞き、驚愕と共に戸惑いを見せていた同族達の中の1人。俺が生まれた時には既に剣を振るっていた戦士である。

 

 【賢者】よりは若い身ではあるものの、既に第一線を退いて久しい。しかしながらその黒い肌と白髪の艶やかさは、かつてその豪力でひしめく敵を屠っていた姿を彷彿(ほうふつ)とさせる。

 身体中に刻まれた無数の傷は大小様々で、傷の上に傷を重ねた部分は今も赤黒く、歪だった。本来ならば黒一色で統一されるべき地肌をマダラに染めているかのように見せるその傷跡は、初めて見る者には勇猛さよりも痛々しさを感じさせるかもしれないほどだ。

 

 ――しかし、この人物を侮る同族はいないだろう。

 幼い時分、読み聞かされる昔話の一つ。戦士達が打ち立てた数多くの偉業の中においてなお輝く物語に登場する『氷岩の大巨人』。一般的な大岩の巨人とは比較にならぬほどの巨躯を誇り、戦士達を次々と氷漬けにしたというその異常な魔物を、打倒した存在こそが目の前の彼だということは、あまりに有名な話だからだ。

 

 英雄の名は『ベガルト』。

 膂力だけであれば、当時の【ライネル】だった彼を(しの)ぐとまで謳われた大戦士。

 

 常であればその伝説にも語られた、凍傷によって失われた右手の小指などに意識が引き付けられていたのかもしれないが、今の俺の視線は、そんな物語に出ていた歴戦の証には向けられなかった。

 

 ベガルトは隻眼だ。

 普段からその顔の左半分は、永遠に閉ざされたまぶたを覆い隠すように前髪が下ろされている。そしてその眼は生まれつきの障害というわけではない。

 それは、彼と【ライネル】の座を賭けて争った際に負った傷だった。

 そして光を失った経緯を知っている俺は、言葉を掛けてきながらもそれ以上は黙して語らないベガルトの、その眼が向こう側にあることを知っている白髪のカーテンから目が離せないでいる。

 

 ……出立以来ベガルトは俺から左後方の位置を、やや離れて歩いていた。

 声を掛けてくるだけならばそのまま距離を詰め、視界が開いている右側で俺と視線を合わすなりするのが自然のはずだ。

 それをわざわざ右側に回り込み、自身の左側をこちらの視界に晒している―― その行動が指している意図は明白。

 「お前が取った選択の意味が分かっているのか?」―― 彼によって永遠に光を失ったはずの左目で、俺を見つめているのだ。

 

 

 ベガルトは今回の作戦、彼から直接の参陣を請われて参加していた。

 かつて【ライネル】に最も近いレベルまで接近したその実力は、俺以上に長く彼と戦場を共にして培われたもの。眼を失ったこともあくまで「最強」を賭けた決闘での出来事であり、当然戦士としてそこに遺恨は残していない。

 この地に集った同族達もまた、ベガルト同様彼からの呼び掛けによって立ち上がっていた。【賢者】から今回の戦争への意義を説かれ、参加を決意した彼らこそ、今回の北の魔物をこの地へ集めるために最も尽力してくれた者達である。

 その中には【賢者】と同じく既に現役の戦士を引退し、人共が立ち入らないような奥地で隠棲していた者も複数混じっていた。

 これには俺より遙かに年上な者達にとって、かつての【ライネル】の影響力がいかに大きいかを察せられる。

 

 にもかかわらず先程、その地位を継いだ当代の【ライネル】が【賢者】を切り捨てたのだ。

 ベガルトの訴えは、何も【賢者】の友人にして戦友であったという個人のモノではない。この地に集まった同族の想いを代表した声であり、ただ士気を下げないために表立って叫ばれていない本音であるのだろう。

 

 

 

 ――だが、そこまでである。

 

 全盛期を過ぎているにも関わらず、かつてない規模の戦場へ増援もなく臨まなくてはならなくなった【賢者】を思って胸を痛める―― 彼らが実際に行った行為はそれまで。

 俺に対して前言を翻すよう求める声を上げたり、単身でも南へ合流を図るべく、この軍から独断で離脱する者はいなかった。

 

 『戦場に参戦する戦士は【ライネル】の言葉に逆らってはならない 』

 これは【ライネル】を頂点とした同族の集団にとって、最低限守らなければならない約束事。

 智を重んじながらもひとたび戦いの場となれば、その血と力に酔ってしまう魔物の性質を抑え込むために定められた戦士の法である。

 この掟を、同族達は忠実に守っていた。

 

 ましてや今回の戦で掲げる大目標が「魔物の社会を脅かす"剣"を滅ぼす」である以上、その目的遂行を最優先させる号令自体は、俺の暴走を示すことにならない。

 声は掛けるのみに留め、後は無言で俺に前言を撤回させようとしていたベガルトの行為は迂遠で分かり辛いものであったが、それでも掟に触れないように起こされたその行動は、彼に対する友情の深さを感じさせる。

 けれど彼が残した――【賢者】によって付けられた爪痕は、俺をかつての彼を思い出させる材料とはなっても、決して決定を覆させることには繋がらない。

 

 むしろその逆。

 蘇る記憶は彼と過ごした狩りの日々ではない。【二つ岩】で交わした、【ライネル】と【賢者】で交わした「『大厄災』を止める」という誓いだった。

 

 仮に彼と俺の立場を入れ替えたなら、彼なら南と東のどちらを選んだか?

 ……あの夜に浮かべていた彼の笑顔を思えば、迷ってはならないのだ。

 

 

 

 ――無言のままベガルトから視線を切り、行軍を続ける。

 俺の後ろに追従する彼の戦友が再び同じ問い掛けをしてくることは、もう無かった。 

 

 

   *   *   *

 

 

 強い風と弱い風が、打ち寄せるさざ波のように繰り返し入れ替わっていた。

 天候の移り変わりが激しいのは山の特徴ではあるが、空にのたうつ雲の身じろぎの激しさを見るに、そもそもが荒れた天気となっているのかもしれない。

 大群で押し寄せている以上、この風の乱れがこちらの音や匂いを掻き消してくれるのは好都合と言えるだろう。

 

 俺達が赤の蝙蝠によって示された、13の番号が振られた土地である峡谷のふもとに到着したのは、西の山へと沈もうとする夕陽がそうして千切れて飛び交う雲の中でも、一際厚い雲によって遮られた頃だった。

 

 「この気配は……あぁ、これが……」

 

 【火の山】沿いの峡谷。

 隣に並んだベガルトの口から洩れたのは、何かを納得したような溜息だった。

 今我々がいるふもとよりやや登った中腹の辺りに、かつて感じた"気配"がある。この地に近づくにつれ、徐々に強まっていた存在感―― "剣"は、ここにいる。

 向こうで何か不意の戦闘を行うような事情が発生したのだろう。間欠泉のように吹き上がったその気配は今、"剣"が抜刀されたことを教えるものだ。

 これまで"剣"に向けていた俺や【賢者】の警戒心を、話の上でしか共有出来ていなかった同族達の間に走ったのは驚愕……だろうか。ここに至るまでの彼らの顔のいくつかに浮かんでいた、号令を不承不承飲み込ませていたような表情は、この時確かに消し飛んでいた。

 

 ……この気配を肌で感じた以上、彼らもまた理解したはずだ。

 今から始める戦闘が数で弱者をいたぶって終わりのような生易しいモノではなく、それこそ南西で既に始まっているだろう【賢者】が率いる不利な戦場と比べてなお、勝率を語るのが難しい未知の戦となることが。

 

 そんな不気味な思いに捉われているだろうことは、容易に察せられるのだ。

 かつて自らもアレを目撃した時、背筋を震わせる何かを意識せずにはいられなかったのだから。

 

 ……しかしここで今更、弱音や不安を聞くようなことは残念ながら出来ない。

 彼らには申し訳ないという気持ちこそあれ、我々は魔物の中でも最強を称する種であり――、ここに揃っている魔物は、我々のみというわけではないのだから。

 背後から聞こえる複数の荒い鼻息。

 陰った日光と入り組んだ高低差の激しい地形によってその全容を見渡すことは出来ないが、そこにはたった今俺と共にこの地へと乗り込んだ、各種族の魔物達で溢れている。

 不安や迷い、ましてや恐怖の感情を、周囲に拡散させてやる訳にはいかなかった。

 

 

 

 ――だから俺は"気配"が強まったことを契機として、攻撃を開始させた。

 

 俺の合図を受けて緩やかな傾斜と急勾配が複雑に繰り返す道を、まるで平坦な地上を駆けるかの如く軽やかにまず登り始めたのは、蜥蜴の魔物達。

 普段の彼らはその4本の手足を、前足と後ろ足に2つずつ分け、二足歩行で歩く。

 だが速度を求めた移動を行う場合はその前足も地につけ、4脚でもって這うように進む。その速度は子鬼や大鬼とは一線を画すほどである上、蹄を持たない彼らの移動は、我らと比べるまでもなく静かでもあった。

 斥候に優れ、先制の奇襲部隊としても彼らに勝る者はいないだろう。

 

 ……ヤツが単体であることを踏まえると、一度に攻められる人数はどうしても限られてくる。そこに大軍をもって攻め寄せたところで、視覚で重圧を掛ける以外のメリットはさほど無いのだ。そしてそれも子鬼や大鬼を挑ませる展開となった時に、果たせる効果でしかない。

 

 そこで俺はここに至るまでの道中、種族ごとに分けての攻撃班を編成していた。

 もちろん弓や槍、剣などの得物によって役割ごとにまとめた種族が混成した部隊も存在していたが、初撃を加える部隊を蜥蜴のみで構成したのは、その種が持つ隠密性による奇襲の成功を期待したからである。

 

 各個撃破――。その可能性の高さに目をつぶった指示であることは承知している。

 しかし相手の知覚能力が不明である以上、この成功するかもしれない攻撃を躊躇う選択肢は俺の中には無かった。

 

 峡谷の中腹へと先行する蜥蜴達の群れを追い、集団の先頭となって移動を再開する。彼らの奇襲を邪魔しないよう、ある程度距離を離した上での追走だ。

 

 先頭を駆けた黒の蜥蜴。

 岩の影へと隠れて消えたその後ろ姿が、ふと走馬灯のように脳裏に思い出されるのを、俺は静かに受け止めていた。

 

 

   *   *   *

 

 

 ゴォォゥ……!

 

 いつの間にか弱まっていた風が、もう何度目かも分からない折り返しを経て、再び強く吹き付けるような勢いを取り戻している。

 単なる風の音。

 最初は、そう思った。

 

 

 ゴビュゥウゥーー……シュッ!

 

 だからその違和感に気付いたのは、その音が何回も聞こえた後のこと。

 草木の少ない硬い岩肌を走り、火山から吐き出された灼熱を俺の耳元まで届ける風。

 その熱を孕んだ風切り音の隙間にかすれたような、どこか異質な冷たさを持った響きの異音が混じっていることに気付けたのは、風が強く吹き付けるようになり始めてから、少し時間が過ぎた頃だった。

 

 

 ゴォ……ピュウゥ、シュ!

   ビュウーーゥ……ザシュッ!!

 

 耳を澄ませてようやく聞こえる、何かを裂いた時に響くような音。

 それが風上である峡谷の頂上から、風に乗って風下の俺にまで届いていた。

 

 

 異音は頂上に向かうほどにやがて大きくなったが、足を止める理由とはならない。

 警戒心だけを高め、後ろの魔物を率いたまま坂を上り続ける。

 

 

 ヒュゥーーザグッ「ギィッ!?」

   シュ、ザシュ!!……ドサァ……

 

 近づくにつれてより鮮明になる音。

 耳に届く音は、やがて水気を含んだ粘性のあるモノに変わっていく。

 そしてそれは俺にとって。いや、野生を生きる戦士達にとっては、耳に慣れた水気を含んだ音であることが直感できた。

 この場に揃った全ての戦士が、この音の正体をよく知っている。―― 硬質な得物によって肉を裂いた時に、手に残る手応えと共に耳へと馴染んだ親しみのある音。

 それによく似たモノが、目指す進行方向から上がっている。繰り返し響く悲鳴もまた自然のモノではなく、誰かが人為的に起こしていることは明らかだった。

 

 

 音を立てている者の姿は、まだ見えてはいない。

 

 もう少し坂を進めば、深い傾斜によって壁となっている地面が終わる。

 坂が終わった先には開けた空間があるようで、どうやら「犯人」はそこに留まって肉を裂き続ける作業に専念しているようだった。音がどんどん近くなっているのが分かる。

 ここを登り切れば、その開けた視界に「犯人」の姿を目視することが叶うだろう。

 

 坂を進む内に通り過ぎていく何体もの犠牲者達。

 峡谷の中腹に差し掛かった辺りから散見され始め、既にかなりの数となっているそれらは、元は蜥蜴の戦士であった者達の亡骸だ。無造作に地面へと転がされた死体に刻まれた傷口は真新しく、倒れた地面に描いた染みの範囲は未だ緩やかに広がり続けていた。

 そんな命の残り香が漂う死体達が点々と、しかし極めて短い間隔で頂上を目指して倒れている。

 

 正直に言えば、この結果に驚きはなかった。

 無残な討ち死だ。しかし、無駄死ではない。

 ヤツと遭遇する直前。最後の最後に出来ることならば確認したかった情報を、勇敢な戦士達の死体は語ってくれていた。

 

 敵側にある戦力―― その最終確認だ。

 

 一塊(ひとかたまり)に死体が存在しないことは、相手が"剣"のみであり、他に特別な強者が存在しないという蝙蝠で得た情報の信憑性を高めてくれている。もしいるのであれば蜥蜴の攻撃を受けても後退せず、その場に留まって応戦することで、ある程度死体の位置が集中するはずだからだ。

 中央で確認した時には連日、"剣"以外に目立った装備をしている姿が確認できなかったヤツには、一挙に複数の魔物を仕留める手段には乏しいのかもしれないという予想を立ててはいたものの、この場においてもそうであるかは分からなかったのだ。

 あの時より、もうそれなりの時が経ってしまっている。ヤツらの魔王に抗するための研究もかなり進んでいるかもしれなかった。……もし古代の自動兵器に類する、かつての【ライネル】をすら一撃で屠ったという『輝く弓矢』に匹敵するような多数を一気に殲滅し得る武器が復活されていたならば、この戦いに勝ちを見出すことは到底出来なかったのだから。

 

 もう一つ、「とにかく"剣"を孤立させることを優先させ、随行しているはずの他の人間への奇襲を心掛けろ」と蜥蜴達へ密かに指示していたにも関わらず、これまでヒトの死体が転がっていないことも見逃せない要素だ。

 訓練を受けていない存在が蜥蜴の攻撃、特に移動しながらでも体色を自在に変化させ、周囲に溶け込むことが可能であったあの黒の族長の奇襲を防ぐことが可能であるとは考え辛かった。そして、それでも人族の死体は存在していないのだ。

 ――不意の襲撃を受けたにも関わらず、その人物は生きている。

 もちろんそいつも戦闘力を有している厄介な存在である可能性も一瞬考えはしたが、そもそも族長の初撃を防ぐほどの者が"剣"の強者と共にいるのであれば、やつらが蜥蜴の襲撃如きで後退する理由が無い。その場に留まっての応戦が、充分に可能なはずなのだ。

 にもかかわらず後退している以上、仮に戦える者であったとしても脅威度としては高く据える必要は無いに違いない。死因となった傷跡が全て同質の斬撃によるものであることを考えれば、そもそもその存在は非戦闘員なのかもしれなかった。

 

 ……もちろん、これが喜ばしい情報ばかりという訳ではない。元より承知していたことではあるが、この死体の山は「犯人」の強さを裏付ける証拠でもあった。

 

 ここはまだ、峡谷の頂上ではないのだ。だというのに、道中には切り捨てられた死体で溢れている。そして、その存在は開けた場所に陣取れたことを良いことに留まり、戦闘を続けている。

 もし戦闘に加われない者を随行させていたとするならば、その者への奇襲を防ぎつつ、今も機動力に優れた魔物達を剣1本で殺し続けているのだ。

 尋常ではない戦闘力を持つ存在がこの坂を越えた先にいることは明らかであり、死体の有様を通してそれを感じ取った集団に漂う緊張感は、否応も無しに高まっている。

 

 

 ズシュゥッ!!

 

 「ギッ!……グゲェ……ァッ! 」

 

 そして、この音の正体に気付いてから感じていた、戦場の違和感にも気付いてしまった。

 鋼と鋼がぶつかり合って立てる、戦場であるならば響いて当然の硬質な金属音が全く聞こえてこない。たまたま俺が音に気付いた時からなのか、それとも最初からなのか。恐らくヤツは、全ての攻撃を剣で受けることなく見切りで躱し、魔物を攻撃する時にしか剣を振っていないのではないか。

 俺に出来ないことを、坂の上の存在は成し遂げているのではないだろうか――。

 

 

 

 

 ……坂を、登りきった。

 

 

 

 

 そこは峡谷の途中にあって、ぽっかりと空いた広場だった。

 

 火山の熱に時折晒される空間であるためか、植物は自生しておらず土の地肌が露出した暗褐色の広場であったが、切り立った崖から眼下を見渡せる見晴しに優れ、普段であれば解放感を感じる空間であることは間違いない。

 

 しかし今この空間に満ちているのは、強烈なまでの圧迫感であった。

 

 俺がこの広場の地肌が露出していると判断したのは、全体を見渡してから湧いた印象である。より良く観察できるはずの、こちらからみて手前側の広場の地面を見て得た感想というわけではない。手前側の地面には(おびただ)しい数の蜥蜴達の死体に埋め尽くされ、ところどころに見える地肌も流れ出た血によって黒く染まり切っていたからだ。

 足の踏み場を探すほどに溢れた死体を前にして、解放感を感じる神経は俺には無かった。

 

 そしてたった今、最後に立っていた黒の蜥蜴―― 族長が、胸の中心に突き込まれていた様子の"剣"を勢いよく引き抜かれ、盛大に血を撒き散らしながら倒れようとしている。

 

 助太刀に駆け寄るかを考え……留まった。

 もう、あの族長は絶命している。

 

 坂の下から新たに現れたこちらを油断なく見据えながら、目の前の人間は抜き放った"剣"についていた血を払い飛ばすために、何もない宙を一閃する。

 剣先が霞んだのは一瞬、再びその動きを止めたことで刀身を露わにした時、そこに血と脂による濁りは全く残っていなかった。

 

 西日を受け、その気配と存在を主張するように鈍色の輝きを見せる片手剣。

 予想通りではあるものの、あれだけいた蜥蜴を殺し尽くすほどの戦闘に使われた武器とは思えないほど、その刀身に欠けを見つけることは出来なかった。

 

 ――やがて地面にくず折れた、族長だった者の死に様を見届けることが出来ない。

 少しでも目の前の存在から視線を外せば、次の瞬間にその剣を胸に突き立てられるのは自身だと確信してしまっていた。

 

 地面に敷かれた、今も仲間であるはずの魔物達の死体。

 それに意識を割いて歩くことすら危険を感じて躊躇ったから―― 鱗や骨を蹄で割る感覚を味わいながらも、ヤツとの距離を調節することにした。

 

 俺が進んだ分だけ、後ろに下がる"剣"。

 しかしその眼に、怯えの感情は欠片も宿してはいない。

 ヤツの全体を視界に入れたままその背後を伺ってみれば、広場の切れ目にある岩影に隠れるようにしてこちらを伺う人間がいる。恐らくはアレが同行者だろう。

 その様子は、決して戦う者の姿では有り得なかった。

 

 "剣"が常に俺とアレの間に自らの身体を入れるように動いていることから考えるに、アレは"剣"にとって、守る必要があるだけの存在なのが察せられたのは予想外の収穫だった。

 

 

 ……アレを狙えば、あわよくば"剣"の動きに制限を加えることも可能ではないか――?

 峡谷に入って以来、ずっと手に持っていた「獣王の弓」を少しだけ意識する。

 

 

 そんな俺の思考を、わずかな素振りから察したのか。

 それとも坂の下から続々と姿を見せ始めた、魔物の大群を視界に入れたからか。

 

 "剣"の強者が、構えを取った。

 

 いつか中央で盗み見た、鍛錬の最中に常に取っていたその構え。

 長剣を下段に下げたまま右手に持ち、そのまま後ろに引いて左半身をこちらに見せるように左手を盾のように突き出す。俺が毎夜思い描いていた形である。

 

 

 

 

 だが、腰を落として臨戦態勢を整えたその時――"気配"が爆発した。

 

 

 その場に揃った魔物全てが瞬間、一斉に半歩後ずさる。

 

 

 魔物の未来に不吉を約束する、輝き。

 『厄災』――その言葉が人の形をとり、"害意"を持って俺の前に立っていた。

 

 

 




 原作主人公
 14話掛かって よ う や く 登場。

 投稿時に作ったプロットのフローチャートでは、4話くらいで登場しているのが嘘のようです。

 次回から戦闘開始。追加DLC第2弾「英傑たちの詩」が出て新しい公式の過去話が出る前に、なんとかこの辺りの話は終わらせたい……

 ……『ウツシエの記憶』ムービー視点に、リザルフォスがいない??
 だったらそのシーンまでに全滅させれば問題ないですね。




 ※氷岩の大巨人=巨大なガチロックで原作未登場のオリジナル。某狩猟ゲームで言うところのG級モンスターとでも思って頂ければ。今後出てくる設定ではありません。         
 ※ライネル族の隻眼の戦士『ベガルト』……6話の回想にチラッと登場したライネルが彼です。名前元はベンガルトラ。安直その2。


 ※今更の追記ですが、常用でない読みの漢字については出来るだけフリガナつけてます。難しい字を使わない原作の文章をリスペクトしたいものですが、私が複数の意味持たせられる漢字が大好きなので、どうかご容赦下さい。過去にルビ振りを済ませている字については、再度振らない場合があります。


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∴ 近衛騎士の想い

○前回のあらすじ

 リンク、初登場
(魔物視点につき登場描写がホラーなのは仕様)




   *   *   *

 

 

 最近は、国の周辺地域への魔物の出没がよく問題視されている。

 

 それもこれまでも時々起こっていた、はぐれボコブリンやモリブリンが旅人を襲うといった規模じゃない。より強力な魔物に率いられた魔物の集団が、周辺地域に築かれた民達の集落へ襲撃を行っているんだ。

 しかも先日行われた定期評定に挙げられた報告によれば、それが特定の地域に限った話ではなく、西から南東にかけての広い地域で発生しているというのだから、尋常な問題ではないのだと思う。

 

 もちろん英傑達のリーダーとしての役割を任せられている自分も、当然この事件への対処に動くことになるだろうと考えていたけれど、ハイラル王曰く、

 

 「これは国難には違いないが、『厄災』復活の予兆とみるにはまだ断言は出来ぬ。他の英傑達の故郷にほど近い場所で起こった魔物の騒動については彼らを派遣することになるだろうが、お主は姫巫女専属の近衛として『厄災』に備えるため、緊急を要する事態にならない限りはその傍から離れることは許さん 」

 

 と直答なされてしまっては、もう勝手に動き回ることは出来なかった。

 

 やがて徐々にその規模を拡大していく魔物の攻勢に、じりじりとした焦燥と危機感を募らせる日々が続いていた。けれどつい先日、魔物の集団の中でも最も勢力の大きい群れが特定され、その集団に対する組織的な攻撃が決定されたのだ。

 何でもその集団へ向かって各地方で暴れていた魔物達が合流を図っているらしく、このまま放置していては、一気にハイラル中央まで攻め込まれてしまう恐れがあるらしい。そしてこれを機に、こちら側も戦力を集中して短期に殲滅しようというのが、王が定めた方針だった。

 

 ただ残念ながら、ここでもボクの出番はない。

 自分を戦場に動かして、姫の身を危険にさらすことは避けなければならないと繰り返され、近衛騎士としての役割を優先するように厳命されたのだ。……もちろんイタズラに戦いを求めているわけではないけれど、国の皆を守るために鍛えてきたこの力を、いざその時に限って振るえないというのは、少しだけもどかしく感じてしまう。

 戦場は南西の関所。集結した魔物の数は過去に類をみない規模にまで膨れているそうだ。けれどコチラには新たに作られた武器や種族を超えて集まった戦士達、そしてわずかではあるが起動に成功した、防衛用の砲台型ガーディアンがある。

 さらに言えばこの戦いには自分を除いた四英傑、その全員が神獣の調整を中断して参戦してくれる。皆の力が合わされば、きっと魔物達の侵攻を払うことが出来るだろう。

 

 

 だから自分が心配するべきなのは、もっと別のところ。

 目の前に迫る国難と比べて、なお重要であると判断されたヒトを、この身に賭けて守り抜かなければならない。それが出来ると期待されたからこそ、ボクは最年少でありながらも直属の近衛騎士への昇格を王に許されたのだから。

 そう、護衛の対象―― 姫様をお守りすることだけに全力を捧げるべきだ。

 

 思えば姫様とは出会った当初と比べて、随分と親しくさせて頂いている。

 若年ながらも認められた騎士として、常に模範足れと自らを律してきたボクは、近衛としての立場を越えないよう、終始姫様に対しては慇懃(いんぎん)かつ必要最低限の応答を心掛けていた。けれど姫様にとってその対応は不快を買うものであったようで、王の言いつけであるにも関わらず自分が彼女の外出に同行する際は、散々邪険に扱われたものだった。

 心を開いてくれたのは、ゲルド砂漠の地で姫様を襲おうとしたイーガ団のならず者達を、ボクが間に合って追い払った時からだろうか。ボクにとっては当然の務めを果たしたに過ぎなかったけれど、これを切っ掛けに姫様は、自分がお傍に(はべ)ることを(いと)わなくなられたように思う。

 城内では沈まれた表情をお見かけすることの多い姫様であったが、ある外出の際、道中にその旺盛な好奇心を刺激される生物(後になって名前を聞けば、ゴーゴーカエルという生き物だったらしい)を見つけた際の表情は、大変麗しく輝いておられた。そしてその笑顔をボクに向けて頂いた時、初めて彼女の隔意の無い気持ちを感じて、何とも言えない温かい気持ちに胸が満たされるのを感じたものだった。

 その時ばかりは、己を律し過ぎて感情が表に出にくくなってしまった自分の表情筋の固さに辟易したことを覚えている。

 

 ……直後、俊敏性を増す物質が含まれているというその肉の効能を、優れた身体能力を持つ者の肉体で試したいと、研究調査と称して食用種とはいえカエルを丸呑みさせられたのも、忘れ難い思い出の一つとなってしまったが。

 感想を求められた時にも大して動かないでくれた表情筋に、手のひらを返して感謝することになったのは苦笑いするばかりだ。

 

 

 そんなこともあった姫様との旅は色々な地へ行くことが多かったけれど、ほどんどは神獣や英傑を(よう)する他国との外交や、封印の力を得る為の修行の為に泉へ赴くことを目的としたものであり、姫様ご自身が最も情熱を捧げられている考古学への研究に関わる遺物調査そのものを目的とする旅は、驚くほど少なかった。

 修行を終え、城との往復の際に少しの時間を見つけては立ち寄る、遺跡の調査。専門家も顔負けではないかと思われるほどに培われた知識を語られる時に浮かべられる、その努力に裏打ちされた自負と希望に満ち満ちた表情は印象的だった。

 

 けれど修行の前後、他国の要人との折衝を行った後など、姫巫女としての立場を意識されているだろう時の顔は、決して明るいモノではなかった。

 打ち解ける前まではそれでも歯を食いしばり、ボクに対しても何でもないように取り繕らわれていたが、心を開いて下さって以来、ふとした時に零される言葉が、姫様が抱える悩みを明らかにさせた。

 

 世界でたった一人、自分しか務められないと生まれた時から定められた『厄災ガノン』に抗する封印の巫女―― 絶対に果たさなければならないその役割を果たすための力を、どんな努力を重ねても得ることが叶っていないという苦しみ。

 

 ボクには共感することは出来ても、その重圧が想像できるなんて調子の良い言葉は、とてもじゃないけど言えるものではない。

 何故ならボクには師がいた。おこがましい物言いではあるが、その教えを守って鍛錬を繰り返すだけで、どんどん成長できる才能もあった。おかげで小さな頃から他人の視線に晒される日々が常となって、近衛の家系の人間として恥ずかしくない行動を心掛けているうちに、何だか感情を表に出すことが苦手になってしまったけれど、それでも努力はまっすぐ実を結び、退魔の剣の主に選ばれたのだ。

 

 ひるがえって姫様は……その努力が全く報われていなかった。

 聞けば幼い頃、修行を始める前年の6歳の時に、巫女姫の師となるはずだった御母様が亡くなられたらしい。受け継がれた血と共に宿しているはずの封印の力を目覚めさせる切っ掛けが失われ、書物も存在しない修行を闇雲に重ねても力が得られることはなかった。

 もしかしたら間違った修行をしているのかもしれない。けれど、それを正して導いてくれる師が姫様にはいないのだ。

 御母様もされていたという、冷たい泉に身をひたし続けて祈りを捧げる修行は、どうやっても手応えを感じた試しはないとのこと。にも関わらず、それでもこれしか無いからと愚直に繰り返し、その度に夜が更けるまで祈り続けた泉の中心で、俯いた顔を隠して震えている背中を見せられることは、護衛として同行するボクにとっての姫様の修行、そのいつもの光景となってしまった。

 

 実らない努力。しかしそれでもと姫様を立ち上がらせたものこそが、遺物調査なのである。

 それは果たせない血の責任からの逃避ばかりではない。少しでも厄災復活への備えとなる成果を自らの手で得ようとする、『姫』として国を守る立場に生まれた者の尊い矜持からなる発露だった。

 その縋りつくような熱意で取り組まれた調査は、少しずつではあったが確かな成果を生んでいたはずだった。特に勇導石に関わる一連の研究は、姫様の心血を注いだ努力が無ければ今日までの解明は無かっただろう。それは貴重なものであるはずの勇導石操作用と思われる石状の遺物、シーカーストーンが姫様に預けられていることから、少なくとも遺物研究所の所長からは姫様が評価されていることを窺い知ることが出来る。

 

 

 しかし、それだけだった。

 彼女は『姫』である以上に、封印の姫巫女であることを周囲に、国に求められた。

 

 遺物研究で一定の成果を示したとて、それが姫様の評価を上げることにはならなかったのだ。封印の力を目覚めさせることが出来ない彼女に与えられる言葉は落胆、そして侮蔑の色に染まっていた。「出来損ないの姫」「責を果たせぬ無才の姫」――10年と積み重ねた姫様の不断の努力は『姫』という言葉に、そのまま彼女を貶める意味を込めさせる結果だけをもたらした。

 唯一の身内であるはずの王ですら、王家の者としての責務なのか、厳しい言葉しか姫様には与えて下さらない。

 

 痛ましい。

 その一言以外、どうやってこの方を言い表せるだろう。

 

 そして何よりもどかしいのは、そんな姫様のお傍に、自分という『生まれた家系に相応しい才能と実力に恵まれた、伝説の退魔の剣に選ばれた勇者 』が居続けなければならないということ。

 厄災封印の要とされる、【勇者】と【聖なる姫】。その片割れが完全な状態で、未だ目覚めぬ自分のそばに貼り付いている―― それは一体、どれほどのストレスだろうか。

 ボクの姿が見えている間はずっと、彼女自身は『至らない姫巫女 』としての自分を意識させられ続け、周囲からは立ち並ぶ2人を比較され続ける。周囲の、そしてボクの視線に、彼女はどれほどの重圧を感じ続けていたのだろう。

 かつて自分に向けてぶつけられた彼女の苛立ち。当時こそ理由は分からなかったけれど、謝罪の言葉と一緒にあの時に抱えていた感情を伝えられた今となっては、むしろたったあれだけの爆発で済ませた彼女の自制心の強さに驚いてしまった。

 

 守る対象の想いも察せられなかった自分は、果たして姫の近衛として本当に相応しいのだろうか……。無頓着だった自分の反省の言葉を聞いて、けれど姫様は仰ってくれた。

 

 

 ――もっと貴方と話をして、もっと想いを聞きたい。

 ――私の悩みを、貴方に打ち明けたい。

 

 と。

 

 

 ……あぁ、この身が貴方の傍にあることを、貴方が望んでくれるのならば。

 【勇者】のボクが、【姫巫女】の心を傷付けないというのなら。

 

 

 王の指名や、近衛としての誇り、英傑としての役目のためだけではなく。

 

 【ゼルダ姫の騎士】として、ボクは貴方を守ります。

 

 

 

   *   *   *

 

 

 

 ――魔物に襲われた。

 

 南西の関所に魔物達が集結している今この時期こそ、滞っていた修行を行う好機だと考えた姫様と共に力の泉へと赴いた、その帰り道。

 修行の成果は残念ながら得られなかったものの、せめて遺物の調査を行おうということで、遠回りに移動してオルディン峡谷へと差し掛かった時である。

 

 今まで遭遇したことがないほどの、リザルフォスの大群。

 それが明確な敵意を持ってボクと、そして姫様へと襲い掛かってきた。

 

 しかも今日に限っては退魔の剣を持って魔物の死体を積み上げる、明らかにヤツらにとって脅威度の高いはずの自分を避け、何体かの魔物は明らかに背後に庇った姫様を優先して攻撃を仕掛けてくる。戦えない姫様を狙って攻撃をしてくる個体がいる以上、峡谷を上へ上へと登って逃げ続けるしかなかった。

 もちろん逃げながら、追いついてくる魔物を一太刀で切り捨てて数を減らすことは怠らない。そうやってふもとから次第に中腹へ向かって追いやられてしまうまでの間、相当な数の魔物を倒したはずだ。

 経験上、常ならば間違いなく群れの全滅を避けようと襲撃を諦めるほどの数を仕留めたはずなのに、それでも残った魔物達は逃げる素振りすら見せずにひたすら挑んでくる。それがどうしても違和感として気になってしまう。

 たまたまの遭遇戦ではないのか?

 もしかすると初めからボク、または姫様を狙った襲撃なのか?

 リザルフォスが社会的に地位のある人族を選んで襲うという話は聞いたことが無いのだけど、まさか……。

 

 

 そうして辿り着いた中腹には、それなりの広さを持った広場と言える場所があった。

 平らな足場、開けた視界。周囲の色に擬態出来る特性を持ったリザルフォス相手でも、背後の姫様に襲い掛かられる前に発見することが出来る空間。

 ヤツらを迎え撃って倒すには、絶好の条件がここには整っている――。

 

 

   *   *   *

 

 

 ――広場の端、山頂側の岩陰に姫様を避難させ、中央でリザルフォスを切り払い続けてしばらく経った頃。

 積み重なり始めた死体の影からゆっくりと、その魔物は現れた。

 

 それは、初見の魔物ではなかった。

 少なくとも同種族だろう魔物を、ボクは知っている。大陸の極東にあるゾーラの里、その長であるところのドレファン王に依頼され、討伐を果たした雷獣山の獣人『ライネル種』―― 獅子に良く似た顔の額から伸びる二本の角、頭頂から肩にかけてを豊かに覆う髪、2本の腕と4足の身体―― と、非常に似通った特徴を目の前の魔物は持っていた。

 体色や髪の色など、これまで襲ってきたリザルフォスの群れの中にもいた上位個体のように、あの雷獣山の魔物とは異なる部分もある。例えば今倒し終えた黒いリザルフォスは数の多かった緑のリザルフォスと比べて、その身体能力はケタ違いの個体だった。

 そして雷獣山にいたライネルは赤。目の前の魔物は……黒。

 あの時の獣人ですら他の種族とは隔絶した力を誇っていたのだ。もし目の前の存在がその上位種だとすれば、その力は今まで戦ってきた魔物の中でも最強のモノであることを間違いない。

 

 ――だけど見た目で判別できる強さの指標は、この際重要ではなかった。

 

 その魔物の後ろから、続々と現れる魔物の群れ。

 多くはボコブリンやモリブリンと呼ばれる魔物が占めていたが、その規模は先程のリザルフォスの大群に感じていた圧迫感が些細なものだったと思えるほどの規模だったのである。

 視界を埋め尽くすようにどんどんと湧き出る魔物達。その中には目の前の魔物と同色同種の個体すら混じっていた。

 

 

 ――そんなかつてない魔物の群れが、目の前の、たった一匹の魔物の反応を伺っている。

 

 

 その光景を見て、ようやく分かった。

 あのリザルフォス達が決して退かなかった理由。あれは生存本能がおかしくなったわけでも、黒いリザルフォスが姫様を狙う特別な事情を持っていたわけでもなかったのだ。

 目の前の黒い身体を持った白髪のライネル。こいつがあのリザルフォス達を操り、今も大群の魔物を統率している存在なのだ、と。

 恐らくは南西の魔物の群れもまた、似たような存在によって統率された集団なのだろう。もしこいつらを合流させてしまったら、『厄災』復活前にも関わらずハイラルの地に重大な危機が訪れるのは間違いなかった。

 

 (……だから、ここで倒す )

 

 姫様をお連れしている以上、どこか別のルートを探してこの峡谷を離れようと考えていたが、こんなカリスマを持った魔物を放置するわけにはいかない。姫様をお守りできるギリギリに追い詰められるまでは、全力でこのライネルの打倒を目指すべきだ。

 

 背後には姫様。孤立無援。圧倒的な多勢に無勢。

 今までにない不利な戦闘を強いられることになるだろうが、ここで逃がしては次に遭遇した時、目の前のライネルは世界に対するほどの脅威となるに違いない。

 

 

 ……それは女神ハイリアの名において祝福され、ハイラルの守護を担う「退魔の剣」が、目の前の『魔』に反応してごく薄い燐光を纏ったことによって湧いた、【勇者】としての確信だった。

 

 

 

 




 リンク視点の話を書くつもりは無かったんですが、ただ魔物への暴力を振るうだけの存在にリンクを位置付けるのは、原作リスペクトとは違うんじゃないかな?と思い至って、今話を挿入しました。内容は原作ハイラル城で読める、「ゼルダの日録」や「ゼルダの研究録」を全力で参考してます。

 よって前回では次回から戦闘開始と言いましたが。
 ごめんなさい、あれ次話からになります。

 ※リンクの回想中で「ウツシエの記憶」の5枚目と6枚目が逆転した描写があります。時系列順に並んだ原作とは反しますが、拙作でもリンクにカエル飲ませたいなぁと思ってつい。

 ※リンクの一人称ですが、過去作「スカイウォードソード」において17.5歳の青年リンクが自分を「僕」と称しているため、『ハイラル王国に仕える【青年】』と紹介されているこのリンクもその一人称を使わせて頂きます。「ブレスオブザワイルド」ではどうやら一人称出てこないので分からないんですよね……知っている方いらっしゃいましたら是非教えて頂きたいです。


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【厄災】~ハイラルの勇者~

○前回のあらすじ

 リンク「姫は守る。魔物は殺す 」
 退魔の剣「(祝福された聖光に輝きながら)大将首だ!! 大将首だろう!? なあ、大将首だろおまえ? 首置いてけ!! なあ!! 」




   *   *   *

 

 

 ――子供の癇癪(かんしゃく)にも似た、ひび割れた音程で響く音が鳴っている。

 

 何かから一心不乱に逃げ出している者が、恐怖に(すく)んで上げる絶叫のようだった。もちろん、それは戦いに誇りある戦士に相応しい声であるはずがない。

 ……いつの間にか掲げていた棍棒を、ヤツに向かって振り下ろせるようになる場所まで駆け寄った時になって、そんな金切り声を上げている臆病者がようやく「俺」だと気付いた。

 

 尊敬している父の怒り顔が、何故か頭をよぎる。

 それは初めて連れられ、大きな猪の狩りに挑んだあの日の記憶。その時まで仕留められた後の死体の姿でしか見たことの無かった俺は、生きている猪の尖った牙が、とてつもなく恐ろしかった。

 

 

 ――そうだ。あの時の俺も、今みたいに思わず動いてしまったんだっけ。

 持たされた唯一の武器を振りかざして、怖いモノを追い払おうとしたんだ。

 

 あの時は猪をただ怒らせて、踏み殺されそうになったりしただけで散々な結果に終わってしまった。……助けてくれた父にもメチャクチャ怒られてしまったなぁ。

 「戦士を目指すなら、恐くても取り乱すんじゃない。それが出来ないようでは戦士失格だ」って言われたの、教訓としてしっかり覚えていたはずなんだけど。

 

 

 

 ……でもさぁ、父ちゃん。

 この「青いの」、あの時の猪なんか比べものにならないくらい、こわ――

 ぃ、

 ……ょ……

 

 

 

   *   *   *

 

 

 叩き付けられた"気配"に恐慌をきたしたように見えた1匹の赤い子鬼が、俺の号令を待たずに飛び掛かり。

 選りすぐらせたはずの戦士の心へすら恐怖をもたらした"原因"が、その本来の機能であるところの凄まじい切れ味を発揮し、子鬼の身体を上下に斬り裂いた。

 

 真っ先に崩れ落ちた下半身によってまだ勢いよく広がり続ける血の海に、軽く滞空していた上半身が、己が生物であった証を最後に残すかのように身体を叩き付ける――。

 そんな粘度の高い水気に溢れた音が大きく響き渡ったことで、敵対する存在から感じてしまった『(おそ)れ』に固まっていた場の空気が動き出す。

 

 そう。

 その一連の流れが完結するまでの間、他の魔物は1体として動いてはいなかった。

 

 子鬼が発していた恐怖を吐き散らかすかのような絶叫は、もしかするとここに集まった全ての魔物達が、あの"剣の気配"を感じ取った時に抱いた感情を、正確に代弁するものだったのかもしれない。

 初見でないはずの俺でさえ、その濃密な"気配"を浴びせられたあの一瞬、確かに身を強張らせてしまったことを自覚している。改めて振り返っても、あれが『恐怖心』から生まれた硬直だったことを否定することは難しかった。

 

 だからこそ、あの光景は強烈であった。

 そんな状況下でありながらも、錯乱した結果であれ何であれ、「あの」子鬼は武器を放り捨てて後ろに逃げ出すのではなく、前へ、恐ろしい敵に向かって攻撃することを選んだのだ。

 もちろん、この集団の中では最も弱い存在でしかない子鬼の特攻は、当たり前の無惨な結果に終わった。恐らく示威行動のつもりなのだろう、命を終わらせるには明らかに必要以上の暴力が加えられたことは、上下に別れた死体を見るに明らかだった。

 見せつけるように打ち上げられた上半身は全ての魔物が目撃したはずだ。晒された亡骸は恐怖の拡散を生み、戦意を失墜させる切っ掛けとなるには十分であったかもしれない。

 

 それが、()()()()ならば。

 

 期せずして生まれたこの状況に、俺は小さく口元を歪ませる。

 この惨状が()()達にもたらす効果が、同じ存在である俺には手に取るように分かるのだ。

目の前の剣士が狙った心の動きに繋がることは、まず有り得ない。

 けれど、それがヒトの身でしかない"剣"の主には分からないのだろう。

 

 

 ――殺された

 ――愚かな

 ――恐ろしい

 ――……しかし、非力な子鬼が一番槍を挙げた

 ――独断専行では?

 ――ならお前は動けたのか

 ――俺はどうする

 ――尻尾を巻いて逃げるのか

 ――あの子鬼は立ち向かったというのに?

 ――ワシは戦士だ

 ――あんな子鬼より、俺はもっと上手くやれる

 ――いや、俺様の方が強い

 ――なんだと?

 ――……やるか

 ――やるぞ!

 ――おう ――おう ――おぉ!

 ――オォオオオゥ!!!

 

 

 小さく、互いの顔色を窺うように交わされていた(ささや)き。

 けれど段々と声は大きくなり、その伝播は瞬く間に怒号のような鬨の声となる。

 

 恐らく、集団のあちらこちらから上がる雄叫びは「仲間がやられたから 」「仇討ちのために 」……といったような感情から生まれたものではない。

 そもそもが俺達同族を頂点に置いた、言ってしまえば力という恐怖で抑えつけて統制を執っている急造の集団である。同族を除き、『大厄災』の再来への危機感を持ってこの場に集まっている魔物はほとんどいないのだ。

 より強く本能を刺激する恐怖の存在が目の前に出てくれば、あっさりと戦場から逃げ出してしまう可能性は常に付きまとっていた。

 そしてあの"剣の気配"が、普通に生きていては経験することがまず無い類のおぞましい恐怖感をもたらすモノである以上、野生にとってある意味身近な俺達の"暴力"と比べれば、その本能に訴えかける危険度は強かったに違いない。

 

 だが、あの1匹の子鬼が行った特攻によって、そんな真っ当な流れは無視される。

 何故ならあれは子鬼、しかも赤肌の子鬼なのだ。

 この場に集った魔物の中でまず間違いなく最弱の存在が、真っ先にあの「恐ろしい存在」に挑み掛かったのである。にも関わらず、そいつより強いと自負する自分達が、後ろを見せて無様に逃げるなんてことが出来るだろうか?

 同じ赤色の子鬼にしても同じだ。近しい存在が蛮勇を見せたというのに、自らは「最弱」を理由に後ろに引っ込んでていいのか。何のためにこの場に集まったのではないのか。

 

 恐怖、保身、生存欲―― そういった感情と思考を刺激する"剣の気配"がもたらす空気は、まだ戦場を色濃く漂っている。血を剣に吸わせた今となっては尚更だ。

 

 しかし、この場にいる『戦士』達はそれぞれの得物を握り締め、目の前の敵へ対する闘争心を奮い立たせるべく、大声を張り上げることを選んだ。

 俺は強い。俺が強い。

 そう己に言い聞かせ、これまでも勝算を考えずに敵と戦い、そして生き残ってきたからこそ、彼らは野性で、魔物で、戦士なのだ。

 

 そんな本来なら当たり前の衝動をすら、思わず忘れさせるほどの敵へと無茶苦茶に襲い掛かったあの子鬼は、やはり未熟者であり、それ故の錯乱した行いだったと言わざるを得ないだろう。

 だが魔物達が持つ矜持を思い出させる切っ掛けとなり、この士気をその死によって生み出した者に対し、戦士失格だの足手まといだのとは、とても言い捨てる気にはならなかった。

 

 ……見渡す限り俺が尻を叩くまでもなく、気力の(たぎ)りは十分。

 ならば、一番槍を挙げた「子鬼の戦士」の成果を損なわせてはならない。

 

 そう判断を下し、手に持つ「獣王の弓」に1本の矢を(つが)える。

 構えた矢は「電気の矢」。一族が好んで用い、俺もまた戦闘時には愛用する属性矢。

 射出した時に発生する雷光にも似た輝きは強烈な目晦ましともなるが、今は(はた)から見た時の視認性の高さこそが重要な点である。

 今回はその特性を利用して、俺が「電気の矢を1本放つ」ことに『戦闘開始』の号令である意味を持たせており、軍勢への周知もまた既に完了済みであった。

 

 ヤツが矢を受け、電撃の痺れによって"剣"を取り落とすならそれで良し。例え落とさず最悪避けられたとしても、事前に決めてあった最初の攻撃班がそのまま攻撃を仕掛ける。

 

 

 ――矢を、放つ。

 

 

 対応される可能性が高いと思われる"剣"を避け、後ろに庇っているらしい同行者を曲射の技で狙うことも出来た一矢。

 しかし開戦を告げる初撃は、直線軌道をとって"剣"の主に突き進んだ。

 

 ……仮にどうして、と問われるなら

 『最初に狙うべき敵を明確に周囲に知らせ、その攻撃を集中させたかった』

 と答えるだろう。

 

 その理由に嘘は無い。

 繰り返すが、俺が今同族を率いてまとめている軍勢は、常ならば少数、もしくは単独で野を駆けることしか知らない魔物が寄り集まっで出来た即席集団なのだ。平時の統制は維持出来ても、いざ戦いが始まれば、各々が戦意のままに飛び出してしまう事態も考えて然るべきだった。

 そんな時、戦場に立ったトップが改めてどちらの獲物を優先しているかをハッキリ示しておくことは、戦士達のとっさの迷いを減らすという意味でも大事だった。

 

 その戦術目的の裏に、密かに潜ませていたのは個人的な動機であり、さして意味も無い単純にして取るに足らないもの。

 しかしその想いがあったからこそ、俺は初撃の選択を躊躇うことなく矢を放ってもいた。

 

 何故なら俺は―― このたった1本の矢を"剣"の顔面に叩き込んでやりたかったのだ。

 

 ……本来、三本同時に番えて放つことも容易な「獣王の弓」だが、今放った数はたった1本のみ。それは『戦闘開始』を告げるための本数を『1』としたから、という理由ではない。

 逆に、金属を編み込んで作られた弦に相応しい特製の「俺が元々持っている電気の矢」ではなく、同族の中ではごくありふれた製法で作られた「電気の矢」が1本しか無いからこそ、告知の本数が『1』となったに過ぎない。

 もちろん、これが素材相応の速度や攻撃力しかない「電気の矢」である以上は、子鬼を切り捨てる瞬間もこちらへの注意を怠らないでいられる"剣"にとって、捌くことが難しい一撃とはならないかもしれない。

 

 だが俺はどうしても、この矢を使って"剣"との戦いの火蓋を切りたかった。

 これは極東の山でアイツの矢筒から無事に回収できた、たった一つの矢なのだから。

 

 矢の軌跡を辿る、電気の力が確かに付与されていることを示す雷の残光。

 それはジャグアが片手剣にのみ執着せず、弓矢にも同じく手間を掛けていたことを感じさせる確かな証だった。

 

 魔物全ての視界を確かに閃光で満たした弟子の作った矢は、しかし目標に刺さることなく背後の岩をえぐり、周囲に電撃を撒き散らした後。

 

 あの夜の骸のように地面へと落ち、転がった。

 

 

   *   *   *

 

 

 ……戦闘が始まってから、どれほどの時間が過ぎただろうか。

 

 少なくとも、長い時間が経過したということはない。昼と夕方の境目ほどの頃にこの地へと着いて、まだ太陽は西の空で輝いているのだから。

 

 「ギャヒィァッ……!! 」

 

 だというのに引き連れた魔物の軍勢の数は、もう半分を下回っていた。

 

 赤色の魔物は言うに及ばず、青の子鬼も黒の大鬼も"剣"の一振りによって、そのことごとくが殺されたのである。

 どれだけ左右から挟撃を仕掛け、またはそれ以上の数で包囲しようが、ヤツはまるで違う時間を生きているかのように躱し切っていた。

 横への直線的なステップを踏み続けていたかと思えば、武器を振り下ろした体勢から予備動作を一切挟まず、3次元的な背面宙返りをやってくる。百は優に超えるだろう魔物を切り殺しているにも関わらず、その動きのキレは全く衰えを見せない。

 果たしてヒトとは、これほどスタミナの続く種族であっただろうか。

 

 そして攻撃を防がれるだけなら、まだいいのだ。

 鎧や盾を持たぬ人間の素の防御力なら経験上、小鬼の棍棒すら深刻な凶器となるはずであり、そしてヤツが装備している武具は見たところ"剣"のみ。

 であるならば、こちらの攻撃を受け止めるためにはその唯一の武器を用いる必要がある以上、防御させることが出来ればそれだけ"剣"に消耗を強いることに繋がるだろう。

 形あるモノに不滅なモノなどはない。それは、例え"剣"であっても例外ではないはずだった。

 

 蜥蜴の魔物による奇襲部隊を全滅させられても、ヤツは最初からたったの2人であったのに対し、こちらはまだ百を優に超える魔物がいる。そしてその全ての存在が自らに対して致命傷を負わせうる存在なのだ。

 感じるプレッシャーは並大抵のものでなかったはずである。

 ただの人間、いや、同族を単独で討伐しうるような強者であると分かっていた上でも、万が一の1発を恐れて身の保険を優先した立ち回りをするだろうと考えていた。"剣"に掛かる負荷を最小限に抑えることを意識しての、綱渡りをするような立ち回りは選べないだろうと。

 それは同行者が戦力にならず、ヤツにとっては足手まといとしかならない様子であることを見抜いた時点で抱いた、俺の確信でもあった。

 

 

 ……しかしいざ蓋を開けて戦いが始まってみれば、この有様である。

 

 

 驚くべきことに今へ至るまで、その身に傷一つ負っていない―― どころか、ヤツは俺が最初に放ったジャグアの矢を躱してみせてから以降。『攻撃』と、同行者に向けて放たれた矢を『切り払う』以外の行動に、一切"剣"を振るっていないのだ。

 

 小鬼の棍棒、大鬼の槍、蜥蜴の放物線を描いて口から吐き出される水弾。基本的に複数、そして時間差もつけて放たれる凶器を余裕を持って躱し尽くし。

 大鬼の巨躯や群れる小鬼によって視界が大きく狭まっているはずなのに、まるで俯瞰的な目を持っているかのような正確さで、矢を身体に掠らせもしない。

 蜥蜴の魔物を思わせるフットワークの軽さ。しかしそれは、野生の獣にありがちな本能や勘に身を委ねた立ち回り―― というワケでもない。

 

 どんな乱戦になろうとも、ヤツは決して背後に庇っているらしい同行者の存在を忘れない。

 そいつに対して届く『かもしれない』攻撃は全て遮断できる位置に、常に自らの身体を置いていた。

 

 ……しかしその光景は、こちらが付け入る隙でもある。

 「重要な庇護対象が存在するのであれば、継続的にそちらへと攻撃を行うことで行動を制限出来るのでは? 」と、最初に対峙した時に覚えた直感を補強させたのだ。

 その考えに沿って矢を一斉に射掛けさせてみれば、実際"剣"は自分には当たらないような軌道を描いていた矢であっても、同行者へと向かう矢は全て目前で『切り払った』。

 残念ながらその斉射はダメージを与えることこそ出来なかったが、"剣"に負担を少なからず加え、ヤツ自身の行動範囲を削り取れる証明となった。

 

 ――そして、明るい情報はこれだけ。

 次の斉射も、その次の斉射でも。次も次も。

 

 見えないはずの位置、死角であるはずの角度から狙っても、通常のモノとは違った特性を持つ電気や炎の属性を宿した矢を使わせても、結果は変わらなかった。

 どれだけ射掛けても放たれた矢は、たった2人の人間の身に届かず、"剣"の足元に矢の残骸を積み上げるだけ。

 射撃の間、味方からの誤射を恐れず挑んだ大鬼が何体もいたが、近づいてくる巨躯を見てこれ幸いと即座に斬殺した後、同行者の盾としていた岩の隙間を埋めるように立てかけられてしまう始末。

 そして少しでも矢の間隔が開こうものなら、その同行者に射掛けていた魔物を優先して切り裂いてみせた。それも視界を防ぐだろう大鬼の体格にも隠されないように、高く高く首を跳ね飛ばして。……それが周囲を取り囲む魔物の射手達に、「誰を狙えばこうなるか」を意図して目撃させるために行われた行動であることは明白であった。

 

 血しぶきを上げながら、落下する子鬼の生首。

 驚愕の表情のまま固まったその目と、不幸にもたまたま見上げた視線が合ってしまったらしい魔物の何体かが思わず後ずさる。

 彼らの闘争心がそれで(くじ)けてしまったかどうかは分からないが、少なくとも最初の赤い子鬼の特攻の時に生まれたような、頼もしい闘志が沸いている様子ではないことは明らかだった。

 

 

 今、魔物達の心に広がろうとしている感情をこれ以上肥大化させないための、最も効果的な手段が何かと言えば、それは間違いなくヤツへと一撃を加えることだ。

 ほんの少しの打撲、毛筋ほどの出血。たったそれだけのものであっても傷は傷。それが刻まれたなら戦士達は、"剣"の主をどんな攻撃も届かない正体不明の化け物ではなく、打倒可能な強敵であると認めることが出来るだろう。

 そして全くの無傷のまま剣1本でこちら側を圧倒しているヤツに対し、与えられた命令に背かない程度に腰を引かせ、無闇矢鱈な攻撃を徐々に慎むようになり始めた魔物達。その意図するところは、こちら側の切り札を使って欲しいという集団としての意思表示か。

 言葉にすることこそしないようだったが、経験を重ねた戦士にとって呼吸や動作一つで考えを匂わせることはそう難しいことではない。

 子鬼が、大鬼が、蜥蜴が。それぞれの種族を代表する戦士達が懇願している。俺と、ヤツを結ぶ一直線の空間にひしめく戦士達の密度を、ごくわずかに減らしながら。

 

 『アナタがた、出来れば【ライネル】の力をもって現状打破を 』

 

 やや開けてしまった視界に、金の髪を揺らしながらまた一体の子鬼を切り捨てたヤツの全身が映り込んだ。……しかしその瞬間、相手は魔物に流れる空気と合わせて俺の射線が通っていることを敏感に察したのか、瞬時にステップを数回刻み、何体もの大鬼の身体を俺との視線の間に挟む。その鋭敏な反応に、疲弊した者が見せるような陰りは未だ見えない。

 俺を睨み据えるヤツの視線が障害物の向こうに消える際、手に持つ"剣"がまた不吉に瞬いたようであったが……その輝きは対峙した時に比べてやや弱い。

 

 

 だから、俺は作戦を変更しない。

 

 

 数の優位はまだ、こちらが圧倒的である。

 だがその数の差に慢心したり、同族を出し渋れる余裕などは欠片もなかった。俺や、同族がこの時点で攻撃を仕掛ける訳にはいかないのだ。

 ……俺達が直接動いた場合、恐らくは生まれてしまうだろう状況。

 それは魔物達の中にくすぶる感情に名前を与え、敵前逃亡をさせる動機と化す気がしてならなかった。

 

 弓矢は撃たせ続ける――"剣"に切り払わせ、少しでもその切れ味を鈍らせるために。

 突撃特攻は辞めさせない――"剣"にこびりついた大量の脂と血が、振るった程度では落ちなくなり、その輝きを完全に維持できなくさせてきたから。

 

 ……同族を除いた戦力で可能な限りヤツの体力を削り取り、動きを鈍らせる。

 ……ただひたすらに、あの"剣"の性能を少しでも低下させる。

 

 早期の1対1などとんでもない。最終的にわずかでも"剣"を討ち取れる可能性が上がるなら、どんな手段でも用いるべきだ。例えそれが、いくつかの部族の戦士を絶えさせることに繋がろうとも。

 

 これは普段なら、いや、生まれてこれまでの間、絶対にすることはなかったと断言できる卑怯者の思考だ。【ライネル】にあるまじき、情けない戦術だとも自覚している。

 

 しかし友を見捨て、『魔物の守護者』であることを決めた【ライネル】ならばこそ。

 

 ここで"剣"を取り逃がすことだけは、決して許されるはずがないのだ。

 

 

 




 ぼくのかんがえた100ねんまえのリンクその1。
 無表情で襲い掛かる魔物絶対殺すマン。
 原作「ウツシエの記憶」で登場するリンクの描写、剣1本で弓も盾もないにも関わらず無双過ぎてスゴイ。

 ……ちなみに同じ厄災封印関連の力持ちで、どちらかと言えばより重要な位置にいるはずのゼルダ姫に対してライネルさんや魔物達の意識が薄いのは、彼女が戦闘力を持たず"気配"も無い人間だからです。出来損ないの姫バンザイ。

 リアルで仕事や、何かとイベントが起こった都合で更新が今まで以上に遅れてしまい申し訳ありません。字数に比べてストーリーもさっぱり進んでませんが、UAを頂いている内は完結を意識して頑張りたいと思います。

 余談ですが、同ハード機で発売された『スーパーマリオ オデッセイ』、ゼルダの伝説BotWで培った技術や経験がフル投入されて、上位互換とも言えるゲーム性を誇るそうな。
 私はゲーム得意な人ではありませんが、そんな人間も飽きさせない試みに溢れた作品を提供してくれる任天堂様の開発力はすごいですね(媚)。


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【厄災】~退魔の剣~

○前回のあらすじ

 赤ボコブリン「くぁwせdrftgyふじこlp」
 モリブリン(死体) 「ゼルダ姫様の護衛は任せろー!!(味方の矢がブスブス)」
 魔物's「無敵の【ライネル】がなんとかしてくださいよォーーーーーーッ!! 」

 勇者「今はまだ私が動く時ではない」





   *   *   *

 

 

 戦場を総括している俺が作戦変更をしていないのに関わらず、その空に放たれる矢の数は、戦闘を開始した時と比べて大きく目減りしていた。

 

 半数以上の射手が討たれたということもあるだろうが、生き残っている弓持ちの中に攻撃を躊躇う者が徐々に、しかし明らかに増えてきてしまっている。"剣"を視界に収められる位置で弓を構えている者には、その傾向はより顕著だった。

 

 ……人共がどうかは分からないが魔物は本来、欲望に抗う自制心に乏しい生き物。

 言い換えるならば、より強い欲に流されやすい。

 ここに集まった彼ら『戦士』達は戦闘に属する欲が強く、その欲望を満たせるなら周囲の状況を無視して行動してしまうのが当然の個体がほとんどなのだ。この戦闘の意義、"剣"の脅威をある程度以上に頭に入れている者など、同族を除けば族長クラスに数えるほどしかいないだろう。

 

 そんな勝手気ままな連中がしかし、本来の帰属意識で纏まれる集落ごとの小集団単位ではなく、曲がりなりにもこの「軍勢」と呼ぶべき大集団で行動を統制されいるのは、俺達という「集落を単騎で滅ぼせる上位存在」によって、生存欲を強く刺激されてこそである。

 

 これは何も、彼らの胸に宿る『戦士の矜持』を(おとし)めているワケではない。

 その誇りがあったからこそ、あの子鬼の特攻に奮い立ち、魔物にとって抗い難い恐怖と嫌悪感を感じさせる"剣"に立ち向かえていたのは間違いないのだ。

 

 しかし、その得体の知れない恐怖感を与えてくる"剣"が、未だ全くの無傷のまま健在であり。その暴力に晒され、見知った同郷の者から初対面の黒肌の強者までもが、分け隔てなく無差別に斬り殺されてゆく。

 まだ同族達がそれに混じって殺されていないのが救いではあったが、その光景が生物が皆抱える最も強い欲であるところの生存本能を、俺達の存在以上に激しく刺激したとしても何ら不思議ではなかった。

 

 

 もちろん改めて言うまでも無く、これはまずい状況である。

 俺の戦闘力に対するカリスマや、あの小鬼の死に様で高められていた士気が、現実に迫る脅威によって崩され始めた証だからだ。

 少しずつ、けれど確実に。

 闘志の炎に焦げた魔物達の頭が、死への怯えや恐怖の冷たさを思い出そうとしている。

 

 

 

 そんな現状に際して、俺が頭の奥に据えていたものは―― 非力な己に向けた、激しい憤怒の感情だった。あの【二つ岩】で彼と、この戦いの方針を定めた瞬間から絶えず俺の誇りにこびりついて離れなかったソレが、屈辱感と共に俺を責め立てているのだ。

 

 そもそも俺に。

 この【ライネル】に、個の力でヤツらの一切合財を打ち負かせるだけの力があったなら、徒党を組んで戦うという真似をしなくても良かったはずだ。

 1万年前の魔王を封印した力、かつての勇者を一撃で葬った古代兵器、神話の剣、我が生涯における対戦相手の中で最も洗練された技術を振るう強者―― そんな何もかもを正面から撃ち破る力を、なぜこの【ライネル】は持ち得ていない?

 どうしてそんな恐ろしい敵に、勝てる見込みの無い味方をけし掛けるままにして、俺はその光景を黙って眺めているのだろう? その者達から求められる救いの声にすら、耳を塞いで何をしているのか? ……先頭に立たない【勇者】に、一体どれほどの価値があるのか。

 

 そんな次から次へと浮かぶ自らへの悪態は、この戦闘が始まってからは特に留まることを知らなかった。

 子鬼が矢を斉射する時、大鬼がその矢が我が身に突き立つことも恐れず突貫する時、そんな大鬼に踏み潰される危険を恐れず、地面に体色を同化させながら奇襲の一瞬を図り続ける蜥蜴達……。 そんな彼らを機械的に、ひたすら無感動に斬り捨てて行く"剣"に対して結局、俺は開戦を告げる1矢を除いて、ただの一度も「攻撃」していない。

 

 ――俺が持っている武具の銘は「獣王の弓」。彼から譲られたこの弓は、地上に存在する武具の中でも指折りの威力と射程を誇ることは間違いない。専用に(あつら)えた矢をもってすれば、岩を砕くことだって可能な代物であった。加えて同時に3本の矢を放てるこの弓もってすれば、戦士達の援護にも十分な力となるのは確実だった。

 

 ……だが、出来ない。出来ないのだ。

 

 「獣王の弓」に備えられた、強力な張力を誇る金属製の弦。

 扱う者を選ぶに相応しい威力を誇りこそすれ、どこまで強化してもそれはただの鋼線である。そこに伝説の武具に語られるような、何かしらの神秘の力が宿っているということはなく、番えた矢に圧倒的な初速を与える以上の特別は持ち合わせていなかった。

 

 恐らくヤツには、それでは届かない。

 ジャグアの矢を避けられた際に感じた"剣"の主が持つ矢避けの技量は尋常ではなかったのである。

まして身を躱すだけではなく同行者を守るため、剣の消耗を辞さずに切り払うことを躊躇っていない今のヤツには、俺が全力で3斉射を放ったとしても傷をつけることは難しいだろう。

 

 そして「開戦の合図のための形式的な1矢」という名目が伴わない、俺の「殺傷するための攻撃」が躱されたり、切り払われるような事態が起こった場合。

 

 恐らく―― かなり高い確率で、軍勢の士気が崩壊する。

 

 

 ……何故なら、俺が【ライネル】だから。

 この称号は、永い年月を掛けて注がれ続けた戦士の信仰によって成り立っている。

 1万年前の神話には既に当たり前のように認知され、今も脈々と受け継がれている【ライネル】に求められる絶対条件は、『最強』であるということ。

 

 どんな敵だろうと、自らにとっては到底及ばない存在であっても。

 その称号を持つ者ならば必ず敵を蹂躙してくれる。

 ひとたび【ライネル】が『攻撃』すれば、我らはその瞬間にも勝ち鬨を叫ぶことが出来るのだという、隔絶した暴力を保持する者であることを盲目的に信じることが出来る。

 

 

 俺が彼らにとって、伝説を今に引き継ぐ当代の【ライネル】である事実。

 

 ……それが、俺が『攻撃』出来ない理由だった。

 

 

   *   *   *

 

 

 ――また、一匹の魔物が崩れ落ちた。

 斬られた魔物は蜥蜴族であり、恐らくは生き残っていた最後の戦士だっただろう。両手に盾を持って正面からにじり寄る大鬼の右側から素早く回り込もうとして、あっさりと首筋に"剣"を突き込まれて果ててしまった。

 

 一つの部族が、たった一人の敵によって全滅する……。

 そんな誰の目から見ても戦の節目と分かる事態に、魔物達の士気は完全に下り坂となっていた。歴戦の戦士であるだろう黒の大鬼が、両手に抱えた盾の裏で背中を僅かに震わせてしまっているのを見ずとも、ここがギリギリの分水嶺であることを認めない訳にはいかなかった。

 

 ――これ以上の成果が挙がらない突撃の強制は、士気の崩壊と逃走に直結する――

 

 撤退の選択肢が有り得ない以上、もう俺が出るしかない……。

 そう判断した時。

 

 

 「……ここでお前が仕掛けては、何のために今まで我慢したのか分からんだろう? 」

 

 

 3本の矢を番えようと矢筒に回した、俺の腕が掴み降ろされる。

 

 

 「ここは俺の出番だ、【ライネル】」

 

 

 俺の射線を遮るように、前に踊り出たのは同族の背中。

 足が前に進まなくなっていた大鬼を一息で追い越しながら、背負った大剣を引き抜いてみせる。

 

 ……その特大の鉄塊を見間違えるはずもない。

 同族の中にあって、あの武器を自在に振り回せるような存在が、果たして何人いるだろう。かつて最強の腕力を称えられた、あの先人以外に。

 

 ――声の主は、ベガルトだった。

 

 頭上で大剣を回転させ、重厚な風切り音を撒き散らしながら突撃していく。

 向かう先は"剣"の主。

 いよいよ斬り疲れてきたのか、遠目からでも肩で息をし始めているのが分かる。ベッタリと顔に張り付いている頭髪を濡らしているのは、決して魔物の返り血だけではないだろう。

 

 しかし、自らに向かってくるベガルトの姿を認め、"剣"を構え直すヤツの動きに淀みは見られない。一般的な槍と比べてもなお長大であり、かざせば本人の上半身をすっぽりと隠せるほどに幅広な大剣を振りかぶるベガルト。明白な暴力を匂わせるその光景は威圧されて然るべきであろうに、その足運びには余裕がある。

 

 だが俺の同族、かつ規格外の武具をもって突進してくる存在に対し、今までとは危険度の格が違う敵であることは認めたらしい。

 ……そう俺が判断した理由。それは、ヤツが今まで見せたことのない構えを取ったことにある。

 

 今までの、俺達に対して斜に構えた基本的な姿勢であることは変わらない。"剣"を片手に持っているという点も同様だった。

 違うのは、その"剣"の位置。

 数えるのも億劫になるほどの矢を切り払い、血と脂に塗れるばかりである"剣"の刀身を、コチラから隠すように肩へ担いでいる。初めて見るその構えは、防御を意識したものでは決して無い。明らかに意識した攻撃の型。

 勢いをつけて、全力で薙ぐためのものなのか。それとも――。

 

 ヤツが"剣"を担いだのを見て、ベガルトもまた俺と同じような違和感を持ったのだろう。

いや、戦闘経験に長ける分だけ、察知自体は彼の方が早かったのかもしれない。俺が警戒を呼び掛ける前に、巨大な鉄塊を"剣"の「間合いの外」から振り下ろそうとしていた。

 防御をする気が皆無ならば、反撃を受けない位置で初撃を加えることは正しい判断だ。俺だったら弓を使った、より遠距離からの攻撃で牽制を加えていたかもしれないが、ベガルトには同様の構えから放たれ得る攻撃に心当たりがあるのだろう。それこそ対人戦闘の経験値は、俺とは比べ物にならない蓄積を持つのが彼なのだ。

 あの初撃はヤツにとって、避けることは出来ても反撃は至難な一発であることは間違いない。

 

 構えを維持するために避けるのか、それとも構えを解いて"剣"で攻撃を防ぐのか――。かつて伝説を作った大剣の一閃に周囲の魔物が沸き立つ中で、俺はヤツの一挙手一投足を注視していた。

 

 その構えがこの局面を乗り切ることに使われないのであれば、それで良い。

 ようやく持ち出した初めての構えらしい構えがこの攻撃に対応できるもので無いのであれば、「間合いの外」からの必殺の一撃が、"剣"の主にとって有効な手段であることの証明となる。そうなれば、俺がヤツと戦う際にも優位な戦法を選ぶことが出来るのだ。

 

 

 しかし。

 ヤツはここで、俺が全く想像しなかった行動に出た。

 

 

 ――『空振り』である。

 

 踏ん張った足が土を削り、捻られた足首から生まれた力が、連動するように回転する腰を伝わっている。関節で増幅されていく力の流れは美しくもあり、握り締められた肩から先の凶器を前へと振るう際には、さぞ強力な勢いと威力を持っているだろうことは、疑うまでもない。

 

 だが、しかし。その動作は一目で看破出来るほどに「早かった」のだ。

 

 巨大過ぎる大剣。それまで一切戦場に投入されなかった同族の体格。そして、尋常ではないベガルトの気迫。遠近感を狂わせられる要素に満ちた一撃であることは否定しないが、大剣に打ち合わせることすら到底不可能な迎撃ミスをやらかそうとは、全く思っていなかった。

 このままでは確実に"剣"を振り切った無防備な体勢のところに、あの鉄塊の一撃を受けることになることは間違いない。そして氷岩の大巨人を屠り得たその威力は、布を纏ったヒト程度の耐久力では決して耐えることは叶わない。

 

 意味が分からなかった。

 

 ――引き延ばされた一瞬。その刹那の時間の中でゆっくりと、"剣"が横薙ぎに振るわれていく。斬るべきモノが何もない、空間をただ切り裂くためだけに。

 何の結果も残さない斬撃が終わった後、老いた大戦士の一撃はヤツを挽肉に変えるだろう。

 

 魔物の頂点に君臨する同族とはいえ第一線を退いた者のたった一撃で、"剣"が滅ぶのか。

 そんな下らない敵のために、俺は数多くの魔物達に流血を強いたのか。

 

 

 ――"剣"が振り抜かれた。

 

 こんな愚かな敵のために、俺は『彼』を見捨てたのか……!

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……そんな、怒りにも似た感情が頭を占めていたからか。

 俺はその光景を認識することが、一瞬遅れてしまっていた。

 

 何もない空間を、横薙ぎに切り裂くために振られた"剣"。空振りでしかないはずのソレはしかし、自らが通った軌跡を確かに誇示するかのような「残光の筋」を宙に描いていた。

 "剣"自身が時折発光していた青い燐光が残されたのか……いや、違う。

 薄い三日月型に象られた光の帯。それは消えることなく形を維持したまま、振り抜いた時の勢いを示すかのように激しく回転している。

 

 そしてあろうことか。その光は発生した高度を維持しつつ、高速で直進したのである。

 

 直線軌道に進むその光が向かう先にあるのは、突進しているベガルトの身体。

 振り下ろさんとしていた大剣を正面に構え直す間もなく、不可思議な光の回転体はその身体に到達した。

 瞬間、周囲へと燐光を散らして光は消える。

 終始質量を感じさせない、目晦ましにも似た迎撃だった。

 ……しかしその光と重なった途端、ベガルトは大きな岩と正面衝突したかのように身を震わせ、4本の脚に宿らせていた力を失わされていた。

 

 たたらを踏んで、間もなく崩れ落ちた背中に生気は既に無く。

 放り出され、主より後に地面へと沈んだ鉄塊が立てる轟音が、声の途絶えた戦場でやけに大きく響いていた。 

 

 僅かに覗けるベガルトの太い首筋は、切り裂かれて真紅に染まっている。

 ……そうして周囲に散らばる亡骸達と、同じモノに変わってしまったベガルトの身体の向こう側で。

 

 

 ――ヤツが再び、"剣"を担いだ。

 その構えが意味するモノを理解しない魔物はもう、一匹としていないはずだ。

 

 

 二度、三度。繰り返し宙空に描かれる、光の刃。

 進行方向には、弓を構える子鬼達。

 その首を、胸を、あるいは腹を。木の葉を裂くかのように切り裂いた後、満足したかのように光の刃は弾けて消えた。

 後に残ったのは、致命傷が刻まれた子鬼の身体。その断面から勢いよく血を吹き出しながら、弓を構えた死体はゆっくりと、地面に転がり落ちる。

 自らの「間合いの外」にいるはずの飛び道具を持つ魔物達に向け、"剣"はその輝きを撒き散らしていく……。

 

 

   *   *   *

 

 

 何が起こったのかが分からなかったのではない。

 目の前で起こっている理不尽が理解し切れないということも、ない。

 

 それでも俺は束の間、血しぶき舞う光景が再開された戦場の中にあって、地面に倒れ伏すベガルトの亡骸を見つめていた。

 

 

 ――そうした後、半身に構えた身体で弓を構え。

 ――"剣"へと向け、おもむろに3本の矢を一斉射する。

 

 

  ギギィィッ……ッ……! ドッシュババァッ!!

 

 

 

 「…………ハッ!」

 

 

 耳に聞こえてきたのは誰かの短く、小さな発声音。

 その発生源なんて探すまでもない。――なにせ、自分の喉を振るわせて生まれた音だ。

 

 同族が。

 時代の『最強』を【賢者】と争った戦士が"剣"に討たれる――。

 

 

 大戦士ベカルト。

 彼が敗れたことによって、俺は完全に解き放たれた。

 

 




 ぼくのかんがえた100ねんまえのリンクその2。
 飛び道具がない=弱い??
  大丈夫、斬撃を飛ばせます。

 原作はもちろん過去作にも度々登場する、マスターソードの遠距離攻撃手段―― 通称『剣ビーム』。これは原作ではリンクの体力が満タンでしか使用できない攻撃です。
 原作設定に出来るだけ沿うことを目指している拙作である以上、リザルフォスの群れを全滅させた上、ボコ&モリブリンの特攻や矢の雨に晒されながらもリンクさんは無傷だった証明となってしまいました。勇者つよい(当然)

 それを踏まえた上での以下設定。

 ※100年前のリンクが剣ビームを撃ってる描写自体はありません。
 ですが原作退魔の剣は、デクの樹様によれば最低でも100年前に退魔の剣を持っていた時と同じ力を取り戻していなければ、そもそも入手できないという設定が存在します。
 そしてその下限体力値の状態で剣を取得しても、体力さえ満タンであれば剣ビームが放てるため(体力の上限を増やせば増やすほど射程が伸びます)、ひるがえって100年前の時点で「剣ビーム」はリンクにとって習得済みの力であると私は思っています。
 剣一本であらゆる敵の死体を量産したかつてのリンクさんは、きっと遠距離攻撃手段も確保してたはず。近距離オンリーじゃ要人護衛とか無理じゃないかと。

 ※ちなみに【ライネル】の称号の歴史を物凄く盛ってます。「初代ゼルダの伝説」から登場する由緒あるライネルなら、そんな歴史も許されるかと思ってつい。




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【ライネル】~参戦~

○前回のあらすじ

 雷寝留一伝斎「【厄災】が太刀をかついだら用心せい 」



   *   *   *

 

 

 放った3本の矢が、『敵』を目指して飛んで行く。

 

 用いた矢は電気の矢。

 開戦を告げたジャグアの矢と同じ、雷の力を宿したものではあるが、その造りは全くの別物。「獣王の弓」専用に(あつら)えた鋼鉄製の矢となっている。重量ゆえに通常の弓ではまともに飛ばすことすら難しい代物となっているが、最低限これくらいの剛性がなければ「獣王の弓」で全力射撃を行うことは到底不可能であった。

 

 この弓を全力で張り、撃った際の鏃の初速は、空気の壁を容易に貫く。

 その際、木製の素材で大部分を構成した矢では本体が(たわ)んで照準や速度が著しく乱れたり、最悪矢自体が空中で壊れてしまうのである。

 だからこそ狩りをするためでも、周囲の魔物へと視認させることを目的としたものではなく、本気で対象を射殺すことのみを目的として用いるならば。「獣王の弓」に番えられるのは、全力で引き絞ったとしてもコントロールを失うことはなく、開戦の矢とは比較にならないほどの速度と威力を込めることが可能となる、この特別に鍛えられた鋼の矢以外に有り得なかった。

 

 空気の壁を斬り裂き、ねじ伏せる。

 普通の獣程度の標的であれば例え正面から撃ったとしても、その空気の震えを察知される前に一瞬で全身を爆散させ得るほどの威力を発揮する―― そんな矢が2本。

 自身より仰角の位置で弓を構えていた子鬼の射手を、光の刃で斬り落とすために"剣"を振り抜いたことで一瞬の死角を作ってしまったヤツへと向け、直進軌道を描きながら突き進む。

 こちらが一斉射する瞬間を、確かに"剣"は見ていなかったはずだ。

 

 ()()()()、この程度の攻撃で勝負が決するとは爪の先ほども思ってはいない。

 通常のモノとは違い、火や電気の力を宿した矢は視認性が高く相手に察知されやすい。不意を打てないこの攻撃では、まず間違いなくヤツの身には届かないだろう。

 今までに屠ってきた敵であれば、この矢は必殺のタイミングで放たれている。だが、きっとこれで終わることはないという確信がある。

 

 ――次の矢を番えることなく弓を背中に戻し、戦闘が始まってからずっと抜くことはなかった「獣王の剣」を、空いた右手で引き抜く――

 

 飛行する矢が目標へと到達するまでの一瞬の滞空時間。

 ……案の上、たったそれだけの空白が終わるまでの間に"剣"の強者はこちらの攻撃を完璧に捉え、驚くべきことに迎撃の準備までをも済ませようとしている。

 2本全てを避けようとしていないのは片一方の軌道が、直進したならば背後の同行者が身を潜めている大岩へと向かうことを見抜いたからだろう。

 雷光が目晦ましとなって目を焼き、もしかすると気付かれないかもしれないと考えていたが、恐らくヤツは、この矢が開戦の時に放たれた矢とは全く異なるモノであることを、何かしらの超感覚で感じ取ってしまえたようであった。

 

 即ち、今度は岩の肌で弾かれず、岩を砕いてなお反対側へ貫ける威力が込められていることを見抜かれたのだ。

 

 光の刃を飛ばすべく振り回していた"剣"を肩に担いだ姿勢のままで留め、まず最初に己の頭部を爆散させるべく飛来した矢を身を屈めることで回避。

 そして傾けた顔の先、元いた場所にいたならば当たらなかっただろう位置へと腰を落としたまま半歩踏み込んだヤツは、その担いだままであった"剣"を手首を返して降ろすことで光の刃を飛ばした前までの基本姿勢だった、右腰から斜め下に剣先を向ける構えへと移行。下から振り上げる勢いに任せて、俺の矢に"剣"をぶつけて進路を変えようというのか。

 正面から剣の腹を使って受け止めるような、点に対する面の防御ではない。超高速で移動する矢の腹を叩くという、線による点への迎撃。

 子鬼が放っていたソレを今まで切り払えたことで、同じ要領で対処できると踏んだのであれば、それは愚かな行為だと断じる他ない。まず間違いなく速度差を見誤って空振りに終わるし、仮に当たったとしても圧倒的な速度を伴った鋼鉄の塊は剣を弾き、さほど距離の離れていない後ろの大岩へと勢いを保ったまま届くことになるはずだ。

 その影に潜んでいる同行者が無事である確率は、五分五分と言ったところか。

 

 しかし、これまでの戦いからそんな愚かな対応をするヤツではないことを、俺はもう知っている。

 迫る閃光に向かって足の筋肉とバネを十全に生かして立ち上がる様は、何事も無ければさぞ高い跳躍へと繋がっただろう。跳び上がらんばかりの躍動感に満ちた下半身に連動しつつ、腕の振りによって遠心力も加えながらかち上げられた"剣"は、正しく矢柄(やがら)へと吸い込まれていった。

 激突の瞬間、"剣"に『左手』を添えて両手持ちへと変えたのは、矢に与えられた直進する力を正確に見極めた結果、片手の迎撃では弾き飛ばされることを悟ったからに違いない。

 

 ゴドォンッ!!!

 

 ……軽い物同士がぶつかったり、一方が力負けして跳ね飛ばされていれば決して鳴らない、重量物同士が正面衝突したような衝突音が響き渡る。威力が完全に拮抗し逃げ場を失くした力が、金属を力任せに引き裂いたかの如き絶叫となって、周囲に拡散していく。

 一瞬の交差の後その場に残ったのは、両手でしっかりと"剣"を保持したまま仁王立ちしている人族のみ。矢は空へと進路を逸らされた上、激しく回転しつつもゆっくりとした放物線を描いていた。

 「獣王」の名を冠した武具の全力を持って撃ち込んだ矢に込められた、運動エネルギーが完全に殺されたのである。

 

 ――ヤツの"剣"を受け止めてなお保持出来るよう、左の二の腕に括り付けた「獣王の盾」の具合を確かめる。しっかりと固定されていることを確認し、4脚に力を込める――

 

 

 間を置かず、再び戦場に轟音が響く。

 

 今度のそれは"剣"に弾道を見切られて難なく躱された1本目の矢が背後の岩壁に突き立った音であり、その身のほとんどを山の中に埋めた矢を中心に、壁面には大きなひび割れが刻み込んでいた。

 ……その光景は矢が持っていた本来の破壊力を、実に分かりやすく周囲に喧伝するものであったが、恐らく魔物達の胸の中に、ようやく放たれた【ライネル】の力に対する憧憬の火を灯した者は皆無だっただろう。

 射手の役割を与えられていた子鬼の生き残りなどは、日々の狩りや訓練で弓に馴染み、自らと比べてあの一撃にはどれだけの力が込められていたのかをより正しく判断できるせいか、その表情には絶望の色さえ浮かべていた。

 

 (【ライネル】の、魔物最強の一撃でさえ"剣"は正面から迎え撃ち、そして無傷で捌き切った。魔物がどれだけ頭数を揃えたところで、あの存在には太刀打ちできないのではないか? )

 

 ……そんな思考と不安が、頭の中を占めようとしているはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だから、だろう。

 

 

 やや遅れて『上空』から飛来した3本目の矢によって、ヤツの同行者が隠れる大岩が粉々に爆散した時。

 驚いた様子でそちらに振り向く"剣"と同じように、全ての魔物達の視線もまた、その方向へ集中したのは。

 

 ――4本の脚に溜めた力を解き放つ。翼の無い己の身体を、それでもなお天高く跳び上がらせるために――

 

 番えられた矢の中で最も遅く目標へ辿り着いた、その最後の矢。

 それだけは、ただの無属性である鋼鉄の矢をもって撃ち出していたのだ。

 

 1本目と2本目の電気の矢に期待していた役目はあくまで、"剣"の目を惹き付けて対処させることを目的として放った囮。常時3本で斉射することは容易であるにも関わらず、あえて開戦の時に用いた矢を1本に限定したのは、こうした時のための伏線であった。

 "剣"に俺が複数同時撃ちの攻撃手段があることを、ギリギリまで伏せておきたかったのである。

 

 ……ただ『3方向同時発射』の技法自体は、同族の戦士達にとっては常識とされている応用射法の一つに過ぎないことが不安材料ではあった。

 何しろ考案者は彼こと、前時代の【ライネル】その人なのだ。

 弓の名手として名を馳せた彼が編み出し、その知識を独占しない【賢者】然とした姿勢から広く公開されたこの技は、今では戦士の必修技能とすら言っていい。当然先日"剣"によって討たれた同族のジャグアにも、俺自身が教え伝えている。

 ジャグアが戦いの中でこの技法を用いた射撃を行っていたならば、姿形の近い俺からも同様の攻撃が飛んでくるかもしれないと事前に警戒される可能性が高かった。

 

 だからこそ山なりの軌道を描く曲射で放った3本目の矢は、出来るだけ気付かれないように無属性の矢を用いたし、何らかの不条理な危機察知で存在を察知されないように、上空からの奇襲として"剣"の頭上に落とすのではなく、布石として離れた位置にいる同行者そばの大岩を狙ったのだが……。

 

 恐らくヤツは2本同時に迫る矢を確認した時、戦いが始まってから射られた矢とは段違いの威力が込められている様子と2倍に増えた手数から、それが放たれた攻撃の全てであると錯覚したのだろう。雷光を纏わず、自らに向かってすらこず、初めから視界の外に消えていた矢など、目の前に迫る脅威への対処を思えば考慮すらしていなかったとも考えられる。

 ……もしかすると3本目の存在に警戒は怠っていなかったにも関わらず、同行者のいる方角から聞こえた爆音に我が身を省みず振り向いてしまっただけなのかもしれないが。

 

 だが、もはや理由などは()()()()()()

 大岩が、立てかけられて盾とされていた大鬼の死体ともども吹き飛び―― "剣"が目の前の俺から完全に視線を外している。

 幸運にも同行者に目立った怪我は無かったようだが、その身を隠す遮蔽物が無くなった状態を認識して、動揺すらしている状態であることが、空中から俯瞰している俺にも分かった。

 

 ――宙に身体を打ち上げていた力が消え、重力に引かれて落ちる前に覚える一瞬の浮遊感が身を包む。特殊な射法によって勢いと破壊力を保っていた鋼鉄の矢とは違う。そしてそれは、目的地についても同様である。

 矢は大きな弓なりの軌道をとって大岩へと突き立ったが、より高く、より短く、重力に引っ張られ続ける加速を加えながら落ちる俺が向かう先は…… ――

 

 

 ヤツの同行者がこちらを見上げ、声を上げている。

 その声を切っ掛けに、自らに向かって急速に濃度を増す影を落としている存在に気付いた"剣"が、とうとうこちらを見上げた。

 

 再び重なる"剣"との視線。

 恐怖も憎しみも感じられない、しかし気力が充溢していることだけは伝わってくる透明な瞳。

 こいつがどんな想いを"剣"に込め、それを振るっているのかは知る由もないが……

 

 

 理解する必要もまた、ない。

 

 

 俺は何ら躊躇うことなく眼下の脳天へ向け、「獣王の剣」を落下の勢いのままに叩きつけた。 

 

 




 ※原作においては「3方向同時発射 」の現象は武器ごとに宿る特性となっておりますが、いざ文章にすると『その時ふしぎなことが起こった 』りしない限りは説明が難しいので、拙作では「同時発射は個人のスキル。特定の武器はあくまでその使用法が可能な造りであるに過ぎず、必ずしも番えた矢が分裂するものではない 」と解釈させて頂きます。
 ゲーム中は消費1本分で複数同威力の矢飛ばせるなんてスゲー!で良いんですが、道端に落ちてたら拾える、店には在庫制限つきで売られているなど、矢本体は属性の有無に関わらずかなりしっかり物質化してます。マジカルな矢では無いのです。
 同じく1本の消費で「2方向同時発射」が可能な、イーガ団の構成員が使用する「二連弓」などは、その説明文にがっつり『一度に2本の矢を撃てるような工夫がされている』って書かれてますしね。




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【ライネル】~平原の覇者~

○前回のあらすじ

 ~勇者と厄災の初戦闘の軌跡~
 ①主人公、リンクに格下を襲わせている隙に不意打ちで全力の弓を撃つ。
 ②その中の1本で、こっそり非戦闘員であった姫様が隠れていた場所を壊し、丸裸にする。
 ③心配で思わず姫様に振り返ったリンクに対し、今度は上空から再び剣による不意打ち。

 ※勇者の名の元に、全ての行いは正当化されます。


   *   *   *

 

 

 二又に裂けた刃が地面を砕き、岩盤を抉り削った確かな感触が剣を握る手に響く。

 

 活火山地帯ゆえに頻繁に起こる地震に耐え抜き、今も大峡谷として存在する土地の一角は、この一撃で崩落するようなことこそ無かった。けれど剥き出しの固い地層は衝撃を強く伝播させてしまったようで、無造作に転がる岩を跳ね揺らし、近くにいた魔物が足を取られて転倒する姿が視界の端には映っていた。

 柄の長い槍ではある程度加減しなければならないが、最も信頼する武器であるところの「獣王の剣」ならば渾身の力を込めた叩き付けを行うことに躊躇はない。

 ……かつて"剣"を想定した模擬戦闘で振るったものとは似て非なる、この威力に晒されるはずだった本物の"剣"はしかし、その殺傷範囲に留まらず、直前で逃げ果たしていた。

 

 ここは東の大集落があった雪原ではない。火山そばの峡谷であり、吹き抜ける熱風によって草木もロクに育たないような不毛の岩石地帯である。降り積もる雪も無ければ、植物を育む土壌となるべき土すら乏しい。衝撃に舞い上がって視界を遮るようなものはなく、砕け散った砂や破片と化した矢の残骸も風にさらわれ、風下へと速やかに流れて行った。

 

 それゆえに"剣"の行動を追うことは容易く、俺の奇襲を迎撃せず避けることを選択し、その方向へと駆けていくことが分かった時、これからの戦況を俺の思惑通りに進めることが出来ると確信した。

 

 そう、確信である。

 

 周囲の魔物達は俺の射撃が捌かれるや否や、明らかにその士気を落ち込ませていた。

 射掛けられる弓や寄せる戦士の勢いが目に見えて鈍った雰囲気の変化から、俺が魔物達の精神的な支柱であることを、コチラ側の戦意を削る戦い方を熟知し、徹底していた"剣"が読み取れなかったはずがない。

 

 ならばこそ、空中で方向を変えられない状態であった時や、剣を全力で地面に叩き付けて無防備であった瞬間の俺は、魔物の戦意を決定的に挫く上で絶好のタイミングであり、それを意識するならば必ず攻撃をしなければならなかったはず。

 

 しかし、現実の結果は違った。

 万が一当てが外れた時に対応できるように"剣"が方法を選択する猶予を削るように立ち回りこそしたものの、ヤツはそのとっさの選択で魔物を『攻撃』せず、逃げた方向の先にいる存在―― 同行者を『守る』ことを選んだのだ。

 

 この情報が決定的だった。

 同行者に戦闘能力が無いことは"剣"が長らく単独で立ち回っていたことから透けてはいたが、こちらの統率を崩壊させ得る攻撃の機会よりも、そのわずかな間に無防備となった同行者に向けて、他の魔物が1本でも矢を射掛ける危険の排除を優先したという事実。

 まさか、魔王を封印した伝承を持つ自らの"剣"の価値を知らないワケでもあるまい。

 例え同族であっても、より大切なモノのためには切り捨てなければならないものがある。"剣"が魔王に抗するために人共にとって不可欠な存在であるならば、近しい者を犠牲にしてもこの状況を突破し得る選択肢を選ぶべきはずだ。

 そんなことも分からない者であるなら、我らの頂点である魔王にはどのみち敵うはずもないだろう。

 

 ――だから、"剣"の行動が導く結果はただ一つ。

 あの同行者は『魔物に攻撃する術がないから守る必要がある』というだけの小さな存在ではない。『人という種を守護する力である"剣"と比べてなお、優先して守らなければならない』ほどの重要な存在なのだ。

 

 ……だからといって、今の段階で"剣"より優先して同行者に攻撃をより一層集中させるというのも、あまり賢い手段とは言えなかった。

 仮にまさしく封印に関して必要不可欠な存在であったとしても、それが他の者でも引き継げるような役割である可能性は否めないのだ。戦士としての目でしか評価が出来ないので難しいが、現に改めてその同行者を観察してみても、"剣"が特別な反応を示す対象であること以上には何ら特別な印象を持つことが出来ないでいた。

 

 もし替えが効くようなモノだった場合は最悪だ。

 戦況を読み誤らせるほどに"剣"の動きを制限できる貴重な足手まといをわざわざ殺してやった上、ヤツを縛っている行動の枷を取り払わせることになりかねない。

 これまでの魔物達が命を懸けて行った牽制や攻撃が、ヤツに傷を付けられないまでも迎撃を強いらせ、ある程度の消耗をもたらすことが出来たのは、あくまでその攻撃の向かう先に同行者がいたからだったのはもう間違いない。

 その足を引っ張ってくれていた者を排除してしまっては、ヤツはコチラの攻撃を真正面から捌く必要が無くなってしまう。

 これまででも人族の限界を超えるような体力や敏捷性、反応速度、そして異常な攻撃力を発揮してきた"剣"が、枷を外して制限無しに暴れるようなことになれば、他種族の戦士達では斬られることで"剣"の切れ味を少しでも鈍らせる肉袋―― そんな役割以上の意味を持たせてやることが出来なくなるだろう。

 

 "剣"は表情を震わすことなく、単騎で魔物の死体を山と築くことが可能な人族だ。

 過去これほどの魔物が団結したことはないのではないかと思える規模と密度を誇る軍勢をもってして、半数以上の犠牲を払っても傷一つつけることは叶わなかった以上、"剣"が全力でその暴威を開放した場合の被害は甚大なものになるに違いない。

 

 そして蜥蜴の戦士達が全滅した以上、あの疾さで戦場を離脱される気でも起こされたならば、追いすがれるのは数少ない同族達しか残っていない。子鬼や大鬼達ではヤツの速さに追いつけるはずもなく、障害物も多いこの地ではそのまま逃亡を許してしまう可能性も大きいだろう。

 

 そしてそれは、この犠牲を払いに払った戦争の失敗を意味する。

 

 この"剣"の主が、現代に【大厄災】をもたらす先触れ足る力を持っているのは既に明らかだ。そしてこの者のレベルに"剣"を操れる人族がいることもまた考えにくい。

 そしてこの場で"剣"の主を討ち果たせたならば、伝説に語られる忌まわしい存在であっても所詮は武器でしかない"剣"自体は、我々が人目の及ばない場所まで持ち去ってしまえばいいのだ。仮に破壊することが出来なかったとしても、それだけで魔王の封印を成す手段の一つは永遠に人共から失わせることが出来る。

 

 ――だから、今優先されるのは同行者の殺害ではない。

 むしろ貴重なその足手まといの存在を如何に活かすかを考えるべきだ。

 

 差し当たって、まず早急にやらなければならないことがある。

 同行者を匿える場所を探しつつ、こちらの出方を窺っている様子の"剣"は、先手を打って攻撃をすることが出来ない様子。

 

 その予想を裏付ける反応に満足しながら、俺は全力で肺に空気を吸い込んだ。

 

 

 

 身体に取り込むモノは、もちろん大気を構成する空気ばかりではない。

 

 魔物には、自然の仕組みに沿わない現象を起こすことが可能な種族が数多く存在する。あの蝙蝠の魔物は火・雷・氷のそれぞれ異なる属性を身体の周囲に常時纏える種であるし、蜥蜴の魔物もそうした3属性を角や体内に宿し、対外へ攻撃手段として放出する特徴を有している。

 我らの種もまた、そんな超常の力を宿す存在ではあるが、先に挙げた2つの種と比べるとあまり応用が効く異能というわけではない。宿すことの出来る属性は一つ。それも基本的には口腔内に蓄えた魔の力を炎に変え、吐き出せるというだけだ。

 

 他の種に勝る利点を上げるならば、体外の空気中からも魔力を集めることで力の規模を跳ね上げることが可能ということ。

 

 吸い込み続ける空気に俺の『力』が混ざり始める。

 それに影響を受けた空気中に漂う魔素というべきものが、やがて視覚化するほどに密度を高め、吸引する空気の流れと共に俺の体内に取り込まれ始めた。

 種が有する『力』の方向に沿って赤く、熱い光の筋となって口内に満ちていく。

 俺が接近戦では決して使えないだろう短くない時間をそうして掛けている間も、後ろに控える魔物達の出方が分からず"剣"は動けないでいた。

 

 まだいける。まだだ。もっと――……

 

 かぶりを振ることで肺に詰め込まれた空気を口内に送り込み、身体全体で作った勢いと共に前へ突き出した口を開く。

 そして留められる限界量まで蓄えた灼熱を含んだ吐息を、警戒を高めていただけの"剣"に向けて解き放った。

 

 ごぉん!!

 

 "剣"の方向を見据える視界を完全に塞ぐほどの大きさの火炎――俺の身体を丸々隠すほど―― が、吐き出す吐息の勢いのままに放射される。唐突に目の前で発生した火炎に押し退けられた空気が、何かを爆発された音と共に俺のたてがみを強くなびかせていく。

 溜め込んだ力の全体で見れば、1/3ほどのエネルギーが込められた量を吐き出したところで一旦口を閉じる。大振りの肉を噛み切る勢いで噛み締めた歯によって、後続を遮られた炎の奔流は火球を形成し、吐き出された勢いのままに飛んで行く。

 

 そして間を置かず2度、3度。同量の力を込めた火球を発射した。

 

 

  ごん!! ……ごぉんっ!!

 

 1発だけならば、ヤツの光の刃による相殺も叶うだろう。だが、続けざまに放たれた3発の火球ならばどうなるか。先程の戦闘でみせた攻撃の間隔にごまかしが無いならば、絶対に間に合わせることは出来ない火球の連続攻撃だ。

 炎に慣れた俺の顔すら焦がしかねなかった熱量の塊は、実体の"剣"では斬り裂けず、触れようものなら人肌程度は容易に溶かすだろう。

 

 1つめの火球で山を下る道へ続く空間を潰し。

 2つ、3つめの火球で同行者を隠せる空間を火で満たす。

 

 直接自分達の元へとは飛んで来ない火球を見逃していた"剣"が、背後に庇った存在の無事を考えようとするなら、取れる行動はたった一つ。

 

 

 (……そうだ。そうせざるを得まい、"剣"よ。この攻撃を受け損なえば、お前の守る者は失われるのだからな! )

 

 自分達が陣取っていた空間を満たそうとする炎から逃れるように、同行者の手を引きながら広場の先、切り立った峡谷の山頂に至る道へと『逃げ出す』"剣"の姿を見て、心の中で快哉の溜息を漏らす。

 

 その背中を見送った後、"剣"が単身で戻ってくる様子がないことを確認した俺は、懸念であった背後に控える者達へと振り向いた。

 

 傾いた夕暮れの日差しが背の高い切り立った岩山に切り取られ、戦場となっていた広場へとまだらの影を落としている。

 それはいくつかの魔物の体にも被さっていたが、自然の摂理に逆らい、燃やすモノが無くともある程度は残り続ける俺の炎によって、生き残った魔物達の顔色を窺うことは比較的に容易だった。

 

 全ての生存者達の視線が、俺に集まる。

 

 夕暮れと燃え盛る炎によって照らされた彼らの顔は、……皆一様に(とぼ)けた様子の、どこか上の空の表情をしていた。

 

 

   *   *   *

 

 

 彼らの顔が実に間の抜けた表情を浮かべていることが分かった時―― 俺の胸には、強い安堵の気持ちしか湧いてこなかった。

 

 わずかに存在する若い同族すらそんな顔をしていたのは(いささ)か情けないと思わないでもなかったが、それでも彼らの顔に心が折れた者特有の影が見受けられないことを喜ぶ気持ちの方が強い。

 

 

 それだけ彼らの目の前で、【ライネル】の「攻撃」が正面から防がれる光景を見せつけるということは危険なことだったのである。

 

 これまでの"剣"の実力を踏まえれば、こちらが勝ったとしてもその決着が一撃で決まることは考えにくかった。そしてその攻撃を防がれようものなら、『【ライネル】が動けば俺達は勝てる』と信じて戦っていた魔物達の士気を崩壊させることになっただろう。

 

 今こうして魔物達が困惑こそあれ、致命的に戦意を失っているわけではない状態に収まっている理由はただ1つ―― かつての大戦士。ベガルトが一撃で葬られたことに他ならない。

 

 いくら老いたりといえども、同族の中でも抜きん出た戦闘経験を持つベガルトである。確かに"剣"の光刃は予想外の一撃ではあったが、正面から向かい合っていたベガルトならば最低限、刃が身体に到達する前に掲げていた剣をその間に差し込ませることは可能だったはずだ。

 そうすれば最終的には力負けしていただろうが、何合か剣を打ち合わせることも叶っただろう。

 

 しかし、そうはしなかった。

 最初に突撃した子鬼のようにたった一撃で首を裂かれ、何も出来ずに討たれた。

 過去【賢者】に最も迫った大戦士のあっけない死は、【ライネル】という切り札が控えていると覚えていたとしても、その勇名を知る同族や魔物達にもたらした衝撃は尋常ではなかったはずだ。

 

 その衝撃があったからこそ、直後に起こった『【ライネル】の「攻撃」が正面から防がれた』事実の認識を遅らせ、続く『大戦士すら殺された"剣"の間合いに飛び込んでも生き残り、加えて"剣"を退かせてみせた【ライネル】』の光景を目撃させることに繋がったのである。

 

 彼にも大戦士としてのプライドがあっただろう。生まれついての強者として、神話に語られる脅威と思う存分剣を交えたいという欲求もあったはずだ。

 

 しかしベガルトはその全てを飲み込み、積み上げた名声と矜持を命ごと丸めて放り捨てることで【ライネル】の敗北を薄め、【ライネル】の力を強調させることを選んでくれた。 

 既に地に伏せ、血の海の中に顔を沈ませたままにしているベガルトの遺体を見て、思う。彼が【賢者】と並び称えられたことは、決して過剰ではなかったのだ。

 

 

 ……だが今は、その偉大な先達の体を丁重に葬る時間はない。

 これまで払った多くの犠牲とベガルトの献身に報いるためにも、"剣"とこれ以上距離を離される訳にはいかないのだ。ここに留まっている理由はもはや無かったが、未だ感情と理解が追いついていないままである魔物達を置いて行ってしまっては本末転倒である。

 

 もちろん多くを語る必要もない。

 今、この場を支配し、動かすことが出来るのは"剣"ではない。その脅威を実力で遠ざけてなお生き残っている俺が、【ライネル】だけが状況を作れるからだ。

 

 

 だから一言だけ告げた――「行くぞ」と。

 

 後は何も言わず"剣"が登った道に足をかけ、振り向かずに走るだけで良い。

 そのまま峡谷の頂上を目指し、駆け上がる。

 

 ――間もなくして、生き残りの戦士達は俺の後ろを追いかけるように走り出し、争うように鼓舞の雄叫びを上げていた。

 

 

   *   *   *

 

 

 いくつかの曲がり角を経て、徐々に斜度がきつくなっていく道とも言えない道を登った先に、"剣"はいた。まだ峡谷の頂上へ至るにはもう少しという場所ではあったが、"剣"はそこに1人で立っていた。

 見渡した限りの視界に、同行者の姿はいない。近場に隠れられそうな岩が無いところから察するに、恐らくは"剣"が足止めの役目を果たすことで、先に頂上へと逃がされたのだろう。

 こちらが狙いを本格的に絞ったのを察して対策を打ってきたということか。見ればヤツが立っている位置は、あの広場から頂上に至る道の中では比較的道幅は広いものの、迂回するには狭く、よじ登るにはやや厳しいくらいには高い岩壁に面していた。

 これでは壁面を登ろうにも道幅が狭いがため補足されるのも容易だろうし、光刃を飛ばされて落とされるのが落ちである。そして切り立った峡谷であることが災いして、ここまでの道のりで頂上へそのまま登れるような、緩い山肌はここまでになかった。

 

 つまり、あの同行者には目の前の"剣"を倒さない限りは手出しが出来なくなってしまったということだが…… 今ここに至っては、大した問題ではないだろう。そもそもあの同行者へ俺が攻撃を仕掛けたのはヤツを強引に退かせるためであり、どうしても弱い者から仕留めなければならないということもない。

 反応からして九分九厘、あの同行者は魔王の封印に関わる重要な存在であるはずだが、そうではない場合もある以上、目の前の"剣"がこうして戦場に張り付いてくれるなら、それはそれで構わないのだ。

 

 ヤツが担いだ"剣"を振り抜く。

 目標は当然、群れの先頭を駆ける俺。だがもちろん、ベガルトと違って素直に斬られてやる理由はなかった。手に持ったままの「獣王の剣」を、体を隠すように掲げた。

 光が刀身と重なった瞬間こそ、強い衝撃を受けたが―― 結果は輝きが弾けるだけに終わり、俺はもちろん、剣にもろくなダメージが残ることはなかった。

 いくら同族に致命傷を負わせ得る攻撃力を持った一撃とはいえ、普通の魔物の肉体を貫通させることなく消滅する類の攻撃に過ぎない。

 そんなものでは、「獣王の剣」を抜いて俺に攻撃を届かせることは不可能だ。

 

 再び沸く魔物達の歓声。細められるヤツの眼差し。

 切り払った残光を抜けて、"剣"に向かって駆ける速度を上げる。

 

 左手の盾、右手の剣。

 武具を握る掌へと、常と変わらない頼もしさを返してくれている。

 

 

 

 交差の瞬間、"剣"と剣を打ち合わせた。

 

 

 淡い燐光を僅かに漂わせた"剣"と切り結んだ時、握り込んだ手にはかつてない衝撃が跳ね返ってきたが、それでも「獣王の剣」は"剣"を跳ね返し、自身もまた折れずに俺の手の中に納まっている。"剣"と【ライネル】は戦える。その証を、俺が最も信頼する武具はその身で示してくれた。

 

 ――胸に宿った『熱』が俺の胸を強く、強く焼き続ける。

 滅多なことでは上げない『雄叫び』を響かせている、自分の声に驚きながら。

 

 この『熱』を、どこか歓迎している魔物としての自分がいることを自覚した。

 

 

 

 





 吐き出す火炎のカッコイイ擬音は【ごん】。
 私はそれを名作『うしおととら』で学びました。

 それにしても進んでないな……。

 ※【ライネル】の攻撃は、基本的に原作ライネルの攻撃パターンを参考にしてます。
 火球生成の下りは捏造設定ですが、原作における溜め動作中、吸い込まれる空気が既に炎の筋を発生させていることから、体内に火炎袋があってそこから吐き出しているのではなく魔素的なものを空中から取り込んで炎に変換し、吐き出しているのでは? と妄想しております。
 理屈のイメージはゴジラの放射火炎ではなく、ゾイドの荷電粒子砲です。


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”剣” に挑む獣達

○前回のあらすじ

 勇者「皆あきらめ顔になってるので全力出すぞ 」
 魔物's「やっと参戦の許しが出たか! 」「封印がとけられた! 」「きた! 【ライネル】きた! 」「俺達の勇者きた! 」「これで勝つる! 」

 リンク「姫様狙うとか汚いなさすが魔物きたない 」



   *   *   *

 

 

 「ふざけるなよ! 何なんだコイツはっ!? 」

 

 大声で喚いても現状が変わらないことは分かっている。

 けれどその置かれた状況が非現実的過ぎて、ただただ否定の声を上げずにはいられなかった。

 

 己の種族は生まれながらの絶対強者だ。だったはずだ。

 一人前の戦士と認められて以来、自分が放った矢は1本の例外もなく獲物を貫いてきたし、得意な槍を使えば同じ年代の同族達には勝ち越すことも多い。槍の扱いだけに関しては、年上の戦士達にだって食い下がれるだろう自負があった。

 今朝生まれて初めて会った物語の中の大戦士、あのベガルト様にだって「筋が良さそうだ」と褒めて貰え、今日の戦いの討伐対象である"剣"について聞かされた時も、俺が倒して名を上げるには丁度良い相手だ、とすら考えていたのである。

 

 (いずれは、俺こそが【ライネル】の高みに―― )

 

 

 ……だというのに、今目の前で起こっている光景は何だ。

 矢筒から溢れんばかりに詰め込んできた矢は、とうとう一発も当たることなく撃ち尽くしてしまった。今日のために、と気合を入れて磨き込んで来た自慢の槍も、穂先を一撃で切り飛ばされたがためにもはや短い棍と成り果てている。

 愛用の武器を切り裂いた一閃をまともに視認することが出来なかった以上、俺が今も生きているのは槍と"剣"、その単純な間合いの違いによる結果でしかない。

 

 たった一合。それだけで理解させられた。

 無理矢理に格付けを飲み込まされてしまった。

 

 俺は、コイツには勝てない。

 

 本来のヒトという種と比べ、自らが生まれついた種族が戦闘においてどれほど優越した種族であるか―― 贔屓(ひいき)せず客観的に見たとしても、その差は明らかだ。

 走る速さは馬より遅く、木の一本を斬り倒すのに、何度も鉄を振るわなければならない程度の膂力。火も吐けなければ爪も牙も持たず、他の生き物から奪った皮や薬が無ければ、自然環境にも満足に適応できない。群れなければ、ただ生きることすら難しいのがヒトという生き物だ。

 まれに人共の手によって同族が討たれたという話を聞くことがあっても、それは圧倒的な数の差に押し負けたり、年老いて隠棲(いんせい)していた者が襲われた結果である場合がほとんどである。そしてそれ以上に、我々と戦闘して無傷で帰還し得た他種族の存在など、どんなホラ話にだって登場したことはなかった。

 

 ……目の前のコイツは悪魔ではなく、そのヒトという種族なのは間違いないらしい。

 子鬼、大鬼、蜥蜴の魔物…… そして、同族。それぞれの種族から集められた一人前の戦士達を剣1本で殺し尽くした挙句、その身体にたった一筋のかすり傷だって負わずに動き続けている剣士が、果たして本当に『ヒト』なんて脆弱な種に混じっていていいものだろうか?

 

 「……貴様ぁ、ヒトだろうが!? 何でそんなに強いんだよ! おかしいだろうっ!? 」

 

 無理矢理昂らせた感情のままに槍だったモノの破片を投げつけ、爪を立て、拳を振るった。

 師に教わった格闘術は、爪と牙を交えて攻め立てる前傾姿勢を基本としたものが本来の形だ。……しかし、情けなくもこの相手に対して顔を近付けては、ただ首を差し出す愚行となってしまいそうでためらわれる。首元を裂かれたベガルト様の後ろ姿が脳裏をチラつくのだ。

 そんな躊躇(ちゅうちょ)を強いる恐怖を与えた者が格上の同族ではなく、取るに足らない種族でしかないと考えていたヒトだという事実が、力の信仰を(けが)された怒りとなって竦む身体に力を与えているのが有難く、そして屈辱でもあった。

 そんな思いを抱えながら爪を振るう俺に対し、目の前の敵はチラチラと俺の背後へと視線を飛ばしている。一撃で獲物を奪えた俺を脅威と捉えていないことが透けるようでもあり、視線を切られるたび、爪に込める力が漲っていく。

 

 「こっちを見ろぉ!!」

 

 横薙ぎに振るった爪を、わずかなステップで躱される。間合いを完全に読まれていた。

 威力を求めて振り回す腕はただ空気を掻き、臆した心を映した脚は、俺に思い切った前進を許さなかった。

 

 (まだ、だ。あの人が体勢を整えるまで。お前の相手は、まだ俺だ! )

 

 「そんな反則を使って良い気になりやがって! その"剣"さえ無ければ貴様は俺に勝てないに決まっているんだ!! 」

 

 自分の信じるモノを穢されていく怒りを乗せ、全力で腕を突き込もうとして。

 その爪が届く前に、空気を裂いて飛んで来た光輪によって爪が弾かれる。

 直後。

 砕け散った光の破片を目晦ましにして再度振り降ろされた"剣"によって、俺の胸板は袈裟(けさ)がけに斬り抜かれていた。

 

 かつて戦い、葬ってきたヒトの剣士ども。記憶に残るその者達の中に、自らの筋肉の鎧を貫けた者はほとんどいなかった。わずかな記憶に残る数人の強者達ですら、皮を裂いて肉の表面をいくらか裂くのがせいぜいだったはずだ。

 だが目の前の"剣"は、コイツは、鍛え続けた皮も筋肉も骨すらも、その一切合財(いっさいがっさい)を無視していた。肉を裂こうが骨を断とうが剣筋はブレず、素振りをするかのような自然さで俺の上半身を斜めに縦断、いくつもの致命的な臓器をも斬り裂いてみせたのである。

 そうして刻まれた鮮やか過ぎる傷跡は、俺の技量では決して成し得ない技術の証だった。その実感は激しい痛みを上回る焼け付くような熱さとなって、全身に駆け巡っている。

 悔しさに茹で上がった脳が溶けそうだった。

 

 (畜生、ちくしょう、チクショウ。……認められない、認めてたまるか…… )

 

 霞む視界にそれでもと睨みつけようとした視界の中、ヤツは傷口から吹き出し続ける血煙に(むせ)ぶことなく、その場に留まっていた。

 振り切っていた"剣"を返す刀で切り上げようとしている様は、不思議と今度は緩慢で、ゆっくりとした動作である。コイツとあの人の戦闘に割り込んで以来、初めて捉えることが出来たヤツの運剣は、ノロマな獣ですら斬り裂けない代物と化していた。体力の限界でスタミナが切れたか。……それとも、俺に与えた一撃が致命傷だと考え、とどめを刺すにはその程度の攻撃で事足りるとでも考えたのか。

 その侮りを後悔させてやる。

 そう思ったはずなのに全身のどこを意識しても、動かせた箇所は皆無だった。どんなに願っても腕は上がらず、大量の失血の影響か、意志に反して崩れ落ちるままだったはずの脚まで、巌のように固定されて動かない。

 

 それが一瞬を引き延ばした時間感覚の中で起こっていた出来事だったと気付けたのは、傷口に寸分違わず、そしてより深く"剣"が差し込まれたことで再び勢い良く噴き出した鮮血が、その一滴一滴の雫までもがゆっくりとした動きに見えた後だった。

 

 身体を繋げる面積の大半を断たれ、重い上半身を支えることが出来なくなったのか。それとも斬撃はその骨をも傷付けていたのか。背中側、胴体を縦に走る最も太い骨が千切れる音と共に、右腕だけをくっつけた胸から上の身体が、勝手に地面へとずり落ちようとしている。

 

 

 ……負けた、ヒトに。

 しかも完膚なく。

 こんなにもあっさりと、自分が敗れる日が来るなんて考えたこともなかった。

 

 まだ意識があることに意味はない。これ以上この戦場に介入出来ないならば、もう自分は命云々よりも戦士として終わってしまっているのだから。

 本当に認めたくはないが"剣"をひっくるめたあの剣士の力は、自分を含めた魔物の戦士を歯牙にも掛けないほどに強大なものである事実を、ここに至っては呑み込まない訳にはいかないのだろう。

 

 地上において最強を誇る我らの種族、その中でも精強な戦士達でさえ既に打ち倒されている存在はベガルト様を除いても俺だけではない。もう意図して身体を動かせはしないが後ろを振り返れたならば、そこにまだ4本の脚で立っている同族は数えるほどしか残っていないのだ。

 

 

 ――身体から離れ、そのまま地面へと落ちるだけだった上半身が右腕の重さに引っ張られて傾き、その指先を自らの下半身だったモノの装身具に引っ掛かる。それを起点としてくるくると乱回転した上半身のおかげで、周囲の光景が冥土の土産とばかりに、動かなくなった俺の視界へと映り込んできた。

 

 正面。

 もはや俺になど見向きもせず、ただの障害物と化した下半身だったモノの向こう側へと視線を固定した怨敵がいる。

 

 夕刻が迫る空を仰げば雲一つない澄み切った晴天が広がっている。しかしその清々しい夕映えに彩られた景観は未練と怯え、消えない余憤(よふん)に塗れた今の心境には到底そぐわないものだった。さっさと自身の血で暗く変色した固い岩の地面に身体と頭を叩き付け、しつこく残っているこの女々しい思考の残滓(ざんし)を打ち消すことばかり考えてしまうが、これもまた現実からの逃避に過ぎないのか。

 刹那を引き延ばした時間の流れは未だ続いていたものの、ゆっくりと回転する視界に繰り返し差し込んでくる美しい景観達が俺の心を慰めることはなかった。

 

 しかしそれでも。

 止まらず回り続ける光景の全てが、俺を悲観させるモノばかりじゃない。

 

 ……逆さまに映る視界にまず飛び込んでくるのは、倒れ伏している何体もの同族達。未だ生き残ってる他の魔物には、もう黒や青の体色を持った成熟した戦士の個体は思っていた以上に少ないように見えた。腕に覚えがあり、勇猛果敢な者から"剣"の餌食になったことを思えば当然ではあるものの、果たして残った赤の小僧ども程度の存在が、あの恐るべき敵を前にしてどれだけの意味があるだろう。まず間違いなく、戦力として大勢に影響を与える役割を果たすことは出来ないはずだ。

 けれど不思議と、足手まといと侮る気持ちは湧いてこない。彼らの目にはまだ戦う意志が確かに込められ、目前の死にその身を晒す覚悟を宿していたからだ。ただひたすら、勝利のために。

 頼もしい―― そんな想いを格下の魔物に感じたのは、これが初めてだった。

 

 そんな戦士達を率いる、一際大きな存在感を放っている同族の頂点。

 彼が丁度、弓に番えた矢を放つ様を見ることが出来たのは僥倖(ぎょうこう)だった。俺の稼いだ時間は彼の攻撃に繋がった、決して無駄ではなかったのだと信じることが出来たのだから。

 3本の矢は雷の力を宿して激しく瞬いており、遅々として進まない時間の中にあってもなお豪速を誇って進んでいく。

 ……やがてそれが突き立った標的は"剣"の身体ではなく、置物となった俺の下半身だった。

 

 今代の勇者の手によって防具をひしゃげさせ、皮を突き破り、肉も抉られる様は何とも言えない気持ちにさせられたが、それでも怒りは湧いてこない。激しい電撃が防具に使われた金属を通して、全身に伝わっていく。無用の置物となってしまっていた、かつての俺の肉体が電気を帯電させた巨大な砲弾と化し、勢いのままに"剣"へとブチ込まれたのだ。

 俺の一部だったものが勇者の武器として振るわれ、触ることすら出来なかった怨敵に一矢報いたその光景は、いっそ爽快ですらあった。

 

 この地に集められて初めて出会った時以来、伝え聞く遙か高みの実力を誇るこの同族の目を見て話せたことはない。それは自分より強い存在への疎ましさからではなく、圧倒的強者に対する憧れに似た感情が、何らかの決意を持って戦への集中力を高めていた存在に声を掛けることを躊躇わせていたからだった。……そして今、そんな射手からの視線を感じている。

 その目には、俺の身体を利用した攻撃を行ったことに対する謝意が込められているのだろうか。少なくとも、途中で戦いから離脱する未熟者を(さげず)むような意図は含まれていなかった。

 中核を成す戦力として数えられたにも関わらず、わざわざ説明された"剣"に対する危機感を共有せず、体感した直後早々に討たれるような愚か者が俺なのだ。そんな俺に対し、最強の勇者が(おもんぱか)ってくれているのでは? と思ってしまうのは、死を前にした気の迷いなのだろうか。

 しかし俺の命や肉体が確かに勇者の戦いを支え、わずかにでも役に立てたことだけは、今この瞬間に向けられた視線から間違いなく感じ取れたのだ。

 

 

 ……目を閉じる。

 使命に燃えてこれからも死んでいく命を勇者が汲み、それに意味を持たせてくれる光景を目に出来たのだ。途中脱落の無様に負けた戦士として、冥土に抱えていくには十分過ぎる。

 網膜に焼き付けて逝く最後の光景は、是非とも彼らを納めた視界にしておきたかった。

 そして満足と共に死を受け入れてしまったせいなのか。

 停滞していた時間が、本来あるべき速度へと加速していくのを感じる。あとわずかな猶予の後に、この身体は地面に叩きつけられるだろう。

 

 最後に、何を思うべきか?

 "剣"への怨恨だろうか。戦士として道半ばで終わる無念だろうか。それとも、雪原が広がる故郷の白さに想いを馳せるべきだろうか? そんなことをぼんやり考えていると、自然と胸の内から沸いてきた言葉がある。

 それを唱えることは誇り高い戦士の在り方から考えても、中々サマになる最期である気がした。

 

 そうだ、これがいい。

 

 (……どうか勝って下さい。我らの【ライネル】よ……! )

 

 未練極まる今際(いまわ)(きわ)でほんの少しだけ報われた気持ちにしてくれた、俺が信じる最強の戦士に感謝を込めた激励を――

 

 

 

 

 直後。

 感じた鈍い衝撃とともに、俺の意識は永遠に飛散していた。

 

 

 

   *   *   *

 

 

 

 弓に矢を番える時間を稼ぐため、"剣"の正面へと飛び込んだ1体の若い同族の上半身が、地面に転がり落ちた。片割れとして本来その近くに同じく転がるべきだった彼の下半身は、俺の矢を撃ち込まれて大穴を開けつつ"剣"にぶつけられ、やや離れた場所まで吹き飛んでしまっている。断面から内臓をいくつも零す上半身と、血と泥に塗れて無惨な肉片へと変わり果てた下半身。俺を守るため、懸命に"剣"へと向かっていった若者に対し、これほど悪辣にして外道な仕打ちも無いだろう。

 未来ある若者の生命を奪ったのは確かに"剣"であろうが、その死体を最低の形で利用して辱めた者は、間違いなく俺なのだ。

 

 ……この坂の途上で再び始まった戦いは、今や泥沼の総力戦へと突入している。

 それも明確な指揮系統に則って行われているものではない。混沌と狂気が混ざって濁り、腐肉にたかる蠅のような不規則が飛び交っている有様だった。

 

 第三者が眺めたなら、俺達の様からまず『戦士』を思い浮かべることはないだろう。もちろん多数による圧倒的な狩り、蹂躙の光景と捉えることも有り得ない。襲われているはずの1が以前と立ち続け、襲い掛かる多数側の命の炎が次々と吹き消されている状況を見て、そんな感想を持つのは戦と無縁な者であっても無理だ。

 愚かな獣の突撃。

 そう見て解釈されればまだ上等などという、この戦いを引き起こし、つき従ってくれた魔物に特攻を強いてきた張本人にあるまじき弱音こそが、この光景には最も相応しいとさえ思えるほどに戦場は乱れ、混沌としていた。

 

 

 まずこの戦い、俺は最初から魔物達の指揮を執ってはいない。

 そもそも、そんな余裕は微塵も得られなかったのだ。

 

 ベガルトの死を利用して他の魔物達を無理矢理奮い立たせて以降、落ち着かせる時間を彼らに与えることは出来なかったのだ。少しでもその足を止め、頭を冷えさせてしまえば、彼らを襲うのは圧倒的な死の恐怖である。

 戦士としての矜持、自分達が死ねば集落の身内がその"剣"によって滅ぼされる、そんな想いを表面に押し立たせて彼らを奮わせても、もっと根源的な本能を刺激する恐怖が、あの"剣"からは感じ取れてしまうのだ。

 そしてそれは、かつて勇者を抑えて最強を名乗れるほどの魔物が一刀のもとに倒されたという事態によって、強く現実のモノとして認識できてしまった。

 彼が率先して討たれたことで【ライネル】が敵と拮抗する状況を見せつけてしても恐慌をきたすという事態は避けられたが、一度時間を空けて冷静さを取り戻させてしまえば、生物として生存を求める本能が"剣"の前へ身を晒すことがどれだけ愚かしいかを、己の肉体に全力で説得に掛かるはずだ。

 野生の生物にとって、それが戦士であっても自身が生き残ることこそが至上の目的。獲物を狙って時には無茶をすることはあったとしても、我々ほどの身体能力も装備も持たない以上、勝算が全く見えない玉砕前提の特攻を強いても逃げ出すか、カカシのように役立たずとなっていただろう。

 

 

 だからこそ彼らに考える時間を与えることはしなかったのだが……それ以上に、"剣"が予想を超えて『強過ぎた』のが、また大きな問題でもあった。

 【ライネル】の攻撃を防ぐことが出来る、などといった次元の話ではない。相対し、"剣"と剣を最初に打ち合わせたその瞬間から、気を抜けばその瞬間にも自分が殺されるイメージがありありと想像出来てしまう。そのせいで、これまでの一瞬であっても戦闘以外に気を割く余裕は、一欠けらも得られなかったのだ。

 

 死の危険を感じさせる脅威の筆頭、それはやはり"剣"だった。

 ベガルトをはじめ戦闘が始まってからこれまで、同族の肉体にすら例外なく致命傷を与え続けてきた凶器なのだ。多くの犠牲によってこびり付かせた血脂と、骨を含んだ固い物質を切らせ続けて鈍らせた切れ味によって、その威力は開戦時よりも相当衰えているはずだと信じたいが、その陰りも見られず上限すら確認出来ていない以上、いくら他より抜き出た身体能力を誇る俺とて生身で受けては命を繋いでいられる自信を持つことは出来なかった。

 

 加えて恐るべき点はその威力と硬度だけではなかった。あの"剣"を薄く包んだ燐光に伴って起きている現象であるが、それが最も大きな誤算となっていた。

 俺と剣を交える前までは、その発光現象は光刃を作り出す時以外は時折瞬く程度であったにも関わらず、俺と剣を1対1で相対してから以降は常時光り続けている。

 最初こそ近接戦闘で狭まる視界の中でも"剣"の所在が丸分かりとなって有難い等と考えていたが、剣を打ち合わせるたび、その光がとんでもない効果を"剣"に及ぼしていることが明らかとなってからは、それまで進めていた戦略の前提が大きく崩れてしまったのである。

 

 戦いが始まって以来ずっと温存していた俺の「獣王の剣」と、魔物の武器や肉体を斬り裂き続けてきたヤツの"剣"。それまでの戦闘経過から見て、あれほどの魔物を切り続けていながら未だ同族を一撃で切断可能な切れ味を保っている"剣"は、残念ながら俺の得物よりも硬度が優れたものであることは確実であったが、それでも決して刃こぼれが皆無というわけではない。

 そして、剣に扱いに関しては自他共に当代一を認められる技量を以って最強と認められた【ライネル】である俺にとっては、超高速で行われる剣戟の中にあっても全く同一の箇所を意図して狙うことは不可能ではなかった。

 そこを突き、刃こぼれが最も深い箇所へ攻撃を集中させ、あわよくば武器破壊に繋げようと考えていたのだが――

 

  ガガキィン! ギィンッ! ――キィン!

 

 何度も繰り返し、既にどれだけ重ねたかは分からない応酬の中。

 ……俺の目の前では、今も信じ難い理不尽が起こり続けている。

 

 もう少し深く切り込めれば、刃こぼれに留まらず亀裂へと至っていただろうと判断していた"剣"の破損部位。最初の斬り合いで確かに把握し、多くの魔物達の命と引き換えに勝ち得たはずのその成果が、今は僅かに鈍い音を返すに留まるだけの、ほんの小さな刃こぼれへと姿を変えているのだ。

 引きつるような濁音を響かせているのは、既に無事な刃の部分を探すのが難しいほどに欠けてしまった「獣王の剣」の方である。

 

 始めは気のせいかと思った。

 けれど徐々に"剣"の溝に剣を食い込ませることが難しくなり、逆にコチラこそが折られぬよう打ち当てる刃の位置を調整しなければならなくなっていくうち、その事実を認めなくてはならなくなった。

 

 燐光を纏いだして以降、"剣"は明らかにその損傷を修復しているということを。

 

 その復元速度は、俺と切り結んで蓄積されるはずの損傷を上回り、それどころか血脂すらも払わんと言わんばかりに刀身の状態を回復させつつあった。燐光を受けて輝く"剣"に、最初の立ち合いで掴んだ陰りの印象は既に無い。

 この地に集め、戦うことを強制させた戦士達の犠牲。

 その献身の全てが無意味なモノに貶められたのである。

 

 

 ――若者の命を囮にして得られた僅かな時間。矢筒に残していた最後の矢は、その亡骸を隠れ蓑にしてついに"剣"へとぶつけることが叶った。

 直撃をさせることこそとうとう出来なかったものの、防具に帯電させた電撃は"剣"を通して確かに届いたことが、ヤツが利き手から逆の左手に得物を持ち替え、その右腕を力なくダラリと下げたことから分かる。

 

 矢を打ち尽くして無用の長物と化した弓をその場に投げ捨てる。

 再度背中から抜き放った「獣王の剣」が耳元で起こした風切り音は、欠けた刃の影響かいつもと違った音色を感じさせる。雑音混じりの濁った音は悲鳴のようでもあり、果たしてあとどれだけ満足に"剣"と打ち合わせることが出来るだろうか――

 

 だがもう、勝機を見出すならここしかない。

 見れば剣士は、じりじりと山頂へ向かって後退を始めている。腕の痺れが取れるまでの時間を、出来るだけ交戦せずに済ませようというのか。それを許すわけにはいかない。

 引きつった顔に血走らせた眼をした残り少ない魔物を引きつれ、俺はヤツに追いすがるように駆け出した。

 

 そして再び衝突する"剣"と剣。

 

 ……非力なはずの『ヒト』の腕力。しかも利き手で持っているわけではない"剣"に受け止められた剣が軋んだ音を立てる様を見て、俺はこの戦いに際してどれだけ自らの見通しが甘かったのかと、今更ながらに(ほぞ)を噛む思いだった。

 

 下がる剣士。追う俺。

 しかし、これは決して互いの趨勢を示す光景ではないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――峡谷の頂上まで、あと少し。 

 

 




 あけましておめでとうございます。
 今年もハーメルン様が益々栄えることを願って正月賑やかし投稿させて頂きます。

 以降もリンクさんへのヨイショは続きます。基本一人で魔物を殺し尽くしてきた勇者の系譜に連なる【厄災】が、この程度の攻勢に手こずると思われては困る。


 ※『ウツシエの記憶』5枚目の雑感① ~姫様の考古学は遺跡関連専攻?~
 この拙作ネタ元である5枚目の『ウツシエの記憶:オルディン峡谷』のシーンを見る度思うのですが、あれって魔物の陣容見てると画面に映ってる存在だけでもぶっちゃけ、世界的な危機では?
 複数体いる「白髪のライネル」さんは、ハイラル全土に生息するのは分かっているのに関わらず、出会ったら最後なレベルで目撃情報が少ないって紹介されるような存在なのに。
 なんで姫様、イーガ団の下っ端と追いかけっこしてる記憶より落ち着いてらっしゃるの?
 大量発生した魔物の計画的な討伐だとしたら(足手まといな)姫様と二人きりじゃなく、英傑の誰かでも引っ張ってくるべき状況だと思いますので、きっと祠&泉巡り途中の遭遇戦だったんでしょうが。100年前のハイリアってホント修羅の国。
 言い伝えの言い回し上、古代系列兵器は完全に対魔物戦を想定しているため、その力の復活研究を唱えている立場の姫様は、その対象であるところの魔物についてもある程度は知識は修めていないとイカンのではないでしょうか?
 迷走して食用のカエル研究に手を出すよりライネルを調べるべきそうすべき。


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オルディン峡谷に日は落ちる

○前回のあらすじ

 退魔の剣「刀身さえ無事なら再生できるよ? そのへんのナマクラと違って、これでも伝説やってますんで 」
 獣王の剣「プルプル 」



   *   *   *

 

 

 【ライネル】が説き続けていた"剣"の危険性。

 それはこの場に集まっていた全ての魔物達の知るところではあったが、果たして本当の意味でその危機感を共有出来ていた個体は、どれほどいただろうか。

 

 彼らにとって、上位の暴力が成す行動は全て正義だった。

 生命が直接脅かされるほど追い込まれていない限りは、その言い分は肯定して当たり前であり否定を挟むことはない。野生の世界で強者は弱者よりも死から遠い存在であり、強い者がそうすべきだと言うのであれば、それは生きる上で正しいからだ。

 

 しかし彼らにだって意思はある。

 それはこれまでの生で培ってきた経験則だったり、戦士として今まで生を勝ち取って得た矜持に支えられたもの。昨日今日になって頭を抑え付けられた強者の言葉では、容易に覆せない常識があった。

 そんな彼らには「これから向かう戦場において、最強の力を持った存在が誰か」という問いに対して、確固として共通した一つの答えを持っていた。

 その者の名は【ライネル】。自分達の想像を遙かに超えた圧倒的な力を持ち、見たことの無い光沢と武力を漂わせる武具を身に纏った白髪の魔物。

 その姿を見て戦わずに屈服させられた部族も多く、前代未聞の規模を誇る軍団をこの地に集めたカリスマは、歴戦の戦士達がそれぞれ思い描いていた「最強」を塗り替え、その称号を体現する者として全ての者の頭に刻み込ませるほどの存在であった。

 そんな恐ろしくも強烈に惹き付けられる者と種族を同じくした、自分達からすれば変わらず強大な力を持った獅子の顔を持つ魔物が複数、この戦いに参戦するのである。

 

 加えて"剣"を扱う種は、あのヒト族だというのだ。

 生まれ持った爪や牙も持たず、鉄で身を固めていようが特殊な能力を持った個体は少ない種族である。その力は自分達だけでもそれなりに戦える程度のものであり、際立って優れた個体がいると言われたところで、自らの想像が及ぶ範囲にその脅威を想定してしまうのは自然の流れであった。

 だからこそ彼らは自身も戦争に参加する以上、己に降り掛かる死を踏まえた戦士の心構えこそ持っていたが、そんな無双の魔物達がこちら側にいる陣容で、「負ける」とは頭の片隅でも思ってはいなかった。

 

 ……いざ戦いが始まり、"剣"を眼で、鼻で、あるいはその肌で体感するまでは。 

 

 "剣"が放つ気配を生身で味わった時か、今を生きる伝説だった大戦士のあっけない死か、それとも【ライネル】と互角以上に剣を交える光景からか―― 何を切っ掛けとしたのかは定かではない。

 しかしこの戦いが多勢による圧倒的な蹂躙ではなく、その伝説を上塗りするような恐ろしい存在へ魔物としての種を賭けた生存戦争であったことを、まだ生き残っていた魔物達の中で思い至らない者はいなくなった。

 【ライネル】がこの戦いに臨み、最初に語っていたことは決して魔物達の士気を上げるための誇張だけではなく、真実をありのままに表したものに過ぎなかったのだと、遅まきながらも気づいたのである。

 

 数多の同族達を失ったあの凄惨な広場を離れて谷を登る途中、混乱する頭に差し込まれた【ライネル】の鼓舞を受けて熱くなったままの頭でも、思い出せる言葉があった。

 やはりそれは【ライネル】の言葉であり、"剣"の脅威を訴えていた昼間の演説にて語られたモノだった。

 

 『例え"剣"に怯え、この戦場から逃げ出したところで、やがて"剣"に率いられたヒトの手が各々の集落へと伸びる時は確実にやってくる。その時、貴様達はこの場に集った以上の戦力で迎え撃てるはずもなく、どれほどの戦力で侵略者達が襲い掛かってくるかは知れないのだ。

 今日、命を尽くして家族を守るか。今日、命を惜しんで家族を殺すか。貴様達が戦士であるならば、戦いの中で突きつけられるだろうこの選択を、決して誤ってはならない――』

 

 身内が死んだ。友が死んだ。先達も後輩も等しく死んだ。

 強敵だった他の集落の戦士があっけなく二つに裂かれたかと思えば、見上げるような威圧感を放っていた獅子の魔物が、赤の子鬼と同じように討ち殺された。

 

 これまでの生で培ってきた強さの指標がことごとく斬り壊されていく中で、ヒトの形をした理不尽と渡り合えている存在は【ライネル】だけだった。魔物が信じる強者の理論を、魔物側で叶える最後の砦として、勇者がたった1人で"剣"に立ちはだかっている。

 彼が敗れた時が、この連合軍の敗北であることは間違いない。"剣"とまともに「戦闘」出来るのは、【ライネル】しかいないのだから。

 

 ……しかし"剣"と比べて勇者が持つ剣には欠けが目立ち、矢が尽きた剛弓は既に無い。"剣"を受け止め続けた盾も、もうすぐ割れて落ちそうだった。

 このまま戦闘が推移すれば【ライネル】の武具は全て失われてしまうのではないか。爪と牙、そして炎のみで、果たして勇者はあの"剣"に勝てるのか。

 

 

 そこまで思い至った魔物達は勇者が敗北した時、自分達に降りかかる未来を考えた末――。

 

 自らの判断によって選択をした。

 己の命に持たせたかった価値を大幅に引き下げる、その選択を。

 

 

   *   *   *

 

 

 (まさか、こんな最期になっちまうとはなぁ……)

 

 あの広場で死んだ大剣持ちのアイツや鉄の槍を担いでいたいけ好かないあの野郎も、きっと自分こそが"剣"を倒すなんて、思いながら突っ込んだんだろう。今にして振り返ってみれば、あれは無謀で浅はかな特攻だったに違いねぇよ。

 それくらい、俺達と"剣"の野郎との力の差は歴然としてやがる。

 

 けどなぁ。あんな風に死んだ方が、よっぽど戦士らしかったよなぁ。

 死に損なった今の俺達には、そんな命の捨て方は選べねぇんだもんなぁ。

 

 あのバケモノに俺達が闇雲に挑んだところで、ただの無駄死になっちまう。だったら、少しでも勇者殿が有利になるように立ち回るしかねぇじゃねえか。

 集落で暮らす一族を護るためだって考えたら、納得するしかない。

 ここまできたら、『肉盾』を無駄に浪費するわけにはいかねぇんだよ。

 

 ……"剣"の注意を引くためにわざわざ喚き散らして突っ込んだ子鬼が死んで。

 ……突き刺された"剣"をそのまま自分の身体から抜かさず抑え込もうとした大鬼が、縦に振り抜かれて掴んだ指と胸から下を切断されて。

 ……勇者殿の攻撃の継ぎ目を補うために組み付こうとした双子の子鬼達なんて、当たり前のように撫で斬りにされちまった。

 

 そうしなければならなくなった。

 

 ちくしょう、理不尽だ。

 俺だって戦士らしく、敵を倒しに掛かって死にてぇのによぅ。

 こんな死に方で、どうプライドに折り合いつけろってんだ。

 

 (これだけ俺達に尽くさせて、負けやがったら承知しねぇぞ。【ライネル】さんよぉ……)

 

 

 

 

 

 自分が勝てない戦いに駆り出された哀れな愚者ではないと、そうであって欲しいと願いながら。

 最後まで残った赤色の大鬼もまた、不気味に青く光る"剣"へ我が身を差し出した。 

 

 

 




 次の話と分けたかったので短めですがここまで。3000字は超えてますけど、もう短い印象しかないですね……。
 連れてきた魔物達、これで晴れて全滅です☆


 ※『ウツシエの記憶』5枚目の雑感② ~気付いて、姫様~
 
 「アナタは最近無理し過ぎ」と気に掛けて下さるほど頻繁に襲われてるなら、お出かけの際にはもう少し護衛増やしてくれませんかね……。
 従者に御心を開かれているご様子を拝見させて頂けるのは、大変嬉しいんですけども。
 「大した傷では無いようですが」とか、悪漢に襲われたけどかすり傷しか負ってないね良かったねアリガトウ的な感じで流してますが、マズイっすよ。
 背景で複数体死んでる上位個体のライネルさん、同族の中では最下級の強さだろう赤髪の個体ですら、一体でも討ち取れたなら国(ゾーラの里)の歴史の1ページとして石碑に残され、身に着けていた装備の一部が拝殿に納められる級の偉業なんすよね。
 報い方のレベルが違い過ぎて、リンクがミファーの婿になっても「あぁ……」不可避。


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賢者のバラッド ~称号の行方~

○前回のあらすじ

 北西地方連合魔物軍、【ライネル】を残して全滅


   * * * * *

 

 

 ――オルディン峡谷の地で行われている、四英傑を率いる「勇者」と魔物を引き連れた「白髪のライネル」の戦いが、いよいよ終局に差し掛かろうとしていた頃。

 

 大陸中央の端、人族が設けた関所近く。

 【はじまりの台地】を見上げる地にて時同じくして行われていたもう一つの戦いは、彼らの決着を待たずに終わりを迎えようとした。

 

 

 

 南西、そして東の一部地域より集まった魔物混合軍―― およそ200体。

 人族連合軍―― およそ2000人。

 

 人数差は約10倍。

 数字の上では人族が圧倒的であったが、集まっていた魔物の中には後天的に高い魔力を蓄えたことによる『色変わり』を果たしていた個体が数多く存在していた。

 

 『色変わり』した魔物はその個体によってムラがあるものの、通常色と比べればその体は例外なく強靭であり、より高い知性を有している狡猾な個体も多い。そうした魔物達の優れた知性をもって作られたと思われる凶悪な武具は、時に人が造ったソレを大きく上回る殺傷力を発揮することも珍しくない。

 

 加えて非常に高い危険度を持つ「半人半獣の魔物」が数体、その戦場では確認された。

 

 ライネル族―― あらゆる武具を人族を遥かに凌ぐ力で操り、馬と並ぶ速度で大地を駆ける獣王。炎や氷、電気に対する抵抗も高く、魔物の中でも特に強力な存在として有名である。単体を討伐するにも相当な準備をしなければならない魔物が数体、しかも中には発見例すら希少な『色変わり』をしている個体も存在していたのだ。

 

 魔物の勢力が有する陣容を考えれば、10倍の人数差といえど決して人族有利の戦いになるはずがなかった。

 

 

 ……しかし戦いの趨勢が決まった今。

 戦場で圧倒的な劣勢を強いられ、追い詰められている軍勢は魔物側であった。

 

 

 明暗を分けたのは、3つの要因。

 1つ―― 一部の兵士が持っていた黒塗りの武具。

 「近衛」を冠するそれらは戦場に存在するあらゆる武器に勝る威力を発揮し、従来の剣では耐えられたはずの『色変わり』が持つ硬い外皮を易々と斬り裂いた。

 

 2つ―― 砲台型ガーディアンの戦線投入。

 かつての古代ハイラル王国が、対厄災用兵器としてシーカー族の技術を用いて作り上げたという決戦兵器。再び訪れた厄災復活の危機に際してハイラル王家主導の元、現代に発掘されたそれらは歩行型や飛行型などの様々な形態が確認されており、当時の用途も多岐に渡っていたことが予想されている。

 しかし、この戦場に歩行型と飛行型は存在しない。

 あらゆる地形を走破する多脚を動かす機構や、半永久的に空中からの偵察・攻撃を可能とするプロペラの復旧が間に合わなかったのだ。

 

 だからこの場にあったのは砲台型と呼ばれるガーディアン、ただ1種類のみ。

 あまりの重量ゆえに持ち込まれた数は僅かに2機。専用の荷車と相当の人数を移動に要するために戦闘中は一切動かせず、自ら動くことも出来ないために攻撃を回避することは当然不可能な代物である。唯一の攻撃手段たる「レーザー」もまた、完全に機能を復旧させられなかったために本来想定されるほどの連続使用は出来ないでいた。

 ……挙げればキリがないデメリットを廃してまでそのガーディアンが投入された理由。それはその「レーザー」が、現代のどんな武器の追従も許さないほどの破格な性能を発揮したからである。

 弓を遥かに超える射程。まばたきの間に遠方へ到達する速度。

 そして太陽の光を束ねているとしか思えない、莫大な熱量を誇る熱線。

 

 一度(ひとたび)ガーディアンからその閃光が撃ち出されれば、炎熱に高い耐性を誇るはずのライネル族を含めたあらゆる魔物が光の矢に身体を貫かれ、地面に屍を晒していった。

 

 

 そして最後の3つめは――

 この戦場に、大陸を席巻する多種の人族の中からさらに選び出された最強戦力であり、戦闘に際して非常に優れた特殊能力をその身に宿す者達。

 

 その名も高き、【四英傑】が揃っていたことに他ならない。

 

 

 

   * * * * *

 

 

 

 首を巡らせて戦場を見回す。

 ただそれだけの動作を自分の身体にさせるために、どうしようもない疲労感を覚えたのはこれが初めてかもしれない―― 「これが老いというものだろうか 」などと、思わず現実と関係のない言い訳染みた考えを浮かべてしまう程度には、見て取れた戦況はコチラに受け入れ難いものだった。

 

 (……どうやらこの戦場の趨勢は、もう決まったらしいな…… )

 

 黒塗りの剣によって腹を裂かれた青の大鬼。

 謎の閃光で薙ぎ払われ、肉の焦げた匂いを周囲に撒き散らしている子鬼の群れ。

 褐色の肌をした人族が指先より放った雷撃によって(したた)かに焼かれた眼に飛び込んでくるのは、辺り一面に散乱している仲間として率いてきた魔物達、その変わり果てた姿ばかりであった。

 

 ……認めざるをえないのだろう。

 この戦はもう、我々の負けだ。

 

 私の周囲に、もう立っている魔物はいない。

 つい先程まで肩を並べて戦っていた、あの東の大集落から駆けつけたという歴戦の風格を纏った黒の大鬼は、魚の特徴を持った人族との激しい剣戟の末、胸を貫かれたことで決着となり、今はもう(たお)れて動かなくなってしまった。

 

 最も自分が頼みとしていた弓も既に手元にはない。あの謎の閃光を目を模した箇所から乱射して、コチラ側に大損害を与えていた一つ目の化け物を2体とも破壊するために、全ての矢も使い果たしてしまった。

 

 ヤツが放つ光は恐ろしいまでの射程と速度を発揮し続け、当たろうモノなら全ての魔物が持つ防御を貫くような代物だった。最優先で戦場から除かねばならない対象ではあったが、我ら一族の脚を持ってしても迂闊に近寄るわけにはいかなかったにも関わらず、外殻は鋼鉄を超えるような強度を誇っていたのである。

 恐らくは太古の技術で作られた"無数の自動兵器"と呼ばれる存在が、アレなのだろう。神話の言い伝えに言い含められるのも頷ける脅威が、確かにアレにはあった。

 最初こそ当たり所が悪ければ【賢者】の矢であっても弾かれる様を見て、矢では倒しきれないかと危ぶんでいたが、閃光を撃ち出す目と思われる部分に矢を撃ちこんだ時、発射の間隔が大きく開いたのをみて、そこが弱点であると看破出来たのは幸運だった。

 

 しかしその箇所は回転して胴体を軸に回転し続けており、的自体も小さい。本体は動けない様子ではあったが敵の陣営最後尾に位置している。加えて自動兵器の攻撃速度と範囲を考えた上で、躱し切れる距離から狙い撃てる技量を持った射手は全ての魔物を見渡しても、私を除いていなかった。

 

 それでも弱点を見つけてからは、2体のうち1体を撃破することは比較的容易であったのだ。残りの矢から逆算し、もう一つを倒してなお矢を余らせることは可能であると、確信もあった。

 私という戦力が自動兵器への攻撃に専念さえ出来れば、それ以上の魔物への被害を最低限に抑えることは難しくなかっただろう。

 

 しかし、そこに横槍を入れてきたヤツらがいた。

 身体を包む装飾の一部に、青空を切り取ったような鮮やかな蒼色を入れて意匠を統一していた4体の人族。恐らく自動兵器を破壊した私を、この戦場で最も危険度の高い魔物であると考えたのだろう。

 こちらの計算を狂わせる誤算だったのは、そんな魔物の行動を止めようと挑んできたヤツらが弱いわけもなく、その4体が1体1体でも十分な警戒を要するほどの強者であったことだった。

 

 翼を持つ人族には上空より私に勝るとも劣らぬ弓術で牽制を仕掛けられ、自動兵器の目の正面に回り込んだり、弓を射掛ける好機を潰されたことは一度や二度ではない。

 褐色の肌をした人族や魚の特徴を持った人族は、片手剣と槍でそれぞれ分かれた独特の闘い方をしながらも、見事に連携させた動きで死角から懐に潜り込んでくる場面が多々あり、弓の各所に備え付けていた刃だけでは対処し切れず、仕方なく火炎の剣と盾に持ち替えなければならない対応をたびたび迫られた。

 ……もちろん、そうして時間を稼がれている間に魔物の群れへと打ち込まれた閃光によって、数多くの魔物の命が奪われ続けていたのは言うまでもないだろう。

 

 そうした牽制の矢と連携攻撃を全て無視し、攻撃を受けるままに射続ける選択をしたのは、無駄に撃たされた矢の残りが、自動兵器を倒すためにはギリギリの本数まで減ってしまったことに気付いたからであった。

 そして閃光の発射部位を完全に潰したと確信が持てるまでに破壊できた直後、地表を高速で回転しながら近寄ってきた槌のような大剣を持った人族が、その勢いのままに振り下ろしてきた得物によって、盾として構えた弓は粉々に砕かれてしまったのである。

 

 ――既に、勝敗は決していた。

 黒い武具の前に力ある魔物と人の個体差は縮まり、人数差がそのまま戦力差となった時から。

 戦場に複数投入された自動兵器の登場によって、弱い魔物も強い魔物も隔てなく一撃で焼き払われる光景が生まれた時から。

 【賢者】に匹敵する戦力を持った人族が、同時に4体この戦場集まっていた、その時から。

 ……そして何より、それらをひっくり返し得る【ライネル】がこの戦場に来援出来なくなったことが、彼我の明暗を決定的なまでに分けることとなった。

 

 自動兵器は破壊した。しかし私に出来たのはそれだけで、そしてそれだけでは駄目だったのだ。

 【賢者】に出来るのは、当面の危機から周囲の者達を助けるまで。魔物達に本当の意味で希望を与え、死力を尽くさせることが出来るのは、【ライネル】の称号を持つ者だけである。

 

 今の私は【賢者】であり、もう【ライネル】ではない。

 

 (あぁ、しかしまぁ。あの時の生意気な小僧が、今の【ライネル】なのだなぁ…… )

 

 剣と槍によって全身に刻まれた傷跡からは、今も途切れることなく血は流れ続け、手足の感覚は朧になりつつある。背中に刺さる幾本もの矢が(くさび)のように筋肉に打ち込まれているせいか、身体を動かす度に引きつるようで何とも億劫だ。

 

 けれど、こんな時になって思い出していたのは、既に現役をとうの昔に引退しているべき年齢であったにも関わらず、まだ【最強】の称号を手放せずにいたあの頃。

 チカチカと明滅する意識は今にも途切れそうだったが、あの日の記憶は今も胸に蘇る鮮烈な輝きをもって、【ライネル】だった頃の私を想起させるのだった。

 

 

 ……何となくだが、わずかな力が戻ったような気がした。

 

 (アレと出会ったのは私が【ライネル】を名乗るようになってから、どれくらいの時が経った日のことだったか……? )

 

 唯一残っていた武器である火炎の剣を、両手で握り直す。

 本来は片手剣であるが弓を失った自分に残された武器はこの一振りだけだったし、黒の大鬼が持っていた棍棒を拾うためには一度身を屈める必要がある。

 その後もう一度身を起こす力が残っているかと言えば、あまり自信が無かった。

 

 ぼんやりとした視界の中で、4人の人族が武器を手にこちらへ注意を払っているのが見える。私のなけなしの戦意に反応したのか、その表情と立ち振る舞いからは隙らしい油断を見つけることは出来ない。惚れ惚れするほどに、彼らは戦士だった。

 

 それでも。

 もう勝負が着いた戦いであっても、かつて【ライネル】を名乗った私は、もう少し踏ん張らなければならない気がしたのだ――

 

 

   *   *   *

 

 

 【ライネル】―― それは当時最強だった者を決闘で下して勝ち取って以来、永い時を共に駆けた二つ名だ。

 武の頂点を指して呼ばれる言葉の響きとその名に込められた敬意を受けることは、戦士に属する一族の者にとって最高の栄誉であることは間違いなく、そこに愛着こそあれ、忌避を感じていたなどということはない。

 

 ――しかし良い加減。

 自分だけが抱えるには本当に永過ぎる時の間、その称号は私と共にあったのだ。

 

 加齢による力の衰えを感じるなか、周囲に(はべ)るばかりで未熟な力しか持たない若さを嘆きながらも妬み、そんな有象無象にくれてやれる頂点ではないのだと、身の程知らず達を必死になって蹴散らせていたのは、そう感じた時よりもまだまだ昔の話。

 問題はそうやって過ごし続けていつの間にか、普通ならば現役を既に引退しているはずの年齢に至った頃になってなお、まだ私が【ライネル】と呼ばれているという事態を認識した時。

 

 そう。

 その時になってようやく、私は気付いたのだ。

 

 

 あ。やらかした? ――と。

 

 

 ……我らは他の種族と比べて、突出した戦闘力を誇る魔物だ。

 雌雄問わず生来備わる力であるからして天敵らしい天敵が存在しないため、戦闘に特化して外敵を打ち払うことを主な目的とする『戦士』という役割は、実はそれほど熱心に求められる存在ではない。

 

 生まれ持った暴力を十全に使いこなしたい者、己こそが『最強』であると認めさせたい者、ただただ「闘う」ことで得られる何かを求める者―― 。

 他の種族ではどう呼ばれるのかは分からないが、今時の同族にとっては大なり小なりそういった力や名誉に酔った変わり者達を指す存在こそを『戦士』という言葉で呼んでいた。

 

 それは慢心ではなく、歴然とした種族の優越から生まれて当然の傲慢であると思う。

 そんな者達の表現に一部では『戦士』が使われるようになった時代の流れを否定する気はない。事実として我らの一族が本気で闘争を行えば、まともに抗うことの出来る種族など同族を除いては本当にわずかにしか存在しないのだから。

 

 

 ――しかし、だ。

 そんなあやふやな動機で志される場合の多い戦士も、それらが力のみを信奉するただの腕自慢が属するばかりの集団であると断ずることは、決して正解でもない。

 

 1つ例を挙げるなら。

 他の魔物が我らを他の種族と呼び分ける上で、最も多くの場合に用いるものに「魔物の中でも最上位の武と智を備える魔物」という言葉がある。

 直接我らのことを知らずに生きてきた魔物であっても、こう言えばほとんどの者は我らの種族を指していることが分かるのだ。

 『武』は彼らにとって、特に強力な力を持つ戦士を指して用いることが多い。

 そんな言葉を、なぜ我らを表す際に高い知性と並び用いるのか。

 

 もちろん我々がおしなべて、質の良い筋力や戦闘に優れる能力を多く有する特性を持っていることを端的に挙げていたり、単純に強者へのおもねりという意味合いもあるのだろう。しかし、それが出所の所以(ゆえん)ではない。…… その始まりは古代より魔物の世に伝わる、口伝の伝承にあった。

 

 

 

 それは過去何度となく訪れ、魔物の世界を襲ってきた脅威を綴る物語。

 魔物を滅ぼし、魔王をも封印し得る強大な力を持つ【厄災】が現れた時代において、魔王の前に幾度となく立ちはだかり続けたという当代最強の魔物がいた。

 彼は魔王の魔力によって無から創造された生命体ではない。

 しかし野生を生きていた彼は、大陸を満たす魔力が数多くの魔物達の活力となっていたことを知っており、その源であるところの魔王が討たれることを良しとしなかったのである。

 

 ある時は山で、またある時は森で。河で、林で、谷で。

 時代を越えて幾度となく現れる【厄災】に対し、彼に連なる者達は何度なく立ち上がったという。

 

 やがていつの頃からか。

 全ての災いから魔物の世界を守護するために『武』をもってソレと対峙する最強の頂点へ、最初の彼の名を戴いた称号が贈られるようになった。

 彼なら、救ってくれる。

 彼なら、守ってくれる。

 彼なら、倒してくれる。

 彼ならば―― 

 彼ならば――

 

 ―― 魔物達は【ライネル】と、畏怖と敬意を込めて彼の名を呼び続けた。

 

 

 

 …これが昔から伝わる、【ライネル】発祥の物語。

 この称号を持つ者には他より抜き出た力を持つことが最低限求められるが、最も重要なのは、ただ神話に謳われる始祖の伝説に対し、純粋に命を燃やせる心の有無だと私は思っている。

 力に対する責務を自覚できる者こそが我らの一族を代表する『戦士』であり、【ライネル】の名を継ぐべき者なのだ。

 

 だが時が流れて世代を重ねるうち、【厄災】を思わせる危機が魔物を襲わなかった時代が長く続いたせいだろうか。【ライネル】の名の意義は形骸化し、ただ当代最強の者に与えられる勲章として残るのみとなってしまっている。

 私自身、この物語を他の魔物達から聞き、先代の肯定を得る機会に恵まれなかったならば、その責任を自覚して引き継ぐことが出来ていたかは分からない。

 時の流れは、他称されてこそ意義のある称号に込められた誇りを、当事者である一族にだけ忘れさせてしまっていたのである。

 

 だからこそ当代の【ライネル】である私だけは、その意義を守り次代へと繋げていかなければならなかったのに。

 

 ……ただ未熟と断じて若者を叩いてきた失敗にようやく思い至り慌てて周囲を見回しても、もちろんと言うべきかやはりと言うべきか、ソレと見込めそうな者は当時、私の周りにはどこにもいなくなっていた。

 

 それどころか、先代と比べて自分が現役に居座った期間があまりにも長かったせいか、【ライネル】という名がそのまま、私個人のことを指す尊称のような扱いをされていることを取り巻く若者達から聞いた時には、名にしがみついていた過去の自分を殴り倒してやりたい気持ちにさせられたのであった。

 

 膨れ上がってしまった私の伝説に気圧される形で、今更名を賭けて力の戦いを挑んでくる者もいなくなり、これはいよいよ自分の代で【ライネル】に託された願いを途絶えさせてしまうのか……。

 

 

 そう思い、やり場のない気持ちを抱えながらも日々を過ごしていた頃だった。

 

 景観に優れた土地を持つ、とある里に逗留していた最終日。

 よく晴れ、風が吹いていなかったあの日に、彼と出会えたのは。

 

 

 それは里長の計らいから設けられた席の最中でのことである。

 里の戦士を名乗る集団が集まる場所に出向き、頂点の武芸を披露してやって欲しいと頼まれてしまったのだ。

 これは何も【ライネル】に限った話ではないが、戦場や狩り、決闘で勝ち続ける強い魔物というのは、それだけで高い支持を得るのものだ。智性もまた重要視されるのが我々の種族の特徴であるが、野生に生きる魔物の本質は変わらない。

 強い戦士を多く輩出すること。それはそのまま、里の力を内外にアピール出来る大きな要素となる以上、里長の言葉には確かな熱が感じられたものだ。

 こちらは滞在中、手厚い歓待を受けた身でもあったために断る理由もなく、その勢いに押される形で話を受けることとなった。

 

 力に秀でた勇猛な若者が多く揃っているというので、その中から優秀な弟子候補でも見つかればと思わないでもなかったが、残念ながらこの希望が叶えられたことは今までに一度としてない。

 邸宅からの移動中、自身も若い頃は槍を使って戦場を駆けたものだ、と話す里長の世間話を聞きつつも、恐らくは今回も弓を何度か弾いてみせれば、その場限りの教えを乞うだけで満足してしまう者達で溢れ返っているのだろうな、などと何となく考えていたことを覚えている。

 

 ……しかし教えられた小高い丘の上、丁度里の中心からは死角となって隠れた位置にあった広場に着いた時、そこに立っているのはたった1人の幼子だった。

 他の全ての者達は気絶していたり、あるいはうめきを上げながら地面に倒れ伏している。

 未だ発展途上の若者とはいえ、それでも地上最強を謳う一族から輩出された魔物である。―― それが十数名。皆一様に倒れ伏している光景は中々に衝撃的だった。

 

 恐らく、アレは里の子供なのだろう。成人した者の半分にも満たないような年頃の背丈しかない幼子が戦士達に混じってこの場にいるところをみるに、将来は戦士をやりたいと剣を振り回しているやんちゃ坊主といったところか。

 ああした童がひたすら向けてくる剥き出しの憧れが込められた視線というのは、最近めっきり少なくなったが【ライネル】の称号を奪ってやろうと野心にギラついた視線を何度も向けられることの多かった我が身としては中々に得難く、心安らぐモノだったりするのだ。

 予定外にも本来指導を受けるはずだった若者達は、なぜか地面に転がるばかりであったために今日の予定はご破算となるかもしれなかったが、最強を夢見る純真な子供が一人でも残っているというのであれば、何かしらの技を一つか二つ、披露してやるのも良いかもしれない。

 

 しかしそれにはまず、この場をおさめる必要があるだろう。

 強い力を育てることに精力的な里長のことである。もしかすると近隣の里とトラブルを抱え込んでいる場合も考えられた。それが跳ね返りの若者によるいざこざならまだ良いが、里同士の抗争に発展するようであれば、【ライネル】として介入しなければならない事態となるかもしれなかった。

 

 そんなことを私が考えている間も里長、そして数人の同伴していた者達は目の前の光景に対して揃って驚きの声を上げていたが、そこは私よりも里の事情に明るい者達である。唯一立っていた1人が若者と言い表すには余りにも幼い風貌を持った者であることに気付いたことで、事態の理由に検討をつけることが叶ったようだった。

 示し合わせたかのように、童子に向けて次々と声が掛けられる。

 

 「またやったのか、貴様ァ! 」

 「よりによって【ライネル】殿の前でこんな醜態を晒させよって……! 」

 「お前達もさっさと起きんか! 里一番の力自慢だとか抜かしていたのはどこのどいつじゃ! 」

 「木の棒はどうした!? お前は木の棒が折れたらその日の稽古は終わりだと言いつけたはずだ! ……素手で殴っただと!? お前がそんなことしたらコイツらがどうなるか知ってたはずだろうが! 」

 「今日という今日は許さんぞ糞餓鬼! 」

 「申し訳ありません、【ライネル】殿! 今この馬鹿共を起こしますので少々お待ちを! 」

 

 ――戦士達が息も絶え絶えにうずくまる場に取り残されていた、哀れな子供に掛ける言葉ではない。それはそれは分かりやすい、事態を引き起こした犯人に飛ばされる罵声だった。

 そんなやかましくもわめき、彼らは急いで倒れている者達の介抱をすべく、バラバラに散って行く。

 どうやらこの子供、ただ無垢な存在という訳ではないらしい。

 

 ただ1人私の傍に残っていたままの里長に聞いてみれば、あの子は親のない孤児であるという。どこの家で生まれたということもなく、里の外から突然やってきたという子供。ただ、これだけではさして珍しいことでもない。

 『獣王の仔落とし 』―― 同族の中にはこの格言に従い、まだ赤子に等しい幼児を里から遠く離れた場所に置き去りにして、より強く逞しく育つことを祈願する行為が往々にして行われている。多くの場合、そうした境遇にさらされた子供達が無事に戻ってくることは少ないために個人的には古い因習だとは思う。しかしそんな環境からも生き抜き、近くの里に辿り着いた親の分からない孤児が、その里で有数の戦士として成長することも多いという点もあって、この行為自体が悪として扱われることはなかった。

 そしてそんな背景もあってか里の外から流れ着く孤児は、基本的に優秀な戦士となり得る器とみなして保護され、「里の子供」として育てられることになるのだ。

 あの童子も、恐らくはそういった経緯でこの里に紛れ込んだ存在なのだろう。

 

 しかし例えそんな優秀な子供であろうと、この惨状を1人の手で起こしたというのは驚きだ。

 漏れ聞こえる愚痴混じりの声を拾ってみるに、恐らくはこの里でも持て余しているのだろう。素手で戦士達を軒並み打ち倒せるほどの子供なのに、普段の稽古は1本の木の棒を振り回させるだけ。恐らくはまともな訓練をつけられたことなどないはずだ。

 

 ……これ以上強くなられて暴れられでもしたらかなわない程度の方針なのだろうが、せっかく仔落としの試練を越えてきた卵をたまたま拾えたにも関わらず、何という宝の持ち腐れか。

 自身より遙かに戦闘力に劣るだろう戦士達を転がすのに鋭い爪を持ちながら血の一滴も流させていないことからも、善性の心をもって力を制御出来ていることは分かるだろうに。

 

 聞きたいことは聞き終わり、後はこちらの歓心を買うことに終始する里長の話を聞き流しならそんなことを考えていると、どうやら里の大人から私がどういった肩書きを持ち、何しに来た者かを聞き及んだらしい彼が、こちらへと歩いてきた。

 近寄ってくる童子の姿がよりはっきりと見て取れるようになるが、やはりとても成人には至っていないと思わせる幼い顔と身体つきをしている。角などはようやく生えたばかりと言えるほどに小さく丸く、肉付きだって子供のそれだ。さして特別な印象は受けない。

 

 しかし、それは後から加えた評価だ。

 何をおいても真っ先に目を引かれていたのは、その頭部になびく髪。

 なんとそれは、身体に蓄える魔力が特上の質を持つことを示す白髪だったのだ。

 

 我らの種族は生まれた時、皆総じて赤髪である。

 永い年月を生きることで徐々に艶を失うことはあっても、多くの者はその髪色のまま一生を終える。例外的に戦士となって独り立ちを果たし、多くの命を奪ってその魔力を取り込んだ者のみが、後天的にその肌や髪色を変質させていく。

 赤から青、そして白。

 白へ至った者は大陸中をひっくり返しても一握りの数に限られる。

 同じような色の変化を辿る他の魔物がどうなのかは分からないが、気が遠くなる年月を戦いに明け暮れて莫大な命を取り込んだ者でもない限り、魔物最強の獣人たる我らの「格」は昇華しないのだ、と言うのがこれまで信じられてきた定説であった。

 

 だというのに目の前の童子は、一体どうしてそんな至高の色を身体に宿しているのか。

 遠目では背伸びをした子供がしたがる髪染めの類だろうと思っていたものだが、あの一点の曇りもない白さと輝きは……私と同じモノ。膨大な魔力によって変じたものに他ならなかった。

 

 

 ――ドクン、と一つ。高鳴る鼓動を自覚する。

 

 (私は……高揚しているのか? )

 

 突然降って湧いた、目の前の才能に。

 私の期待を注ぎ込んでも、とても溢れそうにない未曾有の大器に。

 

 やがて私の足元までやってくる、腰の高さほどにもない1人の童子。

 コチラを覗き込むように観察してくる子供の目には遠慮をはじめとした配慮の気持ちはまるで感じられなかったが、あえて声を掛けるようなことはせず、続く反応を待つ。

 私がどういう立ち位置にいる者であるかを知った上で、目の前の存在が何を言い出すのか、どんな行動をするのか。それを知りたかった。

 早く早くと急かす心をなだめながら待つ時間はことのほか長く感じたが、決定的な決断を下す前に私はそれを確かめなければならないのだ。

 

 そして彼は、私を見上げて声を上げる。

 声変わりを迎えていない、高く響く子供の声。陽の光を受けて輝く白髪と相まって、それはどこまでも透き通った純粋さを伴った印象を受けた。

 

 「……おじさんの技は、ボクが教わる価値があるの? 」

 

 しかしてその無垢な声によって紡がれたものは、武の頂点に対する明確な侮辱だった。

 

 監視するように子供の後ろについてきていた、彼に私のことを懇切丁寧に説明していたはずの者が、一瞬にして顔色を失わせた。恐らくは私の後ろにいる里長も、また同じような顔色へと変わったのだろう。

 そんな風に周囲が判断する程度には、それは【ライネル】を名乗ってからこれまでの間に他者から聞いてきた言葉の中で、最も礼を欠いた言葉だった。

 

 子供の戯言とはいえ無礼だと、大方私向けの弁解を含めた叱責を始める周囲の声を無視し、

「どうしてそんなことを聞く? 」と尋ねてみた。

 

 もう少し穏便な言い回しではあったが、私を挑発して技を盗もうとした熟練の戦士が過去にいないわけでもなかったし、年頃と里の中だけで完結した環境を考えれば、大人にも勝てる自分の力に(おご)って私を煽ってみせられるのも理解できたからだ。

 これまでの者達と同様、『ただアナタに弟子入りがしたい』という旨の言葉が、へりくだれず跳ね回った言い回しとなってしまったのではないか? そんな風に思ったのである。……もしそうであったなら、話が早いとはいえ、少々の期待外れであることも否めないが。

 

 「……ボクはただぶっただけで人を倒せちゃうんだ。これってもう戦えるってことでしょ? 」

 「でも、大人は戦士と認めてくれない。それじゃただの獣だって。戦士なんかじゃないって 」

 

 子供は目をこちらに合わせたまま、一つ一つ語る。

 

 「里の皆はボクにお肉を食べさせてくれる」

 「だから早く技を覚えて一人前になって、里に何か恩返ししたいんだけど 」

 「戦士の人達が見せてくれる技はボクがただ殴るだけより弱いし、最近じゃ隅っこで木の棒を振ってろとしか言ってくれなくなったんだよ 」

 「今日は特に色んな人が集まってたから、ボクより強い人を見つけたくて張り切っちゃったんだけど……やっぱり殴っただけで終わっちゃった。……迷惑だったならごめんなさい 」

 

 「……だからおじさんが皆に認められる強い人なら、その人の技を教えて欲しいんだ 」 

 

 己が戦えると思ってるのに認められない子供の癇癪であったが、それだけじゃない。

 どうやらこの広場で行われていたらしい惨状の原因は、報恩の心を根幹にして行われた行動の結果であるらしかった。

 

 つまり。

 『皆に認められたいから、その認められている人の技なら文句を言われないはず。ちゃんとお前は強いんだよね? 』というのが、目の前の小僧が第一声に込めた意味合いであるらしい。

 

 (……ふむ )

 

 生意気だった。実に。

 しかしこの時の私にとっては、その言葉は清々しい爽快感を感じさせるものでしかなかったのだった。

 

 【ライネル】に媚びるわけでもない。名声に憧れるだけでもない。

 ただ暴力を振るうだけではなく、その根底には恩返しを求める善意の心がある。

 

 人知れず歓喜の感情に頭を占められていた私は、傍目には小僧が暴言を重ねているようにしか見えなかったために、更に勢いを増して叱りつけ始めた周囲の声達を再び無視し、

 

 「それでは、試してみるがいい 」

 

と、手のひらを子供の顔の高さ合わせて突き出すことにした。

 

 

 そんな私にしばらくポカン、と口を開けていた小僧であったが、やがて理解したのか拳を握り締め、腰溜めに構えたかと思えばおもむろに突き出してきた。

 型も何もない正拳突き。しかしその勢いは鋭く、子供の小さく細い腕に関わらず有り余る魔力の恩恵を受けて伸ばされる拳は、風を裂く音を鈍く周囲に響かせた。

 

 ドォン!

 

 手のひらを通して肩まで突き抜ける衝撃。これが幼い子供の、しかも武を学んでいない者が放ったモノだとは到底思えなかった。……受け止めた拳を、しっかりと握り締める。

 

 私が吹き飛ぶとでも思っていたのだろう、見下ろす挑戦者からは驚愕の感情が伝わってくるが、この程度で頂点をどうこうすることが出来ると思っているようでは、まだまだ世を知らない子供であると言わざるを得ない。

 

 ……握った手に思わず力が篭ってしまう。

 痛がって放そうと必死にもがく小僧だったが、もう私にこの原石を逃がすつもりはなかった。

 

 (まぁ【ライネル】がどういう存在であるかは、これからゆっくりと教えてやろうではないか )

 

 拳を放した直後、瞬時に首根っこを掴み直して脇に抱え込んだ体勢のままに里長へ顔を向ける。

 笑みを浮かべている自覚はあったが、そんな私の顔を見た里長を含んだ連中が、一斉に顔を強張らせたように見えるのはどういうことだろうか。

 

 ここからは交渉の時間である。

 優しく語りかけ、相手の心を解きほぐすことを心掛けねばなるまい。

 

 

 

 ――では最初に、里が持て余している暴れん坊の養育権を奪い取ることから始めよう。

 

 




 久しぶりに登場の賢者回。
 投稿間隔が膨らんでいるにも関わらず「こんなシーン入れたいなぁ」で無計画に継ぎ足してます。最初のプロット『決戦前に賢者の話を入れる』の一文が、何でここまで膨らんでいるのか。

 ※色違いの魔物について捏造設定。状態異常攻撃を行ってくるリザルフォスを除き、色違いの魔物が先天的なのか後天的なのかが分かる設定が見つからず、この作品内では100年前まで色違いは生まれつきではなく(基本)後天的に「成る」モノであるとしています。
 原作でも攻略が進むに連れて魔物が色を変えて強くなり、白銀系にはしっかりとガノンの影響で云々と記載されているのを参考にして、『色変わり』は取り込んだ魔力の量で行われるとさせて下さい。

 ※『獣王の仔落とし』は、有名な「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」をライネルの外見から連想して適当に盛ったもので、原作にこのような設定はありません。

 ※ライネル界における『武』の意は、「戈を()める」のではなく「戈にて(とど)める」の弱肉強食至上の考えな模様。野生の世界でスポーツマンシップなノリは流行らないでしょう。

 ※褐色の肌をした人族=ウルボザ
  魚の特徴を持った人族=ミファー
  槌のような大剣を持った人族=ダルケル
  翼を持つ人族=リーバル


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賢者のバラッド ~祝福と夢の終わり~

○前回のあらすじ

 ・南西東の魔物混合軍、敗北(原作に無い捏造戦)
 ・賢者の走馬灯タイム継続中



   *   *   *

 

 

 ――長い月日が過ぎた。

 

 

 (……あぁ、いや。どうだっただろう? )

 

 時間にすれば恐らくは、季節が数十回と巡ったほどの年月が経っていたはずだが。

 

 いつの間にか回想していた私の主観としては、あの日出会った小僧と共に過ごしてきた時間は、それまで【ライネル】と名乗ってから一人で過ごす中で感じていた時間と比べて、遥かに速く流れていたように思えてならなかったのである。

 

 どういう事情か、小僧が生まれ持ったらしい高い魔力と強靭な肉体。

 それらの備えた力によって、本来ならば大人の戦士であっても悲鳴を上げかねない教育であっても、効率良く己に取り込ませることが可能であることに気付けたのがその始まりだった。

 

 当時の小僧はまだ、幼児とも言える外見であった。

 ある程度の年齢に育つまでは、本格的な修行には耐えられないだろう。その時点の我が身の衰えを考えれば、恐らく完全な技術の伝承は難しい…… そんなことを覚悟していた私にとって、この事実は紛れもない福音であった。

 それからの小僧との共同生活において、この者が子供であることを前提とした様々な配慮を辞めよう、そう決意できた。

 これは早く強くなりたい、認められたいという願いを持った小僧にとっても、望外の幸運であったに違いなかった。修行の密度を高めると告げた時の、震える歓喜の表情はなかなかに印象的だったのを覚えている。

 

 ……それ以来、里々に立ち寄るたび「これは虐待ではない、弟子に対する修行だ 」―― そう言って同族達にいちいち説明しなければならなくなったのだけは、何とも鬱陶しかったが。

 

 剣を振らせれば振らせただけ、矢を撃たせれば撃たせるほど強くなった。

 知識を学ばせれば砂漠の平原のようにそれを吸収し、教えた技術を体格の違う自分にどうやれば馴染ませることが出来るかを考える応用の力も持っていた小僧は、日々激しくなる修行にも喰らいついてみせた。

 そして出会った時から心の中心に据え続けている、強者が持たなければならない勇者の精神が日々まっすぐ育まれている様子が折に触れ覗くことが出来る瞬間が、私の心を躍らせ続けたのだった。

 

 充実していた。

 楽しかったのだ。

 

 そうすることが当たり前のように。

 そうなることが決まっていたかのように。

 小僧は逞しく成長し、武を極め、持つべき心構えを形成していった――。

 

 

 

 

 

 そして今日。

 

 既に成人を迎えて久しい小僧は、「小僧」ではなくなっていた。 

 武力と智性は小僧の中でしっかりとした根を張り、正しい強者の形を持った大輪の華を咲かせていたのだ。

 あとは咲き誇るその希代の華に相応しい名前を、私が授けるだけである。

 

 いよいよ迎えられた、収穫の時。

 同族達に広く知らしめるために執り行われた今日の『決闘』こそが私にとって、満願成就を果たす『命名式』であった。

 

 

 「……私の勝ち、ですか? 」

 

 「……そうだな。お前の勝ちだ 」

 

 私の撃ち込んだ3本の矢を全て斬り落とし、そのままの勢いで突っ込んできた小僧の剣が今、私の首筋に添えられていた。矢筒へ収めていた総数と同じ数だけ吐き出された矢は、小僧の持つ剣によって阻まれ、その身へは一つとして届いていない。

 【ライネル】の矢が放たれるたびに、挑戦者は体から血を流し、地面に膝を着く――。それがこの永い年月を掛けて行われてきた、私が関わる『決闘』の光景であった。

 

 しかし今回、【ライネル】の矢は挑戦者の剣によって、その全てを地面に転がる残骸にされた。

 撃ち出された矢は衝突の際、往年と変わらぬ轟音を持って見守る同族の鼓膜を震わせてみせたというのに、百を超える数だけ空にその炸裂音を響かせてなお、挑戦者は立っていた。

 そして残っていた最後の矢をも迎撃して見せた後、武器を持ち替えさせる間を与えないほどのスピードで持って【ライネル】に肉薄。抜刀させることなく勝負を決着させたのだ。

 

 血をもって代替わりすることが通例である決闘において、圧倒的な力の差によってなされた無血の決着であった。 

 時代が変わる瞬間を目にした周囲の同族達が、思い思いの咆哮を轟かせる。

 そこに否定の感情は皆無であり、新たな継承者を『認める』叫びに奮えていた。

 

 「……【ライネル】 」

 

 私の首元に添えていた剣を引き、目の前の男が正面から声を掛けてくる。

 周囲の喝采を受け、精悍な顔に静かな喜色を滲ませた青年の、とうの昔に声変わりを果たした低い声が、あの頃を思い出していた私の意識を引きつけた。

 

 あぁ、呆けている場合ではない。

 今は彼を、力の限り祝福してやらねばならない。

 

 「皆がお前を認めている。ここまでお前が強くなってくれたことが、私には本当に嬉しいよ。……もっとも『炎』を使った上での殺し合いなら、まだまだ負けるつもりはないのだがな? 」

 

 ……あぁ。

 なぜここで、負け惜しみが出るのだ……。

 散々決闘で若い者達を蹴散らしてきた過去を、目の前の彼に釣られて思い出してしまったせいだろうか?

 もう私に、【ライネル】の名への未練など一欠片も残っていないというのに。

 

 彼は私の子供染みた言葉に苦笑しつつも、

 

 「殺傷が目的ではない決闘が『炎』を使わない取り決めであることは、貴方と戦う上でどうしても俺の有利が否めませんでした。……仕方ないですが、ルールに負けたと思って頂ければ 」

 

 炎の扱いに関してはまだまだ及びません(など)と、こちらを持ち上げた返答を寄越すのだった。

 

 

 ……頭の固い考え方をしがちな点が玉に瑕だったはずの小僧が、何とも気遣いに満ちた言葉をひねり出してきたものである。これではまるで、私が駄々をこねる子供のようではないか。

 

 高い魔力と強靭な肉体に奢ることなく、剣に槍、弓に盾と、あらゆる武器と肉弾による格闘を含めた戦闘術を極めて高い純度で身につけた彼の戦力は、もはや全盛期の私と比べてなお優れたモノであることを、私は知っている。

 コチラが持つ最強の武器が弾数に限りがある弓矢であり、それをわずかな負担で捌くことが彼の剣は可能とした以上。例え『炎』を用いて殺し合ったとしても、最後に軍配が上がるのは間違いなく彼だろう。

 

 「決闘」の場が血に染まらず、先代が意識を持って幕を閉じた記録は、ほとんどない。

 なぜならその時代の最強に君臨する者こそが【ライネル】であり、そんな存在に打ち勝つ者が現れるにせよ、その時両者の戦闘力は限りなく接近している場合が圧倒的に多いからだ。

 

 自らが相手を上回っていると思えたならば、何を置いてもその至高の座を奪い取る。

 それこそが魔物の強者というものであり、戦士の本懐であった。

 私の先代も私自身も、そうした欲求に従って頂点に挑み、そして最強の底力に予想以上の接戦に持ち込まれ、それでも血に塗れた手で頂点を奪ったのだ。

 

 今回のように、『怪我をさせたくないから圧倒的な力の差が開くまで挑戦を控える 』という選択をした挑戦者などは、恐らく前代未聞に違いない。もう随分と前には私への勝算があったはずの彼が私に挑まなかった理由など、恐らくこんな所だろう。

 これをもって、弱肉強食の理に生きる強者の心構えが出来ていないと叱責することも闘う前には考えていたが、それも決闘で自分が勝っていた場合に初めて垂れることの出来る類の説教だった。

 

 結果は出たのだ。

 圧倒的強者が手を抜いて、それでも弱者を優しく倒してみせた。

 ただそれだけのこと。

 武の頂点を争って負けた戦士が、勝者に向けて勝ち方の講釈をするなど、滑稽に過ぎる。

 

 ――そう。

 彼は今間違いなく、この場に集まった誰からも認められ、尊重されるべき『強者』となったのだ。

 

 

 

 (……本当に、私は老いていたのだなぁ )

 

 今ほど切実に、自身の『老い』を感じたことはない。

 

 私より強い同族が、目の前にいる―― 【ライネル】として、これ以上に胸を掻き毟られるような屈辱は無いはずという状況のただ中にいるというのに。

 胸の中には悔しさなどの負の感情は僅かもなく、複雑に混ざり合った正の感情が昇華した独特の喜びが詰まっているばかりであったし。…… そんなものによって押し上げられ、目の下に込み上げてくる熱を浮かび上がらせないよう、必死に意地を張る作業しか出来なくなっていたのだから。

 

 

 ……多分、そんな自覚のせいなのだろう。

 自身の感情を宥めることに精一杯であったにもかかわらず、本来なら勝ち名乗りと共に拳でもさっさと突き上げていれば良いのに、こちらをじっと見たまま微動だにしない彼の目の奥。そこに「期待」に類する感情が灯っていることに気付けたのは。

 そしていつまでもしかめっ面のまま動かない主役のせいで、いつの間にか周囲に沸いていた祝福の咆哮が尻すぼみに消えていた場の空気を、再び今度は私の手で沸かせてやってもいいかと思えてしまったのは。

 

 この場に集まった誰からも認められた男が、それらを脇に置いて私の祝福を待っている。

 自分で名乗を上げるのではなく、最初に私に呼ばせて『私に認められる』ことを、望んでいる。

 

 これは強者の振る舞いではない。

 ただの、子供のおねだりにしか見えなかった。

 

 

 (甘えたガキめ…… )

 

 やはりまだ、心の修練は続ける必要がありそうだった。

 

 

 

 ――それでも結果は結果だ。

 私が求めた『命名式』の締め括りでもある。

 

 あの日に出会ったかつての小僧だった男の腕を取り、そのまま天高く掲げる。

 全ての同族達に、新しい勇者の誕生を知らしめるために。

 最後の試練を見事に越えてみせた大輪の華に向け、私はかつて自らがそう呼ばれてきた、至高の称号を高らかに贈った。

 

 

 「見てくれ、世界よ! 伝説に語られし戦士の始祖達よ!!

 この者こそが私の後継! 最強を継ぐ者! 魔物の守護者!!

 

 今この瞬間ただの戦士となった我、ネメアンの名において認めよう! ――――が、新しき【ライネル】であると!! 」

 

 

 

 

 

   *   *   *

 

 

 

 ……かつて私が全盛期を過ぎてもなお、彼に敗れるまで最強の地位に居座り続けることが出来たのは、【ライネル】として偶像化されてしまったことによる挑戦者の減少だけが理由ではない。

 最も大きな要因は、老いに左右されにくい技術を使いこなし、若い戦士達に勝る武力を晩年まで保持し続けた点にある。

 

 一つは弓。

 遠く離れた対象をあらゆる軌道をもって確実に貫く、複数本からなる変幻自在の矢。

 この戦場に投入され、何体もの血気盛んな同族達をも屠った2つの自動兵器を破壊出来たのは、長年の修練で研ぎ澄ませてきたこの技術があったからに他ならない。

 

 そしてもう一つが―― 魔力を元に「火球」を生成して吐き出す一族の中にあって、他者には決して真似出来ないほどの超々高温にまで魔力の炎を圧縮可能な、極めて優れた炎熱操作の能力であった。

 

 

 

 

 

 

 ……もう、いいだろう。

 暖かい記憶を振り返るのは、ここまでにしなければならない。

 

 あの日の決闘では使わなかった『炎』。

 思い出すことは、集中することはそれだけで良い。

 

 この技を見せたことがあるのは、そのとき後ろで見ていた彼だけだ。

 それ以外にこの『炎』を見たことがある者は全て相対していた敵であり、そしてその者達は例外なく焼き尽くされて、全てこの世を去っている。

 

 対戦者にも、そして己自身にとってもリスクが高過ぎる技だからこそ、同族に対して行う『決闘』では、決して使うわけにはいかなかった。

 

 

 

 これは相手を殺す時にしか使えない技。

 

 ――必殺を誓う時にのみ、使うのだ。

 

 

 

 




 次回、原作ライネル族最強の「初見殺し」登場。

 見た目や弓と並んで強烈な印象を誇るアレは、ライネルを語る上で外せませんね。
 原作未プレイの方にも伝わるように文字で表現出来ると良いのですが。

 ……本当は今話に含めたかったのですが、設定盛り盛りで書いてたら文字数アホみたいに増えてしまいましたので、今回は短め分割投稿です。

 ※現【賢者】にして先代【ライネル】の『ネメアン』=キタッカレ平原のライネル
  名前元ネタはギリシア神話に出てくる「ネメアの獅子」から。
  他のモブライネルと比べて、ちょっと特別扱いしています。


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賢者のバラッド ~爆炎と共に~

○前回のあらすじ

 賢者の走馬灯タイム終了



   *   *   *

 

 

 「ぬうぅ……、おぉ……ぉぉおおァァアアアッ!! 」

 

 込める。

 込め続ける。

 

 常なら口腔内に蓄えた魔素を炎に変換し、火球を形成して放つための異能。

 私はそれを今、両手に捧げ持つ「火炎の剣」の刀身に向けて全力で行使していた。

 

 大気中に漂う魔素と、体内の魔力。

 それらをひたすら練り合わせ、炎の魔力に変換して「火炎の剣」に収束させる。

 元より火球を成すこと自体は種に備わった力であるため、それなりに『炎』を扱うことに熟練した戦士であれば、口以外の場所に力を集めること自体はそれほど難しい技術ではない。

 しかし魔素のみならず、身体の中で本来安定している自らの魔力をも合わせて操作するとなれば、その難易度は大きく跳ね上がった。

 

 魔物にとって、魔力とは血肉に等しい身体を構成する材料の一つなのだ。

 そんなモノをわざわざ肉体から無理矢理引き剥がそうとすれば、ほんの少し調整が乱れるだけで身体は当たり前に傷付いていく。

 

 ――ブシィ、グジュッ!

 

 また魔力調整を間違えてしまった…… 少し、今度は深刻か。

 変換し損ねた魔力が現実に影響が及ぶ規模で跳ね返り、腕の血管が何本か爆発してしまっていた。

 

 鳥の強者に打ち込まれていた二の腕に突き立っている矢の根本から、真新しい血が勢い良く噴き出していく。―― 心臓や脳の血管が破裂しなかったのは、ただの幸運だろう。

 まだ自分にこれだけの血が残っていたのかと、小さな驚きを覚えてしまうほどの出血であったにもかかわらず、痛みの感覚はもう(おぼろ)にしかない。

 

 込める。

 込める。

 ただ込め続ける。

 

 連続した力の行使が、身体に掛ける負担は予想以上に大きかった。

 身体から魔力を抜き出し続ける作業は、自身を構成するために不可欠な何かを致命的に失い続ける感覚を伴い始めている。立っているのも億劫だった身体中の怪我のことなどは、もう意識する余裕は残っていない。

 加えて元々自分の物ではない体外から取り込んでいる魔素自体も、既に私自身が安全に制御出来る限界量を超えようとしている。

 炎の魔力に変換した端から刀身に送って体外に排出しているとはいえ、老体に無理矢理詰め込んで過剰に満ち続けている魔力が、またいつ弾けて身体のどこかを傷付けることになるかは知れたものではなかった。

 

 

 ……しかし、やらねばならない。

 

 この地に集まった魔物達に報いるために。

 北の地で戦っているはずの【ライネル】のため、"剣"を倒した後にも続くだろう戦いを少しでも楽にさせてやるためにも。

 ここでヤツらを葬ることは、私がしてやらなければならない仕事だ。

 

 そして駆け回る体力は残っておらず、矢も尽き、腕だって両手を使わなければ剣1本も持てないほどに疲弊していた私に残された手札は、もう『炎』しか残されていないのだ。

 

 

 もちろん、『炎』も通常の「火球」では意味がない。

 

 安全に取り込める魔素のみで作り出せる程度の力では、例えその扱いに秀でた私であっても、ヤツらをまとめて倒せるほどの『炎』を生み出すことは到底不可能だ。

 こちらは既に満身創痍、満足に身体を動かすことも出来ない状態ではあるが、敵は空を羽ばたく翼や、大地を高速で駆け回れる脚を未だに残している。

 面ではなく点で攻撃する「火球」では、そもそも狙いを定めて当てることが出きるかどうかすら怪しい相手であると言わざるを得ない。

 

 そして仕留めきれなかったが最後、まだコチラに反撃の力があると判断するはずの敵達は、中断していた攻撃を再開するに違いない。第二撃を加える前に、死に体となっている私へ彼らの反撃の刃が止めを刺す可能性は非常に高いだろう。

 

 

 ――だから『炎』に求めるモノは、奴ら4体がどう動こうと、その空間全体を覆い尽くせる攻撃範囲を有し。その範囲内を敵の守りもろとも、一瞬で焼き払えるだけの火力――

 

 そんな一発逆転、あまりにも都合の良い攻撃を実現させねばならない。

 ……そのためには、越えなければならない障害が2つあった。

 

 

 1つは当然、燃料となる魔力の確保。

 

 「火球」を生み出す程度に収まる能力行使では足りるはずもない。―― なので、少しでも取り込む魔素を上乗せさせるために、身体への負担を度外視した連続行使に踏み切った。

 それに、敵が様子見をしてくれている間に準備を間に合わせる速度も必要だ。

 魔素の吸収と平行し、魔物が元々持っている「体内魔力」も解放して時間の短縮、そして威力の底上げに当てなければ、とても攻撃を実現させることは不可能だろう。

 

 体内魔力の存在―― これこそは、魔物が他の文化を持たない獣達と一線を画す要因の一つだ。その質と量によって、魔物としての実力は大きく左右される。

 我らの種族は、総じて優れた魔力を多く持って生まれる者が多いが、これは生涯に渡って容量が変わらないというわけではない。この力は魔力を取り込めさえすれば、その上限を後天的に引き上げることが可能なのである。

 

 そのための手段として最も効率の良い手段は、魔力を持っている相手を殺して奪うこと。

 

 【ライネル】として永い時を戦闘に明け暮れていた私の魔力は、同族の中にあっても屈指の量と質を誇る。本来は「決闘」によって次代の【ライネル】に継承されるべきだった力ではあるが、彼はそれを望まず、私は蓄えられた魔力と共に生かされた。

 

 当時は圧倒的に力の差があったとはいえ、私を殺して手っ取り早く更なる力を得ようとしなかった【ライネル】に、戦士としては歯痒さを感じた。

 ――しかし今ようやく。

 この魔力は、彼を守るために使い果たすべき場に巡り合えたのだ。

 

 ……魔力は魔物にとって、動物達の血肉と本質を同じくするものであり、これを失ってしまえば魔物は魔物として存在することは出来ず、死に至る。

 私ほどに魔力操作を得意とする魔物に出会ったことはなかったので、生きながら完全に身体から魔力を空にしてしまう魔物などは、恐らく私が初めてとなるのだろう―― ただ地面に絞りカスとなった屍を転がすのか、それとも魔力の残滓を残して世界から消え去るのか。

 どんな死に様となるかは予想するしかないが、身体から魔力を引き剥がす度に致命的な何かが身体から失われていく今の感覚から察するに、あまり上等な死に様とはなりそうもない。

 

 

 そして障害の2つめ。

 それは魔力を開放する砲身の耐久力だった。

 

 身体を削って集めた膨大な魔力も、それを十全に相手へぶつける砲台が無ければ意味が無い。

 そして『炎』を扱うことに熟練した私の肉体であっても、その身体の中に留められる規模の魔力量ではないために、「火球」では必須となる形成や射出などの細かい制御は不可能になるのは容易に想像出来た。

 炎の魔力への変換と、収束。そしてその場での解放ぐらいがせいぜい叶うかという程度。恐らくは魔力を注ぎ込んだ「火球」を口腔内で作り出そうとしたなら、まず間違いなく頭を溶かしたり、爆散させてしまっていたことだろう。

 

 そんな無謀に取り込み続けた魔素と、命を燃料にして生産している魔力を注ぎ込んでいる器こそが、あの一つ目の巨人の元から持ち出した「火炎の剣」である。

 何の媒介も用いずに作り得る「火球」に込められる限界量とは、既に比べ物にならない熱量がこの「火炎の剣」には込められているのだ。

 常から赤熱した刀身を持っている魔法剣ではあったが、私という外部から強引に注ぎ込まれ続ける魔力を受けて、今やその色は毒々しさすら思わせる純白に輝いているものの、その形状は未だ剣の体裁を保ち続けている。

 

 こんな状況を想定していた訳ではない。ないが、炎の属性を持った「火炎の剣」は、我々の一族が操る炎の魔力との親和性が非常に高い。

 私の異能を持ってして魔力の収束を調整しさえすれば、例え【火の山】の溶岩で鍛えられたとされる刀身材質が持つ融点を超える熱量を込められたしても、魔法の力が剣の形を保たせるのだ。

 

 もしこの場に持って来たのが一族由来の金属で作られた剣であったなら、恐らくは求める魔力量を蓄積させる前に、刀身が溶けて無くなってしまったことだろう。

 この剣が大量に注ぎ込まれる魔力に耐えられるほどの質を備えているかどうかが最後の関門であったのだが…… どうやらあの一つ目の巨人が持つ審美眼は、品質を見分ける上でも確かな物だったらしい。

 

 

 今少し時間があれば、ほんの少し生き永らえるだけの力を残して、全身の魔力を剣へと送り込むことが叶うのだが――

 

 「せっかちな、奴らだ。もう少し様子を見ててくれても…… 構わなかった、のだが…… 」 

 

 私が身体中から血と魔力を吹き出しながら剣へと魔力を上乗せしている不穏な光景を見て、何をするつもりなのか悟られてしまったのか。

 こちらの行動を伺っていた四つの敵がとうとう、ほぼ同時に私を殺すための攻撃を放ってきた。

 

 

 魚の特徴を持った人族は、その種族ゆえに剣が放つ高温に近付けないかもしれないと期待していたが、そこは流石に人族を代表する強者か。

 華美な装飾が施された三つ又の槍を自身の傍に突き刺した直後、事前に把握していたのだろう己の背後に転がっていた死体が抱えていた、穂先の両側に斧のような刃を備えた黒塗りの槍を肩に担ぎ、雷に迫る勢いで投擲してきた。

 その黒い武具が誇る威力は、これまで散々同族の身体を引き裂いてきたことから当然承知していたが、集中を乱すことは出来なかった。熱にやられて役立たずとなっていた視界を捨て、気配を頼りに剣を持つ腕だけは、その投射線上から動かす。

 ――結果、狙われていたらしい右手を吹き飛ばされる事態だけは避けられたものの、右の脇腹といくつかの肋骨が回転する穂先に抉り取られた。

 

 褐色の肌をした人族の指先によって導かれた雷撃が、先程までとは桁違いの電圧を持って私の上半身を貫く。

 全ての意識を炎熱の収束に向けていた私に、まさしく光速の攻撃を避けられるはずもなかったが、万全の体勢で備えていたとして、この攻撃を捌くことが出来たかは怪しいところだ。

 都合悪くおびただしい流血に塗れた肉体は、電気を効率良く全身に行き渡らせてしまったようで、全身をくまなく焼き焦がした上に今度こそ瞼を貫通した雷が、一瞬にして眼球を沸騰させる。

 ――五感が薄れつつあった中でなお走る激痛と共に、私は光を永遠に失った。

 

 高温地帯に多く生息する亜人であろう大剣を持った人族は、熱に耐性があるにもかかわらず、こちらに肉薄しようとはしなかった。……その代わりとばかりに攻撃に用いたのは、足元に転がっていた拳大ほどの大きさを持つ石。いや、あの巨大な手の拳大となれば、あれはもはや岩と呼ぶべきか。

 その外見通りに優れた腕力を誇るのだろう。唸りを上げて飛来した凶器は、私の左前足を強かに撃ち据えた。

 光を失う前に確認していなければ、大筒による攻撃を受けたのではと錯覚してしまうような衝撃と威力ではあったものの、身体を支えるに必要な4本の内3本は無事だ。

 ――左前足は骨も砕け、痛み以外の感覚を伝えることはしなくなったが、槌で骨の内側から殴られるような激痛が、かすれるように薄弱になってきた意識を保つ上で有難かった。

 

 翼を持つ人族は元々優れた遠距離攻撃手段を有しており、やはり今回の攻撃もそれまでと同じく、弓矢を用いて行われた。

 驚くべきことに我ら同族の中でも一流の戦士にしか行えない、『3方向同時発射』の弓術を用いたその射撃は、これまでの私の戦歴を振り返っても思い当たらないほどの精密さだった。

 そんな技量を持って放たれた3つの矢が、正確に固い皮膚や防具を避けて、血を流す真新しい傷跡をめがけて突き立つ。

 いくつもの鋭い鏃が皮膚の下の肉を裂き、新しい出血を強いる痛みは強烈だ。

 ――それでもこの痛みは、他につけられた傷よりは親しみ深い切創によるもの。思わず剣を取り落とすほどに耐えられないものではない。

 

 

 彼らが私に刻んだ傷は、どれをとっても重傷であることは間違いないだろう。

 かつて一族の中でも最強を誇った肉体に、こうも易々と深手を刻みつける。…… その人族にあるまじき力には、ただ戦慄するしかない。"剣"を持たない者にもかかわらず、彼らの牙は【ライネル】にも届き得る。神話が警告していた魔物の黄昏の時代が、もう目の前に迫っているような気分だ。

 

 しかしそれでも。

 彼らの攻撃は、私に即死の致命傷を与えることに失敗した。

 

 噛み締めた歯の間から血と共に苦痛の呻きが零れてしまう。けれど、心情的に出したかったものは、安堵の吐息だ。

 死ななくて良かった、と。

 最期に使う『炎』の前に立つ者が、彼を倒し得る敵であって良かった、と。

 

 続けざまに彼らの2撃目を受けては、意識もろとも剣を握る力すら奪われることになっただろうが、その心配をする必要はもはやない。

 夕暮れ時を迎えようとしている戦場において、「火炎の剣」を中心としたこの周辺だけはまるで真昼のような輝きに染まっている。―― 込め得る限りの魔力は、既に剣に注ぎ終わっていた。

 

 身体に残した僅かな力を全て剣を掴む握力に注ぎ、かざした剣を大きく振り上げる。

 囲んでいた敵から警戒するように身構える気配が伝わってくるが、元より剣を向ける相手は彼らではない。その剣先を向けた先は自身の足元であり、何もない地面だ。

 遠距離による攻撃を選択した彼らに、こちらの意表を突いた行動をとっさに止めることは出来なかった。

 

 

 周囲の魔物達の死体から濃厚に立ち込めていた魔素、そして私の何もかもが込められた一撃が地表に突き刺さった瞬間―― まず感じたのは、失った視力をしてなおそれを染め上げるような白い閃光の爆発だった。

 

 西の空に落ちようとしている本物の、夕暮れの太陽とは違う。今まさに朝日となって昇ろうとするばかりに輝く太陽が、地表に顕現したとしか思えない存在感が目の前に生まれたと感じたのは一瞬のこと。次の刹那には刀身に無理矢理収束され、その輝きを放っていた魔力の炎が制御を失い、弾けた。

 

 超がつく高熱源から拡散していく豪熱が爆炎となって周囲を飲み込んでいく。

 目の前にいた4体の強者を、こちらの様子を遠巻きに覗いていた有象無象の敵を、周囲に散らばる魔物の死体を……そして、最も近くにいた私の体を。炎は、その全てを貪り尽くす。

 

 炎熱に強い耐性を持っているはずの、私の体が崩れていく。

 熱によって融解、といった崩れ方ではなかった。

 ボロボロと、熱の奔流に晒された部分が土くれのように削られていく感覚。これは単純に私の耐性を超えた熱量で体が炭化してしまっているだけのか、それとも魔力を完全に失った魔物の肉体は脆くなってしまうということなのか…… 場違いに湧き上がってくる知的好奇心であったが、それを満たすような時間はもはや、この刹那の時間には残っていない。

 

 痛みを覚える間もなく、四肢が千切れ飛んでいき形を失っていく肉体を炙るものが炎だと感じられていたのは、これが普段使い慣れた『炎』の威力を、ただ極限まで底上げして放った攻撃であるという自覚があったからに過ぎない。

 もう数瞬の後に、わずかに残った意識も焼失するだろう。 

 

 ――炙られ、崩れ。いよいよ頭蓋が割れてその中身も炎によって蹂躙される時が来た。

 黒一色の闇へと既に散り砕け始めていた自我が飲み込まれる寸前、最後に浮かんだモノは彼と出会ったあの日、引き取ることが決まった時に交わした会話だった。

 

 

 

 

 

 『小僧、お前の名は何という? 』

 『…… 』

 『うん? 』

 『……【ライネル】がいい。

  ボクはきっと、【ライネル】って呼ばれる大人になるよ。おじさん 』

 

 

 

 直後、炎はその記憶を浮かべた頭蓋の内側を舐め尽くし、跡形もなく貪った。

 

 

 

   *   *   *

 

 

 

 恐ろしい熱量を伴った爆炎を、尋常ではない勢いで吹き出させていた中心地。

 

 生きていた者、死んでいた者。その全てが時間にしてみれば5秒ほどであったはずの炎に飲まれ、黒く変色した死の大地の中に燃え尽きていた。

 炎が消えてなお周囲に立ち込める熱気によって視界が歪んでいる。滞空したまま繰り返す羽ばたきで空気をかき混ぜても、むせ返るような煙と焦げついた匂いが纏わりついてくるのが、何とも不快だ

 逆立つ羽毛と勝手に沸いてくる汗は、この熱のせいだと自分に言い聞かせながら周囲を見渡す。

 

 ……やがて(くすぶ)る煙の中に、見慣れた赤い光を見つけることが出来た。

 最後に立っていた位置からは随分離れた場所に吹き飛ばされたようだったが、護りの光が灯っている以上は、死んでいるということはないだろう。

 

 (流石は、僕と同じ英傑の一角といったところかな? )

 

 数度はばたきを繰り返して光の近くに着地する―― 黒い地面に降り立った途端に鳴るパリパリとした音に気を引かれて地面を見れば、黒光りした地面に僕の爪を基点とした放射状のヒビが小さく入っていた。……こんな離れた場所の地面を溶かすほどの熱量が、あの炎には込められていたのか。

 

 「ありがとう、助けられちゃったね…… リーバル 」

 

 とっさに掴んで僕の風と共に空へ避難させてあげていたミファーが、背中から降りて礼を言ってくる。彼女が降りた場所からは割れるような音が上がらなかったが、それでも地面をガラス化させるような高温が走っていた場所なのだ。熱く焼けた地面は彼女にとっては辛いだろう。

 

 こんな爆発の中心点にいたあのライネルが無事だとは思えないが、様子を確認したら早めにこの地から離れた方が良さそうだ。

 ……本人が特に何かを訴えてはこない以上、別に何か声を掛けてやろうとは思わないが。

 

 ヒビ割れだらけの護りを解除したダルケルとその内側に匿われ、一緒に炎の奔流から身を守っていたウルボザの無事を横目で確認し、「ヤツがどうなったか確認してくる」とだけ言い残し、その場を後にした。

 

 

 

 ――今だ収まらぬ勢いで周辺に立ち昇っている上昇気流に手間取りながら、爆発の中心点であった場所を旋回すること少し。

 

 結果として、そこにいたはずの一匹のライネルの影はどこにも見つけることは出来なかった。

 

 炎によって掘り抉られた爆心地は、鏡面のように黒ずんだ光を歪に反射させている。その中心には突き立った、ヤツが持っていた「火炎の大剣」が一本のみ。

 着地してみれば地面はやはりヒビ割れを起こすが、この周辺にそういった形跡が無い以上、ヤツが爆発の後に移動したということもないだろう。

 恐らくあのライネルは、ここで己の炎によって燃え尽き、死んだのだ。

 

 (僕達を誰一人道連れに出来ず、たった一匹での自爆。所詮は知恵の足りない魔物のすること、と言うべきだろうね…… )

 

 突き立ったままの魔法剣が、何とも間抜けな光景だな―― そう言い捨て、羽を広げて飛び立つのが、本来の僕だとは思うのだが。

 なぜか、そうするには一瞬ためらう何かを、その剣を通して感じてしまった。

 

 「……いや違うか。これは違うね 」

 

 これはアレだ。

 きっと夕焼けの光を乱反射させた地面の中心に立つ魔法剣が、単純に絵として映えるな、という感慨に過ぎないのだろう。それ以外、たかが魔物の持ち物だったケチな魔法剣なんぞに、英傑たる僕がなんの感情を持つというのだ。

 

 

 (……、 ……。 ……………………ふん )

 

 

 つかの間剣を眺めた後、一度かぶりを振って結論を出した英傑の一人は、今度こそ仲間と合流すべく決着のついた戦場を後にする。

 ――その背中には自身が最も信頼する「オオワシの弓」とは別に、一本の大剣が括り付けられていた。

 

 

 

   * * * * *

 

 

 

 こうしてハイラル地方の南で行われた、大量の魔物発生に端を発する大討伐戦は終わった。

 

 戦いは、四英傑が率いる人族側の大勝利で幕を閉じた。

 戦場に集まった魔物は軒並み殺し尽くされ、わずかに残った魔物も散逸するばかり。再びこのような事件が発生する可能性が出るほどに魔物が数を増やすには、年単位の時間を要すると考えられた。

 兵士は勝利に沸き立ち、その常識破りな戦果をもたらした最新の武具と太古の兵器、そして偉大な英傑達をいつまでも称え続けた。

 

 

 ――それから数日が過ぎた、ハイラル城の地下。

 地下にあってなお城の外縁部、船着場の外れに位置する何の由来も持たない場所がある。

 

 そこに人知れず、真新しい小さな台座が置かれることになった。

 ただ一本だけ突き立っているのは、「火炎の大剣」と呼ばれる魔法剣。

 

 貴重なはずのその剣の来歴は、英傑の一人が持ち込んだ物であるということ以外は不明であり、事情を聞かれたその英傑も、

 「つまらない自己満足だ。邪魔になるようなら捨てていい 」

 と言い捨てるだけであり、その由来や行動の意図を話すことはなかったという。

 

 もちろん、英傑が置いていった武器である。

 ちぐはぐな態度で本人自身がぞんざいな扱いをしていたとはいえ、まさか一般の兵も同じように振るうことが出来るわけもない。

 何を考えての行動かが分からなかったために取扱いに困った彼らは、魔法剣をそのままの状態で放置することに決めた。触らぬ神に祟りなし、ということである。

 

 

 そうして、誰の手にも取られることのなくなった魔法の剣。

 その台座には、よほど意識して目を凝らさないと見えないほどの、小さな一文が刻まれている。

 

 船を直接接舷させることを目的としているこの場の環境は、室外とほとんど変わらない。

 最低限風雨に晒されはしないだろうが、それでもいくらか時が経過すれば、やがて汚れや傷に紛れて消えてしまうだろう―― それほど浅く、小さな傷のような文字だった。

 

 誰に向けて贈られた言葉で、そもそもどんな意味なのか。

 それを知る者もまた、ただ1人。……もちろんその英傑が、誰にも見つからず問われることもないソレについて、何かを改めて語ることはなかったのだが。

 

 誰かに見せることを求めているわけではない。

 しかし執筆者にとって、ソレは書かずにはいられなかったのだ。

 己が受けた何かしらの感銘を思わず言葉の形にしてしまった結果が、その短文であった。

 

 

 『誇り高き愚かなる獣。炎を纏って野末に還らん』

 

 

 ……遠まわしに何かを賞賛するような。

 誰かを指して、遠くの場所へ送り出すような。

 

 もしその儚い傷跡が時間に溶けて消える前に、目を()めることが出来た第三者がいたとしたら。

 その者は、こんな感想を抱くのではないだろうか。

 

 

 

 ――まるで墓碑に刻む言葉のようだ、と。

 

 





 ぼくのかんがえた、ライネルのばくはつ。

 【賢者】退場。
 賢者がヒノックスから「火炎の剣」を強奪したことに対する理由付けはとりあえずこんな感じです。ノリで奪わせたワケでは決して……。

 (血を作中で表現できないメタ事情は考えない視点)原作の魔物は倒されるとガノンの魔力と共に消え、ブラッディムーン現象によってガノンの魔力と共に復活しますが、それはガノンの影響下にあるからこそ起きている現象であり、そこに生活している魔物達は幻影の存在ではないと思っています。普通に肉焼いて食ってますし。
 あくまで魔物とは厄災ガノン発生より先に存在するモノではあるものの、身体の大部分を魔力によって構成された、普通の生物より魔力の影響を特別に受けやすい生物なんじゃないかと。人々を苦しめるために魔物を蘇らせるガノンの怨念が無ければ、死体だって普通に残る魔の生物。これなら100年前のウツシエムービーで死んだ魔物が蒸発していない理由にもなるし、今話の威力チートの爆発への言い訳にもなる! という設定。

 ※原作中ではライネルやモリブリンをはじめとした大型のモンスターが持った武器は非常に大きいのですが、リンクが回収して使う際にはリンクの大きさに合わせて縮小してしまいます。ゲームゆえ仕方ないといえば仕方ないのですが、魔法武器ならともかく、それが木の棒や鉄の剣にも及んでしまっては、現実描写にするといささか以上に不自然です。
 なので拙作ではライネルにとっては「火炎の剣」でも、人族にとっては「火炎の大剣」になる―― つまり所有者によって武器や装備が勝手にリサイズするような現象は起こらないとさせて下さい。リンクのポーチはボックリンのマラカスダンスで容量増やせるような代物ですし、不思議な魔法が掛かっていて何でも入りますけどね!

 ※ちなみに原作でもハイラル城の地下に「火炎の大剣」はあります。
 製法が失われた貴重な魔法剣でありながら、城内にあってしっかりと台座に突き刺さっているにもかかわらず、いかにも道端に捨て置かれたような位置にあるこの剣に、私は物語を感じてなりません。
 ……もちろん公式に、このような設定はありません。捏造です。



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決着の刃

○前回のあらすじ

 賢者「さようなら勇者さん…… どうか死なないで 」
 チャオズゥゥゥン!!
 英傑's「ふぅ…… おどかしやがって…… 」


 ※今話は21話からの続きです。


   *   *   *

 

 ――視界を塞いでいた赤色の背中が、ゆっくりと傾く。

 

 俺が持つ「獣王の盾」に組み込んでいた3枚の肉厚な刃のうち、残っていた最後の刃が砕けた様を見て、追撃とばかりに放たれたヤツの光刃の前にわざわざ身を滑り込ませた大鬼が、鮮血を噴き上げている胸元を押さえたまま倒れていく。

 倒れれば最後、二度と起き上がることはないだろう。

 

 中腹の広場から続く坂道の上で行ってきた戦闘の中、目の前で似たような最期を繰り返し迎え続ける戦士達の死をあまりに多く目に焼き付けてきたせいか、その傷が彼にとって致命傷であることは一目で分かった。

 ……大鬼が踏ん張る様子もないままに傾き、その向こう側に未だ立ち続ける"剣"の姿を再び視界に収め直したが、仇を討たんとする感情をいちいち募らせようとは思わない。

 そんな想いを新たに詰められるほどの余裕は、既に頭の中には残っていないのだから。

 

 頭の中にあるのは勢いを増すばかりの闘争心と、魔物が倒れるたびに上乗せされ、純度を高め続けていく殺意ばかり。その片隅で思考を放棄しないように必死で残している理性の裏では、【ライネル】の名をこれ以上ないほどに貶めていく「己」への憤りの感情が(くすぶ)ってもいる。

 ――そして、認めたくはないが。

 どこかに強者に対する僅かな賞賛の気持ちが居座って消えないことも、否定することは出来なかった。

 

 (……! )

 

 勝手に昂ってゆく頭を冷やそうとする自分を、意識し続けなければならない。

 獣の衝動に任せて挑んでは、絶対に勝てない敵なのだ。

 自省を繰り返してなお闘争を楽しみそうになっている自分に気付くたび行ってきた、全力の食いしばりを1つ、2つと重ねる。

 ガチリ、ガチリと歯が立てる音が、歯の根の痛みと共に耳の奥に積もっていく。

 

 

 ……いくらかの時を置いて、感情の揺れは熱だけを残して凪いでいた。

 やや回復した理性に伴いゆっくりと広がる視界だったが、それは同時に、その隅にある違和感を俺に意識させる切っ掛けでもあった。

 

 ――大鬼の遺体が、それまでの彼らのように坂を滑り落ちなかったのである。

 ここまでの追撃で討たれた者は皆、倒れた時の勢いによる差こそあれ、道の傾斜に従い下に向かって転がっていた。 

 今まではこちらに向かって滑ってくるそんな戦士の骸に対し、止むを得ない場合を除いては極力またいだりして避けるように配慮していたこともあり、その挙動の変化は俺に、周囲を一度確認させる程度には印象的だった。

 

 ……その謎も、周りの景色を視界に収めるまで。

 少し辺りを見回すだけで、あっさりと理由は明らかとなった。

 

 中腹の広場でヤツを取り囲んでいた時には視界を切り取り狭めていた、左右にそびえる山肌の背がとっくに低くなっている。その反対とばかりに空の景色が視界を占める割合が、いつのまにか増えていた。

 視界を埋める空はいよいよ薄闇を含めた夕焼けに染まっており、千切れた雲を浮かばせながらも隅々まで澄み渡っている。彼方の地平線を乱雑に削り取っている稜線の凹凸すら、落ち着いた目で見渡せばつぶさに見て取ることが出来るだろう。

 今は遠い地にある、あの【二つ岩】。

 彼と共に見下ろした四季の森に勝るとも劣らない景観が、目線の先に広がっていた。

 

 坂の道中で"剣"を討てないまま峡谷を登り切ってしまった俺が、その開けた頂上で目にしている光景がこれだった。

 

 赴き深い夕焼けのパノラマ。

 視界を遮る物は何も無い。谷間の曲がりくねった狭路は既に抜けている。

 だから見渡せる、見渡せてしまう。

 

 夕焼けの視界。それを目に納めて立っている魔物は――

 "剣"と対峙してまだ生き残っている魔物はたった今、ただ俺だけとなっていた。

 

 

 

 (……結局、"剣"に対して数をどれだけ揃えようと意味は無かったのか? )

 

 (彼らを辺境から引っ張り出して連れてきたのは、自動修復する"剣"による効率的な魔物の間引き行為に、わざわざ加担してしまっただけなのではないのか? )

 

 全ての魔物を失った今でもまだ、ヤツは生きている。

 しっかりと、2本の足で立っていた。

 

 

   *   *   *

 

 

 ――もしこの状況を、ヤツに向かってジャグアの矢を放った時からある程度予想していたと告白したなら、戦いの中で犠牲になった彼らはどれだけ俺を罵るだろう…… こんなにも不甲斐ない俺を見て『彼』は、どんなに失望するだろうか。

 

 

 ヤツの利き手が一時的に麻痺したこと。

 それは、確かに戦闘の流れを変えさせた。

 

 残念ながら片手を失った状態であっても、"剣"は変わらず俺の剣をことごとく防いでみせた。

 

 【ライネル】のプライドを(いちじる)しく傷付けられる思いではあったが、しかしそれは「防御しか出来ていない」という結果でもあったのだ。

 攻撃を避け、捌き、受け止めた後。そこから転じて反撃へと繋げられた回数については、極端に減る状況が生まれたのである。

 

 それまでの戦闘は、攻撃範囲は違えどお互いの命を奪い得るという意味において攻撃力は拮抗していたものの、得物の重量から手数では相手が上回り、剣の質自体は圧倒的に"剣"に軍配が上がるという不利な状態だった。武器と体格からくるリーチの長さだけが、こちらが相手と渡り合う上で明確に勝る武器であった。

 そんな戦闘をそれまでは強いられていたことを考えれば、利き手の不能による攻撃回数の減少は、"剣"を討ち取る絶好の好機に繋がるはずだった。

 

 時折こちらが剣の損傷に配慮して放っていた一撃を見逃さず、狙い澄ましたカウンターを仕掛けてくる辺りは全く油断出来ないものであったが、威力も速度も利き手から振るわれるソレとは明らかに劣るように感じられた。

 剣の刃で、腹で、時には柄尻を使って弾き、懐に潜り込まれても盾で防いで対処し、戦闘をこちらの攻勢で優位に進めることが叶っていたのである。

 

 傍目(はため)から見ても、勝負の天秤がこちらに傾いたと思えたのだろう。それまで戦闘に介入できずに遠巻きに見守るだけだった生き残りの魔物達にも、ここが勝負の分かれ目と感じ取れたのか。

 攻め立てる俺の剣に巻き込まれる危険も(かえり)みず、"剣"に少しでも手傷を与えて俺を援護するため、脇から果敢に攻め立ててくれた。

 

 

 ……しかし、その勇気が実を結びはしなかった。

 

 元々、魔物が集団戦を意識した規律に乏しい生き物だという要因もあった。

 この追撃が生き残りを掻き集めた急造の集団で行われている以上、隣に肩を並べているのは同じ部族ではなく、顔も満足に知らない仲間ばかり。

 恐らくは通常の狩りでは行えただろう、簡単な連携すらも彼らは満足に行えてはなかった。

 

 そんな彼らの拙さを、"剣"は最大限に利用した。

 頂上へと先行させて逃がしているだろう同行者の元へ魔物を引き連れることを避けたい目的があったかどうかは分からなかったが、"剣"は逃げるように山頂に向かって退きながらも、決して防戦一方とはならなかったのである。

 

 ヤツにとって利き手が使えないことで支障があったのは、あくまで俺との立ち会い時のみ。

 応酬の合間に生まれる隙間に襲い掛かってくる魔物達に対しては、彼らの命を奪うには必要十分な戦闘力を失っている訳では無かった。

 

 不用意に横合いから飛び込んできた子鬼を無造作に斬り捨て。

 盾によって弾かれ、のけ反ったところを慎重に殴りつけようと忍び寄った子鬼を、弾かれた勢いのままに行った後方回転跳びで視界に収め、斬り捨てる。

 岩陰に急所を隠して隙を窺っていた大鬼の射手は、その死角に移動して岩陰より誘い出し、顔を出した所へ不意に光刃を飛ばして斬り捨てた。

 

 そうして次々に魔物を返り討ちし続けた"剣"ではあったが、殺戮に夢中になってコチラへの注意をおろそかにする―― といった意識の空白を生むこともなかった。恐ろしいことにヤツは、自らが最も隙を晒すことになる『攻撃』を魔物達に仕掛ける際、必ず俺との間に魔物を一体以上挟むように行動を徹底していたのである。

 

 その理由は広場の時に見せていた、矢避けのための肉盾を意識したものとは違う。

 俺は既に弓を手放しているにもかかわらず、魔物を間に挟んだ立ち回りに固執する―― その理由は明白にして単純。

 群れを統率し、かつ最も戦闘力が高い魔物である存在が俺であることを見抜いた上で、利き腕が回復するまでは不利な戦闘を避けるという、興奮とは遠い冷静な判断に従った上での立ち回りであった。

 

 魔物達も、俺の攻撃に巻き込まれる危険は承知の上での突撃であったものの、果たして逃げと防御に徹する"剣"を、俺は弓があれば射抜けただろうか? 槍を持っていれば届いただろうか?

  ……恐らく捉えることは出来なかったはずだ。

 足手まといを抱えていないヤツの動きは、2本足しか持たないノロマな『ヒト』へと抱いていた固定観念を打ち砕くほどの異常な小回りを発揮していた。

 

 

 やがて倒れて動かない赤鬼越しに見えるヤツが、とうとう左手から右手へと"剣"を持ち変える。その握りは確かで、もはや痺れは完全に抜けたようだ。

 肩で息をする様からは確かな疲労が見て取れるが、それでも戦闘に支障をきたすほどのものであるとは思えない。

 加えて確かに欠けていたはずの"剣"自体の刀身もまた、魔物の血を吸って回復したかのような勢いで、元の形状を取り戻しつつある。

 

 ――それは、彼らの命懸けの献身を無為にした【ライネル】の無能を、まさに突きつける光景であるように思えるものだった。

 

 

   *   *   *

 

 

 睨み合ったまま、互いに意図せず訪れた空白の間。

 ……与えられたこの時間はしかし、決して長いモノにしてはならない。

 

 この均衡を破るのは俺だ。

 息を整える間を与えず再び、恐らくは最後になるだろう全力の攻撃を仕掛けるべきだった。

 

 ヤツの"剣"が再生すると分かっている以上は人海戦術の効果は薄く、そもそももはや俺の後ろに魔物はいない。時間の経過はヤツの思考に余裕を与え、"剣"の刀身をより万全の状態に近付けることになるだろう。

 これ以上戦闘を引き延ばすことは「獣王の剣」をいたずらに痛めるだけであり、こちらの勝率をただ下げるだけである。

 

 いくらヤツが人並み外れたスタミナを持つとはいえ、戦い通しである以上、絶対に疲労と消耗は蓄積されているはずだった。

 彼らが命を使って削り続けた"剣"の力。

 利き腕を回復されてしまった以上、今となってはその消耗によって天秤がこちらに傾くことに賭けるしかない。

 

 魔物の膂力と【ライネル】の『技』で、一気に勝負を掛けるのみ……!

 

 

 

 (……! )

 

 後ろ脚に力を込める。

 間合いはさほど離れていない。全力で踏み込めば、勢い余ってヤツの頭を飛び越えてしまいかねない程度の距離だ。…… それを十分に理解しつつも、空へ向ければ【二つ岩】をも軽々と飛び越えられるだけの脚力を"剣"がいる前方に向けて、解放した。

 停止状態から、空気の壁へ挑むようなトップスピードへと己の身体を叩き込む。

 

 岩盤に叩き込み続ける蹄に亀裂が入った違和感が足先から伝わるが、これくらいの虚を衝いてみせなければ、ヤツはこれまで同様、確実に俺の一撃をいなしてしまう。

 一足飛びに跳躍出来たなら脚への負担も軽いはずだが、地に足をつけずにいる時間が長ければ長くなるほど、機動力に優れたすればその確信があった。

 

 岩肌を覗かせる地面を、後ろ脚の蹄で砕こうとした、その時。

 ……ふと、足元に転がる絶命したばかりの大鬼が視界に入り、その挺身の理由を思う。

 

 刃を失くしていたとはいえ、俺の盾はまだ健在であった。

 実剣でも数合、ましてやそれが光刃だったならば、受け止める角度さえ調整すれば確実に受け止めることが可能だったことは、傍目に見ていた大鬼にもそれまでの戦闘の推移から判断出来たはずだった。

 

 弓を既に失っている俺は、火球を除けば遠距離攻撃の手段は持たない。そしてその火球も曲射などの小細工はできないために、大柄な大鬼の身体が目の前に立つのは"剣"へと効果的な『炎』を浴びせにくい状態なのだ。

 つまり最後の生き残りだった彼がその命を賭けて得たモノは、致命の窮地を救う献身でも反撃に繋がる契機でもない。身体を無為にねじ込むことで"剣"と俺の距離をただ開けて、戦闘を仕切り直させる以上の意味を持たないものだった。

 

 そして大鬼の身体が伏せる光景の向こう側で、痺れによる縛りが抜けたヤツは、利き手に持ち替えた剣を身体の後ろに回し、完全に迎え撃つ構えを取っている。 

 ここまで連続した戦闘を強いてこれた状況で不意に訪れた先程の空白は、魔物側にとって完全に裏目な結果となったと言わざるを得ないだろう。

 

 ――しかし、だ。

 それでも俺の心の中に、"剣"の刃へと積極的に身を躍らせた大鬼の行動について、非難や罵りを浴びせようという思いは一切沸いてはいない。

 むしろ最後の1匹となりながら、俺自身も"剣"に掛かり切りであった状況の中、よくも逃げずに最後の最期まで戦うべく立ち向かってくれたものだと、その戦士の姿勢に異種族でありながらも賞賛を贈ってやりたい気持ちで一杯だった。

 

 例え倒れる間際、俺に向けられた視線に込められていた意思が、この戦場に連れ込んだ俺に対する恨み言だったとしても構わない。

 そうであったとしても、今この踏み出す脚と剣を握る腕に力を与えてくれるのは、恐ろしくも強大な魔物の敵へと最後の1匹になるまで勇敢に戦った、彼らの遺志に他ならないのだから。

 

 ……大鬼の亡骸を、またいで越える。

 お互いの獲物からはギリギリ間合いの外であるこの距離。

 "剣"はまだ、動かない。

 

 ……燐光を灯し続ける"剣"に関する誤算の一つは、異常な復元能力。

 しかし、俺がヤツをここまで仕留めきれなかった原因はそれだけではない。

 ただ切れ味を保ち続け、一撃で同族の命を断てる光刃を飛ばせる剣なだけ、というのであれば、とうの昔に軍勢がヤツを飲み込むか、俺が持ち主を屠っていたはずだ。

 数十と引き連れた魔物と孤軍奮闘し、利き腕が使えないながらも炎を避け、弓を躱し、俺の剣を捌き続ける――。間違いなく過去相対した者の中でも優れていると断言出来る、ヤツの戦闘者としての優れた才能こそが、この不条理極まる戦いの結果をもたらしていた。

 ヒトなどと、戦力を侮る考えは欠片もありはしない。……だからこそ、思う。

 

 この間合いまで詰め寄られながら、なぜこの剣士は動かないのかと。

 

 ここまで繰り返し切り結んできた剣戟から、コイツが俺のこの肉薄に対応出来ないなどということは考えられない。ではなぜ避けようとしないのか。攻撃に備えようと"剣"を構えないのか。

 

 ――いや。

 

 前に上体を傾け、利き手で握った"剣"を体の後ろに回したあの構え。

 これを俺は見たことがある。

 ……あの時、初めてヤツを目にした偵察した時の鍛錬の光景。人にして洗練された技術を凝縮させたような剣技の型の一つに、アレはあった。

 一連の、流れるように連続した剣舞の中にあったモノではない。

 その動きだけが技として完結し、凄まじい攻撃力を匂わせていた剣技を放つ際の構え。

 

 これは、あの。

 「回転斬り」の構えだ……!

 

 互いの距離が、俺の剣が届く間合いに入る。相手の攻撃方法が分かった今、仕切り直しを図るなら今しかないが…… あの攻撃ならば、俺が止まる理由にはならない!!

 

 ヤツの間合いと重なる寸前、後脚で全力のブレーキをかけて急制動。そして同時に、前脚を両方とも振り上げ、間合いを一瞬外す。

 これでヤツが呼吸を外され、その"剣"を振り抜いてくれたならばその時点でコチラの勝ちが決まってくれたが、目の前の敵は跳ね返る小石を叩き付けられながらも微動だにしていなかった。

 やはり、小手先のフェイントでこの剣士は釣られない。

 

 前脚を下ろす勢いに乗せて、右手に持つ「獣王の剣」を斜め上から横薙ぎの要領で切り払う。もしヤツが大上段からの振り下ろしを予想し、横へのステップで躱そうとしていても、俺の刃圏はその全ての空間を潰して切り払っただろう。

 

 だが、ヤツの足は下がらない。

 その足は体重移動と、下半身へ伝える捻りの為にだけ動いていた。

 捻りが腰の回転に勢いを与え、上半身、そして"剣"を握る腕の振りへ加速を与えている。

 回転する径はあちらの方が小さいことを差し引いても、その剣速は早い。

 

 燐光を撒き散らしながら走る剣閃が狙う先は――

 

 (俺の剣! 武器破壊!? )

 

 先に振り出しなお身体の横から放った俺の刃に向かって、身体の後ろから振り回されるヤツの"剣"が迫っていた。

 

 その判断は正しい。

 「獣王の剣」の刀身に、既に無傷な箇所などはない。中央には半ばまで食い込む亀裂すら走っており、根本で受け損なえば次の1撃で破壊されかねないだろう。そして"剣"は、明らかにそれを狙っている。

 だからこそ。

 

 (……好都合! )

 

  "剣"がコチラの剣に打ち合わせようと、向こうからぶつけに来てくれる。それは俺の目的と合致するものだ。

 蒼く輝くヤツの刀身。

 そこにまだ、光を歪に反射させている箇所が見て取れた。

 その(こぼ)れた刃に最も速度の乗る剣先を食い込ませるべくこの一太刀を放っている以上、これは好機に違いなかった。愛剣を大事にして退く訳にはいかない。

 打ち込む位置を見定め、全力で薙ぎ払うことにのみ集中する。

 

 

 ――ギャギンッ―― !

 二つの刃が交差し、お互いの握った得物が降り抜かれた。

 

 

 今日という日に行われた戦闘の中でも、一際大きな濁音混じりの金属音。

 耳障りな、しかしひどく印象的な音が鳴り響いたその空間の中心に、取り残されたように留まる存在がある。

 

 ゆっくりと回転しながら寂しく地面に落ちるソレは、「獣王の剣」。その切っ先だ。

 

 いくつもの戦いを共にし、戦場における己の半身とも言うべき武具が半ばから砕ける様は、この時間が粘性を帯びた空間の中にあっても視線を一瞬、"剣"から奪うほどの衝撃を俺にもたらす。

 ……しかしその切っ先が最後に伝えてきた感触は、俺の求め通りの場所に刃が食い込んでみせたことを告げていた。ならば、今考えるのは次の一手だ。

 

 ――視線を戻した先、剣士が背中を向けている。

 

 こちらの剣を断ち切る勢いを乗せた、全力の振り回しを行った直後の光景だ。その様子は初見ならば勢い余り、無様に体勢を崩したソレとしか映らない。

 正直、何も知らなければ俺もそう判断して狙いを変更し、すぐさま本人の身体へ向かって爪か、半分の長さとなってしまった剣を振り下ろそうとしたのだろう。

 

 しかし、俺は知っている。

 これがただ()()()を踏んでいる訳ではないことを。

 

 固定した足は軸足。そして倒れないために地面へと突っ張らせたような足は、その実が回転に更なる加速を与えるための蹴り足なのだ。背中を向けているのは、ただ回転の途中だからに過ぎない。

 ヤツは止まらない。

 それは事前に術理を見ていたからというだけではない。回転の最中、肩越しに向けられる眼に宿っている力強さから感じ取れた確信だった。

 

 ――2回転。

 獣王の剣を砕いた1撃目より加速した、2撃目が来る。

 

 ……もちろんその動きを知っている俺が、無策で構えていたはずもないが。

 

 こちらも全力で降り抜いていた剣の勢いを、腕の力だけで強引に引き止める。「獣王の剣」が万全の状態であった時には、その重量に引っ張られて腕の筋肉をしばしば痛めていた動きであったが、今は剣も半ばから刀身が失われている。

 訓練の折には味わっていた、腕を千切らんばかりに引っ張られる感覚がひどく弱いことに改めて強い喪失感を抱きはしたが、今はそれどころではないだろう。降り抜かれた剣は完全に勢いを止め、先程薙いだ空間を、返された刃が再び往復する準備が整っていた。

 

 加えて、右脚を1歩だけ踏み出す。

 わずかに間合いを詰めたのは、失った刀身分の空間を向こうのタイミングではなく、コチラで調整するため。そして、ヤツから見て右側から放たれてくる2撃目に対し、出来るだけ正面に構えられる状態で迎え撃ちたかったからだ。

 短くなり馴染みのない長さとなってしまった刀身で、それでも超高速で迫る"剣"の狙うべき箇所へと再び剣を指し込まねばならない。少しでも正確に剣を振るえる位置取りを目指す必要があった。

 

 飛来する2撃目。

 半身となり振りかぶっていた剣を、1撃目と比べてやや目立つようになった『そこ』に向かって叩き付けた。

 

 

 ――バキンッ、ズシュッ!

 

 ぐぢゃっ!

 

 

 当たった。成功した。

 打ち下ろすように薙いだ剣は、我ながら見事に『そこ』へと打ち込まれた。寸分違わず同じ箇所へと、【ライネル】の全力を持って振るわれた刃が食い込んだのだ。

 相手の「回転斬り」による勢いも手伝ってか、"剣"が燐光を常時纏いだしてから活性化した復元能力を発現させて以来、最も大きな『欠け』と表現するしかない傷が、確かにそこに刻まれた。

 

 ……例え剣の残った刀身が、2撃目に込められた予想以上の威力にほとんど耐えられず砕け散り、その軌跡を"剣"に対して正面に構えていた身体からズラせなかったとしても。

 もしもの事態に備えて頭の横へ掲げていた左腕を、とっさに差し込んで"剣"から命を守った代償に、その手首から先が地面へゴミのように転がろうと、それは確かに望んだ収穫に違いなかった。

 

 盾を失い役立たずとなっていた左腕が、盾の役割を果たしたのだ。

 太い腕の肉と骨、それが両断されるまでに稼いだ時間によって、致命の一閃を胸板を裂く程度に留めることが叶った。

 それでいい。

 まだ傷を嘆く時ではない。

 

 

 

 ――何故ならヤツが、再び背中を向けている。

 

 流石に2撃目で剣を砕いた後、続けざまに【ライネル】の腕を裂いた負荷は大きかったのか、その回転軸には大きなブレがあるように思える。だが加速をもたらす蹴り足には、些かの迷いも感じられない。

 2撃目よりも、更に加速した斬撃が来る……

 

 

 

 そう考えていた直後。

 ヤツは、こちらに向かって大きく跳躍していた。

 

 水の中を自由に泳ぐ魚のように、宙に緩やかな放物線を描く剣士。

 しかし身体を中心とした回転の勢いは殺されておらず、螺旋を描いて振りかぶられる剣には更なる力が加わっていることは想像に容易い。

 1撃目と2撃目に比べ、地面との摩擦の()()()を断ち、回転に加えて重力をも味方につけたその斬撃に、どれほどの威力が込められているのか。

 

 ――3、4、5……。

 空中で何回転しているのかすら定かではない3撃目が、来る。

 

 

 

 知らない。

 それは、全く見たことのない動きだった。

 

 想定していなかった意表を突く攻撃に間延びする刹那の中に一瞬、俺がこの"剣"の訓練風景を覗き見ていたことを知っていたのか―― などという思いすらよぎるが、それこそ有り得ないことだ。当時俺が伏せていた場所は、人間が知覚出来る距離にはなかった。

 ならばどうして、"剣"は何度も愚直に繰り返していたはずの「回転斬り」の型を無視し、このような奇策を敢行しているのか。

 

 ……恐らく、気付いたのだ。

 「回転斬り」は俺達と"剣"の戦闘が始まってからこれまで、一度も繰り出していない技だった。今までほとんど剣の一振りで全ての魔物達を屠ってこられたからこそ、その初見であるはずの技に対して"剣"の弱所を連続で捉え、かつ生きている俺に違和感を持ったのだろう。

 この「回転斬り」は恐らく最も警戒していた俺に対するとっておきの技であり、同時にこれなら仕留められるという自信があったに違いない。

 にもかかわらず防がれたという事実。

 それがヤツに「回転斬り」の連続使用を留まらせ、技の呼吸を変えての一撃に踏み切らせたのかもしれなかった。

 

 そしてその思惑通り、俺は再び切り替えそうとしていた柄だけとなっていた剣を握ったまま数瞬固まってしまっていた。その硬直がヤツに確信を与えてしまったのだろう。

 空中で振りかぶっていた剣が振り下ろされる。決断を間違えなかったという確信が宿るその刃に、迷いは一欠片も宿ってはいない。

 わずかに動きを止めてしまった俺に、その一撃を避ける余裕はなかった。

 

 

 

 

 

 そしてそれは、俺にとっては望外の展開だった。

 

 右手の中で、刀身が根本から砕け散った剣を半回転させる。その柄尻にある小さな超接近戦用の刃を上にして、握り込む。

 この刃は飾りではない。形こそ小ぶりだが、メインの刀身と同じ材質と製法で鍛え上げた武器なのだ。そしてこの戦いにおいて使った回数は、片手で数えられるほどに少なかった。

 この刃なら、例えヤツの最後の一撃がどれほど強力な代物であっても耐えられる。

 少なくとも、1撃ならば確実に。

 …… 本来ならば武器を失ったと油断させた上で、単調かつ最も速度の乗る3撃目の「回転斬り」に合わせ、この刃を使って"剣"をかち上げるつもりだった。そしてヤツを無手の状態に追い込むことが目的だったのだが、想定以上の2撃目の威力に、果たしてこの短い刃で続く3撃目に向かって『欠け』に引っ掛け、その手から"剣"をもぎ取ることが出来るのかは不安だったのだ。

 

 しかし、上からの攻撃ならば。

 脳天に迫る「大上段からの全力の一撃」なら『欠け』に対して刃を突き立てることさえ出来れば、力を地面に受け流せない空中にいるヤツは、跳ね返る衝撃を全て純粋な握力で抑え込まなければならない。

 

 (そんな真似は―― )

 

 

 ガヂィァッッン!!

 

 

 ……刃を一撃で斬り砕き、柄の根本まで食い込みかねない1撃だった。

 俺の、【ライネル】の握力を根こそぎ奪ったその斬撃は、俺に柄を握り続けることを許さない。手から零れ落ちた剣の残骸は岩肌の地面へ落ちた衝撃によって、その刃を2つに割っていた。

 

 そんな地面に落ちた刃に映る、ほのかな燐光。

 この戦闘の間、ずっと追い続けた光の色。

 

 思わず愛剣のなれの果てに引っ張られそうになった意識を惹きつける、その光に導かれて顔を上げれば…… "剣"が剣士の手を離れ、クルクルと遙か後ろの岩陰へと弾かれていく光景が目に映った。

 

 (そんな真似は俺にも、ましてや人の身には絶対に不可能だ )

 

 

 

 ――ずぶっ……

 

 

   *   *   *

 

 

 剣を失う前に実行しなければならなかった、危うい賭けを渡り切れたことに心底安堵する。

 

 ヤツが持っていた最大にして唯一の武器であるところの"剣"を、ついに奪うことが出来た。

 そのために片手を失い、最後まで残していた得物である剣も砕いてしまった俺だが、まだ炎も使えれば右手の爪がある、牙もある。殺傷力という点において初めて、こちらが明確に上回る状況を作れたのだ。

 

 これから最も気を付けるべきは、絶対に"剣"を回収させないように立ち回らなければならないという一点。遠く離れた場所まで飛んで行ったとはいえ、谷底に落ちて行ったというわけではないのだ。もしそれを許してしまえばこの状況は簡単に逆転し、再びこれをひっくり返すことは二度と出来ないだろう。 

 

 ひとまずは"剣"とヤツの間に火球を放って牽制を掛けるべきか、それとも一息に間合いを詰めて接近戦を挑むべきか。あるいはその両方を試みるべきか、そもそも……?

 

 (……あぁ、畜生 )

 

 ――俺は今、駆け引きをしている。

 物心ついた時から腕力において敵はほとんどおらず、『彼』に師事して【最強】を継いでしまってからは、「戦い」に発展するほどに俺と伍する存在に出会うこと自体が稀だった。異種族に至っては皆無だったと断言していい。

 【ライネル】の名は誇りだ。出自も定かではない己が認められ、一族ひいては魔物の守護者として大陸中の魔物達と縁を繋げられる日々。

 しかし名を得たがゆえに軽々に戦闘をすることが出来なくなった生活に対し、窮屈さを感じる瞬間が時折あったことも否定できない。『彼』が俺に【ライネル】を譲った後、頻繁に世界を巡る気ままな旅へと繰り出していった理由には、長年称号に縛られていた反動もあったのかもしれない。

 

 そんな俺が、魔物の行く末を懸けた戦争をしている。

 相手は貧弱にして脆弱なヒトでありながら、しかし魔物を滅ぼしかねない"力"を持つと伝説に謳われた存在。

 最初から勝敗は不明瞭であった。頭数を揃えて多対一の状況を作り、組織的に追い込んでなお一時は敗色漂うほどの戦闘を強いられた。死力を振り絞り、運否天賦な賭けに成功してなお、勝敗の行く末はまだ揺れる天秤の上だった。

 

 (だというのに )

 

 分かっている。もうハッキリと、自覚している。

 この最後に行われた数合の立ち会いを、俺は(たの)しんでいた。

 

 頭の中に【ライネル】の責務など少しも意識していなかった。

 瞬間の勝利を求め、どうやって目の前の強敵を打倒するか、どうすれば出し抜けるのか。ただそれだけを考えて傷を躊躇わず、戦士の矜持と魔物の欲求に従って血を求めた。

 その引き換えに失ったのは片腕と、【ライネル】の象徴であった俺の剣。得られたモノはただ相手から剣1本を奪えたという状況のみ。

 ……そんなささいな戦果にかかわらず、この場に集まっていた誰にも成し得なかったことを果たしたのだと、愚かにも高揚してしまったのだ。

 

 敵は依然として、五体満足だったというのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――だから、だろうか。

 

 

 

 「回転斬り」を受け、裂けていた胸の傷から正確に心臓を貫いている、()()()()()()()()()()()()の柄尻に備え付けられた刃が、冷たく俺を非難しているように感じられたのは。

 

 




 どこかで見た剣がブスリ。
 


 ※ライネルの「3段斬り」。原作において単発攻撃の多い魔物の攻撃手段の中でも、3連続で繰り出してくる様はとてもカッコイイ。ライネルの技の中ではブッチギリにジャスト回避しやすいために「反撃美味しいです^^」な扱いですが、私は大好きなので【ライネル】さんの決め技にしました(3段目は柄尻の刃を使った突き上げなので、厳密には3段斬りとは違う仕様になってますが)。

 ※シリーズ通して登場することの多いリンクの特徴的な必殺技「回転斬り」。
 拙作では平然と複数回転していますが、原作では溜め時間に応じて攻撃範囲が広くなるものの、回転する回数は常に1回転だったりします。しかし1回ではあんまり必殺技っぽくないので、回転斬り2回転+両手武器による溜め攻撃の締めである叩き付け攻撃(回転跳躍ver.)くらい、勇者ならこなしてみせらぁ! ってことでコチラもご容赦お願いします……。


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魔王の残滓

○聡明にして清らかな姫巫女様による前回のあらすじ(魔物視点による意訳)

 「100年前のリンクが魔法のポーチを持っていないなんて、いつから錯覚していました? 貴人の警護をさせる以上、これみよがしに背負っている剣1本無くなれば徒手空拳だなんて危ういリスク管理、させるわけないでしょう? 貴方のお弟子さんが弱すぎて、ろくに振るわれてない剣が綺麗なままだったからついつい持って帰っちゃったんですって♪ 野晒しにしなくて済んだのですから感謝して欲しいところですね? ……私の騎士の力を思い知ったか蛮族め! ゲェーハッハッハ!!」

 ※4、5話の姫様が、多くのプレイヤーが伺い知れる姫様の描写です。






 

   * * * * *

 

 

 神話へと始まりを(さかのぼ)る、古の時代。

 種族間の争いを制したハイラル王国が、全土を統一した記憶も新しい時代のおとぎ話。

 

 ……時のゲルド族を率いる男。

 力を求めるその者の胸には、一つの野望が宿っていた。

 やがては大陸の全てを飲み込んだその王国への反乱を引き起こすに至るまで、男はその夢を求め焦がれていた。

 

 ……男には力があった。

 大陸を乱そうとする男を止めるべく、あらゆる種族は手を組み、男の野望を食い止めようと抗った。

 けれど男はそんな種を超えて集合する力を蹴散らすだけの、意志と能力を持っていた。

 

 ……ついには人々と時代によって選ばれた【勇者】と対峙してなお、男はただ1人で積み上げた心と力でもって、目指した夢を求め続けたという。

 

 

 ――残念ながら男と【勇者】の戦いの推移を、正確に知る者はいない。

 現代に伝えられる全ての文献において、男と戦った当時の【勇者】は勝ったとも、負けたとも伝えられており、その経過に対する見解は統一されていないのだ。

 

 

 しかし、表現の違いこそは数あれど【勇者】の勝敗にかかわらず、不思議と物語を語る結末は共通していた。

 

 ――男は【魔王】となり、その最後は魂ごと封印される ――

 

 そう結ばれて、全ての伝承は完結しているのだ。

 男の野望は叶わなかったというのが、この世界の歴史的な認識であった。

 

 ……その男が掲げた夢にどんな想いがあったかを知るにはもはや、時を巻き戻す以外に術はない。

 だが戦いに勝利した権力者達が残した資料はもとより、大陸中央より離れた辺境の生国に伝えられる物語においても、男の立ち位置は例外なく『悪』として取り上げられている。恐らくは世界に混乱をもたらし、種族を問わず多くの民を害する類の野望であっただろうことは想像に難くない。

 

 そんな男の夢を、世界は許さなかった。

 一つの異端は、安寧を願う多数の祈りを込めた勇気の"剣"によって挫かれたのだ。

 

 

 勧善懲悪。

 昔語ならば、ここで終わる物語だ。

 力を持ちつつも愚かな人間が起こした一代限りの事件として、後の未来へ伝えられる教訓の1つ程度の存在に収まっていたことだろう。

 

 しかし現代に続くハイラル王国史において、遙か神話の時代から続く【厄災ガノン】との戦いの歴史は、王国の繁栄と危機、復興を語る上で決して切り離すことの出来ない歴史の一部といった扱いを受けてる。

 それは近年において、ある占い師がその復活を予見したというだけで、最後に復活したのが1万年も前の出来事であるにもかかわらず、国は国策としてその対策に乗り出し、人々の噂話に登らない日はないほどである。

 その名前に込められた畏怖は現実を侵す確かな脅威として、国民の脳裏に刻まれ続けていた。

 

 【厄災ガノン】―― それはかつて【魔王】と呼ばれ、そしてゲルドの民にルーツを持つ男だった者の、成れの果てを指す言葉。

 

 ……そう。

 "かつて男だったモノ"は、決して世界に屈してはいなかった。

 

 

 神話の時代に芽吹いた男の夢は、それから数万年という間隔を開けながらも幾度となく復活し、その時代時代の世界を席巻すべく懸命に花を開かせようとし続けた。

 【魔王】と化した男は既に人の身の常識からは外れた存在となっており、時の流れの中に消滅するようなことはなかったのだ。

 

 しかしその花が満開を迎えた事例は、過去に一度も存在していない。

 何故ならば【厄災ガノン】が封印を打ち破り現世に復活すれば、世代を越えて受け継がれた退魔の力を宿した"剣"を振るう無双の騎士と、聖なる力を血によって継承した"姫"の奇跡によって、再度封印され続けてきたのだからだ。超常の力を持って不死の存在へと至った【魔王】であったが、万物の力と世界を管理する女神の加護を受けた二つの力の前には、常に敗れ続ける他なかったということである。

 

 【魔王】も何度なく復活する間、決して闇雲に復活していたという訳ではない。復活する地を変え、自らの力と共鳴する魔物に力を与え、あるいは人であった頃は敵対していた存在に連なる者達を誑かし、こちら側に引き込む手管さえ振るいもした。

 しかしそんな試みもことごとく失敗に終わる。終わり続ける。

 そして繰り返し強いられるのは、数万年の時を費やす封印の牢獄だった。

 

 

 男が掲げた夢は、野望だったのだろう。

 【魔王】が望んだ世界は、覇道だったのだろう。

 如何なる理由からか数多くの障害を払ってなお進むことを決意させたその意志は、鋼の如く強固であることは間違いない。しかし、その為に宿した力はあまりに魔的であり、それゆえに味あわされた永劫の孤独と封印も、鋼を歪めて摩耗させるには充分過ぎるほどに長過ぎた。

 

 男の夢も【魔王】の矜持も、全ては残酷な時間が砕いて呑み込んでしまった。

 いつしか現状をもたらした"剣"と"姫"、そしてその背後にいる女神へと募らせ続けるしかなかった怨念と憎悪のみが、ただ"かつて男だったモノ"を【厄災ガノン】の形に保たせていた。

 

 

   *   *   *

 

 

 ――グジュリ

 

 ……封印の地にて、誰にも知られることのない胎動が響く。

 

 今日もまた、昨日より少しだけその拘束力が弱まっていることが分かり、その()()は数千年ぶりの歓喜が、自身の内よりいよいよ滲み出すのを感じていた。

 明るい感情の震えは露のように怨念と憎悪の渦の中に混じって消えたが、ただ盲目的に恨み言を繰り返すことに飽いた塊は、その感情を切っ掛けにして久方ぶりに湧いた自我に微睡(まどろ)んだ。

 

 ――ブジュッ……

 

 思えば今より1万年前に迎えた目覚めは、過去最悪と言えた。

 "マスターソード"と"姫巫女"が揃って待ち構えていただけではなく、高度な技術が発達する世となっていたのか、自らを傷付け得る4体の巨大兵器と無数の自動兵器に囲まれ、恐怖の叫びをまともに浴びることも出来ないままに封印の屈辱を強いられてしまったのだ。

 封印の苦痛の中、何億回と繰り返し浮かべた当時の情景を思って未だぶり返す憎悪に、せっかく沸いた自我が吹き飛びそうになる。

 

 ――ニチャ、ニチャリ

 

 だが、分かる。

 アレは初見だったからこそ不覚を取ったに過ぎない、と。

 分かるのだ。あの兵器は"マスターソード"と異なり、女神の加護が宿ってはいない。魂も意思もない絡繰に過ぎないと。……ならば無から生命を作り出せる自身に、それを御せない理由などない。

 

 果たして自分達を守り支えるはずの存在に、裏切られ後ろから撃たれる状況となった時、あの女神の加護を受けた者共はどんな表情を浮かべるだろうか……。

 

 『魔』の祝福を受けない哀れなヒト共に、どうすればより深い苦痛と悲嘆を与えることが出来るのか。緩慢な思考は、怠惰にその欲望を満たす妄想に更け続けた。

 

 ――ブチャ! ボタッボタタ……!

 

 ……やがて肉塊は再び一つ、大きな身震いを起こす。

 黒く淀んで濁った泥のような血が、封印に抗った反動で破れた表面から噴き上がった。

 同時に常人が当たれば即死するだろう濃密な魔力が拡散するが、そこは封印の地の奥深く。そんなおぞましい光景を目撃した者は1人としていなかった。

 

 ひどく満足げな吐息にも似た魔力は膨大であり、封印の空間を満たすも綻びかかった結界は全てを収め切れず、僅かにその残滓を内側から零した。

 

 零れて離れていく残滓の行方を気にすることなく、束の間浮かんでいた思考は再び、憎悪と怨念の渦の中にその意識を沈めていく。再び浮き上がるのは百年後か、もしくは千年と掛かるのか…… それとも、間もなく世界に響くだろう悲鳴の叫びを耳にすることが叶うのか。

 

 

 ――幾万年の月日の中で独り積み上げた、怨嗟の感情を枕に眠り始める肉塊が、真に目覚める復活の時は、もう目の前。

 

 

   * * * * *

 

 

 【厄災ガノン】より吐き出された魔力が、空を漂う。

 

 封印が弱まったからこそ起こり得たその漏出であったが、実の所こんな事態は初めてではない。

 誰も観測しなかったために記録には残らず、知る者もいない事象ではあったが、同様の事例は1万年前、同じように封印の力に陰りが見られた頃にも起こっていた。

 

 更に付け加えるならば、当時漏れ出ていた魔力は大陸の広範囲へと行き渡る規模ではあったが、ハイリアに住まう人々に影響を与える力は微々たるものでしかなかった。流出した期間は長かったものの、精々が魔物達を活性化させる程度の結果に留まっている。

 

 また、その程度の漏出ならば今回の厄災復活が噂されている近年でも度々起こっており、それも例外なく魔物を少々活気づかせるといった規模の影響しか生んではいない。

 確かに魔物が暴れれば、それだけ人の生活圏は荒れるだろう。しかし、それだけでハイラル王国を中心とした人間達が危機に瀕することは有り得なかった。

 優れた装備を揃え始めた軍や、発掘された超常の力を持つ古代兵器群、各一族から選び抜かれた四英傑、そして"マスターソード"。これだけの戦力を擁する人間種からすれば、改めてこの影響が国を脅かすほどの異変をもたらすモノである、などと捉える者は皆無と言えた。

 

 恐らく、厄災への対策を真摯に取り組んでいる者からしても「魔物の活性化は厄災復活と何らかの因果関係があるのでは? 」と予想し、気を引き締めるくらいの危機感しか抱けないに違いない…… 既に時代は、1万年前には確かに存在していたという「魔物の脅威をヒトに忘れさせる武力」を、人の国にもたらそうとしている。

 

 よって怨念と憎悪を源とした【厄災ガノン】本体が依然として封印されたままである以上、この漏れ出した僅かな魔力も所詮は、大した影響を世に与えることなく霧散するのだ。

 

 

 

 ――本来ならば、そうなるはずだった。

 

 

 怨念と憎悪の渦の中に呑み込まれたはずの、【魔王】の自我がたまたま浮き上がった時に発生した魔力が特別だったのか。それとも、封印の網がたまたま混沌とした負の狂気だけを濾過してしまったのか。

 空中を漂う魔力には邪智めいた思考力と言うべき、男が【魔王】であった頃の残滓のようなものがこびりついていた。

 

 もし、これにほんの少しだけ、もう僅かに籠められた魔力が多かったならば、魔力で全身を構成する類の平凡な魔物が1匹、生まれて終わりだっただろう。

 しかしそうした生命体へと成るために必要な魔力を、その霞のような存在は封印の檻の中から持ち出すことが出来なかった。

 そして親と呼べる肉塊がある場所には、結界が立ちはだかっている。

 その隙間から抜け出れたことは偶然でしかない。もう二度と、生まれた場所に戻ることは叶わないだろう。

 つまりは、その魔力が少しばかり行動を選択できる能力を持っていたところで、いずれ空気に溶けて消えるという運命に変わりはない。

 

 

 だから、魔力に篭った思念は判断した。

 ――外に出なければ、と。

 自分という自我が備わっているのに、それが無為に消えるということは許されない。

 ならばあの憎い憎い"マスターソード"と"巫女姫"を見つけ出し、少しでも本体が復活した際の助けとなる呪いを残さねばならない、と。

 

 幸いにして都合の良いことに戦闘中であるらしく、あの忌々しい"マスターソード"の気配はここよりさほど離れてない土地から濃厚なほどに漂ってきている。

 1万年前に感じていたものと同質の気配が、記憶の印象に勝るとも劣らないほどの強力な波動を放っていることに歯噛みをしつつ、魔力はまっすぐにその場所―― オルディン峡谷へ向けて、ゆっくりと移動を開始した。

 

 

   *   *   *

 

 

 ……魔力に宿る思念は落胆していた。

 

 目的とする場所への移動中、地上の様子を俯瞰しながら得られた印象から考えるに、どうやら魔物の勢力圏は山や森の奥地まで大きく追い込まれたままであるらしいことが察せられてしまった。1万年前の人間が持っていた高度な軍事力を思えば、全滅に追い込まれていないだけでも幸いと言えるのかもしれないが、それでもこの時代においても魔物を兵とした運用をさせられそうにないというのは、あまり愉快な現状ではない。

 

 しかも、だ。

 "マスターソード"の気配を追ってようやく辿りついた峡谷に広がっている光景には、無いはずの眉を(しか)めたくなるような光景が広がっているのだからたまらない。

 

 雲の高さほどの上空から見回してみれば、峡谷の頂上へと至る道らしき場所に点々とゴミのように転がる、夥しい数の死体、死体、死体。

 それがハイラルに連なる者共のモノであればさぞかし愉快な気持ちにもなれただろうが、そうではない。その正体は間もなく復活するはずの本体がもし自我を目覚めさせた時、兵隊となって我に尽くしてくれるはずの魔物達だった。

 

 倒れた者達をよくよく見れば、なんと死体の中には上位種と見られる体色を持ったモノも少なくなかった。

 絶対数が減少しているだろう魔物の中でも、比較的有用だったはずの戦力の喪失。恐らく下手人はあの剣と魂を受け継ぐ勇者の系譜に連なる者なのであろうが、未だ強力な退魔の気配を放っていることから考えても、当代の勇者はまだ健在であるのは確実だった。

 ならばこの者達が我の復活を待たずにこうして死に果てているのは、無駄死以外の何物でもない。

 

 ……この時代における魔物の戦力は、前回と比べてさえ衰えてしまったのでは? とすら思える眼下の光景は、正直に言えば期待外れでしかなかった。

 やはり今回も、本体は単独でヤツらを叩くしかないのか…… そんなことを思考していた魔力であったが、ふと己の感覚に引っ掛かるものがあることに気付く。

 

 ――戦闘中であると確信できるほどに女神の加護を強く励起している"マスターソード"が、先程から一向にその気配を弱めていないのだ。

 

 頂上付近で戦闘が行われていることは強過ぎる気配からも明白であったが、感じる魔力の動きから察するに、どうやら生き残っている魔物は1体のみであるらしい。恐らくはその個体が、我が兵隊達を勝手に集め、こんな無益な死へと至らしめた存在なのだろう。

 "マスターソード"を知る者からすれば、その継承者にはこの程度の魔物をいくら集めたところでほとんど意味のないことは常識である。愚かな魔物もまた、遠からず死を迎えることになるのは確実とすら思えた。

 

 ……だからこそ。

 その"マスターソード"に宿る退魔の力を、恐らくは最も受けてきた者の分体だからこそ気付くことがある。

 

 ――野良の魔物風情たかが一匹。なぜ"マスターソード"は仕留め切れていないのだ?

 

 発している退魔の気配は、1万年前の我が本体との戦闘で身に纏っていたモノとほとんど大差が無い。にもかかわらず、生き残りの魔物はそんな「魔を宿す存在の天敵」と呼んでも過言ではない状態の絶対者と『戦闘』を行えているらしかった。

 接触前に何かしら怨敵の弱みを探ることは出来ないかと、峡谷の中腹辺りで行われた戦闘の跡を見て回るべく地表に近づいていたために、岩盤の向こう側に隠れた山頂の様子を見ることは叶わない。

 しかし今や、その確認こそが最も優先されるべきなのは間違いなかった。

 

 魔物は何か特別な力を持った個体なのか?

 それとも、今回の【勇者】の力量が"マスターソード"を持ってしても補えないほどに弱いのか?

 

 もし後者であれば、こんな状態の己でも干渉することが叶うかもしれない。

 

 

 

 出来れば後者であってくれと、萎んでいた期待を少しだけ膨らませながら。

 思念は目減りし続ける残り少ない魔力を出来るだけ消費しないよう、慎重に高度を上げた。

 

 

 

 





 【厄災ガノン】さんは作中において人であった頃の面影もなく、自我を失った怨念の塊として語られていますが、拙作が魔物の勇者を主人公とした作品である以上、リンクを『ハイラルの勇者』に導く謎()の声と同じような存在があってもいいじゃないか! と思って書いたお話。


 ※【厄災ガノン】がゲルド族にルーツを持つ男に端を発する存在であることは、公式によって明かされています。厄災ガノンの元となった男……一体、何ドロフなんだ……?

 ※私は100年前のリンクは既に、それこそ回生の眠りに入るずっと前の時点で「ポーチ」を持っていると考えています。
 (以下は独自設定からはみ出す妄想 )
 まず原作においてリンクをプレイヤーが動かせるようになる初期も初期、パンツの他には何も持っていないはずの主人公がシーカーストーンよりも前に唯一持っていた道具。それが「ポーチ」です。
 武器・弓・盾・素材・料理に区分けされ、拾った木の枝や謎の老人から盗める焼きリンゴ、果ては皿に盛られた暖かいスープやリンクの頭身を超えかねない武器まで収納してみせるスゴイ品。
 初見では新種の魔物と間違える、森の妖怪ボックリンを怪しく踊らせるだけで収容能力をさらに高めることが可能であることから考えても、明らかに魔法に類する力が宿っているものと思われます。
 これほどの技術が種族を超えて公開されれば、人々の暮らしが豊かになること間違いなしです。
 しかし。
 100年後の世界を旅している行商人達は大き過ぎるバックを背負って移動してますし、【大厄災】による国家の断絶を経ていないゾーラ族の王、ドレファンが後世にゾーラ史を伝えるために彫らせた石碑の中に在位中の100年も持たず、字がかすれて読めないほど朽ち始めているものがあるではありませんか。
 ……恐らくこれは国のパワーバランスを保つため同盟国にすら秘匿され、パラセールと同じくハイリア王族がほぼ独占していた技術に違いありません! シーカー族から技術を奪って追い出した過去を公式に抱えていたりと、なんて闇が深いんだハイリア王国……!
 リンクは近衛の家が持つ資金力にあかせてコレを手に入れたか、籠絡した姫様に貢がせたのでしょう! これで常に模範足れを意識した理想の騎士などとは笑わせるぜ……!
 (……とある音楽家リト族の師匠である宮廷詩人が、【大厄災】前に姫様への横恋慕を拗らせた末、リンクにこんな感じの妄想してたらと思うとほっこりしますね )


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芽生かされた憎悪

○前回のあらすじ

 ガノン「 ( ˘ω˘ ) スヤァ……」




   *   *   *

 

 峡谷の頂上から見渡す景色を、かつて人間だった自我は素直な感動を持って眺めていた。

 

 1万年から変わらず雄大にあり続ける巨大な火山。人を寄せ付けない神秘の力を保ち続ける、コログ共の立て籠もる森。起伏に富んだ山々は年月の経過によって記憶の中とは色や形が大きく様変わりしているものの、その変化こそが目を楽しませる。

 眼下を流れる河の煌めく光は穏やかに流れ、そこには時折飛び跳ねて小さな波紋を作る魚がいる。鳥は隊列を組むようにして空を渡っており、力強く羽ばたく様からは、命の脈動を感じてならない。吹き抜けていく風の音は繰り返す音色など一つとしてなく、常に新鮮な響きを奏で続ける。

 

 ……所詮こんな感慨を抱く意識など、周囲に纏っている魔力が尽きれば消えて失くなる幻に過ぎないのは分かっている。

 魔力で編まれた一時の靄のような体では風を感じる触覚も無ければ、草の匂いや土の味を感じられる嗅覚や味覚に類する感覚器もない。

 しかし、目的とするモノを探し出すために生み出した疑似的な感覚器であるところの視覚と聴覚から伝わるモノだけでも、魔力にこびりついているだけに過ぎない泡沫の自我は思うのだ ――やはりこの世界は美しく、だからこそ俺は求めたのだ、と。

 

 

 けれどそんな景色の中にあるもの全てが、俺の歓迎するもので溢れているということはない。峡谷の頂上にいた存在などは、その最たる例外と言えた。

 封印の地に縛られながら、片時も忘れられず求め続けた憎い、憎いあの気配を垂れ流す"マスターソード"。主の剣士の手に収まるその存在は記憶の中と寸分変わらない姿のままであり、刀身が放つ燐光は払っても払っても我が夢に纏わりつく、世界を侵す汚らしい染みであることを示していた。

 

 かたわらに寄り添う女には気配こそ皆無であったものの、あるいは抱いた怨念は剣士以上の熱が籠もっていたかもしれない。

 何故ならばその顔立ちには、"姫巫女"の直系であることが伺えたからだ。

 この世で最も尊ぶべき「力」をわずかにも帯びていないにも関わらず、ただ受け継いだ血の恩恵と神に縋る弱い心だけで俺の野望を摘んでみせた、いつかの日に対峙した腹立たしい女の面影が残っていたのだ。

 

 この美しい世界の中、変わらず在り方を保ったまま生を謳歌するヤツら。

 (かた)や封印の闇に押し込められ、憎悪と怨念に縛られてのたうつ己。

 

 

 ――嗚呼、忌々(いまいま)しい!

 ――ヤツらの声、笑顔、存在! その全てが恨めしい!!

 

 

 この自我を生み出した大本たる本体は万年を重ねる封印の繰り返しの中で、とうの昔に意識を砕いてしまったというのに。最早夢も野望も抱くことは許されず、積み上げた憎悪と怨念の底の底でただ嘆くことしか出来なくなったというのに!

 

 

 ……そんな怨敵達から視線を転じてみれば、地面に這いつくばる魔物達の中でも最も頂上に近く、そして最後まで立っていた魔物が息絶えようとしている姿が目に入った。

 

 左胸を貫通している刃は、ライネル種が好んで振るう武器の特徴を持った剣だ。最後の激突の際、"マスターソード"を弾かれた剣士が、ポーチから取り出して突き刺したモノ。それが倒れ伏すライネルの背中を貫通してその血に染まった刃を晒している。

 同族の剣によってトドメを刺されるとは、無謀な戦いに臨んだ愚かな魔物の最期らしいという思いも抱きはしたが…… 実のところ、その間もなく死体となるだろう個体に対する悪意は、今となってはそれほど強いものではなかった。

 

 これは、魔物が持つ力の上限の低さを考慮すれば当たり前の思考だろう。

 

 どのみち、魔物達は一般人を征する時には都合の良いモノではあるものの、逸脱した例外を除けば女神由縁の力を持った者達には全く及ばない存在でしかないのだ。多少数が増減したところで、封印を破った時に訪れるだろうヤツらとの戦いにおいて、趨勢を傾ける要素には成り得ないのである。無為に失ってしまったことについては眉を顰めないこともないが、それでもその程度に過ぎない。

 何より、数千年の時を超えても未だ世界に存在する、女神の気配が具現化したような者達を再び目の前にしていることが大きい。負の感情の鎖から解き放たれているはずの泡沫の自我であっても、コイツらの何もかもが許容出来ないほどの憎悪と怨念を噴き上がらせている現状で、その他の存在に対して傾ける悪感情などはあってないようなモノである。

 

 

 ――だからこそ、考えることが出来たのだろう。

 このまま無為に朽ち果てさせるには、この死にゆくライネルは少々惜しい、と。

 

 山頂に移動し終えた時には戦闘は佳境を迎えていた様子であり、その最後の最後を眺めることしか出来なかったが、このライネル種の上位個体であった魔物は、いずれの加護のバックアップも得られていない身にもかかわらず、"マスターソード"の力を正しく解放した強者であったはずの剣士と優に十を越える剣戟を繰り広げていた。

 魔物の群れを引き連れた戦闘開始から遡ったならば、目にした戦闘以上の応酬を重ねていただろうことは想像に難くない。燐光を纏った"マスターソード"の力を知る者としてそれだけの戦闘に耐えられる魔物の存在など、およそ想像すらしたことはなかった。

 

 腕力、瞬発力、反応速度―― そして魔力。この個体が持っていたそれらの「力」は、本体から悠久の記憶を引き継いだ己にとっても、過去に比肩する魔物は数えるほどしか存在しないレベルであったと思えるほどであった。何より駆け引きや剣を取り回す技術などは、決して種に備わった暴力のみで生きていた魔物であったとは思えない。

 恐らく種を代表するような、当代随一の傑出した力と意識を持った存在であったことは間違いないのだろう。

 

 魔物の本能で我が本体の復活が間近に迫っていることを察したのか。それとも優れた知性でもって、"マスターソード"の脅威を嗅ぎ付けたのか。

 ヤツは知ったのだ。人の勇者を倒さなければ、魔物はいずれ滅びると。

 そしてこれほどの軍勢を成すほどに木端の魔物を集めたのだ。力に慢心せず、周囲に呼び掛け、恐らくは魔物達の今後を憂えた結果の挙兵だったのだろう。

 経過はどうあれ今も残る"マスターソード"の欠けた刀身をみるに、きっとこの個体はあの剣士をそれなり以上に追い込めたに違いない。

 ……まだ我が本体の復活には遠く、周囲に残された魔物もいない以上、その頑張りは全くの無駄となってしまったワケだが。あの程度では半日とせず修復してしまうだろう。

 

 戦いの終わり、いくつかの器官ごと心臓を破壊された必殺の突きを受けた後。すぐにも倒れ込んで不思議ではない致命傷の中でも腕を真っ直ぐ伸ばし、飛び退く剣士の額へと僅かに爪を引っ掻けられたのが、恐らくは唯一の戦果だろう。

 あんな、細い細い一筋の血を額から零させるためだけに、あの魔物は背負い込んでいただろう全てを無為に終わらせたのだ。

 

 

 ――無念だろうナァ……

 

 

 あの必死に伸ばした爪の先に得た感触は、魔物にどんな思いを抱かせたのか。

 満足だろうか?

 後悔だろうか?

 それとも……憎悪だろうか? 

 

 

 ――口惜しかろうナァ……

 

 

 惜しむらくは、この個体が持つ魔力は憎悪と怨念に濁っていないという1点か。

 

 ライネル上位種。生まれつきなのか、それとも後天的に獲得したのか…… その身に宿す魔力の質は、【厄災】の分体たる思念をして極上だと断言できる代物であった。

 【魔王】なき世界で、これほどの力を持つ魔物。

 ……一度気になれば、興味は次から次へと沸いてくる。

 最早どうしようもなく、この個体が消えることが勿体なく思えてきた。

 

 何かしら強い現世への執着さえあれば、魂はしばらく屍に留まることが叶うはずだ。

 もし本体が蘇り、今度こそ女神の加護を持つ者達を打ち破ったならば我が魔力は大陸に満ちる。そうなれば『あの月』が、もしかするとこの魔物の魂にも影響を与え得るかもしれない。

 

 だが逆に現世への執着が薄ければ、その可能性も無い。

 この魔物が使命感などといったものに突き動かされた個体であり、今も"マスターソード"に対して大した隔意を抱いていないのであれば、現世に留まるだけの強い感情を別口で用意させる必要があった。そうしなければ遠からず、この魂は大陸より消え去るだろう。

 もしかしたら、怨の念に含まれない執着を既にして持っているのかもしれないが、思念にとって感知できる感情といえば、憎悪に始まる負の感情以外には有り得ないのだから。

 さて――?

 

 ――シュゥゥ……

 

 ……思っていたよりも、魔力の飛散する速度が早い。

 意趣返しに死にかけの魔物を蘇らせる程度の魔力ですら、峡谷に辿り着いた頃には失われており、

これ以上の喪失は自我を保つのも難しくなりそうだった。

 

 "マスターソード"と"姫巫女"のどちらか、あるいは両方に何らかの災いをもたらすためにここまで来たのが本来の目的なのだ。これ以上、この魔物に時間を割いている場合ではないかもしれない。

 "剣"や"姫巫女"に干渉したり危害を加える方法を模索する時間はもう、ほとんど残されていないだろう。思いついたとして、それを実行に移せるだけの余力など、最早無いに等しくもあるのだが。

 

 

 ……そんな考えがもたげた時だった。

 靄の耳に相当する感覚器から、かつて人だった意識が騎士と姫の会話を拾ったのは。

 

 ソレは最初こそ、ただ己の憎悪に燃料を投下するだけの戯言として聞き捨てていたが、目の前のライネルが聞いたならばどういう意味を持つのかに思い至った時、消えゆく思念は、靄の中にあるはずの脳裏に閃くモノが走るのを感じた。

 ヤツらの行う何気ない会話。

 これこそが当代随一の魔物を現世に縛り付ける憎しみの鎖となるのだと、直感したが為に。

 

 

 ――これは悪意ではなイ、『親近感』ダ――

 ――無駄なりに楽しい戦いを魅せてくれた魔物の大将殿に贈る、【魔王】の残滓からの褒美とでも思って欲シイ――

 

 自我の消滅まで一刻の猶予もない。

 思念は、躊躇うことなく恩賞の下賜に踏み切った。

 内容は『魔力の譲渡』。

 それまで自らの存在を維持させるために、離れようとする魔力を必死に手繰っていた思念にしてみれば、それは正しく致命的な行いである。

 

 ……一気に喪失する魔力と共に、自我が急速に薄れていく。

 二度とは浮かび上がらない闇の中に自らを溶かす感覚は、極めて短時間でありながらもこの世界を生きた思念にとって、ありもしない背筋が凍りつく錯覚を覚えるほど恐怖をもたらしていた。

 

 しかし【魔王】の残滓は、それでも暗い愉悦の感情に己が身を委ねていることをはっきりと自覚し。その全存在と引き換えに、歪んだ褒美を眼下の魔物へと注ぎ切った。

 

 

   * * * * *

 

 

 ――峡谷の頂きにある岩陰より、自らの信頼する騎士の戦闘風景を見守っていた姫巫女は、その魔物がようやく倒れたことを見届けた。

 

 戦いは終わった。

 最後の最後、騎士の手より"退魔の剣"が弾かれたのを見た時には思わず悲鳴を上げてしまったが、騎士は自身が贈った魔法のポーチから予備の剣を取り出し、それをもって魔物を討ち果たせたことに深く安堵する。

 一瞬予見した、騎士を永遠に失ってしまう未来は姫巫女の精神に強い負担を掛けたが、それがどんな感情から起因する心の動きなのかは、まだ彼女が自覚するところではなかった。

 

 魔物の群れを残らず切り伏せ、姫巫女を守りきったその騎士は、もう動かない魔物を油断なく見据えたまま、未だにその場に留まったまま。

 剣士の目からすれば危険が残っているのかもしれないが、姫巫女からすればその魔物は完全に息絶えているように見えた。だが、こと戦闘における判断において、彼女は彼を疑うことはない。

 

 ならばこそ、"退魔の剣"を一刻も早く騎士の手に届けるべきだと、彼女は考えた。

 幸い剣が弾かれた岩陰は、自分の隠れていた場所からほど近い場所にあり、自分が騎士の元に行く途中で拾える場所に転がっていることは確認していたために、そう考えて実行することに抵抗はなかった。

 

 潜んでいた岩陰より出て、拾い上げた"退魔の剣"。

 その刀身に刻まれた傷は、今まで見てきたどんな戦いの後よりも深いモノであるように彼女には思われた。今回の魔物の襲撃は、それほどまでの激戦であったのだ。……守られるばかりの自分の無力さに再び胸が締め付けられるが、今はそれよりも優先することがあると思い直す。

 慎重に、慎重に。万が一魔物が動き出そうものなら、すぐにも"剣"を彼に放って岩陰に避難出来るようにと、じりじりとした動きで騎士の元へと歩き始めた。

 

 ――けれど、その警戒は彼女の思った通り、騎士の杞憂だったようである。

 

 もう少しで大きな声を出さずとも、彼に声を掛けられる場所まで近寄れる。そんな距離まで近づいた辺りで、騎士は戦闘に備えて身構えさせていた体の力を抜いたのだ。彼の中でも、この周囲には危険が無くなったことを確信出来たのだろう。

 ……姫巫女に振り返った騎士の額から流れる一筋の血筋を見て、かつてない負傷に軽いパニックを起こして心配する心を爆発させた彼女を宥めることは、戦場においては一騎当千の彼にしても容易いことではなかったが。

 

 周囲の安全がとりあえず確保されたことを確認した姫巫女は、「まず治療を」と自らのために戦ってくれた騎士に詰め寄るも、頑なに持ったままであった"退魔の剣"を手放すこともしなかった。

 危ないから、と剣を受け取ろうとした彼であったが、彼女は「疲れているのでしょうから、私が元に戻して差し上げます」と譲らない。

 汗に塗れ、泥と返り血で青い英傑の服をマダラに染める彼の姿と見比べ、ただ峡谷を登っただけで何もしていない己の不甲斐なさを痛感した末、少しでも、そしてすぐにでも彼の負担を減らしてあげなくてはと思い至った結果の、やや無駄な熱が篭った思いやりであった。

 

 下手に抵抗しても埒が明かないと感じた彼は身を屈め、背中に背負った鞘へと"退魔の剣"を納める行為を任せることにする。その後、既に血が止まっている額の傷の治療を買って出る彼女の好意もまた、素直に受け取ったのであった。

 ……その際、姫巫女が剣の重さにふらついて鞘口から滑らせてしまった剣先が、少しだけ首元を掠めて地面に突き立った時こそ、この一日で騎士が最も死を感じた瞬間だったのかもしれない。

 

 謝罪と共に繰り返した姫巫女の挑戦の後、"退魔の剣"は主の背中に再び納まることになる。

 この時、剣は騎士の手を一切介することなく、第三者の手によって鞘へと戻されたのだ。

 

 

 

 

 

 ……だから、騎士は気付かなかった。

 

 

 もしその手に"退魔の剣"を持っていたのならば、剣に宿る意思を通してその存在と事象を察知することが出来たかもしれない。

 そうであったならば、もしかすると。

 騎士はもう遺体と呼んで間違いのないライネル族の身体から首を斬り飛ばし、徹底的に破壊し、バラバラの細切れに解体することに踏み切れたかもしれなかった。騎士にあるまじきその所業を決断させるだけのおぞましさが、その肉体に宿ろうとしていることを感じ取ることが出来ていたのなら。

 

 だがそれも、「たられば」の仮定に過ぎないだろう。

 仮に彼が自ずから剣を鞘に収めるべく手に持っていたとしても、怪我は浅くとも体力を大きく磨り減らしていた状態である。戦闘を終えて一度緊張を完全に解いた彼の警戒心は、普段と比べるまでもなく散漫なモノであった。

 

 ……であるならば、結局は気付けなかった可能性が高い。

 それほどまでにソレは、霞のように希薄な存在であったのだから。

 

 この世で最も忌むべき邪悪として語られる【厄災】の名を冠する者から生み出された、粘性を帯びる泥を思わせる魔力。それが不可視ながらも粘つく輝きを伴い、死を待つだけだったはずの魔物の身体にゆっくりと注がれていたことを、魔物の大群をようやく跳ね除け、お互いの無事を静かに喜び合う騎士と姫巫女の2人が気付けなかったとしても、責められる者など在りはしないのだ。

 

 

 ――例えその結果、100年後のハイラルに大きな災いの種を残すことになろうとも。

 

 

   *   *   *

 

 

 "剣"と"姫巫女"の目を掻い潜り、注がれていく【厄災】の魔力。

 しかし魔力に宿っていた思念が予想していたように、その結果が「【ライネル】が復活する」という奇跡に繋がることはない。

 

 単純に奇跡を満たす条件が、この場には揃っていなかったということもある。

 それにそもそも注がれている魔力の総量自体が、【ライネル】という強力な魔物を復活させるためには絶対的に不足していたのだ。……更に付け加えるならば、その魔力は身体を貫通している傷口や破壊された臓器には一切干渉していなかった。

 【厄災】の魔力が向かい、収束している場所。

 ――それは、【ライネル】の頭部であった。

 

 思念にとっては幸いなことに、魔物の魂は肉体が死んでなお、未だ身体に留まっていた。

 立ち会いの中で心臓を破壊され、循環する血を失ってゆっくりと脳死を待つばかりであった彼の脳。そこに黒い魔力が干渉する。

 激痛と後悔、そして謝罪の念に満ちたまま混濁し、肉体の死と共に消失したばかりの意識を再び現世の肉に引き摺り戻すべく、魔力はその力を行使した。

 

 やがて動かない肉体をそのままに、強制的に活動を再開させられた【ライネル】の脳と精神であったが、このままではその人格に許される行為といえば、僅かに伸びた死の間際の猶予時間を使って、暗い闇の中で思考することのみでしかない。

 【魔王】の残滓が保有していた魔力量ではそれ以上の蘇生が難しかったといえばそれまでであるが、それでもその全てを『蘇生』させることに使っていたならば、少なくとも宿った魔力が尽きるまでの時間内という制約はあるものの、【ライネル】の頭部は完全な五感を取り戻すことが叶ってはいたのだ。

 しかしそうならずに脳のみの蘇生に留まった原因。

 それはかつて【魔王】であった人格が意図する『褒美』にあった。

 

 当然ではあるが、魔物と人では意思疎通に用いる言語が大きく異なる。

 紡いできた歴史や文化が大きく異なり、種族単位で敵対している関係でもあることから、お互いの言語に精通する者を見つけることは難しい。

 しかし、かつて人であった【魔王】は人の言葉を解することは勿論、【魔王】と化した後は魔物の言葉に込められた意味すら感覚的に理解出来るようになっていたために、その人格と知識を引き継いだ残滓にとっても、その『褒美』をもたらすことは然程難しい作業ではなかった。

 

 魔力の後押しを受け、【ライネル】の脳がゆっくりと覚醒していく。

 

 活動を徐々に再開する脳の片隅には、注がれた魔力の大部分を費やすことで生み出された目に見えない贈り物が鎮座している。その一時的に生成された魔力塊には感覚器としての機能が持たされ、創造主である思念体からはたった一つの役割を与えられていた。

 

 ……『魔物の脳が理解できる意味へと、"人"の言葉を翻訳して伝える』というただそれだけを、かつて【魔王】であり今は【厄災】となった男の残滓は、その感覚器に求めたのだった。

 

 

   *   *   *

 

 

 【ライネル】としてこの峡谷で"剣"と戦っていた魔物―― その存在が『俺』であることを再び認識した途端、それまでの自分が完全に閉ざされた闇の中にいたことに気付いた。

 

 闇に飲まれる前に浮かべていた思考を思い出すに、途切れる直前までは酷く朧に淀んでいた状態であったはずの自意識が、今は驚くほど明瞭な状態であることにどこか違和感を感じてしまう。それとも死後の者達は皆、こうした心持ちを得るのだろうか?

 

 ……そもそも、自分は死んだのか?

 

 これが死ぬ間際に訪れた瞬間を引き延ばした意識の覚醒状態なのか、それとも完全に死んだことで死後の世界と呼ぶべき場所に意識が移動したのか…… こんなことを考える思考を自我であると認識しながらも、その自分が今一体どんな状態にあるのかが、まるで判断出来なかった。

 

 何しろ今の俺は、「考える」以外に出来ることがないのだ。

 

 目が見えない。

 耳が聞こえない。

 "剣"がどこからか取り出した()()()()()()によって心臓ごと肺を突き破られ、口の中に溢れ返っていたはずの血の味や匂いが一切感じられない。

 致命傷であったと断言出来るその攻撃を受けた後、それでもと必死に伸ばした手の爪先から得られた感触は既に欠片も無く、地面にうつ伏せに近い体勢で倒れこんだはずの体から伝わるべき岩肌の冷たさは勿論、自分が立っているのか座っているのか、それともやはり寝転んでいるのかすらもまるで分からない状態だった。

 

 だから新しい情報を得られない頭に巡る思考は、既に決着がついた戦いを振り返ってしまう。

 死ぬ寸前もしくはもう死んでいる状態であるはずの己にとって、その行為は無益であると分かっているのに、それでも考えてしまう意識は止められない。

 

 ――"剣"を持ち主の手から弾き飛ばしただけで何かを達成したような気になり、その油断を突かれたことで致命傷を負わされた。

 その際に使用してきた得物がかつて討ち取られた()()()()()()(俺の真似をして剣の柄尻に刃を取付ける行為が若者の中で一時流行ったが、振るわれた剣の意匠は間違いなく、かつての弟子がしつこく出来栄えを自慢してきたものだった )であったことに思うところが無いでは無いが、倒した敵の武器を戦利品替わりに用いることは珍しいことではない。それを卑怯だと罵るべきではないだろう。剣士が持っている武器が"剣"のみであると思い込んでいた、己が愚かであっただけに過ぎないのだ。

 ……胸に突き込まれた剣は背中まで一息に貫通し、それがあの戦いの決着となった。

 

 "剣"が単独で孤立しているという状況を知り、【ライネル】としての勝利を優先させるために『彼』の、ネメアンの窮地を知ってなお見捨てた。仮初ではあっても安寧の中に暮らしていた魔物達を戦場へ引き摺り込んだ。

 なのに得られた戦果は、時間を置けば完全に修復してしまうだろう"剣"の傷と、倒れ込む間際、最後の足掻きとして振るった右腕の爪先が、ほんの僅かに剣士の額を引っ掻けてようやく負わせることが叶った、小さな小さな傷とも言えない傷のみだった。

 

 もしこの何も感じられない空間が既に死者の世界であるとしたら、それはある意味で心安らかな場所と言えるのかもしれない。これが死んだ魔物が一堂に会するような空間であったならば、積み上げた命に報いれなかった自分は、激しく非難を浴びたことは間違いない。

 

 (……あぁ、でも)

 

 そんな断罪の場が設けられるのならば、俺はそこに行きたかった。

 そこには多分、『彼』の魂もやってくるはずだから。

 

 【ライネル】にあるまじき行いだろう。唾棄すべき弱音だろう。

 こんな者だと知っていれば称号を譲りはしなかったと責められ、失望と共に見放されることになるかもしれない。

 それでも俺は、彼にもう一度会いたかった。

 会って、彼に謝りたかった。

 

 この戦いに参加を強要した魔物達。

 【ライネル】を信じて同行してくれた同族達。

 永い封印を破り、これから復活する我らの魔王を手助けすることが出来なかったこと。

 今も大陸の上で生き、そしてこれから生まれるだろう全ての魔物達に、"剣"という厄災の脅威を取り除いてやれなかったこと。

 

 まるでその時が来た時の予行練習をするかのように、同じところをグルグルと巡る俺の思考は、己の果たせなかった責任を挙げながら当時の自分の無力を嘆き続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 そうして自省と自虐を繰り返すこと暫し。

 ――――――ふと、『声』が聞こえることに気付く。

 

 無明と無音の空間に響く音。

 それは、確かに声だった。

 

 これは、1組の雌雄が会話をしているモノだろうか。

 失意に苛まれていたこの場においては、ひどく相応しくない感情が宿っていることが伺えるその声はどこか不快であった。だが刹那とも永劫とも区別のつかないあやふやな時間を闇の中で過ごすことを強いられていた意識は、砂漠の中で一滴の水を見つけたような飢餓感を持って、ようやく訪れた外部からの刺激に飛び付いた。

 

 声を拾っているらしい『耳』を無意識に澄ませ、その内容を聴き取ることに努める。

 どんな下らない話でも構わない。自分の置かれた現状を、まずは少しでも探れる材料が欲しかった。

 

 ……声を発しているのは主に雌であり、その声自体には聞き覚えが無かったものの、時折混じる雄が発する相槌の声が、その2人の正体を察せさせた。

 雄の声質は"剣"を振り下ろす際の気合の掛け声など、この闇の中に包まれる直前まで間近に聞いていたのだ。まず間違いなく、この会話は"剣"の主と、その同行者の間で行われているものだと断言出来る。

 ……だが何故。ヒトの言葉など学んだことのない己が、ヒトの会話を聴き取ることが出来ているのだろうか。不思議と声の主がそうであると確信出来たり、そこに至るまでの過程に違和感を持たなかった自分の思考に今更ながらの気持ち悪さを感じてしまう。

 

 

 

 しかしそんな疑問は、すぐさま頭の中から跡形もなく押し流された。

 交わされる人族の会話が、【ライネル】の心をかつてないほどに揺さぶったのである。

 

 

 ――たいした傷では……ないようですが……

 ――けれどこのところ、少し無茶し過ぎです。貴方だって不死身じゃないんですよ?

 

 (それは多くの戦士達の命に加え、俺の全てを捧げてようやく得られたたった一つの戦果、あの小さな額の傷を指しているのか? ……少しの無茶をする程度の労力を払うだけで、容易く殺し尽くせる程度の存在だと、ヤツらは俺達を見做しているのか……!?)

 

 その言葉からは一切の虚飾を感じられなかった。

 心を込め、真摯に相手へと語り掛ける者の口調だった。

 だからこそ、その程度の認識しか持たれなかった己の力不足が情けなかった。そして、魔物の未来を賭けたはずの戦いを何とも思っていないその会話が、彼らに対して今までさほど抱いていなかったはずの感情を浮上させた。

 戦いの最中、戦士として感じていた剣士への賞賛の気持ちの裏で、ヤツは味方や同族に殺戮の限りを尽くした怨敵だと、倒れる魔物の数を数えつつ、しかし冷静に立ち回るべきだと沈めてきたはずのその感情。

 鎌首をもたげたその熱の名前は―― 憎悪。

 

 

 ――最近、魔物に襲われたという報告が増えています。あのような強靭な種族までも混じってきていると……

 ――やはりこれは、厄災復活の予兆と考えるべきなのでしょうか……

 

 (魔王の波動が我らを暴れさせているとでも思っているのか……! 貴様達が喰うためでもなく魔物を殺すから、我らは自衛のために戦ったのだ! 熟練の戦士が狩りや襲撃に加わるのは、そうしなければ弱い者を守れないからだ!

 ……厄災、復活だと?

 それが我らの魔王のことを指しているのであれば、見当違いも甚だしい! その名は地に満ちていた魔物を、住むには適さない山や僻地にことごとく追いやり、見つければ有無を言わずに狩り殺す、貴様達にこそ相応しいはずではないか……!

 少なくとも魔王の力は、魔物の生を脅かしはしない。全ての存在に分け隔てなく、魔力というささやかな祝福を授けるだけに過ぎないのだぞ……

 ……厄災は、【厄災】と呼ばれるべきは、貴様達の方だ!! )

 

  魔物の守護者たる勇者を自認する【ライネル】の矜持がそうさせるのか。魔物に恵みをもたらす神を不当に貶められたことに起因するのか。……それとも、脳の片隅に宿る魔力が何らかの影響を及ぼしているのか。

 【ライネル】の意思は、ただ叫んでいた。

 声は変わらず出ないまま。それでも(はし)る思いの噴出を止めることは出来なかった。

 

 その瞬間だけ、『彼』への悔悟の気持ちはなく、率いた者達への負い目も忘れ、"剣"を十全以上に扱う強者へ確かに抱いていた戦闘者としての敬意を完全に捨て去った、特定の個人へ向けて怨嗟を叫ぶ1匹の獣がそこにいた。

 

 

 ――さぁ急ぎましょう

 ――最悪を想定し、万全の構えを敷いておかねばなりません

 

 

 待て、と。

 

 気炎を上げ続ける脳がそう叫ばせようとしたその時。一度は完全に晴れたはずの思考をに覆い隠していた靄が再び、今度は急速に広がり出すのを感じた。

 どうして、何故今なのだ、と意識を零す【ライネル】にはその原因を思い至ることは出来ない。自身の脳を延命させるために注がれた【魔王】の魔力が今、完全に霧散してしまったことなど、その時意識を失っていた彼に気付けるはずもないのだから。

 

 まだ奇跡的に考える力を持っていた意識の欠片は、せめて最後に殺意を浮かべようとしたものの、思考を侵す漆黒の闇は何ら配慮することなくその全てを飲み込み、心臓を破壊された生物が本来あるべき形へと肉体の状態を戻したのであった。

 

 

 

 

 ――休憩が終わり、下ろしていた腰を上げる2人の人族。

 去ってゆく彼らの背中を止める者は、ここにはもういない。

 

 オルディン峡谷を並んで下り始める"剣"と"姫巫女"の背後で、ようやく【ライネル】は『死体』と成り果てた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   * * * * *

 

 

 

 ――グジュ。

 

 肉塊が、嗤った。

 

 

 

 




 主人公死亡(ガチ)

 そして魔王の残滓による【ライネル】への手厚いアプローチ
 (やり方が厄災寄り鬼畜方式なのは仕様)


 明るい話が書きたい……キャッキャウフフ分が絶望的に足りない……


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ハジマリの赤い月 ~99 years after~

○前回のあらすじ

 【悲報】この作品の姫様、行動も言動も全て裏目【無才の姫】





 

   * * * * *

 

 

 大陸の北と南に別れた場所で発生した、大量の魔物同時襲撃事件は、英傑達が率いる人族側の戦力によって無事に終結した。

 

 辺境に位置する場所に作られた村、特に南部に点在していたモノにおいては、事件発生の初期段階において魔物達の襲撃に見舞われて少なくない犠牲者を生んでしまった。

 しかし、その後迅速に行われたハイラル王国主導の手厚い補償がもたらされたことで、生き残った者達は悲しみを抱えながらも絶望を長く引き摺ることなく、今は愛した村を一日でも早く復興させようと身体を動かしていた。

 

 北の地にて遺物調査を行っていたゼルダ姫は、魔物の大集団に襲われるも英傑のリーダーが傍にいたことでこれを無事に撃退し、難を逃れたとのこと。その際に挙げられた報告の中には「出会うことは死を意味する」と言い伝えられるライネル族の最強種をはじめ、まず人の世界では目撃されなかった強力な個体の登場も確認されている。

 いよいよ厄災復活の時が迫っているのかもしれない―― そう結ばれた報告書には、かつてその出現を預言した占い師の言葉を裏付けるような、不穏な真実味が宿っていた。

 

 しかし、それでも人々の目に諦めや絶望の色が浮かぶことはない。

 

 北でそうした強靭な魔物との遭遇が起こっていたのを余所に、時を同じくして異なる人種2000人で構成された四英傑が率いる人族連合軍と、200を数える魔物の群れによる大規模な合戦が、大陸は南の地で行われていた。

 人族と魔物。この両者間で行われる闘争は小競り合いを含めれば膨大な記録が存在するが、【厄災ガノン】が地上に顕現していない環境に限定すれば、これは過去類を見ない人数が動員されたものだった。

 ……しかし従来であれば多くの死傷者が見込まれただろう、そんな規模の戦場ではあったが、蓋を開けてみれば圧倒的な人族側の勝利に終わったのだ。

 

 その結果は言うなれば、この時代の人族が魔物の力を完全に上回ったという証。

 

 古代の先人達が現代に遺した強力な兵器群。

 今を生きる技術者達が心血を注ぎ作り上げた、どんな魔物も斬り裂ける武具。

 そして、当代最強の英傑達。

 これらを擁して見事魔物の大群を退けたという事実が、例え相手が【厄災】であっても自分達は戦えるという確かな希望を人々に与えていた。

 

 

 

 ――いざ【厄災】が復活する、その時までは。

 

 

 かつて占い師が預言したその時が来たのは、唐突であった。 

 

 多くの民にとっては何でもないその日。

 【厄災】本体に確かな効果を挙げることが期待される超大型の古代兵器『神獣』の調整が一通り終わり、その操縦者である4人の英傑達が修行から帰還する"姫巫女"をラネール山の麓で出迎えるべく集まっていたその日。

 英傑が出迎える中、もし目覚めるとしたら最も確率が高いと縋っていた『知恵の泉』での祈りを以ってしても自分の血に眠っているはずの封印の力は覚醒しなかったと、姫巫女が無言で首を振るしかなかったその日。

 最後の賭けとして赴いた『知恵の泉』から消沈して戻ってきたならば、10年間の長きに渡って王家の責務を強制してきた娘と、父の顔で話し合ってみようと決心していた王が待つハイラル城―― その人間国家最大の都市を呑み込むようにして、【厄災ガノン】は顕現したのである。

 

 事の始まりを告げたのは、僅か5秒にも満たない地震。

 前震や余震を伴わない揺れは、山を崩し地面を裂く―― などといった天変地異を伴うものではなかったが、それでも武の頂きに君臨する英傑達のバランスを失わせるほどの震えをもって、大陸中を駆け抜けた。

 地に足をつけて生きる人間達のほとんどは地に跪かされたその震動が収まる頃、多くの者は頭上の安全を確認するべく『上』を見上げた。例えそこに何はなくとも、落下物の有無を反射的に確認することは生物として当たり前の行動だった。

 ……その時、屋内にいた者は幸せだったと言える。

 例え僅かな時の逃避に過ぎないとはいえ、安穏とした日常に終わりを告げるモノが世界に滲み出てくる絶望の様を、その眼に焼き付けられることだけはなかったのだから。

 ――そして不幸にも屋外にいた者は、その光景を見てしまった。

 

 晴れ渡る柔らかな夕刻の空、輝く朱金色に染まる空間を塗り潰すかのごとく漆黒の闇色が広がり、腐肉から滲み出る分泌液を思わせる薄汚れた紅の輝きが稲光となって、汚れた空に満ちていく。

 そんなモノによって覆われた空を見上げる地上もまた同様の気配が溢れ、絢爛豪華にして荘厳な佇まいを誇っていたハイラル城は一瞬にして、おぞましい地獄さながらの雰囲気を湛える影に包まれた。

 

 ……この瞬間より。

 後の世で挙げられる【厄災】を逃れた生存者を確認する報告書の中に、当時城内に詰めていたとされる三桁を越える人間達の名前が挙げられることはなかった。それは、権力の頂点に君臨していた王にして"姫巫女"の父、ローム・ボスフォレームス・ハイラルの名も例外ではない。

 それは生贄なのか食事だったのか、それともただ近くにいたから殺されただけなのか……ただ分かっているのは、その汚染された空と地にかつてあった多くの命は、完全に失われたということだけ。

 

 瘴気と死に満たされた宙を揺蕩(たゆた)う、巨大な(あぎと)を持った蛇を象る影が螺旋を描いて蠢く姿が、空を見上げる全ての者の視線を集めて離さない。

 城下に住まう者達は、国の中心にいきなり出現したその姿を目の当りにして、その生物の本能を強く刺激する恐怖に竦み上がる。神話を知らない子供、伝承に明るくない一般人であっても、その吠え猛る様子は世界を呪うモノであり、とても良くないモノであることを理屈抜きで直感させられた。

 その姿を直視してしまった彼らの行動は実に様々であった。たまらずその場にへたり込んでしまったまま動かなくなった者もいれば、ひたすらに女神の名を唱える者、力の限り金切声を叫ぶ者、老人や子供を押し退けながら我先に逃げ出そうとする者などが城下の中に溢れ返る。およそ考えられるだけの『混乱』を身体全部を使って表現する彼らの様子は、人ではなく獣の群れを思わせるモノだった。

 

 ……しかし、勇敢に立ち向かうことを選ぶ者達もいた。

 その者達こそ、突如現れたその影が【厄災ガノン】であることを知れるだけの知識を持ち、その対策を任されていた者達。

 英傑、姫巫女―― そしてこの国に住まう者を守護する役目を持った、大勢の兵士達であった。

 

 先の魔物達との戦いを経て、自分達がどれだけの力を蓄えるに至っているのかを実感していた彼らは絶対の恐怖を前にし、それでも踏み止まれるだけの精神を獲得していた。

 1万年の間ただ変わらず封印されていた過去の怨霊に、発展を積み重ねた自分達が決して負けるはずがないのだと己を鼓舞するその心の在り方は、護国の戦士と呼ぶになんら恥じる点などありはしない。

 一兵の末端に至るまで宿ったその勇気は、彼らに握る武器の握力を弱めることを許さなかった。必ずや1万年前の先人が成し遂げた偉業に続くと、震える脚を叱咤してみせたのである。

 

 

 

 だがその『勇気』が美しく輝いていられたのも、僅かな時間だけであった。

 彼らが頼みとした先人達の遺産である古代兵器。

 そのことごとくが【厄災ガノン】が持つ恐ろしい力の前に屈し、制御の全てを奪われてからは、瞬く間に人々の行動は儚い『抵抗』へと姿を変えてしまった。魂なき兵器達は憎悪と怨念の意思に満たされ、破壊と絶望を撒き散らす殺戮の化身となったのだ―― それも兵士達が【厄災】と対峙するべく築いた戦線の内側に抱え込まれた状態で、である。

 

 ハイラルの勇者を護り、姫が持つ封印の力を支えるはずだった4つの『神獣』は、操縦者としてその身に収めたはずの四英傑を、巣食われた厄災の化身に従って皆殺しにした。

 無数の『ガーディアン』はその攻撃対象を【厄災ガノン】から【人】へと変え、(くつわ)を並べるはずだった彼らをその熱線で薙ぎ払った。

 

 予想だにしなかった混沌に包まれる事態の中、それでも必死に抗うべく胸に勇気を宿し続けた者達がいなかったわけではない。特に「近衛」と呼ばれる王国の最も大事なモノを守るために存在していた騎士達などは、最も迅速に事態への対処に動いた集団の1つだっただろう。構成する人員のほとんどは王城に詰めていたためにその数を本来より多く減らしていたが、残っていた彼らは魔物との戦場でも猛威を振るった黒い武具を手に、暴走する古代兵器から民を守るべく王都を走り回った。

 

 ……しかし、それこそが儚い『抵抗』の象徴だったのかもしれない。

 

 太古の王国を支えたシーカー族。

 今は失われてしまった彼らの技術によって造られたのが『神獣』や『ガーディアン』と呼ばれる古代兵器である。

 それらの性能は後の世に培い、今も日進月歩で進む技術で生み出す機械よりも遙かに優れていたために、現代の技術者は古代の技術力を凌駕する兵器を求めるのではなく、それらを補う形で戦いをサポートすることに主眼を置き、その英知を注いだ。

 そうして古代の技術を可能な限り吸い出し、現代のそれと混ぜ合わせて求めた試みの中に生まれた1つの成果こそが、「近衛」が擁する黒い武具。耐久力を犠牲に過去類を見ない攻撃力を発揮する『近衛武具』であった。

 

 しかしその「矛」が持つ絶大な威力を十全に発揮させるためには、「盾」となる『ガーディアン』の存在が不可欠であり。

 その「盾」そのものが敵に回った以上、技術力の格差と圧倒的な耐久力の差は故事にある矛盾の結果を演出することなく、「矛」をただ砕くだけの戦闘が王都のそこかしこで生まれ、消えていった。

 

 

 

 解放の喜びと世界への憎しみに(むせ)び叫ぶ【厄災ガノン】を前に、勇気の炎を宿した命が一つ一つ混乱の絶望の中に呑み込まれる間も、姫巫女の力は目覚めなかった。

 憎悪と怨念の根源を食い止める2つの力の片割れが欠けたまま、それを補う4人の英傑も既に亡い。現代の技術の粋を凝らそうとも及ばない古代の力も丸ごと奪われてしまった以上、人間達に【厄災】を跳ね除ける術などありはしなかった。

 

 ……抗う者がいなくなる。

 そして守られていた者達にも、破壊と絶望の爪は躊躇いなく振り下ろされた。

 そこに分け隔てなどはない。

 ソレは【厄災】と呼ばれた存在なのだから。 

 

 だからこの日に王国を襲った悲劇の結末は、以下の一文によって締められる。

 

 

 

 ――ハイラル王都は、【厄災ガノン】によって滅ぼされた。

 

 

 

   *   *   *

 

 

 

 ……やがて国そのものが厄災の猛威によって滅びた後、"剣"の勇者が致命傷に倒れる姿を切っ掛けに、とうとう"姫巫女"は封印の力を目覚めさせるに至った。

 

 力に覚醒した彼女は己の務めを果たすべく再び崩壊した王都に現れ、王城に君臨する【厄災】と対峙したという。

 ――その結果"姫巫女"が自らを媒介にして施した封印の枷に掛けられ、【厄災】は再び女神の力によって縛られることとなった。

 封印を掛ける者と掛けられたモノ。

 両者の姿がこの世界から消えたことにより、ようやく訪れた平穏に生き残った人々は安堵する。

 

 ……しかし、それは封印の力の片割れを担う"剣"を欠いたままにもたらされた、不完全なものに過ぎなかった。1万年もの間【厄災】を縛り続けた前回よりも遥かに脆いその封印では、地上に影響を及ぼす悪意に満ちた魔力の波動を、完全に抑え込むことは不可能だったのだ。

 

 

 それゆえに。

 蒼さを取り戻したハイラルの空は時折、憎悪と怨念に満ちた咆哮に震えていた。

 

 

 

   * * * * *

 

 

 ――時は【厄災】が復活を迎えるその日までに遡る。

 

 オルディン峡谷。

 

 そこに連なる山々の一つでかつて行われた戦場には、野晒しのままに放置される大量の魔物達の死体が名残となって転がっていた。

 "剣"に討たれ、絶命したその日よりそのままであったそれらの多くは、獣や鳥にその身を啄ばまれるままにされたことで、今では元の形を保っている亡骸を見つけることは難しい。四肢はバラバラに千切られ、白骨を覗かせるままに捨て置かれている。

 あと少し時間が経てば、腐臭すらも火山から流れる熱風に紛れて消えることになるだろう。

 

 原型を留める例外は、山頂付近に転がされた一つの亡骸だけ。

 かつて魔物達に【ライネル】と称えられた存在だったモノのみが、未だ往年の姿を想像させる形状を留めていた。

 

 彼だったモノだけが四肢を保ったまま今も残っている理由は、単純にして明快である。

 その死体は―― 硬かった。

 死んでなおその肌は、あらゆる獣の爪牙で傷付けることは叶わなかった。肉体の活動が止まってから幾日と過ぎ、死後の筋肉硬直は既に抜けきっているにもかかわらず、今も筋肉は生前の鋼の如き堅牢さを保ち続けている。他の同族達の死体はとうの昔に蓄えていた魔力を霧散させ、ただの肉と化してしまっているというのに、その死体に充溢する魔力は薄れることを拒む意思が込められているかのように、生前と変わらず留まり続けていた。

 

 だが、それは間違いなく死んでいる。

 "剣"によって貫かれ、大きな穴を開けた胸はそれが死体であることに十分な説得力を持たせるものであったし、その穴から少しずつ、少しずつ獣に肉を掠め取られ、じっくりと体積を減らし続ける様子を見て、それが生を宿す存在であると勘違いする者はいない。

 

 だからその日、【厄災】が復活して大陸中をその魔力が満たしても。

 その時、天空にかかる満月の月光が、妖しく禍々しい紅に染まって地上を照らしても。

 ソレは間違いなく死体であった。

 

 『ブラッディムーン現象』―― 復活した【厄災】が人類の希望を根こそぎ呑み込み、世界が魔に染まる1つ手前の状況で無才の姫によってかろうじて保たれてからも、一定の周期でその輝きを変質させてしまった月の状態を指す言葉。

 不変であるべき青白い静謐な夜陰は、不完全な封印では縛ることの出来なかった【厄災】の魔力によって侵された。穢れを纏って散った魔が再び現世に戻って産声を上げる、そんな悪夢のような光景が、魔の力を帯びた紅の月光が地上を照らすたびに大陸のそこかしこで生まれるようになっていた。

 

 【厄災】の魔力が地上に蔓延するようになって以来、命を失った魔物は肉体の大部分を魔力そのものへと変え、それに包んだ魂と共に宙を漂うようになった。そしてその魂が赤い月の光を浴びて、再び現世に肉を得るのだ。

 ……だが【厄災】復活前に死んでいた魔物は、その限りではない。既に死んで消滅している魂は、【厄災】の加護が及ぶところではなかった。腐肉の欠片やバラバラに散乱する骨には、魔力の名残すら残ってはいない。

 

 しかし。

 【ライネル】だった物は、死後もその肉体に消えない魔力がこびりついていた。体積をすり減らしながらも、ソレは肉片や骨の残骸ではなく、確かに『死体』であり続けた。

 ……魂がそこに未だ存在していたかどうかは、誰にも分かることではなかったが。

 

 魔力を宿した死体だったのだから、オルディン峡谷を照らす穢れた月光が雲の中に消えた時、光を浴びていたその死体が僅かな残滓を残して消失しても不思議ではなかったし…… 魂の有無が不明であったから、その時に【ライネル】が周辺に再誕しなかったとしても、取り立てて不自然なことではなかった。

 【厄災】の魔力を持ってしてもオルディンの地で散った魔物達の中に、再びこの世に生を受けた魔物は存在しなかったのである。

 

 

 ――それから何年と過ぎ、何度となく赤い月がその空を汚しても、やはりその周辺に魔力と共に消えた肉体を再生させた【ライネル】が生まれ直すことはなかった。

 

 ――5年が過ぎ、10年が過ぎても、やはり結果は変わらない。

 ――20年、50年、75年。

 ――そして99年経っても、やはりライネルの上位種が新たに地上へ蘇ることはなかった。

 

 

 99年後の地上を照らした赤い月は、それまでと同じように天寿を全うした魔物を除き、全ての魔を宿した生命を復活させる。

 ……けれど同時にただ1つだけ、余分な命を地上に再誕させてもいた。

 

 その時の月光が地上に蘇らせた命は、人族への影響という点を考えれば取るに足らない魔物でしかなかった。

 おこがましくも魔物の頂点に立つ【ライネル】と呼ばれた個体とは、まさしくあらゆる面で天地の差がある種族だったと言えるだろう。

 

 赤い肌、短い()()角、細い手足。そして危険を察知するために大きく張り出した、草食獣染みた大きな耳。拙い知性に人族にも劣り得る身体能力しか持たない、その種族。

 

 「始まりの台地」に生を受けたその魔物は、ハイラル全土の至るところに広く分布しながらも、徒党を組まなければ決して強い脅威にはなり得ない魔物であると人族に認識されていた。

 この存在がもし人族と出会ったならば、相手は安堵と共に魔物を指し、こう呼ぶだろう。

 

 

 

 

 

 

 ――赤色のボコブリン、と。

 

 

 

 




 今宵はダァレーがー 生ーまーれ変ぁわーるぅー♪(ディ○ガイア感)

 1章完結。

 「全部完結させるまで30話くらいかなぁ」と1話目時点では軽く考えてましたが、無計画にもほどがありました。今後1章より長い話数を費やす章は無いはずですが、全5章予定とか書いてちゃってる昔の自分に変な笑いが出ます。
 原作が面白くて「ここどんな場所だったっけ? 」とプレイし直すたびに書きたいシーンがところてんみたいに沸いてきちゃうのが問題なんですよね。

 初投稿&亀更新にもかかわらず、1万を超えるUAを重ねて頂いた読者の皆様、ここまでお読み頂き本当に有難うございました。今後とも気が向いた時にお読み頂けるようボチボチ更新していきますので、どうぞよろしくお願い致します!

 あらすじの内容もようやく全回収出来ました。
 せっかくなので、ここにおねだりを一つ置かせて下さい。


 お気に入り・評価・感想など頂けたなら、作者は行商人テリーの如く「ワーオ!」と喜びます!


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2章 赤肌のボコブリン
名無しの子鬼


○今章のあらすじ


 『恋愛』編、始まります。






   * * * * *

 

 

 「その土地」は、どうしてこんな台地となったのか――

 

 それを正確に知る者は、現代にはいない。

 もしそうした疑問を抱く者がいたとして、さらに原因を探ろう思い立って過去の歴史をどれだけ遡ってみたところで、はっきりとした経緯を特定することは難しいだろう。

 

 最も有力にして唯一の方法は当時の出来事を言い伝えとして語る、僅かな古文書の記述に手掛かりを求めることではあるが、先人達が当時最も後世に言い残したかった【厄災】の脅威を伝える目的で編纂されたソレでは、この「台地」が生まれた背景を探る灯火としてはあまりに頼りなかった。

 いくつかの関連する記述を見つけることは出来るかもしれない。しかし御伽噺として語られる昔には既に、台地はその場所で泰然と(そび)えていることが伝わっているとするモノばかりであり、今を生きる者にその来歴を知る手段は皆無と言って良かった。

 

 文献や資料が無いなら現地に行って台地を登り、直接調べれば何かが分かるのではないかと考える者もいる。

 だがそんな思い付きは実際に台地へと赴き、その威容を目にしたことのない者だから出てくる提案であると断言せざるを得ない。そしてもし実物を見てなおその意見を変えないならば、その者は嘲笑をもって蔑まれるだろう …… どうやって『登る』気なのだ、と。

 

 大陸の地上と台地の頂上を分けて隔てる岩盤は、その頂上に存在するはずの平地に至るまで角度がほとんど存在せず、断崖絶壁となって聳え立っている。下界たる地上からどれだけ見上げようとも、厚い雲を突き抜けてなお続くその巨大な壁面は、真っ当な視力でその頂点を伺い知ることなど不可能だった。

 

 もちろん翼を持ったリト族がどれだけ羽ばたこうと、雲の上に霞む台地へ辿り着けるはずもなく、山に生きるゴロン族がその太い腕を駆使したところで、海抜にして途方もない高さにある頂上へとその指を掛けることなど夢のまた夢である。

 台地より唯一地上へと流れ落ちる滝は、あまりにも異なる落差によってその大部分が地表に辿り着く遥か上空で飛沫となり、霧となって雲を形成するままという有様なのだ。もし地表に落ちる僅かな滝の一部を辿ってゾーラ族の者が滝登りを敢行しようとも、途中で水を掴み損ねるか体力が尽き、挑戦した者は滝の上流に流れるとされる川の名が示す通りの『黄泉の川』へと流れ着くこととなるだろう。

 

 行くことも出来なければ、戻ることも出来ない。地に住まう者には、ただ見上げることしか許されない秘境中の秘境。

 そんな成り立ち不明の巨大な台地を、人々は『はじまりの台地』と呼ぶ。

 

 王国が【厄災ガノン】の手によって崩壊してより、もうすぐ100年が経ちながらも人がそうして呼び習わすのには理由がある。……その土地は決して、人跡未踏の地という訳ではないのだ。

 

 かつての王国を知り、今も生き残っている祭祀や村の老人曰く―― その台地には王国が建国される際に深い謂れを持って建立された大神殿、『時の神殿』なるものが存在するという。

 その神殿を直接見たことがある国民は決して多くはなかった。恐らく王国がまだ国体を維持していた時代には、ただ祭事の対象として台地を尊んでいたに過ぎなかったのだろう。しかし国の象徴であった王城は【大厄災】の折に崩壊し、その原因が封印された今も、不吉というにはあまりにも禍々しい気配を漂わせる土地へと姿を変えてしまっていた。

 【厄災ガノン】の爪痕が色濃く残る世界を生きる人々にとって、そんな無残な王城はかつて繁栄した国を想う対象として見ることは難しい。

 

 そうした背景があるからこそ、『はじまり』の象徴に関わる逸話を持ちながらも実体が見えないその台地が、昔の栄華を重ね透かして記憶の中の亡国を穏やかに偲ばせる対象に選ばれ、世代を超えて尊ばれるようになったのである。

 

 懐古の念に駆られた時。

 女神の加護に感謝を捧げ、あるいは求める時。

 人族は皆あたかも縋るように、『はじまりの台地』へ祈りを捧げるようになっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――もちろん、それは人族側の事情にすぎない。

 

 『はじまりの台地』は言わば、外界と隔絶された陸の孤島である。

 その切り離された世界の中に、下界の人族の想いなどが影響する余地などはない。100年に迫る年月の経過はその地に朽ちた神殿や祠だけを残し、生きた人族を絶滅させるに至っていた。

 

 台地の上に今も息づくのは虫や獣、鳥……そして魔物のみであった。

 

 いわゆる【大厄災】を経て、天上に昇るようになった赤い月がもたらす『ブラッディムーン現象』の加護により、台地に住まう人魔の力関係が逆転させていたことなど、台地へと往来する手段を失って久しい地上の人族には知る由もないだろう。しかし現実として、人々が祈りと共に見上げる台地の頂上は、既に人の領域ではなかった。

 かつての繁栄の影を感じさせる建築物の残骸だけを残し、生存競争に敗れて絶え果てた人族に代わり土地の覇権を握った魔物こそが、今の台地の支配者なのである。

 

 天敵を排し、食物連鎖の頂点となった彼らの命が脅かされることは激減した。命半ばに死ぬ個体より生まれてくる個体の数が上回る状況が続き、群れの規模は年々大きく膨らんでいる。

 群れの中には時々新しいコミュニティが生まれ、新天地を求めて別の場所へと独立するなどの変化も度々見られた。その繰り返しで今や広く台地に分布するようになった魔物であるが、肥沃な食物に富み、清水も溢れるこの巨大な箱庭は、そうした増え続ける魔物達の腹を満たし続けた。

 いずれは食糧不足に陥り、群れ同士が争う未来が訪れるかもしれない。しかし【厄災】の加護は食物にまで及び、赤い満月と共に再び実りを迎える食糧を前にしては、その心配は杞憂で終わりそうですらある。

 少なくとも今、台地に住む魔物達にとって常に命の心配をしながら腹を空かせる生活とは、遠い過去の出来事でしかなかった。

 

 衣に不満はなく、食に満ち、住む場所を脅かす存在もいない。

 大手を振って世を謳歌するようになった彼らは、それぞれのコミュニティの中で独自の文化生活を形成するに至っている。

 

 『はじまりの台地』の中央よりやや北部に広がる、かつては『精霊の森』と呼ばれた森と、台地の東部に建てられたまま既に廃墟となって久しい『時の神殿跡』の境目に位置する地域一帯―― を縄張りとする、台地において一際大きな群れもまた、そんな文化を築いた部族の一つであった。

 

 現在、【厄災】が再び封印された年より、99年の歳月が過ぎていた。

 ……そして明日はその100年目を刻む、節目ともいうべき時でもあった。

 

 本来、魔物の多くは暦を用いる習慣がない。

 大陸中にいる彼らと同族の種もほとんどはそうした文化を持たなかったが、彼らはその中でも例外に当てはまる部族だった。人間達の残した廃墟より獲得した知識の欠片から、拙いながらも年月のしるし方を学んでいたのである。

 それは年単位の経過をかろうじて計る程度のモノではあったが、その記録に基づいて彼らは大きなイベントを催す計画を立てていた。そしてその開催日は偶然の一致か、明日の夜に定められていた。

 

 内容は族長の元で執り行われる、『最優の雄』を決める決闘。

 世界を加護で満たして自分達を救った魔物の神に捧げる、神聖にして特別な意味を込めた行事であった。

 

 彼らの一族は名誉と共に()()()()を賭けた、その一大行事に大きな関心と熱意を寄せていた。

 イベントの会場となる(ねぐら)の中心、自然と人工物の狭間に位置する場所に前々から設営していた戦いの場には、老若男女を問わず多くの者達が集まっている。

 ……前日にも関わらずそれだけの者が集まっているのは、何も設営準備のためばかりではない。以前より予定していた催しである以上、既にそれほど人数を要する作業は残っていないのだ。形を整えた石を並べて作った円の中を砂で高く盛り、遠くからでも舞台上で戦う者達の姿が見えるように(あつら)えられた空間は、この瞬間に戦いが始められたとしても立派にその役目を果たすだろう。

 

 では、何故彼らはそこにいるのか?

 

 それは明日の決闘に参加する、部族を代表する屈強な狩人達が狩りから無事に戻ってくるのを願うためであり―― そんな彼らが持ち帰る肉が前日の『宴』として今夜、この場で盛大に振る舞われることを知っていたからであった。

 狩りの成果は決闘の儀に影響するものではなかったが、大抵の参加者達はここぞとばかりに奮起し、他のライバルよりも大きな得物を狩ってみせることで牽制、あるいは観客に力を見せつけるのである。

 

 そして今回の催しに参加する顔ぶれの中に、あの()()()も参加するというのも、この場に多くの野次馬を集まる要因の1つだろう。

 人族の暦にして1年ほど前に訪れた、赤い月の祝福を受けて蘇る同胞達に混じるようにして現れたソイツは、かつて誰よりも足手纏いであった。だが半年も過ぎた頃には縄張りを荒らしていた巨大な熊を打ち倒すようになり、今や優勝候補に挙げられるほどの注目株となっていた。

 

 ――太陽の陽が、もうすぐ夕方を示す角度へと傾こうとしている。

 そろそろ狩りに出掛けた雄達が帰ってくる頃合いだ。

 

 かつてソイツから分けて貰った、巨大な熊肉の味を思い出した1匹のボコブリンの腹を鳴らす音が、祭り前夜の喧騒の中に紛れて消えていった。

 

 

 

   *   *   *

 

 

 

 (今日は、風が強かったんだなぁ…… )

 

 千切れるようにして飛ぶ雲が形を変えながら、いつもより早いスピードで空を流れている。

 

 見上げることを強制された視界に映るのは、背の高い木々から突き出るようにして伸びまくった枝の向こう側。折り重なった木の葉の切れ間から覗く、ぼんやりと赤く染まり始めた空だった。

 

 (……なんて馬鹿なことをしちゃったんだろう )

 

 自分を跳ね飛ばした大猪が、反転する気配が伝わってくる。どうやら、そのまま駆け抜けてどこかに消えてくれるなんて幸運はなかったようだ。倒れた時、強かに打ちつけてしまったことでぼんやりとする脳を包む頭蓋骨に響く振動は、猪が地面を掻いている動作に過ぎないのか―― それとも、もう突進してきているのか。

 

 死ぬ。

 そんな思いが色濃く浮かんでくる思考も、ぐちゃぐちゃに混乱した上に痛みで胡乱(うろん)な頭では、あまり恐怖を感じることもなかった。

 

 ただ思うのは、身の程知らずの妄想に振り回されて馬鹿げた行動を取ってしまった、愚かな自分への後悔と罵倒だけだった。

 

 

 

 

 

 ――自分は、まだ『赤肌』である。

 

 ようやく最近、皆に混じって狩りに参加出来るようになれたという程度の実力しか持たないのに、青肌の戦士達もが参加する決闘の場で勝ち残れるなんて、夢にも思っていない。

 それでも戦士の末席に身を置いている以上は『宴』に参加することは義務みたいなものだから、安穏と集落に留まっているわけにはいかなかった。今日という日だけは、『最優の雄』を決める前哨戦ということで集団の狩りを認められていない。しかし、尻込みする姿を皆に晒すことは出来ない。

 

 決闘の場で、仲間を守り敵を倒せる「戦士」の力を示すことが難しいにしても、狩人としては糧を得られることを証明しておかないと、今後の生活に差し障りが出かねない。臆病者の(そし)りを受ければ最悪、2度と狩りに連れて行って貰えない可能性すらあるのだから。

 

 けれど、それと無茶をするかどうかは話が別だ。

 生きてこそ――。 死んでしまったり詰まらない怪我をしては元も子もない。

 

 有力者達は大型の獣が生息する狩場の森へと先を争うように分け入って行ったけど、自分はそうしなかった。大型の獣と出会えたところで、自分が仕留められるとは思わない。視界の悪い危険が多そうな場所を避け、見晴らしの良い水場を沿って山を登ることにしたのだって、その辺りの場所は大きな獣も少なく、いても小さな鳥や野兎がせいぜいだということを知っていたからだ。

 

 自身の実力なら、そんな獣の1匹でも狩れれば御の字。最悪川を泳ぐ魚を数匹確保出来たなら、狩りの成果としては十分だろう。

 

 (そう思っていたのになぁ )

 

 ――そんなことを考えていた先に見つけてしまったのが、こちらに背を向けたまま川の水を飲んでいる、1体の大猪だった。

 

 手を出すべきじゃない。

 最初は、本当にそう思ったのだ。

 

 身体を包む毛皮はごわごわと分厚く、呼吸する度に膨らむその皮の下からは、みっしりとした筋肉の躍動が感じられる。飢えて痩せた獣の気配は皆無であり、十分な餌を獲得している強者の風格すらひしひしと伝わってくるのである。手に持った唯一の武器である棍棒では、とてもあの猪を仕留められる気がしなかった。

 そして時折顔を上げて周囲を見渡す猪の口元。背後から盗み見る中でも気付けるほどであった巨大な2本の牙が、下アゴから突き出ている様はとても恐ろしいものだった。仮にこのまま忍び寄って棍棒の一撃を運良く打ち込めたとしても、あの筋肉の塊を一撃で倒すことは不可能だろう。逆に筋力を活かした突進を喰らって、あの牙に突き上げられるのがオチだ。

 

 音を立てないように、慎重に。足元へ細心の注意を払いながら後ろ足で後退する。

 川沿いに登る中で、魚の影は確認できたのだ。数匹回収して帰れば、それで狩りの成果としては及第点。何も危険を犯す必要はない。

 

 そう考えられる自らの冷静さに安心しながら、ゆっくりとその場を離れようとして―― 目の前の恐ろしい猪が唐突に足をふらつかせ、たたらを踏む姿を目にしてしまった。

 

 思わず、また一歩下がろうとしていた足を止めてしまう。

 

 (もしかして、怪我をしているのか? )

 

 弱っている?…… そんな意識でもう一度猪を観察し直せば、その足元はひどく頼りなく震えているようであった。水を飲みながらもしきりに周囲を見渡そうと顔を上げる姿は、襲撃者に怯える小動物を思わせる。よくよく見れば、顔には何度も固いモノで殴打されたことが伺えるアザのようなものまで浮かんでいるではないか。

 

 恐らくは何者かの攻撃を受けた後、命からがらここまで逃げてきたのがあの大猪なのではないだろうか。そしてそのダメージは見たところ、その身体に色濃く残っている。

 大猪が、再び後ろ足をふらつかせた。

 

 ――もしかすると、今ならあの大猪を倒すことが出来るかもしれない。

 

 他の戦士達の獲物だったのかもしれないが、逃げられたというのであれば、ここであの獣を自分が仕留めることは横取りに当たらない。

 ……『赤肌』の自分が、巨大な猪を倒す。

 それがどれだけ褒め称えられる偉業となるかを想像してしまった。

 

 下がるために動かしていた足を、前に踏み出す。

 もう頭の中は、どうやって目の前の獲物を仕留めるかを考えることしか出来なくなっていた。

 

 そして想像の翼は逞しくも、既に猪を持ち帰る自分の姿を幻視することまで始めている。

 勿論、狩りの成果で『最優の雄』に認められるはずもないとは分かっている。そして、決闘においてはこんな幸運は働かないだろうということも。

 しかしこれほど大きい猪なのだ。間違いなく、今回の狩りでは最も大きな得物として称えられることになるだろう。族長の覚えも良くなることは間違いない。

 ……そしてあの麗しい雌の瞳に見詰められ、甘く言葉を交わす関係を築く切っ掛けを作ることだって、夢じゃなくなるはずだ。

 

 にじり寄る足を、駆け足に変える。

 

 ようやく物音に気付いた得物が、慌てたようにこちらを振り返るももう遅い。そして振り返った頭は丁度、自分が全力で棍棒を振り下ろすには絶好の場所に差し出されていた。

 降って湧いた好機に心を震わせつつも、その脳天を割るべく欲に滾った棍棒を振り下ろした――

 

 

 

 

 

 ……確かに、棍棒は大猪の頭を捉えた。

 千載一遇のチャンスをモノにしたと、その時の自分は幸福の絶頂にあったと思う―― しかし、幸運は「猪の頭に棍棒を当てるまで」という期限付きだったのだ。

 振り下ろした棍棒は獲物の額を確かに叩いてはいたが、その感触は「浅い」の一言に尽きた。なぜなら下アゴから大きく伸びた二つの牙が棍棒の根本に食い込み、勢いを大きく殺してしまっていたからだ。

 そんな一撃では猪から命は勿論、意識を奪うことも叶わなかった。

 煩わしそうに頭を振る獣。その牙に深く食い込んでしまっていた棍棒は、その勢いに負けて手から取り上げられてしまった。

 唯一の武器が奪われたことで混乱した頭は、その場から逃走することよりもソレを取り戻すことを優先させた。そして思わず手を伸ばした体勢で固まった愚かな自分の隙を、正当な怒りに燃える獣は見逃さなかったのである。

 

 直後、腕を上げてがら空きとなった腹に突き刺さったのは、猪の鼻先だった。

 予備動作など存在しない。ふらついていたはずの足とは思えない瞬発性を圧倒的な筋力で実現させた、大猪の突き上げである。

 牙が身体を突き破らなかったのは、その先端に棍棒が突き刺さったまま、盾の役割を果たしたからに過ぎない。だが、それは刃物が鈍器に形を変えたというだけの話でもあった。

 

 筋力と体格、そして重量。あまりにも格差がある両者の衝突は、子鬼の身体を宙に高く打ち上げるという当然の結果となった。

 羽を持たない生き物としては長い滞空時間をかけて地面に叩き付けられる子鬼と、勢い余って走り抜け、おぼつかない足取りで不格好なブレーキを掛ける大猪。ふらつきながらも再び頭を振ることで、ようやく牙から抜け落ちた棍棒には無惨な二つの大穴が刻まれており、殴打する武器としては二度と使い物にはならないことは明白だった。

 子鬼は小さく呻くだけで、未だ立ち上がることも出来そうにない。

 

 

 ――こうして互いに一撃を交換し合った戦闘は、あっけなく大猪に軍配が上がったのである。

 

 

   *   *   *

 

 

 木漏れ日から注がれる光に僅かに目を細めながら、頭に伝わる振動が急速に大きくなっていることに気付いた。どうやら、いよいよトドメを刺す気になったらしい。

 寝転がってるのに頭がぐらぐらと揺れている。気持ち悪くて、油断すると吐きそうだった。幸い骨は折れていないみたいだが、しばらくの間はとても立ち上がれそうになかった。

 ……調子に乗って獣の戦力を見誤った以上、この結果は仕方がないのかもしれない。

 もう、ここから生き延びる可能性は皆無だろう。

 

 (願わくば、こんな愚か者にも『祝福』の加護が訪れますように……)

 

 そう願いつつ、自分の頭を叩き割る蹄を見たくなくて目を閉じた。

 土を蹴りつける音が近づく。

 

 

 ――その時だった。

 差し込んでいた陽の光をすっかり隠すほどの大きな影が自分の頭上に現れたのを、(まぶた)の裏に感じたのは。

 初めは猪なのかと思った。何故なら、もう地面を鳴らす蹄の音が耳に聞こえなかったからだ。頭を踏み抜かれ、痛みもなく死んでしまった後の、ほんの僅かに許された思考の猶予なのだろうと。……しかし頭を揺らす気持ち悪さは健在のまま、自分はまだ生きていた。

 影の正体を確かめたくて思わず目を開いてみても、そこには光を溢す木の葉が見えるだけ。どこに消えたのかと首を巡らせてみれば、果たして大猪が向かってきていた方向に決定的瞬間が起こっていた。

 

 ソレは、まるで坂道を転がり落ちる岩のようだった。

 恐らくは自分を跨いで超えた時から始めていたのだろう、前転しながら跳躍を続ける身体。地面に手や足を叩きつけながら加速を加え、ほとんど球体のような高速回転を繰り返しながら大猪に迫るそれは、確かに同族のモノであったように見えた。

 いつの間にか止んでいた蹄の駆ける音は、真実足を止めていたからだというのも分かった。そしてその大猪の顔には、意味不明なモノを見たというだけではない、明らかな怯えの色が浮かんでいた。…… 恐らくはあの顔のアザをつけた存在こそ、今回転する勢いを活かして高く跳ねた同族なのだろう。

 

 (そう、か。最初にあの猪を獲物にしていたのは、彼だったのか…… )

 

 ――棍棒の風を引き裂く音が、離れた自分の耳にも聞こえてくる。

 直後周辺に響き渡ったのは『ゴズン! 』なのか、それとも『ドゴン! 』だったか。とにかく肉と木の棒がぶつかったにしては余りに重々しい重低音と、

 

 ――プギィィ……

 という、断末魔と呼ぶには余りにか細い大猪の悲鳴だった。

 

 

 

 やがて二度と動かなくなった大猪の絶命を確認したらしい同族が、こちらを振り向く。正面を向いて顔を見せた命の恩人は、やはり自分が思っていた通りの人物だった。

 

 体格や身長は、自分とほとんど変わらない。肌だって赤色である。

 自分をはじめとした部族の者達には頭頂部に小さな1本角が生えているのに対し、彼は小さくねじれた2本角が額より生えていることを除けば、外観的な違いは無いと言っていいだろう。その姿は、間違いなく自分達と種を同じくする子鬼だった。

 ……そんな彼がやや孤立気味なのは、部族のアイドル―― 麗しの雌――が、公然と彼への好意を隠さなくなったからだと思っている。かくいう自分にとっても彼女は憧れだったので、やや嫉妬混じりではあるものの、彼のことはそれなりに知っていた。

 

 赤い月の祝福を受けて生まれたばかりの頃は、後ろに転がってばかりいた妙な者だったことを覚えている。けれど時が経つ内に前例の無い早さで強くなり、集落を脅かす獣として畏れられていた巨大熊を単独で討伐した時から、彼は青肌の戦士達を差し置き『最強』を噂される1人となった。

 

 強さこそ正義の世界。彼の力を疑う者はいない。

 けれど表情に乏しく、この地に復活する前はどこにいたのかを一切語らない彼の内面に触れた者も、またいなかった。

 今も奥歯を噛みしめたような厳めしい顔ながら、感情の読めない無表情をコチラに向けていた。

 

 その顔に見下ろされて正直、結局はあの猪に歯が立たなかったものの、もし獲物を横取りしかけたことを責められたらどうしようなどと内心縮こまっていたものだったが、彼はゆっくりと片手を伸ばして、こう言った。

 

 

 ――生きていて良かった

   起き上がれそうなら、手を貸そう

 

 

 初めて聞くその声の呟きは低く、けれど樹齢を重ねた大木を思わせる不思議な安心感を抱かせる雰囲気を漂わせるものであり…… 木の葉の切れ間から落ちる光が彼だけを照らし抜き、背後に巨大な猪の骸を背負った彼の姿は、あまりにも戦士として映えていた。

 命を救われた直後ということも手伝っているのだろうが、それは今まで自分が見てきた戦士達の誰よりも格好良く思えたために、これは麗しの雌が夢中になるのも無理はないな、と思えてしまう。

 

 まだ少しふらつく頭を宥めつつ差し出された手を掴んで起き上がり、彼と同じ陽の光を浴びる―― いつか自分も、この『ナナシ』のような強い戦士になろうと思えた。

 密やかな嫉妬はもう、柔らかな光の中に溶けていた。

 

 

 

 

 

 

 

   *   *   *

 

 

 ……この時、彼の手を握った際に抱いた高揚が純粋な憧れと感謝の感情であることを確かめるため、後から麗しの雌を眺めてちゃんと興奮できるかを再確認し、結果自らが雄として正常であることが分かった時。

 赤肌の子鬼は、心の底から安堵した。

 

 

 

 





 BL展開はありません。


 ボコブリンの知能が妙に高そうなモノローグ描写になっていますが「オレサマオマエマルカジリ」ばかりでは文章書くに書けないので、拙作に登場する魔物のINTは大体高い設定であることをご容赦下さい。

 原作には「はじまりの台地」と呼ばれる、台地というよりは「ギアナ高地に存在する超巨大なテーブルマウンテン」染みた地形が登場します。その存在に対する考察は割愛しますが、そこはリンクを操作するプレイヤーが、「ゼル伝BotW」の世界に初めて触れる場所だったりします。
 使い慣れないswitchのProコントローラーを持ち、現実と同様に全く同じ配置は存在しないリアルなフィールドを自由に歩きつつ、なんとなくプレイしていると自然に「あの場所はこの辺にあったよな」とフィールドの絵を記憶していたと気付ける、計算された自然物や敵の配置にとにかく夢中になったものでした。
 そして台地に限っても十分広大なフィールドではあるのですが、いわゆるそこはプロローグ。
 外に踏み出した途端、縮尺狂ったのかな? と思えるほどにメチャクチャ広がるマップに度胆を抜かれるのは、BotWの中でも5指に入るwktkポイントではないでしょうか。
 そんな思い出補正もあって拙作では100年後の世界でも聖地扱いさせていますが、これは捏造です。

 ※大猪=モリイノシシ
 考えなしに斬り掛かっても思わぬ耐久力からトドメを刺せない場合が多く、反撃の突進を受けて跳ね飛ばされることになる。これをやられると誰も見てないソロゲームのはずなのにちょっと恥ずかしい。



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ボコブリンの集落 ~宴の準備~

○前回のあらすじ

 100年後の「はじまりの台地」は、人のいない魔物の楽園となった。
 下界と切り離された箱庭で大猪に殺されかけていたボコブリンを救った、2本角の魔物。
 それは台地で死んでから再び復活した者ではない、『ナナシ』と呼ばれるボコブリンだった。





   *   *   *

 

 

 "ようやく"追いつき仕留めることが出来た大猪を見下ろしながら、ここまで追いすがる為に全力で駆けていた身体を少しでも休めるべく、深呼吸を繰り返す。

 酷使された身体は籠もる熱を冷まそうと汗を吹き出し続けたまま、鼓動はガンガンと耳にうるさい。右手に握る棍棒もずっしりと重く、このまま取り落として座り込みたくなるくらいには、全身くまなく疲れ切っていた。

 

 ……ふと、今感じているモノが強敵を倒した達成感だということを自覚し、荒く吐き出す深呼吸の中に小さな溜息を混じらせてしまう。

 

 現状をある程度は飲み込めるようになってきたとはいえ、改めて受け入れるにはやや躊躇いを覚えるほどには、かつての肉体と比べて今の自分はあまりにも貧弱だった。

 

 (あれが強敵? …… いや、強敵だったか。子鬼なら、大猪(これ)は大物だろうな…… )

 

 ()()()()()であるならばこの大きさの獣を倒すというのは、快挙に違いないのだ。

 己を慰めるわけではないが、この獲物を仕留められたことは確かな成果として誇っていいだろう。

 

 襲われていた子鬼も、地面に叩きつけられた際の衝撃で頭を揺らされただけで怪我を負っていたわけではなかったらしく、歩行自体に問題ないという。それでも助け起こした際にはやや足元がフラついていたために、仕留めた猪を木に引っ掛け、少しでも軽くするべく血抜きをしている間は休ませることにした。

 終わった頃にはしっかりと地に足がついていたので、どうやら強がりではなかったようだ。

 

 これは、俺にとっても都合が良い。

 子鬼の体格でこの猪を運ぶに当たって、一人では引き摺るしかなかった。怪我をしていないというのであれば、是非とも彼にも手伝ってもらいたい。幾度となく殴打してしまった獲物ではあっても、どうせならこれ以上痛めずに良い状態のまま持ち帰りたいのだ。

 

 ……こんなところでもかつての肉体と比べてしまう自分が、どうにも未練たらしかった。

 

 

   *   *   *

 

 

 子鬼の彼と共に猪を担ぎ、川沿いの獣道を進んでしばらく。

 無事に辿り着いた集落の中央、『宴』の広場となっている場所には、既に大勢の者が集まっていた。

 

 「おぉ! 大物だぜ! 」

 「俺の獲物より一回り大きいな……こりゃあ今回一番の大物なんじゃねぇか? 」

 「ナナシだぁ!ナナシがでかい猪を仕留めてきたぞー! 」

 

 どうやら狩りに出掛けた面々の中で、俺達が未だ戻っていない最後の面子だったらしい。大きな獲物の登場に目を輝かせた子鬼の子供は真っ先にその周辺に群がっていたが、遅れて顔を見せたのは狩りに出掛けていたはずの、『決闘』に参加する戦士達だった。

 今日の狩りに臨む前に言い含められた複数の狩り禁止のルールであったが、助けた彼が率先してこの猪を仕留めたのは俺であり、自らはその場に居合わせたに過ぎないと証言してくれている。彼自身も帰還途中、川より魚を得ることが叶っていたので、無収穫を責められることはないだろう。

 

 戦士としては微妙な狩りの成果を仲間にからかわれているのか、頭をこずかれている彼の後ろ姿を横目で眺めていると、1匹の子鬼がこちらへ無遠慮に近づいてくるのに気付いた。

 

 「よぉナナシ! なかなか見事な獲物を狩ってきたじゃねぇか!! 俺のトコにもこんくれぇのが出てきてくれれば良かったんだがなぁ! 」

 

 運がなかったぜ、と野太い声を愉快げに震わせながら気軽に肩を叩いてくる腕は、深い青色をしていた。加えてこうも気安く自分に話し掛けてくる存在といえば、思い当たるのは一匹しかいない。

 

 首だけ振り返るとそこにいたのは―― やはりというべきか。

 この集落で最も強者()()()子鬼の戦士、青肌のベコリーが、その青色の腕で俺の肩に手を置いていた。

 

 ……不意に、肩に置かれていた手に力が籠もっていくのを感じる。

 

 「だがよぉ、明日の『決闘』じゃ負けねぇからな? 彼女の心を射止めるのはこのベコリー様だってことを、忘れるんじゃねぇぞナナシぃ…… 」

 

 生まれ直してより今までの、季節が一巡するかしないかという、時間にしてみればそれほど長くない期間しかこの集落にいなかったはずの俺に対し、いつの間にか事あるごとに突っかかってくるようになったのが、目の前の雄であった。

 

 魔物にとって魔力の多寡はそのまま、力の大小を決定する。

 かつての身体と遜色無い魔力を有しているはずでありながら、自分が何故赤肌の子鬼の姿をしているかは未だはっきりとした答えを持たないが、本来色が変じるほどに高い魔力を有する個体と、種族は同じでもそうではない通常種の個体には絶対的な力の差が存在しているのだ。

 にも関わらず、目の前の子鬼は何かにつけてはこうして因縁を吹っかけてくる。

 

 この身を得た直後の、肉体的にも精神的にも弱者の中の弱者として在った頃ならいざ知らず、今ではこの集落の中に限れば、かなり抜き出た実力を示せるようになってきた自分だ。

 弱者の皮を被ったまま力を隠したりはせず、そう振る舞ったことに後悔などはないのだが、本来であれば青色が赤色に突っかかるなどという、戦士にあるまじき弱い者いじめな光景が頻繁に繰り広げられているというのに、最近ではなかなか間に割って入ってくれる者がいなくなったというのは、なかなかに面倒臭かった。

 

 (惚れた雌がいるならば、ソッチの歓心を得られるように努力すれば良いだろうに。どう思考すれば俺にかかずらうことで、その恋愛が上手くいくなんて思えるのだ? )

 

 

 豚鼻をブルブルと震わせながら耳元でがなる音がいよいよ煩わしく、もうブン殴ってしまおうかと思い始めた頃になった時、族長を含んだ集団が詰めていたドクロ岩の中から年老いた子鬼が1匹、広場に据えられた高台に姿を見せた。

 どうやらようやく、広場に運び込まれて並べられた獲物を検分する『獲物比べ』が終わったらしい。

 

 ――そして今夜のメインディッシュは、俺の猪に決まった。

 

 

 まだ隣にいたベコリーが熊のようなうめき声を挙げて地団駄を踏む。次点の評価を受けながらも露骨に悔しがるその様子は、周囲の者達から明るい笑い声を引き出していた。

 その喧しさと、わざとらしく土煙をこちらに舞い上げようとする底意地の悪さには辟易するばかりだったが…… それでもそれが原因でベコリーを嫌悪したり、下等な魔物と見下す要素とは成り得なかった。

 元々この台地で生きていたわけではない俺という子鬼は、言ってみれば集落に縁のない身元不明の存在である。それも赤肌でありながら、最弱だった戦闘力を僅かな期間で青肌を超える域まで高めてみせたという不気味さまで備えている。本来であればかつて遠い記憶の中で『彼』に拾われる前に味わっていたような、遠巻きにされた腫れ物扱いをされても不思議はなかった。

 しかしベコリーの、古くから集落を守ってきた強戦士があけすけにそんな存在を構う光景が、異分子を集団に受け入れさせる雰囲気を生んでいるように思うのだ。

 生まれ変わった世界に、身の置き所がある。

 そう思わせる空気を作ってくれた者を嫌うほど、今の自分は追い詰められてはいなかった。

 

 

 ……それでも、鬱陶しく思う時が多いことに変わりはないのだが。

 

 懲りずにプギィプギィとわめくちょっとした恩人の頭を強めにはたき、他より少しだけ高く設けられた檀上へと登った。狩りの成果を族長より称えられ、広場に集まった戦士達からも賞賛の声がちらほらと聞こえてくる。それに妬みの色が含まれていないのは、さしてこの結果に与えられる旨みが無いことを知っているからだろうか。

 

 本番はあくまで明日の『最優の雄』を選ぶ決闘の場。

 今夜はその儀へ臨む雄を称える前夜祭に過ぎず、狩りの結果自体に大した意味はなかった。得られるモノと言えばちょっとした名誉と、明日の組み合わせが少しだけ優遇されることくらい。

 今日の宴を締め括る場で何かしらの挨拶みたいなものを強いられたことなどは、煩わしいだけの役回りとすら言える。

 

 ……そんな益もない事を考えながら壇上を降りると、不意に新鮮な血の匂いが鼻先を漂ってくるのに気付いた。

 

 匂いの先に目を向ければそれは高台の向こう、岩を頭骨の形に削り出した子鬼特有の棲み処の中より生まれたモノであるらしいことが分かる。

 大きく開かれた口に相当する入口より覗ける光景が、今まさに大猪の解体が始まったことを告げていた。

 

 子鬼とて、(れっき)とした知恵を持つ魔物である。

 野を駆ける獣のように、ただ生肉に齧りつくようなことは滅多にしない。血を抜いて皮を剥ぎ、焼いて柔らかくなった肉を楽しむくらいには食を娯楽として楽しむのだ。気の早い連中や幼い子供達などは、持ち寄られた大量の獲物が一気に捌かれることで撒き散らされ始めた、香しい血の匂いに興奮して踊り出さんばかりにハシャぎだしていた。

 

 ――ぐぅ、と。

 やや籠もった音が俺の下腹部より響く。

 誰に聞かれて恥ずかしいわけでもない。しかし日中ずっと猪を追い回した俺自身も、随分な空腹であることを思い出す。肉の焼き方については一家言(いっかげん)を持っていると自覚している身としては、今すぐにでも調理場へと乱入したい欲が湧いてくる。

 あれほど見事な猪肉を、ただ火で炙るだけの焼き料理に燻らせるのは勿体ないのだ。是非とも背の高い茎を持つカブをほどよく焼き、一緒に煮込むことで生まれるコクの深さを教えてやりたい―― と思わなくもなかったが、調理をはじめとする今宵の宴に関する雑務は雌の仕事であった。

 

 いつから始まった伝統かは詳しく知らないが、決闘に臨む戦士達はそれらに関わることを許されていないらしい。

 そんなことを繰り返し語って聞かせてきた彼女――ボコナの背中が調理場である岩の入口からチラついて見える以上、自分がその中に混じることは難しいだろう。

 

 ボコナは族長の娘である。

 その立場上、若くして雌達を取り纏めることも多い彼女ではあるが、それを除いても調理する後ろ姿から察せられる動作に淀みはない。刃物の扱い一つをとっても、普段から調理に慣れた者の動きなのだということは容易に見て取れる。

 そもそも事実として、彼女の腕前は相当なモノであることを俺は知っていた。なのに俺が乱入してしまえば、ただ彼女の不興を買うことにもなりかねない。好みの味を求める機会は、何も今日しか無いという訳ではないのだから、自分の仕事に誇りを持つ者の領分をわざわざ侵す必要もなかった。

 

 ふと周りを見渡せば、御馳走に騒いでいたと思っていた戦士達の半分以上が、岩の向こう側に見え隠れする彼女へと熱の籠もった視線を向けている。

 影で「麗しの雌」と雄達に呼ばれる彼女は、生まれついての子鬼達にとってはそれはそれは魅力的な存在であるらしかった。大きな瞳と綺麗な曲線を描いて垂れる耳、ツンと尖った鼻の先。この集落にそれほど長く居ついているわけではない俺にはその差を感じることは出来ないが、ある戦士曰く、最近ふっくらとした臀部の丸みに色気を感じてならないらしい。

 ……今その戦士はどこかに頭でも打ちつけたのか、目を回して気を失っている様子ではあったが、もし意識があったならばボコナの後ろ姿を見て、品性を獣のソレまで下げ果たした顔で褒め称えていたことだろう。

 子鬼の美醜を語るには難しい身の上ではあるが、彼女こそが今回の『最優の雄』の儀に辺り、最も望まれる「褒賞」たる存在であることは公然の事実であった。

 

 

 ――しかし、彼女がいることで調理に参加出来ないというのであれば、宴が始まるまでに持て余す時間をどうやって潰すべきか。

 

 適当にベコリーとでも棍棒を打ち合わせようかとも思ったが、彼は依然として地面に寝転んだままである。宴が始まる頃には勝手に起きるとは思うが、その時近くにいて再び騒がれても厄介でしかない以上、ここは放置した方が得策だろう。

 気の良い雄であり、仲間達の信望も厚い彼が気持ちよく眠っているのに、わざわざ起こそうとする戦士はいなかった。皆、食事が始まるまでの穏やかな時間を大切にしたいのだ。

 

 

 (……ならば、あそこか )

 

 視線を向けた先にあるのは広場にほど近い場所に存在する、人族が作ったと思われる建築物があった。今は人の影が台地より消え、自分がこの地に生まれ直した時は既に廃墟として放置されるがままとなっているが、建築材に石材を多く用いられたその建物は未だその形の大部分を保っていた。

 

 ハッキリ言って、その建物に良い思い入れはない。

 近くに寄るだけで、かつてそこで思い知らされた絶望が否応なく込み上げてくるのだ。むしろ普段は、意識して避けるような場所ですらあった。

 

 ……それでも明日に『最優の雄』を決める戦いを控えたこの時だからこそ、もう一度あの建物から見渡せる景色を前に、これからの指針を再確認しておかなければならない気もするのだ。

 

 

 『最優の雄』となった者には栄誉の他に、望むモノを得られる権利が与えられる。

 それはたった1つに絞られるが、許される範囲はとても幅広くもあった。かつてその栄誉を勝ち取った歴代の雄達が手にした「賞品」の雑多さが、その証と言えるだろう。

 

 それは「族長の座」だったり、あるいは「美しい雌」だったり…… 叶えられた中で1番多かったという願いが「優れた武具」であったらしいことは、戦士なら誰もが肯定する「強い者が正義」という信条を考えれば当然かもしれない。

 今回の場に彼女を望む声が多いのは、「次期族長の座」と「最も美しい雌」を両方とも得られるからと考える雄が大勢いるからだろう。

 

 そして俺もまた、そんな褒賞目当てに『最優の雄』に参加するのである。

 もっとも、目当ては彼女ではない。

 子鬼達がいくつか所有する宝物。その中の1つを穏便に得るための手段として、俺は今回の決闘に参加することを決めていた。

 

 ただ、あの時以来足を踏み入れることのなかったあの場所に、今改めて行こうとしているのは気紛れ以上の動機はなくとも、しかし行くだけの意味はあるように思えた。

 

 

 

 ――もう一度確かめたかったのだ。

 

 再び廃墟の上から台地の外の景色を眺めた時、人族達が建てた城を覆う「魔王の影」を目に入れて、あの時よぎった自分の考えが変わらないかどうかを。

 

 

 




 初プレイ時、呑気に野山を走っていると、瓦礫の教会周辺でおもむろに『時の神殿跡』と現在地名称を示すテロップが画面左下に浮かんできて「!?」ってなった思い出。

 ※青肌の子鬼『ベコリー』=青ボコブリンその1
 初めは名前系統をリト族に習って「豚の部位」とかにしようかと思いましたが、それだと結構かぶるので「品種」をもじっています。
 元ネタは生ハムの王様として知られるイベリコ豚。いつか「ベジョータ」のソレを食べてみたいなぁ。

 ※麗しの雌『ボコナ』=赤ボコブリンその1
 ボコブリンとエポナの悪魔合体ネーム。
 パッチリおめめと綺麗な曲線の耳が、雄の視線を捉えて離さない。


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怨念の渦から垂れる腕

○前回のあらすじ

 ナナシ「飴色に炒めたマックスラディッシュの付け合せは、ケモノ肉にコクを与える!」
 



 

   *   *   *

 

 

 猪の肉をふんだんに使ったきのこのシチュー、根菜を薄切りにした肉で包んだ焼き物。塩をまぶして香草を添えた川魚の姿焼き――

 

 族長の、父の宣言の後に始まった宴が、騒がしくも楽しげに催されている。

 戦士達が狩ってきてくれた獲物が、今日の宴を飾るメインディッシュだ。そしてその中には、私の作った料理も次々と饗されている。狩りの慰労と明日の無事を願って真心を込めた自信作が、雄達に舌鼓(したづづみ)をもって喜んで貰えている様子は、正直に嬉しいものだった。

 

 ……もちろんそこに"彼"の姿があれば、それはなお心満たされる光景だったはずなのだが。

 

 

 「なんっで! ナナシがいないのよっ! 」

 

 戦士が全員集まり、それを観覧する集落の魔物達を丸々収められるように設営された広場であるが、それでも目当ての存在を探すことに難儀するほど広いわけではない。一段高くなった場所から会場を見渡してみれば、この場に二本角の赤鬼がいないことはさして時間を掛けずとも分かることであった。

 

 料理をしながらも時々広場の様子に気を配っていた時には、確かにそこには"彼"の姿があった。そんな彼の横にはベコリーがいつも通りに絡んでいたので、宴が始まってからもそんな目立つ青鬼の隣には、今も"彼"がいるのだろうと思い込んでいたのだ。

 ……そんな訳で広場を見渡した時にはたまたま、何かの影に隠れた"彼"を見落としてしまったのかもしれないと思っていたのだけれど、どうやら違うらしい。

 

 集落の老人達と話し始めた父と別れ、その目印となるべき青色の場所へようやくやってきたというのに、その周りには肝心の"彼"はいなかった。

 ただただベコリーだけが、私の手料理を旨そうに貪っていたのである。

 その光景は、年下の雌達をそれとなく誘導してわざわざ配膳させた私の乙女心を、逆撫でして余りあった。 ……それはアンタの為に作った串焼きじゃないんだけど!

 

 「ちょっと聞いてるの!? ベコリー、あんたコラぁ! 」

 

 こちらの顔を見た途端、嬉しそうに手を振ってくる馬鹿。

 その能天気な笑顔にイラッとしながらも落ち着いて聞いてみれば、なんとこの青鬼、食事の喧騒が聞こえる前までの間気絶していたらしい。十中八九、犯人は"彼"だろう。

 最近では恒例となりつつあるじゃれ合いの延長なのだろうが、この集落有数の戦士は"彼"を追うよりも、目に前に用意された食事を食べることを優先させたのだとういう。

 

 ――いつもは鬱陶しいくらいに"彼"へ絡んでいるくせに、私がそれを頼って会いに来た時に限ってそうしていないなんて、役立たずにも程があるんじゃないの? 誰の断りがあって私の渾身の料理を貪っているのよ…… しばいてやろうかしら?

 

 ペースを抑えさせようと私がそれを作ったのだと言ったら、なおのこと嬉しそうに食事の手を早めたのはどういうことなのか。

 最早呑み込んでいるのかと思えるスピードで、"彼"の為に作った料理がどんどん消えていく。

 きっと良い嫁になるぜ、とかなんとかのたまっているその姿が、今はとても腹立たしくてならなかった。

 

 

 ……肉を敷いていた草皿や汁物で満たされていた石の器が、馬鹿の周辺に空となって転がる面積がどんどん増えていく。この辺りの料理を残らず食べ尽くそうとでも言うのだろうか。

 私からすれば傍迷惑千万な決意を感じさせる様子に、とうとう拳を固めることを決意した時、私の後ろから声を掛けてきた者がいた。

 

 「ナナシなら宴が始まる前に、あっちの方へ歩いていくのを見ましたよ? 」

 

 振り向いてみるとそこにいたのは、今日の狩りで"彼"に助けられたという1本角の赤鬼だった。その雄が指し示した方角には―― あの"廃墟"がある。

 

 初めて出会った時以来、"彼"があそこに寄りつこうとしなくなったのは知っている。けれど明日の儀式を迎える今日という日にわざわざ宴の輪を離れた"彼"が、あの方角に行ったというのなら…… やはり向かった先は、あの建物しか考えられなかった。

 

 ――もし"彼"があの時と同じようにあそこにいるのなら、こんな馬鹿に関わっている場合じゃないのかもしれない。

 

 行先を教えてくれた赤鬼へ簡単に礼を返した後、まだ草皿に残っていた心臓の肉を用いて作った焼き物をいくつか香草で包んだ上で引っ掴む。特にそうだと言われたことはないが、この肉の部位を密かに好んでいることは知っていた。

 

 「……ちょっと急いだ方が良いのかな? 」

 

 明日は俺の応援を云々などと言っている青鬼を放置し、努めて何でもない風を装いながらついてくるヤツがいないのを確かめつつ、私は"彼"がいるはずの廃墟へ向けて駆け出した。

 

 

 

 

 

   * * * * *

 

 

 

 

 

 闇の中を、赤黒く明滅するモノが弾けては消えていく。

 気泡のようであり、膿みきった水ぶくれのようでもあるそれは、この空間における唯一の変化するモノ。

 ……そしてそれ以外は視界の及ぶ限りどこを探しても何もない、奥行きすら漫然とした虚無の暗闇が広がっていた。

 

 自身が死ぬ前―― 峡谷から立ち去る"剣"の背中は覚えている―― に感じていた完全な闇の中よりは、時折弾けて汚れた光を周囲に瞬かせる泡があるだけ少しはマシな空間であるようだったが、それでも出来ることは少なかった。

 

 ――グジュリ

 ――グジュル……グジュル

 

 光を感じるということは目は見えているのだろう。粘性を持つ何かが耳元を這い回るような音は不快ではあるが、聞こえる以上は耳にも以上は無いように思えた。

 ……ただやはりというべきか、それ以外の五感は全くもって朧であった。

 盛大に吐いた血の味が残るはずの味覚もなければ、鉄の匂いを感じる嗅覚もない。首を巡らしたり手足を動かそうとしても、それを行っていると感じるだけの感覚も失われたまま。

 この空間にいることを自覚してからというもの、確かに己が【ライネル】であるという自意識は認識出来ているというのに、「見る」「聞く」「考える」の3つ以外に選べそうな行動の選択肢はなかったのである。

 

 ――プチャ、ズリ

 

 ……耳元を這いずる何かが、少し空気を含んで弾ける音だけが辺りに響き、赤黒い点滅光を散らした暗闇がどこまでも広がっている異常な光景である。しかし同じような体験を連続して味合わせられている現状、これも「あの時」のようにあまり長時間は続かないのだろうとぼんやり考えてしまえる程度には、多少の思考の余裕めいたものを抱くことは出来ていた。

 

 ――グチュリ

 

 既に失ったはずの命の行方を心配する意味も無いがために、揺蕩(たゆた)うがままに考えることはただただ、この空間を自覚する前に目に焼き付けた最後の光景―― "剣"、いや【厄災】に関わることばかりであった。

 

 そうだ。

 結局、己では【厄災】を討ち果たすことは叶わなかった。

 

 あれだけの精鋭、部族を代表するような戦士達を集めておきながら、その命を無為に散らせるだけで終わらせてしまった。それぞれの集落の防衛を担うはずだった大事な戦力を強引に抽出されたまま補填されず、結局最大の脅威を取り除けなかった事実は今後、彼らの故郷に大きな影を落とすだろう。

 その原因を作り出したのは、間違いなく俺なのだ。

 

 ……そして『彼』は無事なのか?

 南西で行われたはずの戦争に、【賢者】が後背からの奇襲ではなく俺の勢力を糾合させることを優先させていた以上、恐らく彼の勢力単独では勝ち得ない戦場だったことは想像に難くない。

 仮に戦いに負け、それでも戦場を生き延びてくれていたとしても、最早人魔の勢力を挽回させるだけの戦力は、もうこの大陸に残っていないだろう。彼が率いた勢力を除く有力な戦士達は皆、俺と共に【厄災】の"剣"に滅ぼされてしまったのだ。

 もし一つ目や大岩の巨人、砂の巨大魚などを巻き返しの戦力に当てたところで、そもそもアレらは単体では身体の大きさを除き、特殊な技能や魔力を活かした戦い方を知らない、同族よりも劣る力しか持たない存在である。意思の疎通も満足に出来ないとあっては、その生息地に何とか人共を誘い込めたとしても結局は人の数に押し潰されるか、【厄災】に準ずる強者達の手によって討伐されることになるだろう。

 

 俺が【厄災】に負けた―― この時点で、どう考えても『彼』が魔物の劣勢を覆す手段は無いに等しいのだ。

 

 生き延びるには何もかも投げ捨てて隠遁するしかないのだが、『彼』はそうすることを良しとしないはずだった。かつての【ライネル】であり今の【賢者】はあまりに細い勝機に賭けて、老い先短い命を燃やすのだろう。

  ……せめて魔王の復活を待ち、それと合わせて行動を起こしてくれれば良いのだが。

 

 ――グチュリ

 

 いや、そもそも。

 何より達成しなければならなかった大目標は、魔王の復活を助け、人族による再封印を阻止することにあった。

 俺以上の兵力を抱えていたはずの『彼』が単独では敗北を予見していた戦場にも、"剣"に迫るほどの戦力が揃っていたのかもしれない…… 四体の巨大兵器はなくとも最悪、蛸の魔物を模した自動兵器が複数戦場に投入されていれば、『彼』の軍団を構成する大部分の魔物は太刀打ち出来ないだろう。

 そしてその通りであったならば――

 "人"はかつて古代に謳われた、魔王を退けるための「2つの力」を補佐するべく造られた、巨大兵器と自動兵器を今の時代に揃えてみせた、ということになる。

 

 かつて魔王が復活した時代の【ライネル】がどうしたのかは不明だが、少なくとも当代の【ライネル】である俺は、封印から解放される魔王を再びその檻に閉じ込めようとする力の片割れたる【厄災】を事前に取り除くという初期の段階すら、数多の魔物を率いながらも諸共に返り討ちにあうことで失敗してしまった。

 

 魔王の魔力で大陸を満たし、魔物にあまねく加護の力をもたらすべく努めるはずだった【ライネル】が多くの魔物と共に失われた状況下で、人共には封印の要たる"剣"と、【厄災】の同行者が関わっていると思われる"何か"。そしてそれを補助する巨大兵器と自動兵器が揃ってしまっているかもしれないのだ。

 

 もし自分が想像している戦力が相手に揃っており、更にその先を想像するならば……

 

 魔王が単独で、かつて自身を封印した力の集まりと再び対峙するという―― 歴史が示す敗北の未来が透けて見えるような、絶望的な場面が訪れる公算が大きいと言わざるを得ない。

 それはつまり。

 魔王が永い封印を強いられた『大厄災』が、再び再現される可能性が高いということである。

 

 これから、自分の愛した魔物の世界はどうなってしまうのか?

 今度こそ、魔物という魔物は人によって殺し尽くされるのではないか?

 俺は『彼』から引き継いだ【ライネル】の称号に込められた願いを、まるで果たすことは出来なかったのではないか?

 

 ……そうしてなんの力にも成れなかった己を責め、内側に塞ぎ込もうとする意識の片隅で。

 

 

 ――グチ。グプ、ブチュ! ……ナノカ?

 ――ブチャ ……ムボウナ……

 

 泡の弾ける音に紛れて、僅かに意味の繋がる言葉の羅列を聴いたような気がした。

 

 繰り返される似たような光景の中で、無害だろうと放ってから何ら注意を払わなくなった泡の1つ1つから、断続的に響いていた音。それがいつの間にか、濁音や半濁音混じりの合唱を混じえていた。

 

 視線を向ければそこにあるのは最早泡などではなかった。

 赤黒く点滅し、何かしらの粘液に漬けられたようにぬめった光を照らすソレは―― 縦に裂かれた子鬼の右半身のようだった。

 

 そう一度認識してみれば、いつからそうだったのか。

 いつのまにか自分の周りには、夥しい数の影が浮かんでいた。

 首だけとなった大鬼、腹に大きな穴を開けた子鬼、胸板を胸骨ごと大きく裂かれた同族―― 泡が弾ける音と共に、そうした間違いなく生きてはいないと思える死体達が次々に生まれていく。

 

 そしてそんな死体達は俺を見ながら、次々と口を開いたのである。

 一つ一つ言い聞かせるように、ゆっくりとした口調で。

 ……その視線と言葉には、ありったけの怨嗟が込められていた。

 

 ――何故、あんなバケモノとの戦いに俺達を巻き込んだのだ

 ――家族に会いたい

 ――【ライネル】なら勝てるのではなかったのか

 ――俺達の命を根こそぎ付き込んで、得られた成果はたった一筋のかすり傷だった

 ――集落には、もう戦士はいない。子供が襲われても、俺は守れない

 ――無謀過ぎた

 ――そもそもアレに戦いを挑んだことが間違いだったんだ

 ――これからどうなるんだ

 ――どうして放っておいてくれなかったんだ

 ――あんた【ライネル】なんだろう! なんで死んでるんだよ!

 ――帰りたい帰りたい帰りたい

 ――もう魔王は封印され、俺達魔物も滅ぶんだろうか

 

 恨み言を言い切るたび、身体をぐずぐずの泥に変えて消えていく骸。それが入れ替わり俺の前に立ち、俺への怨念を叩き付けてくる。

 この死体達が果たして、俺の罪の意識から来るただの影に過ぎないのか。それとも俺が戦場へ連れ出した戦士達の魂そのものなのか…… その真偽を見分ける手段などはない。

 ……それでもこの突然始まった断罪の光景に対して、困惑と共にぶつけられる悪意を正しいモノだと受け止めている自分がいた。

 

 (……あぁ、俺は本当に不甲斐ない【ライネル】だったのだな……)

 

 無能の【ライネル】、役立たずの勇者。

 そう繰り返し(なじ)られることは、今の俺に対して相応しい評価なのだろうと。

 この空間が死後の世界だとして、今亡者に囲まれているというのであれば、こんな風に責められるのも当たり前なのだろうな、という妙な安心感と共に納得してしまったのだ。

 

 

 重なる罵倒の声が響き、怨念の感情だけがひたすらに渦巻く空間の中で。

 耳元を這いずる何かの音は、まだ小さく鳴り続いていた。

 

 

   *   *   *

 

 

 ――グチュリ

 

 ――グチュリ

 

 

 ――グチュリ

 

 

 

 ――グチュリ

 

 

 

 

 ――グチュリ

 

 

 

 

 

 ……あれから、どれだけの刻が過ぎたのだろう。

 

 泡立つ音と共に湧き上がる死者の群れの勢いが弱まる様子もないままに、心を抉り誇りを踏みにじる怨念と悪意が満ちた空間は一向に閉じることが無かった。

 

 その間ずっと「見る」「聞く」「考える」――これ以外の行動を採れないままに過ごしてきた自分にとって、ほとんど唯一の刺激であった罵倒の声は、自我を保つ上で欠かせない存在とすらなっていた。

 

 ……日常的に注がれる悪感情を受け止め続けてきた時間は、もうどれだけ積み重ねてきたのかは分からない。そしていつしか累積する悪意の降り積もりは、俺が自らの芯に心得ていたはずの勇者の矜持を蝕んでいた。

 最初こそ神妙に聞き入っていた彼らの憎悪であるが、それも体感的に十数年を超える月日を刻んで続けられれば、言い返したい気持ちが沸いてくる時もあった。

 戦士として戦場で果てておきながら、女々しく恨み言を残すな。アレほどのふざけた強さを"剣"が持っているなど予想出来るか。俺一人に押し付ける前に、少しでもお前たちが削っていれば結果も違っていたかもしれないではないか! ふざけるな! と。

 

 謂れのない戦場に引き込まれてしまったに過ぎない彼らなのだ。その犠牲者に対して敗れた【ライネル】が恨み言を返すのが間違っているのは分かっている。けれどこの空間に充満し続ける汚泥めいたモノが、俺の心に鬱屈とした不純物を注ぎ続けていたのだった。

 

 ――そうして濁っていく己を感じ始めていた頃。

 

 明滅する光と泡から生まれる影達の向こうから、腕のような何かがこちらへ這うように伸びてくるのを、意識の端で感じたのである。

 それは細く、どこまでも長い。その根元にあるはずの体は見当たらず、節くれだった腕はどこか節足動物のような無機質さを漂わせていた。

 周囲の景色に馴染むような闇色のソレが、俺の意識を撫でるように漂うたび、言いようもない不快さが背筋を走る。これはどうしようもなく不吉なモノだと直感できた。

 この手を掴んでしまったら何が己の身に降りかかるのか。恐らくそれは、災いに違いないのだろう。

 今度こそこの意識が、何の余地もなく消え去るのか。それともここよりなお悪意に満ちた、地獄の底へと引きずり込まれるのか……

 

 ――だがしかし。

 このなんら変化のない、誇りを嬲られ続けるだけの空間にこれ以上居続けて、己をあとどれだけ保つことが出来るのだろうか。罵倒でもいい、密かに期待していた『彼』の影すら現れないこの場所を、この手を掴むことでもし離れることが叶うというのであれば……

 

 

 

 やがて伸ばされたままになっている不気味な手に救いを求めた俺は、意識の中でその腕を『掴んだ』。

 

 掴み返され、怨念と憎悪の渦の中から勢いよく引き上げられる感覚。

 ……しかしその手は、やはり泥の塊を掴んだような不快さに満ちていた。

 

 

 






 大変遅れました。

 GW、キャンプに行きまして。BotWで雄大な自然を!とか言いながら、実際に見る星空や緑というものはやはり良いモノですね。皆も書を捨て外へ出よう!

 ……帰ってみれば筋肉痛と虫刺されに不満を漏らし、やっぱりネット小説読んでた方が楽だわ!と実感できます。
 


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勇者の残骸

○前回のあらすじ

 【ライネル】被害者の会による、99年エンドレス吊し上げ祭り開催





   *   *   *

 

 

 黒に塗りつぶされた空間にまぶされた、赤い光が明滅するだけの景色。

 怨念の声を呟く無残な死体に囲まれ、一切の身動きを封じられた己の体。

 それが先程までの俺を取り巻く世界であったはずだった。

 

 

 ……しかし今、己を取り巻く景色は激変していた。

 

 意識の中で確かに『掴んで』掴み返されたはずの泥の腕は、もうどこにもない。

 周囲に纏わりついていた死体達の影もまた跡形もなく消え去っていた。

  代わりに周囲を取り囲んでいたのは、かつて【ライネル】として生きていた世界で当たり前のように目にしていた、緑の生い茂る草と木々ばかりであるのは一体どういうことなのか。

 それらを揺らし、肌に感じる風は戸惑うほどに涼やかであり―― 鼻孔へと運ばれる匂いは暴力的なまでに青く、そして生々しい。

 

 失われて久しかった感覚達が突然蘇ったことに困惑するより先に、その強烈なまでの『生』を感じさせる情報の洪水が、この光景が泥から生まれた死体達と同じような影ではないことを雄弁に伝えていた。

 

 ――ただ一つ、怨念と憎悪が渦巻く世界の名残を感じさせていた天上に輝く血染めの満月であったが、それも急速に紅色から記憶に残る本来の銀色へと移り変わろうとしている。

 状況を掴めず、見上げたまま固まっていた俺を構うことなく、夜空を占めていた不吉な紅は瞬く間に安息を感じさせる闇色へと移り変わってしまった。

 

 柔らかな月光が降り注ぎ、木立を揺する風の音色が耳元を抜けていく。

 地面に横たわっているらしい身体は肌をチクチクと草の葉で刺激され、濃厚な緑の匂いを漂わせているばかりだった。視線を横切って背の低い草の合間を飛んでいるのは、何かの昆虫だろうか。

 腕を掴んだ先にあるのは、地獄かそれに類する世界に違いないと思っていたにも関わらず、ここにはひたすら『生』が溢れていた。

 

 ……そしてとうの昔に死者となったはずの己の身体ですら"生きて動いている"ことを自覚したのは、久しく忘れていた息苦しさを思い出したからだった。

 

 「――――――ぐっ、ハァ!!? 」

 

 何十年としてこなかった呼吸を求める生身の肉体が、肺へと必死に空気を取り込もうとしていた。鼻に匂いを取り込むために無意識に行っていたらしい僅かな呼吸では到底用を成さなかったのだろう。意識とは別に大きく開かれた口は、未使用の水路に初めて水を引き込むかのようなもどかしさで、つかえながらも健気に空気を吸い込んでいる。

 震える手足で喉元を抑え、ジタバタと地面をのたうつ自分。

 その必死さは端から見ればもしかすると滑稽であったかもしれないが、当事者としては突然襲ってきた窒息の苦しみの中をもがいているに過ぎない。パクパクと開く口は空気だけではなく、顔を突っ込んでいた草や土まで無差別に口内へと放り込み出してもいる。

 舌に触れる草と土の苦みは芳醇ではあったが、泥とは違う瑞々しさに喜びを感じられる余裕は、今の俺にはない。一旦息を止めて吐き出したくとも、身体はより多くの空気を求めて、更なる呼吸を欲していた。

 

 ……突然再び襲ってきた理不尽な死の影の中、パニックを起こした身体が久しぶり過ぎて忘れ切っていた深呼吸の方法を思い出すまでの間、俺は無様に地面を転がり続けたのであった。

 

 

   *   *   *

 

 

 ――やがて呼吸が落ち着き、当面の命の危機が去った後。

 

 俺はまだ、草の上で仰向けに寝転んでまま、ぼんやりと頭上に輝く銀色の月を眺めていた。

 

 復活した五感、意のままに動く手足。

 取れる選択肢は増えた。呼吸も整い、動こうと思えばすぐにでも動き出せる状態のはずだったのに、今も俺はあの泥に揺蕩う意識のみの存在であった頃のように、ただ考えることを辞めることが出来ないでいたのだった。

 

 結局あの空間は何であり、あの泥の腕は何だったのか?

 ここはどこなのか? あの世の最果てなのか―― それとも『帰って』きたのか。

 俺は……蘇ったのか?

 もし仮にそうだとして、今の俺は一体【何】なのだろうか――

 

 

 月明かりの中、その光源に向けて右腕を伸ばす。

 敵の刃を弾く黒鋼色の肌を押し上げる、分厚い筋肉に覆われた長い腕――。それが長い年月を掛けて鍛え上げた本来の、そこにあるべき俺の右腕だ。

 ……そのはずだった。

 

 月へと伸ばされた腕は枯れ枝のように細く、小さな指の隙間から零れる逆光によって黒い影となったその様は、頼りなく容易に折れる鳥の骨を思わせた。そして地面をのたうった時にチラチラと映ったその肌の色は見間違いでなければ、それは木に成る果樹を思わせるほどの軽薄な赤色だったのである。

 そして自分の体格で地面を暴れ回ったのであれば、根の浅い草は千切れ、地面もめくれ上がって然るべきだった…… しかし細い腕から視線を切って辺りを見回しても、そんな形跡はどこにも残っていなかった。

 

 何ら抵抗なく()()()の姿勢を取れることから考えても、自分の下半身は馬のソレではなく、見た目通りの人に近い二本足なのは間違いない。

 朱い肌。軽い身体。細く短い手足―― そうしたカタチを持つ魔物を、俺は良く知っていた。

 あの時自らが引き起こした戦い。その時に最も多くの頭数を誇っていた魔物と、今の俺の姿形は酷似しているとしか思えない。

 そう、つまりは――

 

 「今回の周期で蘇る同族はいなかったはずだけど…… 貴方は誰なの? 」

 

 ――たった今、木の影から頭を出してコチラを窺っている、赤色の子鬼と種を同じくする存在として、俺はこの世界に肉体を得たようなのである。

 

 

 

   *   *   *

 

 

 

 いつまでも寝そべったまま自分を凝視し、けれど声を発しもしない俺の姿は、雌の子鬼にとっては相当不信に映ったに違いない。しかし今の俺に、彼女の心情を察して場を取り繕える余裕はなかった。

 

 思考の大部分を占めるのは、先程聞かれた発言の内容。

 【ライネル】であった頃には分からなかったはずの、言葉のニュアンスすら鮮明に聴き取れた子鬼が言った同族という言葉の意味。やはり、今の俺は子鬼からしても完全に同じ種族の姿に写るらしい。

 しかし「周期」とは? 連続した意識を持ってここにいるはずの俺に、種族の壁を超えて言葉を理解させることが叶っているこの現状の理由を、目の前の個体は知っているのか?

 どうすればそれを穏便に聞き出せる? いやそもそも、俺側から子鬼へ流暢に言葉を交わすことは可能なのか?

 

 ……そうして無言の状態が延々と続き、いい加減相手の警戒心が徐々に高まっていることを察した俺は、何にせよ交渉する必要がある以上、とりあえずこの緊張状態を少しでも解す必要があることに思い至った。

 まずは、この寝転がったまま相手を見上げるという不遜な状況を解消し、目線を合わせるべく立ち上がるべきだろう……

 そう、思ったのだが。

 

 

 ……ぺたん

 

 

 ――俺にとってこの身体は、立ち上がることすら激しく困難だったのである。

 

 

 だが、これは仕方ないのではなかろうか?

 かつての俺は4脚を持ち、頭身も高く、身長や体重も今とは段違いの存在だった。加えて揺蕩う意識のみという状態のまま、永い時間その肉体を失っていたというブランク持ちなのだ。

 それがつい先程与えられたばかりの、頭身が低くて頭が異常に重いくせに体重が軽くて重心が安定しにくい上、たった二本きりの妙に細い足で十全に動けというのがそもそも難題であることは間違いないはずだ。

 

 だが、しかし。

 

 かつて最強であった【ライネル】が。平原を駆ける存在の中で最速を誇った己が。

 最弱の魔物の雌の前で立ち上がることすら出来ないというのは、言葉にし難いほどの屈辱を俺に突きつけてならないのである。

 

 ……【ライネル】を名乗る者に、妥協は許されない。

 情けなく尻餅をついた自らを叱咤し、慎重に両手を広げて身体の安定を保ち、震える足に力を込めて再び立ち上がろうとしたのは、【厄災】に敗れて曲がり、折り目の刻まれたその矜持を、しかし未だ失っていない自分を自覚していたからであった。

 

 

 ぺたん

 

 ……ぺたん

 

 …………ぺったん

 

 

 駄目だ。立てない。

 なんということだ。

 

 

 尻餅をつき続ける。慎重になるから駄目なのかと勢いをつけてみれば、踏ん張れずにコロコロと転がる始末。こんな身体で子鬼達はどうやって飛んだり跳ねたりしているのか。

 

 ――気の抜けた、思わず零れたような笑い声が耳に聞こえた時になって、いつの間にか自分が立ち上がることに夢中になり過ぎていたことに気付いた。そもそもの目的は相手との交渉であり、立つことはそこに至るまでの過程に過ぎなかったのだ。

 

 尻餅をついた体勢のまま、慌てて顔を上げる。

 視線の先には、無様を晒し続ける俺に何を思ったのか、先程まで巡らせていた警戒をすっかりと解いて、笑顔を浮かべる雌の子鬼がいた。

 

 見ず知らずの同部族ではない雄に対して、早々に警戒心を緩めるとは、ここは余程平和な土地ということなのだろうか? 半身を隠していた木から姿を現し、コチラに歩み寄ってくる姿には最早、俺が自分を害する可能性を全く考えてないように思えた。

 

 もう何度か挑戦すれば、俺は立ち上がっていただろう。

 ……そのはずである。

 先程までのささやかな練習を見て俺を庇護の対象と誤解してしまっているのだとしたら、野生を生きる雌としては危機意識が低すぎると言わざるを得ない。

 

 やがて俺の傍に立った雌の子鬼が、再び声を掛けてくる。

 「落ちついて」などと諭されるのは中々に愉快ではない気持ちにさせられたが、今は何よりも情報を欲していた。

 相手の勘違いによってそれが容易に達成されるというのなら、もうしばらくは誤解されたままの現状を容認するというのも吝かではない。

 

 雌の声には先程と違い、明るく弾んだ善性の感情が込められていた。

 

 「私の名はボコナ。こう見えて、この辺り一帯の同族達を纏める長の娘なんだから! ……まずは貴方の名前を聞かせてくれない? 」

 

 ……俺の、名前。 

 

 今の俺は一体【何】か―― この世界で目覚め、自らの身体に起こった異常を理解した時に考え込んでいた疑問が、心の内で再び首をもたげている。

 なんと答えるのが正しいのだろう…… いっそのこと「記憶がない」とでも言ってしらばっくれて見せるのが手っ取り早いだろうか。

 何しろこの身体を得たのがつい先程のことなのだ。かつ自分が知らない情報が当然のように認知されているらしい見知らぬ土地に放り出されている現状では、かつての【自分の名】を名乗っても知名度からくるメリットを得られるとは思えない。そもそも今の姿とかつての種族を比べて、俺がその存在であると認められる者がいたとしたら、それはただの気狂いであるとすら言える。

 

 ……さらに言って、もしここが自分が死んだ世界より続く後の世である場合も踏まえるならば、【自分の名】は貶められてしかるべき汚名と化している可能性も考えられるのだ。無闇に相手の心証を下げる危険を冒す必要もないだろう。

 

 そう考え、無難にはぐらかそうとしたのだが……

 

 (『我、ネメアンの名において認めよう! ――――が、新しき【ライネル】であると!!』 )

 

 いつかの、大切に守ってきた過去の思い出を、俺は今も憶えているのだ。

 役目を果たせなかった俺には、もうその名を名乗る資格はないのかもしれない。この名を名乗ることで、目の前の子鬼は気分を害するかもしれない。

 けれどこの記憶が己のものであると、かつての世界から連続した魂を持っていると確信していられる現状において、この名を隠す決断をすることは俺には出来なかった。

 

 だからこの世界でも、俺の名乗りは変わらない。

 彼との絆を、培ってきた誇りを。俺はこの地で初めて出会う魔物に告げた。

 

 ――俺の名前は【ライネル】だ、と。

 

 

 

   *   *   *

 

 

 

 俺の名を聞いてなお、親しみを宿した子鬼の態度に目立った変化はなかった。

 悪影響を持たれない状況を幸いというべきか、それとも【ライネル】の名が意味を持たないほど、場所や時が離れた世界であることを嘆くべきなのか。

 

 ……しかし、それを深く考えることは出来なかった。

 何故なら互いの名を交わした後に続けられた彼女の言葉によって、俺の思考は今度こそ完璧に揺さぶられてしまったのだから。

 

 

 「おかしいわねぇ……『祝福』の対象になるような者は、前の赤い月から今日まで、出てはいなかったって聞いていたのに 」

 

 「貴方も知っているでしょ? 私達魔物は何十年と前に赤い月が昇るようになって以来、寿命半ばで死んだ者は、その時の月光と共に蘇ることが出来るようになったのよ 」

 

 「私達の部族ではこれを『祝福』と呼んでいるわ。言い伝えの再来だって長老達は言ってたけど、詳しいことはまだ深く教えてくれていないの。いつか誰かと結ぶまでは、みだりに伝えるモノものではないって言われてね 」

 

 「……つまりは狩りの途中で死んでしまった戦士達や水に溺れて亡くなったはずの子供も、その次に昇る赤い月の光が与えられれば、何度でも記憶を持ったままその土地に生まれ直せることが出来るようになったんだけど…… そうした不幸にあった者達を数える役目を担う、族長の娘である私の知る限り、ここ最近はそうした死者はいなかったはずなの 」

 

 「私達部族の奥深くにあるこの森に、余所者の子鬼が入ってくれば守りを任せた戦士達が少なくとも気付くはずだし……実は翼があって下界からこの【空の台地】へ飛んで来たとかじゃない限りは、アナタはさっきの『祝福』の光を受けて蘇った魔物としか思えないのよ 」

 

 「『祝福』の現象については、原因はともかくとしてまだ分かっていない部分が多いわ。死んだ者は必ず、それより次に登る赤い月によって当事者がそれまで生きていた地の近くに復活するというのがこれまでの常識になっていたのだけど……もしアナタが回生者にも関わらずその条件に当てはまらないとしたら、すぐに見知った土地へ蘇れることが前提となって死が曖昧になってきている私達の認識は、危険かもしれないということになる 」

 

 「だから、正直に答えて欲しいの…… これに答えてくれたら、例え貴方がただの縄張りへの侵入者であっても、そう悪いようにはしないって約束するわ 」

 

 

 「――ライネル。アナタはいつ死んで、どこから来たの? 」

 

 

 ……言葉の中に、嘘を匂わせる雰囲気はなかった。

 目の前の雌は聡明であり、自身が当たり前に知っている常識を踏まえながら、俺という存在に起きた状態への考察を語ってくれている。その内容は整然としており、また彼女自身がこちらに説明を求めている状況に、嘘をつく利がないことも明らかだった。

 

 ――この地は外界と隔絶されるほどの標高を誇る広大な台地らしい。そしてそれは、かつての世界にも存在していた。周りを囲む植物はどれも見知っている種であり、眼前の魔物も記憶の中の同種の特徴と寸分の違いも持たないように見える…… 恐らくここは、かつての世界と根本を同じくする近似した、もしくは全く同一の大陸なのではないだろうか。

 

 ……ならもしも、ここがあの世界の続きにある世である、と考えた場合。

 

 『祝福』。

 

 この存在が、1つの事実を俺に突きつけるのである。

 

 『彼』が俺に語って聞かせた、いくつかの言い伝え。

 あの"剣"を討つと誓った夜の【二つ岩】でも改めて聞かされてもいた、太古の歴史を語る一文が思い出せる。

 ――王が封印を破る時。世界は王の魔力に満ちて、月は紅に染まる。

 ――赤い月光は魔物達に大いなる祝福を与え、骨となった(むくろ)にすらその力は宿る、と。

 

 そして目の前の子鬼は言った。

 ――この世界にはある時を境にして、『祝福』と呼ぶ赤い月夜が魔物を蘇らせる現象が起こるようになった、と。

 

 俺が何故、彼女が持っている常識に当てはまらず、記憶を持ったまま全く違う魔物として、しかも何十年という月日を超えて生前とは全く違う場所に生まれ変わったのかは分からない。

 けれど今、俺はここに肉を持って『生きて』いる。

 生まれ直して見上げた夜空に、赤い月は確かに浮かんでいた。

 意識してみれば、かつて生きていた世界で微弱に感じていた魔王の魔力を…… より鮮明に、この世界では感じることが出来る。しかも大本となるモノがいる方向すら、ここでは朧にも分かるのであった。

 

 (……確かめなければ…… 確かめなければ! )

 

 彼女の言葉と、自身に起こった現象。そして、ある場所から漂ってくる魔力の波動―― これだけでもう、この世界に何十年も前から魔王が現れていることは違えようのない現実なのだと判断出来るだろう。

 だとしても、この眼でその存在を確認しなければならない。

 

 ……本当はまだ自分は実は泥の中にいて、悪夢に微睡(まどろ)んでいるだけなのかもしれないのだ。そうであれば特上の悪意ではあるものの、それでもこれがあの泥の腕を掴んだことで始まった幻であり、目を覚ませば暗黒の空間と、死体の影に群がられる世界に戻れるというのであれば、今度こそ俺は喜んで、その現実を受け入れることだろう。

 あの空間こそが俺の終わりの地であり、未来永劫抜け出ることが叶わなくとも構わない。

 

 もしこの世界がかつての世界の続きで、魔王が蘇っているというのであれば、此処こそが俺にとって正真正銘の地獄であるのだから。

 

 ここが自分の記憶の中にあるものと同じ台地であるならば、その端は断崖絶壁となっているはず。空に掛かる雲よりなお高い場所ではあるが、そのぶん遠方にあるらしい魔王の気配の元を伺うことも出来るだろう。まずはそこまで行かなければ。

 

 「ちょ、ちょっと! 突然慌ててどうしたのよ!? 別に私はアナタを傷付けるつもりはないんだってば! 」

 

 未だ立ち上がることすら難儀な肉体ではあったが、そんなことは関係ない。

 這ってでもいい、一刻も早く行かなければ。

 

 「どこかに行きたいの!? そんな立てもしないのに無茶よ! そっちは切り立った岩場もあるし、滑って落ちでもしたら生き返ったばかりでまたすぐ死んじゃうわよ!! ……あー、もう! どこかに行きたいんだったら少しは手伝ってあげるから、命を粗末にするような真似はよしなさい!! 」

 

 ……ただ耳に入っているだけで意味を解釈していなかった子鬼の言葉の中に、聞き逃せないモノがあった。闇雲に這い進もうとしていた身体が止まる。

 ここで死んだ時、またこの地に復活するとは限らない。己の眼で見て認識し、魔王の存在を確定させる前に死んでしまっては、かつての未来を思わせるこの世界で見つけてしまった真実は、結局不確かな謎のままとなってしまう。それでは仮にあの暗闇と怨念の世界に戻ったとしても、心の中に重いながらも逃げ道を許す、中途半端なしこりとなって残り続けるだろう。

 そんなことになってしまっては、本当に救いがないのだ。

 

 加えて重要な情報をもたらしてくれた相手に対して、聞かれた質問に答えを返すこ逃げ出す自分の有様は、最低限の礼すら失しているモノだ。戦士以前に雄として、このような態度は恥ずべきではあった。情報の重大さを思えば例えどれだけ荒唐無稽であったとしても、偽りなく答えを返すのが筋だろう。

 ただし、礼儀を果たすのは「確認」が終わった後の話だ。これは譲れない。

 なにせ話せば長い身の上話になるのは確実だ。結局は嘘と断じられる可能性が遙かに高いにしても、自分の言を理解させるためにはそれなりに長い時を掛ける必要がある。そして、そんな不毛な時間に耐えられるほどの心の余裕は、今の俺には欠片もなかった。

 

 どうにかして、魔王の魔力を漂わせる大本を確認したい。けれど今の独力ではそれを成すのは難しいようだった。手伝ってくれるという言葉を鵜呑みにしても、説明のないままに命の危険があるという落差をもった岩場を越えて、台地の末端まで運んでくれというのは無理があるだろう。

 

 どこかに目的を叶えるための糸口はないか―― そんな闇雲な想いで辺りを見渡す。

 ……大して成果を望んではなかったが、どうやら完全に運が尽き果てたというわけでもなかったらしい。ここからさほど離れていない場所に、背の高い木立の切れ間からなおその突端を突き伸ばしている、ヒトが作ったと思われる建造物を見つけることが出来た。

 一目で廃墟となって久しいことが分かるほどに寂れた趣きではあるが、それはそれで都合が良い。しっかりとした石造りの外観からして子鬼が登っても早々に崩れるようには見えず、あれだけ寂れているのならば立ち入ったところで咎められることもないだろう。

 命の危険があるほどの落差を持った地形が、魔王の気配に続く方向の先にあるということは、逆に言えば周辺の木々よりなお高いあの建造物に登れさえすれば、気配の大本までの視界を塞ぐモノは何も無いということになる。

 

 あの建物にさえ登れたなら、この渇望は叶う―― そう考えが至った時、後ろにいて怒鳴りつつも心配そうな気配を醸している子鬼に対し、恥を重ねることを躊躇う気持ちは少しも湧かなかった。

 

 ――見知らぬ子鬼の雌よ、どうか一生の願いだ。

 ――俺を、あの建物の上へと連れてってくれ。

 

 

 

   *   *   *

 

 

 

 「……あとでぇ! ……絶対にっ! ……事情を説明してもらうからねぇぇ!! 」

 

 欠けた塔の頂上付近。

 下界を見下ろせる位置のその場所に登るために、残っているのはこの最後の段差だけ。

 下半身にろくな力の入らない雄の身体を持ち上げようとして、ボコナは気合と共に不満を叫び散らしていた。

 断られても1人で登るつもりだったが、彼女は俺の「子鬼の雌」呼ばわりに怒り、少しの文句をぶつけてくるだけで、結局こちらの一方的な我儘に付き合ってくれたのである。彼女にとっては不幸にも周りに同族がおらず、呼びに行った隙に俺が勝手に登り始めた挙句、落ちて死なれては寝覚めが悪いということで、ここまで1人で補助をし続けてくれたのだ。

 

 事実、彼女がいなければ俺はここまで辿り着くことは出来なかっただろう。森の中の獣道は肩を貸して貰わなければ、どれだけ時間が掛かったかは分からなかった。そして同族が有事の際に見張り台として建物を利用するために元々置いてあったというツタで編まれた縄を、先に先行して貰い壁から降ろして貰わなければ、この細い腕の力だけでは壁登りの途中で力尽き、地面に叩き付けられて最悪再び死んでいたとしてもおかしくはない。

 

 (一生の願いの前借りは、思った以上に大きいモノになったな…… )

 

 だがそれだけの価値はある。こうして俺は、目的の場所に辿りつくことが出来たのだから。

 理由を一切聞かずに、ここまで初対面の不審者を手伝ってくれたボコナには感謝しかなかった。いずれ、この恩はしっかりと返さなければならないだろう。

 

 ――そんなことを考えながら、下界を俯瞰する。

 求めながらも、見つかって欲しくない……目を向けるその瞬間まで、その矛盾した願いを解消することは出来ないままだった。

 

 視界を構成する景色でまず最初に飛び込んできたのは、故郷の近くにあった見知った【火の山】、そしてそれを取り巻く見慣れた山脈であった。満月の光を受けてほのかに見て取れる火山の威容とそれに連なる稜線の形状は、記憶の中にある風景と決して変わるものではなかった……それは言い訳のしようもなく、この地は自分がかつて存在した大陸と同一のものであることを示す証拠だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――そして【火の山】よりやや西、手前側の場所に、()()はいた。

 

 かつてそこには【厄災】がいて、振るわれる"剣"を盗み見た俺の背を震わせた場所。

 大陸の中央に位置し、最も多くのヒトが集まっていたはずの建造物……その敵の総本山というべき建物から、濃密に魔王の魔力が撒き散らされていた。

 可視化出来るほどに濃い魔力は渦を巻き、時折蛇とも龍とも見て取れるような影を浮かばせている。その影は朧で、時を置かずして消える儚い存在であったが、魔物の直感はその正体を悟らせた。

 

 

 ソレは、魔王だった。

 

 

 封印の縛りから完全に解き放たれてはいないようだったが、魔王は確かに、この大陸に復活していたのである。

 【ライネル】が主だった魔物の戦士を道連れに討ち果たされていたはずの世界にも関わらず、魔王は復活を果たし、何十年という時の間ずっと魔物達に『祝福』をもたらし続けていたのだ。

 

 

 

 ヒトの象徴たる建物の上空を席巻する影の頭が一瞬、コチラを見たような気がした。

 儚い影は再び消える間際の一瞬、口を象った部分を天に向けて大きく広げ、声なき咆哮を上げる。

 

 ――その光景は、単独で【厄災】達を跳ね除けて蘇ってみせた魔王からの、無為に魔物の命を散らせただけに終わった無能の【ライネル】へ向けた、非難の叫びのように思えてならなかった。

 

 

 




 壮大で雄大な景色を背景にタイトルロゴが『ドーン!』と浮かぶwktkな原作オープニングも、魔物視点にかかれば絶望の風景になる不具合。

 今章は全章ひっくるめて一番明るい構成になるはずだったのに……。
 以下は主人公の現状。

 ・種族の格が超大幅ダウン(白髪ライネル→赤ボコブリン)
 ・魔力激減(黒→赤)
 ・経験値消失(強靭な四脚ライネルとは違う、貧弱な二足ボコブリンの身体操作を今後強制される。培った技術は軒並み使用不可)
 ・専用武器破壊(獣王の剣は99年前時点でバラバラのいくえ不明に)
 ・友人喪失(死後も『彼』には出会えなかった)
 ・自尊心壊滅(【ライネル】が動かなくても魔王は【厄災】に打ち勝ったという現実)

 ……主人公かわいそう(作者感)


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麗しき雌の回顧 ~彼と出会った夜~

○前回のあらすじ

 【悲報】勇者が強いた未来ある魔物達の犠牲は、結果的に全部無駄骨だった

 ※31話のボコナ視点より、まだまだ時間は100年後の現在に戻りません。




   * * * * *

 

 

 何十年も前のある時より突然始まった『祝福』。

 それは自然死以外の原因で息絶えた魔物を、再び健康な状態でかつて生活していた場所に復活させるという、超常現象を指す言葉だ。

 ……私にとってソレは、生まれた時より当たり前に存在している()()()()()()といった印象が強かったのだけど。

 父や長老達の世代にとって曰く、これは「魔王様の加護」であるらしい。成人を認められ、族長に連なる娘への知識として伝えられた内容の中にあったのは、この『祝福』にまつわる伝承もいくつか含まれていた。

 

 何でもこの恩恵を得られる前の私達魔物という種は、ヒトと呼ばれる敵対種族によって一時期は滅びの危機を迎えていたという。しかし『祝福』の光がもたらされるようになった【空の台地】の魔物達は、殺されても殺されても、紅の月光と共に蘇ることが出来るようになった。

 不滅の戦士達によって延々と繰り返される攻勢。殺されれば死んだままのヒト達はただ消耗を強いられ続け、やがて戦況は逆転。そして今の世がそうであるように、この地からヒトは滅び去ったのだという。

 そうして【空の台地】の全ては、私達魔物の楽園となった――

 

 ……この話を初めて聞かされた時の私は、いつも魔物だけに起こる『生と死』の秩序を狂わす現象に対し子供の時から漠然と捉えていた不気味さが、急に形を持った気持ち悪さを感じていた。

 話を聞かされた後日。

 父や戦士達に伴われ、初めて訪れた台地の北端から見下ろした【下界】の風景。

 その一角に漂う黒い影―― それこそが、数十年前に顕現し、『祝福』を私達にもたらす魔王なのだと教えられた。私達が崇めるべき、王がアレなのだと。

 夜よりなお暗い闇の魔力に、悍ましさを湛えて明滅する紅の煌めきが、その場所には溢れて淀んでいた…… 確かに確かに、あれは「魔」の極点に在るモノだろう。戦いとは無縁の生を生きてきた私から見ても、アレはそういう存在だと受け止めることが出来た。

 恐らく『祝福』は、私達の棲む【空の台地】にだけ与えられたちっぽけなモノじゃない。紅の月光が届く【下界】全てを覆っている現象なのだろうと思えるほどに、影から感じる「魔」の規模は圧倒的だった。

 

 けれど同時に思う。

 すごく怖い、と。

 

 魔王の魔力が年月と共に積もって形を得たのか、影の周りのあちらこちらに、胎動するような赤い光を灯した黒い泥が散らばっている。その周辺の大地は草の1本も生えておらず、不毛の暗褐色に染められていた。

 ――もしこれから先も魔王が存在し続け、あの泥が【空の台地】にまで届くようになればどうなってしまうのか。草木が枯れ、肉となる動物達が死滅したその時こそ、私達も皆滅びてしまうのではないだろうか…… 仮に生きていられたとして、その時の私達は「命」を持つ存在でいられるのだろうか。

 

 (……これは、考えても仕方ないことなのかもしれない )

 

 少なくとも私達が何十年前も前に滅びず、今も生きていられるのは、かつてもたらされた『祝福』の恩恵があったからなのは間違いないのだ。

 そして眼下に見える影の未来に怯えを感じるは、きっと私だけではない。

 父も、そして長老達も。やがて訪れるかもしれない泥の脅威に恐怖しているのは間違いないだろう…… ただソレを、今は対処する必要も方法もないというだけだった。

 だから得られる恩恵は『祝福』として素直に受け取り、遠くの脅威は『魔王』と崇めて放置するという、努めて心に健全な選択を同族達に周知徹底している。

 

 

 台地の北端から集落へ戻った時、父より『祝福』に関わる仕事の一部、回生者達の把握と発見を任されたのは、その日の夜のことであった。

 

 今までの『祝福』は自然死以外の原因で亡くなった者を対象に、次の紅月が昇った夜に与えられるのが通例である。そして復活地点が、かつてその対象者が生活していた場所の周辺となることにも例外はない。

 ……ただこれから先も、そうであるとは限らない。

 もし『祝福』によって蘇る間隔が従来とは異なる者が現れれば、死を軽んずる風潮が強い戦士達の意識に注意を呼び掛けることが出来る。大きな怪我を負った時、死んで回生してしまえば手っ取り早いなどという安易な考えが、そのまま生の終わりに繋がりかねないと警告出来るのだ。

 復活地点が集落周辺に固定されるとは限らないという前例が発見出来れば、回生しても再び孤独の中を繰り返し死ぬことになりかねないという訓示をもたらすことが出来るようになる。

 

 父は『祝福』を、絶対の恩恵として考えてはいなかった。

 そして私もあの影を見た時から、これが決して都合の良いだけの現象であるはずがないと思えたために、父から与えられた役目を拒否する理由はなかった。

 

 それからというもの、戦士の死亡者や病死した同族達の実数を把握し、紅月が昇る度に漏れが無いよう、回生者達を訪ねて回る日々が続いたわけだが……例外に当てはまる存在を探し出すことは出来なかった。

 

 

 1年前に起きた『祝福』の夜。

 一族が縄張りとする森の片隅で、ライネルと出会うその時までは。

 

 

   *   *   *

 

 

 族長たる父から役目を任されて以来、ただの一つの例外も生まれないままに繰り返される回生の『祝福』。それは喜ぶべきことのはずなのに、魔王の影と泥を見て以降、私の心に燻り続ける漠然とした不安が消えることはなかった。

 

 ――その日の夜は珍しく、『祝福』の該当者がいない周期の夜だったことをよく覚えている。

 天上に輝く見慣れた銀月が血の紅に変色し、赤く染まった月光を降り注ぐ様子を、その時の私は何をすることもなく見上げていた。

 

 ……魔力に満ち満ちた紅月の夜は、魔物の気分をどうしようなく高揚させる。

 暇を持て余した同族達は恐らく、今日も集落の広場で『祝福』を称えるため、陽気な催しをしていることだろう。

 今夜の周期に私の仕事が無いこともあって、彼らからは宴に出てはどうかと誘われはしたが、魔王の魔力に当てられて興奮する私の姿を、他の魔物達に晒すことは躊躇われたために断った。例外が発生した時に『祝福』を否定し、速やかに皆の意識を改善させる役目が今の私にはあったからだ。

 

 (いつか私も族長や長老達を除いた他の皆みたいに、胸に燻る不安を誤魔化して『祝福』を喜ぶ時が来るのかしら…… )

 

 1人宴の輪を離れ、森の中から見上げる紅月。

 美しく、しかし禍々しい月は今日という日に限り、【空の台地】に何ら影響をもたらすことなく銀月へと戻る…… はずだった。

 

 

 ――突如として森から、あの時感じた魔王の魔力が漂い始めたのである。

 

 

 恐らく気付けたのは森の入口にほど近い場所にいた、自分1人だけ。

 それほど生まれた気配は小さく、弱々しいモノで…… けれど頭上の月とも【下界】の影とは違い、森の中から感じる魔力は明らかに、ソレ自身が放っているように思われた。

 

 回生者では有り得ない。少なくとも同じ部族の中に、今日蘇り得る者はいなかった…… そう考えた脳裏によぎったのは、あの時見た魔王の魔力の塊――赤黒い泥であった。

 

 (もしかしてあの泥!? とうとうこの台地にも現れてきちゃったの……!? )

 

 いつもと変わらないはずの夜に突然起きた異常事態に、当時の私は気が動転していたのだと思う。

 すぐにでも父に、少なくとも誰かに異常を伝えて危機的な情報を共有するべきはずだったのに、私が選んだのはその正体をまず、自らの目で確かめることだったのだから。

 

 幸か不幸か、その魔力の源らしいモノが発生した地点は、自分がいた所からそれほど遠くない場所にあり……紅の月光が収まってからさほど時間を置かずして、私は目的とする地へと辿り着いた。

 

 その場からは既に魔王を思わせる魔力自体は消えていたが、そこには「何か」の気配があった。

 恐らくは『祝福』の影響を受けて、生み出された「何か」が……。

 

 正体不明のその存在が、物言わぬ泥とは限らないことにようやく思い至ったのは、既に木を1本挟んだ反対側まで忍び寄った時のことであった。

 それでもここまで近づいてしまっては、もう引き返す意味もない…… そう自分に言い聞かせ、ゆっくりと、頭半分だけを木の幹から覗かせる。例えそこにどんな怪物がいたとしても、絶対に物音を立てない覚悟だけは、しっかりと固めながら。

 

 

 ――しかしそこにいたのは、

 自らの喉元を抑えながら地面をのたうって転がる、1匹の赤い子鬼だけだった。

 

 

 (……あれ? )

 

 ここが、魔王の魔力を立ち昇らせていた場所なのは間違いない。殺気やら何やら、戦士達が日頃当たり前のように話している目に見えないモノを察したことのない自分であったが、だからこそ初めて感じ取れたモノに間違いがあるようには思えなかった。

 

 けれど魔王の気配は既に名残すら無く、辺りにあの泥も見当たらない―― ただ目の前にいるのは、頭に二本角を生やしている以外は自分達と何ら変哲もない、ただの子鬼のみ。

 やがて転がり続けるのに疲れたのか、動きを止めたその子鬼はぼんやりと、仰向けのまま月を見上げて動かない。不思議そうに掲げた自らの右手を月明かりに透かしている姿からは、恐ろしい気配を感じることは出来なかった。

 

 少なくとも自分達が生活している集落に、二本角を持った同族がいるとは聞いたことがない。アレが身内でないことは確実で、『祝福』の影響を受けてこの地に現れた可能性が高い以上、接触しない訳にはいかないだろう。

 

 「今回の周期で蘇る同族はいなかったはずだけど…… 貴方は誰なの? 」

 

 ――意を決して話し掛けた、初対面の雄。

 どこか目の届かない場所に潜まれたら厄介だと声を掛けたのは、1匹の雌として軽率だったかなと後悔していたけれど…… しばらくして、その未知の相手は真面目くさった顔のまま、立ち上がった途端にいきなり尻餅をついたのである。

 身体に一切の怪我はないみたいなのに、何を混乱しているのか…… どうやら本人は真剣に立とうとして、それでも立つことに失敗してしまっているらしい。見た目成人を越えており、足腰の肉付きだって悪くない雄のその何とも間抜けな姿は、私の警戒心を一気に奪い去っていた。

 

 表情を固めたまま、何度も何度も尻餅をつき続けるその姿に、私はいつの間にか我慢していた忍び笑いを、とうとう音を立てずに堪え切ることに失敗してしまったのであった。

 

 

 

 ……その直後、身元不明のままの子鬼から突然の懇願を受けて廃墟の建物に連れていってみれば、雄は【下界】を見た途端、顔に一切の表情を浮かべることなく黙り込んでしまった。

 

 一生の願いだと、出会ったばかりの者に対してあまりにも必死に頼み込むものだから、ここまで彼の言う通りにしてあげたものの…… この反応は少し拍子抜けだった。

 

 (何かを叶えたくてここまで来たんじゃないの? 【下界】の景色に、一体何を求めていたの? )

 

 【下界】の1点を見つめた、全く微動だにしなくなった目の前の子鬼。

 石造りの建造物とはいえ、長年放置されてきたこの建物が何を切っ掛けにして崩れてしまうか分からない以上、用事が済んだのなら安全を考え、速やかに降りた方がいい。

 幸いにして請われた内容は、彼を建物の上へ連れて行くことだけ。ならばそのことを伝えるために声を掛けるなり、肩を揺すって注意を引くべきだ。

 

 ――けれど、それは躊躇われた。

 彼の時を止めた表情の中にあったただ一つ、大きく見開かれた眼を垣間見てしまったからだ。

 

 その瞳にだけ浮かんでいた感情を、どんな言葉を使えば表現出来るのか…… かろうじてマイナスの感情に類するんじゃないかとまでは想像出来ても、光の届かない黒い谷の底のような色をした瞳の奥にあるモノを、私の浅い人生経験では察することが出来なかった。

 

 ……本当にいつまでもここにいる訳にもいかないのだが、触れば砂のように崩れそうな雄の背中が私を不安にさせてならない。

 もしやこのまま、この雄が何か反応するまで黙っているしかないのか―― そんなことを考え始めた時、建物の下に広がる森の切れ間から、私を呼ぶ声が聞こえてきた。

 

 「ォーィ、オーイ! ボコナー? どこに行ったんだー! オーイ!!」

 

 ……アイツかぁ。

 野太くこだまする響きには、最近耳元でがなられることの多くなったダミ声と、よく似た特徴を持っていた。

 

 正直に言ってあまり積極的に話し掛けたいタイプの雄ではなかったが、張り上げられる蛮声にすら目立った反応を示さない目の前の雄を、そのまま引きずって安全に降ろすという作業をこなすには、雌の力一つでは中々に難しそうなのも事実だった。

 

 念のため、雄の肩を掴んでみる。

 辺りに響く大声に動じなかった以上やはりというべきか、軽く揺すっても何らかの反応を返すことはなかったが…… それよりも私にとって、掴んだ途端に目の前の存在が消えて無くならなかったことに、場違いな安堵を覚えていた。

 そう思わず考えてしまうほど透明で儚い印象が、今の彼にはあったのだ。

 

 「私はここよ、ベコリー! ちょっと登ってきてちょうだい! 」

 

 とりあえず彼を降ろして、集落まで連れて行ってあげよう。

 話はその後、彼が落ち着いてから聞けばいい。

 

 

   *   *   *

 

 

 「……っと。オイオイ、ボコナ。誰だコイツ? こんな角してた野郎なんて、俺達の仲間にいたか? ……なぁオイ、お前はどこからここに来たんだ? 」

 

 私に気付いたベコリーは、私達が掛けたそれよりも遙かに短い時間で、この建物の上まで登ってみせた。青い肌を持ち、戦士達の中でも有数の力を誇ると言われる魔物の身体能力は伊達ではないらしい…… 壁や段差を登るたび、私の視線を意識したポーズをその都度取らなければ、もう少しは様になっていただろうに。

 

 そしてここまで辿り着いたベコリーの第一声は、身元不明の同族に対する誰何(すいか)だったのだけれど……当の子鬼は依然とコチラに背中を向けたまま、振り向こうとすらしなかった。

 その反応を受けて徐々に戦士の顔へと表情を変えていくベコリーに、彼に関する状況を簡単に説明することにしたのは、妙なすれ違いを起こしたくはなかったからだ。変に取っ組み合いが始まって、今3匹もの子鬼が集まっている建物の床が抜けでもしたら洒落にならない。

 

 「さっき『祝福』があったでしょ? どうやら彼、その恩恵を受けてここに現れたみたいんなんだけど、状況が良く分かってないらしいのよ。足が満足に動かせないみたいで、けどどうしても【下界】が見たいって言うから私がここまで運んであげたってワケ 」

 

 彼が正体不明ながらも同族であること。ここに至るまでの間、一切の危害を加えられてはいないこと。そして『祝福』の例外となる、初めての回生者かもしれないということ。

 

 「……いざ【下界】を見た途端、 何故か全然動かなくなっちゃったんだけどね 」

 

 言いながら振り返ってみても、彼は相変わらずこちらに視線を向けないまま地面を虚ろに見ていた。もう【下界】を見下ろすこともしなくなったその背中からは、枯れた老人ほどにも生気を感じられない。

 

 「だからアンタには、彼を集落まで運ぶ手伝いをしてもらいたいんだけど…… お願いできる? 」

 

 もしここまで話した上でなお、この有能とされる戦士の嗅覚が彼の危険性を訴えるというのなら、最悪彼をここに放置する選択も考えなければならない。ほったらかさずに集落へ連れて行きたいのは『祝福』に関する事柄云々を含めても私1人の考えであり、皆が住む場所へあからさまな危険を持ち込むことは本意ではないからだ。

 ここまでの道程から考えて、どうやら下半身がうまく動かないのは本当らしく、もしベコリーが反対するのなら置き去りにするだけで、あの泥に匹敵するような厄介事を彼が持っていたとしても、すぐに集落へ影響を及ぼすような事態は避けられるだろう…… ただ分からないから殺してしまおうと言い出そうものなら、族長に任された『祝福』調査の役目を担う者として全力で反対するつもりだ。

 

 しかし、ベコリーからの返答はすぐに帰ってこなかった。何か彼から感じるモノがあるのかと、振り返っていた身体を戻し、ベコリーの表情を窺う。

 

 ……何というべきか、ベコリーは彼を見ていなかった。

 見ていたのは私の身体。振り返っていたのを良いことに腰と尻に視線を明らかに固定していた雄の顔には、先程浮かびかけていた厳しくも精悍な戦士の表情はその名残すら残っていなかった。

 ただのエロ豚が、そこにいたのである。

 

 (……この状況で下心満載の顔が出来るなら、彼は危険じゃなさそうねぇ……)

 

 私が黙ってその顔を見ていると、ようやく自分が問い掛けられていることに気付いたのか、「ボコナがそう言うなら仕方ないな 」と、真面目くさった表情を取り繕おうとするベコリー。実に手遅れな反応だったが、取り立てて怒るつもりはなかった。手伝って貰う以上はあまり責め立てるのも悪い気がしたし、それこそ今更だったからだ。

 ……若い雄から自分にそういった視線が向けられるのは、何も珍しいことではない。露骨過ぎるのが目の前のエロ豚というだけの話であり、影で雄達から『麗しの雌』などと呼ばれていることも知っている。幸い私が族長の娘である以上は乱暴に迫られるようなことこそ今までなかったが、それも成人を迎えた今となっては「そういう対象」として見られることも今後ますます増えてくるだろう。

 ……そういった点で今後考えられる最も憂鬱な行事がそろそろ執り行われるらしいが、それを今から考えても仕方ない。

 

 気持ちを切り替えようとして、ふと気付く。

 そういえばこの雄は、無遠慮に私の身体を眺め回すようなことはしなかったな、と。

 ここに来るまでの間、腰に手を回し支えて歩くという密着した体勢でいたのだ。雄にとっては大変魅力的らしい私の身体に対し、何ら雄の視線を感じなかったというのは淡泊に過ぎると思わなくもない。それでも最近はほとんど経験しなくなった、情欲を感じさせない年頃の雄との触れ合いは、不快じゃない感触があったのも確かだった。

 

 (それだけ、ここに来るまで必死だったということかしらね…… )

 

 「それじゃあとりあえず、ベコリー。彼を降ろすのお願いするわね! ……あぁそうそう、彼なんだけど名前はここに来るまでに教えて貰ったの。彼の名はライ―― 」

 

 「――じゃない 」

 

 「……え? 」 

 

 不意に、私の言葉を遮った声。

 見れば彼の手を肩に担ごうとしたベコリーが不思議そうな顔をしている以上、その言葉を発した者は、項垂れたまま顔を伏している彼なのだろう。

 けれど、その否定の意図は何なのか。確かにあの森で名乗った彼の名前は、ライネルで間違いなかったはずなのに――

 

 ブツブツと呟かれる言葉に力は無い。

 つかえながら漏れるようにして零れる声は、風の音に紛れかねないほどに弱々しい。

 しかし決して止まることはなかった。

 まるでそれだけは、絶対に言わなければならないとでも考えているかのように。

 

 

 「俺は【ライネル】じゃない……俺は【ライネル】じゃ、なかったんだ……」

 

 「すまない皆……すまない、【ライネル】……」

 

 

 ……1匹の雄の声が、自身の名を否定しながら空しく廃墟に響く。

 何の事だか分からないと、こちらの顔を伺うベコリーの気持ちも分からないでもなかったが、今は何も言わず、ただ集落に戻ることを優先させた。

 

 無力感を強く滲ませた呟きを、ただ繰り返すだけの正体不明の子鬼。

 ――ここに放置してしまえば、必ず失意のままに死んでしまう

 そんな同族を独りにしてはいけないと、その時の私には思えてならなかったのである。

 

 

 




 ボコナさんは、ボコブリン界の峰不二子みたいな体型をしていると思って下されば。
 強調しないセクシー。それこそがヒロインに求められる要素だと私は思ったり思わなかったり。
 そして青鬼のベコリーさん、完全に当て馬に……

 原作の雰囲気と比べて、ボコブリンがどんどん賢くなってくるなぁとも思いますが、彼ら視点で物語作る以上、そこは目こぼしして頂けると助かります。

 (どうしよう……鬱書いている時の方が楽しい……)


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麗しき雌の回顧 ~彼の語る『祝福』~

○前回のあらすじ

 厄災式ヴァーイミーツヴォーイ(ボコブリン風味)

 ※「ヴァーイミーツヴォーイ」とは原作ほこらチャレンジ「うるわしの美酒を求めて…」に登場する、キンッキンに冷えたゲルド酒の銘柄です。男との出会いに飢えたゲルドの街を代表する酒として、そのものズバリなネーミングセンスには脱帽。





 

   *   *   *

 

 

 その後ベコリーに担がれた彼を連れ、無事に私達は集落へ帰り着いた。

 

 帰り道の道中、折を見て彼に話し掛けたりもしたが、彼は建物の上で漏らしていた呟きに似たような独り言を返すばかりで、ここまで打ちのめされるほどの事情か何かを察せられそうな言葉を聞き出すことはとうとう出来なかった。

 

 やがて無言でいる時間がだんだんと増えていった帰路ではあったが、集落へと帰り着きさえすれば『祝福』にかこつけて行われている宴がある。酒や肉が振舞われているだろうその陽気な空気に触れれば、あるいは彼の気持ちも多少は持ち直すのではないかと少しは期待していたのだが…… 残念ながら宴は既にお開きとなっていた。

 

 開けた広場に今も居残っているのは、腹を満たして呑気に眠りこけている者達がほとんど。後片付けに奔走している年若い者達が数匹はいるものの、それは宴の雰囲気にはほど遠い。

 もちろんこんな場所に立ち寄ったところで彼の沈んだ感情が上向くことを期待出来るはずもない。足元から地鳴りのように轟くイビキの中、残り物の肉の切れ端をつまんだ程度で明るくなれるほど、彼を苛んでいるモノが軽くないのは明白だった。

 

 ……精神的なケアが出来ないまま行くのは不安があるものの、ことは今後の集落の方針に関わるかもしれないモノだ。仕方ないが、当初の目的地へとこのまま連れて行くしかない。

 向かう先は族長がいるドクロ岩―― 私の家がある場所へと、宴に間に合わなかったと嘆くベコリーを急かすことにした。

 

 

   *   *   *

 

 

 広場を突っ切っている訳ではないにも関わらず、家へと続く踏み固められた土のそこかしこに、酒臭い息を漂わせるダメな戦士達が転がっている。

 呂律も定かではない彼らと適当に言葉を交わしつつ、引き止める声をかわして進むことしばし。集落を一望出来るやや小高い位置に存在する、頭蓋骨を模した空洞の大岩こそが私と、そして唯一の肉親である父が暮らす棲家である。

 

 ドクロの両目と口に当たる部分から漏れた光が、中に火が灯されていることを教えてくる。また、そんな明かりを時々影が遮ったり、揺れ動いている様子は、まだ父が起きて動いている証でもあった。

 ……しかし岩の中、そのほぼ中央に置かれた焚き火が唯一の光源である我が家の造りを考えると、入り口から漏れる光を影が遮るということは父が奥ではなく、入り口付近にいることになる。もし他に誰かがいないのであれば、何故父はそんな場所にいるのだろうか。

 

 今夜は本来、誰も蘇らない『祝福』の夜であった。

 つまりは集落の外で蘇ってしまったかもしれない同族を探し回る必要もなく、族長も忙しく立ち回る予定はないはずだが…… もしかすると、宴から帰ってきたばかりなのかもしれない。

 

 そんなことを考えつつ、特に気負うことなくベコリーと共に入り口から顔を突き出したのだが。

 

 

 「……! ボコナ! 良かった、帰ってきたか……! 」

 

 そんな私達を目敏く見つけた父の顔には、明らかな安堵の表情が浮かんでいた。

 

 

 弛緩しきった今の集落の雰囲気にあって、その安堵を浮かばせる前に一瞬覗かせていた族長としての、緊張と警戒に満ちた顔はひどく場違いなモノにすら思える。

 しかし今まさに出掛けようとしていたことが分かる装いに加えて、かつて魔物に猛威を奮い、そして今は去ったヒト達が遺していった金属で作られた武具の中で最も状態が良かった一振り…… 私達にとって『族長の証』としての意味を持たせている、族長にのみ所持を許された「鋼鉄の剣」をすら背中に背負っていた姿からは、これが決して父が、ただ深酒が過ぎて酔っ払った末に起こしている行動ではないことは明白だった。

 

 「つい先程、『祝福』で蘇る者がいるはずもない今夜にもかかわらず、尋常じゃない気配の魔力がどこかに集中したのだ! おおよその感覚でしかないが、お前が出掛けて行ったはずの森の方向から漂ってきたものだから肝を冷やしたぞ…… 」

 

 ――どうやら物々しい出で立ちは、私を探しに森へ入るつもりであったらしい。

 その気配の正体を知る私にとっては、今言われた内容は恐怖をもたらすものではなかったが、族長が誇る相変わらずの魔力感知の冴えには流石、と唸りを上げそうになった。

 

 私が父の言う尋常ではない気配に気付けたのは、あくまで彼の出現した場所に対して、私が誰よりも近い位置に、たまたま1人でいたからに過ぎない。

 危機を誰よりも迅速に察することが出来る者こそが族長の器であるというのが父の持論ではあるが、皆が気付かず宴に耽る中、遠くの森で起こった異変をただ一人察していたとは、まさに野生に生きる群れを率いる長と呼ぶに相応しい。

 

 ……最も焦る余りに族長が供も連れず、単身でその現場に踏み込もうとしていた辺りは、我ながら娘可愛さが過ぎると思わなくもないのだが。

 入口から私と共に顔を出していたベコリーへと不必要に気合の入った視線を飛ばしている父に対し、頭を切り替えて貰うためにも「族長」と声を掛ける。

 

 目の前の父から任されて以来、今までほとんど進展することの無かった私の仕事が、もしかすると今夜を切っ掛けに何かが変わるかもしれなかった。

 その生きた証であるところの彼が、果たして良い要素なのか悪い要素なのか、それはまだ全く分かってはいない。それでも私は突然目の前に現れたこの稀有な事態に関する情報を、一刻も早く誰かと共有したかった。

 それを話す最初の相手が、『祝福』を盲目的に利用することに慎重な、部族の中でも一握りの者達の筆頭―― 詳しく検証する必要性を訴えた父であるならば、私が彼に対する姿勢を考えて固める上でも最適に違いない。

 

 未知の何かに踏み込めるかもしれないという興奮が、知らず呼び掛けた声に熱を籠めていたのかもしれない…… 私自身の安否報告だけでは終わらない話になると察してくれたのだろう。

 父は覗かせていた優しい親としての顔を引っ込め、何も言わずにコチラへ詰め寄ろうとした身体を押し留めた上で、焚き火の奥―― 上座に当たるいつもの定位置へと腰を下ろした。

 

 その火を囲むように座ったのは私とベコリー……そしてそれに追従するような形で、ベコリーの補助を受けながらではあるものの、彼も一応、円座の内に座る姿を見せた。

 力の入らないままであるらしい足を前に投げ出すように座り、丸めた背中には欠片の覇気も宿ってはいない。それでもそのまま、座った状態を崩すことはなかったのである。

 

 

 ――正直、それは意外な光景と言えた。

 

 これ以上はないと言い切れるほどの憔悴した様子で、帰り道の道中を引き摺られていた彼なのだ。 目を離して再び視線をやった時、あまりの生気の無さにもしかすると死んでしまったのかとすら思い、顔を覗き込んだことも一度や二度ではなかった。

 そんな確認を繰り返しながらもここまで生きて帰り着いてくれはしたものの、腰を落としたならば間違いなく、その辺りで寝転がってしまうものだろうと思っていた。それは族長の前で余所者が取る態度としては些か以上に角が立つ振る舞いであることは間違いないが、そうなってしまっても仕方ないと思える状態ではあったし、過去の『祝福』対象者の例外として存在してくれさえいればそれでも良かった。

 今夜のところは彼の顔見せと、どういう理由でここにいるのかを私が見たまま父に伝えるだけでも問題ないのだ。

 

 ……しかし彼が取った「座る」という姿勢は、ただそこにいるだけで構わなかった『生き証人』ではなく、これから行われる族長との話し合いへの『参加者』となる意思を示していた。

 

 どうして彼がそうあろうとしているのか、それが分からない。

 自分の名を否定するほどに気力を失っていた彼が、なぜこの家に入ってから突然他者と関わろうとするほどに持ち直せたのか。閉じこもっていた自我から精神をぶり返せる切欠が、どこかにあったかと思い返してみても、何ら特別なことは起こってはいなかったはずだ。

 定住する魔物の住居としては一般的だとは思う、大岩の家。焚き火の温もり。娘を心配して詰め寄る父の姿。「族長」と呼び掛けた、私の声…… まさか権力を匂わせるその呼び名に、見栄を張る姿がソレだということはないと思いたい。弱肉強食を旨とする魔物の本能の習いとして、統率者である父にへつらい従う雄が多いことは否定しないが、あれだけの絶望と悲嘆に暮れていた雄でさえもがそんな情けない理由で自分を取り繕うというのは、あまりに情けないだろう。

 

 「……どうした? 何か話すことがあったんじゃないのか? 」

 

 掛けられた声に、ここが報告の場であったことを思い出す。

 気付けば上座より向けられていた、見知らぬ雄を見たまま口を開こうとしない私を見る父の視線が、どこか胡乱な雰囲気を出し始めているようであった。

 慌てて居住まいを正す。

 今は、彼の心境を推し量っている場合ではないのだ。そんなことは、ただの些事に過ぎない。

 今は何より、『祝福』でこれまでとは違った事象が起こったのかもしれないという現状を、父と共有し合うべきなのだ。

 

 やがて父と向き合った私は、まずは森で見聞きし、感じたモノをありのままに伝えることにした――。

 

 

   *   *   *

 

 

 「――以上が今夜、私が『祝福』の後に見聞きしたことの全てかしら? 」

 

 縄張りの森から立ち昇った、おぞましい気配の発生と消失。

 その現場に存在していたのは、近辺にはいるはずのない集落の外から来た同族が1匹。

 明らかに成体であるにもかかわらず、まるで幼子のように足元が覚束ない様子の弱者が、何故か五体満足の綺麗な身体で獣溢れる森の中にいたこと。そしてそれに反し、妙な周辺地理に関する無学さを除けば、会話の端々から感じられた知性は意思疎通に容易く、決して学の無い者ではないだろうということ。

 台地に点在する他勢力の部族から送り込まれた者である可能性は、族長の娘と1対1であるにも関わらず全く襲おうとしない姿勢や、足の不具を取り繕わずに晒してひたすら混乱する様子、建物に登りたいなどという何ら意味のない目的に固執し続けていた点から考え難いということ。

 いざ求められるままに下界の景色を見せてみれば、このような屍のようになってしまったこと――。

 

 ……私の視点で語れる内容は、大まかに纏めるとこんなところだろうか。

 

 夜も更けているとはいえ、赤い満月が天頂に輝いてからこれまで、まだそれほど時は過ぎていない。それから今までの間に起きた出来事といっても、異常の中心である彼からろくに話を聞けなかった以上、あまり密度が濃い訳でもないのだ。確定できる情報はあくまで私の視点で見聞きした事柄だけであったために、報告それ自体にあまり長い時間は必要なかった。

 ……さほど長い時間を費やしたはずもないのだが、隣に座っていたベコリーが焚き火の暖かさに負けて早々に船を漕ぎ始めているのは、この際捨て置くことにする。自分と関係の無い話にいつまでも付き合えるほど、この脳筋は我慢強くなかったらしい。

 

 「ふぅむ…… お前が嘘を言う理由もないし、実際にあの不吉な気配は既に消えてしまっているのは儂の感覚からしても間違いなさそうではある……あるが。ただお前が拾ってきたコイツが正しく『祝福』の産物であるかどうかが、何ともあやふやな点は問題だな…… 」

 

 ……中々痛いところを突かれてしまった。

 そうなのだ―― 今話した内容は全て、彼という存在が『祝福』によって生まれ直した存在であるという前提があって、初めて意味を成すモノに過ぎない。

 傍目から見ても怪我はなく、肌や肉付きからして体力が極端に失われているような状態にはないと思われる彼が、脚を動かせないというのは自己申告に過ぎない。たまたまあの森へと迷い込んだだけの他部族の子鬼、という可能性は依然として捨て切れないのだ。そもそも身体の全てが健康体で生まれ直す『祝福』を受けた者が、何故足を動かせないのか。

 凶暴な肉食動物も多くいるあの森に、なんの装備もなく単独だったこと。そして何よりあのおぞましい気配の中心地にいたことから私は『祝福』の対象者だと考えているのだが、集落をまとめる族長にとっては、私の報告一つでそのまま鵜呑みにする気はないということだろう。

 

 だから。

 この先は「当事者」から情報を得なければ、話を煮詰める価値があるかどうかも判断し辛いのである。

 

 「では一応、聞いておこうか……見知らぬ者よ。我が娘はこう言っているがお前は一体何者で、どこから来たのだ? 」

 

 報告の最中は会話を促すための相槌に集中していた族長が、ここで初めて彼と正面から向かい合い、話の水先を向ける。

 

 「このままであればお前は身元不明の不審者に過ぎん。何も語らないというのであれば、この集落を纏める者としてはお前を自由に歩かせる訳にはいかなくなるのだが? 」

 

 力なく座っていた彼はしかし、私と父が話している間もベコリーとは対照的にまんじりともせずにいた。これまで道中を共にしていた私はもちろん、その様子を見た父もまた、この問い掛けにまともな返答があるとは期待していないのだろう。

 私が彼を指して従来の『祝福』の例から外れた者であるかもしれないと語った最中も、父はチラチラと横目ではあったが、その当人の様子を観察していた。今なお彼が漂わせる虚無感は、決して生半可な演技で匂わせられる類のものではない。しかしそれは同時に、まともに意思疎通が取れる状態ではないことを伺わせるにも十分だったのである。

 

 恐らくはこれから、このまま望ましい反応を返せない彼に見切りをつけた族長が、不穏な存在を集落から放り出すか否かの判断をすることになるだろう。ここからの私の仕事は『祝福』に関わりのあるはずの彼を、どうにかして集落に留まらせるよう族長を説得することにある。

 どう転んでもこの場で殺すことになるような展開になるとは思わないが、最低限、集落外縁の空き家に軒を貸せるように努めなければならない。まだ私は、彼に起こった『祝福』について何も知らないのだから。

 

 だが――

 

 「………………まずは感謝を、族長、殿。貴方の姫には、随分と、助けられた 」

 

 ひび割れた穴に無理矢理吹き込まれた風のような、ひどく詰まった声が一角から挙がる。

 あまりにも調子を崩した声色は弱々しく耳に残り、初めは誰の物かとすら思ったが…… この声が本来はもっと力強く、そして朗々と轟くことを、あの森の中で向けられた懇願と共に思い出す。

 

 驚いて父が見ている視線と同じ方向に目をやれば―― そこには枯れきった気配をそのままに、それでも確かな理性を貼り付けた顔を上げる二本角の子鬼がいた。

 やがて振り向いた私の視線に気付いたのか。一度父に下げていたのだろう頭を、彼は感謝を示すように、小さく私にも向けて下げるのだった。

 

 

   *   *   *

 

 

 「……俺に名前は、ない。かつてはあったが、もうそれを名乗ることは、許されない 」

 

 名乗れない非礼への詫びをそこそこに、彼はそれ以外の自身の素性を語り始めた。

 今、自分に何が求められているのかをはっきりと認識している、確かな知性を感じさせる語り口。とつとつと語られる来歴は、彼自身の身元と『祝福』の例外的な要素足り得るのかを探りたい私達にとって、実に分かりやすい構成だった。

 自分の言い分に筋道立て、相手に齟齬なく伝えられる能力を持つ彼は、やはり野良の子鬼ではない。かつては仲間を持ち、学を受け取れるだけの魔物だったのだろう。

 

 ……けれど肝心の内容が、それこそ狂っているとしか思えない代物だった。

 例え事前に、「俺の身に起こったことは、貴方がたの言うところの『祝福』とは、違ったものなのかもしれない 」などという前置きを置かれていたとはいえ、これまで私達が持っていた『祝福』の常識からすれば、それは妄想や夢と言い切ってしまえるモノだったのだ。

 

 ――曰く、生前の彼は【空の台地】に住まう子鬼ではなく、下界に生きる半人半獣の種族だった。

 ――曰く、武と智に優れたその種族の中でも、彼は最強を誇る存在だった。

 ――曰く、魔王を脅かす"剣"という存在を滅ぼすため、私達の種族である子鬼を含めた魔物の大連合を擁して挑んだが…… あえなく敗戦し、その際に受けた致命傷が死因となった。

 ――曰く、それから恐らく何十年という体感時間を、怨嗟溢れる亡者の影と共に過ごした。

 ――曰く、それから正体不明の腕を掴んだことで蘇った場所が、あの時私と出会った森である。

 ――曰く、その時既に、自分の身体は子鬼となっていた……らしい。

 

 ……無茶苦茶だった。

 語られた彼の昔話は、呆れるほどに荒唐無稽だった。

 

 だって彼の話は、これまでに起こった『祝福』と、何もかもが当てはまらないのだ。

 私が生きる世界である【空の台地】。そもそもこの外から来た生物なんて見たことなんてなかったし、半分人で半分獣の魔物とは一体どんな形をしているのか想像するのも難しい。しかもそんな進化し損なったような未知の魔物が下界における最強種であり、かつてはその中でも最強を誇ったという個体こそが、目の前で満足に歩くことすら出来ないでいる弱者その人であったのだと言う。

 

 何より『祝福』とは、あくまで復活に過ぎない現象であるはずだった。

 全く違う種族に生まれ直した者などは私の知る限り、間違いなくただの1匹としていないのだ。死からの回復、蘇り。それ以外の奇跡は起こり得ていない。

 

 記憶についても従来の『祝福』を受けた者達は自分が死んだ時の状況こそ覚えていられないらしいが、影響らしい影響といえばそれくらいだ。

 この集落周辺で命を落とした者はまず例外なくこの周辺に復活していたし、縁者が覚えている通りの生前の記憶を持った上で完全な健康体として生まれ直している……亡者に囲まれて数十年を過ごしたなどという話は聞いたことはなかったし、謎の腕などという不穏な存在もまた然りだった。

 

 ――加えて、これまでの子鬼の仲間達は皆、死を迎えたならば次の周期の『祝福』によって蘇っている。

 彼が語った魔物の軍勢と"剣"の戦い。【空の台地】に伝わる歴史にそんな記述はもちろん無く、百歩譲ってその会戦が事実だとしても、あの下界に発生した「赤黒い闇」が生まれる前の時期だというのであれば、それは恐らく月日にして百年ほども昔の話ということになる。

 一体それから何度、赤い月が天に輝いてきたと思っているのだろうか。

 

 

 

 ……言いたいことは全て言い尽くしたのか。

 語り終えた彼は、もう義理を果たしたとでもいうように力なく項垂れている。

 こちらが声を掛けて揺すれば僅かに反応を返しはするのだが、とても今夜はこれ以上、まともに会話するのは難しい様子である。肉体的には足以外の問題は無いという彼自身の言葉を信じるならば、恐らくは精神的に疲労し切ってしまったのだろう…… 正直、あの憔悴していた様子をそのままにここまで語り切れたことこそが異常であったのかもしれない。

 

 

 (普通なら考えるまでもなく、出鱈目だと言い切って当たり前の内容なんだけど…… )

 

 今目の前にある、彼の疲れ切ったこの姿。

 そしてあの時廃墟の上で慟哭し、正真正銘打ちひしがれていた彼の背中からも、虚飾や嘘、姦計の類―― そうした濁った感情の一切を感じ取ることが、私には出来なかった。

 ……もしかすると彼は、その時々の行動に全てを注ぎ込む類の雄なのかもしれない。

 だから必要であれば雌である私にも手助けを求めることも厭わず、魂から嘆くほどに何かを背負えてしまっていたのではないだろうか。

 

 (……けど。だとしたら、もしかして……? )

 

 もし、もしもだ。

 私の感じるこの印象が正しくその通りであった場合、それはそれで問題なのである。

 いっそ彼が希代の大嘘つきで、たまたまあのおぞましい魔力が発生した場所に迷い込んだだけの余所者であってくれた方が、この際有難いと思えるほどに。

 

 困ったことに、()()()()()()()()()に対しても、私は一切の「濁り」を感じ取れなかったのだ。

 

 彼は最後に言った。

 

 ――俺の身に起こったことは、森の中で姫に教えられた『祝福』とはあまりにかけ離れている代物だとは思う…… これは「呪い」であり「罰」だ。この世界に引き戻されたことが祝福だなんて、俺にはとても思えない …… ――

 

 全くその通りだ。

 もし彼が言ったこと全て鵜呑みにして信じるならば、彼は掲げた誇りも大切な仲間の何もかもを負けて奪われたのだ。そして何十年にも及ぶ責め苦を受けた後、誰も自分を知らない時代と土地に突然放り出されている……しかも戦士が何より信奉する「力」を根こそぎ奪われた無力な状態で。

 極みつけに自らの正義を信じて犯した敗北の犠牲が、結局何ら益のない無駄なモノであったという証を、あの廃墟から見下ろす景色に見せつけられたらしいのだから、蘇ったことが「呪い」であると捉えても仕方ないとしか言えない。

 

 だが彼の身に起こった事態が、私達の考える『祝福』と別のナニカであると断言するのは難しい。何せ形はどうあれ「蘇った」という結果に変わりはない。そして、それが起きたのがあの赤い月の夜なのだ。楽観視するには、余りにも重要な共通点を持っている。

 

 全ては可能性だ。

 彼が嘘をついているかもしれない、心が壊れて現実と妄想の区別がつかなくなっているのかもしれない…… それなら『祝福』はいつも通りだ。これからも安心して赤い夜を見上げることが出来る。 

 けどもし彼が嘘をついていなかったら?

 正しく現状を認識し、語られたソレがかつての埋もれた歴史だとしたら?

 

 (私達が今便利に使っている『祝福』は、『祝福』ではなくなってしまう )

 

 時と場所を超えて、突然この地に悪意ある凶悪な魔獣が現れるかもしれない。

 死んだ者が赤い月を迎えても戻らず、遠く離れた時と場所へ追放されるかもしれない。

 それらのこともまた、これから起こるかもしれない可能性となってしまうのだ。

 

 特に最近、戦士達の間ではこの『祝福』を用いた「死療」なる行為が密かに横行し始めているのを、『祝福』の対象者の数を調べ、把握している立場にある私は知っていた。狩りや決闘によって手や足を失ったならば、いっそ死んで蘇った方が良いという行いである。

 『祝福』によって生死の境界が曖昧になってしまっているからこそ流行り始めたのだろう「死療」であるが、少なくとも私はこれが、あまり好ましい行いではないと感じていた。

 不慮の死、不治の病。そうした避けられなかった不幸を掬い上げてくれる『祝福』はなるほど、本当に素晴らしい…… しかし今を確かに生きている命を自ら終わらせた後、正体不明の奇跡に復活を願うというのは、野生を生きる者としては歪で間違っていることなのではないだろうか? と。

 

 ……もちろん今まで、この考えを表に出したことはない。彼らは何も、暇潰しのように死んでいる訳ではないのだ。

 私達のために命懸けで獣を捕え、誇りを掛けて戦い、その結果失われた手足をしてなお、再び同じ戦場に立とうとする戦士達。明日をもしれぬ恐怖に耐えながら、終わらない痛みに苦しみ続け、やがて終わりを求める病人達。

 そうした彼らが最後に『祝福』へ縋ろうとする気持ちを、当事者でもない私が偉そうに非難出来る資格などあるはずもないのだから。

 

 ――ただ突如現れた目の前の二本角の子鬼が、その例外であるならば。たまたま私達にだけ、それがまだ起こってないだけなのだとしたら…… まだ十分な余生を家族や仲間達と共に生きられたはずの者が自ら命を断ってしまうことで、そのまま今生の別れとなってしまうかもしれないのだ。

 短期間の後に復活出来るからとタカを括り、戦士達の多くが「死療」をしてしまった後、もしその彼らが戻らなければ、集落の食と安全は一気に危ぶまれることになるだろう。

 

 ここにきてはもう戯言だと、安易に切って捨てて良い可能性ではなくなっていた。

 既に始まっている「死療」を大々的に自粛させるには、それに足るだけの根拠が必要だ。そのためには彼と私達に起きている『祝福』の前後と内容を徹底的に比較するべく、今後彼とは膝を交えて話をしなければならないだろう。

 そして『祝福』が故人を蘇らせる際、実は必ず時間と場所を固定してくれるとは限らないという結論に至ったならば、「身体の不具や異常はいっそ死ねば解決する」という考えに警鐘を鳴らすべきだ。

 死ねば、それまでかもしれないと。

 仮に蘇ったところで、それが何十年と先の別の土地であるならば、残された者にとってそれは死別と変わりはしないのだと。

 

 恐らく、父もこの考えには賛同してくれるだろう。

 何といっても『祝福』の詳しい実態を検証するよう、私に役目を振った者こそが族長である父なのだ。私には実感のない戦士としての視点から、彼の話を吟味し、情報を引き出してくれるに違いない――。

 

 そうした意図を込めて父を見れば、視線を合わせた父が頼もしくも頷き、口を開く。

 

 「お前の話を真に受けるわけではないが、長としてその全てを軽々に否定するわけにもいかんな。しばらくの間は、戦士達に命を粗末に扱うなと言い含めておこう 」

 

 短く結論を告げた族長が、おもむろに立ち上がる。

 そうして彼から視線を切ると、今度はどこを見ることもなく言い放った。

 

 「コイツの眼は死んでいる。かつてどれだけ大層な魔物であったかは知れないが、そんな眼をした者がどれほどの魔力を抱えていたとしても、古の魔王ほどの大事が成せるはずもないわ 」

 

 この集落に留まって娘の仕事の研究材料になるも、世界を儚んでどこかへ去るのもお前の自由だ。好きにするが良い――

 それだけを言い捨てて腰に佩いていた『鋼鉄の剣』をいつもの場所に立てかけると、族長はいつも寝床にしている暗所へと消えていった。

 

 その背中はかつて最強の戦士であったとのたまいながら、今は気力の抜け落ちた抜け殻のような存在にしか見えない彼に興味を失った、力のみを信条とする戦士を纏める族長に相応しい振る舞い―― とでも、切り取った情景にするならば思えたかもしれない。

 

 父を良く知る、古株の方々の言を思い出す。

 集落で最も優れた戦士であることを内外に示す『黒肌』を持つ族長は、年を取って慎重さを兼ねるようになったが、根っこの部分はまるで成長していないと。武を持って白黒つけることを好み、即断にして即決出来ない問題に対しては、今も変わらず苦手であると。

 

 そして『鋼鉄の剣』を立てかけようとして振り向く瞬間、その父の横顔を私はしっかりと見ていたのだ。(けむ)り始めた焚き火の向こう側、薄曇りに陰るその表情には、それでも隠し切れない表情が、ありありと浮かんでいた。

 

 

 

 『なんだ、コレ。メンドクセェ 』―― と。

 

 

 

 (あの糞親父……! (もっと)もらしげに捨て台詞を残して……私に調査を丸投げしたわね!? )

 

 

 この場に残されたのは項垂れるままとなっている彼と、仰向けに転がって本格的にイビキをかいて眠り始めたベコリー、火勢が衰え切って(くすぶ)るだけとなった中央の焚き木…… そして、私。

 

 

 入口の隅、消火用に纏めてある砂山から器を使って一掬い、砂の塊を掻き上げる。

 まるで使えない置物と化している雄2匹に、これを思い切りブチ撒けてやろうかという衝動を抑えながら、抱えたモヤモヤと共にそれを焚き火に向かって叩き付けた。

 

 

 





 ボコナはマスターモードではない【はじまりの台地】に生きるボコブリンであるため、半人半獣のライネルを見たことありませんし、他の者達にしてもライネルを見た魔物はおりません…… つまり『祝福』に柔軟な思考を持たないボコナ以外の大多数にとっては話を聞いても、【ライネル】は妄想全開のイカれた子鬼にしかみて貰えなかったりします。
 ついでに拙作におけるブラッディムーン現象を魔物視点で触れるに辺り、担当をボコブリンの姫に割り振ったワケですが、ほんとにボコブリンなのかなって考察させてしまうことに……"賢者"とは一体……

 ※鋼鉄の剣=原作の片手剣「兵士の剣」です。

 


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麗しき雌の回顧 ~それから、今夜まで~

○前回のあらすじ

 【ライネル】の昔話公開。
 あまりの厄っぷりにボコナさん、可哀想な子鬼の世話を丸投げされる。



   * * * * *

 

 

 ――料理が零れ落ちない程度に気を付けながら、早足で駆けることしばらく。私は道中の間も梢の切れ間からチラチラと覗いていた、廃墟の足元へと到着していた。

 

 見上げる塔頂部の一画から、誰かがそこにいる気配も察することが出来る。

 余程暇を持て余した者が紛れ込んだのでもなければ、そこにいるのはまず間違いなく「彼」だろう。ここに生活している子鬼にとって、所詮この建物の残骸はヒトの名残が残る廃墟でしかないのだから。

 

 けれどその頂上付近にかろうじて残された、部屋と呼べなくもない小さな一画―― 【下界】を一望出来るほどの大穴が無惨に開けられた野晒しの小さな空間に、あの彼はひどく魅了されてしまっているのであった。

 集落に住む者達にとって日々必要な、生活をするために求められる義務を片付けた後ではあったが、彼は時々ふらりと廃墟に登り、何をすることもなく【下界】を眺める習慣を持つようになっていた。今も変わらず続くこの趣味が、まともに脚が動くようになったばかりの最初期からも時々行われていた奇行であったことを鑑みるに、恐らくはただ何となく眺めが気に入ったから、などと言う理由ではないはずである。

 ……そんな彼を除いて、この廃墟を好き好んで登る者はいない。

 

 だから。

 この塔を登れば、そこに彼はいるのだ。

 

 ……集落を離れて彼と二人きりで会うこの状況を狙った訳ではないのだが、意図せず訪れたこの機会に、獣道を駆けて来たことで汗をにじませ、息を弾ませた姿のまま臨むのは何となく躊躇われた。

 族長の娘としての身だしなみ云々…… とりあえず、ある程度は整えてからでも良いだろう。どうせ待ち合わせた訳でも、一刻を争う緊急事態という訳でもないのだし。

 

 足を止め、腰を下ろして背中を廃墟の石壁に預ける。

 夜の気温に冷やされた石壁から伝わってくる冷気は背中に心地よく、顔に(にじ)んでいた汗が引っ込んでいく。

 ……この冷たさがあまりに気持ち良いから、私はもう少しだけ休もうと思ったのだ。

 

 別に、そう別に。

 この後に彼と顔を突き合わせる時。汗の浮いた顔では恥ずかしいから、という理由ではない。

 

 

 

 ――後ろ頭を石壁にくっつけたまま、周囲を何となく眺める。

 特別何かを探していなかった視界には、やはりいつか見回した時と同じく、何も目新しいモノが映ることはなかった。廃墟はあの時彼と初めて出会った夜と変わらない趣きのままに、その朽ちた姿を柔らかい月下のもとに晒しているだけだった。

 

 私が生まれた時から今までも、変わらず存在するこの建物。

 当然僅か1年でそうそう風情が変わるはずもないのだが…… あの日から始まった彼と過ごしてきた日々が余りにも充実したモノだったせいなのだろうか。それとも今も記憶に残る、眼を離せば儚く消えてしまえそうなほどにか弱く見えた、1匹の雄の背中を見守った場所であるせいなのか。

 

 1年を通して大きく揺さぶられ続けた私の感情に比べ、何も変わっていないその風景からは、大自然の悠久さと言うよりもどこか、現世と切り離され取り残された侘しさのようなモノを強く感じていた。

 

 (……そう。ここから彼を集落に連れ帰ったあの時から、もう1年になるのよね )

 

 1年。

 過ぎる日を指折り数える習慣があったわけではない。

 しかしその時の流れを意識してしまう程には、彼が私にもたらした影響は小さくなかった。

 

 

 

 「さて、と…… そろそろ行きましょうか 」

 

 既に汗は乾き、呼吸も完全に落ち着いていた。

 料理を入れた器を腰掛けていた小岩の上に降ろし、廃墟の上層から垂らされた縄に手を掛ける―― わざわざ落ち着かせた息を再び乱しかねない壁登り。効率だけで言えば、これは省いて当然な余分の行為でもあった。

 

 このまま地上から大声で呼べば、彼はちゃんと私の声に気付いてくれるだろう。戦士らしからない気遣いを結構働かせる性分の彼ならば、私の手を煩わせようとせず、ここまで降りてきてもくれるはずだ。

 あるいはこのまま、この場所で待っているという手もある。彼が廃墟の上層から【下界】を眺める『趣味』は、それほど長い時間に及ぶものではないことは知っていた。

 私が気付いて追い掛ける前から宴を抜け出し、この場に来ていた彼なのだ。恐らくはそれほど長い時を置かずして、私が待っている地上へと降りてくることになっていただろう。

 

 その後にでもゆっくりと、食事を手渡してやっても良かったのだ。

 実際これまであった同じような状況の時には、そうやって彼が降りてくるのをぼんやり待っていたことの方が多い。日々変化の無い【下界】をいくら眺めても、そこに何ら思い入れのない私の胸に期するモノなど、何もなかったのだから。

 

 けれど今夜は違った。

 この1年間、変わることのなかったはずの景色を今も眺めているだろう彼が見ているモノを、今夜だけは一緒に見ておきたかった。

 ……多分その景色を一緒に眺められる機会がもう幾らも残っていないのだろうと、半ば確信してしまえていたのだから。

 

 

 

   * * * * *

 

 

 

 ――父から正体不明の子鬼に関する一切を丸投げされた夜が明けた朝。

 

 恐らく広場に行けば宴を越した朝特有の気怠げな雰囲気が、集落を包んでいることが感じ取れるのだろうか。不貞寝から起き出した私の頭は、普段より長く寝込んでしまったせいか、ぼんやりとそんなどうでもいいことを考えていた。

 ……それはもしかしたら現実逃避であったのかもしれない。

 関係の無い日常の一コマを何となく夢想する程度には、起き抜けの私が晒された空気はひどく不可解で、とにかく異常に思えたのだった。

 

 

 何故なら家の前に、昨夜出会ったばかりの「正体不明の子鬼()」がいて。

 つい昨夜までは絶望のままに生気の一切を失い、生きる屍の如く抜け殻と化していたはずの子鬼が、眼に尋常ではない気力を漲らせた様子で、折り目正しく頭を下げてきたのだから。

 

 

 「昨夜は醜態を晒して申し訳ない、族長の娘よ。 どこの馬の骨かも知れない胡乱(うろん)な存在であった俺を保護してくれて、改めて感謝する 」

 

 

 未だ慣れていないのだろう。

 小さく揺れる足を踏ん張りながら、それでも下げられる頭には珍しい2本の角が見て取れる。

 纏う雰囲気が全くの別人であったがために最初は()()()()と結び付かなかったのだが……頭に2本角を生やした子鬼など、それこそ昨夜の彼以外に見たことは無かったために、目の前の存在がそうであると認めない訳にはいかなかった。

 

 立った姿勢のまま下げられた頭をやがて上げた彼の口から紡がれた内容は、理路整然と昨夜の出来事が現実であったことを伝えてくる。混乱を残す私の頭にも容易く呑み込ませられる語り口は明瞭で、そこからは昨日、悄然(しょうぜん)とし切っていたはずの彼の影を見出すことは不可能であった。

 

 

 「俺の名は…… 森で名乗った名はもう、俺が掲げることは許されないんだ。呼ぶには不便だろうから、俺のことは今後『名無し』とでも呼んで欲しい 」

 

 

 思考、あるいは感情の"慣性"―― とでも言えばいいのだろうか。

 たった一晩前までは確かに溺れていた絶望が、彼にはあったはずなのだ。しかしそれを振り切り、傍目には決して引き摺っているようには思えない様子でここに立っている彼は、ともすれば全てが演技だったのかと疑えてしまえそうであったはずなのに、一転して感じさせる強い意志のようなモノによって、後ろ暗い何かを匂わせていなかった。

 

 聞けば私がどういう目的でもって、何を望んで彼を助けて集落に連れ帰ったかという意図の説明は、早朝族長から説明があったらしい。

 

 口では私に全てを押し付けておいて、それでも父は最低限の長としての役割だけは果たしていたということだろう。だからか助けられた返礼として、昨日断片的に語った自身の来歴に加え、『祝福』に関するいくつかの意見や考察を、彼は自分の視点に沿って私に語ることを確約してくれた。

 

 ……しかし、彼との会話の端々から伺える知性の高さ。

 とてもこの集落に生きる若い雄に太刀打ち出来るモノではなかった。老成した長老達と比べてようやく匹敵、あるいはもしかすると上回っているのではないだろうかと思わせるほどの深みを感じるのである。もし初めて彼と出会った時、こうして落ち着いた状態で会話することが叶っていたのなら、年若い見た目との乖離(かいり)っぷりが際立っていただろう。

 ……初対面がそれならそんな違和感が、彼が時空を超えた回生者だという主張に信憑性を高めたかもしれないが、まず何より不気味さが先行していたはずだ。

 であれば『祝福』を知る重要な足掛かりとはいえ、そんな存在を集落まで連れ帰るのは、流石に私でも躊躇していたに違いない。

 

 角から足の指の先まで完全に正体不明の子鬼でありながら、放っておけず集落に連れ帰ろうと思ったのは―― あの廃墟で見た彼の背中が余りに心細く、打ち拉がれた迷子のように儚く見えたこともまた、無関係ではなかったのだから。

 

 

 「族長殿からは、この集落で生活する気があるのなら何かしら働いて貢献しろと言われた。かつての俺は戦士として生きていたため、身体を動かして糧を得る方が性に合っているとは思うのだが、どうにも2本の足で動くことにまだ不慣れでな…… 慣れるにはまだ時間が掛かりそうなのだ 」

 

 「ついては当面の間、族長の娘殿が関わっている仕事を分けて頂き、それを手伝わせて貰えないかと。ある程度、頭を働かせて動くことも出来なくはないつもりだ。 出来るだけ早く身体の動かし方を覚えて自活したいとは考えているので、どうか力添えを願えないだろうか族長の娘殿……? 」

 

 

 きっと短くない期間塞ぎ込むだろうと考えていたところ、こんなにも早期に意思疎通出来るようになったのは素直に喜ばしいことだ。そして昨日の狂態を振り返って負い目に思ってくれたのかは知らないが、私の仕事に協力してくれるというのも素晴らしい。助けた者が真っ当な感性をした雄であったのだろうという要素は、性格や品位を良く知らないままに余所者を招き入れた私にとっても嬉しい話だ。

 

 ……だがまぁ、アレだ。

 確かに生まれ直したばかりのあの時、突然の環境変化に混乱していた彼に覚えていろというのは酷かもしれない。だがその後にベコリーや父から何度も呼ばれ、私がそう呼ばれていることは知っているはずである。それでもなお記憶の端にすら引っ掛からないほど、私の印象は薄いとでも言うのだろうか。

 私は一度きりだった彼の名乗りをしっかりと聞き、今も覚えているというのに。

 

 

 「昨日私にずっと肩を貸してくれた、ベコリー殿にも礼を言わねばならないな。彼はまだ寝ているようだが―― 」

 

 「――なんっでベコリーの名前は出てきて、私は『族長の娘殿』なのよ!! 私の名前はボコナだって、ちゃんと森で名乗ってあげたでしょう!? このバーカ!! 」

 

 

 思わず突き出した腕には、何とも言えない力が籠もっていた。

 正面から肩を強く押された目の前の彼は、踏ん張ることに失敗して無様に尻餅をつき、まるで昨夜の光景の焼き直しのように転がった。

 それを見ているだけの私が愉快げに笑うことなく、あからさまに不機嫌を前面に押し出し、鼻を鳴らしていることのみは昨日とは違ったが。

 

 ――会話の中、昨日と打って変わった精悍な顔つきを浮かべた雄の視線が、多くの若い雄達のように身体を這うことなく、ひたすらまっすぐ自分の眼に向けられていたことだけが少しむず(かゆ)かった。

 

 

 「雌の細腕に押されただけで転がるなんて、自称最強の魔物の名が泣くわよ! 小っちゃい子達が習う踊りの一つでも教えてあげるから、しっかり勉強することねっ! 」

 

 

 

   * * * * *

 

 

 

 ――あれから、彼との時間は始まったのだ。

 

 彼に身体の動かし方を習わせ、代わりに『祝福』を受ける前に生きた彼の半生を聞いて過ごす日々。やがて彼が子鬼の身体に習熟した頃には、初めこそ話半分に聞いていた彼の昔話は作り話にしては有り得ない整合性と密度を重ねるようになっていた。

 

 ……そしてそれを虚偽ではなく、真に事実を語っているに過ぎなかったと信じられるようになったのは多分、あの日の出来事が切っ掛けだった。

 

 長年の間私達の生活圏を荒らし続け、とうとう集落にまで入り込んできたあの巨大熊。

 多くの実績ある勇敢な戦士達が、次々とその爪と牙の前に血を流して倒れていく中、誰よりも高く跳ね、その額へと棍棒を打ち込んでみせた彼の背中。

 気絶して崩れ落ちたその熊との間に立ち、私を庇って油断なく立ちはだかるその姿から、私は確かに、彼が語った誇りが真実であると信じることが出来たのだ。

 

 (――そんな彼を認めたからこそ、その考えを改めさせることは、きっと間違っているのよね……)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ねぇ、やっぱり考えは変わらない? ――ライネル?」 

 

 這い上った廃墟。崩壊した部屋の一画で。

 

 問い掛けた背中は、あの日に増して逞しくなっていた。

 その背中越しに覗ける【下界】には、相も変わらず広がる大自然の中、淀んだ大魔力を揺蕩(たゆた)わせるヒトの建造物が遠目にポツン、と存在している。

 

 私だけが知っている彼の称号。

 2人だけの時にしか呼ばない名前。

 誰よりも彼に相応しいと…… 私が信じてる彼を指す言葉。

 

 ……呼ばれたくない名前で呼ばれたことで、振り返った彼の顔は(しか)められて歪んでいる。それでもその顔は集落にいるどんな屈強な雄よりも精悍で、理知的で―― 強く強く律せられた意志を宿しているように、私には見えるのだった。

 

 「その名前で俺を呼ばないでくれと、何度も言っているだろうに…… あぁ。俺の考えは変わらないとも、ボコナ 」

 

 段々と集落の皆と過ごす交流を減らし、意図的に広場では聞こえることが少なくなった彼の声が、他者のいない静かな空間に小さく響く。

 低音にややかすれて堅苦しく、けれど聴き取りやすいハッキリとした口調。聞く者に安心感を抱かせるこの声と語る時間は私にとって好ましいモノであったが、今その口から紡がれようとしている音は、出来ることならば聞きたくはない内容を意味することになるのだろうなと、私には分かっていた。

 

 あの最初に迎えた朝の時点にはもう固められていたという彼の決心こそが、今の彼を支えていることは既に知っている。そしてそんな意志が成している背中にこそ、私は憧れたのだ。

 今更それを翻意させることは、私の中のライネルを否定することに他ならない…… それでも彼を引き留めたい心が繰り返し零す言葉を、止めることは出来なかった。

 

 ――だからこれまでと同じように、私は密やかに覚悟を重ねる。

 溢れた感情を彼に叩き付けて困らせることがないように。

 最後の時まで、笑顔で彼と言葉を交わせるように。

 

 

 「俺は明日、『最優の雄』の名誉と族長殿に願いを請える権利を勝ち取る。それを使ってあの『凧』を手に入れ……【下界】に行くつもりだ 」

 

 

 




・原作をプレイ済みの方にとって『凧』といえば、ピンとくるものがあると思われます。
 使われている技術はともかくとして構成としてはすごく簡単なアレは、王家に伝わる1点モノではなく、それなりに普及していた道具なのではないかと私は思っています。
 (じゃないと100年後の世界でミニゲームの『鳥人間チャレンジ』みたいな考えを起こす発想の土壌も、生まれにくいんじゃないかなと)


・歴代ゼルダの伝説式ラブストーリーの流れ
 ①不幸に襲われる♀!
 ②颯爽と解決する♂!
 ③♂を片思い気味に想う♀! ……けれど敵や友ばかり夢中の♂!!

 特に今回の原作、かつての仲間や見知った人達が皆が皆、最後に「姫様のことを考えてあげて下さい」と一言加えて消えていくことに、笑えばいいのか嘆けばいいのか。記憶を失ったリンクに呼び掛ける演出なんでしょうけど、自由を宣伝文句にした作品ながらも姫と添い遂げさせることだけは強制させるハイラル王国の闇……!
 (ゲルド族長のルージュに追加ストーリーをもたらすDLCが切実に求められる。具体的にはマスターバイク零式にサイドカーつけてツーリングとかしたい。超したい )


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ボコブリン・ダンス!

○前回のあらすじ

ボコナ回想編終了。
今話からようやく【ライネル】視点に戻って現代の時間が進みます。




   *   *   *

 

 

 俺の監督と、恐らくは当面の監視を兼ねているのだろう族長の娘ボコナが、先程まで一定の調子で振り回していた手足を休ませている。

 やや得意げな表情でコチラの反応を伺っているのは、あの妙な振り付けの動きが余程会心の出来だったとでも言うのだろうか。

 

 正直に言って『コレ』にどれだけの効果があるのか、俺は計り兼ねていた。

 

 「……『ソレ』は、本当にこの集落に伝わる正しい()()法なのか? 」

 

 「何よ、文句でもあるのかしら? 言っておくけど貴方が言うところの身体を動かすための()()()なんて、『コレ』以上に効率的な手段を私は知らないわよ? 」

 

 素直な疑問に返された言葉に嘘はない。しかし――

 

 「どうにも俺には、ただ1人で遊びをしているようにしか見えなかったのだが…… 」

 

 恐らくはこの後、その動きを自らもしなければならないのかと思うと、どことなく憂鬱ですらある。

 洗練されたとモノとは思えない、ただその場で腕と足をバタつかせるだけの動き。水辺に叩き落とされ、足がつく浅さにも関わらず必死に飛び上がろうと翼をバタつかせる鳥のようなみっともなさ…… 語弊なく感想を漏らすならば、そんなひたすらに恰好悪い動きこそ、彼女の先程までの有様であった。

 そこに込められているはずの()()の気配は皆無であったと断言しても良い。

 

 「え? うーん…… まぁそういう側面もあるわよね 」

 

 やはり。

 所詮は子供のままごとでは、あまり効果を期待するべきではないということか? 

 

 「それにもちろん、別に本格的な狩りや闘争のために戦士の技術を学ぶ場合なら、『コレ』とは違う手段がオススメになるわ。その辺りの話になってくると私は完全に専門外だから、後でベコリーでも聞けばいいだろうけど…… でも貴方はそもそもの、それ以前に2本足で立って動くこと自体に難儀しているから、まずはその違和感を解決したいって話だったでしょ? 」

 

 ……。

 

 「だったら未発達の子供から足腰の弱った老人まで、全てのボコ族の皆が(たしな)んでいる『コレ』を、まずはこなせるようになるべきだと思うわ。『この踊り』を通して子供達は身体の動かし方を学び、長老達も日々の健康を維持することが出来ているんだって! ……それに皆がやっているからこそ、貴方もしっかりと身に付けてみせれば、打ち解けられる切っ掛けになってくれると思うのよ。とりあえず敵意の無い余所からの来訪者なんて、少なくとも私は見たことないくらい珍しいんだから、皆も中々距離 を詰めようとはしないでしょうし……ずっと遠巻きにされたままになったら、寂しいじゃない? 」

 

 ……なるほど。

 意思の通りに動きさえすれば、例えこの身体が子鬼のままであっても自給自足の暮らしを(まかな)うことは容易いはずだが、その過程にあえて『コレ』をさせようというのは、彼女の気遣いでもあったのか。

 こんな怪しい身の上の自分に『祝福』とやらの標本の役割以外で、集落での居場所を用意してくれようとしている。ほんの少し、この所業は名前を覚えていなかった俺に対する単なる当てつけかとも思ったのだが…… この配慮は素直に好ましいと思えた。

 

 「いや、申し訳ない。身体の出来ていない子供や肉の衰えた老人にすら有用であるなら、真実『コレ』をこなすことは俺がこの身体に慣れる上でも必要ないのだろう。なら問題ない…… それでは先程も見せて貰ったが、詳しい型についてもう一度振り返らせて貰っても構わないか? 」

 

 だから、この好意は有難く受け取ろう。

 例え見た目が少々不細工であっても、それはあくまで元々の種族から来る感性の差に原因があったのだろう。四脚と二脚は違う。この振り付けにこそ先人達から今に受け継がれ、彼らの身体にとってそうするべき意味が宿っているに違いないのだ。

 

 

 

 「フフッ! ヤダ、決まった型なんて無いわよ? 」

 

 ……。

 

 ……?

 

 「……何?」

 

 「【ボコの名を冠する子鬼】たる私達が守り伝えてきた『この踊り』は、一応伝統的な意味合いもあるけどね? その時の心の赴くまま、感情のままを手足に乗せて、自由に表現することこそが肝要なの! 」 

 

 「………………本当に、俺をからかっている訳ではないんだな? 」

 

 

 重ねて尋ねても返事は変わらなかった。

 彼女は、本気だった。

 

 

 1年前のあの日、この世界に生まれ直した夜から空けた朝の出来事。

 絶望に襲われた夜が空け、それでも無理矢理抱いた決意を支えるための脚を手に入れようと、初めてこちらから話し掛けた彼女との会話の結末がコレだった。 

 

 ――今も毎朝こなすようになった習慣を教えてくれた切っ掛けは、間違いなくこの時の彼女だ。しかしその正しい所作を改めて乞うたのは族長であったり、名も知らなかった戦士達だったりする。

 

 それはこの後に集落で火を囲む雄達が興じていた『踊り』を見た時、一目で浮かび上がった事実が原因だった。

 少なくとも。いや、やはりというべきか。

 ボコナに、踊りの才能は皆無だったのである――

 

 

 

 

   *   *   *

 

 

 

 集落の中央にある、『宴』の広場。

 廃墟までわざわざ俺を迎えに来てくれたボコナと連れ立ってその宴の中心地に戻ってみれば、会場は少々「前夜祭」と呼ぶには過剰な盛り上がりに包まれていた。

 

 大量の肉を貪ってハシャいでいる雄がいる。

 料理が出来たと吠える雌がいる。

 広場の中央では浮かれた戦士達が殴り合いをしている。

 それを煽って囃し立てる者もいる。

 …… 明日行われる『最優の雄』に参加するはずの、青肌をした戦士の後ろ姿すらその輪の中に見掛けられたのは、いくら何でも祭りの熱に浮かされ過ぎではないかと思わないでもないのだが。

 

 しかしこんな熱気に包まれた空気もまた、厳しい野生を潜り抜けるために育んできた彼らなりの鋭気の養い方なのかもしれない。明日の「戦い」を前にして熱くなった血に身を任し、野蛮に盛り上がりたくなる気持ちは、前世含めて似たような環境に身を置いてきた俺にも分からない訳ではなかった。

 

 まだまだ宴に終わりが見えない様から察するに、もう少しあの廃墟で【下界】を眺めていても良かったかもしれない―― そんなことを考えていると、殴り合いに興じていた戦士達の輪からはみ出た者の一人が、森から帰ってきた俺を目敏く見つけ、

 

 「おぉーいナナシぃ! 一番デケェ獲物を仕留めた今夜のヒーローのくせして、一体どこ行ってたんだよぉ!! 」

 

 と、広場の喧騒に負けない大声で俺の存在を喧伝してしまった。

 その途端。力比べをしていた戦士達、肉や木の実を貪っていた者達が皆、事前に示し合わせたかのように手を止めて声を上げた雄の視線の先、つまりは俺の方へと視線を移動させた。

 期せずして生まれた静寂は、彼らの行動が乱れず一致した故の結果であったが―― しかしこれは水を差され、熱気の鎮静に繋がる静けさを意味しない。

 

 例えば皿の中にある肉片が少し転がっただけでも、それだけで盛り上がる材料にしてしまえそうな興奮の炎を躍らせている彼らなのだ。

 会場に詰めかけた参加者達にとって、今まで見当たらなかった俺の登場という()()()()()()()()イベントは、正に「宴もたけなわ」へと至るために注がれる油でしかなかった。

 

 それは静寂の直後、怒号めいた声が周囲に響いたことで証明された。

 

 「ナナシが来たぞーぉ!! 」

 「なぁんで肉持ってないんだよお前ぇ! ホラこれ食えって! 」

 「テメェそれ俺様が狩ってきた鹿肉じゃねぇか! 兎しか捕まえられなかった野郎がエラそうに肉配ってんじゃねぇぞ!? 」

 「それより酒だ酒! 酒を持たせろ!」

 「お嬢ちゃん一番デカイ器に注いで持ってこいよ? ナナシは飲むからなぁ! 」

 「ヨッシャ、ナナシ!俺と明日の前哨戦代わりに飲み比べしようぜ!」

 「……馬っ鹿お前、ナナシが飲んでるトコみたことねぇのか? この前飲み比べ挑んだ戦士の野郎、青肌だってのに茹でられた豚みたいな顔色になって倒れたじゃねぇか 」

 「えっ」

 「お? なんだ? 飲み比べやるって?」

 「今日子熊を狩って来たヨクーシャか 」

 「相手は……オイオイ、ナナシかよ。そろそろ『祝福』の時期だからってなんて無謀なヤツなんだ 」

 「『決闘』に挑む前に酒に溺れて死ぬとか、ある意味伝説になるな! 」

 「おぉーい!ナナシに酒で挑む勇者が現れたぞぉ!一番強い奴をここに(かめ)で持ってきてくれぇ!! 」

 「えっ」

 「オッシィァ、持って来たぞォ!(さかずき)は丁度良いのがなかったが、その辺に転がってたの使えば良いだろ! お!? これなんて良い感じだな! 」

 「オイオイ、そりゃあ盃ってーか(はち)じゃねぇか! そんなもんで飲んだら明日は二日酔いでナナシもヨクーシャも不参加になっちまうぜ! ガッハッハ! 」

 「えっ」

 「俺が優勝するには都合が良いじゃねぇか! ガッハッハ!」

 「テメェにはどっちみち無理だろう? 明日は無理せず俺に任せて、のんびり(ハト)もう一匹捕まえてこいよ 」

 「うるせぇぞ(カモ)野郎がッ! テメェも夢見た発言してんじゃねぇぞ!! 」

 「痛ェッ!やりやがったな鳩野郎!! 」

 

 罵声混じりの蛮声が掛けられ、時には頭上を飛び越えて流れ続ける。

 安直にして粗野な雰囲気。しかし、不快なモノが心に残されない清々しいここの掛け合いは、嫌いではない。立ち上がれるようになった後に発揮出来るようになった俺自身の戦闘力という背景があったにせよ、正体も曖昧な俺を彼らは気持ち良く受け入れてくれている。

 

 誰からともなく手渡された酒器を高く掲げる。

 再び響く怒号。囃し立てる声。

 縁につけた口をそのままに一気に傾けてやれば、口内がすぐさま満たされ、続いて胃の奥へと波涛(はとう)をうって流れ込む。嚥下(えんか)する喉を焼く独特の風味は、広場の入口で潰れていたクーポ爺さんの新作だろうか。

 野趣溢れる匂いを残したままの液体は取り除き切れていない不純物で濁り、後味の余韻を楽しめるような出来ではない。しかしその鮮烈な味わいは、ひたすら俺が今飲んでいるモノが酒であるのだと意識させるものだった。

 旨い―― 素直に、そう思う。

 

 一息で空にした器を、対面のヨクーシャに押しつけてやる。

 戦士の流儀としては彼がまた同量飲み切ったならば、次にまた俺が飲んでやる必要があるのだが。飲んでもいないのに豚の背脂みたいな顔色であるところを見るに、再びその器が俺に回されることはないだろう。

 案の定その場から離れる素振りを見せただけで、ヨクーシャは露骨に安堵の溜息を漏らしている。そして俺も明日の晴れ舞台を前に、酒で戦士を潰す無粋をするつもりはなかった。

 

 ――呑み切ったことに対する歓声を浴びるままに、広場を進む。

 目指す先は中央。この辺りで一段高く盛られた高台の中心に据えられた、檀上ともいうべきその場所だ。

 

 前夜祭たる今夜の宴に最も大きな肉を捧げた戦士は、その夜の主役となる決まり事を果たさなければならない。俺が一等大きな猪肉を得たことは周知の事実。今俺を取り囲んでいた者達も当然それを知っており、近くにいる者達は俺の肩を叩き、遠くにいる者は俺の仕留めた肉を掲げて称えてくる。いざ勝者の義務を果たそうとする俺の行く先を遮ろうとする者は、もう現れなかった。

 今日の俺の立場で挨拶をすることは、宴を締め括ることを意味するので騒ぎ足りない戦士達の何人かは不満顔ではあったが、彼らとて明日に疲れを残したくはなかったのだろう。顔に現れた不満を、その口から吐き出そうとはしなかった。

 恐らくは明日、今抱えた不満すら武器を握る力に変えて、対戦相手にぶつけるのだろう。

 

 ――高台、その縁に足を掛けた。

 

 過去檀上に上がった戦士達の多くはその場を借りて求婚を叫び、あるいは明日の最強への熱をぶち上げる者がほとんどであったという。それは「決闘の儀」への参加が万が一を覚悟させ、その一生に悔いが残らないよう、己の感情を周囲に叩き付けようとした結果なのだろう。

 『祝福』の有無は関係ない。自ら死に向かう状況とは、そうしたある種の決断と意志を踏み切らせるに十分な場であるのだ。

 

 (……では、俺はどうだ? )

 

 過去戦士達の感情を、想いを爆発させてきた歴史を持つ檀上に登り、一体俺は何をするべきだろうか。

 異種族の感性のままこの子鬼の身体へ隠れるように宿り、責任を果たせなかった過去の不甲斐ない惨めな記憶を貼り付けて生きるこの魂に、果たして声に出してまで主張するモノがあるのか?

 

 ――やがて高台を登り、中央の檀上へと登り切った。

 

 今や広場に詰め掛けた多くの老若雌雄の子鬼達の視線を、俺は独占している。皆は思い思いの肉や飲み物を手に持ち、または頬張りながら俺の発言を待っていた。

 この1年を、ただ共に生活してきただけのはずであった彼らから送られる視線には、どうしてか確かな友愛が込められている。

 中には新参者にして地位を築いた者に対する嫉妬や、戦士としての対抗心、未だ拭い捨てられていない不信といった感情もあるのだろう。しかしそれが全てと、そうと満たしている視線は一つとしてないのである。隔意ある者からすら、俺を集落の仲間と、切磋すべき友と思っている―― そんな想いが確実に感じ取れるのである。

 下等な子鬼と、俺の正体を知らぬからこそ向けられる無知さ故と、見下げることも出来るだろう。魂の土台が違う存在に、そんな同等の者に与えられるような感情を向けられるのは、むしろ屈辱ですらあると。

 だがそう思って自分に言い聞かせるには、眼下から伝わる彼らの視線はあまりにも無垢で、柔らかくて。そして、心地よかった。

 

 だからか、そんな空気に身を任せてしまっていることを自覚したからか。

 ……俺の両腕がゆるり、と。

 視界に広がる彼らを抱き締めようとするかのように広がり、持ち上がったのである。

 

 何かしら無難な抱負を語ろうとしていたのに、気付けば身体が動いていたのだ。

 完全に無意識だったその行動に戸惑い、まだ動こうとする我が身の腕を抑えようとしたのだが、しかし同時に、かつての言葉が脳裏に閃いてもいた。

 

 

 ――その時の心の赴くまま、感情のままを手足に乗せて、自由に表現することこそが肝要なの!――

 

 

 聞いたその時からこれまで「彼女の言葉は自分の未熟さを誤魔化す詭弁ではないか? 」と思っていたし、今でも正直、そうだろうと思っていたりする。

 実際、その後学んだ族長や戦士達の踊りには一定の型が存在しており、そこには身体操作を学ぶに足る理屈が存在していたのだ。その時その時の感情を表現するのみの、ちぐはぐで稚拙で無意味な彼女の踊りには、身体を養う効果は望めない。

 

 だが今、意のままに動くようになった手足を無意識に衝き動かしている、この昂り。

 これを過不足なく表現するために、身体は言葉を発することを拒否していた。眼下の彼らが向けてくる視線を一身に浴びたことで、唐突に動いてしまったのは口ではなく、俺の腕だった。

 

 言葉にならない心の内を、無碍(むげ)を得たはずの肉体が動作(かたち)にして表現したがっている。

 では果たしてこれを無理矢理に抑え、無難な宣誓めいた言葉を吐くことが、この場でやるべき正しい行いなのだろうか。

 

 【勇者】の残骸の成れの果ての身でありながら、分かることがある。

 ――それは、無粋なのだと。

 

 ゆるりと力なく、それでも持ち上がろうとしていた腕の先。その指の隅にまで力を込める。

 持ち上げた腕に意味なんてない。けれど俺は持ち上げたい、持ち上げるべきだという心に従って持ち上げた。

 ストンと一つ、何かが腑に落ちた気がする。何か確信を得たような気がした。

 だからもう、身体を抑えるつもりはなかった。

 

 振り上げる片腕に、果たして筋力を培う意味があるのか。

 壇上に音を鳴らして叩き付ける片足、こんな適当な動きに何かを促す効果があるのか。

 

 何も無い。しかし、それで良かった。

 

 夜空に向けて突き上げる、俺の腕を見ろ。

 ――これがお前達の獲物とは一線を画した、あの大猪を屠った腕だ。

 木の板を張って作られた高台を踏み鳴らす、この両足を見てくれ。

 ――これが貴方達に育んでもらった、あの頼りない細脚の成長した姿だ。

 憧れるが良い。この力を宿した俺の身体を。

 誇ってくれて良い。その力を宿らせたのは、間違いなくこの集落の力なのだと。

 

 獲物を仕留めるべく鍛え込んだ足捌きで踏み込み、意識して台を鳴らす。

 より多くの空気を混ぜて風の音を響かせられるよう、指を広げて振り回す腕には、大猪を仕留めた時と同じだけの力をこめている。

 威嚇するように太く鍛えた首を回して周囲をねめつけ、引き締まった五体を衆目に分かり易く晒すために身体を回し、飛んで、跳ねる。

 

 ……気付けば眼下から聞こえてくる音が、大きくなっていた。

 戦闘者としてあからさま露骨な挑発を受け、負けじと気勢を上げる戦士達の吼え猛る声。振り撒いた雄の匂いに、興奮する雌達の黄色い声。バタバタと手足を動かしてハシャいでいる幼子達もまた、周囲の熱に浮かれているのか。

 腕を突き出すごとに空中へ飛散する汗がかがり火を受けて煌くたび、上がる歓声。

 空中で回転させた身体を着地の一蹴りで更に加速させる。その勢いから振るわれる一撃の重さを察して、息を呑む戦士達。

 子鬼の肉体に可能な限り詰め込んだ暴力の輝きを披露するたび、広場の熱は温度を上げていく。

 高まる熱は律動を刻み、集まった子鬼達の肉体を動かしていた。

 

 ――良いとも魔物の同胞たちよ。明日は祭りだ。

 存分に牙を剥き、熱を宿し、憧れるが良い。

 子鬼という知性ある魔物においては最底辺の力しか持たない存在、しかしその器であってもどれほどの力を搭載出来るのかという一端を、『最優の雄』となる肉体の強さを。

 集落を発つ者の礼として、明日は皆の目に焼き付けてくれよう――

 

 

 今やこの場に、行儀良く座り込んでいる者はいない。皆がそれぞれの思いを手足に篭め、誠心誠意感情のままに踊っている。1匹1匹が躍りを通して感情を開放しており、気が付けば宴に集まった全員が躍ってい様子は、まさにボコナのいうところの【ボコの名を冠する子鬼】達らしい踊り会場となっていた。

 

 最後の詰め。両足を揃えて直立し、片腕を高く、高く突き上げる。

 数秒の静寂の後、再び爆発する熱気と歓声。

 

 

 自らに新たに課した使命、それは決して忘れないままではあったものの。

 彼らとの絆を抱えて子鬼として生きるのも、満更捨てたものではないかもしれない―― と、この時の俺は確かに思っていたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   * * * * *

 

 

 それは子鬼達が熱狂に浮かされた夜が白み、祭りを迎える陽が昇り始めた頃の出来事であった。

 

 【空の台地】―― 子鬼の魔物達がそう呼び、住まう土地。

 その台地を構成する地上と場所を同じくする、とある山の中腹。

 そこには彼らが存在を知らず、放置されるままにある人造の空間がある。

 

 『……………………』

 

 そこは人造ではあったがそもそも人の存在自体、台地より離れて久しい。

 守る者もいなくなったその場所は、しかしおよそ100年もの月日の間を人魔問わず、誰も踏み込ませることはなかった。

 

 ――だが、それは決して「無人」であることと同義ではない。

 

 『……………………』

 

 その空間には『人』が1人、いた。

 飲まず食わずの100年間、眠り続けるたった1人のハイリア人。

 その生命を維持し続けているのは、青い燐光を点し続ける寝台を模した装置の力か。

 血色良く、痣の一つも浮かばない健康的な寝姿から伺い知ることは出来ないが、かつてその寝台に寝かされた時のその身体には致命傷に等しい傷が刻まれていたに事実を踏まえるに、生命維持だけに限らない力を、神秘の水で内側を満たしたその未知なる寝台は備えているのだろう。

 

 その水に身体を浸し続けているハイリア人の青年。

 その鼓膜を、あるいはその内側に眠り続ける意識に、呼び掛ける『声』があった。

 

 『…………して……』

 

 いつの頃からその『声』が掛けられたのかは分からない。

 今始まったばかりなのか。それとも彼の身体が完全に癒された頃を見計らった頃からなのか…… それとも100年前、彼が眠りについた頃よりずっと呼び掛け続けられていたのか。

 

 『……覚まして……』

 

 彼にだけ届けられる『声』

 ゆっくりと、ゆっくりと。決して無理に眠りを妨げようという意思は感じられない、気遣いに満ちた穏やかな声。

 

 『目を覚まして……』

 

 その『声』には明確な、篭められ続けた想いが宿っていた。

 

 『目を覚まして……』

 

 死なないで欲しい。

 無事にいて欲しい。

 眠りにつくままに、今は私に任せて欲しい。

 

 ただ言葉にしないだけ。

 呼び掛けには切実な祈りと共に、『声』の真心が乗せられていた。

 

 『目を覚まして……』

 

 ……けれどその回復を願う心の裏、密やかに隠された願いもあった。

 もう十分以上に傷ついた彼に、更なる試練を強いることになる想い。

 

 出来れば伝えたくなどない、けれど彼でなければ託せない。

 そんなどうしようもなく切実な願いがあったのだ。

 

 

 

 ――――助けて欲しい。

 

 『リンク』

 

 

 

 その声に、助けを求める主の願いに。

 

 『彼女』だけを専念するよう王に任された【騎士】の(まぶた)が、開かれた。

 

 




 デンデデッデデレ♪ デンデデッデデレ♪ デンデデッデデレ♪ デンデデッデデレ♪
 踊りといえばコレ。
 熱い何かを呼び起こされるそのリズムは、まさにロマンシング。【ボコの名を冠する子鬼達の踊り】ということで、題名を「ボコ舞!!」にしようか迷ったのはトリコの猿武シーンが大好きなせい。

 作品構成に迷走しているようで、ボコブリンの話を書くならダンスシーンは是非とも入れたかったパートだったりします。それほど原作のボコブリン達が肉を囲んで踊る団欒風景は「魔物もただの主人公の障害物じゃなくて、生きて生活してるんだなぁ」と印象的だったのです。

 ……まぁソレをぶっ壊して蹂躙するのが次話、もしくは次々話に登場する我らが救国の勇者なんですけどね!

 辛抱強くこれまでお読み頂いた皆様、大変長らくお待たせ致しました。

 原作時間の開始です。


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∴ 目覚めた青年

○前回のあらすじ

かつての勇者「俺がダンス担当」
麗しき雌「私が歌担当」
『最優の雄』に挑む戦士達「「「そして―― 俺達が楽器・コーラス担当! 」」」
~デンデデッデデレ♪×4 ヘエーエ エーエエエー(ry 

唯一amibo化した、BotW魔物代表の創作ダンス


   * * * * *

 

 

 『…………して……』

 

 

 真っ暗だった。

 

 もし一寸先に獣が大口を開けて待ち構えていたとして、それでもその尖った牙の煌めきにも気付けないだろうほどの闇。視覚のみならず、その口から漏れる呼気による風の流れや音も、身体から漂うだろう獣臭だって感じ取ることは出来なかったに違いないと改めて思わせるような、五感を覆い尽くす無闇だった。

 

 ……ボクは、そんな場所をただ漂っていた。

 今の今まで、ボクは自身がそんな場所とも言えない場所を漂っていたということを「自覚」すら出来ていなかったのだ。けれど、今はそれを認識出来ている。

 

 (もしかして…… いや、きっと )

 

 こうして何かを把握し、考えることが出来るようになれたのは、この意識の奥にじんわりと呼び掛け続けている『声』の恩恵なのだろう―― 何の根拠もない直感ではあるものの、ボクはそれを確信していた。

 

 

 『……覚まして……』

 

 

 初めはそれが『声』であるとすら気付けず、闇の向こう側から何となく感じられるだけの、か細く小さな音としか感じてはいなかったと思う。

 けれど、その何が発しているかも分からない切っ掛けだけが、虚ろで空っぽになっていたはずのボクの中にまだ僅かに残っていた何かの琴線に引っかかり、暗闇に溶けて散っていたはずの「ボクだったモノ」を元の入れ物へと汲み上げさせた。

 それは徐々に「自分」を取り戻すに連れ、音が『声』になっていくに連れて…… その声音が、響きが、ボクの何かを強く強く揺さぶって仕方なかった。

 

 その繰り返しの末にボクは「自分」を取り戻し。

 まだ止まないでいてくれている誰かの『声』が懸命に呼び掛けている対象が、この「自分」であることも認識出来る状態に成り得たのだ。この『声』を受け取れていなかったら、未だボクはボクを知らないままに、暗闇の中を漂っていたに違いない。

 

 ――けれど

 

 

 『目を覚まして……』

 

 

 けれど、この『声』の主が誰だったのか。

 それが何故だか思い出せない。

 

 こんなにも心を揺さぶる『声』なのだ。ボクはきっと、この『声』の持ち主に出会ったことがあるはずなのだ。いつの間に目も見えるようになったのか、『声』を感じる方向からは柔らかな光が徐々に広がってくるのを感じている。

 自分の覚醒を促すようでいて、しかし労わるように暖かで、穏やかな光。

 恐らくこの光を伴う『声』の主は、自分を害する存在ではないのだろう。

 

 きっと出会ったことがある、好ましかったはずの『声』の主。

 ハッキリと思考出来る意識を取り戻しつつある今、そんな己を取り戻させた切っ掛けとなった相手ならばすぐにも思い至りそうでありながら。その姿、そして名前すらも、遠く響く『声』をそのままにしたように朧で、曖昧だった。

 

 ……記憶の中にあるはずの『声』の正体を覆う(もや)だけはそのままに、光は視界を満たすように広がり続け、ゆっくりと明度を上げていく。

 

 

 『目を覚まして……』

 

 

 ……一体この『声』は誰なんだろう?

 ……どうしてこんなにも懸命に呼び掛けてくれるのだろう?

 ……ボクはボク自身が、どんな存在なのか知らない。思い出せない。

 ……そんな何者でもないボクに、何をアナタは期待しているの?

 

 ……ボクに何をして欲しいの?

 

 

 『目を覚まして…… リンク』

 

 

 (…………あぁ、それは )

 

 ――ボクの名前!

 

 

 亡羊(ぼうよう)と手放しかけていた魂に、それでも深く刻まれ、消えずに残っていた(なまえ)

 思い出せなかった。この瞬間まで忘れていた、ボクの名前。

 

 もう言うべきことを言い終えたのか、ただ目覚めを待ち続けているように沈黙してしまった、けれど依然と待ち続けるように佇む柔らかな光に向け、意識を集中する。

 直後に感じたのは、何かと繋がる感覚。

 

 躊躇い、控えめに…… しかし切実にボクの名を呼んだこの『声』が、ボクを求めている。

 

 (……この『声』に応えたいと、ボクは思っている……? )

 

  不意に爆発するような勢いで広がった光の中に、浮かび上がったばかりの意識が再び溶けていく――

 それでもボクの心に恐怖の感情は、ほんの欠片も湧いてはいなかった。

 

 

   *   *   *

 

 

 眼を開けた途端、滲む視界に飛び込んできた光景は、何とも眩しく色鮮やかな色彩に満ちていた。

 

 ……としばらく思いはしたものの、どうやら眩しく感じていたのは頭上に灯るささやかに灯る蒼い光源で、鮮やかな色とはその光を薄らと反射させる無機質な天井だった。

 暗闇の中を永く漂っていたせいなのだろう、薄暗闇に浮かぶそれらですら豊かな色合いに感じていたのだという実感が、「あの世界から目覚めた」という感慨と、改めて考えてみれば何でもないモノに感動していたという、小さくも密やかな羞恥をボクに抱かせる。

 

 (――――ここは……? )

 

 身を起こして辺りを見渡す。

 未だ朧げであり不確かな自分の頭の中ではあったが、ココはその中に残っている記憶にも一切の心当たりがない、何とも不思議な空間であるらしい―― ということしか分からなかった。

 

 まず、どうやらベッドなのかも疑わしい、薄ぼんやりと蒼く光り続ける妙な家具の中にボクは今まで寝転んでいたらしい。

 そして、窓が一つもない。

 つまりは燭台や松明も見当たらないために本来なら真っ暗であるべき空間ではあったが、ベッドらしきものが放つ光と同種、あるいは違う色の熱を感じさせない無数の照明が辺りに散りばめられているために足の踏み場と、自分が寝ていた屋内がどんな趣きであるのかは何となく察することが出来る。けれど、それはあくまで観察が出来るというだけだ。

 

 この屋内にあるモノで、自分がその用途を理解出来るものは何一つとしてなかった。

 地面や壁、天井に至るまでびっしりと、独特な意匠に統一して彩られた装飾。

 光る家具、光る内装。

 取っ手も無く開け方の分からない石扉。

 そして自分が何故こんな場所に下着一つで寝ていたのか―― それすらも、全く心当たりがなかった。

 

 ベッドだと思うモノから起き出し、辺りを少し歩いて回ってみれば(想い通りに動かせる身体を再び得られたという事態にも、少なからず興奮していた)、ここはそれほど広い空間という訳でもないらしかった。そして恐らくは水も、食べ物だって僅かも保存されてはいないらしい。

 

 これには困った。

 

 何せこの身体、動かせることには動かせられるのだが、どうにも記憶の中にある過去の自分とは、比べようもないほどに弱々しいのである。

 何かの記憶違いだったり、誰か全く別の身体に乗り移ってしまっている、なんて馬鹿げた話でないのであれば、どれだけ眠りこけていればこれだけ衰弱出来るのだろう? ……それともこれは、あの不気味なベッドの呪いだったりするのか?

 ……とりあえず、あの蒼い光に包まれている窪みの中に再び寝転がることだけは止めておこう。

 

 幸い、今は深刻な空腹を感じていないものの、生きる為には食べ物と水は絶対に必要不可欠だ。この不思議な空間にそうした蓄えが一切存在しない以上、早々にここより出て、少なくとも体力のあるうちに飲み水だけでも確保しなければならないのだが…… この肉体では、得物でもない限りあの石扉を突破することは不可能に違いない―― そう確信してしまえる程度には、壁と扉を構成する材質は堅牢な趣きを誇っていたのである。

 

 目覚めの喜びの後に待っていたのは、現実味のある飢死の恐怖であった。

 

 (さっき歩いて回った限りは、手に取って使えそうなモノは転がってはいなかったんだよね……)

 

 明らかに人の手によって作り出らされた空間は、しかし人の手に持たせられるような道具の一切を排していた。角の取れた壁は剥がそうにも指の取っ掛かりとなりそうなモノすらなく、唯一あった家具たる忌まわしそうなベッドも地面と一体化させたような造りとなっており、とても力任せに解体出来そうではなかった。

 他にあるのはただ一つだけ。

 石扉の左脇に位置する地面から、腰の位置に当たる高さほどの大きさを持った、人が立ったまま手をかざし、何らの作業をするには丁度良い台があるのみである。

 これもまたしっかりと地面に固定化されているらしく、取り外すことは出来なさそうではあったが……それに加えてこの台をいじるのを後回しにし、他の探索をしたかった理由があった。

 

 その原因は、この台の上部が灯す発光色。

 恐ろしくもその台は、この室内において壁を彩る暖色ではなく、()()()()()()と唯一光の色を同じくした蒼い光を灯していたのだ。

 

 正直に言って、触りたくない。

 

 腹を空かさない程度にしか寝ていないはずの自分が、それほど昔だとは思えない過去の記憶よりも遙かに衰えている理由。どうしてもそれが、今まで自分が寝転んでいた謎の家具に関わっていそうでならないのだ。あの蒼い光には、身体を蝕む毒のような効果があるのではないかと勘繰ってしまう。

 

 ……ただこのままこうしていても、拉致が明かずに状況が悪くなる一方なのも事実。

 腰を引かせていつでも手を引っ込められるように警戒しながら、それでもその台を調べようと触れる決断をするまでは、それほど長い時間を必要とはしなかった。

 

 しかし結論から言うと、その段階ではまだボクが台に触れることはなかった。それは直前になってやっぱり怯えてしまったから―― という理由ではない。

 なんと台の前に立った途端、斜めの傾斜をつけることで丸く整えられた真円の形状をこちら側に見せていた台の上部、その表面部分が独りでに動き出したのである。

 淡く灯していた蒼光を一瞬強く瞬かせたかと思えば、凹凸のなかった表面の真ん中が小さいもう一つの円となってせり上がってくる。そうして現れた小さな円は、更にその内側に何か違うモノを収めていたようだった―― それは両手に収まる程度の四角い板切れのようであり、周囲の円とは違う直線で構成された形状と、台の上では唯一の暖色を宿して柔らかく灯る様が、何だか不思議な存在感を放っていた。

 

 そうして見守るしかなかったボクの前、丁度胸の高さぐらいの位置まで板切れを移動させた台は、役目を終えたと言わんばかりに沈黙している。再び動き出す気配は取りあえずなく、加えて手を伸ばせば楽に板切れを取れそうなその高さは、まさしく「板を手に取ってくれ」という無言の配慮に満ちているようではあったが…… その板の、恐らくは装飾だろう『目』の文様が蒼く輝きながらコチラを向いている様子が何とも不気味でもあり、先程選んだはずであるところの触って調べる決意が、心の中でやや萎え始めているのを感じてもいた。

 

 (手に取ったら最後、ひどい罠とかありそう…… )

 

 板を外した瞬間、この空間が崩落して生き埋めとかにされたらどうしよう―― そんな危険を心配してしまうほどに、現状のボクを取り囲むモノには安心感を持てる要素が見当たらなかった。

 

 ――何より。あの『声』の主が、此処にいない。

 ボクを知っており、ボクが知っているはずの『声』の主。あるいは目を覚ませば枕元に居てくれているのではないかと思っていたその存在が、この空間にはいなかったのだ。覚えのない閉じられた密室に、衰えた身体をもって目覚めた現状が、思った以上にボクの心を臆病にさせているのかもしれない。

 

 このままこの空間から出られずに、ただ1人きりで途方に暮れるしかないのか…… そう思い始めていた矢先のことである。

 どこからともなく聞こえてきたのは、暗闇から自分を導いたあの『声』だった。

 

 

 『それはシーカーストーン…… 永き眠りから覚めた貴方を導くでしょう…… 』

 

 

 耳ではなく、直接頭の奥に響くようにして伝わる『声』。

 あの暗闇の中を前後不覚に漂っていたからこその聞こえ方だと思っていたけれど、肉を得てなお全く同様に感じた『声』の響きから察するに、どうやら本人はこちらの世界にあっても、遠く離れた場所にいるらしい…… それでも暗闇の中にいた時よりも少しだけ明瞭に聴き取れるようになった『声』の様子から、その主との繋がりがどことなく強まったようにも感じられた。

 

 ふと、先ほどまであった妙に重い孤独感があっさりと消えてしまっていることに気付き、我ながら現金だなぁと苦笑する。

 ボクが、この世界で1人きりじゃない。それを知れたことが、こんなにも嬉しい。

 板に浮かぶ、さっきまではあんなにも不穏に感じていた『目』の文様も今では、ただ名前通りの先導する眼にあやかって刻まれたのかもしれないな、と気楽に捉えることが出来るようになっていた。

 

 (……『声』の人やこの板も、もう少し早くボクを導いてくれても良かったのに )

 

 板を両手に取ると『目』の背面、恐らくはこちらが正面だったのだろうが、その中央部分が怪しく輝き出す。そしてその光に反応するかのように、あの固く閉ざされた扉が一本一本の細い柱に分かれ、それぞれが扉の上部に位置した壁の中へと引き込まれていった。

 何でもなかったことに1人思い悩んでいたことには多少気恥ずかしい思いもあったが、とりあえずこの不思議な板を使えば外に出られるらしい。

 ……そしてこの扉の先には、この『声』の主も待っているのだろう。

 

 別の空間と繋がったことで、こちら側とあちら側の空気が混じり合う。

 ――部屋だったらしいこの空間より外の空気はやや冷えたモノだったようで、温暖差から吹き込む風となって素肌を撫でたささやかな冷気が、ボクの身体を小さく震わせる。

 

 (出来れば何か、羽織れるくらいの布が落ちてないかな…… )

 

 ようやく開いた扉をくぐったボクは人工的で滑らかな床をペタペタと裸足で歩きながらも、そんなことを考えていた。

 

 

 




 ※原作を知らない方に、簡単に青年の現状を説明(原作あらすじ)
 ――100年前、ハイラル王国をマリオのクッパの如く周期的に襲っていた魔王を迎え撃ち、しかし敗れた勇者がいた。
 そして勇者を含めた仲間達が軒並み死に絶える中、生き残った姫は瀕死の勇者を回復の眠りにつかせ、彼が再び立ち上がるまでの間、自らに宿った封印の力で魔王を抑え続けてきた。
 そして100年後の時代、謎()の『声』の導きによってついに目を覚ました勇者はしかし、かつての記憶の一切を失ってしまったのであった。(← 今ココ )

 無垢なる勇者は過去を取り戻すことが出来るのか?
 王国を崩壊させた魔王を今度こそ討つことは叶うのか?
 今、時を越えた勇者が新たな冒険へと旅立つ――!

 一分の隙もない勧善懲悪ストーリーって、本当に素晴らしいですね (なお魔物視点 )


 ※作中描写や「ウツシエの記憶」を見た限りでは、シーカー族の古代技術特有の蒼い光を宿した存在は、100年前の世界にはガーディアン内部から漏れているモノと、神獣からぐらいしか確認出来ませんでした(当時姫様はシーカーストーンを持ちながらも遺跡の起動には成功しておらず、とある博士の『チェリーちゃん』も存在していないために、遺跡関連は武具を含めて全滅です)。
 よって今後の冒険における力強い助けとなってくれる古代技術ですが、現状は【厄災】に関連する重要な記憶をほとんど失くしているピュアリンクにとって、得体の知れないこの蒼い光は「なんかヤベェんじゃね? 」となっております。
 (原作でも一番最初にシーカーストーンへ【はごろもフーズ】した時、露骨に驚くほどにこの時のリンクはピュアッピュアです)

 ※今回の勇者閑話は前後編に分かれています。
 


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∴ 青年と謎の老人

○前回のあらすじ

 ハイラルの勇者(だった青年)、目覚める。





   *   *   *

 

 

 懸念していた服と靴は、幸いにも扉を抜けたすぐ先の空間で見つけることが出来た。

 

 かなり昔に作られていたようで所々ほころんでいたり、(たけ)(すそ)がちょっと短かったりしてはいたものの、着心地に大した違和感はなく、まだまだ普通に着られる代物だった。

 無造作に転がっていた箱の中から見つかった衣類であり、本来の持ち主がまだどこかにいるのかもしれないので多少の抵抗があったものの…… 肌着のみで歩き回るという現状は文明人としていささか容認し難く、箱自体もかなり痛んで放置されている様子であったために、有難く使わせてもらうことにした。

 目覚めた場所と繋がるまでは、この部屋も同じく密室であったにもかかわらず、風化したように朽ちた樽がいくつも転がっている様子から、どうやらこの地に長らく他の人が立ち入った様子はないらしいことも、ボクの無断拝借を後押しさせた理由の一つだった。

 

 そうして下着一つだった姿からようやく落ち着けたことで、多少の余裕が出来たのか。高い天井を持つこの空間の先にそびえていた一つ目よりも大きな二番目の扉も、最初よりはスムーズに『声』の導きに従ってシーカーストーンをかざし、滞りなく解放することが出来た。

 

 ゆっくりと開く扉。

 そしてその先から飛び込んできたのは、人工物に囲まれた室内では生まれようはずもない、圧倒的な輝きに満ちた陽の光だった。

 

 一体何年、この光を浴びていなかったのだろうか―― そんな不思議な思いを抱いてしまうほどにその光は鮮烈で。単なる眩しさだけじゃない、何かが込み上げてくるような感慨も相まって、思わず陽を遮らせた手の下の眼を細めてしまうのを止められなかった。

 

 そんなボクの心を知ってか知らずか、『声』が再び語り掛けてくる。

 ――お前は、このハイラルを再び照らす光なのだ、と。

 ――今こそ旅立ってくれ、と。

 

 暗闇の世界を漂い続けた先に、過去を失くしてしまったボク。

 僅かな照明に包まれた室内に差し込む、ただの陽の光に魅せられて立ち尽くしているボク。

 

 ……そんなボクなんかに『声』は、ハイラルという国を照らす光になれと望んでいる。勘違いでなければ、これはとてつもなく大きな期待を向けられているような気がするのだけど。

 果たしてかつてのボクは、それほど大それたことを期待されるほどの大人物だったのだろうか? とてもそうは思えない…… もしかすると衰えてしまったボクに頼らなければならないほどに、ハイラルという国は追い詰められている、なんて事態だって考えられるのが少し怖い。

 

 光が降り注ぐ穴は外へと続く出口でもあるようで、幸い素手で掘らなくても悠々と、十分幅や高さに余裕のある道ともいえる大きさを確保している。何をするにしろ、頼まれるにしろ、まずは外に出てからだ。

 ……『声』の主が自分に語り掛けてきた理由が、頼れる当てのない精神的にも孤独な人間に後ろ暗い仕事をさせるため―― とかじゃなかったら良いなぁと、穏やかな気配を漂わせる恩人が悪人であるかもしれない漠然とした不安を抱えつつではあったが、いよいよボクは光の先に広がっているはずの外の世界に向け、誰かが残して行った靴を履いた足を踏み出した。

 

 

   *   *   *

 

 

 ――どうやらボクが今まで寝ていたのは、どこかの洞窟の中だったらしい。

 歩いて来た方向に振り返った先にあるのは、岩壁の根本にささやかに開いている、今出てきたばかりの黒い穴。あそこから這い出したボクは、そのすぐ傍に切り立っていた崖の突端に立っている。

 

 ……改めて、後ろに向いていた顔を正面に戻す。

 この衰えた身体では、この崖から落ちてしまっては決して助からないだろう。それほど此処と、下の地面までの距離は離れていた。目覚めたばかり、ようやく外へと踏み出した脚でこんな崖の縁に留まっていては、何の拍子に転がり落ちてしまうか分からない。誰に言われるまでもなく、早々に身を引くべきなのは理解していた。

 

 けれど、出来なかった。

 

 変哲もなくありふれた、洞窟の中から見上げた陽の光にすら感動していたボクなのだ。

 今、この目の前に広がる圧倒的な色の洪水。見渡す限りの生の気配を前に、もっと感じたいと身を乗り出さなかっただけでも奇跡だったとすら思う。

 もちろん今も膝下をくすぐり続けている草花や、辺りに立ち込める緑の香りも大いに心を奮わせられているのだけれど、やっぱり人間とは、視覚から得る印象に最も影響される生き物なのだろう。暗闇の穴に差し込んだ光の筋に誘われて出口を求め、やがて視界一杯に光が広がった時―― ボクは思わずより遠く、より様々な色彩を見渡せる場所を求めて駆け出してしまったのだから。

 ……この崖上から眺められる空と山、大地が織り成す絶景の視野を、ただ目に焼き付けたくて堪らなかった。例え命を保障してくれる崖の縁だとしても、景色を遮るほんの僅かな余白となるのであれば、それを視界に入れたくはなかった。

 

 しかし、何故だろう。

 

 ギリギリまで踏み出して見渡す情景のどこにだって、かつてボクがいた世界である暗黒などは見当たらない。この世界のキャンバスには一切の手抜きなく、隅から隅まで、考えられる限りを超えた生命の色彩が詰め込まれているようにしか、ボクには思えなかった。

 

 (……凄いな……本当に、凄い…… )

 

 だからこそ、思う。

 何故『声』はあんなにも切実に、ボクの目覚めを願ったのだろう、と。

 

 (……この輝きに溢れた世界のどこに、ボクが光となって照らす余地があるのだろう? )

 

 

   *   *   *

 

 

 背後の洞窟を除き、恐らくは人の生活圏から遠く離れた土地にただ一人きりである、という自給自足を強いられそうな現状にようやく思い至ったのは、景色にしばらく見惚れ、夕暮れを迎え始めた空の色合いの変化に気付いた後のことだった。

 

 結構な時間を過ごしていたのだろう。

 けれど、洞窟を出てから崖の突端で景色を眺め続けていた間、左後ろの腰に下げていたシーカーストーンなるものに変化はない。そして、一切の『声』による導きも聞こえてはこなかった……これはもしかすると、まだ今は危急の時ではなく、とりあえずボクが旅立ちさえすればそれで良いということなのだろうか?

 

 やや拍子抜けを感じつつ、目についた足元に落ちている木の枝をおもむろに拾い上げてみる。まさに何の変哲もないただの小枝ではあったけれど、片手で握り込んで振り回すぶんには、思っていた程には重心が酷くない。

 

 何の構えもなく、ただ宙を縦に一振り。…… 枝に残っていた葉が一枚落ちた。

 腰を引きつつ落とし、上半身を回すようにして横に一閃。…… 握っていた部分がミシリと音を立て、しつこく枝にしがみついていた残りの葉が幾枚も空中に踊る。

 大きく振り上げ、地面に振り下ろす。…… 向けられた地上に生えていた幾本もの雑草を風圧で掻き分け、その根本に潜んでいたバッタを吹き払い――ぶつかった地面に触れるや否や握り込んでいた根本を残し、枝先は脆い堆積岩を叩きつけたような有様に裂け、砕け散った。

 

 手の中にある枝の残骸を放り出し、手のひらを打ち合わせて残った破片を払いながら思う。

 

 (うん……動ける )

 

 ひどい虫食いのようにあちらこちらが抜け落ちてしまっているボクの記憶の中にあって、それでも確かに覚えているモノがある。

 敢えて一つを挙げるとするなら―― それはこの身に刻み込まれた ”武芸” だろう。

 誰から教わったのか、幾つの頃から励んでいたのか。それがハッキリと思い出せないのがもどかしく思うものの、この世界に突然目覚めて以来、未知の環境を極度に恐慌しないで己を保っていられているのは、自分の身体がどんな瞬間でも間違いなく『動ける』という確信を持っていたからだ。

 

 ただ頭の中に残っているかつてのイメージ通りなら、あの程度の枝なら空を叩いて裂けていたはずであり…… それが叶わず葉を散らせるばかりだった事実にムキになってしまい、うっかり地面に叩きつけてしまうくらいには、どうしようもなく今の自分がかつてと比べて衰えていることも、また実感してしまえてもいた。

 

 (動けそうとはいっても、やっぱり丸腰のままなのは道中マズそうかな? )

 

 折良く傍にあった、先程砕いた小枝よりもやや一回り太い枝をもう一本拾い上げ、それを右腰の後ろ、シーカーストーンとは反対側となる場所のベルト部分に縫い付けてある、小さなポーチに差し込む。

 ズブズブと、既にポーチを貫通しているはずの長さ以上が入っているにも関わらず、ポーチは破れず枝を飲み込み続け、やがてボクの片腕ほどの全長はあるはずだった枝の全てを、手のひら大のその中身へと収め切った。

 これはボクが覚えていた記憶の中に残っていた道具の1つ、「魔法のポーチ」だ。

 

 シーカーストーンを手に入れ、その傍に置かれていた専用らしいベルトを合わせて見つけた時、これがそのベルトにくっついていたのは驚いたけれど、旅に出る身としてはこれほど有難い道具もない。

 取り出し口は伸縮自在で、手に持てる程度のサイズであれば何でも収納することが叶ううえ、中に入れてさえしまえばどんな重量物であっても一切所有者に影響を与えず、時間経過と共に変化するようなナマモノも時を止めたかのように保存もしてくれる優れモノなのだ。

 

 そんな知識が残っていたものだから、密かにシーカーストーンと共に何か旅に有用な品―― 例えば肉や飲料、この世界の通貨など―― が少しでも用意されているのではないか……と思ったのだが、その中身は清々しいほどに空っぽだった。

 こうして機能自体は問題無く生きていることが分かった以上、これから先の旅には大変心強い道具であることは間違いないために、そこに文句を言うのは流石に浅ましいとは思うのだけれど、やっぱりちょっとガッカリしてしまったのは否定出来ない。 

 

 

 ……とりあえず、生きるためには食糧と水を確保する必要があるだろう。

 そう思って夜になる前に歩いていけそうな近場の森や川を探すべく改めて身近な周辺を見回してみたところ―― 崖から沿うようにして下る山道の半ば、何故今まで分からなかったのだろうと不思議に思えるほど見晴らしが効く場所に人が1人、こちらを窺うようにして立っていたことに気付く。

 

 眼が合ったかと思えばその人は(きびす)を返し、これまたいつからそこに用意されていたのか、背後で赤々と燃える焚き木の元へと、片手に持つ杖を突きながら離れていった。

 ここが人里離れた山であることは、先程まで見回していた景色の様子からも十分に分かる。であれば、そんな場所に登山向けの装備もなく1人でいる様子のあの人物は、余程の変わり者か、人が嫌いで世俗を離れた世捨て人なのかもしれない…… もしくは、人目を避けて暮らさなければならない事情を抱える者なのか。

 

 しかし、どんな人物であれ今の自分よりもこの土地や、世情に疎いということはないだろう。

 ならば接触しないという選択肢は、今のボクには選べなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 杖を突いて歩きこそすれ、杖そのものに重心を預けない歩き方をしていた様子から、まだまだ若い世代の人物なのだろうと何となく思いつつも声を掛けてみれば、焚き火に当たって休まんとしていた人の正体は、なんと老年を迎えているのは明らかな男性だった。

 

 しかし肩幅が広く、背中に1本の筋が通っているような姿勢の良さからは、自然体ながらも他者を圧するような風格が漂い、フードに隠された影から時折覗かせる眼光もまた、強い意志と自負を感じさせる力に満ちている。恰好は失礼ながら、今の自分が着ているくたびれた衣類に近しい質の装いであるはずなのに、とても朽ちるに身を任せた隠者が(かも)せそうにはない覇気のようなものを見え隠れさせていた。

 正直、顔に深く刻まれた厚みのある皺と、顎から胸にかけて豊かにたくわえられた立派な白髭がなければ、第一印象で彼を老境の人物であると察することは出来なかっただろう。

 

 そんな何かしらで一角を成したであろう謎の人物ではあったのだけど…… いざ話してみれば、随分と友好的な口調でボクとの会話に応じてくれる好々爺然とした人でもあった。

 残念ながら会話中も厳めしい顔を崩すことだけはしなかったものの、もしかしたらただ顔に威厳が有り過ぎるだけで、本来は人好きのする良い人なのかもしれない。

 

 とにかく何も知らず、質問に質問を重ねるほどに焦ってしまったボクの無礼を嘆きながらも、こんな山奥に独りで住む自身もまた変わり者であると称したご老人は、ゆっくりとボクの知りたいことに答えてくれた。

 どこから来たのか、どうやってこの地で生活してきたのか、山の1人暮らしでの楽しみは何か…… 世間話混じりの会話は時々答えに窮することもあったが、それでも得られた多くの玉石混合の情報は、これからこの地で過ごす上でとても有用なモノとなるはず。

 焚き火の足元に転がっていた、こんがりとした焼き色のついたリンゴを思わず拾い上げてしまった時は「ワシの焼きリンゴじゃぞ! 」と一喝されたものの、その拍子に鳴ったボクの腹の虫の音を聞いた後は笑って食べさせてくれた。

 うん、やっぱり優しい人だ。

 ……最後にいつ食べたのかも思い出せないリンゴの味は、ひたすら香ばしくて甘く、そして美味しかった。

 

 

 「ここは【始まりの台地】……遠く、ハイラル王国の発祥の地と言われておる 」

 

 しかしそんな和やかな会話の中で生まれた、当然知りたかった情報の1つ――『ここはどこなのか? 』を尋ねた折に返ってきた答えを聞いた時には、それまで彼が語った言葉を全て嘘だと断じ、貰った情報の一切合財をひっくるめて捨ててしまいたくなるほどのショックを受けた。

 ……淡々と世間話の延長であるかのように、歴史の事実をありのままに語るだけの彼の言葉には、虚偽の気配や露骨な抑揚の変化など、何一つとして見つけることは出来なかったというのに。

 

 曰く、僕達がいる此処は『声』がボクに光となって照らして欲しいと願っていたハイラル王国、その発祥地らしい【始まりの台地】と呼ばれる場所だと言う。

 立ち上がった彼が杖先を掲げ示す向こう、夕焼けに包まれた空の遠景に鎮座する影があった。その正体は建築物であり、あれこそがかつて、王国の祭事に使われていた神殿であると。

 ……そしてそれは100年前という大昔、王国が滅んで以来放置され、すっかり荒れ果ててしまっているとも。

 

 (あぁ、どうしよう…… 聞き間違いじゃなかった )

 

 現代を生きる人に忘れられた土地。

 ハイラル王国。

 滅びた国。

 

 (既に過去の存在となっている国をどうにかする―― どうにかしたいのか、あの『声』の人は? そんな途方もない行いに協力させるために、何も覚えていないボクは目覚めさせられたのか……? なんでボクなんだ……? )

 

 ――もう終わっているらしい歴史の事実をただ聞かされ、混乱し始めたボクの頭。

 その空白にゆっくりと、滑り込むようにして。

 

 あの『声』が、再びささやいてきた。

 

 シーカーストーンの地図に示された地点、その場所に向かえ…… と、ただそれだけを。

 言われるがままにシーカーストーンを覗いてみれば、そこには今まで浮かんでいなかった簡単な地図らしき表示と、目的地を示しているらしき光点が灯っている。

 どの行動が引き金となったのかは分からないが、ボクの旅立ちを望んだ『声』はこうやって、この先もボクが向かう行き先を示し続けるつもりなのか。

 ……本当にこの声は、一体何をボクに望んでいるのだろう。

 

 

 どうした、大丈夫か?―― 訝しがりつつも労わるような口調で声を掛けてくれたのは、目の前のご老人だった。

 やはりというべきか、彼には『声』が聞こえてはいないらしい。世間話の途中で突然固まって黙り込んでいたボクを、ただ純粋に心配してくれているのだろう。

 何でもありません、そう答えて顔を上げて視線を合わせ直す…… その時フードの奥からこちらを見つめる瞳に、何かを見透かしているような雰囲気が(たた)えられているように感じたのは、落ち着かない心が思わせた錯覚だろうか。

 

 それからというもの、和やかな雰囲気を嘘のように萎ませるように黙ってしまったボクではあったが、彼はそれでも邪険に扱わず、時折焚き木に小枝をくべる時を除き、みだりに何かを語り加えようとはしないでいてくれた。

 やがてお互いが会話をせず、静かに火を見つめ続ける時間が大部分を占めるようになり、ただパチ、パチッと、火に炙られて弾ける木の音だけが耳の奥に響き続ける時間が過ぎていった。

 

 ずるずると伸ばすままになっていたその一時を終わらせたのは、突然の風だった。

 気紛れにフイと焚き木に吹き込んだ風が火勢を一瞬弱め、完全に陽が落ちた故の周囲の暗さをボク達に知らせたのである。

 ……かつてのボクという人間は、もう少し気を張って生きていたような気がするのだけれど。どうにも目覚めてからこっち、周囲への注意力が散漫になっているのかもしれない。

 

 陽がほとんど沈みつつある時刻になろうかということもあって、このまま飯でも食べるかと彼は誘ってくれたけど、これ以上1人山暮らしをしているご老人の世話になりっぱなしで、蓄えを削らせるというのも居心地が悪い。

 加えて自分が何者であるのか、そしてこの懐かしさと安らぎを覚える『声』が何を自分に期待し、求めようとしているのか…… 目的地を伝えられて状況が動いた以上、その答えを得るために一刻も早く行動を起こすことが、今のボクにとって何より大切なことだと思わずにはいられないのだ。

 

 こうして、ボクはこれから向かう所があるのでと断りを入れ、彼に感謝を伝えて別れることになった。

 こちらから会話を求め、こちらの都合で話を切り上げてしまったものの、何か聞きたいことがあればまた訪ねてくれて良いと言ってくれるこの人が、この世界で最初に会えた人物であったのはボクにとってとても幸運なことだったのだろう。

 また会えた時には、是非とも何らかのお返しをしてあげたいと思う。

 

 更に別れの際には餞別として、木こりが用いる鉄製の斧を手渡された。この山を下った先には魔物が出没するらしく、武器となる物は携帯しておくべきだと。

 

 焚き木の傍に置いていた松明も合わせて持っていって構わないと言われたが、これから先はどんどん暗くなる時間帯だ。まさか老人がこのまま何もない山の中腹で、夜を明かすとは思えない。

 どこかにあるらしい家に戻る道中、杖の先に括り付けられたカンテラのみでは足元を照らす明かりに乏しいかもしれない。それにずっと長い間をこの地で1人暮らししているという話だったから、魔物が出没しない道を心得てはいるのだろうけど、それでも山の獣に出くわしでもしたら一大事だろう。そんな時、獣を追い払いやすい火元の有無は、安全を確保するための大きな要素だ。

 幸いボクは夜目が効くし、どうしても明かりが必要となればポーチに入れている木の枝がある。そもそもこれからシーカーストーンが示す場所に向かいつつ森に立ち入る以上、燃材には事欠かないはずだった。

 松明はボクより、彼にこそ必要だろう。

 

 そう断って斧だけを有難く受け取り、お礼に家まで送ると提案した言葉に「まだこの場に残る、ワシのことなら慣れているので心配無用 」と返した逞しいご老人と、ボクは今度こそ別れたのだった。

 

 




 老人の株を原作以上に全力で持ち上げる反面、リンクの記憶が無いことを良いことに『声』の人をめっちゃ不穏な存在に仕立てあげてしまった。何故だろう。これがキャラ愛でしょうか。

 ※主人公勢の台詞は、今後も機会があれば原作に出てきたモノを拾っていく方針です。
 予定している物語の最終章辺りで、どうしても引っ張ってきたい原作台詞があるのですが、そこだけ引用すると変に浮いちゃって違和感を覚える方が出てこられるかもしれないので、「原作台詞が出てくるゼルダ二次なんだな」と軽く考えて頂くためです。

 ※26話あとがきでも触れましたが、『魔法のポーチ』が超技術過ぎてヤバイ。工務店なのに薪の束も満足に用意出来ないサクラダファミリーや、大荷物抱えまくってるのに毎回僅かな品しか商品を用意出来ない行商人テリーがこれを持っている様子がないのは、100年後には失伝しちゃった技術なんでしょうね…… モッタイナイ。

 次回は、再び【ライネル】に話は戻ります。


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敗残者の矜持と人族の遺物

○前回のあらすじ(意訳)

『声』の人「リンクェ!! お前はハイラルにとっての新たな光だ! 」




 

 

   * * * * * 

 

 

 ――勝者を称える名目で騒ぎに騒いだ宴会がとうとう終わり、参加した者達がそれぞれの寝床へと戻ってしばらく経った頃。

 俺は約束していた物を受け取るために、族長の棲家たる大岩を訪れていた。

 

 入口から見える場所にいたのは族長1人で、ボコナは既に寝入ってしまったのか姿は見えなかった。族長はやってきた俺の姿を見るなりこれみよがしな溜息をついてみせたが、それでも族長は大きめの見慣れた、木を張り合わせただけのみすぼらしい木箱を持ってきてくれた。

 子鬼の体格からすれば一抱えもある大きさではあるものの、持ち運ぶ族長の足は軽やかだ。

 俺の目の前に落とした時にも大した音を立てず、中身が空洞のように小さく跳ねてすらいたことから、箱の内容物を見たことがない者がこの場にいたとしても、中は何も入ってない空箱か、入っていたとしてもそれは非常に軽い品であることが察せられるはずだ。

 

 ……本来、勝者には可能な限り望みのままを約束するという『最優の雄』の賞品として請われる対象は、もっぱら次期族長の座であるらしい。この集落は大所帯ということもあり、世襲によって後継者が選ばれることも珍しくはないということだったが、そこはやはり力で集団を統率する魔物の常といったところだ。今回の儀は都合良くその未来を兼ねられるということで、現族長の娘であるボコナ目当てを公言する戦士が多かったに過ぎないのだろう。

 恐らくはあの赤い月の光―― ここでは『祝福』と呼ぶらしい―― の恩恵もあって、若い戦士達が日々の狩りの失敗や怪我によって死なず、俺が知る世界の常よりも多く頭数を擁していたことも、彼女を求める声を大きくさせていた要因の1つなのかもしれない。

 

 そうしてたびたび、『最優の雄』の決定を節目とした族長の交代劇が起こってきた歴史がそうさせたのか、いつしか()()()()()()()()()()()()()()()()()を渡すのは当代の族長の最後の務めとなった…… という薀蓄(うんちく)を目の前の族長、まさしくその当人から、いつかの夕食を共にした時に娘自慢を兼ねた話として聞かされていた。

 

 (あれだけ誇らしげに語った仕事の最中だというのであれば、もう少し丁寧に渡してくれても良かったのではないだろうか? )

 

 万が一壊れていたのに気付かず中身を使ってしまった場合、間違いなく自分は2度目の死を迎えてしまうのは確実なのだ。

 「壊れてしまっても構わん 」と言わんばかりに地面に投げつけられ、それでもし本当に壊れてしまっていたら、その中身をわざわざ求めた俺としては流石に笑って流す訳にはいかないのだが。

 

 (……とりあえず、持ち出す前に状態を改めた方が良さそうだな )

 

 そう思い、箱のフタを外して中身を取り出した俺に族長が語り掛けてくる。

 

 

 「『最優の雄』の褒賞…… 本当にコレで良いのか? 」

 

 

 この場で賞品の状態を確かめさせて足を止めさせたいがために、どうやら先程の暴挙に及んだらしいが…… 口で言ってくれれば話相手くらい、いくらでも応じるつもりだった。

 何せこれが族長と言葉を交わす、最後の機会となるかもしれないのだから。

 

 再確認してくる言葉の裏には、隠している意図もあるのだろう。

 しかしそれ以上に、表向きに押し出されている雰囲気には多分の呆れが含まれているようにも感じられた。恐らく用途云々は別にして、最強の戦士としてこんなモノが欲しいのか? と純粋に訝しむ感情もあるらしい。

 

 事実として箱の中身は、この隙間だらけのぞんざいな造りの箱からも察せられるように、ここに暮らす子鬼達からは大した評価が与えられていなかった。

 それは彼らが使い方や価値を知らぬ故、という訳ではないのだ。

 かつての世界でたまたま、これが人共によって使われている場面を見たことがある俺にしても、「そうだろうな 」という感想を持ってしまう程度には、この代物は使い道が限定され過ぎており、加えてこの地ではその限られた用途すらが不要だったというだけの話なのである。

 

 ただ高い場所から低い場所へと、緩やかに滑空して降りることを目的として人共の手によって作り出されたモノ。特殊な加工を施された木の棒を両端とし、その間に風を通さない特殊な布を張り渡しただけの道具――『(たこ)』。 それが箱の中身の正体だった。

 鳥のように空を舞い、地上を眼下に滑空することが可能なこの道具は、低所に構えて対立する敵が十分な対空の備えをしていなければ、非常に有用な偵察道具として用いることが出来るだろう。あるいは、翼を持たぬ者にとっては鳥の如き俯瞰風景を味わえる、優れた娯楽としても利用出来るのかもしれない。

 

 しかしこれは地上より空高く(そび)える台地、その頂上に構える集落に住まう子鬼達にとってみれば、魔物が最も尊ぶ〈力〉における最高の名誉としている『最優の雄』に釣り合う宝とは到底ならなかった。

 

 まず周辺の環境を脆弱な自分達にとって都合の良いように変えなければ生きていけない人共と違い、周辺の環境に合わせて自らを適応させていくことが可能な我ら魔物は、同族同士で本気の争いを起こすこと自体が滅多にない。

 

 そして魔物という生き物が、日々生きていけるだけの暮らしが出来ればそれだけで満たされる精神性を持っている以上、糧が多い環境ならば相応に増えるし、少なければ相応に減るだけである。

 土地に対する征服欲と言うか、必要にして十分な規模の縄張りを超え、周辺の自然や同族を飲み込んでまで己の生活圏を広げたいという野望を持つ魔物は、俺の2度に渡る生の中でも出会ったことはなかった。

 天敵となり得るヒトが去ったこの地であっても好き勝手に頭数が増えることはなかったようで、(人共と比べれば繁殖力が弱いという側面もあるのだろうが )その暮らし方は俺の知る地上の彼らと変わってはいなかった。

 つまり人共のいなくなったこの台地において、戦略的な戦いに用いられる道具の需要が皆無に等しいのである。

 

 そして高所からの眺めを楽しむ娯楽としての使い道だが、そこは【空の台地】と自らの土地を称し、かつて俺が暮らしていた地上を【下界】と呼ぶ彼らである。わざわざ道具を使ってまで高い場所からの景色を楽しもうとする憧れめいたものが、そもそも彼らに芽生えるはずもなかった。

 加えて雲よりも下に広がる【下界】。仮にそこへ降りたとして、子鬼の手足でどうやって途方もない岩壁を登ろうというのか。『凧』で地上まで滑空して行くことが出来たとしても、生半可な手段では台地まで戻ることは決して出来ないだろう。

 箱に遺されたまま放置され続けた『凧』を見るに、およそ百年もの間、人のいない楽園を飛び出し、未知の危険が待っている【下界】へとわざわざ冒険に飛び出す魅力に取り憑かれた変わり者は、日々をつつがなく暮らせれば満足出来る魔物からは生まれなかったということだ。

 

 せめてこの地が高低差の激しい山間部だとかの立地であれば、移動手段として多少の評価は得られたのかもしれなかったが、あいにくと集落周辺は比較的なだらかな平野で構成されていた。高低差の少ない広く続く平野に、立体となる上空からの視線の重要度は低い。そして、平野内に点在する森や川から得られる恵みのみでも生活の全てを賄えてしまう点が、この『凧』の価値を著しく下げていたのだろう。

 

 その証拠に族長の背後にはより頑丈な造りをした宝箱に加え、この大所帯の集落でも価値が高いとされる武具や鉱石を納めた、魔物の顔を模した宝箱も用意されていた。もし俺がそちらを希望したならば、すぐにでも交換してやろうというつもりらしい…… 俺の希望する褒賞は前もって伝えていたにも関わらずそれらも準備していた辺り、出来ればそちらを受け取らせ、集落に留まらせたく思ってくれているのか。

 そうだとしたらその好意は素直に有難い。

 しかし、受け取れない。

 このみすぼらしい木箱の中身こそ、今の俺にとっては最も必要な宝なのだから。

 

 

 「お前が元は異種族だったと語った話は、今も覚えている 」

 

 

 実のところ製法が分からない戦利品であったからこそ保存はしつつも、集落において大した価値を認められていなかった『凧』だったからか、俺はこれまでも何度となく気軽に、この道具を借り受けることが可能だった。

 鍛錬が終わった後。狩りが終わった後。集落に暮らす者として果たすべき1日の務めを終えた後―― その度に俺は『凧』を借り受けては、あの人共が遺していった建造物を登り続けていた。

 

 そうして繰り返し、その頂上から飛び出しては『凧』の操作習熟に励んでいたのだ。

 

 なにせこの『凧』、いくらかつて飛ぶ様子をこの眼で見たことがあり、人共が使用していた様子を細かく言い伝え、世代を超えて伝承していたらしい子鬼達から聞き及んでいたとしても、その造りはあまりにも単純で、頼りないモノであったのだ。

 粗末な木の棒だけを握り締めて、薄い布きれに命を託さなければならないこの道具。そんなモノで落ちれば落命間違いなしという高所から飛び出すという無茶を、練習無しで挑むのは流石に二の足を踏まざるを得なかった。

 

 繰り返し人の残した遺物を持って、人が作った建造物に登る俺の様子を見て、過去を知らない多くの子鬼達は不思議がったり笑ったりしてくれたものだったが…… その積み重ねがあるからこそ、俺は『凧』がどんな状態であれば正しく飛んでくれるかを知っている。

 

 棒が折れていないか、あるいは歪んでいないか。張り渡す布に穴がないか、あるいは糸などにほつれはないか…… そうした点を見直し、具合を確認する作業にふける俺は生半可な相槌を返すだけであったにも関わらず、族長の言葉は止まらない。

 

 

 「だが今日までお前は共に我らと暮らし、飯を食べ、身体を作り鍛えてきた。そうして培った力を以って肉を狩り、時には恐ろしい獣からこの地を守ってもきた…… 今や俺を含めた誰もが、お前を垣根(かきね)なく同じ子鬼の友であり仲間だと認めている 」

 

 「ならばそれで良いのではないか? 『最優の雄』となって最強を示したお前を外様に扱う者などいない。最早ただの降って沸いた余所者の防衛戦力としてではなく、集落の一員としてこの地で暮らすこと

に、何の(とが)があるというのだ 」

 

 「――生まれ直した今のお前が、かつての生の因果を引き摺る必要はないだろう? 」

 

 

 それは『最優の雄』の儀が執り行われる前、既に決着して終わった話だった。

 優勝したならば『凧』を譲り受けて集落を離れることについては、既にボコナを含め、長老達と主だった戦士達にも了解を得ている。恐らくは族長も、今更俺が前言を翻すとは思っていないだろう。

 それでも、あえて蒸し返してまで引き留めようとしてくれている族長の言葉を 、(わずら)わしいと思うはずもなかった。

 

 族長だけではない。

 ボコナやベコリー、ヨクーシャらの戦士達。他にも多くの子鬼達が、俺の旅立ちを諌めようとしてくれた。事情を知る者は不毛であると言い、知らぬ者もこの地に何の不満があるのかと説いてきた。彼らの言うことに理はあったし、子鬼として生きるなら天敵のいないこの場所以上の環境は、前世を含めて無いと断言出来るだろう。

 それでも俺には、【下界】に行かなければならないと思う心を抑えることが出来なかったのだ。

 

 

 

 ……何故なら、俺はかつて【ライネル】を名乗った敗残者だからだ。

 

 多くの同族や魔物達を巻き込んだ戦を起こした。

 目的を達成させるために大勢を死なせ、見捨てたにも関わらず、絶対に果たさなければならなかったはずの"剣"を打ち倒すことが出来なかった。

 暗闇の中、永遠に続くかのような怨念の渦の中では、責められる安堵と怒りを抱えていた。これが罰なのだと受け入れつつ、戦ったこと自体を罪だとされることには憤り続けた。

 

 (突然暗闇から返され、この100年後の世界で示されたあの光景には、どうしようもなく心を(くじ)かれたものだったがな…… )

 

 あの敵の本拠地であったはずの建造物から吹き上がる、荒々しい魔力の渦。

 その源が、かつて感じていた魔王の波動と同じものであると、頭の中で言い訳する間もなく直感出来てしまった。

 

 魔物の未来を守ることに繋がると信じて、その魔物の集落を襲い、戦士を徴収し、人共と戦わせ、友を見捨てた…… その挙句に"剣"を倒せなかったという過去の事実。

 その敗北の結果は、魔王の封印と魔物の世に暗雲が訪れるという結末以外にはなかったはずなのに、未来たるこの世界では魔王は無事復活し、魔物は祝福を受けて生を謳歌していたという今の現実。

 

 ――魔王は蘇っていた。

 ――"剣"を滅ぼさなくとも、魔王が封印されることはなかった。

 ――俺が魔物達に強制した犠牲の全ては無駄で、愚かな勇み足に過ぎなかった。

 

 【ライネル】として、『大厄災』を防ぐことは出来なかった……慚愧(ざんき)の至りのままに死んだはずの俺が、どうして生まれ直してしまったのか。

 魔王が我々魔物の神であるならば、どんな意味を持たせてあの戦いで死んだ者達の中で俺にだけ、この子鬼の身体による二度目の生を与えたのか。

 俺が何もせずとも、魔王は人に勝っていたのだという事実を教え、俺の行為を全て無駄だったと思い知らせたかったのか。

 ……それとも何か、まだ俺に為すべきことがあるというのか。

 

 この転生に魔王の意図があるのならば、それを知りたい。

 生まれ直してしまった自分の存在意義を求める心を、抑えることが出来なかった。

 

 (俺はもう【ライネル】ではない )

 

 魔物の守護者、最強の者―― 誇りを持って呼ばれるべきその称号を名乗る資格が、今の俺にあるはずもない。名を明かさなかった俺をこの地の皆は「名無し」と呼ぶが、何者でもなくなった俺にとってはそれが相応しいとすら思う。

 だが知恵持つ魔物としては最弱である子鬼の身体に、かつての愚かにも自らを【ライネル】であると思い込んでいた魂を吹き込まれたことの意味、それだけは意識し続けていた。

 

 生まれ変わった初めこそ、満足に立てもしない自分は群れの中でも最弱だった。

 4本の脚で駆け回った記憶を持つ己にとって、2本の脚しかない子鬼の身体はとにかく違和感がつき纏い、初めは日常生活にすら難儀していたのだが…… 特別な外敵のいないこの地の環境は、単純に身体を鍛えるには打ってつけの環境だった。脳裏に焼き付く()()()()()()()()()()の動きを追って鍛えていくうち、集落の中において最強を確信するまでそう長い時間は掛からなかった。

 

 そうして十全に動ける五体を獲得し、周辺で最も危険視されていた獣が集落を襲った際に返り討ちしてみせた直後。獣によって一部を破壊された宝物庫の石壁から、みずぼらしい木箱が零れて中身を晒した時―― 俺は小さな、けれど確かな運命を感じたのである。

 

 人目に付きにくい、小柄で小回りの利く体格。

 "剣"の形状から特徴を細かく把握している、過去の記憶。

 そして目の前にもたらされた、【下界】へ行く手段。

 この3つが合わさったことで可能となる、かつての【ライネル】が果たすべき責務が、その時ようやく見えたような気がしたのだ。

 

 その場ですぐにでも『凧』を奪って【下界】を目指さなかったのは、ただその扱いに不安があったことと、この集落に対して、まだ助けられた義理を果たし終えていないと考えたからに過ぎない。

 

 ……しかし今や集落には幾度も行った狩りによって十分な食糧を収め終え、正当な手段で持って獲得した『凧』が手元にあり、それを十分に扱えるだけの習熟も終えている以上、躊躇う必要は何もない。

 

 ――【下界】に存在する魔王。かの存在に再び人共の魔の手が忍び寄らないとは限らない。

 古の伝説によれば魔王は滅びず、復活と封印を繰り返す存在であると語られてはいるものの、そのまま居座り続けてくれるのならばそれに越したことはないのだ。

 ならば、その封印に要すると思われる人共の力の片割れである"剣"を破壊、もしくは人の手より離すことで魔物はより多くの時間、あるいは悠久の時を『祝福』と共に過ごすことに繋がるだろう。

 それが出来る魔物はこの時代、"剣"の形状と気配を詳しく把握している魂を持ち、潜入や潜伏に適した体格を持つ俺をおいて他にいないはずだ。

 

 ならば俺はそれを成す。それくらいは成さなければならない。

 かつて勇者を自称した者として、果たすべきだと思い込める責務を今度こそ完遂させるために、俺は今一度【下界】へ行くのだ。

 

 

 

 

 ……それからまもなくして。

 

 俺が『凧』の状態を確認し終えたことを察した族長は、最後に「餞別だ 」と、背負っていた『鋼鉄の剣』と『木に革を張った盾』を投げ渡してきた。思わず受け取ってしまったが、放ってきた集落の長はそれ以降、むっつりと押し黙ったまま再び口を開くことはなかった。

 

 だから俺も、言葉を重ねることはしなかった。

 ただ一度深く頭を下げ、『凧』と合わせてそれらを身に纏った俺は、そのまま外に通じる岩壁の縁に手を掛けたのだった。

 

 

   * * * * * 

 

 

 「……やっぱり行っちまったな 」

 

 出入口を潜って先程出て行った、圧倒的な力で此度の『最優の雄』を勝ち取った雄の背中を思い出す。

 初めて会った時、ボコナやベコリーに引き摺られるままにされていたヤツの姿は、全く力の宿らない眼も含め、完全な負け犬の姿にしか見えなかった。それがたった一年後の今夜、全ての対戦者をほぼ一撃で倒してみせるという前代未聞の快挙を持って『最優の雄』を勝ち取ってみせたというのだから、全くその成長ぶりには驚かされた。

 それなのにあんな粗末な道具1つを持って集落を出て行くというのだから、アレは本当に我々とは根本を別にした魂を持った存在なのだろう。

 

 せめてもの餞別と、俺達の誇りを蔑ろにしてくれた少しの意趣返しを含めて渡した「族長の剣」を受け取りながらも、それでもヤツは旅立った。戻ってくるつもりがあるのかは分からないが、恐らく野郎はあの剣に武器としての価値以上を認めることはしないだろう。

 尋常でない魔力を伴って生まれ直した、謎の多い子鬼。胡散臭いと思い続けながらも、今では身内と思える程度にはその働きを評価していたのだ。正直ヤツが族長の後を継ぐというのであれば、今後の集落は安泰だと思えるほどに。

 このままこの集落に残ってくれれば…… と思わないでもなかったが、あれ以上闇雲に決意を抱えた雄を、ただ集落の事情で引き留める真似をする気にはなれなかった。

 

 (ただなぁ…… )

 

 岩壁の向こう側、離れていく足音が聞こえる。

 先程見送った者とは違って砂を蹴る音は軽く、歩幅による音の間隔も比較的狭い。長年(そば)で聴き続けたせいか、最早誰の足音なのかがはっきりと分かるソレ…… その持ち主が、今入口から去って行った野郎の消えた方向へと駆けていく。

 ……まだ寝ていないのは知っていたが、どうやらいつの間にか家の裏で息を潜め、ヤツを追い掛けるタイミングを伺っていたらしい。

 

 「まさかアイツまで、集落を抜けようとはしとらんだろうな…… ちゃんと返してくれよ、ナナシ…… 」

 

 

 

 

 

 父親の顔を覗かせて大きく溜息をついた子鬼の長はその後、少し焦った表情を浮かべながら、自らの後ろに積み上げていた宝箱の山を漁り始めた。

 勢いで投げ渡してしまったのは「族長の剣」。

 恰好付けた手前、今更取り替えてくれと、自分まで追い掛ける訳にはいかなかった。

 

 ……その代わりと成り得る刀剣を人目につく朝までに、彼はどうにか見繕わなければならかったのである。

 

 




 元【ライネル】がモブリン達に負けるはずもなく、勝敗の分かり切っている『最優の雄』 の進行模様は全カット。
 

 ※BotWの世界を楽しむのに欠かせない重要アイテム『パラセール(空を滑空出来るようになるグライダーのようなもの)』ですが、あれって渡す人が渡す人なだけであって、実際の価値としてはそれほど高いモノではないのでは? と思います。
 木の棒に布を張り渡した程度の造りのモノが、古代技術を有する王家の秘宝とは捉え辛いですし、100年後の世界ではサブクエスト『鳥人間チャレンジ』なんてものに取り組む発想を持った一般人がいる以上、人族にとって空を滑空することが世界的な禁忌であったり極秘の技術として扱われていることもなさそうです。
 そんな考えでこの拙作ではパラセールを、残されてるところには普通に残されてる程度のアイテムに位置付けました。決してリンクが得ることになるパラセールが世界に一つだけの代物、とは扱いません。人が去った土地である【始まりの台地】であれば、箱に遺されたままのモノがあってもいいかなぁと。

 ちなみに。
 誰かさんが「ホッホーイ! 」とかはしゃげてるのは、リト族との友好の行事に使われていたとか云々で、馬術に近い嗜みとして王族も飛び方を習っていたのでは、と妄想したりしなかったりするのですが―― 超人的な握力とバランス感覚がない限り、命綱や操作用のワイヤーもないあんな代物で、リンクの目の前に狙って着陸するほどに自在な滑空をすることは不可能なような……勇者はまだしも、ローム・ボスフォレームス・ハイラル…… 彼は武力で王国を支配していた覇王だったとでもいうのでしょうか?


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別れと再会

○前回のあらすじ

 【ライネル】、ボコブリンから宝と剣と盾を巻き上げて家出。




 

   * * * * * 

 

 

 「ハァ、ハァッ……待って、ナナシ! 」

 

 集落を出て丘を越え、【下界】を見下ろす台地の縁に面する森の手前で、ようやく彼に追いついた―― けれど残念なことに、私の声を受けて振り向いたナナシの顔からは、何か特別な感情の動きを感じることは出来なかった。

 いつも集落の若い雄が私に向ける視線に込められていたような熱や、時々つがいとなることを求めて言い寄って来る際の色が宿っている様子は微塵もない。

 

 (……まぁ? 分かっていたけれど? 貴方はそうでしょうけれど? )

 

 こんな真夜中、1人こっそりと旅立とうとしている雄を追い掛けた雌…… そんな私に対し、恐らくは「まだ寝てなかったのか 」とでも思っているかのような、小さく軽い驚きの表情だけを浮かべている。

 

 (同族なのは外側だけで、中身には得体の知れない魔物の魂を詰め込んでいる貴方にとって、子鬼の私は『そういう』対象には見えないんでしょうけど! )

 

 今夜が彼と会える最後の夜になるかもしれないという、半ば脅迫観念めいた想いに突き動かされてここまで追ってきた私である。だというのに固めてきたはずの乙女的な覚悟は、脈の欠片も無さそうな目の前の雄の顔を見た途端、その本懐を遂げることなく諦めようとしていた。

 

 (その眼はさぁ、ズルいんじゃないかなぁ…… )

 

 残念なことにそうさせたのは「鈍感な雄に幻滅した 」なんて、話に聞くロマンスめいた理由なんかではなかった。振り向いたナナシの眼から漂う気配めいたモノ―― それが、戦士でもない私からして一目で分かる程に、分かりやすく彼の心の内を伝えてきてしまったからだった。

 

 なんてことだろう。

 巨大な獣に立ち向かっていったあの時も、百戦錬磨の戦士達と『最優の雄』を掛けて戦っていた今夜にだって、ほんの僅かにも感じさせることのなかったナナシからどうしようもなく感じられてしまう、この空気。

 

 (……あぁそっか、この感じ)

 

 私がすぐにその正体に思い至れたのは、彼がソレを隠すことのないまま、今ほどには表情を取り繕うことも出来ずに身体全体から放散していた姿を間近に目撃していたためだ。

 一見して威風堂々と強者の面持ちでありながらも、その精悍な顔つきの下に潜ませた感情に気付いてしまった時、私は1年前にこの森の先で初めて見つけたナナシの姿を思い出していた。

 

 ――今のナナシは恐怖し、怯えているのかもしれない。

 思い至ったその時にはもう、そうとしか考えられなかった。

 

 100年という月日が経ち、今や記憶の中に残している環境とは違うだろう【下界】へと、たった1人で行く孤独に。そんな時にこそ頼りになるはずだった己の力、かつて誇っていたという強力な力を身体ごと失っている自分に。

 そして探し物であるらしい"剣"と呼んでいるモノ、しかしその気配をこの【空の台地】からは全く感じることが出来ず、手探りで探し求めなければならないと零していた不安に。

 ……何より、まず最初に何かしらの手掛かりを得るためにも訪れたいと言っていた、かつて多くの命を無為に散らせ、そして『自分』すらも終わってしまったという場所へ行くと語っていた張りぼてめいた決意に。

 『最優の雄』と【台地】においても最大多数の戦士を揃えている集落が認め、族長がその象徴であったはずの「鋼鉄の剣」を預けたほどの雄が、見えない何かに心を竦ませているような気がしてならなかった。

 

 毎夜毎夜あの場所から見下ろしていた、あの禍々しい気配を漂わせる【下界】の建造物。

 彼曰くあの気配こそが復活した魔王であるらしく、それを今度こそ護ることこそが自分の生まれ直した意味なのだろう、と最近語るようになっていたけれど……

 

 (貴方ってば…… すっかり落ち着いたように見えてたけど、根っこの部分はまるで変わってなかったのね…… )

 

 『最優の雄』の栄光を勝ち取ろうとも、どんな猛獣でも下してみせてきた腕っぷしを持つようになっても…… 100年前にナナシの精神へ刻み込まれた深い傷は癒えなかったのだ。

 目立つ功績がカサブタになって被さり、たまたま私達の目から隠されていただけ。

 私達にとってはそれが偉大なことでも、彼にとって「あの程度」のことは、自信や尊厳を取り戻す糧とは成り得なかったということなのだろう。

 

 

 ナナシは、何も喋らない。

 弾んだ息を必死に整えようと繰り返す、私の深呼吸の音だけが響く無言の空間。

 

 視界の悪い夜の森の入口で、若い雌雄の同族が2匹―― 集落に暮らす年上の雌に吹き込まれた入れ知恵によれば、良い具合に甘い雰囲気に至れるらしいシチュエーションだったはずだが、そんな気配が入り込む余地などはない。

 重さを伴う緊迫感すら感じるこの空気を吸っているのはしかし、恐らくは自分だけだ。

 対面してから今までの私が考えていた事柄なんて、【下界】に意識を半分以上飛ばしかけているナナシが見透かそうとするはずがないだろう。

 ……何せ、この雄は私の乙女心を丸っきり察しようとはしなかった朴念魔なのだ。今更になって察しの良さを発揮されては、その、理不尽に過ぎる。

 

 (でも猶予は、私の息が整い切るまでの僅かな間しかないはず )

 

 それを過ぎてなお何も喋らなかったら、きっとナナシは訝しがる。

 

 集落を離れてからここまでの道中、きっと彼の思考は前の世界の出来事、そしてこれから向かう【下界】のことが駆け巡っていたに違いないのだ。既に別れを告げたこの土地に関わる一切よりも"剣"を優先すべきと決めてしまっている以上、最悪何も言わない私をそのままに、自分に無理矢理定めた使命を果たすべく森の奥へと消えてしまいかねなかった。

 もちろん、ダラダラと当たり障りの無い話をし続けても同じことだ。

 会話の中でようやく言うべき言葉を纏められたとしても、長話の間に彼の心は【下界】へと固定され、こちらに向けてくれる意識は更に疎かになっていくだろう。それでは選んだ言葉がどんなに鮮やかな代物であったとしても、きっと心の奥にまで届くことはない…… 最後になるかもしれない彼との会話が、上辺を滑って終わってしまう。そんなのは嫌だ。

 

 だから不意の呼び掛けに注意と意識が完全に私へと向けられている今この僅かな時。

 最初の第一声。この一言に、必要な想いを言葉に乗せて伝えなければならない。

 ――それでも突然ナナシが行ってしまわないよう、そしてほんの少しでも息を整える時間を伸ばすため、彼の前に広がっていた真っ暗な森側に回り込んで背中を木に預けてみる。とりあえずこれで話を切り上げて森に入るには私を追い越す必要がある分、心情的にちょっとでも辛くなってくれれば…… さぁ早く、早く考えなければ。

 

 『行かないで』――考えるまでもない、論外だ。

 私は集落の最強戦力を身近に置いておきたいが為にここまで追いかけてきた訳じゃない。彼だから居て欲しいのであり、そして彼は彼であるからこそ、ここから出て行くことを決断したのだ。引き留める言葉は既に何日も前に言い尽くして決着している以上、今言うべきはこんな言葉じゃない。

 

 「私も一緒に連れてって」――これが言えれば、どんなに楽だろう。

 ただの雄と雌なら、二人で連れ立って集落を離れても何の問題もなかったかもしれない。彼にその余裕や気持ちがなくても、勝手に着いていくことだって出来る。いつか彼が贖罪に満足し、勝手に抱えていた重荷を手放した時、その傍に自分が居ることが出来たなら、それだけで私は満たされるのだろう。

 ……けれど無理。私は族長の娘なのだ。

 子にすら見限られたと見られる長が、大集落を纏める求心力を維持出来るはずがない。『最優の雄』がいなくなった直後にそんな状態に陥れば、支配欲に薄い魔物とはいえ群れの頂点を求めて身内同士の争いが起こらないとも言い切れない。

 『祝福』の件もある。

 死を癒す赤い月が周期的に昇ってくれるこの状況が永遠でないことは、彼の時代の話を聞いてみれば確実だった。魔王がもたらしているというこの恩恵は御伽話の世界で語られるほどの奇跡であり、無かった時代の方が圧倒的に長かったという。ならば魔王が何かの拍子にこの世界から隠れてしまった際に起こるかもしれないこの地の混乱を思えば、最も長くこの件に携わっている私が放り出す気にはとてもならなかった。

 彼を引き留める気はなく、集落を見捨てる選択もしたくない私が、戻ってこれる保障の無い【下界】へ行きたいなんて言葉を言える訳がない。

 

 では一体、何を言うべきなのか――

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 (……なんてね。そんなことはもう、此処に来るまでに分かっていたことじゃないの )

 

 本当は、言うべき言葉は最初から決まっていた。

 ただちょっと、別れの言葉を伝えるまでに少しでも二人きりの時間を作ってみたくて、許されそうな間をわざと空けたかっただけだった。

 

 「見送り」をする。

 そのために、私はこの場所まで来たんだ。

 

 (――ねぇナナシ。貴方にとっては思い出したくもない過去だろうけれど、私と1年前にこの森の中で初めて会った夜をまだ覚えているかしら? )

 

 子鬼の身体に不慣れで、立ち上がることも出来ず転げていたこと。

 人の遺していった建物の上で、死んだように意気消沈してしまっていたこと。

 私とベコリーに引き摺られるままに、初めて集落へ行ったこと。

 そして族長の前で、荒唐無稽な前世を語って聞かせてくれたこと。

 ――出会い頭に、貴方が何と自分を名乗ったのかも。

 

 (大丈夫……私はしっかり覚えてるよ )

 

 いつか史実の1つとしてナナシが語った、過去の昔話がある。

 「今はもう途切れてしまっているかもしれないが」と、無念と後悔を顔に貼り付け、けれど隠しきれない少しばかりの誇らしさを滲ませながら零してくれたソレは、お伽噺の昔から【下界】に脈々と受け継がれていたという、伝統の称号を背負った魔物達の物語だった。

 「魔物の守護者」を指して呼ぶべきその称号を許された者達は皆が皆、その込められた意味通りの生き方をしたとは限らなかったけれど、それでも絶対に共通していたのは、彼らは間違いなく当代の『最強』であった点だという。どんな敵も制する強さがあってこそ、その称号は初めて名乗ることを許されるのだと。

 ……きっと。彼があの森を出てから一切自分の名を言わなくなったのは、その一点で資格を失ったのだと思い込んでしまったからなのだろう。

 

 (そんなことはない )

 

 貴方は私達が、いや、私が信じる『最優の雄』なんだから。

 貴方自身がそれを認めず、その誇りを自ら捨ててしまっているのなら、私が拾う。

 貴方はそう呼ばれて相応しいんだと、信じて待っててあげる。

 ずっとずっと忘れない。

 待ってるから。

 

 彼はきっとそう呼ばれることを望んでいないだろう。

 嫌われてしまうかもしれない。

 けれどもこの世界で、たった1匹でも貴方の名前を知っている魔物が此処にいると知らせたかった…… いつか彼が自身の過去に折り合いを付けることが出来たなら、どうか此処を居場所に帰って来て欲しかった。

 

 

 

 だから私は。

 旅立つ彼に言う言葉に、"コレ"を選んだのだった。 

 

 

 「 ……行ってらっしゃい、【ライネ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ズッ――――ブヂュッン!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 ( ? え 、 熱っ ……―― )

 

 

 ――頭から股下にかけて身体の中心を一直線に、何か今まで感じたことのない熱いモノが通り抜けていった。

 その場所に手を伸ばそうとしたはずなのに、もう全身のどこだって動かせないと、身体が勝手に判断してしまったらしい。まるで別の身体に入ってしまったみたいに、私の腕は上がらなかった。

 あっという間にボヤけていく思考と視界の中、それでも何より一番強く感じていたのは、泣きたくなるほどの熱だった。

 

 

 踏ん張る間もなく、いや、そもそも踏ん張ろうとしていたのか。

 いつの間にか赤くマダラに汚れていた地面に転がっている自分に気付く。なんだかとても眠い。

 自分の重さからすれば違和感のあるほどに軽過ぎるモノが落ちる時に聞こえてきそうな小さな落下音が、私が地面に倒れた時に聞こえていたようにも思う。

 自分の身体から生まれていただろう音なのに、何で離れた場所から聞こえた気がしたんだろう。分からない。

 

 酷い眠気。

 目をつむるまでもなく、視界はもう真っ暗だった。

 寝てしまうには丁度良いかもしれない。

 ……このまま寝てしまおう。

 視界が無くなる寸前、その隅っこに、驚愕を貼り付かせた表情で「鋼鉄の剣」を引き抜いた彼が、悲しそうな叫び声を上げている光景を見た気がした。

 

 ちょっと印象的、だ。

 戦う時も滅多に声を荒げないらしい彼にしては、珍しい一面、だったかも。

 

 もう、起きれそうにない、けれど……

 

 叫んで、悲しんでくれる彼の声、が、何だか嬉し――――

 

 

 

   * * * * * 

 

 

 

 俺を追い掛け、呼び止めたボコナ。

 ここまで走ってきたらしく、乱れた息を整えながら何かを伝えようとしていたボコナ。

 ――そして役立たずでしかなかった頃から今までの約1年間、ずっと俺の傍で気を配ってくれた優しい子鬼の雌、ボコナ。

 

 (……ボコナ。お前は今、何を言ってくれていたんだ? )

 

 息を整え終えた彼女が何故か森の入口にまで歩いて行ったことで、俺から見れば月の光を背負って立つようになった彼女の顔には影が差し、表情は見え辛くなっていた。

 またいつ再会出来るか分からない恩人の顔である。

 そう思い、この機にしっかりと覚えておこうと意識を彼女に集中していたのが災いした。

 

 ……その影が死角となった森の茂みから飛び出した音に注意を奪われた挙句、草や枝が擦れ合う音に言葉の語尾を聞き逃し、そのうえ予想外の物音に硬直してしまった身体は……踏み出す1歩目を僅かに遅らせた。

 それでも影の正体が猪なら良かった。熊でも良かった。それが獣程度ならば、俺は間に合ったはずだった―― あるいは元々の獣人としての姿であったならば。その正体が何であれ、俺は彼女の前に立つことが出来たのだろうか。

 

 (そうだったなら俺はお前の言葉をもう一度、聞き直せたかもしれないのに…… )

  

 彼女の言葉。それを急がせるつもりはなかったし、時間が掛かっても構わなかった。

 重要視こそしていなくても貴重品であることには変わりない、彼ら子鬼が長い時をまたいで保存していた宝を譲り受けておきながら、集落の戦士達にとって最も価値ある「最優の雄」という称号にまで後ろ足で砂を掛け、恥知らずにも自分の都合で出奔している俺なのだ。

 わざわざ追い掛けて来てまで伝えてくれる何かがあるというのなら、そんな最後にくれる気遣いまでをないがしろにしたくはなかった。

 

 そもそも早ければ早いほど良いと自らに戒めた"剣"を巡る旅ではあるものの、明確な当てがあるという訳ではなかったのだ。

 本当に、この瞬間までは。

 この世界にかつての"剣"を感じさせる気配は、なかったのだ。

 

 (何故だ…… )

 

 ()()を真っ二つに引き裂いたソレは、あの"剣"ではない。

 どこにでも存在する何の変哲もない、ただ重量だけはそれなりの鉄を固めて造った刃物だ。

 

 だがそんなモノの一振りで、最下級とはいえ魔物の肉体を縦に両断し得るためには、一体どれだけの膂力、あるいは技術が必要となるだろう? そんな力を有する"ヒト族"が、この大陸にどれだけの数が存在するだろうか?

 ……あんなにも細い肉しか持たない"ヒト族"でありながらもそれを成す者。その正体を否定したくて長い前世の記憶を浚ってみても、該当する者はたった1人しか思い当たりはしなかった。

 

 (何故、ここにいる……? )

 

 人共の寿命がどれほどなのか、それを正確に調べたことなどはない。しかしそれでも、かつての俺の種族よりは遙かに短い一生であることくらいは知っている。

 

 だから有り得ない。

 目の前の存在が、"ヤツ"のはずはない。

 

 

 ……だというのに。

 気付けば右手が、背負った剣を抜いていた。

 

 思考は常識に沿って否定しても―― 仲間の返り血でぬめらせ、粘ついた輝きを照り返すその金髪が―― 魔物を殺して何の痛痒(つうよう)も感じさせない、忌々しくも晴れた空を思わせる蒼い眼が―― 今や月明かりの下で影ではなくなった者の正体こそは【あの怨敵】なのだと、あの日あの峡谷から引き摺ってしまった魂と記憶が叫んでいた。

 

 身体の左側()()をこちら側に向けて横たわる恩人(ボコナ)。生きているはずがないと分かっていながら未練がましく下げてしまった俺の視線の先…… いつも忙しなく動いて感情を表現していた彼女の、もう二度と動くことのない眼球と目が合った、気がした。

 

 ――また今度も守れなかったと俺を非難している、その視線と。

 

 

 「――――――お、ぁ 」

 

 もう、何も分からなかった。

 

 「ァッ! オァアアアアアァッ!! 【厄災】ィィィィ!!! 」

 

 ただ殺さなければならない相手が、目の前にいた。 

 

 

 

 

 

 ……震えながら叫び、声をヒビ割らせつつ斬り掛かる俺の様子は、傍目にも尋常ではなかったはずだった。なのに【厄災】の片割れは、黙して斧を構えたまま動かない。

 その蒼い眼は、雲一つない空のような、あるいは風のない湖面のような―― かつてと同じ有様をしていた。

 

 これから命を一つ奪い合うという、土壇場にいるにも関わらず。

 その奥に感情の揺れを全く感じさせずに深々と、澄んだ色をして凪いでいた。 

 

 

 

 

 





 「残酷な描写」タグさえあれば、何を書いたって許されるっ……!
 「厄災」タグに期待していた皆様は、こういう展開を待っていたに違いないんだっ……!
 これは原作ヘイトじゃないっ……! ただ視点が違うだけっ……!

 次回投稿は別原作で始めた二次短編を終わらせる予定の、9/6以降になるかと思います。


※リンク陣営視点の題名を『閑話』でまとめていましたが、今後は各章に最低一つ差し込まれて増えていくかもしれないので、試しに『閑話』を排し、原作プレイヤー側陣営視点オンリー話の先頭に『∴』を入れて分類してみたいと思います。

 この記号を使いたい理由=これが一番トライフォースに近似する記号だったから。
 大体の作品ですら謎の多いモノでもある上、「BotW世界のトライフォースってどういうものなの? 」と聞かれて完璧に答えられる人が、制作陣の一部以外にはいないと思えるくらいに原作ではボヤァ…… とした存在ではあるのですが、トライフォースとは大抵の宣伝物に登場しており『ゼルダの伝説といえばこの図形! 』と言えるくらいにはゼルダシリーズの象徴となっているモノなので、拙作でもどこかに突っ込んでみたいなぁと。
 そのメジャーさから北条家の三つ鱗紋を見て「ゼルダ?」と連想するのは私だけではないはず。

 象徴にも関わらず溢れる曖昧さにこそ、プレイヤーは『伝説』を感じるのかもしれませんね(ゼル伝信者感)



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負け惜しむ青鬼

○今回のあらすじ

 ※今話は前話の場面より少しだけ時間と場所が経過しています。
 『最優の雄』を決める決闘後、開かれた宴会翌日のボコブリン集落での話となります。

 『ゼルダの伝説 夢をみる島』ァァ! 
 Switch版発売おめでとうございますぅ!
 けどクリボーやカービィが出せるんならぁ!
 ライネルだってスポット参戦してくれても良かった気がしますぅ!!




   * * * * *

 

 

 【空の台地】、とあるボコブリン集落の広場にて。

 地面にうつ伏せで横たわる青肌の戦士を、3匹の同族が取り囲んでいた。

 ただ一様に呆れの表情を浮かべている彼らの顔に、倒れるがままにされている同族を心配している様子は一欠けらもない。

 戦士が一晩で周囲に散らかしてみせた酒樽、食べカスの惨憺たる有り様に、彼に対して普段向けていた敬意や昨夜の興奮への感謝

 

 

 

 

 ――ゆさゆさ

 

 ――ユサユサ

 

 ……中々起きねぇな、コイツ

 ……あら? そこで寝てたヤツってベコリーだったの?

 ……確か昨日ナナシと戦ってたろう? もしかしてまだ目を覚ましてなかったのかい?

 

 ――ゆさっゆさっ

 

 ……いんや、宴会が始まる頃には普通に起きてたんだが

 ……『最優』をナナシに取られたからねぇ…… ヤケ酒かしら?

 ……あー、そうなのかい? いつもより喧しく騒いでいたもんだけど、気付かなかったよ

 

 ――ユサッ! ユサッ!

 

 ……アレだ、ホレ。『最優』と一緒にボコナも掻っ攫われちまった訳だろ? 振られ男が隅っこでジメジメとしてたってワケさ

 ……んまぁ! 図体の割りに肝っ玉の小さい男ね!

 ……しっかし反応ねぇなー? 実は死んでんじゃねぇか?

 ……馬鹿言うんじゃないよ、こんなにデカいイビキをかける死体がどこにいるんだい。ホラ! いい加減起きなっ! 片付けの邪魔だよベコ坊!

 

 ――ゴンッ!!

 

 

   *   *   *

 

 

  ――目が覚めた。そして頭が痛い。

 

 「……頭がイデェ 」

 

 どうにも薄ぼんやりとした意識のまま、のっそりと頭を持ち上げる。

 普段の寝起きは、それほど悪いつもりはないんだが。

 

 「あーチクショウめぇ…… こりゃ飲み過ぎたかぁ? 」

 

 頭を起こした途端、胸元からこみ上がってきたモノに思わず唸ってしまう。

 喉の渇きが随分と酷い。いつもならば雄らしさに溢れる太さで遠くまで響く自慢の声もまた、ガラガラと割れて濁っていた。

 何とも言えない気持ち悪さが、頭の奥から湧いて頭蓋骨をガンガンと叩いてくる。

 

 とりあえずまずは喉を潤そうと、眠りこける直前まで手元に置いていたはずの酒盃を抱え込もうと腕を伸ばした―― が、手は何かに当たることなく空振りしてしまった。

 寝返りの拍子にでもどこかにやってしまったのだろうか?

 薄目を開いたぼやける視界には、酒盃の影はどこにもない。

 

 (探すか――)

 けれど、身体を動かすのが億劫だ。

 

 (もう面倒だし、いっそもうひと眠りしてしまうか――)

  いやいや、この喉の渇きはどうにも耐えられそうにない……あぁ、けれど……

 

 まどろみ混じりの逡巡を、何度か繰り返す。

 そうしている内に、段々と水を飲みたい気持ちの方が強くなってくる。

 やがて、泥に沈み込んでいたかのように重い上半身を、それなりに苦労してからのっそりと持ち上げ、辺りを見渡す。

 

 その途端、くらりと揺れる視野。

 ネバついて、中々開かないまぶた。

 普段の半分も働いていない頭ではあったが、それでも段々と周りの状況が飲み込めてくる。

 

 夜闇に冷えた空気がじんわりと温まり出す、1日の始まり特有の冷ややかで暖かい風に肌を撫でられたうえ、何度かの瞬きを繰り返してようやく、暗い夜空が薄白の混じる朝焼けの空に変わっているらしいことに気付けた。

 

 つまり、朝だった。

 宴はもう終わっていた。

 常ならば軽く飯を食い、森へと狩りに出掛ける準備をしたりしている、とっくに起き出していたはずの時間だった。

 ……それが分かってなお、きびきび立ち上がって動く気分にはどうにもなりそうになかったが。

 

 さて酒盃はどこだと思っていたところ、フッ、と感じた胡乱な視線。

 ぼんやりと動かしていた頭を正面に固定する。

 

 そこはやや離れた先、木の幹と枝を雑に組んで作った机を並べた場所であり、はたして視線を俺に投げていたのは、1匹の年嵩の雌だった。昨夜の宴の片づけをしているのか、手にはいくつもの空っぽな器を重ねている。

 戦士に対して余りにも無遠慮な視線を寄越してきた者に何事か言うべきかもしれなかったが、俺の注目はすぐさま、その手に重ねられたモノに引き寄せられていた。

 

 積み上げたソレのてっぺんに置かれているモノ。

 それはまさしく、いつの間にか寝てしまうまで俺が抱えていた酒盃に違いなかった。半分寝ている頭であっても、一晩中己を慰めてくれた酒盃の姿は印象深く覚えていられるモノらしい。 

 全ての酒器を下げられる前に折よく目覚め、気付けた幸運に少し気分が上向く。

 

 後は話が早い。「酒をがえぜ。残ってないなら水でもいいぞ」と、雌に声を投げた。

 それは俺のだ。勝手に持っていくな。

 

 ……しかし片付けの最中であるらしかったところの彼女が、熟練の狩人にして歴戦の戦士な俺の呼び掛けに応えることはなく。

 朝になっても抜け切らないほどの酔いを持ち越して苦しむ俺の様子を鼻で笑い、その両手に高く積み重ねられた食器の山を崩すことなく、悠々と洗い場に歩き去ってしまった。

 

 ようやく持ち上がろうとした気分が、勢いをつけて沈み込んでしまう。

 

 なんてこった。

 この偉大なるベコリー様の頼みをあっけなく断るなんて、なんて酷いババアなんだ。

 昔からそうだったが、いつまで俺をその辺の悪餓鬼扱いするつもりなんだ。

 酒を持って来いとはこの際言わないから。

 水だよ水。水をくれ。

 喉の渇きが全然収まらないんだよ。

 しっかも、ボコナのような張りのある後ろ姿を見せるならまだしも、そんな肉の垂れ下がった尻を見せつけられては、ますます調子が悪くなるじゃねぇか。

 

 「アダマが痛いぞぉー…… ダレがー、みず~~ 」

 

 起き抜けには何やら硬いモノが頭にぶつけられた気がしないでもなかったが、そんなモノが既に気にならないくらい、ただただ気持ち悪い。目覚めてから段々と強さを増しているような気すらしてきた不快感を、再び伏せた頭を抱えながら悶え続ける。

 時折目の前を通る雌連中に声を掛けるも、残念ながらまともに取り合ってくれる者はいなかった。

 

 やがて、いよいよ自分で動かねば水を得られないのかと苦い決断を迫られた時。

 

 「……あのー。良かったらコレどうぞ 」

 

 誰かが目の前に立ち止まった気配。

 朝日を隠すように差し込んできた影を感じて億劫ながら顔を上げてみれば、そこにはまだ年若い雄の狩人が、雫を器の淵から滴らせた器を片手に抱え、心配そうにコチラを見下ろしていた。

 

 

 

   *   *   *

 

 

 「あ゛~話したなぁ……。大体こんなモンか? 」

 

 

 器に注がれていた液体は酒でこそなかったが、片手で持つにはやや大きいほどの器になみなみと溢れていた水だった。

 けれども奪うようにして受け取ったソレは乾いた喉を大いに潤し、頭にこびりついていた不快感の大部分をも拭い流してくれたので、文句などつけようもない。

 加えて目覚めてからコッチ、散々年増の雌達に訴えを無視されていた経緯もあって、普段はそれほど気前の良い性格をしていない自覚のある自分ではあったが、この時ばかりは感謝の念しか湧きようがなかった。

 

 そうした経緯で正しく恩人となった若者に対し、せっかくだから何か俺にして欲しいことはあるかと訊いてみれば―― なんと「昨夜の『最優の儀』の決闘について話が聞きたい」のだという。

 

 ()()()ではない。このベコリー様に、だ。

 

 正直これを言ってくれたのが”優勝の褒美(ボコナ)”であればなお嬉しかったのに、と思いはしたものの…… それを置いても中々見どころのある雄じゃないかと、酔いから醒め始めた頭ながらに強く感心したことを覚えている。

 

 それから――今までの間。

 

 周りをウロチョロとこれ見よがしに片付け始める雌共から向けられた、起きたならさっさとどこかに行けという視線を軽く尻目にしてやりながら、

 この未来ある若者に!

 俺様が強敵相手に次々と勝ち上がった今回の戦いの数々を!

 とくと語って聞かせてやった。

 

 どうやって他の戦士達に先んじて立派な猪を狩ってみせたのかという、前々日の狩りに遡り、初戦の実力差ある格下の相手に、いかに余力を残して堅実に勝ってみせたか。それから自分より経験を積んだ老練な戦士とぶつかった準決勝で、どれほど勇敢に戦ってみせたかまでを語り終える頃には、朝日がハッキリと山の向こうから顔を出す頃合いとなっていた。

 

 潤したばかりのはずの舌に再びの渇きを感じて、少し感謝が過ぎてしまったかなと、この場を良い感じに切り上げようと立ち上がる。

 

 ――だが、それまで周りの雌から向けられていた無遠慮な視線に気が散っていた様子だった若者が、立ち上がった俺をさも意外そうに見上げてくる。その顔には『ここで話が終わる』ことをまるで考えていなかったと、ハッキリと表れていた。

 

 

 そんな表情を見たからだろうか。

 束の間忘れていられた、不快感を思い出す。

 

 無言のまま、話の続きを催促する視線。

 どうするか少し迷った。

 

 しかしこんな期待に満ちた顔と目を合わせながら、なおそれを振り切り立ち去ってしまっては、そんな行為をした自分自身に嫌な意味を持たせてしまいそうだった。

 そして、それを認めるのはどうにも癪に障るのである。

 

 結果は既に出ており、先延ばしにしていた格付けも済んだ。

 だが、昨日の今日でそれを認めるのはまだ、どうしても、嫌なのだ。

 

 ……恐らくは最初から目の前の雄が聞きたがり、そしてさっきまでの自慢話の中で俺があえて話さすに省いていた「決勝戦」。

 渋々座り直した俺は、必要も意味もない意地を張るためだけに、その内容を話すことにした。

 

 

   *   *   *

 

 

 聞きたい話をしっかりと聞き出せたことに満足したらしい若い雄が、大きな声で感謝を告げてくる。もう酔いはすっかり醒めたはずだったが、その声はなんだか耳に重かった。

 

 話している内に分かったことであるが、目の前の赤肌であるコイツは、あの野郎に強く憧れていた。

 何でもつい最近、森で狩りに失敗して死にかかったところをヤツに助けられたらしく、その時に獲物を屠った一撃と、決勝戦で見せたあの決まり手は同一のモノだったという。

 命を救われて以来、何とか自分もあの技を真似するべくこっそりと練習してはいたもののまるで上手くいかず、実際に木剣とはいえ受けた者の話を聞きたかったということだ。

 本人に聞かないのは助けられただけで接点がなく、他者を寄せ付けない孤高な雰囲気に引け目を感じて二の足を踏んでしまうということらしい。何だその理由は。

 

 ――しかしハッキリと言える。

 アレを真似しようなんて、頭が可笑しいのか、と。

 

 まず俺達が狩りや闘いの場の臨む時、基本的に1撃で相手を殺すことは意識しないのは常識である。野生を生きる逞しい命を屠るのに、俺達の種族は非力に過ぎるのだ。

 熊のような体格も、猪のような分厚い皮膚や脂肪も持ち合わせていない。背丈の倍以上を飛べる脚力があるとは言っても、それはスカスカの骨と肉で構成された軽過ぎる体だから出来ることだ。

 しかもそうして飛び上がったところで攻撃に乗せられる体重は知れたものなのだ。逆に致命的な隙を晒してコチラの命を危うくするだけである。

 

 だから俺達の先祖が代々築いた戦闘法は、体重を掛けず、肩から先しか動かさないような隙の少ない連撃を重要視するモノなのだ。

 全力で得物を振るっていいのは最後の最後。間違って反撃を受ければすぐに痛む脆い身体を自覚すればこそ、俺達は相手を少しずつ弱らせる戦い方を磨いた。

 そしてそれが正しかったから、この部族は今日まで安定的な糧を得られ、この森における生存圏を少しずつでも広げることを成し遂げているのではないか。

 

 (だというのに、なんなんだアレは )

 

 そうした血で塗り固めて積み上げた確かな歴史に、アレは正面から喧嘩を売っているとしか思えない。

 

 なぜヤツは跳ぶ?

 闘いや狩りで我を忘れた未熟者が時折そうするような、我を忘れた様子でこそないが、ヤツには跳躍に対する忌避がない。時折見かける修練の時にだって、ヤツは何か理想があるようにして、一定の形を反復して跳ね回っていた。

 確かに体重は乗るだろう。

 ただ跳ねるだけではなく、最も重い頭を躊躇なく振り回すことで勢いをつけ、空中で何回転もした末に放つ斬撃。それに同族らしからぬ威力を込め得ることは、それを受けて木剣ごと身体を弾き飛ばされた俺

自身認めざるを得ない。

 

 確かにあの回転の勢いが乗り切った攻撃は重く、強い。体格や体重も全く違う熊や大猪だって、当たり所が良ければ一撃だろう。

 しかしそんな種族が抱える弱点を解決してくれるような剣ではあったが、ヤツを除いたどの戦士にしても、ふざけて真似することくらいはあるものの、決して命や名誉の掛かった、実際の狩りや闘いに用いようとする者は皆無だった。

 

 理由は簡単だ。当たらないのである。

 

 まずあんなに回転しながら跳ね回れば、あっという間に自分の前後左右なんて分からなくなる。遊び半分で試した連中はせいぜい何回か前転した後、尻餅をついて笑っていただけだったし、こっそり一人で試してみた俺だって、宙返りを繰り返すことが精一杯で剣は握っているだけしか出来なかった。

 

 しかも当然ではあるが、剣を向ける相手は動かない木偶ではない。

 敵意を持って動くのである。

 避けもするし、防いだり、隙を見つければ反撃だってしてくるのだ。

 

 とてもじゃないがあんな景色と内蔵がぐるぐる回転している状況で周りを認識しながら、そんな敵を相手に剣を振るなんて、正気を投げ捨てていないと無理だろう。

 

 そしてそんな全力で身体を振り回す攻撃なので、当然外そうものなら隙だらけの死に体だ。

 戦士相手なら間違いなくその瞬間に勝敗が決するだろうし、野生の獣だって、フラフラの馬鹿に致命傷を与えることは難しくないだろう…… ヤツは一体、外れた時にどうするつもりなんだ?

 

 ある程度周囲が見えているとして、いや出来てないとますます意味が分からんが、仮にそれが出来るとしても、回転した勢いを殺さないままに正確な一撃を相手に当てられる技量が無ければ、特攻にすらなりはしないのだ。

 

 恩恵と言えるモノはただ1つ。

 『種族の壁を超えた強い一撃を繰り出し得る』という1点のみ。

 

 『身体のバランスが取れなかったらまず技を出せない』『バランスが取れても周囲が分からない』『技量がべらぼうに高くないと剣が当たらない』『外したら死ぬ』などなど――

 頭の中がどうなっているか知れたものではないが、ヤツはなんで欠点塗れな馬鹿な発想だと切り捨てず、こんな狂気の欠陥技を大真面目に身に付けたのか。

 

 

 ……もっとも。

 思い返してもヤツは跳ね回りながら回転を繰り返すまま、緩急をつけたりしつつコチラを牽制してさえいたが。しかも反撃の機先を制せられたまま、絶対に受けに回らないといけないように追い詰められたような気がする。

 

 回転して跳ね回りながら、である。

 訳が分からなかった。

 

 体格では勝っているし、筋量も負けていない。狩りや闘いの駆け引きだって、1年に満たない経験しかないヤツに劣るはずもなかった―― が俺は前評判通り、圧倒的に惨敗してしまった。

 本当に意味が分からない。

 

 ……そうだ。

 あの野郎は訳が分からないヤツなのだ。

 

 初めて出会った時のヤツは、自分で自分の身体を思うように動かせないような存在だった。一体何をして今まで生きてこられたのかと思うくらいには、この集落の雌や子供を含めた誰よりも弱いとしか思えない程度の雄だったのだ。

 それなのに忌々しくもボコナに世話をされ、何があったのかひょっこり身体が動くようになった途端、『強かった』ことが分かったのである。

 成長した、強くなった、ではない。

 ようやく走り回れる程度になった姿を見た翌日、広場で行われていた戦士の訓練に乱入したヤツが、あっさりと現役の『青肌』を打ち倒した時は本当に、本当に驚いた。

 

 その時に思い知らされたのだ。

 『赤肌』に関わらず、ヤツは俺より強い戦士だったのだと。

 

 ……だというのになぁ。

 だからこそ、分からねぇんだよなぁ?

 

 (あのクソ野郎は、普通に戦えばもっと強いんだよなぁ!! )

 

 ホンット、本当に。

 その事実が本当に意味不明だ。

 集落随一である歴戦の戦士ですら手玉に取るような駆け引きの巧みさ。更には見たこともない剣の振り方の数々。認めるのは甚だ、甚だ癪ではあるが、ヤツの振る剣に思わず目を奪われてしまったのは1回や2回ではない。正直に言ってマトモに剣を交わせばまるで勝てる気がしないほど、ヤツは強いのである。

 欠点だらけの博打技に頼るまでもなく、ヤツは最強なのだ。

 

 なのに「ナナシがあの技を使ってくれれば、避けることさえ出来たら俺が勝てる 」などと格下の戦士達にも妙な希望を持たせてしまうせいで、本来なら棄権されるような組み合わせも取り下げられることなく行われた。

 真面目に戦うなら、文句はない。もし今回の決闘だって正面から()()らしい剣と剣を正しく打ち合わせた上で優劣が決まったならば、俺もこれほど腐ってはいなかった。

 

 だというのにヤツは狩りや訓練の最中がそうだったように、最も大事な瞬間をあの「回転切り」で決める悪癖を今回もやらかした。

 何かを確認するように毎試合必ずソレを絡めながら、父祖や俺の積み上げた剣を鼻で笑うようにして『最優』をかっさらっていきやがった。

 

 素のままで戦えば誰よりも安定して強いというのに、何故必要のない尖らせた力を欲しがるのか…… それは彼女を手に入れられる"最優"より大事なのか。それが俺には分からないし、納得出来ないのだ。

 

 

 昨夜の痛飲は実のところ、そんな『全力ではない』かのような振る舞いをしやがる野郎に次期族長の座と、何より”褒美”を持っていかれた悔しさを紛らわせたかったが故の暴挙だった。

 

 ……水を飲み、親切で無神経な若造と話している内にその酔いがすっかり醒めたのは良かったが、そのせいで忘れたかった苦々しさと、決勝戦でヤツから受けた、肩のじんわりとした痛みがぶり返すのを自覚してしまう。

 

 「あー痛ってぇクソ、まぁだズキズキしやがる……。これなら、酔っ払って頭抱えてた方がまだマシだったかチッキショウ…… 」

 

 もう今日の狩りは辞めよう。

 うっかり野郎の顔を拝む前にさっさと帰って不貞寝するか―― そう思い、これだけ語らせてもまだ未練を捨て切れてなさそうな目の前の赤肌と別れようとした時。

 

 

 

 ――カン、カン、カカン!

 ――カン、カン、カカン!

 

 

 

 集落の外れ、山側に設けられた櫓から、金属を打ち合わせる音が集落全体に響いた。

 

 拍子の符号は"緊急"。

 部族を別にした同族がそちら側にいるから、という理由で設けられはしたものの、普段はろくにその用途に使われることのなかった建物が、貴重な鉄具を用いて知らせる"緊急"。

 

 その答えは一つだった。

 

 「……『敵』が来るぞぉー! 戦士達は北側に集まれ! 女子供は家から出るな! 狩人は森に入れ! もし出払っている戦士がいるなら、すぐに集落へ連れ戻すんだ! 」

 

 族長の怒声が集落に轟く。

 周囲にいる片付けをしていた雌達も慌ててはいたが、混乱までは起こしていない。散り散りに、しかし取り乱すことはなく、飛ばされる族長の指示に従って集落が動き出す。

 

 こうした襲撃は頻度こそ低いが、初めてではなかった。

 まとまった数による他部族の襲撃であれば厄介だが、前触れもなくそんな異常事態は早々起こりはしない。食料の心配をする時期でも無ければ、近頃は台地に流行り病が起こっているなんてこともなかったはずだ。

 

 つまり今回の突発的な『敵』も前回と同様、大型の獣の接近である可能性が高いだろう。

 今までほとんどそうだったし、それを集落に住まう者全ての知るところだ。彼女達もそれは理解しており、俺達戦士がこれまでのように追い払ってくれると信じているのだろう。

 

 前回の『敵』は野郎にその手柄を取られたが、何も戦士はアイツだけではない。

 

 (丁度良いじゃねぇか )

 

 最近、どうにも俺に対する雌達からの敬意が薄れてきたみたいだったからな。

 ここらで一つ、ベコリー様の剣でこそ集落を守れることをキッチリ証明してやって、ケツの良い雌達の視線を独り占めしてやるぜ。

 

 「おう、テメェもついてこい! 前に出るんじゃねぇぞ!? 決闘とは違う俺の力を見せてやるから、しっかり目ん玉ひん剥いてみてな!! 」

 

 

 間違っても実戦で、奇天烈な剣を使おうなんて思わなくなるよう、正道の剣ってのを教えてやる!

 

 ナナシの出番はねぇぜ!!

 

 

 




 イッタイ ナニガ セメテキタンダー! 
 テキ ハ ケントタテ ヲ モッテイルゾー!メストコドモ ヲ ニガセー!ムラ ヲ マモレー!
 ――――……
 ――…
 ―…
 ゴマダレ~♪






 お久しぶりです! からの幕間&幕間。

 戦闘中に回想挟んだり別キャラ視点を語らせたりして、突然それまでなかった主人公の全く新しい力が解禁される流れはかなり使い古されている王道感がありますが、それだけに良いモノはとても良いと思います。 

 ……ちなみに原作ではモンスターの集落を全滅させると、不思議な力で宝箱が出現してリンクの装備や懐を助けてくれます。
 進め方にもよりますが、道端に落ちてる装備や換金アイテムよりは有意義なモノを手に入れやすいということもあり、プレイヤーの多くは宝箱を求めて集落を襲い、砦の影に隠れているような最後の1匹に至るまで探し出し、執拗に殺戮の限りを尽くすのです。
 特に序盤で手に入る武器の耐久性は低く、調子に乗って振り回しているとすぐ壊れてしまうために、宝箱から手に入るちょっと強い武器は結構嬉しいモノがありました。

 「次も魔物を頑張って滅ぼそう!」
 前向きに、そんな気分を抱く―― 勧善懲悪を楽しく学べる、それが私達のBotWなんだ!


 ――つまり、そういうことです。



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100年の澱、変わり果てた両者

○前々回のあらすじ

  目と目が逢う瞬間 怨敵だと気付いた。

 【ライネル】→激オコぷんぷん丸(# ゚Д゚)
 【厄災】→え? 魔物斬っただけじゃん( ´_ゝ`)?





 

 

   * * * * *

 

 

 目の前で叩き斬られ最早動くはずもない恩人の遺体に、()()()と駆け寄らなかったのは、ボコナの死を悼まなかったからではない……もちろん、赤い月の光によって死者が蘇る『祝福』を期待していた訳でもない。

 俺という実例がある以上、彼女が今の姿形で、果たして再びこの時代に生まれ直せる保証はどこにもないのだ。それにあんな悍ましい光景に塗れた場所を、俺は『祝福』などと呼んで縋ることに躊躇いがあった。

 

 ――彼女は殺された。それが事実だ。

 

 そして彼女は、ただ魔物の仲間という括りで済ませて良い存在でもなかった。

 突然彼ら子鬼の縄張り内に放り出され、戯言にしか聞こえなかっただろう言葉以外に自分を説明出来なかった、普通の小鬼と比べてなお脆弱な心身だった当時の己を、最初から気に掛け続けてくれた唯一の存在こそが彼女だった。

 

 何か他の思惑も、あるいはあったのだろう。

 集落の外れに突然現れた、通常とは違う特異な『祝福』を受けた俺に対して、族長から何事か言い含められていたことは察していた。

 しかし彼女に支えられ、教えられ、助けられたこの1年間の記憶は、見る景色全てが新鮮だったはずの生まれ直した我が身において、なお色濃いモノばかりだった。今のひねくれ曲がった俺でも、そんな思い出達を通せば素直に、彼女の善意と友愛を信じられる。

 

 たった今斬殺され、ゴミのように足元へ転がされた小鬼の雌はそんな、この世界で生き直す切っ掛けを掴ませてくれた俺の恩人だった。

 いつか"剣"を求める旅を終えた時に俺が帰ってくる場所は、そんな彼女がいる此処だった。

 

 そして前の世界で斬り捨てられ、砕き散らされた【最強】の矜持を、傷の深さを知らないままながらも労わり続けてくれた彼女の死に報いる為の方法として。

 俺の身体は悲しみ伏せるより、滾る憤怒と復讐心のままに、敵の脳天目掛けて剣を振り下ろすことを選んでいた。

 例え相手があの時の"剣"を持つ【厄災】であれ、もしくは尊び仰ぐべき【魔王】であったとしても、俺は剣を抜いて飛び掛かっていただろう。

 

 

 

 ――そうして忘我したまま【厄災】の脳天目掛け、剣を振り下ろした直後。

 冷や水を不意打ちで浴びせられたかのような突然さで、俺は我に返っていた。

 

 

 

 もちろん、怒りが冷めたという訳ではない。

 今の俺が怒りを忘れられるはずもなく、その喪失が正気に戻る理由になりはしない。

 

 ならば何故、今。

 俺は剣を振り切る前に我に返っていたのか。

 答えは更に瞬間後、思い至った。

 

 100年前の己の心臓へ刃を突き立てた剣士もそうだった、忌々しくも澄んだ蒼い眼。

 この世界に生まれ直してからこれまで、抜けるように晴れ渡った青空を見上げる度に思い出してしまっていた色。

 かつての同族達のように、角度や捻れの具合で個人の特徴がハッキリと分かり易い角を持っているわけではない、個体差を非常に見分け辛い”人間”の中にあって、俺が絶対に見間違えないだろうその眼。

 

 その【厄災】の眼を近くで覗き込んだからこそ、俺は我に返ったのである。

 

 つまり――

 

 

 (……っこの馬鹿がッ!? )

 

 

 当時最強を信じた肉体と武器を持って挑み、それでもなお完敗したはずの相手に向かって、怨嗟を喚きながらの正面突撃をしていたという自分の浅はかさに愕然としたことで、俺は忘我の淵から立ち戻ったのである。

 

 勿論そんな分析が出来た所で、それは既に後の祭りだ。

 ――もう、剣は止められない。

 

 子鬼の身体を1年間、たった1年間どれほど鍛えたところで、渾身の力を込めた剣を今更切り返せる筋力などあるはずもない。

 加えて相手の胸元までしかない己の矮躯。それほどの身長差がありながら、無理に脳天を狙った斬撃を放つために身体は宙に跳び上がっていた。

 無理矢理身体の向きを変え転がって逃げることすら、今や不可能だった。

 

 こんな、少しの技巧も込められていない力任せの一撃は、きっと【厄災】ならば軽々とあしらうだろう。

 受け止めるのか、流すのか、それとも躱されるのか。

 いずれにしろ俺の憎悪は成就することなく、返しの刃が俺の二度目の命を奪うはずだ。

 

 ……愚かだ。

  愚か! 愚か!! なんという醜態!!

 結局俺は100年前の敗北を、何ら自らの糧としていなかった!

 ただ逃げていただけ!

 この無様極まる振り下ろしは、その何よりの証明だろう!!

 

 ――そして。

 己の不甲斐なさを呪いつつも捨て鉢に振り切った剣は…… やはりというべきか、【厄災】に通じることはなかった。

 後ろに()()退()()()【厄災】の身体に、剣の刃は切っ先も掠らずに終わった。

 

 加えて譲られたばかりの使い慣れない剣であったことが、状況を悪化させる。

 事前に数回の素振りこそ試してはいたものの、全力の打ち込みをしてはいない。茹だった頭で剣の重心や長さの変化に関する配慮などしていたはずもない。特に今の状況下、相手との身長差を埋めるために跳躍しながらの振り下ろしをしてしまっていたのである。

 

 その結果、何にも掠らず空気を薙ぐだけに終わった剣、その普段以上の勢いを殺し切れず、未だ飛び上がったままな身体のバランスをあっさりと崩してしまった。 

 

 ……空中で無防備にも硬直した四肢のどこかが、地面に辿り着くまでに数瞬。そこに加わる体勢を立て直す為に浪費するだろう時間。

 【厄災】が無防備な子鬼一匹を殺すのに要する時間として、それらを足したモノはお釣りを勘定出来るほどに悠長な空白であることを俺は知っていた――

 

 

 

 

 

 だからこそ。

 

 左足が地面に触れたと感じた時、情けなくも俺は「これは首や臓腑が斬られた後の幻か、錯覚に過ぎないのだろう 」と諦観していた。

 そんな先走った思い込みもあってか、地面に触れるや否や左足が強く地面を蹴り付け、身体を【厄災】の間合いの外側へと大きく投げ出させて距離を広げ得たのは、思考によるものではなかった。

 それは当然起こり得るだろう、必殺の一撃を空振りしてしまった場合に備えて繰り返してきた、反復訓練による成果。子鬼の膂力で空振りしてしまった場合の対処法の1つが、たまたまこの身体を条件反射的に動かしたが故に取られた行動であった。

 

 丸めた身体で勢いよく地面を転がる中、身体に擦り付けられる小石や枝によって連続で走る衝撃と痛み。

 身体中を巡るそれらによって、依然として五体全てに神経が通ったままであることが自覚出来るまでの間、俺の思考は止まったままだった。

 

 ……やがて己の不甲斐なさに自失していた意識が、戻ってくる。

 

 まず覚えたのは、違和感。

 その次に思い浮かぶモノは疑問。

 次から次へと沸いてきた。

 

 いつかのように、倒れ伏していなくて良いのか。

 何故、俺は地面を蹴れたのか。

 身体が、未だ十全に動いているのはどうしてなのか。

 浮かんでは消える千々に乱れた思考が、急速に一つの疑問に集約されてゆく。

 

 

 (――何故、俺は生きているんだ? )

 

 

 転がる勢いが弱まったところで()()をつき、身を起こす。

 ()()で地面を踏みしめる。

 

 立てた。

 立ててしまえた。

 身体のどこにも血が吹き出す穴は無く、それどころか、僅かな切り傷すら見当たりはしない。

 痛みらしい痛みがある箇所といえば、全力で地面を転がったことでちりちりとヒリつく肌だけだった。

 

 立ち上がり、顔を前に向ける。

 ……その視線の先にあったのは、自身の無事の理由を察せられる光景。

 しかし同時に溢れ続けていた違和感を強く、強く煮立たせるにも十分な、怨敵の姿だった。

 

 

 

 ヤツはただ、何をすることもなく立っていた。

 コチラに距離を詰めることなく、剣を躱して飛び退いたそのままの場所でただ、ただ立っていたのだ。

 

 

 ――()()【厄災】がその立ち姿でハッキリと、()()()子鬼を警戒して慎重に様子を伺っている()()無様(ぶざま)を晒していた。

 

 

 空振りした俺の隙を見逃すことなく、雷の速度で反撃することは容易かったはず。

 転がって逃げる俺へ悠々と追い縋り、正しくボコナへとそうしたように、致命の一撃を見舞ってくることだって出来ただろう…… あの100年前の【厄災】ならば。

 

 押し寄せる魔物の軍勢の中をただ1人、しかし圧倒的な存在感を持って飛び跳ね続けて数多の命を撒き散らし切ってみせた、あの暴威の極致は?

 血が詰まった肉を持つ屈強な魔物の首を、まるで枯れた木の葉のように次々と宙に飛ばしていった、脆弱にして儚い人の身にして有り得ないほどに極まった技の冴えは?

 

 100年前と同じ、忌々しくも空色に澄んだ瞳だけはそのままだというのが、ただただ歯痒い。

 いっそその瞳すら無惨に落ちぶれていたのなら「目の前にいるのは【厄災】ではなく、全くの別人だったのだ 」と無理矢理勘違いしてみせることだって出来たかもしれないのに。

 

 あの瞳を覗き込んでなお、見間違えだと自分を騙すことだけはどうしても、出来そうにない。

 ちぐはぐ過ぎる違和感の気持ち悪さに、吐き気すら込み上げてくる。

 

 (――100年、か )

 

 困惑と、納得が半分ずつ。

 思い浮かんだのは、100年という時間の経過だった。

 認め難い目の前の存在を己に納得させるために、不思議とその数字は都合が良かった。

 何しろその経過の先に、自分が子鬼になったりもしたのだ。

 ならばこの醜悪なまでのヤツの有り様だって、飲み込んで然るべきだとも思える気がした。

 

 それでも己と怨敵に対する言葉に出来ない種類の感情が、それまで頭の一切合財を占めていた憤怒をほんの少しだけ薄れさせるのは止められなかったが。

 

 

 ――幾ばくの間。

 それだけの時間を費やして、しかし俺の足は地面を蹴っていた。

 

 今度は我を忘れて跳躍などしない。

 

 子鬼の分を弁え、歩幅をいつもより更に小さく刻む。

 両足を伸ばし切ることはせず、いつでも踏ん張り、進む向きと勢いを変えられる速度を維持して距離を詰め直していく。

 目指す先は、己の短い手に持つ剣でも、ヤツの喉元へと届かせられる場所。

 頭が多少冷えたところで、その決定に変更はない。

 

 そうだ。

 相手が向かって来ないからとって、それが何だというのか。

 後退は。逃走だけは、有り得ないのだ。

 

 この身体を駆り立てるモノ―― かつての"誇り"と今世の"恩人"の命を奪い去った【厄災】への変わらぬ憎悪の一念は、今なお少しも陰ってはいないのだから。

 

 

 

 






 切りが良いのでちょっと短め。
 プレイ動画などでは最初から無双の限りを尽くせるリンクさんですが、100年も眠りこけて記憶のほとんどを失った彼は、祠を出て以来初めて目にした、殺意前回で挑みかかってくる魔物に対してビックリしちゃってます。
 対してナナシさんは、100年かけて想い続けた怨敵の、余りにも余りな糞ザコな姿にめちゃんこガッカリ状態。


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【厄災】遭遇戦~憎悪の行方~

○前回のあらすじ

 〇メインチャレンジ :【厄災】討伐 第二戦
 ●クリア条件 : ―――
 ●クエスト内容 : 新たなる旅立ちの時、時の流れに消えたはずの怨敵が立ちはだかる。100年前から続き、そして目の前で新しく一つ積み重ねられた憎悪の繋がりを、アナタは断ち切り晴らすことが出来るか?





 

 

   *   *   *

 

 

 ――今更改めて確認するまでもないことであるが。

 【ライネル】であった頃と比べ、何ら特別ではない一匹の子鬼として生まれ直した今の己は、いっそ笑ってしまうほどにひ弱な存在である。

 

 体力が無い。

 手足が短く、腕力も無い。

 相手の力を正面から受け止めるために必要な、踏ん張れる体重も無い。

 貧弱な足腰では「駆ける」なんてとても言えないほどのノロマな速度しか出せず。

 鳥骨の如き華奢な骨格に、ひたすら上乗せ出来る限りの筋肉を詰め込んでみたところで、小さな猪の突撃一つ満足に受け止められず、持ち上げる力すら得られはしない。

 

 最初の頃は気付けなかった…… というよりも、そもそも生まれ直した直後は、それこそ立つことも覚束ない有り様だったのだ。

 身体を動かす度について回る違和感も、二腕四脚の獣王であった身体の感覚が染み付いたまま、二腕二足で頭身も大きく縮んだ身体を動かすことへの感覚のズレが、あまりにも大きく戸惑ってしまっているのだろうと考えていた。

 その時の自分は、周りの子鬼達にも大きく劣る特別に弱い存在へと生まれ直してしまったのではないかと考えていたくらいにに、不便と不具を感じていたことは記憶に新しい。

 

 ……しかし、少しずつながらこの身体の動かし方に慣れるにつれ、感じていたあまりの脆弱さが自身の特異な事情故ではなく、種族そのものとしてのあまりに低い限界に由来するモノでもあると気付くには、それほどの時間は掛からなかった。

 

 そんな弱い種族の中にあって、しかし己が特別弱い訳でもないという妙な救いを得た俺だったが、十分に身体を作り上げる期間にはとても満たない僅か半年という時間で、種の中で平均以上の戦闘力を振るえなければ名乗れない戦士に成り得た要因は、大きく分けて2つある。

 一つは、そもそも子鬼が種として弱く特別な力も持たない魔物であり、かつ閉じた集落という狭いコミュニティの中で完結したこの地では、まともな戦闘を積み経験を得る機会に乏しく、戦士の水準が俺の知っている100年前の同種族と比べて低かった点。

 そして俺には、【ライネル】としての圧倒的な戦闘経験の蓄積があった点という2つだ。

 

 この2つの要因で、俺は容易に彼らにとって「戦う者」としての立ち位置を築けたのである。

 

 

 

 ……だが敢えて、もう一つ挙げるならば。

 

 目の前の――いや、【100年前の厄災】の体捌き。

 俺の脳裏にその影が、生まれ直してなお掠れることなく焼き付いていなかったならば。

 生え抜きの子鬼達を押し退けて『最優』の称号を勝ち取ることは、あるいは出来なかったかもしれない。

 

 

 

   *   *   *

 

 

 

 ――ヒュッ――

 

 牽制のための浅い袈裟切り。それを二歩後ろに下がって【厄災】が躱す。

 今度は飛び退かず、一足で間合いに戻れる位置に踏みとどまった【厄災】の反撃。柄を短く持った一撃は、斧であるにも関わらず獣の爪を思わせる速さで向かってくるだろう。

 ……しかし先程もそうだったように、予備動作から伺える軌道そのままの斬撃は、ひどく読みやすい。威力を捨て、当てるための速さを優先したはずの利点が死んでいた。

 

 コチラも2歩下がってやり過ごす。

 恐らくは1歩下がるだけでも上体を少し反らすだけで回避出来るだろうが、万が一振り抜く前に踏み込まれ、間合いを詰められるかもしれない。耐久力に乏しい身体では、速度重視の一撃でも手痛いダメージを受けかねなかった。

 という理由もあったが、何よりこの何回目かの低次元な空振りの応酬の中にあって、捨て切れない可能性が無視出来なくなりつつあったからこそ、反撃を優先した余裕のない見切りを実行するのは大いに躊躇われた。

 

   ――ビュンッ――

 

 ……躱してみれば、思った通りの軌道を沿ってなぞる横薙ぎの斬撃。

 過ぎた警戒だったのだろうか?

 

 ――いや、違った。 

 軌道は素直なままだったが、斧は俺が想定した以上の速度で軌道をなぞっていく。まただ。最初よりも次の一撃、次の次、そして今。僅かだが確実に、攻撃の鋭さが増している。

 おかげで2歩下がって出来た余分な空間をすぐに潰そうと、斧を振り切った直後に踏み込もうとしていた足の準備が間に合わない。

 

 数瞬の空白。

 それが過ぎた後には、俺が狙っていた反撃の隙は無くなっていた。

 手足が短い俺の間合いの外側で、ヤツはもう追撃の準備を終えていた。

 

 やや重心をブレさせながらも、斧を振り抜いた形のまま片足を軸に横回転。背中を見せた姿は隙を晒しているのではなく、次の攻撃へ繋げる溜めに過ぎない。

 筋肉で盛り上がった背中、血管を浮き上がらせた両腕。

 力強く踏み込んできた前足が、浅く土を抉っている。

 振り抜いた後にただ滑っただけなのか、それとも俺が下がった時に、意図的にそうしていたのか。刃の根本を掴まれていた斧はいつの間にか、柄の先端、最も遠心力を刃に乗せられる部分で握り込まれていた。

 

 ――回転斬り。

 その言葉が頭に浮かんだ刹那、俺は飛び込むために足へ注いでいた力の全てを注ぎ込んで、後ろへと飛び退いた。

 

   ――ブッオォォゥン!――

 

 斧が風を巻いて、いや、切り裂きながら飛んでくる!

 宙に浮いたことで身動きが出来ない筋肉が強張り、反射のように噴き出す冷や汗。

 しかしそんな身体に反して、脳裏を掠めるのは小さくない安堵。

 

 直前に突き出されていた左肘の角度は足元を狙うように低かったが、柄を握り込む右手があからさまに力んでおり、コチラの首元の位置を確認していた蒼い眼もまた、狙ってくる場所を雄弁に伝えていた。

 あの日の勝敗を決めた技は、俺と同じく間抜けに落ちぶれ腑抜けきってしまったらしい【厄災】が放ってなお、記憶の姿を思い出させて背中の産毛を逆立たせてくる。

 

 しかしこの一撃には()()

 凄絶に極まっていた、あの時のような技巧が込められてはいない。

 

 だから、飛び下がる身体へ前もって加えていた力の勢い。それに念のため逆らう準備をしていた手足の力を抜き、五体を流れのままに任せる。

 宙に浮いた身体はクルリと後ろに縦回転し、視界が【厄災】、夜空、背後の林、そして地面へと激しく切り替わっていく。近づく地面に足をついて着地せず、腹から叩きつける勢いで身体前面を地面に打ちつける。

 最低限の受け身だけを取り、身体を伏せた態勢を維持。

 

 ――直後、頭上を吹き飛んでいく斧の風切り音が耳を振るわせ、巻き込まれて千切り散らされた空気が肌に叩きつけられた。

 まっすぐ後ろに退いていれば、手元で伸ばされた斧の刃が胴から上を斬り飛ばし、立ち上がっていたならば振り抜かれた柄が俺の横っ面を殴り抜いていただろう。

 体重が軽く骨も脆い今の俺では、そのどちらの選択肢を選んでいても即死か、運が良くても重傷の一撃だった。

 

 ――だが結果は俺の読みが勝った。

 かつて俺の左腕を切り飛ばし、愛剣を破壊し尽くした必殺の型。

 それを今回は空振りに終わらせた。再びの敗北に繋がる一撃を避けたのだ。

 

 【厄災】はこの一撃で決めるつもりだったのだろう。

 渾身の力で振り切ったらしい斧の勢いに引っ張られて回転が止まっているうえ、完全に身体が流れてしまっている。

 俺の目の前にあるのは、とてもあの時のような2撃3撃目へと攻撃を続けることは出来そうにない、無様な死に体を晒している【厄災】の姿だった。

 

 100年前に対峙した時には、とうとう最後まで感じることの出来なかった『確信』が脳裏を走る。

 

 (……ここだ! )

 

 チリチリとした焦燥を抱きつつあった最中に掴んだ、この絶好の機会を逃してはならない―― その一心で 伏せた身体をすぐさま起こし、その勢いのままに右手に持った剣を、目と鼻の先の距離にあるヤツの足目掛けて斬り上げた――――

 

 

 

   *   *   *

 

 

 

 かつての俺にとって当時の【厄災】とは、体格において遙かに劣る相手だった。

 骨や筋肉の大きさや量は言うまでもなく、2本足に対して4脚を備えていた以上、速力と機動力に関してもヤツを遥かに上回っていたはずだ。

 精一杯手を広げたところでヤツの間合いは蜥蜴の魔物と大差なく、一見すれば他の人共と比べて際立って異なるところなど何も無いはずの、普通の体格だった。

 

 にも関わらず。

 ヤツは当時の魔物最強であった種族の中でなお最強を認められていた【ライネル】が率いる、各部族の戦士に認められた剛の魔物達を、負傷らしい負傷を追うことすらなく返り討ちにしてみせたのだ。

 

 ……もちろんあの"剣"が特別であって、ヤツが振るった異常な力の一翼を担っていたという面もあるだろう。戦士達が命を預ける刃のことごとくを跳ね返し、俺を含めた同族達の固い肌と肉を容易に切り裂いた上、堅牢な骨すら断ち切ってみせたのは尋常なことではない。

 それに様々な鋼鉄と打ち合わせたことに加えて、数多の肉と脂の中を潜らせてなお最後まで斬れ味を維持していただけでも尋常な剣では有り得ないというのに、担いで振れば致死の光刃まで飛ばしてのけていたのだ―― あの非常識な武具さえなかったならば、どんなに【厄災】自身が優れていようとも、俺達は犠牲を払いつつも最終的にはヤツを揉み潰せていたはずだ、という思いは捨て切れない。

 

 しかしどれだけ斬り味鋭く、戦闘中に刃毀れを修復し、間合いの外への攻撃を可能とする反則的な"剣"であろうとも、剣は剣であることに変わりはない。

 握ってしまえばそれだけで、持ち主に天下無双の技量や、全方位から襲い来る攻撃を必ず捌き切るような、絶対の防御を持ち主に約束するなんて代物ではなかった。

 

 ……もしかすると世界中を探せば、そんな御伽噺もどこかに転がっているかもしれないが、あの"剣"にはそんな都合の良い伝説が宿っていないことくらい、幾合もヤツと打ち合わせた己には分かり切っている。

 

 当たり前に自らは動かない"剣"を振るい、我らを屠り切った【厄災】。

 その勝利を支えた武器の一つとして、【ライネル】とヒト、両者の種族の間にそびえる壁をすら突き抜ける技量があったことを認められないほど、俺の眼は憎しみや怒りで曇り切ってはいない。

 

 俺は強かった。

 生まれついて、強かった。

 振り返ればそんな俺が無力に嘆いた機会など、一体どれほどあっただろうか?

 【賢者】と出会った時より修練を怠ったつもりこそないものの、元々"強者"に生まれついた俺の努力と、恵まれない種族に生を受けたヤツが積み上げた努力の質と環境は、きっと大きく違ったのだ。

 

 『【厄災】は、【ライネル】よりも優れた技量を持っている 』

 

 生まれついた肉体の強さと、勇者の矜持に友の命まで掛けて挑んだ戦争だった。

 身体能力の優位は種族の差として厳然と存在し、背負った心構えでヤツに劣るはずがないという決意もあった。

 ……そんな闘いで、それでもなお敗北を喫した以上。

 勝負を決める心・技・体のうち、いずれの要素がヤツに劣っていたかは瞭然だった。

 

 体格と膂力で遙かに勝る相手の一撃を悉くいなして流し続け。

 四方から振り続ける矢の雨を全て見切り、たった1本の剣で切り払い、あるいは躱し続け。

 最後に俺の心臓へアイツの剣を捻じ込むに至るまでに、小柄な体格を活かした独特の歩法と虚実入り乱れた身のこなしによって殺戮の合間に緩急を作り続け。

 その果てに種として乏しいはずの体力と、消耗激しかったはずの集中力を持続せしめた――。

 

 それらは間違いなく【厄災】の、戦士としての技量が優れていなければ不可能なことなのだ。

 そんな非常識な結果を出せる自信は、正直なところ俺には無い。相手を全滅させる結果は出せても、恐らく過程の部分で、俺ではもっと力に依った手段を取らなければ成せないだろう。

 

 そしてそんな動きを戦いの始まりから最後まで目に焼き付け、敗れて殺され、生まれ直した先の世界にまでその記憶を持ち越してしまった俺にとっては甚だ業腹ではあるものの。

 ヤツの剣技と立ち回り、身のこなしの全てが二本足で立つ体格の劣る生物に限り、最も優れた戦闘法の一つであることを認めない訳にもいかなかった。

 

 ――だからこそ。

 力を失い、"弱者"である子鬼となってしまった己の戦い方に【厄災】の立ち回りを取り入れた結果、身体が以前とは完全に別物であるにもかかわらず、僅か1年にして集落最強の称号である『最優』の評価を勝ち得てしまえた結果は、俺にとって意外でも何でもなかった。

 

 何ら特殊能力を持たない、二本足の身軽な生物の中にあって。

 『最強』を信じられる身体の動かし方を、俺は実践していたのだから。

 

 

 ――

 

 

 ――――

 

 

 ――――――

 

 

 時の果ての世界で、何の因果か【厄災】と再び遭遇し、剣を交えたこの時。

 ヤツの冴えない回転斬りを躱し、舞い込んだ好機。

 

 ……後で何度振り返ってみても。

 間違いなく、ここは【厄災】を打倒し得ただろう、千載一遇の好機だった。

 

 本当は、一息に命を奪い取れるヤツの脳天へ、握った剣を叩き込んでやりたかった。

 足なんて迂遠な箇所など狙わず、相手へ向かって最短距離で到達する「刺突」でもって、【厄災】の喉や心臓といった命に届く急所に刃が届きそうなら、もしかしたらそこを狙っていたかもしれない。

 

 そうした一撃で勝負を決めうる急所へ、腕を振るだけでこと足りる振り上げと同じか、あるいはそれと同速で行える攻撃手段があれば、迷いなくソレを実行したはずなのだ…… この肉体が、かつてのモノであったならば。

 

 繰り返すが、この時の俺は小鬼だったのである。

 片手で持てる剣では相当な勢いをつけて振らねば、肉は裂けても骨には届かせられない非力な種族なのだ。更には族長に託された『鋼鉄』の剣は、普段使っていた得物よりもなお重い代物であったことも、この時ばかりは選択肢を狭める要因だった。

 【厄災】に倣い、曲りなりにも重量を遠心力という力に変えて活かす剣技を身につけてみせたとはいえ、これほど密着した体勢でその術理を生かす手段も発想も、俺には無かったのだ。

 生まれた好機を逃さないために一歩踏み込む時間さえ惜しむ状況であった以上、踏み込まないままにこの短い腕で放つ突きでは、ヤツの身体に届くかも怪しかった。

 

 だから俺が選んだのは、確実に『当たる』攻撃であり。

 コチラが伏せた状態から始まり、距離の詰まった相手にも実行可能な技。繰り出せる最速の内で最も威力の乗せられる攻撃――「立ち上がりざまの斬り上げ」だった。

 

 これなら殺せないまでも、必ず身体のどこかに当てられるという確信はあった。

 例え成れの果てだろうと、相手は【厄災】。

 侮って掛かって良いはずもない。初撃で踏んでしまった失敗を繰り返してはならない。

 そのことを忘れず心に滾る怒りと憎悪を抑えつけ、小さくとも次への布石に繋がる確実な傷を与えるための攻撃を選択したのである。

 ……こうして振り返る機会を得たところで、この時の判断自体が間違いだったとは思えない。

 

 

 誤算だったのは、ただ一つ。

 

 

 

 ――ビュンッ――

 

 

 

 振り抜いた剣が空を斬る。

 時を超えて待ち望んだ手応えは、まるでなかった。

 

 目の前は僅かな砂と草の切れ端が舞い散っているだけで、束の間ヤツの姿は消えていたが…… 何をされたのかは分かっているし、姿を見失ったというワケでもない。事実、ヤツはすぐに視界の上から降ってきて、俺の視線の先に納まった。

 

 ヤツはどうやって俺の剣を躱したのか?

 足元に迫った俺の剣を、崩れた体勢のままに大きな宙返りをうつことで避けてみせた。

 それだけだ。

 

 結果は非常に残念であれ、そこに理不尽な要素が絡んだ訳でもなく、飛び上がりざまに俺が反撃を受けてしまったというような、致命的な出来事が起こった訳でもない。

 

 

 ……しかしその光景が、俺の中にあった疑惑を確信に変えた。

 まだ小さかった焦燥の火が、一気に危機感となって燃え上がるには十分な代物だった。

 

 まるで()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、コチラの攻撃を回避したあの動作。

 俺が剣を振る際に組み込んだ小さなフェイントだったり、反撃のために攻撃を見切って身体を反らすに留める回避を見せた後、やはり焼き直したかのような動きでヤツも実践してきたことから、その意図は透けてはいた…… 攻撃の交差を繰り返すたび、ヤツの攻撃や回避が徐々に鋭くなっていく過程で覗かせていた一連の流れは俺を焦らせ、そして、酷く苛立たせた。

 ふざけるな、と。

 馬鹿にしているのか、と。

 どれだけ奥歯を噛み締めても、屈辱を感じる心は一向に紛れなかった。

 

 ――衰え切っていたはずの目の前の残骸は、この瞬間にも往年の力を取り戻し、強くなろうとしているのだろう。

 ……よりにもよって、かつての【厄災】を参考にして組み上げた俺の動きを通しながら。コイツはかつての、【厄災】を彷彿とさせる動きへと立ち戻っていく。かつての力を永遠に失い、最も力を発揮出来る現状の戦い方を捨てるわけにもいかない俺との対比は、いっそ滑稽ですらあった。

 

 緩み始めた握力を意識して、握り直した族長の剣。まだ、まだ全力で振ることは出来る。

 けれどしっかりと握り込まないと、気を抜いた拍子に取り落としてしまう気がした。そんな心配を、しなければならなかった。

 構えて見据える先には、無傷の【厄災】。

 遭遇したばかりの時には本当にただ立っているだけだったはずなのに、今では斧を構える腕、広げた脚、屈める身体。全てに意味が込められいるように見える。

 

 この時の俺は目の前にあるそんな姿に、絶好の好機を逃した上、また一つヤツの力を引き出す手伝いをするに終わってしまったことを、遅まきながらに自覚したのだった。

 

 

 

   *   *   *

 

 

 

   ――ギャリンッ―― !

 体勢を崩しながらも、斧を首元に滑り込ませてコチラの切っ先を弾く【厄災】。

 今度は躱されなかった。

 しかし、金属で出来た刃の部分による防御を間に合わされた。

 飛び退いていく【厄災】を追わず、再度の仕切り直し。

 

 硬い金属に突き込んだ剣を持ち直す間が欲しくて、痺れる腕を軽く振る。

 再び柄を握り込んだ手のひらの違和感に、痛みが混じる。どうやらついに皮がめくれ切り、出血し始めたらしい。

 それでも指の感覚がもう怪しいのだ。

 変に脱力しては、次の瞬間には剣がすっぽ抜けてしまいかねない。

 

 かつて培った経験と勘を総動員させ、脳味噌を沸き立たせなければ【ライネル】の技術と膂力を持ってしても結局は捌き切れなかった、あの"剣"の持ち主の攻撃。

 今もそれを子鬼の身でありながら見切り、避けてみせ。更には反撃を加えて退かせることが叶った。

 

 快挙。

 そう、断言しても良いはずだ。

 ここまでの攻防は小鬼となってなお【ライネル】の残骸が、姿形はそのままの【厄災】の成れの果てと渡り合えたいう、生まれ直してからこれまでの俺の確かな努力の成果だった。

 

 しかし。

 

 (――もう限界だ )

 

 そう。限界だった。

 

 腕が重い。足が重い。今すぐ倒れ込んでしまいたい。

 ヒトとしては規格外だった【厄災】の体力と集中力が、果たして今の世で劣化しているのか? 劣化しているとしてどれくらいなのか? を計ることは出来ないが、少なくとも小鬼の俺に劣るということはないらしい。

 額にかく汗を、時折着ている服の裾で拭うに留める様子からは、それがどれだけ演技を重ねたモノであったとしても、隠すことも出来ずに肩で息をする俺よりは、遥かに余力を残しているだろうことが伺えてしまえる。

 

 ヤツが俺から【厄災】としての動き方を学ぼうとしていることを察した後、すぐさま俺は「末端から削る」戦法を止め、「一撃必殺」を狙うことに専念していた。フェイントや布石をそれまで以上に張り巡らせ、攻撃の全てを囮にすることを心掛けた。

 最も力を乗せられ、かつコイツの不意をつけるだろう大技――「縦」の回転斬り。それをヤツの脳天に叩きこむことだけに専念したのだ。

 

 しかし【厄災】は、ここでも俺の想定を上回った。

 やはり回転斬りを凌いだ後の隙をつけるか否かが、この戦いの分水嶺だったのだ。

 

 俺が闘い方を切り替えたことが契機だったのか、それとも情報収集は十分と判断したに過ぎないのか。ヤツは宙返りで俺の斬り上げを躱してよりその後、こちらの攻撃を待つことを止めた。

 退けば押してくるし、押せば退く。一度見せた俺の動きには完璧に対応し、まだ見せていない動きや戦術を強制してきた。

 しかもそれを自身の中でどうやって落とし込んでいるのか、見せていないはずの【厄災】由来の技術をいくつか再現するかのような立ち回りも増えていき…… そんな動きに対応するために、温存していた俺の剣技や術理は引き摺り出され続けた。

 

 結果として小鬼の身体用に調整し、いくつもの要訣は取り零さざるを得なかった俺の【厄災】の技は、その大部分が本人の手元に奪い返されてしまった。しかも当たり前のように、不足していたはずの部分を補った上で。

 

 (この野郎、このクソ、糞野郎……! )

 

 闘いの天秤は、もう随分前に【厄災】へと傾き切っていた……ように思う。

 疲労で段々とコチラの動きが陰るようになってからこれまで、それとは逆にどんどん動きが冴えだした【厄災】の斧が俺を捉え得る瞬間が、実のところ数度はあったはずだ。

 

 俺の命が今も長らえている理由は、その都度ヤツにとって新しい初見の技で立ち回ってみせたことが大きいと信じたいが…… 恐らく。いや間違いなく、そんな時に限ってヤツが『見』に回った結果なのだろう。

 

 従来の手段では打開出来ない状況に追い詰められ、新しい技を出すことを強いられる。

 それを観察され、【厄災】に新しい戦い方の幅を持たせてしまう。

 その技法を加え、あるいは新たに派生させた技術でもって、再びコチラを詰めにかかる。

 

 その繰り返しの果ての今だった。

 そうして今や、攻撃に回す手数は完全に逆転してしまっている。コチラが相手の攻撃をしのぎながら、反撃の一刺しを狙うだけの構図となっていた。

 

 だが、盾は既に無い。

 先の先の攻防、コチラの攻撃を避け様に放たれた斧の腹による薙ぎ払いを受け止めきれず、吹き飛ばされた時に手放してしまった。体勢を整えて拾う前にヤツに拾われ、今やその背中を守っている。

 ますますキレを増す【厄災】の攻撃をこれ以上防ぐのに、剣だけでは難しいだろう。

 

 (俺は己がこの身体でも強くなるため、今日まで鍛えてきたのだ…… "剣"を探し出して葬る旅の上で、現れるかもしれない貴様の系譜を退けるだけの力を得ようとして……! )

 

 ――【厄災】の蒼い瞳が、コチラを覗いている。

 最初に俺が激情のままに斬り掛かった時に透けて見えた、恐怖と焦燥の色はもう僅かにも感じられない。今その顔に浮かんでいるのは、ボコナを斬り殺してみせた時にも浮かべていた、冷然とした表情だった。

 

 その顔が、眼が。

 子鬼となって以来憶えなかった強い怒りを掻き立てて止まない。

 

 今の俺程度を殺しあぐねている貴様が、何故【厄災】ヅラして俺の命を握っている?

 強い。

 強いはずだろう。【厄災】は。 

 100年という人には永過ぎる時を越え、昔の面影もないほどに老いさらばえたというのにならば、まだ納得もしよう。それほど傍目にも衰えていれば、子鬼にすら手こずれるだろう。

 

 なのに、この【厄災】は何なのだ?

 見た目は一切の劣化もしてない。印象的な眼も、あの時と全く変わらない。だというのに、何故こんなにも弱いのか。俺の一挙一動に注目しているのか。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()有り様を何故、今になって俺の前に晒しているのか! 貴様の劣化模倣に過ぎない俺の動きを、熱心に観察しているなど、一体何の冗談なのか!

 

 目の前の存在がこの時代、この台地にいることが認められない。

 

(……ふざけるな、ふざけるなよっ! 断じて貴様を強くするための、踏み台になるだけのために俺が、俺が生まれ直したはずはないのだ!! )

 

 募り続ける苛立ちは、決して【厄災】に対してのみ向けられるモノではない。

 いやむしろ、もう片方への熱量の方が高いかもしれなかった。

 

 いよいよ憎悪の割合を大きくしながら再び過熱し、心を煮立たんとする内なる火炎は…… 俺自身にこそ激しい矛先を向け、なおその勢いを激しくさせていく。

  "剣"を持っておらず、変わり果てたと言い切れるほどの有り様を晒しているヤツからすら恩人を守れず、そして今無様に敗れようとしている弱過ぎる己…… それが何より許せず、憎かった。

 

 ――致命的なまでに持久戦をこなせない、細過ぎる体力が憎い。

 ――ヤツの未熟な攻撃を受け止められない、脆過ぎる身体が憎い!

 ――何より【厄災】を倒せない、弱い弱い自分が憎い!!

 

 逃げる選択肢は有り得ない。胸に渦巻く憎悪がそんな行動を許さないし、目の前の【厄災】は後ろから武器を持たないボコナを惨殺してみせた生き物なのだ。逃げる存在を追い討つことに、何ら抵抗を持たないだろう。

 交渉は論外だ。言葉の意思疎通が取れる取れないの問題ではない。【厄災】と和解するなど、例え殺された全ての存在が『祝福』とやらで蘇ろうとも、俺は決してコイツとは馴れ合えない。

 

 ……ではどうする?

 戦う以外に選択肢が無いならば、どうやって戦う?

 どうやって倒す?

 

 渾身の一撃を振るう力なんて、もう身体のどこにも残ってはいない。ヤツの成長を続ける力の前に、命を守って凌ぐだけで余力ごと使い果たしてしまった。

 まだ手足は繋がっているものの、斧の先端に突き出た木製の頭で突かれた胸が、息を吸うたびに鋭く痛む。あっさりと折れたらしい胸の骨が、内蔵を傷つけているせいだろう。とても地面を転がり跳ね回る、「縦」の回転斬りを行える状態ではない。

 体の無理を押して敢行したところで、この体力の枯渇と内蔵の損傷具合では、【厄災】の命を絶つだけの威力は到底乗せられないだろう。無策に斬りかかっても、ただ術理を晒してヤツの力を更に強化して終わる可能性が最も高い。

 

 自分の状態は把握した。対してまだまだ、敵は余力を残しているのも判っている。

 無為に終わりかねない切り札は使えない。それでは【厄災】を倒す目的は果たせない。

 

 それら全ての、今置かれている惨憺(さんさん)たる自らの有様を認めた……

 

 

 

 ――からこそ、俺は剣を振り上げた。

 

 

 

 決して。

 決してこの状況に至り、自棄になった訳ではない。今までどれだけ手と策を凝らしても不意をつけるだけの状況を、俺は【厄災】に対して作り出すことが出来なかったのだ。

 ならば疲労が限界に達して内蔵も傷付いている現状、手足に致命的な怪我を負う前に。

 せめて、せめて今出せる最も力を乗せた一撃に、賭けるしかないではないか。

 

 無策ではある。無謀でもある。

 けれど今となっては、これこそが最もヤツを殺し得る最善の選択だった。

 

 だから、もう小難しく頭の中で考えるのは止めろ。

 これまでの積み重ねを信じるだけ。

 自分の中にある殺意を信じろ。

 

 (……この一撃で【厄災】を、殺す!! )

 

 その一念だけを胸に定め、駆け出す。

 ヤツから距離を詰めさせてはならない。全力の一撃には、どうしても数歩の踏み込みが必要だ。走りながら【厄災】の機先を制するために、全力の雄叫びを響かせる。それはかつて獣王だった頃の咆哮と比べ、余りにも弱々しい声量ではあったが、構わず喉など裂けよと吶喊(とっかん)してみせた。

 

 ――こちらからの突貫はヤツが優勢を取るようになって以来初めてだったのが功を奏したのか。それとも少しは面喰らってくれたのか、あるいは最初の突撃のように我を失った考え無しの特攻だと騙せたのか。

 とにかく【厄災】はコチラに向かって踏み込んでくることはせず、あからさまに斧を振りかぶった体勢で大きく腰を落とし、迎え撃つ構えを取った。

 

 これは威嚇だ。

 踏み込んでくれば、振り下ろすと明確に主張している。

 

 今の俺の状態では恐らく、躱すことも受け流すことも出来そうにない大上段の打ち下ろし。間合いに入れば得物と腕の長さの差でまず間違いなく、向こうの刃が先に俺の命を抉るのだろう。

 

 (構わない。むしろ大助かりだ )

 

 コチラは既に、一撃の後に命を拾おうとは思っていない。

 残った戦力と相談し、考え抜いた末の特攻なのだ。この一撃が躱されればもう後などない。

 相手が動かないというのなら、それだけ相打ちの可能性が高まるだけ好都合。

 更に踏み込む。

 止まらない俺を見た【厄災】が蒼い瞳を細める。

 斧を握る両腕に更なる力が込められたのが、遠目にも分かった。

 

 (――それがどうした )

 

 頭上に掲げた剣をゆっくりと、そして大きく回転させる。

 これが初撃のような闇雲の振り回し―― に見えるように出来るだけ装いながら、一歩踏み込むごとに腕の回転に勢いをつける。

 一歩一歩を踏み込みながら、全身を使って腕を振る。かき集めた力の全てを右手一本へと送り込み、溜め込み続ける。

 

 これこそ手足が短く、体重も軽い子鬼の身体で戦闘を行う上で、最も重要視していた技術の成果。

 少しでも攻撃に重さを乗せる、または単発で息切れを起こさない「次」に繋げる動きを研究し、俺が自身の肉体に叩き込め得た「回転」術理の延長である。

 ――どんなに身体が痛んでいようとも、戦闘下ならば頭が意識せずともその術理に沿って動けるように訓練しておけたことは幸いだった。胸の奥から鉄の味がする嘔吐感がこみ上げようとも、腕を振る動作に一切の淀みはない。

 

 ……やがてまもなく集落の戦士達が持つ、誰の剣よりも重い族長の剣は、少しでも気を緩めれば手から吹き飛んでいきそうな推進力を宿すに至った。

 風を切る轟音。事ここに至っては、最早コチラの特攻の意図は明白だろう。

 

 けれど【厄災】は、動かない。

 変わらず腰を落とした体勢を崩さないままでいるところを見るに、それでもなお迎え撃てるという自信があるかなのか。考えていることは分からない。

 しかし、それでもいい。

 仮にヤツの刃が先に俺へ届こうが、遠心力のついた俺の剣は止まらない。

 剣を持つ右腕は、身体で守れば良い。左腕だろうと肩だろうと、腹でも胸でも頭でも、好きな所を持って行かせてやる。命を落とした後でも、ヤツを殺せれば俺の勝ちだ。

 

 ただこの一撃を、ヤツの身体に届かせることだけを――

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドガッ――――!!

 

 

 

 

 

 

 

 ……正面から飛んできたモノに気付くのが遅れたのは、力を剣に集中させることを意識し過ぎていたせいだろうか。

 高速で回転しながら俺に向かって迫るソレが月光を反射して煌めく長細い物体だと分かったのは、耳元で唸る剣の風切り音の最中にあって尚、空気を突き抜ける音と共に俺の身体に衝突した後だった。

 

 その瞬間後、見えない巨大な手に突き飛ばされたようにして身体が後ろに弾かれた。厄災の間合いに踏み込むためには、もう5歩ほど、踏み込む必要があったのに。踏ん張ることを意識することすら出来なかった。

 

 ――不味い。身体が浮いた。腕の回転が止まってしまう。

 

 突然の事態をもたらした原因を改めるより何よりも、【厄災】を殺すために蓄えた力が失われることの方が、今は遥かに優先すべき問題だった。

 離れていく距離、踏み込めない足。

 この一撃を、俺の怒りと憎しみを無為に貶めないためには、この瞬間に行動しなければ……。

 しかしそれから、勢いが止まって剣を握る腕が伸び切る前の刹那に俺が出来たのは、怨念成就を願った渾身の殺意を我武者羅に投げ擲つことだけだった。

 矢のような勢いで放たれた剣の行方を見届ける直前、胸元から吹き上がった血霧が視界を汚した。

 必死で右肩を振り抜いたせいで、左肩から右脇腹にかけて斜めに深く食い込んだままだった凶器を境目に、身体が盛大に裂けてしまったようだ。

 

 吹き飛ばされて地面を転がり、ほとんど千切れた身体から吹き出す血と泥に塗れる中、かつて味わったことのある、昏くて深いまどろみが自身の意識を覆い出すのを自覚した。

 

 そうなる前にせめて、と。どんどん力が入らなくなる首をゆっくり、ゆっくりと剣が飛んでいった方角へと回していく。

 どうか怨念を叶えてくれと、どこかの何かに願いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 (あぁぁ……だろう、なぁ。こ、のクソ、が―― )

 

 

 

 ――全力で斧を投げつけた姿勢のまま、両の足で立っている【厄災】。

 

 ――そこから大きく離れた、何の変哲もない木の幹へ深く突き立つだけの剣。

 

 

 

 視界に写ったその光景に、何かを呪う間もなく。

 

 昏い闇が、俺の意識を飲み込んだ。

 

 

 

 

 

 

   * * * * *

 

 

 

 ――グジュリ。

 

 その魂を、肉塊は覚えている。

 

 黒い憎悪は身震いするほどの芳香を放ち。

 赤い殺意は涎が零れる豊潤さ。

 

 素材に過ぎなかったかつてとは違い、今や魂は見事に熟成されていた。

 

 紅い光の下でも一際輝いて見える、そのご馳走を。

 

 今度は暖かいうちに、呑み込んだ。

 

 

 

 









 ※ゼルダの伝説BotW【ライネル版】攻略サイトの記事より抜粋風味
  ↓  ↓  ↓
 このメインクエストでは、【厄災】を撃破することは『出 来 ま せ ん』。
 どれだけ追い詰めても決して相手のHPは減らし切れない上、一定の時間経過ごとに【厄災】の攻撃力は上がり、動きもどんどん早くなっていきます(5分経過後は、一撃で殺されます)。
 アナタのHPが0になり次第クエストは終了しますが、その後もイベントは勝敗に関わらず進行するので、どれだけ粘れるかの腕試し耐久プレイに挑戦しない場合は、さっさと倒されてしまいましょう。
 (なお、このクエストで20分間【厄災】にHPを0にされず凌ぎ切れれば、トロフィー『ウツシエの記憶:英傑の戦闘経験』が解除され、以降の【厄災】討伐戦に限り難易度がマスターモードに固定されます)


 初見プレイヤー「なんだこの糞ゲー」

 タイムアタックの場合、いかに早く【厄災】に首を差し出せるかの腕が問われます。



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ニドメの赤い月 ~ボコナの託信~

○前回のあらすじ

 担いだ斧を小鬼へシューーーッ!
 超☆エキサイティンッ!!





   * * * * *

 

 

 

 ――【厄災】に再び敗れた自分は、今度こそ勇者の残骸に相応しい死に様を迎えたのだろうと思っていた。

 

 

 しかし己を己と考えられる意識が、再び浮き上がった途端に飛び込んできた周囲の状況を鑑みるに、どうやら此処はかつて100年に近い時の中、ただ一人過ごすことになった虚無の牢獄らしかった。

 

 夜の闇とは違う、黒い『ナニカ』に満たされた空間。

 「見る」「聞く」「考える」以外の自由を全て失くした俺の意識が、()()そんな場所の中に晒されていた。

 

 (……あぁ、()()なのか )

 最初に抱いたのは、ある種の納得と諦観だったか。

 

 100年前にこんな空間に落とされた時は混乱したものだったが、異常な事態も二度目ともなればそれなりに耐性もつく。いずれ始まるだろう、死者達を模した影達の容赦無い罵倒を思い出すも、それこそ仇を前にして何も為せなかった愚か者の末路に相応しいという思いもある。

 これが罰であるなら、もっと苦悩に喘ぐべきだとも思うのだが―― 取り乱せるほど、気持ちは揺れてくれなかった。

 

 (つまり今回も……俺は何かの意思か、仕組みの中に囚われたのだな )

 

 前回同様に永い時を、怨念と悪意に浸り溺れながら過ごし続ければいいのだろうか。

 その後に再びの解放はあるのか、それとも今度こそは永劫に続くのか…… 何も確かなことはなく、結局のところは分からない。

 きっと考えるだけ無駄だ。死んで生まれ直してなお、その後の身の振り方を考えるなんて無益に過ぎる。

 

 

 ――辺りに意識を向ける。まだ暗闇に変化はない。

 

 

 粘着質な水音も、次々に湧き上がっては呪詛の言葉を残して崩れる死者の群れも現れない。ひたすら広がる黒色の世界には、僅かな雑音も存在していなかった。

 もしかすると、ここは以前いた空間とは違うモノなのかもしれない。

 

 ……それとも、ここは『祝福』とやらを受けた者が復活に備えて過ごす場所なのか?

 

 ( ……!)

 取り留めもなく流れる思考の中、不意に浮かんだその考え。

 

 仮にそうだとしたら、此処には自分の前に放り込まれていなければならない存在がいるはずだという可能性に思い至った途端、それまでの自暴自棄で、凪いですらいた心持ちが吹き飛んだ。

 

 黒に塗り潰された四方八方へ、せわしなく飛ばす視線―― その先に、求める魔物の輪郭が僅かでも浮かぶことを祈りながら、懸命に探し続ける。

 

 赤い小鬼のボコナ。

 あの時目の前で殺され、守ることの出来なかった雌。

 もし『祝福』に備える魂がここにいるのなら、きっと彼女の魂も在るはずだ。いや、無いはずがない。

 

 

 ――しかし黒く染まった世界に、小鬼の影は浮かばない。

 

 

 『祝福』なのだ。

 俺のような、数多の同胞の命を道連れにしておきながら、魔王の復活を妨げる要因を排除出来なかった出来損ないの【ライネル】だった者とは違う。

 再びの生を与えられながら、新たに定めた目標すら果たせずに千載一遇の好機を逃し、あまつさえ命を救われた恩人をも巻き込んで諸共にくたばった無能とは違うのだ。

 

 彼女は日々を懸命に駆け、健やかに活き、村と仲間を想って暮らすだけの魔物だった。

 あの赤い月の『祝福』は酔っ払って川に溺れただけの、間抜けに死んだ小鬼にだって復活の光は照らされたのを知っている。この時代、この世界なら、寿命でもない限りほとんどの魔物は復活するのだ。年単位で復活した集落の小鬼を調べ、そう断言したのは、他ならぬボコナ自身だった。

 

 だったら彼女だって、救われて然るべきだ。そのはずだ。

 

 ……もちろん。ここがそんな場所でなく、最初にぼんやり考えていたような愚かな罪人を死の前に留め置くだけの闇であるのかもしれない。

 しかし、それならば構わない。歓迎してもいいくらいだ。

 これほど探して彼女がいないならば、俺に引きずられてそんな環境へ来ていないだけなのだと思えるからだ。そもそも既に彼女は復活し、あの家族と仲間のいる集落へと帰っている可能性だってある。

 本当に、そうであるなら。

 俺は心の底から『祝福』に感謝を捧げるつもりだった。

 

 ――声が出せない。名前を呼べない。

 ――視界の全ては黒い闇。それでも影を探すのを止められない。

 

 

   ▼  ▼  ▼

 …………グジュ ……

 

 どこからともなく漏れ響いた、小さな小さな水の音。

 粘着質なその水音に、視界に意識を取られていた【ライネル】は気付けない。

 

 ……まるでそれが合図だったのか。

 雨が一粒、天から零れるようにして深紅の細い光が一筋だけ、空間を上から下へと流れ落ちる。

 しかしその光から丁度背を向ける形で、視線を回してしまった【ライネル】は気付けなかった。

 

 その光に一瞬だけ、見知った小鬼の雌が写ったことを。

 その影がまるで厚く透明な膜を間に挟んだかのように、ぼやけて滲んでいたことを。

   ▲  ▲  ▲

 

 

 ……やがてどれほどの時間が過ぎた頃だろうか。

 己の意識以外、この暗闇の中には何も存在しないことを確信してしまえた後は、彼女が此処にいないことへの言い知れぬ安堵と失望だけを胸中に満たし、持て余して漂うだけの時間を味わっていた。

 それは深い寂寥感だけを感じていられる、ある意味では穏やかな時間ですらあったが…… 長い時を忘れて浸れる代物ではなかった。

 

 感傷は余韻もそこそこに、闇の中へと溶け消えてゆく。

 ゆっくりと、腹の底から沸々とせり上がってくる憤怒が空虚な時間を塗り潰すのに、それほど時間は掛からなかった。

 「ボコナを探す」という、仮初めではあったがとりあえずの目的意識を失ってしまったからだろう。腹から胸へ、胸から頭へ。黒く濁った熱が、逃避を止めた脳をチリチリと炙っていく。

 

 ――再度相まみえる機会を得ながら、【厄災】に一矢報いることすら出来なかった。

 こんな有様で、俺はこの世界で何が出来る気でいたのか。仮に【厄災】と出会わず、小鬼の集落から勝ち取った『凧』で下界に降りられたとして、一体何を。

 

 かつての勇者としての責務を果たす?

 世界のどこかに残っているかもしれない【厄災】の残滓や遺物を破壊する?

 あれ程までに弱体化していた【厄災】本人に遭遇するという偶機を生かせず、千載一遇の機会を逃してしまった弱者のくせに?

 

 ――ボコナも守れなかった。

 己が今は最弱の魔物であることなど何ら言い訳にならない。手を伸ばせば届くような距離にいた恩人を、みすみす目の前で殺された結果は変わらないのだ。

 最早名乗るつもりなど100年前のあの時より既に無いが、かつては魔物の未来を守れる勇者こそ己であると信じて【ライネル】を名乗っていたこの魂は、どれほど無様な失態を繰り返せば気が済むのか。

 

 握り締めたい(こぶし)も、それを叩きつけられる地面もない。

 繰り返し唸って込み上げる熱を追い払うように、あるいは取り込むように。

 罵倒することしか出来なかった。

 【厄災】を。己自身を。

 何度も、何度も。

 

 

   ▼  ▼  ▼

 いつの間にか暗闇には、いくつもの光の筋が表れている。

 パラパラと降る小雨のように儚いソレは、しかし幾条もの線となってこの何もない漆黒の空間に確かな変化を添えていた。

 

 ……しかしそれは、決して暗黒を照らすモノではない。

 ギラギラと光る赤色の雨は、明らかな凶兆を宿している。

 仮にハイラルに生きる人間がこの場にいたとしたら、その人物は光を指して、それが干天を癒す慈雨のような言祝げる光景では、決して有り得ないと断言するだろう。

 

 そんなモノが、暗闇の中に存在する一つの意識へと群がるように集まっていく。

 暗闇を歪めて透かし、赤黒く染まった光が渦を巻いて意識を取り囲む様は、ようやく見つけた得物に群がる、大量のイナゴの如き悍ましさを思わせるものだった。

 

 しかし内に閉じ籠もって己への罵倒を繰り返す意識――【ライネル】は、そんな光景に気付けない。

   ▲  ▲  ▲

 

 

 何故この時の経った世界に、貴様が居たんだ?

 全盛期を長く保てないヒトであるはずのお前が、何故記憶と変わらない忌々しい姿のままでいられる?

 何故丸腰のボコナから先に襲った? 集落は無事なのか?

 どうして俺から殺さなかった?

 貴様にとって今の俺は、そんなにも脅威を感じない存在なのか――……!

 

 ――この腕がもう少し長ければ!

 俺の剣はヤツに届いただろうか。小鬼の短い腕で振るった剣は、衰えた【厄災】の肌一つ傷付けることは出来なかった。

 

 ――この身体がもう少し固ければ!

 "剣"を持たないヤツの攻撃にもう少しでも耐えられただろうか。一撃でも貰えば即戦闘不能という脆さは、俺から攻勢に出られるはずだった多くの機会は元より、捨て身で掛かる決断すら奪わせた。

 

 言い訳、負け惜しみ。そうだろう。

 これはそういった類の情けないモノだ。

 けれどあの千載一遇、弱り切った【厄災】を前にして何も出来なかったに等しい醜態が、悔しくて口惜しくて堪らないのだ。

 

 

   ▼  ▼  ▼

 細い線であった光は今や、赤黒く渦巻き続ける濃厚な靄となっていた。

 靄は意識が存在する部分を中心とした球体を象り、外側からはその中を窺うことは出来ないほどの密度を成している。

 靄の外、ぼんやりと小鬼の形に見えるとぼけた影は、しきりに渦の中から気付いて欲しそうに手を振っていたりしていたが、影が囚われている膜と意識が包まれている渦に隔てられ、今更意識が外に視線をやったところで、影の存在に気付くことは出来なかっただろう。

 

 ――やがて、靄は発光を再開する。

 明滅する不気味な光は胎動のようであり、時折混ざるのは粘ついた水音。

 不快感を煽る靄の向こう、その内側を窺い知れる者は誰もいない。

 だが仮に何かを宿しているとするならばそれはきっと、不吉で悍ましいモノに違いなかった。

   ▲  ▲  ▲

 

 

 ……自分の周囲に変化が起こっていると気付けたのは、どれだけ己の無力に憤っていた頃だろうか?

 【厄災】と己に吐き出す罵倒に夢中だったせいか、心に込み上げる熱量と混ざって今の今まで気付けなかったのかもしれない。吐き出す気炎に混じって自覚した違和感は、『熱』だった。

 しかし、精神的なモノではない。

 言うなれば己の意識が漂っている空間を『頭』とするなら、今は失ったはずの『身体』があるだろう辺りの暗闇に、不快な熱を伴う幻痛を感じるようになっていたのだ。

 前回はただ恨み言を吐き出して纏わりつくだけだった亡者達が、今回に至っては俺に直接痛みを与えようとしているのか…… そう思えるほど、有り得ない身体を苛む熱は悪意的だった。

 

 肉体を、心を、魂を貪らんとする意思が伝わってくるかのような、剥き出しの怨念に塗れた赤黒い魔力。言ってみればそんなものが、俺の手足があったらしき場所を蝕んでいく。

 幾万の害虫が毒を持った牙を突き立て昇ってくるような感覚。

 手足の感覚が蘇りながらも、一切の身じろぎが取れずに抵抗出来ない…… やがてそれが全身を包んだ時だった。

 

 

 (――落ちる )

 

 

 前後左右に何もなく、重力すらも存在ない虚無の闇だったはずの空間。

 そんな中で唐突に、自分を強力に引き込むような力。

 『下へ』『落ちている』

 それだけが唐突に分かった。

 

 落ちる。

 落ちていく。

 此処はこれほど広い場所だったのかと思えるほど、長い時間を落ち続けた感覚。

 いつの間にか己の周囲を囲み、随伴するように諸共落ちている赤黒い光の靄は、100年続いたあの闇の中をどうしようもなく思い出させる。

 

 

 ……力に抗えず己が引っ張られる感覚の中、やがて()()は現れた。

 

 

 細く、長い、虫を思わせる闇色の腕。

 引き込まれる空間の先。周囲の闇と同化するように、しかし以前とは違って赤い凶光を節々に纏っている腕。見るからに禍々しいソレが、嘲笑うように俺を手招きしている。

 

 

 かつては無機質さすら漂わせていた腕は、今度こそ雄弁に語っていた。

 ”さぁ、どうする?”――と。

 

 

 何かが弾ける。

 100年前とは違う、1年前とも違う。

 それは全く新しい何かが己の中心から突然生えてくる感覚だった。

 

 かつては躊躇の末、逃避のために『掴んだ』その不吉な腕を。

 今度はためらわず、突き動かされる感情のままに『掴んだ』。

 

 

 ……再び味わった泥の塊を掴んだような不快さに、俺は間違いなく歓喜していた。

 

 

 

 

 

   ▼  ▼  ▼

 赤い光は消え、暗闇一色に染まり直した空間。

 そこには膜の向こうに隠され、誰にも気付かれることのなかった影だけが取り残されている。

 

 意識は影に気付かず、靄に引き連られて去ってしまった。影は膜を叩いていた腕を降ろす。

 あれだけ近くに居たにも関わらず気付かれなかった以上、もう届くことは無いと理解してしまった。

 

 ゆっくりと濃度を深くする闇。

 やがて影も、完全にその中に埋没することになるだろう。

 

 しかし暗闇に包み込まれる間際。

 誰に届くことも無い声を、影は遠い意識に投げ掛けていた。

   ▲  ▲  ▲

   ▽  ▽  ▽

 『――ライネル 』

 『――ねぇ、ライネル 』

 

 独り言だった。

 聞かせたい相手は此処にはいない。いなくなった。

 

 『貴方の敵は、信じられないくらい強かったね 』

 『いつか語ってくれた、今よりもっともっと強かった100年前の貴方』

 『お伽噺みたいな獅子の勇者だった貴方でも勝てなかった相手だったんでしょ? 今の小さな魔物になっちゃってたライネルじゃ、ちょっと分が悪かったみたいね 』

 

 何故死んだ自分が此処にいるのかは分からない。これは消える前の、もう一度彼に会いたいと思った拍子に生まれた妙な夢なのかもしれない。

 

 『けれど、それでも 』

 『貴方が初めて会った時の夜みたいにまた蹲ってしまっても 』

 『心を叩いて叩いて、また立ち上がれるのなら 』

 『きっと大丈夫 』

 

 しかし、いつかのように自責の念で潰れてしまいそうな意識を仮初めであっても目にしてしまった以上、言葉を掛けてあげたくてたまらなかった。

 

 『一番最初、弱々しく転がって慌てていた貴方 』

 『地面に踏ん張る足が4本から2本に減ってしまったと嘆いていた貴方 』

 『何も守れず、誰にも報えなかったと泣いていた貴方 』

 

 無駄かもしれない。伝わらないかもしれない。

 それでも私はこう思っていると、声を届けたかった。

 

 『私は、貴方が私を庇いながらも巨熊を倒しちゃった時の背中を覚えてる 』

 『ずっとずっと忘れない 』

 『劣った力、頼りない武器――。それでも踏ん張って私を守り切ってくれた時、ホラ話みたいな貴方の昔話を聞かされていた私の気持ちがどう膨らんだかなんて、想像出来るかしら? 』

 

 貴方が今の自分を()()と認められないのは、知っている。

 けれど貴方がいつか話してくれた、魔物達を守る勇者の名前。

 それが誰より似合うのは、あの時私にあの背中を魅せてくれた、貴方なんだって私は信じている。

 

 『だから貴方が忘れても、私は覚えていてあげる 』

 『だから私は、何度だって呼んであげる 』

 

 

 ……貴方は【ライネル】なんだって。

   △  △  △

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ▼  ▼  ▼

 ――グチュリ

 

 影の最後の言葉は暗闇の中に呑み込まれ、膜の向こう側にすら響くことは無かった。

   ▲  ▲  ▲

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   * * * * *

 

 

 

 ――雨が降っている。

 気付いた時、俺は鬱蒼と生い茂る深い森の中に2本の脚で立っていた。

 

 ……あの腕を見た時、こうなるのではないかと期待していたが。どうやら俺は、再び生まれ直すことが叶ったらしい。

 1年前のようにバランスを崩して倒れ込むような無様はしなかったものの、身体の感覚がハッキリと違う。獣王とも小鬼とも異なる感触。正直倒れ込まずにいられたのは、腰から大きく伸びる太い()()で身体を支えることが出来た点が大きいだろう。

 

 ゆっくりと、自らの身体を見下ろす。

 

 渾身の力で伸ばして『掴んだ』腕は、残念ながらかつての太く逞しい巨腕ではなかった。

 しかし。

 今世の細くて短い、赤い子鬼の腕でもなかった。

 

 印象的なのは、表面をびっしりと覆うウロコ。

 それは【厄災】の目を想起させる忌々しい空の蒼さではない。まるで吹き荒れる風にかき混ぜられた海面のような、黒々と濁った青色をしていた。

 そんな魚類めいた印象を抱く腕は細かったが、確実に小鬼のソレより長く、太かった。

 

 恐らく俺の身体はもう、小鬼ではない。

 鱗まみれの腕を持った今の俺は、あの騒いでいる魔物と同じ存在へと変わったのだろう。

 

 ……1年前。【ライネル】からナナシとなった、あの時のように。

 

 木々の向こう。

 途切れ途切れに切り抜かれた景色の先から響く声。

 俺の腕に生えている鱗と同じく黒々とした、けれどやや紫混じりの青色をした鱗に全身を覆われた魔物が声を張り上げていた。

 

 かつて【ライネル】であった頃に聞いた時は、彼らの種である魔物の声は掠れた高音混じりの雑音のようで、ほとんど聞き取れなかったはずなのだが。今はその声で伝えられている意味が、ハッキリと理解出来た。

 

 

 

 蜥蜴(とかげ)の魔物は叫び続けている。

 それは必死な、ひたすら避難を呼び掛ける内容だった。

 

 

 

 「早くー!はやぐぅー!! 生き返った皆はどこでも良いから、とにがく逃げてェーー! 」

 

 

 

 




 2章完結。
 途中1年ほど更新の間が空いてしまいましたが、それでも投稿すれば読んで頂ける皆様には感謝しかありません! 今後も気が向いた時にお読み頂けるようボチボチ更新していきますので、どうぞよろしくお願い致します!

 章完結につき、恒例にしたいおねだりを一つ。
 お気に入り・評価・感想など頂けたなら、作者はマモノショップ店長キルトンの如く「ひゃいーー!」と喜びます。

 ※活動報告にて、過去の感想返しにも触れる内容でちょろっとした拙作の設定を乗せようかと思います。コチラは全力の自己満足垂れ流しで特に本編への影響はありませんので、読まずに流して頂いても問題はありません。



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3章 青鱗のリザルフォス
∴ 青年の正義


○今章のあらすじ

 『逃走×闘争』編、始まります。





 

 

   * * * * *

 

 

 ――1人と1匹が蘇った、あの時代から100年の時が過ぎたハイラル大陸。

 その地は大きく分けて、およそ9つの地方に大別されている。

 

 如何なる天変地異によるものか、遥か昔に土地全体が雲の上まで隆起し、巨大な台地を形成してそのままの姿であり続けている大陸一特異な【始まりの台地】。

 ハイラル王国の中心であったハイラル城がそびえ、今なお保たれた神秘を内包するハイラル大森林を擁する【中央ハイラル】。

 100年前の大厄災の被害を免れた村を2つ抱え、知恵の女神を祀る霊地『知恵の泉』が存在する霊峰ラネール山を含む【ハテール地方】。

 南海に広く面し、受け継がれる(いにしえ)の詩曰く、勇気の女神を祀る霊地『勇気の泉』がどこかに眠る樹海と、女神ハイリアの名を冠した湖を含む【フィローネ地方】。

 太古より姿を残す遺跡の孤島を浮かべる東海に面し、炎竜の名を冠する地にして力の女神を祀る『力の泉』を秘める盆地を抱える【アッカレ地方】。

 緑少ない岩肌の高地に囲まれた大陸で最も広大な砂漠を含む、痩せながらも広大な周囲一帯に自らの種族名を掲げられるほど強く逞しい女性達が治める、男子禁制の土地【ゲルド地方】。

 リト族の村はあるものの年中を雪に包まれたヘブラ山脈を中心に据え、他種族が生きるには厳しい自然を誇る【ヘブラ地方】。

 入念な準備無しには、近寄るだけで死が免れない大火山デスマウンテンが存在し、だからこそ住まうゴロン族達の故郷ゴロンシティがある【オルディン地方】。

 

 そして最後の9番目が――大陸の中央全体を賄えるほどの巨大な水脈が存在し、遥か1万年以上前の古代よりその水源を守り司るゾーラ族達独自の石造技術によって築かれた、大陸有数の壮麗さを誇る里がある土地【ラネール地方】である。

 

 全ての土地は先人達が少しずつ積み重ねた努力の結果、全てが徒歩で行き来出来るように繋がれていた。必要となる場所には岸と岸を結ぶ橋を掛け、主要な道の上にある邪魔な石は退けて均され、草はしっかりと刈り込まれた。

 加えて荷車や馬車の利用を織り込んで敷かれた道の幅は大きく、人の気配を避けないはぐれ魔物や、良からぬ考えを持って徘徊する悪人に襲われるといった余程の不幸に遭遇しない限りは、安全を保障された道によって、各地方の交流は確保されていたのだ。

 

 

 ――しかし、それは100年前にもたらされた「大厄災」以前の話である。

 

 太古の封印から復活して解き放たれた【厄災】の魔力の影響か、人と見れば躊躇なく襲い掛かるほどに狂暴化した魔物が大陸に溢れて久しく…… 一歩でも囲いで覆った街の外に出るということは、魔物や悪意ある者に害される危険があることを覚悟しなければならなくなってしまっていた。

 無論、それは人の英知と技術、そして努力によって繋がれた道であっても例外ではなく、ハイリア人を含むヒト族にとって、地方を渡る旅とはいつ魔物に襲われるかもしれない危険な行いと化していた。

 

 この辺りの事情は【厄災】によって壊滅させられたハイラル王国の民に限らず、今も健在な王を戴くゾーラ族が住まうラネール地方もまた、同じ状況の中にあった。

 

 いや、むしろ。

 ゾーラ族の姫にして英傑である存在が殺され、担い手を失った『四神獣の内の一体』の制御が【厄災】に奪われたままになっているこのラネール地方こそ、他のゲルド、ヘブラ、オルディンの地を除く「奪われた神獣」が居座っていない地方よりも直接的な【厄災】の脅威に晒され続けていると言えるだろう。

 大陸の守護を担うはずだった『水の神獣』はゾーラの民達の抵抗空しく、今も無限に水を生み出す能力を暴走させ続けている。本来その力を使って治水に用いられるはずだった大陸の豊かな水源地は、長年()()()()()()()()を浴びせられ続けたことにより、いよいよ限界を迎えんとしている有様であった。

 

 1万年よりも前にハイラル王国とゾーラの民が力を合わせて造り上げた「東の貯水湖」にして、両者を繋ぐ不破の絆の証でもある、ゾーラの里を見下ろす位置に設けられた「ルテラーダム」。

 大陸が平和だった時代の象徴とも言えるソレが数年後か、数か月後か、あるいは明日か…… などと、近い将来の決壊を危ぶまれているほどの危機的な状況にあるのが、今のラネール地方である。

 

 ともなれば、そんなダムのある山の麓に設けられたゾーラの里へと、道中溢れ返っている危険な魔物を抜けてまで、わざわざ訪れようとする部外者などいるはずもない。

 いるとすればそれは余程のモノ好きか、あるいは危機意識に著しく欠ける者であると断言しても差し支えはないだろう。

 

 だから現代のラネール地方とは、常に降りしきる雨音に紛れ、魔物の声が跋扈して木霊する中、時折ゾーラ族の民が漏らす怯えた囁きが混じるだけの土地と変わり果てていた。

 

 

 

 ――そんな絶望と僅かな諦念漂うラネール地方に、しかしその日。

 あるハイラル人の青年が、たった一人で踏み込んでいた。

 

 

 誰が見ても無謀な行いをする「彼」とは、一体いかなる人物なのか。

 

 魔物蔓延る大陸の中にあって、一発逆転の賭けに出た流浪の商人?

 あるいはただ時勢も知らずに迷い込んだだけの、哀れな旅人?

 それとも悠久に積み上げた文化と壮麗な街並みが崩壊する様を眺めに訪れた、悪趣味な傍観者?

 

 

 ……いや、違う。

 そのどれでもない。

 商人でも、旅人でもない。ましてやただの傍観者であることなど、彼には許されない。

 

 少なくとも彼がこの地を訪れる前に、立ち寄ったカカリコ村という場所で村長を務める老婆からすれば、彼はそうした「その他大勢」の中に混じる存在ではなかった。

 

 老婆は、己を忘れた彼に語った。

 

 「彼」こそは100年前、人々より【英傑のリーダー】と称えられた青年。

 【厄災】との戦いで他全ての英傑が斃れた後も、姫巫女を守り続けた末に負った致命の傷を癒すべく、始まりの台地に据えられた「回生の祠」に隠され、永い蘇生の眠りについていた【ハイラルの勇者】。

 万年の歴史を誇った王城すらも壊滅した「大厄災」の末期においていよいよ目覚め、100年後の今に至るまでその封印の力を用いて【厄災】と己をもろともハイラル城の最奥に縛り続けている姫巫女が、最後の希望を託した近衛騎士――

 

 今の世では数少ない、人が穏やかに暮らせる環境を守り続けているカカリコ村の村長にして、100年前の「大厄災」を知る生き字引の老婆、インパは彼を指してそう語ったのである。

 

 ……語られてなおも、青年の記憶が戻ることはなかった。

 それでも朧に脳裏を掠めては消え去るナニカは、確かに青年の心を揺さぶった。

 

 戸惑う彼の様子を知りながら、それでもあえて老婆は彼に願った。

 

 1万年前の伝説を継ぎ、【勇者】として人々を苦しめる各地の神獣を解放してくれ。

 今なお止まった時の中で一人、耐え続ける姫巫女を救ってやって欲しい、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 己が何者であったのか。依然として青年は思い出せずにいる。

 けれど彼の足は、老婆との語らいの後に示された道を自然と辿っていた。

 

 過去の己を知るもう1人の知人がいるというハテール地方の奥地、ハテノ古代研究所へ。

 そして、姿なき声がしるべを残す、ラネール地方へと。

 

 ゾーラの里の先に居座っているという、暴走した『水の神獣――ヴァ・ルッタ』を目指して。

 

 

 

   * * * * *

 

 

 

 (――ボクは、一体何なのだろう? )

 

 台地で出会った謎の老人。

 その正体はかつて、大陸有数の栄華を誇っていたという王国最後の王だった。

 

 そんな故人の幽霊曰く、ボクは100年前に回生の眠りについた勇者なのだという。目覚めた時から頭に響く謎の声の主にとっては、恐ろしい存在に巣食われた「ハイラル王国」を救う騎士であるとも。

 

 (当代随一の剣士で、王国の姫の筆頭護衛騎士。けれど大陸を覆う厄災の化け物に倒され、そして今度こそは打ち勝たねばならない勇者…… 本当にそれがボクなの? )

 

 台地で正体を隠した老人が、ボクにいくつも押し付けてきた頼み事。後になって振り返ってみれば、あれは蘇ったばかりのボクを鍛えたり、あるいは力の確認をするための試練だったのかもしれない。

 眼鏡に適ったのか、それとも元からそのつもりだったのかは分からないけれど、その末の結果として彼がボクにくれたのは、一切思い出せなかったボクの身の上話と100年も昔の物語、そして雲より高い台地から地上に降りるために必要な『凧』だった。

 

 台地のほとんど全ての場所を歩き回ったのに、幽霊が正体だった老人を除いてたった1人の他人にも出会えず落胆していたボクにとって、人々が生活しているという地上に行ける『凧』が貰えたことは有難かった。

 唯一会話が出来た老人すら語るべきことを語り終えたということなのか、王であった頃の姿を見せて『凧』を渡してくれた時以来、もう姿を見せることもなくなってしまった。

 魔物しかいないこの土地に居座るつもりは毛頭無かったボクは、ほどなくして台地を離れた。

 幸いにも『凧』はすごく頑丈で、ボクが地上に降りるのに一切の問題は無かった。

 

 ……その道具の力で雲よりも高い台地を離れ、初めて地上へと降り立った時の気持ちは、実に晴れやかなモノだったことを覚えている。

 どこまでも高い青い空に照らす日差し。眼下にゆっくりと迫る、色彩豊かな緑の大地。

 二本の腕だけで支える『凧』は見た目頼りなくも、風に負けて煽られることなく、しっかりと帆に風を蓄えて空を進んでくれた。

 腕を畳んで『凧』を傾ければ、思うまま自由に進路が変わる空の旅。

 いつまでも飛び続けてはいられない、それほど長い時間ではなかったけれど、それでも空にいる間のボクは束の間『昔話』を忘れてしまうくらいにワクワクとした、自由な気持ちでいられたのだと思う。

 

 

 けれど老人と別れ、空の旅を終えた後のボクは結局、あの姿のない謎の声に導かれるままの行動をし続けていた。

 自分と同じ人が生きる大陸、その地上にようやく降り立ったとはいえ、何か明確にやりたいことがあった訳でもない。ただ一人は寂しい、誰かと会いたい、その思いが強かった。

 その目的は道中で時折見かけることの出来た旅人や商人と会うことで果たされはしたものの、常にどこか魔物の影に怯え、言葉少なに立ち去りたがる彼らとの交流は、深まりようもなく寒々しいモノでしかなかった。

 覚えのない使命を果たさせるためだったはずの、老人が促していた「己を知っている者を訪ねよ」という言葉に抗いにくい魅力を感じたのも、恐らくは人との触れ合いに温もりを求めていたからなのだろう……例え、また記憶にない誰かに『勇者としてのボク』を期待されるとしても、だ。

 

 

 (大国を飲み込んでみせた化け物に、たった1人で挑める勇気と力をいずれ手に入れる「皆が期待するボク」なんて、どうやって信じればいいんだろう? )

 

 

   *   *   *

 

 

 導きを辿る先で出会った、かつてのボクを見知っているという老婆。

 そのインパと名乗った彼女の言葉を信じるなら、この呆けたように朧げで頼りない心持ちの原因は、回生を果たすこと自体には成功したものの100年間眠り続けたせいで、かつての多くの記憶と力を失った影響によるものらしかった。

 

 なるほど、眠り続けた影響か。

 ぼんやりとした心と頭とは裏腹に、魔物に向かって振る得物に求める力と速さを即座に込めてしまえる身体に気持ち悪さを感じていた正体として、その推察はストンと胸に落ちてくれる気がした。

 ただ『かつて』に覚えなどなく、今の十全に動く身体に不足も不満も抱いていないせいか、「以前より己が衰えているという自覚」なんてモノは無かった。

 

 ……反対に持った覚えのない斧や剣、槍、盾をまるで熟練の使い手のように振り回せたこと。

 そして素人目にもまっすぐ射るだけで相当な修練が必要であることが容易に分かる弓ですら、当てようと集中するだけで、まるで時間を引き伸ばしているかのような不思議な感覚と共に、狙った場所を百発百中の精度で射貫けてしまえたことは、本当にこれが頼りない考えしか持てない自分の身体が持つ力で良いのかとすら疑ったほどだ。

 

 強者の身体と力―― それをあくまで他人事のように感じているのが、今のボクだ。

 正直に言って、持て余している。出会ったかつての知人だという皆が口を揃えて「弱くなっている」と断言する今の力だって、満足に使いこなせているとは思えない。

 もしかしたら勇者の魂は既に死んでいて、空っぽになった肉の器へ勝手に入り込んでしまった何者でもない魂が、今考えているボクなんじゃないか…… と、ひどく後ろ向きな考えが浮かんでくることも一度や二度じゃない。

 

 (死んで失われてしまえば、それがそのまま世界の終わりに繋がってしまうような希望の象徴。そんな存在こそ、皆が思っている『勇者』なんだ…… でも、そんな恐ろしい役目を背負える人間が、本当にボクで、ボクしか、もういないのか? )

 

 村の重鎮、古代の研究を守る研究所の所長。そして祠に祀られるミイラとなってまで、勇者を鍛えるための試練を守り、ボクがそこに辿り着いてしまえば役目を果たしたとばかりに消えていく誰か達。

 彼らは何も強制しない。ただ過去の事実を語っているだけだ。

 そうして、言うのだ。

 信じていると。願っていると。

 命を掛けて守ってきた何かを、当たり前のように託してくる。

 

 彼らが【勇者】と信じる者に。

 ――――何も覚えていない、自覚のないボクなのに。

 

 

   *   *   *

 

 

 目覚めたばかりのあの時。暗い洞窟を抜けた先で、視界いっぱいを埋め尽くした生命の色彩に包まれた時の解放感は、既に遠い()()()だ。

 

 記憶に無い己を語る長老のインパや、古代研究所を構えるプルアの示す道が、『始まりの台地』で出会った「かつてハイラル王であった老人」の導きから繋がる先にあるモノだということは理解している。

 英傑のリーダー、ハイラルの勇者、王国最後の姫巫女の筆頭近衛騎士―― 1万年より前に始まる伝説の【厄災】を教え、記憶と力を失ったボクに記憶を取り戻すための切っ掛けになればと過去を語り、神獣の解放に至るための道を示す。

 彼らに悪意は一切無い。あるのは乱れた大陸を少しでも正そうとする願い。そしてその希望を預け得る存在へと託したいという気持ちだけだ。

 100年前はそうだったはずの自分。それを知る、またはそうと聞かされて信じている人達から両肩にずっしりと掛けられる期待が、今のボクにはただ、ひたすらに重かった。

 

 最初からハッキリと覚えていたのは、自身の名前が『リンク』であるということ。

 そして頭の中に響く若い女性の声にはどこか聞き覚えがあり、その謎の主がきっと、自分にとって何か大切な相手だったのだろうという、どこか無根拠な思いだけ。

 

 正直に言って、もしかしたら声の主は不穏な存在なのでは? と思ったこともある。何せ目覚めたばかりの右も左も分からない自分の頭に、アレソレと指示してくる謎の声なのだ。

 何も知らない無目的でいた自分だからこそ、一つ一つ示される良心を刺激しない短期の目標達成を求められ、こなすことに大した疑問を抱くこともなかったけれど、段々と上がるハードルに思うことがなかった訳じゃない。

 最終的には世界を滅ぼし得る何だかよく分からない存在を打倒して世界を救えと言われて、はいそうしますと返せるほど、ボクは能天気でも英雄願望に狂っている訳でもなかった。

 

 

 ……しかし、だ。

 そんなボクでも今も大陸中のあちらこちらで生々しく残る、100年前に起こった「大厄災」の爪痕に、胸を締めつけられずにはいられなかった。

 

 瓦礫となって無造作に打ち捨てられた、かつては人が笑って生活していただろう家々の、無惨な跡地。

 人の生活圏に躊躇わず踏み込み、食料も水も命だって、何もかもを荒らし尽くそうとする魔物。

 人々を守るべく創り出されたはずなのに、今や【厄災】の手先となって無差別に襲い掛かってくる、かつての古代兵器達。

 そしてそんな状況にも関わらず、同じ人族でありながら【厄災】を信奉して人々に牙を剥き続ける謎の戦闘集団。

 

 人と縁と繋ぐたび、そんな今を生きる人達を悲しませる者たちと遭遇するたび、己の中でぐいぐいと心を引っ張る力を感じられた。

 いつ頃からかそんな時は、正しいと思う衝動のままに身を任せることにしていた。この世界には何処にだって転がっている、目の前にある悲しみの原因を斬り伏せる時に、自分の心の弱さに悩んで躊躇える暇なんてなかったからだ。

 そんな時に振るうボクの力は常に鋭く敵を倒しながらも、鍛錬などで理由なく用いた時にはつい感じてしまう気持ち悪さを意識しないでいられるモノだった。

 

 

 【厄災】を倒すなんて大それたことは言えない。その自信も無い。

 けれどあやふやな記憶の中の話ではない、確かな今の世に居る人々との縁を結んだボクは此処にいる。

 

 そして暴力によってもたらされる哀しみを払えるだけの力を経緯は思い出せないながらも自分は持っており、その力を持ってそれを払うことをボク自身が、そして多くの人が望んでいる。

 

 

 (……まずは、この想いの正しさだけでも信じてみようかな )

 

 

 そして少しずつ、目標を膨らませてみよう。

 

 この世界について詳しいことをまだまだ知らないボクでは、どうすれば哀しみの大本を解決させることになるのかは分からないけれど…… 幸いにも自分の衝動の正しさは、かつて王だった人や長い時を生きた長老、偉い研究所の所長や姿なき声の女性だって認めるところだ。

 変に自分が考えるより、頭の良い人達にその辺りのことは任せても良いだろう。姫巫女という地位にあるという声の女性は、為政者の頂点に近い人なのだからなおのことである。

 

 ただその声の人のみならず、多くの人が「魔物を倒し、ひいては神獣を開放し、最終的には【厄災】を倒してくれ」とボクに願っている点が、最も頭の痛いところではあるのだが。

 

 (【厄災】を倒す【勇者】には、ボクじゃなれないかもしれない。けれど、ボク以外の人が【厄災】を倒せる可能性がゼロだなんてことも、ボクにはとても思えない )

 

 

 ――ごめんなさい。

 ボクは皆が期待する【勇者】じゃないかもしれません。

 それでも今【勇者】であることを期待されている人がボクしかいないなら、一つ一つでいいから何か、皆が望む未来へ繋がる行いを心掛けてみようかと思います。

 相応しくないからと言い訳して。過分な力が宿るこの身体を抑えつけてまで、心が求める行いを躊躇うつもりはありません。

 

 祠の試練も、力の限りこなします。

 人を傷付ける魔物は狩ります。

 人を襲う兵器を破壊します。

 いたずらに人の不安を煽る悪人も許さない。

 

 小さな哀しみを払い続ける行為の積み重ねが、もしかするとボクじゃない誰かが「導きの果て」を成し得る可能性に繋がることを、ボクは信じたいのです――

 

 

 

   * * * * *

 

 

 

 以来、青年は己の心のままに剣を振るう。

 

 【勇者】であることを求められる期待の重さに悩みながら、それでも自分が出来る、手の届く範囲で人の生活を脅かす敵に力を振るう努力を怠らなかった。

 

 そんな道中の先に彼はとうとう、『水の神獣』が待つラネール地方へと踏み込んだのである。

 

 商人でも、旅人でも、傍観者でもない。

 人々のために剣を取るその姿。

 それは本人の自覚はなくとも紛れもなく騎士であり、いずれ【勇者】に至る者に相応しい在り方であった。

 

 

 

 ……もしかしたら彼はうっすらとでも思い出していたのかもしれない。

 

 誰かが名付けてくれた、『リンク』という己の名。

 それが様々な相手と繋がり、託される者であることを願われてのことであること。

 自らもその意味に則って、何かを成し遂げることを過去に誓った身であること。

 

 そして『見たことのない景色』の中で『聞き覚えのある声』の相手に、そう誓った過去のあの日を。

 

 

 






 まるっと記憶を失っているところに、周りが寄ってたかって世界を滅ぼそうとする化け物を倒せと迫ってくる。ソイツには今よりずっと強かったという昔の自分を、ボコボコに叩きのめしたらしい。
 「お前ならヤツを絶対倒せる! 」ですらなく「古文書にそれっぽいこと書かれているし、奪われた神獣取り返したらワンチャンいけそう? 」「姫はお前が寝ている間も頑張ってたよ? 」「ほっといたら世界滅びるけど、世界救うより優先したいことが100年後の世界でボッチなお前にあるの? 」 みたいなことばかり言われる……時の勇者ってホントおつらぁい。
 多少ストレス解消に魔物を虐殺したり、アレな服を着て男達の性癖を歪ませる遊びに走っても許されるんじゃないかなって。


 ※ただいまの【厄災】状態
 ・神獣攻略数:0
 ・祠攻略数:ちょっと
 ・武器:無心の大剣(ナナシから巻き上げた剣と盾は随分前に砕けました)
 ・防具:ハイリア(布)シリーズ
 ・シーカーストーン:ハテノ古代研究所に立ち寄り済(+強化状態)


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臆病者の蜥蜴

○前回のあらすじ

 ハイラルの青年、(周囲の期待に押されまくって)勇者始めました。


   * * * * *

 

 

 

 今夜は、満月だった。

 

 太陽は既に沈み切り、真夜中であることを示す暗闇の空の中。

 黒一色の世界、その一片だけをポッカリとくり抜いて、地上を照らす輝きを放っている。

 ただしソレは常の柔らかな乳白色、あるいは寒々しくも冴えた蒼銀の輝きとは違った異色―― 濁った深紅に染まっていた。

 

 恐らくもう幾ばくも無い時間が過ぎれば、鮮血と見紛うナニカに満たされた真円は中天へと掛かり…… 過去100年の間を何度も繰り返し行われてきた奇跡を起こすだろう。

 

 そう。

 『()()()()()紅月が中天で輝いた前夜より数え、これより同じ色を灯す瞬間までの期間において、病死・自然死以外で命を落としていた魔物達の復活』だ。

 

 【大厄災】発生より、100年の間続く忌まわしい禍として、赤い月が昇る度に必ず繰り返されたこの現象を、ヒト族は《ブラッディムーン》もしくは《赤い月の夜》と呼び、忌み嫌っている。

 

 ……もちろんそれは、ヒト族の視点立って考えた時だけの話だが。

 

 

 

 視点を変えよう。

 

 幾万年をヒト族に虐げられ、ただ生きるだけにも命を掛けなければ厳しい土地へと追いやられてきた魔物からすれば紛れも無く、赤い月とは《祝福の夜》である。

 

 しかし魔物の世界は野生の論理―― 弱肉強食を前提とした社会。

 蘇りの祝福に守られようとも、無為に死んだ者は生存競争から脱落した弱者でしかないと見做される風潮は、依然として存在していた。

 

 情の深い部族であれば純粋に復活を果たした命を喜び、それに対する『祝福』への感謝を捧げる姿も見られるが…… 多くの魔物はそうした環境の中を生きていない。『祝福』を受けてなお、厳しい環境にしか縄張りを持てないままでいる魔物は多く存在する。

 生存のために非情に徹さざるを、いや、非情で当たり前な世界を生きる魔物達からすれば、《祝福の夜》は種の存続を助ける有難い超常ではあっても、あくまで自然現象の恩恵程度以上の意味を持たせることはない。

 

 ここ【ラネール地方】に存在する『リザルフォス種』単独で構成される集落は、同種族ということもあってか他種族間の寄り合いと比べた場合、お互いの縄張りの距離は比較的短い。

 それでもわざわざお互いの「縄張り」を掲げ、小部族単位で独立していることからも察せられる通り、どちらかといえば同種の死であっても淡泊な反応を示す集団である。

 

 ―― そんな彼らであっても、《祝福の夜》に限っては老若雌雄問わず、総出で紅く染まった月を見上げ、喉を鳴らして歌を奏ですらする風習を持っていた。

 

 

 その理由は一つだけ。

 『力』を尊ぶ魔物達にとって、赤い月がもたらす恩恵が破格に過ぎたから。

 

 

 空に禍々しい月が輝く度、死者が蘇る。

 無制限の死者復活を可能とするほどに充溢する魔力を帯びた月光が、地上を遍く照らす―― そう、()()()()()照らすのである。

 光を浴びることに、死者と生者に区別があるはずもない。そして魔王は彼らを差別しなかった。

 

 生来生まれ持った魔力を、魔物が後付けで蓄えられる手段は、身体の成長に伴う増加を除けば一つだけ――他の命を奪った上での略奪のみ。

 常ならば数年、数十年と掛けて「魔」の位階を高めた先に起こるはずの『色変わり』に要する時間を短縮し得る魔物は、戦闘や狩りに長じた才能を持つ一部の個体に限られていた。

 

 しかし赤い月が昇るようになってからの魔物は違う。

 

 ただ生きてさえいれば、定期的に大量の魔力を浴びられる夜が来たのだ。

 これを喜ばない魔物は存在しない。

 

 そして戦闘に誇りを持つ戦士階級の者達もまた、それを邪道と忌み嫌わなかった。

 戦いに才能を持たずに生まれてしまった子孫達であっても、野生を生き残れる力を得られることは紛れも無く吉事であったこと。そして差別なく全員にもたらされる恩恵である以上、闘争と狩りによって日々魔力を獲得している戦士達が『色変わり』を果たす時間は当然、そうではない者達よりも短いことに変わりはなかったからだ。

 何ら不利益なく、自分達の矜持も侵されないのであれば、忌避する理由があるはずもなかった。

 

 100年前まで、魔物の大多数を占めていたのは種族由来の基本色だった。

 しかし時が経つ内にその割合は減り、現在では「青」をはじめとする『色変わり』を果たした若い個体も珍しくなくなっている。

 そして強い個の増加は、それを擁する種や部族の安全、ひいては繁栄に繋がっていく。

 

 魔物全体の『力』を高め、守り、活性化させる赤い月。

 今夜はそれが昇る、《祝福の夜》。

 

 環境、境遇、才能。それらに違いがあろうと関係ない。

 大陸中の魔物達が様々な方法で迎え、万感の歓喜を持って夜空を見上げる。

 

 それが魔物達にとっての赤い月の恩恵、《祝福の夜》を迎える普段通りの姿であった――

 

 

 

 ――しかし、ただ一画。

 

 【中央ハイラル】から始まり【ハテール地方】を抜け、ゾーラ族の里へと至るためにヒト族達が【ラネール地方】に敷いた道。

 その路上にある一画だけは、いつもの夜とは趣きを別にしていた。

 

 小部族がいくつも集まって大所帯を形成する『リザルフォス』の大部族。ヒト族を追いやり、半ば占拠するようにして、彼らはその土地に縄張りを築いていた。

 ……しかし今、たった1人のヒト族の手によって、断末魔の絶叫を強いられる土壇場に放り込まれている最中の彼らに、夜空を見上げながら歌う余裕など有りはしなかったのである。

 

 

 

   * * * * *

 

 

 

 ――命を失ったはずの99年前の時を超え、小鬼の器に押し込められた獣王の魂。

 その持ち主が再びの死によって、新たに鱗を持った蜥蜴の肉体を得ることになる夜、その少し前。

 

 場所は、止まない雨の降り続ける【ラネール地方】。

 ヒト族を追いやった蜥蜴の魔物が広く分布し、いくつもの部族に分かれて点在している集落の中でも、取り分け広い縄張りを持つ集団が占拠している森。

 その入口に位置する場に立つ大木の下に。

 

 薄紫混じりの鮮やかな青鱗に覆われた、蜥蜴の魔物たった1匹、何かを抱え、木の根を隠す灌木(かんぼく)の中に身を潜めて(うずく)まっていた。

 

 

 

 ……ここで少し、蜥蜴の魔物――ヒト族が『リザルフォス』と分類する蜥蜴の魔物について触れておきたい。

 

 彼らは多くの魔物達と同じく生物が生活するにはあまり適さない、過酷な土地にあっても順応可能な適応力を持っている。加えてこの種固有の特徴として、中には自然の脅威たる雷や炎、氷の力を取り込み、自らの力として操ることを可能とする個体すら発生し得る種として広く知られていた。

 適応する環境の幅広さから、魔物が周辺の魔力を取り込んだり己自身の力を蓄えて成る『色変わり』を起こした時の「色」の多彩さは、大陸の魔物の中でもこの種族が随一だろう。

 

 ヒト族にとって、この魔物の最も厄介な点…… それこそがこの適応力の高さである。

 

 人が寄り集まって住む僅かな土地を除けば、昼夜を問わず魔物がそこかしこを闊歩するこの時代。各地域を結ぶ主要な交易路は、必要もあってそれでもまだ維持され続けているが、魔物と遭遇する危険性は往年の頃と比べて跳ね上がっている。

 かつての先人が築いた廃墟や街を利用し、あるいは隠れ里で細々と暮らしつつも、必要に駆られて方々へ旅や行商に出る者は決して絶えることはないのだが、そんな彼らにとって、道中遭遇し得る魔物の脅威度を測れる能力や指標は不可欠であった。

 手に負えない存在に出くわしたならば当然遠回りや、あるいは引き返してでも危険を避ける為である。

 しかし、逃走ばかりでは目的を遂げることが出来ないなんてこともままある以上、手に負える脅威ならば戦ってでも突破する必要も求められた。

 

 その判断をする上で、特に注意しなければならない厄介さを持つ魔物こそが『リザルフォス』なのだった。その理由こそずばり、『色変わり』に伴って起こる無秩序染みた「色」の多彩さにある。

 一般的な魔物に共通する「蓄えた魔力の量と質に合わせて起こる『色変わり』の特徴から、大よそ外見で個体の危険性を推し量れる」という生態から完全柄に逸脱する種ではないものの、その多彩さから余程魔物の観察に熟達した者でなければ、その色味から推し量るべき脅威を誤認してしまう危険性が高いのだ。

 

 マダラに染まり易い鱗。

 野生動物に照らせば擬態に適した特徴ではあり、加えて爬虫類の一部に見られる全身の体色を周囲の環境に合わせて変化させられる機能も備えた『リザルフォス』。

 【大厄災】以前は主に身を守る為の能力であったはずだが、人魔の勢力が逆転した今の時代では、むしろヒト族を「狩る」ための効果を強めている。

 

 最弱の「緑」かと思えば最凶の「黒」寄りの力を持つ個体だった。

 通常種かと思えば魔法めいた攻撃手段を持つ変異種だった。

 周囲の景色に体色を同化させる擬態によって、どうしようもなく接近するまで気付けなかった…… などといった報告が絶えず、『リザルフォス』の存在一つが非戦闘員を抱える行商人の旅路を険しくさせていた。

 

 そしてその被害を最も受けている地方こそが、水場に富むここ【ラネール地方】。

 全環境に適応するとはいえ身体の構造上、ゾーラ族と同じく水棲環境こそが蜥蜴の魔物にとって馴染みやすい環境であったことが、その地方に住まうヒト族の不幸だった。

 であるからして【ラネール地方】は今や、旅人が最も敬遠したい地方の一つに挙げられてしまうほど、多彩な鱗の色を持つ『リザルフォス』が溢れる土地となってしまっていた。

 

 

 

 ――さて、それでは。

 

 そんな視点でこの夜半の中を隠れるようにして蹲り、時折すすり泣くような鳴き声を漏らして震えるこの個体の鱗を観察するに…… 大陸に存在する種の大多数を占める通常種、その中でも取り分け平均的な「緑」でこそないものの、雷や炎、氷といった特別な能力を持つ個体特有の特徴も持ってはいない可能性が高いと見ていいだろう。

 

 敢えて特徴を挙げるならば、薄紫混じりという1点。

 例外はあれど水場において真価を発揮する種にしては珍しくも、それなりに高熱の環境に身を晒す機会が多い個体なのか、少ないながらも「赤」の色味を含む「紫」を混じらせているぐらいだろうか。

 火山地帯に生息する同種に見られる特徴を、このラネールの土地に生きる魔物が持つのは珍しくはあったが、それでも全体的には「青」の割合が圧倒的に多い。

 

 『リザルフォス』種においてその色は、基本色である「緑」よりは魔力を蓄えた強力な個体であることを示すモノであるものの…… 年月と経験を重ね、より狂暴かつ狡猾な魔物へ至っていることをヒト族に警告する「黒」ほどに特別強力な存在ではないとも言える。

 更に言えば「黒」に寄るほどの深みはその鱗にはなく、逆に薄紫と青が浮かべる発色の鮮やかさから判断するに、「緑」から「青」に『変わった』時から、まだ数回以下ほどの脱皮しか経験していない個体なのだと窺えた。

 

 総じてこの個体は。

 多少高温に慣れてはいるだけの、「青」に変わりたての通常種であるということが、正しくリザルフォスを観察出来る者には察せられるだろう。

 

 

 ……そんな特別強くもないが、決して弱い訳でもないはずの魔物が、なぜこんな場所で()()()()震えているのか?

 

 答えは単純。

 この個体は、逃げ出したのだ。

 

 絶叫が絶え間なく響く、自らの生まれ故郷。

 恐らくその光景に恐怖して逃げ出したのだろうこの個体は、生粋の戦士ではない。

 『色変わり』を果たしたその姿はしかし、戦いの末の成長ではなく、《祝福の夜》の恩恵によって「青」に成っただけであろうことが窺える。

 もっと遠くに逃げていないのは、後一歩で森の深くに逃げ込めるというところで耳に届いた新しい断末魔に、思わず足を止めてしまった途端に動き出せなくなったからか。

 

 ……けれどその有様を臆病者と貶したり、あるい尻を叩いて鼓舞する存在は、周りにいない。

 幸か不幸か惨劇が始まる時より前に集落を離れていたこの個体を除き、突然の殺戮に見舞われたその地から、彼が身を隠していられている森の入り口にまで逃げ延びられた同胞は、今この時までただの一匹も現れなかったからだ。

 

 集落の内に留まる最早残り少ない生き残り達が、僅かに息のある女子供を逃がすため、あるいは既に亡骸を晒している者の復讐のため、暗闇と血しぶきの中で見え隠れする襲撃者の影を血眼になって探す中。

 

 青の蜥蜴は進むでなく、戻るでなく…… ただ一匹、雨雲に覆われた夜空を見上げていた。

 

 

 

   *   *   *

 

 

 

 ――今日は特別な日だった。

 

 『祝福』より前の世代、火山がある土地からこの地へと流れてきたという自分の先祖は、火への耐性が極めて高かったらしい。その特徴を生かして家は代々、戦士達の武器を鍛造する鍛冶の仕事を担ってきた歴史を持っている。

 

 窯に火をくべ、鱗を炙りながら鉄を鍛え続ける。

 乾くことに弱い俺達の種でありながら、火炎と長時間寄り添える火の加護は正しく、先祖の有難い遺産だった…… らしい。

 らしいというのはその力、祖父ちゃんの代の頃にはすっかり衰えてしまっていたのだ。

 

 100年前から雨が常に降りしきるようになったらしいこの土地にすっかり馴染んでしまった俺達に、火の耐性を保ち続けることは難しかった。ぬかるんだ地を駆けるため、代わりのように培われた瞬足の特性を生かして、俺の父親は鍛冶ではなく戦士の道を選んだくらいだ。

 そして父が火から離れた生業で身を立てたことで、加護の継承は完全に断たれてしまったようで。鱗の色に名残だけを残して、その息子である俺に火の耐性は全く宿らなかった。

 長く続いた鍛冶の家系も、祖父ちゃんの代で終わりだろうというのが、親を含めた親族達の総意だった。

 

 けれど俺は、祖父ちゃんが楽しそうに話す鍛冶の話が好きだった。

 友達の多くが憧れる、勇ましい戦士達が見せる狩りの背中より、ボロボロの土くれから、綺麗な水面よりなおピカピカに光る剣を生み出す、火に鱗を焦がしながら槌を振るう祖父ちゃんの背中に憧れたんだ。

 

 ――そして今日は、そんな祖父ちゃんに我儘言って弟子入りした日から数えて初の、誰の手も借りずに俺が、俺だけの力で鍛え上げた剣が完成した日だった。

 

 (嬉しかった )

 

 磨き上げた刀身の輝きに、記憶の中に蘇る憧れを思い出した時。

 いつも厳めしい顔をしていた祖父ちゃんが、思わず持ち上げてしまったらしい口角の角度を、鏡となった刀身に写り込んでいるのに気付いた時。

 自分と同じ瞬足を受け継ぎながら、戦士の道を選ばなかった俺に不満を持っていたはずの親父が、仕上がった剣を見て物欲しそうにチロチロと舌を出し入れしていたことを揶揄(からか)えた時。

 

 二人のそんな姿が、これまでの俺が打ち込んだモノの価値を認められた証のように思えて本当に誇らしかった。

 そしてこの剣を鍛えていた最中に迎えた『色変わり』。薄紫の青。

 親父にはない「赤」が混じった鱗は、半端な成り損ないのようで一時期は落ち込んでいたけれど、今となってはその色こそ、耐性は無くとも火を扱う鍛冶屋の証のように思える。

 俺の通してきた意地と努力が、鱗となって現れてくれたのだと感じるのは、流石に現金が過ぎるだろうか。

 

 雲の多い空は、少しだけ赤み掛かっていて―― 今日が《祝福の夜》だったんだなと思い出したのは、親父が今夜はご馳走だ、とぶっきらぼうに、けれど気合いを入れて狩ってきたのだと一目で分かる、大きな魚を掲げたのを見た時だった。

 

 いつまでも続くようなフワフワとした高揚感、達成感を冷ましたくて。けれど忘れたくないから作り立ての剣だけは抱えて。

 そのままほんのちょっとだけ、村の周りを散歩しようと思いついただけ。

 

 俺はこんなことが起きるなんて知らなかった。

 ましてや、自分だけ逃げ出そうなんて、考えてもいなかったんだ。

 

 本当だ。

 

 ……最初は、今夜の祝福に先走った誰かが騒いでいるだけだと思った。

 向かいの家に棲んでいる幼馴染み。俺が練習で鍛たせて貰った剣を嬉しそうに振るい、集落で一番の戦士になることを目指していた見習い仲間。きっとアイツの大声だった。

 

 でも、すぐに勘違いに気付いた。

 大声にいつもの陽気さが無い。あれは悲鳴だった。

 喧噪に混じる悲鳴が止まらず、どんどん集落の中が緊迫した空気になるのが肌に伝わってきて。

 

 そのうち戦士の中で一番強い方の「ヤツと戦おうとするな! 俺が引きつけている間に全員どこでも良いから逃げろ! 走れ!」って言葉が聞こえてきた時、思わず集落の中じゃなくて外に向かって走り出してしまった。

 ……ここで誰かを助ける為、家族の安否を確認する為に中へと踏み込むのではなく、言われるがままに逃げ出してしまうから、俺は戦士になれなかったのかもしれない。

 

 闘いは苦手でも、駆けっこだけなら負けたことの無かった俺の足。

 その()()が一体何なのかを見ることもなく逃げ出せてしまったのは、果たして幸運だったのか。集落の外れ、この森の入り口まで辿り着いた時…… 俺は一つ、安堵した。

 

 背中を向けて逃げ出す直前、断続的に上がっていた仲間達の叫んでいた内容を思い返す。

 どうやら恐ろしいことに襲撃者は単独で、山の麓側にある集落の入り口からやって来たらしい。そしてその入り口は、この森とは反対側にある。つまり、皆がソイツから逃げ込んでくるならきっと、この場所になるだろう。

 一番最初に辿り着けた者こそたまたま俺だったけど、そのうち優先して逃がされるはずの女子供達が駆け込んでくるはずで。だったら怖いけどここで踏ん張り、より森の奥へ守って逃がすことこそが俺の役目になるんだと気を持ち直すことが出来た。

 

 その為に振るわれるべき武器は、この手元にある。

 感謝と恩返しを込めて、今夜親父に渡そうと思っていた俺の傑作が。

 けれどその親父は戦士で、今は多分、集落の中で侵略者相手に立ち回っているはず。だからこの剣はここで、俺が逃げ込んで来る仲間を守るために振るわなければならない。戦うのが苦手だなんて、言い訳にして良いはずがない。

 

 (……大丈夫。俺は戦士の息子だ。だから大丈夫 )

 

 (俺は戦える。きっと守れる…… )

 

 (……俺は戦える。剣を握れるんだ。絶対に守るから……だから、あぁ、お願いだ…… )

 

 

 

 

 (…………誰か、頼むから誰でも良いから、早く来てくれ…… )

 

 

 

 

 自分を繰り返し奮い立たせ続けて、どれほど時間が過ぎただろうか?

 

 うっすらと見えていた満月が、今は完全に厚い雲の向こう側に隠れ切っていた。

 そして散歩しながら見上げた時にはまだぼんやりと赤かっただけの空から、いよいよ赤黒い魔力の波動が雲の向こうに満ちているだろうことがハッキリと感じられるほどに、時間は分かり易く経っていた。

 

 

 ――そんな今になっても、この場所に駆け込んで来る者はいない。

 

 

 恐ろし過ぎる、けれど一番考えてしまう可能性。

 そんなモノがもう随分前から、頭の真ん中をズッシリと占拠してぐるぐると回っている。

 

 必死で固めていた戦いの決意も、今や完全に折れ萎んでいた。もう心のどこを探しても、熱なんて消え去っている。

 逃げてきた同胞が近づいてきたなら、迷わず自分の所まで駆けて来られるよう、森の切れ目から前に出て晒していた身体も、月明かりを反射するまで磨き込んだ刀身ごと誰にも見つからないように、近くにあった灌木の中へと突っ込んでいた。

 

 敵には勿論、仲間からも身を隠そうと必死になっている己の姿。

 情けないとは思えなかった。ただ必死に、どうすれば自分の身体をより小さく折り畳めるかだけに頭を巡らせていた。

 遠くに聞こえた子供の断末魔が無ければ、とっくに森の奥へと駆け出していただろう。

 今日感じたばかりの誇らしさや達成感が無ければ、冷たい光を照り返す手元の刃も身を隠すには邪魔でしかないと、地面に埋め込んでしまっていたかもしれない。

 

 今夜は《祝福の夜》なのに、なんであんなにも集落は静まり返っている?

 あってはならない静寂が、ただたまらなく怖かった。

 

 誰かが来てくれることを願っているのに、もう集落の中から出て来れるのは、死が形になったような恐ろしい襲撃者しかいないと思えてしまう。

 竦んでしまった頭と心。見知った仲間の死なんて想像もしたくないのに、今は一刻でも早く赤い月が昇り切って、思いつく限りの顔達を全員蘇らせて欲しいと懇願していた。

 

 

 ――そうやって、いつの間にか降り出していた雨音にも気付かないまま、地面に這いつくばり灌木の藪の中で一心不乱に祈り続けていた俺の願いが、天に届いたのかは分からない。

 最高に誇らしい時であろうと、最悪に惨めな時であろうと、その時は変わらずやってきた。

 魔物を救う《祝福の夜》は、いつもの通りに始まった。

 

 周囲に魔力が満ちる。

 前回もそうであったように、闘争をすることもなく無様な姿を晒していた俺の身体であっても分け隔てなく、充溢して漂う魔力は肉体と魂に染み込んでくる。

 それはもう萎え切ってしまっていたはずの心に暴力的な高揚感と、僅かばかりの勇気を吹き込んでくれるモノだった。

 蹲っていた身体に力を入れる…… 立てる。動ける! まだ!

 

 もう大丈夫だ。

 今からはただ待つのではなく、集落の傍まで踏み込んで逃げる皆を誘導しなければ―― そう息巻いて右足を踏み出した。

 

 

 ……けれど続けて踏み出すはずだった左足。

 さっきまで聞こえていた断末魔、それを再び全く同じ声の持ち主達が叫び出していることに気付いた途端、ソレは氷のように固まって動かなくなった。

 

 

 (あ、あぁ、ああああ―――― )

 

 

 

 

 

 

 

 「早くー!はやぐぅー!! 生き返った皆はどこでも良いから、とにがく逃げてェーー! 」

 

 

 情けない。みっともない。

 誰かが見れば、とても『色変わり』を終えた魔物、ひいては戦士を親に持つ雄には見えない姿だろう。当たり前だ。誰がどう見ても、今の俺は呆れるほどに無様だ。

 

 けれど俺は動けなかった。どうしても、足を村に進めることが出来なかった。

 魔王の魔力を受けて昂っていられたはずの心の熱、それが恐怖で完全に奪い去られないようにと、みっともなくわめいて、何ら具体性のない避難を願って呼び掛けることしか出来なかった。

 

 耳に再び響く同胞達の絶叫が、また何時途切れてしまうのかと怯えておきながら、それでも己の身体だけを安全圏に置いたままにしている自分。

 せめて叫んでいなければ、罪悪感と無力感でどうにかなりそうだった。

 

 

 そんな臆病者の声が、何かの事態を好転させられるはずもない。

 

 ――けれどその魔物が背後の森から突然現れて。木偶のようにただ立つことしか出来ないでいた自分を一息で躱し、真っ直ぐに集落へと突っ込んだのは、俺が叫んだ直後のことだった。

 

 

 




 リポップした敵を再び狩る、RPG主人公には良くあるムーブ。
 (なお相手視点)

 ※《ブラッディムーン》について
 月の光を取り込んで魔物活性化云々は捏造です。
 原作的にはプレイ時間ではなく、ガノンに制御を奪われた神獣を解放する度に大陸中の魔物が強化されていくわけですが…… 拙作でもそうしちゃうと、まるで暴走させているガノンの手先が封印を守る番人で、解放された神獣が魔物を強化させているような印象になっちゃうので。
 世界中が真っ赤に染まるほどのガノンの魔力を含んだ月光なら、それだけで魔物の成長に影響を与えててもいいなぁと思ったり思わなかったり。
 最上位の白銀系は、説明文にそのまま「ガノンの凶悪な魔力の影響を受け、身体中に紫の縞模様が浮かび上がっている」なんて記載されていることですし。けれどすっごい心と身体に悪そう。

 ※「リザルブーメラン」シリーズ
 『リザルフォス』の魔物が持っている、種族専用にして鋼鉄製の武器。魚や肉を焼く時以外にはせいぜい火山に棲んでいるヤツが火球吐くくらいの、マトモに火を扱う文明なんてなさそうな印象しかないにも関わらず金属製、である。
 そしてマジカルなパワーが宿っていないにも関わらず、このシリーズ武器は形状を変えようと全てブーメランとして戻ってくる性能を標準で備えています。やべぇ。
 ボコブリンやモリブリンはどれだけ強化されても石や竜骨を加工して武器のやりくりをしているのに、この差は何なんでしょう? もしやヒト族やゴロン族なんて目じゃないレベルの鍛冶種族だったりするのでは??
 その他にも各種類の魔法が込められた属性矢や、刺した魚を捕らえて逃がさない「返し」の工夫が施された金属槍などを、地域問わず種族全体で統一化出来るほどの力を持っていることを考えると、ワンチャンBotWの続編では、ゾーラの里と対を成すリザルフォス帝国的な存在が登場するかもしれませんね……

 余談ですがスタル状態の腕骨すらブーメランとして機能する模様…… なんでやのん。

 ※「ゼルダ無双 厄災の黙示録」が発売!
 やっぱり、ライネルが一番カッコイイんだ!
 何かしらのコンテンツで、いつかプレイアブル化してくれるのを待ってます……!


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臆病者と虐殺者と乱入者

○前回のあらすじ

 鍛冶見習いのリザルフォス、仕事を認められた有頂天から地獄に叩き込まれる。





   *   *   *

 

 

 

 「なっ! アンタは一体!? ……いや、誰でもいい! 戻ってこい!」

 

 木を背にして蹲っていた俺に見向きもしないで森を飛び出し、そのまま集落へと駆け込もうとしている同族に慌てて声を掛ける。

 俺の知っている者ではない。

 顔こそ見れなかったが、背中越しにも確信して言える。あれほど見事な()()()をした者など、記憶になかったからだ。

 

 近場の集落から来た、たまたま此処に用があっただけの余所者だろうか。

 俺の悲鳴混じりの忠告は聞こえているだろう。しかしコイツは、全く足を止めようとはしなかった。

 

 ――速い。

 集落の雄達、戦士を含めてなお俊足であるはずの己よりもあるいは、と思えてしまうほどの駆け足。とても今の竦み切ってしまっている自分では、彼に追いつくことは出来そうになかった。

 

 だからもう一度、今度は必死に声を張り上げた。

 

 「今あそこに行っちゃダメだ! 俺も何が起こっているのかは知らない! けれど悲鳴はアンタにも聞こえているだろうっ!」

 

 「……っあぁ!? くそぅっ! ……今! 死んだ!死んじまった!!……さっき生き返ったのに!さっき殺されたばかりだったのにっ……! 戦士長、の声だ! 今の断末魔は、集落で一番! 一番強かった戦士長のだ!!」

 

 「聞こえないのか!? 止まれ! 行くなっ! ……アンタも殺されちまうぞっ!!」

 

 今も村からは、絶え間ない絶叫と悲鳴が上がっている。それは駆け向かう彼にも聞こえているはずだろうに、その速度は一切緩むことはない。

 俺の再三の制止も意味はなく。

 その背中は集落の内側へと飛び込み、何の余韻も残さず消えてしまった。

 

 

 ……気付けばいつの間にか、俺は彼の後を追っていた。

 

 さっきまで震えていた足はまだ、踏み出すたびに(もつ)れるような有様ではある。しかし竦んだ心はそのままに、今も絶望のただ中にあるはずの集落へ向かう歩みは止まらない。

 

 果たしてこれは、名前も知らぬ余所者が見せた蛮勇に触発されたせいだろうか?

 

 (――切っ掛けはどうでもいい。もう一度動けたことだけ、今はそれだけを喜ぶべきだ )

 

 どう言い繕っても、一度は見殺しにしてしまった故郷である。

 なお再び(うずくま)ったまま、祝福を経た故郷に死が満ちる様を眺めていることなど、到底許されるはずがないだろう。

 

 何よりそんなことになればもう、自分が自分を許せない。

 

 ……止まればすぐにでも動けなくなりそうな足を、懸命に進めること少し。

 やがて辿り着いた、集落の周りに張られた柵の前。見渡せば、幾匹かの同族がここまで逃れて座り込んでいた。

 老若雌雄を問わず、顔には濃い怯えの色が浮かんでいる。復活して間もないだろうに、既に心身共に疲れ切っているのが一目で分かった。

 それでも首から上は頻繁かつ、偏執的ですらある様子で、自分達が逃れてきただろう背後に目を凝らすためだけに動いている様は、生きていてくれたことへの安堵よりも不気味さが勝る。まるで肉食の猛獣に追われている最中の小動物のように視線を送る先―― 集落の中央 ――に、彼らをここまで追い込んだ原因があることは明白だった。

 

 その方向を意識した途端。包みを抱えていた右腕の力が不意に抜け、握っていたモノを取り落としてしまう。

 

 ベチャッ、と。

 

 父への贈り物になるのだからと見栄を張って用意した、丁寧になめされた獣の薄皮が雨でぬかるんだ地面に落ちる。泥水に塗れ、マダラに染まった布がめくれて覗いたのは、丹念に磨き上げた自慢の白刃だった。

 咄嗟に拾い上げた剣を改めてみるが、どうやら欠けや不具合は見当たらない。少々の泥こそ跳ねて汚れてはいるものの、少し雨に晒しておけば、それだけで二又に裂けた雷を象らせた刀身に、元の澄んだ鈍色の輝きを宿してくれるだろう。

 汚れてしまった包みは、この際諦めるしかないだろうが。

 

 状況を忘れて得た小さな安堵を持って顔を上げると、剣を取り落とした時の音に反応していたのだろうか、いくつかの顔がコチラを向いていることに気付いた。

 そんな彼らのほとんどは雄。しかも戦士や狩人を生業とする者達だったことを思い出す。茫然自失の中にあっても、重い金属の武器が地面に落ちた音に反応し得たのは、やはり耳慣れたモノだったからなのかもしれない。

 

 しかし、そんな彼らであってもやはり、「逃げてきた」者達だということか。

 顔を上げた者の中に『色変わり』を成している存在はいなかった。

 

 緑一色に染めた鱗持ちの彼らは、武器を拾い上げて立つ『薄紫色』の俺を見て一様に、悲喜こもごもに引きつらせた顔をしていて…… 今知りたくはなかったその内心を、明け透けに伝えてくる。

 その対象が自分達なのか、それともまだ村の中心に残っている仲間達なのか…… それは分からなかったが、俺に言いたいだろう言葉はハッキリと理解出来てしまった。

 

 

 

 『助けて』

 

 彼らの顔は、揃って俺に訴えかけていた。

 

 

   *

 

   *

 

   *

 

 

 (やっぱり、俺は臆病者だ )

 

 ――果たしてそう思い知ったのは、今夜だけでもう何回目だろうか。

 やつれた顔、縋られる視線。

 多くの暗い期待を一斉に向けられた俺は、村の入り口まで必死に逃げてきたはずの彼らに叫んでいた。

 

 「……な、何とか森まで逃げてくれ! 戦士達は雌や子供達を守りながら、その先の集落へ駆け込むんだ! 」

 「俺はこれから集落に入るから! そう! 逃げ遅れた者がいればソイツらを連れて、お前達の後を追う! だから逃げろ! 立って! 早く向こうへ走るんだ!」

 

 そんな言葉だけを残して、返事を聞かずに走り去った。

 もちろん、振り返れるはずもない。

 疲労困憊の中やっと現れた『色変わり』という分かりやすい上位者。そんな存在に、さっさと置いて行かれてしまった彼らの顔に浮かぶ表情を見るのが怖かったのか。

 あんなにも竦み上がっていたはずの足が途端にいつもの如く動いたのは、あの場所から早く逃げ出したい心の弱さの賜物だったに違いない。

 

 『まだ戦っているはずの有力な戦士達の戦力を維持するためにも、この剣を早急に届けなけなければならない』などと、もっともらしくあの場を離れる必要があったかのような後付けの理由を思いついた時だ。

 駆け込んでくるだろう避難者を先導して森の奥、その先にある同族達が住まう砦や集落へと自分が逃がさなければ―― なんていう、あの森の入り口まで一人でさっさと逃げ込んでしまった時に、何とか捻り出したはずの体のいい言い訳を思い出したのは。

 

 (我ながらなんともまぁ、薄っぺらい、情けない理由ばかり思いつく……)

 

 自己嫌悪が止まらない。

 最もらしい理由を考えてからようやく、俺は自分を卑下している。

 

 (あぁ、リザレス! お前は子供の頃から何も変わっちゃいない!戦士を目指さず鍛冶の仕事を目指したのも、戦うのが怖かったからだ! 親父が最後は認めたのも、こんな俺の惰弱さが透けてたからに違いない! ……弱い弱い弱い!なんて恥知らずなんだ俺は! )

 

 内罰的な思考をどれだけ重ねたところで、結局のトコロ、自分が一番可愛いのだ、俺は。

 

 (それでも駄目だ、無理だったんだよぉ! ――あの目は、無理だ。俺には背負えない…… )

 

 火の熱に囲まれてカラカラに乾いた喉を抱えている中で、たった一掬いの水に出会ったような。絶望の底で唐突に現れた、僅かな希望を見つけて縋りつこうとするあの目、目、目。

 取り繕った心に張り付けていた精一杯の決意も、あんなモノを向けられた途端に吹き飛んでしまった。

 

 だって、そうだろう?

 ただの鍛冶屋に何が出来る? 声を掛けられただけ上出来じゃないか。

 あの群れを丸ごと背負って救おうなんて、戦士長だって無理に違いない。

 

 絶望に染まり切った目に希望を与えて立ち上がらせる、そんなことが出来るのは物語に出てくるような存在達だけだ。

 そう、【英雄】なんて呼ばれるような――

 

 

 ガァンッッ!!

 

 

 ――その音は性懲りもなく、自分に言い訳を重ねようとしていた俺の脳ミソを貫いた。

 

 突然の落雷を思わせるような、けれど雷とは明らかに違う雰囲気を持った大音量。

 全身の鱗を叩いて抜けていったその衝撃は、逃げ出すことにだけ誠実に動いていたはずの足を、再び恐怖と警戒で竦ませるモノだった。

 

 何故ならその異音は、俺が言い訳と剣を胸に抱えて逃げ込もうとしている先…… 集落の中心地側から轟いてきたのだから。

 

 

   *

 

   *

 

   *

 

 

 ギャィ! ギチギチギチチチチヂィッッ!!

  ガッドンッ!!

 ギィン!ガッッ!―― ガッ!!ズッ!!ガォンッッ!!

 

 

 音は、一度きりではなかった。

 

 不定期ではあるものの、その間隔は恐ろしいほどに短い。二、三、四、五…… 空気を震わせ、あるいは引き千切って切り裂くような種類の硬い音が、俺の耳と鱗に叩きつけてくる。

 

 初めこそあまりの音の大きさと、およそ聞いたことがないと言える圧倒的な不穏さを持つ響きから、誰かの断末魔を聞き違えたのかとも思ったが―― どうやらこの音はそんな代物ではないらしかった。

 

 ジリジリとした歩みで、身を潜めながら集落の中を進む内に気付いたことである。

 それは決して生物が起こす叫びに類する音ではなく、金属的に硬質なモノを擦り合わせ、時には叩きつけ合っているかのような響きを持っていたのだ。

 鍛冶の修行時、重ねた粗悪な鉄に槌を思いきり振り下ろしていた時に聞いた音。耳の奥に馴染んだあの響きに雑音をふんだんに混ぜ込み、それを何倍にも大きくたなら、果たしてこんな頭の中を軋ませるような音になるだろうか……?

 

 ――そんなことを考えているうちに。

 いよいよ俺は集落の中心地、共有の開けた広場を覗き込める場所に位置する、木で組まれた壁に辿り着いていた。

 

 

 ギャキン!―― ブフォンッ!!ヒュ、ヒュオッ!!

 

 

 今も音は止むことなく轟いている。

 叩きつける音、空気を切り裂く音。そんなモノが耳に飛び込んでくる時に前後して、背中を預けた壁もまた、細かくも確かな振動を繰り返す。

 背中から伝わる震えは耳から入ってくる不協和音にも増して、その発生源が如何に凄まじい力を周囲にまき散らし続けているのかをハッキリと現わしていた。

 

 ……ついさっきまで、逃げ出すことへの言い訳と自己嫌悪で夢中になっていた俺だ。

 そんな己が、そうそう発生源を覗き込む気になるはずもないが、それでもここまで近寄り、さらには正体不明の音についてここまで冷静に考えていられるのは、今目の前に広がるこの光景を現実のモノとして受け止めらないまま、危機感の類を麻痺させてしまっているからだろうか。

 

 ――あぁ、いやしかし。どうだ。

 そもそも俺はまだ生きているのだろうか?

 知らず知らずの内に死んでおり、地獄の中に迷い込んでいたりはしないだろうか?

 背中に壁を預けたまま辺りを見渡せば、俺の知っている生まれ故郷の変わり果てた光景が見えるばかりで、あまりにも現実感がないというのに。

 

 轟音響く広場を背にして見える、今通って来たばかりの集落の様は、はっきりと異常だった。

 慣れ親しんだ、目を閉じればすぐにも今日までの姿が思い出せる家々が並ぶ通り道…… 既に『祝福』の赤い夜は終わり、濁った雨雲から漏れる僅かな月光は元の銀色に戻っているはずなのに、『祝福』の夜を迎える為に点々と灯された祝いの松明に照らされる集落は、毒々しい色に染まり切ったままだ。

 

 年中止まない雨は、今も変わらず降り続けている。

 それでもこの集落を染める赤色を全て洗い流すには、後どれだけの時間が必要だろう?

 

 ここに来るまで見た、真っ二つに裂かれた死体。

 四肢がバラバラになった死体。首をへし折られた死体。

 全身が炎に晒されて爛れた死体。雷に打たれたように引きつり焦げた死体。

 更には爆発に巻き込まれたのか、方々に散らかった身体の部位の群れ――

 

 

 ブォンッ―― ガチッ!ガガギギギギャキ、ギィンッ!!

 

 

 ……何故村の入り口まで逃げ延びた赤鱗の彼らが、あんなにも絶望し切っていたのか。戦士でもない鍛冶屋でしかない者にすら、必死に縋りつこうとしてきたのか。

 喰う為ではなく、ただ殺されて打ち捨てられた死体の山。それを彩っている、この集落を丸ごと滅ぼしてもなお足りない血の海の惨状を見た時、憔悴し尽くした彼らの様子が納得出来てしまった。

 

 この集落は、今夜だけで()()滅んだのだ。

 

 最初に滅ぼされた時は皆殺し。それでも直後に訪れた『祝福』を受けて、流された血だけを残して死体達は復活出来たのだろう…… しかし背後の轟音が示す通り、襲撃者は集落を去ってはいなかった。

 先程の『祝福』によって魔力に分解されず、今もこうして新鮮な死体の山があちこちに築かれている以上、彼らが丁寧に、そして徹底的に殺し直されたのは明白だった。

 

 幸運にも最初から逃げ出せていたのか、それとも1回殺されて復活したのか―― 恐らくは後者だろう――地獄を潜り抜けてようやくあの場所まで辿り着いた彼らにとってみれば俺は、ただ立ち上がれていたという1点のみで、縋りつくには十分過ぎるほど頼もしい姿に映っていたのかもしれない。

 

 ……申し訳ないことに、それは勘違いでしかないのだが。

 あの彼らと同じように今、ただ座り込んでしまっている俺の、一体どこに頼もしさを見出すことが出来るだろうか。

 

 

 バキンッッッ―― ヒュッ、ブォンッ!―――――― ギャァンッ!!

 

 

 硬い金属が折れたような音。終わったのか。

 しかしそう思った直後に再び鳴り響く、甲高くも重い激突音。静寂はまだ訪れず、板を挟んだ背後では激しい戦闘がなお続いている。()()は今なお戦っているのだ。

 ならば彼らを見放してここまで逃げ込んだ俺は最低限、ついさっき咄嗟に捻り出した建前であるところの『まだ戦っている戦士達の戦力として、この剣を届ける』ための行動をしなければならないはずだ。

 

 ……だというのに、俺はまた、へたり込んで動けなくなってしまっている。

 哀れな死体ばかりが転がる静かな惨状の只中にあって、ただ一ヵ所浮くほどに騒音をまき散らしている広場を伺おうとして、この場所に身を潜めてしまった。

 

 身体を伏せ、必然目線も下がった俺の前に丁度姿を晒していた一つの死体は、爆薬らしきモノで全身を吹き飛ばされたモノだった。頭を含めた、いくつもの四肢を失っていた無惨な姿。

 しかし身元が分からないはずのその死体が誰のモノであるか、俺には一目で分かってしまった。

 半ば黒く炭化した胴体にかろうじてくっついてる、奇跡的に原型を残す右腕が、生前には利き腕として振るわれていたことを俺はよく知っていた。

 

 ……つい最近、触れたこともある手のひらなのだ。 

 握りをどのくらいの幅と太さにすれば、剣を振るい続けて出来たこの頑固なタコに、より良く馴染むかを悩んだこともあった。

 柄に巻く布は、どんな皮を使えば良いかを聞いたりもした。

 遠くない将来は『色変わり』によって鱗が黒に変わるはずだなんて軽口を聞いて、なら皮は発色の良い鮮やかな色が映えるんじゃないかと、珍しく笑い混じりの会話をしたこともハッキリと思い出せる。

 

 ……あぁ、思い出せるのに。

 

 

 

 

 (――――親父 )

 

 

 ドッゴォォン……!―――― ヒュン、ギンッ!―――― バキャンッ!!

 

 

 ……。

 

 目の前にある死体。その正体に思い当ってしまった時から、もう全部を投げ出したかった。最早何かを考えることも煩わしいのに、轟音が響く、その度に身体は反射的に危機を感じて動いてしまう。

 

 ぼんやりとした空白と、ビクつく瞬間。忘我と警戒の繰り返し。

 

 そんな強制的に押し付けられる精神への圧迫が、臆病な俺を麻痺させてしまったのか。

 いつの間にか俺は『段々と長くなってきた音の間隔とは裏腹に、金属が割れるような破砕音が響く間隔は短くなってきた』ことに気付き、その正体への好奇心なんてモノを持ち始めていた。

 

 音の変化は、状況の変化だろう。

 意味するのは、膠着した戦闘が終わりへと近づいているということ。

 戦士達がいよいよ勝とうとしているのか、それとも襲撃者が虐殺の詰めに入ろうとしているのか。

 

 今も踏ん張っている戦士を援護する。

 逃げているはずの赤鱗達の時間を稼ぐ。

 そして、父の仇を討つ…… 。

 残念ながらそのいずれだって、この時の俺は考えなかった。

 

 これまでの、恐怖で震える身体を義務や使命感で鞭打ってきたことなど忘れ、「死ぬ前にこの音を鳴らしている連中の顔を拝んでみるか」と、いっそ場違いなほどに軽薄な考えで持って、俺は壁から身体を乗り出し、広場を覗き込むことにしたのだった。

 

 

 

 ――そして広場には、二つの生き物が立っていた。

 

 ここまでに見た集落と同様、散らばる死体の残骸と共に真っ赤に染められた広場の中心、向かい合う両者はちょうど息を整える為なのか、束の間の膠着状態であるらしかった。

 

 二つの内一つは、この辺りで時々見る魚の特徴が多くあるヒト族ではない、長い耳を持ったヒト族だった。

 右手には、蒼く輝く光で刀身を作っている、見たこともない不思議な片手剣。反対の左手には何に使うか分からない、手のひらに少々余る程度の大きさをした四角い板状のナニカを握っている。

 恐らく、アレが外来の虐殺者なのだろう。

 雨の中でなお全身を濡らしたままでいる返り血の凄まじさと、集落一つを相手にしてなお疲労の色薄く、しかも傷らしい傷も無いままに両の足で立っている姿は、とてつもなく不気味なモノだった。

 

 そんなモノと相対し、今も生き残っているもう一つの生き物―― それはしかし、集落の戦士ではなかった。

 

 けれどあまり予想外ではなかった。もっと言えば、半ば予想通りだったのかもしれない。

 集落で最強を誇っていた戦士長の断末魔は随分と前に消え、歴戦の勇士だったはずの父の屍も目の前に転がっている。なのについさっきまで誰の悲鳴も上がらないまま、剣戟の音だけが響いていた。

 

 つまりはその間、誰も死なないままに誰かが、虐殺者と戦闘し続けていられたということになる。そんな実力者の心当たりが、俺にはなかったのだ…… たった一つの部外者を除いて。

 

 ()()()魔王の魔力を漲らせ、見事な青黒い鱗を持つ蜥蜴の魔物。

 額の先から伸びる大きな二本角の偉容は、確かにあの森の入り口で、呼び止める俺を振り切って集落の中へ消えていった魔物のソレだった。

 盛り上がった全身の筋肉は鋭角に膨らみ、雨が(したた)る重厚な鱗の下にあってなお、その陰影を際立たせている。今まで俺が見てきた中でも最強を信じていた戦士長ですら、目の前の魔物が誇る肉の鎧にはとても及びそうにない。

 

 無手であったはずの手にあるのは刃毀れ著しく、加えて半ばから刀身が折れた片手剣が一つ。その見知った形状はこの集落由来の造りであることが一目で分かった。恐らくは、事切れた戦士の得物を使っているのだろう。

 ……地面を見れば、地上の星の如く剣の欠片が一面に散らばっている。この有様を見てしまっては、さっきまで轟いていた破砕音の正体を察するしかない。

 持ち主の悲鳴が上がらないまま砕けて飛び散った欠片達の有様は、敵と彼がこれまで打ち合い続けた証であり―― その事実は敵が持つ武器の脅威的な切断力と、その武力を前にしてなお今も生き残っている、彼が持つ飛び抜けた戦闘力の高さを示していた。

 

 けれど猛烈に迸る魔力も、隆々とした肉体も。そして鳥肌が立つほどの戦士ぶりですらも、彼の眼を見た瞬間に受けた印象に比べれば薄れてしまう。

 相対しているヒト族を睨みつけている、その相貌。

 それはたった今、故郷を滅ぼされたばかりの俺をして二の足を踏んでしまいそうになる程に、一目でソレと分かる憎悪と戦意に歪み切っていた。

 

 そんな両者が向かい合ったまま動かない……いや、傍目から見ても感じ取れてしまうほどジリジリと高まる緊張感からすれば、次の瞬間には再び斬り結んでもおかしくない状況で、ふと気付く。

 

 慌てて周囲を見回すも―― やっぱり彼の周りには、一つも残っていない!

 これまでの推移がどうだったかは分からない。分からないが……この先の展開、圧倒的に不利なのは彼だ。気付いた途端、嫌に冷たい悪寒が背筋を這い上がってきた。

 

 (武器が無い ) 

 

 彼が向かい合う今も刀身がほとんど無いボロボロの片手剣を持っている時点で察するべきだったのかもしれない。戦士の死体達は広場に限っても目を覆いたくなるほどに転がっているというのに、その傍らにあって然るべき片手剣、大剣、槍…… 今やそれらは全て、地面に散らばる残骸になってしまったのだろう。敵は未だ凶器を保持しているのに、彼の手にあるソレはあまりにも頼りなかった。

 

 剣を以て戦闘していた以上、あの鋼を思わせる光沢を持つ鱗でも、敵の剣は防げないに違いない。それに加えて聞こえていた破砕音に混じっていた、あの爆音。なにか爆発物のような攻撃手段を、相手は有している可能性も高い。

 

 幸いにもまだ膠着した様子が続いているが、次の瞬間には彼が切り伏せられる光景が生まれる気がしてならない。何か、彼を助ける為の武器がすぐにも必要だ。

 ……。

 …………。

 そうだ、分かっている。

 考える必要もない。もし魔物を見守る神がいるとしたら、今この時この場所に俺が居合わせた理由は一つしかないだろう。

 この未練がましくも抱えていた『武器』。これを目の前にいる虐殺者と、唯一人戦う英雄然とした彼に渡すことこそが、俺に与えられた果たすべき役目に違いない。

 

 そんな確信があるというのに…… なんと俺は、躊躇ってしまっている。

 

 しかも困ったことにそれは、あのヒト族の目に止まって殺されることじゃない。無事渡せたとして、この剣が父や仲間達の仇を討つこと叶わず、ただ無価値に折れて失われることをただ恐れていた。

 これまでの自分が培った技術と自信。反発と尊敬、好悪入り混じった父へと想い、それらが無惨に叩き折られるかもしれないという可能性が過ぎっただけで、俺の手は剣の柄を握り締めることを選んでしまった。

 

 

 ――――だから俺は、また逃げた。

 

 

 まず彼を無手のまま戦わせるワケにはいかない。村の戦士を皆殺しにしてみせた虐殺者を相手に、戦い続けられた彼をここで失えるハズもない。

 ここは、集落を捨てて逃げるべき。

 きっともう、赤鱗の皆は逃げきれたはずだ。

 あとは彼を連れて皆の後を追って退けば、部族は違えど同族達がいる他の砦に逃げ込むことさえ出来れば…… 彼にもっと、大戦士に相応しい武器を用意することが出来るだろう。

 

 剣を手放せなかった理由にそんな建前を用意した俺は、隠れていた壁から勢い良く飛び出す。飛び出しながら、口の中に蓄えていた全力の水弾を向かい合う両者の中心に放つ。

 それはどうしようもない事情で武器を渡せなかった特大の後ろめたさが、死の恐怖を忘れさせた瞬間だった。

 

 泥と血を跳ね上げ、巻き上がる水柱によって、一瞬向こう側に隠れたヒト族。コチラに振り向かないまま水で出来た煙幕の向こうを睨みつけているままだった彼に、俺は叫ぶと同時に駆け出した。

 

 「コッチだ! 森の向こうには同族の砦がある! アンタが使える武器もたんまりあるハズだ! ヤツを倒す為にも、ここは一緒に逃げてくれっ!!」

 

 言い切った後は、四つ這いになって一目散に走った。

 初めて会う彼がついて来てくれるかどうかは賭けだったが、あの冷徹な殺意に塗れた眼の持ち主が、勝ち目のある手段を示されてなお無謀な戦いに甘んじるとは思えなかった。

 

 ……少しして俺の後ろに追いすがる足音の気配は一つ。徐々に近づいてくる気配は、振り返らずともハッキリと、『祝福』に通じる魔力の波動を感じさせるモノだった。

 

 もっともそんな気配が無くとも、きっと俺は振り返って確かめようとはしなかっただろう。

 情けなさも極まったせいか、どれだけ瞬きをしても視界が滲むのを止められない。

 

 後ろを振り返るだけの勇気はもう、あらゆる意味で残っていなかった。

 

 

 




 ※紫混じり青鱗の蜥蜴『リザレス』
 鍛冶屋の家系に生まれた、『色変わり』したばかりのリザルフォス。
 まともな戦闘をしたことはなく、戦士としての気質も持ち合わせていないが、その瞬足は戦いに生きる鍛えられた戦士達と比べてなお早い。
 宝の持ち腐れ。

 ※現在【厄災】の持つ片手剣=古代兵装・剣
 道中の祠にて入手。
 失われた古の技術を刃にした片手剣。青く輝く刃による切断力は、一般的な金属の剣をはるかに凌ぐ。
 「ゾーラ族の人々を苦しめる魔物として代表的な、リザルフォスの巣窟へ攻め入ったリンクだが、当初この武器を使用する必要は無いと判断していた。しかし突如乱入してきた青黒い鱗のリザルフォスを見た瞬間、それまで使っていた得物を相対していた魔物(戦士長)の心臓に投げつけ、コレを抜き放った 」


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【厄災】の進撃

前回のあらすじ

 故郷虐殺、故郷再虐殺、【勇者】回生……【厄災】遭遇。
 その全てに立ち合いながら一切の介入が出来なかった魔物、リザレス。
 臆病な傍観者である彼に出来たのは、【勇者】を煽って惨劇の地から共に逃げ出すことだけだった。





   * * * * *

 

 

 ラネール地方に、延々と止むことなく振り続ける雨。

 この土地を守護する水の神獣が、百年前の【大厄災】で英傑の担い手から厄災の魔物に奪われた時より始まったこの現象は、ハイラル大陸を包む暗黒の百年を象徴する、忌むべき災いの一つに挙げられている。

 

 陽も満足に差さない土地では、ろくな作物も育たず。

 根ざした木々も弱り、栄養が目減りし続ける湖では大きな魚も姿を消し。なお魚を求めて慣れない土地まで赴いたせいで、そのまま戻らなかった者も少なくない。

 そして、ぬかるみ切った街道。

 加えて水棲の魔獣が蔓延る危険極まりない場所へ往く物好きな行商人は、本当に数える程しか存在しなくなって久しい。

 

 ――これは、ハイリア人とゾーラ族。

 両者の実質的な交流断絶を示してもいた。

 

 ラネール地方では得るのが難しい物資が不足しても容易に補充することは叶わず、以前までは当たり前だった生活環境が、年を経る毎に劣悪なモノへとなっていく。

 

 それでもゾーラの王と民の努力により、この百年は永らえた。

 しかし、次の百年は絶対に保たないことも分かり切っていた。

 

 ゾーラの里よりほど近い「東の貯水湖」は既に危険水位まで上昇している。例え明日ソレが決壊してゾーラの里が飲み込まれたとして…… 恐らく彼らは、そんな悲劇を諦観と共に受け入れてしまうのだろう。

 百年続く雨は、ラネール地方に住まうほとんどの民達から『現状を打開したい』という気力を奪い尽くしていた。

 

 つまり。

 厚く濁った雲の下で魔物が世の春を謳歌し、ヒト族が生の苦痛に喘ぐ現在の様相こそが、今のラネール地方全域における「正しい」日常なのだ。

 

 

 

 ……しかし遡ること今より数日前。

 そんな常態が崩れる「異常な」出来事が起こる。

 

 ルト湖の奥地に存在するゾーラの里。そこへと至る唯一の陸路に設けられたラルート大橋より先にそびえる山――「ルト山」。

 堕ちた神獣が構える「東の貯水湖」に隣接しているせいか、リザルフォスを中心とした魔物が多く棲みつき、今もその数を増やし続けている魔境。

 それ故にヒト族、いや、魔物を含めた共通認識として、今のルト山にわざわざ踏み込もうとするヒトは非常に稀だ、というモノがあった。

 

 そして「異常な」出来事についても、端を発するならばこの認識に由来する。

 

 事の始まりは、一つの珍事。

 『たった1人のハイリア人が、行商の荷物や護衛も無しにルト山へ入山した』

 

 ヒト族の立場からすれば、酔狂極まった行商人でもないらしいこのハイリア人がとった行動の動機に何を思うだろう。

 きっと、悲観的な予想しか出来ないに違いない。

 最も多く思い浮かべられる動機は、世を儚んだ自殺。次点を挙げるなら、山の現状を知らぬ無知さがさせた、無謀な腕試しといったところか。

 

 そして魔物の側に立つのなら、そもそも動機などに考えを巡らせる必要がない。

 『最近口にしていなかった種類の獲物が、ノコノコと自分達の縄張りに入ってきた。早い者勝ち、サッサと狩って食らってやる』

 

 野生のままに生きる彼らは、ただただ欲望に忠実なのだから。

 自らが望んだ結果を獲物に押し付けるべく、見つけ次第愚かな餌に襲い掛かるだけのことだった。

 

 

 

 ――しかし、ハイリア人入山より数日後の今。

 ルト山を往くこのヒト族は、未だに五体満足で立っている。

 

 道中のそこかしこに夥しい数の魔物の死体を積み上げながら。

 蒼い瞳を持つハイリア人は、ゾーラの里を目指して進み続けていた。

 

 ……改めて言おう。

 これは、ヒトと魔物の双方どちら側から見ても、百年の内に築かれた日常からは遠くかけ離れた「異常事態」である。

 

 

 

   * * * * *

 

 

 

 ラルート大橋からゾーラ族の里へと至る、ルト山を横断するように作られた道。【大厄災】後、充溢する魔力と復活の奇跡を得たリザルフォスの祖先達は、やがて効率的にヒト族を襲う為の拠点をその通りが見渡せる場所に築いた。

 野生の獣を探して狩るより、大量の物資を担いだ行商人や兵士を狩った方が効率が良い。時が経ち、彼らが安定してヒト族に勝ち越せるようになった頃には、人目を避けるようにして隠された集落は跡地に変わり、道を占拠するようにして作られた前線拠点こそが新たな集落となっていった。 

 

 ルト山の支配者は、ヒト族ではない。

 ラネール地方に棲息するリザルフォス。その種が最も繁栄し、6つほどの大部族に分かれて君臨している土地、それがこの時代のルト山なのである。

 

 

 ……しかし。それも数日前までの歴史となっていた。

 彼らリザルフォスは今、どうしようもなく追い詰められている。

 

 

 

 『――5番目の集落が、**に落とされた 』

 

 

 

 道をなぞるように作られた、6つの大集落。それぞれが数十匹の頭数を揃えるほどの規模を誇り、その中には『色変わり』を成した歴戦の戦士も珍しくなかった。

 にも関わらず、そんな魔窟が既に5つ…… たった1人のハイリア人の手により滅ぼされたのである。

 それも、片手の指に満たない日数で。

 下手人のハイリア人が、並み居る戦士すら寄せ付けない無双の力を振るった結果であった。戦士達はろくな足止めもままならず、ただ殺された。

 

 ……しかし真に魔物達を追い詰めているのは、()()が発揮した恐ろしい精神性にあるだろう。

 強いだけなら、倒せないだけなら。

 リザルフォス達とて弱肉強食の世界に生きる住人なのだ。

 無念と怨嗟の断末魔を上げこそすれ、底冷えするような恐怖をこのヒト族に抱くことはなかったかもしれない。

 

 だが、彼らは怯えた。

 立ち向かった戦士、家族を庇った父親、子供を庇った母親、逃げ切れなかった子供、

早く駆けれないが故に居残った年寄り連中――

 ()()は己の暴力が届く全てのリザルフォス、老若雌雄を問わないその一切合切をただただ切り捨て、爆弾で吹き飛ばし、矢で貫き果たしたのである。

 食べる為ではなく、ただ殺すことを目指して1つ1つの集落を丁寧に、徹底的に殺戮してみせた精神性は、魔物の彼らにとって正に【厄災】であった。

 

 極みつけはそれほどの有様であるにも関わらず、ただ1つ、狂態とは余りに矛盾した、凪いだ水面のように澄み切った蒼い瞳の印象深さたるや…… 3つも集落が落とされた頃には、その無垢さすら漂わせる視線に魅入られただけで、彼らリザルフォスの心胆は心底寒からしめられるようになってしまっていた。

 

 

 それでも大きな犠牲と幸運の上、何とかして逃げ延び、まだ無事な集落へと掛け込めた者もいる。

 やがて5番目の大集落が落とされたことで、ゾーラの里に面する6番目の集落にして要塞――従来ならば、ラネール地方最大の勢力を誇るゾーラ族の王がいる里と隣接する、この集落こそが戦いの最前線であった――には、その全ての避難者が集まることとなった。

 ……しかし元々の総数で言えば数百に至る数となるはずの、5つの大集落分の全てを集めた避難者達の数は、決して多くない。全部集めて、大集落1つ分になるかどうかの数十頭。子供に限ってしまえば、彼らの持つヒト族より少ない両手指を折ってなお、2人分には届かないだろう。

 避難者の大部分は、かつての故郷を守っていた戦士や狩人だった。6番目の集落にまで辿り着き、生き残った彼らは故郷を守るべく戦った後、撤退せざるを得なかった敗残者達である。

 

 しかし彼らは全員、襲撃者から怯え逃げ、ただ故郷を捨てた腰抜けではない。

 むしろそうした性根を持つ者のほとんどは、故郷を抜け出すと共に下山を試みた者がほとんであった。

 ……単独で逃げ出した者達がいずこかに潜んでいるだろう【厄災(アレ)】と出会わず、無事逃げ切れたかどうかを知る術は、最早無い。

 

 

 

   *   *   *

 

 

 

 最初に滅ぼされた1番目の大集落から僅かに落ち延びた者の知らせにより、2番目の大集落は『祝福』の宴の最中に奇襲を掛けられることはなかった。しかし仇討ちを果たさんとした族長が周辺の捜索を強行、戦士達を分散させてしまう。

 結果、その全てを各個に殺し尽くした【厄災】は、戦士をほとんど失った集落へと侵攻する形に。最初に滅びた集落よりやってきた二本角の戦士が殿をしてなお、落ち延びれたこの集落の者は、1番目の生存者数よりなお少なかった。

 

 3番目の大集落。

 彼らの族長は1,2番目の生き残りの少なさに驚き、次いでもたらされた【厄災】の異常な戦力から、集落単独での防衛は不可能だと悟った。早々に4番目の大集落へと応援を呼ぶべく使者を飛ばしたのは、大部族を率いる長に相応しい器に違いなかっただろう。

 しかし殿を務め切り、僅かな猶予すらを稼いで合流した二本角の戦士は、この状況を聞くや深く唸り、天を仰いだ。

 

 「一体どうしたのか?」――そう聞いたのは、彼と共に最初の集落より逃げ延びた鍛冶師見習い。

 「まるで足りん」――最初の村での一騎打ちでは傷一つ負っていなかった鱗に、今度は大小様々な傷を刻んで帰ってきた彼は答えた。

 

 やがて大集落へと辿り着いた【厄災】の衣が、ズッシリと雨以外の水分を被って重くなった頃。僅かに生き残った4番目から来た救援と生存者、そして唯一敵と拮抗し得る二本角の戦士を逃がすため、六大部族中最強を担っていた族長は、自らが率いる3番目の戦士達と共に特攻した。

 

 4番目の大集落。

 3番目へと援軍に送った最精鋭の戦士達が帰って来ない時点で、彼らは既に分かっていた。もうこの集落は終わりなのだと。最低限の荷物を抱えて即時の避難、それから残った4,5,6番全ての部族を合流させなければならない。

 この大集落はルト山のほぼ中心。ハイラル、ゾーラのヒト族から最も距離を置いた立地であることから、戦士よりも鍛冶師を中心とした技術の水準が高い。最低限に絞るとはいえ、今後の防衛と迎撃を考えれば持ち出したいモノは多かった。

 目指す先は6番目の大集落―― いや、要塞と呼ぶべきか。魔物と頑なに敵対的な行動を取り続けるゾーラ族が住まう里と隣接するが為に戦いと増築を続けた結果、最も高い戦闘力を誇る6番目。そこに4番目の技術力、そして狩人が主体の機動力に富んだ5番目の部族が合流すれば、所詮は一人。必ずやあの【厄災】にも勝てる。

 

 ……かつて最強を誇る獅子の肉体と、『黒色』が占める魔物の大軍を率いてなお【厄災】に敗北した記憶を持つ、今は蜥蜴の大戦士を除き、その場に集った全てのリザルフォスはそう信じた。

 

 そうして戦意高まる空気の中、避難に最低限必要な準備が整った頃。

 5番目の大集落より、使者が来た。

 全身を泥に塗れ、息も絶え絶え。来るはずだった大勢の戦士と狩人達の姿は無く、たった一匹の憔悴し切った雄がもたらした情報。

 その内容は、少なくない数の老いたリザルフォスに、生命の最期を過ごす場所として、4番目の集落に留まることを選ばせるモノだった。

 

 

 『――5番目の集落が、【厄災】に落とされた 』

 

 

 勿論、今のハイラル大陸は『祝福』の奇跡に覆われたままではある。

 虐殺された魔物も、やがて赤い月さえ登れば復活することは叶うだろう。

 

 とはいえ、それでも住民の全滅は、長年掛けて築き上げた集落が一度滅ぶ事実に変わりはない。それはつまり先祖の想い、誇りと意地の拠り所である縄張りに、消えない傷跡が刻まれることになるのだ。

 一切の余地無く命と心を蹂躙されてしまった後、還ってきた者が再び誇りと安心を取り戻せるようになるまで、一体どれだけの時間が掛かるだろう?

 

 

 ルト山に棲むリザルフォス百年の繁栄と、権勢が失われるのか?

 最早遠い過去の出来事であったはずの、ヒト族に虐げられた歴史が復活してしまうのか?

 

 泥塗れの報告は、弔い合戦に高揚していたはずの彼らにそんな考えを浮かばせるほどに、強烈な不吉さを匂わせていた。

 

 




短めダイジェスト風味。
BotWは、攻略順なんて存在しない自由なオープンワールド。
集落を道なりに、1→6番目と攻略しなくとも良いのです。

熱心なプレイヤーならアイテムを取り零さないよう、マップを虱潰しにしながらイベントを進めるのは当然のムーヴですね。

次回は他の魔物視点の予定です。
多分早めに投稿出来ると思います。


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