機動戦士ガンダムFX 『天の光はすべて星』 (飛天童子)
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序章 さよならハリウッド

 スペースコロニーの夜は奇妙だ。

 円筒の内側に広がる世界。目を動かすと大地がせりあがるように壁となって天井となり、また壁になって足元に戻ってくる。その壁にも天井にも、道路に沿った街灯や繁華街のネオンサインにビルボード、そして住宅街の明かりといった人の光が連なって輝き、虹のかけらがこぼれているようだ。暗いことは暗いが、喩えるなら舞台の夜のセットの只中に立っているようなものだ。空がない。

 本当の空は、外に広がっている。宇宙という暗く厳しく広大な空だ。

 ところがサイド3の密閉型コロニーとなると、空を見る窓がない。夜空を見たければ、このズーム・シティーでは『星の見える丘公園』が唯一のスポットだ。

 モーターサイクルにもたれて星の空を眺め、思いを馳せると、体は地上にあるのに、心は空を飛び始める。かつて、空を縦横に駆けていたときと同じように。

 と、ふいにその空が、地球で過ごした最後の日々の夜空に変わった。

 あの夜も、通りに虹のかけらがあふれていた。

 光のシャワー降り注ぐオーシャン・ブールヴァード。どの顔も輝いて見えた。賑やかなグレイト・ロスアンジェルスの土曜の夜が始まろうとしていた。

 しかし、俺はまるで、よそ者のようだ。

 強くそう感じた。自分の目に映る、見慣れたはずの光景がすべて幻のように。何故なのだろう。

 その答も見えないまま、ひたすらモーターサイクルを走らせていた。特に目的も意味も無い。目指す場所すら無い。じっとしていたくなかった。それだけだ。

 スロットルを開けてただ前に意識を集中し、できるだけ何も考えまいとしているのに、やがてどうでもいいことばかりが次々と頭に浮かんでくる。

 そのひとつが、俺がモビルスーツ乗りだとわかると、必ず聞かれる質問だ。

「どうしてモビルスーツのパイロットになったの?」

 モビルスーツはすっかり一般的なもののはずなのだが、それに乗る人間はいまだにそう一般的ではないのかもしれない。確かに普通ではない職業に違いない。まあ、それについては、

「モビルスーツが好きなんだ」

 と応えたこともあれば、

「宇宙を駆け巡りたかったからさ」

 と応えたこともある。答は他にいくつもあったが、俺にはそのすべてが真実だった。

 しかし、そうした言葉を使っての意思疎通というやつが時々とてつもなく疎ましくなることがある。人の真実や認識というものは言葉で表しきれない。語ろうとすればするほど、真に伝えたいことは言葉に乗ることなく、はるか彼方へ埋もれて見えなくなってゆく。

 ニュータイプと呼ばれるようになってからも、いくつもの局面でそれを痛感した。どんなことでも、一言間違えただけで友達だった奴も行ってしまう。ずっと、永遠に。いくら洞察力に優れ、人の思いがわかるようになったとしても、意思を表すのが言葉である限り、完全な意志の疎通というものは図れない。

 スーズ。

 今は、ため息しか出てこない。

 しばらくはスーズが面倒を見てくれた。

 スーズのやり方は、俺のようなサン・オブ・ア・ガンにはぴったりだった。けれど、もう俺のお守りはやらないだろう。

「また宇宙へ行くですって?」

「そうだよ」

 スーズが確かめてきたとき、軽く応えた。

「試作機のテストパイロットになったんだ」

 見ると、スーズの眉は険しくなっていた。怒っているのか、と思う前に、思いもよらない言葉を浴びせられた。

「どうして断らなかったのよ」

「どうして、って」

「アマリリア紛争がようやく収まって戻ってきたばかりじゃない。なのにどうしてまた宇宙に上がらなきゃならないの。わたしがどんな気持ちであなたを待っていたか、わからないの」

 スーズは早口でまくしたてた。

「君の気持ちはもちろんわかるよ。でも、今回宇宙へ行くのは、闘うためじゃない」

「そんなこと、わかるものですか」

 スーズはそう言い捨ててそっぽを向いた。

 スーズは決して物分かりの悪い女性じゃない。

 しかし、もう二度と会えないわけじゃないと言いかけて、ふいに理解した。と言うより、はっきり見えてしまった。スーズとも、もううまくやっていけないのだ、と。

 宇宙にいた頃は、スーズこそが拠り所だった。スーズの許へ戻るために生き抜かねばならない、と。覚醒の銃爪を引いたのは、その思いだろう。俺はとにかく生き延びるためにニュータイプになった。しかし、そうして得た力でわかったものは、かけがえのない、と信じていた女性との間に横たわっていた深い溝でしかなかった。

 まったく、ため息ばかりだ。

 ニュータイプは人類の革新と認識されている。認識能力の拡大により人並みはずれた直感力と洞察力を備えた、新たなセンスを身につけた人類の新しい姿である、と。離れていても他者や状況を正確に認識し意思疎通もできる。

 だからと言って、人と人との間にある溝は埋めようがない。逆に、溝の底知れなさを否応なく思い知らされる。はっきりと認識できてしまうだけ、救いが無い。そんな気がする。

 とにかく、俺は戻るべき場所を失った。いや、見つけたと思い込んでいただけで、そんなものは元から無かったのだろう。

 あらためてそう思い知らされたところで、ようやくスロットルを絞る気になった。モーターサイクルを路肩に寄せて停め、大きな息をついた。

 とても苦い。

 何故、わかりあえないのだろう。

「――誰も、あなたではないからよ。シュー」

 静かな声が聞こえて、がばっと顔を上げた。

 マザー・ヴォイス。

「信じあい、わかりあったつもりでも、最後には自我がぶつかりあってしまう。それは、ぎりぎりのところで誰もが持っている壁」

 そこでマザー・ヴォイスは聞き慣れた声に変わった。ディタだった。

「完全にわかりあうということは、何もかもが溶け合うようにひとつになること」

 そうか、――と思う。

 今の気持ちを理解してくれるのは、ディタしかいないのかもしれない。

 中型攻撃空母ビフィーターで初めて出会ったときの印象は、正直言って、決して良いものではなかった。

 顔立ちこそ整っていたのだが、そこに表情というものが無かった。

 ばかりか、いついかなるときも、極限に追い込まれた時でさえも、ひたすら無口で無表情。その様は冷静沈着をはるかに超えており、感情が死んでいるとしか思えないほどだった。さすがに俺も、この女性はモビルスーツ乗りになるまでは一体どうやって生きてきたのだろうと考えさせられたほどだ。

 だが、俺のウイングマンとしてディタ以上のパイロットはいなかった。ニュータイプでこそなかったが、常に冷静沈着で、確かな技量できちっとフォローしてくれたばかりか、熾烈なドッグファイトの最中でも俺の次の動きを予測してみせた。実に素晴らしいパイロットだった。

 惜しむらくは、ディタは甘く恋を語れるような女性ではなかった。非情なまでに現実的で、厳しい目で物事を見つめているディタと一緒に過ごせるのは、戦の場でしかなかった。

 今はそのディタのことがやけに気にかかる。

 予感かもしれない。

 いや。

 ひとり、かぶりを振った。

 俺には「予感」などという言葉はない。すでに。

 

 デザート・ムーンは、血の通った本物のブルーズとロックンロールを聴かせてくれる、俺の魂の故郷だ。

 今夜のオープニング・ナンバーは『ブラウン・シュガー』。首根っこを鷲づかみにしてぐいぐい揺さぶるヴォーカルに、鋼の塊を叩き割るようなギター。体中の血が踊り始めそうなこのビートとグルーヴ。やっぱりストーンズは最高だ。

「やあ、フリー・バード」

 カウンターにつくと、ランディが声をかけてきた。俺のブルーズとロックンロールとモーターサイクルの師匠だ。

「調子はどうだい」

「上々さ。けれど、ここにもまたしばらく来られなくなる」

 それを告げたときは、すこしつらかった。

「どうして」

「また宇宙へ上がることになったんだ」

 ランディは目を丸くした。

「この間戻ってきたばかりだろう」

「そうなんだけど、転属命令が下ってね」

 転属先はNTC。ニュータイプとして認められた者の然るべき行き先だ。このNTCが連邦軍内で完全な独立部隊として成立してしまっているという点に連邦が、いや、普通の人々がニュータイプをどう見ているかが如実に表れている。

 しかしまあ、構いはしない。どういう目で見られているかなどということは気にしても是非もない。それより問題なのは、この空腹だ。ランディにパスタとコーヒーを注文し、皿が出てくると鬼のような速さでかきこんだ。

「俺も、空へ上がろうかな」

 ランディはラッキーストライクに火を点けてぽつりと言った。その言葉に驚いてしまい、いったいどうしたのかと尋ねた。ランディはためいきのように煙を吐き、呟くように話し始めた。

「最近、見るのは軍服ぱかりだし、聞く話も戦争が近いとか、そんなのばかりだし、ニュースもそうだ。息が詰まる。昔のようにはいかないな、もう」

 ランディが愚痴をこぼすのを初めて聞いた。が、無理はない。政治に目を向けないようにしているが、時代が転がり始めようとしていることは厭でもわかる。

 破綻が見えてきた経済。

 ネグローニ率いる右派の突出に伴う諸紛争の武力鎮圧。それに対するサイド各国の包囲網と経済制裁。

 対する連邦のあくまで強硬な姿勢。――

 そんなぎすぎすした流れの中で、ランディのもっとも愛する「自由」が損なわれつつあるのは事実だ。

 俺の気持ちも重くなってきたが、ランディの目に俺はあいかわらず連邦軍士官として映っていないことは慰めにはなった。

 それにしても湿気った夜だ。こんなときにはやはりモスコウ・ミュールだ。あの爽やかな刺激を喉に流しこみたい。そんな思いを抑えつつコーヒーカップを口に運び、ソーサーに戻したときだった。突然、背後より静かな声がかけられた。

「シュプリッツァー・レイ大尉」

 ゆっくりと振り向いて、声の主を見つめた。

「ここで君と会うこととなるのはわかっていたよ」

「さすがね」

 言葉とは裏腹に、口調は無感動だ。しかしそんなことなど、ディタは気にも留めていないようだった。

「隣、よろしいかしら」

「どうぞ」

 ディタは隣のストゥールに腰を据えた。しかし久しぶりに再会したのに、相変わらずと言うべきか、見事なまでの無表情だ。何の感情も現れていないし、まるで川向こうの火事を眺める目をしている。まったくもってディタらしい。らしいといえば、オーダーも実にらしかった。天然水。

「上の後始末はもうすんだのかい」

 ディタは水をボトルからグラスへ注ぎながらかぶりを振った。

「わたしは紛争が解決してすぐ除隊したから」

 何とも意外だった。思うところがあったのかもしれないが、ディタはとにかく何も読み取らせてはくれない。そうなのか、と言うほかはなかった。

「わたしの知っているのは、あなたの搭乗していた機体がサナリィ(海軍戦略研究所)に接収されたことだけ」

「接収だって」

「ええ。あなたが召還されて地球へ降りたその日に」

「ずいぶんと急な話だな」

「Zネクストというモビルスーツが本来持ち得ない力を発揮し続けた理由を解明するためでしょうね。けれど、サナリィは何一つとして解明できないと思うわ。あなた抜きでは」

 Zネクスト。制式名称、アナハイムMSZ006N。ニュータイプ用のモビルスーツではあるのだが、言ってしまえば昔のZ系形態可変型モビルスーツにサイコミュと半ダースのファンネルを載せただけの、応急措置に近い機体だ。その割に働いてくれたのも事実だが、これから駆る機体の方が数段優れていることは間違いない。

 サナリィNF250サリシュアン。

 この空の上で俺を待っているモビルスーツだ。

 海軍戦略研究所で完全新開発されたモビルスーツで、サイコ・フレームを採用した、超高機動型の宇宙戦専用機。そいつに乗って自由自在に宇宙を駆け巡れば、今抱いているこの奇妙な寂しさのようなものも忘れてしまえるかもしれない。が――それは、真の意味での救いではない。

 口を閉ざすとスーズがすぐに戻って来ようとする。軽く頭を振って、尋ねた。

「除隊した後はどうしていたんだ」

「オールド・ハイランドへ帰ったわ」

「サイド3か」

「わたしの故郷よ」

「君の故郷は地球ではなかったのか」

と言いそうになって、言葉を飲み込んだ。ディタのことだ。答えてくれるとは思えない。まして、仮想敵国の人間が何故連邦軍にいたのかということなど、

「それでわざわざ降りてくるとは、どういった風の吹き回しかな」

「あなたと会うためよ」

 ディタは素っ気無いとしか言いようのない口調で応える。あくまで冷静な瞳で。

「何故」

「手を貸してもらいたいの」

「手を貸してほしい、とは」

 今度は幾分か慎重に尋ねる。すると、ディタはきっぱりとこう言った。

「わたしたちは優秀なパイロットを必要としている。協力してもらいたいの」

 やはり、というべきか、話は変な向きに転がり始めた。詳しく聞こうか、と言う前に自然と周囲に注意が向いてしまう。連邦の諜報部員はどこにいるかわからない。何と言っても、ここはキャリフォルニア・ベースのお膝元だ。

「――そうね。ここは、わたしたちが話をするには不適当な場所のようだわ」

 俺の無言の呟きが届いてしまったか、ディタはすっと立ち上がった。素早く勘定をすませるとランディへの挨拶もそこそこに店を出て、ディタをタンデムシートに乗せて走り始めた。しばらく海岸に沿って走ってから、海辺の駐車場に乗り入れて、砂浜を少し歩き、人気のなくなった辺りで腰を降ろした。そしてディタが口を開くのをしばし待った。しかしディタはさっきのことなど忘れ去ってしまったかのように黙ったまま、遠い目で暗い海を眺めている。このままでは詮がない。水を向けた。

「さっきの続きだけれど」

「さっきも言ったとおり」

 ディタは淡々と言葉を口にする。

「あなたのように非常に優れたモビルスーツ・パイロットが必要なのよ。わたしの故郷に来ていただけないかしら」

「オールド・ハイランドへ、か」

「ええ」

「どうしてモビルスーツ乗りが必要なんだ」

「それは、今は詳しく言えないわ」

 さっぱりわからない。ニュータイプだから言わなくてもわかると考えているのだろうか。あいにくと、そこまで便利にはできていない。だが、簡単に承諾できるような問題ではないことはわかった。そもそも、協力といってもいろいろな形がある。しかし、まともに聞いてもディタは応えてはくれないだろう。考えて尋ねた。

「君は、除隊した、と言ったね」

「ええ」

「君に協力するとしたら、俺も軍を辞めて、連邦からオールド・ハイランドへ移住しなければならないのか」

「それは、あなたにとって困難なことなのかしら」

 するどく尋ねられて、一瞬言葉を取り落としてしまった。

 ディタは俺をじっ、と見つめた。生きた目をしていた。

「わたしはあなたと出会ってから、ずっとあなたを観察してきた。そして奇妙なことに気がついた」

「奇妙なこと、とは」

「ええ。あなたは連邦のために戦ったけれど、地球至上主義者ではない。地球連邦を、ひいては地球を守らねばと考えてはいなかった。だからといって、アンチ連邦でもない。明確な主義主張が少しも見えないのよ」

 やれやれ、という気分になる。

「難しいことを考えて入隊したわけじゃない。宇宙に行くためだ。それにモビルスーツ・パイロットは昔から憧れだった。それだけさ」

「けれどあなたはもう闘ってしまったわ。そして、ニュータイプとして覚醒した」

 もう遅い。子供の頃の夢に引き返すことはできない。ディタはそう言っている。確かにそのとおりだ。

「どうやらあなたは自分がいかな立場に置かれているか、わかってはいないようね。今のままでは、あなたは連邦軍に散々利用された挙げ句、つぶされてしまうわ。それは確かよ」

「だから君たちに与して闘えというのか。俺の能力を最大限に活かすために」

 ディタが申し出るであろうことを思わず先読みして口にしていた。が、ディタはうなずきもかぶりを振ることもせず、俺をただ見つめていた。

「ニュータイプは戦争の道具じゃないという見解には同意するわ。けれど」

 何だと言うんだ、と言いかけて、口を閉じた。熱くなりつつある。らしくない。

 ディタの言いたいことは解る。

「ニュータイプがいなければ、勝てない」

 そういうことだ。そして、それは真実だった。が、ファンネルを自在に飛ばすことだけがニュータイプの力ではないだろう。

 だからテストパイロットを引き受けたというのは当たっている。

 スーズの望んだように辞退することもできた。

 しかし俺の内では、ふたたび宇宙に上がることで何かが見えるかもしれないという思いが確信へと変わって行った。

 それに、このまま地球に居続けることで、魂までが重力の頚木に囚われてしまうのはごめんだった。

 空から降りてきて、改めて知った。重力がいかに強いものかということを。そして、宇宙を例えようもなく懐かしく感じた。それはきっと、宇宙が俺のほんとうの故郷であるからに違いない。決して、この地球ではなく。

 ようやく頭が冷えた。

 気がつくと、ディタの瞳はふたたび俺に向けられていた。その瞳で射られると、心の鎧がすべて剥ぎ取られるような気分にすらなる。

「誤解しているようだから断っておくわ。わたしはあなたを道具として見てはいない。決して」

 ディタは、ディタにしてははっきりした声で言った。

「わたしはあなたを調べるために自分でも呆れるほどの時間をかけた。そして、あなたはわたしたちにとって必要な人間だと結論した。あなたのニュータイプとしての力だけを求めているわけではない」

 なるほど。俺、というひとりの人間を求めているわけか。さっきよりはいくらか興味が湧いて、こちらから尋ねてみた。

「オールド・ハイランドの目指すところは何かな」

「理想にすぎないと言われても是非もないけれど、わたしたちの理念は、人類はすべて天に生まれて、天に暮らすべきだということ。究極の目的はスペースノイドの完全な自立」

 ディタは少し沈黙した後に応えた。たしかに理想だが、この地球を離れて宇宙に出てこそ人に革新はもたらされる、という考え方については大いに賛同できる。が、

「オールド・ハイランドは一国家として立派に自立しているだろう。自立どころか地球連邦と対等以上に渡り合っている」

「そうだけれど、政治経済社会という各面についてではなく、精神や意識についてもよ。そしてもうひとつは――今は伏せておくわ」

 ディタが言ったのはそれだけだったが、それで十分だった。

 遠くないうちに、オールド・ハイランドは動き出す。間違いない。

 これは大変なことだ。

 天の大国オールド・ハイランドがモビルスーツ乗りを必要とする理由など、ただのひとつしかない。道理で詳しく触れられないわけだ。

 ディタはそれから俺の待遇について極めて簡潔に述べた。それによると階級は大尉のまま。編隊長資格も有効。他の条件も悪くないどころか、すばらしい好条件だった。

「――話は以上よ。回答を聞きたいわ」

 ディタは口を閉じるとさっきと同じように俺を凝視した。冷徹な眼差しは、速やかな返事を求めていた。だが俺はうなずくことも断ることもできないという、妙なことになっていた。

 ディタの言っていることは正しい。それはとうに理解できていた。

 ニュータイプの手によってしか真価を発揮できないモビルスーツを完全新開発するとは、連邦のやっていることは矛盾しているとしか言いようがない。が、見方を変えてしまえば、サリシュアンはニュータイプの道具としての価値を認めたうえで、とことんまで食いつぶすためのもの、と見ることもできる。

 しかし俺は、何でも己の目でそうと確かめなければ納得できない。これは様々な物事を透察できるようになった今も変わらない。しかと見極めてからでなければ、動くことはできない。

 その一方ではたしかなためらいもあった。このままディタに従う方が安全なのではないか、と。辞意を表すと、ディタは何らかの強い行動に出るかもしれない。

「どうやら、すこし時間が要るようね」

 ディタはぽつりと言った。さすがというべきか、ディタには俺の葛藤などお見通しだったようだ。

「あなたのなかで意思が統一されていない状態では、後々支障をきたす」

「すまない」

 ディタは、素っ気無い顔でうなずいただけだった。そう落胆した様子もなく、かえって拍子抜けした。

「けれど、これだけは覚えておいて。連邦の見方はずっと変わっていない。地球人にとって、宇宙移民は従属すべきもので、ニュータイプはその中でも悪しき突然変異なのよ」

「心得ておくよ」

 軍に利用された挙げ句、つぶされる、か。ディタが言うだけにかえって重く感じられた。

 それからしばらく俺たちは黙ったまま砂の上に座っていた。

「あなたは本当に変わっているわ」

 海の方を眺めながらディタは独り言のように言った。

「ニュータイプだから、か」

「違うわ。もっと本質的な意味で。さっきも言ったけれど、あなたには主義主張が無い。しかも、護るべきものも護るべき人もない。なのに、闘うことができた。不思議だわ」

「目の前に敵が現れた。だからさ」

 ぶっきらぼうに答えてしまった。守りたいものはあった。そのために戦って、終わってみたら守るべきものが消え去ってしまった。波に飲まれる砂の城の気分だったが、あくまで無表情だったディタの瞳にはかすかな笑みが浮かんだ。

「単純ね」

「何でも単純な方がいい。考えても始まらないこともある。この世界には」

「そうね。そうかもしれないわね」

 そう呟いたときのディタの横顔はすこし寂しそうだった。別れの時が来たことを知った。

「どこまで送って行けばいい」

「迎えはあるから、結構よ」

 ディタは声と同じくらい静かに立ち上がった。その時になってようやく気がついた。ディタはひとりではなかった。それもしかし、当然だろう。連邦軍の懐へ飛び込んできて堂々と連邦軍士官に声をかけるなどという真似は度胸だけでできるものじゃない。

「今宵はあなたと会えて嬉しかった」

 ディタは俺を見上げて言ったが、その口調も顔もおよそ「嬉しい」という言葉からかけ離れていた。しかし苦笑いを浮かべることはできなかった。ディタは当たり前のことを告げる口調でこう言った。

「また天で会いましょう」

「天で?」

「あなたは上がるのでしょう。天へ」

 ディタはまたも当然、というような口調で言った。とっさに何かを言うこともできずにいると、ディタは静かに、しかしはっきりと言った。

「幸か不幸か、またすぐにモビルスーツの季が訪れる。それでなくてもあなたは地球の腕に囚われてじっとしていられる人ではない」

 ディタは、知っている。

 ディタは俺が新型の公試に携わることを知っている。オールド・ハイランドはそこまで調べ上げているということらしい。

 そのオールド・ハイランドがこれからどのような行動を起こそうとしているのか。

 あえて尋ねてみることとした。

「君はどうするつもりなんだ。これから」

 ディタはすぐに応えなかった。目に力を込めて見つめた。すると、ディタはつと目をそらした。

「わたしは、少なくともあなたの向こうに回るつもりはないわ。あなたのようなニュータイプほど恐ろしいものはないと思うから」

 ずいぶんな言われ方だ。しかしディタはかすかにさえ笑っていない。考えるまでもなく、ディタが冗談など、間違えても言うはずがなかった。

 そのとき、突然理解した。

 ディタとは、違う場所でまた会うこととなる。それも、そう遠くないうちに。

 それが意味するところは、ひとつしかありえない。

 ということは、やはりそういうことなのだ。

「参ったな」

 胸のうちでそう呟いていた。宇宙へ行くのは闘うためじゃない、などと言っておきながら、それがもう嘘になりつつある。しかし、ディタと会うべきではなかったとは思わない。今夜会わなかったとしても、遅かれ早かれ、という問題でしかない。もしかしたら、これが運命というやつなのかもしれない。

 そんなことを考えて、また胸のうちで苦笑した。

 こういうことを言っても、ディタはまともに取り合ってくれないだろう。

「忠告、感謝するよ」

 右手を差し出した。するとディタは珍しいことに、はっきりと驚きを顔に表した。俺を見て、目をそらし、おずおずと手を伸ばして手を握った。

「あなたも、お元気で。フリー・バード」

 うなずくと、ディタは手を放してかすかに頭を下げ、背を向けてゆっくりと歩き始めた。

 去りゆくディタの後ろ姿が闇に溶けるまで見送ってひとりになると、急に力が抜けてしまった。やはり、無意識で身構えていたんだろう。

 ディタは俺を無理矢理引きずって行こうとはしなかった。そうすることができたはずなのに――というより、そのつもりで来たはずなのに。何故なのだろう。

 やめておこう。考えても始まらない。ともかくディタは確信を抱いている。俺とはふたたび宇宙で会える、と。

 さて、今夜はどうする。スーズの許へ帰ろうか。

 いや、だめだ。もう俺はスーズのために在ることができない。ここは戻ろうとすべきではない。あんな形で別れてしまうのは決して後味が良いものじゃないが、仕方のないことだと思うしかないのだろう。

 モーターサイクルの許へ戻り、モーターを立ち上げた。

 走り始めると、闇の表に色々な顔が浮かんでは消えた。

 近い顔もあれば、遠い顔もあった。

 色々な人がそばに来ては去ってゆく。

 ずっと続く奴もいれば、すぐに去ってしまう奴もいる。

 人生は出会いと別れの連続だ。

 そして、またお別れの時が来てしまったのかもしれない。

 しかし今の俺には失うものなど何一つとしてない。何も恐れることはない。宇宙へ上がるべきだ。一刻も早く。地球に居続けてはいけない。

 そう。街を出るのは、いつだってまたうまくやろうとするチャンスなんだ。

 赤信号の交差点、満天の星空を仰ぐ。

 帰るべき場所はこの空の上にある。

 人が完全にわかりあうなど幻想にすぎないのかもしれない。しかし、信じている。帰るべき場所は必ず見つかると。だから。

 信号が青に変わる。ギアを蹴ってスロットルを開ける。

 ウイングミラーに目を投げて、挨拶をした。

 今まで世話になったけれど、お別れだよ、ハリウッド。

 君とも、またいつか、会える日まで。

 

 

 MOBILE SUIT GUNDAM FX

 Prologue “Say goodbye to Hollywood”



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第一話 消えゆく、光  そして 訪れし、夜

 周囲のいたるところで繰り広げられている「サヨナラ」の光景を眺めていた。

 頭の中に流れているのはビートルズの『オール・マイ・ラヴィング』。こういうときはさすがにストーンズでもエアロスミスでもない。

 三連のリズムギターで刻まれる美しいメロディに、様々な情景が浮かぶ。

 離れ離れになる恋人たち。見つめあう瞳。別れの言葉と最後の口づけ。頬を伝う涙。熱い抱擁のなかで、恋人たちは誓う。愛しいと思う心はどんな距離も、星空さえも超えてゆくと。

 たしかハイ・スクールのときだ。こういう状況に憧れていた。理由はよくわからない。感傷にすぎなかったのかもしれない。

 今、俺にはそういうひとはいない。誰にも見送られることなく、ひとりで旅立とうとしている。

 結局、スーズとはあれ以来顔を合わすことがなかった。

 しかしそれでいいという気もする。スーズもいつまでもさまよってはいられないだろう。家へ戻って、父親の紹介してくれるしっかりした相手と結婚する方が幸福だ。

 そうわかっていながらも。――

 アナウンスが流れた。定刻まで十五分。

「いこう」

 自分に声をかけて、立ち上がった。

 もう『オール・マイ・ラヴィング』はいらない。必要なのは、行進曲だ。

「目を開いて自分の内面をよく見るんだ

 おまえは自分の人生に満足しているのか」

 加速のつく曲はいくつも知っている。しかし気分を蹴飛ばしながら前へ行かねばならないときは、ボブ・マーリィの『エクシダス』しかない。

「俺たちは歩いてゆく

 この創造の道を」

 

 

 空母シーヴァスは周回軌道上のステーション『サイレント・サード』に接舷していた。シャトルから見たときは大きな艦だと思ったが、近くで見るとそうでもなかった。

 IDチェックをクリアー、先導の女性士官に続いて乗艦した。

 途端に空気のザラつきを感じた。

 闘いの中で幾度も味わった感覚だ。誰かの意識が俺に集中している。視線、に近い。

 初めて感じたときはプレッシャーそのものだった。呑まれていれば、簡単に撃墜されていただろう。今は圧されるようには感じない。しかし、心地よくない感覚には違いない。

 誰かが俺を見ている。

「NTCに敵がいるということなのか」

 口に出しかけて、思わず笑ってしまった。そうだ。リラックスが足りない。井戸の底からはるばると上がってきたのに落ち着かないのは、そのせいもあるだろう。新しいところへ来ると、いつもこうなのは悪い癖だ。悪いことがあったとしても、テストが終わるまでの辛抱と考えておけばいい。頭の中にはいつしかイーグルスの『テイク・イット・イーズィー』が流れている。

 果して、ザラザラ感は、司令官室のドアの前に立ったとき、いきなり消えた。

 ドアが開くと、ひとりの男が正面に座していた。

 顔は彫りが深く、満々たる知性を秘めていると思しき双眸は、外見から推すことのできる年齢にふさわしからぬ鋭さをたたえて俺を見据えていた。

 木星帰りの男。そして、伝説のニュータイプ。

 シャトウ・ロートシルト大佐。

 

 敬礼した。

「シュプリッツァー・レイ大尉、本日付で空母シーヴァス所属第一試験機動隊に転属となりました。よろしくお願いいたします」

「ようこそNTCへ。私はシャトウ・ロートシルト。NTC副長だ」

 大佐は微笑んで立ち上がり、手を差し出してきた。実力は超一流のニュータイプの手はとても柔らかかった。

「自然発生型のニュータイプと聞いて、一刻も早く君を迎えたかった」

「光栄です」

 椅子を勧められ、大佐の正面に着座した。

 まず何を言われるかと考えていると、大佐は俺の目をまっすぐに見て告げた。

「君の任についてだが、NF250のテストに限らないのだ」

「と言いますと」

「このシーヴァスに属するパイロットも含めて、NTCのパイロットには実戦経験がない。エースとして強く導いてくれたまえ」

「実戦経験がない?」

「アマリリア紛争は我々が本格参戦する前に解決を見た。それは、君の活躍のおかげでもある」

 大佐は笑って言うが、縦にも横にも首を振れない。しかし大佐は気にしていないようだった。

「紛争では七機撃墜。申し分ない数字だ。Z006に乗り換えてからの戦果だが、あれは君に合っていたかね」

「はい。VF250よりは」

「率直だな。しかしヤッファがもはや使い物にならないというのは事実だ。A型からD型へと順次転換されてきたが、すくなくともニュータイプの駆るモビルスーツではない。そこでNTC先導でNF250の開発を行ってきたわけだが」

 大佐は笑みをひそめた。

「我々の現在の任務は先の紛争の残存分子の掃討、および、反連邦組織の洗い出しだ。君も知っているとは思うが、我々は連邦軍内において中途半端な位置にある」

 そうと聞いて頭に浮かぶのは、やはりディタの忠告だ。

「また宇宙で会いましょう」

 と言って別れ、今はどこでどうしているのだろう。また宇宙へ上がってきたものの、ここで会うとすれば、絶対に敵だ。それは喜ばしいことじゃない。

「しかし、独自の行動を取れるというのは良いことだ。行動次第で、連邦軍内での位置の向上につながる」

 大佐は気を取り直したようなことを言うが、その言葉に引っかかりを覚えた。連邦軍内での位置の向上を目指すことにどんな意義があるというのか。予算の獲得のためか、

 無論、それもあるだろうが、大佐はそれだけの人間ではない気がする。表情こそ穏やかなのだが、時折目が普通ではない色を帯びる。しかし何も読み取れない。心に鉛のカーテンがかかっているようだ。が、それは警戒してのことではない。実に不思議な人だ。見せたくないわけでもあるのか。

 いずれにせよ、何かとてつもないことをしなければ、連邦軍という恐竜の中核にはわずかも食い込めないだろうとは、俺でもわかる。正直、NTCは連邦軍の鬼子として持て余されているはずだからだ。

 と、扉にノックの音がした。入りたまえ、と大佐は告げた。

「君と組むパイロットだ」

 脇に立ったのは、ダークグレイの制服に身を包んだ、顔にまだ幼さの残る女性だった。年の頃は二十歳かそこらというところか。それで少尉とは、俺とは素養が違うようだ。大きなマルーンの瞳が目を引く。ふっと猫の姿が頭に浮かんだ。何故か誇り高きペルシァ猫だった。

「カルーア・レイナ少尉です。NF250量産原形一番機の試験を担当しています。以後よろしくお願いいたします」

 リン、とした声で告げて、ぴしりと敬礼した。

「シュプリッツァー・レイ大尉だ。よろしく」

 返礼した。

 その瞬間、澄んだ音が意識の奥で響いて、

 漆黒の宇宙に散る光の花。

 涙。

 そして、ふたりで歩く秋の舗道。――

「ここからの案内は君に頼む」

 レイナ少尉に向けられた大佐の声で我に返った。大佐は俺を見据えていた。顔は微笑んでいたが、目は笑っていなかった。

「君には期待している」

 敬礼。

 

 大佐の許を辞した後、レイナ少尉に先導されてハンガーへ向かった。

 フル・エアになっているハンガーには五機のモビルスーツが、右に三機、左に二機の二列となって駐機されていた。

 右の三機は見慣れたフォルムの形態可変モビルスーツ、MSZ006Nだった。

 左の二機がNF250サリシュアンに違いなかった。

 非常にコンパクトな造りをしたモビルスーツだった。

 Z006にくらべて一回り小さい機体の表には余計なギミックが一切ない。キャットウォークを歩いて後ろに回ってみると、バック・パックの上部左右にセイバーとファンネル・ポッドが一基ずつ。スマートで無駄のない造りだ。

 問題は、カラーリングだった。

 全身ミッドナイトグレイ。

 正直、がっかりした。少尉はこれがNTCの制式機体色だと言うが、まるで汚れたネズミだ。そのせいでせっかくの新鋭機も目だけをぎょろぎょろさせている黒鬼という風情だった。そう。NF250には二つの目があった。鉄兜を被った騎士のように。

「シュプリッツァー・レイ大尉殿でいらっしゃいますか」

 呼ばれて振り返ると、聡明な顔立ちの女性士官が敬礼をしていた。

「サナリィのサファイア・ボンベイ技術中尉です。SRI計画の責任者です。試験の監督も兼ねています。よろしくお願いいたします」

「こちらこそよろしく頼む。試験はどこまで進んでいるのかな」

「最終慣熟試験まで終了し、機体は一通りの基本動作が可能な状態にあります。これより各種演習への参加、及び模擬戦を通じて戦術戦闘情報の蓄積を行います」

 それからボンベイ技術中尉とレイナ少尉からNF250の話を詳しく聞いた。

 シーヴァスに搭載されている二機はプロトタイプではなく、正式な第一次生産機で、量産原形というべき機体だった。まずプロトタイプを製作し、それで目処をつけて生産に踏み切るというやり方はせず、のっけから生産に着手するとは、サナリィの意気込みが感じられる。

 一連の話が終わったとき、ちょうど食事の時間となっていた。技術中尉より機密の紅いマイクロリーダーを受け取って、レイナ少尉と一緒に夕食をとった。

 自室に戻って最初にしたのは、厳重な封を解いてNF250のマニュアルと機体運用テスト結果に目を通すことではなく、MPプレイアーを引っ張り出してストーンズをプレイバックすることだった。音楽、特にブルーズやロックンロールが流れている方が俺は何でもはかどるし、よく眠れる。

『レット・イット・ブリード』を頭からプレイバックして、ベッドに転がった。

 マニュアルに目を通して、装備の中に対空機関砲がないことに気がついた。あれほど使える武器を外してしまうとは、サナリィも研究が足りない。現場からのフィードバックがなされなかったか、対空機関砲を使えるパイロットがいなくなってしまったか、か。

 まあいい。

 それよりも目を引いたのは機体の尋常ではない軽さと、『ズームド・エア』というサイコフレーム直結の機動デヴァイスだった。スペックではウェイヴライダーよりも優れた機動力を発揮する。それはいいが、推力値に少々納得できないものがあった。トランス・エンジンの出力は思っていたほどではない。機体質量とサイズからすればやむなしというところなのか。

 目を閉じて、NF250の姿を思い浮かべた。

 あの機体を目にしたとき、何故かはわからないが、懐かしさのようなものを感じた。たしかに初めてのはずなのに、初めてのようには思えなかった。昔からよく知っているモビルスーツであるかのような。不思議な感覚だった。

 明日は、そのサリシュアンに搭乗する。

 子供のような気持ちで眠りに就いた。

 

 翌日。〇九〇〇。プリフライト・ブリーフィング開始。ボンベイ技術中尉の説明を頭に叩き込んだ後でハンガーへ赴き、メカニックたちに確認を取る。チェックすべき項目は例によって山のようにある。

「二号機の各部基本動作データは一号機のものと同じか」

 チェックを一通り済ませてから聞いてみると、メカニックたちはうなずいた。

「熟練度は」

 と聞きかけて、やめた。

 レイナ少尉のことはわからないが、俺と違うだろう。同じ機体でも差が現れるのは必然というものだ。

 NF250の主眼は巴にあることは明白だったが、実のところ俺は巴向きじゃない。徹底した一撃離脱型だ。トランス・エンジンの常用出力域は高く取るし、全開率も高い。

 とにかく確かめてみる他はない。機体に外部電源がつながれていることを確かめ、チェックリスト片手でコクピットに入った。深くリクライニングしているシートにつくと目を閉じて、深く息を吸い込んだ。

 新品の、コクピット。

 新品はいい。新品にしかない、あの匂いがする。

 満足しつつシステムを起動させ、チェックしてみた。結果はやはり満足のいくものではなかった。しかし、最初から何もかもが望みどおりにいくはずもない。

 バトルスーツのポケットからメモリー・パックを取り出した。Z006で蓄積してきた戦術戦闘情報が詰めこまれたパックだ。ドライヴに差し込んで、中身を落とし込み、全データ更新をかけて全系を再起動した。これでいくらかは俺好みに近づけただろう。後は、セッティング出しをきちっとやるだけだ。

 そして一三〇〇。

 昼食をすませてバトルスーツに着替え、ターボリフトに乗った。バトルスーツもモビルスーツ同様、黒に近いダークグレイ。なかなか滅入らせてくれる。

 まあいい。少しずつ自分流にしていけばいい。

 ターボリフトのドアが開くと、そこにレイナ少尉がいた。ダークグレイのバトルスーツを着ていると、白い顔がそこだけ輝いているように見える。ハンガーへと漂いながら、予定を聞いてみた。

「わたしは、火器管制及び各装備の運用試験です」

「ビーム・ライフルやセイバーを間違いなく扱えるか、か」

「はい。試験というより、練習ですね」

 少尉は渋い顔をした。たしかにあれは地道な努力だ。俺もいやというほど繰り返した。結局、火器の扱いは体で覚えるしかない。

「大尉どののご予定は」

「シェイクダウンの後、いきなりファンネルさ」

「やはり、期待されているんですね」

 少尉はぎこちなく微笑み、すぐに悔しそうな顔をした。

「わたしはまだファンネルを飛ばしたことがないんです。サイコミュもセッティングを出しただけで」

「あわてる必要はない。物事には順番というものがある」

 そう言ってみても、少尉の顔は晴れない。結構気分屋らしい。そういうところはますますもって猫を思わせる。

 前、整列しているNF250の方からエンジニアやメカニックたちが飛んできた。

「それでは失礼いたしします」

 手を振って少尉は壁を蹴り、一号機のもとへ飛んでいった。

 俺も続いて壁を蹴り、コクピットに取り付いた。

「二号機はファンネルのみ装備。余分なプロペラントは積載していません」

「了解」

 エンジニアの差し出すチェックリストをつかんでコクピットに飛び込む。メットを被り、ハーネスを留めてMAUをつなぎ、エンジン・コンタクト。全システム起動、ヴァイザーを降ろす。同時にVDが立ち上がる。

 視野に走り出す各部チェック結果を見つめる。最初は何でも慎重が肝心だ。俺はそれをモーターサイクルと女性から学んだ。――全系統異常無し。

「サリー2、オール・システムス・グリーン、グッド・ラック」

 メカニックが機体につないでいた通信コードを抜いて、敬礼した。返礼して、コクピット・カヴァー、CLOSE。退避を始めたメカニックたちの姿が閉じてゆくカヴァーの陰に隠れて、闇に包まれる。直後、モニターが全面展開。エアタイト確認後、ファイター・コマンドをコール。

「コアントロー。レイ大尉、NF250原形二号機、発艦準備完了」

「コアントロー了解」

 まだ名前を知らないオペレイターはにこりともせず、俺をまっすぐに見て口を開いた。

「試験空域データを送ります。確認願います」

「了解」

 試験空域のデータが二個、送られてきた。行き先を確かめ、航法コンピューターに入力して確認後、モードを自動誘導にする。

 前、サリー1が動いた。フライトデッキへと曳かれてゆく。

「コアントローよりサリー2。発艦位置に定位、スタンバイ」

「サリー2了解」

 サリー2も動き始めた。立ったままエアロックに入り、フライト・デッキでうつぶせに寝かされた。トランス・エンジン、コンタクト。エンジン・チェック後、スロットルを絞って、発艦態勢。

 正面を見ると、そこは星ひとつない漆黒の闇。正面ばかりではない。周りすべてだ。いまさらながらにその暗さと深さを思い知る。ここは、人間にはあまりにも大きく、そして過酷な場所だ。

 宇宙。

 俺は、戻ってきた。

 左。サリー1のトランス・エンジンがMAXアフターバーナーの光を轟然と吐き出した。正確に十秒後、発艦灯が鮮やかなグリーンに輝いて、サリー1は正面の闇に呑まれるように消えた。

 サリー2、発艦位置に定位。リニア・カタパルト・セット。

 発艦灯、点灯。目の痛くなるほどの赤だ。十秒前。スロットルをMAXアフターバーナーへ入れ、サイドスティックを握り直して、ステアリング・キューの彼方の闇を見据える。

 十秒後、発艦灯がオール・レッドからグリーンへ。ブレーキ全解放。同時にカタパルト作動。

「ロックンロール!」

 発艦。離艦三十秒後にトランス・エンジンをカット、慣性で飛ぶ。第一試験空域には二分で到着した。まずは様子見で、目一杯で飛ぶ。次にドッグファイト・スゥイッチを入れてズームド・エアで高機動。

 果してNF250は予想以上だった。とにかく機体が軽く、運動性も敏捷性も抜群で、ダッシュもいい。ズームド・エアは考えていたほど鋭敏ではなかったが、かなりの優れものだ。とっさの反応を必要とするときなど、助けられるだろう。

「コアントローよりサリー2へ」

 気持ち良く機動していると、回線が開いてボンベイ技術中尉が顔を見せた。本日のメイン・イヴェントのお時間だ。

「レイ大尉、第一回ファンネル制御試験の準備に入ってください」

「サリー2了解」

 機体を反転させて、第二試験空域を目指した。途中、センサーにサリー1が引っかかったので、挙動を観察した。

 なかなか、たいしたものだった。

 しかし、ディタに比べると、甘い。挙動に問題はない。が、アクションとアクションの間に隙がある。

 おそらくレイナ少尉はディタほどモビルスーツというものをわかっていない。ニュータイプとしては優秀かもしれないが、パイロットとしては熟練していないということだ。

 やれやれ、と思った。

 ニュータイプなら誰でもモビルスーツのコクピットに放り込んでいいというものでもあるまい。連邦はその辺りを勘違いしている。ニュータイプであるか否かを問う前に、パイロット適性の有無をこそ見極めるべきだ。優秀なニュータイプが優秀なパイロットであることなど、そうそうあることではない。

 そこまで考えて、笑みを浮かべていた。

 セントローレンス(地球連邦宇宙軍士官学校)で危うくパイロット不適格の烙印を押されそうになった俺の言うことではない。

 サリー2は第二試験空域に到達した。

 FCS、オン。続いてマスター・アーム、オン。ターゲット・チェック。

 

 RDY FNL‐Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ、Ⅴ、Ⅵ

 

 表示を確認して、PMC(サイコミュ・メイン・コントロール)を立ち上げた。

 瞬間、ぞくりとした。ひどい悪寒が背中を駆け上がり、頭がずしん、と重くなった。とんでもないプレッシャーだ。強化人間でもなければ、こんな悪意の塊のようなプレッシャーに太刀打ちできまい。

 急いでPMCをカットして確かめると、サイコミュにブースターがかけられていることがわかった。

 MFDにボンベイ中尉が現れた。

「こちらボンベイ。大尉殿、サイコミュが落ちましたが、いかがなされましたか」

「サイコミュに酔った。ブースターがかけられていたのか」

 ボンベイ中尉は、あっ、という顔をした。

「申し訳ありません。連絡不徹底でした。コンディションはいかがですか」

「だいじょうぶだ。しかしブースターは全面カットする。俺には必要ない」

「了解」

 ひとつ息を整えて、改めてPMCを立ち上げ、正常作動を確かめた後、ファンネルを一基、射出した。

 

 RDY FNL‐Ⅰ

 

 視野にシンボルが現れ、脇にファンネルからの転送情報が表示されるが、ターゲットのことは見なくても直にわかる。

 ターゲット目掛けて突っ込ませる前にちょっとした機動をさせることにした。ファンネルを飛ばすのは久しぶりだし、ウォームアップが必要だ。

 ところが、そのウォームアップに入ってすぐに帰頭命令を出さざるを得なくなった。

 動きがえらく軽く、反応がいちいち敏感すぎる。

 サイコミュの感応係数をチェックして、納得した。

 値が大きすぎる。これでは暴走気味になるのも無理はない。

 戻ってきたファンネルがポッドに収まった。ほぼ同時に回線が開いた。案の定、ボンベイ中尉だった。

「大尉殿、どうされたのですか。射出したばかりのファンネルを呼び戻すとは」

「オーヴァーステアがひどすぎる」

 中尉はわかった顔をした。

「サイコミュ感応係数の調整が必要ですね」

 やはりこの機体のサイコミュにはレイナ少尉のデータをそのまま移植してあったようだ。が、この感応係数値は、少尉の思念波がかなり弱いことを示している。これではオールレンジの射程はかなり短い。これではたしかにブースターをかけて強めざるを得ないだろうが、何かの拍子で逆流してしまったら、危険だ。少尉はどうも感情の起伏が激しいようだし。

 しかし、そうか。参ったな。

 ふっとためいきをつくと、

「何か」

「いや、何でもない。今からサイコミュのセッティング出しに入る。バックアップを頼む」

 もうひとつため息が出た。サイコミュのセッティング出しほど面倒な作業はない。メイン・コンピューターもサイコミュの自動補正は行ってくれない。だからいちいち予想最適値を再計算してサイコミュを調整、それからファンネルを撃ち出してチェックとテストだ。それを繰り返しているうちに案の定ファンネルのプロペラントが六基とも切れてしまい、帰還せざるを得なくなった。せっかく宇宙に出たのに、自由に飛んでいられたのはわずか数分。散々なファースト・フライトだ。

 着艦後、二機のNF250にはすぐに外部電源がつながれ、データの吸い上げが始まった。

 チェックリストをメカニックに渡してガンルームに引き上げると、レイナ少尉が待っていた。立ち上がって敬礼した。返礼してソファに座る。

「拝見させていただきましたが、やはり大尉どのの機動技術は素晴らしいです」

 コーヒーチューブを手渡してくれながら、少尉はいきなりそんなことを言った。それも瞳を輝かせながら。苦笑してしまった。

「それはNF250の性能のおかげだ。セントローレンスでの成績は、下から数えた方が早かった」

「そうなんですか」

 少尉は意外そうな目をした。

「信じられません。あっという間に慣熟なされたではありませんか。手足のようでしたよ」

「そうかな」

「ええ。わたしは大尉どのよりも前から機体運用試験に携わっていますけど、いまだにNF250を御しきれずにいるんですよ」

 ふと尋ねてみた。

「最初に乗ったモビルスーツは」

「このNF250です」

 驚いた。それは普通じゃない。免許を取ってすぐ、極限までチューンされたレーシングカーを運転しているようなものだ。

 いや、その前にこのコーヒーの味だ。今に始まったことじゃないが、どうやればここまでまずいものを作れるんだろう。二口で放り出そうとしたところに、

「もう機動訓練には飽き飽きしたな」

「そうだな。模擬戦だけでは自ずと限界があると思う。ひとつ、意見を具申してみるか」

「それはいい考えだ。このままでは、一体いつになればファンネルやビーム・ライフルを実射させてもらえるか、まるでわからないからな」

 そんな声を交わしながら、同じダークグレイのバトルスーツに身を固めた三人の男がガンルームに入ってきた。レイナ少尉が俺にその三人を紹介した。三人は第一戦闘機動隊のパイロット、つまりZネクスト乗りだった。

 三人のうちの二人は俺とコミュニケイトしようと考えてはいないかのように無関心だった。

 最後のひとり、ダミアン・ギャス少尉だけは、どういうわけか露骨に挑むような目をしていた。

 ――俺が大尉に劣っているはずがない。

 少尉の胸のうちで断言する声がいやでも聞こえてしまい、納得した。

 ――大尉はファンネルをろくに飛ばせていなかった。あれで七機撃墜というなら、俺はその倍撃墜できる。

 実戦を経験したことのないパイロットの例に漏れず、少尉は強気だった。俺は黙っていた。キル・マークを一つ刻むのがどれほどのことか。それは他人の言葉を聞いて理解するものじゃない。

 ともかく、無用な議論は避けるに限る。挨拶だけをして引き上げた。自室で忌々しいバトルスーツを脱ぎ捨てるとエア・シャワーを浴びて、ベッドに腰を降ろした。

「シュー」

 ミュージック・パックを選んでいると、頭のうちに呼びかけの声がした。マザー・ヴォイスだ。

「拒絶して、闘うのがニュータイプじゃないのよ」

 心底ほっとした。ディタのことをいくら考えても何も応えがないから、どうしたのかと心細くなっていたところだった。正直。

 目を閉じると、その姿も見える。

 褐色の肌に黒い髪。そして、澄んだエメラルド・グリーンの瞳。顔立ちは違うが、目と肌の色は同じだ。これで髪が茶のくせ毛なら完全に一致する。両親の記憶がない俺が勝手に作り上げた理想の女性なのかもしれない。きっとそうなのだろう。

「いまは、おやすみ。――」

 マザー・ヴォイスは遠ざかった。

 大きな息をついて、MPをプレイバックした。気分のいいときは、迷わずストーンズだ。

『ホンキィ・トンク・ウィメン』

『ダイスをころがせ』

『ユー・ガット・ミー・ロッキング』

 歯切れのいいビートとリズムが熱く体を駆け巡りだし、気分がどんどん加速してゆく。

 たしかに、気になることがないわけじゃない。が、人が集まればそういうものだ。水の合う奴もいれば、そうじゃない奴もいる。当たり前のことだ。そんなに敏感になることでもない。

 とにかく、為すべきことを為す。まずはそれだ。

 自分に言い聞かせて、目を閉じた。

 

 ところが。

 朝、目覚めてまず感じるのが頭の重さということになってしまった。

 ニュータイプ部隊だから気を楽に保っていられるかとみていたが、そうでもなさそうだと、少しずつだが思うようになった。というよりは、認めざるを得ない。

 そういうわけで、ベッドに潜っている時間とサリー2のコクピットに収まっている時間だけが俺自身の時間だった。

 どうかしている、とも思うが、この艦の空気には俺を苛立たせる何かがあった。たしかに。

 一方、NF250のテストは順調に進んでいた。テスト・スケジュールも終わりに近づき、今日の午前はファンネル戦を試みた。

 その際、レイナ少尉の癖を見つけた。

 少尉はファンネルを一基ずつしか使えない。さらに、ファンネルを操っている間は自機の制御を忘れてしまう。

 いずれも、サイコミュ兵器に不慣れなニュータイプがよくやるミステイクだ。

 複数のファンネルを同時に高機動させてターゲットを撃破するために必要なものは、何よりも空間把握能力だ。慣れれば一基でも十分やれるが、他のファンネルはまったく無駄になってしまい、エネルギーもロスして活動時間を大幅に縮めてしまう。何より、動いていないファンネルは恰好の目標だ。

 機体のコントロールを忘れてしまうのは、言うまでもなくファンネルのコントロールにかかりっきりになってしまうせいだ。

「ファンネルを飛ばせばだいじょうぶ」

 と思い込んでしまうのは、ニュータイプの悪い癖だ。ファンネルのコントロールに没頭している間に自機を狙撃されればそれまでだ。俺は、それをするパイロットをひとりは知っている。彼女のキル・マーク四個の半分はニュータイプだ。

 もっとも、ファンネルのコントロールについて言えば、レイナ少尉はきわめて優れていた。少尉のファンネルは、そこまですることはないんじゃないか? と思えるほど元気に跳ね回った。ファンネルのコントロールが楽しくてたまらないのだろう。これで六基すべてを使ってオールレンジがかけられれば言うことはない。しかし、それには時間か経験、もしくはその両方が必要だ。先達としては是非レクチャーしなければならないところだが、告げてすぐにできるものじゃない。ニュータイプといっても人間、そこまで便利にはできていない。それに、午前のノルマを消化して帰還するとギャス少尉が待ち構えていた。

「カルーア、一緒に昼食を摂らないか」

 レイナ少尉はギャス少尉ではなく、着艦したばかりの二号機を振り返った。ギャス少尉は途端におもしろくない顔になって、

「レイ大尉のことは気にすることないだろう。彼は君の上官じゃない。モビルスーツを降りてしまえば関係ないさ」

「大尉どのがいかに尊敬できる方か、あなたにはわかっていないのね」

 レイナ少尉はさらりと言った。

「機会があったら一緒に飛んでみなさい。そうすればわかるわ」

「サリーに乗れば、誰だって生まれ変われるさ」

 ギャス少尉は吐き棄てるように言った。ギャス少尉はレイナ少尉の目が俺にのみ向けられていると頭から思い込み、俺に一方的な対抗心を燃やしている。しかも、その炎は日に日に燃え上がっていた。

「俺だって次席卒業なんだ。サリーに乗せてくれてもいいはずなのに」

「今日のメニューは何かな」

 レイナ少尉はギャス少尉の言葉をみなまで聞かず、ハンガーから漂い出て行った。ギャス少尉はあわてて後を追った。ため息をつきつつ二号機から降りて、ボンベイ技術中尉に一連の報告を済ませた、

 昼食を済ませると、レイナ少尉はサイコミュの微調整というかなり面倒な作業のため、宇宙へ出ていった。ギャス少尉も午後の訓練スケジュールに沿って飛び立った。

 俺にはすこし余裕があったので、昼食後、しばらくボンベイ技術中尉と話し込んだ。やはり俺はエンスーらしい。モビルスーツの話をしていて楽しい。パイロットとしてやっていけなくなっても、技術屋として務まるかもしれない。

「NF250の生産ラインは、ルナツーとムトンボで稼動を始めています」

「そのNF250にアナハイムが一切関わっていないのは、情報のリークを防ぐためか」

「ええ。古い話ですが、F91のロールアウト後にVSBR――現在のVPBR(出力可変型ビーム・ライフル)の前身ですが、その情報が垂れ流しになりましたから、二の轍は踏むまい、と」

「フィン・ファンネルを装備しないのはそういったわけか。俺はフィン・ファンネルに興味があったんだけどね。ビームの出力が高いと聞いて」

「あれは開放型のビーム発生システムを採用していますからね。代わりに機構が複雑で、変形までする分、トラブルも出やすく、メインテナンスも大変です」

「一番信頼できるのは、昔ながらのキャンドル型か」

「ええ。パワー・ユニットの改良も進みましたから、いまのファンネルは過去のものとはビーム出力、活動時間ともに比べ物になりません。変わっていないのは形だけです」

 中尉はそういったが、後で考えてみると、最強のサイコミュ兵器はやはりフィン・ファンネルだった。

「フィン・ファンネルをご存知でいらっしゃるということは、ν(ニュー)ガンダムのこともご存知ですか」

「νガンダムか。聞いたことはないな」

 しかし、NF250と初めて対面したときと同じ感覚にとらわれた。懐かしさにも似た、妙な感覚だ。

「不思議と聞いた覚えのある名前だな。そのνガンダムというのは」

「制式名称アナハイムRX93。開発当時、最高性能を誇った、ニュータイプ専用のプロトタイプです。サリシュアンは、そのRX93を基にフォーミュラ・シリーズで培った技術を投入したモビルスーツなのです」

「それでこその高性能か。NF250はビーム・ライフルやセイバーの出力も高いが、何より運動性が素晴らしい。巴で勝てる機体は地球圏にないだろうな」

「それは、機体が極限まで軽量化されているためです」

 中尉は顔を曇らせた。その軽量化というのは実に徹底したもので、インナーフレームの強度はぎりぎり――機体番号が一桁台の試作機は機動しただけでインナーフレームが歪んでしまったという――で装甲も薄く、量産型からは脱出システムまで降ろされたうえ、肝心のコクピット・ブロックとメイン・ジェネレイター、そして機体内プロペラント・タンクの保護さえなされず、後に「ハンマーを持った卵の殻」と揶揄された。要求性能を満たすためにはそれしか方法がなかったとは言え、技術屋の中尉が顔を曇らせたのも当然だった。

 が、そのときの俺はNF250の比類なき高性能に目を奪われていて、それがどういう意味を持つかということには考えを巡らせなかった。だから気楽にこう言うこともできた。

「それなら、弾を食らわないように飛ぶよ。そのためのズームド・エアでもあるんだろう」

「それは、そうなのですが」

 と、中尉のPIT(携帯情報端末)が鳴った。

「私だ。――何だと」

 中尉の顔がいきなり色をなくした。

「至急、帰艦命令を出しなさい」

 ぴしゃりと言った。その剣幕は尋常でなかった。

「どうした」

「ギャス少尉がNF250二号機で発艦しました」

「ギャス少尉が」

 呆気に取られた。

「乗りたいということは最初からずっと言っていたのですが、よもや無断で飛び出すとは」

 そのわけは手に取るようにわかった。NF250のパイロットになれば、レイナ少尉の心までもつかむことができると信じているのだろう。

 俺もモーターサイクルに乗ったら女の子たちの心をぐっとつかむことができると信じていた。ただし、それはハイスクールに入りたての頃の話だ。人間、特に女性はそれほど単純なものじゃないが、そういうことをギャス少尉は教わることがなかったらしい。ある意味、幸せだったと言える。どこへ行く当てもないひとりきりの夜の冷たさを知らないという点で。

 少尉の願いは単純だ。レイナ少尉の関心を独り占めしたい。そのためにはどうすればいいか。俺を睨みつけることではないのは確かだ。

「すぐに呼び戻そう」

「それが、全回線を遮断しているようなのです。ともかくロートシルト大佐殿にご報告を」

「それでは大事になる。下手をすれば、機密兵器の無断使用で軍法会議だ」

「では、どうなさるのです」

 俺は、初めて会ったとき、ファンネルの実射をしたことがないとギャス少尉が言っていたことを思い出した。

「少尉はファンネルを飛ばしたことがあるのか?」

 中尉はすぐハンガーに確認を取った。

「ない、ということです」

「そうか。だったら手はある」

 俺は立ち上がった。

「どちらへ」

「ハンガーだ。滞空しているなら、少尉の乗機はハンガーに残っているはずだ」

「Zネクストで出られるのですか」

「いや、他人のセッティングではろくに飛べない。それでなくても、NF250だ。肩をつかむことさえできないだろう」

 ともかくハンガーに降りてみると、思ったとおりZ006Nが一機残されていた。

 外部電源がつながれていることを確かめてコクピットに入った。

 ファンネルを飛ばしたことがなければ、絶対に飛ばしたくなる。絶対にだ。Z006Nに乗ったばかりの俺がまさにそうだった。

「ギャス少尉がサイコミュを立ち上げたら教えてくれ」

 中尉に告げて、システム起動。続けてサイコミュ・メイン・コントロール起動。感応係数をチェックして、間違いなくギャス少尉の数字であることを確かめると、待った。

「レイ大尉殿」

 やけに長い数分の後、声がした。

「サリー2、サイコミュ・メイン・コントロール起動しました。感応係数調整中」

「了解」

 考えたとおりの展開になった。目を閉じるとすぐ、瞼の裏に漆黒の宇宙をぎこちなく機動するダークグレイの機体が浮かんだ。この機体とサリー2がサイコミュ回線によってしっかりと結ばれたということだ。

「少尉の脳波をしっかりモニターしていてくれ」

 そう言っておいて、すかさずサイコミュの思念波に乗せてピンを撃ち込んだ。

 サリー2が、ぎくっ、と震えた。正確に言えば、震えたのは、鋭い思念の針を意識に撃ち込まれたギャス少尉だった。

「脳波、弱まりました」

「精神活動が極度に低下」

 効果は覿面だった。が、落ちていない。持ちこたえているらしい。たいしたものだが、感心している場合ではない。もう一発、撃ち込んだ。直後、

「サリー2、活動停止」

 そこでサイコミュを落としてレイナ少尉を呼んだ。

「大尉どの」

 MFDの真ん中に現われた少尉は、狐につままれた目をしていた。

「どうなされたのです。機動を突然やめて慣性飛行とは。機体故障ですか」

「サリー2に乗っているのは俺じゃないんだ」

「ええっ」

 少尉の目が見開かれた。

「では、誰が」

「ギャス少尉だよ」

「ダミアンが」

「そうだ。このことが知れたら大事だ。しかも、こちらのモニターで見る限り、少尉はコクピットで気を失っている。サリー2を曳航して、即刻着艦してくれ」

「了解」

 交信終了。システムを落としてコクピットを出た。早速中尉につかまった。

「何をなさったのです」

「すまないが、他言できない」

 サイコミュ・スナイプ。精神狙撃とでも言えばいいのか。サイコミュ感応係数のわかっている相手でなければ使えないが、ニュータイプを討つには武器など要らないということだ。

「ニュータイプ同士の共振というものが昔あったでしょう。それを進めて、自分から積極的にサイコミュ回線で干渉して、敵のニュータイプに精神的ダメージを与えることは可能かしら」

 それは可能なことであったのだ。まったく、ディタのひらめきには感服せざるを得ない。ディタは実によく知っていた。サイコミュばかりでなく、ニュータイプについて。

 数分後。サリー2を曳いたサリー1が着艦した。

 サリー2は即座にフライトデッキからハンガーへ移送され、レイナ少尉とメカニックたちがコクピットからギャス少尉を引きずり出した。まだ失神していた。その様を見て俺は遠ざかった。意識を取り戻したとき俺の顔が視界にあったら噛みつかれないとも限らない。

 ギャス少尉の意識はなかなか戻らなかった。早く目を覚ましてくれなければ、せっかく内密ですませようとしている努力がすべて無駄になる。が、放っておいてただ待つというわけにもゆかず、医療センターへ連絡しようとしたところで少尉は目を覚ました。レイナ少尉がそばにいたためだろう、すっきりした目覚めだったようだ。

 そのレイナ少尉にまず医療センターへ行くことを勧められて、ギャス少尉は起き上がり、漂い始めた。しかし目がおぼつかない。ふらふら漂いながら、それでもレイナ少尉にしきりに話しかけていた。

「これからファンネルを飛ばしてみようというときに、急に激しい頭痛がして、気を失ったみたいなんだ」

「そう?」

 レイナ少尉の返事はそっけない。ギャス少尉をあわてさせるには、それで十分だった。十分すぎた。ギャス少尉はひきつった笑みを浮かべて、しどろもどろになった。

「おいおい、ずいぶん冷たいなあ。昔の君はそんなじゃなかったのに。心配もしてくれないのか。操縦中に激しい頭痛をおぼえたことなんて、いままでなかったんだぜ」

 レイナ少尉は黙ってギャス少尉の前を漂い続ける。

「あ、それともこれは、俺の能力が急に拡大したってことなのかな。そうとでも考えないと、納得できないな」

「あなたは自分のしたことがわかっていないの」

 レイナ少尉はギャス少尉をするどく振り返った。

「試作段階の機密兵器に無断で乗り込んだだけじゃなく、動かしてしまったのよ」

 きつい声でただされてギャス少尉の顔は一気に青ざめた。言われて気づいたのなら、遅すぎるといわざるを得ない。

「原因なんてどうでもいいわ。あなたは気絶して良かったのよ。そうでないと誰にも知られないうちに連れ戻すなんてできなかったんだから」

「大佐どのには、知られているのか」

「そんなことになったら、間違いなく軍法会議よ」

 ギャス少尉の声は死にかけていたが、そう言われて、すこし血の気が戻った。

「そ、そうか。そうなんだ。良かった」

「幸い、レイ大尉どのがすべて胸に収めて、大佐どのには何も言わないでおいていただけるそうよ。お礼を言いなさい」

 せっかく見えないところにいたのに、レイナ少尉は思い切り言ってのけてくれた。が、いくら少尉にそう言われたからといって、それで俺に頭を下げるギャス少尉であろうはずはなかった。頭を下げるどころか、俺を睨みつけたものだ。憎悪の炎とは、とかく燃え上がりやすいものだ。

 ばかりか、この事件の後、レイナ少尉はギャス少尉にことさら素っ気無い態度で接するようになった。

 そうなるとどうなるか。これほど明らかなことはなかった。レイナ少尉の目がますます離れて行くことに焦って、俺を憎む。そしてそれはまったくそのとおりになった。ニュータイプでありながら、人としての基本的なコミュニケイションが取れない。というより、拒否するのはどういうわけなのだろう。不思議だった。

 いや、ギャス少尉ばかりではない。NTCに属してから、認識域の共有がほぼ誰ともできていない。ニュータイプ同士なら一瞬ですべてわかりあえるはずだが、それらしきことのできそうなのは、今、前に座っている女の子だけだ。そのことを考えると、苛立たしくもなる。

「大尉どのから見て、わたしの機動技術はどうでしょうか」

 この日、全スケジュールをこなした夕刻、レイナ少尉はおずおずと尋ねてきた。正直に、いいものを持っていると応えた。いきなりNF250に乗って、それで飛べているのだから、素養はある。普通なら、闇の底に墜落している。

「そう言っていただいて、とても嬉しいです」

 レイナ少尉は笑みを浮かべた。あいかわらずぎこちないが、最初に比べるとかなりよくなっていた。

「ユーゲントではシミュレイターで操縦を学んだだけでしたから、不安だったんです」

 例の事件の後、レイナ少尉は俺に仕事以外の話をすることが多くなった。このときもそうだったが、まずその聞き慣れない名詞を確かめた。

「ユーゲント」

「NTC直属のニュータイプ養成機関です」

 レイナ少尉はさらっと応えたが、そんな機関など、初めて聞いた。が、養成機関ということは、この子は覚醒してからずっとそこにいたのだろうか。いや、そんな立ち入ったことを聞くのは良くない。別のことを尋ねた。

「NTCのメンバーは、すべてそのユーゲントの出身なのか」

 レイナ少尉は首をかしげた。

「すべて、というわけではありません。現に、大尉どののように自然発生型のニュータイプもいらっしゃるではありませんか」

 確かにそうだ。しかし、養成機関とは…。

 ぞっとした。

 レイナ少尉の言葉から判断すると、そのユーゲントとやらには俺のような自然発生型のニュータイプはいないということになる。すべて強化人間なんだ。

 覚醒の鍵は命に関わるほどの負荷――つまり、極限状態が銃爪を引くと、俺は考えている。強化というのがどんなものか知らないが、そうした負荷を人為で加えては、能力を得ることはできても、正常な思考能力は失われるはずだ。へたをすれば、精神も壊れてしまう。

 思うに、ニュータイプとは、ニュータイプにならなければ間違いなく生き延びることができなかった人間だ。宇宙の只中に放り出され、目も耳も、感覚器のすべてが使えない状態で、それでも敵を撃たなければ死んでしまうとなれば、眠っている精神の目を叩き起こさなければならないだろう。勘が勘ではなくなり、認識域が飛躍的に拡大するのはその結果に過ぎない。見えない敵を察知し、サイコミュ兵器をドライヴするためにニュータイプを作り出すなどというのは、本末転倒というものだ。大体、そうやって絞り出すとろくなものが出てこない。

 それが、ユーゲントなどというものを作って、ニュータイプを「養成」しているとは…。NTCも同じだったということなのか。

「あなたは連邦軍に散々利用された挙げ句、つぶされてしまうわ」

 あの夜のディタの言葉が生々しく甦る。

 ニュータイプをよくわかっているディタのことだ。ニュータイプの、ニュータイプゆえの様々な悲劇についてもよくわかっていただろう。そのうえでのアドヴァイスを、受け止めていなかったのかもしれない。

「大尉どの」

 ふいにレイナ少尉の瞳に烈しい光が宿った。

「ディタ、というのは、誰です」

 その名前が少尉の口から出てきたとき、久しぶりに心から驚いた。見えてしまったとすれば、少尉の受動能力はかなり鋭い。これで共鳴などしてしまうと厄介なことになる。戦闘中にサイコミュ回線を経由して干渉されたら、頭痛どころの騒ぎではない。

「先の紛争のとき、俺のウイングマンだったパイロットだ」

「ニュータイプですか」

「いや。ナチュラルだ」

「大尉どのとはどんなご関係なのです。恋人でいらっしゃいますか」

 立て込んだことをずいぶんと率直に尋ねてくる。きつく睨むような目をされて、まるで詰問されているようだった。が、はっきり言うべきことははっきり言ってしまうこととした。

「彼女はそういう女性じゃない」

「そうですよね」

 少尉の態度から急に刺がなくなった。

「大尉どののように優れた方が、ナチュラルごときに関心をお持ちになるはずはありませんよね」

 ナチュラルごときに。

 その言い方にぎょっとした。

 ナチュラルという言葉に、少尉は侮蔑を込めていた。

 ニュータイプはナチュラルより優れているという考え方は正しくない。ニュータイプは、戦いが生み出した人類の悲しい変種にすぎないかもしれない。だからこそ、自分達をして他より優れている「選ばれし」人間と考えなければ均衡が保てないのかもしれないが、それではますます歪むだけだ。

 大体、ナチュラルがニュータイプに勝てないかと言ったら、実はそうでもない。

 いや、やめておこう。こんなことは考えるべきではない。マザー・ヴォイスが繰り返し示唆してくれるように、闘うことはニュータイプの仕事でも役目でもない。

 と、ロートシルト大佐がいきなりガン・ルームに入ってきた。俺たちは立ち上がって敬礼した。大佐は返礼してレイナ少尉に目をやり、

「少尉、どうか」

「戦闘機動はまったく次元の異なるものだと思い知らされています。そこで、レイ大尉どののデータを一号機に移植して、自分のセッティングを出そうとしています」

「そうか」

 大佐は深々とうなずき、俺に目を移した。優しい目だが、あいかわらず読ませてはくれない目だった。

「レイ大尉。これからも少尉を助けてくれたまえ」

 了解と応えた。

「ところで、ここに君たちが揃っているところで、ひとつ話をしておく」

 大佐は座りたまえと告げて、向かいに腰を降ろした。

「本艦はこれより針路を月へと取る」

 月、と思ったとき、「エージェント・タンジェリン」という言葉がふいに頭で鳴り、悪寒のようなものを背中に感じた。エージェント・タンジェリン。いったい、何だ? わからないが、忌わしいものであることは間違いない。何故なら、重い。重苦しさを感じる。

「NF250のテストはどうなるのですか」

「一時中断する」

 大佐はきっぱりと言った。

「今まで蓄積してきたデータはここで一度統合して、以後の熟成に役立たせる」

「一体、何が始まるのですか」

「詳細は後で話す」

 大佐は立ち上がったが、ガンルームを出て行くときに振り返って、

「この作戦は、NF250の配備直前の最終テストも兼ねることとなるだろう」

 と言った。

「実戦テストということですか」

 レイナ少尉は弾んだ声で確かめた。

「そうだ。現在、私の手許にある機動戦力はZ006N三機だ。それでは心許ない。必然的に君たちにも働いてもらうこととなる」

 そうと聞いて、少尉とは逆の気持ちになった。敵としてディタと会うことだけは避けたかった。闘ってはならない相手というものは必ず存在する。俺にとってそういう相手とはディタ・レーニエ以外の誰でもない。それを考えていて、少尉が俺を呼んでいたのにしばらく気がつかなかった。

「実戦とはどういうものですか」

「口では言えない」

 即答した。闘いはヴィデオ・ゲームとは違う。撃たれたからといって、リセットはかけられないのだ。大体、戦とは、おとなのするものだ。

 

 事の次第は標準時二〇〇〇に招集された緊急メインクルー代表ミーティングで明らかになった。

 GPに対する査察を行う、と言う。

「GPとは、輸送会社のGPと何らかの関係があるのですか」

 との質問が飛んだ。大佐はうなずいた。

「諸君もよく知っている、各サイド間の物資輸送を一手に担う地球圏最大の輸送会社だ」

 しかし、と言った。

「その実態が、先のベルリン軍縮条約によって保有が押さえられた各サイド国家の機動戦力の隠れみのである可能性が高い」

 場はざわめいた。俺の心にも波が立った。

「注目してくれたまえ」

 正面のスクリーンに地球周辺宇宙図が表示されてゴース共和国が明るく輝いた。サイド5だ。

「1バンチのルビィにて、GPの輸送船がモビルスーツのパーツを揚げていることが再三確認されている。しかも、その船は輸送船にしては足が速すぎる。擬装空母であるとも考えられる」

 ざわめきが大きくなった。確かに、それが事実だとすれば、大変な事態だ。

「そこでネグローニ閣下は、即、GP本社に対する査察を行うことを決定なされた。本艦はその支援に当たる」

 企業の査察とはNTCの仕事ではないような気もするが、何でもやらなければならないというところに現在のNTCの苦しさが伺われる。

 解散後、部屋に戻った俺はシャワーもそこそこに、早速ネットにダイヴしてGPのことを調べてみた。

 しかし、GPはどう見ても輸送会社でしかなかった。各国の機動戦力、つまりモビルスーツが隠匿されている証拠をつかむためにはやはり調査を行うしかない。

 が、そのためにモビルスーツが必要なのか。

 俺の判断することではないのはわかっているが、釈然としない。査察が拒否された場合、示威行動もありうるだろうが、最後の大佐の言葉が引っかかる。

「この作戦は、NF250の配備直前の最終テストも兼ねることとなるだろう」

 大佐は、確信を抱いていた。

 大佐にはいったい何が見えていたのだろうか。

 わからない。

「気をつけなさい、シュー」

 そんな声が聞こえて、稲妻に撃たれたようになった。

 マザー・ヴォイス。

「銃爪こそがあればいいということよ」

 ということは。

 思わず起き上がっていた。

 NF250の実戦テストとは最悪の場合のオプションなどではなく、大佐はむしろ積極的にNF250を使う気でいるのか。

 そんな馬鹿な、と思いたかったが、その方が当たっていると確信できた。理由など考えたくもない。俺はNTCの力を拡大するための銃爪ではない。

 我知らず、拳を握り締めていた。

 先が見えてきた。いよいよ。

 

 翌日、〇九三〇。

 作戦要綱が通達された。

 それは一言で言ってしまえば、こういうことだった。

「GP本社の存在するコロニー・シリンダーにエージェント・タンジェリンを投入する」

 昨日頭に浮かんだ言葉が実際に大佐の口から出てきたが、それがいったい何かということはわかっていなかった。ネットのなかを泳ぎ続けても、さっぱりだった。

「C兵器のコード・ネームです」

 隣のレイナ少尉がいきなり低い声で応えた。その言葉に耳を疑った。

「C兵器だって」

「はい。ユーゲントで一度だけ学んだことがあります。それがどういうものか、ということまではわかりませんが」

 少尉は何ということもないかのように言うが、C兵器の使用は条約違反のはずだ。どうしていきなりそんなことになっているんだ。査察ではなかったのか。いや、それよりも、そんなものをコロニー・シリンダーに投入する場合、モビルスーツに作業を担当させることは馬や鹿でもわかる。

 つまり、それをやるのは俺なのか。C兵器をコロニーに投入するのは。

 頭に血が集まってきた。

 いったいどうなっているんだ、撃ってはならないものに向けて銃爪を引くことになるとは。街を出るのはいつだってうまくやるチャンスのはずじゃなかったのか。

 俺は、望まぬ方向へ走っている。それも、ぐんぐん加速しながら。

 それでいいわけがない。が、俺はあまりに無力だ。まるで投げ捨てられた空缶だ。

 マザー・ヴォイスが繰り返し告げるように、闘うのがニュータイプじゃない。なのに、どうすればいいんだ。

 焦る俺に構わず、メイン・スクリーン上、目標が鮮やかに示された。それは月のさらに向こう、サイド3だった。

 俺の目は、脇に記されたコロニーの名称に釘付けになった。

『ジュネーヴ』

 オールド・ハイランド、だった。――

 

 

 MOBILE SUIT GUNDAM FX

 Episode 1 “Exit:Light Enter:Night”

 



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第二話 立ち上がる、炎

 攻撃空母シーヴァスは月面、フォン・ブラウン市に寄港した。

 目的は言うまでもない。エージェント・タンジェリンの受領だ。

 オールド・ハイランドへの武力行使。

 そうと聞いた瞬間、決して大袈裟ではなく、思考が停まった。

 そういうときに、ネグローニ連邦防衛庁長官と直に言葉を交わす機会を得た。

 長官が乗艦してきたのは入港前日のことだった。

 長官はNTCの総司令でもある。しかし、ニュータイプではないという話だ。もっともニュータイプであれば、全人類の九割が宇宙で生き、各サイド国家が連邦を置き去りにする時代となっても地球至上主義者でいられるはずはないが、信奉者は多く、先の連邦議会において連邦防衛長官となった。つまり連邦軍の指揮権を掌握したということだ。そして、大統領への階段を、ありとあらゆる手を用いて上り切った。結果、大統領とは名ばかりの独裁者へと成長してゆくこととなるが、それはもう少し先の話だ。

 シーヴァスは長官を熱い空気で迎えた。

 にこやかに乗艦してきた長官は年齢よりも十は若く見えた。背は高くないが、目に見えない力を放射しており、目の光と鼻の形が信念そのまま、タカだった。

 早速メイン・クルーが招集された。

 モビルスーツ・パイロットたちはその様子をガン・ルームで眺めていた。

 長官は皆に礼を述べ、大佐と固い握手を交わし、挨拶の代わりだと断って話を始めた。それは演説というべきものだった。演説を始めると、長官は超自然的な存在に取り憑かれたように見えた。それでなくともするどい光をたたえていた目が異様なほどぎらぎらし、身振り手振りの激しいことは、交響曲の指揮者のようだった。

 だが、それよりも問題だったのがその内容だった。

「オールド・ハイランドとGPの疑惑に満ちた行動は、地球圏の恒久平和を維持しようとする各国への、ひいてはベルリン軍縮条約の締結に尽力した地球連邦への重大な背信行為である。それがいかに些細なものであったとしても見逃すわけにはいかない。芽のうちに根絶やしにしておかねばならん」

 ぎょっとした。これは、ファシズムというものではないのだろうか。

 しかし、みな顔を輝かせている。特に、Zネクスト乗りの三人。

 みんな、ニュータイプではないのか。

 そのとき、気がついた。

 ここでは、俺の方が異端なのだと。

 モニターの真ん中、長官は両腕を大きく広げて場を見渡した。

「――この作戦が成功した暁には、間違いなく我々NTCが連邦軍の主流となる。私は諸君に約束しよう。もう宙に浮いたまま放っておかれることはない。我々が連邦軍を強く導く立場になるであろう。いや、そうならねばならないのだ。その栄光ある第一歩目として、諸君の奮励を願う」

 拍手と歓声が湧き上がる。この意志を抑止する力は、いまや連邦のどこにもない。

「我々ニュータイプは、人の革新した姿だ。人そのものを導く光を備えているのだ。その光を今より大きく輝かせようではないか」

 長官はそういって締めくくった。暗い目をしていたのは、俺ひとりであっただろう。間違いなく。

 あの煌煌たる目の光がどういうものか、わかった。

 氷だ。

 あの目は、地球にいる人間も宇宙にいる人間も、同じ人間だとは一切みなしていない。

 気持ちが暗くなった。早早に自室へ退散するつもりだったが、大佐に呼び出され、長官に紹介されることとなった。大佐の私室の前で心のドアをきっちり閉じたことは言うまでもない。

「君が二人目のSクラス・ニュータイプか。こうして会うことができて嬉しい」

 出頭すると、長官は立ち上がって自ら俺の手をぐっと握り締めた。俺は握手には全力を以って応える男だが、そのときは手にうまく力が入らなかった。Sクラス・ニュータイプと呼ばれるのは、厭だった。力だけが突出した、魂のない人間、と言われている気がして。しかし、名乗って敬礼をすることは忘れなかった。

「君もわかっていると思うが、連邦を取り巻く情勢はかなり厳しいものとなっている。連邦に今一度かつての栄光を取り戻さねばならない今、君が間に合ったのは、非常に心強い」

 長官にとってまださっきの話は終わっていないようだったが、連邦に果して栄光があったのだろうか? ひたすら衆愚政治を繰り返し、民を宇宙に捨て続けた連邦に。ディタなら間違いなくそう言うはずだ。

「光栄です。しかし、自分は一介のモビルスーツ・パイロットです。政治はわかりかねます」

 それは偽りなき俺の基本姿勢なのだが、どうやら逆効果だった。長官は笑みを浮かべた。

「率直だな。武人として非常に好ましい態度だ」

 と、肩に手を置いた。

 その後、何を話したのか、よく覚えていない。覚えていないのならたいしたことではないのだろう。気がついてみると、宙に転がって天井を眺めていた。『ギミー・シェルター』が流れていた。何時の間にプレイバックしたのだろう。

 ドアをぼんやりと眺めた。

 上陸許可はとっくに降りていたが、外へ行く気分ではなかった。

 が、急に部屋を出る気になった。当てはないが、どこでもいい。艦に居続けるよりはマシだ。

 艦を降りて港湾ブロックを出て早速車を拾ってにぎやかなところへゆこうとしたときだった。

 意識の奥で鐘が鳴った。『スターティング・オーヴァー』のイントロのような、澄んだ音色だった。

 と、意識が突つかれたように押されて、とっさに目を閉じると、瞼の裏に漆黒の幕が引かれ、その表に巨大な影が躍った。

 モビルスーツ、だった。明らかに。

 一旦遠ざかってから、からかうようにぐっと迫り、身を翻して消えた。色は、赤。深紅。その色がやけに鮮明に残っていた。

 ――赤いモビルスーツ。

 目を開いた。

 見たこともないモビルスーツだった。丸みを帯びた重厚なフォルム。ヤッファではなかった。Zネクストでもない。

 が、赤いモビルスーツ…。

 ディタじゃないのか。

 呼んでいるとでもいうのか。

 そんな馬鹿な、と思ったが、深いところからの声が、迷うな、行け、と俺を押した。

 港を出てすかさずキャブを拾った。

 乗り込んだ瞬間、また、ツン、と押されて、月の暗い空に赤い影が過ぎった。交差点や分岐点に差し掛かる都度、影は俺を押した。それに従ってドライヴァーに声をかけてキャブを走らせた。

 やがて、右手に巨大な建物が見えてきた。

 あれは。――

 目を見張った。

 アナハイム・エレクトロニクス月面地上工廠だ。

 

 正門をスルーして、すこし離れたところでキャブを捨てた。

 ひとりになって見回すと、辺りには人の姿も車の一台も見えない。

 さて、どうしたものか。

 あのモビルスーツは間違いなくアナハイムのものだ。確信はあったが、目で見たわけではない。

 それよりも、これがディタとどう結びつくのか、だ。

 ゆっくり歩きながら考えていると、脇に黒塗りの大きなエレカーが滑り込んで、停まった。思わず足を止めた俺の前に黒いスーツの男が降りて、風のような動作で後ろのドアを開けた。

 次の瞬間、視野が断ち切られた。背後より何か、黒いものを被せられ、両脇を固められたと思うと、強い力でエレカーに引っ張り込まれた。銃を抜くどころか、声を出すいとまも無かった。プロだ。

 しばらく走ってから、ようやく目隠しを外された。

 向かいには赤いスーツの女性が座っていた。まっすぐに俺を見つめている。

「おひさしぶりね。大尉」

 言葉を無くした。ディタだった。にこりともしない。本人だ。

「何故こんなことを」

 思わず大きな声を出すと、それはわたしが聞きたいわ、とディタは静かに言った。

「NTCの士官が思案顔でアナハイムの門の近くを歩いている道理はないわ。あなたがトラブルを愛しているのなら別だけれど」

 そう言われて、自分がいかに危険なことをしていたかということにあらためて気が回った。NTCはアナハイムを締め出した張本人だった。つまり、ディタは俺を救ってくれたわけだ。とっさの機転というには荒っぽかったが。

「助けてもらったようだな。礼を言うよ」

 ディタはかすかにかぶりを振って、いいのよ、と言い、

「帰ってきたのね。宇宙へ」

「――ああ。帰ってきた」

 うなずきはしたが、気分は重くなってゆくばかりだ。それでも言うべきことは言ってしまうことにした。左右をがっちりと固めている暗い色のスーツの男たちが窮屈だったが、その方がかえって安全なのだとわかっていた。

「俺がここにいることでわかってもらえたと思うが、NTCが出張ってきた」

「尋ねてよろしいのかしら。その目的を」

「GPへの武力行使のためだ」

 はっきりと告げた。が、ディタは顔色を失うこともなく、ばかりか、表情をわずかに変えることもなく、ただ俺を見つめていた。

「GPは、規模はともかく、一企業よ。それに対して連邦軍のニュータイプ部隊が武力行使とは妙な話だわ。しかも、何の通達もなく」

「しかしその無理がまかり通っている」

「まったく、今の地球連邦は完全に逆行している。連邦ではなく、帝国、と言った方が当たっているわ」

「その見解には同意せざるを得ないが、その前に解決すべき問題がある。NTCは何かをオールド・ハイランドに投入しようとしている」

 ディタは目をぴたりと俺の目に留めた。

「何か、とは」

「コード・ネームはエージェント・タンジェリン。C兵器ということだが、俺にはその正体まではわからない」

「エージェント・タンジェリン、ね」

 ディタはかすかにあごを引いた。目が射るような光を帯びた。

「それはおそらく、2・3・7・8-テトラクロロジベンゾ-1・4-ジオキシンね」

「ジオキシン?」

「UC以前、地球上の戦争でエージェント・オレンジというコード・ネームで用いられた最悪の化学兵器。指先に一滴触れただけで命に関わる猛毒よ。しかも、遺伝異常すら引き起こすうえ、自然には分解されない。一度汚染された場所は永久に汚染されたまま」

「そこまでひどいものなのか」

 愕然とした。それはすでに武力行使などというものじゃない。殺戮だ。

「――そうね」

 ディタはふいにうなずいた。

「地球がそうくるのなら、見逃すことはできないわ。どうあっても阻止しなければならない」

 ぽつりと言った。ディタの場合、こういうことを静かに言うのがかえって恐ろしい。

「ということは、君の国は動くのか」

「ええ」

 ディタはあっさりとうなずき、俺はと言えば、あのときのディタの誘いを断ったことを激しく後悔した。何故あのときうなずかなかったのか。何故マザー・ヴォイスが聞こえなかったのか。今に始まったことじゃないが、ディタが絡むとどういうことかマザー・ヴォイスが聞こえなくなる。

 いや、待て。

 先は逃したが、今こそ、機ではないのか。

「ともかく今回のこともあって、NTCは俺の居るべき場所ではないということはわかった。はっきりと」

 俺は、その意志のあることを慎重に告げた。

「そう。よかったわね」

 ところがディタの応えはそれだけだった。

「そろそろ、お別れの時間になったようね」

 右の男に時計を差し出されてディタはそう言ってよこしたが、何故ここで俺を誘わないんだ。

「ディタ」

 焦って思わず声をかけると、ディタの瞳がかすかに笑ったように見えた。

「あなたは真のニュータイプ。進むべき道は、自ずと見えてくるはずよ」

 ディタは左の黒スーツに紙片とペンをもらうと、何かをさらさらと書いて、差し出してきた。

 223・3237347579711・5297347573。

 この数字の列が何の意味を持つというのか。

 ところが、尋ねる前にまたあまり丁寧ではないやり方でリムジーンから降ろされており、

「再度」

 ディタの一言を残してリムジーンは滑り出した。そのテイルを呆然と見送るしかなかった。

 自ずと見える、か。

 紙片をポケットにしまいこんでうなずいた。肚はとっくに決まっていた。

 時計を見ると、時間はまだあった。繁華街におもむくことにした。

 週末の街は華やいでいた。しかし俺の周りには寒風が吹いていた。わかってはいたが、人々は俺を避け、あるいは遠ざかり、特に年配の方々が俺の制服に注ぐ目は氷の矢だった。

 しかし、今までずっと胸につかえていたものはなくなった。そう。いつまでもこうじゃない。俺はこちら側ではない。それを堂々と言えるときがもうすぐ訪れる。もうすぐだ。

 賑わう通りから一本入って、最初に見つけた『ディーノ』というトラットリアに入った。久しぶりに口にしたラザニアとラム・チョップは言葉にできないほどうまく、ラザニアを追加注文した。スーズのことを思い出し、レイナード・スキナードの『フリー・バード』が胸に流れた。

 食後の濃いコーヒーを味わいながら、人間だということを長く忘れていた気がした。

 

 標準時二〇〇〇。

 シーヴァスは月面を離れた。

 エージェント・タンジェリンのタンクは後部、艦底に固定されていた。

 五基。

 タンクは大き目の脱出ポッドに見えないこともなかった。量が少ないということは、それだけ殺傷能力が大きいということだ。指先に一滴触れただけで、というのは確かに誇張ではないらしい。

 月の裏側へ差し掛かったとき、

「我艦を追尾する艦隊を察知」

 NTスカウト・オペレイターの突然の声にブリッジは騒然となった。

「追尾とは、確かか」

「間違いありません。方位六‐十。艦数三、もしくは四。艦種は不明。相当の距離です」

「光学センサー」

「最大望遠で索敵中ですが、確認できません」

「干渉波レーダー」

「反応ありません

「ミノフスキー粒子は」

「第一戦闘濃度散布中です」

「その濃度で…」

 常識では、追尾、などという芸当は不可能な濃度だった。しかし、常識はこのときすでに覆されていた。

(我が方以上のNTスカウト・オペレイターがいるということなのか)

 艦長の脳裏をそんな考えがちらっとかすめたが、敵を発見するためにニュータイプをレーダーとして使うなどということを実行に移したのはNTCだけだった。無論、スカウト・オペレイターには能力の高い者が選ばれたが、その精度を維持できたのは長い間ではなかった。

 ネグローニ長官とロートシルト大佐にもすぐに連絡がなされた。

 そのときには、追跡者の姿は干渉波レーダーでおぼろげに捉えられていた。あいかわらず相当の距離だったが、追尾は正確だった。

「どこから来たというのだ」

 昂奮して声が震え始めている長官をなだめるように、大佐は冷静に応じた。

「グラナダ、と考えるのが妥当なところでしょうな」

「しかし、いつ、どこで我が方の動きを察知したのだ。月か」

「そうではないでしょう。月で我々の動きを知ったとしても、即座に動けるものではありません」

 大佐は断じたが、そうではなかった。ディタに違いなかった。

 それにしても、恐るべき反応の速さだ。ディタは即座に機動部隊を動かせるだけの力を持っているらしい。もっとも、すぐに動かなければ間に合わなかったことは確かだろう。

 ともかくディタが来るとなると、一刻も早く件の数字の意味するところをつかまなければならなかった。

 が、次の手はディタの方が先だった。

「モビルスーツらしきもの、高熱源体、察知」

 その一声でブリッジは火をかけられたようになった。

「方位、数知らせッ」

「方位七‐十。三機です。本艦に急速接近中」

「IFFに応答なし。すくなくとも味方ではありません」

 味方ではない、というのは控えめな言い方だった。このとき、連邦軍属ではない全ての艦船、そしてモビルスーツは連邦にとって敵に等しかった。

「第一戦闘機動隊のパイロットは指示あるまでコクピットで待機」

 簡潔なブリーフィングの後、仮の編隊長となったギャス少尉の指示に従い、三人のパイロットはメットを被って出ていった。

 出際、そのギャス少尉はさっと振り返って、挑むような一瞥をくれた。すっかり見慣れた目だったが、降りてくるときにはその目ができなくなっているだろう。降りてくることができれば、だ。極度に歪んだ時間のなか、自分のものじゃないような手足を操ることがどれほどの恐怖を呼び起こすか。しかし厄介なことに、恐怖心がなければ死んでしまうのだ。

 ともかく、ただではすまないことだけはわかっていた。ここで何かが起こる。

 ブリーフィング・ルームを出ようとすると、レイナ少尉も立ち上がった。その目はおびえた猫だった。

「大尉どの、どちらへ」

「コクピットで待機する。出なければならなくなるのははっきりしているからな」

「それではわたしもコクピットで待機、態勢を整えておきます」

「あまり気負うな」

「はいッ、ありがとうございます」

 少尉はぱあっと笑った。最初に比べると、かなり笑うのがうまくなっていた。

 この笑顔がしばし、遠くなる。

 わかっていたが、努めて考えないようにして、サリー2のコクピットに入った。

 システム起動後、早速艦のTDBとリンクして向こうのモビルスーツの機種を割り出そうとしたが、返答は、

『UNKNOWN』

 二分後、三機のZ006が離艦していった。

 アンノウンは転針。機動を始める。しかし散開はせず。

 両者は幾度か機動しながら距離をみるみるうちに縮めていったが、信じられないことが起こった。

 Z006がいよいよ威嚇の意図を持ったポジションを取ろうとしたところ、アンノウンはぱっ、とフォーメイションをブレイク、急接近したとみるや、Z006は三機ともあっさりとポジションを取られ、捕捉されてしまった。あっという間の出来事だった。

 ばかりか、振り切れない。

 Z006Nは、機体そのものの性能はともかく、パワーは一流だ。地球圏最速という形容は今も誇張ではない。なのに、そのZ006が完全に食らいつかれて、追い回されている。ウェイヴライダー形態であるにも拘らずだ。アンノウンは性能もかなりのものだが、それ以前に中の人間の技量が違いすぎる。向こうのパイロットは闘いを知っている。

「全機、完全に捕捉されています」

 通信回線は極限の叫びであふれていた。照準捕捉警報は、おまえはこれから撃たれるぞ、という宣告だ。耳にするだけで寿命が縮む。

「大佐殿、発砲許可を」

「発砲許可を願いますっ」

「ならん。決してこちらから撃ってはならん」

 大佐はにべもなくはねつける。長官も、苦虫を噛み潰していたが、黙っていた。現実に武器を使用する以前の行動だけで敵対行為と判断されれば反撃は可能だが、ここで反撃すると、逆に連邦の空母が何故月の裏側を単艦でサイド3に向けて航行していたかが問われる。サイド6を除くほとんどすべてのサイド国家が地球連邦に反目している情勢での不審な行動は、致命だ。国力ですでに大きく引き離され、経済封鎖で死にかけている連邦を突き落としかねない。

 だが、鍵は完全につかまってしまった三人のZネクスト乗りにかかっていた。連中がどこまで耐えられるか、だ。

 首を左右に振った。まったく見込みのない賭けだ。そんなことに期待するくらいなら、アンノウンに対する機動のパターンを戦術コンピューターに計算させた方がいい。彼らが退けられたら、俺の番だ。

 とにかく、ファンネルを射出して牽制しろと告げようとしたときだった。

「し、死にたくないっ」

 ひときわ大きな声がして、闇の表を一条の光が薙いだ。

 後の世で『環地球大戦』と呼ばれる、地球圏最後の闘いの幕が切って落とされた瞬間だった。――

 

「ファントム1、発砲ッ」

 オペレイターの悲鳴に近い声を耳にしても、驚きもしなかった。ギャス少尉にもいつかわかるときが来るのだろうか。引いたのは、ビーム・ライフルの銃爪だけではなかったということが。

 直後、また意外なことが起こった。

 Z006に食らいついていたアンノウン三機は反撃せず一斉にポジションを放り出し、猟犬のようにシーヴァスに向かってきた。Z006はかなり遅れた。連中が追撃に移ったときにはすでに、三機のモビルスーツはシーヴァスのブリッジを囲んで、一斉に機体灯をつけていた。チェックメイトだ。

 この時点で大佐はこの空域からの離脱を決意していた。適確な判断だったが、長官は了承しなかった。対空迎撃を命じた。退くべきときに退くことのできない人間というのは、まったく恐ろしい。

 ファランクス近接防衛システムが作動を始めたのを見て取ったか、三機は一斉に離脱したが、すぐにオペレイター達が声を挙げた。

「照準レーザー捕捉ッ」

「照準レーザー捕捉ッ」

 しかし、さすがに大佐は撃たせない。

「うろたえるな。モビルスーツのビーム・ライフルくらいでは沈まん」

 たしかにそのとおりだった。防御面の発達は、モビルスーツから対艦攻撃能力を奪い去っていた。

 この流れではそろそろか、と考えたとき、

「レイ大尉、レイナ少尉、発艦だ」

 その声がついに降りてきた。しかし、俺にはまだ進むべき道が見えていない。ディタのくれた数字の意味がわからなければ、闘うこととなる。そのはずだ。

 だが、時代には待つ気などないらしい。フライト・デッキ・オフィサーが前にふわりと浮かんで手を挙げた。エンジン・マスター・スゥイッチ、オン。コンタクト。外部電源シールドがイジェクトされる。

 やはり、ディタと闘うことになるのか。

 頭を振った。

 それは、是が非でも避けなければならない選択肢だ。俺とディタが闘ったとき、必ずどちらかが死ぬ。まして、向こうのモビルスーツがどのようなものかさっぱりわかっていない。Z006を完全に捕捉するだけの推力を持っていることを考えると、巴に持ち込んで押え込むしかない。闘うのならば。セイバーは使えない。二号機は厳密に言えばサイコミュ機器及びニュータイプ用兵装システムの試験・評価機で、白兵用動作ソフトはインストールされていない。それ以前に、ディタにセイバーで撃ちかけるなど、冒険に過ぎる。

 しかし。しかし。

「オール・システムス・グリーン。グッド・ラック」

 各部チェック終了。メカニックたちがいつもより素早く離れてゆく。発艦準備完了。

 ついに、か。

 どこか、信じられぬ気分だった。ディタと会ったあの夜、一刻も早く宇宙に上がって、サリーに乗るべきだという直感した。強く。その直感が、俺を裏切ったとは思いたくないが。

 ひとつ息をついて、ファイター・コマンドをコールした。

「コアントロー。サリー2、レイ大尉、発艦準備完了」

「コアントロー了解」

 オペレイターが応えた後ろから大佐が顔を出した。

「大尉、君は艦底へ回ってタンクの防衛に当たってくれ。少尉は上で警戒を」

「了解」

 コクピット・カヴァー、CLOSE。宇宙へ出た。

 トランス・エンジン、コンタクト。表示がオールGになるのを待って、カタパルト・セット。カタパルト・オフィサーが指を二本上げ、スロットルをMAXアフターバーナーへ入れると発艦灯が眩く光り、直後、闇の真ん中へ放り出された。オール・レッドからグリーンまでの十秒は一瞬だった。

 離艦後すぐに転針して潜り込み、タンクの前に占位して、FCS起動。マスター・アーム、オン。

 

 RDY BEAM RIFLE

 RDY FNL‐Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ、Ⅴ、Ⅵ

 RDY L SBR‐L1、L2、R1、R2

 RDY L SLD

 

 装備を一瞥して、最大望遠のメイン・モニターを見つめた。

 アンノウンは方位六‐四、距離十二万の空域でZ006と機動を繰り返していた。が、彼らの注意がZ006にではなく、シーヴァスに向けられていることはわかっていた。Z006をあしらいながら、探している。俺が背負っているタンクを。

「大尉どの」

 耳にノイズが飛び込んできて、その奥からレイナ少尉の声が浮かび上がった。

「第一戦闘機動隊が苦戦しています。援護の必要があるのでは」

「ファイター・コマンドの指示によらず持ち場を離れることには賛成できない」

 と応えたが、少尉の声は返ってこなかった。艦に張りついているせいか、交信状態は最悪だ。さっきから視野の隅で数字の列が目まぐるしく変わり続けている。戦闘濃度のミノフスキー粒子散布下では、自動同調システムががんばらなければ交信を継続できない。しかしまるでスロットマシーンだ、などと場違いなことが頭に浮かんだとき。

 223・3237347579711・5297347573。

 閃いた。

 すかさず近距離通信システムにディタの数字を入力し、周波数と解析コードの組み合わせの全種全域走査を実行した。

『223・3237347579711・5297347573』

 入力データがマッチした。解析コード、セット。デコード後、回線オープン。呼びかけると即座に応答があった。

「――フリー・バード」

 それは間違いなくディタの声だった。ジャック・ポットだ。どっと胸を撫で下ろした。

「すまない。もう少し早く気づくべきだった」

「いいのよ。ニュータイプも万能じゃないことはよくわかっているわ」

 その声にはかすかな笑みがこめられていたようだった。

「話の前に、タンクの位置を教えていただけるかしら」

「後部、艦底に五基。両舷に二基ずつ。中央に一基だ」

「了解。あなたの現在位置と搭乗機種は」

「俺はまさにタンクの前にいる。乗っているのは試作機だ」

「Zネクストではないのね」

「Zネクストじゃない。念のため、トップ・ライトを点ける。ブルーだ」

「了解。位置を確認したわ。――スターバッカー00よりスターバッカー28、スターバッカー27。目標の所在を確認。Zネクスト三機は任せます。手のかかるようなら撃墜してかまいませんが、見たことのないモビルスーツには決して手を出さないよう願います。それは新型です」

 その声を待っていたかのように、彼方で光の線が交差した。

 だが、赤いビームは闇を鋭く切り裂くのに、連邦の青いビームは途中で息絶えたようにはかなく散って、消えてゆく。

「何だこいつはっ」

「馬鹿な、直撃のはずだぞっ」

「ファントム2よりコアントロー、ビームが効かないッ」

 またも通信回線が爆発し、悲鳴に近い声が宙を飛ぶ。

「コアントローより各機へ。敵モビルスーツの周囲にIフィールド確認。繰り返す。敵モビルスーツの周囲にIフィールド確認」

 ファイター・コマンドが言い聞かせるように応えた。たいしたモビルスーツだ。そうなればセイバーしかないが、ウェイヴライダーのままでは使えない。

「一時離脱、変形して白兵に持ち込むぞっ」

 その声の直後、遠くで光の花がぱぱっ、と咲いた。待て、と言う間もなかった。

「ファントム2、被弾、爆発、――撃墜されましたっ」

「ファントム3、被弾三、機体損壊。パイロットは脱出」

「ファントム1、至近弾一、急速離脱」

 うかつすぎる。戦闘空域のど真ん中で敵に三秒ものチャンスを与えるなど。変形から次の戦闘行動に移るまでに最低でも三秒を要するのがZ006最大の弱点だと広く知れ渡っているのに。それも同時に変形しようとするとは。待ってくれるとでも思っていたのか。

 いや、考えるな。すべきことがある。

 俺は艦の表を離れて前進し、ビームの光飛び交う戦域のなかにもう一機のNF250を求めた。少尉を押さえておかねばならなかった。が、少尉の居場所に一号機を目視する前に警報が耳を撃ち、背後でするどい光が続けざまに閃いた。ディタはまさに疾風だった。

「コアントローよりサリー2」

 ファイター・コマンドから切迫した声が飛んできた。

「こちらサリー2。アンノウンの姿は確認できない」

 俺も焦ったような声で応じた。半分は本当だった。ガスだったものが星雲のようにきらきら輝きながら大きく広がって、頼るべき最後のセンサー、目で見ることはできなかったが、ディタは初撃で左舷の二基、二の太刀で右舷の二基を撃ち破っていた。

「本艦の後部下方、近すぎて捕捉できませんが、エージェント・タンジェリンのタンクを攻撃している模様。至急迎撃してください」

「攻撃目標は毒ガスのタンクだったのか」

 わざわざ言い直して交信をカットした。この交信記録が残されていれば、後で役に立つかもしれない。無論、迎撃はしない。

 そして最後の光がシーヴァスの底に閃いたとき、一機残ったZ006、ギャス少尉が猛烈な勢いで近づいてきた。自分の母艦に敵を連れ戻るとは、たいしたリーダーだ。しかしアンノウンは俺に見向きもせず、律義にファントム1だけを追い続けていった。こうなると話は早い。後はディタが仕事を済ませて離脱してくるのを待つだけだ。上昇した。

 が、いきなりあのぎこちない笑顔が脳裏に浮かんだ。――カルーア。

 少尉は、どこだ。

 すると、まるで俺の声が聞こえたかのようにひとつの影が正面にふわっと浮かび上がり、その奥から何かが猛速で飛んできた。何か、ではなかった。わかっていた。サリー1だ。

「大尉どのッ、どちらへ行かれるおつもりですかッ」

 耳と頭に同時にレイナ少尉の甲高い声が飛び込んできた。

「お応えください大尉どの、わたしの声は届いているはずです」

 見抜かれているか。

 となれば、カルーアも連れて行くべきか。

「今は何も知らず、何もわかっていない者を力で引きずり込むのは良くないわ、シュー」

 迷ったそのとき、マザー・ヴォイス。

「カルーアは意志ある人間。自分の足で歩いて来させなさい」

 それは狭き門だ。が、もう時間がないし、俺の心は連邦から遠く離れている。すまないと思いつつ、転針してスロットルを開けた。少尉は追ってきたが、俺たちの間に猛然と飛び込んできた閃光――深紅のモビルスーツ!

「ディタか」

 ――ディタ。

 その一瞬、少尉の注意までがディタに向いた。

 まずい。

 仕掛ければ、間違いなくカルーアが死ぬ。

「カルーアっ」

 しかし遅かった。少尉はファンネルを六基すべて射出していた。

「くそっ」

 近接戦闘スゥイッチを入れ、VD上にサリー1を捕捉すると「敵」として戦術コンピューターに入力した。が、目標は「味方」だと認識している戦術コンピューターに攻撃許可を出させるのに時間を食ってしまい、VD上にTDボックスが現れたとき、ディタは六基のファンネルに囲まれてしまっていた。

 しかし、ディタは、やはりというべきか、ディタだった。見ているだけで気を失いそうな動きでオール・レンジをしのいでいる。見えないポイントからの射撃をしのぐとは、ディタは、実はニュータイプではないのか。

 いや、そんなことを考えている場合ではない。ふたりを引き離さねばならない。ふたりの間にビームを撃ち込んだ。

 が、ふたりともわずかも下がらなかった。

 ――大尉どのは、渡さないッ!

 少尉の声はまるで耳元で喚かれたかのように激しく響き、一基のファンネルが飛び跳ねるようにして赤いモビルスーツに迫った。

 だが、その一基が射撃位置につく直前、ディタは機位をわずかにずらし、転瞬、ビーム・ライフルを素早くラックに戻すと、すぱっとセイバーを抜いた。直後、二つの光が湧いて、ファンネルが二基、MTIから消えた。すさまじいとしか言いようがない。

「当たってやるわけにはいかんな」

 ディタの声には余裕さえあった。

 しかし、少尉は退こうとしなかった。

 ――おちろぉッ!

 苦いものが湧き起こった。

 カルーアの笑顔がしばし遠くなるわけがわかった。手を負わせてでも、退かせるしかない、のか。

「コアントロー、こちらファントム1、もうプロペラントがない」

 と、ギャス少尉の何度目かの絶叫が耳を打った。それに誘われたわけではないが、俺の目はサリー1のバックパックに留まった。

 そこには、あるはずのないものがあった。

 左右一対のプロペラント・タンク。

 少尉は何と、プロペラント・タンクを下げたまま闘っていた。これで離脱させられる。サイド・スティックのトリガーに指をかけた。祈るときと同じ気持ちで呼びかけた。

 カルーア、君はいい子だ。

 が、地球の手は止めなければならない。

 ――大尉どの。

 視野のうち、サリー1がかすかに流れて、レティクルに重なった。その一瞬、迷わずに銃爪を絞った。ビームはプロペラント・タンクを正確に貫いた。ずばあっ、と光が閃いてタンクは爆発し、サリー1は猛烈な勢いで闇の奥へ弾き飛ばされた。悲鳴が頭に響いて、胸を風が鋭く吹き抜けた。

 ――どうして、どうして、わたしを。

 その声もあっという間に遠ざかって、ようやく息をつけたものの、これでカルーアはしばし立ち向かってくることとなる。やはり、苦かった。

 正面、赤いモビルスーツが浮上した。

「助かったわ」

 ディタがMFDの真ん中に現われた。ヴァイザーが透光に変わると、碧い瞳が俺をまっすぐに見つめていた。声はいつもとまったく変わらず冷静で淡々としている。まったく、たいしたものだ。

「無事か」

「ええ。――スターバッカー00よりスターバッカー28へ。任務完了。編隊指揮権を移譲します」

 赤いモビルスーツは踵を返し、轟然と加速した。しかしものの十数秒で噴射をやめて、慣性航行になった。見ると、背部、バック・パックの左側面が焼かれている。少尉も一矢は報いていたのだ。

 下方より二機のモビルスーツが接近してきた。目を引いたのは見たことのない機種というだけではなく、二機とも、ディタと同じく深紅だったせいもある。三人ともエースなんだろうか。

「スターバッカー00、どうした」

 回線に男の声が入った。空戦の直後だというのに少しも昂ぶっていない、歴戦の戦士と思しき落ち着き払った声だった。

「至近弾一。機体の損傷は極めて軽微だが、プロペラントは強制排除しました」

 ディタは他人事のように応えた。

「ビッグEまで飛べるか」

「無理です。曳いてもらいます」

 ディタのモビルスーツが俺を指した。

「そのモビルスーツが噂の新型か」

「NTCの色ですが、見たことがありませんね」

 二機はぐっと機体を寄せて、のぞきこむようにメイン・キャメラを近づけた。なかなか遠慮のない態度だった。

「新たな味方です」

 ディタは静かに告げた。ちょっとした沈黙の後、先の声が、そうか、と言った。

「君が言うなら間違いないだろう。おれとジャンは先に行く」

 二機は俺から離れると背のスラスターから光を伸ばし、あっという間に遠ざかっていった。

「航法は任せて」

「わかった」

 機をディタの機に寄せて、バック・パックのグリップをつかむと、スロットルを開いた。NF250は加速を始めた。が、出足は鈍い。いつものダッシュ力は微塵も感じられない。

「意外と力がないのね。NTCの新型は」

 ディタはやはり見抜いたが、機体質量を考慮した場合、Zネクストやヤッファと比べて出力は相対的に増している。俺の基準ではまだまだパワー不足だが、単独で飛ぶ分には問題ないし、

「シーヴァスに追撃する力は残されていない」

 と言いかけたが、

「広域警戒レーダーに反応」

 ――くそうっ、きさまが、きさまがあっ、

 ディタと別の声が重なった。ただひとり残ったギャス少尉だった。

 ディタは接近を告げたが、こっちのMTIには『味方』と表示されていて、受動警戒システムも作動していない。声の矢は黒い風となって懸命に追いすがってくるが、プロペラントはないはずだった。注意を向けると、どう見ても慣性で動いているだけなので、放っておいても問題ないと判断した。が、ディタは違った。

「タリー1(敵一機視認)、射程内ね」

 呟きと同時に赤い腕が電光のようにするどく動いた。

「大尉、このコースと速度を維持していただくわ。――ガン・モード。捕捉。照準微調整。完了。ファイアリングロック・オープン。ファイア」

 淡々とした実況の後に放たれたビームは『味方』に命中した。

 ――うわああああっ、こんなこんなこんなこんなああっ、

 三つ目の光の花とともに、泣いているような声は急激に遠くなっていった。断末魔の絶叫とならないところを見ると、命は落とさなかったようだ。プロペラントのない機はまず爆発することはない。が、複雑な気分だった。

 やがて、前方に機動部隊が見えてきた。

 中央に位置しているのはチェリィ・ブラッサム級中型攻撃空母だった。資料映像で見たことがある。

 大きくなってゆく空母の姿を見つめた。

 ここは、俺の居る場所になるのだろうか。

 

 

 MOBILE SUIT GUNDAM FX

 Episode 2 “The Flashpoint”



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第三話 追いつめられし、天の潭

 気がついてみると、崖の縁に立っていた。

 宇宙に復帰したときの俺のことだ。

 

 ☆

 

 開戦までの二ヶ月弱を、俺は月で過ごした。

 大戦勃発時、アナハイム月面工廠はグラナダに移転を完了していたが、真っ先に月の裏へ動かされたのがサナリィNF250サリシュアンのテスト・チームだった。

 俺は保護監察下にあった。テストのためハンガーへ向かうのにも警備兵を背後に従えなければならない始末だ。サリシュアンは接収。当然の流れだろう。

「ハイ、フリー・バード」

 ブリーフィング・ルームにはパナシェ女史が待ち構えていた。いつでもはつらつとしていて、ヴァイタリティの塊が服を着ているような女性だ。ブルー・マンデイなんて言葉は辞書にないだろう。プロイツェンのノルトラント工科大出身の才媛でもある。

 この方と初めて会ったときのことはよく覚えている。サリーに遅れること十日、アナハイム・エレクトロニクスに身柄を移された日のことだ。このブリーフィング・ルームに通されたとき、ヒールを高く鳴らして入って来るやいきなり、

「あなたがレイ大尉ね」

 思い返してみると、女史が俺のことを階級つきで呼んでくれたのはこのときだけだ。二度目からは『フリー・バード』だった。スクール・ボーイのとき、ランディに授けられた名誉ある称号だ。

「話はディタ――レーニエ中尉から聞いているわ。ともかく、お礼を言うわね。NTCの新型を持ち込んでくれて」

 女史は活き活きしていた。最初からそうだった。サリーの機体データ解析結果は、サナリィの技術力を見くびっていたアナハイムのエンジニアたちを突き落としたと聞いていたので、何とも意外だった。

「サナリィめ、なかなかやるじゃない。本職のわたしたちを差し置いて。でも、これがわたしの許に来たからには、もう丸裸よ」

 ここで遮って聞かなければ、この勝ち気で利発な方の名前すら永遠に知らずに終わっていたに違いない。

「あなたは」

 ああ、ごめんなさい、と女史は悪びれることなく笑って、

「わたしはディツェンバー・パナシェ・サラン。アナハイム・エレクトロニクスMS研究開発部第一課の主任技師です。よろしく」

 名前と所属を極めて簡潔に述べた後、女史はハンガーに横たわるサリーを窓から見下ろした。

「実際に飛ばす前にカラーリング変えだわ。この機体からNTC臭さを払っちゃわないとね。あなたも全身鼠色なんて辛気臭い機体はいやでしょ」

 もうひとつ言えば、女史には有無を言わせぬ勢いがあった。しかし逆らう道理はなかった。俺もミッドナイトグレイは嫌いだ。

 が、その総塗り替えが終わったとき、とんでもないことになっていた。

 いきなり全身フラット・ホワイト。胸部は濃紺。左右の排気口は黄色。挙句の果てにコクピット・カヴァーは真紅。まるで冗談のようなカラーリングだった。

「いかが。気に入ってもらえたかしら」

「派手すぎる」

 女史はまんざらでもないようだったが、常軌を逸しているとしか言いようがなかった。率直に応えた。

「これじゃアクロバット・チームだ。目立って仕様がない」

 女史はふふんと鼻で笑った。

「いいこと、フリー・バード。ガンダムにはね、ガンダムのカラーというものがあるのよ」

「ガンダムだって」

「ええ。このサリシュアンはどこから見てもガンダムよ。設計者と会ってみたいわ。話が合いそう」

「ガンダム――伝説のモビルスーツか」

「ええ。一年戦争の当時は有名だったのよ。連邦の白いヤツ、ってね」

「一年戦争とは、またずいぶんと昔の話だな。もう百年くらい前じゃないか」

「そのとおり。ちょうど百年前よ」

 うなずいたとき、祈りの鈴が鳴って、女史の笑顔と声がすうっと遠ざかった。何だ、と思う前に宇宙に投げ出されていた。まただ。

「ララァ」

 闇の表に、聞いたことはないが、何故か聞き覚えのある男の声が。

「頼む。どうすればいいのか、教えてくれ。私を、導いてくれ」

「いいえ。それはもう、できないわ」

 この声は、マザー・ヴォイスか。

「わたしは、もう――」

 胸に一陣の風を感じた後、宇宙の闇は溶け、目の前で女史はあいかわらず微笑んでいた。

「その記念すべき百年目に連邦がガンダムを作り上げたことには意味があるんじゃないかと、私は考えているんだけど」

「ガンダムはたしかに優秀なモビルスーツの代名詞みたいなものだけど」

「ええ、そうなのよ」

 女史はいきなりうなずいた。目を厳しく細めて。

「悔しいけれど、認めざるを得ないわ。このガンダムRZは極めて優秀よ」

 女史の言う『ガンダムRZ』が、環地球連合軍で実戦配備されたただ一機のNF250のコード・ネームとなるまで、さしたる時間はかからなかった。

「RZというのは」

「サナリィにおけるNF250の開発コード」

 放り出すような言い方をする。女史はアナハイムでガンダム・フリークとして非常に有名な方だった。そんな方が他人のガンダムを目にしたのだ。心中穏かならぬものがあることは十分に察せられる。

「まあ、いいわ。そのうちわたしのガンダムがサリーを圧倒してみせる。必ずね」

 女史の口癖だ。強がりに聞こえないのは、瞳の強い輝きと不敵な笑みのおかげだ。女史なら本当にサリーを圧倒するガンダムを創るだろう。

「さあ、それじゃ今日のメニューを発表させてもらうわよ」

 うなずきつつ、ガンダムRZに目をやった。

 このモビルスーツはあまりにもあっけなく手に入った。大佐はこれを奪取されて黙っているような輩か。それとも、自信があるのか。

 RZは黙っている。

 

 俺が月の天をひとりで飛び回っている間にも、時代のうねりは激しさを増していった。

 例の一件は連邦の懸命の隠蔽工作に関わらず広く知れ渡り、月の裏の大国オールド・ハイランドの態度をますます硬化させた。

 オールド・ハイランドは断固とした態度で経済断交に踏み切った。

 オールド・ハイランドが動けば、当然ゴースとブライトンの二大国も追従し、プロイツェンやマラネロなど、他国も続々と追随した。

「戦は、実際に戦する前にすでに勝っていなければならない」

 とディタは言ったものだが、経済断交はまさにボディー・ブロウのようにじわじわと地球のスタミナを奪い去っていった。今そうなったことではないが、地球は宇宙から恵みの雨を降らせなければ生きられない体だった。

 連邦はジェンティアナ連邦総務長官――スーズの父親だ――を特使として派遣し、オールド・ハイランドとの国交調整に全力を挙げた。

 オールド・ハイランドは譲歩の条件のひとつとして、月面化学プラントの査察を要求したが、それは連邦がうなずけようもない条件だった。そこはエージェント・タンジェリンを製造した場所であり、隠匿された基地でもあった。

 拒否した結果、ジェンティアナ長官に最後通牒が手渡された。

 が、連邦は降りなかった。正確には、ネグローニが、だが。

 強硬な姿勢を維持できた要因は、他でもない、サリーだった。連邦が意を決したのは、このモビルスーツの強さによるところがかなり大きかったと思われる。

 機体そのものの調査が済むと、アナハイムの手でガンダムRZのコピーが1ダース作られ、宇宙戦闘技術訓練学校『エアナイツ』に引き渡されて、他機種との性能比較試験に即時移行した。

 が、技術者たちはそこで深刻な問題に直面してしまった。

 機体を手に入れながら、有効な対策を一切講じることができない。サリーは圧倒的だった。ヤッファはともかく、あのときディタが搭乗していた新鋭機、アナハイムGPX750Aネージュでさえまるで相手にならなかった。能力をすべて攻撃に振り向けて、

『攻撃は最大の防御』

 という思想をそのまま形にしてしまったモビルスーツ。それがサナリィNF250サリシュアンだった。これはもはや、設計思想が根本から異なっているとしか言いようがない。勝ち気な女史でさえも、近接戦ではほとんど勝ち目がないと認めた。

 そして、夏の終わり。

 戦争回避のために最大限の努力を払ったジェンティアナ長官は辞任に追い込まれた。ネグローニ率いる強硬開戦派による、政治的抹殺だった。

 そうして歯止めをかける人間がいなくなってしまうと、後は坂を転げ落ちて行くだけの話だった。ネグローニがついに大統領になってしまうと、勢いはますます増した。その様は血を燃やして転がる鋼の動輪に見えたが、ニュータイプでなくとも、時代が轟々たる血と炎の嵐に包まれようとしていることは容易に読めただろう。

 血塗られた動輪がついに扉を突き破ってしまったのは、十月九日のことだった。

 連邦軍は侵攻を開始、堰を切ったようにサイド5に押し寄せた。

 主力は意外なことに艦隊戦力ではなく、モビルスーツと小型の戦闘艇を核とした機動部隊だった。

 その勢いはまさに枯れ野に放たれた炎だった。

 かつてのジオンを髣髴とさせる電撃作戦に為すすべもなく、ゴースを始めとしてサイド5の各国は瞬く間に陥落させられ、環地球連合軍の最初の作戦はサイド5からの全面撤退支援となった。

 撤退作戦には制空権確保が急務であるため、まずGPがそのヴェールを払い、ありとあらゆる口実で隠匿されていた機動戦力は各国軍に「接収」という形で分配され、オールド・ハイランドの空母は全隻――といっても、この時点で実戦投入可能な空母はただの五隻しかなかったのだが――サイド2、ブライトンのマジー・ノワール軍港を出撃した。

 まさに疾風のような対応の裏に、

「またすぐにモビルスーツの季が訪れる」

 と断言したディタの冷静な瞳を感じた。実際、ここで少しでも手間取っていたら、スペースノイドは永遠に勝機をつかめずに終わっていただろう。その翌日未明、マジー・ノワールはNTCの奇襲攻撃を受け、地球圏最強を誇ったブライトン本国艦隊は一気に壊滅させられてしまったのだ。

 その朝の衝撃は忘れられない。俺もだが、誰もが連邦やNTCの力を過小評価していた。何しろ、あの強力な戦艦隊の七割が撃沈され、残りは大破。空母が全隻出払っていたのは不幸中の幸いとしか言いようがないほど一方的な戦果だった。

 もっと差し迫った問題は、月の表に駐留していた連邦軍だったが、翌日、サイド1からプロイツェンの巡洋戦艦カイゼリンとエンプレスが飛来して、連邦軍の基地に強力な艦砲射撃を加えた。さらに翌日からはマラネロやオールド・ハイランドの巡洋艦も加わり、その地獄のような光景は毎日ニュースで見ることができた。

 ディタからのメッセージが届いたのは、月の天を飛べなくなってから十日目のことだ。

 内容は感情を何ら差し挟まぬ極めて正確な戦況報告で、メッセージでもディタはディタだと唸らされた。

 それによると、マジー・ノワール奇襲でNTCは何と、モビルスーツのみで戦艦を撃沈してしまったのだ。

 信じられなかった。蚊が人間を刺し殺したようなものだ。百年前の一年戦争でザクが初めて戦場に現れたときも、こうだったのかもしれない。ともかくモビルスーツは見事に復権を果たした。ネグローニとロートシルト大佐のかねてからの目論見通りに。

 事実、NTCの機動部隊はまさに無敵だった。マジー・ノワール攻撃後も環地球空域を我が物顔で暴れまわり、潜空艦によるサイド間の通商破壊も始まった。連邦はスペースノイドが手を振り上げる前にその喉を突こうとしていた。そうした状況がわかると俺も焦りに包まれたが、ディタは冷ややかに宣言していた。

「NTCがマジー・ノワールで空母を撃ち漏らしたことを悔やむときが必ず訪れる」

 最後に、オールド・ハイランド主導の戦力整備が始まり、環地球連合各国は空母の増産を開始したことがさりげなく書き添えられていた。

 だが、戦況は悪化の一途をたどった。

 環地球連合軍が連邦軍を月から完全に叩き出したのも束の間、L1空域は完全に制圧されてしまった。

 戦艦は出撃するそばから沈められた。

 地球とサイド5を結ぶラインを破壊すべく出撃したプロイツェンの大戦艦カイザーも、L1空域の連邦軍全艦を引きずり出しはしたものの、NTCのモビルスーツに脚を折られ、最後は戦艦や巡洋艦の集中砲火で撃沈された。

 制空権も連邦に握られ、なかでもダミアン・ギャスの名がエースとして鳴り響いた。

 ダミアンを突き動かしているものが何か、俺にはわかっていたが、広大な環地球空域で狙って会えるものではない。戦場で同じ敵に二度会うなど、奇跡だ。

 俺の職場復帰が決定したのは、連邦はこのまま一気に月に押し寄せるのではないかという重苦しい影がいよいよ月の裏側までも覆い始めたときだった。

 復帰はディタの要請によるもので、サリーによる損害を少しでも軽減するためだという。女史も了承した。

「ガンダムRZを機体強度試験にかけてスクラップにするよりは、幾ばくかでも戦力の足しにした方がいいわ」

 とにかく急な話だったので、あわてて支度をしていると、女史に夕食に誘われた。

 最後かもしれないと思い、その夜、シェラトン・グラナダのレストラン『オーシャン』で食事をした。その後、最上階へ向かった。

 スカイ・ラウンジ『ミルキー・ウェイ』はしっとりとした雰囲気の店だった。ただ、こうまで静かで落ち着き払っていると、俺のような男はかえって居心地が悪くなる。案の定、頭のジュークのスゥイッチが入ってボー・ディッドリーの『ロード・ランナー』が勢い良く流れ始めた。静かなピアノ・コンチェルトが透明な空気の中できらめいているのもいいが、やはり俺は紫煙がもうもうと立ち込める中にブルーズやロックンロールがやかましく転がっていなければ楽しめない。

 そう言えば、ランディはどうしているだろう。メッセージを送らなければ。

「モスコウ・ミュール」

 寸分の隙もないバーテンダーに告げた。ほとんど条件反射だったが、これからはきっとモスコウ・ミュールもゆっくりと飲めなくなる。

「ねえ、フリー・バード」

 メニューを黙って見ていた女史が、肩の辺りでささやいた。

「何を頼んでいいのか、わからないわ。普段はビア・ホールでビールばかり飲んでいて、こういうところ、来たことがないから」

 ならば、と、ブラック・ヴェルヴェットを注文した。

「おいしいっ」

 最初の一口で女史は少女のような声を挙げた。スタウトとシャンパンで作るこのカクテルは、やはり女史のブルズ・アイを射抜いた。こんなとき、俺はバーテンダーにも向いているかもしれないとも思う。

「今まで世話になったね」

 二杯目を頼んでから礼のつもりで言うと、女史はにんまりして、俺の肩を二度ばかり叩いた。

「何水臭いこと言ってるの。わたしも行くのよ」

 そういって女史が突き出して見せたのは、GPへの出向辞令だった。もっと詳しく言えば、空母エンタープライズへの乗艦命令だ。

「君も、空母に乗るのか」

「気が進まないけれど、仕方ないわ」

 女史はおおげさに肩をすくめてみせた。

「RZの面倒を見なくちゃならないし、実戦データも集めて統合しなきゃならないし。やれやれねえ。サリーの担当になったときは天に感謝したものだけれど、収支はちゃんとトントンになるものなんだわ」

 ぶうぶう言う女史がおかしくて、笑ってしまった。

「一旦噛んでしまったら、地獄へ道連れさ」

「地獄なんて、冗談じゃないわ」

 女史は睨む目をして、俺の胸の真ん中を人差し指で突いた。

「いいこと。わたしをちゃんと守りなさいよ。サリーを完全に打ち負かすモビルスーツを開発する前に宇宙の藻屑なんてごめんよ」

 だいじょうぶさ、と応えた。すると女史はRZに取り組んでいるときの顔になった。

「何よ、自信たっぷりね。ニュータイプのカンかしら」

「そういうわけじゃない。強いて言えば、俺のカンだな」

「じゃあ、ニュータイプのカンじゃないの」

「ああ、そうか」

 俺はたまに自分がニュータイプであることを忘れる。

 と、女史の聡明な瞳がふっと微笑んだ。

「あなたは、ずるいわ。シュー」

「どこが」

 ずるいわ、と女史は繰り返した。

「冴えない男じゃないのに、わたしのような女にさえ、このひとだいじょうぶかしら、って思わせるところが」

 くすくすっ、という笑い声が、胸をそよ風のように駆け抜けていった。

 

 翌日、空母エンタープライズ乗艦。

 どうなるか、と身構えていたが、ファイター・コマンドではずいぶんと歓迎された。

「第七戦闘機動隊『スターバッカーズ』リーダー、トム・コリンズ中佐だ。君を歓迎するよ」

 事情を知っているのはディタだけのようだと当たりをつけて、中佐とほんとうに堅い男の握手を交わした。その後ろから陽気な人懐こい笑顔が現れた。くすんだ金髪の、背の高いパイロットだった。真っ赤なバトル・スーツの上半身を脱いで、腰のところで両袖を結んでいる。

「トムの言うことはよく聞いた方がいいぜ。逆らったら朝から晩までCAP(戦闘空中哨戒)やらされるぞ」

 そんなことを言いながら、手をぐっと握った。

「おれはゲルハルト・ベルガー。階級は君と同じく、大尉だ。心から君を歓迎したいが、いまはちょっと持ち合わせがないんでね、アイス・ドールを進呈しよう」

 と、傍らのディタの肩をつかんで、前に立たせた。しかし、アイス・ドール。笑うことさえできなかった。そのディタは、

「また、よろしく」

 と言っただけだった。

 もうひとりのパイロットはベルガー大尉より背が低く、黒髪で、彫刻のように整った顔立ちをしていた。澄んだ青い目が物静かな光をたたえていたが、Tシャツにでかでかと書かれた言葉が奮っていた。

『俺の人生は6Gから始まる』

 くせ者だ。これは。

「ジャン・アレジ中尉です。よろしく」

 手を交わした後ろからベルガー大尉がまた笑顔をのぞかせて、中尉と乱暴に肩を組んだ。

「こいつのニック・ネームは瞬間湯沸かし器。そのわけは、すぐわかる。それともうひとつ、奥さんが映動女優だ」

「映動女優?」

「ああ。クミコ・ゴトウさ。エキゾティック・ビューティー。知ってるだろ」

 もちろん、知っている。東洋系の、端正な顔立ちをした、少し近寄りがたい雰囲気の美女。

「またこうして無事に、しかも連邦のエースと味方として会うことができて本当に嬉しいですよ」

 アレジ中尉は俺の手を握っていきなりこう言ってのけたものだ。それでようやく気がつくようでは、洞察力に秀でたなどと言うのは百年早いと言われても仕方がない。

「君たちもあのとき、いたのか」

「ああ。あのときはGPX750を身請けしに月まで出向いてたんだ。ちょうどその帰りだったのさ。実際あれァいい予行演習になったぜ」

 ベルガー大尉はにやりとした。中佐もうなずいて、

「さしあたり、我々はサリーを撃破することを考えなければならないが、それは君の乗機が来てからの話だ。今日のところは下がって、明日に備えてくれたまえ」

 その日の夕食は艦内各部を案内してくれたディタと一緒だった。

 ディタとの食事は、ほんとうに静かだ。余計なこと、意味のないことを話す必要がない。しかし、出会って三年にもなろうというのに、共通の話題がないとは、寂しいことかもしれない。ただディタがどういう女性かわかっていると、なかなか話しかけることもできない。

 そんなことをぼんやり考えていると、向かいで作業のように黙々と食事をしていたディタがふいに目を上げた。

「さっきからわたしを見ているようだけど、どうかしたの」

 いつのまにか、俺は手を止めてディタを見つめていた。しかし、いや、別に何でもない、とは言わない。ディタはほんとうに不思議に思っている。

「こういうことを言うのもなんだが、こうして君と会えて嬉しい」

 だから、と言おうとしたが、

「あ、――ああ」

 ディタは口篭もって目をそらした。そのとき、胸に強い風が吹いた。目に見えない壁が、ドン、とぶつかってきたかのように。

「それは、どうも、ありがとう」

 ディタはぼそぼそと早口で言いながらフォークでシチューをすくおうとして、気がつき、さっ、とスプーンに持ち替えた。

 ディタの鉄の扉がこうしてときどき開くことを笑って話せるときも来るだろう。生きてさえいれば。

 

 翌日、ガンダムRZが到着した。

 カラーはあいかわらずのアクロバット・チームだった。即日実戦投入されるというのに、まったく、これでは早く見つけてくれと敵に手を振ってるようなものだ。

 エンタープライズに来たモビルスーツはもう一機あった。

 RZに続いて、赤みがかった灰色の機体が搬入された。頭が魔法使いの帽子のように細長く、背負っている二基のトランス・エンジンがやけに大きい。乗艦してきた女史に尋ねてみた。

「この機体は」

「アナハイム・カワサキGPZ900R。ニック・ネームはニンジャ。戦術戦闘偵察機よ。早期警戒、航法支援もこなすわ」

 早期警戒に航法支援とは、ミノフスキーの嵐の中では夢のような言葉だ。

「ディタにシェイクダウンしてもらうために持ってきたの。なかなかいい脚してるわよ」

「ミノフスキー・ドライヴを抹殺したカワサキのミノフスキー・ジェット・エンジンだもの。速くなくては困るわ」

 いつのまにかディタが隣でこのすこし変わったモビルスーツを見つめていた。俺ももう少しニンジャとやらを眺めていたかったが、女史は待ってくれなかった。早速ブリーフィング・ルームに引っ張り込まれた。

「実戦投入に際して、RZには改修を施したわ。内容は、運動性と敏捷性を損なわない程度のフレーム強化と要所の保護。全システム入れ替えに白兵用動作ソフトのインストール。ライト・シールドをIシールドに換装。高機動戦闘端末もフィン・ファンネルに換装」

 フレーム補強と白兵ソフトのインストール、そしてフィン・ファンネルはわかった。が、

「Iシールドというのは」

「腕に外づけする、小型で指向性の高いIFG(Iフィールド・ジェネレイター)よ。RZはサイズから見ても出力から見ても本式のIFGを搭載できないから、唯一の防御兵器ね。もっとも、厳密にはシールドと言えないわ。楯の形をしていないから。でも、出力を上げればセイバーの刃を蝋燭の炎のように吹き消すこともできるのよ」

「それは、すごいな」

「コクピットに収まったらもっと驚くわよ」

 にやりとして女史はマイクロ・リーダーを放ってよこした。

「今日のうちに改修箇所も含めて機体各部と各システムを確認してちょうだい」

 マイクロ・リーダーに目を通してすぐ、バトル・スーツを着てハンガーへ戻った。

 バトル・スーツは俺の色、白銀だ。胸にはベロ・ワッペンが燦然と輝いている。真っ赤な分厚い唇が大きな舌を思い切り出してあかんべえをしているおなじみのあれだ。俺にとって神にも等しいザ・ローリング・ストーンズのトレード・マークで、俺のパーソナル・マークでもある。職場復帰の記念としてこれ以上のものはない。メットにも特大のベロ・ステッカーを貼りつけたことは言うまでもない。

 だが、このオールド・ハイランドの制式メットは今までのものとかなり形が異なっていた。喩えるなら、モーターサイクル用のフルフェイス・ヘルメットだ。視界が極端に狭い。さらにはヴァイザーの上に防護シールドが降りるようになっている。

「とても個性的なパーソナル・マークね」

 ブリーフィング・ルーム。ディタはにこりともせずそう言った。変わらぬ深紅のスカル・キャップに深紅のバトル・スーツ。左の胸には大きく紋章が描かれている。ジオンの紋だ。

「好きなロックンロール・バンドのマークなんだ」

「そう」

 ディタは興なさげにそっけなくうなずいただけだった。もっとも、ロックンロールが好きなディタの方がよほど怖い。

 ハンガーに入ってみると、ノーマル・スーツを着た人間が狭いキャット・ウォークに鈴なりでガンダムRZを見下ろしている。手空きのクルーがほとんど来たんじゃないかというほどだ。

 RZには艦名やオールド・ハイランド国籍マーク、そして部隊マークの『跳ね馬』が大きく描きこまれ、一層派手になっていた。

 機体番号は01。

 ちなみにベルガー大尉の機体番号は28。アレジ中尉は27。ディタは、これがまた実にディタらしかった。00。親の総取りの数字でもある。

 

 LT. SPRITZER RAY“FREE BIRD”

 

 上がっていくと、真っ赤なコクピット・カヴァーの表に白抜きでそう書き込まれてあった。渾名まできちんと添えられているとは、実に手際がいい。

 搭乗しようとして、さっきの女史の言葉の意味をまず理解した。

 RZのコクピットは、全周モニターにリニアシートではなくなっていた。うまい喩が見つからないが、カプセルに潜り込むという表現が一番当てはまっている。

「驚くのはまだ早いわよ」

 振り向くと、女史が不敵な笑みを浮かべていた。

「もう十分驚いたよ」

「いえいえ、まだこれからよ。さ、搭乗して頂戴」

 体を小さくして潜り込むと、歯医者で治療を受けるときのような寝そべった姿勢に固定された。狭くてどこも動かすことができない。動くのは首、手は肘から先、足は足首から先だけだ。

 不安が募っていくが、操作系は変わっていない。イグニッションをセットしてまずシステムを起動した。すると、MFDに赤字ででかでかと「極秘」の文字が浮かび上がった。一体何事かと思った次の瞬間、爆笑してしまった。

 

『極秘

 スターボードとは右舷、ポートとは左舷のことを指す。以後の作戦行動に支障をきたさぬよう注意せよ。

 空母エンタープライズ所属第七戦闘機動隊』

 

 最高のアドヴァイスだ。NTCを出て「まさに右も左もわかっていない」俺を心配してくれているとは。

 気が楽になったところでMAUをつなぐと、メットのヴァイザーが自動で降りた。ところが防護シールドまでもが自動で降りて、視野が真っ暗になってしまった。さすがにこれはどうすればいいのかわからず、指示を請おうとしたところに女史の声だ。

「RPDを起動するわ」

 次の瞬間、心の底から驚いた。

 視野がいきなり開けた。だけでなく、それは、どう考えても自分の視野ではなかった。さっきまでコクピット・カヴァーの裏側しか見えていなかったのが、いきなりハンガーに並ぶモビルスーツを後ろから見ている。

「網膜投影式ディスプレイよ」

 視野の右に小さな窓が開いて、女史が顔を見せた。得意そうな笑みを浮かべている。

「ガンダムの目があなたの目になるのよ。ネージュからすべてのモビルスーツに制式採用されているわ。わたしの国の技術よ」

「プロイツェンか。さすがだな」

「モードを集中情報表示にしてちょうだい。そうすればあらゆる情報が状況に応じて視野に表示されるわ」

「表示でカヴァーしきれない情報は? 戦術ディジタル回線経由のリアルタイム・レポーティングとか」

「ヘルメット・アッセンブリー・システム経由で脳磁気入力。あなたの場合はサイコミュ経由で意識に直接入力されるから安心して」

 もう言葉もない。天の国々の技術は連邦をはるかに凌いでいる。

 ともかく言われたとおりモードを切り替えて、コクピット・カヴァーをCLOSE。その表示は出たが、視野はなんら変わらない。道理で全周モニターがいらないわけだ。

 五分後、ニンジャがエア・ロックを抜けてフライト・デッキに引き出され、発艦していったが、離艦してすぐに見えなくなった。実に見えにくいモビルスーツだ。それで小さな国籍マークを申し訳のようにくっつけているだけでは、下手をすれば味方にも撃たれそうだ。

 俺も雨のような視線の中、準備を整えて、RZを飛ばせた。

 発艦すると、いよいよ言葉を出せなくなった。

 俺が、宇宙を飛んでいた。宇宙の真っ只中を飛翔していた。モニターに映る宇宙を見ているのでは、この感覚は決してつかめないだろう。

 いや、感動してばかりもいられない。まず機体チェックと改修箇所のチェックを入念に行い、女史の緊急リクエストでニンジャとのTDL接続と情報転送チェック。

 そうしてチェックと確認を一通り終えた後、ディタが呼びかけてきた。

「大尉、ひとつ試したいことがあるのだけど、よろしいかしら」

「試したいこととは」

「加速能力比較よ」

「ファイター・コマンドの許可は」

「今取ったわ」

「了解した」

 常に実戦を想定しているとは、さすがにディタだ。感心してニンジャのいる方に目をやった。

 ニンジャは宇宙の闇から湧き出るように近づいてきて、下百に占位した。それから相対速度をゼロにし、タイミングを合わせてアフターバーナーを点火した。

 結果はと言うと、RZは完全に引き離されてしまい、ニンジャに追いつけなかった。小回りはともかく、やっぱりパワーが足りない。それを除けば、女史の手の入ったRZは上出来だった。

 だが、このくらいでは連邦の動輪を止められそうもなかった。

 NTCのパイロットたちの練度と士気は極めて高く、サリーの力とあいまって、信じられないほどすさまじい戦果を挙げ続けた。

 何しろ、キル・レイシオが計算できなかった。

 こちらのモビルスーツは、特にヤッファが一方的に撃墜されるだけで、サリーをただの一機も撃墜できなかったのだ。

 もっとも、昇る朝陽もやがては夕陽となって沈むのは必定なのだが、それはもう少し先のこととなる。

 ガンダムRZの機体回りチェックを終えた後、ファイター・コマンドに向かった。

 翌日からこのRZを中心にした戦闘訓練が始まる。環地球連合軍の希望はここにしかないと言っても過言ではなかった。サリーをどうにかできなければ、自由な宇宙の民は敗れ去る。これはもちろん、ニュータイプのカンではない。

 だが、ディタなら、ネージュでもサリーを破る手を考えついてくれそうな気がしていた。それは祈りに近い思いだった。

 出頭してみると、CDCは騒然としていた。

「連邦の機動部隊を捕捉したらしい」

 ベルガー大尉が教えてくれた。NTCか。しかし、何も感じない。仕掛けてくるつもりはないようだ。悠々と航行している。

「距離七千」

 驚いた。ミノフスキー粒子の立ち込める中で、どうしてそんな彼方の敵が見えるんだ。

 しかし、誰も驚いていない。

 そう言えば、この空母だった。闇の彼方からシーヴァスを正確に追尾して、エージェント・タンジェリン投入を阻止したのは。オールド・ハイランドには、別の手があるのだ。

「敵さん、素通りだぜ。見えてないらしいな」

「いや、そんなはずはない」

 ディタはあっさりと否定した。

「連邦にはNTスカウト・オペレイターがいる。NTCは特に認識力に優れた強化人間に索敵を任せている。目で見えなくても、我々がここにいることはわかっているはず」

「簡単に言えば、人間レーダーか。人間扱いされないとは、ぞっとしない話だぜ」

「余裕かましゃがって。目こぼしのつもりか、クソッタレが。後で必ず泣きを見せてやる」

 ベルガー大尉はおおげさに口をへの字にし、アレジ中尉は向こうで真っ赤な顔で喚き散らしていた。なるほど。まさに瞬間湯沸かし器だ。

 コリンズ中佐が戻ってきて、第七戦闘機動隊のパイロットに集合をかけた。

「我々は幸運にもNTCの新鋭機、サナリィNF250サリシュアンを手に入れることができた。そこで、実際に手合わせを行うことで、一刻も早く有効な戦術を見つけねばならない」

 だが、明日のためのブリーフィングは始まってすぐ中断した。オペレイターの一人が叫んだ。

「ゼロ方向に高熱源体発見。モビルスーツらしきもの、本艦に急速接近」

「数は」

「一機です。IFFの応答結果は敵」

「連邦にもバカがいたもんだ」

 笑い飛ばしたベルガー大尉を、彼女は鋭く振り返った。

「しかし、その速度が普通ではありません。通常の約三倍です」

「通常の三倍だって」

 みんな、ぎょっとなった。

「モビルアーマーか」

「サリシュアンだ」

 断じると、ファイター・コマンドのすべての目が俺を捉えた。

「通常の三倍という狂ったような速度を叩き出すモビルスーツなど、NF250以外の何物でもない」

 みな、顔を見合わせた。モビルスーツ乗りたちはことに深刻に。無理もない。いきなりサリーとの初の実戦を迎えることとなったのだ。

「レイ大尉、緊急出撃だ」

 中佐が告げた。

「ウイングマンはディタ。バックアップはガーディーとジャンだ。スタンバイ」

 正しい判断だった。現時点では、サリーにはサリーをぶつける以外にない。一機と言っても、容易ならざる敵だ。復命してターボリフトに飛び込んだ。

 ディタが続いて飛び込んできた。ともに出るなら、是非言い含めておくことがある。

「中尉、君に頼みがある」

「わかっているわ」

 当然とでも言いたげな口調で即答したディタに、違う、とかぶりを振る。ディタの瞳にかすかな色が浮かぶ。

「違う、とは」

「ニンジャに乗ってもらいたい」

「GPZ900はタイプR。偵察機よ」

 それでいい、と応える。

「君も解っていると思うが、サリーはとにかく一筋縄でいく相手じゃない。この先、あれを向こうに回すとなれば、高度で正確な戦術戦闘情報が必要だ。だから戦闘には参加せず、あらゆる情報を収集し、――そして、たとえ俺が撃墜されようとも、情報を携えて、必ず帰還するんだ」

 こんな、味方を見殺しにしてでも帰還しろなどという冷徹なことはディタにしか頼めない。それにニンジャのパワーならサリーに追撃されても振り切れる。

 だが、ディタはうなずかなかった。俺の目をまっすぐに見つめて、確かめるようにたずねてきた。

「あなたの援護は」

「必要ない」

 きっぱりと応えた。

「今回、全装備は自衛のためだけに使ってくれ」

「相手はそんなに強いニュータイプなの」

 わからない、と応えた。向かってくるのはダミアンではなく、間違いなくカルーアだとわかっていた。それがかえって面倒だった。ドッグ・ファイトの最中に説得する余裕などありはしない。

 しかし、戦場で再会できるとは。引き合っているとでもいうのか。

 ターボリフトはハンガーに到着した。

 ガンダムRZの装備はA型のままだ。基本装備だが、特に問題はないだろう。

「大尉――フリー・バード」

 床を蹴って一息にコクピットに取り付こうとした俺を、ディタは呼び止めた。俺を見、そして目をそらしてぽつりと言った。

「わたしたちは、今、あなたを失うわけにはいかないわ」

「もちろん俺もむざむざと屈するつもりはない。しかし、これは戦争だ。悲しいけれどね」

 ディタに軽く手を挙げて、コクピットに飛び込んだ。

 シートにつくとMAUをつなぎ、エンジン・マスター・スゥイッチをP1(スタンバイ)からP2(イグニッション)にセット。コンタクト。全システム起動。コクピット・カヴァー、CLOSE。コクピット・カヴァーがぴたりと閉じると補助モニターが展開、棺桶に光が差す。

 エアタイトを確認してヴァイザーをセットし、RPD(網膜投影式ディスプレイ)起動。視野と意識に各部チェックの結果が走り始め、外ではエンジニアやメカニックがクリアランスの取れたところから続々と右手を挙げる。

「フリー・バード。ガンダムRZ、システムス・オールG。グッド・ラック」

 最後に女史が機体から通話ジャックを抜いて右の親指を挙げる。それを見てファイター・コマンドへテイク・オフ・クリアランスをコール。コール・サインはスターバッカー01。ディタがスターバッカー00だ。

「アークエンジェル。レイ大尉、発艦準備完了。リクエスト・フォー・テイク・オフ」

 視野の真ん中にキャプコムが現れて、微笑む。

「こちらアークエンジェル。コーション・オール・クリアを確認。クリアード・フォー・テイク・オフ、スターバッカー01。グッド・ラック」

「スターバッカー01、了解」

 エンジニアとメカニックが総員退避を終えると機体が右へスライドを始め、エアロックを抜けて宇宙に出る。

 発艦位置、定位。スロットルを入れて、メイン・トランス・エンジン、コンタクト。

 カタパルト・セット。カタパルト・オフィサーが右手の二本指を高々と挙げ、スロットルをMAXアフターバーナーへ。

 十秒後、発艦灯がオール・レッドからグリーンに変わる。同時にリニア・カタパルト作動、RZに猛烈な鞭をくれて闇へ解き放つ。

 ディタのGPZ900Rは後上方に占位。GPZ900RとのTDLを接続。誘導情報受信。戦術情報の双方向高速転送を開始。

「スターバッカー00よりスターバッカー01。ワン・ボギー、コンタクト。方位787。距離十万八千」

 発艦後すぐ、ディタの冷静な声とともに視野にキューが出た。しかし距離十万八千でコンタクトとは、ニンジャというモビルスーツは千里眼なのだろうか。来る向きや勢いはわかっていたが、俺にはまだ何も見えていない。そういうとき、ディタの冷静な実況は非常に助かる。

「速度4・9。ヘッドオン」

「スターバッカー01、了解」

 FCS、オン。センサーが中‐近距離・移動目標自動捜索モードに切り替わり、距離三万でようやく捉える。

 サリーは転針せず、一直線に向かってくる。恐れをまったく知らないか、怯えきっていて何も見えていないかのどちらかだ。いずれにせよ、ヘッドオンを外して上昇に移る。

 すると、サリーも転針、急上昇に移った。

 センサーがSサーチへと切り替わって自動追尾を開始。ディタがカルーアも動き始めたことを告げて、TARP(戦術航空偵察ポッド)を一基、射出した。俺もMTIに表示されたサリーの位置、速度、加速度情報を見て、機動を始める。

 五度目の機動を終えた時点で距離一万五千。ターゲット、イン・サイト。

「タリー1(敵一機視認)」

 をコールしたとき、この天が炎のような憤りと憎しみ、そして蒼い悲しみで満ちていることに気がついた。やはり、カルーアも相手が俺だとわかっていたか。頭と胸に入りこまれたら、終わりだ。ドアをきっちり閉めて、

「ロックンロール!」

 コンタクト・オープン。スロットルを大きく開け、パワーダイヴに入る。距離がぐんぐん縮まる。

 カルーアもあいかわらず反航で向かってくる。

 距離、一万を切る。

 受動警戒システムが照準レーザーを捕捉、目標が攻撃態勢にある、と警告を発した。同時に、ディタの声。

「スターバッカー01、敵、増速。ブレイク・スターボード」

 ブレイク・スターボード。同時にマスター・アームを入れる。

 視野の脇に装備一覧が展開する。

 

 RDY BR

 RDY FIN FNL‐Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ、Ⅴ、Ⅵ

 RDY SBR‐L1、L2、R1、R2

 

 プロペラント・タンクを切り離し、ドッグファイト・スゥイッチ・オン。RPDがガン・モードに切り替わる。迷わずビーム・ライフルのセイフティを抜いて、サイコミュ・メイン・コントロール、起動。ズームド・エア、起動。高機動態勢。

 一瞬の後、光の線が現れて、手の届きそうなところをサリーらしき影がものすごい速度でかすめて後ろへ消えていった。

 すかさずその場でスピン・ムーヴ、後退しながら捕捉を試みたが、カルーアも急回頭、大加速をかけてまた一直線に向かってきた。ほぼ同時にビームの光が閃いたが、それは読めていた。回避。すれ違う前にスピンして、カルーアの背後目掛けてタックルしたが、黒いサリーのスラスターが眩い光を吐いて、カルーアもダッシュした。と思うと、木の葉のようにひらりと旋回して逆に俺の背後を取ろうとする。

 俺もズームド・エアを操り、シンクロナイズド・バーニアを使いまくって回避しつつも捉えようとするが、カルーアは容易にポジションを取らせてくれない。他のモビルスーツなら十回以上撃墜できているはずだが、黒いサリーの向こうにロートシルト大佐の冷徹な目が見えた。そういうことか。

 それにしても、ファンネルを飛ばさない。慎重だ。オール・レンジの隙を狙っているのに。

 仕方ない。仕掛けてみるか。

 距離七千でフィン・ファンネル、攻撃モードへ。追いすがってきたカルーア目掛けて、一番、射出。続いて二番。

 

 RDY FNL‐Ⅰ、Ⅱ

 

 カルーアは、案の定、機動を止め、慣性航行になった。

 直後、MTIに光の点がどっとばらまかれ、ディタがカルーアもファンネルを射出したと警告してくれた。が、カルーアのファンネルはあいかわらず動いている一基以外は宙に留まっているだけで、敵ではなかった。とは言え、動いている奴は火が点いたように敏捷なので二番で牽制しつつ一番で仕留める。あわてるな。狙撃は、ファンネルをさばいてからだ。

 そして最後のファンネルは一番で、カルーアにすっかり放り出されたサリーは二番で牽制しつつ、捕捉。ビンゴだ。センサーでも、俺の目でも捉えた。

 しかし、その一瞬、トリガーを引くことができなかった。

「わかっているはずよ」

 マザー・ヴォイス。

「あなたたちは闘うために出会ったのではないでしょう」

 しかし、敵だ。俺たちは、互いに。俺はカルーアを撃ってNTCを出奔し、カルーアは怒りと憎しみをするどく尖らせて追ってくる。現にこうしてモビルスーツに乗って、戦場で。

「わざわざ不幸になる必要はないのよ」

 しかし。

 ここで銃口を下げたとして、この子はほんとうにこちらへ来るのか。

 その隙に、天に満ちる声がなだれ込んできた。

 

 わたしをわたしをわたしを撃ったあんなに一緒にそばにいてほしかったのにわたしと同じ思いを持ってほしかったのに通じなかった無視されたわたしを見ないで別の方へ向かった大尉どのを撃てわたしを捨てた大尉どのを撃て撃て撃て撃てッ

 

 何だ、これは。

 まるで子供じゃないか。

 あわててドアを閉じた。

 しかし、思惟はなおも追いすがってきて、いばらのように絡みつく。

 泣き声が、した。ふいに。

 泣いている、のか。

 

 わたしの苦しみが自分のせいじゃないと言うなら、わたしの胸に戻ってきて。いま、すぐに。いま、すぐに。いま、すぐに。いますぐにッ。

 

 まさか、これを言うためだけに飛んできたのか。

 そんなことは考えたくない。

 かぶりを振った。

 できない。

 そんなことが、できるものか。

 いまはまだ、そこじゃない。

 ドアを堅く閉じると、カルーアはまだTDボックスに閉じ込められたままで、ボックスは、早く撃て、とでも言うように赤く瞬いていた。

 ――この縁は、断ち切った方がいいんじゃないか。

 と、誰かがささやいた。

 ――足を引き合うだけのものじゃないのか。

 くそっ。

 俺は、トリガーを絞ろうとした。

 そのとき、

「仕方のない子ね。――」

 マザー・ヴォイスが笑って、カルーアを捉えていたTDボックスが突然消え失せ、MTIの表示が『味方』に変わった。

「なんだ」

 思わず声に出してしまっていた。急いで確認して、もう一度驚いた。

 IFFの応答結果が味方――RZはフレンドリィ・スクオークを受信していた。

「どうしてだっ」

 トリガーを引いたが、ビーム・ライフルもフィン・ファンネルも沈黙している。構わずにトリガーを引き続け、戦術コンピューターに「敵」の入力を繰り返した。この機を逃せば、撃破されるのは俺かもしれない。

 だが、戦術コンピューターが攻撃許可を出したときには既に遅く、黒いサリーはアフターバーナーの光を曳いて離脱、あっという間にセンサー・レンジからアウトした。カルーアは手の届かぬ彼方へ飛び去ってしまった。

「スターバッカー00よりスターバッカー01」

 ディタの声が遠くにした。

「どうされたの」

「俺のミスだ」

「ミス?」

 意外そうな声のディタにがっくりとうなずいた。

「RZがフレンドリィ・スクオークを受信した。それで目標は味方だと認識したFCSが照準捕捉を解除した。IFFコードの更新を忘れていた俺のミスさ」

 こんなことをとっさにカルーアが思いつくはずはない。それも、ドッグファイトの最中に。大佐だ。

「そう、残念ね」

 ディタの声も、いまは沈んで聞こえる。

「けれど、今日のところは仕方がないわ。TARP収容。帰頭しましょう、フリー・バード」

 遠くでGPZ900Rの噴射光が眩く輝いた。俺もカルーアの声がまだすこし引っかかっていたものの、フィン・ファンネルを収容して帰頭に移った。サリー同士の空戦はこうして物別れに終わった。

 しかし、得たものはあった。

 ディタが持ち帰った戦術戦闘情報だ。

 それは非常に重要なものだった。環地球連合軍の将兵は初めて戦闘状態のサリーを目の当たりにしたのだ。

 情報は早速ネットで全軍に配布された。

 だが、明らかになったサリーの強さは逆に士気の低下を招いてしまうほどで、突破口は依然として見えない。

 これは、俺たちの怠慢ではなかった。あちこちで色々な陰口を叩かれていたようだが、第七戦闘機動隊は一丸でサリーを倒そうと頑張っていたし、パイロットも極めて優秀だった。

 長‐中距離戦と一撃離脱に絶対の自信を持つガーディー。

 白兵となると芸術と言っていいほどの剣技を見せるジャン。

 そして、ドッグ・ファイトではまさに鬼の強さを誇るディタ。

 この三人だけで普通の戦闘機動隊二個分のはたらきは間違いないと思うが、三人揃ってもガンダムRZにまるで歯が立たなかった。

 ガーディーとジャンは自分の得意な闘いに持ち込む前に撃破されてしまうし、ディタも決して巴の得意じゃない俺に背後を取られまくる。サイコフレームに直結されたズームド・エアの威力はほんとうに絶大だった。ニュータイプ、いや、サイコミュ兵器をドライヴさせられる者なら――ニュータイプと強化人間は同一視されがちだが、両者のベクトルは正反対だ――思うままに、ほんとうに思うままに宇宙を駆け巡ることができる。

「サリーの強さはニュータイプ能力に比例している」

 ディタは早くからそう見抜いていたものの、能力の低い者をサリーに乗せて飛ばすわけもなかった。

 そして、年が明けてまもなく、ついに月軌道の内側はほぼ連邦の勢力圏となり、ラグランジュ・ポイントのL4とL5を結ぶ直線が環地球連合軍の絶対防衛線となってしまった。いきなり喉元にナイフを突きつけられた有り様だ。このラインが破られれば、連邦は津波のように月へ押し寄せる。そうなれば、この戦争は終わる。スペースノイドの究極に望まぬ形で。

 反撃のきっかけすらつかめぬまま、オールド・ハイランドはコロニー建設用のマス・ドライヴァーで月から地球を爆撃した。

 この攻撃には本当に牽制以外の意味はなく、与えた損害もほぼ皆無だったが、我々にいまだ地球を直接攻撃する能力があると知った連邦の反応は極めて敏で、サイド7、グリーン・ウォーターよりNTC機動部隊が出した。

 オールド・ハイランドも二隻の空母を中核とした機動部隊を投入し、サイド5後方のインテルラゴス空域でNTCの小型空母を沈め、大型空母一隻に手を負わせてL4・L5ラインの突破をどうにか食い止めたものの、虎の子の大型空母キエフを沈められ、チェリィ・ブラッサムも中破という、極めてまずい状況に追いこまれた。

 しかも連邦はほとんど間を置かず、大型空母二隻、中型空母二隻という強力な布陣で迫りつつあった。

 

 

 MOBILE SUIT GUNDAM FX

 Episode 3 “Walking on a thin line”



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第四話 道の、途中~前編

 連邦の攻撃目標はどこか。

 NTCの機動部隊がサイド7のグリーン・ウォーターで着々と戦支度を整えていた時分、オールド・ハイランドはその目標をつかめていなかった。連邦の暗号はとうの昔に解読できていたが、ひとつだけ特定できない『GV』というコードがあった。

 ラガヴーリン(連邦軍総司令部)発の暗号通信に頻繁に現れることから、明らかに次の攻撃目標を示すコードだと思われたが、候補が複数存在したため、中央情報局と軍事情報局は血眼で駆けずり回った。そして目標をソロモンかワイコロアというところまで絞りこんだものの、そこでついに両手を挙げてしまった。

 地球圏で稼動可能な空母はわずか三隻にまで減少していた。それも、インテルラゴスで中破したチェリィ・ブラッサムまで計算に入れて三隻だ。触雷したナイラーナは依然ドック内にあり、他の空母は旧式で小型鈍足のため練習空母以外に使えない。そんな状態で戦力を分散させるなど、無理な相談だった。

「ソロモンハ生鮮野菜不足。至急補給ヲ請フ」

「ワイコロアハ飲料水不足。至急プラント設置ヲ請フ」

 いきなりソロモンとは考えにくかったが、可能性がないわけではなく、困り果てたベルン(オールド・ハイランド軍総司令部)は一計を案じて、この二文をエンコード一切なしの平文で垂れ流した。どう見ても苦し紛れだが、時として単純な方が妙手となることもあるらしい。

「GVハ飲料水不足ノ模様」

 ラガヴーリンの発信したこの暗号通信を傍受したとき、目標は確定した。四月二十九日、我がエンタープライズとクイーン・ビーを中核とした第一機動部隊がワイコロアを目指してエッヂ・フィールドを出撃した。

 途中、ブライトンの誇る高速戦艦クイーン・エリザベス、プリンセス・メリー、プリンセス・ダイアナの三隻が合流した。

 ワイコロア戦の時点でオールド・ハイランドは、どこよりも進んだ防空システムを完成させていた。ところが、モビルスーツのコントロールを含む全艦隊の対空火力を一元管理するそのシステムに組み込めるだけの性能を有する戦艦はこの三隻だけだった。

 戦闘能力でみればプロイツェンやマラネロの戦艦や巡洋艦のほうが上だったが、彼の国の主力艦の主眼は遠距離砲撃戦で、「防空」という二文字はなおざりにされていた。モビルスーツが復権する前に竣工していた艦ばかりだから、無理もないが。

 第二機動部隊のチェリィ・ブラッサムは三日遅れでエッヂ・フィールドを発った。

 彼女は先の怪我を突貫で修理していたが間に合わなかった。それでもサトウ少将の将旗を掲げたが、出撃後も修理続行という有り様だ。

 中型攻撃空母三隻を中心とする二個機動部隊。

 モビルスーツにして百機弱。

 付け加えることの、ワイコロアに配備された、決して十分とは言い難い守備隊。

 強大なNTCに立ち向かうのは、正真正銘、これだけの戦力だった。焼け石に水、という言葉が脳裏を過ぎったのは俺だけではないだろう。

「一気に月まで落とそうとは、ずいぶんと威勢がいい」

 目標がワイコロアと知ったディタはそう呟いた。

「ただ、勢力は、拡大するより、維持する方がはるかに難しい」

「同感だな」

 と、ガーディー。

「サイド5を押さえたとは言え、連邦にとって月までの補給路を確立し、それを維持するのはかなりきついはずだ」

 しかし、肝心なのは目の前に迫ったこの闘いだ。この、運をすべて味方につけても足りないような。

「いよいよまともに殴り合うことになっちまったか」

 四月十九日――出撃十日前。空母エンタープライズ、ファイター・コマンド。ガーディーは眠そうな目で俺を見た。

「見通しを聞かせてくれよ、フリー・バード」

「勝てる、とは言えない。正直なところ」

 少し考えてから、そう言った。

「が、負けない闘いをすることはできる。とにかく懐へ飛び込んでしまうことだ。セイバーの間合いになれば四方からの攻撃は不可能だ。そんな至近距離でオール・レンジをかけたら、自分まで巻き込んでしまう」

 アンサーが身を乗り出した。

「でもよ、オール・レンジにも有効射程はあるんだろう」

「もちろんだ。しかし、その外からビームを撃っても回避されるだけだろうな」

 ああ、そうか、と、アンサーはうめいた。代わってジャンが確かめるように尋ねてきた。

「しかし、逆に考えれば、ファンネルを飛ばさせなければ何とかできるってことだな」

「そうだ。しかし、そのためには一気に間合いを詰めなければだめだ。中間距離だと訳がわからないうちに撃墜される」

「そうだな。ただ、問題は、――」

「ああ。サリーちゃんだ」

 沈黙。ディタさえも沈痛な心持ちでいる。無理もなかった。サリーを見たら逃げろ、とまで言われ、あちこちで実際にそうなってしまっているほど、サリーの強さは突き抜けていた。

 だが、俺たちは避けて通ることができなかった。

「積極的に挑むのは控えた方がいい」

 俺もそう言わざるを得なかった。

「闘うことになっても、背後の取り合いは絶対にダメだ。あっという間に回り込まれて、食いつかれる」

「まったくあの運動性は信じられない。目の前から消えたと思ったら、もうケツにくいついてやがる」

 みんな、連日の戦闘訓練でいやというほどわかっているだろう。いつも自信満々なアンサーが苦い顔をしてみせるのも、このときくらいのものだ。

「今は、サリーの得意な闘いをさせないことしかない」

 ディタは静かに言った。たしかにその通りだった。

「とにかくワン・オン・ワンは絶対に避ける。最低でも二機一組での一撃離脱に徹し、隙があれば一気に詰めて白兵に持ち込む。不利になったら、即座に離脱する」

 トムがディタの言葉を受けて、まとめた。これがワイコロア会戦直前の時点で確立された対サリシュアン戦術だった。

 GPX750Bがサリーに勝っていたのは撃たれ強さだけなので、二機一組となって遠くから大加速をかけて一撃を加え、一目散に逃げる。

 無論、それでは闘いにならないが、外に手がなかった。敵を撃ち落とすことも大事だが、生き残ることもまた大事だ。

「ウチでいえば、そうだな、おれとフリー・バードが牽制して、アイス・ドールとジャンとアンサーを一気に突っ込ませて白兵に持ち込むか」

「いや、牽制をかけるのは俺だけでいい。みんなは別の方向から一斉に殺到してくれ」

 その方が、みんなの生き延びる確率も増す。そうか、とガーディーはうなずき、ディタはアンサーに念を押した。

「上飛曹。今一度肝に銘じておけ。サリー相手のワン・オン・ワンは自殺と同じだぞ」

 アンサーはしぶい顔をした。

 アレン・『アンサー』・アイヴァースン・アーシタ上飛曹がエンタープライズに乗艦してきたのは、インテルラゴス会戦の後、機動部隊の再編成が行われたときだった。サリーと交戦しながら唯一生き残ったパイロットで、キエフ沈没後、エンタープライズに転属となった。

 腕は立つ。が、その腕前を帳消しにしてあまりある大問題児だった。それはガーディーのように、食事の度に女性士官にちょっかいを出すという程度の問題ではない。

「いつものこと」

 ガーディーについては、ディタもすました顔をしていられる。声をかけられたウェッヴたちもまんざらではなさそうな顔だ。

「自慢じゃないが、悪い噂を立てられたことはないぜ」

 という、ガーディー自ら口にする「伝説」というのも、あながち嘘ではないらしい。

 ガーディーは不思議なことに、男から見て許せない類の男ではなく、むしろ逆で、男から見ても「こうなりたい。こうありたい」という憧れを感じさせるところがある。いや、女性との交友関係については「こうなりたい。こうありたい」どころの話じゃない。熱烈にあやかりたい奴ばかりだろう。

「ベルガー大尉は、私生活の撃墜王だもの」

 そんなことをディタがぼそっと言ったときは、不覚にも爆笑してしまった。

「信用できるのは、コクピットにいるときだけか」

「より厳密に言えば、マスター・アームを立ち上げてから落とすまでの間」

「戦闘中だけじゃないか」

 そういうディタもガーディーには悪い感情を抱いていないのだから、人徳というべきなのだろうか。

「もっとも、戦闘中でも信じられないパイロットもいるわ。トリガー・ハッピーとかね。でも、一番困るのは意識的に命令を無視して独断専行するパイロットよ」

 そして、アンサーはディタが言うところの最も困るパイロットに属していた。

 能力はきわめて高い。が、その闘い方はひたすらセルフィッシュで、どんな相手でも一対一で撃破することにこだわりすぎるきらいがあり、僚機の援護など眼中にない。上官反抗、命令違反は日常茶飯事。パーソナル・マークも可愛らしいものではなく、ウイングド・プッシィだった。俺にとってはこれまた懐かしいと言うべき、エアロスミスのトレードマークだ。

 そんなアンサーがディタのウイングマンとなり、戦闘訓練は俺のRZ対ガーディー・ジャン組、RZ対ディタ・アンサー組で行うこととなった。

 ところが、事件は、最初の訓練の後に起こった。

 降機するや否や、ディタがアンサーを張り飛ばしたのだ。

「最強の敵は味方の中にいる、という言葉は本当だな」

 訓練中、二機は幾度も激しくもつれあっていた。ふたりでひとつのパイを奪い合っているようにも見えた。俺が与えた数少ないチャンスも、互いに足を引き合うようにして、ことごとくつぶしていた。

「実戦で射線上に出て来たら、迷わず撃ち抜く。そのつもりでいろ」

 ディタはすぱっと言い捨てて背を向けた。普段にも増して冷たい口調で、相当頭に血を昇らせていることがわかった。

 ところが、NF250の弱点をついに見えるところへ引っぱり出したのは、アンサーだった。

 四月二十二日、出撃一週間前のことだ。

 俺にポジションを取られたアンサーのGPX750Bはこちらを振り切ろうと激しく回避機動を行っていたが、ドッグ・ファイトでRZから逃れるのは至難の技だった。

 だが、照準捕捉した瞬間、アンサーは思いもかけない行動に出た。

 急制動をかけたのだ。

 合わせて急制動をかけた。

 が。

 何故かオーヴァー・シュート、アンサーを大きく追い越してしまった。態勢を立て直したときには、アンサーはすでにタックルできない遠くへ離脱していた。

 ファイター・コマンドから、トムが不思議そうに尋ねてきた。

「フリー・バード、どうした」

「わかりません」

 ほんとうにわからなかった。機体の軽さからしても、ガンダムRZの方がGPX750Bより早く停まれるはずだ。

 おそらく何らかのミスと考えて、同じパターンを今度はディタ相手に試してみた。

 結果は変わらなかった。

 ばかりか、二度目はつんのめって前に出てしまったところを照準レーザーで狙撃され、見事に「撃墜」された。さらに、ガーディーとジャンを相手にしてもオーヴァー・シュートを演じてしまった。

「おかしいわね」

 女史も歯切れが悪い。

「現在テレメーターのデータを片っ端から解析しているわ。待っていて。すぐに探り当ててみせる」

 女史は嘘を言わなかった。結論は、すぐに出た。

「サリーは、トップ・スピードからの急制動を非常に苦手とする、つまり、すぐには停まれないモビルスーツだ」

 訓練後、ファイター・コマンドでトムにそう告げられたが、スターバッカーズ以外のモビルスーツ乗りはぴんと来ない顔をしていた。モニター上には他の空母のパイロットたちも顔を揃えていたが、目を見合わせて首を捻っているばかりだ。

「圧倒的とも言えるサリーの強さは絶妙なバランスの上に成り立っている。けれど、完全な均衡には為し得ず、そのひずみは制動に隠されていたということです」

 女史が前に立って説明を始めた。

「サリーは極限まで軽量化されているため、ストッピング・パワーに剛性の低いフレームが耐えられず、強い制動をかけられないのです」

 女史はディスプレイを用いて、GPX750Bとの違いをはっきりさせてくれた。

「フル・ブレーキングをかけた場合、ネージュは当然ながら、ガン、と一気に減速する。でも、サリーは制動バーニアが噴射と停止を小刻みに繰り返すシステムになっていた。その分、マイナスの加速が弱く、オーヴァー・シュートしてしまう。さらには高速での急激な方向転換が難しい」

 ここまで説明が進んで、ようやく皆もわかったらしい。感嘆の声が起こった。

「つまり、くらいつかれたら急ブレーキをかけて、そして急に向きを変えてダッシュしたら逃げられる。アンサーはインテルラゴスでこれを偶然にやって、生き延びたというわけ」

 女史はアンサーを見やってにっこりした。

 そのようなわけで、先の対サリー戦術にアレンジメントが加わった。

「基本は一撃離脱。間合いに飛び込めたらセイバー」

 ここまでは同じだ。ここからが違う。

「食いつかれたら振り切ろうとせず、フル・ブレーキング。サリーのオーヴァー・シュートと同時にスピン・ムーヴ。MAXアフターバーナー、オン」

 言ってしまえば逃げ技に過ぎないが、これを確実に実行できたパイロットは、手を負うことはあってもサリーに撃墜されることはなくなり、各国パイロットの間で、

「紙に書いてヴァイザーの内側に貼っておけ」

 とまで言われたほどだ。

 そして、少なくとも負けない、という戦術の繰り返しは後に大きな影響を及ぼすこととなった。

 

 一方、ディタとアンサーの確執は激しさを増し、よりによってワイコロアへの出撃直前に頂点に達した。

 四月二十六日、出撃三日前。その日の機動訓練で、俺にくらいつかれてフル・ブレーキングをかけたディタに、アンサーが背後から激突してしまったのだ。

 しかし、逆のポジションならディタがアンサーに突っ込んでいたはずだ。ディタもアンサーも目前の敵しか見ていない。互いの背中を守ることなどまるで考えていない。

 が、サリーは単機で打ち負かせる敵じゃない。

 ふたりの懲罰が決定した後、トムに呼び止められた。

「フリー・バード、これは一刻も早く解決すべき問題だ。実戦では、君はふたりの背中を守ることができるかもしれないが、おそらくその逆はできまい」

「それどころか、今のままでは、間違いなく共倒れになります」

「そのとおりだ。それだけは回避しなければならない。ただ、私があのふたりに命じてすむならいいが、戦場で逸脱してしまう可能性もある。戦場はまた特殊な環境だからな」

 つまり、これはディタとアンサーの問題だということは言うまでもないが、実戦でふたりと編隊を組む俺の問題でもあるのだ。

 ことは戦闘技術ではない。ふたりの意識の変革。それが必要だった。

「頼めるか、フリー・バード」

「無論です」

「助かる。残念ながら残業手当はつかないが、作戦終了後に一杯おごろう」

 トムが頭ごなしでゴリゴリと事を押し進めるリーダーでなくて助かるのはこういうときだ。トムは強力なリーダーシップを発揮して引っ張っていくリーダーではないが、きちっと目を配って俺たちを力強く押し上げる。トルクの効いたエンジンのように。

 トムの許可を得て、自室謹慎中のふたりを呼び出すこととした。

 自室に戻る前に、男女にはっきりと分けられている居住区画の唯一の接点、ミーティング・ルーム――ガーディー言うところの『逢い引き部屋』に立ち寄ってみると、ディタが端のソファの隅にひとり、ぽつんと座っていた。それでなくても細い体が一層細く見えた。俺を待っていたことはわかった。しかし俺が向かいに座っても、一度ちらりと目をよこしただけで、口を開こうとしない。

「話したいことがあれば、話してしまった方がいい」

 水を向けても、黙っている。

「話しにくければ、座り方を変えよう」

 俺たちは背中合わせになって座った。

「大尉――フリー・バード」

 しばらくして、ディタはようやく呼びかけてきた。その後またすこし黙っていたが、ぽつりと呟いた。

「上飛曹は、わたしと同じだわ」

 そうとわかっていながら、いや、そうとわかっているから余計に我慢できないのか。ただ、アンサーと出会ってからのディタはディタらしくもない。それを告げると、うなずいたようだった。

「アンサーとうまくやっていく意志はあるんだろう」

「ボスの命令だから」

 頭を抱える代わりに、今までずっと言おうと考えていたことを口にした。

「何でもひとりでやってしまおうとしない方がいい」

 えっ、とディタは言った。

「どんなに優れていても、ひとりでできることなど、高が知れている。だいたい、他者を認めたからといって、君の価値がなくなるわけじゃない」

 応えないディタの胸のうちは、わかる。が、言葉を継ぐ。

「君のように優れた人間にとっては、事に際して人の手を借りるなど節を曲げることのように思えるのだろうが、それはちっとも屈辱じゃない。それを俺に教えてくれたのは、君だ。ディタ」

「わたし?」

 振り返ったディタに、振り返ってうなずいてみせた。

「Zネクストに乗り換えたばかりの俺は、とにかく自分で決めてやろうとして、気がはやって突っ走ってばかりだった。ドッグ・ファイトは自分の力だけで勝てないこともあるなどとは、思いもしていなかった。いまのアンサーも、まさにそうだ。わかっていない。絶対にひとりで闘ってはならない敵が存在するということが」

 ディタはうなずかずに俺を見つめていた。

「しかし、ひとりで勝てない敵でも、優れたウイングマンがいれば勝てる。勝てるようになる。実際、君に出会っていなければ、俺はキル・マークを刻むどころか、今ここにいない」

「けれど、上飛曹は、あなたとは違うわ」

「だから、アンサーはまだわかっていないだけなんだ」

 根気強く言い聞かせた。それを教えるのが俺だということは先刻承知だった。アンサーと俺の違いは、この場合問題ではなかった。

「サリーは厳しい敵だ。アンサーはそれをよく理解しているが、己の力をさらに高みに置いている。サリーと交戦して、ひとりだけ生き残れたせいもあるんだろうな。だから、サリーとのワン・オン・ワンでは撃破される確率の方が圧倒的に高いということを、これから教える」

「今からまた飛ぶの?」

 うなずくと、ディタにしては断乎とした口調で言われた。

「無茶だわ」

「NTCの主力が来るんだ。無茶もするさ」

 疲れきっているのは間違いなかった。通常の戦闘訓練の他、出撃前にチェリィ・ブラッサムとクィーン・ビーのパイロットたちにもサリーの癖を教えなければならないため、朝から晩までRZのコクピットにいるようなものだった。たしかに厳しいが、ここで目を閉じるわけにはいかない。

「わたしがニュータイプだったら」

 かすかに感情を表したディタに、君は、と言いかけて口を閉じた。まだ、早い。それより先に言うべきことがある。

「落ち着いて、俺と組んでやってきたことを思い出すんだ。どちらかが有利な位置を取ったら、もう一機はサリーを狙うよりも相方を守ることを優先させ、援護する。それだけのことだ」

 ディタの瞳を見て、告げた。ディタが応えて口を開く前にもう一言つけくわえた。

「うまくやっていければ、アンサーはこの上なく力強い味方になる。それは、君も一層強くなるということだ」

「でも」

 ほんとうにうまくいくと思っているの?

 ディタの無言の問いかけにうなずいてみせた。

「うまくいくさ。第一、敵に均等の機会は与えないというのが君のモットーだろう」

 笑いかけると、ディタはくるっと背を向けた。が、こくっ、とうなずいた。

「お願い――します」

 ディタは背にもたれて、おずおずと重みをかけてきた。

 

 アンサーの周りには、誰も居ない。

 最初、隅のテーブルでひとり食事をしていた姿が目に留まった。

 このときもそうだった。メス・ホールの隅のテーブル、ひとりで所在無さげに宙をぼんやりと眺めていた。俺が近づいていくと気がついて、にやっとした。

「よォ、フリー・バード」

 上官を上官と思わない態度も、まあ、気にならない。肌の色ばかりでなく、アンサーには自分と似た匂いを感じる。懐かしい匂いを。ここが空母のメス・ホールではなくハイ・スクールで、互いにティーネイジャーだったら、きっと最高の仲間になっていたはずだ。

「認められるためには、戦場で答を出すしかない。答を出せなきゃ、俺はただのチンピラだ」

 ニック・ネームの由来を尋ねたとき、アンサーはそう応えた。

「俺は、誰よりもまず俺自身にただのチンピラじゃないってことを証明しなけりゃならないんだ」

 アンサーは、宇宙へ上がれなかった子供だった。父親を知らず、貧しさはこの上なかった。ジャンク屋をはじめとしてありとあらゆることをして生き抜いてきた。食うには困らない、という理由で連邦軍に入り、こちらに鞍替えした。理由は当然、金だ。

 しかし、同情はしない。同情で人は救えない。第一、金なんかで屈辱や怒りや魂の飢えがきれいさっぱり清算されるわけがない。

「話ってのは、何だい」

「君の操縦技術と攻撃力は認める。その上で言うべきことがあってな」

「なるほど。で?」

「君はいつでも自分で決めるチャンスを狙っているが、君が決めなければ勝てないということはない。そういうことだ」

「何かと思えば、そんなことか。ご忠告には感謝したいところだが、おれは今までずっとそうしてきた。そうやってここまで来たんだ。今更変えられないし、変えるつもりもないぜ」

 アンサーは目をぎらぎらさせてそう言った。やはり、居る場所が昔の俺と大差ない。ずっとひとりでやってきて、他人が必要ない。というより、強く拒む。優しく差し出される手さえ。根本的に他人を信じられない。

 だが、今までのやり方を変えることは、自分を拒むことではない。

 それは、トムの言ったように、教える必要がある。

 アンサーは理解している。だが、納得ができていない。ならば、目で見える形で納得させるまでだ。

「まだ飛ぶ元気は残っているか」

 そう尋ねると、アンサーは怪訝な顔になったが、うなずいた。

「それならいい。ひとつ、勝負をしよう」

「勝負?」

「ワン・オン・ワンだ。君が勝てば、君の今までのやり方を貫け。しかし俺が勝ったら、新たなやり方を探してもらう」

 アンサーは不敵な笑みを浮かべた。自信満々な目が俺を見据えた。

「だいじょうぶだ。おれァ負けない。たとえ、あんたが相手でもね」

「1ラウンド・マッチだ。セカンド・チャンスはないぞ」

「チャンスは一度で十分だ。やってやるぜ」

「意気込む前に、誓え」

 アンサーはもったいをつけて、手を挙げた。

「おれは誓う。勝ったら、今までどおり、何も変わらない。負けたら――」

「親の総取りだ。いくぞ」

 トムに許可を得た後、俺たちは準備を整えてハンガーに降り、愛機に搭乗した。

「アークエンジェル。レイ大尉、発艦準備完了。リクエスト・フォー・テイク・オフ」

「こちらセラフィム」

 応えて視野の真ん中に現れたのはパルテール少尉ではなかった。ヘッドセットをつけたディタだった。

「コーション・オール・クリアを確認。クリアード・フォー・テイク・オフ、スターバッカー01」

「君が俺の管制をしてくれるのか」

 ディタはこっくりとうなずいた。

「上飛曹の管制はパルテール少尉が担当するから、こうしないとフェアじゃないわ」

 そういうが、航宙管制官はパルテール少尉一人ではない。興味が湧いたのだろう。

 RZは一足先にフライトデッキに出た。モビルスーツ指揮士官に誘導されてリニア・カタパルト、セット。指示灯が眩く点ったところでディタが口を開いた。

「あなたなら、だいじょうぶよ」

「おだてるなよ」

 噴き出しそうになりつつ、アンサーとの回線を開いた。

「いくぞ」

「おうよ」

 発艦。コンバットエリアまでは並行したが、境界に差し掛かるやアンサーは轟然と加速した。そうだろうと考えていたので驚かない。ベクトルを確認して追撃する。

 コンバットエリア外郭まで行ったところでアンサーは九十度転針。頭をもたげて猛烈な上昇。追うとまた転針。とにかく詰めさせない。

「狙いはいい」

 つぶやきを拾ったのか、ディタが尋ねてきた。

「何か」

「アンサーさ。なかなか巧みだよ。こういうときにウィングマンがいてくれれば脚を折ってもらえるんだが」

「――そうね」

 ディタははっきりしない声で答えた。

「しかし格闘ならRZが絶対に有利。ここはどうにかして自分の土俵に引き込まなければ」

 無論だ。PMC(サイコミュ・メイン・コントロール)を起動させて、ファンネルを射出。

 

 RDY FNL‐Ⅰ、Ⅱ

 

 攻撃形態に移行した二基のフィン・ファンネルはまっすぐにアンサーを追う。

 だが、アンサーは無茶苦茶な機動で捕捉させない。ここまで正確にアンサーの動きをトレースしていたディタの管制も一拍遅れるほどだ。頭で考えて行っているとはとても考えられない動きだった。

 しかも、銃口はこちらに向けたままだ。

 動きに気を取られたら思う壺だ。ファンネルの手綱を引いて、中間距離に戻した。

 そこでアンサーは猛然と攻勢に立った。反転して向かってきた。

 俺もファンネルを差し向けた。

 が、アンサーは一番を回避、二番を撃墜して、ジグザグ機動で接近してきた。

 とっさに右にスライドをかけ、上昇して逆宙返りで背後を捕捉しようとしたが、アンサーは俺に正面を向けて、後退しつつ射撃していた。緊急高機動回避に移る。

 強敵だ。獣と闘っているようだ。

 だが、機動を重ねるうちに隙をみつけていた。

 アンサーの機動はたしかに見事だ。その機動と機動の間隙が勝負だった。後退していたアンサーが転針したとき、RZは頭を下に向けて急速反転降下。

 アンサーは急旋回した。RZはさらに小さい回転半径で間合いを詰め、背後にくらいついた。短距離のダッシュなら、RZは負けない。

 エンジンが激しい光を吐いて、アンサーは逃げを打った。

「ただ逃げているのではないわね」

 ディタはそういった。

「逃げながら、フル・ブレーキングのタイミングを計っている」

「了解」

 サイドスティックのトリガーを絞った。

 

 RDY FNL‐Ⅲ、Ⅳ

 

 ファンネル射出。

 同時に、アンサーはフルブレーキをかけた。

 が、アンサーに俺の姿は捉えられず、逆に照準捕捉警報が耳を打ったはずだ。下へ跳んだRZは真上にライフルを差し上げ、転針したアンサーに照準レーザーを照射していた。

「こちらアークエンジェル。スターバッカー03の撃墜を確認」

「こちらセラフィム。スターバッカー03の撃墜を確認」

 パルテール少尉とディタの声が重なった。続いてアンサーのわめき声が飛び込んできた。

「ちくしょう、誘い手だったのかよ」

「いや、急ブレーキをかけなくても、次の機動に移ったら終わりだった」

「どうしてだよ」

「機動のリズムを変えるとき、わずかの間を置く。それが君の癖だ」

「白兵で勝負すべきだったぜ…ちくしょう」

 帰艦命令が出た。アンサーに合図して、RZを帰投コースに乗せた。

「これからはディタとの連携を活かして、一+一が二以上の力を発揮できるように考えて闘え。いいな」

 着艦後、肩をがっくりと落として降りてきたアンサーは、さらにがっくりとうなずいた。しかしまだ首を捻っていた。

「けど、うまくやっていきましょうなんて言ったって、アイス・ドールが今更わかったなんて言うのか。あのアイス・ドールだぜ」

「ディタならだいじょうぶだ。安心して背中を預けるといい。君もディタの背が空いたら守るんだ」

 アンサーはうなずくのを途中で止めて俺を見上げた。

「ほんとうにうまくいくと思ってるのかよ。アイス・ドールとおれだぜ」

「うまくいくさ。どちらかが有利な位置を取ったら、もう一機はサリーを狙うよりも相方を守ることを優先させるんだ。問題あるか」

「理に適ってるが、附に落ちない」

「理に適っているとわかれば十分だ。実践しろ。そのうちにそれが自然になる」

 やれやれ、とアンサーは呟いた。キャットウォークに座り込んでしまった。

「できたら、アイス・ドールよりもあんたと組みたいところだけどな」

「それは無理だ」

 俺の声にもうひとつ別の声が重なった。ディタだった。

「わたしたちは、大尉に気を取られた敵の背後を突かねばならない」

「そういうことだ」

 アンサーのまだ上下している肩を叩いた。それからディタに目をやった。

「俺の背中は君たちに預ける。君たちがうまく連携しなければ、俺も撃ち落とされる」

「そんなことは、させない。絶対に」

 ディタは言い切ってアンサーを鋭く見つめた。アンサーは肩をすくめた。

「わかった。あんたの言うことだからな」

 うなずいて、拳を突き出した。狐につつまれたような顔になったアンサーに挨拶だと告げると、いつもの不敵な笑みを取り戻して立ち上がった。

「ヘッ、懐かしいぜ」

 と、拳を固めた。

「君は、サリーに対する戦意が潰えていないところはほんとうに立派だ」

「ッたり前よ」

 アンサーはほんとうに嬉しそうに笑った。そんな顔を見たのは初めてだった。

「あんなクソッタレなモビルスーツ、必ず蹴散らしてやるぜ。ついでにあんたの背中も守ってやる。敬意を表してな」

「当てにしているぞ。――GO,MAN!」

「GO!」

 俺たちは上、下、そして正面から拳を合わせてから堅く手を握り合い、別れた。

 ディタは漂っていくアンサーを目で追っていた。

「まったく、手ごわい相方だわ」

「君にそう言わせるだけでも、たいしたものさ」

 ディタは肩でひとつ息をした。

「そう…かもね」

「よろしく頼むぞ」

「まかせて」

 軽く手を合わせてディタも漂い出て行った。俺は壁を蹴飛ばしてガン・ルームに流れ込んだ。酔っ払いのような気持ちだった。

 と、手をぐっと引かれて、ソファに降ろされた。

「お疲れ」

 ガーディーだった。

「教育的指導、ほんとうにお疲れだったな」

「まったくだ。ワン・オン・ワンは任せてしまえば良かったぜ」

 よせよ、とガーディーは笑った。

「アンサーじゃ、ワン・オン・ワンで絶対に勝てると言い切れないからな」

 ガーディーはコーヒー・チューブを手渡してくれた。早速一息いれたが、この鬼も吐き出してしまう味のコーヒーが染みとおっていくのだから、たしかにお疲れなのだろう。

「実際、あいつは強い。周りが見えて、頭を使うことを覚えれば、一層強くなる」

 ガーディーはまじめな目でそう言ったが、すぐに陽気な笑顔になっていた。

「しっかしまァ、おまえさんもたいしたもんだよ。おれのドライヴできない奴をふたりもきちっと引っ張っていくんだからな」

「お互い様だ。あんなにたくさんの女性は、とてもじゃないが、俺にはドライヴできない」

「ははは、言うねえ。でも、タフだって言えば、NTCもタフだよな。考えてみたら、敵さん、戦を始めてこの方、まったく休んでいないぜ」

「強くプッシュされて生まれ出た強化人間たちは、息を抜こうという気にはなっていないようだな」

 突然聞こえてきた声の方を向くと、ガトー少佐だった。後ろに部下のパイロットたちがぐったりと続いている。

「モビルスーツで戦艦を沈められるということが再証明できたのだから、短期間で可能な限り戦果を挙げ、勝てるうちにひたすら勝ち進んでスペースノイドを完膚なきまでに叩きのめし、講和の席に引きずり出す。それが連邦の狙いだ」

 ディタも同じことを言っていた。

「しかし我々の戦いは義によって立っている。今は一敗地にまみれているが、冬来たりなば、春遠からじという。この屈辱も糧にして、必ず最後に勝利を収めることができる。必ずだ」

 少佐は強く言い切った。連日の猛訓練にもまるで干からびていない。感嘆のようなものを覚えつつ、起き上がって敬礼した。

「訓練終了ですか」

「お疲れ様です」

 少佐は返礼して前に浮かんだ。

「二人ともどうした。こんな時間に」

「うちのやんちゃ小僧の指導を終えたところです」

「ああ、アンサーか」

 少佐は破顔一笑した。

「調子はどうです」

「ここまで来てどうこう言ってはいられないな。出撃は三日後だ」

 当たり前のように言いながら、少佐は向かいに腰を降ろした。攻撃隊の面々は宙を漂ったまま眠っている。

「ひとつ明るいニュースがある」

「なんです」

「グングニールは、距離二十万を境として命中率にかなりの差が現れる。つまり、必殺の射程はざっとゲイボルグの四倍だ。エスコートの君たちにかかる負担も減るぞ」

 NTCが開戦から用いている必殺の対艦ロケットがゲイボルグだ。ことにマジー・ノワールの際は強電磁シャワーが確認されているので、核装備であったとも言われている。

 その説明を受けたのは、出撃のかなり以前、DIS(軍事情報局)の少尉からだった。

「連邦軍の対艦ロケット、コード・ネーム『ゲイボルグ』で特筆すべきはその高速で、毎秒十キロにまで加速します」

 納得できた。二、三の直撃弾で戦艦が沈められたことは信じられなかったが、この速度あっての破壊力か。

「誘導機構は一切ついておりません。直進するだけですが、距離五万以内で発射されればまず回避は不可能です。探知できても、撃墜できないでしょう」

 場は重苦しい沈黙に満たされた。あまりに速く、逃げることのできない槍。それがゲイボルグだった。小さな艦であれば、その速度だけで粉砕されてしまう。

「『グングニール』は、その『ゲイボルグ』を分析して開発された対艦ミサイルです。最大速度は毎秒二十キロで、母機のパイロットの目視誘導で航行し、目標との距離が二万を切ったら自身のセンサーでホーミングを開始します」

 場にどよめきが走った。マジー・ノワール奇襲以来、屈辱の日々の中でも、環地球連合軍は必死で研究を重ねていたのだ。

 ただ、GPX750Bはこの大きく重たい対艦ミサイルを塔載したまま対モビルスーツ戦をこなすことは不可能で、上層部も一機種にまったく性質の異なる任務を押しつけることを嫌った。

 結果、機種分化が起こって、新たに攻撃専用機アナハイムGPA550Aリカールが生まれた。旧式と化してしまったヤッファの足回りを中心に手を入れて再生させたモビルスーツだ。

 このGPA550Aとグングニールを以って、オールド・ハイランド初のモビルスーツによる攻撃機動隊が組織され、三隻の空母に配備された。

 我がエンタープライズに配備されたのが第三攻撃機動隊『シルヴァー・アローズ』で、そのリーダーがクリストファー・アナベル少佐だった。俺と同じく自然覚醒したニュータイプで、ガトー少佐というのはニック・ネームだ。

「おれはガトーに目がない」

 と広言してはばからない甘党という、言っては失礼かもしれないが、見た目からは想像できない一面を持つ。そういったわけで、腕のいいパティシェでもある厨房のチーフ、トクロウと非常に仲がいい。乗艦してきたその日、歓迎パーティで一気に意気投合してしまった。

 幸いにして、俺とも問題なく受け容れ合うことができた。それについては、少佐もほっとしたと笑った。

「ニュータイプ同士だと、出会いの一瞬で決まるからな。互いに相手のすべてを受け容れられるか、受け容れられないか、が」

 少佐の言うとおりだった。見えない部分が後で明らかになるということは、有り得ない。わかりあうというのは、そういうことでもある。

「わかりあうことと、相手を受け容れることとは、異なる」

 と、少佐は言った。

「わかりあいながら受け容れることができない、ということも有り得る。もっと言えば、わかりあってしまったばかりに絶対に受け容れられない、ということさえある。全人格の包括的理解を瞬時に成し得るまでに拡大した認識の場の共有はニュータイプの業だが、それをそのまま、あるがままに受け容れられるかというのは個人の資質の問題だ」

 そのギャップにニュータイプの悲劇の基がある。俺もずっとそう考えてきた。

 NTCの構成員が俺から見て普通ではなかったのは、閉じていたためだ。彼らの認識のベクトルは外へ向かっていなかった。俺に対してもっとも開いていたカルーアでさえ、かすかに共鳴しただけで、全人格の包括的理解を瞬時に成し得なかった。そのことは悔やんでいる。もう少し歩み寄っていれば、カルーアは憎しみと憤りの剣を振るうことはなかったのではないか、と。

 だが、ロートシルト大佐はそれとも違う。大佐は、わかりあうこと以前に、受け容れることができるとわかっている。これがどういう認識なのか、わからない。

「ところでフリー・バード、さっき見たんだが、ガンダムの頭、ずいぶんと細長くなったな」

「TR2Xを組み込んだんですよ」

 少佐はおもしろそうな顔をした。

「Tレーダーか。君に必要かな」

「何でもバックアップ・システムはあるに超したことはありませんね」

「トップ・シークレットも君にかかってはバックアップ・システムか」

 少佐は豪快に笑った。

 トップ・シークレットの名は、トリニトン。ミノフスキー粒子を媒介にして伝播する粒子だ。

 オールド・ハイランドでは早速応用され、開戦前にすでに長距離、中距離索敵レーダーが実用化されて、空母に優先装備されていた。エンタープライズが月からシーヴァスをはるばると追いかけることができたのも、このTレーダーのおかげだった。近接防空システムや通信システムの構築とともに、モビルスーツ搭載用レーダーも開戦後まもなく実用レヴェルに達し、それがようやく俺のRZにも搭載された。これが連邦軍に対する絶対の優位となった。連邦の敵を察知する手段は、最後まで光学機器と当てにならないミノフスキー干渉波レーダー、そして強化人間の認識能力のみだったのだ。

 その話の後で少佐はふと遠い目をした。

「いよいよ、NTCとのファースト・ラウンドだな」

「勝てますよ」

「敵はかつての仲間だ。闘えるか」

「仲間と言えるほど時も、想いも共有していませんよ」

 即答した。魂のない、力だけのニュータイプなど、人を継ぐものとは言えない。ニュータイプとさえ言えないだろう。少佐もうなずいた。

「そうだな。しかし連中は強い。鎧袖一触というわけにはいかないだろう。気を引き締めていこう」

 了解、と応えると、堅苦しいのはやめろ、と苦笑いされて胸を叩かれた。俺はこの攻撃隊長がますます好きになった。

 

 出撃五日後、五月四日。

 第一機動部隊は月の公転軌道に達した。コンディションがイエローに切り替わる。戦域突入だ。

 第一機動部隊は月の右翼を大きく回って前に出ようとする。第二機動部隊は月の重力で加速して左翼を突き抜ける。結果、遅れていたチェリィ・ブラッサムの方が前に出る形となった。

 月を越した第一機動部隊は増速、第二機動部隊の下に潜りこむようにしてワイコロアとの距離一万二千五百を保つ。この距離ではワイコロアもまだ点だ。

 ワイコロアはサイド5空域の最後方に据えられる予定でアステロイド・ベルトから引っ張ってこられた資源小惑星だが、諸問題で破棄され、サイド5のコロニー群とはかなり違う軌道でL1を周回している。大きさはソロモンの八掛けといったところだ。ただ、あそこまで要塞化されているわけではなく、攻め方によっては一気に陥落させられる危険があった。そしてここを押さえられると、L4もL5も一気に爆撃圏に入ってしまう。逃げ場なし、だ。

 我々は先手を取らなければならなかった。何としても。見つかる前に見つけて、撃つ。幸いにして、我々は鷹の目を持っている。コンディション・レッド移行三十分後の標準時〇三三〇、クイーン・ビーから第一特務機動隊の戦闘偵察機GPZ900Rニンジャ六機が飛び立ち、広域索敵行についた。その三十分後に、第二特務機動隊のGPZ900R六機が二段索敵のために飛び立った。

 果して大出力のTR3レーダーはものを言った。GPZ900Rの一機からのT通信が旗艦リヴァージュに飛び込んできたのは、標準時〇六一五のことだった。

「敵艦隊発見。ワイコロア西天、アングル025、距離二万五千二百」

 続いて、もう一報。

「艦隊内ニ空母四隻確認。大型二隻、中型二隻」

 広く展開していたGPZ900R各機は至急その空域に向かい、所在が確定されると、まずワイコロアからモビルスーツ隊が出撃、NTC機動部隊を攻撃した。が、それはサリーに軽くひねられ、返す刀でワイコロアはNTCのモビルスーツ隊の猛爆を受けた。

 が、致命傷には至らず。

 マジー・ノワールのアンコールを見たいという気持ちはわかるが、モビルスーツは要撃に用いるべきで、要塞攻略にはまず艦砲射撃だった。それは、連邦も後にその身を以って知ることとなった。

 その間にニンジャ隊は快足を飛ばしてネットを張り、エンタープライズでもついにコンタクト。NTCはこちらの攻撃レンジに入りつつあった。その堂々とした進軍ぶりは、環地球連合軍が存在していないと信じているかのようだった。

 が、我々は虎視眈眈と機を狙っていた。

 標準時〇八五五。

「ワレ攻撃隊ヲ発進サセントス」

 チェリィ・ブラッサムが連邦の預かり知らぬ遠くで猟犬の群れを解き放ったとき、エンタープライズの全モビルスーツ・パイロットはブリーフィング・ルームに集結していた。

 空気は痛いほどにぴりぴりしていた。みんなの頭のなかに稲妻が走っているかのようだった。誰もがこの闘いの意味をよくわかっていた。

「オールド・ハイランドは、いや、すべてのスペースノイドは君たちに希望を託す。武運を祈る」

 ジャガー中将が最後にそう告げたときに、トムの、自身が出撃できない口惜しさを感じた。義手ではサイド・スティックに入力できない。だが、トムはその思いを顔には出さず、冷静な声で締めくくった。

「従軍僧侶に五分間だ」

 何人かのパイロットが前へ出て、控えていた従軍僧侶の前にひざまずいた。第七戦闘機動隊は、全員、行かなかった。まったくタフな連中だ。

「さあ、ショウ・タイムだぜ」

 クミコのホログラフを真剣に見つめて何事かを告げていたジャンの肩をガーディーが陽気に叩き、ふたりは肩を組んで歩き始めた。

 俺はひとり出てゆこうとしたアンサーを呼び止めた。振り返ったアンサーは、何も言わないのに、うなずいた。

「わかってる。無茶はしない。絶対に」

 拳を突き出してきた。俺も拳を突き出して、バッド・ボーイズの挨拶を決める。

「よろしくな、アイス・ドール」

 アンサーは、ディタに人差し指をびしっと向けてにやりと笑い、ターボリフトに飛び込んだ。ディタは手を挙げて応えたが、その目は俺を見ていた。俺はディタの肩に手を置いた。

「当てにしている」

「まかせて。フリー・バード」

 ディタの声は明るく、碧い瞳は落ち着いていた。いける、という気がした。華奢な肩をぽんと叩いてターボリフトに向かった。

「フリー・バード」

 搭乗直前、ガトー少佐に声をかけられた。

「距離十五万で五秒、我々を守ってくれ」

「距離十五万? 二十万ではなかったのですか。それに、たったの五秒、ですか」

 俺は驚いて少佐を見た。だが、少佐の目は平静な色をたたえてしっかりと俺を捉えていた。

「グングニールは、距離十五万以内で撃てば、NTスカウト・オペレイターが察知しても回避できまい」

「たしかに、それはそうでしょうが…」

「それにGPZ900RのTDL誘導もあるし、五秒で決めなければ、な」

 しかし。

 胸のうちで呟くと、

「それが我々の仕事さ」

 少佐は俺の肩を叩いて、自機へ向かった。

 距離十五万で五秒、と胸に刻んで俺もガンダムRZに搭乗した。

 発艦準備を整えながら、スクール・ボーイの頃、盛んに首を突っ込んでいたバンド・コンテストのことを思い出した。出番の直前、真剣に楽器のチェックとチューンをしていたときのことを。

 決戦だというのに、どうしてこんなことを考えているのだろう。

 そんなことを頭の隅でぼんやりと追っているうちに、頭のジュークのスゥイッチが入って、あの頃演奏していたナンバーをひっきりなしに流し始めた。

「フリー・バード、ガンダムRZ、システムス・オールG」

 女史のきびきびした声が俺をノスタルジーの世界から引き戻した。チェックは終了、発艦準備も終了だ。了解、と応えると、すこしあまい声がした。

「戻ってきたら好きなお酒をごちそうしてあげるわ、シュー」

 女史はにっこり笑って、閉じてゆくコクピット・カヴァーをぽんぽんと叩いた。俺も人差し指と中指を高々と挙げて応える。

 三分後、第七戦闘機動隊の全モビルスーツが左舷フライト・デッキ上でスタンディング・バイ。モビルスーツ指揮士官の誘導に従い、ガーディーのイタリアン・レッドのGPX750Bは左、俺は右の発艦位置に定位し、カタパルト・セット。

 だが、灯るべき発艦指示灯が灯らず、スロットルをMAXアフターバーナーへ、の指示もない。

 どうしたのか、と思っていると、カタパルト・オフィサーたちがRZとガーディーのGPX750Bの下に続々と潜りこんでいき、オフィサーのひとりが手振りでスロットルを絞れと告げた。どうもただ事ではなさそうなのでトムに尋ねようとしたが、ファイター・コマンドも混乱に陥っている。

「LC左舷一番、作動しません」

「左舷二番もアウト」

 かろうじてそういう言葉を拾うことができたが、…リニア・カタパルトが二基ともアウト?

「主電送系に異常、メイン・バスならびにサーキットが完全に遮断されました」

「バックアップ・システムは」

「切り替わりません」

 悲鳴に近い女性の声が聞こえた。続いて、いくらか冷静な声が。

「これは機械的な問題ではなく、カタパルト制御システムの問題と思われます」

 原因はおそらく取るに足らない、つまらないものだ。俺の経験はそう言っていた。しかし、それがこの肝心なときに起こってしまうとは、気まぐれな女神は重力の井の底の蛙たちに微笑もうとしているのか?

 そのときだった。

「行くのよ、シュー」

 マザー・ヴォイスが、今までになかった強さで背を押した。

 

 

 MOBILE SUIT GUNDAM FX

 Episode 4 “Middle of the road” The fore part



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第五話 道の、途中~後編

 左舷リニア・カタパルト、一番、二番、アウト。

 そうとわかったときには、ファイター・コマンドばかりではなく、フライト・デッキも混乱を始めていた。左舷フライト・デッキにはエンジニアが何人も張りつき、右舷フライト・デッキでは攻撃隊の発艦も中断してしまっていた。

 オプションは二つ。攻撃隊発艦用の右舷リニア・カタパルトを用いるか、初期加速をあきらめて即時離艦、自力で加速を開始するか、だ。ただ、宇宙戦は時間との闘いでもある。前者はモビルスーツを移動させる時間を考えると、選択できるオプションではなかった。

 ――発艦だ。

 ――自力加速開始を。

 ――即、出撃よ。

 三つの声ではない声が宙を飛んだ。最初の声はガトー少佐、次の声は俺だ。三つめの声は女性のものだったが、誰のものか、とっさに読めなかった。

 幸運なことに、このとき、NTC機動部隊を含む連邦軍艦隊では我々と同じか、もしかしたらそれ以上の混乱が起こっていた。

 NTC機動部隊は、先制攻撃を受けた。

 それは時間からみてもワイコロアから来たものだとしか考えられなかった。

 また、ワイコロア攻撃にしても、こちらのモビルスーツは迎撃態勢を整えており、防御砲火も激しく、連邦軍は疑心暗鬼に陥っていた。

 連邦はよもや暗号が完全に解読され、我々がその位置と規模までを正確につかんで迎撃しようとしているとはまるで考えていなかったのだが、ここに至ってようやくこちらの機動部隊の捜索を始めた。

 が、問題があった。

 NTスカウト・オペレイターたちの示した位置に我々がいなかったのだ。そのため、ほとんどの索敵機が無駄足を踏んだ。

 NTスカウト・オペレイターにはたしかに優秀な者が選抜されていたが、あまりに優秀な者はその時間に存在していないもの、具体的に言えば、未来の可能性の光景などをはっきりと見てしまうことがあったらしい。

 そうして我々を探しあぐねているうちに、第一次攻撃隊から、ワイコロアへの二次攻撃の要請が出た。

 爆撃の効果は不十分であったし、我々が見つからないので、連邦はワイコロアの第二次攻撃を優先させた。対艦攻撃のために待機させていたサリーからゲイボルグを降ろし、対地爆撃用装備への換装が始まった。

 そのようなわけで、どの空母のフライト・デッキもハンガーも戦場となっていた。

 同刻、ファイター・コマンドではついにトムが断を下した。

 第三攻撃機動隊のモビルスーツはそのまま右舷リニア・カタパルトで発艦。俺たちは自力で加速を開始。

 それはこの際、唯一最善の選択だった。

「そう来なくちゃよ」

 エンジニアたちがあたふたと退避を終えるや、ガーディーのGPX750Bがフライト・デッキを離床。

「ディタ、アンサー、いくぞ」

 俺もフライト・デッキから浮かび上がり、声を飛ばしてスロットルを開いた。ディタとアンサーが接近してきて、素早くトライアングルを組むと、さらに加速した。飛翔を始めた俺たちの眼下を、シルヴァー・アローズのGPA550Aが猛烈な速度でかすめて消えていった。

「各機、TDL接続」

 トムに指示される前に俺はTDL接続を済ませて、誘導情報に機を乗せていた。モビルスーツの行動レンジが狭かった昔はともかく、今となっては精密な戦術誘導情報がなければ、接敵することも、母艦に帰投することも不可能に近い。それでなくても、宇宙だ。アングルをわずかに間違えただけで、たやすく数十万もの距離をロスしてしまう。そうなれば、後は自分の位置を見失って、遭難するだけだ。それは無論、死を意味する。運良く近くに味方がいても、ミノフスキーのカーテンは救命信号を殺してしまう。そのような事態を防ぎ、ひとりでも多くのパイロットを救うためのT誘導通信システムでもあった。

 NTCはこの面でも環地球連合軍と対照的で、ニュータイプ能力に全面的に依存していた。それが大戦後期にいかな事態をもたらしたかは、後の展開に譲る。

 攻撃隊が慣性航行に移った後も俺たちは依然加速を続けていたが、ニンジャ隊のTDL情報から計算した結果、敵機動部隊への到達がクイーン・ビーの攻撃隊よりも十分強遅れることがはっきりした。攻撃隊は俺たちが追いつけるように、かなり早くから慣性航行に移っていた。一刻も早く攻撃しなければならないのは確かだが、戦闘隊のエスコートなしで攻撃隊を突っ込ませるほど、無謀なことはない。

 攻撃隊にようやく追いつくと、ニンジャ各機からチェリィ・ブラッサム攻撃隊の攻撃状況を詳しく聞くことができた。

 しかし、惨憺たる結果だった。

 迎撃に舞い上がったサリーの前に攻撃機は半数が撃墜され、エスコートの戦闘隊にも被害が続出。生き残りは撃墜されたパイロットを拾い上げて離脱するのがやっとという状態では、直撃弾などあろうはずもない。

「ことごとく、ダメか」

 ガーディーの噛み締めるような呟きが聞こえた。恐怖の影がじわじわと忍び寄ってきた。まさに、死地だ。そこに俺たちは首を並べて飛び込もうとしているのだ。

 このまま進むと、同じ道をたどる。光の花になる。

 しかし、――逆の側には何も見えない。

「逆サイを突こう」

 俺はガーディーとガトー少佐、そしてディタにワイアーを飛ばし、母艦のトムに意見を具申した。

「このまま行けば、他の母艦の攻撃隊と同じコースで進入し、同じように迎撃される。待ち構えているサリーの群れの中に飛び込むのは避けるべきだ」

「回り道すると、到達時間がますます遅れるぞ」

「信じましょう」

 トムは渋い声で応えたが、ディタは俺を推してくれた。

「大尉の直観は信頼に値するわ」

「私もフリー・バードのカンは信じているが」

 なおも渋るトムに、ガトー少佐が、大丈夫ですよと明るく声をかけた。

「われわれに任せてください。やってみせますよ」

 決まった。

「逆の側より攻撃をかけるには、二度のアングル変更が必要ね」

「コース計算はニンジャ隊にリクエストした。GPZ900Rの方が、目も頭もいい」

 ディタが呟くように言ったのへトムが応えた。さすがにボス、仕事が早い。

 ところが、計算されたコースの情報とともに、衝撃ももたらされた。

「チェリィ・ブラッサム発緊急。敵索敵機、触接」

 ついに、我々の巣がNTCの目に触れてしまった。

 そして我々が一度目のアングル変更をすませたとき、クイーン・ビーの攻撃隊が敵機動部隊に到達し、攻撃を開始した。

 固唾を飲んで次の報を待った。

 が。

「ネガティヴ。グングニール、発射五弾。全弾ミス」

 ここでもまともな攻撃をしたパイロットはほぼいなかった。迎撃に飛んできたサリーに怯えてしまい、グングニールを放り出して逃げ帰ったといった方が当たっていた。

 肩がぐっと重くなった。ついに、俺たちにかかってしまったのだ。しかも、こちらの機動部隊が発見された今となっては、セカンド・チャンスはない。

 何か、とてつもない間違いを犯したかのような気分になってきた。正解なのか、急に自信がなくなってきた。

 視野に表示された航行コースを見つめた。

 まだ、間に合うかもしれない。二度目のアングル変更まで時間がある。

 が、

 ――迷うな。

 ガトー少佐の声がした。

 ――考えるな。信じるんだ。

 それは、俺の奥底からの声でもあった。

 一度目を閉じ、それから闇の奥に伸びるステアリング・キューの向こうを見つめた。

 きらっ、きらっ、

 と、光の花が咲いたのが見えた気がした。いや、見えた。

 だいじょうぶだ。間違えていない。

 平静な心持ちで二度目のアングル変更を待った。

 アングル変更の後、編隊は一斉にスロットルを開いて加速。今はこの攻撃を成功させなければならない。何としても。それ以外のことは考えるべきではない。

 Tレーダーの感度が急に増した。幾つものミノフスキー・スクリーナーが遠くないところに浮かんで、連邦艦隊に幕を被せていた。だが、Tレーダーはミノフスキー濃度が高ければ高いほど精密の度合いを増す。

「球形陣の中央に空母三隻を確認」

 最も深く潜入していたニンジャ101から、鮮明なNTC機動部隊の展開状況が転送されてきた。

 続いて、CAP(戦闘空中哨戒)状況も。

 それでみると、滞空しているモビルスーツはわずかに四機だった。それも、こちらから見て、艦隊をはさんで向こう側に位置している。

「いけるぞっ」

 ガトー少佐の快哉が聞こえた。

 ――ウチのバディどもに散々おイタかましてくれた分、たっぷりブチ込んでやるから覚悟しとけよッ!

 その裏に滾る魂の叫びを聞けたのが俺だけというのは残念だ。まるで猛獣の唸り声だ。みんなにもぜひ聞いてもらいたかった。

「シルヴァー・アロー・リーダーより各機へ。目標指定後、グングニールに航行データを入力せよ。空母以外は狙うなよッ」

 このとき、距離二十八万。攻撃隊各機から航行データ入力完了の報が飛ぶが、出端をくじくかのようにニンジャ101から警報が飛んできた。

「敵機動編隊捕捉。急速接近中」

 同時にRZの受動警戒システムが警報を発し、センサーが中‐近距離・移動目標自動捜索モードに切り替わった。

 MTIで確認するまでもなく、迎撃のサリーたちが数を増しながら、急速に接近しつつあった。

 意表を突いたはずなのに、早い。さすがに能力だけを伸ばされた強化人間は甘くない。

 刻々と近づいてくるサリーのプレッシャーを跳ね飛ばしたのは、奥底のほうから急に激しく噴き上げてきたひとつの思いだった。

 守りたい。

 ガトー少佐率いる攻撃隊を。スターバッカーズのみんなを。我らがビッグEを。

 そして、この瞬間にも泣きながら、笑いながら生きている天の民のすべてを。

 正直、戦いのさなか、こんな思いに強く囚われたことはなかった。スーズのために、と考えていてもそれは「守りたい」というよりも「帰りたい」だったし、そもそもかつては連邦軍に所属していながら、連邦のために闘っているという自覚もあやふやだった。

 だが、今は違う。

 守りたい。

 強化人間たちの鋭い錐のように旺盛な戦意をまともに受けたとき、衝撃にも近い勢いで思った。いや、願った。

 いつの間に意識が変革していたのだろう。いや、変革などという大げさなものではないのかもしれない。

 そういうことも、もはやどうでもいいことだった。俺は、守ってみせる。

「スターバッカー01よりスターバッカー28」

 呼び出すと、ガーディーは目でうなずいた。

「サリーから銀の矢を守るのは、おれたちの仕事だ。各機、下へ行くぞ!」

「了解ッ」

「了解!」

「了解」

 俺たちはシルヴァー・アローズの前に飛び出した。

「スターバッカー01より各機へ。先行する。頼むぞ」

 RZをさらに加速させて先行しつつ、サイコミュ・メイン・コントロールを立ち上げて、フィン・ファンネルを射出。ニュータイプは、敵のニュータイプには特に敏感になる。果して、ガトー少佐たちから注意を逸らすことはできた。サリーはまっすぐに俺を目指してきた。それが狙いだ。

 受動警戒システムが警報を発した。サリーたちが攻撃態勢に移った。だが、サリーたちを阻むように、ふいに前の闇の左右から光芒が走った。すばやく両翼に展開していたガーディーとジャン、そしてディタとアンサーだ。

 敵編隊のうちで小さいながらも直撃とおぼしき光が弾け、先鋒の二機が離脱した。その隙にフィン・ファンネルを撃ち込み、サリーたちが協同できないようちりぢりにさせる。ほんのわずかの間でいい。数秒もロスさせれば十分だった。少佐の告げたように。

「シルヴァー・アローズ・リーダーより各機へ。最終攻撃態勢に移れッ」

 戦いの最中、少佐の力強い声が響いた。死地に深く入り込んでいるというのに、少佐の胆は本当に据わっていた。俺たちも転針、サリーをさらに攻撃隊から引き離す。後、もう少しがんばればいい。

 だが、初撃をかわしたサリーにくらいつこうとするモビルスーツがあった。

 MTIでの識別サインはスターバッカー03。アンサーだ。

「あのバカヤロウ」

 ジャンの押し殺した声が正直、みんなの思いだった。トムの危惧したとおりだ。訓練でできたこと、肝に銘じたことができなくなる。それが戦場だ。

 案の定、別のサリーが背後を狙ってアンサーに近づいた。アークエンジェルから警告が飛んできた。

「スターバッカー03、ワン・ボギー、エンゲージ」

「ちくしょう」

 激しい息遣いの間にアンサーの叫び声が聞こえた。

「スターバッカー28よりスターバッカー01」

 ガーディーが呼びかけてきた。

「おれとジャンは右翼の連中の頭を押さえる。おまえさんはアイス・ドールと協同で左翼をさばいてくれ」

 了解、と返す間もあればこそ、一機のサリーが反航で向かってきた。

「ある意味、正解ね。サリーを攻撃隊から引き離すことはできた」

 そういって出ようとしたディタを押さえた。警報が走ってMTIが一気ににぎやかになった。サリーがファンネルを射出した。

「あいつは引き受けた。アンサーにくっついているやつを斬り落としてくれ」

「了解」

 俺はファンネルを撃ち出し、ディタはダッシュした。深紅のネージュはフィン・ファンネルと敵ファンネルが撃ち合う閃光の間隙を大加速でまっすぐ突き抜け、アンサーの背後を狙うサリーに斬りかかった。

 ――まったく寝ぼけたことを!

 ディタの怒りはあまりに激しかった。声となって飛び込んできた。

 間を置かずに、撃墜の光。

 間違いなく撃墜だった。サインとともにMTIから敵のシンボルがひとつ消えた。

 息をついて目の前の敵に集中した。

 敵のファンネルは目まぐるしく宙を飛び跳ねているが、全基が攻撃してくるだけなのでさばきやすい。三番、四番を囮にして、他の四基で時間差攻撃をかけた。

 闇の面に眩いビームの線が曳かれ、サリーの上半身に火花が散った。

 しかし撃墜ではなかった。まったく信じられないほどの運動性で致命傷をかわしていた。

「各機、Iフィールドを前面に展開。攻撃位置につけるぞッ」

 上空ではミノフスキー・スクリーン・ラインの手前で少佐が臆せず鞭を入れた。シルヴァー・アローズのGPA550Aは横一列に並び、一斉にアフターバーナーを点火、飛び出した。

 上に注意を向けた一瞬、ファンネル二基が踵を返して向かってきた。ビームライフルで狙撃。MTIから敵ファンネルのシンボルが二つ消えた。が、その奥からそれ以上の数のファンネルが飛んでくる。舌を打った。

 そこで突然、サリーの挙動が乱れた。背後から三点射のビームが間断なく飛んでくる。ディタとアンサーに違いなかった。

 サリーはいったん下がって体勢を整えようとしたが、そのときにはフィン・ファンネルが狙いを定めていた。

 直後、六条の光の槍がサリーに突き刺さって、眼前に大きな光の花が咲いた。

 爆光の向こうから二つの機影が現れた。何はともあれアンサーが無事だったことに安堵したが、宇宙の闇よりも冷たい声。

「一撃で離脱と言ったはずだ」

 ディタはビーム・ライフルの銃口をぴたりとアンサーに向けた。本気だ。

「次に同じことをやってみろ。落とすぞ」

「…すまねえ」

 さしものアンサーの声も消え入りそうだった。

 そして、距離十五万。

「イグニッション」

 その声とともに、二基のグングニールのエンジンに火が入り、すさまじい光を吐き出した。

 直後、

「シルヴァー・アロー1、プレゼント1」

 槍は解き放たれた。少佐の機からぱっと離れたグングニールは一気に速度を増して、あっという間に闇の奥に消えた。

「シルヴァー・アロー2、プレゼント1」

「プレゼント1」

 グングニール発射を意味するコール・サインが攻撃隊から一斉に発せられ、十二の槍がNTCの空母へと放たれた。

「よし、贈り物の時間は終わった。いとしき我が家へ帰るぞっ」

 少佐の声とともに攻撃隊は即刻反転、離脱に移る。その背を追って俺たちも続々と反転、すかさずMAXアフターバーナーを入れて、追いすがってくるサリーたちを一気に振り切る。

 サリーたちは食い下がってこなかった。代わりに、後方、グングニールが突き進んでいった先、大きな光がほぼ同時に四個、閃いた。信じがたいことだが、あの速さで飛ぶ槍を折る猛者が、このときのNTCにはいたのだ。

 だが、発射七秒後。

 遠くできらきらっと新たな星が生まれ、

「着弾を確認ッ」

 ニンジャ101から上ずって引っくり返りそうな声が飛び込んできた。

「直撃弾七! 空母Aに直撃三! 空母B、ならびに空母Cに直撃二!」

 その瞬間、宇宙が大きく震えたようだった。スターバッカーズもシルヴァー・アローズもなく、みんなの歓喜の声が頭に飛び込んできて、ガンガンこだました。ディタも、ほっ、と息をついていた。

「空母エンタープライズ攻撃隊ノ攻撃結果ハ以下ノ通リ。

 NTCノ空母三隻ニ直撃七弾。空母A直撃三、大破。

 空母Bナラビニ空母C、直撃二。

 イズレモ中破ナルモ、戦闘継続ハ不可能ノ模様。

 攻撃時刻、標準時一〇二三」

 ニンジャ101は槍の突き刺さった空母の様子をきちっと見届けた後、第一、第二機動部隊宛のT通信を飛ばして離脱した。空母Aはホワイト・ホース、Bはデュワーズ、Cはシーヴァスの姉妹艦リーガル。いずれもNTC機動部隊の中核を担っていた空母だ。

 後によく言われることだが、俺たちの攻撃は、これ以上ない最高のタイミングで行われた。

 チェリィ・ブラッサムからの攻撃は、ゲイボルグから対地爆撃用装備への換装作業の只中に行われた。

 この攻撃はあっさり退けられたが、空母周辺の戦闘にワイコロア攻撃隊の帰還がぶつかったため、NTCの各空母はごった返し、換装作業も遅れた。

 その混乱の真っ只中、チェリィ・ブラッサムが発見された。

 ここで、連邦は最大のミスを犯した。

 対地爆撃用装備への換装が終了して、ワイコロアへの第二次攻撃隊が出撃できる態勢にあったに関わらず、本来の目的であるオールド・ハイランド機動部隊攻撃を優先させ、四隻の空母に対して今度は対地爆撃用装備からゲイボルグへの換装命令が下されたのだ。

 クイーン・ビーの攻撃隊が突いたのはそこだったが、混乱に乗じることはできず、またも難なく跳ね除けられた。

 が、しばらく続いた空中待機と戦闘のため、サリーもプロペラントと弾薬が乏しくなった。しかし、着艦して補給しようにもフライト・デッキは換装作業であいかわらず大混乱していた。しかも、チェリィ・ブラッサムとクイーン・ビーの攻撃隊は迎撃のサリーたちを艦隊下面に引き寄せていた。

 そして、運命の標準時一〇二三。

 各空母でゲイボルグへの換装がようやく終了して攻撃隊の発艦準備が整い、サリーも次々と着艦、補給に入った。

 そこに牙をむいて襲いかかったのが、我々、ビッグEの攻撃隊だった。

 逆サイに回り込んだ我々は、NTC機動部隊を鉛直上方より攻撃。七基のグングニールは三隻の空母のフライト・デッキを完全に破壊、いまにも発艦しようとしていたモビルスーツ隊をことごとく消し飛ばし、弾薬まで誘爆させた。三隻の空母を一挙に航行不能に追いこめたのは、そういうわけだ。

 だが、我々はゆめゆめ忘れてはならなかった。NTCの空母は全部で四隻だったということを。

 実際、ビッグEに戻った俺たちには喜びに浸る暇などなかった。それどころか、機を離れることさえできなかった。着艦してすぐ、ニンジャ隊が接近中のNTC攻撃隊を捕捉、実況が飛んできたのだ。

 大佐だ。

 俺にはわかった。

 大佐は我々の攻撃を予測して、シーヴァス一艦を下げておいたのだ。

 しかし、一隻の空母で、三隻の空母を沈められるというのか。

 いや。

 圧倒的に不利な状況に追いこまれても、大佐ならやるかもしれない。

「爆装したサリーをまず狙え」

 ホット・フュエル中、トムは告げた。

「とにかくゲイボルグを撃たせないことが大事だ。闘いを仕掛ければゲイボルグを投棄せざるを得ない。さらに、爆装サリーはファンネルを搭載していない。付け入る隙はある」

 そして発艦の直前、何故かガトー少佐が顔を出した。三隻の空母を一度に叩いたのに、少佐はただ一隻の討ち漏らしに責任を感じていた。

「みんな、我々にセカンド・チャンスをくれ。たのむ」

「わかってますよ」

 ガーディーはにやっとした。

「火の気のなさそうなところで待っててください」

「だいじょうぶだ。愛しのビッグEには絶対に手をつけさせん!」

「サリーなんざブッ飛ばしてやるあ!」

 ジャンとアンサーが吠えて、俺たちは発艦した。

 NTCの第一次攻撃は、CAPを行っていたチェリィ・ブラッサムの戦闘隊が早めに迎撃して交戦点をかなり引き離し、機動部隊の防空システムも思う通りの効果を発揮したこともあって、ビッグEまで届かなかった。

 だが、ビッグEが狙われなかったからと言って放り出せようはずがなく、俺たちもクイーン・ビーのパイロットたちもチェリィ・ブラッサムのもとへと馳せ参じ、NTCを迎え撃った。機動戦力が空母一隻分にまで激減してしまったため、数はそう多くなかった。ほぼ三対一だ。

 だからといって、決して気の抜ける敵ではない。サリーにとっては、一対四も劣勢ではないのだ。

「スターバッカー01よりスターバッカー00、スターバッカー03へ」

 ディタとアンサーに落ち着きを与えたく、呼びかけた。

「まず俺が飛び込む。君たちはトムの指示どおり、爆装したサリーを狙って一撃離脱だ。ただ、爆装していてもサリーはサリーだということを忘れるな。怖いのは、奴らがゲイボルグを放り出した後だぞ」

「了解」

「了解ッ」

 俺たちは上に出て、十分なアングルを確保した後、

「ロックンロール!」

 スロットルを開けてコンタクト・オープン。逆落としで突っ込んだ。ディタとアンサーは大加速で一撃を加え、二機のサリーにゲイボルグを捨てさせた。

 重荷を放り投げたサリーに追いつかれないようトップ・スピードで離脱してゆく二機と分かれ、俺は反転、ヘッド・オンで立ち向かった。強化人間の癖からして、獲物を見つけたらエスコートすべき攻撃隊を放り出して突っ込んでくるはずだ。

 案の定だった。

 MTIにブリップが二つ、現れた。戦術コンピューターがデータを計算する。速度、加速度、接近率、脅威の度合い。――ファンネル装備か。

 ドッグファイト・スゥイッチ、オン。

 と、視野から光が失せた。こんなときに、と思ったが、違うようだった。呼びかけてくる、というより、すがりついてくるような思惟を捉えた。

 薄い闇のなかに、誰かが膝を抱えて座っている。裸の、少女。その瞳には、ねがいと絶望の色が。

 ――大尉どの、あなたに討たれれば。

 何!

 ――あなたに討たれれば、私はあなたの中で、永遠。

 馬鹿な! 何を馬鹿なことを!

「違うわ、シュー。ちゃんと見て」

 マザー・ヴォイスに促されて、見えた! 後ろかっ!

 白兵戦スゥイッチ、オン。白兵動作システムが起動し、RZの右手がビーム・ライフルを収めてセイバーを抜き、振り向きざまに空を薙ぐ。

 

 いやああああッ、

 

 そこにいたモビルスーツは、絶叫して大きく跳び下がった。――カルーア?

 

 撃たないで、撃たないで、撃たないで、撃たないで、

 わたし、あなたと闘いたくない、闘いたくない、闘いたくないのッ、

 

 カルーアだ。

 そうとわかったとき、サリーはいきなり反転、アフターバーナーを点火して消え去った。

 カルーア、不安定になっているのか。一体どうしたというんだ。

 危険な匂いがした。

 が、それ以上の危険が猛速で近づいてきた。

 ――シュプリッツァー・レイ!

 同じ敵と会い見えるとは、奇跡が起こった。

 ――ようやく会えたなあ!

 寝言に応える奴はいない。

「ディタ、アンサー、援護してくれ」

 呼びかけて立ち向かおうとしたが、ファンネルを撃ち出す間もあればこそ、ダミアンは一気に間を詰め、セイバーを抜いて撃ちかけてきた。

 ――このときを待っていた! 貴様を切り刻むときをなあ!

「ちいっ」

 エースが攻撃隊を放り出してくれたおかげで他のパイロットはかなり楽になるだろうが、白兵で渡り合いたい相手ではなかった。

 ダミアンは押してきて、鍔迫り合いとなったが、光の刀だけでなく、勝利を毫も疑っていない思惟にも滅茶苦茶に押されて、攻めあぐんでいると、いつか聞いた声がした。

「人間なら腕の一本でも切り落とせば戦闘不能になる。それはモビルスーツも同じこと」

 ディタ。

「狙いどころはまず、武器を持つ手。次に、エンジンへの衝き。そして、頭部、メイン・キャメラへの斬撃よ」

 白兵の得意ではない俺へのレクチャー。初めて見た、活き活きした瞳。

 ぱっ、と間を外し、正面、諸手を挙げて躍り上がる黒い鬼の姿を見定めた。

 手。エンジン。頭。――頭だ。

 セイバーを振り上げた。

 が、そこにダミアンは片手で突きを入れてきた。

 後ろへ跳ぼうとしたが、よりも速くRZの左手が走り、サリーの腕を掴んで止めた。つかんだ。いまだ。ガンを。

 しかしRZには対空機関砲がなかった。

 その隙にダミアンは左手でRZの腕をもぎ払っていた。だが、態勢を整える前に背後上方からビームを続けて浴びせられ、ぱっと身を翻し、飛びすさった。先の勢いはなく、明らかに恐怖していた。やはり俺しか見えていなかったか。この闘いは、実は三対一だ。俺の背後には最強のコンビがいる。そして、ダミアンはうかつにも反転して接近してきたディタとアンサーの前に出た。機だ。

「いくわ」

 ディタがぽつりと言って、弾かれたように飛び出した。

「アンサー、援護してちょうだい」

「任せなッ」

 アンサーがディタの背後上空にぴたりと位置する。うまくやってくれと祈ったが、急上昇してきた別のサリーが、例の風に吹かれた木の葉の身軽さでポジションを取ろうとした。中間距離でファンネルを射出しないとは、ゲイボルグを捨てた爆装サリーに違いないが、対艦攻撃をしくじったのに、何故離脱せず戦闘空域に居続けるのか、わからない。わからないが、奴は現にそこにいる!

「スターバッカー03、エンゲージ、エンゲージ、ブレイク・スターボード」

「アンサー、くいつかれるぞッ」

「離脱してたまるかよッ」

 切迫したパルテール少尉とトムの声を喚き声が跳ね返した。

「おれは、アイス・ドールを守る! ここで気合見せねェと、本気でブチ抜かれっちまうからな!」

 その声にアンサーの覚悟を感じた。アンサーは、答を出そうとしていた。自身に対して。

「好き勝手に撃ってくるんじゃねえッ、Iフィールドは長い時間張ってられねえんだぞッ」

 続けざまに浴びせられるビームを背に張ったIフィールドで打ち消し、とにもかくにもアンサーが背後の敵を防ぎ続けたおかげでディタはいいポジションをつかみかけていた。

 が、ダミアンはさすがにエースだった。トップ・スピードでも小刻みに機をシェイクさせて、ディタに照準させない。自分に向けられるディタの注意の矢を読んでいる。

 ――こざかしいッ、

 ディタはそれでも頑張って追いつめようとしていたが、その目の前でダミアンはアキュート・ターン、次いでアフターバーナーを入れ、ディタの脇を摺り抜けるようにして元来た方へ飛んだ。すかさずディタの声が飛んだ。

「アンサー」

「おうよっ、やってやるぜッ!」

 アンサー、反転。勢いそのままにアフターバーナーを入れて、猛烈な勢いでタックルを仕掛ける。

 ディタは背後に張り付いたサリーの前でフル・ブレーキング、つんのめって前に流れたサリーを一発で撃ち抜いて素早くアンサーの背後上空につく。途端に、

「コール・サイン不明の紅いGPX750! 君の背後にサリー! くらいつこうとしているぞッ」

 誰のものかわからない喚き声がディタへ飛んだ。たしかに別のサリーが湧いて出て、急速に近づいてゆくのが視認できた。ドッグ・ファイトではレーダーなど呑気に見ている暇はない。己の目と僚機からの情報、それ以外に頼れるものはない。とっさの判断で自機を常に有利な態勢に保たねばならず、勘が悪くてはとても務まらない。モビルスーツ・パイロットというものは。

「タリー1」

 ディタにも見えていた。敵一機視認をコールしたが、位置を外さない。

「ディタ、離脱しろ、背後を取られるぞ」

「アンサーを放り出せないわ」

 ディタは落ち着き払った声でそう応えてきた。

「アンサーは、わたしのウイングマンよ」

 ディタの周りで、青いビームが光の粉となって散ってゆく。捕捉されかけている。

 飛んでいきたかったが、今、目の前で別のサリーがセイバーを振るっている。こいつはファンネル・ポッドを背負っている。俺が止めなければならない敵だ。

 しぶとい相手だった。そもそも対空機関砲さえあればこんなに苦労することはないが、ダミアンに比べると、楽だ。見える。撃ち込まれる前にIシールドの出力を上げて光の刃を吹き消し、その隙にコクピットを衝く!

 セイバーが胸の真ん中を貫くと、黒いサリーは沈黙し、ふわっと後ろへ漂っていった。そこに別の方からの光の矢が立て続けに突き刺さり、眩い爆光を放って散った。機体内プロペラントが爆発したのだろうが、本当にもろい機体だ。こんなに簡単に撃ち抜かれて爆発してしまうモビルスーツに乗らねばならないパイロットが、ほんの一瞬だが、不憫に思えた。

 離脱して間を取れることを確かめた後、サイコミュの感応パラメータにコードDを入力した。ダミアンの固有サイコミュ・コードだ。

 コード・セット。リンク後、ピンを撃ち込む。飛び切り鋭いやつを、続けて二発。サーヴィスだ。そしてコードDをキル。自分のパラメータをセットし、フィン・ファンネル、攻撃モードへ移行。一番、射出。

 

 RDY FNL‐Ⅰ

 

 フィン・ファンネル一番はディタの背後に飛び込んで反転、サリーを牽制した。

 挙動を乱しつつも、サリーは背のファンネル・ポッドを開けた。

 無論、その一瞬の隙を見逃すディタではなかった。姿勢を変えず、腕だけを動かしてフィン・ファンネルの向こうのサリーを狙撃した。初弾はかわされたが、二弾、三弾と続けてヒット、これもプロペラント・タンクをやすやすと撃ち抜かれたようで、大きな光の玉が星星を押しのけて輝いた。前でもアンサーが、意識に針を撃ち込まれてふらっと前へ流れ出たダミアンを撃ち抜いていた。

「やったあッ」

 眩い爆光とともにアンサーの絶叫が飛び込んできた。歓喜の絶叫だった。

「やった、やったやったやった、おれはやった、ついに、ついにサリーを落としたぞっ」

「敵一機撃墜を確認。よくやったわ、アンサー」

 ディタは静かに応じた。俺もディタの背後からフィン・ファンネルを離脱させ、次の相手を求めたが、ダミアンの撃墜が合図だったかのように、生き残ったサリーたちは編隊も組まず、一目散に離脱していった。

「アークエンジェル、こちらスターバッカー03。リクエスティング・フライ・バイ」

 ビッグE上空、アンサーは誇らしげにリクエストしたが、見事にはねられた。まだ闘いは終わっていない。

「アークエンジェルよりスターバッカーズ各機へ。チェリィ・ブラッサムのフライトデッキは現在使用不能のため、先にチェリィ・ブラッサム所属機を収容する。収容作業の間、CAPに当たれ」

「諸君、ご苦労だった」

 パルテール少尉に告げられて位置についたところ、トムが顔を出した。すぐ尋ねたのはディタだった。

「味方は撃墜されましたか」

「うむ。しかしわずかに二機だ。他のモビルスーツは、手を負ったものもあるが、パイロットはすべて生還した」

 みんな感嘆の声を挙げた。

「おまえのストップ・アンド・ゴー戦術はものを言ったぞ、アンサー」

 ジャンにアンサーは親指を挙げて応えた。

「艦の被害は」

「被害を担当したのはチェリィ・ブラッサムだ。ゲイボルグを一発、突き刺された」

 トムの答えにディタはおもしろくなさそうな目をした。

「しかし、チェリィ・ブラッサムの近接対空システムも二機の爆装サリーが攻撃位置につこうとしたところを撃墜、一機を中破させた」

「SAM(艦対空ミサイル)が飛んできたのには、敵さん、かなり面食らったろうな」

 ガーディーが愉快そうに言った。考えてみればもっともな話だった。Tレーダーのアクティヴ・ホーミングはミノフスキー濃度が高ければ高いほど、つまり艦に近ければ近いほど誘導精度は高まる。

「最後の一隻は」

 ディタが問うと、トムの目から笑みは失せた。

「現在ニンジャ隊が血眼で捜しているが、つかめていない」

「この反復攻撃の早さからみて、近くにいるはずよ」

「そう考えて、攻撃隊は完装でいつでも送り出せる態勢にある」

「ニンジャ隊が帰投する敵さんを捉えてくれればいいが」

 ジャンの声を最後に沈黙が訪れた。疲労の沈黙だった。

 十分の後、ようやく着艦許可が降りた。

 着艦するとすぐに整備チームと補給チームが機体に張り付き、フライト・デッキは一気に戦場となった。色とりどりのマーカー・ライトが振られ、係留されたモビルスーツが次々と移送されてゆく。

 這い出すようにコクピットを離れると、女史をはじめ、みんなに声をかけられた。応えたいのはやまやまだったが、極度の緊張から一気に解き放たれたせいか、どこにも力が入らない。心にもだ。ひとまず無事に戻れたという感慨もない。

 ふらふらと宙を漂っていくうちに、腰に何かが引っかかる感触があって、体が止まった。ディタだった。俺の腰にフックを掛けていた。ディタの向こうにはアンサーが同じようにワイアーでつながっている。数珠つなぎだ。

「現在、警戒態勢に変わったわ。眠りましょう」

 うなずいたと同時にスゥイッチがばちっと切れた。意識の暗闇に転落した。

「集合命令よ」

 すぐにまたディタの声。目を開くと、顔がそこにあった。

「ニンジャ隊が最後の空母を発見したわ」

 時刻を確かめて驚いた。いくらも目を閉じていないと思っていたのに、二時間が経過していた。礼を告げて、あわただしく動き回る甲板作業員たちの間を縫うようにブリーフィング・ルームへ向かった。

 場の空気はひりひりしていた。だが、最初の出撃のときとは違って、三隻の空母を撃破した俺たちの士気は極めて旺盛だった。もう悲愴感などどこにもない。勝利への意志が漲っていた。もちろん、俺もだ。

「動けるモビルスーツはすべて出撃し、全力で最後の空母を撃破する」

 トムの命令はすばらしく単純だった。もちろん、望むところだった。ここまで来たら、完全な勝利を手にするしかない。ここで連邦を挫けば、巻き返すことができる。この天を守ることができる。

「質問は」

 ひとつの手も挙がらない。

「それでは、諸君の武運を祈る。必ず帰還を果たせ。従軍僧侶に五分間だ」

 敬礼、解散。また何人かのパイロットが僧侶の前に進み出てひざまずいた。後ろで輪になって気合を入れているのは、チェリィ・ブラッサムのパイロットたちだ。

 ガトー少佐が俺たちの前に立った。その目は気迫に満ち満ちていた。

「君たちのくれたチャンスは無駄にしない」

「当てにしていますよ」

「まかせろ」

 ガーディーににやりとして手を挙げ、少佐は部下たちの先頭に立ってフライト・デッキへ出て行った。

 エアロック、ディタが追い越しざまにちらりと振り返った。俺は拳を挙げてみせた。すると、ディタの顔にかすかな笑みが走ったように見えた。

 RZのコクピットにはすでに女史が張り付いていた。

「しゃんとしてる?」

「もちろん」

「戦闘データはすべて吸い上げたけれど、気にかかることはあるかしら」

 時間がないので、ひとつだけにした。

「RZの頭に対空機関砲を取り付けられないか」

「対空機関砲を、ね」

「必要性を痛感した。あれは白兵に欠かせない」

 強く言っても、女史は腕を組んで唸っただけだ。

「取り付けるとすれば、――うーん、どうみても六十ミリは無理だな。三十ミリ一門、かしらね」

「両サイドに一門ずつは」

「無理」

 女史はきっぱりと言った。

「TR2Xを組み込んだから、ゆとりがないのよ」

 下でリニア・カタパルトのセットが始まった。

「とにかく、この闘いが終わったら最初の実戦データ統合をかけるから、そのときに改めて考えましょ」

 うなずくと、切れ長の瞳にやわらかな色が浮かんだ。

「ちゃんと戻ってきなさいよ。そしたらご褒美にモスコウ・ミュールを死ぬほど浴びさせてあげるから」

 女史はぽんぽんとコクピット・カヴァーを叩き、一度手を振ってRZから離れていった。

 二分後、ビッグEとクイーン・ビーからモビルスーツ隊が出撃した。

 リニア・カタパルトで蹴り出されてから、コクピットに差し入れられたレイションの封を切るのを忘れていたことに気がついた。編隊を組んで慣性航行に入ってからドリンクで水分を補給しただけだった。しかしそれだけで気分をしゃんとさせることができた。集中力が戻ってきた。

「ワレ戦列ニ復帰ス」

「敵機動編隊捕捉。急速接近」

 応急修理を終えたチェリィ・ブラッサムが喜びの声を挙げたのと、ニンジャ205が敵接近を告げたのはほぼ同時だった。

「モビルスーツ、三機編隊、その後方にもう一個の三機編隊を確認。その上空に二機編隊が二個、並行して航行中」

 極めて正確な報を受けた航空参謀部の指示でクイーン・ビーの戦闘隊は反転、急降下。直線距離で七万の下を飛ぶNTC攻撃隊を追った。続きたかったが、スターバッカーズはエスコート・ミッションを継続。攻撃隊を放り出すわけにはいかない。

 到達してみると、シーヴァスの周囲には迎撃機の影もない。シーヴァスは我々が距離を詰める前から回避機動に入っていたが、もはや、逃がれようがなかった。

「プレゼント1」

 コールが一斉に発せられたとき、一瞬、目を閉じた。

 さらば、シーヴァス。

 

 最後となったこの攻撃で、我々は直撃弾五、至近弾二でシーヴァスを大破航行不能に追いこんだ。その他、巡洋艦二隻撃破というおまけもついた。

 気になったのはやはりNTCの第二次攻撃だったが、戻ってくると、いかつい顔をした高速戦艦隊の向こうでビッグEが大きく腕を広げていた。

「スターバッカー03よりアークエンジェル。リクエスティング・フライ・バイ」

 攻撃隊が全機着艦をすませると、アンサーはまたぬけぬけとリクエストしたものだ。しかし今度はトムもダメを出さなかった。

「アイス・ドール、つきあってくれよ」

 ヴィクトリー・ロールの了承を得たアンサーは上機嫌で声をかけたが、ディタは例のごとく気乗りしなさそうに、

「どうして」

「今日のキル・マークはおれだけのものじゃない。あんたがおれの背中をがっちり守っててくれたから、安心してあのクソッタレのケツを吹っ飛ばすことができたんだ。これでもあんたに感謝してんだぜ」

 このアンサーの言葉は語り種になっている。わずかの沈黙の後、ディタのさっきよりは幾分かマシな声。

「仕方ないわね」

「よっしゃ、いくぜッ」

 アンサーのGPX750Bが身を翻し、ディタが追った。二機は並んでビッグE目掛けて急降下、フライト・デッキすれすれで引き起こして、ブリッジ脇で見事なバレル・ロールを打ってみせた。

「ヴィクトリー・ロールか。おれもやれば良かったな」

 残念そうなガトー少佐の声が飛び込んできた。

「忘れていたんですか」

「ああ。心がもうお祝いのケーキに飛んでいたし、その前に、おれの槍が当たったかどうかどうも定かじゃないからな。次からは旗でも結んで投げるか」

 天に湧き起こった笑い声の輪から外れたところに、航行不能に陥ったチェリィ・ブラッサムが漂っていた。

 NTCのパイロットたちは何故かまたチェリィ・ブラッサムを狙い、二度に渡る攻撃をひとりで受け止めた彼女は、それでもどうにかエッヂ・フィールドへ帰るために修理を続けていたが、主機の損傷は致命で、生命維持にも支障が出、ついに処分されることとなった。総員退去の後、二基のグングニールが彼女の命を絶った。チェリィ・ブラッサムは大きく二回爆発して、その名のようにはかなく散っていった。

「連邦軍艦隊ハ戦域ヨリ離脱ヲ開始。標準時二二四五」

 五月五日夜、ニンジャ201よりその報がもたらされた瞬間、ビッグEは歓声で沸き返った。いや、ビッグEばかりではない。クイーン・ビーも、この激戦をくぐりぬけた全艦がそうだったろう。

 初めての勝利だった。しかも強力無比のNTC機動部隊を向こうに回して、真正面からぶつかって、殴り合って、勝った。運の助けがあったことは確かだが、その運を引き寄せて、勝利の女神の笑顔を勝ち取ったのは俺たちだ。間違いない。

「第二機動部隊ハ速ヤカニ第一機動部隊ニ合流スベシ」

 旗艦リヴァージュからT通信が飛び、高速戦艦隊を殿において素早く合流した艦隊は、潜空艦に対する警戒を強めつつ、月軌道の外へと速やかに離脱を図った。

 この闘いを支え続けたニンジャ全機が母艦クイーン・ビーに帰頭するのを待って、トクロウがアイスクリームとケーキでパーティを催してくれた。もちろんアルコール抜きだが、たいそう盛り上がったことは言うまでもない。ケーキはもちろんガトー・ショコラで、スピーチももちろんワイコロアのヒーロー、ガトー少佐だった。

 香ばしく焼き上がったガトー・ショコラを早速つまんでいたところを無理矢理担ぎ出された少佐は困ったような笑顔で、部下のパイロットを全員引っ張り出し、左右に並ばせた。

「早くトクロウのガトー・ショコラを味わいたいので、手短にいこう」

 笑い。

「最初に、チェリィ・ブラッサムと、この闘いで失われた命に祈りを捧げよう」

 静かな祈りの後で少佐は気を取り直したように明るい表情で俺たちを見渡した。

「今回、NTCの空母を仕留められたのは、もちろん我々第三攻撃機動隊だけの力じゃない。我々は贈り物を届けただけだ。こうして並ぶと偉そうだけど、メイル・マンさ。まあ、我々の心の込められた贈り物が槍だったというのは戦時特例だな」

 下手なウインクに、あちこちから笑いが起こる。口笛も飛ぶ。

「ここからは真剣にいく。まず、精密なTDL誘導で目標指定を助けてくれたクイーン・ビーの第一、第二特務機動隊のパイロットたちに感謝する。あのお導きがなければ、ホットな贈り物を冷めないうちに届けるのはかなり難儀だった。そして一番無防備になる攻撃直前にしっかりと背中を守ってくれたスターバッカーズのパイロットたちに。君たちの勇気は我々の力だ。さらに、モビルスーツから降りたらすっかり腰が抜けて隅っこでブルブル震えていた我々に色々優しくしてくれたビッグEの全クルーに感謝したい。みんな、ほんとうにいいヤツだ」

 笑い声と拍手が湧き起こる中、少佐はぐっとビールの缶を持ち上げて、吠えた。

「気まぐれな勝利の女神も我々の味方だ、この戦は勝てるぞっ」

 みんな、手を突き上げた。その後、『シルヴァー・アローズ』のパイロットたちがどんな目にあったかはちょっと口では言えない。ビールの泡で床でも泳げたほどだ、と言っておく。

 戦が終わったかのような大騒ぎを少し離れて眺めていると、ディタがいつのまにか隣に立っていた。缶を持ち上げた。

「この勝利に」

「記念すべき勝利に」

 ディタと軽く缶を合わせて、ぐっと喉へ流し込んだ。ノン・アルコールなのに、ビールはすさまじい勢いで体の隅々まで染みとおっていった。ビールは好きじゃないが、この夜の俺は、それがタバスコ・ソースであってもためらうことなく喉に流し込んだろう。そのくらいの気分だった。眠る直前まで聴いていたエアロスミスの『ナイン・ライヴズ』は最高だった。九つの命を持つのは猫だけじゃない。『スゥイート・エモーション』は言うまでもない。

 なお、アンサーの愛機には不必要なほどに大きなキル・マークが描かれたことを記しておこう。しかし、撃墜したのがNTCのエースだとわかっていれば、赤い星は国籍マークよりも大きくなっていただろう。

 ただ、ダミアンは死んでいない。

 俺にはわかっていた。

 あのときと同じだ。意識が爆発せず、遠ざかって消えていっただけだった。

 が、そんなことを言って水を差すつもりはない。また会い見えることがあったとしても、そのときは、そのときだ。

「うまく撮ってくれよ!」

 愛機の左肩にでかでかと描かれた星の前で、アンサーは記念撮影に臨んだ。

「そう言えばよ、アンサー」

 その撮影の後でジャンが声をかけた。

「おまえ、二隻の空母で二度の戦闘航海をこなしたから、艦を降りる資格を得たんだよな」

 ハンガーのあちこちから羨望のため息がもれた。この大きな闘いを生き延びて、自分の足で艦を降りられる。戦争で最高の贅沢だ。

 が。

「へッ」

 アンサーは鼻で笑った。

「何言ってんだ。これからがおもしろいんじゃねェか」

 みんな、不思議な顔になった。俺もアンサーが何を言おうとしているのか、わからなかった。

「おもしろい?」

「何だ、そりゃ」

 すると、アンサーはしゃあしゃあと言ってのけた。

「おれは、エースになるまで降りるつもりはない。そこんとこ、よろしく頼むぜ」

 一瞬の沈黙の後、みんな一斉に笑い出した。ガーディーもにやりとした。

「アンサー、おまえは断じてチンピラなんかじゃないぜ。底抜けのバカだ」

 

 

 そして、七月七日。

 第一機動部隊は再び、展開。

 目標は、特殊戦二個中隊が二ヶ月に渡って浸透作戦を展開していたサイド5最後方の資源小惑星シルヴァーストーン。

 戦艦五隻、巡洋艦十五隻による艦砲射撃の後、モビルスーツ隊による要所攻撃が行われ、同時にブライトンの強襲揚陸艦イオウジマとナヴァロンが突入、空兵隊の機械化空兵三個師団と二個機甲師団が上陸を開始した。

 開戦九ヶ月目にして、早くも環地球連合軍の反攻が始まる。

 

 

 MOBILE SUIT GUNDAM FX

 Episode 5 “Middle of the road” The latter part



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第六話 天国の、扉

主題歌
"Seasons of change" by Sing Like Talking


「スターバッカー00、撃墜。識別コード、解除」

 戦闘空域のど真ん中ではあったが、一瞬、放心してしまった。

 ディタが、落ちた。

 

 ☆

 

 七月。

 ビッグEはアロハ・ステーション――誰がつけたのか、インテルラゴス後方の環地球連合軍機動部隊展開空域はそういうコード・ネームで呼ばれた――に上がった。

 闘いはシルヴァーストーンの争奪戦へと推移した。

 シルヴァーストーンに上陸した機械化空兵隊と空間機甲師団を支援すべく、アロハ・ステーションの空母の他、要塞化の進むワイコロアからも連日モビルスーツが出撃してシルヴァーストーンを攻撃した。機械化空兵隊も空間機甲師団も幾何級数的に増強され、シルヴァーストーンの色を内側から少しずつ、しかし確実に塗り替えていった。

 連邦の顔色が変わったのは、シルヴァーストーン最大の軍事港湾ブロック『ヨコハマ』をもぎ取られたときだった。即刻、空間歩兵を差し向けるとともに強大な艦隊戦力を投入した。

 最初の闘いは艦隊戦だった。

 この闘いは足並みの揃わなかった連合軍艦隊の記録的な大敗に終わり、連邦艦隊はシルヴァーストーンに嵐のような艦砲射撃を浴びせた。その激しさにはさすがの機械化空兵たちも首をすくめて震えているしかなかったというが、連邦艦隊が引き上げた後、暗礁空域に潜んでいた輸送船団が接舷し、無事に物資を揚げた。

「連邦は画竜点睛を欠いたわけだ」

 と、ガトー少佐は不敵な笑みを浮かべた。シルヴァーアローズのパイロットはにやにやしている。ガーディーとジャンもだ。

「敵さんも、開戦当初ならこんなポカはしなかったろう」

「ワイコロアで連邦の流れは一気に下りに転じたな」

 勝ちに不思議の勝ち有り。負けに不思議の負け無し。

 先のワイコロアの闘いにこれほど当てはまる言葉はない。

 時が経てば経つほど、何故勝てたのか、という思いが強くなる。我々にとっては、到底勝てる見込みのない闘いだった。

 連邦は逆だろう。

 勝って然るべき闘いが少しずつ流れを変えて行き、大敗へと転げ落ちてゆく。

 その抗いがたい流れを運命というのは簡単だが、大きな戦も、その趨勢を決するのはたったひとつの闘いだ。それがワイコロアだった。キングス・ポイントだったのだ。

 その証に、あの闘いでNTCが失ったのは四隻の空母ばかりではなかった。

 開戦当初から戦い抜いてきた優秀なパイロットの多くを宇宙に散らせてしまい、緒戦の破竹の勢いまでも失ってしまったのだ。それは取り返しのつかない損失と言って良かった。

「NTCがマジー・ノワールで空母を撃ち漏らしたことを悔やむときが必ず訪れる」

 というディタの予言は成就したわけだ。

 と、ドアにノックの音。

 ガンルームを訪れてそんなことをする殊勝なヤツはいない。みんなの目が一斉にドアへ注がれた。

 ドアが開いて現れたのはトムだった。連日のソーティーでぐったりしていた俺たちではあったが、背筋を伸ばして敬礼した。

 ぴしりと返礼したトムの後ろから細い影が現れた。ワイコロアから戻ってすぐにグラナダへ発ったパナシェ女史だった。

「ただいま、戻ったわ」

 俺たちは女史に答えようとして、――目が女史の斜め後ろに留まった。

 そこには映動女優かと思えるほど美しい女性が立っていた。

 弾けるような美しさではなく、清楚で知的な美しさだ。黒いスーツの胸にBARのワッペンがある。女史と同じく、モビルスーツのエンジニアらしい。ガーディーはにやりとして、

「戻ってくるに当たって手ぶらってことはないと思ってたけど、たいしたみやげだなァ。期待以上だぜ」

「その言葉を聞いて、戻ってきたという実感が湧いたわ」

 女史も苦笑を浮かべる。斜め後ろの女性を前に出して紹介した。

「紹介するわ。BARのラメール・ミュンヒハウツェン。わたしの親友にして最大のライヴァルよ」

「ラメール・ミュンヒハウツェンです。よろしくお願いいたします」

 挨拶をしたラメールの前で、ガーディーの目は違う意味で真剣になった。

「BARの天才エンジニアか」

「ガーディー、知っているの」

「ああ。サリーが現れたとき、ネージュA型をわずかな期間でB型に改修してみせたんだろ。おれたちの命の大恩人ってわけだ」

 ラメールははにかむように微笑んだ。差し出されたガーディーの手を取った。

「そう考えていただけて、光栄ですわ。ベルガー大尉」

「へえ、君もおれの名を」

「ええ。パナシェから色々と教えてもらいました」

 後ろで俺たちは爆笑した。

「というわけで、おイタはダメよ。ちゃんと将来を誓った相手もいるんだから」

「いや、別におれはかまわないぞ」

 また爆笑した俺たちの脇でディタはやれやれという感じで首を振った。ラメールも苦笑いをした。

 その後、我々はファイターコマンドへ上がった。

「環地球連合各国では、開戦と同時に打ち立てられた大増産計画が結実を始めている。モビルスーツの生産数にパイロットの養成が追いつかないという、考えられない事態が起こっているほどだ」

 皆の前で、トムはそう言った。

「時間をかけて養成されたパイロットたちは続々と第一線へ向かい、GPX750Bの後継機の開発も着々と進んでいる。今回、その成果として開発されたアナハイムのコード・ネームYZFとBARのコード・ネームRCBを試験的に、我がビッグEに配備することとなった」

 ファイターコマンドはどよめいた。

「YZFはネージュの発展型だ。RCBも完全な次世代型モビルスーツといえる。両方とも、問題なく実戦投入できる段階の機体だ」

 パイロットは全員がトムと女史とラメールに熱い目を注いだ。誰が新型を駆ることとなるか、だ。

「YZFはガトー少佐の第三攻撃機動隊に配備する。RCBはパニス大尉の第十一戦闘機動隊に配備。両隊とも即刻機種転換訓練に入ってもらう」

 スターバッカーズの左右で大きな歓声が挙がった。ガトー少佐が手を挙げた。

「新型はハンガーに駐機してあるのでありますか」

「搬入作業は完了しているはずだ」

「では機体を確認してよろしいですか」

「無論だ。エンジニアたちから話をよく聞いて、一刻も早く馴染んでもらいたい」

「了解!」

 新型を射止めた幸運なパイロットたちが風のように消えてしまうと、ファイターコマンドにはどんよりとしたスターバッカーズの面々だけが残された。

「オレたちには何もなしか」

「今の相棒とまたしばらくおつきあいだな」

「仕方ない。明日のソーティーに備えて、早く寝とこうぜ」

 立ち去ろうとした我々の前に女史が立った。

「個人的には、こういう結果となって申し訳なく感じているわ」

「いいってことよ」

 ガーディーはさばさばした口調で答えた。右腕をパンと叩いて、

「おれたちは腕でカヴァーするのさ。心配御無用だぜ」

 女史は真剣にうなずいた。が、なぜかその胸にためらいを感じた。何かを言おうか言うまいかというためらいを。しかし女史はそのためらいを一息に振り払って、告げた。

「実は、スターバッカーズにも、GPX750CネージュSを持ってきたのよ。コンプリートは二機。パーツは六機分あるわ」

「どんな機体なんだ」

「プロイツェン最高の高機動デヴァイス『DMX』のシリーズ2000を搭載して、近接空戦性能の向上を目指したモビルスーツよ。俗称は高機動型ネージュ」

「この機体は、アイス・ドールとアンサーに乗ってもらう。極めて機動性の高い機体だ。十分フリー・バードに追随していけるだろう」

「よっしゃ、やったぜ」

 トムの通達にアンサーは喜んだ。ディタは冷静に確かめた。

「YZFのような、GPX750Bの後継ではないのね」

「後継ではないわ。残念ながら」

 女史は即答した。感情の感じられない声だった。瞳にも輝きはない。気になったが、ひとまず我々もハンガーへ降りた。

「あれよ」

 と女史が示した先には、今までとは違うパターンの航宙迷彩を施された二機の真新しいネージュが駐機されていた。

「実機はネージュBと少しも変わりないな」

 ジャンは拍子抜けしたように言った。確かに一見したところではそのとおりだ。

 ただ、機体各部に装備されたバーニアの数は尋常でなかった。RZよりも多いかもしれない。装甲も、特に腕や脚の末端にかけて肉抜きしてある箇所が目立ち、機体質量が大幅に削られているようだ。

「赤く塗り替えるのは、一度飛ばしてからね」

「ひとまず飛ばしてみるか」

 ディタにしては珍しく軽口のようなことをいい、アンサーも大変な上機嫌でコクピットへ入った。

 しかし、ラメールは沈んだ表情をしていた。そのことに気づくと、ラメールは目を俺に向けた。

「私の懸念は、大尉の今お考えになったとおりです。サリーに運動性能で勝るモビルスーツを作れという軍上層部の強烈なプッシュに押し切られた結果がネージュSなのです」

「やはり、か」

「『DMX』シリーズ2000は、無人機に搭載する予定で調整が進められてきたものなのです。それを有人機に搭載した際、基本的な機体バランスの不安定性はネージュBと比べ物になりません」

「実際、運動性はすさまじいわ」

 両機のコクピットに張りついていた女史が戻ってきた。

「サリーと比べるよりも、まずコクピットにいるパイロットの身を案じなければならないほどよ」

「巴で勝とうとするのではなく、サリーの勝てそうもないポイントを突かなければ、最終的に勝つことはできないわ」

 ラメールは低い声ではあったが、はっきりと言った。

 俺たちの前で、二機の高機動型ネージュはうつ伏せの姿勢となり、エアロックに消えた。

「君のガンダムは、まだ形にならないのか」

 ラメールがRCBの面倒を見に行った後、聞いてみると女史はうなずいた。しかし、挑む目で俺を射た。

「VFXはまだ時間が要る。でもワイコロアでデータは得られた。待っていて。あなたを驚嘆させるモビルスーツを作り上げてみせるわ」

 二機のネージュSが発艦準備を整えた。

 ファイターコマンドへ上がって様子を見ることとした。

 果たして、DMXシリーズ2000は明らかに連邦軍のズームド・エアより優れていた。しかし反応が鋭敏すぎて、考えたと同時に考えた分の倍動くという感じだ。RZのようにサイコ・フレームに直結したら、即意識不明だ。間違いない。威勢良く飛び出していったアンサーも飛んでいるうちに口数が少なくなり――アンサーが飛んでいる間ずっと口を動かし続けていることは有名だ――言葉はうめき声に変わっていったし、ディタも降りてきた後、

「このモビルスーツは、普通の人間の搭乗を前提としていないのかもしれない」

 それだけを呟いて、力なくハンガーの宙を漂っていった。

「こいつは新戦力としてカウントできるのか」

 その答がはっきりしないままに、機動部隊の出番が回ってきた。

 第二次シルヴァーストーン会戦。別名、マニ・クール会戦。

 緒戦の勢いを失ったNTC機動部隊に対して、我々は有利に戦闘を進めていった。

 索敵合戦はNTCの勝ちだった。

 が、NTスカウト・オペレイターを総動員して先に我々を見つけておきながら、NTCは詰めでしくじった。

「後方ニ空母ラシキモノ一隻ヲ伴ウ」

「らしきものとは何だ」 

 索敵機の曖昧な報告が引き起こした混乱の間に第一特務機動隊のニンジャがNTC機動部隊を発見して勝負を振り出しに戻し、

「ジェントルメン、スタート・ユア・エンジン!」

 号令一下、俺たちはガーディーが言ったところの「まるでレーシング・カーのように」勢い良く飛び出した。

 ワイコロアでNTCの空母四隻を葬ったガトー少佐率いる『シルヴァー・アローズ』は新鋭機YZFを駆っていることもあって自信に満ち溢れており、第一次攻撃で中型空母と重巡を一隻ずつ沈めてみせた。

 が、NTCも眠っていたわけではなかった。すかさず攻撃隊を送り込んできた。

 俺たちは臆することなく立ち向かった。ストップ・アンド・ゴー戦術の普及により、サリーの前に顔を真っ青にする環地球連合軍パイロットは確実に減っていた。もっとも、俺たちは最初からそうだったが。

「タリー・ホー! サリーだ!」

 ガーディーの声でフォーメイション・ブレイク、

「おらおらおらあーっ」

 ガーディーがトップ・スピードで編隊を蹴散らすと同時にジャンが突っ込んでセイバーを振るう。接近戦に強いジャンと距離を置いた闘いの得意なガーディーは理想の組み合わせだ。

 俺の方では、俺が引きつけた敵をディタとアンサーが叩く。俺が目立つのはRZの鮮やかな機体色のせいばかりではない。ニュータイプは、何故かニュータイプを引きつける。早速、正面から二機編隊が接近してきた。

 ところが、連中は機動に入れ損なって離脱した。NTCパイロットの技量に衰えが見え始めたのも、この辺りからだった。その間に転針、太陽を背負った。「太陽の輝きに潜む敵に気をつけろ」というのは俺のことだ。

 戦域を俯瞰すると、織るように飛んでいる。

 敵が強化人間ばかりだというのは、ある意味、楽だ。俺に気づいたパイロットは、俺にしか注意を向けなくなる。そして、ディタとアンサーに背中を刺される。

 他の空域でも迎撃は確実に行われ、もう一押しで母艦に傷を負わせることなく、NTCの攻撃隊を退けられそうだった。

 が、NTCはとんでもない隠し玉を用意していた。

「なんだ、あのでかいやつは」

 そんな声がいくつか飛び、その方に注意を向けると、巨大なものが猛速で戦域に突入してきた。

 モビルスーツの形をしていない。モビルアーマーと推して、TDBにアクセスして機種特定を試みたが、返答は、

『UNKNOWN』

 新型か。ともかくもニンジャがTARPを飛ばして情報を得るはずだが、それを待っていられない。あれは強大な敵だと、本能が叫んでいる。

 戦術コンピューターが目標データを計算。脅威の度合――極めて大。

『複数回線のサイコミュ誘導兵器、もしくは機動戦闘端末を装備している可能性大』

 複数回線のサイコミュ誘導兵器、もしくは機動戦闘端末とは、まずい。一気に距離を詰めるか、射程の外へ離脱しなければ。

 だが、遅かった。

 戦域に光の花が一気に咲き乱れた。MTIに『味方機撃墜』のサインがどっと現れ、非情のイエローで点滅した。

「こちらスターバッカー27、被弾二。高機動デヴァイス、アウト。戦闘機動不能」

 そして、ジャンまでもが。雑音の奥に、離脱しろ、というガーディーの声がした。

「スターバッカー01よりアークエンジェル。敵の詳細情報を送ってくれ」

 呼びかけてみたものの、アークエンジェルも火を点けられたような様に陥っており、確認と応答を求める声が悲鳴となって宙を飛び交った。

「ちッ、見てらんねえなァ」

 呆れたような舌打ちとともに、イタリアン・レッドのGPX750Bが右に浮上した。

「いくぜ、フリー・バード。ここいらであのうどの大木の脚を折るぞ」

 ビーム・ライフルを挙げて応えた。何としても艦隊に突入させるわけにはいかない。ガーディーと編隊を組んで迎撃に走った。

 が、奴は図体のでかさに関わらず、速かった。

「強襲型か」

 突っ込みながらガーディーがひとりごちた。そのようだったが、俺は別のことを頭で追っていた。

 あの中にいるのは、まさか。――

 そうだとすれば、絶対に討たねばならなかった。

 捕捉は簡単だった。速いが、機動はそうでもない。さらに投影面積が極端に大きい。追いついてしまえば、撃てる。そう思えた。

 が。

 俺のビーム・ライフルもガーディーのビーム・ライフルも奴を撃ち抜くことはできなかった。光芒は表面で光の粒となってはかなく散ってゆくだけだ。

「ちくしょう、Iフィールドをガチガチに張ってやがるぜ、こいつ」

「ガーディー、遠目から援護してくれ」

 この敵では、中間距離にガーディーを占位させておくのはまずい。ディタとアンサーの編隊が接近してきたのを見て、そう告げた。そして、ふたりと合流してから攻撃を試みようとしたのだが、

 あッ、――

 ディタがふいに何かに気がついたような声を挙げたかと思うと、急に速度を増して突っ込んでいった。アンサーの声も振り切って、まるで吸い寄せられるように。

 ――なぜ、あなたがここにいるのです。あなたは、あのときに亡くなられたはず。

 ディタの、いつもの様からは考えにくい、はっきりとした声。周りにいる俺やアンサーに投げかけた言葉ではなく、通信回線経由でもなかった。頭に直接響いている。

 答えたのは、やはり、俺が今回宇宙に上がって最初に聴いた声だった。

 ――気づかないでくれ、という方が無理か。

 あまりにも無造作に接近するディタに、奴はビームの一射で答えた。瞬間、ディタの息を呑む音がはっきりと聞こえた、気がした。

 ――まさか…あの事故は、あなたが仕組んだものだったの!

 ――その、まさかだとしたら。

 ――許さない。絶対に、許せない!

 ディタの、魂を絞るかのような絶叫が頭のうちにこだました。あまりに激しくて、RZのコントロールを乱すところだった。いったい何だ、と思ったが、それが銃爪だった。

 奴は一気に詰めようとするディタに対してファンネルを撃ち出した。

 が、ディタは止まらなかった。

 ――そんなものに乗って、わたしに銃口を向けるというのかっ、

 ――そのような認識では、君の飛翔も遠いと言わざるを得ないな。

 ――口の利き方には気をつけてもらおう!

 ――そうかな、

 ファンネルが舞うように紅いネージュを狙う。

 奴のオール・レンジはカルーアのようにファンネルを一基ずつ順番に使うという稚拙なものではなく、九基を同時にコントロールしていた。

 ディタはしかしそれさえも凌ぎ、セイバーの間合いまで踏み込んできたファンネルを逆に撃ち落とそうとまでしていた。妙な喩だが、コスミック・バレエを十倍速で見ているような動きで、援護さえできなかった。フィン・ファンネルは滞空させていたが、戦域へ撃ち込めない。それはガーディーやアンサーも同様で、ビーム・ライフルを構えて二人の戦域を護衛するかのように回るだけだった。

 機をうかがっているうちに、大変なことに気がついた。

 ディタは闇雲に機動しているのではなく、攻撃を先へ先へと回避していた。明らかにファンネルの機動が見えているのだ。サイコミュの糸をたどって、まるで操り人形のように。ディタは、こちら側へ来ようとしていた。はっきりとわかった。

 しかし。

 危惧が形を取りつつあった。

 ディタが要求する機動をネージュSは実現した。だが、その激しさはビルシュタインの耐Gシステムの許容値を超えていた。それはつまり、人間の体の許容度などそのずっと以前に超えているということだ。

 そして、俺の危惧はたいていすぐに現実のものとなる。

 急に、ディタの発する強い注意の矢が感じられなくなった。糸の切れたように。そしてネージュSは機動をやめた。

 同時に、敵のファンネルが得たりとばかりに襲いかかった。

 ネージュSは動かない。闇の表をすうっと滑ってゆくだけだ。やはり気を失ったか。

「ディタ」

 呼びかけたが、応答なし。

「くそッ」

 スロットルを開くとともに、フィン・ファンネルに鞭を入れて、全基を突っ込ませた。

 奴のファンネルは四基にまで減っていた。フィン・ファンネルを二手に分けて、一番と二番で本体を攻撃し、残りの四基でファンネルを止めようとした。

 ぱっ、ぱっ、ぱっ、

 射撃位置につけるのは俺のほうが早かった。光が閃いて、初めに射撃位置についた三基は一発で撃墜した。

 ――さすがだな、シュプリッツァー君。

 意識に飛び込んできたのは、余裕のある声だった。臍を噛んだ。このパイロットには、ファンネルは一基あれば十分だった。六番を振り切った最後の一基のビームが、あざ笑うようにネージュSを背中から貫いた。右トランスエンジンの表面が縦に割られて、小さな爆発が起こった。ネージュSは下へ弾かれた。

「ロートシルト大佐ッ」

 ダッシュした。ビーム・ライフルの銃爪は引きっぱなしだ。

 だが、ビームは事も無げに散ってゆく。近づいても変わらない。奥歯を噛み締めた。目の前に浮かんでいるだけの敵が討てない。これほど腹立たしいことはない。ガーディーの滅多に聞けないような声が飛んできた。

「近づきすぎだぞ、フリー・バード」

「肉薄して斬りつけるしかない。こいつは戦艦並みの防壁を備えている」

 応えたときだった。突然、大佐の注意が逸れた。

 強く熱い意識が弾丸の勢いで近づいてきた。ディタだった。

 しかし安堵はできなかった。

 ネージュSは、ふらふらしていた。ディタは機動しているつもりだろうが、片翼をもがれ、バランスが保てず、挙動が安定していない。今のディタを捉えるのは赤子の手をひねるより簡単だ。

 大佐の機体下から有線式のクロウ・アームが躍り出た。獲物を狙うガラガラヘビの動きでネージュSに襲い掛かった。先端の鈎爪が開いて、ビーム砲が禍々しい顔を覗かせた。

 まずい。

 そう感じるより早く、太いビームがネージュSの右腕と右脚をきれいに切断した。

「離脱しろ、アイス・ドール」

 ガーディーとアンサーが同時に告げた。俺も叫んでいた。

 しかしディタは応ぜず、緊急時機体固定用のワイアード・クロウを射出した。数条のワイアーはきらめきながら宙を躍って、怪物の表面に噛みついた。まさに鋼の神経の賜物だが、もうディタに手は残されていないはずだった。

「まだ、あきらめていないのか」

 アンサーはうめき、俺はセイバーを抜いて飛び出そうとしたが、鋭い声がした。

 ――来ないでッ、

 ネージュSはワイアーを巻き戻して、怪物の機首の下に吸い寄せられるようにして張りついた。

 直後、大爆発した。

 怪物は下顎を抉り取られて向こうへ大きく跳ね飛ばされたが、

「自爆だとっ」

「アイス・ドールッ」

 アンサーは絶叫したが、俺は声も出なかった。眼前の事実が信じられなかった。

 もちろん、戦闘はまだ終わっていない。俺たちは瞬間の空白から立ち上がって追撃に移ろうとしたが、大佐は戦域に戻ろうとせず、踵を返すと、素直に離脱した。それとともにNTC攻撃隊の残存機も三々五々に離脱を始めた。ひとつのラウンドが終わった。

 だが、俺は光の失せた後の闇をうつろに眺めていた。

 ディタが、落ちた。

 現実が現実のように感じられない。体に心が取り残されている。そんな感じだ。

 だが、鋭い声が意識を打った。

「顔を上げなさい、シュー」

 えっ、

「彼女は脱出しているわ」

 マザー・ヴォイスに促され、眩い光を浴びて、すうっと流れる紅いバトル・スーツが見えた、気がした。

「こちらアークエンジェル。レーニエ中尉の救難信号を確認」

 パルテール少尉の声が飛んできて、視野にキューが出た。

 ディタだ。しかも、驚くほどの近くに漂っていた。

 ベクトルを確定すると慎重にRZを寄せた。

 紅いバトル・スーツの胸のコンディション・パネルを拡大して見ると、

『ALIVE』

 胸を撫で下ろした。

 ディタが死ぬはずがない。大きな目的のために闘っているディタが。

 そう思うと、さっきまでの自分がおかしくなった。

「あの局面における、最善の戦術的判断に従っただけ」

 あのロートシルト大佐に後退を余儀なくさせるとは、さすがだとしか言いようがない。そのことも、いつものようにさらっとそう言ってのけるのだろうか。

 RZの左手を開いて深紅のバトル・スーツをすくいあげ、ビーム・ライフルのグリップを握ったままの右手を被せた。そして離脱に移ろうとしたら、唐突にズームド・エアがアウト。サイコミュ・メイン・コントロールが突然、落ちてしまった。後は着艦するだけなので問題はないが、視野の真ん中に点滅する警報を見やって頭を捻った。

『メイン・サイコミュ回線に外部より異常入力』

「女史、この、メイン・サイコミュ回線に外部より異常入力というのは何だ」

「今、こちらでもチェック中よ」

 ビッグEでRZのモニターをしている女史の声も緊迫している。

「理由はわからないけれど、サイコ・フレームにどこからか思念波が流れ込んできていて、しかもそのレヴェルがどんどん高まってゆく。RZはだいじょうぶかしら」

「思念波レヴェルはすでに警戒値に達した。PMCは保護機構を作動させて、俺へのフィードバックを全面カットした。これだけ強い他人の思念波をまともにくらったら、頭痛ではすまない」

「おかしいわ。よほど優れたニュータイプがすぐ近くにいなければ、こんなことにはならないはずよ」

 よほど優れたニュータイプ。

 ぎくりとして、RZの重ねられた両手を見た。

 光っていた。目に見える光じゃない。が、光っていた。

 まずい、と思ったときには、もう遅かった。

 制御の効いてない思念がサイコ・フレームとついに烈しく共鳴を始め、RZのコントロールを俺の手からもぎ取った。

 それだけでなく、収容を済ませたフィン・ファンネルが攻撃形態へ移行し、続々と射出された。闘いはまだ終わっていないと思っているのだ。

 狂ったように宙を跳ね回る六基のフィン・ファンネルを呆然と見つめた。

 ディタが覚醒した。ついに。

 

 マニ・クール会戦は我々の勝利に終わった。

 この闘いで被害を担当したのはクイーン・ビーだった。俺たちがあの怪物を相手している間に直撃弾一、至近弾二をくらい、戦域から離脱せざるを得なくなった。

 ビッグEは対照的に、無傷。

 ビッグEの不沈神話は確立されつつあったが、本当に運の良い艦だ。艦やモビルスーツにも、運というものがあると考えざるを得ない。そういう目で見ると、ガンダムRZは優れたモビルスーツだが、本当に俺の駆るべきモビルスーツではない。そんな気がする。

 ガトー少佐たちは第二次攻撃で大型空母一隻を大破させた。もう一隻の大型空母は早々に離脱した。そのようなわけで、勝利ではあったが、完全な勝利ではなかった。

 エッヂ・フィールドへ帰頭後、一週間の休暇が出た。とにかく眠るために宿舎に転がり込むと、消灯前に呼び出された。ディタだった。

「具合はもういいのか」

 聞くと、ディタは本当に何でもなさそうな顔でうなずいた。あの闘いの後、オールド・ハイランド本国から高速連絡艇を差し向けるとの緊急連絡が入ったが、ディタはそれを自分の意志で拒否、代わりにエッヂ・フィールドに戻るまでずっと眠っていた。精神の防護機構が作動したのだろう。

「しばらく頭が重く感じられたけど、レポートを書いているうちに治ったわ」

 さらっとそう言ってのけた。すばらしいと言うべきか、ディタらしいが、例の新兵器に関するレポートか。

「完成したのか」

「ええ。後は戦略研究所に提出するだけ」

 このレポートが元でモビルスーツ型機動戦闘端末スティンガーが開発されたのは有名な話だ。RZが外装するIシールドを考案したのも、他ならぬディタだった。

 ディタは超のつくほどの天才だった。十三歳で名門ルイ・シロン大学の理学部を卒業し、次に人文科学を修め、それでも飽き足らなかったのかプロイツェンに留学、ノルトラント工科大で博士号を積み重ね、十八歳になるや三顧の礼を以ってオールド・ハイランド軍に迎えられた。

 軍に入ってからもSAS(空軍特殊戦部隊)へ行ったりと、とにかく普通ではないが、連邦軍に「派遣」されていたことも、俺がアナハイムに導かれたときにVIP待遇でリムジーンに乗っていたことも、氷山の一角に過ぎない。何しろ、参謀総長が相談を持ち掛ける人間なのだ。ディタは。滅多なことでは行使しなかったが、中枢への発言権まで保持しており、黙っていても大将にはなれる超エリートだった。

「これ、あなたならどう考えるかしら」

 ディタはPIT(携帯情報端末)のディスプレイを示した。

 アトミック・ファンネル。

 サイコミュ・コントロールドの核ミサイルだ。NTCが緒戦で核を用いたことはすでに広く知れ渡っているが、

「目には目を、というわけか」

「敵に均等の機会を与えない」に並ぶディタのモットーだ。

「わたしの真に意図しているところから見れば、たいしたことはないわ」

 ディタはPITを内ポケットに収めて、

「明日、時間をいただけるかしら」

「かまわないが、何だい」

 まさかデイトでもないだろうと思っていると、

「会ってほしい方がいるの。わたしの母校の哲学科の教授よ」

 そのようなわけで、翌日、ルイ・シロン大学に向かった。

 途中、ディタはぽつりと言った。

「この先、そう遠くないうちに連邦は学徒動員をかけることとなるわ。シルヴァーストーンで死にすぎるから」

 舌打ちをしたい気分になった。何と馬鹿なことを。五年、十年後に核となるべき者を死出の途につかせて、何が残る。そうまでしなければならない時点でもう終わりなのだと、何故気づかないのか。

「ネグローニを筆頭に、連邦の上にいる人間は往々にして頭の中でしか戦をしていないから。それも、都合の良いように」

 まったくだ。そういう人間こそ真っ先に討たねばならないと思うが、弾の飛ばないところで首を竦めているから、どうにもできない。

 すると、ディタは言った。

「そうでもないわ」

 何を考えているのかぜひ聞きたかったが、エレカーは大学に着いてしまった。

 人文学部の入口。

 扉の脇に、まるでマディ・ウォーターズのように恰幅のいい黒人が立って、にこにこ笑っていた。

「待ちきれなくて、出て来てしまったよ」

 かすれた低い声をたどって、ディタはとんとんと階段を駆け登った。

「ひさしぶりだね。ディタ」

「教授こそお変わりないようで、安心しました」

 ふたりは抱きあったが、その様はまるで大きなテディ・ベアの腹に埋もれる少女だった。

 抱擁がすむと、教授は大きな厚い手を差し出した。

「私はレス・ポール・ギブソン。君と会えて嬉しい」

「シュプリッツァー・レイです」

 その手を強く握った。

 すると、現実が遠ざかって、対峙するふたりの影が見えた。

 ひとりは、ギブソン教授だ。もうひとりは、窓から差し込む強い光を後ろから浴びてシルエットとなっていて、わからない。

「――人類はいまや自立のときを迎えている。それを妨げるものは、断乎として跳ね除けねばならないだろう」

「はい」

「子は親離れをしなければならない。しかし、そのときに親が子離れできなければ、子は親を殺すことも辞さない」

「母なる地球は、性悪女、ですか」

「そうだ。でなければアースノイドがこうまで増長することはなかった。まったく、地球に居さえすれば、と重力に根を生やした結果がこれだ。地球を貪り尽くしておいて、どうにもならなくなると、こともあろうに独り立ちしようとしているもうひとりの子供を搾ろうとする。まだそんなところにいるとは、恥ずべきことではないか」

「そのための地球聖地化計画だということは、認識しています」

 地球聖地化計画。

 何だ、それは。

「人は今まで甘えすぎていた。今度は、人はまず覚悟しなければならない。前へ行くしかないと。そのために、帰るべき場所を自ら手放すのだ」

「ご高説、ごもっともです。が、私は現在圧されているニュータイプの保護が先決だと信じているのです」

 沈黙。

「君はニュータイプがマイノリティだと考えているようだが、あと一歩で目覚める人間は山のようにいる。それで今、何故そのような手を採らねばならないのか、――わかるが、悔しいよ」

「わかってください。私は、私のやり方で新たな時代を迎える準備を整えておきたいのです」

「わかるが、危険な賭けでもあるぞ」

「わかっています。が、理解はしているのに納得できぬ、パーソナリティが認識を超えられぬ者は、次の時代に取り残されます。ばかりか、時計の針を逆に回そうとさえするでしょう。それは先に言われたように、断乎として跳ね除けねばなりません」

 静寂。

「君と別れるのは、つらい。ほんとうに、残念だよ」

「申し訳ありません」

 交わされた手と手が離れてゆく。

 が、俺の手はまだ教授の厚い手のうちにあった。

 今の光景が何だったのか知りたかったが、教授は、わかっているような目で、手を放すと、俺たちについておいでと言って建物の中へ歩き始めた。

 教授の部屋は本の倉庫だった。本当の紙の本だ。その本のグランド・キャニオンの奥にこじんまりとしたスペースがあって、かなりくたびれた木の丸テーブルを四脚の椅子が囲んでいた。

「座ってくれたまえ」

 勧められた椅子につくと、秘書と思しききれいな女性が本の山を縫うようにして歩いてきて、茶を出してくれた。早速味わいたかったが、おそらくまだ俺の温度ではない。

「宇宙で生きるに当たって、人は己をしっかりと見直さなければならないというのが私の持論だ」

 簡単な自己紹介をすませると、いきなりそう切り出されて、かなり面食らった。講義のつもりなのだろうか。だとすれば、俺はかなり出来の悪い生徒だ。

「人類は自立しようとしている。君はその息吹を感じないかね」

 教授は歌うように言った。

 自立の息吹、か。宇宙を思い浮かべてみたが、あの闇の中では死に行く人々の思惟に対して鈍であろうとして、ドアは閉じがちだった。

「人類は、自立しようとしているのですか」

 聞き返すと教授はうなずいたが、自立とはいったい何からだ。

 そう考えた瞬間、教授は応えた。

「母なる地球からだよ」

 はっとして教授を見つめた。

 教授は微笑んでいた。

 ディタが俺をここに連れてきたわけがわかった。この方は、指標となるニュータイプだ。

 教授は俺の驚きをわかっているのだろうが、構わずに言を続けた。

「そのためには、個を超えた、人類の種としての普遍意識の獲得が必要だ。それができなければ、人類は苛烈な宇宙に負けて滅び去る。だが、それは個の総和として現れるものではない。個々の意識はそれ自体で自立を目指すのではなく、相互補完すべきものだ。この考え方は個を超えての対話と協同を実現せしめる」

 淀みなく流れる教授の言葉は、わかる。が、頭の中で結びつかない。

「だが、個の超越。何によってそれは成し得るか。君はどう考えるかね」

 教授は俺を指したが、当然、応えられなかった。

 すると教授は子供のような笑みを浮かべて、言った。

「認識域の拡大と共有によって、だよ」

 そのとき、頬を軽く張られた気がした。教授は最初からニュータイプの話をしていたのだ。

「認識域が拡大し、さらにそれを共有できれば、個は他の個を己と同じく認識し、理解できる。そして、すべての個が同時に人類の普遍意識に到達することさえ可能となるはずだ」

 うなずきながらも、心の別の方で唖然としていた。ニュータイプのことを自分なりにわかっていたつもりで、肝心の、覚醒のもたらす認識域の拡大と共有が何のためのものか、まるでわかっていなかった。そもそも、今の今まで考えもしていなかった。が、それは人をその方へと向かわせるものなのか。

 そう考えると、教授はまた応えてくれた。

「宇宙という新たな世界、及び、人類の意味を根底から変えることができれば、人という種を新たな次元へと導くことも可能だ。そして、人類はようやく意識の統一をなせる段階に到達したと、私は認識している」

 それが、ニュータイプとしての覚醒に連なる人の革新の意味、か。

「そうだ」

 教授は力強くうなずいた。

「個の、個のための意志や業。すなわち、個を維持しようとするものが邪魔をして個を超えられず、人類は今までずっと種として進むべき革新の道を見出せずにいた。個体維持本能と種族維持本能の闘争と私は呼んでいるが、その状態に入ってしまったことは人類にとって大きな不幸だった」

 教授は宇宙の彼方を見るような目をした。俺もそれを聞いたときには苦しくなった。人類のたどってきた道は、言葉の意味どおりの悲惨だった。そのことが直にわかった。まるで、そのさなかにいるかのように。

 いや、人はまだ、脱しきっていない。

 教授はうなずいて俺を見た。

「国家間の対立、殺戮、搾取、不平等、貧困と悲惨。――振り返ってみるまでもなく、人類の歴史はその繰り返しだった。だが、それは歴史が繰り返すのではなく、人間が堂々巡りから抜け出せていないということだ。その悪しき循環を終結させうるものが、全人類の意識の総合だ」

 全人類の意識の総合。それはどういうものなのだろう。

 その答は、ここにあった。

 個でありながら全体、すなわち「人類」という種そのものとなること。

「そうだ」

 教授はしっかりとうなずいた。

「そして、それはあまりにか弱き人類が冷たい宇宙に出て初めて到達できるステージだ。地球の温かな腕に抱かれていては決してたどり着けない過酷なステージだと思うが、今、ニュータイプと呼ばれる人間たちが『ニュータイプ』と呼ばれなくなったとき、それは実現されているであろう」

 人は、その方へ進んでゆくということなのか。

「うむ。これは進化と呼ばれる流れのひとつの局面でもある。従って、すぐに成し得るものではない。当然ながら我々は、私も、君も、人の変わりゆく様を直に目にすることはできない。が、芽は出ている。今はそれをわかっている者がその芽に水を撒き、栄養を与えていかなければならない。――先駆者は、常に礎だよ」

 これは、ディタに向けて告げられた。諭すように。

 ディタがうなずいたところで、ブレイク。俺たちは茶を口に運んだ。少しも冷めていない。かなりの時間が流れ去った気がしていたのは、錯覚か。

「さて、ここからは先の話と関連しているが、別の話をしよう」

 ティー・ブレイクが終わると、教授はふたたび口を開いた。が、今度の話は先と違って、俺よりもディタに向けられていた。

「先に具体的に述べたが、人はその歴史において、あまりにも長い闘いのなかにいた。言い換えれば、あまりにも多大な犠牲のなかに。そこでは目覚めも状況のもたらす偶然――その多くは戦争のもたらす極限状態だが、それに依るしかなかった」

 ディタはうなずいた。

「無論、それを良しとしない者もいた。偶然など待てず、己の目で人の革新を見たいという欲もあったのだろう。その思いに突き動かされていたのが君の祖先たちだよ。ディタ・レーニエ・ダイクン」

 そのときの驚きは、驚きという言葉では表せないほど大きかった。ダイクンとは、ディタはかのジオンを興した人間の末裔なのか。だから、ヘルメットにもバトル・スーツにも、そしてモビルスーツにまでジオンの紋を刻んでいるのか。

 教授のディタへの穏やかな問いかけは続く。それはディタへのレッスンだった。

「かの時代の不幸は、人の革新の認識自体が曖昧で、それを正確に捉えることのできていた者があまりにも少なかったということに尽きる。時機尚早というのは酷だが、おそらく革新の萌芽となった誰も彼もが個を超えられなかったのではないかな」

「ええ。おそらく」

 ディタはうなずいたが、それは当たっていた。

 光の花咲き乱れる闇の表に流れる、導きの声。

「人は、変わってゆくわ」

 わたしを救い上げてくださったあなたには、この身と心を。

 そして、わたしのただひとりのあなたには、この魂を。

 なのに。

「なぜララァを巻き込んだのだ。ララァは、闘いをするひとではなかったッ」

「ララァを殺したおまえに言えたことかッ」

 なぜ。なぜそうなってしまうの。

 行き着く先は限りなく深き悲嘆。救われぬ魂たちはいまも重力に囚われ、高みを見上げるのみ。――

「俺も個を超えられるのでしょうか」

 急に湧いた悲痛な思惟にぐっと突き上げられて咳き込むように尋ねると、教授は穏やかに微笑んだ。ランディのように。

「考え違いをしてはいけない。大尉。君は己の意志で個を超えるのではない。何時の間にか、知らぬうちにそうなっているはずだ」

「知らないうちに」

 人は、人同士の闘いより解放されるということなのか。

 俺が黙り込むとディタが口を開いた。

「NTCについて、いかがお考えです」

「NTCか」

 教授は小さなため息を吐いた。

「彼等と我々は見ている方向がまるで正反対だ。ニュータイプの組織でさえ、重力に引かれている。極めて惜しいことだが」

「しかし、わかっている者もいるかもしれません」

「無論、いるだろう。が、目を閉じてしまっている」

 教授は苦しげに表情を歪めた。悔やんでいた。何かを、深く。

「ネグローニの言う、我々は選ばれた人間だから地球圏に君臨するという考え方は実に心地よいものだ。が、それだけの認識しか持てない者に革新など望むべくもない。重力に引かれて井戸の底に転げ落ちるのが関の山だ」

 たしかに、そのとおりだ。目は下でなく上へ向けるべきだ。

 その後はまるで別の話をした。といっても難しいことではなく、頭を柔らかくする技、すなわちジョークとユーモアの話と、その発想についてだ。教授が趣味で考えているというこれらの話は、俺には非常におもしろく、また、ためになった。ディタも物事の見方と発想にまつわる辺りは真剣に聞いていたが、話がユーモアとジョークになると、一歩退いていた。ディタはその辺りを誤解している気がする。兵や下士官のしきりに飛ばすダーティーなジョークばかりがジョークというわけではない。ユーモアやジョークとは、もっと豊かなものだ。

「今日は実に有意義な一日だった。礼を言うよ。次は、別の話をしよう」

 夕刻、学部の玄関で教授は俺たちの肩を抱いてそう言った。

 次か。

 ふと思うと、教授は応えてくれた。

「心配するな。君は死なんよ、大尉。ディタ、君もな」

 俺たちはうなずき、それぞれ教授と手を交わして、大学を辞した。

 途端に頭の、ものを考える箇所がフル回転を始めていた。

 教授の話は簡単ではなかった。それどころか、ひどく難しかった。が、不思議にすんなりと頭に入ってきて、理解が俺のものとなっていた。まるで、初めて宇宙に上がったときのように。

 あのとき――体だけでなく、心や魂までが軽くなったように感じられた。

 青き地球を見るとまさに魂を揺さ振られ、次第に安堵に包まれていくうちに、突然、深い洞察が一瞬で切り開かれた。自分の頭の後ろまで見通せるような感じがした。何かを考えると、即座に応えがあった。それは問いがあって、それに応えがあるというのではなく、すべては同時で、一瞬だった。まさに閃くような、疑問なしの完全な理解。真のコミュニケイションとはこういうものだと確信した。それが俺の覚醒の第一歩で、銃爪だった。それはモビルスーツのコクピットでとっさの判断を下さねばならないとき、すなわち戦闘行動下では特に顕著になった。秘めていたものが、そういう局面で磨かれていったのかもしれない。

 ただ、戦場に渦巻く様々の思惟の圧に慣れ、特に断末魔の思惟に引きずられて呑み込まれないための自主トレは必要だった。そういうものに鋭敏になって、いちいち応えていたのでは情緒が不安定になって、命が幾つあっても足りない。何より、周りはすべて宇宙だった。

「もし、よかったら、どこかへ寄って行かない」

 エレカーのシートについたとき、ディタがそう提案した。ディタにしては珍しいことを言うと思ったが、別に構わない。街角のカフェに立ち寄った。

 女の子のウェイターにアールグレイを頼む。ディタはミルク・ロワイアルを注文した。

 久々に対面したアールグレイは香りといい味といい、素晴らしかった。こういうところで本物を口にすると、ビッグEでのあれは何なのかと思わざるを得ない。

 茶をじっくりと楽しんでいるうちに、教授の言葉が色々と浮かび上がってきた。それに突き動かされて、ディタに、君の祖先はいったい何をしたのかと聞いてみた。例のごとく静かにカップを傾けていたディタは目も上げずにさらりと、

「ジオン共和国を興したわ」

「いや、そうではなく、――」

 一体どう聞けば良いのかと考えると、ディタは、ああ、と低く呟いて、

「時計の針を強引に進めようとしたのよ」

 どういうことだ。

「つまり、スペースノイドにとって完全に閉塞した時代が我慢できなくなって、地球にへばりついている古い人間たちを粛正し、時代を一気にニュータイプのものにしようと画策した」

 ディタはさらっと言うが、穏やかなことではない気がする。

「かなり無理があるように思えるが、そんなことを、いったい、どうやって」

「地球に小惑星を落下させることで」

 やはり穏やかではなかった。が、俺の知っている歴史にそんなページはない。いつのことかと聞くと、一年戦争が終結して十三年後のことだと言われた。

 UC0093。

 その時点にあったのは、フィフス・ルナのチベットへの落下事故だけではなかったか。

「それは、事故じゃないわ」

 と、ディタは言った。はっきりと。

「そのとき、宇宙で闘いがあったの。第二次ネオ・ジオン紛争というのよ」

「第二次ネオ・ジオン紛争」

 それは、いったいどうなったんだ。

 尋ねようとしたとき、意識に広がった宇宙に声が鳴った。ふたつの、聞き覚えのある、あの声が。

「たかが石っころひとつ、ガンダムで押し出してやる」

「正気か」

「貴様ほど急ぎすぎてもいなければ、人類に絶望もしちゃいないッ」

 これはいったい誰と誰なのだろう。

 そう思う間もなく、宇宙にかかった虹の向こうへふたりの声は遠ざかっていき、

「――彼は、敗れ去ったわ。あなたと違って、真のニュータイプたり得なかったから」

 ディタはぽつりと言った。

「彼の理想はジオン・ズム・ダイクンの意志でもあり、スペースノイドの悲願でもあった。けれど、彼自身は、改革を叫びながら、要領悪く一事に固執し続けた」

 ディタはそこで、ふう、と息をついた。そうかと思うと、ぱっ、と顔を上げた。

「ニュータイプの時代を実現するためと言いながら、世界を手に入れて思うがままにしたかっただけかもね。そんな気も、するわ。おそらく、彼は自分の生きていた世界に意味を見出せず、時代を蔑んでいたから。でも、それは結局自分自身を蔑むことと同じ。ある意味、自殺願望に近いものを持っていたのかもしれない」

 真のニュータイプたり得なかったとは、そういうことか。

「ダイクン家の人間は、誰も彼もロマンティスト。わたしの父も、そうだったわ」

 ディタがそういうことを言うのは初めて聞いたが、――君もだ。ディタ。

 すると、ディタの声が即座に返ってきて、意識に鋭く撃ち込まれた。

「わたしは、あなたにだけは踏み外してもらいたくない」

 わかっている、と応えた。

「だから俺をギブソン教授に引き合わせたんだろう」

 ディタはこくっとうなずいた。

「目が覚めなければ、こういうことはできなかった、と思う」

 それは、たしかだ。

「わたしは今まで、自分の為すべきことがわかっていたつもりだった。けれど、今は自分の進む道が以前に増してクリアーに見える」

 ディタらしい。急激に覚醒しても、冷静に己を把握して、決して踏み外さない。

 しかし。

 ふっと息をついた。

 すべてのニュータイプがこうして道を見ることができるわけではなかった。急な覚醒にとまどい、拡大した認識と能力についていけず、破滅に近い目を見た者が多くいたことは知っている。実際に破滅してしまった者も多くいるだろう。それが、教授の言った、個としての人間の限界なのかもしれない。

 なかなか滅入る考えだ。やめよう。

 そう思って、少し冷めた茶を口に運び、話を変える。

「そう言えば、教授は、何か懐かしいものでも見るような目で俺を見ていたな」

「次の機会に聞いてみたら」

 ディタは即座にそう言った。それで確信した。

 ディタは俺も知らない俺のことを知っている。

 今度はそのことが妙に引っかかり始めたが、それにも増してさっきから気になっているのが、クリアーになったはずのディタの認識のうちにぽつんと浮かんでいるしみのようなものだ。それは、覚醒にともなう流れに逆らうようにしてディタの奥底へまっすぐ沈んでいこうとしていた。

 善くない、と直感して意識を凝らしてみると、それはまったく別のものになって意識に浮かび上がった。

 目の前に閃く「緊急事態」の赤い文字、

 真っ赤に染まった視野、

 耳を打つ警報、

 そして、絶叫。

「スターバッカー01、ガンダムRZ、撃墜ッ」

 次は、俺が落ちる。

 そうなるとわかったが、平静な心を保っていた。何故なら、

「あなたは死なないわ。シュー」

 マザー・ヴォイスが、そう告げてくれた。

 マザー・ヴォイスだけではなかった。

「心配するな。君は死なんよ、大尉」

 別れ際の教授の言葉。そして、

「わたしが、あなたをたすけるから」

 そう言ったディタの背後に、大きく広がる翼が見えた。

 

 

 MOBILE SUIT GUNDAM FX

 Episode 6 “Knockin’ on Heaven’s door”

 



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第七話 闇の果ての栄光

主題歌
"Seasons of change" by Sing Like Talking


 要衝シルヴァーストーンは連邦の手を離れつつあった。

 ネグローニの号令の下、連邦は規模の大きな攻撃を繰り返したものの、戦力は逐次投入であったため、当初の優位を取り返すことはできなかった。

 やがて、他の拠点とシルヴァーストーンを結ぶ線の維持もおぼつかなくなり、戦力の投入さえ滞るようになった。

 補給線の分断にはプロイツェンの潜空艦とブライトンの小型空母が大活躍した。

 連邦は無謀なことに輸送船団に護衛をつけず、シルヴァーストーンで陣取り合戦をしている連邦軍将兵は、弾薬以前に糧食の不足に喘ぐこととなった。

 シルヴァーストーン周辺の空も「吸血空域」と呼ばれるほど多くの連邦軍の艦船とモビルスーツ、そして血をひたすら呑み込み続けた。

 こちらの艦やモビルスーツも沈んだが、それも初めのうちのことで、連邦は比べ物にならないほど多くの屍を積み重ねた。

 ところが、艦やモビルスーツが沈めば沈むほど、そして将兵が死ねば死ぬほど、連邦の戦意は昂ぶっていくようだった。

 マニ・クール会戦の次の闘いは、カタルーニア会戦。また艦隊戦だった。

 連邦の戦艦隊がシルヴァーストーンに艦砲射撃を浴びせようと忍び寄ってきた。

 相手が戦艦だとわかると、機動部隊直衛のためにブライトンより派遣された高速戦艦クイーン・ヴィクトリアとプリンセス・マーガレットに白羽の矢が立ち、慌ただしくエッヂ・フィールドを発った。

 迂回すれば即刻発見されてしまうため、かなりの無理をして暗礁空域を突破してきた連邦艦隊だったが、シルヴァーストーンの手前でやすやすと捕捉され、このとき初めて実戦投入された射撃指揮用Tレーダーのために、ミノフスキーの幕で目も耳も塞がれたまま、一方的に撃ちまくられた。

 だが、連邦の艦は大破しても撤退するどころか、突撃してきたという。それも、ビームの射線を逆にたどって。それは連邦のたどる運命を表していると言って良かった。

 そして秋が暮れてゆき、冬。

 例の巨大モビル・アーマーはNTCの新型であることがDIS(オールド・ハイランド軍事情報局)の調査ではっきりした。

 ヴァレンシアというそうだが、そんなイカした名前で呼ぶヤツはいない。せいぜいが『マンタ』で、口さがない連中になると『ヒラメ』だ。実際、そんなものだろう。

 しかし、容易でない敵だということは確かだった。

 投影面積は呆れるほど巨大だが、それをIフィールドでカヴァーしているため、ビーム・ライフルで撃ち抜けない。VPBRを持ち出さない限り、撃つだけ無駄ということだ。

 が、そのVPBRを装備できるモビルスーツが、環地球連合軍には存在しなかった。

 ベルンはアナハイムを初めとする各社を急っついたが、それが形になって現れる前に闘いが巡ってきた。

 フラン・コルシャン会戦。

 マニ・クールで中破したクイーン・ビーが後送された後、ナイラーナがアロハ・ステーションに上がってきて、NTC機動部隊と対峙した。

 小康状態はしばらく続いたが、微妙なバランスを崩したのはクイーン・ビーだった。修理は何と一月かからずに終わり、アロハ・ステーションに復帰してきた。

 それを見て取ったNTCは動いた。我々も迎え撃った。特にクイーン・ビーにとってはリターン・マッチだったはずだが、

「どこを見ても敵がいる」

 というくらいの攻撃を受けて大破、後に自沈。

 ここまで無傷で闘い抜いてきたビッグEもついに小破。航行は可能なるも、戦闘継続は不能という状態で、即時後送が決定。ナイラーナも帰還途上に潜空艦の攻撃を受けて被雷二、大破。

 かくて、NTCの中型空母一隻を沈め、大型空母一隻を大破させながらも、我々は敗退した。ばかりか、連合軍には環地球空域で稼動可能な制式空母がなくなってしまった。それほどまでにNTCの攻撃は熾烈を極めていた。まさに捨て身だった。被弾したのに離脱せず、迷うことなくクイーン・ビーに突っ込んでいったパイロットまでいた。

「あんなバカは初めて見た」

 ジャンは信じられないという口調で呟いた。

 俺が信じられなかったのは、ダミアンだった。またも相見えたのだ。

 それは、マニ・クール会戦の最後の局面だった。

「こちらアークエンジェル。敵大型モビルアーマー一機確認。機動部隊に接近中」

「またイヤなヤツがきやがったな」

 雑音の奥にガーディーの声がした。誰かが舌を打った音も拾えた。アンサーだろう。アークエンジェルに機種特定を請う者はなかった。MTIにプロットされた大きなブリップはマンタ以外の何者でもなかった。

「タリー1」

 ディタは冷静だった。前のように猛然と突っ込んでゆくということはしなかった。そう。このマンタはロートシルト大佐のものではなかった。機体番号も機体色も大佐の機体と違っていたし、まっすぐに俺を目指してきた。

 ――見つけたぞ、シュプリッツァー・レイ!

 敵の姿を明確に捉えられるというのは、決して喜ばしいことではない。

 たしかなのは、乗っているのが誰であれ、敵に変わりないということだ。ディタとアンサーに手信号を出して、

「俺が引きつける。マンタを機動部隊に突っ込ませるわけにはいかない」

「しかし」

「マンタはまともに撃ち合って勝てる相手じゃない。火力も出力も違いすぎる。となれば、マンタのできない闘いをする以外に勝ち目はない。すなわち、白兵だ」

「わたしたちがスクリュードライヴァーを提げてきているわ」

 スクリュードライヴァーとは、試作の携帯型ミサイルランチャーだ。装甲貫徹力は大きく、まともに当たればマンタでもかなりの手を負うことは間違いない。

「だがマンタもじっとしているわけじゃない。こっちに目を向けさせるから、狙い撃ってくれ」

 ディタもアンサーも答えなかった。了承されたと判断して、白兵戦スゥイッチを叩いた。セイバーが手の内に射出された。

「たのむぞ」

 スロットルをブーストに入れて、とにかく間合いを詰めようとした。

 ダミアンはそれを嫌い、中間距離を保ちつつ、猟犬を放った。

 フィン・ファンネル二基をすばやく正面に展開させて防御スクリーンを張る。ビームはスクリーンの表で光の粉となって散った。その陰から狙撃して二基のファンネルを仕留めた。

 が、ディタの声。

「ワン・ボギー、エンゲージ。アセンド」

 上方へ緊急離脱。急激なGで視野が暗くなったが、背後から浴びせられたビームがフィン・ファンネルのスクリーンを撃ち抜いたのは見えていた。

 その奥からものすごい勢いで迫ってくる敵の姿も。

 同じガンダム・ヘッドの、第一バッチのサリー。

 カルーアだ。

 ぴたりとマンタの上方についた。まるで、マンタを守る妖精のように。

 妙な喩は、頭に浮かんですぐに打ち消した。そんな可愛らしいものではなかった。

 ――今度こそ、落とす!

 ファンネルが牙を剥いて襲い掛かってきた。ワイコロアのときのような不安定さも弱さも感じられない。更なる強化を施されたに違いなかった。

 ダミアンも攻撃態勢に入った。

 自然とファンネルの撃ち合いになったが、マンタのファンネルは九基だった。いったん、ファンネルを呼び戻した。全基を一斉に差し向けると、攻めの隙を突かれる。

 が、ファンネルを引き寄せる間にものべつまもなく撃たれる。

 ――死ねえッ、

 ビームを放ちながら、巨体で押しつぶそうかという勢いでマンタが迫る。高機動回避。視野に離脱コースが示されるが、そのコースを取ることはことごとくできなかった。

 ――逃さない。

 カルーアは巧みだった。俺の逃げ場をつぶす形で機動している。また警報が鳴った。

「フリー・バード」

 ディタが呼びかけてきた。わかっていた。この機位では、囲い込まれる。とっさにダッシュして、ダミアンとの距離を詰めた。

 だが、カルーアはお構いなしでビームを撃ちこんできた。ダミアンに当たったとしても、それはそれでいいと考えていた。明らかに。

 それなのに、ダミアンは嬉々として押してくる。

 カルーアはダミアンを助けようとしているのではない。ダミアンなど見ていない。おまえはカルーアにとって噛ませ犬以外の何でもないというのに。哀れな。

 しかし、ダミアンは攻撃の手を緩めない。むしろカルーアがそばにいると、勢いを増すようだった。

 死んでいいのか、こんなつまらないことで。

 フィン・ファンネルをコントロールしながら、思い切ってぶつけてみた。すると、重く痛い思惟が返ってきた。

 ――俺は、貴様を殺すことができれば、何でもいいッ!

 ファンネルが一斉にぐっと間を詰めてきた。高機動回避の間に、マンタは遠ざかる。追いすがろうとすれば、ファンネルが立ち塞がる。まずいパターンだ。

「アンサー」

 ディタの声が雑音の狭間に響いた。らしからぬ大きな声だった。

「スクリュードライヴァーを預ける」

「なんだって」

「わたしはフリー・バードの援護に移る。君は飛び込まずに遠めから狙い撃て」

「おい、ちょっと待てよ、一基提げてるだけでも機動性ガタ落ちだってのに、二基も提げたら身動き取れねェって」

 アンサーがあわてるのももっともだった。スクリュードライヴァーはモビルスーツの携帯兵器としては大きく、機動性は大きく損なわれる。

 しかしディタはもう何も言わず、ラックから巨大なスクリュードライヴァーを外して、アンサーへ放り投げた。

「マジかよ」

 スクリュードライヴァーを両肩に一基ずつ担いで大昔のガンキャノンのようになってしまったアンサーを置いて、ディタも戦場に飛び込んできた。

 ――紅いネージュ!

 カルーアが声を挙げた。さっきまでの声とは違う、血の通った声だった。

 ――おまえが! おまえさえいなければ!

 こちらの退路を断っていたファンネルがトビウオのように跳ねてディタに迫る。

 ディタは射線を読んで回避。その回避先にカルーアがビームを撃ち込んだが、ディタは機体をわずかによじるだけで光芒を避けた。

 ――あまいな。

 あざ笑うような声に、カルーアの怒りが目に見えるほど燃え上がった。サリーはセイバーを抜くと竜巻のような機動でディタに組み付いた。ファンネルのように敏捷な動きだったが、ディタは動ぜず、真っ向から受けた。

 ――いくらかはやるようになったか。

 ディタは感心したように言った。セイバーを激しく噛み合わせているのが他人事のような声だった。

 ――しかし、短絡的な理由で戦う愚か者に後れを取るわたしではない。

 ――愚かだと、このわたしが!

 ――そうだ。

 ディタの声はにべもない。

 ――おまえは何のためにモビルスーツを駆って戦っているのだ。

 ――何のために。

 カルーアは、一瞬、びっくりしたように沈黙した。

 ――答えられないとはお粗末だな。大局が見えず、義もない証だ。そんな者に、フリー・バードが目を向けるわけはない。

 ――わかったようなことを、言うなッ、

 ――わかっているのだよ。

 カルーアの激しい撃ち込みを、ディタは難なく受け止める。

 しかし、楽になったとは言えなかった。ダミアンの攻撃は熾烈を極めた。

 とにかく隙が無い。意識に針を撃ち込んでやりたいが、その間も無い。そして、ついに二基目のフィン・ファンネルを失った。

 天に開いた穴を抜けて、ダミアンのファンネルがポジションを取りつつあった。すさまじい機動をしているはずなのに、その動きはスロウモーションではっきりと捉えられた。

 緊急回避に移ろうとして、逃げ手をすでに失っていたことを知った。視野に赤い文字が走って、点滅した。

「フリー・バード、高機動デヴァイスが」

 女史の叫び声が耳を打つ。ズームド・エア、アウト。オーヴァーヒートだ。RZは高機動できない。この局面では致命といってよかった。

 無論、この機を逃すダミアンではなかった。

 ――討てる!

 ナイフのような思惟とともにいやなショックが来て、無数の警報がどっと現れ、視野が真っ赤に染まった。

「アークエンジェルよりスターバッカー01! 緊急脱出を勧告します!」

「フリー・バード、脱出して! いま、すぐに!」

 パルテール少尉と女史の声が耳に突き刺さった。目で確かめるまでもなかった。完全にマンタの鈎爪に捉えられた。

 ――フリー・バード!

 ディタの意識の矢が飛んできた。その方向から紅いネージュが猛烈な速度で近づいてきた。

 ――待て! わたしとの戦いを放り出すのか!

 ――おまえを撃つのはいつでもできる。

 追いすがるカルーアに、ディタは冷たい声を投げた。

 ――ひとまず、あの狂った強化人間のものとなるがいい。

 ――ダミアンの。

 サリーはがくん、と勢いを失った。

 その間にも、マンタはRZを引き寄せようとしていた。

「スターバッカー01、応答してください」

「こちらスターバッカー01、ナウ・アンコントロール」

 パルテール少尉の呼びかけにも一言しか返せなかった。まだ生きているトランスエンジンを開いて、抗った。意識が沸騰していたが、奥底のほうはあくまで冷徹に、生き延びる方法を探っていた。あいにくと、あきらめがいい方ではない。絶望はまだ喉元にまで来ていない。

 しかし、ダミアンは可能性のかけらも与えるつもりはないようだった。呑み込もうというのか、マンタの真ん前にRZを掲げるようにした。そして、左のクロウ・アームを前に向け、鈎爪を開いた。

 金属の花の中心、メガ粒子砲の砲口が蛇の目で俺を見据えた。

 ――貴様を消し去ってしまえば、カルーアは俺のものだあッ!

 ――いやだッ、

 ダミアンの歓喜の絶叫に応えたのは、また絶叫だった。カルーアだ。突然、迸るように泣き叫んでいた。それまで冷たく保たれていた意志の道が大きく揺らいで、まるで、足を踏み外したかのような。

 ――わたしは、おまえの匂いが嫌いだッ、

 直後、予想だにできないことが起こった。目の前で。

 カルーアは、目の前に飛び出してきた。まるで、俺をかばうかのように。

 いや、俺をかばったのだ。かばってしまったのだ。

「大尉どのおッ」

 その声は、はっきりと、聞こえた。

 直後、カルーアの黒いサリーは零距離で撃ち抜かれ、一瞬で光の球と化した。

 ――!!

 ダミアンの注意が逸れた。俺も目を見張った。

 が、自失するわけにいかなかった。まだすべきことがある。

 セイバーを握った右手はまだ生きている。緊急脱出レバーにかけた手を外して、スロットルをブーストに叩き込んだ。ガンダムは、マンタに激突した。

 ――小賢しい真似を!

 ダミアンの声に答える代わりに、すかさず右腕を大きく振りかぶって、振り下ろした。光の刀がマンタのなめらかな表に突き刺さった。そして、この天のどこかでこの戦いを見つめているアンサーに呼びかけた。

「アンサー、セイバーの光を狙え」

「しかし!」

「いいから撃てっ」

 ディタが実際に叫ぶのを初めて耳にした。スクリュードライヴァーのせいで停まっているに等しいアンサーに向かって、敵が何機も接近しつつあった。

「くっそぉーッ、こんなところでやられてたまるかよっ、やってやるぜっ」

 アンサーの絶叫に続いて、ディタのいつもどおりの冷静な声がした。

「フリー・バード、着弾まで十秒。衝撃に備えて」

 さすがにダミアンも迫り来るスクリュードライヴァーを察したか、マンタは動き始めた。

 しかし遅かった。大きなショックに続いて、Gが来た。激しい衝撃は続けざまに走って、マンタの背をえぐるように破壊した。その都度、マンタは大きく身を震わせて跳ね飛んだ。命中三弾。アンサーの射撃は実に正確だった。

 ――なんだ、いったい、なにが。

 さすがのダミアンも、こうも立て続けに叩かれては、考えるどころか、何が起こったのかさえわからなかっただろう。

 その隙に紅い影が滑り込んできて、セイバーでアームを斬り飛ばした。ガンダムはようやく解き放たれたが、どこも動かない。パワープラントが完全に死んでいる。

「スターバッカー01、ベイルアウト」

 ディタに曳いてもらって、十分にマンタから離れてからカプセル・カヴァーのハンドルを引いた。脱出システム、起動。トランス・エンジン、カット。コクピット・カプセルの蓋が閉じられると同時にコクピット・カヴァーが弾き飛ばされ、一瞬息の詰まるほどのGの後、宇宙の真ん中にいた。

 眼下、大破したガンダムRZが流れていった。

 女史の沈んだ声がした。

「フリー・バード」

「忘れるよ。元々、強引に持ち出したものだ。それに散々乗り回したから、もう売り物にはならない」

 感傷に浸っていられる間はなかった。ここは死地の真っ只中だ。

 が、マンタはこちらに目もくれず、片肺航行でよたよた去って行った。

 スクリュードライヴァーの直撃にも耐えたことは驚きどころの話ではなかったが、ダミアンにも見極めができるようになったということなのか。何にせよ、僥倖だ。生きて帰れば、次のチャンスも得られる。カプセルから出た。

 ――フリー・バード。

 振り返ると、紅いモビルスーツがいた。

 右手を差し伸べている。

 その手の上、先客がいる。

 予感のようなものは、あった。実は。ダーク・グレイのバトル・スーツを見るまでもなく。

 意識は、失われていない。失われていなかったが、ひどく怯えて、身を丸くして泣きじゃくっている。赤子のように。

 

 怖い。怖い。怖い怖い怖い。

 

 ずっと、それだけを呟いてもいる。怖いのだ。上も下も何もなく、ただ広大なこの宇宙の闇が、だ。

 左胸の官名を確かめると、案の定だった。

 彼女のメットをぽんと叩くと、ヴァイザーを透光にして、顔を見せた。

 直後、彼女はむしゃぶりついてきた。声を出して泣き始めた。

「大尉どの大尉どの大尉どのっ」

 ひどくつらい気持ちになった。――カルーア。

 

「重度の宇宙恐怖症に陥っているから、気をつけてね」

 ドクは静かにそう告げた。

 帰頭後、カルーアはビッグEの医療ブロックに運び込まれた。身体チェックの結果は、異常なし。NTCがカルーアの身体をいかに強靭に作り上げたか、だ。

 しかし人間は身体だけの存在ではなく、そしてカルーアは精神に大きな怪我を負っていた。

「脳波チェックでわかったのだけど、サイコミュのドライヴ能力を完全に喪失しているわ。脳波レヴェルが稼動可能値に達していない」

 その一言は、宇宙恐怖症という言葉にも増してショックだった。さっきのひどくつらい気分は、このことの予兆だったのか。

 ともかく、面会の許可は降りた。いまだ戦場のままの医療ブロックに入った。

 カルーアは列を成している負傷者たちから外れたところの簡易寝台の上にいた。声を掛けると眩しそうに瞼をこすり、そして目を見開いた。

「大尉どのっ」

 すぐに起き上がろうとしたカルーアを制して、枕許に座った。

 久しぶりに会ったカルーアは、印象がまったく違っていた。憑き物が落ちたようだ。いや、そうと言うよりも、まるで生まれ変わったようだった。以前のとげとげしさや人を見下す目がきれいに削ぎ落とされていて、鼻についた血の匂いもなかった。

 しかし、気分は晴れない。晴れないが、伝えておくべきことは伝えておかねばならない。まず状況を説明した。ビッグEに乗っているということには、カルーアはさほど驚かなかった。それよりも別のことがカルーアの頭の中で烈しく渦を巻いていた。それはつまり、こういうことだ。

「お詫びして許していただけるものとは思っていませんが、わたしの今までの愚行を心よりお詫びします」

 目を伏せたカルーアに、いいよ、と応えた。愚かな行為は、それができるうちにやっておくべきだ。

「わたし、NTCから離脱します」

 容体を問う前にすぱっと言われて、驚いた。予想もできない言葉だった。が、カルーアは熱っぽく言葉を重ねる。

「大尉どのをお助けしたいんです。これからは」

 俺を助けるために。

 つらい気分が戻ってきた。その気持ちが真摯で、いやというほどわかるだけに。

 ドクはまだカルーアに何も話していないのだ。サイコミュを稼動させられない。それ以前に、宇宙恐怖症に陥っている、と。

 そんな沈んだ気分の底で気がついた。

 それを告げるのは、俺だ。

 そうとわかってしまったときには頭を抱えたくなったが、どうにかためらいを振りほどいて、本来の穏やかな色を取り戻しているカルーアの瞳を見つめた。

「――君に伝えなければならないことがある」

 

 ☆

 

「もういいわ、カルーア」

 マルチ・ディスプレイの真ん中で、パナシェさんは首を左右に振った。

「やはりサイコミュは稼動しない」

 その言葉に、前がゆがんでくもって見えなくなった。前だけじゃなかった。何もかも、全部。

 涙。

 悔しいのと、悲しいのと、怒りと、色々なものがごちゃごちゃになって、胸を掻き回していた。

 わたしは、ニュータイプではなくなってしまった。ニュータイプの力を失ってしまった。

 大尉どのに言われたときは信じられなかった。嘘だと思った。でも、大尉どのが嘘など言われるはずがない。

 でも、どうしてなの。宇宙に放り出されたとき、ひどいショックを受けたせいかもしれないと言われたけれど、そんな話、聞いたこともない。でも、サイコミュは動かない。動かすことができない。どうして。

 体に力が全然入らない。骨を抜かれてしまったみたいに。メカニックとエンジニアたちにコクピットから引き出されてみると、そこには大尉どのとレーニエ中尉がいた。このひとは氷のマントをまとっているから、好きになれそうもない。

「大尉どの、わたしはもうだめなのですか」

「そうじゃない。そんなことはないよ」

 大尉どのはそうおっしゃられたけれど、つらそうな顔をしておられ、レーニエ中尉はわたしを谷底へ突き落とした。

「やはりこの場は身柄を拘束し、エッヂ・フィールド帰還後、捕虜収容所へ引き渡すしかないわね」

 いやだッ!

 胸が絶叫した。

 いやだ! いやだいやだいやだ! せっかく大尉どののそばにたどり着いたのに、そんなところに入れられてしまったら、もう大尉どのとは会えなくなってしまう。絶対に。

 すると、レーニエ中尉は顔を寄せて、わたしの目を覗き込んだ。

「何か、できることは、あるの」

 わたしは目をそらして俯いた。

 ない。何もない。わたしは、モビルスーツに乗って闘う以外に、何もできない。

 でも、ファンネルがなくたって、わたしは十分に闘える。

 それを言おうとしたら、

「それなら、厨房へ詰めてもらおうかしら」

 頭が真っ白になった。

 しかしレーニエ中尉はにこりともしていない。

「パイロットとして働くことが無理なら、別の仕事に就いてもらうしかない。精神精査の結果、幸いにもブービートラップの疑いはないようだから、破壊工作なんて真似もしないでしょう」

「それはわかるが、どうしてコックなんだ」

「厨房は重力ブロックの真ん中でしょう。オカイ中尉はいつも人手不足を嘆いているし」

「戦闘員だけで戦はできない、か。しかし。――」

 ああ、そうか。

 わたし、宇宙にも出られないんだ。

 上で交わされる会話を聞くともなく聞きながら、そのことにようやく気がついていた。

 わたしは、何も、できないんだ。今まで当たり前のようにできていたことが。モビルスーツに乗って、闘うことさえできない。宇宙に出られないんだから。

 宇宙の闇なんて、考えたくないくらい恐ろしい。あんな何もないただひたすらな闇の中で何にもつかまらないでひとりで漂って、…何にも支えがないことに耐えられない。狂ってしまいそうに、怖い。無重力でさえ、怖い。

 ひどく悲しい。でも、不思議なことに、涙が出てこない。泣くこともできなくなっている。わたしがわたしであるすべてのものをもぎ取られてしまったのに。

 それで呆然としたまま、何がどうなっているのかわからないまま、翌日。

 レーニエ中尉に連れ出された。しばらく休んだ後だし、重力ブロックを出ないから少し安心したけれど、別の不安が膨らんでいく。

 わたし、これからいったいどうなるの。

「オカイ特務中尉」

 レーニエ中尉はメス・ホールに入ると、ずかずかと中を突っ切って、奥に呼びかけた。するとすかさず大きな声の返事があって、コックの服を着た人が飛び出てきた。若い、背の高い男の人。髪は栗色だけど、顔は東洋系。

「待っていましたよ」

 と、明るい笑顔でわたしを見て、

「この子がうわさの新戦力ですか」

「よろしく頼む」

 レーニエ中尉はその一言だけでさっさと帰っていった。取り残されたわたしはあわててしまい、敬礼をするのが精一杯だった。

「か、カルーア・ミルヒです。あのっ、わたし」

「ああ、わかってる。話は聞いたから。ま、とにかく堅苦しいのは抜きだ」

 コックはにっこりして、自分の胸をぐっと親指で指して、

「おれはトクロウ・オカイ。中尉だが、ここじゃ階級なんてへのかっぱだ。気にしなくていい。おれのことも名前で呼んでくれ」

 なんというのか、信じられないところへ来てしまった気がする。NTCとは、空気が違う。

 呆然と突っ立っていると、トクロウさんはさっと奥に引っ込み、戻ってくると白い服を押しつけられた。

「君のコック・コートだ。ここでの制服だ」

「は、はい」

「早速、着てくれ。君は即日採用なんだ」

 トクロウさんはにやっとした。言われるままにインナー・スーツを脱いで袖を通してみたけれど、ぶ、ぶかぶかだわ。

「トクロウさん、これ、大きすぎます」

「軍隊にはサイズなんてふたつしかない。大きいか、小さいか、さ」

 トクロウさんはふふんと笑っただけ。小さいよりマシってコトかしら。とにかく袖まくりをする。

 その後、トクロウさんに厨房を隅々まで案内してもらい、色々と説明を受けたけど、この人、ものすごく勢いがある。しっかりしていないと、吹っ飛ばされてしまいそう。

「――それでまあ君の仕事なんだけど、最初から何もかもってわけにもいかないから、まずは洗い物と掃除からやってもらう。空いた時間は調理の基礎からじっくりと仕込むつもりだ。艦を降りても食いっぱぐれないようにね」

 うなずいた。するとトクロウさんはにっこりとして、

「エッヂ・フィールドに帰ったら、ビッグEはドックに入って修理される。それから再出撃までの時間で、君をここのセカンドに仕立て上げる。頑張ってやっていこうぜ」

 と、肩を力いっぱい叩く。

「よ、よろしくお願いします」

「おうっ」

 トクロウさんは満面の笑みでうなずき、早速わたしは食器の始末を行い、それがすむと厨房の掃除を行った。慣れないと言うより、今までやったこともない仕事だから、医療ブロックのベッドに戻ったときには妙に疲れていた。

 コック・コートを脱いでベッドに潜ると、胸が締めつけられ始めた。

 ものすごく、ひとりになってしまったみたい。

 わたし、どうなっちゃうんだろう。

 おまえはもうひとりきりなんだ、とナイフのように突きつけられている。何を言ってもダメ。ほんとうに、ひとりきり。

 この気持ちは、どういうものなんだろう。今まで、こんな気持ちになったこと、ない。わからない。わからないけど、誰かにそばにいてほしい。でも、誰でもいいわけじゃない。

 毛布を頭から被った。

 涙が、あふれてきた。

 大尉どの。

 おねがい。――

 

 ☆

 

 エッヂ・フィールドに帰頭したビッグEは即日ドック入りした。

 俺たち第七戦闘隊はローランド基地に移った。ガトー少佐の第三攻撃隊もだ。

 アンサーは単身、ラッツェンバーガー基地へ向かった。トムの推薦を受けてオールド・ハイランド・コスモス・ウェポン・スクールに入学したのだ。連邦にもその名の轟く宇宙戦闘技術訓練学校『エアナイツ』だ。対モビルスーツ戦の高等戦術をあらゆる方面から学ぶエリート・パイロット養成組織で、卒業の証があの有名な白金のウイングマークだが、ディタ曰く、

「あれは、九週間の地獄よ」

「あいつ、あれ以上強くなってどうするんだ」

 そう笑い飛ばしたガーディー、そしてジャンもプラチナ・ウイング持ちだ。実は、スターバッカーズで銀のウイングマークは俺ひとりだった。寂しいことに。

「あいつはカンで飛んで闘う奴だから、学科で泣く。絶対に」

 というのが、栄光の卒業生三人の一致した見解だった。

「自分は推薦していただけないのでしょうか」

「君がエアナイツに行くとしたら生徒としてではなく、教官としてということになるだろうし、その方がふさわしいと私も考える」

 半分は真剣に尋ねると、トムはにんまりしたものだ。後ろではみんな笑っていた。ガーディーには特に思い切りだ。ジャンにもだ。

「それ以上強くなりようがないとさ」

「だいたい、このプラチナ・ウイングっていうのは、万が一撃墜されて連邦の捕虜になったときのためにあるんですよ」

 どうして、と聞くと、

「捕虜収容所の監視兵に吹っかけて、ロック・ハンマーを手に入れるんです。壁に穴を掘るためにね。でなきゃ、こんな重いものをこれ見よがしに身につけるわけないでしょう」

「そうそう。死中に活を見出すのもエリート・パイロットの心得だ。エアナイツの卒業生たる者、いかな手を用いてでも、たとえ敵のモビルスーツを分捕ってでも生還すべしってな」

「しかし、エアナイツ出が捕虜になったらきついでしょうね」

「そうだろうなあ。向こうから見りゃ、仇の中の仇だからな。連行中の不慮の事故なんて、よくある話だけど、シャレにもならねェ」

 場はシンとしかけたが、ガーディーは俺の胸を手でぽんと衝いて、

「まァ、最新鋭機でも持参してくりゃ話は別だ。その点、フリー・バードは最初からよーくわかってたぜ。あのいまいましいサリーをぶら下げてきたんだからよ。連合軍の全モビルスーツ・パイロットを代表して、おれが勲章のひとつもくれてやりたいくらいだぜ」

「そんな食えないものより、我がビッグEの女性居住区画のマスター・キーでも贈ればいいじゃないですか」

 ジャンが鋭く突っ込むと、ガーディーは口に指を当てて、シッ、と言った。

「それは君の大事なクミコの名にかけて秘密だと言ったろう」

 ふう、と息をついたディタ以外、居合わせた面々は爆笑した。

 一方、カルーアは。

 ディタの手回しでオールド・ハイランド軍の籍を得たカルーアは、俺たちと同じローランド基地で地上勤務に就いていた。

 といっても、デスク・ワークではない。それよりも厳しいところにいた。厨房だ。

 サイコミュ駆動能力を喪失したものの、何ら問題はなかった。特に身体は、時間をかけて強化されたこともあって、強靭そのものだった。

 ただ、それまでの人生において、競って他を蹴落とすことが当たり前だったため、教官であるはずのトクロウにも闘争心を燃やしていた。――

 

 ☆

 

 アッシェ、ポッシェ、コンカッセ。

 あまりにも鮮やかな手並みに、自然と目が吸い寄せられる。

 この人はナチュラルなのに、わたしにできないことをやる。ナチュラルなのに。

 くやしい。

 けど、でも。

 ニュータイプだったのに、ナチュラルになってしまったわたしの方がなおひどいんだ。これでは、道化よ。まるで。

 唇をかんだ一瞬、――あッ。

 指の先から赤い血が滴った。やって、しまった。

「包丁を持つ以前の姿勢に問題があるなあ」

 手当てされながら、トクロウさんにそう言われた。 

「もうちょっとさ、肩の力を抜けよ、カルーア」

 わたしはうなずかないで、トクロウさんを睨みつけた。けど、トクロウさんは微笑んだだけ。

「おれはナチュラルだからこう言えるのかもしれないけど、ニュータイプかそうでないかなんて、どうでもいいことじゃないか。人として生きるうえで」

 簡単にそう言われて、言葉を無くしてしまった。

 どうでも、いい。

 そんな。

「でも、でも、ニュータイプであることがわたしの存在理由でした。だから、ニュータイプでなくなったら、――」

「何でそう極端に走っちまうのかなあ」

 トクロウさんは顔をしかめた。

「存在理由が見えなくなったら、また見つけりゃいいだろ。それとも、ニュータイプじゃないと生きる意味なんかないって言うのかい」

 わたしはうなずいた。ナチュラルなんて、生きる価値はないと信じていた。ニュータイプによって導かれるべき羊の群れ、愚民であると。なのに、わたしがそっち側の人間になってしまうなんて。ユーゲントだって首席で卒業したわたしが。何のためにあんな苦しい思いをしたの。

 涙がこぼれた。

 わたしは何もかもなくしてしまった。もう、いやだ。いなくなってしまいたい。

「なあ、カルーア」

 トクロウさんの声にも、顔を上げられなくなっていた。

「ニュータイプだから価値があるなんて、正しくないぜ。同じ人間じゃないか」

 違う。わたしは違う。同じじゃない。ナチュラルなんかじゃない。

 でも、そうやって泣き叫べば叫ぶほど、今のおまえはそうじゃなくなってしまったんだ、と誰かがささやく。嘲笑っている。わたしを。

「君がニュータイプの力をなくしてしまったのは、そこんとこよっく考えろってことなんじゃないの」

 えっ。

「考えろって、何をですか」

「うーん。言うのは難しいな」

 トクロウさんは頭を掻いた。

「なんて言うか、ニュータイプじゃない、素の自分は何か。何を信じて、何のために生きるのかってことさ。ニュータイプってことをとりあえず抜きにして」

 ニュータイプじゃないわたしは何か。何を信じて、何のために生きるのか。

 頭の中が白くなった。

 そんなこと、考えたことがない。ニュータイプということを抜きにして、と言われても、ニュータイプであるということがわたしの拠り所だったから、そこを外すと何もかもが成り立たない。

 でも、涙は止まった。

「悪い。いきなりこんなこと言ってもダメだよな」

 トクロウさんは困ったように笑い、わたしの肩にぽんと手を置いた。

「ま、君はいまここにいる。それは間違いない」

 あ、それがわたしの今の拠り所なんだ。

 トクロウさん、いいひとだな。

 優しいし、頼りになるし、一緒にいるとほっとする。

 ああ、わかった。

 大尉どのに似ているんだ。

 最初に感じた空気の違いが少しずつわかってきた。どこか、やわらかい。これはユーゲントにもNTCにもなかった。この温かさも。

「さあ、涙を拭いたらもう一度だ。いくぜ」

 うなずいて立ち上がり、コロニーの空を仰いだ。

 あの天の向こう、大尉どの、どうしてるかしら。

 会いたい。――

 

 ☆

 

「一旦植えつけられた能力が完全に消え失せてしまうことなど、有り得るのでしょうか」

 尋ねると、ギブソン教授はふむ、と考え込み、

「宇宙に放り出されてリセットされたと考えるべきかな」

 やはり、そういうことなのか。

「人為など、ささやかなものだ」

 それにはうなずける。ドクも言っていたが、カルーアは、植えつけられたものに対して、元に戻ろうとする力が働いてしまったのではないかと。宇宙に放り出されたことが銃爪となって。

「植えつけられた力が失われて、サイコミュをドライヴできなくなったことは、その子にとって幸福なことだよ、シュー。元々が無理な、存在すべきではない力だ」

 同感だった。少し、気分が良くなった。

 カルーアの話の後、前回の話に感銘を受けたことを伝えた。

「そうか。私と会って、感ずるところがあったか」

 教授は嬉しそうな顔をした。だが、その顔は、俺が問いを掛けたとき、がらりと崩れた。

「君は、少しばかり、普通ではない」

 それを口にしたとき、教授はひどく苦しんでいた。だが、その苦しみはもはや教授ひとりのものではなく、俺のものでもあった。

「率直に言おう」

 教授は慎重な口ぶりでそう前置きして、俺の目を正面から見据えた。決意、よりは躊躇いの方が強く現れていた。が、教授は言葉を飲み込みはしなかった。

「君は、連邦のNT研で伝説のニュータイプ、アムロ・レイとララァ・スンのDNAを用いて生み出された人間なのだ」

 ショックを受けたのは、教授の机の上のモニターに並んで現れた二つの顔を見たときだった。

 ララァ・スンという女性は東洋系で、目鼻立ちのはっきりしたその顔は、マザー・ヴォイスに対するイメージそのままだった。実際、俺と肌の色や髪の色、瞳の色までが同じで、鼻と唇の形も同じだった。澄んだ美しい瞳が強く印象に残った。

 その隣のアムロ・レイという男性も東洋系だが、肌の色はいくらか白く、翳りのある表情をしていた。何かを見据えているような、それでいて沈んだ目の色が印象的だった。髪は茶色だが俺と同じようなくせ毛で、顔立ちも全体的に俺とかなり似通っていた。

 無論、これだけでは理由にならないが、わかっていた。わかってしまっていた。このふたりが、俺の父母だと。

 勘――ではない。ノイズに惑わされることなく、一撃で真実を見通す目。それがニュータイプだ。そのレヴェルがSであることを呪いたくなるのは、こんなときだ。

「君に対してこういうことを告げるのも何だが、このふたりは、公式記録では最初のSクラス・ニュータイプだ。ふたりとも一年戦争のトップ・エースだった」

 百年前の闘いのエース。

 しかし父はともかく、母は何故闘ったんだ。こんな、聡明そうなひとが。どう見ても、闘うひとじゃない。

 すると、鋭い叫び声が意識を刺し貫いた。

「ララァなら、なぜ闘うッ」

「シャアを、傷つけるから」

「何っ」

「あなたを倒さねば、シャアが死ぬ!」

 呆然とした。

 これが、父と母の交わした言葉なのか。まるで敵同士のような。それよりも、シャアというのは、誰だ。

「スペースノイドの自主独立と、それに伴う人の革新というジオン・ダイクンの思想をもっともラディカルな形で受け継ぎ、実現させようとした男だ。本名はキャスバル・レム・ダイクン」

 教授はすかさず応えてくれたが、ダイクンとは、ディタの祖先か。

「そのとおりだ。アムロ・レイもララァ・スンも彼に出会うことで覚醒を促されたと思われるが、逆に彼はふたりとの出会いで飛躍することができなくなった」

 わかった。ディタの言った「真のニュータイプ足り得なかった」祖先だ。

 続きを待ったが、教授は話を変えてしまった。

「君の存在は当初からオールド・ハイランド軍事情報部にも知られており、生まれると同時に連邦との争奪戦に巻き込まれた」

 教授の声はうつろに響いた。まるで、俺ではない、別の人間の話を聞いている気がした。

「争奪戦はDISの勝利だった。しかしDISのエージェントは君を連れて地球を脱出する前に息絶えてしまい、放り出される形となった君はグレイト・ロスアンジェルスのとある教会に拾われた」

 そうして俺はシスター・マリィに出会い、あの逃げ場も出口もないサウス・デルタで天を仰いでもがくこととなった。――

「完全に埋もれてしまって、NTCにもDISにも関わることなくすんだことは、君にとって幸いだった」

 教授のその言葉は真実だと思えた。

 が、闘うためだけに創られた人間だったというのか。俺は。それも、百年も前の遺伝子を組み合わせられて。まるで悪霊じゃないか。

 先天的なニュータイプを人工で生み出そうという馬鹿げた計画が過去にあったことは知っている。それが一度や二度ではないことも。

 目的など、考えるまでもない。

 だが、幸運なことに、それらの計画はことごとく失敗したと信じていた。

 そうではなかった。

 成功していたのだ。

 その証が、他でもない。この俺だ。

 そうとわかったとき、胸の底から込み上げてくる笑いの中にすべてを埋めてしまいたい衝動に駆られた。

 ダミアンやカルーアや、NTCの強化人間たちのことなど言えない。当の俺がそうだったのだ。闘いの道具として運命づけられた、呪われし存在。生まれる前よりそうと決められていたのだから、強化人間たちより格段にひどい。シスター・マリィの言っていた、拾われたとき額に書かれていたというSの文字は「サタン」のイニシャルだったのかもしれない。

「私がどんな思いであなたを待っていたか、わからないの?」

 スーズはそう言った裏でわかっていたのかもしれない。女性特有のカンで。

「結局、あなたは闘いたがっているのよ」

「それを止めることは、誰にもできないんだわ」

 と。

「わたしは少なくともあなたの向こうに回るつもりはないわ。あなたのようなニュータイプほど恐ろしいものはないと思うから」

 ディタもグレイト・ロスアンジェルスに降りてきたとき、そう言った。見えていたのだろう。俺が、ほんとうはどういう存在であるのかを。そして何もかも。

「あなたには主義主張が無い。しかも、護るべきものも護るべき人もいない。なのに、闘うことができた。何故?」

 ディタの問いは、言い換えればこうなる。

「あなたはどうして闘えるの。闘うべき理由も何も持っていないというのに」

 今思い起こしてみれば、あまりにもディタらしくない質問だ。

「目の前に敵が現れたから」

 何を言っていたのだろう、俺は。違う。そうではなかった。最初からそのためだけに創り出された存在だったから、だ。理由もなく闘えて、当たり前だった。

 そう考えて、閃くものがあった。

 ディタは、本当に俺の闘うべき理由を知りたかったんだ。そのためだけに創り出されたから、というのではなく、別の、俺だけの持つはっきりした理由を。

 あのときのことを思い浮かべ、ディタがあそこであっさりと背を向けたのはそういうことだったのかと噛み締めた。

 この大戦は人の飛躍するための闘いとなると、ディタは早くからわかっていたに違いない。

 そして、俺のために危険を承知でわざわざ地球に降りてきた。

 が、あのときの俺には何も見えていなかった。それで、これではともに戦場へ行けないと判断して、手を引いた。

 さすがにディタだ。見極めと判断の速さは素晴らしい。

 しかし、少しも笑えない。それどころじゃない。

「俺は、仕組まれた子供だったのか」

「それがどうしたというの」

 呟くと、即座に応えが返ってきた。マザー・ヴォイス。まるで隣にいるみたいに。

 目を閉じると、その姿が先のララァ・スンのそれときれいに重なって、微笑んだ。

 このひとは、間違いなく俺の母だ。

 その確信は慰めになった。人の思惟ははるかな時も空も超えてゆく。

 しかし、仕組まれて生まれ出た人間であることに対して、それがどうしたと言える気分ではなかった。

 気がついてみると、ダウンタウンの公園のベンチで頭を抱えていた。何時の間にルイ・シロン大学からここまで来ていたのだろう。それに、もう夜だ。

 が、そんな、外の世界のことなどどうでも関係なかった。天地が引っくり返された気分だった。岩だと思ってかじりついていたものが、実は砂であったかのような。ためいきさえ、出てこない。

「目を閉じてはいけないわ。シュー」

 マザー・ララァの聡明な声が鈴のように涼やかに響いた。

「あなたの道に意味を与えなさい。自分がきちんと歩いていけるように」

 俺の道に意味を与える。

 何だそれは。どういうことだ。

「この世界は気の持ちようでどうとでもなるわ。見る向きを変えれば、地獄だって天国になるのよ」

 地獄、という言葉から思い出されるのはやはりグレイト・ロスアンジェルスのサウス・デルタ。俺の故郷だ。いや、今となっては故郷と信じていた場所に過ぎない。

 あそこは地獄だった。

 しかし、天国でもあった。

 シスター・マリィの微笑み。ランディのスライド・ギターの音色。ドライヴするロックンロール。甘く、苦く、そして深いブルーズ。サンセット・ビーチに沈んでゆく夕陽。土曜の夜のハイウェイ。改造したモーター・サイクル。紫のブールヴァード。それらすべては、かけがえのないものだ。今、初めてそう思えた。

「あなたには夢がないの? 求めているものがないの? 目指すものがないの? 意志がないの?」

 そんなことはない。そんなことは。

 俺にだって、もとめているものがある。理想として持っているものがあるんだ。わけもなく闘っているわけじゃない。決して。

「そう。人は、変わってゆくのよ」

 マザー・ララァの穏やかな笑みの向こうに、過去の俺がいた。

 かつて――何ひとつとして確かなものを持っていなかった俺は、意味のある人生と何者かである自分を切実に求めた。グレイト・ロスアンジェルスのタフな日々の底で、自分は何者かになるべき人間だと思い、最終的には何らかの意味のある人生になっていくと思っていた。モビルスーツと宇宙を目指したのも、そのためだ。アンサーと同じだ。闘いの中にのみ、答を見出そうとしていた。闘いたがっていたのは、嘘じゃない。悲しいことに。

 そして、今。

 俺は何者であるかわかり、人生にも意味があった。

 ただ、それは究極の逆説だった。

 もちろん、そんな意味などほしくない。闘うことだけが俺の生の意味ならば、いっそのこと、意味などなくていい。そうじゃないか。

 自分にそう問いかけた瞬間、何かが一気に胸を突き抜けて、夜闇の色が変わった。

 確かに俺の生まれは仕組まれたものだった。

 しかし、その後に連なる、今日のここまでの道。

 それには決して意味があると言い切れないが、誰が仕組んだものでもない、俺の自分の足で歩んできた道だ。

 だから、俺は否定しない。

 俺の生は、それがたとえ無意味であったとしても、俺にとって紛れもない栄光の日々だ。

 俺は俺なりの『グローリィ・デイズ』を生きればいい。

 それは、ずっと目の前にあったんだ。これからも、そうだ。

 心の底から突き上げてくるように強くそう思えたとき、目の前が光で一杯になった。まるで、初めて宇宙に上がった日のように。こんな簡単なことに、何故今まで気がつかなかったのだろう。

 視野に光が満ち満ちていたのは現実だった。夜はとうに去って、朝が訪れていた。にわかの雨が過ぎ去った後でもないのに、景色がきらめいて見えた。

 そして、ひどい空腹に気づいた。

 朝早い人々の行き交い始める中、ホット・ドッグのワゴンを待って立ち上がり、二本のホット・ドッグをものすごい速さでかじりながら、ふと思った。

 俺がここで足を止めても、時代は構わず、確かに突き進んでゆく。

 だからこそ、決めた。

 この身に負わされた宿命と訣別した後には、裸の俺が立っているだろう。

 ありのままの俺は救いようがないかもしれない。

 が、それでも構わない。

 俺は俺でやっていく。俺が、俺であるために。

 だから、手を振る。

「闘いは終わった。さよならさ」

 俺は、闘いのためだけに生み出された。

 大いに結構。

 だからと言って、闘うために生きる必要はない。生きるために闘うことはあっても。

 その証に、俺は俺の力を、宇宙に暮らす人々を守るためにも闘いを無くすためにも使える。

 NT研の狂った技術者たちは致命のミスを犯した。それは、俺に自由な意志を与えてしまったことだ。

「あなたは、とても頭のいいひと。だけど、とても不器用なひと」

 ディタ。

 待っている。

 ふとそう思えて、かぶりを振った。そのはずはなかった。何故なら、右手の樹の陰から細い影が俺の前に勢いよく飛び込んできた。

「ここにいたのね」

 草樹の眠りさえ妨げまいとするかのように静かだが、はっきりした声だった。

「探してしまったわ。帰ってこないものだから」

 ディタはそういって俺の隣に座ったきり、黙り込んでしまった。

 ディタが俺に対して何を言うべきか考え込んでいるという図は不思議だったが、ディタはディタなりに気遣ってくれているのだろう。

 が、もうだいじょうぶだ。

 俺は、いける。

「――Watch it!」

 頭のジュークのスゥイッチが入って『ジャンピン・ジャック・フラッシュ』が勢い良く流れ始めた。

「おれは嵐の真っ只中で生まれた

 土砂降りの雨に打たれて産声を挙げたのさ」

 そんなことはどうでもいい。どうということはない。

 要は、自分の状況をどう受け容れるかだ。そういうことだ。

 もちろん、俺はやっと見つけた栄光の日々から降りるつもりはない。

「それじゃ、行きましょう」

 ディタはうなずいて立ち上がり、手を差し伸べてくる。その手を取って立ち上がり、最後のコーヒーを喉に流し込んで、歩き始める。

 生まれがどうであろうと、俺はたしかにここにいるし、俺にできるすべての事が「闘い」ではない。

 当然だ。俺は、自分の行き先を自分で決められる。

 だから、ふたたび帰ろう。俺のリアルな世界へ。

 

 ☆

 

 何のために生きるのか。

 ひとりになると、そればかりを考えている自分に気づく。

 何のために生きるのか、ということは、生きていて何を信じ、望み、願うのか、ということ。

 そう考えると、今のわたしの望みは、ひとつしかない。

 大尉どのをお助けしたい。

 その願いと、今やっていることがどうも結びついていない気がして仕方がない。実のところは。

 トクロウさんのおかげでいくらかはまともなものを作れるようになってきたし、料理を作ること自体もかなり好きになってきた。

 けど、それは大尉どのをお助けすることになっているんだろうか。やはりモビルスーツで闘えるようになれなければ、大尉どのをお助けしていると言えないのでは。

「助けているさ。食べなければ、死んでしまうだろう。シルヴァーストーンの奥に閉じ込められて身動きの取れなくなった連邦の歩兵のように」

 えっ。

 思わず身を起こしてしまったけど、周りの二段ベッドではみんな眠っている。

 でも、はっきり聞こえた。幻にしては、あまりにもはっきりと。それも、男の人の声。誰。

 すると、また同じ声がした。

「食べることだって、戦士の大事な仕事さ。自分のしていることの意味はすぐにはわからないものだけれど、こうして見出すものじゃないのかな。決して求めるばかりではなくさ」

 断言されたわけじゃないけど、急にわかった。わかってしまった気がした。

 何のために生きるのかなんて、そういう聞き方をしてはいけなかったんだ。自分のすることに意味を求めるんじゃなくて、逆にどんどん意味を与えていけばいいのよ。

 それはただの思い込みかもしれないし、失敗もあるかもしれない。

 けれど、そうしていればいつかたどり着ける気がする。何をしても、大尉どのの助けになるやり方があるはず。必ず。

 何より、思い込みの強さでは負けないわ。

 

 ☆

 

 翌週の頭、アンサーを除くビッグEのモビルスーツ・パイロット全員に第二十二戦闘機動隊への転属命令が下された。転属といっても、一時的にグラナダへ出向せよ、とのことだった。

 この「一時的に」というのが引っかかったが、何と機種転換訓練だった。

 エッヂ・フィールドを離れる直前にそうと聞かされて、みんなの目の色が一気に変わった。前々から噂は色々飛び交っていたが、ついにサリーを打ち負かせるモビルスーツが完成したのかと、それでなくても血の気の多いジャンは沸騰しまくっていた。

 高速連絡艇は一日で月に着いた。

 グラナダは闇の真ん中で穏やかな顔をしていた。

 懐かしい場所だったが、その思いのうちで目を閉じていられる時間はないようだった。女史が待ち構えていた。

「フリー・バード、あなたにぜひ見てほしいものがあるの。来てちょうだい。ディタも」

 挨拶もそこそこに、俺とディタは女史に引きずられるようにしてハンガー・ブロックに入り、スペシャル・ゲイトを続けて三つパスした奥。

「これよ」

 女史の示す先に、一機のモビルスーツが静かに佇んでいた。

 カラーリングは全身フラット・ホワイト。胸部は濃紺。排気口は黄色。そしてコクピット・カヴァーは真紅。

「この機体は」

「アナハイム・カワサキZFX900」

 女史は歌うように言った。

「愛称はイルミナティのはずだったのだけど、開発コードの方がすっかり知れ渡ってしまったわ。ロール・アウト前からね」

「そのコードとは」

 尋ねると、女史はほんとうに嬉しそうな笑みを見せた。

「ガンダムFXよ」

 

 

 MOBILE SUIT GUNDAM FX

 Episode 7 “Glory days”

 

 



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GFX外伝三 夜を、ぶっとばせ!

主題歌
"Seasons of change" by Sing Like Talking


 キツイ。

 なんてェキツイんだ。

 地球での暮らしのことを思えば、どんなことにも耐えられると思っていた。実際、そうだった。今まではな。

 けど、ここはなんてェか、ケタが違う。

 コクピット、講義、コクピット、講義の繰り返しだ。起きてる間は自由なんてありゃしねェ。メシだって、味わってるゆとりなんてない。食事っていうよりゃホット・フュエルだぜまったく。

「九週間の地獄」

 アイス・ドールが言ったのは嘘なんかじゃなかった。だいたいあのアイス・ドールがつまんねェ脅しやハッタリをかますわけァない。気づくのが遅かったっていったらそれまでだけど、浮かれてたオレが悪かった。甘かった。

 トムのオヤジが推薦してくれたときは、そりゃあ天にも昇る気持ちだったぜ。オレなんかにゃ一生縁のない話だと思ってたからな。

 その話自体はかなり前からあった。あのワイコロアのすぐ後くらいだったんじゃないかな。ビッグEからエアナイツ行きが出るってのは。

 でもその話が挙がったとき、答はもう決まってるようなもんだった。

 ってのは、ウチの隊に一人補充がかかるって話が急に持ち上がったのよ。なんでもガーディーのダンナが言うには、

「エリート街道を爆走してきた奴で、エアナイツでさらに箔をつけてからビッグEに乗るらしい」

 けど、その大層なシナリオは、いきなりオシャカになっちまった。

 輸送機が撃墜されちまって、そいつはエアナイツに行くどころか、ビッグEに乗ることもできなくなった。ンなわけで、オレらはそいつの顔さえ知らない。

 その後、エアナイツ行きはフリー・バードだろうって見方がもっぱらだった。

「フリー・バードなら、教官がふさわしい」

 トムのオヤジはそう言っていたが、他に白羽の矢の的になるような奴はいなかった。ウチの隊はフリー・バードとオレを抜かしてみんなプラチナ・ウィング持ち、つまりエアナイツの卒業生だし。普通に考えたらとんでもないエリート・チームだ。まあ…ダンナを筆頭とするメンツがメンツだけにちっともそうは思えない辺りがアレだけどな。ガン・ルームに顔が揃ってるといつでも大笑いだしよ。けど、フラン・コルシャン会戦の後は静かだった。思い出したくもねェから、あの戦いについては触れない。知りたけりゃ、新聞でも何でもイヤってほど読んでくれ。

 ひとまずエッヂ・フィールドに戻った後、オレたちは地上勤務になった。出撃しようにも、空母がねェんだ。

 だからって連邦の連中が待ってくれるはずもねェから、何となれば、昔みたく戦艦や巡洋艦の上甲板にモビルスーツをくくりつけてでも出撃しなきゃならねェ。あまり考えたくない有り様だけどな。

 ともかく、いつでも出撃できるように、連日の猛訓練だ。カンを鈍らせちゃまずい。

 しかしながら、その日はちょいとヒート・アップしすぎた。

 フリー・バードを仮想敵としたドッグ・ファイトのさなか、オレはまたやってしまった。よりによって、またもアイス・ドールのケツにくらいついてしまった。

「女の尻を追っかけるのは大いに結構だが、相手をちゃんと確かめてからにしろよ」

 ダンナには笑い飛ばされたが、それですまないことはわかっていた。帰投後、コクピット・カヴァーを開けた瞬間、顔に何かがパシッと当たった。

 紅いフライト・グラブだった。

 見上げるとそこにアイス・ドールが腕を組んで仁王立ちしていた。冷ややかな眼差しをまともに浴びて、オレは石になった。

「きちんと目を開けて飛んでいるの」

 ノー・イクスキューズ、サー…とも言わせてくれないのがアイス・ドールだ。

「今から戦技評価をする。来なさい」

 否も応もない。そのまま引きずって行かれて、吸い上げたばかりのデータを突きつけられながら、コテンコテンに絞られた。それだけで腹いっぱいだったが、さらにオヤジにご指名をくらった。

「君の操縦には危険要素が多すぎる。ブライトンの戦いが激化していて、このままではモビルスーツの補充もままならなくなるかもしれないというときに、今日も国民の血税で作られたそのモビルスーツを壊すところだった」

 サリーなら、壊れていただろうな。ネージュはやっぱり頑丈だ。

 そんな胸の中の呟きが聞こえたのか、そこからしばし厳しく説教をくらってしまった。いや、オレだってL2戦線が大変なのはわかっている。シルヴァーストーンと月を守らなくていいなら、手を貸してやりたいくらいだ。

「本来なら営倉入りだが、――」

 鋭い眼がふたたび襲い掛かってきて、オレは稲妻に打たれたように背筋をしゃんと伸ばした。いよいよ、判決のお時間らしい。

 だが、オヤジの口から出てきた言葉は。――

「君を、ラッツェンへ送る」

 ラッツェンへ。それはまさか、…とオヤジを見つめると、一言。

「エアナイツだ」

 マジかよ!

「せっかくの推薦枠を無駄にするわけにはいかない。――返事はどうした」

「サー! アイアイサー!」

 必死で引き締めたものの、頬が自然と緩んでくるのが自分でもわかった。オレがエアナイツへ行けるのか! あの栄光のエアナイツへ!

 ところが、やはりオヤジはちゃんと釘を差してくれた。

「しかしだ。寝惚けたことをしたら、月光急行が待っているぞ」

 うっ、月往復の輸送航路勤務か。

 しかしその言葉でビビッたのもほんの一瞬、背中にはすっかり羽が生えていた。飛んで帰ろうとすると、鋭く呼び止められた。

「待ちたまえ、アンサー」

 振り返ったら、

「幸運を祈る」

 オヤジはにこりともせずに言ったが、目だけはきらりと笑っていた。

 

 その晩、隊のみんながメス・ホールでパーティーを開いてくれた。そこまではよかったんだが、

「オレはラッツェンで忍耐を学んだ。おまえも堪えるってことを学ぶだろう」

 ジャンに言い切られても…説得力まるでねェぞ。それとも、これでも前よりマシになったってことなのか?

「トムがおまえをピックしたのは、見込みがあるからっていうんじゃないぜ。おまえの根性を徹底的に叩き直すためだ。その辺り、勘違いするなよ」

 このダンナについては、オレはある意味あきらめている。オレに一杯注ぐ間に自分は二杯飲んでるしよお…。

「俺の分まで堪能してきてくれ」

 やっぱマトモなのはフリー・バードだけか。胸のうちでしみじみうなずきつつチキンを受け取ると、

「私を怒らせない方法を是が非でも学んできて頂戴」

 アイス・ドールはチリをたっぷりと乗せてくれた。ありがたくて涙が出るぜ。

 そんな温かい励ましの声を背負って、オレは意気揚々とラッツェンバーガー基地へ乗り込んだ。

 初日の朝、全体ガイダンスでブリーフィング・ルームに入っていくと、後ろの壁には各期の卒業生の名が記されていた。ダンナとジャンの名前もあった。アイス・ドールの名前は一段と光り輝いていた。首席卒業。そんな凄腕パイロットにケンカ売ってるようなオレ…かなり身の程知らずかもしれねェ。

「へーえ、首席卒業だと、名前も大きく金文字で飾ってもらえるのか」

 空いている席について定刻を待っていると、後ろからふてぶてしい声がした。

 金髪で背の高いパイロットだった。顔はまあまあ整っているが、言い方と同じくらいのふてぶてしさがギラギラしていた。

「ここはひとつ、首席で卒業して、栄光の歴史に名を連ねるとするか」

 ヤツは明らかに場の全員に聞こえるように言っていた。すでに着席していた何人かのパイロットが振り返った。どの目も自信に満ち溢れていた。なかでも、前の真ん中に座っていた女のパイロットの目が一番光っていた。やおら立ち上がると、つかつかと歩み寄った。

「なかなかたいした自信ね」

「悪いけど、自信だけじゃないぜ」

 ヤツは挑みかかるような目で応えた。女もにやりとして、

「首席の座を狙っているのは中尉一人だけではないと覚えておいて」

「あんた、名前は」

「キャラミ・ティン」

 くるりと背を向けると戻って行った。まったく、初日から首席争いとは、元気な連中だ。

「口を慎めよ、トッド」

 後ろに続いていた黒髪の東洋系のパイロットが諌めた。トッドは唇を歪めるようにして笑みを作った。

「へっ、おまえはここに来てまでそうなのかよ、ショウ」

「その言葉はそっくり返してやる。早く席につけ」

 二人は段を降りてきて、オレの隣に座った。いきなり声をかけてきたのはトッドだった。

「ん、おまえ、将校じゃないのか」

「ああ、オレは士官学校経由じゃないからな」

 オレの袖章に星はない。下士官だからな。最年少のエアナイツ行き、っていうのはそういうことでもある。

「下士官だからって値引きはないぜ。脱落するなよ」

 毒づかれて、つい笑ってしまった。一年前、いや、半年前なら間違いなくぶっ飛ばしていただろう。やっぱり実戦にもまれて変わったのかもしれない。

「おまえは自分のことを心配しろよ」

 と言ったのはショウだった。そっぽを向いたトッドの肩越しに挨拶してきた。

「こいつは悪気があって言ってるわけじゃないんだ。許してやってくれ」

 気にしてないと応えると、にこりとした。

「オレはショウ・ザンマ。プロイツェンの第一空間機甲師団所属だ。口の減らないこいつはトッド・クアーズ。よろしく頼む」

「アレン・アイヴァースン・アーシタ。所属はオールド・ハイランドの第一航星艦隊。よろしく」

 手を交わしてから少し話をしたが、二人とも参戦章も所属艦のワッペンもつけていない。ひょっとしてまだ実戦に出ていないのかと思ったが、それを聞く前に定刻となって、前のドアから十人ばかり、一目でパイロットとわかる連中が入ってきた。

「諸君、エアナイツ入学おめでとう。私が主任教官のタイクーンだ」

 起立、礼の後、鷲のように鋭い目をした男が壇上からよく通る声で告げた。

「諸君はオールド・ハイランドばかりでなく、各国より推薦された、生え抜きのモビルスーツ・パイロットである」

 場に誇らしげな雰囲気が漂った。しかしタイクーンはそんな空気を蹴散らしてみせた。箒でさっと掃くように、軽く。

「が、今、この瞬間より、そのような特別な意識は必要ない。ここでは階級も何も関係ない。まず必要なものは、ファイターとしての資質だ」

 強烈な先制パンチだった。場はあいかわらず静かだったが、誰もが度肝を抜かれていることは雰囲気でわかった。緊張も一気に高まったが、オレはといえば、気分を良くしていた。闘志がまずモノをいうわけか。だったらオレはすでに数歩リードしてるぜ。

 そう思ったら、タイクーンの目がいきなりオレを捉えた。

「かといって、闘志だけでは決して勝てないぞ、アンサー」

 ぎょっとした。オレの頭の中が見えているのか。

「あらかじめ告げておくが、エアナイツの教官は、私を始めとして、全員ニュータイプだ」

 タイクーンはあっさりと応えてくれて、場はまた静かにどよめいた。オレはといえば、フリー・バードとアイス・ドール相手の訓練を思い出してがっくりしていた。揉まれまくりという言葉で表せないくらい揉まれまくりだ。間違いない。

「アンサー、だって?」

「おまえが、あのアンサー戦法の生みの親なのか」

 気づくとショウもトッドもオレを驚いた目で見ていた。実はこのときまで、オレは例のストップ&ゴーがそう呼ばれているなんて知らなかった。マジでな。

 ただ…オレが生みの親ってのはちょっと違う気もするんだな。フリー・バードのおかげだろう。ケツをつつかれて必死に逃げまくってる間に偶然見つけた技だからな。

 ただ、フリー・バードはストップ&ゴーを撃ち破る手をモノにしていた。実はな。

 ワイコロアの出撃直前、教育的指導の一騎打ちをしたときのことよ。フリー・バードの前で急減速をかましたら、同時に死角から飛んできた照準レーザーに捕捉されて「撃墜」だ。

 それまで真後ろにいたはずのフリー・バードは、なぜか真下に占位していた。完全に読まれていた。ニュータイプの目で読んだっていうんじゃなく、オレの機動のパターン、クセを完全に読んでいたんだ。そのときに初めて、ファイターとして敵わないパイロットがいると、否応なく思い知らされた。不思議と悔しくなかったのは、完敗をてめえで納得しきれてしまったせいだろうな。

 でも、そのフリー・バードがオレを認めてくれているんだ。

「君は、サリーに対する戦意が潰えていないところは本当に立派だ」

 そんなことなんざ、今まで誰にも言われたことがなかった。お袋以外でオレのやってることを認めてくれたヤツはいなかったんだ。だから、この人のためなら、って思ったんだぜ。このオレがよ。

 実際、ワイコロアからはうまくいったんだ。あのアイス・ドールとの連携が。キル・マークを刻むこともできたし。

 そう。フリー・バードの言うとおりだった。一人じゃどうにもできない敵でも、二人がかりならどうにかできる。

 ただ、今の相棒とじゃどうかってのはあるけどよ。

 激しいというのもいやになるほどの訓練が終わった後、毎晩、オレたちはタイクーンの元に出頭する。恐怖の戦技評価だ。欠点と失敗をこれでもかと積み上げられ、コテンパンにやられる。自信満々なトッドさえ顔面蒼白という有様だが、ここではオレも人のことは言っていられない。何しろガンキャメラもテレメーターも嘘をつかない。

 データをしばし見つめていたタイクーンは、目を上げるとオレとキャラミとをかわるがわるじっくりと見据えてから、口を開いた。

「午前中、午後とも、直撃を加えるも、撃墜不確実、か」

 例のごとく、渋い口ぶりだ。ただ、オレの名誉のためってわけじゃないが、付け加えておくと、これでもかなりマシだ。他の連中は、ショウ・トッド組も撃墜されまくってるからな。

 しかしタイクーンの目は厳しい。

「本来なら、撃墜できていたはずだ」

 たしかに、そのとおりだ。

「君たちの場合、一足す一が二になっていない」

 これも、そのとおりとしか言いようがない。

 今日の戦技フライトを思い返してため息が出た。

 隣の女は、オレがポジションを取っても、さらにいいポジションを取ろうと突っ込んでくるヤツだ。逆に自分がポジションを取ろうものなら大変だ。周りのことなんておかまいなしでとにかくメチャクチャに攻めまくるばかりで、こっちは援護もできねえ。まさに、なりふりかまわずってやつだ。初日にトッドの売り言葉をまともに買っただけのことはあるというか、オレが見ても異常なほどの敵愾心を持って訓練に臨んでいる。今まだ連邦の占領下にあるゴース(サイド5)出身だから無理もないとは思うが、それとこれとは話が別だ。

 何が問題かって、ウィングマンがこうだからオレは自分の闘いができねえ。ジャンの言葉じゃねえが、たしかに忍耐を学んでるぜ。

 ため息をもうひとつついたところでタイクーンの目がオレを捉えた。これまた例のごとく、オレの頭のなかを見通している目だった。

「どうした、アンサー。何か言いたそうだな」

「はい、いいえ。言うべきことはありません」

「そうか」

 タイクーンはなぜかそこでにやりとした。いやな予感がした。そうしたら、案の定だ。

「明日から私も飛ぶ」

 2オン2だと!

 目の前が暗くなった。今日までの1オン2でも成果を出せてないってのに、しかもタイクーンか。こりゃヤバイぜ。ヤバすぎる。

 

 翌朝。

 エアロックを抜けると、闇の底へ一息に引き落とされる。地球の夜より暗い闇。その表に瞬きもしない星が貼りついている。ブロンクスの空を思い出しちまうぜ。

 時刻は〇五三〇。夜明けだ。昇る朝陽も何もない、宇宙の夜明け。光らしい光はフライト・デッキの誘導灯と、フライト・デッキ・オフィサーの振るマーカー・ライトだけだ。やけに目に残る。

 目を閉じて、ひとつ息をついた。

 久々に空母に乗ったと思ったら、スクランブル訓練とはな。一日の始まりとしてこれ以上のものはないぜ。

「今日からスケジュールも後半に入る。空母の発着艦から始めて、総合戦闘訓練を行う」

 出港前、タイクーンは言った。差が生じるのはまさにここからだと。さらに、乗り遅れても待って拾うことはない、とも。

「ここまでの講義で得た知識と戦闘訓練で培った技術をフルに活用して、奮励してくれたまえ」

 タイクーンは何でもないことのように言って、エミール教官とともに、先にサリーで発艦していった。

 そう、オレらの敵は、サリーだ。エアナイツにはあのクソいまいましいサリシュアンが一ダース、配備されている。フリー・バードが持ち込んだヤツを調査してすぐアナハイムがコピーして作り上げた、連邦と完全に同じ機体だ。入学したてのとき、早速見せつけられてどいつもこいつも目を丸くしてたな。オレには珍しくもなんともなかった。ウチの隊には現役のサリーが一機、あるからな。

 いや、「あった」というのが正解だ。あの思い出したくもないフラン・コルシャンでマンタと交戦、撃破されちまった。

 アイス・ドールに続いてフリー・バードが撃墜だったから、帰りのフネのなかは葬式だった。オレばかりじゃなく、ジャンも、あのダンナでさえヘコんでた。実際、すぐに次の闘いが巡ってきていたら、ヤバかったかもしれねえ。そういう意味では、空母がなくて出撃できないってのも、いいインターヴァルが取れたと思えばいいのかもしれないが、今もまだフリー・バードはZネクストで訓練しているんだろうか。だとしたら、やれやれだ。いくら前に乗っていたとはいえ、あのフリー・バードにZネクストはねェだろう。

 それはともかく、フリー・バードがサリーを持ち込んでくれなかったら、今ごろはオレもお星様だったんだろうな。

 もしもってのは有り得ないってわかってる。

 しかし、もしも、フリー・バードがサリーを持ち込まなかったら。

 ましてや、敵だったりしたら。

 答は簡単だ。

 オレは、今ここにいない。

 もっとも、今エアナイツにいるからって、この先の保証があるわけじゃねェ。いくらエアナイツで勤め上げたからといっても、訓練は、訓練だ。実戦じゃない。

 しかし、そう簡単に星になるわけにいかねえ。オレだって、ニュータイプになれるかもしれないんだからな。エアナイツの卒業生はニュータイプになる率が高いってのは、たしかな事実だ。そう思って気合入れ続けてねェと、やってられねェ。

「ハンター02、発艦準備」

 雑音の中から声がして、メカニックやエンジニアが離れてゆき、フライト・デッキ・オフィサーの間で申し送りが行われ、カタパルト・オフィサーが位置につく。

 当たり前の光景だが、オレのなかには実戦のとき以上に緊張している部分があった。

 エアナイツの訓練は実戦並み…いや、ある意味、実戦以上だ。実射しないだけで、危険度は実戦と変わらない。最初の一週間はひたすら宇宙を飛び、ここまで培われたすべての機動パターンを通して、徹底的に操縦技術を鍛えられた。ここで全体のほぼ三割が脱落した。オレは生き残った。たしかに厳しかったが、うちの隊の訓練の方がよほどタフだった。

 次の週からは模擬戦闘がメイン・ディッシュになった。ここでまたかなりのパイロットが脱落した。練習空母に乗れたのは、最初の半分以下だ。戦闘訓練は、とにかく普通じゃなかった。こんなこと有り得ないだろうっていうパターンまで、ありとあらゆる局面を想定して行われる。コロニー周辺や暗礁空域でのドッグ・ファイトなど、想像しただけでいやになる場面のオンパレードだ。

 それも昨日まではあくまで『想定』だった。今日からはそういったさまざまな『想定』が現実になる。実際に暗礁空域だの月面だのに行って、ニュータイプと戦うことになったというわけだ。それも、どうにもあてにできない相棒と。

「ハンター02、発艦位置へ定位。カタパルト、セット」

 発艦指示燈が灯り、外で二本指が上げられた。あれこれ考える時間は終わったということだ。スロットルをアイドルからクルーズ、ミリタリーと滑らせ、マクシマムのところで力をぐっと込めてMAXアフターバーナーに入れる。コクピットが低い唸りに包まれ、パワーが背中から突き上げてくる。

「ケルウィルよりハンター02、発艦よろし?」

 これまたエアナイツ生のキャプコムに親指を挙げて敬礼をする。キャプコムはがちがちの顔のままうなずいた。ほんとうの航宙管制は初めてか。

「ハンター02、最終発艦準備完了。総員位置につけ」

 忙しく飛び回っていた甲板作業員が退避を終えると、イエローのノーマルスーツを着たモビルスーツ指揮士官が位置についてコーション・オール・クリアの合図を出し、カタパルト・オフィサーを指した。そいつを見て頭をヘッドレストに埋め、奥歯を噛み締める。

 直後、クリスマスツリー(発艦指示灯)がグリーンに変わり、息の詰まるGとともにオレは宇宙のど真ん中にいた。

 目を後ろに向けてみるが、母艦はもう点にも見えない。たいしたもんだ、このファイアーブレードってモビルスーツは。加速は、ドカン! とにかくパワーがすばらしい。ホンダ・エンジン様々だ。けど、ついにロールアウトしたネージュの後継機を早速あてがわれるってのは、試験も兼ねてってことだろうな、間違いなく。エアナイツでサリーと取っ組み合うなんて、作った連中にすれば言うことなしだろう。オレも最新鋭機を駆れて楽しい。

 しかし、今日の舞台はかなり厳しい。いきなり暗礁空域ときた。明らかにブライトンの戦いを意識したメニューだ。

 現在、連邦は信じられないことに、二つの戦を並行している。

 片方はおなじみのL1を中心とした戦線で、もうひとつがL2戦線だ。シルヴァーストーンの争奪戦がうまく運ばず業を煮やしたんだろう、連邦は針路変更してブライトンに空襲をかけるようになり、防塞用として意図的に置かれた暗礁の中で連日連夜熾烈な空戦が繰り広げられている。

 と、天にゴマ粒のような点が見えてきた。そうかと思うと、あっという間に岩塊だの金属片だのといった本来の顔になって、障害物センサーがわめき始める。

 オレは減速し、シルヴァーストーンで散々やってきたように、まず近場の星屑のひとつに取りついて身を潜めた。それからじっくりと様子を窺った。

 教官は、エミールもタイクーンも動いていない。まだ。

 キャラミは、と見ると、ごん、という軽い衝撃があって、声がした。接触通信だ。見ると、オレの機の肩をつかんでいる。何かと思ったら、

「上飛曹、私の足を引かないでもらいたい」

「なに」

「私はひとりで十分にやれる。僚機がいると、かえって気が散って仕方がない。戦いのさなかに余計なことを考えたくないのだ」

 もう怒りも何も通り越しちまうぜ。やっぱタイクーンに、

「ウィングマンを変えてください」

 と頼むべきだったかもな。キャラミは最初からこうだった。オレと組むことになったと告げられたときの顔は忘れられない。

「飛行時間は」

 カウンター・ストップだと応えると、キャラミの眉は跳ね上がった。キャラミの特徴のひとつとして、冗談がほぼ通じないことを忘れてはならない。ウチの隊に来たら血管切れるだろうな。

「作戦行動時間はトータルでおおむね八ヶ月だ」

「上飛曹は今期で唯一、実戦経験を持つパイロットだ。L1戦線のインテルラゴスからワイコロア、そしてシルヴァーストーンと最前線を転戦してきた」

 エミール教官が補足してくれた。何やら感嘆の声が挙がったが、頭に残っているのは灰色の思い出ばかりだ。

 真っ黒な宇宙に放り投げられる緊迫感。

 休む間もない天の監視。

 耳にあふれる雑音混じりの管制。

 こっちに飛んでくる嫌らしいビームの筋。

 あっという間に現れてあっという間に見えなくなるサリー。

 全身をもみくちゃにするG。

 そんなものしか浮かばない。

「君と組むには最適のパイロットだ。うまく連携を組み立ててくれ」

 そういうエミールに、キャラミはうなずかなかった。

「私は援護なしでもだいじょうぶです」

 とまで言い切ってくれたのだった。もちろん、手など交わすはずもない。まったく、アイス・ドールの方がマシだ。

 あまりにも自然にそう思って、自分で笑っちまった。

 懐かしがってどうするんだ。この地獄が終わったら、いやでも戻るんだぞ。

「それだけだ。交信終わり」

 キャラミは離れて、やや前方の星屑に取りついた。まったく、ひとりで戦やって勝てると思ってるのか。

 警報が鳴った。

 エミールかタイクーンかわからないが、教官のモビルスーツが一機、速度を増しながら接近してきた。

「タリー1(敵一機視認)。攻撃を開始する」

 キャラミは飛び出して行った。しかも、まっしぐらに突っ込んで行く。やれやれだ。

「ケルウィルよりハンター01、管制に従ってください」

 キャプコムの声は早くも上ずっている。実にとんでもないヤツだが、捨てておくわけにはいかない。オレも出た。慎重に、影に身を潜めつつ。教官には見えているかもしれないが、まともに撃たれる確率は下がる。

 そうやってすぐに援護に移れるポジションを確保しつつ前進していると、ファイターコマンドから地に足の着いていない声が飛んできた。

「ケルウィルよりハンター02、その場で態勢を整え、ハンター01の援護に当たってください」

 いわれるまでもなく自然と防御・監視役に回ってしまったオレは、前方下で時折閃くバーニアのロケット光を目とMTIで捉えつつ、伺いを立てた。

「ケルウィル、ハンター01の相手はどっちだ」

「はい、ええと、バンシー02、エミール教官です」

 ということは、様子を窺っているのがタイクーンか。頭痛ェ。

 何が不気味といって、積極的に動いていない。

 オレが飛び出していくと同時に飛び込んでくるのは間違いない。

 が、オレがここでじっとしていたら、エミールに気を取られているキャラミを仕留めるのも間違いない。

 そのキャラミはエミールと互角に渡り合っていた。セオリー通りのワン・オン・ワンだが、常にセイバーの間合いを保ち続ける辺りはなかなかだ。ちょっとでも間が空くと、サリーは正面から消えて、魔法のようにケツにくらいついてくる。

 と、今までまともに組み合っていたエミールがわずかに後退した。アイス・ドールがよくやる誘い手だ。キャラミは迷わず押した。あいつ、士官のくせに状況判断ができないのか。ほら見ろ、タイクーンも動き出したじゃねェか!

「ハンター02よりケルウィル。タイクーンの機動情報をちゃんと補正してくれよ!」

 エミールと連携されたら万に一つの勝ち目もない。マスター・アームを入れてガン・モードに切り替え、スロットルをブーストに放り込み、バカのようにまっすぐタイクーンに突っ込んだ。タイクーンは当然気がついた。オレも応戦態勢を整える。しかしVPBRの銃口は違う方を向いていた。

「こっち向け!」

 タイクーンが変針しようとしているのを放っておいて、エミールの周囲に三点射で照準レーザーを撃ち込んだ。

 エミールのサリーは機動しつつ、首だけ動かした。オレの機位を求めた動きだった。ほんの二、三秒だったが、それだけあれば十分だった。

「今だ、撃て!」

 オレは喚いた。普通のパイロットならこのチャンスを逃すはずはないが、いきなりチャンスが舞い込むと、かえって真っ白になるヤツもいるんだ。幸いなことにキャラミはそこまでひどくなかった。照準レーザーがエミールのサリーを三秒照射した。撃墜だ。

 しかし快哉を挙げることはできなかった。

 ケルウィルの警告と受動警戒システムの警報に続いて、MTIにブリップがいくつも現れ、照準捕捉警報が耳を打った。背後からいきなり飛んできたレーザーの正体は、ファンネルだった。

「タイクーン奴!」

 喚いたときにはすでに脚部に被弾。スロットルをブーストに入れて緊急高機動回避に移る。くらいつかれたら、おしまいだ。

 しかし、逃れようとした前にいきなりファンネルが二基、飛び出してきた。こいつァ、タフだ。トリガーを絞る。一基、撃墜。その間にもう一基のレーザーが左腕に着弾。これ以上くらうとヤバイとわかっているが、

「ちっくしょう!」

 ところがファンネルはいきなり離脱していった。

「第一ラウンドは終了だ」

 声とともに頭とつま先が黄色に塗られたサリーがすぐ向こうの岩陰から浮かび上がった。タイクーンだ。こんな近くまで迫っていたのか。

 右翼からはキャラミに続いてエミールのサリーが近づいてきた。なぜか止まらずにオレの方へ流れてくる。肩をつかんだ。

「効果的な牽制だった」

 エミールはフランクな教官だ。いつでもこうやって評価してくれる。

 対照的にキャラミのヤツは何も言ってこない。よもやオレが助けるとは思ってなかったか、でなければ、余計な手を出されたと腹を立てているかだ。どっちにしても面白く思ってないだろうと思っていたら、やっぱりだ。一方的に回線が開いて、ぶっきらぼうな声が飛び込んできた。

「誰が手を貸せと頼んだか」

 うるせェ、と応えるわけにはいかない。

「撃墜ポイントが入ったことを喜べよ。オレは二発もくらっちまったんだぞ」

「己の未熟を省みろ」

 ここまで来ると、かえって見上げたもんだ。やっぱり実戦で二、三度泣きを見た方が早いかもな。

 十分後、第二ラウンドのゴングが鳴った。位置についたところ、回線が開いてタイクーンの声がした。

「次はハンター02が先行しろ」

 うっ、ご指名をくらってしまった。

 オレはちらっと横のファイアーブレードに目をやった。

 先行するのはかまわないが、キャラミが背中を守ってくれるはずがない。突いてくるのは間違いなくそこだと思っていたら、ビンゴだった。

 オレがタイクーンと接触するタイミングで、エミールが動きを見せた。

 途端にキャラミのヤツは猛然とダッシュしてくれたのだった。

 ヤバイ、と思ったときにはすでに遅く、タイクーンもキャラミ目掛けてダッシュしていた。誘い出してから二機がかりで仕留めるというアイス・ドールお得意のパターンは、エアナイツ仕込だったか。

「まったく、こうもあっさりとバスケットに入ってくれちまうのかよ」

 教官二機に追い回されてはさすがに逃げるしかない。キャラミは三軸を使いまくってひたすら逃げた。

 タイクーンとエミールは、ほんとうに見事としか言いようのない連携でキャラミを追い詰めた。あっという間だ。

 オレも踵を返して、追った。

 が、あるポイントでふいに二機とも機動をやめて、引き返し始めた。

 なんだ、とTDL情報をチェックしてわかった。キャラミのヤツ、コンバットエリア外にいやがる。

「ケルウィルよりハンター01、コンバットエリアへ戻ってください」

 ファイターコマンドも散々呼びかけてるってのに、どうしてすぐに戻って来ねェんだ。エリア外だとわかっていないのか。

 注意をそらしたのが命取りだった。次は、オレの番だった。

 あちこち行き止まりの狭い空域でサリーを振り切るのは骨だ。ファイアーブレードのパワーを活かしきれない。まして、ファンネルの網をかけられたときはなおさらだ。

 それでもオレはあがいた。ほんとうに必死だった。上下から急激に迫ってくるタイクーンとエミールに対して手持ちの機動パターンを駆使し、リズムを変え、逃げまくりつつも、裏をかいて間に飛び込もうとした。フリー・バードいわく、「オールレンジの安全地帯はヘソのつくくらいのところ」だからな。

 しかし、いよいよ飛び込もうと五度目の機動に入ろうとしたとき、終わった。一瞬にして被弾五だ。ぐっと迫ったタイクーンに気を取られ、太陽に隠れたエミールのサリーを完全に見落としてしまった。

 前にタイクーンのサリーが浮かんだ。

「機動のリズムを変えるときにほんのわずかだが間を置く。それが君の癖だ」

 ああ、そうだった。フリー・バードにも指摘されていたのに、肝心なときにやっちまう。だから弱点なんだ。

「しかし、撃墜されるまでの操縦は見事だったぞ」

 タイクーンの褒め言葉なんて金星ものだが、ちっとも慰めにならない。やれやれだ。息をつく暇さえなかった。青息吐息ってのはまさに今のオレだ。向こうの岩陰からキャラミがゆっくりと戻ってきたが、怒る気にもなれない。

 そして午後の座学の時間が過ぎて夜、またも恐怖の戦技評価の時間がやってきた。

 出頭すると、タイクーンの厳しい目はまずオレに注がれた。

「君の課題は、言わなくてもわかっているな」

「はい」

 まったく…実戦なら完全に死んでる。タイクーンもうなずき、目をキャラミに移した。

「中尉、なぜ、戦技空域を逸脱したのだ」

「はい。回避機動に夢中で気がつきませんでした」

「なるほど。では、もうひとつ聞こう」

 プリントアウトされたテレメトリー・データを机に置いて、タイクーンはキャラミの前に立った。

「なぜ、すぐに戻らなかったのだ」

 キャラミは応えようとした。が、タイクーンは間を与えなかった。

「今日の君の行為は、味方を見殺しにして逃げたとしか見なせない。そのような者の背中は誰も守ってくれんぞ」

「発言してよろしいですか」

「許可する」

「お言葉を返すようですが、私は決して」

 キャラミはそこまでしか言うことができなかった。タイクーンの目がぎらりと光ってキャラミを射抜いていた。オレも凍りついてしまうくらいの厳しい、まさに虎の目だった。

「中尉、エンジンが生きているうちは死んでも飛べ。弾丸が一発でも残っていたら、敵を撃て。弾がなくなったら噛みついてでも敵を落とせ。そして、必ず生きて帰るんだ。それが、モビルスーツ乗りの信念だ」

 タイクーンは言いきった。静かな、しかし逆らえない声で。

「この信念があってこそ、戦いに勝てる。だから最後の一瞬まで希望を捨てるな。戦場で負けて死んでゆくのは、望みを捨て、あきらめてしまった者だ。これは百年以上も変わらない空の戦いの鉄則だぞ」

「はい」

 さすがのキャラミもうなだれてしまった。

 オレは、そのはるか手前で朽ち果てていた。うまくいかないのに、どうしようもできない。ヘコんでメシ食う気にもなれず、まっすぐ居住区に引っ込んだ。

 手紙が届いていた。お袋からだった。Vレターじゃない、紙の手紙だ。急いで封を切った。

『エアナイツ入学おめでとう。こちらではダイアナも元気です』

 一行一行読み進むにつれ、胸が震え始めた。

『もう少しで地球を出るだけのお金が貯まるので、あなたは何も心配せず、がんばってください。天で会えることを楽しみにしています』

 手紙を読み終えて、ベッドに沈んだ。

 目を閉じてみるが頭はちっとも休まらない。ひどく追い詰められた気分だった。

 もう少しで地球を出られるだけの金が貯まるなんて、そんなはずはない。お袋は例のごとく何も言わないが、えらく苦労していることはわかっている。まして、今は戦争中だ。

 なのにオレときたらこんなところでがんじがらめになっちまってる。

 どうすりゃいいんだ。あんなヤツに振り回されているうちに九週間終わっちまったら、何にもならねえじゃねえか。チャンスを全部つぶされちまってる。そんな気さえする。いったい、どうすればいい。

 何をどうすべきかさえも考えられず真っ白になったとき、オレはローランド基地をコールしていた。

「私よ」

 アイス・ドールにつながるまでの時間はひどく遠く感じた。

「あ、アイス・ドールか」

「妙に懐かしそうな声ね。音を上げるには三週間ばかり早いわよ」

 淡々とした温かみのない声に潤いを感じたくらいだから、やはり相当参っていたんだろう。ともかくここまでのことを話した。

「――なるほど。それで」

「どうしていいか、わからない。正直な」

 沈黙。

「ミノフスキー濃度が高いのかしら。どうしていいかわからない、なんて寝ぼけた声がしたのだけれど」

「ほんとうにわからないんだ、アイス・ドール、オレは…どうすればいい」

 小さく息をつく音がした。

「私でいいの。フリー・バードやガーディーではなく」

「たのむ」

 わかったわ、とアイス・ドールは言った。

「まず、現状をそのままに受け入れなさい。一切の感情を挟まずに。そのうえで、どうすれば勝てるのかを考える」

 アイス・ドールの言葉は信じられないくらいすんなりと頭に入っていった。

「戦いにおいて、ひとつもハンディのない局面というものは有り得ない。常に頼れる者と組めるわけではないし、階級が上であっても、従いがたいパイロットもいる」

 まったく、そのとおりだ。

「そういう状況に負けてしまうのは、敵に負けるよりも愚かで惨めよ。そうならないために、そのようなパイロットがウィングマンになった場合であっても勝利できる方法を考えなさい。それが今一番大事なことよ」

 そうだ。そのために、オレはエアナイツに来たんじゃなかったのか。どういう状況でも勝てるパイロットになるために。

「私に言えるのはこのくらいね。後は君が判断し、行動なさい」

「了解した。ありがとう」

 礼を言うと、間があって声が返ってきた。

「戻ってきたときに私をがっかりさせないで頂戴。君は私にも散々咬みついてきたSon of a gunのはずよ」

 …返す言葉もねェ。

「ひとつ心得ておきなさい。そのパイロットの鼻を明かせ、とは言わないけれど、私のウィングマンに負け犬は要らない」

 アイス・ドールらしい言葉が、このときは無性に嬉しく、励みになった。

 もう一度礼を告げてPITを置いたところにノックの音。ショウだった。

「しぼられたか、アンサー」

「ああも簡単に撃墜されちまっちゃあ、言葉もないだろうぜ」

 トッドの減らず口にも、何も返せない。まったくそのとおりだ。

「どうしておまえはそうなんだ」

 ショウがたしなめるが、気にならない。慣れてきたというか、トッドはこういうヤツなんだとわかってきた。たしかに最初はぶっとばしてやろうかと思ったけどな。

 ん?

 同じようにキャラミを見ればいいのか。まず、キャラミはそういうヤツだと。

 そこでいきなり気づいた。

 オレは自分で自分の士気を貶めていたんだ。

 キャラミのせいでどうにもならないんじゃない。ことはキャラミ云々じゃない。オレはオレの最善を行えばいい。そういうことなんだ。

「おれたちも今、戦技評価が終わったんだ。パブに引っかけに行こう」

「わかった。いこうぜ」

 オレは二人の肩を叩いて歩き出した。すごく晴れた気分だった。今までの困難が困難と思えないくらいだ。

「今夜は、あの運命のワイコロアの話を聞かせてくれよ」

 最初の一杯を注文した後、トッドにリクエストされて、運命のワイコロアの話を多少おまけつきで披露していると、ふいに後ろから冷たい声が降ってきた。キャラミだった。

「よく昔の味方を撃てるものだな」

「なんだと」

 カッとなって立ち上がりかけ、さっきのアイス・ドールの声が浮かんだ。

 状況に負けてしまうのは、敵に負けるよりも愚かで惨めだ。ここで頭に来てる場合じゃない。こいつと組んでも勝てる方法を考えなけりゃならないんだ。

「上飛曹はかつて連邦軍に属していたと聞いたが」

「ああ。そのとおりだ」

「要は、金がもらえれば、自分の生まれたところでも撃てるのか」

「よせよ、中尉」

 ショウが間に入ったが、キャラミはそのショウを押しのけるようにして、オレの鼻先にまで顔を近づけてきた。弱ったことに、目が完全に据わっている。性質の悪い酒だぜ。

「この機会にはっきり言っておく。上官に敬意も払うこともしない、金ほしさに戦うようなパイロットとこれ以上組んで飛ぶのは、私の誇りが許さない」

「いい加減にしろ、中尉」

 気色ばんだショウを、今度はトッドが抑えた。

「わかったわかった。あんたは偉いよ。成績も優秀だ。だから下士官いじめなんてみっともないことはやめときな」

 さっと手を振った。キャラミはまるで聞いていない。ますますかさにかかった言い方をする。

「私には、連邦に占領された祖国を救うために闘うという誇りがある。同郷の人間を撃てる上飛曹には決してわからんだろうがな」

 自分で自分を怒らせている。

 そうわかると、気がすうっと楽になった。怒ることも、とっさにはぐらかすこともない。キャラミが嘲るような目をしても、少しもぐらつくことはなかった。静かな気持ちでキャラミを見据え、はっきりと、言った。

「そうだ。オレは金がほしい」

「そんなに、与する国を乗り換えてまで金にこだわるのは、いったい何のためだ」

「お袋と妹をできるだけ早く宇宙に引っ張り上げるためだ。そのためにはどうしても金がいる」

 キャラミの顔はぎくりと強張った。

「あんたもわかっているだろうが、一口に地球育ちといっても、二種類いる。ひとつはあのクソッタレな超特権階級。もうひとつは、上がりたくても宇宙へ上がれない連中だ。オレがどっちだったかは言うまでもないだろうけどな」

 キャラミの目から目をそらさずに言葉を重ねた。頭の中は完全に落ち着いていた。さっきまでの昂ぶりがウソのように。ショウもトッドも何も言わなかった。それまで賑わっていたパブは、いつしか静かになっていた。静かに、張り詰めていた。みんなの耳がこっちを向いていた。

「あのクソな井戸から這い出るために、できることはすべてやった。最初に入ったのも地獄の連邦軍海兵隊だ。天に上がれればなんでもよかったからな。そういう意味じゃ、たしかにあんたの言うように、オレはたいした人間じゃない。が、オレの戦う理由については別だ。あんたが理解しようがしまいが、どうでもいい。オレはオレを貫く」

 オレは何のためにここにいるのか。何のために闘っているのか。

 エアナイツの日々で忘れていたというより、見失いかけていたことが、はっきりと見えた。もうだいじょうぶだと感じた。オレは、急な上り坂をクリアーした。完全に。

 そうしたら目の前の女が急に小さく、あわれに思えてきた。

 うまく運べていないのはキャラミも同じなんだ。それで気持ちのやり場がなく、自分で自分を持て余している。よくわかった。キャラミはきっと、今の自分が大嫌いだろう。

「オイオイ、なんか説教してるみてェじゃねェか」

 トッドまでが黙り込んでいるので、明るい声で茶化した。

「みんなを見ているとオレもコロニーで生まれて暮らしたかったけど、それだったら今ここにはいなかった気がするぜ」

「なんでだよ」

「モビルスーツ・パイロットになんてならなかったってことよ」

「それじゃ、何になってたんだ」

「NBAのバスケットマンだ。オレは平和をこよなく愛する人間なんだぜ」

「よく言うよ」

 ショウは笑い出した。

「おふくろか」

 トッドは笑っていなかった。なぜかしみじみと言った。ショウがどうしたんだと聞くと、

「オレもさんざんおふくろに苦労かけちまった口だからよ。ガキのころは煙たいと思ってたもんだが…そんなおふくろだから守ってやりたい。今はそう思うぜ」

「トッド…」

 ショウが茫然とつぶやいた。オレも驚いていた。あのトッドがこうまで素直に思いを口にするとは。

「おまえの気持ちはよくわかるぜ、アンサー」

「トッド」

 トッドはぐっとオレの方を向き、ばっと手を差し出した。その手を、がっちりと握った。オレたちは、わかりあったのだった。

 脇でショウはキャラミを説教していた。

「キャラミ、戦う理由は人それぞれだ。それをとやかく言うことはないんじゃないか。勝利という目的は誰も同じなんだ」

「それとも、大事な家族のためにっていうのは、誇り高き理由にならないかよ」

 トッドがグラス片手に口を挟んだ。

 キャラミは応えなかった。うつむき、背を向けて、ぽつりぽつりと歩いていった。

 声は、かけなかった。

 ここでオレが引き止めたりしたら、あいつはもっと惨めになる。

「賢明だ」

 エミールがオレたちの後ろに立っていた。さっきからの騒ぎを聞いていた顔だな、これは。

「君たちの態度は立派だった。ティン中尉も人間だ。おもしろくない気分のときもある」

「たしかに意外でしたね」

 ショウが応じた。オレも今更ながらに驚いていたが、あいつは連邦に祖国を蹂躙されたんだ。それでオレが地球生まれで連邦軍にいたということを知ったら、ああなるのも無理はないか。

「いや、オレは安心したね」

 横でトッドが笑い出した。

「いくら優等生のティン中尉殿だって、酔っ払っちまったら同じだってわかってよ」

 それはもうエアナイツでは有名な話だ。ペーパーテストでキャラミに勝てるヤツはいない。オレはといえば、

「モビルスーツに乗ってできることや普通にやっていることが答えられないとは、不思議なヤツだ」

 と、タイクーンに不思議がられる始末だ。

 おっと、脱線しちまった。キャラミだ。そう、あいつは成績で見れば、たしかに非の打ち所がまるでない。

 しかし、頭でわかっていることができなくなるのが戦場だ。「訓練」ってのと「実戦」ってのはまったく違う。オレもみっちり対サリー戦の訓練を積んだのに、ワイコロアで深追いしかけてアイス・ドールにおみまいされた。初陣ではなかったのに関わらず、だ。

「君の考えているとおり。今のままで実戦に出たら、間違いなく初陣で帰ってこない」

 エミールはまたあっさりと言ってくれるが、今のキャラミの感じていることはわかる…気がする。

 ――自分はこんなに努力しているのに、うまくいかない。成績も優秀なのに、どうして。

 グラスに残っていたビールを空けて、息をついた。

 気持ちはわかるが、そういうものじゃないんだ。

「そう。実戦では何が大事か。それを教えるのは君のような経験豊富な戦士よ。だからタイクーンは何があっても中尉から君を外さずにやってきた」

 それはなんとも意外な言葉だった。そうなのか。

「買いかぶりすぎですよ、教官。こいつはそんな上等なヤツじゃない」

「ちょっと待て。なんでおまえに言われなきゃならないんだ」

 また鼻を突っ込んできたトッドに言い返しながら、オレはもう笑ってしまっていた。

「せっかくだから、私にもあの運命のワイコロアの話を聞かせてもらえないかしら」

 エミールはオレの肩を叩いた。

 

 その一週間を暗礁空域で過ごしてしまったオレたちは、翌週、次の舞台へ向かった。月だ。

 重力下の戦闘。こいつが意味するところは、間違いない。来るべき地球上陸だ。

「シルヴァーストーンで連邦を跳ね返すことができれば、道は大きく開ける」

 アイス・ドールはそう言っていた。目先の戦いでいっぱいいっぱいのオレには、そういった戦略的視野は持てないから、そういうものかと思っただけだが。

 キャラミはというと、まったく変わらない。いや、ますます遠くなったと言った方がいいかな。訓練中でも最低限のコミュニケイションしか、オレたちの間にはない。こないだのことも、いくらかでも覚えているのか、何も言ってこない。もちろん、オレから掘り起こすつもりもない。

 ポイントは、それでもキャラミとオレの組がトップだった。

 連携の「れ」の字もないのになぜか。

 説明しよう。

 キャラミが例のごとく後先考えずに飛び出していくと、当然、教官につかまって追い回される。その教官をオレが撃ったというわけだ。図らずもキャラミが囮となっているおかげだが、これは勝利のひとつの形ではあっても、「オレたち」の勝利じゃないよなあ。

 答が見つからないまま、月の空に飛び出した。

 バランスを保つのが難しい。ファイアーブレードには重力圏を飛行する力があると言っても、推力だけで飛行してるんだから、当然か。

「敵機接近中。増速。2.0G、ヘッド・オン」

 キャラミの声がした。

「攻撃態勢に入る」

「了解」

 と応えておいて、キャラミの右翼上方につく。ひとまず好きにさせることにしていた。まずはヤツの得意なパターンとか癖とかをつかんでおこうと思ったからだ。そういったことがわかれば、フォローもしやすい。

 教官は上下の二手に分かれた。

「タリー1。一時の方向」

 キャラミは転針した。続いてエミールを追いながら、怪しいと感じた。何が、というわけじゃない。カンだ。

 エミールのサリーはキャラミの前でスウィングしている。ぎりぎりのところで捕捉を許していない。

 キャラミはもう熱くなってまるっきり頓着してないだろうが、オレは気づいていた。下に向かったタイクーンを見失った。

 さらに、いつしかオレたちの高度は落ちつつあった。

 考えろ。フリー・バードならどうする。アイス・ドールなら。

 あのふたりなら、もっと楽に料理する手を取る。有利なポイントを確保して。――前の岩山を回りこんだ陰、か。

 周囲の地形を走査してそう考えたとき、頭のうちに、ばりっ、と電撃のようなものが走った。

 タイクーンなら、向こうのクレーターから来る。

 そう思えたときにはすでに確信していた。エミールもちょうどその渓谷地帯を目指している。高度を下げながら。

「逃すか」

 キャラミも猛然と下降に移ったが、オレはその前に塞がった。

 タイクーンなら、絶対にオレたちの頭を抑えようとする。月面では高度で上回っている方が有利だ。しかも降りて上を見たら、オレたちの目は太陽に殺される。これじゃ、こっちから攻めるには、あまりに不確実だ。少し下がって待ち構えたほうがいい。

 キャラミは当然、オレの意を汲まなかった。攻め気満々で怒鳴ってきた。

「そこをどきなさい!」

 何言ってやがる。ここでオレがポジションを外したら、揃って撃墜されるんだぞ。

「タイクーンはそっちから来るんだ、わからねェのか!」

 キャラミは応えず、強引にねじ込んできた。大きく前に出た。

 そのとき受動警戒システムが叫んだ。

 エミールだった。魔法のように左手の渓谷から飛び出してきた。このときを狙っていたんだ。

 キャラミも回避機動に入ったが、エミールはダンスのように優雅な動きで背後に食いついた。

「言わんこっちゃねェ!」

 援護に走ろうとしたが、受動警戒システムがタイクーンの接近を告げた。最悪だ。こうなっちまうと、キャラミを助けるなんて無理だ。がんばってもらうしかないと思った矢先だった。

「!」

 声にならない叫びが聞こえて、見ると、キャラミが大きくバランスを崩していた。無茶な機動しやがって、ここが無重力じゃないってことを忘れたのか。

 ところが、事は思ったより重大だった。キャラミのファイアーブレードは錐揉みで落下していった。それも、とんでもない速度で。

「こ、高機動デヴァイス、アウト、フライ・バイ・ワイアー、アウト、現在操縦不能」

 エンジン制御も姿勢制御もできないってのか!

「メイデイ、メイデイ、ハンター01トラブル発生」

 エミールはすでに救難要請を飛ばしていた。

「アンサー、訓練は中止だ。ティン中尉、状況を知らせろ」

 タイクーンの声はさすがに冷静だったが、キャラミの応えはなかった。

「中尉、脱出しろ」

 応答なし。そこに母艦のファイターコマンドが割り込んできた。

「メタトロンよりコンバットエリアに滞空中の全機へ緊急連絡。ハンター01、ティン中尉は意識不明の模様」

 Gにノックアウトされたのか!

 考えている間はなかった。頭を下に向けて、スロットルを開いた。

「止めるつもり?」

「よせ、アンサー、君も落ちるぞ」

 教官の声は無視させていただくこととした。下が砂地だったら放っておくが、狙ったようにクレーターの岩山を目指してやがる。

 全開のパワーダイヴで追いつき、機を寄せてワイアー射出。鍵爪はキャラミのファイアーブレードに噛みついたが、途端に引きずられて、こっちまで嵐に揉まれる小船になっちまった。

「ンなくそぉーッ」

 引きずり返すしかない。委細かまわずスロットルを開いた。暴れまくる愛機の手綱を繰って、なんとか岩山直撃コースを外し、ワイアーをデタッチ。キャラミのファイアーブレードはまだくるくる回っていたが、向こうの砂地へ頭を向けて落ちていった。

 今度はオレの番だ。ともかくも立て直さなければ、と思ったときだった。聞いたことのない警報が鳴り始めた。

『脱出システム起動』

「なんだって」

 思わず叫んでしまっていた。起動させた覚えはないぞ。ファイアーブレードが自分で判断したってのか。

 いや、理由はすぐにわかった。

 正面、さっきまで上から見ていた岩山が恐ろしい勢いで迫ってきた。

『緊急ベイルアウト』

 視野の真ん中で赤い文字が二度瞬いて、グリーンに変わった。ぼん、というショックがあって、コクピット・カヴァーとモニター・キャノピーが吹き飛んだ。

 ほとんど同時にオレはシートごとファイアーブレードから弾き飛ばされていた。射出のコールも何もない。ひっくり返った視野にかすかに岩山が引っかかり、薄茶色の地面が見えたかと思うと、頭に大きなショックがあって、すべての現実がすうっと遠くなっていった。

 ったく、男だったら、おまえ、並のブッ飛ばされ方じゃすまねェぜ。

 意識が真っ暗になる直前、そんなことを喚いてた気がする。

 なんだ、オレもやっぱりあんまり変わっちゃねェな。

 

 実際、何がどうなったかというとだ。

 キャラミのファイアーブレードを放り投げたとき、オレは機体を反転させて背を下にしていた。要は背面飛行だ。

 そんなときだというのに脱出システムはきっちりと仕事をしてくれて、真下に打ち出されたオレはまともに月の大地にぶつかってしまったというわけだ。

 結果、宇宙軍病院への直行便に放り込まれ、治療と検査のフル・コースがおみまいされることとなった。脳震盪と軽い打ち身だっていうのに、大げさなことだ。

 白い天井を見つめながら、ひとつだけ確かにわかったことがある。

 キャラミは、前のオレだ。ビッグEに乗り込んだ当時のオレだ。

 勝手に走ってくオレを見て、フリー・バードやみんなもこんな思いでいたんだろうな。最初、アイス・ドールに思いっきり張り飛ばされたのも納得できるわ。

 そう。みんなは、オレをマシにしてくれたんだ。口では何も言わず、行動だけで。

 なのにオレときたら、何をやってるんだ。せっかくあのきつい坂を登りきったってのに。

「それに気づいただけでも上等だ」

 タイクーン。オレの頭に一杯の思いが丸見えってわけか。

「ひとつ、聞こう。なぜ、私が向こうから来るのがわかったのだ」

「見えました」

 きっぱり言うと、タイクーンの口元にかすかな笑みみたいのが浮いた。ベッド脇の椅子に腰を下ろして、

「その感覚を大事にしろ。最初は考えろ。次は、感じろ。体でつかめ」

 オレはといえば、なぜタイクーンが病室にいるのかがよくわからない。

「君がおとなしくベッドにいるかどうか、不安になったのでな」

 タイクーンはにんまりとした。

「最近のエアナイツはおとなしくていかん。前は、各期に一人は骨のあるヤツがいたものだが」

「そうなんですか」

「他人事のように言うな。君の同僚たちのことだぞ」

 ひょっとして、ガーディーのダンナやジャンのことか。

 驚いたが、納得もできてしまった。エアナイツの雰囲気ってものを考えたら、浮きまくってそうだ。特にダンナはな。

「スターバッカーズか。いい隊だ。トムでなければ、まとめきれんだろうが」

 タイクーンはまたにやりとした。

「もっとも、トムもかなり外れていたがな」

 トムのオヤジもエアナイツ出だったのか。

「そうだ。すばらしいパイロットだったぞ。トムが現役だったら、今ごろ君はベーコンのフライだな」

 ――右手を失いさえしなければ。

 タイクーンの呟きが聞こえた。が、タイクーンは口を開いていなかった。そして、その続きがタイクーンの口から出てくることもなかった。

「君のことは、もう何も出てこなくなるまで絞ってくれとトムに頼まれた。一刻も早く復帰しろ。君を待っている者もいるぞ」

 待っている?

「君のウィングマンだ」

 その言葉の意味は、復帰してすぐにわかった。

 たったの三日だってのに、ポイント差がほとんどない。キャラミのポイントは伸びておらず、ショウ・トッド組がとんでもない勢いで追撃していた。これァ、逆転されるかもしれない。

 いや。

 復帰したからには、また引き離してやるさ。

 その夜、明日の準備を整えてから、バスケットボールを持ってジムに出た。

 トレーニングしているヤツは結構いた。オレが顔を出すと近寄ってきて、なかなか手荒い祝福を受けた。それから、やはりポイントの話になった。

「このままだとショウとトッドが追いつくぞ」

「ああ、わかってる。でもまだ時間はある。だいじょうぶさ」

 すると連中はなぜか複雑な顔をした。

「それなんだけどな、アンサー」

「おまえの相方はガッツをなくしちまったぞ」

「どういうことだ」

「一緒に飛べばわかる」

 …あまりわかりたくねェな、そういうことは。

 翌朝、ブリーフィング・ルームで三日ぶりに対面した相方は、オレにひとつ頭を下げた。

「すまなかった」

「しょうがねェよ。メイン・コンピューターまで飛んじまったんならな」

 それより、とオレはキャラミを見た。

「どうしちまったんだよ。こんなんじゃ、首席で卒業なんてできねェぞ」

 キャラミは不機嫌な顔になった。

「上飛曹は自分の心配だけしていればいい」

 返ってきた言葉は前と変わりなかったが、声にも表情にも力がなかった。どうしちまったのかと思ったが、エアナイツは待ってくれない。次の日も、その次の日も、緩重力下での訓練は続き、キャラミがガッツをなくしちまったってのはこういうことかと思い知らされた。

 その日は教官にうまく分断されて、それぞれワン・オン・ワンで立ち向かうしかなくなった。

「ケルウィルよりハンター02。ワン・ボギー、エンゲージ。ヘッド・オン」

 ケルウィルの管制もかなりよくなったが、感心してる間はなかった。敵は正面だ。

「敵増速、1.6G」

「こちらハンター02、タリー1。攻撃態勢に移る」

 ここで逃して狭いところに行かれてしまったら暗礁空域の二の舞だ。

 オレはファイアーブレードのパワーを活かして、一気に詰めた。

 すれ違ってすぐに警戒システムがまた喚きだしたが、ケツにつかれることは予測済みだ。急激に引き起こして全開の垂直上昇に移る。

 サリーはシザースに入れようとしたが、そのときにはオレの照準レーザーが真上からおみまいされていた。

「なかなか見事だった。サリーの弱点をうまく突いたな。引き続きハンター01の援護に回れ」

「了解」

 教官の指示で援護に走ったが、その必要はないようだった。キャラミはいいポジションを確保し、二度の機動で絶好の位置につけた。

 教官のサリーは急降下で逃れようとした。しかしそれで逃れられるほどキャラミは甘くない。

 が、オレは目を疑ってしまった。

 なんと、キャラミは降下せず、離脱してしまったのだった。

 その後、教官機が連携して攻撃側に立ったので、オレも尻尾をまくしかなくなった。

「どうかしてるぞ」

 どうにも納得がいかなかったので、着艦してから強く言った。

「あんな絶好のポジションを放り出すなんて、攻め気あるのか」

「確実性が低いと判断した。それだけだ」

 キャラミの答えは残念ながら言い訳にしか聞こえなかった。また悩みの種がひとつ手に入っちまった。この土壇場で。

 

「あなたがアンサーね」

 最終週の前の休みにタイクーンを訪ねたときのことだ。玄関に現れたタイクーンの奥さんにいきなり言われた。

「どうして知っているんです」

「あなたの名前は主人の口からよく聞くわ」

 そ、それはいったい? どんなことを家で言っているのか実に気になったが、奥さんはタイクーンを呼びに行ってしまった。

 現れたタイクーンは、なぜか楽しそうな顔をしていた。聞かれて見舞いの礼だというと、ほんとうに笑い出した。

「律儀だな。しかし、礼を言ってもポイントは増えんぞ」

 な、なんてヤツだ。オレは息を呑んだ。そんなみっともない真似をオレがするわけねェだろう! …と思ってから気づく。タイクーンはニュータイプだと。

「君はほんとうにわかりやすいな」

 タイクーンはにやりとした。

「今日はゆっくりしていくといい」

 タイクーンは官舎裏手の庭に案内してくれた。真夏の鮮やかな花がたくさん咲いていて、きれいな場所だった。輝く芝生に置かれた白いテーブルにつくと、奥さんが冷えた茶を振舞ってくれた。桃色の花びらの浮いた、香ばしい茶だった。

「君の身体能力はたいしたものだな。三日で退院してくるとは」

「三日が限度ですね。三日以上居ろと言われたら、脱走します」

 タイクーンは笑った。ふと、キャラミのことを尋ねてみようかと考えた。萎縮してしまっているが、どうすればいいのかと。でもオレが聞くのも変かもな。どうしたものかと考えているうちに、奥さんがまたやってきた。

「あなた、ティン中尉がいらしたわよ」

 キャラミが?

 いったいどうしたんだ。

 いや、いずれにしてもオレがいたら話し難いだろう。外そうとしたら、

 ――ここにいたまえ。

 タイクーンに黙って言われ、仕方なく座り直した。

 すこししてキャラミが現れた。

 思いつめた顔をしている。オレがいることも目に入ってなさそうだ。

「座りたまえ」

 タイクーンに言われてキャラミはオレの向かいに座った。

「今日はどうした、中尉」

「は。あ、あの…お聞きしたいことがありまして」

「私にか。何だね」

 タイクーンが水を向けても、キャラミはしばらくもじもじしていた。まるで、初めてのデイトだ。しかし聞いたことはとんでもなかった。

「ルーキーが初めて敵と遭遇したとき、撃墜される確率はどのようなものでしょうか」

 驚いてしまった。縁起でもねえ…どうしてそんなことを聞くんだ。

「この大戦では、平均して七パーセントだ」

 タイクーンは即答した。

「もちろん、戦闘経験が増えると生存率も増す」

 キャラミはうなずいた。しかし、それはキャラミの知りたい答ではないと、わかっていた。いったいどういったわけでタイクーンを尋ねてきたんだろう。真意がわからない。

 オレが首をひねっている間に、タイクーンは話を始めた。

「今の問いに関係した話だが、パイロットは画然と二者に峻別される」

「二者に、ですか」

「エースと、ターゲットだ」

 タイクーンの答は血も涙もなかった。

「中間はない。並のパイロットというものは存在しないのだ」

 ここでタイクーンはブライトンの戦いを例に挙げた。あの、恐るべき規模で続くモビルスーツ戦を。

「敵機を撃墜したことのあるパイロットは全体の半分だが、エースは全体の五パーセントに満たない。これはどういう意味を持つか、わかるか」

 オレは左右に首を振った。キャラミもだ。するとタイクーンはまたとんでもないことを言った。

「残り九十五パーセントのパイロットは、空戦で犠牲になるのを待っているようなものだ、ということだ」

 唖然とした。死刑宣告じゃねェか。まるで。エースになれなければ、撃ち落とされるだけだってのか。

「君たちは、エースになるための資質について、考えたことはあるか」

 タイクーンはオレとキャラミとを交互に見て静かに尋ねてきた。

「考えたことはあります」

 キャラミはそう応えた。

「しかし、はっきりとはわかりません。今もなお」

 オレもまったく同じだ。タイクーンは、ふむ、とうなずくとあごに手をやって、

「エースになるための資質というものは、私にも明確に示すことはできない。もっとも実際に戦えば、天性の殺し屋は誰で、標的になるのは誰か、すぐにわかる」

 タイクーン流の冗談だが、とても笑えなかった。

「操縦技術に優れ、十分に訓練と経験を積めば」

 とオレは言ったが、タイクーンは首を振った。

「撃墜されなくはなるが、それだけではエースになれない」

 じゃあエアナイツでオレたちは今まで何をしてきたんだ。

 オレがそう思うことなど予測済みだったんだろう、タイクーンは不敵に笑った。

「その『何か』をつかんでもらいたい。そのためのエアナイツだ」

 言われてみればもっともだ。しかしキャラミはうなずかず、タイクーンを見つめていた。

「しかし、私はもう以前のように飛べません。どうすればいいでしょうか」

 オレはキャラミがタイクーンを訪ねたわけを理解した。キャラミのヤツ、そこまで追い詰められていたのか。

 タイクーンはキャラミを見つめて、静かに答えた。

「自分で考えて判断したまえ。それがパイロットだ」

「わかりました。せっかくの休日なのに、お邪魔して申し訳ありません」

 キャラミはもう、かわいそうなくらいにしょげ返ってしまった。敬礼をすると、背中を向けてとぼとぼ歩き始めた。

 オレもつい立ち上がった。タイクーンを見ると、わかった顔をしていた。

「次の機会にゆっくりと訪れてくれ」

 敬礼をして、急いで後を追った。玄関を出て、エレカーに乗ろうとしたところでつかまえた。

「中尉!」

「ああ、上飛曹か」

 オレはサイドシートに飛び乗った。

「何か用か」

「しけた顔してるからよ」

「何を言っている。そんなことはない」

 とすかさず答えるのがいつものキャラミだが、今日は、

「そうかな。そうかもしれない」

 と、呟いただけだった。

「今日はどうしてタイクーン教官を訪ねた?」

 基地への道を走りながら、キャラミはいきなり尋ねてきた。不安そうに。

「見舞いの礼を言いに来たんだ」

 どうしてそんなことを聞く、と聞き返すと、キャラミは予想もつかないことを言った。

「ウィングマンを変えてほしいと直訴しに来たのかと」

「何バカ言ってんだ。だいたい、実戦じゃ選択の余地はないんだぜ」

 笑ってしまったが、キャラミはにこりともしていない。本気で聞いたのかよ。

「…実戦、か」

 ぽつっとつぶやいた。

「もうひとつ聞いていい?」

「いいよ」

「怖くは、なかったの?」

「実戦が、か」

 聞き返したが、キャラミはじっとオレの答えを待っている。

「怖かったさ。もちろん」

 正直に応えた。

「誰だって同じだ。怖くない奴なんていない。そいつをどう乗り越えるかってのは、うまく言えないけど、一人一人の問題だと思う。こうすりゃ怖くなくなるなんて呪文みたいなのはないんだし」

 あやうく、怖いのか、と聞きそうになって、急いで違うことを言った。

「オレの隊のボスは、恐怖や緊張とダンスできるヤツがほんとうに強いって言ってたな」

 トムの言葉だが、ダンナもジャンもフリー・バードもアイス・ドールも、余裕でダンスしていそうだ。

「どうやって乗り越えた?」

「いやになるほどの訓練を思い出して、自分に言い聞かせた。あれだけの目を見せられて、死ぬはずがないってな。この先はこのエアナイツの訓練を思い出すんだろうな」

「そうか…私にはできそうもないな」

 キャラミは目を伏せた。こりゃほんとうに重症だ。

 ため息をついたオレの目に、ココモ・アヴェニューの賑わいが眩しく映った。

「せっかくだから、どっか寄っていこうぜ。このまま基地に戻ったって退屈だろ」

 ステアリングを握るキャラミは明らかに気乗りしていない顔だった。しかし意を決したようにエレカーを路肩に寄せて停めた。

 オレたちは『ママ・キン』という街角のキャフェに腰を据えた。しかしキャラミはオーダーのときしか口を開かなかった。

「お待たせいたしました」

 オーダーしたものが運ばれてきて、すこしほっとした。オレはギネス、キャラミはアッサムだ。

「酒は」

「もう飲まない」

 キャラミはきっぱり答えた。あのときのことが尾を引いているのかもしれない。

「実は…」

 キャラミは茶に目を落とし、ティースプーンをくるくる回しながら口を開いた。

「今日、タイクーン教官を訪れたのは、降りる意思を伝えるためだ」

「なんだって」

 オレは叫んで立ち上がってしまい、そこらの目をすべて集めてしまった。しかしかまっていられなかった。

「降りるだって? もう卒業だっていうのにか」

 キャラミは力なくかぶりを振った。

「伝えそこなった。上飛曹がいたからな」

 ほっとした。そんなこと、別にオレのせいでいい。それより!

「本気で言ってるのか。そんな、降りるなんてことを」

 キャラミはうなずいてくれちまって、まったく…

「私は…もうダメだ。戦闘機動さえ、できない」

「ンな簡単にピリオド打つんじゃねェよ。ここで降りたら、ほんとうにダメになっちまうだろう」

「でも…」

「でももクソもあるか。初日に首席卒業するってトッドに啖呵切ったのはブラフか」

「そんなこと、もうどうでもよくなった」

「どうでもいいってなんだよ。あんたは何のためにモビルスーツに乗ってここまで来たんだ。自分の国がどうなってもいいのか。連邦に踏み躙られたままでいいのかよ。それとも、あんたの誇りってのはそんなものか」

 キャラミは手をひざの上できゅっと握り締めた。が、応えない。さすがにため息しか出て来ない。ほんとうに終わっちまったのかよ。

「オレにこうまで言われて、なんとも思わねェのか」

「…くやしい。くやしいよ。自分自身が」

 瞳から涙がぽろぽろ滴り落ちた。あまりにもうまくいかなくなって、いやになっちまったのか。それならオレなんてどうなるってんだ。

「だからよ、もっとしぶとく行けよ。あきらめの悪いヤツが最後に勝つんだぞ。あきらめるな、絶対、絶対、絶対にだ!」

 どうして励ましているのかよくわからなかったが、キャラミがしっかりうなずくまで、同じようなことを延々と繰り返して言った。

 でも涙はなかなか止まらない。オレはウェイターを呼んで、ティーカップにブランディーを注いでもらった。

「そんな気分じゃない」

 うるせェ、と答えた。

「そんな気分じゃないから、飲むんだ。あんたが泣いてる女じゃなかったら、とっくにケツ蹴り飛ばしてるぞ」

 キャラミは小さく笑った。

「もう何人も蹴飛ばしてきたのね」

「うらやましいだろう」

 キャラミは笑い出した。泣いたすぐ後だったから、ちょっと咳き込んだ。

「なんだか、泣いているのがばかばかしくなってきた」

「そのとおりさ」

 オレはティー・カップをキャラミの前にどんと置いた。キャラミは目をまん丸にした。

「もう降りるなんて言わないと誓うか」

「え、…いきなり何?」

「ここで降りないと誓えるなら、この茶を飲め。誓えないなら、今から港に送ってやる」

 睨みつけるとキャラミもオレの目を鋭く見返した。

「私の答は、これよ」

 手をカップに伸ばすと、勢いよく傾けた。ヤバイ、と思ったが後の祭りだ。キャラミは思い切りむせ返ってしまった。

「な、なんなのこのお茶…ほとんどブランディーじゃないの」

「気付け薬だから多めにしてもらった。目が覚めただろ」

「おかげさまで…この借りは必ず返すわよ」

 キャラミはしばらく咳き込んで違う涙にむせた。ようやく一矢報えた気がするぜ。

 

 エアナイツ最後の週は卒業試験だ。筆記から実技まで、メニューはフルセット。さすがにここまで生き残ったヤツが滑ることはないが、筆記試験には冷や汗をかかせてもらった。

「この間の分を利子つきで返すわ」

 と、キャラミ先生に特別授業をしてもらわなければ、かなり危なかった。

 筆記が終わると、実技試験が待っている。

「今日は全員、一斉に飛ぶ」

 実技試験の朝、ブリーフィング・ルームでタイクーンは告げた。

「この最後の戦技フライトは試験も兼ねている。気を引き締めて当たってもらいたい。質問は」

 挙手なし。

「よろしい。出撃準備だ」

 解散となった。

「最後だ、きめようぜ」

 誰かがそんなことを言った。最初から気づいていたが、オレたちの間には、不思議な熱気のようなものがたしかにあった。今日が最後だから、みんな気合が入っているんだろう。もちろん、オレもトップの座をみすみすくれてやるつもりはない。出ようとしたところ、トッドが立ち塞がった。

「悪いけど、勝たせてもらうぜ」

「言ってろよ」

 言い返してキャラミを見ると、もう顔が青い。ヤバイな。

「中尉、気分はどうだい」

「あ、ああ。だいじょうぶだ」

 その声が不安でいっぱいだ。

「不本意かもしれないが、今日はオレについてきてくれ」

 キャラミは首をどっちにも振らず、オレをただ見ていた。

「だいじょうぶだ。今日は宇宙だから、落ちるこたァない」

「そうだな。頼む…すまないが」

「まかせな!」

 隊にいたときやっていたように、キャラミの背中をぱんと叩いてしまった。一瞬、やっちまった、と思ったが、キャラミは反応しない。どころか、ちょっとよろけた。

 募る不安を蹴り出して愛機に搭乗、天に出た。

 コンバットエリアに向かう途中、キャラミのファイアーブレードが左手をさっと挙げた。機を寄せて接触通信で尋ねた。

「どうした」

「作戦などはあるのか」

「ない」

 きっぱりと答えた。キャラミは唖然としたようだった。

「ない?」

「そのときそのときの一瞬の判断に従えばいいだろ。今までと同じように」

「そうではなく、連携についてだ」

 失礼だとわかっているが、驚いてしまった。キャラミの口から「連携」という言葉が出てくるとは。いや、もちろん嬉しかったぜ。

「どっちかがポジションを取ったら、その背中をカヴァーする。それだけさ」

 こいつはアイス・ドールの受け売りだ。

「位置取りは、互いに互いの視野を邪魔しないことが基本だ。とにかくオレはあんたを見失わないから、あんたもオレがどこにいるかを常に把握しておいてくれ」

「了解した」

 離れてゆくキャラミを見て、最初からこうだったらなあ、と思ったが、やっとここまで来たという思いの方が強かった。行ける気がしてきた。やってやるぜ!

 一〇〇〇、試験開始。

 オレとキャラミはコロニー前面に浮かぶ岩塊に張り付いて天を睨んでいた。お題は迎撃戦闘。教官が攻めてくるのを迎え撃つという、今までと逆のパターンだ。勝手が違ううえに「待つ」というのは神経をすり減らす。キャラミが心配だが、話し続けるわけにもいかない。

「ケルウィルよりハンター01、ハンター02へ。敵二機接近中。方位トリプル2」

 来たか。了解を返すと、さらに、

「敵機増速。1.9G」

 キャラミのファイアーブレードが顔をオレに向けた。

「待て」

 と手で制して、閃光弾を投げた。

 超新星のような輝きが暗い宇宙を切り裂いた。

 その奥に、かすかなミノフスキー・ドライヴの航跡光を捉えた。

「こちらハンター02。タリー1。攻撃態勢に移る」

 同時にキャラミに手を振って、飛び出した。

 ファイアーブレードのパワーはやはりすごい。あっという間に光る砂粒がサリーの形になった。ドッグファイト・スゥイッチを入れてマスター・アームを入れる。TDボックスがサリーを囲み、オレはダッシュした。

「いただく!」

 しかし、後一歩のところでサリーは身を翻して視野から飛び出した。その直前、オレの目は捉えていた。黄色い頭とつま先…タイクーンか!

 警報が鳴った。

「ケルウィルよりハンター01、エンゲージ。ブレイク・スターボード」

「後ろに気をつけろ!」

 キャラミは右に急旋回、上から降ってきたもう一機のサリーをかわした。

 サリーも引き起こしてキャラミを追尾し始めた。

 オレは反転してその頭を押さえつける。

 そこにタイクーンも飛び込んできて、大乱戦となった。

「しまった」

 後ろにつこうとするサリーをとにかく振り切ろうと、かなり滅茶苦茶な機動をしていたキャラミは急制動でオーヴァーシュート、大きくバランスを崩してしまった。

「やっぱり…だめだ」

 とっさに立て直して回復したものの、そんな声がしたかと思うと、キャラミはコンバットエリアの外殻へ向かおうとした。

「ケルウィルよりハンター01、そのコースではコンバットエリアを逸脱してしまうわ」

 ファイターコマンドの呼びかけにも答えず、キャラミはぼーっと慣性航行を続けている。

 その間にも、二機のサリーはこっちに猛然と向かってきた。

「くそッ」

 下に追い詰めるべく、オレは上下反転、降下した。

 が、サリーは左右に分かれて囲い込みをかけてきたッ。

「ハンター02、ブレイク・ポート」

「敵増速、エンゲージ、左旋回」

「後方警戒! 後ろを見て!」

 ケルウィルも必死だ。管制のはずが、一緒に飛んで戦っている言い方になってきた。

 二機のサリーは魔術のようにあらゆる方向から仕掛けてくる。なのにいったい何をやってるんだ!

「キャラミ! 実戦だったら、オレがあんたのケツを吹っ飛ばすぞ!」

「…上飛曹」

 今にも泣きそうな呟きが返ってきた。

「私を、守って!」

 弾けた叫び声がしたかと思うと、コンバットエリア外殻から、キャラミは飢えた野獣のように駆け戻ってきた。今しもオレに食いつこうとしていたサリーの背を取った。あっという間に。

 しかし教官もさるもの、サリーは木の葉のように反転急降下。キャラミにはまさに目の前から消えたように見えたはずだ。――が、

「そこよッ!」

 キャラミはVPBRを振り回すようにして連射、強引に照準レーザーの雨を浴びせかけ、着弾四。文句なしの撃墜だ。

 残ったのは、問題のタイクーンだ。今のドッグファイトの間に姿をくらませていた。

 オレは岩塊を前に左手を挙げて、拳を固めた。キャラミはうなずいて、凝固した。

 いる。

 オレのカンがそう言っている。

 岩塊の陰、下から回って出てくると。

 キャラミに向かって、上に大きく手を振った。キャラミが上に回ったのを見て、下へ進んだ。

 突然、Tレーダーに反応、中‐近距離自動索敵モードに切り替わった。

 しかし捉えた目標は小さい。やけに。

「ファンネルだ! 警戒しろ!」

 キャラミに呼びかけたと同時に、トリガーを引いていた。飛び出してきた影の頭が黄色く光った。

「着弾三を確認」

 ケルウィルはちゃんとチェックしてくれていたが、そいつは後だ。タイクーンは上に行った!

 頭を出してみると、キャラミとタイクーンの一騎打ちが始まっていた。

「逃さない!」

 キャラミはもう完全に吹っ切れていた。すごい気迫でタイクーンに立ち向かっていた。

 オレはキャラミの右翼上方について、フォローに徹した。アイス・ドールとの呼吸を思い出しながら。

「ここまで激しく追いつ追われつだと、ファンネルも使えないだろう!」

 オレの援護射撃から引こうとしたタイクーンの鼻先をかすめるように牽制して、引き起こす間にキャラミも左に旋回、偶然にもオレを追うタイクーンの後ろについた。

「キャラミ撃て!」

 キャラミは撃った。タイクーンは見事な機動で回避した。しかし速度は死んだ。サリーは、高速で急激に方向転換ができない。

「押し込め!」

「わかった!」

 コロニーに向かって降下するタイクーンを、キャラミは一直線に追った。

 続こうとしたオレの耳を、照準捕捉警報が打った。

 見ると、三基のファンネルがオレを見据えていた。

 

 結局、キャラミは首席を逃した。タイクーンを撃墜するという大金星を獲ったというのに、よりによって、ウィングマンのオレが撃墜されちまった。

「見事な連携だった」

 タイクーンは評価してくれた。

「この呼吸で経験を積めば、視野も大きく取れて、今のようなトラップにかかることもなくなるだろう」

 ほめられても、撃墜されちまったのは事実だ…こりゃ合わせる顔がねェとヘコんでいたら、キャラミの、自分が撃墜されたような声がした。

「…すまない。フォローできなかった。私が最初から連携をきちんと考えていれば…」

 謝ることはねェよ、と応えた。

「実はオレもそうだった。連携なんて端から頭になくて、仲間に散々迷惑をかけてきた」

「そう…なの」

「だから、あんたが実戦に出る前に気づいてくれて、よかったぜ」

 視野の真ん中に窓が開いて、キャラミが顔を出した。微笑んでいた。

「…ありがとう、アンサー」

 

 卒業式。

 講堂はやけに広く感じた。そのはずだった。最初は大勢いた仲間も、九週間経ってみると、四分の一にまで減っていた。

 無事生き抜いた面々には、白金のウィングマークが渡される。一人、また一人とタイクーンからエアナイツ卒業の証が渡される度に拍手が沸き起こる。栄光の瞬間だ。

「アレン・アイヴァースン・アーシタ少尉」

 そうなんだ。オレは戦時任官で少尉に昇進した。胸を張って歩み出た。

「卒業おめでとう」

 卒業証書と白金のウィングマークを手渡され、握手をしたとき、タイクーンの声がした。

 ――君はほんとうによくやった。

 はっとして顔を挙げると、タイクーンはにやりとした。白金のウィングマークよりも、嬉しかった。

 最後にいよいよエアナイツ・トロフィー授与だ。ショウとトッドが前に出ると、割れんばかりの大拍手だ。

「誰よりもまず、最後にボケてくれたアンサーに感謝しなけりゃな」

 ショウが手堅いコメントをしたからジョークを飛ばさねばとでも思ったのか、トッドはぬけぬけと言いやがった。後でプールに突き落としておいたのは言うまでもない。

 式の後は引き続いてパーティーになった。会場の庭園に向かうみんなの手にはなぜか純白の封筒があった。ウィングマークとともに渡されたものだが、表にも裏にも何も記されていない。なんだろうと思っていると、

「諸君、封筒には卒業後の配属書類が収められている」

 エミールの声でざわめきはぴたりと収まった。水を打ったように。

「反攻に備えて機動戦力の再整備が行われている関係上、原隊に復帰とならない者もいる」

 ショウとトッドは顔を見合わせ、オレも自分の今手にしている純白の封筒が重みを増したように感じた。ひょっとしたら、ビッグEに帰れないっていうことか。

「しっかり確認してくれたまえ」

 言われるまでもない。封を切った。急いで目を走らせると、

『空母エンタープライズ所属 第七戦闘機動隊』

 ヘッ、原隊復帰かよ。

 見ると、キャラミは複雑な顔をしている。

「あんたは」

「いったんマラネロの第三重機動軍団に戻る」

 そうだった。キャラミの国は占領下だ。聞いちまったことを後悔していると、ショウがフォローしてくれた。

「でも、後々オールド・ハイランドの空母に乗ることは間違いないだろう」

「そうね。ブライトンの戦いも終息に向かっているという話だし」

 キャラミはやっと笑った。

「早く祖国を救うために戦いたいわ。あなたたちは」

「原隊復帰。でも艦はシャングリラだ」

「またこれからも同じかと思うと何だけど、オールド・ハイランド最新鋭の攻撃空母シャングリラに乗れるから、まあ我慢してやるよ」

 トッドの減らず口もしばしのおさらばか。妙な感慨を覚えつつ、ショウに手を差し出した。

「エアナイツ・トロフィー、おめでとう」

「ありがとう。君のおかげでとても充実した九週間だった。また会おう」

「だいじょうぶだ。こいつは殺したって死なない」

 トッドはにやにやして手を差し出してよこした。

「くれぐれもビッグEの最強伝説を終わらせることのないようにな」

「おまえこそ、シャングリラにミソつけるなよ」

 オレたちは互いに相手の手を握りつぶすくらいの力で握手をした。

 それから二人のところにはみんなが続々と祝福に訪れた。弾き出される形になったオレとキャラミはプール脇のテーブルについた。

「次席卒業、おめでとう」

 キャラミに言われて、噴き出しちまった。冗談がうまくなったもんだ。

「けど、あのとき一度も見舞いに来なかったってのは、たいしたもんだよな」

 ついつい軽口を叩いちまった。帰るのがビッグEとわかってから、なんだか妙にハイになっていたし。

 そしたら、キャラミのやつ、なんだか口ン中でもごもご言ってる。歯になんか挟まったみたく。例のごとくスカーンと強烈な返しが来ると思ってたから、拍子抜けしちまった。

「行ったわ。あなたが担ぎ込まれたその日に」

「そうだったのか」

 意外に思って聞くと、キャラミは目をそらしてうなずいた。

「正直に言うわ。私はあなたに勝とうとしていた」

「オレに、か」

「あなたはサリーと交戦して生き残ったばかりか、あの運命のワイコロアでサリーを撃墜…それに引き換え、私には何もなかった。初陣さえまだだし、だったら…せめて訓練であってもサリーに勝てると自分に証明したくて」

「なるほどな」

 その気持ちは実によくわかった。

「ほんとうにバカだった。後悔しても、もう遅いけど」

「遅かねェよ。気づいて立ち直っただろう」

 オレは本気で言ったのだが、キャラミはまるで違うことを言った。

「結局あなたは、最後まで私に敬語を使わなかったわね」

「敬語の辞書は持ってない。多分」

 キャラミはくすくす笑い出した。まったく、そういう顔して笑えるなら、最初からその顔でいろよ。

「言葉づかいだけじゃない。態度も大きくて、モビルスーツの操縦も天才的に無茶。なのに年も下で階級も下」

「だから癪に障って仕方がなかったんだろ」

 キャラミは笑ってオレのあごをちょんとつまんだ。

「一番癪に障るのは、そういうパイロットに恋してしまったことよ」

 

 翌朝。

 夜明け前の薄闇のなか、ラッツェンバーガー基地をゆっくりと歩いて一巡りした。

 キャラミはしみじみと言った。

「振り返ってみたら、昨日のことのようだわ」

「そうだな。地獄って言葉なんかじゃ表せないほどいろいろな目を見させてもらったけど、離れがたい気持ちになる」

「ほんとうね」

 そのまましばらく歩いて、陸地と窓の境界まで来た。フェンスにもたれて、光を増しつつあるミラーを見上げた。

 キャラミは黙っている。オレもだ。この夜が明けると、別れのときが訪れる。

「もう会えないみたいな顔するなよ」

 うつむいていたキャラミの顔を挙げさせた。

「こいつが今生の別れだなんて、オレはちっとも思っちゃいねェぞ。この戦もいつかは終わるんだ」

「ええ。――アンサー」

 キャラミはオレの手を取った。

「所属が決まったら、伝えていいかしら」

「伝えてくれ。真っ先に」

 キャラミは笑った。笑って、泣いていた。

 

 オレの話はもうちょっと続く。

 ビッグEに戻った日のことだ。荷物をベッドに放り込んで、さーて久々に人間的な食事を楽しむとするか! と気合を入れてメス・ホールへ向かった。

 すると、入口のところに心細そうなウェッブが一人。

 ふと目が合ったんで、挨拶をした。

「スターバッカーズのアーシタ少尉だ」

「この度エンタープライズ配属となった航宙管制官のホーリー・アンブライト准尉です。よろしくお願いいたします」

 ウェッブはぴしりと敬礼をしてきた。その声には聞き覚えがあった。顔だちにも。ひょっとして、

「ケルウィルか」

 准尉はにこっとした。

「忘れられたかと思いました」

「すまねェ。これからまた世話になるってことだな。よろしくな」

 そこにパルテール少尉が向こうからやってきた。

「パルテール少尉!」

 前なら間違えてもそんなことはしなかっただろうが、当たり前のように声をかけていた。

「准尉はこれから少尉の手下なんでしょ? 一緒にメシくらい食ってやったら?」

「手下だなんて、海賊みたいね」

 少尉はくすくす笑って、

「あなたも一緒にどう? エアナイツの話を聞かせてくれない?」

 そんなわけで、戻って早々、ふたりのおきれいなウェッブと同席するという、前なら考えられない幸運に恵まれた。すっかり上機嫌でエアナイツの話をおまけつきで披露していると、ふいに頭上が曇って、

「なんだァ? 戻ってきていきなりきれいどころとお食事ってのは。このおれになんの断りもなく」

「おまえ、エアナイツで何習ってきたんだよ」

 凸凹コンビ、あいかわらずだ。再会の喜びも何もねェぜ。

「何言ってんだ。オレがどんだけの地獄を見て来たかわかってるのかよ」

 するとダンナはなぜかにんまりしたもんだ。ジャンに拳を突き出した。

「よーし、ジャン、賭けはおれの勝ちだぜ」

「賭け?」

「おうよ。ジャンはおまえが更生して戻ってくるって方。おれは、ンなこたありえないって方」

 こ、この人らはオレをなんだと思ってるんだ?

「ケツの毛まで毟られて、がっくり肩落として帰ってくるって信じてたんだけどな…」

 ジャンは恨みがましい目をしていたが、そんなの知ったことか。

 すっかり力が抜けちまったとこに、ダンナは一枚のカードを滑らせてよこした。なぜか、スィーズ銀行のカードだった。

「エアナイツ卒業、及び、昇進のご褒美だ。みんなでカンパして口座を設けた。二人ばかり地球から引っ張り上げられるくらいの額はある」

 な、なんだって?

 オレは唖然としてふたりを見上げた。

「なんでそれを…?」

「おれたちの諜報網は侮れないってことよ」

「腑抜けて帰ってきたら強制送還の切符代にするつもりだったが、賭けはガーディーの勝ちだったからな」

「言い出したのはアイス・ドールだからな。戦闘中に余計なことを考えられたら戦力が低下する、だと」

 ダンナはオレの肩をばんばん叩いた。ジャンもにやにやしていたが、オレはもう何も食えそうもなかった。腹いっぱいじゃなかったが、その上のところがもういっぱいだった。奥歯をかみ締めて、こみ上げて来ようとするものを必死にこらえた。ありがとうさえ言えなかった。

「卒業おめでとう。アンサー」

 うわさをすれば影、だ。この冷ややかなお声。振り返るまでもない。

「モビルスーツ戦のABCはいやでも身についたはずだから、うまくやってくれることを願うわ」

 そのお言葉は、うまくやらなかったらぶっ飛ばす、としか聞こえず…やっと「戻って来た」って感じになってきたぜ。

「礼を言う。ほんとうにありがとう」

 立ち上がってびしっと敬礼すると、アイス・ドールは返礼しつつ、かすかに困った顔をしてダンナとジャンに目をやった。どうしてばらしたのよ、と言っているのがわかった。ダンナもジャンも知らん顔だ。アイス・ドールのこの顔を見たかったんだろう。

「ところで鬼軍曹は誰」

 アイス・ドールは気を取り直したように尋ねてきた。

「タイクーン」

 応えると、アイス・ドールは「うっ」と、何か喉つまりでもしたような顔をした。そんな顔を見たのは、もちろん初めてだ。

「思い出したくもない…」

 ジャンもげんなりした。ダンナは逆に笑い出した。

「あのオヤジ、まーだがんばってんだ!」

 オヤジといえば、うちの大ボス、トムのオヤジに挨拶しに行ったときだ。どうだったかを聞かれて、

「揉まれました。ひたすら、揉まれました」

 率直に応えると、オヤジは声を挙げて笑い出した。驚いたぜ。そんな顔は見たことなかったからな。

「タイクーンから話は聞いていた。彼に認めてもらえるとは、たいしたものだぞ」

 肩を叩かれた。えらい力で。

「ともかく君が間に合ったのは嬉しい」

 その言い方も顔もほんとうに嬉しそうだったから、どういった風の吹き回しかと思っていると、こういうことだった。

「次の出撃までにもう一個の戦闘機動隊が編成されて、ビッグEに乗り組んでくる。君は彼等の最高の仮想敵になってくれるだろう。存分に鍛えてやってくれ」

 その話は、隊の全員が知っていた。

「パイロットたちはルーキーだが、リーダーはプラチナのウィングマークらしい」

 とフリー・バードは言った。近くなったらもっと詳しいこともわかるだろうとも言っていたが、そういったことも猛訓練の繰り返しのなかで忘れちまった。どうでもいいと言ってしまったら乱暴だが、ともかく連中が来てからの話だろうと。

 ところが、それはどうでもいいことではなかった。

 訓練終了後、アイス・ドールの組み上げた戦技プランをオヤジのもとへ持っていったときのことだ。ドアが開いて現れたのは、

「き、キャラミ?」

 オレは頭のうちで叫んだ。実際に声は出なかった。そのくらい驚いていたんだ。

「紹介しておく。新編成された第二十一戦闘機動隊、ライトニングストライクス・リーダーのキャラミ・ティン大尉だ」

「よろしく」

 キャラミはぴしりと敬礼した。返礼したが、目の前にいるのが信じられない。

「ちょうどいい。アンサー、艦内の案内を頼む」

 オヤジに言われて、オレはキャラミを引き連れてビッグEを一周した。ついでに各部署への挨拶回りもすませ、最後に居住区を案内して、逢引部屋に入った。

「中型でもけっこう広いのね」

「空母だからね。シャングリラはビッグEの五割増しらしいから、ショウとトッドのヤツ、簡単に迷子になるぞ」

 キャラミは笑った。そして違うことを尋ねてきた。

「現在のコンディションは」

「グリーン」

 言ったか言わないかのうちに、ぎゅう、と抱きしめられた。

「会いたかった」

 耳元でささやかれ、オレも腕をキャラミの背に回していいものかと迷っているところに、

「――新しい戦闘機動隊の隊長が来たとトムが言っていたよ」

「しかも女性らしい」

「となれば、やはりおれだな」

「どうしてそういう話になるの」

 そんな声が聞こえてきたと思ったら、なんと間の悪いことにドアが開いて、

「あ」

「おいおい」

「アンサー」

「…」

 あわてて離れたが、後の祭りだ。

「ライトニングストライクス・リーダーのキャラミ・ティン大尉です。よろしくお願いいたします」

 キャラミはぴしっと敬礼したが、みんなにやにやしてやがる。しまらねェ。

 それぞれ自己紹介した後でフリー・バードが尋ねた。

「大尉はエアナイツ出身なのか」

「はい。今期の卒業生です」

「もしかしてアンサーと組んでいた?」

 今度はアイス・ドールが尋ねた。

「ええ」

 うなずいたキャラミを、アイス・ドールは「ふぅーん」という目で、じっくりと見た。それからおもむろに口を開いた。

「ひとつ告げておくわ。アンサーがほんとうに咬みついてくるのはこれからよ」

「は?」

「私のお尻はもう歯形だらけ」

「…はあ?」

 キャラミの目は大きく見開かれた。オレも絶句していた。いったい何を言ってるんだと思ったら、にこりともせず、

「どうしたの、そんな顔をして。モビルスーツのことに決まってるでしょう」

 後ろでフリー・バードが腹を抱えて笑い出した。ここまでこらえていたらしい。…それにしてもなんてこと言いやがる。

「なるほどな。一緒に飛んでいるうちに、ここまで親密な関係になったというわけか」

「何をおっしゃいますかまったく」

 バカ言いながらオレを遠慮なしに覗き込んできたダンナに、ジャンが茶々を入れた。

「栄光のエアナイツにおいて、よりによって戦技アドヴァイザーを口説き落としたという秀逸な逸話を残したパイロットもいらっしゃるではありませんか、ベルガー少佐殿」

「伝説といってほしいものだな、アレジ中尉」

 ダンナは鼻高々だが、アイス・ドールは、ほっ、とため息をついた。マジで呆れ返ってる。ムリもない。

「エアナイツはやはり楽しそうだな。俺ももう一度トムに打診してみるかな。――いて!」

「あら、失礼」

 フリー・バードの後ろ頭にチェックリストの角をさりげなくおみまいして、アイス・ドールはすたすたとティー・サーバーの方へ歩いて行った。

 まあ、悪かあねェ、かな?

 

 

 MOBILE SUIT GUNDAM FX

 Side story 3 “Just push play!”

 

 



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第八話 今宵、君の瞳に

主題歌 "Seasons of change" Sing like Talking


 たしかにあの顔はガンダムだ。RZと似ているが、RZよりもシャープな印象を受ける。細長い頭部はTレーダー搭載の印だ。

 背部のトランス・エンジンは、並の大きさではない。GPZ900Rと同程度だろう。

 それにしても、重武装だ。六基のフィン・ファンネルをマントのように下げているうえに、VPBR(可変出力式ビームライフル)らしき大型のランチャーまで装備している。

「新たなガンダム、か」

「それはまあ、私の個人的な好みが反映されているわね」

 女史は取り澄ました顔でそう言った。女史はとにかく自分のガンダムを作りたかったのだ。俺の持ち込んだRZを目の当たりにしてからは特に。

「フレーム・サイズはMとSの中間といったところね。インナーはもちろんサイコ・フレームだけれど、埋め込まれたサイコミュ・チップの密度はRZの倍よ」

 どういう意味かを尋ねると、

「機体の各部動作までサイコミュ制御が可能。つまり、ニュータイプでなければ真の実力を発揮できないモビルスーツなのよ」

「ずいぶんと極端なものを作り上げたんだな」

 女史はにっこりとうなずいた。

「指一本も動かせないとは言わないけれど、白兵のことも考えたらその方が望ましいわ。高度な柔軟性と敏捷性を実現させるためにアクチュエイターの反応速度を上げて、チャンネル数も今までの四倍に増やしてあるのよ。バックアップの四チャンネルと合わせて、計十六チャンネルで駆動するわ」

 それではたしかにサイコミュ制御でなければならないだろうということは、素人の俺でもわかった。通常入力では十二チャンネルあっても使いきれない。逆に考えれば、今までのモビルスーツには無理だった細やかで複雑な動作もできるということだ。それも、思考制御で。

「著しく上昇した反応速度や動作速度に適応した新型の白兵戦動作ソフト『新無念陰流』もインストールしてあるから、だいじょうぶよ」

 女史は俺の肩をぽんぽんと叩いた。俺が白兵が得意ではないという事実は、かなり一般的になっていた。弱ったものだ。

「DMXもシリーズ2100のタイプ7をサイコミュ制御できるから、近接空戦性能も向上しているわ。それでもサリーとまともに絡み合うことはお薦めできないけど、このFXはそれ以外の闘い方でサリーを圧倒できるはずよ。Z2型トランス・エンジンはニンジャのZ1型のデチューン版だからはるかに扱いやすいし」

「しかし、ニュータイプだけで闘うわけじゃない」

 NTCはそれをやってきた。結果、パイロットの枯渇を招きつつあるという話だ。すると女史はにやっとした。予測済み、と顔に書いてある。

「安心して。ナチュラルのパイロットにもCBR900ファイアーブレードがあるから。ウチじゃなくてBARだけど、ホンダ・エンジンを載せているから強力よ。GPA550AのパイロットのためにはGPX750のタイプFA、戦闘攻撃型ネージュがロールアウトしたわ」

「それは良いニュースだ。ガトー少佐たちも楽になるだろう」

「肝心の装備について簡単に触れておくわ」

 女史はふたたびFXを示した。

「固定装備は、あなたの希望に沿って三十ミリ対空機関砲が二門。それとIFG一基。選択装備はまず手持ちのVPBRが一門。VLセイバーが二基。Iシールド一基」

「サイコミュは」

「アクチュエイター・ドライヴ用を除いて三系統四回線で、システムとしては全回線を同時にドライヴ可能。高機動戦闘端末は高出力タイプの四式フィン・ファンネルが最大十二基。これはAファンネルに換装可能。その他にスティンガーを最大六機。他にサイコミュ・コントロールドのVPBRを二門背負えるわ。VPBRについては、ジェネレイターも高出力化しているから、同時に三門をレヴェル5で、最大三連射が可能」

「すごい装備だな。モビルスーツというより、超小型の巡洋艦だ」

「サイコミュについては専門外だからよくわからないところもあるけど、四回線も同時に使える?」

「実際にドライヴできるかどうかというのは個人の資質の問題だね。けれど、Aファンネルは、言ってしまえばサイコミュ・ホーミングの核ミサイルだし、VPBRも母機から離すわけじゃないから、支障はないだろうな」

「そう。安心したわ」

「しかし、これだけの装備なら、四回線を同時に使う前に戦闘は終わるはずだし、そうでなければならない」

 サイコミュの話がすむと、ずっと黙っていたディタがふいに尋ねた。

「パナシェ、このFX、装甲形状を変えられるかしら」

「いきなりカスタマイズするの」

「ええ。深紅はこのモビルスーツに似合わないでしょう」

 ディタの言うとおりだった。赤いFXはかなり様にならない。女史の強く主張する「ガンダムの色」というのも、たしかにあるものらしい。

「前に博物館をのぞいたときに良さそうな機体があったんだけど」

「じゃあ、後で教えてちょうだい。シミュレイトしてみるから」

 女史はわかった顔でそう応じた。ディタの意見や要求は、当然ながらすぐに通る。もっとも、このくらいのことならディタでなくとも造作無いだろう。

 そして、機種転換訓練、開始。

 第七戦闘隊ではガーディーとジャン、そして今はここにいないアンサーがCBR900Aを駆り、俺がFX、ディタが百式甲型に乗った。

 BARホンダCBR900A『ファイアーブレード』は、当代きっての天才モビルスーツ・エンジニアで女史最大のライヴァル、ラメール・ミュンヒハウツェンが中心となって作り上げたモビルスーツだ。ナチュラル・パイロット専用機だが、補助システムの一環としてサイコ・フレームを導入している。

 FX同様、このファイアーブレードもGPX750Bから格段に進歩していたが、それでもサリーとの巴は難しいとわかっていたので、ホンダ・エンジンの強力なパワーを活かして一撃離脱に特化しており、ファースト・ストライクでサリーを完全に吹っ飛ばすため、VPBRが標準装備。一方では新型の白兵動作ソフト『無念陰流』がインストールされて、各部の動作速度も白兵戦性能も飛躍的に向上している。これはFXもそうだが、サリーに圧倒的に勝るスピードとクイックネスを活かして基本はヒット・アンド・アウェイ、隙あらばセイバーの間合いに飛び込むという、対サリー戦術をそのまま形にしたモビルスーツだった。

 百式甲型は、グラナダ博物館に陳列されていた大昔の百式とほぼ同型の装甲をFXのインナー・フレームに被せ、さらに悪名高きDMXシリーズ2000を懲りずに搭載してサイコ・フレームに直結してしまったモビルスーツだ。

 最低限の装甲しか被っていない――装甲の隙間からインナー・フレームが覗いているところさえある――機体は非常に軽く、巴でもサリーを打ち負かせるものの、ディタ以外にはまず操縦できないと言っていい。カラーリングは当然のエース・カラー、深紅だ。

 俺たちはそれぞれのニュー・マシンを駆って、トムが「エアナイツ並」と評したほど厳しい訓練を積み重ね、輸送船団護衛などを行いながら、ビッグEの修理完了に伴う原隊復帰を待った。

 幸運なことに、その後二ヶ月半に渡って機動部隊の激突はなく、そして冬の終わりから各国で建造されていた新鋭のオーダシアス級大型攻撃空母が就役を始め、続々とアロハ・ステーションに浮かんだ。そうしたルーキーたちを鍛えるのも俺たちの仕事だった。

 果して、FXは素晴らしいモビルスーツだった。

 搭乗する度にその思いが強くなった。さすがに女史の魂が込められているだけのことはある。RZでは幾度かがっかりさせられたパワーと加速も本当に素晴らしく、これこそ俺の駆るべきモビルスーツだと言い切ることができた。その分、減速Gも口から内臓が飛び出そうなほどにパワー・アップしていたが。

 ただ、本質はそれではなかった。

 訓練を重ねてゆくうちに俺はFXを自分の体のように動かすことができるようになり、コクピットに収まったとき、安堵のようなものさえ覚えるようになっていった。こんなことは今まで駆ったどの機体でも有り得なかった。ディタの教えがわかったおかげでもあるだろう。

「闘いは、機で決するもの」

 白兵の心得。ディタは、静かにそう言った。

「白兵に難しいことは何もない。必要なときに撃ち、必要なときに躱す。それだけ。大切なのは心の力と速さ。それを生じさせるものは、集中力――すなわち、機」

 ディタの言葉は言葉以上のものとなって理解できた。

「単なる反射神経や動作のスピードではなく、相手の行動を読み、精神と肉体の力を、もっとも効果的な一点へと束ねて撃ち込むこと」

 常にこういう考え方をしていたディタが、覚醒の前にオール・レンジを凌ぎきったとしても、何ら不思議なことではなかったのだ。

 しかし、疑問は残る。

 こうした考え方や在り方は覚醒を促す向きへ働くはずだが、ディタの覚醒は、わき目も振らずにヴァレンシアへ突っ込んだそのときまで、兆しさえなかった。

 もしや、ディタは覚醒を望んでいなかったのか。

 するとディタはうなずき、俺はふと疑問を感じたことを悔やむこととなった。

 ディタは言った。

「わたしはニュータイプを憎んでいたわ。父がその思想に取りつかれて、その挙げ句に討たれてしまったから」

 同時に閃くものがあった。

 しかし、ああ、なぜわかってしまうのか。人として生きていくうえでは、目を閉じたままでいた方がいいこともある。なのに、どうして。

 けれど、もう遅い。完全にわかってしまった。

 ディタの見つめる針の先の一点。そこにいるのは、――

「ええ」

 ディタはまたうなずいた。厳しい目をして。

「NTC副長、シャトウ・ロートシルト。本当の名はデュボネ・カーン。父を討った男よ。わたしの、父を」

 

 ☆

 

 ビッグE乗艦の日が決まった。

 でも、迷っている。修理中にみっちりと修行を積んで、足手惑いにならないよう備えはきちっとしたけれど。

「ピッコロでがんばるって手もあるぜ」

 原隊復帰一週間前の夜、トクロウさんはふいにそんなことを言った。えっ、と思って見上げると、デュボネ大佐どののように優しい目をしていた。

「嫌なら無理をすることはない。行かなくてすむなら、戦場になんて行かない方がいい」

 わかっている。そのとおりだということは。

 本当を言うと、宇宙へなんか行きたくない。向こうにいた頃はすこしもそう思わなかったのに。戦場にいるのが当たり前だったのに。

 けれど、今は、はっきり言って、怖い。

 いつしか膝の上で拳をぎゅっと固めて、うつむいてしまっていた。

 怖い。怖い。怖い。

 心がうめいている。

 こんなに、弱いものだったの。わたしは。わたしの心は。

 そんな自分が、いやだ。

 いやだけど、怖い。

「ピッコロなら口を利いてやれるよ。レナを筆頭にいい人ばかりだし、今までやってきたこともそのまま活かせる。第一、空母の厨房に詰めるよりずっとマシだ。そこで待つ方がいいんじゃないか」

 その言葉にうなずきかけた。

 でも。

 ぎりぎりのところで、心の底のもうひとりのわたしが烈しくかぶりを振る。

 大尉どのを待ち続けることの方が、耐えられない。

 大尉どののそばにいたい。もし死ぬこととなっても、その瞬間までそばにいたい。

 意を決したのは、この一念だけ。ほんとうに。

 決まってしまったら、後は跳ぶだけ。大きく息を吸って、告げた。――跳んでしまえっ。

「乗艦します!」

 

 ☆

 

 春、大戦は新たな局面を迎えた。

 連邦はついにシルヴァーストーンから手を引いた。戦力を嫌というほど呑まれ、命を吸い尽くされた末に。補給線を断たれ、シルヴァーストーンのうちに孤立してしまった連邦の空間歩兵は、かなりの数が戦死ではなく餓死したと聞いた。

 そのように一部ではもはや闘いでさえなくなっていたが、シルヴァーストーンの放棄・撤退は、ネグローニを初めとする地球至上主義者たちに地球圏の制覇を断念させるに十分だった。

 その証に、彼らの名目が、変わってきた。

 当初、彼らは「地球圏をあるべき姿に戻す」と息巻いていた。

 だが、戦況が劣に傾き、シルヴァーストーンを失ってしまうと、一転して「地球を守れ」になった。

 いったいどちらが侵略者なのかと呆れてしまったが、ネグローニはトーン・ダウンせず、誇り高きアースノイドたちは本気でそのために闘い、滅びていった。そうではないアースノイドは重力の底であいかわらず縮こまっていた。

 我がビッグEが本格的な出撃準備を整えたのは、ちょうどその頃だった。

 ここまでずれ込んでしまったのは、修理とともに第二次大改装を行ったためだ。防御力を高めるべくエンクローズド・フライト・デッキを導入したビッグEは、まるで新造艦だった。どこもかしこもピカピカで、初陣を待つ若武者の風情だった。

 出撃に際して配置転換があった。

 トムはスターバッカーズのリーダーからビッグEの機動航宙戦司令官に昇格し、ガーディーが少佐に昇進した。スターバッカーズを任されたわけだ。ガーディーは、

「フリー・バードのほうが適任ですよ」

 などと言ったようだが、面倒を背負い込むのは先任の役目だ。あきらめてもらうこととして、出撃の日じつが決まると、ディタとともに教授を訪ねた。

 途中、ディタはいきなり、

「ボスから何か聞いていないかしら」

「トムから、何を」

 何のことかさっぱりわからず、まともに聞き返すと、前を見ていたディタの目がすうっと動いて俺を捉えた。

「あなたは、宇宙軍参謀本部に招かれていたのよ」

 驚いた、という一言では表しきれない。まさに晴天の霹靂だ。思わずスロットルから足を離してしまった。

「いったい何の冗談だ」

「冗談ではないわ。参謀本部はとても熱心だった。行政的なことは何も心配は要らないとまで言っていた。きっとワイコロアや他の会戦の記録を詳細に追った方がいらしたのね」

「俺にはそんな能力はないよ。君もわかっているだろう」

 ディタはかぶりを振らずに俺をじっと見た。

「環地球空域で機動部隊を思うがままに動かしてみたくはないかしら」

「考えただけで食欲がなくなる」

「そういうだろうと思っていた」

 そう言ったときの目はかすかに楽しそうだった。

「安心して。握りつぶしておいたから」

 ディタはさらりと言ってのけ、俺はまた言葉を失ったのだった。

 教授は俺たちを歓迎してくれた。その教授に、宇宙に出る前にどうしても聞いておかなければならないことがあった。さっきのディタのようにずばりと尋ねた。

「人はすべてニュータイプになれるのですか」

「もちろんだ」

 教授はきっぱり応えた。

「人は必然的にニュータイプとなる」

「どのようにして、ですか」

 重力の底の人間までも覚醒させるためには、この大戦以上の規模を持つ闘いがなければならないのでは、という危惧があった。

 が、教授は声を挙げて笑い始めた。

「戦に関わらねば目覚めを迎えることができないというのは間違いではないが、本質ではないよ」

 俺をまっすぐに見つめる教授の目は、宇宙の深淵のように深かった。

「宇宙に出なければ人類は己を見直すことができなかったが、宇宙に出てまでも人は悪しき循環から抜け出せずにいた。その一方では、革新もひそかに芽吹いていた。これはどういう意味を持つか」

 黙して続きを待った。

「人は、革新を迎える。が、何もしなければ、革新を迎える前に間違いなく滅び去る」

 それは、ひどくショックな宣告だった。慌てて尋ねた。

「では、そのために一体何をすれば良いと」

「その前に、君たちは此度の大戦の意味を考えたことがあるかね」

 思わぬ問いを返されて、かぶりを振った。意味を問う前に、まず目の前の闘いに勝つことを考えていた。ここまで、ずっとだ。

「正直、曖昧な認識しか持っていません。漠然と、スペースノイドの自由のための闘いだと考えていますが」

「その認識は、正しい。スペースノイドは、自由になるべきだ。が、何から自由になるべきだと考えるかね」

「ネグローニの独裁から、でしょうか」

 すると教授は子供のように目をきらめかせた。

「この戦は、親離れをしようとする子供と子離れのできない母親との闘いであると同時に、母親から独り立ちしようとする意志と、母親から離れまいとする意志との闘いでもある」

 また唖然とさせられた。最初の対話の折に教授の口にした「人類の、母なる地球からの自立」という認識が俺の側でずれていたことに気がついて。人は自立しなければならないのはもちろんだが、その前に、人は自らの意志で地球から離れたがっているのか。

「そのとおり。そして、その流れが、革新へと連なるのだ」

「そうだったのですか」

「人間がどういう生物かを考えてみれば、答は自ずと明らかだ。他の生物と違い、人間は知恵を得た。その知恵が、人にとって自らの生を獲得する唯一の武器だった」

「はい」

「違う言い方をすれば、人は知恵を以って自分に有利な環境を作り出すことにしか生存の道がなかったのだが、そのときより自然は人にとって征服すべき敵となった。大胆に言えば、知恵を得たときより人は自然と共存する術を失い、地球の上で生きられない生物となったのだ」

「地球で、生きられない」

 慎重に確かめると、そうだ、と教授は強くうなずいた。

「人間は自然環境を自分に適した形に作り変えなければ生存できない。が、自然は到底人間の相手できる存在ではなく、人は生きようとすればするほど、己の首を絞めることとなった。地球上で生きられないというのは、そういうことだ。自然を作り変えるということは、破壊することでもある。その証に、地球環境を破壊する第一の要因は人間の生存と人口増加だ」

 自然を壊さなければ生きていけない。それが、人間。それは、今の地球の有り様を考えるまでもない。

「そうした点より考えてみると、むしろ知恵を得てからの人類のベクトルは地球の外を目指しているとみる方が自然だ。その証に、地球から離れることで、知恵と本能の目指す方向が初めて一致する」

「その顕現がニュータイプですか」

 教授は満面の笑みでうなずき、ようやく頭の中の靄が晴れた。

 ニュータイプとは限られた人間の話ではない。突然変異でもない。事実、ニュータイプの能力は誰でも持っている。

 が、眠っているそれを発動させるにはきっかけが必要。

 まず、精神の、重力の枷からの解放。

 次に、他の個との結びつきを強固なものにせざるを得ない状況。

 そこでひとつの流れがはっきりと俺の意識に浮かび上がった。ああ、そういうことなのか。

「ここで、離れる、というのは物理的な意味ではない。体が地球を離れても、精神はあいかわらず地球を求めている。すべての生命を生み出し育んできたあのぬくもりを」

「それが、人が宇宙に出てまでも地球にこだわり続け、悪循環より逃れ得なかった理由だと」

「そうだ。そう考えると、精神が自ら地球から離れて、初めて人類は宇宙で生きることができるのではないだろうか。生きるという、その本質の意味で」

 生きる。生きるということ。

 宇宙という暗き大海の真っ只中で、人は人という存在のあまりの小ささを突きつけられる。乾いた砂漠に落ちた一滴の水。

 が、生命は生命であろうとする。環境が苛酷であればあるほど。

 それは、生物としての本能である。

 そのため、宇宙では、人間は人間であることを超えようとする。

 人は変わるのか。変われるのか。

 そうではなく、変わっていかざるを得ない。宇宙という環境に合わせて。

 言うまでもなく、宇宙は人間にとってあまりに過酷である。そんな環境ではひとりで生きられないので、自然に洞察力を伸ばし、認識域を拡大させ、潤滑なコミュニケイションを実現し、人同士の結びつきを強めようとする。そういう向きへ進むはずである。そうしなければ、生き延びていけない。宇宙の戦争でニュータイプが多く現れるのは、極限状態がその変化を大いに促進するため。

 だが、認識能力や洞察能力だけがニュータイプではない。そういうところがまず目につきやすかったということ。もっと本質的な部分での変化が現れるはず。種としての変化であるはずだから。

 これだけのことを、対話によらず、一瞬で把握して、自分のものとできた。

 そして、ここからが結論となる。

 飛躍のためには、地球を自ら発つべきである。

 地球がいつでも戻ってゆける場所である限り、人は新たな段階には進めない。人も精神的に親を殺して自立する。

 が、母親の死に絶望して、あっさりと滅び去るかもしれない。人類にとって、賭けであることは確かだ。

 しかし、と思ったそのとき、意識が光で一杯になったようだった。厚い壁が砕かれて、光の河がどおっと流れ込んできたかのような。わかった。ついにわかった。俺が何のために闘おうとすればいいのか。

「人は、初めて進化を目にすることができるかもしれない。その曙に立ち会えただけでも幸運だと思わないかね」

 教授は強い口調で言って俺の目を見つめた。

 もちろん、うなずいた。

 教授もにこりとして、話を続けた。

「人は気の遠くなるほど長い時間をかけて徐々に、自ら気づかぬままに変わってゆくのか。それとも、ある日突然、一斉にステップアップするのか」

 俺は、輝く天に向けて突き上げられる幾多もの手を見た。

「私も、後者であると思う」

 教授もそう言って、にっこりとした。そう、人のブレイク・スルーのために。新たな扉にかけられた手を護るために。

「今度こそ、だいじょうぶね」

 マザー・ララァの微笑み。

「あなたなら、できるはずよ」

 その声はこの身に眠る遠い過去の願いとともに力となった。確信できた。俺は、間違えていない。

「この戦が終わったら、いつでもいい、訪れてくれたまえ。そのときまでにまた色々なものを見ているだろう。君たちも、私も」

 別れ際、教授はそう言って俺たちの手を厚い手で包み込み、肩をぐっと抱いた。

 俺も力を込めて抱き返した。

 人の温みを久しぶりに感じて心も温まったし、それ以上に気分がひどく高揚していた。

 クール・ダウンさせるために、帰り道の上で、あえて振り返ってみることとした。覚醒の途を。

 教授の話に沿って考えてみると、――

 地球暮らしだったのが、急に宇宙に出て、一気に重力から解放された。

 荒れ果てた十代は、人とコミュニケイションを取りたがっていた心の裏返し。

 初陣で撃墜されかけて、生存本能が絶叫した。

 稚拙な操縦技術を他の手段でカヴァーする必要があった。

「その他に、もしかしたらこれが最大の要因かもしれない。君とどうにかコミュニケイションを取ろうとしていた」

 最後に冗談めかして言うと、ずっと黙っていたディタは足を止めて、不思議そうな、また、意外そうな顔をした。

「わたしとコミュニケイションを取ろうとしていた、ですって」

「おかしいかい」

 と目を見ると、

「そんなこと、――ないわ」

 やっぱり目を伏せられてしまう。ニュータイプも、ニュータイプである前に人間なんだと、こういうときに強く感じる。まあ、笑い飛ばしてしまうのが一番だ。

「あの頃は、何を言っても君の応えは一つだったな」

「そ――そうだったかしら」

「そんなヒマ、ないわ。――これでおしまいだった。ようやく同じテーブルで食事ができるようになったと思ったら、俺は地球へ降り、君はオールド・ハイランドへ戻った」

 ディタは下を向いてしまった。

「ごめんなさい」

「あ、いや、そんなつもりじゃない」

 わかっているわ、とディタは呟くように言った。

「ただ、あの頃は、まずあなたを確かめなければならなかったから、必要以上に近づくことを避けていたのよ」

 いいさ、と言った。

「今となっては、互いに笑い話だ」

 でも、と、ディタは俺を見た。強い瞳で。

 そして、言葉をひとつひとつはっきりと口にした。

「わたしは、もう一度、会いたいと思った。そのときの気持ちは、――」

 ドンッ、

 目に見えない壁が、また思い切りぶつかってきた。こういうとき、ディタは加減が効かなくなる。無理もないと思うが、誰かがその辺りを教えてやらなければ、いつか大怪我をするだろう。

 しかし、誰が。

 そう思って、やめた。それこそお節介というものだ。ディタが望んでいないことを無理強いすることこそ、無用だろう。

 ただ、今、ここでは、ディタはまだ帰りたくないと言っていた。言葉ではなく、瞳の色と足取りで。それは何とかできる類の問題だが、残念ながらここいらは一歩踏み込むと別の顔だ。猥雑で、悪の匂いがぷんぷんしていて、ディタばかりじゃなく、女性の好む場所ではない。かと言って、別のエリアへ走って店を探す時間は余計だ。

 となれば、道はただのひとつだ。

「ディタ、この近くに俺のよく行く店がある。ただ、君にふさわしからぬというか、そんなに上品なところじゃないんだが」

「行ってみましょう」

 最後まで言わないうちにディタは応えた。

 そんなわけでおおむね十分の後、俺たちはダウンタウンの喧騒のど真ん中にいた。

『レッド・ハウス』

 ディタと一緒にこのドアを開ける夜が来ようとは。なかなか感慨深いものがある。強い煙草の煙が煙幕のように立ちこめ、カード占いをする女の笑いや賭博に興じる男たちの声が詰め込まれている。その隙間に流れるのはブルーズ。まったく、たいした店だ。見つめ合って、

「君の瞳に、乾杯」

 などとあまくささやいて杯を合わせられるところではない。間違えても。もっとも、瞳に乾杯したくとも、ディタは瞳を見せてくれないだろうが。

「ひさしぶりだな、シュー」

 カウンターの隅に腰を据えると、主のイジーにぶっきらぼうな声をかけられた。

「そうだな。なかなか時間が取れない」

「でも、この店もおまえさんに守ってもらってるんだから、しょうがないか」

 そんなことをぼそっと言ってから、にやりとして、ディタに目で礼をした。ディタはかすかに頭を動かしただけだった。イジーの剣呑な雰囲気に、ひそかに警戒を強めていた。無理もない。

 さて、ディタはどれだけ飲めるのだろう。その前に、何が好きなのだろう。

 聞いても、応えは、

「わからない」

 若しくは、

「知らない」

 だということはよくわかっているので、俺の道を行くこととする。

「イジー、白ワインはあるかい」

「ない、と言ったら今夜は台無しだろう」

 見事な切り返しだ。まるで映動の一場面だ。

「それじゃ、このレイディにはキールを。俺は――」

 モスコウ・ミュールではない。

 マザー・ララァではないが、そんな声が電撃のように響いて、とっさにジン&トニックと言ってしまったのは、ディタが隣にいるためだろう。意識をシャンとさせておくべきなのはたしかだった。

「おいしいわ。このお酒」

 ディタは何と言うこともない顔をして淡々とキールのグラスを傾け続けた。身の置き所に困っているということもなさそうだった。ただ、普通に話をすると、茹ですぎたパスタのようにぶつぶつ途切れることは目に見えているので、キールの話をした。ディタは感心したようにうなずいて、また同じキールを注文した。クレーム・ド・カシスは少し減らしてほしいと添えて。

 と、チョーキングの効いたギターのイントロに続いて、粘っこい声が流れ始めた。『ロック・ミー、ベイビー』。御大B・B・キング。実に久しぶりだ。

「あたしを揺さ振ってよ、ベイビー」

 耳元でささやくように繰り返される歌声。締め上げられるようなギターと絡むと、まさに呪文だ。艦や宿舎の部屋で聴くよりも、断然効く。魂に染みとおる。

 悪くない。

 ブルーズは、酒をゆっくりと、しかし有無を言わせずに進める。

 実に、悪くない。何も考えず、夜通し暴れて、朝方疲れきって眠りたい。そんな気分にさえ、なる。

 と、セクシーな歌声に別の声が、かすかにだが、かぶって聞こえてきた。声ならぬ声が。

 

「あたしを揺さ振って、ベイビー」

「あたしを突き上げてよ、一晩中」

 

 ほんとうの声ではない、心の呟き。

 これは、――ディタだ。

 そうとわかったときの驚きは、なかなか表しがたい。

 考えられない。というよりも、考えてはいけない気がする。ディタを、一晩中、など。

 

「あたしを揺さ振ってほしいの、ゆっくりと」

「背骨がなくなっちゃうまで」

「おねがいよ」

 

 しかし曲が終わった後も、ディタの胸のうちでは熱い声がけだるげに転がっていた。

 ディタがこの古いブルーズを知っているわけがない。が、実にシンプルで、言っていることはただのひとつしかない曲だ。

「わたしは、もう一度、会いたいと思った。そのときの気持ちは、――」

 酒を啜ると、さっきのディタの声が、さっきよりも熱く、そして生々しく甦ってくる。

 だが、その言葉で激しく揺さ振られているのは、誰よりも当のディタだった。ディタはあまりにも慣れていない。己の感情や衝動や欲望に正直になることに。昔からそうだが、ディタは抑えすぎている。解放が必要だとはわかっている。ディタも解き放たれることに憧れている。が、ディタは手許のグラスをじっと見つめるだけだ。キールの輝きのうちに何を見ているのだろう。

 あまい酒が欲しい気分だ。オールド・ファッションドを注文する。ビターズのしみた角砂糖をマドラーで崩しながら、こういうときガーディーなら、と考えて、笑ってしまった。

「あの氷を溶かす前に夜が明けちまう」

 間違いなくこう言うはずだ。

 つまらないことをあれこれ考えている間に、ディタの胸に流れていた『ロック・ミー、ベイビー』は消えてしまい、ディタはこともあろうに闘いのことを考え始めていた。いつもの、自分でコントロールできる自分に一刻も早く戻ろうと。この店で、しかも酒が入っていることを考えると、とんでもないことだ。ここでなければそれも目をつぶるが、今、ここでは見逃せない。

「ディタ」

 呼びかけて、その落ち着いた顔をじっと見た。

「君の的確な戦術的判断は尊敬している。分析力もそこいらのアナリスト顔負けだ。でも今夜は、俺といる間だけでいい、闘いのことを忘れてみないか」

「でも、どうすればいいのか、わからないわ」

 真剣な目でそう言うディタが微笑ましく感じる。やっぱり、ディタだな。

 ひとまずイジーにディタの酒を頼んで、ギターとサム・ピックを借りた。ディタがしげしげと見つめる前で素早くチューンをチェックして、慣らしをする。指はきちっとリフを覚えていた。忘れようもない。ブルーズは古い友達だ。――よし、オールG。グラスに残っていたオールド・ファッションドで火を点けて、クリアード・フォー・テイク・オフ。

「君は『ロック・ミー、ベイビー』が気に入ったみたいだから、アンコールだ」

 俺は床をどかどかと踏み鳴らしてギターを弾き始めた。

「Rock me, babe. Rock me all night long.」

 歌い始めると、隅の卓にいた黒人の二人連れがカードを放り出してよたよた歩き出し、ディタの後ろにどたどたと座り込んだ。ひとりは琥珀色の酒の入ったショット・グラスをかぱっと空けると、カウンターでグラスを打ち鳴らしてリズムを取り始めた。もうひとりは半分しか開いていない目で、ストゥールの上で身をよじらせながら歌い始めた。

 1コーラス目が終わると、拍手と歓声が周りでどっと起こり、なみなみと注がれたショット・グラスがあちこちから突き出された。客のほとんどが俺を囲んで『ロック・ミー、ベイビー』を一緒に歌っていたり、うまそうに酒を啜っていたり、ゆったりとシェイクしていたり、――それは実に懐かしく、温かい光景だった。

 ソロの頭で、この大騒ぎの中でも凍ったようにじっとしているディタに大声で呼びかけた。

「ディタ、自分を自由にしたいときは呪文を唱えるんだ。『ロック・ミー、ベイビー』は君にとってそのひとつなんだぜ」

 その瞬間、冷たい鉄の仮面はぽろりと外れた。

 ディタが、微笑んだ。

「そうね。そうするわ」 

 ますますいい気分でソロを決めて、歌に戻る。乗ってきたのはあちこちから注がれまくるバーボンのせいばかりじゃない。

「あたしを揺さ振って、可愛いベイビー、ゆっくりと揺さ振ってよ、一晩中」

 歌っているうちに、ディタを口説いているような気分になってきた。こともあろうに、ディタを。それこそ、

「そんなヒマ、ないわ」

 ――だろう。

 しかし、ディタはまたさっきと同じように、口を閉じたままだが、一緒に歌っていた。そこで、もう2コーラスばかり回してサーヴィスした。

 終わってみると、拍手と歓声の中から男たちにグラスを突き出されて乾杯の嵐。女たちには大きな手で叩かれ、抱きしめられ、頬にキッスの嵐だ。

「いいねえ、ヒリヒリする」

「あんた、イカしてるよ。指使いだけでもう、たまらないわァ」

「嬢ちゃん、この兄さんには気をつけな」

 イジーまでがそう言って輪に加わってきた。

「ブルーズで口説くなんてロクなもんじゃねェ。今までたくさん泣かしてきてるぜ」

「ああ、それァ間違いない。おれが女なら、今夜はもう離さねェな」

 大きな笑い声。俺は大袈裟に肩をすくめてみせる。ギターを返すいとまもなく、アンコールがかかってしまう。ディタも手を叩いている。もう逃げられないところにいると知った。

「あたしのレモンをギュッと絞って。おねがいよ」

「甘くとろけるおまえのカスタード・パイ、一切れでいい、俺にくれよ」

 オールド・ファッションドの甘さのせいか、頭のなかで『スクィーズ・マイ・レモン』と『カスタード・パイ・ブルーズ』がごちゃ混ぜになっている。が、火に油を注ぐことは避けたい。クール・ダウンだ。そうと考えると『はかなき愛』がすぐ頭に浮かんだが、ロバート・ジョンソンは悪魔を招いてしまう。

 どうするか。

 考えるまでもなかった。初めて金を稼ぐことのできた、あの曲だ。アンコールはその『フーチー・クーチー・マン』一発で勘弁してもらってギターを返すと、『ロック・ミー、ベイビー』が流れ始めた。今度はディタひとりの声で。

「少し、静かなところへ行きたいわ」

 すっ、と目を伏せたディタは、低い声だったが、はっきりと言った。

 

 ☆

 

 乗艦したら、時間がわたしをがんじがらめにした。

 コンディション・グリーンなのに、忙しい。

 ううん、違う。コンディション・グリーンの方が忙しい。

 戦闘食に切り替わるのはコンディション・イエローから。だけど、レイションを見る皆さんの目は嫌気で一杯。やっぱり無重力食なんて食べたくないよね。あれほどラベルと中身の違うものはないと思っていたけど、オールド・ハイランドも変わらない。

 そんなあわただしい日々の中、楽しみといったら、トクロウさんの賄いだけ。

 出撃前夜はパスタだった。それも、オマール海老がドカンと乗っている超豪華版。喜ぶより先に驚いてしまって、わけを聞くと期待料だと言われた。入隊前は『ピッコロ』というトラットリアのチーフだったトクロウさんの特製だからおいしくないわけはなく、それどころか信じられないくらいにおいしかったんだけど、この味と同じくらいハイ・グレードな期待をされているってコトなのかしら。

「まだ、怖いかい」

 明日のためにその一、仕込みの最中、トクロウさんに聞かれて、ずきっとした。とっさに応えられずにいると、トクロウさんはごめんと言った。

「この厨房は安心だ。重力があるからな。コロニーと変わらない」

 たしかに。そうなんだけど。

 ひそかにため息をついた。

 ダメだなあ。跳んでしまったのはいいけれど、うまくバランスを取ることができていない。アップアップしている。ちょっとしたことでぐらぐらしちゃって。うまくやっていけると思っていたのに、これならモビルスーツの操縦の方がよほどやさしい。

 ため息、もうひとつ。

 大尉どのにお会いしたいな。

 何でもいい。声が聞きたい。

 乗艦してから一度もお会いできていない。当たり前よね。大尉どのはパイロット。朝昼夜を問わず天を駆けてらっしゃるし、食事に来られても、今度はわたしが奥に引っ込んでいる。遠すぎるのよ。悲しいくらいに。重力ブロックから出られずにいるわたしが一番ダメなんだけど。

 でも、今度の作戦が終わって帰るときには時間が取れるはず。いや、絶対に取る。その思いがわたしの支え。

 その大尉どのが夜遅くにひとりふらりとメス・ホールに現れたときは、その姿を目で見ても、信じられなかった。

「た、大尉どの、いったい、ど、どうされたのですか」

 思わずどもってしまうほど。

 すると大尉どのはカウンターから厨房を覗き込んで、

「慣れたかい」

 もしかして、わたしのコトを気に掛けてくださったとか。

 思わずふくらんだ胸は、次の瞬間にはしぼんでいた。どうも喉が渇いてね、と大尉どのは水をコップに注いで一気に飲み干された。うう。でもそういうものよ。もしそうだとしたら、別の時間、別の場所でお会いできるはずよね。

 けれど、モビルスーツを操縦するのとはまったく違うこの仕事に慣れたのは本当。トクロウさんはとてもいい人だし、お師匠としても尊敬できるし、仕事もきついけれど、楽しい。それを告げると、大尉どのはにこりとした。

「それはよかった」

「でも、仕事が終わってひとりになると、気分が沈んでしまうんです」

 それを口にしてしまうと、大尉どのは即答された。

「そんなときは音楽を聴くといい」

「音楽、ですか」

 大尉どのはにこやかにうなずいてくださるけれど。困ったな。音楽と言われても、何を聴いていいのか、わからない。

「わたし、音楽というものを聴いたことがないんです」

 正直にいうと、大尉どのの目は丸くなった。

「そうなのか」

「ユーゲントではそういうものに触れることは一切できなかったんです」

「なるほど。それじゃ、ちょっと待っててくれ」

 大尉どのはメス・ホールを出て行った。すぐに戻ってきた。

「これを聴いてみるといい。好きになる曲がきっとあるはずだ」

 と、ミュージック・メモリーパックをひとつ、渡してくれた。

「これは、何の音楽なんですか」

「ザ・ビートルズ」

 大尉どのの言われた名前は、聞いたことがあった。でも、名前だけ。ユーゲントでは文化に関する授業や講義は数えるくらいしかなかったから。

「ビートルズは君の支えになってくれるよ。どんなときもね」

 大尉どのはきっぱりとおっしゃられた。うなずきはしたものの、この曲の数はすごいかも。

「これ、全部がビートルズなんですか」

「そうだよ。全部で二百五十曲以上ある」

 とんでもない数だ。

 そんなわけで帰りにPXに寄って、プレイアーを一つ買った。お金なんて使うことないから、奮発してちょっと高いやつにしてみた。部屋に戻ると箱から出して、コードをつないで、MPを早速プレイバック。『プリーズ・プリーズ・ミー』とディスプレイにアルバムのタイトルが表示された。二百五十曲以上もあるんだからとにかく聴かなければ。

 けれど三十分後。

 わたしは『プリーズ・プリーズ・ミー』をもう一度最初から聴いていた。

 何だろう。頭の中が熱くなってる。沈んだ気分なんて、吹っ飛んでしまった。すごい。ものすごい勢い。いきなりMAXアフターバーナー、オンていう感じ。歌が胸に直に飛び込んできて、心をぐいぐい揺さぶる。音楽なんて気にも留めていなかったけど、こんなにすごいものだったんだ。でも「君が好きなんだ」って、こんなに大きな声で言っていいことなの?

 さらに三十分後。

『プリーズ・プリーズ・ミー』をしぶしぶイジェクトして『ウィズ・ザ・ビートルズ』をプレイバック。そして、またもノックアウト。すごい。どの曲もパワフルでエナジェティック。生き生きしてて、きらきら輝いてる。それでいて、きれい。そのなかでも心を鷲づかみにしたのは「オール・マイ・ラヴィング」という曲だった。

「僕の愛のすべてを君に贈ろう」

「愛しい君、僕の愛はすべて君だけのもの」

 わたしにも、こういうことを言ってくれるひとがいればいいのに。ああ、大尉どのがささやいてくれたら、ふにゃふにゃになっちゃうだろうなあ。そんなことを考えて、ひとりでにやにやしてる。バカみたい。でも楽しい。

 聴き終えると、もう一度最初から。

 その夜は『ウィズ・ザ・ビートルズ』をもう一度通して聴いて、最後に「オール・マイ・ラヴィング」を二度リピートしてベッドに潜り込んだ。

 明日のために眠ることがとても惜しかった。

 次の日も厨房から帰ったらビートルズ漬け。三枚目のアルバムをセット、GO!

 ジャーン!

 威勢良くギターが鳴って、ジョンがパワフルに歌い始めた。空っぽの体にほんとうに元気を注ぎ込んでくれる歌声。

「きつい一日だった、犬みたいにあくせく働いた」

「きつい一日だった、丸太みたいに眠りたい」

 ああッ、この「ア・ハード・デイズ・ナイト」はまさにわたしのための歌ッ! もっとも、わたしにはヘロヘロになって帰ってきても優しく抱きしめてくれるひとなんていないけど。あーあ。

 でも『ア・ハード・デイズ・ナイト』を聴きながら、ふと思った。

 ビートルズを聴きたいという願いは、十分に生きる力になる。

 

 ビートルズ漬けの日々はさらに続く。続く。続く。

 変化は、あった。

 ビートルズの曲がいつどんな時でも頭の中に流れるようになった。それも、そのときの気分で曲が変わる。ブルーになんてなることはなくなった。だって、いつでもジョンやポールが歌っているから。仕事にも加速がつく。トクロウさんにも一目で見破られてしまうほど。

「カルーア、最近やけに楽しそうだな」

「やっぱりわかりますか」

 鬼の速さでタマネギをエマンセしながら応えた。強化された体も使いよう。こうやって活かせばいいのよ。

「わたし、この世に素晴らしいものがあったことに、今まですこしも気がついてなかったんですよ」

「その素晴らしいものをみつけたわけか。よかったな」

「ええ」

 大尉どのはおっしゃったわ。

「ロックンロールは、俺にとって、人生の大事な鍵のひとつだ」

 わたしにもそうだったみたい。

 

 大尉どのが厨房を覗き込んできたのは、ビッグEがアロハ・ステーションに腰を据えて、わたしがビートルズを制覇してしばらくしてからのこと。

 夜遅くだった。けれど、戦闘訓練が終わったばかりなんだ、と水をがぶ飲みされた後で、

「ビートルズはどうだい」

「最高です」

 わたしはきっぱりと言った。

「最初は二百五十曲もあるのかと思っていたんですけど、今はたったの二百五十曲しかないの、と思ってます。もうほとんど歌えますよ」

 わかるよ、大尉どのは笑った。

「俺も頭の中にジュークを置いて、四六時中流しっぱなしにしていたからな」

「特にジョンの曲が好きです。ほんとうに胸に飛び込んでくるみたいで、ときどき、どきっとします。どうしてわたしのことを歌っているの、って」

 大尉どのはうなずいた。

「そうか。カルーアもレノン信者か」

 その言葉に嬉しくなって、力いっぱいうなずいた。ポールの曲の方がきれいだとは思うけど、ジョンの歌はほんとうに烈しく胸に迫ってくる。ロックンロールとか、メロディとか、そういう枠を超えて、プラスの感情もマイナスの感情もすごく熱く、生々しく、有無を言わさず。

「ジョンの歌は俺たちの魂に撃ち込まれる楔だね」

 素晴らしく的を得た言葉。

「じゃあ、ジョンのソロも聴いてみるかい」

「はい、ぜひ、おねがいします」

 うなずくと、大尉どのは、驚くべきことを言った。

「俺はね、ジョンはニュータイプだったと信じているんだ」

「ジョンが、ニュータイプ」

「うん。ジョンの歌や言葉や行動から考えると、ね」

 大尉どのは静かにそう言われた。

「ジョンにはきっと真実が見えていた。世界がどうあらねばならないか、ということも。しかしそれは人の言葉で表すのは難しいし、あの時代は今よりもはるかに混沌としていて、世界にジョンの意志を受け容れる準備ができていなかった」

 そして、ジョンは死んでしまった。

 大尉どのははっきりそうと言わなかったけれど、わかった。ジョンは死んでしまった。時の歩みが停まっているような時代の中で、それでもまた頑張って進み始めようとした矢先に。

 けれど、ジョンは、負けなかった。だから、――

 すると大尉どのは手を伸ばしてわたしの肩をぽんと叩いた。

「ジョンは世界を変えられなかった。しかし、人を変えることはできた。俺も、そのひとりだ」

 わたしも。わたしも同じ。ジョンに出会って変わったひとり。

 前にトクロウさんの言った、人として生きるうえで大事なことが、まだまだはっきり言えないのは残念だけれど、わかってきた気がする。

「そして、人が変われば、世界も変わっていく」

 大尉どのは遠い目でそう言ったけれど、すぐにわたしに目を戻して、にこっとした。

「世界は変わるよ、カルーア」

 世界が、変わる。

 その言葉を胸のうちで繰り返したとき、頭の奥がふいに、

 ぴりっ、

 とした。

 何だろう?

 

 MOBILE SUIT GUNDAM FX

 Episode 8 “Here’s looking at you, kid.”

 

 

 




アンサーの奮闘記を挟んで、ここより後半に移ります。
よろしくお願いします。


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第九話 巡り来たる、季

主題歌 "Seasons of change" Sing like Talking


 ガンダムFXが初陣を迎えたのは、L1のほぼ中央のホッケンハイム・リンク。シルヴァーストーンを越えて、次の戦場だ。

 ここホッケンでも激戦が繰り広げられたが、ここはあの「吸血空域」とは比べものにならないほどクリーンで、暗礁にあちこちを遮られた狭い空間でもつれ合う必要がなかった。つまり、我々には有利でサリーには不利な闘いだ。

 果して、結果はそのとおりだった。

 全戦線に先駆けてこの激戦場に投入されたFXとファイアーブレードは、サリーの得意な巴には持ち込ませずにひたすら一撃離脱を繰り返し、四日に渡る闘いでしめて百六十機のサリーを撃破し、勝利を収めた。

「デビュー戦としては上々だな」

 作戦終了後、ガーディーは自賛していた。

 ひとつ付け加えると、この戦いは戦力再編成にともなって新しくビッグEに乗り込んできた第二十一戦闘機動隊ライトニングストライクスの初陣だった。訓練を積んできたとはいえ、隊長のキャラミ・ティン大尉以下全員が初出撃ということで、俺たちも緊張していた。

 最初、サリーは防衛陣地に潜んでいた。コロニーの後ろにいろいろとゴミをばらまいて、そこに身を隠していたのだ。それではさすがのTレーダーも用を成さず、ニンジャの強行偵察でも効果は挙がらなかった。連邦は持久戦に持ち込むつもりだった。

「こうなれば、誘い出す以外にない」

 と、参謀部と俺たち前線の見解は一致した。

 とはいえ、闇雲に突っ込んでゆくのも得策ではない。そこで前哨を出すことが決まったとき、

「私が」

 と、手を挙げたのがキャラミだった。

「たいしたヤツだな」

 危険な役目を買って出たキャラミに、ガーディーだけでなく、俺たちはみんな感心した。ただひとり、アンサーを除いて。

「エアナイツで組んでたからわかるんだけど、かなり無茶するんだよなぁ」

 あのアンサーに「かなりの無茶をする」といわせしめただけのことはあった。

 キャラミはまるで公園の散歩のような調子で前に出ていったのだ。

 ステルス斥候艦の陰に潜んでいた俺たちは顔を見合わせた。

「おいおい」

「敵がいないと思っているのか」

 ディタは呆れたように言った。もっとも気が気でなかったのはキャラミの部下たちだったろう。

「ったく、撃たれるぞ」

 アンサーが低く怒鳴った、まさにそのときだった。

 一筋の光芒が闇を裂いて、キャラミのファイアーブレードの左腕を打った。

 それが合図だったかのように、猛烈な射撃が始まった。

「やってくれたぜ」

「いくぞっ」

 アンサーは舌打ちをし、ガーディーは大きく手を前に振った。ビームの発射光で、敵の潜んでいる位置ははっきりとつかめた。

 しかしライトニングのルーキーたちは凍りついていた。

「ライトニング・リーダーより各機!」

 キャラミの大声が耳を打った。

「何をしているか! 動け! スターバッカーズを援護しろ! 制圧射撃!」

「り、了解」

「了解!」

 ルーキーたちは目を覚ました。後ろから厚い火線を張り、突っ込む俺たちを援護してくれた。

「よし、各機、私に続け!」

 俺たちがサリーを追い立てたところで、ライトニングストライクスはキャラミを先頭に猛然と突っ込んできた。怖い、などと感じている間のないほどの勢いだった。

「必ず2マン・セルで当たれ! 一人だけヒーローになろうとするな!」

「ウィングマンの援護を忘れるな! 互いの背中をちゃんと守るんだ!」

 ビームの雨の中を目まぐるしく機動しながらキャラミは始終檄を飛ばし続け、ルーキーたちに戦果を挙げさせた。最初のポカを除けば、やはり「たいしたヤツ」だと俺たちの見解は一致した。ともかくも敵の居場所がわかったのはキャラミのおかげだ。

「やっぱやるこた豪快だな。オレならあんな大手振って行けないぜ」

 帰投後、アンサーが笑い飛ばすと、キャラミは赤カブのように真っ赤になり、パンチで応えた。

 その後ろでルーキーたちは舞い上がっていた。

「オレたち、サリーに負けてなかったぞ」

「ああ、どうなるかと思っていたけど、やれそうだな」

 まだひとつの戦いをクリアーしたに過ぎないのだが、

「我々はついにサリーと闘って打ち負かせるモビルスーツを手に入れた」

 と、パイロットたちがこのように精神面で優位に立てたことは大きかった。

「新鋭機がついに投入される」

 ということで士気が鼓舞されていたうえに、そのFXとファイアーブレードが実際にサリーを落とせることが明らかになるにつれ、圧倒的だったサリーの影は完全に払拭された。開戦以来ナイフで背中を突つかれ続けていたエンジニアたちの喜びもひとしおで、俺たちスターバッカーズもパナシェ女史を黒ビールの海に沈めてさしあげた。女史が顔を真っ赤にして引っくり返って喜んでくれたことは言うまでもない。

 機種転換はホッケンを含むL1戦線から順次行われて、信頼できる傘を得た環地球連合軍は連邦の拠点を確実に叩き潰していった。落とした拠点には揚陸艦が、喩は悪いが、キャンディに群がる蟻のように張り付いて戦力と物資を揚げた。そうして我々は飛び石を伝うように、L1空域を地球へと近づいていった。

 その闘いの中で、アンサーの変化がはっきりしてきた。ブリッジ・オペレイターたちとにぎやかに食事をしている様を見ると、つとに。誰も近寄らず、自分からも誰も近づけず、いつでもひとりだった最初の頃がまるで嘘のようだ。宇宙でも確実なパイロットとなっていた。何につけても我を張っていたのが、

「おれが、おれが」

 と、がっつくことがなくなり、自ら臨機応変にサポートにも回ることが多くなったが、生来の猟犬の資質を失ったわけではなく、自分で撃つときは必ず撃墜した。

「アイス・ドールにいきなり張り飛ばされて、おれたちにケツ蹴飛ばされて、仕上げにエアナイツで揉まれたら、ああもなるだろう」

 ガーディーは嬉しそうにそう言っていたが、ホッケンの闘いが終わった後、ひとつ、気になることができた。

 ビッグEがアロハ・ステーションに戻る二、三日前から、アンサーが偏頭痛や頭部圧迫感などの不調を訴え始めたのだ。

 当然、トムは精密検査のフル・コースを用意した。アンサーは渋ったが、そんなことは誰もが予測済みだ。有無を言わせずドクの手に委ねた。

 結果は、異常なし。

 ほら見ろ、とでも言いたげなアンサーに、今度はサイコミュ・チェックを受けさせた。

 結果は、ビンゴ。アンサーはこちら側の人間となっていたのだ。それにしても、静かな目覚めだった。戦場のど真ん中で烈しい産声を挙げたディタとは大違いだ。

「君が覚醒するとしたら、火山のように派手に爆発してくれると思っていたんだがな」

 夕食のときにそう言うと、おいおい、とアンサーは笑った。

「花火じゃないんだぜ」

 ひとしきり笑った後で、アンサーはふいに真面目な顔になり、

「おれは子供のころからずっとニュータイプになりたかったんだけど、実際そうなってみると、妙な感じだよ。自分がニュータイプだと感じられないんだ」

「最初から自覚あるニュータイプというのも、それはそれで怖いな」

「フリー・バード、あんたはどうだったんだ」

「そんなことは考えもしなかったな。グレイト・ロスアンジェルスはニュータイプ差別の一際激しいところだった。あの街で覚醒していたら、間違いなく命を落としていた」

 アンサーもわかった顔をして、次いで眉をひそめてうなずいた。

「そうした差別だけが理由というわけじゃないが、ニュータイプであることを明らかにしない方がいい場合もあった。保守的な人間はどこにでも、宇宙にさえいるものだし、心を覗かれるような気がしていやだと、ニュータイプとの接触を嫌う人間が多いことも確かだからな」

 やれやれ、とアンサーはつまらなそうな顔で呟いた。

「結構、面倒だな」

「まあな。ニュータイプになったからと言って、いいことばかりが起こるわけじゃない。憧れる気持ちはわからないでもないが」

「生還率は飛躍的に跳ね上がるのにな」

「闘いに関してはともかく、他の局面となれば別だ。現在の社会は基本的にニュータイプのためのシステムを採用していないしな」

「ニュータイプの社会システム、か。どんなものかな」

 それはおぼろげにしかわからない。アンサーもそうだろう。話を戻す。

「ともかく、社会的にどうこうと言う前に、個人レヴェルでの困難につきまとわれて踏み外すことも多い。それは君も胸に留めておいた方がいい」

「個人レヴェルでの困難って、なんだい」

「ニュータイプの方が円滑な人間関係を結べると主張する人間が多いのはわかっているだろう。一般の認識も概ねはそうなんだが、実際はその逆だ。たいてい、痛い目を見る」

 そのことは、言葉でもはっきりと伝えた。

「人との関係では、時には知らない振りや見ていない振りをすることも必要なんだ。しかしニュータイプになると、見なくていいところまで見えてしまうことが多々あって、振り回されてしまう。特に、覚醒したばかりで自分でうまくコントロールできないときには」

 転ばぬ先の杖だ。俺も何度頭を打ちつけたか、わからない。見なくていいところが見えてしまい、嘘も方便という諺がどこかへ吹っ飛んでしまうと、まず人としてタフでなければ、壊れてしまいかねない。その点では、グレイト・ロスアンジェルスのサウス・デルタに感謝している。

「わかってしまっているのにわからない顔をするのは、結構大変だぞ」

「そうだな」

 アンサーは神妙な顔でうなずいた。

「誰の心にも悪魔がいることはわかってる」

「だから、必要なときにドアを閉じる術を身につけた方がいい。悪魔と目を合わせないために」

 何時の間にかロバート・ジョンソンの『おれと悪魔と』が聞こえている。しかしまあ、頭の中で聴いている分には悪魔も覗きこんでこないだろう。

「なあ、フリー・バード」

 すっかり黙り込んでいたアンサーだったが、最後に呼びかけてきた。

「悪いけど、おれがしくじらないように、見ていてくれないか」

 わかったと応える。何事にも先達はいた方がいい。

「一人も三人も一緒だ」

「三人?」

「ガーディーとジャンも、目を覚ましたんだ」

 アンサーは目を丸くしたが、ニュータイプはナチュラルにも少なからぬ影響を及ぼし、覚醒を促すことは前から知れ渡っていた。拡大したコミュニケーションの場に触れることが、人の内なるスゥイッチを入れるのかもしれない。近くにニュータイプがいれば、目覚めるべき者は必ず目覚める。

 このようなわけで三人ともニュータイプ登録を行って、ファイアーブレードからFXに乗り換え、スターバッカーズは自然とニュータイプ部隊(他に有名なニュータイプ部隊としては空母タイコンデロガ所属の第一一一戦闘隊『シュトゥルムフェーダー』や、空母アマギ所属の第八十七戦闘隊『天狼隊』などがある)となった。戦績は急上昇した。それはファイアーブレードとFXの性能差ももちろんだが、もともと三人とも非常に優秀なパイロットだ。三機の鮮やかな赤帯のFXは戦場で大いに名を馳せた。ともかく、良い循環だった。

 モビルスーツのコクピットにいない間は俺がフォローした。慣熟が必要なのはニュータイプも同じだ。慣らしをしなければ、人として役立たずになってしまう。闘いの場でしか必要とされないのでは、人間とは言えない。

 が、それもまあ、杞憂だった。ガーディーやジャンが踏み外すはずなどなかった。

「こうなっちまうと、落とせない女はいないなァ」

 ガーディーはこのように常にポジティヴだし、ジャンは常にクミコへの想いで己を支えている。この二人は揃って、まず人間であろうとする姿勢を崩さなかった。立派だ。ほんとうにそう思ったが、神経はカーボン・ファイバー製に違いない。

 アンサーはこの図太い二人に比べるとセンシティヴで、ジャン以上に感情の起伏が激しいこともあり、少しばかり自分に戸惑い、自分を持て余したり、振り回されてしまう時間が長かったが、次の出撃まで間が開いたことが幸いした。

 九月、機動部隊の出番が回ってきた。モンツァ会戦。この闘いは久々の機動部隊の激突で、かの有名な、

『モンツァの星屑撃ち』

 の舞台だ。

 偶然もあって先に我々を発見し、モビルスーツを出撃させたのは連邦だったが、その様はTレーダーで捕捉されており、俺たちはホッケンと同じく、手薬煉を引いて待ち構えていた。

 敵機動編隊、第一波。総数百二十。第二次警戒ライン接触。

 ニンジャ隊の報とともに、全開で飛び出した。

 スターバッカーズは、ディタの百式甲型も含めて、全機、混成迎撃装備。

 

 RDY GUN

 RDY VPBR

 RDY VL SBR‐L、R

 RDY I SLD

 

 さらに、

 

 RDY PC‐A1  FIN FNL‐Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ

 RDY PC‐A2  FIN FNL‐Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ

 RDY PC‐B  STR‐Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ

 RDY PC‐C  VPBR‐Ⅰ

 

 サイコミュ兵装は全回線を使用。これをすべて敵に向けようとしたら、それなりの訓練は必要で、その訓練を経て初の実戦だった。サイコミュ・コントロールドVPBRは、さほど当てにしていないので、最初はC回線をキルしておく。

 MTIには追走する四個の光点が浮かんでいる。

 スティンガー。ディタの考案したモビルスーツ型の高機動戦闘端末だ。正確には、モビルスーツなどとは間違っても言えない。とにかくモビルスーツの形をしていればいいと、民間でスクラップから再生されたものもあって、とんでもない生産数を誇り、戦線に続々と投入された。

 このスティンガー、見た目はそのままモビルスーツだが、その図体でファンネルと同じ超高機動が可能だ。「パイロット殺し」として悪名高きDMXシリーズ2000も、無人機でようやくその真価を発揮できたわけだ。NTCの強化人間たちはさぞや面食らっただろう。サリーですら巴で絡めないのだ。それでもくらいついて撃墜しようとするパイロットもいたが、それこそ思うつぼだった。

 スティンガーはファンネルと違って基本的に使い捨てで、パワー・ユニットが空になるまでビームを撃ちまくった後は指定した目標に近接して大爆発してみせる。連邦にすればまったく始末に負えない代物だ。俺たちニュータイプのモビルスーツ乗りには壁にもなり、隠れみのにもなり、大変ありがたかった。後にコンピューター・コントロールドのタイプも開発されて、パイロットの生還率が格段に上昇したのは統計的にも疑いようのない事実だ。大戦後期に優秀なパイロットを失わずにすむことのメリットなど、言うまでもない。

 それでも、人間の乗っているモビルスーツを察知して突き進んでくる者もいる。そのような者は、相手せざるを得ない。

「スターバッカー01、ワン・ボギー、エンゲージ」

 ディタの警報を受けて、近接戦闘の準備をする。

「援護を頼む」

「了解、フリー・バード」

 白兵スゥイッチ、ON。システム起動と同時にVL(刀身長可変型)サーベルが手のうちに滑り込む。

 

 RDY VL SBR‐R

 

 闇を裂いて光の刃がさあっと伸びる。サリーの突っ込みは勢いがなく、初撃は届かず。距離を見て、長刀身に切り換えて踏み込む。背後はディタのVPBRとフィン・ファンネルで断ち、追いつめる。

 サリーの二ノ太刀が旋回してくるのをガンダムは素早く、かつなめらかにかわし、かわしつつ、撃ち込みをかける。攻防が一体となった動きは、RZも含めて、今まで駆ったどのモビルスーツでもできなかった。ガンダムの動きを見れば、誰も俺が白兵が苦手だとは思わないだろう。

 しかし眼前の敵にサーベルを振るいながら、サイコミュ回線を二つ、同時にコントロールするなど、まるで三人分の演奏をひとりで同時にこなしたロバート・ジョンソンのようだ。あのブルーズを聴いたとき、もう一人のギターは誰かと真剣に尋ねてランディに笑われた。

 ランディ、どうしているのだろう。

 目の前でサリーが小さく爆発して闇の表を流れていったとき、急にそのことが意識に浮かび上がった。

 近いうちに地球を追い出されるらしいというメッセージを受け取って以来、音沙汰がない。地球を出るのはいいことだが、どこへ行くというのか。その前に、追い出されるとはどういうことなんだろう。重力の底はどうなっているのか。

 その問いは警報で頭から蹴り出された。

 近距離センサーに反応。一機。受動警戒システムが照準レーザーを捕捉するが、スロットルを開かず、あえて踏み込ませる。

 直後、ガンダムは黒いサリーに撃ちかけられていた。今度の敵の勢いはややマシだった。が、たじろぐガンダムではない。サリーのパワーはまるで問題にならない。初撃を難なく跳ね返す。

 サリーは態勢の立て直しにひどく手間取っていたが、二ノ太刀を撃ち込んできた。

 ガンダムはIシールドをブーストさせ、旋回してきた光の刃を吹き消し、素早く腕をつかんでぐっと引き寄せながらガン・モードに切り替える。

 

 RDY GUN

 

 大写しになったサリーの額のど真ん中に置かれたTDボックスを見るまでもなく、トリガーを引く。MFD上の残弾数が瞬く間に減っていく。

 頭から胸にかけて三十ミリ低速弾を叩き込まれたサリーは、あっという間に沈黙した。頭は一瞬で引き裂かれて完全に弾け飛んでしまった。対空機関砲は、使いようによってはサーベルよりも強力な武器だ。

 息絶えたサリーを突き放して離脱すると、誰かのビームがその死骸を撃ち抜いて一瞬の光の花にしてしまった。

 その向こうに更なる敵の姿が見える。雲霞のように押し寄せてくる。もはや敵わないのに、精神だけで押してくる。

 ディタと編隊を組むと、装備を再確認してスロットルを開いた。

 この闘いは、長丁場になりそうだ。

 

 ☆

 

 敵が離脱するとシルヴァー・アローズに続いて、スターバッカーズ、帰艦。

 大尉どののガンダムは、A1デッキの一番前でホット・フュエル中。

 そう聞いてエアロックにまで来たものの。

 宇宙の闇を目の前にすると、足だけでなく、全身がすくんでしまった。

 まだ、怖いのか。

 どうして、と思うけど、実際に体が凍ってしまっている。

 けれど、これではいつまでたっても大尉どののそばになんか行けない。

 そう考えると、へこんでしまうよりも、何か、無我夢中の力のようなものが噴き上がってきた。いける気がしてきた。

 えいっ!

 気合いを入れて飛び出すと。

 宇宙に身をさらした瞬間、意識が一息にものすごく高い――宇宙だから、違う。遠くへ持っていかれるような感覚に包まれて、この宇宙全体のことが手のひらの上にあるみたいに見渡せた。神様なんて信じていないけれど、そういう、うまく言えないけれど、人間なんて問題にならないほどの存在がたしかにそばにいると、確信できた。ほんとうに、そこにいる。

 そう思ってふと振り返ると。

 そこには、わたしがいた。

 わたし?

 驚いたわたしを、また別のわたしが遠くから眺めていた。はっきりとわかった。

 でも、どうして、わたし?

 そこにいたわたしは応えずに、わたしに近づいてきて、わたしになった。

 あわてて目をしばたたくと、わたしは大尉どののガンダムの脇に浮かんでいた。

 いったい、何だったんだろう。

 頭を振った。よくわからないけど、考えるのは後回しにしてうつ伏せている機体の上へ飛び、翼のようなフィン・ファンネルの下に潜りこんで、コクピットの開口部の端に足を引っかけて上半身をぐっと差し込んだ。

「大尉どの」

 呼びかけると、コンソールで何事かをチェックしていたらしい大尉どののメットが動いて、わたしのヴァイザーにヴァイザーをつけた。ヴァイザーが透光になると、目が笑っていた。

「やあ、カルーア」

 ほっとした。

「宇宙に出られたとは、大進歩だな」

「決死の覚悟でした」

 ほんと、大尉どのでなければ宇宙になんか、と思いつつBレイションを差し出した。

「長い闘いですね」

「そうだね。連邦も必死だよ。しかし、次の第四次攻撃で終わる」

 うなずきつつ、目は本当に狭いコクピットの中を遠慮なく動き回り、大尉どのの後ろに留まった。

 もうひとつ、シートがある。

「大尉どののガンダムは、複座なのですか」

「そうだよ。FXの第一バッチ前半の機体は複座で、ニュータイプでなくても操縦できる。その場合はパイロットと兵装システム士官の二人が乗らなければならないけど」

「でも大尉どのなら単座のほうがしっくりしませんか」

「女史のリクエストさ」

「リクエスト?」

「このガンダムの後席にはデータの収集や検証のために女史が乗る」

 大尉どのはそこでいきなり笑い出した。

「ガンダムに乗るとき、女史はノーマルスーツにこれでもかというほど耐Gゲルを詰め込んで、もこもこにするんだ。マシュマロみたいにね」

 その光景を思い浮かべて、わたしも笑ってしまった。あのお澄まし顔のパナシェ女史がマシュマロのようになって狭いシートに収まっているなんて!

 でも、笑っていられなくなった。急に頭の真ん中がビリッとした。

 次いで、うっ、と息の詰まるような感じが。

 この匂いは、ダミアン。

 あっ。来る。

 どうしてかわからないけれど、わかる。

 来る。ダミアンだ。だけど、ひどくよくない思いを抱いている。

「来る」

「えっ」

「ダミアンが、来ます」

「――ああ。俺にも見える。速いな」

 一気に鋭くなった大尉どのの目がわたしを射抜いた。

「レイ大尉殿、ホット・フュエル完了しましたっ」

「各パワー・ユニットのリチャージも完了っ」

 という声に続いて、オペレイターの声。

「アークエンジェルよりスターバッカーズ、ライトニングストライクス各機へ。敵機動編隊、急速接近中。緊急発艦準備。繰り返す。緊急発艦準備」

 そして、ガンダムが動き始めた。発艦位置に向かっているんだ。いけない、早く戻らなきゃ。――え?

 すこし焦ってコクピットを出ようとしたわたしの腕を、大尉どのは手を伸ばしてぐっと引っ張っていた。

「ここからだと艦内に戻る時間がない。今フライト・デッキに出たら、確実に吹き飛ばされて宇宙の藻屑だ。すまないが、辛抱してくれ」

 ええええーッ?

 ガンダムに乗って飛ぶなんて、わたし、今度こそ命ないかも。

 ううん。そんなこと、大尉どのに失礼だわ。

 とにかく、我慢よ。我慢。

 体を小さくして狭いコクピットに入り込むと、コクピット・カヴァーがスライドしてきて、ぴたっと閉じられた。大尉どのはMAUを手にしてコクピット・カプセルの後ろを指した。

「後席についてMAUを接続するんだ。通信回線はフル・オープンでいいが、パッシヴ以外はすべてキルしておいてくれ」

「はいっ」

 返事をして後席につき、体を固定させた。シートは自動で戦闘位置に変わり、ほとんど寝そべる形になったところで必死でチューブを手繰り寄せて、マルチ・エア・ユニットをメットに接続した。すると、メットのヴァイザーがシールドごと自動で降りて視野が真っ暗になった。

「た、大尉どの、何も見えません」

「だいじょうぶだ。RPDを起動する」

 次の瞬間、わたしは声にならない声を挙げていた。

 目が見えるようになった。でもそれはモニターを見ているんじゃなく、直に外を見ている。わたしの目がガンダムの目になったみたい。

 そこで気がついた。

 これがあの網膜投影型ディスプレイなんだ。

「フリー・バード。ガンダム、システムス・オールG。グッド・ラック」

 感動している場合じゃなかった。パナシェ女史の冷静な声が耳に飛び込んできた。

 礼を返して大尉どのは発艦準備完了を告げた。すでにガンダムは発艦位置に定位している。いよいよだ。初めてじゃないのに、どきどきしてきた。

「カルーア、三十秒前だ。不用意に口を開けていて舌を噛むなよ」

「はいっ」

 そのときには、ダミアンの匂いは重くのしかかるように、そこにあった。生臭くて、それでいて髪の毛の焼けたみたいな、本当に息の詰まりそうな匂い。

 リニア・カタパルト、セット。甲板作業員たちがハンドサインで申し送りをしている。闇に浮かび上がるようなカラフルなスーツ姿。そこから宇宙に目を移すと、もう逃げられないと感じる。目を閉じればいいと思うのに、どうしてかそうすることができない。

 と、コクピットがびりびりし始めた。MAXアフターバーナーが点火されたんだ。後ろを見ると、ブラスト・デフレクターで跳ね返るミノフスキー・ジェットの噴射光で真っ白。怖くなってきた。けど、もう降りることはできない。サイド・スティックとスロットルを握り締める。

 視野の隅でカタパルト・オフィサーがびっと前を指した。同時に、

 ピーッ、

 耳の内に甲高い音がして、大尉どのの声。

「ロックンロール!」

 直後、ものすごいG。血も肉も骨も全部粉々につぶされてしまいそうになった。夕暮れみたいな視野の中、声を出すこともできず、ビッグEの姿はあっという間、ほんとうにあっという間に飛び去って、宇宙の真ん中にいた。信じられないほどの発艦加速。

 ガンダムは急速に戦域に突入、ヴァレンシアにぐんぐん近づいていくのがわかる。匂いが、もうどうしようもなくひどくなっていく。心をぐっと食いしばって頑張るしかない。

 不思議なことに怖くはなくなっていた。どうしてかわからないけど、大尉どのの動き、じゃなく、しようとしていることが見える。見えるというより、わかるようになったから。

 大尉どのはサイド・スティックをぐっと握り直して呼びかけた。

「スターバッカー01よりスターバッカー00、スターバッカー03へ。これより機動部隊に接近するマンタを迎撃する。ターゲットはマンタ。援護を頼む」

「了解」

「了解ッ」

 レーニエ大尉とアーシタ少尉の応答があった直後から、わたしは嵐に揉まれる小船になった。ドッグファイト・スゥイッチがオンになったんだ。あまりにも激しい機動に、何度も意識まで持って行かれそうになった。それはダミアンがファンネルを一気に放出したせい。

 ――みつけたぞ、白いガンダム!

 対して大尉どのは、乱暴に掴みかかってくるようなダミアンの意思を跳ね除けるように銃爪を絞り、ファンネルを片っ端から撃墜していった。

 そのさまはとにかく速く、そして無駄がなくって、お手本にしたいくらいに見事だったんだけど、不思議に感じたのは、どうみてもガンダムは大尉どのが入力する命令以上のことを行っているということ。操縦にしても、戦闘にしても。大尉どのは一人なのに、実はもう二人ほどいらっしゃって、役割をきちっと分担なさっているかのような。そうでなければ、こんな、後ろばかりじゃなくてあらゆるところに目をつけているような闘いはできない。だって、一点回頭したらそこにターゲットがあるなんてしょっちゅうだし、射撃にしても、ターゲットを狙って撃つというより、大尉どのの射線の先にターゲットが吸い寄せられていくみたい。

 あっという間にダミアンのファンネルを片づけてしまうと、急に大きなGがかかって、ヴァレンシアの大きな体はみるみる間に点になって後ろへ飛び去っていった。ものすごい加速とスピード。わたしなら一気に白兵の間合いにまで詰めようとするだろうけど、そこは大尉どののこと、きっと考えがあるのだわ。

 そのとおりだった。

 ヴァレンシアにお尻を向けて離脱しているのに関わらず、大尉どのの攻撃は終わっていなかった。まだ。

 ――サイコミュ回線C、接続。パワー・レヴェル5。

 大尉どのの声が閃いたと同時に、ぱっ、ぱっ、と視野が輝いて、眩い光の線が闇を貫いた。そして何と、ヴァレンシアの表面に火の粉のような光の粒がどっと湧き上がった。

 すごい。直撃してる。Iフィールドを撃ち抜いたんだ。ということは、今のはVPBR? ああ、だからレヴェル5か。

 納得したけれど、信じられなかった。VPBRをそのパワー・レヴェル5で連射していたなんて。ガンダムFXはとんでもないモビルスーツだ。普通だったらとっくにジェネレイターが飛んで、戦闘不能に陥ってる。これならヴァレンシアでも相手にならないわ。戦艦だって沈められるかも。そういう目で見てしまう辺り、まだパイロットの殻が落ちていないらしい。

 ――くそう、新型がなんだッ、

 ダミアンは、被弾しているのに、なおも追ってくる。

 けれど、距離は詰まらない。少しも。追いつけないんだとわかって、唖然とした。サリーはともかく、ヴァレンシアが追いつけないなんて。今更ながら、またもFXのとんでもなさを思い知るわたしだった。

 違う方向からまたVPBRの太いビームが飛んできて、ヴァレンシアを叩いた。ヴァレンシアの装甲の厚いのはよくわかっているけど、いくらなんでも、という気持ちになってきた。

 しかし、撃たれれば撃たれるほど、匂いはひどくなってゆく。

 どうして。どうしてそこまで大尉どのを憎んでいるの。

 ――オレは絶対に落ちないッ、カルーアを奪ったきさまを倒すまではなあッ、

 その声に、頭の中が真っ白になるほど驚いた。

 わたしを? 大尉どのがわたしを奪ったと思って、憎んでいるの?

 ――おちろおおっ、

 もう、だめよ、ダミアン。

 咳き込みながら思わずそう呟いていた。

 けれど、ダミアンは退かない。叩かれながらも撃ってくるけれど、そのビームも届かない。「倒してやる」という気持ちが誰よりも強いのはわかるけど、それでは勝てない。悲しいくらい、そう思った。

 だって、ダミアンは闘って負けるというより、自分から足を踏み外して勝手に転げ落ちてゆく感じがする。空回っている。完全に。大尉どのがわたしを奪っただなんて勝手に思い込んで、何も見えなくなっているから。

「なぜオレは勝てない」

 ワイコロアの後、そう言って頭をかきむしっていたよね。

 あの頃は、ニュータイプ能力が上回ってさえいれば勝てると信じていた。でもそうじゃないのよ。強化で増大するのは憎しみの力だもの。

 やがて、叩かれまくったダミアンはようやく背を向けた。

 ――オレはあきらめん、きさまを絶対に殺す!

 精一杯強がった捨て台詞に、涙がこぼれた。

 ――ダミアンは、あいかわらず俺を憎んでいるようだな。

 大尉どのの静かな声がした。

「知ってらしたのですか」

 ――接敵する度、叫ばれ続けてはね。

 大尉どのはため息をつかれた。

 離脱したダミアンの消えていった先を見つめていたわたしの目は、星に紛れて接近する機動編隊を捉えた。

 下方七時より二機。アングルは減少しつつある。速度は、かなり。

 ――カルーア、いい目をしているな。

 次の瞬間、どっ、とGがかかって、星たちがくるりと流れた。大尉どのはわたしの目を通してターゲットを見ていた、らしい。Rラックのフィン・ファンネルが端のものから真ん中で折れ曲がり、楔のようになってすぱすぱっと撃ち出された。すごい。フィン・ファンネルの射出なんて、初めて見た。

 サリーもファンネルを放出したけれど、大尉どのが相手では、分なんてない。

 思った通り、サリーのファンネルは全基、二基のフィン・ファンネルの初撃で蹴散らされ、同時に母機も撃破されていた。すごい。大尉どの、機動しながらいくつものフィン・ファンネルを同時に動かしているわ。

 でも、どうしてそんなことができるのかしら。ユーゲントでは教えてくれなかったわよ。

 すると、天を飛び交う閃光――のようなものがいきなり見え始めた気がした。これはユーゲントの強化訓練のときにも見えたことがある。やっぱり思念の波? 大尉どのの?

 だとすれば、すごい。戦闘中なのに、こんなにクリアーで穏やかだなんて。ユーゲントならとげとげしくて、ちょっとでも触れるのが嫌だったのに。

 その閃光を追っているうちに、わかった! わかってしまった。大尉どののファンネル・コントロールの秘密が。敵を追いかけるんじゃなく、逃がさないように囲んでしまうのか。それも、一瞬で。なるほど。でも、敵も動くよね? あ、それは読んでおく、と。

 それにしても、すごい。

 わたしが言ったら張り倒されてしまうほど当たり前のことだけど、大尉どのはほんとうにすごい。ドッグ・ファイトはヴィデオ・ゲームなどとはまったく違うけど、全然危なげなくて、そう見えてしまう。そのくらいのひとなんだとわかっていたはずなのに、わたしは的外れな怒りと憎しみだけで立ち向かっていた。倒せると信じ込んで。ほんとうに身のほど知らずだった。

 なのに大尉どのはわたしを撃たずにいてくれた。その気になれば、何度でも撃てたはずなのに。

 すると、大尉どのの声。

 ――足が速かったからなあ、カルーアは。

 え?

 ――アフターバーナー点火のタイミングがとにかく絶妙だった。つかまえた、と思ったら、するりと抜けていく。

 う。

 詰まると、笑い声が。

 ――怒りと憎しみの向こうにあるものが見えていたからだよ。

 そう言われて、ガンダムを無事に――大尉どの、どうもありがとうございました――降りて艦内に戻った後もずっと考えている。

 わたしの大嫌いなダミアンのあの匂い、あれは怒りと憎しみの燃え盛る匂いなんだろうか。

 とすると、わたしも、あんなひどい匂いを撒き散らしていたの?

 無性に恥ずかしくなった。だって、大尉どのが気づかないはずないじゃない。ああ、なんてこと。穴を掘って自分を埋めてしまいたい。

 そんな思いで頭を一杯にしてベッドでのた打ち回っていると、

 あれっ?

 どうしてわたし、大尉どののサイコミュ波に触れることができたの? どうしてダミアンが来るのがわかったの?

 謎だ。

 これはすぐに大尉どのに聞いてみなくては。それに大尉どのならわかるかもしれない。宇宙に飛び出た瞬間のあれが何なのか。

 でも、変だ。

 頭の中に、声がする。どうしちゃったんだろう。ひとりやふたりじゃない。たくさんの声がなだれ込んでくる。

 声じゃない。これは、人の思いだ。

 そうとわかったときは愕然としたけど、それどころじゃないっ。それが直に響いてくるっ。やだ、やめて、そんなの、わたし、壊れちゃう。

 思わず目を閉じて、耳も塞いだけれど、流れ込んでくる色々なものがなおもわたしを圧す。圧してる。

 う。

 頭が重い。重い。重たい。

 大尉どのっ。

 頭も胸も心も絶叫した。

 たすけて、たすけて、つぶされちゃうっ。

 ひときわ大きく叫んだ直後、いきなり周囲がぐるっと回って、床が目の前に迫った。そして額にひどいショックを受けたと同時に、目の前が真っ暗になった。

 

 ☆

 

 モンツァ会戦は環地球連合軍の圧勝に終わった。

 我々は四次に渡る攻撃でNTCの空母三隻を撃沈、二隻を大破させた。ここに連邦の機動部隊は瓦解したと言って良かった。

 サリーも四百機近くを撃破。その七割はドッグ・ファイトによることに意義がある。戦線に続々と投入されるFXとファイアーブレードは、キル・レイシオを完全に逆転させていた。

 同じサリーでも、以前のように強くない。切れがない。

 ニュータイプもナチュラルも、パイロットは誰もが口を揃えてそう言った。

 それは錯覚ではなかった。サリーの神話は崩れ去ったのだ。

 NTCのパイロットたちの質は、開戦当時とは比べ物にならないほど低下しており、かつてはその姿だけで我々を震え上がらせたサリーが、今やFXやファイアーブレードに囲まれ、その真ん中で為す術もなく毟られてしまう。サリーはもはや敵ではなく、星屑を撃つのと同じだった。

 これもいわゆるサリー効果だった。

 パイロットを保護するものを一切持たないこのモビルスーツは、経験豊かなパイロットを次から次へと鬼籍に放り込み、NTCはついにパイロットの枯渇を招いてしまった。結果、学生までもがかき集められ、養成期間も切りつめられた。

 そして、たとえようもないほど貧弱な腕前のパイロットたちは、向かってくるだけ落とされる。絶望的な悪循環と言っていい。

 ことはパイロットばかりでなく、サリー自体もFXやファイアーブレードが現れた今となってはすっかり旧式化していた。

 出力の貧弱さはいかんともし難く、何より機体の精度が落ちていた。機動中にタンクが破れてプロペラントを噴いたなど、色々な報告が挙げられていたが、その様が生産状況を表しているとすれば、もはや末期的と言っていい。

 しかし連邦にはそのサリー以外のモビルスーツが存在していないらしい。あれば、何かしら出てくるだろう。

 ただ、戦場に現れた当初はすさまじい戦果を挙げたマンタですら、今はFXの三機編隊に立ち向かうことはできない。

 だが、それよりも先に考えるべきことがあった。

 カルーアが倒れてしまったのだ。俺のガンダムに乗ったその夜のことだ。

 艦内に戻った後もそのまま普通に仕事を続けていたとトクロウは言った。が、何もなかったはずがない。宇宙で何かを見たんだ。カルーアは。

「脳波が安定しないわね」

 ドクの言葉に烈しく悔やんだ。

 迂闊だった。

 いくらそうするしかなかったとは言え、もともと受動能力に優れたカルーアをいきなりモビルスーツのコクピットに引き込んで、戦域を引っ張り回してしまうなど。あれほど宇宙を怖がっていたのに。

 ドクの話を聞きながら、拳をぐっと握り締めていた。

 何でもいい。とにかく無事であってくれれば。

 カルーア。

 目を、覚ましてくれ。

 

 ☆

 

 再覚醒。

 それがこの一連の出来事の答だった。

 どういうことか、わたしはまたニュータイプとして目覚めた、らしい。

 けれど、不思議なことがある。

 あれほど怖かった宇宙がすこしも怖くなくなったのもそうだけど、思念波のレヴェルが、NTCで現役だったときと比べ物にならないほど上昇していた。昔はサイコミュ側でブーストをかけなければダメだったのに、このレヴェルだと、ブーストしたらサイコミュが壊れてしまう。

 そのサイコミュ、どうなんだろう。

 ユーゲントやNTCでは危険なことでプレッシャーをかけなければサイコミュもろくに動かせなかった。あれはまさに拷問。今思うと、よくあんなことをしていたと感心さえしてしまう。

 でも、と思う。

 この強さなら、サイコミュを楽にドライヴできるかもしれない。

 それができれば、はっきりと大尉どのをお助けできる。

「わたし、もう一度サイコミュ稼動試験をやってみます」

 意気込んでそういうと、大尉どのは沈んだ目をされた。

 わたしの胸にも何か重いものが沈んだ。

 喜んではくれなかった。

 

 ☆

 

 サイコミュのドライヴができるようになったカルーアはパイロットに志願した。

 が、それを良く思わない俺がいた。

 喜べなかった。喜べるわけがない。

 カルーアにはコクピットに戻ってほしくなかった。できれば、サイコミュ・チェックさえやめさせたかった。それで、胸がもやついている。

 まったく、こんな気持ちになったのは久しぶりだ。

 悟られないうちに引っ込んで頭を冷やそうとしたら、カルーア当人に捕まってしまった。笑顔だが、ほんとうの笑顔ではなかった。俺が浮かない気持ちでいるのはわかっているはずだ。案の定、昔のようにずばっと聞かれた。

「どうしていけないのです。機種転換訓練だって、ちゃんと規定時間こなします」

「いや、そういうことではなく」

 思わず口篭もってしまったものの、俺は、自分が何故こうなるのか、何故こういう気持ちを抱いているのか、わかっていた。

「カルーアは意志ある人間。自分の足で歩いて来させなさい」

 マザー・ララァの言ったように、カルーアは自分の足でここまで歩いてきた。あちこちにぶつかりながら、それでもめげずに。

 そのカルーアが、胸のうちでこれほど大きくなっているとは、思いも寄らなかった。

 しかし、それはまだ秘めておいた方がいいだろう。

「いいの?」

 するとマザー・ララァに正すように聞かれた。

「あなたは帰るべきところをずっと求めてきたのでしょう」

 ああ、そうだった。

「大尉どののお考えになっていることは、よくわかります」

 マザー・ララァに続けてカルーアにそう言われたときは、さすがにどきりとした。

 しかしカルーアは違うことを言った。

「けれど、道を切り拓くことが生き抜くことにつながるなら、わたしは逃げません」

 そのはっきりした物言いに覚悟を感じた。あまりにもまっすぐな覚悟を。いつしか、カルーアはこうまで言えるようになっていたのだ。激しい瞳で俺を見つめて。

「この闘いを終わらせることが先決という考え方は、正解だわ」

 ディタが話に加わってきた。俺とカルーアの気持ちをそらしてしまうかのようなタイミングで。

「考えなければならないのは、終わらせ方ね」

 しかしディタの頭の中ではすでに整っているはずだった。この大戦をどのように終わらせるかということは。そう考えただけでディタはうなずいたが、目を俺ではなくカルーアに向けて、いきなり違うことを尋ねた。

「どうしてまた目覚めたか、わかる?」

 カルーアは黙ってディタを見つめている。あまりに唐突だったせいでもあるだろう、応えられずにいる。

 そんなカルーアに、ディタはずばりと言った。

「あなたは、ニュータイプではなかったのよ」

「ええっ」

 カルーアは目を丸くした。ディタは当然、頓着などしていない。冷ややかに決めつけた。

「あなたは長年に渡って心身を強化された結果、サイコミュの駆動能力を得ることができた。でも、言ってしまえばそれだけ。コミュニケイション能力も多少は拡大したかもしれないけど、基本的にナチュラルよ」

 真実は時として残酷なものだが、それを淡々と当人に突きつける辺りがディタらしいと言うべきか。カルーアはまだ驚いている。ディタの目がふっと和らいだ。

「どうやらあなたも勘違いしていたようね。この機会に認識を革めなさい。NTCの量産した強化人間とニュータイプとはまったく異なるものだと」

「違うって、どう違うんですか」

「強化人間は、言ってしまえばスペシャリスト。サイコミュ兵器をドライヴできるだけの、極めて偏った存在。それこそ突然変異よ。ニュータイプはジェネラリスト。次元が違うわ」

 それは正しい。心身に圧力をかけて得られる力は本物ではない。絞りきったレモンをなおも絞るようなものだ。圧迫の逆、解放による覚醒が真のニュータイプへの道で、カルーアもすでに解き放たれていた。呪縛から。

 しかし、そのカルーアをふたたび闘いの炎のうちには飛び込ませたくない。俺は。

 この後、環地球連合軍はL1の地球側空域を一気に落として、サイド5を奪還する。

 大きな闘いが続くこととなるのだ。

 

 ☆

 

 大尉どの、心配してくださった。すごく嬉しかった。

 その気持ちに背を向けようとしているわけではないつもり。

 何故なら、パイロットに志願したものの、実はモビルスーツに乗って闘うことにそんなに乗り気ではない。わたしは。乗り気ではないどころか、かつては自分のすべてだった闘いを、今はひどく嫌悪している。怖いのではなく、闘いそのものがなくなって然るべき、無意味なものだとしか考えられない。

 それでいて志願したのは、闘いを終わらせるために闘うことと生き抜くために闘うことがこの局面でわたしのできる最善で、しかも大尉どのをお助けすることにもなると確信できたから。

 だから、トクロウさんにも宣言しておいた。

「この戦争が終わったら、わたしはモビルスーツから降ります。そして、二度と乗りません」

 だって、モビルスーツの季は本当にもう終わってしまう。

「闘うよりも料理を作ることの方が楽しいし、何より甲斐を感じます。だから、またわたしを鍛えてくださいね。この戦争はもうすぐ終わります」

「おうよ。まかせとけ」

 トクロウさんは満面の笑みでわたしの頭をかき回した。

 その後でハンガーに足を向けた。

 組み上がったばかりのわたしのFXは機体番号02で、カラーリングは全身パール・ホワイト。頭はデュアル・センサー搭載の、いわゆる「ガンダム・ヘッド」。何でもリクエストしてみるものだと思う。右の肩口には大尉どのと同じ、L1戦線では非常に有名なベロ・マークが大きく描かれている。パーソナル・ネームは『スノー・フェアリィ』。

 こうしたことには意味がある。

 戦場で敵がこのスノー・フェアリィを大尉どののガンダムと見間違えてくれたら儲けものだから。いわゆる欺瞞工作。だから、大尉どのと組むことは無理だった。大尉どのもわたしも長・中距離の射撃戦が得意。だから、接近戦の得意なパイロットを護る必要がある。それでアンサーと組むこととなった。

 アンサーは、聞いた話とはずいぶんと違っていた。昔は手のつけられないSon of a gun(ならず者)だったそうだけれど、そんなところはまったく感じられない。明るくて、とても話しやすくて、冗談ばかり言っていて、特にウェッヴに接するときは嬉しそう。でも、時折、深い知性が垣間見える。木漏れ日のように。サイコミュのデータも見せてもらったけど、乱暴でもとげとげしくもなく、しっかりしていて落ち着いていた。

「乱暴な一匹狼だったのは、嘘じゃないよ」

 アンサーは苦笑いを浮かべた。

「エアナイツを卒業して一皮剥けたって言われてるけど、実はそうじゃない。君の大事なフリー・バードのおかげだ」

「大尉どのの?」

「ああ。よく考えたら、このビッグEに乗ってから、あの人には世話になりっぱなしだな」

 ひとの口からこういうことを聞くと、嬉しい。

「おれはモビルスーツの転がし方はわかってたけど、他のことは何にも、ドッグ・ファイトのイロハさえわかってなかったデブなガキだった。ひとりじゃ勝てない相手でもふたりならどうにかできるってことさえ、わかっちゃいなかったんだ。これが別の母艦に回されてて、あの人に出会ってなかったらと考えると、ぞっとする。ぞっとするどころじゃないな。エアナイツに行くどころか、今ごろは生きていなかったよ」

 アンサーは、大尉どのに憧れている。その話し方や態度でわかる。大尉どののようになりたいのね。

 そう思ったら、アンサーはうなずきかけて、首を捻った。

「女性のことに限ってなら、迷わずガーディーのダンナだ。君の大尉どのは、自分のことになるとニュータイプじゃなくなっちまうみたいだからな」

 うっ。ビンゴ。けど、でも、そうじゃないのよ。きっと。

「そんなことありませんよ。大尉どのは弁えているんです。見るべきところしか見ないように」

「へッ、言うねェ」

 アンサーは笑い出した。

「ま、その大尉どのへの気持ちと同じくらいの熱意で、頼むぜ、相棒」

 そう言ってわたしの肩をぽんぽん叩いた。

「おれの背中は、あずけたからよ」

 こちら側に来ることができて、ほんとうに良かった。

 NTCはモビルスーツ・パイロットばかりじゃなく、誰も彼もみんな一匹狼だった。いや、狼なんて恰好のいいものじゃない。手を差し伸べ合うことができないだけ。誰も他人と必要以上の接触をしないし、何があっても自分でなければ知らん顔。

 ここは違う。助け合うことのできる人たちが周りにたくさんいる。

 そのことをまず教えてくれたのは、トクロウさん。

「人間には足し算はあてはまらないんだ。一足す一が二にならないからな」

 その事実は厨房において高い確率で証明された。特に、何かを生み出そうとするとき、人の意思がひとつになって迸ったらすごいことになる。なのに最初はものを創ることの意味も何も知らないで、トクロウさんにも噛みついていって。

 ああ、また穴を掘って埋まりたくなってきた。別のことを考えよう。

 すると何故かレーニエ中尉の冷たーい横顔が浮かんで、冷ややかな一瞥をくれた。

 でもそういう目にもいい加減慣れたし、今は感謝さえしている。今もって苦手なのは変わらないし、あのひとの目が本当はどこを見ているかわかったときはぎょっとしたし、ちょっとハラハラさせられているし、ディタとかアイス・ドールって呼んだら間違いなく張り飛ばされるだろうけど、宇宙に投げ出されたわたしを救ってくれたのはあのひとだし、わたしの首根っこをつかんで厨房へ放り込んでくれたのもあのひと。

 けれど。

 そんなひとでも、譲れないところは譲れない。

 と、思わず熱くなってしまった。いけないいけない。ひとまず私情はそっちへ置いといて、訓練に向かった。

 ブリーフィング・ルームで待つこと三分。定刻に大尉どのが入ってきた。わたしの、ファンネルを一基ずつしか使えないという癖を矯正するために訓練を買って出てくださった。NTCではこんなことは絶対に有り得ない。そのお心に応えるためにも、頑張らなくては。

「実は、ファンネルのコントロール技術は、ニュータイプの能力には関係がない。厄介なことに」

 座学で最初にそう言われたときは驚いた。

「サイコミュのドライヴはともかく、ファンネルを操るのはスキルだ。だから、訓練すれば、その能力はいくらでも伸ばすことができる」

 サイコミュがドライヴできるからと言って、それだけで機動端末を無我夢中で飛ばしていても、意味はない。そういうこと。けれど、かつてのわたしは、まさにそうだった。ファンネルを撃ち出してしまえばもう安心と、母機の手綱から手を放してしまっていた。それでよく生き延びることができたものだと思う。

 大尉どののような優れたパイロットと会敵していたら。

 そう考えると、背筋が凍ってしまう。運が良かっただけなんだ。ほんとうに。

「複数のファンネルを同時に高機動させてターゲットを撃破するために必要なものは、何よりも空間把握能力だ」

 座学ではそのことを繰り返し言い聞かされた。

「ターゲットを空間の中の一点と見なければ、一瞬で複数の最適射撃位置にファンネルを置けない。一基ずつしか使えないというのは、ターゲットとファンネルを線で結んで、その線をなぞっているにすぎないということだ」

 そうではない。

 ファンネルはダーツではなく、投網。複数を同時に用いることで、有効の度合いも増す。

 そう。見るべきなのはファンネルではなく、ターゲット。

「考えるな。感じるんだ」

 スノー・フェアリィのコクピット。お父さんの声に促されて、あのときの感覚を必死で思い出そうとした。大尉どののガンダムで宇宙に出たあのときの感覚を。

 追いかけるのではなく、逃さないよう、詰めていく。それを考えるのではなく、感覚で掴む。感覚で。

 そのとき意識に幾重もの蜘蛛の巣が浮かび上がった。その後ろが漆黒の宇宙に変わってゆき、――

 あっ、見えた。

 ターゲットに対してどこに六基のファンネルを置けばいいのか、わかった。

 次の瞬間、すべてのファンネルが一斉にダッシュしてポジションを取り、全基の照準レーザーがターゲットを同時に捉えた。ビンゴ!

 ああ、この感覚なんだ。

「チェックメイト」

 感慨に浸っていると、大尉どのの声。

「よくやった、カルーア」

 やったぜっ! Vっ!

 でも、得意になるのは圧倒的に早かった。ゴールはまだまだずーっと先。

 何故って、連合軍のサイコミュ・ユニット『PMC7』は三系統四回線で、そのうえ全回線を同時にドライヴできるという、悪魔のような「タコ足」だった。わたしはようやく一回線を使えるようになっただけ。つまり、フィン・ファンネル六基分の自由しか手に入れていない。NTCならこれでも「マイスター」くらいに言われるはずだけど、もう三回線が待っている。

 これって、地獄かも。

 

 ☆

 

 カルーアと歩く秋の舗道。

 出撃を三日後に控えた俺たちは、オールド・ハイランドの6バンチ『レマン』にいた。水の美しい観光コロニーだ。

「きれいですね。夢みたいに」

 カルーアは瞳を輝かせている。こういう折にはスタイリッシュなオールド・ハイランド宇宙軍の制服も無粋というものだが、正直、こんなときが訪れるとは思えずにいた。

 最初、カルーアに感じたのは「よどんだ血の匂い」だった。それは宇宙で再見したときも変わらなかった。カルーアはダミアンの匂いを「焼ける血の匂い」と表したが、同じ匂いではないかという気がする。成熟していないのに、ひとつのところだけが突き出てしまって、残されたところにはろくに血も流れず、腐ってゆく。その匂いだ。

 しかし、そういう者は憎むよりも手を差し伸べるべきなのだ。俺もそうだったし、カルーアもそうだ。

「NTCを離れて、こちらに来て、わたしは色々なことを知りました」

 カルーアの成長の勢いはすさまじかった。少し遠回りした分を一気に取り戻そうとしたかのように。が、余計な偏りや歪みというものが一切なく、健やかだった。自分と照らし合わせると、恥ずかしくなってくるほどだ。

「不思議ですね。わたしがわたしのことにかまけている間にも時は流れ続けて――」

 淡い茶色の秋の風の中、落ち葉を見て歩きながら、カルーアはそのようなことを言った。

「その流れのうちで、どこを見て、何を目指すのかと考えると、心細くなるときもあるんです」

「目の前のことに囚われずに、遠くに目をやった方がいいときもある」

 そう応えたとき、悟った。カルーアは違うことを言おうとしていると。

 ――わたしは。

 眩い、青。

 ――わたしは、あなたと。

 どこまでも澄み渡った、空。白い砂浜の向こうに輝く、海。

 この光景は。

「夏です」

 カルーアは即答した。眩しい笑みを浮かべて。

「わたしはいつも、真夏を想っているんですよ」

 遠くを見て話し始めた。

「わたし、季節の移り変わりはよくわかっていないんです。今も大尉どのに言われて、これが秋というものなのかと思ってしまうほど。でも、夏だけは憧れているんです。子供の頃、ユーゲントで見た映動が、空と海だけだったんですけど、あまりに眩しくて」

 しかし。夏は、はるかな先。

 カルーアもうなずいた。

「わかっています。けれど、――」

 俺をさっと見あげた。瞳のうちに様々な色の光がある。爆発したような光も見えた。しかし、口が何か言おうとしたまま、固まっている。

「どうした」

 促すつもりで尋ねると、一瞬ためらったが、

「――それまでの季を、越えて、行っていただけないでしょうか。わたしと、一緒に」

 カルーアは噴き上げるように言った。力と決意の込められたその声は耳と胸に一緒に飛び込んできて、俺を烈しく揺さ振った。

「大尉どのは、わたしにとって、夏そのものなんです」

 カルーアに思い切りぶつかられて、知った。まだ、ここに至っても俺は目をつぶり、背を向けようとしていたのだと。

「あなたは帰るべきところをずっと求めてきたのでしょう」

 マザー・ララァにもそう言われていたのに。

 命の途、その絶えるまでの道程はあまりに長いと考えていた。重力の底では。

 そうではなかった。悠久の時の移ろいの中では、人の生きている時間などあまりにも短い。俺も、人の変わってゆく節目に遭遇できたものの、その変革の果てさえ、己の目で見届けることはできない。

 そのことは寂しいが、寂しいと感じない方がいいのだろう。

 何故なら、この無情な時の流れのうちで、それでも心から俺のそばにいてくれようとするひとがいる。

 カルーアの手を取った。

「大尉どの」

 驚いた顔をしたカルーアに、笑いかけた。

 答は、最初の瞬間からそこにあった。

 そうわかっていたのに、それをそのままに受け容れられずにふらふらしていたのは、実は、俺だった。真実を「そんなことは信じられないから」と見ない振りで先送りしていた。悩んでいる暇などないというのに。

 そこまで考えて、カルーアに目をやると、ふいにおかしくなった。

 だから、真実の方から俺を追いかけてきたんだ。

 やれやれだ。まったく、自分のことになると、俺はニュータイプではなくなってしまうらしい。

 あらためてカルーアを見つめた。

 目を見て話すのは苦手だが、瞳に語りかけた。

「もう『大尉どの』じゃない。君が俺をそう呼ばなくてはならない季節は、たった今過ぎ去ったよ」 

 きみのもとへ帰ってゆくということは、俺の願いでもあったんだ。

 その願いを、今、解き放とう。

「夏を目指そう。この戦争が終わってからも、ずっと」

 細い腰を抱いて持ち上げると、カルーアは笑みを輝かせた。歓声を挙げて、俺の首に腕を巻きつけた。

「うれしい」

 人の夏は遠い。が、この闇を越えてゆけるだろう。俺は、きみと。

 限りなく移ろい、巡る季を、俺たちの真夏まで。

 

 

 MOBILE SUIT GUNDAM FX

 Episode 9 “Seasons of Change”

 

 



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