偽物の名武偵F (コジローⅡ)
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EP.1 とある4人組の始まり方

 武装探偵――略して、『武偵』。

 日々増加する犯罪者に対抗して制定された、国家資格を持つ者たち。

 その武偵を育成するための学校の一つである、東京武偵高校。東京湾に浮かぶ人工浮島(メガフロート)上に建つこの学校に俺が入学して、1週間がたった。

 といっても、環境自体が変わったわけじゃない。もともと俺は東京武偵高校の中等部に通っていたこともあり(まあ、とは言っても1年だけだが)、日々やることに変わりはなかった。勉強、訓練、訓練、勉強、訓練、訓練、訓練……そんな感じの毎日だ。言ってて少し哀しくなるが。

 では何が変わったかといえば、そりゃあやっぱ人間関係だろうな。学年が上がるのとは、訳が違う。学校自体が変わるということは、新しい出会いがあるということだ。

 入学当初は戸惑ったもんだよ。なんせ、俺が配属されたクラスにゃ、これでもかってくらいの色物揃いだったんだからな。……さすがに、いくら武偵高とはいえあれが標準(スタンダード)かもという可能性は考えたくない。

 それでも、なんとか今日までは上手くやってこれてたんだ。特別大したハプニングも起きることなく(武偵高基準で、だが)、比較的穏やかな学校生活を過ごせていた。

 だから、なんの確証もなく、俺は思っていた。

 こんな日々が続いていくんだろう、と。

 ……まあ、当然のことながら、そんなことこの学校じゃありえなかったんだが。

 

 * * *

 

「――覚悟しろよ、遠山。落とし前つけさせてやっからよ」

「――お前こそだ、武藤。わけのわからん因縁ふっかけやがって」

 

 4月14日、午後5時30分。

 本来ならとっくに寮に帰って晩飯でも作ってる時間なんだが、しかし俺はまだ帰宅の途にはつけていなかった。

 今俺がいるのは、一般校区(ノルマーレ)A棟とB棟に挟まれた空間……一般的には『中庭』とか呼ばれたりする場所だ。

 が、ここは天下の東京武偵高。どこをとっても普通じゃないこの学校では、中庭さえも普通じゃなかった。

 なんと、『生徒間の私闘』のために利用されてんだ、ここは。怖ろしいことに。

 武偵高では、意味の無い戦闘行為――たとえば私怨による決闘など――は推奨されていない。というか、どちらかといえば禁止の傾向にある。万が一教師にバレた場合は、厳重な処罰が下るらしい。

 とはいえもちろん、そんなのは建前にすぎない。ようはおおっぴらにやるなというだけで、黙認されてんだ。決闘は。

 というわけで、放課後になれば教師が出払う一般校舎に挟まれたこの中庭――通称『喧嘩広場』が、生徒たちの間ではもっぱら決闘用のステージとして機能している。

 で。

 その『喧嘩広場』には、俺だけじゃなく、1年A組の大部分のメンバーが揃っていた。

 ただし、その配置が異様だ。まず、とある4人組を除いたメンバーが円を描くように立っている。そして彼らが見守る『円』の中心には、そのとある4人組が2人ずつに別れて向かい合っていた。

 まるで、そう。ケンカする同級生と、それを取り囲む野次馬のように。

 あるいは。

 円形の闘技場(コロッセオ)に上げられた、闘士のように。

 と、

 

「うっうー! さあさあテンション上がってきたぞー! 4人とも、ガンバレー!」

 

 唐突に、『円』を構成しているクラスメートの一人、峰理子が本当に野次馬よろしく声援を送ってきた。

 それに、とある4人組の一人である俺こと有明錬が、ため息を零す。

 

「はぁ。理子のやつ、完全に楽しんでやがる。審判から『リング』に速攻鞍替えしやがった」

「あはは……まあ、しかたないよ。入学早々の決闘騒ぎだからね。僕も当事者じゃなかったら、少なくとも止めはしないだろうし」

 

 そんな風に俺の言葉に反応したのは、俺の眼前の2人組の片割れ、不知火亮だ。

 つーか、こいつも半ば巻き込まれたようなもんなのに、よく笑ってられるな。お人よしすぎるぜ、お前。

 不知火の性格の良さに感心半分呆れ半分になりつつ、隣の男子――遠山キンジに声をかける。

 

「……で? 了承した以上『幇助者』は請け負ってやるけど、マジで闘(や)んのか、遠山。今ならまだ引き返せ――ねぇな。理子がワルサーの二丁拳銃(ダブラ)を楽しそうに用意してやがる」

「それを言ったら、平賀さんなんか得体の知れない武器を嬉々として連中に配ってるぞ、きっとテスト代わりにする気だ。というか、引き返す云々なら、あっちに言ってくれ。ふっかけたのは向こうが先だ」

 

 前半の台詞に冷や汗を一筋流し、しかし後半の台詞にはそれもそうだなと納得する。

 ので、俺は視線を正面に戻し、不知火の隣で眦を上げる男子――武藤剛気に矛先を向けた。

 

「だ、そうだがどうすんだ、武藤? お前は、この決闘を取り下げる気あんのか?」

「無ぇな。不知火と有明には悪いけど、オレぁ退く気はねえ」

「ああ、そうかい……」

 

 ま、ここで退くくらいなら、そもそもこんなことにはなってねぇよな。

 俺はガリガリと頭をかきつつ、もう事態は止まらないことを悟った。

 というか……だ。

 そもそもなんでこんなことになったんだっけ、と思いつつ。

 俺はほんの1時間ほど前のことを思い返し始めた――

 

 * * *

 

「うぼあー……」

 

 昼休みに突入した瞬間俺の口から漏れ出たのは、そんなちょっと人語とは呼べない言葉だった。

 

「いや、なんだそれ。新手のあくびか?」

 

 律儀につっこみを入れながら俺の隣の席に座るのは、遠山だ。多分、飯を食いにきたんだろう。入学試験のあれこれがあったからか、俺とこいつはなんとなくつるむようになったからな。

 俺は机につっぷしたままで声をくぐもらせながら、

 

「んー……いや、なんか4限目の授業でドッと疲れた」

「あー、なるほどな」

 

 納得と言った感じで遠山がうなずく気配を感じる。

 

「5回だっけ? お前が指名されたの」

「うんにゃ、残念。6回だ」

 

 思い出すだけでも辟易とする。

 どういうわけかさっぱり分からねぇんだが、俺はつい先刻の授業で6回も当てられてしまった。しかも、間違えそうになるたびに担当教師が懐に手を伸ばす(十中八九拳銃を抜こうとしてたはずだ)もんだから、とんでもない緊張感に晒された授業だったぜ。おまけに、その科目の時は毎回そんな感じだ。まいるどことろの話じゃねぇよ。

 

「ったく、意味わかんねぇよな。俺なんかしたか?」

「さあ? 目でもつけられたんじゃないか?」

 

 ごそごそと持参したらしいコンビニ袋からヤキソバパンを取り出しつつ、遠山は他人事のように言う。

 目をつけられた、ねぇ……。

 俺も上半身を起こしつつ、机から水玉模様の風呂敷に包まれた弁当箱を取り出して広げながら、

 

「つっても、1週間だぜ? たったの。どうやりゃ反感買うようになんだよ」

「それこそ、俺に聞かれてもな。直接先生に聞くか、武偵らしく調べてみればいいんじゃないか?」

「他人事かよテメー。教務科(マスターズ)の連中に調査(さぐり)いれるとか、自殺行為以外のなにもんでもねぇな。……てか、さっきの教師、名前なんだっけか?」

「お前……被害にあってるんなら、それぐらい覚えとけよ。天崎(あまさき)先生だ。天崎(あまさき)孔真(こうま)先生」

 

 あー、そんな名前だったな、確か。

 というか……、

 

「なーんか、聞き覚えあんだよな、その名前。あと、あの顔にも見覚えある気がする」

「そりゃそうだろ。あの先生の担当は、強襲科(アサルト)だしな。午後授業の専門科目でも、何回か会ったろ」

「いや、まあそうなんだけど、なんか違くて、あー……なんか、どっか違う場所であった気がすんだよ」

 

 弁当のおかずをつつきつつ、首を捻る。

 どっかで会った気がすんだよな、あの人。どこだっけな?

 ……ま、いっか。思い出せないってことは大したことでもねぇだろうしな。

 というわけで俺は区切りをつけて、それについてはもう考えないようにした。で、気を紛らわせるようにから揚げを口に放り込むと、隣から……つーか、ぶっちゃけ遠山から視線を感じた。

 

「……なんだよ?」

「いや……毎回思うんだが、お前の弁当美味そうだよな、寮暮らしなのに。もしかして、鈴木が作ってるのか?」

「なんでだよ」

「この前鈴木が、『夫の弁当を作るのは妻の特権だよ君たち』とか言ってたから」

「あの野郎! 着実に誤解を広めていってやがる!」

 

 いやまあ、実際中学の頃までは作ってもらってたけども! 

 とはいえ、今は自炊しているし、この弁当も自作だ。暇なのか頻繁に遊びに来る時雨に教わりつつ(言うまでもないが同室の連中には時雨帰宅後にいつもボコられている)、毎日練習している。意外と筋がいいとか褒められたっけ。

 まあ、それはともかくとして。まずは遠山(こいつ)の誤解を解いておこう。

 

「バーカ、こりゃ俺が作ってんだよ。時雨は関係ねぇ」

「そうなのか。じゃあ、から揚げ1個くれ。コンビニのパンだけじゃ味気がないんだ」

「『じゃあ』の使い方おかしくね? ま、いーけど……ほらよ」

「わっ、バカ投げんな!」

 

 箸で本日のメインディッシュである鶏のから揚げをつまみ、それを遠山のほうにゆるやかに放ってやると、遠山は慌てつつもキャッチした。良い子は真似しちゃダメだぞ。

 いい気味だと少しさっきの溜飲を下げつつ、今度は卵焼きをつまむ。ん、悪くない出来だ。

 と、その時、教室後方……というか俺の席が窓際の最前列だからほぼ全部後ろになるんだが、とにかく後方からひそひそ声が聞こえてきた。しかも、なぜか全員女子。

 その声を聞くともなしに聞いてみると……、

 

「ねえ、もしかしたらあの2人は『素質』があるんじゃないかしら?」「私もそれ思った。これ、レン×キンフラグ立ってる?」「えー、あたし的にはキン×レンのほうがしっくりくるんだけど」

「…………」

 

 ……聞かなかったことにしよう、うん。

 俺には理解できない言語を華麗にスルーしながら、黙々と食事を続けていると、

 

「キンちゃん! まだご飯食べてないよね!?」

 

 唐突にドパーンッ! ととんでもない衝撃音を撒き散らしながら、教室の前側のドアが勢いよく開いた。

 と同時に聞こえてきた聞き覚えのありすぎる声に、俺は頭をかかえる。

 ああ……疲れてるってのに、また厄介なのが来た。

 そんな俺の状態なんざ関係なしに、絶叫の主は俺たちの下へ――より正確に言えば、遠山の下へ駆け寄ってきた。

 しゃなりと揺れる、長い黒のストレートヘアー。日本人形みたいな小顔。武偵高のセーラー服に包まれた、規格外のスタイル。

 星伽白雪。俺のクラスメートにして、遠山の幼馴染である女の子だ。

 彼女はやたらと慌てた様子で、バンッ! と遠山が座っている机に両手をついて詰め寄りながら、

 

「き、キンちゃん! まだご飯食べてないよね!?」

 

 と、先ほどと同じ問いかけを繰り返した。

 その鬼気迫る様子に遠山はかなり引きつつ、

 

「い、いや見ればわかるだろ? パンがある」

「そ、そんな……」

 

 にべもなくばっさりと遠山が答えると、星伽はまるで胸を銃弾で打ち抜かれたかのようにへなへなとその場に崩れ落ちた。

 その様子に、遠山が「これどうすればいいの?」的な目でこっちを見てくる。知らん、俺を巻き込むな。

 が、直後、俺の耳が呪詛のような星伽の呟きを捉えた。

 なになに……「キンちゃんは育ち盛り。高校生の男の子。うん、パン1個なんかじゃ絶対足りないよ、絶対足りないよ。だから大丈夫だよ白雪、まだ諦めないで。うん、ありがとう白雪っ」……ですか。

 えーと……どこからつっこめばいいんですかねコレ?

 どうリアクションを取るべきか考えあぐねていると、星伽はバネ仕掛けのようにがばっ! と立ち上がり、

 

「き、きききキンちゃん様! 実は白雪はキンちゃん様のためにお弁当をつくってきたのですが! ですが! 食べていただたただけないでしょうか!」

 

 壊れたラジカセみてぇ。

 これにはさすがにビビッたのか、遠山は精一杯のけぞりながら、

 

「い、いい! 必要ない! 俺にはこれで十分だ!」

「で、でもでも、キンちゃん男の子だから、それだけじゃ足りないんじゃないかな!?」

「だ、大丈夫だ! 足りなかったら、有明から分けてもらう!」

「ええええええええええええええええええ!?」

 

 突然のキラーパスに、俺の喉から大音声が迸る。

 ていうかなにこいつ俺を巻き込んでくれちゃってんの!?

 ほら見て! 見て遠山! 星伽が能面みたいな目でこっち見てんだけど!

 

「あり、あけ、くんの……おべんとー?」

 

 怖ぇよ! 舌足らずが幼さじゃなく恐怖を演出するとか聞いたことねぇよ!

 遠山、助けて! と、脳内で叫んでいると、星伽はゆらりと踵を返して、

 そのままふらふらと教室を出て行った……扉にぶつかりながら。

 

「「…………」」

 

 遠山と2人、無言になる。

 な、なんだったんだ、今のは……心霊現象か?

 とりあえず殺されなかっただけマシだ。以前、中学の同級生に会いに超能力捜査研究科(SSR)に顔出したとき、星伽のやつ日本(ポン)刀振り回してたからな。それ自体は流麗な演舞のようだったんだが、あいつが刃物を持つとやたら怖く見えるのはなんでだろう。

 とはいえ。

 とりあえず、一難は去ったんだ。まずは、そこに安堵するとしよう。

 で、ひとまず何か遠山に話し掛けようとして、

 

「決闘だ、遠山ァ!」

 

 それよりも早く、怒気丸出しの怒号が教室内に響き渡った。

 何事かと思って音源に目を向ければ、そこに立っていたのは、クラスメートの武藤剛気という男で。

 どう見てもブチ切れてますといった感じの様子に、俺は先ほどの安堵を後悔した。

 そうだよな。そりゃ、『一難』去ったんだから、

 ――また一難が、あるんだろうよ。

 

 * * *

 

 その頃。

 遠山キンジが武藤剛気に決闘を挑まれた、その頃。

 鈴木時雨は、一般校区B棟にある生徒会室から退出して、背伸びをしていた。

 

「ふう……まったく、先輩にも困ったものだね。人手が足りないからと言って、入学したての1年を使うとは。いやはや、それでこそ私の先輩とも言えるが」

 

 時雨は、今年の春に入学した東京武偵高1年生である。が、同時に去年は東京武偵高の中等部で生徒会長という肩書きを持っていた。

 それを知っている中等部からのエスカレーター生である現生徒会会計に、時雨はついさっきまで生徒会の雑務を手伝わされていたのだ。

 しかし、ではそこまで人材に逼迫しているかと言えば『そこそこ』と言ったところだし、仕事自体も突き抜けて難解というわけではなかった。

 ではなぜ時雨が駆り出されたかと言えば、

 

(いずれ私を生徒会に引き入れる……つもりなんだろうね、やはり。というか、以前からそれとなく匂わされていたことではあるし)

 

 ということだろう。言わば、『前準備』のようなものだ。

 しかし……と、時雨は眉を寄せる。

 生徒会、という地位に魅力を感じるかどうかは人それぞれだろうが、武偵高ではあまり重要視されていない。なぜなら武偵高卒業生を欲しがる企業にとって重要なのは、内申ではなく実力だからだ。

 なのでその意味で言えば、時雨にとって生徒会執行部という立場は取り立てて手に入れたいものではないし……なにより、『もうその必要はない』のだ。

 

(『将』である意味はなくなったし……な。さて、どうするか……) 

 

 そもそもまだ確定したわけではないのだが、そこは鈴木時雨という女だ。前倒しぎみの悩みだが、ほぼその通りになるだろうと考えて苦心し始めた。

 と、その時だった。

 

「……ん?」

 

 ドドドドドド……ッ、と震動のようななにかを時雨は感知した。

 というか、右方向からすさまじい勢いで誰かが走ってくる。

 ぐんぐん近づいてくるその人影には、心当たりがある。友人の星伽白雪だ。

 だが、なぜここに?

 

(おかしいな。白雪は確か、高天原先生の手伝いを終えてから遠山に弁当を渡しに行ったはずだが)

 

 そんなことを考えている間にも、白雪はさらに近づいてきていて。

 なんだかその進行方向が自分に向かってないか? と時雨が冷や汗を流して。

 直後、

 

「時雨ちゃぁぁああぁぁぁああん!」、と。

 鈴木時雨の鳩尾に、白雪がタックルを仕掛けていた。

 

「ぐふ……ッ!?」

 

 メリィッッッ! と、壮絶なまでの運動エネルギーを時雨はモロに腹部で受ける。予想外の攻撃に、腹筋に力を入れることさえままならない。

 というか厳密には攻撃ではなく、単に白雪が抱きついただけなのだが、感情の高ぶりから微妙に発動してしまっていた鬼道術(身体強化)によってちょっとした殺人技にまで進化してしまっていた。

 胃の中で、今朝食べた食物たちが反乱を起こし、食道から逆流を始めようとする。

 しかしそこはやはり、鈴木時雨。鉄の精神力で耐え切り、自分の胸でえぐえぐと泣く白雪の背を優しく撫でながら(ただし手は震えていた)、

 

「白雪。一体、どうしたんだい? 何か、あったの?」

「ひっく、それがね、キンちゃんにね、お弁当渡そうとしたんだけどね、有明君に、有明君に……キンちゃんを寝取られちゃったのぉおおおおおおお!」

「うん、いろいろ待とうか」

 

 まったく、意味がわからなかった。

 その後なんとか宥めすかして詳しい話を聞きだし、時雨はつい数分前に1年A組で起こったことを把握した。

 把握して、時雨は「あー……」と、彼女らしくないうめき声を漏らし、

 

「白雪。それはちょっと、まずいかもしれない」

「だよね!? やっぱりこのままじゃ、キンちゃんを有明君に取られちゃうよね!?」

「いや……『そっちじゃない』」

「え……?」

 

 きょとん、と首を傾げる白雪に対し、時雨は視線を窓の外へと転じる。

 脳裏に浮かべるのは、遠山キンジと有明錬……そして『もう一人』。

 おそらくは、教室にいるであろう少年――武藤剛気。

 さらに詳しく言うならば。

『星伽白雪に片思いをしている少年』――武藤剛気。

 彼が、白雪が語った通りの光景を見た場合に起こるであろう事態を想像して、

 

「……修羅場に、なっていないといいんだが」

 

 時雨はどこか諦めたように呟いた。

 

 * * *

 

 修羅場……っていうのかね、こりゃ。

 予期せぬ事態に教室内がにわかに騒がしくなる中、武藤が肩をいからせながら俺の隣……遠山のことを睨んでいた。

 で、いきなり決闘を仕掛けられた遠山は、椅子の背もたれに片腕を乗せ、気だるそうに武藤を見ている。白雪に引き続きまた変なのが……とかそんな心境だろうな。

 

「武藤、だったか。決闘ってのは、どういう意味だ?」

「そのままの意味だ。オレと決闘しろ、遠山キンジ」

「……理由が、ないんだが」

「理由なら、ある。たった今出来た」

 

 武藤に人差し指を突きつけられ、何? と言った感じで困惑を表情に表す遠山。

 対して俺は……というか、おそらくはクラスのほぼ全員が、武藤がなぜここまでキレているのかわかっていた。

 ので、俺はまた面倒なことになりそうだと思いつつ、事態の推移を見守る。

 

「理由ってなんだ。説明しろ。意味もなくケンカをふっかけるのは、いくら武偵高でもいかがなものかと思うぜ」

 

 だんだんと困惑よりイラつきが勝り始めたのか、遠山の口調は若干険を帯び始めた。

 それに対し、武藤は遠山以上の剣呑さで、声を上げた。

 

「お前は、星伽さんを泣かした!」

 

「…………は?」

 

 ぽかん、といった具合に、遠山が呆けた声を出す。

 まあ……そうなるだろうなぁ。なにせ、星伽は泣いてなんかない上に、泣きたいのはむしろ遠山の方だろうから。

 しかし、この国には「恋は盲目」という言葉があって。

『クラスメートの誰もが知ってるとおり星伽に惚れている』武藤からすりゃ、泣かしたように見えたんだろうな。

 そう。

 武藤剛気は、星伽白雪に惚れている。本人が明言したわけじゃねぇが、ほぼ確実に。

 つーか、こいつは見てて分かりやすすぎだ。気づいてねぇのは、遠山と星伽……あとはレキくらいのもんじゃねぇのか? いやあいつはよくわからんが。

 だから、まああんな場面を見せ付けられたら、武藤が怒るのも無理はねぇ……のか? 

 というかこの状況、どうすんだよ。遠山は意味不明って感じで呆然としてるし、武藤は武藤でこれ以上言葉はいらないって感じで突っ立てるし。

 こりゃ、下手すりゃ昼休みいっぱいこんな調子じゃねぇのか、と思ったその直後。

 

「おーっす! りこりん、帰還しますたっ! ……って、あれ? なんか空気暗くない?」

 

 おそらくは現状もっとも来てはならない人物が現れた。右手に購買の袋付きで。

 厄日か、今日は。さらに面倒になること確定じゃねぇか。

 ハニーブロンドのツーサイドアップテールをぴょこぴょこ揺らしながら、『歩く騒乱』こと峰理子が近くにいた女子に尋ねる。

 

「んー、さっぱり状況がわかんないなぁ。今北産業! 誰か説明plz(プリーズ)!」

「遠山君が白雪ちゃんを泣かせる。武藤君キレる。決闘」

「おおおおおおおおっ! 修羅場ktkr(キタコレ)!」

 

 なんでそこでテンション上がんだよお前。しかもそこの女子。間違った情報を教えんな。

 こっちが引くほど目を輝かせ始めた理子は、遠山の方に向き直り、

 

「ねえねえキーくん、キーくん! 決闘方法、理子が決めていい!? ねえ、いいでしょっ」

「いや、待て理子。そもそも俺はまだよく話が――」

「よっしゃ! んーと、じゃあねぇ……」

 

 話聞いてやれよ、と俺が助け舟を出すよりも早く。

 理子が高らかに提案した。

 

「じゃあ、『ランバージャック』をやろう!」

 

 瞬間、教室内が色めきたった。当事者である遠山や武藤、そして俺自身も。

 こいつ……なんてことを言い出しやがる。

 今理子の口から出た、『ランバージャック』。これは設立当初から武偵高に伝わる決闘方法であり。

 同時に、教師たちが『特にやってはいけない決闘方法』として俺たちに教えた(ここであえて教えることが禁止していないことを物語っている)ルールだ。

 内容は、簡単。

 生徒が円形に立って『リング』を作り、その中で決闘者たちが降参するか戦闘不能になるまで戦うというデスマッチだ。

 ――が。当然、その程度で禁止になどなるわけがない。武偵高(ここ)ではな。

 なぜ、『リング』が生徒たちを使って作るのか?

 その答えは、『勝負を公平にしないため』、だ。

 まずその前提として、決闘者が『リング』の外に出ようとした場合、生徒たちはその決闘者を『攻撃していいことになっている』。

 加えて。

 その『攻撃方法も各自が任意に選べる』のだ。

 つまり、掌で押し戻してもいいし、ぶん殴って吹き飛ばしてもいいし、撃って追い立ててもいい。

 故に。

 片方にだけ苛烈な攻撃をしかけることが可能、という『不平等なリング』が出来上がる。

 これが『ランバージャック』最大の肝にして醍醐味なんだが、その性質上ほとんどリンチまがいのために使われる決闘法だ。話が話だけに今回はそんなことにゃならねぇだろうが、それでも進んでやりたい決闘じゃねぇな。

 ……当事者は、だが。

 

「『ランバージャック』か……どうする?」「別にいいんじゃないか? 粛清しようってわけじゃないんだし、そこまで大事にはならないだろ」「徒手限定、とかにすれば被害も出なくていいんじゃない?」

 

 な? もう乗り気になり始めてるよ、こいつら。

 さすがは武偵高生。こういう話に対する食いつきが尋常じゃない。

 で、当事者はといえば。

 

「……オレはそれでいいぜ。わかりやすい」

「おー! いいねいいね、そのノリの良さは大事だよっ。で、キーくんは?」

「……わかった。俺としてもいきなりケンカ売られたわけだしな。受けてやるよ」

「キタ―――――ッ! じゃそういうことで、放課後の~……うん、5時半に『決闘広場』で! みんなも参加ヨロ!」

 

 という具合にこちらも乗り気なようで、とんとん拍子に話がまとまってしまった。

 正直な話、俺は部外者のままでいたいんだが……まあ、そんなことしようもんなら、理子に何されるかわかんねぇしな。とりあえず、適当にリングでもやっとくか。

 ――かくして。

 武偵高きっての危険な決闘『ランバージャック』の開催と相成った。

 

 * * *

 

 そんなこんなで時は進んで、5時30分。

 HRを終えてから、あの時教室にいたメンバーの大半は、『喧嘩広場』と呼ばれる中庭に集まっていた。さすがに、全員参加するほどじゃなかったようだ。

 で、理子主導の下、遠山と武藤が相対し、その周りをぐるりと、残った俺たちが取り囲む形になる。

 決闘は、まだ始まっていない。今は、遠山と武藤の間に審判のように立った理子が、2人にルールの説明をしているようだ。

 その様子をぼけーっと眺めていると、

 

「なんだか、大事になったな、有明」

 

 と、たまたま俺の隣に立っていた男子生徒――確か飯塚(いいづか)だっけか――がこっちを見ていた。

 俺はいったん決闘者たちから意識を外し、

 

「んー……ま、そうは言っても確か徒手限定(エモノヌキ)だろ? 死人が出るレベルじゃねぇ、勝手にやらしときゃいいんだよ」

「それはそうかもしれねーけど、格闘技だけでも相手を殺せる人なんて、武偵にはザラにいるんじゃないか?」

「そりゃ、狙ってやった場合だ。互いに留意してりゃ、まず殺すことはねぇよ。で、発端が発端だからな、そこまでやるほどバカじゃねぇだろ」

 

 肩をすくめつつ、俺は飯塚に説明する。

 まあ実際のところ遠山の方はまだしも、武藤のことはほとんど知らねぇからな。どうなるかなんてわかりゃしねぇんだが……まあ、何かあったら引き止めるくらいはしよう。

 という具合に俺が方針を固めていると、

 

「有明、ちょっといいか?」

「ん?」

 

 円の中心から、呼びかけられた。

 遠山か。一体、なんの用だ?

 俺は疑問に首をかしげながらも、返事する。

 

「なんだ。なんかあったのか?」

「いや……悪いが、応援を頼めないか?」

「応援?」

 

 場違いな要請に、俺は一瞬怪訝な表情を作る。

 え? 何? フレーフレーとか言えばいいの?

 スポーツの試合じゃあるまいし……とは思ったんだが、まあそのくらいなら別にいいだろ。適当に声援を送ってやろう。

 若干違和感を感じつつも、俺は了解の意を伝えるために親指を立てて(サムズアップ)、

 

「任せろよ、遠山。友達だろうが、そんぐらいしてやる」

 

 と、極めて軽い気持ちで答えた。

 すると遠山は少し照れたように微笑を浮かべてから、理子のほうに顔を向け、

 

「俺の方は決まったぞ。有明だ」

 

 理子に告げた。

 ……ん? なんだ? なんでそんなことをわざわざ理子に伝えるんだ?

 と俺が疑問に思う中、今度は誰かと話していたらしい武藤もまた理子に向き直り、

 

「こっちも決まったぜ。オレの方は、不知火がやってくれる」

 

 お、おう? なんか、雲行きが怪しくなってきたような……。

 ひょっとして俺はなにか重大なミスを犯したんじゃないかと思い始めたその時、

 

「はーいっ! それじゃあ、決定しました! これより、遠山キンジ&『幇助者(カメラート)』有明錬VS武藤剛気&『幇助者』不知火亮の『ランバージャック』を始めたいと思います! テンション上げていくよー!」

 

 と、理子が、ド派手極まる宣戦をぶち上げた。

 ふーん。遠山&俺対武藤&不知火ねぇ。

 

「…………」

 

 …………うん?

 

 * * *

 

「戦闘方法は徒手限定。時間は無制限。引き分け、逃走はともに無し。敗北条件はギブアップか気絶するまで。ってゆー感じでOK?」

「「ああ」」

 

 峰理子の確認に、遠山キンジと武藤剛気は同音で答えた。

『喧嘩広場』に作り出された、1年A組の生徒による円形の『リング』。その中心に立っているのは、上記の3名のみである。

 決闘者は、キンジと武藤の2人。そして最後の1人である理子によるルール説明が、今この場で行われていた。

 そしてそのルール説明のうち、『前半部』である戦闘方法については決闘者両名に受諾された。

 となれば次に決めるべきは、『後半部』――『ランバージャック』の附属ルール、『幇助者』について、である。

 ――『幇助者(カメラート)』。

 これは、読んで字のごとく、決闘者を助ける外部者のことを指している。決闘の膠着、あるいは死亡防止のために決闘に『1手だけ』介入することを許された、いわばボクシングの試合におけるセコンドのタオルに近い存在なのだ。リングすらも敵に回る可能性のある『ランバージャック』においては、唯一絶対の味方とも言える。

 しかし無論これは附属ルールにすぎないので、必ずしも付ける必要は無いのだが……、

 

「くふふっ。じゃあ2人とも、ちゃっちゃと『幇助者』選んじゃって。時間押してるから、急いでねっ」

 

 とにかくなんでもかんでも面白い方向に持って行きたがる理子が、そんな真似をするわけがなかった。

 ラーメン屋に行けばトッピング全部乗せを頼み、トランプの大富豪ではアリアリルール以外認めない。それが峰理子という女だった。

 とはいえ。

 なし崩し的に審判のポジションに収まっている彼女の言うことなので、キンジも武藤も従うしかなかった。たとえ心の中で「なんでこいつが仕切っているんだろう」とは思っていても、である。

 というわけで、キンジが『幇助者』に選んだのは、

 

「有明、ちょっといいか?」

「ん?」

 

 有明錬であった。

 これは、必然の結果と言える。自慢ではないが、キンジは友達が少ない。生来の性格がネクラに近いということ、そして入学したてということも相まって、気軽に頼める相手が錬くらいのものだった。仮にキンジにそう言えば、「違う。入試で実力を知ってるからだ」と返ってくるだろうが(基本的に『幇助者』は誰がやってもあまり変わらないのだが)。

 といういきさつから声をかけられた錬は首をひねり、どうしたとキンジに尋ねてきた。

 ので、キンジは、

 

「いや……悪いが、応援を頼めないか?」

「応援?」

 

 錬が、いぶかしげに眉根を寄せる。

 それを見てキンジは、「ああ。『幇助者』だ」と付け加えて説明しようとしたのだが、それよりも早く、

 

「任せろよ、遠山。友達だろうが、そんぐらいしてやる」

 

 と、錬は親指を立てて快諾してくれた。

 錬の察しの良さと人情溢れる台詞に、不覚にも少し照れてしまったキンジは、誤魔化すように理子にパートナーの決定を申告した。

 その直後に、武藤も不知火を『幇助者』に決めて、

 

 ――『ランバージャック』の幕が上がった。

 

 * * *

 

 ――そして時間はようやく追いついた。

 今の自分の現状がどのようにしてできあがったか回想し終えた俺は、心中でため息をつく。

 ああ。気づけよ、俺。ちょっと考えたら、『幇助者』を頼まれてたことくらいわかるだろ。

 ……まあ、もういいや、それは。俺が戦うわけじゃねぇんだ。あくまでセコンドみたいなもんなんだからな、『幇助者』は。

 ……チラリと、視線を決闘者たちに移す。

 

「うおらァ!」

「くっ……この!」

 

 気合の入った発声とともに、拳が、蹴りが、乱れ飛ぶ……あ、武藤が組み付いた。山嵐しかけてるよ、うめぇな。車輌科(ロジ)なのに。

 実を言えば、俺がぼんやりと回想している間に、すでに『ランバージャック』は始まっていたんだよな。

 気づけば、目の前では決闘が繰り広げられている。

 とはいえ、さすがに徒手戦闘。まあ、殴り合いってのはそれなりに派手さはあるんだが、こちとら拳銃・刀剣当たり前の武偵の卵。緊迫感的に言えば、それほどでもない。『リング』の連中も「ランバージャックっていってもこんなもんかー」的な表情してるし。こりゃ、決着より先にあいつらが飽きるほうが早いかもな。つか、理子。お前はいつのまにPSPを取り出しやがった。

 しかしまあ、やるべきことはやらねぇとな。引き受けた以上は。

 俺は、制服の内側のショルダーホルスターから、愛銃・グロック18Cを取り出す。

 ガシャッ、とスライドを引き、初弾を装填(コッキング)。いちおういつでも『1手』を打(撃)てるようにしておく。

 と、俺と同じく拳銃――レーザーサイト付きSOCOM(ソーコム)――の銃把を右手で握っている不知火が、柔和な笑みを浮かべつつ、

 

「なんか、勝手に手を出しちゃいけない感じになっちゃったね。『1手』を使って加勢なんてしたら、後で武藤君に怒られそうだ」

 

 決闘中に会話(それも形式上は敵同士で)するのはどうかなとは思いつつ、しかし確かに本人たちが白熱しすぎて手を出す気にはなんねぇな。

 なので俺は、遠山たちの怒声を聞きつつ、不知火との会話に興じることにした。

 

「こっちもだな。あいつ、変なところで律儀だったりするからな。邪魔しちゃ後が怖そうだ」

「だねえ。……じゃあ代わりに、『幇助者』同士で対決でもする?」

「『幇助者』同士ってお前、そりゃ……『便乗戦(カンカー)』のこと言ってんのか? よく知ってんな」

 

 俺は意外な意見に、少し目を見開いた。

『便乗戦』ってのは、不知火が説明したように、『幇助者』同士が戦うためのシステムだ。なんでも昔、暇になった『幇助者』同士が勝手に争いだしたのが発祥らしい。

 つってもこれ、超ローカルルールだぞ。俺はたまたま中学時代にOBの先輩から聞いたことあったから知ってたんだが、普通は滅多にねぇ。ごく稀に起こる『ランバージャック』の中でもさらに稀に起こる『便乗戦』なんて、知ってるほうが不思議なくらいだ。

 

「まあね。峰さんが『ランバージャック』をやるって言い出したものだから、気になっていろいろと調べてみたんだ。先輩とかに聞いたりしてね」

「すげぇな、情報科(インフォルマ)顔負けだ。……で、肝心の答えだが、NOだ。ぶっちゃけメンドイ」

 

 俺は鼻を鳴らしながら、不知火の提案を断る。

 なにが悲しくて、自分からそんなことやんなきゃなんねぇんだよ。

 

「そう? まあ、僕もほとんど冗談みたいなものだったんだけどね」

「ほとんど、か。んじゃ、ちょっとマジ入ってたりしてたのか?」

「……どうかな? 有明君の実力を知っておきたいとは思ったけど」

「…………」

 

 実力、ねぇ……。そんなガツガツしたタイプだったか、お前?

 こいつとは同じ強襲科(アサルト)だから、そこそこ付き合いはあるんだが、こんなこと言い出すやつじゃなかったような気がするんだが……。

 と、若干不信感を抱きそうになったとき、

 

「おー! エクスプロイダーきたーっ! そうそうそういうハデなの待ってたんだよーっ!」

 

 さっきまでPSPで遊んでたはずの理子の大声に、俺は遠山たちの方に顔を向けた。

 見れば確かに理子の言うとおりで、遠山は武藤に抱えられ、プロレスの投げ技の一つ・エクスプロイダーをブチかまされていた。武藤のやつ、案外格闘強ぇな。体もでけぇし、まともに組み合うのはご遠慮したい。

 そして視線を不知火に戻せば、彼はもうこっちを見てはおらず、意識を決闘者に向けていた。

 なので俺もしかたなしに、観戦に戻ることにした。ないとは思うが、あのクラスの技をこんな地面で何度もやってりゃ死ぬこともあるかもしれない。そうなる前に、俺は『幇助者』として止めなきゃな。

 で、そんなこんなで見ていたんだが……。

 

「喰らえッ!」

「おお――ッ!」

 

 ……。

 

「これでどうだ!」

「喰らうかッ!」

 

 …………。

 

「「おりゃァ!」」

 

 …………な、長ぇ。

 かれこれ15分以上戦ってやがるぞ、こいつら。いつまでやるんだよ。

 いくら時間無制限とはいえ、ずっと立ち見させられるこっちの身にもなれよ!

 ていうか、もう引き分けでいいんじゃねぇか、これ? ルール上はダメなんだろうけど、飽きたよもう。

 もういいから、そろそろ止めろよ審判(りこ)――っていねぇし!? あれ!? あいつまさか帰りやがった!? 

 え? どうすんの、これ? まさかこのままあいつらが終わるまで待つのか?

 ……仕方ない。

 俺は、ため息交じりにグロックを構え、

 

 パァンッ! と。『上空目掛けて』発砲した。

 

「「ッ!?」」

 

 突然の発砲音に、遠山と武藤の動きが止まる。さすがは武偵。発砲音(こいつ)にゃ敏感だな。

 決闘者たちのみならず、『リング』たちの注目を一身に浴びる。……ちょっと気まずい。

 俺は若干ひるみながらも、遠山と武藤に言葉を飛ばした。

 

「テメェら、いい加減長すぎだ。握手でもなんでもして、さっさと終わらせろ」

 

 よし! よく言ったぞ俺!

 俺の提案に、体中ボロボロになって肩で息をしていた遠山たちは、顔を見合わせる。

 

「ハッ……ハッ……ど、どうするよ?」

「はぁ……はぁ……俺は、乗る……さすがにそろそろ、俺も終わらせたい」

「そ、そうか……じゃあ……」

「ああ……」

 

 2人は、互いにスッと右手を差し出し、がっしりと握り合う。ちょっと傍から見て痛そうなくらい力強く。

 よしよし。あとは、「やるじゃねェか」「お前もな」とでも言い合って、これでお開きにしろよ?

 ようやくこの決闘騒ぎが終わるであろうことにほっと一息つく俺の眼前で、

 

 ゴスッッッッ! と。

 それぞれの左拳が相手の頬に炸裂した。

 

 ええええええええええええええええええ!?

 なに!? なにやってんのお前ら!? 奇襲作戦が被ったとかそんな感じ!?

 心中が荒れに荒れる俺をよそに、2人は仰け反った体を戻して、

 

「ぐ、あ……避けられねえ分、効くなこれ……!」

「だ、だな。『ランバージャック』よりこっちの方が、きついんじゃないか……?」

 

 な、なんだと? 何いってんだ、お前ら……ハッ!?

 ま、まさか『アレ』か! お前ら、『握手決闘(ワンハンド)』と勘違いしてんのか!?

 握手することで回避不能の状態をつくり、同時に相手を殴る勝負方法――『握手決闘』。確かに『ランバージャック』だけが決闘の方法じゃないし、このやり方を単に『握手』って呼んだりするけどさぁ! 空気読めよ! 俺が言いたかったのはそっちじゃねぇよ!

 しかし俺が止めるよりも早く、2人はもう一度大きく左腕をぎりぎりと引き絞り、

 

「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおらッッッ!」」

 

 裂帛の気合とともに、左腕を交差させた。

 直後。

 ゴシャッ! と、聞くだけで頬を抑えたくなるような音がして、

 両者がゆっくりとした動きで後ろ向きに倒れ始め、

 最後に硬く握りあった右手が解かれて、

 

 ――ドサリと、同時に倒れた(ダブルノックアウト)。

 

『…………』

 

『喧嘩広場』を、沈黙が支配した。

 誰も何も言わない時間が、数十秒ほど過ぎて。

 誰ともなしに、口にした。

 

『……帰るか』

 

 * * *

 

 翌日。

 自転車をこいで登校してきた俺は、1年A組の教室に入った瞬間絶句した。

 

「はっはっは! だからよォ、悪かったって! なあ、キンジ?」

「謝るくらいなら、最初からふっかけんなよ。あのエクスプロイダーとか、骨が折れるかと思ったぞ」

「それを言ったら、お前だってしこたま殴りやがっただろ? おあいこじゃねえか」

「プラマイで言ったら、お前からしかけたんだから、お前のマイナスだろ。購買のパンを奢れ。それで手打ちだ」

 

 …………。

 おかしいな。俺にはどうも、遠山と武藤が仲良く話してるように見えるんだが。遠山が自分の席についていて、その脇に武藤が立っている。

 脳の処理が追いつかず教室入り口で固まる俺に気づいたらしく、武藤がこっちに手を振りながら、

 

「お! 有明じゃねえか! お前もこっち来て話そうぜ! 昨日の礼もあるしな」

 

 と言ってきたので、とりあえずその誘いどおりあいつらの下へと向かう。

 で。

 

「……礼はいい。それより、なんでお前ら仲良くなってんだよ。昨日の決闘はどうした?」

「ああ、それなんだがよ。気が付いたらなんかいつの間にか夜になってるし、なぜかみんなもいなくなっててな。おまけに体も動かねえから、しかたなくキンジと話してたんだ」

「まあ……そこまでは、わかる。で、だからっつってなんでそれがこんなんになってんだよ」

「いやそれが、話してみたらどうもオレの誤解だったらしくてさ。で、あー……その、なんだ。詳しくは言えねえんだけど、オレの恋愛相談にも乗ってもらってよ。こいつが、意外といい奴だってわかったんだ」

 

 100パーセント星伽についてじゃねぇか。遠山め、さては押し付ける気か。

「意外とは余計だ」「悪い悪い」とか言い合うこいつらを半眼で見ながら、俺はまとめに入る。

 てことは、なにか……? こいつらリアルで、「土手で喧嘩して認め合う」とか、前時代的なことやってたってのか?

 ……なんか、バカらしくなっちまったな。一気に。

 俺は頭をよろよろと振りながら、自分の席に戻ろうとする。

 と、そんな俺の背中に、

 

「おーい、有明! 今日の昼、一緒にメシ食おうぜ!」

 

 武藤の声がかかった。

 ごく自然に。昨日あったことなんて、なかったかのように……いや、昨日のことがあったからこそ、近しい口調で。

 友達同士の、気軽さで。

 俺は適当に後ろ手をぷらぷらと振って、「あいよ」と返事する。

 ……まあ、なんだ。

 こんな始まり方もありなのかね、と。

 そんなことを思いながら。

 

 * * *

 

 で、昼休み。

 

「……なんでお前いんの、不知火?」

「冷たいなあ、有明君。僕だって関係者だよ?」

「そうそう、細かいこと気にすんなって有明」

「その方が楽だぞ、有明」

「…………あっそ」

 

 そんな会話があったりなかったり。



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EP.2 狼は銃弾で相食むらしい

 4月17日。

 いまだ春の陽気が続く、この日。

 

「――と、いうわけでですね。繰り返しになりますが、『4対4戦(カルテット)』の申請期日が迫っているんですね。要は、「時間無いからさっさと登録申請(エントリー)しろ」、というわけですね。――では」

 

 ぺこり、と赤茶色のセミロングヘアーを三つ編みにした少女は、壇上で一礼してから1年A組の教室を去っていった。

 それに、粛々とした雰囲気を保っていた1年A組の面々は、一気に弛緩したように一斉に息をついた。

 なにせ、さっきまでいた三つ編みの少女は、2年生なのだ。封建的なまでに縦社会のこの東京武偵高では、「先輩に粗相を働く=死」という図式になることがままある。

 もっとも先ほどの少女――現生徒会書記・東峰(あずみね)凛子(りんこ)――が温厚な性格をしていることは割と周知の事実なのだが、それとこれとは話が別なのである。

 

(……まあ、それにしたって過剰な反応の気がするが)

 

 と、遠山キンジは数分前の光景を思い出してそう述懐する。

 数分前、『気づいたら教壇に立っていた』東峰が(1年相手とはいえ武偵に一切気配を掴ませないことが、東峰の諜報科(レザド)としての実力を表している)、「静聴、ですね」と言ってから数秒。そこでようやく東峰の存在に気づいた1年生たちは、大慌てで自分の席に戻ったり、その場で屹立したり(キンジはこれに該当する)したのだ。

 

「ひゅー、焦ったぜ。あの先輩、気配無さすぎだろ」

「有名だけどね、東峰先輩は。今でこそAランクだけど、今年中には諜報科のSランク入りするだろうって言われてる」

 

 東峰が来るまで、一緒に窓枠によりかかって会話していた2人――武藤剛気と不知火亮が、生徒会書記の先輩について話していた。

 まあ確かに話の種にしたくなるような人ではあったが、それよりも、とキンジは2人に割り込んでいった。

 

「さっきの先輩の話はともかく、『4対4戦』だ。お前ら、申請出してるのか?」

「あー……いや、オレはまだだ。どうすっかなあ」

「僕もまだだよ。いくつか誘いは来てるけど、まだ決めあぐねてる」 

 

 男3人が窓際に並んで唸るのは、なかなかにシュールな絵面だったのだが、それはさておいて。

 ――『4対4戦(カルテット)』。

 読んで字のごとく。それは、4人対4人に分かれての、チーム戦式実践テストである。

 1年生は全員参加することになるこの試験は、各人の『適応力』を見る、という目的がある。

 4人のグループ作成をあえて教師陣ではなく生徒たちに任せることで『人との適応力』を、ランダムに選ばれる競技内容に柔軟に対応できる『武偵の適応力』を、という風に、いくつかの観点から生徒たちを測るのだ。

『毒の一撃(プワゾン)』、『騎士勝負(コロッセオ)』、『鬼探し(オーガ)』、などなど、競技は実に多種多様。粗方どんな学科同士で組んでも対応できるようにしてあるのだ。中には、美少女ぞろいの学科・特殊捜査研究科(CVR)のみで構成されたチームが2つ出来た場合に採択される、『艶美決め(ベッラ)』という伝説の種目もあったりする。

 そして。

 この『4対4戦』、実はエントリーの締め切りが、明日までなのだ。先刻、東峰凛子がこの教室に来たのは、期限が差し迫っていると注意を喚起するためであった。

 そんなわけで、この段階になってまだチームを作れていないキンジたちは結構まずいのだった。

 と、

 

「……いっそ、組むか。オレたちで」

 

 武藤が、ポツリと言った。

 反論……というわけではないが、キンジがそれに反応する。

 

「だが……『4対4戦』はチームバトルだ。当然、チームワークが求められてくる。急造の俺たちに、上手くやれるか?」

 

 キンジの懸念は、確かに正しい。

 普通は、たいてい同じ中学同士だったり、見知った後輩の中等部(インターン)生を組み込んだりすることで、不和を無くすのが常套手段なのだ。

 それを、つい先日親しくなったと呼べる程度の間柄の自分たちが、上手くできるのか? しかも、そのきっかけすら決闘というものだったのに。

 だが。

 武藤はニヤリと笑って、それを否定する。

 

「おいおい、知らねえのかキンジ? 武偵ってのはな、最初仲が悪かったチームほど、後々大活躍したりするんだぜ?」

 

 どうだ! といわんばかりのドヤ顔はうざかったし、そもそも武藤が言っているそれは都市伝説やジンクスのようなものなのだが、しかし、

 

「……そうだな。どうせこのままだと、エントリー出来ずに教務科(マスターズ)に説教くらっちまうだけなんだ。――組むぞ、武藤」

「おうよ! そうこなくっちゃな、キンジィ!」

 

 大笑しながら、武藤はキンジと肩を組む。暑苦しい。

「お前も、それでいいか?」という武藤の問いかけに、「もちろん、参加させてもらうよ」と、さわやかな笑顔と共に、不知火も二つ返事で了承した。

 これで、3人が揃った。

 そして、

 

「ってことは、最後の1人はもちろん――」

 

 武藤がその名を言いかけた、その時。

 ガラララ、と音を鳴らしながら、教室の前側の扉が横滑りした。

 そこから現れた人物が、「ただいま~」と、あくびをしながら入ってきて、

 

「「「……っく、あっはっははっ!」」」

 

 あまりのタイミングのよさに、3人は噴き出した。

 大笑いしている友人3名の姿にきょとんとする現れた人物――有明錬は、

 

「……え? どったの?」

 

 心底不思議そうにそう尋ねるのだった。

 

 * * *

 

 バカ笑いしている3人から事情を聞いたあと、俺たちは遠山の机を中心に集まった。

 なるほどねぇ……『4対4戦』か。そういや、月初めの行事表にあったな。そんなの。

 というか、俺がトイレに行ってる間に、まさか東峰先輩が来てたとは。まいったな、挨拶してねぇよ俺。

 ま、それはともかく。

 

「俺、遠山、武藤、不知火。強襲科(アサルト)が3人に、車輌科(ロジ)が1人か。随分と攻撃的なチームになったな」

 

 俺は、黒板の横にある棚の上から持ってきた『4対4戦』の申請書に遠山が書き込んだ、それぞれの名前と学科を読んでそう言った。

 あ、俺は除くよ? 攻撃力、あんまねぇし。

 

「だな。こりゃ、ガチンコ系の勝負になるかもな」

 

 じゃあ拳銃の整備しとかねえとなー、と言いながら武藤が同意する。いや、整備くらいちゃんとやっとけよ。

 唯一椅子に座っている遠山が、机の上に乗った申請書を指でトントンと叩いて、

 

「どうかな。そうは言っても、車輌科が1人いるからな。戦闘オンリーの競技とは限らないんじゃないか? ……不知火は、どう思う?」

「うん、僕も遠山君と同意見かな。強襲科生が多い場合によく選ばれるのは『騎士勝負』――1対1を4回繰り返す競技だね――らしいけど、『毒の一撃』とかも普通にあったそうだよ」

 

 不知火の言葉に、俺は「ふむ」と少し唸る。てこたぁ、あらかじめ競技を予測するのは難しいな。ま、どの道競技発表は明日の放課後だし、『4対4戦』自体は土日を挟むことになるから、今あれこれ考えてもしかたねぇな。

 というか一個気になったんだが、『騎士勝負』ってのは4対4である意味はあるんだろうか。チーム戦とは言うが、実際個人戦みたいなもんなんだが。……まあ、ある意味武偵高らしいけど。

 

「とにかくだ。これ、さっさと教務科に提出しに行こうぜ。期限は明日の朝までだって話だが、そこで忘れたりしたらバカらしいからな」

 

 俺がそうまとめると、チームメイトたちは頷いた。

 さてさて……果たして、どんな種目になんのかね?

 

 * * *

 

 そして、次の日の放課後。

 校舎内の掲示板に、『4対4戦』の組み合わせと競技名が張り出された。

 ちなみに、俺たちの名前を探しているときに見つけたんだが、理子と時雨が組んだ『鈴木班』の対戦競技は『毒の一撃』だった。あー、こりゃ、勝ったなあいつら。ガチ勝負ならともかく(それでも負けるとは思わねぇけど)、戦略系の勝負って話のあの競技なら、あいつらに負けはねぇだろ。

 おっと、話がそれた。

 で、肝心の俺たちの対戦相手と競技方法は――

 

「相手は、『久賀(くが)班』。対戦方法は……『狼競争(ウルフラン)』、か」

 

 対戦表の前。俺たち『遠山班』(じゃんけんでリーダーを決めた)の4人は、集まっていた。

 久賀……聞かねぇ名前だな。どこの科だ?

 そして、競技の方。『狼競争』……って、どんなんだ?

 俺はどちらについても知識がなかったので、仲間たちに尋ねてみる。

 

「この久賀って奴。誰か知ってっか?」

「ああ、オレは知ってるぜ。そいつ、車輌科(ロジ)だ。それも、Aランク」

「A、か。じゃ、お前と一緒か」

「まあ、運転技術は認めるけどな。けど、オレあいつ苦手なんだよな……」

 

 武藤にしては珍しく、苦い表情でそう言った。

 こいつ、結構誰とでも話すような奴なんだがな。それが苦手っつーなら、めんどくさそうな奴だな、おい。

 で、

 

「競技は? 不知火なら、知ってんじゃねぇのか?」

「まあ、一応ね。けど、さわりくらいしか知らないから、後で送られてくる教務科からの周知メールを見たほうが早いよ」

 

 ただ、と不知火は言葉を切って、

 

「名前からも分かると思うけど、これは武藤君――つまり、車輌科生がカギを握ると思う」

 

 まあ、確かにな。競争、っていうくらいだし。

 よし。とにかく、これで情報は揃った。あとは明日からの2日間で、練習する必要があるな。

 

「そんじゃ、今から誰かんちに集まるか? 男子寮につくころにゃ、周知メールも着てるだろ。武藤には、その久賀って奴のこともききてぇしな」

 

 俺は、これからの方針をみんなに提案してみた。

 それに対する是非が返る――より早く、

 

「ふはっ! 貴様らが探している久賀というのは、この俺のことじゃないのか?!」

 

 という、トンチキな台詞が背後から飛んできた。

 …………振り返りたくねぇなぁ、なんか。

 しかし久賀という名前を出されてはそういうわけにも行かないので、俺はしぶしぶ体の向きを変え、声の主を視界に入れる。

 そこにいたのは、3人の男子生徒と――1人の変態だった。

 …………。

 

「あー……一応聞いとくが、お前が久賀でいいのか?」

「そうだ! 俺が、久賀(くが)大輝(たいき)だ! ふははっ!」

「……そうか。じゃあ、もう一つ聞いていいか?」

「ふはっ! 構わん、なんなりと聞け!」

 

 ……そうか。聞いて、いいのか。

 じゃあ、遠慮なく聞くが……、

 

「お前、なんでスーツ来てんの?」

「アイデンティティだからだ!」

 

 意味わかんねぇえええええええええええええええ!

 い、一体なんなんだこいつは。後ろの3人は、いい。普通の防弾制服を着ている、普通の奴らだ。

 で、この久賀とかいうやつはなんなんだ?

 まず、どうあがいても目を引いてしまうのが、奴が纏う純白のスーツ。この時点ですでにおかしすぎる。防弾制服はどうした?

 

「お、お前防弾制服はどうしたんだ?」

 

 俺同様気になったのだろう遠山が、久賀に質問する。

 久賀は、なぜか大仰に一つ頷いて、

 

「安心しろ、このスーツは防弾性だ!」

「そういう問題じゃねえよ!」

 

 ネジが2、3本外れたような回答に、遠山がツッこむ。

 俺は、多分こいつに聞いても意味ねぇんだろうな、と思ったので、代わりに後ろの3人の内の一人に聞いてみる。

 

「で? マジな話、なんでこいつこんな格好してんだ?」

「これじゃなきゃ嫌だとごねた挙句、教務科に金を払って認めさせたらしい」

「それ、つっこみ待ちだよな?」

 

 おい、教務科。仮にも武偵を育てるあんたらが、なんで金に負けてんだよ。

 

「というか、おい。その胸の赤いバラはなんだ?」

「コントラストを理解していないとは、嘆かわしいな。ちなみに、このバラも防弾性だ!」

「意味あんのかそれ!?」

 

 遠山。もうやめとけ、お前。だんだんお前のキャラが壊れてきてるから。

 

「あ、あはは。なかなか個性的な人だね。――あ、じゃあその頭に被ってる白いシルクハットも、防弾性なんだよね?」

「シルクだ!」

「あれ!? そこは防弾性にしておいた方がいいんじゃないかな!?」

 

 不知火ぃぃぃいいい! お前は最後の砦的な存在だろ! なんでお前までつっこんでんだ!

 おいおい、どうすんだこれ。どんどんカオスになってるよ。対戦表見に来てたはずの生徒たちも、いつの間にかいなくなってるよ。

 どうやって収集つけりゃいいんだこれ、と俺が頭を抱えかけたその時、

 

「久賀よォ、相変わらず変な奴だなお前は」

 

 心底呆れてます、といった感じの武藤が進み出てきた。

 なぜか無意味に「ふはっ。ふはっ」と一人で笑っていた久賀が、武藤に気づき、

 

「む? おお、俺のライバル武藤じゃないか! お前、俺の対戦相手なんだろう?」

「ライバルはやめろ。で、後半はまあ、当たってる。できりゃ、お前とは当たりたくなかったけどな」

「ふははっ! そうだろう、俺の実力を知るお前ならば、俺との対戦を避けるのもやむなしだな!」

 

 多分、違う意味だと思うぞ。武藤が言ったのは。

 

「だが、そういうわけにもいかないな。今のところ、1年の車輌科でAランクなのは、俺とお前のみ。となれば、この『狼競争』で雌雄を決するしかないだろう?」

「……まあ、なんでもいいけどよ」

 

 ガリガリと頭をかきながら、武藤はさらりと流す。きっと、車輌科の授業で散々こんな絡まれ方したんだろうなぁ。

 が、武藤のそんな態度が屈したようにでも見えたのか、

 

「ではな、武藤剛気! 3日後を楽しみにしているぞ! ……よし、行くぞお前ら!」

「「「……なんでこんなやつの友達やってるんだろうなあ、俺たち」」」

 

 高らかに宣戦布告して去っていく久賀のあとを、あいつのチームメイトたちがとぼとぼと付いていく。ホント、なんで友達やってんだよ、お前ら。

 やがて、久賀の哄笑が聞こえなくなったころ、武藤が言った。

 

「……で、いるか? あいつの情報」

「「「いらない」」」

 

 これ以上あいつに詳しくなることを、とても耐えられそうになかった。

 

 * * *

 

 とりあえず競技の方について作戦を考えよう、ということで、俺たちはあの後チームリーダーである遠山の部屋(相部屋の連中は都合よく出かけていた。彼らも作戦会議でもしているのかもしれない)で、会議を開いた。

『狼競争(ウルフラン)』。それが、俺たちに指定された『4対4戦』の競技だ。

 ルールは、割と簡単。定められた道順(コース)を、先に走破したチームが勝ち。それだけだ。

 ただし。『妨害工作』はなんでもあり、だけどな。

 映画でよくある、ドンパチ付きのカーチェイス。あんな感じだな。ただし、使用する武器のレベルがまるで違うが。

 そして、もう一つのルール。それは、運転手(ドライバー)以外のメンバー――『騎兵(ナイト)』は、『いつでも乗り降りしていい』というルールだ。

 つまり。例えば、スタート前に発表されるコース上に、先回りして罠(トラップ)を設置したりできるってわけだ。まあ、それ以外にもできることはあるんだが。

 ……っていうか、これ先生たちコース作り大変だったろーな。各所で行われる『4対4戦』にかち合わないように作る必要があるんだから。

 ま、それはぶっちゃけどうでもいいんだが。

 で、会議を終えた次の日である土曜日。そしてその翌日の日曜日。俺たちはこの2日間を使って、走行する車の上で銃を撃てるように練習していった。強襲科じゃこんな訓練しねぇからな、新鮮だった。

 ――そして。

『4対4戦』当日が、やってきた。

 

 * * *

 

 4月21日。

 学園島9区に敷かれた道路上に、2台のシルビアヴァリエッタ――4人乗りのオープンカー――が停車していた。

 言うまでもないが、この2台が『狼競争』の主役……俺たちが駆る狼ってわけだ。

 そして、平行する2台の後方に、俺たち『遠山班』と『久賀班』、そして担当の教師が立っていた。これから、ルール説明とコース説明があるからな。

 担当の先生は、一度俺たちをぐるりと見渡して、

 

「――えーでは、これより『遠山班』と『久賀班』の『4対4戦』・『狼競争』を始めたいと思います。ルールは、事前に説明したとおり、この話の後で配布するコースを先に走破したチームの勝利、ということになります。妨害は、スタートから30秒後より開始してください。使用武装は制限していませんが、弾丸は非殺傷性の弾、刀剣類は刃無し(ノーエッジ)でお願いします。それ以外は基本的に、何をしてもらっても構いませんので。……あ、ちなみに万が一競技中に人を撥ねた場合はもちろん罪に問われるので、注意してくださいね。あと、車の速度は時速70kmまでしか出ないように改造されているので、そこのところよろしくお願いします」

 

 撥ねた場合とか言うくらいなら、最初からこんな競技作んなよ。

 かなり不安を残す説明を終えた先生は、それから各チームに規定コースが書かれた島内地図を配った。

 

「これから10分間、作戦会議(ブリーフィング)の時間を取りたいと思います。先生、その間にちょっとお茶を飲んでくるので」

 

 台詞から、全体的にこの学校にまともな教師はいないということを再認識しつつ、俺たちは地図を広げて話し合うことにした。なにせ、10分だ。さっさと作戦を決めて、あとは武藤に道を覚える時間を用意しねぇと。

 リーダーである遠山が、全体を仕切る。

 

「よし、じゃあ作戦自体は事前に決めたやつでいくぞ。不知火、お前はどこに陣取る?」

「そうだね……一番狙いやすそうだと思うのは、ここかな。3階建てのビルがある。ここなら、作戦後にワイヤーで降下して車に戻れる」

「できればその前に決められるのが一番だけどな。俺と有明は、車内から攻撃と防御。それでいいな?」

「ああ、それでいい。武藤、あとはお前の運転が頼りだ。しっかり頼んだぜ」

「任せろ。きっちりお前らをゴールまで運んでやるよ」

 

 俺が肩を叩くと、武藤は不敵に笑いながら頷いた。

 その後は、さっきも言ったが、武藤にコースを頭に入れてもらっていた。もちろん俺たちも出来る限りは覚えるが、多分銃撃戦になればそんなこと考える余裕はなくなるだろうな。

 そして、10分間が経過して。

 戻ってきた先生の指示に従い、各チームは、それぞれの車に乗り込んだ。

 ちなみにボディカラーは、俺たちが黒で、久賀たちが白だ。わかりやすいぜ、いろいろとな。

 運転席に乗り込んだ武藤が、エンジンを入れる。駆動音とともに、『狼』は唸り声を上げ始めた。

 先生の、カウントが始まる。

 10……9……8……

 

「ふははっ。武藤、いい勝負にしようじゃないか」

 

 左に陣取る白いシルビアヴァリエッタのハンドルを握る久賀が、相変わらずのスーツ姿(今日はシルクハットはない)でそう言ってきた。

 7……6……5……

 

「負ける気はねえぜ、オレは――いや、オレたちはな」

 

 視線は前を向いたまま、武藤もまたそう返す。

 4……3……2……1……

 

「……ふはっ。そうか、ならば――」

 

 ――GO!

 

「「勝負だ!」」

 

 同時に武藤と久賀が声を上げ、一気にアクセルを踏み込んだ!

 ローギアで発進する機体。それがスピードに乗るよりも早く、

 

「――ッ!」

 

 後部左座席に乗っていた不知火が、車から飛び降りた。作戦、開始だ。

 頼むぜ不知火、と心の中でエールを送り、視線を相手方に移すと――

 

「な!? 『騎士』が全員降りてやがる!?」

 

 想定外の光景に、俺は驚愕した。

 久賀班の車には、久賀以外の人間が乗っていなかった。うちの不知火がそうしたように、スタート直後に降りたんだろう。

 さすがにこんな手を打ってくるとは思わなかった。不知火が事前に調べた話じゃ、普通は2人、最低でも1人は車内に残って撃ちあいになるのがセオリーらしいのに。

 と、車輌科Aランクの実力をいかんなく発揮して一気に加速させていく武藤が、オープンカーゆえの風圧に負けないように大声で、

 

「向こうにも何人か戦闘向きの奴がいんのかもしれねえが、なにせこっちは強襲科のSランクが2人にAランクが1人だ! まともに撃ち合うよりゃ、場外戦術に出たほうがチャンスがあると踏んだんだろうよ!」

「いや……そうは言っても、それじゃ守る奴も攻撃する奴もいなくなるんだぞ!? 蜂の巣になるだけじゃねぇか!」

「いや、多分それは違うぞ有明。あの3人は多分、信頼してるんだ! 久賀なら、1人でも走り抜けられるって!」

 

 遠山の推測に、俺はそんな馬鹿なと思う。しかし、それ以外に可能性がないのは事実だ。

 学園島の道路を、2台のシルビアヴァリエッタが爆走する。だが、それだけじゃただのカーレースに過ぎない。

 そして、それはここで終わりを告げる。

 ピピピピピッ! と、車内に貼り付けられていたタイマーから、突如電子音が鳴り響いた。

 ――30秒。妨害攻撃が、解禁される時間が来た。

 機械の走り合いは終わった。これから始まるのは――狼の喰らい合いだ。

 

「遠山!」

「おう!」

 

 短い呼びかけに、遠山は即座に応える。

 たとえ先に何が待ってても、ここで久賀を潰せば、それでケリがつく。

 俺と遠山は、それぞれ獲物を構える。

 狙うは――タイヤだ!

 

「喰らえッ!」

 

 叫んで、引き金を引く。走行中の上に間隔が開いてるから当たりにくかったが、2、3発撃ってようやく命中した。

 したんだが……なぜか、ビクともしてない。

 お、おい。まさかこれ……。

 

「バカ、武偵高(うち)の車はほとんどが防弾タイヤだ!」

「「前もって言っとけよ、それ!」」

 

 あーもう! ホントなんでもかんでも防弾性にするよなこの学校!

 だったら、運転手を直接狙ってやる! 

 再度銃を構え、久賀を照準(ポイント)しようとして――

 

「――やばい!?」

 

 突如、遠山が叫びながら、助手席から思いっきりハンドルを切った。

 驚く暇もあればこそ、直前まで俺たちの車があった空間に、あられの様に弾丸が降ってきた。

 何事かとあたりを見回すと、前方近くの建物の2階に、久賀班の一人が見えた。原付かなんか使って先回りしやがったな。

 そしてあいつが構えてるのは、FN・ミニミ――軽機関銃!?

 バカだろ! 死ぬよ! いくら非殺傷弾でもそれだけ撃ち込まれたら死ぬよ!

 

「武藤避けろ! 喰らったら蜂の巣だぞ!」

「わかってらッ!」

 

 右へ左へ、減速したり加速したり、不規則な動きで狙いを絞らせない。……うえ、酔ってきた。

 ところどころ車体に喰らいながらも、なんとか銃弾の雨を切り抜けることに成功する。

 だが、その代わり、久賀に距離を離されてしまった。

 なるほどな、連中はこうやって俺たちを妨害してくるってわけか。

 

「上等だよクソッタレ……!」

 

 俺は、後部座席で立ち上がり、前の座席を掴んで体を固定しながら、前方の久賀目掛けて射撃する。

 しかし、距離がある上に背後は座席で守られているから、当たらない。

 

「どうする武藤!? この位置じゃ、俺たちの武装じゃどうしようもない!」

「すぐに抜いてやるから、待ってやがれ!」

 

 遠山に返す武藤の声には、どこか焦りがある。

 クソ、もっと考えるべきだった。後方からでも攻撃できる手段を、用意するべきだった!

 作戦ミスを悔やむ中……久賀が、運転席の外に右腕を伸ばした。

 その手に握られているのは、ここからじゃ良く見えないが拳銃だ。あいつ、一体何を……?

 疑問に思った刹那。

 

 ビシィッ! と。

 フロントガラスに、皹が走った。

 

 フロントガラスに非殺傷弾がめり込んでいるのを見て、俺は目を見開いた。

 馬鹿、な……ッ!?

 あいつ、『ミラーを使って』後ろ向きに撃ったのか!?

 

「クソ、あいつ皹でこっちの視界を潰す気だ!」

「車輌科だろあいつ!? なんだよあの技術(テク)は!?」

 

 俺だって知りてぇよ、それ。馬鹿と天才は紙一重って言うが、マジだったのか。

 

「…………?」

 

 その時、俺の耳が異音を捉えた。これは……エンジン音?

 背後から近づいてくる音の正体を探るべく、俺は振り向いて――

 

「なっ!?」

 

 後方から追走してくる1台のバイク――PCX150――を目にした俺は、驚愕の声を漏らす。

 操縦者は、当然久賀班の1人。いつの間に後ろにつきやがった……?

 つーか、そんなのありかよオイ!? こんな勝負で挟み撃ち喰らうなんざ、まったく予想してなかったぞ!?

 クソ、連中の方がこの競技をよく理解してやがる。本当に、使えるもんはなんでも使ってきやがるな。

 

「遠山! お前は久賀を攻撃しろ! 後ろのやつはなんとか俺が対処する!」

 

 助手席の遠山に叫びつつ、俺は後ろを向きながら数発PCX目掛けて撃ち込む。

 しかし、スラローム走行によって、それらはかわされた。チクショウ、マジモンのSランクならあんな的にだって当てられるのに!

 と、その時、PCXがいきなり加速した。なんだ? てっきり後ろから撃ってくると思ったのに。

 何を企んでるのかしらねぇが――

 

「来るんじゃねぇ!」

 

 牽制のために、俺はさらに射撃を重ねる。

 が、何発かは機体や運転手が被るフルフェイス・ヘルメットに当たるんだが、弾かれている。もういいよ防弾製品は!

 ぐんぐん近づいてくるPCX。まさかこのまま追突する自爆特攻か――と戦慄した瞬間、車体が大きく左に進路を変えた。

 こいつまさか――回りこむ気か!?

 その予想は当たっていたらしく、PCXはシルビアヴァリエッタの左横へと回り込んでいく。

 視線の先で、PCXの運転手の左手に、なにか球体のものが見えた。

 って……お、おい! お前、その手に持ってんの手榴弾じゃねぇか!?

 ぎゃああああああああ!? なんなのお前らホント! モブキャラかと思ったのに、全員どぎつい攻撃方法使ってくんなよ!

 

「クソッ!」

 

 俺は悪態をついて、右後方から左後方の座席へと移動する。

 と同時、PCXが完全に車体の真隣に張り付いた。

 運転手の左手が軽く振りかぶられるのが、どこかスローになっていく視界に映る。  あれを投げ込まれたら――おそらく、俺たちは終わる。

 

「さ、せるかぁああああああああああああ!」

 

 俺は叫びながら、せめてもの抵抗として、ドアの上部から左足を外に蹴りだした。撃ってもダメ、避けるのも無理となれば、バイク自体に蹴りを入れて体制を崩すしかない……のだが。

 ――と、届かない! 俺の足が短いのか、それとも足が届くほど接近されてなかったのか。ただ、足先にちょんと何かが当たった感触はしたんだが、バランスを崩すまでには到底至らなかったらしい。

 ああ……悪い、みんな。こんなことなら、かっこつけずに大人しく遠山に任しとけばよかったよ。

 後悔先に立たず。心中でみんなに懺悔しながら、俺は手榴弾が爆発することを覚悟した。

 そして。

 予想を違わず、直後小規模な爆発が起きた。

 

 ――PCXの、運転席から。

 

 爆発の規模はでかくない。従来の手榴弾から考えれば、ありえない範囲だ。

 だが、これはおそらく強襲科(アサルト)で使用されている、非殺傷手榴弾(ミニボマー)だろう。爆熱でも、破片でもなく、『爆風』で相手を気絶させるための非殺傷武装。装備科(アムド)の連中が開発したらしい。 

 とはいえ、バイクから人一人吹き飛ばすくらいは簡単で、

 

「お、うあああああああああああっ!?」

 

 爆風に煽られ、PCXを操っていた運転手は、後方に吹っ飛んでいった。

 う、うわー……痛そうだな、あれ。防弾ジャケット着てるみたいだけど、絶対体中に衝撃が走ってるはずだ。

 

「よくやったぞ、有明! さすがはSランクだな、おい!」

「お、おう」

 

 運転席から飛んできた武藤の賞賛に、俺はあいまいな返事で答える。

 い、いやー……おそらく、さっきのは自爆だろうから、俺がほめられるのは筋違いってもんだろう。

 バカなやつだ。たぶん、ピンを抜いてから爆発するまでに投げることができなかったんだろう。だから、手に持っているときに起爆してしまった……ってところか。

 助かった……運がよかったな。

 それよりも……、

 

「おい、武藤! 妨害は防いだけど、このままじゃ負けちまうぞ!」

「心配すんな! もうすぐ、不知火が待機してるポイントまでつく!」

 

 焦る俺に、武藤は大声でそう返した。

 それに俺は、ハッとなる。そうだ、まだ不知火の攻撃が残ってた。

 久賀を追い抜くチャンスは、もうそこしかない。

 頼むぞ、不知火……!

 

 * * *

 

 ――勝った、とその少年は思った。

 久賀班の1人であるその少年は今、間違いなく勝利を確信していた。

 学園島内をひた走る、2台のシルビアヴァリエッタ。それに対して妨害工作を仕掛けようと思った場合、取れる手段は主に3つに分けられる。

 1つ目は、『狼競争』セオリー中のセオリー。実際に車に乗り込み、カーチェイスの最中に攻撃するという方法である。これは、遠山班において、キンジと錬が取った方法だ。

 2つ目は、待ち伏せをするという方法。スタート直後、コース上必ず通る地点に先回りし、なんらかの妨害を行うやり方だ。丁度、久賀班の1人が軽機関銃で錬たちを待ち構えていたように。

 そして、3つ目。それこそがこの少年が取った、『外部ユニット』を用意する手法であった。

 彼は、あらかじめスタート地点の近くに隠しておいたPCX150を運転し、裏道を通りながら敵方のシルビアヴァリエッタへと近づいていった。

 エンジン音で接近自体はバレてしまったものの、迎撃自体は拳銃程度だ。スラローム走行や防弾装備を駆使すれば、接敵は容易だった。

 そしてそのまま彼はPCXをシルビアヴァリエッタの左側面へと近づけていった。懐から取り出した非殺傷手榴弾を直接投げつけ、遠山班を行動不能にさせるためである。

 ここで彼が拳銃を攻撃方法として選ばなかったのは、ひとえに射撃適正がなかったからだ。迎撃の危険を考えれば、アタックチャンスは1度しかない。その1回を頼りない自身の射撃に任せるのは、躊躇われた。

 だからこそ彼は、車体の左側に張り付いた瞬間、一瞬だけ両手を放してピンを抜き、手榴弾を持った左腕を振り上げた。当然その行動を阻害するために、後部座席にいた錬が動くが、もう遅い。たとえ今更撃たれたとしても、そのくらいではもう投擲は止められない。

 ――勝った、とその少年は思った。

 ゆえにこそ彼は、刹那なんの迷いもなく手榴弾を投げ込んだ――と、同時。

 

 その手榴弾を、有明錬に『蹴り返された』。

 

(な、に……ッ!?)

 

 跳ね返ってくる手榴弾を視界に収めながら、少年は驚愕した。

 何度も練習したタイミング。放り込まれると同時に爆発するように投げた。それはつまり、拾って投げ返すなどの起死回生を許さない、まさに必勝のタイミング。

 それをわかっているのか否かは定かではないが、錬はその必勝を直接蹴り返すというタイムラグ無しの方法で見事に瓦解せしめたのだ。

 練習という努力を、機転という才能が叩き潰した。

 あまりにもとさえ言える理不尽に文句を言う暇すらなく、直後彼は自分がピンを抜いた手榴弾の爆撃を受けることになる。

 

「お、うあああああああああああっ!?」

 

 非殺傷性の、しかし強烈な爆風が、彼をPCXの上から弾き飛ばす。

 流れ行く景色と全身を叩く道路の硬さに呻きながら、彼はやがて意識を失った。

 

 * * *

 

(マズイ……!)

 

 不知火亮は今、強烈な焦燥感に襲われていた。

 彼が遠山班において任命されたのは、先の説明で言えば2つ目。待ち伏せをして久賀班を妨害するという役目であった。

 その攻撃方法は、彼が背負っている狙撃銃――レミントン・M700――が物語っていた。コース上、必ず通過するとある3階建てのビル。その屋上に陣取り、久賀班の車の進行を阻害する手はずになっていた。

 しかし、ここで予想外の事態が起きた。なんと、久賀班の1人も偶然同じビルを待ち伏せポイントに選んでおり、鉢合わせになるという事態になってしまったのだ。

 その敵自体は、武藤たちと合流したあとで使うはずだったサイドアーム――レーザーサイト付きSOCOM(ソーコム)――を使用して勝利したのだが、問題はそのせいで生まれたタイムロスだ。

 このビルに来るまでにかかった時間も考慮すれば、もういつ武藤たちが来てもおかしくはなかった。

 だから不知火は大慌てでビル内に進入、階段を使って屋上まで一気に駆け上がった。

 逸る気持ちを冷静になれと押さえ込みつつ、屋上に通じるドアを開ける。幸いカギはかかっていなかったので、そこで時間を取られることはなかった。

 スリングで背負ったM700を下ろしつつ、不知火は屋上の端へと駆け寄った。

 そこでぐるりと視線を巡らせれば――いた。小さく、こちらに向かって爆走している白のシルビアヴァリエッタが見える。

 

「もう、あんな近くに……!」

 

 焦りながらも、不知火は流れるような動作で安全装置(セーフティー)を外し、ボルトハンドルを操作することで弾丸を装填する。彼は本来強襲科の生徒だが、同時に万能型の武偵でもある。狙撃銃にも、ある程度精通していた。

 スコープを覗き込み、不知火は久賀が操るシルビアヴァリエッタを視野に入れた。彼以外の同乗者がいないことに少し驚きつつも、不知火は『数秒後にシルビアヴァリエッタが通るであろう道路上を狙って』引き金を引いた。

 着弾したのは、狙い通りシルビアヴァリエッタの進路上の道路だ。一見外したようにも見えるが、これは立派に目標に撃ち込まれていた。

 よく見れば、そこにいつの間にか粘性の水溜りが広がっていることがわかるだろう。その正体は、先ほど不知火が撃った潤滑弾(アンカケ)と呼ばれる特殊弾丸だ。着弾後、内部に仕込まれた特殊ローションを撒き散らし、対象の摩擦力を無くすという普通ならなんの役に立つのかいまいちよく分からない弾だ。

 だが、今回はその限りではない。不知火はその潤滑弾を使い、久賀班の車をスリップさせようと目論んだのだ。

 猛スピードで走行する車がそんなことになれば当然危険極まりないのだが、そこらへんはさすが武偵高の生徒といったところか。

 とまれ、これで不知火は任務をギリギリで達成できたと安堵し、スコープから目を離した。

 ――次の瞬間。

 

 白のシルビアヴァリエッタの『片輪が浮いた』。

 

「な……ッ!?」

 

 信じられない、とばかりに声を漏らす不知火に構わず、数秒片輪走行になったシルビアヴァリエッタは、きれいに特殊ローションの池を交わし、再び両輪走行へと戻った。

 何がなんだかわからないと困惑する不知火だが、即座に気づく。

 

(道路脇の縁石に乗り上げて、一瞬だけ片輪走行に持っていったのか……!)

 

 そんなことが可能なのか。いや、現状それ以外に思いつかない。

 呆然とする不知火の眼前を、白のシルビアヴァリエッタが悠々と駆け抜けていった。

 

 * * *

 

 か、片輪走行だと……!?

 初めて見たよ、そんなの。どこの曲芸師だあいつは。

 いや、そんなこと言ってる場合じゃねぇ。

 

「どうする、武藤! 不知火の攻撃まで避けられちまったぞ!」

「わかってら……ッ!」

「とにかく撃て、有明! それしかない!」

 

 わかってるよ、遠山。それしかねぇってことくらい。

 だけど――当たらない。さっきと一緒だ。ここからじゃ、どれだけ撃ったってあたりゃしねぇんだ。

 遠山と2人、何度か撃つも、やはり久賀の進行を止めることはできない。

 どうする? どうすりゃいい……?

 それを考えている間にも、レースは進む。勝負はついに、直線を残すだけとなった。

 だが、同じ車を使用している以上、彼我の距離はそのまま勝敗に直結する。ただ後ろから追いかけるだけじゃ、絶対に追い抜かすことは出来ない。

 つまり――

 

 俺たちの、負けだ。

 

 悔しさが滲み出る。何か他にできることがあったんじゃないかと、後悔があふれ出す。

 ここまでか。

 ここまでなのか。

 

「…………いや」

 

 ――まだだ。

 まだ、終わってない。

 武偵憲章10条『諦めるな、武偵は決して諦めるな』。

 そうだ。まだ、勝敗が決したわけじゃない。勝負が終わったわけじゃない。

 俺は、再び拳銃を構える。せめて最後の一瞬まで、抗ってやる!

 そして、俺は。

 その引き金を、引く――

 

 その直前。

 1匹のハエが、俺の顔の前を通過した。

 

「ふぁ……っ」

 

 むずむずと。鼻を掠めていったハエのせいで、俺の鼻腔が震えだした。

 こ、これは……まずい!

 しかし、『それ』は生理現象だ。我慢してどうなるもんでもない。

 よって、ごくごく当たり前の帰結として、

 直後。

 

「ぶえっくしょんッッッ!」

 

 くしゃみと同時に、俺は反動で2回ほど引き金を引いていた。

 おおおおおおお!? 恥ずかしいなんてもんじゃねぇぞこれ! シリアス! 今シリアスな場面だったから!

 幸い、くしゃみの音は発砲音とオープンカー特有の風の音でかき消されたかもしれないが、これは個人的に恥ずかしすぎます、はい。

 やばいわこれもう武藤たちに顔合わせらんねぇ、と一人嘆いていると、

 

「あ、有明……! お前今、何やったんだ!?」

 

 なにやら遠山が、こちらに振り向いてそんなことを訊いてきた。

 え、ええ? もしかして、気づかれたのか? 俺のくしゃみ。

 ど、どうしよう。これ正直に言った方がいいのかなーと迷いながら、誤魔化すように顔を横に向けると。

 

 ギュオンッ! と。

 俺たちの車が白のシルビアヴァリエッタを追い抜いていった。

 

「…………」

 

 ……あれ? 今の、久賀の車じゃね?

 なんで追い抜けてんの? と首を傾げる俺に構わず、俺たちの車はそのまま十数秒ほど進み続けて――『狼競争』のゴールに辿りついた。

 キキィィィッ! と、壮絶な音を立ててブレーキングする、俺たちのシルビアヴァリエッタ。

 そして、いつの間に近づいていたのか、気づけば近くに立っていた担当教諭が宣言した。

 

「『狼競争』勝者は……遠山班ですね、はい」

 

 そんな、気の抜けるような口調で。

 

「「っしゃあ!」」

 

 遠山と武藤がハイタッチする。パチィン! と、いい音が響いた。

 …………で。

 これ、どういうことっすか?

 

 * * *

 

 同速度で走る2つの物体が、直線コースにおいて前後が入れ替わることはありえない。

 そういう意味で、久賀は未だゴールしていないにもかかわらず、遠山班に勝利していると言ってよかった。

 また。

 久賀自身も、ここからの逆転はないと踏んでいた。

 

(最後のこちらの妨害がなぜかなかったのは気になるが、やつらの狙撃も回避した。後方からの銃撃は恐るるに足りない。ふはははっ! これは俺の勝ちで決定だな、武藤!)

 

 久賀は、胸中で哄笑を上げる。

 ――やっとだ。

 やっと、ここまで来た。団体戦による勝負とはいえ、ライバルに……武藤剛気にあと一歩で勝利できるところまで。

 ――久賀大輝が武藤剛気をライバルだと定めたのは、入学してすぐのことだった。

 父が一流企業の社長をしている関係で、久賀は生まれながらにして上級の暮らしを送っていた。その生活は何不自由なかったし、一般的な見地から見れば羨望を浴びる人生だったのだろう。

 しかし、久賀はそれだけでは満足しなかった。安定した毎日に退屈を感じた彼は、やがて刺激を求めるようになっていった。

 始めは小さなことから。そこから次第にステップアップし、その過程なのか最終形なのかはともかくとして、久賀は武偵という道を歩き始めた。

 そして、今年の春。横浜武偵高附属中学を卒業した彼は、東京武偵高へと進学した。

 入学試験での格付けは、『実質的な最高ランク』と呼ばれるAランク。1年生でこのランクを取得できるものはかなり稀で、久賀はこの結果に大層満足した。

 が、入学してみれば、彼以外にも車輌科Aランクの新入生が存在していた。それが、武藤剛気だったのである。

 以来、何かと久賀は武藤に張り合うようになった。遺伝か、それとも生来の性格か。顕示欲の強い彼がそんな行動に出たのは、むべなるかなといったところであった。

 ――そして、今日。

『4対4戦』という直接対決の機会を得た久賀は、武藤に王手(チェックメイト)をかけていた。

 

「俺の勝ちだ、武藤……ッ!」

 

 あらん限りの力でアクセルを踏み込み、久賀は勝利を宣言する。

 ゴールまではもう、あと数十メートル。それはすなわち、久賀大輝が二つの意味で勝つまでの距離だった。

 武藤たちに逆転の目はもうない。久賀は、沸きあがる歓喜に、唇で弧を描いた。

 ――その時。

 久賀の耳が、2発の銃声を捉えた。

 しかし、久賀はそれを気にしない。発砲ならこれまでも何度もあったし、そのどれもが久賀の進撃を止める手立てにはならなかったからだ。

 だから久賀はその銃声を意識の外にやって、

 

 直後、額に1発の非殺傷弾が激突した。

 

「かふ……ッ!?」

 

 ガクンッ! と、衝撃で首が後方に仰け反る。視界が暗転し始め、反射的にブレーキを踏んでしまう。緊急時に事故を起こさないようにするために、車輌科で叩き込まれた反射行動だった。

 それを後悔するも、もう遅い。即座にアクセルに足を戻そうとするが、意識が朦朧として体が言うことをきかない。非殺傷弾とはいえ、喰らったのは頭だ。すぐに気絶しないだけでも僥倖だった。

 だが、そもそもどうやって自分は撃たれたのか? 背後からの射撃では、座席の背もたれに阻まれるはずだ。ましてや額など、当たろうはずもない。

 しかし、疑問は一瞬。

 ふとした拍子にフロントガラスと『あるもの』が視界に映り――瞬間、久賀は理解した。

 

(『跳弾か』……!)

 

 それは、まさしく正答であった。

 フロントガラスを用いた『跳弾』。それが、謎の射撃の正体だった。

 しかし、それは通常あり得ない。本来なら、たとえ弾丸がフロントガラスに当たったとしても、跳ね返るより先にめり込んでしまうのだ。丁度、久賀がバックミラー越しに放った弾丸が、武藤たちの車のフロントガラスにめり込んだように。

 だが。

 もし当たった先に、『フロントガラスではなく別の物』があったとしたらどうだろうか。

 たとえば。

 

 あらかじめフロントガラスに1発めり込ませて、まったく同じ場所に2発目を撃ち込んだらどうなるだろうか?

 

 答えは、久賀が身を持って知っている。2発目の弾丸は、めり込んでいる1発目の弾丸の『底』を、跳弾を可能とするための『踏み台』へと変えたのだ。

 全く同じ場所へと連続で撃ちこむ、弓道で言うところの『継ぎ矢』のような技術――『同点撃ち(ワンホール)』。

 任意の場所を中継点として、多角的な射撃を可能とする技術――『跳弾射撃(エル)』。

 どちらか1つでも、狙って扱うことの難しいこれら2つの複合技術。

 名づけるならば――『同点跳弾撃ち(ワンホール・エル)』。

 

(武藤のチームメイトの仕業か……)

 

 薄れ行く意識の中、久賀は一つ忘れていたことを思い出した。

 これは、『4対4戦』。久賀大輝と武藤剛気の勝負ではなく、『久賀班』と『遠山班』の勝負なのだ。

 そして。

 久賀大輝に敗因があるのだとすれば……きっと、そこだったのだろう。

 

(あいつらに……悪いことをしたな)

 

 脳裏に、チームメイトたちの姿を思い浮かべて、 

 久賀は静かに目を閉じた――

 

 * * *

 

 ――と、いうわけで。

 えー……なんだかよくわからんが、『狼競争』の勝者は俺たち遠山班になった。

 まあ、それ自体はいい。結局なんで勝てたのかはよくわかんなかったんだが、勝てたことは素直に嬉しい。

 ……だけどな。

 

「ふははっ! そこにいるのは我が新たなライバル、有明ではないか! 奇遇だな!」

 

 ……なにがどうしてこうなった?

『4対4戦』の翌日、俺は廊下で偶然出会った久賀に、思いっきり顔をしかめた。

 昨日。勝負が終わった後、途中で停止した久賀の車に向かってみれば、こいつはなぜか気絶していた。

 で、意識が戻るなり、武藤や遠山に何かを聞きまわり、そしてなぜか最後に俺のほうに来てこう言ったのだ。

 

『なるほど……あれはお前の仕業だったのか。さすがはSランク武偵と言ったところだな。――よし! お前を今日から俺の新たなライバルに認定するぞ! ふははははっ!』

 

 意味がわかりません。

 そんなこんなで、俺はどうやらこいつのライバルにされてしまったらしい。なぜだ。

 

「ふはっ! どうした有明? 顔色が優れんぞ!」

 

 ふはふは笑ってる久賀から顔を逸らし、俺は窓の外に目を向ける。

 ああ……なんというか――

 

「ふはははははははっ!」

「はぁ……」

 

 こんな感じで俺の周りにはどんどん変な奴が増えていくのか、と。

 俺は小さくため息をつくのだった。



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EP.3 男が女を名前で呼ぶ意味と女が男を名前で呼ぶ意味

今アドシアード編(1年生)を執筆中なのですが、アドシアードの開催期間よりこの話の方が時系列的に早かったので、投稿しておきます。にじファン時代に番外編として載せた物をちょこっとだけ改訂したものです。

あと、原作を軽く一から見直しているのですが、なかなか終わらない……。そして思ったことが、銃弾避けるやつ(効かないやつ)多すぎということでした。
そして最新刊のレキちゃんどういうことなの……エロすぎでしょう。


A Part 男が女を名前で呼ぶ意味

 

 それは5月の初め、よく晴れたある日の昼休みのことだった。

 たいていの学生がそうであるように、ここ東京武偵高の生徒たちは午前授業の4時間を乗り切り、それぞれ思い思いに羽を伸ばしていた。

 一般校区(ノルマーレ)B棟に存在する1年A組もその多分に漏れず、弁当を広げたり、お喋りに興じたりしながら、教室内を高校生らしい活気で大いににぎやかせていた。

 その話題はもっぱら、いよいよ来週に迫ったアドシアード――国際武偵競技会についてだ。1年の中でも規模という意味なら最大級のイベント、しかも今年は例外的に1年生から出場者が出るという噂がある。盛り上がらないはずがなかった。出場する1年とは誰か、そして各国の武偵高生の話題など、会話の種には事欠かない。普段よりも、教室内を包む活気は賑やかなものだった。

 そんな中、教室後方にとあるグループの姿があった。4つの机をそれぞれくっつけて大きなテーブルにしている、4人の男子生徒たちである。

 有明錬、遠山キンジ、武藤剛気、不知火亮。

 つい先日武偵高で行われた決闘――ランバージャックと呼ばれる形式だ――をきっかけに共にいることが多くなった4人組だ。先日はさらに、『4対4戦(カルテット)』と呼ばれる戦いを共に勝ち抜いた、戦友とも呼べる。

 そんな彼らは今、各々机の上に弁当を乗せ、昼食を取っていた。といっても、キンジと武藤は購買で買ったパンだったりするのだが。

 それはそれとして、彼らはこうやって一緒に昼を過ごす程度には仲がいい。『本来なら』、マナーは多少悪いが食事と同時に会話を楽しむぐらいはしている。

 ……のだが。

 

『…………』

 

 今は、誰一人として口を開いてはいなかった。ただ黙々と、箸を進めるのみである。

 気まずい。ただ、ひたすらに。明らかにその一角だけ、他と隔するどんよりとした空気が漂っていた。

 異様な雰囲気に、箸が重たいと感じながら、錬は内心で嘆息した。

 

(おいおい……なんだよ、この空気は。武藤も不知火も、いつもみてぇに喋ればいいじゃねぇか……まあ、わかんなくもねぇんだが。つか、俺も喋りづれぇし)

 

 内心でため息を一つ、錬はちらりと視線をとある人物――そう、遠山キンジへと向けた。

 キンジは、パンを食べていた。

 と、状態だけ見ればそう簡潔に表現できるのだが、問題はその態度にあった。

 まず一つ、キンジは目をつぶり、眉をしかめている。

 もう一つ、キンジは一切喋らない。

 おまけに、どこかイライラしているようなオーラも放っていて。

 端的に言えば……思いっきり不機嫌そうだった。

 

(あー、空気重てぇ……。なんだってんだよ、こいつ?)

 

 錬を筆頭に、不知火も武藤も、どうしてキンジがここまで鬱々とした空気を作っているのかわからなかった。

 4限目が始まる前に教室に戻ってきた時はすでにこの状態で、そのまま1時間を過ごしたのである。そこから昼休みに入ったものだから、結局いまだに原因はわかっていない。とりあえずいつものように机をくっつけることに文句をつけなかったから、自分たちにはなさそうだが。

 そんなわけで、絶賛気まずい雰囲気発生中の1年A組(一部)であった。

 

(誰か、この流れを断ち切れよ……!)

 

 我らが主人公が他力本願に走る中、錬の願いが通じたのかは定かではないが、武藤がこの膠着状態に一石を投じた。

 

「よ、よおキンジ! どうしたよ、暗いじゃねえか!」

 

 バッシーン! と、割と強めにキンジの背中を叩きながら、武藤は持ち前のひょうきんさでキンジに話しかけた。

 錬と不知火の顔に、笑顔が戻る。よくやった武藤、そうだよ最初が肝心なんだよ!

 武藤のいい意味での気安さに感謝しつつ、錬は願う。

 さあ、来い。

 流れよ変われ。

 グッバイ、シリアス!

 ハロー、コメディ!

 

「別に」

『…………』

 

 撃沈であった。

 これ以上無いほどあっさりと武藤渾身のフォローは、キンジに叩き潰された。

 それどころか、いかにも何か嫌な事がありましたよとアピールするかのようにため息なんぞしてくれやがったものだから、武藤は心の中で誰かに問いかける。

 

(こいつ、殴ってもいいかな?)

 

 ぶっちゃけ殴るぐらいのことは、ここではほとんど問題にならないのだが、スッと右腕を振り上げた武藤を見て慌てて不知火がキンジに話しかけた。

 

「ま、まあまあ遠山君。そんなつれないこと言わないで、僕たちにも話してみてよ。何かあったから、そんなに不機嫌なんだよね? 話したら、少しはすっきりするかもしれないよ」  

「だな。不知火の言うとおりだ。言っちまえよ、遠山」

 

 錬がさらっと便乗したのはともかく、柔らかな不知火の口調にキンジは未だ憮然とした顔のまま、それでもようやく語り始めた。

 視線は遠く。口調は険しく。

 仰々しい雰囲気を醸しつつ……言った。

 

「……うちの女子は、恥じらいがなさすぎる」

『……はぁ?』

 

 第一声から、すでに意味不明だったが。

 

 * * *

 

 それは、3限目が終わって、4限目までの休憩時間のことだった。

 遠山キンジはトイレで用を足し、自分の教室へ戻っていた。廊下を進み、あと数メートルでたどり着く――といったところで、事件は起きた。

 丁度、階段と廊下が交わる地点。そこまで歩を進めたキンジは、女子特有のキャッキャとした高い話し声を聞いた。

 

(うるせえな……)

 

 耳朶を打つ声の不快さに、キンジは眉をしかめる。

 キンジにとって、女子とは鬼門だ。憎悪、とまではさすがにいかないが、嫌悪している節がある。

 そこには当然というか、理由はあった。中学時代のとあるトラウマが、そしてキンジが持つとある体質が、キンジが女子を忌避する原因になっている。

 だから、こういった声はあまり好きではなかった。女子の声が聞こえる、ということはそこには当たり前に女子がいるはずなのだから。

 しかし、だ。いくら女子が嫌いとは言っても、さすがに視界に入れたくらいでどうということはない。そんなレベルの女嫌いならば、ただ普通に生活するのにも難儀するだろう。

 繰り返すが、見るだけなら問題はないのだ。

 だからキンジは、どこのどいつが騒いでいるのかと横目でちらりと確認してみた。

 正確に言うならば。

 確認して『しまった』。

 ――次の瞬間、

 

 パンツが、キンジの視界に飛び込んできた。

 

(――ッ!?!?!?) 

 

 階段の踊り場。自身よりも高い位置に、2人の女子生徒がいた。

 その内の1人――確か強襲科の椎名(しいな)だ――のスカートが、非常に大変な事態になっていた。具体的に言えば、もう1人――同じく強襲科の水瀬(みなせ)――にめくられていた。これはキンジにはあずかり知らぬことだったが、水瀬がふざけて椎名に、いわゆるスカートめくりを敢行していたのだ。

 ストライプのシンプルな下着が、遠山キンジの視線を席巻する。脳髄を直撃し、人間の本能、性的興奮を引きずり出す。

 

(た、えろ……ッ!)

 

 瞬間、キンジは首がねじきれるのではないかと心配になるほどの速度で顔を逸らし、頭の中で心頭滅却と繰り返し唱える。

 大丈夫だ、落ち着けキンジ。あれはただの布だ。あんなもの、デパートにでも行けば腐るほどある。だから、落ち着け。Be coolだ遠山キンジ……!

 と、凄まじいほどの自己暗示で、キンジはなんとかヒステリアモードを発動させずに済んだ。代償として、フルマラソンを乗り越えたような精神的疲労を味わったが。

 そんなキンジに、声がかかる。

 

「おろ? おー、とーやまー。やっほほーい! なんだよなんだよ、ひょっとして静(しず)のパンツ見ちゃったかー?」

「ええ?! そ、それは困るよ遠山君! 光(ひかり)の言ってること本当?!」

(どうして俺に声をかける……!)

 

 このまま教室に帰って机につっぷそうと計画していたというのに。

 キンジは、頭上の2人を見上げつつ、

 

「そもそも、お前らなにやってんだ!」

 

 小ずるく椎名の質問をスルーしながら怒鳴ると、即座に水瀬が見破った。

 おどけたように小柄な体と金がかった茶髪のショートカットを揺らし、水瀬が笑う。

 

「おっとー、その発言がすでに見ましたと自首しているね。あっはは、ごめんごめん静。やっちゃった!」

「やっちゃった、じゃないよぉ、もう……」

 

 もはや涙目となっている(キンジも泣きたかった)椎名もまた、小さめの丸メガネの奥で瞳を潤ませる。

 水瀬はぱしぱしと軽めに椎名の背中を叩きながら、

 

「あははっ。まーでも、あれだね。とーやまはラッキーって感じだね。やーい、スケベー!」

 

 水瀬の言った台詞に、キンジは激しく反応する。

 ラッキー? アンラッキーの間違いだ、と。

 

「そんなわけねえだろ! ふざけんな!」

 

 キンジとしてはラッキーという部分を否定したかったのだが、どうも水瀬はスケベの方を否定したと思ったらしく、

 

「やだなぁ、冗談だよ冗談。とーやまって、あんまり強襲科でも女子と絡まないし、スケベってのは間違いか。どっちかって言ったら……うん。あんたとつるんでる方がえっちかもねー」

(そっちじゃねえ……というか、つるんでる方? 不知火……は絶対違うだろうし、ということは有明か。……おい有明、お前知らないうちにすけべ扱いされてるぞ) 

 

 心中で友人を不憫に思うキンジだったが、実際のところ水瀬は軽蔑の意味で言ったわけではない。キンジの知る由はなかったが、水瀬と錬は気心の知れた関係である。ただの軽口だった。

 と、閉口するキンジに何を思ったか、水瀬がいたずら気に唇を歪めた。

 そして、爆弾を投下したのだ。

 

「んー、じゃあ、あれだ。お詫びに、アタシのパンツ見せたげよっかー?」

「は?!」

 

 自分の耳を疑うほどぶっ飛んだ提案に目を向けると、水瀬は「ほれほれー」とか言いながらかなりきわどい位置までスカートを持ち上げ始めていた。

 そろそろ、と。武偵高指定の防弾スカートが、上昇していく。

 健康的な白さを放つ太ももが露わになっていく。そして、後数秒後にはおそらく『それ以上のもの』も晒されるだろう。

 キンジの中で、危機感が膨れ上がる。 

 

(ちょっ、やめろ……!)

 

 駄目なのだ、『そういうの』は。せっかく抑えた血流が、また暴走を始めてしまう。

 それは、危険だ。キンジだけでなく、ある意味では水瀬達も、だ。

 数秒後に起こりうる未来を想像して顔を青くしたキンジが慌てて制止に入る――より早く、

 

「――なーんて。これも、冗談っ」

 

 パサリ、と水瀬はあっさりスカートを下ろした。

 キンジの意識が、一瞬確かに空白に染まる。

 からかわれたとキンジが気づく前に、水瀬は椎名の手を取り、「じゃーねー!」と告げてさっさと上階へと消えていった。

 後には、ただ、やり場の無い思いを抱えたキンジだけが残されたのだった。

 

 * * *

 

 以上の出来事を語り終えたキンジは、最後にこう締めくくった。

 心底嫌々そうにしながら。

 

「ホント、うちの女子は羞恥心がないから困る。いい迷惑だ」

「なるほど、つまり殺してくれってことでいいんだなキンジ。――おい放せ不知火、拳銃が抜けないだろ」

「抜いちゃだめだから!? ちょっと落ち着いてよ武藤君!?」

「よく覚えとけ、遠山。ラッキースケベが許されんのは、漫画の中だけだ。よかったな、これで来世に活かせるぜ。じゃあ死ね」

「有明君?! 君まで普通にグロック抜こうとしないで!」

 

 焦る不知火、というなかなかにレアな光景が生まれ、なんとか説得された武藤と錬が着席する。

 が、それはイコール納得したわけではない。

 馬鹿2人の怒りは、そう簡単に静まりはしなかった。

 

「キンジ、お前バカか? 男なら、そういう状況は至高だろうがよ」

「遠山。テメェ、ちょっと舐めてねぇかおい?」

 

 武藤に続き、錬もキンジを糾弾する。

 とはいえ、錬に限っては、

 

(まあ、みなっちゃんとシイなら実際俺でもそんな対応されるかもしんねぇが、それとこれとは話が別だよな。うん)

 

 などと、自分を正当化していたりもした。というか、よくよく思い出してみたら、中学生の時、あの小柄な同級生は似たようなことをやってきた気がする。おまけに、確かその時はスカートの中身まで……いや、これ以上はやめよう。怒りの炎が鎮火してしまう。

 パンチラを目撃して、それがバレたのにお咎めなしの上、尚も好意的だとォ……! という馬鹿2人の憤りに頭を痛めながら、キンジは反論する。

 

「あのな。お前らがどうだか知らないが、俺にとっては迷惑なんだよ、そういうのは。この際だから言っとくけどな、俺は女が大の苦手なんだよ」

 

 そんなこと言われても、キンジの体質を知らない錬たちから見たら、キンジの態度は信じられないのだ。それでいいのか男子高校生、といった感じである。

 ――と。そんな時、錬があることに気づいた。

 

(あれ……? でも、ちょっと待てよ……?)

 

 ふと覚えたひっかかり。キンジの言葉の中に潜む矛盾。

 そこに疑問を持った錬は、キンジに問いかける。

 

「おい、遠山。一個いいか?」

「? なんだよ」

「ああ、いや、大したことじゃねぇのかもしれねぇけどよ。お前――」

 

 ――それは、気づくべきことではなかったのかもしれない。見て見ぬふりをして、そっと心の底に仕舞いこんでおくべきものだったのかもしれない。

 なぜなら、次の一言がきっかけで、錬には災難が降りかかることになるのだから。

 だが、過去が変えられないように未来を知ることなどできない人間には、気づいてしまった以上、それを言うか言わないかという選択肢が生まれる。

 そして、錬は前者を取った、というだけのことだ。

 だから彼は、躊躇いもなく言ってのけた。

 

「女子が嫌いってわりには、女子しか名前で呼ばねぇよな」

 

(――ッッッッッッッッ!?!?!?)

 

 遠山キンジに衝撃走る!

 漫画的に言えば、背景に雷が落ちたような感じである。

 わなわなと唇を震わせるキンジの脳が、さび付いたような音を上げながら回転し始める。

 ――そうだ。言われてみればそうなのだ。

 白雪は言わずもがな(ついでに白雪の妹たちも)、理子も名前呼びだし、レキ……はまあしかたないとして、言われてみればキンジはさり気に女子ばかりを名前で呼んでいた。男子は全員名字呼びだと言うのに。しかも、なぜかこの先その傾向が顕著になっていくような気がするが、それはどうしてだろうか?

 ファミリーネームとファーストネーム。どちらが親しげかと言えば、まあ一般論的には後者だろう。

 つまり、だ。

 まさか自分は……、

 

(お、俺は実は男子よりも女子のほうが好きだった……? い、いやいや落ち着けキンジ! 中学を思い出せ。俺は、女子が、苦手だ。絶対そのはずだ……!)

 

 必死に否定するように、キンジは脳内で千切れんばかりに首を振る。

 だがもし本当にそうなら、これはあまりにもイタい。

 俺女子とかマジ興味ないっすよーむしろ苦手っすよー、とか言いつつその実女が好きでした? 

 駄目だ、シャレにもならない。

 

「おい、遠山? おーい……んだよ、こいつ。フリーズしやがった」

 

 何か錬が言っているようだが、今のキンジには気にならない。というか、端的に言ってそれどころではない。

 

(違う違う違う! 俺は女が苦手なんだ! 弁明しないと……! だから、そう。女が嫌いなんだから、つまり――)

 

 バチバチバチ――ッ! と、脳裏でトンデモ理論が構築されていく。反論のために組み上げられたその理論は相当にぶっ飛んでいたが、思考回路がショートしたキンジにとっては、天啓に等しかった。

 

「なぁ、不知火、武藤。俺、そんなに変なこと「有明ぇえええええええ!」はいっ?!」

 

 ガシッ! とキンジは錬の両肩に掴みかかる。

 突如錬の台詞を遮って迸ったキンジの大声に、教室中が静まり変える。視線が、キンジ達へと集まる。

 が、テンパっているキンジはそんなことには気づかず、次いでとんでもないカミングアウトをぶち上げた。

 

「俺は、男が好きだ!」

 

 教室中の時が止まった。

 錬の表情が固まる。

 武藤が手からパンを取りこぼす。

 不知火が端整な顔立ちを引きつらせる。

 本人からすれば、きっと女が苦手だというただ一点を伝えたかったのだろう。しかし、いい具合に茹だったキンジの脳はあり得ないほど誤解を生む変換機能を発揮した。

 率直に言って盛大に自爆したわけである。

 

「有明! いや、錬!」

「(ビクッ)!?」

(なんで急に名前?!) 

 

 錬の両肩を掴む手に力が入り、錬は体を震わせた。

 そんな錬にキンジは、

 

「いいか、誤解するなよ! 俺は本当に女が嫌いなんだ! 男の方が好きなんだ!」

「ううううん、わかった。わかったから離してください」

 

 ぶっちゃけ、かなり怖かった。やたらと血走った目でアイデンティティー的な何かを破壊されたような、そんな切羽詰った雰囲気をキンジは醸し出していた。

 もしかしなくても俺余計なこと言っちまったー!? と戦慄する錬の耳に、第三者たちの意見が届く。

 

「BLキタ――!」「当たりだよ! このクラス、とびっきりの当たりだよ!」「野郎共、ケツを守れぇええええええ! 遠山キンジに掘られるぞ!?」

 

 いろんな意味でかなりぶっ飛んだ感じのコメントが、多数寄せられているわけだが、もちろんキンジには届いていない。

 錬はなんだか泣きたくなってきた。割と本気で。

 

(なにこれ?! ホントなにこれ?! 冗談抜きで意味わかんねぇんだけど!?)

 

 ガックガックと揺さぶられつつ、不知火と武藤に目を向ける。……が、逸らされた。

 味方がいない。この教室には。

 このまま遠山キンジに蹂躙される道しか残されていないのか、と諦めが入り始めたその時。

 ガラッ! と、教室の前側の扉が勢いよく開いた。

 すわ救世主の登場か?! と錬は振り向いて、

 

「キンちゃん、早まっちゃダメぇえええええええええ!」

「お前かよぉおおおおおおおお!」

 

 星伽白雪がものすごい勢いで突貫してくる姿を捉えた。

 星伽の巫女占か、はたまた女のカンか、どうやって情報をキャッチしたのかは定かではなかったが、とりあえず輪をかけて厄介な状況になった。

 白雪は錬の肩を掴むキンジを見て取り、あわわわと両手を頬に当てながら、

 

「あああ有明君! キンちゃんを取らないで! 男の子同士なんて、絶対間違ってるよぉ!」

「気が合うな星伽、俺もそう思うからこいつどうにかしてくださいッ!」

「白雪! 俺は、女じゃなくて男の方が好きなんだよッ!」

「テメェ遠山もう黙れぇえええええええええええええ!」

 

 錯乱する白雪、壊れたキンジ、涙目の錬、一歩退いたところから眺める不知火と武藤、騒がしいクラスメイトたち。

 この狂宴は、騒ぎを聞きつけた高天原ゆとりがなんとかかんとか収めるまで続いたという。

 これが後に、『錬×キン(アルケミー)事件』と呼ばれる珍事であった。

 ……ちなみにこの事件以降、キンジはそのままの流れで錬を名前で呼ぶようになったのだが、彼はそれに微妙な顔で返すことになったのだった。

 

 

B Part 女が男を名前で呼ぶ意味

 

 世間一般から見たところによる鈴木時雨の評価は、だいたいが『立派』という一言に収まる。

 例えばそれは、学年で指折りの成績を誇っていることであったり、中学時代から続く優れた統率力であったり、高校生らしからぬ冷静沈着な振る舞いであったりと、彼女を知る人々は、つまりはそういうところを見て時雨を『立派』と評すのだ。

 実際それは間違っていない。鈴木時雨はそんじょそこらの大人とは比べ物にならないほど聡明で、あるいは母が子に向けるものほどの包容力を兼ね備えている。

 そういう意味で時雨は人の上に立つべくして立つような人間であり(そして彼女は真実人の上に立つべく生まれてきた)、なるほどその姿は周りの人達から見れば確かに立派だろう。

 だが。

 この世に完璧な人間などいない。ましてや時雨はまだ16歳の少女だ。完璧であろうはずがなかった。

 つまるところ何が言いたいかというと、時雨にも欠点と呼べるものはあって。

 それが、悪戯好きという子供っぽい一面であるというだけの話なのだけれども。

 

 * * *

 

「白雪。今日は確か、部費の振り分けについての会議だったかな?」

「あ、うん。といっても、ほとんど例年と変わらないと思うけど」

 

 波乱の1学期が終わり、騒乱の夏休みを経て、動乱の2学期――11月のある日。

 東京武偵高校1年・鈴木時雨は、同じクラスの星伽白雪と共に一般校区B棟の廊下を歩いていた。

 美少女、というよりは美人と形容するほうがふさわしい彼女たちが並び歩く姿は、見るものの目を奪う。

 この2人の関係を説明するには、友人関係というだけでは足りない。もう一つ、この学校のほぼ全校生徒が知るつながりがあった。

 すなわち、『生徒会長』と『副生徒会長』というつながりである。

 1年生なのに、という疑問もあるだろうが、さもありなん。星伽白雪という生徒の優秀さは、生徒会長という肩書きにいささかの陰りも生まなかった。

 なにせ彼女は、平均偏差値が45を下回るこの学校において75オーバーを記録し、所属する部活動は生徒会以外にもさらに3つ(しかも全て部長職に収まっている)、まさに本校を代表する才媛であると言ってよかった。

 当然そんな彼女に次ぐ席に腰を据える時雨も、白雪に負けず劣らず飛びぬけた才覚をいかんなく発揮していた。さらにこの場合、東京武偵高校中等部の元生徒会長という経歴もプラスに働いていたのだろう。

 そんな風に生徒たちから絶大な支持を受ける2人は、実は10月にあった生徒会選挙で激しくぶつかりあったりもしたのだが、それはまた別の話で、今ではこの2人しかあり得ないとまで言われるほどの名コンビぶりを見せていた。

 ちなみに。

 その選挙で全く関係ないはずなのに巻きこまれた、某・強襲科Sランクの男子2人は、後に述懐していた。「結局、俺たちが苦労しただけじゃね?」、と。

 まあ、それはそれとして、である。

 

「それはよかった。私としても、長引くのは御免だからね」

「あははっ。時雨ちゃんはそう言っても、いつも結局最後まで頑張るんだよね?」

「さて、どうだろうね?」

 

 談笑しつつ、彼女らは歩を進める。

 ――と、次の瞬間、白雪が頭のネコ耳をピーンと伸ばした……ような光景を時雨は幻視した。

 

「キンちゃん!」

「――白雪か」

 

 パッと花が咲いたように笑顔になった白雪は、校則を律儀に守って早歩き程度の速度で思い人に近づいていった。

 向かう先で待つのは、遠山キンジ。若干ネクラそうにも見える、強襲科の生徒だ。

 時雨も彼のことはよく知っていた。有名、ということもあったのだが、それとは別に元相棒つながりの面識があったからだ。

 時雨は、キンジの隣に並ぶ元相棒に微笑を向けた。

 

「やあ、錬。相変わらず遠山との仲は良さそうで安心したよ。さすがにコンビを組んでいるだけはある。なあ、『アルケミー』?」

「時雨……その呼び方はやめろっつってんだろ」

 

 有明錬。中学3年の頃、よくタッグを組んでいた男子生徒だ。

 彼との関係も、すでに1年を超えている。もとはと言えば、中学時代の決闘で打ち負かされたというのが始まりなのだが、人間不思議なもので、そんな始まり方でも良好な人間関係は築けるものだ。いまや時雨にとっての錬は、誰より気の置けない友人になっていた。

 そんな錬に対し、時雨はカラーコンタクトを入れた翠玉色の双眸を細めつつ、

 

「照れるな照れるな。君たちの実力に対する、これは正当な評価だよ? 『二つ名持ち(セカンドホルダー)』になれたと思えば、むしろ誇るべきことだろう?」

「……ま、どっちにしろもう諦めたけどな」

 

 吐息を一つ、憂いを込めて錬は漏らした。

 そんな彼の様子におかしみを感じながら、時雨は視線を転じた。

 時雨の目に移るのは、嬉しそうにキンジに語りかける白雪の姿だった。

 キラキラと目を光らせ、身振り手振りも交えながら一生懸命に話す白雪は、なんというか、そう――

 

(萌えるなぁ)

 

 思わずにやにやとしてしまった時雨を、錬が不気味そうに見る。

 鈴木時雨16歳。

 意外と可愛いもの好きであった。

 

 * * *

 

 時雨は教室の窓際に座り、風になびく栗色のサイドポニーを押さえつつ青空を眺めていた。

 その姿はまさしく深窓の令嬢とでもいったところで、艶やかさと儚さが同居する、なんとも魅力的な装いであった。

 当然、そんな一幅の絵画がごとき少女に目を奪われない者など、ほとんどいないだろう。現に、大多数の生徒が彼女に見とれていた。

 さて、では総身に注目を受けている当の本人が何を考えているのかと言えば、

 

(ああ、さっきの白雪はよかった。だが、なんだろう。可愛いからこそいぢめたいというか……そこはかとなくからかってみたくなる)

 

 と、非常に残念極まりない思考を展開していた。

 ここらへん、自分はS気質なのだろうと自覚している。実際、以前錬をいじりつつ、言ってみたことがある。

 

『ふふ。いやぁ、悪いね錬。どうも私はSらしい』

『お前が、S……? この程度で? じゃあ、あいつは一体なんだっつんだよ……』

 

 と、微妙によくわからない返しをされたものだったが、それはともかく。

 現在時雨は、どうやって白雪をいぢめようかという方向へと思索をシフトさせていた。

 

(うん、そうだな。やはり使うとしたら、遠山だろう。さてさて、どうしたものか……そうだ)

 

 ポンと、思いついた。

 うん、これならなかなかにからかえそうだ。ついでに言えば、キンジの方もいじれるだろう。

 もしこの場に錬がいれば、相棒時代の経験からなにかに感づいたかもしれない。

 しかし現実として錬は居らず、時雨の悪巧みを止める者もまた居なかった。

 羨望の視線に晒されつつ、あくまでも外見上はおしとやかに、しかし悪戯を画策する子供のようにほくそ笑みながら、時雨は脳内で計画を進めていった。

 

 * * *

 

「めずらしいな、鈴木。お前がこういう機会を設けるなんて」

「本当。この4人でここに来るのって、選挙以来のことだよね?」

「……なぜだ? なんか、そこはかとなく嫌な予感がする。この悪魔がこんな平和なイベントを提供するなんざ、ありえねぇ……」

「いやなに、たまにはこういうのもいいかと思ってね。私と白雪、とくれば相手は錬と遠山しかないだろう。あと錬、あとでお仕置きだ」

 

 なぜにッ?! と叫ぶ錬は放っておきつつ、時雨はソーサーの上に乗せたコーヒーカップを持ち上げた。モカ特有の果実のような香りが鼻腔をくすぐる。

 ここは、武偵高が誇る学生食堂(リストランテ)だ。用意されたメニューは実に多種多様、話によればやたらとバカ高いステーキなんかもあるらしい。文化祭においては『変装食堂(リストランテ・マスケ)』として名を馳せることになる、学生たちの憩いの場である。

 そんな学食のテーブル席の一つに、キンジ、錬、白雪、時雨の姿があった。

 なぜかと問われれば答えは簡単で、時雨が集めたからだ。「あの選挙から早1ヶ月、ここらで親交を深めるのも悪くないだろう?」、ということらしい。

 ――が、当然そんな理由であろうはずがない。そこには、『星伽白雪をいぢめて愛でる』という、本人にとっては崇高な、余人にとってはなにそれ状態の目的があるのだ。

 キンジと白雪は案外あっさりと納得し、錬だけが疑っていたのだがそれも黙らせた。

 ――舞台は、ここに整った。

 

(さあて、それでは始めようか?)

 

 時雨は、10分ほど会話に華を咲かせる時間を取り、自身にとっての『本題』に入る。

 

「唐突で申し訳ないが――遠山。これからはキンジと呼んでも構わないかな?」

「……は?」

 

 まさしくいきなりの申し出に、キンジは面食らった。その隣では、白雪が口をパクパクと開閉している。

 錬は口出しをしない。見たからだ、時雨の瞳がスゥと細まったのを。これは、『サイン』だ。この癖を見せるとき、時雨はなにかろくでもないことを考えている。だとすれば、関わらないのが正しい選択だ。

 

(ま、幸い今回の標的はキンジ……と星伽も、だろうしな)

 

 ズズッとアッサムティーを飲みながら、錬は我関せずを貫く。

 キンジが口を開く。

 

「いや、別にそれは構わんが……なんで、いきなり?」

「さっきも言っただろう? ここらで親交を深めるのも悪くない、と。これはその一環だと思ってくれていい。それに愛すべき元相棒の現パートナーならば、私にとっても特別だよ、君は。無論、君も私のことは名前で呼んでくれて構わない」

 

 こともなげに言う時雨。まあ、実際言っていることに嘘はない。

 キンジは困惑しながらも、ただ「そうか」とだけ返す。

 ――が、ここで黙っていないのが星伽白雪という少女であり、まさしくその反応こそを時雨は欲していた。

 

「しししし時雨ちゃん?! 特別ってどういうことかな?! 有明君の相棒だからってだけだよね?!」

(ヒット―――――――ッ!)

 

 狼狽するあまりわたわたと両手を上下させる白雪に、時雨は嗜虐的(サディスティック)な笑みを浮かべる。ダメだ、可愛すぎる。

 だが、ここで手は緩めない。鈴木時雨はそこまで甘い人間ではない。

 時雨は白魚のようなシミ一つない長く細い指をキンジの頬に這わせ、

 

「特別、とは……『こういうこと』かな?」

「お、おい鈴木……!?」

「ノン、時雨と呼んでくれ、キンジ」

 

 わざとらしく、時雨は軽くキンジにしなだれかかる。

 女子特有の柔らかな感触と匂いが、キンジを襲う(ここで襲うという表現が相応しくなるところがとっても遠山キンジだった)。

 

「―――――――――ッ!?」

 

 途端、キンジが焦り始め、白雪は人の可聴域を超えた悲鳴を上げた。

 そんな中、錬は一人、紅茶を嚥下していた。

 

(茶ぁ、うめぇな)

 

 のほほんとしているように見えて、その実穴熊を決め込んでいるだけなのだが。

 ちらりと錬が見守る中で、混迷の度は深まっていく。

 

「しししししぎゅれちゃちゃ(時雨ちゃん)?! どどどどーいうことぉおおおおおおおお!?」

 

 滑舌がとんでもないことになりながら、白雪は時雨に抗議する。

 が、そんなこと知ったことではないと言いたげに、時雨はさらにキンジに迫る。

 

「ふふっ。私も女だ。色恋の一つや二つ、おかしなことではないだろう?」

「だっ、だからってどうしてキンちゃんなの?! そもそも、時雨ちゃんは有明君が――」

「おっとそこまでだ、白雪。それ以上喋ったら私もちょっと容赦できない」

 

 とんでもないことを滑らせかけた白雪を時雨は制止する。口調はあくまで冷静に。内心は太鼓が乱打されたように鼓動していたが。

 危なかった。こんな番外編で恋心が暴露されるなど、あってはならないのである。

 冷や汗が背中を伝うのを自覚しながら、時雨はプランを変更する。

 

(まずいな、このままだと余計なことを言われかねない。本当はもう少し遠山ともどもからかいたかったのだが、しかたない。次に行こう)

 

 なにやら怪しげなことを考えながら、時雨は白雪に耳打ちする。

 

「(まあ、落ち着け白雪。なにも本当に私が遠山に惚れているわけじゃない)」

「(そ、そうなの? よかった……。うん、そうだよね。だって時雨ちゃんが好きなのは有――)」

「(もう一度言おうか白雪。容赦できないぞ)」

「(ご、ごめん。え、じゃあさっきのはどういうこと……?)」

「(なに、簡単だ。いいか、白雪。『押して駄目なら引いてみろ』ということわざがあるだろう? つまり、好きな男を落としたいなら嫉妬させてみるのも手ということだ。見なよ、錬の様子を。こちらをチラチラと見ているだろう? 関心が寄っている証左だよ、これは)」

「(ホントだすごい! いつもはそっけない有明君が、あんなに!)」

 

 これは半分嘘だが半分本当である。

 今日の目的は白雪をいじることであるから、これは単なる作り話だ。が、とはいえそういう狙いが全くないとは当然言い切れなかったりする。

 そこらへんが微妙な乙女心だったりもするのだ。

 ちなみに、錬が窺っているのは時雨の行動をいぶかしんでのことであり、当然やきもち的なものではない。もっとも、長い付き合いで時雨は(悲しいことに)きっちりと理解していたが。

 それはともかく、だ。

 

「(さて白雪。では今度はこちらが質問しよう。一体どうして私が君もここに呼んだと思う?)」

「(それって……ハッ!? もしかして、私も時雨ちゃんと同じようにやれば――ッ!)」

「(いい勘だ。さあ、行きたまえ白雪! 遠山キンジを嫉妬に狂わせてしまえ!)」

「(うんっ!)」

 

 ヤバイ、笑いそう。

 と、白雪が聞いたら憤慨しそうなことを考えつつ、時雨は白雪を解放する。

 自由を得た白雪は一度キンジに目を向け、それからやおら錬に向かって、

 

「錬君! えっと、その、かっこいいよっ!」

 

「ブゥ――――――――ッ!?」

 

 いきなりの台詞に錬は紅茶を噴き出した。

 そしてすぐさま悟る。自分も巻き込まれたのだと。

 白雪は白雪で若干テンパっている感がある。いくらキンジの気を引くためとはいえ、男の子にこんな台詞を言うなど今までなかった(キンジを除く)からだ。キンジを動揺させるなら、「好きです」くらい言ったほうが効果的かもしれないが、それは恋する乙女的にNGだった。しかも、恋愛事に関してはあり得ないほど疎いキンジのことだ、本当に信じてしまう危険性がある。かっこいい、あたりが妥当なところなのだ。

 さて、ではその効果のほどはどれほどなのかといえば、

 

(鈴木のやつ何考えてるんだ……ッ! こいつ、こんなキャラだったか?! しかし、間近で見るとかなり――って、俺は何を考えてるんだ!?)

 

 実はそれどころではなく、キンジは全く聞いていなかったりする。

 しかしそんな事情を全く知らない白雪は、さらに意味の無いアピールを続ける。

 

「すごいよ錬君! なんていうか、うん、すごいよ! えーと、えーと、かっこいい! (キンちゃん見て! 白雪が離れていっちゃうよ! 妬いて! やきもち焼いてくださいキンちゃん様ッ!)」

「おいやめろよその無理して褒めてますみたいな感じ! 逆にいたたまれねぇんだけど!?」

 

 ギャーギャー騒ぐ錬と白雪。なにやら唸りながら頭を抱えるキンジ。

 そんな光景を眺めつつ、時雨は優雅にカップに口をつける。軽く傾けて一飲み、口を離す。

 ほう、と吐息を小さく零し、時雨は言った。

 

「やれやれ、全く我ながら困った趣味を持ったものだ」

「自覚してんなら直しやがれぇえええええええええええええええ!」

 

 口元に確かに笑みを浮かべる時雨に、錬が怒鳴りつけて。

 鈴木時雨の『お楽しみ』は終了を迎えたのだった。




読了、ありがとうございました。


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