ハリー・ポッターと魔法の学校のアリス (聖夜竜)
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アリス・リデルと賢者の石
黄金の昼下がりに


アリス×ハリポタというクロスオーバーが書きたかったので。

……なお、忠実や物語の中に登場するアリスとは時代設定や年齢設定、生い立ちや家族構成、性格どが大きく異なります。かなりハリポタ仕様となってますので注意。


 

 やわらかな午後の日差しの中、ゆっくり、のんびり水面を滑っていく。

 小さなボートの上で不慣れなオールを漕ぐのは、僕と彼女の二人だけ。

 眠たくなる天気の素敵な午後だと言うのに、僕は優しくて意地悪な彼女の為に小さな手でオールを漕ぐ。

 

 記憶という物語の川にこの身を委ね、気の行くまま僕と君でゆらりと流れてみようか。

 

 その流れは穏やかで優しいものだけど、きっと僕らを退屈させてはくれないのだろう。

 

 あぁ──思い出す、鮮明に。

 夢よりも不思議な世界に入り込み、可愛くて賢い少女を追い掛ける──

 

 そんな夢の中のお伽噺に文字通り夢中になり、不思議の国を信じた幼き頃。

 

 あの日、僕と君は素晴らしい魔法と出会った。

 

 

 

 

 

 季節は7月になったばかりのある日の朝のこと。

 世間的には夏休みと呼ばれるこの年一番暑い時期、一人の可愛らしい身形(みなり)の少女が広大な庭園で一際大きな木に背を預けて座り込み、気持ち良さそうにすやすやと眠っている。

 

 背中を覆う程の長い金色のストレートヘアを煌めかせ、頭には大きな青色のリボンが付けられている。今の不景気なご時世など何処行く風とでも言う程の裕福な家庭で育ったのか、金髪碧眼の少女は青と白を基調としたフリルとリボンが付いたエプロンドレスを着用し、膝上まである白と黒のオーバーニーソックスを履きこなした可憐な少女。

 

 そんな彼女の手元には読み掛けの本が一冊、綺麗な表紙を表に向けた状態で置かれている。

 

 まだ11歳になったばかりの彼女はこの暑い7月、太陽の光をいっぱいに浴びたお気に入りの庭園で、やはりお気に入りの物語を読んで静かに過ごす。

 

 そんな時、木漏れ日の下で眠る彼女のもとに一人の女性が歩み寄ってきた。

 

「──起きなさい。起きなさい、アリス?」

 

 上品で優しい声だ。アリスと呼ばれた少女がゆっくりと目を覚ますと、寝惚けた顔でキョロキョロと周囲を見回してから口を開いた。

 

「ん、ぅ……あれ、ロリーナお姉ちゃん……?」

 

 幼く可愛らしい人形のような甘え声だ。少女が驚いて目を覚ますと、起こしにやって来た女性はクスッと微笑む。

 

「おはよう、アリス。やっぱり寝ちゃってたのね」

 

「うん、気持ちよくって……あっ、そうだお姉ちゃん。あたし、とっても不思議な夢を見たの」

 

 そう言って、今まで見ていた夢を思い出そうとしてみる。おかしな夢だった……何処かも分からない部屋の中で突然緑色の閃光が炸裂し、黒いローブを着た男の冷たく甲高い声と女の人の叫び声、そして赤ん坊の泣き声が暗闇の中で延々と響き渡る──

 

 少女は何とか思い出せるだけ思い出し、夢の内容を自分の姉ロリーナに話して聞かせた。

 

「あらあら、本当に不思議な夢ねぇ。でも昼寝はそれくらいにしないと。もうお茶の時間よ? お父様とイーディスもあなたが来るのを待ってるから、急いで行ってらっしゃい」

 

 ロリーナに言われてようやく思い出す。今日の午後は珍しく家族揃ってお茶会を開こうと話していたのだ。暢気に昼寝という恥ずかしい理由で一人お茶会に遅れてしまえば、またしても一番下の小悪魔チックな可愛い妹にねちねちと不満を言われてしまうだろう。それだけは願い下げだ。

 

「ごめんなさい! お姉ちゃん! あたし、先に行ってる! お姉ちゃんも早く来てね!」

 

 クスクスと楽しげに微笑むロリーナに伝え終えた少女は慌ただしい様子で駆け出し、広大な庭園を抜けて学寮がある建物へと急ぐ。

 

 

 

 

 

 彼女の名前はアリス。本名をアリス・プレザンス・リデルと言う。ここイギリスのオックスフォードシャー州、オックスフォードという街に位置する世界的にも有名なオックスフォード大学内の敷地を家族で借りて暮らしている良家のお嬢様だ。

 

 オックスフォード大学は街の至る所に点在する約40もの学寮(カレッジ)や図書館、食堂にレストランに雑貨屋、庭園などの芝生エリアで構成されており、そのあまりに広大な土地全てを含めてオックスフォード大学と呼ぶ。

 

 そして一つの学園都市と呼ぶに相応しいオックスフォード大学の中でも最大規模を誇るカレッジが先程の少女──“アリス”も暮らす名門クライスト・チャーチである。

 

 しかし本来カレッジは貴族の学生や教授でなければ住めない事になっているのだが、アリスの父ヘンリー・ジョージ・リデルがクライスト・チャーチの学寮長を勤めている為、彼の娘であるアリスを含むリデル家の人々は特別に住む事を許可されている訳だ。

 

 さて……ここまでくれば勘の良い者は気付くだろう。彼女は何を隠そう、あの世界的ベストセラー作品『不思議の国のアリス』の主人公アリスのモデルとなった人物だ。

 

 彼女の父親が学寮長である事から知り合ったクライスト・チャーチ学寮内に住む数学の教授ルイス・キャロルがこよなく愛したアリスの為に書いた手造りの本は後年、『不思議の国のアリス』としてイギリスで出版され、瞬く間に世界的なベストセラーとなった。

 

 出版からまだ数年しか経過してないにも関わらず、現在では世界中で愛読される人気になり、噂ではイギリスの女王も愛読したと言われる程の超有名な児童書に仕上がった。

 

 しかしアリスはそれを自分の手柄のように喜んではいなかった。いや、もちろんアリス自身『不思議の国のアリス』の物語は大好きだしお気に入りだ。しかしふと思う事がある訳だ。

 

 世界中の人々が憧れ、愛したこの不思議な物語に登場する少女はアリスという主人公であって、決して自分のような人物ではない……と。

 

 つまりアリスは物語の中の自分と現実の自分との違いに、ちょっとしたコンプレックスを感じている訳だ。

 

 物語のアリスは優しく、礼儀正しく、勇敢で、好奇心旺盛な空想好きの可愛らしい少女だ。しかし現実の自分は?と聞かれたら違うと答える。

 

 物語同様、勝ち気なしっかり者で行動力あると周囲の人から評価される事はあれど、アリス本人は現実主義者なうえ、他人に無関心で基本的に物事に拘らないさっぱりとした性格をしており、おまけに毒舌家で卑屈で根暗という──『不思議の国のアリス』のモデルになったとは思えない程に“嫌ったらしい暗い子”だと自負している。

 

 そんな自分が世界中の誰からも好かれる少女などとはとても──

 

 だからアリスは今日が家族揃ってお茶会を開く大切な日だと言うのに、こうして自分一人だけ学寮を抜け出し、いつも姉妹で仲良く遊んでいたお気に入りの中庭で大好きなアリスの本を読んでサボっていた訳だ。

 

 それに……実を言うとリデル家の家族関係はあまり仲の良いものとは言い辛い。アリスの父親は名門クライスト・チャーチの学寮長という大変名誉ある職業上、仕事の合間に可愛い三人の娘達と交流できる時間は少ない。

 

 アリスやイーディスと歳の離れた姉ロリーナは既に学校に通っており、自分達の家でもある学寮にこそ帰っては来るものの、毎日忙しいのかアリスやイーディスとは過ごす機会が少ない。

 

 そして妹のイーディス……リデル家三姉妹の一番下に生まれた子は幼い子供らしく無邪気で素直な愛らしい子で、父親もロリーナもみんなイーディスを贔屓するのだ。

 

 それがアリスにはちっとも面白くない。イーディスが悪い訳ではないと頭では理解できていても、やはり一緒にいると気まずいのか、一番身近な家族と言えるイーディスとは互いに一歩引いた距離感で接しており、以前と比べて姉妹で一緒に遊ぶ時間はほとんど無くなった。

 

 アリスも孤独を感じない訳ではない。家族ばらばらで寂しい時もあれば、誰かに甘えたい時だってある。そして何故か、そういう心境の時に姉のロリーナは独りぼっちのアリスを探して見付け出し、アリスが落ち着くまで一緒に居てくれるのだ。

 

 ここクライスト・チャーチでも既に話題性抜群で有名なリデル三姉妹の中で唯一父親似のロリーナは母親似の可愛らしい妹達と異なり、一般でいう華やかな女性という訳ではない。

 

 しかしロリーナは読書家で心理学などの学術書にまで通じ、ピアノも嗜む、アリスにとっては優雅さや女らしさ・知性・教養と全てを併せ持った淑女そのものの、憧れでありコンプレックスの一つでもある完璧過ぎる人物だと幼心にいつも思っていた。

 

 それがアリスの(ロリーナ)に対する密かな評価であり、同時にアリスが彼女を嫌に感じてしまう要因でもあった。

 

 

 

 

 

 その後、広大なクライスト・チャーチの庭園を駆け抜け、学寮の中へと戻ってきたアリス。急いで走った為に乱れた呼吸を整えてからお茶会を開く部屋に入ると、既にロリーナを除く全員がアリスの到着を待っていた。

 

「おお、アリス。やっと来たか。もしかしたら家族の約束を忘れているんじゃないかと思ってたところだったよ」

 

「ごっ、ごめんなさい! お庭でちょっと読書に夢中だったから……さっき迎えに来たロリーナお姉ちゃんに言われて思い出したの」

 

 焦り気味に遅刻を謝るアリスに父親のヘンリーは二、三度頷くと、温厚そうな笑顔を浮かべてアリスの髪を撫でた。

 

「そうかそうか。いやなに、アリスは遅れながらもこうして家族との時間に合わせて来てくれたんだ。気にしなくていい」

 

「うん……パパ、ありがとう」

 

 今の仕事が忙しいヘンリーは家族と顔を合わせる機会が少ない。だからせめて、こういう日くらいは愛する娘達の為に何かしてあげたいと日頃から思っている。

 

 今回のお茶会はそんな父親らしい娘達への想いから誘ったものだ。

 

 ……そう。つい先程、“あの手紙”がヘンリーの部屋に届くまでは……楽しい家族団欒の時間になる予定だった。

 

 

 

 

 

「……そんな事言ってお姉ちゃん、どうせまた“あの本”を読んでたんでしょ。自分が主人公で活躍する“自分だけ”の楽しい物語を」

 

 父娘(おやこ)の様子を隣に立ってジーっと見ていたアリスそっくりな金髪碧眼の女の子──イーディス。アリスとお揃いの白いエプロンドレスを着た小さな彼女が明らかに不満気な態度で言い放った。

 

「こらこら、妹が姉にそんな事を言うんじゃない。それにあの本──『不思議の国のアリス』は偉大な先生が退屈を何よりも嫌うお前達三姉妹の為に考えて作ってくれたんだぞ?」

 

「むぅ~……だってだってぇ、お姉ちゃんばっかりずるいんだもん」

 

 言いつつぷくぅと可愛らしく頬を膨らませたイーディスが悄気ると、アリスとヘンリーは互いに顔を見合せ、やれやれとばかりに溜息混じりの苦笑いを浮かべる。

 

(もう、またそうやって……)

 

 正直なところ、アリスはこのイーディスが苦手である。最初は姉を慕う可愛い妹という感じでアリスもイーディスを好意的に見ていたのだが、成長して年齢が上がるにつれて姉妹の関係は少しずつ歪み始めた。

 

 そしてアリスとイーディスが10代を迎えた今では以前のように二人で仲良くクライスト・チャーチの庭園を遊び回る事もなくなり、ヘンリーとロリーナがそれぞれ仕事と学業でカレッジを離れて家族の時間が全く作れない今は互いに“一人遊び”に興じるような状況だ。

 

 そこに姉妹の絆なんてものはない。ただ同じ母親から生まれ、同じ屋敷で育った“不思議なほどによく似通っている血を分けた他人”である。

 

「──お父様、お待たせしました。これで家族揃いましたわね」

 

 ──そんな時、この微妙な空気の中で庭園までアリスを迎えに行っていたロリーナが部屋に入って来た。

 

「おお、ロリーナも来たか。これでやっと大事な話ができるな」

 

 先程の温厚な態度とは一変して重苦しく口を開いたヘンリーの言葉で、部屋の空気の流れが変わったのをリデル三姉妹は感じ取った。

 

「さて、三人共……実は今朝方、このような手紙が私のもとに届けられた」

 

 言いつつ表情を強張らせたヘンリーが紺色のネイビースーツの懐から引っ張り出したもの──

 

 それは分厚くて重い、黄色味がかった羊皮紙の封筒だった。

 

「最初は私も何の手紙か理解できなかったが……内容を読んで悟ったよ」

 

 と言ってから一息吐くと、ヘンリーは緊張の面持ちで父親の話を聞いていたアリスの前に歩み寄る。

 

「この手紙はホグワーツからアリス──お前に宛てられたものだよ」

 

 “ホグワーツ”という聞き覚えのない場所から送られて来た封筒をアリスへと渡す際にヘンリーは少し微笑んで見せるも、その表情は無理して笑っているというより、疲れて何歳も一気に老けてしまったような複雑な印象を与えた。

 

「えっ……? あたしに……?」

 

 突然の事態に封筒を受け取ったアリスは驚きを隠せない。

 

 そもそも生まれてからまだ一度も学校に通った事のないアリスには友達と呼べる人物が一人もおらず、イギリスでも有名な良家のお嬢様である自分にわざわざ手紙を書いてくれる人もルイス・キャロル──アリスが“ドジスンさん”と親しみを込めて呼ぶ知人の男性しかいない。

 

 そんな自分にどうして……色々と思う事はあれど、アリスは若干気持ちを昂らせて封筒を覗いて見る。

 

 緑色のインクで宛名が書いてある。切手は貼られておらず、差出人の情報一つ書いてない。

 

 しかし此方側の情報は相手に知られてしまっている様だ。

 

 

 

 

 

 オックスフォードシャー州 オックスフォード

 セント・オルデイツ通り クライスト・チャーチ・カレッジ

 アリス・プレザンス・リデル様

 

 

 

 

 

 ……なるほど。確かにこの手紙はアリス本人に宛てられた物らしい。しかし誰が何の目的で……幼いアリスにはまだ解らない事だらけだ。

 

「誰からの手紙だろ……? すごい綺麗な字……えぇっと、ホグワーツ……?」

 

 緊張と興奮で震える手で封筒を裏返して見ると、紋章入りの紫色の蝋で封印がしてあった。

 

 更に封筒の裏側には真ん中に大きく“H”と書かれ、その周囲をライオン、鷲、穴熊、蛇が取り囲んでいる。

 

 これが何を意味する物か理解できないアリス。取り敢えず貰った封筒を開けて見て吃驚。封筒には二枚の手紙が入っており、アリスは手始めに一枚目の手紙を声に出さずに読んでみる事に。

 

 その内容は全く想像もしていない未知なる世界が文字の上で広がっていた。

 

 

 

 

 

 親愛なるアリス殿。

 このたびホグワーツ魔法魔術学校にめでたく入学を許可されましたこと、心よりお喜び申し上げます。

 教科書並びに必要な教材のリストを同封致します。

 新学期は九月一日に始まります。

 七月三十一日必着でふくろう便にてのお返事をお待ちしております。

 

 敬具 副校長ミネルバ・マクゴナガル

 

 

 

 

 

 自分でも吃驚するくらい一枚目の手紙を速読し終えたところでアリスは思わず手紙の文面から目を離し、恐らくこの手紙に関して何か知っていると思われる父親と長女の姿を一瞥する。

 

 ヘンリーは何処か心配そうな面持ちでアリスを見守っており、その隣に立つロリーナは穏やかに微笑んでは困惑必至なアリスの反応を楽しんでいる。

 

「……」

 

 手紙を持ったままどうしていいか分からず動けずにいるアリスが二人の様子を確認する限り、どうやらお茶会の為に用意された余興ではなさそうだ。

 

 一先ず一枚目の手紙は頭の隅に置き、続いて二枚目の手紙を黙読する。そこには教材リストの一覧が書かれてあり、学校の制服、教科書、魔法の杖、その他学用品、さらにはペットも持参可能──と、入学に必要なものがすべて書いてあった。

 

 そしてどういう訳か、一年生は個人用の箒を持参できないらしい。まさか魔法の学校を生徒達で掃除する為に家から箒を持ち出す訳じゃあるまい。

 

 ホグワーツと呼ばれる魔法学校に通う魔法使いや魔女達は、恐らく移動用の共通手段として箒を用いるに違いないとアリスは推理した。

 

 ……とは言え、そもそも“黒いローブや三角帽を着用”したり、“箒を使って空を飛ぶ”などの現代人が考える一般的な魔法使いのイメージ像はお伽話の中でしか知らないアリス。

 

 “らしい”と言えば実に“らしい”のだが、二枚目の手紙は一枚目の手紙よりもまるで意味が解らない。

 

 長い沈黙の果て、辛うじて出てきた言葉は“信じられない”というアリスの気持ちを表していた。

 

「……パパ、この手紙何だかおかしいわ。魔法の学校なんて現実にある訳ないし、ふくろう便とか教科書とか箒とか……とっても変!」

 

 分厚くて重い封筒と二枚の手紙をヘンリーに渡し返すと、アリスは急き込むように言い出した。

 

 対するヘンリーは苦虫を潰したような顔で何度か唇を上下動させた後、深い溜息と同時にアリスへと話し掛ける。

 

「……あ、ああ……そりゃ変だろうね。だけどアリス……落ち着いて聞きなさい。この手紙は嘘なんて書いてない。本当に魔法学校からの手紙なんだ」

 

 若干震えた声でヘンリーが衝撃的な事実を告げると、お茶会の用意がなされた古風な部屋に再度の沈黙が訪れた。

 

「……えっと、じゃあ……あたしが、その……魔法使いってこと……?」

 

 恐る恐る口に出してみるも、アリスはまだ半信半疑だった。思えばロンドンのウェストミンスターで生まれ、三歳の時に家族全員でクライスト・チャーチのカレッジに移り住んでからというもの、英国貴族達に囲まれて格式の高い英才教育を受けてきたアリスにとって魔法とは正しく無縁の物だった。

 

 それでも魔法みたいな面白い不思議が世の中に沢山有れば良いのにと幼心に思う一方、大勢の夢の無い大人達に囲まれて嫌という程に現実の世界を見せられてきたアリスは既に魔法が現実に存在しない事を知っている。

 

 世界を動かすのは科学という常識、魔法なんて迷信は有り得ない──そう教えられて育ってきた。

 

 これはもう何年も前の話だが、一度だけ幼いアリスは姉のロリーナにこんな質問をした事がある。

 

『ねぇ、お姉ちゃん……大人の人達が言うように、魔法とか不思議なことってありっこないのかな?』

 

『アリス……』

 

『ドジスンさんがあたしの為に書き留めてくれたあの日のお伽話……先生方に話したら馬鹿にされちゃった……空想的な子供の話だって……』

 

 この時のアリスは酷く落ち込んでいた。いつもの庭園の木の下で座り込むアリスの顔は泣き腫らしたように赤くなっており、光を失った虚ろな瞳でぼんやりと芝生を眺めている。

 

『夢も楽しみも無い世界なんて、つまらないよ……』

 

『アリス……ねぇ、だったら面白い事をしてみない?』

 

『面白いこと? なぁに、それ?』

 

『ふふふ。それはね、アリス。あなたが────』

 

 ……あの時、冷たくて暗い現実の闇に打ち破られそうになったアリスの夢。魔法が常識と認められない非魔法界で幼い彼女がすがった姉の気高い姿に一筋の希望の光を見た気がした。

 

「……そうだ、アリス。お前は魔法使いなんだ」

 

 アリスがふと昔の記憶を思い浮かべていると、先程よりかは幾分か落ち着いた様子のヘンリーがしっかりと両手を彼女の肩に置いてから言った。

 

「……」

 

 その瞬間、もはや何度目かも分からない沈黙で部屋は静まり返った。父親と同じく何やら事情を知っていそうな長女ロリーナも、途中で会話に割り込むのが好きな好奇心旺盛な妹のイーディスも……そして手紙を受け取った張本人であるアリスでさえ、誰一人喋り出そうとはしない。

 

 アリスの頭はまるで花火のように次々と疑問が浮かんでは弾けた。あまりに予想外で急激な展開だったので、頭の整理が追い付かないのだろう。

 

「知ってたの? パパもお姉ちゃんも……あたしが本物の魔法使いだってこと、知ってたの?」

 

 今にも泣き出しそうな顔でアリスが父親と姉の双方を見つめるが、二人共揃って申し訳なさそうにアリスから視線を逸らした。

 

「……確信があった訳じゃない。お前達の母親が“その魔女”だったってだけで、娘達は魔法が使えないと思っていた」

 

 ヘンリーが渋々と語ると、アリスは隣に立つロリーナを睨み付けた。

 

「じゃあ、お姉ちゃんはもうとっくの昔から魔法が使えるってこと? お姉ちゃんが行ってる学校って本当はホグワーツだったってこと?」

 

「いいえアリス……それは違うわ」

 

 宥める様な口調でロリーナが優しく言う。するとヘンリーが口を開いた。

 

「ロリーナは私に似たんだ。私は普通の人間で魔法使いじゃなかった。そしてロリーナは魔法の才能を受け継がなかったって事なんだろう」

 

「本当の事よ。私がアリスと同じ年齢の時にはホグワーツからの手紙なんて来なかった。お父様はその事で安心していた様だけれど……」

 

 ぽつり呟き、ロリーナは誰にも聞こえない程の小さな声で「本当なら私だって……」と言い掛け、その時ふとアリスと目が合った為に口から出掛けていたその言葉を呑み込んだ。

 

「そう言う事だ、アリス。私に似なかったお前とイーディスが成長するにつれて、お前達二人はまるでロリーナの……お前達の亡くなった母親に生き写しだって事を思い知ったよ。その愛くるしい天使のような見た目や明るく楽しい性格、そして様々な事に発揮される優れた才能──アリスもイーディスも、みんなママにそっくりなんだ」

 

 そう言い切ると、ヘンリーはアリスから受け取った封筒に視線を落とす。

 

「アリスの入学が決まるこの大切な年にこの手紙が届いたという事は、アリスも魔法の才能があったって事なんだろう。まぁ、父親としては正直複雑な気持ちだがね」

 

 苦々しい笑みを浮かべて付け加えたヘンリー。ここで黙って話を聞いていたアリスもようやく自分が正真正銘の魔法使いだと言う事を信じる気になった。

 

 しかしアリスは素直にそれを喜ぶ気にはなれなかった。寧ろ、とんでもない間違いだという思いの方が強かったとも言える。

 

 アリスは昔から自分の中に住み着いた“もう一人のアリス”と自分を比べる事が多い。言うまでもなく、『不思議の国のアリス』に登場する主人公アリスの事である。

 

 アリスはそうやって何度も物語の中の自分と現実の自分を比べてはコンプレックスを抱き、いつも憂鬱な気分で落ち込んでしまう“困った癖”がある。

 

 だから今回の出来事で自分が魔法使いだという事は少しずつ理解したものの、それを幼い子供らしく飛び跳ねながら嬉しそうに喜び、誰かにその事実を聞いて欲しくて得意気に話せる様な気分にはなれないのだ。

 

「……アリス、ホグワーツに行きたいかい?」

 

「えっ……あっ、あたし……」

 

 意外な事に、すぐには言葉が出なかった。いや、確かに行きたい思いは時間が経つにつれて少しずつ強くなってはいる。

 

 お伽話の中にしかなかった魔法が現実で使える──それはどんなに素晴らしいものだろう。きっと毎日が不思議な事の連続で、魔法の世界に入り込んだアリスも楽しくて面白いに違いない。

 

「行きなさい、アリス」

 

 深く考えるあまり、迷いの森に入り込んだアリスを現実に引き戻す声が。ロリーナだ。

 

「お姉ちゃん……」

 

「貴方には夢がある。そして希望も……だったらそれを枯らさないで、散らさないで」

 

 ロリーナの悲痛な願いだ。ふと隣を見れば、ヘンリーも頷いているではないか。ただ一人蚊帳の外にいるイーディスだけは何か言いたげな様子でアリスとロリーナ、そしてヘンリーを交互に見回していたが。

 

「夢に背を向けて現実の世界に引き籠るな──なんて、今日の私は何だかおかしな事を言うけれど……やっぱりアリスに“ここ”は似合わないものね」

 

「お姉ちゃん……いいの? あたし、魔法を勉強しにホグワーツに行っても……魔法の学校を冒険して来てもいいの?」

 

 胸の中で風船が大きく膨らむのが分かった。このどうしようもない気持ちをアリスは確かに知っている。

 

 それは今も尚鮮明に光り輝くあの黄金の昼下がり──みんなでゴッドストウの村までピクニックに行き、アイシス川(テムズ川)をボートで遡るあの懐かしく素敵な思い出。

 

 そこで聞かせられる恒例のアリス物語。またアリスが主人公で活躍する、アリスの新しい物語と出会える──そんな、詠み手も聞き手も胸が熱くなる喜び。

 

「ホグワーツで楽しい夢を見続けて。その物語の主人公は間違いなくアリス、貴方自身なんだから……」

 

「……うん! パパ、お姉ちゃん! ……それとイーディスも、あたし……新しい不思議な物語を見てくるねっ!」

 

 

 

 

 

 ──この日の午後もまた、生涯忘れる事のない黄金に光り輝く一時だったと、後年アリスは手作りの本に自らそう書き記している。

 

 




ここは読まなくてもストーリー的には問題ありません。

恐らく本編じゃ書けないので簡単に捕捉しときます。

【解説】
『この作品の基本設定』
まず、主人公のアリス・リデルやリデル家、イギリスの世界観が現実のものと大きく異なります。
そもそもハリポタ世界の舞台は1990年代のロンドンとなっており、忠実のアリスが生きていた時代とは実に100年以上も離れています(忠実のアリスは1852年生まれ)。
さらに、本作の中にもたびたび登場し、アリスとハリー、そして英国魔法界での物語にも深く関わってくる『不思議の国のアリス』が出版されたのが1865年です(忠実だと)。
しかしそれだと主人公のアリス・リデルをハリポタ世界に溶け込ませる事が難しいので、色々と考えた結果この作品の中では『不思議の国のアリス』は1980年代にルイス・キャロルによってイギリスで出版され、発売から僅か数年足らずで10万部以上売り上げた世界的ベストセラーという都合の良い設定にしました。
ちなみに、本作における世界では不思議の国の続編となる『鏡の国のアリス』はまだ存在しておらず、出版もされていないという設定です。

『ハリポタ世界におけるアリス』
マグルの世界ではアリス・リデルという名前は英国魔法界でのハリー・ポッター以上に凄まじい知名度を誇り、全世界のマグルの子供達がアリスに憧れている。
そのアリス自身がモデルとなった『不思議の国のアリス』は出版されて間もなく全世界でベストセラーとなり、ハリポタ世界における現在では聖書に次いで世界中で翻訳され、多くの人々に愛され読まれている。



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目立ち過ぎた自己紹介

ハリポタ二次創作の序盤によくある話。

ダイアゴン横丁で主人公がハリーと出会う作品は数あれど、主人公が最初からハリーとハグリッドに同行する作品はあまり見ないはず。


 

 鉛色の曇天に覆われた七月三十日の午後。アリスが部屋の椅子に座って児童小説を読んでいると、そこに父ヘンリーが何やら血相を変えてやって来た。

 

「アリス、ここにいたのか」

 

 乱れた呼吸を整えながら口を開くと、ヘンリーはまたしてもホグワーツからと思われる手紙を手に持っていた。

 

「パパ、その手紙は──」

 

「急な話になった。アリス、明日はロンドンに行くぞ」

 

 ワクワクした様子で言い掛けるアリスの言葉と重ねる様にヘンリーが口を挟む。

 

「私達がふくろう便とやらを使えない事に“向こう”が気付いたんだろう。ホグワーツの入学期限は明日が締め切りだ。本当なら職員の魔法使いか学校に返事の手紙を出さなきゃいけなかったらしい」

 

「えっ!? うそ……じゃあ、あたし……ホグワーツに行けないの?」

 

 じわぁ……と、アリスの綺麗なブルーの瞳に涙が滲み出す。しっかり者に見えてもまだ十一歳の女の子。アリスは泣き虫なのだ。

 

「心配しなくて大丈夫だよ。実は今日、学校側から手紙が届いたんだ。何でも明日の朝、ハグリッドという男がロンドンで入学準備の生徒に付き添うそうだ。そこにアリスも加えてもらいなさい」

 

 どうやら大人達だけで秘密のやり取りがあったらしい。何はともあれ、家族に後押しされてホグワーツへの入学を決意したアリスが、いきなり入学手続きできませんでしたって事にはならない様なのでホッと一安心する。

 

「パパがアリスをロンドンまで連れて行くから、その後でハグリッドという人と駅で待ち合わせしなさい。いいね?」

 

「うん。パパ、ありがと」

 

 それにしてもハグリッド……一体どんな人物なのだろう。アリスは明日の朝が待ち遠し過ぎて今夜はきっと眠れないなと思った。

 

 

 

 

 

 その翌日。昨夜の大荒れした天気は嘘の様に晴れ渡り、絶好のお出掛け日和となっていた。

 

 朝早くに目覚めたアリスは興奮と緊張でなかなか眠れず、昨夜は遅くまで相部屋のイーディスとベッドの上でホグワーツの事を語り合った。

 

 嫉妬深くて苦手意識のある妹と共通の話題で一緒に談笑するとは思ってもみなかったので、アリスはそれだけ今の自分が魔法との出会いを楽しみにしているんだなと実感。自然と頬が弛んでしまうのを我慢できないでいた。

 

「パパと二人でお出掛けなんて初めてじゃない?」

 

「そうだなぁ。でもアリス、ドジスン教授とは二人でこっそり街まで出掛けてるんだろう?」

 

 ……数時間後、お気に入りのエプロンドレスを着たアリスはヘンリーの車に乗せられ、父親と二人でオックスフォードからロンドンに向かっている最中だ。

 

 本当なら来年ホグワーツへの入学が濃厚と見られるイーディスも一緒にロンドンまで来る筈だったのだが、朝に弱い彼女は一向に起きる気配がないので仕方なくロリーナに任せて留守番してもらっている。

 

「えへへ……うん、ちょっとだけね。あっ、そうだ! パパ聞いて! あたしね──」

 

 アリスは生まれて初めてロンドンに行けて嬉しいのか、車の後部座席で元気に身体を揺らしながらヘンリーに沢山話し掛けた。そうしている内に車はロンドンに到着し、アリスは一旦ヘンリーと別れる事となった。

 

「アリス、本当に一人で大丈夫かい?」

 

 停車中の車から運転席の窓を開けて声を掛けるヘンリー。やはり父親として愛する娘が心配な様子。

 

「もぅ……あたしは大丈夫! それに何か困った事があったら、いつもみたいに“もう一人のあたし”があたしを励ましてくれるよ!」

 

「……はは、そうだった。アリスは“あの不思議の国”を一人で冒険したんだもんな。分かったよ。じゃあアリス、帰る時はさっき渡したお金で電話しなさい。パパが駅まで迎えに来るから」

 

「うん! 今日はいっぱいロンドンを冒険してくるね!」

 

 さすが、まだまだ十一歳の女の子だ。冒険や魔法、そして不思議な事に憧れるところはあれど、同世代の子供よりかは多少しっかり者と言えるアリス。

 

 普段の彼女を知る限り、アリスなら今日初めて会う魔法使いの人や同い年の子供とも上手くやれるだろうと考え直し、笑顔で頷いてからヘンリーはアリスに別れを言って車で走り去って行った。

 

 

 

 

 

「うわぁ……これがロンドンなんだ……!」

 

 ロンドンの駅前通りは沢山の店が建ち並び、平日だというのに大勢の人混みで賑わう活気溢れる場所だった。

 

 ロンドンと比べて貴族の学生が圧倒的に多いオックスフォードの街とは異なる雰囲気に、アリスはドキドキワクワクしながら通りを一人で見回していた。

 

「……えっと、ハグリッドさん、だっけ? どんな人だろ……もう駅まで来てるのかな?」

 

 ハグリッドというホグワーツの関係者と待ち合わせするべく一人で待っている途中、アリスは何人かの人達から好奇の目で見られてしまったが、よくよく考えてみればアリス・リデルはちょっとは名の知れたイギリスの有名人である。

 

 その彼女をモデルにした『不思議の国のアリス』が瞬く間に売れて世界的ベストセラーになってからは、アリス自身もオックスフォードやゴッドストウの街中で知らない人から声を掛けられたり、握手を求められたり、写真撮影してもいいかと言われたり、お菓子を貰ったりする事が増えた。

 

 ちょっとした美少女アイドルという感じだが、アリス自身『不思議の国のアリス』が大勢の人々に読まれる事は嬉しく思いつつも、現実の自分が有名人扱いされる事はあまり好きではないので、普段から無意味な外出は控える様にしている。

 

 それでも現在一人で目立っているアリスが他人から声を掛けられそうでなかなか掛けられない理由……それは『不思議の国のアリス』に登場する主人公アリスのイメージそのままな彼女以上に周囲の目を惹く、毛むくじゃらの大男が通りの方から歩いて来たからだろう。

 

 しかし無理もない。何しろこの大男ときたら、並の人の二倍も大きいのだから。間違いなくアリス以上に目立っている……それも悪い意味で。

 

(わぁ……ずいぶん大きな人……アリスみたいに身体が大きくなる薬でも飲んだのかな……?)

 

 駅前通りで一人待っていたアリスも大男の存在はすぐに目についた。この時もう少しアリスに余所見する余裕があったら、その大男の後ろに隠れたクシャクシャの黒髪に丸い眼鏡を掛けた男の子が興味深く自分を見つめている事に気付いたかもしれない。

 

「お前さんがアリスって子か?」

 

 驚いた事に目の前で立ち止まった大男がアリスに向かってはっきりとした大きな声で訊ねてきた。ボウボウと伸びた長い黒髪とモジャモジャの荒々しい髭に隠れた顔はほとんど見えない。

 

「あなたは誰?」

 

 強面な大男を見上げる形でアリスが聞くと、何が面白いのか大男はクスクスと笑う。毛むくじゃらの顔は思ったよりも優しい顔立ちで、アリスはこの人物がハグリッドなんだと直感した。

 

「ハリーとおんなじこと言うんだな。俺はルビウス・ハグリッド。ホグワーツの鍵と領地を守る番人だ。みんなとおんなじようにハグリッドって呼んでくれや」

 

 言いつつ、ミトンの様に巨大な手を差し出して握手してきたハグリッド。続いてはアリスが自己紹介する番だ。

 

「あたしはアリス。アリス・リデルっていうの。よろしくね」

 

 軽い挨拶も済ませ、アリスがにこやかに微笑むと、それまでハグリッドの後ろに隠れていた男の子が口をあんぐりと開けて驚いた顔でアリスを見つめてきた。

 

「えっ、アリスって……じゃあ君、やっぱり本当にあの……アリスなの?」

 

 初めて出会った男の子がこれだけ驚くのも無理はない。アリス・リデルと言えばイギリスで“その名前と容姿を知らない人間はいない”とさえ言われる程の有名人であり、小さな子供達にとっては永遠の憧れだ。

 

 そして『不思議の国のアリス』に纏わる数多くの関係書籍が出された他、映画化やアニメ化、ゲームにグッズなど、その人気は出版から数年経った現在でも止まるところを知らず、今やヨーロッパの海を越えて世界中で一世風靡を巻き起こしている。

 

 ……ただし本のモデルとなったアリス本人はその事を特別気にしてはいない様だが。

 

「えっと……あなたが“どのアリス”の事を言ってるのかはわからないけど……」

 

 周囲からの好奇な視線を気にしてしまうのか、若干困った表情を見せたアリスは初めて存在に気付いた男の子に歩み寄り、自分の唇にそっと指先を押し当てた。恐らく黙っていて欲しいという事なのだろう。

 

「お願い、ここであまり騒ぎ立てないで。あたし、アリスの本はとっても好きだけど、自分が有名人扱いされて人気になるのって好きじゃないの……」

 

 アリスは男の子にだけ聞こえる程の小さな声量で囁いた。すると男の子は恥ずかしそうに顔を赤らめ、同じく小さな声でごめんねと謝罪する。

 

「あっ、そんな……謝らないで。あなたじゃなくてあたしが悪いの。ロンドンに着くまで浮かれてたから、自分が目立っちゃうって事忘れてて……お洋服も今着てるこれと似たようなドレスしかお家にないし……」

 

 何も大勢の人前でうっかりアリスの名前を出した男の子に非がある訳ではない。アリスもこの様に“目立つ格好”で大都会のロンドンに出てきてしまったのだから。

 

「何だお前達、知り合いなのか?」

 

 とここでハグリッドが口を挟んできた。しかしアリスからすれば上手くこの話を流せるナイスなタイミングと言える。

 

「違うんだ、ハグリッド。僕がちょっと気になったってだけだから……」

 

 そう言って、ハグリッドの影に隠れていた男の子はアリスの前に進んで握手する。

 

「僕はハリー。ハリー・ポッターっていうんだ。よろしく」

 

「あっ、うん……こちらこそよろしくね、ハリー」

 

 こうして互いに“目立ち過ぎた”自己紹介も済ませ、アリスは入学準備の為にハグリッドとハリーの二人に同行する事に。

 

 ハグリッドの案内でロンドンの街並みを進んでいく頃には、賑やかな通りを行き交う人々のアリスへの注目は次第に無くなっていった。まったく、ハグリッド様々である。

 

 そして二人の事情など知らずに大きな身体で人混みを掻き分けながら進んでいくハグリッド。そんなハグリッドの後ろを黙って歩くアリスとハリーは互いに思考を巡らせていた。

 

(はぁ、ハグリッドがいたから助かったぁ……それにハリーとも仲良くできそうだし。でもそっか、ホグワーツにはハリーみたいにあたしのこと知ってる人もいるんだ……学校でしつこく言い寄られないようにしなきゃ)

 

(さっきはどうなるかと思ったけど……よかった。この子となら僕もホグワーツでやっていけそうだ。それに……アリスとっても可愛いし)

 

 思えば二人にとって初めて友達になれるかもしれない相手である。アリスとハリーは時折目と目を合わせながら互いを意識し、二人揃ってまだ見ぬ魔法の世界へと想いを馳せるのだった。

 

 

 




本編的にはどうでもいいけど、知っておくとちょっとだけ得するかもしれない話。

この作品のハリーは『不思議の国のアリス』を知っている(ただしアリスの本を読んだ事はありません)

恐らく、ダーズリー家でちょくちょく盗み聞きしていたラジオやテレビから流れるニュースでアリスの話を知ったのでしょう。多分。


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魔法の世界へ

いよいよ賢者の石スタート。

この辺りから省略できそうな原作シーンはできる限りカットしていきます。

また、この作品はアリス視点でハリポタの原作ストーリーが進む形になるので、当然アリスがハリー達と別行動している時はアリスメインのオリジナル展開が入ると思います。


 

「ここだ」

 

 ハグリッドが不意に立ち止まった。後ろに隠れていたアリスとハリーも気になって覗いて見ると、そこには一軒の薄汚れたパブが。

 

 ハグリッドの説明によれば『漏れ鍋』というロンドンの有名な店らしい。……なるほど。確かに建物は結構な年季が入っており、このパブの雰囲気には合っている様に思える。

 

 しかし初めて『漏れ鍋』を訪れたアリスとハリーが思うに、どうも普通の人間には店そのものが見えていない様に感じた。

 

 足早に道を歩く人々もパブの隣にある本屋から反対隣にあるレコード店へと目を移し、目立つ二店舗に挟まれたちっぽけなパブにはまったく目もくれない。

 

(これって……魔法使いの人にしか見えないってこと? あたしの目が急におかしくなったって訳じゃないよね……?)

 

 疑問に思いながらアリスとハリーがパブの様子を眺めていると、二人の間に立っていたハグリッドから促されたので、二人は取り敢えず店の中に入ってみる事に。

 

 

 

 

 

 緊張して入った店内は暗くて見窄らしく、今日が平日の朝という事もあってか、飲んでいる客も数える程しかいない。

 

 三人が店に入ると、低いガヤガヤとした話し声がピタリと止まった。どうやらパブの客達は全員がハグリッドを知っているらしく、ハグリッドに向かって手を振ったり、笑顔で会釈したりしている。

 

「大将、いつものやつかい?」

 

 とその時、バーテンダーの老人がグラスに手を伸ばしながら聞いてきた。バーテンダーの老人は禿げていて歯も何本か抜けてしまっている。

 

「トム、駄目なんだ。ホグワーツの仕事中でね」

 

 そう言うと、ハグリッドは大きな手でアリスとハリーの肩を叩きながらバーテンダーの誘いを断った。

 

「……なんと。こちらが……いや、この方が……」

 

 パブの中ではハグリッドが余計に大きく見えてしまい、二人の子供は目立ってなかったのだろう。そこで初めてアリスとハリーの存在に気付いたらしいバーテンダーの老人。

 

「ハリー・ポッター……何たる光栄……」

 

 バーテンダーの老人はカウンターがある長テーブルから急いで出てくると、涙を浮かべてハリーの手を握った。

 

「お帰りなさい、ポッターさん。本当にようこそお帰りで」

 

 そこからはちょっとした騒ぎになった。驚いた事に物静かなパブにいた客達が我先にと立ち上がり、全員がハリーと握手しようと歩み寄ってきたのだ。

 

 更にはハリーの隣で控える様に立っていたアリスを見て、口々に「お人形のように可愛いお嬢ちゃんだ」と絶賛したりと、二人は初めて訪れたパブで注目を浴びてしまった。

 

 中でもアリスが不思議に思ったのは、ハリーが魔法使いの人達からとても愛されていると感じた事だ。これはオックスフォードでの自分の境遇に似ていると思ったが、アリスを困惑させたのは魔法界の有名人らしいハリー自身がまるでその現状を理解してなさそうだという事。

 

 何故自分が知らない人達からこんなにも握手を求められるのか……有名になったその理由さえ分かっていない様子。

 

 そんな何とも言えない表情を浮かべたハリーが次から次へとパブの人々と休む間もなく握手する奇妙な光景をアリスは繁々と眺めていた。

 

 

 

 

 

 それからハリー・ポッターの握手会は実に十分以上に渡って『漏れ鍋』で開催された。

 

 握手会の途中ではハグリッドと同じくホグワーツで働くクィレルという若い男とも出会った。クィレルは『闇の魔術に対する防衛術』という科目の教師らしいのだが、信じられない程に神経質で臆病な人間だった。

 

 とは言え、あれだけ若い年齢でホグワーツの教授職を執れるのだから、ハグリッドが言う様に天才には間違いないのだろう。ただアリスはクィレルの事を好きになれそうにはないと、失礼ながら正直に思ってしまったが。

 

 アリスとハリーがそれぞれ違う事で思考を巡らす間に三人は店内を通り抜け、レンガに囲まれた小さな空間に出ていた。

 

 一見ゴミ箱が置いてあるだけにしか見えない中庭で何をするのだろうと疑問に思うアリスとハリー。対してハグリッドは懐から取り出したピンク色の傘の先でレンガの壁を三度叩いた。

 

 するとその時、不思議な事が起こった。アリスとハリーが目を凝らさない様に注視していると、突然レンガが生きているかの様に震え出したのだ。

 

 二人が吃驚する間にもレンガは速い速度で回転しながら勝手に移動を始め、瞬く間にレンガで出来たアーチ型の入口へと姿を変えた。アーチもこの大きさであれば、大男のハグリッドでさえ充分に通れるだろう。

 

 そのアーチの向こうには石畳の通りが延々と伸び続き、他所では絶対見ない様々な店で賑わいを見せている。

 

「ここがダイアゴン横丁だ。ハリー、アリス。俺達の世界へようこそ」

 

 驚きを隠せないアリスとハリーが我に返ると、ハグリッドはにっこりと微笑んでいた。

 

 

 

 

 

 鍋屋、ふくろう百貨店、箒の店、マントの店、望遠鏡の店──その全てがロンドンやオックスフォードで見掛けない、不思議な店ばかり。

 

 買う目的ではないのに入ってみたいと思える店並びは、アリスもハリーも今までの人生で出会った事がない。不思議な世界に入り込んだ二人がこんなにもキラキラと目を輝かせるのは当たり前と言える。

 

「わぁ……素敵。まるで不思議の国に来たみたい」

 

「うん……ロンドンにこんな場所があったなんて……」

 

 目玉が二つではとても足りないと思う程、アリスもハリーも色々な場所を満足するまでじっくり観察していたかったが、案内役のハグリッドが急かすものだから仕方無く二人は通りを進む。

 

「色々買わにゃならんが、まずは金を取ってこんとな」

 

 買い物は後回し。まずは英国魔法界唯一の銀行である『グリンゴッツ』に行く事に。

 

(どうしよう……あたし、ここのお金なんて持ってない……)

 

 グリンゴッツに向かう途中でアリスは大変な事に気付いた。元々リデル家は魔法界と縁がなく、三姉妹の次女アリスがホグワーツからの手紙を貰った事で初めて魔法界の存在を認知した程である。

 

(パパはこのお金で大丈夫って言ってたけど……ここの人達の話を聞く限り、絶対大丈夫じゃないよね……)

 

 ハグリッドとハリーの後ろを歩きながら、時折聞こえてくるシックルやガリオンという謎の単語。更には高い、安いと言う人々の話し声を聞き逃さなかったアリス。

 

 それらの手掛かりを結び合わせるに、魔法界では通貨そのものが人間界のものと異なるのだろう。となれば当然アリスには魔法界で使えるお金が無い。

 

 ところが先程、オックスフォードからロンドンに向かう車内で父ヘンリーからお金が沢山入った分厚い封筒を貰っていたアリス。

 

『いいかい? これはアリスが通うホグワーツでの一年間の学費だ。ダンブルドアという校長先生の手紙で魔法界での金額の事を色々教えてもらったから、これでお金が足りないという事は無いはずだ』

 

 そう言われてヘンリーから事前に預かった人間界のお金。しかし普段よりお金など持たせて貰えない貴族のお嬢様なアリスには、このお金を銀行で換金するという考えが思い浮かばないらしい。

 

 その間にもアリス達の眼前には、ダイアゴン横丁の中でも一際高く聳える大きくて白い建物が前方に見えてきた。

 

「グリンゴッツだ」

 

 アリスが一人でお金の心配をしていると、不意にハグリッドの声が耳に届く。アリスは一瞬どうするか躊躇したが、ここは勇気を出してハグリッドに相談する事にした。

 

「あの、ハグリッド……あたし、魔法界のお金なんて持ってなくて……」

 

 言い辛そうに呟くアリス。その隣ではハリーが心配そうにアリスを見つめており、二人の前方を歩くハグリッドは何て事はないという顔で口を開いた。

 

「心配すんな。お前さんがマグルの娘だって事はダンブルドア先生から聞いちょる。あんたの親父からマグルの金を預かってなかったか?」

 

 ハグリッドが優しく言うと、アリスは若干震える手でヘンリーから貰った分厚い封筒をハグリッドに渡す。

 

「よしよし。ちゃんと持ってきたな。この金をグリンゴッツで換金するんだ」

 

「換金……じゃあ、そうすれば魔法界のお金に変わるの?」

 

「そう言うこった。な? 心配するだけ損だったろう? ついでにアリスの金庫も新しく作って貰わにゃならんな」

 

 グリンゴッツの白い石段を登りながらハグリッドがニヤリと笑って教えると、アリスは恥ずかしそうに頬を赤らめた。

 

 その隣ではハリーが「良かったね」と言って微笑み、アリスは二人の優しさに感謝するのだった。

 

 

 

 

 

 グリンゴッツでは小鬼と呼ばれる小さな生き物が銀行員として真面目に働いていた。ハリーは事前にハグリッドから聞いて小鬼の存在を知っていた様だが、小鬼を初めて見たアリスは人間以外の種族もいると知れて興奮し、益々魔法界に強い興味を惹かれた。

 

 そうしている内に三人はグリンゴッツの中へ。どうやらハリーの金庫は既にあるらしく、今は他界しているハリーの両親がしっかりと遺していた様だ。

 

 そしてアリスはと言うと、一人で換金の手続きと金庫開設を小鬼に頼む事に。本当はハグリッドに任せても良かったのだが、ハグリッドはホグワーツの仕事で何やら重要な物をグリンゴッツまで取りに来たらしく、これからハリーの金庫と一緒に向かう様だ。

 

 それならアリスは一人でもいいかと考え、二人がロンドンの地下深くにある金庫まで行く間、先に個人的な用事を済ませてしまう事に。

 

 そして数十分後……

 

(二人とも遅い……金庫まで行くのってそんなに時間掛かるのかな……?)

 

 換金は思ったより早く終わり、アリスの新しい金庫も無事に開設された。その頃には二人もホールに戻って来るとばかり思っていたアリスだったが、予想外にも二人の方が時間掛かっている様だ。

 

(えっと……たしか、金貨がガリオンで、銀貨がシックル──そして銅貨がクヌートね)

 

 大量の金貨や銀貨、銅貨を詰め込んだバッグを持ちながらホールの隅で大人しく待機している間、アリスは換金を担当してくれた小鬼に教えてもらった魔法界の通貨や価値を復習して時間を潰す。

 

(十七シックルが一ガリオン、一シックルが二十九クヌート……うん、ちゃんと覚えてる)

 

 アリスだって無駄にオックスフォード大学の名門カレッジに住んでいる訳ではない。学寮長である父親のコネで何人もの優れた教授や芸術家、音楽家達とも知り合えたし、各界を代表する偉大な先生方から直接勉強や芸術を習い教えて貰っているのだ。

 

(……大丈夫アリス。お姉ちゃんやイーディスには絶対負けないんだから)

 

 リデル三姉妹の中で一番の努力型であり、何をやらせても完璧にやり遂げる秀才ロリーナ。勉強はアリスより極端に苦手だが、自分の好きな事になると途端に人間離れした恐ろしい才能を発揮する天才型のイーディス……

 

 そんな二人の“優秀な姉妹”と比べると、やはり劣ってしまうのが器用貧乏な次女アリス。それでも間違いなく優秀だった両親の遺伝子を受け継いでいると言えるし、学校には一度も通った事はないが、父親やロリーナ、更にはドジスン教授を始め様々な勉強の先生達から受けたリデル家流の英才教育が身に付いている。

 

 これらの経験を武器にホグワーツでもしっかりと勉強していけば、ハリーを始めとする魔法使いの子供達にも実力で劣る事はないだろう。

 

(そうよ……また辛い思いをして独りぼっちで泣かされたくなかったら……魔法界でも頑張るの、アリス!)

 

 “あの二人”とは違う……アリスはそれを証明する為にホグワーツで魔法の道を極めると胸に誓う。

 

 

 

 

 

 





『リデル三姉妹の関係性』
ロリーナ(長女)→ハーマイオニータイプ。努力すれば何でも完璧にできる人。ただし魔法の才能皆無。アリスにとってはコンプレックスの要因の一つ。好きか嫌いかで言えば好きだが、できれば同じ空間にいたくないお姉ちゃん。
アリス(次女)→ハリータイプ。器用貧乏な万能型。長女と三女に挟まれてかなり嫌な目に遭っているらしい。中庭でよく泣いています。可愛い。
イーディス(三女)→ネビルタイプ? 勉強は苦手だが自分の好きな事をやり出すといきなり化ける天才型。魔法の才能に満ち溢れ、アリスにとっては一番厄介な敵と言えるかもしれない。

この三人の仲は複雑です。家族で楽しくお茶会しながら互いに腹の中を探りあっているくらいには複雑です(笑)


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ダイアゴン横丁

お待たせしました。最新話です。

ダイアゴン横丁は1話で終わらせてもよかったのですけどね。案の定余裕で10000文字越えてしまったよ……

作者としては省略したいのに、いざ文章を書き出すと思いの外書きたい場面が多くてなかなか難しい。

それにどうもアリスをハリーと一緒に行動させると文章が増える増える……そっかぁ、これが原作介入なのかー。

ホグワーツに行ったらハリーとは少し距離を置いた方がいいかもしれない。ちょっと展開考えときます。


 

 ハリーとハグリッドがホールに戻って来たのはそれから十分程経過した後の事。三人は無事に用事を済ませて合流し、グリンゴッツを出て入学準備の買い物に行く事に。

 

「──じゃあ、魔法のトロッコに乗って地下に行くのね? ……ちょっといいかも」

 

「はは……アリスも来年は乗れるんじゃないかな? 僕はできればもう乗りたくはないけど」

 

「そう? あたしは絶対そっちの方が面白いと思うのに」

 

 アリスはハリーからグリンゴッツで別れた後の話を聞かせてもらった。それによるとグリンゴッツの金庫はロンドンの地下深くに位置し、大理石のホールを抜けて石造りの通路に出たら魔法で動くトロッコに乗り込み、ジェットコースターの様に何度も複雑に曲がりくねった線路をとんでもない猛スピードでノンストップ運行するらしい。

 

 ハリーの体験談を聞くだけでも魔法界が“まともじゃない”というのが既に伝わってきそうだが、アリスは寧ろ逸る気持ちを抑えられそうになかった。

 

 こんなにも行ってみたい、見てみたいと興奮したのはまだ小さかった頃、アリスがルイス・キャロルことドジスン教授に連れられてオックスフォードのセント・オルデイツ通りにある雑貨店──現在では『アリスショップ』という店名に変わり、『不思議の国のアリス』をイメージした様々なアリスグッズを専門に取り扱う店になっている──で好物のお菓子を買いに出掛けた時以来に感じた。

 

「ふ~ん──じゃあ、ハグリッドがさっきからぐったりしているのはそのせいって事ね」

 

 ふと想像してみる。グリンゴッツが誇る地獄のトロッコから降りたハグリッドが膝を震わせながら通路の壁に凭れ掛かり、その横でハリーがハグリッドの回復を待っている姿──

 

 アリスはフフッと吹き出しそうになると、その隣で真っ青な顔色をしたハグリッドが「放っておいてくれ」と言わんばかりに弱々しい唸り声を出した。

 

「なぁ、二人とも。『漏れ鍋』でちぃっとだけ元気薬を引っ掛けてきていいか? グリンゴッツのトロッコには参った」

 

 確かにその方が良さそうだ。アリスとハリーは頷くと、まだ足元が若干ふらついているハグリッドと一旦別れた。

 

「さてと……まず最初に何処に行こうか?」

 

 バッグいっぱいのお金を持ったハリーが通りの真ん中で迷っていると、少し考えてからアリスが一つの店を指差す。

 

「そうねぇ……あそこから行ってみない?」

 

 そう言ってアリスが指差した先には『マダム・マルキンの洋装店──普段着から式服まで』という看板が出ている。

 

「お洋服って作るのとっても時間掛かるってあたしのお姉ちゃんが言ってたわ。他のお店は買うだけだからそんなに時間掛からないでしょうし」

 

 一番にマダム・マルキンの店を選んだ理由を聞いてハリーはなるほどと思い、深く感心した。恐らく自分だけではそんな発想しなかったに違いない。

 

「アリスってしっかり者なんだね。僕なら決められないまま迷っちゃってたろうな……初めてなんだ。これまでこんなに沢山のお金を持った事なんてなかったから」

 

「そう……でも、あたしもハリーとそんなに変わらないわ。どれだけ時間が掛かっても結局お店には全部行くんだし……それに初めてのダイアゴン横丁なんだから、楽しまなきゃ損するだけ──でしょ?」

 

「うん。君の言う通りだ。一つずつ買い物を楽しもう」

 

 今までの人生、女の子とは全く縁がなかったハリー。そんな彼から見ても、アリスは並の女の子より可愛いだけでなく頭も良い様だ。ホグワーツでも彼女の言う事をきちんと聞いていれば、勉強などで間違った事にはならないだろう。

 

 

 

 

 

 アリスもハリーも特別行きたいという店はなかったので、一先ず目の前に建つマダム・マルキンの洋装店に入る。すると藤色ずくめの服を着た、人当たりの良さそうなずんぐりとした魔女が二人に声を掛けてきた。

 

「坊っちゃん、お嬢ちゃん。二人ともホグワーツなの?」

 

「はい。それで制服を──」

 

「全部ここで揃いますよ。さっそく丈を合わせていきましょうか」

 

 二人が口を開くよりも先にマダム・マルキンが遮った。この魔女は余程せっかちな性格なのか、それとも今の時間帯は丁度仕事的に忙しいのか──自分達以外に誰もいない店内を見るに、恐らく前者だろうとアリスは推察した。

 

 その間にもマダム・マルキンは笑顔でアリスとハリーの寸法を計り始めた。最初はマダム・マルキンが魔法で巻尺を浮かせて計っているのかと思ったアリスだが、どうも巻尺そのものが生きている様に動いている。

 

 先程ハリーから聞いたグリンゴッツのトロッコといい、この世界ではごく当たり前の事なのだろう。

 

 それに……よくよく思えば“トランプのカード”や“チェスの駒”、“花壇の花”に“時間”や“時計”、“料理”までもが生きている様に動いたり喋ったりしている奇妙な世界を“アリスの本”で読み、時にはそれらを空想してきたアリスである。

 

 それに比べたら魔法界の道具でも別段驚く事ではないと思い、巻尺に対する興味は自然と薄れていった。

 

 ……などと考えていた丁度その時だ。アリスの後方で店のドアが開く音を耳にした。

 

 どうやら誰か新しい客が来たらしい。アリスが入口の方を一瞥すると、ブロンド髪をした青白い顔の男の子が一人で店の奥に入ってきた。

 

「やあ。君達も今年からホグワーツに入るのかい?」

 

 アリスとハリーが並んで立っている踏台の隣──丁度アリスを真ん中にして男の子二人が彼女を挟む様な立ち位置だ──で踏台にその男の子を立たせたマダム・マルキン。

 

 アリスやハリーと同じ手順でマダム・マルキンに寸法を測られながら、青白い顔の男の子が二人に声を掛けてきた。

 

「僕の父は隣で教科書を買ってるし、母はどこかその先で杖を見てる」

 

 男の子は気だるそうな、気取った話し方をする。

 

「これから、二人を引っ張って競技用の箒を見に行くんだ。一年生が自分の箒を持っちゃいけないなんて、理由がわからないね」

 

 先程から踏台の隣で話を聞いていてアリスはふと思った。この男の子……妹のイーディスと似た気配があるかもしれない。

 

 というのも、イーディスは周囲の都合で自分が縛られる事を何より嫌う自己中心的な性格の持ち主で、リデル姉妹専属の家庭教師やメイド、そして姉であるアリスの言う事さえ全く聞かずにいつも彼女達を困らせたり、酷い時には玩具で遊ぶ様にアリスを泣かせたりしてきた。

 

 アリスはそんな我が儘で気紛れで、姉の自分や鼠を虐めたりする悪戯好きな小悪魔イーディスを内心では快く思っていない。そのくせイーディスは父ヘンリーやロリーナの見ている前では悪事を働かず、大人達の前では素直で利口で優しい“アリスそっくりな妹”を完璧に演じ、“姉のアリスと不思議なほどによく似通った容姿”を武器に、その愛くるしい天使の仕草で猫被っているのだから。

 

(……多分、気のせいよね? でも不思議……どうして急にイーディスの事なんて思い出したんだろ……)

 

 この男の子からイーディスとどこか似た様な気配というか──“底知れぬ何か”を感じ取ったとでもいうのだろうか。それが自分の勘違いである事を密かに祈りつつ、アリスは男の子との話に戻る事に。

 

「君達は自分の箒を持っているのかい?」

 

 その間も男の子は喋り続けていた。どうやら他人と関わるのが好きな性格らしい。アリスとハリーは互いに苦笑いで顔を見合わせ、どうしようもないとばかりに肩を竦めてみせた。

 

「ううん」「持ってないわ」

 

「クィディッチはやるの?」

 

 クィディッチとは一体何だろうと思いながら二人は聞き流す。恐らく箒に関係する何かだろうとは話の流れから推察できたが、如何せんアリスもハリーも分からない事が多過ぎる。

 

「ところで君達はどの寮に入るかもう知ってるの?」

 

「いいえ、知らないわ。だって何も聞かされていないもの」

 

 アリスもハリーも初めて自分が魔法使いだと知ったばかり。だというのに魔法界の常識やホグワーツについての話題で、自分が魔法使いだと最初から知って育った男の子と知った風に会話なんてできる筈もない。

 

 そう思いながらアリスがちらっと隣を見れば、ハリーもそうだという様に頷いている。

 

「じゃあ、そう言うあなたは知ってるの?」

 

 やや不機嫌っぽい口調でアリスが訊いた。男の子の気取った様な、他人を見下しているのがあたかも当然という傲慢な態度にアリスは少しずつ嫌気が差していた。

 

「知らないね。まぁ、ほんとのところは行ってみないと分からないけど。だけど僕はスリザリンに決まってるよ。僕の家族はみんなそうだったんだから……ハッフルパフなんかに入れられてみろよ。僕なら退学するな。そうだろう?」

 

 それでも男の子は独り言の様に気取った口調で喋り続ける。結局のところ、この男の子は踏台に立たされて制服の寸法を計っている間に、偶然一緒にいたアリスやハリーと会話でもして退屈を紛らわしたかっただけの様子。

 

 しかし男の子の話に付き合っていたアリスとハリーも、彼が感じの良い人間にはとても見えなかった。

 

(て言うか、まだ偉そうに喋ってるし……はぁ)

 

 せっかくハリーと二人で気分良く来店したのに、これでは楽しい気分も台無しになってしまいそうだ。

 

 丁度その時、マダム・マルキンが「さぁ、終わりましたよ。坊っちゃん、お嬢ちゃん」と言ってくれたのを幸いに、アリスとハリーはすぐさま踏台から飛び降りた。

 

「もう行くのかい? じゃ、ホグワーツでまた会おう。たぶんね」

 

 最後まで気取った話し方を崩さない男の子。彼にはそれが一番似合っているのだろうとは思うが、できればホグワーツでは一緒になりたくないとアリスは考えてしまうのだった。

 

 

 

 

 

 マダム・マルキンの店を出たところでハグリッドが『漏れ鍋』から戻ってきた。手には三本の大きなアイスクリームを持っており、アリスとハリーの為にわざわざ近くの店まで買いに行ってくれたらしい。

 

 ダイアゴン横丁のアイスクリームはとても美味しく、味も見た目も人間界のものと大差ない様に感じた。おかげでアリスとハリーも少し元気が出たので、これからはハグリッドを加えた三人で買い物再開だ。

 

 羊皮紙と羽根ペンを買い、『フローリシュ・アンド・ブロッツ書店』では教科書も買った。しかしここでちょっと問題が起きてしまった。

 

 意地悪な従兄弟のダドリーにどうしても呪いを掛けてみたいハリーが『呪いの掛け方、解き方』という本に出会って夢中で読み耽ってしまった他、アリスも普段から読書好きである為に負けじと面白そうな魔法の本を幾つも抱え込み、二人分の教科書を買ってくれたハグリッドを大いに困らせたのだ。

 

 ハグリッドはすっかり元気になった二人を引き摺る様にして書店から連れ出すのに長いこと手間取った。その後も鍋屋、秤屋、望遠鏡屋、薬問屋と立て続けに行っては、教材リストに書いてある学用品をそれぞれ買い込んだ。

 

「あとは杖だけだな……おお、そうだ。まだハリーの誕生祝いを買ってやってなかったな」

 

 思い出した様にハグリッドが唐突に言う。何を隠そう、今日七月三十一日はハリー・ポッターの誕生日なのだ。

 

「まあ、あなた誕生日だったの? それならそうと言ってくれたらよかったのに──今日はハリーにとって素敵な1日にしなくちゃ!」

 

 ハリーは見る見るうちに顔が赤くなるのを感じた。今までの人生で人から誕生日を祝われ、こんなにも泣きたくなるほど嬉しく思った事はない。

 

 ある時通っていた学校でも教室で担任の先生や同級生達から、他の七月生まれの子と一緒に纏められて誕生日を祝って貰った事はあるが、あれはほとんどクラス行事みたいなもので、実際は誰一人ハリーを心から祝おうという感じではなかった。

 

 そんな学校の誕生日会に比べたら、アリスとハグリッドの言葉だけでも感動できるというもの。

 

「そんなことしなくていいのに……」

 

「そうはいかないわ。だってハリーの誕生日は1年に1度きり──たったの1回しかないのよ? ここで楽しくお祝いしなきゃ──それに今日を逃したら、あたしとハグリッドで“誕生日じゃない日”をお祝いすることになっちゃうわ。ハリーはそれでもいいの?」

 

 アリスの独特な言い回しが奇妙で面白かったのか、ハリーは聞いていて思わずクスッと笑ってしまった。見ればハグリッドも楽しそうににやけている。

 

「そいつはいい。そんじゃハリーには動物をやろう。ヒキガエルは駄目だ。だいぶ前から流行遅れになっちょる。笑われっちまうからな」

 

 ハグリッドはハリーの誕生日祝いに動物をプレゼントする事に決めたらしい。とても良いアイデアだと思う。たしかホグワーツの手紙には自分の家からペットを持って来てもいいと書いてあったし。

 

「さて、何がいいかな──」

 

「はい! 猫よ猫! あたし猫がいいと思う!」

 

 即座にアリスが元気よく割り込んだ。どうやらアリスはかなりの猫好きらしい。明るく透き通ったブルーの瞳をキラキラと輝かせ、上目遣いでハグリッドに熱っぽく訴えている。

 

「猫か……俺は猫は好かん。くしゃみが出るんでな」

 

 ところがハグリッドは猫と聞いて良い顔をしなかった。アリスはハグリッドが猫アレルギーと知ってがっかりと落ち込んで肩を落とす。

 

「そうだな──よし、ふくろうを買ってやろう。子供はみんなふくろうを欲しがるもんだ。なんちゅったって役に立つ。郵便とかを運んでくれるし」

 

「あら、それなら猫だって役に立つわ。うちの“ダイナ”を見せてあげたいわね。一目見ればハリーだって猫を選ぶはずよ。とっても可愛いんだから」

 

 と、負けじとアリス。一体何を張り合っているのやら……しかしハリーは何だか面白そうになってきたと思い、アリスとハグリッドの話を聞く事に。

 

「あたしの飼い猫のダイナはね? 暖炉の前に座って嬉しそうに喉をごろごろ言わせるの。足の先を舐め回したり、顔を洗ったり──それに抱っこしてあげるとすごく柔らかくてふわふわのもふもふなの! それにダイナは“鼠取りの名人”で、どんなに隠れてるすばしっこい鼠だってちゃんと捕まえてあたしの前に運んでくれるんだから!」

 

 「どう!? すごいでしょ!」と言わんばかりに自分の飼い猫であるダイナを自慢するアリス。こういった幼い女の子らしい一面もあるんだなぁ……と、ハリーはクスクス微笑みながらアリスの楽しそうな顔を見ていた。

 

 ところがハグリッド、まるでアリスは分かってないとでも言いたげに首を横に振って告げる。

 

「何を言っちょる。郵便物が鼠と手紙じゃ話にならん。いいかアリス? あんたのとこのそのダイナって猫も、ホグワーツに持ってくるつもりなら俺には近付けんでくれよ」

 

「えぇ~……でもそれじゃダイナがかわいそう……はぁ、ここにダイナがいてくれたらきっと役に立つとこ見せてあげたのに」

 

 まだどこか納得いかない様子でアリスがぼそっと呟く。アリスは飼い猫ダイナの話ならいつでもどこでも──それこそ話し相手がいれば誰にだって聞かせて回るに違いない。

 

「そんじゃアリスも試しにふくろうを買えばええ。ふくろうの便利さを知っちまえば、猫の事なんぞ忘れちまうだろうよ」

 

 そうまで言い切るハグリッドに連れて行かれ、アリスとハリーは『イーロップのふくろう百貨店』に足を運んだ。

 

 店内は薄暗くて物静かで、宝石の様に輝く目が四方八方でパチクリしている。アリスも先程はペットにするなら猫がいいと熱心に語っていたが……なるほど、こうして生きた本物を見ると確かにふくろうもペットとして悪くない。

 

 森ふくろう、コノハズク、めんふくろう、茶ふくろう、白ふくろう──世界各地に生殖するありとあらゆる種類のふくろうが鳥籠の中に収まっている光景は神秘的な雰囲気がある。

 

「ねぇハリー、この白いふくろうなんてどう? うちのダイナもそうだけど、白い毛並みの動物って本当に綺麗でいいと思うんだけど。それに──」

 

 ……前言撤回。結局アリスのペット選びは白猫のダイナが基準になっているらしい。それでもハリーはアリスの言う通り、この物静かな白ふくろうに強い興味を惹かれた。

 

「──あら? ねぇハリー、これ見てちょうだい」

 

 と、二人で肩を寄せ合って白ふくろうの鳥籠を眺めている時だった。ふとアリスが気になるものを発見した。白ふくろうが静かに寝ている鳥籠に羊皮紙が貼り付けられており、『この白ふくろうはメスです。隣の鳥籠にいるオスの黒ふくろうとは大変仲が良く、まるで兄妹の様に大事に育てられました』と書かれた説明文で紹介されていた。

 

「この白ふくろう、メスなんですって。それにこっちの黒いふくろう──」

 

 言いつつ、アリスは隣の鳥籠でジーッと二人を静かに見つめる真っ黒い羽根のふくろうに視線を向ける。アリスから見てもちょっとクールっぽくてかっこいい。しかもこの黒ふくろうは大変稀少価値が高いらしく、滅多に流通していない種類との事。

 

「──こっちはオスなんだけど、隣の白ふくろうとはとっても仲が良いんですって」

 

「へぇ、それじゃあ兄妹みたいな感じなのかな? ──うん、そんな感じに育ったみたいだね」

 

「ねぇハリー、この子たちを選んであげましょうよ、ねっ? お願いハリー、このままだとこの子たち、いつかきっと離ればなれにされちゃう……あたし、そんなかわいそうなのやだよぅ……」

 

 黒と白の兄妹ふくろうに対する動物好きなアリスの熱意は充分に伝わってきた。ハリーは優しく微笑んで頷くと、今にも泣き出しそうになっているアリスを安心させてあげる為にも、急いで別のふくろうを見ているハグリッドと店員を呼びに行った。

 

 

 

 

 




『二人目のアリス』

イーディス……それはアリスと並ぶ本作もう一人の主人公。いうなれば影の主役。アリスのライバルポジ。

やだこの娘かっこかわいい。ただし出番はまだない。そして露骨な悪堕ちルートが(ry

もしかして→ロリーナ姉さん黒幕説?


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杖選び

 

 それから程なくして三人は『イーロップのふくろう百貨店』を後にする。もちろん、店から出てきたアリスとハリーはそれぞれ大きな鳥籠を下げている。

 

 二人で少し話し合った結果、アリスはオスの黒ふくろうの、ハリーはメスの白ふくろうをそれぞれ選んでペットとして飼う事に決めた。

 

 ちなみに二羽とも名前はまだ付けておらず、一旦自分達の家に帰ってから命名し、ふくろうの名前が決まり次第ふくろう便を使って互いに教え合うというアリスの提案で一致した。

 

 その後、アリスとハリーは二羽のふくろうと出会う切っ掛けを与えてくれたハグリッドに何度も頭を下げながらお礼を言い続けた。その頃にはダイナの話で微妙な気分になっていたハグリッドもすっかり機嫌良くなっていた。

 

 そして三人はいよいよ最後の店──『オリバンダーの店』へと訪れた。すべての魔法使いの必需品である魔法の杖……その中でも世界最高級と言われるのが、紀元前382年創業の高級杖メーカー──またの名を“杖のオリバンダー”である。

 

 店の中に入るとチリンチリンとベルがどこか奥の方で鳴った。狭くて見窄らしい店内入口の埃っぽいショーウィンドウには、色褪せた紫色のクッションに杖が一本だけ置かれ、店の奥では山のように膨大な数の細長い箱が天井近くまで整然と積み上げられている。

 

「いらっしゃいませ」

 

 アリスとハリーが物珍しげに小さな店内を静かに見渡していると、まるで瞬間移動してきた様に何の前触れもなく老人が目の前に現れた。

 

 この老人が魔法界でも有名なオリバンダーなのだろう。しかし突然の事にアリスもハリーも吃驚して跳び上がってしまったが、慌てて姿勢を正してから二人一緒にオリバンダーへと挨拶する。

 

「「こんにちは」」

 

「おお、そうじゃ。そうじゃとも、そうじゃとも。まもなくお目に掛かれると思ってましたよ、ハリー・ポッターさん」

 

 どうやらオリバンダーもハリーの事を知っているらしい。逆にロンドンでハリーより目立っていたアリスは、ここダイアゴン横丁では全くその名前を知られていない様子。

 

 最初は魔法使いだと聞いていたハリーが『不思議の国のアリス』を知っていたので、魔法界でもアリス・リデルの名は広く知れ渡っているのだろうと考えていたアリス。

 

 しかし魔法界に入り込んでみると、意外にもアリスは有名でない事にすぐ気付いた。その事に何だか不思議だなぁ……と思いはするが、元々アリスは目立つのがそんなに好きではない。

 

 いきなり魔法界の有名人にされてしまったハリーには悪い気もするが、このままもう少し“無名のフリ”をしていようとアリスは企んだ。

 

「お母さんと同じ目をしていなさる。あの子がここに来て、最初の杖を買っていったのがほんの昨日の事のようじゃ」

 

 オリバンダーの昔話を聞いていてアリスはふと思った。そう言えばこの老人……一体何歳なのだろうかと。まさか紀元前382年頃から現代まで生きている様な正真正銘の化け物という訳ではあるまいし……しかしその風貌から間違いなくオリバンダーは百歳を裕に越えているに違いないとアリスは推察した。

 

 その間にもハリーの両親がこの店でどんな杖を選んだかという話も終わる。

 

「それで、これが例の……悲しい事に、この傷を付けたのも、わしの店で売った杖じゃ」

 

 考え事に没頭していたアリスが気付くと、オリバンダーはハリーの目と鼻の先まで近寄ってその前髪を払い、白く細長い指でハリーの額に刻まれた稲妻型の傷跡に触れた。

 

「三十四センチもあってな。イチイの木で出来た強力な杖じゃ。とても強いが、間違った者の手に……そう、もしあの杖が世の中に出て、何をするのかわしが知っておればのう……」

 

 そこでアリスは初めてハリーの額に稲妻型の傷跡があるのを確認した。今まではハリーの前髪に隠れていて見えなかったが、こうして間近で見ると確かに不思議な傷をしている。

 

 あれは一体何の傷跡だろうと考えていると、不意にオリバンダーがアリスの前まで歩み寄って話し掛けてきた。

 

「それでそちらの……おや、あなたはたしか……見たところマグルの娘のようじゃが……ふーむ、ポッターさんと同じように素晴らしい魔法力に満ち溢れておる」

 

 どうもオリバンダーは一目見ただけでその人の事がよく分かる才能の持ち主らしい。マグルというのが魔法使いではない普通の人間を呼称する言葉だとはアリスも薄々理解していたが、まさか自分の中に眠る魔法力まで把握されるとは思ってもいなかったので驚いてしまう。

 

「あ、あの……あたし、アリス・プレザンス・リデルって言います」

 

「……似ておる。あれは何年前じゃったか……この店で杖を買っていった幻想のように美しいお嬢さんと似ておるのう……」

 

 アリスがぎこちなく名乗ると、オリバンダーは昔を懐かしむ様に目を細めた。

 

「リデルさん、“リーヴズ”という名に心当たりは?」

 

「リーヴズ……ごめんなさい。わからなくて……」

 

 誰かの名前だろうか……初めて聞いたアリスには何の事だか分からなかった。

 

「ふーむ……気の迷いじゃったか。さて、それではポッターさん、リデルさん。拝見しましょうか。どちらが杖腕ですかな?」

 

 いよいよ杖選びが始まった。オリバンダーは最初に杖腕とも言うらしい利き腕を二人から聞くと、銀色の目盛りが入った長い巻尺でアリスとハリーの肩から指先、手首から肘、肩から床、膝から脇の下、頭の周りと寸法を採り始める。

 

「さて、お二方。オリバンダーの杖は一本一本、強力な魔力を持った物を芯に使っております。一角獣の鬣、不死鳥の尾の羽根、ドラゴンの心臓の琴線──芯となる魔法生物の素材もみなそれぞれに違うのじゃから、オリバンダーの杖には一つとして同じ杖はない。もちろん、あなた達が他の魔法使いの杖を使っても、決して自分の杖ほどの力は出せない訳じゃ」

 

 それを聞いてアリスはなるほどと思った。だが同時に気になる事もあったので、オリバンダーに訊いてみる事に。

 

「あの……オリバンダーさん。あたし達ここで杖を選ぶって聞いたんですけど……」

 

「もちろん、選びますとも。しかしあなた達は魔法使いが杖を選ぶと思っているようじゃな?」

 

「えっ、違うんですか?」

 

「ふむ……実を言うとな、杖の方が持ち主の魔法使いを選ぶのじゃよ」

 

 そう聞いた時、アリスはようやく納得できる気がした。

 

 要するに杖選びとは、イギリスの有名なアーサー王伝説に出てくる聖剣エクスカリバーの選定の儀式に近いのだ。あれもアーサー王以外に抜く者がいなかったが、杖も聖剣と似たようなもので、その杖が持ち主に相応しいと認めた者でなければ、自分の物にする事ができないのだろう。

 

 魔法使いの杖について興味深く思考している間にも寸法は測り終え、勝手に動く巻尺はクシャクシャと丸まって床の上に落ちた。

 

「では、レディーファーストでリデルさんから。これをお試しください」

 

 いつの間にか棚の間を飛び回っては細長い箱を取り出していたオリバンダーが手始めに一つの箱を持ってきた。

 

「手に取って、振ってごらんなさい」

 

 この後に控えるハリーも緊張した様子でアリスの杖選びを見学する。アリスは最初の杖を取り、ドキドキしながら振って見せるが何も起こらない。

 

 オリバンダーは違うと言ってアリスから杖を取り上げると、別の杖を持ってきた。

 

 それからは大変だった。渡されるがままにアリスは色々な杖を試してみるのだが、オリバンダーはそのどれもが違うと駄目出ししては杖を取り上げていく。

 

 一体オリバンダーはこの一連の行動に何を期待しているというのか……試し振りをするアリスも、傍で眺めるハリーにも全く意味が分からない。

 

「難しい客じゃの。え? 心配なさるな。必ずピッタリ合うのをお探ししますでな」

 

 そうして試し終わった杖と空き箱の山が古い椅子の上に高々と積み上げられていく……それなのに棚から新しい杖を次々と下ろしては、何故だかとっても嬉しそうな顔をするオリバンダー。

 

 もしかして、このまま永遠に杖が決まらないで閉店の時間になるんじゃ──アリスがいよいよ不安に思い始めたその時、ついにその瞬間はやってきた。

 

「おお、そうじゃ。滅多にない組み合わせじゃが……柳とグリフィンの毛、二十九センチ、強くてしなやか」

 

 閃いた様にオリバンダーが棚から一つの杖を持って来てアリスに手渡す。ここまではそれまでと何も変わらない。

 

 ……が、ここにいる全員が店内の空気が微妙に変わっていくのを感じ取った。アリスも自分の手にした杖がそれまでのものと根本的に違う事を不思議と理解した。

 

 アリスが勢いよく杖を振り下ろすと杖先から青白い閃光が放出し、綺麗な光の雨となって店内に降り注ぐ。

 

 そのあまりにも幻想的な光景にハリーは感動して拍手し、オリバンダーとハグリッドも口々にアリスを賞賛した。

 

「すごい……見てハリー! あたし、本当の魔法使いになったみたい!」

 

 杖に選ばれて余程嬉しいのだろう。うさぎの様にピョンピョン跳ねて喜ぶ無邪気なアリスは見ていて微笑ましい。そんな中、アリスの杖を茶色の紙で包みながらオリバンダーは語り出した。

 

「この杖に使われているのは柳の木という珍しいものでしてな。癒しや守りの力を宿し、高度な無言呪文を掛ける事に優れておる。その為か、わしの店にも柳の杖を試したいと来られる客が多くてのう……」

 

 柳の杖──アリスにはまだ“無言呪文”が何かは分からないものの、癒しや守りの力があると聞いて嬉しく感じた。それにどうやら人気商品でもある様だ。

 

「じゃが、わしが気付いたところによると……柳の杖はどれだけ隠そうとしても、どこか不安定な部分がある者を好んで持ち主に選ぶようじゃ」

 

 どれだけ隠そうとしても、どこか不安定な部分がある者──オリバンダーに指摘され、浮かれた気分でいたアリスは正しく自分の事を言われている様で思わずドキッとしてしまう。

 

「リデルさん。わしが作る柳の杖は、もはや学ぶ事はあまりないと感じている者よりも、寧ろ大いなる可能性を秘めている者をいつも選ぶ。実はオリバンダー家に伝わる古い格言がありましてな……“最も遠い道を歩む者は、柳と共に最も速く進む”……そういうことじゃ。リデルさん、あなたはきっと大変なことをなさるに違いない……じゃが、それが“どのようなこと”であっても、あなたならその杖と共に立ち向かい、困難を乗り越えていく……わしはそのように感じましたぞ」

 

 オリバンダーの意味深な話を聞いて、アリスはどこかオリバンダーが好きになれないと感じた。オリバンダーの言葉がまるで、アリスがこれからホグワーツで酷い目に遭っていくみたいな言い方の様に聞こえたから……

 

 

 

 

 

 その後、今度はハリーが杖選びをする番になった。ハリーもアリスと同様に何本も杖を試しては次々と取り上げられ、あっという間にアリス並みの空き箱の山を積み上げていく。

 

 やはり嬉しそうにしているオリバンダーが言うには、普段これだけ杖選びで時間が掛かる新入生はそういないらしい。つまりアリスもハリーも共に優れた魔法の才能が眠っているという事だ。

 

 そうしているうちにハリーの杖も決まった。だが、オリバンダーの反応はアリスの時とは違って、何やらブツブツと意味深に呟き始めた。

 

「不思議な事もあるものよ……まったくもって不思議な……」

 

「あの……何がそんなに不思議なんですか?」

 

 ハリーもさすがに気になって訊ねると、オリバンダーは悲しげな眼差しでハリーを見つめた。

 

「ポッターさん。わしは自分の売った杖はすべて覚えておる。全部じゃ。あなたの杖に入っている不死鳥の羽根はな、同じ不死鳥が尾羽根をもう一枚だけ提供した……たった一枚だけじゃが。あなたがこの杖を持つ運命にあったとは、不思議な事じゃ。兄弟羽が……なんと、兄弟羽がその傷を負わせたというのに……」

 

 ハリーは息を呑んで身震いした。その一方でアリスはハリーの事情をまだ聞いていない為、何の事だか理解できずに首を傾げるも、オリバンダーの話で幾つか解った事がある。

 

 まず一つ、ハリーの額に刻まれた不思議な稲妻型の傷跡──それはその昔、“ある魔法使い”の魔法によって意図的に、あるいは偶然付けられたものだという事。そして次に、その魔法使いが所有する杖と同じ不死鳥の素材から作られた杖をこの日、ハリーが手にしたという事。

 

 これは偶然なのか、それとも必然か……何れにせよ、魔法界の神様はなんと悲劇的な運命の悪戯をハリーに仕掛けたものか。

 

(……きっとあの不思議な傷のせいでハリーは魔法界で有名にされたんだわ)

 

 オリバンダーの衝撃的な告白で店内の空気が重苦しくなる一方、アリスはハリーの額の傷を見つめながら心に思う。

 

(ハグリッドも、『漏れ鍋』のみんなも、クィレル先生も、オリバンダーさんも……みんながハリーを特別だって思ってる。それなのにハリーは自分がどうして有名になったかさえも忘れて……)

 

 そこでふと、自分の境遇を思い浮かべてしまうアリス。それだけの事なのに、根暗なアリスは自分がだんだん落ち込んでいくのを理解した。

 

(あたしとハリーはちっとも同じなんかじゃなかった……今日はハリーに悪いことしちゃったな……)

 

 自然と下がっていく小さな肩。今日一日知らない人達に囲まれ、逆に有名らしいハリーを隠れ蓑にしようと考えていた卑怯な自分が恥ずかしい。

 

 ……だからだろうか。先程からオリバンダーが続けて何か重要な事を言っている様に聞こえたが、自分の殻に入り込んだネガティブ状態のアリスはそのほとんどを聞き逃してしまった。

 

 

 

 

 

 時刻も夕暮れとなり、アリス達はすべての買い物を終えてダイアゴン横丁を出た。

 

 ダーズリー家があるリトル・ウインジングのプリベット通りまで電車に乗って帰るハリーと違い、アリスはロンドンからオックスフォードまで父親の車で帰る事になっているので、残念ながらここで二人とはお別れである。

 

「ハリー、言い忘れてたわ。誕生日のプレゼントなんだけど……」

 

 その別れ際、ロンドンの駅前通りで思い出した様にアリスが立ち止まって言い出す。

 

「あたし、いきなりの事でまったく用意してなかったから……ごめんなさい。一旦家に帰ってから必ず用意するから、もうちょっとだけ待っててくれる?」

 

「えっ? そんな……僕はもう充分最高の誕生日を過ごしたよ。初めて自分が魔法使いだってわかったし、アリスにも会えたし、ハグリッドと一緒に三人であちこちお店を回って──だからそんなプレゼントなんて──」

 

 ハリーは謙虚に言い掛けるも、わざとらしく上目遣いを見せるアリスに遮られてしまう。

 

「──あたしのプレゼント、受け取ってくれないの?」

 

「うっ……わ、わかったよ」

 

 たじろぐハリー。幼心に女の子の、それも最高クラスの美少女の上目遣いは狡いと、ハリーは照れて顔を赤く染めながら思った。

 

「よかったなぁ、ハリー。誕生日でこんなにも可愛いガールフレンドが出来て。え?」

 

 ニヤリとしてハグリッドが照れているハリーを小突くと、ハリーは益々顔を赤くして恥ずかしそうに言い返す。

 

「ち、違うよハグリッド! アリスと僕はそんなんじゃ……」

 

 駅前通りにハグリッドの愉快な笑い声が大きく響いた。しかしそんな楽しい時間も長くは続かないもの……ハリーがダーズリー家に帰る為に乗らなくてはならない電車の発車時間がついに迫る。

 

「ホグワーツ行きの切符だ」

 

 駅の入口で向かい合うハグリッドがアリスとハリーに同様の封筒を手渡す。

 

「九月一日──キングズ・クロス駅発──全部切符に書いてある。そんでアリス、お前の親父さんから預かった入学手続きの手紙はちゃんと帰ってダンブルドア先生に渡しとくから、何も心配せんでええぞ」

 

 ハグリッドに言われ、アリスはうんと頷いた。いよいよ別れの時間だ……

 

「ふくろう便で手紙と一緒にプレゼント贈るから、ハリーもちゃんと手紙出してね? 約束よ?」

 

 アリスがハリーと別れの抱擁を交わしながら耳元で囁く。今日一番アリスと急接近したハリーはこんなにも甘くて優しい、フローラルな香りのする女の子をこれまでに見た事がなく、ドキドキしてしまった。

 

「う、うん……必ず書くよ。ふくろう達も一緒に会わせたいし」

 

 緊張してなのか、無意識に両足に力が入ってしまう中、ハリーは最後までアリスとの別れを惜しんだ。

 

 きっとホグワーツでまた会える──胸に秘めた想いを信じて。

 

 

 

 

 

 




『本編では語られなかったアリスの杖に関する裏話』

アリス・リデル→5月4日が誕生日(忠実通り)。
柳の木(ヤナギ)の樹言葉:「神秘・変化」
グリフィン:「知識・王家・傲慢」の象徴。

ヤナギの木は守りの力があり、特に自然災害から守ってくれる。ヤナギに惹かれた人は強くしなやかで、予期せぬ事からすぐに立ち直ることが出来る。その為、「ヤナギの人」は自信を持って新しい課題に立ち向かうこと。困難に直面するたびに強くなっていく。

今になって考えると、アリスは実に主人公らしい杖に選ばれました。最初は別にそこまで意識してなかったけど。

ちなみにアリスとグリフィンの関係性ですが……実は忠実でもアリスとグリフィンは親しいものとされてました。

そもそもアリスが暮らすオックスフォードのカレッジの紋章がグリフィンですし。

またグリフィンは『不思議の国のアリス』でもしっかり登場し、アリスをウミガメのところまで連れていく他、アリスを背中に乗せてハートの城の裁判(物語最後の山場ですね)へと連れていきます。

ハリポタでもグリフィンという生き物は重要ですから、アリスの杖にはグリフィンが一番似合うだろうと……はい。

まぁ、アリスとグリフィンの関係は杖だけのものじゃないかもしれないけどね……(ぼそっ)

では、今回はこのへんで。


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アリスとイーディス

今回はホグワーツ出発前、アリスとイーディスの絡みになります。

なお、リデル三姉妹にはまだ様々な確執が隠されていたりしますが、それはまた別の機会で。


 

 オックスフォードのクライスト・チャーチ・カレッジに戻って過ごした出発までの一ヶ月間は、アリスにとって楽しいと言えるものではなかった。

 

 アリスはダイアゴン横丁から自宅に帰って来て早々に、置いてきぼりを喰らって泣き喚く不機嫌モード全開のイーディスとばったり対面。そのまま二人は大喧嘩してしまったのだ。

 

 最終的には二人の姉ロリーナが仲介に入って仲直りの握手という形に落ち着いたが、アリスもイーディスも内心では未だに納得などしていなかった。

 

 それから数日……アリスはイーディスと全く口を聞かない様に振る舞い、イーディスもまた同じ様に姉のアリスに対して徹底無視を極め込んだ。

 

 過去アリスとイーディスの姉妹関係がここまで急激に冷え込んだのはこれが初めての事で、ロリーナと父ヘンリーも酷く頭を抱えていた。

 

 元よりイーディスを快く思っていなかったアリスがこの度、本物の魔女としてホグワーツに行く事が決まったのを切っ掛けに、イーディスの方が長年誰にも言わずに隠し続けていた“人気者で優等生で美少女な姉”アリスへの嫉妬心を全開にした格好だ。

 

 

 

 

 

『いっつもそうじゃない! いつも! いつもッ! “おまえ”ばっかり“楽で良い思い”をしてさ! 悔しいぃ……許さない……認めなぁいッ!』

 

 それは初めてイーディスが他人に見せた感情だった。まだ幼い女の子だというのに、二人が一緒に寝泊まりする部屋の照明が震える様に突然停電した。

 

『きゃあっ!? お、お願い、イーディス……も、もうやめよ……? 真っ暗になって危ないし……ねっ?』

 

『はぁ……はぁ……黙ってよ……はぁ……はぁ……あたしが……あたしが……に……』

 

 ……昔からそうだった。イーディスが感情的になると、必ず周囲で何か不思議な事が起こる。それも大概悪い意味で。

 

『負けない……あたしが……なるの……あたしが……“アリス”になるの……もう一人の、アリスに……ッ!』

 

 今になって思えば、その数々の経験こそがイーディスの魔法力への目覚めに繋がったのかもしれない。

 

 しかも今のイーディスはアリスと同様に、自分も魔法が使えると確信している様だった。まだ上手に魔法を制御こそ出来ていないものの、アリスと違って生まれながらの天才でもあるイーディス。

 

 その愛くるしい小さな身に溢れる稲妻の様な膨大な魔力を弄び、一度悪さを企むともう誰の手にも負えない……アリスはこの妹の将来性に身震いしてしまうほど、イーディスに恐怖と不安を抱いていた。

 

『もう嫌よ……これ以上は付き合ってられない。イーディス、お互いに少し頭を冷やしましょ? あたしもしばらく別の部屋に行くから、あなたも好きにしてちょうだい』

 

 ……この妹は危険過ぎる。色々な意味で。アリスが下した判断は、そんなイーディスを拒絶する事だった。

 

『じゃあ……えっと……おやすみ、イーディス』

 

 ……それ以上は何も聞かなかった。イーディスへの苛立ちが募っていたアリスは、泣き崩れる妹の返事も待たずにダイアゴン横丁で買った荷物を纏め、その日のうちに姉妹二人の部屋を飛び出した。

 

『ぐずっ……ずるいよぉ……お姉ちゃん……あたし、は……』

 

 アリスが出ていった後、イーディスが声を殺して泣きながらぽつりと呟く。しかしその悲しい言葉の裏側に隠された真実の意味を相手に伝えるには──残念ながら今のアリスとイーディスでは若過ぎた。

 

 

 

 

 

 こういう時、月日が経つのは早いもので、あれから既に一ヶ月が経過していた。

 

 来たる九月一日──明日はいよいよホグワーツの新学期が始まる記念すべき日だ。

 

「はぁ……これ以上あの妹を見ていると憂鬱になりそう……早くホグワーツに行きたい」

 

 一人になったベッドの上で、真っ白いネグリジェ姿のアリスが枕を抱く様にして寂しそうに溜息を吐く。

 

 ベッドの近くに置かれた大きな鳥籠からは、落ち着いた声量で鳴くふくろうの物静かな声が聞こえてくる。

 

「ああ、ヴィリケンズ……ごめんね、今あなたを鳥籠から出してあげられないの」

 

 アリスの新しいペットとなった黒ふくろうは熟慮の末に“ヴィリケンズ”と命名された。これはアリスが命名に悩んでいた時に、前方を横切るダイナをふと見て直感的に閃いた名前だ。

 

 そんなヴィリケンズはクールで大人しい寡黙な性格で、飼い主たるアリスの言う事には高い忠誠心を見せた。

 

 最近ではハリーが暮らすダーズリー家がある、リトル・ウインジングのプリベット通りまで手紙を持って飛んでくれる。

 

 あれから頻繁にハリーと手紙のやり取りを交わした訳ではないが……アリスが受け取った手紙の内容によると、ハリーのペットとなった白ふくろうは“ヘドウィグ”という名前に決まった。これは『魔法史』の教科書に載っていた名前からとったらしい。

 

 もちろん読書好きのアリスもホグワーツ指定の魔法の教科書にはしっかり目を通している。どれも面白くておかしかったが、ちゃんと教科書になっていたのはアリスも素直に評価した。

 

 そして新入生が最初に覚える簡単な魔法を幾つか試してみようとも考えたが、それでまた嫉妬深いイーディスを不機嫌にさせるのは不味いと断念した。

 

 あれからイーディスとは互いに口を聞いていない。イーディスの方は時折仲直りしたそうにアリスに声を掛けようとしてくる素振りを見せるのだが、あの悪知恵が働く妹の性格を嫌というほど知っているアリスはわざとらしくイーディスから逃げ続けた。

 

 ただ、内心ではちょっと妹が可哀想だから仲直りしても……と、思わない事はない。

 

 血の繋がった他人の様な冷え込んだ関係だが、それでも同じ母親から生まれてきた姉妹である。しかし自分から仲直りを持ち掛けるのだけは絶対にお断りだった。

 

 あの悪どい妹の事だ。こちらが下に見て優しく接したら、また以前の調子で虐めてくるに違いない。

 

 もしかしたら、それが妹なりの姉とのスキンシップなのかもしれない。だからと言ってアリスにはイーディスを簡単に許せない複雑な背景が幾つもある。

 

 

 

 

 

 ある時の事──今より少し若いアリスが特別可愛がっていた鼠の子供がいた。いつも鼠には目が無い白猫のダイナにも「食べないで」と言っておくほど、アリスはその鼠を大変気に入り、家族に内緒でこっそり観察保護していた。

 

 そんなある日、餌を持って来たアリスがベッドの下に隠していた鼠用のスペースから発見したのは──踏み潰された死骸だった。

 

 その場に居合わせたメイドが言うには、ベッドを掃除していた時に隠れていた鼠の存在に驚き、悲鳴を上げたそうな。すると丁度ベッドの上で退屈していたイーディスが“待ってました”とばかりにその鼠を発見──嬉々として踏み潰したそうだ。

 

 その日アリスは酷く泣き崩れ、ロリーナやヘンリーに事情を話したのだが……二人とも鼠が嫌いだった事からイーディスの肩を持った。

 

『お利口さん♪ ちゃんと“あたしの”言う事聞いてダイナは偉いねぇ。もう一人の“偽アリス”も、あんな間抜けな鼠のどこがいいんだか……くすくす♪』

 

 ──後日、甘えるダイナを優しく撫でながらイーディスが笑顔でそう言っていた。当時のアリスがもう少し賢ければ、すべてイーディスが仕組んだ事だったと気付けたかもしれない。

 

 ──また別の日。家庭教師との勉強中にアリスが余裕を持ってトイレに行った隙を突いたイーディスは、家庭教師が見てないところでアリスの“模範的な”ノートをカンニングするという悪事に。

 

 驚くほど器用な事にイーディスはアリスのノートにびっしりと細かく書かれた模範解答を少しずつ弄り、一見正しい様に見えて結果的にそのすべてが微妙に間違った解答になるよう差し替えた。

 

 そうしてトイレから戻って来たアリスが家庭教師に自分のノートを得意気に提出──その時は何故かアリスが家庭教師から酷く叱られ、逆にイーディスは頑張ったねと褒められていた。

 

 当時の純真無垢で真面目なアリスにはまるで意味が分からなかった。しかし今になって思えば、アリスも小悪魔イーディスのおかげでだいぶ精神が鍛えられたと思う。

 

「はぁ……そりゃあ、有名になったあたしもちょっとは悪いかもしれないわ……」

 

 消灯時間も過ぎ、薄暗いベッドの上でまたしてもアリスが溜息交じりに独り言を呟く。

 

 イーディス側の立場から見ると、それだけアリスという存在が憎くて欲しくて妬ましいのだろう。

 

 頭も良く、運動神経も抜群で容姿端麗──おまけに存在すら知らない様な世界中の人々から無条件に受け入れられ、好まれ、愛される『不思議の国のアリス』の主人公にも選ばれた。

 

 その上で自分が魔法使いである事を知り、まさにアリスは人生最高の状態に立っていると言える──尤も性格が根暗なアリス本人はそう思っていないが。

 

「でも、だからってイーディスの悪事を許すなんて……そんなのあたし嫌よ」

 

 お互いに譲れない想いがある。姉妹が分かり合うにはもうしばらく時間が掛かるだろう。

 

 

 

 

 

 それから結局、アリスは出発前にイーディスと和解する事なくホグワーツに行く事となった。ホグワーツで必要な物はすべて揃え、荷造りは既に終らせた。

 

 ペットとして持ち込むヴィリケンズもアリスの言う事を聞いて大人しく鳥籠に入っている。ちなみに白猫のダイナは今回ホグワーツに連れて行かない事にした。

 

 というのもダイナは最近、アリスよりイーディスに対してなつく様になっていた。もしかしたら飼い主であるアリスも知らないところで、似た者同士気が合うのかもしれない。

 

「えっと……他に何か大事なもの……あっ!」

 

 忘れ物はないかと思考していると、アリスが徐に部屋の本棚から一冊の本を引っ張り出す。それはアリスが一番大事にしている宝物──ルイス・キャロルがアリスの為に毎日徹夜で手書き、完成させた本だった。

 

 『地下の国のアリス』──綺麗な表紙には英語でそう描かれており、現在世界的に広まっている『不思議の国のアリス』よりも僅かにページ数が薄い。

 

 それもそのはず……『地下の国のアリス』はリデル家でピクニックに行った際、訪れたゴッドストウの村で聞いた不思議な物語を誰よりも気に入ったアリスが、ルイス・キャロルに書き留めておく様に頼み、後日アリスへと直接プレゼントされた思い出深い本なのだから。

 

 言うなれば『不思議の国のアリス』の原型となった本であり、この世界にただ一冊しか存在しない大変貴重な物だ。

 

「あたしの為に書かれた、あたしが主人公の物語……」

 

 アリスは思い詰めた表情で本の表紙を撫でると、それをホグワーツ行きの荷物の中にこっそり追加した。

 

(やらなくちゃ……今度はあたしがホグワーツで見て聞いて楽しんだことを物語にするんだ……そして世界中の小さな子供達にもっと知ってもらいたい……魔法みたいに素敵で不思議な事が、世の中にはこんなにもいっぱい溢れているんだってことを……!)

 

 頑張り屋でしっかり者だけど、性格は根暗で卑怯で毒舌家──そんな幼いアリスには密かな夢がある。退屈な現実に子供らしい夢と希望を破り捨てられ、絶望に泣き疲れたアリスが姉のロリーナと交わした約束──

 

(──ドジスンさん、見ていてください。いつか、あたしもあなたの様に頑張って素敵な本を書きます。あたしにはパパやお姉ちゃんみたいに文才なんてないけど……でも、頑張ってあたしの想いをみんなに届けます)

 

 今から数年前、ルイス・キャロルがリデル三姉妹に聞かせた様な素晴らしい物語を本にして書き留める。そして子供のアリスが成長して大人になったら、ロンドンの小さな出版社でひっそりと地味に働いているのかもしれない。

 

 そこから自分の書いた物語を世界中の魔法使いやマグルの子供達に読み聞かせてあげたい。いつの日か、人間界と魔法界が一冊の本で繋がる事を信じて──

 

 それこそが空想好きな魔女、アリス・プレザンス・リデルが見つけた将来への道標になるのだから──

 

 

 

 

 

 




『アリス自慢の可愛いペット紹介』

ダイナ→白猫。メス。気まぐれで悪戯好きな猫らしい性格。もちろん血統書付き。正式にはリデル家のペットとなっているが、事実上の飼い主とも言えるアリスよりも、一番の遊び相手であるイーディスにとてもなついている。今回、ホグワーツに入学する際にアリスが家に置いていった。アリス曰く「鼠取りの名人」らしいが……?

ヴィリケンズ→黒ふくろう。オス。滅多に流通しておらず、ふくろうの中では極めて稀少価値が高い。飼い主たるアリスの言う事しか聞かない。ハリーが飼っているヘドウィグとは兄妹の様に育った関係で仲も良好。

動物好きなアリスは『不思議の国』と『鏡の国』において、ダイナの他にヴィリケンズ、キティ、スノードロップという名前の猫をたくさん飼っています。

これが本作に登場する“黒ふくろうのヴィリケンズ”の元ネタです。

ちなみにハリポタ世界のアリスはダイナしか猫を飼っていないという設定です(キティやスノードロップについてはまたいずれ……)。


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ホグワーツ特急(前編)

お待たせしました。最新話です。

夏バテ気味でちょっと執筆速度が下がってました。更新遅れてすみません。

今回の話はホグワーツ特急の前編となります。

何はともあれホグワーツ特急まで進んだので、ここからは出来上がったプロットに合わせて展開速度を上げていけたらと思います。


 

 キングズ・クロス駅に到着したのは午前十時を過ぎた辺りだった。

 

 ダイアゴン横丁の時と同じ様に、ヘンリーの車でキングズ・クロス駅まで送ってもらったアリス。学寮長の仕事が忙しい様子の父親と、未だに不貞腐れた態度の妹と別れの抱擁と挨拶を済ませ、アリスは駅のホームに独りで来ていた。

 

 大勢の人がごった返す中、大きくて重いトランクを乗せたカートを両手で押して進みながら、アリスは9番線と10番線のホームに近付く。

 

(ふふっ……まさかこんなところに“あのアリス”がいるなんて誰も思わないでしょうね)

 

 今日のアリスは人目を気にして目立つ格好を避け、お気に入りの普段着である青と白の可愛いエプロンドレスも、大きな青いリボンも、白と黒のオーバーニーソックスも着用していない。

 

 誰が見ても完全に違和感なく、地味なマグルの女の子として溶け込んでいる。綺麗な金髪や人形の様に整った顔立ちこそ本物のアリスだが、彼女と言えば有名なエプロンドレスの外見イメージが強過ぎる為か、今の貧相で地味な格好では誰も彼女と気付かないのだろう。

 

 それに加えてキングズ・クロス駅のホームはどうしても人数が増える為、ホグワーツ特急が停車する魔法界側のホームに行く姿をマグルに目撃されてはいけない。

 

 そう考えたアリスが出発前にヘンリーへと相談。そこから写真家でもあるルイス・キャロルことドジスン教授の発言からアリスの衣装に関するヒントも得て、現在の“貧相な家で育った地味なアリス”をリデル家支援のもとに作り上げた。

 

 正直今のアリスはロンドンの小さな孤児院で普通に暮らしていても然程おかしくない地味な見た目で、下手すると駅のホームで待ち合わせしているハリーも、最初はこのアリスが誰だか気付かないという可能性も考えられる。

 

「ふぅ……どうやらハリーはまだ到着してないようね」

 

 そのハリーがいるとすればこの辺りだ。実は何日か前にハリーへとふくろう便を送り、九月一日は駅のホームで待ち合わせしようと話していたのだ。

 

 しかしハリーの姿はどこにも見当たらない。尤もハリーの住むリトル・ウインジングはアリスが住むオックスフォードと比べ、キングズ・クロス駅があるロンドンからも距離的に遠いので仕方ないが。

 

「えっと……たしかハグリッドから封筒を貰ってたわ」

 

 アリスとハリーは今回が初めてのホグワーツ特急なので、当然ホームの行き方も知らない。ふと立ち止まってハグリッドから事前に貰ったホグワーツ特急の切符を取り出して見ると、奇妙な事に『9と3/4番線』と書いてある。

 

 そしてそんな馬鹿馬鹿しいホームは当然キングズ・クロスにない。

 

(もしかしたら……ハグリッドがあたし達に何か言い忘れたのかも)

 

 ……有り得る話だ。ダイアゴン横丁でのハグリッドを思い出すに、どうも少し頼りないというか、どこか抜けているところがある様に見受けられた。

 

 しかしこの場に居ないハグリッドを悪く言っても仕方ない。ここは読書と勉強で鍛えたアリスの頭脳でホームの謎を解くしかなさそうだ。

 

(思い出すのよ、アリス。あたし達が最初に『漏れ鍋』に行った時……マグルの人達はみんなそこに店があるのを気付かない様子だった)

 

 恐らくホームへの入口も『漏れ鍋』と同様、マグルには分からない、発見されない魔法が掛けられていると推理するアリス。となれば怪しいのはホームの間に幾つかあるレンガの柵。

 

(そう言えば……ダイアゴン横丁に行った時、ハグリッドは魔法の傘でレンガの壁を叩いてたわね……杖で柵を叩けばホームへの入口が現れるってこと?)

 

 いや待て……そう決断するのは早計だろう。それにここはキングズ・クロス駅のホームのど真ん中だ。当然ながら周囲の目は張り巡らされている。そんなところで魔法の杖を取り出したりなんてしたら、もっと多くの魔法使いがとっくの昔にホームで目撃されている筈である。

 

(……違う。あれはダイアゴン横丁に行く時だけのやり方。恐らく、魔法界のホームに行く時はまた別の手段があるはず……もっとそう、マグルにも気付かれないような何か……)

 

 ここでアリス、もう一度ホグワーツ特急の切符に目を通す。だが書いてあるのは『9と3/4番線──十一時発、ホグワーツ行き』のみ。おかしな切符の文面通りに解釈するなら、9番線と10番線ホームの中間が丁度『9と3/4番線』という事に。

 

(……やっぱり怪しいのはあの柵ね。とにかく柵の近くまで行ってみなきゃ)

 

 ここで立ち止まって考えていても仕方ない。アリスがカートを押すと同時に足を前に踏み出したその時。

 

「アリス!? ねぇ、アリスだよね!?」

 

 咄嗟に名前を呼ばれたアリスの背後から聞き覚えのある男の子の声が聞こえてくる……間違いない、ハリーだ。

 

 アリスが振り返ると、一ヶ月振りに再会したハリーは今にも泣き出しそうな困り顔で立っているではないか。

 

「ああ、よかった……僕、アリスに全然会えなくて……どうやってホームに行けばいいのかもわからなくて困ってて……それで……」

 

 誰が見てもハリーはパニックにならないよう堪えている様子だった。

 

「あっ……その、ごめんなさい! あたし、ハリーにこの格好で行くってこと言ってなくて……そうよね。知ってる人が知らない格好して別人になってたら、ハリーみたいに会えないと思ってもおかしくないわよね……」

 

 考えてみれば当たり前の事だ。一人で初めてキングズ・クロス駅に向かい、待ち合わせの相手も発見できず、ホームの行き方さえ聞いていない……それでホグワーツ行きの列車があと十分ちょっとで出てしまう事実を駅の時計で知れば、アリスだって焦って泣き出し、人前でパニックに陥っていたかもしれない。

 

「ううん……大丈夫。もうアリスに会えたから……でも僕、アリスやハグリッドがいないと何もできないんだな……」

 

 落胆気味のハリーが消え入る様な声で呟くと、アリスもチクッと胸を痛めてしまう。

 

「そんな、あたしだって……ごめんね、ハリー。また会えてとっても嬉しいわ」

 

「ううん、いいんだ。気にしないでよ。僕もアリスに会えて嬉しいから。それより早くホームの行き方を探さないと……」

 

「そうね。時間もあまり待ってはくれないみたいだし」

 

 ハリーとの再会で危うく出発の時間を忘れるところだった。駅のホームに備え付けられた大きな時計の時刻がいよいよ十一時に迫る中、アリスとハリーはホームの間に位置する改札口の柵までトランク入りのカートを押す。

 

 アリスの推理が正しいなら、ホグワーツ特急が停車する『9と3/4番線』はこの柵の向こう側に続いているはず。というより、柵の他に目ぼしい物や場所が見当たらない。なのでこの考えは恐らく正解だろう。

 

 それに何より……大荷物を乗せたカートを押している赤毛の集団が人混みの中を歩く姿を目撃したのだ。……間違いない、彼らはホグワーツを知っている人達だ。アリスとハリーは逸る気持ちを抑えつつ、黙々とカートを押して赤毛の集団の後ろに続く。

 

 思った通り、赤毛の集団はアリスが怪しいと睨んでいた9番線と10番線の間にある柵の付近で立ち止まり、一人ずつカートを押して柱の向こう側へと消えていった。

 

「ねぇ、アリス。僕達このまま突っ込んで壁にぶつかったりしないかな?」

 

 柵の前に二人で並び立ったその隣でハリーが不安げに壁を見つめる。

 

「うーん……それは大丈夫だと思うわ。ただ柵の中に入る瞬間、マグルの視線には気を付けなくちゃいけないけど」

 

 言いつつアリスは試してみる様に柵の中へと自分の手を慎重に伸ばす。すると驚く事にアリスの右手は吸い込まれ、手首から先が消えてしまった。

 

 しかし自分の手がその壁の先にあるという感触は残っている。やはりこれも魔法らしい。

 

「ほら、大丈夫でしょ? 私達、とうとう『9と3/4番線』を見つけたんだわ」

 

 アリスは自分の考えが間違っていなかった事が嬉しいのか、ハリーに向かってにんまりと得意気に微笑んだ。それからアリスとハリーはマグルに見られないよう注意して柵の中へとカートを前進させていく。

 

 二人が一緒に柵を抜けると、紅色の蒸気機関車が乗客でごった返すプラットホームに停車していた。ホームの上には『ホグワーツ行特急 十一時発』と書いてある。……間違いない、ここが『9と3/4番線』だ。

 

 しかし列車やホームをのんびり眺めている時間などない。そこでアリスとハリーはなるべく最後尾の車両へと移動する。

 

 この時点で既に先頭の二、三両は荷物を車内に置いてきた手ぶらな生徒でいっぱいになっており、とてもじゃないが席が空いている様には見えない。

 

 その読みが当たってか、アリスは最後尾の車両近くにまだ誰も座っていないコンパートメントの席を発見し、ハリーと二人で入る事に。持ち込んだ二人のトランクは重くて持ち上げる事が困難だった為、少し考えてからアリスが教科書を読んで知っていた初歩的な“浮遊呪文”でトランクを浮かせてから楽々と客室の隅に納めた。

 

「すごいよアリス! もう魔法を使えるなんて!」

 

 その時ハリーから期待と尊敬の眼差しで見つめられ、アリスの頬が嬉しさと恥ずかしさでほんのりと赤く染まったのは内緒だ。

 

「ありがとう、ハリー。でもね、えっと……そんなにすごいって言うほど、この魔法は難しい呪文じゃないんだけど……」

 

 そうなのだ。アリスは家にいた時に教科書を読んで予習していたとは言え、実際に魔法を試した事は一度もなかった。

 

 中でも今回初めて使用した“物体浮遊術”は一年生が最初に習う初歩的な魔法というだけあって、実はそれほど難しい呪文ではない。事前に教科書を読み耽り、きちんと要点さえ理解していれば、恐らくハリーもすぐに使えるはずである。

 

 アリスも何回も繰り返し読んだ教科書通りに杖の振り方と手首の動かし方、呪文の正しい発音などをしっかりと覚え、頭の中で何度も呪文を呟くイメージで適度に脳内練習してきた分、今回が初めての使用でも無事に成功できたのだろう。

 

 それにアリスは他の二人の姉妹ほど、極端に努力家でもなければ天才という訳でもない。ただ自分の好きな本を読んでそこに書いてある呪文を覚え、後は教科書が教える通りに正確な作法に従って唱えただけの事である。

 

 この方法を実践して呪文が正確に唱えられない訳がない。現にマグル生まれのアリスにさえ正しくできているのだから。それこそ生まれつき魔法力が備わっている者であれば、一年生の誰にでも比較的簡単にできるはずだ。

 

 それでもできない、失敗するという者は恐らく、教科書に書いてある説明を正しく理解していないか、呪文の発音を間違えて覚えているか──そのいずれかだろう。

 

「……そうだ! よかったらハリーにもコツを教えてあげる! あたしがお家でやったように、教科書をちゃんと理解すればいいんだから」

 

「本当に? そうしてくれると僕とっても助かるよ! 勉強だって他の魔法使いの子供に負けるかもしれないし……」

 

 やはりハリーも他の一年生と同様、ホグワーツで魔法の勉強に付いていけるかどうかが不安なのだろう。

 

 コンパートメントの窓際の席に座ると同時にハリーがそう言ってきたので、アリスはホグワーツでもしハリーと同じ寮になれたら、自分自身やハリーの為にちょっとした“生徒だけの勉強会”を定期的にやってみようかなと試しに伝えた。

 

 これにはハリーも大喜びで賛同し、アリスのおかげで勉強の心配事は今後無くなりそうだと考えるのだが……そもそもホグワーツでの勉強がそんなに甘くないという事を、現時点でアリスもハリーも揃って理解していなかったりする。

 

 そうして話している間にも駅の時計は十一時を回り、ホグワーツ特急の発車時間となった。汽笛が鳴り、紅色の汽車は滑り出す様にキングズ・クロス駅のホームを過ぎ去っていく。

 

 ハリーとは対面に位置する窓際の席にアリスも衣服を整えてから座ると、丁度コンパートメントの窓から例の赤毛の集団の一人と思わしき、可愛らしい小さな女の子(やはり同じ赤毛だ)が泣き笑いの顔で汽車を追い掛ける様に走って来ているのが見えた。

 

 アリスとハリーは赤毛の女の子の姿が見えなくなるまで窓から外の景色を眺めていたが、程無くしてロンドンの家々は飛ぶ様に過ぎていった。

 

 

 

 

 




今回はとくに後書きで書く事ないのでこの辺で。

次回でホグワーツ到着までは進めたい。


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ホグワーツ特急(後編)

今まで更新遅れて本当にすみません。

賢者の石の設定の一部が消失してしまい、書き直すのにだいぶ時間掛かりました(それ以外にも理由ありますが……)。

出遅れた分これから再開していきます。


 

 ホグワーツに向かう汽車がキングズ・クロス駅を発車してから数分後の事。突然アリスとハリーがいるコンパートメントの戸が開いた。

 

「ここ空いてる? 他はどこもいっぱいなんだ」

 

 そう言って何やら困り顔で現れたのは先程もホームで見掛けた赤毛の男の子だ。どうやら他に空いてる席が見当たらないらしい。

 

「えぇ。あたし達と一緒でよければ」

 

「うん。僕も構わないよ」

 

 二人が快諾すると、赤毛の男の子は何気なくアリスの顔をチラッと見てから若干恥ずかしそうに彼女の隣に座った。

 

「それじゃ……自己紹介しないと。僕はロナルド・ウィーズリー。みんなからはロンって呼ばれてる」

 

 最初に口を開いたのは赤毛の男の子だった。自らロンと名乗る彼はハリーに比べて背が高く、痩せてひょろっとしており、手足は大きく鼻が高い。隣に座る彼の見た目は地味な男の子というのがアリスのロンに対する第一印象だった。

 

「あたしは……アリス。アリス・リデルよ」

 

 アリスはロンが名乗ったのを見て少し悩んだ後、深呼吸してから自分の名前を静かに告げる。

 

 正直に言うと、アリスはこの瞬間が堪らなく嫌いだった。今までは誰か他の人と自己紹介すると、必ず『アリス・リデル』という世界的有名な名前が嫌でも目立ってしまい、彼女と接触した誰もがアリスを特別視し始めるのだ。

 

 たとえそれをアリスが望んでなくとも、人は皆アリスを有名人で人気者の美少女としか評価しない。アリス自身が本当に聞いて貰いたい主張は誰も聞いてなどくれない。

 

 恐らく彼らは有名人の美少女と会話できるだけで気分が舞い上がり、嬉しい気持ちになるのだろう。その興奮と熱気の渦中でアリスが必死に自身の事をどれだけ話しても、誰の耳にも届きはしない。

 

 何故なら皆、『不思議の国のアリス』の主人公と話したいのだから……

 

「……」

 

 ロンの前で僅かに表情を曇らせたアリスを見て彼女の心中を察したハリーが直ぐ様助け船を出した。

 

「僕はハリー・ポッター。よろしく」

 

「君、本当にハリー・ポッターなんだ。じゃあ本当にあるの? ほら、『例のあの人』の──」

 

「うん。でも何にも覚えてないんだ」

 

 咄嗟に話題を変えた事が良かったのか、ロンは何やら“訳あり”そうなアリスではなくハリーに対して強い興味を惹かれた様だ。やはりこの魔法界ではアリスよりハリーの方が有名らしい。

 

 二人の会話を黙って聞いていたアリスも、ハリーが自分の為に話題を逸らしてくれたのだと理解した。

 

(あたしの為に……ごめんなさい、そしてありがとう)

 

 アリスは心の中でハリーに感謝しつつ、少しでも二人の会話に参加しようと小さな勇気を出すのだった。

 

 

 

 

 

 十二時を過ぎた辺り。紅色の汽車がロンドンを離れてから徐々にスピードを上げ、牛や羊のいる牧場の傍を走り抜けていく。

 

 その間にも三人はそれぞれの家の事を話して教え合った。

 

 ハリーがマグルの親戚と一緒に暮らしている事は以前ダイアゴン横丁で聞かされている。そしてその人達から酷い目に遭っているという事も……

 

 次に家族全員赤毛が特徴的なウィーズリー家が由緒正しい“魔法使いの旧家”の一つだと分かり、ロンには更に魔法使いの兄弟が上に五人もいると聞いた。

 

 ロンは優秀な生徒揃いだと言うウィーズリー兄弟の一番下という事もあってだいぶ思い悩んでいるらしく、ホグワーツで上手くやっていけるか不安を感じている様子。

 

 そして同じく心の悩みを抱えるアリスはロンの話に共感する。自分も家では優秀な二人の姉妹に挟まれてプレッシャーを感じ、日頃二人に対する鬱憤が溜まっている事、父親やロリーナにちやほやされて贅沢三昧なイーディスばかりがいつも良い思いをしていて姉の自分はいつも嫌な目に遭っている……などと話してあげると、ロンはそれで少し元気になった様だ。

 

 そんな話をしているうちに汽車は長閑な風景の野原や小道をどんどん通り過ぎていく。

 

 やがてお昼時になり、アリス達もそろそろお腹を空かせてきた頃、通路でガチャガチャと大きな音が聞こえてきた。

 

「はぁ~い、車内販売よ~。車内販売はいかが~?」

 

 笑窪が特徴的なお婆さんがニコニコ顔でコンパートメントの戸を開けては生徒達に声を掛けている。

 

「車内販売はいかが?」

 

 アリスは朝起きた時間的にも出発までだいぶ余裕があった為、朝食こそ家で家族と優雅に食べてきたものの、汽車の中で売られている物に強い興味を惹かれて立ち上がった。

 

 ダイアゴン横丁では付き添いのハグリッドから大きなアイスを買って貰ったが、アリスは恐らく他にもっと“魔法界でしか食べられない”様な特別な食べ物やお菓子があるに違いないと考えていた。

 

 そしてその予想は当たっていた。イギリスの子供なら余程教育が厳しい家でない限り恐らく誰でも一度は食べた事があるだろう有名なマーズ・バー・チョコレートが売られてない事から見ても明らかだ。

 

 その代わりに売られているのはバーディー・ボッツの百味ビーンズ、ドルーブルの風船ガム、蛙チョコレート、かぼちゃパイ、大鍋ケーキ、杖型甘草飴などのお菓子──それに今までアリスが一度も見た事ない様な不思議な食べ物がたくさん売っていた。

 

 百味ビーンズや風船ガム、かぼちゃパイはまだマグルの視点から見ても普通にお菓子として理解できるが、蛙チョコレートや大鍋ケーキ、杖型甘草飴に至っては製作者の頭の中を少し覗いて見たくなる程にマグルとは異なる発想だなぁとアリスは思った。

 

 とは言え、この機会を逃したらしばらくお菓子は食べられないかもしれない……大量のお菓子が詰め込まれた台車を見てアリスが我慢できずに少しだけお金を出そうとすると、同じく席から立ち上がったハリーが笑顔でお婆さんに告げた。

 

「ここにあるお菓子、全部ちょうだい!」

 

「えっ?」 「ふぁっ!?」

 

 これにはアリスとロンも唖然としてしまう。ハリーが魔法界基準では相当な金持ちだという事はダイアゴン横丁で知っていたが、まさかいきなり自分が食べた事もない──それに食べ切れるかどうかも分からない──お菓子を買い占めようとするとは……

 

 早く自分のお金が使いたくて堪らないとばかりに嬉々としてポケットの中を探るハリーを見て、すかさずアリスが“待った”を掛けた。

 

「ハリー、少しにしなきゃダメよ。ここでたくさん買うのはちょっと利口的とは言えないわ」

 

 アリスの冷静な忠告に興奮していたハリーの手がピタッと止まる。

 

「どうして? 僕お腹ペコペコなんだよ」

 

「知ってるわ。だからよ。ホグワーツに着いたらお菓子はなるべく持ち歩かない方がいいでしょ? 自分の寮の友達にあげるとかならまだいいけど、それが別の寮だったら生徒同士のトラブルになりかねないし……」

 

 それに……と、アリスは自分なりに考えた事を二人に話す。

 

「ホグワーツに着けば最初の歓迎会で美味しい料理やデザートが死ぬほど食べられるって『ホグワーツの歴史』って本に書いてあったもの」

 

 宛ら暗記した様に詳しく話す彼女に対し、ハリーとロンが二人揃ってポカーンとした様子で見合わせる。

 

「君、知ってた?」「いや、まさか」

 

 そんな顔をしながら黙って聞いている二人にアリスは尚も続ける。

 

「だいたい、ここでたくさん買ったら他のみんなが買う分が無くなっちゃうでしょ? ん、そうね──」

 

 少し考える素振りを見せ、アリスはハリーがポケットから取り出して握っていた大量の銀貨と銅貨から、何枚かを手に取って計算してからお婆さんに支払った。

 

「はい。これくらいならあたし達三人で分け合って食べても汽車が着く前には食べ切れると思うわ」

 

 そう言ってアリスがお婆さんから受け取ったお菓子を空いている座席に置いていく。

 

「ハリーもいい? もう既にお菓子の料金払っちゃったけど……」

 

「もちろんさ。お菓子だってみんなで食べた方がいいに決まってるよ」

 

 ハリーもアリスの提案に賛成した。元々ハリーは今まで誰かと分け合う様な物を持った事がなかったし、分け合う人もいなかったのだから。

 

 車内販売のお婆さんに声を掛けられた際にロンが「家からサンドイッチを持ってきたから……」と恥ずかしそうに口ごもっている様子を見て、アリスもハリーも何と無く察していたのだ。

 

 ハリーが買ったお菓子をアリスとロンに分け与える間、赤面したロンは申し訳なさそうに、それでも嬉しい気持ちでハリーに貰った蛙チョコレートの箱を開け始めていた。

 

 マグルのアリスにはなんでチョコレートが蛙の形をしているのかずっと疑問だったが、アリスもハリーも箱を開けた途端に納得した。なんと包みの中からチョコレート色の生きた蛙が飛び出し、汽車の車窓を這って逃げて行ってしまったのだ。

 

「いなくなっちゃったよ!」

 

「そりゃ、蛙チョコだって食べられたくないから必死さ。逃げる前にさっさと食べなきゃ」

 

「……どんなお菓子よ」

 

 唖然とする二人が素早い蛙チョコレートを捕まえられないでいるうちに、ロンは非常に手慣れた様子で動く蛙を手中に収めて飲み込む。蛙チョコレートなど普段から飽きる程に食べているロンが言うには捕まえるコツがあるらしい。

 

「気をつけた方がいいよ」

 

 蛙チョコレートで集まった何枚かのカードを眺めていたハリーが次にバーディー・ボッツの百味ビーンズの袋を開けた時にロンが注意した。

 

 ロンが言うには、百味ビーンズの百味は本当の意味で何でもありらしい。もちろんマグルが食べるお菓子のゼリービーンズの様に普通の味もある。しかし中には食べ物ですらない最悪な味まで存在するのだから驚きだ。

 

 アリスが最初にお菓子を見た時の予感は当たった。やはり魔法界のお菓子はおかしい。

 

 それからの三人はしばらく百味ビーンズを楽しんだ。アリスもハリーも当たり外れの差は極端だったが、できれば二度と食べたいとは思えない酷さだった。しかし二人共ロンが言う“最悪の味シリーズ”に当たらないだけまだ幸運と言えよう。

 

 それでも後味の悪いアリスは最後に食べたそれが何なのかロンに聞く事を遂に拒んで、口直しにハリーが食べ掛けていたかぼちゃパイに急いでかじりつく。

 

「もう無理。人が食べる事を想定した味じゃないでしょ、あれは……うぇっ」

 

 軽い地獄を見た一喜一憂な百味ビーンズの後で食べる普通のかぼちゃパイは、アリス曰く非常に甘くて優しい幸せな味だったそうな。

 

 

 

 

 

 それはお菓子を食べ終えた三人が思い思いに休んでいる時の事──コンパートメントの戸が突然ノックされたかと思えば、ふさふさな栗色の髪をした可愛らしい女の子が堂々と入ってきた。

 

「誰か“アリス”って女の子について知らない? この汽車に乗っているってマグル出身の間で噂が広がっているのだけど」

 

 どこか威張った様な話し方をする女の子だ。

 

 この時ハリーはぼんやりと車窓の風景を眺め、ロンは自分が今まで集めた魔法使いや魔女のカードに関する豆知識や入手話を得意気に話して聞かせ、アリスは窓際の座席で家から持ち込んだ日記に何やら書き込んでいる途中。

 

 三人とも突然コンパートメントにやって来た女の子に顔を向けると、誰かが開口する前に女の子がアリスの顔を注意深く見つめてきた。

 

「あなた──もしかして?」

 

 今のアリスは世界的に有名な青と白の華々しいエプロンドレス姿ではなく、どこか薄汚れて育ったマグルの貧相な町娘という出で立ちで、目の前の彼女の様に真新しいホグワーツの制服に着替えている訳でもない。

 

 それでも女の子はその地味な人物が探し求めたアリスだと確信した様子で目をキラキラと輝かせている。

 

 一方で自分のカードの話を邪魔されたロンは何の話か理解できずに唖然として女の子を見つめ、事情を知るハリーは心配そうに前方のアリスと視線を何度か交差させる。

 

「えっと……そんなに騒ぎ立てる事でもない気がするんだけど」

 

 どうか放っておいてほしいと言いたげなアリスが流し目で伝えるが、本人を前に興奮した様子の女の子はお構い無しだ。

 

「やっぱり! あなたがアリスなのね!? 本物のアリス・リデル! やっと──やっとあなたに会えたわ! 私、もちろんあなたのこと全部知ってるわ。大好きな『不思議の国のアリス』は何度も読んでるし、あなたがプライベートにお忍びで来るって噂の『アリスショップ』にも何度か行ってあなたのグッズを集めてるけれど、憧れのあなたには一度も会えなくて──」

 

 自称アリスファンらしき女の子はこれだけの台詞を噛む事なく早口で言い切った。これにはアリスもハリーもロンも大したものだとばかりに彼女を唖然と見つめてしまう。

 

「私の家族に魔法族は誰もいないの。だから、手紙を貰った時は驚いたわ。でももちろん嬉しかったわ。だって、最高の魔法学校だって聞いているもの……教科書はもちろん、全部暗記したわ。それだけで足りるといいんだけど……あっ、言い忘れてたわ。私、ハーマイオニー・グレンジャー。アリスはもちろん私の知ってるアリスだとして……あなた方は?」

 

 ハーマイオニーと名乗る女の子は自分の言いたい事を全部言ってのけると、ようやくアリスから目を離し、今度はハリーとロンの方に向き直ってそう訊ねた。

 

「僕、ロン・ウィーズリー」

 

「ハリー・ポッター」

 

 二人共どこか引いた様子でハーマイオニーに挨拶する。しかし彼女は然程気にもしていないのか、魔法界ではアリスより遥かに有名なハリーの事も本で読んで知っていると短く話すだけに留めた。

 

 どうやらハーマイオニーの頭の中ではハリーよりアリスの方が重要事項らしい。ハリーが呆然とした顔で彼女の話す内容を聞いている間、アリスは彼女にずっと言おうと思っていた事を伝える。

 

「その、ハーマイオニー? あなたは私の事を好きだって言うけれど……それはきっと本当の私じゃないわ」

 

「どういうこと?」

 

「……あなたが愛しているのは物語の私であって、現実にいる私じゃないってこと。私は所詮“アリス”という、世界中のすべての女の子が夢見て憧れる至高にして理想の少女になれなかった……言わば、夢破かれて幻想に堕ちゆく存在なの」

 

 儚げにぽつり呟くアリスはとても哀しい目をしていた。

 

「ハーマイオニー。私じゃない“もう一人のアリス”のこと、そんなに好きでいてくれてありがとね。私ももちろん、あなたと同じで『不思議の国のアリス』が大好きだから──これから仲良くしましょ?」

 

 そう言うと、アリスは無理矢理作った様な笑顔でハーマイオニーと握手を交わす。

 

「あっ……え、えぇ。こちらこそ」

 

 アリスの名前が出てくるだけで途端に重くなる周囲の空気。だからアリスは大好きな物語の彼女と比べられてしまう自分の事が大嫌いだった。

 

 それに何より──

 

(私はそんな、他人から尊敬される女の子じゃない……ドジで根暗で、泣き虫で、寂しがり屋で、すぐ人を怒らせてばかりで……ほんと、私ったらダメダメなアリス)

 

 理想と現実は同じに見えても合わせ鏡の様に違う。ハーマイオニーの様に初めて彼女と出会った人間は必ず“本物のアリス”と言ってくる。

 

 じゃあ彼らの言う本物とは何か? そもそも何を以て本物と呼ぶのか……

 

 まだ幼い子供のアリスには分からない。大きなリボンとニーソックスで飾り、可愛いフリフリのエプロンドレスを着ていれば本物になれるのか。

 

(はぁ……自分の本でこんなに悩み苦しむなら……いっそ、イーディスが理想のアリスになってたら良かったのに……)

 

 妹、イーディス・リデル。アリスとは高貴な血を分けた姉妹であり、その容姿は鏡に映した様にアリスと驚く程に似通っている。

 

 誰よりもアリスに憧れ、誰よりもアリスに近付こうとした狂気のアリス中毒者。しかしその内面性は反転した様に理想の中のアリスとは似て非なるもの。

 

 どれだけ外観が似ていても、どれだけ性格や口調を真似てもアリスではない──“本物”には程遠い“偽物”。

 

(……そっか。イーディスもこんな気持ちで私のことを……)

 

 姉妹揃って“アリス”という少女の理想を目指す……その終わり無き旅はまだ始まったばかりなのかもしれない。

 

 

 

 

 

「ごめんなさい。せっかく会いに来てくれたのに、つまらない話なんてしちゃって……」

 

「そんなことないわ。私、それでもあなたに会えたことが夢みたいに嬉しいの──ほんとよ? だから、その……」

 

 ハーマイオニーは赤面して何やらモゾモゾとし出すと、黒いローブの中から一冊の本を取り出してアリスに渡した。

 

「私とお友達になってほしいの! 同じ読書の仲間でアリスの物語のファンとして! あと、できれば私の本にあなたのサインが欲しいんだけど……」

 

 若干恥ずかしそうにお願いしますと頭を下げてハーマイオニーが渡してきたのは、驚いた事に『不思議の国のアリス』の本だった。

 

 とても綺麗に手入れが行き届いており、ハーマイオニーが何度も夢中になって読み返している事はどうやら本当の事らしい。これにはアリスも思わず目頭が熱くなる。

 

「ハーマイオニー……でも私、物語の中の自分と違って全然ダメダメよ? それでもいいの?」

 

 ハーマイオニーから受け取った本の表紙に綺麗な直筆でサインを書きながらもアリスはまだ言う。そんな自信喪失気味の彼女にハーマイオニーはクスクスと微笑み、いつもの威張った話し方で言い返す。

 

「えぇ、もちろん。むしろ私、あなたに興味が湧いてきたの。今度はほんとにあなたのファンになっちゃうかも──」

 

 するとアリス、サインを書いていた筆の指先がピタッと止まった。それはもう見事に。

 

「……あの、ハーマイオニーさん。やっぱりこれ、お返しします」

 

 何やら身の危険を感じたアリスに驚くほど無機質な声で告げられてしまい、ハーマイオニーは慌てて変な意味じゃないのと弁解を始める。

 

「……ねぇハリー、僕なんかここ居心地悪い気がするんだ」

 

「うん……実は僕も少し」

 

「「……男の子ってつらい」」

 

 とここで、すっかり話の隅に追いやられていたハリーとロンが寂しげに呟いた事で二人の存在を思い出したアリスとハーマイオニーが慌てて二人のフォローに回る展開となった。

 

 その後、ハーマイオニーを加えた(何故か自分のコンパートメントに帰ろうとしない)四人で談笑したりしながら残りの時間を過ごした。

 

 魔法使いがホグワーツ卒業後にする仕事、クィディッチの話、アリスとロンのペット自慢話、ハーマイオニーの『不思議の国のアリス』に関するマニアックな話などなど……面白い話が聞けてアリスもハリーも大いに楽しんだ。

 

 その中でただひとつ、アリスもハリーもグリンゴッツに強盗が侵入したという魔法界の新しいニュースがどうにも気掛かりだった。

 

 ロンとハーマイオニーは強力な闇の魔法使いの仕業に違いないと話していたが、アリスとハリーは強盗犯の正体より盗まれそうになった物の方に寧ろ興味を惹かれたが。

 

 ──その後、何事もなく紅色の汽車は長い道程を進んでついにホグワーツへと到着した。

 

 




『今回の話の原作との相違点』

ウィーズリーおばさん、ジニー、パーシー、双子のウィーズリーの出番カット(アリスの影響でハリーと出会う切っ掛けが消滅)。

ハリー豪遊……ッ!(させません。お金のご利用は計画的に)

ネビルの出番カット(ヒキガエルはいなくなってなかった……いいね?)。

マルフォイ達との出会い&喧嘩回避(彼らのお菓子は無事に残ったみたいです。これからどうなるフォイ?)

ハーマイオニーが最初からハリーやロンと友好的(友達と言うよりまだ話し相手レベル。ただし原作でのこの後の流れから察すると……アリス、お前の嫁だ何とかしろ)。

ハーマイオニーがアリス物語のファン(読書好きならおかしくはないかと。それにほら、彼女秘密の部屋でもロックなハートの持ち主の熱狂的なファンになってるし……)。



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組分けと歓迎会

 

 門番のハグリッドに連れられてアリス達新入生はボートに乗り込む。アリス達は何人かの組に分けられ、ボートの船団は一斉に動き出しては大きな黒い湖を滑る様に進んでいく。

 

 夜の冷たい空気に当てられ全員が寒さに凍える中、湖の向こう岸に高い山が聳え、その天辺に壮大な城が見えてくると忽ち歓声が湧き起こった。

 

 大小様々な塔が幾つも立ち並び、キラキラと輝く窓が星空に浮かび上がっている幻想的な光景にアリスも思わず寒さを忘れて息を呑んだ。

 

 やがてボート船団が城の地下に位置する船着き場へと到着する。大きな声を掛けながらランプを持って先導するハグリッドの後に続いて生徒達は石段を登り、巨大な樫の木の扉の前に集まった。

 

 ハグリッドは全員揃っている事を確認してから頷くと、大きな握り拳を振り上げて扉を三回叩く。すぐに開かれた扉の奥では厳格な顔つきをした魔女が一人でハグリッド率いる新入生の集団を待ち受けていた。

 

 魔女の名はミネルバ・マクゴナガル。エメラルド色の三角帽子にやはりエメラルド色のローブを着た背の高い高齢の女性で、アリスはいかにも本で読んだ魔女のイメージぴったりなマクゴナガルを見て失礼ながらクスッと微笑んでしまった。

 

 その間にもマクゴナガルは扉を大きく開けて玄関ホールに生徒達を招き入れる。玄関ホールはとてつもなく広大で、石壁は綺麗に磨かれて松明の炎に照らされ、天井はどこまで続くかわからないほど高い。

 

「ホグワーツ入学おめでとう。新入生の歓迎会がまもなく始まりますが、大広間の席につく前に、皆さんが入る寮を決めなくてはなりません」

 

 マクゴナガルの挨拶が始まり、アリス達はホグワーツでの寮について教えられた。それによると寮の組分けはとても大事な儀式で、ホグワーツにいる間は寮生が学校での家族のようなものという事だ。教室でも寮生と一緒に勉強し、寝るのも寮、自由時間は寮の談話室で過ごす事になるらしい。

 

 寮は全部で四つ。グリフィンドール、ハッフルパフ、レイブンクロー、スリザリン。それぞれ輝かしい歴史があり、偉大な魔法使いや魔女が卒業したという。

 

 ホグワーツにいる間、自分の属する寮の為になる行いをすれば得点が、反対に規則に違反した時は寮の減点となる。そして学年末には最高得点の寮に名誉ある寮杯が与えられるそうで、四つの寮は互いに競い合っているらしい。

 

「組分けの儀式はまもなく始まります。一列になってついてきてください」

 

 そうしている間に組分けの儀式は始まる様で、アリス達はマクゴナガルに連れられて玄関ホールから大広間へと足を踏み入れた。

 

「すごい……なんて素敵なの……」

 

 大広間はアリスが夢に見ていた幻想の魔法世界の光景そのもの──いや、それ以上に不思議で素晴らしいものだった。

 

 何千という蝋燭が空中に浮かんで四つの長テーブルを明るく照らし出し、テーブルには上級生達が着席しており、所狭しと並べられたキラキラと光り輝く金色のお皿とゴブレットが置いてある。

 

 上級生達が着席するテーブルとは別にもう一つの長テーブルが上座にあり、そこには高齢の魔法使いや魔女──ホグワーツの教師と思われる人達が座って新入生を見守っていた。

 

 マクゴナガルは新入生を上座のテーブルのところまで引率し、上級生と対面する形で新入生を一列に並ばせた。

 

 アリス達の前には何故か一つだけ椅子が置かれており、その椅子の上には魔法使いや魔女が被りそうな継ぎ接ぎだらけでボロボロの汚らしいとんがり帽子がぽつんと置かれてある。

 

 いったいこの帽子に何の意味があり、どうやってこれから寮の組分けをしようというのだろうか。

 

 アリスも他の生徒も同じ様に疑問に思っていると、驚いた事に帽子が動き出し、帽子の破れ目が裂けて口のように開かれ、帽子は大広間に響き渡るくらいの声量で歌い出す。

 

 

 

 

 

 ──私は君達が行く寮の名を教える組み分け帽子。君達の心の奥底を見透かし、最も相応しい寮へと導く。

 

 ──グリフィンドールは勇猛果敢、どんな逆境にも負けない強い信念を持った正義ある者こそ選び取る。

 

 ──ハッフルパフは清く正しく忍耐強く、真に心優しい者溢れる家族のような温かさ。

 

 ──レイブンクローは機知と勉学を欲する賢き者が進む魔法の宝庫、意欲があるならここで必ず何かを得る。

 

 ──スリザリンはどんな手段を使ってでも目的遂げる狡猾さ、自分の力を信じるならば、必ずや偉大な道は開かれる。

 

 

 

 

 

 組分け帽子が歌った内容を要約するとこんなものだ。

 

 全員が拍手や歓声で組分け帽子の歌を称える中、アリスはハリーの隣で拍手しながら四つの寮に求められる条件を考えていた。

 

 先程の歌を聴いた限り、組分け帽子はかなり要求が多い様に思えた。

 

 新入生の間で人気なグリフィンドールはハーマイオニーやロンが汽車の中で一番良いと話していたが、今のところアリスは勇敢でもないし、特別正義感が強い訳でもない。

 

 ダイアゴン横丁の書店で立ち読みした『ホグワーツの歴史』によれば、ホグワーツに入学する生徒はほぼ全員が生まれた時から入学予定リストに名前が載り、11歳へと成長する過程でどの寮が相応しいかを自然に選別されていくのだとか。

 

 どういう判断基準で選別されるのかは今一分からないが、その本に従って解釈するならアリスも四つの寮が求める資格を何かしら満たしている事になるはず。

 

「アルファベット順にファミリーネームを呼ばれたら、帽子を被って椅子に座り、組分けを受けてください」

 

 アリスをはじめ、他の大半の新入生がそれぞれ組分けで不安に思っていると、いつの間にかマクゴナガルが長い羊皮紙の巻紙を手にしていた。どうやら組分けの儀式が始まるらしい。

 

「では、さっそく始めましょう──アボット・ハンナ!」

 

 ファミリーネームはAから始まり、ハンナという金髪のおさげの少女が帽子を被って椅子に腰掛けた。

 

 帽子は一瞬の沈黙の後、大広間全体に向かって「ハッフルパフ!」と叫んだ。

 

 途端に右側のテーブルに座るハッフルパフから歓声と拍手が上がり、ハンナはハッフルパフのテーブルに着いた。

 

 組分けの儀式はいざ始まってみれば簡単なものだ。

 

 ハッフルパフ、レイブンクロー、レイブンクロー、グリフィンドール、スリザリン、ハッフルパフ……

 

 次々と新入生が自分達の寮に割り振られていく。

 

 本当にそれらしい印象の生徒がやはりそれらしい寮に選ばれるのだなと、アリスは変なところで感心しながらシェーマス・フィネガンという男子生徒がグリフィンドールのテーブルに着く光景を眺めていた。

 

「グレンジャー・ハーマイオニー!」

 

 ここでハーマイオニーの名前が呼ばれた。ハーマイオニーが何度かブツブツと呟きながら椅子の前に進むのを見て、アリスはふとある事を思った。

 

 アリスやハーマイオニーはハリーやロンと異なり、魔法族ではないマグル生まれの生徒である。とすれば、今までマグルとして生活していた生徒達はどの様にして選ばれるのだろうか。

 

 アリスは魔法族でなくても魔法力が身に付く事は既に知っている。現に自分や妹のイーディスは間違いなくマグルでありながら魔法が使える。

 

 不思議なのはそれまで魔法界と繋がりのなかったマグルが何故突然魔法が使える様になったのかという事にある。

 

(そう言えば、汽車の中でロンが家族全員グリフィンドールって言ってたっけ……)

 

 もしかすると判断基準は本人の性格だけでなく、身内の血筋も関係するのかもしれない。という事はウィーズリー家の六男坊であるロンもグリフィンドールに入る可能性は濃厚と言える。

 

「グリフィンドール!」

 

(あっ、ハーマイオニー決まったんだ)

 

 やはり他の生徒より少し時間は掛かったが、マグル出身のハーマイオニーも無事にグリフィンドールに選ばれた。

 

 今までの生徒で一番長い組分けを終えたハーマイオニーが嬉しそうに笑顔で寮のテーブルへと向かうのを列の中から見届け、アリスは一先ず安堵の息を吐いて彼女を祝福した。

 

 先に呼ばれたハーマイオニーを出汁に使った訳ではないが、これでマグル出身の生徒も魔法族の生徒と平等に選定される事が判明しただけ良しとしよう。

 

 組分けが進むに連れてアリスの不安はだいぶ和らいでいく。そしてついに……

 

「リデル・アリス!」

 

 ファミリーネームの順番的にはLとなるアリスの名前が呼ばれた。アリスは周囲の誰にも聞かれない様に小さく溜息を漏らす。彼女はマグル出身なので魔法界に広く知れ渡るハリー程の注目は浴びないはず。

 

「アリス? アリス・リデルだって?」

 

「うそ……じゃあ、あの小さな娘が不思議の国のアリス?」

 

「て言うか実在するんだ……ずっと架空の人物だと思ってた」

 

 ……聞こえない。大広間に響く幾つもの雑音会話はすべて遮断する。それでもアリスは普通の生徒よりかは幾らか有名と言えるので、小さなざわめきくらいは起きてしまう。

 

(……大丈夫、落ち着けアリス。どの寮に入ってもあたしは頑張れる。今までそうしてきたんだから)

 

 アリスも周囲の期待に応えようとはしている。家族はもちろん、彼女を知る世界中のアリスファンが望む“理想のアリス”であろうとし、見えないところで誰もが認める究極のアリスになろうと孤独に努力を続けてきた経緯がある。

 

 時には周囲の期待が押し寄せる重圧感に屈し、姉ロリーナの前で堪えられないと泣き続けた事も。しかしそれで逃げる訳にもいかない。

 

 ……何より、いつまでも逃げ続けていたら“本の中の自分”に笑われてしまう。

 

(……そうだ。“もう一人のアリス”だって最初は自分の涙で池になるほど泣いちゃう娘だったけど、ちゃんと逃げないで前に向かって進んでたじゃない……!)

 

 身に纏う黒いローブの下でアリスは固く強く拳を握る。精神を研ぎ澄ませ、今の現実の自分と幻想にのみ存在する自分を正しく同調させる。

 

(……そう、あたしはアリス・リデル。ホグワーツと同じくらい不思議な国を独りで旅した勇敢な少女。あの怖い女王の裁判にだって出廷したんだもの……今さら帽子を被るくらいなんてことないわ!)

 

 ──そう。勇気は誰の心にだってある──大切なのは常に前へ進む強い気持ち。それを自分なりにイメージすればいい。

 

「すぅ……よし。いくわよ、アリス」

 

 待ち受ける儀式に最良の決着を──残す新入生が立ち並ぶ列の後ろから前へと優雅に足を踏み出す。まだ多少は緊張しているものの、思った以上にその足取りは軽やかだ。

 

 吸い込まれそうに綺麗な青い瞳をキラキラと輝かせ、アリスは堂々と前を見て歩いた。

 

 この後に控えるハリーほどでないにしろ、彼女が一歩進む度にマグル出身を中心に生徒達のざわめきが広がっていく。

 

 アリスは組分けの椅子に着く前にふと教師達が陣取るテーブルを一瞥する。その中でも真ん中の大きな椅子に座る年老いた魔法使いの姿が目に入った。

 

 アリスはホグワーツに向かう汽車の中でその顔を蛙チョコレートのカードの写真で見た事がある……間違いない、彼がアルバス・ダンブルドアだろう。

 

 ダンブルドアはそれまで新入生の組分けを一人一人注視していた様だが、アリスと一瞬だけ目が合うと何故かとっても意外そうな顔をしていた。

 

 勇気を出したアリスは大勢の生徒達と対面する形で椅子に座り、すぐに古びた帽子を手に取る。

 

『おや、君は……リーヴズの娘だね』

 

 小柄なアリスにはやや大き過ぎる帽子を頭からすっぽり被ると、丁度上の方から見知らぬ男らしき声が脳内に語り掛けてくる。先程組分けに関する歌を歌っていた時点で喋れるだろうとは予想してたが、まさかテレパシーの様な手段で口を聞くとはさすがのアリスも驚いた。

 

(リーヴズ? ああ、たしかオリバンダーさんも言ってた……でも帽子さん、あたしはリデル家の次女よ? リーヴズなんて家の娘じゃないわ)

 

『リデル……ふ~む。“ヴォーパル”を守護する旧き一族がマグルの血を受け入れたか……なるほど、実に興味深い』

 

(どういうこと? 帽子さん、何かあたしのこと知っているの?)

 

 ダイアゴン横丁で杖を選んだ時にもオリバンダーに言われた意味深な名前。リーヴズ……アリスの家族にその様なファミリーネームを持つ者はいないと記憶している。

 

 三姉妹も父ヘンリーもリデル家の出身だし……あと一つ考えられるとすれば、アリスとイーディスがまだ赤ん坊の時に亡くなったと父親から聞いた“名前も顔も声も知らない母親”だが……

 

『……答えは自分で見つけ出すものだ。君が望むその寮の様にね』

 

(まぁ、あなたそんな事も分かるの? ほんとに頭の中を覗いてたのね……お喋り帽子のくせに)

 

 組分け帽子にはぐらかされた気がする。そう言えば『不思議の国のアリス』に登場する“チェシャ猫”も、アリスに言う事だけ言って逃げるのが上手かったなと思い出した。

 

『私は何でも知っている。そして答えはすべて君の中にある。さぁ、教えてごらん? 君はどの寮を望むのか』

 

(でも帽子さん、あたしってほんとに資格あるかな?)

 

『おや、悩むかね? ふむ……君は中々に面白い娘だ。それでいて非常に難しいとも言える。まだ生まれたばかりの小さい勇気だが、困難に立ち向かう意志を既に宿している。心も清らかで優しく、争い事を嫌い他者との和解を望む。頭も悪くない。自ら学んだ事を吸収し、進んで教えようという叡知もある。それに、なるほど……自分の力を試したいという素晴らしい欲望もあるようだ』

 

(……驚いたわ。あたしじゃ多分そんなには気付けないかも……ねぇ帽子さん、あたしはどの寮にも入っていいの?)

 

『もちろんだとも。君がどの寮に入るか分からないのなら、どの寮に進んでも成功する可能性はそこにある。それでもまだ答えは出ないかね?』

 

(……帽子さん、あたし……このホグワーツで新しい自分を見つけたい。理想と現実のどちらにも縛れない──ありのままの“アリス”になりたいの。それじゃ答えにならないかな?)

 

『ふむ……それが君の選んだ答えだね?』

 

 組分け帽子の問い掛けにアリスは小さく、しかしはっきりと頷いた。

 

『よろしい。君がその答えに辿り着いたのならやはり──グリフィンドール!』

 

 組分け帽子が最後の言葉を大広間全体に向かって力強く宣言する。数分以上に及ぶ長い選考が終わり、ハリー・ポッターに次ぐ意外な注目株となったアリスはグリフィンドールの生徒に迎えられた。

 

「やった! やったわ! アリスがグリフィンドールに選ばれた! もう嬉しくて踊りたい気分よ!」

 

「あ、ありがとう……(忘れてた……組分けの順番的にあたしの隣はハーマイオニーだった……)」

 

 組分けを終えたアリスが大興奮状態のハーマイオニーに手招きされながらグリフィンドールのテーブルに着席すると、グリフィンドールの生徒達は立ち上がって口々に歓声を上げ、緊張の糸が抜けた彼女を歓迎する。

 

 若干疲れた様子のアリスはハーマイオニーと一緒に次の組分けを見守る事に。

 

「ロングボトム・ネビル!」

 

 ちょっとした盛り上がりが静まるのを待ってから、マクゴナガルが次に名前を読み上げた。

 

 黒髪で丸顔のネビルは椅子まで行く途中で転倒してしまい、爆笑の中での組分けを待つ事に。

 

「あの男の子、ネビルっていうの。汽車じゃ私と同じコンパートメントにいたんだけど」

 

 アリスの隣に座るハーマイオニーが小さな声で呟く。

 

「ちょっと──“訳アリ”みたい」

 

 なるほど……とハーマイオニーの話を聞き流すアリス。ここで意外だったのはこのネビル──なんと決定にアリス以上の時間が掛かった他、その印象からまずないだろうと思われたグリフィンドールに選ばれたのだ。

 

 ようやく決まって安心し切ったのか、ネビルが組分け帽子を被ったままグリフィンドールのテーブルへと駆け出してしまう。

 

「ふーん。訳アリ、ね……」

 

 またしても起こる爆笑の中、恥ずかしさで赤面したネビルが隣の席にやって来るのをアリスは静かに眺めていた。

 

「ポッター・ハリー!」

 

 その後しばらく進み、ついにハリーの名前が呼ばれた。大広間全体がアリスの時以上の大きなざわめきに包まれる中、明らかに顔色の悪いハリーが酷く緊張した様子で組分けの席に着いた。

 

「ポッターって、そう言った?」

 

「あのハリー・ポッターなの?」

 

 ……嗚呼、この空気はアリスも嫌というほど知っている。大広間に集まる人々が首を伸ばし、有名なハリーの姿をよく見ようとしている。

 

 ハリーはこれから何百もの好奇の目に覗かれながら、あの椅子で組分けの儀式を受けるのだ。

 

(ハリー……大丈夫よね?)

 

 まるで自分の事の様に心配した様子でハリーの組分けを見守るアリス。ハリーが椅子に座って既に数分は経過しただろうか。

 

 まだその瞬間は訪れない。アリスはハリーが何やら小さな声でブツブツと呟き、祈る様に唇を動かしているところを目撃する。恐らく組分け帽子に心の中を読まれているに違いない。

 

「グリフィンドール!」

 

 長い沈黙の果てに組分け帽子が大広間全体に向かって高らかに叫ぶ──決まった。

 

 ハリーはアリスと同じグリフィンドールに選ばれたのだ。アリスも他の生徒達と一緒に笑顔で拍手しつつ、良かったねと心の中で祝福した。

 

 

 

 

 

 それからは組分けもすんなりと進んでいった。残り少ない新入生の列で酷く青ざめていたロンも無事グリフィンドールに選ばれた。尤もこれはアリスの予想通りだったが。

 

 最後の生徒の組分けが終わると同時に大きな金色の椅子に座っていたダンブルドアが立ち上がり、腕を大きく広げて笑顔でホグワーツの生徒達を見渡した。

 

「おめでとう! ホグワーツの新入生、おめでとう! 歓迎会を始める前に、二言、三言、言わせていただきたい。では、いきますぞ。そーれ! わっしょい! こらしょい! どっこらしょい! 以上!」

 

 ダンブルドアのおかしな挨拶が終わると、学校中の出席者全員が歓声と拍手で湧いた。アリスはあれが世界一と言われる魔法使いの姿なのかと思い苦笑いしてしまったが。

 

 アリスがダンブルドアの挨拶に気を取られているうちに、いつの間にかテーブルの上に豪華な料理が所狭しと並んでいた。

 

 いったいどうやって瞬時に出したのだろう……まだ魔法界に入りたてのアリスには見当もつかなかった。

 

「美味しそう……ねぇアリス、これも魔法なのかしら?」

 

「おそらくね。でも本当に美味しい。イギリス料理は世界でも不味いって評判だけど、ホグワーツのはちゃんと味付けもしっかりしてるみたい」

 

 ハーマイオニーと談笑を交えながらアリスはどれもこれも食べ過ぎない様に注意しつつ、自分の家でも普段滅多に食べられない様な御馳走に舌鼓を打つ。

 

 程なくして微妙に余り残った料理が黄金の皿から消えると、今度は食後のデザートが瞬く間に現れた。アリスもハーマイオニーも年頃の女の子らしく甘い物が好きなので、これには二人共大満足だった。

 

 やがてデザートも消えてしまうと、ダンブルドアが軽く咳払いをして立ち上がった。

 

「全員よく食べ、よく飲んだことじゃろうから、また二言、三言言うておく。新学期を迎えるにあたり、いくつかお知らせがある。一年生に注意しておくが、構内にある森に入ってはいけません。これは上級生にも、何人かの生徒たちに特に注意しておく」

 

 言いながら、ダンブルドアはキラキラとした目でグリフィンドールのテーブルのどこかを見た。誰か悪戯にその禁じられた森に入り込む悪い生徒がいるのだろう。

 

 アリスは食後の満腹感と突然の睡魔に襲われ、ぼんやりとダンブルドアの話を聞いていた。

 

「次に管理人のフィルチさんから授業の合間に魔法を使わないようにという注意があった。それと今学期は二週目にクィディッチの予選があるから、寮のチームに参加したい人はマダム・フーチに連絡するのじゃ」

 

 クィディッチ……これもアリスがダイアゴン横丁の書店で『ホグワーツの歴史』を立ち読みした時に偶々知ったのだが、どうやらクィディッチは魔法界でとても人気なスポーツのようだ。

 

 本の内容によればこのホグワーツでもクィディッチの試合は毎年盛んに行われ、それぞれ寮対抗のチームで寮杯という名誉あるトロフィーを争うらしい。

 

(何だかとっても面白そう。あたしも箒に乗れたらやってみたいかも)

 

 元々アリスは勉強するより元気に身体を動かす方が好きな性分である。ホグワーツも魔法学校というくらいなのだから箒に乗る授業もするはず……少し眠気の覚めたアリスは今からクィディッチが楽しみになった。

 

「そして最後じゃが──とても痛い死に方をしたくない人は、今年いっぱい四階の右側の廊下に入ってはいけません」

 

 ……妙に引っ掛かる言い方だ。それに何故その様な危険な場所が生徒達も大勢いる学校内にあるのか……アリスは早くもこの学校の運営に少し不安を感じてしまう。

 

 その間にもダンブルドア指揮の下、教師と生徒全員でホグワーツの校歌斉唱が始まった。信じられない事に全員がバラバラに歌い終えるという何とも締まらない校歌斉唱が終わると、ホグワーツの歓迎会はようやくお開きとなる。

 

 グリフィンドールの一年生は騒がしい人混みの中を通って大広間を出ると、監督生のパーシー・ウィーズリーの案内で大理石の階段を登り、長い道のりを経てようやくグリフィンドール寮に到着する。

 

 その道中でパーシーからポルターガイストのピーブズの事、肖像画の『太った婦人』の事、寮に入る際に必要な合言葉の事などを教えられ、新しい一年生は心地よい円形の談話室にやって来た。

 

 ここでも監督生パーシーの指示に従い、男女別に寮へと続くドアに行って自分達の部屋に入るようにと言われた。

 

 アリスは傍にいたハリーやロンと一言挨拶して別れた後、ハーマイオニーと一緒に女子寮へと続く螺旋階段を登り、それぞれに割り振られた部屋に入る。

 

 既にトランクは届いており、疲労で眠たいアリスは制服を脱いで薄地の白いパジャマに着替えると、すぐに自分のベッドに潜り込んだ。

 

「ねぇアリス……もう寝ちゃった?」

 

 すると、深紅のカーテンで覆われた隣のベッドからハーマイオニーの眠そうな声が話し掛けてくる。

 

「いいえ、まだ……どうして?」

 

 アリスが枕の位置を調整しながら訊くと、ハーマイオニーがカーテンの向こうから静かに呟いた。

 

「あの時の続きだけど──実は私ね、ホグワーツの手紙を貰うまで誰一人友達がいなかったの」

 

 彼女の言う“あの時”とは、二人が最初に出会ったホグワーツ特急での会話の事だろう。アリスが黙って聞いていると、ハーマイオニーは静かに語り始める。

 

「歯医者をやっている両親の影響なのかしらね。小さい頃からずっと勉強、とにかく勉強の毎日──そんな時に家のラジオで聴いた『不思議の国のアリス』って名前の本がすごいってニュースを聞いて──」

 

 アリスは沈黙したまま……そう言えば何年か前、ルイス・キャロルが書いた本がイギリスで売れる様になった頃、何度かラジオの放送で『不思議の国のアリス』の誕生秘話が取り上げられていた事があった気がする。

 

「……私、あんなにも素敵で不思議な本に出会ったのって初めてだったと思うわ。それにアリスの物語にはモデルになった小さい女の子がいるって事もラジオの話で聞いて──」

 

 ……なるほど。それでハーマイオニーは彼女の事を色々と調べるうちに、不思議で魅力的なアリスの世界にどっぷりとハマっていった……という事なのだろう。

 

「これは他のみんなには絶対内緒だけど……ホグワーツの手紙を貰った時、私ももしかしたら憧れのアリスみたいに魔法の世界で冒険できるかもって思ったの。それに……」

 

 とここで、ハーマイオニーの声量がアリスにも聞き取れないほど微弱なものになる。

 

「……あなたは、私の初めての友達になってくれた。それが本当に嬉しくて……ぐすっ……ありがとう」

 

 薄暗いカーテンの向こうで啜り泣く彼女の声を聞いた。黙って聞いていたアリスは自分の顔がみるみるうちに真っ赤になっていくのを肌で感じてしまう。

 

「……あなたは間違いなくアリスだった……私、今日アリスと出会えて本当に良かった。だから、これからも私とその……」

 

「──待って、ハーマイオニー。そこから先はあたしが言う台詞よ」

 

 涙声のままで恥ずかしそうに勇気を出して何かを伝えようとするハーマイオニーをアリスが制止する。すぅ……と小さく息を吐き、ほんのりと頬を赤く染めたアリスは隣の彼女へと告げる。

 

「──ねぇ、ハーマイオニー。あたしと一緒にこの不思議で楽しい魔法の学校を冒険してみない? それはきっと素敵な思い出の日々になると思うんだけど……ダメ?」

 

 若干照れた様なアリスの言葉に、泣いていたハーマイオニーは思わずクスッと微笑んでから言った。

 

「……えぇ。喜んで……!」

 

 ……こうして、アリスとハーマイオニーはホグワーツ最初の夜に友達の関係になった。この素敵な友情がいつまでも続きますように……二人はそう願いながら、それぞれベッドの中に潜り込むのだった。

 

 



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初めての授業

久しぶりにモチベが出てきたので更新再開……

お待たせしました!最新話です!


 

 翌日、アリスは興奮のあまり同部屋にいる誰よりも先に早起きしてしまった。今日から始まる魔法界での生活、そして最初の授業が楽しみで仕方ないのだ。

 

 やはりホグワーツは魔法魔術学校という事あって、マグルが学ぶような普通の学科などは教えない筈。そう考えるとアリスも勉強への期待が一層高まるというもの。

 

 しかしアリスは着いて早々に思い知る事になる。ここでの生活は勉強以前に大変な事だらけであるという事実を……

 

 例えば教室への行き方。マグルの学校とは異なるホグワーツではクラス共有の教室というものが存在せず、生徒が授業に出席する時は必ずその科目の教室まで移動しなくてはならない。

 

 ……考えてもみてほしい。いったい何処の世界に授業以前に教室へと辿り着くのが一苦労な学校があるというのだ。

 

 校舎内が広過ぎて複雑な迷路と化している事、自由自在に動き出す階段、その時の気分で現れたり消えたりする扉、知らん顔で新入生に嘘の近道を伝える意地悪なポルターガイストの存在など──考えたらキリがない。

 

 これはアリスも昨夜の組分けと歓迎会で何回か思った事だが、どうもこの学校は生徒達にあまり優しくしてくれないらしい。

 

 尤もアリスの場合は幸いにもハーマイオニーという新入生ながら優秀な友達が身近にいた為、そんなに迷わず教室に辿り着く事ができた。あとはグリフィンドール寮から各科目毎の教室への道筋を記憶しておけばよかった。

 

 そんなアリスにとって問題なのは、教室に着いてからの授業内容そのものだった。

 

 一言に魔法と言っても、マグルの童話や日本で流行する少女向けのアニメに登場するように、ただ杖を振って呪文を唱えるだけが魔法ではない。

 

 真夜中に行われる『天文学』では望遠鏡を使って夜空の観察をし、星の名前や惑星の動きを勉強したり(アリスにはこれが果たして魔法を使うのに必要な事なのかと理解に苦しんだが)、ずんぐりした小柄なスプラウトと城の裏に位置する温室に週三回行っては『薬草学』の勉強──この授業では不思議な植物やきのこの育て方、どんな用途に使われるかなど──

 

 また、ホグワーツの教師陣で唯一ゴーストのビンズが教える『魔法史』では魔法界全体に起きた様々な事件や偉人悪人の活躍と云った歴史を学び、これには読書好きのアリスも興味を惹かれた。

 

 尤も、宛ら説法でも説いているかの様に物憂げに語るビンズの聞き取り難い講義では、聞き逃すまいと必死にノートを取る生徒のほとんどが忽ち恐ろしい睡魔に苛まれてしまうので、授業が終わる頃にはアリスとハーマイオニーだけが何とか寝ずに残っている……なんて事も。

 

 『天文学』に『薬草学』、『魔法史』など──当初アリスの思い描いた魔法とは異なる、それこそマグルの学校でもやってそうな常識的な授業も幾つかあったものの、やはりそこは本物の魔法学校。ホグワーツではアリスが待ち望んだ杖を用いる実践的な魔法も勉強する。

 

 その中でも代表的な科目が『呪文学』──ホグワーツでは二年生まで『妖精の呪文』という名前で呼ばれる──レイブンクローの寮監であるフリットウィックの担当だ。彼は外見的特徴からどうも小鬼の血を引いているらしく、普通の人間と比べてもかなり小柄な魔法使いだった。

 

 最初の授業では小鬼を知らない何人かの生徒がフリットウィックを見て不思議そうに驚いていたが、グリンゴッツで既に小鬼と出会っていたアリスは彼が小鬼の血を引いていると推察した。

 

 その授業内容は予想していた通り、週数回に掛けて基礎的な物体浮遊術から学ぶ様で、アリスもこの科目には絶対的な自信を持てると今後に期待できた。

 

 逆に問題だと思うのは『変身術』──これはグリフィンドールの寮監であるマクゴナガルが教える科目なのだが、同じグリフィンドールの上級生達から聞いた話によると、どうやら『魔法薬学』と並んでホグワーツの最も難解な授業の一つだと思われているとか。

 

 事前に一年生が最初に学ぶ授業の印象を聞いていたアリスも実際内容についていけるか不安だったのだが、どうもその予感は悪い方向で当たっていたらしい。

 

 と言うのも、厳格で聡明そのものと言うべきマクゴナガルは自分が受け持つグリフィンドールの一年生達が着席するなり、堂々たる態度でいきなり説教を始めたのだから。

 

「変身術は、ホグワーツで学ぶ魔法の中で最も複雑で危険なものの一つです。いい加減な態度で私の授業を受ける生徒は出ていってもらいますし、二度とクラスには入れません。初めから警告しておきます」

 

 この言葉で何人かの生徒は背筋を伸ばして気を引き締めた事だろう。尤も、それはアリスも同じ事。早くも「まずいかも……」という不安感が彼女に憑き纏う。

 

 その間にもマクゴナガルは『変身術』の見本として教卓の机を本物の生きた豚に変え、それをまた元の姿に戻して見せた。これにはアリスを含め生徒達は大いに感激した様子。

 

 しかし家具を動物に変えるようになるまでには、まだまだ勉強と時間が足りないらしい。生徒達はマクゴナガルの講義を聞きながら黙々と複雑なノートを採った後、一人一人に配られたマッチ棒を手に取る。

 

「それでは実際にやってもらいましょう。授業が終わるまでにこのマッチ棒を針にできたら合格。グリフィンドールに五点を差し上げます」

 

 その言葉で期待と興奮を隠せない生徒達は一斉に練習を開始した。ハーマイオニーの隣に座るアリスもよしやるぞと意気込むが、いざ始まるとこれがなかなか難しい。

 

 アリスのマッチ棒はすぐに針にこそなったものの銀色ではなかったり、また逆に銀色にはなったが針ではなくマッチ棒のままだったり……

 

 アリスはまだ良い。他の生徒は何回も試してもマッチ棒から変わらないままがほとんどで、教室を回って生徒達を一人一人見ているマクゴナガルはそれが普通ですと言わんばかりの表情だ。

 

「おや──ミス・リデル。そこまで出来ているのならあとはもう少しです。私の言った事を正しく守り、集中なさい」

 

 アリスの席にやって来たマクゴナガルから思った以上に優しい口調で言われた。顔を上げて見ると他の生徒はアリスを手本にしようとこちらを覗き見ており、アリスは思わず耳の後ろの辺りが熱くなっていくのを感じてしまう。

 

 ……結局、授業が終わるまでにマッチ棒を僅かでも変身させる事ができたのはアリスとハーマイオニーの二人だけだった。

 

 アリスのマッチ棒は残念ながら正しい針にこそならなかったものの、ハーマイオニーのマッチ棒は誰が見ても見事な銀色の針になっていた。

 

 これにはマクゴナガルも満足だったようで、今年の一年生は期待しますと珍しく二人にお褒めの言葉を贈り、グリフィンドールはいきなり貴重な五点を手に入れる事ができた。

 

 

 ホグワーツに来てから最初の一週間でアリスの得意不得意な授業が少しずつ明確化していく中、アリスがずっと待ち望んでいた『闇の魔術に対する防衛術』──それこそ彼女がホグワーツで一番習ってみたいと思っていた授業だった。

 

 “だった”……そう。要するに過去形である。寧ろ今は担当のクィレルの授業とは異なるやり方で自分から進んで学んでいこうという気さえ芽生えているほど、アリスにとって最悪な授業となってしまった。

 

 というのも、『闇の魔術に対する防衛術』の教室は何故か飾られている大量の大蒜から漂う強烈な匂いで息が詰まり、授業への強い期待と好奇心のあまり誰も座ろうとしない一番前の席に堂々と座ってしまったアリスにとってはまさしく拷問に等しい時間になった為。

 

 聞いた話によれば担当のクィレルがルーマニアで出会った吸血鬼に襲われないように用心しているのだとか。出席確認の合間にそんな話を他の生徒から伝え聞いて、苦悶の表情で息を止めるアリスは吸血鬼が実際に存在するという事実に感激する暇もなく授業に移った。

 

 ありがたい。アリスも楽しみな授業に集中していれば何とか大蒜の匂いを誤魔化して耐え切れる……ところが今度はその授業内容がアリスを容赦なく襲った。

 

 呆れた事にクィレルと来たら、何を話すにも吃り過ぎて彼の説明を理解するのに若干手間取り、終いには突然何かに怯えたような態度でブツブツと意味不明な事を呟き始めたり……

 

 クィレルの目の前で一時間以上も固まっていたアリスの意識はいつしか途絶えていた。授業が終わってすぐ駆け寄って来たハーマイオニーに叩き起こされていなかったら、アリスは危うく夢の国の住人になっていた事だろう。

 

 これでは吸血鬼が大蒜や餃子を酷く嫌う理由もわかる。だって臭いものは臭いのだから。

 

「私、あの人本当に無理! だってこれじゃ授業にならないもの!」

 

 時は変わって翌日のこと。『アリス・リデル大蒜失神事件』から一夜明けた朝食の席でアリスはテーブルに出されたオートミールの味付けに一工夫するかどうか一人で格闘しながら、はっきりとこの一週間行われた授業への不満を口にした。

 

「そ、そうだね……アリスが怒りたくなるのも仕方ないよ。クィレル先生のターバンからもずっと変な匂いがするんだから」

 

「お気の毒さま。だから僕達と一緒に後ろの方で座ればよかったんだよ。ところでアリスはオートミール食べないの? 砂糖掛ければ美味しいよ」

 

 今回は運良くアリスの隣の席に座れたハリーとロンは──普段はアリスが大広間に迷う事なく下りているので、二人が大広間に到着する頃には既に食べ終えていて一緒になれないのだ──時々相槌を打ったり共感したりしながら、アリスがなかなか手を付けようとしないオートミールの話題に持っていった。

 

「えっと……私あんまり家だと食べる機会ないから、その……美味しいとは思うんだけどどうやって食べていいか……」

 

 実を言うとアリスが暮らすリデル家の食卓ではイギリスの家庭で一般的に普及しているオートミールよりパンや白米の方が主食だった為、ホグワーツに来るまでオートミールを口にする機会があまりなかったりする。

 

 意外なところでアリスの裕福な暮らしぶりを知ったハリーとロンだが、それならと二人はオートミールの食べ方について色々語ってくれた。

 

「二人とも、ありがとう。これなら美味しく食べれるわ」

 

 結局アリスはオートミールにドライフルーツやミックスナッツを加えて食べる事にしたようだが、健康に気を使ってこれを毎朝食べるくらいなら普通にパンとかライスも食べればいいのに……と内心思ってしまうわけで。

 

「アリス、まだ食べてるの? 今日の授業はスリザリンと一緒に『魔法薬学』よ。他の授業より早めに行かないとまずいわ。担当のスネイプ先生はスリザリン贔屓で有名な寮監だから遅刻なんてしたら何を言われるか──」

 

 そんな時、朝食を終えたアリス達のもとに教科書を抱えたハーマイオニーが相変わらずの早口言葉で近付いて来た。ハリーとロンはまた来たよとばかりにハーマイオニーを無視して二人で別の話をし始めた。

 

 この扱いにもハーマイオニーは然程気にしてないようだが、ハーマイオニーだけでなくハリーやロンとも仲良くしたいアリスにとっては密かな悩みの種でもある。

 

 アリス達は他の生徒に比べて自分らが大して勉強で遅れを取っていない事に安堵していたが、成績で一番を目指すハーマイオニーはそれでは駄目らしい。とくに最初の一週間で期待以上の活躍を見せたアリスの存在がハーマイオニーにとっては刺激になるらしく、彼女は事ある毎にアリスを勉強に誘ったりしていた。

 

 ところがアリス、優等生になりたいハーマイオニーと違ってそこまで勉強熱心ではなかったりする。自分で面白いと感じた授業ではアリスの本領発揮となるが、自分の知識を広める上であまり必要ないと感じた授業ではそれが露骨に態度にも表れてしまい、科目によって成績が不安定になっていた。

 

 ハーマイオニーやマクゴナガルが言うには基礎は充分、あとはやる気と集中力の問題らしいが。

 

「わかってるわ。でも私、今はハリーやロンと楽しくお喋りしてたいの」

 

「そう……じゃあアリス、私は先に行ってるわ。それからマクゴナガル先生が出した昨日の宿題の事で後で話があるから」

 

「えぇ。休み時間にいつも通り図書室にいるわ。じゃあまたね、ハーマイオニー」

 

「アリスも。それと貴方達もあまりアリスを変な事に付き合わせたりしないでちょうだい。それじゃ、急いでるので」

 

 早口気味に言い放つと、ハーマイオニーは大広間から飛ぶように去っていった。本当に忙しい娘である。

 

「変な事ってなにさ? 僕達アリスに勉強見てもらっているだけだってのに。なぁ?」

 

「うーん……きっとハーマイオニーは僕達がアリスの勉強の妨害になると思っているんじゃないかな? 昨日も山ほどある宿題を写させてもらってたら『女の子なんだから早く寝かせなきゃ駄目じゃない!』って怒られちゃったし……」

 

 ハーマイオニーが立ち去った後でハリーとロンはようやくアリスの方に向き直って会話に復帰した。今となってはハーマイオニーの説教も慣れたものだが、最初の頃はアリスが夜遅くまで談話室のソファーでハリー達と勉強していると、決まってハーマイオニーが階段から下りて来てはアリスを寝室までさっさと引っ張って行ったものだ。

 

「う……まぁ私はそんな風に思ってないんだけど。誰かに勉強とか教えたりするのって結構好きだし、それでみんなのお役に立てるなら──」

 

「アリスは悪くないさ。どうせ、大好きなアリスが僕達といつも一緒にいるから羨ましくて仕方ないんだろ」

 

 吐き捨てるように言うと、ロンは自分の皿に残っていたオートミールを一気に口に含んで飲み込んだ。

 

 

 

 

 

 ギスギスした朝食の後、アリスが『魔法薬学』の教室に現れたのは遅刻ギリギリの時間だった。

 

 というのはハーマイオニーとのやり取りの後で大広間にふくろう便が届き、驚いた事にハリーのところにペットのヘドウィグが手紙を運んで来た為、その対応で時間を使ってしまった為だ。

 

 手紙の送り主はハグリッドで、ハリーとアリスを彼主催のお茶会に誘いたいとの事だった。今になってみればハグリッドとのお茶会という楽しみが午後に控えていて本当にラッキーだったと思う。

 

 何しろアリスとハリーは『魔法薬学』の最初の授業で担当のスネイプに最悪な印象を与えてしまう事になってしまったのだから……

 

 『魔法薬学』の授業は地下牢で行われる。ここは城の中にある教室より肌寒く、壁にはずらりと並んだガラス瓶の中でホルマリン漬けの動物がプカプカしており、不気味な雰囲気を漂わせていた。

 

 地下牢の教室は既にグリフィンドールとスリザリンの生徒で満席となり、アリスはスネイプが来る前に急いでハリーやロンと一緒にハーマイオニーの近くに座った。

 

 その隣でハーマイオニーはまた不満気な表情でハリー達を睥睨していたが、言い合いになる前にスネイプが教室に入って来たのでちょっぴり安心するアリス。

 

 全身を黒いローブで包んだスネイプは静かに出席を取り始め、他の先生と同様ハリーの名前で点呼を止めた。

 

「あぁ、さよう。ハリー・ポッター。我らが新しいスターだね」

 

 わざわざハリーが座る机の前に来てまでクラスのみんなに紹介するスネイプ。というより、魔法界が誇る有名人のハリーをネタにご贔屓のスリザリンと共に彼を貶めようという彼の意地悪な性格が垣間見えてしまい、アリスはそれが教師の在り方なのかと印象を悪くした。

 

「……さて諸君。このクラスでは魔法薬調剤の微妙な科学と、厳密な芸術を学ぶ」

 

 出席の確認を終えたスネイプが再び話し始める。まるで呟くような話し方なのに、生徒達は一言も聞き漏らす事なく沈黙する。

 

「このクラスでは杖を振り回すようなバカげた事はやらん。そこで、これでも魔法かと思う諸君が多いかもしれん。フツフツと沸く大釜、ユラユラと立ち昇る湯気、人の血管の中を這い巡る液体の繊細な力、心を惑わせ、感覚を狂わせる魔力……諸君がこの見事さを真に理解するとは期待しておらん。我輩が教えるのは、名声を瓶詰めにし、栄光を醸造し、死にさえ蓋をする方法である──ただし、我輩がこれまでに教えてきたウスノロ達より諸君がまだマシであればの話だが」

 

 クラス中が静まり返る大演説だった。大多数の生徒はスネイプの言っている内容を理解できてないようだが、アリスは素直に感嘆していた。

 

 アリスの中で魔法と言えば杖を振り、呪文を唱え、不思議な生き物を飼い、箒に乗って、怪しげな薬を作る変な人というイメージだ。

 

 だが実際は『天文学』に『薬草学』、『変身術』や『闇の魔術に対する防衛術』というように、何でもかんでも杖を振って呪文を唱えるだけの授業が意外と少ない。直接的に魔法らしい魔法を学ぶ『妖精の呪文』ですら実技オンリーではないのだ。

 

 授業を受ける前はアリスも何となく実技タイプだと認識していた『変身術』だってそうだ。蓋を開けてみれば黒板に向かって黙々とノートを採る講義の時間の方が杖を使う時間より長かったし、宿題だってマグルの先生が出すレポートの提出と何ら変わらない。

 

 そこに魔法らしさがあるかというとアリスは若干首を傾げてしまうだろう。そんな中、魔法使いの一般的なイメージに近しいスネイプが教える『魔法薬学』に至ってはまさかの科学発言ときた。

 

(なんて言うか……とっても意外。スネイプ先生は見た目からしてもっと不思議で幻想的な事ばかり教えてるかと思ってたのに……)

 

 片手で頬杖を突いたアリスが机の上に出した教科書に視線を落として考え事をしていると、突然スネイプが「ポッター!」と大きな声でハリーの名前を呼ぶ。

 

「アスフォデルの球根の粉末に、ニガヨモギを煎じたものを加えると何になる?」

 

 いきなりの事でアリスは多少面食らったが、スネイプがハリーに訊きたい事に対する答えがどうしても思い浮かばない。

 

 おかしい……事前に教科書を読んでいたアリスの知る限り、一年生用の教科書にはそのような項目は記載されていなかったはず。つまり、スネイプの求める答えはまだずっと先の授業で習う魔法薬に違いない。

 

 そんな意地悪な問題を今年入学したばかりのハリーに訊ねるのはあまりに酷というもの。アリスを含めほぼ全ての生徒が意味不明とばかりに難しい顔を浮かべる中、ふと隣を見るとまさか内容を答えられるのか、ハーマイオニーの手が高々と真っ直ぐに伸びているではないか。

 

(えっ、ちょっ……!? ハーマイオニー、なんで手を挙げちゃうのよ……)

 

 あちゃー、と手で顔を押さえるアリス。ハーマイオニーが理解できているらしい事には正直驚いたが、この状況下でハリー以外の生徒が挙手したところで結果は見えている。スネイプは意地悪のつもりか、ハリー個人に敢えて質問しているのだから。

 

「わかりません」

 

 しかしハリーはお手上げとばかりに答えた。どうやら一度も教科書を開いていなかったらしい。アリスの場合は純粋な興奮と好奇心で入学前に一通りの教科書に軽く目を通してはいたが、さすがに意地悪なマグル一家と監禁同然に暮らしていたハリーには恐らく魔法のまの字を言う事さえ難しかったに違いない。

 

「有名なだけではどうにもならんらしい」

 

 それを嘲笑うようにスネイプは口元に笑みを浮かべて続ける。

 

「ポッター、もう一つ聞こう。ベゾアール石を見つけてこいと言われたら、どこを探すかね?」

 

 『ベゾアール石』──これならアリスもダイアゴン横丁の薬屋で実物が売られているのを興味深く見ていたから知っている。ベゾアール石とは山羊の胃から取り出す茶色い石で、石という名前だが実際は萎びた内臓の見た目をしている。とても貴重で入手が困難だが、大抵の毒薬に対する解毒剤となるらしい。

 

「わかりません」

 

「ポッター、君はクラスに来る前に教科書を開いて見ようとは思わなかったわけだな?」

 

 スネイプの悪質な追及にハリーは感情を押し殺して同じ言葉を続ける事しかできない。「誰か助けてよ……!」──アリスにはハリーの震える肩が先程からそう訴えているとはっきり伝わった。

 

(っ……ハリー! これ以上は、もう……許せない!)

 

 ここにきてアリスは我慢の限界を迎えた。これでは教師による明らかな虐めじゃないか……アリスは沈黙の中でガタッと勢いよく椅子から立ち上がると、スネイプの冷たくて暗いトンネルのような黒い目を力強く睨み付けた。

 

「……何だね? ミス──」

 

「リデルです。先生はハリーに個人的な意地悪をするよりまず、クラスに来る前に受け持つ生徒一人一人の名前と顔くらい正しく覚えておくべきかと思うのですが」

 

 ……あぁ、言ってしまった。今度はスネイプの青ざめた頬にさっと赤みが広がったのが嫌でも理解できた。先ほどまで教室の後ろで小さく笑い転げていたスリザリンの生徒は途端に息を殺し、グリフィンドールの生徒はできるだけスネイプの方を見ないようにしながらアリスに視線を集中させた。

 

「……何と言ったかね?」

 

「意地悪と言いました。スネイプ先生がスリザリンを贔屓するのは別にどうでもいいです。ただ、先生の個人的な感情一つで有名人にされてるハリーをさらにクラスの見世物みたいにされるのは我慢できません」

 

 ドクッ、ドクッと慌てた心臓が鼓動を早々と鳴らす音が血管の中から聞こえてくるようだ。アリスの問題発言にハリーは呆然と、ロンは必死に笑いを堪え、ハーマイオニーはショックのあまり挙手した格好で口をあんぐりと開き固まってしまっている。

 

「……リデル、君の無礼な態度でグリフィンドールは一点減点。ポッター、君も我輩の問いに答えられなかった為にグリフィンドールは一点減点……そしてリデル、君には追加で“意地悪”な課題を山ほど出しておくとしよう。よいな?」

 

「まぁ嬉しい……感謝します、“先生”」

 

「……では諸君、授業を始める」

 

 ちっとも懲りてない様子のアリスを見て苦々しく吐き捨てると、スネイプは苛立ちげに黒いマントを翻して教卓に戻っていった。

 

 この先スネイプには絶対負けてやるもんですか──と、アリスの中に眠っていた強い気持ちが全面に湧き出す。

 

 そこからはもうアリスとスネイプの戦いだ。ようやく始まった授業でアリスはネビル・ロングボトムというグリフィンドールの大人しい男子生徒と組む事になった。

 

 アリス的にはスネイプを見返す為に誰と組んでも完璧な魔法薬を完成させる気でいたが、ハリーにはロンがいるし、ハーマイオニーは……

 

「待ちたまえ、グレンジャー。君は先ほどの無意味な挙手から察するに相当の自信をお持ちらしい。よってリデルと組むのではなく、他の生徒の為に回してやろう」

 

「先生、そんな……私、できればアリスと一緒が……」

 

「二言はない、グレンジャー」

 

 アリスと組む前にスネイプから直々に他の生徒を見るようにと言われては反論できない。アリスと組むチャンスと期待したハーマイオニーは明らかに肩を落としていた。

 

 恐らく授業前にあれだけ悪い意味で目立ってしまったアリスがここで優等生のハーマイオニーと組むと、せっかくハリーとアリスを口実に減点できたグリフィンドールへ点を返す事になりかねないとスネイプは考えたのかもしれない。

 

 それでいて今期一年生の有望株と早くも噂されるアリスとハーマイオニーを別々の生徒に回す事で、難しいとされる授業の効率化もこなす……そのやり方にはやはり腹立つアリスだが、同時にスネイプは教師陣の中でも恐ろしいほどに有能なタイプと言えよう。

 

「ネビル、こうなったら私達で文句の付けようがないってくらい完璧な薬を作りましょう。スネイプ先生を必ずギャフンと言わせてやるんだから!」

 

「ア、アリス……」

 

 鼻息荒く教科書を捲って材料の調合に取り掛かるアリスを前に、内気な性格のネビルは少々気が引けてしまっていた。

 

 一方のアリスはさっそく教科書を捲りつつ、隣の席に座るネビルに幾つか簡単な指示を出す。最初の授業では二人一組のペアで『おできを治す薬』を調合するのだが、スネイプがアリスの為にと選んだ相棒のネビルがこれまた驚くほどに不器用な生徒だった。

 

 干しイラクサを計る際にはうっかり取りこぼしてアリス目掛けて盛大にぶちまけてしまい、蛇の牙を砕くのにも必要以上の時間が掛かり、結局はアリスが全部一人でやったようなものだ。

 

 先程から消え入るような声量で何度も謝るネビルを嫌な顔一つせず励ましながら、アリスはしっかりと教科書の手順通りに角ナメクジを正しく茹でていく。

 

 その後、時間は掛かったもののアリスはネビルの協力を所々得ながら完璧に『おできを治す薬』を完成させた。

 

 さぁ見ろと言わんばかりに調合を終えた得意気なアリスは見回りに来たスネイプに自分達の成果を見せるが……

 

「ほう……初めてにしてはなかなか見事な出来栄えと言えよう。これならばおできを治す事も容易い」

 

 にんまりと笑顔になるアリス。しかし薄ら笑いを浮かべるスネイプは矛先を彼女ではなく隣に座るネビルへと向けた。

 

「……ところで、ロングボトムは何か彼女の役に立ったのかね? 我輩の知る限り、彼は足手纏いでほとんど手を休めて眺めていただけに見えたが?」

 

「先生、それは違っ……っ!」

 

「いいんだアリス。僕は別に……」

 

 理不尽とばかりにスネイプに抗議しようとするアリスを今度はネビルが止めた。その弱気な表情は暗く落ち込んでおり、首を横に振るだけで何も言えない様子。

 

「ふむ……なるほど、そういうことか。リデル、君は二人一組という授業のルールを守らず、自分の力だけで調合した薬を良く見せようと考えたな? 君の態度にグリフィンドールはさらに一点減点」

 

 スネイプが冷たく言い放つと同時に授業終了のベルが鳴った。アリスとしてはあまりの出来事に怒りを通り越して呆然と椅子から動けずにいた。

 

(……あたしが悪くってもいいわ。だけど、ネビルまで悪く言わなくったっていいじゃない! 先生のばか!)

 

 彼はスリザリンの寮監で自分の生徒を贔屓こそしても、何故ここまで露骨にグリフィンドールを目の敵にするのだろう……それは教師としてどうなのか。

 

 アリスはじんわりと滲む悔し涙を周りの生徒に見られまいと必死に隠し、薄暗い地下室から逃げるように涙を溢して飛び出していった……

 

 



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ハグリッドのお茶会

大変長らくお待たせしました。

作品全体の見直しを終わらせ、ようやく執筆できる環境が整ったので更新再開していきます。


 

 『魔法薬学』の授業の後、地下室を飛び出したアリスは中庭のベンチに腰掛けて独り泣いていたところをハリーとロンに見つけられた。

 

 恐らく心配になって追い掛けて来てくれたのだろう。アリスは目元に溜まった涙を指先で拭うと、改めて二人に向き直って感謝した。……まだ表情は幾分か暗かったが。

 

「元気出せよ。フレッドもジョージもスネイプにはしょっちゅう減点されてるんだ」

 

「僕もアリスがいなかったら、きっとスネイプにもっとたくさん減点されてたと思う。それにさっき、ネビルがすごく感謝してたってアリスに伝えてほしいって言ってたよ」

 

 真ん中のアリスを挟む形でベンチに座ったハリーとロンがあの手この手で励ますにつれ、アリスも「いつまでも落ち込んでちゃいられない」という思いが身体中から湧き出してきた。

 

「……二人とも、ありがとう」

 

 いつもは泣き虫なアリスだけど、悲しく泣いてばかりでは物語の主役は務まらない。元気を取り戻したアリスは弾むようにベンチから立ち上がると、二人に振り返っていつも通りの明るく可愛らしい笑顔を見せた。

 

「ねぇ、一緒にハグリッドに会いに行きましょ! 気晴らしに美味しい紅茶をうんと飲んでいくんだから!」

 

「そうこなくっちゃ!」

 

「それでこそアリスだ!」

 

 アリスとハリーは元々授業が終わった午後にハグリッドとのお茶会を控えていた。すると話を聞いたロンが自分も一緒に行きたいと言うので、アリスは急いで現在の時刻を確認する。

 

 三時五分前……ハグリッドとの約束の時間までギリギリといったところか。アリス達は急いで校庭を横切ってハグリッドの待つ方角へと向かう。

 

 ハグリッドは『禁じられた森』の端に位置する木の小屋に住んでいるらしく、三人が歩く先に段々とその建物が見えてきた。早速ドアをノックしてみると、中から戸を引っ掻く音と同時に唸るような吠え声が数回聞こえてくる。

 

「ハグリッド、僕達だよ!」

 

 ハリーが代表して声を掛けると、少し待ってからドアが開き、隙間から見慣れた髭面の大きな顔がのそっと現れた。

 

「おう、よく来たな。ちょうどお湯が沸いたところだ。ハリーとアリスに、あー──」

 

「ロンよ。入学の時に汽車の中でお友達になったの」

 

 ハグリッドはロンの事を知らないと思い、アリスが友達だと紹介すると、ハグリッドは忽ち笑顔になって三人を招き入れた。

 

 小屋の中は大きな円形の部屋が一つあるだけだった。非常食らしきハムや干し肉が天井から幾つもぶら下がり、焚き火に掛けられた銅のヤカンにはお湯が沸いている。

 

「ここがハグリッドの……なんだかすごいわ」

 

 マグルの貴族らしく裕福な暮らしをして育ったお嬢様のアリスにハグリッドの小屋はよほど珍しく映ったのか、部屋に入ると興味津々な様子で小屋の内装を観察していた。

 

「寛いでくれや。それとこいつは番犬のファング。一緒に仕事の手伝いなんかをしてくれちょる」

 

 先程まで内側から戸を何度も引っ掻き回していた、首輪を付けた巨大な黒いボアーハウンド犬──ファングはハグリッドの手から離れると、ちょうど椅子に腰掛けたロンに向かって飛び掛かり、涎でベトベトになるまでロンの耳を執拗に舐め始めた。

 

「ウィーズリー家の子かい?」

 

 ロンが椅子に座ったまま抱き着くファングと格闘しているのを尻目に、大きなティーポットに熱々のお湯を注ぐハグリッドは言う。やはり純血の魔法使いで赤毛という外見的特徴はウィーズリー家しか当てはまらないらしい。

 

「お前さんの双子の兄貴達を森から追っ払うのに、俺は人生の半分を費やしてるようなもんだ」

 

 そう言ってどこか苦笑いすると、ハグリッドは皿に乗せたロックケーキを三人に配り終えた。いよいよお茶会の準備は整った。

 

「そんじゃあ、ハリー達の最初の1週間に乾杯といくか」

 

 ハグリッドの合図に三人も倣ってティーカップを手に乾杯すると、アリスは早速ハグリッドの淹れた“湯立った紅茶”の香りを楽しもうと唇に運ぶ。

 

「……ちょっと、これ」

 

 が、口元に近付けてすぐに顔をしかめた。……これは駄目だ。紅茶を愛する国の人間としては不合格と言わざるを得ない、とにかく酷い出来だ。その隣では既に一口飲んだらしいハリーとロンが揃って「熱ぅっ!?」と言いながら危うく手に持ったティーカップを落として割りそうになっていた。

 

「ん? どうしたアリス、ひょっとして猫舌か? そういやたしか猫を飼ってるとか前に言ってたが、飼い主も猫に似──」

 

 しかし当の本人はどこ吹く風だ。これにはアリスも我慢できないようで……

 

「ハグリッド!」

 

 アリスは憤慨した様子で立ち上がると、ハグリッドに怒鳴ってから自分が手にしたティーカップを持ち上げた。

 

 思わずその迫力に圧されてしまうハグリッド。ハリーとロンも突然の事態に呆然と固まってしまっている。

 

「これはなに!?」

 

 アリスは自分のティーカップを散々散らかったテーブルに置くと、今度はヤカンに向かって指差したではないか。

 

「な、何ってそんなもん紅茶に決まって──」

 

「紅茶!? これを紅茶と呼ぶには明らかに大事なのが欠けているわ!」

 

 そう言うとアリスはヤカンから立ち上る熱々の湯気を見ろとばかりに睨む。

 

「まず、長い時間お湯を沸かし過ぎ! ハグリッド、あたし達がここに来る前から沸騰させてたでしょ? これじゃお湯の中の空気が抜けて紅茶の葉がうまくジャンピングできないでしょ? こうなると紅茶の香気成分がなくなって、ハグリッドが淹れたような“お湯っぽい紅茶”になっちゃうの!」

 

 アリスの熱い説教を受け、ハグリッドは棍棒で頭を殴られたような衝撃を覚える。ハグリッドも独りでティータイムを嗜む趣味を持つが、大雑把な性格である為に正しく計りもしないまま紅茶を淹れていたのだ。

 

 自分では特別美味しいと思っていたが、普段より上質で高級な紅茶ばかりを飲んできたアリスからするとまだまだ未熟なところが多い。

 

「いい? 紅茶に使うお湯の最適な温度は100度よ。それにポットとカップは予めお湯を注いで温めておかなきゃ。ミルクはちゃんと入ってるようだけど茶葉とも合ってないし……ねぇ、茶葉は普段何を使ってるの? ロックケーキに合うのは──」

 

「あ、あぁ……ホグズミードで買ったのが幾つかそこの棚に──」

 

「道具を貸して。あたしが全員分ちゃんと淹れ直すから」

 

 ハグリッドは思わず放心気味に答えながら戸棚を指差すと、アリスは急いで残りの茶葉やら紅茶道具を物色し出したではないか。

 

「「………」」

 

 その一方でハリーとロンは互いに気まずい空気の中で出された熱湯のような紅茶を再び口に運ぶ。

 

 なるほど……言われてから飲んでみると確かにアリスの言う通りかもしれない。ハリーはダーズリー家にいた時に食事で紅茶を飲む機会が何度かあり、叔母のペチュニアが淹れた紅茶は確かに味も色も香りも桁違いに美味しかった気がするとハリーは内心思った。

 

 一方でイギリス人ながら紅茶にあまり興味の無いロンの方は然程違いを気にしてないのか、火傷するくらい熱くなければ飲めると言ってハグリッドの淹れた紅茶を残さずに飲んでいた。

 

 

 

 

 

「はい、お待たせ。これでやっとお茶会になるわね」

 

 ──数分後、律儀にアリスが淹れ直した紅茶が全員に行き渡る。ティーカップから立ち上る湯気は程好い香りを漂わせ、水色は先程の黒ずんだ色とは異なる見事な紅色に輝き染まる。

 

 ハリーには飲まなくてもわかる……これは絶対に美味しい紅茶だと。早速手付かずだったロックケーキと一緒にみんなで頂いてみる。

 

 ハグリッドお手製のロックケーキは噛んだ瞬間に歯が欠けるんじゃないかと三人が思うほどに固かったものの、味自体は意外にも美味しかった。少なくとも、アリスの淹れた紅茶を飲みながらであれば固さも我慢して食べれる……アリス達はそう思ったが、口には出さずに初めての学校生活についてハグリッドに話して聞かせた。

 

「あの猫だがな、ミセス・ノリスだ。いつかファングを引き合わせなくちゃな。俺が学校に行くとな、知っとるか? いつでもズーッと俺を付け回す。どうしても追い払えん。あの老い耄れのフィルチの奴がそうさせとるんだ」

 

 ハグリッドがホグワーツの管理人であるフィルチの事を“老い耄れ”と呼んだ事に心の底から喜ぶハリーとロンだが、大人しく紅茶を飲んでいたアリスはまた違うところで口を挟んできた。

 

「まあかわいそう。その猫、きっとハグリッドと一緒に遊びたいのよ。あたしもミセス・ノリスに会って構ってみたいな」

 

 すると話を聞いたロンが隣で下品に舌を出し、ゲェーッと何か吐きそうな仕草を見せたので、可愛らしくぷくっと頬を膨らませたアリスはロンの足を然り気無く踏みつけた。

 

「痛ってぇ……まったく、おめでたい人だよ君って。あんなのがいいなんて」

 

「あらそう? 猫ってとっても可愛いじゃない!」

 

 そんなアリスの猫大好き発言を聞いてハグリッドの顔色が明らかに悪い方に変わる。黙って聞いていたハリーは「あぁ、また始まった……」と言うような訳知り顔で仕方なくロックケーキに齧り付く。

 

 どうも猫の話題になると不機嫌になるハグリッドの為にも、ハリーとロンは話題を変えてスネイプの授業で起きた出来事について話した。

 

 ハリーがクラスの前で理不尽な目に遭った事、見兼ねたアリスが少しばかりスネイプに仕返ししてくれた事……しかしハグリッドが言うには、スネイプはハリーだけでなく生徒という生徒をみんな嫌っているのだという。

 

「気にするだけ無駄ってもんだ」

 

「でも僕のこと本当に憎んでるみたい」

 

「馬鹿な。なんで憎まなきゃならん?」

 

 口ではそう言いながら、ハグリッドはまともにハリーの目を見なかった。怪しい……これは明らかに何か事情を知っているという感じに見える。

 

 みんなが飲み終えた紅茶やロックケーキの皿を一人で片付けていたアリスがスネイプの話を聞きながらそのように思考を巡らせていると、テーブルの上に置かれた一枚の紙切れがアリスの視界に入った。

 

 一体何だろうか……気になったアリスがこっそり引っ張り出してみると、それは『日刊予言者新聞』の切り抜きだった。

 

 ……『日刊予言者新聞』というのはイギリスの魔法界で発行されている有名な新聞の事だ。毎日様々なニュースや広告を掲載しているのはマグルの世界の新聞と同じだが、見出し記事の写真が動いたりするのが唯一の違いである。

 

 マグル育ちのアリスも最初は魔法界の新聞があると知って驚いたものだが、いざ読んでみるとこれが意外と面白くて役立つ。

 

 手に取って新聞の日付を見ると今日になっている事から、恐らくアリスもまだ知らない最新の情報が掲載されているに違いない。

 

 テーブルの後ろでハグリッドがロンと一緒にドラゴンの話題で盛り上がっているのを尻目に、アリスは手に取った新聞の見出し記事を声に出さずにこっそり読んでみる事にした。

 

 一面に動くモノクロの写真付きで『グリンゴッツ侵入される』と大きく記載されており、7月31日にダイアゴン横丁で起きたグリンゴッツ侵入事件についての詳細がある。

 

 取材に応じたグリンゴッツの小鬼達は侵入こそされたが盗難の被害は何も無かったと主張し、犯人によって荒された金庫は実は侵入されたその日に既に空になっていたのだという。

 

(侵入してみたはいいけれど、その金庫に何も入って無かったって知らなかったのかなぁ……おかしな犯人さん)

 

 奇妙な話だとアリスは思った。グリンゴッツに眠るお金が欲しいのであれば、何も一つの金庫だけでなく他の金庫も見て回る事だって出来たはず。

 

 しかし犯人はそうしなかった。時間の余裕が無かったのか、それとも最初からその金庫に狙いを定めていたのか……どうも後者の方が可能性としては高そうだ。

 

 アリスはホグワーツに向かう汽車の中でロンが話していた事を思い出す。それはちょうど互いの家族の事を話し終え、ダイアゴン横丁の話題になった時の事。

 

『ダイアゴン横丁と言えば──グリンゴッツのこと聞いた? 誰かが特別警戒の金庫を荒そうとしたらしいよ。でも犯人は“なんでか”何も盗らなかったし捕まらなかった。おかしなニュースさ。グリンゴッツに忍び込むなんて、きっと強力な闇の魔法使いの仕業だろうって、僕のパパは言ってたけど』

 

 あの時はハリーやロンとの談笑が楽し過ぎるあまり、そんな人もいるんだ程度にしか思わなかったが。

 

 ……今になって考えると結構な事件な気がする。しかも記事によれば犯人はまだ捕まっていないとの事で、現在魔法省が逃げた犯人の行方を捜索中というコメントで記事は終わっていた。

 

「アリス、これ……」

 

 気付いた時にはハリーがすぐ隣にいた。ハリーも同じ様に『日刊予言者新聞』の切り抜きを見ており、何やら思い当たる節があるらしい。

 

「グリンゴッツ侵入があったのは僕の誕生日だ。僕達があそこにいる間に起きたのかもしれないよ」

 

 肩を寄せ合い、お互いにひそひそ声で話すアリスとハリー。まさか、とは思う。しかしもしあの時、ハグリッドが713番金庫から持ち出したという汚い小包みが犯人の狙いだったとすれば……

 

「……ねぇハリー、この事件はホグワーツが関係してると思うの。大人達じゃ目立っちゃうし、私達でもう少し慎重に調査してみましょ?」

 

「うん。だけど……大丈夫かい?」

 

「しっ。ハグリッドに怪しまれると不味いから……後日またロンも加えて話し合いましょ?」

 

 アリスには不思議と確信があった。グリンゴッツ侵入に失敗した犯人は、きっとまたハグリッドが持ち去った汚い小包みの中身を狙って来るだろうと。そして今、それはホグワーツのどこかに保管されてある可能性が極めて高い。

 

「ハグリッド! 私達そろそろ夕食の時間だから戻らなきゃ。ごめんなさい」

 

「ん? おぉっと。もうこんな時間か、すまんすまん。どうもドラゴンの話になるとついつい盛り上がっちまう」

 

 小屋の時計を確認しながらハグリッドが口を開く。玄関前でお土産に残りのロックケーキを持っていかないかと勧められ、アリス達は断り切れずに分担してロックケーキをポケットに仕舞い、楽しそうに微笑むハグリッドに別れを済ませてから城に向かって歩き出す。その道中にはロンにもこの件を伝え、すぐさま犯人探しに協力すると言ってくれた。

 

 

 

 

 

 ──夜、アリスが女子寮にある自分のベッドに潜り込む。隣のハーマイオニーは既に寝ているらしく、深紅色のカーテンは閉められている。

 

(さっきの話、起きたらハーマイオニーにも……ううん。きっと彼女は危ないから止めなさいって怒るよね)

 

 深紅のカーテンを閉めてからベッドで横になるアリスは枕元で内心呟く。別にアリスとしてはグリンゴッツ侵入の犯人探しなど、『魔法薬学』で泣かされた事からくる大人への小さな反抗心と興味半分での思い付きでしかなく、本当の目的はハリーが以前ダイアゴン横丁で話してくれた“713番金庫の中身”が何だったのか気になるというだけの話だったりする。

 

 仮にあの場でハグリッドに直接聞いてみたところで、大人がただの一般生徒にそんな情報を簡単に教えてくれる訳ないと理解していたアリス。しかもハリーの話によれば、ハグリッド曰く713番金庫の中身は“ホグワーツの大事な仕事”で校長のダンブルドアが関わっているらしいとの事。

 

 ダンブルドアと言えば……新入生歓迎会の席でアリスが組み分け帽子に名前を呼ばれた際、他の教師陣と違ってただ一人何故かとっても意外そうな顔で見つめていた気がする……

 

 あれは一体何なのだろうか……ダンブルドアは何を隠しているのだろうか……マグル出身の自分の事を知っているのだろうか……?

 

 眠たい頭の中で浮かんでは消えていく沢山の疑問に何も答えられないまま、アリスは気付かないうちに深い眠りの世界へと意識を沈めるのだった。

 

 



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飛行訓練と空飛ぶ才能

 

 その日の朝、グリフィンドールの談話室にある掲示板には『お知らせ』が貼り出されていた。

 

『飛行訓練は木曜日に始まります。グリフィンドールとスリザリンとの合同授業です』

 

 マクゴナガルの掲示を読んだ一年生は揃ってがっかりした。しかしようやく楽しみにしていた魔法の箒に乗れるのだから我慢しよう。それだけアリスは空を飛ぶ事に憧れていた。

 

 ハーマイオニーが図書室から借りた『クィディッチ今昔』という本の内容は既に暗記したし、クィディッチの歴史や基本的なルールと反則も覚えた。

 

 校則だと一年生は自分の箒を持ってはいけない事になっているが、アリスは来年以降グリフィンドールのクィディッチチームに参加したいと真面目に考えている。

 

 これは彼女にしたら珍しい傾向だ。読書以外に木彫りとピアノ、チェスの趣味こそ嗜む程度にはあれど、それまでスポーツという分野にはあまり興味を持たなかった。

 

 そんな彼女がやる気満々に他の一年生達からクィディッチの話を聞いて回っているのを見て、ハリーとロンは嬉しくなってアリスの後を追い掛けた。

 

 

 

 

 

 その日の午後三時半、アリスはハリーやロンと一緒に正面階段を降りて校庭に出てきた。

 

 今日は空を飛ぶには絶好の日と言えるくらい風が心地よく吹き、足下の芝生が気持ち良さそうに波立っている。

 

 スリザリンの生徒は既に到着しているようで、それぞれが思い思いに談笑していた。

 

 アリス達がやって来るのがわかると、マルフォイを含め何人かの生徒は途端に談笑を止めてこちらに注目してきた。

 

 マルフォイ達はどうもネビルを見ながらニヤニヤと笑っているらしく、アリスは今朝の大広間でのちょっとした騒動がまだ何か続いていると察し、僅かに顔をしかめる。

 

 しかし因縁あるグリフィンドールもスリザリンもお互いにそれ以上絡まなかったのは、正面階段から女性の鋭い声が飛んできたからだ。

 

「何をボヤボヤしてるんですか!」

 

 マダム・フーチ──白髪を短く切り、鷹のような黄色い目をしている熟年の魔女だ。

 

「みんな箒の傍に立って。さぁ早く!」

 

 緑の芝生の上には二十本の箒が整然と並び、急かされた生徒達は慌ててその間に立ってマダム・フーチの言葉を待った。

 

「右手を箒の上に突き出して。そして、『上がれ!』と言う」

 

 マダム・フーチの指示に従って全員が「上がれ!」と高らかに合唱し始める。

 

 アリスの箒は力強く告げた途端にすぐさま飛び上がって小さな手に収まった──成功らしい。

 

(やった! 一発でできた!)

 

 心の中で軽くガッツポーズを決め、ここで少し余裕の出来たアリスは他の生徒の様子を見渡してみることに。

 

 アリスの隣に並ぶハリーはアリスと同じく簡単に成功していたが、マダム・フーチの言う通りに箒を手元に浮かばせたのはアリスとハリー、そして意外な事にマルフォイの三人だけだった。

 

 アリスやハリー達もマルフォイがクィディッチを趣味にしていて得意だとは大広間の席で散々聞かされていたが、どうやらその怪しい自慢話は嘘ではなかったらしい。

 

 一方でロンやハーマイオニーはまるで出来ておらず、箒をコロリと少し転がすのがやっとの様子。今日の授業までにアリスと二人で『クィディッチ今昔』を暗記したハーマイオニーは隣のアリスやハリーが得意気に成功させたのを見て思わず睥睨していたが、こればかりはさすがの天才も座学の成績だけではどうにもならないらしい。

 

(なんて言うか、とっても意外……あのハーマイオニーにも苦手な授業があったなんて……)

 

 アリスは他の生徒に対してやや同情的になりながら、ふと自分が手にしたボロボロの中古箒を見下ろす。『ホグワーツの歴史』という本に書いてあったが、ホグワーツの飛行訓練で使われている中古箒は1955年にイギリスのユニバーサル箒株式会社が競技用箒として開発した『流れ星』という年代物の箒だ。

 

 発売当初は他社の競技用箒よりも遥かに安い事から世界的に大ブームとなった傑作だが、開発段階でコストを大きく削減し過ぎた故に品質が悪く、年月が経つとスピードや高度が落ちてくる欠点があると判明。これを受けてユニバーサル箒株式会社は1978年に倒産し、競技用箒として一時代を築いた『流れ星』は生産中止になってしまったという。

 

 そんな裏事情を知識として知っている為か、アリスは自分含む生徒達の手にそれぞれ握られたボロボロの『流れ星』がちゃんと安全に飛べるのか少しばかり不安に思っていた。

 

(箒さん──ちゃんとあたしを飛ばせてね?)

 

 やがて生徒全員が箒を浮かばせた後、マダム・フーチは箒の端から滑り落ちないように箒に跨がる方法を実演し、続いて生徒達の列の間を回って箒の握り方を一人ずつ直していった。

 

 その後、マダム・フーチは首から下げたホイッスルを手に持ちながら生徒達の前を早々と通り過ぎて話す。

 

「さぁ、私が笛を吹いたら地面を強く蹴ってください。箒はぐらつかないように押さえ、二メートルぐらい浮上して、それから少し前屈みになってすぐに降りて来てください。笛を吹いたらですよ? 一、二の──」

 

 言うと同時にマダム・フーチは早くも合図を出そうとする──ところがここでネビルが問題を起こす。緊張するのか怖気付くのか、はたまた一人だけ地上に置き去りにされたくないとでも思ったのか──焦ったネビルはマダム・フーチの唇が笛に触れるよりも前に地面を強く蹴り上げ、勢いのまま箒に乗って飛び出してしまった。

 

 箒に跨がったまま空高く消えていくネビルの姿に、グリフィンドール生は唖然としながら固唾を飲み、逆にスリザリン生は笑いが堪えられないのか、ククッと小さく声を漏らして天を仰ぐ。

 

 その間にもネビルを乗せた箒はビュンビュンとホグワーツの塔の谷間を右に左と通り抜けていく。

 

「どうしよう……! このままじゃネビルが箒から落っこちちゃう!」

 

 校庭に立つアリスから見て、ネビルのあの危険な乗り方は自分でがむしゃらに操っているというより、暴走した箒に乗せられているとしか考えられない。

 

 恐らくはネビルの飛行に対する不安感や恐怖心をあの箒が汲み取ってしまったのだろう。箒も馬と同じで乗り手の気持ちが読み取れるのだ。

 

 そうしているうちに箒は塔の屋根付近に鎮座する白銀の騎士像に突っ込み、運良く(?)騎士像に引っ掛かったネビルを残して『禁じられた森』の方へと飛んで行ってしまった……

 

 地上で見守る生徒達が漏らす一瞬の悲鳴、そして安堵の溜息……しかし安心はできない。ネビルの着ている制服のローブが騎士像に引っ掛かり、辛うじて箒から離れる事には成功──すると今度はネビル自身の重さに引っ張られたローブが耐え切れなくなったのだろう。

 

 宛ら騎士像に引っ掛かり首を吊るような状況になっているネビルのローブが少しずつビリッビリッと嫌な音を鳴らし、ついにネビルは十メートルの高さはあるだろう地上に向かって墜落──

 

「っ……ネビル!!」

 

 それを肉眼で確認したアリスは頭上をキッと睨み付け、手に持った自分の箒に素早く跨がって地面を強く蹴り上げ、ロケット噴射の如く飛び出していく。

 

「「「アリス!?」」」

 

 突然の行動にハリー、ロン、ハーマイオニーが驚愕して叫ぶが時既に遅し。

 

 墜落するネビルを出来る限り無傷で助けたいアリスの強い気持ちに彼女の箒が同調し、見る見るうちに箒は中古とは思えない性能で急激に加速していく。

 

 ネビルまでもう少し……いける!

 

 アリスが空中でネビルの姿を捉えた次の瞬間、ハーマイオニーをはじめ何人かの女子生徒が鋭い悲鳴を上げた。

 

 なんとアリスは震える足で箒の柄の上に立ち上がり、深く息を吸い込んでから墜落するネビル目掛け、小さな身体のすべてを使ってダイビングキャッチして見せたのだ。

 

 これには状況を見守る事しかできずにいたマダム・フーチをはじめ、生徒達も無意識に「危ない!!」と叫ばずにはいられない。

 

 しかしそこから先はまるで映画のスローモーション映像を見ているように、空中で抱き合うアリスとネビルの姿がゆっくりと地上に向かって墜落していく。

 

(お願い……! 成功して……っ!)

 

 天地が逆転した状態でアリスは心の中で強く叫び、自分のローブから瞬時に杖を取り出して最初に使えるようになった呪文を唱える。

 

 それと同時に重なり合う二人は地上まであと三メートル、二メートル、一メートルと縮まっていく──

 

 この時、現場にいる誰もが思わず目を背けてしまう。あの高さから墜落してはとても無傷じゃいられない……全員がそう考えたからだ。しかし──

 

「ウィンガーディアム・レビオーサ─浮遊せよ─!」

 

 まさに間一髪。アリスとネビルの身体は緑の芝生の僅か数十センチのところでピタッと速度を落として浮遊していた。

 

「「「アリス!!」」」

 

 生徒達が二人の元に慌てて駆け付ける中、やや遅れてやって来たマダム・フーチは首に掛けた笛をピィーッと強く吹き鳴らした。

 

「ミス・リデル……ッ! あなたはなんてことをしたんですかッ!?」

 

 芝生の上でネビルと抱き合ったままのアリスを見下ろすマダム・フーチの声が震えている。それだけ危険な事をやってしまったのだ。

 

 アリスは自分のすぐ隣で泣きじゃくるネビルから離れると同時に立ち上がろうとするも、足元がふらついて芝生の上に可愛らしく尻餅を付いてしまう。

 

「ご、ごめんなさい……ネビルを助けようと思ったら居ても立ってもいられなくて……その、気付いたら箒に乗ってました」

 

「はぁ……まったく! ミス・リデル! あなたの行いはマクゴナガル先生に報告させて頂きます。それからネビルと一緒に医務室に行って来なさい。見たところ怪我はなさそうですが念の為です」

 

 溜息混じりにマダム・フーチはそう言うと、アリスとネビルを医務室に連れて行くと他の生徒達に口頭で伝える。

 

「それまで、全員箒に乗ってはいけません!」

 

 マダム・フーチのこの言葉で初めての飛行授業は一時中止の流れとなり、アリスとネビルは医務室に連れて行かれた。

 

 医務室に連れて来られたアリスとネビルは校医のマダム・ポンフリーにこっぴどく叱られた後、二人揃ってベッドに入るようにと言われた。

 

 マダム・ポンフリーは何やら用事があるらしく退室したが、アリスもネビルもこのまま医務室から出ていく気にはなれず、二人してベッド際に腰掛けて沈黙を貫く。

 

「その……ありがとう。僕を助けてくれて」

 

 先に口を開いたのはネビルだった。隣に座るアリスは自分の膝下を見つめたまま、小さく呟く。

 

「気にしないで。『魔法薬学』じゃネビルに悪い思いさせちゃったから……だから、そのお詫び」

 

 そう言うとアリスは儚げに笑ってネビルに顔を向ける。実はずっと気にしていたのだ。自分の勝手な行動がそもそもの原因とはいえ、一緒に組まされたネビルの評価を落とす様な真似をしてしまった。

 

 自分の事なら構わないがスネイプにネビルを悪く言われ、スリザリンの前で馬鹿にされてしまった事が悔しい。そう思ってのネビル救出だった。

 

「でも、僕のせいでアリスまで怒られちゃって……」

 

「もう、平気だってば。あたし、昔からレッスンの先生に叱られるの慣れっこだもん」

 

「えっ……アリスみたいに頭の良い子でも?」

 

 意外そうな顔でアリスに聞き返すネビル。対する彼女も、そう言えばこうして同年代の男の子と一対一で話す機会なんてあまりなかったなと振り返る。

 

「あたしなんか……ホグワーツに来なきゃ未だに出来の悪い娘って思われてるわ。だからお家で晩餐会とか舞踏会とか開かれても、あたしは参加しないで独り大好きな庭でいつも本ばかり読んでるの」

 

「そっか……マグルなんだってね? じゃあホグワーツから手紙もらった時はやっぱり驚いた?」

 

「えぇ。とっても驚いたわ。あたしには歳の離れた姉がいるんだけど、ロリーナ姉さんは魔女じゃないって言ってたから……それに魔法みたいな不思議な世界に憧れてはいたけれど、心のどこかじゃそんなのあり得っこないってちょっと思ってた」

 

「アリス……」

 

「ネビルはどう? って……さっきあんな目に遭ったばかりで訊くことでもないか」

 

 そう言ってアリスはクスッと笑い、ベッドから立ち上がる。するとタイミングよく、その場を留守にしていたマダム・ポンフリーが休憩時間中のマクゴナガルを連れてやって来たではないか。それもどういう訳か惨めに縮こまるハリーまでもが後ろにいる。

 

「「マクゴナガル先生……ハリー……」」

 

「……ちゃんと残っているようですね」

 

 マクゴナガルが立ち上がったアリスとネビルを見ながら口を開く。その口調から察するに怒っている様子ではなかったが、何やら言葉の裏側に別の感情が見え隠れしているような気がして、アリスは急に不安な気持ちになった。

 

 でもよかった……ここでもしアリスとネビルが医務室から早々に立ち去っていたら、後でマダム・ポンフリーとマクゴナガルから大目玉を喰らっていたかもしれない。

 

「ミスター・ロングボトム、怪我がない様なら飛行術の授業に……いえ、少し早いですが寮の談話室に戻って休んでいなさい」

 

 マクゴナガルは恐ろしい目に遭ったネビルに授業を早退してもいいと許可を与え、医務室から直接帰る様に促した。そして次はアリスに向き直り──

 

「ミス・リデル、あなたは私と一緒にいらっしゃい。先程の事で少し話をする必要がありそうです」

 

 あぁ──やっぱり呼ばれた。可哀想なネビルはともかく、マダム・フーチの言い付けを破って勝手に箒に乗って危ない事をしてしまった以上、アリスが処罰されるのは充分考えられる。

 

 そしてマクゴナガルの後ろには、何故かネビルが今朝大広間の席でみんなに見せていた『思い出し玉』を手に握り締めたまま固まったハリーが、すっかり打ちのめされたような顔をして俯いている。

 

 ハリーはあの後で何か大変な失敗でもやらかしたのだろうか……ネビルと一緒に授業を途中退席したアリスには生憎わからない。

 

「アリス……」

 

「彼女は大丈夫ですよ。さぁ、お行きなさい」

 

 帰らずに心配そうな顔でアリスを見ていたネビルにマクゴナガルが優しく告げると、不安げに頷いたネビルは一足早く医務室から立ち去って行った。

 

「では私達も行きましょう。ポッター、リデル、ついて来なさい」

 

 マクゴナガルに続いて二人は医務室を出る。ここから何処に向かっているかは嫌でも見当が付く。

 

 ダンブルドアのいる校長室、あるいは職員室か……どちらにせよ、アリスとハリーの処罰はほぼ確定的と言っていいだろう。

 

 アリスはチラッと隣を歩くハリーを見るが、ハリーも完全に諦めた表情で大人しく黙っている。

 

 いつまで歩いただろうか……マクゴナガルは大理石の階段を上がり、誰も出歩いていない廊下の途中で立ち止まる。おかしい……この辺りは授業で使う教室しかないが……

 

「ここで待ちなさい」

 

 マクゴナガルは後ろの二人にそう言うと、教室のドアを開けて中に首を突っ込む。

 

「フリットウィック先生。申し訳ありませんが、ちょっとウッドをお借りできませんか」

 

 ウッドという単語にアリスとハリーは益々わからないという顔をする。アリスにはウッドが恐らく誰かの生徒の名前だろうという事は状況的に理解出来たが、それなら何故そのウッドという生徒まで連れ出される事態になるのか。

 

 アリスが困惑していると、フリットウィックの授業中だった『呪文学』の教室から逞しい身体付きの男子生徒が姿を現す。この人物こそがウッドだろう。

 

 やはりウッドも何事だろうという顔でマクゴナガルの前に現れ、それから珍しいものでも見る様にハリーとアリスを興味津々に見つめた。

 

「三人とも私についていらっしゃい」

 

 そう言うなりマクゴナガルは再び無言でどんどん廊下を歩き出し、やがて人気の無い空き教室を指し示す。

 

「さぁ、この教室にお入りなさい。ポッター、リデル。こちら、オリバー・ウッドです。ウッド、ついに私達のシーカーを見つけましたよ」

 

「えっ……? 先生、それは本当ですか!?」

 

 信じられないという様子のウッド。それまで怪訝な表情でハリーとアリスを見ていたが、そこにマクゴナガルがきっぱりと言い放つ。

 

「間違いありません。この子は生まれつきそうなんです。あんなものを私は初めて見ました。ポッター、初めてなんでしょう? 箒に乗ったのは」

 

 黙って頷くハリー。どうやら二人揃って処罰にはならなさそうだ……少し落ち着いたアリスはマクゴナガルがウッドに話している様子を黙って聞いていた。

 

「この子は今手に持っている玉を、十六メートルもダイビングして掴みました。掠り傷一つ負わずに。チャーリー・ウィーズリーだってそんなことできませんでしたよ」

 

 所々に興奮を隠し切れない様子のマクゴナガルの話を聞いていると、どうやらハリーは中古の箒に乗ってネビルの思い出し玉を校庭の遥か上空からダイビングキャッチして見せたらしい。

 

 自分もあまり他人の事は言えないが、ハリーもまたとんでもない無茶をやったものだと呆れを通り越して感心してしまう。

 

 すると今度はマクゴナガルがアリスの方を見ながら話を続ける。 

 

「フーチ先生から聞きましたよ。リデル、あなたは箒でグリフィンドール塔の上から危うく墜落し掛けたロングボトムを数十メートルの高さからダイビングキャッチして見せ、更には授業で覚えたばかりの物体浮遊の呪文を使って、地面スレスレのところで見事に緊急停止した、と。そうですね?」

 

「は、はい先生……でもあれは、ああしなきゃネビルが頭から落ちて大変だったから……あっ、でもそれ言ったらあたしもかぁ……」

 

「……まぁ、それについては大目に見ましょう。ですがリデル、あなたも初めてだったのでしょう? 箒に乗ったのは」

 

 黙って頷くアリス。その隣に立つウッドは今にも騒ぎ出しそうなほどに昂ぶる興奮を隠せていない。

 

「ポッターにリデル……マグル育ちでこれほど箒を上手く扱える一年生は恐らくあまりいないでしょう。あなた達には間違いなくクィディッチの天才的な才能があります」

 

「ポッター、リデル。二人ともクィディッチの試合を見た事あるかい?」

 

 とうとう我慢できずに口を挟んだウッドの声は歓喜に震えている。どうやらウッドはグリフィンドール・チームのキャプテンらしく、それで急遽マクゴナガルに呼び出されたとの事。

 

 アリスにはまだよくわからないが、二人の話を聞く限り、どうやらグリフィンドール・チームは規則で禁止されている一年生を今年のチームメンバーに是が非でも加えたいほど、ここ数百年間のホグワーツ最弱チームとして今まさに活動の窮地に立たされているらしい。

 

 特に重要なポジションとなるシーカーの不在が大きく、去年までチームのシーカーとして長らく活躍し、近年では『チャーリー・ウィーズリーの奇跡』とすら言われるただ一度の寮対抗優勝杯をグリフィンドールに齎した後、在学中は敗戦続きのまま二度と優勝する事なく卒業したチャーリー・ウィーズリーの代役が未だ見つかってなかったのだ。

 

 当然チャーリーに代わる新しいシーカーが用意できなければ、クィディッチのルールとしてグリフィンドールの代表チームは寮対抗戦にシーカー無しのまま出るしかない。そこで焦っていた寮監のマクゴナガルは今年入る新規メンバー候補に期待していた。

 

 しかし新学期が始まってチームキャプテンのオリバー・ウッドから聞かされたのは、残念ながら誰一人見所ありそうな新入りがいないとの厳しい言葉。マクゴナガルもこれには失望し、益々見つからないシーカー探しは急務となった。

 

 そんな絶体絶命の状況下で、マクゴナガルが偶然見掛けたのがハリーによる『思い出し玉ダイビングキャッチ事件』だった。最初マクゴナガルは自分の部屋で箒に跨るハリーの姿を見た時に思わず我が目を疑い、到底信じられないものを見たという表情で窓際に駆け寄ってしまったほど。

 

 ついに、ついに理想のシーカーを見つけた──マクゴナガルは衝撃と興奮の中で確信した。チャーリーが抜けた今、どん底まで沈むグリフィンドールのチーム再生はハリーに懸かっていると。

 

 マクゴナガルがチーム勧誘の為にすぐさまハリーの元へ向かう途中、慌ただしく駆け付けた『飛行術』のマダム・フーチから同じく一年生であるアリス・リデルが起こした『ネビル救出劇』も聞いていた。

 

 ハリーだけでなくアリスにも天才的な選手としての才能がある……しかも二人揃って生粋のマグル育ちで、恐らくクィディッチなどそれまで聞いた事さえ無かったに違いない。そんな二人の一年生が同時に現れてくれるなんて……

 

 このまま二人をクィディッチと関わらないままにして、その優れた才能を腐らせたくはない。その為ならば一年生が競技用の箒を持てないなどという校則も是が非でも曲げてもらう必要がある。

 

 それだけマクゴナガルは最弱と化したグリフィンドール・チームの復活を夢見ていた。その昔、学生時代のマクゴナガルがグリフィンドールの代表シーカーとして活躍し、寮対抗試合で数々の金のスニッチを手に収めてきたあの懐かしい栄光の日々を思い出して……

 

 他の誰よりもクィディッチ想いなマクゴナガルが感傷に浸っていると、ウッドはまだ一人でブツブツと話していた。アリスもハリーも口を挟む気になれず、二人のクィディッチ愛を静かに聞いていた。

 

「よ~し、いけるぞ! シーカーはポッターでいいとして、チェイサーはリデル──あぁいや、補欠のスピネットが今年から代表に上がったんだったな……うーん」

 

 そうなのだ。他のチームのチェイサーとは異なり、グリフィンドール・チームのチェイサーには昔から女性選手が選ばれるという偶然の伝統がある。唯一の例外はハリーの父親であり1970年代に優秀なチェイサーとして活躍したジェームズ・ポッターくらいで、あとは歴史的にほぼ全員が“何故か女性選手ばかり”選出されている。

 

 そして現在チェイサーには三年生のアンジェリーナ・ジョンソン、同じく三年生のアリシア・スピネット、二年生のケイティ・ベルの三人がいる。このうち去年は育成枠としてチームの補欠チェイサーだったアリシア・スピネットが今年で正式に代表入りの座を勝ち取り、新たにグリフィンドール・チーム定番人気の『チェイサー三人娘』と呼ばれる様になった。

 

 残るビーターやキーパーはかなりの力が必要なポジションで女性よりも男性が主に選ばれる為、このままいくとアリスが代表に入り込む枠が無い。それに気付いたウッドは頭を抱えて悩む。

 

 チェイサー三人娘の実力はこの二年間でどうにか戦えるレベルにまで成長する事ができたし、キャプテンとして常に三人を見てきたウッドから見ても外すには惜しい。というより外せない。

 

 かと言ってあのマクゴナガルが唸るほどのアリスの箒に乗る才能を試合で見てみたいというウッドの個人的な興味もある。さてどうしたものか……

 

「──でしたらウッド、リデルを育成選手にするというのはどうでしょう? 今年一年生が二人も試合に出てプレイするとなると他のチームが騒ぐでしょうから。リデルには規則で正式に認められる来年度から入れ替えメンバーで試合に参加するという形で、今年は試合に出さずに適性なポジションの確認と練習の機会を与えてみては?」

 

「なるほど……それはいいですね!」

 

 本来クィディッチ・チームには育成枠と呼ばれる補欠の選手が各ポジション毎に何人か存在する。メンバー育成やポジション選択に余裕のある他の3チームと異なり、グリフィンドール・チームは長らくホグワーツ最弱だった上に代表メンバーが数年間代わり映えしないまま固定されてきたなどの苦しい事情もあり、それまではチーム再生に向けた代表メンバー候補を育てる余裕がなかったのだ。

 

 そんな苦難の時に現れたのが今年入学した一年生のアリスとハリーだ。しかも二人揃ってクィディッチの天才的な才能があると聞く。ウッドは尊敬の眼差しで未だ困惑しているアリスとハリーを見つめると、何やら考え込む仕草で話し出す。

 

「期待の秘密兵器にはそれぞれ相応しい箒を持たせないといけませんね、先生。身軽ですばしっこいポッターには『ニンバス2000』とか『クリーンスイープの7番』……そのポッターよりもかなり身長が低い小柄なリデルにはよりコンパクトでテクニックを重視した機動力抜群の……あぁそうだ、たしか“あの”日本の有名箒メーカー『トヨハシ』が作った箒なら、リデルくらいの小さな女の子でも上手く乗れるんじゃないですかね?」

 

 なんだろう……ウッドに身長が低いと若干馬鹿にされた気がする。確かに今年11歳のアリスは同い年で身長も高いハーマイオニーと比べ、イギリス人の女の子の平均身長144cmから更に10cmほど低い身長をしており、どちらかと言えば日本人の小学校低学年に近しい外見的幼さに見える。

 

 ウッドが心配するのも当然だ。というのもイギリス産の箒はすべて一般的な平均身長よりも高い人が余裕をもって乗れる様に大きめに設計されている為、現状130cmちょっとしか身長が無い小さなアリスが箒に乗ると全体的なバランスが崩れ易くなってしまう。つまり身体が箒のサイズに合ってないのだ。

 

 そこで考えたウッドの提案が世界の極東に位置する日本の箒だ。世界的にも身長が低い日本人が乗る箒ならばアリスでもバランス良く扱えるはず……しかもウッドが噂で聞いたところによれば、日本産の競技用箒にはクィディッチでルール違反にならないレベルで様々な機能が備えられているとか。

 

「それでしたら、私からダンブルドア先生に話してみましょう。ダンブルドア先生は日本のマホウトコロとも交友をお持ちなので、きっとお許しくださるはずです。まぁ少々箒の値段は高くなりますが……何とかリデル用に一本購入できないか頼んでみましょう」

 

 ウッドから日本産の箒購入を持ち出されたが、マクゴナガルは意外にも構わない様だ。ちなみにイギリスの最高級箒『ニンバス』は平均価格18000円(日本価格で)くらいで、技術大国である日本の最高級箒『トヨハシ』にもなると平均価格50000円(日本価格で)は下らないというが……

 

「先生、たしかクィディッチの国際ルールではチームの選手が国産の箒以外を持ち込んでも問題ないとなってるはずですよね?」

 

「えぇ、ウッド。外国の箒が“どの様な特徴的形状”だとしても、それが“はっきりと箒である”と認められるのなら、クィディッチの試合に使用する事は可能なはずです。もちろん、箒がリデルの手に渡る前に危険性が無いか、飛行時にルール違反などの問題が無いどうか、私やマダム・フーチが入念に検査します」

 

 マクゴナガルが特別措置として承諾したのには一応理由がある。まず、日本の箒は一本一本が完全受注生産な為に高性能高品質で値段設定こそ高額だが、肝心なスピード面では意外にもイギリスの箒とそこまで性能に明確な差が出ないという日本特有の弱点を持つ為。

 

 これは世界のどんな国よりスピードを何よりも最重視するイギリスと異なり、日本が空飛ぶ箒にスピードよりも安全性や機能面に重きを置く為で、クィディッチ・ワールドカップでアジア大陸唯一の強豪国として数えられる日本チームが決勝リーグをなかなか勝ち進めずに途中敗退する理由にもなっている。

 

 そこでアリスが仮にホグワーツの寮対抗試合で日本の箒に乗ったとしても、他の選手が使うイギリスの箒に混ざってフェアな試合はできるとマクゴナガルは考えたのだ。

 

(……まさか『思い出し玉』を取り返す為に乗っただけで、アリスと一緒に自分の箒まで買って貰えるなんて……今度ネビルとマルフォイに感謝しなきゃ)

 

(……あたしの初めての箒……あたしだけの……日本で作られた箒……どんな感じなんだろう……?)

 

 静かな教室内でマクゴナガルとウッドの専門的なクィディッチ会話を聞きながら黙り込むアリスとハリー。二人はそれぞれ自分が規則を破りながらご褒美を貰える事に内心とても驚いているようだ。

 

「あとは一年生の規則を曲げられるかどうか……是が非でも去年よりは強いチームにしなければ。あの最終試合でスリザリンにペシャンコにされて、私はそれから何週間もセブルス・スネイプの顔をまともに見られませんでしたよ……」

 

(うわぁ……先生、それ思いっきり個人的な理由入っちゃってるよぅ……)

 

 それにしても……『変身術』の授業では自身が受け持つグリフィンドールの生徒を贔屓などしない真面目なマクゴナガルが、ことクィディッチになるとまるで人が変わった様に熱くなるとは……

 

 これはアリスの物語を語る度に毎回大興奮してるハーマイオニーにそっくりだなと、アリスとハリーは今回の件で印象が良い意味で変わったマクゴナガルを見て少しクスッと微笑んでしまった。

 

「ポッター、リデル。あなた方が厳しい練習を積んでいるという報告を聞きたいものです。さもないと処罰の件、もう一度考え直すかもしれませんよ」

 

 そう言ってマクゴナガルは滅多に見せない微笑みを二人に浮かべてから、意気揚々と足取り軽く去って行った。

 

 





『アリスの身長』
11歳で130cmと少ししかない。イギリスの子供の平均身長よりも明らかに背が低い。
同じ11歳のハリーやロン、ハーマイオニーが145cmで小学校高学年くらいだとすると、今のアリスは小学校低学年くらいの身長差がある。なお、今後の話で急成長するかは不明。

『クィディッチ愛』
マクゴナガルとウッドのクィディッチ愛が原作より強い。

『アリス、クィディッチ選手に?』
うん、現時点だとポジション枠が無いねぇ……。
チェイサー三人娘のアリシアかケイティをチームからいなくする事も考えたけど、補欠としてハリーやチェイサーと入れ替わりで試合に出す方が良いかと思いこのように。
アリスがクィディッチで本格的に選手として活躍するのはジニーと同じ不死鳥の騎士団からでしょう。

『アリスの箒』
イギリス産の箒だと身体的にバランスが悪い為、考えた末によりフィットしやすい日本の箒(オリジナル)を今回は輸入する事に(えっ
値段設定はかなり高額ですが、競技用箒としての性能は『ニンバス2000』より僅かに遅く、『クリーンスイープ7番』よりは速いくらいです。
また、スピードや重量以外の性能はイギリスより日本の箒が優れていますが、アズカバンの囚人で発売される世界最速最強の『ファイアボルト』には日本の箒だと全く勝てません。
ちなみに本作で日本要素が入るのは箒やクィディッチ関連くらいです今のところ。


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真夜中の冒険

 

 ──夕食時の事。初めての『飛行術』の授業を早退したアリスは友達のハーマイオニーと二人で大広間の席に腰掛けていた。

 

「えぇぇ〜っ!? それじゃああなた、規則を破ってご褒美を貰えたと思ってるわけ!?」

 

 アリスから事の顛末を聞き終えたハーマイオニーは周りの生徒に聞かれないよう、声量を小さく抑えてアリスに厳しい視線を送る。

 

「規則じゃないわ。マダム・フーチの言い付けを破ったってだけでしょ? だけどあの時はああしなきゃネビルが墜落してた──違う?」

 

「そ、それは……そうだけど……!」

 

 無茶な事を仕出かしたアリスを叱ろうと思いつつも、ネビルの事を出されたらさすがのハーマイオニーもそれ以上強くは言えないらしい。

 

「まぁ、私もマクゴナガル先生の話には正直グリフィンドールを贔屓し過ぎじゃないかって少し思うところはあるけれど……」

 

 ハリーやアリスがホグワーツの有名人だからか、それとも二人に空を飛ぶ才能を見出したからなのか……例えばもしこれが、他の生徒が彼らと同じ様に箒を無断で飛ばしていたとするなら、果たしてマクゴナガルに褒められて自分用の箒まで貰えていただろうか……と、アリスはどうしても考えてしまうわけで。

 

 今はまだハリーとアリスが一年生でありながらクィディッチ・チームにスカウトされた事はグリフィンドール・チームの選手以外に知られていない為、他の寮から不満や文句といった声は出ていない。

 

 しかし間違いなく不公平だと怒る生徒は今後出てくるはず……アリスはそうなった時が空を飛ぶ事よりもずっと不安で怖かった。

 

「そうね……それにしても、マクゴナガル先生がそんなにクィディッチが好きだなんて驚いたわ」

 

「ほんと。いつもは真面目なイメージなのにね。ふふっ、そういうところハーマイオニーにそっくり」

 

 言われてハーマイオニーの頬が赤く染まる。自分でも自覚はしているのだろう。ずっと憧れの存在だった本物のアリスと出会い、今こうして隣に座って夕食のステーキ・キドニーパイを食べているのだから。

 

「そう言えば、あなたハリーと違って日本の箒を貰えるって言ってたわね……」

 

「……? 日本のこと何か知ってるの?」

 

「まぁ、知っているかですって!? とにかくすごいんだからあの国!」

 

 あっ……これはまた“いつもの”が始まったな。アリスは経験上そう思うが時既に遅く、ハーマイオニーは目をキラキラ輝かせて興奮気味に語り出す。

 

「日本って国は世界的に見ても独特な文化を持つ珍しい国なのよ。特に信じられない有名な文化が、日本のマグルと魔法界が上手く融合し合ってあらゆる分野で共存関係にあるって事ね!」

 

 ハーマイオニーの言う様に日本という国はかなり特殊である。遥か昔、伝説の魔女『卑弥呼』の時代から魔法が歴史的に繁栄してきた世界最古の国家だが、19世紀後半の明治維新後に日本の魔法界と非魔法族との間で信じられない革新が起きた。

 

 マグルやスクイブ、半純血に対する差別主義が古来から根強く残っているイギリスと異なり、日本に置いて血の差別は全くと言っていいほど存在しない。明治維新より前の日本人は巫女や忍者、呪術師、陰陽師、霊媒師などと呼ばれる純血の魔法族が一般的に存在したが、現在ではその全てが純血である事を捨て去り、マグルと積極的に交わる事で滅びる事なく平和に繁栄して伝統的な血を残しているのだという。

 

 その為、英国魔法界に蔓延る出身者差別や貧富の格差が存在しない日本においては単に“魔法力を持つか持たないか”──その区別だけがあるわけで。

 

「どういう事……?」

 

「つまりね、私達みたいな普通の魔法界ならマグルに自分達の存在を気付かれない様に魔法を隠す必要があるでしょう? でも日本だとそれがまるで違うらしいのよ」

 

 まず第一にイギリスなどの他の外国の国々と違って、日本では現在でも妖怪や幽霊、精霊に八百万の神様が全国各地に存在し、人間とも平和的に共存している為、日本人はマグル出身でも古くから魔法や魔術といった不思議な力を信じる者が圧倒的に多い。

 

 加えて昭和時代に入ると魔法とは別に科学技術が急激に発達し、あらゆる分野のマグル製品が普及。魔法族の家庭であっても日本の魔法使いは皆好んで便利な電化製品を使い、煙突が家庭に存在しない日本では煙突飛行ネットワークの代わりに普段から箒や電車、空飛ぶ車や空飛ぶバイクで移動し、誰もがマグルのゲームに漫画、テレビ番組に夢中なのだという。

 

「特にアニメよね! 知ってる? 日本じゃアニメの制作会社に本物の魔法使いや魔女が何人か雇われてて、同じ職場のマグルには正体を隠して自分達の魔法や文化を少しずつアニメの中で登場させちゃうの」 

 

「えっ、でも……さすがにそんな事したら魔法省から怒られるんじゃ……? 日本に魔法省があるか知らないけれど……」

 

 アリスの疑問は最もだ。しかしハーマイオニーはふんわり笑って早口に答える。

 

「普通そう思うわよね? でもその結果、マグル向けにアレンジされた“架空の魔法”が出てくる日本のアニメが世界的に大ブームになっているの。イギリスだと『NINJA』、『バケモン』、『人間と幽霊美少女のラブコメ』、『空飛ぶ箒レース』、『魔法少女』、『魔法学園』、『異世界転生』なんかがやっぱり有名ね」

 

「へぇ〜……本だけじゃなくてアニメにも詳しいのね、ハーマイオニー」

 

「ほら、私の家が歯医者って前に話したでしょう? そこのテレビでマグル向けに作られた日本の『魔法少女』や『魔女っ子』ばかり観て育ったわ。だから私、ホグワーツから手紙を貰った時はずっと箒に乗って空を飛びたいって思っていたの!」

 

 そう言ってがっかりした様子で肩を落とすと、ハーマイオニーはホグワーツでの自分のささやかな夢をアリスに聞かせる。

 

「でも……イギリスの箒は私が『魔法少女ミラクル☆リリー』で観て知ってる魔法の箒と違ったわ。見た目もシンプルだし、飛行時にキラキラ光る星の軌跡も出ないし、箒のサイズを乗り手に合わせて自動で調整できないし、『ブルームナビ』っていう自動音声認識地図検索機能も付いてないし」

 

「えっ、待って何それ……ほんとに箒……?」

 

 ただ単に跨って飛ぶのが一般的な箒だと思っていたアリスにとって、日本で使われている箒に様々な機能がある事は信じられないらしい。その間にもハーマイオニーはテーブル上のステーキ・キドニーパイを綺麗に食べ終わる。

 

「ねぇアリス。日本の箒が届いたら、私にも一度乗せてくれない? 私だって本物の魔女になったんだから、魔法少女みたいに可愛い箒に乗って『ヘンシン』って言ってみたいわ」

 

「ハーマイオニー……え、えぇ……そうね」

 

 アリスはどう言葉を掛けるべきか本気で悩む。昨日の飛行訓練の一件で不機嫌なハーマイオニーに日本の箒を貰える様になったと話した途端、彼女が怒りを忘れて驚いていた理由がようやく分かった。

 

 つまるところ、ハーマイオニーも魔法の箒で空を飛び回りたいのだ。尤も、飛行訓練での内容を見る限り恐ろしく飛ぶのが苦手なんだろうなぁ……とは内心思ったが。

 

 

 

 

 

 ──その日の深夜23時半過ぎ、消灯時間を過ぎても遅くまでグリフィンドールの談話室に居残っていたアリス。制服から着替えたのか、女性用の白いナイトガウンを羽織ったまま、先日『魔法薬学』でスネイプに意地悪く出された山程の課題レポートを片付けていた。

 

 その様子は明らかに不機嫌そうで、他の生徒は暖炉の前に座り込んだまま一言も喋らない彼女にとてもじゃないが声を掛ける気になれず、どこか避ける様にして勉強中のアリスを独りにさせていた。

 

「………」

 

「あ、あの……アリス?」

 

 そこに恐る恐る近寄る二つの人影──ハリーとロン。二人はパジャマの上にガウンを引っ掛け、男子寮に続く螺旋階段を下ると、アリス以外に誰も居なくなった薄暗い談話室に下りて来た。

 

「あら二人とも。どうしたの? もう寝る時間でしょ?」

 

 レポートの上で羽根ペンを忙しく走らせていた白いガウン姿のアリスがふと視線を上げると、ハリーとロンは何やら困った様子でアリスの隣に座り込む。

 

「そう言うアリスこそ……」

 

「えっとその……課題大変そうだね」

 

「いいのよ。元はと言えば先生のスネイプにあんな態度取った私が悪いんだし」

 

 然程気にしてないと言いつつ、アリスは長時間作業していて硬直した背筋をググッと伸ばす。

 

「……なぁハリー。アリスに“あの事”聞いてみろよ……」

 

「でも……勉強の邪魔しちゃ悪いし……」

 

 ハリーとロンがひそひそと意味深に話す中、羽根ペンを再び走らせたアリスはレポートに目線を落としたまま二人の方を見ずに訊ねる。

 

「それで? 私に何か用なの?」

 

「あ、えっと……いいんだ別に。ごめんねアリス。そのまま勉強しててよ」

 

 ハリーはそう言って何故かそわそわしながら立ち上がると、未だ言おうか言わないか迷っている様子のロンを小突いて立たせた。

 

「ロン、行こう」

 

「あ、あのさ……アリスはネビルを見なかった?」

 

 とその時、ロンがついに我慢できずに言ってしまう。一方でアリスとしては全く予想外の名前をいきなり出され、思わず困惑した顔を二人に向けて聞き返す。

 

「ネビル? ──いいえ。私が談話室に最後まで残ってたけれど、ネビルの姿は見てないわね」

 

 アリスの答えを聞いた二人は“やっぱり”という顔で互いに見合わせ、慌てて談話室の出入口がある肖像画の穴に向かって歩き出すではないか。これにはアリスも何事かと羽根ペンを投げ捨て、二人の後を追いながら話し掛ける。

 

「ちょっと二人とも、待ってよ! 一体どうしたの? こんな夜遅い時間に外を出歩くつもり?」

 

「ごめんアリス、でも僕達急がなきゃ。実はネビルがベッドに居ないんだ」

 

 口早に説明しつつ『太った婦人』の肖像画を押し開け、その穴を乗り越えて行くハリーとロン。ハリーの話を聞いたアリスも慌てて肖像画の穴を乗り越え、グリフィンドール塔入口前の廊下に飛び出す。

 

「えっ? うそ……本当に?」

 

 信じられないとばかりにアリスが問う。ネビルが校則を破って真夜中に外出する様な生徒じゃない事はアリスもよく理解しているはず。そのネビルが何故……?

 

「──だったら私も一緒に行くわ。ネビルが心配だから」

 

 それに、ネビルが寮を抜け出したのは何となく自分に関係している様な気がするから……このまま放って置くなんて真似できない。

 

「ダメだアリス! 君まで連れ出す訳にはいかないよ! 同室のハーマイオニーに見つかるかもしれないし、早くベッドに戻らなきゃ!」

 

 それでも負けじとハリーが声を荒げる。するとその後ろにいたロンがハリーに向かって首を横に振り、今し方穴を乗り越えて来たばかりの『太った婦人』の肖像画を指差す。

 

「見なよ、二人とも……僕達帰れなくなっちゃったみたい」

 

 ロンの言葉にアリスとハリーが後ろを振り返ると、確かに『太った婦人』の肖像画はいつの間にか消えていた。どうやら彼女は夜の散歩にでも出掛けたらしく、結果的にアリスはグリフィンドール塔から締め出された形に。

 

「「「………」」」

 

 一同沈黙。そしてアリスは“わざとらしく”肩を竦めて見せる。

 

「──さぁ、これで私も共犯ね?」

 

 まるで悪戯が成功したかの様に、にやりと笑みを浮かべて可愛らしく言うアリスに対し、ハリーとロンは思わず笑顔になってしまう。実際のところ、この場で一々うるさく怒ったりしてこないアリスが一緒に居てくれるだけで、今の二人にはとても心強い。

 

「君、最高の女の子だぜ」

 

「二人とも静かに。見回りのフィルチが気付かないうちに、ネビルが行きそうな場所を探してみよう」

 

 ロンがニヤニヤ笑っていると、ハリーも仕方ないとアリスに着いて来るよう目配せで指示を出す。アリスを仲間に加えたハリーとロンはネビルが普段行きそうな場所を思い浮かべようとするも、あまりネビルと一緒にいない為に生憎見当も付かない。

 

「医務室じゃないか? いつも怪我してそうだし」

 

「ちょっとロン。ネビルは飛行中に怪我してないのよ? その言い方はどうかと思うわ」

 

 ロンの当てずっぽうな予想に眉を顰めるアリス。それと同時にハリーが二人の会話を片手で制して静かにする様にと素早く合図する。

 

「シッ。──フィルチだ」

 

 アリスとロンがすぐに話し声を止めると、三人が立つ廊下の一番向こう側から黒い人影が壁伝いに真っ直ぐ伸びるのが見えた。ホグワーツを管理する意地悪なアーガス・フィルチがランプを片手にあちこち城内を見回っているらしい。

 

「どうしよう……このままだと全員見つかっちゃう」

 

「急ごう。アリス、ネビルが行きそうな場所に何か心当たりとかない?」

 

「うーん……ネビルが行きそうな場所……城の中だと図書室とか。でもそれなら夜20時には閉館だし、とっくにフィルチかピンス司書に見つかってるはずよね……」

 

 アリスはネビルが図書室で一人勉強しているのを何度か見掛けた事がある。しかしアリス的にはネビルがハーマイオニーの様に毎日閉館時間ギリギリまで図書室に通い詰める勉強熱心な生徒には見えないし……

 

「もしかしたら、ネビルは暗い場所にはいないんじゃないかしら? 彼って人一倍怖がりみたいだし」

 

「それかお腹痛くてトイレに籠もっているとかだな」

 

「先生に見つかって罰則を受けてるのかも」

 

 などと考えながら先程フィルチの影が見えた方向とは真反対の廊下を素早く静かに移動する三人。そうしているうちにアリス達は大広間に繋がる動く階段がある広々としたエリアまでやって来た。

 

 ここは各寮に続く真っ暗な廊下と違って真夜中でも明るく照らされており、消灯時間過ぎて既に誰も人が通らないにも拘らず階段が時々上下左右に動き出したりしている。

 

 壁際に数え切れないほど飾られているホグワーツの様々な肖像画達は全員が目を閉じて寝ていたり、『太った婦人』と同じく別の場所にある肖像画へと外出中だったりして、誰もアリス達が真夜中に抜け出して歩いている事に気付いてもいない。

 

「うわー。こんな明るくて目立つ場所じゃ、フィルチにすぐ見つかっちゃうよ」

 

 ロンの言い分は正しい。三人はなるべく足音を立てない様にして階段を渡り始める。と、その時──

 

「──ねぇ!? 見て! あれ、あそこにいるの──ネビルじゃない!?」

 

 アリスが急に大声を出して階段の遥か下を指差した。見れば四階に位置する“消えた階段”の前で昼間と同じ制服姿のネビルが震える様に“残された手すり”にしがみつき、しゃがみ込んでいるではないか。

 

「本当だ! どうしてあんなところに……」

 

「急ごう。フィルチが来ないうちに!」

 

 ハリーとロンも遥か下にいるネビルの小さな姿を視認すると、三人は急ぎ四階に降りれる階段を進み始める。

 

「ネビル! 大丈夫かい!?」

 

 やがて五階と四階を繋ぐ階段の先端側に到着したハリーが代表して声を掛けると、三人を見上げる形でネビルは泣きながら首をぷるぷる震わせて口を開く。

 

「ああよかった! 僕、もうずっと前からここに取り残されてるんだ。図書室が閉館して、寮に帰ろうとしてたら途中で階段が動き出して──」

 

 ──ネビルの話を纏めるとこうだ。あの飛行訓練が悲惨な結果に終わって医務室から一人帰った後、アリスとハーマイオニーが夕食の席で日本について話していた事を近くで盗み聞きしていたネビル。

 

 そこでネビルは初めての授業で不甲斐ない自分を二度に渡って助けてくれた恩人のアリスにお礼をしようと思い付き、夕食後に急いで図書室に行ったそう。

 

 そこで閉館時間まで目的の本を何冊か借り出して来たものの、両腕いっぱいに分厚い本を抱き抱えながら歩いていたネビルはグリフィンドール塔に通じる階段ではなく別の階段に乗ってしまい、気付いた時には新入生歓迎会でダンブルドアが話していた四階の禁じられた廊下に到着。

 

 自分のよく知る居心地良い綺麗な廊下とはまるで景色の違う、四階の冷たく寂れた暗い廊下に気付いたネビルは慌てて元いた階段まで引き返そうとしたものの、既に階段は何処かに移動してしまった後──

 

 そこからなんと3時間以上も居なくなったまま一向に戻って来ない階段が残した僅かな手すりの石柱にしがみつき、誰かが来るまで隠れて待っていたとの事。

 

 しかし運が悪い事に禁じられている四階に続く階段まで近寄ろうとする生徒は皆無で、またそれぞれが寝泊まる各寮への階段も城の七階に位置する為、わざわざ行く必要の無い四階の入口までは誰も見る暇なかったのだろう。

 

「とりあえず、ネビルが無事なのはわかったけど──」

 

「うん。この先にあるはずの階段が戻って来ないんじゃ、ネビルのところまで届かないよ」

 

 ネビルから話を聞き出した三人はどうにかしてネビルが待つ四階の入口まで辿り着こうとするが、こうして三人とネビルを繋ぐ階段が消えている以上、手も足も出せない。

 

 万事休すか……と、その時。

 

「──アリスッ! このばか!」

 

 階段の下で立ち往生しているアリス達の背後から突然聞き覚えのある声が響き渡る。この声は──

 

「えっ……? ハ、ハーマイオニー!?」

 

「おいおい、噓だろ……?」

 

 全員が驚愕する。あの規律を擬人化した様な優等生のハーマイオニーが、ピンク色のガウンを羽織った寝間着姿でこちらに猛接近して来る。

 

 その表情は完全に激怒しているのが誰の目にも明らかだ。しかも驚いた事に彼女の目元は赤く濡れ、泣き腫らしているではないか。

 

「ハーマイオニー……泣いてる……?」

 

 泣き顔のハーマイオニーは下りの階段を何段か飛ばしかねない勢いで素早く突き進み、いよいよ動揺を隠せないアリスに向かって力強く抱き着いた。

 

「ぐすっ……ばかぁ……ほんとに私……ぐすっ……ずっと、ずっと心配してたんだからぁ……!」

 

 アリスにがっしりとしがみ付くと、スンスン鼻を鳴らして泣き崩れてしまうハーマイオニー。これにはアリスだけでなくハリーやロン、そして階段の先端側にいる彼女達を見上げる形でオロオロしていたネビルまでもが激しく動揺してしまう。

 

 アリスに出会えてようやく落ち着いたハーマイオニーの話によると、『太った婦人』はあれから数分も経たないうちに自分の肖像画へと帰って来たらしく、グリフィンドールの談話室を抜け出したハーマイオニーは『太った婦人』にアリスがいつの間にかベッドから居なくなったと伝え、婦人の制止を無視してまでそのまま探しにやって来た様だ。

 

 それを聞いたアリスは酷く申し訳無い気持ちになり、未だ怒った様子で腕組みしながら涙目で可愛らしく睨んでくるハーマイオニーに対し、何度も何度も頭を下げ続けて誠心誠意謝罪する。

 

 また、さすがに今回ばかりはアリスを黙って連れて来た自分達も悪いと思ったのか、しくしく泣いているハーマイオニーにビビったハリーやロン、そして何故か関係ないはずの被害者ネビルまでもが階段の上からハーマイオニーに対して全員揃って頭を下げていた。

 

 階段に乗ったまま全員がそんな事をしていると、突然別の方向から階段が近付いて来るではないか。それは行く手を阻まれて困っているアリス達とネビルのちょうど真ん中で動きを停止する。

 

「見て! 四階への階段が戻って来た!」

 

 ……何はともあれ良かった。これで何とかネビルが待つ四階の廊下に辿り着く。

 

「ネビルも……本当にごめんなさい」

 

「ううん、大丈夫だよ。僕こそアリスに──」

 

 そう言ってアリス達がネビルのところまで歩み寄ろうとした──その直後だった。

 

「見つけたぞッ! そこにいるのは誰だッ!」

 

 とうとう見つかった──フィルチだ。突然の怒鳴り声に全員がビクッとして声の出処に振り返ると、七階の階段からこちらを恐ろしい形相で睨み付けながら全速力で走って来るフィルチの姿が小さく見えた。

 

「逃げろ!」

 

 ハリーが力一杯叫ぶと、全員が戻り道の階段ではなく四階の廊下に大慌てで逃げ込んでいく。あのまま階段を上ってしまえば間違いなくフィルチと途中で出会す。皆が皆、そう思っての行動だった。

 

 フィルチが追い掛けて来るかどうか振り向く暇もなく、五人の少年少女は全速力でドアを通り、暗く冷たい夜のトンネルを思わせる不気味な廊下を一目散に駆け抜ける。

 

 廊下の真ん中を走る度に壁際に置かれた幾つもの石柱の松明が灯火していく。そうしているうちに五人は禁じられた廊下の一番奥まで来てしまったらしい。彼らが今立っている場所より先にもう逃げ道はなく、あるのはたった一つの扉だけだった。

 

「ダメだ閉まってる!」

 

「もうそこまでフィルチが来てるわ!」

 

 ハリーとアリスが扉を開けようと何度も押して叩くが、鍵が掛かっているらしく一向に開く様子はない。

 

「もうだめだぁ……おしまいだぁ……」

 

「ちょっと! そこ退いて!」

 

 ハリーの隣でロンが情けない顔で呻き声を出す中、ハーマイオニーはすぐに自分の杖を取り出して扉の取っ手に向けて呪文を放つ。

 

「アロホモラ─開け─!」

 

 するとカチッと鍵が開き、ドアがゆっくりと開き始める。五人は後ろを見る事もなく折り重なる様に扉の中へと雪崩れ込む。

 

「アロホモラって?」

 

「『基本呪文集』第七章よ」

 

 ロンの疑問にハーマイオニーは当たり前とばかりに偉ぶって答えるが、それってたしか一年生がだいぶ先の授業で習う予定の基礎呪文なはず……アリスも『基本呪文集』の教科書を読んで呪文自体は知っていたが、まだハーマイオニーの様にアロホモラを一発で使えるまでには実力が達していない。

 

 もしもこの場にハーマイオニーが居なければ、アリスやハリー達はどうなっていたのだろう……考えるだけでも恐ろしい。

 

「ここじゃないのか……くそっ、逃げ足の速い奴らめ」

 

 フィルチが来た。五人が隠れる扉のすぐ近くまで迫り来るのが足音でわかる。誰もが息を殺して捕まるかもしれない恐怖に震える中、一足遅く見失ったフィルチはこの扉に鍵が掛かっていると思っているのか、中を開けようとはせずに悪態を吐きながらそのまま廊下を引き返していく。

 

「大丈夫……もう行っちゃったみたい」

 

 フィルチの足音が遠ざかり、アリス達は盛大に安堵の溜息を漏らす。ここまで生きた心地がしなかったのは初めての事かもしれない。

 

「助かったぁ──ちょっとネビル、いい加減離してちょうだい。そんなに強く引っ張るとガウンが伸びちゃう」

 

 アリスは胸元を押さえて何とか呼吸を整えながら後ろに立つネビルにぴしゃりと言う。実は五人の一番後ろに立っていたネビルは先程からずっとアリスが着る白いガウンの袖をグイグイ引っ張っては、何やらか細い呻き声を出していたのだ。

 

「ぁ……ぁ……」

 

 壊れた様に口を大きく開き、言葉にもならない意味不明な声で顔面蒼白になったネビルはガクガクと震えている。

 

「ネビル?」

 

 流石に不審に思ったアリス達がネビルに倣って背後に一斉に振り返ると、そこには現状考えられる限り最悪な悪夢が広がっていた。

 

 五人が真正面に見たのは怪獣の様に血走った大きな犬のギョロ目だった。それも頭が三つ、目は六つもあり、三つの口からは黄色い牙を剥き出し、その間からヌメヌメとした涎が垂れ下がっている。

 

 宛らギリシャ神話に登場する地獄の番犬ケルベロスの様に鎮座する異形。床から天井までの薄暗い空間全体がその黒い怪物犬で埋まり、アリス達から見てもどれほど巨大なのかが嫌でも分かってしまう。

 

 寝起きで明らかに不機嫌だと言いたげな恐ろしい唸り声を出し、六つの怒れる目がギロリと五人の小さな姿を捉える。

 

 ……逃げなきゃ確実に殺される。ただ今この場所から出ていけばフィルチに見つかる可能性が高い。アリス達はどうするか……目の前に待ち受ける死か、フィルチとの罰則か──この怪物を相手にするくらいならフィルチの方が百万倍マシだ。

 

 そうと決まれば長居は無用。アリス達が声の出せる限り力一杯に叫ぶのと、怪物犬が眠りから完全に目覚めるのはほとんど同じタイミングだった。

 

「「「「「アァァァァァーーーーッ!!!」」」」」

 

 アリス達は大慌てで後ろの扉に我先にと雪崩れ込む。最後尾のネビルが扉から逃げ出ると、その直後に巨大な犬の顔が扉ごと喰い破り兼ねない勢いでガチガチと歯を打ち鳴らし始めた。

 

 恐ろしい悲鳴を上げて廊下に倒れ伏すネビルを尻目に、アリス、ハリー、ロン、ハーマイオニーで協力して扉を全力で押し戻す。最後にハーマイオニーが取っ手の鍵を再び強く閉め直すと、何とか怪物犬を扉の向こう側に閉じ込める事に成功した。

 

「はぁ、はぁ……はぁ、はぁ……」

 

 アリス達は転んだネビルを助け起こすどころか全員で力無くその場にへたり込み、息も絶え絶えにしばらく身体をワナワナ震わせる。

 

 フィルチの姿はない。急いで別の場所を探しに行ったらしいが、そんな事はもうどうでもよかった。今はとにかく一刻も早くあの怪物犬から少しでも遠くに離れたい──ただそれだけしか考えられない。

 

 

 

 

 

 ──それから、何とか動けるまで回復したアリス達がどのルートを通ってフィルチに見つからずにグリフィンドール塔まで戻って来れたのかはもう誰も覚えていない。

 

 『太った婦人』の肖像画の穴を乗り越えて談話室に辿り着いた時には、五人全員が激しい疲労感と命が助かった事による安堵感と睡魔に襲われていた。

 

「いったい何考えてるんだよ!? 学校にあんな化け物を閉じ込めておくなんて!」

 

 談話室のソファにへたり込みながらロンが最もな怒りをぶつける。その後ろでアリスは自分が放り出したスネイプの課題レポートがテーブルの上に無造作に置かれたままになっているのを見つけ、あのままここで大人しく勉強していたらどれだけよかったかと意味も無く考え始めた。

 

「あなた達、どこに目を付けてるの? 怪物の足元見なかった?」

 

「足なんて見てる暇ないよ! 頭を見るので精一杯さ! 気が付かなかったの!? 頭が三つ!」

 

 突っかかるハーマイオニーに対するロンの言い分は正しい。五人の中じゃ一番身長が低いアリスでさえ三つの頭に釘付けだったのだから……とてもじゃないがあの状況下で怪物の足元を見る余裕なんて全くない。きっと他の三人も同じだろう。

 

 ハーマイオニーは自分以外に誰も怪物犬の足元を見ていない事を理解したらしく、談話室の椅子に力無く座り込んだ全員を睨み付ける様に見渡して言い放つ。

 

「あの怪物の足の下に仕掛け扉があったわ。何かを守っているのよ」

 

「何かを守ってる?」

 

「その通りよ。じゃあ、失礼していいかしら? もう寝るわ。あなた達に付き合ってたら命を落としかねないもの。もっと悪くすれば──退学ね」

 

 ハーマイオニーはハリーとロンを睨み付けながらきっぱりと言い放つ。その後ろで何とも言えない表情をして成り行きを見守るアリスとネビル。

 

「さぁ、ベッドに行くわよアリス。あなたには後日たっぷり“お話し”させてもらうから」

 

「あ、ハーマイオニー待って……! えっと、みんなごめん! おやすみなさい!」

 

 そう言って立ち上がるハーマイオニーはスネイプの課題レポートや羽根ペンを急いで片付けていたアリスの腕を強引に引っ張り、女子寮へと続く螺旋階段を駆け上がっていく。

 

 一方で残されたハリー、ロン、ネビルの三人はお互いに顔を見合わせ、気まずそうに立ち上がってから男子寮に向かって階段を登り出す。

 

「ごめんよ、みんな……僕のせいであんな怖い目に遭わせちゃって」

 

「いいんだネビル……今回は僕達が悪いよ。やっぱりアリスを来させるべきじゃなかった」

 

 ハリーは女の子であるアリスとハーマイオニーを巻き込んだ事を悔いている様子。元はと言えばルームメイトのネビルが就寝時間を過ぎてもなお戻って来ない為に、何かあったんじゃないかとネビルを心配したハリーがロンを連れて探しに行こうと言い出した事が始まりである。

 

 まさかアリスが談話室に居残り勉強中だとはハリーも想像しておらず、おまけにロンがアリスに深夜外出の事情を話してしまった事でアリスの好奇心を刺激してしまった。

 

 確かにハリーとロンだけでは心細く、頼れるアリスが一緒に来てくれた時は内心とても感謝していたのは事実。しかしそれが熱狂的な“アリス中毒者”であるハーマイオニーまでをも危険なネビル探しに付き合わせる形となり、結果として二人の女の子を殺し兼ねない恐ろしい目に遭わせてしまった……

 

 その事がハリーの良心を傷付けていた。ロンは隣を歩くハリーが責任を感じて俯いているのを見て、バツが悪そうに呟く。

 

「それはまぁ……だけどさ、死ぬよりも退学になる方が悪いのかよ……」

 

 それでも最後まで嫌味ったらしいロンに答える者は誰一人いなかった。

 

 




『日本通なハーマイオニー』
基本何でも知ってるハーマイオニーならイギリス以外の国に詳しくても不思議ではない。
特に好きなのは、日本や一部外国地域で放送されている魔法少女ミラクル☆リリーというマグル向けの美少女アニメ。
ハーマイオニーは幼い頃から実家の歯医者で放送されていたこのアニメを観て魔法というものを知り、空飛ぶ箒に憧れた。

『マルフォイとの決闘イベント』
話の都合上なくなりました(笑)
そもそもこの作品ではハリー達はそこまでマルフォイ達を敵対視していません。今のところ。

『救世主ハーマイオニー』
アロホモラが使えるハーマイオニーが居なければ今回フィルチに全員捕まってました。

『もうだめだぁ……おしまいだぁ……』
『死ぬよりも退学の方が悪いのかよ……』
映画版の賢者の石でロンが言った名言。
さすがお辞儀様と並ぶ原作屈指の名言製造機っぷり。

『ネビルが借り出した本』
四階の階段の近くの床に置きっぱなしです。
ネビルはフィルチや三頭犬から逃げるのに精一杯でこの時は本の存在を完全に忘れています。


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