リトルプリンセス(ああ、無情。外伝) (みあ)
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第一話:勇者の旅立ち再び

この小説は「ああ、無情。」の続編です。 
前作をご覧になっていただかないとわからない設定もございますので、前作「ああ、無情。」を先にご覧下さい。


 口は災いのもと。 

 世の中にはそんな言葉がある。 

 俺は今、それを猛烈に実感していた。 

 

 

「もう一度、言ってみよ」 

 

 冷ややかな目で俺を見下ろす妻に、必死に弁解をする。 

 

「いや、だから、冗談だって……」 

 

 殴られた頬がひどく熱を持っている。 

 相当な力で殴られた事は身をもって実感している。 

 首がもげなかったのは僥倖と言ってもいい。 

 

「冗談、じゃと? 冗談とて言って良い事と悪い事があろう?」 

 

 見た目は幼いが、年齢は400才近い。 

 腰まである銀色の髪に、真紅の瞳。 

 とてもそうは見えないが、元魔王だったりする。 

 そんな彼女が本気で怒っている。 

 100年近く連れ添った俺ですら、ほんの数回しか見た事のない形相だ。 

 正直言って、かなり怖い。 

 だから、思わず土下座するのは当然の事だろう。 

 決して普段からここまで腰が低いわけではない。 

 ……断じて、ない。 

 

「ははっ、アリシア様の言う通りにございます!」 

 

「……おぬし、わらわを馬鹿にしておるのか?」 

 

 逆効果だったようだ。 

 目尻はつり上がり、こころなしか光っているようにも見える。 

 全身には魔力が満ち溢れ、今にも暴発せんとする勢いだ。 

 

 やばい、激しくやばい。 

 混乱した頭が、さらに混乱した選択肢を選び取る。 

 

「そう思ってたから、言ったんだ。それのどこが悪いんだ?」 

 

 そう口に出した途端、後悔した。 

 後悔したが、もう遅い。 

 怒っていたはずのシアちゃんの瞳から一筋の涙がこぼれる。 

 

「おぬしの了見はわかった。とっとと荷物をまとめて出て行け」 

 

「いや、あのね、シアちゃん」 

 

 謝罪の言葉を口にしようとするが、上手くまとまらない。 

 そのうちにタイムリミットが来てしまう。 

 

「何をしておる。とっとと、出て行け!」 

 

 

 自室に戻り、旅の準備に取り掛かる。 

 みかわしの服を着込み、その上から風のマントを羽織る。 

 指に祈りの指輪をはめ、腰には炎の剣と聖なるナイフ、背中には少し大きめのリュックサックを背負う。 

 これらは全て、世界が平和になった後シアちゃんとの二人旅で手に入れた代物だ。 

 そして、壁に立て掛けてあるいかづちの杖を手に取る。 

 シアちゃんとの思い出。 

 その最たる物がこの杖だと言っても過言ではない。 

 幾多の戦いを潜り抜けた、俺の戦友だ。 

  

 全ての準備を整えた俺は、シアちゃんの部屋の前まで足音を立てないように歩く。 

 耳を澄ますと、小さな嗚咽が聞こえてくる。 

 今更ながらに、どうしてあんな事を言ってしまったのかと思う。 

 まさか、こんな事になるとは夢にも思っていなかった。 

 

「シアちゃん……」 

 

 声を掛けても返事は無い。 

 けれど、すすり泣く声が小さくなった。 

 聞いてくれている事を信じて、語りかける。 

 

「俺、シアちゃんのこと、愛してるから。俺の家はここにしかないし、俺の妻はシアちゃんだけだから……」 

 

 何を言っていいのか、全くわからない。 

 心に思い浮かぶ言葉を取りとめも無く吐き出す。 

 

「今は、互いに落ち着いた方がいいと思う。でも、絶対帰ってくるから、だから……その時まで待っててくれると嬉しい」 

 

 俺は、それだけを告げると返事も聞かずに家を出た。 

 

 

 さて、これからどうしたもんか。 

 家を出たのはいいが、行き先が見つからない。 

 とりあえず、ローレシア城に向かうことにする。 

 たまには、曾孫の顔を見るのも悪くない。 

 

「よっ、ご苦労さん」 

 

 城門を守る若い衛兵に声をかけ、門をくぐろうとすると、目の前に槍を突き出される。 

 

「怪しい奴め、覚悟しろ!」 

 

 コラ、誰が怪しい奴だ。 

 俺はこう見えても、ローレシアの初代国王だぞ。 

 自分で『こう見えても』というのもなんだが。 

 

「あのな、俺の顔に見覚えはないか?」 

 

 顔を突き出すと、衛兵は不審そうにしばらく眺めてこう言った。 

 

「貴様のような、貧相な顔の男など知らん」 

 

 ……貧相と来たか、コラ。 

 新人のようだな。 

 仕方ない、身分をひけらかすような事はしたくないが身元を明かすとするか。 

 

「俺は、勇者だぞ」 

 

 衛兵は、そんな俺を鼻で笑うと、再びこうのたまった。 

 

「ああ? 貴様が勇者なら、俺は騎士団長だ」 

 

 ふっ、ふふふっ、コイツ、よほど死にたいらしい。 

 

「勇者に喧嘩を売った事を後悔するがいい」 

 

 いかづちの杖を掲げると、衛兵の鼻先に突き付ける。 

 

「不審者め、抵抗するか!」 

 

 衛兵は槍を構え、後ろに下がる。 

 そんな一触即発の状態になった時、場違いな声が辺りに響いた。 

 

「あーーー! ひいおじいちゃんだ!」 

 

 門の向こうから、小さな子供が駆け寄ってくる。  

 衛兵は、その子供を見た途端に慌て始める。 

 

「な、なりません! アレン王子、危険です!」 

 

 子供は衛兵の手をすり抜け、俺に飛び付いてくる。 

 俺は杖を地面に落とすと、その子の脇を両手で持ち、抱き上げる。 

 

「よう、アレン。大きくなったな」 

 

 この子が俺の曾孫。 

 御年3才になる、この国の王子だ。 

 

「ひいおばあちゃんは?」 

 

 くっ、痛い所を突いてくる。 

 

「あー、ちょっと、色々あってな」 

 

「またケンカしたんだ?」 

 

 またって言うな。 

 実は、家を追い出されたのは初めてじゃなかったりする。 

 その度にここに来ていたのだが、どうやら覚えられてしまったらしい。 

 まあ今回は、ちょっといつもとは度合いが違うんだが。 

 

「あ、あの、王子? そちらの方は?」 

 

 おう、衛兵の事をすっかり忘れていた。 

 

「ひいおじいちゃんだよ!」 

 

 俺が口を開くよりも早く、耳元で無邪気な声が響く。 

 どうして、このくらいの子供はむやみやたらに声を張り上げたがるのか、不思議でならない。 

 とりあえず、アレンを地面に下ろし、杖を手に取る。 

 

「えっ? はっ? えっ!? ええっ!? も、もしや、本当に勇者様?」 

 

 だから、そう言っただろうが。 

 再度俺が名乗りを上げる前に自分で正体に思い当たったのか、途端に狼狽し始める。 

 

「し、失礼しました! その、まさか、本物だとは。話には聞いておりましたが見た目があんまりにも、あんまりだったので、つい」 

 

 本当に失礼だな、オイ。 

 新人みたいだから今回は許してやるが、今度間違えたら覚えてやがれ。 

 

「ところで、何しにきたの? おかね?」 

 

 衛兵の事など気にも留めていないアレンが俺に用件を尋ねてくる。 

 というか、何故にお金限定なんだ。 

 ここに金を借りに来たことなんて無いはずだぞ。 

 もしや、アレンの中では俺=貧乏が成立しているのだろうか。 

 路銀が心許無いのは確かではあるが、しかし。 

 うーん? 

  

「あのね、前にひいおばあちゃんが言ってたの。ひいおじいちゃんはおかねが無いから、いろいろ大変なんだって」 

 

 その言葉で、謎は全て解けた。 

 シアちゃんも子供になんて事を教えてやがる。 

 あれか? シアちゃんの事を『おねえちゃん』って呼んでたアレンに、本当の呼び名を教えた事に対する報復か? 

 今年で399才になるのに、何て大人気ない事をするんだ。 

 3日くらいで帰る予定だったけど、ひと月くらい帰らなくても良いかも知れない。 

 

「俺はこれから旅に出るんだ。その前にお前の顔を見ておこうと立ち寄っただけだよ」 

 

 正直に、ここに来た目的を告げる。 

 また妙な事を覚えられたらたまったもんじゃない。 

 

「そうなんだ」 

 

 嬉しそうに笑うアレンに、思わずこちらも顔が綻んでしまう。 

 

「王子ーー! アレン王子ー! どこにおられるのですかー?」 

 

 その時、アレンを呼ぶ侍女の声が響く。 

 

「あっ!」 

 

 何かに気付いたかのように、ビクッと身体を震わせると逃げようとするアレン。 

 俺はとっさに襟首をつかんで動きを封じる。 

 

「おーい! こっちにいるぞー!」 

 

 衛兵が侍女を呼ぶ。 

 つーか、まだいたのか、お前。 

 

「あら、勇者様。お久しぶりにございます」 

 

 顔見知りの侍女が走り寄ってきて、俺に声を掛ける。 

 

「ああ、元気そうで何よりだ」 

 

 彼女は、あの門番の孫娘だったりする。 

 もちろん、赤ん坊の頃から良く知っている娘だ。 

 おむつを替えようとする度にシアちゃんに張り倒されていたので、おむつを替えたことはないが。 

 まったく。俺の守備範囲は10才以上だって言ってるだろうが。 

 誰が1才児に欲情するっていうんだ。 

 俺が内心悶々としているのを余所に、侍女は王子を優しく諭す。 

 

「王子、お勉強がまだ残っておりますよ」 

 

 アレンはよほど勉強が嫌なのだろう。 

 俺の脚に抱きついたまま、離れようとしない。 

 侍女が困ったように、俺を見上げる。 

 仕方ない。 

  

 俺はアレンをそっと引き剥がすと、膝をついて目線を合わせる。 

 

「今、何の勉強をしてるんだ?」 

 

「よみかきのべんきょう……。でも、勇者になるなら、剣のほうがだいじだとおもう」 

 

 この子には生まれつき魔法の才能が無い。 

 ここ最近は魔法の遣い手自体が減少傾向にあるので珍しいことではない。 

 でも、勇者に憧れるアレンにとっては大きなコンプレックスになっているのだろう。 

 

「剣だけじゃ、勇者にはなれないぞ」 

 

 魔法も剣も中途半端な勇者が言うんだから間違いない。 

 

「じゃあ、どうすればいいの?」 

 

 泣きそうな顔でこちらを見詰めるアレンに優しく諭す。 

 

「色々な事を学ぶんだ。魔物の事が書いてある本を読んだり、誰かの体験談を聞いてみたり……」 

 

 頭は悪いが知恵は回ると、シアちゃんに評された俺だ。 

 始めは馬鹿にされていると思っていたが、思い返してみると確かにそれが最大の武器だったのかもしれない。 

 小さな、それこそ役に立たないと思ってた事も結果的には何かの役に立っているのが現実だ。 

 それを、幼い王子に伝えられたのかどうかは定かではないが、話を進めていくうちにアレンの顔が晴れやかになっていく。 

 

「うん、わかった。いっぱいべんきょうして、ひいおじいちゃんみたいになるから!」 

 

 いや、俺みたいにならない方がいいんだけどな。 

 アレンはそのまま侍女の手を引っ張って、城の方に歩いていく。 

 侍女が振り返り、こちらに一礼をしたのを急かすようにして、城の中へと消えていった。 

 

「さて、と」 

 

 ここを離れようと門の外に目を向けると、先程の衛兵と目が合う。 

 衛兵は硬直し、直立不動で俺の言葉を待っているようだ。 

 このローレシアの建国者でもある初代国王をよりにもよって不審者扱いしたのだ。 

 その態度は当然ともいえる。 

 

「さ、先程は、ししし、失礼しましゅた」 

 

 場合によっては大逆罪、一族郎党死刑になる可能性もある。 

 もっとも、この国にそんな法律は無いんだがな。 

 呂律の回ってない衛兵を見ていると、あまりにも可笑しくて罪に問おうなんて気も起こらない。 

 

「次から気を付ければいいさ」 

 

 そう声を掛けると、涙を流さんばかりに声を張り上げる。 

 

「ありがとうございます! このご恩は一生忘れません! もし御用があれば何なりとお申し付けください!」 

 

 あー、わかったわかった、うるさいから黙れ。 

 手をひらひらさせて衛兵を黙らせた俺は、門を出て行き先を考え始める。 

 と、その前にふと気付いた。 

 俺は振り返り、衛兵の前で口を開く。 

 

「一つ、頼みがあるんだが……」 

 

 

 俺はルーラを唱えた。 

 ローレシアの城が、小さな我が家が眼下から遠ざかっていく。 

 

「少し遠くに行ってみるか……」 

 

 家を出たときよりもかなり暖かくなったふところを頼りに、一人旅へと赴くのだった。 



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第二話:勇者様

 おかしい。 

 あまりにもおかしい。 

 何故に、ここまで俺の知名度が低いのだろう? 

 確かに政務はほとんどローラに任せっきりだったし、俺の担当は子育ておよび家事全般だったと言っても過言ではない。 

 それでも、公式の場に顔を出す事はあったはずだ。 

 現にシアちゃんとふたりで旅をしていた時は、さんざん勇者様、守護者様ともてはやされていた。 

 ひょっとして、シアちゃんとセットでなきゃ、認識されないのか? 

 ……いや、そんなはずはない。 

 そんなはずはない……と思う。 

 多分……いやきっと。 

 

 ローレシアの城からルーラで飛んだ俺は、サマルトリアに到着した。 

 サマルトリアは、俺とローラとの間に生まれた次男が興した国だ。 

 現在は、俺の曾孫にあたる娘が王妃をし、いわば入り婿である王が政務を取り仕切っている。 

 ローレシアでは幼い王子が曾孫であるのに対して、ここでは、子供もいる王妃が曾孫な理由は実に簡単。 

 次男とローレシアを継いだ末子の間で20才以上年が離れているからだ。 

 ……まあ、色々と苦労があったんだよ。 

 毎晩のように死ぬか死なないか、ギリギリの所まで搾り取られて……いや、止めておこう。 ここから先はあまり思い出したくない。 

 とりあえず俺は、街へと入る事にした。 

 

 

「いらっしゃい、今日は野菜が安いよ!」 「いい魚が入ってますぜ、奥さん!」 

 

 商人達の声があちらこちらからこだまする。 

 夕飯の準備をする主婦達で賑わっている時間帯だ。 

 もっとも活気にあふれている時間と言っても過言ではないだろう。 

 道を歩いている俺のすぐ脇を、子供達が大声ではしゃぎながら走り去っていく。 

 よほど治世が良いのだろうな。 

 そんな事を考えながら、一軒の酒場兼食堂の前へ行く。 

 勇者御用達の店とデカデカと看板が立てられているわりには、こじんまりとした店だ。 

 相変わらず、商売が上手いな。 

  

「いらっしゃい! あれ? あんた、久しぶりだねえ」 

 

 顔見知りのおばちゃんが俺を見た途端、そんな言葉を投げ掛けてくる。 

 実際には俺の方がずいぶん年上なのだが、見た目は気の良いおばちゃんだから問題は無いだろう。 

 

「ああ、1年ぶりくらいかな」 

 

 団体用のテーブル席を避け、カウンターの隅に腰掛ける。 

 

「いらっしゃいませ!」 

 

 俺に笑顔を向けながら、15、6才ほどの少女が水を置く。 

 

「ごゆっくりどうぞ!」 

 

 溌剌とした声で客の間をきびきびと動いている。 

 

「あれ? 新しい娘入れたの?」 

 

 カウンターの向こうでグラスを磨くおばちゃんに尋ねる。 

 

「ああ。あたしの姪っ子なんだけどね、どうしてもここで働きたいってね」 

 

「なんでまた、こんな店に?」 

 

「こんな店とは失礼だね」 

 

 とがめるような口調で、しかし笑いながら話すおばちゃん。 

 

「勇者様に憧れてるんだとさ」 

 

「俺に?」 

 

 聞き返す俺に、おばちゃんは笑いを堪え切れない様子で返す。 

 

「あんたじゃなくて、勇者様にさ」 

 

 やっぱり、俺の事じゃないか。 

 おばちゃんは憮然とする俺の様子を見ると、彼女を呼ぶ。 

 

「ミーナ! こっちの常連さんに挨拶しな」 

 

「初めまして。ひと月前から働いているミーナです!」 

 

 ミーナちゃんか……、結構かわいいな。 

 しかも、俺に憧れている、か。 

 うんうん、なんか俺にも運が向いてきたなあ。 

 

「ミーナちゃん、勇者に憧れてるんだって?」 

 

 俺がそう尋ねると、恥ずかしそうに顔を赤らめながらうなずく。 

 

「……おばさんが言ったんですか? 黙っててくださいって言ったのに……」 

 

 おおっ! これは結構脈アリか? 

 よし、ここは一気に直球勝負! 

 

「俺がその勇者様だって言ったらどうする?」 

 

 少女はきょとんとした表情を一瞬見せたかと思うと、俺の背中を叩き始める。 

 

「あはは、お客さん、お上手〜! お客さんが勇者様なわけが無いじゃないですか」 

 

 はい? どーゆーこと? 

 

「勇者様っていうのはですね、蒼い鎧に身を包んで、立派な剣を腰に差してて……」 

 

 夢見る瞳で理想の勇者様を延々と語り続ける少女に、思わず呆気に取られる。 

 ふとおばちゃんを見ると、カウンターの向こうで腹を抱えて笑っている。 

 こうなる事、知ってやがったな。 

 状況が落ち着くまで、俺は憮然とした顔で、水をすすり続けたのだった。 

 

 

「で、守護者様は一緒じゃないのかい?」 

 

 客足も減りようやく落ち着いた頃、一人ちびちびと食事を続けている俺におばちゃんが話しかけてくる。 

 ちなみに、ミーナちゃんは昼間だけの担当らしくもう家に帰った。 

 俺が勇者だといくら言っても最後まで信じようとはしなかったとだけ言っておく。 

 

「ちょっと、色々あってな……」 

 

 守護者様ってのは、シアちゃんの事だ。 

 勇者を護る者、国を護る者、色々意味があるらしいがいつの間にか民衆の間に広まっていた。 

 

 言葉を濁す俺に、おばちゃんがさらに詰め寄ってくる。 

 

「また喧嘩したのかい? こういう場合は大抵男の方が悪いんだよ? さっさと謝んな」 

 

 事情も聞かずに一方的に決め付けないでくれ。 

 まあ、確かにその通りなんだが。 

 

「どうせまた浮気でもしたんだろ?」 

 

 浮気なんかするわけないだろう。 

 しかも『また』ってなんだ。 

 

「前にも、通りすがりの女の子に声を掛けたのなんだので喧嘩してたじゃないか」 

 

 ……してたけど。 

 

「さっきもウチの娘にちょっかい掛けようとしてただろ?」 

 

 ……その通りでございます。 

 

「確かあの時は『可愛い女の子に声を掛けるのは、男の義務だ』とか言って、燃やされてなかったっけ?」 

 

 そこまで言われては、さすがの俺もこう言うより他は無かった。 

 

「ごめんなさい。事情を話しますから、これ以上は勘弁してください」と。 

 

 おばちゃんは、俺の事もシアちゃんの事も良く知っている。 

 かいつまんで何があったのかだけを正直に打ち明ける。 

 

「あんた、本当に馬鹿だね」 

 

 言われなくてもわかっている。 

 が、改めて他人から言われるとへこむ。 

 

「あたしでも、そんな事を旦那に言われたら怒るね」 

 

 今考えると、確かにその通りなんだよな。 

 シアちゃんが俺に隠し事をしてた事が気に障ったのかも知れない。 

 けれど、彼女にも悪気があったわけじゃない。 

 

「……わかった。すぐに帰って謝るよ。じゃあ、おつりはいらないから」 

 

 俺はそう言って、10ゴールド貨幣を2枚、カウンターに置いて立ち上がる。 

 『おつりはいらないから』 

 くぅっ、この言葉、一度言ってみたかったんだよなあ。 

 感動に酔いしれながら、扉に手を掛ける。 

 

「待ちな!」 

 

 おばちゃんの鋭い声が俺を呼び止める。 

 

「なんだ?」 

 

 振り返る俺に、一言が告げられる。 

 

「5ゴールド足りないよ」 

 

 あー、わかってたよ、どうせそんなオチなんだって事はな。 

 俺が格好良く決められる事なんて無いんだよ、コンチクショー。 

 

 

「悪いね。最近、物価が上がってんだよ」 

 

 前に来た時は、同じメニューで18ゴールドだったからな。 

 なんでいきなり値段が跳ね上がっているのか、不思議でたまらない。 

 

「市場は賑わってるみたいだったけど?」 

  

 そう聞き返す俺に、おばちゃんが理由を話す。 

 何でも、最近街道にアイアンアントが大量に出没するようになったそうだ。 

 アイアンアントというのは、中型犬くらいの大きさのアリで、1匹では大した脅威ではない。 

 ただ、仲間を呼ぶ事があり、その数が脅威的なのだ。 

 近くに巣が出来たらしいが、どこにあるのかわからないために駆除が進まないらしい。 

 

「それで、護衛を雇う分だけ商品の値段が高くなるって寸法さ」 

 

 アリごときの分際で、俺の人生の夢をぶち壊しやがって。 

 まだ見ぬアイアンアントに怒りをぶつけながら、おばちゃんに別れを告げる。 

 

「まずは銀行に行って、金を預けてから、懐かしい我が家に帰るとしますか」 

 

 実際には、家を出てから一日も経ってない。 

 懐かしいも何もあったもんじゃない。 

 帰ったらまず土下座して、多分何度か殺されるから、金をどこかに預けとかないとな。 

 死んだら所持金が半分になるってのはどうにかならんものだろうか。 

 金で命がどうにかなるって言うのだから、便利な事この上ないが、後のことを考えると頭が痛くなる。 

 

「1000ゴールド単位で受け付けております」 

 

「そこをなんとか!」 

 

 渋る受付のお姉さんに、土下座をする。 

 

「そう言われましても、規則ですから……」 

 

 仕方ない、あの方法を使うか。 

 カウンターに置いた財布を懐に仕舞おうとすると、ついうっかり、ロトの印が懐から顔を覗かせる。 

 ついうっかり、だぞ。 

 

「あ、あの、もしかして、勇者様ですか?」 

 

 ビンゴ! 

 預かり屋も兼ねているから、一目で気付くと確信していた。 

 

「ああ、そうだけど。規則って言うなら仕方ないな」 

 

 そう言って立ち去るそぶりを見せる。 

 

「いえ、あの、事情がおありなのでしたら、個人的にお預かりします」 

 

「いや、君に迷惑が掛かるかもしれないから……」 

 

 俺がそううそぶくと、彼女は身を乗り出してこう言った。 

 

「ぜひ預からせてください!」と。 

 

 勇者の肩書きってのも、たまに使うと効果的なんだよな。 

 ……いつもやってるわけじゃないぞ。 

 いつもは勇者扱い自体されないんだから、たまにはいいじゃないか、なあ。 

 誰に言うわけでもなく、ひとりごちながら必死に良心を抑え込む。 

 

「さて、ローレシアに戻るか」 

 

 門の外に出て、すっかり暗くなった空を眺めながら呪文を唱える。 

 

「ルーラ!」 

 

 サマルトリアの街がみるみる小さくなっていく。 

 どうやって謝るのがいいんだろうな。 

 そんな事を考えながら飛んでいたのが悪かったのだろう。 

 突然、全身に衝撃が走る。 

 何かにぶつかった?! 

 そう思ったのも束の間、魔法の力を失い、まっさかさまに落ちていく。 

 ぶつかった相手は見た事もない魔物だ。 

 俺のほうを一瞥すると、助けに来る様子も見せずに飛び去っていく。 

 翼の生えた悪魔のような外見をしていた。 

 今度、リバストに会ったら叱ってもらおう。 

 って、今はそんな場合じゃない! 

  

「落ーちーるー!!」 

 

 でも大丈夫。 

 こんな時のための風のマント。 

 備えは万全さ! 

 

 俺は風のマントに手を掛けると、勢いよく翻す。 

 翻す……アレ? 

 何か、引っ掛かってる。 

 落ちながら、懸命に背中を見る。 

 って、どうして俺は、マントの上にリュックサック背負ってますかーーー?! 

 

 無情な現実の前にどうしようもなく、俺は地面に叩きつけられたのであった。



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第三話:アイアンアント

 勇者はいくら死んでも、何度でもよみがえる。 

 これは精霊ルビス様および世界の加護なのだそうだ。 

 まあ、これは勇者としての戦いの中で何度も経験させられたのでわかる。 

 所持金が半額になるのも、生き返る代償と考えるならば安いほうだ。 

 だが、本題はこれから。 

 シアちゃんと旅をしている中で、生き返る先はとりあえず王様なら何でもいいと言う事が判明したのは大きい。 

 でもなルビス様、もう少し考えてくれ。 

 いくらなんでも、首狩り族の族長の前はないだろう。 

 あの時は無事に抜け出すのにどれだけ苦労した事か。 

 とりあえず次からは、名前のある、人間の国の王様に条件をしぼってくれ。 

 今回は自力で何とかするから、本当に頼みます。 

  

 薄暗い洞窟の中、俺は無数のアイアンアントに囲まれながら、そう祈らずにはいられなかった。 

 

 

「……しかしあれだな、所持金をほぼ全額、銀行に預けてきて本当に良かった」 

 

 1000ゴールド単位でないと預かれないと言うのを、無理を言って預けてきたのだ。 

 こういうのを、先見の明があるというのだろう。 

 ……自慢にはならないが。 

 

「いや、ほんと困るよな。まさか、リュックサックが引っ掛かって風のマントが開かないなんて、予想もしてなかったよ」 

 

 話し相手なんていないのはわかっている。 

 辺りから聞こえてくるのは、ギチギチと間接の軋む音、そしてキーキーと喚くような警戒音だけだ。 

 そして、目の前にはこれまた巨大な、ドラゴンにも勝るとも劣らないほど巨大なアリが堂々と立っている。 

 さしずめ、アイアンアントの女王様と言った所だろう。 

 こいつも俺に向かってキーキー鳴いているが、こいつの場合言っている事はわかる。 

 さしずめ、「おお、勇者よ。死んでしまうとは……」のフレーズだろう。 

  

「いい教訓になった。これからはリュックサックはマントの下に背負う事にするよ。それじゃ」 

 

 群れを刺激しないようになるべくフレンドリーに話し掛け、そっと立ち去る。 

 これが今回の作戦の全てだ。 

 少なくとも、首狩り族の時は途中までは上手くいった。 

 だが、やはり浅はかだったようだ。 

 それまで個々に警戒音を上げるだけだったアイアンアントが一斉に威嚇音を上げる。 

 

「のわあああーーーーー!!」 

 

 子供の頃に地面の石を持ち上げたら蟻の大群がいた事があった。 

 子供と言うのは残酷なもので、俺はいつもそこに水を流し込んでは、もがく蟻を見て遊んでいたものだ。 

 これは、その時の蟻の怨念に違いない。 

 あちらこちらから殺到するアイアンアントの大群に、みっともなく悲鳴を上げながらひた走る。 

 

「ごめんなさい! ごめんなさい! もうあんな事はしません! 無事に出られたら、慰霊碑造りますから!」 

 

 走りながら嘆願するも、当然の事ながら聞き届けてはもらえない。 

 そもそも言葉が通じてないのだ。 

 シアちゃんなら、魔物の言葉が解るのに……。 

 今更ながらに彼女は俺にとって必要なパートナーである事を再認識する。 

 でも、ここにはいない。 

 ここは独りで切り抜けるより他に手は無い。 

 

「腹括ったぜ、畜生め!」 

 

 右手に炎の剣、左手にいかづちの杖を持ち、振り下ろす。 

 噴き出す炎と光に、一瞬動きを止めるアイアンアント。 

 俺はその隙に出口だろうと思われる方向に走り出そうと後ろに振り向こうとした。 

 しかしその瞬間、嫌な気配を感じて岩陰に隠れる。 

 すると、どろどろとした茶色の液体が、今まで俺がいたところに浴びせられた。 

 その途端、じゅわっという音と共に岩肌が溶ける。 

 こ、これはまさか! 

 

「さ、酸だーーーー!!」 

 

 振り向くと、女王アリが口から次々に液体の塊を飛ばしてくる。 

 そんなんありかよ!?  

 

「ルーラ!」 

 

 とりあえず、見える所までルーラで飛ぶ。 

 上を目指していけば地上には出られるだろう、多分。 

 子供の頃に本で見た蟻の巣は一本の大きな通路に枝分かれした幾つもの部屋が連なっていた。 

 それを信じてただひたすらに走る。 

 途中、小さな横道からアイアンアントの群れが現われ、行く手を阻む。 

 

「くそっ! 仕方ねえか!」 

 

 アイアンアントの群れが現われた。 

  

 アイアンアント―――4匹 

 

 勇者の攻撃。 

 勇者は炎の剣を振りかざした。 

 ほとばしる炎が敵1グループを包み込む。 

 

 勇者はアイアンアントを倒した。 

 

「よっしゃ、楽勝!」 

 

 崩れ落ちるアイアンアントの屍を飛び越え、地上へと走る。 

 走り続けていると、またもや行く手にアイアンアントが。 

 

「さあ、来い!」 

 

 アイアンアントの群れが現われた。 

 

 アイアンアント―――2匹 

 アイアンアント―――3匹 

 

「別々に出てくんな!」 

 

 それぞれに炎の剣といかづちの杖を振るう。 

 

 勇者はアイアンアントを倒した。 

 

「むう、巧妙な手を使ってくる……」 

 

 再び、アイアンアントの群れが現われた。 

 

 アイアンアント―――1匹 

 アイアンアント―――1匹 

 アイアンアント―――1匹 

 アイアンアント―――1匹 

 

「それは既に群れじゃないだろ?!」 

 

 俺の突っ込みも、むなしく洞窟内に反響するのみ。 

 仕方ないので、そのまま突っ切る。 

  

「ルーラ!」 

 

 隙間を抜けて、さらに奥へと進む。 

 ん? 奥へと? 

 いつの間にか、下ってんじゃん! 

 道理で出くわす数が増えるわけだ。 

 戦っている間に方向を見失っていたらしい。 

 俺を追いかける群れの中に自分から飛び込んだって訳だ。 

 って、やばいだろうが! 

 行く先は既にアイアンアントの群れに覆われている。 

 後ろも同様のようだ。 

 そして、天井からこちらを狙っている者もいる。 

 絶体絶命のピンチって奴だな、こりゃ。 

 こういう場合、物語の中では仲間が颯爽と現われて窮地を救ってくれるんだよな。 

 さあ来い、仲間。 

 勇者様がピンチだ。 

 俺はお前達が助けに来てくれるのを、心待ちにしてるぞ! 

 しかし、当然のことながら、待てども待てども仲間は現われない。 

 

「わかってる、わかってるんだ。そんなの物語の中だけ、所詮おとぎ話なんだよ」 

 

 アイアンアントは一人ブツブツと呟く俺を警戒しているのか、ある一定の距離から近付こうとしない。 

 だが、やがて均衡が破れる時が来た。 

 1匹のアイアンアントが飛び出したのを皮切りに、一斉に飛び掛ってくる。 

 

「なら、やってやるさ! 勇者の力を見せてやる!」 

 

 

「は、はは、やれば出来るじゃないか。さすが、俺」 

 

 魔法力も尽き、疲れきった体を引きずりながら地上へと歩を進める。 

 シアちゃんとの旅の間、木の実や種を食べ続けた成果がやっと表れたようだ。 

 昔よりは幾分強くなっている事を確信しながら歩き続ける。 

 周りにはアイアンアントの死骸が山のように積もっている。 

 それを掻き分けながら、先に進む。 

 やがて、遥か先に光が見えた。 

 

「やった……。地上の光だ……」 

 

 この洞窟の中にいる間に夜が明けていたのであろう、懐かしい太陽の光が差し込んで来る。 

 シアちゃん、今帰るからね。 

 愛しい妻の姿を思い浮かべながら、出口へと歩く。 

 その時、天井から何かが崩れるような不吉な音が聞こえた。 

 あー、やっぱりか。 

 すんなり帰れる訳が無いんだよな。 

 何となく、自分の人生を悟ってきた俺はその時を待つ。 

 そして、頭に強い衝撃と激痛を感じた瞬間、俺の意識は暗転した。 

 

『ごめんなさい。今回は、自力で頑張ってくださいね』 

 

 意識が回復する前に、そんな声が聞こえたような気がした。 

 目を開けると、山のように大きなアイアンアントの姿。 

  

「ゴール直前で、振り出しに戻るかよ!」 

 

 昔、すごろく場という娯楽施設があったそうだ。 

 シアちゃんが何度か話をしてくれた。 

 ずいぶん楽しそうにしていたので、よく覚えている。 

 今の状況は、その時の話によく似ている。 

 

「まあ、ここまで悪趣味じゃないだろうけどな」 

 

 キーキーと喚く女王アリに剣と杖を突き付ける。  

 コイツを倒せば、また死んでもここからは出られるって訳だな。 

 

「さあ、行くぜ! やるか、やられるか、ルビス様が間に合うか、勝負だ!」 

 

 こうして、再び俺は戦いへと赴くのであった。 

 っていうか、本当に勘弁してくださいよ、ルビス様。 

 次はちゃんと人間の国に出るようにしてください。 

 

『前向きに善処します』 

 

 巨大な脚にはたかれた瞬間、そんな声が聞こえたような気がした。 

 

「そんな言葉、信用できるかーー!!」 

 

 俺の声はむなしく洞窟に響くのみだった。 



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第四話:青い瞳の少女

 ふと気が付くと、俺はベッドに寝かされていた。 

 清潔そうな真っ白いシーツ。 

 窓から差し込む、暖かな陽の光。 

 あまりのまぶしさに、まともに目を開くことが出来ない。 

 その時、視界の隅っこに銀色の何かが見えた。 

 日光を反射して柔らかく輝く銀色の髪を持つ少女。 

 そっと彼女を抱き寄せ、耳元でささやく。 

 

「ただいま。今、帰ったよ……」 

 

 少女は、俺の首元にかじりつき、思いがけない言葉を返す。 

 

「おかえりなさい! おとーさん!」 

 

 …………おとーさん? 

  

 銀色の髪の少女が、青い瞳に涙をためてこちらを見返す。 

 青い瞳? 

 シアちゃんの瞳は紅かったような……。 

 

 疑問を浮かべる俺に構わず、少女はもう一度叫ぶ。 

 

「おとーさん、おかえりなさい!」 

 

 その瞬間、頭の中が真っ白になった。 

 

 

 俺が目覚めたのは、ルビス様を祀る神殿だった。 

 あのアイアンアントの女王との激闘の後、気絶していたところをサマルトリアから派遣された騎士団に回収されたらしい。 

 なんでも、ルビス様のお告げがあったとかで、ここからの要請で騎士団が動いたとの事だ。 

 やるな、ルビス様。アフターケアは万全という事か……。 

 いや、そもそもルビス様がしっかりしていれば、俺が戦う必要も無かったんだが。 

 

 ベッドにたてかけてある炎の剣を手に取る。 

 鞘から抜いて調べた感じ、歪みも傷も見当たらない。 

 さすがは城塞都市メルキドの逸品、あの技を使っても何の影響も無い。 

 銅の剣じゃ反動に耐えられなかったからな。 

 あの女王アリすらも一撃で倒した、俺の新必殺技の威力と財布の中身に身震いする。 

 

「なにしてるの? おとーさん」 

 

 ……さて、現実逃避はこのくらいにして。 

 俺を父と呼ぶ、傍らの少女に目を遣る。 

 見た目は5才くらい、銀色の髪に青い瞳、そして尖った耳を持っている。 

 おそらく、シアちゃんの話の中で聞いた事のある、エルフという種族だろう。 

 

「ん、剣の具合を見てるんだ」 

 

 そして、俺はいまさら否定も出来ず、状況に流されていた。 

 そもそも、何故彼女が俺の事を『おとーさん』などと呼ぶのか、その理由がわからない。 

 わからないが、その小さな女の子を無碍に突き放す事も出来ない。 

 だから、状況に流されるより他に術がないのだ。 

 

「ふーん」 

 

 さすがにこのままではいけないと考えた俺は、ベッドの傍らに椅子を置いて座る年嵩の女性に目を遣る。 

 俺が目覚めた時に、状況説明をしてくれた女性だ。 

 この状況の説明も、彼女なら出来るだろう。 

 何度か目配せをすると、何とか意を汲んでくれたらしい。 

 

「フィーア。お父様に水を汲んできてあげなさい」 

 

 少女に向かって、口を開く。 

 

「うん、わかった……じゃなくて、わかりました、せんせい!」 

 

 フィーアと呼ばれた少女は、口調を改めると部屋を飛び出していく。 

 開けっ放しの扉の向こうには年若い修道女がひかえている。 

 先生と呼ばれた女性が目配せをすると、若い修道女は扉を閉め、少女を追いかけていった。 

 

「申し訳ありません、勇者様」 

 

 年嵩の女性が頭を下げる。 

 話によると、彼女はここの責任者で神官長を務めているのだそうだ。 

 見た目は60才くらいの優しげな風貌の女性。 

 どことなく晩年のローラを思い起こさせる。 

 ……見た目だけは。 

 あのそこはかとない黒さまで同じだったら、俺は即刻逃げる。 

 そう心に決めて話し掛ける。 

 

「それで、あの娘は何故俺の事を父親だと?」 

 

 神官長の話によると、彼女は旅の戦士である父親が連れていたらしい。 

 だが、その父親は感染性の強い病に罹り、隔離されているうちに亡くなってしまったのだという。 

 そして、彼女は父親の死を知らず、自分を置いて旅に出たと思い込んでいるのだそうだ。 

 

「勇者様のお顔を拝見した時は、私共も驚きました」 

 

 よりにもよって、その父親と俺がうりふたつだったらしい。 

 しかも、俺がシアちゃんと間違えて抱き寄せた上に、耳もとで「ただいま」などと言った事が原因で、父親が迎えに来たと喜んでいるのだと言う。 

 

「母親はいないのか?」 

 

 まあふたりで旅をしてたんだから、母親はいないに決まってるよな。 

 そう思いながらも彼女に尋ねてみる。 

 すると、意外な事に母親はいるのだと言う。 

 

「あの娘の耳、お気付きになりましたか?」 

 

「ああ、エルフの耳の事だろう?」 

 

 はい、と顔を俯かせながら話し始める。 

 彼女の母親は人間、そして父親も人間、なのに間に生まれた娘はエルフ。 

 俗に言う先祖返りという奴だろう。 

 どちらかの家系に、エルフの血が混ざっていたと考えるのが自然だ。 

 だが、そんな知識の無い一般人には奇異な事に映ったはずだ。 

 しかも、こちらの世界では存在すら確認された事の無いエルフ。 

 俺もシアちゃんに話を聞くまでは、そんな種族がいることさえ知らなかった。 

 周囲の風当たりは相当強いものだったに違いない。 

 

「あの娘の父親は、奥様と別れ、子供を引き取って旅をしていたそうです」 

 

 安住の地を求めていたのだろう。 

 そして、旅の途中で命を落としてしまった。 

 まだ幼い我が子を残して。 

 

「私達は、遺言に残されていた村に行き、母親に引き取ってもらうように交渉しました」 

 

 しかし、既に新しい家庭を持っていた母親はエルフの娘を産んだ事を否定した。 

 今の夫に知られると、離縁される可能性があるからだろうと神官長は話す。 

 

「自分の娘の事だろう? それで引き下がったのか?」 

 

 重ねて問い掛けると、神官長も重い口を開く。 

 

「いえ、一目逢えば意見も変わるかもと思い、面会させたのですが……」 

 

 正直に言おう。 

 俺はその話を聞いた時、初めて女性に対して吐き気を催すほどの嫌悪を抱いた。 

 

 その時、扉がノックされ、少女と先程の修道女の声がした。 

 

「そろそろよろしいでしょうか?」 

 

 遠慮がちな修道女の声。 

 

「はいってもいい?」 

 

 そして、元気な少女の声。 

 

「ああ、いいよ。入っておいで」 

 

 俺はいつもの声を出せていただろうか? 

 傍らの神官長に目を遣ると、彼女はこちらの考えていた事がわかったのか、小さく頷く。 

  

 やがて、扉がゆっくりと開き始める。 

 少女が小さな両手で、水がたっぷりと入ったグラスを抱えるように持っている。 

 見ていてハラハラする足運びだ。 

 皆が少女の動きに注目し、部屋の中に微妙な緊張が張り詰める。 

  

「はい、おとーさん」 

 

 無事に水が手渡された時、張り詰めていた空気が一気に緩んだのも仕方ないだろう。 

 グラスを口に運ぶ。 

 冷たい水が喉を通り、昂ぶった俺の心を静めていく。 

 

「おいしい?」 

 

 小さく首を傾げ、そう尋ねてくる少女に愛しさを覚える。 

 この少女は今までどんな人生を歩んできたのだろう? 

 まだ5年程の人生の中で、父を亡くし、母に拒絶され、そして俺に出会った。 

 これは運命の導きだと呼ぶべきだろうか。 

  

「ああ、おいしいよ。ありがとう、フィー」 

 

 父親は、少女の事をフィーと呼んでいたそうだ。 

 ならば、俺もそれに倣うべきだろう。 

 ……彼女の父親になるためには。 

 

「えへへ、よかった」 

 

 数々の辛い目にあってなお、笑顔を見せる少女を胸に抱き寄せる。 

 

「フィー。お父さんの娘になる気はあるかい?」 

 

「ん? わたし、はじめからおとーさんのむすめだよ?」 

 

 いじらしい娘だ。 

 今更この娘を突き放す事なんて俺には出来ない。 

 ましてや、あの話を聞いた以上、これ以外の選択肢は考えられない。 

 

「勇者様?」 

 

 こちらを窺うような様子を見せる神官長に力強く頷き、 

 

「この子を家に連れて帰る」 

 

 そう告げた。 

 

 

「おかーさんってどんな人?」 

 

 旅の支度を始める俺に、フィーが無邪気に尋ねてくる。 

 本当の母親の事は、怖い女の人という認識しかしてないらしい。 

 それはそうだろう。 

 母娘らしい交流も無く、目を合わせた瞬間、化け物呼ばわりされたという話だ。 

 こんな可愛い娘を化け物だなんて、二度と言わせない。 

 そう心に決める。 

 

「ねえ!」 

 

 娘の強い口調に、現実に引き戻される。 

 質問に答えなかったので、少し拗ねてしまったようだ。 

 

「ああ、ごめんごめん。お母さんの事だったね?」 

 

 シアちゃんの姿を心に思い浮かべる。 

 幼い容姿に、銀色の髪、そしてフィーの青い瞳とは対照的な紅い瞳。 

 でも、聞きたいのは容姿の事ではないだろう。 

 性格といえば、負けず嫌いの甘えん坊でちょっと泣き虫。 

 わがままとはちょっと違うが、自分の思い通りにならないとすぐに拗ねるし、怒りっぽい。 

 口より先に手が出るよりも先に炎が出る。 

 ……なんか、良い所無いんじゃないか? 

 でも、はっきりと言える事がある。 

 

「お母さんはね、とても可愛くて優しい人だよ」 

 

 俺のその答えに満足したのか、笑顔を見せてくれる。 

 

「おかーさんのこと、すき?」 

 

 俺はフィーを抱き上げ、頬にキスをする。 

 

「ああ、もちろん。お父さんは、お母さんの事もフィーの事も大好きだよ」 

 

 少女を床に立たせ、リュックサックを背負う。 

 もちろん、マントの下にだ。 

 もう二度と、あんな惨めな死に方はしたくない。 

 しかも、今度は一人では身を護る事も出来ない少女を連れ歩くのだ。 

 思えば、今まで旅をしてきた仲間達は皆、俺より強かった。 

 だから俺が死んでも、ほとんど問題は無かった。 

 だけど今回は死ぬわけには行かない。 

 慎重に旅を進める必要がある。 

 

 

 旅の支度を済ませた俺達は、神殿の人々に見送られながら、旅立った。 

 シアちゃんに、どうやって話そうかと考えながら。 

 やっぱり、プレゼントとか買っといた方が心証も良くなるかもしれないな。 

 そう思いながら、傍らの娘を見遣る。 

 不安と期待を表情に滲ませる少女の姿に、心が奮い立たせられる。 

 

「どうしたの、おとーさん?」 

 

 小さく首を傾げる。 

 どうも、この仕草は疑問をぶつける時の彼女の癖のようだ。 

 

「何でもないよ」 

 

 そう答えながら、ふと思い付いた事があった。 

 あの時の翼の生えた悪魔のような姿の魔物について、リバストに聞いておこう。 

 俺はフィーを抱きかかえると、口を開く。 

 

「ちょっと、お父さんの友達の所に用があるんだ。お母さんの所はその後でね」 

 

 フィーにしっかりつかまっているように言うと、呪文を唱える。 

 

「ルーラ!」 

 

 こうして俺の旅に道連れが増え、ふたりで旅をする事になった。 

 この先に何が待ち受けているのか、俺達が出会った事にどんな意味があるのか。 

 それはまだ、誰にもわからない事だった。 

 



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第五話:竜王の城にて

「我が名は竜王! この世界を我が物としてくれん!」 

 

「おのれ、竜王め! その愚かな野望など、この華麗なる黒の騎士が打ち砕いてくれる!」 

 

 竜王と名乗りを上げる黒ずくめのローブに身を包んだ少年に、黒の騎士と名乗る鎧姿の男。 

 少年が魔法を掛ける仕草を見せると、鎧姿の男は地面に倒れる。 

 

「さすがは竜王、我が力が及ばぬとは……」 

 

「ふっ、貴様のような有象無象がいくら集おうとも、我が世界征服の野望を阻む事など出来ん!」 

 

 倒れた男に足を乗せ、高笑いする少年。 

 

「ねえ、アレなに?」 

 

 目の前の寸劇に呆気を取られていた俺は、娘の問い掛けに正気を取り戻す。 

 

「とりあえず、あの踏み付けられてるのはただのバカだ」 

 

「ふーん」 

 

 少年に踏まれ、どこか嬉しそうなサイモンの姿はそうとしか表現出来なかった。 

 

 

「おお! 久しいな、勇者よ! ようやく我が軍門に降る気になったか?」 

 

 先程の寸劇で竜王と名乗っていた少年が、俺に話しかけてくる。 

 黒髪を肩の所で切り揃え、澄んだ黒色の瞳は鋭い印象を与えてくる。 

 が、いかんせんまだ幼さの残る容姿は、無理矢理背伸びしているようでどこか可愛らしい。 

 

「まだ世界征服には興味無いよ」 

 

 俺がそう返すと、残念そうに表情を曇らせる。 

 

「惜しいな。竜王と勇者が組めば、敵は無いというのに」 

 

 いや、それはどうだろう。 

 この前シアちゃんにしこたま殴られて泣かされていたのを忘れてしまったのだろうか? 

 

「ところで、その娘は何だ? アリシア様の娘か?」 

 

 ……いつのまに『様』なんて、付けるようになった。 

 やはり、あの時の経験が堪えているのか? 

 

「ふえっ?」 

 

 フィーがシアちゃんに良く似た風貌で、首を傾げながらこちらを見上げてくる。 

 共通点と言えば、銀色の髪くらいしかないのだが、銀髪自体珍しいので娘と思われるのも仕方の無い事。 

  

「ああ、そうだよ。シアちゃんの娘だ」 

 

 フィーの頭に左手を乗せ、そっと撫でながら答える。 

 これから、それを現実にしていかなければならない。 

 

「何を言っている。アリシアに子供など……」 

 

 余計な事を口走ろうとするサイモンの兜の隙間に、いかづちの杖の先端をねじ込む。 

 

「……生まれたのか、それは良かった」 

 

 言外の含みに気付いたようだ。 

 サイモンはあっさりと意見を翻す。 

 

「なにやってるの、おとーさん?」 

 

 当然の事ながら、フィーが見咎めて当然の疑問をぶつけてくる。 

 しかし、俺が答えるよりも早く、少年が少女の手を取る。 

 

「我が名はサラだ。お前は?」 

 

「えっ、あっ、フィーア。えっ? サラって、おんなのこの名前…」 

 

 少年は、まあ言ってしまうと実は少女だったりするのだが、彼女はあっさりと男装の理由を口にする。 

 

「うむ、世界征服を企む竜の王がドレス姿では格好が付くまい」 

 

 そんなことはないと思うんだがな。 

 実際、シアちゃんだって、あの幼い姿で魔王やってたんだし。 

 いや、本当の所はよく知らないが。 

 本人があまり語りたがらないんだよな。 

  

「じゃあ、サラおねえちゃんって呼べばいい?」 

 

 俺が物思いに耽っている間に、子供達は打ち解けていく。 

 

「いや、サラと呼べ。同志フィーアよ」 

 

 打ち解けるというより、懐柔していると言った方が正しいかもしれない。 

 嫌な言い方をすれば、シアちゃんに対する駒が必要なのだろう。 

 

「じゃあ、わたしもフィー……って、待ってってば、サラ!」 

 

 サラちゃんは、話しかけようとするフィーの手を強引に引っ張り、城の中に連れて行く。 

 

「早速、計画の見直しをせねば! さあふたりで世界の覇権を掴み取るのだ!」 

 

 あの強引さは誰に似たんだろうな。 

 ふと、若かりし頃の呪文屋のお姉さんの顔が脳裏に浮かぶ。 

 まあ似ているといえば、似ているかもしれない。 

 

「お待ちください、姫様!」 

 

 サイモンがその後を追いかけていく。 

 城門の前に残るのは俺一人。 

 

「……えっと、入ってもいいんだよな?」 

 

 誰に問い掛けるでもなく、久しぶりの竜王城へと足を踏み入れた。 

 

 

「我が友よ、今日はどうしたんだ?」 

 

 竜王リバスト自らが俺を出迎えてくれる。 

 昔の、どこか線の細い美男子ぶりは消え、今は壮年の風貌に面変わりしている。 

 優しく穏やかな瞳は昔のままに、王者の貫禄を身に付けたとでもいうべきか。 

 

「そこでサラちゃんに会ったよ。また世界征服ゴッコしてたけど」 

 

 そう言うと、リバストは途端に顔を綻ばせる。 

 見た目通りのかなりの孫馬鹿なのだ、こいつは。 

 一通り、挨拶代わりの社交辞令を済ませてから、本題に入る。 

 

「翼の生えた悪魔のような魔物? いや、そんな魔物は見た事が無いな」 

 

 リバストからの返答はそれだけだった。 

 

「いや、そんなはずないだろう?!」 

 

 ルーラ中に空中でぶつかった事、こちらを振り返ろうともしなかった事、思い出す限り全ての情報を伝える。 

 すると、リバストはしばらく思索した後、呟いた。 

 

「ひょっとするとそれは、ガーゴイルかもしれん」 

 

 リバストの説明によると、ガーゴイルとは闇の魔法によって創られた魔法生物だということだ。 

 ここで気になるのは、闇の魔法という言葉。 

 

「闇の魔法というと、やっぱり魔王とかか?」 

 

「わからん。だが最近、邪神崇拝という噂をよく耳にする。少し調べてみるとしよう」 

 

 邪神か……、まさに世に悪の種は尽きまじって奴だな。 

 次から次へと大変な事だ。 

 と、他人事のように言っているが、今回も俺が何とかしないといけないんだろう。 

 全く面倒くさいことこの上ない。 

 

「ところで、幼い少女を連れて来ているそうだが?」 

 

 くっ、耳の早い。 

 この部屋に来るまでに何人かの侍従とすれ違ったから、その辺りから聞いたのだろうか。 

 

「ああ、一応俺とシアちゃんの娘ということにしてある」 

 

「一応? 隠し子か?」 

 

 とんでもないことをほざく阿呆に、事情を話す。 

 

「……というわけで、俺が父親だってことになってる」 

 

 説明を聞き終えると、リバストは何かを思案しながら口を開く。 

 

「……家に帰らない方がいいんじゃないか?」 

 

「言われなくても、そんな事はわかってる」 

 

 このまま帰ったら、間違いなく殺される。 

 ああ、怒り狂ったシアちゃんの顔が目に浮かぶようだ。 

 こんな時、ローラがいてくれれば………余計に煽りまくって、エライ事になりそうだな。 

 どう考えても悲劇的な展開しか思い浮かばない。 

  

「すまん。悪い事を言ってしまった」 

 

 何となく空気が重くなっていたその時、そっとドアが開いた。 

 ドアの隙間から顔だけを覗かせるフィーアの姿に、その場の空気が和まされる。 

 

「おとーさん、おはなしおわった?」 

 

「ああ、もう終わったよ」 

 

 そう答えると、ドアの隙間からするりと身体を滑り込ませる。 

 

「おとーさん、にあう?」 

 

 フィーアは何故か、ここに来たときとは全く違う服装に着替えている。 

  

「うん、可愛いよ。それでどうしたんだ、そのメイド服?」 

 

 そうメイド服だ。 

 むやみやたらにフリルを付けて、明らかに実用性は皆無だが。 

 

「こら、フィーナ。走っちゃ駄目じゃないか」 

 

 そんな言葉と共に、サラちゃんがこれまた似たようなデザインのメイド服に包まれて現われる。 

 彼女が姿を見せると同時にリバストが相好を崩すのが視界の片隅に見えた。 

 

「だって、おとーさんに早くみせたかったんだもん」 

 

 妹をたしなめる姉のような構図にどこか安心する。 

 ここに連れてきたのは間違いではなかったようだ。 

 

「その格好はなんだ、サラ?」 

 

 仮にもここのお姫様、間違ってもメイド服を着るような存在ではない。 

 リバストが咎めるように、彼女に問いただす。 

 ともすれば緩んでしまいそうな口元を懸命に引き締めようとしているのが、傍から見ていてよくわかるが。 

 

「覇王たる者、庶民の暮らしぶりも知る必要があると諭されました」 

 

「誰にだ?」 

 

 聞かなくても、大体わかるだろうが。 

 あのメイドマニアに決まっている。 

 

「サイモンです」 

 

 ほら、やっぱり。 

 件のサイモンの姿はここには無い。 

 おそらく、この先の展開に気付いて逃げ出したのだろう。 

 

「フィー、他には何か言ってなかったかい?」 

 

 サイモンの事だ。 

 明らかに守備範囲外の幼女に手を出すとは考えにくい。 

 他に目的があったに違いない。 

 

「……うーんとね、あおたがいって言ってたよ」 

 

 ※青田買い:青田の時期に収穫を見越して買っておく事 

 

 なるほど、青田買いか。 

 くっくっく、いい度胸だ、サイモンめ。 

 大事な娘に手を出そうとした報いを受けてもらおう。 

 

「リバスト、今日は泊まっていってもいいか?」 

 

 俺がそう声を掛けると、リバストも同じ事を考えていたのだろう。 

 二つ返事で了承した。 

 

「ああ、構わん。久しぶりに組む事になりそうだな」 

 

 リバストも体が鈍ってなきゃいいけどな。 

 俺達がそんな会話をしていると、子供達は目を輝かせる。 

 

「おとーさん、きょうはここに泊まるの?」 

 

「ああ、明日の朝出発だ」 

 

「ふむ、では我が野望を達成するための方法をふたりで練ろうではないか」 

 

 サラちゃんが、フィーの手を取って引っ張っていく。 

 無理矢理というわけでもなく、フィーも笑顔でそれに付き従う。 

 

「さて、俺達も行くか。途中で倒れたりするなよ、リバスト」 

 

「お前こそ、私にあのセリフを言わせるなよ」 

 

 そういえば、こいつも王様だったな。 

 リバストに言われるのは、確かに情けない。 

  

 俺達は笑い合いながら、その場を後にした。 

 

 

「ねえ、おとーさん?」 

 

 翌日、城門の前で出発の準備をしていると、フィーが話しかけてくる。 

 昨夜は一晩中、サイモンを小突き回していたので眠くてしょうがない。 

 

「どうしたんだ、フィー?」 

 

「サイモンのおじさん、どこに行ったの?」 

 

 サイモンはどこに、か。 

 最後、リバストがどこかに連れて行ったから、正確にどこにいるのかは知らないんだよな。 

 

「サイモンは海水浴に行くと言ってたよ」 

 

 俺が答えあぐねていると、横からリバストが答える。 

 海水浴って、海に沈めやがったな……。 

 

「へー、寒いのにすごいね」 

 

 フィーは素直に感心している。 

 素直な子に育ってくれて、お父さんは本当にうれしいよ。  

 そんな時、サラちゃんが俺に話しかけてくる。 

 

「フィーアもさすがに勇者の娘だけの事はある。まさか、勇者の剣を抜くとは思わなかった」 

 

 は? 今、何て言った? 

 思いがけない言葉に、一瞬呆けてしまう。 

 

「だから、お爺様がお前から預かっている剣があるだろう?」 

 

 ロトの剣のことか? 

 

「勇者の娘ならば、抜けるやもしれんと思ってな。昨夜、試してみた」 

 

 決戦の後で判った事だが、ロトの剣は勇者の血筋、それも限られた者にしか鞘から抜く事が出来ない。 

 シアちゃんもリバストも鞘から剣を抜く事が出来なかった。 

 あの時点で抜けたのは、俺とローラのみ。 

 ローラとの子供が大きくなった時に試してみたが、中には抜けない者もいたのでこの分析に間違いはないだろう。 

 

「本当に抜いたのか?」 

 

 もう一度念を押すように、確かめる。 

 

「ああ、あっさりといとも簡単に抜いたぞ」 

 

 俺の血を引いていないはずのフィーアがロトの剣を抜いた。 

 これが何を意味するのかわからないまま、別れを告げる。 

 

「大人になったら、一緒に世界征服だ! 忘れるな!」 

 

「うん! サラも元気でね!」 

 

 子供達の間に確かな絆が生まれた事を確認して、俺達は竜王城を後にした。 



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第六話:サマルトリアの王妃

 サマルトリアの町は、この前来た時と変わらぬ賑やかさ。 

 まずは銀行に行き、預けていた金を下ろす。 

 店に入り、小さなリュックサックとシアちゃんへのお詫びの品を買う。 

 そして、残った金をリュックサックに詰め、フィーに持たせる。 

 この先、何が起こるかわからないからな。 

 出会い頭でシアちゃんに殺されるかもしれないし。 

 

「似合う?」 

 

 リュックサックを背負い、ポーズをきめる娘を見ていると不安が薄らいでいくのを感じた。 

  

 城門に近付くと兵士が見咎めてくるが、身元を確認するとそのまま通してくれる。 

 

「ご苦労様です、勇者様」 

 

 兵士の敬礼が実に快い。 

 ローレシアとはエライ違いだ。 

 これも俺の曾孫である王妃の教育の賜物だろう。 

 あの娘はそういう立ち居振る舞いには人一倍うるさいのだ。 

 俺に似たというよりも、ローラに似たのだと思う。 

 その凛とした佇まい、そしてそこはかとない黒さが。 

 

 すれ違う者が皆、俺の顔を見た途端に会釈してくる。 

 ああ、俺が求めていたのはこれだ。 

 もういっその事、ここに定住しようかという気持ちにもなる。 

 でも、その願いが叶う事はない。 

 ローラに似ているだけあって、シアちゃんと非常に折り合いが悪いのだ。 

 顔を合わせればすぐに口喧嘩になる、というか、彼女達にとっては遊びの一環のようだが。 

 

 おかしいな? 

 いつもと比べて、兵士の数が少ないように見える。 

 見回りの兵士を捕まえて話を聞くと、どうもアイアンアントの巣が壊滅したためらしい。 

 生態系のバランスが狂って、あちこちで魔物の異常発生が起こっているそうだ。 

 騎士団の半数以上がそれの討伐で出払っているとの事。 

 間違いなく俺のせいだが、黙っていればわかるまい。 

 幸い、俺を保護した騎士団も俺の身元には気付いていない様子だったらしいしな。 

 よし、この話は聞かなかったということで。 

 

「王妃様はこちらです」 

 

 通りすがりの侍女に王妃の居場所を聞くと、案内してくれるという。 

 俺はフィーを連れて、その後をついていくことにした。 

 その途中、フィーが俺の服の裾を引っ張る。 

 先を歩く侍女に声を掛け、待つように言うと、少し離れてからフィーに話しかける。 

 

「どうした、フィー?」 

 

 何故かもじもじとする少女。 

 

「何だ? トイレに行きたいのか?」 

 

 そう言うと、間髪いれずに否定する。 

 

「ちーがーう! ……あのね、おとーさんって勇者なの?」 

 

 あーそりゃ気付くよな、周りがあれだけ勇者勇者と連呼すれば。 

 やっぱり話しておかないとまずいか。 

 でも、これを言って『おとーさんじゃない!』とか言われたら、ショックだよなあ。 

 だが、俺は少女の言葉の続きに別の意味でショックを受けた。 

 

「勇者って、おじいちゃんのことじゃないの?」 

 

 はい? おじいちゃん? 

 俺の息子達の誰かが父親なのか? 

 いや、でもフィーの本当の父親はルビス神殿で死んでるんだよな。 

 俺の息子達の消息なら全員知ってるぞ? 

 

「おじいちゃんじゃなくて、お父さんが勇者だよ」 

 

 フィーにそう言うと、小さく首をかしげる。 

 

「おかしいな? おとーさんのおとーさんが勇者だって、前に言ってたのに」 

 

 念のために聞いておくか。 

 

「えーと、おじいちゃんの名前って何だっけ? ちょっとど忘れしちゃったみたいだ」 

 

「変なの、おとーさんのおとーさんのことなのに。うーんとね、たしか、アルスって言ってたよ」 

 

 ああっ?! よりにもよって、アルスかよ?! 

 何やってんだ、あの野郎! 

 

 勇者アルス。 

 その名前には激しく聞き覚えがある。 

 大昔に大魔王ゾーマを討ち、勇者ロトの称号を手に入れた最強の勇者。 

 その実態は、極度の女好きで夜の勇者とローラに名付けられたほどの性豪である。 

 しかも、大変不名誉な事に俺の直系のご先祖様だ。 

 魔王との決戦の際に復活し、その後旅に出たはずだったが……。 

 5才の子供を孫に持つってことは、結構な年になっても女好きが治まらなかったようだな。 

 少し計算してみよう。 

 あの時点で同い年くらいだったから、今の俺の年齢107才から、5才を引く。 

 さらにその年齢から父親の年齢を逆算すると……。 

 あ、ありえねー! 

 さすがに夜の勇者は伊達じゃないって事か?! 

 少なくとも、7、80代までは普通に機能してたことになるぞ。 

 何がって聞くな、ナニが、だ。 

 

「おとーさん、おとーさん」 

 

 混乱し、狼狽していた俺の意識が、娘の呼びかけで現実に戻る。 

 危ない所だった。 

 この俺の精神をここまで揺さぶるとは、さすが勇者アルス、侮りがたし。 

 

「お、おじいちゃんも勇者だけど、おとーさんも勇者なんだよ」 

 

 まだ少し声が震えているのが自分でもわかる。 

 まさか、アルスの孫娘だったとは。 

 予想もしていなかった事態に冷や汗が流れる。 

 

「ふーん、そうなんだ。すごいなあ」 

 

 フィーは目を輝かせている。 

 そういえば、父親の名前って聞いてないな。 

 俺の事を名前で呼ぶ奴なんざ、はっきり言って居るわけが無いが念のためにも。 

 

「フィー、お父さんの名前は知ってる?」 

 

 あー、何てバカな質問なんだ。 

 こんな事なら、神殿で聞いておくんだった。 

 

「おとーさんの名前は、アレフだよね?」 

 

 俺と一文字違いかよ! 

 でも、これなら何とかなるかもしれないな。 

 天国にいる、フィーの本当のお父さん。 

 これからちょっと悪い事するけど、許してくれよ。 

 

「残念、お父さんの名前はアレクっていうんだよ」 

 

 あーーー、ひしひしと罪悪感が募ってくる。 

 本当にごめんなさい! 

 これも彼女の幸せのためなんです! 

 

「あれ、ちがった?」 

 

 俺の言葉を素直に受け取る少女。 

 あーもう、可愛いな! 

 アレフのためにもきっと幸せにするからな! 

 

「アレクアレクアレク……、うん、おぼえた!」 

 

 少女と手を繋ぎ、侍女にさっきの会話が聞こえてないか確認をしたうえで道案内の続きを促す。 

 アルスの孫娘だと言えば、さすがにシアちゃんも断れまい。 

 思いがけない事実を知って、俺の頭の中には打算が渦巻いていた。

 

 

「まあ。どうなされました、勇者様?」 

 

 王妃は中庭にテーブルを持ち込んでお茶を飲んでいたらしい。 

 椅子から立ち上がろうとするのを制止する。 

 

「そのままでいい。もうすぐ産まれそうなんだろ」 

 

 サマルトリアには既に2才になる王子がいる。 

 そして、王妃の胎内にはまた新たな命が宿っている。 

 臨月だから、おなかもかなり大きくなっているようだ。 

 

「それでは、お言葉に甘えさせて頂きます」 

 

 彼女が椅子に座り直すのを横目に、俺も近くの椅子を引き寄せる。 

 フィーをそこに座らせると、侍女がクッキーとお茶を目の前に置く。 

 

「これ、食べていいの?」 

 

 王妃がうなずくと、フィーはクッキーを一枚頬張る。 

 

「おいしい!」 

 

 フィーが歓喜の声を上げると、王妃は満足そうに微笑む。 

 ……ところで、俺の分は無いのか? 

 椅子も2脚しかないし。 

 まあいいか、娘の喜ぶ顔が見られれば充分だ。 

 

「ところで、その娘は?」 

 

 当然の事ながら、フィーについて言及される。 

 

「俺の娘だ」 

 

 こう答えるのももう何度目だろう。 

 会う人会う人に説明しているのだから、仕方の無いことだが。 

 その言葉を聞いた王妃はしばらく考え込んだ後、呟いた。 

 

「今ならまだ間に合います。自首なさってくださいませ」 

 

「失礼な事を言うな!」 

 

 俺のどこが誘拐犯だ。 

 シアちゃんといい、コイツといい、そんなに俺は危険人物に見えるのか。 

 さらに文句を言おうとすると、睨みつけてくる。 

 

「勇者様が大きな声を出されるから、おなかの赤ちゃんがびっくりしていますわ」 

 

「おとーさん、大きな声出したらダメだよ」 

 

 元はといえば、お前のせいだろうが! 

 くっ、娘まで巻き込んで文句言いやがって。 

 

「ねえ、おとーさん。このひとがおかーさんなの?」 

 

 クッキーに夢中になっていたフィーが思い出したかのように問うてくる。 

 ああ、そういえば紹介がまだだったな。 

 

「違うよ、この人はお母さんじゃない。んー、なんていうか……」 

 

 まさか、俺の曾孫だなんて言えないしな。 

 どう答えればいいものか。 

 

「あなたのお母様のお友達ですわ」 

 

 そう、それだ! 

 俺が答えあぐねていると、王妃が自己紹介を始める。 

 やっぱり、誘拐犯うんぬんは冗談だったみたいだな。 

 そこで気を緩めてしまったのがいけなかったのか、フィーがとんでもない事を口走るのを止める事ができなかった。 

 

「おばちゃん、おかーさんのおともだちなんだ」 

 

 『おばちゃん』 

 その一言で周りの空気が凍りついた。 

 うおっ、何で俺に殺気をぶつけてくる? 

 フィーも気配だけは感じたようで、落ち着かないように周りを見回している。 

 

「フィ、フィー、このお姉ちゃんはね、この国で一番偉い人でね、まだ20才なのにすごい人なんだよ、このお姉ちゃんは」 

 

 あからさまに『お姉ちゃん』を強調してみる。 

 少し温度があがったようにも思えるが、フィーは落ち着かない様子だ。 

 娘に近付いて、そっと耳打ちする。 

 

「フィー、年上の女の人に会ったら『お姉ちゃん』というのが礼儀なんだよ。『おばちゃん』と呼ぶのは失礼に当たるからね」 

 

 わかってくれたのだろうか。 

 フィーは椅子から下りると、トコトコと王妃に近づき頭を下げる。 

 

「ごめんなさい、おねえちゃん。フィー、わるいことしちゃった」 

 

 泣きそうな顔になっている少女の頭を撫でる王妃と俺。 

 

「次から気を付ければいいんだよ」 

 

「ええ、フィーちゃんは何も悪い事はしていないわ。悪いのはお父様ですもの」 

 

 また俺のせいかよ! 

 文句を付けたいが、涙目の娘が俺を見上げてくる。 

 王妃の方は、その背後で口元に底意地の悪い笑いを浮かべているが。 

 くそっ、まんまとしてやられた。 

 

「あー、悪かった。謝る、ごめんなさい」 

 

 俺が一体何をした? 

 拳を固く握り締めながら、全く心のこもっていない謝罪を口にする。 

 それでも王妃は満足したらしく、途端に周りの緊張が緩む。 

 

「さあ、どんどん食べなさいな。クッキーはまだまだありますからね」 

 

「うん、ありがとう、おねえちゃん!」 

 

 さっきの事が無かったかのように振舞いやがって。 

 そうだ。クッキーといえば、一つ思い出した。 

 くくく、この話をすれば、奴の株も下がろうと言うもの。 

 侍女がお茶とクッキーのおかわりを持ってきたところを見計らって、話を始めることにする。 

 

「クッキーと言えば、思い出すなあ。王子が産まれた時の事」 

 

 俺が話し始めると、王妃はその話に気付いたのか、顔をしかめる。 

 

「なに? なにかおもしろいことがあったの?」 

 

 フィーが早速食いついてくる。 

 さすがは俺の娘だ。 

 

 あれは2年前の事、この国の王子が産まれて、その祝いにシアちゃんとふたりでこの城に訪れた。 

 町はお祝いムードにもかかわらず、城内は緊張状態。 

 何事かと聞いてみたら、名前の事で夫婦喧嘩をしているという。 

 父親である国王は、男なら『コナン』、女なら『マリナ』という名を用意していた。 

 そして、母親であるこの王妃はというと……。 

 

「好きな名前を付けろって占い師に言われたのを勘違いして、好きな食べ物の名前を付けようとしててさ」 

 

 フィーアも侍女も興味津々といった様子で話の続きを促してくる。 

 王妃は顔をしかめたままだ。 

 さてここまで期待されたら話さないわけにはいくまい。 

 

「コイツが用意してた名前ってのが、男なら『クッキー』で、女なら『プリン』なんだよ」 

 

 いやー、あん時は腹抱えて笑った。 

 笑いすぎて死ぬかと思ったほどだ。 

 思い出すたびに笑いがこみ上げてくる。 

 笑いを堪えきれずに、吹き出しながら周りを見ると、皆の顔が強張っている。 

 あれぇ? そんなに面白い話じゃなかったのかな? 

 

「あ、あの、私は職務が残っていますので、これで……、失礼しますっ!」 

 

 侍女が慌てたそぶりでこの場を去っていく。 

  

「……おとーさん! おとーさん!」 

 

 フィーが涙目で裾を何度も引っ張ってくる。 

 その時初めて気が付いた。 

 周りの空気が魔王のマヒャド以上に下がっている事に、そして王妃の右手が雷光に包まれている事に。 

 

「ふふふ。その話、他言無用と申しました事、忘れたとは言わせませんよ……」 

 

 墓場の下から聞こえてくるような不気味な声で、王妃が笑う。 

 し、しまった。 

 シアちゃんとの仲介をしてもらおうと思ってここに来たのに、なに怒らせてんだ俺は。 

 やり込められた仕返しをするためだったが、その代償はあまりにも大きかった。 

 

「さて、そろそろ家に帰る時間だな。フィーもそろそろお母さんに会いたいだろ?」 

 

「う、うん」 

 

 何事も無かったかのように、娘を小脇に抱えるとルーラを唱える。 

 

「じゃあ、もう帰るよ。今度産まれて来る子供にはちゃんとした名前を付けてやれよ」 

 

「言われなくともわかっています!」 

 

 空中に飛び出した俺の横を雷が通り過ぎる。 

 さすがにフィーを抱えた状態の俺に、ライデインを当てるつもりは無いようだな。 

 

「やれやれ、素直に謝るしかないか」 

 

 久しぶりの我が家に帰る俺の心は暗澹たる思いでいっぱいだった。 

 



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第七話:母娘

 俺とシアちゃんだけで暮らしていた、小さな家の前に立つ。 

 国を息子に任せた後、隠居した小さな我が家だ。 

 フィーにしばらく隠れているように言い、気を落ち着かせるために深呼吸を繰り返す。 

 そして扉を叩いて、その言葉を口にする。 

 

「ただいま、シアちゃん」 

 

 家の中からこちらに走ってくる足音が聞こえる。 

 シアちゃんもきっと寂しかったに違いない。 

 離れていたのはせいぜい3日。 

 それでも、今までずっと一緒にいたのだから長い時間と言えるだろう。 

 今回は事故が重なったために帰りが遅れたが、いつもの喧嘩なら1日で仲直りしていたのだ。 

 素直に謝ろう。 

 フィーの事も正直に話して、親子3人で静かに暮らそう。 

 そんな淡い期待を胸に抱く俺の前で勢い良く扉が開く。 

 真っ先に見えたのは、小さな足の裏だった。 

 

 

「ただいま、シアちゃん」 

 

 どうやら扉が開いた瞬間に蹴りをくらって意識を失ったらしい。 

 地面に倒れた俺の上に馬乗りになっているシアちゃんに、もう一度声を掛ける。 

 

「何が『ただいま』じゃ! あれから何日経ったと思っておる!」 

 

 胸倉をつかみ、往復ビンタを浴びせて来る。 

 俺が悪いのは確かだ。 

 無抵抗のまま、それを受け入れる。 

 

「何故、抵抗せぬのじゃ? おぬしが悪いと自覚しておるのか?」 

 

 俺に喧嘩の原因があるのは事実だ。 

 だが、一つ言わせてもらう。 

 

「俺が悪いのは認める。でも、腕の動きを封じておいて、『何故、抵抗しない?』って言われても困るんだけど」 

 

 俗に言う『気を付け』の姿勢で横たわる俺の腹の辺りに馬乗りされているのだ。 

 つまり、腕ごと押さえ付けられているので動かそうにも動けない。 

 シアちゃんもやっとそれに気付いたのか、ビンタを放つ手が止まる。 

 その瞬間、横から飛び込んできた小さな影がシアちゃんを突き飛ばす。 

 

「なっ?!」 

 

 それほど強い力では無かったが、驚いた声を上げて、シアちゃんが俺の体からズレ落ちる。 

 

「おとーさんをいじめないで!」 

 

 俺を庇うように両手を広げ、そう叫ぶフィーの姿に感動を覚える。 

 それと同時に、地獄の門がゆっくりと開く音が頭の中に響いていたのだった。 

 

 

「お父さん? ……なるほど、そういうことか」 

 

 あれ? 予想してたリアクションと違う。 

 てっきり、メラゾーマかイオナズンが飛んでくると思っていた。 

 彼女は深く考え込むように何度もうなずいている。 

 

「あの、アリシアさん?」 

 

 なんとなく丁寧な言葉になりながら、シアちゃんに尋ねる。 

 シアちゃんは、幼い少女のような顔を真っ赤に染めると俯きがちに言葉を紡ぐ。 

 

「……おぬしが、そ、そういうプ、プレイが好きなら、そ、その、パ、『パパ』と呼んでやってもよいぞ?」 

 

 その瞬間、全身に鳥肌がたつ。 

 何かとんでもない勘違いをしているようだ。 

 プレイってなんだよ?! 

 俺は、そんな変態的な趣味を持っていると思われているのか?! 

 しかも、フィーの存在は完全無視かよ?! 

 

「おねえちゃんも、おとーさんのこどもなの?」 

 

 無視された形になっていたフィーが、無邪気に質問する。 

 

「おぬしは、こやつの愛人か何かか?」 

 

 全く人の話を聞こうとしないシアちゃんが、悪意たっぷりに詰問する。 

 どう考えても噛み合っていない。 

 

「「ん?」」 

 

 ふたり揃って首をかしげる様子はそっくりで、とても可愛らしいものではあったが。 

 

 

 

「おかーさーん!」 

 

 フィーが満面の笑みで、シアちゃんに抱きつく。 

 反対にシアちゃんはうろたえている。 

 

「あるじ、この娘はなんじゃ?」 

 

 フィーに説明した途端、シアちゃんに飛び付いてしまったので、まだ説明していない。 

 母親に甘えるように、胸に抱きついて離れようとしない少女の様子に戸惑っているようだ。 

 

「俺とシアちゃんの子供だよ」 

 

 詳しい事は後だ。 

 今は端的にそれだけを伝える。 

 

「は? な、何を言って……」 

 

 余計な事を話そうとする口を、唇で塞ぐ。 

 少し抵抗する素振りを見せるが、やがてそれも消えてゆっくりとこちらに身を委ねてくる。 

 

「ふわぁ……」 

 

 フィーが驚いたように声を上げる。 

 夫婦仲の良い所を見せるのも、情操教育には良いだろう。 

 そう思いながら、唇を離す。 

 

「さあ、家に入ろうか、フィー」 

 

 呆気に取られていた少女を促し、扉を開く。 

 

「で、でも、おかーさんが……」 

 

 シアちゃんは、呆けた様子で地面にへたり込んでいる。 

 久しぶりで刺激が強かったらしい。 

 そばに寄り、耳もとで囁く。 

 

「ほら、娘が心配してるよ」 

 

 その声に目が覚めたのか、正気に戻ったシアちゃんが声を上げようとする。 

 人差し指を口に当て、それを制すると、やがて落ち着きを取り戻す。 

 

「……後で説明せよ。そ、それと、さっきのキ、キスの続きもじゃ、忘れるでないぞ」 

 

「はいはい、可愛い奥さんの頼みなら、何でもお聞きしますよ」 

 

 腰が抜けてしまった様子の妻を両手で抱き上げる。 

 

「こ、こら、下ろさぬか!」 

 

 手足を激しく動かし抵抗するシアちゃんをなだめながら、フィーと共に我が家へと足を踏み入れた。 

 

 

 久しぶりの我が家は3日前と何一つ変わることなく、いつもの佇まいを見せていた。 

 いや、正確には家族が一人増えるのだから、これから変わって行くのだろう。 

 

「腹が減っておるだろう? 今、昼食を持って来るから待っておれ」 

 

 いつもの調子を取り戻したシアちゃんが、台所に入っていく。 

 あれ? ひょっとして、もう作ってある? 

 だとしたら、ヤバイ! 

 急いで、台所に駆けつける俺の鼻に、独特の刺激のある匂いが漂ってくる。 

 やっぱりだ。 

 やっぱり、あの『地獄スープ』だ。 

 

「あるじ、そのような所で何をしておる。手伝わぬのならどかぬか」 

 

 絶望に打ちひしがれる俺を鞭打つように、シアちゃんの冷たい言葉が投げ掛けられる。 

 

「フィー、おかーさんのおてつだいする!」 

 

 フィーが台所に駆け込んでいく。 

 戸惑うようなシアちゃんの声が聞こえてくる。 

 

「うむ、ではこのパンをあちらのテーブルに持って行け。ゆっくりと落とさぬようにな」 

 

「うん!」 

 

 かごに盛ったパンを両手で抱えたフィーが台所の戸口から姿を見せる。 

 

「おとーさん、じゃま。あっちで待ってて」 

 

 娘にまで邪険に扱われた俺は、仕方なく席に着く。 

 やがて、昼食がテーブルに揃い、皆が席に着く。 

 

「いただきます!」 

 

 フィーが元気良く挨拶をし、俺達も釣られて挨拶をする。 

 

「いただきます」 

 

 スープをすくい、口に含む。 

 途端に脳天まで強烈な辛さが突き抜ける。 

 何十年という夫婦生活の中で知ったのだが、いつぞやの風邪の時のスープは香辛料の入れすぎではなかったのだ。 

 シアちゃんは味覚が極端だった。 

 極端に甘いものを好み、パンケーキがひたひたになるくらい蜂蜜を大量にかける。 

 そして、極端に辛いものを好み、時として死人が出るんじゃないかと疑うほど大量の香辛料を鍋に入れる。 

 このスープも元は、ただの野菜スープなのだ。 

 何時間も野菜を煮込み、適度な味を付ければ、最高のスープが出来上がる。 

 ただ、シアちゃんの考える適度がおかしいだけ。 

 それが俺命名『阿鼻叫喚地獄スープ』の正体なのだ。 

 

「おかーさん、このスープおいしいね」 

 

 フィーが上げた信じられない賞賛の言葉に、心の底から驚く。 

 

「うむ、そうじゃろう。わらわの作った料理なのじゃ、美味いに決まっておる」 

 

 シアちゃんは、フィーの言葉に感銘を受けたかのように、満面の笑みでうなずく。 

 

「フィー、不味いなら不味いって言っておかないと、こればっかり作るようになるぞ」 

 

 あまりにも動揺した俺は、フィーがお世辞で言っているのだと期待した。 

 だが、返ってきた言葉はあまりにも無慈悲で残酷なものだった。 

 

「フィーは、毎日でもいいよ」 

 

「嘘だ! そんなことがあるはずがない!」 

 

「あるじ、そんなにわらわの料理が気に入らぬのか?」 

 

 心の中で止めるつもりが、つい口に出してしまっていた。 

 

「フィー、良いと言うまで、そちらの部屋に行っておれ」 

 

「う、うん」 

 

 フィーもその場の雰囲気を感じ取ったのか、反論もせずにパンとスープ皿を持って隣の部屋に行く。 

 

「さて、あるじ」 

 

 シアちゃんが、テーブルの上のスープ皿とスプーンとを手に取る。 

 これから起こるであろう惨劇に身をすくめる俺に向けて、シアちゃんがスープをすくったスプーンを近付けて来る。 

 

「あーん。ほれ、さっさと口を開けぬか」 

 

 予想外の展開に動揺した俺は思わず口を開いてしまう。 

 それが惨劇の始まりだった。 

 

「では、たっぷりと味わうがよい」 

 

 右手に持ったスプーンを引っ込めると、左手に持ったスープ皿から直接、俺の口に大量に流し込む。 

 想像もしていなかった量に吹き出しそうになるが、執念で飲み込む。 

 ここで吹き出せばどうなるかなんて、子供でもわかる。 

 全身に汗が吹き出し、頭と胃がキリキリと痛む。 

 口の中には既に感覚が無い。 

 『阿鼻叫喚無間地獄スープ』が全身を侵している。 

 やっと飲み終わり、解放されると信じていた。 

 

「なんじゃ、もう終わりか。そんなに食べたいのなら、わらわの分も分けてやろう」 

 

 『極悪非道阿鼻叫喚無間地獄スープ』がさらに口の中へと注がれる。 

 満面の笑みを浮かべた妻の顔を最後に俺の意識は暗転した。 

 

 

 目が覚めると、ベッドに寝かされていた。 

 額には水に濡らしたタオル。 

 起き上がると、居間へと足を運ぶ。 

 

「シアちゃん」 

 

 長椅子に座るシアちゃんに声を掛ける。 

 こちらからは顔が見えないので、怒っているかどうかは判別できない。 

 シアちゃんは振り向くと、唇の前に人差し指を立てる。 

 音を立てないようにゆっくりと近付いてみると、フィーがシアちゃんの膝を枕にして眠っている。 

 窓から外を眺めると、すっかり暗くなって月が空の頂点で輝いている。 

 よく見ると、部屋の中に淡い光の玉が浮いている。 

 シアちゃんが呪文で出したもののようだ。 

 ずいぶんと長い間、意識を失っていたらしい。 

 

「あるじ、この娘の事情を話せ」 

 

 小さな声で、こちらへ説明するように促す。 

 アイアンアントの巣の事は胸に秘め、かいつまんでフィーと出会った経緯を説明する。 

 竜王の城で判明した事、そして、アルスの孫娘である事を。 

 

「アルスの孫じゃと?!」 

 

「しーしーしー、起きちゃうよ」 

 

 フィーが小さく寝返りをうつ。 

 どうやら目を覚ましたわけじゃなさそうだ。 

 

「確かなのか?」 

 

「ああ、ロトの剣を抜いた。間違いは無いと思う」 

 

 シアちゃんは窓から月を眺める。 

 アルスという名はシアちゃんにとって特別な物だ。 

 共に魔王と戦った仲間として、幼い頃から親しんだ兄として、恋焦がれた一人の男として。 

 

「おぬしがどこぞで蒔いた種が発芽したのではあるまいな?」 

 

 こちらを向いたシアちゃんはどこか意地の悪い笑みを浮かべながら、そんな事を言う。 

 だから、俺はその問いに真面目に答えることにする。  

 

「俺は、シアちゃんとローラ以外の女性を愛した事は無いよ」 

 

「ふん。妻の目の前で他の女に声を掛ける男の言う事か」 

 

 少し頬を染めているところをみると、照れてはいるようだ。 

 

「昼間のキスの続き……」 

  

 シアちゃんのあごに手を掛け、少し上を向かせる。 

 ゆっくりと顔を近付けると、そっと目を閉じる。 

 その小さな唇に触れようか否かの所で、フィーが目を覚ます。 

 

「……おかーさん、どうしたの?」 

 

 キスに気を取られて、フィーの頭がずり落ちてしまったらしい。 

 咄嗟に離れて、何事も無かったかのように振舞う。 

 

「……そろそろベッドで眠った方が良い。ここでは身体が冷えてしまうのでな」 

 

 少し残念そうなシアちゃんが、フィーを軽々と抱きかかえて寝室に運ぶ。 

 ああ見えて、彼女はかなり力が強い。 

 意識を失った俺を、ベッドに運んだのも彼女だろう。 

 

「おとーさんとおかーさんといっしょにねるの」 

 

 小さな娘の小さな願いにそっとうなずく。 

 昼間の続きはどうやら出来そうに無かった。 



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第八話:兆し

「シアちゃん、空を見てみなよ」 

 

 居間には俺とシアちゃんの2人だけ。 

 フィーは一日中遊び疲れて眠ってしまった。  

 居間にある大きな窓から星空を見渡す。  

 

「ふん、おぬしの言う事なんぞ、聞かぬわ」 

 

 昨夜の事がよほど気に入らなかったようだ。 

 娘が寝ている横で妻に手を出すのは悪い事か? 

 シアちゃんだって、嫌がってなかったくせに。  

 不貞腐れるシアちゃんをむりやり傍らに引き寄せ、背後から抱き締める。 

 

「……聞かぬと言うとろうが」 

 

 拒否の言葉は力無く、仕方なしに空に目を遣る。 

 眼前に広がるは広大な星の海、そして一斉に流れる無数の流れ星。 

 

「流星雨っていうのかな、あれ」 

 

「見事な物じゃな……。もう400年近く生きておるが、これほどの物は初めてじゃ……」 

 

 空を食い入るように見詰める彼女の姿に、会心の思いを抱く。 

 もう80年ほど連れ添った妻のこんな顔を見るのは久しぶりだ。 

 人間400年も生きてると、感動する事が無くなってくるらしい。 

 あれを見ろというと、やれ300年前に見ただの。 

 これなんかどうだというと、前に何度も見たことがあるとか。 

 せっかく色々なイベントをこしらえているのに、まったく割りに合わない。 

 

「……ベッドの中じゃ、いつも初々しいのになあ」 

 

「いきなり何を言っておるか、この阿呆が!」 

 

 足を踏まれ、思わず手が緩んだところであごに頭突き。 

 そのまま後ろに尻餅をつき、しばし痛みに悶える。 

 無意識に声に出していたらしい。 

 星空を背後に顔を真っ赤にして怒る彼女は、子供が背伸びしているようでどこか微笑ましい。 

 自分も痛かったのか、涙目で頭を押さえているのはご愛嬌だ。 

 とっさに呪文を唱えなくなったのは、成長した証だろうか。 

 見た目も性格も出会った頃とほとんど変わらないのだが。 

 それにしても、痛い。 

 腰に付けている道具袋から薬草を取り出すと、口に含む。 

 すると途端に、痛みが和らいでいく。 

 

「もう残り少なくなってきたな」 

 

 回復呪文を使える人間が傍にいないのだから、薬草に頼るのは仕方が無い。  

 

「おぬしがもう少し言動に気を付ければ良いだけではないか」 

 

 彼女の言葉から読み取れるように、消費の原因は大抵彼女にあったりする。 

 

「少しは金を援助してくれてもいいと思うんだ」 

 

 ずいぶんと軽い財布が俺の財政状況を物語る。 

 なにせ、未だに小遣い制。しかも、週に50ゴールドのままなのだ。 

 薬草一つに8ゴールドだぞ。 

 6個買ったら終わりじゃねーか。 

 一日一回欠かさず怪我をさせられる身にもなってほしい。 

 銀行から引き出した金も、養育費名目で根こそぎ全部取られたし。

 

「自業自得じゃ」 

 

 彼女が吐き捨てるようにそう言った瞬間、嫌な感覚が全身を駆け巡った。 

 体中を何かが這い回るような奇妙な感覚。 

 シアちゃんは窓枠にもたれかかり、両手で身体を抱き締めるようにして震えている。

 

「シアちゃん、今の!?」 

 

 空には今も星が流れ続けている。 

 窓の外では、時ならぬイベントに浮かれた人々が空を見上げては語り合っている。 

 誰も気付いていないのか? 

 

「な、何じゃ? 今の感覚は」 

 

 崩れ落ちそうになる彼女を抱えて、空を見つめる。 

 空の向こうに、何かが見える。 

 流星雨に紛れてずいぶんと見えにくくなっているが間違いない。 

 

「空が、ひび割れてる」 

 

「なんじゃと?」 

 

 彼女にわかるように指を差しながら、もう一度言い直す。 

 

「空に亀裂が入ってる!」 

 

 その瞬間、世界が揺れた。 

 

 

 気が付くと、空を覆い尽くしていたはずの流星が忽然と消えていた。 

 外にいる人々のざわめきが聞こえてくる。 

 

「シアちゃん、大丈夫?」 

 

「うむ、問題ない」 

 

 先程までの気持ち悪さが消えている。 

 一体、何が起こったんだ? 

 

「……おとーさん、いまへんなかんじがした」 

 

 フィーも何かを感じ取ったようだ。 

 目を覚まし、俺達の所にやってくる。 

  

「あるじ! 魔物の気配じゃ!」 

 

 シアちゃんが窓の外に目を向けて叫ぶ。 

 空に輝いていたはずの月が、瞬くように姿を消しては現われる。 

 最初は雲で隠れたのだと思っていた。 

 だが、違った。 

 空を飛ぶ魔物の群れが、月の光を遮っているのだ。 

 

 ローレシアの城から、光の束が幾筋も放たれる。 

 閃熱呪文の光だ。 

 幾つかの影が地面に落ちていく。 

 人々がそれに気付き、悲鳴を上げ逃げ惑う。 

 

「シアちゃん!」 

 

「あるじ!」 

 

 声を掛け合うと、シアちゃんは外へ飛び出していく。 

 俺は自室に戻り、装備を身に付ける。 

 外へ飛び出そうとするとフィーに呼び止められる。 

 

「おとーさん……」 

 

 窓の外ではシアちゃんが逃げ惑う民衆を一つにまとめている。 

 下手に避難させて襲われでもしたら、とてもじゃないが守りきれない。 

 俺は、フィーの手をしっかり握り、シアちゃんのもとへ走る。 

 

「大丈夫。お母さんはああ見えて、すごい魔法使いなんだ」 

 

「ほんと?」 

 

「ああ。だから、安心しろ」 

 

 走りながら、考える。 

 一体どこの誰がこんな襲撃をやらかす? 

 それに、コイツはどこかで見たような……? 

 物思いにふけっていると、フィーが叫ぶ。 

 

「おとーさん!」 

 

 見ると、目の前で地面に落ちた魔物が大きな翼を広げ飛び立とうとしている。 

 とっさにいかづちの杖を突きつけ、魔力を解放する。 

 

「いかづちよ!」 

 

 杖の先からほとばしった閃光が、魔物の身体を吹き飛ばす。 

 倒れた魔物は、しばらくすると身体が砂のように崩れて行く。 

 

「あるじ! フィー! 怪我は無いか?」 

 

「うん! おとーさんがまもってくれたから、へいき!」 

 

 駆け寄ってきたシアちゃんに元気に答えるフィー。 

 俺はそれを尻目に、思索にふけっていた。 

 

「あるじ、どうした?」 

 

「いや、この魔物、どこかで見たような……。あっ!」 

 

 シアちゃんの呼びかけに生返事を返しながら考えていると、魔物の正体に気が付いた。 

 ガーゴイルだ。 

 サマルトリアの上空でぶつかった、あの魔物だ。 

 そして、もう一つ大変な事に気が付いた。 

 もしかすると、あの時のあれは襲撃の準備だったのではないかという事に。 

 ならば、サマルトリアも襲われている!? 

 

「シアちゃん、俺はサマルトリアに行く!」 

 

 今のサマルトリアは兵士が出払っている。 

 これだけの数の魔物を相手に持ちこたえられるとは思えない。 

 

「いきなり何じゃ?」 

 

 疑問の眼でこちらを見つめるシアちゃんを真っ直ぐ見つめ返す。 

 

「ふぅ、良かろう。ならば、空の奴らを一掃せねばならんの」 

 

 シアちゃんが呪文を唱え始めるのを確認すると、フィーと目線を合わせるようにしゃがみ、強く言い聞かせる。 

 

「フィー、お父さんはちょっと仕事に行ってくる。お母さんのそばを絶対に離れるんじゃないぞ」 

 

 立ち上がり、ルーラの詠唱を始めると、服の裾を引っ張られる。 

 そちらを向くと、フィーが泣きそうな顔でこちらを見つめてくる。 

 

「おとーさん、ぜったい帰ってきてね」 

 

 心配を掛けないように、笑顔を見せながら答える。 

 

「ああ、約束する」 

 

 フィーに少し離れているように言うと、その時が来るのを待つ。 

 詠唱を終えたシアちゃんが両手に魔力をまとわせて叫ぶ。 

 

「イオナズン!」 

 

 大きな光の玉が魔物の大群の真ん中で爆発する。 

 大気が震え、魔物達が断末魔の悲鳴を上げながら、地面に落ちるのを待たずして崩れて行く。 

 人々からは歓声が起こり、空には一時の静寂が訪れる。 

 

「じゃあ、後は任せたよ。シアちゃん」 

 

 俺はその間隙をついてサマルトリアへと飛び立った。 

 

 

 サマルトリアの町には既にいくつかの火の手が上がっていた。 

 マントで風を受け、ゆっくりと高度を落とす。 

 突風を受けて城に引っ掛かりでもしたら、あの王妃に笑いものにされるのは間違いない。 

 慎重に風を読みながら、とりあえず、状況を知るために城の中庭へと下りる。 

 

「勇者様! ようこそ、お越しくださいました!」 

 

 兵士の一人が俺の姿に気付き、声を張り上げる。 

 

「状況はどうなってる?」 

 

 俺の質問に兵士が直立不動で答える。 

 

「はっ! 今、民衆を城へと避難させている所でございます」 

 

 まあ、町に入り込まれているんだ。 

 その考えは妥当な所だろう。 

 問題は迎撃態勢だ。 

 

「指揮は誰がとっているんだ?」 

 

 順当に考えれば王妃だが、妙に城内が浮き足立っている。 

 突然の襲撃とはいえ、ここまで慌ただしいのはあの王妃にしてはおかしい。 

 

「じ、実は、王妃様が突然、産気付きまして……」 

 

 ちっ、そういうことか。 

 何てタイミングの悪い時に。 

 あの国王に戦闘指揮など出来るはずもないし。 

 純朴で戦いの事など何も知らないのほほんとした王の顔を思い出す。 

 ここまで来たら仕方が無い。 

 

「兵士を全員城門前に集めろ! 俺が指揮を執る!」 

 

 実戦経験だけは、ここの誰よりも多い。 

 何とかなるだろう。 

 しかし、城門前に集まった兵士達を見て、気持ちが萎んでいく。 

 

「現在、城に残っているのは、総勢25人、内4名が魔法使いです!」 

 

 少なっ!? 

 魔法使い4人しかいねーのかよ! 

 しかも、兵士なりたての新人っぽいのもちらほら見えるぞ。 

 皆が皆、緊張で顔が強張っている。 

 ちょっとした魔物の討伐ならいざ知らず、ここまで大規模な戦闘は経験が無いのであろう。 

 

「指示をお願いします、勇者様!」 

 

 魔法使い4人は城の防衛に必要だし、後の20人も単独行動を取らせるのは危険すぎる。 

 魔物達は町の破壊に勤しんでいるようだから、今はまだ城にのみ戦力を集中すれば持ちこたえられる。 

 大部分を城の防衛に回し、少数精鋭でもって魔物の数を減らすか? 

 だが、あまりにもこちらの絶対数が少なすぎる。 

 頭の中で試行錯誤を繰り返していると、避難民の中で騒ぎが起こる。 

 どうやら、町に取り残されている人間がいるらしい。 

 

「ミーナの姿が見えないんだよ!」 

 

 事情を聞こうと近付くと、見覚えのある女性が叫んでいる。 

 

「おばちゃん!」 

 

 声を掛けると、俺にすがり付いて懇願してくる。 

 

「アンタ、勇者なんだろ! ミーナを助けてやってよ、お願いだよ……」 

 

 おばちゃんはそのまま泣き崩れる。 

 彼女の言葉で俺の正体を知った町の人々が熱い視線を投げ掛けてくる。 

 とはいっても、誘惑の視線などではない。強い期待の眼差しだ。 

 

「他に行方のわからない人間はいないか?」 

 

 俺の言葉に皆が首を振る。 

 元々、この町は旅の商人が一時訪れるだけの小さな城下町。 

 夜の帳が落ちる頃には、宿場町であるリリザへと帰っていく。 

 人口そのものは、ローレシアに比べると非常に少ないのだ。 

 それが幸いしたのか、普段からの緊急避難の指導が行き届いているのか、行方不明なのは彼女だけのようだ。 

 

 ……いくら考えても埒が明かない。 

 ならば、行動するのみ! 

 

「お前達は城の防衛に徹底しろ! お前が指揮を執れ!」 

 

 最初に出会った兵士に指揮官を任せる。 

 それほど地位の高い人間ではないらしく、周りからいくらかの不満が聞こえる。 

 だが、必要なのは地位じゃない。 

 的確な判断力と大胆な行動力だ。 

 その点、こいつはあの混乱の中で俺を見逃さなかった。 

 俺の質問にも逡巡することなく答えた。 

 問題は無い。 

 

「勇者アレクの命令だ! 反論は許さん!」 

 

 緊急事態だ。 

 多少の傲慢さは許して欲しい。 

 こちらの地位を持ち出すと、兵士達も口をつぐむ。 

 

「勇者様はどうなさるんですか?」 

 

 防衛隊長に任命した兵士が口を開く。 

 

「行方不明の少女を救出後、各個撃破を遂行する」 

 

 わざわざ難しい物言いをしているが、要するにミーナちゃんを助けたら物陰に隠れながらちまちまと一匹ずつ倒す、という事だ。 

 俺一人で出来る事なんてそれくらいだろう。 

 まとまっていてくれれば、方法もいくらかはあるんだが。 

 

「兵士からの報告ですが、あの魔物は一匹倒すとその場所に集まってくる性質を持っているようです」 

 

 隊長からの情報に、一筋の光明が見えてくる。 

 人もいないし、あの方法ならうまく行くかもしれない。 

  

 俺は人々の歓声を受けながら、町へと飛び出した。 

 

 

 空にはガーゴイルが飛び交い、町並みは炎と煙の洗礼を浴びている。 

 俺は、連中に見つからないように路地から路地へとすばやく移動する。 

 彼女の家は、南側の大通りから少し外れた所にあるらしい。 

 路地裏をただひたすらに走る。 

 大通りに差し掛かると、少女の声が聞こえたような気がした。 

 立ち止まり、耳を澄ます。 

 

「……誰か、……けて…」 

 

 その方向には手に持った槍を振り上げるガーゴイルの姿。 

 すぐそばにはへたり込んだままの少女がいる。 

 

「ルーラ!」 

 

 少女のそばの風景をイメージすると同時に、すぐさま呪文を唱える。 

 周りの風景が急速に後ろへと遠ざかっていく。 

 左手に持ったいかづちの杖を前に構え、勢いそのままにガーゴイルのがら空きの腹部に叩きつける。 

 そのままもつれ合うように石畳の上を滑り、石壁に突き当たって止まる。 

 そして、魔力を解放する。 

 

「いかづちよ!」 

 

 魔物の身体が崩れ、風に乗って舞い上がり散り散りになっていく。 

 左手に激痛が走るが、薬草を飲み込むと痛みが消える。 

 どうやら骨折だったらしいが、どうして薬草を飲むだけで治るのかは知らない。 

 

「あ、あの、常連さん、ですか?」 

 

 ミーナちゃんがへたり込んだまま、這うようにこちらに近付いてくる。 

 そういえば、この娘は俺の正体を知らないというか、信じてないんだっけ。 

 

「ミーナちゃん、怪我は無いかい?」 

 

 優しく手を取り立ち上がらせると、彼女は小さくうなずく。 

 さて、一匹倒すと群がってくるんだったな。 

 

「ちょっとごめんよ」 

 

 彼女の肩と足に手を回すと、抱き上げる。 

 慌てる彼女を安心させるように微笑んで見せると、真っ赤になって抵抗を止める。 

 

「ルーラ!」 

 

 先程のように一直線にではなく、上空から様子を眺めるために放物線を描くように通りの反対側の入り口へと飛ぶ。 

 見た限りでは、あちこちの路地からわらわらと集まっているようだ。 

 空を飛び交っていた群れも地上に降り、俺が倒した場所へと続々と集まってくる。 

 おそらく、仲間を倒されたときはその相手を倒すために量で攻めるためなのだろう。 

 最初からそう命じられていたのか、指揮を執っている者がいるのかはわからないが。 

 だが、それが命取りになる。 

 

「離れているんだ」 

 

 少女を降ろし、後ろの路地に隠れるように言う。 

 正直、この技は人が居るところでは使えない。 

 巻き込む危険性があるからだ。 

 

 炎の剣を抜き、魔力を最大限込める。 

 この剣は特注品で、込める魔力の量でいくらか炎の勢いが増減するのだ。 

 そして切っ先を前方に向け、狙いを定める。 

 目標は通りの反対側、先程ガーゴイルを仕留めたあの石壁だ。 

 魔物の群れが集中したのを見計らって、必殺の呪文を唱える。 

 

「バシルーラ!」 

 

 剣は炎の渦を伴いながら、一直線に通りの真ん中を突き進んで行く。 

 軌道にいた魔物はその刃に切り裂かれ、あるいは貫かれ、身体が崩れて行く。 

 刃を免れた者も炎に焼かれ、その生涯を終える。 

 剣が向こうの石壁に突き立ったとき、大通りを動く者は誰一人としていなかった。 

 

「す、すごい……」 

 

 少女の驚嘆の声が聞こえてくる。 

 確かにすごい技だ。 

 だが欠点が多すぎる。 

 第一に……。 

 

「酒場が……燃えてる」 

 

 少女の声が悲嘆に変わった。 

 そう、周り全てが炎に巻かれる。 

 周辺の建物も例外ではない。 

 石造りだから問題ないと思ったんだが、全体が石で出来てるわけも無し。 

 当然の摂理ではある。 

 

「命があれば、また建て直せるさ」 

 

 とりあえず、フォローは忘れない。 

  

 そして、第二に……。 

 

「あの剣、どうするんですか?」 

 

 当然の疑問が少女の口から飛び出す。 

 

「取りに行くに決まってるだろ」 

 

 当然の答えが俺の口をつく。 

 いちいち取りに行く必要があるから、基本的に向こう側に障害物のある場所に限られる。 

 前に空に向けて使った時には探し出すのに3日かかった。 

  

 俺は少女のどこか冷たい視線を受けながら、すごすごと剣を取りに行くのだった。 

 

 

 長い長い夜が終わった。 

 空が白々と明るくなり、やがて朝日が昇って来た。 

 少女を連れて、城に戻ると、人々の歓声に迎えられる。 

 ミーナちゃんは、おばちゃんの抱擁に迎えられ、共に泣き笑いの表情を見せている。 

 兵士達は皆、泥やすすで汚れているが、全員が満足そうに笑っている。 

 

「勇者様、全員任務完了。無事、生還いたしました」 

 

「ああ、お疲れさん」 

 

 兵士ひとりひとりに労いの言葉を掛ける。 

 どの兵士にも戦闘前には無かった自信と心構えが備わっているようだ。 

 これから良い兵士になるだろうことを期待させる。 

 

 その時、一人の侍女が城内より走り出でる。 

 

「王女様がお生まれになりました!」 

 

 その言葉に、さらなる歓声が沸き起こる。 

 兵士も町の人々も抱擁を交わし、口々にこの戦いを生き延びた事を、王妃と生まれたばかりの王女への祝福の言葉を叫ぶ。 

 城内が歓喜の渦に包まれる中、ミーナちゃんがおばちゃんに連れられ、俺のそばへとやってくる。 

 

「アンタ、本当に勇者様なんだね。てっきり、守護者様の力で勇者扱いされてるのかと思ったよ」 

 

 おばちゃんの、感謝してるんだか馬鹿にしてるんだかよくわからない言葉に俺も苦笑するしかない。 

 シアちゃんのおかげでここまで来れたのは確かだったからだ。 

 そういえば、ローレシアはどうなったのだろう。 

 シアちゃんがいるから問題ないとは思うけど。 

 そんな俺の心配事もミーナちゃんの思いがけない一言で吹き飛んだ。 

 

「あ、あの、本当に勇者様だったんですね。そ、その、お詫びといっては何ですが、……私の、私の勇者様になってください!」 

 

 何を言われているのかわからず、呆けてしまう。 

 その一瞬の隙を突き、少女が胸に飛び付いて来る。 

 俺は突然の出来事にバランスを崩して地面に倒れこむ。 

 

「あの、私初めてなんで、上手く出来るかわからないんですけど……」 

 

 少女の顔が近付いてくる。 

 人々が俺達の状況に気付き、口々に囃し立てる。 

 っていうか、俺にも次の状況が理解できた。 

 

「あ、あの、俺、一応、結婚してるから」 

 

 とりあえず、抵抗だけはしてみる。 

 

「構いません。私の気持ちですから」 

 

 少女の唇と俺の唇が零距離になる。 

 それを見物していた人々から歓声が上がる。 

 このまま終われば、物語はハッピーエンドで終わるだろう。 

 しかし、俺の物語がここで終わろうはずが無い。 

 

「ほほう、急いで出て行ったと思えば、やはり女か」 

 

 聞き覚えのある声が聞こえたかと思うと、民衆の群れがさっと左右に分かれる。 

 いつの間にか歓声は消え、どこからともなく冷たい風が吹いてくる。 

 人々の間からゆっくり歩いてくるのは、5才位の少女と手をつないだ、少女の姿をした魔王だった。 

 とっさに上に乗った少女を跳ね飛ばし、起き上がる。 

 そして、シアちゃんに弁解を始める。 

 

「いや、これには事情があって」 

 

「ほう、女と接吻をするのに、どんな事情があるんじゃ?」 

 

 シアちゃんは当然の事ながら聞く耳を持たない。 

 仕方が無いので、フィーの方に話しかける。 

 

「フィーはわかってくれるよな、なっ」 

 

「おとーさん、サイテー」 

 

 娘の侮蔑の言葉に力無く地面に崩れ落ちる。 

 

「このような最低男は放っておいて、ふたりで暮らすとしようか、フィー」 

 

「うん。そうしようよ、おかーさん」 

 

 笑い合いながら去って行く母娘に必死に追いすがりながら、謝り続ける。 

 

「いや、だから誤解だって。ごめんなさい、浮気なんて絶対にしませんから」 

 

「おぬしの言葉など信用出来ん」 

 

「おとーさんのうわきものー!」 

 

 一人置いていかれた少女が俺達の様子に耐え切れず吹き出す。 

 それにつられて人々の間に笑いが広がっていく。 

 絶え間ない笑いと歓声の中、俺達はサマルトリアを後にしたのだった。 

 

 だから、笑い事じゃねーんだよ! 

 ちくしょう、神様のバカヤローーーー!! 



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第九話:日常

 ローラが机に向かって、何かを書きとめている。 

 小さなノートのような物だ。 

 真っ暗な部屋の中、小さなランプだけを頼りに忙しなく手を動かしている。 

  

「ローラ、何を書いてるんだ?」 

 

 俺の呼びかけに、彼女は静かにこちらに振り向く。 

 

「日記ですわ。私が物心ついてからの全てが綴られております」 

 

 後ろから覗き込もうとすると、手のひらで覆うようにして隠す。 

 

「乙女には色々と秘密がございますの」 

 

 結婚して何十年も経ってるのに、乙女も何も無いだろう。 

 そこまで考えて、ふと気付いた。 

  

 これは、夢だ。 

 

 実際にこんな場面を見た事があるはずがない。 

 彼女の遺品の中に何十冊もの日記が残されていたのを見付けただけだ。 

 そんな物を書いていたとは当時は全く気付いてはいなかった。 

 

「これは、後世に残しておきたいのです。私の生きた証として」 

 

 彼女の声が耳に響く。 

 とても懐かしい、澄んだ声。 

 

 ローラの死後、この日記はプライベートな部分を除いて出版され、教科書にもなっている。 

 その名も『ローラの日記 昼の部』。 

 実は『夜の部』というプライベートな部分のみの物もあったのだが、あまりにも内容が過激すぎた。 

 なにせ、下手な官能小説ばりに夫婦の夜の営みが延々と描かれているのだ。 

 確かに日々の記録という意味では間違っていないかもしれないが。 

 

「勇者さまは本当にひどい御方です。私をひとりぼっちにさせるなんて」 

 

 なんかだんだん、俺への恨み節になってきているのは、ローラへの罪の意識の表れか。 

 ローラの最後の言葉が『向こうで勇者さまをお待ちしております』だったからな。 

 向こうに行く当てが無くなった以上、この約束が永遠に果たされる事は無い。 

 

「ごめん。なんか死んでも死に切れないらしくてさ」 

 

 彼女の頬に触れる。 

 柔らかな感触、とても暖かい。 

 夢……じゃないのか? 

 よくわからない。 

  

「ですから……わた……か……した」 

 

 ローラの声が聞き取れなくなってきた。 

 俺の目覚めが近いのだろうか。 

 

「ローラ!」 

 

 俺は彼女の名を呼ぶと同時に強く抱きしめる。 

 暖かな感触が、彼女がここにいる事を確信させる。 

 

「いずれ……また……」 

 

 その声を最後に、辺りが真っ白になっていった。 

 

 

 妙な夢を見た。 

 どこか懐かしいような、暖かいようなそんな夢。 

 腕の中にまだ感触が残っているような気がする。 

 

「ローラ?」 

 

 半分夢の中にいるような心地でそう呼び掛けると、意外にも返事がかえってきた。 

 

「あるじ。妻を抱きしめながら他の女の名を呼ぶとは、いい度胸じゃのう?」 

 

 一気に目が覚めた。 

 俺の腕の中には、満面の笑みを浮かべる銀髪の魔王。 

 もちろん、目には怒りを湛えている。 

 

「ねえ、おとーさん。ローラってだれ?」 

 

 背中側には、明らかに機嫌の悪い口調の銀髪の小悪魔。 

  

 俺は最悪の朝を迎えた事を確信していた。 

 

 

「あの、どーして俺は縛られてるんでしょうか?」 

 

 広場の真ん中に何故か一本だけ立っている木の幹に縛り付けられた状態。 

 朝の冷気が身にしみる。  

 

「ふむ。的があった方が良かろう?」 

 

「何の?!」 

 

 しかし、シアちゃんはそれ以上のことを口に出さない。 

 やがてシアちゃんが動きを見せる。 

 

「まずはわらわがやって見せよう。フィーもわらわの後に続くが良い」 

 

 俺がいる方角に手のひらを向け、大仰に呪文を紡ぐ。 

 本来、彼女ほどの熟練者ならば長々と詠唱することもなく、単音節の呪文のみで発動させる事が出来る。 

 それをしないのは、幼い弟子に見せるためなのだろう。 

 やがて詠唱が終わり、その時がやってくる。 

 

「ギラ!」 

 

 彼女の手のひらから光条がほとばしり、俺は真正面から来る光を必死で頭を傾ける事でかわす。 

 光の束が俺の顔のすぐ脇を通り過ぎた。 

 ずいぶんと威力を抑えているようだが、焦げ臭い匂いが鼻をつく。 

 

「ちょっ、ちょっと、シアちゃん、洒落になんないってこれ!」 

 

 横目で見ると、木の幹がうっすらと焼け焦げている。 

 当たっていたら死なないまでも、大怪我をしていたのは間違いない。 

 これにはフィーも驚いたようだ。 

 

「おかーさん! おとーさん、いじめちゃだめ!」 

 

 シアちゃんのローブの裾を握り締め、必死に抗議する。 

 彼女もそんな娘の姿に心動かされたのか、フィーと視線を合わせて言葉を紡ぐ。 

 

「フィー、これはいじめなどではない。あるじをつなぎ止める為の手段にすぎん」 

 

 前言撤回。 

 どうやら妙な詭弁で丸め込むつもりらしい。 

 

「あるじはのう、いじめられるのが好きなのじゃ」 

 

「ふーん、そうなんだ」 

 

 ちょっと待て。 

 どうしてそれで納得するんだ、フィー? 

 あ、こら、嬉々として詠唱動作を繰り返すんじゃない。 

 

「じゃあ、おとーさん。フィーもがんばるから」 

 

 何を?! 

 

 フィーが、さっきのシアちゃんの動作を見よう見まねで繰り返す。 

 やがて動作が止まり、大きく叫ぶ。 

 

「ギラ!」 

 

 覚悟を決めて目をつむるが、何も起こらない。 

 妻も娘もその様子に首をかしげている。 

 どうやら、フィーはギラを使うことが出来ないらしい。 

  

「おかしいのう? イオは発動したんじゃが」 

 

 って、いつの間に、フィーに魔法を教えてんだ。 

 しかも、イオとは。 

 俺にも使えないのに。 

 

 だが、今がチャンスだ。 

 この隙に彼女達を説得するべきだ。 

 そう思った俺は、彼女達に向けて静かに語り始める。 

 

「シアちゃん、フィー、聞いてくれ。確かに、俺は幼女に責められるのは好きだ。だけど、それはベッドの中での話であって今じゃない。シアちゃんはいつもいつもサディストじゃないかと疑うほど暴力で物事を解決しようとするけど、ベッドの中ではむしろ受け。正直、俺としてはもう少し積極的になって欲しいと……」 

 

「せめ? うけ? ねえ、おかーさん、なんのこと?」 

 

 娘の疑問の声が俺の説得を断ち切る。 

 疑問をぶつけられたシアちゃんが真っ赤な顔で叫ぶ。 

 

「朝っぱらから何を言っておるか、この変態がーー!!」 

 

 叫びと同時に放たれた光球が目の前に迫る。 

  

 何がいけなかったんだろう? 

 俺の心の中は、その思いに溢れていた。 

 

 

「おお、勇者よ。死んでしまうとは情けない。……ふう、お元気そうでなによりです」 

 

 ローレシアの国王が、何やらため息をついている。 

 

「おはようございます、勇者さま。朝からお盛んですね」 

 

 隣に立つ衛兵が朗らかに挨拶をしてくる。 

  

「また、ですか? もういい歳なんですから、自重してくださいませ」 

 

 そして、後ろに控える顔見知りの侍女までもが、俺の死因を決め付ける。 

 

「ちょっと待て! どうしてそうなる?!」 

 

 そうそういつもシアちゃんに搾り取られているわけじゃない。 

 今回は、呪文の試し撃ちに使われただけだ。 

 ……シアちゃんが関わってるのは否定しないけど。 

 それはさておき、反論した俺を皆が冷ややかに見つめてくる。 

 

「「「だって、いつもの事じゃないですか」」」 

 

 三人の声が揃う。 

 人間ってのは日頃の行いが大事なんだと、今さらながらに実感する。 

 

「今回は違うんだって!」 

 

 俺の言葉に、三人は口々に話し始める。 

 

「じゃあ、浮気ですね」 

 

「階段から転げ落ちたとか?」 

 

「川で溺れたんですよ、きっと」 

 

 人生の無情を痛感していたとき、突然前触れも無くドアが開く。 

 

「ひいおじいちゃん!」 

 

 開いたドアの隙間から幼い少年が飛び出してくる。 

 

「おお、アレン! 久しぶりだな」 

 

 俺のその言葉に、小さな王子様は不思議そうな顔をする。 

 

「3日前に会ったよ?」 

 

 ……ああ会ってるよ。 

 しかも、最初にこいつらに言われた通りの理由でここに来たときにな。 

 あの娘とキスしたのを許してもらう代わりに、散々搾り取られたんだよ、血やらナニやらを。 

 フィーにはなけなしの小遣いから、お菓子やなんやで機嫌取ってみたりと、本当にえらい目にあった。 

 そしてまた今回も、同じような目にあうことになるだろう。 

 しかし、子供に話せるような内容じゃない。 

 

「ああ、そういえばそうだったな」 

 

 頭を撫でると、ドアをノックする小さな音が聞こえる。 

 あれ? 他にも誰かいるのか? 

 ドアの隙間から、幼い少女がおずおずと顔を覗かせる。 

 

「セリア! 大丈夫だから、こっちに来て!」 

 

 その名前、どこかで聞いた事があるような……? 

  

 ドアがゆっくりと開き、フィーと同い年くらいの少女が現われる。 

 薄く紫がかった髪に、紫色の瞳。 

 ゆったりとしたドレスに身を包んだその姿は、まるでおとぎ話に出てくるお姫様のようだ。 

 

「ひいおじいちゃん、この子はムーンブルクのセリアひめだよ」 

 

 少女が軽く頭を下げる。 

 本当のお姫様だったらしい。 

 思いがけない初顔合わせに、何かが起きそうな、そんな予感がしていた。



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第十話:魔物辞典

 スライムは誰でも知っている、ありふれた魔物である。 

 しかしながら、高い知識を有したものもあり、様々な亜種が確認されている。 

 その肉には毒があるため、生食には適さない。 

 火を通せば毒が消えるが、同時に独特の食感も失われる。 

 よほど困窮していない限り、食べない方がいいだろう。 

 

 ドラキーは集団で現われることが多い。 

 しかしながら力は弱く、呪文も使わないので熟練した冒険者なら苦も無く倒せる。 

 その肉は硬く、それほど味の良い物ではない。 

 けれども毒が含まれている事はまず無いので、保存食が無くなった時には重宝するだろう。 

 

 ダイオウイカは海に現われる魔物の中でも最大と目される種族である。 

 その巨体と幾つもの触手は冒険者達を悩ませることだろう。 

 肉には刺激臭があり、煮ても焼いても食べられない。 

 そこに至るまでの苦労とは裏腹に、実入りの少ない魔物の代表格である。 

 

 鉄のサソリはその名のごとく、全身を鋼鉄のような表皮で覆っている。 

 並みの武器では歯が立たず、熟練者にとっても手強い魔物の一つであろう。 

 されどその反面、魔法に対しては非常に弱く、初級呪文でも容易に表皮を貫く事が出来る。 

 その硬い表皮のため、調理は難しい部類に入るが、非常に良いダシが出る。 

 適当な大きさにしたら、そのまま鍋で煮るといいだろう。 

 

 以上、ローラの魔物辞典より抜粋。 

 

 

「このひとが、ローラ?」 

 

 フィーが、俺達の結婚式を描いた絵を指差す。 

 80年以上前の思い出の一つだ。 

 満面の笑みを浮かべた、俺達三人が描かれている。 

 ローラは純白のドレスに身を包み、優しげに微笑んでいる。 

 

「うん、僕達のひいおばあちゃんなんだよ、お姉ちゃん」 

 

 俺の代わりにアレンが答え、隣ではセリアがうなずいている。 

 ちなみに『お姉ちゃん』というのは、フィーの事だ。 

 前に教えた、年上の女の人の事はお姉ちゃんと呼ぶのが礼儀という言葉を少女なりに忠実に守った結果だ。 

 子供の前で不用意にその場しのぎの嘘をつくものではないという見本でもある。 

 

「ひいおばあちゃんって、おかーさんのおかーさんのおかーさんだよね? でも、おとーさんとおかーさんがいっしょにいるよ?」 

 

 やはり、これは避けては通れない問題だな。 

 フィーが俺の顔を見上げながら、首をかしげる。 

 その様子に耐え切れず、これは話すべき事だと決心する。 

 

「フィー、実はお父さんはな、今年で107才なんだ」 

 

 俺の言葉に衝撃を受けたのか、フィーはしばらく逡巡した後、口を開く。 

 

「おとーさん、107さいっていくつ?」 

 

 ふむ、まさかそうくるとは。 

 こりゃお父さん、一本取られたなあ、あっはっは。 

 

「すごいお爺さんってことだよ」 

 

「おかーさんも、107さい?」 

 

 シアちゃんの方をちらりと見る。 

 案の定、年齢の話になっていささか機嫌が悪いようだ。 

 でも真実を伝えなければならない。 

 

「お母さんはね、今年で400さ……痛っ!」 

 

 途中まで言い掛けた所で、後ろから足を蹴られる。 

 

「399才じゃ!」 

 

 たった一年違うくらいでどうしてそこまで怒るのか。 

 まあ、常に若く見られたいのは女性の心理ではあるな。 

 ここは大人しく従っておこう。 

 

「ということで、399才だそうだ」 

 

 それを聞いたフィーは当然のように一つの疑問を投げ掛けてくる。 

 

「それって、いくつ?」 

 

 ならば、父として正確に答えねば。 

 

「俺に輪を掛けた、すっっっっごいお婆ちゃんって事だよ」 

 

 先程の蹴りを遥かに越えた衝撃が、俺の全身を走り抜けた。 

 

 

 

 俺が目を覚ました時には、話題は既に変わっていた。 

 どうやら、今度はローラがどんな人物だったのかという話らしい。 

 らしいのだが、参加しようにも倒れ伏したまま身体が痺れて全く動かない。 

 一体何をされたのか、意識だけが覚醒した状態のようだ。 

 仕方が無いので、意識を耳に集中する。 

 

「……えっと、あの、勇者様はいいんですか?」 

 

 聞き覚えの無い少女の声。 

 おそらく、セリアの物だろう。 

 かなりの引っ込み思案らしく、自己紹介すらアレンが代わりにしていたほどだから声を聞くのは初めてだ。 

 この度の魔物の襲撃を受けての療養という名目でローレシアに来ていたらしい。 

 ローレシアは最も被害が少なかったからな。 

 

「いつもの事じゃ」 

 

「いつもの事だもん」 

 

「いつもの事だよ」 

 

 三者一致で言葉が返る。 

 頼むから、一人くらいは心配してくれ。 

 

「……そうなんですか」 

 

 セリアの言葉の中に呆れのような響きがあるのは気のせいだろうか。 

 そんな俺の思いなんて誰も気にも留めないまま、話が進んでいく。 

 

「……ローラ様の事、本で読んだんです」 

 

 セリアの好きな話題なのだろうか、今までに無いくらい積極的に話し始める。 

 普段無口な人間ほど、自分の好きな話題になると止まらなくなるという奴だろう。 

 ローラの表の顔を誉めそやす言葉が並べられる。 

 例えば、清楚であるとか、自らの信念を通したとか、文武両道を兼ね備えていたなど。 

 だが、それはあくまでも『ローラの日記 昼の部』に描かれている表の顔にしか過ぎない。 

 当然、一生を共にした俺達は裏の顔を知っている。 

 そして、シアちゃんがそれを子供達に伝えるだろう事も容易に想像がつく。 

 くっ、身体が動けば、止められるというのに。 

 

「おぬしら、ローラの魔物辞典を知っておるか?」 

 

 やっぱり、その話題を選ぶのか! 

 予想通りの展開に思わず頭を抱えたくなる。 

 ……いや、身体は動かないんだが。 

 

 少女二人は知らないようだ。  

 まあ、『日記』に比べると用途が限られる分、発行部数も少ないからな。 

 

「それって、あのふしぎ料理辞典の事?」 

 

 さすが、アレン! 三才にしてあの本を読んでいるとは、ひいおじいちゃんは鼻が高いぞ。 

 つーか、聡明すぎだ。一体、誰に似たんだか。 

 

「うむ、知っておるなら話は早い」 

 

 本棚から本を抜き取る音がする。 

 一応、この家にはローラの発行した本が全て揃っている。 

 ローラの日記昼の部及び夜の部、そして魔物辞典の三冊だ。 

 夜の部はシアちゃんが隠してしまったらしく、読むことは出来ないが。 

 

 物思いにふけっている間に、いくつか抜粋して聞かせたらしい。 

 少女達が困惑している様子がその場の雰囲気から読み取れる。 

 

「あの女はな、あるじを実験台にしてその本を書いたのじゃ」 

 

 ええ、明らかに食べられそうも無い物以外、全て食べさせられました。 

 何度死の淵を彷徨った事か。 

 死ぬか死なないかのギリギリの所を見極めるのが上手いというか、症例もつけておかないと役に立たないとか言ってたな。 

 思い出すだけで、口の中に嫌な感触がよみがえってくる。 

 

「しかも、バブルスライムを野菜ジュースと偽って、わらわに飲ませようと……」 

 

 ……その話は知らないな。 

 そういえば、一時期異様な緊張状態にあったが、それが原因か? 

 あの時は、ローラの出産が重なって、いつの間にか仲直りしていた事も思い出す。 

  

 確かに不味い物も多かったが、たまに当たりがあるんだよ。 

 例えば、鉄のサソリだとかしびれくらげだとか。 

 そういや、朝から何も食ってないな。 

 そう頭に浮かんだ途端に、身体が空腹を訴え始める。 

 

「シアちゃん、腹が減った」 

 

 どことなくげんなりとした空気が漂う中、いつのまにか回復していた俺は、起き上がりながらそう言った。 

 そして、シアちゃんに突っ込まれた。「空気を読め」と。 

 

 

 腹が減っては戦は出来ぬ、どこかで聞いたような言葉だ。 

 実際、俺の腹は限界だった。 

 新鮮な空気を吸ったほうがいい、と皆を連れて川へ向かう。 

  

「そろそろ昼飯時だし、魚を獲って食べよう」 

 

 その俺の提案に、子供達が目を輝かせる。 

 城の中にいたって、こんな経験は出来ないから当然の事だろうと思う。 

 俺もこの歳になっても、冒険の旅をしていた時の気分に戻って、どこかわくわくしてくる。 

 

「フィー、あの真ん中の石に向かってイオを撃つんだ」 

 

 娘の目線になって、その場所を指さして教える。 

 戸惑いの色を隠せない娘を後押しするようにうなずいてみせる。 

 やがて決心がついたのか、俺達に下がるように言い、詠唱を始めた。 

 両手を空に掲げ、たどたどしく呪文を紡いでいく。 

 この呪文、実は集中を助けるためのもので、中身は何でもいいらしい。 

 『もけけけけけけ』とか『ぺっぽろりんのちゅー』でも集中さえ出来れば問題はないそうだ。 

 さすがに、こんな呪文を唱える魔法使いには人間的に何か問題があるようにしか見えないが。 

 

 小さな両手の間に、光が凝集していく。 

 呪文を唱え終わったフィーは、その光球を投げるように、両手を振り下ろす。 

 光球は先程指差した石に吸い込まれるように着弾する。 

 途端に舞い上がる水しぶきと爆発音。 

 それが収まった頃、水面には十数匹の魚が白い腹を上にして浮かんでいた。 

 

「すごいぞ、フィー。アレン手伝え、川に入って魚を岸にあげるぞ」 

 

 肩で息をする娘にねぎらいの言葉を掛け、アレンと二人で魚を岸に投げる。 

 シアちゃんがそれを拾って、一ヶ所に集めていく。 

 五人で食べるには充分な量だ。 

  

「炎よ!」 

  

 炎の剣を鞘から抜き、少量の魔力を込め、地面に突き刺す。 

 そして、塩を振った川魚を串に刺したものを剣の周りに立てる。 

 しばらく待つと、香ばしい匂いと共に魚がこんがりと焼けていく。 

  

「おとーさん、すごーい」 

 

「その使い方はさすがにどうかと思うのじゃが……」 

 

 娘からは称賛の声が、妻からは呆れたような声が掛けられる。 

 

「道具ってのは、使ってこそ。こうすれば薪の節約にもなるし、火を起こさなくても済む」 

 

 まさに一石二鳥。 

 実は風呂を焚く時にも使っているのだが、さすがに怒られそうなのでこれは黙っておこう。 

 

「おいしい!」 

 

 娘の喜ぶ顔に幸せを感じる。 

 

「うん、こんなおいしい魚は初めて食べた!」 

 

 アレンも満足しているようだ。 

 

「……」 

 

 無言ではむはむと小動物のように食べているのがセリア。 

 一応、満足はしているらしい。 

 何故かというと、既に二匹目に突入しているからだ。 

 シアちゃんもなんだかんだと文句を言いながらも、焼き魚を口に運ぶ。 

 そんな様子に見とれていたせいか、串をつかもうとした手がうっかりと剣に触れてしまう。 

 

「あちっ!」 

 

 俺があげた声に気付いたのか、妻と娘が様子を見ようと覗き込んでくる。 

 

「だいじょうぶ?」 

 

「ほれ、見せてみよ。ふむ、……大したことはないな、薬草でもかじっておけ」 

 

 火傷の具合を検分したシアちゃんは、そう言って手を放す。 

 少し赤くなっている程度で大事には至ってないようだ。 

 言われた通り、薬草を少し口に含めば治りそうな傷だ。 

 道具袋に手を突っ込み、中を探る。 

 

「あれ? 薬草が無い」 

 

 そういえば、サマルトリアでの戦いで使い果たしていたのを忘れていた。 

 そう言う俺に、シアちゃんは冷たく言い放つ。 

 

「なら、2、3日も放っておけば勝手に治ろう」 

 

 まだサマルトリアでの事やローラと間違えた事に対する怒りが残っているのだろうか。 

 実にそっけない。 

 散々謝り倒したのだが、まだ根に持っているようだ。 

 

「仕方ない、治るまで待つとするか」 

 

 本来ならその治し方が正しいのだ。 

 薬草でむりやり治すのは不自然極まりない。 

 いくら死んでも生き返る、俺の言う事では無いような気もするが。 

 

「おまじないしてあげる」 

 

 フィーが俺の手をとり、そんな事を言い出す。 

 断る理由も無いので了承してみせると、左手で俺の手を支えて右手を火傷の上にかざす。 

 

「いたいのいたいのとんでけー」 

 

 あー、やっぱり子供だな。 

 これで治るはずもないが、痛みが退いていくような気がする。 

 

「あるじっ!」 

 

 突然、シアちゃんが驚きの声を上げる。 

 何事かと目の前を見つめると、フィーの右手がほのかに白く輝いている。 

 これは、回復呪文の光だ。 

 赤くなっていた火傷の跡が見る見るうちに消えていく。 

 

「ほら、いたくなくなったでしょ?」 

 

 小さな娘が満面の笑みを浮かべる。 

 俺達はただそれを見つめるしかなかった。 

 

 

「イオとホイミに適性を持つとは、実に変わった娘じゃな」 

 

 シアちゃんが日が暮れた外の風景を眺めながら、呟く。 

 子供達はずいぶんと仲良くなってしまったようで、皆でローレシアの城に泊まるのだそうだ。 

 ローレシア城の人間にも紹介しなきゃいけなかったから、手間が省けた。 

 

「賢者の血筋って事かな?」 

 

 俺の疑問にシアちゃんは反論する。 

 

「いや、何とも言えん。勇者の血やも知れんし、エルフの血やも知れん」 

 

 この間の魔物の襲撃の事もある。 

 ひょっとしたら、新たな勇者が誕生する可能性もある。 

 誰が勇者になるのかは判らないが、ロトの血筋から選ばれるのは確実だ。 

 アレンかも知れないし、セリアかも知れない。 

 フィーの可能性だってあるのだ。 

 そう思うと、彼女達には幸せな未来を歩んで欲しいと願ってしまう。 

 

「まあ、何にしても、あの娘は俺達の子供だ。それに変わりは無いよ」 

 

「うむ、そうじゃな。その時が来るまでにわらわの全てを教えておくとしよう」 

 

 シアちゃんの瞳が決意に揺れる。 

 俺は、その時のシアちゃんの言葉の中に別の感情が潜んでいる事に全く気付いてはいなかった。 

 



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第十一話:誓い

 妻の髪をくしでそっととかす。 

 出会った頃から続いている、大切な朝の儀式だ。 

 銀色の髪は幼い少女のように滑らかで、どこか甘い芳香さえも感じさせる。 

 

「久しぶりにリボンを結んでみようか?」 

 

 彼女の機嫌を伺うように、そう訊ねる。 

 

「ん。任せる」 

 

 その返答を聞いて、俺はタンスに手を伸ばす。 

 引き出しを開けると、中には色とりどりのリボンの束。 

 真っ赤なリボンを選び、彼女の髪をそっと握る。 

 腰まで伸びた長い髪を束ねるようにして、出来るだけ先の方を結ぶ。 

 この位置だとさすがに外れやすいので、少しきつめに結ぶようにと心掛ける。 

 

「出来た。痛い所は無い?」 

 

「問題は無いが、あるじはいつもこの結び方じゃのう」 

 

 呆れるような口調の妻。 

 俺はいつものように彼女をなだめる。 

 

「ああ、この結び方が好きなんだ」 

 

 俺がまだ小さかった頃、母親がいつもこんな結び方をしていた。 

 もっとも、こんな可愛らしいリボンで結んでいたわけではないが。 

 

「赤いリボンか……、懐かしいのう」 

 

 赤いリボンは絆の証。 

 プロポーズの言葉と共に贈った、思い出の色。 

 もう一人の妻には、青いリボンを贈った。 

 だから青いリボンをシアちゃんの髪に結ぶ事は無い。 

 それはローラとの絆なのだから。 

 

 

「ふむ、こやつがプリンか」 

 

「うん、プリンだね」 

  

 サマルトリアの王妃の部屋、小さな揺りかごに揺られて不思議そうにこちらを見つめる赤ちゃん。 

 つぶらな瞳は真っ青で、申し訳程度に生えている産毛のような頭髪は淡い金色をしている。 

 どうやらこの娘は父親に似たらしい。 

 

「おふたりとも、この子はマリナと申します。いつまでも同じネタを引っ張らないでくださいませ」 

 

 黒髪黒瞳の母親は、体調が悪いのだろうか、ベッドから半身を起こした状態で身体を震わせている。 

 右の拳を強く握り締め、痛みに耐えているかのような様相だ。 

 

「マリナちゃんか、大きくなったらお母さんみたいな美人になるんだよ」 

 

 小さなお姫様にそっと右手の人差し指を差し出す。 

 おそらく反射的にだろうが、握り返してくる仕草が可愛らしい。 

 

「あるじ、若い娘が好きなのにも程があるぞ」 

 

 微妙にトゲのある言い方だ。 

 

「だから言ったろ。今はシアちゃんひとすじだって……痛っ」 

 

 その時、指先に痺れるような小さな痛みを感じて手を離す。 

 

「ん? 何かあったのか?」 

 

「ああ、いや、何でもない」 

  

 指先は真っ赤になっていた。 

 指先を握っていた赤子は無邪気な瞳でこちらを見つめてくる。 

 ……まさか、な。  

 

「息子の方はどうした? 姿が見えんようじゃが」 

 

 いくらか身体の震えが治まった王妃に、シアちゃんが訊ねる。 

 確かにそれは気になっていた。 

 この子には2才年上の兄がいる。 

 なのに、何度訪ねてきても出会ったためしが無い。 

  

「さあ? どこでどうしているやら」 

 

「いや、おぬしの息子であろうに」 

 

 しかも、若干2才の第一王位継承者だ。 

 母親として、その態度はどうかと思うぞ。 

 

 俺達の咎めるような様子に気付いたのか、王妃は慌てたように付け足す。 

 

「いえ、誰といるかは判ってるんです。ただ、その娘がどこにいるかまでは……」 

 

 乳母にでも預けているのか? 

 王妃は側に控えている侍女を呼ぶと、何かを命じている。 

 部屋を出て行く侍女を何となく見送っていると、王妃が頭を下げる。 

 

「ひいおじいさま、先日はお世話になりました」 

 

「何の話だ?」 

 

 いつもはひいおじいさまなんて、可愛らしい呼び方をしない。 

 何か裏があるのではないかと勘繰ってしまう。 

 ひょっとして、侍女にアノ話をバラした事か? 

 

「ですから、先日の……」 

 

「ちょっと待て! 生まれた子供にクッキーって名前を付けようとしたって話は、場を盛り上げるために仕方なくであって。そもそもお前が俺を何だかんだネチネチと嫌味ったらしく……ブハッ!」 

 

 熱弁をふるう俺の側頭部を、何やら硬い衝撃が貫く。 

 地面に倒れながら見上げると、ウェイトレスのトレイの如く蒼い盾を片手で振り抜いた王妃の姿。 

 

「お、お前、よりにもよって、ロトの盾で殴るか?」 

 

「近くにこれしかありませんでしたもので」 

 

 シアちゃんとの旅の途中で見付けた、勇者ロトの遺物。 

 盾なんぞ持ってても仕方ないので、可愛い曾孫娘の10才の誕生日にプレゼントした物だ。 

 枕元の壁に飾られていたのは確認していたが、まさかこう来るとは思わなかった。 

 

「何をやっとるのだ、おぬしらは」 

 

 呆れるような妻の声が頭のキズに響く。 

 とりあえず、薬草をば。 

 道具袋に手を突っ込んで、ふと気付く。 

 そういえば、薬草無くなったんだっけ。 

 

「ゴメン、誰か薬草か回復呪文を頼む。この間の魔物の襲撃で使い果たしたんだった」 

 

 身を起こすと、王妃の手が頭にかざされる。 

 細く小さな手が白い輝きに包まれ、やがて痛みが和らいでいく。 

 

「すまん」 

 

「いえ、私もつい、頭に血が昇ってしまって」 

 

 互いに謝り合い、落ち着いた所でシアちゃんが話を切り出す。 

 

「それで、あるじの事はどうでもいいとして、おぬしは何が言いたかったんじゃ?」 

 

 どうでもいいのか、俺。 

 反論のために口を開こうとして、シアちゃんに睨まれて口をつぐむ。 

 ちくしょう、弱えーな俺。 

 

「先程、ひいおじいさまがお話しされた、魔物の襲撃の事です」 

 

 聞けば、先日のサマルトリアでの戦いについてだと言う。 

 

「目撃した少女の話では、炎の剣を振るい、魔物の群れを一瞬で倒されたとか」 

 

 ミーナちゃんの事か。 

 あの戦いの後の情熱的なキスを思い出して、思わずシアちゃんの方を見てしまう。 

 

「さすがは、わらわのあるじじゃな。伊達に勇者をやっておらん」 

 

 どうやら気付いてないらしい。 

 何だか自分の事のように勝ち誇っている。 

 

「はっはっは、勇者としては当然の事をしただけだよ」 

 

 心の中では、何かくれないかなーとか思っているが。 

 そんな事を考えていると、王妃が何やら書類のような物を取り出す。 

 

「実は、南通りがその、ひいおじいさまの攻撃の余波で多大な被害を受けまして。もちろん、人命には替えられないのですが……」 

 

 言い難そうな王妃の言葉に、俺の白々しい笑いが凍り付く。 

 

「まあ、あるじじゃからな。伊達に勇者はやっておらん」 

 

 さっきの台詞と似通ってはいるが、意味は正反対なのだろう。 

 気落ちしたようなシアちゃんの言葉が胸をえぐる。 

 

 そうこうしていると、ドアがノックされる。 

 先程の侍女が戻ってきたのだろう。 

 

「王妃様、連れて参りました」 

 

 ドアが開くと、先程の侍女と、もう一人。 

 侍女の制服に身を包んではいるが、明らかにこの場にいる誰とも違っている部分がある。 

 

「申し訳ありません、王子には何度も言い聞かせているんですが」 

 

 見ると、小さな子供が腰の辺りにへばり付いている。 

 金色の髪に青い瞳、この子がこの国の第一王位継承者、コナン王子のようだ。 

 

「コナン、こちらに来なさい」 

 

 王妃が呼んでも、侍女から離れようとしない。 

 この場にいる者全てで試してみたが、やはり彼女から離れようとしない。 

 試しに無理矢理引き剥がして、彼女を部屋の外に出す。 

 小さな王子は何度もドアを開けようとして、それが叶わぬと知ると最初からいた侍女の方に走り、胸に飛び込む。 

 

「このように、私には全く懐いていないのです」 

 

 一体何が原因なのかを悩む彼女達を横目に、先程の侍女を部屋に呼び入れる。 

 途端に彼女に走り寄っていく王子の姿。 

 あの侍女と、この場にいる女性達の決定的な違い。 

 俺から見ると一目瞭然なのだが本当にわからないのだろうか? 

 

「抱かれた感触が硬いからだと思うぞ、単純に」 

 

「は?」 

 

 部屋の女達の視線が俺に集まる。 

 見ると、侍女達は必死に人差し指を口の前に立てている。 

 やはり気付いてないのは本人だけのようだ。 

 シアちゃんですらも、俺が言いたい事に気付いたのか、嫌そうな顔をしている。 

 

「だから、胸の大きさ」 

 

 王妃は一瞬呆けたような顔を見せると、自分の胸を見下ろし、周りの女性達の胸を見る。 

  

「……貴女達は知っていたのかしら?」 

 

 驚いた様子の無い侍女達に気付いたのだろう、静かな王妃の声が静まり返った部屋に響く。 

 

「じゃあ、俺達はそろそろ帰るから」 

  

 侍女達の声にならない悲鳴を背後に聞きながら、俺達はその場を後にした。 

 

 

 城の兵士たちが直立不動で敬礼をしてくる。 

 正直、出会うたびにやられるのは非常にウザい。 

 

「アレン達がどこにいるのか、知らないか?」 

 

 適当な兵士を捕まえて、子供達の居場所を尋ねる。 

 この城に着いてすぐ、挨拶もそこそこに「探検してくる」と部屋を飛び出していったのだ。 

 久しぶりに聞く子供らしい言動にどこか安心したのを思い出す。 

 

「あるじ、謁見の間におるらしいぞ」 

 

 シアちゃんの声に、ふと我に返る。 

 

「じゃあ、迎えに行って、どっかで飯食って帰るか」 

 

 扉を開けると、この国の王と子供達が輪になって何やらゲームをしている。 

 金色の髪、青い瞳の優しげな目をした青年王。 

 周りの者は、俺によく似ているというが、自分ではよくわからない。 

 

「ほれ帰るぞ、おぬしら」 

 

 妻が子供達を急き立てる。 

 子供達は不満を口にしつつも、服装を整えて別れの挨拶をする。 

 

「いつでも遊びに来ていいからね」 

 

 とても国王とは思えない気さくさだ。 

 

「おぬしによう似ておるわ」 

 

 シアちゃんが俺にだけ聞こえるように呟く。 

 俺、あんな感じか? 

 疑問に思いつつも、子供達の後について行くように部屋を出ようとした。 

 

「勇者様、先日は本当にありがとうございました」 

 

 国王が俺を呼び止めて、礼を言う。 

 

「もういいよ、今日1日だけで色んな奴に礼を言われたからな」 

 

「では、これをお持ちください」 

 

 何やら重そうな袋を取り出してくる。 

 明らかに金が入っているのだろう。 

 

「おいおい、かなり心惹かれるもんがあるが、そりゃマズイだろ」 

 

 あの大きさの袋、1000ゴールドは下るまい。 

 冒険の旅の始まりに、オッサンからもらった50ゴールドとは雲泥の差だ。 

 

「ですが、何かお礼をしなければ治まりません」 

 

 ここまで言われて断るのも何なので、一応受け取ってみる。 

 思ったよりもずっと重い。 

 実は2000ゴールドに行ってんじゃないだろうか。 

 俺は、袋の口を開けて、おもむろに右手を突っ込む。 

 握れるだけのコインを掴むと、左手の袋を国王に差し出す。 

 

「勇者様?」 

 

 疑問を顔に浮かべる青年に、こう告げる。 

 

「ほら、俺からの寄付だ。この国の復興に使ってくれ」 

 

 金ってのは、持ちすぎると不幸になるからな。 

 今までの俺の経験が物語っている。 

 

「……わかりました。ありがとうございます、勇者様」 

 

 笑顔で見送る青年に、別れの言葉をかける。 

 

「ああ、そうだ。多分アイツ、今夜は荒れると思うから、気を付けてな」 

 

「妻の事ですね。慣れてますから、大丈夫です」 

 

 途端に苦笑に変わる青年に親しみがわいて来る。 

 どうやら女の方が強いのは、どこの家庭でも同じのようだ。 

 

「じゃあな」 

 

「ええ、勇者様もお元気で」 

 

 

「おとーさん、おそい!」 

 

 城門で俺を迎えたのは、娘の怒った声。 

 

「悪い悪い。おわびに飯はおごるからさ」 

 

 いやー、数えてみたら手に残った分だけで200ゴールドもあったのさ。 

 

「おぬし、子供に金を払わせるつもりでおったのか?」 

 

 その場にいるもう一人の大人が冷静に突っ込んでくる。 

 

「当然シアちゃんにおごってもらうつもりでおりました」 

 

「礼金でももらったのか? 仕様の無い男じゃ」 

 

 そんなこんなで街へと繰り出した俺達だった。 

 

 

「セリア、これを受け取って欲しいんだ」 

 

 アレンが小さな手に握ったリボンを、セリアに差し出す。 

 

 街角の小さなリボン屋での出来事だ。 

 ちなみにリボン屋というのは、ローラの日記が流行した結果生まれた新しい商売の事だ。 

 俺がプロポーズの際にリボンを渡した事が、庶民の間で広まってしまったのだ。 

 実は、指輪を贈りたくても、金が無かったというだけなのだが。 

 おかげで、世の男性諸君にはありがたられてはいる。 

 

「うわあ、あれってぷろぽーずっていうの?」 

 

 フィーが興味津々といった様子で見守っている。 

 

「最近の子供はませておるな」 

 

 シアちゃんは落ち着いた様子だ。 

 

 肝心のセリアは、手を伸ばそうとして躊躇しているようだ。 

 ほら、頑張れ、アレン3才。 

 あー、そういえばまだ3才なんだよな。 

 とてもそうは見えないな。 

 むしろ、フィーの方が年下に見える。 

 

「僕、大きくなったら勇者になって、セリアの事、守るから!」 

 

 アレンの精一杯の誓いに、セリアは応える。 

 

「うん、約束だからね。勇者になって、セリアの事、守ってね」 

 

 小さな誓いが今、為された。 

 

「ねえねえ、おとーさん。フィーにも買って」 

 

 場の空気を読まない、甲高い声が店に響く。 

 

「いや、あのな、大きくなってから彼氏とかに買ってもらうもんだぞ」 

 

 その時の事を考えると、腹立たしくもなるが。 

 俺がそう言うと、アレンの真似だろう、将来の夢を語りだす。 

 

「フィーね、大きくなったら、おかーさんみたいなすごいまほうつかいになるの!」 

 

 その言葉を聞いて、シアちゃんが勝ち誇ったような表情でこちらを見る。 

 でも、まだ続きがあった。 

 

「それでね、おかーさんみたいになって、おとーさんとけっこんするの!」 

 

 くうっ、娘からのプロポーズがこんなにも胸に来ようとは。 

 お父さんは感動したぞーー! 

 思わず抱きしめようとする俺の足を、シアちゃんが力一杯に払う。 

 

「あるじは、わらわの物じゃ。おぬしのような小娘にはやらんわ!」 

 

「おとこのひとは、わかいおんなのこがすきなんだよ!」 

 

 バランスを崩して、顔面から地面に倒れこむ俺を尻目に、争いは激しくなって行く。 

 

「あの、お客様、店内での喧嘩は困ります!」 

 

 ラブラブ幼児カップルと壮絶な親子喧嘩に挟まれながら、俺は思った。 

 さっき突っ返した金、ここの支払いに使われるんだろうな、と。 

 

「すみません、サマルトリア王家にツケといてください」 

  

 店員にそう告げながら、俺はこの喧騒に身を委ねた。



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第十二話:またもや勇者の旅立ち

「おじさん、これ三個ください」 

 

 銀色の髪の女性が屋台の店先に並べられたりんごを指差す。 

 肩で切り揃えられた銀色の髪、女性らしく整ったスレンダーな体形。 

 何よりもピンと尖った耳が印象的な女性だ。 

 

「美人だねー、お嬢さん。よし、もう一個おまけだよ!」 

 

 店の親父は軽い口調で、差し出された鞄におまけの一個を付け足す。 

 

「わーい、ありがとう、おじさん」 

 

 女性は、無邪気に喜んでいる。 

 いや、まだ少女と呼んでも差し支えは無いだろう。 

 言葉の端々には、子供らしさが幾分見え隠れしている。 

 

「おや?」 

 

 ふと、店の親父は少女の後ろにいる人影に気付く。 

 目の前の少女をそのまま幼くしたような容姿に、親父の顔がほころぶ。 

 

「妹さんかな? お姉さんと一緒に買い物かい、偉いねー」 

 

 その言葉に、先程の少女とよく似た風貌の少女は真っ赤になる。 

 だが、その反応は照れているのではない。 

 何故それが判るのかと言うと、これで三度目だからだ。 

 だが、当然の事ながら、そんな事など知る由も無い店の親父は気付かない。 

 

「頑張り屋さんのお嬢ちゃんにもおまけだ」 

 

 店の親父から手渡されたりんごが、その瞬間、少女の手の中で粉々に砕け散る。 

 一瞬でその場の空気が凍りついた。 

 明らかに悪い兆候だ。 

 いいかげん、鬱憤が溜まっていたのだろう。 

 

「ちょっと、お母さん、落ち着いて!」 

 

 大きな方の少女が、小さな少女に向かって叫ぶ。 

 危険を察した俺も、観察を中止して走り寄る。 

 

「いや、ここで魔法はマズイって、シアちゃん!」 

 

 だが、俺達の必死の制止も間に合わない。 

 

「ふざけるでないわ!!」 

 

 叫びと同時に、破壊の嵐が吹き荒れ、屋台を破壊する。 

 

「ひゃあーー!」 

 

 店の親父は爆風に巻き込まれて昏倒する。 

 辺りには商品だったりんごが見るも無残に散らばっている。 

 

「おのれ、どいつもこいつもわらわを子供扱いしおって、……こら、あるじ、離さぬかっ」 

 

 目標の確保は完了した。 

 俺は、フィーに目配せをする。 

 娘がうなずくのを確認して、撤収作業に入る。 

 

「おじさん、ごめんなさい」 

 

 店の親父の身体がフィーが唱えた回復呪文の白い光に包まれる。 

 その隙に、落ちた鞄を拾って、諸々の証拠隠滅。 

 野次馬が集まる前に、逃げなければならない。 

 

「ルーラ!」 

 

 未だ腕の中で暴れる妻の身体を必死で抱きかかえながら、俺達親子3人はその場を離れたのであった。 

 

 

「もう二度と、おぬしらと買い物などに行くものか!」 

 

 腰まで伸びた銀色の髪、紅い瞳を持つ少女が両手を振り上げて叫ぶ。 

 子供扱いされたのがどうにも堪えたらしいが、そういう仕草も一因だという事に本人は気付いていないようだ。 

 

「買い物に行く度に、騒ぎを起こされるこっちの身にもなってよ!」 

 

 同じような仕草でフィーも叫ぶ。 

 そう、前にも言ったように既に三度目なのだ。 

 これでローレシア、サマルトリア、リリザと近辺のバザーには行けなくなった。 

 「三度目の正直」という言葉がある。 

 今度こそは上手く行くと思ったのだが「二度あることは三度ある」を実践する事になってしまった。 

 

「次は、ムーンペタまで足を伸ばすか」 

 

 俺の提案に、女二人は対照的な態度を見せる。 

 

「行かぬと言ったら、行かぬ!」 

 

 徹底的に拒否の姿勢を崩さない妻。 

 

「じゃあ、今度はお父さんと二人だけでデートだね!」 

 

 そして、嬉しそうな表情で俺の腕を掴む娘。 

 

「あるじはわらわと留守番をするのじゃ! 買い物に行きたくば、一人で行け!」 

 

「お母さんのせいで、こんな事になったんじゃない! 少しは我慢してよね!」 

 

 再び始まった親子喧嘩を、俺はさっき買ったりんごを頬張りながらただ見ているしかなかった。 

 

  

 あの魔物の襲撃から、実に13年の月日が流れた。 

 流星の降った日、新たな闇の存在を感じたのは間違いない。 

 だがそんな俺の予感に反して、概ね世界は平和だった。 

 あんなに小さかったフィーも、もう18才を迎え、いつ彼氏を連れてくるかと冷や冷やする毎日だ。 

 アレンも立派に成長し、フィーを「姉さん」と呼んで慕っている。 

 あまりの仲の良さに、巷では本当の姉弟ではないかとも囁かれているらしい。 

 そのせいか、フィーは「ローレシアの妖精姫」とも呼ばれているようだ。 

 父親からすれば、まだまだ子供でしかないのだが。 

 アレンはセリアと手紙の遣り取りを続けているようだ。 

 このまま何も無ければ、二年後にはアレンの戴冠式と同時に豪華な結婚式が催されることだろう。 

 俺もしばらく会ってないので、どれだけ美人になったのか、楽しみではある。 

 

「大体、どうしてお母さん達は子供の頃から全然歳取らないの?!」 

 

 フィーの叫びに、意識が現実へと引き戻される。 

 シアちゃんはいきなりの問い掛けに、どう答えるべきか悩んでいるようだ。 

 実際、何故今まで聞かれなかったのか、それ自体が不思議ではあった。 

 だが聞かれないことをいい事に、先延ばしにしていたのだ。 

 

「む……、そ、それはじゃな」 

 

 食べていたりんごは芯だけになっていた。 

 俺はその芯を近くの茂みに投げ捨て、二人のもとへ歩く。 

 

「フィー、俺が勇者なのは知ってるだろ?」 

 

 そう声を掛けると、娘は静かにうなずく。 

 やはり話さなくてはいけないのだろう。 

 俺達夫婦の、俺とシアちゃんの本当の関係を。 

 俺はゆっくりと口を開く。 

 

「シアちゃんはな、魔王なんだよ。……俺が倒すべき、な」 

 

 フィーは呆けたように、俺達の顔を見比べる。 

 俺達の様子にやがて納得したのか、静かに口を開く。 

 

「本当に……? じゃあ、お父さん達は戦うの?」 

 

「いや、それを知ったのは結婚してからだったし、俺がシアちゃんを傷つけるはずが無いだろう?」 

 

 肩をすくめて、冗談っぽく笑う。 

 

「わらわが死なぬ限り、あるじが本当の意味で死ぬ事は無い。わらわが永遠を生きる限り、あるじもまた永遠の存在なのじゃ」 

 

 シアちゃんの言葉にフィーが安心したのがわかる。 

 伊達に親子をやってきたわけではない。 

 だが、真実を話しても変わる事の無い娘の態度にどこか安心したのは、俺達も同じだ。 

 

「お父さんとお母さんが普通じゃないのは知ってたけど……、年齢も聞いてたし」 

 

 まあ、普通の人間が四百年も生きられんわな。 

 それほど驚かないのも当然といえば、当然の事か。 

 

「って事は、お母さんは魔王っていう種族になるの?」 

 

 それは俺も不思議に思ってシアちゃんに聞いたことがあるんだが……。 

 

「いや、わらわは元は人間での。闇の魔力によって吸血鬼となったのじゃ」 

 

 これを聞いた時、俺は心底驚いた。 

 てっきり、別の魔物だと思っていたからだ。 

 

「えっ? お母さん、吸血鬼だったんだ。私、てっきり……」 

 

「てっきり、何じゃ?」 

 

 シアちゃんが一瞬嫌そうな顔をする。 

 そう、同じような流れが13年前にもあったからだ。 

 

「てっきり、サキュバスかと思ってた」 

 

 娘がついにその名前を口にしてしまう。 

 サキュバスというのは、要するに、男の精気を吸い取る魔物の事だ。 

 その、何と言うか、夜の営みを通してというか、な。 

 

「サ、サ、サ、サキュバスじゃと……! あるじ! さてはおぬしの仕込みじゃな?!」 

 

 あー、やっぱりこっちに話が来た。 

 13年前のあの日、俺は全く同じ言葉をシアちゃんに返したのだ。 

 俺が口を開くよりも早く、シアちゃんの拳が俺を捉える。 

 

「んがっ!」 

 

 吹っ飛ばされた俺に、フィーが駆け寄ってくる。 

 

「どうしてお父さんを怒るの?! 私がそう思ってたから言っただけなのに!」 

 

 13年前の俺の言葉をなぞるかのように、同じ言葉が娘の口から放たれる。 

 

「私が今までどれだけ我慢してたと思うの? 毎晩毎晩、その、イチャイチャイチャイチャ、そのゴニョゴニョして。子供の頃、私が隣に寝てた時にもしてたでしょ!」 

 

 気付いてたのか、やっぱり。 

 そりゃそうだよなあ、シアちゃん、声が大きいからなー。 

 防音はしてたはずなんだけど、やっぱり無駄になったか。 

 

「うるさい、うるさい、うるさい! おぬしら二人して、わらわを貶めようとは、もう愛想が尽きた! どこへなりとも行くが良いわ!」 

 

 怒りのせいか、恥ずかしさのせいか、シアちゃんは真っ赤になって呪文を唱え始める。 

 はっはっはっ、イオナズンと来たもんだ。 

 ありゃあ、本気だなあ……って、マジでやばい! 

 俺は死んでもどうにかなるが、フィーを巻き込むわけには行かない。 

 フィーを抱き寄せ、呪文を唱える。 

 

「ルーラ!」 

 

 俺達が地面を離れると同時に、光の球が地面で弾ける。 

 

「待たんか、おぬしらーー!」 

 

 爆音に混じって、シアちゃんの怒りの言葉が聞こえる。 

 さすがに分厚い壁を通り抜けるだけの事はある。 

 

「わーい、お父さんと駆け落ちだあ」 

 

 俺は、無邪気に笑いながら抱きついてくる娘のぬくもりに包まれながら、これからの事に思いを馳せていた。 

 

 その時はこれが、これから長く続く冒険の始まりだということに全く気付いてはいなかったのである。 

 

 

 

 

TO BE CONTINUED DRAGON QUEST 2『星に願いを』



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