学戦都市アスタリスク 本物を求めて (ライライ3)
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第一話 星脈世代の少年

処女作、初投稿です。よろしくお願いします。


 旧世紀、無数の隕石が降り注ぐ未曾有の大災害「落星雨《インベルティア》」によって世界が一変した。

 既存の国家は衰退し、代わりに無数の企業が融合して形成された統合企業財体が台頭していく。

 また落星雨は万応素《マナ》が結晶化したマナダイトという鉱石と

 生まれながらに驚異的な身体能力を持つ新人類《星脈世代》の誕生という、新たな可能性ももたらした。

 

 このお話は、星脈世代の少年の物語である。

 

 

 

 

 時はまだ早朝、部屋の中で突如目覚まし時計の音が響いた。

 その音に呼応するかのように、少年は目覚めた。

 

「…………朝か」

 

 少年は起き上がりベッドから降りる。

 事前に準備をしていた、Tシャツとハーフパンツに手に取りパジャマから着替える。

 着替えが終われば、部屋を出て洗面所に向かい顔を洗う。そして外に向かった。

 

 

 玄関から家の外に出て空を見上げる。晩秋の朝だけあって冷え込みが酷く、風も冷たい。

 冷たい風をその身に受けながら軽いストレッチを行う。

 日が上っていないため辺りは暗闇に包まれているが、街灯のおかげで視界は確保できている。

 

「…さて、行くか」

 

 両頬を手で叩き気合を入れ、少年は走り出した。

 少年の名前は比企谷八幡。総武中学に通う中学二年生である。

 

 

 

 

 

 

 日課のランニングを終え、自宅の玄関前まで戻ってきた所で少女の姿が目に入る。

 少女の名前は比企谷小町。八幡の妹である。

 

 小町も八幡の存在に気が付いたのだろう。

 軽く目を見張るが、すぐ無表情に戻りそのまま横を通り過ぎようとする。

 

「………おはよう、小町」

「…………」

 

 話しかけるも返事はない。

 小町は八幡の横を抜け去り立ち去ろうとする。その後ろ姿を見送りながら八幡は話し続ける。

 

「……今日から合宿だったか?………頑張れよ」

「……………」

 

 最後まで返事はなかった。

 

 

 軽くシャワーを浴び、制服に着替える。

 朝食に焼いたパンを食べながら、携帯端末により空間ウインドウを開きニュースを確認する。

 

『先月、アスタリスクで行われた星武祭。獅鷲星武祭で優勝を収めた、チーム ランスロットの特集』

『アスタリスクで来年行われる、王竜星武祭。優勝候補は誰か?』

『アスタリスク新入生願書受付開始。世界中から応募殺到』

『アスタリスク スカウト団による強引な引き抜きとその実態について』

『全国で星脈世代の強盗団による被害多発』

 

 ニュースの大半は、アスタリスクと星武祭に関することが大きく取り上げられていた。

 

 

 

 水上学園都市六花 通称 アスタリスク。

 

 北関東のクレーター湖に浮かぶ正六角形型のメガフロートに築かれた学園都市である。

 正六角形の六つの角には一つずつ学園が存在し、その形が六枚の花に見えることから六花と呼ばれる。

 

 星武祭とは、アスタリスクで年に一度行われる学生同士の大規模な武闘大会の事である。

 

 3年を一区切りとし、初年の夏に行われるタッグ戦は《鳳凰星武祭(フェニクス)

 2年目の秋に行われるチーム戦は《獅鷲星武祭(グリプス)

 3年目の冬に行われる個人戦は《王竜星武祭(リンドブルス)

 

 今年は2年目の獅鷲星武祭が先月に行われたばかりだ。

 獅鷲星武祭は八幡もライブ放送で観戦したが、大変な盛り上がりを見せていた。

 

「……アスタリスクか」

 

 八幡はそんな事を思い出しながら、朝食を終え学校に向かった。

 

 

 

 

 

 

 総武中学に到着し駐輪場に自転車を止める。

 その足でそのまま教室に向かおうとして――

 

「おい。あいつだぜ。例の文化祭の奴って」

 

 悪意ある言葉が耳に届く。

 

 

 比企谷八幡は、本来は注目される存在ではない。

 彼自身はボッチを自称していたし、中学に入ってからは他人と関わる事は殆どなかった。

 だが、2年生に進級後、奉仕部に強制入部される事で風向きが変わった。

 

 文化祭の実行委員長に対する職務のサポートと、修学旅行先で葉山グループの恋愛問題の解決

 様々なトラブルが発生し破綻に見舞われた依頼は、一応の解決を見せた。

 

 ……八幡の自己犠牲によって

 

 

 その結果、彼は今この学校で最も注目される存在である。悪い意味で。

 

 

 周囲の呟きを無視して教室に向かう八幡。

 教室に向かう最中にも、様々な視線と呟きは止まらない。

 

「文化祭って実行委員長を泣かしたっていう人?」

「そうそう。一方的に暴言を言って泣かしたって聞いたよ」

「俺聞いたんだけどさ、修学旅行で告白の邪魔したのもあいつらしいぜ」

「まじで!どんだけだよ、あいつ」

 

( ……聞こえてるっつうの )

 

 八幡には聞こえない様に、囁きあう人達。

 だが、通常なら聞こえないそれも、星脈世代である八幡には全て丸聞こえである。

 

「そういやさ、あいつって星脈世代なんだってよ」

「へ~~星脈世代様は、好き放題やってるんだな」

「最近、ニュースで星脈世代の強盗団の事やってたけどさ、あいつも強盗団の一味かもよ?」

「そうじゃねぇの?あいつの目っていかにも犯罪者って感じだぜ」

「え~~~やだ~~こわ~~い」

 

( ……関係ねぇよ )

 

 そんな声を無視して教室に向かった。

 

 

 

 教室に到着し自分の席に着く。

 始業時間ぎりぎりに来たので、クラスの席は殆ど埋まっている。

 

「ねぇ、今朝の特集見た~~~」

「あぁ、見た見た。やっぱアスタリスクってすげぇな!」

「俺も星脈世代だったらなぁ~~~」

「え~~~あんたじゃ無理だって!」

「ねぇねぇ、チームランスロットの中で誰が好き?」

「私はやっぱり聖騎士様かな~~」

 

 クラス全体で、今朝取り上げられてたニュースで盛り上がっていた。

 その盛り上がりのおかげか、幸いにも八幡が教室に入った事に気付いた人は少数だった。

 気付いた者も、八幡の事よりもアスタリスクの話で夢中だ。

 

 自分の話題がない事に少し安堵しながら、授業開始のチャイムまでぼうっとして過ごした。

 

 

 

 

 

 

 授業が終わると早々に教室を出る。教室を出る際に幾つかの視線を感じたが無視した。

 悪意ある視線が大半だが、ごく少数の別の視線も交じっている事にも気づいていた。

 

 八幡に何かを問いかけたい様な視線。

 八幡を心配する視線。

 

 だが、今の八幡は学校の人間と関わる気はない。

 唯一の友人である戸塚彩加や、川崎沙希の気遣う視線は何回も感じたが、彼らと話す事もない。

 八幡は今の自分の立場をよく理解している。だから意図的に無視している。

 

 彼にとって、大切な友人やクラスメイトを巻き込む事は許せないことだから。

 

 

 教室を出て後は早足で下駄箱に向かう。授業が終わったばかりなので、人も今朝よりはまだ少ない。

 玄関が見えた所で一瞬だけ立ち止まる。そして、これからどうするか考える。

 

 

 ____貴方のそのやり方、嫌いだわ。

 ____人の気持ちをもっと考えてよ。

 

 

 修学旅行の後、奉仕部に顔は出していない。

 八幡の自己犠牲により解決は見せたが、そのやり方に同じ部員の二人は拒絶をした。

 

 自分のやり方が間違っている事は分かっていたが、それしか方法が思いつかなった。

 

(…………帰るか)

 

 今日もまた奉仕部に行くことはなかった。

 

 

 

 冷蔵庫の中身が殆ど空だった事を思い出し、街に立ち寄る。

 食料の確保、ついでに新刊の本のチェック等を素早く済ませた。

 

「……大体仕入れたから帰るか。これ以上はまずい気がする」

 

 適当にぶらついて気分転換をする事も考えたが、その考えを打ち切る。

 嫌な予感がしてきたので、今すぐ帰ろうとして―――

 

 

 後ろから気配に気付き、素早く躱した。

 

(……間に合わなかったか)

 

 誰だと問いかけるまでもない。ここ最近毎日の様に出くわしている人だ。

 八幡に後ろから抱き着こうとしてくる奇特な人物など、一人しかいない。

 

 

「うっふっふ~こんにちは、比企谷くん!」

 

 

 魔王 雪ノ下陽乃が現れた。

 

 

 




俺ガイルxアスタリスク小説が好きすぎて書いてしまいました。

更新は遅いかもしれませんが、頑張ります。

誤字、脱字、感想等あればご報告頂ければ嬉しいです。

よろしくお願いします。






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第二話 魔王とのお茶会

第二話なんとか完成しました。少しでも楽しんでいただければ幸いです。


比企谷八幡は雪ノ下陽乃が苦手である。

 

 

「私は紅茶にするけど、比企谷くんは何を頼む?」

「じゃあ、ホットコーヒーを一つ」

 

魔王に捕捉されたのは10分前の事、抵抗むなしく囚われの身となった八幡は

捕虜としてとある喫茶店に連れ去られていた。

 

「あれ?今日はコーヒーに練乳は付けないの?いつも一緒に頼むのに」

「……たまたまですよ。そういう気分なだけです」

「そっか。ここのコーヒーはブラックでも美味しいからね。

 比企谷君も気に入ってくれて何よりだよ」

 

本音を出していないのに、正確に心情を読み取られる。

魔王に隠し事はできないようだ。

 

「それにしても、最近の比企谷くんは付き合いが良くなってきたね。お姉さん感心してるよ」

「それは、ここ毎日付き合わされていますからです。諦めも付きますよ。

 というか、どうして俺の居場所が分かるんですか?ストーカーは勘弁してほしいんですが」

「ストーカーなんてしてないよ。私の行く場所に比企谷くんがたまたまいるだけ」

「……五日間連続でもですか?」

「もちろん♪」

「はぁ……」

 

思わず溜息をつく。

 

 

始まりは四日前の今週月曜日の事であった。

 

今日と同じく街をブラついていた所、背後から近づく気配に気付いた。

振り返って見れば、驚いた表情の雪ノ下陽乃が手を挙げたまま固まっていた。

 

雪ノ下陽乃のそんな表情は珍しいと思っていたら

次の瞬間には、とてもいい笑顔をした魔王が降臨していた。

 

もちろん逃げ出そうと試みたが無駄に終わった。

 

魔王からは逃げられないのである。

 

 

「あの………雪ノ下さん?」

「うん?なぁに?」

「さっきからこちらをずっと見ていますが、何か顔に付いていますか?」

「ううん。見てるだけだから気にしないで」

ふと気付くと陽乃がこちらをじっと見つめていた。しかも笑顔で。

ここ連日付き合わされているが、気付けばじっとこちらを見つめているのだ。

 

 

重ねて言うが、比企谷八幡は雪ノ下陽乃が苦手である。

 

 

最初にあった時は綺麗な容姿とその社交性、何より完璧な仮面を被ったその表情に戦慄した。

妹である雪ノ下雪乃からの扱いには、多少の同情と共感を覚えた。

文化祭の時は、わざと文化祭を混沌に陥れたその手口に違和感を感じた。

 

そして今は―――

 

 

仮面を取り外し、素の笑顔でこちらの接してくるその態度に困惑している。

 

 

 

比企谷八幡の特技の一つに人間観察がある。

昔の習い事の中で、人をよく見ろと教えられた。

相手の表情、視線、動き等 様々なものを観察し、相手の状態を把握するものだ。

その影響で、人間観察は癖のようなものになっている。

 

ふと陽乃へ視線を向けてみる。

こちらを見つめる瞳は優しく、柔らかい笑顔を浮かべており、楽しそうな雰囲気だ。

最初に出会った頃からはとても想像できない。

 

「どうかした?比企谷くん」

 

今度は、こちらがじっと見つめていた事に気付かれたようだ。

 

「ああ、いや……何でそんなに楽しそうかなと思いまして」

「比企谷くんとお話してるからだよ?」

 

何を当たり前の事を言っているのかといった感じで答えられる。

その予想外の答えに八幡は動揺する。

 

今の彼は嫌われ者である。家では妹に避けられ、学校では居場所がない。

そんな彼にとって、雪ノ下陽乃とのひと時は掛け替えのないものになりつつあった。

 

だからこそ……

 

「雪ノ下さん。やっぱり俺はあなたが苦手です」

「どしたの急に?私は比企谷くんのこと好きだけどな~面白いし」

 

 

比企谷八幡は雪ノ下陽乃が苦手であるが………決して嫌いではない。

 

 

 

 

 

 

 

注文した品が届き、テーブルの前に置かれた。

陽乃は紅茶の香りを楽しみながら、ティーカップに口を付けている。

八幡も、最近癖になっているブラックコーヒーを飲み始めた。

 

どことなくのんびりとした空気が流れる中、八幡はふと思いついたことを問い掛けた。

 

「そういえば、雪ノ下さんに聞きたいことがあるのですが、いいですか?」

「何?お姉さんに興味あるの?いいよ、答えてあげる!でも、スリーサイズはちょっと恥ずかしいかな」

「…違います。雪ノ下さんは、確か地元じゃなくて県外の高校に通ってましたよね?」

「そだよ。君と同じ総武中学に通ってたけど、2年の終わりに転校したね。

 ちょうど君と入れ違いかな」

 

確かに、八幡が入学した時には陽乃はもういなかった。

もし魔王がいたとしたら目立たないわけがないだろう。

 

「ここ最近毎日地元にいるようですが、学校はいいんですか?」

「ああ、そういうことね。うん、学校の方にはきちんと許可を貰ってるから大丈夫だよ」

「………実家で何かあったんですか?」

「う~~~ん。まあ、色々とね。雪ノ下家も含めていくつか用事があるんだ」

「……そうですか、ありがとうございます」

「別にいいよ、大したことじゃないから」

 

どうやら実家絡みのトラブルか何かのようだ。

気にはなるが、部外者である八幡が口を出すのはよくないだろう。

 

 

「……比企谷くんって私の通っている高校知ってる?」

「いえ、知りません。雪ノ下も詳しくは言っていませんでしたから」

「なんだ、雪乃ちゃんも冷たいな~お姉さんの事、話してないんだ」

 

八幡の返答にどこか納得したように話す陽乃。

姉である陽乃を八幡以上に苦手あるいは嫌悪している雪乃が

進んで姉の話をする事はないので、それは当然の事だ。

 

「そんなに有名な学校なんですか?」

「うん、アスタリスク」

 

衝撃の事実が陽乃の口から飛び出す。

全国、いや世界中から入学希望が殺到するアスタリスクへの門は狭い。

星脈世代だから誰でも合格できるわけではない。

 

大会で優秀な成績を残しスカウトの目に留まるか

年2回ある受験時に、大量の受験者の中から驚異的な倍率を勝ち残るしか道はない。

 

《 魔女 》や《 魔術師 》の場合はまた別の話になるが……

 

 

ともかく、アスタリスクに入学できたという事実だけで

星脈世代の中ではステータスになるのが現在の世の中である。

 

こんな身近に通っていた人がいるとなれば驚きの事実だ。

 

(……考えてみれば、この人なら当然の結果か)

 

 

雪ノ下陽乃

 

世の中の男が殆どが見とれるであろう容姿を持ち、スタイルも抜群。

この事実だけで、六花の一つクインヴェール女学園に余裕で合格できるだろう。

 

しかし、八幡が考えているのはそこではない。

 

(……星辰力の量が異常に多いんだよな、この人。流れも凄くスムーズだし)

 

もちろん、陽乃は全力で星辰力を発していない。

正確な星辰力の量は分からないが、感じ取れるかぎりでも彼が知っている星脈世代の誰よりも多い。

 

(……雪ノ下の倍、あるいはもっと上か?)

 

妹の雪ノ下雪乃も優秀な星脈世代だ。星辰力の量も相当なものだった。

だが、姉の雪ノ下陽乃の星辰力は文字通り突き抜けているのだ。

 

星辰力だけで見る限り、アスタリスクでやっていくのには何の問題もないだろう。

だが―――

 

「正直意外です。雪ノ下さんがアスタリスクを選ぶとは思いませんでした」

「そう?私だって星脈世代だよ。アスタリスクに憧れる気持ちはあるよ」

 

それは事実だ。星脈世代のほとんどがアスタリスクに憧れ、そこを目指す。

何しろ、星武祭で優勝すれば統合企業財体があらゆる望みを叶えてくれるという謳い文句だ。

国家が疲弊した今、それに成り代わった統合企業財体に叶えられない望みはほぼないと言っていい。

 

だが疑問が残る。雪ノ下陽乃がそんなものに釣られるのだろうか?

 

 

「……あんな動物園のような場所にですか?」

「…………へぇ~それはどういう意味かな?」

陽乃の目線がすっと細くなり、今までの優しい視線から相手の考えを探る視線へと変化する。

出会った頃を思い出すが、こちらの方が八幡にとっては慣れているので気楽だ。

 

「雪ノ下さんも分かっていますよね。アスタリスクの特殊性が。

 何でも望みが叶うという餌に吸い寄せられた学生を、アスタリスクという檻に閉じ込める。

 星脈世代じゃない人達にとって、俺たち星脈世代は狂暴な動物と変わりませんからね。

 ハチミツに群がる蜂のように、星脈世代はいくらでも集まります。

 星武祭はさながら、動物同士を戦わせる猛獣ショーといったところでしょうか?

 俺にはわざわざ見世物になる人の気が知れません」

 

その答えに、陽乃はきょとんとした顔をする。

そして何かを堪えるよう肩を震わせ、ほどなくして笑いだした。

 

「ふふふっ!猛獣ショーって、凄い表現するねぇ比企谷くん。やっぱり君は面白いねぇ!!

 ……でも、間違っていないね」

「……分かっていてアスタリスクに行ったんですか、何故?」

 

八幡には陽乃の考えが理解できなかった。

彼にとってアスタリスクとは、学生同士を闘わせる見世物小屋の様なものだ。

エンターテイメントとしてみる分には面白いが、自ら行きたいとは思わない。

 

「………………本物が欲しかったから」

「!!!」

 

少しの沈黙の後、呟くように放たれた陽乃の台詞に、八幡は驚愕の表情を見せた。

それは彼が長年欲していたもの、追い求めていたものと一緒だったから。

 

「……昔の私には雪ノ下家が全てだった。母親の言う事を聞いて指示に従う。

 親の敷かれたレールに載るだけの人生に、何の疑問も持たなかった。

 成績は常に1番で教師の覚えも良かったし、友人もたくさんいた。

 でもね、彼らが見ているのは雪ノ下家の長女であって、雪ノ下陽乃個人を見てくれる人は誰もいなかった。

 ……父親も……母親も……雪乃ちゃんでさえも……

 そんな日々から抜け出したくて、逃げ出したくて………」

 

陽乃は訴えかけるようにその心情を吐露し始める。

その表情は真剣そのものので、とても嘘をついているようには見えない。

 

「……そんなとき星武祭を見たんだ。欲望うずまくあの都市で。見る前はくだらないと思ったよ。

 君と一緒で、たかが見世物に一生懸命になる気持ちが分からなかった。

 けどね、直接星武祭を見てその考えは変わったよ。

 確かに、比企谷君の言う通り星武祭は見世物かもしれない。

 でも、あそこでなら…アスタリスクでなら、私の求めるものがあると思った。

 雪ノ下家の長女としてではなく、雪ノ下陽乃として本物を見付ける事ができるって……」

 

話し終えた陽乃の表情は、いつの間にか晴れやかな笑みを浮かべていた。

そして、そんな陽乃を見ていた八幡は思わず見惚れてしまった。

元々整った容姿をしていた陽乃だが、今の笑みは今日一番綺麗なものだったから。

 

そして同時に陽乃がとても羨ましかった。

自分では見付けられないものを、彼女は見付ける事が出来たのだから。

 

「……そうですか」

 

綺麗な笑顔を浮かべる彼女に、八幡はそんな返事しか返せなかった。

 

 

 

 

 

 

「………さて、そろそろ帰ろうか?結構遅くなっちゃったし」

「……そうですね」

 

窓の外を見てみれば、辺りはすっかり暗くなっていた。

思った以上に長く話し込んでいたようだ。

 

「……秘書の都築を呼ぶけど、送っていこうか?」

「大丈夫です。それに自転車がありますから」

 

陽乃の提案をやんわりと断る。

徒歩なら提案を受けてもよかったが、自転車で来ているためそのまま帰る事にする。

 

「そっか……今日もありがとうね、比企谷くん。楽しかったよ」

「……まあ、俺もつまらなくはなかったです」

「ふふっ、比企谷くんは素直じゃないな~でも、それでこそ比企谷くんだけどね」

 

八幡の回答にも素直に喜ぶ陽乃。

彼の捻くれ具合は、今に始まったことではないからだ。

それに、彼の顔を見てみると頬が少し赤くなっている。照れている証拠だ。

 

 

「………ねぇ、比企谷君くん……ちょっといいかな?」

 

照れている八幡に、陽乃は表情を引き締め緊張した感じで声をかける。

そんな陽乃の様子から真剣な話と受け取ったのか、八幡もすぐに返事を返す。

 

「何でしょうか?」

「明日も会うことってできないかな?休日で申し訳ないんだけど……大切な話があるんだ」

いきなりの誘いに少し戸惑う。普段なら断る所だが………

「いいですよ、別に。暇ですから」

自分でも驚くほど素直に了承の返事を返した。

 

「ありがとう。時間は何時から大丈夫かな?比企谷くんに合わせるよ」

「……じゃあ、昼からでいいですか。午前中は家の掃除とかがあるので」

「比企谷くんが家の掃除してるの?忙しいようなら明日じゃなくてもいいんだけど……」

「……いえ、土日は誰も家にいないですから、俺がやるしかないんですよ」

「誰もいないって、小町ちゃんも?」

「ええ、まあ。それより待ち合わせ場所と時間はどうしましょう?」

 

妹の話題になりそうだったので、強引に話題を戻す。できればその話をしたくはない。

そんな八幡の様子が少し気になったが、陽乃もそのまま話を続ける。

 

「……そうだね……じゃあ12時にここでいいかな?お昼ご飯は私が奢るからお腹空かせて来てね」

「分かりました」

 

話がまとまった所で、八幡は帰る準備をする。

陽乃の方は、お迎えが来るまで店の中にいるようなので座ったままだ。

 

会計は陽乃が払う事になっている。

八幡も払おうとはしたのだが、こちらが誘ったからだと聞き入れてもらえなかったので、諦めた。

最近は陽乃の言葉に甘えて奢ってもらってばかりである。

 

席を立ったと同時にふと気になった事を思い出す。

どうしようかと思ったが、目の前の陽乃に尋ねてみる。

 

「……そういえば雪ノ下さん」

「どうしたの?」

「結局アスタリスクのどこに通ってるんですか?確か六校ありましたよね?」

「………そういえば言ってなかったね」

 

その問いに少し考え込む陽乃。

 

「………それは明日教えてあげる。明日の話とも関係があるからね」

「……そうですか。分かりました。じゃあ、俺はこれで」

 

気にはなるが、陽乃に答える気はないようだ。

明日分かるなら別にいいかと思い、店を出ようとする。

 

 

「………比企谷くん」

 

そんな八幡の背に陽乃の声が届く。

何かと思い振り向く八幡に彼女は告げる。

 

「明日、私を見つけてね……」

「………それはどういう?」

 

「じゃ、またね」

 

八幡の疑問には何も答えず、陽乃は笑顔で見送った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何で、俺は断らなかったんだろうな……」

 

喫茶店で陽乃と別れてから、八幡はずっと考えていた。

普段の彼なら祝日の誘いなど断っているはずが、今回はすぐに受け入れた事を。

今までの自分ならあり得えないことだ。

自らの心境の変化に戸惑いつつ、一つの理由が思い当たった。

 

「……………本物か」

 

彼女は言った。アスタリスクに本物があると……

今までアスタリスクに興味など無かったが、今日陽乃の話を聞いて少しだけ興味が湧いた。

 

「……明日聞いてみるか」

 

分からない事は聞く。それが一番早いし確実だ。

彼の求める本物とは別だが、雪ノ下陽乃が本物と称したものが気になるのも事実だ。

妹もアスタリスクを目指しているので、学園内の話を参考までに聞いてみるのも悪くはない。

 

そんな事を考えつつ八幡は帰宅への道を歩いて行った。

 

少しだけ笑顔を浮かべた自分に気付かないまま……

 

 

 




陽乃の学校は次話で登場しますので、興味がある方は予想してください。

しかし、小説を書くのは難しい。書き始めて改めてそう思います。
頻繁に更新は無理ですが、なるべく投稿できるよう頑張ります。

では、次回もよろしくお願いします。


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第三話 星脈世代の落ちこぼれ

前回投稿から2か月弱。遅くなりましたが続きをどうぞ。



「はあぁぁぁ!!」

 

 少年は手に持った木刀を目の前の相手に振り下ろす。

 星辰力で覆われたその一撃は、並みの相手なら反応出来ないほどだ。

 

 しかし、少年の目の前にいるのは老人は、半歩体をずらす事により紙一重で躱す。

 太刀筋を完璧に見切っている証拠である。

 

 だが、少年も躱されることを見越してか、振り下ろした木刀を切り替えし突きに移行する。

 狙いは老人の胴体。自分の体ごと相手にぶつかる感じで繰り出すが、それすらも当たらない。

 少年の一撃は、老人の手に持った木刀に流され、そのまま老人の後方に体が流される。

 

 間合いが開き、お互い振り向きあった所で老人は話しかけた。

 

「うん、今のはなかなか良かったぞ」

「まだまだ!!!」

 

 少年は言葉と同時に星辰力をさらに高める。

 それにより、さきほどの倍以上の星辰力が解放され、少年の力と速度が格段に跳ね上がる。

 

 何も知らない者がこの光景を見たら驚くだろう。

 少年から放たれている星辰力は、その年に見合わぬ量であった。

 少年はまだ幼く、年の頃4、5歳といった所だ。

 だが、その星辰力の量は余りにも多すぎる。

 100人余り星脈世代がいる門下生の中で少年が一番であると言えば、少しはその異常さが分かるだろう。

 

 そんな少年と相対している老人も、これまた異常であった。

 老人に星辰力は感じられない。星辰力を隠しているのではなく、老人は星脈世代ではないからだ。

 本来なら老人に勝ち目はないはずだが、今まで何十回と立ち合いをして少年が勝ったことは一度もなかった。

 

「さぁ、来なさい」

「行きます!!」

 

 老人の言葉に呼応するかのように、少年が飛び出す。

 先程の攻撃よりさらに早く鋭く、怒涛の攻撃を繰り出すも、受けられ、流され、避けられる。

 その後、幾度となく攻め続けるも当たる気配がない。

 

 やがて――――――

 

 老人の木刀が、少年の喉元の前で止まっていた。

 

 

「むうぅぅぅ………」

「ほっほっほ。惜しかったのう」

 

 頬を膨らませながら少年が悔しがる。

 目の前の老人は健闘を称えているが、少年の悔しい気持ちが収まらない。

 

「……先生って本当に星脈世代じゃないんですか?」

「見れば分かるじゃろう。儂は星辰力なぞ持ち合わせておらんぞ」

「……それは見れば分かりますけど」

 

 分かっていたことだが、それでも信じられない。

 少年が老人に挑み続けて数十回。いまだ勝つどころか一太刀すら浴びせられないのだから。

 しかし、悔しがってばかりではいられない。

 

「………どうすれば先生に勝てるんですか?」

「そうじゃのう。お主はまだ若い。今はひたすら鍛錬を積むのが一番じゃ」

「……分かってます」

 

 当たり前の事だった。だが、少年とて日々の鍛錬は欠かさず行っている。

 それでも足りないのなら、鍛錬の時間をさらに増やすかと考える。

 

「そうじゃのう。少し助言を与えるとすれば相手を見る事じゃ」

「………相手を見る?」

「うむ、お主の星辰力はとても多い。その星辰力を活かせば、大人とて倒せてしまうじゃろう」

 

 それは事実だ。少年が道場に入門して1年。

 技術的にはまだ大人には敵わないが、その豊富な星辰力のおかげで大人をもをなぎ倒してきた。

 だが、目の前の老人にはそれも通用しなかった。

 

「もちろん技も大事じゃ。日々の鍛錬をこなしてゆけば、自然と技術は向上する。

 お主は練習熱心じゃなからな。そこは心配しておらん。

 だが、今のお主は何も考えず、ただひたすら攻める事しか考えていないのではないか?」

 

 言われて少年ははっとする。老人の言う事が正しいと気付いたからだ。

 

「確かに、星辰力を高めて攻撃する事ばかり考えてました」

「それで勝ててしまうからまた問題なのじゃがな。だからこそ、儂はお主を引き取った」

 

 老人の言葉を聞いて思い出す。少年の本来の師は目の前の老人ではない。

 星脈世代を道場で預かる場合、教える人もまた星脈世代になるのが普通である。

 

 だが、少年の才能がそれを例外とした。

 勿論、星脈世代の師範代の中には少年に勝るものがいるが、ごく少数である。

 わずか一年でそこまで急成長を遂げた少年の才能に、老人は目を付けた。

 

 老人はこの道場を立ち上げた張本人である。非星脈世代ではあるがその力量は道場一である。

 普段は息子が道場を統括している為、表に出てくることはない。

 

 が、目の前の少年の可能性を広げるために、自ら師匠の座を買って出たのだ。

 

「だからこそ相手をよく見ることが必要なのじゃ。

 相手の目線を、腕の位置を、足の運びを、それらを見る事で相手の狙いを読む事が出来る。

 さらに、それを極める事のより相手を誘導することもまた可能になる。

 儂がお主に勝てる理由の一つでもある」

「そんな事が出来るんですか!?」

 

 老人の言葉に驚く少年。そんな事が出来るとは今まで考えたこともなかった。

 

「出来るかどうかはお主次第じゃ、こればっかりは一朝一夕ではいかん。

 鍛錬時だけではなく、日常生活においても相手を観察する事から始めるとよいぞ」

「分かりました。やってみます」

 

 老人の助言に素直に頷く少年。この素直さが少年の強さの一つだ。

 そんな少年の姿を見て、老人は嬉しく思う。

 年が若く、練習熱心で才能もある。少年を育てる事が老人の数少ない楽しみだ。

 このまま育て上げる事が出来れば、どれほどの高みに到達できるか………

 

「おう、親父。もう時間だ。他の連中はもうほとんど帰ってるぞ」

「………おお、もうそんな時間か」

 

 考え込んでいた老人に、男が近づき声を掛けた。

 時計を確認すると、予定していた練習時間を大幅に過ぎている。

 これはいけないと老人は急ぎ足で部屋の外に出て、その場には少年と男が残された。

 

「よう、坊主。今日も頑張ってたか?」

「はい、師範代」

「そうかそうか。よし、そんな坊主にはこいつをやろう」

 

 少年の返事に男は上機嫌になり、少年の頭を撫でた。

 そして手に持った飲み物を手渡した。

 

「またこれですか、師範代」

「何だ、不満か。坊主」

「嫌いじゃないですけど、ちょっと甘すぎますよ。このMAXコーヒー」

「おめぇも分かってねぇなぁ~人生はつらく苦しいもんだ。だからこそ、コーヒーくらいは甘くていいんだよ」

「……よく意味が分かりません」

「おめぇも大人になればよく分かるさ。坊主」

 

 そう言って、男は再度少年の頭を撫でる。

 しばらく撫でられた後、老人が部屋に戻ってくる。

 

「これで終わりじゃな……何じゃお前、またそんな物を飲んでおったのか」

「いいじゃねぇか、美味いんだよ。こいつは」

「儂には甘すぎて飲めたもんじゃないがのう。さて、今日の稽古はこれで終了じゃ。

 気を付けて帰るのじゃぞ」

「分かりました。それでは、師匠・師範代、失礼します」

 少年は一礼をする。

 

「おう、またな。坊主」

「うむ、また明日よろしくのう。八幡君」

 

 少年は二人に背を向け歩き出す。

 その背を見つめる二人は、笑みを浮かべ少年を見送った。

 

 

 

 これは、比企谷八幡が道場に入門して一年後の出来事であり

 

 

 

 

 ―――――彼が剣を捨てる二年前の出来事であった。

 

 

 

 

 目の前には見慣れた天井が見える。

 時刻を確認した所、午前四時を回ったところ。いつも起きる時間より一時間早い。

 窓の外には、夜明け前の暗闇が広がっていた。

 

「………夢か。また懐かしい夢を見たもんだ」

 

 それはまだ幼いころの記憶。

 剣を習い始めて一年の月日が経ち、先生の弟子となり無我夢中で挑み続けたあの日々。

 

 道場で剣を習うのが楽しかった。才能があると言われて嬉しかった。

 まだ小さい妹はとても可愛く、両親からも愛されていた。

 毎日がとても楽しく、自らの目もまだ腐っておらず光り輝いていた。

 忘れたくても、忘れられない記憶だ。

 

 だが、それを捨てたのは彼自身だった。

 

「………後悔なんてするはずがない」

 

 自らに言い聞かせるように呟く。だが、その口調が弱々しい事に本人は気付いていない。

 

 立ち上がり、机の横に置いてある物を手に取る。それは木刀だった。今の彼には小さい子供用の木刀である。

 剣の道は捨てたが、使用していた木刀はどうしても捨てられなかった。

 

「……………未練だな」

 

 剣を習っていた最後の証が捨てられない事が、彼自身の未練を表していた。

 

 

 

 

「ふぁぁぁぁ~~」

 

 結局それから一睡もできなかった。

 日課のランニングをいつもより早めに行い、帰宅した後で急激に眠気が襲ってきた。

 

 だが、陽乃のとの約束がお昼の時間なので、今から寝直すとおそらく寝坊する。

 仕方ないので、ブラックコーヒーを飲み眠気を覚ました。

 

「さて、まずは洗濯して掃除だな」

 

 やるべき事はたくさんある。まずは、洗濯から取り掛かることにした。

 

 洗濯機を回している間、各部屋に掃除機を掛けていく。

 今、家には八幡以外誰もいないので音で誰か起こしてしまう心配はない。

 

「………親父たちは、小町の所に向かってる途中か」

 

 掃除の最中に、妹の応援に行った両親の事を思い出す。

 八幡がランニングから戻ってきたら、既に両親は家にはいなかった。

 妹の今回の合宿先である東京に向かったと思われる。

 

「こんなに朝早くから押し掛けてどうするんだか。

  あまりプレッシャーをかけない方がいいと思うんだがな」

 

 昔から両親はアスタリスクに拘っている節があった。

 非星脈世代である両親から生まれた二人の星脈世代。

 星脈世代同士の親から星脈世代が生まれる確率はそれなりに高いが、逆は恐ろしく低い。

 八幡と小町の両方が星脈世代だと判明したことにより両親は歓喜、いや狂喜した。

 

 学戦都市アスタリスク

 

 世界最大のエンターテイメントであるこの都市で活躍すれば、地位も名誉も手に入り

 巨額の金も手に入る。

 

 星脈世代は世間的に差別される存在だが、それでもなお星脈世代を求める親が多いのは全てアスタリスクが原因であるともいえる。

 

 星脈世代の子供たちはアスタリスクへ憧れそこを目指し、親もまたアスタリスクへ向かわせるために教育・あるいは武術を習わさせる。八幡が習っていた剣術道場も星脈世代の推奨プログラムの一つだった。

 

 妹の比企谷小町もまた、アスタリスクを目指す一人ではあるのだが

 

 

 長らく話をしていない妹の様子を思い出す。

 

 小学六年生になった妹に対する両親の教育は過剰の域に達していた。

 アスタリスクからのスカウトの目に留まるために、日本にある各大会への参加。

 今回のように合宿に勝手に応募する事も珍しくない。

 

 全ては妹をアスタリスクへ。

 

 その両親の勝手で過大な期待は妹に負担を強いていた。

 幼いころに浮かべていた純粋な笑顔は減り、口数は少なくなっていった。

 

 仕事の忙しい両親に代わり、二人でこなしていた家事は、必然と八幡だけがやらされるようになった。

 そして、妹が両親の期待に応えようとしていく中、何もしていない八幡に対して、妹は徐々に話す事をやめ敵意すら向けるようになった。

 

 だが、妹が親や周りにそれを悟らせることはない。対外的には仲の良い兄妹に見えていただろう。

 妹が何を思ってそう振舞っているかは分からないが、八幡がそれを指摘する事はなかった。

 

 

「………ままならないものだな」

 

 幼いころのあの日の選択が間違っていたとは思いたくない。

 だが、妹のためにと思い決断したことが、巡り廻って今妹の負担になっている。

 

 これでは何の意味があったか分からない。

 

 あの日、幼い妹が泣いていた。あの日、幼い妹が涙ながらに訴えた。

 そして、幼い兄は自らを犠牲にすることでそれを解決した。

 その選択は間違いだったのかもしれない。

 

 だが、今更戻るわけにはいかない。

 

 拳を握りしめ、星辰力を集中する。

 だが、そこからは微弱の星辰力しか発生していない。

 子供の頃の持ち合わせた膨大な星辰力は、今はもう見る影もなかった。

 

 

 比企谷八幡は落ちこぼれの星脈世代で、両親の期待に背いた。

 

 比企谷八幡は剣を捨て、星辰力も捨て、師匠たちの期待を裏切った。

 

「………そう、それでいいんだ」

 

 今はただ、この道を貫くしか選択肢はないのだから。

 

 

 

 

 一通りの家事を終え、気が付けば午前11時を回っていた。

 約束の時間が迫ってきているので、少し早いが出掛ける事にした。

 

 自転車に走らせ、しばらくすると街に入り目的地の喫茶店に向かう。

 

 その途中何かが聴こえた。

 気になったので、自転車を止め耳を傾けると歌が聴こえてきた。

 その歌には聞き覚えがある。

 

「シルヴィア・リューネハイムか」

 

 アスタリスクにある学園の一つ、クインヴェールでは学園の戦略の一つとして

 生徒にアイドル活動を兼業させている。

 その為、他学園と比べて所属の生徒は外部にも大きく知られている。

 

 その中でも、シルヴィア・リューネハイムの名は特別である。

 世界の歌姫と称される彼女は、文字通り世界中に人々知られており熱狂的なファンも多い。

 

「……そういえば、新曲が出てたな」

 

 少し前に新曲が発売されていたのを思い出す。

 ここ最近はトラブル続きだったので、すっかり忘れていた。

 

「後で買ってみるか」

 再び自転車を走らせ目的地に向かう。

 

 

 

 

 

 

 目の前に喫茶店が見えてきた。時間を確認すると時刻は午前11時30分。

 昼前にもかかわらず、駐車場には車が一台も止まっていない。

 珍しいなと思いつつ、自転車を止め店の前に立つ。

 ひょっとしたら店が休みかと思ったが営業はしてるようだ。その事に安心しつつ店の扉を開ける。

 

「いらっしゃいませ」

 

 スタッフの挨拶を受けた後、店の中に視線を向け陽乃を探す。

 店自体は狭いため、探せばすぐに見つかった。というか、客が陽乃一人だけだった。

 

「待ち合わせをしてますので」

 

 スタッフに断り陽乃の方へ足を進める。

 近くまで来たその時、陽乃が振り向かい話しかけてくる。

 

「やっほ~~!比企谷くん~」

 

 その声を聴いた瞬間、足を止める。

 

 

 ――――あれは何だ?

 

 

「どうしたの?私はここだよ~~」

 

 目の前にいるのは雪ノ下の陽乃のはずだ。

 その喋り方も、声も、姿も、星辰力ですら全て雪ノ下陽乃を表している。

 

 だが、何かが違う。

 

「こら!お姉さんを無視すると後が怖いぞ~~」

 

 目の前の何かが喋る度に違和感が酷くなっていく。

 まるで、作られた偽物が喋っているかのようにすら感じる。

 

 もう一度店内を見回す。

 だが、先程探したのと同じく他に客の姿は見えないが、別の違和感を見つけた。

 それを見つけた瞬間そこに向かい歩き出し、空白の席の前に立つ。

 

「お待たせしました。雪ノ下さん」

 

 その言葉を発した瞬間、目の前の空間が揺らぎはじめる。

 後ろで話していた何かは姿を消し、目の前に見慣れた人物が浮かび上がる。

 

 そして僅かな時間が経ち―――

 

「見つけてくれると信じてたよ。比企谷くん」

 

 先日と同じく、穏やかな笑みを浮かべた雪ノ下陽乃が八幡を迎えた。

 

「ぼっちは視線に敏感ですから。いくら隠してもこちらを見てれば分かります」

「なるほど。私の星仙術もまだまだだね~」

 苦笑する陽乃。

 

「さて、いろいろ言いたいことはあると思うけど、まずは食事にしようか?」

 その言葉に素直に頷いた。

 

 

 

 食事を終え二人は飲み物に飲んでいた。飲んでいるものは先日と同じ物。

 八幡はホットコーヒーで陽乃は紅茶である。

 

「さて、まずは呼び出した要件から話そうか。これを見て」

 

 目の前に置かれたのは一枚の封筒だった。

 中を見るように促されて封筒を開ける。入っていたのは幾つかの紙の書類。

 携帯端末が普及した現在において、通常の書類はデータ化される事が多い。

 わざわざ紙の書類で持ってくるということは、この書類がそれなりに重要な書類だという事だ。

 

 八幡は封筒の中身を取り出し、その項目を読み上げた。

 

「特待生推薦状?」

「そう……比企谷八幡くん」

 

 困惑する八幡に陽乃は告げる。その胸にある龍の校章を誇るかのように

 

 

 

「私たち界龍第七学院は、あなたを特待生として推薦します」

 

 

 

 

 この日、この時、この瞬間より、比企谷八幡の運命は大きく動き出す。

 

 

 それは本人だけではなく、周りの人も運命もまた変化する事になる。

 

 

 それがどのような結果になるのかは、まだ誰も知らない。

 

 

 

 

 




基本的に、この小説は序盤暗い話になっています。
アスタリスクは、アニメ、二次創作、原作の順に拝見しましたが、原作を読むと設定が結構重い。

星脈世代と非星脈世代。アスタリスクを目指すことを望む両親とそれを拒む子供。
外から見たアスタリスクというのが、この小説で書きたかったことの一つ。

こんな小説ですが、楽しんでくださる方がいれば幸いです。

展開は大体決まっていますが、文章に起こすのに苦労している為
恐らく次回も時間がかかるかもしれません。

それではまた次回もよろしくお願いします。



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第四話 語られる過去とそれぞれの想い

お待たせしました。気付けば一万字を突破してしまいましたが、何とかできました。

では、続きをどうぞ。



「私たち界龍第七学院は、あなたを特待生として推薦します」

 

 雪ノ下陽乃から発せられたその言葉は、八幡にとって予想外もいい所であった。

 思わず絶句し押し黙る八幡。その間にも陽乃の話は続く。

 

「ちなみに界龍の特待生は授業料免除、奨学金の支給、食堂の料金割引などの特典があります。

 基本的に生徒は寮に入ることが多いけど、もし嫌なら、申請すれば近くのマンションに住むことも可能だよ。あ、界龍系列のマンションなら生徒には家賃割引してくれるから結構お得だね」

 

 楽しそうに特待生について語る陽乃。話が続く中、黙っていた八幡もようやく再起動する。

 

「……あの、雪ノ下さん」

「うん、どうしたの?」

「確認したいことがあります」

「いいよ。何かな?」

 

 八幡にとってはとても信じられない話だ。聞き間違いかと思い尋ねてみる。

 

「俺の聞き間違いじゃなければ、俺を特待生として推薦するって聞こえたんですが」

「そうだね。その通りだよ」

 どうやら聞き間違いではないようだ。しかし、納得できないことがある。

 

「……アスタリスクの推薦は、普通大会で活躍した人達が選ばれるものじゃないんですか?」

「基本的にはそれで合ってるよ。大会で優勝した人を中心にスカウトが推薦してくるからね。

 ただ、特待生は特別でね。各学校によって微妙に違う所があるんだよ」

 面白そうに続きを話す陽乃。

 

「例えば、アルルカント・アカデミー。ここは研究が盛んな学校だから本人の強さより

 煌式武装作成などの技術力が評価の基準になってるね。

 聖ガラードワース学園は強さと高潔さの両方を兼ね備えた人物が求められるから

 少しでも素行が悪かったらアウト。

 逆に、レヴォルフ黒学院は強者が全ての学校だから、強ささえあればどんな悪党でも受け入れる。

 クインヴェール女学園は知ってるかもしれないけど、生徒がアイドルとして活動してるから

 強さより容姿やスタイルが重要視されてるね。星導館学園は……まあ、ここは特徴がないかな。

 強さがあれば、多少の素行が悪くてもOKって所かな」

 なるほど、確かに学校によって微妙に違うようだ。しかし、肝心な学校が抜けている。

 

「…界龍はどうなんですか?」

 自身を特待生として推薦したと学校について尋ねる八幡。

 彼自身には、先程挙げられた条件を満たしているとは思えなかったからだ。

 

「何だと思う?」

 逆に問い返される八幡。少し考え……

「………分かりません。俺に当てはまる条件があったとは思えません」

 

「界龍の基準は………面白いかどうかだよ」

「……は?」

 意味が分からなかった。呆れる八幡の様子に陽乃はクスクスと笑いながら話を続ける。

 

「やっぱりそういう反応するよね。比企谷くん、界龍に関して知ってる事はある?」

「いえ、星武祭は見たことがありますが、中華風の学校だなぐらいしか」

「まあ、普通はそんなものだね。

 界龍でも、通常の推薦クラスだと星導館と基準はあんまり変わらないかな。

 ある程度の強さと、極悪人じゃなければスカウトの目に留まるね。

 ただ、特待生となると話が変わってくる。界龍の序列一位、范星露。通称 万有天羅。

 特待生は彼女が見定めて、面白いと判断された人物にしか認められていないよ」

 

「つまり、俺はその万有天羅って人に認められたって事ですか?

 でも、どうしてです?俺は大会に出た事すらありませんよ。

 何故、そんな…………まさか!?」

 ここ連日出会った雪ノ下陽乃。その訪問の意図にようやく気付いた。

 

「分かった?そう、私は何の目的もなく君に毎日会っていたわけじゃない。

 最初はいたずらのつもりだったんだよ?偶然君を見かけて隠形をして話しかけようとした。

 そしたら、君はいとも簡単に見つけちゃうんだもん。びっくりしちゃったよ。

 それから毎日少しずつ難易度を上げて、どこまで君ができるか見極める事にした。

 そして今日………」

 そこで一旦言葉を区切る陽乃。

「……私は本気だった。今の私が持てる技術を全てつぎ込んだ星仙術。

 でも、君はそれすらクリアした。そんな君だからこそ、スカウトにするのに相応しいよ」

 とても真剣な表情で話す陽乃。どうやら冗談ではなさそうだ。

 

「さて、比企谷くん。この推薦を受けてくれるかな?」

 こちらに手を差し伸べ同意を求めてくる陽乃。

 だが答えは決まっている。

 

「……お断りします」

「理由を聞いてもいいかな?」

 断りの返答に間髪入れずに問いかけてくる。彼女のとっては予想通りの内容だったのだろう。

 

「雪ノ下さんが俺なんかを評価してくださるのは嬉しいです。

 でも、俺にはそんな実力はありませんし、何よりその推薦を受ける理由がありません」

 

「それはアスタリスクに興味がないから?妹の小町ちゃんに悪いと思うから?それとも……」

 

「……昔と違って、今の君に星辰力がほとんどない事かな?」

 陽乃の台詞に比企谷家の事情に詳しいことを悟る。

 

「……こちらの事情に詳しいようですね」

 皮肉気に問いかける八幡。それに対して陽乃は涼し気に答える。

 

「スカウト対象だからね。悪いけど調べさせてもらったよ」

 陽乃は携帯端末を取り出し、目の前に空間ウインドウを開く。

 空間ウインドウの中身を確認し読み上げる。

 

「比企谷八幡。非星脈世代の両親を持つ比企谷家の長男。

 妹の比企谷小町も兄と同じく星脈世代。兄は幼いころから膨大な星辰力を持ち

 両親の希望により四歳の時に刀藤流千葉支部に入門。

 メキメキと才能を伸ばし 五歳の時に剣聖 我妻 清十郎に弟子入り。

 本人の才能もあり頭角を現し、その将来を期待されるも、突如七歳で道場を辞める。

 この時には星辰力はほとんど無くなっているね」

 空間ウインドウを閉じこちらを見る陽乃。どうやら本格的に調べられているようだ。

 

「君が剣術をやっているとは思わなかったよ」

「……両親に無理やり入れられただけです。星脈世代の推奨プログラムの一つでしたから」

「刀藤流は有名だからね。でも、随分と活躍してたみたいだね、比企谷くん。

 我妻 清十郎。この人の名前は私も知ってるよ。

 非星脈世代でありながら剣聖の名を冠する存在。相当な強さみたいだね」

「……俺は一度も勝てませんでしたよ。化物とはあの人みたいな事を指すんだと、今はそう思えます」

「へぇ、それは興味深いね。私も一度、お手合わせ願いたいね」

「難しいと思いますよ。あの人は引退して道場でもほとんど剣を交えた人はいませんでしたから」

 八幡は過去の記憶を思い出す。

 あの師匠は、自身との稽古以外は素振りや型稽古をして一日の殆どを過ごしていたからだ。

「そんな数少ない内の一人が、直弟子の君というわけだね」

「……まあ、そうです」

「ねぇ、比企谷くん。そんな君がどうして道場を辞めたの?

 君ほどの才能の持ち主が自分から剣を捨てたとは思えないし、周りがそれを許すとも思えない」

 

「……別に。飽きたから辞めただけです。ご存知の通り、星辰力がなくなりましたから。

 両親も特に止めはしませんでしたよ」

 特に表情を変えず興味なさげに理由を述べる。

 その口調からは本当に飽きて辞めたのだろうと思ってしまうだろう。

 

「比企谷くん」

 だが、目の前にいる人物は魔王である。

 

「そんな嘘でお姉さんを誤魔化せるとは思ってないよね?」

 魔王であるこの人の前では、半端な嘘は通用しない。

 

 そして彼女は突きつける。

 

「君、自分で星辰力を封印したね」

 

 ……隠し続けた真実を

 

 

 

 目をそらさずこちらを見つめる陽乃。

 互いが互いを見つめあい、しばしの時が経つ。だが、お互いに目をそらさない。

 その沈黙に耐えられず口を開いたのは八幡であった。

 

「……………何のためにですか?自分でわざわざ星辰力を封印するなんて

 何でそんな面倒くさい事を俺がしなければならないんですか?」

 普通に考えたらとんでもない暴論だ。星脈世代は特別な存在である。

 彼らが本気を出せば、車より早く走り星辰力を集中すれば銃弾すら防ぐことが出来る。

 そんな彼らは自らの力に誇りを持っている。

 星脈世代が自分の力をわざわざ減らすなど、普通ならありえない。

 

 そう、普通ならだ。

 

「でも、君をそれをした。方法は分からないけどね。

 ……けど、その原因を推測することはできるよ」

 自信ありげに、だがどことなく悲しそうに陽乃は語り始める。

 

「小町ちゃん。頑張ってるみたいだね」

 心臓を鷲掴みにされる感覚がした。

 

「非星脈世代の両親の中で生まれた兄妹の星脈世代。兄の星辰力は規格外で将来は有望。

 対して、妹は平均より星辰力が上だけれど兄には及ばない。

 そんな二人を見た両親がどちらを優先するか。それは言わなくても分かるよね?」

「……まるで見てきたかのように言いますね」

「……家も似たようなものだからね。家は両親とも星脈世代で、私たち姉妹も星脈世代。

 自分で言うのもなんだけど、私は雪乃ちゃんより優秀だったからね。比較はよくされたよ」

 

 そこで一度言葉を止める陽乃。一呼吸し続きを話し始める。

 

「君が剣を捨ててすぐ、妹の小町ちゃんが星脈世代の鍛錬を始めるようになった。

 剣の才能はなかったみたいだね。使用武装は銃型の煌式武装。

 最近では日本の各大会に出場したり、統合企業財体が主催する強化合宿に参加している。

 ……対して兄は、両親の期待を裏切った影響からか、その後家での扱いは悪くなっていった。

 家族で食事に行くときは置いていかれ、旅行に行くときも家に一人取り残された」

 

「……比企谷くん。君は大好きだった剣も、豊富な星辰力も、両親からの愛も

 約束された将来も全て捨ててしまった。それは、両親の関心を妹に向けさせるため。

 ただ……それだけのためにね」

 

 最後まで語った陽乃はとてもつらそうな顔をしていた。その瞳は揺れ今まさに泣きそうな表情をしていた。

 ……まるで自身の身に起こったかの様に。

 

「……違う……かな?」

 そんな彼女の表情を見ていた八幡は……

 

「……降参です」

 

 ついにそれを認めた。

 

 

 

 

 

 

「……どうして星辰力を封印しようなんて思ったの?」

「……どうしてでしょうかね?結果的にそうなっただけで俺としては狙ったわけではないんです」

「どういう事?」

 

 陽乃の問いかけに反応し、顔を上げ遠くを見つめる八幡。あの日の記憶を思い出し話し出す。

 

「……あの日、道場から帰ってきたら妹が泣いていました。訳を聞いても泣くのが酷くなるだけで

 全然理由がわかりません。何とか宥めて寝かしつけたんですが、眠る前に妹は言ったんです」

 

 ―――――お兄ちゃんばっかりずるいよ。

 

「最初は何のことか分かりませんでした。小町はそれだけしか言いませんでしたから。

 ただ、しばらくして気付きました。両親が俺の世話を一生懸命してくれる中

 小町はずっと両親を見つめていました……」

「……………」

「妹は寂しかったんだと思います。俺の面倒ばかり見る両親が自分を見てくれない事が。

 もちろん二人も小町を可愛がっていましたし、小町もそれを分かっていたとは思います。

 ただ、小町にはそれでも不満だったんでしょうね……

 アスタリスク行きを子供に願っていた両親は、どうしても俺の方ばかり集中してしまう」

「……それで君はどうしたの?」

「…………願いました」

「……何を願ったの?」

「はい。小さいころの俺には、小町の悩みを解決する手段が思いつきませんでした。

 自分の星辰力を減らすことなんて出来ませんから。悩みに悩んで何も思いつかなくて

 最後はひたすら願う事しかできませんでした。こんな力なんていらないと。

 こんな力があるから妹を泣かしてしまう。だから、こんな力をなくしてくれと……

 そして夢を見ました」

「夢?」

「……何もない空間に一人漂っていたら扉が見えました。

 その後扉が閉まり、その周囲にたくさんの鎖が絡みついていきました。

 鎖が増えていくたびに自分の星辰力が減っていくのを感じて

 ……目が覚めたら星辰力は今の状態でした」

 

 話し終えた八幡は、自らの右手を陽乃の前に掲げる。

 拳を握りしめ星辰力を集中するも、今朝と同じく微弱な星辰力しか発生していない。

 

「これが俺の限界です。あの日以降、星辰力が戻ったことはありません。

 残念ながら、雪ノ下さんの期待に応える事はできません」

 

 陽乃は目の前の八幡の右手を見る。彼の言う通り、その手には微弱な星辰力しか発生していない。

 これが全力だというなら確かに低すぎる。星脈世代の中でも最弱と言ってもいいだろう。

 

 だが、それは彼の想いの強さだ。妹の為に何も出来ない自分を嘆き、何が出来ないか考え

 最終的に自らを犠牲とした証だ。そんな考えを否定する事は陽乃にはできない。

 

 陽乃は目の前にあるその右手に自らの手を伸ばす。

 そして、その手を自らの手に取りそっと両手で包み込んだ。

 

「……雪ノ下さん?」

「比企谷くん。君は凄いね」

 言われた言葉の意味が分からず戸惑う八幡。そんな彼に対して陽乃は話し続ける。

「君は妹のために全てを捨てる事ができた。それがどういう結果になるのか分かっていながら。

 そんな君を私は本当に凄いと思う」

「……俺がした事はただの自己満足です。そんな大層なものじゃありませんよ」

 陽乃は首を横に振る。

「……そんなことないよ。私は自分の事ばっかりで、君のようには出来なかった。

 雪乃ちゃんのために、そこまですることが出来なかったから……」

 

 八幡は目の前に見る雪ノ下陽乃の姿を見る。

 その複雑な表情からは妹である雪ノ下雪乃への想いが見て取れた。

 大切な妹への愛情か、それとも後悔か、あるいはその両方だろうか。

 

 ……自分に似ていると少しだけそう思った。

 

「雪ノ下さん。聞いてもいいですか?」

「……何?」

「……雪ノ下の事はどう思ってるんですか?」

「雪乃ちゃんのこと?どうしたの急に?」

「……気になったんです。あなたの雪ノ下への接し方が。家族としての愛情があるのはよく分かります。

 ただ……それ以外にも何かある気がして……」

 

 言葉では上手く表現できない何かを感じた。

 

 雪ノ下雪乃と買い物に行ったときに初めて出会った時の事。

 由比ヶ浜結衣と祭りで歩いているときに貴賓席に招待された時の事。

 そして、文化祭の準備で相模を焚き付け委員会を混沌に陥れた時の事。

 

 いずれも、雪ノ下陽乃はその時仮面を被っていた。

 八幡と雪乃の仲を取り持ち、由比ヶ浜に牽制じみた言動を言い放った。

 一見、妹を想ういい姉の様に見える。だが、文化祭ではわざと雪乃に挑発を行っている。

 

 だが、仮面を外した今の姿からはそれを後悔しているように見えた。

 

 矛盾しているのだ。

 

 妹から好かれようとしているようにも見え、同時に嫌われても構わないようにも見える。

 だが、それらの行いを後悔しているようにも見えた。

 それがどうしても気になり、八幡は問いかけたのだ。

 

「雪乃ちゃんのことか……」

 八幡の問いに陽乃は呟く。

 

「もちろん大好きだよ、家族だし大切な妹だからね。でも……」

 

 

 

「同時にとっても大嫌いだよ」

 陽乃はとてもいい笑顔で告げた。

 

「私は雪乃ちゃんが大好き。昔から私の後を付いてきて、私の真似ばかりするあの子がとても可愛かった。でも、同時に雪乃ちゃんの事が大嫌い。私と違って自由になれるのに、それを勝ち取ろうともしない。私の事が嫌いなくせに、ずっと私の真似ばっかりするのが腹立たしかった」

 

「ねぇ、比企谷くん。知ってる?愛と憎しみは表裏一体なんだよ」

 

 笑顔で告げる陽乃の言葉に嘘はないのだろう。そう八幡は感じた。

 仮面を取り外した状態で、先程までと変わらず穏やかに話していたからだ。

 

「ここまで話すのは君が初めてだよ、比企谷くん」

「……あなたが本心で話してくれるとは思いませんでした」

「そう?気付いていると思うけど、薄気味悪い仮面は外してるからね。

 全て本心で話しているよ」

「……大好きで、大嫌いですか。矛盾しているようですけど、その様子から見た感じ真実なんでしょうね。でも、雪ノ下に対して後悔しているようにも見えましたけど」

「……それは、雪乃ちゃんに対してじゃないよ」

「……え?」

 陽乃は八幡の手を放す。姿勢を正し八幡の眼を正面から見据える。

 そして……

 

「ごめんね、比企谷くん」

 雪ノ下陽乃は比企谷八幡に頭を下げた。

 いきなり頭を下げられた八幡は混乱した。あの雪ノ下陽乃が頭を下げているからだ。

 

「君の事は調べたって言ったよね。それは君の最近の状況も含めてなんだ。

 私が文化祭で余計なことをしなければ、今の君の状況はなかったはず。

 ……本当にごめんなさい。」

 深々と頭を下げたまま理由を述べる陽乃。

 理由は分かったが八幡の混乱は続いたままだ。確かにあの時の雪ノ下陽乃には違和感を感じた。

 

 相模を煽り委員会を混乱させ雪乃を挑発した。明らかにわざとである。

 だが、目の前の陽乃はその事に対して謝っている。その姿が嘘とは思えない。

 

 ならば何か狙いがあったはずだ。少し考えすぐ思いついた。

 雪ノ下陽乃が動く理由など一つしかないではないか。

 

 だが、それを聞く前にまず先にやる事がある。

 

「とりあえず頭を上げてください」

 

 魔王に頭を下げさせたままでは気分が悪い。主に精神的に。

 陽乃は頭を上げ八幡を見つめる。

 

「文化祭の事でしたら特に気にしていません。雪ノ下さんの介入があろうがなかろうが、あの結果に変わりはなかったでしょうから」

 

 雪ノ下陽乃がいてもいなくても結果に恐らく変わりはなかった。

 雪ノ下雪乃が文化祭実行委員長である自身を差し置いて委員会を仕切っていることに、相模南は不満に思っていた。本人の実力不足が一番の原因ではあるのだが。

 

 陽乃が来た事により委員会は混乱に陥いり、文化祭当日も委員長のボイコットがあった。

 だが、陽乃が来なくても恐らく相模南のボイコットはあっただろう。

 

 雪乃があくまで相模のサポートに徹していればまた別だっただろうが、相模南は最終的にボイコットしていた。早いか遅いかの違いしかなかったというのが、八幡の考えであった。

 

「……もし気にしているようでしたら、代わりに一つだけ教えてください」

 その問いに陽乃は頷く。

 

「実行委員会で雪ノ下を挑発したのはどうしてですか?あれはあまりにもあなたらしくない。あんな挑発で雪ノ下に一体………何を期待していたんですか?」

 

 あの時、陽乃は雪乃を挑発して、相模を煽り委員会を混乱させた。だが、それが最終目的ではないはずだ。八幡の考えが正しければ、妹である雪ノ下雪乃に何かを期待していたはずなのだ。

 

「………比企谷くんならいいかな」

 呟く陽乃。そして、次の放たれた言葉に八幡は驚愕する。

 

 

 

「私ね、雪ノ下家と縁を切ることにしたんだ」

 

 

「……それはどういう意味ですか?」

「そのままの意味だよ。私は雪ノ下家を継がない。雪ノ下家とは完全に縁を切るつもりだよ。今はその準備中」

 

 雪ノ下家と縁を切る。言葉でいうのは簡単だが、それが許される立場とは思えない。彼女は雪ノ下家の長女なのだから。

 だからこそ考える。雪ノ下家と縁を切る。妹である雪ノ下雪乃への介入。準備中という言葉。

それらが指し示す意味は……

 

「………雪ノ下を鍛えるためですか?今まで色々してきたのは」

「正解。さすが比企谷くん。私が離れると雪乃ちゃんが跡取りだからね。その為にも色々と準備が必要なんだよ」

「……雪ノ下の様子を見る限り、進んでいるとは思えませんが」

「………そうなんだよね~君と出会って少しは成長してるかと思ったんだけど。見通しが甘かったかな?文化祭程度の混乱は軽く収めてもらわないと困るんだよね。雪ノ下家としても、私自身の為にもね」

「……そもそもあいつ自身がどう思ってるんですか?雪ノ下家を避けているようですけど」

 

 雪ノ下雪乃は、彼女自身の望みで実家を離れ一人暮らしをしている。自身の姉や母親を苦手としている為、家を継ぎたいようには見えない。

 

「それは大丈夫。口には出さないけど、あの子は父の仕事を継ぎたがっているから」

 これは内緒ねと、陽乃は自身の口の前に人差し指を出して八幡に告げた。

 

「……雪ノ下さんは、家を離れてどうするんですか?」

「……………知りたい?」

「……まあ、少しぐらいは」

 ありきたりだよと言って彼女は答えた。

 

「強くなりたいんだ。誰よりも」

 予想外の答えだった。

 

「星脈世代なら考えたことがあるよね、比企谷くん。誰よりも強くなりたいって。

 自分の力を高め、ライバルと競い合い最強を目指す。

 その為に私はアスタリスクにいるんだから」

 

 そう言うと、陽乃はアスタリスクでの生活の話を始めた。

 主に界龍の話が多かったが、どれも興味を引く内容ばかりであった。

 

 入学初日に范星露に挑みあっけなく倒され、弟子入りしたこと。

 見た目幼女の癖にとんでもない戦闘狂だそうだ。

 一部界隈ではロリババアと呼ばれていると教えてくれた。

 

 後日、アレマ・セイヤーンと一緒に闇討ちを行ったが、やはり返り討ちにあったそうだ。

 

 武暁彗というライバルがいて、お互い切磋琢磨していること。

 寡黙な青年だがからかいがいがあるらしい。

 

 趙虎峰っていう女の子の様な男の子がいて、セシリー・ウォンと一緒に女装させて楽しんだこと。

 趙虎峰は泣いて喜んでいたそうだ。可哀そうに。

 

 セシリーとその友人である梅小路 冬香とは3人でよくショッピングに行くこと。

 とある日、女装した趙虎峰と4人でショッピングに行ったが最後までバレなかったそうだ。

 男にナンパされた彼は、その日枕を涙で濡らしたそうだ。同情を禁じ得ない。

 

 黎沈雲と黎沈華の双子の兄妹が、常に相手を見下しているのが生意気で軽くしめたこと。

 今では多少性格がましになったそうだ。魔王に目を付けられたのが運の尽きである。

 

 他にも歓楽街のカジノで、他校の冒頭の十二人と出会ったこと。

 その時、違法カジノで荒稼ぎをしているのを見られ弟子入りされたそうだ。

 お互い妹好きなので話が合うらしい。

 

 違法カジノで荒稼ぎした際、いちゃもんを付けてきたマフィアを建物ごと潰したこともあるらしい。

 そして、その騒ぎに駆け付けた警備隊の隊長と深夜の大乱闘を繰り広げたこと。

 

 とんでもない内容が混じっている気がするが、陽乃はそれらをとても楽しく語った。

 よほど学園の生活が楽しいのだろう。

 仮面を付けていない彼女の笑顔はとても魅力的で、見ていて飽きない。

 

「界龍に入って私は変わった。最強の師と出会い、ライバルにも恵まれた。雪ノ下家の長女ではなく私個人を見てくれる仲間たちもいる。とても充実した毎日を過ごすことが出来ているんだ」

 

 陽乃は八幡の前に手を差し出す。

 

「比企谷くん、界龍に来ない?君の現在の状況を作り出した原因の一人である私が言うのもなんだけど、君はここに居るべきじゃない。界龍に入れば君ならすぐに強くなれるし、星辰力に関しても星露に見てもらえば、きっと解決する。うちの学校は自らの強さを求める子たちばっかりだから、君の同級生の様なくだらない連中もいないよ………だから、私と一緒に界龍に来てほしいな」

 

 とても惹かれた。その問いにすぐ了承の返事を出そうと思ったほどに、魅力的な提案だった。

 比企谷八幡をここまで高く評価し、欲してくれる人は今までいなかった。

 

 目の前に差し出された手を見つめる。

 この手を取れば変わる事が出来るのかもしれない。あの日諦めた強さをもう一度取り戻すことが出来るのかもしれない。そして……彼女のように本物を見つける事が出来るのかもしれない。

 

 

「俺は…………」

 

 

 

 

 

 

 

 

「さぁ、小町。たくさん食べなさい」

「そうよ。他にも何か食べたいものがあったら、遠慮なく言いなさい」

「……ありがとう。お父さん、お母さん」

 

 日が沈み夜に差し掛かった頃、比企谷小町は両親と一緒にレストランで食事をしていた。

 彼女の目の前にはたくさんの料理が並べられており、一人では食べ切れないほどである。

 

「……それにしてもびっくりしたよ。合宿先まで来るなんて」

「小町のためだからな。気にしなくていいぞ」

「ふふ、小町を驚かせようと思って、お父さんと一緒に考えたのよ」

 

 合宿とは星脈世代の強化合宿の事である。

 星脈世代の合宿には大小色々あるが

 今回彼女が参加しているのは、統合企業財体の一つ銀河が主催したものだ。

 

 星脈世代の中から希望者を募り選考に掛け、合格者には合宿の参加資格が与えられる。

 参加者には銀河傘下の社員が指導してくれるという特典もあって応募にはかなりの人数が申し込んでいた。

 

 対象は主にスカウト漏れしている中から選ばれているが

 有望な人材と判断された学生には銀河が運営している学校、星導館学園からスカウトされる事もある。

 

「それより合宿の調子はどうだ、小町?」

「銀河の方が教えてくれるんですもの、小町にもきっといい経験になるはずよ」

「………うん、大変だけど頑張ってるよ」

 

「今回の合宿が終わったら、いよいよ大会も近いからな」

「そうね。この大会は日本で一番大きい大会だから、スカウトもきっとたくさん来るわ」

「じゃあ、ここで活躍すればスカウトの目に留まるかもしれないな!」

「ええ!小町には頑張ってもらわないと!」

 

 両親が楽しそうに話し合い盛り上がる中、小町は逆に気落ちしていた。

 

 今回参加した合宿もそうだが、参加を決めたのは彼女自身ではない。

 両親が彼女の知らない間に申し込み、半ば無理やり参加をさせられたからだ。

 

「小町にはいい成績を残して、アスタリスクに行ってもらわないと」

 

 それが両親の本音である。

 

 両親から愛されているのは分かる。

 だが、両親からの期待は重く小町の重荷となっていた。

 

 比企谷小町は争うのが嫌いだ。彼女は自身の身の程を弁えているつもりである。

 自身の星辰力は普通の星脈世代より上だが

 トップクラスに比べたら些細なものであるし《魔女》のような特殊能力もない。

 

「………何で私ばっかり」

 

 その呟きは互いの話に夢中な両親には届かない。

 

 兄である比企谷八幡は何もしていないのに、妹の自分だけが辛い思いをしている。

 学校が終われば武術の稽古に合宿の参加。友達と遊ぶどころか家でのんびりする時間すらない。

 そんな生活を物心ついた頃からずっと続けてきたのだ。

 

「小町ならきっとアスタリスクに行けるさ、なあ母さん」

「ええ、きっと行けるわ。期待してるわよ、小町」

「………………うん」

 

 両親の期待に応える。

 比企谷小町の道はそれしかないのだから。

 

 

 

 

 

『……それでスカウトは失敗に終わったのか、陽乃よ』

「少し考えさせてほしいと言ってたから失敗ではないね。完全に拒絶されると思ってたから。そう思えば、初回の手応えとしては上々だよ」

 

 雪ノ下陽乃は、報告のために界龍に通話をしていた。

 目の前の空間ウィンドウに見えるのは一人の童女。范星露の姿が映っている。

 

『しかし面白い小僧じゃな。比企谷八幡と申したか?星辰力を自ら封じながら、お主の星占術に気付くとは。只者ではないのう。今から会うのが楽しみじゃ。陽乃よ、必ず連れてくるのじゃぞ!』

「分かってるよ、星露。それで、彼の星辰力の事なんだけど」

『ふむ、恐らくではあるが星辰力を戻す事はできるじゃろう』

「ほんとに?」

 星露の返答に問いかける陽乃。

『うむ、他人が施した封印ならいざしれず、本人が自ら封じたのなら条件としては簡単じゃ。

 ただし、本人が強く望めばの話になるがのう』

「……やっぱりそうなっちゃうんだ」

『お主も予想できていたであろう、陽乃よ。まあ、儂が封印を解く事も出来るかもしれぬから、まずは界龍に連れてくることじゃな。儂が行ければ話は早いのじゃがのう』

「星露が動くのは統合企業財体がうるさいからね、しょうがないよ」

 

 范星露は界龍学園内から基本的に出る事はない。本人にあまり外出する気がないのもあるが、統合企業財体との契約により自由に動ける立場ではないのだ。

 

『そうじゃの。まあ、儂としては強き者は大歓迎じゃ。お主の見立ては確かじゃからのう。

 比企谷八幡が界龍に来たら儂の弟子にして鍛えねばならん。さて、どんなメニューにするかのう』

「気が早いよ、星露。でも、比企谷くんと修行するのは楽しそう。私も混ぜてね」

『勿論じゃ、お主も儂の弟子じゃからのう』

 

 八幡の様子からして後何回か接触すれば、落とせるだろうと陽乃は踏んでいた。

 陽乃は八幡を逃す気はさらさらないし、星露も八幡が学園に来たら強制的にでも弟子にするつもりだ。

 遠くない未来に起こりうる学園生活に心躍らせる二人。

 

 

 だが、万有天羅と称される范星露でも、魔王である雪ノ下陽乃でも予想できない事はある。

 

 

 両者の予想を反し、予想できない形で運命は交差し比企谷八幡と出会うことになる。

 

 

 

 そんな運命の日が訪れるのは………後数日。

 




第四話。いかがだったでしょうか?

スカウトの話と明かされる過去。
恐らく読者にとっては、情報量が多く突っ込みどころ満載な話だったでしょう。

以下、解説です。

・特待生に関して
 作者の完全な妄想です。
 各学校の校風から、こんな感じかなと想像して決めました。

・刀藤流
 皆さんご存知、あの刀藤流です。
 原作には刀藤流は支部が大量にあるとあったので、そこから採用しました。
 星脈世代の推奨プログラムという言葉で、分かった方はいたでしょうか?

・我妻 清十郎(あがずま せいじゅうろう)
 オリジナルキャラです。ただ、原作を知っている方はご存知でしょうが
 我妻は刀藤流分家の名字なのは原作通りの為、この方は分家の方です。
 ちなみに、八幡自身に宗家のあの子とは面識はありません。

・大会や合宿に関して
 これも作者の妄想です。正確には大会は原作でもあるみたいですが
 日本の大会に関しては情報はなかったはず。合宿に関しては適当に決めました。 

そして、ダイジェストでお送りした魔王はるのんの界龍学生生活。
魔王はるのんは、雪ノ下家の枷から解放されてフリーダムになっています。

その結果

・双子をしめて性格を矯正した。木派と水派のトラブルが減りました。
 虎峰のストレスは多少減りました。

・万有天羅に稽古相手が増えました。武暁彗さんも大喜びです。
 だけど、場所を選ばず仕掛けるため修繕費が増えました。
 虎峰の書類仕事が増えました。

・魔王の数々のトラブルにより虎峰のストレスは増大しました。

虎峰が苦労人がよく似合うと作者は思っています。

界龍は色々原作と異なっていますが
クロスオーバーの醍醐味は、クロス先にキャラを投じる事により変化が起こり
その変化を楽しむものだと作者は思っています。

ゆえに界龍はこの様に変化しました。ご了承ください。


さて、長々と解説しましたが次回から話は大きく動きます。
どれだけ時間が掛かるか作者にも分かりませんが、気長にお待ちください。

筆が進むときは進むけど、進まないときはホントに進まないのが難点です。

では、次回もよろしくお願いします。




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第五話 崩壊する日常

前回より少しだけ早く完成しました。

少しでも楽しんで頂ければ幸いです。



「…………またか」

 

 辺りを見渡せば一面闇の世界。その中に比企谷八幡はいた。

 まるで宇宙を漂流するかのように、ゆっくりと、ゆらゆらと、流されながら。

 

 雪ノ下陽乃にアスタリスクへ誘われてから数日が経っていた。

 最後に会ったその日、眠りにつくとそれは始まった。

 

 ―――――――あの日と同じ現象が

 

 少し離れた先に見える大きな扉。そして扉に絡まる大量の鎖。ここまでは幼少時と一緒だ。

 だが、よく見ると異なる所が幾つもある。

 

 まず、扉が大きさがかなり変わっている所だ。幼少の頃より大きさが大きくなっており、見た感じ3倍ほどの大きさに変化している。それに対して、鎖の太さは細くなり量も少し減っているように感じた。

 

 そして一番の違いは両者の色だ。扉の色は完全に黒に染まり、鎖も半分以上が同じく黒に染まっている。

 あの日の記憶が正しければ両者の色に黒は交じっていなかったはずだ。

 

「………また増えてるな」

 

 この現象が起こって数日。その様子を見ていた八幡はある変化に気付いていた。

 それは、鎖の色に黒の比率が増している事だ。毎日徐々に、だが確実に黒の比率が多くなっている。

 

 このまま浸食が進めばどうなるかは分からない。もし扉が開けば星辰力が戻るかもしれない。

 だけどあの黒に染まった扉と鎖を見ると、とても嫌な予感がする。

 

「……俺は望んでいるのか?星辰力が戻るのを」

 

 あの日、妹の為に星辰力を捨てた。だが、雪ノ下陽乃の誘いを受けその思いは揺らいでいる。

 

 妹の事は考えず、自らの為に生きてみてもいいのではないか?

 ろくでなしばかりの今の学校を捨て、アスタリスクに行ってもいいのではないか?

 

 あの日からずっと考え、悩みに悩み、だが結論が出せない。

 その悩みの深さに比例するかのように、黒の浸食は進んでいった。

 

 そして八幡は黒に染まる扉を見つめながら感じていた。

 

 

 残された時間は、恐らくあと僅かだ。

 

 

 

 

 

 

 目を開け顔を上げれば見慣れた教室があった。どうやら机で眠っていたようだ。

 窓の外に見える太陽の位置からすると、授業が終わってそれほど経っていないようだ。

 

「………起きた?」

 

 隣から声が聞こえそちらに視線を向ける。するとクラスメイトである川崎沙希の姿があった。

 隣の席に座りこちらを見つめている。どうやら教室内に残っている生徒は彼女だけのようだ。

 

「……川崎?何でここにいるんだ」

「何でって、いきなり失礼だね。自分のクラスに居ちゃ悪い?」

 

 八幡の質問にぶっきらぼうに答える沙希。返ってきた答えを八幡は否定する。

 

「そうじゃない。お前、帰宅部だから授業終わったらすぐ帰るじゃねぇか。何でこんな時間に残っているんだ」

「……あんたに聞きたいことがあったからね。後、なぜか伝言も頼まれたし」

 

 そう言うと彼女は八幡に問いかける。

 

「………あんた、大丈夫?大分疲れているみたいだけど」

 

 川崎沙希は比企谷八幡を心配していた。彼が文化祭と修学旅行でやらかした事は噂で知っているが、彼女はそれを気にしてない。彼の捻くれた性格を知っているので、もし彼が何かしたのなら理由があるはずだと思っているからだ。だが、ここ数日の様子が先週と比べてあまりにも違うため、それが気になりわざわざ待っていたのだ。

 

「……問題ねぇよ。特に変わらない毎日だ」

「…………そう」

 

 その答えは嘘だと感じた。

 先週と比べ、顔色が悪く口調も弱々しいその姿に説得力がなかったからだ。

 だが、本人が大丈夫と言っている以上、追及するのは憚れる。

 

「それで伝言ってなんだよ。一体誰からだ?」

「……由比ヶ浜だよ」

「由比ヶ浜?あいつが何で?」

「さぁ?私は頼まれただけだから」

 

 わざわざ他の人に伝言を残してまで、伝えたい事があるというのもおかしな話だ。

 同じクラスなのだから直接話せばいいだけなのだから。とりあえず聞いてみる事にする。

 

「……それで、あいつは何て?」

「奉仕部に今日は来るのかってさ。あんた、部活行ってないの?」

「……色々あってな」

 

 言葉を濁して話す。修学旅行以来部活に行ってないのは事実だ。

 由比ヶ浜もそれを気にしており、八幡に問いかけようとしていた。だが結局出来なかったため、伝言という手段を取ることにしたようだ。

 

「……まあ、アタシには関係ないけどさ……無理しない方がいいよ」

 

 川崎沙希はその見た目と言動から誤解されやすいが、心優しい少女だ。

 ぶっきらぼうに聞こえるその言葉からでも、相手を気遣う心は感じ取れた。

 

「じゃあ、アタシ帰るから」

 

 用は済んだとばかりに沙希は席を立ち、廊下に向かって足を進める。

 

「……川崎」

 

 立ち去ろうとしている沙希に八幡は声を掛ける。振り向く沙希に八幡は告げた。

 

「……………ありがとな」

「……別にいいよ」

 

 

 

 

 

 

 奉仕部に行くために慣れた廊下を歩いていく。修学旅行の後に訪れるのは初めてである。

 期間としてはそれほど経っていないが、随分と久しぶりに感じる。

 

 入口の扉前までやってきた。深呼吸をして呼吸を整え、部屋に入る準備をする。

 ノックをしようと手を構えた所で――――

 

「ヒッキー今日もこないね」

「……ええ、そうね」

 

 聞こえてきた声にその動きを止めた。

 

 部屋の中から聞こえてきたのは、奉仕部の部員である由比ヶ浜結衣と雪ノ下雪乃の声だ。

 八幡が動きを止めている間にも二人の話は続く。

 

「……最近、ヒッキーの悪い噂いっぱい聞こえるね」

「しょうがないわ。彼はそれだけの事をしたのだから」

「そうだよね。何であんな事したんだろう、ヒッキー」

「……知らないわ。あんな最低の告白谷君の事なんて」

「……ヒッキーこのままずっとこないのかな?」

「……その方がいいわ。彼はもうここに来ない方がいいわ。あなたもそう思わないかしら、由比ヶ浜さん」

「……………そうだね。その方がいいかもね」

「それに………」

 

 二人のやり取りに耐え切れず逃げ出した。

 

 

 

 

 

 

 いつの間にか自室に戻っていた。学校から自室に戻るまでの記憶はまったくない。

 制服姿のままベッドの上で仰向けになり、天井を見上げる。

 

「…………………」

 

 あれは本当に現実だったのか?あれは夢ではなかったのか?

 そんな思いが胸中をかすめるが、理性はそれを否定する。

 

 あれはまぎれもなく現実に起こった事だと、嫌でも理解せざるをえなかった。

 

 ふと部屋の中を見渡すと机の横にある木刀が目に入る。すると無性に体を動かしたくなった。

 ここでじっとしていると、頭がおかしくなりそうだ。

 

 

 気が付けば木刀を手に取り、外を歩いていた。

 特に考えず、気の向くまま歩いていると近くの公園が見えてくる。

 

「……久しぶりにあそこに行くか」

 

 いつもは小さい子供やその母親達がたくさんいる公園だが、今日は人が見当たらない。

 好都合だと思いさらに奥に足を進め、ほどなくして目的の場所に到着した。

 

 公園の奥の木々が生い茂った中にあるちょっとした広場。

 殆ど人が訪れないこの場所へは、幼い頃から頻繁に訪れている。

 

 一日中この場所で鍛錬をしたことがあった。嫌な事があった時に逃げ込んだこともあった。

 そして、何もない日に訪れのんびりと昼寝をしたこともあった。

 

 八幡にとっては色んな意味で思い出の場所だ。

 

 呼吸を整え木刀を構える。

 

「ふっ!!」

 

 そして何かを振り払うかのように素振りを始めた。

 

 

 

 

 

 

 一方奉仕部では。

 雪ノ下雪乃が本を読み、由比ヶ浜結衣は携帯端末をいじり、時折お互いに話をしながら時間を過ごしていた。

 

 そんな中、突如校内放送が聞こえてきた。

 

『全校生徒にお知らせします。本日のクラブ活動は中止とします。校内に残っている生徒は速やかに帰宅してください。繰り返します……』

 

「何だろう、ゆきのん?」

「……何かあったのかもしれないわね」

 

 二人が放送に疑問を感じていると、教室に近づいてくる足音が聞こえてきた。

 かなりの急ぎ足で近づいてきたそれは、入口の扉の前まで近づきノックをせずに扉を開けた。

 

「ああ、まだいたか」

「平塚先生。ノックを……」

「悪いな、それどころじゃないんだ」

 

 入ってきたのは、奉仕部の顧問の平塚静香だった。

 普段の様子とは異なりかなり慌ただしい様子だ。

 

「何かあったのですか?」

「市内の銀行で強盗が発生し立てこもっているらしい。

 犯人は、最近ニュースで話題になっていた強盗団の可能性が高いそうだ。

 先程、警察から連絡があったよ。

 緊急の職員会議の結果、校内にいる生徒は速やかに帰宅する事に決まった。

 ああ、周辺は警察によって封鎖されているが、危険な為絶対に近づかないようにとの事だ」

 

 かなりの大事であった。心当たりのある雪乃は平塚に問いかける。

 

「強盗団……星脈世代のですか?」

「ああ、そうだ。最近は関東を中心に活動していたようだが、千葉にまで来るとはな。

 まったくいい迷惑だよ」

「そうなんですか……私怖くなってきちゃったよ、ゆきのん」

「大丈夫よ、由比ヶ浜さん。例え強盗が現れたとしても私が守ってあげるわ」

 

 そう言うと、雪乃はポケットの上から煌式武装の発動体を触る。

 護身用として煌式武装を持ち歩いているので、いざとなれば惜しみもなく使用するつもりだ。

 

「……それはお勧めしないな」

「……どういう事ですか?その辺の強盗なら私一人でも十分だと思われますが」

「その辺の強盗とは訳が違うからだ。並みの相手なら君でも問題ないだろうがな。

 ……連中の中には、元冒頭の十二人(ページワン)が交じっている可能性があるそうだ」

「!!」

 

 平塚の言葉に驚の表情を見せる雪乃。そんな雪乃に結衣は質問をする。

 

「……ゆきのん、ページワンって何?」

「アスタリスクには、それぞれの学園が有する実力者を明確にするためにランキングリストが存在するわ。それが在名祭祀書(ネームド・カルツ)と呼ばれる72名の実力者よ。 

 中でも、在名祭祀書のリストの1枚目に名前が連ねられている上位12名は冒頭の十二人(ページワン)と呼ばれているの」

「詳しいな。なら分かっていると思うが、冒頭の十二人の連中は基本的に化物揃いだ。

 雪ノ下、いくら君が腕に自信を持っていたとしても、連中を相手に喧嘩は売らない方がいい」

「……分かりました。確かに冒頭の十二人相手では分が悪そうです」

 

 平塚の忠告に頷く雪乃。

 雪乃は自身が優れた星脈世代と思っているが、冒頭の十二人相手に勝てるとは言えなかった。

 理由は、彼女自身の姉が冒頭の十二人の一人の為、その強さを知っていたからだ。

 

「とりあえず要件は伝えた。私はまだ校内に残っている生徒を探さなければいかん。

 君たちはすぐに帰るんだぞ」

 

 そう二人に告げると平塚は教室を出て行った。

 

「帰りましょうか、由比ヶ浜さん」

「……うん、そうだね」

 

 

 

 部活を中断して帰宅することになった。教室を出て外へ向かう。

 下駄箱で靴を履き替え外へ出ると、校内放送を聞いてであろう生徒達が続々と帰宅しようとしていた。

 

「銀行強盗ってマジ?場所どこよ?」

「ほら、街外れの銀行だってよ」

「あそこか。って俺の家の近くじゃねぇか!家帰れるか?」

「そりゃご愁傷様。とりあえず俺んち来いよ」

「そうさせてもらうわ。お、ちょい待ち」

「どした?」

「……ダチが銀行の近くにいるってさ。強盗が入る直前に銀行から出て助かったって言ってる。」

「そりゃ運がいいな。で、今銀行前どんな感じよ」

「……周囲を警察が完全に取り囲んでるみたいだぜ。警察だらけで近づけないって言ってる」

「そりゃそうだろ」

「お、警察が来る前の銀行の様子を動画で上げたってさ。アドレス載ってる」

「見てみようぜ」

 

 周りの生徒は銀行強盗の話でもちきりだった。

 そんな周囲の喧騒に耳を傾けながら、二人は校門へ向かって歩みを進めていた。

 

 やがて校門を通り過ぎると周辺に多くの車が止まっていた。校門を出た生徒が車に向かって行き、乗り込んでいく姿が見える。どうやら生徒の保護者達が迎えに来ているようだ。

 

 そんな様子を見ていた雪乃だが、その中で一際大きい車の姿が視界の端に写った気がした。

 確かめようとそちらに視線を向ける前に

 

「お嬢様……」

 

 雪ノ下家の執事 都築に声を掛けられた。

 

「都築?どうしてここに?」

「奥様がお呼びです。本日はご実家にお戻りなられるようにとの事です」

「……何故?特に帰る用事はないのだけれど」

「……件の強盗騒ぎで奥様もお嬢様を心配しております。なにとぞ、お戻りになられるようお願いします」

 

 そう言うと頭を下げ雪乃に実家に戻るよう頼みこむ。

 そんな都築の様子に雪乃は軽く溜息をこぼす。

 

「……分かったわ。ただし、由比ヶ浜さんを先に送ってちょうだい。いいわね」

「かしこまりました。では、雪乃お嬢様、由比ヶ浜様。お車へどうぞ」

 

 雪乃から了承の返事をもらい、都築は車の後部座席の扉を開ける。

 中に入るよう促され結衣が先に車に入り、後を追うように雪乃も乗り込んで行く。

 二人が車に入り扉が閉まる瞬間……

 

 

「……これ、小さい女の子が人質になってないか?」

 

 

 そんな声が聞こえた気がした。

 

 

 

 

 

「ごめんね、ゆきのん。わざわざ送ってもらっちゃって」

「いいのよ由比ヶ浜さん。どうせついでなのだから」

 

 二人を乗せ車は走り出した。普段なら車が多く走る時間帯だが、周囲の車は普段より少ない。

 総武中付近は迎えの車で溢れていたが、しばらくすると車はほとんど走っておらず、周りを歩いている人も少なくなっていった。銀行強盗の影響で出歩く人が減っているためと思われる。

 

「……銀行強盗が星脈世代なのはホントなのかな?」

「恐らく本当でしょうね。先生も言っていたし、嘘をつく理由はないわ」

「……そっか。最近、星脈世代のそういう事件がよく報道されているからさ……やだな、そういうの」

 

 由比ヶ浜結衣も星脈世代だ。自分と同じ存在が凶悪な事件を起こしたとなると、どうしても気になってしまう。

 

「気にする事ないわ。星脈世代自体が起こしている事件の件数は、非星脈世代に比べれば圧倒的に少ないわ。マスコミが過剰に星脈世代を叩いているだけよ」

 

 だが、雪ノ下雪乃は揺るがない。

 

「由比ヶ浜さん。私たちは選ばれた存在よ。星脈世代が一つ事件を起こす度に、マスコミは過剰に報道して徹底的に叩くわ。それはなぜだと思う?非星脈世代が星脈世代に嫉妬しているのよ。人を超えた力を持っている私たちにね。だから、それらを一々気にしてもしょうがないわ」

「そう……なのかな?」

「そうよ」

「……うん、そうだね。気にしすぎてもしょうないよね」

 

 断言する雪乃。その堂々とした姿を見て励まされた結衣も元気を取り戻す。

 

 その後も雑談を続け、車が結衣の家の付近に近付いて来た辺りで

 

「……都築、止めて!」

 

 突如、雪乃が車を止めるように指示を出す。突然の指示に慌てる事はなく都築は車を止める。

 そして、車が止まると雪乃は外へ出て呼びかけた。

 

「小町さん!」

「……雪乃さん?」

 

 声を掛けた先には、比企谷八幡の妹 比企谷小町が佇んでいた。

 

 

 

 

 

 

 流れるように放たれた一撃が、闇夜の虚空に放たれ半円の軌跡を描く。そして振り放たれた木刀は止まることなく、次の連撃へと続いていく。

 

 最初は素振りだけであったが、500を超えた段階で素振りだけでは収まらなくなった。気付けば幼い頃に習った剣術の型へと自然と体が動いていく。鍛錬をするのは久しぶりだ。体が悲鳴を挙げているのは感じ取れたが、それでも止まる様子はない。

 

 ――――やはり俺は剣が好きなんだな。

 

 刀藤流の剣は宗家と分家では異なる点が存在する。

 基本の鍛錬は一緒だが到達する奥義が異なる為、使い手もまたそれらに特化した動きになる傾向が強い。

 

 鋭い太刀筋からの連続攻撃を主とする宗家の剣は、奥義もまたそれを極めた先にある。

 対して八幡が習得した分家の剣は……

 

 八幡の動きが止まる。腰を落とし上半身はやや前傾に、だが視線は真っすぐに向けたまま。左手に木刀を持ち、刀を鞘に納めたかのように腰の辺りに持っていく。右手は力を抜き木刀の前方少し下に置かれた。

 

 居合の構えだ。

 

「ふぅぅぅ~~」

 

 息を吐き集中力を上げる。目の前に架空の標的をイメージし視線を鋭くする。

 

 そして――――――

 

 

 放たれた一閃がイメージの相手を両断した。

 

 

 

 

 

 

「……体が鈍ってるな。それに反応が遅い……これじゃあ先生に叱られるな」

 

 鍛錬を終え一息つく八幡。久方ぶりの鍛錬は体に堪えたのか体中が悲鳴を挙げている。

 だが、その痛みも悪いものではなく心地よい気分にさせてくれる。

 

 呼吸を整え、タオルで汗をぬぐう。夜の風に身を任せていると遠くからパトカーの音が聞こえてきた。それもかなりの数だ。ここまで大量の数は聞き覚えがない。

 

「……何かあったのか?」

 

 疑問に思いながら公園の出口に向かう。

 月明りと公園の外灯が照らす園内を歩き、出口が見えてくると同時に人の姿が見えてくる。

 

「……小町か?」

 

 見えたのは妹の比企谷小町だった。公園の出口に一人立っているのが見える。

 何事かと思い小走りに駆け寄り声を掛ける。

 

「小町?」

「……………」

 

 問い掛けるも返事がない。

 

「……小町……どうした?」

「………………」

 

 再度呼びかけるも何も反応しない。下を向き俯いたまま動きみせる様子すら見せない。

 様子がおかしい事に気付いた八幡は、小町に触れようと手を伸ばし……

 

 

 無情にもその手を振り払われた。

 

 

「……こま……ち?」

 

 振り払われた手を呆然と見つめる八幡。

 その言葉に反応し、比企谷小町はゆっくりと顔を上げ……

 

「……いいご身分だよね。ごみいちゃん」

 

 憎悪の瞳で八幡を見つめてきた。

 

 

「雪乃さんと結衣さんに聞いたよ。ごみいちゃんがやってきた事。ごみいちゃんみたいな人と仲良くしくれた二人を裏切るようなまねをするなんて最低だよ!!」

 

 比企谷小町は怒っていた。捻くれて腐った目をしていた兄。そのせいか、友達の一人もいなかった兄に初めて仲間が出来た。複雑な気持ちであったがそれは嬉しい事だったのだ。

 

 ―――――だが、この兄はそんな二人の気持ちを裏切った。

 

 

 兄の手に持っている木刀が目に入る。

 その瞬間、憎悪の彩られた瞳がさらに禍々しくなった。

 

「……その木刀……やっぱりそうなんだね?」

 

 比企谷小町は自らの懐に手をやり何かを取り出そうとした。

 そして目的の物を手にとり……

 

「これは何さ!!!」

 

 地面に叩きつけた。

 

「それは……」

 

 雪ノ下陽乃から預かった推薦状が目の前にあった。

 

「……何でお兄ちゃんに推薦状が来るの?」

「小町……」

「私は頑張ってきたよ。お父さんとお母さんの言う事を聞いて、一生懸命……頑張ってきたんだよ?」

「小町、話を聞いてくれ!」

「小さい頃から自由がなかった。学校で友達が出来ても、放課後一緒に遊べなくて結局離れていっちゃった。学校が終わったら勉強と鍛錬でずっとずっと一人だった!」

 

 不満に思う事はあっても我慢はできた。両親の嬉しい顔が見たかったから、子供なりに一生懸命頑張ってこれたのだ。

 

 先日まで行われた合宿ではいい成績を上げる事ができず、両親の期待に応える事が出来なかった。

 

 失意の中、彼女の前に雪乃と結衣の二人が現れた。兄の近況を聞き怒った彼女は、兄を問い詰めるために部屋に向かい、そして推薦状見つけて彼女の心は絶望に叩き落された。

 

「私のやってきた事って無意味だったの!?」

 

 泣き叫ぶ彼女の体から星辰力が出始める。感情の制御が出来ていないのだろう。

 勢いよく溢れ出た星辰力が衝撃の風を生み、周囲の砂をまき散らす。

 

 銃の煌式武装を手に持ち照準を兄に向ける。

 

「だから……」

 

 

 許せない。

 

 妹である自分だけに自由がない事が

 

 

 許せない。

 

 一人自由な兄の身勝手な行動が

 

 

 そして何より

 

 

 こんな八つ当たりしかできない自分が、一番許せない!

 

 

「……お兄ちゃんが推薦されるのに相応しいか、私が確かめてあげる!!」

 

 そう言い放つと、比企谷小町は比企谷八幡に襲い掛かった。

 

 




速筆スキルが欲しい今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか?

早く書くと宣言して結局この有様。

もうちょっと早く仕上げたいですが、仕事が忙しいので難しいかもしれません。
更新速度に関しては、諦めてもらった方がいいかもしれません。

アスタリスクまで後何話掛かることやら。

気付けば UA20000 お気に入り400を突破していました!

ありがとうございます。ご期待に添えるよう頑張ります。

では、次回もよろしくお願いします。


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第六話 兄妹喧嘩

明けましておめでとうございます。
頑張った結果、今回は速めに更新が出来ました。

今年もよろしくお願いします。



 それは幼い頃の出来事だった。

 

「おにいちゃ~~ん」

「どうした、小町?」

「みてみて!これ~」

 

 小町は八幡に駆け寄り手に持った物を見せる。

 

「これは……煌式武装か」

「そうだよ!おとうさんにかってもらったの!みてて!」

 

 そう言うと小町は煌式武装を発動する。

 

「……ハンドガンタイプの銃か」

「うん、わたしこれがきにいったんだ~」

 

 銃でポーズを取りながら嬉しそうにする小町。

 そんな彼女を見て八幡はある不安がよぎる。

 

「なぁ小町」

「なぁに~~?」

「……鍛錬辛くないか?お前がやりたくないのなら、お父さんには僕から言ってみるぞ?」

 

 少し前から小町が鍛錬を開始した。

 今は楽しそうにしているが、それがずっと続くかは不安が残る。

 

「だいじょうぶだよ!わたしにはもくひょうがあるんだから!」

「目標?」

「うん!おとうさんとおかあさんって、しごとからかえってくるのおそいじゃん?」

「そうだな、毎日夜遅くまで仕事をしているからな」

「だから、わたしがアスタリスクにいって、ゆうめいになって、おとうさんたちにらくをさせてあげるの!」

 

 誇らしげに語る彼女に八幡は頭を撫でてあげる。

 

「そうか、偉いな小町は」

「えへへ~」

 

 嬉しそうにする小町。そんな彼女の様子を見て八幡は決意する。

 

「……じゃあ、お兄ちゃんも小町の事を応援するぞ」

「ほんとっ!!」

「ああ、例え何があっても、何が起こっても、小町の事を応援する。だから頑張れ」

「うん!!」

 

 幼い頃に兄妹で交わした小さな約束。

 無邪気な笑顔を浮かべた妹が、両親のために頑張ると決意したあの日。

 兄は不安に思いながらも、妹を応援すると決めた。

 

 そして時は流れ……

 

 兄の懸念は的中し、妹の様子がおかしくなり始める。

 小さな大会で優勝したことが切欠で、両親の期待は圧力へと変貌した。

 圧力はプレッシャーを生み、知れず内に妹に影響を及ぼす。その結果、妹の成績は伸び悩んだ。

 そして成績の伸び悩みが両親の圧力を更に強くしていく。

 

 それでも妹は頑張った。

 勉強の時間を増やし鍛錬の密度を上げた。星脈世代のコーチの元で修行し大会にも参加し続けた。

 

 だが結果が出ない。

 

 結果が出ない事に妹は焦り、焦りは余裕なくしていく。そして余裕のなさは表情に表れるようになる。

 

 妹の顔から笑顔が消えてしまった。

 

 両親に訴えたが一蹴され相手にされなかった。

 落ちこぼれの星脈世代は彼らにとって価値がなかったのだろう。

 

 兄は後悔した。妹の代わりになりたくても変わることが出来ない。

 自らの行いのせいで妹に全責任を押し付けてしまった。

 

 だから妹に敵視されてもしょうがないと思った。それだけの事をしたのだから。

 

 だが例え妹に邪険にされようとも、嫌われようとも、兄としての行動は変わらない。

 

 

 兄が妹を守るのは当然の事だから……

 

 

 

 

 

 

「……何で?」

 

 比企谷小町は自らの内に抱いた疑問を思わず口に出す。だがその問いに答える人はいない。

 彼女自身も答えを期待しているわけではない。

 

「……何で?」

 

 再度繰り返す。目の前の光景は本当に現実なのか?

 

「……何で当たらないの!?」

 

 自らの叫びに従い引き金を引く。煌式武装の銃口から光が収束、弾丸となり撃ちだされる。

 撃ちだされた光弾は狙い通りに目標へと突き進み―――――

 

 八幡の振るう木刀により後方へ弾かれていく。

 

 幾度も撃ち放たれる弾丸が弾かれる度に、彼女の心に混乱が巻き起こる。

 ある程度予想はできていた。アスタリスクの一校から推薦状が来てるのだから、兄に実力がないわけがない。スカウトもそこまで馬鹿ではない。彼女自身もそのぐらいは理解できる。

 

 だが、一方的に百発以上撃ち続けているのに掠りもしない事実は、彼女の理解を超えていた。

 

 そしてその事実が比企谷小町に恐怖心を抱かせる。

 

 ――――やはり自分の実力は大したことがなかったのか?

 ――――それとも、目の前にいる兄はそこまで恐ろしい存在だったのか?

 

 二つの思いが彼女の心を蝕む。壊れた心がさらにかき乱される。

 

「うわぁぁぁあぁぁっっ!!」

 

 叫び声と同時に銃型の煌式武装の引き金を引く。同時に煌式武装から光輝く弾丸が発生。

 目標に向かい発射される。

 

 着弾。

 

 地面に激突した光弾が土を抉り土煙が舞う。だが目標には命中していない。

 

 ――――――だったら何度でも撃てばいい。

 

 感情の赴くまま何度も、何度でも引き金を引く。その度に光弾が発射され目標に突き進む。

 やがて目標の姿が完全に土煙に覆われ姿が見えなくなった。

 

 だがそれども止まらない。

 泣きながら、叫びながら、彼女は引き金を引き続けた。

 

「はぁっはぁっはぁっはぁっ」

 

 目を閉じ両手に持った煌式武装を下に降ろして、肩で息をする。

 感情に身を任せ撃ち続けた結果、星辰力を大量に消費してしまった。

 

 ゆっくりと目を開ける。前方は土煙が周囲を完全に覆いつくしており、中の様子は伺えない。

 一分ほど時が過ぎた。まだ土煙は晴れない。兄が動き出す様子もない。

 

「……やったの?」

 

 つぶやいた瞬間。

 

 突如、前方からの風を感じた。風は突風へと変化し土煙を吹き飛ばしていく。

 吹き飛ばされた土煙は周辺へと広がり、小町の方にも迫ってくる。

 右手を顔付近に持っていき少しでも土煙を防ぐ。

 

 突風が収まり土煙が徐々に晴れていく。右手を降ろし前方へと視界を移す。

 

 そこに見えたのは―――

 

 無傷の兄がこちらを見つめていた。

 

 

 

 

 

 

「長くは持たないな……」

 

 自らの周囲が土煙が立ち込める中、比企谷八幡は今の状態を分析する。

 妹の攻撃を防ぎ続けてはいるものの、そこまで余裕があるわけではない。

 

 右手に持った木刀を見ればそれは一目瞭然だ。

 

 柄から上の部分はヒビだらけになっており、辛うじて原型を保っている状態だ。

 後何発耐えられるかどうか分からない。手持ちの武器が無くなる前に打開策を考えなければならない。

 妹の状態はおおよそ予想が出来ている。

 精神的に追い詰められた事により、ストレスが限界を超え錯乱状態になっている。

 

 あの時もそうだった。

 

 ―――――おにいちゃんばっかりずるいよ。

 

 ズキリと心が痛む音がする。過去と同じ過ちを繰り返しているのかと心の中で自問自答しそうになるが、それを無視する。後悔など妹を助けてからいくらでもすればいい。

 

 あの時と同じく錯乱状態になっているなら同様の対処をすればいい。が、現状ではそれも難しい。ここから妹がいる場所まで距離は約10m。距離を詰めれば詰めるほど迎撃するのが難しくなる中、接近するのは容易ではない。

 

「……どうする?」

 

 焦りが声に出る。

 妹の精神状態、木刀の破損具合。そして何より―――――

 

「くっぅぅ!!」

 

 先程から、星辰力を使用する度に胸の中で蠢くものを感じる。

 何かが飛び出してくるのを奥歯を噛みしめ、必死に堪える。

 

 時間がない。この何かが出てくれば全てが終わる。

 そんな確信めいた予感が止まらない。

 

 手に持った木刀を見る。幼少の頃からの相棒はヒビだらけで今にも崩れ落ちそうな姿だ。

 

「すまない……もう少しだけ持ってくれ……」

 

 八幡は懇願するように木刀を見続け……

 

 ――――ある一つの光景が脳裏をよぎる。

 

 刀を持ち向かい合う自分と師匠の姿。

 正眼に構える自分。

 居合の構えをする師匠。

 

 そして――――

 

「懐かしいな……だがあれは……」

 

 苦笑し呟く。その後一瞬だけ逡巡するもすぐに決断する。

 残された時間は少ない。ならば。

 

「……やるしかないか」

 

 残り少ない星辰力を解放。全身に流れるように、次は木刀に星辰力を注ぎ込んでいく。

 木刀を真横に振る。振り払われた一撃は強烈な風を生み、土煙を吹き飛ばしていく。

 妹が驚愕の表情でこちらを見ているのが確認できた。

 

「先生……師匠……俺に力を貸してください」

 

 呼吸を整え全身の力を抜いていく。

 二人の師を思い出しながら居合の構えを取る。

 

 そしてつぶやく。

 

「刀藤流 抜刀術―――”折り羽”」

 

 

 

 

 

 

 八幡の姿が見えた時、比企谷小町の心は恐怖の感情のみが支配していた。

 その感情が次第に表面化し自然と身体が震えだす。特に煌式武装を持つ両腕の震えは酷く、照準がろくに定まらない。それでも何とか照準を八幡に向け――――

 

 ―――その八幡がいきなり真横から現れる。

 

「……え、何で!?」

 

 声を出すのが精一杯だった。突如現れた八幡に反応が遅れ真横からの接近を許す。

 そして、そのまま振るわれた木刀の一撃をその身に受ける―――

 

 ―――直前にその姿が霞の如く消える。

 

 理解不能の事態に思考が停止。だが小町の身体は遅れながらも反応し動いていた。

 揺れ動く身体を制御し視線を周囲にめぐらす。そして八幡の姿を発見し彼女は驚愕する。

 

 ―――比企谷八幡は居合の構えのまま動いてすらいなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

「―――参る」

 

 星辰力を足に集中し駆け出した。

 

 刀藤流 抜刀術 折り羽

 

 刀藤流の本質は目線や呼吸、予備動作や仕草によって相手を誘導することにある。

 それを突き詰めたのが刀藤流の抜刀術―――抜いていないのに抜いたように思わせる虚像の剣だ。

 

 折り羽は自らの剣気を相手に飛ばし幻影を見せることで、相手の反応を誘い隙を作る技だ。

 さらに幻影に相手を攻撃させることで幻痛を引き起こし、強制的に動きを止めることも可能だが―――妹を相手にそんな事ができるはずがない。

 

 もっとも八幡がこの技を見たのは師によって体感させられた一度だけ。もちろん成功したのは初めてだ。その事に安堵しつつ妹に向かって進む。

 

 10mある両者の距離を詰めていく。だが星辰力が不足しスピードが出ないため予想以上に遅い。

 小町の視線がこちらを捉える。このチャンスを逃せば次はない。覚悟を決め速度を上げる。

 

 残り距離は―――あと半分。

 

 残り5m。

 小町の照準が再度こちらに向けられ発砲、乱射される。

 

 残り4m。

 目の動きと銃口の位置から射線を読み、射線上を木刀でガード。光弾を弾くも木刀の亀裂が深まる。

 

 残り3m。

 再度光弾を防ぐもその衝撃で木刀が砕け散る。次弾がすぐ目の前まで迫る。

 

 残り2m。

 首をそらして辛うじて回避するも体勢を崩す。次の弾は避けられない。次弾を予測し星辰力をピンポイントで集中する。

 

 残り1m。

 予想した場所に弾丸が直撃。防ぎきれずに苦悶の表情を浮かべる。だが痛みを無視し直進する。

 

 そして妹の傍にたどり着く。恐怖し怯える妹に手を伸ばし―――

 

 

 ―――その身体を抱きしめた。

 

 

 

 

 

「…………え?」

 

 予想外の出来事に比企谷小町はその動きを完全に止めた。

 そして自らの状態に気付く。今、自分は兄に抱きしめられていると。

 それに気付いた小町は八幡から離れようとするも……

 

「なん……で……?」

 

 背中に回されている兄の手の力はとても弱い。離れようと思えばすぐ離れられるはずだ。だが身体が動かない。戸惑いと困惑が起こる彼女の心に生まれたのは二つの思いだった。

 

 ―――なぜ自分は攻撃されていないのか?

 ―――なぜ自分はこんなにも安堵しているのだろうか?

 

 自らの胸の内に生まれる混乱をよそに、目の前の兄が口を開く。

 

「ごめんな……小町」

「……………なに……が?」

「お前が怒っている事……奉仕部の事……全てだ」

「……それ……は」

 

 ―――違う

 

「お前が苦しんでいるのは知っていた。だが俺は何もできなかった」

 

 ―――そうじゃない

 

「あいつらの事もそうだ。俺の身勝手な行動があいつらを失望させたんだ」

 

 ―――悪いのは

 

「……全部俺が悪いんだ」

 

 ―――全部自分なんだ!

 

「違うよ!!」

 

 気付けば叫んでいた。

 

「私が……私が悪いの!」

 

 本当は分かっていた。

 

「私が弱いのが悪いんだ……お父さんとお母さんの期待に応えたくて……でもそれができない自分が……情けなくて……」

 

 兄は何も悪くない。

 

「雪乃さんたちのこともそう……お兄ちゃんがあの二人を裏切るはずがない……何か理由があるって分かってたはずなのに……」

 

 だが止められなかった。

 

「だから……だから……」

 

 涙が溢れ言葉が途切れる。伝えたいことはたくさんあるはずなのに言葉が出てこない。

 そんな小町に八幡は抱きしめる力を強くすることで応える。

 

「もういいんだ……」

「でも……でも……」

「分かってる……だから大丈夫だ」

 

 ずっと一緒に過ごしてきた妹だ。何も言わなくても察することはできる。

 言葉はなくても想いを伝えることはできるのだ。

 そんな八幡に甘えるように小町は兄の胸で泣き続けた。

 

 

 

 かくして兄妹喧嘩は終わりを告げる。

 

 

 両者のわだかまりはなくなり無事に解決を迎えた

 

 

 

 ――――はずだった。

 

 

 

 

 

「……くぅぅううっっ!」

「……おにい……ちゃん?」

 

 突如八幡が苦しみだした。小町を抱きしめていた手を放し自らの胸を抱くようにして蹲る。

 

「……小町……離れろ……」

「え、でも!」

「いいから離れろ!!」

 

 八幡が小町を突き飛ばす。

 突き飛ばされた小町が八幡から離れた瞬間―――

 

 比企谷八幡の身体から膨大な星辰力と……黒い何かが溢れ出す。

 溢れ出た星辰力が巨大な柱となり闇夜の空へと立ち上がっていく。

 それと同時に星辰力を犯すように黒い何かが浸食を開始。八幡を中心として周囲に溢れ出ていく。

 

「お兄ちゃん!」

 

 兄の異変に小町が駆け寄るが近づけない。黒い何かが壁となり行く手を阻む。

 

「お兄ちゃん!しっかりして!!」

 

 それでも諦めない。目の前の壁を叩きながら兄に呼びかける。

 だが―――

 

「きゃあぁぁ!!」

 

 その呼び声を拒絶するかのように目の前の壁が形を変える。圧縮され黒い塊となり小町へと襲い掛かる。かろうじて星辰力で黒い塊を防ぐも衝撃までは防げない。衝撃が小町を吹き飛ばし、彼女の身体が地面を何度も跳ね、転がっていく。

 

 そして比企谷八幡が起き上がる。

 

「……う……うぅ……うっぅ……」

 

 呻き声を上げる小町。吹き飛ばされた時の打ち所が悪かったのか、起き上がることができない。

 何とか薄目を開け視線を上げ兄を見て―――朦朧とした意識の中、彼女は気付く。

 

 兄に覆われたものが――――闇であることに。

 そして闇に覆われた兄の状態が理性をなくし正気でないことに。

 

「……おに……い……ちゃ……ん」

 

 薄れゆく意識の中で、比企谷小町が最後に見たものは……

 

 ―――こちらに歩み寄り自身を見下ろし

 

 ―――右手に黒い刀のようなものを掲げ

 

 ―――それを振り下ろす兄の姿だった

 

 

 

 

 

 

 雪ノ下陽乃にとって実家とは安らげる場所ではない。

 総武市に戻ってから母親の意向により実家に住んではいるものの、その気持ちは強くなるばかりだ。今日の夕食は久しぶりに母娘三人の食事だったのだが……

 

「……美味しくなかったな」

 

 自室のベッドに寝転がり、陽乃はつぶやいた。

 元々会話が多い母娘ではない。妹の雪ノ下雪乃も自分も母親が苦手であり、積極的に話しかけることはない。必然と母親から話を振られることになる。

 

「……本当にあの人は家のことばっかり」

 

 自身の母親の変わらなさに失望する。

 雪ノ下家は統合企業財体である『銀河』の下部組織の一つだ。

 国家が衰退したことで企業の連合体、統合企業財体が台頭しているこの世の中では、当然企業の考えが時代の風潮となる。結果、企業の営利主義的な考えが重視される。そして自身の母親もその影響に染まりきっている。

 

 妹の雪ノ下雪乃が食事の席から退席した後、母親から言われたことを思い出す。

 

 ――――なぜ星導館ではなく界龍に行ったのですか?

 ――――界龍を辞めてこちらに戻ってきなさい。

 ――――范星露ですか……あのような化物と付き合うのはやめなさい。

 

 今の自分は界龍第七学院の一員だ。

 そのことに誇りを持っているし、自身の師を馬鹿にされて怒らないほど雪ノ下陽乃は腐っていない。結果、口論による大喧嘩が発生した。

 母親にあれほど逆らったのは初めてだったが……悪い気分はしなかった。

 自身の変化に戸惑いつつも、嬉しく思っていたその時だった。

 

「……!!何、この星辰力!」

 

 遠くで放たれた膨大な星辰力を感じ取りベッドから飛び起きる。

 急いで窓を開けその身を乗り出し、周囲を見渡して方向と距離を確認する。かなり遠くだ。

 アスタリスク以外でこれほどの星辰力を感じたのは初めてだ。

 

 通常の星脈世代も自身以外の星辰力を感じ取れるが、その範囲は狭い。

 この距離で気付けたのは、雪ノ下陽乃が優秀であることに他ならない。

 

「……行ってみるか」

 

 すぐに決断した。自身の星辰力を最小限解放し窓から飛び降りる。音を立てずに着地。

 そして家の誰にも気付かれる事なく雪ノ下陽乃は走り出した。

 

 

 

 

 

 

「……何を……何をやっている……俺は!?」

 

 八幡が振り下ろした黒い刀は小町を避け、すぐ傍の地面に刺さっていた。

 彼が理性を取り戻したのは、自身の右手が刀を持ち妹に向かって振り下ろす直前だった。

 考えるより速く、左手で右手を押さえ強制的に刀の軌道を修正したため、何とか事なきを得た。

 だが、あと少し遅ければ妹を殺していた。八幡はその事実に愕然とする。

 

「……これは星辰力?……それに……この黒い刀は一体何だ?」

 

 そこでようやく自身の状態に気付く。膨大な星辰力を身に纏い、右手に黒に染まった刀らしきものを持っていた。だが彼に心当たりはない。

 手持ちに持っていた武器は木刀のみであり、その木刀もさきほど柄の部分を残して砕け散ってしまった。右手に掴んだ刀らしき物から手を離す。すると、八幡の手を離れた刀は最初から無かったかのように黒い光の粒子となって消える。その現象に一つだけ心当たりがあった。

 

「……《魔術師(ダンテ)》の能力か」

 

 《魔術師(ダンテ)》

 星脈世代の中でも数少ない、生身で万応素とリンクできる異能者である。女性ならば《魔女(ストレガ)》、男性ならば《魔術師(ダンテ)》と呼ばれている。

 

 そんな知識が頭をよぎるが彼に心当たりはない。自身は星脈世代ではあったが魔術師ではない。少なくとも幼い頃はそうだった。

 

「……小町……くっぅぅう!!」

 

 目の前に横たわる妹の状態を確認をしようと顔を見た瞬間、再び能力が暴れだす。

 能力が星辰力を犯し塗りつぶしていく。そして妹への殺意が湧き理性が削り取られる。妹から視線を逸らし必死に殺意を抑え込む。

 

「……ぅ………うぅ……」

 

 そこで小町の呻き声が聞こえてきた。どうやら息はあるようだ。詳しく確認をしたいがそれはできない。ここにいれば妹を確実に殺してしまう。

 

「……小町……すまない」

 

 後ろ髪ひかれる思いで妹に背を向け、立ち去る事しかできなかった。

 

 

 

 

 

「……これで……いいか」

 

 八幡は路上の壁に背を預け、携帯端末を操作する。

 妹から逃げるように立ち去り、しばらくした後、救急車を呼ぶことを思いつき電話を掛けた。

 人の顔を見るとどうなるか分からない為、音声ONLYで場所を伝えた。少なくともこれで妹は大丈夫のはずだ。

 

「……しかし……人が……いないな……何か……あったのか?」

 

 夢中で歩いているときには気付く余裕がなかったが、周りを見渡しても人が一人もいない。

 おかしくは思ったが自身には好都合だった。

 目視できるほどの圧縮された莫大な星辰力を纏い、能力まで発動している今の状態を見られれば、確実に警察を呼ばれてしまう。

 

「……何だ……メールか?」

 

 そこで自身にメールが届いているのを気付く。空間ウィンドウを開きメールを確認する。

 

「……銀行強盗……そういう……ことか」

 

 届いたのは、総武中からの全生徒に対してのメールだった。

 市内の銀行に強盗が入っているとの事だ。街の様子がおかしいことに納得がいった。

 

「……これは……動画か」

 

 そこで幾つか浮かんでいたウィンドウの中に一つの動画を見つける。

 タイトルからすると、今起こっている銀行強盗の動画の様だ。

 ウィンドウをクリックし動画を再生する。

 

 その動画は銀行の外からの建物の様子が映し出されていた。

 

 銀行の窓から漏れる煌式武装と思われる光。建物内部から聞こえる悲鳴。

 銀行内から外へ逃げる人々。だが、強盗達に取り押さえられ建物の内部に連れ戻されていく。

 その中に一人の少女が映っている。そしてその少女を比企谷八幡はよく知っていた。

 

「……ルミ……ルミ?」

 

 夏休みに出会った少女、鶴見留美の姿がそこにあった。

 

 




第六話 兄妹喧嘩 いかがでしたでしょうか?

初の戦闘シーンという事で気合を入れました。
作者の文章力全てを注ぎ込んだつもりで書いたので、今の私にこれ以上の戦闘シーンは書けません。

少しでも楽しんでいただければいいのですが。

小町ちゃんの心の葛藤と精神の危うさ。八幡の焦りと妹を助ける決意。その辺りが伝われば作者的に成功です。

ちなみに折り羽に関しては、アニメ準拠で書いたつもりです。
……表現が微妙な気がしますが、勘弁してください。

そして最後にルミルミ登場です。セリフはまだないけど。

俺ガイル x アスタリスク小説で、殆ど見た事のない彼女を登場させる事は割と早く決まっていました。

さて、次回は銀行強盗のお話です。
今回のお話で急展開を迎えましたが、次回以降はさらに荒れる予定です。色々と……

そして次回更新は確実に遅れます。
気分的にようやく正月を迎えた気がしますので、作者はこれから幻想郷に不思議を探しに行きます。

……元ネタ分かる人いるかな?

では、次回もよろしくお願いします。


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第七話 長い夜の始まり

お久しぶりです。
長い間お待たせしました。続きをお楽しみください。
誤字、脱字、感想等あれば、よろしくお願いします。



「なにこれ……」

 

 雪ノ下陽乃は目の前の惨状に言葉をなくす。

 星辰力を感知し辿り着いた先には公園があった。陽乃も何度か通りがかった事のある公園だ。

 だがその公園は元の面影をなくしていた。

 

 入り口周辺は破壊の傷跡で埋め尽くされている。道は荒れ果て、周囲に植えられていたはずの花は一本も残されていない。辺りを見渡すと前方に小さな穴が見える。穴は円状に広がり周辺の地形を完全に破壊していた。

 

 そして―――

 

「小町ちゃん!」

 

 倒れ伏している比企谷小町を発見する。

 

「小町ちゃん、しっかりして!」

「…………う……うぅ……」

 

 急いで駆け寄り声を掛ける。問いかけに反応し呻き声を上げる小町。

 陽乃は小町の身体に触れ状態を確認する。

 

「怪我は大したことないみたいだね。脈も正常だしおそらく問題はないはず……だけどいったい何が?」

 

 荒れ果てた公園に倒れている知り合い。どう考えても普通ではない。あのとき感じた星辰力が関係していることは間違いないのだろうが、近くにその気配はない。そのときだった。

 

「誰か来たね……」

 

 思考を巡らしていると近寄ってくる車の音が聞こえてきた。公園の目の前に止まった車から人が降りてくる。視線を向けると止まっていたのは救急車で、降りてきたのはその隊員のようだ。

 

 そこまで確認すると陽乃の脳裏に疑問が生まれた。

 

「……来るのが速すぎる」

 

 救急車が来たという事は誰かが通報したという事。通報から到着までの時間を逆算すると、おそらく通報があったのは巨大な星辰力を感じた直後。だが、周囲に通報したと思われる人はいない。

 それを考えると……

 

「これを引き起こした人が呼んだ?」

 

 その結論に達した。

 

「いったい誰が……」

 

 自らの知らない何かが起こってることは確実だった。

 

 

 

 

 

 

 

「少年?」

「ええ、音声だけでしたがここに少女が倒れていると通報がありまして。

 声から判断すると少年の声だったと思います」

 

 比企谷小町が搬送され、残った隊員から陽乃は事情を聞き出していた。

 分かったことは少年が音声だけで通報したことと、通報された時間がやはり巨大な星辰力を感知した直後だった事、この二つだけだった。

 

「その少年は名前を名乗らなかったんですね」

「はい。女の子が怪我をしているから救助をお願いしますと、それだけ話してすぐ通話は切られてしまいました」

「……そうですか。ありがとうございます」

 

 隊員にお礼を言いながら、陽乃はさきほどから自身の胸に沸き起こる嫌な予感が止まらなかった。

 知り合いである少女の怪我。声だけの通報。姿を見せぬ少年。バラバラのパーツが最悪の可能性を考えさせる。だがあの彼がそんな事をするはずがないと、首を振ってその考えを否定する。

 

 改めて周辺を見渡してみる。植えられていた花々は吹き飛ばされその姿を見ることは出来ない。更に周囲の木々が倒れ、地面に落ちた枯葉が絨毯を形作っていた。

 

 ふと、その枯葉の中に何かが交じっているのを見つけた。何かの人工物の様に見えたそれが気になり、陽乃は近付き手に取った。

 

「これは……木刀の破片?」

 

 手にしたのは木刀の柄の部分だった。柄より先は壊れてしまっているのか近くに見当たらない。見た感じは古いようだが、よく使いこまれているのが握った感触で分かった。

 不思議と気になった陽乃は、手に持った木刀を目の前で動かして確認する。

 

 そして、木刀の柄頭の位置で何かが刻まれているのを発見した。

 

 

 

 ひきがやはちまんと刻まれた文字を

 

 

 

「比企谷くん!!」

 

 次の瞬間、全てが繋がり予感は確信へと変化する。同時に星仙術を発動。

 

 星仙術

 界龍第七学園が開発し発達させた万応素のコントロール技術。星仙術を扱う能力者は道士と呼ばれ、魔女や魔術師が通常一つの能力に特化するが、道士は鍛錬によって広く複数の能力を使いこなすことが出来る。

 

 星仙術の応用力は広い。攻撃、防御、補助など様々な用途で使用することができる。この時使用したのは知覚の強化だ。信じ難い事だが、この公園の惨状は自身の知る彼で間違いない。だとしたら彼の状態は最悪の可能性が高い。あの巨大な星辰力が近くに感じ取れない以上、遠くにいる可能性が高い。ならば、知覚を広げそれを感知する!

 

 そしてほどなくして

 

「見つけたぁ!!」

 

 遠くの地で放たれた巨大な星辰力を掴み取った陽乃は、全開の星辰力を身に纏い飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 鶴見留美が銀行強盗の人質となって数時間が経過していた。現在、銀行の従業員と人質たちは銀行の事務所奥にまとめて隔離されていた。手は後ろ手に組まれて縄で縛られ、足も同様に縛られている。人質の中には年寄り、買い物帰りの主婦、サラリーマンなど様々な人がいたが、子供は鶴見留美だけだった。周囲が不安と絶望に押しつぶされ、この世の終わりとばかりの表情と態度を見せられていたためか、彼女自身は逆に冷静にふるまうことに成功していた。

 鶴見留美はハートの強い女の子だった。

 

「……お母さん。大丈夫かな?」

 

 鶴見留美は小さな声で呟いた。母と一緒に買い物に来ていた彼女だが、母がお金が足りない事に気付いた。ならば自分がお金をおろしてくると宣言し、銀行に一人寄った所に運悪く銀行強盗に出くわした。彼女の唯一の救いは、母がこの騒動に巻き込まれていないことだけだった。

 

 もちろん彼女自身にも不安がないと言えば嘘だ。自分がこれからどんな目に遭うかも分からないし、もしかしたら命を落とすかもしれない。母の事だ。自分の事を心配して泣いているかもしれない。大好きな母を悲しませるのは彼女にとっても嫌なことだ。

 

 そんな事を考えていると、事務所の外から荒げた声が聞こえてきた。

 

「おい、どうすんだよ、これから!もう完全に囲まれてるぞ!!」

「うるっせぇな!お前に言われなくても分かってんだよ!!」

「てめぇこそ文句ばっかり言ってないで、少しは考えろよ!!」

「なんだと、てめぇ!!」

 

 強盗達の文句と罵声が聞こえてきた。現在のこの状況は強盗達にとっても不本意な事だった。いつも通り強盗に入り素早く金を掻っ攫うつもりが、銀行員と警備員がまさかの全員星脈世代。思わぬ抵抗を見せられて時間を稼がされた結果、警察に周囲を完全に取り囲まれていた。時間の経過と共に焦り出す強盗達。

 

「……てめぇら全員落ち着け」

 

 だが、静かに放たれた一人の男の言葉に喧噪が止まる。

 

「何をそんなに慌てる必要がある?」

「ですが兄貴!サツに完全に囲まれてるこの状況はちとヤバいですぜ」

「そうですよ兄貴!奴らもどうせ全員星脈世代ですよ。この数はさすがに……」

 

 不安を口にする子分たちに兄貴と呼ばれた男は答える。

 

「……確かにこの事態は予想外だ。まさか銀行員が全員星脈世代で、しかも完全武装なんて俺も予想もできなかった。加えてサツの完全包囲ときた。お前らが不安になるのも分かる」

 

 男は子分たちの不安に同意した。彼らに表情に動揺の色が走る。

 

「だからどうした?俺がいれば何の問題もない。取り囲んでいる連中も精々二流がいい所だ。レヴォルフの序列十二位だった俺の敵じゃねぇよ」

 

 自信満々に言い放つ男。その言葉に子分たちも自信を取り戻す。

 

「おお!さすが兄貴!」

「そうだぜ、兄貴の言う通りだ!サツなんか敵じゃねぇぜ」

「やってやりましょうぜ、兄貴!!」

 

 声高々に雄たけびを上げる子分達。それに気をよくし男は話し出す。

 

「てめぇら、怪我と星辰力の調子はどうだ?」

「へい!怪我の治療も済んで星辰力のほぼ回復しました」

「よし、ならそろそろ動くとするか」

 

 銀行を襲った強盗達だが、職員の思わぬ抵抗に少なからぬ怪我と星辰力の消耗を負わせられていた。怪我の治療と星辰力の回復に今まで休息を取っていたが、時間が経ち十分に回復した。動き出しても問題ないと男は判断する。

 

「兄貴。だけど動くといってもどうすれば?」

「なに、簡単な事だ」

 

 男は軽く答えると歩き出した。そして事務所のドアを開け人質たちの前で言い放つ。

 

「こういう時は人質を使うのがお約束ってもんだろ?」

 

 男の視線は鶴見留美を捉えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「悪いな嬢ちゃん。少しばかり付き合ってもらうぜ」

 

 鶴見留美は事務所奥から一人連れ出された。手足の拘束を解かれた彼女は、目の前でにやつきながらこちら見ている、兄貴と呼ばれた男に視線を向ける。

 

「……何が目的なの?」

「さっきも言ったとおりだ。ここから脱出するから嬢ちゃんには人質になってもらう。ま、運が悪かったと思って諦めるんだな」

 

 予想通りの答えに身体が震えそうになる。だがその震えを無理やり抑え、負けるもんかと目の前の男を睨みつける。

 

「ほう、気丈な嬢ちゃんだな。気に入ったぞ」

「……あなたに気に入られても嬉しくなんかない」

「はっはっはっ。そりゃそうだ」

 

 留美の返事に嬉しそうに笑う男。笑顔のまま子分たちに向き直り言い放つ。

 

「てめぇら、ここから脱出するぞ!こちらに人質がいる以上サツどもは迂闊に攻撃できねぇ。俺が強烈な一撃を叩きこんで、奴らが混乱したらその隙に駆け出せ。街中に紛れ込めばこちらの方が機動力は上だ。星辰力の差を活かして奴らを振り切ってやれ!!」

『了解ですぜ、兄貴!』

「よし、準備ができ次第すぐにでも…………まて!」

 

 男の動きが急に止まる。上機嫌だった顔から笑みは真剣な顔つきへと変化し、銀行の外を睨みつける。

 

「ど、どうしたんですか、兄貴?」

「………………」

 

 子分の問いかけを無視し外を睨み続ける男。

 

「…………来るぞ!全員構えろ!!」

 

 男の忠告と同時だった。電灯によって明るくなっていた筈の室内は、完全な暗闇となり視界が奪われる。そして入り口周辺から轟音と何かが壊れる音が響き渡った。

 

「な、なんだ!停電か?それにこの音はなんだ!?」

「おい、何も見えねぇぞ?どうなってんだ!!」

 

 突如の事態にパニックになる部下たち。周囲は完全な暗闇で隣の仲間の姿すら確認できない状態だ。そんな中、男一人だけが冷静だった。懐から銃型煌式武装を取り出し前方に向かって構え狙いを付ける。

 

「…………そこか!」

 

 男の煌式武装から光弾が発砲。放たれた光弾が何かを直撃し暗闇が消え去っていく。

 そして視界を取り戻した鶴見留美は、目の前にいるはずのない人物を目にした。

 

「……八……幡?」

「…………………」

 

 知り合いの少年の名を呼ぶも反応しない。瞳を閉じ唯々立ち尽くすのみである。しかし、少年の身体から溢れ出る膨大な星辰力と黒い闇がその身に異変が起こっていることを表していた。

 

「………八幡……どうしたの?……いったいなにが!」

 

 留美の言葉を遮り煌式武装の光弾が八幡を直撃する。だがその光は闇に覆われた八幡には届かない。驚いた留美が隣を見てみると、男が険しい顔で八幡を睨みつけていた。

 

「……嬢ちゃんの知り合いの様だが……てめぇいったい何もんだ?」

 

 男の声に反応し瞳を開け視線を向ける八幡。その瞳は以前の腐り目とは異なり、黒く暗い色へと変化していた。……まるで少年の心の闇を表すかのように。

 

「……その瞳……以前どこかで……!」

 

 その瞳を見た男は何かを思い出そうとする。以前どこかで似たような瞳を見た気がしたからだ。そして思い出した瞬間、男に驚愕と戦慄が走る。

 

 ――――雪が降り積もった遠い異国の地

 

 ――――壊滅した研究所と一人倒れていた少女

 

 ――――溢れ出す毒素と倒れていく仲間

 

 

 あの孤毒の魔女の瞳とよく似ていた。

 

 

「てめぇら全員逃げろぉぉおぉぉ!!!」

 

 その叫び声に反応するかのように、膨れ上がった闇が襲い掛かってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 銀行内に静寂が戻ったのは僅かな時間の後だった。周辺を蹂躙した闇は八幡へと戻り再びその身体に纏わりつく。結果として銀行内の殆どの人が倒れ気絶していた。例外は二人だけだ。この状態を引き起こした比企谷八幡と強盗達の人質だった鶴見留美だけだ。しかし……

 

「……何で助けたの?」

 

 彼女は見た。闇が襲ってきた瞬間、無防備だった彼女を男が庇ったことを。そして自身の防御が疎かになり闇の直撃を受け気絶していることに。

 

 だが彼女の疑問をよそに事態は動き出す。無事だった彼女の傍に八幡が歩いてきたからだ。隣まで来た八幡は座った状態の留美を見下ろす。その瞳はやはり何も写していないかのように、彼女には感じられた。

 

「…………八幡」

 

 少年が手を振りかざす。闇が刀を形作り少年の手の中に収まる。

 

「……八幡」

 

 その刀に圧縮された星辰力の量を見て少女は思った。自身の星辰力を全て注ぎ込んでもアレは防げない。回避も防御も不可能だと悟った。

 

 

 そして少年が刀を振り下ろし………

 

 

 突風と共に現れた雪ノ下陽乃がそれを防いでいた。

 

 

「……え?」

「……やれやれ、何とか間に合ったわね」

 

 陽乃は軽く溜息を付く。状況はかなり悪いようだが最悪ではない。何とかギリギリで間に合ったようだ。

 

「あの……あなたは?」

「う~ん?あなたは……確か鶴見留美ちゃんだったかしら」

 

 八幡の資料を集めていた陽乃は少女の名前に心当たりがあった。千葉村キャンプで奉仕部が出会った少女は、少し自身の妹に似ている気がした。いきなり名を呼ばれた留美は怪訝そうな顔をする。

 

「……どうしてわたしの名前を?」

「私の名前は雪ノ下陽乃。あなたが夏のキャンプであった雪ノ下雪乃の姉よ」

「雪乃さんの……」

 

 知り合いの姉と聞かされ納得する留美。

 

「そう。さて疑問が解けた所で………比企谷くん。こんな所で何をしているのかな?」

 

 視線を後ろから目の前の人物に変更する。そして優しく問いかけた。

 

「…………………」

 

 だが返事はない。まるでこちらの声が届いていないかの反応だ。しかし彼の視線が自身の手の付近に集中しているのが陽乃には気付いた。

 

「不思議かな?こんな紙切れで君の能力を防いでいるのが」

「…………」

 

 高速で建物に突入した陽乃が目にしたものは、鶴見留美に向かって振り下ろされそうだった彼の能力だった。生身で防ぐの無理と判断し、咄嗟に手に呪符を持つことで防ぐことができた。今も呪符を右手で持ち八幡の刀を押さえつけている状態だ。

 

「さて、比企谷くん……大人しくしてもらうわよ!」

 

 陽乃の闘気に反応したのか八幡が後ろに跳躍する……ことができない。陽乃の手により彼の身体がその場で一回転。回転して無防備な背中を晒す八幡に

 

「はぁぁぁああ!!」

 

 陽乃は星辰力を込めた一撃を叩きこんだ!

 

 

 

 

 

 

 強烈な一撃により吹き飛ばされた八幡。壁に激突するも勢いを殺せず直も奥に突き進み、その姿が見えなくなった。そんな彼を一瞥し陽乃は自身の両手を軽く払う。そして留美に話しかける。

 

「留美ちゃん、大丈夫?」

「あの?雪ノ下…さん?」

「陽乃でいいわよ。で、何?」

「陽乃…さん。八幡は大丈夫でしょうか?その…凄い勢いで吹き飛ばされていきましたけど」

 

 八幡が吹き飛ばされた方向を見ながら心配する留美。彼女から見てとても無事ですむとは思えない勢いだった。

 

「心配?」

「……はい」

「……雪乃ちゃんとは少し違うわね」

「え……?」

 

 妹と似てると思ったがどうやら違うようだ。少なくとも妹の雪乃は異性の男に対してこんなに素直ではない。

 

「ううん、何でもない。比企谷くんに関しては心配は無用よ」

「でも………」

「大丈夫よ。だって………」

 

 納得できない様子の留美。だが陽乃無事を断言する。理由を述べようとした所で―――

 

 壁の向こうから飛び出してきた黒い巨大な棘を呪符を掲げて防いだ。

 

 

「比企谷くんは無傷だから」

 

 

 

 

 

 

 

 飛ばされた壁の向こうから八幡の姿が見えた。その身に纏う闇を大きくしながらゆっくりと近付いて来る。その歩みに乱れはなく先程の打撃の影響は全く見られない。

 

「留美ちゃん、立てる?」

 

 そんな彼を横目で見ながら留美に問いかける。だが……

 

「ご、ごめんなさい。足がすくんじゃって……」

 

 留美は足がすくんで動くことが出来なかった。そんな彼女対して陽乃は懐からいくつかの呪符を取り出す。そして彼女の周りに張り付け、星辰力を込め術式を起動する。

 

「こ、これは?」

「結界よ。特別製でかなり頑丈だから、しばらくそこにいてね」

 

 驚く留美を後にして歩き出す。こちらに向かう八幡の前に立ちふさがり相対する。

 

「比企谷くん。星辰力の封印、解けたんだね。おめでとう……とは言えないか」

「…………」

 

 苦笑しながら話しかける。封印が解けたことは喜ばしいが、こんな形になるとは想像もしていなかった。

 

「しかし私の見立ても中々のものね。君を推薦したのは間違いなかったわ」

「…………………」

 

 陽乃は星辰力を高めながら懐から追加の呪符を取り出す。膨大な星辰力が陽乃から立ち昇る。目の前の八幡の星辰力よりも色濃いそれは、止まることなく高まり続けていく。

 だが八幡も負けてはいない。陽乃の星辰力に触発されたのか、身に纏う星辰力と闇が増大していく。

 その様子を見て陽乃は気を引き締める。現在放たれている星辰力だけでも冒頭の十二人クラスだ。しかもまだ本気ではない。油断すればこちらが危ない。

 

「……止めるよ……絶対に」

 

 その呟きを皮切りに二人の戦いは始まった。

 

 




第七話 長い夜の始まり いかがでしたでしょうか?

銀行強盗が登場しましたがあっさりとやられました。
おそらく大半の読者の予想通りだとは思います。まあ相手が悪かったですね。

次回は八幡と陽乃の戦いです。

では、次回もよろしくお願いします。


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第八話 激闘

今回はちょっと早く完成しました。
戦闘シーンはやっぱり難しい。ちゃんと書けているか少し不安です。
誤字、脱字、感想等あれば、よろしくお願いします。



 雪ノ下陽乃 界龍第七学院 高校一年生

 中学二年の時にアスタリスクに渡り界龍第七学院中等部に入学。

 気さくな性格で面倒目もよく、本人の見目の良さも相まって学園の生徒から慕われている。

 

 入学初日に万有天羅に勝負を挑むも敗北。その後、万有天羅の弟子となる。

 優れた才能と豊富な星辰力を併せ持ち、万有天羅の元その才能を開花させる。

 

 合気道と界龍の武術を混ぜた近距離、魔女の能力を用いた中距離と遠距離、補助に星仙術を使用するなど、どれをとっても隙がなくアスタリスクの中でも有数の実力者だ。

 

 

 

 

 

 真剣な眼差しで星辰力と闘気を放つ雪ノ下陽乃と、無表情で星辰力と殺気を放つ比企谷八幡。

 二人はお互いに対峙して膨大な星辰力が放出している。その星辰力が二人の中間地点でぶつかり合い、お互いの闘気と殺気が混じり合い空気が圧力へと変貌していく。鶴見留美は見ているだけなのに押しつぶされそうな感じさえした。

 

 そんな極限状態の中、雪ノ下陽乃が動く。

 

「……行くよ」

 

 呟きと同時に陽乃の姿が消える。近くで見ていた鶴見留美にはそう見えた。一瞬の間に八幡の懐に飛び込んだ陽乃が先制の一撃を放つ。

 

「はっっ!!」

 

 その一撃に八幡は反応出来ない。無防備のままその一撃をその身に受ける。

 

「!!」

 

 だが八幡には届かない。彼の身に纏う闇が壁となり拳を受け止めていた。

 拳は闇を拒絶すかのように侵入を許さない。

 

「それなら!」

 

 一撃でダメなら連続でと言わんばかりに陽乃が攻勢を強める。左右の拳に蹴りを加え、流れるように連撃を放ち続ける。

 だが闇の障壁はそれらを全て防ぐ。攻撃した箇所に闇が集中し侵入を許すことがない。

 

「まだまだ!」

 

 しかし陽乃の攻撃が止まらない。連撃のスピードが段々速くなり、同時に八幡が後方へと徐々に押し流されていく。だがそれでも八幡には届かない。押しているのは陽乃だが闇の能力を突破できず有効打を与える事が出来ていない。

 

「はぁぁああ!!」

 

 陽乃の雄たけびと共に星辰力がさらに上昇する。上昇した星辰力を両腕に行きわたらせ八幡に向かって突貫。再び強烈な一撃が八幡を襲う。今まで以上に星辰力を集中した一撃。

 その一撃に本能で危険を感じ取ったのか八幡が後方へバックステップ。陽乃から距離を取る。そんな八幡に対して陽乃は追撃を……かけない。その場に立ち止まり攻撃的な笑みを浮かべる。

 

「なるほど……一気にいくわよ!」

 

 先程の反応から彼の防御を突破できると確信できた。なら後は攻撃あるのみ。

 再び陽乃が攻撃を仕掛けようと走り出したその直後―――

 

 

 前方から複数の黒い棘が襲い掛かってきた。

 

 

 

 

 

 

 目の前の相手が星辰力を上昇させ、猛スピードでこちらに接近しようとしている。

 現状の星辰力では不足と判断しこちらも星辰力を上昇させる。

 

 同時に能力を発動。闇を媒体に十本の棘を生成。前方の目標を視認。

 腕を振るい闇の棘を射出する。

 

 最初の五本が一直線へと突き進み目標手前の地面へと突き刺さる。こちらへの直進ルートの進路を妨害する。目標の動きが急停止。そして棘を避けるようにサイドへと進行ルートを変更する。

 その動きに合わせ闇の棘四本が左右から襲い掛かる。

 

 が、命中せず。こちらの動きが読まれていたのか、駆け寄りながら回避される。しかし、目標も体勢を崩しスピードを落とした。

 

 その隙を逃さず、直上から残り一本の棘が猛スピードで強襲した。

 だが、視線をこちらに向けたまま紙一重で回避される。

 

 目標はこちらの星辰力の動きが読めると判断する。この数では捉えられない。

 

「―――――――!」

 

 目標が何かを言っている。だがその言葉は聞こえない。聞こえていても何も感じなかっただろう。

 

 闇の棘を先程の倍の二十本生成する。全て同時に射出。上下左右あらゆる方向から目標へと向かわせる。

 

 しかし先程までの動きより数段速いため捉えきれない。特に拳に込められた星辰力の量が尋常ではない。腕を振るうたびに闇の棘を弾き飛ばし直撃を許さない。

 

 素早い動きをする目標を視線で捉える。アレは今までで二番目に強いと感じた。そこでふと思う。一番目とは誰だったかと。

 

 だがすぐにどうでもいいと思った。一番目が誰だとか、目の前のアレが誰かなどどうでもよかった。

 

 今はこの衝動の赴くままに全てを壊し、破壊尽くせばそれだけでいい!

 

「―――――――!!」

 

 目標が何かを叫びながらこちらに走りよる姿を視認。目標を迎撃する。闇の棘をさらに増やし襲い掛からせる。

 

 しかし目標の星辰力がさらに上昇する。同時にそのスピードも上がる。闇の棘を射出するも能力を置き去りにしてこちらに急速接近。近接戦闘域に間合いを侵入され再び攻撃を加えられる。それに対し右手に闇を集中。障壁を形成する。

 

 凄まじい衝撃を受け一メートルほど後退する。その勢いで更に後退しようとするも目標がそれを許さない。こちらにへばりつくかのように距離を詰めたままだ。

 

 このままでは押し負ける。

 

 

 ―――ならどうする?

 

 囁くように誰かの声がした。そのぶっきらぼうな声が誰なのかはすぐに分かった。

 

 ―――簡単な事だ。

 

 その問いに答える。その答えはひどく単純な事だから。

 

 

 

 ―――星辰力と能力を強くすればいい。

 

 

 

 そう思った瞬間、目の前の風景が切り替わる。

 

 周りの風景が一面の闇へと変化し、真っ黒に染まった扉が目の前に佇む。その扉は以前と違い少しだけ開いていた。その様子を見て勿体ないと思った。これを開ければ更なる力が手に入るというのに。扉に手を触れる。触れた瞬間すぐに分かった。この扉は簡単に開くと。

 

 ―――本当にいいのか?

 

 そこで再び声が聞こえてきた。それは最後通告だった。これを超えれば戻れなくなるという警告の意味を込めての問いかけだ。

 

 ―――関係ない。

 

 心の赴くままに応える。そう、関係ないのだ。自分が誰で今どんな状況なのかも。目の前の相手が誰で何故闘っているのかも。全てが関係ない。

 

 ―――そうだな、なら好きにすればいい。

 

 そうだ。皆が好き勝手にやってきたんだ。両親も、妹も、クラスのやつらも……誰の事だ?それに奉仕部のあいつらも……あいつらって誰だ?あの時も、その時も、全て俺が面倒事に対処してきた。その結果がどうなった?俺が、俺が、俺だけが!!

 

 ―――俺だって好き勝手やってもいいじゃないか?そうじゃないか………俺。

 ―――そうだ、好きに暴れろ!!

 

 

 扉が音を立てて開かれていく。

 

 扉の奥に見えるのは完全なる闇。

 

 ゆっくりと、ゆっくりと扉が開かれていき―――

 

 

 その途中で扉の動きが急に止まった。

 

 

 扉をよく見ると黒の鎖が数本残っている。それらが辛うじて扉の動きを止めているようだ。だが鎖はボロボロでいつ千切れるか分からない。

 

 現状、扉は完全には開かれず六割ほどの状態だが―――

 

 ―――充分だ。

 

 扉の奥から猛烈な闇が飛び出してきた!

 

 

 

 

 

 

 八幡の身体から今までとは比べ物にならないほど強烈な星辰力が放出される。そして星辰力に触発されたかのように闇もまた動く。以前よりも暗く、黒く、全てを塗りつぶすかのように闇が溢れだす。それは彼自身にも制御できないのか周辺へと広がりを始める。

 

 雪ノ下陽乃は動きを止めその様子を見つめていた。目の前の相手が星辰力と能力が強めているが、無防備の状態を晒している。攻撃をするには絶好の機会だ。しかしそれでも攻撃を仕掛ける気にはなれなかった。

 

「……比企谷くん……そこまで……辛かったの?」

 

 魔術師や魔女は星辰力を用いて能力を使用する。だがその能力は千差万別である。それは能力が使用者により異なるからだ。能力とは使用者のイメージを具現化するもので、使用者本人の心を表すものと表現してもおかしくはない。

 

 それゆえに……

 

 

 その闇は全てを拒み、否定し、拒絶しているように見えた。

 

 その闇は嘆きであり、悲鳴でもあり、慟哭のようにも感じた。

 

 

 自身がその原因の一部でもある事も自覚していた。

 

 そしてその自覚が彼女の動きを止め……

 

 

 闇の直撃を許す結果となった。

 

 

「陽乃さん!!」

 

 鶴見留美が悲鳴をあげる。闇の棘が次々と降り注ぎ雪ノ下陽乃を蹂躙していく。

 

「八幡……やめて……」

 

 その声を無視しさらに闇が降り注いでいく。十本、二十本、百本とその数と勢いは衰えない。八幡が拳を握りしめる。すると降り注いだ闇が圧縮しドーム状に姿を変えていく。やがて闇が陽乃の姿を覆い隠し完全に閉じ込める。

 

 そして……

 

 膨大な星辰力を感じた。留美が視線を八幡に向けるとその手に闇が収縮していくのが見て取れた。闇の棘とは比べ物にならないほどの星辰力量だ。

 

 闇が姿を変え巨大な一本の槍の形状を取る。八幡がその槍を手にし振りかぶった。

 その槍をどうするか?そんなものは言うまでもなく一目瞭然だ。

 

「だめぇぇぇえぇぇ!!!」

 

 彼女の叫びに応えるかのように、放たれた槍が闇のドームに突き刺さった。

 

「あ……あぁ……はる……の…さん……」

 

 呆然自失の状態で陽乃の名を呼ぶ留美。巨大な槍は闇のドームへと突き刺さり、その中がどうなっているか留美は想像したくもなかった。

 

 比企谷八幡は静かに闇のドームを見つめていた。しかし僅かな時間が経過した後に八幡が追撃のため動く。再び右手に闇を収束。闇と星辰力が槍を形成していく。次が止めの一撃なのだろう。先程よりも巨大なのが一目で分かった。

 

 そして鶴見留美がそれに気付く。

 

「だめ!だめだよ、八幡!」

 

 留美が目の前にある結界を叩く。しかし陽乃が頑丈に作ったと言った結界だ。びくともしない。しかし諦めずに叩き続ける留美。

 

「だめ!だめ!だめだめ!」

 

 巨大な槍が完成した。それに込められた星辰力がどのぐらいなのか、留美には想像すらできなかった。分かるのは、これが放たれたら自分だったら間違いなく死んでしまうことだけだ。そんな物を撃たせるわけにはいかない。

 

「八幡!お願い!お願いだから止めて!!」

 

 泣き叫びながら結界を叩き続ける。その結果が無意味だと頭で分かっていてもなお続ける。八幡が槍を手にし再び振りかぶる。

 

「陽乃さん!!」

 

 留美が悲痛の叫びを上げると同時に槍が放たれる。槍が持ち主の意志に沿い轟音をあげ突き進む。

 

 もう駄目だと留美は思ってしまった……だが

 

「大丈夫よ」

 

 前方からその声が聞こえた。同時に闇のドームと突き刺さっていた槍が全て内から吹き飛ばされる。

 中から現れたのは勿論 雪ノ下陽乃だ。迫りくる巨大な槍に対して素手で合気の構えを取り、巨大な槍を受け流すように進行方向を上へとずらし流すように動く。

 

「ふっっっ!」

 

 そして巨大な槍は進路を変え建物の天井を突き抜け、同じ上空の闇へと消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

「陽乃さん!」

 

 陽乃の姿を確認し留美は喜びの声をあげる。

 

「よかった……私……もう駄目だと思って」

「ごめんね心配かけて。でも大丈夫。この通り元気よ」

 

 視線を八幡に向けたまま陽乃が答える。彼女の言う通り外傷などは見受けられない。

 

「留美ちゃん。もう少しだけ我慢してね」

「え、あのそれはどういう?」

 

 陽乃の言葉の意味が分からず問いかける留美。それに対して陽乃は軽く答える。

 

 

「終わらせてくるから」

 

 

 そして再び比企谷八幡と対面する。

 

「比企谷くん。今のは良かったよ。相手を拘束してからの強烈な一撃。基本ではあるけれどそれ故に躱しにくい。中々いい攻撃だったよ」

 

 陽乃は八幡を手放しに称賛した。アスタリスク内においても、あれだけの一撃は中々見る事はできないからだ。

 

「……このままじゃ駄目か」

 

 陽乃は周りを見渡し何かを確認すると懐から呪符を取り出す。それを両手から投げて言葉を紡ぐ。

 

「急急如律令、勅!」

 

 その言葉により結界が発動する。発動した場所は呪符が投げられた場所、気絶した強盗達と事務所へと通じる扉だ。それらを守る様に結界が展開された。

 

 これで準備は整った。

 

「さて、これでよしと……比企谷くん、認めるよ。今の君は強い。星辰力の量も、能力の強さも、現時点ですら冒頭の十二人に確実になれるほどだよ」

 

 そして陽乃は気付いていた。今この瞬間にも八幡の星辰力が上昇し続けていることに。このまま時間が経てば何処まで強くなるか分からない。

 

「だから……」

 

 陽乃は八幡を見据えて言う。

 

 

 

「本気でいくね」

 

 

 

 次の瞬間、陽乃の星辰力が爆発的に高まる。膨大な星辰力が渦となり彼女の周辺を漂い風が衝撃波となり周辺に広がる。そして陽乃の闘気も格段に跳ね上がり重圧となって八幡を襲った。

 

 その重圧を本能で感じ取ったのか八幡が陽乃から距離を取る。下がると同時に能力発動。闇の棘が陽乃に迫る。その数、およそ五十本。

 

だが……

 

「炎よ」

 

 陽乃の一言により両者の間に紅い炎の壁が発生。闇の棘がその壁に衝突するも突破できない。炎に焼かれ溶けるように消え去っていく。

 

「無駄だね。その程度では突破できないよ」

 

 淡々と言い放つ。現状の星辰力は陽乃の方が遥かに上となっている。いくら八幡の能力が強くても、星辰力の差がある限り簡単には打ち崩せない。

 

 炎の壁を解除し八幡に向かってゆっくりと歩き始める。そんな彼女に闇の棘が再び迫る。幾重もの数が陽乃を捉えんとばかりに襲い掛かる。

 

 それに対し、陽乃はその場で立ち止まり拳を握りしめ炎を纏わせる。

 

 

 そして一閃

 

 

 拳の一振りで全ての闇の棘を吹き飛ばす。

 

 

「能力の制御がまだ甘いよ。初心者だから無理もないけど……界龍に来たら鍛えてあげるからね」

 

 陽乃が能力をさらに開放していく。彼女の手から出現した紅い炎が彼女自身の身体を包み込みその強さを増す。既に非星脈世代では近づけないほどの温度にまでなっているが、まだ止まらない。何よりも熱く、高く、激しく、そんなイメージを持って陽乃は能力を高め続ける。

 

 そして鶴見留美はある変化をその目にし、その言葉を口から溢した。

 

「……黒い……炎?」

 

 

 

 学戦都市アスタリスクには二つ名で呼ばれる人達が存在する。

 

 主に各学園の在名祭祀書 72名に入る学生に名付けられるそれは、本人の特徴で表現される事が多い。特に魔術師や魔女はそれが顕著だ。

 

 歌を媒介にすることでイメージを様々に変化させ、あらゆる事象をコントロールすることができる、クインヴェールが誇る世界の歌姫。

 

 戦律の魔女(シグルドリーヴァ) シルヴィア・リューネハイム

 

 

 無尽蔵かと思われる星辰力と瘴気を操り、前回の王竜星武祭で他者を寄せ付けず圧倒的な強さで優勝した、アスタリスク史上最強の魔女とも呼ばれる少女。

 

 孤毒の魔女(エレンシュキーガル) オーフェリア・ランドルーフェン

 

 

 任意の対象のみを切断する白濾の魔剣(レイ=グレムス)を操り、獅鷲星武祭(グリプス)二連覇を果たした若き騎士。

 

 聖騎士(ペンドラゴン) アーネスト・フェアクロフ

 

 

 様々な武術者、様々な能力者がそれぞれ異なる二つ名で呼ばれている。二つ名は強者としての証、一種のステータスのようなものだ。勿論、二つ名を持たぬ未知の強豪も存在している。

 

 

 そして……

 

 

 

 

 彼女が本気になった時、紅き炎は漆黒へと変化する。

 

 その黒き炎を目撃したら相対する者は全て焼き尽くされ、決して無事では済まないとされる。

 

 その圧倒的な強さと能力を持って、彼女はこう名付けられた。

 

 

 雪ノ下 陽乃 界龍第七学院 序列第3位

 

 

『 黒炎の魔王 』

 

 

 

「さあ、ここからが本番だよ」

 

 

 漆黒の炎を身に纏い、雪ノ下陽乃は再び駆け出した。

 

 

 




第八話 激闘 いかがでしたでしょうか?

思ったより戦闘シーンが長引いたので次話まで伸びてしまいました。
次回で決着予定です。

二つ名については少し悩みました。単純に魔王だけでも良かった気がしますが、それでは芸がない。せっかくですから魔女の能力を合わせて黒炎の魔王となりました。
……自分でも安直だと思いましたが、いい名前が思いつかなかったです。

しかし、シリアスな話をずっと書いているとほのぼのな話も書きたくなってきます。だけど俺ガイル編はシリアスばかりで、ほのぼのなんて入る余地すらない。まだしばらく我慢ですね。

では、次回もよろしくお願いします。


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第九話 戦いは終わる。されど想いは届かず

まさかの一万字オーバー。

これが私の全力全開!

誤字、脱字、感想等あれば、よろしくお願いします。



「……凄い」

 

 その光景を見て鶴見留美は一言だけ口に漏らした。

 

 ――――――圧倒的。

 それ以外に表現のしようがない強さであった。

 

 先程まで辛うじて見えていた陽乃の動きは、もう目に付くことさえ覚束ない。

 今までの動きが何だったのかというほどに、陽乃の動きは凄まじかった。

 

 比企谷八幡と雪ノ下陽乃

 

 互いが黒の色を持つ能力者同士の激突は一方的な展開を向かえていた。

 

 

 高速で移動する陽乃に八幡は完全に翻弄されている。

 強烈な打撃で真横に吹き飛ばされた八幡が何とか着地するも、直ぐに下段から上段へ繰り出される蹴りにより上空へ飛ばされる。そして次の瞬間には上空から叩き落され床へ激突。轟音が響き渡たりクレータ上の陥没を作り出した。

 

 留美の目には陽乃の動きが瞬間移動しているようにしか見えない。そして凄いのは速度だけではない。

 黒の炎による打撃の数々が八幡の闇を確実に削り取っていた。

 

 このまま行けば陽乃の勝利は間違いない……そのはずだ。

 だが留美にはある不安があった。一種の予感だったのかもしれない。

 

 ―――本当にこのまま終わるのか?

 

「八幡……陽乃さん……」

 

 鶴見留美は両者の無事を祈った。

 

 

 

 

 

 

 八幡が床に激突した衝撃で轟音が鳴り響き煙が舞う。空中からそれを見下ろした陽乃は、十枚の呪符を取り出し星仙術を発動。同時に星辰力で空中に生み出した足場を逆さの状態で蹴り付けて加速。一気に八幡へ接近する。

 

 闇が膨らみその衝撃で煙が晴れる。起き上がった八幡が上空を見上げそこで見たのは

 

 

 ―――自身に向かってくる十人の雪ノ下陽乃

 

 

 闇の一部が変化し30cmほどの闇の球体が無数に出現する。上空から向かってくる十人の陽乃に対して弾幕として発射。球体の雨を十人の陽乃が虚空を移動しながら躱していく。しかし大量の弾幕の中、全てを避けきれることは出来なかった。五人の陽乃に球体が直撃し闇に呑まれて姿を消す。

 

 残り五人

 

 弾幕を掻い潜り三人の陽乃が直上に出現。漆黒の炎を腕に纏い空中から急降下してくる。

 三人の攻撃が八幡に当たる直前に闇が反応。闇から棘がハリネズミの針の様に飛び出した。それが三人の陽乃を串刺しにして、又掻き消える。

 

 残り二人。

 

 直後、八幡の身に纏う闇の障壁に左右から衝撃が走る。

 いつの間にか地上に降り立っていた残り二人の陽乃が攻撃を仕掛け、障壁に拳がめり込んでいた。埋め込まれた拳から漆黒の炎が放たれる。闇と炎が干渉し互いに反発しあう。

 

 硬直したのは一瞬、勝ったのは……漆黒の炎。闇の障壁が消失し八幡の姿が露になる。左右から二人の陽乃が迫る。

 

 接近戦。瞬時に八幡の右手に漆黒の刀が生まれる。二人の攻撃を紙一重で躱し、すれ違いざまに一人切りつける。切りつけられた陽乃は両断され、やはり姿を消す。

 

 残り一人。

 

 最後の一人がこちらに向け再度突撃。先程までは反応出来なかったスピード。しかし連続で攻撃され続けた影響で目が慣れた。凄まじいスピードだが捉えきれないほどではない。

 

 背後に星辰力の反応を感知。振り向きざまに一閃し刀と拳がぶつかり合い……漆黒の刀が陽乃を切り捨てる。

 

 驚愕の表情を浮かべた陽乃がその場に膝をつき崩れ落ちて―――

 

 

 

 一枚の呪符を残して消え去った。

 

 

 

 

「お見事♪」

 

 真横からの称賛の声。誰かと問わずとも確認するまでもなかった。身体が反応し回避行動に移るもすべてが遅く

 

 

 ―――十一人目の雪ノ下陽乃の黒炎を纏った蹴りが比企谷八幡に直撃した。

 

 

 

 

 

 

 陽乃の蹴りにより吹き飛ばされた八幡が壁に激突し倒れ伏した。何とか起き上がろうとするも、闇が剥がされた状態での直撃は相当堪えたのだろう。足元がおぼつかず中々起き上がることが出来ない。

 それを確認した陽乃が追撃を仕掛ける。ポケットから手袋型の煌式武装を取り出し右手にはめる。

 

「煌式武装 起動」

 

 陽乃の言葉に反応しマナダイトの核が煌めく。右手に極大な星辰力が集中し黒炎と合わさり塊となる。知っている人が見ればそれをある名称で呼ぶだろう。

 

 過励万応現象―――通称 流星闘技《メテオアーツ》

 

 煌式武装に使用者の星辰力を注ぎ込むことで、一時的に煌式武装の出力を高める技だ。

 その威力は通常時の攻撃時のおよそ数倍以上。

 

 それを手に陽乃が足に星辰力を集中し―――駆ける。高速で移動し拳を振り上げ攻撃態勢に入る。それに対し起き上がれない八幡は右手を付きだして闇の障壁を展開。全星辰力を集中し、何とか耐えようとする。

 

 

 しかしそれは無意味であった。

 

 

 陽乃が闇の障壁に触れる直前に地面を殴打。同時に魔法陣が八幡の真下に出現し

 

「……ごめんね」

 

 

黒炎 葬送

 

 

 ―――黒炎の柱が天を貫いた。

 

 

 

 

 

 

 黒の炎が円柱となり天井をぶち抜き闇夜へと昇る。やがて炎は段々と小さくなり消えていき……倒れ伏す比企谷八幡の姿だけが残った。

 

「……ふぅ。やっぱりこの状態は疲れるね。燃費も悪いし」

 

 八幡の姿を確認した陽乃は自身の黒の炎を消す。黒炎の状態は通常時より遥かに強いが、その分燃費も悪い。今の陽乃では全力を出せるのは五分が限界だ。そして他のもデメリットはある。

 

「あらら、やっぱり壊れちゃった」

 

 自身の煌式武装に目を向けると、煌式武装のマナダイトがヒビだらけになっている。もう使用することはできないだろう。

 通常なら一度の流星闘技でマナダイトが壊れる事はありえない。だが陽乃にとっては慣れた事である。今まで色んな煌式武装を使用してきたが、彼女が全力を出して耐えきった煌式武装はない。それ故、彼女にとっては煌式武装は一発限りの使い捨ての物になっている。

 

「……さて、と!」

 

 倒れた八幡に対して懐から取り出した大量の呪符を投げつける。呪符が八幡の身体の全身に張り付いていき全身が呪符で包まれていく。使用したのは封印系の呪符だ。効力としてはあまり強くないが今の八幡の状態なら通用するはずだ。

 

 陽乃は八幡の元に歩き、すぐ傍まで行くと足を下ろす。そして八幡の頭をそっと撫でた。

 

「悪いようにはしないから……今は眠っていて」

 

 

 

 

 

 

 ―――完敗だな

 

「……ああ」

 

 ―――何が足りなかった?

 

「……力も、能力も、星辰力も……全てが相手の方が上だった」

 

 ―――ならどうする?

 

「……どうしようもない……これが俺の限界だ」

 

 ―――いい事を教えてやろう

 

「……何だ?」

 

 ―――能力とは意志だ。自らの思いとその意志の強さでどこまでも変化し、そして強くなる

 

「それぐらい知っている。それが何だってんだ」

 

 ―――お前は甘いんだよ

 

 漆黒の闇が広がっていく。

 

 ―――真正面から挑むなんて馬鹿のすることだ

 

 比企谷八幡に残った僅かな理性すら塗りつぶしていき

 

「……何を…言って……」

 

 ―――力が無ければ強くなればいい。能力が足りなければ増やせばいい。そして星辰力が不足しているなら……

 

「……や…め…ろ」

 

 

 ―――奪い取れ!!

 

 

 闇に堕ちた

 

 

 

 

 

 

 

 

「あああぁあぁぁっ!!」

 

 八幡の叫び声が室内に響き渡る。

 

「比企谷くん!くっ!」

 

 再び這い出た闇が呪符を全て吹き飛ばし陽乃をも飲み込もうとする。しかし紙一重の差で躱した陽乃が八幡から距離を取る。

 

「まだ動けるの!でもその星辰力じゃ大したことは出来ないよ!」

 

 陽乃の猛攻を防ぐのに八幡は星辰力を殆ど使い果たしていた。どんなに強い能力を持っていても星辰力がなければ能力を使用する事はできない。その証拠に八幡から発せられる闇はかなり小さくなっている。

 

 八幡の闇から棘が生まれる。その数はおよそ十本。先程までよりかなり少ない。陽乃が迎撃のために黒炎を再度発生し両腕に纏う。

 

 そして闇の棘が放たれ目標地点へと飛来した。

 

 

 

 ―――倒れていた銀行強盗達に

 

 

 

「……え?」

 

 闇の棘が強盗達を覆っていた結界を容易く貫き、倒れていた彼らを飲み込む。そして予想外の事態に陽乃の動きが一瞬止まり、それは起こった。

 

「ぎゃあぁぁぁああ!!」

 

 

 絶望の始まりだった。

 

 

「やめろぉぉぉ!やめてくれぇぇえ!!」

「あ……あ……ああ」

「……もう……やめ…おねが……しま……」

 

 強盗達の阿鼻叫喚の声が響きわたる。思考停止状態だった陽乃だが、彼らのボスだった男の声で正気を戻す。

 

「てめぇ……俺の……星辰力ぐぉぉぉおっぉぉ!!」

 

 星辰力、その言葉が耳に届いた陽乃は八幡と強盗達の星辰力を無意識に測り、ようやく事態を把握する。

 

 強盗達の星辰力が減り、代わりに八幡の星辰力が回復している事実を。

 

「星辰力の吸収!嘘でしょ!?」

 

 思わず叫び声を挙げる。だが無理もない。世界一能力者が集まるアスタリスクですら、そんな能力者は聞いたことがない。自らの師である万有天羅でもそんな事は不可能だ。

 

「!これ以上はさせない、炎よ!」

 

 陽乃が能力を解き放つ。狙いは強盗達と八幡の間にある闇の棘の中間地点。十人に対して十か所、ピンポイント爆撃で狙いを定め黒炎を一斉射撃。

 

 しかし

 

「弾かれた!」

 

 無情にも闇は黒炎を弾き何の効果もなかった。明らかに能力そのものが強くなっている。ならば直接叩くのみと陽乃が八幡に向かい駆け出す直前……それを見た。

 

 新たに表れた闇の棘が鶴見留美にも襲い掛かる所を。

 

 

 闇の棘が陽乃特製の結界を貫き結界が消失する。留美を守るものは何もなく闇の棘は彼女の目の前だ。瞬き一つ後には留美も闇に呑みこまれてしまうだろう。

 

 

 その時、雪ノ下陽乃の中で二つの心が同時に叫ぶ。

 

 理性は鶴見留美を助けろと叫んだ。あんな小さい子を見捨てる気かと。

 

 しかし本能は比企谷八幡を攻撃しろと叫んだ。今の八幡の能力は未知の領域だ。これ以上被害が増える前にここで止めなければと。

 

 どちらも正しく、どちらも間違っている。

 

 鶴見留美の顔が見えた。彼女の横顔は怯えると同時に覚悟を決めた表情ををしていた。闇に呑まれても彼女はきっと後悔しないだろう。

 

 

 そして陽乃は―――

 

 

 

 ―――理性を取った。

 

 

 

「留美ちゃん!!」

 

 一瞬で留美の傍まで動き両手で抱きかかえ横っ飛び。着地後周りを見渡すと、先程の闇の棘がこちらを追尾してきている。留美を抱きかかえたまま回避行動に移る。右、左、上、下と闇の棘を躱していくも、徐々に追尾する本数が増えていく。気付けば壁際に追い込まれ闇の棘に取り囲まれる。

 

「……留美ちゃん。ちょっと我慢してね」

 

 留美がこくんと頷くのを確認すると彼女を左手で抱きかかえ、右手に黒炎を発生させる。膨大な熱が発生するが留美は健気にも呻き声一つ上げない。

 

 視界いっぱいに映る闇の棘が二人に襲い掛かった。対する陽乃は右手一本でこれに応戦するも、棘を弾くのが精一杯だ。しかも棘を弾くたびに右腕から星辰力が吸われ、黒炎が少しずつ小さくなっていく。それでもさすがと言うべきか、右手一本で闇の棘を全て処理し弾き返す。しかし右腕の黒炎は殆ど残っていない。

 

 その直後、足元に黒の円模様が描かれる。嫌な予感がした陽乃は留美を抱えてその場を離脱。その瞬間、先程の円模様が膨らみ半円のドームとなった。後一瞬判断が遅れていたら飲み込まれていただろう。

 

 離脱した陽乃は周囲を取り囲む棘の一角に僅かな隙間を見つける。右腕でそれをこじ開け強引に突破し包囲網を抜け出す。

 

 

 しかしそれは罠だった。

 

 

 抜け出した直後に真横に気配を感知。回避も防御も不可能と咄嗟に判断。留美を強く抱きかかえ全星辰力を防御に集中し―――

 

「くぅぅっっ!!」

 

 さきほどの意趣返しとばかりに八幡の蹴りをその身に受けた。

 

 

 

 

 

 

 吹き飛ばされた陽乃は地面を何度もバウンドし壁に激突してそのまま倒れこむ。しかし両手に抱いていた留美は放さずに守り切った。陽乃は留美に話しかける。

 

「……留美ちゃん。大丈夫?」

「陽乃……さん……ごめんなさい」

 

 突如留美が陽乃に謝ってきた。その目に涙を溜め込み陽乃に対して許しを請うように。そんな留美に陽乃は優しく問いかける。

 

「どうして?」

「だって……だって……わたしがいるから……陽乃さんが思いっきり闘えない!……わたしの……わたしのせいで!…こんなに……けがして……」

 

 泣き出す留美。そんな留美に陽乃は優しく頭を撫でる。

 

「大丈夫、こんな怪我大した事ないわ。お姉さんはこう見えても強いんだから……比企谷くんはきっと助ける。だから信じて、ね」

 

 鶴見留美は感じた。雪ノ下陽乃は恐らく比企谷八幡に勝てないと。それは本人も理解しており、それでも尚そう言ってのけていると。だから……

 

「……うん」

「……いい子ね」

 

 鶴見留美に出来るのは信じることだけだ。

 

 

 

 

 

 

 起き上がった陽乃は、鶴見留美から離れ歩き出した。八幡の方を見ると倒れた男達から星辰力を吸収中……かと思ったがそれも終わったようだ。闇が男達から離れ八幡へと戻る。そして次の獲物、陽乃の方へと向き直った。

 

「っつぅ!!……肋骨の2,3本は逝ってるわね」

 

 脇腹を押さえながら呟く。先程喰らった蹴りによりどうやら骨折しているようだ。もう長期の戦闘には耐えられない。相手は星辰力を回復可能で、能力が一度でも直撃したらアウト。状況は圧倒的にこちらが不利だ。

 

 だが……

 

 負けられない。負けられない。

 

 自分のために涙を流す少女のためにも。相対する心優しい少年のためにも。

 

「負けるわけにはいかないのよ!!」

 

 陽乃の魂の叫び声に応え星辰力が吹き荒れる。黒炎はもう尽き、残り星辰力も少ない。その星辰力で出来る事など微々たるものだ。

 

「はぁぁぁああぁぁっ!」

 

 だからどうした!

 

 星辰力がないから仕方がない?―――違う

 

 勝てないのならそのまま屈するのか?―――違う!

 

 限界が来たからそのまま諦めるのか?―――違う!!

 

 

 

 

 ―――私は何のために力を求めたんだ?

 

 

 

 

 

 ―――私の勝ちです、陽乃。あなたは雪ノ下家の長女。私の言うことだけを聞いていればいいのです。

 

 母に敗れ、逃げ出すようにアスタリスクへと渡った。

 

 

 ―――勝負ありじゃな。入学初日に儂に挑むその心意気は大したものじゃ。中々楽しませてもらったぞ。

 

 万有天羅に挑み、なすすべもなく敗北した。

 

 

 ―――雪ノ下陽乃、貴殿は強い……だが惜しいな。

 

 一番弟子の武暁彗に敗れたときは何かを惜しまれた。

 

 

 ―――陽乃よ。一つだけ助言してやろう。お主は自身の能力を勘違いしておる。全てを焼きつくす黒き炎は確かにお主の本質じゃ。じゃがそれは一つの側面でしかない……考えよ陽乃よ。悩むのは若者の特権じゃからのう!

 

 自ら答えを見付けろと星露は言った。

 

 

 あの日以来ずっと考えてきたが答えは見つからなかった。敵対する者を焼き尽くす黒の炎。母や妹と正反対のこの能力。暴力的でただ傷つける事しかできないこの力に何の意味があるのかを。

 

 アスタリスクでの生活は楽しかった。気を許せない実家と違い仮面を被る必要はない。たくさんの仲間たちと笑い合い、競い合いながら過ごす日々は大切な宝物だ。

 

 だが、そんな日々は長く続かない。度々起こる母からの呼び出し。母の呪縛に未だ縛られている私は従うしかなかった。特定時期以外のアスタリスクからの帰省には生徒会長である星露の許可がいるのだが、彼女は笑って送り出してくれた。

 

 帰省する度に見た光景は何も変わらない。圧力をかけ実家に戻そうとする母。母のいいなりでしかない父。自由の身でありながら何の行動もせず無意味な日々を送る妹。大好きだった家族への感情は憎しみへと変わり、憎しみと比例して能力は強くなっていった。妹を後継者に仕立て上げ、縁を切ろうと思ったのはこの頃だ。

 

 そんな時、彼に出会った。

 

 比企谷八幡

 

 妹の同級生であった彼は私にとって衝撃的だった。鋭い観察力と洞察力は勿論だが、何より驚いたのは、星脈世代でありながらあり得ないほどの星辰力の低さ。興味を持った私は度々彼に接触するようにした。

 捻くれた性格も、不器用な優しさも、本人曰く腐った目も含めて気に入っていた。界龍のときとはベクトルが違うが楽しかった。

 

 そしてあの日

 

 隠形が見破られ彼の調査をして思ったのは驚きと悲しみ……危機感だった。

 

 剣術を習っていたことに驚きを、妹のために全て捨てたことに悲しみを。

 

 そして……このままでは私と同じ道を辿ることへの危機感。

 

 だから私は……

 

 

「……そっか。そうだったんだ」

 

 答えはシンプルだった。

 

「こんな簡単なことも分からなかったんだ、私」

 

 自覚すれば大したことはない。だがとても重要な事だった。

 

「私は君を……ううん、君だけじゃない。私の大切だと思った人たちを」

 

 

 ―――守りたかったんだ

 

 

 

 そして彼女は―――壁を越える。

 

 

 

「何だ。まだいけるじゃない」

 

 自身の奥底から星辰力が溢れ出るのを陽乃は感じた。今までの限界を遥かに超えどこまでも高めていけそうなほどに。能力を発動すると全身から黒い炎が沸き起こる。しかし先程までの炎とはどこか違うと陽乃は感じた。

 

「……温かい」

 

 ただ熱いだけじゃない。その炎はどこか温もりを感じ、そして強力になっている。

 右腕に黒炎を集中させる。星辰力を奪う相手に長期戦は不利だ。一気に決めなければいけない。

 

「行くわよ、比企谷くん!!」

 

 陽乃が一直線に―――飛んだ。それは一本の矢のようであった。何も考えずただ一直線に飛び、全てを置き去りにして闇の障壁へと到達する。だが、障壁に腕がめり込むもそこから先に進むことが出来ない。能力同士が干渉し合い余波が衝撃となって周りを襲う。

 

「まだまだぁぁっ!!」

 

 星辰力をさらに高め障壁を強引に突破しようとする。右腕がさらにめり込む。しかし闇に直接触れた影響で星辰力がどんどん吸収されていく。このままでは突破できない。

 

「くぅぅぅっっ!まだよ!」

 

 星辰力を全力で開放する。しかし同時に吸収され闇が膨れ上がる。

 

「私の……限界は……」

 

 右腕にさらに力を集める。星辰力だけではなく己の全てを込めて。

 闇が膨れ上がった風船のように膨張する。

 

「こんなものじゃなぁぁぁぁっっいっ!!!」

 

 

黒炎 極

 

 闇がはじけとんだ。

 

 

「もらったぁぁっっ!!」

 

 

 

 雪ノ下陽乃の全てを込めた一撃が比企谷八幡に直撃した。

 

 

 

 

 

 

 

 そして八幡の身体が溶けるように消える。

 

 

「…………やられた」

 

 悔しげに呟いた陽乃が闇に呑まれそのまま吹き飛ばされた。

 

 

 

 

 

 

 

 雪ノ下陽乃の一撃は届かなかった。渾身の一撃が捉えたのは八幡の能力で作った偽物だったのだ。陽乃は思う。自身の星仙術を能力で真似をされたのではないかと。

 

「……さすが理性の化物。我ながらいい表現をしたものだわ」

 

 闇に手足を拘束されたまま陽乃は呟く。ただ暴走してるだけなら制圧は簡単だったのだが、暴走しつつ理性的な行動を取られるのものだから厄介な事この上ない。

 

「しかし……これは……どうしたものかしら」

 

 闇に拘束された部分から自身の星辰力が吸われていくのを感じる。それはまだ予想通りだ。

 だが……

 

「……炎が出ない。星辰力吸収に加えて能力無効化とか反則でしょ、比企谷くん」

 

 拘束されてから明らかになったのが、星辰力が吸われると同時に能力が発動できなくなっていた。途中から黒炎が弾かれた理由が判明したのはいいが、現状打開する術がない。

 残り星辰力は約四割。黒炎を使えればまだ戦いようがあるが、拘束されている限り使用できない。そして黒炎なしでは脱出は難しい。

 

「くぅうぅっ!……ちょっと……不味いわね」

 

 そうしている間にも星辰力がどんどん吸われていく。しかも先程より吸われる勢いが強い。理由は推測が付く。八幡がこちらに近付いてきているからだ。どうやら距離が近いほど吸収率が高いようだ。

 

「目がかすむ……このまま気絶するわけにはいかない……どうする?……どうする?」

 

 陽乃が打開策を考えるも突破口がない。手足をもがいても拘束している闇はさらに締め付けてくる。八幡がさらに近付く。そこで焦る陽乃は自身の前に誰かがいる気配を感じた。

 

 朦朧とした意識で目を向けるとそこには

 

「留美……ちゃん?」

 

 鶴見留美が比企谷八幡の前に立ちはだかった。

 

 

 

 

 

 

 

 何かが出来ると思ったわけではない。

 この状況で何かが出来るほど自身は自惚れていない。

 でも、気付けば身体が動いていた。

 

 鶴見留美は雪ノ下陽乃の前に立っていた。

 

「留美ちゃん……逃げなさい」

「………やだ」

 

 陽乃の問いかけを拒否する。

 

「比企谷くんの様子は普通じゃない……今のあなたに出来る事は何もないわ」

「……分かってる……でも嫌なの……陽乃さんも八幡も…これ以上誰かが傷つく姿は見たくない!」

 

 鶴見留美は叫ぶ。

 

「……留美ちゃん。気持ちは分かるわ。でも!ああぁぁぁっっ!!」

 

 陽乃の言葉が中断される。留美が陽乃の方を見ると苦悶の表情を浮かべ必死に耐えている。

 八幡は目の前にもう来ていた。

 

「……八幡。私はあなたに何があったのか全然知らない」

 

 留美が話しかけるも反応が全くない。八幡の視線は陽乃の方へ完全に固定されており、留美は眼中にないといった感じだ。

 

「お願い!いつもの八幡に戻って!」

 

 そう言って留美は八幡に抱き着く。しかし今の八幡に抱き着くとどうなるかは自明の理だ。

 

「あぁぁぁぁっ!」

 

 鶴見留美の星辰力も吸収され始めた。悲鳴をあげる留美。しかし絶対に離さないとばかりに八幡に抱き着く。

 

「……お願い、お願い、お願い」

 

 ただひたすらに念じる。彼女にはそれしかできないから。

 助けたいとただそれだけを願って。

 

 比企谷八幡を助けたい。雪ノ下陽乃を助けたい。

 その想いは純粋で、だからこそ強い。

 

 強く、強く、強く。己が身など気にせず他者を助けたいと想う心。

 

 

 そんな彼女の意志と強い想いが形となって奇跡を起こす。

 

 

 鶴見留美の身体から白い光が溢れ出した。

 

 

「……白い……光?」

 

 雪ノ下陽乃は異変にすぐ気付いた。目の前にいる鶴見留美から溢れ出る白い光に。

 

「あぁぁぁああぁぁぁ!!!」

 

 その白い光に触れた途端に八幡から叫び声が上がり倒れこむ。そして八幡を覆っていた闇が消え、同時に陽乃を拘束する闇も霧散した。自由の身となった陽乃は留美の元へ駆け寄る。

 

「留美ちゃん、大丈夫?」

「陽乃さん!……分かんない。これいったい何!?」

 

 自身から漏れる光に戸惑いを隠せない留美。その光に陽乃は手をかざす。

 

「……温かい。それにこれは?……なるほどそういう事ね。留美ちゃん。よく聞いて」

 

 真剣な陽乃の声に頷く。

 

「この白い光は治癒の力。あなたの能力よ」

「……能力?……これが?」

「そう。この力なら比企谷くんを戻せるかもしれないわ」

 

 陽乃は確信していた。この光を浴びた途端に八幡の様子が急変し闇が消滅した。

 この力は現状を打破できると。

 

「でもどうすればいいの?私、能力なんて使ったことない」

「簡単よ。その能力はあなたの想いから生まれたもの。それをそのまま引き出せばいいの。こっちに来て」

 

 二人で八幡の傍に寄り添う。

 

「いい、留美ちゃん。あなたは難しい事は考えなくていいわ。比企谷くんを助けたい。それだけを強く願って星辰力を解放してくれればいい。サポートは私がするわ」

 

 留美が倒れた八幡に右手を取り両手を重ねる。そして陽乃は留美の手に自身の手をそっとのせた。

 

「全力でいくわよ!!」

「はいっ!!」

 

 二人は星辰力を解放した。

 

 留美の手の先から発生白い光が八幡へと注がれていく。

 

 二人とも後のことなど考えず全力で残りの星辰力を振り絞る。

 

 そして

 

「……雪ノ…下……さん?……それに……お前は?」

「ふぅ。おはよう寝坊助さん」

「……お前じゃない。留美」

 

 比企谷八幡が目を覚ました。

 

「……ああ、そうか……すみません、雪ノ下さん。留美」

「覚えてるの?」

「ええ……うっすらとですけど。誰かと戦ってたぐらいは」

「八幡。身体は大丈夫?」

 

 留美が心配そうに八幡に問う。

 

「ああ、たぶん大丈夫だ……そうだ、それより小町の方が!あぁぁあああっっ!!」

「!留美ちゃん!!」

「はいっ!」

 

 話の途中で八幡の身体から再び闇が溢れ出す。留美は再び能力を発動し陽乃がそれをサポートする。白い光が闇を鎮めていくも……完全には抑えきれない。

 

「くっぅぅ!はぁはぁはぁっ……すみ…ま……せん」

「……気にしないで。留美ちゃん、まだいける?」

「………大丈夫……です」

 

 必死に星辰力を振り絞る陽乃と留美。しかし状況は悪い。八幡との戦闘により殆ど星辰力を使い果たした陽乃。そして初めての能力を行使する留美。二人とも顔色が悪くこれ以上続ければ倒れてしまうだろう。

 

 そんな二人の様子を見て、そして自身の身体を状態を把握し、八幡は決断をする。

 

「……雪ノ下さん。留美……ありがとうございます」

「……お礼を言うのは……まだ……早いわよ」

「…………っ!」

 

 嫌な予感がした。

 

「お誘い頂いた推薦の件はやっぱり断らせてもらいます……もう無理そうですから」

「そんな事……ないわ……私が……何とかするから」

「……だ……め」

 

 留美の手に力が入る。この手を離せばもう二度と会えない予感がしたから。

 

「……もういいんです……自分の状態は自分が一番分かります」

「……駄目…よ……そんなの……許さ…ない……から」

「……………八………幡」

 

 八幡は起き上がり二人の頭をそっと撫でた。愛おしく、慈しみ、最後の別れを惜しみながら。

 

 

「……さようなら。陽乃さん、ルミルミ」

 

 

 留美の手を振りほどき八幡はその場を立ち去る。

 膨大な星辰力が驚異的な身体能力を生み、天井を飛び越えそのまま夜の闇へと消えていく。

 

 

「比企谷くん!待ちなさっっ!!」

 

 そんな八幡を追いかけようとして陽乃が追いかけようとするも、その場で崩れ落ち倒れてしまう。

 

「星辰力……切れ!?………こんな……時に」

「………………ぅぅっ……………」

 

 二人ともとうに限界を超えていた。

 

「……身体が……動か……ない」

「………………」

 

 陽乃は辛うじて意識があるものの身体を動かすことができない。留美にいたっては完全に気絶していた。

 薄れゆく意識の中、陽乃は自身の目の前に何かがあるのを見る。

 

「……私の……端……末……そう……だ…だれ…か…たす……け……を」

 

 自身から零れ落ちた端末に向かって手を伸ばす。最後の力を振り絞り、震えながら少しずつ動かしていく。

 何とか端末に触れると空中にメニュー画面が浮かび上がる。だが、表示された画面を選択する前に陽乃が完全に倒れてしまう。

 

「………まだ……よ……ひき…がや………くん………を」

 

 再度動かそうとしても手は動かなかった。しかしそれでも諦めない。身体から感覚が失われていく中、彼女は必死に手を伸ばそうとする。

 

 しかしそこまでだった。

 限界に限界を超えた雪ノ下陽乃は意識を失ってしまう。

 

 

 画面に触れたかどうか彼女には分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 何かの声がした。

 

 大きな声が彼女の意識を少しだけ覚ました。

 

 目を少しだけ開けると、少し離れた場所に倒れている女性と光る何かが目に映る。

 

 目的を思い出す。

 

 必死に這いずりその場所へと向かう。

 

 腕に力を込めてゆっくりと、ゆっくりと。

 

 声が大きくなってくる。その大きな声が意識を保つ最後の砦だった。

 

 しかし目的の場所まで行くまでの力は残されていなかった。

 

 聞こえるかは分からない。最後の力を込めて少女は言った。

 

「だれ……か……はち……まん……を…はちまん……を…………たすけ………て」

 

 その言葉を最後に、鶴見留美も再び意識を失っていった。

 

 

 




魔王の覚醒に少女の能力発動。だけど目的は果たせず少年はその場を立ち去ります。

そして事態はクライマックスへ。

次回 俺ガイル編ラスト(予定)


では、次回もよろしくお願いします。


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第十話 一つの終わり、そして始まり

今回、メインヒロイン予定の一人が登場します。
多分この人がヒロインと読めた人はいないはず。

誤字、脱字、感想等あれば、よろしくお願いします。



 遠く、遠く、遠く。

 

 速く、速く、速く。

 

 少しでも遠くの場所へと、少しでも人がいない場所へと。

 

 己が全力を以って駆け抜た。

 

 そして……

 

「ここら辺でいいか……」

 

 目的に合う場所へと到着する。

 

 辺りを見渡せば人が誰もいない月明りのみがりを照らし、周囲を山で囲まれた草原地帯。周囲に誰もいないこの場所なら、迷惑をかけるわけでもなく終わりを迎える事ができる。

 

 空に浮かぶ月が最後の目撃者なのは、この身には過ぎた話だ。

 

「色んな事があったな」

 

 己の最後を前に自身の人生を振り返る。

 

 剣術との出会い。妹との確執。両親との不和。

 小学生の時はもっぱら苛めの対象だった事も思い出す。星脈世代からは星辰力が少ない落ちこぼれだと馬鹿にされ、非星脈世代からは化物と蔑まれた。だがそれも自身の選択が招いたことだ。ボッチだったことに不満などあるはずがなかった。

 

 しかし中学二年の時に変化が訪れた。

 

「………奉仕部か」

 

 その言葉が口から出た時の心境は自分でも分からなかった。

 

 

 ____ここでの部活動を命ずる。異論、反論、抗議、質問、口答えは一切認めない。

 

 ____ようこそ奉仕部へ、歓迎するわ。頼まれた以上責任は果たすわ。あなたの問題を矯正してあげる。

 

 ____何でヒッキーがここにいるの!

 

 様々な依頼。様々なトラブルを解決してきた。色んな問題はあったものの、徐々にその場所が特別だと思えるようになってきた。

 

 だが

 

「どうすればよかったんだろうな……」

 

 文化祭と修学旅行。奉仕部の関係を破綻へと導いた二つの依頼。

 最終的には八幡の自己犠牲で何とか解決を迎えたのだが。

 

 ____貴方のそのやり方、嫌いだわ。

 

 ____人の気持ちをもっと考えてよ。

 

 

 自身の身体を覆う闇が一回り大きくなる。歯を食いしばり何とか抑えようとするが止まることはない。

 

 残り時間は後少しだ。

 

「小町、親父、お袋、雪ノ下、由比ヶ浜、平塚先生」

 

 己の家族、そして奉仕部の関係者の名前を口ずさむ。大切な家族、大切な仲間だと思っていた存在。

 

 だが今は違う。

 

「雪ノ下さん。あなたの気持ちがよく分かりますよ」

 

 ――――――ねぇ、比企谷くん。知ってる?愛と憎しみは表裏一体なんだよ。

 

 大切だから。尊いから。その気持ちが強ければ強いほど憎しみは大きくなった。そして自身の能力がその気持ちを加速させていることも。

 

「……陽乃さん、ルミルミ」

 

 最後に会った二人を思い出す。自身のために死力を尽くしてくれた二人。別れの際には泣きそうな顔で引き留めてくれた。そんな二人の気持ちに少しだけ救われた。

 

 闇が巨大化していく。もう止める事すら無駄と感じ、流れに身を任せる事にした。自身の奥に眠る扉が完全に開かれているのが分かった。巨大な星辰力と共に能力が奥底から解放されていくのが感じ取れた。

 

 最後に思ったのは

 

「……そういえば、シルヴィア・リューネハイムの曲、聞いてなかったな」

 

 そんなどうでもいい事だった。

 

 

 

 

 

 

 どれだけの時が過ぎただろう。

 数十分、あるいは数時間だろうか。比企谷八幡は再び目を覚ました。

 起き上がり身体を動かすが特に支障はない。だが以前とは決定的に違う所があった。

 

「……いい気分だ」

 

 先程まで悩んでいたのが嘘のようだ。家族の事、学校の事、奉仕部の事、全てがどうでもよかった。

 

「簡単な事じゃねぇか。邪魔なものは全部壊して殺せばいい!何でこんな事が思いつかなかったんだ!」

 

 邪魔なものは壊し、立ちはだかるものはすべて殺せば何の問題もない。そして自分にはそれを成すだけの力がある。

 

「ハハハハハハハハッ!!」

 

 自身の能力はすぐに把握できた。闇の能力。闇は全てを呑み込み吸収する。そのイメージ通りに能力を発動する。

 すると、周囲の万応素が集まり星辰力へと変換され自身の力となっていく。周囲の万応素を全て喰らいつくすかのように闇が全てを呑み込んでいく。

 

 そんな時だった。

 

 

「力に呑まれておるのう、おぬし」

 

 

 背後から声が聞こえた。

 振り向くと蝶のように髪を結った一人の童女が佇んでいる。

 

「……誰だお前?」

 

 警戒を強め問いかける。闇夜が広がるこの空間で半径一キロにあるものは凡そ把握できている。先程まで周囲には誰もいなかったはずだ。だがこの童女は今ここにいる。

 

「うむ、まずは自己紹介からいこうか。儂の名は范星露。よろしく頼むぞ、比企谷八幡よ」

 

 あどけない表情で自己紹介をしてくる。しかもこちらの名前を既に知っているとなると、ここにいるのは偶然ではない。そこまで考えて思い出した。范星露、その名前に聞き覚えがあると。

 

「……界龍序列一位、万有天羅」

「その通りじゃ。知っておるなら話が早い。陽乃から話を聞いて、是非おぬしには会ってみたいと思うてのう」

「……仇討ちですか?」

「そんな大層なものではない、ただの興味本位じゃ……しかし闇の能力とは、儂も長年生きておるがその様な能力を見たのは初めてじゃ」

 

 そこまで言ってあどけない表情から一転、真剣な表情へと変化する。

 

「先程も言ったがおぬし、自身が力に呑まれておるのに気付いておるのか?」

「……だから何だっていうんです。力は力。それに呑まれようがどうしようが、あなたには関係ありませんよ」

「おぬしの今の状態で正気を保っているのが不思議に思うてのう。暴走しているはずなのにしっかりと意識は保っておる……じゃが、性格に変化は生じておるようじゃの」

 

 冷静にそして正確にこちらを観察してきている。その様子に苛立ちを隠せない。

 

「要件を早く言ったらどうですか」

「せっかちな男は嫌われるぞ?まあよい。話は簡単じゃ」

 

 にっこりと笑いながら星露は結論を言った。

 

 

「儂と闘ってもらうぞ、比企谷八幡」

 

 

 

 

 

 

「……う……うぅっ……ここ……どこ?」

「気が付いた?」

「…………陽乃さん」

 

 鶴見留美が目を覚まし隣を見ると、雪ノ下陽乃が椅子に座ってこちらを見つめていた。

 自身がベッドに寝かされている事と、陽乃の顔に治療の跡があることで、ここが病院であることに気付いた。

 

「私……どうして?…!そうだ!八幡は!八幡はどこに!?」

 

 自身が何故倒れていたかを思い出した留美は陽乃に問いかける。

 それに対し慌てる事もなく陽乃は宥めるように話す。

 

「比企谷くんがどこにいるのか私にも分からないけど、もう心配はいらないわ」

「……どうしてですか?」

「私達が倒れてから直ぐにね。私の師匠が来たの」

「陽乃さんの……師匠ですか?」

「そう。比企谷くんの事はあの人に任せたわ。必ず比企谷くんを連れ戻してくれる」

「でも……」

 

 いくら陽乃の師匠が強いとはいえ、尋常ではないあの強さを目撃した留美には、その言葉を信じきることが出来なかった。その不安を和らげようと陽乃が留美の頭をゆっくりと撫でながら断言する。

 

「大丈夫よ。あの人は最強だから」

 

 

 

 

 

 

「はっはっはっ!楽しいのう、八幡よ!」

 

 范星露が笑いながら八幡に話す。その獰猛な笑みは童女には似つかわしくないものだが、本人が特に気にしている様子はない。

 

「そこかっ!!」

 

 八幡の叫びに反応し空中に闇の球体が出現する。闇夜に出現したそれは八幡の意志の元、任意の場所に現れる。范星露を取り囲むように出現した無数の球体は通常なら回避不可能なはずだ。

 

 だが

 

「甘い!甘い!甘いぞぉっ!!」

 

 空中を自由自在に駆け廻る范星露には掠りもしない。雪ノ下陽乃と同系統の技術なのだろう。足に星辰力を集中し虚空を蹴りながら移動している。だがスピードが桁違いだ。星辰力を感じながら辛うじて動く先をを読み、能力を放ち続けるも闇の球体のスピードよりも范星露の動きの方が圧倒的に速い。

 

 そして次の瞬間には―――

 

「っ!!!」

 

 星露の掌打により八幡が吹き飛ぶ。八幡の身体が宙を舞い、そのまま地面に叩きつけられそうになり―――何とか受身を取って立ち上がる。

 

「ほう。闇を集中させて儂の一撃を防いだか。大したものよ。攻撃にも防御にも優れたその能力は、まさに変幻自在と言ってもいいじゃろう、しかも……」

 

 星露は右手で己の右頬を撫でる。手を離し右手を確認するとそこには赤い血が付着していた。

 星露が攻撃を加えるその瞬間、闇を集中し防御フィールドを形成。そして相打ち覚悟で攻撃を加えたのだ。

 

「儂に一撃を喰らわせるとは!くっくっくっ、気に入った!気に入ったぞ!八幡!!」

 

 その言葉と同時に星露の全身から押し潰すような威圧感が放たれた。並みの人間ならプレッシャーだけで気を失う空間の中、両者は激突する。

 

「もっとじゃ!もっと儂を滾らせよ!比企谷八幡!!」

「……殺す!!」

 

 

 

 

 

 

 11月某日未明。

 関東地方北部において二人の星脈世代の闘いが発生した。

 しかしそれを観測したものは誰もおらず、草原だったその場所は一夜で荒れ地と化した。

 翌日、地元住民が発見し警察が調査に入るもその原因が判明する事はなかった。

 

 

 

 

 

 

「―――む―――――熱が――――のう」

 

 まどろみの中、声が聞こえた。

 

「しか―――――そろ―――起きても―――――」

 

 どこか聞き覚えがあるその声を切欠に、意識が徐々に覚醒を始める。

 

「しょうが―――着替え―――済ます―――」

 

 そして意識が覚め目を開けると……

 

「……お、目が覚めたか。八幡よ」

 

 パンツ一丁の比企谷八幡の身体を濡れたタオルで拭いている童女の姿がそこにあった。

 自身の姿を見て彼が最初に取った行動は

 

「何でもしますから許してください」

 

 土下座して謝ることだった。

 

 

 

 

 

 

「くっくっくっくっくっ!」

「…………そこまで笑う事はないんじゃないですか」

「いや、すまんすまん。介抱してその様な反応をされるとは思ってなかったからのう」

「半裸の男に幼女が迫る絵面が、犯罪の匂いしかしないのが悪いんですよ」

「確かにその通りじゃが、儂の意志でやっておるのだから勘違いしたおぬしが悪いのではないか?」

「……まあその通りです」

 

 機嫌がよさそうに笑う范星露とぶすっとした表情の比企谷八幡。

 あの後、星露に身体の汗を拭いてもらい寝間着に着替え直した八幡は、布団に入り上半身だけ起きて星露と話をしていた。

 

「水を飲むか?おぬしが倒れて三日経っておる。喉が渇いておるじゃろう」

「……いただきます」

 

 コップを受け取り水を飲む。喉が渇いていたのか入っていた水を全て飲み干した。

 一息ついた八幡は向き直り話を続けようとするが、星露の手によって横に寝かされる。

 

「まだ熱が出ておる。横になっておれ。聞きたいことは色々あるじゃろうが、体調が回復してからでも遅くはあるまい」

「ですが……」

「安心せい。雪ノ下陽乃、鶴見留美、そしておぬしの妹である比企谷小町も全員無事じゃ。強盗を含めて死者は誰も出ておらん」

「そう……ですか。ありがとうございます、范星露さん」

「星露でよい。それに敬語は不要じゃ。時におぬし、腹は減っておるか?」

 

 そう聞かれた途端、八幡のお腹がぐぅぅ~と鳴り響く。

 

「ふっ、食欲があるのは良い事じゃ。ちょっと待っておれ」

 

 そう言うと星露は部屋を出ていく。

 一人取り残された八幡は仰向けの状態で辺りを見渡す。

 部屋全体に畳が敷かれており、その上に自身の布団と隣にもう一つ布団が置かれ、枕元には桶に入った氷水にタオルが入っていた。和室様式の寝室の様だ。勿論、見覚えはない。

 

「……どこだろうな、此処」

 

 

 

 

 

 

「ほれ、あ~~んじゃ」

「いや、一人で食べれるから」

「何を言うておる。病人は大人しく言う事を聞くものじゃ。ほれ、あ~~~~ん」

 

 差し出されたスプーンに口を付ける。煮られた米と絶妙な塩加減のおかゆは、ほどよくよい味が出ている。

 

「……美味い」

「それは何よりじゃ。もっと食べるか?」

「……いただきます」

 

 食べ進めるにつれ食欲が湧いてきた。そして気付けば鍋は空になりお粥を完食していた。

 

「ごちそうさまでした」

「お粗末様じゃ。うむ、食欲は十分じゃな。後は熱が下がるのを待てばよいが……」

 

 星露は己の手を八幡のおでこに当て熱を測る。

 

「まだ熱が高い。もう少しかかるじゃろう」

「……熱なんて罹ったことはなかったんだがな」

「星脈世代は基本的に医者いらずじゃなからな。おぬしの場合、星辰力の解放により身体の方が変化に付いていけなくなったのじゃろう。まあ、後数日といった所か」

 

 星露の言い分に納得する八幡だが、ふと気になる事があった。

 

「……そういえば、この家には他に人はいないのか?」

「どうしたのじゃ、急に?」

「いや、家族の人がいるなら挨拶をしたいんだが……まさか一人じゃないだろう?」

「一人じゃな。ついでに言えば、儂に血縁のある家族はおらんぞ」

「……さっき俺が倒れて三日と言ったな。その間の看病ってまさか……」

「うむ、儂一人じゃ。別に気にすることはないぞ。たかが数日の看病なぞ、昔経験済みじゃから問題はないしの」

「あーその、だな……すまん」

「そういう時は、謝るのではなく礼を言うものじゃぞ」

 

 星露の助言に従い目の前の幼女の頭に手を伸ばす。そして頭を撫でながらお礼を言う。

 

「ありがとう星露…………って、どうかしたか?」

 

 こちらを見つめる星露の表情に思わず疑問が生じる。きょとんとした表情でこちらを見つめる幼女。嫌がっている訳ではなさそうだが、喜んでいる訳でもない。敢えて言えば、戸惑っているというのが一番近いだろう。

 

「いや……頭を撫でられたのは初めてじゃと思うてのう」

「……そうなのか?」

「…………うむ」

 

 続きを促された感じがしたので、もう少し撫でてみる。

 

「ふむ……存外悪くない。もう少し続けてもらってもよいか?」

「……まあ、別にいいが」

 

 星露の頼みを聞き頭を撫で続ける。

 万有天羅と呼ばれる存在が頭を撫でられそれを受け入れる。星露の弟子達がこの姿を見ても夢か幻、もしくは敵の精神攻撃と断言しただろう。

 傍から見れば、兄が妹を撫でているしか見えないその光景はしばらく続いた。

 

 

 

 

 

 

「陽乃よ。身体の方は大丈夫か?」

『ええ、何とか。あ、そういえば頼まれていた情報操作は完了したよ』

「うむ、ご苦労。とりあえず、これでひと段落ついたのう」

 

 范星露は雪ノ下陽乃と空間ウィンドウでお互いの状況を報告していた。

 

『……比企谷くんはどう?元気にしてる?』

「身体の方は問題ない。今は熱を出しておるがもうすぐ治るからの……問題なのは心のほうじゃな」

『…………』

「身体の傷と違い心の傷は確認しようがないからの。彼奴が心にどれだけの傷を負っているかは誰にも分らん」

『……家族のもとに帰してあげるのは無理かな?』

「止めておけ。妹の比企谷小町の名前を出すだけであれだけ動揺しておったのじゃ。彼奴の境遇はおぬしから軽く聞いておるが……今度は無事ではすまんぞ」

 

 星露は八幡の様子を思い出す。比企谷小町の名前を出した途端、動揺と共に能力が無意識に出かかっていた。その様な状態で妹や家族に会わせれば、どうなるかは予想が付く。

 

『もう……無理なのかな……私と一緒で』

「……能力は人の本質を表す。おぬしには以前言ったことがあったの」

『……うん』

「あの夜に出会った彼奴は能力に完全に呑まれておった。先程話した彼奴とは似ても似つかぬ姿じゃったよ」

『それは……』

 

 星露の語る八幡の様子に陽乃は言葉が出ない。

 

「本人にとって余程の事があったのじゃろう。あれだけの能力と殺意はそう簡単に生まれるものではない。家族か、友か、それとも別の要因か。原因までは分からぬが……」

 

 そこで一旦区切る。

 

「人の温もりに飢えているのは確かじゃな。人の善意に臆病で妙に遠慮しがちになるくせに、変な所で大胆であったぞ、彼奴は」

『えっと。比企谷くん、星露に何かしたの?』

「ふふっ内緒じゃ。そうじゃ陽乃よ。八幡にこの様な提案をしようと思っておるのじゃが」

 

 そう言うと、星露は陽乃に向かってあるデータを送る。

 

『……えっ!ちょっ!これ本気、星露!』

「うむ、本気じゃ。冗談でこの様な提案はせぬぞ、儂は」

『それは分かるけど!』

「まあ、あくまで提案するだけ。選択するのは彼奴じゃ。で、おぬしはどう思う?」

 

 考え込む陽乃。

 

『……条件次第では受けると思うよ。正直、比企谷くんが自分の問題に気付いていないとは思わないから』

「ふむ、やはりそうか。そういえば陽乃。おぬしはこれからどうするつもりじゃ?」

『しばらくは総武にいるよ。留美ちゃんの事も気になるし、調べたいこともあるから。それに、提案の結果次第では私が動いた方がいいでしょ?』

 

 陽乃の答えに星露は満足し頷く。

 

「うむ、そうじゃな。それと鶴見留美の件じゃが、貴重な治癒能力者じゃ。何とか勧誘できぬか?」

『無理じゃないかな。まだ小学生だし。親御さんが許すとは思えないよ?』

「……まあ仕方ないか。それとなく勧誘だけはしておいてくれ」

『了解……そういえば気になったんだけど、学園にはどういう言い訳してきたの?万有天羅がアスタリスクからいなくなったら大騒ぎになると思うけど』

「あの時は急を要しておったからの。暁彗にしばし留守にするから連絡は不要とだけ伝えたぞ」

『……えっと、それだけ?』

「それだけじゃな」

 

 星露の答えに思わず苦笑いする陽乃。

 

『……学園の諜報工作員が大慌てしてそう。それと虎峰が胃痛になってるかも』

「大袈裟じゃな。儂がいない程度で」

『それだけ万有天羅の影響力が凄いんだけどね……ごめんね、私の不手際でこんな事になって』

「気にする必要はない。それにそのおかげで彼奴に出会えた」

 

 星露は思い出す。あの夜の死闘を。

 

「八幡は素晴らしかったぞ、陽乃よ。時間と共に高まる星辰力。状況に合わせ変幻自在に変化する能力。そして最後まで諦めず儂を殺そうとする殺意と鬼気……最高の一夜じゃった」

 

 うっとりとした表情で語る星露。その表情はまるで

 

『恋する女の子みたいな表情してるよ、星露』

「そうかえ?……まあ、あながち間違いともいえぬか」

『……え!マジで!?』

「才に惚れ込む。そういう意味では惚れたかもしれん。正直、今から鍛えるのが楽しみで仕方がない」

『あ、そういう意味なんだ。それなら納得』

「……ところで陽乃。惚れたというのは儂だけかの?」

『…………何のことかな?』

 

 ニヤニヤとした表情で見てくる星露に思わず視線を逸らす陽乃。

 

「人間素直が一番じゃぞ。特に八幡のようなタイプなら尚更じゃ」

『……………余計なお世話だよ』

「年を取ると若者の世話を焼きたくなるからの。まあ年長者の助言と思って参考にするがよいぞ」

『……肉体年齢一桁が何言ってんだか』

 

 拗ねてそっぽを向く陽乃を星露は嬉しく思った。アスタリスクに来た当初の彼女は、行動に余裕がなく常に張りつめていた。それに比べたら随分と素直に、そして年相応な感情を出すようになったものだ。

 それを嬉しく思いつつ星露は陽乃との会話を続けていった。

 

 

 

 

 

 

「………惚れた、か」

 

 氷水の入った桶からタオルを取り出して絞る。そして絞ったタオルを眠る八幡のおでこにのせ、星露は呟いた。

 

「才に惚れた。それは間違いないのじゃが……」

 

 そう言いつつ、星露は己の心を測りかねていた。

 万有天羅の名と力を知った者の行動は主に二つ。警戒し恐れるか、崇拝し崇めるかのどちらかだった。

 

 だが目の前で眠る人物の取った行動はそのどちらでもなかった。

 

「……初めてじゃったのう」

 

 恐れるでもなく崇めるでもなくあるがままに。それこそ普通の幼子に接するように頭を撫でられた。只それだけの行為に動揺を隠すことが出来ず、その心地よさについ身を任せてしまった。

 

「頭を撫でられて喜ぶとは……精神が肉体に引きずられすぎではないか」

 

 八幡の顔をじっと見つめる。顔に汗が流れているのを発見し別のタオルで拭きとっていく。

 

「うむ、これでよしと」

 

 星露には一つの確信があった。この者を鍛えれば本気で闘う事ができる。いや、将来的には敗北を知ることすら出来るかもしれないと。

 その結論に至った瞬間、歓喜により全身が震えた。

 

 だが現状ではそれは不可能だ。

 

 あの夜に最後に見せた極大の星辰力は再び鳴りを潜めている。恐らく制御できる一定以上の星辰力は、身体が無意識に封じているのだろう。恐るべき自己意識だ。

 しかし精神的に危うい今の状態では、再び暴走する可能性も否めない。そして暴走して出せる力など火事場の馬鹿力に過ぎないし、自滅する力など星露の好む所ではない。

 

「まずは身体を鍛え能力を制御させる。同時進行で知識の教育と星仙術の仕込みといった所か。時間がないからハードスケジュールじゃな」

 

 修行のプランを考えていく。土台がなければいい建物は作れないのと同様に、基礎をしっかりしないと一定以上強くなることはできない。

 

「……比企谷八幡」

 

 最初は興味本位だった。己の目的の為だけに弟子にして鍛え上げる。これまでと同様に変わらない――――はずだった。

 

 だが今は、それ以上を望んでいる自分がいる事を星露は自覚した。

 

「儂はおぬしが欲しい」

 

 

 

 

 

 

 

 二日後 早朝

 

 八幡が目覚め横を見ると、もう一つの布団は折りたたまれそこに星露の姿はなかった。

 すっかり体調が良くなったと感じ布団から出ると、枕元に着替えが置いてあった。

 星露が用意してくれたのかと思い、寝間着から着替えをする。

 

 部屋を出て廊下に出ると不意に外の景色が見たくなった。玄関に向かい扉を開ける。

 

 

 最初に感じたのは眩しい朝日の光と冷たい風。次に目にしたのは辺りに広がる一面の雪景色。ふと足元に一つの足跡があるのを発見する。足跡を辿り歩いていくと、崖際に見覚えのある後ろ姿が見えた。近付いていくと

 

「良い所じゃろう?」

 

 こちらを見ずに声を掛けてきた。そのまま歩みを進め隣に並ぶ。

 

「おはよう……いい景色だな」

「うむ、おはようじゃ。ここは昔、弟子と各地を彷徨っていた時に発見した所。万応素が他の地より濃いのが特徴でのう。修行にはもってこいの場所じゃ」

 

 現在いる場所は標高の高い所にあるようだ。近辺は山と森が広がる景色。それらは全て雪で白色に染め上がられていた。近場に建物は何も無く、八幡が出てきた日本家屋一軒のみに見える。

 

「体調は回復したようじゃな」

「ああ……一つ聞いてもいいか?」

「よいぞ。言うてみい」

 

 お互いの視線が絡み合う。

 

「……あの日俺は妹や陽乃さんと闘った。その結果、建物を壊したり色んな人を傷つけた。普通なら警察につきだされてもおかしくないはず……どうしてだ?」

「何じゃそんな事か」

 

 にたりと笑いながら星露が答える。

 

「圧力を掛けて情報操作をした。故におぬしが警察に捕まる事はない」

「……そんな事が可能なのか?」

「今の世が統合企業財体の支配下なのは知っておろう。奴らの利益になるのなら、ある程度の事は見過ごされるのが常じゃ。儂とて奴らほどではないが多少の権力は持っておる。今回はそれを利用させてもらった」

「…………何故?」

「うん?」

「……何故そこまでして俺の事を?」

 

 八幡には分からなかった。星露の言葉が正しいのなら、それは自分の為にしたという事になる。それ程の価値が自分にあるとは思えない。

 

「……聞いていた通り自己評価が低いのう」

 

 よく聞けよと言い星露は続ける。

 

「仮にもおぬしは雪ノ下陽乃を倒したのじゃ。界龍の誇る序列第三位をな。壁を越えた今の彼奴を倒せるのは、アスタリスクでも両の手で足りるほどしかおらん」

「……だが、あの時の俺は」

「暴走しておったからか?それも含めておぬしの力じゃ。例え今制御できなくとも、鍛え続ければ何れ使いこなすことができよう」

「……あの力をか?」

 

 脳裏を過ぎる黒い闇。妹を倒し、知り合いを倒し、そして最終的には―――

 思い出し身体が震え始めるが、手に被さられた温もりがそれを止めた。

 

「……すまぬ。思い出させてしもうた」

 

 ばつが悪そうに星露が話す。彼女の両手は八幡の左手を包み込んでいた。

 八幡は星露を改めて見る。小さな身体、小さな手、とてもあの夜に相対した相手とは思えなかった。

 

「……そういえばお礼を言ってなかった」

「お礼?」

「ああ……あの日、俺を止めてくれてありがとう。あのままだとどうなっていたか分からなかった」

 

 頭を下げて礼を言う。

 

「気にするな。儂の目的にもかなうことじゃ」

「目的?」

 

 頷く星露。

 

「儂の目的は一つ。否、おぬしに会って三つに増えたな」

「……多いな」

 

 そうじゃなと笑い星露は続きを話し始める。

 

「一つ、おぬしの実力の見定めじゃな。陽乃を倒したという実力者に是非とも会ってみたかった。結果は……最高じゃった」

 

 嬉しく笑う星露。

 

「二つ、おぬしには暫く此処で儂と共に生活をしてもらう。今のおぬしは抜身の刃も同然。己を鍛え、その能力を制御せぬ限り日常生活もままならんからの」

 

 その言葉に八幡は頷く。それは自身でも自覚していたからだ。

 

「そして三つ………」

 

 突如言いよどむ星露。

 八幡が星露の顔を見ると、彼女は不安げな表情でこちらを見ていた。

 迷子で彷徨う子供の様にその瞳は不安げに揺れている。

 

「最後は……何だ?」

 

 ゆっくりと続きを促す。

 すると迷いが消えたのか、真剣な表情でこちらを見上げくる。

 

 

 そして彼女は言う。

 

 

 ―――――比企谷八幡の運命を変える提案を

 

 

 

 

「八幡よ……おぬし、儂の家族になる気はないか?」

 

 

 

 




物語において主人公の闇落ちは基本。
そして、闇落ちした主人公がより強い力に敗れるのはお約束と言っていいでしょう。

というわけで、序列三位では勝てないので序列一位にお越しいただきました。

メインヒロイン 范星露。需要はあるのだろうか?


一応、俺ガイル編はこれで完結。次回からは修行編になります。なるべくさくっと終わらせたい所。アスタリスクまでもう少しです。

では次回もよろしくお願いします。


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第十一話 少年は悩み続ける

この話には范星露と原作のネタバレが含まれています。

原作未読者、アニメのみの視聴者の方々はご注意下さい。

ネタバレ上等という方はこのままご参照を。
ネタバレするのは嫌だという方はブラウザバックをお願いします。

誤字、脱字、感想等あれば、よろしくお願いします。



 比企谷八幡と范星露の二人の生活は、日の出が上がる前から始まる。

 

「ほれ、遅れておるぞ八幡」

「……分かってる」

 

 早朝、二人は雪山の中を目的地に向かって行進していた。

 八幡は前方からの星露の声に返事をし、両手両足に同量の星辰力を流す。すると、両手足に付けられたリングが星辰力に反応し、マナダイトが煌めく。同時に手足の重みが多少軽くなり、動かすことが出来るようになった。

 雪山の大地を踏みしめ前方の星露を追う。

 しかし

 

「くっ!!」

 

 しばらくするとマナダイトが極度に煌めいていく。すると両手足に重みが増しその反動で片膝を付く。

 

「はぁっはぁっはぁっ」

「苦戦しておるのう。いいか八幡。大事なのは一定量の星辰力を留め続ける事じゃ。おぬしの星辰力はかなり多いが、戦闘において無駄使いはもったいない。必要最低限の量を長時間維持し続けろ。これが出来るようになれば」

「全身の何処にでも星辰力を集中させて、攻防一体の技術が身に付く……そうだろう?」

「そうじゃ。だがこれはあくまで基礎であり本命は次の段階にある」

 

 そう言うと、星露は足に星辰力を集中させ空中に飛び上がる。足に集中させた星辰力で空を縦横無尽に駆け巡り、やがて八幡の目の前に降りてくる。

 

「これが出来れば合格じゃ」

「陽乃さんもやっていたが、凄いなそれ」

「一応、界龍独自の技術で星仙術の一種じゃな。我が校にある純星煌式武装で同じ事が出来るが、あれは星仙術の才がない者が使用する物。おぬしには才があるから、これは必ず取得してもらうぞ」

「ちなみに聞くが、普通どのぐらいで取得できるんだ?」

「う~~む、単に飛ぶだけなら半年から一年。儂のように空を自由に駆けるのは本人の才次第じゃな。ちなみに陽乃は一か月ほどで出来るようになったぞ」

 

 その言葉で雪ノ下陽乃の才能がよく分かった。しかし自分が出来るかどうかは別問題だ。

 

「……難しそうだな」

「大丈夫じゃ」

 

 思わず八幡の口から不安が零れる。それに対し星露が八幡の頭を撫でた。

 

「おぬしには才がある。儂がこれまで見て来た誰よりもじゃ。それを信じる事は出来ぬか?」

「……まあ、やってみるさ」

 

 八幡の返事に満足したのか、星露がさらに頭を撫で続ける。

 

「なあ、楽しいか?俺の頭なんか撫でて」

「楽しいぞ。おぬしだって儂の頭を撫でるではないか。故に儂もおぬしの頭を撫でてもおかしくはあるまい」

 

 共同生活が始まって以降、星露は八幡に対して物理的接触をよくするようになった。

 何かにつけて八幡の頭を撫でるし、逆に自分の頭を撫でさせもした。

 

 そんな星露の行動に八幡の心は揺れ動く。嬉しいような、恥ずかしいような。ただ、嫌ではないことだけは自覚している。

 

 それだけは確かだった。

 

「さて、休憩は終わりじゃ。早くせぬと朝飯がなくなるぞ?」

「……それは困るな。急ぐとするか」

 

 星露を先頭に二人は再び駆け出す。

 

 やがて到着したのは一つの村だった。元いた場所から山を二つ越えた麓にあるこの村は、范星露の知り合いが村長を務めている所らしい。入口に男性が待ち構えていた。

 

「これは万有天羅。お待ち申しておりました」

「おお、村長。今朝も世話になるぞ」

「はい。朝食の準備は出来ております。お連れ様の体調が回復したらお越し下さい」

 

 そう言うと村長は席を外す。

 星露は後ろで座り込んでいる八幡に声を掛ける。

 

「昨日より30分早くなっておる。中々順調じゃぞ、八幡よ」

「はぁっはぁっ、そうっかっ。はぁっはぁっ」

 

 肩で息をする八幡。そんな様子を見て星露は思いつく。

 

「辛そうじゃな……よし、朝食は儂が食べさせてやろう」

「……いや……一人で……食べれる……から」

 

 呼吸を整え、徐々に回復しながら話す八幡に星露は満足そうに頷く。

 

「なら、朝食を食べに行こうか。行くぞ」

「……ああ」

 

 何とか立ち上がり星露の後を追う。

 朝食を食べた後は再び元の道を戻ることになるし、この後も修行は続く。

 無理にでも食べておかないと後がもたないのは、この数日で八幡が実感していた事だった。

 

 

 

 

 

 

「万有天羅、こちらが本日分の食料になります」

「ふむ、助かる。明日も来るのでよろしく頼むぞ」

「はい、分かりました。八幡君持てるかい?」

「大丈夫です。ありがとうございます、村長」

 

 朝食を取り終え少し休憩した後二人は、村長と別れの挨拶を交わしていた。

 村長から渡された物は本日分の食料だ。共同生活が始まって以降、毎朝この村に立ち寄り朝食を取る。そして昼と夜の食料を受取り、また元の場所に帰っていくのだ。

 

 星露曰く、体力作りと星辰力コントロールの修行を兼ねているそうだ。

 

 八幡は自身に取り付けられた煌式武装に目をやる。

 両手両足に取り付けられているのはリング型の煌式武装だ。四か所同時に取り付ける事で効力を発揮し、一つ辺り100kgの重さとなる。手足の四か所に同量の星辰力を流し、留める事で重量を軽減することが可能となる。

 しかし一定以上の星辰力を流せば重さが元に戻り、四か所の星辰力量がバラバラでも重さが元に戻ってしまう。

 多すぎず、少なすぎず、かつ同量の星辰力を流し続け維持しなければならない。まさに星辰力コントロールの修行の為に存在するような煌式武装だ。

 

 修行が始まって以降、風呂と休憩、そして就寝と一部の修行以外は常に取り付ける事を星露からは要求されている。始めはろくに動くことすら出来なかったが、今ではある程度自由に動く事が可能になった。

 

「よし、では帰るとするか。行くぞ八幡」

「分かった。村長さん、明日もよろしくお願いします」

「はい、またのお越しを心よりお待ち申し上げております」

 

 二人に向かって村長が頭を下げる。村長から渡された荷物を八幡が持ち、二人は再び元の場所へと駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 二人が帰ってきたのは午前11時頃だった。

 修行初日の帰宅時間が13時過ぎだったことを思えば格段に進歩している。

 

「儂は昼食を作ってくるが、八幡はこのまま次の修行にいけるか?」

「はぁっはぁっはぁっ、ふぅぅぅぅぅ………大丈夫だ」

 

 呼吸を整え八幡が返事をする。

 

「そうか、なら」

 

 星露がぱちりと指を鳴らす。

 

 すると八幡と星露を中心とした空間に縦横無尽に線が走る。その線で切り取られた空間がパズルのように組み替えられ、二人は板張りの広間に立っていた。

 そこに壁らしきものはなく、彼方まで板張りの床が続いている闇の空間。床に置かれた無数の蝋燭のみが辺りを照らしていた。

 

「さて、それでは修行の続きじゃ。昼食が出来るまでは座禅じゃな」

 

 そう言うと星露は八幡の隣に座り座禅のポーズを取った。リングを外した八幡も見様見真似でそのポーズを真似し、精神を落ち着かせていく。

 鳥などの生き物の声、風の音すらもない静謐な空間。他者が邪魔をしないたった二人だけの世界。

 通常、座禅が星脈世代の修行として行われることはない。身体を鍛え技を磨くのが修行としての正しい姿だ。

 だが、精神を落ち着かせ鍛えるのにはもってこいと星露は言い、この修行は毎日行われている。

 

 八幡もこの修行は嫌いではなかった。

 

 隣に座る星露を横目でちらりと見る。目を閉じ足と手を組んだその姿は、自身とは比べ物にならない程の完成度だ。まるで世界と一つになって溶け込んでいるかのように八幡は感じた。

 

 今現在、八幡の隣に星露が座っているが正確にはもう一人の彼女が存在している。元の空間にいる彼女は先の言葉通り昼食を作っている最中だ。ここは元の世界と違い位相の異なる空間と星露は言っていた。やろうと思えば複数の位相に同時に自らを存在することができるという事も。

 彼女が使える術の一つらしいが……

 

「ほれ、雑念が入っておるぞ」

 

 こちらの心の葛藤をみすかすように隣から声が掛かる。

 

 余所事を考えるのは後でいいと思い、目を閉じ心を無にしていく。

 座禅を組んでいる間は何も考えなくていい。

 

 

 両親の事も、妹の事も、そして……家族になろうと言ってくれた少女の事も

 

 

 

 あの日の問いかけの答えは……まだ出せていなかった。

 

 

 

 

 

 

 昼食を食べた後は再び修行の再開である。再びリングを身に着け異空間へと足を運ぶ。

 午後の修行は主に能力を使用して行われる。その修行内容はバラバラだ。

 

 例えば

 

『じゃんけんぽん!』

 

 闇で手を生み出して星露とじゃんけんをしたり

 

 

「45……46……47……48……」

「ほう、中々速くなったではないか」

 

 闇の手で箸を掴み皿に載った豆を別の皿に移したり

 

 

「犬…………猫…………鳥…………牛…………盾…………皿…………刀…………槍…………」

「……!っ!!」

 

 星露の言葉に合わせて、闇を瞬時に変化させ様々な物を生み出したりもした。

 

 

 

 その修行内容は闇を色んな形へと変化させることを主としていた。

 これは八幡が自身の能力に対して恐れを抱いているだろうと星露が読み取り、本人の心理的な負担を考慮し能力の制御を狙ったものである。

 

 能力を少しずつ小出しにして思うがままに操作できるようにする。それを目的としていた。

 

 とはいえ、能力を長時間使用するのは肉体的にも精神的にも負担を強いる。数時間もすれば八幡は限界を迎えた。

 

 そうなった時の星露の行動は一つだ。

 

「ほれ、こっちに来るのじゃ」

「いや……でもな……」

「遠慮などするでない、ほれここじゃ」

 

 渋る八幡を座らせ横に寝かせる。そしてリングを外して、その頭を正座した自らの膝に乗せる。

 

 

 続に言う膝枕である。

 

 

「今日もよう頑張ったの」

「………………」

 

 星露は褒めながら八幡の頭をゆっくりと撫でていく。

 八幡が目線を上げると星露の顔が近くに見える。幼い顔に浮かぶその笑みは、まるで母親が子供をあやす様に慈愛に満ちていた。

 

「……………………」

 

 八幡は困惑していた。

 

 

 ―――――もっとじゃ!もっと儂を滾らせよ!比企谷八幡!!

 

 獰猛な笑みを浮かべ襲い掛かってきたその姿を。

 

 

 ―――――すまぬ。思い出させてしもうた

 

 左手を包み込んだ小さな手の温もりを。

 

 

 ―――――八幡よ……おぬし、儂の家族になる気はないか?

 

 真剣にこちらを見つめてきた真っすぐな瞳を。

 

 

「ふふっ♪このアホ毛は中々面白いのう」

 

 そして今、無邪気にアホ毛をいじる子供のような姿を。

 

 

 全てが別人のようで、しかし全てが范星露その人であった。

 

 

 范星露

 界龍第七学院 序列一位 二つ名は万有天羅

 アスタリスクでも一、二を争う実力者だと雪ノ下陽乃は言った。

 

 その実力は自らが体験したので別に疑う事はない。しかしその年齢に見合わぬ強さに疑問が生じ本人に聞いた所、彼女はあっさりと自身の正体を話した。

 

 ―――――儂は妖仙。まあ所謂、仙人の一種じゃな

 

 今日の晩御飯は何かと問われ、それに返事をするように軽く答えられた。

 千年以上生きる彼女は、幾度も身体を交換して生きてきたという。

 

 ―――――儂はおぬしに家族になろうと誘うておる。その家族に対して隠し事はしとうない

 

 純粋な人間じゃなかった事に驚きはない。むしろその強さの理由に納得した。非星脈世代から見れば星脈世代だって十分な化物だ。この世界に神や妖怪や仙人、もしくは精霊や悪魔がいても驚きはしない。

 

「………どうかしたのか?」

 

 じっと見つめていた事に気付いたのだろう。アホ毛をいじる手を止めこちらを見つめる星露。

 

 

 ―――――答えを急ぐ必要はない。ゆっくりと考えてから決めてくれればよい

 

 家族にならないかという問いの後に彼女はそう言った。

 家族になるという事は比企谷の姓を捨てるという事を意味する。そんなに簡単に決められる事ではないし、決めていい事でもない。

 だからこそ今も悩み続けているのだ。

 

「……いや、今日の夕飯は何かなと思っただけだ」

 

 だが本当は分かっている。もう比企谷家には戻れないことを。あの日感じ自覚した殺意と憎しみ。妹を、両親を、奉仕部の奴らを、厄介ごとを持ち込んだ連中を。

 

 今だって考えただけで―――――

 

「……今日は鍋にする予定じゃ。寒い日はやはり鍋が一番じゃからな。そうじゃ八幡よ。おぬしは鍋のしめは何がいい?雑炊か?それともうどんがよいかの?」

 

 撫でる手を再び動かす星露。その手つきは先程までより緩やかに、そして優しく八幡の頭を撫で続ける。

 その手の優しさに何処か懐かしいものを感じ頬が熱くなった。

 

「………………雑炊」

「そうか。では雑炊にするとするかの」

 

 思わず照れてそっぽを向く八幡だが星露の手は止まらない。

 照れる八幡の反応を楽しむかのように、穏やかな笑みで星露は少年の頭を撫で続けた。

 

 

 

 

 

 

 范星露は長き時を生きてきた。それはつまり、人生経験が豊富であり色んな物事を体験したことを意味する。

 二人の生活の中で彼女の体験談が語られることがある。

 

「新選組?新選組ってあの江戸時代末期のあの新選組の事か?」

「そうじゃ。おぬしも剣士なら興味があるじゃろう?」

 

 夕食は宣言通り鍋になった。沢山のお肉と野菜を使用した鍋と雑炊を食べ、二人で皿洗いをしている最中に星露からその話が出た。

 

「この国がまだ日ノ本と呼ばれていた時代に儂はこの地に来た事があった。しばらく各地を放浪としておったが、京の都で奴らと闘ったことを思い出してのう」

「京都で反幕府勢力を取り締まった武装組織だよな、確か」

「その通りじゃ。儂が奴らに出会ったのはある夜の日じゃった。ふらりと出歩いていた儂は、とある建物を奴ら新選組が囲んでいる所を目撃した」

 

 星露は洗った皿を隣にいる八幡に渡す。そして笑みを浮かべ続きを話し始めた。

 

「遠目に見ておったが、奴らの武装と殺気から襲撃を掛けるのはすぐに分かった。厄介ごとに首を突っ込むのもあれじゃから、最初は見学だけに留めようと思っておったんじゃが……」

「……何となくその後の行動が予想できるぞ」

「ほう。儂はどうしたと思う?」

 

 ここ数日共に生活をして、范星露という人物を自分なりに理解していた。

 受け取った皿を拭きながら星露を見る。

 

「乱入したんだろう?新選組と相手方が争っているど真ん中に」

「正解じゃ!心地よい闘気と殺気を感じて我慢が出来なくなってのう。つい身体が動いてしもうた」

「で、その後どうなったんだ?」

 

 話の続きが気になり先を促す。新選組と闘った生き証人の話など、聞こうと思って聞けるものではない。

 

「うむ、いきなり飛び込んできた儂に大層驚いておった。どちらの陣営もしばらく固まっておったぞ」

「……そりゃ驚くだろうな」

「まあ、それを切欠に相手方の一部が逃亡。一部の新選組がそれを追い、残った連中で殺し合いは再開された。儂の目的の人物達は残っておったから問題なかったがのう」

 

 楽しそうに思い出を話す星露。

 

「で、儂の相手をしたのが新選組の近藤勇・沖田総司・永倉新八・藤堂平助の四人じゃ。流石に局長や組長クラスともなれば、その辺の有象無象とはレベルが違う。特に沖田総司の剣の冴えは素晴らしかった。アレこそ天才の名に相応しい剣士じゃったよ」

 

 余程楽しかったのだろう。星露は満面の笑みを八幡に見せる。

 

「その後、土方歳三・斎藤一・井上源三郎などが増援に駆け付けてきた。一通り相手をしたが、皆強き剣士達じゃった……さて、ここで問題じゃ。この事件は今何と呼ばれておるか知っておるか?」

「……池田屋事件だろ。だがあの事件で星露の名なんて聞いた事ないぞ」

「その辺は局長である近藤勇の判断じゃろう。池田屋事件は新選組の名声を轟かせた事件。その事件で新選組の局長や副長、参加した組長全員が一人の女子にやられたとはまさか言えまい」

「……歴史の裏側の真実を知った気がするぞ」

 

 星露が再び皿洗いを再開し、終わった皿を八幡に手渡していく。

 

「あの時代の連中には信念があった。幕府派、攘夷派共にの。覚えておけ八幡。信念のある者は強い。非星脈世代ながら儂に手傷を負わせた新選組の連中がその証拠じゃ」

「凄い連中だったんだな……その後、追手とか掛からなかったのか?幕府側から」

「来たぞ。じゃがあれは……」

 

 手を止め考え込む星露。そして遠くに目をやる。

 

「……今思えば、あれは近藤勇の差し金じゃったのかもしれん。儂と闘って自分では勝てぬと悟ったのじゃろう。化物には化物を。儂の元にやって来たのは夜吹の一族、今は銀河の実働部隊『ナイトエミット』と呼ばれる連中じゃ」

「……夜吹の一族、ナイトエミット」

 

 八幡が呟く。

 

「当時の奴らは表舞台には出てこない存在でのう。儂のような人外の連中を狩る組織じゃった。連中が使う術はちと厄介でのう。特に当主はかなりの実力者じゃった。当時の儂も腕を一本持っていかれたよ」

「……マジか?その時代は落星雨前だから星脈世代はいないはずだろ?」

 

 落星雨は20世紀に地球を襲った未曾有の大災害の事だ。世界中に隕石が降り注ぎ、多くの都市が壊滅状態になった。その結果、既存国家の力は著しく低下し、統合企業財体が台頭してきた。

 

「いや、万応素もマナダイトも星脈世代も昔から存在しておったぞ。極少数ではあるがのう」

「……ちょっと待て。万応素は地球外からもたらされた未知の元素で、マナダイトは隕石から採掘した物だろう。それじゃあまるで」

「そうじゃ。落星雨以前にも同じ現象が起こっていたと儂は睨んでおる。さすれば夜吹の一族の説明も付く」

 

 そこまで言って最後の食器を八幡に渡す。受取った食器を八幡が拭き所定の位置へと閉まって作業が終わる。

 

「さて、片付けは終わりじゃ……どこへ行く八幡?」

 

 片付けが終わると同時にその場から離れようとする八幡を星露が捕まえる。

 

「……部屋に戻って勉強でもしようかなと」

「その前にすることがあるじゃろう。忘れたか?」

 

 夕食後に身体を動かす修行はしない。その代わりに勉強するのが日課になっている。

 しかしそれはある事をしてからの話だ。

 

 じりじりとにじり寄る星露に対し、同じくじりじりと後退する八幡。

 やがて壁際に追い詰められた八幡に、下から上目遣いで覗き込んだ星露が笑顔でその台詞を言った。

 

 

「ほれ、一緒に風呂に入るぞ♪」

 

 

 

 

 

 

 家の裏手に作られた風呂場は露天風呂となっている。洗い場は建物の中にあり、まずはそこで身体を洗う。

 八幡は目の前に座る少女の髪に手を付ける。蝶のように結った髪がほどかれたその姿は、他者が見れば普段とは違う印象を与えるだろう。シャンプーを手に付けて慎重に髪を洗っていく。

 

「そうそう、上手いもんじゃ。やはり八幡に洗ってもらうのは気持ちがいいのう」

「……まあ、昔はよくやっていたからな」

 

 まだ兄妹が幼い頃、妹の髪を洗うのは八幡の役目だった。

 

「流すぞ。目閉じてろ」

「うむ」

 

 シャワーを使い頭に付いたシャンプーを洗い流す。

 

「では、次は身体の方を頼むぞ」

「……自分で洗えるだろう。そのぐらい」

「駄目かえ?」

 

 星露は顔だけ後ろに振り向き八幡に尋ねる。

 

「………後ろだけだぞ。前は自分でやれよ」

「うむ、それが終わったら次はおぬしの番じゃな。儂が洗ってやろう」

 

 星露の発言を拒否しようかと思ったが、多分無駄だと感じ、妥協の意味を込めて八幡は言った。

 

「……後ろだけな」

 

 身体を洗い終わったら二人揃って外に出る。寒空の中急いで湯の中に入ると、身体が芯まで暖まっていくのを感じる。二人で肩を並べてゆっくりと湯に浸かる。

 

「いい湯じゃ~やはり日本の温泉は最高じゃな。アスタリスクもいい所じゃが天然温泉がないのがいかん」

「水上都市には普通ないだろう。しかしこの温泉、源泉100%だっけか……確かに気持ちいいな」

 

 その後しばらく沈黙が続いた。今日は珍しく晴れている為、夜空にはたくさんの星が煌めき輝いている。夜空に浮かぶ大量の星々を見上げていると、心が落ち着いてくるのを八幡は感じた。

 隣にいる星露を横目で見る。

 とてもリラックスした状態で温泉を堪能しているその姿は、無邪気な子供にしか見えない。

 

 比企谷八幡にとって范星露は色んな意味で特別になりつつあった。

 

 星露は八幡に色んな話をしてくれた。こちらの事情は何も聴かず自らの思いと考えを聞かせてくれた。だからといって八幡を蔑ろにしている訳でもない。八幡が話をした時は、余計な茶々を入れずに最後まで話を聞き色んな意見を言ってくれた。

 

 子供の様な大人で、大人の様な子供。相反する二つの答えが比企谷八幡の范星露に対する印象だ。

 

 そんな彼女からの家族になろうとの問いかけ。己の答えはほぼ出つつあった。

 

 だが

 

「……………なぁ星露」

「………何じゃ?」

 

 相手は自身の秘密を打ち明かしてくれたのだ。

 

「……聞いてほしい事があるんだ」

 

 

 ならばこちらも、自身の話をしなければならないだろう。

 

 

 

 

 

 

「……というわけだ」

「なるほどのう」

 

 八幡は全てを話した。剣術の事。妹の事。両親の事。小学校の事。中学校の事。そして奉仕部で起こった数々の出来事を。それらには勿論、文化祭と修学両行の出来事も含まれている。

 八幡が話している間、星露は何も口を挟まなかった。ただ真剣な表情でこちらの話に耳を傾けてくれていた。

 

 それらを話し終えた八幡の胸中は不安でいっぱいだった。

 自身の行動が間違っているのは理解している。だが他に解決方法が思いつかなかった。それ故にあの様な行動を取らざるをえなかったのだ。

 

 本当なら他者に対してこの様な話をすることはなかっただろう。自身の行動を語った所で何の意味もないし、取り返しなど付くはずがないのだから。

 

 だが目の前の少女に隠し事はしたくなかった。自身の重大な秘密を明かし、家族になろうと言ってくれたこの少女に黙っていることなど……出来るはずがない。

 

 だが不安だった。もしも拒絶されたら?罵られたら?信用したい。だが怖い。それらの感情が八幡の中で渦巻いていく。

 そんな八幡の姿は怯える幼い子供となんら変わりなかった。悪い事をした子供が母親の前で悪戯した事を謝るような、そんな印象すら他者には与えるだろう。

 

 八幡は目を閉じ審判を待った。自身の全ては話した。

 後は星露がどんな答えを返そうと―――――

 

「……よくやったのう」

 

 突如、声と共に柔らかい感触が八幡の顔を覆った。

 目を開ければ一面に肌色が広がっていた。声の方向を向こうとしたが顔を動かすことが出来ない。何かが自身の顔を押さえつけていたからだ。

 そこで漸く把握した。星露が立ち上がりこちらの傍まで来て、自身の両手を使って八幡の顔を自身の胸に抱いている事を。

 

「…………何で」

 

 八幡のその言葉には幾つかの意味が込められていた。

 抱きしめられる意味が分からない。褒められる意味が分からない。自分の行ったことは最低のはずだと。

 星露は八幡の頭を撫でながら話を続ける。

 

「確かにおぬしの行動は褒められたものではないのかもしれん。自らを犠牲にするそのやり方を責めるものも多いじゃろう」

「……ああ」

「だが目的は果たしたのじゃ。その事に対しては褒めるのが筋というものじゃろう。だから……泣いてもいいのじゃ、八幡」

 

 その言葉に――――魂が揺さぶられた。

 

「頭のいいおぬしじゃ。自らの行動がどのような結果になるかなどすぐに分かったろう。しかしおぬしは実行した。否、実行せざるをえなかった」

 

 その通りだ。そうしなければ守れないものがあったから。

 

「おぬしは自らを責めているのかもしれん。全てが自分の責だと。だがそんな事はない。儂が断言してやろう。おぬしは間違っていない」

「っ!!」

 

 その言葉に目頭が熱くなった。

 

「勿論、おぬしにも直すべき所はあるぞ。自らを犠牲にするやり方は直した方がよい……今後、何かあったら儂に相談してみよ」

「相……談?」

「そうじゃ。こんな子供の姿ではあるが長生きはしておるでの。相談してくれれば解決策を一緒に考える事ぐらいはできるぞ……だから我慢しなくてもよいのじゃ」

 

 その言葉に目から何かが溢れ前が見えなくなった。

 それは涙だった。一度出た涙はもう止められない。気付けば目の前に少女の腰に手を回していた。

 

「…………信じてたんだ」

 

 吐き捨てるように呟いた。

 

「………あの場所の居心地がよかった。あの場所が……あいつらが……初めて出来た本物だと思ったんだ」

「…………」

 

 星露は何も語らない。八幡の頭をゆっくりと撫で続けているのみだ。その優しさが八幡の本音を引きずりだす。

 

「でも違った!あいつらなら分かってくれると思ったのは、俺の勝手な思い込みだったんだ!」

 

 分かり合えていると思った。無茶な依頼を解決するには、こちらも無茶な手段を取らなければならない。

 絶対に成功してほしい告白と、その告白を阻止してほしいという矛盾した二つの依頼。両者のグループを守りながら解決するなど自分には思いつかなかった。

 

「だから俺は………」

 

 偽の告白をして依頼を解決した。その結果、学校に居場所がなくなろうと、奉仕部の人達が居てくれれば問題なかっただろう。しかしその目論見は外れ、奉仕部の二人に八幡は拒絶された。

 例え八幡が理性の化物と称されていても一人の人間だ。悪意に晒され乏しめられて傷つかないわけがないのだ。表面的には何も変化はなかったが、精神はとっくに限界を超えていた。

 だがそれでも日常を歩み続け――――――妹の件で止めを刺された。

 

 星露が八幡を強く抱き締める。そして優しく宥めるように話しかける。

 

「それでよい。おぬしの想い、おぬしの本心を全て吐き出せ。このような貧相な胸ではもの足りぬかもしれぬが、受け止めてやろう」

「……あぁぁっぁぁあああああああっっ!!」

 

 もう限界だった。

 星露の言葉を切欠に八幡は大声を上げ泣き始めた。

 

 その叫びは少年の心の慟哭を表していた。

 悲しい事。苦しい事。言いたい事。言えない事。その全てが込められているかのように。

 

 少年と幼女はお互いに裸身を曝け出し、少年は幼女の胸に抱き着き号泣している。そして幼女はそんな少年の頭を撫で続けた。

 

 脇目も振らず一心不乱に泣き続ける少年のその姿は、決して美しいものではないのかもしれない。

 

 だがそんな事は関係ない。

 

 

 ―――――自身の思いを全て打ち明かす様に

 

 

 ―――――自身の心の闇を全て吐き出すかのように

 

 

 ―――――比企谷八幡はただひたすら泣き続けた

 

 

 

 

 

 

「ううぅぅうっぅうっぅぅぅ」

 

 比企谷八幡は唸り続ける。

 

「うぅぅぅぅうぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ」

 

 布団にうつ伏せになり顔を枕に埋めひたすらに唸り続ける。その顔を正面から伺うことは出来ないが、横目で見た彼の顔は頬から耳まで全て真っ赤に彩られており、正面から見てもそれは変わらないだろう。

 

 裸の幼女に胸に抱き着き、泣き続ける裸の中学生男子。

 

 事案どころの騒ぎではない。黒歴史どころの騒ぎではない。完全に真っ黒だ、アウトだ、スリーアウトチェンジだ。

 そんな事を考える少年の心は完全に混乱の極にあった。もし自身の横の件の幼女がいなければ、ゴロゴロと布団の上を転がり続けていただろう。

 

 枕に埋めた顔を少し傾け自身の横を見てみる。

 そこには穏やかな笑みでこちらを見つめる范星露の姿があった。

 

「風呂から出たら勉強の時間なのじゃが……その様子では無理そうじゃな」

 

 その問いに頷こうとするも恥ずかしさで動けない。今のこの状態では、勉強した所で碌に頭に入ってこないのは間違いない。

 八幡の返事を待たずに星露は立ち上がり、部屋の電気を消す。

 

「まあ今日の所はゆっくりと休むがよい。おやすみじゃ、八幡」

「…………おやすみ」

 

 何とか返事を返すと星露は八幡の隣にある布団に入っていく。八幡も自身の布団に入りお互いに就寝に入る。

 

 暫し時が経つ。だが眠れない。先程の出来事から左程の時間は経っていない。未だ興奮冷めやまぬ中、眠れるはずがなかった。

 

 ちらりと星露の方を見る。目を閉じたその姿で眠っているかどうかは、八幡には判別できなかった。

 星露の顔を見るだけで先程の事を思い出し、頬が熱くなるのを押さえられない。

 

 八幡は自身の心が軽くなり楽になっているのを自覚していた。星露によって自身の奥底に眠る思いを全て吐き出した影響だろうと分析する。

 相手は年上だが幼女。いや、肉体年齢は一桁なので年下と言っていいのかもしれないが。ともかく、会ってまだそんなに経っていない相手に己の全てを曝け出したのだ。家族にも、妹にも、そんな事をしようとは考えもしなかった。

 

 恥ずかしかった。

 だが今の気持ちは―――――決して嫌なものではない。

 

 そんな己の心の変化に驚く。范星露とは己の中でそこまで大事な存在になっていたのかと。

 

 だから

 

「……もう少しだけ待ってくれ、星露。あとちょっとで答えを出すから」

 

 その呟きに反応するかのように、星露の顔がこくりと頷いたように見えた。

 起きているのか寝ているのかは分からない。だがどちらでもよかった。

 

 八幡は目を閉じて眠りに入っていく。急激な睡魔に襲われ意識が失われていくのが分かった。

 そして完全に意識が失われる直前に

 

「……待っておるぞ、八幡」

 

 そんな声が聞こえた気がした。

 

 

 




今回の話は八幡を泣かせるためだけにありました。
彼の抱えるものと心の推移を上手く表現し、八幡らしさを表せていればいいのですが……

以下設定です。

リング型煌式武装
独自設定です。文中にある通り、4つを同時に装着して発動。同量の星辰力を4つに流す事で重量の軽減が可能。ただし完全に重量をなくすことは出来ない設定です。
星辰力のコントロール技術を短時間で身につけるにはどうすればいいかを考えたら思いつきました。

范星露に関して

彼女の正体である仙人に関してですが、原作であるキャラが范星露の正体に関して語った時に出てきました。ただ本人が明言したわけではないので、本当にそうなのかは現時点では不明です。個人的には間違ってはいないと思いますが。
今作品では仙人という設定をそのまま使用しますので、ご了承ください。

新選組
完全に独自設定です。夜吹の一族が日本にあると仮定し、星露と過去にどう絡んだか妄想したらなぜか新選組が思いつきました。まあ戦闘狂の星露なら新選組がいたら絶対絡むよねという感じで。池田屋事件もwiki等で調べただけなので、おかしい所があったらご指摘をお願いします。


後、UA70000 お気に入り1000突破ありがとうございます。
前回の話で評価とお気に入りが増えて凄く驚きました。

星露の力か、幼女の力か。それとも両方なのか。
一体どれが原因なのか悩ましい所です。

しかしヒロイン星露を書き、皆さんの前話の感想を見て思いました。
年上プレイも可、年下プレイも可、母性もあるしカリスマもある。何だこのヒロイン最強じゃないかと。自分で書いてて何ですが、やばいものを生み出してしまった気がするのは気のせいでしょうか?
読者の皆さんにも聞いてみたい所です。

今回の話は過去最長の11000字を突破。
本来なら答えを出すまでの予定でしたが、それを書くと確実に15000字を突破しそうだったので、区切りのいい所で切りました。

最近思う。書けば書くほど文字数が増えていくと。
あまり描写を細かくしてもくどいだけですが、描写を表現しないと話は進まない。

上手い人は少ない文字で話を構成できるので凄いと思います。
誰か上手いコツがあれば教えてください。

未だアスタリスクにすら到達していないこんな作品ですが、応援してくださると嬉しいです。

では次回もよろしくお願いします。


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第十二話 そして二人は家族となる

作者のお盆休みを生け贄に捧げ次話を召喚!

という事で早めに更新できました。

尚、作者は遊戯王をGXまでしか見てないのであしからず。



 あの夜から数日が過ぎ、修行が始まってちょうど一週間が過ぎた。

 

 二人の修行は毎日続いていたが今日は少し様子が違う。

 修行というのは毎日続けるのが望ましいが、肉体的負担も考慮しなければならない。

 

 本日は星露の取り決めにより一週間に一度の休息日だ。

 ただ、休みとはいえリング型煌式武装は取り付けたままであるが。

 

 今日は朝から村に行くこともない。休日分の食料は前日に多めに貰ってきているからだ。

 それ故、星露が作った朝食を食べた後の行動はいつもと大きく異なる。

 

 具体的に言うと、今日は朝から勉強漬けである。

 

「……意外だな」

「何がじゃ?」

 

 八幡の呟きに星露が疑問を返す。

 

「アスタリスクに入った生徒は鍛錬や修行ばっかりで、勉強なんて殆どしないと思っていた」

「ああ、そのことか」

 

 八幡が手元の参考書から目を離し、生じた疑問を隣にいる星露に問いかける。

 納得がいったのか星露が答える。

 

「アスタリスクには六つの学園があるのは知っておるな。それら六校は三年掛けて行われる星武祭、正確には星武祭の本選に出場した選手のポイントによって覇を競っておる。勿論、順位が高いほど貰えるポイントが高いぞ。そして三年毎に六校のポイント順による順位付けを行っておるわけじゃ」

「なるほど。だが星武祭と勉強はあんまり関係ないと思うが……もしかして星武祭以外でもポイントって入るのか」

「正解じゃ。定期試験の点数によって各学校にポイントが配布されておる。じゃが星武祭よりポイントが少ない故、重視しておる学園は少ないがな。実質アルルカントの独占状態よ」

 

 アルルカント・アカデミーは所属する生徒が実践クラスと研究クラスに分かれており、研究クラスの落星工学の技術は世界でもトップクラスである。徹底した成果主義を奉じる校風で、研究クラスの発言権が圧倒的に強く、他校の序列制度が特に重要視されていない学園だ。

 

「そこ、間違っておるぞ」

「……ええと、ここか?」

「そうじゃ。そこは使用する公式が――――」

 

 星露の指摘に従い間違いを直していく。

 

「……数学が苦手と聞いておったが、案外理解は早いではないか」

「そうなのか?」

「うむ、この分なら近いうちに平均点ぐらいはいけるじゃろう」

「……星露の教え方が上手いからな。俺でも普通に理解できる」

「ふふん、儂に感謝するがよいぞ♪」

「はいはい、ありがとな」

 

 胸を張る星露の頭を軽く撫でる。

 そこからしばらく勉強の時間が続いた。

 間違っている所や分からない所を星露が指摘し教えていき、八幡の勉強は進んでいく。

 

 朝から始まった勉強は昼食の時間を挟んでなお続き、気付けば時刻は夕方になっていた。

 

「さて、儂は夕飯の準備をしてくるぞ。準備が出来るまでは勉強しておれ」

 

 そう言うと立ち上がり台所に向かう星露。

 

「……星露」

「何じゃ?」

 

 その背中に八幡が話しかける。

 顔だけ振り向いた星露に八幡は言う。

 

「話がある……少し時間を貰えないか?」

「分かった……寝る前でよいか?」

「……ああ」

 

 軽い口調で話す二人。

 だが両者とも分かっていた。

 

 これから始まるのは一つの区切りであり……両者にとって大切な話であることを。

 

 

 

 

 

 

 その後の行動は普段と変わらない。

 二人でご飯を食べ、二人で食器を洗い、二人で温泉に入った。

 

 そして

 

「ほれ、お茶じゃ」

「ありがとう」

 

 星露から湯呑みを受取る。受取った湯呑みを口に含み一口飲む。

 

「……上手い。いいお茶だな」

「そうか?……ふむ、中々の出来じゃが暁彗には及ばぬな」

「暁彗?界龍序列二位の覇軍星君の事か?」

「そうじゃ。あやつの淹れる茶は上手いぞ。機会があれば飲んでみるとよい」

「そう……だな。その時は頼んでみる」

 

 始まりは穏やかに。

 

「さて、話があると聞いたがどんな要件じゃ?」

「……例の件だ」

「ふむ、では答えを聞かせてもらうとしようか」

 

 八幡は星露を見る。

 

「その前に一ついいか?」

「よいぞ。言うてみよ」

 

 少しだけ躊躇う。だが聞かない訳にはいかない。

 

「……俺にどれだけの価値があるか知りたい」

「価値とな?」

「ああ、今の俺の実力……そしてあの時の実力がどの程度で、それがどれだけの価値を生むか知りたい」

 

 星露は少し考え込む。

 

「……現状の実力はそれなりといった所じゃな。分かっているじゃろうが、今のおぬしの星辰力はあの時の一割にも満たぬ。それでも並みの星脈世代よりは遥かに多い星辰力を持っておるがな。能力はまだ未熟で剣術とてブランクがある……そうじゃなぁ、界龍では序列20から30といった所か。そして……」

 

 星露が言葉を一旦区切る。

 

「……あの時のおぬしなら序列一位クラスで間違いないぞ。儂とあれだけ渡り合える者はアスタリスクとてそうはおらん。儂以外となると『時律の魔女』と『孤毒の魔女』ぐらいじゃろう」

 

 二人の魔女の名が挙げられた。その中の一人の名は聞き覚えがあった。

 

「孤毒の魔女というと前回の王竜星武祭の優勝者だったか。確か名前は……」

「……オーフェリア・ランドルーフェン。無尽蔵の星辰力と瘴気を操る能力を持っておる。ただ、その制御が出来ず常に毒素を周囲にまき散らしておるがな。アスタリスクで儂と互角に渡り合えるのは彼奴ぐらいじゃ」

「制御できないのか?」

「おぬしとある意味似ておる。強すぎる能力はその制御が難しいからの。まあ、孤毒の魔女の場合はおぬしと違い制御できぬじゃろうがな」

 

 それは気になる物言いであった。

 

「制御……できないのか?俺の場合は修行すれば制御できるんだろう。ならそいつだって」

「アレは通常の星脈世代とは違う存在じゃからの。詳しく話してもよいが聞きたいか?」

 

 その問いに八幡は首を横に振る。

 

「……いや、止めておく。本人の問題を他の人から聞くのは違う気がする」

「そうか……話が逸れたが、あの時のおぬしをスカウト共が知ったら間違いなく欲しがるじゃろう。例えおぬしがどんな条件を出そうともな。それだけの価値がおぬしにはある……これで満足か?」

「ああ……」

 

 八幡は深呼吸をする。

 深く、深く、呼吸を行い、人生の岐路に対して決断を下す。

 

「星露。君の家族になろう……ただ」

「ただ、何じゃ?」

「……条件というか、お願いがあるんだ」

「ほう。詳しく聞かせてみよ」

 

 八幡は考えた。自分がいなくなるのはいい。いなくなった所で悲しむ人などいないのだから。

 ただ、残してきた妹の事は心配だ。例え憎くても最愛の妹のなのだから。

 

 だから、兄として妹への最後の贈り物だ。

 

 

 

 

 

 

 

 八幡は己の望みを言う。それは大きく分けると以下の内容になる。

 

 一つ、比企谷八幡を引き取る代わりに、比企谷家に金銭を授受すること。

 二つ、比企谷小町をアスタリスクの推薦対象から外すこと。

 三つ、比企谷小町が界龍第七学園に入学することを希望してもこれを拒否すること。

 

 上記の三つだった。

 星露は呆れながら八幡に言う。

 

「優しいの、おぬしは。己のためではなく全て家族のためとは。儂はおぬしが家族のことを憎んでいると思っておったぞ」

「……そういう気持ちがないといえば嘘になるな。だけど、あの人達もある意味被害者だと思うんだ」

「ほう」

 

 八幡は思う。この世の中の風潮にこそ根本的な原因があるのではないかと。

 

「今の世の中は統合企業財体の思うがままだ。利益が最優先でそれ以外は蚊帳の外。企業の大半はブラック会社で、世の中の人達は安い給料に少ない休日で働いている人達ばかり。俺の両親だってそうだ」

 

 星露は頷く。

 

「だから、両親があんな行動に出るのはある意味正解だと思う。子供の為を思えば、アスタリスクに行かせるのは必ずしも間違ってはいない。そう思うんだ」

 

 確かにそれは間違っていない。アスタリスクに行き良い成績を挙げれば将来は安泰だ。だからこそ、世の中の星脈世代の大半はアスタリスクを目指す。

 

「それは理屈の上での話じゃな……八幡よ、おぬしはそれで納得できるのか?」

「世の中には星脈世代というだけで捨てられる子供も多いと聞く。その子たちに比べれば俺はマシな方さ。違うか?」

「……確かに間違ってはおらんの。アスタリスクには捨てられた者や居場所のなくなった者も多い」

「憎い気持ちもある。やるせない気持ちもある……だけど家族なんだ。愛情を注いでもらった時期もあるし、育ててもらった恩もある……だから頼む」

 

 八幡が深々と頭を下げる。星露は少し考え返事を返す。

 

「……条件を飲む前に幾つか質問させてもらってよいか?」

「ああ」

 

 星露が右手の人差し指を挙げる。

 

「金額が幾らかは後で決めればよいが、界龍傘下の企業におぬしの両親を紹介してもよいぞ」

「紹介?」

「そうじゃ。俗にいうコネというやつじゃな。仕事が楽で給料がよい会社は幾らか紹介できよう。どうじゃ?」

「……いいのか?」

「構わんよ。先程申したであろう。どんな条件でも出すと。その方がおぬしも安心するじゃろう?」

 

 八幡は考える。

 

「…………分かった。両親さえよければそれで頼む」

「では、そのように手配しておくぞ。さて次じゃ」

 

 星露が右手の中指を挙げる。

 

「おぬしの妹である比企谷小町はそれほどの実力者か?」

「いや、今のアイツの実力は大したことはない。それは俺が一番よく知っている……だけどあいつは今後伸びる。そんな気がするんだ」

「それは根拠あっての事か?」

「……ただの勘だ。だけど不思議と外す気がしない」

「ふむ、よかろう。ただし儂が干渉するのは界龍のみじゃ。他の五校に関しても出来ぬことはないが、儂が動きすぎると余計な注目が集まりかねない。その結果、比企谷小町に注目が集まるのはおぬしの望む所ではないじゃろうからの」

「ああ、分かった」

「そして最後……」

 

 星露が右手の薬指を挙げる。

 

「よいのか?そこまで拒絶しなくてもいいと思うがの」

「……いいんだ。あいつは闘うのが嫌いだからアスタリスクに来ることはない思うが、念のためだ……俺がいない方がアイツは幸せになれる」

 

 自分の所為で妹には苦労を掛けた。それに幸せになれるというのも嘘ではない。普通の人生を送るのなら今後の自分には近づかない方がいい。そう八幡は確信している。

 星露は溜息を一つつく。

 

「ふぅ、三つ目の条件も受けよう。では、準備をしてくるので暫し待っておれ」

 

 そう言い残すと星露は席を外した。

 壁に掛けられた古時計の針の音だけが響く部屋の中、一人残された八幡は呟く。

 

「……………これでいいんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 八幡の目の前に一つの書類が置かれた。長々と文章が綴られているが主な内容は先の条件通りだ。

 文章の最後に二か所名前を記入する箇所がある。一つは八幡の名前を書く所。もう一つは両親が名前を書く所だ。

 両親のサインは八幡がサインした後に代理人が貰いに行くという。実質、八幡がサインをした瞬間に効力を発揮するといっていいだろう。

 つまりこのサインがされたとき、比企谷八幡の名はこの世から消える。

 そして、范星露の家族になることが公式の記録として残ることになるのだ。

 

 八幡はペンを取りサインする場所へと腕を近付ける。その動きに淀みはない。

 自身の心が落ち着いているのを八幡は感じた。自身の心に乱れがないことが不思議なほどだ。書類の少し上空で動きを止める。

 

 目を閉じ思い出す。

 たった一人の妹のことを。

 

 ―――――おにいちゃんばっかりずるいよ。

 

 あの日泣いていた妹を。

 

 

 ―――――おにいちゃ~~ん

 

 満面の笑みでこちらに駆け寄る妹を。

 

 

 ―――――お兄ちゃんが推薦されるのに相応しいか、私が確かめてあげる!!

 

 泣きながらこちらに襲い掛かる妹を。

 

 

 ―――――おに……い……ちゃ……ん

 

 自らが傷付けてしまった妹の姿を。

 

 

 愛している。憎んでいる。その両方の気持ちがせめぎ合う。

 二つの気持ちは拮抗しており、天秤がどちらに傾くのかは今でも不明なままだ。

 分かっているのは、これ以上妹の傍にいれば傷つけてしまう事。それだけは間違いない。

 

 だから

 

「……幸せになれよ、小町」

 

 比企谷八幡は自らのサインを書類に記入した。

 そして書類を星露に渡す。

 

「確かに受取った。契約内容は万有天羅の名に懸けて必ず果たそう」

「……ああ、頼む」

 

 星露は八幡の前に右手を差し出す。

 

「まあ、その、何じゃ……これからよろしく頼むぞ、八幡よ」

 

 頬を少し染め照れながら話しかける星露。そんな彼女の右手を握り返しながら軽い感じで八幡は言った。

 

「ああ、よろしく頼むぞ。妹」

 

 八幡の返事にきょとんとした表情を浮かべる星露。

 しかし徐々に実感が込み上げてきたのか、満面の笑みを八幡に見せる。

 

「……そうか、妹になるのか。この儂が。ふむ、悪くないの……ではおぬしの事は兄上と呼ぶべきか?」

「まあ、好きに呼ぶといいさ。八幡でも兄上でも好きに呼んでいいぞ」

「ふふっ、ならばよい呼び方を考えねばならんのう」

 

 笑い合う二人。

 その様子はとても仲が良く、しかしまだ何処かぎこちない。

 

 これからの二人が、どのような歩みを見せるかまだ誰にも分からない。

 

 しかし賽は投げられた。

 

 万有天羅に家族が出来た事がばれれば混乱は必須。

 

 アスタリスクに衝撃が走ることは間違いない。

 

 

 范星露は比企谷八幡を欲し彼を求めた。

 

 比企谷八幡はそれに応え比企谷の姓を捨てた。

 

 

 そして比企谷八幡は范八幡となり

 

 

 

 二人は家族となった。

 

 

 

 




多分、賛否両論になるであろう今回の話をお届けしました。

范八幡になることはプロット段階で決まっていたので予定通り。
八幡が比企谷の姓を捨てる理由付けが納得出来てもらえればよいのですが……

しかし今回の話は5000文字でしたが、凄く少ない感じてしまう作者は何か基準が狂っている気がする。文字数が少ないため今回は早く更新できたんですけどね。

修行編は後一、二話ぐらいになる予定。

では次回もよろしくお願いします。


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第十三話 再会

お待たせしました。やっと出来たので続きをお楽しみください。

誤字、脱字、感想等あれば、よろしくお願いします。



 真冬の季節が過ぎて気温が少しずつ暖かくなり、少しだけ朝日が早く昇るようになってきた。

 しかし山の景色は未だ雪景色で覆われたまま。

 だが、少しずつ春の訪れが刻々と近付いてきているのが肌で感じ取れる。

 

 二人が家族になってから三ヶ月の時が過ぎていた。

 

 相も変わらず二人の修行の日々は続いている。

 

 

 比企谷八幡が范八幡と名前を変えたあの日以降、彼にある変化が起こった。

 それは、彼の使用できる星辰力の量が増大し、能力の制御も格段に安定したのだ。

 

 范星露曰く、自身を許せない心が使用できる星辰力を無意識に押さえつけ、心の揺れが能力の制御に不安定さをもたらしていた、との事だ。

 新たな家族が心の楔を解き放った影響か、八幡は能力をある程度操る事に成功していた。

 勿論、范星露と死闘を繰り広げたあの夜には遠く及ばない程度ではあるのだが……

 

 そして三ヶ月の時が過ぎた現在、修行の内容も大幅に変更されていた。

 

 現時刻は午前7時55分。

 家の近くの崖に二人の人物が佇んでいた。

 

「スタートまで後少しじゃな。準備はよいか八幡よ?」

「いつでもOKだ」

 

 星露の問いかけにストレッチしながら返す八幡。

 

「条件はいつもと変わらず。8時におぬしがここを出発し5分後に儂が追いかける。8時30分までにおぬしが儂の妨害を掻い潜って先に村に到着すればおぬしの勝ち。時間オーバーになれば儂の勝ちじゃ」

「……ああ」

 

 ストレッチを終えスタート準備に入る。星辰力を解放し全身に行き渡らせていく。

 

「ふむ、以前よりも星辰力の使い方が上手くなったの」

「……あれだけ修行したからな。嫌でも上手くなるさ」

 

 自身の両手両足に視線を巡らす。リング型煌式武装は取り付けられたままだが八幡の動きに淀みはない。

 細かな星辰力の制御が出来るようになったので、普段と同じ動きが出来るようになったのだ。

 今も取り付けている理由は修行用の重り以外の理由はなくなっている。

 

 雑談を話ている間に時刻が迫ってきた。

 現時刻 午前7時59分50秒。

 

「10……9……8……7……6……5……」

「ふぅぅぅぅぅ」

 

 深呼吸をする。

 

「4……3……2……1……スタートじゃ!」

 

 スタートの合図共に空中へ駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 八幡はこの三ヶ月、村へと訪れて体力作りと星辰力のコントロールの修行を行った。当初こそ星辰力コントロールに苦労し、村へたどり着くのに片道3時間以上掛かっていた。

 しかし、八幡がリング型煌式武装に慣れてくるとその記録は徐々に更新されていき、今では村へ到達するのに片道一時間と掛からない。

 

 そして細かな星辰力コントロールが出来るようになってから、修行は更に加速した。星露から本格的な星仙術を仕込まれた八幡は僅か一か月弱でその結果を見事に出した。

 

 そして今――――-八幡は空を駆け村へと向かっている。

 

 

 足を動かし虚空を踏む。その瞬間に星辰力を両足に集中させ足場を生成する。ただし集中させるのは虚空を踏み出す瞬間だけ。

 無意識にこれが出来るようになれば空を駆けるのは案外容易い。

 空を駆けるだけなら、界龍の生徒であれば時間を掛けて習得することが出来るし、万有天羅の弟子でなくとも空を駆けることが出来る生徒は多い。

 

 ただし、瞬時に様々な方向へと向きを変え、尚且つ超スピードで動くとなると難易度が格段に跳ね上がる。スピードを出すためには足場の生成を瞬時に連続で行う必要があり、そのためには細かな星辰力コントロールが必要不可欠なのだ。

 そして次に必要なのが身体能力である。いくら足場を生み出したとしても、それを生かす事のできる身体能力がなければ意味がない。

 足場を連続で生み出す星辰力コントロールに、それを生かすための身体能力。両者が合わさって初めて大空を自由に高速で駆ける事ができるようになるのだ。

 

 現状の八幡もこの段階までは進んでいない。空を駆ける事が出来るようになったが星露クラスには程遠い。

 現状の最速は、先の戦いで見た雪ノ下陽乃と同程度のスピードを出すことが出来る。ただし、あの時の雪ノ下陽乃のスピードは最速ではないだろうし、切り返し後の再加速に時間が掛かるなどまだまだ課題が多い。現状で高速戦闘を行うのはまだ無理だろう。

 そんな事を考えながら進んでいくうちに…

 

「……来たか」

 

 後方から接近する巨大な星辰力を感知した。距離はおよそ200m。瞬時に迎撃を選択し能力を発動する。

 八幡の後方に闇の球体が十個ほど出現する。

 

「ターゲットロック。いけ!」

 

 球体が槍へと変化し射出される。

 高速で射出されたそれらは星露の元へと接近するも、瞬時に横へと方向転換した星露にいとも容易く避けられてしまう。

 しかしこれで終わりではない。

 

「まだだ!」

 

 避けられた槍がその場で急停止。直後、反転し星露を再び追尾し始めた。星露が軽く驚いたのが感じ取れる。

 これも修行の一つの成果である。元々相手の星辰力を読むのは得意な方だ。相手の星辰力を感知しながら能力で追尾し続けるのはそう難しいものではない。

 

 しかし

 

「……やっぱり足止めにもならないか」

 

 予想通り射出された闇の槍が順に迎撃されていく。だが問題ない。この勝負は相手を倒すことが目的ではない。時間内に目的地にたどり着くことが出来ればいいのだ。多少の時間稼ぎができればそれでよい。

 現時刻はスタートしてからおよそ10分経ち残り時間は20分。現在地は二つ目の山の上りの中腹辺り。このまま何事もなければ後5分ほどで村へと到着する。

 

 ここからが本番だ。

 

「はちまぁぁぁぁん!!」

 

 後方の星辰力がさらに巨大化する。同時に対象のスピードが加速。一気にこちらへと接近してくる。

 だがこれは予想できていた。

 元々、この修行時の星露はかなり手加減したスピードでこちらを追ってきている。

 彼女が本気なら追跡後一分も経たずにこちらが捕まっている。しかしそこまで大人げない事は星露もしない。

 精々、道中の後半になるとスピードが倍になる程度だ。

 

「ちぃっ!」

 

 こちらもさらに加速するがスピード差は歴然。両者の距離は徐々に詰められ後方にピタリとつかれる。

 方向を変え何とか振り切ろうとするも振り切れず、星露の手が八幡に触れようとしたところで――――

 

 

 闇の魔法陣が星露を捕縛する。

 

 

「……設置型か。空中に設置するとは中々やるではないか」

「…………」

 

 捕縛された状態で星露が呟く。

 八幡はその呟きに答えず、捕縛された状態の星露を油断なく見据える。

 

 設置型は主に罠として使用されることが多い。対象が入り込んできた所で術者が魔法陣を起動し、捕縛・攻撃などが行われる。設置型は魔術師や魔女ならば使用する者が多いが、空中を高速で移動しながら、なおかつ空中に罠を張る使い手は星露の記憶の中でも数少ない。今の界龍では雪ノ下陽乃ぐらいだ。

 

 しかし注目するところはそれだけではない。

 

「誘導されたか。儂としたことがまんまと嵌ってしもうた」

 

 設置型は如何に相手を誘導し誘い込むかが鍵になる。いくら罠を仕掛けても相手が嵌らなければ意味がないからだ。

 星露の顔から笑みが零れる。

 

「くくくく!よい成長ぶりじゃ。しかしこの程度で儂を捕縛し続けるなどとは「思ってないさ」

 

 星露の言葉を遮り八幡が呪符を四枚取り出す。同時に起動。

 

「急急如律令、勅!」

 

 星露の右上・右下・左上・左下の四方向に小規模の魔法陣が出現。そこから鎖が出現し星露の両手両足に絡みつく。

 

 並みの相手ならこれで充分。しかし相手は万有天羅。この程度では足止めにすらならないのは八幡が誰よりも分かっている。

 

 右手を星露に向け広げイメージを開始。何よりも固く、破られず、そして侵されない。そのイメージを持って能力を発動。

 

「闇よ閉じろ!」

「むっ!」

 

 星露を基点として闇の球体が広がっていく。闇は星露を呑み込みその姿を隠す。そして巨大化を続け直径5mほどの球体を作り出した。

 

 現状の星辰力の半分以上を注ぎ込んだ。今の星露の状態のままなら破るのに時間が掛かるはず。

 星露に背を向け目的地へと急ぎ駆け出す。

 

 そして一分が過ぎ村が近付いて来た。後二分もあればゴールに到着する。

 

 だが

 

 後方からの巨大な圧力を感知。直ぐに回避行動を取る。次の瞬間、目の前を高速の物体が通り過ぎる。一瞬の交錯の間にお互いの視線が絡み合う。やはりというべきか范星露であった。

 

「もう来たか」

「来ないわけがなかろう!」

 

 拘束を一瞬で断ち切りこちらの場所へ瞬時に移動してきた。見る限り全力ではないがかなり本気のようだ。獰猛な笑みを浮かべるその姿はあの夜を思い出させる。

 

「滾らせてくれるのう、八幡!」

「くっ!」

 

 しかし考える暇はない。接近し波状攻撃を仕掛けてくる彼女の動きに八幡は対応が遅れる。ここが地上であればまだ反応できたであろうが、ここは空中だ。慣れない空中戦では防御で精一杯であった。

 直後、星露の姿が眼前から消える。

 

「こっちじゃ!」

「っ!?」

 

 直上からの声と同時に衝撃。反応できなかった八幡は上空から地上へと叩き落とされた。

 

 

 

 

 

 

 

「ふむ、少しやり過ぎてしもうたか?」

 

 上空から地上を見下ろしゆっくりと降下しながら星露が呟く。眼下には、八幡が地上に衝突した際に発生した雪煙が視界いっぱいに広がっている。

 地上に降り立ち周囲を見渡す。未だ雪煙は晴れない。

 

「見えぬな……」

 

 右手を掲げ軽く払う。すると轟音と共に突風が生まれ、周囲の雪煙と積もった雪が全て吹き飛ばされた。

 視線をうつすも

 

「……いないか。やるのう」

 

 八幡の姿はそこにはなかった。地面衝突後、星露が地上に降り立つまでの僅かな間に、雪煙に乗じて逃げ出したようだ。

 星露は目を閉じ周囲の気配を探る。

 

 しかし

 

「捉えきれぬか。儂を誤魔化すとは大した隠形よ」

 

 星露が八幡の中で一番評価しているのが隠形であった。元から隠形はかなりのレベルであったので、潜伏に徹されると星露ですら捕捉するのが難しい。近場にいれば発見することも可能だが、この様子だと遠くに離れているだろう。

 

「まあよい。どうせ目的地は決まっておるからの。そこで待つとするか」

 

 そう言うと星露が空中へ飛び上がり村へと向かう。

 それを遠目に眺めながら八幡が呟く。

 

「……やれやれ、どうしたものかな」

 

 

 

 

 

 

 

「……来たか」

 

 村の入り口で待ち構えた星露が八幡の姿を確認したのは、午前8時25分を過ぎた所だった。

 残り時間は約5分弱。星露が突破を許さなければ彼女の勝ちとなる。

 星露は八幡に向かって歩み寄り話しかける。

 

「正面から来るとはの。何か策でも思いついたか?」

「特にないな……というか、さっきのアレで決まったと思ったんだがな」

 

 八幡は思わず苦笑する。予定としては先程の拘束中にゴールするはずだった。

 

「狙いとしては悪くなかったぞ。儂も思わず本気を出してしもうた」

「そこは手加減してほしかったがな」

 

 そう言いつつ能力発動。手に闇の刀を生み出す。

 

「ま、駄目なものはしょうがない。何とかするさ」

「ほう、いい度胸じゃ」

 

 八幡は刀を持って、星露は素手のまま構える。

 そしてお互いに星辰力を高め、睨み合う。

 

 星露に対して正面から戦闘を挑んだ場合、恐らく傷一つ与えられない。

 理想は正面突破だがその隙は全く見当たらない。

 やるとすれば不意を打つ必要がある。

 

 だったら

 

「行くぞ、星露」

「来い、八幡」

 

 八幡が右足で地面を思いっきり踏みつける。

 すると、星露の影から黒い紐のようなものが数本現れ星露の両足に絡みつく。

 

「なんと!」

 

 星露が驚愕の声を上げる。そして一瞬だけ足元に視線を送ってしまう。

 それだけで充分だった。

 

 次の瞬間には、本日最速のスピードで八幡が星露に接近していたからだ。

 

「卑怯とはいわないだろう?」

「言うわけなかろう!」

 

 八幡が上段から闇の刀を袈裟斬りに斬り下ろす。

 が、星露が獰猛な笑みで笑いながら右腕で刀を跳ね除ける。

 

「儂の影に干渉しよったか!」

「正解だ」

 

 跳ね飛ばされた刀が空中で弧を描き、今度は逆袈裟で斬り下ろされる。

 

「影も闇の一部。そうイメージすれば難しい事じゃないさ」

「なるほどのう!」

 

 今度は左腕で防御。刀の動きを止めようとする。

 刀と腕が衝突し刀が止まる―――直前に刀が向きを変え横振りへと変化する。

 星露は屈んでこれを躱した。だが止まらない。刀は連続攻撃で星露に襲い掛かっていく。

 

「ほう、これはなかなか」

 

 星露が感心したように呟く。修行を開始して三ヶ月。それまでに八幡の剣術を受けた事は幾度もあるが、今のような連続攻撃は初めて見たからだ。

 

「連撃を主とした攻撃か。しかも繋ぎ目が滑らかになっておる」

「……まだ未完成のもどきがいい所だがな」

 

 刀藤流奥義 連鶴

 

 宗家でも使い手が少ないその奥義は、紙での鶴の折り方49の繋ぎの型を組み合わせる事により連続で放たれる技である。これを極めれば、繋ぎ目のない連撃を放ち一度捉えた相手を逃がすことはないと言われている。

 かつての師に見せられ、体感した時はどんな手段を用いても逃れる事はできなかった。

 

 星露がその場を動く気配はない。だが幾重にも及ぶ八幡の攻撃は全て防がるか避けられていく。太刀筋はおそらく見切られている。連鶴の完成は未だ遠く未完成のまま。だったら持てる手札で挑むのみだ。

 

 八幡は突きを繰り出す。渾身の力を込めたその突きは、例え序列上位クラスですら防ぐことは難しかっただろう。しかし、直撃する直前に神速で動いた星露の手が八幡の刀を掴み取る。

 

 動かそうにも刀はピクリともしない。

 

「くっ!」

「いくつかアドバイスじゃ」

 

 星露が闇の刀を握りつぶし、刀身が消えた刀はそのまま消失する。

 再度刀を生み出すも、それまでに生じた僅かな隙に掌打を鳩尾に叩きこまれ、八幡が吹き飛ばされる。

 

「能力の展開速度がまだまだじゃ。刀を生み出すのに約1秒。それだけあれば壁を越えた者達には致命的な隙となる」

 

 星露の足に絡みついた黒い紐はいまだ解けていない。彼女が本気なら直ぐに解けるはずなので、あえてそのままにしてあるのだろう。

 

 このままゴールに向かう選択肢はない。背中を見せたら最後、止めを刺されるのは間違いないからだ。

 残る手段は後一つ。だが果たしてそれさえ通用するかどうか。

 

「さて、もう終わりか?」

 

 その問いに答えるように、八幡の身体から闇の棘が3本生み出され、星露に襲い掛かる。

 しかし星露は動かない。それどころか、あえてその身を晒し防御する素振りすら見せない。

 

 闇の棘が星露に直撃する。しかし、その身に纏う星辰力が闇の棘の進行を阻んだ。

 驚く八幡。何らかの手段で防がれるならともかく、星辰力のみで止められるのは予想外もいい所だ。

 

「……マジか?」

「両者の星辰力に差があればこういう事も可能になる。それ以前に能力の圧縮率が足りぬな……技の名でも付けてみたらどうじゃ?」

「技の名前?何か意味あるのか?」

「あるぞ。能力においてイメージが大事なのは言うまでもなかろう。技の名を付ける事によりイメージが強固となり、能力はより強くなる。アスタリスクの能力者も技の名を付けておるぞ」

 

 その提案はきっと正しいのだろう。

 しかし誰かに習った技の名ならともかく、自身で名を付けるのは憚れる。

 

「……中二病っぽくて嫌だ」

「おぬしの学年は中学二年じゃろう?」

「ああ、分からないならいいんだ」

「?」

 

 こくりと首を傾げる星露になぜか癒される。

 しかし、近接戦は相手のが上。遠距離攻撃はそもそも通らないとなると、本格的に打つ手がない。

 やはり切り札を切るしかないようだ。

 

 意識を集中し刀を生み出す。

 

「ふぅぅぅぅぅぅ」

 

 呼吸を整え全身の力を抜いていく。

 正面にいる星露を見据え居合の構えを取る。

 

 星露はやはり動かない。こちらの行動に興味を持ったのか待ちの姿勢を崩さない。

 

 残り時間は約30秒。

 

 これが最後の勝負だ!

 

「刀藤流 抜刀術―――”折り羽”」

 

 

 

 

 

 

 

「刀藤流 抜刀術―――”折り羽”」

 

 八幡が呟いたその言葉を聞いた瞬間、星露の目の前に八幡は居た。

 その速さは正に神速。否、それ以上のスピードだ。収められた刀が星露を仕留めようと鞘から繰り出される。

 それに対し星露の身体は動かない。いや、反応すらできなかった。

 

 そして星露の身体が両断された。上下に分かれたその身体から血飛沫が大量に飛び出し、辺りを鮮血に染める。

 しかし星露の表情は笑っていた。それはもうとても嬉しそうに。

 

 そして上半身が地面に投げ出され―――――

 

「喝!!」

 

 星露の一声により虚像が彼女の脳内から姿を消す。

 しかし折り羽によって送られたイメージは、多少の時間稼ぎになった。八幡は星露を避けて村へと駆けている最中だ。後数秒で村へと到着してしまうだろう。

 

 星露はその後ろ姿を見て―――まったく別方向へと移動した。瞬時に目的の場所へと到達し足払いを掛ける。すると何もない空間にも関わらず、何かが倒れた音がする。倒れた何かに馬乗りになり拳を突きつける。

 

「惜しかったの。じゃが、儂の勝ちじゃ兄上」

「………降参だ」

 

 星露の下から八幡の姿が現れる。そして八幡が降伏の意を伝えて決着は付いた。

 

 星露の勝利である。

 

 

 

 

 

 

「そういえば八幡よ。今日の午後は客が来るのでな。本日の修行は中止してこの村で客を出迎えるぞ。ほれ、あ~~んじゃ」

 

 星露から差し出された箸に口を付け乗せられた物を食べる。出来立ての焼き鮭は脂がのってとても美味しい。

 

「……客?星露の知り合いか?」

「まあ、そんな所じゃ」

 

 今度は八幡が星露に向かって箸を差し出す。それを星露が口の中に含みかみ砕く。

 この村で作られたキュウリの漬物だ。

 

「うむ、良い味付けじゃな。村長よ」

「はい。ありがとうございます」

 

 星露の誉め言葉に村の村長も機嫌がよくなる。

 彼らにとって、万有天羅よりに褒められることは何よりも嬉しい事だ。

 

「なぁ、星露」

「何じゃ?」

「……いい加減この罰ゲーム止めにしないか?見られながら食べさせ合うのはさすがに恥ずかしいんだが」

 

 お互いに食べさせ合っているのは、星露が考案した罰ゲームであった。

 別に星露に食べさせるのはいい。幼女に食べさせるのはそこまで恥ずかしい事ではない。

 だが、村長に見られながら食べさせ合うのはさすがにアウトだ。村長が微笑ましくこちらを見てくるのも羞恥の心を加速させる。

 

「何を言う。兄妹が仲良くするのは当然ではないか。のう村長よ?」

「はい。仲が良いのはよろしい事かと」

「はぁ~~」

 

 溜息を付き諦める。新しい妹が一度決めた事をめったに曲げる性格でないことは、この三ヶ月で理解した。

 それに別に嫌というわけではないのだ。こちらが本当に嫌な事を星露は強要しない。

 今回のこの罰ゲームも、こちらの羞恥の表情を楽しんでいるに過ぎないのだ。

 

「ほれ、手が止まっておるぞ」

「……分かったよ」

 

 口を開けてこちらを見つめる星露に八幡は手持ちの箸を再び運び始めた。

 

 二人が食事を終えた後、別室の居間に足を運び畳の上で休憩をとる。

 星露は正座をして八幡の頭を膝にのせて膝枕をする。八幡の頭を撫でながら彼女は話し始める。

 

「……儂は一度界龍に戻ることにした」

「界龍に?」

「うむ。このまま修行を続けてもよかったのじゃが、学園の卒業式も近いのでな。さすがにそれをすっぽかす訳にはいかぬ……虎峰もまずい状態みたいじゃしの」

 

 最後に呟かれた言葉は聞こえなかった。

 

「じゃあ俺も一緒にか?」

「いや、おぬしは此処に残れ。連れて行ってもよいが、儂もしばらく忙しくなる。ここで修行した方がいいじゃろう」

「そうか、じゃあ自主練だな」

 

 八幡の言葉に星露は首を横に振る。

 

「いや、これから来る客がおぬしの修行相手じゃ」

 

 

 

 

 

 

 

 八幡の目の前に二人の人物がいる。二人とも八幡の知り合いだ。一人は最近に、そしてもう一人は幼少の頃以来の再会だった。

 一人目は雪ノ下陽乃。伏し目がちに伏せられたその顔からは、どんな表情をしているかは読み取ることが出来ない。

 

 そしてもう一人が

 

「お久しぶりです。先生」

 

 八幡の剣術の師である我妻清十郎だった。

 

「うむ、久しぶりじゃな、八幡君」

 

 我妻清十郎

 齢八十と超えて直現役である刀藤流分家の剣士。

 非星脈世代でありながらその強さ故、剣聖の名を称えられた存在である。

 真っ白な白髪と長い顎鬚を携えたその姿は、昔と何も変わっていないように見えた。

 

「……どうして先生が此処に?」

 

 八幡としては当然の疑問であった。

 雪ノ下陽乃ならともかく、かつての師が訪れてくるなど予想外もいい所だ。

 

「今回此処に来たのは誘いを受けたからになるかの」

「誘い?」

「そう。儂が呼んだ」

 

 答えたのは星露であった。

 

「感謝するぞ、我妻清十郎。儂の誘いを受けてくれたことを」

「いえ、気にする必要はないですぞ万有天羅。私としても今回の誘いは渡りに船でしたので」

「そうか。しかし………」

 

 星露が清十郎を見つめる。そして何を思ったか獰猛な笑みを浮かべる。

 

「……強いのおぬし。おぬしを見ていると嘗ての新選組を思い出す」

「ふぉっふぉっふぉっ、新選組に例えられるとは光栄ですな。しかし私はただの老人。大したことはありませんぞ」

「ぬかせ。おぬしがただの老人なわけがなかろう」

 

 二人揃って笑い出す。

 ひとしきり笑った星露は八幡に向き直る。

 

「というわけで八幡。おぬしの師を呼んだので暫し修行の相手をしてもらう。さすがの儂も刀藤流に関しては門外じゃからの」

「そうか。でも……」

 

 八幡の顔に苦渋の色が浮かぶ。

 

「……俺は勝手に道場を辞めた身です。そんな俺が……いいんですか、先生?」

 

 清十郎は八幡に近付く。そして幼少時にした様に八幡の頭を撫でながら答える。

 

「構わんよ。君が悩んだ末に剣を辞めた事は知っている。その剣を再び取るというのなら、師がそれを導くのは当然の事」

「……先生」

 

 思わず目頭に涙が溜まる。

 

「万有天羅からは厳しくしていいと言われておるが、覚悟はよいか?」

「はい。お願いします」

「うむ、よい返事じゃ」

 

 頷き返事をする八幡。

 そんな姿を微笑ましく見ていた星露だが、陽乃を見てある提案をする。

 

「儂は少し席を外す。我妻清十郎、おぬしも付き合って貰えぬか?よい茶があるから一緒に飲もうではないか」

 

 その言葉を聞いた清十郎は八幡と陽乃をそれぞれ見てから頷く。

 

「おお、それはいいですな!是非とも付き合わせてもらいますぞ」

 

 そう言うと二人は立ち上がり部屋から出ていこうとする。

 ずっと黙っていた陽乃は、そんな星露に声を掛けた。

 

「……ありがとう、星露」

「気にするでない」

 

 星露と清十郎は部屋から出ていった。

 そして部屋に残されたのは八幡と陽乃の二人である。

 

 ―――――さようなら。陽乃さん、ルミルミ

 

 二人の再会はあの時の戦いのとき以来となる。

 先の別れをした後となって、八幡としては少々気まずい。

 

「……あの……その、お久しぶりです、雪ノ下さん」

「…………」

 

 挨拶をするも返事がない。

 

「この間はご迷惑をおかけして申し訳ありません……星露のおかげで何とか助かりました」

「……………」

 

 話を続けるも返事がない。陽乃は俯いたまま沈黙を保っている。

 

「……やっぱり怒ってますか?」

「……怒ってないよ」

 

 その沈黙が怒りから来たものだと思った八幡が問いかけるも、陽乃はそれを否定した。

 返事を返した陽乃は八幡に近寄り――――

 

 そして八幡の身体に正面から抱き着いた。

 

「雪ノ下さん?」

「……心配した」

 

 陽乃は呟く。その声はどこか震えて弱々しく感じる。

 

「心配したんだから……君と戦って、君がいなくなって、もう会えないかと思って……私」

「それは……」

 

 抱き締められた腕の力が強くなった。

 

「よかった、無事で」

 

 そこで八幡は気付いた。陽乃の目から溢れる涙に。その涙と震えた声が彼女の言う事が本音だと知らせてくれた。

 そのままの格好で数分の時が過ぎる。しかし陽乃は八幡の背中に両手を回し抱き着いたまま動こうとしない。

 

 そうなってくると一つ問題が生じる。

 

「……雪ノ下さん?」

「………何?」

「離してもらえませんか」

「やだ」

 

 即座に拒否され、さらにぎゅっと抱きしめられる。

 

「…………私のこと嫌い?」

「……嫌いじゃありません。ただこの状態に問題があるわけでして」

「……ああ、そういうことね……役得と思って我慢しなさい」

 

 八幡が何を言いたいか理解するも、陽乃は気にせずそのまま抱きしめる。

 雪ノ下陽乃は年上の美人で、おまけにスタイルも抜群だ。そんな女性に抱き着かれて落ち着けるわけがない。陽乃自身から漂ういい匂いと、自身の胸に押し付けられた二つの柔らかな感触。

 はっきり言って年頃の男の子には刺激が強すぎる。

 

 しかし、自身を心配してくれた陽乃を跳ね除ける気は起こらないのも事実だ。命がけで助けようとしてくれた陽乃を嫌いになどなれるわけがない。決して胸の感触が気持ちいいからでは……ないはずだ。

 そんな事を考え、自身の煩悩と葛藤する八幡を他所に、陽乃は満足するまで八幡を抱きしめ続けた。

 

 

 

 

 

 

 

「う~~ん。満足したわ」

「ほんと勘弁してください……」

 

 結局十分ほど八幡を抱きしめていた陽乃。陽乃はどこかすっきりとした表情になっていたが、八幡は逆に少し疲れた表情を見せる。

 

「……雪ノ下さん。少し変わられましたか?」

「そう?」

「ええ、何か前より表情が柔らかくなったような気がして」

「学園の皆にも言われたね、それ」

 

 そう言って陽乃は笑顔を見せる。

 その笑顔は明るく、明らかに以前よりも魅力的に感じられた。

 

 先程の行動もそうだ。

 雪ノ下陽乃という人物は、人前で涙を見せるような人物ではなかった。いくら落ち込んでいても、自身の弱みを晒すような行動は取らない人だと思っていた。

 

「家の問題が片付いたからかな。晴れて自由の身になって、肩の荷が降りた感じ?」

「……そうですか。思ったより早かったですね」

 

 以前聞いた話だと、後一年ぐらい掛かりそうだと陽乃が言っていたのだ。

 あれから三ヶ月しか経っていないので、随分と早く終わったものだ。

 

「お母さんぶっとばして飛び出してきちゃった♪初勝利だよ、初勝利」

「何やってんですか、あんた」

 

 解決方法が肉体言語だった模様。

 穏便に事を済ますと言っていた筈がどうしてこうなったのだろうか。

 

「まあ、私の話はいいとして、比企谷くん……じゃなかったね。私はどう呼ぶといいかな?范くん?それとも八幡くんの方がいい?」

「……どちらでもいいですよ。好きに呼んでください」

「そう?じゃあ八幡くんにするね。私のことも陽乃でいいよ。というか、この前陽乃って呼んだのに雪ノ下に戻ってるのはどういう事?」

「いや、あれはその場のノリというか、場に酔ったという感じで。やっぱり女性を名前で呼ぶのはどうかと思いまして……」

 

 早口で誤魔化す八幡。それに対し陽乃は上目遣いで八幡を見て一言言い放つ。

 

「……駄目?」

「………陽乃さんとお呼びします」

 

 物凄い破壊力だった。

 陽乃はそのまま接近し八幡の眼を覗き込む。両者の距離はおよそ10cmほどになる。

 

「な、何ですか?」

 

 陽乃の顔を間近で見る。整った容姿に魅力的な笑顔。思わず八幡の顔色が朱に染まる。

 

「う~~~ん。やっぱり目の淀みが薄くなってきてるね。八幡くんの方も何かあった?」

「ああ、この目ですか。星辰力が戻ってから徐々に薄れてきてる感じです。元々目が腐ったのは小学校低学年からで、星露の推測だと星辰力の封印時に身体の一部に障害が発生した影響じゃないかと言ってましたね」

「ふ~~ん、そっか。でも……」

 

 陽乃は八幡の頬に手を添える。そして、はにかんだ笑みで八幡に言った。

 

「私はどっちの目も好きだよ。今の君も。昔の君もね」

 

 八幡の顔が真っ赤に染まった。

 

 

 

 

 

 

 

 話が済んだ八幡と陽乃は席を外した二人を探す。しかし家の中にはおらず、外に出て村の中を探し回る事にした。

 暫く探していると、村の入り口で星露と清十郎が談笑をしている姿が見えた。

 二人がそこに近付いていくと、星露がこちらに気付き声を掛けてきた。

 

「おお、二人とも。話は終わったようじゃな」

「うん。そちらも盛り上がってるようだけど、何を話してたの?」

 

 陽乃の言葉ににやりと笑う星露。

 

「うむ、八幡の幼少時の話を聞かせてもらってな。中々面白かったぞ」

「え~なにそれ、面白そう。私にも聞かせてよ」

「いいぞ。後で教えてやろう……そろそろ時間じゃな」

 

 そう言うと星露は八幡の方に視線を向ける。

 

「八幡よ」

「何だ?」

 

 手招きする星露。それを見た八幡が星露に近付いていくと、星露は八幡の手を取り思いっきり引っ張った。

 思わず前のめりになる八幡。

 

 そして、近付いた八幡の首に星露が抱き着いた。

 

「星露?」

「……しばしの別れじゃ。アスタリスクで待っておるぞ」

 

 その言葉には強くなることへの期待。そして、別れによる寂しさが含まれているように感じた。

 八幡も星露の背に手を回し抱き返す。

 

「……ああ、なるべく早く行けるように頑張る」

 

 二人はしばらく抱き締め合った。やがて名残惜しさを感じながらも二人は離れ、星露は離れて見守っていた陽乃の元へと歩いていく。

 八幡は清十郎の元へと歩いていき星露の方へと向き直る。

 

「またな、星露」

「うむ、おぬしも日々の鍛錬を忘れぬようにな……我妻清十郎よ。八幡を頼む」

「任されましたぞ、万有天羅」

 

 大きく頷く清十郎。

 

「せっかく会えたけどもうお別れだね。しかたないけどさ……界龍に来たら私の相手をたっぷりとしてもらうからね、覚悟しておくように」

「……お手柔らかにお願いします」

 

 八幡と陽乃も別れの挨拶を済ませる。

 

「では行くぞ、陽乃」

「……うん」

 

 その言葉が最後だった。

 周辺の星辰力が蠢いたかと思うと、次の瞬間には二人の姿が消えていた。

 

「……呪符もなし、印もなしか……先は長いな」

 

 その所業を見て八幡は呟く。

 自分と星露との差を感じられずにはいられない。

 

「まあ、頑張るしかないか」

 

 それでも努力を続けるのは怠らない。

 新しい妹の期待に応えるため、強くなると決めたのだ。

 

「……先生。これからよろしくお願いします」

「うむ、では準備が出来たらさっそく始めるとするかの」

 

 そう言うと村の中に戻っていく清十郎。

 朝日が昇り、晴れ渡った空を見ながら八幡を思う。

 

「……絶対に強くなってやる」

 

 強くなりいつか万有天羅を倒す。

 それが新しい妹の望みであり、自らに課した目標でもあるからだ。

 

 その目標は果てしなく遠く、そして遥かな道の先にいる。

 普通なら諦めるところだし、そもそも強くなるなんて事は少し前の自分では考えもしなかった事だ。

 

 だが

 

 ―――――おぬしには才がある。儂がこれまで見て来た誰よりもじゃ

 

 星露は言った。自分に才能があると。

 それこそ朝が来たら朝日が昇るのは当然だと言わんばかりにだ。

 だったらそれを信じ突き進むのみだ。

 

 強くなる事への決意を固め、八幡は清十郎の後を追っていくのであった。

 

 

 

 

 

 

 

「さて、着いたの」

「あれ?黄辰殿じゃないんだ?」

 

 星露と陽乃が現れたのは、界龍にある建物同士を繋ぐ通路の一つであった。

 界龍は各建物が全て通路で繋がっているのが特徴である。

 

「うむ、久方ぶりの学園じゃからの。しばし歩いていくのも一興であろう」

「そっか。で、目的地は?黄辰殿?」

「いや、生徒会室じゃな。虎峰の様子を見に行くとしよう」

「あ~~そうだね。虎峰ってば結構精神的にやばい状態だからそれもいいかもね」

「……そこまでか。苦労をかけたようじゃから労ってやらねばな」

 

 二人は目的地へと向かい始めた。

 通路に人は誰もおらず二人の歩く音のみが響き渡る。そんな中、陽乃が星露に話しかける。

 

「ねぇ星露。どうして八幡くん連れてこなかったの?」

「先程も言うたであろう。刀藤流は儂も専門外じゃと」

「……本当にそれだけ?確かに学園に部外者が入るのは駄目だけど、星露ならどうとでもしそうだよ」

 

 陽乃は八幡を一人村に残したことを気にしていた。

 刀藤流の鍛錬だけが理由なら、我妻清十郎を界龍に招待してもよかったのだ。普通は部外者が学園に入るのはNGであるが、生徒会長の星露の許可があればどうとでもなる。

 

「……おぬしなら気付くか」

 

 やはり他にも理由があったようだ。

 仕方ないとばかりに星露は話し始める。

 

「あやつの精神状態の確認じゃよ」

「精神状態の確認?」

「そうじゃ。あれから三ヶ月の時が経ち、八幡も精神的に安定したように見える。じゃが、儂がいない状態でもどうなるか気になっての」

「大丈夫なの?もしまたあんな事になったら」

「それは大丈夫じゃ」

 

 陽乃の不安を一言で切り捨てる。

 

「その前に我妻清十郎が八幡を制圧する。アレに掛かれば造作もないじゃろう」

「……そこまでなの?剣聖の実力は」

「儂も奥底までは読めなかったがの。非星脈世代であれほどの実力者がいるとは。やはりの人の世は面白いのう」

 

 くっくっくと笑う星露。

 どうやら星露は何の心配もしてないようだ。

 

「安心せい。そもそも八幡が暴走する事はなかろう……それこそ昔の知り合いに直接会わん限りはの」

「そっか。なら大丈夫かな」

 

 それからは無言で歩いていく。

 通路を渡り幾つかの建物を経由して、やがて目的地前に到着した。

 目の前の扉に手を掛けた星露が、ふと何かを思い出したように陽乃へと振り向く。

 

「そういえば目的はもう一つあったの」

「八幡くんを残した理由?」

「そうじゃ。弟子の成長を自ら確認するのもよいが、それだけではつまらん」

「つまらんって」

 

 陽乃が苦笑いをする。八幡を残した他の理由に気付いたからだ。

 

「その方が楽しそうじゃからの!」

 

 そう言い放つと星露が扉を開ける。

 

「今帰ったぞ!」

 

 中にいる面々がこちらを見た。

 星露の一番弟子である武暁彗。水派を統括する道士、三番弟子のセシリー・ウォン。木派を統括する拳士、四番弟子の趙虎峰。セシリーと陽乃の友人でもある梅小路 冬香。双子の兄妹である黎沈雲と黎沈華。そして特務機関(睚眦)の工作員 アレマ・セイヤーンだ。

 

 界龍が誇る層々たる面々が様々な表情でこちらを見つめていた。

 驚いている者。嬉しそうな者。そして泣きそうな顔でこちらを見ている者など様々だ。

 

「……そういう事か」

 

 陽乃が呟く。

 星露は八幡に期待してるのだ。師である星露がいなくとも強くなる事に。そしていない間に何処まで強くなれるかを、だ。

 

 なら、自分も期待するとしよう。

 

「私も借りを返したいしね」

 

 やられっぱなしは性に合わない。

 しかし先ほど見た八幡の実力は、まだ自らに遠く及ばないように感じた。

 あの時の八幡が、いや、それ以上の実力となった八幡を自分の実力で倒す。

 

 打倒 万有天羅を掲げている陽乃としては、それぐらい出来なくては話にならない。

 

 陽乃もまた決意を固め、駆け寄る学園の仲間の相手をすべく、自らも歩を進めた。

 




今回の話で序章が終了となります。

陽乃さんはヒロイン入りが決定しましたので、ご報告しておきます。

次回はいよいよアスタリスク、ではなく閑話の予定。

予定の閑話は二つ。
星露がいない間の界龍、そして各学園の話。
そしてもう一つが、八幡がいなくなった後の陽乃視点での総武の人達の話。
陽乃さんの方は荒れそうだけど書かない訳にはいかないのが悩み所ですね。

さてどっちから書こう。

そしてその二つが終わったらいよいよアスタリスクです。

此処まで長かった。現時点で一年以上掛かるとは思いもしなかった。

なるべく見捨てられない様に頑張ります。

では、次回もよろしくお願いします。


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閑話 万有天羅のいない日々

UA100000突破ありがとうございます。
嬉しさのあまり早く更新できました。
今後も頑張ります。

誤字、脱字、感想等あれば、よろしくお願いします。



「はぁぁっ」

 

 部屋の中で一人の少年の溜息が零れる。

 目の前に積まれた書類の山を見て現実から逃避したくなるがそうもいかない。

 手を伸ばし一枚の書類を取る。そして手元に持ってきて内容を見る。

 

「……学園内のトラブルの件数の増加とそれに伴った施設の修繕費ですか。予想通りではありますが、やはり増えてきてますね……はぁぁっ」

 

 書類の内容に頭が痛くなってくる。分かっていた事ではあるが実際に確認すると溜息の一つも出るものだ。

 

 この学園、界龍第七学園では今重大な問題が一つ起こっていた。ある意味学園創立以来の危機と言ってもいい問題だ。

 

 それは界龍のトップである万有天羅 范星露がいなくなったのである。

 正確にはいなくなったというより戻ってこないというのが正確か。当の本人が弟子の一人に留守にすると伝えたのを最後に、誰もその姿を確認できていないのだから。

 

 万有天羅が姿を消した。翌日にそれが発覚したときは頭が眩んだ。箝口令は敷いたものの、人の口に戸は立てられないのが世の常である。噂はあっという間に学園中に広まった。

 

 まだ他所の学園に漏れていない事だけが唯一の救いだ。この情報がばれた時の影響など考えたくもない。

 只でさえ運営母体である界龍からも、万有天羅の所在についての連絡が頻繁に来ているのだ。

 今は何とか誤魔化せているがそれもいつまでもつか。

 

 そこまで考えて目の前の書類に視線をうつす。考え事をしていても書類の山は減らない。溜息を付きながら目の前の山を片付けるべく手を動かしていく。

 それからしばらくした後、突如部屋の扉からノックの音が聞こえてきた。

 

「……どうぞ」

 

 返事をすると一人の女性が中に入ってくる。

 

「入るよ~」

「セシリー。何か用事ですか?」

 

 入ってきたのは顔馴染みだった。

 セシリー・ウォン。水派を統括する道士にして万有天羅の三番弟子。薄いブラウンのウェーブがかかった長い髪が特徴の女性である。

 

「昼ご飯持ってきたんだよ。今何時だと思ってんの?」

「何時って、ああもうこんな時間ですか」

 

 呆れるように言ってきたセシリーの問いに時間を確認してみると時刻は15時を回っていた。

 朝から書類の処理をしていたので時間の感覚がなくなっていたようだ。

 

「忙しいのは分かるけどさ。あんまり無理しない方がいいよ?」

「分かっています。しかし師父と大師姉がいない今、誰かが無理をしなければいけません。それともセシリー。あなたが僕の代わりに書類を片付けてくれますか?」

「うん、無理!」

「……そういう事です。僕がやるしかありませんからね。しょうがありません」

 

 大雑把な性格のセシリーだ。書類の処置など任せてもまともに出来るはずがない。任せて問題が増えるぐらいなら最初から自分一人でやった方がましというものだ。

 

「とりあえずご飯食べよ。私もおやつ持ってきたからさ」

 

 そう言うと昼食である弁当を少年に押し付け、セシリーは少年の隣の席に座った。

 目の前の弁当を見ると急にお腹が空いてきた。書類を脇にどかして弁当の蓋を空ける。

 食堂の日替わり弁当は量が多く安い事で有名であり味も中々だ。それ故に学園の生徒にも評判の一品だ。

 

「いただきま~す」

「いただきます」

 

 自己紹介が遅れたが少年の名前は趙虎峰。

 最近女装をして男にナンパされた事がトラウマになった、界龍随一の苦労人である。

 

 

 

 

 

 

 

 二人の食事が始まった。

 虎峰が一口箸を進めると更に箸を進めたくなり、衝動に身を任せ箸のスピードが上げる。

 あっという間に弁当を食べ終わると、それを待っていたかのように隣にいるセシリーが口を開いた。

 

「師父がいなくなって二週間か。何処でなにやってるのかなー」

「あの方は気まぐれですからね。想像もつきませんよ」

 

 范星露の性格は一言で表すなら自由奔放である。生真面目な性格の虎峰は、星露の奔放さによく振り回されているのだ。

 

「しかし凄い量の書類だね~どんな内容なの?」

「学園内のトラブルの報告に予算承認案、来期の推薦者のリストアップ、現時点での受験者の申し込みの一覧など様々ですよ」

「はぁーすっごいねー」

 

 感心したように言うセシリー。

 

「最近木派と水派のトラブルが増えつつあります」

「知ってるよ。私も何度か目撃してるし」

「このままだと一年前に逆戻りですよ。困ったものです」

「師父に加えて陽姉もいないからね。しょうがないよ」

 

 陽姉とは雪ノ下陽乃の事である。セシリーは陽乃の事を慕っている為こう呼んでいる。

 

「……せめて大師姉でもいてくだされば」

 

 大師姉、雪ノ下陽乃が帰郷したのは星露が行方不明になる少し前の事だった。これまでも何度か帰郷しているのでそれ自体は珍しい事ではない。

 

「陽姉も戻ってくるの遅いよね~もう3週間ぐらいだっけ」

「確かそのぐらいですね。早く帰ってきてほしいものです」

 

 雪ノ下陽乃に関しては、実家絡みの問題でもう少し戻るのに時間が掛かると先週連絡があった。彼女が界龍にいれば、ここまでややこしい事態にはなっていなかったはずだ。

 

「唯一の救いはあの双子が大人しい事だけです」

「よっぽどトラウマなんだろうね。一年前の出来事がさ」

「一年前、ですか」

 

 思い出すのは一年前の春。入学初日に万有天羅に挑んだ雪ノ下陽乃。敗れはしたものの、その実力は万有天羅自らが弟子になる事を求めたほどだ。

 

 そしてその数日後。

 界龍にある事件が起こった。万有天羅の二番弟子となった雪ノ下陽乃。その高い実力を木派と水派が見逃すはずもなく、彼女を巡って両者の争いが起ころうとしていた。

 睨み合う木派と水派の面々を前に、雪ノ下陽乃は言い放った。

 

 ―――――ふ~ん。私が欲しいなら実力を示してほしいわね。かかってきなさい。相手してあげるから。

 

 結果、雪ノ下陽乃 対 木派、水派の戦いが始まった。

 しかしこれを戦いと呼んでいいかは微妙な所だ。

 

「全員やられちゃったからね。私たちも含めて」

「……苦い思い出です」

 

 お互いに苦笑する。あの闘いはそれほどに衝撃的な出来事だった。

 最初は一対一で戦っていたが、しばらくすると徐々に相手を増やし一対三へと変化した。

 最終的には木派と水派の両者を合わせて五人で相手をした。しかしそれでも雪ノ下陽乃が勝利したのだ。

 最終戦には虎峰とセシリー、そして双子の黎兄妹が含まれていた。そしてこの闘いで黎兄妹はトラウマを負った。

 

「アレは凄かったね~」

「自分たちのやっている事をそのまま返されてましたね」

 

 最終的に黎兄妹が五人の中で最後に残った。いや正確には残されたというべきか。

 黎沈雲と黎沈華。双子の兄妹である二人は高い実力を持っているが、揃って傲岸不遜な性格をしており、常に相手を見下し、敬意の一片も払わない。常に、自分たちに有利な状況を構築したうえで徹底的に相手の弱点を突き、一方的にいたぶる戦法をとるほどの性悪な性格をしていた。

 

「……初めてあの双子に同情しましたよ、僕は」

「……私も」

 

 雪ノ下陽乃は事前に双子の性格と戦い方を調べたようだ。双子のコンビネーション攻撃を敢えて正面から全て叩きのめした。相手の手札を一枚ずつゆっくりと潰していったそのやり方は、最終的にあの双子が人目をはばからず泣いて謝ったほどだ。

 

 ―――――さぁどうしたの。かかってきなさい。泣いたからって許されるわけではないわ。降参?させないわよ。自分達が行ってきた行動を少しでも反省して、自らの所業を悔いるといいわ。

 

 号泣しながら謝る二人を前に陽乃はそう言い切った。この事がトラウマになったのか、これ以降双子の性格は多少大人しくなり、むやみに周りと揉める事はなくなった。

 

 そして雪ノ下陽乃は一部の生徒から魔王と呼ばれるようになり、二つ名の切欠となった。

 

「これでは大師姉に失望されてしまいますね」

「私達だけじゃ片方ずつ抑えるので精いっぱいだよ」

 

 元々木派と水派は犬猿の仲だ。木派は武術を主とし、水派は星仙術に力を入れている。星仙術を収めるには素質が不可欠なので、それを持たない者が木派に流れる事が多い。虎峰でさえ、水派に対し多少のコンプレックスがあったのだ。

 しかし雪ノ下陽乃が入学して以降、少し様相が変化した。彼女は木派と水派の両方に顔を出し、両者の仲を取りもとうとしたのだ。そのような人物は今まで誰もいなかった。

 

 界龍の序列一位である范星露と序列二位である武暁彗の二人は木派と水派に基本的に口出ししない。星露は弟子に強さを与えこそするが道を説くことはなく、暁彗も己の強さにしか興味がないからだ。

 それ故に雪ノ下陽乃の行動は両派閥にとって驚きだった。純粋に強さを求め他の誰よりも鍛錬に励み、門下生の面倒も進んでみる。そして悩みごとがあれば誰からの相談も受け、両派閥の争いには進んで顔を出し仲裁をしていった。

 

 いつしか彼女は両門下生から大師姉と呼ばれるようになり、木派と水派の両方を統括するようになったのだ。

 

「この一年で両派の争いも徐々に減って、よい傾向だと思ったのですが」

「師父がいなくて陽姉も帰ってこない。皆不安なんだよ」

「だからと言って争っていい理由にはなりません」

「……そうだね」

 

 二人して溜息を付く。この話題を続けてもいい事はなさそうだ。話を変えるべくセシリーは次の話題を出す。

 

「そういえば、今日って確か六花園会議だよね?」

「そうですよ。師父が不在ですからアレマが行ってます」

「虎峰はここに居ていいの?いつもは師父と一緒にホテルまで付き添いで行ってるでしょ?」

「付き添いは当の本人に断られました。一人で充分だそうです」

「そっか……そういえばお茶なくなったね。淹れよっか?」

「いいんですか?じゃあお願いします」

「うん、任せて!」

 

 セシリーが椅子から立ち上がる。二人がいる部屋の隅にはお茶を入れる道具は一通り揃っている。セシリーがそこに向かうと慣れた手付きでお茶を入れていく。その後ろ姿を見ながら虎峰は呟いた。

 

「……そろそろ会議も終わる時間帯ですね。何も問題がなければいいのですが」

 

 星露が欠席した公式行事ではアレマ・セイヤーンが代理を務めることが多い。しかし六花園会議を欠席したことはないので怪しまれるかもしれない。

 

「お待たせ~」

 

 セシリーが二人分のお茶を持ってきた。右手に持った茶器を虎峰の前に置き、自らも隣の席に座った。

 

「ありがとうございます、セシリー」

「いいっていいって。さ、どうぞ」

 

 セシリーの言葉に従って茶器を口に含む。暖かなお茶が喉を潤し舌を満足させてくれる。

 

「……美味しいです」

「そう?よかった~」

 

 正直に言うと虎峰が入れた方が美味しい。只、セシリー自らが入れてくれたお茶は味以上のものを感じられた。

 食後に一時を和やかに過ごす二人。一休みをしたので書類の続きを再開しようと虎峰が思った……その時だった。

 虎峰の目の前にウィンドウが開いた。

 

「どうしたの?」

「アレマからですね。どうやら会議が終わったようです」

 

 会議終了後にはこちらに連絡をするように予め伝えていた。虎峰は目の前のウィンドウを開く。

 

「アレマ。会議は終わりましたか?」

『ああ、うん。一応終わったよ』

 

 目の前のウィンドウに一人の女性の姿と文字が表示された。猫のように大きな瞳と癖の強い短髪、そして顔に無数の傷を持つその女性の名はアレマ・セイヤーン。星露が界龍に現れるまでは、界龍第七学園において最強の座にいた元序列一位だ。彼女の喉元にはチョーカーのように細長い呪符が貼られており、その力で声を封じられている。

 

「それで会議の方はどうでしたか?今回の議案を教えてください」

『あ~~虎峰。ちょっといいかな?』

 

 いつになくぎこちない感じのアレマ。その様子に嫌な予感を感じる。

 

「……何ですか?師父ならまだ戻ってきてませんよ」

 

 アレマも星露に負けず劣らずの戦闘狂だ。星露がいなくなってから、彼女を探して六花中を探し回っていることを虎峰はよく知っている。

 

『うん!先に謝っておく。ごめん!』

「…………内容も言わずにいきなり謝られても困ります。いったい何ですか?」

 

 嫌な予感は止まらないが聞かないわけにもいかない。先を促して続きを話させようとする。

 

『星露ちゃんいないのバレちゃった』

「…………」

 

 虎峰は無言のまま倒れた。

 

「ちょっと虎峰!しっかりして!」

 

 セシリーの声が遠くに聞こえる。これからの事態を考え気が遠くなっていく。しかしもうどうでもいいやと心の中で思いながら虎峰は気を失った。

 

 

 

 

 

 

 

「ああ、そうだ。界龍のクソガキがいなくなったようだ。目的?知らねぇよ。あのクソガキにとって界龍との約定なんざあってないようなもんだろ」

 

 レヴォルフの生徒会長室で一人の男性がウィンドウで指示を出していた。

 男の名はディルク・エーベルヴァイン。非星脈世代ながらレヴォルフの生徒会長に座についた男だ。

 二つ名は悪辣の王。悪魔的な頭脳と謀略に長けていることからこう名付けられた。

 

「……まずはそれが本当か確かめる必要がある。猫の準備が整い次第、界龍に探りを入れる。分かったな」

 

 そう言うとウィンドウが消された。男は軽く溜息をつき愚痴る。

 

「あのクソガキ。いたらいたで厄介ごとの種だってのに、いなけりゃいないで面倒ごとを引き起こしやがる……」

 

 ぶつぶつとつぶやきながら、悪辣の王は複雑な思考に没頭していった。

 

 

 

 

 

 

 

「万有天羅がいないかもしれない!?」

「ああ、アレマ・セイヤーンの言ったことが正しければだけどね」

 

 聖ガラードワース学園の生徒会長室では二人の男女が話をしていた。

 男の名はアーネスト・フェアクロフ。ガラードワースの生徒会長にして聖騎士の二つ名を持つ剣士。

 対するのはレティシア・ブランシャール。生徒会副会長で光翼の魔女の二つ名を持つ女性だ。

 

「それを素直に信じたのですか、アーネスト?」

「少なくとも六花にいない可能性は高いと思うよ」

 

 アーネストは断言した。

 

「彼女は界龍との約定でむやみに外出など出来ないはずでは?」

「公主にとっては無意味な約定さ。彼女は万有天羅だからね。その気になればいつでも出掛けられるよ」

 

 アーネストの言葉を聞きレティシアは思いつく。

 

「……つまり外の世界に彼女の気を引く何かがあるということですか」

「だろうね。そうでなくては公主がいなくなる理由がない」

 

 范星露がアスタリスクに来てから一年半あまり経つが、彼女がアスタリスクを出たことはこれまで一度もない。強者との闘いにおいてアスタリスク以上の場所など存在しないはずなのだ。

 

「上から至聖公会議を動かすと通達があったよ」

「至聖公会議を!」

「上はどうあっても公主の居場所を突き止めたいらしいね。龍生九子との衝突もあるかもしれない」

「界龍に侵入でもさせるつもりですか……最悪死人が出ますよ」

「戦闘力においては龍生九子の方が上だからね。そこまで無茶はしないと思いたいよ」

 

 ガラードワースの諜報工作機関 至聖公会議は情報戦においては六学園随一だが、戦闘力の観点から見ると界龍の諜報工作機関 龍生九子の方が一枚も二枚も上手である。

 今回の目的は星露の所在の在処だ。しかし万有天羅直属の龍生九子がそれを簡単に許すわけがない。文字通り命を懸けてでもこちらを止めてくるだろう。

 

「……どちらにせよ六花はしばらく荒れそうだ。公主の情報が入ったらこちらに教えてくれ、レティシア」

「分かりましたわ、アーネスト」

 

 生徒会長の確認に副会長は大きく頷きを返えすのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「というわけで、夜吹くんには界龍に侵入して公主の居場所を突き止めてもらいます」

「いやいやいや、いきなり呼ばれたと思ったら何言ってるんすか、会長!?」

 

 星導館の生徒会長室に呼ばれた夜吹英士郎は、目の前の生徒会長からの無理難題に叫び声を上げる。

 生徒会長 クローディア・エンフィールドは英士郎からの質問に答える。

 

「今日の会議を公主が欠席しましてね……公主が界龍はおろか、六花にすらいない可能性が出てきました」

「……マジすか?」

 

 英士郎も星露と界龍との約定のことは知っている。クローディアの言う事が本当なら大問題だ。

 

「どちらにせよ、公主の不在が本当か確かめる必要があります。もしかしたら病気で寝込んでいるのかもしれないし、こちらをからかった只のイタズラの可能性もあります」

「……会長はどう思ってるんですか?」

 

 英士郎の疑問にクローディアは考え込む。

 

「…………恐らくですが、アスタリスクにいない可能性が高いです。アレマ・セイヤーンの言ったことが本当なら、ですけどね」

「はぁぁぁ、やっぱりそうですか」

「公主の居場所を突き止めるようにと、上から影星が動くよう通達が来ています。夜吹くんにも頑張ってもらいますよ」

 

 にっこり微笑まれてもこんな仕事はやりたくない。

 

「……睚眦の連中に会ったらどうすればいいですか?」

「見つからないようにお願いします」

「…………アレマ・セイヤーンに会ったら?」

「何とかして逃げて下さい」

 

 状況を好転する材料が一つも見渡らない。

 

「無理ですって!探るだけならまだしも界龍に侵入だなんて!」

「う~~ん。駄目ですか?」

「勘弁してくださいよ、会長。特に元序列一位のアレマ・セイヤーンに見つかったりでもしたら、冗談抜きで命の危機です!」

「仕方ないですね。では、界龍に侵入というのはなしで、影星には公主の所在を探ってもらいます。無理のない程度で構いませんからね」

「それでも危険な橋を渡ることには変わりありませんけどね……断っていいですか?」

「夜吹くんが直接上に連絡して許可が得られたらいいですよ」

「ですよね~~」

 

 苦笑して諦める。上からの命令に従わなければいけないのが宮仕えの辛い所だ。

 英士郎は踵を返しそのまま生徒会長室を出ようとする。そんな英士郎にクローディアは声を掛ける。

 

「……本当に無理はしないでください。公主はそのうち帰ってくるでしょうから」

「パン=ドラの力ですか?」

「いえ、私の勘です。あの方はこの学戦都市を気に入っておられるようですからね。いなくなった理由は分かりませんが、戻ってくるのは間違いないでしょう」

「……分かりました。では、軽く探る程度にしておきます」

「それで結構です」

 

 クローディアの返事を最後に英士郎は生徒会長室を出ていった。

 一人残されたクローディアはウィンドウを開き、動画を再生した。

 

 数日前にある人物から届けられたこの動画を、クローディアはこれまで何回も見返していた。

 それは二人の星脈世代の戦いが収められた動画だった。場所はとある地方の銀行の中。監視カメラで撮られた動画だが、カメラの故障により音声は録画されておらず、映像も途中までしか映し出されていない。だがそれでも確認できる箇所はある。

 

「……何度見ても信じられませんね。魔王とあそこまで戦える人物がいるなんて」

 

 黒炎の魔王 雪ノ下陽乃。界龍の序列第三位である彼女が映っているのは別に問題ない。撮られた場所が彼女の地元で、その実力は広く知られているからだ。

 問題は相手の方だ。クローディアは動画とは別にもう一つウィンドウを開いた。そこには一人の男子のプロフィールが映し出されていた。こちらも今まで何度も見返している。

 

「比企谷八幡……やはり欲しいですね」

 

 魔王とあそこまで戦える人物だ。映像で確認できた限り雪ノ下陽乃は本気を出していた。その事実だけで充分戦力だと判断できる。少なくとも、現時点で星導館の冒頭の十二人に入るのは間違いない。戦力不足の星導館としては何としても欲しい人材である。

 

 だが

 

「問題は界龍ですか。雪ノ下陽乃は元々彼と知り合いのようですが、二人が戦っている所を見ると仲はよくないようですね……こちらもスカウトが動いていますから、間に合うとよいのですが」

 

 動画の提供者に比企谷八幡のスカウトは委ねることにした。全く無名の人材であるが、上にこの動画を見せれば説得できる可能性は十分にある。

 

「それにしても刀藤流ですか……分家の方でしたらあの娘とは関係なさそうですね」

 

 八幡のプロフィールの一部に注目する。刀藤流という単語が一人の少女の姿を連想させる。近い将来、星導館に入学することが確定している未来の序列一位を。

 

「そういえば……彼の所在も確認できていませんでしたね」

 

 突如、別の考えが頭に浮かぶ。范星露と同様に比企谷八幡の所在も確認できないと報告があったのだ。

 范星露と比企谷八幡。二人とも現時点で行方不明の人物達。

 

「……まさか、ね」

 

 脳裏をよぎった一つの考え。

 

「彼と公主が一緒にいるなんて……ありえませんね」

 

 いくらなんでも突拍子もなさすぎる考えに、クローディアは苦笑しながら否定した。

 

 

 

 

 

 

 

「それで、どうして師父の不在がバレちゃったのさ、アレマ」

『いやさ聞いてよ、セシリー。あいつらさ、星露ちゃんが何処行ったとか、何かトラブルに巻き込まれたとか、あんまりにもしつこいもんだから。つい、ね』

「つい、どうしたの?」

『いや、そんなのあたいが知りたいわー!って言っちゃった』

「バレてるんじゃなくて、自分からバラしてるじゃん、それ」

 

 虎峰が気絶した後、セシリーはアレマから詳しい事情を聴きだしていた。二人は仲が良いのでお互いに気楽な口調だ。

 尚、虎峰はセシリーが保健室へ連れて行ったので、この場にはいなくなっている。

 

「まあ、バレちゃった以上今後の対応策考えないとね。他所の学園の諜報機関がわんさかと押し寄せてくるよ、絶対」

『来るなら星導館の影星、ガラードワースの至聖公会議、レヴォルフの黒猫機関辺りかな。クインヴェールは歌姫さんが会議に来てなかったからバレてないし、アルルカントは身内で争ってるから大丈夫でしょ』

「……クインヴェールは時間の問題だと思うけどね。アルルカントに関しては同意見だけどさ」

 

 アルルカントでは五つの派閥による勢力争いが活発になっているとの噂だ。現状で他所の学園にちょっかいを掛ける事はないだろう。

 

『まあ、自分で仕出かした事は自分で責任を取るさ。うちら睚眦が責任を持って連中の対処をするよ』

 

 界龍の諜報工作機関龍生九子の第七府、特務機関《睚眦》の工作員。それがアレマ・セイヤーンの現在の立場だ。

 

「ホントに頼むよ。こっちも内部のゴタゴタが続いてるのに、これ以上の厄介事はごめんだよ」

『木派と水派ね。私が連中締めてやろっか?陽乃の代わりに』

「……いやそれは止めて。私たちが何とかするから」

 

 一瞬任せるかどうか考えたが拒否する。アレマが出っ張ってくると被害が大きくなりすぎるからだ。

 

「………少しよろしいでしょうか、ウォン師姉」

 

 そこでセシリーに声が掛かった。セシリーが声の方向に振り向くと二人の男女が机に書類を広げながらこちらを見ていた。黎沈雲と黎沈華の双子の兄妹だ。

 

「何で僕たちが書類を片付けなければいけないのか」

「納得のいく説明をいただけないでしょうか」

 

 兄である黎沈雲の言葉を妹の黎沈華が引き継ぐ。それままるで一人の人間が喋っているかのように、不自然さがない。この双子の特徴的な喋り方である。

 

「虎峰が倒れちゃったからね。その代打だよ」

 

 セシリーが軽く答える。彼女は自分が書類仕事が苦手なのは自覚している。ならば話は簡単だ。出来ないのなら得意な人物に手伝ってもらえばいい。セシリーと双子は同じ水派に属しているため、二人に書類を任せるのは今回が初めてではない。

 

「まあ、それ自体は慣れているので別に構いませんが」

「……大師兄がいらっしゃるのは何故でしょうか?」

 

 双子が視線を向けた先にセシリーも視線を向ける。そこには一心不乱に書類を読みペンを走らす武暁彗の姿があった。

 

『ああ、あたいが呼んだんだよ。ちょうど暇してそうだったからさ』

「………アレマくらいだよ。そんな理由で大師兄のこと呼べるのは」

『陽乃の奴もやりそうじゃん』

 

 雪ノ下陽乃とアレマ・セイヤーン。押しが強い性格をしている二人は、武暁彗相手でも遠慮のない対応する。

 

「……終わったぞ」

 

 真横から声が掛かる。いつの間にか武暁彗が隣に立ち書類を差し出してきた。手に持った書類をセシリーが慌てて受け取る。

 

「ありがとうございます、大師兄。しかし、書類仕事なんて大師兄自ら行わなくても……」

『別にいいんじゃない。暁彗ってば、放っておいたらずっと黄辰殿の奥に篭りっきりなんだから』

 

 武暁彗は星露の一番弟子で序列二位だ。実力も立場もセシリーより上の人間に書類仕事を押し付けるわけにはいかない。

 

「……構わん」

 

 だが暁彗に問題はないようだ。それどころか、次の書類を寄越せとばかりに手を伸ばしてきた。

 

「……お願いします」

「ああ」

 

 その圧力に負けたセシリーが次の書類の束を渡した。書類を受取った暁彗が席に戻っていく。

 

『なぁ暁彗』

「……何だ」

 

 だが席に戻る途中、アレマが暁彗に呼びかける。その場で足を止め暁彗はアレマの方を見る。

 

『星露ちゃん見たのあんたが最後なんでしょ。どんな様子だったのさ?』

 

 星露に最後に会ったのは暁彗である。その時の様子を知るものは他に誰もいない。

 

「………楽しそうだったな」

「楽しそう、ですか」

 

 暁彗は思い出す。その時の様子を。

 

 ――――――暁彗。儂はちと所用で出かける事になった。

 

 星露は真剣な表情をしていた。

 

 ――――――連絡は不要じゃ。後は頼むぞ。

 

 だが、その後は笑っていた。まるで探し物が見つかったかのように嬉しく、そして獰猛な笑みを浮かべながら。

 

「ああ、とてもよい笑顔で笑ってらっしゃった。あのように楽しそうな師父を見たのは久方ぶりだ」

『へぇ~星露ちゃんがねぇ。それは面白そうじゃん』

「どういう事、アレマ?」

 

 アレマの言葉の意味が分からずセシリーは問いかける。

 

『分かんない?星露ちゃんが喜ぶなんて強者がいたときぐらいだよ。そいつに会いに行ったんだよ、きっと』

「でも、会いに行ったって師父はアスタリスクにはいないんでしょ?この街以外でそんな人がいるとは思えないんだけど」

『でも、間違いないよ。星露ちゃんが動くなんてそれ以外に理由がないって』

 

 断言するアレマ。だが他に納得できない人達もいる。

 

「その話が正しければ、師父が興味を持つ程の強さの人物がアスタリスク以外にいて」

「界龍との約定を破ってまで、師父がわざわざ会いに行ったことになります……どんな強さよ、その人」

 

 星露は界龍とアスタリスクの外へは出ないと約定を結んでいた。万有天羅にとっては口約束のようなものだが、一応それを遵守し守ってきた。

 だが今回、星露はその約定を破った。統合企業財体との約束を破るリスクよりも、興味が惹かれたものがあるのは間違いない。

 

「……気にするな」

「大師兄?」

「師父を信じて帰りを待てばいい。俺たちに出来る事はそれだけだ」

 

 暁彗はそう言い切って再び書類に目を通し始めた。

 

「……ま、私たちが此処でどうこう言っても真実は分かんないか。さて、続きをするとしましょう。アレマ、手伝って!」

『虎峰気絶させたのあたいのせいだしね。しょうがないか。セシリー書類頂戴』

 

 セシリーはアレマに書類を渡す。

 

「まあ、師父が戻れば分かることですし」

「ここで推測を重ねてもしょうがないわね」

 

 双子もまた書類に目を通し始めた。

 

「師父は今頃何をしてるのかな~」

 

 セシリーは呟く。

 星露の安否は別に心配してない。セシリーの知る限り世界最強の人物なのだから。

 

「早く帰ってきてくださいよ……虎峰の胃が無事の間に」

 

 しかし彼女の願いは叶わず、星露が界龍に戻ってきたのはそれから二か月以上先の事であった。

 




閑話の一つ目をお送りしました。
星露がいない影響と各学園の反応、そして陽乃さんの入学当初の話。昔はちょっと荒れてた陽乃さんです。

次はもう一つの閑話。比企谷家と総武のお話ですね。

では、次回もよろしくお願いします。


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閑話 雪ノ下陽乃の訪問記 前編

筆が凄く進んだので、一晩で完成。
長くなりましたので前後編になります。

誤字、脱字、感想等あれば、よろしくお願いします。


 目の前のティーカップを手に取り口に運ぶ。

 自家焙煎されたコーヒーは香りと酸味、そして飲んだ後の後味が素晴らしいものだ。

 それが気に入ったからこそ、この喫茶店に通い続けているのだと陽乃は思った。

 

 だが今日は別だ。普段は美味しいと感じるコーヒーが、今日はまったく美味しく感じられない。

 理由は考えるまでもない。

 

 一つの家族を終わらせるために今日此処に居るからだ。

 

「はぁっ……やっぱり気が重いわね」

 

 分かっていた事とはいえ、やはり気分が悪くなるのは抑えられない。これから行う行動とその結果。全てが予想できるこの頭脳が今は恨めしい。

 

 目の前のテーブルに置かれた書類を見る。この書類は、今から訪れてくる人物たちに見せるためにあるものだ。

 

「……来たわね」

 

 呟いたその時、入口の扉が開けられ目的の人物たちが店の中に入ってくる。辺りを見渡しこちらを見ると重い足取りでこちらに向かってきた。

 

 さて、ここからは仕事の時間だ。陽乃は自らの表情に仮面を被りその二人を出迎えた。

 

 

 

 

 

 

 

「……では、書類の確認が終わりましたら、こちらにサインをお願いします」

 

 陽乃は淡々と自らの仕事をこなしていく。状況の説明と待遇の確認。それらを口頭で説明し、書類をテーブルの反対側にいる二人に手渡した。

 

「……あの」

「何でしょうか?」

 

 目の前にいる二人の片方。女性の方が話しかけてくる。

 

「…………あの子は、八幡は元気でしょうか?」

「さぁ、私も最近彼に会ってませんから、分かりかねます」

 

 質問をされるが答える事を拒否する。実際2週間ほど会っていないので嘘は付いていない。

 

「で、でも!」

「……よしなさい、母さん」

 

 直も問いかけようとする女性を隣にいる男性が止めた。

 

「雪ノ下さん。少しだけ話を聞いてもらえないでしょうか?」

「…………」

 

 返事はしない。代わりに無言で頷くと男性は話し始めた。

 

「……小町と話をしました。あの子の話を聞いて初めて気付かされましたよ。私たちのやっている事がどれだけあの子たちの負担になっていたのかを」

「…………」

 

 それはこの世界ではよくある話。

 

「八幡が生まれて私たちは喜びましたが、同時に戸惑いもしました。星脈世代は今の世の中では差別される存在です。あの子のために何ができるか考えて思いついたのが、アスタリスクに行かせる事でした」

 

 星脈世代を生んだ親の選択肢は幾つかある。その中で一番多い選択肢がアスタリスクへ向かわせることだ。

 

「……小町が生まれてしばらくして八幡の星辰力がなくなりました。そして私たちは、八幡の代わりに小町を教育することを決めたのです」

 

 絞りだす様に話す男性。それは二人の罪の告白だった。

 

「今思えば愚かなものです。あの子たちの幸せを願っておきながら、あの子たち自身の事をまったく考えていなかったのですから」

 

 そこで陽乃は目の前の二人の顔をよく見た。両者とも目の下に隈があり顔色も悪い。ここ最近よく眠れていないのが表情ですぐに分かった。

 

「妹さんは今回の件をどう思ってるのですか?」

「……まだ話していません」

「こちらからお話ししますか?」

 

 憎まれ役は少ない方がいい。陽乃がそう思い提案するが。

 

「いえ、こちらで話します。それが私たちの責任ですから」

 

 そう言いきった。

 

「あいつを、八幡のことをよろしくお願いします」

 

 男が陽乃に向かって頭を深く下げると、隣にいた女性もまた深く頭を下げた。

 

「……分かりました。八幡くんのことは私たちにお任せください」

 

 そんな陽乃は、対面に座る比企谷夫妻にそう返事を返した。

 

 

 

 

 

 

 

 喫茶店での会談を終え、陽乃は次の目的地に向かった。

 現在の時刻は16時過ぎ。これから夕方に差し掛かる頃合いだ。

 目的地付近の住宅街を歩いていると、近くの小学生たちが帰宅しているのがちらほらと見える。無邪気に歩くその姿に微笑ましいものを感じる。

 

 そして一軒の住宅の前で足を止める。入口に足を運び呼び鈴を鳴らす。しばらくすると女性の声が聞こえてきた。

 

『はい。どちらさまでしょうか?』

「雪ノ下陽乃です」

『雪ノ下さん?ちょっと待ってね』

 

 声が途切れ、家の中から小走りする音が聞こえてくる。

 そして扉が開かれた。

 

「お久しぶりです。鶴見先生」

「ええ、雪ノ下さんもお久しぶり」

 

 家の中から出てきたのは総武中学の保健教師。そして鶴見留美の母親でもある女性だ。陽乃が会うのは中学一年の時以来なので数年ぶりだ。

 今日この家に訪れる事になったのは、鶴見留美経由で相談したいことがあると言われたからだ。

 

「ごめんなさいね。雪ノ下さんもお忙しいのに態々来てもらって」

「いえ、構いません。留美ちゃんの様子も見たかったので」

「ありがとう。あの子ったら陽乃さんはこんなに凄いんだよって、最近雪ノ下さんの話ばっかりするのよ。あの子と仲良くしてあげてね」

「はい、もちろんです。所で、今日は相談したいことがあると伺いましたが」

「ええ、でもこんな所で話をするのもなんだし、まずは上がってちょうだい」

「分かりました。ではお邪魔します」

 

 中に入るように促され、家の中に入る。

 玄関から居間に案内され、しばらくするとお茶とお菓子が机の上に出された。

 

「大したものはないのだけれど、どうぞ」

「いえ、お構いなく」

 

 そして両者が対面に座り話を始める。

 

「これを見てもらってもいいかしら?」

 

 差し出されたのは一通の手紙だった。それを受取った陽乃は、書かれた内容に目を通す。

 

「……星導館の推薦状ですか」

「……ええ」

 

 差出者は星導館。内容は鶴見留美に対する星導館への推薦状だった。

 

「留美ちゃんの治癒能力を嗅ぎ付けてきましたか。随分と気の早いことで」

 

 学戦都市アスタリスクには六校の学園がある。界龍には初等部が存在し小学生から通う事もできるが、他の学園は中等部からしか存在していない。小学五年生である鶴見留美に現時点で推薦状が届くのはかなり異例だ。

 

「……雪ノ下さんがアスタリスクに行ったことは思い出してね。詳しい話を聞かせてもらえると助かるのだけれど」

「私でよければいいですよ。何でも聞いてください」

 

 陽乃は快く快諾した。

 

「ありがとう。家の留美には武術なんて習わせてないから、アスタリスクは無縁だと思っていたのよ。だけど今回推薦状なんて来たからどうすれば分からなくて」

「お気持ちはお察しします」

「……その、治癒能力かしら。あの子がそれに目覚めたのは知っているのだけれど、それだけで推薦なんて来るものかしら?」

 

 当然の疑問点だ。一般人が知るアスタリスクは星武祭ぐらいである。それを見れば武術や攻撃的な能力に注目しがちになり、治療系などの能力に目がいくことなど無い。

 

「そうですね。推測になりますがそれでもいいでしょうか?」

「ええ、お願いするわ」

「まず、星脈世代の中には能力を持っている人達がいます。彼らは男の子なら魔術師、女の子なら魔女と呼ばれています。能力というのは人それぞれで色んなものがありますが、その中で特に希少なのが治療系になります」

「希少?人数が少ないということ?」

 

 陽乃は頷く。

 

「はい。かなり少ないですね。星導館としては、他所が目を付ける前に留美ちゃんを確保したいという狙いがあると思います」

「……それは雪ノ下さんもかしら?」

 

 雪ノ下陽乃もアスタリスクの学生だ。当然それを疑われてもおかしくはない。

 

「否定はしません。私も上から留美ちゃんを誘うように言われています。只、私個人としては本人の意思を尊重したいと思っていますので、無理やり押し付ける気はありません」

「そう。ならいいのだけれど」

 

 その言葉に安堵する。

 

「……個人的にですが、少し気になる点があります」

「何かしら?」

「鶴見先生。留美ちゃんは魔女に目覚めてから市役所で登録は済ませましたか?」

「え、ええ。病院の先生にも言われましたので、退院してからすぐに」

 

 魔術師や魔女は、能力に目覚めると国に登録をする義務がある。それらの手続きは市役所などで行う。

 

「……星導館が何処で留美ちゃんの事を知ったのかが気になります」

「それは……」

「能力者が国に登録される以上、いつかは留美ちゃんの事が知られるのは間違いないです。しかし、いくら何でも早すぎます」

 

 陽乃としても予想外の出来事だ。この段階で留美が注目されるなど考えもしなかった。

 

「……雪ノ下さんに心当たりはありますか?」

「……………分かりません」

 

 一つだけ心当たりがないことはない。ただ、確信には至っていないので伝える事はできない。

 

「鶴見先生はどうするつもりですか、その推薦状」

「……あの子と相談して決めたいと思います。あの子が望めばアスタリスクに行かせますし、望まなければ行かせまん」

 

 きっぱりと断言した。その意志の強さに陽乃も頷く。

 

「それでいいと思います……そういえば、今日は留美ちゃんはお出掛けですか?」

「いえ、まだ学校から戻ってないのよ。もう帰ってくると思うのだけれど」

 

「ただいま~」

 

 玄関の方から声が聞こえてきた。

 

「帰って来たみたいね」

「ですね」

 

 話題の少女がちょうど帰ってきたようだ。

 

「お母さん。誰かお客さんがって、陽乃さん!」

「やっほ~留美ちゃん」

 

 留美に向かって軽く手を振る。

 

「おかえり、留美」

「ただいま、お母さん。どうして陽乃さんが家に?」

「まずは鞄置いてきなさい。話はそれから」

「うん!」

 

 小走りで留美は自分の部屋に向かって行った。

 

「……元気そうでよかったです」

「最近のあの子は目標が出来たみたいで、とっても頑張ってるんですよ」

「目標ですか?」

「ええ」

 

 にっこりと笑い陽乃に向ける視線を強くする。

 

「え~~と、もしかして私ですか?」

「そう。あの子ったら陽乃さんみたいになりたいって言ってるんですよ」

「そう、ですか。嬉しいけどちょっと恥かしいですね」

 

 雪ノ下陽乃に憧れる人は今までも数多くいた。普段は何も感じないが、鶴見留美にそう思われるのは嬉しく感じる。それは陽乃にとって鶴見留美が単なる知り合いではないからだ。

 

「雪ノ下さん。留美があなたに頼みたいことがあるそうです」

「頼みたいことですか?」

「ええ。詳しい内容は私も知らないのだけれど、聞いてもらえないかしら?」

「分かりました」

 

 二人が話をしていると、階段を急いで降りてくる音が聞こえてきた。そして居間に留美が入ってきて母親の隣に座った。

 

「陽乃さん!お久しぶりです!」

「うん、久しぶり。直接会うのはあの時以来だね」

「はい!」

 

 鶴見留美が巻き込まれた銀行強盗事件。それが解決された後、二人揃って病院に搬送されて以来の再会となる。

 

「ほら、留美。雪ノ下さんに頼みたいことがあるんでしょう?」

「……うん」

 

 母親に促され留美が前に出る。

 

「……陽乃さん。お願いがあります」

「何かな?」

「私……強くなりたいんです!」

 

 それは陽乃にとって予想外の内容だった。

 

「あの時、私は何も出来ませんでした。怯えて、震えて、見てることしか出来なくて」

「それはしょうがないよ。あの状況下で何とか出来る人の方が少ないから」

「それは分かっています、でも!」

 

 陽乃は留美を見る。その瞳には固い決心と強い意志が込められているように感じた。陽乃の知る限り、この瞳を持つ人物が折れる事はない。

 陽乃は溜息を一つ付き、母親の方を見る。

 

「止めなくていいんですか、鶴見先生?娘さん。こんな事言っちゃってますけど」

「……相談の内容には驚いたわ。でも、娘が決めた事ですもの。雪ノ下さん、お願いできないかしら」

 

 母親にも異存はない模様。説得するのは無理の様だ。

 

「……留美ちゃんに争いごとは向いてないと思うんだけどね、私は」

「自分でもそう思います。でも決めたんです。強くなるって」

 

 鶴見留美の決心は固い。その根本的な理由が、彼女が何を思って強くなりたいのか、陽乃には理解できた。

 それはきっと、自分と同じ理由なのだろうと。

 

「留美ちゃん。煌式武装の使用経験は?」

「ないです。剣とか銃とかあんまり好きじゃないんで」

「となると、やっぱりアレかな。ちょっと立ってみて」

 

 陽乃が立ち上がり、続いて留美も立ち上がる。

 

「こっちに手を出して」

「こう、ですか?」

 

 陽乃に向かって右手を差し出す。その手を陽乃が同じ右手で掴み。

 

「!!」

 

 次の瞬間、鶴見留美の身体が宙を舞う。

 彼女の身体はそのまま一回転し、元の立ち上がった状態に戻った。

 

「どう?」

「す、凄いです!」

 

 留美には自分の状態がどうなったのかは理解できなかった。

 手を差し出した次の瞬間に視界が回っていたからだ。

 

「これが合気道よ。留美ちゃんも名前だけは聞いたことがあるんじゃないかしら?覚えるのは結構大変だけど、星脈世代の留美ちゃんなら非星脈世代より習得は簡単なはずよ」

「合気道、ですか」

「そう、問題があるとすれば星脈世代には不評なことね、合気道は」

「そうなんですか?こんなに凄いのに」

 

 留美は驚いた。こんなに凄い技が星脈世代の間では不評とはどういう事だろうかと。

 

「星脈世代ってのは結構派手好きでね。武術の推奨プログラムに合気道も入ってはいるけど、選ぶ人は殆どいないんじゃないかな。皆、剣とか銃とかの方が好きだし、強くなるのも早いからね」

 

 実際の所、星武祭で合気道を使用する人物はいない。合気道は生身で対峙しなければいけないので、どうしても武器を持った相手と対戦すると不利になるからだ。

 

「留美ちゃんが求めてるのは、相手を倒す強さではなく誰かを守る強さだよね?だとしたら、合気道はぴったりだと思うんだ」

 

 陽乃の言葉に考える留美。合気道。倒す強さではなく守る強さ。考えれば考えるほど自分に合っていると思った。

 

「はい。私、合気道を習いたいです!」

「よし、決まりだね。ただ、私はもうすぐアスタリスクに帰っちゃうから、教えることは出来ないんだよね………そうだ!留美ちゃん、私の師匠に合気道を習ってみない?」

「陽乃さんのお師匠さん?この前来られたという人ですか?」

「その人とは別だね。私が小さい頃に合気道を習った師匠。非星脈世代だけど、とっても強い人だよ」

 

 幼少時、母親の命令により雪ノ下陽乃は合気道を習わされた。その時に出会った人物だ。

 

「じゃあ、雪乃さんもその人に習ったんですか?」

 

 姉妹だから当然、妹も同じ人物に習ったのではないかと疑問に思う留美。

 

「う~~ん。雪乃ちゃんも合気道は習ったけど、私の師匠とは別の人だね」

 

 雪ノ下陽乃は天才であり、幼少の頃からその才は十二分に発揮された。雪ノ下姉妹は最初同じ先生に合気道を習っていたが、短い期間で陽乃はその先生を倒してしまったのだ。

 そして次に合気道を習う事になったのが、陽乃が師匠と呼ぶ人物だ。

 

「でも、非星脈世代なのにそんなに強いんですか?」

 

 星脈世代と非星脈世代では力や反応速度の差が桁違いだ。普通なら非星脈世代に勝ち目はない。

 陽乃も当初はそう思っていた。

 

「達人。あの人は表すならそう表現するしかないわ。どれだけ力が強くても、どれだけ早く動いても、あの人の前では意味なんてない。そんな人よ」

「そ、そんな凄い人に!本当にいいんですか?」

 

 恐れ慄く留美。陽乃が言ってることが本当なら自分なんかには勿体ないと思う。

 

「いいの、いいの。前に連絡した時、門下生が少なくて閑古鳥が鳴いて暇だって言ってたからね」

「え~と、じゃあその人がよければ、お願いしたいです」

 

 頭を下げる留美。

 

「任せて。師匠には私から連絡しておくから、留美ちゃんの連絡先を教えてもいいかな?」

「はい。大丈夫です」

 

 頷く留美。満足した陽乃はふと腕時計で時刻を確認する。

 

「……もうこんな時間か。鶴見先生に留美ちゃん。申し訳ありませんが、次に向かう所がありますので、今日はこの辺で」

「あら、そうなの?」

 

 時刻は17時少し前。普段なら問題ないが、今日は訪れるところがまだ幾つかある。

 

「今日はありがとう、雪ノ下さん。とても助かったわ」

「いえ、また分からない事があれば何時でも相談になりますので、連絡してください」

「ええ、その時はお願いするわ」

 

 立ち上がり玄関先に向かう陽乃。

 

「あ、あのお母さん。私、陽乃さんをお見送りしてくる!」

「あら?じゃあ、任せてもいいかしら?」

「うん!」

 

 母親を残し玄関先に向かう陽乃と留美。二人は靴を履き外に出る。

 陽乃は留美に向き直り話しかける。

 

「それで留美ちゃん。まだ聞きたいことがあるんだよね?」

「……はい」

 

 二人きりで話がしたいという留美の考えが、陽乃には直ぐに分かった。

 そして二人で話す内容など一つしかない。

 

「…………八幡は元気ですか?」

「ええ、私も直接連絡は取れないけど、元気なのは間違いないみたい」

 

 比企谷八幡。正確には、一時間前に范八幡となることが確定した、二人にとっても縁の深い人物だ。

 

「陽乃さんも八幡の姿は見てないんですか?」

「……精神的に不安定になる可能性があるってことでね。私も師父にしか連絡が取れないのよ」

 

 師父。雪ノ下陽乃のアスタリスクでの師匠の呼び方だと、留美は陽乃から教わった。

 

「でも、元気なんですよね?良かった……」

 

 雪ノ下陽乃は鶴見留美に対して、比企谷八幡の事を誰にも喋らないようにと約束をした。万有天羅の圧力により、比企谷八幡は銀行には来ていないというのが公式な記録だ。

 比企谷八幡を直接目撃した人物は、雪ノ下陽乃と鶴見留美、そして銀行強盗達だけだ。情報は何処から漏洩するか分からない。その為、陽乃は留美と互いに連絡を取り合っている時も八幡の名前を出すことはないし、逆に留美から名前を出すことはない。

 

「こっちも一つ聞いていいかな?」

「はい、何でしょうか?」

 

 今度は陽乃が留美に質問をする。

 

「能力は最近使ってる?」

「え~と、この前お母さんが包丁で指を少し切っちゃった時に使いました。とても喜んでました」

「そっか……能力は使用すればするほど強くなるわ。留美ちゃんは能力に目覚めたばかりだから尚更ね。能力は人によって個人差が激しいから、出来る事と出来ない事。そして、自分の限界を知ることはとても重要になるわ。何か気付いたことがあったら教えてちょうだい。同じ能力者として力になるわ」

 

 陽乃の言葉に考え込む留美。そしてある事を思い出した。

 

「あ、そういえば一つ気になる事がありました」

「お、何かな?」

「退院して直ぐ、学校からの帰り道で転んじゃって膝に擦り傷が出来たんです。誰も見てなかったから能力で治そうとしたんですけど、治らなかったんです」

「なるほど。その後はどうしたの?」

「私も星脈世代ですから。擦り傷ぐらい直ぐに治るからいいやって絆創膏だけ貼りました。実際一日と掛からず治ったので、特に気にしませんでした」

 

 話を聞いた陽乃は、留美の能力に関して一つの条件を思いつく。

 

「恐らく、留美ちゃんの能力は他者を治すのに特化してるわね」

「他者、ですか?」

「そう。他の人は治せるけど自分は治せない。そんな能力ね。留美ちゃんらしい、優しい能力よ」

「そ、そんな。私なんて」

 

 照れる留美。

 

「もし師匠に会ったら能力の事を伝えてみなさい。きっと喜ばれるわ」

「そうなんですか?」

「ええ、護身がメインの合気道といっても武術の一つだからね。当然、怪我人は出るわ。その人達を治せば留美ちゃんの能力の鍛錬になるし、向こうとしても医者に掛かることもなくなるから大助かりね」

「……分かりました。その時が来たら話をしてみます」

 

 留美は頷いた。

 

「じゃあ、私は行くね」

「はい。今日はありがとうございました、陽乃さん」

「いいのよ。留美ちゃんも聞きたいことがあったら何時でも連絡してね」

「はい!」

 

 陽乃は歩き出し次の目的地に向かう。

 そんな陽乃を、留美は後ろ姿が見えなくなるまで手を振り続け見送った。

 

 

 

 

 

 

 

「……出てきなさい」

 

 暫く歩いた陽乃。人通りが少ない裏路地で陽乃は呟くように声を出した。

 

「何か用ですか、姉御?」

 

 その声に反応し一人の男が姿を表す。その男は黒尽くめの衣装を着ている為、一般人とは程遠い姿だ。

 

「留美ちゃんに対する警戒度をEからBに変更するわ」

「……何かあったんですかい?」

 

 陽乃が定めた鶴見留美に対する警戒度。Eランクは周囲に怪しい人物がいないか遠くから警戒するのに対し、Bランクは自宅や学校以外での護衛を、隠れながら目の届く範囲で常に行うというものだ。突如のランク引き上げに男は気を引き締める。

 

「星導館に留美ちゃんの事がバレたわ」

「!やけに早くないですか?」

「ええ、そうね。もう少し掛かると踏んでたんだけどね」

 

 ランク引き上げの理由は分かった。しかし

 

「それにしたってBは高くないですかい?いくら嬢ちゃんが治癒能力者だからって、他に治癒能力者がいないわけでもない。普通なら高くてもDってとこですぜ」

 

 警戒度Bは明確な敵が周囲に侵入している事が確実になった時が主だ。他の学園に能力者の存在がバレたからと発動されるランクではない。

 

「………用心のためよ」

 

 だが陽乃は警戒を怠らない。

 

「……今回の首謀者に心当たりがおありで?」

「…………」

 

 陽乃は沈黙する。

 

「心当たりがあるなら教えてください。敵の正体が分かっているのとそうでないのでは、護衛のし易さが段違いですぜ」

「……分かっているわ。そんな事」

 

 どこか弱気な口調になる陽乃。男はそんな陽乃に自らの思いを語り始める。

 

「姉御、俺はあんたに感謝してます。銀行強盗でとっ捕まった俺たちは死刑が確実でした。でも、姉御と万有天羅のおかげで命だけは助かりました。その恩は出来るだけ返させてもらいますぜ」

「……手駒が欲しかっただけよ」

 

 ぶっきらぼうに言い捨てる陽乃。

 

「だとしてもですよ。黒猫機関として陰謀の手先となる毎日よりも、銀行強盗として明日をも知れぬ生活を送る毎日よりも、今の生活の方がよっぽど充実してますからね」

 

 男は言い切った。暗い闇稼業に身を落としていた日々を思えば、今の生活は天国のようなものだ。

 

「……どうしろっていうのよ、私に」

「もっと魔王らしくしてください」

「……は?」

 

 思わぬ要求に呆れる陽乃。

 

「あんたは魔王だ。魔王だったら魔王らしく、威風堂々と正面から敵を打ち破ればいい。小細工を弄したり、落ち込んだりしてるのはあんたには似合わねぇ。見てて気持ち悪いですぜ」

「……言うわね」

「それだけ今の姉御の違和感が半端ないんですよ。とっとといつもの姉御に戻ってください」

 

 男は口調とは裏腹に真剣な顔つきで陽乃を睨んでいた。

 

「ふぅっ、そうね。らしくないわよね、今の私は」

「ええ、見てて鳥肌が立ちますよ」

「………分かったわ」

 

 そして陽乃は目の前の男に命令を下す。

 

「留美ちゃんに対するランクはEのままで変更はなし。今回の首謀者には私が直接話を付けるわ」

「了解です。っていうか首謀者と知り合いですかい?」

「まあね」

 

 恐らく、今回の首謀者は陽乃がこの世で誰よりも知っている人物だ。

 

「……私からも一つ言っておくわ」

「何ですかい?」

「あなた達が掛け値なしの外道だったら、私も星露も助けはしない。全員処刑台に送っていたわ」

「……人殺しでもですか?」

「それは元猫だったあなた一人だけ。それに、猫を抜けて以降は一人も殺していないのは確認済みよ」

「……よく調べましたね。この短期間で」

 

 男が陽乃の部下になって一週間余りしか経っていない。

 

「それに、銀行強盗にしても慕ってくれる部下たちを見捨てられずにとった行動。銀行強盗なんて手段は全然褒められたものではないけどね。どちらにせよ、あなた一人だったらどうとでもなったはずよ。そして銀行強盗中も誰一人死者は出していないし、非星脈世代に至っては一人も傷つけていない。まあ、悪人であるのは間違いないけれど、外道ではないわね」

「どうやって調べたんですかい。そんな情報」

 

 思わず表情が引き攣る男。

 

「あなたの部下に聞いたら快く教えてくれたわよ、慕われてるわね」

「はぁぁっ、あいつら。余計な事を」

「いい部下じゃない。大切にしなさい」

 

 溜息を付く男に対し笑いかける陽乃。

 程なくして、男は再び真剣な表情を浮かべ、陽乃に問いかける。

 

「それで、今回の首謀者はどちらさんですかい?」

「今回の首謀者は………」

 

 そこで一旦、陽乃が口を噤んだ。

 一瞬だけ訪れる静寂。だが陽乃は口を開き言葉を紡ぐ。

 冷静に、冷徹に、陽乃は首謀者の名前を言い放った。

 

「………雪ノ下冬乃。私の母よ」

 

 




閑話二つ目 前編をお送りしました。

比企谷家は割とあっさりと。鶴見家は何故か気付いたら膨大な量になっていました。
深夜のテンションは恐ろしい。一気に文章量が増えました。

後編はいよいよ総武訪問です。

では、次回もよろしくお願いします。


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閑話 雪ノ下陽乃の訪問記 後編

一部キャラにアンチ的な表現があるかもしれません。

ご注意ください。

誤字、脱字、感想等あれば、よろしくお願いします。



「それは本気で言っているのか、陽乃?」

「もちろん本気で言ってるよ、静ちゃん」

 

 二人の女性が話をしていた。

 一人は総武中学教師の平塚静。もう一人は雪ノ下陽乃だ。

 

「いくら何でも大袈裟じゃないのか、それは?」

「あら、どうしてそう言い切れるの?」

 

 平塚は陽乃の言葉を否定する。

 

「……私はあいつらを信じている」

「信じたい、の間違いじゃないかな?」

「…………」

 

 だが完全には否定しきれない。それは彼女自身にも思う所があったからかもしれない。

 

「ま、今日はそれを確かめに来たんだけどね」

「陽乃、お前……何があった?」

 

 平塚は陽乃の様子がいつもと違うのに気が付いた。

 陽乃の様子は、見た感じは確かにいつもと変わらない様に見える。

 

「色々だよ、静ちゃん……本当に色々あったんだよ」

「……そうか。だが、確かめると言ってもどうする気だ?」

 

 だが、長い付き合いのある平塚には分かる。それは

 

「簡単だよ。今からあの子たちに会って聞けばいいんだから」

 

 表情は笑みを浮かべているが、瞳がまったく笑っていないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

「ひゃっはろ~~!!」

 

 ドアを開けて部屋の中に入る。そこには二人の女子生徒が椅子に座っていた。

 

「……姉さん」

 

 一人は陽乃の妹で奉仕部部長の雪ノ下雪乃。

 

「……陽乃さん」

 

 そしてもう一人が、奉仕部の部員である由比ヶ浜結衣である。

 

「ふぅっ。何の用かしら、姉さん?」

 

 溜息を付き姉に問いかける雪乃。その口調は冷たく、他者が見れば話しかける事すら覚束なくなるほどだ。

 

「ふ~ん。機嫌悪いね、雪乃ちゃん。ねぇガハマちゃん。何かあったの?」

「え~~と、その~~」

 

 誤魔化す様に口ごもる結衣。そんな彼女を一瞥し陽乃は雪乃へ向き直る。

 

「ま、いいや……ところで、比企谷くんの姿が見えないけど、どうかしたの?」

「!」

「!」

 

 陽乃の言葉で二人の動きが止まる。

 

「あの、ヒッキーは休みで……ここ二週間ほど学校に来てないんです」

「そうなんだ?」

「……はい」

「………」

 

 勿論陽乃が知らないわけがない。その辺りの工作をしたのが彼女自身だ。彼の両親に休みの連絡をいれさせたのだから。

 

「そういえば校内歩いて来る途中で聞いたんだけど、比企谷くんってば凄いこと言われてたね。銀行強盗に巻き込まれたとか、落ちこぼれの星脈世代が街で暴れてるとか、酷い話だと銀行強盗の一員で警察に捕まった、とかもあったね」

「…………」

「それ、は……」

 

 面白おかしく話す陽乃に狼狽える結衣。だが沈黙していた雪乃が口を開く。

 

「それがどうかしたの?私には何の関係もないわ」

「ゆきのん……」

「ふ~ん。同じ部活の仲間なのにそういう事いうんだ」

「……仲間なんかじゃないわ」

 

 絞りだすように雪乃は話し始めた。

 

「姉さんが何を勘違いしてるか知らないけど、私とあの男は仲間なんかじゃないわ。一人で勝手な行動を取って、嫌われるようになったのはあの男よ。その結果、校内中で嫌われ者になったのも自業自得だし、それで二週間も学校を無断欠席している引きこもり谷くんなんて、私は仲間なんて認めないわ!」

 

 口調がきつく感情的になる雪乃。そこに込められていたのは拒絶、落胆、失望などの負の感情だ。

 

「そう……ちなみにガハマちゃんも同じ意見?」

「え!?いや、私は、その………」

 

 驚く結衣。狼狽しながらも何かを話そうとする。だが、雪乃の方をちらりと見た瞬間、彼女の怒っている様子を見てしまい、結局俯いたまま次の言葉は出てこない。

 

「……因みに、雪乃ちゃんたちは噂に関してどう思ってるの?」

「………噂、ですか……その、いくらヒッキ―でも、そんな事しないんじゃないかなと……」

「あら、分からないわよ。由比ヶ浜さん」

 

 雪乃は結衣の言葉を否定する。

 

「火のない所に煙は立たない。校内中で噂になっている以上、まったく出鱈目とも限らないわ」

「それは、確かに、そうかもしれないけど………」

「……………」

 

 一度口から出た不満は止まらない。

 

「大体あの男は前からそうよ。自分勝手な行動ばかりとって、周りの事なんて少しも考えないんだから」

「…………ゆきのん」

「……へぇ~。比企谷くんってば前からそんな感じなんだ……雪乃ちゃん、詳しく教えてもらってもいい?」

「ええ、いいわ。存分に教えてあげるわ」

 

 そう言うと、雪乃は話し始めた。

 比企谷八幡との出会い。奉仕部の出来事。そして比企谷八幡の行動の数々を、彼女は語っていく。それは彼女が、今まで己の内に溜め込んだものを全て吐き出すかのようだった。

 

 雪ノ下雪乃にとって男性とは煩わしいものでしかない。それは、幼い頃から今までの人生で体験したことが起因となっている。だが今年の春に変化が起こった。

 

 比企谷八幡。平塚静が奉仕部に強制的に入部させ、人格矯正を頼まれた人物である。捻くれた性格と腐った目を持ったその男を当初、雪乃は他の男と同様に、否、それ以上に毛嫌いをしていた。

 だが、その判断は徐々に修正されていくことになる。由比ヶ浜結衣を加えた奉仕部は、三人で様々な依頼を解決してくことになり、その行動により雪乃の中で八幡の存在は徐々に大きくなっていた。

 

 それは本人には名前の付けられない感情だ。彼女は認めないだろうが、彼に対する少なからぬ好意もあったのかもしれない。

 

 それ故に今、心に蠢く感情が抑えられないのだ。有象無象の他の男子生徒なら特に何も感じない。だが彼は違う。本人は認めないが、八幡に感情移入するからこそ反発する心は酷くなった。だから現在、彼女は声を荒げ八幡の事を話し続けている。

 

 雪ノ下雪乃は未熟だ。特にその精神がだ。幼少時からの体験により、彼女は異性、同性問わず敵対する者に対して容赦がない。一の攻撃を加えられれば二にも三にも反撃をし、気に入らない事があれば言葉を用いて論破する。その行動は少々行き過ぎと言わざるをえないが、それは彼女の身を守る防衛本能だったのだろう。

 

 彼女は気付かない。いや、気付くことが出来ない。その過剰な対応により傷ついた少年がいたことを。その彼が限界を迎え、今どのような状態になっているのかもだ。

 

 感情の赴くまま饒舌に話す雪乃は、向かいに座る姉の様子が徐々に変化している事にも気付けない。今までで一番の仮面を被り感情を押し殺そうとしている事も。笑みこそ浮かべているものの、その瞳がまったく笑っていない事も。

 

 姉が自身の拳を強く握り、手を出すことを必死に押さえつけている事すら、気付くことが出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

「というわけよ。分かったかしら、姉さん」

「……うん、色々分かったよ。教えてくれてありがとね、雪乃ちゃん」

「…………」

 

 雪乃の話は終わった。結局、八幡に対する愚痴やら文句ばかりの内容だった。

 それに対して結衣自身は思う所がある。いくら何でも言い過ぎではないのだろうかと。

 

 由比ヶ浜結衣にとって比企谷八幡は恩人だ。入学式の際に飼い犬を助けてもらい、その事から彼に惹かれていった。そして今年彼がいる奉仕部に入部して、雪ノ下雪乃と共に三人で今まで過ごしてきた。結衣にとって二人は大切な仲間だった。だが最近はそれが崩れ去ってしまっている。

 

「………じゃあ、私はそろそろ帰るわね」

「あら、もう行くの?まだまだ話足りないのだけれど」

「ええ、今日は色々忙しいから」

 

 陽乃が椅子から腰を上げて立ち上がる。

 

「ねぇ、雪乃ちゃん」

「……何かしら?」

 

 そして陽乃が雪乃へと話しかける。

 

「もし、もしもだよ。比企谷くんが学校に出てこなかったらどうする?」

「……別に。どうする気もないわ。ああ、でも平塚先生がいるから、結局は奉仕部に連れ戻されるんじゃないかしら」

「……そう」

 

 結衣も雪乃と同意見だ。平塚に連れ戻され彼は奉仕部に戻ってくる。そうすれば前と変わらない三人での日々を送れる。雪乃は彼にお怒りのようだが、自分が取り成せばそのうち怒りも収まるだろう。そう結衣は思っていた。

 

「じゃあね、雪乃ちゃん、ガハマちゃん」

「……ええ」

「はい」

 

 陽乃が教室から出ようと扉へ向かって行く。雪乃は手元の本へと視線を戻した。結衣は雪乃が入れてくれた紅茶を飲むために、ティーカップを口に含み飲み干す。そして机にカップを置き、ふと陽乃の方を見る。相変わらず歩く姿も格好いいなと思いながら見ていると、陽乃がこちらへと振り向いた。

 

 そして陽乃の顔を見た瞬間、結衣の動きが凍ったように止まる。

 

「………さようなら」

 

 そう言うと陽乃は教室を出ていった。

 教室に静寂が戻る。しばらくすると、雪乃は手元の本から視線を外し結衣に話しかける。

 

「結局、姉さんは何のために来たのかしら?ねぇ、由比ヶ浜さん」

「……………」

 

 返事が返ってこない。

 

「……由比ヶ浜さん?」

「……あ、ごめん。何だっけ?」

「どうしたの?顔色が悪いようだけど」

 

 雪乃は結衣の顔色が悪くなっている事に気付く。

 

「……ねぇ、ゆきのん。陽乃さん、様子が変じゃなかったかな?」

「そうかしら?いつもと変わらないと思ったけれど」

「そう、かな?」

 

 確かに表情も口調も以前会った時と同じに見えた。

 

 だが

 

「……何か怒ってるような感じがして」

「姉さんが?」

「……うん」

「気のせいじゃないかしら?」

 

 妹である雪乃でさえ姉の様子はいつも通りだと感じた。

 

「……そうだよね。気のせいだよね」

「ええ、そうよ……由比ヶ浜さん。紅茶、もう一杯どうかしら?」

「……うん。貰おうかな」

 

 そうだ。妹の雪乃が感じたのなら間違いはないはずだ。そう結衣は思いこんだ。

 

 最後に振り向いた時に見た陽乃がこちらを見る視線。それは今までに感じた事がないほどに冷たく、そして何か怖いものが感じられた。

 

 それが殺気と呼ばれるものだと気付かなかったのは、彼女にとって幸運だったのだろう。

 

 二人は知らない。もう比企谷八幡が学校に戻ってこないことを。

 

 二人は知らない。彼女らの知る彼が二人のことをどう思っているかを。

 

 二人は知らない。比企谷八幡が名を変え、新たな家族を得たことを。

 

 

 そして翌日、比企谷八幡が転校したことを二人は知る。

 

 

 

 

 

 

 

「ほら、手を出せ」

「……うん」

 

 陽乃は平塚に向かって右手を差し出す。その右手は真っ赤な血で染まっていた。陽乃が自身の怒りを抑え込むために自らの手を強烈な力で握り、その結果起こった事だ。

 

「治療なんていらないのに」

「そういうな……このぐらいはさせてくれ」

 

 弱りはてた口調で平塚は言う。無言で頷いた陽乃の手を取り治療を始める。今いる場所は保健室なので、治療に使用するものには事欠かない。

 

「……あんな事になっているなんて思わなかった」

「…………」

 

 呟くように平塚が話し始める。先程の陽乃と奉仕部の二人とのやり取りを、彼女は廊下越しに聞いていた。

 

「あいつの悪い噂が校内で流れているのは知っていた。だがあの二人なら、そんな噂に流されないと思っていたんだ……いや、こんなのは言い訳でしかないな」

「静ちゃんは放任主義だからね。気付かなくてもしょうがないよ」

「………そうか」

 

 優しい口調の陽乃。だが今はその優しさが苦しく感じられる。いっそ責められた方がましというものだ。

 

「でも、本当にしょうがないよ。あの三人の関係は元々おかしかったんだから」

「……どういうことだ?」

「あの三人は依存した関係だったからね」

「依存だと?」

 

 陽乃は頷く。

 

「そう。比企谷くんは奉仕部という場所に。雪乃ちゃんとガハマちゃんは自分以外の二人にだね」

「比企谷だけ違うのか」

「そうだよ。彼だけ違うね。彼にとって奉仕部は特別だったと思うよ。最初はどうだったかは分からないけどね。自分が居ても許される。家でも居場所のなかった彼にとって奉仕部は居心地がよかったんじゃないかな……だからこそ、他の二人とズレが生じたんだろうけどね」

「ズレ?どういうことだ?」

 

 平塚の質問に陽乃は答える。

 

「ガハマちゃんは元々の好意から、雪乃ちゃんは今まで周囲にいないタイプの男の子だったから。二人は徐々に彼に惹かれていった」

「…………」

 

 平塚は黙って聞く。

 

「雪乃ちゃんもガハマちゃんも楽しかったでしょうね。何を言っても怒らない彼が。受け入れてくれる彼が。あの二人が気付いているかは知らないけど、雪乃ちゃんクラスの暴言を言われ続けたら普通の男の子は怒って退部してるよ、奉仕部なんて」

「……そうだな」

 

 雪乃と結衣が色々言い、八幡は捻くれながらもそれを受け入れる。奉仕部では見慣れた光景だった。

 

「……照れ隠しもあったんだろうけどさ。特に雪乃ちゃんは素直じゃないから。比企谷くんへの好意なんて絶対に認めないだろうし」

「まあ、雪ノ下はそういう所があるな」

「逆にガハマちゃんは分かりやすいね。比企谷くんが好き好き~ってオーラが駄々洩れだし」

「あれは直ぐに分かるな。しかし、比企谷だって二人のことを憎からず思っていたのだろう?」

 

 頷く陽乃。

 

「そうだね。比企谷くんも二人のことを好意的に見ていたのは間違いないと思うよ……違うのは優先順位だね」

「優先順位?」

「そう。雪乃ちゃんとガハマちゃんにとっては他の奉仕部メンバーが大事だけど、比企谷くんにとっては奉仕部という場所が何より大事だったんだよ」

「それの何が違う?雪ノ下も由比ヶ浜も同じ奉仕部で、あの三人がいる場所が奉仕部じゃないか」

「違うんだよ、静ちゃん……」

 

 陽乃は悲しそうな表情で首を横に振る。

 

「比企谷くんが依頼を解決するためにどんな手段だってとってきたよね。それこそ自分を犠牲にしてでも」

「ああ、そうだ」

 

 それは奉仕部に深く関わった人なら誰でも知っている事だ。

 

「それは彼にとっては奉仕部は唯一の居場所だから。その居場所を失うことを彼は最も恐れたんだよ。依頼を解決できなければ居場所がなくなる。それはもう強迫観念の域だったと思うよ」

「…………」

 

 平塚は絶句する。

 

「だから平気で無茶をしたんだよ。自分の居場所を守るためにね。それが彼にとっての当たり前だったから……だけど、彼にとっての誤算は他の二人がそうじゃなかったってこと」

「…………」

「比企谷くんだって他の二人の事は大事だったと思うよ。だから、修学旅行で告白なんて手段を使っても、他の二人が分かってくれると信じていた」

「…………そういう事か」

 

 平塚はようやく陽乃の意図を理解した。

 

「彼にとっては奉仕部という場所が一番大事で、それを守るために当たり前に手段を取った。だけど他の二人は違う。それぞれの一番が違うからお互いの認識にズレが生じてるんだよ。そもそも、依存先である彼が自分たち以外に告白なんて許せるわけがない。嫉妬心も相まって強く拒絶してるんでしょうね。愚かな子たちよ。ちょっと考えれば分かるでしょうに」

「まあ、比企谷から告白なんて普通は考えないからな。私も聞いた時は耳を疑ったぞ……よし、これで終わりだ」

 

 平塚の手が止まり陽乃の治療が終了した。包帯が巻かれた自身の手を見て陽乃は礼を言う。

 

「ありがと、静ちゃん……深く関わって好意を持っていたからこそ強く拒絶する。その気持ちは分からなくもないけどさ」

「……お前は変わったな、陽乃。人のことを気遣うお前が見れるとは思わなかった。界龍での生活は楽しいか?」

「楽しいよ。それこそ今までの人生が碌でもなかったと思うほどにはね」

 

 陽乃の笑みにつられ、平塚も笑みを溢す。

 

「そうか、よかったな。しかしアスタリスクか……」

「星導館出身としてはどんな感じ?」

「懐かしいな……星脈世代にとってあそこほど居心地のいい場所はなかったよ。しかしお前が序列三位とはな。才能があるとは思っていたが、そこまでいくとは思わなかった」

「ふふん、凄いでしょ。でも、私もまだまだだよ」

 

 謙遜する陽乃。そんな陽乃に平塚は呆れる。

 

「どこまで強くなるつもりだ、お前は」

「本当に私なんてまだまだだよ。ちょっと前に負けたばっかりだし」

「お前がか?相手は覇軍星君か?それとも万有天羅か?」

 

 界龍序列二位と一位の二つ名を上げる平塚。界龍で陽乃の上に立つ人物はこの二人だけだ。

 

「……学園には入学してない子だよ。来年にはうちに入る予定だけど」

「おいおい、そんな奴がいるのか。末恐ろしい奴だな、そいつは」

 

 陽乃は名前を上げなかった。まさかそれが自分の教え子だとは平塚は思いもしないだろう。

 

「……静ちゃんは卒業後にアスタリスクに残ろうとは思わなかったの?」

「いきなりどうした?」

「同じ教師なら、アスタリスクで教師をする選択はなかったのかな~と思ってね」

「私は冒頭の十二人どころか序列二十位にもなれなかったんだぞ。上が承知しないさ」

「優秀な星脈世代が優秀な教師とは限らないよ。静ちゃんならアスタリスクでもいい教師になれたと思うよ」

「そうか?ありがとな。だけど、私は今の生活に満足してるよ……あの街は居心地がいいが、それ以上に身に振りかかるトラブルが多すぎる」

 

 苦笑する平塚。

 

「……そっか。じゃあ、私はそろそろ行くね。比企谷くんの件に関してはよろしく」

「ああ、こちらで上手く処理しておくよ……転校先が不明な件に関しても、な」

 

 平塚は比企谷八幡の転校手続きの書類を陽乃から受け取っている。家族からではなく他人の陽乃からだ。それが意味するものを平塚は何となく察していた。だがそれに関して深く突っ込むことはしない。世の中、知らない方がいい事などいくらでもある。

 

「陽乃。最後にいいか?」

「うん、何?」

「…………比企谷に会ったらすまなかったと伝えてくれ」

 

 比企谷八幡を奉仕部に誘わなかったら今回の件は起きなかった。更生のつもりで奉仕部に無理やり入れたが、結果がこれでは彼に対して申し訳ないと平塚は思っていた。

 

「……何でそんな事を?そういう事は自分の口から言うべきだと思うよ、私は」

「確かにそうだがな……アイツもお前も、もう帰ってこないのだろう?」

「!……どうしてそう思うの?」

「何となく、だよ……時期はいつでもいい。アイツがこの場所を忘れたいのなら言わなくてもいいぞ」

「………いつでもいいんだね?」

「ああ、お前の判断に任せる」

 

 見つめ合う両者。陽乃は平塚の顔をじっと見つめ、やがて小さく溜息を溢す。

 

「ふぅっ、分かったよ。比企谷くんにはいつか伝えるね」

「ああ、頼む」

 

 陽乃は怪我をしている右手を平塚の前に差し出す。平塚はそれを右手で軽く握り握手をした。

 

「じゃあね、静ちゃん」

「お前も元気でな、陽乃」

 

 それが二人の別れの挨拶だった。

 

 

 

 

 

 

 

 平塚と別れ陽乃は校舎を出る。時刻は18時を過ぎている。冬に入ったこの時期では、日は既に落ちているため辺りは真っ暗だ。学校内は多くの外灯に照らされており歩くのに支障はない。校門へ向かう陽乃だが、前方に二人組の男子生徒を発見する。そしてその片方は知り合いだ。

 

「……ああ、そういえば疑問点が一つあったわね」

 

 雪ノ下雪乃と由比ヶ浜結衣。二人の話を聞いても疑問に思う事が一つだけあった。その謎を解くカギとなる人物が前方にいる。陽乃は小走りで駆け寄り二人組に声を掛ける。

 

「やあ、隼人。こんな所で会うなんて奇遇だね~」

「陽乃さん!どうして此処に?」

 

 知り合いにいきなり声を掛けられて驚く葉山。

 

「雪乃ちゃんに会いに行った帰りだよ。ちょっと話し込んできちゃってね」

「そう、ですか……」

 

 返事をしながらも少しだけ後ずさりをする。とても嫌な予感がしたからだ。目の前にいる陽乃は笑顔でこちらを見ているが、目が一切笑っていない。まるで獲物を見つけた猛獣が目の前にいる感じだ。

 

「隼人君!この綺麗なお姉さんはいったい誰っしょ?」

「君とは初めてかな?私は雪ノ下陽乃。雪ノ下雪乃の姉よ。よろしくね」

「雪ノ下さんのお姉さん!俺の名前は戸部翔って言います!こちらこそよろしくお願いします!」

 

 普通に話しかけている戸部が葉山には羨ましかった。今の陽乃の機嫌は控えめに言っても最悪だ。雪ノ下陽乃と昔から接している葉山にはそれがよく分かった。

 

「ところでお姉さん。隼人君とはどういったご関係で?」

「あら、知らない?雪乃ちゃんと隼人と私は昔からの知り合いでね。所謂幼馴染ってやつだよ」

「そうだったんですか!隼人君も水臭いっしょ~そんな事隠してるなんて~」

「あ、ああ。すまない……態々言う事でもないと思ってね」

 

 二人は仲良く話しているが、そんな事は葉山には関係なかった。一刻も早く此処から逃げ出したい。それが今の葉山の心中だ。

 

「二人で帰っている所悪いんだけど、隼人にちょっと用があってね。貸してもらえると助かるんだけど」

「え!い、いや俺はこれから戸部と二人で遊びに行こうかなと」

「俺は別に構わないですよ!じゃあ、隼人君。また明日!」

「お、おい!戸部!」

 

 止める間もなく走り出す戸部。そしてそれを呆然と見つめていた隼人だが、彼に休み暇など無い。

 

「いい子ね、彼。さて隼人」

「!は、はい!」

 

 戸部がいなくなった途端、途方もないプレッシャーが彼を襲う。

 

「私ね。隼人に一つ頼みごとがあるの」

「頼み事、ですか?」

「うん、そう。聞いてもらえると助かるんだけど?」

 

 口調は丁寧だが実質脅しの様なものだと葉山は感じた。もし拒否などしたら、どんな目に遭わせられるか分かったものじゃない。首を縦に振り了承の意を伝える。

 

「ありがと……海老名 姫菜って子に会いたいの。今すぐに」

「ひ、姫菜に。でも、どうして?」

「それをあなたに教える必要はないわ」

「で、でも姫菜にだって用事があるだろうし、今すぐになんて」

「そうね。でも、そんな事関係ないわ」

 

 陽乃のプレッシャーがさらに増す。仮面に抑えきれないほどの感情が星辰力と共に漏れ出し、葉山を押しつぶさんと迫る。その結果、動きが凍るように止まり呼吸が困難になった。

 

「私は連れて来いって言ってるの。分かる?」

「は、はい……わかり、ました」

「うん、いい子ね」

 

 陽乃に屈服し了解の返事をすると、陽乃からのプレッシャーは瞬く間に消えた。葉山は呼吸を取り戻し思わず息を何度も吸う。そんな葉山を冷たく見据え、陽乃は端末から一つのデータを取り出し彼へと送った。

 

「一時間後。此処に連れてきなさい。一秒でも遅れたらどうなるか……聞かなくてもいいわね」

「…………はい」

「じゃあ、一時間後にそこで。待ってるわよ~」

 

 軽く手を振り陽乃は歩き出した。時間が止まったように動きを止めていた葉山だが、陽乃の姿が見えなくなると漸く動く事が出来るようになった。

 

「……何が起こっているんだ?」

 

 呆然としながら思わず疑問を口に出す。いつもの陽乃とはまったく様子が違った。提案を拒否したら殺されるとすら感じた。だが今はそんな事を考えている暇はない。

 

「……姫菜に連絡しないと」

 

 落ち合う場所は駅の近くだ。一時間もあれば余裕で間に合うが、海老名に用事があればその限りではない。

 海老名に用事がないことを祈りつつ、葉山は彼女に連絡をするため端末を取り出した。

 

 

 

 

 

 

 

「……此処に来るのは今日二度目ね」

 

 陽乃は喫茶店の席に座りながら独り言を溢す。午前中に比企谷家の夫妻と会って以来なので、それから半日ほどしか経っていない。

 この店を選んだのは、マスターが知り合いで内緒話をするなどには都合がいいからだ。それに貸し切っている為、店内には陽乃とマスターしか人がいない。

 

「……来たわね」

 

 どうやら待ち人が来たようだ。店の前にタクシーが止まり男女二人組が降りてくる。あれから時間にして四十分しか経っていない。もう到着した所を見ると脅しつけたのがよほど効いたようだ。二人組が店の中に入ってきた。

 

「ここよ」

 

 手を振り場所を教える。すると二人がこちらに向かって歩き近付いて来た。

 

「お待たせしました、陽乃さん」

「……こんばんは」

「こんばんは、海老名 姫菜ちゃん。私は雪ノ下雪乃の姉の雪ノ下陽乃よ。よろしくね」

「……はい。よろしくお願いします。あの、私に会いたいとお聞きしましたが」

 

 海老名は警戒をしていた。葉山から連絡を貰った時に、彼の様子が尋常ではなかったからだ。それに雪ノ下雪乃とはそんなに仲がいいわけではない。そしてその姉が自分に会いたい理由なんて想像もできない。

 

「うん。あなたに聞きたいことがあってね……その前に隼人。もう帰っていいわよ」

「……え?」

「私はこの子に聞きたいことがあるけど、あんたに聞きたいことはないの。だから帰っていいわよ」

「で、でも……」

 

 帰れるというのは正直嬉しい。しかし海老名だけ残すというのも不安だ。彼女がどんな目に遭うのか分からない。

 

「安心しなさい。彼女には話をきくだけ。特に何もする気はないわ」

「……分かりました。ごめん、姫菜。そういう事だから」

「え、ええ」

 

 海老名を残し葉山は早々と立ち去って行った。

 

「さて、立ち話もなんだし。座って座って。態々来てもらったお礼に、お姉さんが何でも奢ってあげるわ」

「は、はい。分かりました」

 

 陽乃に促され席に座る海老名。渡されたメニューを開き飲み物と軽食を注文する。

 しばらくすると注文した品が届いた。

 

「さて、まずは食事からね。話はその後。じゃ、食べよっか」

「……はい、いただきます」

 

 状況に流されていると自覚する海老名。しかし好意で奢ってもらえるものを断るというのも失礼な話だ。とりあえず目の前の料理を食べてから考える事にした。

 

 そして暫く時間が経ち食事が終わった。食後のコーヒーを飲み終えて落ち着いた頃に海老名は切り出す。

 

「それで私に聞きたいという事は何でしょうか?雪ノ下さん」

「聞きたいことは一つ。比企谷くんのことだね」

「っ!」

 

 予想外の人物の名が上げられ動揺する。要件があるとするば妹の雪ノ下雪乃の事だと思ったからだ。

 

「比企谷くんがあなたに告白したって聞いてね。どんな人物か知りたくなったの。それで、隼人に頼んで連れてきてもらったというわけ」

「……そうですか」

「で、どうなの?彼に告白されたって聞いたけど、付き合ってるの?あなたたち」

 

 動揺がさらに増す。目の前の人物から怖い何かを感じたからだ。こちらを見つめる表情は笑みだが、それが余計に怖い。瞳が嘘は許さないとこちらに語ってくるかのようだ。

 

「……付き合ってません」

「あら、どうして?私だったら喜んで付き合うのに」

「そ、それは………」

 

 葉山隼人の様子がおかしい理由が漸く分かった。こんなに笑顔で、だけれどこんなに怖い人物がいるなんて海老名は考えた事もなかった。

 

「言ってあげようか?それはあなたが比企谷くんに何かを頼んだ。そしてその結果、彼があなたに偽の告白をした。そうでしょう?」

「ど、どうしてそれを?」

「簡単だよ。戸部君が告白のサポートを奉仕部に依頼し、その後あなたが奉仕部を訪れた。その話は雪乃ちゃんから聞いたからね」

「……それだけで?」

「だって、比企谷くんがあなたに告白なんてするわけないじゃん。そのぐらい私でも分かるよ。雪乃ちゃんたちは気付いてないみたいだけどね」

 

 怖い、怖い、怖い。笑顔とはこんなにも怖いものだったのだろうかと海老名は思った。怒られている訳ではない。問い詰められている訳でもない。なのに怖くて怖くて堪らない。

 

「…………はい。あなたの言う通りです。私がヒキタニ君に頼みました」

 

 海老名は白状し全てを話した。戸部からの好意について葉山に相談したこと。奉仕部に相談したこと。遠回しに依頼を頼み、それに気付いた八幡に依頼した事。全てだ。

 

「ふ~ん、そういう事ね。ま、予想通りか」

「…………あの、雪ノ下さん」

「何かな?」

「私はこれからどうすればいいんでしょうか?」

「どういうこと?」

 

 海老名の質問の意図が分からず聞き返す陽乃。

 

「……ヒキタニ君が学校に来なくなってもう二週間が経ちます……私、こんな事になるなんて思わなかったんです」

「……そう」

 

 海老名姫菜。彼女は彼女で精神的に追い詰められていた。確かに告白の阻止の依頼をした。だが、その結果が今の現状になるなんて予想もしていなかった。彼が学校に来なくなり悪意の噂は更に加速した。その噂を聞き続け彼女の心も限界に近付いていた。

 

「私にこんな事言う資格がないのは分かっています……でも、誰にも相談できなくて」

「…………」

 

 泣きながら頭を深く下げる海老名。そんな彼女を陽乃は見つめる。

 

「顔を上げなさい」

「……はい」

 

 顔を上げる海老名。その表情はまるで刑の執行を待つ被告人の様な感じだ。

 

「じゃあ、一つだけアドバイスしてあげる……何もしなくていいよ」

「……え?」

 

 言われたことが理解できず硬直する海老名。

 

「明日には分かる事だから言うけどさ。比企谷くん、転校するんだって」

「……転校?」

「そう。静ちゃん、じゃ分からないか?平塚先生が言ってたよ」

「え、でも……」

「さすがにこの状態で学校に通わせるのは無理だと思ったんでしょ。ま、しょうがないよね」

「……じゃあ、せめてヒキタニ君に連絡を」

「それは無理。本人に連絡が取れないんだって。そりゃ彼だって話す事なんて何もないでしょ。誰とも話したくないだろうし」

「そ、そうですか……そうですよね」

 

 陽乃の返答に落ち込む海老名。

 

「もう帰りなさい。遅くなると家族が心配するでしょ」

「…………はい」

 

 余程ショックだったのだろう。よろめきながらも出口に向かい歩き始める海老名。そんな彼女に陽乃は声を掛ける。

 

「海老名ちゃん。一ついいかしら?」

「……何でしょうか?」

 

 海老名の返答に対し、陽乃は少しだけ威圧を放つ。すると、海老名の身体がピクッと動きそのまま硬直する。

 

「人の名前を間違えるのは失礼な事よ。相手の呼び方が分かっているなら尚更ね。覚えておきなさい」

「……はい。ごめんなさい」

 

 逃げるように海老名は店から出ていった。

 

「ちょっと脅かしすぎたかな?ま、別にいいか」

 

 少しやり過ぎたかと思ったが、陽乃は特に気にしなかった。

 海老名に語った事は別に嘘ではない。転校することは本当だし、連絡が取れないのだって別に嘘ではないからだ。

 

 それに

 

「……今更、本当のことを言ったってどうにもならないよ」

 

 噂というのは実に厄介なものだ。最初に本当のことを話していても、人を経由する度に色々と変化する。そして時間と人の数が増え続けると、より大袈裟に語られるというのもよくある話だ。それは面白い話、特に悪口などはその典型的なものだ。

 

「例え真実の噂を流してもどうなることやら。余計に酷くなる可能性もあるのよね」

 

 例えば、海老名姫菜が修学旅行に関する真実を語ったとしよう。それで比企谷八幡の噂は止まるだろうか?確かに止まる可能性はある。だが、逆にもっと酷くなる可能性もあるのだ。

 

 人は真実よりも面白い話や悪口を好む。今更八幡の噂が嘘だったと流しても、どれだけの人がそれを信じるだろうか?彼の事をよく知っている人物ならまだしも、知らない人が信じる可能性は低い。これだけ広がった噂を止めるのは不可能に近いのだ。

 

「彼がいなくなった方が平和だよ、海老名ちゃん」

 

 人は熱しやすく飽きやすい生き物だ。人の噂は七十五日という諺が示す通りに、時間が経つのが唯一の解決方法だ。彼がいなくなればさすがに噂も沈静化していくだろう。

 

「……彼女はどうするのかしらね?」

 

 海老名姫菜が何を選択するか陽乃は少しだけ気になった。先程問いかけられた時には何もしないでいいと言った。もし、謝罪するべきだと言ったら彼女はその通りにしただろう。

 

「私が言った通り何もしないのか、それとも謝罪する道を選ぶのか……どうでもいいか」

 

 だが、陽乃にとってはどうでもいいことだった。それは本人の選択する事だからだ。

 

 雪ノ下陽乃もかつて間違いを犯した。文化祭に委員会に乱入しその進行を引っ掻き回したことだ。その尻拭いは最終的に八幡が負う事になってしまった。今思えば愚かな事だが、あの当時は心に余裕がなかったのだ。

 

 そしてその件は、最終的に陽乃が八幡に謝罪をして、彼に許してもらった。

 

「謝った所で、八幡くんも困るでしょうしね」

 

 もし海老名が八幡に謝ったとしよう。すると八幡はどう思うだろうか。喜ぶ?それとも怒る?いや、きっと困惑するだろう。恐らく偽告白をする前から、彼は現状の予想をしていたはずだ。リスクとリターンの計算が速い彼ならそれぐらいは容易いものだ。

 むしろ噂を否定し、海老名が悪意に晒される事の方が彼は望まないだろう。そんな底抜けに優しい人物が陽乃の知る八幡だからだ。

 

 だからこそ陽乃も

 

「好きになったんだろうな~私も」

 

 何時から彼の事が好きだったのだろうか?明確な時期は分からない。ただ、気付けば好きになっており、最近それを自覚した。

 

「さて、そろそろ行くかな」

 

 席を立ちあがり会計を済ませる。

 

「今日はありがとね。マスター」

「こちらこそ。この店で貸切なんてする人はいないからね。儲けさせてもらったよ」

「もうちょっと宣伝とかした方がいいよ、マスター。せっかくこんなに美味しいのに」

「道楽でやってる店だからね。静かな方がいいよ」

 

 頑固なマスターに苦笑を漏らす。飲み物も食べ物も陽乃が認めるほど美味しいのに、この店は驚くほどに知名度がない。大通りに接していない裏路地に構えた店であり、そもそも看板すら立てかけてないからだ。店の中も小さく、そもそも従業員はマスター一人だけ。まさに知る人ぞ知る隠れた名店。そんな感じの店だ。

 

「……もうここには来ないかもしれないんだ」

「何だ。アスタリスクに戻るのかい」

「ええ。そしてもう帰ってこないかもしれない」

「……そうか。陽乃ちゃんの彼氏も?」

 

 一瞬、誰の事を言われたか分からなかった。だがすぐに理解した。この店に一緒に来たことがある男性など八幡だけだ。

 

「彼氏じゃないよ……今の所はね。多分彼も戻ってこないと思うよ」

「そうかい。それは寂しいね。陽乃ちゃんも彼も、折角この店を好きになってくれたのに」

「私も寂しいよ……そうだ!私が来れないのなら、マスターがアスタリスクに来てよ」

「ふふっ、僕がアスタリスクに?」

「……冗談よ。さすがにそんな無茶な要求はしないわ」

「まあ、機会があれば悪くないかもね。あの街には行ったことがないし、興味はあるよ」

 

 冗談で言ったつもりが案外好感触だった。

 

「じゃあ、もし本当にアスタリスクに来るのなら連絡して。相談事なら何でも乗るから」

 

 陽乃は端末から連絡先をマスターに渡すと、彼はそれを受取った。

 

「分かったよ。もしその時があれば連絡する」

「約束だよ、マスター」

「ああ、約束だ」

 

 マスターが返事を返すと陽乃は嬉しそうに店を後にした。今日は辛いことが多かったが、嬉しいこともたくさんある。決して悪いことばかりじゃないのだ。

 

 だが気持ちを切り替えなければいけない。両頬を両手で叩き気合を入れる。次が最後の目的地だ。そこが本日一番の山場になるのは決まっている。

 

 目的地は雪ノ下邸。会う人物は雪ノ下冬乃だ。

 

 

 

 

 

 

 

 慣れ親しんだ道をゆっくりと歩く。幼少時には妹と一緒によく近所に探検に出かけた道だ。大きくなると車で移動するのが当たり前になり、歩くことは少なくなった。この道を歩くのは最後になるかもしれないので、思い出と共に心に刻み込む。

 

 雪ノ下邸が見えてくると、巨大な星辰力を感知した。どうやら目的の相手もこちらに気付いたようだ。星辰力は精神状態で大きく変わるので、よく知る人物なら星辰力でその人の精神状態を図るのも難しくない。感知した星辰力の相手はかなり怒っているようだ。まあ、陽乃にとっては予想通りだ。

 

 門を潜り屋敷へと向かう。星辰力は更に巨大化し辺りの気温が下がっていくのが感じ取れた。それも気にせず入口の扉を開け屋敷へと入る。

 

「ただいま~」

 

 目の前の人物に声を掛ける。

 

「……お帰りなさい、陽乃」

 

 陽乃の母、雪ノ下冬乃が待ち受けていた。その口調に一切の温かみはなく、とても家族に話しかけているとは思えない。彼女の星辰力が陽乃を押しつぶさんと圧力となって襲い掛かる。

 

「陽乃、あなたに話があります」

「ちょうど良かった。私もお母さんに話があるんだ」

 

 だが陽乃も負けていない。彼女も星辰力を放ちその圧を押し返す。その星辰力は冬乃にまったく劣っていない。

 並大抵の星脈世代ではその光景を見ただけで心が折れるだろう。対抗できるのは各学園の冒頭の十二人クラスの実力者ぐらいだろう。お互いに本気を出していない現時点ですらその状態だ。

 

「単刀直入に言います。比企谷八幡の居場所を教えなさい」

「比企谷くんの?どうしてお母さんがそんな事を知りたいのさ?」

「……惚けても無駄ですよ」

 

 冬乃はウィンドウを操作し動画を再生する。そして陽乃の目の前にその動画見せつけるように送ってきた。

 

「あなたと彼の戦闘は見させてもらいました。何故あなたがこんな所にいたのかは知りませんが、彼の居場所を教えればそれは不問とします」

「ふ~~ん。やっぱりお母さんだったんだね。ま、気付いたのが星導館だったから予想出来た事だけど」

 

 陽乃は動画を見ながら母へと返事を返す。そして動画の再生速度を数倍に速めチェックを始める。

 

「……知っていたのですか?」

「そりゃ分かるよ。私たちの戦闘が銀行の監視カメラで撮られてるのは分かってたしね。映像が他所に漏れるのはしょうがないよ」

「……………」

「それに留美ちゃんに唾を付けるのが早すぎだよ。星導館だけなら雪ノ下家が連絡したとすれば辻褄は合うしね。比企谷くんの事も漏れたとみるべきでしょ」

「……なるほど」

 

 母の質問に答えながらも動画のチェックが終了する。動画は所々虫食い状態のようだ。音声はなく、映像も途中で途切れている。自身が本気を出し八幡を倒すところまで動画は記録されていた。治癒関係は病院経由か役所経由で漏れたようだ。だがこれなら問題ない。ウィンドウを閉じ、母へと視線を写す。

 

「……それで、比企谷くんに会ってお母さんはどうするつもりなの?」

「決まっています。星導館にスカウトして入ってもらうためです」

「スカウトね。比企谷くんがそれを受けるとは思えないし、断られる可能性のが高いと思うけど?」

「関係ありません。こちらとしても可能な限りの条件を出すつもりです。それに断られる心配はありません」

「……脅すつもり?比企谷くんか、もしくは彼の両親を」

「…………」

 

 沈黙が正解を表していた。条件に頷かなかったら、脅してでも入学させるつもりだったのだろう。やはり陽乃の予想は当たっていたようだ。

 

「やり方が汚いよ、お母さん。いくら星導館の今シーズンの順位がビリになりそうだからって、そこまでする?」

「……あなただって彼をスカウトするつもりだったのでしょう、陽乃。そもそもあなたが星導館に入学していればこんな事をする必要はありませんでした」

 

 元々冬乃は陽乃のアスタリスク入りに反対だった。しかし自身の出身校である星導館なら許可を出すと妥協したが、陽乃はその提案を蹴り、界龍へと渡った。

 

「まさかとは思うけど、留美ちゃんもそうやって脅す気だったんじゃないでしょうね」

「必要とあれば、そうします」

「っ!」

 

 陽乃から更なる星辰力が噴き出す。怒りの感情に反応し飛び出したのだ。しかしそれに反応することなく冬乃は話を続ける。

 

「彼の事は調べさせてもらいました。剣術のブランクはあるようですが素晴らしい実力です。将来的にはあなたに勝つことも不可能ではないでしょう」

「……ま、否定はしないよ」

 

 将来どころか、暴走状態ならば現時点でも陽乃より実力は上になる。

 

「それでは陽乃。もう一度聞きます。比企谷八幡はどこにいますか?」

「残念ながら私は知らないよ。彼が何処にいるかなんて」

「……嘘ですね」

 

 冬乃は陽乃の言葉を否定した。

 

「確かにあなたは知らないかもしれません。しかし、心当たりはあるはずですよ。違いますか?」

「……やっぱりバレちゃうか」

 

 誤魔化そうとするがやはり無理のようだ。相手は雪ノ下陽乃の最上位互換だ。全てを誤魔化せるとは端から思っていない。

 

「でも、話す気はないよ。それはお母さんも分かるはずだよね」

「……そうですね」

「だったら答えは一つだね」

「どうするというのですか?」

「私は現役のアスタリスクの学生。お母さんはアスタリスクの元学生。だったら解決方法はただ一つだよ」

「……正気ですか?」

 

 冬乃は娘の正気を疑った。

 

「ええ、勝負しましょう。お母さんが勝てば比企谷くんの居場所の心当たりを教えるわ。留美ちゃんに関しても私は口を挟まないと約束する。そして私は界龍を退学して家に戻るわ。ただし、私が勝ったらその逆。比企谷家や鶴見家には何もせず、星導館は手を出さないと約束してちょうだい……そして私はこの家から出ていくわ」

「……いいでしょう。その条件で戦いましょう」

 

 冬乃は少し考え込んだが、その提案を受けた。何故なら彼女には勝てるという確信があったからだ。

 

「じゃあ、外へ行きましょうか」

「ええ」

 

 二人は扉を出て外へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

「……お母さんと戦うのも久しぶりだね」

「最後に戦ったのがあなたがアスタリスクに行く前ですから、大体二年半ぐらい前ですね」

 

 二人は広い庭でお互いに向き合っていた。両者の距離は約二十mだ。

 

「しかし陽乃。忘れている訳ではないでしょうが、一応言っておきます。あなたは私に勝ったことがないのですよ?」

「勿論、忘れるわけないよ。何戦したかは覚えてないけど、一度も勝ったことがないのは覚えているよ」

 

 そう。雪ノ下陽乃は母親に一度も勝ったことがない。冬乃が直ぐに戦いを了承したのもそれが原因だ。

 

「確かに界龍に行ってあなたは強くなりました。それは認めましょう。しかし現時点では私の方が上です」

「さて、それはどうかしらね」

 

 銀行での八幡との戦いの記録。あれを見ても尚、冬乃は娘に負けないと確信を持っていた。そしてそれは陽乃も同意見だ。

 

「ああ、そういえば星露からお母さんに伝言があってね。一応言っておくよ」

「万有天羅からですか……聞きましょう」

 

 にたりと笑いながら陽乃は伝言を伝える。

 

「泣き虫は治ったか?ですって」

「くっ!?」

 

 その瞬間、冬乃の身体から莫大な星辰力と白い何かが飛び出す。飛び出した白色は彼女の中心として周囲数十mをドーム状に包み覆い囲む。勿論、陽乃もその中に取り込まれた。その正体を陽乃はよく知っている。

 

「どういうつもりですか、陽乃?」

「何のことかな?私はただ伝言を伝えただけだよ」

 

 にやにやと笑いながら母に返事をする。それを見た冬乃は、怒りが込み上げてくるが無理やり押し込める。娘がこちらを挑発しているのは明白だ。しかし、挑発に乗り我を忘れて勝てるほど娘の実力は低くない。

 

「……いいでしょう。本気でいきますよ」

「そうこなくっちゃ。それが私の望みでもあるんだから」

 

 冬乃が手を前へとかざし能力を発動する。すると、ドーム状に包まれた中に白い雪が降り始めた。白い雪は地面へと舞い降り芝へと付着し―――その周囲1mが氷で包み込まれた。

 勿論、陽乃へも雪が降り注いでいるが、黒の炎を纏った彼女にはその能力は通用しない。雪は炎に消され効力を発揮していない。しかし周囲は次々と氷へと閉ざされていく。

 

「氷雪結界。相変わらず凄い威力だね」

 

 呆れたように言う陽乃。この結界こそ陽乃が母に勝てない一番の理由だ。

 

「黒炎で防ぎましたか。しかし私の見立てではその炎は数分が限界のはず。その時間内に私を倒すのは不可能です」

「ま、確かにお母さんの言う通りだよ。さすが氷雪の魔女。星導館元序列三位の力は伊達じゃないね」

 

 雪ノ下冬乃

 星導館全盛期の時代に於いて序列三位の座を勝ち取った女性。そしてアスタリスクの歴史の中でも有数の氷系能力者だ。氷雪の魔女の二つ名を持ち、勉学、実技共に優れ当時の生徒会長も務めた事もある。文字通りの才女と呼ぶに相応しい人物だ。

 彼女の氷雪結界は、結界を展開しその中に雪を降らせる。そしてその雪に一欠けらでも触れれば瞬くまに氷漬けにされてしまうものだ。この能力により、雪ノ下冬乃はアスタリスク内でトップクラスの実力を誇っていた。

 そして彼女は先代 万有天羅と交戦した事があり、当時の彼女は泣かされた経験がある。これは本人にとって黒歴史でもあり、トラウマでもある出来事だ。

 

「ねぇ、お母さん。聞いていいかな?」

「……何ですか?」

「お母さんは銀行の映像。最後までちゃんと見た?」

「勿論見ましたよ。あなたが比企谷八幡を倒した所で映像が終わっていましたね」

「そうだね。じゃあ、何で彼を倒した私が、彼の居場所を知らないと思う?」

 

 その質問に眉を顰める。娘の質問の意図が読めなかったからだ。時間を掛ければ掛けるほど、こちらが有利になるのは娘だって分かっているはずだ。その事が分からない娘ではないはずだ。

 しかし時間を掛けるのはこちらに有利なのは間違いない。冬乃はその質問に答える。

 

「……あなたではなく、界龍の手の者が彼を隠したのでしょう?だからあなたは彼の居場所を知らないのです」

 

 そう断言する冬乃。しかし陽乃は笑って母の言葉を否定する。

 

「違う違う。そもそも前提が間違ってるね……負けたんだよ、私」

「……何ですって?」

「あの映像には続きがあってね。漫画の主人公みたいに比企谷くんがパワーアップしちゃってさ。私はコテンパンにやられちゃったのよ。そして彼は何処かに逃げちゃって行方不明。それが真相だよ」

「何を……馬鹿な……」

「お母さんなら私が嘘を言っているか分かるでしょ?」

「……………」

 

 確かに嘘は付いていないようだ。しかしそんな話が簡単に信じられるわけがない。

 

「それが本当だとして……何故私に教えたのですか?あなたを倒す実力があるのなら、絶対に星導館に連れていきますよ。それこそどんな手段を用いてもね」

「うん。その心配は皆無だから問題ないよ」

「何を言って……」

 

 冬乃が呟いた瞬間、今度は陽乃から強烈な星辰力と黒炎が噴き出す。

 

「お母さんの失敗は、監視カメラが途中までだと気付かなかったということ」

 

 星辰力は極限に高まり冬乃の知る陽乃の星辰力量を軽く超えていく。それは雪ノ下冬乃の星辰力をも遥かに超えていた。それと同時に、黒炎が陽乃の周囲を駆け巡り氷を消滅させていく。

 

「そんな!?」

「そして私もまた、あの後にパワーアップをして壁を越えたということだよ」

 

 冬乃の驚きをよそに黒炎はさらに駆け巡る。次に結界全体にも炎が走りそれに干渉していく。そして徐々に結界が薄くなり、やがて消滅した。

 

「陽乃……あなた……」

「八幡くんの心配?そんなの必要ないよ……だってお母さんは此処で私が倒すんだからね!そうしたら、この件はこれ以上漏れる事はないからね!」

 

 漸く、漸く冬乃は陽乃の企みを把握した。自らの実力を誤認させ、比企谷八幡と鶴見留美から手を引かせる事が目的だと。そして一度交わした約束をこちらが破る事はない。それも見越しての事だったのだろう。

 

 黒炎が陽乃の体を覆う。それは冬乃が知る炎よりも熱く、そして漆黒に煌めいていた。そして両腕に漆黒の炎を纏い、陽乃は冬乃を睨みつけている。

 

 その姿と相手の星辰力を確認して冬乃の頭脳は冷静に判断を下す。自分は娘には勝てないと。

 しかし戦う前から負けを認めるほど、雪ノ下冬乃は落ちぶれていない!

 

 冬乃は星辰力を全開にして陽乃を迎え撃つ。

 

「来なさい、陽乃!」

「行くよ。お母さん!」

 

 両者が激突し氷と炎が干渉しあった。

 戦いはその後二十分ほど続き、そして決着が着いた。

 

 勝者が誰だったのかは―――予想通りだったと此処に記しておく。

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅぅ、疲れたな~」

 

 疲労を隠さずに雪ノ下陽乃がその場に座り込み、そのまま地面に向かって背を倒した。そして大の字に仰向けになりながら、夜空の星を見上げる。

 

「星が綺麗ね~~」

 

 満天の星空が自分の勝利を称えてくれている。そんな気分になるほどに、陽乃の気持ちは高まっていた。

 

「………勝ったんだ、本当に」

 

 ぽつりと呟く。そうすると改めて実感が湧いてきた。何しろ生まれて初めての母に勝利したのだ。

 星辰力も能力もこちらの方が上。本来なら直に決着がついてもおかしくなかったが、さすがは雪ノ下冬乃だ。技術と経験は向こうの方が上の為、かなり粘られた。こちらが壁を越え、漆黒の炎の制限時間が伸びていなければ、恐らくやられていただろう。

 

「また、強くなれた」

 

 右手を空中に挙げそのまま握りしめる。傷口が再び開き、巻かれた包帯は真っ赤に染まっていたが、そんな些細な事はどうでも良かった。

 

「……陽乃様」

 

 そこに横から声が掛かる。

 陽乃が寝たまま首を声の方に向けると、執事の都築の姿がそこにあった。

 

「ああ、都築。お母さんの具合はどう?」

「はい。星辰力切れで意識を失っているだけなので、明日には目を覚ますでしょう」

「怪我は?」

「かすり傷程度ですね」

「そう。ならよかった」

 

 都築の返答に安堵する。何しろ限界を超えて日が浅いのだ。力の加減が効かないのでやり過ぎかと思ったが、軽症で済んで何よりだ。

 

 寝転んだ状態から起き上がり、そのまま伸びをする。

 

「う~~~ん。さて、そろそろ行くわ」

「……そうですか。寂しくなります」

 

 都築も分かっていた。雪ノ下陽乃がもう戻ってこないという事が。

 

「都築には感謝してるわ。お母さんやお父さんと喧嘩した時に、仲裁してくれたのは都築だったからね」

「雪ノ下家に仕える執事としては当然の事です」

「それでもよ……ありがとね」

「はい。しかし陽乃様。その手の包帯だけでも交換した方がよろしいのでは?」

 

 陽乃の右手を見て都築が提案する。真っ赤の染まった包帯は確かに交換した方がいい。

 

「戻りながら自分でするわ。此処にいるとお母さんが何時起きてくるか分からないからね。引き留められても面倒だし」

「それはないかと思います」

「そう?」

「はい。あの方は人にも厳しいですが、自分にはさらに厳しい方です。例え口約束でも、一度交えた約束を違えることはありません……陽乃様が出て行こうとしても、もう止めることはないでしょう」

「そうだね……あの人は……そういう人だったね」

 

 確かに都築の言う通りだった。昔から誰に対しても厳しく子供にも容赦のない人だったが、約束を破った事は一度もなかった。

 

「……次期当主は私ではなく雪乃ちゃんになるわ。苦労を掛けると思うけど、皆で支えてあげて」

「はっ。家臣一同、全力を以って雪乃様を支えてみせます」

「うん。あなた達がいれば問題ないわ……ごめんね。私はこの家では我慢できないのよ」

「確かに、陽乃様が居て下されば雪ノ下家は安泰でしょう。執事としてそう思います。ですが……」

「ですが?」

「……私個人としては、陽乃様を応援させていただきます。どうかご随意に自らの信じた道をお進みください」

「ありがとう。やっぱり都築は最高の執事だわ」

「その言葉は、執事としてこれ以上ない誉れです」

 

 雪ノ下陽乃は歩き出した。自らの生家を後にし、新たな道へと進むために。

 

「行ってらっしゃいませ、陽乃様」

「行ってくるね、都築!」

 

 見送りは家族でもない執事ただ一人。だが彼女の心はこれ以上ないぐらいに晴れ渡っていた。

 

 

 

 

 

 

 

「さぁ!界龍に帰るとしますか!!」

 

 そして雪ノ下陽乃は走り出す。体力も星辰力も限界に近い。しかし今はただひたすら走りたかった。走りながら彼女は叫ぶ。

 

「ああ~楽しみだな~!」

 

 雪ノ下陽乃の心は完全に解き放たれた。今後の彼女は鎖に捕らわれることなく、自由に生きていくだろう。

 

 星露とは戦いたいし、暁彗には借りも返したい。もしくは、アレマと共同で星露に再び挑んでもいいだろう。セシリーや冬香とはもっと遊びたいし、虎峰にまた女装をさせてもいいだろう。黎兄妹には以前やり過ぎてしまったので、少しだけ優しくしてもいい。

 でも、まずは自分がいない間に荒れているだろう木派と水派の取りまとめだろうか?もし、両者の仲がまた悪くなっているのなら、門下生全員に再び勝負を挑んでもいい。今の自分なら全員まとめて相手にしたって勝てる自信がある。もし負けたとしても、何度でも挑めばいい!

 そういえば久しくカジノにも通っていなかった。いきなり弟子に志願してきたあの少女を見に行かないと、また借金が増えているかもしれない。妹好きに悪い子はいないので、見に行ってあげよう。

 

 だが一番の楽しみは

 

「八幡くん!早く界龍に来なさい!たっぷりと相手してあげるんだから!!」

 

 比企谷八幡との再戦だ。星露からは彼の星辰力が再び低い水準まで抑えられていると教えてもらった。彼が自分を打ち負かした領域に辿り着くのは時間が掛かるだろう。だったらやる事は一つだ。

 

「星露に暁彗、アレマに私。個別でもいいし全員で鍛えてもいいね!他の子は忙しいから駄目だろうけどさ!」

 

 何しろ星露の本気と渡り合ったと彼女から聞いたのだ。勿論、力負けはしたそうだが、それでも今の自分では辿り着けない領域だ。彼は鍛えればそこまでいける事が確実なのだ!そして星露曰く、それよりも強くなることだってありえるかもしれないと言う。

 

 そんな話を聞いたら抑えられるわけがない!

 

「私が好きになった男の子なんだから、私より強くなるって信じてるよ!!」

 

 心の赴くままに叫ぶ。今見ている世界が、以前と同じだとはとても信じられなかった。

 

 世界はこんなにも広かっただろうか?世界はこんなにも明るかっただろうか?

 

 気持ちが落ち着けば今のこの状態を後悔するかもしれない。自分でも可笑しいと思うほどにテンションが高まっているのだから。

 

 だけど今だけはこの状態に身を任せていたい。

 

 

 だって

 

 

 世界はこんなにも輝いているのだから!!

 




 閑話二つ目 後編をお送りしました。

 気付いたら何故か二万字をオーバーしていましたので、中編、後編に分けようかとも考えましたが、一通り読んでみてこれは一気に読んだ方がいいと判断しました。
 
 長い話になりましたが、読んでくださりありがとうございます。


 この話は、時系列としては一つ目の閑話と同じ時期になります。

 一応、陽乃さんは学園に戻るころにはテンションが収まっていますので、ご安心下さい。しかし以前よりははっちゃけた性格になります。

 陽乃さんの活躍により、虎峰は書類や統合企業財体の等の対応での胃痛は抑えられますが、逆にフリーダムになった性格になった陽乃さんが色々暴れるので、そちらによる胃痛が発生することになります。頑張れ、虎峰。


 一つ、原作とは違う展開として補足事項です。

 星導館のシーズンの順位がビリの可能性について

 学戦都市アスタリスクで原作の前シーズンの各学園の順位ですが、星導館学園が第5位、そしてクインヴェールが不動のドベだというのはご存知かもしれません。

 星導館の生徒会長であるクローディアは、前シーズンの星導館は大した活躍が出来なかったと明言しています。つまり各星武祭の順位は、ベスト16か最高でもベスト8がいい所でしょう。もしかしたら最悪、全選手予選落ちの星武祭もあったかもしれません。ただ、獅鷲星武祭でクローディアのチームは予選突破したかな?チーム ランスロットと戦った記憶はありますが、何回戦が覚えていません。また原作を確認しないといけませんね。

 対するクインヴェールですが、戦律の魔女 シルヴィア・リューネハイムが王竜星武祭で準優勝。チーム・ルサールカが獅鷲星武祭でベスト8だという事は分かっています。

 うん。何故星導館がドベじゃないのか作者には分かりませんでした。まあ、順位付けに関しては、星武祭でのポイントの配分が分かりませんし、星武祭以外にもテストで多少ポイントが貰えるらしいので、細かく計算するとクインヴェールが負けてる可能性もあります。

 しかし原作でも星導館とクインヴェールでは、ポイントの差は僅差ではないかな~というのが作者の考えです。

 長々と書きましたが、今作品では王竜星武祭の結果次第では星導館がドベになる可能性があるとだけ覚えておいてください。

 さて、次回はいよいよアスタリスクに突入です。次回も頑張りますので、よろしくお願いします。


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第十四話 学戦都市アスタリスク

アスタリスクにいよいよ突入です。

オリキャラがいますが苦手な方はご注意ください。

誤字、脱字、感想等あれば、よろしくお願いします。



 前方にそびえ立つ巨大なドーム状の建物を眺める。

 資料によれば収容人数およそ十万人。星武祭の開催期間中はここがギャラリーで埋め尽くされるというのだから驚きだ。

 見通しの悪い一般席でさえ、販売価格二十倍以上の価格でオークションで取引されているという。まさに金の無駄使いとしか言いようがない。だが、世界がそれだけ星武祭に夢中という証でもあるのだろう。

 

「……まあ今日から俺もその一員か」

 

 昔ならアスタリスクに来るなんて考えもしなかった。態々世界中の見世物になるなんて、面倒くさいことする輩の気が知れないと思ったものだ。

 

 しかしこれも何かの因果関係か。はたまた運命とでも呼べばいいのだろうか。

 

 今、比企谷八幡は范八幡となってここに居る。

 

 ここはアスタリスク中央区の星武祭総合メインステージ前だ。時間は正午を少し過ぎた所。さすがに星武祭のメインスタジアムとあって開催期間中でもないにも関わらず周囲は観光客で溢れていた。皆、記念写真を撮っている姿があちこちで見受けられる。

 

「そういや端末壊したままだったな」

 

 元々持っていた端末は陽乃との戦闘中に壊れてしまった。それからは山奥で修行の日々だった為、そもそも必要なかったのだ。星露がいた頃は何かあれば彼女の端末を使用していたし、師匠は端末を所持していなかったのだ。

 

 できれば新しい端末が欲しい所だが

 

「……暇なときに見に行くか。今は案内人が来るのを待ってっ!」

 

 独り言を中断し前方へ跳躍。次の瞬間、今まで居た場所で空を蹴る音がした。

 体勢を整え、着地しながら後方を振り向く。だが既に相手に懐まで侵入されており、その拳が目の前まで迫っていた。その拳に手を添えそのまま後方へ受け流す。だが相手も只者ではない。体勢を流されながらしゃがみ込み下段蹴りを放ってくる。しかし後方へステップする事でそれを躱す。だが相手の攻撃は止まらない。そのまま追撃を仕掛けきた。

 その攻撃を受け止め、ときには流し、そして躱してゆく。最初は小手調べだったのだろうが、相手もムキになっているのだろう。徐々にスピードが速くなっていく。しかし八幡はそれを見事に対処していった。

 幾重にも続いていくそれは、見る人によっては演武のようにも見えたかもしれない。やがて相手が八幡の腕を手に取り―――-

 

「あら?」

 

 そのまま動きが止まった。

 

「……いきなりですね、陽乃さん」

 

 八幡は目の前の人物の名前を言う。襲撃者は雪ノ下陽乃だった。ここにいるという事は彼女が案内人なのだろう。

 

「う~ん。まさか外されるとは思わなかったわ。腕上げたね、八幡くん」

「まあ、それなりに鍛えてきましたから。しかし、いきなり攻撃される覚えはないんですが?」

「テストだよ、テスト。ここじゃ不意打ち、奇襲なんて当たり前なんだよ。特にレヴォルフの連中絡みだと」

「……物騒ですね、ここは。それで、テストの結果はどうですか?」

 

 八幡の言葉を聞き、陽乃は自身の右手を差し出す。

 

「勿論、合格だよ。ようこそアスタリスクへ。歓迎するよ!」

「お世話になります」

 

 八幡もまた右手を出し、二人は握手を交わした。

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、あれからは主に剣術の修行だったんだ?」

「そうですね。ブランクが長かったので基礎から学び直しでした。半日ずっと打ち合いもしたりしてましたし……後は体術を習ったのと、星辰力のコントロール技術の練習をひたすらやっていましたね」

「へぇ~それで私の合気を外せたんだね」

「……以前、それで痛い目に遭いましたから」

 

 二人は再会を祝した後すぐその場を後にした。陽乃の襲撃により周りから注目の的になったからだ。

 丁度時刻が正午を回っていたので、近場にあるハンバーガショップへ移動し昼食を取っていた。

 

「あれから三ヶ月、か。結構かかったね。星露なんか待ちくたびれて、最近元気なかったんだよ」

「……そうですか。これでも結構急いだんですけどね」

 

 八幡と陽乃が最後に会ったのは今から三ヶ月前の出来事だ。暦の上では五月下旬となっており、日中の日差しは少しだけ暑く感じられる日々となっている。

 

「まあ、剣の道は一日にしてならず。星露だって理解してるよ」

「ところで星露はどうしたんですか?今日はアイツが迎えに来るって聞いてたので、てっきりそうだと思ってたんですけど」

「ああ~確かにその予定だったんだけどね」

 

 陽乃は苦笑する。

 

「どうしたんですか?何かトラブルでも?」

「いや、そういうのじゃないよ。八幡くんが来るって分かった星露が、ちょっとはりきりすぎちゃってね」

「?」

 

 陽乃は午前中に起こった出来事を話し始めた。

 

「なぁ、虎峰」

「駄目です」

「……まだ何も言っておらぬではないか」

「この書類を片付けるまで、何処にもいかせません」

 

 星露は目の前に積まれた書類の山を見て……視線をそこから外した。

 

「…………少しやり過ぎただけではないか」

「……門下生を問答無用で鍛錬と称した勝負に巻き込んで全員ノックアウト。挙句、道場を粉々に吹き飛ばしておいてそれですか?」

 

 虎峰の冷たい視線に耐えかねず、逃げるように視線が彷徨う。

 

「……陽乃も同じことをやっておったのだから、儂だっていいではないか?」

「大師姉とは状況が違います。あの人は希望者だけ相手にしただけですし、そもそも道場を破壊などしていません……違いますか?」

「それは……まあ……そうじゃな」

「それに明日は六花園会議です。この書類の中には会議の書類も含まれていますので、今日中に見てもらわないと困ります。いいですね?」

 

 有無を言わさない正論に、さすがの星露も反論できない。

 何を言っても説得は不可と判断し、溜息を付いて諦める。

 

「むぅぅぅぅ。しかたないのう」

 

 

「というわけで、星露は今も書類と格闘中。代わりに私が来たっていうわけ」

「……何やってんですか、アイツは?」

 

 しょうもない理由に思わず脱力する八幡。だが陽乃は優しい笑顔となり、次の言葉を述べた。

 

「それだけ君が来るのが楽しみだったんだよ」

「……………そう、ですか?」

「そうそう。君が来るのが分かってからの星露は本当にご機嫌だったんだから。だから嬉しくて嬉しくて、ついはしゃぎ過ぎちゃっただけだよ。ただそれだけ」

 

 陽乃は星露の様子を思い出す。

 八幡と別れて二ヶ月が過ぎた頃、星露の様子がおかしくなった。何をしても上の空となり元気がなくなった。そして戦っている最中も過激さが欠け、ちっとも楽しそうではなかった。自他ともに戦闘狂と誰もが認めるあの星露がだ。

 

 しかし三日前、八幡がアスタリスクに向かうと連絡があってからの星露は凄かった。途端に元気になり一気にテンションMAXになったのだ。その結果、道場は吹っ飛ぶ事になったのだが。

 

「……安心したよ、私は」

「何がですか?」

 

 安堵の笑みを浮かべ陽乃は言う。

 

「あの人が君と家族になるって言った時は正直不安しかなかったからね。千年以上生きているあの人が君を家族として迎える。最初聞いた時は耳を疑ったよ……でも、今の星露と君を見るとその必要はなかったかな?」

「…………まあ、命の恩人ですから」

 

 そっぽを向く八幡。だがその頬は赤く染まっている為、照れているのが丸分かりだ。

 そんな八幡を見て陽乃はクスリと笑った。

 

「よし。じゃあ食べ終わったら色々案内してあげるね」

「お願いします。ちなみに何処へ行くんですか?」

 

 八幡の疑問に、陽乃は手持ちの端末から空間ウィンドウを開く。そしてそれを指差しながら説明する。

 

「今いる場所が此処、中央区のメインステージ付近だね。とりあえず商業エリアと行政エリアを軽く回って、それから外縁居住区に向かうよ。そして外縁居住区のモノレールに乗って、アスタリスクを一周しながら界龍に向かおっか。モノレールに乗りながらでも、遠目で各学園を見る事が出来るからね」

「分かりました」

 

 因みに、中央区の主な移動手段は地下鉄が中心となっている。これは学生同士の決闘などが交通機関に影響しないように配慮した結果だ。

 

「じゃあ、行こっか」

「はい」

 

 そして二人は食事を終え、街へと繰り出した。

 

 

 

 

 

 

 二人はその後まず商業エリアへと繰り出した。大きなデパートから小さな個人店まで、主に学生の人気店などを中心に、そして陽乃のお勧めの店などを歩きながら紹介していった。

 

 次に向かったのが行政エリアだ。此処には役所関係や統合企業財体のビルなどが立ち並んでいる。

 そして此処にアスタリスクに所属する学生にとって重要な施設が一つある。それが治療院だ。

 治癒系の能力者は極めて少ない。そのためどの学園の生徒でも平等に治療が受けられるよう、協定によってアスタリスク直轄の治療院に集められているのだ。

 

 それらの案内が終わり、気が付けば夕方より少し前の時刻になっていた。二人は外縁居住区へと向かいモノレールに乗り込んでいた。モノレールは環状線になっているため、ずっと乗っていればアスタリスクを一周することが出来る。

 

「さて、今日は軽く回ったけどアスタリスクはどうだった?」

「そうですね。テレビで見た事はありましたけど、やっぱり近未来的な街ですね。外とはえらい違いです」

「まあ確かに、インフラ関係は統合企業財体が力入れてるからね。技術者も世界中からトップクラスが集められているし」

 

 八幡の感想に陽乃は頷いた。

 

「後は観光客の多さでしょうか。星武祭以外でもこんなに人がいるとは思いませんでした」

「今日が祝日ってのもあるけどね。星武祭の時はもっと凄いよ。メインスタジアム付近は人で溢れて観光客が身動き取れなくなるんだから」

「それは凄いですね」

 

 二人が雑談をしている最中もモノレールは進んでいく。遠くには青く広がる湖の姿と正六角形の形をした各学園を見る事が出来た。

 

 話をしながらそれらをゆったりと見学し、再開発エリア付近を走行していた―――その時だった。

 

 

 遠くで発生した大きな星辰力を二人は感じとった。

 

 

「!陽乃さん」

「ええ、分かってるわ」

 

 二人はお互いを見て頷く。

 

「方角はあっちですか?」

「うん。距離は二kmから三kmって所かな?八幡くんはどう感じた?」

「俺も大体そのぐらいですね。しかしこの星辰力は……」

 

 八幡の口が途中で止まる。その理由は陽乃にはすぐ分かった。

 

「行ってみる?私の予想が正しければ見ておいた方がいいと思う」

「陽乃さんがそこまで言うほどですか……じゃあ、行ってみましょうか」

 

 陽乃の提案に八幡は頷く。先程の星辰力の正体が気になったからだ。

 感じ取れたのは一瞬だけだったが、その大きさは陽乃の星辰力をも遥かに超えているように感じられた。

 

「じゃあ、駅に着いたと同時に駆け出すよ。飛べるのは星露から聞いてるから全力で行くからね。遅れずついてくるように」

「……分かりました。まだ陽乃さん程ではないでしょうが、喰らいついて行きます」

「うん、よろしい」

 

 数分後、駅に到着し扉が開くと同時に二人は飛び出した。そして駅の外へ出ると直ぐに空へと翔けその場を後にする。その様子を見た周囲の人達が驚き、離れていく二人の様子を遠目に見ていたのは、まあ当然の事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 空を翔け目的地へと急ぐ。上空から見る再開発エリアは、放棄された廃墟の数々というのが大半だ。古いボロボロのビルや潰れたお店が立ち並び、一部はスラムと化しているのが現状である。そしてスラム化している場所では、各学園の退学者や都市外の犯罪者が集まっており、一種の暗黒街と化していた。

 だが、再開発エリアの全部が犯罪者の温床というわけではない。外側に位置する歓楽街は比較的治安が安定している為、スラム化している一部に乗り込まなければそれほど危険ではないのだ。

 

「……そろそろですね」

「ええ、目的地にかなり近付いたわ。一旦地上に降りるよ。このままだと気付かれちゃうから」

「了解です」

 

 二人は地上へと降り立ち直に気配を消す。そして小走りに星辰力発生の中心地へと向かう。勿論、音は極力立てずにだ。

 此処までくると星辰力の感知も容易い。感じ取れたのは二種類の星辰力だ。一つは先程感じた巨大な星辰力で、もう一つはそれなりに大きな星辰力だ。

 

 そして目的地に到着し二人が目にしたのは

 

 

「……まだ諦めないの、ユリス?何度やっても結果は変わらないわ」

 

 純白の髪と紅玉の瞳を持ち圧倒的な星辰力を放っている少女と

 

「まだだっ!まだ終わっていない!」

 

 それに相対する碧色の瞳と鮮やかな薔薇色の髪を持った少女だった。

 

 

 八幡と陽乃は気配を消しながら二人から見えない位置へと移動し、遠目でその様子を眺める。

 そして陽乃が八幡に小声で話しかけた。

 

「………どうやら決闘中のようね」

「決闘?学生同士揉めた時にするというアレですか?」

「ええ、そうよ。しかし一人は予想通りだったけど、もう一人は誰だったかしら?冒頭の十二人ではないと思うんだけど、どっかで見た気がするのよね」

 

 陽乃は空間ウィンドウを開き検索を始めた。所属学園は胸元の校章を見ればすぐに分かる。それを対象に上位から検索を開始し、そしてすぐに発見した。

 

「お、あったあった。星導館 序列十七位、ユリス=アレクシア・フォン・リースフェルトか。ああ、なるほど。一時期話題になったあのお姫様か」

「お姫様?」

「ええ、そうよ。ヨーロッパにあるリーゼルタニアって国の第一王女よ、彼女」

「……何でそんなお偉いさんがアスタリスクに?」

「別に珍しくないよ。ガラードワースやクインヴェールなんかは、貴族のご子息やご令嬢なんかがいっぱいいるし、確か他にも王族はいたはずよ」

「なるほど」

 

 そう言うと、次はお姫様の対戦相手に注目する。

 

「あっちの方は言わなくても分かるよね?」

「はい。オーフェリア・ランドルーフェン。前回の王竜星武祭の覇者ですね」

「そう。孤毒の魔女の二つ名で呼ばれる史上最強の魔女。オーフェリア・ランドルーフェン。アスタリスクでも最強格の一人よ。勿論、もう一人は星露だけどね」

「……どっちが強いんですか?」

 

 興味本位に尋ねてみる。その質問に陽乃は深く考えた。

 

「……どうだろう?個人的には星露の方が強いと言いたいけど何とも言えないね。少なくとも、私にはどっちが強いのかは分からない」

「そうですか……」

 

 話し込む二人。だがその間にも二人の少女の決闘は続いていた。しかし、どちらが優勢かは日の目を見るよりも明らかだった。

 

「咲き誇れ―――九輪の舞焔花!」

 

 ユリスの掛け声と同時に九個の火炎が生まれ、それぞれ異なった軌道で相手に襲い掛かる。

 

 しかし

 

「あらら、これまた凄いわね」

「防御する素振りすらなしですか。しかも無傷とは……星露と一緒ですね」

「あれ?八幡くんも身に覚えがあるの?」

「ええ、修行中に同じ事がありましたよ。アレは精神的ダメージが大きいですね」

「同感。アレをやられると凄い敗北感があるのよね」

 

 オーフェリアはただ立っているだけで特に何もしていない。しかし、その身に纏う星辰力と毒素がユリスの攻撃を完全に防いでいた。

 

「……無駄よ、ユリス。あなたでは私の運命は覆せないわ。もう終わりにしましょう」

 

 オーフェリアがどこか悲し気に言葉を放つと同時に、強大な星辰力が膨れ上がった。その膨れ上がった星辰力は何処までも高まり―――それこそ無限に湧き出てくるかのように感じられる。

 そして万応素が荒れ狂い、オーフェリアの足元から無数の腕が出現していた。毒々しい黒褐色の色を持ったその腕は、ゆらゆらと陽炎のように揺れている。

 

 それらを見たユリスは一瞬だけたじろぐ。しかし気丈を保ち彼女は叫ぶ。

 

「私は諦めない!お前が戻ってくるまではな!」

 

 その叫びには何者にも屈しない心の強さが込められていた。八幡と陽乃は思わず感心する。

 

「強いですね、彼女」

「ええ、戦力差は本人が一番分かっているでしょうに。それでも心は屈していない。大した精神力よ」

「でも……」

「そうね……これで終わりよ」

 

 決着はその後すぐだった。

 

「咲き誇れ「―――塵と化せ」

 

 ユリスの能力発動前に、オーフェリアの能力が発動し黒褐色の腕がユリスに襲い掛かる。

 

 そしてそれを防ぐ手段を、ユリスは持ち合わせていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「彼女の具合はどうですか、陽乃さん?」

「う~ん、顔色は悪いけど症状としては星辰力切れで間違いないと思うわ。どちらにせよ治療院に連れて行く必要があるわね」

 

 決闘が終了した後、一人残されたユリスの状態を陽乃は確認していた。流石に放っておくわけにはいかなかったからだ。そして状態を確認した陽乃はユリスを抱きかかえ立ち上がる。

 

「さて、じゃあ治療院へ向かいましょうか」

「分かりました」

 

 行きと同様に、二人は空を翔け治療院へと向かう。その道中、二人は先程の出来事について話し合っていた。

 

「しかし、あれがオーフェリア・ランドルーフェンですか。流石の強さでしたね」

「まあね。今年行われる王竜星武祭でもぶっちぎりの優勝候補よ。私も一応出る予定だけど、今のままだとまともに戦う事すら出来ないわね。能力もそうだけど星辰力の差が多すぎるわ……八幡くんの能力ならいける?」

 

 陽乃が八幡に尋ねる。

 あの時自身が体感した能力を思い出したからだ。相手を拘束してからの能力無効化に星辰力吸収。八幡の能力なら相性はかなりいいはずだ。

 

 しかし

 

「……無理ですね。陽乃さんには話してませんでしたが、俺自身の能力もあの時と比べて大分弱体化してるんですよ」

「え!そうなの?」

「はい。今の俺には、闇を使用して相手の能力を防ぐぐらいしかできません。使用できたとしても多分勝てないでしょうね。俺の能力だって無敵じゃありません。星辰力差で押し切られますよ」

「そっか。結局は其処に行きついちゃう、か。どんなに強い能力を持っていても、星辰力に差があったら意味ないもんね」

 

 そんな話をしながら移動する二人。そして十分後、二人は治療院へと到着した二人はユリスを引き渡した。患者の様子が酷かったので事情を聞かれたが、オーフェリア・ランドルーフェンの仕業と答えたらすぐに納得した。彼女の被害者はいつもこんな感じと言っていた。

 

 ユリスの治療には一日以上掛かるそうだ。これ以上此処に居てもやる事がなくなった二人は治療院を後にした。すると治療院を出てすぐ陽乃の目の前にウィンドウが開く。

 

「あら、通話か。宛先は……水派の子か。八幡くん、ちょっと待ってね」

「はい」

 

 陽乃は少し離れてウィンドウを開き通話を始めた。

 

「はい、もしもし。どうしたの?………うん、なるほど。分かった。すぐに向かうわ」

 

 ウィンドウを閉じ陽乃は八幡の方を向く。

 

「ふぅっ、ちょっとトラブルが発生したみたい」

「何かあったんですか?」

「ええ、ちょっとうちの子たちがレヴォルフの連中と揉め事を起こしたらしくてね」

「大丈夫なんですか?」

「とりあえずうちの方が優勢みたい。ただ、トラブルの場所が歓楽街ってのがちょっと問題でね。あそこはレヴォルフの根城みたいなものだから、相手の援軍が続々と到着してるみたい。放っておくとちょっと不味いかな」

 

 陽乃は少しだけ困ったように言う。

 

「じゃあ、早く行きましょうか」

「いいの?八幡くんは先に界龍に行ってもらってもいいんだよ?」

「まあ、此処まで来たら付き合いますよ」

「そっか。ありがとね。じゃあ、行こっか」

「了解です」

 

 二人は陽乃を先頭に歓楽街へ向かって走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、行ってくるね。八幡くんはその辺で観光しながら待っててね」

「俺は行かなくてもいいんですか?」

「大丈夫、大丈夫。感じた限りでは強い奴はいないみたいだから、私だけで充分だよ。あ、そうだ。八幡くん。これ渡しておくね」

 

 陽乃は懐から何かを取り出し八幡に渡してきた。

 

「携帯端末ですか」

「そう。私からのプレゼント。何かあったら連絡して。私の連絡先は登録してあるから」

「はい。ありがとうございます」

「うん。じゃあ、ちゃっちゃと終わらせてくるね~」

 

 そう言うと陽乃は争いの地へと駆け出して行った。

 一人残された八幡は周辺を見渡してみる。

 

 今いる場所は歓楽街だが、その印象は夜の街といった感じだ。日は落ちているが、まるでこれからが本番とばかりに、ビルや店からの照明が辺りを照らしている。周りにはカジノや飲み屋などが立ち並び、従業員が呼び込みを行っていた。

 

 更に周辺に視線を巡らすと一つの店を発見した。

 

「コンビニか……そういやマッ缶が欲しいな。見てくるか」

 

 ここ数ヶ月飲んでいなかった愛用の飲み物が急に欲しくなった。

 此処にあるかは分からないが、暇つぶしに見てみるのも悪くはないだろう。

 

 そう決めると、八幡はコンビニに向かって歩き出した。視界の範囲内にあるその場所に到着するのにはそう時間は掛からない。入口に立ち自動ドアが開いたので中に入ろうとして―――

 

 感じた事のある星辰力が少し離れた場所で膨れ上がった。

 

「……元気だな。陽乃さん」

 

 八幡は特に気にせずコンビニに入っていった。

 奥の飲料売り場のケースを見て回る。

 

「……ない」

 

 コーヒーは売っているもののMAXコーヒーは一つもない。

 しかし一度欲しがると欲求は止まらない。コンビニを出て次の店に向かう。

 

「…………ない」

 

 だが見つからない。店に限らず、通りすがりの自販機も見てみるが全く見つからない。

 

「おい、まじか?全く見つからないぞ。まさか一つもないとかないよな?」

 

 マッ缶がないというのは死活問題だ。通販で仕入れるという手もあるが、外部からの通販は税関を通る影響か時間が掛かる。出来ればアスタリスク内で仕入れる場所を確保したい。

 

「……………って、ここ何処だ?」

 

 ひたすら歩きまわっていた所為か、現在地がどこか分からなくなった。店が少なくなったので、自販機を探し回っていたら大通りを外れ、裏路地に紛れ込んでいた。

 

「とりあえず戻るか。大通りにいけば何とかなるだろう」

 

 明かりの強い大通りへ向かって足を進める。

 

 

 細い裏路地を抜け、光が強い大通りへと抜けた所で―――

 

 

 前方から女の子が飛び込んできた。

 

「おっと」

 

 ぶつかりそうになったので慌てて受け止める。

 

「すまん。大丈夫か?」

「は、はい。こちらこそ申し訳ありません」

 

 目の前の女の子が頭を下げてきた。外国人だろうか。金色の髪が特徴で、幼い顔立ちから年は八幡より下だと思われる。

 

 しかし一番印象に残ったのは別の事だった。

 

「!失礼します」

 

 よほど慌てているのだろう。こちらに謝罪した後、すぐ八幡が出てきた裏路地へと走り去ってしまった。

 

 そんな少女の様子を見て八幡は疑問を感じた。

 

 

 ―――少女が何かから逃亡しているように感じたからだ。

 

 

「あの校章。クインヴェールか?見た感じ、いい所のお嬢様っぽかったが」

 

 立ち振る舞いの良さから一般家庭の出身とは思えなかった。少し見ただけでも気品らしきものを感じ取れたからだ。

 しかしそれ以上に気になるのは、そんなお嬢様がこんな場所にいる事だ。歓楽街が再開発地区の中で比較的治安がいいといっても限度がある。クインヴェールのお嬢様がこんな場所にいるなど、他者から絡んでくれと言っているようなものだろう。

 

「おい!いたか?」

「いねぇ!どこ行きやがった!」

「もっとよく探せ!」

 

 周囲に人が集まってきた。レヴォルフと思わしき学生や、それより少し年上のガラの悪い輩。チンピラ集団と言っていいだろう。そららが複数集まってきては、お互いに叫びながら走り回っている。

 彼らの会話を耳にし八幡はぽつりと呟く。

 

「……あの子目当てか」

 

 目的が先程の少女だと推測した。理由は分からないが、連中から逃亡しているのは間違いないだろう。

 しかしあの少女も星脈世代だ。動きから察するに、目の前の連中程度に捕まるとは思えないので大丈夫だとは思うが。

 

「なぁ、兄ちゃん」

 

 突如、声を掛けられた。

 

「……何ですか?」

 

 振り向きながら声を掛けてきた男を観察する。

 

「ここら辺でこんな子見なかったか?」

 

 目の前に写真が差し出された。そこに写っていたのは幼い顔立ちで金髪の少女の姿。紛れもなく先程の少女だった。

 

「……見ましたよ」

「お!どっち行った分かるか?」

 

 武術をやっていると色々と分かる事がある。相手の立ち振る舞いを見れば素人かどうかの判断は容易いし、ある程度の実力を察することもできる。

 

 目の前の男は強者だ。少なくともあの少女が勝てないほどの。

 

 だから

 

「あっちの大通りを走っていきましたよ。何だか凄い勢いでしたけど」

 

 しれっと嘘を付いた。

 

 

 

 

 

 

 

 少女は今日の出来事を後悔しながら走っていた。

 気分転換に妹と一緒に二人で中央区へ遊びに来た。そこまでは問題はなかった。

 しかし、暫くするとレヴォルフの連中に絡まれたのだ。ただのナンパかとも思ったがすぐに違うと判断した。

 

 目的は自分達姉妹の身柄だ。

 

 それを理解すると同時に二人で逃げ出した。しかししつこく追いかけられるうちに歓楽街へと追い立てられ、妹とは逸れてしまった。そして今、自身も追い詰められつつあった。

 

「はぁっはぁっはぁっ」

 

 歓楽街はレヴォルフやマフィアの根城だ。どれだけの人数が追手として来ているか分からない上、道にも迷ってしまった。

 

「……行き止まりですか」

 

 入り組んだ通路の先は廃ビルに囲まれた広場が広がっていた。しかもその先に繋がる道はなく袋小路になっている。背後から複数の足音が迫る。

 

 ここまでかと戦闘の準備に入ろうとするが

 

 

 いきなり後ろから口を塞がれた。

 

 

「っ!うぅっ!!?」

「静かに」

 

 耳元で男の小さな声が響く。と同時に何らかの札が周囲に置かれた。

 

「……じっとしてろ」

「…………」

 

 その声に有無を言わさないものを感じ、思わずこくりと少女は頷く。

 

 そして後方から複数の男たちが姿を表す。

 

 だが

 

「おい!いねぇじゃなえか。本当に見たのか!」

「間違いねぇよ!こっちに走ったのを見たんだって!」

「けどいねぇじゃなぇか!出鱈目ばっかり言いやがって!」

 

 目の前で男たちが喋っている。だがこちらに気付いていない。こちらは姿を隠していないのに存在だけが男達から消えているようだ。

 

「おい。目標の一人を別グループが確保したってよ」

「マジかよ!?こっちも早く探すぞ!」

「ああ!一人頭数千万なんて美味しい仕事だからな!」

 

 そして男達は再び何処かへと走り去っていった。

 

「…………行ったか。すまんな、急に押さえたりして」

「……いえ、助かりました」

 

 男が少女から手を放し話しかけてきた。少女は振り返り男の顔を見る。

 

「あなたは先程の……」

 

 男は先程大通りでぶつかりそうになった相手だった。

 

「………どうして助けてくださったのですか?」

 

 少女は警戒を怠らない。少なくとも目の前の男が連中とは違うのは分かる。けど理解できない。

 

「あなたが悪い人でないのは分かります。けど、初対面の人を信じる事も出来ません」

 

 今は周囲が敵だらけだ。目の前の男を信じたいが、完全に信じ切るのも危険だ。

 この男が連中の仲間の可能性を捨てきれないからだ。

 

 それに対し男の答えは

 

「…………気まぐれだ」

「……え?」

 

 適当だった。

 

「単なる気まぐれ、親切の押し売り、困ってそうだった、放っておけなかったから。好きな理由を選んでいいぞ」

「えぇ、と」

 

 少女は困った。助けられた理由をこちらに振られるとは思いもしなかった。

 

「こっちが勝手に助けただけだ。恩に着せるつもりもないし、別に気にしなくてもいい。それに……」

「それに?」

 

 男は言葉を一区切りし、そして断言する。

 

「人から信用されない事に関して、俺以上に秀でたものはいない。だから信用なんてしなくていいぞ」

 

 妙に捻くれた結論だった。

 

「何ですか、それ?」

 

 こちらを信用させるどころか、信用なんてしなくてもいいと断言するその物言いに、少女は思わず苦笑する。だが少女は理解する。

 

 目の前の男の人は不器用だけどとてもいい人だ。本当に善意だけでこちらを助けてくれたのだと。

 

「……あなたは優しい人なのですね」

「そうか?そんな事言われたことないが」

 

 少女は男を信用することにした。その言葉に嘘がないと判断できたからだ。

 

「改めて、助けてくださりありがとうございます。私、グリューエル・ノワール・フォン・リースフェルトと申します。グリューエルとお呼びください」

 

 少女は一礼し男に挨拶する。

 

「范八幡だ。こちらは、まあ好きに呼んでくれ。リースフェルト」

 

 男、八幡もまた少女に挨拶をする。

 

「グリューエル、です」

「…………分かった。分かったからそんなに詰め寄らないでくれ、グリューエル」

「はい!」

 

 詰め寄るグリューエルに押し切られ、名前で呼ぶことになった。

 

「はぁ、それでこれからどうする。あいつらの話だと一人捕まったと言っていたが、誰だか分かるか?」

「……妹です」

「…………そうか。なら絶対に助けなくちゃいけないな」

 

 八幡の口調が固くなる。同じ妹がいる身としては色んな意味で見過ごすことが出来ない。

 

「ですが、妹のいる場所が分かりません。どうすれば……」

「そうだな。とりあえず逸れた場所に行って、それから――――」

「どうかなさいましたか?」

 

 八幡は口を噤み通路の方へと首を向ける。すると程なくして人が二人侵入してきた。

 

「八幡様!」

「下がってろ」

 

 グリューエルを後ろに隠す。

 

「探したぜお嬢ちゃん。それにそこに居るのはさっきの兄ちゃんか。よくも騙してくれたな」

「こんなとこまで逃げるとはなぁ。追いかけるほうの身にもなれってんだよぉ」

 

 現れたのは二人の男だ。年は両者ともに三十くらいだろうか。

 一人は黒色のスーツを着た金髪の男。先程八幡が会った男だ。口調は丁寧だが相当お怒りのようだ。

 もう一人は浅黒い肌に無精ひげ。カーゴパンツにTシャツのラフな格好をした男だ。気だるそうにこちらを見据えている。

 

 二人とも身のこなしは鍛錬を積んだ者特有の動きで、かなりの使い手と思われる。

 

「……八幡様」

 

 八幡の服の裾を掴み不安な瞳でこちらを見上げる。

 

「大丈夫だ。何とかなるさ」

 

 そんなグリューエルの頭をそっと撫で、八幡は前に出る。

 

「兄ちゃん一人か。騙してくれたケジメはとってもらうぜ」

「二対一なんて全然楽しめねぇなぁー」

 

 八幡の抵抗の意志を感じ男二人は煌式武装を起動する。一人は洋風の片手剣。もう一人は大振りのナイフだ。

 

 二人が煌式武装を構え、戦闘に入ろうとした。

 

 

 その時だった。

 

 

「大変そうだね。手、貸そうか?」

 

 一人の少女の声が侵入者たちの後ろから聞こえた。

 

「何!」

「!」

 

 男たちの驚ろき後ろを振り向く。無理もない。戦闘態勢に入った自分達に気付かれず、背後を取られたのだから。これが実践なら成す術もなくやられていた。警戒するのは当然の事だ。相手が少女だからといって油断出来るわけがない。

 

 そしてそれは八幡も同様だ。

 

「…………必要ない」

「あれ?そんなに警戒しなくてもいいんじゃないかな?一応、助けに来たつもりなんだけど」

「……美人局には気を付けろというの親の教えなものでな」

「う~ん。それは困ったな~」

 

 少女は大きめの帽子を深く被っている。栗色の髪を無造作に束ね、服装はジーンズにゆるめのブラウスと少し地味目な印象だ。

 

 しかし八幡は警戒を緩めない。何しろ声を掛けられるまでその存在にまったく気付かなかったのだ。自分以上の実力者が都合よく助けに来てくれる展開を信じるほど、八幡は子供ではない。

 

 しかし、そこにグリューエルが八幡に声を掛ける。

 

「八幡様。あの方は味方です」

「知り合いか?」

「……はい。私の予想が間違っていなければ」

「……そうか。分かった」

 

 グリューエルの言い方に疑問が残るが、とりあえず信じることにする。

 

「すまんが、一人任せてもいいか?」

「お、やっと信じてくれたね。いいよ~」

「……頼む」

 

 不安は残るが正直助かる。二人同時に相手をしても負けない自信はあるが、目的はグリューエルを守る事だ。戦力は多い方がいい。

 

「……話はついたようだな」

 

 八幡達の話が終わるのを見計らって、金髪の男が声を出す。

 

「どっちをやる?」

「俺は女の方をやる。そっちの方がやる気が出るからなぁ」

「じゃあ俺の相手は兄ちゃんだな」

 

 八幡の相手は金髪のスーツの男。栗色の髪の少女の相手は浅黒い肌の男と決まった。

 

「……王竜星武祭の本選出場者二人が、マフィアの使い走りにまで身を落としているとはね」

「へぇ……お嬢ちゃん。オレたちのこと知ってるのかい?そいつは嬉しいねぇ」 

「王竜星武祭セミファイナリスト、元界龍第七学園序列七位、《双蛇》のグエンさんに、同じく王竜星武祭ベスト8、元レヴォルフ黒学院序列九位、《瞬剣》のラインさんでしょ。まさかこんな所で会うとは思わなかったわ」

 

 少女はため息を吐く。

 

「なぁに、昔の話さぁ」

「懐かしい話だな」

 

 二人がそう言うと、場の空気が張り詰める。

 

 それぞれが互いの相手に向き合い―――そして男たちが飛び出した。

 

 

 戦闘開始だ。

 

 

 

 

 

 

 

 グエンが牽制するように両手のナイフを放つ。正面から当たるとは思っていない。回避させ相手の隙を作るためだ。

 案の定、少女は放たれたナイフを華麗に回避する。しかしその隙にグエンは少女の間合いに侵入。両手に別のナイフを煌めかせ、少女に襲い掛かる。

 

「しゃぁぁぁっ!」

 

 気合一閃。左右から繰り出される猛攻が少女を襲う。

 

 ――――が。

 

「ふぅん、こんなものか」

 

 少女はその猛攻を、片手で軽々と捌いていた。

 

「なぁ―――!?」

 

 グエンの顔が驚愕に歪む。

 

「う~ん。やっぱり見たことないよね、彼」

 

 少女は、グエンの猛攻を捌きながら八幡の方に視線を向けていた。

 そんな少女の態度にグエンは怒りの感情を爆発させる。

 

「どこ向いてやがる!」

 

 怒りの感情に身を任せ、再度グエンが少女に襲い掛かる。

 

 だが

 

「只者じゃないのは間違いないね。動きから察するにかなりの使い手。最低でも冒頭の十二人クラスの実力なのは間違いないかな」

 

 その攻撃を回避しながら、それでも少女は八幡の観察を止めなかった。それだけの余裕が彼女にはある。

 

 グエンにとってはこれ以上ないほどの屈辱だ。

 

「は、はははは!やるじゃねぇか、お嬢ちゃん!こうなったらオレも本気でぇ!」

「―――ううん、もう十分だよ」

 

 怒りの感情に支配されていたグエンは冷静さを欠いていた。回避に専念していた少女が突如攻撃に転じたのに対し、虚を突かれ反応出来なかったのだ。

 

 一瞬の間に背後に回り込まれ、背中から蹴りを叩きこまれる。

 

「っ!?」

 

 声も出せないまま吹き飛ばされたグエンは廃ビルの壁に激突し、ビルに無数のひびが刻まれた。そしてグエンは己の状態を理解できぬまま気絶した。

 

「……全盛期のあなたが相手だったら、こんなに簡単にはいかなかったでしょうね」

 

 残念そうに少女は呟く。しかしすぐに八幡の方に向き直る。

 

「さて、じっくり見させてもらいますか」

 

 少女の興味は范八幡に注がれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 金髪の男、ラインが掲げた剣を振り下ろす。その太刀筋は真っすぐだがスピードは遅い。八幡はその太刀筋を完全に見切っていた。余裕をもってそれを回避しようとし―――

 

「!」

 

 突如嫌な予感を感じ、それに従い反射的に身体を動かす。そしてその予感は正しかった。

 

「ほう。よく躱したな、兄ちゃん」

 

 ラインの剣を八幡はギリギリ躱していた。剣が振り下ろされる途中で瞬時に加速したのだ。通常の太刀筋では起こりえない、明らかにおかしな現象だった。何らかのトリックがあるのは明白だ。

 

「……瞬剣か。なるほどな」

 

 少女が言った男の二つ名を思い出す。瞬間的に剣が加速し相手を倒す剣。二つ名の由来はそんな所だろう。

 ラインは楽しそうに八幡に話しかける。

 

「俺の剣を躱す相手は久しぶりだ。楽しませてくれよ!」

 

 ラインが八幡に再び襲い掛かる。八幡はそれに対し回避行動に専念し相手を観察する。剣の初動はよく見える。だが軌道の途中で不自然な加速が行われている。剣の軌道を予測し大きめの回避でそれらを躱す。

 振り下ろしにはサイドステップ、横薙ぎの一撃にはバックステップ。相手の動きを、特に剣を振るう腕周辺を念入りに観察する。

 

 そして気付いた。

 

「星辰力を一瞬だけ腕に集中してるのか」

「!見抜くか。ただもんじゃねぇな」

 

 ラインの動きが止まる。

 

「剣を振るう途中でほんの一瞬だけ腕の星辰力が増えている。初動の遅さに対応しようと動かした身体に、瞬間的に加速した剣がそれを襲う。そのスピードの落差で相手の反応が遅れる。そんな感じですか?」

「………正解だ。初見で見抜かれるのは初めてだよ」

 

 どうやら推測は当たっていたようだ。

 

「だが、タネが分かった所で問題はねぇ。これを攻略できなければ勝ち目はないからな。さて、どうする?」

「…………」

 

 ラインの言葉を受け考える八幡。手がない訳ではない。

 だが今は自身の戦闘よりも気になる事があり、そちらに注目していた。

 

 そこで辺りに轟音が響き渡る。

 栗色の髪の少女の相手、グエンが廃棄ビルへと激突した音だ。これ以上戦闘を続けるのは不可能と思われる。

 

「おいおい、グエンの奴がもうやられたってのか!何者だよ、あのお嬢ちゃん!?」

 

 八幡も同意見だ。突如現れた少女だがその実力は圧倒的だった。何しろ王竜星武祭の元セミファイナリストを歯牙にもかけないのだ。しかもまだ全然本気を出していないと思われる。

 

 相手の猛攻を片手だけで捌く技量。背後に回り込んだときの俊敏な動き。そして軽い蹴りに込められた星辰力の量。

 

 八幡は星露との修行中に座学も行っていた。その内容は一般教養の他に、星仙術や戦闘に関する事も含まれる。そしてその中には、各学園の冒頭の十二人の戦闘データのチェックというのもあったのだ。

 

 八幡と年の近い少女。年頃から考えるとどこかの学園の生徒だろう。自身の感覚を信じるなら、最低でも雪ノ下陽乃クラスか、下手をしたらそれ以上の実力者。動きも戦闘データの中で類似する人物がいた。

 

 そこまで条件が揃えば推理するのは簡単だ。

 

「……何でこんな所にいるのやら」

 

 ぽつりと呟く。少女の正体に見当がついたのだ。

 髪の色は違えどその声には聞き覚えがある、否、ありすぎた。

 

 

 ―――――彼女の歌声は八幡にとって数少ない癒しだったのだから。

 

 

 その件の少女がこちらに歩み寄り声を掛けてくる。

 

「こっちは終わったよ。そちらはどうかな?」

「……もうすぐ終わる」

 

 八幡が返事を返す。だがその物言いはラインには挑発に聞こえた。

 

「言ってくれるな、兄ちゃんよ。なら見せてくれや!」

 

 ラインが八幡に斬りかかる。グエンを倒した少女が乱入する前に八幡を倒す必要があるからだ。速攻でケリを着けるべく、一気に距離を詰め確実に仕留めようとしてきた。

 

 男の剣が加速し八幡へと振り下ろされる。

 

 だが

 

「!?」

 

 剣が八幡の頭上10cmの距離で動かなくなり、ラインの動きも硬直し一瞬だけ止まった。

 そして、その隙に間合いを詰めた八幡の拳がラインの鳩尾にめり込んでいた。

 

「ぐぅっ!?……やっぱ……ただもんじゃ……ねぇな……兄ちゃんは」

 

 その台詞を最後に、ラインはその場に崩れ落ち気を失った。

 

「お見事。いい闘いだったよ」

 

 少女が感心したように手を叩く。

 

「……どうも」

「近接戦闘もさることながら、それ以上に能力の使い方が良かったね」

「……何のことだ?」

「……ま、惚けるならそういうことにしといてあげる」

 

 少女には最後のやり取りはお見通しだったようだ。

 ラインが剣を振り下ろす際に、一瞬だけ能力を使用し相手の動きを止めた。ほんの一瞬だった為バレないと踏んだが、どうやら考えが甘かったようだ。

 

「八幡様!」

 

 グリューエルがこちらに駆け寄ってきた。

 

「ご無事ですか?お怪我はありませんか?」

「ああ、大丈夫だ」

 

 心配するグリューエルに無事を伝える。するとその言葉にグリューエルも安堵し、笑みを見せた。

 

「さてお二人さん。ちょっといいかな?」

 

 そんな二人に少女が声を掛ける。そして悪戯っぽく微笑み、そのしなやかな指を上に向けた。

 

「色々聞きたいことがあるんだけど、ここじゃ何だし――――ちょっと場所を変えよっか?」

 

 

 

 

 

 

 

 三人はその後、近くにある廃ビルの屋上へと上がっていた。

 頭上には満天の星。地上は周囲に廃墟が多いため暗闇が広がっている。

 

「ごめんね。急いでるっぽいのに時間を取らせちゃって」

「それは、こちらにご協力して下さると受取ってもよろしいのでしょうか?」

「詳しい内容を聞かせてもらえればね。出来るだけの協力はするよ」

「……分かりました」

 

 グリューエルは話し始めた。

 自分と妹が見知らぬ連中に襲われ狙われていること。そして妹とは逸れ、自身も危ない所を八幡に助けられたことを。

 

「……そっか。そんなことになってたんだね」

「お願いします。妹を助けるのに協力してください」

 

 グリューエルは頭を下げ、目の前の少女に協力を求める。

 

「いいよ。ただ、一つだけ約束してほしいんだけど……いい?」

「約束ですか?」

 

 少女が何を要求してくるか、八幡には分かる気がした。

 

「俺たちは君とここで会わなかった。当然、これからの起こる事は秘密で誰にも喋らないこと。そんな所か?」

「!」

「……驚いた。その通りだよ」

「そのぐらいならいくらでも約束する。だから頼む」

「八幡様……」

 

 八幡も頭を下げて少女に頼み込む。

 

「八幡くん、だっけ……君にも聞いてもいいかな?」

「何だ?」

 

 少女には気になる事があった。

 

「八幡くんはこの子の知り合い?」

「いや、さっき初めて会った」

「ならどうしてこの子を助けるの?初対面の、言ってみれば赤の他人のためにそこまでする理由は何?」

 

 少女は真剣な表情で八幡に尋ねた。紫の瞳が強い視線となって八幡を見詰める。

 その言葉にはグリューエルを気遣うものが感じられ、八幡も真面目に答えることにした。

 

「……俺にも妹がいる。いや、この場合いたと言うべきかな。ああ、言っておくが死んだわけじゃないぞ。いわゆる家庭の事情というやつだ」

 

 脳裏に浮かぶ一つの姿。自分の所為で傷つけてしまった最愛の妹。

 

「妹を守るのは当然のことだ。その為だったらいくらでも協力するさ」

「……八幡様」

「……そっか。うん、分かった。ごめんね、余計なこと聞いて」

「気にするな。知り合いなら心配するのは当然のことだ」

「話すのは初めてだけどね。この子。ううん、この子たち姉妹は色々と特殊な事情があるから」

「……そうか」

 

 気にはなるが問うことはしない。

 リースフェルトという名字からある程度事情も察せられるし、他にも色々とありそうだから。

 

「さて、探すのはグリューエルちゃんの妹、グリュンヒルデちゃんでいいんだね?」

「はい」

「なら大丈夫かな。あの子のこともそれなりに知ってるから。じゃあ始めるから地図を用意して。歓楽街のできるだけ大きいものを」

 

 八幡は携帯端末を取り出し地図を表示させる。そして空間ウィンドウを操作し画面を最大まで大きくした。

 

「よし、じゃあいくよ―――」

 

 少女は帽子を脱ぎ、まとめていた髪を解く。そしてヘッドフォン型の髪飾りに触れると、その髪の色がゆっくりと変化していった。

 

 

 栗色から瞳と同じ色――――鮮やかな紫へと

 

 

「……やっぱりか」

「気付いてらっしゃったのですか?」

「何となく、な」

 

 気付かないわけがない。顔を見るまでもない。その声を、その歌声を、忘れたことなど一度もないのだから。

 彼女のことはデビュー当時から知っていた。その歌声に魅了され、少ない小遣いで買いに行った覚えがある。

 

 照れくさくて本人には絶対に言えないが。

 

「……シルヴィア・リューネハイム」

 

 その名を呟く。呼ばれたシルヴィアは八幡とグリューエルへ微笑む。そして羽を広げるように大きく両手を開いた。

 

 

 ―――――歌が響く

 

 

 シルヴィア・リューネハイム

 

 クインヴェール女学園生徒会長にして、序列一位。

 《戦律の魔女》の二つ名を冠する、前《王竜星武祭》準優勝者。

 

 世間には至高の歌姫、または世界最高のアイドルと等と呼ばれており、知名度の面に於いては《孤毒の魔女》よりも有名である。

 

 その能力は―――万能。

 

 歌を媒介することにより、自身のイメージを様々に変化させることが可能だという。ただ、唯一の例外として治癒能力は扱えないらしい。

 

 星露も彼女の実力は高く評価していた。

 

 

「思考と記憶の黒き御使いよ、我が前に舞い降りて疾く示せ――――」

 

 シルヴィアの歌が終わる。すると地図の上に二枚の黒い羽が旋回し漂い始める。二枚の羽はそのままくるくると回転をしていたが、その円が徐々に狭まっていく。

 

「ここは―――最悪ね!」

「あの、ヒルデはどこに?」

「………私の記憶が正しければ、この辺り一帯はマフィアの支配地域よ。それもこの歓楽街でもかなり大きな勢力の」

「そんな!何とかならないのですか!?」

 

 グリューエルが叫ぶ。それに対しシルヴィアは苦しげな表情で答える。

 

「……難しいわね。確たる証拠がなければ警備隊も踏み込めないし、私の能力ではそもそも証拠にならないわ」

「じゃあどうしたら!!」

「なあ、リューネハイム。一ついいか?」

 

 話し合う二人に八幡が口を挟む。

 

「例えばだが、そのマフィアのいる場所で騒動が起こったらどうだ?外部から見て明らかに異常事態が起こったら。そうすれば警備隊は踏み込めないか?」

「それは……そんな事態になったら踏み込めると思うけど」

「ならいい。だったら手はある」

 

 八幡は断言した。

 

 

 

 

 

 

 

『ああ、やっと繋がった!八幡くんどこにいるの?何度掛けても繋がらないし、あちこち探したんだから!』

「陽乃さん……すみません」

 

 大声を上げる陽乃。だが八幡の顔を見た途端に、彼女は冷静さを取り戻す。彼の表情から異常事態を察したからだ。

 

『何があったの?』

「陽乃さん。俺に力を貸してくれませんか?」

 

 そして二人は合流することにした。詳しい状況を知らなければならない以上、その方が都合がいいからだ。

 最初に別れた歓楽街の入り口に八幡は戻り陽乃と合流した。そして裏路地へと入り二人は話し合う。

 

「さて、詳しい話を聞かせてちょうだい」

「はい」

 

 八幡を説明した。

 クインヴェールの女の子を助け、マフィアの追手と戦闘になった事。そして、彼女の妹の場所が判明し助けたいという事を。

 

「……君はトラブルに愛されてるのかな、八幡くん?」

「言わないでください……考えないようにしてるんですから」

 

 呆れる陽乃に苦笑しかできない。

 

「いいよ。力を貸してあげる……どうやって妹さんの場所が分かったとか、色々と突っ込み所はあるけど、聞かないであげる」

「……助かります」

 

 陽乃は自身の携帯端末を取り出し通信を始めた。

 

「ただ、一人だけ話を付けなきゃいけない人がいるよ。まずはそこからだね」

「分かってます」

 

 そして通信先の相手へと繋がり、空間ウィンドウが表示された。

 

『おお、陽乃よ。待っておったぞ』

「仕事は終わった、星露?」

『うむ、さきほど終わったぞ。まったく虎峰のやつめ。師に対して遠慮をというものをしらん』

「ははは、自業自得じゃないの……待ち人に代わるね」

 

 空間ウィンドウがこちらに移動してくる。

 

『……久しいの八幡。三日ぶりか?』

「……ああ」

『うむ、アスタリスクはどうじゃ?と言いたい所じゃが、それ所ではないようじゃの……何があった?」

「分かるか?」

『儂を誰と思うておる?そのぐらいは一目で分かるわ。いいから言うてみい』

 

 一目で看破された。相変わらずこの新しい妹は察しが良すぎる。

 

「………女の子を一人助けたいんだ。その子はマフィアの連中に追われていたけど、何とか助けることができた。だけど、その子の妹がマフィアに捕まってる……力を貸してほしい」

『なるほどの。陽乃!』

「聞こえてるよ~」

『応援はどれだけいる?もし人手がいるのなら儂が行ってもよいぞ?ちょうど暴れたかった所じゃ』

「いらない、いらない。私一人で充分だよ」

『うむ、そうか。なら任せる。思う存分暴れてよいぞ。あ、ただ死者だけは出すなよ。揉み消すのが面倒じゃからの』

「了解!」

 

 話がトントン拍子に進む。口を挟む隙すらないほどに。

 

「……いいのか?その子はクインヴェールの所属だ。他所の学園の子を助けて界龍に支障はないのか?」

『構わんよ。女子(おなご)を捕まえるような性根の腐った組織なぞ潰れた方が世の為じゃろう。それに……』

 

 星露の言葉が一瞬途切れる。そして柔らかな笑みを浮かべ彼女を言った。

 

『……おぬしが初めて儂に頼みごとをした。叶えるのは家族として当然じゃ』

「…………ありがとう、星露」

『うむ。行ってこい、二人とも!界龍の力を見せつけてくるのじゃ!!』

 

 そして通信が途切れた。

 

「ま、予想通りの展開かな」

「助かります」

 

 陽乃の身体から星辰力が湧き出る。

 

「じゃあ、私が正面から突撃して暴れるから、八幡くんはその間に建物の中に侵入。目的の女の子を探し出して救出するように」

「了解です」

 

 逆に八幡は自身の星辰力を押さえていく。侵入するのに邪魔だからだ。封印が解かれる前までとはいかないが、ある程度は抑える事は出来る。

 

「……あら?」

「どうしました?」

 

 陽乃は八幡の状態の変化に気付く。

 

「八幡くん、その目……」

「目が、何でしょう?」

「いや、星辰力が減少するのと連動して、以前の目に戻っていってるよ」

「……マジすか?」

 

 そして八幡の星辰力の減少が止まった。

 

「何か昔の八幡くんに戻ったみたいだね」

「まあ、腐り目は俺の個性みたいなものですから」

「多分、星辰力を戻したら薄れるんじゃない?その目」

「そうですか?どちらでもいいですよ」

 

 長年付き合ってきた目だ。今更戻った所でどうという事はない。

 

「じゃあ行くよ」

「はい」

 

 そして二人は駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

「あの、シルヴィアさん。大丈夫でしょうか?」

「大丈夫だよ。八幡くんもかなりの実力だし、それに彼が言っていた協力者の実力はあなたもよく知ってるでしょう?」

「…………はい」

「ごめんね。私も動ければよかったんだけど……それはできない」

「いえ、あなたがいなければ妹の場所は分かりませんでした。それだけでも本当に助かりました……後は信じます」

「……ありがとう」

 

 シルヴィア・リューネハイムは有名すぎる。彼女が歓楽街にいるという事実が明るみになれば、それだけでスキャンダルだ。自身の立場が脅かされるだけならまだいいが、バレた場合それだけでは済まない。統合企業財体の手によって姉妹の立場も危うくなるだろう。

 

 だからこそシルヴィアは動けないのだ。

 

 

 遠方から爆発する音が聞こえてきた。

 

「……始まったわね」

「……はい」

 

 爆発はさらに連続して続く。途切れない爆発はさらなる爆音を辺りに響かせ、目を凝らせば遠くに赤い炎が立ち昇っているのが見てとれる。

 

「頼むわね。八幡くん。魔王さん」

 

 

 

 その日の夜、歓楽街にあるマフィア組織が複数壊滅する事態が発生した。

 

 立ち昇る炎と大爆発が連続で起こり組織は大混乱。そして何者かの奇襲を受けたそうだ。

 ただ、そこら中で混乱が巻き起こる中では、相手の人数を把握できるものはいなかったという。

 

 そしてこの異常事態を重く見たのか、ヘルガ・リンドヴァルが率いる警備隊がマフィア組織に突入。脱出してきたマフィアは、人目をはばからず警備隊に助けを求めた。

 

 結果、アスタリスク始まって以来の大捕り物となったが、不思議と死者は一人もいなかったそうだ。

 後日の調査結果で、マフィア同士の抗争という形で決着がついた。だが、不審な点も多く何者かが圧力を掛けたと見る人もいる。

 

 

 そして、この舞台裏で一人の少女が救出された事実を知るものは、殆どいない。

 




風邪が中々治らなかったため、投稿が遅れました。

皆様も体調管理にはご注意ください。

最初の話から色々詰め込み過ぎた気がしますが、ヒロインは早めに登場させたいのでしょうがない。

というわけで、読んでくださった方は大体分かると思いますが、シルヴィアさんはヒロインです。以前からの歌に関しての記述で読めていた人もいましたね。

因みに、オリキャラ姉妹はユリスの親戚という設定です。

……ユリスはヒロインじゃないですよ。一応言っておきますが。

では、次回もよろしくお願いします。


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第十五話 後始末

気付けば12月も終盤。一年も過ぎればあっという間ですね。

誤字、脱字、感想等あれば、よろしくお願いします。



 激動の一日が過ぎ夜が明けた。

 捕らわれの姫は無事救い出され、悪者は退治されて捕まった。

 これが物語の出来事なら、ハッピーエンドを迎えたと言っていいだろう。

 

 ―――しかし物語は現実ではない。

 

 現実は物語のように上手くいくことは少なく、必ずしも結末がハッピーエンドとも限らない。

 仮に結末がハッピーエンドを迎えたとしても、そこで終わりではなく先へと進んでいく。

 

 つまり何が言いたいかというと

 

「だからたまたまだって言ってるじゃん、ヘルガ」

「それで私が納得すると思っているのか?雪ノ下陽乃」

 

 後始末はまだ終わっていないのだ。

 

 

 時は先日の夜へと遡る。

 雪ノ下陽乃がマフィア相手に大暴れを開始し少し時間が経った後、八幡は目的のビルへと辿り着いた。

 ビルの中では何が起こったのか理解できぬまま混乱し、無暗やたらに走り回るマフィアたちの姿が確認できた。そしてその混乱に乗じ、八幡はビルへと侵入を果たした。気配を殺し、星仙術で姿を消した八幡を確認できたものは誰もいなかった。

 

 誘拐犯が人質を取ったとして、監禁する場所はどこになるだろうか?

 それを考え、最初に思いついたのが地下だった。地下への階段はそう時間を掛からず見つかったので、階段を下って探索を開始した。

 

 そして地下一階の一番奥の部屋。ドアの前で見張りらしき男が二名いるのを確認できた。他の部屋には人の気配は全くなかった。恐らく間違いない。

 

 そこで能力発動。相手の影を媒体とし、闇がロープ状に変化し男二人の首を締め上げる。男二人は星脈世代だったが実力は大したことはなく、ほどなくして男たちは気絶した。

 

 見張りらしき二人を無力化し扉の前に立つ。部屋の中へと声を掛けると、数秒の沈黙の後に小声で返事が返ってきた。扉から離れるように伝え、星辰力を込めた蹴りで扉を吹き飛ばす。

 

 部屋の中にいたのは、グリューエルによく似た顔の金色の髪の少女。

 こちらを見詰めるその表情は無表情であり、感情を押し殺しているように見えた。

 

 助けに来たと事情を説明すると、緊張に張りつめた表情が崩れる。そしてこちらの胸に飛び込み、声も出さずに泣き始めた。

 

 そして二人で建物を出て、爆音と炎が周囲を破壊しているのを見届けながら脱出した。助けた彼女をクインヴェールまで送り届けると、校門の入口で待っていたグリューエルは、妹の姿が確認できると走り寄り思いっきり抱きしめた。

 

 そして二人は泣きながらお互いの無事を喜んだ。

 

 そんな二人の邪魔をしては悪いと、無言でその場を後にした八幡は再び歓楽街に戻った。

 現場付近まで来ると、陽乃にやられたと思わしきマフィアの連中が倒れている他、破壊され何とか原型を保っている建物の数々が目に入る。

 

 

 ここまでは問題なかったのだ。

 

 

 突如、轟音が響くと八幡の視界に二人の女性の姿が飛び込んできた。二人は戦闘しながら徐々にこちらに近付いて来る。女性の内一人は雪ノ下陽乃だったが、その後の光景が八幡には驚きであった。

 

 信じられない事に雪ノ下陽乃が近接戦で圧倒されていたのだ。そして陽乃の相手を見て八幡は判断をする。下手をすれば星露並みの使い手だと。

 

 やがて陽乃が吹き飛ばされ八幡の近くに着地する。横目で八幡の存在を確認した陽乃は、にやりと笑い八幡に告げた。

 

「八幡くん、援護!」

 

 陽乃が助けを求めたことにより、相手がマフィアの切り札だと判断した八幡は彼女に直に答えた。

 

「了解!」

 

 そして陽乃に続き、八幡もその女性へと立ち向かっていった。

 

 相手が星猟警備隊の隊長、ヘルガ・リンドヴァルと知らずに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして現在、二人は警備隊の詰め所でヘルガ・リンドヴァルから取り調べを受けている。

 

「いやぁ、二人揃ってやられちゃうとは私達もまだまだだねぇ」

「……すみません」

「はぁ、とりあえず君は悪くない。私のことは知らなかったようだからな。問題なのは私の事を知らせなかったこいつだ」

 

 そう言うとヘルガは陽乃を睨みつける。しかし当の陽乃は気にせず上機嫌な様子だ。そんな陽乃にヘルガはため息を一つ溢し、続きを話し始める。

 

「……さて、もう一度確認するぞ。雪ノ下陽乃。貴様がなぜあの場所にいて、マフィアたちを潰したのかだ」

「だから何度も言ってるじゃん。後輩たちがレヴォルフの連中と揉めてピンチになったから助けに来たって……それに今回マフィアを潰したのはヘルガ達警備隊だよ」

 

 実際にマフィアを捕まえたのは警備隊だ。ある意間違っていない。

 そして陽乃の言葉を直訳するとこうなる。マフィアを潰した功績はそちらに譲る。私たちは無関係だから放っておけと。

 

「……それで納得しろと?」

「その方が丸く収まるでしょ。色んな意味で」

「…………」

 

 押し黙るヘルガ。陽乃の提案に利があったからだ。

 星猟警備隊はアスタリスクにおける警察の立場に位置する。ヘルガはその創始者にして現隊長の地位にあり、数々の事件を解決してきた。

 しかし、そんな警備隊でもマフィアの組織は中々手が出せない。それはマフィア自体が統合企業財体と結びつきが強いからだ。悪事の証拠が見つかっても統合企業財体から圧力がかかり、証拠自体が潰されるというのも日常茶飯事だ。

 

 そのような事態を苦々しく思っているヘルガにとって、今回の事件は渡りに船だ。治安維持を名目にマフィア組織に強行突入することができた。既にマフィアの関係者百人以上を逮捕済み。建物からは悪事の証拠が数々見つかっており、上手く行けば複数のマフィア組織を壊滅させることができるだろう。

 

 それにここまで大騒ぎになれば、さすがの統合企業財体も事態を秘密裏に抹消することは出来ない。正に絶好の機会だ。

 

 そしてマフィア達にとっても、警備隊に捕まったという事実の方が都合がいい。マフィア組織が一人の女子学生に潰されたなど、面目がまるで立たないからだ。

 

「納得してくれるよね、ヘルガ?」

「……まあいい。この件はここまでとする」

 

 渋々了承するヘルガ。そして彼女は八幡の方へと顔を動かした。

 

「君も災難だったな。この馬鹿に付き合わされて」

「まあ、慣れてますから」

「……そうか。苦労してるんだな」

 

 警備隊長に同情された。陽乃の無茶ぶりには此処でも変わらないらしい。

 

「ところで、君は界龍の生徒か?各学園の実力者は大体把握しているつもりだが、君は初めて見るな」

「はい。昨日初めてここに来ました」

「そうか。名前は?」

「范八幡です」

「范?君はもしかして「うちの特待生じゃよ」

 

 幼い声がヘルガの台詞を遮る。

 その声にヘルガは驚く。この場所で聞こえるはずのない声が聞こえたからだ。

 三人が声の方へ振り向くと、范星露と傍に案内と思わしき警備隊の隊員が一人いた。

 

「案内ご苦労」

「は、はい。失礼します!」

 

 星露の言葉に緊張した隊員が返事を返し、そして去っていった。

 

「迎えに来たぞ。八幡、陽乃」

「あら、星露自らお迎えとは珍しい。どういった風の吹きまわし?」

「六花園会議に向かう途中での。そのついでじゃ」

 

 陽乃の質問に軽く答える星露。

 

「范星露!」

「おお、ヘルガ・リンドヴァルか。久しいの」

 

 旧友に対して話しかけるように挨拶する星露。だがヘルガにとってはそうではない。宿敵に遭遇したかのように激しく睨みつける。

 しかし星露はそれに取り合わない。ヘルガを無視して二人を呼ぶ。

 

「行くぞ。二人とも。早く行かねば会議に遅刻してしまう」

「は~い。行くよ、八幡くん」

「は、はい。でも…いいんですか?」

「いいの、いいの。話はもう終わったから」

 

 立ち上がる二人。星露を先頭にその場を立ち去ろうとする。

 

「待て!范星露!」

「何用じゃ、ヘルガ。もう話は終わったであろう?」

「……その件はいい。一つ聞かせろ」

 

 マフィアの件よりも遥かに気になる事があった。

 

「界龍の特待生と言ったな。彼、范八幡とお前はどんな関係だ?」

「八幡と儂か?」

 

 范星露と同じ姓。それに名前を呼んだときの親しげな声。無関係のはずがないとヘルガは確信した。

 

 ヘルガの質問に対し、星露は自身の右手を動かす。

 人差し指以外を折り曲げて自身の口へ持っていくと、星露はそれに答えた。

 

 

「それは秘密じゃ」

 

 

 

 

 

 

 

 警備隊の詰め所を後にした三人は、車中で話をしていた。

 

「だいぶ敵視されていたな……」

「ヘルガのことか?彼奴とは昔戦ったことがあっての。今でも思い出せるぞ。アレは楽しかったのう」

 

 八幡の言葉に笑顔を浮かべる星露。

 ヘルガの様子から判断するに無理やり闘いを挑んだのだろう。

 

「私も見かけたら挑んでるよ。まあ、負けっぱなしだけど」

「……そりゃ嫌われますよ」

 

 師にも弟子にも無理やり闘いを挑まれているのなら、嫌われるのも無理はない。

 

「そういえば星露。今から六花園会議なんだよね?」

「そうじゃよ」

「じゃあ、虎峰どうしたのさ?あの子がいないんだけど」

 

 陽乃は今気付いたとばかりに車中を見渡す。

 普段ならお付きとして一緒に行くはずの人物がいなかったからだ。

 

「倒れたぞ」

「……え?」

「おぬしがヘルガ相手に戦闘したので、迎えに行くと言ったら無言で倒れおった」

「あらら」

「まったく、何が原因か知らぬが倒れるとは情けない」

「………それって心労が原因なんじゃ」

 

 八幡が思わず突っ込みを入れる。

 話には聞いたことがあるが、界龍一の苦労人の名は伊達ではないようだ。

 

「そういえば、さっき言ってた六花園会議って何だ?」

「ああ、説明したことはなかったな。月に一度、各学園の生徒会長が集って行う定例会議の事じゃよ」

「定例会議ね。どんな内容なんだ?」

「そうじゃな。季節ごとの行事や星武祭の進行の確認。それに各学園ごとに議題を提出して多数決による可否と言ったものもあるが、ぶっちゃけ腹の探り合いじゃな。各学園が自分たちに有利になるように進め、牽制しあっておるからのう」

「……俺なら出たくないな。その会議」

「私は結構興味あるけどね。楽しそうだし」

「ほほ、その手の事が好きなものには楽しいがの。見てて飽きん」

 

 そんな話をしながら車は目的地へと進んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 アスタリスクの中央区、商業エリアと行政エリアにホテル・エルナトと呼ばれる超高層ビルがある。

 このビルの最上階にはドーム型の空中庭園が広がり、四季折々の花々が咲き乱れている。

 

 六花園会議は月に一度、六つの学園の生徒会長がこの場所に集い行われている。

 

「すまん。少し遅れたの」

 

 星露が歩きながら庭園の中央部へと向かう。周囲を軽く見渡せる小高い丘の上には、ぽつんと設えられた洋風の四阿。

 そこにはアスタリスクをそのまま縮小したかのような六角形のテーブルが備えてあり、六つの椅子のうち四つが埋まっていた。

 星露は空席の一つの所定の席に座り五つ目を埋めた。

 

「ようこそ、公主。あなたが遅刻とは珍しいですね」

 

 柔らかな笑顔で出迎えたのは、淡い金髪と整った顔立ちの青年、聖ガラードワース学園生徒会長のアーネスト・フェアクロウだ。

 

「さて、全員揃ったので始めようか。皆、忙しい身分だからね」

「まだ一つ席が埋まっておらんようじゃが?」

 

 星露は空席の一つを見ながらアーネストに問う。

 

「アルルカントは欠席すると学園から連絡がありましてね。何でも生徒会長が体調不良だとか」

「はっ、あそこは今内紛の真っただ中だ。来るわけねぇよ」

 

 口を挟んだのはレヴォルフ黒学院の総代 ディルク・エーベルヴァインだ。不機嫌そうに顔を歪めながら吐き捨てる。

 

「なるほどのう。しかし今日は珍しい顔が見られるものじゃ。のう、歌姫殿よ」

 

 納得した星露は、普段は空席となることが多い席へと視線を向け話しかける。

 

「あはは、たまには生徒会長としての義務を果たさないとね」

 

 苦笑しながら答えたのは、クインヴェール女学園の生徒会長 シルヴィア・リューネハイムだ。

 彼女は世界中にツアーに行くため、六花園会議を欠席することが多いのだ。

 

「寝不足か、歌姫殿?何やら疲れた顔をしておるようじゃが」

「……大丈夫だよ。昨日少し慌ただしかったものだから」

「そうか。無理はするなよ」

「え、ええ。ありがとう」

 

 星露はシルヴィアの体調を気遣うが、その事にシルヴィアは驚く。

 星露が他人の心配をするとは思わなかったからだ。

 

 続けて星露はディルクの方へと顔を向ける。

 

「おぬしも寝不足のようじゃの、小僧。目の下に隈が出来ておるぞ」

「ちっ、余計なお世話だ」

 

 ディルクの顔色は悪く目の下には隈が出来ていた。恐らく一睡もしていないと思われる。

 

「………そういえば」

 

 そこで残りの一人。星導館生徒会長のクローディア・エンフィールドが声を上げる。

 

「先日、再開発地区で一騒動あったそうですね。警備隊が動いて、マフィアの方々が多数捕まったと聞いています。レヴォルフのトップであるあなたも、その関係で色々とお忙しいのでは?」

「……関係ねぇよ」

 

 ディルクは無関心とばかりに会話を断ち切り、口を閉じる。

 話し合う気がないと感じたクローディアは、苦笑し別の人に話しかける。

 

「公主にも一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」

「何じゃ、千見の盟主?」

「先日の騒動に界龍の生徒が関わっているとお聞きしましたが、それは事実でしょうか?」

 

 その言葉でわずかに場の空気が張りつめる。

 その場の視線が星露へと集中し彼女の発言に注目が集まる。

 

「事実じゃよ……何じゃ?そんなに驚いた顔をしおって」

「いえ、随分と簡単にお認めになるものだと思いましたので」

「確かにうちの生徒が関わっておるの。まあ、被害者としてじゃがな」

「……どういうことでしょうか?」

 

 クローディアの目が細まる。

 

「うむ、先日転入生を案内しておったうちの生徒が、運の悪いことにマフィア同士の抗争に巻き込まれてしまったの。そこを警備隊に助けられ保護されというのが事の顛末じゃ」

「……こちらがお聞きした話とは随分と違いますね。一人の生徒がマフィアを潰したという情報も入っていますが」

「ガセネタを掴まされたの。先日の一件はマフィア同士の抗争による争い。それが真実じゃよ」

 

 断言する星露。

 クローディアは星露を見詰めお互いの視線が交錯するが、暫くするとクローディアは軽く溜息をする。

 

「……分かりました。ありがとうございます」

「うむ。別によいぞ」

「どうやら話が終わったようだね」

 

 話し終わるのを待っていたアーネストが再び口を開く。

 

「興味深い話題だけどそこまでにしようか。先日の件に関しては、警備隊の方から後日発表があるだろうからね。うん、それじゃあ改めて今日の最初の案件だけど、今年の夏に行われる星脈世代の六花見学会に関してから――――」

 

 アーネストの言葉を皮切りに会議は本格的にスタートした。

 

 

 

 

 

 

 

「……………はぁ」

「どうしたの八幡くん。溜息なんかついて」

 

 六花園会議が行われている中、八幡と陽乃はホテル・エルナトの一室にいた。

 各学園の生徒会長の付き人は最上階に上がることができないので、別室で待機するのが通例だ。

 

 二人がこの部屋に通されてから二時間ほどが経過していた。

 

「……落ち着かないんですよ、この部屋」

「どうして?」

「陽乃さんは慣れてるでしょうけど、一般人にはこんな高級ホテルなんて無縁なんですよ。まったく寛げません」

 

 ホテル・エルナトは各国のVIPや著名人が泊まることが多い。当然、使用されている家具や調度品も今まで見たことがないような高級品ばかりだ。

 

「ははは、そんなの気にしてもしょうがないって」

 

 からからと笑いながら陽乃が答える。彼女は手を動かし、目の前のテーブルに用意されているクッキーを一枚手に取る。そしてそれを自分の口に運ぶ―――ことなく八幡の方へと手を伸ばしてきた。

 

「八幡くん。あ~ん」

「……自分で食べられます」

 

 陽乃のあ~んを拒否する。

 

「ほら、あ~~ん」

「いや、だから自分で」

「いいから、あ~~~ん」

 

 しかし陽乃はめげない。立ち上がり身を乗り出し、テーブル越しに手を伸ばしてきた。

 

「……自分の分は自分で食べます。陽乃さんも自分で取った物は自分で!?」

 

 無理やりクッキーを口に押し込まれた。一度口に入れたものは仕方がない。

 そのままかみ砕くと、サクサクとした触感とほどよい甘みのある美味しいクッキーだった。

 

「美味しい?」

「………はい」

「そう。なら良かった」

 

 にっこりとほほ笑む陽乃。そんな陽乃の笑みに見惚れ、少しばかり頬が熱くなる。

 

「仲睦まじいのぉ、ぬしら」

 

 部屋の入口の方から声が聞こえた。二人がそちらに振り向くと、いつの間にか扉が開いており星露がそこにいた。

 

「待たせたの、二人とも。会議も終わったので界龍に帰ろうと思うたが、その前に客人を連れてきたぞ。二人に話があるそうじゃ」

 

 そう言うと星露は部屋に入る。そして星露の後にもう一人が部屋に入ってきた。

 

「!」

「あらら、これまた予想外の人物のご登場ね」

 

 目にしたのは鮮やかな紫色の髪の少女。

 クインヴェールの制服を着たその人物は、八幡にとっては先日振りの再会だ。

 

「失礼します。急に押し掛けてごめんね。どうしても話したいことがあったから」

「別に構わないけど、どんな用事かしら。シルヴィア・リューネハイムさん?」

 

 クインヴェール生徒会長 シルヴィア・リューネハイムの登場だ。

 

「先日の件でお礼を言いにきたの。星露に話をしたら、お二人が此処に来ていると聞いたものだから」

「ああ、その件ね。え~と、シルヴィアちゃんでいいかしら?」

「はい。私の方は陽乃さんとお呼びしても?」

「それでいいわ。その件なら別に気にしなくてもいいわよ。私はただ手伝っただけだし……でも、そうね。お礼をいいたいのなら彼に言ってくれるかしら。彼の頼みがなければ私は動かなかったわ」

 

 陽乃から八幡の方へと話が振られた。陽乃の言葉に納得すると、シルヴィアは八幡の方へと歩み始めた。

 座ったままでは失礼だと八幡を椅子から立ち上がると、シルヴィアは八幡の近くまで来ていた。

 

「こんにちは」

「……こんにちは」

 

 始めは挨拶から。

 

「改めて、うちの生徒を助けてくれたことにお礼を言わせて。君がいてくれたからあの二人を無事に助けることができた。本当にありがとう」

「あの二人は大丈夫だったか?」

「ええ、二人とも何の問題もなかった。君のおかげだよ」

 

 シルヴィアは嬉しそうに笑った。

 自身の所属する生徒が助けられたことが本当に嬉しく、そこには偽りの感情はまったく感じられない。

 

「そう言えば自己紹介してなかったね」

「……そうだな」

 

 お互い名前だけは知っている。

 しかしあの夜に出会ったことは秘密のため、対外的には初対面だ。

 

「私の名前はシルヴィア・リューネハイム。君の名前を教えてもらってもいいかな?」

 

 シルヴィアは柔らかな笑顔で自己紹介すると、その手を差し出してきた。

 

 こちらを見詰める紫の瞳とその嬉しそうな笑顔。

 テレビの向こうだけに存在したシルヴィア・リューネハイムが、今自身を見つめている。

 

 昨晩は色々と緊迫した展開のため気にならなかったが、改めて本人を目の前にすると緊張してきた。

 

 躊躇いながらも差し出された手を握る。

 至高の歌姫、世界最高のアイドル。そう呼ばれた彼女の手は温かく、そして驚くほどに柔らかかった。

 

 だが、生徒の安否に一喜一憂し、今喜びに満ちた彼女の表情を見ると、シルヴィア・リューネハイムもただ一人の女の子なんだと何となく思えた。

 

 その事実に心が揺さぶられる。胸の奥に何かを感じる。何故かは分からないが動揺し頬が熱くなる。

 

 

 その結果―――

 

 

「范八幡でしゅ」

 

 

 噛んだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、シルヴィアと軽い雑談をした後に別れることになった。彼女自身はとても忙しく、今回の対談も無理を言って時間を空けたそうだ。

 

 そして別れる間際に、八幡と陽乃はシルヴィアからプライベートアドレスを受取ることになった。

 

 ――――いつでも連絡して。忙しいときはすぐに出られるか分からないけど。

 

 悪戯っぽい笑みがとりわけ印象に残った。

 

 そして三人は車で界龍に向かうことになったが、その移動中に日が暮れて時刻は夕方となった。

 車中から西の水平線を見ると、日が沈む太陽と共に赤く染まった雲が夕焼け雲として広がっている。

 

「もうすぐ界龍に着くぞ、八幡」

「やっとか。何だかえらく長くかかった気がするな」

 

 本来なら先日中に到着する予定だったが、トラブル続きにより大幅に遅れてしまった。

 

「さて、界龍に到着したらどうするの星露?もう結構遅い時間帯だけど」

「ふーむ……とりあえず、主だった面子に八幡を紹介するとするか。陽乃、頼むぞ」

「分かったよ。連絡しておくね」

 

 そして二十分後、八幡達は界龍第七学院に到着した。

 

 界龍第七学院の外観は、アスタリスクの六学園で最も特徴的だ。

 敷地全てを中華風の建造物が埋め尽くし、まるで迷宮のようにそれらが全て回廊で繋がっている。建物と建物の間には風雅な庭園や巨大な広場が点在し、地図がなければ自分がどこにいるのか分からなくなるほどだ。

 

「見られてるな……」

 

 星露を先頭に校内を歩く三人だが、道行く人の注目の的となっていた。

 界龍序列一位の范星露に序列三位の雪ノ下陽乃。界龍が誇る二人が一緒の上、見慣れぬ人物が同行しているのでは無理もない話だが。

 

 だが星露と陽乃は特に気にせず歩いていく。二人にとってはいつものことなので特に気にする様子もない。八幡は遅れずに二人に付いて行く。

 

 そして目的地であろう一つの建物に到着した。二人の後に続き中へと入っていく。

 建物の中は広々とした空間が広がっていた。壁際には個々の備品であろう大量の煌式武装が備え付けられていた。どうやらここは道場らしい。この広さなら、百人以上が一斉に鍛錬を行ったとしても何の問題もないだろう。それ程の広さだ。

 

 そして道場の中央に十人ほどの人が待機していた。三人が近付くとその中の一人がこちらに話しかけてくる。

 

「お待ちしてました、師父」

「うむ、出迎えご苦労……虎峰、おぬし倒れておったが大丈夫なのか?」

「……はい、何とか」

 

 虎峰と呼ばれた人物が返事を返す。しかしその顔色はすこぶる悪い。

 

「お帰りー陽姉。心配したよー」

「ただいま、セシリー。いやーヘルガは強敵だったよー」

「あはは、師父の言った通り本当に警備隊長と戦ったんだ。で、勝ったの?」

「まさか。二対一で挑んだけど勝てなかったよ。私も修行が足りないわ」

「二対一?一人じゃないんだ?」

 

 セシリーの視線が八幡の方へと向かう。

 

「もしかしてそこの彼と一緒に?」

「ええ、そうよ」

「へー転校生が来るって聞いてはいたけど。転校初日に警備隊長に挑むなんて凄いねー、君」

「……なりゆきです」

 

 感心するセシリー。しかしそれに関しては、なりゆきとしか答えようがなかった。

 陽乃的には絶対に確信犯だっただろうが。

 

「……あれは雪ノ下大師姉に巻き込まれた口ね」

「……ああ、恐らくね。気の毒に」

 

 遠巻きに見ていた双子が八幡に対して小声で同情する。

 

「さて、皆もこやつの事が気になっておるじゃろうから、自己紹介をすませるか。八幡」

 

 八幡が一歩前に出て挨拶をする。

 

「えー界龍に転校してきました、范八幡です。よろしくお願いします」

 

 シルヴィアの時と同じミスはしない。気を付けていたので何とか噛まずに言えた。

 八幡の挨拶に驚く一同。それは聞き覚えのある名字が聞こえてきたからだ。

 

「……范?」

「うむ、そうじゃ。ちなみに儂の兄じゃ。皆、仲良くしてやってくれ」

『……………え?』

 

 ありえない言葉が耳に飛び込んできた気がした。全員が自身の耳を疑う。

 そして一瞬の沈黙の後にそれは起こった。

 

『えぇぇぇー!!』

 

 複数の驚きの声が上がった。

 

「ど、ど、どういうことですか、師父!」

「へー師父の家族なんだーよろしくー」

「星露はんの家族ですかぁ。初耳どすぇ」

「……兄?あの師父の?」

「……似てないわね」

「…………師父の」

 

 驚く者、受け入れる者、疑問に思う者。その反応は様々だった。

 そして星露の出自を知る者の驚きは特に大きかった。

 

 

 ――――范星露に身内などいるはずがないのだから

 

 

「うむ、驚いているようじゃな。次に皆の紹介もしようと思ったが」

 

 周囲の反応に満足する星露。

 

 しかし

 

 

「――――気が変わった」

 

 

 不意打ちといわんばかりに、星露は八幡に襲い掛かった。

 

「っ!どういうつもりだ、星露」

「うむ、防ぐか。鍛錬は怠っておらんかったようじゃな」

 

 いきなり放たれた星露の拳を八幡は掌で受け止めていた。

 その反応に星露もご満悦だ。

 

「……三ヶ月も待たされたのじゃ。もう我慢できん!」

 

 星露から威圧感が放たれる。空気が淀み、その圧倒的な威圧感は八幡のみならず周囲にも襲い掛かる。

 無事なのは序列最上位、武暁彗、雪ノ下陽乃、梅小路 冬香の三名のみだ。

 

「皆もおぬしの実力を見たいじゃろう。今の全力を見せてみよ!」

「………はぁ、分かったよ」

 

 言葉では止まらない。この状態の星露は満足させるまで相手にするしかないのだ。

 八幡は溜め息をつきながら自身の星辰力を解放する。

 

「!これはっ!」

「おー!これは凄いねー」

「あらあら、まあまあ」

 

 周囲の驚きの声が聞こえた。だがそこに意識を持っていかず、目の前の相手だけを見据える。

 そうしなければ一瞬で倒される!

 

「行くぞ、八幡!」

「お手柔らかにな!」

 

 そして両者が激突した。

 




今回は界龍到着までのお話でした。

次からしばらく日常回の予定。

では、次回もよろしくお願いします。


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第十六話 界龍での日常 木派と水派

お久しぶりです。

一月下旬にインフルエンザに掛かり一週間寝込んでいました。
初めて掛かりましたが、辛かったです。

後、コードギアス 復活のルルーシュを見てきました。
最高でした。見てない人は是非見て下さい。

誤字、脱字、感想等あれば、よろしくお願いします。



 壁に掛けられた時計が針を刻むと、突如辺りにチャイムが鳴り響く。

 それに反応し教師が授業の終わりを告げる。次に簡単な連絡事項を話すと、教師は教壇を離れ一日の授業が終わりとなった。

 そして生徒たちから喜びの声が上がり、皆周囲の友人たちと雑談を話し始めた。

 

 学戦都市アスタリスクは戦うための都市だ。六校ある学園に所属する生徒は各々の望みを叶えるため、鍛錬を積んで星武祭に挑戦する。それ故に、何も知らない部外者はアスタリスクの生徒は常に戦いだけをしているイメージが強い。

 しかしそれは誤解である。生徒達も学生であるために一日の始まりは授業から始まる。国語、数学、社会といった一般教養はどこの学園でも変わらないが、専門とされる内容は学園ごとに特徴的だ。

 

 例えばクインヴェール女学園は一言で言うとお嬢様学校だ。所属する生徒も貴族に連なるお嬢様が多く、作法や礼儀といった特殊な社会で必要な事項を学ぶことは必須だ。これは学園は違えど、聖ガラードワース学園も同様の事がいえる。

 

 そして多くの生徒が所属するがゆえに、生徒たちも千差万別の考えを持っている。戦いを好む者と嫌いな者。己を鍛えることだけに執着する者。力に酔いただ暴れることだけをよしとする者。研究だけのために学園に所属する者。本当にバラバラだ。

 星脈世代も一人の人間なのだから、その辺りは星脈世代も非星脈世代も何ら変わりない。

 

「八―――。―――八幡!」

「………ん?」

 

 声がかけられ意識が覚醒する。完全に眠っていたわけではないが、終わりの授業が数学だったため、半分聞き流して仮眠している状態だった。

 目を開けると目の前には一人の女―――男性がいた。

 同じクラスメイトである彼の名は趙虎峰。星露の四番弟子にして木派を統括する拳士である。

 

「……すまん、何だ?趙」

「もう!聞いてなかったんですか?授業、終わりましたよ」

 

 辺りを見渡す。授業が終わり雑談する生徒や何処かに出掛ける生徒達の姿が見える。

 

「その様子だと眠っていたようですね。はい、これ」

 

 虎峰は一冊のノートを差し出す。恐らく今行われていた授業のノートだと思われる。

 

「……いいのか?」

「いいですよ。ただし交換条件です」

 

 ふふんと笑いながら虎峰は言う。

 

「今日は師父との鍛錬はお休みでしたよね。だったら僕と一緒に木派へ「だーめー!」

 

 横から声が掛かり何かが飛び込んでくる。そしてそのまま虎峰へと抱き着き、動きを封じた。

 

「八幡はこの後私と一緒に水派へ行くのー」

「……セシリー」

 

 飛び込んできたのは同じくクラスメイトのセシリー・ウォン。星露の三番弟子にして水派を統括する道士である。

 二人は八幡へと振り向くとアピールを始める。

 

「うちの門下生が八幡と手合わせしたいと言っています。日本刀を使う生徒は界龍には少ないですし、それを抜きにしても八幡ほどの使い手と鍛錬すると僕もやる気が出ます。是非木派に」

「それを言ったら水派の方がいいよー。師父だって星辰力コントロールの修行が大事だって言ってたじゃん。それに星仙術だったら私でも色々と教えられるよー」

 

 二人がお互いに利点を話すが、両者とも同時に話すので八幡には聞き取ることが出来なかった。

 それに気付いたのか、二人は互いを睨みつける。

 

「……セシリー。ここは僕に譲ってくれませんか?というか放してください!」

「駄目だよー。この前は譲ったんだから今日は水派だよ。このままズルズルと木派に所属させる気でしょ?ここは譲れないなー」

 

 二人はくっついたまま言い争いを始める。当事者の八幡は置いてけぼりとなった。

 

「ふぅ、何でこうなったのやら?」

 

 ぽつりと呟く八幡だが、これには原因がある。

 

 八幡が界龍へと到着したその当日。星露に案内され、道場で彼女と戦うことになったのはもう二週間前の出来事だ。

 奇襲を何とか防ぎ、その後、全力を以って彼女と戦った。まあ一撃も入れることが出来ずに敗北という結果に終わったのだが。

 

 だが、その戦闘の模様が木派と水派に目を付けられる結果となった。

 普段は仲の良い虎峰とセシリーだが、二人は木派と水派を統括している立場だ。優秀な人員がいれば勧誘するのは当然の事である。

 ましてや、范星露の身内で彼女のお墨付きとあれば引く道理はない。

 

「……あなたも大変ね」

「まあ、見てて飽きないけどね」

 

 そこに別の人物たちから声が掛かる。

 そちらを見ると、隣のクラスである黎沈華と黎沈雲の兄妹がいつの間にかそこにいた。

 

「俺はどちらでもいいんだがな……」

 

 木派にしろ水派にしろ学ぶ事はいくらでもある。

 本日の星露との鍛錬は休みなのでどちらでも構わない。

 

「なら話は簡単だ」

「そうね」

 

 双子は八幡の両肩にそれぞれの手を置く。

 

『水派にいけば解決だよ』

「お前たちもか……」

「こら、そこ!」

 

 双子の勧誘に気付いた虎峰が声を上げる。

 

「何を勝手に話を進めているんですか!」

「いいぞー二人とも!そのまま連れていっちゃえー」

「ふふ、悪いね。趙師兄。そういう事だから」

「彼は私たち水派が頂くわ」

「そんなのは認めません!」

 

 不敵に笑う双子に対し虎峰は抵抗の意志を見せる。

 

「そもそも、何故あなた達双子が八幡に絡んでいるのですか!」

 

 虎峰が叫ぶ。双子が他者に自ら関わるなど、これまではなかったことだ。

 

「ふっ、それは簡単だよ。趙師兄」

「それは、彼が私たちの同士だからよ!」

 

 虎峰の問いに沈華が断言する。

 

「同士、ね」

 

 その言葉に八幡は先日の出来事を思い出した。

 

 

 

 

 

 

 

 それは転校初日の挨拶の後。星露との戦闘に見事に敗北した後、八幡に主要メンバーの紹介が行われることになった。

 武暁彗、趙虎峰などのその場の面子の紹介が進んでいき、残りは双子だけとなった。

 

「……黎沈雲だ」

「……黎沈華よ」

 

 同じ背格好でよく似た顔立ちをした二人が淡々と自己紹介をする。

 その名前に反応し思わず二人を見つめる八幡。とある理由があったからだ。

 

「……何?」

 

 じっと見つめられたのが気にかかり、黎沈華が問いかける。

 

「ああ、すまん。二人のことは前に聞いたことがあったものだから」

 

 そう言うと、八幡はとある方向へと顔を向ける。釣られて双子もそちらの方向を振り向く。

 そこには笑顔で手を振る雪ノ下陽乃の姿があった。

 

 雪ノ下陽乃の姿と八幡のこちらを気遣う表情を見て双子は悟る。

 

 

 ――――ああ、この人は私たちと同じだと

 

 

 次の瞬間には、双子の手が八幡の両手を掴んでいた。

 

「私たち仲良くなれると思うの!」

「ああ!僕たちはきっと分かり合える!」

「……苦労してるんだな」

 

 三人は思った。人は分かり合えると。何も喋っていない。何も伝えてはいない。だが、それでも理解することが出来るのだと。

 

 それは

 

「三人とも。えらく仲がいいね?」

 

 雪ノ下陽乃の被害者としてだ。

 

 きょとんとした表情でこちらを見る陽乃には分からないだろう。否、分かるとこちらの身が危険となるので、分かってもらっては困るのだが。

 

 ともかく

 

『同じ学友としてよろしく頼むよ、同士八幡』

「……ああ」

 

 そんな感じの自己紹介だった。

 

 

 

 

 

 

 

 八幡の目の前で虎峰とセシリー、そして双子の口論が今なお続いている。お互いに自分の意見を譲らず平行線を保っているので、このままでは決着がつきそうにない。

 

「…………む」

 

 そこで覚えるのある気配が接近するのに気付いた八幡。

 

 次の瞬間

 

「八幡はおるかー!」

「八幡くんいるー!」

 

 教室の別々の出入り口から范星露と雪ノ下陽乃が同時に姿を見せた。

 二人はそれぞれの声に気付き互いに視線を交わす。

 

 教室中に緊張が走る。

 

「む、陽乃。八幡に何用じゃ?」

「え、暇だったら一緒に鍛錬しようと思って来たんだけど。星露こそ、今日の鍛錬は休みじゃなかったっけ?」

「気が変わった。今日も儂に付き合ってもらう予定じゃ」

「……なるほど、そういうことね。虎峰!」

「は、はい!何でしょうか?」

「八幡くんは何処?」

「え?八幡ならそこにって……いない!?」

 

 虎峰の視線の先に八幡の姿はない。虎峰の声に反応し周りの人達も周辺を探すが見当たらない。ほんの数秒前までそこにいたはずなのに完全に姿を消していた。

 

 星露と陽乃が八幡の気配を探す。

 

「うーーん……そこね!」

「ふむ……そこじゃ!」

 

 二人は気配を探し、そして僅かな違和感を見つける。瞬時にその場に移動し何もない空間に触れる。するとその空間から八幡の姿が現れた。その場所は窓から近い場所だ。どうやら透明になりながら移動していたようだ。後数秒経っていたら窓から脱出をしていただろう。

 

「………なぜバレた?」

「隠形に関しては合格じゃ。しかし移動の際に僅かに気配が漏れておったぞ。それでは儂らを誤魔化すことは出来ん」

 

 振り向く八幡ににっこりと笑う星露。星露と陽乃の二人に制服を掴まれている。これでは逃亡は不可能だ。

 

「さて、どうして逃げようとしてるのかな、八幡くん?」

「いや、二人揃ってとか嫌な予感がしないんですが?前みたいに一度の複数相手とか絶対無理ですから」

 

 最近の鍛錬を思い出す。二人で鍛錬するのは特に問題ない。しかし陽乃と星露が合わさると別問題だ。両者揃ってこちらに掛かってきたり、弟子の武暁彗やアレマ・セイヤーンを加えて同時に相手をするなど、無茶ぶりにも程があるからだ。

 

「ふむ、なるほど」

「それもそうね」

 

 星露と陽乃は向き合う。お互いに威圧感を放ち周囲の生徒は問答無用で巻き込まれる。誰もが動く事ができず二人の様子を固唾を呑んで見守る。

 

「さて陽乃。儂が八幡の相手をするからおぬしは引っ込んでおれ」

「えー、いっつも星露ばっかり相手にしてずるい。私だって八幡くんの相手がしたい」

「こちらが譲る道理はない。大人しくその手を放せ」

「……譲らない、と言ったら?」

「………仕方がないのう」

 

 両者の威圧感がさらに増す。その威圧は場の空間が歪んだと誤認させるほどに凄まじいものだ。

 そして星露と陽乃が互いに集中しぶつかると思われたその瞬間

 

 ――――八幡が一瞬の隙を付き窓から飛び出した。

 

『あっ……』

 

 教室中の人が窓の方を見つめていた。虎峰が、セシリーが、双子が、クラスメイトが。

 そして彼らは次に残された星露と陽乃を見る。窓の方を見て少しだけ動きを止めていた二人だが、次の瞬間には

 

「待つのじゃ、八幡!」

「待ちなさい、八幡くん!」

 

 八幡と同じく窓を飛び出し彼を追いかけていった。

 星露と陽乃がいなくなったことにより、重圧から解放された生徒たちは思わず息を吐く。

 

「……今日は無理ですね」

「……そうだねーでも次は水派だからね、虎峰」

「……分かりましたよ」

 

 先程までの喧噪が嘘のように周りは静かになる。毒気を抜かれた二人はもう苦笑することしか出来なかった。

 あの様子では今日八幡を誘うのは無理だろう。

 

「えーい!しつこいぞ、陽乃!」

「八幡くんの前に星露からだよ。出番だよ、アレマ!」

「星露ちゃん覚悟!」

「よいぞ!まとめて掛かってくるがよい!」

「…………はぁぁ」

 

 結局この日は大乱闘で一日が終わりを告げる。

 後日の相談の結果、水派、木派の順に八幡が訪れることで決着がついた。

 

 

 

 

 

 

 

 集中、集中、集中。

 

 己の中にある星辰力を引き出し身体に纏わせる。次いで、右腕、左腕、右足、左足、身体の一部へと順番に星辰力を集中していく。

 力は強く、細かく、流れるように。そして指の一本一本へ微細に渡らせ、留め、そしてまた流す。それを順に何度も行う。

 

 星辰力とは星脈世代が持つ特殊なオーラだ。星辰力のコントロールは星脈世代の基本技術であり、星辰力を利用することで攻撃力や防御力を増加させることができる。星辰力が強ければ強いほど基本的に戦闘において有利となる。如何に強い能力や煌式武装を持っていたとしても、星辰力の差が星脈世代にとって絶対的な差であることに変わりはない。

 

 王竜星武祭の覇者、オーフェリア・ランドルーフェンは史上最強の魔女と呼ばれている。だがそれも能力だけではなく、無限ともいわれる星辰力を持っているからこそ、彼女はそう評されている。

 

「…………足りない」

 

 八幡はぽつりと呟く。以前より星辰力の制御は出来ている。数か月と比較すればそれは顕著だ。

 だが足りない。己の中から飛び出したあの時の星辰力を。周囲の万応素を喰いつくそうとした闇の能力を。全てが解放され、暴走したあの時の感覚を思い出せば、絶対に足りないと断言できる。

 

 星辰力を循環させたコントロール。それが今行っている修行の名称だ。

 己の星辰力を限界まで引き出し、身体の隅々まで流し制御する。それを身体の部位毎に行い、循環させながら何度も繰り返すのだ。

 

 足りないのは制御力だ。自分の中に眠る膨大な星辰力と、暴走の切欠となったあの能力をコントロール出来るほどの制御力。今使用できる能力などあくまで一部だ。力に呑まれ、暴走するなど二度とあってはならない。

 

 ――――おぬしなら必ず出来る。その日が待ち遠しいのう。

 

 今制御できる自信は欠片もない。だが必ず出来ると星露は言った。自身を信じられなくとも、あの妹の言う事は信用できるし、信頼もしている。だからそれに応えたい。

 

「…………ふぅぅ」

「お疲れー」

 

 一時間ほど続けた後、星辰力を戻す。するとそこに声が掛かる。横を見るとセシリーがちょこんと座りながらこちらを見ていた。

 

「はい、どうぞ」

「ああ、すまん」

「気にしない、気にしない。いいものを見させてもらったお礼だよー」

 

 見守っていたセシリーからタオルとスポーツドリンクが差し出された。そこで気付いたが顔中汗まみれになっていた。よほど集中していたのか、セシリーがこちらを見ていたのにも気付けなかったほどだ。

 タオルで汗を拭きドリンクを飲む。冷たく甘いドリンクは疲れた身体を回復させてくれる。

 そして飲み終わった際に気付く。この道場にいる生徒の視線が己に集中している事に。疑問に思いセシリーに問う。

 

「なんでこんなに見られてるんだ?」

「そりゃそうだよ。アレだけの星辰力を循環させ、尚且つそれを長時間制御するなんて芸当、出来る人は少ないよー。私だって無理なんだから」

「そうか?陽乃さんなら普通に出来るだろう?それに大師兄や星露だって」

「いや、あの人達を基準にしたら駄目だって」

 

 真顔で忠告するセシリー。きょとんとした顔をする八幡を見て彼女は思う。八幡が制御していた星辰力は、彼女自身の星辰力とほぼ同等の量になっていた。それだけの星辰力を出し、長時間制御するのは自身には不可能だ。出来るとすれば学園でもほんの一握りの人物だろう。

 

 ――――そこら辺は無自覚なんだ。陽姉の言っていた通りだねー。

 

 雪ノ下陽乃はセシリーに語っていた。彼の自己評価は恐ろしいほど低いと。どれだけ凄いことをしても当たり前の様に受け止め、時には卑下し、自身の功績すら誇らないと。

 

 師父である星露から兄と紹介された范八幡。彼を水派に招いたのはやはり正解だった。本人には自覚がないだろうが、彼の努力している姿は他者に刺激を与える。その結果、他の生徒達も以前より遥かにやる気がまし、鍛錬にも熱が入っている。水派を統括する身とすれば歓迎できる話だ。

 

「さて、と」

「休憩は終わり?」

「……ああ」

「よし、じゃあ私の出番だね」

 

 そう言うとセシリーは自らの前に空間ウィンドウを複数開く。

 映し出されているのは界龍の生徒たちの姿だ。

 

「さて八幡。復習だよ。星仙術とはどんなものかな?」

「界龍が開発した万応素のコントロール技術で、扱う人は道士と呼ばれる。魔女や魔術師は基本的に一つの能力しか使えないが、星仙術は技術としてある程度汎用化してるので鍛錬次第で複数の能力を使用可能。ただし、魔女や魔術師の才能がなければ使用することが出来ない、と言った所か?」

「うん、概ね正解だね。捕捉するなら複数の能力を使用できるけど、個人によっては差が出来ることかな。その人の才能によって使用できる能力は大きく変わってくるよ。得意な能力は人それぞれだからねー」

 

 空間ウィンドウの生徒達が動き出す。それぞれが呪符を取り出し様々な能力を発動させている。

 

「ウォンは何が得意なんだ?」

「私は雷かな。武器に纏わせて使用したり、遠距離からの広範囲攻撃に使ったりしてるよ」

「なるほど、便利だな」

「八幡は星仙術はどのぐらい出来るんだっけ?」

「一応空を翔けることは出来るぞ。最初に習ったのがそれだったからな。後は能力の補助や拘束技ぐらいか。最近はひたすら模擬戦をしたり、星辰力コントロールの修行をしてるから習ってないが」

「……空を翔けるのが最初なんだ。初心者に習わせる技じゃないねー」

「そうなのか?」

 

 八幡の返しにセシリーは苦笑しながら頷く。そして同時に、師父の八幡に対する期待の大きさに改めて気付かされる。

 転校初日の師父との戦闘で八幡が飛べるのは目撃した。自由に室内を飛び回るその姿は、星露や大師兄、雪ノ下陽乃ほどではないが、かなりの完成度だった。

 そして後日、星露から話を聞かされセシリーは驚愕した。八幡が本格的に修行を開始して僅か三か月しか時が経っていないというのだ。それが本当なら恐るべき才能だ。

 

 師父の意図を考える。模擬戦ばかりをしているのは足りない戦闘経験を増やすため。星辰力コントロールを重視するのは能力の制御のためと思われる。師父の話が本当なら星辰力も能力も未だ発展途上という話だ。

 

 ならば自分が為すべきことはそれ以外の分野だろう。

 

「とりあえず星仙術もイメージが大事だから、色々と考えてみるといいよー」

「イメージ……能力と一緒か?」

「そうだね。ただ、星仙術は能力よりも応用できるよー。うちで言えば双子の二人は幻惑系が得意だし、陽姉は炎系の攻撃術や補助系かな。後は知ってるかもしれないけど、師父や大師兄は色んな属性を呪符なしでも星仙術が使えるよー」

「……呪符なしか。アレは凄いよな」

「呪符なしで術が発動出来るのは師父と大師兄だけだよ。陽姉はもう少しで出来るって言ってたけどね」

「そうか。あの人も大概だな」

「八幡も同類だと思うけどなー。陽姉に聞いたよー。一対一で負けたって」

「そんな事まで話してたのか、あの人は……あれは反則勝ちみたいなもんだ。今勝負したら普通に負ける」

「へーそうなんだー。でも陽姉言ってたよ。八幡は絶対強くなるって」

「まあ、目標があるからな」

 

 遠い目をして八幡は語る。その目に映る目標は誰なのか。セシリーには分かる気がした。

 

 范八幡。突如現れたその人を星露は自らの兄だと紹介した。血は繋がっていないらしいが二人はとても仲が良い。二人でいる所を遠目に見たことがあるが、その姿は兄に甘える妹。もしくはその逆で、姉に甘える弟のようにも見える。実年齢を考えれば後者だろうか。

 八幡が来てからの星露は常にご機嫌だ。毎日楽しそうに八幡を鍛え暴れ回っている。少し前まで元気がなかったので、弟子としては師父の喜ぶ姿が見えて何よりだ。

 

 ただ、セシリーには一つ気がかりな事があった。家族である星露と、元々の知り合いである雪ノ下陽乃。それ以外の人物と話すときの八幡に何処か壁を感じるのだ。嫌われているわけではない。避けられているわけでもない。ただ、話すこと自体に遠慮しているというか、酷く言えば怯えているようにも感じられるのだ。

 

 ――――まあ、星脈世代には色んな過去があるからねー。聞くのは野暮ってもんかな。

 

 誰にだって話せないことはある。短い期間しか共に過ごしていないが彼は界龍の仲間だ。強さを求め努力するその姿は好ましいものがあるし、教室でめんどくさそうに対応している性格も別に嫌いではない。

 

 いつか気兼ねなく話せる仲間へと。そんな風になれたらいいと思う。

 

「よーし!じゃあ続きをやろっか。界龍の道士の動画はいっぱいあるから、それを見て星仙術の参考にするといいよ。分からない所は私が教えてあげる」

「……いいのか?ウォンも自分の鍛錬があるだろう?」

「いいの、いいの。せっかく水派に来てくれたんだからね。教えてあげるのが私の役目だよー」

「…………じゃあ、頼む」

「うん、任せて!」

 

 笑顔で話すセシリー。その裏表ない言葉に動かされたのか、八幡も素直に頼むことにした。

 そして両者は座りながら動画を見始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 振り下ろされた刀と突き出された拳が衝突し、互いの武器が弾けあう。刀を持つ少年は弾かれた刀の勢いを殺さず、身体を回転させ次の一撃を放つ。

 それに対し、もう一人の少年は脚部に込めた星辰力を活かして高速移動。刀の有効射程から即座に離脱する。お互いの距離が離れた二人は、動きを止め互いを睨む。

 

「……速いな、趙」

「八幡こそよく付いてきますね。ですが!」

 

 范八幡と趙虎峰。二人の模擬戦は片方が優勢となっていた。

 両者の戦闘スタイルは似ている所がある。八幡の刀藤流はスピードを生かし、手数をもって相手を制する。

 

 それに対し虎峰は――――

 

「くっ!」

「反応が遅れてますよ!」

 

 瞬時に背後に回られ、放たれた拳を振り向きざまの一撃で辛うじて防ぐ。しかし次の瞬間には虎峰は目の前から姿を消す。何とかその軌道を目で追おうとするが捉えきれない。星辰力の動きを感じ取り、それを頼りに身体を動かす。

 しかし模擬戦は現在二十戦目。疲労が溜まり、長時間戦闘が続くにつれ、徐々に身体の反応が遅れていく。

 

 ――――反応出来ない!

 

 虎峰の高速移動に八幡は苦戦していた。

 

 趙虎峰は木派きっての稀代の拳士だ。彼は星仙術を使えない。星仙術に対する才能がこれっぽちも無かったからだ。だがその実力を疑う者は界龍には存在しない。

 

 界龍独自の洗練された体術もそうだが、それ以上に厄介なのが脚部に込められた星辰力である。繊細な星辰力コントロール技術により、脚部に留めた星辰力が爆発的な速度を生み出しているのである。

 

 星辰力量だけでいえば今現在の八幡は虎峰より上である。星露との修行でも星辰力コントロールを最優先に行い、星辰力を集中しての高速移動も一応取得済みだ。しかし虎峰ほどのスピードを出すまでには至っていない。

 模擬戦序盤では虎峰の動きに何とか競り合うことが出来ていたが、中盤から終盤になるにつれ動きが鈍り反応速度が格段に落ちていった。

 

 如何に八幡に才能があるといっても彼の戦闘者としてのブランクは長い。その錆び付いた身体では幼い頃から鍛え続けている趙虎峰を、界龍第七学院序列六位 天苛武葬を長時間相手にするには荷が重すぎた。

 

「っ!」

 

 正面からの虎峰の一撃を刀で受け止めるも、その衝撃を殺せず身体ごと後方に吹き飛ばされる。空中で体勢を整え、左手で床に手を付きながら両足で踏ん張り何とか着地する。

 顔を上げ虎峰の方を見て―――そして気付く。

 

「よく防ぎます。ですがこれで!」

 

 虎峰の両手に星辰力が集中している。界龍の拳士特有の現象だ。拳に込められた星辰力の一撃は流星闘技にも匹敵する。

 八幡は身体を起こし体勢を整える。そしてそれを待っていたかのように虎峰が動く。

 

「いきます!」

 

 小細工なしの真っ向勝負。脚部に込められた星辰力を利用し、初速から最高速に近いスピードで虎峰が急接近。

 

 回避は――――不可能。

 

「はぁぁぁっ!」

 

 八幡は残りの星辰力を振り絞り迎撃を選択。横薙ぎに振られた刀が虎峰へと放たれる。虎峰を沈めるだけの威力が込められた一撃が彼へと迫る。

 

 しかし虎峰の対応が上をいく。前傾姿勢を深くし潜り抜けるように八幡の一撃を回避。頭上を刀が通過する。

 もう八幡の攻撃手段はない。そう確信した虎峰は脚部の星辰力を活かして加速。八幡の懐へと侵入する。

 

 そして止めの一撃を放つべく星辰力を右拳を繰り出し―――――

 

 

 ――――頭部に何かの衝撃を受けそのまま吹き飛ばされた。

 

 

「っ!何が!?」

 

 虎峰は吹き飛ばされ倒れそうになる。しかし飛ばされながらも両手を床につけ、手の力だけで跳躍。空中で身体を回転させ見事着地する。そしてそのまま後方へとジャンプし、八幡から距離を取る。自身が受けた攻撃の種類が分からなかったからだ。

 虎峰は体勢を立て直す。しかし頭部に痛みが発生し、同時に立ち眩みを起こす。先程の攻撃の影響だろう。自身の視界が揺れているのを虎峰は自覚した。

 

 虎峰の星辰力を活かした高速移動。一見弱点がないように見えるが実はそうでもない。星辰力を脚部に留めなければならない性質上、その発動には極度の集中力を必要とする。何らかの攻撃を受け、星辰力が乱れてしまうと高速状態は解除されてしまうのだ。

 勿論、星辰力を集中すれば再度の発動は可能だ。しかし頭部の傷の影響で集中力が乱れている。先程までのスピードを保持するだけの星辰力の集中は現状では困難だ。

 

 多少時間が経てば回復するだろうが、目の前の相手はそれを許すほど甘くはない。

 

「そこだ!」

 

 虎峰に出来た隙に乗じ八幡が追撃に来ていた。最後のチャンスとばかりに八幡が猛攻に出る。

 

 

 連鶴が――――解き放たれる!

 

 

 刺突、刺突、右薙ぎ、左切り上げ、右薙ぎ、逆袈裟――――

 

 八幡の刀が生き物のように途切れることなく獲物へと襲い掛かる。

 虎峰はそれらを拳で弾き、躱し、何とか距離を取ろうとする。しかしここで離されれば八幡に勝機はない。喰らいつくように必死に追い縋る。

 

「うぉぉぉぉっ!」

「くっ!」

 

 連鶴のスピードが段々上がっていく。そのスピードは虎峰でさえ反応するのが困難となり、幾つか掠り傷を負ってしまう。

 このまま押し切れると判断した八幡はさらにスピードを上げる。

 

 そして連鶴の波状攻撃に耐え切れなかったのか、虎峰の防御に綻びが見え始める。連鶴でそれをこじ開け防御している腕を弾く。そして虎峰が体勢を崩し胸元ががら空きになる。

 

 校章が――――見えた。

 

「!もらった!」

 

 校章目掛けての斬撃。最後の力を込めスピード重視の大振りの一撃を放つ。

 

 しかし

 

「甘いです!」

 

 体勢を崩したのは虎峰の罠だった。軌道を誘導された一撃はしゃがむことで回避され、逆にカウンターで腹部に蹴りの直撃を許してしまう。

 

「破っ!」

「くぅぅっ!」

 

 苦悶の表情を浮かべ八幡が痛みに耐える。後方に流される身体を何とか押し留め、倒れるのだけは阻止する。

 しかしその隙に虎峰には距離を取られ、逃げられてしまった。

 

 両者が再び向き直る。

 

「……危ない所でした。しかし先程の攻撃はいったい?」

 

 距離を取ったことで余裕が出来た虎峰は、先程直撃を受けた攻撃の正体を探ろうとする。刀での攻撃ではなく殴打の類だったはずだ。八幡に対する警戒を怠らないまま、自身の周辺を探っていく。そして八幡の腰に携えた物を見て、答えに辿り着く。

 

「なるほど、鞘ですか」

「……正解だ」

 

 正解を導き出した虎峰に疲れ切った声で八幡が答える。

 八幡が持っている鞘。それが先程受けた攻撃の正体だった。

 

 八幡の右手から放たれた刀の攻撃を回避し懐へ飛び込んだ。そして攻撃手段がないと高を括って油断した結果、無防備になった頭部へ左手での鞘の一撃を叩きこまれたのである。

 

「見事です、八幡」

「嫌味か?全然効いてないように見えるが?」

「そんな事はありません。こっちもギリギリですよ」

 

 掛け値なしの本音だ。予想外の一撃を受けた上、もう少しで校章を破壊される寸前まで追い込まれたのだ。

 称賛こそすれど、嫌味など言うわけがない。

 

 しかし八幡にとっては額面通りには受け取れない。

 文字通り全ての力を振り絞った。だが、それでも尚届かなかったのだ。

 

「……はぁっ、界龍の壁は厚いな」

 

 八幡はぽつりと呟く。

 界龍の冒頭の十二人、その上位の力。理解はしていたつもりだったが、実態は予想以上の猛者ばかりだ。

 

 そんな考えをした自身がどんな表情をしたのか、八幡は知らなかった。

 

「……八幡もだいぶ染まってきましたね」

「……何がだ?」

「いえ、何でもありません」

「?」

 

 虎峰が軽く答える。

 自覚がないのなら別に気にすることではない。嘗ての自身にも自覚がなかった。

 

 ――――界龍に所属する生徒は戦闘狂が多い。

 

 他の学園からそう揶揄されるほど界龍には実力者が揃っている。通常、アスタリスクに来る学生は星武祭優勝を目指している人が大半だ。だが界龍に入学する生徒は例外が多い。

 

 彼らは自身の鍛錬の為に、強くなるためだけに界龍に入学する。序列争いですら興味を持たない生徒もいるほどだ。

 三代目の万有天羅が就任したことで、同じ志を持つ者はさらに増えた。皆、范星露の強さに憧れ、その強さを追い求める者達だ。

 

 彼らの浮かべる表情と、目の前にいる八幡の表情がそっくりだったのだ。

 昔の自身の姿を見ているようで、虎峰は思わず苦笑した。

 

「……さて、そろそろ決着を付けましょうか」

「そう、だな」

 

 会話をして時間を置くことにより、両者ともある程度回復した。

 虎峰は頭の痛みが。八幡は体力が。お互いに足りないものは補充できた。

 

 次が最後の一撃―――言葉にせずとも二人は理解していた。

 

「これで最後です!」

 

 虎峰が頭部の痛みを無視して再び脚部と両腕に星辰力を込める。

 

「………ああ」

 

 八幡も全身と刀に星辰力を纏う。

 

 そして両者が同時に走り出し――――――激突した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……俺の刀?」

「はい。業物みたいですだから気になっちゃって。転校時には持ってなかったですよね?」

 

 模擬戦が終了し一段落。立ち上がる余力もなく疲れ切った二人はその場に座り込み、応急手当てを済ませ雑談をしていた。

 そんな中、虎峰は八幡が持つ日本刀が気になり問いかけていた。

 

 アスタリスクに所属する生徒は煌式武装を使用する生徒が多い。というかそれが普通だ。ただの日本刀を使用する八幡は、ある意味異色の存在なのだ。

 

「転校したときはまだ税関を通過してなかったからな……この刀は先生から頂いた物だ」

「先生?刀藤流のですか?」

「ああ」

 

 アスタリスクに出発する前日、最後の立ち合いの後に八幡はその刀を譲り受けた。

 

「……先生が昔使っていたらしくてな。名前は【鶴姫】だ」

「鶴姫……いい刀ですね」

「ああ……」

 

 二人で鞘から抜き取られた鶴姫を見る。

 素人目から業物と判断できるその刀は、波打つ波紋がとても美しく、見ているだけで惹かれるものがあった。

 

「それに界龍には日本刀型の煌式武装もないみたいだからな。そんな訳でこの刀を使ってるわけだ」

「なるほど。界龍の煌式武装は中華系統の者が多いですからね。でしたら、序列戦に参加してみるのはどうですか?序列上位になれば統合企業財体に煌式武装の注文を掛ける事もできますよ」

 

 虎峰は八幡の実力を高く評価していた。現状の実力でも、界龍の冒頭の十二人の下位の位置なら狙えると思っている。

 

「いや、星露から序列戦の参加と決闘は禁止されてる。模擬戦ならいいらしいが」

「師父から?それは本当ですか、八幡?」

「ああ、絶対に駄目だと言われたな」

「……そうですか」

 

 八幡の答えに虎峰は考え込む。序列戦にしろ決闘にしろ参加するのは本人の自由だ。

 例外があるとすれば――――

 

「………なるほど。そういう事ですか」

「分かるのか?」

「ええ、その内師父から話があると思うので、僕からは言えないですが」

「そうか。まあ元々参加する気はないがな。目立つのは苦手だし……」

 

 序列上位、特に冒頭の十二人ともなればアスタリスク中から注目される事になる。

 目立つことが苦手な八幡にとってはデメリットしかない。

 

「もったいないですね。冒頭の十二人になれば色々と優遇されますよ。金銭面とか住む場所とかも……いや、八幡には必要ありませんか」

「そうだな。特待生として金はそれなりに貰ってるからな。それに住んでる場所は……」

「黄辰殿ですからね。驚きましたよ、僕」

「……俺だってそうだ。てっきり寮住まいだと思ってたからな」

 

 黄辰殿。それは界龍にとって特別な意味を持つ建物である。

 その扉を開くことが出来た人物は特別な称号《万有天羅》を継承することになる。范星露はその扉を開けた三人目、三代目の万有天羅だ。

 

 ちなみに黄辰殿はとてつもなく広い。建物の規模とは比例しないその大きさは、中の空間が弄られているとの噂もあるほどだ。建物内部は色々な設備があり、八幡も全体像を把握できていない。客人を迎える謁見の間、鍛錬に使用する巨大な道場。星仙術の実験場等は確認済みだ。

 

 そして黄辰殿には住居としての設備も完備してある。二代目 万有天羅の意向で巨大な浴場も設置されているほどだ。そんな黄辰殿には現在、八幡も含めて数人が暮らしている。

 

「何じゃ。黄辰殿はそんなに嫌か?」

「いや、嫌というわけじゃないんだが、豪華すぎるのがちょっとな」

「ああ、それは分かります。無駄に豪華ですよね、あそこ」

 

 八幡と虎峰は庶民の出だ。二人にとっては華美で巨大な住居は落ち着いて過ごすことが出来ない。

 

「ふむ、そういうものか?」

「そうですよ、師父………師父!?」

「いつの間に……」

 

 しれっと会話に加わっている星露に二人は驚愕する。気配も違和感も全く感じ取れなかった。

 

「……いつから居たんだ、星露」

「おぬし達が戦ってる最中、最後の一戦の途中からじゃな。隠れて見物させてもらったぞ」

「まったく気付きませんでした」

「無理もない。お互いに集中しておったからの」

 

 からからと星露が笑う。が、八幡と虎峰は苦い顔をする。星露が本気で隠形をすると二人では発見できないレベルだが、見つけられないのが悔しいことに変わりはない。

 

「出てきたという事は俺たちに何か用か?」

「うむ、二人とも。今の時間を確認してみろ」

 

 言われた二人は、空間ウインドウを取り出し時間を確認する。すると時計は20時30分を表示していた。

 それを見て驚く二人。木派所有の道場に二人で入ったのが17時過ぎだったのに、予想以上に時間が過ぎていたからだ。

 

「明日も授業があるじゃろう。いい加減切り上げよ」

「そうですね。じゃあ僕も寮に急いで戻ります。今なら食堂も間に合いそうですから」

 

 ちなみに男子寮の食堂は21時まで営業している。今からならギリギリ間に合うだろう。

 

「そういえば二人とも。今日は儂が腕を振るって夕餉を作ってみた。食べるか?」

「そうか。今日の献立は?」

 

 問う八幡。それに対し星露は胸を張って答える。

 

「回鍋肉じゃ」

「おお、それは美味そうだな。どうする、趙?」

「……いえ、僕は遠慮しておきます。今日は疲れたので早く休みたいです」

 

 少し考え虎峰は断った。

 星露の作る料理は天下一品で味も保証されているが、二人の邪魔をするのは悪いと思ったからだ。

 

「そうか?では帰るぞ、八幡」

「ああ。またな、趙」

「ええ、お疲れ様です。八幡、師父」

 

 歩き出す二人を見送る虎峰。

 しかし疲労のピークを迎えた八幡は、歩みが遅く身体はふらついている。

 

「……ふむ、疲れておるようじゃな」

「…………まあな」

 

 それを聞いて星露がニヤリと笑う。

 

「そうか!では儂がおぶってやろうか?」

「……それ見た目がやばくないか?幼女虐待的な意味で」

「そのようなものは気にせずともよい」

「いや、俺が気にするって。普通に歩くよ」

 

 じゃれ合いながら帰る二人。

 ゆっくりしか進めない八幡に歩調を合わせ、星露は共に歩いていく。

 

 やがて二人の姿は遠ざかり見えなくなった。

 

「……仲がいいですね、あの二人は」

 

 虎峰が呟く。仲がいい二人に微笑ましいものを感じた。

 

「さて、僕も急ぎますか!」

 

 そして虎峰は寮に向かって走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

「それで虎峰との模擬戦の結果はどうだったのじゃ?」

「…………0勝20敗。全敗だった」

 

 黄辰殿の中を歩いていく二人。歩きながら先程の模擬戦の結果を報告していた。

 

「ふむ、まあそんなものじゃな。現時点では仕方なかろう」

 

 特に気にした様子のない星露。

 虎峰は界龍序列六位の実力者だ。勝てなくても気にする必要はない。

 

「……なぁ星露」

「何じゃ?」

 

 だが八幡はそう思っていない。

 

「俺は……強くなっているか?」

 

 范星露。雪ノ下陽乃。武暁彗。趙虎峰。アレマ・セイヤーン。

 転校してからの二週間でこれらの強者と戦ってきた。しかし全て全敗。一勝すら出来ていない。

 

 趙虎峰とはそれなりに勝負が出来ていると思うが、他の人物達にはまったく歯が立たないのが現状だ。多少弱気になっても仕方がないだろう。

 

「ふむ、八幡。少ししゃがめ」

「……は?」

「よいから。しゃがむのじゃ」

 

 言われるまま腰を落とし、しゃがんでみる。星露が近寄りその顔が近くに映る。

 そして星露がその手を伸ばし、八幡の頭を撫でてきた。

 

「……ぬしは良くやっておるよ」

 

 星露は優しく語りかける。慈しむように、愛でるように、幼子をあやすかの如くゆっくりと頭を撫でていく。

 

 ――――八幡が自身の期待に応えるべく必死に努力しているのを知っている。

 

 ――――本当は甘えたいのに、甘える資格がないと決めつけているのも知っている。

 

 ――――誰よりも優しくて、でも不器用な性格で損な生き方しか出来ないのも知っている。

 

 

 しかしそれらを指摘しても本人は否定するだろう。だから行動で示す。

 傷ついた心が癒されるように。自分に価値がないなどと思わないように。

 

 この気持ちが少しでも伝わると願いながら――――ゆっくりと思いを込めて。

 

 

 星露の手が八幡の頭から離される。二人は何も喋らずに、お互いの顔を見つめ合うのみだ。

 

「…………星露」

「うん?」

 

 八幡は悩む。気恥しい。だけど言わなくてはならない。しかし何を伝えていいのか分からない。

 

「………………ありがとう。もう少し頑張ってみる」

 

 結局伝えたのは無難な言葉――――だけどそれで充分だった。

 

「うむ!期待しておるぞ!」

 

 満面の笑みを浮かべる星露を見て、間違っていなかったと思えた。

 

 それだけで充分だった。

 

「さて、儂も腹が減った。急ぐぞ八幡」

「……まだ食べてなかったのか?」

「うむ、ちなみに陽乃達も待っておるぞ。急がなくてはな」

「ああ……」

 

 

 二人は再び歩き出す。

 

 どちらが言うまでもなく、いつの間にか手を繋ぎながら。

 

 その姿は家族と呼んで差し支えない程に、自然なものだった。

 

 




今回は虎峰とセシリー。そして少し双子が絡んだお話となりました。
しばらくは、複数のキャラにスポットを当ててお送りする予定です。

そして今回の話が15000字を突破。恐らく過去最長ですね。
おかしいな。ここまで長くする気はなかったのですが

読者の皆様は文字数の多い小説はどう思うのか少し気になります。
楽しんでもらえればいいのですが………

そして今回は前話から間隔が空いてしまいました。
半分まで書いた所でスランプが発生。一か月ぐらい放置状態が続きました。
しかし感想や評価の一言によりやる気がアップ。五日ほどで残り50%が仕上がりました。

読者の感想は、執筆活動に必要な養分みたいな感じだと最近凄く思います。
もし投稿間隔が空いたなら、激励の意味を込めて応援メッセージや感想を頂けると執筆が速くなる……かもしれません。

では、次回もよろしくお願いします。



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第十七話 界龍での日常 黄辰殿の人達

ランキング15位になっているのを確認。
やる気が急上昇したので頑張って完成させました!

誤字、脱字、感想等あれば、よろしくお願いします。



 界龍での八幡の生活は、千葉に住んでいたころと変わらず早朝から始まる。

 八幡が寝泊まりしている場所は黄辰殿の一角にあり、そこを自室として使用している。だが、最初用意されていた部屋はとても広く落ち着かなかった為、星露に頼み込んで別の部屋を用意してもらった経緯がある。それでも千葉に居た頃の自室よりかなり大きな部屋なのだが。

 

 まだ見慣れぬ部屋の天井を見ながら目覚め、次にトレーニングウェアに着替える。そしてまだ朝日が昇りつつある黄辰殿の外へ出て、そのまま校内を走り出した。

 校内といってもその大きさは広大だ。なにしろ界龍第七学院は初等部から大学まで揃っている。その広さは六校の中でも随一だ。

 

 人の習性はそんなに変化するものではない。

 千葉に居たころも朝早く起きてランニングを行っていたが、それは界龍においても変わりはない。

 

 ただ、以前と違う点もある。

 

 八幡がランニングをしていると前方に人の姿が視認できた。目的はこちらと同じでランニングをしているようだ。徐々に近付いてきてすれ違う。そしてすれ違いざまに――――

 

「おはようございます」

「…おはようございます」

 

 互いに挨拶を交わした。そして暫くするとまた人の姿を見かけ、同じくすれ違いざまに挨拶をする。千葉に居たころはランニング最中に人を見かけることは殆どなかった。それはまだ時間が早すぎるためだ。

 

 しかし界龍と言う学園ではこの時間でも人の姿が確認ができる。皆、己の鍛錬の為である。ある者はランニングをし、又ある者は道場で稽古を始めるのだ。

 

 その証拠にランニング途中に道場の傍を通り過ぎると、中から複数の掛け声が聞こえてきた。八幡の記憶が確かならば、この道場は水派・木派所有の道場ではなかったはずだ。

 

「……早いな。もう始めてるのか」

 

 界龍で有名な流派は木派と水派の二種類である。これらは万有天羅の管理下にあり、規模、人員共に界龍における二大勢力を築いている。

 しかし他の流派が無いのかというとそうではない。様々な流派、様々な武術が存在する界龍では、小規模ながら数々の武門が存在する。それは学校の部活動であったり、サークル、同好会など、呼び方は様々だが、各自が己の強さを求め今日も鍛錬に勤しんでいる。

 

 武に力を入れている界龍第七学園ならではの特徴ともいえるだろう。

 

 学園を一周し黄辰殿が見えてきた。朝日が昇り辺りが明るくなってきたこの時間帯は、界龍の生徒がさらに活発化する時間帯だ。そこら中から人の声が聞こえてきた。

 

「さて、と」

 

 両頬を手で叩き気合を入れる。黄辰殿に戻れば朝の鍛錬が始まる。

 

 ――――ここからが本番だ。

 

 

 

 

 

 

 

 朝の鍛錬は黄辰殿の道場で毎日行われる。鍛錬は模擬戦が中心で基本的に相手は星露が務めていた。

 が、先の大乱闘の件以降、星露が雪ノ下陽乃の要望を渋々受け入れ、八幡の相手は星露を含めて複数の人物が交代制で行っている。最も、付き添いで星露がいるのには変わりはないのだが。

 

 そして本日の相手は――――

 

「ぐぁぁぁっ!」

 

 強烈な一撃を受けその衝撃により吹き飛ばされる。吹き飛ばされた八幡は壁に叩きつけられ、そのまま崩れるように床に倒れる。

 

「……終わりか?」

「まだ……です」

 

 八幡の相手―――武暁彗は静かに語りかける。

 それに対し八幡は何とか絞りだすように返事をする。所々痛む身体を何とか起こし再び構える。

 

「そうか……ではいくぞ」

 

 静かに戦闘が再開される。

 言葉と同時に暁彗が動きこちらに迫る。それに対しこちらも痛む身体を無視して前に出る。受け身になっていては勝負以前の問題だ。何とかペースを握るべく、暁彗の動きを予想し刀での連撃を繰り出す。

 

 しかし通用しない。斬撃も、刺突も、抜刀も。己が持つ技を全て駆使しても届かない。その拳をもって全て防がれる。

 

「ならっ!」

 

 焦る八幡は星辰力の密度を上昇。攻撃力とスピードを上げさらなる攻勢に出る。それに対し暁彗は防戦一方―――ではない。八幡は気付かされる。あちらが反撃に出ないのは、こちらの様子を窺っているに過ぎないと。

 

【覇軍星君】武暁彗が本気を出せば今の八幡など鎧袖一触だ。

 

「はぁぁぁっ!」

 

 自らを鼓舞するように叫び星辰力全開。己が出来る最高の威力を以って刺突を連続で繰り出す。直撃さえできれば如何に覇軍星君といえどもダメージを与えられるはず!

 

「…………」

 

 しかし左右交互に放った刺突は紙一重で避けられる。しかも余裕をもってだ。身体能力が、体術のレベルが違い過ぎる。

 

 暁彗が刀身の下から掬い上げるように拳を上げる。刀身が弾かれ、同時にそれを持つ右腕ごと跳ね上げられた。その結果、八幡の体勢が崩れ懐ががら空きになる。

 

「しまっ――――!?」

 

 その隙を逃す暁彗ではない。一瞬で密着するように八幡に接近。八幡の胸元に手を置き発勁を放つ。

 

「破っ!」

 

 雲脚と共に暁彗の一撃が放たれた。強烈な発勁。まともに喰らえば戦闘不能は免れない。

 

 だが

 

「……避けられたか。やるな八幡」

「ぐぅぅっ!……はぁっ、はぁっ、はぁっ」

 

 暁彗が呟く。その冷静な口調には僅かばかりの感嘆が含まれていた。

 暁彗の一撃を躱せないと判断した八幡は、発勁が発動する直前に無理やり身体をずらした。その結果、発勁の発動は許したものの、その威力を散らすことができた。

 

 しかし直撃を免れてもダメージは深刻。もう動くことが出来ない。

 

「そこまでじゃ!」

 

 そこで星露が止めに入った。これ以上続けるのは危険。そう判断しての事だった。

 暁彗は戦闘態勢を解除し一礼。八幡も何とか身体を動かし同じく一礼をする。

 

「………ありがとう……ござい……ました」

 

 そう呟くと八幡はそのまま前方へ倒れてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

「痛つつっ!あーーしんどっ」

 

 朝の鍛錬が終わった八幡は汗を流すために浴場へと足を運んでいた。身体から汗を流し風呂に入ろうとすると、先程受けた痛みがぶり返す。我慢しそのまま湯の中に浸かる。

 

「はぁぁぁー。いい湯だー」

 

 お湯が傷に染みるが、それ以上に風呂の気持ちよさに思わず声が出る。鍛錬の後の風呂は骨身に染みる。まだ一日は始まったばかりだ。この後授業が普通にあるので、少しでも体力を回復させないと倒れてしまう。

 

「あの二人はまだやってるだろうな……」

 

 范星露と武暁彗。残った二人はまだ鍛錬を続けている。二人の日課だ。しかしあの二人が戦う所を見ると、ある事を思い出してならない。

 

「………最高の失敗作、か」

 

 大師兄 武暁彗のことを星露はそう評していた。そのときの星露の様子は明らかにおかしく、八幡の中では印象に残っている。表情は怒りを露わにし、口調は唾棄するように吐き捨てていた。

 

 ――――だが、そこに別の感情が含まれていると思うのは気のせいだろうか?

 

 最初におかしく思ったのは二人の鍛錬を初めて見たときだ。その激しさと二人の技の応酬に魅了された。が、それ以上に気にかかった。

 

「あの星露が戦いを楽しんでなかった……」

 

 范星露は自他ともに認める戦闘狂だ。彼女は誰かと戦うときは常に笑う。そこには強者も弱者も関係ない。戦うことに生きがいを感じ、喜び楽しみながら戦闘をする。

 

 ――――唯一の例外が武暁彗なのだ。

 

 武暁彗は強い。【覇軍星君】の二つ名を冠し、界龍序列二位である彼の実力は、星露を除けば他の追随を許さない。アスタリスク全体を見てもトップクラスの実力があるのは間違いないだろう。

 

 極めて無口であまり感情を表に出すことのない彼だが、本人の性格は非常に真面目である。その性格故に星露や陽乃に揶揄われているのを目撃したこともある。普段の様子から察するに、范星露が武暁彗を嫌っているわけではない。

 

「……大師兄、か」

 

 決して悪い人物ではない。むしろ八幡にとっては好感の持てる人物だ。不満を上げるとすれば、戦うときにあまり手加減をしてくれないことだろうか。

 彼と初めて戦ったときから感じていた。お互いに対峙していても、幾度ぶつかり合おうとも。彼はこちらを見ていない。視線はこちらを捉えていても、彼の瞳からは何の感情も読み取れないのだ。

 

 自身の考えが正しければ、彼が見ているのものは――――

 

「ふぅー俺が気にしてもしょうがないか……」

 

 あの二人の関係は自分より遥かに長い。聞いた話では、星露がアスタリスクに来る以前からの関係だという。ぽっと出の自分が口を挟むことではない。否、挟んではならない。

 

「さて、上がるか」

 

 それは本人たちが解決すべき問題なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 風呂場から上がり身体を拭いた後に制服に着替える。そして浴場の入り口から出ると、次の目的地へ歩き出す。時間帯的には朝食の準備が始まってるはずだ。

 風呂に入ったお陰で体力は少し回復した。今日の朝食は何かなとぼんやり考え曲がり角を曲がると―――目の前に急に人影が現れぶつかってしまう。

 

「あたっ!」

「きゃっ!」

 

 軽い女性の悲鳴。慌てて前を見ると、ぶつかった女性が後ろに倒れそうになっている。反射的に手を伸ばし相手の手を掴む。

 

「……すみません」

「いえいえ、こちらこそすんまへん」

 

 目の前の女性に謝ると、相手も又こちらに謝ってくる。

 

「申し訳ありません。少しぼうっとしてたみたいで」

「かまへんで。ウチも同じみたいなもんやから」

 

 お互い様ということで笑って済ませ、手を放して朝の挨拶を交わす。

 

「おはようございます、梅小路先輩」

「おはようさんどす。八幡はん」

 

 女性の名前は梅小路 冬香。長い黒髪と京都弁が特徴的な八幡の先輩である。

 

「ふぁぁぁぁ~。まだ眠いわー」

「……また徹夜ですか?身体に悪いですよ」

「そないは言うたて、昨日の実験は中々いい感じやったんや。しょうがあらへん」

 

 悪びれずに答える様子を見る限り、懲りる気配はないようだ。

 彼女な界龍の中でも少々特殊な立場のいる人物で、本人は万有天羅の門下を自称している。が、正式には客分の身である。普段は黄辰殿の奥で日々術の研究に勤しんでいる。

 

「八幡はんは今から何処へ行くんどすか?」

「自分は朝食の手伝いをしようかと。先輩はどちらに?」

「ウチか?ウチは眠気覚ましに一風呂浴びるつもりや」

「……そうですか」

 

 その様子を少し想像してしまった。そしてそれに気付いたのか悪戯っぽい笑みを浮かべる冬香。

 

「な、何ですか?」

「う~ん。ウチと一緒にお風呂に入りたいんかな~と思うてな」

「……冗談は止めてください」

「かんにん。かんにん。顔が赤くなって、やっぱり八幡はんは揶揄いがいがあるな~」

 

 普段は優しくおっとりとした冬香だが、このように時折こちらを揶揄ってくる。本人は楽しそうだが、あまり冗談にならない冗談は止めてほしい所だ。

 

「ほな、また後でな」

「はい」

 

 冬香と別れ再び歩き出すと、少しして目的の場所であるキッチンに到着した。入口から中に入り声を掛ける。

 

「おはようございます。陽乃さん」

「あ、おはよー八幡くん」

 

 そこにはエプロン姿の陽乃が忙しなく動き回っていた。

 

「何か手伝いましょうか?」

「大丈夫だよ。後は仕上げだけだから。それに」

 

 陽乃が八幡の様子を見る。

 

「大分扱かれたみたいだね。もう少しで出来るから休んでて」

「いや、流石に何もしないというのは……」

 

 黄辰殿の朝食は基本的に陽乃が作ることが多い。だが、それに甘えて何もしないというのは別問題だ。

 

「そう?じゃあお皿とお椀。後、箸の準備をお願いしていい?」

「分かりました。お安い御用です」

 

 簡単な頼まれごとだがこれ以上何も任せてはくれないようだ。了承して準備を始める。

 

「ふっふ~ん。ふふ~ん」

「………」

 

 楽しそうに朝食の準備をする陽乃の姿を眺めながら、食器の保管場所へと足を動かした。

 

 

 

 

 

 

 

 その後、朝食が出来上がり少し時間が経つと残りのメンバーが集まってきた。キッチンから隣の部屋へ料理を運び、皆で朝食を食べ始める。各々が料理を口に運ぶ。

 

「うーむ。また腕を上げたのう、陽乃」

「いや、これ料亭の味って言われても信じますよ、俺は」

「…………」

「うーん。いい味付けや」

「今日の料理は良い感じに出来たからね」

 

 星露は一口食べて唸り陽乃の腕を褒め、八幡はあまりの美味さに舌鼓を打った。暁彗は無言で黙々と料理を食べ続け、冬香は料理の味を堪能している。そして陽乃は皆の称賛の声に喜びの顔を見せる。

 

「……今朝の朝食は京都料理なんですね」

「そうだよ。冬香のリクエストでね」

 

 今朝の献立は向付に汲み上げ湯葉。一飯一汁として白ご飯、京白味噌の豚汁、うるめいわしの丸干し、焼き海苔、お漬物である。

 八幡は味噌汁を一口飲む。ほんのりと甘く、そして優しい味が舌全体に感じられる。

 

「実家からいい湯葉と白味噌が送られてきてな。せっかくやから陽乃に頼んだんや」

「なるほど……でも」

「どうかしたの?」

 

 今更ながら気になることがあった。

 

「今更ですけど、どうして陽乃さんが料理してるんですか?食堂があるからそっちで食べてもいいと思うんですが」

 

 黄辰殿にはないが校内には食堂が何か所かある。学生のために早朝から営業している為、食べるだけならそちらでもいいはずだ。

 

「あーそれね。一応理由はあるよ」

「どんな理由ですか?」

 

 すると陽乃は目を細め周囲を睨みつける。

 

「元々自炊はたまにしてたんだよ。料理は嫌いじゃないからさ。ただ、鍛錬やら実験やらに集中して、まったく朝ご飯を食べない人達がいるのを何回も見かけてね。それで見るに見かねて、かな」

「それって……」

 

 八幡も周囲を見る。

 

「ふむ、そんな輩がどこにおるのやら?」

「ぬぅ………」

「あらーそれはいけまへんなー」

 

 視線の先には惚けて誤魔化す三人の姿が見える。

 

「ま、最初からこんなに上手だったわけじゃないよ……どっかの誰かさんにダメ出しを何回も喰らったせいかな?」

「え、それはどういう?」

 

 八幡が疑問に答えたのは一人の女性だった。

 

「それはどなたのことを言うとるんや、陽乃?」

「……忘れたとは言わせないわよ、冬香。人がせっかくご飯を作ったのに、味が濃いだの、出汁の取り方が甘いだの、食材が勿体ないだの散々言ってくれたじゃない」

「そないなこと覚えがありまへん」

「まったくもう。大体冬香はねぇ――――」

 

 そのまま言い争いを始める二人。責める陽乃に躱す冬香。そんな二人の様子に八幡は思わず目を丸くする。

 

「どうした、八幡?そんなに驚いた顔をしおって」

「ああ、いや……あんな陽乃さんは初めて見たと思ってな」

 

 今までの思っていたイメージとの違いに戸惑いを隠せなかった。誰かと軽口を叩き合うその姿は、ただの友達だけの関係とは思えなかったのだ。

 

「……仲がいいんだな。陽乃さんと梅小路先輩は」

「そうじゃな……じゃが、あの二人があのようになるとは、最初は想像もつかなかったがのう」

「どういうことだ?」

 

 隣の席にいる星露に手招きされたので、耳を寄せると小声で話してきた。

 

「……初対面の時のいざこざが原因での。あのままいくと殺し合いに発展したかも。そう思わせるほどに、あの二人は仲が悪かったのじゃ」

「……マジか?とてもそうは見えないが」

 

 八幡も小声で返事をしてから二人を見る。

 

「そこまで言うのならウチも言わせてもらいます。陽乃、あんさんはもう少し大人しくしはった方がいいんやないか?」

「どういう意味?」

「ぶっちゃけて言うと……嫁の貰い手がなくなるで」

「い、言ってくれるじゃない」

 

 口論はなおも続く。だが二人の表情は決して悪いものではなく、お互いに楽しんでるようにも見える。

 

「ま、あの二人にも色々あった。そういうことじゃな」

「そう、なのか」

 

 何があったかは分からない。だがそんな関係もあるのだと感心し――――少しだけ羨ましかった。

 

 

 

 

 

 

 

 朝食が終われば学校の教室へと向かい、そのまま授業が始まる。最初は普通に授業を受けていたのだが―――限界はすぐに訪れた。

 

「だ、大丈夫ですか、八幡?」

「なんだか眠そうだねー」

「……………ああ」

 

 声を掛けてくる虎峰とセシリーに何とか返事を返す。

 朝の鍛錬の疲れと痛みは抜けきれず、時間と共に眠気が襲ってきたのだ。何とか耐えてはいるが限界は近い。

 

「今朝の鍛錬は大師兄が相手でな……」

「ああ、そういうことですか」

「うん、納得した」

 

 八幡の一言で二人は納得した。大師兄を相手にするとどうなるか。八幡より暁彗との付き合いが長い二人にはよく分かった。

 

「とりあえず、後一限で昼休みです。そこまでは頑張ってください」

「……次の授業は何だったっけ?」

「うーんと、数学だよー」

「もう駄目だ。後は頼む」

 

 そのまま机にうつ伏せになり眠りに入る。

 

「八幡!寝ないで下さい!」

「いいんじゃなーい。別に」

「駄目です!起きて下さい!」

「………すぅぅ」

 

 虎峰は八幡の体を揺らし何とか起こそうとする。しかし起きる意思がまったく感じられない。

 

「……仕方ないですね。アレを使いましょう」

「アレ?」

「師父に教えてもらった対八幡最終兵器です」

 

 虎峰はカバンからある物を取り出した。

 

「八幡起きて下さい。起きてくれたらこのMAXコーヒーを「くれるのか!趙!」え、ええ」

「おお!すっごい効き目」

「……予想以上です」

 

 瞬時に起きた八幡に虎峰はMAXコーヒーを渡す。

 

「ああ、久しぶりのマッ缶だ!」

「嬉しそうですね」

「そのコーヒーがそんなに好きなの?」

「ああ……俺の魂の飲料と言ってもいい」

「へーよく分かんないけど凄いね。でも、八幡がそれ飲んでるの見たことないよ?」

 

 学校では三人でいる事が多いが、そのコーヒーを見たのは初めてだ。

 

「アスタリスクでは売ってる場所が殆どないんだ。そして売り場があっても数が少ないときてる。だからまとめ買いをして、自室で大切に飲むようにしてるんだ。だけどな……」

「どうかしたんですか?」

「……星露が最近マッ缶を気に入ったらしくて、一緒に飲むことが多いんだ。それで消費量が倍に増えた。丁度今在庫0なんだよ」

「師父も飲んでるんだーどんな味なの?」

 

 興味が湧き問いかけるセシリー。それに答えたのは虎峰だった。

 

「……飲んだことがありますが、ものすごく甘いです。僕はちょっと苦手ですね」

「あーなるほど。師父の子供舌にヒットしたわけだ」

「で、これを何処で仕入れたんだ?」

 

 マッ缶の出所が気になり虎峰に質問をする。その真剣な目つきに虎峰は思わず後ずさりをしてしまう。

 

「えーと、師父から貰いました。困ったときに使ってみよ、と」

「なんだ。どっかで買ったわけじゃないのか……せっかく仕入れ先が増えると思ったのに」

 

 上がったテンションが一気に落ちる。在庫が切れた翌日にいつもの売り場に補充に向かったが、マッ缶は売り切れだった。どうやら八幡以外にもマッ缶愛好者がいるようだ。

 

「とりあえずありがとう、趙。通販分が届くのはもうちょっとかかるみたいだから本当に助かった」

「あ、通販でも普通に注文してるんですね」

「よっぽど好きなんだねー」

 

 こんなに喜び、そしてテンションの高い八幡を二人は初めて見た。

 

「じゃあ、もし売ってる所を見つけたら教えてあげる」

「僕も出掛けた時に見かけたら連絡しますね」

「……ありがとう。二人とも」

 

 二人の優しさに思わず感動する八幡。思わず喜びで涙が零れそうになる。

 

「だから、もう寝るなんて言わないでくださいよ?」

「大丈夫だ。帰ったらマッ缶が飲めると思えば、今日一日を乗りきれる」

「あ、先生来たみいだよー」

 

 セシリーが廊下に歩く数学の先生を発見した。

 

「じゃあ、後一限頑張ろー」

「ええ、昼はいつもの場所だそうです」

「ああ、分かった」

 

 三人はそれぞれの席に戻っていた。そして教師が教室に入ると、昼休み前最後の授業である数学が始まった。

 

 ちなみに八幡はその数学の授業を珍しく寝ることなく、最後まで受けることが出来た。

 

 

 

 

 

 

 

 学校の食堂というと、安い、早い、味もそれなりに美味しい。そんなイメージが強いかもしれないが、それはアスタリスクにおいても例外ではない。

 序列上位にもなれば金銭に不自由することはないが、学生の大半は序列外で裕福ではないのだ。その為、普段の食事を学校の食堂で済ます人もかなり多い。

 

 各学園に共通して言えることだが、アスタリスクは世界中から星脈世代が集まる都市だ。学生の国籍もワールドワイドで、そんな学生の食欲を満たすために学園には複数の食堂が設置されているのが基本である。量が多くお手頃な値段の食堂から、一般学生には手が出しにくい値段の高い場所まである。最上級の場所だとテーブルマナーが要求されるレストランもあるほどだ。

 

 各学園で力を入れている料理が違うのも特徴の一つだ。例えばガラードワースではイタリアンやフレンチなど欧州系の料理が。クインヴェールは女子学園であることから甘味系が美味しいので有名だ。毎年春に行われる学園祭では、料理目当てに各学園を巡る人たちもいるほどだ。

 

 ちなみに、界龍第七学園はアジア系の生徒が多く所属している。その為、料理の種類は日本を含めたアジア系が主であるが、万有天羅の影響で特に中華料理に一番力を入れている。

 

 八幡の昼食は日によって変わるが、中華料理を食べる回数が以前と比べてかなり増えた。星露の影響である。

 

「お待たせしました。日替わり定食ランチ二つ、チンジャオロース、麻婆豆腐定食です」

「ありがとうございます」

 

 注文した料理が店員から届けられ、各自の前に置かれる。

 

「今日はチンジャオロースか」

「うむ、儂は昔からこれには目がなくてのう」

「好きですよね、師父」

「美味しそーだねー」

 

 好物の料理が目の前に置かれ星露の目が輝く。今回八幡と虎峰は日替わりランチ、セシリーは麻婆豆腐定食を注文した。

 

「……そういえば今日は陽乃さんがいないんだな?」

「陽乃はクラスの連中と食べに行くと連絡があったぞ」

「そっか。じゃあ食べるか」

「うむ。そうするか」

「………待ってください。師父!八幡!」

 

 料理を食べようとした二人を虎峰が止める。

 

「どうしたのじゃ?」

「どうしたではありません。二人とも。それは何ですか?」

 

 虎峰の視線は二人の料理を捉えていた。

 

「日替わりランチだな」

「儂のはチンジャオロースじゃな」

「そうですね……では何故、八幡のサラダに入っているはずのトマトが師父の所にあり、師父のチンジャオロースのピーマンが八幡の所にあるのですか?」

 

 料理に嫌いな物が入っていた二人は先の会話中、瞬時にお互いの皿に嫌いな物を移していたのだ。

 

「二人とも!そのような好き嫌いはしないでください」

「そうではないぞ、虎峰。儂はピーマンの味が少々飽いたからであって、別に嫌いというわけではない。それに、八幡が食べたいと言うておるから少し御裾分けしただけじゃ」

「その通りだ。俺も別にトマトが嫌いなわけじゃない。それにな、趙。互いの物を交換することで色んな味が楽しめるんだ。その結果、料理を美味しく頂けて誰も損しない。WIN-WINな関係だと思わないか?」

「うむ!八幡はいいことを言う」

「こ、この二人は……」

 

 二人の言い訳に虎峰は呆れかえる。

 

「……セシリー。あなたからも二人に注意して下さい」

「まーまー。二人ともまだまだ子供だからしょうがないっしょ」

「だ 誰が子供じゃっ」

 

 范星露。心はさておき身体と舌は8歳である。

 

「はぁー二人とも。せめて一口くらいは食べて下さい」

「……しょうがないか」

「……一口だけじゃぞ」

 

 二人は渋々苦手な物を口にする。

 

「ほら、食べてみたら案外美味しいでしょう?」

「うむ。まあ悪くはないのう」

「……俺は駄目だな。やっぱりこの感触が苦手だ」

「じゃあ、口直しにこれをどうぞー」

 

 セシリーが自身の麻婆豆腐の皿を押し出す。

 

「ああ……うん、美味い」

「でしょー。師父と虎峰もよかったらどうぞ」

「そうか?じゃあ儂も少し貰うとするか」

「では僕の分もどうぞ。皆で食べましょう」

 

 皆の料理を分け合いながら昼食は進んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 午後の授業が終わると再び鍛錬の時間だ。黄辰殿に戻り、星露の指導の下そのメニューをこなしていく。

 途中で夕ご飯を挟んだが、その後も尚鍛錬を続けた。そして鍛錬が一段落して一休みしている最中に、星露から声を掛けられた。

 

「八幡。まだいけるか?」

「……ああ」

「よし。では、次のメニューの前に質問じゃ」

「質問?一体なんだ?」

 

 八幡の隣に星露がちょこんと座る。

 

「おぬしが界龍に来て暫し経った。他の弟子たちと比べてもかなりキツイ鍛錬を課しておるが、よくこなしておる」

「……いきなり褒められると嫌な予感がするぞ」

「別に他意はない。頑張っておる者を褒めるのは当然じゃ。しかしおぬしは他の弟子たちにはまだ勝てん」

「そうだな。それは間違ってない」

 

 星露の指摘する事実に頷く。今朝も大師兄に手も足も出なかったばかりだ。

 

「そこで質問じゃ。おぬしが他の者達に勝てぬのはどんな理由があると思う?」

「……理由か」

 

 八幡は考える。星辰力の量、身体能力、技の練度、能力の制御。ぱっと思いつくのはこんな所。どれも不足しているのは自覚している。だが違う。それらと勝てない理由は別問題だ。

 

「…………反応速度、か?」

「ほう。何故そう思う?」

「どんな強さがあっても反応出来なければ意味がないからだ。例え星辰力がどれだけ多くても、どんなに強い能力を持っていても、反応出来なければ宝の持ち腐れだ」

「うむ!正解じゃ。満点をやろう」

 

 そう言うと星露は八幡の頭を撫でてくる。そして八幡はそれを気にせず素直に受け入れる。頭を撫でられるのもすっかり慣れてしまったからだ。

 恥ずかしい気持ちがないと言えば嘘にはなるが、どうせ誰も見ていない。それに他者がいる所では星露は頭を撫でるようなことはしない。自由奔放な性格だがその手の気遣いが普通に出来るのだ。

 

 ――――それに気付いたのは、范星露の事を少しは理解したからだろうか?

 

「……むしろ、今までの俺の相手が反応速度に優れた人達ばっかりじゃないか。気付かない方が難しいぞ」

「ふふ、中々鋭いではないか」

 

 初期の段階から反応速度を鍛えるのを重視していたのだろう。冬山での生活から今に至るまで。思い返せば心当たりはたくさんあった。

 

「まあ、気付いた所でやる事に変わりはない。反応速度を鍛えるには、己より速い者と相手をすることが一番じゃからのう」

「ま、そうだな」

 

 とりわけやる事に変わりはない。つまり八幡がこれからもボコボコにされるということだ。

 

「勿論、他の事を疎かにするではないぞ。錆びた身体を研ぎ澄まし、星辰力を限界ギリギリまで酷使することで質と量を向上させる。そして他者と戦うことで己の技術を高めよ。そして――――」

 

 星露の右手が八幡の胸に添えられる。

 

「能力とは己の内面。言い換えれば心の内より出でるものじゃ」

「心の内……」

「身体を鍛えろ。技を磨け。そして精神を安定させよ。心技体が揃って、初めておぬしの能力は真価を発揮する」

「………心、か」

 

 その意味を考える。身体を鍛えるのは理解できる。技を磨くのも当然ことだ。少なくともアスタリスクに来る前より、その二点に関しては強くなっているのは間違いない。

 

 だが心は?

 

 ――――自身の心は以前より、あの頃より強くなっているだろうか?

 

「焦るな、八幡」

 

 その心を見透した星露が八幡を止める。

 

「今はまだ雌伏の時。焦る必要はどこにもない。負けることで落ち込むやもしれぬ。勝てない自分に苛立つこともあるじゃろう……だから大丈夫じゃ」

「……分かってるさ」

「うむ、八幡はいい子じゃな」

 

 胸に添えられた手が再び八幡の頭を撫でる。

 

「……子供扱いは止めてくれ」

「儂から見れば子供のようなものじゃよ。可愛いものじゃ」

 

 そう言うと星露は微笑ましい笑みでこちらを見る。普段の年相応の無邪気な幼女としての態度ではなく、遥か年上の大人としての態度だ。時折、彼女は二人きりになると八幡に対してこの様な顔を見せる。

 

「それに嫌というわけではあるまい?」

「…………その言い方はズルいと思うぞ」

 

 星露の思うがままに頭を撫でられる。揶揄い口調とは裏腹に、その手つきは優しくそして温かい。

 そしてその手を振り払おうという気は――――やっぱり起こらない。

 

 撫でられるたびに何かが満たされていく感じがするのだ。だからだろうか?普段なら絶対に考えられないのに、ついその身を委ねてしまうのは。

 

 分からない。分からない。分からない。

 

 自身に渦巻くこの感情は―――いったい何なのだろうか?

 

 その何かを考えると自身の心がそれを否定する。だが一方で、その手の温もりを感じると自身の心はそれを肯定する。二つの相反する想いが自身の中で蠢いているのを感じた。

 

「今はまだ考えなくてもよいぞ」

「……何で分かるんだ?」

「……そのような辛い顔をしていれば、な」

「………………そっか」

 

 星露が八幡をそっと抱きしめ、その頭を胸に抱く。すると子供特有の温かい体温が八幡を包み込んだ。

 

 ――――ああ、そうか。

 

 唐突に思い出す。あの日、あの夜、あの最後の時のことを。

 

 あの闇に呑まれ感じたものは――――虚無感と憎悪。

 自身の中から何かが零れ落ちていくような感覚。そして代わりに湧き出たのは、この世の全てを憎む激しい憎悪と破壊衝動だった。

 

 あのままいけば街を壊し、人を殺し―――いきつく先には破滅しかなかっただろう。

 そんな時に現れたのが范星露だった。

 

 一目見て分かった。この存在には勝てないと―――だがどうでもよかった。

 ちょうどよかったのだ。持て余す力をぶつけられる存在が、態々目の前に現れてくれたのだから。

 

 だから殺すつもりだった。万応素を喰らい、星辰力を増やし、能力を発現させ、全身全霊をぶつけた。その結果、自身が死ぬことになろうがどうでもよかった。

 

 だが、そうはならなかった。

 

 ――――楽しかったぞ、比企谷八幡……もう大丈夫じゃ。

 

 倒れこんだ自身の身体を受け止めた彼女は、傷だらけの手でこちらを抱きしめ、そう言った。

 

「……俺って単純だったんだな」

「何のことじゃ?」

 

 この手が、この温もりがあるから――――きっと堕ちることがなかったのだ。

 

「……ありがとう星露。元気、出た」

「うむ。ならよし!」

 

 身体から温もりが離れていく。

 それに名残惜しさを感じるのは―――決して悪いことではないはずだ。

 

「で、次はどんなメニューだ?」

「よし、では続きをいくぞ!」

 

 そして八幡は鍛錬の続きを開始した。

 今はただ無性に身体を動かしたい。その衝動に身を任せながら。

 

 

 

 

 

 

 

「よし、終わったぞ。星露」

「……………」

「……星露?」

「……む……うぅむ……!ふぁぁ~~」

「……眠いのか?」

 

 全ての鍛錬が終わったのは、夜も更け深夜に差し掛かろうとした頃だった。

 星露に声を掛けたが返事がない。再度呼びかけるとそれに反応するが、とても眠そうな感じだ。

 

「……うむ……この身体は……まだ、子供だからのう……時折…ひどく……眠くなるときが……あるのじゃ」

「大丈夫か?」

「ふぁぁぁ~……むぅ、限界じゃ」

 

 瞼を手でこすり眠気を堪えているが駄目のようだ。

 肉体年齢を考えればとっくに寝ている時間だ。范星露とて例外ではないのだろう。

 

「……部屋まで連れていこうか?」

 

 提案をする。眠気で思考回路が働かないのだろう。深く考えずに彼女は答えた。

 

「……うむ、すまぬが……頼む」

「おっと!」

 

 それが限界だったのだろう。星露の身体がこちらに倒れてきたので、両手を使って優しく受け止める。

 どうしようか考えた後、星露の身体を自身の背にのせた。

 

「……軽いな。ま、当然か」

「すぅぅ……」

 

 肉体年齢は8歳だから軽いのは当たり前だ。

 しかしこの8歳児が界龍最強の万有天羅だと言うのだから、世の中は不思議なものである。

 

「行くか……」

 

 そして八幡は眠りについた星露を背におんぶしたまま、彼女の私室へと歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

「あら八幡はん。奇遇どすなぁ」

「梅小路先輩。こんばんは」

 

 星露の部屋に向かう途中、制服姿の梅小路 冬香に出会った。

 

「こないな所でいったい……あらあら」

 

 八幡の背にいる星露の存在に気付いたようだ。

 

「星露が眠っちゃったので部屋に連れて行こうかと」

「……そうどすか」

「はい。では、失礼します」

「八幡はん。ちょい待ち」

 

 挨拶をして立ち去ろうとした所を冬香が呼び止める。そして冬香は唐突に空間ウィンドウを開いた。

 

「どうしたんですか?」

「ちょい待ってなー。うん、ちょっち横向いてー」

「は、はぁ?」

 

 言われるがまま横を向く。

 

「はい、チーズ」

 

 そして写真を撮られた。

 

「何でいきなり写真を?」

「こないな可愛らしい星露はんの姿、残した方がいいと思うてなぁ」

「……なるほど」

 

 思わず苦笑しながらも同意してしまう。眠りに入った星露の姿は、普通の幼児そのもので確かに可愛らしい。本人にバレたら絶対にタダではすまないが。

 

「……梅小路先輩」

「何どすか?」

「一つ頼んでもいいですか?」

 

 

 

 

 

 

 

 そして翌日。早起きした星露は道場へと急いで向かっていた。

 昨日は不覚にも途中で寝落ちしてしまった。しかし今日はそんな事のないようにと気合を入れている。起きたと同時に八幡を呼び出しているので、彼はもう道場へ向かっているはずだ。

 

 しかしその途中で。

 

「星露はん、星露はん」

「うん?何じゃ、冬香ではないか」

 

 梅小路 冬香が星露を待ち伏せしていた。

 

「おはようさんどす、星露はん」

「うむ、おはようじゃ。どうした?このような朝早くに」

 

 徹夜することが多い冬香は基本的に朝に弱い。そんな彼女を早朝から見かけるのは珍しいことだ。

 

「こないな物が手に入ったさかい、是非星露はんに見てもらとうて」

「ふむ、写真か。いったい何の――――」

 

 写真を見た瞬間、星露の動きが止まる。

 

 

 ――――そこには、八幡の背中で可愛らしく眠っている幼女の姿が映し出されていた。

 

 

「どないどすか?中々の自信作だと――――」

 

 冬香が次の言葉を言い切る前に、写真がこの世から消滅した。

 

「あらら、勿体あらへん」

「…………冬香」

「何どすか?」

 

 星露の全身から押し潰すような威圧感が放たれた。その威圧を前にして正気を保てる者は殆どいないだろう。

 

 だが冬香には通用しない。

 

「そないなプレッシャーを放たれても全然怖ないどす。顔が赤いどすぇ、星露はん」

「!――――っっ!?」

 

 照れ隠しの威圧が完全にバレていた。頬が真っ赤の状態では誤魔化しようがない。

 

「………何が望みじゃ?」

「望みなんかあらへんよ。しいて言うならこんなに可愛らしい写真は、皆で共有しよう思ただけどす」

「や、止めよ!そんな事をされたら儂の立場というものが!!」

 

 星露は完全に慌てていた。この様な写真が流出してしまったら威厳がまるでなくなってしまう。

 

「と、特にこんな写真が他学園に流出してみろ!六花園会議で何を言われるやら!」

 

 予知夢など持たぬ星露だが容易に想像できる。子供だからしょうがないという生暖かい視線を向けられることが。そしてどんな状況でこうなったのか、しつこく聞かれるだろう。

 

 さらに、星導館の腹黒生徒会長に何を言われるか分かったものではない!

 

「確かに他学園に流出するんはよろしゅうあらへんな。そら止めときまひょ」

「そ、そうじゃろ………ちょっと待て」

「どないしはりました?」

「今、他学園と言ったな?……まさか、学園内の誰かに渡したりしてないじゃろうな?」

「渡したで?」

「冬香ーー!!」

 

 星露の絶叫が響く。

 

「だ、誰じゃ!誰に渡した!?」

「教えてどないするつもりどすか?」

「取り返しにいくに決まっておるじゃろう。さぁ、言え!」

「そうどすか?……残念どすなぁ。折角喜んどったのに――――八幡はん」

「そうか!渡したのは――――何じゃと?」

 

 その名前を聞き冷静さを取り戻す。

 

「お、おぬし~~~」

「ふふっ。可愛らしいお姿、堪能させてもらいました」

 

 最初から流出する気はなかったことに漸く気付く。目的は自身を揶揄う事だったのだ。

 

「……儂を揶揄うのはおぬしぐらいじゃぞ、冬香」

「かんにん、かんにん。それで写真の件どないしはるおつもりどすか?八幡はん、残念に思うやろなぁ」

「……………そちらはよい。それより写真のデータはどうした?」

「安心しとくれやす。データは八幡はんに渡してこちらの分は消去済みどす。で、これがウチが持つ最後の写真どすさかい、記念にどうぞ」

 

 冬香から同じ写真を受取った。

 

「では、ウチはこれで」

「二度はないぞ、冬香」

「分かっとります」

 

 上機嫌なまま冬香は立ち去って行った。アレで引き際は心得ているので、二度と写真の件を持ち出すことはないだろう。そう判断した星露は溜め息を付く。

 

「それにしても………」

 

 改めて写真を見ると、八幡の背中に完全に身を任せ、呑気に寝ている自身の姿が映っていた。

 

「幸せそうな顔をしおって。こやつめ」

 

 一応、写真は残しておくことにした。

 




今回のお話は黄辰殿の人達が中心のお話でした。

虎峰とセシリーは黄辰殿の人間ではないですが、この二人は使いやすいので、何かと重宝しそうな感じです。

逆に冬香さんは難しい。特に口調が。京都弁は変換サイトを使用してますが、あってるかどうか分からないので、誤字等あれば遠慮なく報告していただけると助かります。

そして今回、星露の可愛さを表現すべく頑張ってみました。可愛いと思ってくれたら大成功です。可愛いかな?この星露?


別件になりますが、誤字報告、感想、高評価、いつもありがとうございます。
前回、長い文章はどうかと後書きで書きましたが、長いの好きとメッセージを送ってくれた方がいたので安心しました。

上手い人は上手く文章をまとめるのでしょうが、中々難しいですね。

では、次回もよろしくお願いします。


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第十八話 そして二人は再び出会う

タグを少し整理しました。



「……どうしてこうなった?」

 

 八幡は思わず呟く。自分の置かれている状況が理解できない。否、理解はしているが、置かれている状況に納得ができなかったからだ。

 

「はぁっ!どうしたの!もっと本気でかかってきなさい!」

「おらっ!へっ!この程度じゃ張り合いがねぇなぁ!」

 

 同行者の二人が黒服の男達を素手で吹き飛ばす。吹き飛ばされた男は気絶し立ち上がることができない。

 

「はぁぁー」

 

 大きく溜息を付く。その隙を付き黒服の男が八幡の背後から襲い掛かる。だが、それを軽く躱しながら相手の腕を取り投げ飛ばす。受け身を取れなかった男は、そのまま気絶した。

 

「へーやるじぇねぇか、八幡!」

「……どうも」

 

 同行者の称賛の声を浴びながら八幡は考える。

 

「……ほんと……どうしてこうなったんだろうな?」

 

 呟きながら今日の出来事を脳裏に思い出していった。

 

 

 

 

 

 

 

「八幡くん、今日これから暇?」

 

 雪ノ下陽乃に誘われたのは、学校と鍛錬の終了後の夕食の席でのことだった。

 

「暇と言えば暇ですよ。今日この後は瞑想ぐらいですから。なぁ星露?」

「うむ、今日の鍛錬は一通り終わっておるからのう」

 

 星露の返事が返ってきたことで、陽乃は嬉しく笑う。

 

「じゃあ、お姉さんと一緒にお出掛けしよっか?」

「この時間からですか?一体何処に?」

「それは行ってみてからのお楽しみかな」

 

 八幡は少し考え込んだ。

 

「……殴り込みとかじゃないですよね?」

「違う違う。普通に遊びに行くんだよ。私以外にも一人いるけど、その子と一緒にね」

「俺が一緒だとお邪魔じゃないですか、それ?」

「大丈夫、大丈夫。とってもいい子だから」

 

 陽乃の笑顔に嘘はないと感じ八幡は返事を返す。

 

「まあ、いいですよ。陽乃さんにはお世話になってますから」

「よし!決まりだね。じゃあ、夕食後私服に着替えてから出掛けよっか」

「はい。分かりました」

 

 後から思えば、この時点で怪しいと思うべきだったのかもしれない。

 

「……陽乃」

「なに、星露?」

 

 梅小路 冬香は面白そうな笑みを浮かべ、武暁彗は我関せずとした態度をし、范星露は苦笑していたのだから。

 

「ほどほどにの」

「分かってるって♪」

 

 雪ノ下陽乃は、これ以上なくいい笑顔だったのだから。

 

 

 

 

 

 

 

「……何か見られてませんか?」

「そう?気のせいじゃないかな?」

 

 陽乃の言葉に一旦納得するも、周囲の視線を観察する。

 

「…………やっぱり見られてるよな」

 

 そう小声で呟きながら歓楽街を二人並んで歩いていく。

 陽乃は気にしていないが、道行く通行人の視線は陽乃に集中しているように見えた。最初は彼女の容姿に注目しての視線かと思ったが、それだけではないようだ。

 視線には二種類ある。一つは一般人からの視線。主に羨望や好奇心などの正の感情だ。

 しかし堅気以外の人間からは違う。こちらに注目しつつ、絶対に陽乃とは目線を合わせない。そこから感じる感情は、動揺、恐怖、怯えなどの負の感情だ。

 

 この人は歓楽街で何をやらかしたんだと思いつつ、待ち合わせと思われる場所に向かって歩いていく。そして暫くすると大声でこちらに呼びかけてくる人がいた。

 

「おーい!師匠ー」

 

 一人の女性が大きな声でこちらに向かって手を振っている。

 

「はーい!イレーネ!」

 

 陽乃もまた手を振りその女性へと歩いていく。八幡も陽乃の後に続く。

 

「ごめん、待たせたね」

「いや、こっちも今来たばっかりだから問題ないって。それよりさ」

 

 イレーネと呼ばれた女性がこちらを向きニヤリと笑う。

 

「師匠が男連れなんて珍しいじゃん。何?彼氏?」

 

 聞かれた陽乃は、八幡の腕を取りいきなり抱きついた。

 

「ちょっ!?」

「へへーいいでしょー」

 

 いきなりの事に驚きを隠せない。腕に感じる柔らかな感触に動揺し、思わず顔が赤くなってしまう。

 

「相変わらず八幡くんの反応は面白いねー」

「……俺を揶揄うのはそんなに楽しいですか?」

「うん、もちろん」

 

 笑顔を共に勢いよく頷かれると、八幡は脱力するしかできなかった。そして八幡の反応に満足したのか、陽乃もその腕を放す。

 

「紹介するね、イレーネ。彼はこの前うちに転校してきた八幡くんだよ」

「……范八幡です」

 

 軽くお辞儀をしてこちらの名を告げる。

 

「で、八幡くん。こっちがイレーネ。見て分かる通りレヴォルフの生徒だよ」

「イレーネ・ウルサイスだ。よろしくな」

「よろしくお願いします」

 

 レヴォルフの制服を着た女性、イレーネ・ウルサイスが自己紹介をした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、連れてこられたのが此処か」

 

 あの後、どこかのビルの地下へと入り、連れてこられたのが今現在いるカジノであった。JAZZと思われるBGMが店内を流れ、周囲の客は思い思いにゲームに参加している。ある者はルーレットを、ある者はディーラの元でポーカーを。そして八幡はというと。

 

「………お、当たりだ」

 

 目の前のスロットマシンの絵柄が横一列揃った。軽快なBGMと共にスロットマシンからコインが排出され、それらがケースに積み上げられる。

 星脈世代用に改良されたスロットルマシンのようで、通常よりも回転がかなり速いマシンだ。だが八幡も目には自信がある。見事にコインを稼いでいた。

 

「しかし……どう見ても普通のカジノじゃないよな」

 

 辺りをちらりと見て呟く。客層もさる事ながら、従業員の気配が明らかに一般人のソレではない。

 

「……目を付けられても面倒だ。あまり稼がないようにするか」

 

 何事もほどほどが一番だ。目立って目を付けられると面倒ごとしか生まない。しかし、荒稼ぎしなければ問題はないだろう。

 

「なぁ、ちょっといいか?」

 

 横から声が掛かる。そこに視線を向けるとイレーネ・ウルサイスがこちらに近付いていた。

 

「どうかしましたか?ウルサイスさん」

「イレーネでいいよ。後、その丁寧口調も止めてくれ。むずかゆいったらありゃしない」

「……分かった、イレーネ。それで何か用か?」

「師匠が連れてきた男に興味があってね」

 

 イレーネがニヤリと笑う。

 

「……男って、別に陽乃さんと付き合ってるわけじゃないんだが」

「それは分かってるさ。ただ、あんなに男に甘える師匠は初めて見たからね。気になったのさ」

「そうなのか?」

「ああ、昔の師匠とは大分違うね」

 

 イレーネの言う陽乃の過去に少し興味が湧いた。

 

「昔の陽乃さんはどんな感じだったんだ?」

「……あたしが感じたイメージは孤高の人って感じだな。誰よりも強さを望んで、誰よりも強くあろうとした。だけど、どこか張りつめていてさ。余裕がないっていうのかな?よく笑ってたけど、何か偽物って感じだったね」

 

 八幡が最初に会った陽乃もそんな感じだった。

 

「けど、最近の師匠は前より親しみやすくなったよ。三ヶ月ぐらい前に久しぶりに会ったら、まるで別人だったからびっくりしたよ」

「……そうか」

 

 三ヶ月前というと陽乃が雪ノ下家と縁を切った頃になる。実家と縁を切ったことが、彼女の精神的負担を軽くしたのだろう。

 

「そういえば、陽乃さんのことを師匠って呼んでるみたいだが、何の師匠なんだ?」

「うん?ああ、簡単だよ。これさ」

 

 イレーネは手に持ったケースを八幡に突き出す。そのケースにはコインがいっぱい詰まっていた。

 

「アタシもカジノにはよく行ってね。けど、自分で言うのもなんだけど弱くってさ。負けまくってたんだよ。けど、ある日勝ちまくっている師匠を見かけてね。思わずその場で弟子入りを頼んだのさ」

「……あの陽乃さんがよく受けたな」

「まあ、最初は断られたさ。けど、しつこく頼んで弟子入りさせてもらったよ。おかげで借金も減ったしね」

「借金?」

「おっと、余計なことまで言っちまったな。まあ、師匠のおかげでアタシら姉妹も大分助かってるって話さ」

「……なるほど」

 

 そこまで言うとイレーネは笑顔から一転、神妙な顔に変化する。

 

「……なぁ、こっちも一つ聞いていいか?」

「何だ?」

「あーアンタが知ってるかどうか分かんないんだけどさ、師匠って妹さんがいるんだよ」

「………妹」

 

 心臓がドキリとした。

 

「そう。雪ノ下雪乃って名前らしいんだけどさ。そいつの話が最近師匠から全然出てこなくってさ。何か知らないか?」

「………いや、知らない」

 

 胸の奥が騒めく。

 

「そっか。妹好きのあの人がその話題を避けてるようだからさ。ちょっと気になったんだよ」

「…………そうか」

 

 心が乱れる。無意識に考えないようにしていた。だが、一度その名を聞けば強制的に考えさせられる。

 そして脳裏にフラッシュバックが起こった。

 

 ――――私のような女の子と話が出来れば、大抵の人間と会話が出来ると思うわ。少しは更生したんじゃないかしら。

 ――――貴方の事なんて知らなかったもの……でも、今は貴方を知っている。

 ――――貴方のそのやり方、とても嫌い。

 

「――――――い!――――――おい!」

「!?」

 

 肩を揺さぶられて意識が覚醒する。目の前でイレーネが八幡の肩に手を置き揺さぶっていたのだ。

 

「……どうかしたか?」

「どうかしたかじゃねぇよ!いきなり動かなくなったからびっくりしたぞ……それに顔色悪いぞ」

「…………そうか。悪い。ちょっと外行ってくるから、これ預かってくれ」

「ああ、分かった」

 

 イレーネにコインのケースを預けて一旦外へと向かった。

 建物の外に出ると夜の風がその身に当たる。少し歩き、風当たりのよい場所へと移動した。

 

「はぁぁーーーー。ふぅぅーーーーーー」

 

 深呼吸を何度か繰り返す。すると気分が少しだけ落ちついてくる。

 

「変わってねぇな、俺」

 

 自分の心の弱さが嫌になってくる。かつて共に過ごした同じ部活の人物。彼女たちに対する想いは今でも整理が付いていない。

 

「………俺はどうしたいんだろうな?」

 

 その答えは――――まだ出ない。

 

 

 

 

 

 

 

 10分ほど外で休憩して店の中に戻った。すると様子がおかしい事に気付く。店内が客の騒めきで喧しくなっているのだ。嫌な予感がしつつ二人の姿を探すと、騒ぎの中心に陽乃がいた。

 

「……陽乃さん?」

「ああ、八幡くん。どうしたの?」

「それはこっちが聞きたいですよ。何やってんですか?」

「痛ててっ!はっ、放せぇ!」

 

 陽乃がディーラーの手首を捻上げていた。

 

「この人がイカサマしてたからね。それで締め上げてるの」

「な、何を証拠にそんなっ!ぁぁぁぁっ!?」

「はい。黙って」

「……証拠はあるんですか?」

 

 当たり前の話だが、証拠がなければイカサマは認められない。

 

「はい。これ」

「………なるほど」

 

 陽乃が手首のスナップで飛ばしてきたカードを受取る。触った瞬間に何か違和感を感じた。咄嗟に星辰力を流し込み干渉すると、カードの絵柄と数字が変化した。完全なイカサマである。

 

「これまた凄いイカサマですね」

「そういった能力よ。普通の相手なら誤魔化せるんでしょうけど、ね」

「ぐぁぁぁっ!?」

 

 陽乃がディーラの手首をさらに締め上げる。

 

「……何か手馴れてませんか」

「師匠に掛かればプロのディーラーも形無しだよ。大したもんさ」

 

 イレーネがいつの間にか傍に来ていた。

 

「で、師匠。そいつどうすんの?」

「うーん。まあ、相手の対応次第かな」

 

 陽乃の視線が別方向へ向けられる。するとそこには一人の男がいた。

 

「この落とし前はどう付けてくれるのかな。支配人さん?」

「……何のことでしょうか?」

「おいおい!これだけあからさまなイカサマしといて、それはないだろう」

「イカサマですか?そのような事実無根のことを責められても、こちらも困ってしまうのですが」

 

 支配人の男が目配せをする。すると従業員たちが陽乃たち三人を取り囲むように動く。更に奥の方から増援と思わしき黒服の男達も駆けつけてくる。

 

「へー。そういう態度で来るならこちらにも考えがあるよ」

「……陽乃さん。あんまり挑発しない方がいいのでは」

「もう遅えよ。連中、こちらを潰す気満々だぜ」

 

 イレーネの言葉を確かめるように周りを見る。従業員たちが煌式武装を取り出し構えている。

 

「ひぃふぅみぃっと、一人頭ざっと十人って所かな?」

「へっ!上等だ。やってやろうじゃねぇか!」

 

 二人は応戦する気のようだ。三人を取り囲む黒服の男達も殺気を漲らせ、今にもこちらを襲い掛かろうとしている。一触即発の状況だ。

 

「………やれ」

 

 支配人の男の言葉が戦闘開始の合図だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして話は冒頭の状況と相成る。しかし雪ノ下陽乃、イレーネ・ウルサイス、范八幡。何れも冒頭の十二人クラスの実力者三人が相手となると結果は一目瞭然だった。

 

「はぁ、こんなものか。つまんないな」

「まあ、場末のカジノじゃこんなもんだよ、師匠」

「……やってしまった」

 

 黒服の男達と従業員は全員床に倒れている。尚、この騒動の最中、他の客たちは全て逃げ出している。その為、陽乃たち以外では無事なのはたった一人だけだ。

 

「さて、残るはあなただけね」

「ひ、ひぃっ!」

「年貢の納め時だな。支配人さんよぉ」

「だ、黙れ!き、貴様らこんな事してタダで済むと思うなよ!」

 

 支配人の男が吠える。

 

「人の心配より自分の心配した方がいいんじゃないかな?」

「な、何だと!」

「もうそろそろ着く頃だと思うんだけどね」

 

 陽乃の言葉を証明するかのように、出入り口付近が騒がしくなっていた。

 

「な、何の騒ぎだ」

「警備隊のご到着だよ」

「何!?」

「アタシが呼んだんだよ。師匠に頼まれてね」

「そりゃこれだけの騒ぎになったんだから、警備隊呼ばないとね。あれ?顔色が悪いね。支配人さん」

「………」

 

 支配人の顔色が見るからに青くなり、呆然としていた。

 

「どうしたんですか、この人?」

「まあ、こんな裏カジノじゃ疚しいことはいっぱいあるんでしょ。しかも従業員はこんな有様。証拠を隠す時間はないとくれば、しょうがないんじゃないかな」

「……なるほど。で、俺たちはこれからどうします?このまま警備隊に話をしに行きますか?」

 

 それに異を唱えたのはイレーネだ。

 

「そんな事する必要はねぇよ。このままトンズラしようぜ。連中に付き合ってたら時間が幾らあっても足りゃしねぇ」

「そうだね。じゃあ、二人はこのまま逃げていいよ。突破口は私が開いてあげるから」

 

 陽乃が星辰力を解放し、そして獰猛な笑みを浮かべる。

 

「二人は後から来てね。じゃあ、行くよ!」

 

 陽乃はそう言うと出入り口へと駆け出していった。

 

「おし!じゃあ師匠に任せてアタシたちも行くか」

「陽乃さんのあの様子……誰が来てるんだ?」

「……そりゃ警備隊と言ったらアイツしかいねぇだろ」

「…………まさか」

 

 その予想は大当たりだった。

 

「はっはっはっ!勝負よ、ヘルガぁ!」

「通報があるから来てみれば!またお前か!雪ノ下陽乃!」

「今日こそ勝たせてもらうよ!」

「くっ!いいかげんにしろ!貴様の後始末に何度付き合わされてると思ってるんだ!」

「私が勝つまでよ!」

 

 二人の激突で夜の街は一層騒がしくなった。

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ、ここまで来れば大丈夫か」

 

 カジノを脱出した八幡は、途中でイレーネとも別れ走っていた。そして暫く走った後に裏路地に入る。周りに人がいない事を確認し安全圏に入ったと確信すると、そのまま建物の壁へ背を付けて休憩を取る。

 遠くからは陽乃が引き起こしている戦闘と思わしき音が微かに聞こえる。予想が当たっていれば、相手はヘルガ・リンドヴァルのはずだ。

 

「……会うたびに挑むって言ってたもんな、あの人」

 

 本当に言葉通りだとは流石に予想できなかった。それを考えると、今日の外出も仕込まれていた可能性がある。

 

「さて、とりあえず帰るか。陽乃さんも適当に切り上げるだろうし」

 

 何だかんだで引き際を間違える人ではない。相手が時律の魔女といえども、逃げるだけなら何の問題もないだろう。彼女の実力はよく知っているので心配する必要はない。

 

 八幡は再び歩き出す――――とはいかなかった。

 

「八幡くん?」

 

 横から聞き覚えのある声がする。確認すると、そこには見覚えのある人物がいた。

 

「……リューネハイム?」

「やっぱり八幡くんだ。これまた奇遇だね。どうしたの、こんな所で?」

 

 最初に会った時と同様に、変装したシルヴィア・リューネハイムが其処にいた。彼女はこちらに近付いて来る。

 

「付き添いでちょっと遊びに来ただけだ」

「付き添い、ね。こんな時間に歓楽街に遊びに来るだなんて、八幡くんは何時からそんなに悪い子になったのかな?」

「悪い子って。何だよそりゃ」

「ふふっ。冗談、冗談。私の勘が正しければあっちで起こってる騒動に関わってる気がするんだけど、どうかな?」

 

 チラリと陽乃が戦っている方向を見て、シルヴィアが問う。

 

「………まあ、否定はしない」

「そっか。結構好戦的なんだね、八幡くん」

「別に自分から喧嘩を売ったわけじゃないんだが……」

 

 そこで一つ溜息を付く。

 

「そういうリューネハイムこそ。前回は聞かなかったが、態々変装してまで歓楽街に何の用事なんだ?歌姫のお前さんがこんな所にいるなんて、バレたら只じゃ済まないぞ?」

 

 キツイ口調で忠告する。世界の歌姫であるシルヴィア・リューネハイムが歓楽街に遊びに来てるなんてバレたら、マスコミが黙っている訳がない。だが、彼女がそれを理解してないとも思えない。

 

「それは十分に分かってるよ………人を探してるんだ、私」

「人を?なら、お前の能力を使えば……って、もう試してるか」

 

 彼女の探査能力の凄さは前回経験済みだ。それで見つかっているのなら、彼女が此処にいるわけがない。

 

「アスタリスクに反応は合ったんだけどね……それ以上は絞り込めなかったんだ」

「それで足を運んで探してるわけか」

「……うん」

 

 シルヴィアの表情に陰りが出る。その表情を目撃した八幡は焦りが生じる。

 

「あーすまん。俺なんかが聞いていい事じゃないな」

「ううん。別に気にしなくていいよ。八幡くんが言いふらすとは思ってないから」

 

 シルヴィアは首を横に振りながらこちらに微笑む。

 

「………八幡くんは蝕武祭って知ってる?」

「蝕武祭?いや、聞いたことがない」

「そっか……蝕武祭は星武祭では物足りない人達が作った、非合法・ルール無用の大会でね。ギブアップは不可能で、試合の決着はどちらかが意識を失うか、もしくは相手の命を奪うかの二択しかない。正に狂気の大会だよ」

「……そんな大会がアスタリスクにあるのか?」

「今はもうないけどね。星猟警備隊の隊長、ヘルガ・リンドヴァルの手によって完全に潰されたから」

「そうか……」

 

 蝕武祭の内容に戦慄する八幡。だがそれ以外に気にかかる事がある。

 

「もしかして、探してる人は蝕武祭の関係者なのか?」

「うん。蝕武祭に出場してたみたい」

 

 真剣な表情で頷くシルヴィ。

 

「あの人があんな大会に参加してたなんて、私も信じられない。だけど、蝕武祭の関係者だとしたら、この再開発地区にいる可能性が一番高いんだ」

「なるほど。だから変装してまで探してると」

「そう。中々時間が取れないから、頻繁には来れないんだけどね」

 

 苦笑しながらシルヴィアは答えた。

 生徒会長とアイドルを兼任している彼女がとても忙しいのは、八幡でも想像が付く。それでも探している人がとても大事な存在なのだろう。自らの立場を顧みずひたすら探し続けているのだから。

 

 つまり――――

 

「……恋人か?」

「……え?」

「いや、そんなに大切な人なら、探している人は恋人かと思ってな」

 

 八幡の言葉に一瞬固まるシルヴィア。だが、八幡の言っている事を理解すると笑って否定する。

 

「違う、違う。そもそもウルスラは女の人だよ。私に歌を教えてくれた先生なんだ」

「そ、そうか。すまん。変な勘違いをした」

「残念ながら、私に恋人がいたことはありません」

 

 そうシルヴィアが締めくくると、二人はなんとなく並んで歩き出す。

 

「これからどうするんだ?まだ、ウルスラさんを探すのか?」

「ううん。今日はこのまま帰るつもり。八幡くんは?」

「俺も界龍に戻る予定だ」

「あっちはいいの?」

 

 シルヴィアが陽乃がいる方に視線を向ける。

 

「問題ない。あの人ならどうとでもなる。楽しみを邪魔するのも悪いしな」

「……八幡くんがそう言うならいいけど」

 

 二人は大通りに出ると、歓楽街の外へ向かって歩き出す。

 

「あ、そういえば八幡くん。一つ頼みたいことがあるんだけど、いいかな?」

「……内容によるぞ」

「グリューエルちゃんとグリュンヒルデちゃんがね。君に会いたいって言ってるんだ」

「あの二人が?」

 

 八幡の脳裏に、あの夜会った二人の姿が浮かび上がる。

 

「うん。あの時のお礼を改めてしたいんだって」

「別に礼なんかいらないぞ。こっちが勝手に首を突っ込んだだけだしな」

「本人たちは納得してないみたい。恩人にお礼をしないなんてリースフェルト家の名が廃るって。すごい剣幕で詰め寄ってきてね。押し切られちゃった」

「そこまで言うか……」

 

 シルヴィアの口調から考えると断ることは難しそうだ。

 

「………分かった。二人に会えばいいんだな?」

「うん。ありがとう。二人とも喜ぶよ。あの日の最後、気付いたら八幡くんがいなくなってた事、気にしてるみたいだから」

「二人の邪魔をしたら悪いと思って、こっそり抜け出しただけなんだが……ところで、いつ会えばいいんだ?」

「その辺は二人を交えて応相談かな。また連絡するね」

「……ああ」

 

 初めて会った時以来、二人は不定期に連絡をする仲になっていた。と言っても、シルヴィアが一方的に八幡に連絡しているのだが。

 連絡してくる時間は主に就寝前。時間的にも短い時間でのやり取りだ。その内容も大したことはない。最近あった事を話したり、お互いに愚痴を言い合ったりする。そんな些細な内容だ。

 

 そして暫く歩いていくと、歓楽街の外れへとやって来た。此処からクインヴェールと界龍へ行くには方向が違う。つまり二人の別れの時だ。

 

「じゃあ、此処からは別方向だね」

「…………」

「……どうしたの、八幡くん?何か考え込んでるみたいだけど?」

 

 シルヴィアは八幡の様子がおかしい事に気付いた。

 

「……ちょっと、な」

「?」

「あーそのーなんだ」

「どうしたの?」

「……リューネハイムは、今後もウルスラさんを探しに歓楽街に行くんだよな?」

「そのつもりだけど?」

「そう、だよな……」

 

 考え込む八幡。そして何かを決断したのかシルヴィアに話しかける。

 

「その、な。女の子が一人で歓楽街を行くのは危険だと思うんだ」

「うん。でも大丈夫だよ。荒事に対処できる実力はあるから」

「そうだろうな……ただ、歓楽街だと色んな輩がいるじゃないか。レヴォルフの連中やヤクザにマフィアもいるんだし、一人だと万が一があるかもしれないじゃないか。それに――――」

 

 シルヴィアは八幡が考えてることに気付く。

 

「………もしかして心配してくれてるの?」

「………………悪いか?」

 

 照れてそっぽを向く八幡。その顔色は赤く染まっている。それを見てシルヴィアはクスリと笑う。

 

「うーん。そんなに心配してくれるのなら、八幡くんにボディーガードになってもらおうかな、なんて」

「……別に構わないぞ」

「……え?」

 

 八幡の返答にシルヴィアが固まる。冗談で言ったつもりだったのに予想外の返答をされたからだ。

 頭をポリポリと手で掻きながら八幡は言う。

 

「正直放っておく方が心配だ。いくらリューネハイムが強いのが分かっていてもな」

「でも、私の都合で八幡くんに迷惑をかけるわけにはいかないよ」

「別に迷惑なんて思ってない。それに探すなら一人より二人だ。人手は多い方がいいだろう?」

「そうだけど……」

 

 八幡の提案にシルヴィアは返事を返せない。彼女自身は、私事に他の人を巻き込むのは本意ではないのだ。

 

「まあ、気が向いたらでいい。別に押し付けるつもりはないからな」

「……うん、ありがとう」

 

 シルヴィアは八幡にお礼を言った。その気持ちは素直に嬉しかったからだ。

 

「じゃあ、またね。八幡くん」

「……ああ」

 

 そして二人は別れの挨拶を交わし、それぞれの学園へと向かって行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜が更け、外灯のみが周囲を照らす道をシルヴィーはのんびりと歩く。目的地のクインヴェールまでは後少し。今日もまた探し人は見つからなかった。いつもなら気落ちするだけの帰り道だが、今日は少しだけ違った。

 

「……どうしよっかな?」

 

 ぽつりと呟きながら、彼女は先程の提案に悩んでいた。

 

 ―――――別に構わないぞ。

 

 范八幡。少し前に奇妙な縁で出会った男の子。

 初対面の少女を身を挺して助けた少年の事を、シルヴィアは殊の外気に入っていた。

 

 初めて出会ってからは、時折通信で連絡を取りあっているのだが、それがシルヴィアの最近の楽しみになっている。そしてその少ない交流の中で、彼女は彼の事を知っていった。

 

 シルヴィア・リューネハイムは自他共に認める有名人だ。アイドルとして、歌姫として、彼女の知名度は世界最高峰だと言っても過言ではない。それ故に、彼女は色んな視線に晒される。同性からの視線はまだいいのだが、異性である男性からは、好意以外にもいやらしい目で見られることも多いのだ。

 

 だが、八幡からはそういったものを感じない。だから、彼と話している時は自然体で話すことが出来るのだ。

 アイドルとしてではなく、歌姫としてでもなく、一人の少女として自分の素を出せる。それが今のシルヴィアにとっては、とても心地よいものだ。

 

「思わず頷きそうになっちゃった……」

 

 彼女にとってウルスラのことは自分だけの問題であり、他の人に手伝ってもらう様なことではない。だが、何の思惑もなく善意で手伝うと言われた為、素直に断ることが出来なかったのだ。

 

「ホントにどうしよう?」

 

 断るのは簡単だ。だが本当にそれでいいのかと自身の心に疑問が生じる。人手が多い方が色々と便利なのは間違いないのだ。

 

「……とりあえず保留かな。まずは八幡くんの事を二人に話さないと。喜ぶだろうな、二人とも」

 

 二人の喜ぶ顔が目に浮かぶようだ。

 

「范八幡くん、か」

 

 范星露と同じ姓を持つ男の子で界龍の特待生。范星露との繋がりがあるか気になったので、個人的に軽く探ってみたが、それ以上の情報は見つからなかった。だが、まったくの無関係とも思えない。

 

 彼のことを自身はどう思っているのだろうか?ふと、そんな考えが彼女の脳裏を過ぎる。

 

「―――色んな意味で気になる男の子、かな」

 

 彼の正体が。その実力が。そして彼自身のことが。色々な意味で気になるというのが、一番しっくりくる答えだ。

 

「そうだ!私もあの二人と一緒に八幡くんに会いに行こっ!」

 

 突如良い考えが閃いた。もう狙われる可能性はないとは思うが、用心のためにボディーガードとして二人に付いて行けばいいのだ。変な輩が居たとしてもそれで対処できる。

 

「よし!そうと決まればスケジュール調整しないとね。ペトラさんとも相談しなくっちゃ♪」

 

 シルヴィアは自身の機嫌を表すかのように、軽やかな足取りでスピードを上げ、そしてクインヴェールへと向かうのだった。




陽乃とイレーネ、そしてシルヴィアとの話でした。

次回は双子も絡む予定です。


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第十九話 双子との話し合い

今回は少し短めです。



「この辺りか……」

 

 八幡は歩きながら空間ウィンドウを開き、目的地を確認する。

 前回、シルヴィアと双子に会うと約束し、後日にその連絡を取り合ったのだが、落ち合う場所を決めるのに時間が掛かった。

 あの夜以降、安全を確認するためにクインヴェールからの外出を控えていた双子の少女たち。あれから時が過ぎて、マフィアの残党も残らず確保されたことで、ある程度安全は確保されたそうだ。それで恩人である八幡に是非とも会いたいと二人が強く希望し、今回の会談の流れとなった。

 

 しかし、双子の件は公式には事件として扱われていない出来事だ。その話を公共の場所で話すのは不味いため、場所の選定に難航した。そこで八幡は陽乃に相談した。人と秘密裏に会って目立たなく、腰を落ち着けて話が出来る場所はないかと。

 陽乃は少し考え、ここなら大丈夫だよとその場所をデータで送ってきた。

 

「……ここか?」

 

 地図を確認しながら辿り着いた場所は、商業地区のメインストリートから少し奥に入り、入り組んだ路地の先にあった一軒の店。窓ガラス越しに見る店内に客らしき姿はなく、休業中かと勘違いしてしまうほどだ。八幡はドアを開け店内に入る。

 

 するとそこには懐かしい人物がいた。

 

「やぁ、少年。久しぶりだね」

「…………マスター?」

 

 それは八幡にとっては思わぬ再会だった。その人物は、八幡と陽乃が地元を去る前に通っていた喫茶店のマスターだったのだ。

 マスターは初老の男性だ。髪は真っ白に染まり、短くも小奇麗に整えている。そしてその風貌は年よりも若く見え、年齢を感じさせない顔立ちだは前回会った時と変わっていなかった。

 

「どうして此処にいるんですか?」

「陽乃ちゃんからアスタリスクに誘われてね。二人が来なくなってから直ぐに店を畳んだのさ。アスタリスクにも興味があったからね」

「そうだったんですか」

 

 マスターは笑みを浮かべながら言う。

 

「今日は君たち四人の貸切だよ。オープン前だから時間は気にしなくていいよ」

「……ありがとうございます」

 

 八幡がマスターにお礼を言う。そこで店の入り口の扉が開きチリリンとベルの音が聞こえた。視線を送ると店内に入ってくる少女たちが見えた。

 

「来たようだね」

「ですね」

 

 二人は訪問客である三人の少女たちを迎えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「改めまして先日のお礼を言わせてください、八幡様。私たち姉妹を助けて下さり本当にありがとうございます」

「……ありがとうございます」

 

 目の前でリースフェルト姉妹が頭を下げて八幡にお礼を言う。

 

「もう大丈夫なのか。出歩いても?」

 

 八幡が心配するのは二人の今の状況だ。二人を狙う輩がまだ存在しているとしたら、出歩くのも危険が伴う筈だ。しかしグリューエルはそれを笑って否定する。

 

「その辺りは問題ありません。私たちを狙った目的と黒幕は調査して突き止めましたし、既に報復の方も済ませてあります。ね、ヒルデ」

「はい、お姉さま。相手のネットワークに侵入してウィルスを送付済みです。黒幕のデータベースの凡そ五割程破壊に成功しました。そのついでに相手の悪事の証拠を掴みネットワーク上にアップしましたので、近日中に逮捕されるはずです。勿論、こちらに繋がる証拠は残していません」

 

 しれっと怖い事を言う姉妹。その台詞に頭を抱えるのは生徒会長のシルヴィアである。

 

「……あなた達そんな事してたの。聞いてないよ、私?」

「ええ、言ってないですから」

 

 シルヴィの追及をグリューエルは悪気のない笑顔で返答する。

 

「とりあえずもう危険はないと思っていいのか?」

「はい。黒幕の方もこちらの報復だと認識しているでしょうけど、繋がる証拠がなければこちらを追及できません。これ以上私達姉妹に手を出すことはないでしょう」

「それでも相手がこちらを狙うなら、次はもっと強力なウィルスを送ります。お仲間の居場所も割れていますので容易です」

 

 グリュンヒルデが事も無げに簡単そうに言う。

 

「……凄いな、二人とも」

「……そうあれよと作られ、育てられましたから、私達姉妹は」

「そのぐらいは簡単です」

「ちょっと二人とも! その話は!」

 

 姉妹が出した話題をシルヴィアが慌てて止めようとする。

 

「…………それは俺が聞いてもいい話か?」

「……出来れば聞いていただきたいです」

 

 二人の姉妹が真剣な瞳で八幡を見る。

 

「……分かった。聞かせてくれ」

「ありがとうございます」

 

 一礼してグリューエルが話を始める。

 

「星脈世代。万応素の影響を受けて誕生した新人類の事をそう呼びますが、誕生する条件は今なお不明のままです。星脈世代同士から生まれる子供は星脈世代の確率が少しだけ高い。現在でもそれぐらいしか判明していません」

 

 続けてグリュンヒルデが喋り出す。

 

「そして生まれてきた子供が星脈世代だとしても、その子供が優秀とは限りません。星辰力の総量。能力の有無。身体能力の高さ。それらは成長しないと優秀かどうかは判明しません」

「……そうだな。それは俺も知っている」

 

 それは星脈世代としては常識の話だ。星辰力は成長期に大きく変動するし、能力も幼少期に発現することもあれば、そうでない場合もあるのだ。

 

「優秀な星脈世代が生まれるか分からない。なら生まれる前の子供の遺伝子に手を加え、優秀な星脈世代を生み出そうとする一つの計画がフラウエンロープで発案されました────その結果生まれたのが、私たち姉妹になります」

「遺伝子のサンプルの一つとしてリースフェルトの王族が選ばれ、私達は人工子宮から生まれた────だけど研究は失敗でした」

 

 姉妹は淡々と話しを続ける。

 

「一応の成功例として生まれたのは私たち二人だけでした。だけど、私たちの性能は研究者たちの要求する水準に達していなかった。能力は発現せず、強大な星辰力も持ち合わせていない。だけど代わりに、私達には一つだけ誰にも負けない力がありました」

「それがこれです」

 

 グリュンヒルデが空間ウィンドウを開く。

 

「……ネットワーク関係か?」

「はい。正確には電子戦ですね。この力なら私達姉妹は強いですよ」

「二人で力を合わせれば、統合企業財体にも侵入可能です。今回狙われたのはこれが恐らく原因ですね」

 

 それが本当なら確かに強力な力だ。狙われるのにも納得する。

 

「フラウエンロープ。確かアルルカントの運営母体だったか?」

「はい。その通りです」

「その研究者たちはよく二人を手放したな。そのままフラウエンロープ所属になってもおかしくないだろうに」

 

 二人の力を知れば手放すなど考えないはずだ。だが二人がクインヴェールにいる以上、何かがあったはずだ。

 

「そうですね。一度は私達に失望した研究者たちですが、この力を知った途端手の平を返しました。それ以降は、この力だけを伸ばす様に訓練していました────あの日までは」

「あの日?」

「あの日、近くの研究所が何者かの手によって壊滅しました。その連絡を受けて研究所内は一時騒然となりました」

「研究者たちは何者かの襲撃と判断したようです。当然、施設内は大混乱────つまり脱出のチャンスです」

「…………もしかして」

 

 その後の様子を想像したのか、シルヴィアの頬が引き攣る。

 

「まず最初に行ったのは、ネットワークに侵入して警備システムのダウンです。次に防災システムを起動して研究所を混乱させました。その後、研究所のデータを全て破壊しました」

「そして混乱の最中二人で研究所を脱出。戸籍がないため公共機関には頼れなかったので、孤児院を駆け込み保護を求めました」

「そして暫くした後、何処からか事情を知ったユリスお姉さまが私たち姉妹を保護しに孤児院に現れ、強引にリースフェルト家に引き取られました────以上です」

 

 二人の話が終わった。少し考え込み八幡を質問をする。

 

「今回の黒幕はフラウエンロープという事か……」

 

 八幡が出した結論をグリュンヒルデは首を縦に振る。

 

「はい。フラウエンロープ所属のとある一派の仕業のようです。直接手を下すのではなく、マフィアやレヴォルフを利用して私たちを誘拐しようとしたみたいですね」

「…………なるほど」

 

 疑問点は解消された。次にシルヴィアが一つ息を吐き喋り出す。

 

「しかし二人とも。今回は八幡くんのおかげで無事に済んだけど、次が安全という保障はないよ。今後の為に対策を立てないと」

「それは身に沁みました。今回の件で実感しましたが……私達は強くなる必要があります。最低でも冒頭の十二人クラス。いえ、可能ならそれ以上の強さが欲しい所です」

「……でもお姉さま。私達の実力は高い方ではないですし、星辰力と身体能力も決して優れているとは言えません。どうすればいいか…………」

 

 困り果てた二人にシルヴィアは考え助言する。

 

「そうだね……出来れば優秀なコーチがいるといいかな。二人だけで練習しても限界があるだろうし。私が相手をしてもいいんだけど毎日はちょっと無理かな」

「いえ、シルヴィア様のお手を患うわけにはいきません。あくまで私達姉妹の問題ですから」

「シルヴィアさんにはとても感謝しています」

 

 シルヴィアに礼を言って考え込む姉妹。

 そんな二人の様子を見て八幡も考える。暫く考えると、ある一つの案を思い付く。

 

「…………一つだけ宛てがある」

「ほんと?」

「ああ。引き受けてくれるかは分からないが、優秀なコーチなら一人心当たりがある」

 

 脳裏に浮かぶのは一人の人物。もし彼女が引き受けてくれるのなら申し分のない人材だ。

 

「もしかして界龍の人? だったら難しいんじゃないかな。他所の学園の生徒を鍛えるなんて奇特な人はいないと思うよ?」

「まあ、物は試しだ。頼んでみるだけ頼んでみるさ。頼むのはタダだからな」

「うーん。八幡くんがいいならそれでいいけど」

 

 納得しきれないシルヴィアだが、とりあえず八幡を信じる事にする。

 その様子を見ていた双子が八幡に話しかける。

 

「あの、ありがとうございます。八幡様」

「……ありがとうございます。八幡さん」

「いや、まだ決まったわけじゃないからな。あまり期待はしないでくれ」

「それでもです。私たちのために色々と便宜を図ってくださる。その気持ちだけで充分に嬉しいです」

 

 グリューエルの言葉に合わせ、隣のグリュンヒルデがこくこくと首を縦に振る。

 二人は真っすぐに八幡を見つめ、その眼差しと素直な誉め言葉を受け、慣れない八幡は頬を少し赤くする。

 

「あ、八幡くんが照れてる。可愛い」

「はい。とても可愛らしいです」

「男の人が照れている姿も中々いいものですね」

「…………あのな。男が可愛いと言われても嬉しくないから、ホント」

 

 口ではそう言うものの、最近は可愛いと言われることが増えていると感じる八幡である。

 

「さて皆さん。盛り上がっている所申し訳ありませんが、少しよろしいですか?」

 

 そこでマスターから声がかかる。

 

「注文いただいたお品をお届けにあがりました。ごゆっくりとお楽しみください」

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ファンクラブ?」

「はい。ファンクラブです」

 

 注文した品を楽しみ一息付いた所で、グリューエルから話が振られた。その内容はファンクラブについてである。

 

「このアスタリスクで有名な方々。特に星武祭で活躍された方や冒頭の十二人を中心に、ファンクラブが存在しています」

「そんなものもあるのか。流石アスタリスクだな」

「序列上位の人にファンクラブは付き物。因みに、ファンクラブの会員数が一番多いのはシルヴィアさんです」

 

 グリュンヒルデの視線の先には紅茶を楽しむ歌姫の姿がある。

 

「ほう。流石リューネハイムだな」

「えーと、私の場合は歌のファンの人達も応援してくれてるから、その分だけ人数が多いのかな?」

「なるほどな。で、そのファンクラブがどうかしたのか?」

 

 八幡はグリューエルに聞き返す。

 

「えーと、その、ですね」

「?」

 

 グリューエルは頬を染め、もじもじと身体を動かしながら言葉を濁す。その姉のじれったい態度を見かね、グリュンヒルデが姉の代わりに言葉を発する。

 

「……八幡さん。少し宜しいでしょうか?」

「何だ。グリュンヒルデ」

「ヒルデで結構です……お姉さまはファンクラブを作りたいと申し上げたいんです」

「ファンクラブか。別にいいと思うが」

「え! い、いいんですか!」

 

 八幡の許可を得てグリューエルは喜びの声を上げる。

 しかし

 

「あ、ああ。誰のファンクラブを作るのかは知らないが、いいんじゃないか?」

 

 当の本人は全く分かっていなかった。その反応にシルヴィアは思わず苦笑する。

 

「…………あの八幡くん。誰のファンクラブの事か分かってる?」

「いや? クインヴェールの誰かじゃないのか?」

「違うよ。グリューエルちゃんは八幡くんのファンクラブを作りたいって言ってるんだよ」

「…………は?」

 

 思わず絶句する。

 

「いやいや、俺は序列外だぞ。それに俺のファンクラブなんて作った所で誰も入らないだろう」

「そんな事ないよ。少なくとも加入予定メンバーはこれだけいるよ、ほら」

 

 シルヴィアは手元の空間ウィンドウを八幡へと流す。

 

「…………ちょっと待て」

「どうかしましたか?」

「メンバーについて色々言いたいことがあるんだが」

 

 八幡がメンバーを確認するとそこには数人のメンバーが記載されていた。

 

「グリューエルにグリュンヒルデ「ヒルデです」……ヒルデに……後、何でお前の名前があるんだ、リューネハイム?」

「うん。私は八幡くんのファンだから」

「……はぁー。それに何で陽乃さんまで入ってるんだ」

「それは私が陽乃さまに相談した所、『面白そうだから私も入る』とおっしゃってましたので」

「陽乃さん…………」

 

 八幡は頭を抱える。

 

「……そんな事より八幡くん。私は一つ言いたいことがあります」

「そんな事って。俺にとってはとても重要なことなんだが」

「八幡くんの実力ならファンクラブは出来るから、早いか遅いかの違いしかないよ。それより八幡くん」

「何だ? リューネハイム」

「それだよ!」

 

 シルヴィアは大声を上げる。

 

「私たちが初めて会ってから結構時間が経ちました」

「……まあ、そうだな。俺がアスタリスクに来てもう一か月は過ぎたな」

「親しい友達にはシルヴィって呼ばれてるので、私の事は今後シルヴィと呼んでほしいです。勿論、グリューエルちゃんとグリュンヒルデちゃんもだよ」

 

 シルヴィアが双子に話しを振る。すると二人は頷きながら答える。

 

「分かりました。シルヴィさま」

「はい。今後はそう呼ばさせてもらいます。私のこともヒルデとお呼びください」

「うん、分かったよヒルデちゃん。さあ、八幡くんも呼んでみて」

 

 三人が八幡を見つめる。それに対し八幡は少し考えそして口を開く。

 

「…………リューネハイム」

「むぅぅ。二人の事は名前で呼ぶのに」

 

 頬を少し膨らませて拗ねるシルヴィア。

 

「……勘弁してくれ。二人は年下だからまだ呼べるけど、リューネハイムは無理だ」

「え~それは差別だよ。断固撤廃を要求します」

「要求は却下されました」

「なら上告して再申請を要求します」

「残念。その上告は棄却されました」

「むぅっ、だったら────」

 

 二人は言い争いを始めた。

 

「……どうします。お姉さま?」

「放っておきなさい。二人ともアレで楽しんでいるようですから」

 

 二人の口喧嘩をグリューエルは微笑みながら見つめる。

 

「しかし、八幡さんもシルヴィさんの名前を呼んであげればいいのに。どうして呼ばないのでしょうか?」

「…………男の方にも色々あるのよ、ヒルデ」

 

 グリューエルは気付いていた。八幡がシルヴィアの名前を呼ばないのは、単に気恥ずかしいのが原因だろうという事に。

 そして八幡がシルヴィアを女性として意識しているが、自分達はそうではない事にも気付いてしまった。

 

「………………少し妬けますね」

「お姉さま……」

 

 グリューエルは自身の心情を思わず吐露し、そんな自分に苦笑する。

 その間にも二人の争いは続いていた。

 

「大体八幡くんはこっちから連絡しないと全然連絡してこないよね。どうしてかな?」

「……それはつまりアレだ。アレがこうしてアレだからだ」

「理由になってないよ」

「…………まあ、こっちにも色々あるんだよ……そう、やんごとなき事情という奴だ」

「……絶対それ、大した理由じゃないでしょ」

「………………そんなことはない、ぞ?」

「八幡くん? 人と話するときは相手を見て話さなきゃ駄目だよ?」

 

 二人の口論は傍から見てもシルヴィアの方が優勢だった。

 

「時間の問題ね」

「そうですね」

 

 その後、十数分の激しい闘いが繰り広げられた。八幡の抵抗空しく敗北を喫することになり、シルヴィアのことをニックネームで呼ぶようにと押し切られてしまった。

 喜ぶシルヴィアに疲れ切った八幡。そんな二人を双子は苦笑しながら見守り、マスターは高みの見物をしていた。

 

 因みに、范八幡のファンクラブは本日付で結成される事になり、結成時の会員は八幡の関係者のみの少数で構成された。

 

 本人は会員なんて増えるわけないと高を括っていたが、本人の予想に反し会員数は徐々に増えていくことになる。

 

 そして、ある出来事を切欠に爆発的に会員数が増える事になるのだが────それは少し先の未来の話である。

 

 




今回は双子とシルヴィアのお話でした。

誤字、脱字、感想等あれば、よろしくお願いします。


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第二十話 その決断は彼にとっての第一歩

一つの区切りとなるお話です。



 ふと気づくと、そこには懐かしい風景が広がっていた。

 

 教室に真ん中に並べられた机。そして机の周囲に置かれた三つの椅子。三つの椅子の内、二つはお互いの近くに置かれ、最後の一つは少し離れた位置に配置されている。

 

 目線を上げ窓の外を見ると夕焼けの空が見渡せる。そして窓の外からは部活動に励む生徒らしき声が聞こえてくる。

 

 そして────―

 

「……どうしたのかしら、比企谷くん? ぼうっとして」

「そうだよ、ヒッキー。そんな所で寝ると風邪ひいちゃうよ」

 

 少し前まで共にいた二人の女子生徒の姿があった。

 

「あ、ああ……何でも……ない」

 

 目の前に飛び込んできたその光景に思わず言葉が途切れる。

 

「あら? 紅茶がなくなったようね。由比ヶ浜さん、あなたもどうかしら?」

「うん。ありがとう、ゆきのん」

 

 雪ノ下雪乃。由比ヶ浜結衣。二人のやり取りが目の前で繰り広げられる。

 何度も見た光景。何度も繰り返されたやり取り。それは自分にとってあるべき日常の姿だった。

 

「比企谷くん。あなたがどうしてもというのなら、あなたの分の紅茶も入れてあげなくはないけど、どうするのかしら?」

「ヒッキ―も飲もうよ。ゆきのんが淹れてくれる紅茶、美味しいよ?」

 

 二人がこちらを見る。穏やかな目で────こちらを見詰めてくる。

 

「──────―」

 

 何と答えたかは分からない。分かったのは二人の問いに頷いたということだけ。

 

 暫くすると目の前に紅茶が入った容器が置かれた。容器を手に取り口を近付けると、芳しい紅茶の香りが鼻孔を擽る。そのまま容器に口を付け、一口紅茶を飲み容器を机に置く。

 

 この部活の何気のない時間が好きだった。

 

 雪ノ下雪乃の紅茶はとても美味しく、彼女の淹れる紅茶はひそかな楽しみだった。

 由比ヶ浜結衣の喋る姿は嫌いじゃなかった。口数の少ない八幡と雪乃にとって、彼女は二人を仲立ちをしてくれる存在だったのだ。

 

 三人でいるこの奉仕部は、とても、とても大切なものだったのだ。

 

 だからこそ分かる。

 

「…………これは夢だ」

 

 その一言により世界が変わる。

 八幡一人を取り残し、雪ノ下雪乃と由比ヶ浜結衣の二人の姿が急速に遠ざかっていく。

 

 それを見た八幡が二人を追うようなことは────しない。

 

 この光景は自分の心に残る未練が、夢という形になって表れたものだと理解しているからだ。

 

 ────―あの大切なものを壊したのは自分だ。

 ────―あの穏やかな時間を壊したのも自分だ。

 ────―あの二人に嫌われるのも自分が原因だ。

 

 世界が闇に染まっていく。大切な思い出も、大切な時間も、それらを全て塗りつぶさんと蠢いていく。

 周辺全てが闇に染まると、次に自分の身体が染まっていくのが分かった。足元からゆっくりと上半身に向かって這い上がってくる。

 

 身体が────心が────全てが染まり上げられると思われたその瞬間。

 

 ────―手の平に温かい光が感じられ、その場から掬い上げられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 目を開けるといつもの天井が見えた。そして次に、右手に何か温かい感触が感じられたのでそちらに顔を向ける。

 

「……起きたようじゃな」

「星……露……?」

 

 范星露が布団の傍へと座り、布団からはみ出ている右手を握っていた。

 

「うなされておったようじゃが大丈夫か?」

「……ああ……でも、星露は何で此処にいるんだ?」

「……時計を見てみよ」

 

 壁に掛けられた時計を見る。すると時計の針は午前10時を過ぎている。

 

「す、すまん! 寝坊した!」

 

 慌てて起き上がり着替えようとする八幡。しかし急ぐ八幡を星露は引き留める。

 

「急がなくてもよいぞ。今朝の鍛錬は中止じゃ。それに今日は休日じゃからな」

「……いいのか?」

「問題はない。それにな、八幡よ」

 

 八幡を下から見上げ、彼女はにっこりと笑う。

 

「せっかくの休日じゃ。儂と一緒に街へ繰り出すぞ」

 

 星露は八幡へそう提案してきた。

 

「どうしたんだ、急に」

「嫌か?」

「嫌なわけじゃないが……珍しいなとは思った」

 

 基本的に范星露は界龍から出る事は少ない。六花園会議などの公務ならともかく、私用で出かける事はほぼないからだ。何かが欲しいのなら誰かに頼めばいいし、暇があれば鍛錬をするのが范星露という人物だ。

 

「なに、単に気分転換よ。どうじゃ?」

「まあ、別に構わないが」

「じゃあ、決まりじゃな。儂も着替えてくるから、黄辰殿前で待っておれ。よいか?」

「……分かった」

「よし。ではまた後でな」

 

 そう言うと星露は八幡の部屋を退出する。

 残された八幡は一人思考に耽る。星露が外出の提案をしてきた事に対して彼女の意図を考え、一つ溜息を付いた。

 

「気を遣わせたか……まあ、偶にはいいか」

 

 

 

 

 

 

 

 

「待たせたの、八幡」

「……ああ、って……どうしたんだその恰好?」

 

 近寄ってきた星露の姿を見た八幡は、思わず本人へ問いかける。そこに居るのは界龍の制服を着た范星露ではなかったからだ。

 

「うむ。陽乃に進められてのう。洋装はあまり着たことはないのじゃが、とりあえず着替えてみた。どうじゃ?」

 

 星露はその場でクルリと一回転すると、それに合わせフワリとスカートが揺れる。

 青を基調とした洋服を着た彼女は、普段とかなり様相が異なるがとてもよく似合っている。

 

「あ、ああ。いいと思う、ぞ?」

「何故に疑問形じゃ? 女子の服装はしっかりと褒めるのが男としての務めじゃぞ、八幡」

「……そういうものか?」

「そういうものじゃ。ではそろそろ行くか」

 

 星露は八幡の手を取り自身の手と繋いだ。

 

「どこへ行くんだ?」

「ぬしはまだ朝餉を食べておらんじゃろう。時間的に少し早いが昼餉を食べに行くとしよう。何が食べたい?」

 

 星露の問いに少し考え込む。

 

「…………そうだな。普通ならサイゼ一択だが、今日はラーメンが食べたい気分だ」

「ほう、いいではないか」

「何処か美味い店って知ってるか?」

「儂も普段街中では食べんからのう。詳しくは知らん。じゃが、北は北海道から南は博多まで全国のラーメン店はあるはずじゃぞ」

「いいな、それ」

「……そう言えば、商業エリアの一角にラーメン通りがあったはずじゃ。前に家の生徒が話しておったのを小耳に挟んだな」

「じゃあ、そこへ行くか?」

「うむ! では行くぞ」

 

 目的地を決めると、星露が手を引っ張り二人は歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「美味かったな」

「うむ、中々美味であったな。あれなら合格点をやってもいいじゃろう」

「……判定厳しくないか?」

 

 昼食のラーメンを食べ終えた二人は、のんびりと目的もなく食後の散歩をしていた。休日の街中となると周囲は人で溢れかえっている。見た感じ学生の若者と観光客らしき人達が中心だ。

 

「さて、これからどうするかの?腹ごなしもすんだことだし、その辺をぶらつくのも悪くはないが」

「…………なら、本屋に行ってもいいか?最近行ってないからちょっと見てみたい」

「別に構わんぞ……ちょうどあそこに本屋があるな」

 

 星露が辺りを見渡すと一軒の本屋が見つかった。

 

「じゃあ行ってくるが、お前も行くか?」

「うむ、儂も行くとしよう。本屋を訪れるのは久方ぶりじゃ」

 

 二人は本屋へと足を運び店内へと入った。店の中はとても広く膨大な数の本が置かれている。そしてその本を求めた客もまた店内にたくさんいた。星露は近くの本を一冊手に取る。

 

「ふむ、やはり本はいいな。昨今はデジタル化が進んでおるが、儂は紙の本の方が好きじゃな」

「それは同感だ。スペースを取らないのは大きな利点だけど、本を読むならやっぱり紙だな」

 

 お互い感想を言いながら頷き合う。

 

「さて、儂も色々見て回るか。また後での、八幡」

「ああ、後で合流しよう」

 

 二人はそれぞれ本を探す為に別れる事になった。星露の足取りは軽く、何処かはしゃいでいるようにも見える。一人残された八幡は少し考える。

 

「とりあえずどうするか……ラノベから見て回るか」

 

 本屋を訪れるのも地元を離れて以降初めてだ。アスタリスクでは何だかんだで忙しく、遊びに行く暇もなかったのだ。新作も色々出ているであろうと期待しつつ、八幡も本を探しに行くことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……いっぱい買ってしまった」

 

 予想以上に新作が発売されてるのを発見し手に取った結果、大量の本を購入することになった。それらの会計を済ませた八幡は広い店内の中、星露を探す。暫く店内を探すと見覚えのある姿を見つけた。

 

「お、いた」

 

 とあるコーナーの一角で星露を発見した。彼女は一冊の本を手に取り、それを読んでいる。

 近寄る八幡だが、声を掛ける前に星露が気付く。

 

「おお、八幡。そちらの買い物は済んだのか?」

「ああ。そっちこそ何の本を見ていたんだ?」

「ふむ、これじゃ」

 

 差し出された本を見る。

 

「日本の名湯一覧か。温泉好きだよな、星露」

「この本に載っている大半の場所は行ったことがあってな。ちと懐かしくなって見ていたわけじゃ。さて、そちらの買い物が済んだのならこちらも行かねばな」

 

 見ていた本を閉じて買い物カゴの中に入れる。カゴの中には沢山の本が積まれていた。八幡は興味が湧きチラリとカゴの中を覗く。

 

「色々あるな。歴史書が大半のようだが」

「うむ。こういうのを見ると昔の思い出が蘇ってくるのでな」

「……どんな事があったんだ?」

「そうさのう…………」

 

 星露は考えこむ。遠い昔の記憶を引っ張り出すかのように。

 

「……新選組の事は前に話したな」

「ああ。池田屋事件に乱入したって話だったよな」

「そうじゃ。その後、夜吹の一族に襲われるようになったので、ゆっくり京観光とはいかなくなってな。折角なので江戸を観光しようとそちらへ向かったのじゃ」

 

 事態は結構深刻のはずなのに、そう感じさせない本人の談である。

 

「……狙われてるにしては余裕だな」

「初期の頃はまだ下っ端が来ておったからな。あしらうのは簡単じゃった。東海道を通ってのんびりと歩いていったよ。富士の山は今と変わらず雄大であったぞ。そして暫く江戸の街で暮らして居ったのじゃが……色々あったのう。大政奉還、王政復古の大号令、江戸城無血開城……そして戊辰戦争じゃ」

「戊辰戦争。旧幕府軍と新政府軍の戦いか」

「そうじゃ。それに新選組の連中も参加しておってな。それ故に見届けに行ったよ……あやつらの最期を」

「確か新選組の最期って……」

 

 言いにくそうに言葉を濁す八幡。

 

「知っておるか。儂は甲州勝沼の戦いから見学に行っての。近藤勇が処刑され、沖田総司は亡くなり、それでもやつらは止まらんかった。東北の地では宇都宮城の戦い、会津での戦争……そして最後の舞台は蝦夷の地じゃ」

「……最後は五稜郭だったな」

「そう、一つの時代に幕が下りた。侍の終焉の地と言ってもいいじゃろう。まあ最も、江戸敗走後には新選組も銃火器を使用しておったがな」

「銃は剣よりも強し、か。時代の流れだな……今の時代、星脈世代によって近接武器が復活してるのも時代の流れなのかもな」

「ふふっ、そうかもしれぬな」

 

 そこまで話すと星露が買い物カゴを持ってレジへと向かう。

 

「では、買ってくるぞ。暫し待っておれ」

「分かった」

 

 星露は本を持ってレジへと向かった。八幡は自らの放った言葉を振り返る。そして右拳を握りその手を見る。

 

「時代の流れか…………この力にも何か意味があるのか?」

 

 自らの力に意味があるか。ふとそんな事を思う八幡だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 本屋で買い物を済ませた二人は再び街へと繰り出す。

 

 次に二人が向かった目的地は────―

 

「ふむ、やはりこのあんみつは絶品じゃな」

「確かに、これは美味い」

 

 おやつの時間である。

 

「この白玉クリームあんみつは初めて食べたがいい味じゃ。クリームとあんこを混ぜ合わせると更に美味い!」

「それには同意する。だが、俺的には白玉がいいな。このトロモチの感触がたまらん」

「うぅむ。確かにこの白玉も美味いのう」

 

 二人であんみつの美味さを称え合う。星露は元々甘いものが大好きであり、八幡もマッ缶を飲むだけあって甘いものが好きだ。そんな二人がおやつに甘味を求めるのは必然であった。

 

「美味かったのう」

「……ご馳走様」

 

 あんみつを食べ終えた二人はそれぞれ手元の湯呑みを持ち、熱いお茶を飲んでいく。

 

「さて、これからどうする。星露。帰るか?」

「ふむ、それも悪くはないが…………最後に一つ寄っておきたい場所がある。付き合ってくれぬか?」

「別にいいが……何処に行くんだ?」

 

 八幡が星露を見ると彼女は軽く笑みを浮かべた。

 

「なに、ちょっとした見学よ」

 

 二人が向かった先はとあるビルの屋上だった。星露が先導し軽い足取りで階段を昇る。そして、アスタリスク初日にもこんな事があったなと思いながら、八幡も後に続く。

 やがて屋上へと到着した星露が扉を開ける。すると明るい光が視界に飛び込んできた。思わず手を目の前にかざして光を防ぐ。しかしそれも一瞬だった。

 

「どうじゃ?」

「…………ああ、凄いな」

 

 目の前に広がる光景に目を奪われる。時刻は夕方になり日が落ちそうになっていた。つまり夕焼けが最も綺麗な時だ。ビルから西の地平線に沈みかけている夕日と空は赤一色に染まっていた。

 

 その綺麗に光景に心奪われる八幡。綺麗な景色というのは、心を落ち着かせてくれるから不思議なものだ。この景色を見せるのが星露の目的だったのかもしれないと思わせるほどに。

 

「…………ありがとな、星露」

「何がじゃ?」

「……色々気を遣わせたみたいでさ」

「そんな事か。気にするなと言いたい所じゃが……おぬしはそうも思わぬな」

 

 星露が八幡を見る。

 

「色々と思い詰めてそうじゃったからな。少しは気が晴れたか?」

「……ああ」

「真面目なのはいい事じゃが、真面目過ぎるのが八幡の欠点じゃな」

 

 それは意外な言葉だった。

 

「……そこまで真面目なつもりはないんだが。初めて言われたぞ、そんな事」

「充分に真面目じゃと思うがな……儂の為に頑張ってくれるのは嬉しいが、気を張り詰めすぎてはいかんぞ」

 

 星露は軽く嗜める。

 

「…………よく分からん。そんなに気が張ってるか。今の俺は?」

「少なくとも陽乃から聞いていた話とは大分違うの。本来は生粋のめんどくさがり屋で何をするにもやる気がない性格。その思考と解決方法故、陽乃の奴はおぬしのことを理性の化物と呼んだ。座右の銘は押してだめなら諦めろ。将来の夢は専業主夫として養ってもらうこと。違うか?」

「あーまあ、否定は出来ないな」

 

 他人から指摘されると思う所がある。今思えばとんでもない発言をしていたものだ。

 

「まあ、おぬしの場合過去の出来事が原因で、今の今までやる気がなかったのもあるじゃろう。その反動で今真面目になっておる。それはまあよい。悪いことではないからの……じゃが、それがいき過ぎるのは問題じゃ」

 

 星露はふわっとした笑みを浮かべる。

 

「もっと気楽に生きよ。毎日を楽しみ人としての生を謳歌せよ。強さのみを追い求めても最終的には碌なことにはならぬぞ」

「………………」

 

 それは実感の籠った言葉だった。本人の経験談とも感じ取れた。その言葉に八幡は沈黙する。

 

「ふむ、そう言えば専業主夫志望だったな。もし今でも望むなら叶えてやってもよいぞ……儂に勝てたらな」

「条件厳しすぎるだろ、それ」

 

 ニヤリと笑う星露に思わず苦笑い。

 

「……今更専業主夫なんて望まないさ」

「ほう」

「それにお前の元での専業主夫って、働かなくてもいいけどずっとお前と戦えってことだろ。それなら働いた方が幾分かマシだよ……心惹かれるものはあるがな」

「くくくっ、よく分かっておるではないか」

 

 隣に愉快に笑う星露がいる。彼女の隣に自分がいることにもはや違和感を感じない。むしろ当然だと思うのは悪いことではないはずだ。

 

 本音を話しても拒絶されない。間違ったことを言ってもすぐに否定はされない。誤りがあれば指摘をされ、互いに納得するまで話すようになった。

 

 それが家族というものの本来あるべき姿なのだろうなと、最近思うようになった。

 

 元の家族であれ、学校であれ、誰もが自身を否定をする人達ばかりであった。こちらの意見は否定され、拒絶され、ならどうすればいいかと教えてくれる人は誰もいない。

 

 范星露だけが違った。

 

 だから彼女の前ではつい素直になってしまう。自ら甘えてしまう事すら否定できない。もし前の自分を知っている人達が今の自分を見ても誰だお前と言われる自信がある。

 

 ────特にアイツらには

 

「奉仕部か……」

「ん?」

 

 つい漏れ出た言葉を聞き取られてしまった。

 

「いや、今朝ちょっと夢を見てな」

「うなされておったな。嫌な夢でも見たか……辛いなら話さなくてもよいのじゃぞ?」

 

 心配そうにこちらを見詰めてくる。前までなら話す事は無かった。自ら弱みを話すなど考えもつかなかった。

 

 でも今は違う。

 

「……昔の部活の夢を見たんだ」

「部活。奉仕部というやつか?」

「ああ」

 

 星露の言葉に八幡は頷く。

 

「……後悔しておるのか?」

「……いや……どうだろうな」

「…………」

 

 星露は沈黙する。彼が自身の心の内を整理しながら、思いを打ち明けようとしているのが分かったからだ。

 

「…………自分でやったことだ。例えそれが間違っていたとしても、後悔は……してない。自分でやった行動を俺自身が否定したら……それこそ無駄になるからな……俺はただアイツらに理解を、いや理解してもらえなくても……否定はしてほしくなかったんだろうな。多分」

「憎んでおるか? 陽乃の妹を。そしてかつての仲間を」

 

 八幡はその問いかけに少し考え、だけどしっかりと答えを出す。

 

「……憎しみか……ないと言えば嘘になる。暴走した時ハッキリと感じたからな…………自分の中にある負の感情を。怒りや憎しみ、そして殺意が極限まで膨れ上がり、その感情に飲み込まれ支配された。そんな感じだった……自分の中にあんな感情が眠ってるなんて思いもよらなかったよ」

「怒りも、憎しみも、そして殺意さえも人として当たり前の感情よ。それを否定してはならんぞ」

「……ああ、分かってるさ」

 

 言うのは簡単。だが、自身の心を納得させるのは難しい。星露もその事をよく理解している。

 

「自分の心の闇を律し、己が醜いと思う感情を受け入れよ……と、言うだけなら簡単なことじゃが、それを行うのは難しいことよな」

「そう、だな」

「何か心の内に引っ掛かりがあるようじゃな。もしよかったら話してみよ」

 

 気楽に星露がそう言った。深刻に尋ねられるより軽く聞かれる方が答えやすい。彼女の気遣いに内心感謝しながら八幡は口を開く。

 

「…………分からないんだ」

 

 ぽつりと話し始めた。

 

「アイツらのことを大切に思っていたのは本当だ。だけど、だけど今は、それ以上に憎しみという感情が俺の心に渦巻いているんだ。だけど、そんな風に感じる自分が卑しくて、浅ましくて……苦しいんだ」

 

 心の奥底から溢れ出る彼の闇。

 

「……分からない……分からないんだ。少し前にアイツの名前を聞いただけでも我を忘れそうになった。俺は、俺は…………どうしたらいいんだ?」

 

 苦しみながらも吐かれた言葉が、今の彼の本音だった。

 

 それはある種の弊害だ。以前までの彼ならそんな事を心配する必要はなかった。だが、能力の発現がその危機を引き起こす切欠となってしまった。

 能力とは己の心の反映だ。心が平穏に満ちていれば制御することも難しくない。だが精神が不安定ならば──―無意識に能力が暴走してもおかしくないのだ。

 

 特に八幡の闇の能力はそれが顕著だ。彼の能力は負の感情から生まれたもので、その強すぎる能力は精神にすら影響を及ぼしてしまった。その為、今の彼は人の悪意に過敏に反応してしまう。

 

 范星露と共に暮らし、界龍での生活をしていく中で、彼の心の傷はゆっくりと癒えているのは事実だ。だが、かつてのトラウマを思い出せば容易に崩れ去ってしまう。現状で言えば砂上の楼閣のようなものだ。

 

 それ故に、今の八幡の精神はとても不安定な状態だ。そこにはかつて雪ノ下陽乃が理性の化物と呼んだ者はいない。

 

 ────そこにいるのは年相応に悩む一人の少年だけだ。

 

 

 胸を手で押さえ苦しそうにする八幡。そんな彼を見た星露の対処は決まっている。彼の肩を掴みゆっくりと自分の方に引き寄せ────己の胸に彼の頭を抱きしめるのだ。

 

 八幡の強張った身体を抱き締める。背中に回した手を広げ、ポンポンと何度か彼の背を叩く。するとその身体から力が徐々に抜けていく。そして彼の両膝が地面に着き、星露へと身を任せる形となった。

 幼子特有の温かい体温と、トクントクンと聞こえる心音が八幡の心に安らぎを与えていく。

 

「…………すまん」

「気にするでない」

 

 星露の胸に抱かれたまま謝る。温もりに包まれた八幡は、徐々に落ち着きを取り戻していく。

 

「どうしたらいいかという質問じゃったな。儂の意見でよければ聞いてみるか?」

「……ああ。教えてくれ」

 

 星露は自身の胸に抱いている八幡を手で少し離す。そして至近距離で彼の瞳を覗き込み、断言する。

 

「そやつらとは関わるな」

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………え……今、なんて?」

「聞こえなかったのならもう一度言おう。関わるなと言った」

 

 言われた言葉に動揺し聞き直すも、同じ事を言われた。

 

「今までの状況から考えるに、そやつらと再び接することで、おぬしは又深い傷を負うかもしれぬ。しかも今度は取り返しがつかぬ、致命傷をな」

「それは…………」

 

 その発言に何か言おうとするも、言葉が出ない。

 

「だったらそやつらとは会わなければよい。出会ったとしても相手にするな。深く関わらなければ余計な傷を負うことはない。違うか?」

「……確かに……そうだけど」

 

 彼女の言は正しい。反論出来ないほどに。

 

「もしそれでも突っかかってくるようなら対処は簡単じゃ。その力を持って叩き潰せ。今のおぬしなら容易いであろう」

「………………」

 

 事も無げに言い放つその意見に沈黙してしまった。そして気付いてしまう。もし彼女たちがこちらに突っかかってきた場合、それが一番確実で簡単な方法であると。

 

「星露……でも、俺は……」

 

 それでも追い縋る。その意見が間違っていない事が理屈で分かる。感情の面でも正しいと判断できる。

 

 だけど────納得は出来なかった。

 

「納得できぬか?」

「…………ああ」

「ふむ、この方法が一番簡単なのじゃがな。納得できないのであれば仕方がない。では次の案じゃ」

「次?」

 

 八幡の問いに頷き、次の案が提示される。

 

「本音で語ってみよ」

「……本音?」

「そうじゃ。告白の件に関しても、依頼の時点で断っておけば問題はなかったのじゃからな。どうせおぬしの事だから、相手に遠慮をして引いたのが原因じゃろう。押しが足りぬ証拠じゃ」

「…………まあ、な」

 

 確かにあの時にキチンと追及するべきだったのだ。死ぬ気で依頼をキャンセルすればこんな事にはならなかった。だがそれが出来るのなら苦労はしない。

 

「本音、か。だけどそれは……」

 

 言いたいことは分かる。だけど自分には難しいと思った。本音を言えば相手が傷つく場合もある。いわれようのない悪意を向けられることもある。そして何より、本音を言って受け入れられないことが一番怖い。

 

「おぬしの考えてることは大体分かる。だがな八幡。お互いに本音で話し合えなかったのが、おぬしの失敗の原因の一つじゃ」

「それで拒絶されたら?」

「縁がなかった。それだけの事よ」

 

 八幡の疑問を星露はスパッと答える。

 

「のう八幡。人と人は縁でつながっておる。おぬしがかつての仲間と築いたのも一つの縁じゃろう。じゃがな、それは一つではない」

「……どういう意味だ?」

「おぬしと儂が出会ったのも縁。このアスタリスクに来てから出会った人物達も複数の縁になる」

 

 八幡の脳裏にアスタリスクで出会った人達の姿がよぎった。

 

「縁が切欠で仲良くなることもあろう。喧嘩をして別れることもあるじゃろう。だがな、それは当たり前の事なのじゃ」

「当たり前、か」

「お互い本音で語れぬ相手など友とは呼べん。それが原因で別れるのであれば一緒に居るべきではないのじゃ……無理に一緒にいても何れ破綻する」

「! そうだな」

 

 星露は八幡の頭を優しく撫でる。

 

「何にせよ、おぬしは難しく考えすぎじゃ。儂の弟子達とも仲良くやってると話は聞いておるぞ」

「仲良く……出来てるんだろうか?」

「虎峰とセシリーは同じクラスじゃったな。アヤツらはどうじゃ?」

 

 二人のクラスメイトのことを思い出す。

 

「……いい人たちだ。俺には勿体ないくらい」

「儂の自慢の弟子じゃ。おぬしが本音で話す程度で離れていくような軟な二人ではないぞ」

 

 確かにそうなのかもしれない。あの二人には気安く接することが出来るし、少なくともこちらを馬鹿にするようなことは言ってこない。

 

「まずは一歩。おぬしから歩み寄ってみよ。最初はそれでよい」

「……………………分かった」

 

 星露の助言を受け、葛藤しながらも小さく頷く。

 

「うむ、偉いな。八幡は」

「……なぁ、星露」

 

 頭を撫でられながら彼女の名前を呼ぶ。

 

「何じゃ?」

「お前が俺の家族で良かった……ありがとう」

「……気にするな」

 

 八幡は素直にお礼を言う。その彼の顔は少しだけ笑顔になっていた。それにに気付いた星露は、我が事の様に嬉しく思うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして翌日。月曜日の朝。

 八幡は自分の教室に到着し入り口のドアを開ける。まだクラスメイトは半分くらいしか揃っていない。

 

 目的の人物は探すまでもなくいつもの場所に居た。そこへと近付く。

 二人で何か話をしているようだ。お互いに話に夢中でこちらに気付いてはいない。

 

 二人に近付いて話しかける。

 

「……おはよう。虎峰、セシリー」

 

 二人が驚いた顔でこちらを見ているのが気配で分かった。だがそっぽを向いた状態なので確認は出来ない。頬が熱くなっているのは自覚している。

 

 そして二人は

 

「おはようございます、八幡!」

「おはよー八幡。今日もいい天気だねー」

 

 何事もなかったように挨拶を返した。

 

「今日は国語の宿題が出てますが、大丈夫ですか八幡?」

「ああ、国語はキチンとやる主義だ。まだ簡単だからな。セシリーは?」

「やってないよー虎峰貸してー」

「はぁ。しょうがありませんね。一つ貸しですよ、セシリー」

 

 そしてそのまま、三人の日常が始まった。

 




うちの八幡は精神的に結構弱めです。そんな彼が悩み、相談し、少しでも変わろうと第一歩を踏み出す。今回はそんなお話です。

次話からは夏休みに突入。そして新たなヒロインが登場予定です。

誤字、脱字、感想等あれば、よろしくお願いします。


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第二十一話 内気な少女との邂逅

PV200,000HITありがとうございます。

今回の話で、漸く原作崩壊タグが火を噴きます。
さて、読者の皆さんに受けいれられるかどうか?ある意味審判の回です。



 そこに到着したのはお日様が最も高い位置にある時刻だった。

 仙台から西へしばらく向かった丘陵部にある屋敷は一言でいえば大豪邸だ。

 広大な敷地には日本の建築様式の一つである数寄屋造りの建物が何棟も並び、道場らしき建物も複数見受けられる。その雄大な様は江戸時代の上屋敷と表現していいだろう。

 

「……凄いですね、この屋敷」

「はっ! 無駄にでけぇのは変わらねぇな、此処は」

 

 質実剛健な門をくぐり、母屋までの道を歩いているのは二人の人物だ。

 

「なんか棘がありませんか、師匠」

「あんまり此処には来たくねぇんだよ。うるせぇ奴がいるかもしれねぇからな」

 

 周囲の風景に圧倒されているのは范八幡。そして隣でめんどくさそうに歩いているのが彼の師匠の一人、我妻 恭一郎だ。

 

「じゃあ何で俺を此処に連れてきたんですか。この刀藤流宗家に?」

「……会わせたい子がいるんだよ。本当は親父が連れてくる予定だったんだが、急遽予定が入っちまってな……俺は来たくなかったが親父に脅されてな」

 

 溜息を付く恭一郎。彼が宗家を避けているのはとある人物に会うのを避けるためだ。だが今回は父親で剣聖でもある清十郎に言われたため、渋々宗家に足を運ぶことになった。

 

 そして八幡が一緒に訪れる事になったのは清十郎の希望でもある。刀藤流宗家で修行すれば必ず得るものがあるからと言われ、夏休みに入って間もない彼がこの場所にに来ることになったのだ。

 

「まあ考えてみれば、アイツが絶対居ると決まったわけじゃねぇしな。嬢ちゃんに顔見せして俺はさっさと帰るとするか」

 

 気持ちの切り替えはすんだようだ、母屋らしき建物の玄関に到着した恭一郎は扉を開け──―そして即座に閉めた。

 

「よし! 帰るぞ八幡!」

「いや、まだ入ってすらいないですよね。いったい何があったんですか?」

「聞くな! とりあえず今は此処から離れる事は最優先で「入ってきな、恭一郎」……ちっ」

 

 恭一郎の声を遮るように、母屋の中から一人の女性の声が聞こえた。しわがれた、だがとても力強いその声に舌打ちをしつつ、恭一郎は再度扉を開けた。中は予想通りの広い玄関が広がっており、そこには一人の老婆がいた。

 

「何で居るんだよ、クソババア」

「あたしが居て何が悪いんだ? 相変わらず口の悪い子だよ、お前は」

「へっ! アンタに注意される覚えはねぇよ」

「小さい頃オムツを替えてあげた人に対する態度じゃないね」

「それは大昔の話だろ!」

 

 いきなり言い争いを始まる二人に困惑する八幡。その様子に気付いた老婆は八幡に話しかける。

 

「で、そっちの坊主がアイツの弟子かい?」

「ああ、そうだ」

 

 老婆がこちらを見定めるように強い視線を送ってくる。

 

「初めまして、范八幡といいます」

「ああ、見苦しい所を見せちまったね。あたしの名前は我妻代志乃。分家に嫁いだ身だが、今は刀藤流の宗家代理を任されてる。お前さんの知ってる清十郎とは腐れ縁だ」

「……代理ですか?」

 

 分家である我妻の人物が宗家代理を勤めている。その事に疑問が生じ思わず聞き返した。

 

「……当主は今此処には居なくてね。とりあえず上がりな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 代志乃に案内されて長い廊下を進む。廊下から見える範囲ですら、たくさんの部屋があるのが見て取れる。

 廊下に臨む庭園から、建物と建物の間にあるちょっとした坪庭も存在しており、家人らしき人が手入れをしていた。さらに廊下を歩いていると、大人の男性や女性がそこかしらで掃除や片付けをしていた。彼ら彼女らは、代志乃の姿を見ると畏まって頭を下げ、恭一郎の姿を見ると驚きの表情を浮かべた。

 

「皆、うちの門下生だ。住み込みで手伝ってくれてる」

「……師匠の姿に驚いているみたいなんですが」

「此奴は宗家に滅多に来ないからね。珍しいのさ」

「ふんっ!」

 

 そしてしばらく廊下を歩いていると、前方に二人の女性の姿が見えた。その二人に用事があるのか、代志乃を先頭に三人は近付いていく。

 

 二人がこちらに気付く。その内の一人、長髪で黒髪の女性は笑顔でこちらを出迎える。だが、もう一人の銀髪の少女は、八幡の顔を見ると黒髪の女性の後ろに急いで隠れてしまう。

 

「ちょうど良かった。二人とも、ちょっといいかい?」

「はい。あら、恭ちゃんじゃない! 久しぶり!」

「……恭ちゃんは止めろっつってんだろ。まあ久しぶりだな、琴葉」

「ええ。あら、もう一人は初めて見る顔ね。お客様?」

「ああ。一週間ほど家で面倒を見る事になった。清十郎の弟子だそうだ」

「まあ! そうなんですね!」

 

 黒髪の女性は優しそうな笑顔でこちらを見る。

 

「初めまして、刀藤琴葉と申します」

「こちらこそ初めまして、范八幡です」

「清十郎さんのお弟子さんなんだ。八幡くんは高校生? 清十郎さんのお弟子さんって事は千葉県から来たの?」

「今は中学三年です。昔は千葉に住んでいましたが、今はアスタリスクに住んでいます」

「あら、大人っぽいから高校生と思ったわ。それにアスタリスクってアレよね。何か凄い子たちがいっぱいいる所ね。テレビで見たわ!」

「ええと、はい。そうですね」

 

 琴葉のパワフルさに押され気味になる。八幡が困っていると、銀髪の少女が琴葉の服の袖を引っ張る。

 

「……お母さん。困ってるよ」

「あら、ごめんなさいね。この家に若い男の子が来るなんて珍しいから。私ったらついはしゃいじゃって。ほら、あなたも挨拶なさい」

 

 琴葉に促され、銀髪の少女がこちらに顔を出す。くりくりとした大きな瞳とツンとした鼻が可愛らしい少女だ。その顔立ちから年下であろうと推測できる。少女のこちらを見る瞳は不安げに揺れており、いかにも気弱そうな雰囲気を全身から発していた。

 

「は、初めまして。と、刀藤綺凛です」

 

 それがその少女、刀藤綺凛との出会いだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 刀藤流宗家の道場、その中央で木刀を持ち正眼の構えを取る。疲れが生じ肩で息をするが、気力はまだ充実している。そう感じている八幡だが、どうやら相手も同じのようだ。

 

 目の前の少女──―刀藤綺凛を見る。同じ正眼の構えを取り、剣気とも言うべき鋭く冷たい圧力がこちらを襲う。だがそれに気圧される事はない。圧力という点では刀藤清十郎や范星露を筆頭に、アスタリスクで嫌というほど味わっている。

 

 これまでの対戦成績は0勝9敗。現時点で勝ち目がないのは理解している。星露から習った体術や能力を使用すれば結果は変動するかもしれない。だが────そんなものは無粋というものだ。

 

「──―参ります」

 

 綺凛が短く言った次の瞬間、八幡の胸元に木刀が迫る。その軌道に合わせこちらも木刀を合わせてぶつける。木刀同士が衝突し──―綺凛の木刀が大きく弾かれる。木刀に込められた星辰力の差だ。綺凛の体勢が僅かに崩れる。

 

「はっ!」

「っ!」

 

 体勢が崩れた綺凛に対して反撃。だが綺凛は迫る木刀を身体を回転しながら横に回避。そしてその勢いのまま横薙ぎを繰り出す。それを辛うじて受け止め、力で綺凛ごと弾き飛ばした。両者の距離が離れる。

 

 力はこちらが上。しかし流れるような剣技、技の鋭さは綺凛の方が圧倒的に勝っている。これが年下の少女なのだから恐ろしい。いや、それどころか尊敬の気持ちすら湧いて来る。八幡より明らかに年下の少女が、これまでどれだけの鍛錬を積んできたか理解できたからだ。

 

 ────鍛錬サボってきたツケだな。

 

 己の過去に少しだけ後悔する。比企谷八幡の時から今まで鍛錬を続けていれば、もしかしたらこの領域に到達していたかもしれない。そうすればもっとマトモに打ち合うことだって出来ただろう。それが出来ない自分が、もどかしく、そしてとても悔しい。

 

 太刀筋は見える。だが少女の技が尋常ではない。今は耐えているが、又直に一本取られてしまうだろう。

 

 ────守っていても持たない。だったら一か八か! 

 

「はぁぁぁっ!」

 

 綺凛に対抗すべく八幡は連鶴を解き放った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「連鶴か。技の繋ぎにまだ隙は多いが、一応使いこなせている。いい子を見つけたな、恭一郎」

「親父が仕込んだからな。あれぐらいはやって見せなきゃ弟子失格だ」

「そうか……」

 

 代志乃と恭一郎は目の前の戦いを見守っている。

 

「……しかしあの坊主は何者だ。あたしはこれまで色んな子を見てきた。才ある者も、才なき者も含めてな……だけどあの成長スピードは尋常じゃないぞ」

 

 代志乃は気付いていた。綺凛とのこれまでの試合。最初は成す術もなかったのに、試合を進むごとに徐々に綺凛に喰らいついているのだ。一試合ごとに、否、下手をすれば剣を交えているこの瞬間ですら、成長してるかもしれない。

 

「……取り戻してるんだよ」

「どういうことだい?」

 

 恭一郎はその疑問の答えを知っていた。

 

「アイツがうちの道場に入ってきたのが四歳の時だ。そして僅か一年で大人を含めたうちの門下生を殆ど下した。そして親父の弟子になった。それだけでもアイツがどれだけ異常なのか分かるだろう」

「……それが本当だとしたら、綺凛にあれだけ後れを取っているのはおかしくないか?」

「その後色々あってな。結局道場を辞めちまった。だけどアイツは再び剣を取った」

「ブランクはどのくらいだ?」

「……大体七年だな」

「それでアレか。綺凛とは別の意味で末恐ろしいね」

 

 代志乃はその事実に驚嘆する。

 

「アイツは自分の剣がどれだけ衰えているか知っている。アスタリスクに刀藤流の剣士がいるのかは知らんが、刀藤流として力を付けるなら同門の、しかもそれ相応の相手をするのが手っ取り早い」

「それでうちに連れてきたと?」

「ああ。それが一番の目的だ。まあ他にも理由はあるがな」

「他の理由?」

 

 恭一郎は目の前の試合を見る。二人の攻防は終盤戦を迎えていた。連鶴で攻めていた八幡だが、繋ぎ目の隙を付かれ木刀を弾かれる。そして一瞬の隙を付かれ、カウンターで綺凛の連鶴を返されていた。攻めの機を逸した八幡は防戦一方となる。

 流れるように放たれる連鶴を防ぐのが精一杯となり────そして

 

「っ! ……参りました」

 

 八幡の喉元に木刀が付きつけられた。

 

「綺凛の嬢ちゃんにもいい刺激になるんじゃねぇか。お互い年も近いし、いいライバルになると思ってな」

「……その通りかもな。綺凛の方も触発されたのか、いつもより技にキレがあった」

 

 最後の勝負も刀藤綺凛の勝利で終わった。疲れ切ったのか大きく息をする八幡。そんな彼に綺凛はタオルを持って近付く。

 

「……どうぞ。使ってください」

「すまん。助かる……強いな刀藤は。一矢報いる事すら出来なかった」

「そ、そんな事ありません。范先輩もお強いです。びっくりしました」

 

 渡されたタオルを受取る。綺凛の方も自己紹介をした時の緊張はなく、リラックスした様子だ。それに勝負を通じて八幡に興味を持ったのか、自ら積極的に話しかけている。消極的な彼女には珍しい事だ。

 

「それにアイツは年下の面倒見がいい……嬢ちゃんも少しは気が晴れるだろうさ」

「……綺凛について知ってるのか?」

「綱一郎のバカが嬢ちゃんを利用しようとしてるって小耳に挟んでな。嬢ちゃんが星導館に行くってのはホントか、クソババア」

「……綺凛が綱一郎にその話を持ち掛けられているのは事実だ」

「自分の姪を出世の道具にしようってか。反吐が出るね、そういう考え方はよ。で、宗家代理のアンタはそれを認めるのか?」

 

 恭一郎の強烈な視線が代志乃を射抜く。

 

「……あの子がそれを望むなら」

「……そうかい」

 

 いつも凛とした代志乃が苦痛にまみれた声で返答した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「はい。八幡くん、たくさん食べてね」

「えーと、ありがとうございます」

 

 鍛錬が終わり、道場の傍にあるシャワー室で汗を流した。その後、夕食の時間となったので案内された場所で食事を頂くことになった。

 琴葉が八幡の右隣に座り、ご飯が山盛りに盛られた茶碗を渡してきたので、それを受取った。

 

 そして左隣には────

 

「あ、あの! 范先輩。こちらをどうぞ」

「ああ、ありがとう。刀藤」

 

 綺凛が皿に盛られた仙台長茄子漬けを渡し、八幡がそれを受取る。そんな二人の様子を見ていた琴葉が二人に話しかける。

 

「あら、八幡くん。この家には刀藤がたくさんいるんだから、名前で呼ばないと区別できないわよ。それに綺凛。あなたも八幡くんのことをちゃんと名前で呼びなさい。赤の他人じゃないんだから」

 

 琴葉は軽く嗜めるように注意する。

 

「分かりました、琴葉さん。えーと、綺凛でいいか?」

「はい。私は、は、八幡先輩とお呼びしていいでしょうか?」

「構わない。これから一週間よろしく頼む」

「はい! こちらこそよろしくお願いします!」

 

 綺凛は嬉しそうに八幡へ笑顔を向けた。

 

「あんなに楽しそうな綺凛は久しぶりに見るよ」

「宗家は年上だらけで、しかも跡取りの嬢ちゃんに気を遣う輩ばっかりだろ。そりゃ嬢ちゃんだって気が休まらねぇさ」

 

 恭一郎は酒器を手に取り日本酒を飲む。

 

「はーうめぇ……実際、綺凛の嬢ちゃんの才能はずば抜けてる。本人もその才能に溺れることなく努力を怠らない。剣士としては正に理想的だろう。だけどあの子はまだ小学6年だぞ。いくら何でも背負わせすぎじゃねぇか」

「……いくら言っても聞かないよ。綺凛を助けるために不可抗力とはいえ、誠二郎は罪を犯してしまった。あの子はそれを助けたいのさ」

「……父親のためか」

 

 二人は綺凛がいる方に視線を送る。

 

「ほら、八幡くん。お代わりね。はい、どうぞ」

「は、はい……ありがとうございます」

「お母さん! ちょっと多すぎるよ。ご、ごめんなさい、八幡先輩」

「えー男の子なんだからこのぐらい大丈夫でしょ。ね、八幡くん」

「……大丈夫です」

「偉い! 流石は男の子!」

「……無理はしないで下さいね」

「……ああ」

 

 どうやら琴葉が無茶ぶりをしているようだ。

 

「……楽しそうだな」

「ああ、子供はあれぐらい無邪気な方がいい」

「あたしたちも食べるか」

「そうだな。食事の時にまで暗い話はなしだ」

 

 それを最後に二人も夕食に手を付け始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あー食いすぎた」

 

 夕食を終えると客間へと通された。その広さは黄辰殿で最初に通された部屋と似通っていた。つまり広すぎて落ち着かない。

 琴葉の勧めで夕食を食べすぎた影響で、部屋に入ると直に布団へと直行。しばらく横になっていた。

 

「おい、八幡。ちょっといいか」

 

 すると襖の奥から、恭一郎の声がする。

 

「何ですか、師匠?」

「よかったら風呂に行かねぇか。客だから先に入っていいってよ」

「そうですか。分かりました」

 

 立ち上がり部屋から出る。

 

「ほれ、お前さんの着替えとタオルだ。行くぞ」

「はい」

 

 恭一郎の後に付いて行く。しかし食べすぎの影響でまだ足取りは鈍い。

 

「……琴葉の奴が大分無理させちまったみてぇだな。まあ、若い男は此処では珍しいからな。許してやってくれ」

「別に構いませんよ。ここの門下生には小さい子はいないんですか?」

「門下生としてならいないこともないが、住み込みの連中にはいねぇな。各支部の中でも認められた連中しか住み込みは許されねぇ。そうなると必然的に年齢は高めになっちまうからな」

 

 母屋から渡り廊下を歩いていく。やがて風呂らしき場所に到着したが────入口がやけに大きかった。

 

「ここですか?」

「ああ、宗家は門下生が多いからな。風呂も大浴場になってんだ。ちなみに温泉を引いているし、奥には露天風呂もあるぞ」

「……凄いですね」

 

 引き戸を開けて中に入る。そして服を脱ぎ、浴室の扉を開く。

 

「おおー」

「凄えだろ」

 

 浴室の中を見て思わず声が出る。二十人くらいは同時に入れそうな大きな浴槽があった。材質は檜だろうか。

 洗い場も広く、とても個人の浴室とは思えない。これで露天風呂まであれば、本当に温泉旅館に来た気分だ。

 とりあえずかけ湯をし、身体を軽く洗ってから湯に浸かる。

 

「ああー気持ちいいー」

「ふぅー久しぶりに入ったが、此処の風呂はやっぱいいねぇー」

 

 そのまま温泉の気持ちよさに浸っていく。湯の感触は柔らかく、身体がほぐれていくのを感じる。鍛錬の疲れが抜けていくようだ。

 そのまましばらく温まっていると奥に露天風呂があるのを思い出す。

 

「……せっかくなので露天風呂の方にも行ってみますね」

「ああ、俺も行くわ」

 

 二人して外に出る。季節が夏なので寒さは感じない。むしろ吹いている風が、心地よい気持ちよさを与えてくれる。

 露天風呂は岩風呂になっていた。そして内風呂よりもさらに広く、中央に巨大な岩が鎮座していた。その岩を背にして再び湯に浸かる。湯の温度は内風呂よりも低く、多少長湯しても大丈夫だろう。

 

「ああー露天風呂もいいですねー」

「おーそうだなー。しかし八幡。お前、その年で温泉の良さを知ってるとはな。何処かいい温泉にでも入ったか?」

「……ええ。去年の冬はずっと山に居ましたから。毎日温泉に入ってましたよ。すっかり虜です」

「それは羨ましい話だ」

 

 空を見上げれば雲はなく、星空が広がり月がこちらを照らしていた。

 そしてそのままのんびりと時間が過ぎる。

 

「…………なぁ八幡」

「何ですか、師匠?」

「一つ頼みたいんだが、いいか?」

「……伺います」

 

 恭一郎の真剣な声にこちらも身構える。

 

「……綺凛の嬢ちゃんのことを気に掛けてやってくれねぇか」

「綺凛をですか?」

「ああ。ちょっと話を聞いてやるだけでもいい」

「それは別に構いませんが……理由をお伺いしても?」

「……あの子もあの年で色々苦労しててな。その才能は刀藤家の歴史の中でも一、二を争うほどだ。だがその分、周囲の期待も大きくてな。ストレスも溜まってるはずだ。でもあの子は溜め込む性格だからなぁ。周囲の大人には相談しねぇんだ。だけど年の近いお前さんになら話しやすいと思ってな」

 

 綺凛の様子を思い出す。確かに最初は緊張していたようだが、試合後は向こうから積極的に話しかけてきた。

 自分に何が出来るかは分からないが、気に掛けるぐらいは問題ない。

 

「……俺でよければいいですよ。ただ、大したことは出来ないと思いますよ」

「それでいいさ。お前さんなら自然と何とかしてくれる気がするからな」

「買いかぶりですよ」

「俺は自分の目を信じるさ────綺凛の嬢ちゃんのことを頼む」

「────はい」

 

 八幡はしっかりと返事を返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 風呂から出ると、恭一郎とは別れ客間へと戻る。風呂の後に行う日課は決まっている。畳の上で座禅を組み、そして瞑想の準備をする。

 星辰力を出来るだけ無にするように抑え、思考をクリアな状態へ。周囲の万応素を感じ取り、その流れに自分が溶け込むようにイメージする。

 

 そして目を閉じ、自分が世界と一つになるように────瞑想へと入った。

 

 

 八幡は目を開ける。環境が変化して集中できないかと思ったが、特に問題なかったようだ。時計を見れば時刻は午後十時を回っている。どうやら一時間以上瞑想していたようだ。

 

 このまま寝てもよかったが、何となく眠れない気がした。疲れているのは間違いないが起きていたい気分だ。

 せっかくなので気分転換のために部屋から出ることにした。襖を開け廊下へと出る。廊下は暗くなっているが、常夜灯が点いているから歩行には問題ない。出来るだけ音を立てずに廊下を歩いていく。

 

 しばらく歩くと、縁側へと差し掛かり庭園が見えてくる。月明りに照らされた庭園は昼間とは全く違う様相だ。その庭園はどこか幻想的で、そしてほのかに儚い印象を八幡に感じさせる。

 

 

 ────そんな縁側の中央に一人の少女が座っていた。

 

 

「…………綺凛?」

 

 八幡が少女の名前を呼ぶとこちらに振り向く。

 

「……あ、八幡先輩」

「どうした、こんな時間に?」

「……少し寝付けなくて。八幡先輩は?」

「俺も同じだ。隣に座ってもいいか?」

「あ、はい。どうぞ」

 

 綺凛の許可が出たので、少し間を空けて隣に座る。

 

「……………………」

「……………………」

 

 何も喋らず二人で庭園を見つめる。八幡は横目でちらっと綺凛の様子を見てみると、彼女はぼんやりと庭園を見つめている。心ここにあらずといった感じだ。何か悩みがあるのかもしれない。

 

 ────綺凛の嬢ちゃんのことを頼む。

 

 恭一郎に言われたのもあるが、年下の女の子が落ち込んでいるのは見ていられない。

 しかしいきなり悩みを聞いても答える事はないだろう。どうするかと考えていると、先に綺凛が口を開いた。

 

「あ、あの、八幡先輩。少し聞いてもよろしいでしょうか?」

「あ、ああ。何だ?」

「……八幡先輩はアスタリスクからいらっしゃったんですよね」

「そうだな。正確にはアスタリスクにある六校の一つ、界龍第七学園からだ」

「えーと、その、アスタリスクについて聞きたいのですが、大丈夫でしょうか?」

「別に構わないが、アスタリスクに興味があるのか?」

「はい────とても」

 

 綺凛は真剣な表情で頷いた。

 

「そうか。俺もアスタリスクに行ってそんなに経ってないから知らない事も多いが、それでもいいか?」

「はい! お願いします!」

 

 綺凛のお願いを聞き、八幡はアスタリスクの事を話し始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「では、基本的には外の学生とあまり生活は変わらないんですか?」

「そうだな。朝から授業を受けて、昼にご飯を食べて、それからまた授業。違うのは授業が終わってからだな。星武祭を目指す学生は、各自鍛錬に勤しむのがアスタリスクでの普通らしい」

「では、トレーニングの場所はどうなっているんでしょうか? 生徒全員が鍛錬するとなると場所の確保が難しいと思うのですが……」

「基本的に各学園に配備されているトレーニングルームだな。ただ人数分は確保されていないから、普通は個人で申請しての許可制だ。そして申請の優先順位に序列制度が大きく関わってくる。綺凛はアスタリスクの序列制度を知ってるか?」

 

 その質問に綺凛は首を横に振る。

 

「序列制度ですか? いえ、詳しくは知らないです」

「そうか。簡単に言うと学園における強さの順位みたいなものだ。月に一度ある序列戦というものが各学園で行われてな。下位の序列の人が上位の序列の人を指名して試合が行われる。そしてその勝者と敗者の序列、すなわち順位が入れ替わるんだ。他に序列戦以外だと当人同士の合意の元、決闘をしても同様に序列が入れ替わる」

「勝ち続けて序列が上がれば、トレーニングルームを優先的に使用できる、という事ですか」

「ああ、そうだ。特に序列が十二位以内。冒頭の十二人になれば、専用のトレーニングルームや純星煌式武装の貸出手続きも優先的にしてくれるそうだ」

 

 八幡は知っている知識を細かく説明していく。

 

「……純星煌式武装。聞いたことがあります。強力かつ特殊な能力を秘めている武装のことですよね?」

「ああ。ただ武器と使い手の相性、適合率が一定の数字を越えることが貸出条件だそうだ。それに代償もあるから借りるかどうかは人それぞれだな。ついでに言うと、魔術師や魔女は純星煌式武装との相性が最悪だから、能力者が純星煌式武装を持つことは殆どないらしい……確か歴史上でも十人にも満たないはずだ。魔術師や魔女が純星煌式武装の使用した例は」

「なるほど。参考になります」

 

 綺凛は八幡の話を真剣に聞いている。こちらの話を一字一句聞き逃さないその姿を見ていると、彼女の悩みが何かおぼろげに見えてくる。

 

「まあ物事には例外がある。冒頭の十二人に知り合いがいるのなら、その人の鍛錬に混ぜてもらうという手もある。ただこれには少々リスクがある。相手の手の内も分かるが、こちらの手の内もバレてしまうからな」

「そうですね。星武祭を勝ち抜く。それがアスタリスクに行く人の目標ですから」

「……全ての人が星武祭を目標としてるわけじゃないぞ」

「え! そうなんですか?」

 

 この辺りは外の人間が思っているイメージと少し違う。

 

「生徒の中には、入学して早々に実力の差を感じて星武祭を諦める人も多いらしい。そういう人はアルバイトに勤しんだり、部活に精を出したり、後は遊んだりだな。その辺は外の学生と変わらない」

「何か意外です。私の中では、アスタリスクの生徒全員が星武祭を目指しているイメージがありました」

「……綺凛は真面目だな」

 

 その純粋さに癒される。思わず無意識に手が伸びた。

 

「あぅ…………」

「……あ、すまん」

 

 そして気付けば綺凛の頭に手を乗せ、撫でていた。綺凛の顔がほんのりと赤く染まるのに気付き、慌てて手を引く。

 

「あ……あの……どうして頭を?」

「いや、深い意味はないんだが……綺凛は凄いなと思ってな。つい撫でてしまった。すまない」

「いえ! 嫌では、ないです……ちょっとびっくりしただけです……でも、八幡先輩は褒めて下さいますが、わたしなんて凄くありません。八幡先輩の方が凄いです」

 

 綺凛は断言する。しかし八幡は納得できない。

 

「どうしてだ? 今日の試合だって俺が全敗だったじゃないか。終始圧倒されっぱなしだったし」

「いえ、剣を交えて感じました。八幡先輩の剣の腕はとても凄い勢いで伸びてるんです。試合ごとに、いえ、一手ごとに鋭さが増しています。今は私の方が上かもしれませんが、何れ追い越されます」

「……そんな事はないと思うが」

 

 実際には簡単には追い越せないと思う。綺凛は年下でこれからも成長を続けるだろう。むしろこの年でこの実力という方が信じられない。

 

 ────現時点の実力でも界龍の冒頭の十二人に入れる気がするぞ。経験を積めば、虎峰とも互角以上に戦えそうだし。

 

 横にいる綺凛は落ち込んでいるのか、顔を少し伏せている。八幡はそんな彼女を見て確信した。

 この子は自己評価がとても低い子なんだと。八幡自身も星露にそう言われた事があるが、この子は恐らく自分以上だ。

 

 八幡は行動に移る。今度は意識的に己の手を綺凛の頭に乗せ、優しく撫でる。銀髪の髪はサラサラで撫で心地がとても良い。

 綺凛の顔が再びほんのり赤に染まる。だが今度は手を離さない。いつも星露がしてくれるように、自分なりに思いを込めてゆっくりと頭を撫でていく。

 

「綺凛は凄いと思うぞ。今日初めて会った俺が言っても説得力がないとは思うがな」

「あ、い、いえ。でも……あぅ」

「俺だって剣士の端くれだ。太刀筋の鋭さを、連鶴の凄さを見れば、どれだけ君が努力してきたか分かる。俺のなんちゃって連鶴とは大違いだ、ホントに」

 

 事実、八幡の見立てでは連鶴だけなら清十郎とほぼ同レベルだ。剣聖と呼ばれる清十郎と、この年下の少女が同レベルなのだ。この事実を顧みれば、この小さな少女がどれだけの鍛錬を重ねてきたか、想像を絶する。

 

「ほ、褒めすぎです! 私は、そんな……」

 

 どうやら納得できないようだ。仕方ないのでもっと褒める事にする。

 

「自分の努力は認めた方がいい。俺の師匠の恭一郎さんも言ってたぞ。綺凛の才能は刀藤家の歴史でも一、二を争うって」

「我妻の叔父様が……」

「そうだ。だから俺の言葉は信じなくてもいいが、俺の師匠の言葉は信じてほしい」

「う、うぅ……で、でも……」

 

 まだ納得しない。なら今度は別方向から褒めてみよう──―段々楽しくなってきた。

 

「……こんなに可愛くて、剣を振るうときはあんなにカッコいいのに、何が不満なんだ?」

「か、かわっ! え、えーと、その!?」

「アスタリスクに来たらファンクラブが出来るぞ、絶対に。何なら俺が入るまである」

「あ、あぅ、あぅ……八幡先輩……意地悪ですぅ……」

 

 綺凛の顔は、もうリンゴが熟れた時のように真っ赤に染まっている。その事が恥ずかしいのか、小さく身体を捩って可愛らしく喘ぐ。そして顔を下げこちらを直視しなくなった──―そんな仕草が物凄く可愛らしい。

 

 ──―星露の気持ちがよく分かった。人を褒めるのはこんなに楽しいのか。

 

「うーん。まだ認めないか。ならもっと褒めてもいいが?」

「わ、分かりました!」

「うん。なら自分を認められるか?」

「そ、それは……」

 

 認めたい。でも認められない。そんな気持ちの推移は自分も通過済みだ。なら対処法も一緒でいいだろう。

 八幡は最後に綺凛の頭をポンポンと軽く撫でてから手を離す。すると綺凛が顔を上げお互いの視線が絡まる。

 

「すぐには無理かもしれない。だけど、綺凛を認めてくれる人はきっと沢山いる……だからゆっくりと自分を認めていけばいい、な?」

「…………は、はい」

 

 己を認めない少女は、それでも最後に肯定の返事を出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………八幡先輩は意地悪です」

「あー悪かった。だから機嫌をなおしてくれ」

 

 綺凛の機嫌が直らない。褒め倒して無理やり己を認めさせたのはいいが、機嫌を損ねてしまったようだ。今は顔を背け八幡の方を見ない状態だ。だがその言葉とは裏腹に、綺凛の顔は未だ赤いままだ。ただの照れ隠しである。

 

「言い過ぎたのは謝る。何でも言う事を聞くから許してくれ」

「…………じゃあ、言います」

 

 綺凛がゆっくりとこちらを見る。無理やり真剣な表情を作り、八幡に対して要求する。

 

「……私にもっとアスタリスクの事を教えてください。それで許します」

「ああ、分かった」

 

 その条件で仲直りをすることになった。

 

「しかし話すと言っても何を話すか。綺凛の方は何か聞きたいことがあるか?」

「えーと、じゃあ界龍第七学園での八幡先輩のことを教えてください。どんな人が居て、どんな日常を送っているか。それが知りたいです」

「俺の日常か。一言でいえば簡単だな。毎日ボコられてる」

「……え?」

 

 八幡の衝撃の一言に綺凛が固まる。

 

「星露に倒され、大師兄に吹っ飛ばされ、陽乃さんに燃やされそうになる。アレマさんには背後から奇襲を受けて倒され、虎峰には正々堂々勝負を挑んでやられてる。まあ、そんな感じだ」

「そ、それは、何と言ったらいいのか」

「……うん? そういえば今気付いた。俺、界龍でまだ一勝もしてないな」

「っ!?」

 

 八幡は軽く呟いたその事実に、綺凛は驚嘆する。

 

「あ、あの! 八幡先輩!」

「うん、どうした?」

「八幡先輩ほどの方が勝てないなんて、アスタリスクにはそこまで強者が揃っているんですか?」

「あーそうだな。他の学園は知らないが、界龍だけなら事実だぞ。俺より強い人なんてゴロゴロしてる。さっき上げた名前の人は、界龍でもトップクラスの実力の持ち主でな。俺は毎日ボコられてるぞ」

「そ、そんな……」

 

 綺凛はその事実に絶句する。八幡の実力は低くない。それどころか綺凛の実力を以てしても侮れない相手なのだ。

 

「あー綺凛。誤解してるかもしれないから一つ言っておくが、界龍のトップクラスは他の学園と比べても、実力的にかなり上らしい。他の学園に同じ実力者がいるとは限らないからな」

「そ。そうですか。少しびっくりしました」

「…………綺凛。こちらも一つ聞いてもいいか?」

「はい。何でしょうか?」

 

 綺凛の様子から察するに八幡の推測に間違いはない。後は切り出すか、否かだ。

 少し考えるが、やはり問うことにする。

 

「……綺凛はアスタリスクに行くのか?」

「! ど、どうしてそれを?」

 

 隠していた事実を指摘され、綺凛は驚愕する。

 

「まあ、あれだけアスタリスクに興味を持っていたらな。行くと思われてもしょうがないぞ?」

「あ! そ、そうですね。その通りです」

 

 言われて納得する。アスタリスクのことをあれだけ聞いていたのだ。そう思われても仕方がない。

 綺凛は納得し、八幡の質問に答える。

 

「…………綱一郎伯父様からお誘いを受けています。学園は星導館です」

 

 綱一郎。聞いた事のない名前だ。恐らく宗家の人物だろうと八幡は推測する。

 そして気になるのは、その名前を読んだ時の綺凛の表情が硬かったことだ。もしかすると良い印象を持っていないのかもしれない。

 

「アスタリスク行きを希望か。何か叶えたい願いがあるのか?」

「はい──―私の身命を賭しても叶えたい願いがあります」

 

 八幡は綺凛を見る。そこには、己の意志を曲げない強い瞳を持った少女の姿があった。

 

「……どんな願いか聞いても大丈夫か?」

「はい──―刀藤家の宗家当主。私の父を助けたいです」

「なるほど……」

 

 家族を助ける。それなら納得だ。アスタリスクの情報を必死に聞きたがるのも無理はない。

 

「父親のためか。病気もしくは事故か?」

「いえ、違います」

 

 八幡の推測を綺凛は否定する。

 

「父は今、罪人として収監されています。それを助けたいのです」

「っ!」

 

 その答えは八幡の想像を超えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 綺凛は八幡に対して説明をした。四年前、綺凛と父親が訪れた店に強盗が入ったこと。綺凛が人質に取られそうになったこと。それを父親が助けようとして──―不可抗力で強盗を殺めてしまったこと。そしてこのままでは数十年は刑務所から出られないことを。その刑の重さで八幡は察する。

 

「……相手は星脈世代じゃなかったんだな」

「……はい」

 

 綺凛はこくりと頷いた。

 星脈世代はどの国でも立場が弱く、人権が制限されていると言ってもいい場合もある。星脈世代が常人を傷つけた場合、正当防衛は認められず過剰防衛とされてしまうことが多いのだ。

 

「しかし刀藤流の当主が逮捕されたなんてニュース。聞いたことがないな。どういうことだ?」

「……伯父様が手を回して下さったんです。統合企業財体の力で報道を抑え込んでくれました」

「統合企業財体か……予想以上の力だな」

 

 八幡も地元で暴走した際には、星露に力で報道を抑え込んでもらった。権力という力の強さには多少理解している。だが今回の場合、刀藤流宗家の当主が死者を出して、逮捕されてもそのビッグニュースが流れなかったのだ。八幡の時とはレベルが違う。

 

「しかし星導館か……個人的にはお勧め出来ないな」

「え、それはどういうことでしょうか?」

 

 八幡は星露から聞いた知識を思い出す。

 

「俺も聞いた話になるが、星導館はここ数年の間、星武祭で活躍出来てないらしい。特に昔得意だった鳳凰星武祭ですら、今はベスト16かベスト8が限界だそうだ」

「それは……」

「そして星導館の前年度の学園別順位は五位。クインヴェールが最下位なのは定番だから実質最下位だ。知っていたか?」

「……いえ、知りませんでした」

 

 綱一郎は綺凛にそんな説明はしなかったし、綺凛もそこまで興味はなかった。

 

「星武祭で活躍できなければ学園の順位が落ち、そしてその結果、学園自体の人気も落ちる。そうなると入学する学生の質も低下してくる。それが今の星導館の現状だ。クインヴェールみたいなお嬢様学校は別だが」

「……はい」

 

 八幡の説明に綺凛は納得する。至極当然の事を言っているからだ。

 

「……少々不可解な事があるな。綺凛。一つ聞くが、綱一郎さんはどんな人物なんだ?」

「伯父様は統合企業財体 銀河の幹部候補です。ですが父とは折り合いが悪く、非星脈世代のため星脈世代を嫌ってらっしゃいます。それは長兄であるのに刀藤流を継げなかったことが原因です。わたしに力を貸して下さるのも──私利私欲のためだと思われます」

 

 聞けば聞くほど、綺凛にとって碌な人物ではない。

 

「つまり綺凛を星導館に入学させ、星武祭で優勝させる。そしてそれを自分の手柄だと吹聴して、銀河の幹部を狙う。恐らく狙いはそんな所だろう」

「……そうですね。多分合っていると思います」

 

 一つ一つ推理を重ねる。そしてその先に、八幡が疑問視する問題が存在する。

 

「一見すると両者の目的は同じだから、何の問題がないように見えなくもない──―だが綺凛にとって大きな落とし穴が存在する」

「落とし穴、ですか?」

「そうだ。綺凛に一つ質問だが、星武祭の種類と出場人数を知ってるか? 知っていたら答えてくれ」

「えーと、鳳凰星武祭は二人一組。獅鷲星武祭は五人でのチーム戦。そして王竜星武祭は一人での出場です」

「正解だ。さて綺凛。綱一郎さんが君を星武祭に出場させる場合、どの星武祭に出場させると思う? ヒントは、出場人数と綱一郎さんの目的だ」

「は、はい」

 

 八幡から出された問題を綺凛は考え、そして答えに辿り着く。

 

「…………王竜星武祭、ですか」

「正解だ。何故そう思った?」

「伯父様の目的を考えると、目標を達成するにはわたしだけが活躍することが条件です。鳳凰星武祭や獅鷲星武祭ではその条件を満たしていません」

 

 綱一郎の目的を果たすには、綺凛のみが活躍して優勝する必要があり、それが叶うのは王竜星武祭だけだ。彼は鳳凰星武祭や獅鷲星武祭の出場は認めないだろう。

 

「ああ。その通りだ。ちなみに綺凛。今の学年は?」

「……小学六年です」

「星武祭の出場は中学一年からだ。つまり綺凛が星武祭に出場できるのは来年からだな。だが、今年はちょうど王竜星武祭の開催年だ。次に綺凛が星武祭に出場するのは最低でも三年後だ」

「で、でも! わたしもまだ星武祭で優勝するほどの力はありません。三年間じっくり力を付けます! それに王竜星武祭じゃなくても、鳳凰星武祭や獅鷲星武祭に出場すれば!」

 

 綺凛は八幡に反論する。伯父の提案に不信を感じていも疑いたくはないのだろう。

 優しい子だと八幡は思う。だが此処で現実を見せなくてはならない。

 

「王竜星武祭以外は複数人数が必要。だからこそ他の学生の質が重要になるんだ」

「…………あ」

 

 そこで綺凛は先程の話を思い出す。星導館は低迷しており学生の質が落ちていると。

 その事実に言葉をなくす。

 

「一昔前の星導館は強豪校だったから、その時なら問題なかっただろう。だが、今の星導館に星武祭で勝てるような生徒はいないそうだ。今後有力な学生が入学する可能性は否定できないがな」

 

 その辺の話は星露や陽乃からよく聞かされているので間違いない。二人とも強い人物には目がないのだ。

 それに将来誰が入学するなんて誰にも分からない────それこそ未来を知らない限りは。

 

「……でしたら、王竜星武祭しかないんですね」

 

 現実的に考えればそれが最適解だ。だがその王竜星武祭こそが一番の地雷だ。

 

「忘れたか? 前回の王竜星武祭優勝者を」

「え? ……あっ」

 

 綺凛の顔が青褪める。誰が優勝したか思い出したのだ。テレビのニュースで話題になったので、その人物の名前は綺凛も知っている。

 

「孤毒の魔女。オーフェリア・ランドルーフェン。前回の王竜星武祭を初出場で優勝した最強の魔女。圧倒的な実力で今年の王竜星武祭もぶっちぎりの優勝候補だ。もし綺凛が三年後の王竜星武祭に出場すなら倒さなきゃいけない相手だが……正直難しいだろう」

「……そんなに強いんですか?」

 

 綺凛はオーフェリアの戦闘を見たことはないため、疑問に思うのは当然だろう。

 だが八幡は前回の王竜星武祭と彼女の決闘を映像で確認している。結論から言えば、現時点で対抗できるのは范星露くらいだろう。

 

「強いという言葉で片付けられないな。その強さは化物クラスだ。彼女の攻撃方法は主に遠距離主体だから、綺凛とは相性は最悪だ。そして能力は一度でも触れたらアウト。立ち上がる事すら出来なくなるだろう。事実、前回の王竜星武祭は相手に触れられることなく、無傷で勝利した」

「……そんな、じゃあ、どうすれば」

 

 綺凛はその事実にもう泣きそうになった。自分の歩む道がどれだけ険しいか理解してしまったからだ。

 そんな彼女の頭を八幡は再び撫でる。

 

「あっ……」

「すまん。泣かせたいわけじゃないんだ」

「……いえ、わたしが何も考えてなかったからいけないんです。伯父様の言う事を聞いていれば問題ない。そう思っていた自分自身が、愚かだったんです」

「……今後、綺凛が取るべき道はいくつかある」

 

 嘆く彼女を慰めるように八幡は話をする。今後の彼女の選択肢を。

 

「一つはこのまま綱一郎さんの言う事を聞いて、王竜星武祭のみ出場する。三年後が難しくても、残り二回のチャンスがある」

「伯父様の提案ですと三年後が駄目となると、六年後か、九年後の王竜星武祭ですね」

「……あっ! 綺凛。六年後と九年後も辞めた方がいい。アイツが出るわ。いかん、すっかり忘れてた」

「他に誰か居るんですか?」

「うちの序列一位。ちなみに今年八歳になるがべらぼうに強い。多分オーフェリア・ランドルーフェンと同じぐらいの強さだ。本人曰くだが」

「……もう意味が分かりません」

 

 その言葉には綺凛もあきれ果ててしまう。しかし紛れもない事実だ。

 

「で、次の案だ。綱一郎さんの提案通り星導館に入学する。ただし、出場する星武祭は王竜星武祭以外だ。この場合だと、今入学している学生で組んでくれる人を探すか、それともまだ見ぬ強い人が入学するのを待つかという選択になる。鳳凰星武祭に出場するなら他に一人いればいいから、可能性は少なくない」

「それも確実ではないですよね?」

「……そうだな。これはある意味賭けに近い」

「…………でも、それしか、ないんですよね」

 

 綺凛は自分を納得させるように話す。可能性は少なくともゼロではない。もしかして来年強い人が入学するかもしれないのだ。

 

 だが────

 

 

「そして最後の案だ」

「えっ? どういう事ですか? 伯父様の案なら二つしか選択肢がないはずです」

 

 確かにその通りだ。星導館に入学するのなら選択肢は二つだけだ。

 だが八幡がいるならもう一つ選択肢が増えるのだ。

 

 

「なあ、綺凛。界龍に来る気はないか?」

 




新たなヒロインは綺凛ちゃんになります。そして登場早々スカウト開始です。

二次創作においてキャラの陣営変更は結構ありますが、アスタリスクでは無かったと思います。まあ、無ければ書いてみればいいという事でこうなりました。

次回も綺凛ちゃんの話になります。スカウトは引き続き続行ですね。

一応メインヒロインは綺凛ちゃんで最後の予定です。まあ、予定は未定なので今後変わる可能性は否定できませんが。

誤字、脱字、感想等あれば、よろしくお願いします。


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第二十二話 少女たちは導かれる

前回の綺凛ちゃんの件ですが、何か思った以上に好評でした。
少し不安だったので安心しました。ありがとうございます。



「まあ、そんな感じで過ごしてる。俺自身はやられっぱなしだけどな」

『ほう。そこまでの使い手か。刀藤綺凛とやらは』

「……あの子は凄いぞ。俺の予想が正しければ、現時点でも界龍の冒頭の十二人になれるかも。そう思わせるレベルだ」

『まだ小学六年と言っておったな。そこまでの逸材―――それは欲しいのう』

「お前ならそう言うと思ったよ。で、例の件はどうだった?」

『うむ、定員枠は全て埋まっておったが、何とか上手く捻じ込んだぞ。OKじゃ。後でそちらにデータを送っておくから、確認しておくように』

「すまん。助かった」

『気にするな。強い生徒が増えれば学園としても利があるからの。断る理由はない』

「でも、お前個人が一番楽しみにしてるだろう。早く闘ってみたいと」

『くくくっ、よく分かっておるではないか。刀藤綺凛。早く相まみえたいものよ』

「……頼むから手加減してくれよ」

『心配するな。儂とてそこまで見境がないわけではないぞ』

「少し不安だけどな……それで、もう一つの方はどうだ?」

『件の人物じゃが、こちらで調べてみた。それなりにやり手のようじゃな』

「穏便に済ませられるか?」

『無理じゃな。確実に揉めるぞ。その手の輩が素直に従うとは思えん』

「……だよな。どうしたもんか」

『その辺は儂に考えがある。狙いが銀河の幹部なら、まあ何とかなるじゃろう……あの様なものになりたいとは物好きな輩よ』

「? よく分らんが任せていいんだな?」

『大丈夫じゃ。所で、そちらにいるのは明日までじゃったか?』

「ああ、明日の昼過ぎには出発する予定だ。そっちに着くのは多分夜になると思う」

『そうか。夕餉は残しておいた方がよいか?』

「そうだな……まあ、適当に街で食べるさ。残さず食べちゃってくれ」

『うむ、分かった。では、そろそろ寝るとするか』

「ああ、お休み。星露」

『うむ、お休みじゃ。八幡』

 

 

 

 

 

 

 

 

「おはようございます、八幡先輩」

「ああ、おはよう。綺凛」

 

 二人は朝の挨拶を交わす。

 八幡が刀藤流宗家に来て七日目の朝。母屋の入り口で二人は待ち合わせをしていた。

 

「ストレッチはもう済ませたか?」

「いえ、これからです」

「じゃあ、一緒にするか?」

「はいっ」

 

 トレーニングウェアを着た綺凛は元気よく返事をする。初対面の時の緊張した様子はもはや感じられない。いや、それどころか嬉しそうな笑顔を浮かべることが多くなった。八幡としてもそれはとてもいい事だと思う。

 

 ただ、八幡的に少し困ることもある。

 

「えーと、押しますね」

「ああ」

「んっ」

 

 綺凛が地面に座った八幡の背中を手で押す。すると綺凛から僅かに声が漏れる。

 

 ―――無心だ、無心

 

 何も考えずにストレッチを続ける。

 

「よし、じゃあ次は綺凛の番だな」

「はい。お願いします」

「よし、行くぞ」

「はい……んぅっ」

 

 逆に座っている綺凛の背中を八幡が手で押す。すると、前のめりになった綺凛の胸が、膝の部分に押し込まれ形を変える様が視界に入る。そして僅かに煽情的な声を上げた。

 

 ―――綺凛にそのつもりは全くない。だから無心だ。

 

 何も考えないようにしてストレッチを続けていく。

 

「……よし、これでいいな」

「はい。ありがとうございます」

 

 綺凛が立ち上がる。するとその際に綺凛のある一部分が大きく揺れるのが目に映ってしまう。トレーニングウェアは身体のラインが出てしまうので、彼女の大きな胸は揺れる度に大きく弾むのだ。思わず目を逸らしてしまう。

 

 ―――この子はまだ子供だ、子供。

 

 普段出来ないストレッチが行えるのは助かる。だが己の体型に無自覚な綺凛は、ストレッチの際に思いっきり胸を押し付けてくるのだ。胸が当たる度に、八幡は僅かに緊張してしまう。

 これが陽乃みたいに意識的にやってくるのなら注意をすればいい。だがこの子みたいに無意識の場合はそうはいかない。一度ストレッチを断ってみた事もあるのだが、思いっきり悲しそうな顔されてしまった。その後、慌てて撤回したのは言うまでもない。

 

 今朝も何とかストレッチを無事終える事が出来た。八幡の理性を削りながらだが。

 

「よし、じゃあ行くか」

「はいっ」

 

 二人は日課であるランニングを始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「そういえば八幡くん。今日は何時に出発するの?」

「そうですね。昼過ぎぐらいを予定しています。そのぐらいに出れば、夜には向こうに着きますので」

「そう。じゃあ、お昼は少し早めにするから食べていってね」

「はい。ありがとうございます」

 

 朝のランニングを終え、シャワーを浴びた後の朝食の席。

 琴葉の質問に八幡が答えるが、その質問の意味が綺凛には分からなかった。

 

「あの、八幡先輩? 何処かへ行かれるんですか?」

「あら、何を言っているの綺凛? 今日は八幡くんがアスタリスクへ帰る日よ」

「……えっ?」

 

 返された答えに思考が停止する。

 

「最初に会った時に言ってたじゃない。忘れちゃったの?」

「……えっと、そう、だったっけ?」

「そうよ、綺凛。あ、分かった! 八幡くんが帰っちゃうから寂しいのね。もうこの子ったら可愛いんだから」

「お、お母さん!」

 

 母に言われた言葉に動揺を隠せず、思わず声が上ずってしまう。

 

「……綺凛」

「は、はい。何でしょうか、大叔母様?」

 

 動揺している綺凛に代志乃が声を掛ける。

 

「せっかくだ。午前の鍛錬はいいから坊主を街へ案内してやりな」

「え? い、いいんですか?」

「なんだ、嫌なのかい? だったら別にいいんだが」

「い、嫌じゃないです! あの、八幡先輩。よろしいでしょうか?」

「ああ、よろしく頼む」

「はいっ」

 

 綺凛は嬉しそうに返事をした。その様子を見ていた恭一郎は隣のいる代志乃へ小声で話しかける。

 

「粋な事するじゃねぇか、ババアのくせに」

「……お前はあたしを何だと思ってるんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 刀藤流の総本部は仙台に置かれているが、宗家の屋敷は仙台より西へしばらく向かった丘陵部にある。刀藤流の歴史はとても長く、仙台に拠点を置く大名に仕えていたと記録されている。そして刀藤家は名家として地元の人達からは認識されているので、必然的に刀藤綺凛は地元ではとても有名な存在である。

 

「あら、綺凛ちゃんじゃない。おはよう」

「お、おはようございます」

 

 古い街並みを歩いていると地元の奥様に挨拶されたり。

 

「綺凛ちゃんじゃねぇか。お、なんだなんだ。隣にいるのは彼氏かい! 綺凛ちゃんもやるじぇねぇか。おい、そこの彼氏! 綺凛ちゃんを幸せにしないとこの街の連中は許さねぇからな。覚えとけよ」

「ち、違います! この人はうちで鍛錬を一緒にしている人で、その、か、彼氏では……」

 

 またある時は、店先で商品の宣伝をしている中年のオジサンに声を掛けられたりした。皆気さくに声を掛けてくるその様子を見ていると、彼女がとても愛されている事がよく分かる。

 

「大人気だな、綺凛は」

「い、いえ。刀藤家が有名というだけで、わたし自身が人気というわけではないです」

「……そうは見えなかったがな」

 

 綺凛は謙遜しているが八幡にはそうは見えなかった。刀藤家が有名なのは間違いないだろうが、それを差し引いてたとしても彼女自身の人気の高さが窺えた。

 

「さて、皆にお土産を買っていくとして。綺凛、何かお薦めってあるか?」

「うーん。そうですねー」

 

 二人は現在お土産屋さんに足を運んでいる。界龍の皆へお土産を買っていくためだ。綺凛にお薦めを聞いてみると、彼女も一緒に商品を探してくれる。

 

「やはり定番ですと萩の月、三色最中、くるみゆべしなどでしょうか。あ、後、ずんだ餅も人気ですね。家でも偶に作ったのを食べたりしてます」

「綺凛が作るのか?」

「い、いえ。大叔母様が作ってくださるんです。とても美味しいんですよ」

「なるほど。じゃあ一通り買ってみるか……よし、ちょっと会計に行ってくる」

「はい。分かりました」

 

 綺凛に勧められたお土産を持ってレジへと向かう。まだ店が開いたばかりなので、客は多くない。すぐに会計を済ませる事ができた。綺凛の元へと戻る。

 

「よし、お土産も買ったし行くか」

「はいっ」

 

 買い物を終え店を出る。そしてのんびりと歩きながら二人で話をする。

 

「何というか古い街並みだな、この辺は」

「そうですね。仙台駅の周辺はどんどん発展してますけど、この辺りは昔からあまり変わりがないそうです。あ、でも江戸時代は結構栄えていたみたいですよ」

 

 良く言えば古き街並み、悪く言えば時代に取り残され変化しない街。人によっては受ける印象が違うだろう。

 

「……綺凛。戻る前に少し時間を貰ってもいいか?」

「はい。大丈夫ですけど、何かありましたか?」

「そうだな……この前の話の続きかな」

「あっ……」

 

 綺凛は言われて思い出す。初日の夜に八幡に界龍へ誘われていた事を。

 

「す、すみません。わたしがまだ迷っているから……」

「いや、気にしなくていい。自分の進路だからな。迷って当然だ」

 

 綺凛はどちらに進むのかまだ選択出来ていない。界龍に行くことに心惹かれているのも事実だ。しかしそれを選べば伯父を裏切ることになる。心優しい彼女には難しいだろう。

 

「落ち着いた所で話をした方がいいからな。あそこに寄ってくか」

 

 八幡の視線の先には一店の喫茶店があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、まずはこれを見てほしい」

「はい」

 

 八幡は空間ウィンドウを取り出し綺凛へと送る。綺凛がそれに目を通すと、ウィンドウには文章と幾つかの画像が記載されていた。どうやら何かの書類のようだ。彼女は一番上に書いてあるタイトルを読み上げる。

 

「……六花見学会ですか?」

「ああ、そうだ。夏休みを利用して六花を、つまりアスタリスクを見学するというイベントだな。対象は小学六年生。期間は三日間。初日は星武祭の会場等の見学。二日目は個別に希望した学園の見学。まあ体験入学みたいなものだな。そして三日目の午前中は商業エリアの見学をして、午後にフェリーで戻る日程だ」

「……こんなイベントがあったんですね」

「俺も知らなかったが、知っている人には人気なイベントらしい。入学するかしないかは別として、自分の目で学園を見学できるわけだからな。次の年にアスタリスクに入学希望の少年・少女にとっては絶好の機会だ。勿論、引率のスタッフがいるから迷う心配はない」

「なるほど……」

 

 綺凛の目は書類に釘付けになっている。八幡は更に説明を続ける。

 

「ちなみに、男子は聖ガラードワース学園が、女子はクインヴェール女学園が一番人気だそうだ。そして将来に技術職希望の子はアルルカント・アカデミーを選択するらしい」

「界龍はどうなのですか?」

「うちは男子の人気は高いが、逆に女子の人気は少し落ちるらしい。ただ、男子にせよ女子にせよ、闘うことが好きな子はうちを選ぶことが多いようだ。武術に関しては六花一だからな、界龍は」

「確かに―――わたしも興味があります」

 

 強さを極めるという点では、界龍第七学園は絶好の場所だ。

 

「で、その六花見学会だが、今から一週間後に行われる。集合場所は、アスタリスクの玄関口である湖岸都市のフェリー乗り場で、学園毎に出発時間が異なる。界龍のフェリーは昼の12時に出発だな。フェリー乗り場までは小学生一人だと危ないから、誰か付き添いがいるといい。フェリー乗り場からはスタッフの人が案内してくれるから、付き添いの人はそこで別れることになる……こんな所だな。急な話で申し訳ないが、綺凛には是非とも来てほしい」

「……一週間後」

 

 綺凛は迷う。とても心惹かれるイベントだ。アスタリスクの、しかも入学前に学園を見学できる機会なんて滅多にないからだ。しかし彼女は即答できない。本心では行きたいが、実家絡みのある事情があるからだ。

 

「まあ、あまり難しく考えなくていい。界龍に入る入らないは別として、学園を体験するのはいい経験になると思うぞ……そうだな。迷っている綺凛に一つメリットを提示しよう」

「メリット、ですか?」

「ああ。二日目の学園の見学。界龍では道場の案内がコースに入っているそうだ。そして道場ではうちの生徒達が鍛錬をしている。これがどういう事か分かるか?」

「……もしかして在校生と闘えるのですか?」

「その通り。見学者全員とはいかないが、ある程度の人数は希望すれば闘うことが出来るそうだ。勿論、序列入りの生徒もいるから実際に強さを体感できる。そして最後に―――勝ち続ければ序列上位と対戦も可能だ」

「!」

 

 最後の言葉に綺凛は衝撃を受ける。界龍の序列上位との対戦。普通は学園に入学してない者が出来るはずがない。

 

「うちの生徒は強い人が大好きだからな。率先して申し込んでくるぞ。さて、どうかな?」

「……詳しい内容を聞いてもいいでしょうか?」

「ああ。分かった」

 

 綺凛は迷った末に、詳しい話を聞くことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「そんなに見学する人数がいるんですか?」

「ああ、そうだ。一校の見学者が100人前後だそうだから、六校全部合わせると約600人だな。フェリー乗り場にいるそれぞれの学園の校章の旗を持った引率の人の所に集まるそうだ。勿論、フェリー自体は学校ごとに分かれるし、出発する時間も異なる。後、刀剣の持ち込み許可証も用意してあるから、その辺は心配する必要はない」

「なるほど」

 

 二人は買い物を済ませ帰路の途へとついていた。道中、六花見学会に関する内容を話しながらだ。

 

「……必要な物は着替えくらいでしょうか?」

「そう、だな。専用の煌式武装があればそれを持って行っても大丈夫だが、綺凛は持っているか?」

「いえ、わたしは刀のみです」

 

 綺凛は首を横に振る。

 

「そうか……あ、多少小遣いは持って行った方がいいかもしれん。食事は向こうが出してくれるから食事代はいらないけど、飲み物を別で買うなら自腹になる。後は、三日目の商業エリアの見学は自由時間があるから、お土産を買うならその時だな」

「あ、そういえば今気付いたんですけど、このイベントって費用が掛かるんじゃないでしょうか? 三日間もアスタリスクに寝泊まりするんですよね? 無料という訳には……」

「その辺は安心してくれ。見学者に掛かる費用は全くない。基本的に全て無料だ」

「本当ですか、それ?」

 

 綺凛は訝しむ。人一人が三日間も寝泊まりするだけでも、かなりの費用が掛かるのだ。しかも数百人となると膨大な費用が掛かるのは間違いない。

 

「それだけアスタリスク側も人員の確保に必死という訳だ。優秀な人材を獲得するためなら多少の費用は掛かっても問題ないんだろう……特に綺凛のような逸材なら尚更だな」

「い、逸材! わ、わたしがですか?」

 

 自分の評価に驚く綺凛は、とても信じられないという表情を浮かべる。だが八幡的には妥当な評価だ。この少女が評価されなくて誰が評価されるのだろう。

 

 この少女は相変わらず可愛らしいなと思いつつ頭を撫でる。この一週間ですっかり撫で癖がついてしまった。頭を撫でながら綺凛を褒め殺しに掛かる。

 

「綺凛の話をしたらな。界龍の方から喜んで来てほしいと連絡があったぞ。何なら今すぐにでも入学してほしいそうだ。凄いな、綺凛は」

「あぅ……いえ、そんな、わたしなんて……」

 

 この少女が自虐的なのも相変わらずだ。星露ならばもう少し上手く褒めるんだろうなと思いつつ、サラサラの髪を撫でていく。

 

「刀藤綺凛という少女がそれだけ高く評価されてるんだ。それは凄い事なんだから自信を持っていいと思うぞ」

「うぅ……はい……ありがとう、ございます」

 

 綺凛は真っ赤になりながらも八幡にお礼を言った。その様子を見ると、一週間前の様子と比べると少しだけ自虐的ではなくなってきている。とてもいい傾向だと思う。

 

 そんな風に考えながら綺凛の髪の感触を堪能する。そして綺凛もその手の感触を受け入れ、八幡に身を任せている。

 

「……八幡先輩の撫で方。気持ちいいです」

「そうか? ……まあ、妹がいるからな。撫でるのは慣れたもんだ」

「妹さんですか?」

「ああ…………二人、な」

 

 その表情は優しく、だけど何処か悲しみが含まれている。何処となく綺凛はそう感じた。

 

「八幡先輩?」

「あ、ああ。すまん。そろそろ帰るか」

「……はい」

 

 綺凛はそれが気になったものの、追及はせずに二人は戻ることになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「では皆さん。一週間お世話になりました」

 

 そして早めの昼食を取った後、母屋の玄関に皆が集まっていた。目的は八幡と恭一郎のお見送りである。別れの挨拶をする八幡に対し、代志乃と琴葉が話しかける。

 

「坊主は中々筋がいい。清十郎の所が嫌になったらうちに来な。思う存分鍛えてやる」

「それがなくても何時でも遊びに来てもいいわよ。八幡くんなら大歓迎だから」

「……ありがとうございます」

 

 歓迎の意を示す二人にお礼を言う。そして三人の会話に加わっていない恭一郎と綺凛。どこか元気のない綺凛に対し恭一郎が話しかける。

 

「綺凛の嬢ちゃん。一週間世話になったな」

「我妻の叔父様。いえ、こちらこそ楽しかったです」

「まあ、偶には本家もいいもんだ。あのババアが居なけりゃもっといいんだがな」

「あ、あはは」

 

 そう言いながら笑う恭一郎に対し苦笑する綺凛。この宗家では代志乃に対し口答えをする人は殆どいない。大叔母の言い争う姿など、綺凛にとって初めて見る光景だった。しかし、二人がお互いの事を本心から嫌っていないのは、傍から見ていても理解できた。

 

「……なぁ、嬢ちゃん。一つだけいいか?」

「はい。なんでしょうか?」

「あーそのーなんだ。こういうのは柄じゃないんだが……」

 

 柄にもなく口ごもる恭一郎。頭をポリポリと掻きながら言いにくそうに口を開く。

 

「……嬢ちゃんが今抱え込んでいるもの。もし何か悩んでいるなら自分の心に素直になれ」

「素直に、ですか?」

「ああ。宗家のことなんか気にしなくてもいい。嬢ちゃんがしたい事を思う存分すればいいんだ」

「叔父様。それは……」

 

 恭一郎の言葉に思わず目を開く綺凛。

 

「嬢ちゃんはまだ小学生だ。宗家のことや難しいことなんか代志乃のババアに任せておけばいい。嬢ちゃんが気にする必要はないんだ」

「でも……それで宗家にもしもの事があったら、父に顔向けできません」

 

 綺凛の口調は固い。彼女が考える最悪の展開。もしそれが実現してしまったら取り返しがつかない。

 思いつめる綺凛に恭一郎は手を伸ばす。そしてガシガシと乱暴に頭を撫でる。

 

「わっ! お、叔父様?」

「子供がナマ言ってんじゃねぇよ。その程度でどうにかなっちまう宗家なんざ、いっそ無くなっちまった方が清々するさ。そんな事より嬢ちゃんが笑ってる方がよっぽど大事だ……誠二郎の奴だってそう言うに違いない」

「……父が。本当にそうでしょうか?」

「ああ、間違いない。アイツはそういう奴だ」

 

 綺凛の疑問に恭一郎は断言した。そして綺凛の傍から離れる。

 

「おい! いつまで話してんだ、八幡。もうそろそろ行くぞ!」

「あ、はい。分かりました、師匠。それではこの辺で失礼します」

「ああ」

「ええ、またね。八幡くん」

 

 八幡が代志乃と琴葉の傍から離れる。

 

「恭ちゃんもまたいつでも来ていいからね」

「こんな所に来るなんざ暫くは御免だね……まあ、ババアがいなけりゃまた来てもいいがな」

「ふんっ。いつまでも減らず口を叩いてないで、早く大人になるんだな。恭一郎」

「んだとっ、このクソババア!」

「もう二人とも。喧嘩しちゃ駄目よ」

 

 口喧嘩する二人を琴葉が嗜める。そんな三人に苦笑しつつ八幡は綺凛の傍に近付く。

 

「……綺凛」

「あ、八幡先輩」

「髪がクシャクシャになってるぞ。どうしたんだ?」

「あ、先程、我妻の叔父様がちょっと……」

「……そうか。ちょっと待ってな」

 

 慰めてくれた叔父の事を惚ける綺凛。それを気にせず八幡は懐から櫛を取り出す。

 

「ほれ。じっとしてろ」

「え、あ、はい」

 

 言われるまま止まる綺凛。八幡は櫛を綺凛の髪に通し、手際よく乱れた髪を整えていった。

 

「……よし。これでいいぞ」

「あ、ありがとうございます」

「気にするな。女の子の髪を梳くのは慣れてるからな」

「……そうなんですか?」

 

 思わぬ台詞に聞き替えす綺凛。

 

「ああ。妹の一人がな。頻繁に髪を梳かせとうるさいんだ。毎日梳いていたらすっかり慣れてしまった」

「な、なるほど」

 

 八幡が持つ櫛を見てみると、立派な装飾が施された女物の和櫛だった。きっと妹専用の櫛なのだろう。文句を言いながらも八幡の口調は優しかった。

 

 そしてそんな彼に思われる妹のことが―――綺凛は少し羨ましく思った。

 

「さて、そろそろ行くかな」

「あ、は、はい」

 

 動揺しながら返事をする。

 

「あ、あの、八幡先輩。その、わたしっ……」

 

 何かを話そうとする綺凛。だが慌てているのか、それ以上の言葉が出てこない。

 そんな彼女の様子を見た八幡は、軽く彼女の頭を撫でて言う。

 

「……またな、綺凛」

「あ…………はいっ」

 

 それが二人の一先ずの別れだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「綺凛。八幡くん、行っちゃったわね」

「うん」

「寂しい?」

「…………うん」

「そっか。随分懐いていたものね」

 

 母の言葉に素直に頷く。

 

「二人とも。あたしは先に家に戻ってる」

「はい。分かりました」

 

 代志乃は一人玄関へと戻っていった。

 

「ねぇ、お母さん」

「どうしたの、綺凛?」

「……相談したいことがあるんだ」

「相談? じゃあ、家の中に戻ってからでいいかしら? ここは少し暑いから」

「分かった」

 

 二人も家の中へと戻っていく。そして近くの部屋へと入り腰を落ち着かせる。

 

「それで相談って何かしら?」

「これ、なんだけど」

 

 綺凛は八幡から貰ったデータを空間ウィンドウで開き琴葉へ見せる。

 

「六花見学会? ふーん。あら、今日から一週間後なのね」

「うん」

「行きたいの? 綺凛が行きたければ行ってもいいのよ」

「……行ってもいいのかな?」

「勿論よ。八幡くんに誘われたんでしょう? 興味があるなら行けばいいじゃない。夏休みなんだから」

「でも……」

 

 しかし綺凛は尚言い淀む。言いたいことがある。しかしそれを言ってはいけない。彼女の心のある葛藤が、彼女の言葉を阻んでいた。

 

「ねぇ、綺凛。お母さんから一つお話があります」

「なに?」

 

 琴葉が娘の手を引き手元にゆっくりと引き寄せ、その身体を抱きしめる。

 その母のいきなりの行動に綺凛は驚く。

 

「わっ!? お、お母さんっ」

「綺凛は可愛いわねー」

「……お母さん」

「何か悩んでいるなら話してごらんなさい。お母さんが聞いてあげる」

「…………うん」

 

 母に抱きしめられ温もりに包まれる。その温もりは綺凛の心を溶かし、彼女は悩みを打ち明ける。

 

「……お母さん。わたし八幡先輩に界龍に入らないかって誘われたの」

「あら、そうなの? いいことじゃない。綺凛は何か不満なの?」

「不満っていうか……綱一郎伯父様にも言われているの。星導館に来るようにって」

「……そう。それで?」

「伯父様はお父さんの事で力を貸してくれた恩人で、それを考えれば星導館に行くのが普通なんだと思う。だけど話を聞けば聞くほど、界龍に心惹かれている自分がいる。それで悩んでるわたしを、八幡先輩が見学会に来てみないか誘ってくれたの」

「綺凛は行きたくないの? 見学会に」

「行きたいよ……でも、もしその事が伯父様にバレて、それで機嫌を損ねたら、刀藤流がどうなるか……」

 

 綺凛は怖かった。伯父が父のことを助けたのは善意ではないと知っているからだ。伯父の機嫌を損ねれば、父のことをバラされるかもしれない。それがとてつもなく怖かった。

 

「そんな事気にしなくていいのよ」

「でも!」

「綱ちゃんのことなら心配いらないわ。あなたはあなたの思うように行動すればいい。そこに刀藤流や宗家のことなんか関係ない。お母さんはそう思うわ」

「…………いいの、かな?」

「ええ、いいのよ。大丈夫! 綱ちゃんがもし何か言ってきたとしても、私がガツンと言ってあげるわ!」

「……うん」

「ほら、あなたがどうしたいのか聞かせてちょうだい」

 

 母の物言いに少し安心する綺凛。そして彼女は自身の思いを告白する。

 

「お母さん。わたし見学会に行く。そして自分の力が通用するか確かめてくる」

「うん。行ってらっしゃい」

 

 刀藤綺凛は決断した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして一週間後。

 刀藤綺凛と刀藤琴葉はアスタリスクの玄関口であるフェリー乗り場へとやって来た。

 

「ほら、綺凛。あそこじゃない?」

「……うん。そうみたい」

 

 二人の視線の先には、龍の校章が描かれた旗を持った大人の男性を見つけた。そしてその周囲には小さな子供達が沢山集まっている。恐らく同じ見学会の子供達だろう。

 

 二人がそこに近付くと―――

 

「見学者の方ですか? もしそうでしたら、書類の確認を行いますので提出をお願いします」

「あ、はい。分かりました」

 

 スタッフと思わしき人が声を掛けてくる。綺凛は言われた通りに八幡から貰った書類データを開き相手に見せる。

 

「…………はい。確認できました。刀藤綺凛様ですね。ようこそ六花見学会へ。もうすぐフェリー乗り場へご案内しますので、暫くあちらでお待ちください」

 

 スタッフは集まっている子供たちの方へと手を向ける。

 

「じゃあ、綺凛。お母さんは帰るから頑張ってね」

「うん。ありがとう、お母さん」

「八幡くんによろしくねー」

 

 そう言うと琴葉はその場から立ち去っていった。母の帰りを見送った綺凛は、案内通りに子供たちの所に行き次の指示を待つ。

 辺りをチラリと見れば様々な国の子供達が集まっているようだ。皆、これからアスタリスクに向かうとあって、期待に胸を膨らませているのが表情で分かる。

 

 そのまま待機していると―――

 

「皆さん。大変お待たせしました。フェリーの準備が整いましたので、これからそちらへ向かいます。私の後に付いてきてください」

 

 旗を持ったスタッフの一人が一同に声を掛け、集団の先頭を歩き出した。他の見学者も歩き出したので、綺凛も遅れずに付いて行く。暫く歩いていくと建物の外へ抜け、さらに歩く。すると前方に巨大なフェリーが見えてくる。どうやらこれに乗るようだ。

 そして先頭を歩いていたスタッフがこちらを向いた。

 

「はい。では、乗船いただく前に最終確認を行います。一列に並びスタッフに書類データの提出をしてください。中に入りましたら席は自由となっています。お好きな席にお座りください」

 

 見学者が一列に並び乗船チェックを始めた。一人ずつ簡単なチェックを行い順番に乗船していく。そして綺凛の番がやってきた。

 

「お願いします」

「はい。刀藤綺凛様ですね。どうぞお進みください」

「ありがとうございます」

 

 確認が済んだらフェリーへと乗船する。フェリーはかなりの大きさで、中を色々と見学できるようだ。先に乗船した子供たちがあちこち走り回っている。

 

 とりあえず荷物を何処かに置きたかったので座る場所を探すことにした。ただ、綺凛は乗船した中で最後の方だったので空いている場所が見つからない。だが、暫く歩いていると空いている椅子を複数発見した。そこに座り、足元に荷物を置いて一息つく。

 

「……いろんな子がいるなぁ。皆、わたしと同じ見学会の子達なんだよね」

 

 席に座りぼうっとする。集まった見学者は世界中から集められたのか、様々な国の子供たちがいるようだ。この見学会の人気が窺える。

 

 他の子達は船内を色々と見学しているようだが、綺凛はそんな気分にはなれなかった。大人しく席に座っている事にする。

 

 すると―――

 

「…………隣、いい?」

 

 突如、横から声を掛けられた。声から察するに少女のようだ。

 そちらに振り向き返事をする。

 

「あ、はい。どうぞ」

「……ありがとう」

 

 少女が隣に座る。黒色の髪を持つ長髪の少女。声の発音から察するに同じ日本人のようだ。

 

「…………」

「…………」

 

 何となく沈黙が流れる。綺凛は内気の為、初対面の人に率先と話すような性格ではないからだ。

 そのまま黙っていると少女が口を開いた。

 

「あなたも見学会の参加者?」

「は、はい」

「……日本人?」

「ええ。そうです」

「……銀髪だから外人だと思った。星脈世代は国籍が分かりにくい」

「あ、あはは。確かにそうですね」

 

 星脈世代には変わった髪の色を持つ人も少なくない。綺凛の銀髪も素でこの色なのだ。

 

「ここに居るってことは同じ小6だよね。だったら敬語なんか使わなくていいよ。普通に話して」

「ええと。うん、分かった」

「……うん。そっちの方がいい」

 

 黒髪の少女がうっすらと微笑みを浮かべる。

 

「あなたは船内を見学しないの? 皆、走り回ってるけど」

「……何となくそんな気分になれなくて」

「そう……私もそうなんだ」

 

 どうやらお互いに同じ意見のようだ。綺凛としては、これから向かうアスタリスクへの期待と不安で胸が一杯だ。緊張している事もあり、あまり余計な事をする気にはなれない。

 

 色々と考えていると、ふと綺凛はある事に気付いた。

 

「……そう言えば、まだ自己紹介してなかったね。わたしは刀藤綺凛と言います。よろしく」

 

 綺凛の自己紹介に対し少女も口を開く。

 

「私は留美。鶴見留美。よろしく」

 




今回の話に登場した六花見学会は独自設定です。簡単に言えば体験入学です。
原作にはこの様な行事はありませんが、実際あってもおかしくはないと思い、追加しました。

まあ、ぶっちゃけ入学前のヒロインをアスタリスクに来させるためです。
というわけで、次回から六花見学編です。

誤字、脱字、感想等あれば、よろしくお願いします。


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第二十三話 界龍の見学。そして挑戦

何か奇跡的に筆が進んだので投稿します。

多分過去最速で完成ですね。今後は無理だと思います。



「はい、皆さん。あちらに見えるのがシリウスドームのステージです。このシリウスドームは、アスタリスクの中でも一番大きな会場で、収容人数はおよそ十万人となっています。とっても大きいですねー。そしてこの会場は、星武祭では本選のメインスタジアムとして使用され、毎年激しい闘いを繰り広げています。テレビで見た事のある子達も多いんじゃないかな。見たことがある人は手を挙げてみて」

『はーい!』

 

 シリウスドーム舞台袖で案内人の女性が会場の説明をしている。最後の言葉の後に手を上げ、元気な声で答えているのは界龍第七学園 六花見学会の参加者である少年少女達だ。

 

「また、この会場は星武祭以外でも使用されています。六校の学園で行われる月に一度の序列戦。毎月、各校が持ち回りでこの会場を使用することになっています。一番の注目カードには、多くの観客で賑わいを見せるんですよ」

 

 女性が説明する度に子供たちの歓声が響きわたる。将来この舞台で活躍する自分の姿を想像しているのかもしれない。

 だが、そんな盛り上がる子供たちとは他所に、綺凛と留美は二人少し離れた所で会話をしていた。

 

「……大きい会場だね、留美ちゃん」

「うん。凄く大きい」

 

 綺凛の呟きに留美は頷く。

 

「留美ちゃんは星武祭に関して詳しいの? わたしはあんまり見たこと無いんだ」

「私も全然。クラスの皆は興味津々で見てて、星武祭の後とかも凄い盛り上がってたけど、私は興味なかった。それに闘うのって興味ないんだ、私」

 

 留美の答えに少し呆然とする綺凛。

 

「えーと、じゃあ留美ちゃんはどうしてこの見学会に来たの? アスタリスクに興味がなければ来ないと思うんだけど」

「それは…………」

 

 綺凛の問いに留美は言い淀む。そして留美は何かを思い出すかのように真剣な表情をする。

 

「あ、ごめん。聞いちゃいけなかったかな」

「ううん、そうじゃない……私の目的は知り合いに会うこと。ただそれだけ」

「知り合いって界龍の?」

「……うん」

 

 留美がコクリと頷いた。

 

「そういう綺凛こそ、どうして界龍の見学会に来たの? 女子の人気ならクインヴェールが断トツの一番人気だし、それ以外だと聖ガラードワースが多いって聞いたよ。両校とも制服が可愛いし」

「……わたしは知り合いの人に誘われたの。界龍には強い人が沢山いるからいい経験になるからって。一週間前に」

「えっ、一週間前? 本当、それ?」

 

 綺凛の言葉に留美は驚く。

 

「う、うん。本当だよ」

「……よく通ったね、この見学会。私は知り合いの人にこの見学会について教えてもらって申し込んだけど、そもそも申込期限は五月末までだよ。それに知り合いの人曰く、当選倍率は百倍以上って言ってた」

「えっ! そ、そうなの?」

 

 留美の言葉に今度は綺凛が驚く。

 

「うん。まあ世界中から子供が来るからそのぐらい行くんじゃないかな? 無料だから費用も掛からないし」

「あ、うん。そうだよね……」

 

 綺凛はあまりの驚きに言葉が止まってしまう。八幡からそんな話はまったく聞いていなかったからだ。

 

「……でも、それが本当なら綺凛はよっぽど優秀なんだね。刀も持ってたし剣士ってやつなのかな? その知り合いの人もそうだけど、界龍自体がよっぽど綺凛に来てほしかったんだね」

「そ、そんな事は、ないと思うけど」

 

 綺凛は突如八幡のことを思い出す。頭を撫でられながら沢山褒められ、熱心に綺凛のことを誘っていたことを。そしてそれを意識し顔が赤くなった。

 

「……綺凛、大丈夫? 顔、赤いよ?」

「あ、う、うん。大丈夫! 何でもないから!」

「ならいいけど……」

 

 首を横に振り自身の考えを消す。今はそんな事を思い出してる場合ではない。

 

「はい。シリウスドームの説明は以上になります。将来、皆さんがこの舞台に立てるように頑張ってくださいね」

『はい!』

 

 そして二人が話し込んでいる間に案内人の説明が終わったようだ。少年少女の元気な声が聞こえる。

 

「それでは本日の見学は此処までになります。この後はバスで移動してホテルに泊まります。明日は皆さん、界龍第七学園に向かう事になりますので、早めの就寝を心がけて下さい。では、バスに戻りますので付いてきてください」

 

 案内人はそう締めくくり、外へ向かって歩き出した。そして少年少女達もそれに続き、最後尾に綺凛と留美も続いた。

 

 舞台袖から通路へと戻る手前で、綺凛は後ろを振り返る。アスタリスクを模して造られた六角形の舞台。星武祭での最終ステージ。そして綺凛は案内人の言葉を思い出し、決意を固める。

 

「―――必ずこの舞台に立ってみせます」

 

 

 

 

 

 

 

 

「はい、皆さん。おはようございます」

『おはようございまーす』

「はい。いい返事ですね。今日これから、皆さんは界龍第七学園に向かいます。到着まで30分ほど掛かりますので、それまでは席を立たないで下さいね」

 

 翌日、ホテルでの朝食を終えた後、見学会の一行は界龍第七学園に向かってバスで移動することになった。先日から引き続き、案内役のお姉さんが一行に挨拶をしている。

 

「しかし到着まで皆さん暇を持て余すと思います。そこでこれから界龍第七学園の解説をしたいと思いますので、興味のある子は聞いてください。興味のない子たちは―――」

 

 案内役のお姉さんが手元の空間ウィンドウを操作する。すると、バスの座席に座った子供たちの目の前に空間ウィンドウが出現した。

 

「今、皆さんの前に空間ウィンドウが開いたと思います。そのウィンドウで界龍第七学園の様々な情報を見ることが出来ます。生徒同士の決闘の映像は勿論、過去の星武祭の名勝負の数々も載ってるんですよ。他にも在名祭祀書の一覧を開くと、現時点での序列七十二位までの生徒の一覧が序列順に載っています。興味がある生徒のページを開いてください。そこには各生徒の過去の決闘や星武祭での活躍を見ることも出来ますので、お気に入りの生徒がいましたらそちらから探すと早いですよ」

 

 案内人の言葉を皮切りに子供達は手元のウィンドウを操作していく。綺凛も同様にウィンドウを操作していくが、情報が多すぎてどれを見ればいいか迷ってしまう。

 

「いっぱいあるね、留美ちゃん」

「…………」

 

 隣にいる留美に問いかけるも返事がない。綺凛が留美の方を向くと、彼女は在名祭祀書の一覧を開き、熱心にそれを見ていた。その様子を見た綺凛は、恐る恐る綺凛に話しかける。

 

「……あの、留美ちゃん?」

「あ、ご、ごめん。なに綺凛?」

「誰か探してるの?」

「……うん。知り合いの人がいるかなと思って見てた。この一覧にはいなかったけど」

「あ、そうなんだ。留美ちゃんにこの見学会を教えてくれた人?」

「ううん。その人とは別人。教えてくれた人ならもう見付けた……ほら、この人」

 

 留美が自身のウィンドウを横にずらし、綺凛にも見せる。

 

「雪ノ下陽乃さん……凄いね、この人。界龍の序列三位なんだ」

「うん、陽乃さんは凄い。強くて、格好良くて……私の憧れの人」

 

 留美が頬を少し染め、陽乃を褒めたたえる。折角なので、彼女の決闘シーンを見ることにした。空間ウィンドウを大きくして二人で見れるようにする。

 

 そして彼女の決闘を見てみると―――

 

「……何というか、凄いね」

「うん、凄い。さすが陽乃さん」

 

 凄い以外の言葉が見つからなかった。近接では合気に格闘、中距離、遠距離では容赦なく炎が乱れ飛び、相手を蹂躙していた。ハッキリ言って隙が無い。

 

 ―――わたしならどう闘う? 近距離に持ち込もうにもあの炎を掻い潜れる? いや、仮に接近戦に持ち込めてもあの体術がある。今のわたしで通用するかどうか。

 

 陽乃の相手だって決して弱いようには見えない。だがその相手すら蹂躙する陽乃の強さに綺凛は驚愕した。そして思わず自身ならどう闘うか思考に耽る。

 

「……綺凛。随分一生懸命見てるね」

「あ、うん……わたしならどう闘うか考えてたの」

「この陽乃さんを見て、よくそんな事考えられるね。やっぱり綺凛って強いんだ」

「そ、そんな事ないよ」

 

 留美の言葉を否定する。それは綺凛の本心だ。今の自分は井戸の中の蛙。このアスタリスクには予想以上の猛者が蠢いてる。そう実感できた所だ。

 

「そんなに陽乃さんに興味があるなら、他にも動画がいっぱいあるよ。見てみる?」

「うん。お願い」

 

 留美の勧めのまま他の動画も見ることにした。留美がウィンドウを操作し別の動画を再生する。そしてそれは界龍第七学園に到着するまで続くのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「皆さん、此処が界龍第七学園です。ご存知の方もいるかもしれませんが、この界龍第七学園はアスタリスクで唯一初等部がある学園です。だからこの敷地には、初等部から大学まで全ての学び舎が揃ってるんですよ。その為、校内の大きさはとてつもない広さになっているので、迷子にならないように付いてきてください」

 

 案内人が先導し界龍の入り口の門をくぐる。そして校内を案内すべく歩を進めた。見学者達も界龍のあまりの広さに驚きの声を上げつつ後に続く。

 

「……凄く広いね」

「うん。この広さだとすぐ迷子になっちゃいそう」

 

 留美の意見に綺凛も同意する。入口から校内を一瞥しただけでも、途方もない広さなのが分かる。案内人から離れたら、すぐに迷子になってしまうだろう。

 

 そのまま暫く歩いていると、巨大な広場が見えてきた。遠目から見ると生徒が沢山集まり何かを行っている。近付いていくと何をしているのか、綺凛にはすぐに分かった。案内人が足を止めてこちらに振り向く。

 

「はい皆さん、注目。あちらで行っているのが集団演武になります。この界龍第七学園は武術がとても盛んな学校です。様々な武術、様々な流派が存在していますので、もし皆さんがこの学園に入学したら、何処かで武術を習うのも選択肢の一つですね」

 

 広場では二十人ほどの集団が同時に動き、同じ型を披露している。その動作と流れるような演武は、見ている者を魅了する。それは子供たちも例外ではなく、皆が演武を一生懸命見ている。

 

「あんなに沢山の人がまったく同時に動いているのに、動きがまったく変わらない。あんな事が出来るんだ」

「うん。かなりの練度だよ、あの人達……やっぱりレベルが高いね、アスタリスクは」

 

 それは留美と綺凛も同様だ。特に武術を習ってきた綺凛は、身体を動かすということの難しさを知っている。その為、留美以上にその演武の凄さが理解できた。

 

 やがて演武が終わり集団の動きが止まる。そして同時にこちらに礼をする。それに対し、見学者の面々は一斉に拍手をしてその凄さを称えた。

 

「はい。というわけで、集団演武をご覧いただきました。凄かったですね。皆さんも鍛えれば、あのような演武も行うことも可能になるでしょう……さて、では次に行きましょうか」

 

 一同の興奮さめやらぬ中、次へと進む。様々な施設の紹介を聞いていると、お昼の時間になったので一行は食堂を訪れた。巨大な食堂のため、百人が入っても座る場所に困る事はない。この日の為に貸切をしているのか、学園の生徒の姿はない。見学者は好きな物を頼み、その美味しさに舌鼓を打った。

 

 食事が終わればまた見学の続きだ。建物と建物の間を移動し風雅な庭園に目を見張る。そして先程とは別の巨大な広場も幾つか通るのだが、その全ての広場で演武や鍛錬が行われていた。それらの様子は、流石に武に力を入れている学園だと一同を納得させるものだった。

 

 そして最後に訪れたのは―――大きな建物だった。

 

「はい。それでは此処が本日最後の見学する場所です。中は大きな道場となっていますので、この人数でも入ることが出来ます。では、行きましょう」

 

 一同は道場の中へと入っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 道場の中には沢山の生徒がいた。素振りをする者。型の稽古をする者。二人で勝負をする者。様々な生徒が各自の鍛錬を行っている。その熱気と真剣さに、見学者は自然と気を引き締め口が閉じていく。

 

「皆さん。此処は界龍第七学園の流派の一つ、木派の道場です。木派は界龍の中でも有数の実力者が揃う最大派閥の一つになります」

 

 案内人の言葉に見学者は目を輝かせる。

 

「此処では木派の門下生の鍛錬を見学します。ただ、見ているだけでは退屈する人達もいるかもしれません。そこで―――」

 

 一呼吸置き案内人は言う。

 

「―――希望者を募り門下生と模擬戦を行いたいと思います。この後10分間時間を取りますので、その間に希望する方の受付をします。自分の実力に自信がある者は是非名乗り出て下さい」

 

 その言葉に見学者達からざわめきが起こる。そしてそれを聞いた綺凛も拳を握り力が入る。

 

「では、これより10分間を受付時間とします。私はあちらにいますので、希望者はそちらに来てください」

 

 そこまで言うと案内人は壁際に移動する。そして残された見学者達が騒ぎ出した。

 

「おい! どうする?」

「やろうよ! こんなチャンス滅多にないよ!」

「わたしはどうしよう! 挑戦した方がいいかな?」

「えーでも皆強そうだから勝てっこないよ。止めた方がいいって」

 

 挑戦しようとする者。迷う者。諦める者。見学者の反応は様々だ。

 

 そして―――

 

「……留美ちゃんはどうする?」

「私はいいや。此処には人に会いに来ただけだから闘いたいとは思わないし。綺凛は?」

「わたしは―――行くよ。それが目的の一つだから」

「そっか。頑張ってね」

「うん。ありがとう」

 

 綺凛は一人で前に出る。他にも挑戦しようとする子供たちが続々と前に出て受付に並びだす。希望者は見学者のおよそ半分のようだ。

 受付を済ませた子供は、門下生の元に案内され模擬戦が始まっていく。だが、やはり木派の門下生相手では分が悪いのか、勝てる挑戦者は一人もいない。それどころか明らかに相手から手加減されている状況だ。綺凛も受付に並びながらその様子を遠目で確認していく。

 

 そして綺凛の番がやって来た。

 

「あなたも挑戦するの?」

「はい。お願いします」

「模擬戦はアスタリスクの形式に合わせていますので、こちらを胸に付けて下さい」

 

 綺凛は龍の校章を渡されたので、それを胸に付ける。

 

「模擬戦は相手を気絶させるか、もしくは相手の校章を先に破損させれば勝利になります」

「はい」

「ちなみに、使用する武器は持っていますか? 煌式武装を持っていなければ貸出も可能ですよ」

「いえ、わたしにはこの刀があるので大丈夫です」

 

 綺凛は持っている刀を見せる。

 

「了解です……全力で掛かっていっても大丈夫よ。此処の人達は強い人ばかりだから。頑張ってね」

「はいっありがとうございます」

「では、あちらの方が空いているようなので、そちらへ移動してください」

「分かりました」

 

 綺凛は言われた方へ移動する。するとそこには、高校生もしくは大学生と思わしき大柄な男性が待ち構えていた。もう既に何人も挑んでいるようだが、未だ彼は敗北していないようだ。

 

「次の相手は君か?」

「はい。お願いします」

「分かった。構えるといい」

 

 男が両拳を握り構える。すると、綺凛の目には男の両拳に星辰力が集まっていくのが感じられた。そして両拳に星辰力が収束し塊となった。界龍の拳士特有の星辰力コントロール技術だ。

 

 初めて見る現象に内心驚きつつ、綺凛も自身の刀『千羽切』を抜いて正眼に構える。

 

 そして―――綺凛の気配が変わる。

 

 普段の大人しい気配から一人の剣士へと。自身の星辰力を解放し刀に練り込む。そして剣気とも言うべき鋭く冷たい圧力が相手を襲った。すると相手はその圧力に押され、顔から一滴の冷や汗を掻いた。

 

「っ! なるほどっ! どうやら挑戦するのはこちらのようだな」

「…………」

 

 綺凛は何も喋らない。油断なく相手を見据え、そして倒すべく隙を探る。

 

「行くぞっ!」

「……はい」

 

 刀藤綺凛の挑戦が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 道場中の視線がそこに集結していた。そこで行われている模擬戦の、過程と結果の全てを見逃すまいと、たくさんの熱い視線が送られている。

 見学者による模擬戦の挑戦は、一人を残して全滅という結果に終わっている。だが後一人残っている。

 

 そしてその残った挑戦者はと言うと―――

 

 振り下ろされる右拳。星辰力が込められたその拳が直撃すれば、いかに綺凛とてダメージを免れない。だがそれを素直に受ける綺凛ではない。振り下ろされる拳を下から刀で掬い上げ、弾き上げる。すると右拳と一緒に相手の身体も体勢を大きく崩れた。そしてその隙を綺凛は逃さない。掬い上げた反動を利用し、右の袈裟切りで相手の校章を断ち切った。

 

 ―――刀藤綺凛の勝利である。

 

「す、凄げぇ。あの子。また勝った」

「誰よ、あの子? あんな子今まで見たことないわよ」

 

 見学者から驚きの声が上がる。無名の剣士が木派の門下生を次々と撃破してくのだ。驚かない方が無理がある。

 

 何しろ―――

 

「これで五連勝だぜ! 信じられない!」

 

 刀藤綺凛は界龍の門下生相手に五連勝していた。最初は偶然と思って見ていた見学者も、此処まで連勝を重ねられると、偶然で片付けるのは無理がある。

 

 試合を終えた綺凛と相手の男が、お互いに礼をする。

 

「ありがとうございました」

「ありがとうございます……強いな、君は」

「いえ、そんな」

「……私では君の本気を引き出せないようだ。悔しいことだがな」

 

 男は綺凛の強さに称賛を送る。彼らにとって敗北は決して負けではない。だが年上である自分たちが、この小さな少女の本気すら引き出せない。その事が男にとっては悔しかった。

 

「さて、まだ体力の方は大丈夫かい?」

「はい。大丈夫です」

「そうか……次の相手が決まるまで少し時間が掛かりそうだ。少し休んでいるといい」

「……分かりました」

 

 男がある一角に視線を送り、その様子から時間が掛かると判断する。

 綺凛もそこに視線を送ってみると―――

 

「おお! あそこまで強いとは。よし! 次は俺が彼女に挑戦しよう!」

「待て! 貴公では荷が重い。此処は私が行こう!」

「何言ってんの! アンタは先週、私に負けたじゃない。彼女の相手には役者不足よ。私が行くわ!」

「待て待て! 序列下位の貴君らでは彼女の相手にならん。此処は俺が!」

「アンタだって実力はそんなに変わらないじゃない! アタシ達と一緒よ!」

 

 綺凛の相手を巡り、木派の門下生同士が争いをしていた。誰も彼もが綺凛の相手を求めており、次の相手が決まるのは難航しそうだ。

 

 その様子を見ていた綺凛は、助言に従い少し下がって休憩を取ることにした。そんな彼女に一人の少女が近付く。

 

「……綺凛。はい、これ」

「あ、留美ちゃん。ありがとう」

 

 鶴見留美からスポーツドリンクとタオルを受取る。タオルで汗を拭き、ドリンクを飲んで水分補給を取る。

 

「ふぅっ」

「……本当に凄い強いね、綺凛。私、同級生でこんなに強い人初めて見た」

 

 留美も驚きを隠せない。年上ならまだしも、同学年で此処まで強い人を見るのは、留美にとっては初めてだ。

 

「わたしなんてまだまだだよ。ホントに」

「充分強いと思うけど……でも、次の相手。まだ決まりそうにないね」

 

 留美は言い争いをしている集団を見る。大声を上げながら自分こそが闘うと主張している。下手をすれば彼ら同士で闘いが発生しそうだ。

 

「皆、綺凛に勝てないのに挑むんだ。変なの」

「……わたしは嬉しいよ。油断できる人なんて一人もいないから」

「そういうもんかな?」

 

 留美の疑問に綺凛は軽く頷く。実際、綺凛の中では嬉しい気持ちでいっぱいだ。何しろ実家の道場では、自身の相手をしてくれる人はそんなに多くない。年下の少女に負けると分かって挑む人は中々いないのだ。

 

 そんな話をしながらリラックスしていた二人。

 

 その時だった―――

 

 

「―――おぬしが刀藤綺凛じゃな?」

 

 

 真後ろから声がした。

 

「っ!?」

「え?」

 

 慌てて振り向く綺凛と留美。するとそこには一人の少女、否、幼女がいた。こちらの驚きを他所に幼女は綺凛に近付き、彼女の目を見る。

 

「ほう……! なるほどなるほど。玉の石。それも最上級と来たか。くくくっ、これはたまらんのう!」

 

 愉快に笑いながら綺凛の瞳を覗き込む。覗かれた綺凛は得も言えぬ感覚に陥る。己の全てが覗かれる、そんな奇妙な感覚を―――

 

「し、師父! どうしてこちらに!」

 

 木派の門下生の一人が気付き声を上げる。その声を筆頭に全ての門下生が彼女に気付き、構えを取る。

 

「楽にしてよいぞ。少しばかり様子を見に来ただけじゃ」

「そ、そうですか。分かりました」

 

 驚く門下生達。しかし彼らが驚くのも無理はない。万有天羅が見学会を訪れる事なぞ今まで一度もなかったからだ。

 

「さて、今の戦績はどうなっておる?」

「……我らの五連敗となっております」

「ふむ、普段ならふがいないと叱る所であるが―――こやつが相手では仕方がない。恥じることはないぞ」

「そこまで、ですか」

「うむ、現時点で冒頭の十二人の下位、いや、下手をすれば中位まで喰われるな。そこまでの逸材よ」

「! な、なるほど。我らでは相手になりませぬな、それは」

 

 男は星露の見立てに納得する。彼女の見立ては外れることがないからだ。

 しかし綺凛はそんな二人の話を聞く余裕すらなかった。

 

「綺凛、大丈夫? 顔色悪いよ」

「…………うん。大丈夫」

 

 綺凛の口調が固い。彼女は先程の出来事が信じられず、混乱していた。気配も、動きも、そして星辰力すら感知できなかった。そんな事は彼女にとって初めての経験だ。

 

「さて、刀藤綺凛。此処に居る儂の弟子達ではおぬしの相手は務まらん。よって儂が相手をしよう。受けてはくれぬか?」

「し、師父! それは!」

 

 弟子達の驚きの声が上がる。問いかけられた綺凛は、己の疑問を星露へと投げかける。

 

「……聞いてもよろしいでしょうか?」

「何じゃ。遠慮なく申してみよ」

「あなたの、お名前を教えてください」

「お、そう言えばまだ言っておらんかったの」

 

 星露は今気付いたとばかりの態度を取り、そして彼女は自身の名を明かす。

 

「――-儂の名前は范星露。界龍第七学園 序列一位。万有天羅とも呼ばれておる。よろしく頼むぞ、若き剣士よ」

 

 ―――うちの序列一位。ちなみに今年八歳になるがべらぼうに強い。多分オーフェリア・ランドルーフェンと同じぐらいの強さだ。本人曰くだが。

 

 綺凛は、目の前にいるこの幼女が、彼の妹だと確信した。

 

「界龍の、序列一位!? う、嘘だろ? あんなちっちゃい子が、そんな」

「で、でもデータでもそうなってるよ。本当なんじゃ」

「そ、そうだよ。彼女が来たの、誰か見たか?」

「いや、でも…………」

 

 混乱の真っただ中に陥った見学者達。

 それに対し、留美と綺凛は周囲に比べればまだ混乱が少ない。

 

「……范星露? 陽乃さんの師匠?」

「その通りじゃ、鶴見留美よ。ふむ、おぬしも中々の研鑽を重ねてきたようじゃな、褒めてやるぞ」

「あ、ありがとうございます」

 

 相手は幼女だと言うのに敬語で話す留美。周りの彼女に対する態度もそうだが、彼女の存在感とも言うべきものが、彼女に対して敬語を使わせる理由となっていた。

 

「あなたに……」

「うん?」

 

 留美と話していた星露に対し、綺凛が更に問いかける。

 

「あなたに勝てれば、星武祭を制することは出来ますか?」

「ふむ、そうじゃな……儂に勝てれば王竜星武祭を制することも可能じゃろう。保証してやるぞ」

「! ……だったらその勝負、お受けします」

 

 刀藤綺凛は范星露からの勝負を受けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「綺凛、止めた方がいい。絶対勝てないよ」

 

 隣にいる留美が綺凛を止めようと必死に説得する。彼女は確信している。あの陽乃ですら敗北したあの時の彼を、この幼女が止めたことを知っているからだ。

 

「……分かってる。でも、それでも挑みたい。いや、挑まなくちゃいけないんだよ、留美ちゃん」

「綺凛……」

 

 しかし綺凛は意志を曲げない。己の目的の為、最強と同格に称される彼女に挑む価値は十分にある。

 

「安心せよ、鶴見留美。流石に本気は出さぬ故、それなりにいい勝負になるじゃろう」

「で、でも……」

「ふむ、まあこやつの実力を知らぬと、そう思うのは無理もないか……そうじゃな、これでどうじゃ!!」

 

 最後の言葉を放つ瞬間。星露は己の圧力と殺気を綺凛へ叩きつける。

 

「っ!」

 

 そして次の瞬間に―――綺凛が反射的に大きく距離を取っていた。

 

 己の身体が、否、細胞が反射的に反応したようだった。当然その動きはとても鋭く、そしてとても速かった。一瞬だけのスピードなら界龍序列上位にも匹敵しただろう。そしてそれを視認できたのは―――この場では范星露のみだ。

 

「え? き、綺凛。凄い。一瞬であんな所に」

「刀藤綺凛は強い。その辺の凡百の人間とは比べ物にならぬよ。これで安心したか」

「は、はい。少しは」

「では、下がっておれ。巻き添えを食らうぞ」

 

 星露に下がるように言われた留美は、指示通りに壁際まで下がる。

 

 

 そして道場中央に残された星露と綺凛。

 

 

 両者の目的のために―――二人はぶつかり合う!

 

 

「―――来るがよい」

「―――参ります!」

 




綺凛ちゃんの快進撃が続いたお話でした。

次回は 刀藤綺凛 VS 范星露(手加減)となります。

誤字、脱字、感想等あれば、よろしくお願いします。


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第二十四話 刀藤綺凛は奮闘する

戦闘シーンが思ったより長くなったので、とりあえず切りのいい所までです。

しかし最近筆の進みがいい。私に何が起こっているんだろうか……



 一足跳びで間合いを詰め刀を振るう。振るわれた刀は持ち主の意のままに虚空に軌跡を描く。

 しかし手応えはない。それどころか瞬時にその姿を消えている。前方を見れば、こちらの一撃を躱した相手が、愉快な表情でこちらを見ている。

 

 始める前から分かっていた事だが、改めて心に刻む。

 

 ―――この相手は尋常じゃないです。

 

 瞬時に追撃。地面を踏み込み更なる速度を持って相手に迫る。

 袈裟切りからの横薙ぎ、そして逆袈裟。一手一手を瞬時に、そして速く、相手を切り捨てる感覚で容赦なく襲い掛かる。

 

 しかし捉えること叶わず。こちらが剣を振るった直後、既に相手の姿は消えている。

 

 ―――相手の姿が捉えられない。動きが速すぎます! 

 

 幾度も繰り出した連撃は全て虚空に刀の軌跡を描く結果となった。

 綺凛はこのままでは無駄と感じ足を止めると、相手もまた足を止める。

 

 そして対戦相手―――范星露を見ると彼女は口を開く。

 

「うむ、実に真っすぐな剣じゃ。その齢でその剣技。正に天才と言っていいじゃろう」

「……ありがとうございます」

 

 星露からの称賛の言葉に、綺凛は礼を返す。しかし幼女に年の事を言われるのは妙な気分だ。

 

「しかし真っすぐ故に読むことは容易。並みの相手なら、その剣技を持って切り捨てることも可能であろうが―――さて、どうする?」

「…………」

 

 此方を試すかのように星露は笑みを深める。しかし彼女はまだ本気の一片すら出していない。そんな相手を捉えることすら出来ないのであれば、何のために此処に来たのか分からない。

 

 実力差は歴然。そんな事は始める前から分かっていたことだ。

 

 ならば―――現状の力でそれを乗り越えるのみ! 

 

 綺凛が目を見開く。彼女の優れた目はこの短時間である事実を捉えていた。

 

 ―――動きは見えない。だけど、こちらの攻撃を回避する際に僅かな星辰力の残滓を感じます。恐らくそれがあの動きに繋がる正体。だったらそれを読めば! 

 

 行動の指針は決まった。しかしその心の動きを読んだかのように、星露は口を開く。

 

「ふむ、実に良い目をしておる。さて、おぬしにそれが出来るかな?」

「―――やってみせます!」

 

 言葉を言い切ると同時に加速。先程と同様に星露へと迫る。そして右足で踏み込み彼女に対し一撃を放つ―――その瞬間に星露の姿が瞬時に消える。

 

 だが本当に消えているわけではない。方法は不明だが、星辰力を利用した歩法で高速移動しているに過ぎない。

 綺凛は極限まで集中する。視界内だけではなく己の周囲全体を捉えるように。

 

 そして――-捉えた。

 

 左後方! 

 

「―――そこっ!!」

 

 踏み込んだ右足の先を左へと動かし、その反動を持って後方へ回転。そして流れるように斬撃を繰り出す。

 

 そして渾身の力で放たれた一撃を―――星露は左手で受け止めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんと! あの師父の動きに付いていき、あまつさえ防御までさせるとは!」

「ああ、あの師父のあの動き。我らの時とは違い桁違いのスピードだ。それを捉えるなんて」

「……ああ、刀藤綺凛。やはりあの少女は只者ではない」

 

 木派の門下生たちからの驚愕の声が上がる。勿論、彼らが騒いでいるのには理由がある。

 

 范星露は界龍で弟子を取っているが、誰でも弟子になれるわけではない。彼女の弟子として入門するには、ある一つの条件があるのだ。

 

 ―――その条件は范星露に触れること。ただそれだけだ。

 

 通常、星露が弟子の入門試験を行う際は、百人余りの人間が同時に彼女に襲い掛かる。そして衣服でもいいので、少しでも触れることが出来れば合格となるのだ。だが相手は范星露。手加減していても、並みの実力では彼女に触ることすら出来ない。

 

 それを木派の門下生は誰よりも理解している。彼らの中には星露の弟子もいるが、そうでない人も多い。それ故に、一対一の状況で范星露に触れるだけでなく、防御までさせたあの少女に誰もが感服しているのだ。

 

「ふむ、第一段階は合格じゃな。やはりこの程度は超えてくるか。しかもこの短時間でというのは大したものよ」

「…………」

 

 綺凛は受け止められた刀を戻し、改めて構える。相手を捉える事は出来た。次は相手の防御をどう抜くかだ。目の前の相手の一挙一動を逃さず観察する。

 

 その真っすぐな剣技と同様に、その瞳もどこまでも真っすぐだ。それを見た星露は思わず笑ってしまう。

 

「くくくっ、その様な目で儂を見るでない。そんな目で見られると思わず―――滾ってしまうではないか」

「っ!?」

 

 星露からの更なる圧力が綺凛を襲う。目の見えぬ圧力が綺凛の身体を捉える。そして圧力に捕らわれた綺凛は動きを止め、片膝を付きそうになる。

 

 しかし―――

 

「っ―――はぁぁっ!」

「―――ほう! 気合で跳ね除けるか。よいぞよいぞ、その調子じゃ」

「はぁっ、はぁっ、はぁっ、ふぅぅぅぅ。まだまだです!」

 

 綺凛は乱れた呼吸を整える。そして叫びながら自らを奮い立たせる。

 気合は充分。この程度でやられる訳にはいかない。

 

「よし、ではそろそろ準備運動は終わりにするとしよう。今度は―――」

 

 星露が獰猛な笑みで綺凛を見る。その笑みはまるで大型の肉食動物が獲物を見つけたかのようだ。

 

「―――こちらから行くぞ」

 

 范星露が―――動く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 六人の集団が小走りに校内を走る。道行く人はその集団を見つけると皆、彼らに注目する。それは彼らが界龍に於いて有名な存在だからだ。しかし彼らは周囲の視線を気にせず、今はただひたすら目的地に向かって走っていた。

 

「いやーこんなに遅くなるとは思わなかったわ。虎峰、ちょっとやりすぎだよ」

「そうだよーこれも虎峰がしつこいからいけないんだよ」

「す、すいません。でも、しょうがないじゃないですか。盛り上がっちゃったんですから」

 

 雪ノ下陽乃とセシリー・ウォンが趙虎峰を責め立てる。しかし責められた本人も自覚があるのか、言い訳をしつつも素直に二人の言う事に反省する。

 

「しかし僕としては珍しいものが見れたから満足だけどね。ねぇ沈華」

「えぇ、趙師兄があんなにも負けず嫌いだとは思いもよりませんでした。で、そこの所どう思ってるの、八幡?」

 

 双子である黎沈雲と黎沈華は虎峰の行動に満足している。そして沈華は残り一人、范八幡に彼の行動を問う。

 

「……まあ俺としては一つだけだな。初勝利で最後を締めくくりたかったって気持ちはあるな、正直」

「だよねー趙師兄ってば空気読めないよねーそういうとこ」

「普通ありえないわ。百回以上闘ってやっと初めて勝ったのに、余韻も浸らせずすぐ再戦するなんて。相手を尊重する気持ちが足りないんじゃないかしら。ねぇ趙師兄?」

「うぅぅ、この双子に言われるのは屈辱ですが、今日ばかりは何も言えません」

 

 八幡が正直な気持ちを白状すると、双子がそれに便乗し虎峰を煽る。しかし自覚がある虎峰も今ばかりは何も言えない。双子の口撃をひたすら耐えていた。

 

「はい、そこまで。虎峰も反省してるんだからその辺にしときなさい、二人とも」

「まあ、もう少し言ってもよかったんだけど」

「雪ノ下大師姉の言われたら仕方ないわ。此処までにするわ」

 

 陽乃が双子に抑えるように言うと、二人は素直に言う事を聞いた。この二人は陽乃を相手にする際の引き際を誰よりも心得ている。

 

 そしてセシリーは八幡に向かって彼の偉業を称える。

 

「とりあえず虎峰に対して初勝利。おめでとー八幡」

「……一回勝っただけだ。残りはいつも通り全部負けたしな」

「あーそう言いつつ嬉しそうにしてるー。素直じゃないな―八幡は。私知ってるよ。そう言うの捻デレって言うんでしょ」

「おい、ちょっと待て。何処で知ったその単語」

「え、陽姉だよ。八幡にピッタリだよね。凄いしっくりくるもん」

 

 気を引き締めようとしたが嬉しさが顔に出ており、それをセシリーに突っ込まれた。八幡は彼女に余計な事を吹き込んだ張本人を見るが、本人はどこ吹く風とばかりの表情だ。軽く睨むが、逆に微笑まれ追及する気力をなくす。

 

 そして集団はようやく目的地に近付いて来た。場所は界龍でも数ある木派の道場の一つ。此処では本日見学会の模擬戦が行われている。

 木派の責任者である虎峰と陽乃は、本来なら早めに到着している予定だった。しかし虎峰が八幡との模擬戦で初の敗北を喫したことでやる気に火が点き、その後も模擬戦が継続して行われたので、到着が遅れてしまったのだ。

 

 しかし道場に近付くにつれ一行の一人、沈華がある異変に気付いた。

 

「ねぇ、ちょっと変じゃない。やけに静かなんだけど」

「確かに。いつも暑苦しくて騒がしいのが取り柄の木派の連中が、こんなに静かだなんておかしすぎる」

「あの二人とも。こんな時まで木派をディするの止めてもらえませんか。とはいえ、この静けさは確かに異常ですね。見学会の時は盛り上がるのが普通なのに、声すら聞こえてこないとは」

「ねぇ、虎峰。場所間違えてない?」

「いえ、確かに此処のはずなんですが……」

 

 道場の様子を訝しむ四人。しかし残り二人。探知に長けた八幡と陽乃はその理由に気付いた。

 

「……陽乃さん」

「ええ、間違いないわ。我慢しきれなかったようね」

「ですよね。どうしますか? 今入ると邪魔になる可能性が」

「……正面から入るのは止めましょうか。皆、側面に回ってコッソリ覗くわよ」

 

 陽乃の言うままに側面に回る六人。道場には格子付きの窓が幾つも付いているので、覗くのは簡単だ。

 一同はそれぞれ窓から道場の中を窺い―――その光景を見ることになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほれほれ、どうしたどうした! 守るばかりでは勝てぬぞ、刀藤綺凛!」

「くっ!」

 

 星露の掌打を辛うじて防ぐ。その年齢と体格からは信じられぬほど重い一撃を、両腕を交差し直撃を避ける。しかしその威力までは防ぎきれず、身体ごと吹き飛ばされる。両足で着地し体勢を立て直すも、星露は追撃に来ている。

 

 ―――守るだけではジリ貧です。だったら! 

 

「はっ!」

 

 綺凛が刀を振るう。鋭い斬撃が星露へと放たれ―――やはり躱される。しかしそれは問題ない。回避した星露の姿を綺凛の目は見事に捉えていた。

 

「はぁぁっ!」

 

 鋭い斬撃が連続で放たれる。その速度足るや正に神速。並みの相手どころか冒頭の十二人クラスでも避けられはしない。

 

 しかし――――

 

「甘い! 甘いぞ!」

 

 だが相手は万有天羅。一流を軽く超えた化物の彼女にとっては、神速の斬撃すら生ぬるい。すべてを紙一重で避けられていく。しかしそれも想定済み。回避で出来た隙に、綺凛は前傾姿勢で星露へと突っ込み、足元へ薙ぎ払いを仕掛ける。しかしその攻撃も星露は後方へ大きくジャンプすることで免れた。

 

 ―――これを待っていました! 

 

「そこです!」

 

 星辰力全開! 綺凛が星辰力を身体強化に使用。落ちる場所を予測し床を強く蹴る。一瞬でその地点へ到達し、落ちてくる星露に対し神速の一撃を放った。

 

 決まった! と綺凛は思った。相手は未だ空中から落下中だ。

 そして綺凛が放った神速の斬撃は、落ちてくる彼女の胴体へと吸い込まれるように接近し―――目標を捉えず空を切った。

 

「えっ!?」

 

 刀を振り切った状態で硬直する。確かに捉えた。空中では躱しようがないはず! 

 綺凛の思考は予想外の事態に直面し停止する。

 

「―――惜しかったのう」

 

 背後からの声。姿は見えずとも誰かは言うまでもない。

 

「っ!!」

 

 硬直した身体を無理やり動かし、背後へと振り返る。そして振り向きざま刀を一閃―――だが既に姿はない。いや、違う。綺凛は目線を上へ上げると、范星露は空中に浮いた状態でこちらを見下ろしていた。

 

「……空中に浮かんで」

「さよう。おぬしにとっては少々反則やも知れぬがな。界龍にはこういう術もある。そして―――」

 

 星露が虚空を蹴り加速。刹那の間に綺凛の間合いを侵し、懐へ侵入していた。そして綺凛の腹部に彼女の手が置かれた。その行為に綺凛は反応すら出来なかった。

 

「―――あ」

「今のは少しばかり分かりやすくしたつもりじゃが、儂が何をしたか分かるか? 刀藤綺凛よ」

 

 腹部に手を置かれたまま問われる。確かに今の行動を見て、綺凛は星露の動きの秘密が理解できた。

 

「……星辰力を脚部に集中し虚空を蹴っていました。それが高速で移動する正体、ですね」

「―――正解じゃ」

 

 星露の発勁が綺凛を吹き飛ばし、壁へと激突させた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「容赦ないわね、星露。星仙術まで使うなんて。いや、使わざるをえなかったかな? まあ、あれだけ強ければ無理もないか」

「いやーわたしでもマトモに相手をするとちょっと危ないねー。でも、あの子大丈夫かな? 思いっきり壁にぶつかったけど」

「……あの強さであの動き。あれで小6? 嘘でしょ?」

「師父自ら相手にするぐらいだからね。並大抵の強さじゃないよ、彼女」

「いや、皆さん。何冷静に分析してるんですか! 早く彼女の手当てをしないと」

 

 星脈世代らしく強者の分析をする四人に対し、一人慌てる虎峰。しかしそれを八幡が止める。

 

「いや、虎峰。大丈夫だ」

「しかし八幡! 入学前の見学者に怪我を負わせたとあっては大問題です!」

「本来の発勁は浸透する技だから、あれで星露も手加減している。慌てる必要はない」

「ですが……」

 

 八幡の言い分にも虎峰は納得しない。

 

「そうよ虎峰。発勁を一番喰らってる八幡くんが言うんだから間違いないわよ」

「一番って。まあ確かによく喰らってますけどね、発勁」

「暁彗は手加減が苦手だからねー。彼の相手をするならそれも必要経費よ。諦めなさい」

「別に喰らいたくて喰らってるわけじゃないんですけどね」

 

 八幡は溜め息を付く。大師兄と対戦した場合、密着してからの発勁が八幡の負けパターンの一つとなっているのだ。

 

「それに虎峰。お前が行くのはまだ早い」

「どういう事ですか?」

「なに、簡単なことだ」

 

 それはとてもシンプルな答えだ。

 

「―――勝負はまだ付いていない」

 

 八幡の視線の先で、刀藤綺凛は再び立ち上がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふむ、多少手心を加えたとはいえ、直に起き上がるとは―――なるほど。咄嗟に星辰力で防いだか」

「はぁっ、はぁっ、はぁっ」

 

 星露は先程の手応えと目の前の光景に差異を感じた。そして少し考えその原因に辿り着く。発勁を打ち込む瞬間に合わせ、星辰力で集中防御をした。そんな所だろう。

 

「しかしその様子では立っておるのがやっとのようじゃな。どうじゃ、降参するか?」

「はぁっ、はぁっ、降参は、しません」

 

 綺凛は星露の提案を拒否する。息遣いは荒く、その身体はふらついている。どう見ても起き上がるのがやっとの状態だ。次の攻撃を受ければ、間違いなく倒れるだろう。

 

 しかし星露は油断しない。

 

 ―――こやつ、まだ目が死んでおらん。

 

 此方を見る瞳の輝きは前と変わらず。瞳から感じる強い意志は未だ折れていないのだ。

 星露がそのまま綺凛の様子を窺うと、綺凛はゆっくりと動き出した。

 

「―――居合か」

 

 綺凛が自らの刀を納刀し、居合の構えを取ったのだ。

 

 その選択は間違っていない。連続で攻撃が出来ない状態ならば、一撃に賭ける他ないだろう。

 躱すのは容易い―――だが。

 

「無粋よな―――よかろう。来るがよい」

「はぁっ、はぁっ、はぁっ、ふぅぅぅぅぅっ―――参ります」

 

 始まりの時と台詞は同じ。そして行動も同じく綺凛が駆け出した。しかしそのスピードは見るも無残。明らかに衰えたスピードで、綺凛は星露へと接近していく。

 

 残り十m。綺凛の動きに変化はない。真正面から小細工なしに星露へと突っ込んでいく。観戦する殆どの人達は思った。最後のやぶれかぶれだと。

 

 だが残る少数の考えは違った。あれだけの実力者が何の策もなく突っ込むはずがない。何か企んでいると。勿論、范星露もその一人だ。

 

 そして後者の考えが正解だった。残り五mになった所で―――刀藤綺凛が叫ぶ! 

 

「はぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 以後、道場内にいる観戦者達が確認できたのは三つの出来事だけだった。

 

 

 ―――刀藤綺凛が叫ぶと同時にその場で踏み込み、大きく前傾姿勢を取ったこと。

 

 ―――彼女が最後の力を振り絞り、星辰力が吹き荒れると同時に、その姿が掻き消えたこと。

 

 そして―――

 

 ―――次の瞬間には范星露を追い越し、彼女の後方で刀を納刀する刀藤綺凛の姿であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 道場内の誰もが声を出さず、静寂が辺りを包み込んだ。刀藤綺凛は納刀し片膝を付いたまま動かない。肩で息をし、俯いているその様子から、動く事もままならないのかもしれない。

 

 そして范星露。彼女もまた動かない。だがある者達は気付いた。星露が顔を左へと傾けていることに。恐らく回避行動をとったのだろう。

 

 勝敗の行方は? まさか刀藤綺凛が勝利したのか? それとも師父が回避したのか? そんな疑問が周囲に浮かんで来た頃、范星露が綺凛の方へと振り向き口を開いた。

 

「随分と無茶をする。おぬし、自分が何をしたのか分かっておるのか? 下手をすれば自爆していた所じゃぞ」

 

 綺凛も振り向きその問いかけに答える。

 

「……そうしなければ、あなたに届かないと思ったからです」

 

 その答えに星露は満足する。実に彼女好みの回答だ。

 

「なるほど。あやつが太鼓判を押す訳じゃ―――刀藤綺凛よ」

「…………はい」

 

 綺凛が返事をする。

 

「―――疾く吹く風にようにその身を動かし、雷が一瞬で落ちるが如く相手を切り捨てる。『疾風刃雷』。汝の二つ名はそれこそが相応しい」

 

 星露は綺凛を称える。彼女が出来る最大限の言葉を以って。

 

 そして綺凛と観戦者達が気付く。

 

 

「見事じゃ、綺凛よ―――その刃、確とこの身に届いたぞ」

 

 

 綺凛の攻撃を躱しきれたなかった星露の頬には、うっすらと傷が付いていた。

 

『うぉぉぉぉぉぉぉっ!!』

 

 次の瞬間には道場中から歓声が響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……まさかこんな結果になるとはね」

「……私は信じられないわ。まさか師父が傷を負うなんて」

 

 双子は二人とも、ただその結果を信じきれず呆然としている。

 

「ねぇ、虎峰。あれって」

「間違いありません。僕たちが使用している、脚部に星辰力を集中して加速する技法です」

「やっぱりそうだよね。でも、虎峰のとは大分違うよね」

「ええ、無茶苦茶な方法ですよ。脚部に全星辰力を集中し強引に加速してました。試合序盤は使用してない所を見ると、恐らく見様見真似でしょう。信じられません」

「……普通は見ただけで出来るもんじゃないよね?」

「当たり前です。集める星辰力が多ければ多いほど制御が難しく、少しでも制御を誤れば自爆確定ですよ。一瞬しか使用しなかったのもそれが原因なんでしょうけど……彼女は元々、星辰力コントロールが優れているんでしょうね。大したものです」

「いやー天才っているもんだねー」

 

 セシリーと虎峰はお互いの見解を話し合う。

 

「見たわね。八幡くん」

「はい、陽乃さん。この目で確かに」

「凄いわね、あの子。あの加速。星露のを見て真似たんでしょ」

「多分そうです。今の自分では届かないと判断し、思いついた手段を試したんでしょう」

「……呆れたわ。それで成功してるんだから尚更ね」

 

 流石の陽乃も驚いた様子だ。見た目と裏腹にとんだ度胸の持ち主だ。

 

「しっかし、八幡くんもよくあんな子を見付けてきたわね」

「刀藤流本家に行ったら偶然会っただけです。別に意図して見付けたわけじゃありませんよ」

「でも、彼女が此処にいるのは君が動いたからでしょ……星導館には取られたくないわ、色んな意味で」

 

 八幡は陽乃の発言が少し気になった。

 

「闘いたいからですか、綺凛と?」

「それもあるけど……今の星導館では彼女の才能を持て余すわ。彼女が強くなりたいならこの学園が一番よ」

「前にある程度は聞きましたけど、そこまでですか? 今の星導館は」

「綺凛ちゃんの相手になるのは、序列二位の千見の盟主くらいじゃないかしら? 他は駄目ね。相手にならないわ」

「千見の盟主。星導館の生徒会長 クローディア・エンフィールドでしたね。純星煌式武装 《パン=ドラ》の使い手の」

「ええ、そうよ。保有者に先の未来を見せると言われている純星煌式武装よ。能力としては最強クラスだけど、その代償の酷さから、今まで彼女以外の使い手はいなかったそうよ」

「それまた凄いチートですね。未来が見えるだなんて。でも、使い手が今までいなかったという事はよっぽど酷い代償なんでしょうね。俺なら使いたくありません」

「私だってそうよ。でも、大丈夫よ。もし闘うことがあっても、ある程度弱点は分かってるから」

 

 陽乃は気楽にそう言った。

 

「どんな弱点ですか?」

「彼女が獅鷲星武祭にだけ出場したという事よ。ついでに言うと、今年の王竜星武祭には出る予定がないわ。さて、八幡くんには分かる?」

「……もしかして、一人だけでは勝てないと?」

「正解。能力の発動条件がよっぽど厳しいか、もしくは能力の発動時間が極端に短いか。そんな所ね。獅鷲星武祭に出たという事は一人で勝てないと公言したようなものよ」

「なるほど。でも一対一だと危ないですよね。その時はどうするんですか?」

「遠距離からの広範囲攻撃でズドンといくわ。そうすれば未来を読んでも関係ないもの」

「まあ、強引ですけど正論ですね」

 

 陽乃の理論は力づくではあるが筋が通っていた。

 

「それにしても中は凄い盛り上がりようね。邪魔するのも悪いし、少し時間を置いた方がいいかしら?」

「いえ、俺はすぐに入った方がいいと思いますよ」

「あら、どうして?」

 

 八幡だけは気付いていた。星露の様子が変化している事に。

 

「星露のスイッチが入ってます。アレは危険な兆候ですよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 木派の道場は大変な盛り上がりを見せていた。界龍の序列一位 万有天羅に対して一撃を与えるという偉業を達成したのだ。盛り上がるのも無理はない。

 

 その盛り上がりの原因である綺凛は、途轍もない疲れと途方もない達成感を同時に味わっていた。

 其処に星露が近くへとやって来た。

 

「立てるか?」

「あ、はい」

 

 星露の手を借りて綺凛が立ち上がる。しかし綺凛は其処である事に気付いた。

 

「あの、それで勝負って結局どうなるんでしょうか? 二人とも、まだバッジ壊れてないですよね?」

「ああ、そうじゃったな。しかしこの雰囲気の中で続きというのはのう―――儂の負けでよいぞ。良いものを見せてもらったからな」

 

 星露は勝利を綺凛へと譲った。周囲の雰囲気は彼女の栄誉を称える雰囲気になっているし、態々それを壊そうとは思わない。

 

「しかし一つ忠告しておく―――アレは二度と使うな。今のおぬしが次使えば確実に自爆する。一度使って無事だったのは奇跡みたいなものよ」

「―――はい。分かりました」

 

 綺凛は素直に言う事を聞く。追い詰められ、咄嗟に思いついた手段が偶々上手くいっただけの代物だ。彼女自身も進んで使用しようとは思わない。

 

「まあ、ウチに入学して鍛錬を積めば、その内制御可能になるやも知れぬがな―――ところで、綺凛よ」

「は、はい。何でしょうか?」

 

 名前を呼ばれただけなのに、妙に嫌な予感がした。

 

「―――次はいつ闘う?」

「……え?」

 

 ニヤリと星露が笑いながら綺凛に詰め寄ってきた。

 

「今すぐというのは無理じゃろう。しかしおぬしも星脈世代。回復は早かろう。それにおぬしが滞在するのは明日までと聞いている。だとしたら後一戦ぐらいは「―――はい。そこまで」

 

 綺凛に詰め寄った星露が早口で捲し立てていると、いつの間にか誰かがその後ろに立っていた。その誰かは、星露の背中から両腕の脇を通しその身を持ち上げる。結果、持ち上げられた星露は宙ぶらりんの状態になった。

 

 その人物を綺凛はよく知っていた。

 

「―――八幡先輩?」

「お疲れ、綺凛」

 

 八幡が范星露を持ち上げていた。自身の状態に気付いた星露は、顔を後ろに向けそのまま話しかける。

 

「ぬぅ、何をする八幡。折角人が再戦の約束を取り付けようとした所に水を差しおって」

「あのな、見学会の日程を少しは考えろ。綺凛の状態からして今日はもう無理だし、明日も午前中の商業エリアの見学で終了だ。そんな暇はないぞ」

 

 理論的に説得する八幡。しかしそれで彼女は納得しない。

 

「しかしじゃな、八幡。これほどの逸材と闘えないというのは、ご馳走をお預けにされるのと同じ気持ちよ。とても我慢出来るものではないぞ」

「その気持ちが分からんわけではないがな―――じゃあ、こうすればいい」

 

 綺凛の行動はよほど星露を滾らせたのだろう。普段は冷静沈着な星露を抑えきれそうにない。仕方ないので、彼女の行動を誘導すべく提案する。

 

「綺凛をウチへ入学させればいい。そうすれば何時でも闘えるぞ」

「―――なるほど。それもそうじゃな」

 

 八幡の言葉に星露はあっさりと手の平を返した。落ち着いたと判断した八幡は、星露の身体から手を離すと、彼女は地面へと着地する。

 

 そして―――

 

「のう、綺凛。儂はおぬしともっと闘いたいのじゃ。是非界龍に入学してくれんかのう?」

 

 幼女らしくキラキラ目を輝かせながら、年相応の口調で説得を開始した。

 その姿は先程までのカリスマ溢れた姿とは程遠く、幼い幼女そのものだ。綺凛はそのギャップに戸惑ってしまう。

 

「あ、あの。えーと」

「何じゃ? 駄目なのか? おぬしが入学してくれれば、これ程嬉しいことはないというのに」

「えーと、そういう訳ではないんですけど、あの、八幡先輩! わ、わたしどうしたら!?」

 

 幼女に詰め寄られ混乱する綺凛。八幡は一瞬助けるか悩んだが―――

 

「……俺も綺凛に入学してほしいからな。大人しく説得を受けてくれ」

「は、八幡せんぱーい!?」

 

 問答無用で闘わされるよりはマシと思い、綺凛を星露の生け贄へと差し出した。

 

「はーい。失礼するわよ」

「皆さん。お疲れ様です」

「はーい。皆、お疲れー」

 

 そんなやり取りをしていたら、陽乃たちが道場に入ってきた。近くにいた木派の門下生達を労い、声を掛けていく。

 

 星露は綺凛の説得を続けている。そちらは放っておいて、陽乃たちに合流しようと思った―――その時だった。

 

「―――八幡」

 

 少女の声が聞こえた。

 

 聞き覚えのある声に、慌てて振り向いた八幡が見たのは―――

 

「―――お前、ルミルミ?」

「ルミルミ違う。留美」

 

 范八幡と鶴見留美。それは約九か月振りの再会だった。

 




刀藤綺凛 VS 范星露(手加減)いかがでしたでしょうか?

とりあえず、綺凛ちゃんは星露に対して一矢報いました。
千里眼を予想された方もいましたが、残念ながら外れです。

原作前なので、綺凛ちゃんの経験値が足りないのが原因ですね。
開眼はもう少しレベルアップしてからです。

ただ、今回別の進化を遂げる可能性が出てきましたので、更に強くなるかもです。
どうなるかは今後をお楽しみに。

そして最後に再会した八幡と留美。
次回はちょっとした修羅場が発生するかも……


星露の弟子入りに関しての補足事項。

アニメ勢の方に説明すると、13話で界龍の生徒が一斉に星露に襲い掛かったアレです。
初見の時は、あんなの触れる奴がいるのか!と作者は思いました。

誤字、脱字、感想等あれば、よろしくお願いします。


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第二十五話 そして少女たちは決断する。

何とか週一ペースを守れたので投稿します。
来週末は出掛ける予定なので、多分無理ですね。

後、誤字の修正報告ありがとうございます。
気を付けていてもやっぱり出てきてしまうので、とても助かります。


「―――お前、ルミルミ?」

「ルミルミ違う。留美」

 

 話したいことがいっぱいあった。

 

「……どうして此処にいるんだ?」

「見学会に参加してたの。見れば分かるでしょ?」

 

 あの日、あなたがいなくなって私は後悔した。

 

「いや、まあ此処にいるんだからそうなんだろうけど。お前、アスタリスクに興味あったのか。意外だな」

「別に。私だって人並みに興味ぐらいあるよ」

 

 私がもっと強ければ―――あなたを助けることが出来たんじゃないかって。

 

「そういえばお前は治癒能力者だったな。だったら興味が湧いてもおかしくないか」

「違う。それは関係ない」

 

 私が興味があったのはあなたがいたから。だから来たんだよ。

 

「―――そう言えばお礼、言えてなかったな。ありがとう、ルミルミ。あの時は助かった」

「! だ、だからルミルミじゃないってば。バカ八幡」

 

 ……気持ちが抑えれそうにない。

 

「ふふっ、相変わらずルミルミはルミルミだな。ちょっと安心した」

「何よそれ。意味わかんない」

 

 自分の中にある衝動がどんどん膨れ上がっていく。

 

「ねぇ、八幡」

「何だ。ルミルミ?」

 

 もう、限界だ。

 

「……私、少しは強くなったよ」

「ほう。陽乃さんに手ほどきを受けたのか」

「―――うん。陽乃さんにも少し教わった」

 

 もう、我慢しなくていいよね? 

 

「そうか。頑張ったんだな」

「…………うん。頑張ったよ」

 

 自らの衝動に身を任せ、私は八幡の胸に飛び込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 それに最初に気付いたのは誰だっただろうか。刀藤綺凛と范星露の模擬戦が終わり、道場内が騒然とする中、その出来事は起こった。

 一人が気付けば、その周囲もまた気付く。そしてその連鎖反応が道場内の全てに伝わり、ある場所へと視線が集中するようになった。

 

 范星露の背後を取り彼女を持ち上げた少年。その少年の元に一人の少女が話しかけ―――その胸に飛び込んだのだ。

 

 そして飛び込んだ少女は―――少年に縋りついて泣き出した。

 

「八幡!はちまぁん!」

「……ルミルミ?」

 

 鶴見留美は泣いていた。そして突然泣き出した少女に困惑する八幡。

 

「よかった! よかったよぉ!!」

「………………」

 

 感極まった様子で泣き出す留美。その瞳からは涙が溢れ出した。

 

「ごめん。ごめんね! 私がしっかりしてれば、あの時八幡を助けられたのに……」

「……お前」

 

 八幡は気付いた。鶴見留美はあの時の事をまだ気にしているのだと。

 

「助けたかった。でも助けられなかった!」

 

 あの時の悲しみを思い出す。あの時の絶望を思い出す。鶴見留美は何も出来なかったのだと! 

 

「ごめんなさい! ごめんなさいっ!」

 

 八幡に縋りついたま、留美は謝罪の言葉を口にし、そして涙を流し続ける。

 そんな尋常ではない少女の姿を見て八幡は動く。目の前で泣き続ける少女の頭をポンポンと軽く撫でた。

 

「―――八幡?」

「はぁ、いきなり何かと思えば、そんなことを気にしてたのか、お前は?」

「そんなことって、私は!」

 

 八幡の興味なさげな言葉に憤慨する留美。そして思わず声が上ずる。

 それに対し八幡は自身の身体に密着している留美の肩を押し出し、彼女の顔を胸元から離す。そしてお互いに目線を合わせて話し出す。

 

「いいか、ルミルミ。あの時の事はお前の所為なんかじゃない。勿論、陽乃さんの所為でもない。俺が勝手に暴走したのが原因なんだから、お前が気にすることなんて何もないんだ」

「で、でも」

「お前の責任感が強い所は長所だと思うがな。だからって、関係ないことまで背負い込むのは間違ってるぞ」

「……そんなこと、八幡にだけは言われたくない」

「ははっ、確かにな」

 

 留美の台詞に思わず笑ってしまう。

 

「さっきも言ったが、ルミルミには感謝しかない。お前がいなかったら、間違いなく間に合わなかったからな―――ありがとう」

「―――ホント? 私、八幡の役に立てた?」

「ああ。ほら、女の子がそんなに泣くんじゃない。折角の可愛い顔が台無しだぞ?」

 

 八幡はポケットからハンカチを取り出し、留美の涙を拭っていく。そして八幡の言葉に安心したのか、留美も涙が流れるのが止まり、大人しく涙を拭われていった。

 

 そしてハンカチを留美の顔から離すと、彼女は八幡に向かって笑顔を浮かべる。それを見た八幡も一安心し、一区切り付こうとしていた。

 

「あのーお二人さん。ちょっといいかな?」

 

 しかしそうは問屋が卸さない。

 

「―――陽乃さん?」

「うん。久しぶり、留美ちゃん」

「……お久しぶりです」

「えーと、ね。ちょっと言いにくいんだけど……」

 

 挨拶を交わす陽乃と留美。しかし陽乃は何かを言い淀んだ様子で押し黙る。彼女にしては珍しい反応だ。しかしやがて決心が付いたのか、苦笑しながら留美に話しかける。

 

「留美ちゃん。気持ちは分かる。よーく分かるよ」

「は、はぁ」

「でもね……周りを少し気にした方が、お姉さんはいいと思うな」

「…………周り?」

 

 そう言われて、周囲を見渡す留美。

 

 そして気付いた。范星露が、刀藤綺凛が、見学者達が、門下生達が。全ての視線がこちらを向いていることに! 

 

「…………あ」

 

 ―――今、自分は何をしていた? 人がいっぱいの観衆の中で、男の人に抱き着いて、思いっきり泣いていた!? 

 

「!!?!?!?」

「あーやっぱりこうなっちゃうか。ほら、こっちに来なさい。留美ちゃん」

 

 混乱した留美を陽乃は抱き寄せる。すると抵抗なく留美は陽乃に引き寄せられ、彼女の身体に抱き着き顔を隠した。この方が少しは落ち着くだろうという陽乃の判断だ。

 

「うぅぅぅぅぅ、はるのさぁん」

「ほら、大丈夫大丈夫。落ち着いて」

 

 しかし八幡に隠れる場所はない。留美が離れた後も彼に対する視線は変わることはない。いや、留美に視線が行かなくなった分、八幡に対する視線はより一層強くなった。

 

 少女がいきなり抱き着いて泣き崩れたのだ。気になるのはしょうがないだろう。だが、自ら注目の的になりたいとは思わない。八幡は思わず溜息を付いてしまう。

 

 そんな感じで途方に暮れていると、彼に近付き話しかける人物がいた。

 

「くくくっ、中々面白いものが見れたものよ。のう八幡」

「……星露か。綺凛の方はいいのか?」

「うむ、小休止といった所よ。やはり、例の件を片付けなければ無理じゃろうな」

「そうか。所で、さっきのあざとい演技はなんなんだ?」

「うん? 年相応で可愛らしかったであろう?」

「……まあ、否定はしない」

 

 二人が何げないやり取りをしていると、星露の目の前に空間ウィンドウが開いた。彼女がそれを開くと、一人の女性の姿が映し出される。

 

「万有天羅。少しよろしいでしょうか?」

「よいぞ。何かあったか?」

「―――例のお客様が参りました」

 

 女性の言葉に星露は待ちわびたとばかりの表情を見せる。

 

「来たか。では、二十分後に所定の場所へ案内せよ。こちらも直に向かう」

「分かりました」

 

 星露が返事を返すとウィンドウが閉じられた。

 

「……誰か来たのか?」

「うむ、大事なゲストが到着した。存外早かったの」

 

 そう言うと、星露は壁際にいる案内人の女性に話しかける。

 

「おぬしが案内人じゃな?」

「は、はい。万有天羅」

「見学会の本日の日程は此処で終了じゃったな。刀藤綺凛と鶴見留美。この二人は此方で預かる。おぬしは残りの人員を引き連れてホテルに向かえ。いいな」

「それは―――了解しました」

 

 案内人は何かを言おうとしたが、特に異議を唱えることなく了承した。

 星露は次に主要人物に声を掛ける。

 

「虎峰、セシリー。此処の後始末は任せる。頼むぞ」

「分かりました、師父」

「了解でーす」

 

 虎峰とセシリーは了承の意を唱える。

 

「八幡と陽乃。二人は儂と一緒に来い。そして―――」

 

 星露は少女二人に視線を送る。

 

「綺凛と鶴見留美よ。おぬしら二人にも来てもらうぞ。よいな?」

「は、はい。分かりました」

「……分かった」

「よし、では行くぞ」

 

 二人も星露の提案に頷いた。そして星露が道場の出口に向かって歩き出す。

 次いで残りのメンバーもそれに続こうとしたが―――八幡は綺凛が動かないことに気付いた。

 

「大丈夫か、綺凛?」

「えーと、ご、ごめんなさい。まだ、ちょっと……」

「そうか……」

 

 星露との対戦で負ったダメージはまだ回復しきっていないようだ。

 そして綺凛の様子に気付いた陽乃も声を掛けてくる。

 

「あら、綺凛ちゃんはまだ動けなさそうね」

「そうみたいです……どうするかな」

「そうねー。あ、良いこと思いついたわ」

 

 陽乃が何かを思いついたようだ。しかしその表情から八幡は嫌な予感がした。

 

「八幡くんが運んで上げなさい。うん、それがいいわ」

「はー、いきなり何を言うかと思えば。男の俺が運ぶだなんて彼女が嫌がるに決まってるじゃないですか。同じ女性である陽乃さんが運んだ方がいいと思いますよ」

「うーん。わたしは留美ちゃんの面倒を見なきゃいけないからねー。それに」

 

 陽乃が綺凛に近付いてにっこりと笑う。

 

「綺凛ちゃんはどう? わたしより八幡くんの方がいいんじゃないかな?」

「えーと、その……」

「綺凛。遠慮しなくていい。嫌なら嫌とハッキリ断って「わ、わたしは!」

 

 綺凛が八幡の言葉を遮るように大声を出す。

 驚いた八幡が彼女を見ると、顔を真っ赤にした綺凛が八幡を見つめていた。

 

「い、嫌じゃ、ないです。あの、八幡先輩。よろしく、お願いします」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 范星露を先頭に五人は目的地に向かって進んでいく。星露はいつも通り笑顔で歩き、その少し後を陽乃と留美が続く。留美は先程、自身がやらかした事が堪えているのか、ずっと俯いたままだ。そんな彼女を、陽乃は慰めながら隣を歩いている。

 

 そして最後尾には―――

 

「あー、何か色々見られてるな……」

「あぅぅ……」

 

 道行く人々の視線が全てこちらに集まっているのを感じる。特に女子生徒は、八幡と綺凛を見ると黄色い歓声を上げて注目しているのが丸分かりだった。

 

 それが何故なのかは、二人の今の状態を見れば一目瞭然だ。

 

 それは―――

 

「……何でこの恰好なんだ?」

「は、恥ずかしいです……」

 

 八幡が綺凛をお姫様抱っこしているからだ。女の子の憧れの一つであるお姫様抱っこ。それが校内で行われているとあれば注目の的になるのは当然だ。そんな八幡の疑問に答えたのは陽乃であった。

 

「あら、女の子を運ぶのよ。当然、それ相応の運び方をしなくっちゃ」

「だからって。結構恥ずかしいんですよ、これ……大丈夫か、綺凛?」

「ぅぅぅぅ…………は、はい。だ、大丈夫です」

 

 綺凛はもうこれ以上ないほど真っ赤だ。その顔色は完熟したリンゴにすら負けていないほどだ。だが、恥ずかしがってはいるものの、嫌がる様子は特にない。

 

 そして暫く歩いていると、恥ずかしさを堪え綺凛の方から話しかけてくる。

 

「あ、あの、八幡先輩。一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」

「うん? どうした?」

「……留美ちゃんとお知り合いだったんですか?」

 

 綺凛は先程の留美の様子を思い出す。いきなり八幡に抱き着き、泣き出した少女のことを。

 何があったかは分からない。ただ、二人の様子からただ事ではない事だけは分かった。

 

「あールミルミは何て言えばいいか……俺が地元でちょっとやらかしてな。ルミルミはそれを救ってくれた。簡単に言えば、命の恩人だ」

「そう、なんですか」

 

 確かに二人が話す内容は深刻だった。

 

「こっちも聞きたいが、二人の方こそ知り合いだったんだな。そっちのがびっくりだ」

「あ、留美ちゃんとはフェリーの中で知り合ったんです。それで見学会の時は一緒にいました」

「そっか……出来ればあの子と仲良くしてほしい。いい子だからな、ルミルミは」

「はい、わたしで良ければ是非」

 

 綺凛はにっこりと笑った。

 

「さて、ここじゃ。皆、中に入るぞ」

 

 話をしながら歩いていると目的地に着いたようだ。目の前には大きな建物が一つ佇んでいる。星露が最初に中に入り、他のメンバーも続いていく。そして一階の奥の方にある部屋へと足を運んだ。

 

 部屋の中は応接室のようだ。高そうなソファや椅子が並んでおり、今いるメンバーが全員余裕で座ることが出来る。

 

「さて、ゲストが来るまで少し時間がある。その前に綺凛の方を何とかするとしよう」

「何とかって、どうするんだ?」

「簡単じゃ。そこに治癒能力者がおるではないか」

「そういえばそうだったね」

 

 陽乃は傍にいる留美を見る。先程よりは少し落ち着いたように見える。

 

「留美ちゃん、大丈夫? ちょっと能力使ってもらいたいんだけど、いけるかな?」

「……うん、大丈夫」

「よし。じゃあ、八幡くん。綺凛ちゃんを其処に寝かして」

「分かりました」

 

 陽乃の指示通り綺凛をソファに寝かせる。

 

「あ、ありがとうございます、八幡先輩」

「ああ。じゃ、頼むぞルミルミ」

「ルミルミ言うな―――任せて」

 

 留美が綺凛の傍まで来る。

 

「……それじゃあ、身体を楽にして。じっとしてて」

「う、うん」

「緊張しなくていいよ。すぐに終わるから」

 

 留美が綺凛の手を取り能力を発動する。すると留美から発生した白い光が綺凛へと注がれ、彼女の傷を癒していく。それは以前に八幡が見た時よりも眩く、そして力強い光であった。

 

 そして能力発動後、数秒が経過し光が収まった。

 

「……終わった」

「え、も、もう?」

「うん。身体動かしてみて」

 

 留美の言う通り身体を起こしてみる。すると先程まで感じた痛みは感じず、模擬戦前の状態へと戻っていた。いや、むしろそれ以上に調子がよくなってる気がした。

 

「す、凄い。痛みが消えちゃった。ありがとう、留美ちゃん」

「ううん、別にいいよ」

 

 綺凛が留美にお礼を言う。

 

「凄いな、ルミルミ」

「ふむ、光の治癒能力か。見事なものよ。話に聞いていた以上じゃな」

「ほんと。以前とは桁違いね。治療院の能力者よりも上じゃないかしら?」

 

 陽乃の言葉に留美は少し遠い目をする。

 

「……陽乃さんに教えてもらった道場で、能力を毎日限界まで使ってたらこうなった……あの人達滅茶苦茶だよ、陽乃さん。私が治せることが分かると、皆実戦ばっかりやって遠慮なく怪我しまくるんだから」

「あはは、相変わらずみたいね先生達は。でも、その代わり強くはなれたでしょ?」

「……うん。最近は合気道を習う子が少ないからって、凄く熱心に教えてくれた……正直死ぬかと思った」

「それは留美ちゃんが努力したからよ。いくら教える子が少なくても、努力しない子には熱心に教えないからね、あの人達は」

 

 陽乃は懐かしそうに過去を思い出す。彼女自身も散々投げ飛ばされ、転がされてきた。そして、彼女の中にある常人が星脈世代に勝てないという固定概念は、その頃取り外されたと言っていい。

 

「さて、綺凛の体調も回復したな。では、陽乃に鶴見留美よ。うぬらは退出してよいぞ。これから迎えるゲストには、直接関りがないからな。その辺りで寛いでいるといい」

「分かったわ、星露。じゃあ留美ちゃん、行きましょうか。折角だからお姉さんが甘いものでも奢ってあげるわ。一緒に食べましょう」

「は、はい! ありがとうございます、陽乃さん」

 

 そして陽乃と留美は部屋から退出した。残されたのは星露と八幡、そして綺凛の三人である。

 当然、残された綺凛はそれを疑問に思う。

 

「あの、わたしはどうして残されたんでしょうか?」

「うむ、今から来るゲストはおぬしにも関係のある輩じゃからな」

「わたしに、ですか?」

「そうじゃ。もう間もなく到着するであろう」

「は、はぁ」

「…………」

 

 綺凛の疑問を星露ははぐらかす。彼女はまだ此処に誰が来るか気付いていないようだ。逆に八幡はゲストの正体が分かっていたが、口を閉じたまま話すことはなかった。

 

 そして陽乃と留美がいなくなって五分後。扉からノックの音が聞こえてきた。

 

「―――入れ」

「失礼します。お客様をお連れしました」

「うむ、ご苦労。下がってよいぞ」

「はい。では、失礼します」

 

 部屋に入ってきたのは、先程星露に連絡をしてきた女性だった。彼女は星露と少し会話をして、そして直に退出する。

 

 そして入れ替わるように一人の男性が入ってきた。見るとそれなりに年を取った中年の男性だった。その人物を見て綺凛が声を上げる。

 

「お、伯父様!?」

「………………」

 

 その人は綺凛の伯父である刀藤綱一郎であった。部屋に入り綺凛の姿を見付けると、真っ先に彼女の元に駆け寄ってくる。そんな彼は憤怒の形相で綺凛を睨みつけており、怒りが爆発する寸前といった感じだ。

 

 そして綺凛の目の前までやって来た綱一郎は腕を振り上げ、そして叫んだ。

 

「何をやっている! お前は!」

 

 叩かれる! そう思った綺凛はビクリと身をすくませ、咄嗟に目を閉じてしまった。

 

 しかし予想していた衝撃がこない。綺凛が恐る恐る目を開けると―――

 

「……いきなり暴力はどうかと思いますよ?」

「は、八幡先輩?」

 

 八幡が綱一郎の腕を掴み、叩くのを阻止していた。

 

「なんだ、貴様は。無関係な輩が口を挟むな」

 

 綱一郎が眉を顰め、邪魔をするなと八幡を睨みつける。

 

「無関係なんかじゃありませんよ、刀藤綱一郎さん。綺凛を此処に誘ったのは俺ですから、立派な関係者です」

「―――何?」

 

 自身の正体が知られている。しかし八幡に身に覚えのない綱一郎は彼に問いただす。

 

「……何者だ、貴様?」

「范八幡。刀藤流の一剣士ですよ。少し前に本家でお世話になりまして、その際に綺凛を界龍に誘わせてもらいました」

「―――余計な事を!」

 

 威圧するかのような綱一郎の視線を、八幡は真っ向から受け止める。しかしその程度の威圧では八幡は何も思わない。綱一郎の睨みつけを軽く受け止めていると、彼は八幡の腕を振り払った。

 

「綺凛はあなたの姪御さんでしょう? こんな小さな少女に手を上げるだなんて、いい大人のやる事ですか?」

「くくっ、笑わせるな。自分の欲のために争いを繰り広げている貴様らが、今さらどの口でそんな綺麗ごとをほざくんだ?」

「欲、ねぇ。確かにアスタリスクの少年少女たちの大半は、自身の欲のために此処にいるのは間違いありません。でも―――あなたがそれを言いますか? 銀河の幹部候補さん」

「―――なんだと?」

 

 八幡の言葉に綱一郎は眉を吊り上げる。

 

「綺凛を使って星武祭の優勝を掻っ攫い、その手柄で銀河の幹部に就任する。そんな事を企んでいるあなたに、どうこう言われる筋合いはありませんよ」

「き、貴様! 何処でそれを!」

「あなたの情報と立場から推測しましたが、どうやら当たっているようですね。しかし自分の力じゃなくて姪御さんの力で出世しようだなんて―――男として恥ずかしくないんですか?」

「くっ! き、貴様ぁ!」

 

 八幡が思ったことを素直に口にすると、図星を付かれたのか綱一郎が怒りを露わにする。どうやら多少自覚があったようだ。そして分が悪いと思ったのか、綺凛の方を睨みつける。

 

「ええい、なにをしている、綺凛! お前は来年星導館に入るんだ! こんな所で油を売っている暇はない!」

「わ、わたしは……」

 

 伯父に怒鳴られ綺凛は言葉をなくす。そして考え込む。父のこと、道場のこと、刀藤流のこと。様々な思いが彼女の心中を巡り、最悪の展開が脳裏を過ぎる。

 

「―――綺凛」

 

 そんな彼女の思考の悪循環を八幡が堰き止める。

 

「―――自分の心に素直になれ。綺凛が望んでることを正直に口にすればいいんだ。後のことはこちらに任せればいい」

 

 綺凛の心を後押しする。彼女が自身の願いを言えるように。

 

「わたしは、わたしは―――」

「ふんっ! なにが素直だ! こいつの望みを叶えられるのは私の計画しかありえない! さあ、さっさと来い!」

 

 綱一郎が綺凛へと手を伸ばす。

 そして彼女の手を掴もうとして―――その手を振り払われた。

 

「……ごめんなさいです、伯父様。わたしは―――行きません」

「な、何!?」

 

 綺凛は綱一郎を拒絶する。

 

「伯父様のご助力には感謝しています。それは本当です。ですが、わたしの道はわたし自身で決めたいと思います。そうじゃないと、わたしは……いつかきっと後悔してしまいますから」

「お、お前。まさか!」

 

 綺凛は綱一郎の目を真っすぐ見つめて―――そして宣言した。

 

 

「わたしは―――界龍に入ります!」

 

 

 その言葉に綱一郎の中でなにかが切れた。

 

「こ、この、う、裏切り者がぁぁ!!」

 

 言葉と同時に拳を振り上げ―――思い切り振り下ろす。

 

 ―――だが

 

「―――そこまでじゃ」

 

 傍観していた范星露がその拳を受け止めた。

 

「なっ!? き、貴様は、ば、万有天羅!?」

 

 綱一郎は突如現れた万有天羅に驚きを隠せず、信じられないといった顔をする。

 

「ど、どうしてここに?」

「始めから部屋におったぞ。おぬしは全く気付かず綺凛に一直線じゃったな。怒髪天を衝くとは正にこの事よ」

 

 星露は受け止めた拳を離し、そして綱一郎と向かい合う。

 

「綺凛は己の意志を示した。ならば、もうウチの生徒も同然よ―――大人しく諦めよ」

「ぐぅっ、そ、そういう訳には」

 

 突如現れた星露に対し綱一郎は動揺を隠せない。しかし彼としても簡単に綺凛を諦めることは出来ない。

 

「そういえば、おぬしは銀河の幹部が望みじゃったな」

「な、何を突然」

 

 己の望みを言われた綱一郎は、星露の意図が読めず動揺する。そんな彼に対し、星露はニヤリと笑いながら話しかけた。

 

「―――儂がその方法を教えてやろう。なに、遠慮はいらんぞ。存分に体感してみるとよい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、星露が綱一郎と二人きりで話すと八幡と綺凛に説明し、二人は隣の部屋へ移動することになった。しかし部屋に移って少し時間が経過すると、綺凛は隣の様子が気になっていた。

 

「あ、あの八幡先輩。大丈夫でしょうか?」

「ああ、別に問題ないと思うぞ。星露の様子から察するに、綱一郎さんが来るのは予定通りだ。任せておいて問題ないだろう」

「そ、そうなんですか?」

 

 綺凛の疑問に対して頷く。どのような方法で界龍まで来させたかは知らないが、そこは間違いない。

 

「それにしても―――よく頑張ったな、綺凛」

「―――ぁ」

 

 八幡が綺凛の頭を撫でる。星露に対して一矢報いたこと。苦手と思われる伯父に対し自らの意志を示したこと。今日彼女が起こした行動は本当に称賛に値する。

 

 そして綺凛は、撫でられた頭の感触に心地よさを覚えながら、懐かしそうに呟く。

 

「―――父もよく、こんな風に頭を撫でてくれました」

「……そっか。じゃあ、親父さんを助けるためにこれから頑張らないとな」

「はい……でも、わたしは強くなれるでしょうか?」

 

 これからの生活に不安を感じたのだろうか。綺凛が弱音を口に出す。

 

「その辺りは心配いらない。星露に目を付けられたんだから嫌でも強くなるぞ。むしろ、やられ過ぎで自信がなくなるのを注意した方がいい……界龍の生徒は基本戦闘狂だからな」

「えーと。そう、なんですか」

 

 思わぬ事実を聞き目を丸くする綺凛。一瞬嘘かと思ったが、八幡が遠い目をしているのを見て真実を言っていると感じた。

 

 ―――すると

 

「―――仲良くやっておるようじゃな、うぬら。善きことよ」

 

 突如、部屋の入り口から声が聞こえてきた。二人がそちらを向くといつの間にか星露が部屋に中に入ってきていた。そんな星露に八幡はいつもの事なので何も感じないが、綺凛は驚きの表情を見せる。

 

「相変わらず神出鬼没だな、お前」

「まったく気付きませんでした」

「くくくっ、こうした方が皆の面白い反応が見れるものでな」

 

 皆の反応を楽しむ星露。彼女にとってはこれも娯楽の一種なのだろう。

 

「あの! それで、伯父様とのお話し合いはどうなったのでしょうか?」

「ああ。問題ないぞ。先方との話し合いは終わったぞ。無事にな」

「―――無事に、ね」

 

 八幡は星露の言い方が少し気になり、小さく呟く。先程の彼の様子から見て、とても無事に終わるとは思えなかったからだ。

 

「まだそこの通路におるぞ。会ってくるがよい」

「は、はい。分かりました」

 

 星露に言われるまま綺凛は部屋を飛び出し通路へと出る。すると綱一郎は直に見つかった。しかし見るからに様子がおかしかった。

 こちらに気付かず出口に向かって歩いているのだが、夢遊病の患者のようにふらつきながら歩いているのだ。

 

 ―――明らかに異常事態だ。

 

 綺凛は伯父の近くへと駆け寄り声を掛ける。

 

「あ、あの。伯父様?」

「…………綺凛か」

 

 綱一郎がこちらを見る。その顔を見て、綺凛は更なる異常に気付く。

 先程まで怒り爆発だった態度は鳴りを潜め、その顔色は青白くなっており、今にも倒れそうな顔つきだ。この短時間でこの変わりよう。星露との話し合いで何かがあったとしか思えなかった。

 

 綱一郎は綺凛を見て―――何かを諦めたかのように呟く。

 

「―――好きにしろ」

「え?」

「界龍入学に関して私はもう何も言わん―――お前の好きにしろ」

 

 先程までの態度と一変した答えに綺凛は耳を疑う。すると綱一郎は、話は終わったとばかりに彼女の傍から離れ、力ない足取りで歩き出した。

 

「お、伯父様っ!」

 

 綺凛はその背中に向かって呼びかけた。

 綱一郎は足を止めたものの、振り返らない。

 

「わたしは伯父様に感謝しています。それは嘘じゃありません……本当にありがとうございましたっ!」

 

 そして綺凛は、真摯にぺこりと頭を下げた。

 

「……」

 

 綱一郎はそれの答えることもなく、そして振り返ることもしないまま、静かにその場を立ち去った。

 その様子を綺凛は悲しみの目で見つめた。

 

「……終わったようだな」

「八幡先輩……」

 

 二人の様子を見ていた八幡が綺凛の傍に寄り添う。そして悲しそうな顔でうつむく綺凛の頭に、そっと手を乗せる。

 

「あっ……」

 

 そのまま優しく撫でてあげると、綺凛は泣き笑いの顔で八幡を見上げる。

 

「これからよろしくな、綺凛」

「……はい。こちらこそよろしくお願いします」

 

 目元をぐしぐしと拭いながら、綺凛が小さく頷く。

 そして八幡の後方にいた星露が綺凛に話しかける。

 

「うむ、これで綺凛も正式にウチの生徒じゃな」

「は、はいっ。よろしくお願いします。えーと、わたしは何とお呼びすれば?」

「ふむ、別に呼び方など気にせぬぞ。儂の弟子たちには師父と呼ばれておるが、陽乃は普通に呼び捨てじゃからな」

「では、師父とお呼びします―――師父、これからご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします!」

「うむ、期待しておるぞ。綺凛」

 

 刀藤綺凛が界龍第七学園への入学が決定した瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふーん。じゃあ無事に綺凛ちゃんをスカウト出来たわけだね。よかったよかった」

「まあ、色々と疑問は残っていますがね」

「疑問? どんな?」

 

 八幡は横でおやつのパフェを頬張る幼女を見る。

 

「なぁ星露。結局、どうやって綱一郎さんを説得したんだ? そんな簡単に諦める人じゃなかったぞ、あの人」

「うん? ……ああ、簡単じゃよ。統合企業財体の幹部になるための必須事項を、実際に体感させた。それだけの事よ」

「幹部になるための必須事項ねぇ。どんな内容なの、それ?」

 

 内容が気になった陽乃が星露に問いかける。

 

「統合企業財体の幹部というのは、何段階の精神調整プログラムを受けて、徹底的に我欲を排除した者しか到達できぬ代物よ。故に、初期の精神プログラムを実際に体感させた。まあ、耐え切れずに途中でリタイアしおったがな」

「うわー、思ったよりえげつない内容だわ」

「個人という人格を捨てさって初めて幹部になることが出来る。まあ、マトモな人間であればならぬ方が幸せよ。連中は巨大な権力を持ってはいるが、統合企業財体という化物に奉仕するだけの存在じゃからな」

「―――奉仕、ね」

 

 その言葉は嘗ての部活を思い出させる。だが意味合いは全く異なる。個人の人格を消去し、統合企業財体の為に全てを捧げる。そのような存在になるのだから。

 

「その内容、綺凛ちゃんには説明したの?」

 

 陽乃は少し離れたテーブルで、留美と話している綺凛を見ながら聞く。それに対し星露は首を横に振る。

 

「説明する必要はなかろう。伯父は綺凛への執着と己の野望を捨て去り、綺凛は界龍へと入学する。その結果があればよい」

「まあ、確かに余計なことを説明する必要はないか。綺凛の負担になるだけだ」

「そうだね。その伯父さんも後遺症はないんでしょう? だったら問題ないね」

 

 八幡と陽乃は星露の話を聞いて納得した。

 

「―――あの、ちょっといいですか?」

 

 そこに一人の少女、鶴見留美が話しかけてくる。後ろに綺凛も一緒だ。

 

「あら、どうしたの留美ちゃん?」

「その、えーと、范星露、さん?」

「うん? 儂に用事か。何用じゃ、鶴見留美」

 

 どうやら星露に用事があるようだ。留美は真剣な表情で星露を見つめる。

 

「あの、私も界龍に入りたいんですけど、入学は可能ですか?」

「おお! おぬしもウチに入学希望か。よいぞ、優れた治癒能力者は大歓迎じゃ!」

 

 留美が突然入学を希望してきた。それを聞き目を丸くする陽乃。

 

「あら、留美ちゃん。もうウチに入るの? 予定だと来年の春からじゃなかったっけ?」

「……その予定でしたけど、別に二学期からでもいいかなって。それに―――」

 

 留美はチラリと八幡を見る。

 

「どうかしたか、ルミルミ?」

「な、何でもない! 後、ルミルミ言うな、バカ八幡」

「……お前は何をそんなに怒ってるんだ?」

 

 二人の様子を見て陽乃は納得した。

 

「なーるほど。そういう事ね。ねぇ星露。綺凛ちゃんと留美ちゃんの扱いはどうなるの?」

「綺凛は特待生。鶴見留美、いや留美は推薦扱いといった所じゃな。どう思う陽乃?」

「いいんじゃないかな。星露に一撃を与えた逸材が特待生なら、上を納得させるにも十分だし、治癒能力者は存在自体が貴重だからね」

 

 陽乃の言葉を受け留美は笑顔を浮かべる。

 

「よかったね、留美ちゃん」

「……うん。綺凛もおめでとう」

「うん、ありがとう」

 

 同学年の二人がお互いの入学を喜び合う。

 

「では、二人とも二学期からウチに来てもらう。書類等は今後それぞれの実家に送るから、準備を怠らぬようにな」

『はい!』

 

 綺凛と留美は二人揃って元気よく返事をした。

 

 

 

 かくして、刀藤綺凛と鶴見留美。二人の少女の界龍第七学園の入学が決定した。

 

 特に刀藤綺凛の入学は、本来あるべき物語に多大な影響を与えていく。

 

 その影響が物語をどのように変化させていくのか―――それは誰にも分らない。

 

 

 そう―――誰にもだ。

 




はい。というわけで、今回で六花見学編は完結です。

最初は八幡 vs 綺凛も少し考えましたが、このお話では綺凛ちゃんは伯父のいいなりではないのでその案はボツになりました。代わりに、星露が綱一郎を穏便に説得しました。

綺凛ちゃんとルミルミは二学期から入学になります。
と同時に、星導館のハードモードが確定しました。ごめんね、クローディア。

次話からは夏休みのお話。予定では数話ですね。他学園の新キャラも少し出る予定です。
勿論、総武のお話もあります。

誤字、脱字、感想等あれば、よろしくお願いします。


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第二十六話 真夏の日の買い物

八幡の誕生日には投稿したかったですが、間に合いませんでした。
今回から夏休み編です。


「ふぁぁぁぁー」

 

 部屋の中で一人、歩きながら欠伸をする。そして目的地である冷蔵庫に向かいゆっくりと進む。

 

「……最近は早く起きっぱなしだったからな。偶にはのんびりするのも悪くねぇな。プリキュアは最高だったし」

 

 本日は日曜日。時刻は九時を少し回った所。毎週の楽しみである、スーパーヒーロータイムからのプリキュアを見終わったばかりだ。

 何時もならこの後は鍛錬なのだが、本日は珍しく完全な休養日だ。その為、この後は撮り溜めたHDを一日かけて見るという至福の時間の予定なのだ。

 

 その為にある物を冷蔵庫から取り出さなくてはいけない。冷蔵庫の前に立ち扉を開ける。目的の物を取り出そうとして―――手が止まった。

 

「……あれ? マッ缶がねぇ? ……あぁ、そうか。昨日の夜、星露と飲み尽くしたんだったか」

 

 先日の夜の出来事を思いだす。寝る前に急に星露が部屋に押し入ってきて、共にマッ缶を飲もうと提案されたのだ。結果、全ての在庫を飲み尽くし、途方に暮れる羽目になってしまった。

 

「で、例の如く通販は届いてない、と。こりゃ昨日の台風の影響か? 船便遅れてるんだろうなぁ」

 

 アスタリスクは北関東のクレーター湖に浮かぶ島だ。当然、物資の流通は本州からの船便がメインとなる。しかし、先日台風が来襲したので船便にも影響が出ている。通販分は期待できそうにない。

 

「どうするかな? 外には出たくないが」

 

 窓の外を見て考え込む。季節は八月。夏真っ盛りの時期だ。日本の夏は湿気が多いためか、気温以上に暑さが感じられる。天気予報では普通に35℃を超える猛暑日の予定だ。

 

 こう暑いと鍛錬にも支障がでる。あの星露でさえ鍛錬時以外の時は、冷房の効いた部屋で机に顎を乗せ、ぐてーっとしているのが日常なのだ。妙な所で年相応の姿を見せる、我が妹君である。

 

「…………仕方ねぇ。買いに行くか。建物の中は涼しいだろうしな。ついでに星露の分も買ってくるか」

 

 考え込んだ末、外出を決定した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あぁ、建物の中はやっぱ涼しいな」

 

 目的地である大型の百貨店に到着した。アスタリスクを移動する際は、長距離はモノレール。近距離は地下鉄で移動するのが基本である。

 移動途中の交通機関には冷房が効いているので、暑さに苦しむことはない。だが、地上に出れば話は別だ。日本の夏特有の暑さが容赦なく襲い掛かってくるからだ。

 

「さて、飲み物売り場はこっちだったな。マッ缶の在庫があるといいが……」

 

 そもそも、アスタリスクに於いてマッ缶の扱いはかなり悪い。元々は関東地方の極一部にしか販売されていない飲み物で、アスタリスクの自販機では見かけたことすらない。

 アスタリスク内でマッ缶を手に入れるには、百貨店や巨大なデパートなどの限定された場所でしか買う事が出来ない。しかも、八幡以外にもマッ缶愛好家がいるらしく、売り切れに遭遇することも度々あるのだ。

 

 そして百貨店の地下二階、飲み物売り場に到着した。此処には世界中の飲料が売られている。陳列された飲み物、マッ缶は隅の方にあるのでそこに近付き―――在庫が残っているのを発見した。ただし一本のみだ。

 

 一本だけでも無いよりマシだと思い手を伸ばして―――横から同じようにマッ缶を取ろうとした手が見えた。

 

「―――あ?」

「―――む?」

 

 お互いの視線が絡み合う。隣にいるのは水色の髪を持つ幼い少女だった。八幡と同様にマッ缶に向かって手を伸ばしている。目はくりくりと大きく、顔立ちはあどけない。一瞬、夏休みを利用しての観光客かと思ったが、胸元に星導館のバッジがあるのを見て、その可能性はなくなった。

 

「そちらの欲しいものはアレか?」

「―――ああ。そうだ」

 

 主語を出さずとも、互いの目的は一緒だと直に分かった。

 

「そちらに引く気は?」

「ない。マッ缶の愛好家として、その選択肢はあり得ない」

「……だろうな」

 

 こちらの問いかけも否定される。だが八幡とて譲る気は毛頭ない。目の前にいる見た目年下の少女には悪いが、引くわけにはいかないのだ。

 

「わたしは星導館中等部三年、沙々宮紗夜。そちらの名前は?」

「……界龍第七学園中等部三年、范八幡」

 

 同い年だった。少女の見た目は完全に年下に見えたのでこれは驚きだ。内心動揺しながらも顔には出さず、こちらも名前を告げる。すると紗夜はこちらを睨みながら次の言葉を口に出す。

 

 このアスタリスクで揉め事が起これば―――解決方法は一つだけだ! 

 

「不撓の証たる赤蓮の名の下に、我沙々宮紗夜は汝范八幡への決闘を「もーらいっ!」なっ!」

 

 沙々宮紗夜が決闘を申請しようとしたその瞬間に、誰かがマッ缶を掻っ攫った。

 そしてその犯人はこちらに目もくれず走り去っていく。

 

「いやー! やっと一本GETできたよ!」

「はぁ、漸くか。じゃあ、急いで学園に戻るぞ。この暑い中いつまでも外には居たくない」

「悪かったって。でもありがとね、カミラ。付き合ってくれて助かったよ」

「それはいいんだが。その甘ったるい飲料をよく飲む気になれるな。糖尿病になるぞ」

「ちっちっちっ、分かってないなーカミラは。研究の疲れを取るのに、このマッ缶は最適のアイテムなんだよ」

「……私には分らんよ」

 

 遠ざかる二人組を眺めた後、八幡は隣にいる少女を見る。少女は完全に固まっていた。

 

「……決闘、するのか?」

「………………いや、しない」

 

 沙々宮紗夜の悲しみに暮れた呟きが、八幡の耳に入った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「しかし、こんな所でマッ缶の愛好家に会うとはな。本当に驚きだ」

「それはこちらも同意見。わたし以外であの飲料を飲む人に会ったのは初めて」

「……さっきの人も飲んでるみたいだったがな」

「アレはアルルカントの制服だった。今度会ったら絶対にぶちのめす」

「……気持ちは分かるが穏便にな」

 

 二人揃って外を歩く。アスタリスクで数少ないマッ缶愛好家の二人は意気投合し、先程の出来事を振り返っていた。そして紗夜先導の元、マッ缶の次の売り場へと向かっていた。

 

「それにしても、沙々宮がマッ缶の売り場をこれだけ知っているのは驚いた。売り場のデータまで貰って本当によかったのか?」

「それは別にいい。数少ない同士を助けるのは当然の事」

 

 八幡が手元のウィンドウに目を通す。そこには、アスタリスクのMAPに幾つかのアイコンが強調され表示されていた。その全てがマッ缶の売り場を示している。八幡も入学以降マッ缶の売り場を探していたが、これだけの売り場は把握していなかった。

 

「……しかしよくこれだけの売り場を把握してるな。直接店に確認しに行ったのか?」

「いや、違う。お店に連絡して一件ずつ問い合わせをした。時間は掛かるけど確実に知ることが出来る」

「なるほど。その手があったか」

 

 八幡の確認方法は直接店を訪れることだったので、その方法は思いつかなかった。そんな話をしながら歩いていると、八幡はふと気になることがあった。目的地は大通りにあるはずなのに、今いる場所は細道に入っているのだ。

 

「……なぁ、沙々宮」

「なんだ、范」

「これ、道間違ってないか? 明らかに目的地に向かってない気がするんだが」

「……そんな事はない、多分」

 

 紗夜は地図を睨みつけながらこちらの質問に答えた。そんな彼女を見て八幡は気付く。

 

「お前、もしかして方向音痴か?」

「…………地図が分かりにくいのが悪い。わたしは悪くない」

 

 普通に地図を見れば迷う事はないはずだが、紗夜は己の過ちを認めない。そんな彼女を見て八幡は提案する。

 

「とりあえず、次の場所へは俺が連れて行こう。いいか?」

「……頼む」

 

 八幡の提案を沙々宮紗夜は受け入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「よし。此処を曲がればもうすぐ次の目的地だ。やっと此処まで来たな」

「うん、助かった。わたし一人では此処まで辿り着けなかっただろう。感謝する」

「……方向音痴も大変だな。それにしても、次の場所にマッ缶が残っていればいいんだが」

「そればかりは時の運。期待するしかない」

「それはそうなんだがな」

 

 二人で愚痴りながら曲がり角を曲がる。すると次の目的地である大型のスーパーが見えてきた。

 二人は歩くスピードを上げ、スーパーの入り口付近までやって来たが―――そこで騒動が起こっているのを発見した。

 

「や、やめて下さい。私達が何をしたって言うんですか」

「そ、そうです。ぶつかった事は謝ったじゃないですか」

「あぁ! そりゃねぇぜ、お嬢ちゃんたちよ。お前さん達がぶつかったせいで、こいつは怪我したんだぜ。見ろよ、この痛そうな顔を。こりゃ大怪我だぜ」

「あぁぁっ! 痛てぇ! こりゃ骨折してるかもしれねぇぜ」

「おぉ、それは大変だ。これは慰謝料を要求しなきゃいけねぇな」

 

 数人の見慣れない少女の姿が見えた。胸元にはクインヴェールのバッジをした少女達。そして彼女たちを十人ほどの男達が取り囲んでいた。モヒカンなどの特徴ある髪型に、ガラの悪い服装の数々。それを見れば、男達が何処の所属かは一目で分かった。

 

 ―――レヴォルフ黒学院だ。

 

「……またお約束というか、ベタなことをやってるもんだ」

「あんな大昔の手法で因縁を付けるとは、流石はレヴォルフ。あのモヒカンと一緒で時代遅れな連中だ」

「しかしモヒカンなんて初めて見たな。あんな髪型をするのは、某世紀末漫画の登場人物だけだと思っていたんだが、実在したんだな。これは驚きだ」

「……私も読んだことがある。確かにあの漫画のやられ役によく似ている。これはびっくり」

「おい! そこの二人組!」

 

 二人でレヴォルフの連中を見ながら感想を言い合っていたら、相手がこちらに気付いた。

 

「何こっち見てんだ! 文句でもあるのか! あぁっ!」

「いや、文句というか―――感想?」

「そう。お前たちが如何にベタな存在かを話し合っていた。いや、実に感心した。今時あんな方法でイチャモンを付ける人間がいるとは実に驚きだ」

「んだとっ! このチビ! なにがイチャモンだ!!」

 

 紗夜の言葉に男は大きな声を上げ、一人の男がこちらに近付いて来る。その様子を見て紗夜がこちらに目配せする。その意図に気付き八幡は頷く。

 

「いや、男が数に任せて少女を取り囲むって時点で既にアウトだろ。しかも怪我してないのにイチャモン付けるとか、見苦しいにも程があるぞ」

「所詮、こいつらは数だけが取り柄の雑魚の集まり。その内、某世紀末漫画の様にヒャッハーとか言うに違いない。うん、きっとそうだ」

「ああ、それは一度聞いてみたいな。リアルで聞くとどんな感じか凄い気になる」

「て、てめぇら! 黙って聞いてれば好き放題言いやがって!」

「おい! この二人を逃すな! 囲め!」

 

 二人の挑発に男達は完全に乗せられた。少女たちの周りに居た男達も彼女達から離れ、こちらに駆け寄ってくる。

 

 それを確認した八幡は少女たちに目線を送る。すると一人の少女と目が合う。次に軽く頷き、こちらの意図を伝える。そして少女がはっとした表情となり、こちらも軽く頷いた。

 

 男達が八幡と紗夜の二人を完全に取り囲んだ。八幡と紗夜は背中合わせでそれに対応する。男達が煌式武装を取り出し、それを展開した。因みに怪我をしたと言った男も元気に煌式武装を構えている。

 

 そして二人が作った隙を付いて―――少女たちが全力で逃げ出した。

 

「なっ! しまった!」

「おい! 逃がすな、追え!」

 

 少女たちが逃げた事実に慌てる男達。慌ててその後を追おうとする。

 

 しかし―――

 

「―――それは止めた方がいい」

 

 沙々宮紗夜の姿を見て動きが硬直する。彼女の手にも煌式武装が展開されていた。しかしそれはとても巨大で、少女が扱うには余りにも不釣り合いに見えた。

 

「……おい、沙々宮。それは何だ?」

「―――三十八式煌型擲弾銃ヘルネクラウム」

「擲弾銃ってグレネードランチャーか」

「正解。よく知ってるな」

 

 紗夜が己の煌式武装の名を明かす。彼女の身体の二倍以上の大きさであるその巨大な煌式武装を軽々と持ち、少女を追おうとした男達に照準を合わせていた。これでは後を追えない。追おうとすれば背中を撃たれてしまうだろう。

 

「半分は任せてもらって構わない。そちらもいけるか、范?」

「まあ、この程度の連中なら大丈夫だろう……普段の鍛錬に比べれば朝飯前だ」

「なるほど、じゃあ問題ないな」

 

 観察した限りでは動きは素人同然。恐らく序列入りすらしてないような連中だ。ならば何の問題もない。

 

「っ! なめるんじゃねぇ! いくぞ、てめぇら!」

「おお! やってやるぜ!」

「レヴォルフをなめるんじゃねぇ!」

 

 気合だけは十分とばかりに男達が二人に襲い掛かる。

 それに対し―――

 

「さっさと片付けてマッ缶探しだ」

「……どーん」

 

 八幡は無手で突っ込み、紗夜は己の煌式武装を発射した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……疲れた」

「……同じく。こんなに時間が掛かるとは思わなかった」

 

 疲れ切った二人が荷物を持ちながら道を歩く。因みに戦闘自体は直に終わった。二人に掛かればレヴォルフの一般生徒など問題にもならない。

 

 ―――だが別の問題がその後に発生した。

 

 それは戦闘終了後、逃げ延びたクインヴェールの生徒が警備隊を連れて戻って来たのだ。結果、八幡と紗夜は警備隊の事情聴取に捕まり、時間を取られることになってしまった。

 

「とりあえず、マッ缶が見つかったことだけが唯一の救いだ。そう思わなきゃやってられん」

「これで見つからなければ、アルルカントへの殴り込みも検討していた」

「まだ言うか。少し気にしすぎじゃないのか?」

「よく言うではないか。食べ物の恨みは怖いと。横取りされたマッ缶の恨みは忘れない。そう絶対に」

「……あの人とお前が会わない事を祈るよ、ホントに」

 

 二人は両手にビニール袋を持っていた。勿論、中身は全てマッ缶だ。事情聴取から解放後、幾つかの店を周り、在庫を全て買い占めたのだ。

 

 時刻は夕方より少し前。真夏なので日はまだ高いが、予定よりかなり遅くなってしまった。折角の休日が台無しだと、げんなりとしながら歩く八幡に紗夜は声を掛ける。

 

「それにしても范も剣を使うのだな。少し意外だ」

「…………どうして分かった」

 

 声のトーンを変化させる。今日は刀を持ち歩いてないし、先程の戦闘でも無手で対応した。普通ならバレるはずがない。

 

「私も昔、幼馴染から少しだけ剣を習ったことがある。剣士の動きはそれなりに分かってるつもりだ。それにさっきの戦闘で動きも見せてもらった」

「なるほど。動きで判断されたか。大した観察眼だ。でも、こちらだって驚いたぞ。沙々宮のその煌式武装。凄いな、それ」

「ふふん。お父さんの自慢の一品だ」

 

 紗夜が胸を張って誇らしげにする。

 

「その手の煌式武装はアルルカントの専売特許かと思ったが、他の学園にもあるんだな」

「確かに技術力ではアルルカントが六花で一番。だが、お父さんの煌式武装はアルルカントにだって負けはしない。私はそう思ってる」

「そうか……」

 

 父親の煌式武装に随分と自信があるようだ。だが先の戦闘で見せた破壊力は確かに侮れない。しかしその口調から、アルルカントに少し思う所があるようにも思えた。

 

 八幡はとりあえず別の話題を口にする。

 

「……沙々宮は序列外だよな。少し前に見た星導館の在名祭祀書には載ってなかったと思うが」

「うん。それは間違いない」

「お前の実力なら冒頭の十二人になれると思うんだが、狙う気はないのか?」

「ない。冒頭の十二人になったら、色んな生徒から沢山試合を申し込まれる。それはとてもめんどくさい。なら序列外の方が気楽でいい」

「すげぇ共感できる。めんどくさいよな、そういうのは」

 

 思わぬ所で共感し、互いに頷き合う。序列上位にもなれば、毎月決闘を申し込まれるのはほぼ確実だ。八幡的にもそれは避けたい。ただでさえ鍛錬で忙しいのに、他の生徒の相手なんてしてられないのだ。

 

「范の方も序列外なのか。あの動きならかなり出来ると見たが」

「……俺の方は大したことないぞ。普通にやられまくってるからな」

「ほう。界龍はそんなに強い奴が多いのか」

「ああ。うんざりするほどにな」

 

 アスタリスクに来て約二ヶ月と少し。毎日ボコられるのは今も変わらない。虎峰に対しては多少勝利をもぎ取る事が出来るようになったが、現状の勝率は約一割。他のメンバーには未だ勝てないままだ。

 

「―――ほんと、まだまだだよ。俺は」

「……そういう風に自分の強さに謙虚になれる人は強い―――綾斗もそうだった」

「綾斗? 誰だ、そいつは?」

「天霧綾斗。私の幼馴染。ちょー強い剣士」

「強い剣士ね。沙々宮よりも強いのか?」

「勿論。私なんて相手にならない。強くてとてもカッコいい」

 

 自分よりも強いと紗夜は断言する。しかも頬を染めながらだ。どうやらその幼馴染は男で、しかもその彼に好意を抱いているだろうと八幡は確信した。

 

 そんな話をしていると十字路が見えてきた。此処で二人の帰り道は別となる。

 

「じゃあ今日は助かった、范」

「ああ、こちらも助かった。データありがとな」

「気にするな。お互い様だ」

 

 そう言って二人は別れた。八幡も駅の方へと歩き出し、道中ぽつりと呟く。

 

「天霧綾斗、ね。あの沙々宮が敵わないとなると……今の俺のレベルじゃ厳しいかもな」

 

 剣士とガンナーの違いはあれど、沙々宮紗夜という少女の実力は相当なレベルだった。それがまったく敵わないとなると今の八幡では恐らく勝てない。

 

 ―――あの時の力を引き出せればまた別だろうが。

 

「……無理だな。少なくとも今はまだ」

 

 自身の実力は自身が一番分かっている。再封印された星辰力の封印はまだ解けない。いや、解いてはならない。それは范星露にも厳命されている。

 

 ―――いいか八幡。その封印された星辰力と能力は解いてはならんぞ。使いこなせると確信するまでは絶対に駄目じゃ。分かったな。

 

 厳重に抑え込まれたあの時と違い、今の封印はかなり緩い。恐らく己の意志を固めれば解けてしまうだろう。だが今の段階で封印を解けば、短時間で再び暴走してしまうのも間違いない。

 

「まあ、気長にいくか」

 

 今は星露の言う通り基礎固めの時期だ。身体を鍛え、精神を研ぎ澄ませ、その力を扱えるように。それが出来るようになれば、八幡の望みに一歩近づける。

 

「はぁ、帰るか」

 

 そんな日が来るのは遥か先か。はたまた近日のことか。まだ見ぬ未来を考えながら、八幡は界龍へと帰るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ただいまっと……あれ? 何で冷房が効いてるんだ。切ったはずなのに」

「おお、遅かったな。八幡」

 

 八幡が自室に帰ると星露がそこに居た。

 

「俺の部屋にいたか、星露。ちょっとトラブルに巻き込まれてな。ほれ、お土産」

「おお! マッ缶ではないか! おぬしの冷蔵庫に在庫も無かったからな。どうしようかと思ったぞ」

 

 八幡がマッ缶を一本投げると星露が喜んでそれを受取る。

 

「とりあえず、買えるだけ買ってきた。これで暫くもつだろ」

「うむ、よくやった……しかしかなり汗をかいたようじゃな。Tシャツがビチョビチョじゃぞ」

「まあ、こんだけ暑けりゃな。ちょっと歩いただけでこうなるさ。とりあえず風呂に入ってくる」

 

 夕飯前に汗を流しておきたい。そう考え、風呂に行くことを星露へ告げると、彼女は何故かニヤリと笑う。

 

「そうか。なら行ってくるといい。夕餉はもうすぐじゃぞ」

「あ、ああ。行ってくる」

 

 何故か嫌な予感がしたが、汗だくのままは気持ち悪いので風呂場へと向かった。

 

 

 ―――後で考えれば部屋のシャワーで済ませれば良かったと、八幡は後に語った。

 

 

「ほれ。背中を流してやるぞ、八幡」

「ちょっと待て! 何で普通に入ってきてる。ここ男湯だぞ」

「安心せい。入口の札は立ち入り禁止にしてある。問題ない」

「いや、問題しかないと思うんだが」

「ほれほれ、いいから座れ。背中が洗えんじゃろうが」

「……分かったよ」

 

 そして二人はお互いの身体を洗い、一緒にお風呂に入った。

 

 その後、夕飯の席で二人で風呂に入ったと星露が自らバラし、八幡は女性陣にからかわれる事になったのだが―――それはどうでもいい蛇足の話だ。

 




今回は沙々宮紗夜の登場回でした。

次回は閑話ですかね。総武編か、別のお話か。どちらかになる予定です。

誤字、脱字、感想等あれば、よろしくお願いします。


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閑話 残されし者たち

リクエストに応え、総武編からアップします。



 大きな部屋に幾つもの机と椅子が並んでいる。そして全ての机には人が座っており、本をめくる音とノートに何かを書く音が微かに響く。他には時折、音量を下げた声で隣の人と話している人達がいた。

 

 その中に二人の少女いた。雪ノ下雪乃と由比ヶ浜結衣である。

 彼女達も周りの人と同様に行動していた。そして由比ヶ浜結衣が悪戦苦闘しながら書いたノートを、隣の雪ノ下雪乃へと見せる。

 

「……終わったよーゆきのーん」

「はい、お疲れ様。由比ヶ浜さん。じゃあ、答え合わせをするから少し休憩ね」

「はーい」

 

 返事をすると、結衣は机に上に顔を乗せ、そのまま下を向く。結衣にとっては待ちに待った休憩だ。もうこのまま眠りに付きたいくらいだ。

 

 そんな結衣の状態を見た雪乃は注意をする。

 

「……行儀が悪いわよ、由比ヶ浜さん」

「だって、やっと休憩だよ。もう疲れたよー」

「それは仕方がないわ。現状でも予定より遅れてるんだから。ペースを上げないと間に合わないわ」

「それは分かってるけどさ……」

 

 雪乃の言葉に渋々頷く結衣。そんな彼女に苦笑する雪乃。だが目線は素早くノートをチェックし、尚且つ手を動かしている。そして数分の時間でチェックが終わった。

 

「正解率は三割といった所ね」

「……総武高校の合格はどのぐらいかな?」

「あそこも進学校だから……そうね。七、八割ぐらい正解すれば安全圏かしらね」

「そっかーまだまだ先は長いなー」

「でも、以前よりは格段に良くなっているわ。以前は、その、色々と問題だらけだったわ」

「……うん。でも、ゆきのんが毎日勉強を教えてくれてるおかげで、少しは分かるようになってきたよ。ありがとね、ゆきのん」

「なら、これからも厳しくいくわよ。覚悟はいいかしら、由比ヶ浜さん?」

「う、うん。が、頑張るよ、私!」

 

 現在二人が場所は市の図書館だ。そして行っているのは受験勉強であった。中学三年である雪乃と結衣は、夏休みを利用して受験勉強の真っ最中なのだ。と言っても、問題があるのは結衣だけなので、実質雪乃が結衣の家庭教師をしている状態だ。

 

「とりあえず、今日はこのくらいにしておきましょうか。続きはまた明日。今日間違えた所は、夜に必ず復習をするように。いいわね?」

「はーい。分かりました。ゆきのん先生ー」

 

 そう言うと二人は帰り支度を始める。時刻は既に夕方だ。朝から図書館で勉強を始め、昼休憩を除いてずっと勉強をしていたのだ。

 

 そして帰り支度が整い二人が図書館を後にする。入口から外に出ると日はまだ明るかった。暗くなるまではもう少し時間の余裕があった。

 

「ねえ、ゆきのん。帰りに少し寄り道しない? 時間あるかな?」

「今日は……少しだけなら大丈夫よ。何処に行くのかしら?」

「うーん、甘いものが食べたいからミスドかな? どう?」

「ええ、いいわ。なら、行きましょうか」

 

 二人は揃ってミスドへと歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「えへへーお待たせ―」

「……由比ヶ浜さん。それは何かしら?」

 

 ミスドに到着し、先に食べる物を決めて席に着いた雪乃。そんな雪乃は結衣が持ってきたものを見て、呆れながら突っ込みを入れる。

 

「何ってドーナツだよ?」

「それは分かるわ。私が言いたいのはその量よ。いくら何でも食べすぎじゃないかしら」

 

 トレイに盛られたドーナツが山盛りになっていた。少なくとも夕食前に食べる量ではない。

 

「……そんなに食べて夕ご飯が食べれるのかしら?」

「大丈夫だよ。このぐらい余裕だって」

「そう……」

 

 雪乃は少し考え込み、そして目の前にいる結衣のある部分を見てぽつりと呟く。

 

「……それが成長のコツなのかしら」

「何か言った、ゆきのん?」

「な、何でもないわ!」

「?」

 

 慌てる雪乃に首を傾げる結衣。とりあえず注文したドーナツを食べることにした。そして食べ終えると結衣が何かを思い出し、空間ウィンドウを開く。

 

「そういえば、ゆきのん。昨日こんなの見つけたんだ」

「何かしら?」

 

 結衣がウィンドウを流し、雪乃がそれを見る。そしてそれを見た雪乃の動きが止まる。

 そこに載っていたのは彼女にとって見覚えがありすぎる人物だったのだ。

 

「―――姉さん」

「うん。見つけた時はびっくりしちゃった。知り合いがテレビに出てたんだもん」

 

 ウィンドウに流れ出したのはとあるニュースの動画。今年冬に行われる王竜星武祭。それに出場する有力選手の紹介だった。

 

「陽乃さんってアスタリスクに行ってたんだね。何て言ったっけ? 陽乃さんの言ってる学校。ええっと……」

「―――界龍第七学園ね」

「そうそう! その学校の序列三位ってニュースには紹介されてたけど、陽乃さんが三番目に強いってことなんだよね。凄いね、陽乃さん!」

 

 知り合いが有名人だった事に興奮する結衣。だが彼女は、雪乃が画面を注視しながら動揺していることに気付いていない。そんな雪乃は動揺する自らの心を押さえ、結衣の言葉を訂正する。

 

「正確には少し違うわね。序列三位だからって三番目に強いとは限らないわ」

「そうなの?」

「ええ。序列というのはあくまでも目安。必ずしも、その順番通りに強いわけではない。勿論、弱い人が序列の上にいけるわけではないけれど」

「へー、詳しいんだね、ゆきのん」

「……まあ、人並みにはね」

 

 結衣は雪乃の知識に感心した。彼女はこういった事に詳しいのだ。

 

「それで、そのニュースはどんな内容だったのかしら?」

「ええっと、色んな学園の強い人が紹介されてたよ。ほら! アイドルのシルヴィア・リューネハイムさんとか!」

「そう……彼女は確か前回の王竜星武祭にも出場していたわね」

「うん。そう言ってた。他に印象に残っているのは……前回優勝した人の事を一番話してたよ。えーと名前は……」

「―――孤毒の魔女、オーフェリア・ランドルーフェン」

 

 結衣の台詞の最後を雪乃が引き継いだ。

 

「そうそう、その人。今回の王竜星武祭もその人が勝ちそうだってさ。解説の人はそう言ってたよ」

「無理もないわね。恐らく姉さんでも勝てないもの。孤毒の魔女には」

「……そんなに強いんだ」

「ええ…………」

 

 そこで二人とも沈黙する。少しして結衣が何か言いにくそうに再び話を始める。

 

「……そういえば、最近陽乃さんも来ないね」

「………………ええ。そうね」

 

 長い沈黙の後、雪乃が肯定の返事を返す。雪乃も昨年の秋から陽乃に会っていない。その前までは、頻繁に顔を出していたのにも関わらずだ。

 

 何かが起こっている。その予兆を感じたのは、比企谷八幡が転校したその日の夜、母 冬乃から呼び出されたときだ。

 

 ―――雪乃。陽乃はもう帰ってきません。これからはアナタに雪ノ下家の仕事を手伝ってもらいますよ。

 

 そう告げられ、雪ノ下雪乃は実家に戻ることになった。そしてそれ以降は、雪ノ下家のパーティーにも頻繁に出席をしている。

 

「…………ヒッキーが転校して、小町ちゃんもいなくなっちゃって、平塚先生も他の学校に行っちゃった。そして陽乃さんも……」

 

 二人にとって近い関係だった比企谷八幡が転校した。予兆も何もなく突然の出来事だった。何も聞かされていなかった二人が、その日の放課後に八幡の家を訪ねてみたものの、既にもぬけの殻であった。そう、文字通り誰もいなかったのだ。

 

 これは二人が知らない事であるが、八幡が星露と契約を交わした際、彼の両親は界龍系列の会社に入社している。そして転勤という形で両親は引っ越しをし、比企谷小町も転校を強要された。

 

 ―――全ては八幡の情報漏洩を恐れたためだ。范星露はそこにかなりの力を入れていた。

 

 そして平塚静。奉仕部の顧問で総武中学の教師でもあった彼女だが、今年の春から別の学校への勤務となった。学校間でよくある人事異動だ。この辺は特に誰も関与していない。

 

 そして平塚静がいなくなったことにより、正式に奉仕部は廃部となった。

 最も、昨年のとある依頼により雪ノ下雪乃は生徒会長となり、由比ヶ浜結衣も役員になった。そして今でも生徒会で忙しい日々を送っている。奉仕部の廃部は必然的だったのかもしれない。

 

 ―――すまない。雪ノ下、由比ヶ浜。全ては私の責任だ。

 

 平塚が別れの際、二人に掛けた言葉であった。

 

「……彼は逃げ出したのよ、由比ヶ浜さん。自分でやった事に背を向けてね。そんなのは許されないわ。逃げ出したという事は、相手の言い分を全て認めたと言っているようなもの。自分が間違っていないと思うのなら、逃げ出さず最後まで戦うべきよ……少なくとも私はそうしてきたわ」

「ゆきのん……」

 

 雪ノ下雪乃には比企谷八幡が理解できなかった。自らを省みず、己を犠牲にした彼のやり方は知っている。その方法は有用だと認めても共感は出来ない。だがそれでも、奉仕部の一員として理解しようと努めたのだ。

 

 ―――あの日の告白までは。

 

 だからこそ納得できない。することが出来ない。彼のやり方を認めるという事は、雪乃のこれまでの人生を否定するという事だ。だがそれでも、彼の事をちょくちょく考える自分がいる事に、雪乃自身は気付いていた。

 

 結論から言うと、彼女はまだ八幡の事を振りきれていなかった。

 

「そういえば夏休みに入る前のことなんだけど。ちょっと気になった事があるんだ」

「……気になること?」

 

 重くなった空気を変えるべく、結衣が別の話題を出す。雪乃もすぐさまそれに乗った。

 

「……姫菜のさ。元気がないんだ」

「海老名さんの?」

「うん……去年の終わり頃からちょっと変だったんけど、最近はずっとぼうっとしてるんだ。何を話しかけても上の空みたいな感じ」

「本人には尋ねてみたの?」

「聞いたよ。でも、何を聞いても大丈夫だって、そればっかりで」

 

 結衣は悩みを打ち明かし俯く。同じグループの友人の様子が変なのに、何も出来ない自分が悔しいのだ。

 

「……そうね。可能性の一つとして上げるなら、進路のことかもしれないわね。私達も中学三年生。進路のことで悩んでいるのなら、一人で悩んでいてもおかしくはないわ。まあ、予想の一つでしかないけれど」

「……進路。うん、確かにその可能性はあるかもね……でも、進路かぁ」

「進路がどうかしたのかしら?」

 

 雪乃が結衣を見る。すると結衣は何か考え込んでいるように見えた。

 

「うちのクラスにも星脈世代が何人かいるんだけどさ。こんな話が出てるんだ。高校受験でアスタリスクを受けようって。ほら、記念受験みたいな感じで」

「……呆れるわね。目的もなく、アスタリスクを受験するというの?」

「うん。受かったら儲けものって話してたよ。それで優美子も乗り気になっちゃってさぁ。私も一緒に受けようって誘われてるんだ。それで、ゆきのんにちょっと聞きたい事があるんだ」

「何かしら?」

「アスタリスクの受験ってどんな感じなのかな。いつ行われるの?」

「……そこからなのね」

 

 結衣の質問に雪乃は少し呆れる。

 

「アスタリスクの受験は大きく分けて二種類あるわ。推薦と一般受験の二種類ね。推薦の方は、星脈世代の公式の大会で優秀な成績を収めた人が選ばれるから、普通の人には関係がないわ。で、一般受験のほうだけど―――」

 

 そこで雪乃は一呼吸置く。

 

「一般受験は年に二回。元々、アスタリスクは春と秋の二回に入学式があるから、受験もそれに合わせて年二回行われることになっているわ」

「へー二回もあるんだ」

「ええ。最も、秋の入学の受験は既に申し込みが終わっているでしょうから、次に受験するのは来年ね……此処までは大丈夫かしら?」

「うん。大丈夫だよ」

 

 雪乃の確認に結衣は頷く。

 

「で、此処からが大事なのだけれど、アスタリスクは世界中の星脈世代が入学を希望する場所。当然、その敷居もかなり高いわ。倍率にしても相当高いでしょうね」

「そっかぁ。世界中の人が集まるんだもんね……あれ? そうなると、受験生はアスタリスクに態々受験に来るの? そうなると凄い人数になりそうなんだけど」

「それは違うわ。受験自体は、世界中にある統合企業財体の各支部で行われることになっているわ。希望する学園に願書を提出してね。ただ、その願書も普通の願書とは少し異なる点があるわ」

「異なる点?」

 

 結衣が疑問を口に出すと、雪乃はそれに軽く頷く。

 

「普通の願書は名前や住所、それに学歴や資格を書くものだけど、アスタリスクへの願書はそれだけでは足りないわ。自身が魔術師や魔女だった場合、それを証明する書類も一緒に提出しなければならない。魔術師や魔女の場合、市役所から証明書を貰う必要があるわね」

「…………魔女」

 

 結衣は魔女という単語を小さく呟く。しかし雪乃はそれに気付かず説明を続ける。

 

「そして願書が受理されれば受験票が送られてくるわ。毎回多くの人数が受験するらしいから、受験日も何日かに分かれているらしいわね」

「……受験。筆記試験だけ?」

「いえ、違うわ。勿論、筆記試験もあるのだけれど、他にも試験があるわ。実地試験として、星脈世代には星辰力の測定が必須事項のはずよ。星脈世代として最低基準の星辰力がなければ、アスタリスクに行く資格すらないのだから」

「星辰力の測定かぁ。どれだけあれば合格か分からないね」

「そこまで高い基準ではないはずよ。タダでさえ星脈世代は人数が少ないのだから、それなりの星辰力があれば合格するのは難しくないわ。他には、能力者なら合格しやすいと聞いたことがあるわ。能力者は星脈世代の中でも更に少ないのが理由ね。後、例外事項として上げると、星脈世代ではない一般人でも受験は可能よ。その場合は研究者を目指している人達ね。特にアルルカントは研究がメインだから、星脈世代に限らず優秀な人材を募集しているはずよ。他の学園でも独自の審査方法があると聞くし、何処の学園を希望するかで色々対策も異なるでしょうね」

「そ、そうなんだ」

 

 雪乃の説明が終わった。その余りの詳しさに結衣は驚いてしまう。と同時に、彼女の中である疑問が生まれた。

 

「ありがとう、ゆきのん。でも、凄い詳しいね。やっぱり陽乃さんに教わったの?」

「いえ、違うわ。姉さんではないわ」

 

 雪乃は結衣の質問をはっきりと否定した。実際、陽乃が界龍に入学してから何度も雪乃に会っているが、彼女は界龍での生活を何も語ったことはない。雪乃自身も興味がなかったので、どうでもよかったのだが。

 

 幼い頃の記憶が蘇る。姉と自分がまだ幼稚園だった頃。二人で母にせがんで色んな話を聞いたことを。

 

「じゃあ、誰に教えてもらったの?」

「小さい頃―――母に教えてもらったわ」

「お母さんに?」

「―――ええ」

 

 雪乃がそう答えると、突如彼女の前に空間ウィンドウが開かれた。その画面を見て、雪乃は眉を顰めた。

 

「……ごめんなさい、由比ヶ浜さん。急用が出来てしまったわ。今日はこの辺で失礼するわ」

「分かった。じゃあ、また明日だね」

「ええ。また明日」

「うん!」

 

 自分が頼んだ分のお金を残し、雪ノ下雪乃は店を後にした。店を出てしばらく歩くと見覚えのある車が待機していた。雪乃は扉を開け後方の座席へと乗り込む。

 

「待たせたわね。出してちょうだい、都築」

「分かりました。雪乃お嬢様」

 

 雪乃が車に乗り込んだのを確認すると、都築は車を走らせた。

 

「それで、急な要件とは何かしら。今日の予定は丸々空いていたはずだけど」

「……冬乃様から、お嬢様にパーティーに出席させよと伺っております」

「……それは断ったはずだけど」

「申し訳ありません。ですが」

「分かっているわ。都築が悪いわけではないもの。気にしないで」

 

 使用人に母への文句を言ってもしょうがない。溜息を付きながら諦める。そんな雪乃に、都築は追加の情報を話す。

 

 ―――それが彼女の機嫌を、さらに悪くするものと知りながら。

 

「……今回のパーティーには付き添いとして、葉山の坊ちゃんが一緒だそうです」

「……知ってるわ。だから嫌だったのよ」

 

 雪乃は嫌悪の表情を隠さない。昔は仲が良かったが、気付けば葉山隼人と雪ノ下雪乃の仲は悪くなっていた。

 

「でもしょうがないわ。母の言いつけだもの。葉山くんが相手だろうと我慢すればいいわ」

「よろしくお願いします、雪乃様」

 

 自分が仕える少女に対し、都築はそう答えることしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 会場の真ん中で二人の星脈世代が対決をしていた。一人は直剣を両手で持つ少年。正面から相手に向かって加速する。

 

 対する相手は銃使いの少女。片手でハンドガンタイプの銃を連射する。幾つもの弾丸が少年へと迫る。しかし少年は直剣で防御、あるいは回避しながら接近しようとする。少女はそれを見て、後方へとジャンプし距離を取る。

 

 そして少女が試合会場の壁際まで追い詰められた。もう下がる事は出来ない。やぶれかぶれとばかりに銃を連射。しかし焦っているのか、殆どが男の子に当たらず、後方へと流れていく。

 

 チャンスと判断した男の子は、一気に差を詰め後数歩の距離まで縮め―――後方から弾丸が直撃した。

 

「がっ! な、何が!?」

「……後ろががら空きだよ」

 

 少女の言葉に少年は後ろを見る。すると外した、又は回避したと思われる弾丸が空中にそのまま待機しているではないか。

 

 その数―――ざっと三十。

 

「―――いけ」

 

 少女が小さく呟く。その言葉を皮切りに、待機していた弾丸が少年に一斉に襲い掛かった。様々な方角から襲い掛かってくる弾丸を少年は直剣で切りつけ、又は星辰力で全力で防御する。幸いなことに一発の威力は大きくない。

 

 このまま耐え切れそうだと少年が思った所で―――

 

「いや、こっちを無視しちゃ駄目でしょ」

 

 少女の言葉が再度届く。慌てて少女を見る少年。そこには―――銃の先端に集中された星辰力の塊が既に完成していた。

 

 ―――流星闘技だ! 

 

「―――シュート」

 

 それが少女―――比企谷小町の勝利の瞬間であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「おめでとう。比企谷小町さん」

「……ありがとうございます」

 

 表彰式で優勝カップを渡される。この表彰も何度目だろうかと、比企谷小町はふと思った。だがどうでもいいかと直に思った。表彰も、優勝も、今となっては何の価値もないのだから。

 

「あなたの今後の活躍に期待しています」

「………………」

 

 掛けられた期待への返事に、答えることは出来なかった。

 

 そして表彰式が終わり、控室に荷物を取りに戻る。そして後は帰るだけだと入口に向かった所で―――男性が一人待機していた。

 

「比企谷小町さん。ちょっとよろしいでしょうか?」

「…………何でしょうか?」

 

 こうやって大会の帰りに待ち伏せされるのも何度目だろうか。彼らの目的を小町は既に知っていた。

 

「どうでしょうか。例の件、考えてもらえないでしょうか」

「……何度来られても、答えは一緒ですよ」

「そう仰らずに。こちらとしても可能な限りの条件は出しますよ。是非、我が学園に」

 

 彼、もしくは彼らは全てスカウトが目的だった。今回は一人のようだが、場合によっては何人にも待ち伏せされたこともある。こういった人達に付き合っていたらキリがない。小町は経験からそれを知っていた。

 

「私なんてスカウトするより、他の有力な学生を探した方がいいと思いますよ?」

「そんな事ありません! 比企谷さんの実力は既に証明されています。今年に入ってからのあなたの実力は凄い勢いで伸びているのですから。これは成長期を除いても大したものです!」

「……そうですか」

 

 自身の実力を褒められても、小町の心には何も響かなかった。今更実力が伸びても―――何の意味もないのだ。

 

「でも、私はスカウトなんて受ける気はありません―――失礼します」

「―――分かりました」

 

 男の話を拒絶し、小町は立ち去ろうとする。男は今回も失敗かと思ったが、しつこく迫っても相手に悪い印象を与えるだけ。此処は引き下がることに決めた。スカウトとは根気が一番大事なのだ。

 

 だが一つ気になることがあり、男は小町に問いかける。

 

「ですが比企谷さん。一つだけ聞いてもよろしいでしょうか?」

「……なんですか?」

「あなたは何故星脈世代の大会に出場し続けているのですか? 強さを追い求めるようには見えないし、アスタリスクのスカウトを受けるわけでもない。それが如何して?」

 

 スカウトの男の率直な疑問だった。比企谷小町という少女を、男は職業の関係上昔から知っていた。あちこちの大会に出場するも、実力が及ばず惜しい所で敗退。スカウト対象になるにはもう少し実力が足りない。それが男の下した判断だった。他のスカウト達もそうだろう。

 

 ―――だが今年になってから明らかに彼女は変わった。

 

 どんな状況でも彼女は変わらない。相手に負けても悔しがることもなく、相手に苦戦しても焦る事もなく、相手に勝っても喜ぶこともない。

 

 普通の少女としては明らかにおかしい。だが、その実力は本物だ。何処で身に着けたのか、彼女の銃から放たれた弾丸は、全て彼女のコントロール下にあり、それで幾度も優勝を掻っ攫っていった。

 

 こちらが調べた限りでは、両親の希望でアスタリスク行きが望みだったはずだ。初優勝後、簡単な仕事だと思いながら比企谷小町の家を訪ね―――すげなく断られたのは男の記憶に新しい。

 

「……理由、ですか?」

「はい。よろしければ教えていただけると」

 

 純粋な疑問だった。渇望もなく、欲望もなく、悪く言えば惰性で大会に出場しているようにも見えたのだ。

 

 そして比企谷小町は男の質問に答えた。

 

「そんなの―――私が一番知りたいですよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ただいま」

「あら。お帰りなさい、小町」

 

 帰宅した小町を母は出迎えた。

 

「今日は早かったのね。どうだった、大会は?」

「勝ったよ」

「……そう。おめでとう」

「別に。大した相手じゃなかったから」

「手、洗ってらっしゃい。お父さんももう直ぐ帰ってくるから、それまで部屋にいなさい」

「……うん」

 

 ようやく慣れた新たな家の廊下を歩く。二階へ上がると自分の部屋へと入った。手に持った荷物を適当に床に置き、ベッドに横になり仰向けになる。

 

「……何やってるんだろうな、私」

 

 天井を見上げながら、ぽつりと呟く。

 

 戦うことが嫌いな自分。だけど、今だにやっていることは戦うことばかりだ。これでは、昔と何ら変わりがない。

 

「―――お兄ちゃん」

 

 兄がいなくなった。それに気付いたのは気を失った翌日。目覚めた際に母から教えてもらったことだ。それから毎日、病院を抜け出してまで兄を探しに行った。

 

 ―――でも見つからなかった。

 

 そして二週間後、両親が二人で出かけた。とても珍しいことだった。そして二人が帰り―――兄はもう家族ではないと知らされた。訳が分からなかった。

 

「―――おにいちゃぁん」

 

 涙が出てくる。家族ではないと知らされた時、天罰だと最初に思った。父が、母が、そして自分が、兄に対して冷たくしたから、兄は愛想を付かしたのだと。だからしょうがないと―――自分に言い聞かせた。

 

 ―――でも駄目だった。

 

 手に煌式武装を展開する。銃型の煌式武装。兄との繋がりはもはやこれしかない。兄は剣を、自分は銃を。幼少の頃にお互いで闘ったこともある。兄は勿論、手加減をしてくれた。

 

 ―――あの時と一緒で。

 

「さびしいよ。おにいちゃん」

 

 涙が溢れるのを拭こうともせず、比企谷小町はひたすら泣き続けた。

 




雪ノ下雪乃に由比ヶ浜結衣。そして比企谷小町。残された者たちのお話でした。

次回も閑話ですね。主役はあの二人の予定です。

誤字、脱字、感想等あれば、よろしくお願いします。


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閑話 少女たちの過去。その始まり

今回は二人の少女がメインです。


 一人の少女が喫茶店の中にいた。少女はテーブルに置かれた紅茶のカップを口へと運び、一口飲む。そしてカップを再びテーブルへと戻した。

 

 その動きに淀みはなく、仕草から少女の育ちの良さが垣間見える。そして少女は、窓ガラス越しに外の風景をぼんやりと眺めていた。

 

 少女は人を待っていた。そしてその表情はとても穏やかだ。もし彼女と同じ学園の生徒が少女を見れば、間違いなく別人と断定する所だろう。それ程に少女は普段とは別の顔を見せている。

 

 そして―――

 

「―――ユリスお姉さま」

「―――ユリス姉さま」

「ああ、来たか。グリューエル、ヒルデ」

 

 待ち人である二人の少女が到着した。少女たちはユリスの向かい側の席に座り、それぞれ笑顔を見せた。

 リーゼルタニアの王族であるユリス、そしてグリューエルとグリュンヒルデ。三人の再会は実に四か月振りのことだった。

 

「久しぶりだな、二人とも。息災だったか?」

「はい、もちろんです。ユリスお姉さまこそ、無茶をしていませんか?」

「ユリス姉さまはすぐに無茶をしますから、私達の方が心配です」

 

 ユリスは双子に対し気遣いを見せるが、逆にユリスの方が心配される。リーゼルタニアに居た頃から、姉のユリスは王族らしからぬ行動で周囲を心配させていたからだ。

 

 だが今回はユリスの方が心配する立場だ。

 何故なら―――

 

「それはこちらが聞くべきことだな。その怪我はなんだ、二人とも?」

 

 グリューエルとグリュンヒルデ。二人の腕には包帯が巻かれ、そして顔にはシップが張られていたのだ。

 腕は動かせているようなので、骨は折れていないと思われる。だが、怪我をしているのは間違いない。

 

「ああ、これですか。少々無茶をしてしまいまして」

「その副産物です。先日、治療院に行って治療してもらいました。怪我自体は大した事がないので、お気になさらず」

 

 双子は問題ないとばかりの態度だ。しかしそれでは納得できない。

 ユリスは溜め息を一つ付き、双子を問いただす。

 

「はぁ、では何故そうなったのかをきちんと説明しろ。場合によっては本国に報告しなければならないぞ」

「……それはちょっと困りますね」

「ええ、出来れば内緒にしておきたいところです」

 

 二人はお互いに顔を見合わせ頷く。

 

「大したことではありませんよ。この怪我は鍛錬中に負った。ただそれだけです」

「私達を鍛えて下さる方がおりまして、その方によるものです。ギリギリが好きなお方ですから」

「それはまた随分と無茶を……しかし鍛錬だと? お前たちがか?」

 

 ユリスが驚きの表情で二人を見る。怪我の具合からすると鍛錬の苛烈具合が垣間見えたからだ。

 

「……俄かには信じがたいな。今までその手の類の事をしてこなかったお前たちがいきなり鍛錬などと―――どういった心境の変化だ?」

「変化と言われましても。ここはアスタリスクで私たちは星脈世代。鍛錬するには充分な理由では?」

「そうですよ、ユリス姉さま。何もおかしい事はありません」

「それはそうなんだがな……」

 

 二人の言い分にユリスは納得しきれない。目の前で怪我をしながらも微笑む二人を見て、ユリスはふと過去の記憶を思い出した。

 

 造られた姉妹。

 そんな特殊な生まれ方をした二人とユリスが出会ったのは、今から数年前のとある冬の日。彼女がまだリーゼルタニアに居た頃のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 リーゼルタニア。

 それはヨーロッパに存在する小国の一つ。建国の歴史はそこまで古くなく、今の時代では珍しい君主制の政治体制で王国として存在している。そしてユリスの兄、ヨルベルト・マリー・ヨハネス・ハインリヒ・フォン・リースフェルトが若輩の身でありながら国王の座に就いていた。

 

 何時もの様に雪が降り積ったある日。ユリスは兄のヨルベルトに王宮へと呼び出された。

 彼女が王宮を訪れると、普段の自堕落で飄々とした性格の兄はおらず、何かの書類を真剣に見つめていた。

 

「……来たね、ユリス」

「どうした、兄上。そのような真剣な表情をして。らしくないのではないか?」

「あははっ、そうだね……ユリス。とりあえずこれを見てくれるかい?」

 

 ユリスはヨルベルトから書類を渡された。怪訝な表情をしながら、ユリスはそれを読み進め―――やがてその手が震え始めた。

 

「なんだっ! なんだこれはっ!!」

 

 ユリスの怒号が辺りに響く。

 

「フラウエンロープが進めていた人体実験の詳細。その被害者のリストさ。生き残りはたったの二人。そしてその二人は……」

「リーゼルタニアの王族の遺伝子が使用された二人だと! それなら私達の家族も同然ではないか。こんな計画が堂々とこの地で進められているとはっ!」

 

 憤るユリス。そんな彼女をヨルベルトは諫める。

 

「落ち着くんだ、ユリス。その書類の最後を見てくれるかい?」

「最後……行方不明?」

 

 その書類の最後。そこには二人が行方不明だと記されていた。

 

「そう。随分と行動力があるお嬢さん方のようだ。彼女たちが居た施設、その近辺にあるフラウエンロープの別の施設が壊滅し、その影響で二人がいた施設も混乱に陥ったそうだ。その状況を彼女たちは利用し、ハッキング等を駆使して堂々と脱出。その後行方不明となっている。もう二週間前の話だ」

「……フラウエンロープも二人の詳細を掴めていないと?」

「そのようだね。最近は猛吹雪も多かったから、足取りなどはすぐに消えてしまう。それが幸いしたようだ……ただ、二人が無事という保証もないけどね」

「そうか……」

 

 ユリスは二人が捕まっていないことに安堵する。しかし、幼い少女がこの雪国で何の当てもなく生きていけるわけがなく、その事が気がかりになる。

 

「ところで兄上。この書類は一体何処から入手したんだ? まさかフラウエンロープからではあるまい?」

「……書類の出所は秘密だ。本人からの強い希望で明かすことは出来ない。そんな事より、彼女たちを如何するか考える方が大事だ。違うかい?」

「む、確かにその通りだ。しかし統合企業財体が見付けられない人物を、私達が探せる確率は低いと思うぞ……警察は統合企業財体のいいなりだ。期待できない」

 

 ユリスが住んでいる国、リーゼルタニアは俗に言う統合企業財体の傀儡国家だ。その為、警察や司法がまともに機能していないのは周知の事実だ。

 

「ユリス。もし彼女たちがフラウエンロープに見付かった場合、二度と陽の目を見ることは出来ないか、処分されるかのどちらかになる可能性が高い」

「……ああ。奴らならやりかねない」

 

 統合企業財体は利益のみを求める企業だ。その為ならどの様な手段でも講じるだろう。

 

「だがもし、もしもだ。こちらが先に彼女たちを見付けた場合は保護することが出来る。その時は王宮に連れてくるんだ。いいね?」

「それは……私としては望むところだが、本当に大丈夫なのか、兄上?」

 

 ユリスの疑問にヨルベルトは頷く。

 

「大丈夫さ。彼女たちは元々、戸籍上何処にもいない存在だ。そんな彼女たちを保護するというのなら、表に出した方が返って安全さ」

「しかし、どのような名目で保護をするつもりなんだ? 戸籍もない人物がいきなり出てくれば、それだけで疑う輩が出てくるぞ」

「親父が残した隠し子だと言えばいいさ。彼女たちはリースフェルトの血を受け継ぐ存在だからね。それに戸籍ぐらいなら僕の力でも用意は出来る。問題はないさ」

 

 そこまで話してユリスは一応納得した。

 

「分かった。もし先に見つける事が出来れば保護してみよう」

「うん。頼むよ、ユリス」

 

 そうして二人の話し合いは終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 兄に二人を保護すると約束したユリスだが、その行方に心当たりがあるわけではなかった。何処で統合企業財体の目が光っているか分からない以上、無暗矢鱈に他の人に頼るわけにもいかない。

 

 一先ずいつも通りの日常を過ごしていくユリス。そして今日の午後は久しぶりに孤児院に向かっていた。幼い頃から通い詰めている、ユリスにとって掛け替えのない場所だ。

 

「あ、ひめさまだー」

「ひめさまーこんにちはー」

「ああ、元気だったか。お前たち」

 

 雪が降る中、外で元気に遊ぶ子供達。ユリスの姿を見ると遊ぶのを止めて、全員が走り寄ってくる。そんな子供たちを見て、ユリスはある事に気付く。子供たちの服装が真新しい物ばかりだったのだ。

 

「うん? お前たち、その服と手袋はどうした?」

「え? シスターにもらったー」

「うん! さいきん、たくさんふくがきれるようになったんだー」

「かわいいふくもいっぱいあるんだーあとでひめさまにもみせてあげる」

「……そうか。それは楽しみだな」

 

 子供達に相槌を打ちながらユリスは考える。孤児院の経営は難航しており、新しい服を買う余裕などない。皆、年長者のお下がりを着ていたはずだ。

 

 ―――まさか、オーフェリアの時と同じようなことが! 

 

 ユリスの中で最悪の考えが浮かぶ。借金の肩代わりで誰か売られたのではないか? そんな考えが脳裏を過ぎった。

 

「お前たち、シスター・テレーゼはいるか?」

「いえのなかにいるよ?」

「そうか。なら私はシスターに会ってくる」

 

 ユリスは先に用事を済ませようとする。しかし子供たちはそれに不満を唱える。

 

「えーひめさまもいっしょにあそぼうよー」

「みんなでゆきがっせんしたい!」

「そうか。シスターとの話が終わったら一緒に遊ぼう。約束だ」

「やったー! ひめさまといっしょだー」

「はやくかえってきてね?」

「ああ、分かった」

 

 子供達に見送られ、ユリスは孤児院の中へと入っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「こんにちは。シスター・テレーゼ」

「あら、姫様。こんにちは」

 

 出迎えたのは一人の女性。この孤児院兼教会の代表の女性、シスター・テレーゼであった。

 

「早速で悪いがシスター・テレーゼ。一つ聞きたい事がある」

「はい。何でしょうか?」

「子供たちの服が全員新品になっていた。一着ならまだしも、子供達全員に服を買い与えるほど、此処の暮らしは楽ではなかったはずだ。何があった?」

「ああ、そのことですか」

 

 シスター・テレーゼはユリスの疑問に間髪入れずに答える。

 

「最近、孤児院に援助をして下さる方がいらっしゃるんです。その方のおかげですね」

「何? 孤児院に援助だと。それは本当か?」

「はい。此処だけではなく他の孤児院にもです。気になったので確認しましたが、リーゼルタニア全部の孤児院に援助しているそうです」

「全部の孤児院にだと? 誰だ? その人物は?」

「それは分かりません。匿名でしたので」

「そうか……」

 

 ユリスはその匿名の人物が気になり、さらに問う。

 

「シスター・テレーゼ。その人物から援助があったのは何時になる?」

「三日ほど前になります。孤児院の口座に振り込みがあったと同時に、孤児院宛てにメールが届きました。孤児院の現状を嘆き、少しでも力になれればと書かれていました」

「随分と奇特な人物だな。その人物は」

「でもお陰で助かっています。子供たちにお下がりではなく、新しい服を買ってあげられたのですから」

「そうだな。確かにその人物には感謝しなければならないな」

 

 ユリスは話しながらある事が気にかかっていた。孤児院に援助する謎の人物。振り込みがあった時期。そして―――行方不明になった二人。関係があるかは分からない。だが時期を考えると可能性はある。

 

 ユリスは探している二人の写真をシスター・テレーゼに見せる。

 

「この二人に見覚えはあるか?」

「……いえ、ないですね。この二人が何か?」

「訳あってこの二人を探している。此処二週間で何処かの孤児院に入っていないだろうか?」

「でしたら、私が他の孤児院に聞いてみましょうか? 金髪の女の子二人ですから、聞けば直に分かると思います」

「助かる。だが、表沙汰には出来ない事情がある。それでも頼めるか?」

「ほかならぬ姫様の頼みですからね。お任せください」

 

 ユリスは信頼しているシスター・テレーゼに二人の捜索を頼んだ。二人の少女が生きているなら、何処かの孤児院に助けを求めてもおかしくはない。

 

「ひめさまーおはなしおわったー?」

「はやくいっしょにあそぼう!」

 

 話が終わると、二人が話している部屋に子供たちが雪崩れ込んできた。

 

「ああ、分かった」

「では、姫様。何か分かりましたら此方からご連絡します」

「ああ、頼む」

 

 そう言い残すと、ユリスは子供たちに手を引っ張られ外へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして二日後。シスター・テレーゼから連絡があった。

 

 ―――お探しの少女の件ですが、居場所が判明しました。一週間ほど前に孤児院に入ったそうです。

 

 二人の場所が判明すると、ユリスはその日午後にその孤児院へと足を運んだ。畏まる院長の女性に案内され、建物の一番奥の部屋の小さな部屋へ。

 

 そして扉を開けると―――そこに二人の少女が居た。

 

 ベッドに座りながら何かの作業をしている一人の少女。よく見れば、彼女の周りには幾つもの空間ウィンドウが浮かび上がり、慣れた手付きでそれを操作している。

 もう一人の少女は、作業している少女の膝に頭を乗せ横たわっている。こちらはどうやら寝ているようだ。

 

「これは……」

 

 思わぬ光景に言葉をなくすユリス。その呟きに反応したのか、少女がユリスへと顔を向ける。

 

「っ!?」

 

 そして少女の顔を見たユリスは―――その表情に驚愕する。

 

 整えられた顔付き。しかしその表情がまったく動かない。まるで人形の顔付きのように表情に変化がなく、感情がまるで感じられないのだ。少女はユリスを一瞥すると、再び自らの作業へと戻っていった。

 

 そんな少女にユリスは憤りを隠せない。目の前にいる小さな少女。実験体として扱われた、彼女たちの境遇が嫌でも感じられたからだ。

 

「……少しいいだろうか?」

「………………」

 

 ユリスが躊躇いながらも声を掛ける。しかし少女は反応しない。目の前のウィンドウの操作を止めようとせず、ひたすら手を動かしている。

 

 ユリスは困った。まさかの無反応にどう対応していいのか分からなかった。

 

「こら! お客様が来ているのですよ! 作業を止めなさい!」

「………………」

 

 院長の女性が少女に声を掛けるも、やはり反応しない。いや、手の動きが更に速くなった。その反応から、こちらに返事をする気はないとユリスは理解した。

 

「いや、いい。こちらが無理に押し掛けたのだ。彼女に責はない」

「し、しかし姫様。そういう訳には」

「問題ない。此処で少し待たせてもらってもいいだろうか? 作業が終わるまで一緒にいたい」

「いや、しかし……」

「―――頼む」

 

 ユリスが院長へ頭を下げる。これには院長も反応に困り、慌てふためく。

 

「あ、頭をお上げください、姫様……分かりました。椅子を持ってきますので、お待ちください」

「―――助かる」

 

 そう言い残し院長は部屋を出ていった。残されたユリスは再び少女が作業をする姿を見る。先程と変わらず何かの作業に没頭しているようだ。

 

 ユリスは暫くその様子を眺めていた。

 すると寝ている少女が寝言を発し―――少女の手が止まった。

 

「……ぅぅん」

「…………」

「すぅぅ…………」

 

 寝言に反応し少女が作業を止める。そして自らの左手で、寝ている少女の頭を撫でた。寝ている少女はそれに満足したのか、再び深い眠りに付く。それを確認して少女は再び作業に戻った。

 

 ユリスはその一連の行動を眺め、確信した。造られた姉妹。だがこの二人には確かな絆があるのだと。

 

 そんな二人を―――絶対に助けてみせるとユリスは心に誓った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして一時間後、作業を終えたと思わしき少女がその手を止める。そして己の前に展開されているウィンドウを全て閉じ、寝ている少女の頭を再び撫でた。それが終わると、漸く椅子に座るユリスの方へと顔を向けた。

 

「……まだいらしてたんですか?」

「お前たちと話がしたかったからな」

 

 やはり少女の表情に変化はない。人形のように無表情でユリスを見つめている。

 

「あなたはフラウエンロープの方ではありませんね。あの方たちでしたら、問答無用で捕まっているでしょうから。ソルネージュかEP、もしくはベネトナーシュ所属の方ですか?」

「どれも外れだ。私はユリス=アレクシア・マリー・フロレンツィア・レテーナ・フォン・リースフェルト。この国の第一王女だ」

 

 ユリスのセリフに少女は目を細める。

 

「―――そう、ですか。あなたが……目的は私たちの身柄。そう考えてもよろしいですか?」

「ある意味では正解だ。だが誤解をするな。お前たちを統合企業財体へ引き渡すつもりはない」

「では、私たちに何の御用ですか?」

 

 少女が警戒を強めているのがユリスにも分かった。彼女たちからすれば、ユリスは赤の他人だ。警戒を解くわけがない。

 

「お前たちを引き取りに来た。私と一緒に王宮へ来る気はないか?」

「……………………」

 

 少女が動きを止める。そして微かに目を見開いた。

 

「お前たちはリースフェルトの血を引くものだ。言い換えれば、私の家族といってもいいだろう。だからこその提案だ」

「―――意味が分かりません。確かに私たちにはリースフェルトの王族の遺伝子が使われています。それは事実です―――でもそれだけです。あなたが私たちを引き取る理由には繋がりません」

「家族は大切にするものだ。そして私はお前たちを家族だと思っている。それでは不服か?」

「私の家族は―――この子だけです」

 

 少女は眠りに付く己の半身を見てはっきりと宣言した。強固な意志と明確な拒絶。少女の意志は固い。現段階での説得は不可能だろう。とりあえず別の話題を振ることにする。

 

「そういえば名前を聞いていなかったな。教えてもらってもいいか?」

「被検体番号0150。そしてこの子は0151。それが私たちの名前です」

「…………そんなものは名前ではない」

 

 少女の返答に憤りを感じながら否定する。番号を名前と教え込んだ研究者たち。それを何の疑問もなく受け入れる少女たち。その全てにだ。

 

「悪いことは言わない。他に何か別の名前を考えたほうがいい」

「必要ありません。名前というのは個人が識別できればいいもの。今のままでも問題ありません」

「そういうな。このまま外で生きていくのなら、今の名前では駄目だ。その子を危険に晒したくはないだろう?」

「それは……」

 

 ユリスの言葉に初めて少女が口篭もる。やはり双子の妹のことが大事なのだろう。このまま話を続けようとも思ったが、時間が経ちすぎていることにユリスは気付く。今日は此処までだ。

 

「今日のところは失礼する。また今度話し合おう」

「―――もう二度と来ないでください」

「それは断る―――また来るぞ」

「……はぁ」

 

 ユリスの断言に少女はこれ見よがしに溜息を付く。それに苦笑しながらユリスは部屋を後にした。そして歩きながら、脳内でスケジュールを確認する。

 

 ユリスは諦めが悪い。彼女を知る人はそれをよく知っている。だが少女は知らない。最も研究所育ちの彼女がそれを知る由もないのだが。

 

 それを証明するかのように―――ユリスは頻繁に少女たちに会いに来るようになるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――さま」

「――リス姉さま!」

「っ!?」

 

 呼びかける声に反応し意識が覚醒する。目の前には双子の二人がこちらに呼べかけている。どうやら物思いに耽りすぎていたようだ。

 

「どうなさったのですか? そんなにもぼんやりとして」

「お疲れですか。ユリス姉さま?」

「あ、ああ。すまない。少し昔を思い出していた……お前たちと初めて会った日のことをな」

 

 ユリスの言葉を聞き双子はお互いを見る。そして思わず苦笑した。

 

「そうですか。あの時のことを……懐かしいお話ですね」

「私は寝ていましたから、姉さまと話したのは次の時でしたね」

「ああ。そうだな」

 

 三人が初めて会った日、グリュンヒルデは熟睡し起きることはなかった。

 

「……あれからユリスお姉さまが孤児院を頻繁に訪れるようになりましたが……まさか二日おきに来るとは夢にも思いませんでした」

「お前たちを説得するには、そのぐらいしなければ無理だと判断したまでだ」

「それにしたって強引でしたけどね。こちらがどれだけ嫌だと拒絶しても諦めない。そして強引に別の孤児院を移されましたね。あれは何時頃でしたでしょうか?」

「最初に会ってから二週間後よ、ヒルデ」

「……そうだったか。そんな事もあったな」

 

 あれからユリスは頻繁に二人の孤児院を訪れた。通う内に分かったことだが、孤児院の院長が二人の扱いを持て余していた事が判明した。そしてその対策としてユリスが一計を講じ、二人をシスター・テレーゼの孤児院へと居住を無理やり移したのだ。

 

 三人とも過去を思い懐かしむ。そんな中でグリューエルがユリスへと視線を向ける。

 

「……ユリスお姉さま。出会った頃、私はあなたのことを嫌っていました」

「姉さま! 突然何を!?」

 

 グリューエルの突然の告白に、グリュンヒルデは声を荒げる。

 

「突然人の領域に押し入って強引に私たちを連れ出し、好き勝手するあなたのことが大嫌いだった。ご存じでしたか?」

「……知っていたさ。どう考えても好かれるような行動は取っていなかったからな」

 

 ユリスも勿論自覚していた。あの頃はそんな事より、二人の境遇を何とかするのに一生懸命だったのだ。だから、それによって嫌われるのもしょうがないと思っていた。

 

「でも、あなたのその行動が私たち二人を救ってくれた―――ありがとうございます、ユリスお姉さま」

「私もユリス姉さまには感謝しています。ありがとうございます」

 

 グリューエルとグリュンヒルデはユリスに向かって頭を下げてお礼を言う。二人の心からの本心だ。

 

「む、ど、どうしたんだ? 今更そんなことを言い出すなど」

「いえ、改めてお礼がいいたくなった。それだけです」

「ユリス姉さま。顔が赤いですよ。照れてるんですか?」

 

 グリュンヒルデがユリスの顔色を指摘する。その指摘にユリスは渋い顔をする。

 

「…………年上を揶揄うんじゃない、まったく」

「うふふっ、ごめんなさい。でも、今はユリスの姉さまのことが大好きですよ」

「私も。ユリスお姉さまのことが大好きです」

 

 二人はユリスに対して素直に心中を告白した。そんな二人にユリスは嬉しく思うも少しだけ訝しむ。二人がこんなにも素直なのは珍しいからだ。

 

「はぁぁ。一体今日はどうしたんだ、グリューエル、ヒルデ? 二人ともやけに素直じゃないか」

「……昔のことが話題に出ましたから。なので、感謝の気持ちを表現してみました」

「昔は色々ありましたからね」

 

 ユリスの話に引きずられるようにグリューエルも過去を振り返る。ユリスとの出会い。頻繁に訪れてくるユリス。孤児院の移住。新しい孤児院での生活。

 

 そして―――あの日のことを。

 

 グリューエルは今でも鮮明に覚えている。ユリスを初めて姉と呼んだ、あの日のことを。

 初めて感情を荒げ、他者と言い争った。妹と意見が分かれ、初めて喧嘩した。そして―――差し伸べられた救いの手を受け入れた、あの日のことを。

 

 それは―――ユリスに初めて会ってから、一ヶ月後のことだった。

 




今回はグリューエルとグリュンヒルデ、そしてユリスの三人のお話でした。
ただ、長くなりましたので、もう一話だけ続く予定です。

オリキャラのお話はつまらないかもしれませんが、お付き合いください。

今作のユリスは原作より少しお優しめになっています。
フローラと話している姿を見ると分かりますが、年下には結構甘いですからね、彼女。

誤字、脱字、感想等あれば、よろしくお願いします。


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閑話 少女たちの過去。そして現代へ

長らくお待たせして申し訳ありません。久方ぶりの更新です。


 それは偶然だった。

 

「おい。ちょっといいか」

「何だ、急に。今忙しいんだが」

 

 いつもの様に実験を終えて部屋に戻る。その途中、通路の曲がり角の向こうにいる研究者の話を立ち聞きしたのは。

 

「……聞いたか? 次の研究予算大幅に削られるって話」

「え、まじで!今の研究結構上手くいってたのに、そんな話が出てるのかよ!」

「ああ。その連絡を受けて上司たちも大慌て。これから会議だってよ」

 

 自分には関係ない。そう思い、立ち聞きを止めて部屋に戻ろうとする。

 だが―――

 

「多分研究は縮小か廃棄。どちらかになるんじゃないか?」

 

 ―――動きが止まった。

 

「……じゃあNO.150と151はどうなるんだ?」

「さぁ、どうなるかな?フラウエンロープに引き取られるか……処分されるかのどっちかだろうな」

 

 身体が震える。処分。その単語の意味が分からないほど愚かではなかった。今まで同じような処置をされた同胞がいることを知識として知っていた。

 

「今の所どうなるかは未定だ。その辺りも含めて会議で議題に出るだろ」

「だろうな。あ~~俺たちの今後もお先真っ暗だな。次は何処に飛ばされるやら」

「そんなのは上の意向だ。俺たちが考えることじゃない」

「分かってるよ。ったく、どうしてこんな事になったんだ? 急すぎだろ。今まで特に問題なかったのによ」

 

 身体の震えは収まらない。だが思考は生きている。少しでも情報を集めるんだ。

 

「上司に少し聞いたが近くの研究所。あそこに今後は予算が回されるらしいぞ」

「近くってアレか。常人を後天的に星脈世代にする研究してる所か。あそこは何の成果も上がってなかったはずだろ?」

「……それが最近研究が成功したという噂があった。それが事実だったんだろうな」

 

 近くの研究所? 常人を後天的に星脈世代? 役に立つかは分からない。だが何でもいい。もっと情報が欲しい! 

 

「マジかよ!?……でも、ウチだって一応は成功しただろ」

「……上司が伝手を使って向こうのデータを確認したそうなんだが、彼方とでは性能面で比較にならないそうだ。それに急遽決まったってことは、上がそう判断したんだろ」

「あ~それを言われると確かに困るな。直接的な戦闘力はNO.150と151は通常の星脈世代と比べても普通だからな」

「だが、別の方面であれらの個体は有用だ。上司もその線で上を説得すると言っていた」

 

 少女は直感的に感じる。その説得は恐らく不可能だ。統合企業財体は有益な方を選ぶに決まっている。

 

「せめてどっちかだけでも引き取ってくれねぇかな。うちの最大の研究成果だろ。アイツらは」

「確かに。自分たちの研究成果がまとめて処分されるのも忍びない。せめて片方は生かしたいな」

「だな。しかしこれから会議か。出席メンバーは?」

「主だったメンバーは全員出席だ。30分後に第一会議室だそうだ。遅れるなよ」

「ああ。分かった」

 

 話が終わり二人が別れる。それを聞き耳していた少女もまた、部屋へと足を進める。

 

「処分。このまま此処にいては……」

 

 己の半身を思い出す。大事な大事なたった一人の家族。自身はどうなってもいいが、彼女が死ぬのだけは看過できない。

 

 ―――考えろ。考えろ。生き残るにはどうすればいい。このままでは二人とも処分される! 

 

「……どうしたの、姉さま?」

「っ!?」

 

 いつの間にか部屋の前まで来ていた。そして目の前には己の半身がいる。どうやら部屋の前で待っていてくれたようだ。

 

「実験終わった?」

「ええ、終わったわ。どうしたの? 態々部屋の前で待ってるだなんて」

「……寂しかった」

 

 そう言うとこちらに抱き着いてくる。この子は寂しがり屋なので、こんな事はしょっちゅうだ。こちらを抱きしめながら見上げてくる。

 

「……何かあった?」

「……どうしてそう思うの?」

「何かいつもと違う。そんな気がする」

「…………」

 

 こちらの異変にも気付かれた。己の半身は長年一緒にいるせいか、こちらの変化にも目敏い。だが丁度いい。今から話すことは二人にとって重要な問題だ。とことん話す必要がある。

 

「大事な話があるわ。とりあえず部屋に入りましょう」

「……分かった」

 

 こちらの真剣さが伝わったのか、妹は素直に頷く。そして部屋の扉を開け一緒に部屋に入る。己の半身を見ながら少女は決意する。

 

 ―――残された時間は少ない。でも諦めない。絶対に生き残ってみせます! 

 

 そして数日後―――偶然の事故を利用し二人は研究所を脱出した。

 

 

 

 

 

 

「わーい。わーい。それっ!」

「うわっ! つめたぁーい!」

「やったなー! えいっ!」

「…………えいっ」

 

 孤児院の子供たちが雪合戦をして遊んでいる。それを部屋の中から少しだけ眺め、そして自身の手の動きを加速させた。そんな彼女の元に一人の人物が近づいてきた。ここ最近では嫌でも目に付く女。この国の第一王女であるユリスであった。

 

「一緒に遊ばないのか、グリューエル?」

「雪玉をぶつけるだけの行為に、意味があるとは思えません」

 

 グリューエルに話しかけるユリス。だが返ってきた素っ気ない対応に彼女は苦笑する。

 

「グリュンヒルデは子供たちと一緒に遊んでいるぞ。姉のお前も一緒に遊んであげたらどうだ?」

「お断りします。身体を動かすのは嫌いですから」

 

 ユリスの誘いを一刀両断する。そんな事をする暇があるなら別のことをする方がよほど意義がある。

 

 ―――自分たちには何もかもが足りない。情報も、力も、資金も。ありとあらゆるものが足りない! 

 

 グリューエルは空間ウィンドウを操作しながら思いを馳せる。ネットを駆使し、ハッキングで得られた情報をもとに株などで資金を多少調達できた。だが二人で生きていくにはまだまだ不足だ。

 

 現状出来ることと言えば、自身の生活環境の向上として孤児院に多少の金銭を援助することぐらいだ。その為にカモフラージュとして全部の孤児院に援助をしている。統合企業財体は孤児院の現状など気にしないが、特定の孤児院だけ援助すれば怪しまれるかもしれない。だが全部の孤児院を対象にすれば、金持ちの気まぐれだろうと思われる確率は高い。

 

 ユリスのことなど気にせず、空間ウィンドウを忙しなく動かす。そして暫く時が過ぎ、本日の作業を終える。軽く溜息をつき全ウィンドウを閉じる。

 

 そして隣をチラリと見ると―――ユリスがグリューエルを見つめていた。

 

「うん? 終わったか。これを飲むといい」

「…………どうも」

 

 ユリスからカップを渡されて、とりあえず受け取る。カップには紅茶が入っており、時間の経過で多少冷めてしまっている。だが作業の疲れからか身体は水分を欲している。その欲求に赴くまま紅茶を飲み干した。

 

「どうだ、味の方は? 今日のは上手く入れられたと思うんだが」

「……まあ、悪くはありません」

「そうか。よかった」

 

 ユリスが隣で微笑む。そんな彼女を見てグリューエルは苦悩する。初めてユリスと会ってから約二週間。彼女の強引さにグリューエルは手を焼いていた。

 

 どれだけ拒否しても、どれだけ拒絶しても、彼女はまったく気にせず、そして諦めることを知らない。それは彼女の起こした行動が証明していた。

 

 初めてユリスと会って三日後。突如、孤児院長から孤児院を移動するように言われた。それ自体は問題ないのだが、案内人として寄こされたのがユリスだった。

 

 ―――グリューエルはユリスの姿を見た瞬間から嫌な予感が止まらなかった。

 

 ユリスが最初にしたことは二人の名前を決めることだった。姉妹に名前がなかったのを余程気にしていたのか、再会してすぐに二人に幾つかの名前の候補を提案してきた。名前などなくても問題なかったのだが、ユリスのしつこさに観念して名前を決めた。

 

 そして二人の名前はグリューエルとグリュンヒルデと決まった。

 

 そしてその後もユリスは二人の世話を焼き続けた。何しろ二人は研究所で生まれ育った存在。一般世界の常識などないに等しい。ユリスは二日おきには来訪し、姉妹にもよく絡んでいた。そんなユリスを妹であるグリュンヒルデは邪険に出来なかったのであろう。徐々にではあるが、妹はユリスに懐きつつあった。

 

 だがグリューエルは違う。

 

「…………一つだけ聞いてもいいですか?」

「うん? なんだ?」

 

 ユリスの態度にグリューエルは苛ついていた。

 

「……アナタは何を考えているんですか?」

「ど、どうした。いきなり?」

 

 グリューエルはユリスを睨みつける。問われたユリスは質問の意図が分からず困惑し、そして気付く。人形のように無表情だったグリューエルに怒りの表情が見えたからだ。

 

「アナタの考えが分からない。アナタの行動の意味が分からない。アナタは私に、妹に、何を求めているんですか?」

「グリューエル? いったい何を?」

「いくら考えても分からない……分からないんですよ! 私もあの子も失敗作。所詮は廃棄されるはずだった存在。そんな私たちをアナタは引き取ると言った……何が目的ですか!」

 

 グリューエルは叫ぶ。ユリスの考えが理解できないから。価値がない自分たちを引き取る意味が、理由が。その目的が全く見えてこなかったからだ。

 

 ―――ユリスの善意は着実にグリューエルを追い詰めていた。

 

「……私の目的は最初に言ったとおり。お前たちを王宮に引き取りたい。それだけだ」

「それを素直に信じろと? そんなことをしてアナタに何の得があるんですか?」

「私はお前たちを家族だと思っている。家族が一緒にいるのは当たり前だ。そこに損得なんてものはない」

 

 ユリスは断言する。だがグリューエルにその言葉は届かない。その原因は彼女の生まれにある。

 研究所育ちの彼女は常に個体としての優秀さが求められてきた。結果が悪ければ叱責され、その度に扱いは悪くなっていく。それが彼女が生まれてからの日常であり、彼女にとっての常識であった。

 

 ―――故に、無償の優しさを与えてくるユリスという存在を彼女は理解できなかった。

 

「私たちが家族!? 私にとっての家族は妹ただ一人だけ! アナタはそこには含まれません!」

「…………グリューエル」

 

 グリューエルは叫ぶ。自身の理解に及ばない存在を否定するように。その表情は怒りを多大に含んでいるが、何処か苦しんでいるようにユリスには見えた。

 

 その様子を見たユリスはこれ以上の話し合いは不可能と判断し、一先ず諦め立ち上がった。

 

「すまない。今日の所は帰らせてもらう」

「………………」

 

 返事は返ってこない。だがそれを気にせずユリスは言葉を続ける。

 

「また来させてもらうぞ」

「……………………もう来ないでください」

 

 グリューエルはぽつりと呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「姉さま。大丈夫?」

「……大丈夫よ」

 

 ユリスが去ってから一時間後。遊びを終えて部屋に戻ってきたグリュンヒルデは姉の様子がおかしいことに気付く。自身が弱ってることはグリューエルも自覚していた。

 

「ヒルデ。今日は楽しかった?」

「……うん。雪は冷たかったけど……皆と一緒に遊んで楽しかった」

「そう。良かったわね」

 

 妹の返事にグリューエルは素直に嬉しく思う。この孤児院で過ごしていく中、妹も少しだけ笑みを浮かべるようになってきた。それはとてもいい傾向だと思える。

 

 だが―――あの女が来るのが気に入らない。

 

「あの……姉さま」

「うん? どうしたの、ヒルデ?」

 

 どうやら何か言いたいことがあるようだ。グリューエルは妹の顔を見つめる。

 

「…………姉さまに聞きたいことがある」

「なに? 何でも言ってみなさい」

「………………その、ユリス、さまのことを」

 

 心が凍る。妹からあの女の話題なんて聞きたくなかった。

 

「―――あの人が何?」

「姉さまは……ユリスさまの事が……嫌い?」

「ええ、嫌いよ」

 

 間髪入れずに答える。口調は自然ときつく固いものとなる。

 

「……どうして? ユリスさまはとても優しい。孤児院の皆にも慕われてるよ。それなのにどうして?」

「そうね。一国の姫なのに孤児院まで足を運び、孤児たちの面倒を見ている。国民からの人気も高く、庶民にもとても慕われている。それは認めるわ」

「なら、何故?」

 

 グリュンヒルデの疑問も当然であろう。彼女の行動を見ていれば嫌う方が難しい。

 だがグリューエルは彼女を嫌っている。理由はとてもシンプルだ。

 

「―――あの人が私たちの家族と。そう言ったからよ」

 

 グリューエルは妹を見据え、そう断言した。

 

 今まで二人で一緒に過ごしてきた。毎日の実験だらけの辛い日々を耐え、励まし合い、互いが互いのことだけを考え生きてきたのだ。研究所を脱出したこれからもそれは変わらない。孤児という立場でも、姉妹二人でいれば何の問題もない。そう思っていたのだ。

 

 ―――なのにあの人はその領域に土足で踏み込んできた。血が繋がってるだけの輩が、私たちの家族などと戯言を言ったのだ……許せるわけがない! 

 

 グリューエルにとっては初めて経験だった。心の奥底から湧き上がってくる負の感情に。ユリスが話しかけてくる度にその感情を抑えこみ、表に出さないようにしてきた。だが、妹が彼女に懐いていく姿を見ていくにつれ、段々と抑えが効かなくなっていった。

 

 ―――その感情の名が嫉妬だということを、彼女はまだ知らない。

 

「―――私はいいと思う」

 

 グリュンヒルデは口を開く。

 

「私はユリスさまのこと嫌いじゃない。いい人だと思う。それに―――」

 

 一息付いて彼女は言う。

 

「―――姉さまもあの人の嫌いじゃないはず」

「…………何を言ってるの。私はあの人の事が嫌い「それは嘘」

 

 妹は姉の言葉を否定する。

 

「姉さまが私のことを知っているように。私だって姉さまの事を知っている。だから分かる」

「………………」

 

 その言葉にグリューエルは思わず押し黙る。

 

「姉さまも本心ではユリスさまのことを嫌っていない「黙って!!」

 

 グリューエルは叫ぶ。

 

「違う! 違う違う違う!! 私はあの人が嫌い! 大っ嫌いよ!!」

「嘘を付いちゃ駄目。あの人の優しさが嬉しくて、あの人の思いが心地いい。私はそう感じてる。姉さまもそう感じてるはず」

「そんな訳ない!! 私は彼女をっ!!」

 

 言葉が途中で途切れてしまう。それは己の半身である妹の意見だからこそ、すべてを否定することが出来なかった。姉である自分は妹の事は何でも知っている―――そして逆もまた然りだ。

 

 こちらを見る妹の視線に耐え切れず、顔を背ける。思わず―――そうしてしまった。

 

「っ!!」

 

 一刻も早く此処を離れたい。突如そんな感情に心が支配され、グリューエルは孤児院から逃げ出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 走る、走る、ひたすら走る。

 スピードが落ち、呼吸が乱れ、何処を走っているか分からない。それでも足を止めず走り続ける。しかしそれでも体力の限界は訪れる。身体が動かなくなりその場で足を止める。

 

「はぁっ! はぁっ! はぁっ! …………此処は?」

 

 周りを見渡す。すると辺りには生い茂る木々だけが見られた。

 

「森の中、ですか」

 

 どうやら此処は森の中。しかも森のかなり奥深くにいるようだ。顔を上げ空を見てみれば、雪はまだ降り続けている。しかし雪国であるリーゼルタニアでは日常の光景なので気にしてもしょうがない。

 

「何をやってるんですか、私は」

 

 口を開き項垂れる。妹の追及に耐え切れず逃げ出してしまった。あんな感情的で不合理な行動をしてしまうとは自分で考えたことがなかった。

 

「……戻りたくない」

 

 戻るのは簡単だ。しかし戻りたくない。今妹の顔を見るのは怖い。顔を見れば酷いことを言って―――妹を傷つけるかもしれない。

 

 近くにある木を背もたれにして座り込む。膝を折り曲げ、頭を膝の部分にのせて目を閉じる。

 今は何も考えたくなかった。

 

 自分のことも、妹のことも―――そしてあの人のことも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 何かを感じたような気がした。

 暖かく、心地よく、ずっと此処にいたい。そう思えるような何かを。

 

 まるで母の背におぶさっているかのように―――

 

 ―――何を馬鹿なことを。私に両親などいない。試験管で育った私にそんなものがいるはずがない。

 

 この状態が夢の中だと彼女は気付く。

 あるはずのない存在に、あるはずのない幻想。そんなものを求めても何の意味もない。それは自分が一番分かっていたことだ。

 

 ―――私の家族はあの子だけ。それ以外は必要ない。なのに……

 

 妹は否定した。あの人の傍が心地いいと。そして妹は言った。自分もその気持ちを持っているだろうと。

 

 ―――私は…………

 

 その答えを出す前に―――世界に光が溢れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……何をやっているんですか、あなたは」

 

 目が覚めると同時にそんな言葉が口に出る。予想外の光景が目の前に広がっていた。

 

「気付いたか、グリューエル」

「…………ええ」

 

 気にくわない女。この国の第一王女 ユリスが自身を背負っていたのだ。

 

「随分と森深くまで来ていたな。お陰で探すのに苦労したぞ」

「そうですね……嫌なことがありましたから」

「……そうか」

 

 その理由は聞かずにユリスは歩き続ける。

 

「皆心配していたぞ。院長も、子供たちも……グリュンヒルデもだ」

「そう、ですか」

 

 その名を聞き腕に力が入ってしまう。彼女に連絡したのは妹だということに気付いたから。

 

「戻ったら皆にキチンと謝るんだ、いいな」

「――――――はい」

 

 そこだけは素直に返事をする。しかしその返事を聞くとユリスの顔がこちらを向いた。その顔を見れば何を考えているのか一目瞭然だ。

 

「何ですか。私が素直に謝るのはそんなにもおかしいですか?」

「あ、いや、そういうわけではないのだが」

「悪いと思ったことは素直に謝りますよ、私は……特に今回の行動は反省しています」

「そうか……」

 

 初めて会った時から意固地な態度を取っていた。相手の言葉を信じず、裏を読み、疑い続けていた。

 だが今は違う。素直に相手と言葉をやり取りしてみれば直ぐに分かった。

 

「―――アナタはただのお人よしなんですね」

 

 答えはとてもシンプルだったのだ。

 

「む、すまん。聞き取れなかった。何か言ったか?」

「ええ。言いました。国の第一王女であるアナタがこんな行動をとるなんて、考えなしにもほどがあります。王宮でも注意されませんか? 迂闊な行動を取らないようにと」

「そ、それは……ええい! お前を助けるために来たんだ! そんな事は気にするな」

 

 本人にも自覚があったのだろう。ユリスの口調がどもるが、勢いで誤魔化される。

 

 それを聞いて彼女は思う。少し前までは声を聴くだけで嫌な存在だった。しかしその実態はとても優しく、ただ不器用なだけの人だと分かった。

 

 だから彼女は―――この不器用な人を支えたいと思った。

 

「ユリス王女。あなたに確認したいことがあります」

「な、なんだ。いきなりどうした?」

「あなたはこの国 リーゼルタニアの現状についてどう思っていますか?」

「いきなりだな……」

 

 突如として国のことを尋ねる少女にユリスは訝しむ。しかしその口調が真剣だったため、彼女も真面目に答えることにした。

 

「お前が知っているかは分からないが、この国は統合企業財体の傀儡国家だ。良質なウルム=マナダイトが取れるからな。私の兄が国王だが実質的にはいるだけの存在。権限はないに等しい。複数の統合企業財体によって立ち上げられ間接的に統治された国。それがリーゼルタニアの現状だ」

 

 ユリスの説明が終わる。その口調から彼女が統合企業財体に思う所があるのはすぐに理解できた。

 

「なるほど、酷い国ですね。では、その国の王族であるアナタは、自分の国の現状に満足していますか?」

「―――するわけないだろう」

 

 ユリスはきつく断言する。

 

「ウルム=マナダイトによって確かにこの国は豊かになった。しかしそれは統合企業財体に連なるものだけだ。この国の国民にはその恩恵は与えられない。国民の生活は貧しく、苦しくなるばかり。その影響で孤児の数も増える一方だ。そんな現状に不満を持たないわけがないだろう!」

 

 ユリスの口調が荒れる。この国の現実が痛いほど分かるから。王族の一員なのに何の権限もないから。心優しい彼女は胸が張り裂けそうなほど苦しんでいる。

 

「……下ろしてください。もう歩けます」

「ああ……」

 

 ユリスに頼み背中から下ろしてもらう。そのままユリスと向き合い―――グリューエルは問う。

 

「ユリス王女。アナタはこの国をどうしたいですか?」

「……どういう意味だ?」

「この国の今後のお話です」

 

 グリューエルは尋ねる。ユリスを試すかのように。

 

「このまま統合企業財体のいいなりのまま、今まで通りの日々を過ごしていくか。それとも彼らの意向に逆らい、この国における統合企業財体の影響力を排除する道を選択するか、ということです」

「……統合企業財体に逆らうつもりはない。私が何かしても潰されるのが落ちだ」

 

 ユリスはキッパリと断言する。統合企業財体の力は絶大であり、一個人でどうにかできるレベルではない。

 その答えにグリューエルは頷く。少なくとも現状分析は出来ていることに満足しながら。

 

「では、現状をよしとすると?」

「いや、そのつもりはない」

「ならどうするおつもりですか? 何の権力もないアナタに出来ることはありませんよ」

 

 グリューエルはユリスを睨み付けてその考えを探る。世間知らずのお姫様の考えを知るために。

 ユリスは少しだけ口を開くのを躊躇ったが、やがて自身の考えを口に出した。

 

「―――学戦都市アスタリスク」

 

 その都市の名前をグリューエルは思い出す。研究所に居たときに、暇つぶしで集めたデータの中にその都市のデータがあったことを。

 

「……星武祭ですか」

「ああ、その通りだ。星武祭で優勝さえすれば、どんな願いでも統合企業財体が叶えてくれる。私はその願いの一つで、この国の実権を望むつもりだ」

「それは……統合企業財体の影響を完全に排除するという願いですか?」

「いや、そこまでは望んでいない。それが出来ればベストだがな」

 

 ユリスは苦笑する。疲れた笑みを浮かべながら。

 

「残念だが、この国から統合企業財体の影響を完全に排除するのは不可能だ。私の願いは、この国の国民が幸せに暮らせるように、ある程度の実権を兄上が持つことだ。これなら統合企業財体も文句は言うまい」

「なるほど……」

 

 それなら確かに不可能ではない。問題は彼女に優勝する実力があるかどうかだが、それは彼女の頑張り次第だ。

 

「しかしその案だと時間が掛かりすぎませんか? 今すぐアスタリスクに行くわけではないですよね?」

「ああ。今の年齢では星武祭に出られない。それに現状の実力では、星武祭の優勝など不可能だろう。だが数年後には向かう予定だ」

「なるほど。分かりました」

 

 ひとまず納得することにした。そしてユリスにお礼を言うために頭を下げる。

 

「今日は助けていただきありがとうございます。そしてこれまでの無礼の数々、大変失礼しました」

「気にするな。お前たちが無事ならそれだけでいい。それにそんな堅苦しい口調は止めてくれ―――私たちは家族なのだから」

「それは……」

「返事は今すぐでなくてもいい。私も少々急ぎ過ぎたようだからな。後日返事を聞かせてくれ」

「……分かりました」

 

 話を終えた二人は孤児院へと戻っていった。

 

 そしてこの日から一週間後―――二人の少女の王族入りが発表された。

 

 

 

 

 

 

 

 

「では、ユリスお姉さま。本日はこの辺りで」

「ユリス姉さま。今日は楽しかったです」

「ああ、私もだ。こうして三人で過ごすのは久しぶりだったからな」

 

 三人は朗らかに笑いあう。仲の良い姉妹三人の時はあっという間に時間が過ぎていった。

 気付けば日はとっくに落ちている時間だ。門限もあるので、急いで帰らなければならない。

 

「その怪我について詳しくは聞かないことにする。だがくれぐれも無茶はするなよ、二人とも」

「ええ、分かっています」

「大丈夫ですよ。絶対に無茶はしません」

「分かった―――と、素直に言えればいいのだがな」

 

 ユリスは知っている。この二人が平気で無茶をすることを。だが説得は不可能だろう。誰に似たのか妙に頑固なのだ、この二人は。

 

「それはお姉さまに似たからですよ」

「そうです。私たちは姉妹ですから。似ているのは当然です」

「む、顔に出ていたか?」

「ええ、とても分かりやすいですよ」

 

 クスクスとグリューエルが笑う。妹二人は姿格好ともよく似ているが、細かな所では相違点がある。

 誰にも愛想よく笑顔で対応が出来るグリューエル。対して、知らない人に話しかけられるのを苦手とするグリュンヒルデ。性格一つでも違いが出てくるものだ。

 

 会計を済ませて三人で店を出る。妹二人は所属する学園が違うので此処でお別れだ。

 

「ではグリューエル、ヒルデ。またな」

「はい、お姉さま」

「姉さま、ごきげんよう」

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日は楽しかったわね、ヒルデ」

「はい、姉さま。ユリス姉さまもお元気そうで何よりです」

 

 尊敬する姉との語らいに二人の機嫌もよくなっていた。

 

「今日は例の日だったわね。少し早いけど向かいましょうか」

「はい、分かりました」

 

 そして二人は歩き出す。

 所属する学園であるクインヴェール―――ではなく、再開発エリアへと向かってだ。

 

「姉さま。そういえばヨルベルト兄さまからメールが来てましたよ」

「あら、そうなの? 見せてちょうだい」

 

 グリュンヒルデがウィンドウを開き、グリューエルへと渡した。

 渡されたウィンドウに目を通し内容を確認する。アスタリスクでの生活を心配していること、リーゼルタニアの変化のない毎日に退屈する兄の愚痴、孤児院の近況。一つ一つの内容は大したことはない普通の文章だ。

 

 ―――しかし姉妹二人が読めば意味は別の内容へと変化する。

 

「あら、駒がまた一人増えたのね。いいことだわ」

「はい。これでまたリーゼルタニアが少し良くなります」

「油断は禁物よ、ヒルデ。お兄さまにもありがとうと伝えといてちょうだい」

「分かりました―――文章はいつも通りでいいですか?」

「ええ。いつも通りでいいわ」

 

 それは姉妹だけの秘密のやり取り。ユリスにすら隠している二人だけの秘密だ。

 

 二人の姉妹は王族に入る前、一つの誓いを立てた。姉のユリスがリーゼルタニアの現状を憂い、それを解消するべくアスタリスクを目指している。ならば私たちも姉の力になろうと。そう二人は誓ったのだ。

 

 姉の道は正道の道だ。正当な方法で問題を解消しようとしている。

 だが姉妹にはその道は不可能だ。それは二人が誰よりも自覚している。そこで二人は考えた。

 

 ―――姉の道は正道。なら自分たちの道は邪道でいいと

 

 フラウエンロープによる星脈世代製造計画。その計画より生み出された二人だが、その力は研究者たちを落胆させた。平均的な星辰力。発現しない能力。投入した莫大な資金に見合わぬ成果に、二人の少女の処分は時間の問題だった。

 

 だが一人の研究者がある事実に気付き、計画の延長が決定した。

 

「今回の駒はソルネージュですか。役職は煌式武装開発課 営業部部長。中々のお偉方ね」

「それで姉さま。この駒にはどの情報を渡しますか? やはりアルルカントでしょうか?」

「……そうね。煌式武装ならやはりそこね。アルルカント内における研究クラスによる派閥の抗争。対立は激化しウィルスによる争いへと発展。その結果内部情報が流出し、それが偶然にもソルネージュに流れた。そういう筋書きにしましょうか」

「分かりました。準備しておきます」

 

 こうして二人の姉妹以外、誰も知らぬところでアルルカントの騒動が決定した。その内容は無茶苦茶で、他人がそれを聞いても冗談だと疑わないだろう。

 

 ―――しかしこの姉妹にはそれを成す力があった。

 

 ある研究者が偶然見かけた光景。

 それは空間ウィンドウを自在に操り、研究所内の不可侵領域にハッキングをしている二人の姉妹だった。研究者は慌ててそれを止めた。そして気付く。いくら内部からとはいえ、その領域にアクセスできる技術は並みのハッカーを優に超えている。そして研究者は問うた。何故こんなことをしたのかと。

 

 そして姉妹は答えた―――ただの暇つぶしと。

 

 研究者たちは歓喜した。予定とは違う性能だが、この二人を鍛えれば必ずモノになる。その日から戦闘関連の実験はなくなり、情報関連の実験へと変更された。

 

 だが研究者達の思惑は外れ計画は凍結・破棄へと動いた。同時期に別の研究所の計画が成功したからだ。しかもその実験体の性能が比類なき化け物だったのが運のつき。姉妹の力は有用であったが、唯一無二ではない。そう判断された。

 

 ―――結果的にフラウエンロープの判断は誤りだった。二人の化け物を世に放つことになったのだから

 

 

 

 

 

 

 

 

「これでよし、と」

「ありがとう、ヒルデ。まだ時間があるわね。少し休憩しましょう」

「はい。そうします」

 

 約束の時までまだ時間がある。アルルカントへの仕込みも終わったので特にやる事はない。再開発地区のとあるビルの中で姉妹は待つことにした。少しするとグリューエルは妹がウィンドウを見て難しい顔をしているのに気付く。

 

「何を見てるの?」

「あ、いえ。ちょっとニュースを」

 

 少しだけ慌てるグリュンヒルデ。何かと思いウィンドウを見ると一人の少女が映っていた。

 

「―――オーフェリア・ランドルーフェン」

 

 レヴォルフ黒学院序列一位。史上最強の魔女。そして姉であるユリスの親友。姉の目的の一つが彼女を取り戻すことだと二人は知っている。

 

 実はこのオーフェリア・ランドルーフェン。姉妹にとってはある意味恩人にあたる人物だ。向こうはまったく知らないことだが、二人は彼女に感謝している。

 

 ―――彼女が自身の研究所を破壊してくれたおかげで、二人は逃げ出すことができたのだ

 

「ユリス姉さまは彼女に勝てるでしょうか?」

「……難しいわね。彼女は文字通り史上最強の魔女よ……後三年でユリスお姉さまがどれだけレベルアップ出来るか。それに掛かってるわ」

 

 ユリスが今年の王竜星武祭に出場しないのは確認済み。次回は三年後だが、やはり難しいと言わざるを得ない。グリューエルが見た限り、アレに対抗できるのは万有天羅のみ。ユリスには言いたくないが、王竜星武祭を諦めるのも一つの手だと思う。

 

 そんな話をしていると―――突如空間に変化が起こる。縦横無尽に線が走り―――そして数瞬後に板張りの広間へと置き換わった。

 

「―――早いの、二人とも」

 

 聞きなれた声が背後から聞こえる。二人はそちらへ振り向き、挨拶をする。

 

「お疲れ様です、星露さま」

「ご足労いただきありがとうございます」

 

 界龍の序列一位 范星露の姿がそこにあった。

 

「うむ、ぬしらも早いの。やる気があってよいことじゃ」

 

 星露は満足そうに頷く。

 

「さて、普段なら直ぐにでも稽古を付けてやるのじゃが、その前にぬしらに一つ聞きたいことがあっての」

「珍しいですね、なんでしょうか?」

「うむ、大したことではない。ただの雑談よ」

 

 星露は口元をニヤリと広げ姉妹に問いかける。

 

「ぬしらunknownは知っておるか?」

 

 その単語を聞いて―――二人の表情には変化はない。

 

「unknownですか? 聞いたことないですね」

「私も知らないですね」

「ふむ、なら詳しく説明するとするか」

 

 星露は愉快な口調で説明を始める。

 

「unknownは近頃とある界隈で噂になっておる正体不明の輩。俗にいうハッカーという奴じゃな」

「ハッカーですか。不法アクセスなどをする人達の事ですね」

「そんな人達がいるんですね」

 

 双子は感心したような表情をする。それを見て星露は笑みを浮かべる。

 

「うむ。その噂が流れ始めたのはおよそ数年前。今まで被害にあっているのは主に統合企業財体の下部組織が中心でな。それに統合企業財体中枢も被害が遭ったという噂もあるぞ」

「さすがにそれは嘘では? 統合企業財体に手を出して無事に済むとは思えません。あくまで噂に過ぎないと思います」

「そうです。すぐに捕まってしまいますよ」

 

 常識的に考えればそうなる。統合企業財体にも凄腕のハッカーが揃っているのだ。安易に手を出せば逆探知されて終わりのはずだ。

 

「事の真偽は定かではない。しかし各所に被害が出ておるのもまた事実よ。国籍、名前、性別、その能力も含めてすべてが不明。故にunknown。そう呼ばれておる」

「正体不明ということですか」

「しかし何故そのような事を私たちに?」

「こやつのしでかしたことが面白かったからのう」

 

 だからと星露は言う。

 

「―――興味が沸いたから個人的に少し調べてみたのじゃ」

 

 星露の視線がグリューエルとグリュンヒルデを捉える。

 すると周囲に緊張が走った―――気がした。

 

「こやつの手口は主に二つ。一つはデータの盗難じゃ。じゃがこれ自体は珍しくもない。どこの企業でもやっておることじゃからな。六花でも関わる者は多かろう」

 

 エンターテイメントの極みである星武祭。そしてアスタリスクにある六つの学園。表舞台は華やかに見えるが、裏舞台はドロドロしたものだ。

 

「しかしもう一つの方が興味深い。このunknownに脅迫された者たちがおるらしくてな。その者たちは一見被害者に見えるが、その実態は横領、賄賂、癒着など数多の犯罪行為に手を染めた者たちよ。驚くべき真実というやつじゃ」

「……unknownは犯罪者を専門に脅している、ということですか?」

「そう! そして此処からが面白い所よ!」

 

 無邪気に星露は笑う。

 

「脅された者はその後、特に何事もなく暮らしておる。unknownは犯罪者を脅すがそれだけじゃ。金銭などを直接要求したりはせん。不思議なことにな」

「確かにそれは不思議ですね」

「司法の手に委ねないのですね。目的が見えません」

「うむ! さらに面白い事実があるぞ!」

 

 星露の興奮は収まらない。

 

「脅された者たちじゃがな。その後、何故か出世しておるのじゃよ。一人の例外もなくな。これを摩訶不思議と呼ばずになんと呼ぶ? 面白いじゃろう」

「全員が出世ですか? それはさすがに……」

「……意味が分かりません」

 

 その返答を聞き幼女は笑みを深める。

 

「儂が思うにunknownの能力は極まっておる。統合企業財体に入り込み、無事で済んでおるのがその証よ」

 

 星露の視線は姉妹を外さない。その一挙一動を逃さないように。

 

「このunknownの犯行については不可解そのもの。これだけでは奴の目的までは掴めぬ―――じゃがそれはどうでもよい」

 

 彼女の目的は私的な好奇心だ。犯行の手口や目的に関してはどうでもいい。

 

「儂が知りたいのはunknownがどうして生まれたのか。その一点に尽きる―――そこで汝らの意見を聞いてみたいと思ったのじゃ」

「unknownが生まれた理由、ですか」

「それは……」

 

 姉妹は互いを見る。妹が探るように姉を見る。しかし姉は目力でそれを制し自らが前に出る。そして質問に答える。

 

「そうですね―――偶然ではないでしょうか?」

「……偶然、じゃと?」

「はい。偶然です」

 

 グリューエルは断言する。

 

 そう―――偶然だ。目的を果たすための手段がなかった。そして偶然にもその力があった。

 それが原因でunknownは生まれた―――それがすべてだ。

 

 だから、以下に起こったことも偶然でしかない。

 

 ―――統合企業財体の関連組織に突如として上層部の癒着に関するデータが流れ出し、何の関りもなかった一般社員が呆然としたのも偶然だ。

 ―――ある日突然、統合企業財体全体で謎のウィルスが発現し、人体実験のデータが殆ど消失したのも偶然だ。

 ―――ウィルス騒動の延長で、統合企業財体同士が争う結果になったのもまったくの偶然だ。

 

「ふむ、運命でもなく必然でもない。あくまでも偶然だと、そう言うのじゃな?」

「はい、その通りです。運命とか必然とかそういう言葉は好みませんので」

「ふむふむ、なるほどのう」

 

 星露は興味深そうにグリューエルを表情を見る。その澄ました笑顔に変化はない。見事なまでの仮面の作り方だ。

 

 この数年でリーゼルタニアの国内状況は変化しつつあった。

 

 ―――国の内部に蔓延る複数の汚職事件が表に明るみになり、邪魔な人間が排除されたのも偶然だ。

 ―――企業内部で黒い噂が絶えなかった人物がまともに働きだし、出世を果たしたのも偶然だ。

 ―――とある企業では内部告発が原因で大量の離職者を出した。その穴埋めに地元の一般市民が雇われ、国内の雇用状況が少しだけ改善したのも偶然だ。

 

「―――すべては偶然の産物です。それ以外には考えられません」

 

 グリューエルは明るい笑顔でそう言い切った。

 それを聞いた星露は自らの顔を俯かせる。その状態で暫くすると突如その身体が震えだす。

 

「くっくっくっくっ! ハハハハハハッ! なるほどなるほど! すべては偶然か。それならば仕方ないのう」

 

 星露は景気よく笑いだす。グリューエルの回答がツボに入ったようだ。腹を抱えて笑い続けている。そんな彼女にグリューエルは問いかける。

 

「こちらも一つお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「うん? よいぞ。言うてみよ」

「ありがとうございます……何故unknownに興味を持たれたのですか? アナタは世の中の些事には興味を持たない方だと、個人的には思っていました。間違っていますか?」

 

 グリューエルは自身の疑問を投げかける。集めたデータによれば、范星露という人物は強者に関することには興味を持つが、それ以外のことは強い関心を持たないタイプだと思っていたのだ。

 

「うむ、間違ってはおらんな。理由は儂がunknownに好感を持っておるからじゃな。統合企業財体に真っ向から喧嘩売る輩は珍しい。儂個人としても応援したい程じゃ」

「なるほど。ありがとうございます」

 

 星露個人は統合企業財体にいい印象はない。それに逆らう者を応援するのは当然のことだ。

 

「……そうじゃな。グリューエルよ。ぬしに一つ頼みがある」

「頼みですか? 私で叶えられることならよいのですが……」

「なに、そこまで難しいことではない」

 

 軽いお使いを頼む感じで星露は言う。

 

「儂個人はunknownを好んでおる。もしおぬしが偶然unknownに出会うようなことがあれば伝えよ―――困りごとがあれば儂を訪ねてこい。多少の便宜は図ってやるぞ、と」

「……なるほど、分かりました。私たちにはまったく関係ありませんが、偶然出会うようなことがあれば伝えておきます―――その時は遠慮なく力を借りに参ります、と」

「うむ。頼んだぞ」

「―――はい」

 

 二人は揃って笑いだす。二人とも笑顔を浮かべているが、他者から見れば近寄りたくない部類の笑みだ。

 それが証拠に―――

 

「―――はぁ」

 

 二人から取り残されたグリュンヒルデの溜息がそれを証明していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、思ったより雑談が長引いたが、そろそろ本来の目的である稽古に移るぞ」

『―――はい!』

 

 姉妹は揃って返事をする。自らの煌式武装をそれぞれ取り出して構えを取る。此処からは一瞬の油断も許されない。星辰力を高め戦闘態勢に入る。

 

 その様子に満足し―――星露は告げる。

 

「―――では、始めるぞ」

『はい。万有天羅!』

 

二人の夜はまだ始まったばかりだ。




改めましてお久しぶりです。
私生活がゴタゴタしておりましたので、長らく投稿できませんでした。
まだしばらくは落ち着かないと思うので、投稿は不定期になります。ご了承ください。

オリキャラを書くのは本当に難しいと思いました。原作キャラとの絡みが上手く出ていれば幸いです。

誤字、脱字、感想等あれば、よろしくお願いします。


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第二十七話 休日とお出掛け

今回は早めに出来ました。


「――――退屈じゃ」

「いきなりどうしたの、星露? はい、次はこれね。それは急ぎだから今日中だよ」

「………まだ増えるのか」

 

 目の前に書類が一山追加され、星露が項垂れる。置いた張本人、雪ノ下陽乃はそれを気にせず別の書類に取り掛かる。

 

「ほら、口の前に手を動かす。夏休みだからって、鍛錬しすぎたせいで書類を溜めた自分が悪いんでしょ」

「それはそうなんじゃが……おかしい。いつもは此処まで溜まらぬのに。何故じゃ?」

「その答えは簡単。虎峰がいないからでしょ。夏休みで帰省中なの忘れたの?」

 

 陽乃の返答に手をポンと叩く。

 

「……おお! すっかり忘れておった。どうりで書類が溜まるわけじゃ」

「私が言えた義理じゃないけどさ。もう少し虎峰に優しくしてあげなよ。ただでさえ胃薬の世話になってるんだから、あの子」

「むぅ、確かに一理ある……って、ちょっと待て、陽乃! 儂に責任があるのは事実じゃが、虎峰に関してはおぬしに言われる筋合いはないぞ」

 

 陽乃の言い分には納得できない。星露が虎峰に負担を掛けてるのは事実だ。しかし歓楽街で暴れまわったり、女装させたりで虎峰に負担を掛けているのは陽乃も一緒だ。

 

「だから今手伝ってるじゃない。ほら、生徒会長の判断が必要な書類はこっち。サインだけでいい書類はそっちだから。ほら、頑張る頑張る」

「はぁぁ、仕方ないのう」

 

 二人は黙って手を動かす。

 現在、夏休みのため生徒会の主だったメンバーは殆どが帰省中である。残ったメンバーは少人数だが、それで書類の量が減るわけではない。

 

「暁彗がいないのも痛いわね。彼、今何処にいるんだっけ?」

「さぁのう。武者修行すると言って出ていったからな。国内にはいると思うが」

「あらら、それはまた運の悪い」

 

 現有戦力は星露と陽乃の二人しかいない。暫くはこれで凌ぐしかない。

 

「はぁ、八幡くんが無事なら手伝ってもらってもよかったんだけどな~何処かの誰かさんがやり過ぎたせいで、まだ寝込んじゃってるしな~」

「わ、儂とて反省おるのじゃぞ! しかしあの驚異の粘りを見てるとつい興が乗ってしまったのじゃ。仕方ないではないか!」

「ま、夏休みだし。気持ちは分かるけどね~」

 

 二人は話しながらも手は止まらない。八幡は今が成長期だ。打てば響くとばかりの反応に、やり過ぎてしまう気持ちは理解できなくもない。

 

 ――――そして二人が書類に没頭し一時間が過ぎた。

 

「……………あぁっ! もう飽きたのじゃ! これ以上はやらんぞ、儂は!」

 

 書類仕事に飽きたのか星露が叫びだす。直ぐにでも部屋から飛びしそうな勢いだ。

 

「あらあら。ほら、もうすぐ終わるんだから最後までやりましょう」

「もう嫌じゃ! これだけやれば充分じゃろう!」

「……まあ、よくやった方か」

 

 書類の山を指さし星露は咆える。書類全体の約八割方が終了しているので、今日はこの辺で切り上げてもいいだろう。そう思っていると、ドアからノックの音が聞こえた。

 

「はーい、どうぞー」

「……誰じゃ、いったい」

 

 部屋に入るよう促す陽乃。不貞腐れる星露。

 そして入って来たのは――――

 

「ふゎぁ~、失礼しま~す」

 

 のんびりと欠伸をしながら入って来たのは八幡であった。

 

「おお、八幡!起きたのか!」

「あら、八幡くん。具合はどう?」

「……何とか。動くのに支障ありません。ただ、今日の鍛錬はもう勘弁してほしいですけど」

「だってさ、星露」

「……分かっておるわ」

 

 バツが悪そうに顔を背ける星露。それに苦笑しながら、陽乃は壁にある時計を確認する。時刻の針は13時を指していた。

 

「うーん。まだ時間はあるか。二人とも、ちょっといい?」

「……何ですか?」

「どうした、陽乃?」

 

 二人が陽乃を見る。陽乃はニコリと笑いながら二人に言った。

 

「せっかくだからさ。三人でお出掛けしない?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 星導館の生徒会長室で書類整理をしているクローディア・エンフィールド。冷房の効いた涼しい部屋で作業していた彼女のもとに、突如部屋の入り口からノックの音が聞こえてきた。

 

「はい。どうぞ」

「失礼します、会長」

「あら、夜吹くん。どうかしましたか?」

 

 部屋に入って来たのは夜吹英士郎であった。

 

「いつもの定例報告ですよ。今時間大丈夫ですか?」

「――――そうですね。大丈夫ですよ」

 

 夜吹英士郎。星導館中等部三年で新聞部所属の彼だが、裏では別の顔を持っている。

 銀河の諜報工作機関《影星》の一員でもある彼は、クローディアと結びつきが強く、定期的に情報を報告しているのだ。

 

「では、報告をお願いします」

「分かりました」

 

 英士郎は報告を始める。星導館の情報。他学園の情報。そしてアスタリスクの情報等。多岐にわたる情報をまとめ独自の判断で報告していく。

 

「アルルカントが? それは本当ですか?」

「ええ。連中、数日前から大騒ぎですよ。正確な情報までは分かりませんが、相当殺気立ってますね、アレは」

「そうですか……どの勢力が騒動の中心かは分かりませんか?」

 

 アルルカント内部で大規模な抗争の兆しあり。英士郎からの報告で一番気になったのはそれであった。

 クローディアの質問に英士郎は首を横に振る。

 

「すみません、そこまでは調べきれませんでした。正直すべての勢力が怪しく見えます」

「……分かりました。また詳しいことが分かりましたら報告してください」

「了解です」

 

 そこで両者とも一息つく。

 

「しかし会長。夏休みだってのにそんなに仕事してるんですか?」

「ふふ、生徒会長はそれなりに忙しいんですよ」

 

 英士郎は目の前の机にある書類の山を見てげんなりとする。

 

「大変ですね~ちゃんと休みとってます?」

「あらあら、私の心配ですか。珍しい。でも大丈夫ですよ。こう見えてキチンとお休みをいただいてますから」

「そうですか。ならいいですけど」

「夜吹くんの方はどうです? 夏休み中に何処かに出かけたりはしたんですか?」

 

 クローディアの質問に英士郎は肩を落とす。

 

「……残念ながら何処にも。本業と新聞部で大忙しです。これが終わったら、また新聞部の方に顔出しですよ」

「あら、そちらも忙しいですね。夏バテしない程度に頑張ってください」

「大丈夫っすよ。メリハリをつけるのは得意ですから」

 

 夜吹は得意げに言う。そして彼は他に報告事項がないか考え―――信憑性がない情報を一つ思いだした。

 

「あ、そういえば会長。一つ気になった情報がありました」

「あら、どんな内容ですか?」

「裏取りを済ませてない情報なんで、ホントかどうか分かりませんが――――」

 

 リラックスした状態で報告を聞くクローディア。

 しかしそれは、続く夜吹の言葉で変貌することになった。

 

「――――刀藤流宗家のご息女が界龍に入学するって話。会長はご存じですか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ~なんで俺こんなとこにいるんだ……よりにもよってこんなリア充の巣窟の場所に」

 

 八幡は一人黄昏る。周りから感じ取れる陽キャの雰囲気に、拒絶反応が出そうになる。

 何故ここにいるのか? その原因は陽乃の提案が原因だった。

 

 ――――せっかくだからさ。三人でお出掛けしない? 

 

 陽乃の提案は三人で出かけることだった。しかし八幡は反対した。

 なぜこのクソ暑いのに出かけらなければいけない。折角の休みは冷房の効いた部屋でのんびりするに限る。

 

 しかし八幡の意見が通ることはなかった。それは陽乃の意見に対し投票が行われたからだ。結果は二対一で賛成派が勝利。八幡は民主主義という数の暴力に屈した。

 

 そして三人で来た場所が――――アルゴルドームの室内プールである。

 

 八幡は着替えが先に終わったのでプール際で一人待っていた。他の二人はまだこない。女性の着替えには時間が掛かるのだろう。

 

「………しかし本当に人が少ないな。陽乃さんの言った通りか」

 

 休みのプールは、通常時なら人がいっぱいで碌に泳げもしない。しかしアスタリスクでは少々事情が違う。夏休み中は大半の学生が帰郷の途に着くため、学生自体が少なくなっているのだ。

 

 その証拠にこのプール場にも人はまばらだ。むしろ観光客の方が多そうに見える。

 

「――――お待たせ~~」

「――――待たせたの、八幡」

 

 どうやら二人が来たようだ。八幡は声の方見て――――言葉をなくした。

 

「ふむ、水着というのは中々に動きやすいのう。しかしこれは少し可愛らしすぎではないか?」

「そんなことないって。似合ってるよ、星露」

 

 星露と陽乃、二人が水着姿で現れた。

 星露の水着は水色を基調としたワンピースだ。そして単調な水色だけではなく、複数の色の模様が散りばめられており、彼女の可愛らしさをアピールしている。

 

 そして陽乃の方はというと――――色々と凄かった。

 彼女は黒のビキニを身に着けていた。しかしそのシンプルな水着は、彼女の魅力をこれほどと言わんばかりに引き出していた。しかも陽乃のスタイルはモデル並みだ。彼女の美貌とスタイル。その両者が合わさった結果、その場いる人を悉く魅了していた。

 

 八幡はその姿を見て――――すぐさま目を背けた。頬が熱くなるのを抑えきれない。

 そうして悶えている八幡の様子に陽乃は気付く。

 

「あらら~どうしたのかな~八幡くんは」

「い、いえ。な、なんでもないでしゅ」

 

 陽乃が八幡の顔を覗き込んでくる。すると自然に彼女の水着が目に入り、さらにそっぽを向く。それが面白かったのか、陽乃は向きを変えて何度も覗き込んでくる。

 

「何じゃ照れておるのか、八幡は。ほれほれ、儂の水着はどうじゃ?」

「――――うん。いいと思うぞ」

「うーむ、褒めれるのはいいのじゃが、陽乃とは随分反応が違うのう」

 

 八幡の反応に星露な納得がいかない。

 

「まあ、それはその」

「そりゃ、そのペタンコじゃ無理もないでしょ」

「なるほど! それもそうじゃな」

 

 カラカラと星露は笑った。すると陽乃が八幡の両頬を手で押さえ顔を覗き込んでくる。二つの大きな塊が目に入るがこれ以上は逃げられない。

 

「それで、お姉さんの水着の感想がまだなんだけど。どうなのかな?」

「その、ですね。ま、まずは離れてください! それから答えますから!」

「だ~め。このままの状態で答えなさい」

 

 頬が熱い。陽乃の顔と、水着と、二つの大きな塊。その全てが視界に入り頭がクラクラする。

 

「………あ、あの、その………と、とても」

「とても?」

「………お、お似合いかと思います」

 

 それはとても陳腐でありふれた答えだった。しかし陽乃の反応は顕著だった。満開に咲く花のような笑顔を浮かべ彼女は言った。

 

「――――うふふ、ありがとね。八幡くん」

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ~~気持ちいい………プールなんて久しぶりだな」

 

 プールで仰向けになりながら浮かぶ。最初は反対したが、まあ来てよかったと思えなくもない。

 そんな八幡に星露が近付いてきた――――何故かビート板を装備して。

 

「おお、八幡。此処におったか」

「……何故にビート板?」

 

 それがまず頭に浮かんだ。

 

「泳げるとは伝えたのじゃがな。監視員に危ないからと渡されたわ。まあ、この身長では仕方あるまい」

「そ、そうか」

 

 その監視員も仕事とはいえ、万有天羅にビート板を渡したとは思うまい。

 

「しかし、プールとは中々に趣があるものじゃな。初めて訪れたが悪くはない」

「来たことないのか。一回も?」

「ないな。昔はそのような施設はなかったからな。泳ぐなら川か湖、もしくは海しかない。それにこのような施設では思いっきり泳げぬでな。性に合わん」

「な、なるほど」

 

 言われてみれば納得する。彼女なら泳ぐと決めたら全力で泳ぐに違いない。ふと様子を見れば、ビート板に両手をのせ上手くその場に浮かんでいる。笑みを浮かべている所を見るに、それなりに楽しんでいるようだ。

 

「そういえば陽乃さんを見ないが何処に行ったんだ?」

「陽乃かえ? アヤツならあそこにおるぞ」

 

 星露はとある方向を指さす。そちらを見てみると――――元気に泳いでる陽乃が見えた。

 

「……楽しんでるな」

「楽しんでおるの。まあよいことじゃ」

 

 星露が柔らかな笑みを浮かべる。

 

「アレも昔に比べれば随分丸くなったものよ。張り詰めたころに比べれば、よい表情をするようになった」

「昔の陽乃さんか……初めて会った時は思ったぞ。凄い仮面だってな」

「ふっ、懐かしいものよ。あの若さでアレだけの仮面は中々に拝めたものではないからの。驚くのも仕方あるまい」

「……他にもいたのか」

 

 あの仮面クラスの持ち主が他にもいるのか、少し気になった。

 

「それはもうたんまりとな。上流階級には少なからずおるぞ。この島国もそうじゃが、昔の西の大陸なぞ酷いものじゃったぞ。あれらに比べれば陽乃なぞ赤子に等しい」

「………絶対に会いたくねぇ。陽乃さん以上が複数だなんて、考えただけでも恐ろしい」

「ほほほ、正しい判断じゃな」

 

 昔を懐かしむように星露は笑う。すると星露は右手の人差し指を一本掲げる。

 

「ちなみにじゃが、このアスタリスクにも一人おるぞ。若くして陽乃クラスの仮面の持ち主が」

「よし、教えろ。絶対にソイツには会わない。絶対にだ」

「星導館の生徒会長であるクローディア・エンフィールドよ。アレも中々の仮面の持ち主じゃぞ」

 

 その名には聞き覚えがある。

 

「千見の盟主か。パン=ドラの使い手の」

「そうじゃ。アレを好んで使うなぞ相当の変わり者。そして並外れた精神力の持ち主よ」

 

 感心したように星露は言う。

 

「代償、か?」

「そうじゃ。詳しく知りたいか?」

「酷いってことだけは分かる。それだけで充分だ」

「そうか。ならよい」

 

 星露は嬉しそうに笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「そういえば、あの二人の調子はどうだ?」

 

 八幡は星露へと問いかける。それは星露に修行を頼んだ二人の少女のことだ。

 

「ふむ、あの二人か。まあ、可もなく不可もなく。といった所じゃな」

「……そうか」

「星辰力も並みじゃし、闘うことに関しての才も優れておらん――――じゃが」

 

 星露はニヤリと笑う。

 

「それでも根性だけは一人前じゃ。己の立場を理解し、学ぶことの意欲は儂の弟子たちにも劣らん。アレはひょっとしたら化けるやもしれんな」

「……思ったより気に入ってるんだな。正直無理に頼んだから、途中で飽きられる可能性も考えたんだが」

「ふむ、儂も最初はそう考えておった」

 

 二人との初邂逅が星露の脳裏に浮かぶ。

 

 自己紹介も早々に稽古を付けた。弱かった。論外だった。万有天羅の弟子になるには最低限の実力が必要で、二人はそれすらクリアしていない。しかしそれを除いても実力不足だった。

 

 そう考えると興が失せた。いくら八幡の頼みとはいえ、これでは問題外だ。だから少々きつい稽古を施した。立ち上がるたびに何度も打ち倒し、心を折りにいった。そうすれば直ぐにでも絶望し、諦めるだろうと踏んだ。

 

 しかし双子は諦めなかった。何度倒れても立ちあがり、その目の輝きだけは失われなかった。

 

 ――――解せぬな。何故そこまで立ち上がる。ぬしらの才は戦いのものではない。もっと別のものじゃろう。

 

 星露には理解できなかった。双子の才は戦いに向かず、本人たちもそれを理解しているはずだ。

 

 ――――ぬしらは弱い。戦いに関しては、そこらに落ちてる石となんら変わらん。努力しても玉には決して届かず、その時間は徒労に終わるじゃろう。何故そこまで抗う? 

 

 その問いに、簡単ですよと双子の姉は言った。

 

 ――――ただの石? だから何ですか。ただの石なら磨けばいい。磨き、研磨し、加工する。そうすれば少しは見栄えもよくなるでしょう。

 

 その言葉は星露の心理の意表を付く。そして双子の妹は言った。

 

 ――――私たちが弱いことは理解しています。アナタの貴重な時間を無駄に割くことに心苦しさも感じます。ですが――――

 

 そして二人は同時に叫んだ。

 

 ――――私たちは諦めない……助けてもらったあの人たちの為にも! 諦めるわけにはいかないんです!! 

 

 二人の魂の叫びは―――星露の心に届いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの二人に天性の才はない。それは確かじゃ。しかし別の才はあった。努力と言う名の才がな……儂としたことが見誤ったよ」

「あの二人が、か。そこまで根性があるとは思わなかった」

「儂としても自身の考えを改めさせられた。一見、才がなくともそれが全てではない、か………ふむ、機会があれば才なきものを鍛えるのも悪くないかもしれぬな」

 

 話を終えると、星露はとある方角に目を向ける。八幡もそちらに視線を送ると、こちらに泳いでくる人物がいた。その人物は近くまで来ると、泳ぐのを止め立ち上がる。雪ノ下陽乃だった。

 

「あら、二人とも。泳がないの?」

「あー俺は浮かんでるだけで充分です。泳ぐと疲れるので」

「ふむ、そうじゃな。せっかくじゃから、儂も少しばかり泳ぐとするか」

 

 どうやら星露は泳ぐようだ。

 

「そう。私は一先ず満足するまで泳いだし、何か買ってこようかな。二人とも何か飲む?」

「なら俺も付き合いますよ。星露は何がいい?」

「そうじゃな……烏龍茶と適当に摘まむものを頼む」

「分かった」

 

 八幡と陽乃は岸へと向かいプールから上がる。

 すると―――

 

「―――八幡!」

「おっと」

 

 星露からビート板を投げつけられ、それをキャッチした。

 

「それは返しておいてくれ。もういらぬ」

「おいおい、本気で泳ぐなよ。周辺に被害が出るぞ」

「分かっておるわ」

 

 そう言うと、星露はゆっくりと泳ぎ始めた。

 

「じゃあ、行きましょっか」

「―――はい」

 

 二人は売店へと歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「うーん。何がいいかしら」

「MAXコーヒーは……ないですか」

「さすがに此処にはないわよ」

「むぅ………」

 

 ブレない八幡に陽乃は苦笑する。

 

「じゃあアイスコーヒーで。あ、砂糖とミルクに練乳多めでください」

「は、はい」

 

 代替品を頼んだら何故か店員が驚愕の表情をする。そして注文が終わり、少しして商品を受け取った。

 

「さて、買う物買ったしそろそろ戻ろっか」

「そうですね。戻ったらアイツを呼んで一緒に――――」

 

「キャアァァァァッ!!」

 

 唐突にプールの方から巨大な叫び声と水しぶきの音が聞こえてきた。どうやら何かトラブルのようだ。そして二人の脳裏には、ある人物が浮かび上がっていた。

 

「どう思いますか、陽乃さん?」

「……十中八九、間違いないと思うわよ」

「…………ですよね」

 

 二人は急いで戻ることにした。商品を持ち、早足でプールへと戻る。

 そして戻った二人が見た光景は――――

 

「もう許しませんの! このクソ餓鬼! こうなったら決闘ですの!!」

「ほう、よいぞ。受けてたとうではないか」

 

 范星露が見知らぬ少女に決闘を申し込まれていた。状況確認の為、二人は星露へと近付く。

 

「おい! どうしたんだ、し「おお! 八幡ではないか!」

 

 言葉が途中で遮られる。星露を見れば右の人差し指を伸ばし、口元に当てていた。どうやら名前を呼んでほしくないようだ。

 

「大したことではない。決闘を申し込まれたのでな。それを受けたまでよ」

 

 それは聞いたので知っている。知りたいのはそれに至った理由だ。星露に決闘を申し込んだ少女を確認する。

 

 白いリボンを両サイドに付けた、金髪ツインテールの少女。年齢は同じぐらいだろうか? 露出の多い水着を纏い、直視するのは目の毒だ。そして胸元には冀望の象徴たる名もなき女神「偶像」の校章。どうやらクインヴェール女学園の生徒のようだ。

 

「うーん。とりあえず状況を確認したいんだけど、なんで決闘騒ぎになってるの?」

 

 陽乃が当事者の二人に尋ねる。するとクインヴェールの少女が陽乃に対して睨み付けてくる。

 

「それはですの! このクソ餓鬼がわたくしを侮辱しやがったからですの!」

「なんじゃ。おぬしをプールマットから落としたことは、既に謝罪をしたではないか? まったく心が狭い輩よ」

「そ・こ・で・は・ありませんの! アナタ、先程わたくしに何を言ったか覚えてやがりませんの?」

「何ぞ余計なことを言ったかのう?」

 

 星露に心当たりはないようだ。しかしそれが余計に少女の心に怒りの炎を灯らせる。

 

「覚えてないんですの!? だったら思い出させてやがりますの! わたくしはクインヴェール女学園中等部、序列60位。崩弾の魔女の二つ名を持つ、ヴァイオレット・ワインバーグその人ですの!!」

「うむ、それは先程も聞いたのう」

 

 ヴァイオレットは己の名を大きな声で告げる。しかし星露の対応はそっけない。

 

「そのわたくしにアナタは言いましたの! 才能溢れるこのわたくしが冒頭の十二人になれないと。忘れたとは言わせませんの!」

「おお! 確かに言ったの。それに何ぞ問題があったかえ?」

 

 星露は不思議そうにヴァイオレットに尋ねる。

 

「問題しかありませんの! なんで界龍のクソ餓鬼にその様な事を断言されなければなりませんの!」

「ふむ、ごく当たり前の普通の意見を言ったつもりじゃったが。少なくとも今のままでは無理じゃな」

「まだ言いやがりますの、このクソ餓鬼!」

 

 星露の言い分にヴァイオレットは憤る。それを聞いた八幡と陽乃は互いに小声で喋る。

 

「陽乃さん。彼女、星露のこと気付いてないですよね?」

「そうね。気付いてたらあの反応はないでしょうね」

「なんで気付かないんでしょうか?」

「怒り心頭だからじゃない? 他に原因があるとすれば、万有天羅がこんな所で遊んでるだなんて普通は考え付かない、かな」

「……確かに」

 

 その理由に納得した。

 

「しかしいいんですかね、このままで?」

「う~~ん。いいんじゃないかな。バレたときの反応も面白そうだし。それに何より――――」

 

 雪ノ下陽乃はニヤリと笑った。

 

「――――自業自得でしょ」

「ま、そうですね」

 

 喧嘩を売られたのではなく、自ら万有天羅に喧嘩を売ったのだ。正に自業自得としかいいようがない。それに星露も楽しそうだし問題はないだろう。

 

「さあ、決闘ですの!!」

 

 ヴァイオレットは高らかに宣言した。これから自身に災難が降りかかるとも知らずに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 プール中央にある浮島に、星露とヴァイオレットが移動する。決闘が開始することを知らされ、他の客は全員プールサイドに移動している。勿論、八幡と陽乃もだ。

 

「さぁて! 覚悟はいいですの! 小学生とはいえ、わたくしは手加減いたしませんの! 謝るなら今の内ですの!」

「何故に謝る必要がある? とっとと始めようではないか」

「い、いい度胸ですの! メタメタにしてやりますの!」

 

 そしてヴァイオレットが決闘前の宣言を開始する。

 

「冀望の象徴たる偶像の名の下に、わたしヴァイオレット・ワインバーグは汝――――」

 

 途中で宣言が止まった。ヴァイオレットに頬に一筋の汗が流れる。

 

「そ、そういえばアナタの名前を聞いておりませんでしたの。何てお名前ですの?」

「――――范星露じゃ」

「そ、そうですか。コホン!」

 

 自らの失態を誤魔化すようにせき込む。しかし対戦相手の名前を聞いても尚、彼女は自らの失態に気付かなかった。

 

「さて、気を取り直して。汝! ふぁんしんるーに決闘を申請しますの――――って、あれ?」

「その決闘。受諾するぞ」

 

 両者の校章が光る。そしてヴァイオレットは何か違和感に気付く。

 

「………ふぁんしんるー? ふぁん、しんるー? ……何処かで聞いた名前ですの? ………!? っま、まさか! 范星露ぅ!?」

「その通りじゃ。儂の名前は范星露じゃよ」

「え! え!? えぇぇ!? じぇ、界龍序列一位のば、ばばば、ば、万有天羅ですのぉぉぉ!!!」

「うむ。そうじゃな。さて、決闘の開始じゃ」

 

 ニヤリと笑い星露は告げる。

 

「――――お互いに楽しもうではないか。期待しておるぞ」

 

 ヴァイオレットはその笑みに死神を見た。

 

 

 

 

 

 

 

 

「楽しんでるわね~」

「楽しんでますね~」

 

 八幡と陽乃はのんびりと飲み物を飲みながら決闘を見学している。周りの観客も、決闘する一人が万有天羅と分かり、大盛り上がりだ。

 

 星露は実に楽しそうだ。プールの上を縦横無尽に駆け巡り、相手の攻撃を躱し続けている。かなり手を抜いているのか、観客の目にも辛うじて視認できている。どうやら時間を掛けてとことん楽しむようだ。その動きを見て観客は歓声を上げ続けている。

 

 対してヴァイオレットに喜びなどない。崩弾の魔女の二つ名通り、自身の周囲に複数の砲弾を精製。そしてそれを放ち続けている。彼女の心は絶望に苛まれ、叫びながら決闘を続けていた。

 

「どうしてこんなことになりましたの~~!!」

「ハハハッ! もっと楽しませるのじゃ!」

「ええい! 当たれ! 当たれですのぉ!!」

「甘い! 甘い! その程度では当たらんぞ!」

「コナクソですのぉぉ!!」

 

 叫びながら能力を発射し続けるヴァイオレット。その反応が楽しいのか、星露も笑顔で回避し続ける。

 そして八幡は―――ヴァイオレットを見ているうちに、ある事に気付く。

 

「――――あ」

「―――どしたの、八幡くん?」

「あ、いえ。ちょっと……」

 

 思わず口篭もる。ヴァイオレットの戦闘スタイルが、ある人物に似ていることに気付いてしまったのだ。

 

「………小町の戦闘スタイルに少し似ている気がしたんです」

「……ああ、なるほど」

 

 久しぶりに口に出したその名に――――嫌悪感は感じなかった。

 陽乃もそれに気付き、自身の考察を口に出す。

 

「ヴァイオレットちゃんは砲弾を精製し、それを複数同時に発射する能力。確かに小町ちゃんと少し似てるね」

「アイツは能力者じゃありませんけどね。似てるのは遠距離から仕留めるって所だけ……何故か思い出しました」

「………そう」

 

 嘗ての妹。比企谷小町のことを語る八幡を陽乃は観察する。表情は穏やかに、しかし内心は真剣にだ。表情、口調、声の大きさ、それらをあの時の彼と比べ――――一先ず問題はないと結論付ける。

 

「そろそろ終わりそうですね」

「ええ。ヴァイオレットちゃんも頑張ったんじゃない」

「本人は泣いてますけどね」

 

 もはや泣き叫びながら、能力を発動し続けているヴァイオレット。完全にやけくその状態だ。

 

「星辰力の密度が足りん、砲弾の数が足りん、着弾の正確性も足りんぞ!」

「うるさいですのぉ! 喰らえ喰らえ喰らえですのぉ!」

「だから甘いと言ってるじゃろ。ほれ、返すぞ!」

「っ!? 能力を掴んで投げ返すなんて反則ですのぉぉ!!」

 

 自身の能力を投げ返され、それがヴァイオレットの身体に直撃した。そのままプールの上を水切りの石のようにバウンドし、そして水の中に沈んでいった。

 

 ――――それが決着だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「いや~楽しかったの~」

 

 満足しながら帰途の路を歩く星露。その表情は笑顔でいっぱいで、一目で機嫌がいいと分かる。

 

「しかし儂に決闘を挑むものがおるとは。うむうむ、実に愉快!」

「いや、わざと名前を教えないで決闘に持ち込んだだろう」

 

 八幡は思わず突っ込んだ。名前を言われたくなかった理由はそれしかない。最後の方は見てるだけで気の毒に思えた。彼女に何らかのトラウマが生まれてもおかしくない。

 

「なんのことかえ? 儂はただ申し込まれた決闘を受けた。ただそれだけじゃよ」

「まあ、その通りなんだがな」

 

 そもそも決闘を申し込んだのは相手からだ。それを言われたら返す言葉もないのも事実だ。

 八幡が考え込んでいると、今度は陽乃が星露に話しかける。

 

「ところで星露。ヴァイオレットちゃんってそんなに駄目だった? 結構面白い能力持ってたし、鍛えれば中々いい線いくと思うんだけど?」

「? なんのことじゃ?」

「いや、ほら。冒頭の十二人になれないってやつ」

「……ああ、そのことか。別に断言はしておらんぞ。今のままでは駄目とは言ったがの」

「ああ、なるほど」

 

 陽乃は納得した。

 

「星辰力、能力共にまだまだ未熟。伸びしろは残っておる故、クインヴェールの環境下でもある程度は成長するじゃろう。じゃが、冒頭の十二人になるにはまだ足りぬな」

「ふーん。じゃあ今後能力を鍛えて、弱点の接近戦を克服してもダメな感じ?」

「それも大事じゃが、本人の心意気が一番の問題じゃろう。アレは格上との戦闘経験が殆どない。それでは冒頭の十二人にはなれぬよ」

「そういうことね。それじゃあ無理かな」

 

 そして結論が出た。二人揃って恐ろしい観察眼だ。彼女の今後に幸あれと八幡は願った。

 

 気付けば時刻は夕方。界龍第七学園に向かって三人は歩いていく。

 そして帰途の途中、范星露がポツリと呟いた言葉を、聞いた人物はいなかった。

 

「――――しかし中々に興味深い。一芸に特化しておるという点も面白い相手じゃった。ふむ、少し真面目に考えてみるか」

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――どういうことですか?」

 

 夜も更け、深夜に差し掛かろうとする時間。

 クローディア・エンフィールドは暗闇の中、光り輝く空間ウィンドウを見て嘆きの声を上げる。普段の彼女の態度を知る人物がいたら、とても信じられない態度と声色だ。

 

「こんな事があるなんて――――流石に想定外です」

 

 何度もウィンドウに目を通し、そして確認する。しかし結果は変わらない。変わるわけがないのだ。

 

「―――刀藤綺凛さんが界龍に入学。まさか本当だったとは」

 

 自身の純星煌式武装《パン=ドラ》を睨み付ける。しかし何の反応もない。そしてクローディアは自身の心の苛立ちの感情を自覚する。

 

「落ち着きなさい、クローディア・エンフィールド。慌てても事態は解決しません」

 

 深呼吸をして落ち着きを取り戻す。感情的になってもいいことは一つもないのだ。

 

「まずは状況を整理です。今日の昼、夜吹くんから刀藤綺凛さんの情報を聞かされました。それが彼女の界龍への入学。そして緊急案件として夜吹くんに調査を依頼。そして今、結果が返ってきた……」

 

 その結果が――――刀藤綺凛の界龍第七学園入学確定の事実だ。

 

「ははっ、本当にどうしましょうか?」

 

 全身の力が抜け、思わず自身に問いかける。そんな無意味な行動を取るほどに、彼女の心は乱れ切っていた。

 

 ――――少女は自身の計画の破綻を自覚していた。

 

「……起こったことは仕方がありません。しかし問題なのは―――」

 

 クローディアはパン=ドラを持ち上げる。そして起動すると双剣が現れた。

 

「パン=ドラが見せる未来は絶対です。しかしコレが故意なのか、そうでないのか。それが問題です」

 

 パン=ドラは保有者に数秒先の未来を見せる。しかしその代償は厳しい。その代償は、夢という形で未来に起こり得る数多の死を体験させられる。しかも眠りに付けば必ず発動し、逃れる術はない。

 

 その代償故にパン=ドラの保有者は数が少ない。そして過去の保有者で無事な者は一人としていない。全員精神が病むか、崩壊してしまっているからだ。クローディアが無事な時点で、彼女の精神力の強さが伺える。

 

「今まで見た未来で、刀藤さんの界龍入学はなかった。数多の未来を見てきましたがそれが事実、でした」

 

 クローディアはパン=ドラの代償を逆手に取った。悪夢という形で未来の死を垣間見る。しかし数多の未来を見れば、その中で確定した未来がいくつか存在することに気付いたのだ。

 

 ――――その中の一つが刀藤綺凛の星導館入学だった。

 

 来年の春、刀藤綺凛は叔父を伴って星導館に入学する。そして一ヶ月以内に、序列一位を獲得。それが確定した未来―――のはずだった。

 

「この子は本当に意地悪ですね。これが故意なら許せませんよ」

 

 純星煌式武装は意志を持つ。それはある程度知られた事実だ。そしてクローディアは、パン=ドラの意志は意地悪で捻くれ者。そう思っている。

 何しろ毎夜、数多の死を見せてくる純星煌式武装だ。それも数多の人物、数多の方法で殺しに来るのだから、そう思っても仕方がないだろう。

 

 そしてこのパン=ドラは、クローディアが希望を持つこと嫌っていると考えられる。それは自身の親しい人ほど悪夢の出現率が高いからだ。そんな手段を用いて、クローディアの心を折りにくる。今回もその手段の一つだろう。

 

 ――――パン=ドラはこの未来を知っていた。しかし態と私にその未来を見せなかった。その可能性が高いですね。

 

 故意ならばいつもの事。しかしそうでないならパン=ドラ以上の力が働いていることになる。流石にそれはありえない。

 

「はぁぁぁぁーー。ふぅぅぅぅー」

 

 クローディアは大きく深呼吸をする。そして身体を動かそうとする。しかし全身の力が入らない。希望は薄れ、そして絶望の心に押しつぶされそうになる。

 

 ――――しかしクローディアは諦めない。彼女には大切な夢があるから。

 

 パン=ドラの柄に無理やり力を入れる。そしてパン=ドラを睨み付けて宣言する。

 

「この程度で諦めると思いましたか? 残念ですね。私は必ず自身の望みを叶えてみせます」

 

 彼女には夢がある。望みがある。小さい頃から願い続けた、たった一つの小さな願いが。それを叶えるためなら、それこそどんな手段でも用いる覚悟がある! 

 

 そう決断すれば後は早い。自身の思考を一度クリアにして冷静さを取り戻す。そして目的を再確認し、不足しているものを確認する。今の季節は夏。来年までまだ時間が残っているのは、不幸中の幸いだ。

 

「―――刀藤さんのことは諦めるしかありません。ならば代わりの人物の選定です。今日から徹夜続きですね……でも、私は諦めませんよ」

 

 クローディア・エンフィールド。

 

 ――――彼女の悲願への道は果てしなく遠い。

 




三人でお出掛け。
ヴァイオレット、万有天羅に喧嘩を売る。
クローディア、ハードモードを自覚する。

以上三点でお送りしました。

今回の話で夏休みは終了。次回からは二学期です。

誤字、脱字、感想等あれば、よろしくお願いします。


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第二十八話 界龍での新生活

なんか調子がいいので投稿します。


 早朝。部屋の中にウィンドウが現れ、目覚ましのアラームが鳴り響く。するとその音に反応し、一人の少女が目を覚ます。そしてすぐさま起き上がりアラームを止めた。

 

「う~~~ん。朝、ですか」

 

 少女はベッドから出て伸びをする。そして部屋の中を一望する。実家の和室とは違う部屋は、まだ少々慣れぬ所があるが、時間が経てばその内慣れるだろう。

 

 ふと隣のベッドを確認する。そこには同室に配属されたルームメイトがまだ眠りの中にいた。

 一瞬、起こすかどうか悩む。先日も遅くまで勉強していたことを知っているからだ。しかし、起こさないと後で文句を言われてしまうので、さっさと起こしにかかる。

 

 少女はルームメイトを起こすため、肩を軽く揺さぶる。

 

「留美ちゃん、朝だよ。起きて」

「……………うぅ、ん」

 

 しかし軽く反応はするが目覚めない。仕方ないので、もう少し強く揺さぶってみる。

 すると留美と呼ばれた少女が反応した。

 

「………おかあ、さん?」

「お母さんじゃないよ。ほら、起きて」

「……………う、ん」

 

 ルームメイトはまだ完全に目覚めていないようだ。最も少し前まで二人とも実家で暮らしていた身だ。間違えるのも無理はないのかもしれない。そして少女は苦笑する。自分も少し前に同じことをしてしまったな、と。

 そんなことを思っていると、ルームメイトの目が開かれ少女へと話しかける。

 

「………………き、りん?」

「そうだよ。おはよう、留美ちゃん」

「……うん、おはよう。綺凛」

 

 二人の少女―――刀藤綺凛と鶴見留美。

 界龍第七学園に入学して二週間が経った早朝の出来事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「留美ちゃん、大丈夫?」

「………うん、大丈夫」

「まだ寝ててもいいんだよ。学校までは時間あるから」

「……やだ」

 

 綺凛は寮の廊下を歩きながら隣の留美へと問いかける。しかしその問いは否定された。絶対に一緒に行くという意思が感じられる。

 その頑なな態度に綺凛は苦笑する。彼女がそこまで頑張る理由は一つしかない。しかしルームメイトとしては彼女の体調が心配だ。彼女が毎日夜遅くまで勉強しているのを知っているからだ。

 

 一階に降りて寮の扉を開ける。季節は九月。日が昇るのが遅くなってきた影響で日はまだ昇っていない。真夏の暑い日を多少過ぎたが、まだまだ日中の暑さは続いている。しかしこの時間は多少涼しさが感じられるため、さほど問題はない。

 

 二人駆け足で目的地へと向かう。身体を動かす内に眠気が多少覚めてきたのか、留美の方も足取りが軽くなってきた。そして数分後、二人は目的地へと到着した。

 

「―――お待たせしました!」

「……お待たせ」

 

 目的地には二人の人物が待っていた。その二人へ朝の挨拶を交わす。

 

「おはようございます! 八幡先輩! 陽乃先輩!」

「……おはよう、八幡、陽乃さん」

「おう、おはよう」

「おはよう、二人とも―――あら?」

 

 陽乃が何かに気付いた。

 

「留美ちゃん。眠そうだけど、大丈夫?」

「どうした、ルミルミ。寝不足か?」

「……大丈夫です、問題ないから。っていうか、ルミルミ言うな、バカ八幡」

 

 留美がつっけんどんに八幡に答える。その答えに綺凛は補足する。

 

「えーと、昨日遅くまで勉強してたみたいです。それで少し眠気が……」

「治療院の勉強? あんまり無理しちゃだめだよ。まだ小学生なんだから、ちゃんと寝なきゃ駄目だよ」

「………うん。分かった」

 

 陽乃の問いに素直に頷く留美。疑問があった八幡は留美に尋ねる。

 

「楽しいか、治療院は?」

「―――うん、楽しいよ。今はまだ簡単な治療しかさせてもらえないけど。先生が言ってたんだ。私の能力は、知識が増えれば怪我だけじゃなくて、病気も治せるかもしれないって」

「頑張ってるもんね、留美ちゃんは」

 

 留美は楽しそうに少し笑う。

 アスタリスクでは、治療系の能力者は直轄の治療院に集められる。それは、どの学園の生徒でも平等に治療が受けられるように考えられた制度である。

 その為、鶴見留美も例にもれず治療院に通うこととなった。だが毎日ではなく定期的にである。彼女はまだ小学生なので、無理はさせられないという治療院の方針だ。

 

「さて皆。出発しましょうか」

『―――はい』

「―――うす」

 

 陽乃の掛け声を皮切りに四人はランニングを始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁぁぁっ!」

「おっと! 危ない、危ない」

 

 ランニングが終われば朝の鍛錬の始まりだ。綺凛は陽乃と対峙し、彼女に向かって刀で攻撃を繰り返す。しかし陽乃は軽やかに回避。明らかに余裕が感じられる。

 

「そこっ!」

「ふっ!」

 

 振り下ろした斬撃に対し半身をずらして避けられる。同時に刀の持ち手を押さえられ、動きが制限される。その隙に懐に入られ、顎下前に掌底を繰り出され五センチ前で止まった。これで決着が付いた。

 

「―――はい、わたしの勝ちだね」

「はい……ありがとうございます」

 

 また負けてしまった。今日だけで三連敗だ。悔しい気持ちを抑え、隣を見ると八幡と留美の稽古姿が見える。八幡は留美に向かってゆっくりと刀を振り下ろす。

 

「いくぞ」

「―――こう、かな?」

「そうだな。そのタイミングだ」

「そして―――こうっと!」

「ぐへぇ……」

「あ、ごめん」

 

 留美が八幡を投げ飛ばした。投げられた八幡は地面へと叩きつけられ―――辛うじて受け身を取れた。これも日頃の鍛錬の賜物だろう。

 

「……大丈夫、八幡?」

「ああ、大丈夫だ」

「ごめん、なさい」

「問題ないって。ほら、続きやるぞ」

「―――うん」

 

 二人は鍛錬を再開した。先程と同様に二人はゆっくりと動き出す。二人がゆっくり動いている理由は、留美の合気道の動きの確認と、武器に慣れさせるためである。留美は今まで同じ合気道の相手しか戦ったことがない。その為、武器への恐怖感を薄れさせるのが必要だからだ。

 

 二人の稽古を眺めていると陽乃が隣へと来た。

 

「綺凛ちゃん。ちょっと聞いてもいい?」

「はい、なんでしょうか?」

「綺凛ちゃんは体術を習う気はある?」

「―――体術、ですか?」

 

 陽乃の質問に思わず問い返す。

 

「そう体術。剣術に関してはわたしが言うことは何もないわ。むしろその年でその腕前なのが信じられないぐらい。近距離戦なら、わたしも近い将来追い抜かされるかもね」

「そう、でしょうか?」

 

 陽乃の絶賛に疑問を抱く。陽乃の実力は本物だ。このまま成長してもすんなり勝てるとは思えない。

 

「でもそんな綺凛ちゃんにも明確な弱点があるわ―――何か分かる?」

「そう、ですね……」

 

 陽乃の問いを考える。そしてこの二週間で戦った記憶を思い出す。八幡の言っていた通り、強い先輩ばかりで敗北ばかりしていた。その原因を幾つか考え―――

 

「やはり接近戦でしょうか? 師父に大師兄、それに趙先輩に陽乃先輩。皆さんに懐に入られて負けてます」

「正解。綺凛ちゃんが強いのは間違いないわ。その年でその強さなのが信じられないぐらいにね。だからこそ弱点は潰す必要がある」

「―――はい。でも、わたしは本格的な体術は経験がなくて……」

 

 綺凛は自身の経験を口に出す。彼女は今まで剣術しか体験したことがない。

 

「大丈夫大丈夫。重点に置くのは懐に入られた時の対処法よ。綺凛ちゃんの強さである剣術を歪ませるような稽古はしないつもりだから。例えば、懐に入られて投げられる。もしくは、さっきみたいに刀を抑えられたときの対処法とかね。習っておいて損はないと思うよ」

「確かに。それはとても助かります……でも、皆さん自分の鍛錬があるのにお邪魔にならないでしょうか?」

 

 伺うように綺凛は問う。それに対し陽乃はきょとんとした顔を見せる。少し考え、何かに納得した陽乃は笑顔を浮かべる。そして綺凛の頭を撫でた。

 

「あ、あの。陽乃先輩?」

「あら。聞いてた通り、いい撫で心地ね」

 

 突然の行動に綺凛は驚く。そんな彼女に陽乃は優しく微笑む。

 

「大丈夫よ。可愛い後輩に教えるぐらいなんてことないわ。皆喜んで教えてくれる。勿論、わたしも含めてね」

「は、はい」

「ふふっ、綺凛ちゃんは可愛いわね~~」

 

 そのまま撫で続ける。綺凛は頬を紅くして成すがままの状態だ。

 八幡から聞いていた通り素直でとても良い子だ。この子なら他の人たちも力になってくれるだろう。

 

 陽乃は綺凛の頭から手を離す。

 

「ただし、稽古は厳しいわよ。覚悟はいい?」

「はい、もちろんです! よろしくお願いします!」

「うん、任されました。じゃあ続きいくよ」

「―――はい!」

 

 綺凛は元気よく返事をした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝の鍛錬が終わると一度部屋へと戻る。そして急いでシャワーを浴びてから制服に着替える。そして次は朝食の時間だ。寮には食堂があるので毎朝そこで食事をとっている。そして再び部屋へと戻ってから学校へと向かう。

 

「綺凛、準備できた?」

「うん。出来たよ」

「じゃあ、行こっか」

「―――うん」

 

 二人で寮を出て初等部へと向かう。寮から初等部へはかなり近い距離だ。界龍第七学園の初等部は小学一年生から通えるため、それに合わせた配慮だ。歩いて十分もしない内に校舎へと辿り着いた。

 

「今日の一時間目なんだったかな?」

「確か社会だったよ」

「あ、そういえば今日理科の小テストあるんだっけ」

「うん。まだ時間あるから後で確認しよう」

「そうだね」

 

 日常の会話をしながら教室へと向かう。アスタリスクの学校なだけあって生徒の殆どが星脈世代だ。通常、アスタリスク以外では非星脈世代が多く、星脈世代は少数の立場だ。その為、彼らは恐れられるか疎まれるか、もしくは苛めの対象になることが結構多い。勿論、みんな仲良く過ごしている子供たちもいるが、それは少数派だろう。

 

「おはよう綺凛ちゃん、留美ちゃん」

「おはよ~」

「おはよう」

「うん、おはよう」

 

 教室に入ると、同じクラスの女子生徒が話しかけてくる。男子は男子グループに、女子は女子グループに。それぞれに分かれるのは普通の学生と一緒である。

 

「今日も二人は朝から稽古してたの?」

「そうだけど」

「へ~~」

「ど、どうしたの?」

 

 女子生徒の目の色が変わる。何やら興奮しているようにも見受けられる。

 

「だって噂で聞いたよ。二人が年上の男の人と毎朝熱い時間を過ごしてるって」

「え、ええ~! な、なんでそんな噂が」

「……それ、本当?」

 

 その話を聞き驚く綺凛。しかし留美はその噂を疑い、女子生徒に詰め寄る。視線を鋭くして相手の目を見つめる。

 

「う、うぅぅ。ごめんなさい。嘘です」

「やっぱり。おかしいと思った。陽乃さんも一緒なのにそんな噂が流れるわけがない」

「あ、そうだよね。でもどうしてそんな嘘を言ったの?」

「………噂が流れてるのは本当よ。四人で毎朝稽古してるって。それに相手の二人は界龍でも有名人らしいじゃない。しかも一人は年上の男の人。だから気になるのはしょうがないじゃない」

「……趣味が悪い」

「あ、あはは」

 

 ジト目になる留美と苦笑する綺凛。しかし女子生徒の言い分も分からなくはない。小学六年の自分たちが、毎朝年上の男の人と一緒というのは確かに目立つからだ。

 

「はーい。授業始めるわよ~」

「あ、先生来ちゃった。続きは後でゆっくり聞かせてもらうわ」

「え~と、話せることなら別にいいけど」

「綺凛、こういうのは真面に相手しちゃ駄目」

「そ、そうなのかな?」

「あはは、じゃあ次の休み時間にね」

 

 そういうとそれぞれ席へと戻る。そして午前の授業が始まるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 午前の授業が終わり昼休みの時間となった。生徒にとっては待望の昼食の時間だ。

 

「じゃあ、行きましょうか」

「うん。そうだね」

「今日は何食べよっかな」

「わたしは和食かな」

 

 クラスメイトと共に食堂へと向かう。いつも行くのは近場の食堂だ。その食堂は初等部専用で校舎からも近く、初等部の生徒には料金が発生しないのが特徴である。

 

 そして皆で向かう途中―――突如上空から人が降ってきた。その人物は空中でぐるりと一回転し、体勢を崩しながらもなんとか地面に着地した。

 

「くっ! あぁ、やばかった……」

 

 降ってきたのは范八幡だった。いきなりの登場にクラスメイト二人は固まってしまう。しかし綺凛と留美には見覚えのある人物だった。

 

「……八幡先輩?」

「……八幡、何してるの?」

「おお、綺凛にルミルミか。いや、ちょっとな」

 

 言葉を濁す八幡。そして八幡は辺りをキョロキョロ見渡し―――そして叫ぶ。

 

「やべっ! 見つかった!! 悪い二人とも。またな」

 

 そう言い残し、八幡は高速でその場を立ち去った。そして八幡の姿が見えなくなった直後、もう一人誰かが上空から現れる。すると綺凛と留美の前に空間ウィンドウが出現した。

 

『やあ、二人とも。元気~』

「―――アレマさん」

「―――どうしたんですか? アレマさん?」

 

 界龍の工作員 アレマ・セイヤーンの登場である。

 

『いやさ、最近八幡が相手しくれないからさ。ちょっと探してるんだけど、二人とも知らない?』

「え、えーとそれは……」

「八幡ならアッチに行ったよ」

 

 留美は素直に八幡の向かった方を指さした。

 

『おぉ、アッチか。ありがとね』

「うん。いいよ」

 

 礼を言うとアレマは素早く立ち去っていった。

 

「……よかったの、留美ちゃん?」

「八幡のこと?」

「うん。アレマさん相手だと午後の授業に支障が出そうだよ」

「大丈夫。八幡、隠れるの上手いから。アレマさん相手でも逃げ切れるよ」

「そ、そうなんだ」

 

 心配する綺凛に留美は大丈夫だと太鼓判を押した。授業が始まるまで逃げ切れば勝ちなので、八幡が勝つ可能性は高い。留美はそう判断した。

 

「ほら、いつまでも固まってないで。行くよ、二人とも」

「だ、大丈夫?」

「―――あ、うん。大丈夫」

「いきなり現れた光景に驚いて止まっちゃったわ」

 

 留美と綺凛が声を掛けると二人のクラスメイトが再び動き出す。

 

「ところで、留美ちゃん。あの男の人、誰? 知り合いなの?」

「………ないしょ」

「えー教えてよー」

「……駄目」

 

 留美を問いただすも要領を得ない。仕方ないので標的を変更する。

 

「じゃあ、綺凛ちゃん。教えて」

「えーと、うん。あの男の人が毎朝一緒に鍛錬してる人だよ」

「あーやっぱり! そうじゃないかと思った!」

「だよね! 二人とも、いつもと全然違ったもんね!」

「分かる分かる! 雰囲気っていうの? それが別物だったもん」

 

 興奮するクラスメイト。このまま放っておいたら、余計なことになりそうだ。

 

「いこっ、綺凛」

「え、う、うん」

 

 留美が綺凛の手を繋いで走り出した。嫌な予感がするため、一刻も早くこの場を離れた方がいい。

 

「あ~~まってよ、二人とも」

「そうよ! もっと詳しく聞かせてもらうんだから!」

 

 クラスメイトの好奇心から逃げるように立ち去る綺凛と留美。その二人をクラスメイトは追いかけるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 午後の授業が終われば後は自由時間だ。寮に帰るもよし、部活に専念するもよし、街に繰り出す選択肢もあるだろう。

 そして刀藤綺凛と鶴見留美の予定はもう決まっている。

 

「留美ちゃんは今日は治療院だっけ?」

「うん。今日は治療院でお手伝い。綺凛は木派だっけ?」

「ううん。今日は違うよ」

 

 綺凛は首を横に振る。

 普段の鍛錬では木派や水派を訪れることもあるが、今日は違う。

 今日訪れるのは―――

 

「―――今日は黄辰殿だよ。大師兄が相手してくださるみたい」

 

 刀藤綺凛は気合十分だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁぁぁっ!!」

「…………」

 

 気迫の掛け声と共に暁彗へと駆け出す。瞬時に距離を詰めての斬撃。相手の校章を狙い、最短距離で攻撃を仕掛ける。しかし暁彗に焦りはない。手持ちの棍を移動させ刀の攻撃を簡単に止めた。

 

「ふっ! はっ!」

「………………」

 

 棍から刀を引き連続突き。しかし棍の側面で受け流される。このままでは相手の防御を打ち崩せない。なら相手の隙を作るのみ! 

 瞬時にそう判断。さらに突きを繰り出す―――と見せかけ、今度は間合いを詰める。

 

「そこっ!」

 

 綺凛の視線は校章を捉える。こちらの狙いを校章と見せかけ―――綺凛の姿が消える。いや違う。膝を曲げ、腰を落として暁彗の視界から逃れる。そうして相手の意表を付いてからの下段攻撃! 

 

「くっ!」

「…………」

 

 しかしそれも無情に止められる。棍を地面へ勢いよく下ろし、下段攻撃を見事に防がれた。

 

「っ! ならっ!!」

 

 埒が明かずバックステップ。一端距離を取る。しかし暁彗は沈黙。その場で足を止めたままだ。

 

「ふぅぅぅぅ」

 

 綺凛は集中し星辰力が吹き荒れる。それらを刀へと集中。さらに少量の星辰力を脚部へ集める。少量なら今の自分でも扱える。そう判断してのことだ。

 

 これで勝負だ! 

 

「―――いきます!」

「………こい」

 

 宣言と同時に加速。瞬時に間合いを詰め―――最速のスピードで抜刀を放った! 

 

「………だめ、ですか」

「………」

 

 綺凛の必殺の一撃は、暁彗は棍の中心部分で受け止めていた。

 それを見届け、綺凛は再び暁彗から距離を取る。

 

 ―――強いです。本当に、本当に感服します。まさか此処まで通用しないなんて。

 

 界龍第七学園 序列二位 武暁彗 二つ名は覇軍星君。綺凛はその実力の一端に冷汗を流す。こちらの攻撃はすべて防がれ、かすり傷すら負わせることが出来ない。

 

 しかも相手はその場から一歩も動かずにだ。その実力には感嘆するしかない。先程まで攻めていたのは、こちらが押していたからではない。攻めさせてもらえただけだ。そしてこちらの攻撃は終わった。

 なら次は―――

 

「………今度はこちらの番だ」

「っ!」

 

 ―――武暁彗が動いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「綺凛もよう動く。じゃが暁彗には届かぬか。まあ分かっておったことじゃがな」

「…………」

 

 二人の戦いを見学しながら、星露は一人呟く。

 

「しかしあの綺凛の闘志は素晴らしい。そうは思わぬか?」

「…………う」

 

 星露は己の真下へと話しかける。そこには一人倒れている人物がいて、星露はそこへ腰かけている状態だ。彼女の声に反応し呻き声を上げる。

 

「ほれ、おぬしもしっかりと見学しろ。多少は回復したじゃろう、八幡」

「……うる……せぇ」

 

 呼ばれた八幡は立ちあがろうとする。しかしダメージが酷く起き上がれない。唯一動かせる顔を横へと動かし、二人の戦いに視線を向ける。その状態で呼吸を整え、回復を早める。

 

「……押されてるな」

「なすすべもない、と言った感じじゃな。実力差から見れば妥当な所よ」

 

 暁彗の攻撃を綺凛は辛うじて防いでる。だが長くは持ちそうにない。ましてや反撃に転じる隙などまるでない。

 

「このまま決まりそうだな……」

「そうじゃな―――――む」

「……どうした?」

 

 星露の目が細まる。そして何かに気付いた彼女はニヤリと笑う。

 

「……少々、風向きが変わるやもしれん」

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――はっ!」

「―――くぅっ!!」

 

 暁彗の棍の一撃を辛うじて弾く。しかし休み暇はない。次の瞬間には別の攻撃が目前に迫る。それを半歩ずれるように回避。だがその動きが読まれる。そしてまたもや顔面狙いの一撃。これを首を捻って辛うじて回避。身体が傾きそのまま体勢が崩れる。次の一撃―――間に合わない! 

 

 迎撃―――無理。回避―――無理。なら全星辰力を前面に集中! 防御態勢を取りダメージを減らす―――棍が腕に直撃。衝その衝撃で後方へと吹き飛ばされた。

 

「あぁっ!」

 

 身体が地面に叩きつけられる。直撃を僅かに避けたが、痛みが多少緩和されたに過ぎない。

 

「………終わりか?」

「…………………まだ、です」

 

 暁彗の問いかけを否定する。意識はある。身体もまだ動く。なら諦める理由は一つもない。痛む身体を無理やり動かし立ち上がる。動かすたびに手と足に痛みが走る。

 

 ―――このままじゃやられちゃう。相手の方が強いのは確実。わたしでは敵わない。ならどうする? 何が足りない? 星辰力? スピード? 技術? ううん。そうじゃない。

 

 綺凛は思考に耽る。もっと強くなりたい。もっと長く戦いたい。思考に深く潜り可能性を探る。

 

 ―――足りないのは反射神経。それがわたしには足りないんだ。ならどうする? どうする? どうすればもっと戦える? 

 

「―――これで終わりだ」

「……………」

 

 武暁彗が動く。こちらへ止めを刺さんと一直線に駆け出した。こちらはまだ動けない。もう駄目かと、そう思った時だ。

 その瞬間、視界が切り替わった。こちらに向かってくる暁彗の動きが突如スローに見えた。理由は分からない。だがお陰で状況に対応できる。

 

 突き出される棍の一撃を上から刀で抑えて流す。さらにもう一度、別角度から来る攻撃を今度は刀で払いのけた。暁彗が僅かに驚きの表情を見せる。

 先程まで碌に見えなかった攻撃が見える。対処が出来る! まだ戦える! 

 

 ―――わたしは、わたしは、もっと強くなりたい!! 

 

 綺凛は自身の瞳の奥がジリリと熱くなるのを感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……動きが変わった?」

 

 八幡は思わず呟く。綺凛の動きが突如変わった。先程まで碌に対処できなかった攻撃。それを見事に対処できるようになってきている。だがこれは普通ではない。強くなったのはいいが、何処か危うさを感じる。

 どちらにせよ決着はもうすぐ付く。八幡はそう確信した。

 

 一方、綺凛の心中は忙しい。突如出現した自身の変化。それに対応しながら必死に戦っていた。

 

 ―――攻撃が見える。今まで以上にはっきり見える。こんな世界があったなんて。

 

 暁彗が放つ無数の棍の連撃。それに対しこちらも刀による連撃。結果、一歩も引かずにすべて払いのける。そして僅かに生じる隙。それに合わせ踏み込もうとする。が、しかし神速の棍の一撃に機先を制され、踏み込めない。

 

 ―――近づけない。まだ届かない。ならもっと早く! もっと深く! もっと先まで!! 

 

 目の奥がさらに熱くなる。同時に相手の動きがさらに見える。棍の連撃が同時に放たれる。連撃の僅かな隙間に身体を入り込ませさらに進む。すると罠だとばかりに神速の一撃が飛んできた。

 

 その棍の一撃をまるで読んだかのように躱し―――踏み込んだ。

 

 

「―――そこまでじゃ!!」

 

 

 范星露の叫びが辺りに響く。そして二人の動きが同時に止められる。星露が両者の間に立って武器を掴んでいたからだ。

 星露はそれぞれの武器を離す。すると暁彗は何も言わずに引き下がった。星露は残った綺凛へと近付く。

 

「ご苦労じゃったな、綺凛。ほれ、少し屈め」

「………え? は、はい」

「よし、少し目を見させてもらうぞ」

 

 綺凛の瞼を軽く押さえて目を覗き込む。目の瞳孔を観察しながら綺凛と話す。

 

「さて、綺凛。先程の自身の状態をどこまで把握しておる?」

「えーと、相手の動きがよく見えました。攻撃の出どころ、速さ、そして……」

「流れが見えたか?」

「………はい」

 

 戸惑いながらも綺凛は頷く。

 

「―――よいか綺凛。先程感じたそれは、おぬしが近い未来に至る境地じゃ。しかし少しばかり早い。もう少し我慢せよ。その目に負担が掛かりすぎる故な」

「―――はい」

 

 星露の忠告に綺凛は深く頷いた。そして星露は観察を終え立ち上がる。

 

「ふむ、視神経が少しばかり傷ついておるな。治療院に行った方がいいじゃろう」

「そ、そうなんですか?」

「うむ、目に負担が掛かる技のようじゃなからな。とりあえず、今日の鍛錬はこれで終わりじゃ。この後治療院に行って医師に見せるとよい」

「分かりました」

 

 綺凛も立ちあがり部屋を立ち去ろうとする。

 

「ほれ、起きろ八幡。もう回復しておるじゃろう」

「………まだ駄目だ」

「ほう。そう申すか」

 

 轟音が鳴り響く。星露が八幡のいた場所へ拳を叩きつけた音だった。しかし八幡は回避していた。

 

「あ、危ねぇ」

「回復しておるではないか。折角じゃ、綺凛に付き添ってやれ」

「……は? いやまあ、それ自体は構わんが」

 

 八幡が綺凛を見る。

 

「―――いいのか?」

「は、はい! よろしくお願いします! 八幡先輩……あ、で、でも」

「あ、そういや先に汗流したいな。悪いが綺凛。その後で出発でいいか?」

「! はいっ分かりました!」

 

 八幡と綺凛は話しながら退出する。そんな二人を見て星露は愚痴る。

 

「やれやれ、世話の焼ける。それにしても―――」

 

 先程の綺凛の状態を思い起こす―――輝き始めた両の瞳を。

 

「才がありすぎて問題が起こるとは。やれやれ、これだから人は面白い」

 

 予想外の事態に楽しみながらも、思わず苦笑する星露だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「う~~ん。視神経が少し傷ついてるわね。点眼薬を必要ね。帰りにも渡すから朝昼晩の三回使ってちょうだい。それを数日使用すれば問題ないわ」

「はい。分かりました」

 

 所かわって治療院にやって来た綺凛と八幡。綺凛は医師の治療を受けていた。

 

「では、お大事にね」

「ありがとうございました」

 

 綺凛が診察室を出て待合室へと戻る。すると、鶴見留美が八幡と一緒に待合室で一緒にいた。

 

「―――綺凛」

「あれ、留美ちゃん? どうして此処に?」

「俺が連絡した。丁度ルミルミの勤務時間が終わる頃だったからな」

「ルミルミ言うな。まあそういう訳。一緒に帰ろ」

「うん!」

 

 三人で界龍へ戻ることになった。外へ出れば時刻は夕方。最終下校時刻まであと少し。なので寄り道せず戻ることになった。帰りがてら先程の鍛錬の話で盛り上がる。

 

「そんな事があったんだ。綺凛、あんまり無茶しちゃだめだよ」

「鬼気迫る勢いだったな。正直驚いたぞ。大師兄と普通にやり合ってたからな」

 

 それを聞いて苦笑する綺凛。

 

「……残念ながらそこまでは。大師兄も全力ではなかったですから」

「……まあ、確かに」

 

 綺凛の意見に同意する八幡。序列上位勢の実力はまさに化け物。二人は特にそれを実感している。

 

「皆凄すぎてわたしには区別がつかないよ。綺凛も八幡も充分強いのに」

「身内が凄すぎて、俺が強いなんてとてもじゃないが言えんぞ、ルミルミ」

「あはは、わたしもです。皆さん強い方ばかりですから」

 

 八幡は真顔で、綺凛は笑顔でそれぞれ否定する。両者共にまだまだというのは共通意見だ。

 

「さて、もうすぐ界龍だな。二人とも夕飯はどうするんだ?」

「いつも通り食堂に行く予定だけど?」

「そうか、なら黄辰殿へ寄ってかないか? 今日はお好み焼きの筈だから、二人が増えても問題ないぞ」

 

 八幡の提案に二人は顔を見合わせる。

 

「……わたしは別にいいけど」

「じゃあ、お邪魔させてもらってもいいでしょうか?」

「ああ、多分量は多いから沢山食べていいぞ」

「そんなには食べない……八幡はデリカシーが足りない」

「じゃあ遠慮なくいただきます」

 

 そんな雑談を交えながら三人は黄辰殿へと向かっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………ふぅ、こんなものかな」

 

 ノートから目を離して一息つく。これで今日の宿題は終了だ。

 夕食を食べてお風呂も済ませた。そして宿題も終わったので後は寝るだけだ。

 

「……留美ちゃんはどう? もう寝れそう?」

「うん。あと少し」

 

 綺凛は隣の机を覗く。すると治療院の教材を熱心に読み込んでいる留美の姿があった。

 

「昨日も遅かったから今日は寝なきゃ駄目だよ」

「……大丈夫……もうちょっと」

 

 生返事をする留美。それを聞いて綺凛は駄目だと判断。留美が読んでいる本を取り上げる。

 

「あ……」

「今日はもうおしまい。もう寝るよ」

 

 留美が抗議の視線を綺凛へ送る。その視線に真っ向から反抗する綺凛。二人が睨み合い―――勝ったのは綺凛だった。

 

「………分かった。今日はもう寝る」

「うん。ありがとう、留美ちゃん」

 

 そして二人は寝ることになった。ベッドへと入り明りを消す。

 

「お休み、綺凛」

「お休み、留美ちゃん」

 

 瞼を閉じて寝る体勢にはいる。だがすぐには眠れない。鍛錬のときに感じた興奮がまだ収まらないからだ。

 

 ―――今日のアレはなんだったんだろう? ……凄かった。まるで世界が変わったかのようだった。

 

 未だ体感したことのない世界。アレを使いこなせればさらに強くなれる。そう確信が出来るほどに。

 

 ―――ううん、だめだめ。師父も言ってたじゃない。まだ早いって。だから焦っちゃ駄目。

 

 首を横に振ってその考えを否定する。そしてふと気付く。そんな考えに至れるほど、自身の心のは余裕があることを。

 

 実家では自主鍛錬が主であった。故に自身がどれだけ強くなっているか、どれだけ強くなればいいか判断することが出来なかった。だから焦った。自身の心に余裕がなかった。

 

 だが此処では違う。

 

 強い人たちがたくさんいる。戦ってくれる人がたくさんいる。笑顔で笑いあえるクラスメイトも。気の合うルームメイトもいる。そして……好きだと思える人もいる。

 

 ―――明日も楽しみだな。明日は誰と……戦え……

 

 明日への楽しみを心に思いながら眠りにつく。微笑んだその寝顔は、彼女の満足具合を表している。

 

 ―――刀藤綺凛の生活は充実していた。




二学期突入。刀藤綺凛と鶴見留美の日常をお送りしました。

原作・アニメを見て思いましたが、綺凛ちゃんって案外界龍が合ってるとふと思いました。
序列一位は最強で確実に弟子になれる。戦闘狂揃いで戦う相手には不足しない。
彼女が界龍なら原作以上の強さになっていたと思います。

そんな考えが浮かんだので、綺凛ちゃんの界龍入りが決まりました。
案外悪い考えではなかったと思います。

誤字、脱字、感想等あれば、よろしくお願いします。


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第二十九話 秋の休日。そして決断

何とか完成したので投稿です。


 図書館の片隅の一角に八幡はいた。設置された椅子に座って、本のページをペラリと捲る。続けて書かれた文章をペースを上げて読んでいく。

 今読んでいる本は推理小説だ。生き残った数人の生存者の中、主人公が今回の事件の概要を説明している最中だ。此処まで来れば舞台は終盤。残った容疑者の中、犯人を導き出すのはそう難しくない。

 

「……犯人はやっぱソイツか。今回は当たってたな」

 

 思わず独り言をポツリと呟く。文章の中では、主人公が犯行のトリックを説明していた。このトリックは彼が予想していた犯人しかありえない。当たっていてなりよりだ。

 

 そして全ての謎が解け、犯人は自供した。動機は過去の怨恨。学生時代のトラブルからだった。あり触れた話ではあるが、作家の技量が高いため中々面白い話に仕上がっていた。

 

「ふぅ~~」

 

 本から顔を上げて上を見る。適当に選んだ本であったが、偶にこのような名作に巡り合えるから、本は良いものだ。余韻に浸りながらそう思った。

 

「……喉が渇いたな。何か飲み物買ってくるか」

 

 時刻は14時前。休日を利用して、図書館で数冊の本を読みふけっていたが、喉が渇いてきた。席を立ちあがり出口へと向かう。

 

 今日は日曜日のため授業はない。そして珍しいことに鍛錬もなしの完全休養日だ。なので朝からのんびりと過ごしている。街に出るのはめんどくさい為、気晴らしに界龍内にある図書館へとやってきたのだ。

 

「…………もう秋か」

 

 季節は秋真っ盛り。窓の外を見れば紅葉が色づき、成長の早い紅葉はもう散り始めている。

 図書館を出て近くにある自販機へと歩く。自販機の目の前で販売してるラインナップを見る。残念ながらMAXコーヒーはなかった。

 

 何を買うか迷い―――何となく紅茶を選択し購入する。購入したそれを取り出し、さっそく飲んでみる。

 

「普通だな……やっぱりあの味には勝てないか」

 

 悪くはないが所詮は市販品。あの部室で飲んだ味には遠く及ばない。そう思いながら紅茶をまた一口飲む。

 

「………色々、あったな」

 

 もうすぐ総武を離れてから一年が経つ。あの日は本当に色々あった。妹と戦い、銀行強盗と戦い、雪ノ下陽乃と戦い―――そして范星露と戦った。

 

「よく生きてたな、俺……」

 

 また一口紅茶を飲む。一歩間違えれば死んでいたのは間違いないだろう。

 その後の出来事は今でもはっきりと思い出せる。星露との生活。家族との別れの決断。冬の山での修行。そして先生との再会。

 

「それからアスタリスクに来たが、到着早々トラブルにもあったな」

 

 アスタリスクに到着してからも大変だった。雪ノ下陽乃との再会。グリューエルの救助。歌姫との遭遇。そして警備隊長との戦い。

 

「……アレは陽乃さんに完全に嵌められたな。しかし警備隊長は強かった。今でも勝てる気はしないな」

 

 そして界龍での生活が始まった。戦闘狂と連日戦えるのはある意味贅沢で、肉体的には過酷な日々だ。だが別に辛くはなかった。戦いの日々は成長を実感させてくれるからだ。

 

 そして精神的には穏やかな日々を送っている。総武時代とは違いこの学園の生徒はマトモである。厄介ごとを持ち込んでこないし、こちらを蔑んでもこない時点で比べるまでもない。

 

「……少しは変わったか、俺?」

 

 脳裏に浮かぶ二人の人物。趙虎峰とセシリーウォン。木派と水派を統括し、冒頭の十二人でもある重要人物だ。同じクラスの縁もあってか何かと気を掛けてくれている。八幡も気を許している二人だ。

 

「―――友達。そう思ってもいいんだろうか?」

 

 二人との関係は何か? 他者から見ればクラスメイト、友人、仲間。そう呼ばれる関係なのだろう。そしてあの二人もそう思ってくれてるのかもしれない。一緒にご飯を食べ、一緒に鍛錬をする。共に喜び、悲しみ、笑いあう。そんな関係を友人と呼ぶなら間違いないのだろう。

 

「…………本物、か」

 

 だが八幡にとってそれは軽く呼べるものではない。嘗て求めた理想。独善的で、独裁的で、傲慢で醜い自己満足な代物。それでもなお諦めずに追い求め―――だが、心の中では存在しないと決めつけているあやふやなものだ。

 

「―――雪ノ下。由比ヶ浜」

 

 その名を呼んで何も思わなくなったのは、本当に最近のことだ。同じ奉仕部の一員の二人。

 雪ノ下雪乃。一人は理想を掲げ、我が道を行き、孤高を貫く少女。由比ガ浜結衣。アホの子であったが、素直で優しさを持った少女。

 

「……どうしてるかね、アイツらは」

 

 最愛の妹、比企谷小町に関しては多少知っている。少し前に星露に聞いたら教えてくれた。両親が転職してブラック企業ではなくなった為、三人で過ごす時間が増えたそうだ……それなら兄がいなくても大丈夫だと、心の中で安心した。

 

 しかし雪ノ下雪乃と由比ヶ浜結衣の情報は入ってこない。雪ノ下陽乃は両親と縁を切ったと言っていた。本人も総武に戻ることはないと言っていた。なので彼女らの情報は入ってこない。

 

「まあ、考えるまでもないな。逃げ出した部員のことなんて忘れてるだろう」

 

 あの二人も中学三年で受験生だ。居なくなった元部員のことなんてとっくに忘れてるだろう。特に雪ノ下はそういう人物だ。由比ヶ浜は成績が悪く受験で忙しいだろうから、こちらを気にする余裕もないだろう。

 

「……本音で語るか。結局はそれが足りなかったんだろうな」

 

 悩みに悩み、考えに考え、八幡が出した結論はそれだった。星露が言っていた通り、自分たち三人にはそれが一番足りなかったのだろう。

 

 奉仕部に集まった三人。出会いは偶然だろうが、三人には事故という共通点があった。

 

 ―――由比ヶ浜結衣は助けた犬の飼い主。しかし病院に見舞いに来ることもなく、気付いたのは一年以上後のことだった。

 ―――雪ノ下雪乃は事故に会った時の車に乗っていた。しかし彼女もそれをすぐには話さなかった。こちらがそれを知ったのは彼女の姉から聞かされたから。

 

「……なんだ。最初から無理だったんじゃねぇか」

 

 事故については勝手に助けたこちらの責任だ。それをどうこう言う気はない。だが隠す必要はないだろう。奉仕部で会った最初の頃に、こちらが気付く前に言ってくれれば何も問題はなかったのだ。

 

「期待しすぎたんだな……あの二人には悪いことをした」

 

 冷静にそう結論付けた。漸く、漸く二人に対して一つの答えが出たのだ。

 

 要するに自分は求めすぎたのだ。自身の考えを、自身の理想を、それを勝手に二人に求め、押し付けた。だからあの二人が自分を否定してもいい。信じなくてもいい。ただ縁がなかった。それだけの話だ。

 

「それにもう会うこともないだろう。あの二人がアスタリスクに来ることもないしな」

 

 このアスタリスクは欲望の街だ。金と名誉と強さ。主にこの三つを求める星脈世代が訪れる。あの二人がそれを求めるとは思えない。だからアスタリスクに来ることはないだろう。

 

「さて、この後どうするか? もう一回図書館に「八幡くーん!」

 

 遠くから雪ノ下陽乃の声がした。そちらを見ると彼女がこちらに向かって歩いてきた。

 

 ―――何故か段ボール箱を数箱持ちながら。

 

「ふぅ、ちょっと休憩っと」

「何ですか、そのダンボール?」

 

 置かれたダンボールに疑問を抱いた。

 

「う~ん、ちょっとね。八幡くんはどうしたの?」

「図書館に居たんですが喉が渇いたので、水分補給中です」

「へ~~あら? 紅茶? 珍しい」

「まあ、偶には飲みたくなる時もありますよ……偶にはね」

「…………そう」

 

 穏やかに話す八幡。その様子に陽乃も穏やかに笑う。

 

「市販の紅茶じゃそんなに美味しくないでしょ。わたしが紅茶入れてあげよっか?」

「陽乃さんが、ですか?」

「そうよ。これでも雪ノ下家では一番上手よ。秘書の都築直伝なんだから」

「そう、ですか。なら今度お願いしてもいいですか?」

「OK。任しといて」

 

 笑顔で陽乃は了承した。

 

「そういえば、八幡くんはこの後暇?」

「いえ、特には。暇だから図書館で本を読むぐらいですけど」

「そっか。じゃあわたしの用事に付き合ってくれない?」

「陽乃さんの? ……めんどくさい用事は御免ですよ」

「あははっ、そんなんじゃないよ」

 

 そう言って陽乃は床に置いたダンボールの蓋を開けた。

 

「……サツマイモですか。どうしたんですか、これ?」

「ふふん。食堂のおばちゃんから貰ったんだ~」

 

 サツマイモを手に取り陽乃は告げる。

 

「―――秋と言えば味覚の秋。焼き芋パーティーしよっ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 連れてこられたのは界龍の外周付近。近くに小さな森がある広場だった。到着すると、既にそこには何十人もの生徒たちが待ち受けていた。殆どが初等部の小さい子たちだ。他には中等部、もしくは高等部と思わしき人が数人いた。

 

 陽乃の荷物を半分持ちながらそこに近付くと―――

 

「―――八幡」

「―――八幡先輩」

 

 鶴見留美と刀藤綺凛の二人が一緒にいた。

 

「二人もいたのか」

「うん。陽乃さんがよかったら参加しないかって」

「なんで準備を手伝っていました」

 

 二人の傍には別のダンボールが大量に置かれていた。さらにダンボールの上には焼き芋に必要なアルミホイルのケースが数本置かれている。そして少し離れた場所には落ち葉の塊が複数設置されていた。

 

「うん、これだけあれば充分かな。ありがとね、二人とも」

「いえ、わたしも楽しみです。久しぶりですから」

「わたしは初めて」

 

 二人の話を聞いて八幡は思い出す。

 

「ところで、落ち葉で焼き芋作るのって法律違反じゃありませんでしたっけ?」

「うーん。その辺りは地域によってバラバラみたいね。まあアスタリスクの学園は治外法権だから関係ないよ。警備隊も踏み込んでこないし」

「……それでいいんですか?」

「いいのいいの。上の許可は取ってるからね。問題ないよ」

「ならいいんですが……」

 

 許可が出てるなら言うことはない。きちんと管理すれば大丈夫だろう。

 

「さぁて、みんな! これからお楽しみの焼き芋パーティーを始めます!」

『はぁ~い!』

「うん、いい返事ね。じゃあその前に準備を始めるよ。サツマイモをアルミホイルで包みます……こんな感じにね」

 

 陽乃はサツマイモをアルミホイルで包んだ。

 

「それじゃあ皆でやってみよっか。分からなかったら、近くのお兄さんお姉さんに聞いてね。頼むわよ、アナタたち。フォローはよろしくね」

『はっ!』

 

 陽乃の問いに返事をする上級生。初等部の子たちを複数のグループに分けて作業を始めた。

 

「わたしたちもやりましょうか」

『―――はい』

 

 八幡たち四人も作業を始めた。ダンボールからサツマイモを取り出してアルミホイルで包む。それを繰り返し行っっていく。そしてしばらく時間が経った頃、全てのサツマイモを包み終えた。

 

「よし。準備OKね。みんなちょっと下がってね―――よっと!」

 

 陽乃は右手を左肩付近まで上げ―――そして真横に薙ぎ払った。

 すると、落ち葉の塊すべてに火が付いた。しかも同時にだ。火の勢いは強く高温で燃え盛っていく。

 

「わぁ~すごい燃えてる~」

「雪ノ下大師姉、すご~い」

「かっこいい!」

 

 子供たちは無邪気に喜ぶ。しかし八幡と綺凛は頬が少し引き攣る。今の現象である事実に気付いたからだ。

 

「八幡先輩。今のって……」

「言いたいことは分かる。複数の落ち葉を同時に発火。威力も同一にコントロールされてる。あれが実戦なら……」

「……任意の場所を複数箇所に渡って同時攻撃できるってことですよね」

「ああ、その通りだ。アレをいとも簡単にやってのけるから凄い人だよ、あの人は」

「そうですね。その通りです」

 

 二人で顔を見合わせ苦笑した。しばらく燃える火を観察していると、数分後に火が消えて熾火が完成した。熾火とは、炭や薪が燃え切って白くなりかけた状態のことだ。

 

「さて、じゃあサツマイモを入れましょうか。アナタたち準備をお願いね」

『はっ! 了解です!』

 

 上級生が包んだサツマイモを灰の中に入れていく。入れ終えたら、上から落ち葉を載せて蓋をする。すると隙間から煙が出てきた。後は出来上がるまで待つだけだ。

 

「さて、後は待つだけよ。出来上がるまでちょっと時間掛かるから、それまでは待ってね。あ、飲み物は用意してあるから受け取ってね」

 

 陽乃がそう言うと、上級生たちがダンボールの中から飲み物を取り出して配り始めた。下級生たちはそれを喜んで受け取っていく。そして子供たちは飲み物を飲んだり、熾火を見物したり、友達と話し込むなど自由な行動を取り始めた。

 

 雑談をしながら時間経過を待つ。途中で一度、サツマイモの向きを変えて焼き加減を調節する。そして向きを変えてさらに時を待つ。

 

 ―――そしてついに焼き芋が完成した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「うわ~おいし~」

「あま~い!」

「ホクホクしてる~」

 

 焼き芋を美味しそうに食べる子供たち。その様子を見ながら上級生たちも焼き芋を食べていく。

 八幡も渡された焼き芋を手に取り、アルミホイルを剥がす。そして食べようとしたが、熱くて食べられないことに気付く。

 

「ふーふーふー。はふはふ、うん。美味い」

 

 出来立ての焼き芋を食べたのは始めてだ。熱いのは難点だが、甘さが凝縮した感じでとても美味しい。

 

「……人が増えてきたな」

 

 大勢の人が集まっているのが気になったのか、他の生徒たちが大量に集まってきた。初等部から大学生、少年少女区別なくだ。陽乃が集めたスタッフが、忙しそうに新しい焼き芋を作っては渡していく。

 

「食べてるー八幡くん」

「陽乃さん」

 

 雪ノ下陽乃が傍にやって来た。

 

「ええ、いただいてますよ」

「そう、ならいいけど」

 

 満足そうに陽乃は笑う。

 

「………ところで一つ聞きたいんですが」

「うん? なに?」

「何で急にこんなイベントを? いや、美味いから別にいいんですけど」

「ああ、それね」

 

 陽乃は視線を巡らし辺りを見渡す。その視線を辿り八幡も辺りを見てみる。界龍の生徒たちが喜んで焼き芋を食べている姿があった。

 

「ねぇ、八幡くん。このアスタリスクにはどんな星脈世代が集まると思う?」

「……星武祭の優勝を夢見て。それが大半だと思いますが」

「そうだね。それが普通の星脈世代。星武祭の優勝で願いを叶えてもらう。そうでなくても、星武祭で活躍すればお金や名誉が手に入る。この界龍だと強さを求めてくる子たちも多いわ―――だけどね」

 

 初等部の子たちを見ながら陽乃は言う。

 

「初等部の子はね。親や親戚から見捨てられた、そんな子たちもいるのよ」

「………あんなに小さな子たちがですか?」

「そうよ。非星脈世代からすれば、わたしたちは化け物よ。親が子供を怖がって、厄介払いで界龍に子供を入学させる。そんなケースも結構多いのよ」

「それは………」

 

 陽乃の告白に言葉が出ない。それが本当なら救われないにも程がある。

 確かに星脈世代は化け物だ。普通の星脈世代でも、星辰力を集中させればマシンガンさえ通用しない。それだけの能力が星脈世代にはある。

 

「でも、この学園なら周りは殆ど星脈世代。子供たちも遠慮することはないわ……だからね。あの子たちにはこの日常を楽しんでもらいたいのよ」

「だからこんなイベントを?」

「そう。皆ではしゃいで、皆で遊んで、皆で楽しむ。そして少しでもいい思い出を作ってもらいたいわ。その手助けをしたまでよ」

「……そうですか」

 

 そう言った陽乃の顔はとても美しかった。子供たちを愛し、慈しみ、見守る。まるで女神のような―――

 

「おお! なんじゃこれは! このような催しをしておるとは聞いておらんぞ!」

 

 八幡が陽乃に見惚れていると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 

「あら、星露が来たわね。仕事終わったのかしら? ……どうしたの八幡くん? 赤い顔して?」

「っ!? い、いや、なんでもないでしゅ」

「? まあいいわ。わたしは行くけど八幡くんはどうする?」

「……俺も行きます」

 

 二人は星露の下へと歩いていく。当の本人はそれに気付いても、熾火の前から離れない。どうやら焼き芋の完成を待っているようだ。

 

「まだかのう? まだかのう? もういいのではないか? うむ、いいに違いないぞ」

「まだ早いわよ。後ニ十分は待ちなさい」

「なんじゃと! 儂のお腹はもうペコペコじゃ。何とかならんのか、陽乃?」

「無理だって。それより星露。仕事終わったの?」

 

 陽乃の問いに星露の身体がピクリと動いた。

 

「ま、まあ少し休憩を取っておるところじゃ。これを食べたらまた戻る。それで問題はなかろう」

「―――星露」

「どうした八幡? 何故そのような目で儂を見る」

「―――後ろ、見てみろ」

 

 星露は言われるまま後ろを見る。すると、一人の少年がこちらに猛ダッシュで向かってきていた。

 

「師~~父~~!!」

 

 趙虎峰の登場である。ダッシュで星露の下へ駆け寄ってきた。

 

「やっと見つけましたよ、もう! 急ぎの書類がまだ残ってるんです! 早く部屋に戻ってください!」

「い、いや。儂は今休憩中じゃから、な?」

「そんな暇はありません! 今すぐ戻りますよ!」

「くっ! このまま捕まる儂ではない。ここは一先ず「だ~め~だよ~」なっ! セシリーっ!」

 

 脱出を図った星露だが、後ろからセシリーに肩を掴まれる。そして虎峰とセシリーが星露の両脇を抱えて持ち上げた。

 

「さて、戻りますよ。師父」

「急ぎだからごめんね~師父」

「は、八幡! 儂を助けるのじゃ! 頼む!」

「………すまん」

「儂の焼き芋~~!!」

 

 星露はそのまま二人に連行されていった。それを眺めていた八幡は、隣の陽乃へと提案する。

 

「……陽乃さん。次に焼き芋出来たら持っていきたいんですけど、いいですか?」

「ええ、分かったわ。持っていきなさい」

 

 お土産に焼き芋を持っていくことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「よし、これだけあれば足りそうだな」

「八幡くん? ちょっと量が多くない?」

 

 八幡が持った焼き芋の量に陽乃が疑問を抱く。彼の持つ焼き芋の量が多いからだ。ビニール袋二つには大量の焼き芋が入っている。

 

「途中で差し入れしていくので、多分このぐらい必要かと」

「差し入れ? いったい誰に?」

 

 八幡は視線を辺りに巡らす。少し離れた先にある草むら、近場の建物の角、遠くの建物の屋根の上。それらを一瞥し確信を得る。

 

「うん、これぐらいあれば足ります」

「………ああ、なるほど。そういうことね」

 

 少し遅れて陽乃も気付いた。

 

「よく気付いたわね。じゃあ、冷めないうちにいってらっしゃい」

「はい。それではいってきます」

 

 八幡は焼き芋を持って歩き出した。最初の目的地は近場の建物。その角まで歩き話しかける。

 

「―――アレマさん」

『なに? 何か用?』

 

 何もない空間からアレマ・セイヤーンの姿が現れた。

 

「お仕事中すみません。これ、差し入れです」

『ちょっと数が多くない? あたい一人じゃ食べきれないよ』

「いや、皆さんの分です。これだけあれば足りると思ったんですが」

『……………は?』

 

 辺りを見渡しながら、片方のビニール袋を渡した。目算で見る限り一人一個はあるはずだ。

 それに対し、アレマの反応は遅れる。言われた台詞をすぐには理解できなかった。

 

「多分一人一個はあると思いますが、足りてますか?」

『………そういうこと。大丈夫、足りてるよ』

「それはよかった。じゃあ、俺はこれから星露の所へ持っていきますので」

『ああ、待たね』

 

 アレマは立ち去る八幡を見送る。そして彼が見えなくなった途端、彼女は笑いだす。

 

『ああ! ほんと面白いね、八幡は! 最っ高だよ!!」

 

 彼が渡した焼き芋の量。それは外回りで学園を見張っている暗部。その人数分は入っている。暗部の居場所と人数をいとも簡単に言い当てられた。普通の学生が出来ることじゃない。

 

『さっすが星露ちゃんが選んだ子だ。暗部に差し入れだなんて常人の発想じゃないよ』

 

 アレマはそのまま機嫌よく笑い続ける。戦闘以外でこんなに面白いのは久しぶりだ。彼女はしばらく笑い続け、そして外回り全員にメッセージを送った。

 

『―――全員集合。オヤツの差し入れだよ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 アレマと別れて、そのまま生徒会室までやって来た。中に人の気配はある。恐らくまだ仕事中だ。ノックをして部屋に入る。

 

「お疲れさん。調子はどうだ? ……まだ終わってないか」

「ああ、お疲れ様です。八幡」

「もうすぐ終わるよ~~」

 

 虎峰とセシリーが八幡に返事をする。そして残る一人は―――

 

「……八幡。この裏切り者め~~」

 

 恨めしそうにこちらを見ていた。しかしその反応は予想通りだ。手に持ったビニール袋を見せる。

 

「ほら、焼き立ての芋持ってきたぞ。終わったら食べていいから」

「なんと! それはでかした! すぐに終わらせるからな!」

 

 星露の作業がスピードアップした。残りの書類の量から見ても、そこまで時間は掛からないだろう。

 

「虎峰とセシリーもどうだ? 数はあるから、星露が終わったら一緒に食べるか?」

「食べる、食べる~」

「せっかくなのでいただきます。じゃあ僕はお茶入れてきますね」

「じゃあ、わたしは他の人呼ぶ~」

 

 そう言ってセシリーは端末を操作する。

 

「誰を呼ぶんだ?」

「双子たちだよ。今日は水派を任せてたからね~ご褒美だよ~」

「……じゃあ俺も人を呼ぶか」

 

 八幡も端末を操作し始めた。

 

「八幡は誰を呼ぶんですか?」

「梅小路先輩と大師兄だな……特に梅小路先輩は呼ばないと後が怖い気がする」

「あぁーなるほど。食べ物の恨みは怖いと言いますからね。いい判断です」

「じゃあ、みんなでオヤツの時間だ~~」

 

 みんなでオヤツを頂くことになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「うむ! 秋といえばやはり焼き芋じゃ! この甘さがたまらん!」

「…………美味だ」

「あまり食べ過ぎないでください、師父。夕ご飯が食べられなくなりますよ」

「はむはむはむ。うん、美味しい~」

「なんの呼び出しかと思えば―――」

「―――焼き芋の差し入れとはね。まあ、悪くはないわ」

「焼き芋どすか。秋にぴったりどすなぁ」

 

 全員で焼き芋を食べていく。少し冷めてしまったが、美味しいので問題はない。

 そして食べてる最中に、星露はふとある事を思い出した。

 

「む、そういえば八幡。これを見て見よ」

 

 星露は空間ウィンドウを一つ八幡へと流す。

 

「なんだこれ……王竜星武祭参加申込書?」

「ああ、もうそんな時期ですか」

「そうだね~締め切りまで後少しだったはずだよ~」

「陽乃が申込みしてましたなぁ。えらい張り切っとったわ」

 

 渡されたのは、王竜星武祭の参加申込書だった。

 

「で、これを俺に渡されてどうしろと?」

「うむ、せっかくじゃ。おぬしも王竜星武祭に「やだ」

 

 星露が言いきる前に拒否した。

 

「なんじゃ? 嫌なのか?」

「当たり前だろ。あんな見世物の大会に出るのは拒否する。しかも全世界に放映されるだろう。ヤダヤダ、俺は出ないぞ」

 

 問答無用で拒否する。他者が出る大会を見るのをいいが、自分が同じ立場に立つのは絶対拒否だ。

 

「八幡、まあ気持ちは分かりますけどね」

「慣れれば大丈夫だよ~」

「そういえば、二人は前回の鳳凰星武祭に出てたんだったな……確か準優勝だったか?」

 

 八幡はふと思い出す。趙虎峰とセシリー・ウォンは前回の鳳凰星武祭で準優勝だった。八幡の問いに答えたのは黎沈雲と黎沈華だった。

 

「そうだよ。二人はとても頑張っていたけど―――」

「―――優勝はアルルカントに持っていかれたわ」

 

 双子の言葉に苦笑するしかない虎峰とセシリー。

 

「―――あの時は未熟でした。次は負けません」

「そうだよ~次に戦ったら絶対勝つよ~」

 

 次戦えば必ず勝つと断言する二人。それに笑みを深めた星露は両手をパンと叩く。

 

「話がずれておるぞ。さて八幡。あくまで王竜星武祭に出る気はないと?」

「ああ、俺にメリットがまるでないからな」

「優勝すればどのような願いも叶えてもらえるぞ?」

「いや、孤毒の魔女がぶっちぎりで優勝だろ、知らんけど」

 

 八幡の言葉に苦笑するのは木派と水派の面々だ。

 

「いや、八幡。そうハッキリ言うのは問題が」

「雪ノ下大師姉が出るのよ。アンタ」

 

 双子が思わず突っ込みを入れる。双子からすれば怖いもの知らずにもほどがある。本人が聞いたらどんな反応をするか分からないから余計に怖い。しかし八幡は双子の考えを否定する。

 

「陽乃さんは気にしないんじゃないか。むしろ燃えるタイプだぞ、あの人は」

「そうじゃな。八幡の言う通り、陽乃は気にせんじゃろう。敵が強ければ強いほど燃えるじゃろうな」

「あー分かります。大師姉はそうでしょうね」

「それでこそ陽姉だね~」

 

 陽乃の反応が想像出来たのだろう。面々の脳裏に、いい笑顔の陽乃が浮かび上がった。

 

「しかし八幡。先程メリットがないから出ない。そう言うたの?」

「あ、ああ。まあ、そう言ったな」

「ふむ、じゃあこれを見てみよ」

 

 星露がもう一つウィンドウを送ってきた。そしてそれを見た瞬間―――八幡の動きが止まった。

 

「………おい、これってマジか?」

「マジじゃよ。優勝は出来なくとも、活躍した生徒には報酬が支払われる。まあ当然のことよな。で、どうじゃ? 出る気になったか?」

「くっ、いや、しかし……」

 

 考え込む八幡。先程拒絶したとは思えない態度だ。

 

「何見てるんやろか? 星武祭出場経験があるお二人さんは分かるん?」

「あー心当たりは一応あります」

「多分これだよ~~」

 

 セシリーは右手を上げ、親指と人差し指で輪っかを作った。その形が何を意味するかは一目瞭然だ。

 

「………い、いや、やっぱり駄目だ。報酬が合ってもデメリットの方が大きい」

「なるほど、じゃあこれならどうじゃ?」

「ぐぅっ、こ、こんなにか……いや、しかし……」

 

 ウィンドウが修正され報酬がさらにアップした。その報酬を見て、八幡の心は揺れ動く。

 

「うわー悩んでますねー」

「時間の問題だね~」

「そんなに報酬いいの? 星武祭って?」

「まあ統合企業財体がスポンサーだ。おかしくはないと思うよ、沈華」

 

 外野は文字通り見学気分だ。しかし皆、八幡が落ちるのは時間の問題だと思った。

 

「ふむ、まだ駄目か。仕方ない。奥の手を出すとしよう」

「ど、どんな条件出されても俺は出ないぞ」

「さて、これを見てその台詞が言えるのなら儂も諦めよう」

 

 星露はさらに別のウィンドウを開く。そして八幡へと送りつけた。

 そのウィンドウを八幡は渋々確認し―――その目が見開いた。そしてすぐさま星露へ宣言する。

 

「―――出るぞ、王竜星武祭」

「ほう! よく言った。では、申し込みはこちらで済ませておくぞ」

「ああ。その条件を満たせばいいんだな?」

「その通りじゃ。万有天羅の名に懸けて必ず実行させよう」

「よし、分かった」

 

 言うなり八幡は立ちあがる。それを見ていた他者は驚いた。あんなに反対していたのに、いきなり手の平返したからだ。しかも本人のやる気が凄い。その姿には闘志が満ち溢れていた。

 

 驚く面々を気にせず―――八幡は宣言する。

 

「―――絶対に勝つ」

 

 そう宣言し八幡は部屋を出ていった。その姿を星露以外は呆然と見送った。流石に気になったのか、暁彗を始めとして質問が飛んだ。

 

「……師父。彼にどのような条件を?」

「そうだよ師父~教えてよ~」

「あんなにやる気に溢れる八幡は初めて見ます」

「あんなに嫌がってたのにあの変わりよう―――」

「―――よほど凄い条件を出されたのね」

「えらい気になるなぁ。星露はん。教えておくれやす」

 

 答えを知りたがる面々。

 星露はその反応に満足し、八幡に送ったウィンドウを拡大して皆に見せた。それを見た面々は大いに納得する。

 

 そこにはこう書かれていた。

 

 ―――王竜星武祭ベスト8以上を条件に、界龍第七学園校内にMAXコーヒー専用自販機を設置する、と。




八幡の王竜星武祭参戦決定のお話でした。
この主人公。自主的には出そうにないので、金とマッ缶で釣りました。
此処まで条件を出せば流石に出るはずです。

誤字、脱字、感想等あれば、よろしくお願いします。


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第三十話 大会前のひと時

少し苦戦しましたが、出来たので投稿します。


「ふっふっふっふふふっ」

 

 一人の少女の微かな声が店内に響く。否、正確には笑い声が漏れるのを必死に堪えているというのが正しいか。

 少女は今、己の限界に挑戦していた。

 

「……そんなに可笑しいですかね?」

「どうかしら? 本人のツボに嵌っちゃったのは確かね」

 

 対面に座る二人。范八幡と雪ノ下陽乃は、少女を心配しながら手に取ったカップで紅茶を飲んでいる。

 

「ご、ごめんなさいっお腹がっ痛くてっ」

 

 少女は自身のお腹を手で押さえながら辛うじて返事を返す。しかしよほど可笑しかったのか、少女の震えは止まらない。しばらくその状態が続き、少女の震えが徐々に収まっていく。

 

「はぁぁぁ、やっと落ち着いてきた。ごめんね、二人とも」

「いや、特に気にしてない」

「そんなにウケるとは思わなかったわ。大丈夫、シルヴィちゃん?」

「……はい。もう大丈夫です」

 

 栗色の髪の少女。シルヴィア・リューネハイムは陽乃へと返事を返す。漸く落ち着きを取り戻したようだ。

 

「そんなに面白かった? 私からすればそこまで感じないんだけどね。本人を知ってれば、むしろあり得ると納得したぐらいだし」

「いや、これは無理ですよ。だって―――」

 

 シルヴィは八幡を見ながら叫ぶ。

 

「コーヒー欲しさに王竜星武祭に出るってなに!? 私そんな理由で挑む人初めて聞いたよ!」

「………解せぬ」

 

 それがシルヴィの腹筋を崩壊させた理由だった。

 

「いや、お金欲しさに挑むのならまだ理解できるよ。そういう人は沢山いるし、動機としても納得できるから。でもそれがコーヒーって………」

「シルヴィ。コーヒーじゃなくてMAXコーヒー、もしくはマッ缶だ。そこを間違えるな」

「指摘するのそこ!? じゃあ、その、マッ缶だっけ? そんなに美味しいの? 初めて聞く名前だけど」

「あ、シルヴィちゃん。それは―――」

 

 シルヴィの疑問を陽乃はマズイと思い止めようとする。だが遅かった。

 

「よく聞いてくれた。マッ缶。それは俺にとっての至上の飲み物。いや、俺だけじゃない。一部の千葉県民にとって欠かせない存在と言っても過言ではない。その秘密は味にある。コーヒーに砂糖と練乳を混ぜた暴力的な甘さ。それが千葉県民を虜にしているんだ。だがその特徴ある味を敬遠している人たちもいる。あの甘さをコーヒーとは認めないといった意見も出ている。それは事実だ。だがあの甘さがあってこそのマッ缶だ。あれを変えたらマッ缶ではないんだ。それに―――」

「え、えーと」

 

 八幡のマッ缶トークが始まってしまった。それを止める者は誰もおらず、思わずシルヴィも言いよどむ。そんな彼女に陽乃は助け舟を出した。

 

「あーシルヴィちゃん。こうなった八幡くんは止まらないから放っておいていいよ」

「い、いいんでしょうか?」

「いいの、いいの。暫く語ったら戻ってくるでしょ。彼、マッ缶に関しては妥協しないから」

「そ、そうなんですか」

 

 陽乃の意見にとりあえず同意することにした。

 

「結局、マッ缶って美味しいんですか? 八幡くんがもの凄く好きだってのは分かったんですけど」

「…………甘い飲み物が好きなら大丈夫だと思うよ……わたし個人は、その、ね?」

「……なるほど」

 

 陽乃の口調から大体の事情を察した。そして二人が話し終えると八幡が戻ってきた。

 

「―――という感じだ。分かったか、シルヴィ?」

「うん。とりあえず八幡くんがマッ缶をもの凄く好きだってことは分かったよ」

「ああ。俺はマッ缶がないと生きていけない。そう思ってくれればいい」

「あはは。そんなに好きなんだ。あ、でも―――」

 

 シルヴィはふと思った。

 

「界龍の自販機にマッ缶を入れたいんだよね? だったら、ベスト8まで行かなくてもいいんじゃないかな?」

 

 聞き捨てならないことをシルヴィは言い出した。

 

「………それは本当か?」

「うん。私はこれでもクインヴェールの生徒会長だからね。権限についてはよく分かってるよ。うーん、自販機の飲み物に関しても、定期的に報告が上がってくるね」

「なるほど。詳しく教えてくれ」

 

 八幡は真剣に尋ねる。

 

「そんなに大した内容じゃないよ。夏と冬の定期的な入れ替えとか、人気の低い商品を別の物に変えたとか。そういう事後報告。後は、一部の生徒から自分の国の飲み物を入れてほしいという要望とかだね」

「最後の内容はどういう対処を取るんだ。人気がなければ入れられないだろう」

 

 八幡とてマッ缶の人気が低いことは理解している。要望を出しても通るとは思えない。

 

「……その生徒の状況によるね。簡単に言うと序列次第かな」

「なるほど。つまり序列が高ければ要望が通ると」

「うん。もしくは星武祭で活躍すること。だから八幡くんの行動も間違っていないと思うよ……ただ、特定の飲み物の要求ならベスト8までいかなくてもいいんじゃないかな。うーん、星武祭の本選に残れば充分だと思うけど」

「そうね。そのぐらいで充分だと思うわ」

 

 傍で聞いていた陽乃が口を挟んだ。

 

「ご存じだったんですか、陽乃さん?」

「知ってはいないよ。ただ何となく、そのぐらいかなーと思っただけ」

「……つまり俺はアイツに騙されたと」

「騙されたというのは少し違うんじゃない」

 

 陽乃が八幡の意見を訂正する。

 

「―――期待の裏返しだと思うわよ、わたしは。君ならそのぐらいは勝ち残れる。あの子はそう思ってるわよ、きっと」

「…………そう、ですか」

 

 何となくむず痒い気持ちになり、言葉が出てこなかった。

 と、そこへ横から声が掛かった。

 

「楽しそうな所悪いけど、ちょっといいかい?」

「あらマスター。何かしら?」

 

 三人が声のした方を見る。

 

「―――注文の品、出来てるよ。続きは食べてからにしたらどうだい?」

 

 喫茶店のマスターが注文した品を運んできていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 季節は冬。そして今年は王竜星武祭の開催年。さらに、今この場にいる全員が王竜星武祭に出場予定だ。そうなると、三人の話題は自然とそちらに傾いていく。

 

「………ところで気になったことがあるんだが」

 

 八幡が空間ウィンドウを突如開く。それを二人が見てみると―――とても見覚えのある映像だった。

 

「王竜星武祭のトーナメント表だよね。どうしたの?」

「誰か気になる選手でもいた?」

 

 王竜星武祭までは後二週間。既に初期のトーナメント表は一般公開されている。

 八幡が気になったのは―――

 

「シルヴィ。なんでグリューエルが出てるんだ?」

「あ、それはわたしも気になってたんだよね。名前見かけたときはビックリしたよ」

 

 八幡と陽乃の共通の知り合い、グリューエルが王竜星武祭に出場していることだ。二人からすれば寝耳に水の話だ。

 

「二人も知らなかったんだ。わたしも知ったのはトーナメント表が発表されてからだよ。本人に直接聞いてみたんだけど、『―――腕試しです』の一言だけだったんだよね」

「腕試し、ね。どんな心変わりがあったのやら。積極的に出場するタイプじゃないだろう」

「そうなんだよね……」

 

 シルヴィがグリューエルのデータを開く。クインヴェール序列五十位。それが彼女の現在の序列だ。そして序列入りしたのが前回の序列戦である。シルヴィがグリューエルの序列戦の動画を開くと、陽乃と八幡が覗き込む。

 

「……手を抜いてるわね」

「ええ、グリューエルの方が強いですね。しかもこの動きを見る限り、もっと上位の序列に挑戦しても問題ないはず。なのに敢えてこの序列に挑戦した。そう見えます」

 

 八幡と陽乃はグリューエルの動きで大体の強さを測った。対戦相手より彼女の方が明らかに強い。動画内では、相手が積極的に攻勢に出ており、グリューエルは回避と防御だけ行っている。これだけ見れば、彼女が苦戦してるように見えなくもない。しかし見る者が見れば動きの差は一目瞭然だ。

 

「……実戦での動きの確認、かしらね? 序列の順位は何処でもいいから挑んでみた。そう見えなくもないけど」

「………でも強くなってますね。初めて会った時とは動きが段違いです」

「そう! それについて聞きたいことがあるの!」

 

 突如シルヴィが叫んだ。

 

「八幡くん! いったい彼女に誰を紹介したの? いくら何でも強くなりすぎだよ!」

「あーそれは………」

「うーん。企業秘密、かな?」

 

 シルヴィの追及を二人は誤魔化す。八幡は勿論の事、陽乃も星露が双子を鍛えているのは知っている。しかしそれを明かす訳にはいかない。他学園の生徒を鍛えるのは星武憲章に違反していないが、バレると色々厄介なのだ。

 

「……八幡くんが稽古相手を紹介してくれてから、まだ半年も経ってない。なのに、あの子の実力は予想以上に高くなってる。序列上位? ううん、下手したら冒頭の十二人クラスだよ」

「流石にそこまではいかないんじゃないか?」

「そうそう。気にしすぎだよ、シルヴィちゃん」

 

 シルヴィの考察を二人はやんわり否定する。しかし彼女はある程度確信している。二人を鍛えたのが、アスタリスクでも有数の実力の持ち主だということを。シルヴィの知る限り、そんな人物は片手で数えられる。

 

 シルヴィは二人を睨む。しかし二人は目を逸らさない。特に何事もなかったかのようにシルヴィを見ている。表情、目線、特に違和感はない―――どうやら追及は無理のようだ。

 

「……はぁ、ごめんなさい。わたしがどうこう言える問題じゃなかったね。そもそも、善意で鍛えてくれている相手にも失礼な態度だったわ。本当にごめんなさい」

「いや、そこまで気にしなくても……」

「そうよ、気にしないで……相手に関してはちょっと言えないけど」

「………はい」

 

 シルヴィの謝罪を二人は受け入れる。そもそも他所の学園の生徒を鍛えること自体がおかしな話だ。追及があってもおかしくはない。

 

「見て二人とも。そろそろ終わるよ」

 

 シルヴィの指摘を受け、二人は動画に注目する。再生中の動画に変化があったのだ。攻撃に疲れたのか、対戦相手の動きが鈍っていく。スピードが遅くなり、焦りから攻撃が大振りに変わったのだ。

 

 そしてその後、決着は直ぐについた。単調な突きの攻撃を躱しながら懐に潜り込み、手にした煌式武装で一閃。グリューエルの勝利となった。

 

「……最後だけ動きが違いましたね」

「ええ。疲れ切った相手には、あの速度は対応できないでしょうね」

「うん。でも、まだ本気じゃないね」

 

 動画を見終わった三人は思う。王竜星武祭に向けてまた一人強敵が現れたと。星武祭に下克上は付きものだ。どんな相手でも油断は出来ない。

 

「いいじゃない。誰が相手でも楽しめそうだし。王竜星武祭が待ち遠しいわ」

「わたしも楽しみ。どんな相手でも全力を尽くすよ」

「……強敵はこれ以上増えなくていいんだがな」

 

 闘志に燃える二人を他所に、八幡は一人溜息を溢した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 王竜星武祭までは後二週間。通常の選手なら大会に向けて最後の追い込みに入る時期だ。しかし今日はシルヴィの希望により街に遊びに来ている。八幡と陽乃も最後の追い込みで過度の鍛錬を行い、疲労が溜まっている。その疲労を抜くためにもシルヴィの誘いは渡りに船だった。

 

「しかしシルヴィの希望がカラオケとはな。ちょっと意外だ」

「あら、わたしは大歓迎よ。歌姫の歌が生で聞けるんだから。滅多にないチャンスじゃない」

「あはは、そんなに大したものじゃないですよ」

 

 喫茶店の後、何処に行くかは決めていなかった。特に行きたい所があるわけでもない。ならば、シルヴィの希望を聞き、彼女の好きな所へ行くことになった。そして彼女が希望したのがカラオケだった。

 

 喫茶店から少し離れた場所にあるカラオケボックスに到着した。そして受付を済ませ、部屋番号を渡される。そしてその部屋へ向かい三人は歩いていく。

 

「……実はカラオケに来たの初めてなんだ。普段はスタジオやトレーニング施設で歌うから、こういう場所には縁がなくて。だからちょっと楽しみ」

「へーそれは意外ね。でも、シルヴィちゃんの立場とクインヴェールの校風を考えたら妥当なのかしらね。アイドルって大変そうだもん」

「そうなんですよ。アイドル稼業も楽じゃないですね。イメージがあるから迂闊な行動も取れないし。今日のカラオケも、ペトラさんにバレたら何を言われるか。だから内緒にしてね、二人とも」

 

 シルヴィは溜息を付きながらそう言った。八幡と陽乃はそれに素直に頷く。少し聞いただけでも、彼女の生活は想像以上に大変そうだ。

 

 そんな話をしていると目的の部屋に到着した。受付から渡された番号を確認してから部屋に入る。中はこじんまりとした個室だ。真ん中にテーブルがありその上には端末が置かれている。そして左右にはソファが設置されていた。少々手狭だが、三人で過ごす分には何の問題もないだろう。

 

 部屋に入った途端、シルヴィが興味深そうに部屋を見渡している。その様子を見る限り、本当に初めてカラオケに来たようだ。

 

「うわーこんな風になってるんだ。へー」

「……本当に初めてなんだな。シルヴィなら同級生に誘われるとか……あーアイドルを誘うのは敷居が高いか」

「難しいでしょうね。歌姫をカラオケに誘うとか、ハードルが高いにも程があるでしょ。周りも遠慮するに決まってるわ」

 

 陽乃の言葉をシルヴィは苦笑しながら頷く。

 

「………陽乃さんの言う通りかな。誘われたら喜んで行くんだけどね。残念ながら誘われたことはありません」

「安心しろ。俺だって今まで誘われたことはないぞ」

「そ、そうなの?」

 

 八幡は頷く。

 

「ああ。それに世の中には一人カラオケなんて言葉もある。もしカラオケに行きたいのなら一人でも問題ないぞ。ストレス発散なら一人の方が気楽だしな。それに………」

「それに?」

「……………まあ、もし、もしもだぞ。シルヴィがよければだが……連絡さえもらえば、その、一緒に行くのも、まあ、やぶさかではない」

「………え?」

 

 そっぽを向きながら八幡はそう答えた。

 

「べ、別に俺じゃなくてもいい。陽乃さんだって付き合ってくれるだろうし、他の誰かを紹介してもいい。界龍のメンバーに限るけどな」

「―――八幡くん」

 

 思わぬ誘いにシルヴィの心は喜びで満ち溢れる。目の前の人が、自身をただの友人として扱ってくれるからだ。

 

 クインヴェールの生徒会長という地位も関係なく、世界の歌姫と呼ばれる偶像も関係ない。ただ、シルヴィア・リューネハイムという一人の少女として自身に接してくれている。そんな単純な事実がとても嬉しく、シルヴィは満面の笑みを浮かべて八幡を見る。

 

「な、なんだ?」

「―――ありがとう。じゃあ、その時は遠慮なくお願いしようかな」

「お、おう」

 

 シルヴィの笑顔を目撃した八幡は思わず頬が熱くなる。歌姫の笑みはそれほどの破壊力があったのだ。

 そんな二人を傍で見ていた陽乃も、クスリと笑いながらシルヴィへと話しかける。

 

「シルヴィちゃん。八幡くんの言う通り、わたしも喜んで付き合うわ。アナタが望めばね」

「―――陽乃さん。ありがとうございます」

「いいのよ。わたしたちは友達でしょ」

「―――はい!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 栗色の髪の少女がマイクを手に取り一人歌う。彼女の口から紡がれる美しい歌声が室内に響き渡る。少女の正体を知っていれば、その歌声を聞くのに大金を惜しまず支払うだろう。

 

 だが今日の彼女はプライベート。その歌声を聞く観客は友人の二人だけだ。初めて訪れたカラオケボックスでテンションが上がったのか、様々な曲をジャンルを問わず歌っている。八幡と陽乃は歌を聴くことだけに集中し、ただひたすらに彼女の声を感じ取っていった。

 

 ―――そしてまた一曲、シルヴィが歌を終えた。

 

 室内に二つの拍手が響く。歌姫の歌はどれも素晴らしく、他者の歌であってもそれは変わらない。むしろ普段歌わない曲を歌う彼女を見れたことは幸運と思っていいだろう。八幡と陽乃は惜しみもない拍手で彼女を称える。

 

「さっすがシルヴィちゃん! どの歌も素晴らしかったわ!」

「―――いい歌だった」

 

 陽乃は声高く彼女を称え、八幡はただ一言で彼女の歌を称した。どちらも共通なのは、彼女の歌を聴いて感動したことだ。そんな称賛をシルヴィは照れながら受け取る。

 

「―――ありがとうございます。ごめんね、私ばっかり歌っちゃって」

「気にしなくていいわ。私は少し歌ったし。それにシルヴィちゃんの歌を聴くのは楽しいわ」

「そうですか? ……あれ、そういえば八幡くんはまだ歌ってないよね?」

「……俺はいい。歌うのは得意じゃないし、聴いてるだけで充分だ」

 

 歌姫の前で歌えるほど歌唱力に自信はない。それに自分が歌うより、彼女の歌を聴いている方がよっぽどいい。シルヴィア・リューネハイムの歌をこんなに間近で聴ける機会なんて滅多にない。しかしそんな本音を本人に言えるはずもない。

 

「それに俺が歌える曲なんて一般向けじゃないぞ。一番得意なのはプリキュアだからな」

「カラオケなんだから好きな曲を歌えばいいよ。はい、どうぞ」

 

 シルヴィからマイクを渡される。しかしそれを受け取らず、何とか歌うのを回避しようとする。

 

「ああ、いや、俺はいいんだ。今日はシルヴィが楽しむ日だろう。思う存分歌ってくれ」

「むぅ、八幡くんの歌も聴いてみたいのに」

「……俺の歌は歌姫さんに聴かせるレベルじゃないぞ。陽乃さんのように上手でもないし」

「関係ないよ。友達と一緒にカラオケに来てるんだから。上手か下手なんて気にしてないもん。だから一緒に歌おう?」

 

 どうやら逃げ切るのは不可能のようだ。諦めてシルヴィからマイクを受け取る。しかしそこで選曲に悩んだ。空気を読まずにプリキュアを歌ってもいいが、流石にそんな気分にはなれない。

 

 八幡が悩んでいると隣にいた陽乃が動く。別のマイクを持って立ちあがったのだ。

 

「一人が嫌なら私と一緒に歌う? それなら恥ずかしくないでしょ?」

「………俺たちが一緒に歌える曲なんてありましたっけ? 俺は一般の曲は殆ど知りませんよ」

「大丈夫、大丈夫。八幡くんが確実に知ってる曲にするから」

 

 そう言うと陽乃が空間ウィンドウの操作を始めた。慣れた手つきで操作をし、そして曲の入力が終わった。

 

 ―――そしてイントロが流れ始めた。

 

「―――え?」

「っ!?」

 

 イントロが流れた途端に驚く八幡とシルヴィ。その曲は二人にとって最も聞き覚えのある曲だった。思わず八幡は陽乃を睨んだ。

 

「―――何でこの曲を? 俺がこの曲を歌えるとはかぎりませんよ」

「え? 歌えると思ったからこの曲を選んだんだよ―――それとも歌えない?」

「…………はぁ、歌えますよ。一応」

 

 歌えるに決まっている。それこそこの曲は、プリキュアよりも詳しく知っている。昔から何度も歌い、すべての歌詞を完全に覚えているのだ。

 

 だがそれは問題ではない。本当の問題は別にあるのだ。シルヴィの方をチラリと見る。

 

「えーと、うん、頑張ってね」

 

 どうやら、シルヴィにとっても予想外の選曲だったようだ。しかし先程までは驚いていたが、今はこちらを興味深く見ている。どう歌うのか楽しみにしているようだ。

 

 そしてシルヴィが興味を持つのは明白だ。何故なら―――

 

「……本人の曲を本人の目の前で歌うとか。どんな罰ゲームだよ」

 

 選曲されたのは、シルヴィア・リューネハイムのファーストソング。現代において最も有名な曲の一つだった。

 諦めて心の準備を進めていると―――陽乃がそっと耳打ちをしてきた。

 

「好きなんでしょ、この曲が一番。頑張って歌いましょう」

「…………本人には内緒にしてください。滅茶苦茶恥ずかしいので」

「ええ、分かったわ」

 

 内緒話を終えて陽乃が離れる。どうやらこちらの趣味が知られているようだ。人前で彼女の曲を聞いた覚えはないのだが、何故かバレていたようだ。溜息を付きながらマイクを構える。

 

 そして両者が口を開き―――シルヴィア・リューネハイムの曲を歌いだした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あー楽しかった! こんなに楽しいのは久しぶり!」

「………それはよかったな」

「八幡くんは元気ないね。どうしたの?」

「…………俺は疲れた」

 

 あの後もカラオケでの時間は続いた。あの時、八幡はシルヴィア・リューネハイムの曲を完璧に歌った。最初は手を抜くつもりだったが、気付けば完璧に歌いきっていたのだ。

 

 しかもその歌自体もかなり上手かった。そんな八幡の予想以上の歌いっぷりに興味を持ったのが、シルヴィア・リューネハイム当の本人だった。陽乃と共に自身の曲を予約していき、八幡と一緒に歌いまくったのだ。

 

 世紀の歌姫と共に彼女の曲を一緒に歌う。そんな天国のような地獄を味わった八幡は疲れ切ってしまった。殆どグロッキー状態だ。

 

「さて、八幡くんもお疲れみたいね。じゃあ、最後にちょっと寄りたい所があるんだけどいいかしら?」

「………もう好きにしてください」

「私も大丈夫ですよ。でも陽乃さん。何処に行くんですか?」

「うん、行けばすぐに分かるわ」

 

 店を後にした三人は、陽乃が希望する目的地へと向かった。いったい何処へ向かうのか? そう思った二人だが、道中で目的地の予想が付いた。程なくしてそこに到着する。

 

 そこは今の三人にとっては、最も関係がある場所だ。付いた場所は―――シリウスドームだった。そのドーム前で陽乃が振り返り、二人に話しかける。

 

「さて、お二人さん。知っての通り、二週間後に王竜星武祭が始まるわ。わたし達三人は本選前に当たることはない。当たるとしたら本選前の組み合わせ次第になるわね」

「そうですね。本選前に二人と当たらないのは正直助かります」

「二週間後、か」

 

 多くの生徒がそれぞれの願いを持って戦いへと挑む。世界の強豪が集まるお祭り、星武祭。その最後の舞台である王竜星武祭が開幕するのだ。

 

「優勝候補筆頭の孤毒の魔女を始めとして、出場選手は猛者が多いわ。だけどわたし達には、それぞれが星武祭に挑む目的がある」

 

 片や、強者を求めるもの。片や、前回の屈辱を晴らそうとするもの。そして片や、己の欲望を叶えようとするもの。

 

「まあ、何が言いたいかと言うと―――もし対戦したとしても全力で戦うのでよろしくね」

 

 陽乃は己の右腕を前へと突き出す。すると他の二人も同じ動作を取り、そして三人の拳が軽くぶつかり合った。

 

「―――絶対に負けないわよ」

「―――こちらこそ、全力でお相手しますよ」

「―――俺は二人と当たらないことを祈ってますよ」

 

 それが、王竜星武祭前に三人が揃って交わした最後の言葉であった。




大会前、最後の休暇のお話でした。
次回から王竜星武祭が始まります。漸く此処まで来ました。

誤字、脱字、感想等あれば、よろしくお願いします。


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第三十一話 王竜星武祭開幕。そして少女は彼を知る。

大変お待たせして申し訳ありません。リハビリをかねて投稿します。


 授業と授業の間には休憩時間が存在する。そしてその時間をどう過ごすかは当人次第だ。次の授業の準備をする者。友人と話をする者。一人で暇を持て余すもの。その行動は人それぞれである。

 

 そんな中、自らの席に座っている一人の少女がいた。少女は目の前の参考書の問題に集中していた。しかし中々解けない。あと少しで解ける気がするのだが、その解き方が思い出せない。少しだけ悩み―――諦めて集中を解いた。

 自身の顔を上げ軽く溜息を付く。そして気紛れに周囲の声に耳を傾ける。そんな彼女に聞こえてきたのは、ある一つの話題であった。

 

「なぁ、見たか。昨日の試合」

「あぁ、見た見た。やっぱ凄え迫力だよなぁ王竜星武祭!」

「シルヴィアさんってカッコいいよね!」

「うん、わかるわかる。綺麗でカッコよくて、しかも強いだなんて憧れるよねぇ~」

 

 それは今、世界中の注目を集めている一つの舞台。学戦都市アスタリスクで行われている星武祭―――王竜星武祭であった。

 

「今回は誰が優勝するだろう?」

「やっぱ孤毒の魔女じゃね? 前回ぶっちぎりだったじゃん」

「ぶっちゃけ強すぎだろ、孤毒の魔女。可愛い顔して能力えげつねぇし」

「何言ってんの、男子! 今回はシルヴィアさんが優勝して前回の雪辱を果たすわよ」

「そうよそうよ! シルヴィアさんが最強よ!」

「え、いや、その…………」

 

 男子も女子も、カーストも関係なくクラス全体が盛り上がっている。否、このクラスだけではない。学校全体がこの状態なのだ。少なくとも王竜星武祭が終わるまでは続くと予想される。

 

 そんなクラスメイトの状態に一人の少女―――川崎沙希は目の前の参考書から目を離し、小さく溜息を付いた。

 

 ―――こいつらに受験生の意識はないのかね? 毎日毎日鬱陶しい。

 

 星武祭が盛り上がるのはまあ分かる。一年に一度のお祭りだからだ。しかし、受験を控えた中学三年生が毎日盛り上がるさまを見ていると、流石に思う所はある。

 

 ―――星武祭ね……そういえば大志は好きだったね。わたしは正直どうでもいいけど。

 

 沙希は、弟の川崎大志が星武祭を興奮しながら見ているのを思い出す。それは彼自身も星脈世代であり、国内の星脈世代の大会にも少なからず出場しているので興味津々なのである。

 

 ―――しかしあんなに夢中になれるものかね? そりゃテレビで見てると派手だし、カッコいいのは分かるけどさ。

 

 毎年一回行われる大きなお祭り。川崎沙希からすれば星武祭はその程度の存在である。故に周囲の盛り上がりは過剰に感じられた。

 

 ―――まあ、わたしには関係ない話か。勉強の続きしよう。

 

 川崎沙希は再び参考書に目を通した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 時が少し過ぎ昼休みの時間に入った。沙希は手荷物を持って一人教室を出る。近くにあった階段を上り屋上へと向かう。

 教室は騒がしい為、天気のいい日は屋上で弁当を食べているのだ。昼休みとはいえ、冬のこの季節に態々屋上へと上がってくる酔狂な人は殆どいない。

 

 そんな物好きは川崎沙希を除けば―――

 

「あ、遅いですよ~沙希先輩~」

 

 少し前に出会ったこの少女、一色いろはぐらいなものだろう。

 

「あんたが早いんだよ、一色」

「え~そんなことないです~普通ですよ、普通~」

「はいはい。ほら、ご飯食べるよ」

「は~い」

 

 沙希はいろはの隣に座り、弁当箱を取り出して蓋を開ける。

 

「うわ~相変わらず沙希先輩のお弁当、美味しそう~」

「普通だと思うけど?」

「そんなことないですよ! 特にその煮物。味が染みててとっても美味しそうです!」

「……少し食べる?」

「いただきます!」

 

 沙希は箸を使い隣へ煮物を少し渡す。そして隣の少女は渡された煮物をすぐに自らの口の中へ運ぶ。

 

「う~~ん。美味しいです!」

「……そう」

 

 喜びの表情を見せるいろは。沙希はそんな後輩の行動に相槌を打ち、ふと思った。

 

 ──最初に比べると随分と変わったね、この子も。

 

 一色いろはと初めて会ったのもこの屋上だった。屋上へと上がった沙希は、一人の少女を見付けた。

 

『何やってんの、あんた?』

『ご、ごめんなさい。わ、わたし』

 

 その少女は蹲っていた。震えていた。そして泣いた後なのか目元が腫れていた。

 そんな姿を見た沙希は、少女を放っておけなかった。

 

『そ、その、い、いいんですか?』

『構わないよ。わたしは昼はここにいるし、来たければ来な』

 

 それからはほぼ毎日昼ご飯を一緒に食べる仲だ。よく懐かれたものだなと沙希は思う。自身の愛嬌のなさはよく理解している。まあ、妹が一人増えたぐらいの感覚だ。

 

「? どうしたんですか、沙希先輩?」

「……何も。いい天気だなと思ってね」

「そうですね。これで寒くなければ完璧です」

「あんたもわたしも星脈世代なんだから、そんなに寒くないでしょ」

「それでも寒いものは寒いんです~」

 

 彼女に何があったのかは沙希は知らない。彼女には何も聞かないし、彼女自身も何があったか語らない。しかし元気になってくれれば、それにこしたことはない。

 

 頬を膨らませながら話す後輩を、川崎沙希は暖かく見守った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――世は正に星武祭の時代! 

 

 今の世の中を表すと、そんな感じだと川崎沙希は思った。商店街を歩けば、通りに星武祭の出場選手の垂れ幕が飾られ、個別の店には一押しの応援選手のポスターや、星武祭関連のグッズが売られているのを見れば、そう思うのは無理もないだろう。

 

 必要な食材を買い揃え、家に着くころにはゲンナリとしてしまった。だが、これから夕飯の支度がある。気落ちしたままではいられない。

 

「ただいまー」

 

 入口の扉を開けて中に入る。すると誰かの走る音が聞こえてくる。家はそんなに大きくない。すぐにその姿が見えた。沙希の弟―――川崎大志だ。

 

「姉ちゃんお帰り!」

「どうしたのさ? そんなに慌てて」

「ちょっとこっち来て!」

「いや、これから夕飯の支度があるんだけど」

「いいから早く!!」

「……分かったよ。ちょっと待ちな」

 

 いつになく慌てた状態の弟を見れば、流石にただ事ではないと分かる。荷物を手に持ったまま居間の方へと向かった。

 

 そして沙希は居間へと辿り着き―――持っていた荷物を床に落とした。

 

 居間にはテレビがある。そしてテレビには星武祭の映像が流れていた。それは別に問題ない。何も驚くことではない。

 

 ―――しかし映された映像が余りにも衝撃的だった。

 

「……比企、谷?」

 

 転校した少年、比企谷八幡と思わしき少年がテレビに映っていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 范八幡は現状の自分を早くも嘆いていた。

 

『そして界龍第七学園の范八幡選手。今年の春に入学していますが、序列戦や公式決闘の記録は未だ一つもありません。その実力は正に未知数。そんな彼がどう戦うか注目です』

『界龍第七学園は序列戦に興味のない生徒も多数いますからね。序列外でも侮れませんよ』

 

 ―――いや、俺なんて大したことないから。むしろ侮りまくって御釣りがくるから是非侮ったままでいてほしい。

 

 八幡は実況の解説に心の中で突っ込みを入れる。口には出さないが紛れもない本音だ。

 気紛れに周囲に視線を巡らし──周囲の大観衆を見て溜息を付いた。

 

 ―――自分で決めたこととはいえ、やっぱ早まったかもしれん。今からでも出場辞退……はいくら何でも出来んわ。ホントはしたいけど! 帰りたいけど! 

 

 今更ながらに後悔してきた。マッ缶欲しさに出場を決意したとはいえ、今思えば載せられた感が拭えない。

 

 ―――そりゃね。マッ缶は欲しいよ。自販機が設置されれば遠くに買いにいかなくてもいいし、売り切れを心配しないでいいし、メリット満載だよ。でもなー。

 

 メリットは確実にある。だが今の現状がそのメリットに似合うかは、やっぱり考えさせられる。

 

『さあ! 両者の解説が終了した所で、まもなく試合開始の時間です!』

 

 解説の声に合わせ観客の歓声が会場に響き渡る。注目試合ではないにも関わらず、場内は観客で満員である。その辺りは流石に星武祭といった所だ。

 

「―――ふぅぅぅぅ」

 

 呼吸を整え、気持ちを切り替える。

 体は自然体に、余計な力は抜き、思考を戦闘状態へと切り替える。

 

 敵はガラードワースの男子。序列は六十位。武器は西洋の両手剣の煌式武装が一振り。典型的なガラードワースの生徒だ。名前は―――解説を聞き洩らしたので知らない。

 

 ―――こちらを侮る様子はなしか。はぁ、少しは楽が出来ると思ったんだが。

 

 流石は王竜星武祭の出場選手といった所だろう。こちらが序列外でも手を抜く様子はない。しかし残念ではあるが問題ではない。

 

 ―――まあ、何とかなるか。課題に関しても、な。

 

 星露とのやり取りを思い出す。

 

『は? 課題?』

『そうじゃ。試合開始から二分間。こちらからの攻撃を禁ずる。その間は防御・回避に徹底せよ』

『いやいやいや。何でそんな事しなきゃいけねぇんだよ。俺にメリットないじゃん』

『メリットならあるぞ。今のおぬしならそこらの相手は問題ない。序列下位の生徒なぞ鎧袖一触よ。ただ―――派手な立ち回りは目立つぞ?』

『っ!?』

『注目されるのは好まぬであろう? それを緩和するための策じゃよ。一撃で倒すより、時間を掛けた方が目立たなくて済むぞ』

『な、なるほど。確かに一理ある』

『この課題は予選の間だけとする。もし達成出来たら……そうじゃな。報酬としてマッ缶を使ったデザートでも用意して『やる。必ず達成するぞ』ふふっ、そうか』

『―――では期待しておるぞ。八幡よ』

 

 これが先日、二人の間で交わされた取り決めだった。

 

 ―――最初聞いた時は頭おかしい条件かと思ったが、確かにこれなら目立たなくて済む。相手を一撃で倒すとか、圧勝するのが一番目立つからな。目立つのダメ、絶対。

 

『Gブロック1回戦第15試合、試合開始!』

 

 機械音声が鳴り響き―――王竜星武祭への挑戦が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「どう思う、大志?」

「お兄さんに見えるよ。ただ……」

「そう、だよね。やっぱりそれが気になるよね」

「……苗字が比企谷じゃなくなってる」

 

 川崎沙希と川崎大志。二人の姉弟は真剣な表情で確認する。テレビに映る彼が自分たちの知る彼かどうかを。

 見た目は一致する。界龍の制服を着ているが、ダルそうな雰囲気と前方に伸びたアホ毛は彼の特徴そのものだ。故に腑に落ちない。

 

 范八幡。目の前のテレビに映る彼の名前だ。だが苗字が変更されている。もしテレビに映る彼が本当に比企谷八幡なら、二人の想像以上の事が彼の身に起こった事を意味する。

 

「せめて本人の声が聞こえればいいんだけど」

「星武祭だと勝利者にはインタビューがあるから、勝てば聞けるけど……」

「ちょいと難しいね。この状況だと」

 

 二人はテレビの実況に集中する。

 

『おおっと! 大剣からの素早い攻撃。フェルナン選手の連続攻撃が范選手を襲う! フェルナン選手、攻撃の手を緩めません!』

『フェルナン選手の特徴は大剣から繰り出すスピード技の数々です。これは先手を取りましたね』

 

 試合開始直後からの状況は明らかだ。ガラードワースの攻撃が続く中、彼と思わしき人物は一切反撃していない。この一方的な展開が続いている。

 

 観戦している人の殆どが思った。勝負は時間の問題だと。沙希と大志もそう判断せざるを得なかった。

 だが―――

 

『試合開始から一分が経過! フェルナン選手の猛攻はなおも続いてます! しかし范選手! これらの攻撃をすべて回避! まったく当たる様子がありません』

『素晴らしい回避能力です。范選手は恐らく相手の太刀筋を完全に見切ってますね。攻撃を最小限の動きで躱していますよ』

 

 最初は自信を持って攻撃を仕掛けたガラードワースのフェルナン。だが己の攻撃を完璧に回避される状況に表情は歪み、焦りが募っていく。

 

『うぉぉぉっ!!』

『…………』

 

 焦りを吹き飛ばすように雄叫びを上げる。そして先程よりも速いスピードで再び范八幡へと迫り攻撃を仕掛ける。しかし状況は変化しない。先程までと同様に連続攻撃は空を切るのみだ。

 

「凄い。攻撃を全部避けてるよ」

「……比企谷にこんな動きが出来るなんて」

 

 二人とも驚いているが、同じクラスメイトであった沙希の方は、特に驚いている。

 

「あっ……」

 

沙希が掠れた声を出す。とんでもない事実に気付いたのだ。

 

 ―――范八幡は、片手に持った己の武器を抜いてすらいないことに。

 

『くそぉっ! こうなったら!』

 

 ここで状況が動く。必死に攻撃していたフェルナンが、バックステップで大きく八幡から距離を取る。そして着地後、その全身から星辰力が吹き荒れた。

 

「流星闘技だ!」

「勝負を仕掛けてきたね」

 

 増大する星辰力を見て流星闘技と叫ぶ大志。沙希もフェルナンが大技を繰り出そうとしているのが分かった。その判断は正しい。通常で勝てない相手なら、流星闘技という大技で一撃に掛けるのは理に適っている。

 

 しかし、流星闘技は大技故に発動に時間が掛かる。発動には個人差はあるが、一瞬で発動できるものではないことは確かだ。この場合、発動前に技を阻止すべく動くのが正しいのだが―――八幡はその場に止まったままだ。

 

「どうして動かないの? 今なら阻止できるのに」

「いくら何でも直撃を受けたら不味いんじゃ……」

 

 二人は焦る。八幡の行動が理解できないから。流星闘技の威力は通常の数倍。それが直撃すれば試合展開がひっくり返されると思った。

 

『はぁぁぁっ!!』

 

 二人が悩んでいる間に流星闘技の発動が完了。フェルナンの持っている大剣が一回り巨大化した。そしてフェルナンはその大剣を掲げ八幡へと一直線に突っ込む。爆発的に増大した星辰力の影響により、そのスピードは今まで一番速い。あっという間に八幡の近くへと到達した。

 

 しかしそれでも―――八幡に動きはない。

 

『これでどうだぁぁっ!!』

 

 フェルナンは大剣を両手で振りかざす。大剣に圧縮された星辰力が眩い輝きを放つ。そして己の全てを込め―――フェルナンは大剣を振り下ろした。

 

 放たれる渾身の一撃。思わず危ないと叫ぶ沙希と大志。試合の見せ場に盛り上がる観客。

 

 

 繰り出された大剣は八幡への頭上へと迫り―――次の瞬間には勝負が付いていた。

 

 

 フェルナンが苦悶の表情を浮かべる。その目は見開き、口を半開きの状態になっている。その懐にはいつの間にか、八幡が密着していた。そしてフェルナンの大剣は最後まで振り下ろされることはなく、途中で止まったままになっている。

 

 次の瞬間、フェルナンの手から大剣が零れ落ちる。そして八幡が彼の懐から離れると―――

 フェルナンはそのまま前方の床へと崩れ落ちた。

 

『―――バルド=フェルナン、意識消失』

 

 機械音声が会場に鳴り響く。勝者を告げるために。

 

『―――試合終了、勝者 范八幡』

 

 勝利のアナウンスが告げられると同時に、観客の大歓声が響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……凄かったね、姉ちゃん」

「うん……凄かった」

 

 転校した知り合いと思わしき人物の登場。その人物の王竜星武祭への出場。そして最後に王竜星武祭の試合内容。テレビでそれらを見た川崎姉弟は、驚愕以外の感想は出てこなかった。

 

「結局、あの人はお兄さん、でいいのかな?」

「……声も話し方も比企谷そっくりだった。間違いはないと思うけど」

 

 インタビューで彼の声を聴いた。確かに比企谷八幡と同じ声と喋り方だった。インタビューにどもっていたのも彼らしい。だが、それでも確証には至らなかった。それは彼女たちの知る彼と、戦っていた時の彼とでは、あまりにもイメージが掛け離れていたからだ。

 

「……比企谷さんは、この事知ってるのかな?」

「比企谷の妹? どうだろうね? 知ってるかは本人に聞いてみないと分からないよ。大志、アンタ比企谷の妹の連絡先知らないの?」

「……それがいつの間にか番号が変更されてんだ。だから連絡は取れない」

「そっか。どちらにせよ、わたし達が首を突っ込める問題じゃない。分かってるね、大志」

「………うん。分かってるよ」

 

 沙希は大志に釘を刺す。もし彼が比企谷八幡だとしても、これは当事者の問題だ。他人が首を突っ込んでいい問題ではない。その事は大志にも理解できた。

 

「さて、あたしは夕飯の支度をしてくるよ。急がないとあの子たちも帰ってくるだろうし」

「じゃあ俺はけーちゃんの様子を見てくるよ。今昼寝してるから」

 

 そう言って二人は別々に行動を開始した。大志は別の部屋へ、そして沙希は台所へと向かった。

 そして彼女が台所で食材の準備をしていると、ふとある考えが浮かんだ。

 

「―――学校で誰かに聞いてみるか……比企谷のことを悪く言わない人物に」

 

 比企谷八幡の学校での知り合いは少ない。しかも彼に敵意を持たない人物となると、該当者は殆どいない。しかしまったくいない訳ではないのだ。

 

「…………比企谷」

 

 ぽつりと彼の名前を呟く。今日の彼は本当に自分の知る彼だったのか。川崎沙希はそれが無性に気になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああ~~やっと終わったぁ~」

 

 控室に入った八幡はソファに座り体勢を楽にする。自身が予想以上に疲弊しているのを自覚しているからだ。

 

 と言っても、その疲れは肉体的なものではない。先程の試合に疲れる要素などまったくなかった。ただ、二分間回避し続け、最後に一撃を加えただけ。そんな程度で疲れるほど甘い鍛錬はしていない。

 

 疲れたのはその後だ。試合後の勝利者へのインタビューという、自身にとって最強最悪の敵が待ち構えているのは想像の枠外だった。

 

 緊張のあまり何を喋ったかはあまり覚えていない。せめて余計なことを喋っていなければいいのだが……

 

 そんな事を考えながらぼうっとしていると―――控室の外から声が聞こえてきた。

 

「八幡先輩。今よろしいでしょうか?」

「八幡、いる?」

 

 二人の少女の声が聞こえる。八幡のよく知る声だった。

 

「いるぞ。入ってくれ」

 

 問いかけた声に許可を出す。すると入口の扉が開き、二人が中に入ってきた。

 入って来たのは二人の少女。刀藤綺凛と鶴見留美だった。

 

「お疲れ様です、八幡先輩」

「お疲れ、八幡」

「おう、お疲れ」

 

 部屋に入ってきた二人を八幡は出迎える。この二人は八幡の応援に会場まで足を運んでいた。

 

「初勝利おめでとうございます」

「楽勝だったね」

「まあ、今回は相手に恵まれたな」

 

 今日の対戦相手は序列下位。今回の王竜星武祭の出場選手の中では、実力的には下位の方だろう。流石にそんな相手には遅れを取らない。

 

「でも八幡。何で最初から攻撃しなかったの?」

「それは私も気になりました。攻撃する隙はいくらでもあったのに……」

「ああ、星露からの課題でな。試合開始後、二分間は攻撃禁止だそうだ。だから回避に徹底した」

 

 八幡の言葉に二人は軽く驚き、そして納得した。星露の無茶ぶりはいつものことだ。

 

「また面倒な課題を言われたね。この大会中ずっと?」

「いや、予選だけだそうだ。まあ、それなら何とかなるだろう」

「でも、大丈夫でしょうか? 本選前でも強敵に当たる可能性も充分にありますよ」

「……まあ、何とかなるだろう。普段相手してる連中に比べれば、な」

「それは、確かに」

 

 綺凛の心配を八幡は軽く否定する。その言葉に綺凛も思わず苦笑しながら納得した。八幡の普段の相手は綺凛も身をもって体験している。

 

「さて、試合も終わったしそろそろ帰るか。早く帰って休みたい」

「そうですね。じゃあ帰りましょうか」

「うん。じゃあ行こう」

 

 三人揃って控室を後にする。そしてそのまま出口へと向かう。本日行われる試合はすべて終了しているので、残っている観客の数は少ない。苦労することなく会場を出ることが出来た。

 

 次の試合は二日後だ。今日で一回戦は終わったので、明日から二回戦が始まる。

 

「陽乃さんは明日二回戦だったな。二人は見に行くのか?」

「わたしは無理。明日は治療院で手伝いの予定」

「留美ちゃんは忙しいね。わたしは一応観戦に行く予定です。八幡先輩のご予定は?」

「明日は試合もないし、ゆっくりするかね。大会中に過度な鍛錬はしない予定だし」

「そうですか……じゃ、じゃあ」

 

綺凛が何か言いたそうにこちらを見る。

 

「い、一緒に陽乃さんの試合を見に行きませんか!」

「一緒にか?まあ、別に構わんが」

「は、はい!じゃあ、明日よろしくお願いします!」

「お、おう。よ、よろしくな」

 

気合の入った綺凛に思わず気圧される。そんな八幡をじっと留美は見つめる。

 

「な、なんだよ。ルミルミ」

「ルミルミ言うな……ちゃんと綺凛をエスコートするんだよ、八幡」

「エスコートって、二人で見学に行くだけだぞ?」

「……八幡は何も分かってない」

 

八幡の台詞に留美は大きく溜息を付く。そして綺凛を連れて八幡から少し距離を取った。

 

「頑張ってね、綺凛」

「う、うん。でも、留美ちゃんはいいの?」

「別に気にしない。大会が終わったら何処かに連れてってもらうから」

「そ、そうなんだ」

 

 内緒話をする二人から視線を外し、空を見上げる。時刻は既に夕方。空には夕焼けが広がっている。明日も恐らく晴れるだろう。

 

 星武祭の予選は、アスタリスク各所にある小規模の会場で行われている。そして予選を勝ち残れば、メインスタジアムであるシリウスドームで本選が始まる。

 

 ―――どこまで行けるかね? 

 

 八幡は内心で疑問を抱く。今日の相手は問題なかった。しかし強者が集う王竜星武祭。どこまで勝ち上がれるかは八幡にも分からない。

 

「ねぇ留美ちゃん。本選に入っても治療院の手伝いは忙しいの?」

「それは大丈夫。忙しいのは今だけ。本選に入ったら暇になる」

「そっか。なら、一緒に応援に行けるね」

「うん。一緒に行こう」

 

 八幡の前方で仲良く話す綺凛と留美。ルームメイトでもある二人はすっかり仲が良くなった。もう親友と呼んでもいいだろう。

 

「ま、出来るだけ頑張りますか」

 

 そんな二人を目にしながら、ポツリと呟く。流石に優勝できるとは思っていない。しかし星武祭という舞台は、自分の力を試すのに絶好の場でもある。

 

 こんな自分を応援してくれる人達がいる。期待してくれる人もいる。ならば、その期待に応えようと思っても不思議ではないだろう。

 

 ―――俺がこんなこと考えるなんてな。人は変われるって実感するよ。昔の俺からは考えられんな、うん。だけど……悪い気分じゃない、な。

 

 自身の心の変化を感じながら、八幡はのんびりと歩いて行った。

 




改めましてお久しぶりです。
離職、転職など私生活で色々ありましたが、何とか状況が落ち着いたので、再び投稿再開です。
待っていてくれる方がいてくれれば幸いです。

誤字、脱字、感想等あれば、よろしくお願いします。


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第三十二話 勝ち抜く者たち

久方ぶりの更新です。遅れてごめんなさい。


 星武祭。

 それは統合企業財体が主催し、アスタリスクで行われている力を持つ学生同士の大規模な武闘大会のことである。

 3年を一区切りとし、毎年異なる大会が行われている。

 初年の夏に行われるタッグ戦―――鳳凰星武祭。2年目の秋に行われる五名でのチーム戦―――獅鷲星武祭。

 

 そして3年目の冬。現在開催中である個人戦―――王竜星武祭。

 最も多くの強者がエントリーし、己の武を、力を、覇を競いあう。この大会の優勝者はこう呼ばれることが多い―――学戦都市アスタリスクで最も強き者、と。

 

 王竜星武祭について詳しい人に尋ねてみよう。歴代の優勝者の中で一番強い人物は誰か、と。

 

 そして大半の人はこう答える―――前回大会の優勝者、オーフェリア・ランドルーフェンだと。

 

 彼女は前回の王竜星武祭を制したレヴォルフ所属の魔女である。そして彼女は前回の大会の全ての試合を三十秒以内、尚且つ無傷で勝利している。正に絶対王者と呼ぶに相応しい存在だ。

 

 勿論、今回の大会にも出場しており―――その猛威を振るっている。

 しかし強者は彼女だけではない。様々な選手が大会に出場しており、頂点を目指し戦いを続けている。

 

 そして大会は進み―――本戦への出場者が決まっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「うわぁぁぁっ!!?」

 

 黒褐色の腕が幾重にも迫る。悲鳴を上げながら手持ちの銃を向け、何度も連射する。

 しかしなんの意味もない。足止めどころか、その腕の歩みを鈍らせることすら出来ない。

 

 そして―――

 

『決まったぁぁっ!! 前回大会優勝者、ランドルーフェン選手。本戦出場一番乗りです!』

『前回の大会に引き続き、全ての試合を三十秒以内で勝利を収めております。その能力は正に無敵! 今回の大会もぶっちぎりの優勝候補です!』

 

 ―――それと相対した者は何もすることが出来ない。

 ―――どんな武器も通じず、どんな能力も意味をなさない。

 ―――ただ訪れるのは、彼女の毒にのまれることだけ。

 

 レヴォルフ黒学院 序列一位―――孤毒の魔女 オーフェリア・ランドルーフェン。

 

 

 

 会場に歌が響く。そしてその歌声は聞くものを魅了する。

 その歌声を聞き相手は焦る。彼女の歌声はそれ自体が能力なのだ。

 勝負を掛けようと動き―――

 

「―――隙ありだよ」

 

『流れるような一閃が校章を真っ二つにしました! やはりこの人は強い! リューネハイム選手、本戦出場決定です!』

『三年前と比べ、かなり強くなっていますね。孤毒の魔女へのリベンジを果たせるか! 本戦での活躍に期待です!』

 

 ―――人々は彼女をこう呼ぶ。世紀の歌姫と。

 ―――人々は彼女に魅了される。彼女の容姿に、歌に、そして強さに。

 ―――そして彼女の歌声は、万能の能力へと変化する。

 

 クインヴェール女学園 序列一位―――戦律の魔女 シルヴィア・リューネハイム。

 

 

 

「このぉぉっ!」

 

 流星闘技の一撃が目前に迫る。しかし彼女に焦りはない。その一撃を半歩身体をずらして躱す。

 そして相手の制服の袖下部分を軽く掴み―――

 

「―――ほいっと!」

 

 彼女が軽く腕を振るい、相手の身体を宙へと回す。高速で何回転もした相手は、受け身も取れずに倒れ―――そのまま気絶した。

 

『決まりました! 得意の合気で相手を一蹴! 雪ノ下選手、本戦出場決定です!』

『大会前の評判通り、圧倒的強さで勝利を収めました。しかし噂の黒炎は未だ見せていません。本戦でのお披露目に期待しましょう!』

 

 ―――その黒炎はそのすべてを焼き尽くす。

 ―――彼女の挑戦は止まらない。例え、幾度となく負けを重ねても。

 ―――その力。今だ発展途上。

 

 界龍第七学園 序列三位―――黒炎の魔王 雪ノ下陽乃。

 

 

 力あるものは順当に勝ちを収めていく。特に冒頭の十二人に入る者たちの実力は凄まじく、対戦相手を圧倒していった。

 

 ―――しかし例外は存在する。

 

 

 少女から放たれる連撃を、左手の盾を使って防御する。小剣による一撃の威力は高くない。その為、防ぐのは容易だ。じっと耐えながら、男は少女の隙を伺う。

 

「……そこだぁっ!!」

 

 相手の攻撃の途切れた瞬間を狙い、右手の剣を真横に振るう。その攻撃に対し少女はしゃがんで回避―――と同時に両手を地面に付き、地を這うように回転する。

 

 男の視界から少女が消えた。否、少女の動きが早いために誤認しただけ。思考が一瞬遅れ、視線を下にずらし―――水面蹴りが飛んできた。

 

 その攻撃に反応し即座に回避―――しきれない。少女のスピードが男の想定を上回った。鋭い蹴りが右足を掠める。

 

「しまっ!?」

 

 蹴りの影響でバランスを崩す。咄嗟に両足で踏ん張り転倒を防ぐ。追撃に備え盾を少女の方に向け―――その盾が蹴られ弾き飛ばされた。

 

 崩れる体勢の中、何とか少女へ視線を向ける。少女は既に既に次の攻撃態勢に入っている。男の思考が絶望へと染まる。

 

 こんなはずではなかった。相手は弱小で知られるクインヴェール。戦律の魔女や舞姫ならいざしれず、少女の序列は五十位。男の序列なら勝って当然の相手―――のはずだった。

 

「この俺がっ! クインヴェール如きにぃ!!」

「……その驕りがあなたの敗因です」

 

 男の叫び声に応える形で少女―――グリューエルは最後の攻撃を繰り出した。

 

『ここで決着ぅ! 星導館序列十六位 黒上選手。まさかの敗北ぅ!! 勝ったのはクインヴェール女学園 リースフェルト選手だぁぁっ!!』

『……序列五十位とは思えない動きです。これは完全に実力を隠していましたね』

『今大会のダークホースとなるか! 本戦での活躍も大いに期待しましょう!』

 

 ―――新星は突如として現れた。

 ―――序列など関係ない。彼女の実力に疑う余地なし。

 ―――そのお姫様は北欧からやって来た。

 

 クインヴェール女学園 序列五十位―――グリューエル・ノワール・フォン・リースフェルト。

 

 

 優勝候補を筆頭に、実力者たちが本戦出場を決めていく。

 

 そしてこれから―――范八幡の戦いが行われようとしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

「姉ちゃん。もうすぐ試合始まるよ」

「分かってるよ。ちょっと待ちな」

 

 川崎大志の呼び声に作業しながら返事をする。慣れた手つきで作業を進め―――一夕飯の仕込みが終了した。

 

「よし、終わった」

「早く早く」

「今行くって」

 

 急かす大志に連れられ、川崎沙希は居間へと向かった。目的はもちろん星武祭の試合である。

 比企谷八幡と思わしき人物を見てから数日が経った。その間にも王竜星武祭は二回戦までが行われた。その時も姉弟で観戦しようとしたのだが、ここで思わぬアクシデントに遭遇した。

 それは―――

 

「あ、さーちゃん。おそいよ!」

「ごめんね、けーちゃん」

 

 妹の川崎京華である。二回戦が始まる直前、お昼寝から起床した京華が突如居間に現れた。そしてそのまま三人で試合を観戦し、件の人物 范八幡は勝利を収めた。

 その結果―――

 

「はーちゃん、まだかなぁ? まだかなぁ?」

「もうすぐ来ると思うよ」

「……なんで気に入っちゃったのかねぇ」

 

 范八幡は川崎京華のお気に入りに認定された。何故気に入ったのかは本人曰く『はーちゃんはすごい!!』とのこと。何が凄いのかを聞いてもよく分からなかった。

 

「…………比企谷」

 

 沙希はふと放課後の出来事を思い出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「悪いね、戸塚。忙しいのにさ」

「ううん。大丈夫だよ、川崎さん。それで用ってなにかな?」

 

 授業終了後、川崎沙希は戸塚 彩加を屋上へと呼び出した。それは、ある事を確かめるためだ。

 

「……これなんだけどさ。どう思う?」

「え~と、王竜星武祭の試合だよね。これがどうかした―――これって!?」

 

 彩加は驚愕の表情と共に沙希を見る。

 見せられたのは彼女の端末。そして映し出されていた映像には―――

 

「―――八幡、だよね?」

「……やっぱりアンタもそう思うよね」

 

 少し前まで一緒にいたクラスメイト。比企谷八幡の姿が映っていた。彩加は食い入るように映像を凝視している。

 

「……でも、これって? 范……八幡? ど、どういうこと! 川崎さん!?」

「私にも分かんないよ。これを見せたのは、アイツかどうか確信が持てなかったからだし」

「え? それはどういうっ―――!?」

 

 彩加の言葉は自身の再びの驚愕と共に中断された。映像に映る彼が対戦相手の武器を避ける―――と同時にその武器があらぬ方向へと飛んでいった。そして対戦相手が一瞬硬直し、そのまま崩れ落ちた。

 

「す、凄い。八幡、こんなに強かったんだ……」

「その様子だとアンタも知らなかったようだね?」

「……うん。知らなかった」

 

 沙希の問いに彩加は頷く。そう、知らなかった。彼が転校した理由も、戦えることも、名字が変わっているのも、そしてアスタリスクにいることさえもだ。

 

「でもさ、戸塚。こいつが比企谷だと仮定してさ……どうしてアイツは星武祭に出場してるんだろうね?」

「それは……そうかも。確かに八幡なら出ないかな……めんどくさいって言って」

 

 二人の中で疑問が生まれる。比企谷八幡の性格はよく知っている。だからこそ、彼が望んで出場したとは思えないのだ。

 

「……何か願いがあったとか、かな? 星武祭で優勝すると何でも願いを叶えてくれるって聞いたことあるよ」

「それは私も聞いたことがあるけど……こうも目立つような大会に出てるってのが気になってさ」

「うーん、確かに……」

 

 二人は沈黙して考える。

 

 ―――その時だった。

 

 

「ふははははっ!! 話は聞かせてもらった!!」

 

 

 突如、一人の乱入者が現れた。

 

「………………」

「……あの、そんなに冷たい目で見ないでいただけますか?」

 

 しかしそんな乱入者に冷たい目を向ける沙希。余計な輩に関わってる暇はないのだ。

 

「それで戸塚。話の続きだけど―――」

「えーと、川崎さん。少しぐらい話を聞いてあげてもいいと思うんだけど」

 

 彩加のお願いに溜息を付く。

 

「……はぁ、分かったよ。それで話ってのはなんなのさ? えーと、材、材……材なんとか」

「材木座くんだよ、川崎さん」

 

 渋々話を聞こうとする沙希。

 だが―――

 

「ちが~~う!! 材木座とは仮の名である。吾輩の真の名は足利義輝! 剣豪将軍とは吾輩のことである!!」

 

 材木座 義輝は自身の名を強く訂正する。男には引いてはならぬ時があるのだ。

 

「―――そういうの、いいから」

「はい! ごめんなさい!」

 

 しかしその決意は一瞬で覆された。先程よりも更に冷たい視線に晒された結果、材木座は直ぐに謝った。

 そして恐る恐る話し始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……その後も色々話したけど、結局大した話は出来なかったね」

 

 ぽつりと沙希は呟く。あの後、材木座を交えての三人での話し合いを続けたが、大した話は出来なかった。決めたのは、八幡の王竜星武祭の試合を三人とも必ず視聴する。それぐらいだった。

 

「どうしたの、さーちゃん?」

「なんでもないよ、けーちゃん」

 

 膝の上に座る京華が沙希を見上げる。姉の様子がおかしいのに気付いたのだろう。

 そんな京華に沙希は誤魔化すように頭を撫でる。すると京華は嬉しそうに笑みを浮かべる。

 

 妹の可愛らしい様子に自然と笑みがこぼれる。

 

「あ、対戦相手が出てきたよ」

 

 大志の声に反応しテレビに視線を映す。すると一人の選手が入場してきた。范八幡の対戦相手だ。

 

 そして同時に司会の解説が始まった。

 学園の序列。戦闘スタイル。今大会の奮闘などが司会によって紹介されていく。

 

 だが、そんな解説は沙希にとっては興味がない。それに対戦相手のことなどどうでもいいのだ。

 彼女が気になるのは―――

 

「…………比企谷」

 

 反対側のコーナーから入場してきた、もう一人の少年の方だけなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

『さぁ! 界龍第七学園、范八幡選手の入場です!』

『さて范選手ですが、一回戦、二回戦共に相手の攻撃を躱し続けカウンターによる反撃で勝利を収めております』

『范選手の勝利を予想した人は殆どいなかったでしょう。范選手は序列外であることもそうですが、決闘や公式試合などの記録に残るものは何一つ存在していません。全く無名の選手です!』

『ここまで徹底していると、意図的の可能性が非常に高いですね』

 

 解説の声を聞きながらステージへと降り立つ。観客の歓声が巻き起こり、ステージの選手二人に会場中の人が注目している。

 

 一人は范八幡。そしてもう一人は―――

 

 ―――ソフィア・フェアクロフ。アーネスト・フェアクロフの妹、か。

 

 八幡は自らの対戦相手。クインヴェール女学園 元序列八位 ソフィア・フェアクロフと対峙していた。美しい金髪の少女は展開したサーベル型煌式武装を片手に持ち、こちらを見据えている。

 

 こちらはそれに対し【鶴姫】の鞘を左手に持ち―――しかし刀身は抜かない。

 

『おおっと! 一回戦二回戦同様、范選手は刀を抜きません!』

『ですが油断してはいけませんよ。范選手の体術のレベルはかなりのものです。それは前の二試合の結果が証明しています』

『しかし今回の相手は剣の達人であるフェアクロフ選手です。范選手も流石に剣を抜かざるを得ないのではないでしょうか?』

『そこら辺も注目したいですね~』

 

 ―――ま、素手のままじゃ無理だろうな。

 

 解説を聞きながら心の内で断言する。

 

 ソフィア・フェアクロフ。彼女のデータは閲覧済みだ。それこそ、入学してから現在に至るまでのすべての決闘や前回の王竜星武祭の試合もだ。それを踏まえてこの後の展開を予想する。

 

 ―――マトモにやり合えば厳しい……さて、どうするか? 

 

 真正面からやり合えば普通に押し切られる。勝つなら別の手段が必要だ。

 

 ―――剣の腕は綺凛とほぼ同レベル。今の俺じゃ……まだ無理か―――なら普通に相手の裏をかくか。

 

 そもそも過去二試合で素手だったのは剣のデータを取られないこと、相手の意表を付くことを目的としていた。別に素手に拘っているわけではない。

 

『さぁ! それではまもなく試合開始です!!』

 

 解説の声に合わせ両者が構える。腰を落とし、戦闘態勢に入る。此処で勝った方が本戦出場決定。否が応でも気合が入る。

 

『Gブロック3回戦、試合開始!』

 

 そして試合が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――いきますわよっ!!」

 

 開口一番、ソフィアから星辰力が吹き荒ると同時に、八幡に向かって飛び出す。真っすぐな性格なのだろう。シンプルイズベストと言わんばかりに正面から突っ込んで来た。

 

 やる事は前の試合と変わらない。というか、予選なので星露からの縛りがまだ生きている。

 なんとしても二分間耐え抜いて―――

 

「―――っ!?」

 

 神速の一撃が宙を薙いで迫る。咄嗟に反応出来たのは僥倖だった。予想を遥かに上回る一撃を辛うじて避ける。そして次いで第二撃が飛んでくる。

 

「―――くっ!!」

 

 第二撃を避けきれずに抜刀。寸での所でサーベル型煌式武装の一撃を受け止めた。

 

『おおっと! 范選手! この大会で初めて刀を抜きました。それを成したのはやはりこの人! ソフィア・フェアクロフ選手だぁ!!」

『純粋な剣技は兄であるアーネスト・フェアクロフをも凌駕するという噂もあります。流石の一言ですね』

 

 確かに噂通りの剣技。否、映像を見るより直に体感した方が遥かに凄まじい。

 その剣技に驚嘆していると、彼女が声を上げる。

 

「あら、ようやくお抜きになりましたわね」

「…………」

 

 剣を受け止めたままの状態で会話を試みてくる。だが、口調こそ平坦ではあるが、別の感情が感じ取れた。

 

 ―――苛立ち、もしくは怒りか? 

 

 初対面である彼女にそんな感情を向けられる謂れはない。何故かと悩む前に、彼女がさらに言葉を続ける。

 

「あなたの先の二試合、拝見させていただきましたわ。どんな理由であの様な行動を取っているか存じませんが―――」

 

 言葉を一度切る。そして彼女は強く宣言する。

 

「手加減して勝てるほど、わたくしは弱くありませんわ。覚悟してくださいまし!」

「…………なるほど」

 

 苦笑しながら理解した。どうやら前の二試合の行動が癇に障ったようだ。

 試合開始二分間は全く攻撃せず回避のみ。そして二分経過後にカウンターで撃破。それも二試合連続だ。

 

 ―――なるほど。舐めプしたと言われても否定できんわ。

 

 その可能性をまったく考えていなかった。人によっては怒っても仕方がない。

 

 八幡の苦笑にソフィアは苛立ちを見せる。そしてソフィアが動く。鍔迫り合いの状態から脱しようとするが―――しかし八幡はその剣を技術で抑え込む。

 

「―――っ!」

「誤解されるような行動を取ったのは謝罪します」

 

 取り合えず謝っておく。だがそれとは別にこちらも言っておきたいことがある。

 

「ですが、こちらも大真面目なんですよ。決して手加減はしていません」

「そうですか。でしたら―――」

 

 八幡の答えを聞きソフィアが再び動く。彼女は全身から星辰力が吹き荒らせ、鍔迫り合いの状態を更に押し込みー――力づくで剣を振りぬいて八幡を吹き飛ばした。

 

 後方に飛ばされながら着地する八幡。

 そしてソフィアの方に振り向くと彼女は再度宣言する。

 

「―――それが口先だけではないと、その実力で証明なさい!!」

「……はぁ、なんでこうなるのやら」

 

 二人の戦いは激化していく。

 

 

 

 

 

 

 

 

『おおっと! 范選手とフェアクロフ選手! 二人の戦いは激しい打ち合いへと移行しました!!』

『リング中央で激しく両者の攻防が続きます! しかし押しているのはフェアクロフ選手! 范選手! 徐々に押され始めたか!?』

 

 解説の声を己の耳に届く中、ソフィアは剣を振るう。その数が増えるたびに相手を追い詰めている―――はずである。

 

 ―――妙ですわね。何か変ですわ。

 

 范八幡。界龍第七学園 中等部三年。序列はなし。戦闘データはこの大会の二試合のみ。使用武器は煌式武装ではなく日本刀。煌式武装を使用しないのはこの都市ではかなり珍しい。

 

「はぁぁぁっ!!」

 

 ソフィアは連続で刺突を繰り出す。並みの相手なら数撃で倒せる攻撃だ。しかしそう易々とはいかない。左右に最小限動いて微妙に狙いを外される。さらに直撃する攻撃は刀で上手く捌かれた。

 

 ―――仕留めきれない。界龍に此処までの剣の使い手がいるなんて。

 

 押しているのはこちらだ。だが油断はできない。そう感じさせるほどに相手の防御に隙が無い。このまま攻撃を続けても無駄に終わりそうだ。

 

 一旦仕切り直しすべく剣を引く―――だが相手は仕掛けてこない。

 

 ―――やはり仕掛けてきませんか。

 

 積極的に攻撃してこないのは此処までの試合と一緒。戦法も同じならカウンター狙いが濃厚だが―――それがブラフの可能性も否定できない。

 

「守ってばかりは勝てませんわよ?」

「……余裕がないので無理ですね。まあ、気が向いたら攻撃しますよ」

 

 こちらの挑発も軽く流される。どうやら完全に防御に徹するようだ。それならそれで構わない。相手が攻撃してこないなら好都合だ。

 

 ―――どちらにせよ、こちらのする事に代わりはありませんわ! 

 

 ソフィア・フェアクロフは范八幡に向かって剣を振るい続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方、范八幡には余裕がなかった。

 

 ―――右、左、左下、右上、真下、ちぃっ、速い! 速すぎだろっ!! 

 

 こちらに襲い掛かる怒涛の攻撃を辛うじて捌く。剣筋は何とか追えている。しかし剣の速度が尋常ではない。そのスピードは正に神速。

 

 ―――やっぱり綺凛と同レベルか。きっちぃなぁっと! アブねアブねっ。でも何とか対応できる、戦える。余計なことは考えるな、集中しろ! 神経を研ぎ澄ませっ! 

 

 相手の動きにだけ集中する。放たれる剣に対しこちらも刀を合わせる。無理に攻めることはしない。とにかく相手の剣を裁くことだけに没頭する。

 

 刺突が連続で繰り出される。刀を左右上下に細かく動かし捌く。更にスピードが上がり、こちらの防御を抜こうとする。しかしそれは許さない。繰り出される剣に刀を合わせ軌道をずらし―――ソフィアの身体が僅かに傾く。

 

 その隙を狙いカウンター一閃。しかしこちらの狙いも読まれる。払った一撃は容易に避けられ、ソフィアはそのままこちらから距離を取った。

 

「ふぅっ」

 

 軽く息を吸う。ソフィアの攻撃は明らかにカウンター対策だ。決して大振りの攻撃をせず、こちらに攻撃の隙を与えない戦法。

 

 ―――さて、どうするかね? 

 

 試合が開始して既に数分が経過している。縛りは既にクリアした。そして戦いの際中に見えてくるものがあった。

 

 ―――確かに剣の腕なら綺凛と同レベルだ。だけど二人が戦えば間違いなく綺凛が勝つ……やっぱり彼女は人に攻撃が出来ないんだな。

 

 ソフィア・フェアクロフの弱点。それは彼女が人を傷つけることが出来ないことだ。それ故に彼女の攻撃は読みやすい。攻撃する場所が限定されるからだ。

 

「何を考え込んでいますの!」

 

 考え込む隙を付かれ、ソフィアが前傾姿勢で突っ込んでくる。先程と同様に連続で刺突―――から変化で横薙ぎ! 虚を突かれ、刀で防御するもそのまま後退させられる。

 

「っと!」

 

 倒れないように踏ん張り体勢を維持する。が、ソフィアは既に次の行動に移していた。八幡を吹き飛ばした後直ぐにジャンプ! 両手でサーベル型煌式武装を持ち、思いっきり振り下ろしてきた。

 

「はぁぁっ!」

「っぶね!」

 

 こちらも両手で刀を持ち、なんとか受け止めた。そのまま鍔迫り合いに移行し両者の顔が接近する。ソフィアの表情は真剣そのものだ。彼女の大会に掛ける思いが伝わって来るかのようだ。そして何故か―――目の前でソフィアがふっと笑った。

 

「ここまで見事に凌がれましたわね。お見事ですわ」

「そちらこそ大した剣の腕です。今でも結構ギリギリですよ」

「あら、それは嬉しいですわね」

 

 褒められるとは思わなかったのか、クスリとソフィアが笑う。近距離での美人の笑顔は止めてほしい。戦闘中とはいえ、思わず見惚れてしまいそうになる。

 

「でも、あなたは本気を出していませんわ」

「…………」

「答えずとも分かりますわよ。あなたは何か力を隠していますわね?」

「……さぁ? どうでしょうかね?」

 

 咄嗟に誤魔化すも、ソフィアは何故か確信を持っているようだった。

 

「……まあ、いいですわ。それを引き出せない私に問題があるのですから」

 

 そう言うと、ソフィアが後方へ大きくジャンプ。くるりと回転しそのまま着地する。剣を一振りし、彼女の全身から星辰力が吹き荒れる。

 

「―――さぁ! いきますわよ!!」

 

 吹き荒れる星辰力の量が彼女の本気を表していた。次の激突で完全に決着を付ける気だ。しかし正面からぶつかるのは危険だ。彼女の剣技では万が一が十分に起こりうる。

 

 故に―――

 

「…………手札を一枚切るか」

 

 正々堂々―――相手の裏をかく。

 

 

 

 

 

 

 

 

『さぁ! 両者から星辰力が溢れています!』

『次で決める気ですね。さてどうなるか―――おおっと! フェアクロフ選手が動いたぁ!!』

 

 解説の途中でソフィアが同時に動く。前傾姿勢で八幡に向かって突っ込んでいく。

 それに対して待ち受ける八幡。懐から一枚の符を取り出し―――前方に投げつけた。

 

 ―――星仙術? 構いませんわ! 何が来ても対応してみせますわ! 

 

 その符を一目見て、界龍特有の星仙術と判断したソフィア。どの術が発動するか警戒し、投げつけられた符に注視した。

 

 ―――その行動で罠にかかった。

 

「―――急急如律令、勅!」

 

 符が発動し―――閃光が走る。

 

「くっ!? 目がっ!?」

 

 視界を奪われ、ソフィアは咄嗟に右腕で顔を覆った。視界を潰された。ならば次は向こうの攻撃が来る! 

 

「それならっ!」

 

 突撃を中断。瞬時の判断で進路変更し、真横へと跳んだ。着地と同時に右腕を退ける。そして薄目を開けて先程まで八幡がいた位置を確認し―――八幡の姿を見失う! 

 

「―――っ! どこへっ!!」

 

 自身の右手から踏み込みの音! 咄嗟に右を向き―――刀を振りぬく八幡の姿を捉えた! 

 

「―――甘いですわっ!」

 

 無理やり左方向に身体を倒し回避行動―――した直後に胸元があった位置に刀の軌跡が通り過ぎる。

 そして―――相手の校章を捉えた。

 

「そこですわっ!!」

 

 左足を力強く踏みつけ倒れるのを阻止。そしてそのまま上体を起こし、右方向に回転しながらサーベル型煌式武装を上方向から必殺の一撃を繰り出した。

 

 神速の一撃は彼女の狙い通りの軌跡を描く。攻撃直後の八幡にそれを防ぐ術はなく、胸にある校章を断ち切られた。

 

 そして同時に―――斬られた八幡の姿が霞の如く消え去る。

 

「―――なっ!?」

「―――俺の勝ちです」

 

 騙されたことに気付いたソフィアだが、その直後に決着は付いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

『決着! 決着! 試合終了!! 勝ったのは界龍第七学園、范八幡選手です!!』

『いや~見応えのある試合でした。試合は終始フェアクロフ選手が得意の剣技で優勢に進めていましたが、最後の攻防で范選手が逆転勝利を収めました!』

 

 試合が終わり歓声が鳴り響く。解説の声を聞きながら、八幡は刀を鞘に納めた。

 

「ふぅっ、何とかなったか」

 

 何とか勝利を収めた。これで後は帰るだけ―――ではない。試合よりよっぽど憂鬱な記者会見が待っていることを思い出した。

 

 名字から星露との関係性を怪しむ記者もいるかもしれない。とりあえず、どうやって誤魔化そうか考えていると―――

 

「―――少々よろしくて?」

 

 対戦相手のソフィア・フェアクロフが話しかけてきた。

 

「……なんでしょうか?」

 

 少しだけ警戒する八幡。すると八幡の前にソフィアの右手が差し出された。

 

「…………なんですか、これ?」

「? 見ての通り。単なる握手ですわよ」

「そう、ですか……」

 

 意外な行動を取られ困惑する八幡。とりあえず差し出された手を握り返した。

 

「やはり貴方は強かった。特に最後の星仙術は見抜けませんでした。お見事ですわ」

「…………ありがとうございます」

 

 返事を返すと、握られた手の力が少しだけ強くなった。思わずソフィアの顔を見る。すると彼女は、悔しさを堪えながら力のない笑顔で八幡に告げる。

 

「……私の分も頑張ってくださいまし」

 

 それだけ言うと、返事を待たずソフィアは立ち去って行った。その間、八幡は立ち尽くし彼女の後姿を見送った。

 

「…………重いなぁ」

 

 星武祭には多くの選手が出場している。そして多くの選手が出場するという事は、その人数だけ叶えたい願いがあるということだ。

 

 勝てば勝者となり、負ければ敗者となる。勝者に出来ることは、敗者の想いを背負って戦い続ける。ただそれだけだ。

 

 少なくとも八幡はそう解釈し―――ソフィア・フェアクロフの想いを背負った。

 

「はぁぁぁ、やっぱり出るんじゃなかったかねぇ。王竜星武祭」

 

 自分の背負った想いを自覚し、范八幡は溜息を洩らした。

 

 

 界龍第七学園 序列外―――范八幡。本選出場決定。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふむ、勝ったか。まあまあじゃな」

 

 生徒会長室で一人、范星露は范八幡の試合を見ていた。結果は八幡の勝利だ。勝利自体は予想していたので別に驚かない。

 

すると部屋の外から声が聞こえてきた。

 

「失礼します、師父」

「おお、虎峰か。どうした?」

 

趙虎峰が部屋に入ってきた。

 

「書類が終わったか確認しに来たのですが……もう終わってるようですね、珍しい」

「うむ、儂が本気を出せばこんなものじゃよ」

「はぁ、その本気をいつも出してくれれば助かるんですけどね」

 

虎峰が星露の傍に置かれた、処理済みの書類の山を見て溜息を付く。

 

「ところで、何の映像を見ていたのですか?」

「八幡の試合じゃよ、ほれ」

 

星露は虎峰へ映像データを送った。

 

「ああ、そういえば今日試合でしたね。結果は……よかった。勝ったんですね」

「予選で負けるほど軟な鍛え方はしておらんよ。勝って当然じゃ」

「まあ、確かに」

 

 普段の八幡の様子を思い出して虎峰は苦笑する。彼の鍛錬相手を思い出したからだ。

 范星露、武暁彗、雪ノ下陽乃、趙虎峰、アレマ・セイヤーン、刀藤綺凛。近接戦闘でも界龍のトップ集団が、彼を徹底的に鍛え上げてきたのだ。

 

 そんな彼が予選で負けるわけがない。

 

「では師父。この書類は貰っていきますね」

「うむ、頼んだぞ」

「はい」

 

 虎峰は書類を抱えて部屋を退出した。残された星露は、再び八幡の予選の試合を見返していた。

 

「……予選は相手に恵まれたか。この程度の相手では八幡も本気にはなれんな。まあ、本戦に期待するとするかのう―――その為に苦労して王竜星武祭に送り込んだのじゃ」

 

 星露が八幡を王竜星武祭に送り込んだ理由は幾つかある。

 

 一つ目は彼の自己評価の低さを直すため。これは王竜星武祭を勝ち抜いて、本人に自信を付けさせるためである。

 

 二つ目は実戦の場こそ良き稽古になるから。普段は界龍のメンバーしか相手にしていないので、他学園の生徒との戦闘も行わせたかった。

 

 そして三つめ。最後の目的は―――

 

「ふむ、場を整えるのも運次第。しかもそれで上手くいくかは……微妙じゃのう」

 

 三つ目の目的が非常に難しい。これを達成するには、幾つかの条件をクリアするのが前提にあり―――条件をクリアしても成功するかは不明だ。

 

「まあよい。すべては抽選の組合せしだいじゃな。そこからまた考えればよい」

 

 星露は映像に映る八幡の姿を見つつ、ニヤリと笑った。

 




前回の更新からまた大分開きました。お久しぶりです。次回はもうちょい早くしたいですね。頑張ります。

誤字、脱字、感想等あれば、よろしくお願いします。


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第三十三話 彼女たちは何を思うか

たくさんの応援メッセージありがとうございます。テンション上がったので更新します。


「ふぁぁぁぁ~」

 

 大きな欠伸を上げて目を開ける。すると視界に日の光が飛び込んでくる。

 

「ん~~朝か……」

 

 ぼうっとなりながら上半身を起こす。そのまま壁に掛けられた時計を見る。

 

「……10時か。あれ? 目覚ましなったっけ?」

 

 普段ならもっと早く起きている。意識がまだ完全に覚醒しないまま原因を探し―――

 

「あ、そうだ……今日は抽選日で休みだったな」

 

 今日は王竜星武祭の本選抽選日の為、完全休養日なのを思い出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、おはようございます。梅小路先輩」

「おはようさんどす、八幡はん。今日はえらいゆっくりしてるなぁ」

 

 八幡は私服に着替えた後に向かった先、食堂で梅小路 冬香に出会った。

 

「梅小路先輩も朝食ですか?」

「そうどすえ。一緒に食べはりますか?」

「ええと。じゃあ、よろしければ」

 

 二人で一緒に朝食を食べることになった。とりあえず、こちらが後輩なので準備をしようとするが。

 

「ええからええから。座っとってええで。八幡はんは王竜星武祭で頑張ってるさかいね。先輩に任してや」

 

 そう言われ先に席に付いて待つことになった。朝食自体は既に作り置きされている。それを冬香は温めなおし、盛り付け、そして二人分の朝食を運んできた。

 

「ほな、よばれまひょか」

「はい、いただきます」

 

 二人で手を合わせ朝食を食べ始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日はえらいゆっくりしてるけどいけるんどすか?」

「ええ。今日は抽選会で休みですし、抽選の結果が送られてくるのは午後になるそうですから」

「さよですかぁ。そないなら大丈夫やねぇ」

 

 朝食を食べ終え、まったりとする二人。特にやる事もないので、のんびりとお喋りをしていた。

 

「そういえば、八幡はんと二人きりで喋るのは珍しいわぁ」

「そう、でしたっけ?」

「短時間ならともかく、こないゆっくり喋るのは記憶にありまへんなぁ」

「…………確かに」

 

 言われてみればその通りだった。短時間ならともかく長時間話すことは今まで無かった。せっかくなので気になることを聞いてみることにした。

 

「梅小路先輩は確か術の研究をされてるんですよね?」

「そうやなぁ。梅小路家に代々伝わる秘術や式神を研究してはるよ。なんや? 興味あるん?」

「ええ、映像では見たことありますけど……実際どんな感じなのかは興味があります」

「ほなら、少しばかりお披露目しまひょか」

 

 冬香は立ちあがり懐から扇子を取り出す。そして扇子をふわりと翻した。

 

「―――急急如律令、勅」

 

 冬香の声が響く。そして虚空から一体の式神が現れる。一つ目で一本足の怪物。俗にいう妖と呼ばれるものだった。

 

「これがうちの式神、百鬼夜行の一体やね」

「おお! これは凄いですね」

 

 その式神に感嘆の声を上げる八幡。

 

「百鬼夜行と言うと、他にも種類が沢山いるということですか?」

「そうやなぁ。日ノ本に伝わる妖怪の殆どは作りだせるで」

「なるほど。いや、ありがとうございます。珍しいものを見させてもらいました」

「かまへんよ。このぐらいは大したことあらへんわ」

 

 冬香が扇子を閉じると、それに合わせて式神も姿を消した。

 

「まあ、うちのこれは秘術と星仙術の合わせ技といった感じやけどなぁ」

「そうなんですか?」

「梅小路家も歴史が長いさかい、失伝した秘術も多くてなぁ。それを補うために、星露はんに頼んで星仙術を学んでるわけや」

 

 八幡にとっても興味深い話が出てきた。

 

「では、能力でもああいった物を作り出せると?」

「可能やで。この手のものに必要なのはイメージやさかいね。それが出来る能力者も数は少ないけどいる思うで。うちの式神もそうやけど、自律行動を組み込めば自身の行動は阻害されへん。慣れたら結構便利やで」

「百鬼夜行と言うと、文字通りの意味ですよね……なるほど、それは怖いですね」

「ふふふ、ご想像にお任せすんで」

 

 冬香は意味深に笑った。

 

「そういえば、うちからも八幡はんに一つ聞いてもええですか?」

「ええと、はい。なんでしょうか?」

「界龍の生活はどない感じ? 楽しく暮らせてはる?」

 

 八幡はその質問に直ぐに答えを返した。

 

「そうですね……まあ、悪くはないと思いますよ。平穏とはいえない学園生活ですけどね」

「そうかぁ。ほならよかったわぁ」

 

 八幡の回答に満足したのか、冬香はにっこりと笑った。そして唐突に八幡に近付いて―――その頭を撫で始めた。

 

「あ、あの? な、なんですか。いきなり?」

「あらぁ、こうされるのんは嫌?」

「い、嫌ではないですが……気恥ずかしくはあります」

 

 照れながらも正直に答える八幡。そんな彼の様子を見ながら、冬香はなおも頭を撫で続ける。

 

「正直に言うとな。界龍に来た頃の八幡はんは、危うい感じがしたんやで」

「そうなんですか?」

「そやで。動物に例えると、そうやなぁ……警戒心丸出しのハリネズミって感じやったわぁ」

 

 その例えに八幡も苦笑する。身に覚えは―――結構あった。

 

「それはまた、随分危ないですね……今はどうですか?」

「今は問題あらへんよ。かいらしいかいらしい、うちの後輩やで」

 

 一通り撫でて満足した冬香は八幡から手を下した。

 

「ところで八幡はん。この後はどないすんの?」

「そうですね……抽選の結果が届くまでは瞑想でもする予定です」

「そうか。頑張ってや」

「はい。ありがとうございます、梅小路先輩」

「あ、それや」

「?」

 

 冬香が何か言いたいようだ。

 

「冬香でええで。いつまでも名字で呼ばれるんは寂しいさかいね」

「ええと……はい、冬香先輩」

「うん、よろしい」

 

 八幡の返答に冬香はにっこりと笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

「…………」

 

 少女二人が机を対面に座り勉強をしている。二人に会話はない。だがその勉強も進みは遅い。両者ともにお互いに話そうとし、だが互いに遠慮しあい沈黙を守っている。

 

「……あの、ゆきのん」

「……なにかしら?」

「……ううん。なんでもない」

「…………そう」

 

 まず沈黙を破ったのは由比ヶ浜結衣。隣にいる雪ノ下雪乃に何かを言おうとする。しかし何も喋らない。そんな結衣に雪乃も問うことはしない。

 

 その原因は分かっている。彼女の様子がおかしい理由も。自身が冷静ではない理由も。その全てがだ。

 

「……はぁ」

「ゆきのん?」

「由比ヶ浜さん?」

「うん、なに?」

 

 こんな状態では勉強どころではない。気分転換が必要だ。

 

「お昼にしましょうか。少し休憩しましょう」

「……うん、そうだね」

 

 一先ず休憩にしよう。話はそれからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 お昼を終え二人はテレビを見ていた。映っているのは王竜星武祭の抽選会の映像だ。しかし抽選はまだ始まっていない。お偉方が色々と話している映像が映し出されている。

 

「……まだ抽選は始まらないんだね」

「抽選は最後だからまだ先ね。それまでは退屈な話が続くわ」

「どうして偉い人の話って長いんだろうねぇ?」

「それは……色々と語りたい人が多いからじゃないかしら、恐らく」

「そっか……」

 

 ぼうっとしながら二人でテレビを眺める。暫くするとお偉方の話が終わり映像が切り替わる。

 次に映ったのは選手紹介だ。予選を突破した選手の紹介がされるようだ。

 

 そして選手の紹介が始まった。名前、所属学園、予選での活躍。それらが順番に映し出されていく。王竜星武祭は最も激しい争いとなる大会だ。予選を突破した選手は実力者が揃っている。

 

 そして―――

 

「―――比企谷くん」

「……やっぱりヒッキーだよね、この人」

「…………こんな所で何をしてるのかしらね、あの男は」

 

 件の男、范八幡の紹介が始まった。それを二人は複雑な気持ちで見つめる。二人にとっては少し前まで一緒にいた人物だ。

 

 二人の表情は少々異なる。結衣は悲し気に、雪乃は少々呆れ気味に。比企谷八幡だった男の映像を眺めていく。

 

「……ねぇ、ゆきのん。陽乃さんも界龍なんだよね」

「ええ、そうよ」

 

 結衣が何を言いたいのか、雪乃はすぐに察した。

 

「な、なら陽乃さんに連絡すれば「無駄よ」えっ?」

 

 だからこそ、彼女の言葉を途中で断ち切る。

 

「……姉さんと連絡は付かないわ。番号も変えてしまったようだし、それに……」

「それに?」

 

 姉は家を捨てた。それを言うのは何故か憚れた。

 

「とにかく、彼と連絡を取る手段はないわ。諦めなさい」

「諦めなさいって……ゆきのんはそれでいいの?」

「いいも悪いもないわ……わたしにとってはどうでもいい事よ」

「ゆきのん……」

 

 雪乃の言いように結衣は悲しむ。彼女の言葉と表情がまったく一致していないからだ。雪乃の表情には言葉とは裏腹に諦めと苦痛が同居していた。

 

 しかしそれを指摘した所で雪乃が認めるはずもない。

 

「ねえ、ゆきのん……わたし決めたことがあるんだ」

「由比ヶ浜さん?」

 

 雪乃は結衣を見る。彼女は何時になく真剣な表情をして雪乃を見ている。

 

「わたし、わたしね。アスタリスクを受験しようと思う。だから―――」

 

 由比ヶ浜 結衣は雪ノ下雪乃へ告げる。

 

「―――ゆきのんも一緒に行かない?」

「……っ!」

 

 結衣から告げられた言葉に雪乃は絶句する。

 

「…………」

「わ、わたしは…………」

 

 結衣はもう何も言わない。雪乃をじっと見つめるだけ。そして雪乃は動揺する。自身の感情に考えが及ばず、困惑し言葉が出てこない。そんな雪乃を結衣はただじっと待つ。

 

 そして雪乃が出した答えはー――

 

「…………少しだけ考えさせてちょうだい」

 

 答えを先延ばしすることだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 座禅を組み瞑想に耽る。目を閉じて身体からは力を抜き、思考はクリアに。そして星辰力は一定量を維持したまま。八幡はこの状態で瞑想を続けている。

 

 瞑想を始めて二時間が経過している。一定量の星辰力を長時間維持するのは、かなりの労力が必要だ。しかし、星辰力コントロールを鍛えるのにこれに勝る修行方法はない。

 

 それ故に、八幡はこの修行を長期間続けているのだ。

 

「…………ふぅぅぅっ」

 

 瞑想を解除し目を開ける。瞑想後に少し休憩。そして再び瞑想に入る。やることはこれの繰り返しだ。

 

「水でも飲むか……!」

 

 水分補給をするために立ちあがり―――懐にある携帯端末から着信の音が鳴った。

 

「通信か…………来たか」

 

 直ぐに端末を取り出してウィンドウを開く。そして待ち望んだものが来たことを確認した。

 

 ―――王竜星武祭の抽選結果だ。

 

「さて、俺の場所は何処かな……っておいおい、トップバッターかよ」

 

 本戦初試合が自身の試合なのを発見した。次いで対戦相手を確認する。

 

「相手は星導館序列3位 ファードルハ・オニールか。純星煌式武装の使い手か」

 

 相手の事は以前データで見たことがあった。無数の光刃で出来た刀身を、蛇のようにくねらせて相手を攻撃する純星煌式武装。蛇腹剣型純星煌式武装《蛇剣オロロムント》。

 

 能力は斬った相手を幻惑に誘う毒を発生させる。その為、直撃はおろか掠っただけでも相手を戦闘不能にする強力な純星煌式武装だ。

 

「かなり強力な純星煌式武装のようだが、一撃でも喰らったらダメなのは普段の鍛錬と一緒だな……やり様はいくらでもあるか」

 

 侮っていい相手ではない。しかし戦う強さと手段は手に入れている。なんとかなるはずだ。

 

「さて、他のメンバーを確認していくか」

 

 自身の知り合いの三人を優先的に、トーナメント表を確認することにした。そして最初に発見したのはグリューエルだった。

 

「グリューエルが俺のすぐ隣か。勝てば俺と戦う可能性はある。だが、相手はアルルカントの序列十五位。虎峰とセシリーが負けた相手と同種の新型煌式武装の使い手か……厳しいな」

 

 グリューエルの実力の伸びには驚かされた。だが、アルルカントの新型煌式武装の相手は厳しい戦いが予想される。

 

「そして陽乃さんとシルヴィは反対側のブロックか。二人が当たるとしたら準決勝か……どっちが強いのかねぇ?」

 

 雪ノ下陽乃とシルヴィア・リューネハイム。両者ともにアスタリスクでの最上位の実力の持ち主だ。どちらが強いのかは個人的にも興味がある。

 

「さて、自分のブロックの他の選手も見てくか…………星導館 東薙 茨、レヴォルフ モーリッツ・ネスラー、クインヴェール ネイトネフェル、アルルカント カーティス・ライト。そして…………オーフェリア・ランドルーフェン、か」

 

 こちらのブロックに大本命がいた。

 

「……当たるとしたら準決勝。星露が同格と認める相手。どう戦う? いや、そもそも戦いになるのか? 星露にだってまったく歯が立たないのに……って何考えてんだ、俺は」

 

 頭を左右に振り自身の考えを打ち消す。いつの間にか思考が対オーフェリア戦にシフトしていた。

 

「はぁっ、そんな先のこと考えるほど余裕があるわけないだろう。まずは目先の一戦からだ」

 

 ウインドウを操作し、星導館の公式データベースへアクセス。そして冒頭の十二人の一覧からファードルハ・オニールを選択。彼の戦闘一覧を周囲に映し出す。

 

「…………やれるだけのことはやる。それだけだ」

 

 そう言って、范八幡は対戦相手の戦闘データの確認を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「報告は以上です、会長」

「はい、ありがとうございます。夜吹くん」

 

 星導館の生徒会長室で、夜吹英士郎はクローディア・エンフィールドに定例報告をしていた。彼女は提出された報告書に目を通す。

 

「……特に大きな問題はないようですね」

「今は星武祭ですからね。下手に揉め事を起こして発覚でもしたら、痛い目に合うのは何処も分かってますよ」

「そうですね……星武祭ですからね」

 

 英士郎はクローディアの表情が優れないのに気付いた。

 

「どうかしましたか、会長? ご気分でも悪いんですか?」

「いえ、そういうわけではないです。王竜星武祭の抽選結果がちょっと……」

「ああ、なるほど」

 

 英士郎はクローディアが落ち込んでいる理由が分かった。

 

「うちの対戦相手の殆どが格上でしたね。次の試合にどれだけ残れるやら」

「……残念ですが殆どの方が負けてしまうでしょうね。相手が悪すぎます」

 

 クローディアは断言する。そして英士郎も釣られるように頷く。

 

「ですよねぇ。孤毒の魔女、黒炎の魔王、世紀の歌姫、舞神。これだけの面子が相手じゃ希望はないですね」

「せめて他の方が勝ち上がることを祈りますよ」

 

 苦笑するクローディア。先の四人を相手する生徒には、気の毒だがもう諦めている。せめて他の出場者が勝ち上がるのを期待するしかない。

 

「あ、でもあの人がいるじゃないですか。うちの序列3位が。相手も序列外だし普通にいけるんじゃないですか―――って、通信が入った」

「………………」

 

 喋り途中に通信が入った英士郎は、ウィンドウを開き確認する。その為、彼はクローディアを見ていなかった。

 

 

 ―――先程とは打って変わって、真剣な表情を浮かべているクローディア・エンフィールドを。

 

 

「ああ、はい、分かりました。すぐ行きます―――すいません、会長。副業の方から連絡がありまして」

「かまいませんよ、行ってください」

「ありがとうございます。それでは、失礼します」

 

 そう言って、夜吹英士郎は生徒会長室を後にした。そして残されたクローディア・エンフィールドはポツリと呟く。

 

「―――その序列外が一番問題なんですよ、夜吹くん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 幾つもの空間ウィンドウが周囲を囲む。そこには色んな映像が映し出されている。公式プロフィール、王竜星武祭の予選での戦闘、勝利インタビュー。様々な情報がそこには表示されている。

 

 それらは全てある人物に関係するものだ。

 

「―――范八幡、ですか」

 

 その名前を知ったのは、王竜星武祭の予選トーナメント表を眺めていた時だった。見つけた瞬間、自身に衝撃が走ったことをクローディアは覚えている。

 

 直ぐに界龍の公式データベースにアクセスし、本人の情報を探りに行った。だが情報がまったくない。序列戦はおろか、決闘の記録すらなかったのだ。

 

「はぁ、夜吹くんですらあの認識ですからね……まあ、無理もありませんか。この予選ですら彼はすべての実力を発揮していない」

 

 クローディアの前には二つの映像があった。一つは王竜星武祭での戦闘、そしてもう一つは―――雪ノ下陽乃との戦闘だ。

 

「……能力を使用しない状態であの戦闘力ですか。今の全力がどのくらいか……想像できませんね」

 

 入学前の時点で雪ノ下陽乃に食い下がれる程の実力者。それが今まで成長してないなどあるはずがない。

 

 そして―――

 

「比企谷八幡。そして范八幡と范星露。無関係のはずがありませんね……あの公主が向かえ入れた? 彼はそれ程の実力を? それとも気紛れ?」

 

 考えれば考えるほど分からない。ただ入学させるだけなら名字を変える必要などない。范星露の関係者になるなど、無駄な注目を集めるだけだ。普通なら取る選択肢ではない。

 

 夜吹英士郎に調査を依頼するか一瞬だけ考え―――直ぐに諦めた。間違いなく范星露が絡む調査になる。そんなものは命が幾ら有っても足りはしない。英士郎だって土下座してでも断ってくるだろう。

 

 ―――藪をつついて蛇どころか大蛇が出てきてもおかしくはない。

 

「はぁぁぁ、考えても無駄ですね。理由なんて現時点で分かるはずもありません。それこそ本人か公主に直接聞かない限りは」

 

 それでも答えるとは思えないが。考えながらクローディアは苦笑した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 一人の少女が映像を見ている。その映像には少女にとって大事な人物が映っていたからだ。

 

 少女をそれを何度も見返す。その姿が見えることに喜びを。自分が彼の近くにいないことに悲しみを。相反する感情を同時に持ちながら少女が映像を見返す。

 

 何度も、何度も、何度も、何度も。

 

 会いたいと毎日願った。もう会えないと毎日嘆いた。無気力で惰性の日々を送り、まるで世界が色褪せたようにも感じたものだ。

 

 そんな後悔する日々の中―――ようやく少女は兄の居場所を知った。

 

「…………お兄ちゃん」

 

 その少女―――比企谷小町は万感の想いでそう呟いた。




本戦前のちょっとしたお話でした。雪乃と結衣。そして小町ちゃんの再登場です。

本戦出場だとニュースで全選手の紹介とか普通にありそう。という事で、三人にはこの段階でバレました。今後もちょくちょく登場する予定です。

誤字、脱字、感想等あれば、よろしくお願いします。


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第三十四話 少女へのお見舞い

 約二年ぶりの投稿です。


『范選手! 素早い動きと星仙術でオニール選手を翻弄! オロロムントの攻撃がまったく当たりません!』

『これは完全に手玉に取ってるッスね。オニール選手の純星煌式武装 蛇剣オロロムントは変幻自在の攻撃が売りッスが、しかしこれを見事に回避してるッス』

『おおっと! 范選手! ここで前に出たぁ! オニール選手へと向かいます。しかしその背後からオロロムントの攻撃が襲う! 范選手避けれない! ああっ!? 范選手の姿が消えたぁ!』

『界龍特有の星仙術ッスね。オロロムントの攻撃は確かに強力ッス。しかし当たらなければそれはまったく意味がないッス。范選手はそれは見事に実行しているッス』

『! 今度は范選手。オニール選手から離れた位置から姿を現しました。すかさずオロロムントが襲い掛かる!』

『いや、これは──―』

『オロロムントの攻撃が范選手に直撃! しかしこれも幻影っ! ああっ!? 范選手がオニール選手のすぐ傍に現れたぁ!! そして范選手の刀が校章を一閃! 試合終了です!』

『最後に離れた場所に現れた分身は囮ッスね。そしてオロロムントが離れた隙に止めを刺したッス。いやぁ、お見事ッス』

 

 流れている映像を止める。これは二日前に行われた王竜星武祭 四回戦。范八幡 対 ファードルハ・オニールの試合の映像だ。既に何ども見ている映像だが、繰り返し見続けている。

 

 映像を見ていた少女──―比企谷小町は余韻に浸りながらポツリと呟いた。

 

「──―やっぱり強いなぁ、お兄ちゃん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 昼休みの時間になった。川崎沙希は教室から出て廊下を歩く。すると、周りの生徒から話し声が聞こえてくる。聞こえてくる話は主に二種類だ。

 

「なぁ知ってるか? 王竜星武祭に出ている雪ノ下陽乃って雪ノ下さんの姉だってよ」

「マジで!? 知らなかったわ」

「総武中学に居たこともあるんだってよ。凄いよなぁ、俺ファンになっちゃったよ」

「……俺もアスタリスク受験してみよっかなぁ」

「じゃあ、一緒に受けてみるか?」

「おう! やってみようぜ」

 

 一つ目は雪ノ下陽乃に関する話題である。有名人である雪ノ下雪乃の姉という事もあるが、何より総武中学に在籍していたことが大きな理由だ。それ故、聞こえてくる話題の殆どがこれだ。

 

 そしてもう一つが──―

 

「なぁ……あれってやっぱりアイツなのか?」

「そんなわけないよ。あんな奴があんな……」

「……だよな」

「絶対違うって……あるわけないよ」

 

 ぱっと聞いただけでは誰のことを言ってるか分からない、要領をえない会話。しかも人目を憚るようにひっそりと話されている。

 

 だが沙希にはそれが誰のことを指しているか直に分かった。信じられないという思いは少しだけ共感できるから。そんな事を思いながら沙希は屋上へと向かった。

 

 そして屋上へと到着し扉を開けると、待っていたかのように後輩の少女が声を掛けてくる。

 

「あ、沙希せんぱ~い! こんにちは~」

「……あんたは変わらないね、一色」

「? どうかしたんですか?」

「いいや、別に」

 

 普段と様子の変わらない一色いろは。そんな彼女に安堵しながら隣に座る。そして弁当箱を取り出す。

 

「いただきます」

「いっただきま~す」

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、そういえば沙希先輩。王竜星武祭って見てます?」

「……どうしたのさ、いきなり? まあ見てるよ、一応。それがどうかした?」

「いやぁ、クラスの子たちが話してるのを耳にしたんですけど。雪ノ下先輩のお姉さんが出てるらしいじゃないですか」

「ああ、そういえばそうだったね」

 

 言われて思い出す。沙希としては八幡のことで頭が一杯だったので、あまり気にしていなかったが。

 

「……あの人なら出てもおかしくないだろうね」

「会ったことあるんですか?」

「去年の夏に一回だけね」

「へ~~わたしも会ってみたかったなぁ」

「…………そう」

 

 昨年の夏に教師の手伝いにと駆られた千葉村キャンプ。そこに付いてきたのが雪ノ下陽乃だった。自身とはあまり関りはなかったが、一目見ただけで只者ではないと分かった。

 

 そして少しだけ──―恐怖を感じた。

 

「しかし自分から振っておいてなんですけど、沙希先輩が王竜星武祭を見てるのは正直意外です」

「まあ、わたしはね。試合に興味があるわけじゃないから」

「? じゃあ、何を見てるんです?」

「それは──―」

 

 問われて沙希は躊躇う。彼のことをどう説明したらいいのかと。少しだけ悩むがそのまま伝えることにした。

 

「……雪ノ下の姉の他にさ。総武中出身の生徒が一人、王竜星武祭に出てるかもしれないんだ」

「あ、そうなんですか。うん? かも、ですか?」

「そう……その辺がちょっと複雑でさ」

 

 曖昧な伝え方に疑問を抱くいろは。一呼吸置き、沙希はいろはに尋ねる。

 

「……ねえ一色。あんた比企谷八幡って知ってる?」

「ええと……知らないですね。誰ですか、その人?」

「そっか、知らないか……」

 

 いろはが知らないと答えたことに沙希は珍しいなと思った。もう一年も前の話になるが、当時の八幡は学年を超えて悪い意味で有名だったのだ。それこそ全学年に存在が周知されるほどに。

 

 沙希が内心考えこんでいる中、いろはは空間ウインドウを開く。そして星武祭の公式ページにアクセスし、本戦のトーナメント表を展開した。

 

「ええと……沙希先輩。いないですよ、その比企谷八幡って人?」

「ああ、こいつだよ」

 

 トーナメント表を見たいろはが沙希に尋ねる。問われた沙希はウインドウの一点を指さし、その選手のデータを開いた。

 

「范八幡? あ、名字が違うんですね。だからですか?」

「それだけじゃないんだけどね……」

 

 確かに名字が違うというのも、断定できない要素の一つだ。だがそれだけならこんなにも迷うことはない。

 

「……何というか独特な目をした人ですね」

「本人は腐った目って言ってたね。これでも随分マシになった方だよ……前はもっと酷かったからさ」

 

 沙希は最後に八幡に会った時のことを思い出す。普段以上に疲れた姿。そしてその瞳は濁りきっていった。何でもないと本人は言っていたが──―限界はとうに訪れていたのかもしれない。

 

 そんなことを考えていると、ふと視線を感じることに気付いた。隣を見れば一色いろはが沙希をじっと見つめていた。

 

「……なにさ?」

「いえ、随分と物思いに耽っているな~と思いまして。親しかったんですか、この人と?」

「そんなんじゃない……ただのクラスメイトだよ」

 

 そう。八幡とどんな関係だと問われれば、クラスメイトと答えるのが一番正確だ。しかし沙希にとって八幡は恩人でもあるのだ。

 

 だから心配してもおかしくはない。と、沙希は自らの心に自己弁護をした。

 

「クラスメイトってことは先輩ですか……しかし凄いですね、この人。王竜星武祭ベスト16ですか。詳しくないわたしでもそれが凄いってことは分かりますよ」

「そうだよね……凄いことなんだよね」

 

 二人の前に展開されたウインドウでは范八幡の戦闘シーンが映し出されていた。変幻自在に飛来するオロロムントを躱す八幡。相手の攻撃を見切るように紙一重で躱したり、もしくは攻撃が直撃したかと思えば、本人ではなく幻影であったりもした。

 

 そのアクションが起こる度に観客は盛り上がり歓声が上がる。目の前の映像を見ていると、ついこの間までこの戦っている彼がクラスメイトだったとは思えない。まるで別の世界の住人のようにも感じてしまう。

 

 そんなことを考えていると隣の後輩が静かなことに気付いた。視線をそちらに向ける。すると同時にいろはが声を上げる。

 

「ねえ、沙希先輩」

「……何?」

「わたしこの人。比企谷先輩? 范先輩? いや、先輩でいいですね。この先輩に」

 

 一色いろはの様子がおかしい。口調が違う。声の質が違う。こんなに熱が籠った一色いろはを見るのは初めてだった。

 

「──―ちょっと興味が沸いてきました」

 

 

 

 

 

 

 

 

 人通りの多い街中を八幡は一人歩いていく。王竜星武祭に出場して以降、周囲からの視線をよく感じる。しかも勝ち上がるごとに、その視線はどんどん増えていっている。

 

 これが有名税かと思いながら歩いていくと、目的地へと到達した。治療院所属の病院である。入口から建物の中へと入り、受付へ歩を進める。

 

「すみません。知人のお見舞いに来たのですが」

「! はい、どなたのお見舞いでしょうか?」

 

 受付の女性はこちらを見て一瞬驚くも、すぐに平静を取り戻す。そしてこちらに尋ね返してきた。それに対し八幡は答える。

 

「──―グリューエル・ノワール・フォン・リースフェルトです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 階段を上がり目的の階へと辿り着く。そして少し歩くと、受付から教えてもらった部屋へと辿り着いた。扉に対してノックを三回する。

 

「──―はい、どうぞ」

「……失礼する」

 

 相手からの返事を待って部屋へと入る。部屋の中には二人の少女がいた。

 

「…………八幡さま?」

「……どうしたんです?」

 

 病院服を着てベッドに入り、上半身だけ起こしているグリューエル。そしてベッドの横で椅子に座っているのが、その妹のグリュンヒルデだ。二人は驚いた表情でこちらを見ている。

 

「お見舞いに来た。あ、ヒルデ。これを」

 

 言いながらお見舞いの品をヒルデに渡す。籠に入ったフルール盛り合わせだ。

 

「ありがとうございます、わざわざ」

「ありがとう」

「気にするな。ところで、具合はどうだ?」

 

 二人からお礼の言葉を受け取り、グリューエルの容体を確認する。

 

「そこまで重傷ではないです。折れてはいないので……ただ全治一週間だそうです」

「……そうか」

「はい。ですので、次の試合には出れませんね。残念ながら」

 

 名残惜しそうに自身の足に視線を向け、グリューエルが告げる。次いで彼女は八幡の方へと顔を向ける。

 

「ベスト8おめでとうございます、八幡さま」

「……ありがとう」

 

 グリューエルは次戦の対戦予定であった八幡に祝福の言葉を述べた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「しかし無茶をする。下手をすればもっと重傷でもおかしくなかったぞ」

「咄嗟の判断でつい……どうしても勝ちたかったのです」

 

 八幡の忠告にグリューエルは反論した。それは先のグリューエルの試合内容についてだ。

 

 グリューエルの対戦相手はアルルカントの序列15位だった。鳳凰星武祭で優勝したペアと同系統の新型煌式武装を使用した相手に、グリューエルは終始押されて苦戦を強いられた。

 

 アルルカントの新型煌式武装は遠近攻防ともに隙が無く、グリューエルに勝ち目はないと思われたのだが──―

 

「相手の煌式武装を掻い潜る。それにはアレしかありませんでした」

「星辰力を脚部に集中させての高速移動。うちの十八番だが、まさかグリューエルが覚えていたとはな」

「完全に習得は出来ていませんけどね。その結果がこれですから」

 

 試合終盤、追い込まれたグリューエルは最後の賭けに出た。全星辰力を脚部に集中し加速。その超加速にアルルカントの選手は反応できず校章を破壊された。

 

 しかし勝利の代償は大きく──―ドクターストップによりグリューエルは次の試合を辞退することになった。

 

「……綺凛さまのようにはいきませんね」

「彼女は天才だからな。比べちゃだめな部類だぞ……というか、綺凛のことを知っているのか?」

「直接の面識はありません。万有天羅から少しお話を伺ったくらいです。ただ──―」

「ただ?」

 

 グリューエルはにっこりと笑う。

 

「同じファンクラブの同志ですからね。親近感は沸いています」

「………………は?」

 

 聞き捨てならない言葉が聞こえてきた。

 

「ちなみに刀藤綺凛さまは五番目の会員です。同時に鶴見留美さまも六番目の会員と「ちょっと待て」

「はい? なんでしょうか?」

「……今言ったファンクラブってのは誰のだ?」

 

 八幡はグリューエルに恐る恐る尋ねる。それに答えたのはグリュンヒルデだった。

 

「何を言ってるんですか? 范八幡ファンクラブに決まってるじゃないですか」

「…………そう、か。そう、なのか」

 

 グリュンヒルデに何とか相槌を返す。ファンクラブのことなど忘却の彼方になっていた。しかもグリュンヒルデは更に恐ろしい事実を口にする。

 

「喜んでください、八幡さん。今朝の時点で会員数は一万人を突破しました」

「あら、また増えたわね」

「ええ、姉さま。やはり王竜星武祭の効果は凄いですね。どんどん会員が増えています」

 

 誇らしげに語るグリュンヒルデに、感心するグリューエル。そんな二人の言葉は八幡にとって信じられないものだ。

 

「……ええ、と。マジでか? そんなにいるの? 俺のファンって……嘘だろ?」

「嘘じゃないですよ。むしろ少ないくらいです」

「そうですね。もっと多くてもおかしくはないですよ」

 

 二人の自分への評価が高すぎると八幡は戦慄する。

 

「……お前たちからの評価が高すぎて怖いよ、俺は」

 

 八幡はそう突っ込むことしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リンゴを8等分のくし切りにし、芯を切り落とす。そして皮の部分に、V字に浅く切りこみを入れる。最後に切りこみを入れた側から、V字を過ぎたあたりまで皮をむいて完成。出来たリンゴを皿に載せる。同じ作業を順次繰り返していく。

 

 日本ではお馴染みのウサギリンゴである。日本で暮らしていれば一度は見たことはあるだろうが、欧州育ちの二人には珍しいものだったのだろう。興味深くこちらを見ている。

 

「……なるほど。ウサギを模した切り方ですか。実に興味深いです」

「可愛いですね。これは小さい子が喜びそうです」

 

 二人は楽しそうにウサギリンゴを見る。何でも欧州ではこう言った切り方はしないそうだ。視覚で楽しませるのは日本らしいとのこと。

 

「……よし、出来た。二人とも食べるか?」

 

 切り終わったリンゴを皿に載せて二人に見せる。プラスチックの楊枝は用意してあるので、手を汚す心配はない。

 

「はい。では遠慮なく「待ってください」

 

 グリューエルが手を伸ばしたところをグリュンヒルデが止めた。

 

「どうした、ヒルデ?」

「八幡さん……姉さまは実は手も負傷してるんです」

「ヒルデ? あなた何を言って「ですから八幡さんが姉さまに食べさせてあげて下さい」……え?」

 

 妹の発言にグリューエルは固まった。そんなグリューエルを八幡は視線を寄せる。

 

「……見た感じ怪我はしてないように見えるが?」

「姉さまは我慢をしてますが、手を使えないのは事実です。では姉さん、どうぞ」

 

 さあ、と姉は妹に促された。グリューエルは少し悩み、そして頬を染めながら言った。

 

「ええと、じゃあ……お願いします」

 

 グリューエルは八幡の方に顔を向けて、ちょっと上目遣いになる。そして目を瞑りながら大きく口を開けた。

 

「……まあ別に構わんが」

 

 八幡は軽く答え、楊枝で刺したリンゴをグリューエルの口へと運ぶ。そして運ばれたリンゴをサクッとかみ切った。

 

「えへへ、美味しいです」

 

 笑顔と共に放たれた言葉はとても可愛らしかった。そんな姉の反応に満足したグリュンヒルデ。彼女は姉の隣にそっと座り──―そして口を開けた。

 

「……お前もか、ヒルデ」

「はい、お願いします」

 

 姉と同じ体勢を取る妹。姉妹が隣に並びこちらを見上げてくる。よく似てるなと思いながら、妹の方にもリンゴを口に運んだ。

 

「うん。美味しいです」

「八幡さま。次はわたしです」

「はいはいっと」

 

 妹に次いで要求する姉。まるで二匹の小鳥に餌を運んでいくような感覚を感じながら、八幡はリンゴを運んでいく。

 

 ──―と、その時だった。コンコンコンと入口の扉からノックの音が聞こえた。

 

「はい、どうぞ」

「失礼する」

 

 一人の少女の声が聞こえると、グリューエルが入室を許可した。そして扉が開かれる──―と同時に入室した少女は驚愕した。

 

「あむ。うん、美味しいです」

「あ、ユリス姉さま。来られたのですね」

「え、姉さま? マジで?」

 

 姉妹と親し気に話す男の存在にだ。少女は知っている。妹達の他者に対する警戒の強さを。特に姉のグリューエルは、異性の男に対しての警戒心が殊更に強い。

 

 だが、目の前のこの光景はなんだ? 異性である男に手自らリンゴ差し出され、それを嬉しそうに食しているグリューエルの姿は。警戒心など何処かに忘れてきたのか、と言わんばかりの彼女の態度に少女は目を見張った。

 

 グリューエルの表情が何を意味しているのかは──―その方面に疎い少女でもすぐに分かった。

 少女は軽く溜息を付き──―そして口を開く。

 

「さて、状況を説明してもらおうか。范八幡?」

 

 鮮やかな薔薇色の髪を持つ少女。ユリス=アレクシア・フォン・リースフェルトは、八幡を睨み付けてそう言い放った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……疲れた」

 

 帰り道の歩道を歩きながら八幡は呟く。疲れた理由は言うまでもない。お見舞いの場に突如現れた双子の姉、ユリスの登場が原因だ。あの後、八幡はユリスに二人との関係を徹底的に問い詰められた。

 

 八幡は困った。二人がユリスにあの夜の出来事を話していないのは一目瞭然。さてどうするかと悩んでいると──―二人が八幡に変わってユリスに説明してくれることになった。

 

 これ幸いと交代したのだが──―二人の説明が大問題だった。

 

 ──―な、なに!? 初対面でいきなり後ろから抱きしめられただと! それは本当かグリューエル!! 

 ──―ヒルデ。お前はグリューエルの様なことはないと私は信じて……な、なんだ!? そんなに頬を赤らめて…………そうか。お前もか。

 ──―ふふふふ、范八幡。貴様、私の妹二人に手を出すとはいい度胸だ! 決闘だ! その性根、叩きなおしてくれる!! 

 

 決闘宣言までしたユリスから星辰力が溢れだし、一触即発の状態になった。直後にグリューエルがユリスを説得し、決闘は回避された。

 

 その後詳しい説明がなされたが──―誤解は完全に解かれなかった。

 

 ──―そうか。しつこいナンパの類いが原因で、それを追い払うために一芝居打ったと……分かった。一先ずそれで納得しておくとしよう。

 

 一拍置いてユリスは続ける。

 

 ──―范八幡。この二人が信用してるなら、貴様は悪い人物ではないのだろう──―だが、二人との仲を認めるかは話が別だ! 

 

 八幡が病室から帰る前、ユリスからは忠告、否、警告をされた。妹に近付く怪しい男が現れたのだ。彼女の警戒は当然のことだろう。

 

 だがそれはそれとして──―

 

「…………本当に疲れた」

「いったいどうしたんだ?」

「いや、気持ちは分かるんだ。俺だって安易に妹に近付く輩は許さんからな。彼女の反応は理解できる」

「ほうほう。では問題ないではないか」

「いや、そうなんだけどな。だからと言って疲れたのは事実で──―」

 

 知らぬ間に誰かと喋っていた。急いで横を見ると──―

 

「や。久しぶりだな、范」

「……沙々宮か」

 

 青い髪の少女。沙々宮紗夜が、買い物袋を片手にこちらを見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 沙々宮紗夜。彼女と会うのはこれで二度目である。初めて会った時は、マッ缶を掛けて決闘寸前までいき、その後チンピラ相手に共闘して戦うなどの出来事があった。

 

 そんな変わった出会いをした二人は今、公園のベンチで休憩をしている。

 

「ふぁぁぁぁ」

「眠そうだな、沙々宮」

「うん。ここ最近は煌式武装の開発で徹夜が続いて……実はあんまり寝てない」

「そうか……」

 

 とても眠そうにしていた。目を擦りながら欠伸をするその様は、気を抜けば直ぐにでも眠ってしまいそうだ。

 

「ところで、久しぶりに出かけたのだが、いつもより人が多い。何かイベントでもあったか?」

「……王竜星武祭の影響じゃないか、多分」

「そうか、もう王竜星武祭だったのか……すっかり忘れていた」

 

 どうやら彼女は八幡の活躍を知らないようだ。煌式武装の開発が忙しいのも原因だろうが、そもそも王竜星武祭自体に興味がないように見える。

 

 しかし八幡的には良いことである。学園を出てからずっと慣れない注目に晒され続けていたのだ。自然体で接してくれるのはとてもありがたい。

 

「煌式武装の開発か。この前のグレネードランチャーも凄かったしな……どんな煌式武装を開発してるんだ?」

 

 興味本位で聞いてみる。だが有用な回答は期待してない。他学園に新型の情報を漏らすとは思えないからだ。

 

「ふふん、超強力な煌式武装だ。これが完成したら凄いことになるぞ。それこそアルルカントなんて目じゃないほどにな」

「なるほど。それは期待できそうだ」

 

 紗夜が得意げな顔で八幡に返答する。予想通り詳細な情報は返ってこない。しかし予測を立てることは出来る。

 

 沙々宮紗夜の戦闘スタイルは遠距離のガンナーだ。前回の戦闘で使用したのはグレネードランチャー。それから見るに、新型は速射性ではなく威力を重視したものだろう。

 

 その証拠として、アルルカントの新型煌式武装は防御に特化した煌式武装である。それを突破出来るのなら相当強力な煌式武装だろう。下手したら純星煌式武装並みの威力を発揮するに違いない。

 

「新型が出来たらどうするんだ? 星武祭に出場するのか?」

「私がこの学園にいるのは、お父さんの煌式武装が凄いことを証明することだ。別に星武祭に興味があるわけじゃない──―それに目立つのはめんどくさいから嫌いだ」

「……そうか」

 

 紗夜の答えは、八幡を完全に納得させるものであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 暫く話し込んだ後、八幡と紗夜は互いに自身の学園に帰ることにした。新型の煌式武装に関しては、公式に発表の機会があれば教えてくれるそうだ。その為に互いの連絡先を交換した。

 

 沙々宮紗夜としては、自身の煌式武装に興味を持ったことがかなり嬉しかったらしい。どのような形で発表されるかは分からないが、期待することにした。

 

 そして沙々宮紗夜と別れて帰路の途上。

 

 界龍第七学園まで後少しという所で──―八幡の目の前に空間ウィンドウが突如開いた。

 

 届いたのは緊急のメール。送り主は星武祭の運営。この二つから送られてくるものに予想はついた。

 すぐさまメールを開く。そして中身を確認し──―予想通りと思いながら軽く溜息を付く。

 

「──―舞神が相手か。厄介だな」

 

 クインヴェール女学園序列二位──―ネイトネフェル。彼女が次の対戦相手だ。

 

 




 あらためてお久しぶりです。約二年ぶりの投稿となります。遅れに遅れて申し訳ありません。

リハビリを兼ねてゆっくりと投稿していきたいです。

誤字、脱字、感想等あれば、よろしくお願いします。


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