『ZOIDS Genesis 風と雲と虹と』第六部「無限なる力」 (城元太)
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第五十八話

 霧に(けぶ)る飯沼の湖面に、無数の影が浮かび上がる。

 払暁を待って潜んでいたランスタッグの群れが、一斉に葦原から姿を現した。龕灯(がんどう)を振って岸辺を示し、それに応えて無数のバリゲーター群が上陸を開始した。胴体に捲き付けられた手綱を牽くと、浮きの付いた荷台に搭載された村雨ライガー、ディバイソン、ソードウルフとサビンガ、応急修理が済んだデッドリーコングが、次々と(おか)に揚げられていく。

 岸辺のランスタッグブレイクの頭部が開く。同時に飯沼から後続のバリゲーターTSの大顎が開放され、湖賊の魁師(かいすい)藤原重房(しげふさ)が大地に降り立った。

「弾正、貴様も大胆な奴だな」

「お前に言われるとは心外だ。少数で来いと伝えたではないか」

 揚陸が続く荷台を横目に、鹿島の土豪藤原玄明(はるあき)もランスタッグの操縦席からローリングスパイクシールドを伝い、重房に対峙した。

「酷くやられたものだ。兄者もバイオゾイドに散々蹴散らされ、漸く鹿島に戻って来たそうだ」

「無事なのか」

「馬鹿な事をいうな。藤原玄茂(はるもち)ともあろう者が、あの程度でやられるか。それより小次郎、貴様の方こそ大丈夫なのか」

 村雨ライガーの傍らより、荷台に乗って付き添ってきた小次郎が、確かな足取りで歩み寄る。玄明の問いに、小次郎は思い切り片足を上げ、大地に四股(しこ)を踏んだ。

「心配させた。見ての通りだ」

「誰が心配などするか」

 玄明が小次郎の左肩目掛け拳を振るうと、小次郎は反射的に身を(かわ)し右腕ごと絞り上げる。

「痛たた……。少し加減をしろ、貴様は相変わらず粗暴でいかん」

「誰の事を言う」

 解かれた右手を押さえつつ、玄明が髭面(ひげづら)の中に白い歯を見せた。小次郎は猶も続く上陸用の荷台を見上げ、己の身体が完全に治癒していることを実感していた。

「時に弾正、あの白い虎は」

 その時荷台には、前肢に長大な爪を備える坂東では見慣れぬゾイドが陸揚げされていた。

「ソウルタイガーと申し、陸戦にて最高の性能を示すゾイドでありまする。将門様は初見でしたな。いままで我ら湖賊と行動を共にしてきましたが、此度坂上遂高(さかうえのかつたか)という俘囚の兵が将門様の陣に加わる事を申し出たので、お力になるのであればと思い連れて来たのです」

 一瞬訝しむ表情を浮かべた玄明は、僅かに口角を上げて重房に呟く。

「弾正よ。俘囚と言い、坂上(さかのうえ)という姓と言い、運上(うんじょう)共が衛士に登用し易い虎型ゾイドといい。遂高とは、僦馬(しゅうま)の党の輩では……」

「そこまでにしておけ」

 玄明の言葉を重房が遮った。

 孰れにせよ、多くの兵を失った小次郎にしてみれば、一機でも多くのゾイドは貴重であった。

「して、何処に向かう。鎌輪の営所は焼かれレッゲルの補給も儘ならないだろう。大国玉の平真樹を頼るにしても、ここでは方向が逆だ」

石井(いわい)に向かいます」

 小次郎の背後から、四郎将平が地形図を片手に現れる。

「現在地より西に進み、神田山(かだやま)を越え菅生(すごう)沼を渡った畔にジェネレーターが自生する場所があったと、菅原景行様から聞きました。石井とは、レッゲルの湧き出す井戸を示しています。此処であれば、利根の濫流に囲まれ、守るに易く、攻めるに難き場所。背後に長州の牧も控え、ゾイドの育成にも長けた場所となります。途中陸路に於いて、未だ飛雲の如く姿を隠したバイオゾイドの襲撃も想定される故、玄明殿にも御足労を願ったので御座います」

 白面の学生(がくしょう)は、粗暴で大柄な玄明に臆することなく、滔々とその問いに応える。

 血は争えぬものだと、玄明は将平を見つつ考えていた。

「よおし、これから神田山を越えるぞ。全員ゾイドに乗り込め。ランスタッグ部隊は陣形を整えバイオゾイドの襲撃に備えよ」

 飯沼の畔に湧き上がった雄叫びは、見送る湖賊のバリゲーターを後に、霧の中に消えて行った。

 

「母さまは何ゆえ、じじさまとはお話しされぬのですか?」

 無邪気な多岐の笑顔が痛かった。

 久方ぶりに帰った良兼の営所、それも十数年過ごした懐かしい部屋の中、良子は必死に作り笑いを浮かべていた。

 夫は、そしてあの時別れた孝子は無事であろうか。

 今は無事を願うほか術はない。

 南半球の長月末を迎えた庭には、膨らみかけの蕾を抱えた桜の木々が(いまし)も花開こうと待ち構えている。幼い頃から慣れ親しんできた営所が、今の身の上には牢獄にも等しかった。実母陽子は、良子が小次郎の元に走る際に見逃したという事実より、娘に会い見えることは許されない。そして時折顔色を覗う様に訪れる父良兼には、必ず忌まわしき者を伴ってやってきたのだった。

 回廊に足音が響く。

(また来た、あの女ね)

 良子は多岐に、庭に出て遊んでくることを命じると、回廊に向かって身構えた。御簾の向こう側から声が聞こえる。

〝じじさま、母さまにお庭で遊んでいいといわれました〟

〝おお、多岐は利発だのう。くれぐれも怪我の無いようにするのだぞ〟

 はーい、という明るい声を残し、幼い娘は営所の馬場に向かって駆けて行った。

「良子、入りますよ」

 声に露骨な刺々しさを伴う。源護の娘にして平良兼の側室である小枝が床を踏み込み、御簾を上げる。幾分表情を曇らせた実父良兼が、後に続いていた。

「いい加減、将門の居場所を教えなさい。我らが鹵獲したデッドリーコングを容易に奪取できるとは、未だに兵力を温存しているはず。兄上達を殺した宿念の敵、そしてこの坂東を兵火に覆う忌まわしき鬼を、桓武平氏の棟梁平良兼として、これ以上見過ごすことなどできません」

「申し上げる事など御座いません」

 穏やかに、しかし毅然として、良子は応じた。そこには嘗て嫁ぐ前、自分と同年齢の義母に反感を露わにしていた少女の面影はない。小次郎将門の妻として、また多岐と胎内に宿る子の母としての強さが、良子を心身ともに成長させていたのだ。比べて老いた良兼との間に子女を授かることのできなかった小枝は、その良子の成長が妬ましく、更に感情を苛立たせた。

「鎌輪の営所も焼き払われ、将門の上兵も伴類も雲散霧消したのよ。この坂東広しと云えど、最早平将門に(くみ)するゾイドは皆無でしょう。こそこそ姿を隠して暗躍するなど、坂東武者に有るまじき所業。即刻姿を現し、潔く首を差し出せば貴女と貴女の娘の命ぐらいは許してやろうと言っているのよ」

「野本の戦いに於いて、バーサークフューラー、ジェノザウラー、ジェノブレイカーを以て突然の襲撃を行うのは卑怯者ではないとでも」

 小枝の言葉が怒りの為詰まった。

「鎌輪の当主が身罷った隙を狙い、忽ちの内に縁者が所領を蚕食する行為を、恥知らずと申せませぬか。自らの所領内にウィルスに罹患したゾイドが溢れたのは、牛頭(ごず)の齎した祟りとは思いませんか。強欲に塗れ、己が甥をも謀略に巻き込もうとした御霊の祟りとして、亡き義父良持様に申し訳ないとは思いませんか、父上」

「黙れ良子。お前に何がわかる」

 感情を剥き出しにして怒鳴ったのは良兼であった。

「館の当主は常に家人の碌を思わねばならぬものなのだ。正体不明の病魔に罹患し、次々と斃れるゾイドを目の当たりにし、甥だ兄だと拘っている余裕などない。都から常に過剰な貢物を要求され、利根の濫流に田畑を翻弄される様を、お前は見たこともないであろう。血縁よりも地縁を重んじなければ、都より遠く離れたこの坂東では、生きていけぬのだ」

「ならばなぜ、坂東は立ち上がりませぬ」

 良子は良兼と小枝を代わる代わる見据える。

「嘗てデルポイのゼネバス帝は、兄ヘリックの理想に反旗を翻し立ち上がりました。戦に及んだその術が、全て正しかったとは申しません。ですが当主たる者、権力に付和雷同し、いつまでも己の立場を変えようとしなければやがて民と共に自滅します。

夫将門は、今は父上や源家によって、止む無く戦に駆り出されています。ですが父上の如き先達が都の矛盾を説き、互いに力を合わせ、坂東を、この東方大陸を変えようとは思わないのですか」

 良子は深く息をついた。

「ソラに叛逆をしようというのか」

 小枝の声は震えていた。

「バイオゾイドを見て気付きました。坂東は弄ばれているのです。ゾイドの実験場として」

「何を根拠にそれを謂う」

 眉間に皺を寄せた良兼が、小枝を押さえながら身を乗り出した。

「父上も良正叔父も騙されているのです。あのような不気味なゾイドを使って勝利しても、また新たな脅威を生み出すだけ。坂東の富は都に吸い取られ続けるのです。

 しかし、夫将門は違います。遠く桓武帝より賜ったあの村雨ライガーには、今はまだ眠っている無限の力を感じるのです。〝ハヤテ〟とも異なり、全ての世界を変える、無限の力が」

「無限の力、だと。世迷言も程々にせよ」

「戯言はお止め下さい。これ以上何を言っても無駄な事。良兼様、戻ります」

 良子の言葉に、小枝も、実父良兼でさえも、耳を傾ける素振りさえしてはくれなかった。小枝が騒々しい足音を響かせ去って行く。

 二人が去った後、良子は袖に顔を埋め忍び泣いていた。

(あなた様、良子はいつまでここに囚われて居なければならないのですか)

 営所の馬場で鍛錬を行うダークホーンのハイブリットバルカンの回転音が響き、それを見て無邪気に笑う少女の声が蒼空に吸い込まれていく。

 鳶色のシュトルヒが、天空に円環を描いて舞っていた。

 



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第五拾九話

「母さま、あの時の真っ黒な虎型ゾイドと、真っ赤なダークホーンが参ります」

 軽く息を切らした多岐が、無邪気に告げる。

 当主良兼は、孫娘である少女が、館の矢倉門へ出入りすることを黙認していた。

 血は争えないものね。

 良子は、零れんばかりの笑みで充たされる娘の顔を見つめる。

 多岐もまた、父と同じくゾイド好きな少女に育っていたのだった。

 囚われ人の身上であっても健やかに過ごす娘の姿を見守りながら、母良子は娘の告げたゾイドの来訪に身を硬くしていた。赤いダークホーンとは即ちレッドホーンのこと。そして坂東に於いて、黒い虎型ゾイドを操る武士(もののふ)は一人しかいない。

(石田の平太郎貞盛(たいらのたろうさだもり)

 あの時孝子を見捨て、自分たち親子を捕えた、夫将門の従兄。多岐はゾイドが近づく毎に矢倉門に昇り、逐次その様子を母に伝える。陣容はブラストルタイガーとレッドホーンのみ。来訪したのは平貞盛と上兵他田真樹(おさだのまき)の他、もう一人の貴賓がレッドホーンの偵察用ビークル内に搭乗していた。

 出迎える館の喧騒も、今の自分には無関係であり、良子は無為に土塀の向こう側に動く黒と赤のゾイドの影を垣間見ただけであった。

 半時程過ぎ、喧騒も収まった頃、良子は回廊の床を渡って来る足音を耳にした。

(また父を籠絡したあの女? でもこれは違う足取り。誰かしら)

 やがて足音は御簾の前で止まる。

「良子殿はこちらに御出でか」

 訊き慣れない若い女の声であった。無下に看過する事も出来ず、良子は御簾を引き上げる。雅やかな小袖袴を纏った女性がそこに立っていた。自分より幾分若いが、漂う気品はまだ見ぬ都の香りを思わせる。顔の輪郭が小枝に似ており、その女性もまた源護の娘であることを思わせた。

「お初にお目にかかります。小枝の妹にして平貞盛の妻、(あや)と申します」

 幾分吊り上った(まなじり)は、若くして己の美貌に絶対の自信を持っているようである。小柄な身体つきに似合わず、衣に覆われた胸の曲線は、肉感的にして男を眩惑する魅力を放っていた。孝子と同じく、やはり自分より美しい女性だと、良子は心の中でまた溜息をついていた。

「御用は何でしょうか」

 静かに微笑みながらも、彩はゆっくりと良子の姿を上から下へと視線を巡らす。

「小次郎殿は御健勝ですか」

 良子は、何度も繰り返されてきたその言葉に、初見とはいえ思わず怒りが込み上げた。

「失礼ながら、私にそれを問うのは無意味であるとお判りになりませんか」

「これはこれは。お気を悪くされたのならお詫びします。ごめんなさい」

 口元を軽く押さえつつ、彩は軽く会釈をする。悪意は無い様だが、同時に意味深な素振りであった。会釈をしたまま俯き、一呼吸措いて顔をあげた。

「嘗て小次郎殿とは、筑波の嬥歌(かがい)にて逢瀬を重ねた身ゆえ、あの人の妻子がどの様な方か、お顔を拝したく参ったのです。村雨ライガーも変わりないですか」

「えっ」

 良子は絶句した。

 

「これがバイオゾイドの操縦席にあった土魂(つちだま)か」

 小次郎達の目の前に、樽から手足が生えた如き不格好な人形(ひとがた)が両足を投げ出して座り込んでいた。そこにあるべき首は坂上遂高によって抑え付けられ反り返っている。ぽっかりと空いた脳髄の部分に、神経節を思わせる無数の配線が絡み合う奇妙な生々しさがあった。四郎将平が暫く覗きこみ、続いて玄明が更に覗きこもうとした時、三つ目の首がバタン、と音を立てて閉じられた。「脅かすな」と呟き玄明が首を竦める。

「御覧の通り、バイオゾイドを操っているのは人に非ずしてこの機械兵――我らは土魂と呼んでいる――なのだ」

 直後、遂高が思いきり機械兵の胸を蹴り付けた。抜け殻の身体が横倒しとなり、鈍い音を立てる。忌々しげに機械兵を足蹴にする遂高を凝視しながら、四郎は小次郎を振り返った。

「頭部空洞に電気信号を受容する微細な器官が集中しており、何らかの精神的な作用を受け取って稼働する組成らしいが、私にはそれ以上わかりません」

「玄明、その後のバイオゾイドの動向は」

「俺の放った透破の報せでは、どうやら水守に結集しているようだ。奴らも我らがこの石井に営所を再建し始めたことを嗅ぎつけたのだろう。死に損ないの良正が再び大毅を編成し、未完の営所を襲撃する魂胆に違いない」

 腹立ち紛れに、藤原玄明も坂上遂高と共に機械兵を足蹴にしている。

「それと、良兼が上総から常陸の服織に移動するようだ。何でも後妻の源護の娘の里帰りの為だとか。叩くには絶好の機会だぞ」

「だが敵は必ずバイオゾイドを引き連れてくるだろう。特にあのバイオケントロと、空飛ぶゾイドは厄介だ。徐々に味方の手勢は集まってきているものの、正面を固められたら打つ手がない。それに何より、義姉上と姫が敵の手中にあっては攻めることもできない」

 三郎将頼は評定に集まった兵達を見廻し、兄小次郎の気持ちを敢えて代弁していた。

「良兼の尾形の営所に直接攻撃をかけてみるか。いくらバイオゾイドでも、常陸の水守からすぐに駆けつけることはできぬだろう」

 強硬策を唱える玄明に、小次郎は兵力配置図を睨みつつ応じた。

「叔父上のダークホーン部隊はバイオゾイドに負けず精強だ。戦えば我らも無傷では済まぬ。それに万が一、尾形での戦闘が膠着状態に陥った局面で、水守から出陣したバイオゾイドに背後を衝かれたら全滅しかねない」

 それは、棟梁としての小次郎と、夫として、父としての小次郎との鬩ぎ合いであった。

 鎌輪を焼き討ちされた恨み、多くの上兵や伴類を失い、何より亡き桔梗への屈辱を晴らすためにも、良兼率いるバイオゾイド軍団を叩き伏せたい。一方で人質として囚われている妻子がいては戦に臨むこともできない。

 小次郎は、回復を確かめる如く両脚を踏み締め、明滅する兵力配置図の灯りに目を落とす。棟梁としての決断を、皆が固唾を呑んで待っている。

(俺はどうすればいいんだ)

 陣幕越しに、村雨ライガーが低く慟哭する。

「暫し時間をくれ。三郎、そして遂高殿。手合せ願う」

 言うが早いか、小次郎は村雨ライガー目掛けて駆け出していた。

 

 ソウルタイガーの長大な金色の爪、ソウルバグナウとムラサメブレードが火花を散らして切り結ぶ。白虎に並走してきたソードウルフが、ダブルハックソードを閃かせ襲いかかった。

「疾風ライガー!」

 瞬時にエヴォルトを行い、ムラサメディバイダーとムラサメナイフを翳し受け止めた。しかし刃渡りの短い刀では、2機同時の斬撃を持ちこたえることはできない。

 ソウルタイガーは咄嗟にソウルバクナウを収めると、勢いを殺したストライクレーザークローを疾風ライガーの左足に打ち込んだ。掬い上げられ、もんどりを打って横転する緋色の獅子は、途端にエヴォルトを解放し、元の村雨ライガーに戻っていく。

 横転する操縦席の中、小次郎の脳裏にはまたあの言葉が過っていた。

〝無限〟

 それが新たなエヴォルトへの手掛かりなるのではと、敢えて熾烈な模擬戦を繰り広げてみたのだ。だが、村雨ライガーは一度として変化の兆候を示さなかった。

〝将門殿、無理は禁物。怪我などなされては元も子もありませぬ〟

〝俺も同感だ。兄者はまだ病み上がりだ〟

 横転した村雨ライガーに白虎と剣狼が駆け寄った。

 誰にも聞かれない操縦席の中、小次郎は堪えきれずに叫んでいた。

「どうすれば、あのバイオゾイドを倒せるのだ」

 奥歯が軋むほどに食い縛る。その願いを聞くことができたのは、他ならぬ村雨ライガーのみであった。

 小次郎は突然、眩暈を感じた。

 絶望が生み出した幻なのかと思ったが、それは絶望とは明らかに異なっていた。

 暗転した網膜に、二振の太刀を備える霰石(せんせき)色に輝く獅子の姿が浮かぶ。思念の中に描かれた像に、再度〝無限〟の文字が重なった。

 小次郎は、試みに叫んでいた。

「無限……ライガー!」

 しかし、村雨ライガーにエヴォルトの兆候は無く、横転時にこびり付いた土喰を払い落とす為、頻りと鬣のカウルブレードを振るばかりである。

「俺に足りないものとは何なのだ。教えてくれ、村雨よ」

 小次郎の問い掛けに、無論ゾイドが答えることはない。

 碧い獅子は、夕日に燃え上がる筑波峰の影に呑み込まれ、輪郭のみを浮かび上がらせていた。

 

 



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第六拾話

 小次郎は、既に服織に向け移動を開始していた平良兼に、合戦を挑む牒を送った。

 先行していた良兼とその妻小枝の護衛ゾイド部隊は、直ちに迎撃態勢を取り進軍の速度を速める。一方上総武射郡尾形の良兼の営所にも、小次郎参戦の報が届けられ、増援として嫡男平公雅を将とするダークホーン部隊が出撃した。同時に水守の平良正も、バイオゾイド軍団を引き連れ移動を開始し、また服織の荘からも源護配下のゾイドが出陣する。石井、尾形、水守、服織の軍が衝突するのは、筑波を望む大宝沼南岸周辺と予測された。

 ここで双方の兵力を確認する。

○下総、石井勢

 村雨ライガー(平将門;指揮、棟梁)

 ソードウルフ(平将頼;上兵)

 デッドリーコング(伊和員経(いわのかずつね);上兵)

 ソウルタイガー(坂上遂高(さかのうえのかつたか);上兵)

 サビンガ(文屋好立(ふんやのよしたつ);上兵)

 ディバイソン(多治経明(たぢのつねあきら);上兵 平将文;兵)

藤原玄明(ふじわらのはるあき)よりの増援

 ランスタッグブレイク(藤原玄明;従類)

 ランスタッグ(藤原玄茂(ふじわらのはるもち);従類)

 ランスタッグ量産型(兵、従類)×13

※尚、石井勢の進軍に伴い、潜伏していた旧鎌輪勢の伴類も続々と参戦し、上総の境に入る頃には、ブロックスや小型ゾイドを含め、凡そ100弱のゾイド部隊へと増大していた。

 

 対する良兼、良正、及び源護の軍勢

○上総より

 ダークホーン(平良兼(たいらのよしかね);指揮、棟梁)

 ダークホーン(平公雅(たいらのきみまさ);兵)

 ダークホーン(平公連(たいらのきみつら);兵)

 ダークホーン(兵)×9

※鹵獲中のレインボージャークもグスタフにより移送。

○常陸、石田荘より

 ブラストルタイガー(平貞盛(たいらのさだもり);惣領)

 レッドホーン(平繁盛(たいらのしげもり);上兵、貞盛の弟)

 レッドホーン(他田真樹(おさだのまき);従類、上兵)

 レッドホーン(搭乗者不明;兵)×3

○常陸、服織の営所より

 ゲーター(搭乗者不明;兵)×2

 マーダー(搭乗者不明;兵)×5

○水守より(別働隊。石井勢への挟撃)

 アイスブレーザー(平良正;指揮、館主)

 バイオメガラプトル(土魂)×5

 バイオトリケラ(土魂)×4

 バイオケントロ(土魂)×6

 バイオプテラ(搭乗者不明だが土魂と推察)参加機数不明

※その他の伴類部隊(一部に僦馬(しゅうま)の党、俘囚を含む)

 ヘルキャット(搭乗者不明。伴類)×5

 エクスグランチュラ(搭乗者不明。伴類)

 レブラプター(搭乗者不明。伴類)×3

 モルガ(搭乗者不明。伴類)×5

 シェルカーン(搭乗者不明。伴類)

 フライシザース(搭乗者不明。伴類)×3

 機種不明ブロックス(搭乗者不明。伴類)×10

 

 石井勢は、中型・大型合せて20のゾイド。

 対する上総・常陸連合部隊は19、及びバイオゾイド15の計34機。

 着目すべきは、高速型戦闘を得意とする石井勢とは対照的に、上総・常陸勢が「動く要塞」の異名を持つレッドホーン、ダークホーンを計17機擁している点である。但しそれを補って余りある程に、良兼側には機動性に優れるバイオゾイドが追加されていた。

 

 主君を乗せた碧き獅子は、久方ぶりに編成された大毅を引き連れ、堂々と歩んで行く。上下に揺れる村雨ライガーの操縦席で、小次郎の思考は堂々巡りに陥っていた。

――(いくさ)とは、果たして正しき事なのか――

 それは朴訥な坂東武者の中に、初めて湧き上がった疑問であった。

 都から戻って以来、無我夢中で戦い続けてきた。

――だがこの惨状を産み出したのは、他ならぬ(いくさ)の為ではないか――

 服織への途中、先の堀越の戦いで良兼勢に焼かれ、廃村と化した村々を幾つも目にした。更に筑波の麓には、嘗て小次郎が初めて挑んだ野本の合戦により、略奪と殺戮の惨禍を被った百姓もいる。常陸の国境を越えると、ウィルスに冒され放置されたゾイドの骸が数を増していく。偏に、良兼にせよ源護にせよ、彼らが小次郎の所領を蚕食したのは、都が齎した疫病の流行によるものだ。

 乾いた大気の中、晴れ上がる青空に軌道エレベーターのケーブルが伸びあがっている。

 ソラは、坂東の現状など歯牙にもかけず、唯々搾取の対象としか考えていない。

――武士の名誉を守るため、孝子を筆頭に、討たれた家臣の仇を取るため、そして奪われた所領を取り戻すためと戦いに臨んでいる。だが骨肉の争いを繰り返してみたところで、世界は変わらない。

 世界を変えねばならぬ。いや、創世せねばならぬのだ。

 だが、新しい世界を創る為に、俺に出来る事とは何なのだ――

 

〝上総方面より飛行型と思しきゾイドが接近。斥候と思われます〟

 五郎将文が語尾を上げ、ディバイソン後部席より告げた。小次郎は現実に引き戻された。

「あの時の空飛ぶバイオゾイドであるやもしれぬ。警戒は怠るな」

 通達の後、小次郎は右斜め前で位置する棺桶を背負うゾイドを見た。

『この猩々にて仇を取れれば、幾分なりとも娘の無念を晴らせるというもの』

 出撃直前、静かに語る伊和員経の心中で、怒りが煮え滾っているのが判った。

 デッドリーコングへの搭乗を申し出た時、押し留めることは出来なかった。操縦席には桔梗の形見となった衵の細片が貼り付けてあるはず。憎しみの連鎖は止め処なく繰り返されていく。

 棟梁として、主君として、己は如何に下総を、いや、この坂東を律して行かねばならぬのだ。

 その時小次郎の脳裏に、またあの言葉が閃光となって過った。

〝無限〟

 操作盤の画面に目を落とす。しかし、何の文字も浮かんではいない。

「村雨よ、お前は俺に何を求めている」

 僅かに歩みが緩くなった。しかし碧き獅子は、すぐまた何事も無かったかの如く、服織へ向けての進撃を継続していった。

 

〝飛行ゾイドを目視確認〟

 石井勢のゾイドに緊張が奔る。

〝機種照合。えっ、これは、レインボージャーク!〟

「何だと」

 小次郎は進軍中にも関わらず、村雨ライガーの風防を目一杯開放した。

 進路右の低空を、菫色の孔雀が両足を伸ばし着陸体勢に移行している。

〝好立殿のサビンガが接近し、複合センサーアイで確認したところ、紛れもなく良子義姉様、多岐様が操縦席にいるとのことです。多岐様は元気よく手を振ってくれたそうです〟

 村雨ライガーがやや落ち着きを失い出した。鎌輪の営所の馬場で、何度となく戯れたレインボージャークが戻って来たからに違いない。

「浮つくな村雨」

 そう言う小次郎の口許も、喜びに緩んでいた。

 理由はどうあれ、紛れもなく、妻良子と娘多岐が戻って来たのだ。

 やがて純白のウィングカッターを羽ばたかせ、菫色の孔雀は小次郎達の進路脇の草原に着地した。

 村雨ライガーが真っ先に駆けつける。レインボージャークと互いの無事を祝う様に啼き合った。

 頭部を下げ、開いた風防から良子と多岐が降り立つ。小次郎は既に村雨ライガーから飛び降りていた。

「父うえー!」

 多岐が駆け寄り抱き着いた。

 小次郎は娘を軽々と持ち上げる。同時に、その重みと温もりを改めて感じていた。

 良子が潤んだ瞳で見つめる。

「よくぞ無事で戻った」

 涙声にならないように、小次郎は堪えた。

「ただいま、戻りました。あなた様」

 良子も嗚咽を堪えていた。

「あいたかった」

 出会った頃の乙女の如く、良子は多岐を抱いたままの小次郎に抱き着いた。

 小次郎の両脚は、妻子をしっかりと支えていた。

 良子は泣いていた。

 多岐は太陽のような笑顔で笑っていた。

 村雨ライガーとレインボージャークが戯れていた。

 離れていた家族が、再び会い見えた。

 

 



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第六拾壱話

 小次郎の胸に顔を埋め、再会の喜びに暫し浸っていた良子は、問わねばならない事を思い出した。

「孝子殿は」

 小次郎の瞳が曇り、傍らに控える伊和員経の表情が強張る。無言で首を横に振る仕草だけで、その女性の最期が極めて悲劇的であったことまで伝わった。

「そうですか。私たちの身代わりになって」

 良子は涙を拭い、小次郎を見つめた。

「我儘と知っています。棟梁としてのお立場故、差措かれても構いません。ですがこの願いを御聞き下さい。

 仇を、取ってあげてください」

 良子が、嗚咽を堪え告げたのだった。

 

 良子の脱出を手引きしたのは、他ならぬ実弟、平公雅・公連であった。姉の夫将門への想いの強さと、父良兼の行いの理不尽さへの不満。何より悲嘆に暮れ、日々陰々と過ごす姉の姿を看過できなかったからだ。

「弟たちからの伝言です。

 人質をとるような形にはなったが、父良兼を責めないで欲しい。

 父は――平良兼は、娘と孫と共に少しでも長い時間を過ごしたかっただけなのだと。

 戦によって隔てられ、次はいつ会えるかもわからぬ故に引き留めてしまった。

 だが此度の戦は人質などに頼らず、正々堂々と臨みたい。

 姉良子を頼みます、と」 

 小次郎は、野本の戦いに於いてダークホーンで牒を携えてきた公雅を思い返していた。

 まだ少年の面影を残す武者に、嘗ての自分を重ねる。

 正義とは一体何か。

 骨肉の争いは、この戦を最後にしたいと、小次郎は思った。

 

 レインボージャークを編成に加え、石井勢は一路服織の営所を目指す。牒を送った以上、引き返すことは出来ない。そして妻子の奪取という目的こそ達成したが、未だに奪われた所領を回復してはいない。

 一方の良兼側では、増援の平公雅・公連の率いるダークホーンとの合流を待ったため進軍が遅れ、更に服織勢が間道を使ったため大幅な遅れを出していた。その結果、本来であれば後に会敵するはずであった水守勢が、先に小次郎の前に出現していた。子飼、堀越の二度の勝利に気をよくした良正は、その血気に逸る性分から、早々に陣を組み、単独で石井勢に戦いを挑んで来たのだ。

 バイオメガラプトルを中央に、横一列に各バイオゾイドが布陣している。

「アイスブレーザーは何処だ」

「後方奥の、林の前です」

 手負いのままのアイスブレーザーは、明らかに戦闘への参加を避けている。バイオゾイド部隊には、通常であれば随伴する小型ゾイド群が無い。それだけバイオゾイドの性能に絶対の信頼を寄せているのが判る。

「手筈通りにやる。行くぞ」

 ディバイソンの突撃砲1門を矢合わせとし、両軍は激突したのだった。

 

 先陣を切って、バイオトリケラが突進する。迎え撃つ石井勢からは、ソウルタイガーと、Zi-ユニゾンを完了したワイツタイガーが前面に躍り出た。バイオトリケラをやり過ごし、そのまま中央のバイオメガラプトル群へと向かう。肩透かしを食らったバイオトリケラは、後衛で待ち構えていたランスタッグ部隊が迎え撃つ。グラビティーホイールを全開にし、ブレイカーホーンを垣根の如く並べたランスタッグが、バイオトリケラのヘルツインホーンをがっしりと受け止めていた。

「小次郎、行け」

 藤原玄明の掛け声と共に、村雨ライガーが跳躍する。

「疾風ライガー!」

 焔の繭に包まれ、緋色の獅子が駆け抜けた。筑波の麓、広がる平原を疾風ライガーはこれまでにない高速で疾駆する。子飼、堀越と、共に優速を生かせぬ地形であったが、良正の驕りもあり、服織周辺は高速戦闘に絶好の地形となっていたのだ。

 バイオメガラプトルと格闘するソウルタイガーとワイツタイガーを追い越し、後方に潜むアイスブレーザーに向かう。

「命までは奪わぬ。だが、許さぬ。私怨の根源を断ち切るためにも、お前を倒す」

 しかし、その進路に暗雲の如く3機のバイオケントロが立ち塞がった。

 咄嗟にハヤテブースターを噴射し姿勢を変えたが、それを見越していたかのように、バイオケントロは一斉に背中のバックランスを撃ち放った。鋼鉄の魚群が疾風ライガーを狙う。執拗に追って来る黒いクナイの群れに、黒い猩々が立ち塞がり、振り翳した剛腕がたちどころに叩き落とした。装甲を穿孔する甲高い金属音が断続的に響く。

「殿、御無事で」

 伊和員経のデッドリーコングの全身に無数のバックランスが突き刺さっている。だがそれにより、バイオケントロの攻撃手段の一つは封殺された。射出できるバックランスの数には限りがあるからだ。3機のバイオケントロは冷徹に状況を分析し、同時にビーストスレイヤーを構える。刃渡りでムラサメディバイダーを凌ぐ両刃の剣が6振、一斉に疾風ライガーに襲いかかる。

 各々の機体性能は突出したものではなく、疾風ライガーであれば対等に渡り合える。だが如何せん数が多い。次第に林の中に消えて行くアイスブレーザーにあと僅かというのに、手が届かないのだ。

「太刀が二振あれば」

 疾風ライガーの斬撃は、ソードダンスによって悉く斬撃を受け止められてしまう。遥か後方に、未だバイオメガラプトルと格闘するソウルタイガーとワイツタイガーが見えた。手筈では、2機が疾風ライガーを護りつつ敵将アイスブレーザーへ突入する計画であったが、混戦の中到底適わない。

「この争い、まだ決着を付けられぬのか」

 小次郎の脳裏に桔梗の無残な屍が過る。同時に、服織を目指す道すがらにうち捨てられた無数のゾイドの屍と、黒炭と化した廃墟の村々の家屋の姿が浮かび上がった。

「これ以上、憎しみを増やしたくない。

 これ以上、民を苦しめたくない。

 これ以上、俺と同じ悲しみを広げたくないんだ」

 祈りとも、怒りともつかない感情が、小次郎の中を駆け巡っていた。

 

 周囲が暗転する。

 荒々しい戦場とは打って変わった、清浄な空間であった。

 頭の中に直接声が響く。

〝コジロウ。オマエ、ツヨクナリタイカ?〟

「……村雨、ライガー、なのか……」

 不思議な感覚だ。ゾイドの言葉がわかる。そしてそれが愛機の声と認識できる。

〝汝が村雨ライガーの主、平将門か〟

 もう一つ別の声が響く。

 村雨ライガーとは違う、厳かで重々しい声だ。

〝オマエ、タタカウ。デモ、モットタタカイタイ〟

〝汝は先に、無数の民の平安を願った。私怨を晴らすのではなく、争いを終える為にと願ったな〟

 暗転した視界の、立ち昇る雄大積乱雲のような背景の中、接近する巨大な影が見えた。

 二本の突き出た巨大な角が回転している。バイオトリケラと同じ角竜型ゾイドだが、その大きさに於いて圧倒的な規模を誇っている。

 小次郎は言い伝えに聞いたことがある。

「火雷天神、マッドサンダーか」

 頭部操縦席の上に立つ人影がある。雲を纏い、周囲に立ち込める雷雲を引き摺りつつ、巨大ゾイドが接近する。

〝村雨ライガーの願いを受け、汝に力を授けよう。この世を救う、無限の力である〟

「俺に何をさせようと言うのだ」

〝オマエ、ツヨクナル。オレモ、ツヨクナル〟

「何を言いたいんだ村雨。新たなエヴォルトを成し得るとでも言うのか」

〝左様。汝に命じる。無限の力を以て、この世界を救え〟

「世界を救うだと。俺にそんな大それた事などできるわけがない」

〝成し遂げるのだ平将門。火雷天神の命に於いて、無限なる力を授ける。唱えよ、汝の名を〟

〝オマエノナマエ、イエ。ソウスレバ、ムラサメ、カワル〟

「俺の名前を叫べと言うのか」

〝ソウダ。オマエノナマエダ。オレハカワル。オレハモットツヨクナル〟

「……もっと強く、もっと強くなれるのか……」

 暗転した視界が唐突に回復する。

 目前にはビーストスレイヤーを突き出すバイオケントロが迫っていた。

 小次郎は気付く。疾風ライガーの表示盤に、〝無限〟の文字が揺れている。

 表示された文字を一瞥し、迫り来るビーストスレイヤーの切っ先を睨んだ。

 操縦桿を握り直し、拳に力を込める。

「俺は信じる、ゾイドの無限の力を。頼むぞ、疾風ライガー」

 小次郎が叫んだ。

 

「将門ライガー!」

 

 獅子の瞳が輝き、霰石色の光に包まれた。

 表示盤の〝無限〟の文字が〝将門〟に変化する。

 絹の如き閃光が周囲に放たれた。

 バイオケントロの斬撃は閃光に弾かれ、3機同時に倒れ込む。

 戦場を駆ける獅子は、螺鈿の欠片を撒き散らす様に、次第にその姿を顕現させていく。

 白き機体が光を乱反射させる。バイオゾイドの構造色とも違う、神々しい輝きを纏って。

 巨大な二振の大刀(だいとう)が翼の様に広がっている。

 全身を霰石(せんせき)色のメタルZiに覆われた獅子が、筑波峰を背に降臨した。

 



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第六拾弐話

 デッドリーコングの背後から白銀の輝きが過る。

「何だ今のは。太刀が二振のライガーだと」

 過った瞬間、組みあっていたバイオケントロは真っ二つに切断されていた。

 

 ソウルタイガーとワイツタイガーの間を、白銀の輝きが過る。

「疾風ライガーか。いや、疾風でも村雨でもない」

「見たこともない機体だが、あのようなゾイドを何処に隠しておられたのか」

 過った瞬間、ヘルファイアー発射寸前のバイオメガラプトルの頸部が地上にどさりと斬り落とされた。

 

 ランスタッグ部隊の傍らを、白銀の輝きが過る。

「ライガーなのか」

「知らぬぞ。小次郎はこんなゾイドには乗っておらんわ」

 過った瞬間、バイオトリケラのヘルツインホーンが吹き飛び、巨大なフリルごと頭部が断ち割られていた。

 

 石井勢と水守勢の争うそのほぼ中央、周囲をぐるりと見渡せる平原に、二振の太刀を構える荘厳な獅子が立っていた。後衛に護られていた多岐が身を乗り出し歓声をあげる。

「父うえ!」

 愛娘は忽ちにして真髄を見抜いていた。

「殿」

「兄者」

「将門殿」

「小次郎殿」

「小次郎」

「あなたさま」

 霰石色の獅子が咆哮する。

 居合わせる誰もの心の中に、その銘が響き亘った。

「将門ライガー、推参」

 小次郎は輝きに包まれた操縦席の中で叫んでいた。

 

 無限なる力が漲っている。

 小次郎は操縦桿を握り締め、バイオゾイドを睥睨した。

 やれる。

「行くぞ」

 白銀の輝きを纏い、将門ライガーが勇躍した。

 

 バイオメガラプトルがヘルファイアーを雨霰と撃ち込んでくる。赤い焼夷弾が獅子に直撃した。紅蓮の焔を十文字に切り裂き、炎の中心より白刃を煌めかせ、将門ライガーはバイオメガラプトルを瞬時に切り刻んでいた。

 バイオトリケラが大地を蹴立てて突進する。

 フレアシールドから発生する電磁バリアが周囲の空気を陽炎の如く揺らめかせる。

 四肢を踏み締め跳躍した獅子は、ヘルツインホーン激突の寸前、バイオトリケラの直上で背面となる。ムラサメブレイカーとムゲンブレードが振り下ろされ、バリア効果のない無防備の胴体を三つに切断した。

 バックランスを備える2機のバイオケントロがソードダンスを舞い、前後から獅子を挟み込んで迫る。将門ライガーが緩やかに走る。走るその姿が、次第に数を増していく。

 

 二つ。三つ。

 

 伊和能員が驚嘆する。

「ライガーが分身していく」

 バックランスが撃ち込まれる。しかし鋼鉄の魚群は、幻影の背後の大地を虚しく穿っただけであった。

 

 四つ。五つ。

 

 平三郎将頼が歓喜する。

「速い、速いぞ兄者。まるで風のようだ」

 ビーストスレイヤーを無茶苦茶に振り回し、獅子を切り刻もうとするが、切っ先は徒に空を斬る

 

 六つ。

 

 藤原玄明が(まなこ)(こす)って瞠目する。

「俺は幻を見ているのか。雲のように滲んで見える」

 

 七つ。

 

 多岐と良子が呟く。

「きれい。ライガーが、七色に分かれて光っている」

「まことに。まるであれは」

 母と娘の声が揃った。

「虹のよう」

 ソードダンスを舞い続けるバイオケントロに、七色に変化する獅子が次々と斬撃を叩き込んだ。因縁深き剣竜は、脳天から尾の先まで物の見事にかち割られ、左右に切断された躯を大地に晒した。

 残ったバイオゾイドの群れがじりじりと後退を始める。

 将門ライガーの頭上に黒い影が飛来した。

「空飛ぶバイオゾイド、今頃になって」

 多治経明が背部の将文から送られた情報を睨み、天を仰ぐ。

 将門ライガーは既に察知していた。

 二振の太刀が輝く。

「飛ぶぞ」

 小次郎の掛け声と共に、七色に分身した獅子が、それぞれの身体を足掛かりにして跳躍した。

 速く、高く、そして強く。

 一列の(やじり)となった七つの獅子は、再び一つの霰石色の輝きに集束し、神話の(けもの)の如く蒼空を舞う。飛来したバイオプテラを、螺旋を描く烈風となって切断した。

 落下する残骸を足掛かりにして地上に降り立つ。将門ライガーは筑波峰を背に勝鬨の雄叫びをあげていた。

「これが無限なる力なのか」

 

 小次郎は散乱するバイオゾイドの骸が、微細な炎をメラメラとあげて燃え尽きていく光景を見ていた。そしてその奥に、アイスメタル装甲を纏う黒い猟犬が浮かび上がる。

「良正叔父、覚悟は宜しいか」

 しかしアイスブレーザーへ向かう小次郎を妨げる、生き残りのバイオゾイドが一斉に結集した。バイオメガラプトル、バイオトリケラ、バイオケントロ、そして最後に飛来したバイオプテラである。

 頭長高の最も高いバイオメガラプトルが、狙い澄ましたヘルファイアーを吐き出そうとした瞬間であった。

 突如として、メガラプトルの身体が横転する。右脚の付け根が醜くぶくぶくと膨張し、流体金属装甲表面に無数の水疱が発疹する。悲鳴を上げるメガラプトルの頭部にも、全く同じ水疱が湧き上がっていた。

 バイオトリケラの四肢と、頭部フレアが付け根から分解し、叫ぶ間もなくばらばらに千切れて行く。傍らのバイオケントロも、ビーストスレイヤーの刃を除き、その身体全体が炎を浴びた飴細工の如く崩れ落ちた。

 空を舞っていたバイオプテラが、飛ぶことを忘れ落下する。青く透き通っていた翼には、最早正真正銘の骸骨しか残っていなかった。

 どのバイオゾイドも、自らの身体が溶解していく。

 良子達と共に後詰めで戦況の一部始終を見守っていた平四郎将平が己自身に向かって告げていた。

「流体金属装甲とは、即ち生きた金属細胞だったのか。攻撃を受けても傷付かなかったのは、瞬時にして細胞を再生していたから。

 だが細胞再生には限界がある。バイオゾイド達は、自ずとテロメアを使い果たし、そしてこうして自滅したのだ」

 どろどろと解けるバイオゾイドを踏み越え、小次郎が林の縁に達した時、既にアイスブレーザーは消え去っていた。

 口惜しさはない。行く先は判っている。

 小次郎が心を鎮めると共に、二振の太刀は一振となり、霰石色の獅子は碧き獅子へと姿を戻していった。

 遂に決着を着ける時が来た。

 刹那に瞑った瞼の裏側、将門の目には、桔梗のどこか物悲しげだった微笑みが浮かんでいたのであった。

 

 



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第六拾参話

 先行した水守勢が打ち破られた事は、離脱した平良正のアイスブレーザーによって逸早く上総・常陸勢に伝達された。圧倒的兵力を以て石井勢を捻じ伏せようとしていた良兼達にとって、バイオゾイドを失ったことにより当初の戦略は瓦解する。ほぼ互角の戦闘ゾイドを擁する両陣営が激突すれば、怒涛の進撃を続け、戦意に優る石井勢によって多大な損害が生じると判断した良兼は、直ちに部隊を転進させたのだった。

 

「敵は弓袋(ゆぶくろ)峠に立て篭もりました」

 開かれた布陣を示す地図を、伊和員経が直接指で示した。

「鬱蒼とした密林が広がる筑波峰の麓であり、守るに易きものの、打って出るのも難き場所です」

「臆病風に吹かれたか。良兼め、坂東武者には有るまじき醜態だな」

 藤原玄明が露骨に鼻息を荒げて吐き捨てた。

(けしか)けてみるか。四郎に簡牒(かんちょう)(したた)めさせ、坂上遂高(さかのうえのかつたか)に届けさせよ」

 その時初めて、五郎将文は評定に於いて進んで声をあげた。

「兄上、何故遂高殿に頼まれるか。それと簡牒とは如何なるものですか」

 先の戦での大勝に幾分高揚しているらしく、元服直後の少年武者はいつになく精力的であった。小次郎は五郎を一瞥すると、員経に視線を送る。

「簡牒とは、戦合わせを願う謂わば挑戦状。そして遂高殿の乗機は何か御存知ですな」

 寸刻黙り込んだ後、五郎が瞳を輝かせ顔を上げる。

「ソウルタイガーであれば、弓袋峠の山岳地帯であっても対応できる」

 員経が静かに頷く姿を見ながら、小次郎は兄弟達が次第に頼もしくなっているのを実感した。そして陣営中に轟き亘るような大声で雄叫びを上げた。

「敵を包囲殲滅する。全軍出撃だ」

 小次郎の声に兵が呼応し、村雨ライガー達石井勢のゾイド達も一斉に咆哮したのであった。

 

 季節は夏始を過ぎ、この惑星で盛夏の時期に差し掛かっていた。弓袋峠に到達した石井勢を目前にして、立て篭もる常陸・上総勢は一切戦闘に臨む姿勢を示さなかった。

 簡牒を送り決戦を挑んでも、黙殺したまま動き出す様子はない。策を変え、散々に嘲り煽り、相手を誘き出そうとしても、良兼達は堅く殻を閉じた貝の如く、打って出てくる気配さえ見せなかった。

 兵力差が互角である以上、小次郎にとっても不利な地形での戦闘は避けたかった。開けた地形であれば、ソードウルフにせよ村雨ライガーにせよ、斬撃を以て戦えるが、金属を含んだ大木が林立する弓袋の麓では樹木が刃を妨げる為に分が悪い。

 日中照り付ける太陽は、操縦席の風防越しに操縦者を責め付ける。山麓に水脈とレッゲルの湧水脈を持つ弓袋峠は、別称で湯袋とも呼ばれ、石井勢はもとより良兼勢にも補給の恵みを与え続けていた。

 一方、小次郎達が攻めあぐねる間、包囲する石井勢の元には、厄介な輩達が続々と集結をしていた。

 独立武装農民に当たる伴類が、小次郎の勇名を訊きつけ集まって来た。しかし、中には素行の悪い無頼の徒も多く、周囲の村落住民との揉め事を起し始めていたのだ。白昼堂々と略奪を行う伴類も見受けられ、小次郎達は良兼への警戒よりも、寧ろ味方内での秩序の維持にこそ、労力を割く様になっていた。

 (いたずら)に日々を過ごす中、小次郎は既に自分が、下総石井の小さな営所の棟梁ではなく、坂東大武士団の代表になってしまっていた事を、まざまざと思い知らされていたのであった。

 

 包囲戦が数週間続いた、二つの月が浮ぶ夜であった。

 陣幕に、じゃれ合う村雨ライガーとレインボージャークの影が映る。

 一人白濁した濁酒を呷りつつ、小次郎は愛しい者の到着を待ち侘びていた。

 長きに渡る包囲戦による、兵達の士気の低下と規律の弛緩が問題視されるようになっていた。止む無く小次郎は、戦場への兵の妻子の訪問を許可し、荒んだ心に暫しの潤いを与えようとした。その最初の訪問者の中には、他ならぬ良子の姿もあったのだった。

「腹の子は大丈夫なのか」

 陣幕を上げ現れたその身体は、産み月を迎え、誰の目にも胎内に新たな命を宿していることが判るようになっていた。

「もう落ち着きました。元気な子が育っております」

「そうか」

 小次郎は、愛しい妻の身体をそっと抱き寄せた。

 

 月の一つが筑波に隠れる頃、それまで身を委ねていた良子が徐に身を糾す。月光を湛えた瞳は、何かを思い詰めていた。

「あなた様、お伺いしたき義があります」

「なんだ急に改まって」

 小次郎は濁酒を注いだままだった盃に手を伸ばし、屈託なく応える。

(あや)、というお方を御存知ですか」

 小次郎の手が止まる。夫が何を思ったか、良子もその沈黙を以て察した。

「上総の尾形に囚われていた時、お会いしました。今は貞盛殿の妻となっておられる方です」

「太郎の……」

 思わず発した言葉が、小次郎の動揺を露わにする。良子は更に悲しげな顔をして続けた。

「彩様は美しい方でした。

 あなた様への伝言を受け賜っております。

〝あの夜、将門殿にリーオの櫛をお渡ししたこと、気に病んでおります。櫛は“苦死”にも繋がる言葉。若気の至りとはいえ、今の将門殿の苦境は、もしや私への因縁から生じたものではないか〟と」

 櫛は村雨ライガーの座席下に潜ませていた。捨てるに捨てられず、さりとて要らぬ誤解を受けたくもなかったからだ。

「彩様はこうも仰いました。

〝元来将門殿が上洛したのも、源家の姫である私に釣り合う、それ相応の官位をソラから授かるためのことでした。結果として戦を招き、兄達のバーサークフューラーやジェノブレイカーと戦う羽目になってしまったこと、不幸というしかありません。その上こうして私は、左馬允(さまのじょう)平貞盛の妻として迎え入れられました。

 皮肉なものです。あの夜交わした情熱に満ちた言葉に、答えを返せぬまま、将門殿をよく知る、仕官を成した、将門殿の従兄と結ばれたのですから〟と」

 遠き若き日の記憶が呼び覚まされていく。戦に明け暮れ、忘れ去っていた切ない記憶であった。

「初めは只の嫌がらせとも思っていました。

 ですが彩様の心には、確かに若き日のあなた様の姿が焼き付いていることが、同じ(おのこ)を愛した女ゆえ、わかってしまいました。

 あの方は、今も本気で、あなた様を愛しておられます」

 小次郎の心に激しい動揺が奔る。

(まだ、彩殿が俺を愛しているだと)

「あなた様を疑うわけではありません。況して若き(おのこ)が、女と戯れることなどあって当たり前と、割り切っています。割り切っていますが……」

 良子が言葉を詰まらせた。両手で顔を覆いしゃがみ込む。

 小次郎は、突然の出来事に、盃を持ったまま狼狽していた。

 動揺はしたものの、既に小次郎の心は定まっている。

 愛する女は、良子しかいない。自分がいつまでも昔の恋愛を引き摺れる程、器用でないことも知っている。況してやそれが人の妻となってしまっているのであれば尚更である。小次郎は必死に弁解をしようと試みた。

「彩殿とは、何もない。唯の一度、筑波の嬥歌(かがい)で言葉を交わし、その後源護の館の前でも言葉を交わしただけだ。それからは上洛し、帰郷後戦となった故、何の連絡も取ってはおらぬ」

 戦場では無敵の力を誇る小次郎も、女の涙の前では余りに滑稽であった。

「本当ですか?」

「本当だ、本当。今その名を聞くまで、長く忘れていた名だ。そうだ、玄明なら詳細を知っている。今から奴を連れて来るから、申し開きをさせてくれ」

 盃を持った手を意味もなく振り回す夫の姿を見て、良子は思わず笑っていた。

「良子はあなた様を責めるつもりなどないのです。ただ、妻として、女としてあなた様からお伺いしたかっただけ。でももうわかりました。あなた様の仰ること、全て信じます」

 その言葉に漸く肩を落とし、安堵の溜息をついた直後、小次郎は良子を強く抱きしめていた。

「お前だけが俺の妻だ」

 月の光が二人の影を長く曳いていく。夫の胸に顔を埋めたまま、良子が囁く。

「怒らずに聞いて。

 孝子殿の分も含めて、愛しんでください。

 孝子殿が守ってくれたお腹の子と、多岐と、そして私を。それが孝子殿への供養と願って」

「無論だ」

 小次郎は愛おしさのあまり強く抱きしめることを控えようとしたが、想いは強くなるばかりであった。

「痛うございます」

「すまぬ」

 しかし、小次郎と良子の影は、一つになったままだった。

 

「もう一つ、お話しが御座います。これも尾形で聞いた事で、あまりに断片的なのでお話ししませんでした。バイオゾイドに関して、父良兼と、貞盛殿が話していたことです」

 

 



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第六拾四話

「あのね、バイオゾイドはリューグーがジョートでタイヨしたものなんだって!」

 多岐は小次郎の膝にちょこんと座り、穢れない大きな瞳を輝かせ、屈託なく答える。

 深刻な事情を気取られるよう、娘に向かい合う母良子は優しく問いた。

「他に、じじさまが言った事で覚えていることはないか」

「うん、えーと……ジッセンのケッカをシモツキのトータドノのモト、って言ってた」

 小次郎の大きな掌が、娘の頭をそっと撫でる。

「多岐は利発だのう。よしわかった。もういいぞ、五郎と一緒に遊んで来るがいい」

 はーい、と無邪気な歓声を上げ、多岐は手を引く五郎将文と共に、陣幕の向こうに駆け出して行った。温和な表情が一転し、良子は、夫と同席する伊和員経、三郎将頼、四郎将平を見廻した。

「お聞きの通りです。どうやら父は、多岐を膝に抱いたまま、貞盛殿と戦の策を話し合っていたようです。孫娘可愛さに油断したとも言えますが、よもや多岐が会話の一部を覚えてしまうとは思いもしなかったことでしょう」

 そして良子は軽く会釈し、評定の重苦しい空気を察して、娘の後を追って退出していった。残された評定の面々は、多岐がいた時とは一変し、一様に渋面を浮かべていた。

「バイオゾイドは〝龍宮〟が〝譲渡〟という形で〝貸与〟した、ということか」

 三郎が顎に手を当て、小次郎を見る。

「〝実戦〟の〝結果〟をシモツキの、つまり〝下野(しもつけ)〟の〝藤太〟の元へ。俵藤太、藤原秀郷は、龍宮が新たに開発したバイオゾイドの戦闘諸元を送ることを条件に、良兼達に与えたと判断すべきかと。して兄上、そして員経殿。龍宮とは如何なるものでございますか。都に昇ったことのない者にとっては見当もつきません」

 四郎の問い掛けに、依然小次郎は無言であった。

「藤原秀郷殿とは、あまり事を構えぬ方が良いでしょう。弓袋に立て篭もった上総、常陸勢との決着が未だにつかない現在、これ以上の敵を増やしたくはない。ここはひとつ、真意を問う書簡を秀郷殿に送り、龍宮との関係を質してみては如何かと……殿、御加減でも悪いのですか」

 我に返った小次郎が、員経に応える。

「……すまぬ、考え事をしておった」

「また脚病が再発したのでは」

 大きく首を横に振り、小次郎は腰掛けたまま両足で大地を力強く踏み締めてみせた。

「龍宮と藤太殿のことであれば、瀬田の唐橋の件もあり、俺も薄々は感じていたから驚きはしない。気になるのは、桔梗と俵藤太は繋がりがあると嘗て蔵人頭藤原師氏様から伺った事があるからなのだ」

 桔梗の前の通り名を知らない三郎と四郎は顔を見合わせ、父として振る舞ってきた員経は僅かに表情を曇らせる。

 詳しく語る必要はない。ではどうやって伝える。小次郎の懸念を瞬時に判断した員経は、滔々と語り出した。

「桔梗の前とは、嘗て孝子が都で名乗っていた通り名です。優秀なゾイド乗りでありましたが、仕官には身元引受人が必要で、素性が定かではなかった桔梗は出仕できませんでした。そこで私が養父として桔梗を引き取り、令外官の更に令外として、女人としては異例の滝口の武士に属することができたのです。説明が遅れたこと、お許しください」

 老齢な武士は、瞬時にして見事に桔梗の素性を築き上げ語る。今は亡き孝子の思い出をそれ以上掘り下げる事を悼んだ兄弟達は、追及することもしなかった。

「問題は、本人さえ出生の経緯を知らなかった孝子が、何処かで藤原秀郷殿と繋がっていたのではないかということです。孝子がこれまで我ら下総の動きを下野に伝えていたとは俄かに信じ難いが、場合によっては亡き者も疑ってかかる必要もあるのではないかと思います。重ね重ね養父として、申し訳ないことです」

「員経が謝ることではない」

 小次郎がやおら立ち上がった。

「もはやこの弓袋峠などに貼りついている暇などない。

 全軍通達、喫緊に陣を退き、石井に戻ることとする。叔父殿達は捨て置け。下野に未だバイオゾイドが残されているやも知れぬと判った以上、長居は無用だ。早々に営所を固め、策を練ることとする」

 小次郎の指示に従い、三郎、四郎、員経は各部隊に向かい、包囲戦の解除を告げに奔走を始めた。やにわに色めき立つ陣を背後に、小次郎は出会った頃の桔梗の姿を思い浮かべていた。

「桔梗は本当に死んでしまったのか」

 その日も鳶色のシュトルヒが、筑波峰の空に輪を描いて舞っていた。

 

 

「桔梗の前は、死してもなお、生き続けていると思われます」

 藤原三辰が、若干声を潜めた。

「持って回った言い方は要らぬ。手短に説明してくれ、俺にも判るようにな」

 日に日に立ち込める霧が深くなり、日振島はその全体を海上から完全に隠していた。島を洗う波音が響く館の中、2人の海賊は顔を寄せるようにして向かい合っていた。

「バイオゾイドに関して調査する内、思いがけず掴んだ情報です。頭はバイオゾイドを操っているのが人ではなく、妖怪(あやかし)の如き土塊という機械兵であることは御存知か」

「バイオゾイドとやらでさえ未だ目にした事が無いのに、その中に誰が乗っているかなど知ろうはずもあるまい」

 幾分怒気を含んだ声で、純友は答える。

「龍宮は土魂と呼ばれる機械兵士を製造しております。何やら人の魂を入れ、脆弱な人の肉体に頼るのではなく、頑強な土塊に魂を封じ、バイオゾイドを操作させるものです」

「人の魂を取り出し封入する事など出来るのか。その問答、まるであの糞坊主の言い草と同じではないか」

「これは龍宮の連中が編み出した技であり、詳細は判りませぬ。しかし、証拠はあります。それが桔梗の前なのです」

 純友の額には薄らと血管が盛り上がってくる。

「桔梗の前が、どうかしたのか」

「桔梗の前は、1人にして1人ではなかったのです」

 沈黙が途切れるのには、暫しの時間が必要であった。

 



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第六拾五話

「ソラの人、つまり天上人藤原氏は渡来系のデルポイの民ですが、龍宮は東方大陸土着の〝蒼の街〟の軍事企業が由来。それ故に渡来人による政権安定と、軌道エレベーター建造を快く思わなかったと推察出来ます。

 龍宮の意向を受けた群盗〝桔梗の前〟は長く都に騒擾を起し続け、東方大陸に於いて絶対的権力を誇る天上人の手を焼かせた。今にして思えば、龍宮はその混迷を利用し財の強奪と蓄積を行い、陰に陽に力を成して来たのではと推察しております」

 注がれていた椀の水を一息に飲み干し、藤原三辰は息をつく。

「桔梗の前の跳梁跋扈は、凡そ常人の仕業とは思えぬ程の所業でした。記録の上では何度か捕縛され、処刑までされたとの発表にも関わらず、その度に新たな桔梗が現れた。当初は舎人の奴らの記録改竄かと疑っておりましたが、処刑はどうやら事実だったようです」

「甦った、とでも言うのか」

 三辰がゆっくりと肯く。

「甦り、と言うと語弊があります。厳密には〝別の入れ物に魂を移し替えた〟と申すべきかと」

「信じられぬ」

 純友が囁く。

「無理からぬこととは言え、まずはお聞き下され。

 先に申した土塊への魂の封入は、人の精神と躯とを分かつ試みでありました。龍宮はまず魂を自由に移送できる実験体〝桔梗の前〟を作り上げた。〝桔梗の前〟は龍宮の思惑通り、魂を入れ替える毎にその身体能力を強化し生き続けた。桔梗は1人にして1人ではなかった、と申したのはそんな意味合いです。

 やがて強靭な運動性を持つゾイド操縦にも対応できるまでに蓄積された実験体〝桔梗の前〟の諸元が、バイオゾイドを操る土塊共の生産に利用されたに違いありません」

「信じられぬ」

 純友は同じ言葉を繰り返すだけだった。

「公儀によって群盗〝桔梗の前〟が最後に確認されたのは、平将門によるセイスモサウルス迎撃でした。だが前回、頭がアクアコングで戦った折り、黒き猩々に同乗していた女が、孝子と名を変えた〝桔梗の前〟であり、その女が、坂東の戦によって殺されたということまでも調べがつきました」

「殺された、のか」

 その答えには、複雑な意味合いが混沌として込められていた。しかし純友の様子とは裏腹に、藤原三辰はいとも容易く言葉を続ける。

「桔梗は亡者の如く、また新たな肉体を得て再び我らの前に現れるかもしれませぬ。だが御心配には及びません。頭の懸念する将門と龍宮の繋がりは、桔梗の前の死によって一応は断ち切られております。

 たかが坂東の田舎の武士の動向になぜ拘られる。龍宮にせよ俵藤太にせよ、ソラを転覆させようとする意図は、我ら伊予の日振島の海賊衆と同じ。平将門の勢い乗じ混乱させ、我らに有利に事を運べば良いではありませぬか」

「俺は兎に角嫌なのだ。将門の真意を知らぬのが」

 純友の言い放った言葉は、藤原三辰への答えではなかった。

 純友が立ち上がった。

「三辰、貴様は日振島に残れ。

 アーミラリア・ブルボーザの生育は佐伯是基に一任してある。

 津時成は、暴走せぬよう手綱を引き締めておけ。

 藤原恒利のジジイの動きには油断するな。

 新たなアクアコングを準備せよ。坂東に赴くぞ」

 俄かに色めき立った日振島の海賊衆の喧騒を背にして立つ藤原純友の唇が、声を発せずとも、ある言葉を確かに唱えていた。

「平将門。いよいよお前に語る時が来たようだ」

 鐵の巨体が、海賊大将たる藤原純友の前に牽かれ出されていた。

 

 

 小次郎が弓袋峠から陣を退いたのは、包囲を始めてから翌月のことであった。

 玻璃の翼を持つゾイドが再び飛来し、ある書簡を齎したからである。

『下総鎌輪(※石井に営所が移った事は未達)当主、平小次郎将門命。上総上野介平良兼とその嫡子公雅、公達、掾源護並び平太郎貞盛、及び平良正に対し、追捕の為の官符を坂東に下す也』

「これは、都からの追捕官符ではないか」

 小次郎は書簡の末、小一条大臣藤原忠平の押印のある隣に、蔵人頭藤原師氏の印も連なっていることに気付いた。未だに滝口の武士の時代の旧恩を温めて続けてくれる嘗ての上司に、小次郎は熱い思いが込み上げた。

「何だそれは。ソラの小手先だけの書など意味もないだろうに」

 藤原玄明が、書を取り囲む小次郎や三郎を、つまらなさそうに傍観する。

「それよりも、あのゾイドだ。確かレドラーと言ったな。どうだ小次郎、いっそあのソラのゾイドを奪ってみないか」

「馬鹿を言うな」

 即座に応えた小次郎の口調に、玄明は決まりが悪そうに頭を掻いた。

「玄明殿。これは殿が正式にこの坂東に於いてゾイドを動員し戦闘を行っても良いという証明書だ。我らは国衙の承認の元、堂々と戦に臨めることになったのだ。

 逆に良兼や貞盛達は追捕される立場となり、迂闊には我らを攻められなくなった。これで暫くは手を出せぬ事だろうて。

 降り掛かった火の粉を掃う為に起こした戦に要らぬ誤解を受け、叛逆者の汚名など掛けられる恐れも無くなる。

 玄明殿、公とは刃向うだけでなく、利用する事も必要と思うことだ」

 訥々と説く員経の言葉に、玄明も幾分眉を顰めたものの、納得をして馬場へと戻っていった。

 時を同じくして、石井の営所の矢倉に、見慣れた白と黒の熊型ゾイドが姿を現していた。

〝小次郎様、しばらぐでがした(御無沙汰しておりました)。それにここらで見ねえゾイドだが、どごの誰様だ〟

 麗らかな陽射しを受けた静かな石井の地に、微風に乗って塀の外からの常陸訛りの強い声が運ばれていた。

 

 白黒の獣が、手押し車を押して二足歩行をする姿は愛らしく、多岐は決まって歓声を上げて喜んだ。

「バンブリアンだ、バンブリアン!」

 臨月となった良子に代わり、小次郎は無邪気に笑う多岐を抱いてバンブリアンに近づいて行く。

「子春丸、精が出るな」

「はー、石田のいぢがかわくてかわくて(可愛くて可愛くて)。そのぶん身入れで働かねばな」

 赤銅色の顔を綻ばせ、想い人の名を語る子春丸は幸せそうであった。

「府中まではごんでくっがら(運んで行くから)、たぐさんさ(沢山)はー売ってくんちょ(売ってください)」

 素朴で屈託の無い丈部子春丸は、廃棄されたゾイドを引き取る傍ら、常陸と下総に跨ってメタルZiの鉧を集め、その鉄滓を素に再び剣や鎧に鍛え直す職人との仲介を生業としていた。わざわざ国境を挟んで移動していた理由は、彼が常陸の国衙近く、貞盛の領地に当たる石田荘に懇ろとなった娘がいたからである。その話は子春丸自らが自慢げに語ったことであり、石井の家人達の間でも有名であった。

「いぢ、待ってろな」

 大袈裟ではあっても、若い子春丸にとってそれは責められるべき振舞いとは言えなかった。だがその行為がやがて、彼にとっても、小次郎にとっても、大いなる災厄を伴ってくることをまだ知らないでいた。

 



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第六拾六話

 先のバイオゾイドの猛襲によって焼かれた栗栖院常羽御厩の館跡が黒々と広がっている。バンブーミサイルとジャイアントホイールを通常装備に戻したバンブリアンが、月のない夜に単機で焼け跡を進んでいた。勤めを終え、私宅のある豊田郡岡崎に戻るには、不気味とは言え御厩跡を横切るのが近道であったからだ。

 廃墟に差し掛かった途端、機体が緊張した。白黒の愛らしいゾイドの風体に似合わない、険しい姿勢で身構える。

「どうした、なんかいんのか(何かいるのか)」

 白い頭部に装備された黒いイヤーレーダーが索敵を完了する間も与えず、瓦礫の奥から鋼鉄の野獣が次々と湧き上がり取り囲む。闇夜の中、アイスメタル装甲が冷たい輝きを放っていた。

「水守の良正様のアイスブレーザー、それにダークホーンじゃねえか。なんだっぺこんなとこに(なんだろうこんな場所に)」

 それらゾイドの全てが火器を構え、取り囲んだバンブリアンに狙いを付けていた。とても無傷で逃げられる状況ではない。やがて手負いの黒い猟犬の頭部装甲が開き、内部より棟梁らしき武士が現れ手招きをした。

「おぢろ(降りろ)、ってか」

 改めて周囲を見回す。ここで抵抗しても、前後左右から構えられたクラッシャーホーンとハイブリッドバルカンに敵う筈もない。子春丸はやむを得ず、指示に従う他なかった。

 

「なんですこれは……」

 子春丸の前に、上質の東絹一疋が投げ渡された。

「手付に渡してやる。受け取れ」

 直垂が所々で破れている鎧を纏う平良正に、子春丸は大袈裟に両手を前に出し首を横に振る。だが良正は構わず続けた。

「これから話すことをよく聞け。

 貴様は石井営所に出入りをしているな。よって明日、我らが兵を伴い再度石井営所を訪れ、兵具の置所、小次郎達の寝所、東西のゾイド整備場と南北の出入りの矢倉門など、営所内部を尽く案内するのだ。もし我らが貴様の手引きによって、傲慢な小次郎の寝首を見事に掻くことができた暁には、貴様を荷夫の苦役から省き、常陸の郎党として取り立ててやろう。穀米も、デルポイ製の舶来絹も好きなだけ渡してやる。どうだ、貴様にとっても悪い話ではないだろう」

「そーた(そのような)ごじゃっぺな(いい加減な)こたできね」

 即答する子春丸に、良正は少し動転していた。

「小次郎様はえれえ(偉い)方だ。それは良正様もわかってるはずだ。なんぼか(どれほど)いじやげる(頭に来る)のか知らねえが、もういいやんばいに(いい加減に)すっぺよ(しましょう)」

 下賤と思っていた部民(かきべ)の反駁は、復讐に燃える良正を怒らせるには充分であった。

多治良利(たぢのよしとし)、例の事を教えてやれ」

 上兵らしき武士が平良正の合図を受けて立ち上がると、座ったままの子春丸を見下しつつ背後に回り、ある名前を唱えた。

「貴様と懇ろになった娘、確か石田荘の田屋に住む、いち、と言ったな」

 子春丸の顔から見る見る血の気が引いていく。

「おめら、まさかいぢに……」

「忘れたか。石田は元来平国香様の所領にして、今は太郎貞盛様の治める土地。いくら将門が精強とは言え、坂東全てを治めきったわけではないのだ。我ら良兼様のダークホーン精鋭部隊を以てすれば、田屋の一つや二つ、焼き払うことなど造作もない。

 訊く所によれば、貴様には勿体無い程の器量良しの娘とか。

 酷いことよのお、ここで生き別れるのは。

 おお、心配めさるな。まだ手出しはしておらぬ。

 まだ、な」

 子春丸は男泣きの悔し涙を流し、嗚咽を堪え、その場で崩折れたのだった。

 

 坂東に下向するホバーカーゴには、(いささ)か珍奇な客達が乗り合わせていた。

 潮に焼かれて赤銅色の肌になった武士と、その息子らしき少年、そして襤褸切れを纏った乞食僧という、捉えどころの無い旅装の一行である。甲板の欄干に身を乗り出した少年が、甲高い歓喜の声を上げていた。

「父上、軌道エレベーターのケーブルが、あんなに間近に見えまする。それに遠くに見えるあれが、まだ死竜どもが巣食っているといわれる不死(フジ)の山でございますか! でっかいなあ」

「重太丸殿、危のうございますぞ」

「坊主に気遣いされるほど、倅は愚鈍ではないわ」

 ホバーカーゴの揺れに動じることなく、藤原純友は噴煙を上げる魔の山を睨み続けていた。

 敢えて危険を冒してまで海賊衆と別れ、庶民の中に紛れた旅路を選んだのは、幾つかの理由があった。

 近頃海賊衆の間で、瀬戸の内海を越えた相模国付近の襲撃が思うように運ばなくなっていた。そこに所領を持つ村岡五郎、つまり将門の叔父の平良文が操る凱龍輝、及びディスペロウとエヴォフライヤーが海賊衆の略奪を尽く阻んでいたからだ。

 そしてそれとは別に、純友の中での様々な思惑が鬩ぎ合っていたからでもある。魁師紀秋茂(きのあきしげ)のホエールキングにアクアコングを搭載し坂東へと先行させる。そして息子重太丸を伴い下向する真意を、妻白浪にも伝えぬまま、不退転の意志で臨んでいたのだった。 

――いくら広い世界を見せてやろうと思われましても、流石に坂東までは遠すぎます――。

――いや、重太丸の歳では遅いくらいだ。心配するな、厳島の海戦にも動じなかった息子だ――。

 そんな遣り取りの最中に現れたのが、純友の坂東下向の知らせを何処からか伝え知った乞食僧(こつじきそう)空也であった。空也は純友親子の出立に際し、自ら同行を申し出た。

――恐れながら藤原純友殿は、幾ら覆い隠そうとしても海賊大将らしき威光を放っておられる。そこを押領使や追捕使に目を付けられれば厄介であろう。

 さすれば拙僧が同行し、周囲の目を欺くのは至極容易。なあに、拙僧もそろそろ遊行を再開しようと思っていただけのこと、気になどすることもない――。

 真意を伝えられないだけに言い訳もし難く、已むなく純友は空也の同行を認めたのだった。

 純友を悩ます事は他にもあった。乗り合わせた客の中に、最も嫌う人種がいたからだ。

「今回の下向、誠にめでたい。六孫王(りくそんおう)源経基(みなもとのつねもと)殿は(すけ)として、この武蔵国権守(ごんのかみ)興世王をお助け下され」

「無下もない。清和帝より下賜《かし》されたゴジュラスギガの威力を、思う存分奮ってやろうぞ」

 数人の従者と、俘囚の娘らしき若い女を連れた官人らしき者が、ホバーカーゴの甲板の中央で陣取っている。

「従五位下に任じられても国が定まらず、漸く回ってきた任国。坂東には古い知人もおる。楽しみだのう。

 ところで経基殿、その知人が誰だかお判りかな」

 その話は聞き飽きた、という表情を浮かべつつ、形通りの応答を、源経基と呼ばれた武士は繰り返した。

「さて、何方(どなた)でしたか」

「都でも誉れ高き坂東の勇者、平小次郎将門よ」

(平将門?)

 振り向いた刹那、源経基との視線が交叉した。純友は面倒事を避けるため重太丸を呼び寄せた。父と息子の戯れる姿など気に留めるつもりなどない。源経基の関心は直ぐに俘囚の娘の身体に向けられていた。

 興世王と源経基の酒宴を憎々しく思いつつ、純友は遥か水平線の先に噴煙を棚引かせる不死(フジ)の峰を望んだ。

(坂東か、遠いな)

 腕の中で、燥ぎ疲れた少年は静かな寝息を立てていた。

 



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第六拾七話

 坂上遂高は、昨日石井の営所に訪れたばかりのバンブリアンが、一機のグランチュラを引き連れてやって来るのを目にする。ソウルタイガーのレーザーネストに跨り機体調整の最中、偶然開け放たれたままの門扉越しに視界に入ったのだ。

「妙な動きだな」

 だが遂高は、バンブリアンが幾分遅れがちに進んでくる事に違和感を抱いた。本来であれば営所に通い慣れている子春丸が先導するはずが、まるで小型のグランチュラに絡め捕られているように、躊躇いながら歩んで来るのだ。

 確かめる必要がある。

 遂高はソウルタイガーを矢倉門まで移動させ、門外で二機のゾイドの到着を待つこととした。

「これは坂上様、昨日は、どうも……」

 門外に到着した子春丸は、操縦席でいつもと変わらぬ愛想笑いを浮かべている。しかし、後続のグランチュラが門の前に達すると直ぐ、慌ただしくバンブリアンの頭部を下げ、営所の衛士に声をかけた。

「それは俺の連れだっぺ。なか入れてくれっけ(くれますか)」

 グランチュラの風防が開き、機内より子春丸と似たような服装の部曲民が現れる。背中を丸め、平身低頭の愛想笑いを浮かべる姿も子春丸に準じている。

 しかし、遂高はグランチュラに乗る者の眦が僅かに吊り上るのを見逃さなかった。

「わかった。暫し待たれよ、すぐに殿に取り次いで来る」

 踵を返し、ソウルタイガーは営所の工房へと向かっていった。

 

 小次郎の許可を得た子春丸は、田夫一人を伴い、石井の営所の方々を練り歩いた。

「どうした子春丸、昨日参ったばかりではないか」

 リーオを鍛える工房から、肩に多岐を乗せた小次郎が現れる。既に許可を得ており、委縮する必要はないのだが、それでも子春丸の立居振舞はぎこちない。

「はあ、本日は俺の今度手伝いに雇ったわげーてい(若い衆)に、いっぺん段取り教えっぺと思って寄せてもらいました」

 その時入れ替わりに、ソウルタイガーが営所の門をくぐって行く。

「坂上様はどちらへ」

「うむ、私の使いだ、気にするな。それより、若い衆とは、その後ろの者か」

 だが、田夫は頻りと頭を垂れるのみで、表情を覗わせようとはしない。話の途中から肩の上の多岐がむずがる。

「バンブリアンいこう、バンブリアン!」

「多岐は相変わらずバンブリアンがお気に入りよのう。子春丸、また少し娘を乗せてもらえるか」

 一瞬、後ろに控えている田夫の視線が、鋭く子春丸を突き刺した。

「多岐さま、申し訳ねえが、今日はぱすぱすで(ギリギリで)来てっから、ゾイドに乗っけることはできねんだ」

「そうか、残念だな。ではせめて、いつものようにバンブリアンの側まで寄せてもらうぞ」

 小次郎は落胆する多岐を肩に乗せたまま去って行く。その背後で、冷汗を拭う子春丸の仕種を感じながら。

 師走の空に鉛色の雲塊が漂う。東方大陸東岸の坂東では雨季を迎えようとしていた。つまり出水に備え、田の畔作りと溝切り作業の繁忙期でもある。

 嘗て孝子がしていたように、今度は三郎将頼がソードウルフを以て農作業を手伝っていた。

 多治経明のディバイソンは栗栖院常羽御厩の再建の為に牧に戻っている。

 文屋好立のサビンガも、大国玉の平真樹の元へ、正式に小次郎の軍勢に加わる旨を伝えに赴いていた。

 藤原玄明達のランスタッグ部隊は鹿島の所領へと帰郷した。

 従って営所に残されているゾイドは村雨ライガーとデッドリーコング、そして身重で操縦は不可能な良子のレインボージャークのみであった。

 田夫に変装した間者は、躊躇う子春丸を連れ回し、営所の隅々までを案内させ、半時もしないうち出立した。

「このぶんじゃあ、今夜は降ってくんなあ」

 鉛色の空を見上げ、子春丸は独り言を呟いていた。

 

 子春丸の予測通り、夜半より矢来の雨が沛然と降り始めていた。

 雨に烟る漆黒の闇夜に、雨滴を滝のように滴らせる漆黒の鋼鉄の獣達が集う。十数機を超えるダークホーンと、同じく漆黒のブラストルタイガー、そしてレッドホーンが蠢く。

「小次郎め、今宵こそは目にもの見せてくれる」

 冷たい輝きを放つアイスメタル装甲のアイスブレーザーで、蓑を纏った平良正が怪気炎を上げている。その脇で、平貞盛のブラストルタイガーと上兵他田真樹(おさだのまき)のレッドホーンは機体を寄せ、二機のみに於いて接触回線通信を行っていた。

〝貞盛様。夜襲などして首を取ったところで、卑怯者の誹りを受けるだけではありませぬか〟

〝叔父上達には何度も進言したのだが、結局押し切られてしまった。所詮避けては通れぬ道であるのだ、良兼叔父と小次郎との因縁は。だが私は違う。

 真樹、この戦深追いはならぬ。寡兵とはいえ小次郎の兵は一騎当千、万一我ら大毅が総崩れと成りうる場合は、頃合いを見て共に手筈通り東山道に退く〟

〝承知〟

 間もなく、ダークホーン部隊がアイスブレーザーに率いられ一斉に移動を開始する。左翼後方に付いたブラストルタイガーも、レッドホーンと共に進撃を始めていた。

 

 仄かに光る薄紅色の集光板を纏った白虎が疾走する。操縦席には荒々しく人息が立ち込める。

 間に合うのか。

 遂高は後部席不安そうな表情を浮かべる女を伴っていた。

 常陸の西、下野と武蔵の国境近くの結城郡付近で、白虎は無数の鋼鉄の獣が列を成して進軍する姿を遠望する。驟雨に沈む甍は、西に金堂を、東に塔を並べる白鳳寺院、結城法城寺の伽藍であった。

 後部席の女が囁く。

「あの燐光はディオハリコン、ダークホーンで御座いますか」

「ああ、私の睨んだ通りだ。岡崎村に急ぐぞ」

 ソウルタイガーは貫道を抜け、ダークホーンの大毅に先行していた。

 

 石井の営所は寝静まっている。雨音が鋼鉄の獣達の跫を包み、最も脆弱と思われる土塁の前へと停止した。凶悪なハイブリッドバルカンが一箇所に狙いを定める。ダークホーン数機による一斉射撃によって土壁を貫き、一気に営所に雪崩れ込む算段であった。

 銃身を束ねたバレルが回転し、甲高い金属音が雨音と輪唱を奏で始めたその時、射撃の軸線上に白黒のゾイドが突然飛沫を上げて躍り出た。

「やっぱこーたごじゃっぺなこた許せね」

 バンブリアンの風防の奥、子春丸の覚悟を決めた姿がある。バンブリアンは全身に無数のバンブーミサイルを装備していた。

 



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第六拾八話

 村雨ライガーの風防を叩く雨粒が、無数の花を咲かせる。真横には、デッドリーコングが黒い壁となって同じように驟雨に叩かれていた。

遂高(かつたか)はまだか」

〝未だに報せは無く。まさか、敵に討たれたのでは〟

「案ずるな。奴は手練れの俘囚の民、それに精強なソウルタイガーだ。必ずや役目を果たすはず」

 不意に、蹲っていた村雨ライガーが身を起こす。明確で無数の敵意を感じ取ったゾイドの緊迫感がびりびりと伝わる。時を置かず、寝所近くの土塁の向こう側で火の手が上がった。

「来たな。行くぞ員経(かずつね)

 雨垂れを弾きつつ、碧き獅子と黒き猩々が疾駆して行った。

 

「何の真似だ、丈部子春丸(はせつかさべのこはるまる)

 驟雨の下、ダークホーンの群れよりアイスブレーザーが一歩前に踏み出た。

「さっき言った通りだ。小次郎様の館はやらせねえ」

 殺気立つバンブリアンと無数のバンブーミサイルを前にして、良正達も攻撃を躊躇わざるを得なかった。リーオの刃を持つ多弾頭弾を喰らえば、重装甲を誇るダークホーンであっても無傷では済まない。常々メタルZiの鉧を集めている子春丸だからこそ、準備可能の武器であったのだ。

「まさか忘れてはおるまい。石田に住む娘、いちの事を」

 アイスブレーザーの横に、多治良利の操るダークホーンが身を寄せた。

「常陸の郎党が娘の家を睨んでいるのは承知のはず。それでも邪魔立てするのであれば、娘共々無事では済まぬ覚悟であろうな」

 その言葉に、バンブリアンの張り詰めた殺気が僅かに緩む。良正と良利とが目配せをした。無言で良正がアイスブレーザーの頭部装甲を閉じた。

「斉射、目標、バンブリアン」

 ハイパーフォトン粒子砲を皮切りに、ハイブリッドバルカンの豪雨が愛らしいパンダ型ゾイドに注がれた。発射のタイミングを逃し、誘爆するに任せられたバンブーミサイルが、虚しく石井の営所の土塁の外側に紅蓮の花を咲かせる。そしてその炎の花は、内側より攻め手のやって来る方向を図りかねていた小次郎達に、明確に攻撃場所を示したのだった。

 激しい銃撃の後、全身をハイブリッドバルカンに撃ち抜かれ、穴だらけになり、ズタズタに引き裂かれた白黒のゾイドの姿があった。それでもバンブリアンは、幽鬼の如く二本の足で立ち尽くしていた。

「死に損ないが」

 ヘルブレーザーを広げたアイスブレーザーが、屍同然のバンブリアンを切断しようと身を翻す。穴だらけの機体に、黄色い刃が突き刺さろうとした刹那であった。

 黒い猟犬が、唸りを上げて飛来したリーオの斧に弾き飛ばされ横転する。漆黒の闇に、小山の如き黒い猩々が立ち塞がった。背部の棺桶から伸びた可動肢に、アイスブレーザーを薙ぎ倒し戻ったヘルアックスが受け止められる。棺桶の背後から、それを足場にして飛翔する碧い獅子があった。

 

 横たわるバンブリアンの残骸を目にし、残酷な事実を瞬時に小次郎は理解した。

 怒りを込めた血潮が身体中を駆け巡った。それは、桔梗を殺され、妻子を奪われた怒り以上であった。

 小次郎の心中、兵であった桔梗や、武士の妻子たる良子達への苦難は受け入れざるを得ないという覚悟は出来ていた。だが子春丸は違う。無辜で戦いとは縁遠い部曲の民を、己が欲望に任せ陰謀に巻き込み、(あまつさ)え無用となれば襤褸屑の様に殺害する非情さが、小次郎には許せなかったのだ。

 小次郎は叫んだ。

「将門ライガァー!」

 碧き獅子が霰石色の輝きを纏う。咆哮が闇夜を裂き、二振の大刀を構える霰石色の獅子が顕現した。

 

「頃合いだな。他田真樹、退くぞ。ああなった小次郎に、良正叔父では勝てぬ」

〝御意。知音の心ある平維扶(たいらのこれすけ)殿が、陸奥守赴任の為下野国府に逗留しております。共に東山道に入り、陸奥国に逃れる手筈は整っております〟

 後衛で襲撃を見守っていたブラストルタイガーとレッドホーンは、幾分小止みとなって来た驟雨の下、密かに大毅を抜け出して行った。

 

 良正の目の前で、次々とダークホーンの群れが切断されて行く。逆鱗に触れられた小次郎の怒りは、最早誰にも止めようがなかった。

「なぜ斃せない」

 ダークホーンの中、上兵多治良利は信じ難い猛攻で迫る将門ライガーの姿に驚愕していた。命中はしている、命中はしているのだが、将門ライガーの霰石色の装甲は、全ての銃撃を撥ね返しているのだ。

 装備されたハイブリッドバルカンが、ハイパークラッシャーホーンごと無限ブレードによって斬り落とされる。戦う術を失った良利のダークホーンの前に、ヘルズマスクを装着した黒い猩々が聳え立っていた。

 良利が最期に目にした光景は、デッドリーコングが構えた、鈍く光るパイルバンカーの先端であった。次の瞬間、頭部から拉げたダークホーンが、石井営所の土塁の堀に、四肢を投げ出し仰向けに斃れていた。

「良正、許さん」

 目標の中、小次郎は黒い猟犬を捉えた。

 恐れを成し、高機動ブースターを最大限に稼働させ、優速を生かし逃れようとするアイスブレーザーの周囲を、既に七色に分身した将門ライガーが取り囲んでいた。

「小次郎、実の叔父を手にかけようというのか」

「往生際が悪いぞ良正。己の罪深さを呪うが良い。覚悟」

 七色の分身が、一斉に中央のアイスブレーザーに向かい二振の大刀を振り下ろす。

 実体は一つしかないにも関わらず、高速で繰り返す斬撃によって、唯一硬度に優る頭部のアイスメタル装甲を残し、アイスブレーザーの黒い機体は粉微塵に切り刻まれていた。残された頭部から、哀れな敗残の将が這い出してくるのが見える。

「これが、俺の弱さなのか」

 小次郎は命に止めを刺せぬまま、丸裸となった平良正を見逃していた。

 

「あにさま、あにさましっかりして。いちです。いちでございます」

 瞑目した瞼が僅かに開かれる。

「……ああ、いぢか。無事だったんか……」

 肉体の彼方此方が吹き飛んで、最早手の施し様の無くなっていた子春丸は、残骸と化したバンブリアンの操縦席で横たわっていた。

「将門様が心配して遣してくれた坂上遂高様が助けてくれました。私は無事です」

「そうか。えがったなあ……」

 か細いその声が、子春丸の最期の言葉となった。

「あにさま、あにさま!」

 抱かれた記憶のある愛された者の鼓動が事切れている事実を知っても、いちは必死に縋りつき、身体を揺さ振り続けて離れようとはしなかった。

「あにさま、あにさま……」

 若い娘が心底の悲しみを吐露し、泣き叫ぶ姿は悲痛であった。

「いち、すまぬ。許してくれ」

 娘の背後から現れた小次郎が、深々と頭を垂れた。いちは涙を拭い振り向く。

「お館様は悪くありません。悪いのは良兼や良正、それに平貞盛達です。あにさまも、お館様に感謝しておりました。勿体のうございます」

「いや、俺の責任だ」

 小次郎は血塗れの子春丸の亡骸の手を握った。

「戦とは無関係の民を争いに巻き込んだ罪は贖えるものではない。

 だから俺は誓う。この坂東に平和な世界を創ることを」

 小次郎は掌に血糊が着いたまま、その場で立ち上がり叫んでいた。

「これより坂東全域に告げる。

 民を侵す者、平安を乱す者には容赦しない」

 雨は止み、朝日が地平に顔を覗かせている。

「これより平将門が坂東を束ねて見せようぞ」

 暫しの沈黙。そして一斉の雄叫び。

 轟々と上がる歓声の中、小次郎の頬に雨の雫が流れ落ちる。

 村雨ライガーが聳える空に、朝靄に映る壮大な虹の橋がかかっていた。

 

            第六部「無限なる力」了

 



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