ムシウタ:re (上代 裴世)
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第零章 夢喰らう王
第一話


 

 

irregular─。

 

それは異例、異常、不規則という意味を表す言葉。

そう有りはしない事態や事象を指すのに用いられる。

辞書に乗っているありふれた単語の一つ。

 

俺─千堂 裴晴(ハイセイ)の人生、自身を取り巻く状況や環境は"異常(イレギュラー)"の一言に尽きる。

俺はファンタジー系小説的な言葉を用いると所謂、"転生者"と呼ばれる人間だ。神様にはあったこともなく、何か優遇されて生まれ変わった訳ではない。

 

ただ、今の生きている人生より以前の記憶。

前世から引き継がれている知識が子供の頃から詰まっていた。それのお陰で、俺は今、自分が生きている世界について、概ね理解している。

 

俺が生まれ変わって生きている世界は、俺が生きていた前世にて小説として語られていた物語の世界。

 

"ムシウタ"という作品の中。

"虫"という夢を食らう不可思議な存在を身に宿し、超常の力を振るう虫憑きと呼ばれる存在する普通とはかけ離れた異常な世界。

そんな場所に俺は再び生まれ落ちた。生まれてきてしまった。

最初から気付いた訳ではない。

此処が前世で読んだ事のある"ムシウタ"の世界だと気付いたのはごく最近の事だ。12年間生きてきて、漸く分かった。

 

気付いた理由は怪我をして地元の病院に通院した事が発端。自分でも何故気付かなかったのかと愚かしく思う。

俺の暮らしている街は"赤牧市"という地方都市。ムシウタの世界において舞台となった街であった。

 

その街にある赤牧市中央病院に受診しに行った時。

俺は自分が本当に物語と変わらない世界に生まれたのだと実感した。

病院で受診を待っていた際。一人の少女とふとした切っ掛けで顔を合わせた瞬間。俺はムシウタの世界に本当の意味で巻き込まれたのだ。

 

俺が病院で出会った少女の名は─花城 摩理。

ムシウタの世界で重要な鍵となる女の子だ。

"始まりの三匹"と呼ばれる原虫の一体、"アリア・ヴァレイ"の手によって同化型と云う虫憑きになる定めを持つ少女。

彼女と出会ったのは偶々、全くの偶然だった。

 

病院内の広い待合室で自分の順番を待っていた時だ。

彼女の主治医と思われる医者に声を掛けられ、少しの間、彼女の相手役を頼まれたのが切っ掛け。

病院生活が長く、病気のせいもあってか、悲観志向の傾向がある彼女の相手は中々に骨が折れたが、共通的趣味を持っていたためにある程度打ち解けられた。

 

小説原作の彼女は闘病生活の長さから身体を動かせない故に、俺と同じ読書家だった。

物語で語られていた様に愛読書は『魔法の薬』。まだ虫に憑かれてはおらず、彼女を虫憑きにした"先生"と云われる、"始まりの三匹"と呼ばれる一体、"アリア・ヴァレイ"を宿した人間は側にいない。

 

だが、家柄や容姿、病気の症状を見るにまず間違いなく彼女は花城 摩理だ。

モルフォチョウの虫憑きとなり、他の虫憑き達から"ハンター"と呼ばれ、恐怖された最強の存在。

今はまだ、違うが間違いなく、この世界が小説通りの流れで時が経っていけば、そうなるだろう。

 

その流れを断ち切る力は俺にはない。

例え、物語の行く末を知識として知っていようと、俺に何も出来ない。

傍らで、側で、見守る事くらいしかない。

 

──だから。

今日も俺は彼女の病室に本を片手に赴いた。

 

 

「こんにちは。摩理。御加減はどうだい?」

 

「こんにちは。裴晴。今日はいつもより良いわ」

 

 

虫憑きの運命を定められた少女と少女の未来と世界の行く末を知る少年は。

小さな白い病室で穏やかな日常を過ごしていく。

 

 

 

[0]

 

 

夢──。

それは人の希望や願望または欲望の形。

生きる目的そのものになるモノ。

その夢が自らの器から抑えきれず、大きくなった時。

何処からともなく現れ、夢を食らい、その夢の持ち主から様々なモノを奪っていく代わりに、超常の力をその所有者に与える昆虫に似た超常的存在「虫」

 

その虫に憑かれた人間は『虫憑き』と呼ばれ、その存在は公的には存在していないとされているが、その単語を知らない人間はいない。

噂の範疇を超えるものではないが、近年増加する目撃証言や異常現象によって、虫憑きは恐怖の対象と見なされていた。

 

摩理と出会い、もう一年。

13歳となり、中学に上がった裴晴はクラスメイト達が話す噂の殆どが真実である事を知りつつ、第三者の目線から、そろそろ摩理に運命の時が近寄ってきているのを実感しながら、彼女の居る病室を訪問して、いつも通りに話し相手となっていた。

 

「ねぇ。裴晴は信じてるの? その噂」

 

「虫憑きのかい? 眉唾物にしては目撃証言が多すぎるのが気になるけど……やっぱり信憑性は薄いかな」

 

この日は少し体調が優れないらしく、掛け布団を掛けられ、ベッドに身体を横たえながら話していた。

内容は、最近、都市伝説的に騒がれ始めている夢を食らう"虫"とそれに取り付かれ、超常の力を振るうと云われる虫憑きの話題であった。病院内でもナース辺りがそういう噂を話しているらしく、摩理も興味をそそられたらしい。

 

「まぁ、ありきたりな都市伝説の類いだよ。寓話や童話のようなものさ。君の好きな"魔法の薬"の本みたいなもんだよ」

 

「バカにしてる? あれ、私の大好きな本なんだけど」

 

ぷくっと頬を脹らませて、非難する視線を向けてくる摩理。裴晴は苦笑を浮かべて弁解する。

 

「別に摩理の本の趣味にケチはつけちゃいないよ。噂の内容は空想を語られている本みたいに余りにも荒唐無稽だって話だよ。現実に"魔法の薬"で出てくるような"天使の薬"も"悪魔の薬"もないだろ?」

 

本の中の世界は所詮空想の産物。

実際にこの世にあるわけではない。人間の想像力が産み出した、"夢"のようなものだ。

 

「あったら良いな、とは思うけどね」

 

「"天使の薬"が? それとも"悪魔の薬"?」

 

「何かを代償にしないと願いが叶わない薬なんて、俺はいらない」

 

多大な代価を払ってまで求めたくない。

人間とは、もっと欲深い生き物だ。代価等払わずに踏み倒し、欲するモノを得ようとする。

裴晴もその例に漏れない。人間らしい欲深い望みを裴晴は摩理に答える。

 

「何の代償もなく、全ての願いが叶う"神様の薬"が欲しいね。 天使の薬や悪魔の薬は少し現実の厳しさ感があって、夢がないよ」

 

「貴方が夢見勝ちなだけよ」

 

「ほぅ……俺が夢見勝ちなら君はどうなんだ? なぁ、"パトリシア"?」

 

意地悪い笑みを浮かべて裴晴が摩理に問いかける。

パトリシアと呼ばれた摩理は眉を潜めて、フンと機嫌を悪くしたようにそっぽを向いた。

 

「一年前の話を蒸し返さないで。恥ずかしい」

 

「俺にそう名乗ったのは君だろ? 」

 

「……相変わらず意地が悪いわね」

 

皮肉を返す摩理に肩を竦め、裴晴は此処等で今日は退散しようと思い、不貞腐れる彼女に言う。

 

「そろそろ、おいとまするよ。今日はあんまり体調が優れないみたいだし」

 

「そんな事はないわよ。何時もよりは調子は良いの」

 

「嘘つくなよ。一年も顔を合わせてたら、顔色だけで概ねの察しはつくよ」

 

色白の肌が更に白く見える。

一年の付き合いで摩理の体調の良し悪しを裴晴は手にとる様に見て解るようになっていた。

 

「少し眠れ。また明日来るから」

 

「……分かったわ。じゃあ、次いでに本棚にある"あの本"を取ってくれる?」

 

「好きだね。君も」

 

少し呆れ交じりに裴晴は座っていたパイプ椅子から立ち上がった。広い簡素な病室の中で一ヶ所、部屋の中で唯一生活感を感じさせる沢山の本が納められた本棚へと近寄り、棚から一冊の本─"まほうの薬"を手に取って、摩理の枕の近くへと置いてやる。

 

「じゃあな。摩理。また明日来るよ」

 

「ええ。また明日」

 

別れの挨拶を交わし合い、裴晴は静かに病室から出ていく。今日も彼女が生きていてくれている事に細やかながら安堵する。

扉の近くの壁に背を凭れ、ふぅと一息吐くと、裴晴は鋭い目付きで視線を横に向けて、言葉を放つ。

 

「趣味が悪いぞ。聞き耳を立てるのは。入ってくれば、良かったじゃないか"先生"」

 

見詰めた先に居るのは白衣を着た青年。

責める様な口調の裴晴に苦笑いを浮かべながら青年は反論する。

 

「二人きりの時間にお邪魔するのはどうもね」

 

「お心遣いは痛み要りますが、不要です」

 

青年の言い訳を裴晴は一蹴した。

目の前に現れたこの男に、そんな心遣いをされても余計な世話だと思った。

気を使うならば、もっと別の事に使うべきだと。

 

「今日は余り体調が良くないみたいだ。医者の卵なら、患者の容体に気を配ったらどうですか?」

 

「耳が痛いね」

 

ははは、と乾いた笑みを溢しながら言う青年に裴晴は眉を潜め、非難する視線を浴びせる。

だが、それも僅かな間。裴晴は青年と話す事はこれ以上の益はないと思い、彼の脇を通って病院の廊下を移動する。

自分の横を通りすぎていく裴晴の背に、青年は声を掛けた。

 

「僕は何か嫌われる様な事をしたかな?」

 

青年からの唐突な問い掛け。

裴晴はそれを聞いて、ピタリと足を止め、振り返らずに返事をする。

 

「何故、そんな事を聞くんですか?」

 

「ちょっとした疑問だよ。最初はガールフレンドに近付く男に対する牽制みたいなものだと思っていたけど、態度を見るたびに違和感があってね。君のそれは嫉妬心とかそういう感情じゃない」

 

子供特有の独占欲とか、そういうチープな感情ではない。まるで、親鳥がまだ小さい雛鳥を守っているかのように、外敵を排除しようとする敵愾心の様なものを青年は裴晴から感じとっていた。

 

「君は何で僕を敵視しているのかな?」

 

「……」

 

青年の疑問に裴晴は口を開かずにただ見つめ返す。

裴晴が青年に対してそういう態度をするのは無論、理由がある。

しかし、それは摩理に、青年に、語れる事ではない。

 

未来を知るが故に。

青年……始まりの三匹─アリア・ヴァレイ。

原虫と呼ばれる虫憑きを産み出す忌まわしき存在を宿す彼に話せるものではない。

 

「別に敵視なんてしてませんよ。俺は摩理に関わる医者とかナースとかそういった人達にはいつも通りの態度です」

 

「何故だい?」

 

「気休めしか言わないで、摩理(カノジョ)に本当の事を何も話さないからですよ」

 

これは事実。

青年は特別敵視しているが、それと同じくらい裴晴はこの病院の医者を信用していなかった。

彼ら、誰もが、病院の後援者の親族である摩理の機嫌を損ねないように接していて、真に彼女を心配している人間は誰もいない。

 

「一年間、顔を付き合わせているから、解る。彼女の病状、余り良くないんですよね?」

 

裴晴の指摘に青年の表情が曇る。

その反応だけで裴晴は自分の目は確かだった事を認識した。

確実に摩理の命は蝕まれている。緩やかに静かに"死"へと近づいていっている。

 

「後どれだけ、俺は彼女に会えますか。"先生"?」

 

「……」

 

裴晴の問いに今度は青年が口をつぐむ。

答えが返ってくるとは裴晴も期待はしていない。

医者の卵とはいえ、医者には守秘義務がある。更に家族でもない赤の他人に患者の病状を教える義理はない。

 

「下らない質問する暇があるなら、俺がまた明日、彼女と会えるように頑張って下さいよ」

 

何も答えない青年に厳しい言葉を浴びせかけ。

裴晴は歩みを再開し、病院の廊下を進みだした。

 

(恐らく……もう、奴は摩理の"夢"を喰いやがったな)

 

階段を下り、病院の正面玄関に向かいながら推測する。

彼女から生まれる筈の銀色のモルフォチョウは見ていないので、確証はないが、青年が現れだした時期を考えるに、もう摩理は虫憑きになっているのではないかと裴晴は考えていた。

 

(もう……始まるか)

 

摩理と出会った時から定められていた。

来るべき時が来たのだ。来てほしくはないと望んでいたその時が。

厳密にはもう既に物語の序章は此処とは違う場所でひっそりと幕を上げているが、裴晴の関わる物語は今、幕を開けた。

 

止まらないし、止められない。

"力"のない無力な自分には何も出来ることはない。

あるとすれば、摩理の終わりの時まで側に居る事くらいだ。

それは誰にも命ぜられた訳ではない。

花城 摩理という少女と関わった千堂 裴晴が己自身に架けた責務であった。

 

 

始まるのは存在しえない規格外(イレギュラー)が駆ける"虫"という超常存在が蔓延る世界。

 

生きたい、と願った少女とその側で救いを願い続ける少年の。

 

最悪で、最低な、ボーイミーツガールストーリーである。

 

 

 



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第二話

 

 

 

雲間から差し込んだ月明かりが、暗闇を切り裂く。

真夜中の人通りが少ない路地裏で爆音が響き渡り、土煙が通路を覆う。

爆発音が止み、土煙が晴れるとそこには帽子とマフラーで顔を隠した小柄な人影が、地面に倒れる十代前半位の少年を見下ろしていた。

 

「コイツも違う……」

 

悔しそうに呟き唇を噛みしめる。

爆発の余韻に混じり、サイレンの音が遠くから聞こえてきた。連日発生する爆発事故に慣れ、対応が早まってきている。

人影の身体から銀色の触手が分離し、白衣に松葉杖という姿に変わった。

触手は収束し、銀色の蝶の形態を取ると人影の肩に止まる。

 

「はぁ…はぁ…」

 

人影が息を上げ、杖でふらついた身体を支えようとする。

だが、身体全体にのしかかる脱力感のせいで上手く支える事ができず、バランスを崩しゆっくりと地面に向かっていこうとしたその時……

 

「……病人は静かにしてるものだろ?」

 

何者かが人影の身体を優しく支えた。

路地裏に注がれた月明かりがその人物の姿を淡く照らす。

 

「……裴晴…?」

「人の忠告を素直に聞くものだと思う、けど!」

 

人影…花城摩理の身体をお姫様だっこに抱き抱えると、裴晴は静かにその場から跳躍し、建物の壁面を足場に駆け上がると夜の雑居ビル群を屋上伝いに移動する。

 

「…離して…」

「煩い。大人しくしてろ」

 

移動間、恥ずかしげに腕の中で愚図る摩理へ、彼らしからぬ苛立ちを含んだ一言を言い捨てながら、赤牧市中央集合病院に到着した。一息に壁を乗り越え、敷地内に侵入すると摩理の病室へ向かう。電気も点けず室内に入ると、裴晴は腕に抱えた摩理の身体をベッドに横たえ、勝手知ったる動作で枕元の棚に置かれたガラス瓶に手を伸ばした。

瓶の中にあった錠剤を三粒ほど取り出すと、横たわる摩理の身体を起こして彼女の口に含ませる。

側にある水差しを手に取り、咽ない様に摩理の口の中へ流し込み、しっかりと薬を嚥下させた。

 

「落ち着いたか?」

「…はぁ…」

 

呼吸を安定し、動悸が和らぐ。

少しずつ摩理の身体に活力が戻ってきた。

自分の力で身を起こすと、摩理は裴晴を親の敵の様な目つきで睨みつけながら言う。

 

「着替えるから出ていって」

「わかってるよ」

 

裴晴は摩理の敵意の眼差しと口調を肩を竦めて受け流すと、言われたとおり、一度病室から退散していった。裴晴が病室から出ていくと、帽子とマフラー、そして身を包む衣装を乱暴に脱ぎ捨てクローゼットへと仕舞う。代わりにベッドに投げ出していった……今は何故か綺麗に畳まれている入院服に袖を通す。

入院服を身に纏うと、廊下に出て病室の扉前で立っている裴晴に声を掛けることなく、摩理はベッドに潜り込み、布団を頭から被った。

呼べば病室に入ってきて、彼が自分に説教してくるのがわかっているからだ。

 

「こら。狸寝入りするな」

 

裴晴は摩理が着替え終わり、ベッドに入り込んだ僅かな音を感じ、病室へ再び戻った。

足早にベッドの横に立つと、布団の上から摩理へ声を掛け、説教が始めようとしたが、

 

「摩理」

 

一瞬躊躇する素振りを見せながら、真剣な口調で名を呼び、布団から僅ずかに覗く彼女の頭に触れた。

ぴくりと身体を身じろがせたが、摩理は返事をすることなく、彼の次の言葉を耳を傾ける。

 

「もう狩りはやめろ。君の身体がもたない」

「…嫌よ…不死の虫憑きを見つけるまで止めるつもりはないわ」

「その前に君の身体の時間が尽きる。頼むからこれ以上、無茶するのはーー」

「時間がないのよ!」

 

ベッドの中で摩理が大声で怒鳴る。

真夜中の病室で騒ぐのは不味く、既に面会時間と消灯時間が過ぎているのに、病室に病人以外の人間がいるのは問題だ。バレればただでは済まないはずだが、裴晴は冷静な態度で摩理の言葉を聞き続ける。

 

「身体にちっとも力が入らなくなっているの!一昨日よりも昨日、昨日よりも今日の方が……!きっと明日はもっと!どうなってるのよ、私の身体は!どうしてこんなーー」

 

シーツを掴み、内心の恐怖と不安を吐き出して行く。

苛立ちからくる震えではなく、純粋な"死"への恐怖をそこに感じた。

裴晴は布団の中に手を忍ばせ、震える摩理の手を握る。

 

「君だけじゃない。今この時、この瞬間、ここではないどこかで他の誰かも同じ事を思っている。重要なのは恐怖に打ち克ち抗うか、負けて死ぬかだ」

「だから私は抗ってるのよ。不死の虫憑きを探して、その不死性の秘密を明らかにすれば、きっとーー」

「いいや、君は抗ってない。負けている。じゃなければ、こんな自殺行為に等しい事を連日連夜行いはしない」

 

賢い彼女が無茶無謀な狩りを強行する理由は別にある。

 

「君が心変わりしないなら力尽くで止める事になる」

「出来るの?貴方に…?」

「例え虫と同化しても病んだ女の子相手に負けるつもりはない」

 

確かに摩理は他の虫憑きと類すれば、最強と言ってもいいだろう。だが、虫憑きとなった今の裴晴の前ではその最強の看板も薄らぐ。

現時点、全ての虫憑き中、真に最強で"最凶'と呼ばれるに相応しい虫憑きは裴晴なのだから。

 

「…なんで…なんで…そこまで邪魔をするのよ…?」

「俺のエゴだ」

「なによ…それ」

 

摩理の疑問に裴晴は答えない。

自分の想いをここで吐露するのは簡単だが、それを今、口にすれば彼女をきっと苦しませる。

だから、言わない。

 

「帰って……」

「君が眠ったら帰るよ」

「今日はもう外に出ないわ」

「前にも同じ事言って抜け出したろ?君への信用は俺の中で現在進行形でガタ落ちだ。文句を言わずに寝ろ」

 

そう言って裴晴はベッドの側に備え付けられた丸椅子に腰掛けて摩理が眠りに落ちるのを待つ。

大変不満そうな雰囲気をひしひしと飛ばしながらも、数分くらい経って、穏やかな寝息が布団から聞こえてきた。狸寝入りではなく、完全に就寝したのを確認すると、裴晴は病室を後にした。

廊下に出て、誰にもバレない様に病院から抜け出そうと足を踏み出そうとしたがーー

 

「盗み見は止めろと以前、忠告しなかったか?」

 

振り返らずに裴晴は先程までそこには居なかった人物へと尋ねた。身体から放たれる殺気をその人物へと指向する。

 

「死ぬか?"先生"」

「勘弁してほしいね。直接でも関接的でも君を敵には回したくないよ」

 

裴晴の背後に続く廊下の中央にボォっと人影が浮かび上がり、返事が来た。

 

「摩理の調子はどうだい?」

「俺に聞かなくても知っているだろ?最悪だ。期限までに間に合うか怪しい」

「どれくらい"喰らったんだい"?」

「今日の成果を含めれば、20匹ほどか。計画を実行に移すには質も量も足りない」

「まだ……力を蓄えるのかい?」

「当たり前だろ?俺の能力は知っている筈だ。弱り果てた摩理の身体を健常なものに復元するにはまだ足りない」

 

裴晴の望みを叶えるには不足。

返ってきた疑問に対する返答に現れた人影…'先生"と呼ばれた男は顔を歪めた。

 

「摩理もそうだが、君も止めるんだ。そんな事をしても誰も救われない」

「いや、一人は確実に救われる。数多の犠牲を産もうとも俺は止まらない。例え地獄に落ちようとこの望みと"夢"は死んでも譲らない」

 

確固たる決意を持った口調でそう言うと、裴晴は歩みを再開させた。

 

「邪魔をするなら"先生"。貴方であろうと容赦はしない。夢を喰う以外に能がない奴は引っ込んでいろ」

 

摩理を救うのは自分。

人間を敵に回そうと。

同族を敵に回そうと。

世界総てを敵に回そうと。

裴晴は己の願いを叶える為に歩みを止めない。

邪魔するものは排除するのみだ。

 

次の日。

摩理起きた時には彼は居なくなっていた。

時計を見ると時間は昼を既に回っている。

どうやら、泣き疲れて寝過ごしてしまったらしい。

ドアを軽くノックする音で目を覚ますと、摩理は毛布をどけて上半身を起こす。

時間帯的に主治医の問診か、裴晴が見舞いに来る頃なので、ノックは彼か主治医のものだと思い、身なりを整えた。

 

主治医ならともかく、昨日の夜の事もあって顔を合わせづらいが、狸寝入りすれば悪戯されるのが目に見えている。自分の頬に涙の跡がないことを確認して待ち構えるが、一向に病室に入ってくる様子がない。

 

「……?」

 

暫く待っているとまたノックが聞こえてきた。

摩理は眉を潜める。いつもならすぐに手土産持参で病室に入ってくるはず。

何度もノックするなど彼らしからない。

摩理が入室を許可しなくても彼は入ってくる。

彼女自身の病状が病状なだけに倒れている可能性も否定できないからだ。

だから、返事がない場合、恐る恐るだが、裴晴は病室へ許可なく足を踏み入れる事が偶にある。

それを鑑みると二度もノックするなんてあり得なかった。

すると、ドアの外から、ぶつぶつと誰かが呟く声が聞こえた。

 

「寝てるのかしら…そうなるとわざわざ起こしちゃ悪いわね。何事も第一印象が大事っていうし……ってそんな、お見合いじゃないんだから……」

 

ますます摩理は眉根を寄せる。

声色からして裴晴には似ても似つかない少女のもの。

 

「まさか、具合が悪くなって倒れてるとか……?いやいや、まさか…でも、でも、もしそうなら、こうしてる場合じゃないわ!」

 

慌てた声が聞こえたかと思うと、バンっ!と勢いよく病室の扉が開いた。

 

「……」

 

摩理は唖然としてその珍客を見詰めた。

 

「……」

 

ドアの取っ手を掴んだまま、珍客の方も摩理の顔を凝視していた。

見つめ合った状態で両者に沈黙が落ちる。

…だれ?と摩理の頭の中は疑問符でいっぱいになる。

だが、直後、それらは一瞬にして吹き飛んだ。

 

「…こんにちは!」

 

自らの奇行を誤魔化そうとしたのか、少女が満面の笑みと共に言った。

摩理は一言も声を発さずにただ一点の曇りない笑顔に見入ってしまった。

それが摩理とその少女…一之黒亜梨子との出会いだった。

 

 

 

@@@

 

 

 

いつも通り見舞いに来ると病室から賑やかな声が聞こえてきた。

摩理の声ではない同年代の少女の声。

聞き覚えのない声であるのは確かだ。

自分以外に摩理の病室に訪問者とは珍しい。

彼女の両親でさえ、見舞いに来るなど天変地異が起こる位の珍事に等しいというのに。

一体、自分の他に誰が摩理の見舞いに来たのか興味をそそられつつ、裴晴は普段通りの調子で病室に足を踏み入れた。

 

「こんにちは、摩理。今日はいつもより賑やかだけど誰か来たのかい?」

「っーー」

 

朗らかに笑みながら病室に入ってきた裴晴を、ベッドで身を起こしていた摩理が反射的に見つめ返した。

ベッドの側に備えられた椅子に座る見知らぬ制服の少女も裴晴の方に振返り見てきた。

 

「初めて見る顔だね。摩理の知り合いかな?」

「…学校のクラスメイト…らしいわ」

「あぁ…一応籍は置いてる中学校のか?まだ一度も通った事ないのに良くクラスメイトが君の事を知ってたな」

 

摩理からの返答に裴晴は相槌を打ち、納得しながら椅子に座る少女へ視線を移した。

 

「初めまして。摩理の友人の千堂 裴晴だ」

「は、初めまして。花城さんのクラスメイトの一之黒 亜梨子です」

 

お互いに自己紹介を交わすと、裴晴は土産として持ってきた数冊の本を入れた紙袋ごとベッド側の机に置いた。

 

「はい。今月出た新刊分。本棚を増やさないともう納まり切らないんじゃないか?」

「…ありがとう」

 

摩理は裴晴の土産を一瞥すると、顔に戸惑いの色を顕にしながら視線で裴晴に「助けて」と訴えてくる。

病院の敷地内から出たことが殆どなく、極小というより親しい交友関係が裴晴以外に居ない摩理にとってクラスメイトの少女は己の箱庭に紛れ込んだ闖入者に感じるのだろう。

 

「一之黒さんは摩理に何の要件でここに?」

 

学校に登校した事もないクラスメイトの元に態々赴くというのは余程の理由があると思い聞いた。

すると、亜梨子は摩理にも同じ説明を再び身振りを混じえて一方的に話し始めた。

裴晴が来るまでそうだったのだろう、亜梨子の奇妙なマシンガントークに裴晴と摩理は終始圧倒され、看護師に面会時間終了を告げられるまで続いた。

 

「また明日も、来てもいい?」

 

椅子から立ち上がると、亜梨子が無邪気に尋ねてきた。

 

「えっ……」

 

摩理が戸惑い、口籠る。生まれて初めての問いになんと答えて良いのか分からないようだ。

珍しい彼女の反応に裴晴は窓際で可笑しそうに口元に笑みを浮かべながら成り行きを見守る。

 

「負担に…なるといけないし、別に来なくても……」

 

小さな声で無意識に答える。

どういう想いを抱いてそう返答したのかは、裴晴には予想するしかないが、卑屈な思考をしているに違いない。

亜梨子が不思議そうな顔をした。

 

「なんで?私は問題ないわよ。それじゃあ、また明日ね」

 

と、言い残し、亜梨子が去っていた。

その後ろ姿を摩理と裴晴は見送った。

 

「さて…俺も帰るかな」

 

裴晴も病室から立ち去ろうと動き出し、扉へ向かっていった。

 

「待って」

 

摩理に呼び止められ振り返る。

 

「どうした?」

「もう少し居て」

「別に俺は構わないけど…面会時間がーー」

 

裴晴は一向に問題はなかったが、もう面会の時間は過ぎていて、これ以上留まると主治医や看護師から咎めを受ける。

流石にだめだと断ろうとしたら主治医が亜梨子と入れ替わる様に病室へ問診に来た。

 

「構わないよ。裏の救急外来の入口は空いているからね。私が一報しておこう」

 

やり取りが聞こえていたのか簡単に許可が降りた。

少しの面会延長くらいは出資者の娘の我儘としては軽いもので、融通の効く範囲だからだろう。

主治医の許可が降りた為、裴晴はもう少しだけ摩理の相手をすることにした。

問診が終わり、主治医や看護師が退出すると、パイプ椅子に腰掛け、摩理へ尋ねる。

 

「どうしたんだ、急に。らしくない」

「別に構わないでしょう?今日はあの子の話を聞き続けていたから挨拶以外で貴方と話していないし」

 

それだけの理由で呼び止められたとは考えづらい。

 

「そんな理由で君が引き止めはしない。大方、一之黒さんの事だろ?」

 

そう指摘すると摩理の肩がぴくりと跳ねた。

 

「良かったじゃないか。俺以外の見舞い客が来て。これから退屈しなくて済むじゃないか」

 

裴晴は優しく微笑んで言った。

摩理は頬が熱くなるのを感じると、誤魔化す様にベッドに横になり、裴晴から顔を背けた。

 

「よくなんて…ないわ…」

「何故?」

「私にはただ元気な自分を見せつけに来たようにしか見えなかった……!あの子がここに来たのだって、同情以外の何物でもないじゃない!」

 

顔を歪めて荒々しく言い放つ。

今まで深刻に身体を壊した事が無さそうな健康優良児の亜梨子の姿は病弱で死と隣り合わせに生きてきた摩理には酷く眩しかった事だろう。

私もあの子みたいに、と思っても不思議でない。

 

「なら俺はどうなる?別に元気な姿を君に見せつける為にこうして足を運んでる訳じゃないんだが?」

 

同情して来ている訳ではない。

 

「もし、元気な姿をした人間が来るのが辛いならもう見舞いに来ない様にするけど?」

 

何気なくちょっとした意地悪で裴晴がそういうと、横になっていた摩理の身体がベッドから跳ね起きる。

 

「駄目っ!!」 

 

最近見たことがないほど必死な顔をして、身体を起こすとパイプ椅子に座る裴晴へ手を伸ばしてきた。

予想外の反応に裴晴は固まる。こんな冗談の延長でしかない軽口に取り乱すなんて今までの彼女を知る人間としては想像だにしなかった。

縋り付く様に服を握りしめ、自分の胸に顔を伏せる摩理を裴晴は戸惑いつつ、背中に手を回して優しく抱きしめる。

 

「ごめん…。悪ふざけが過ぎた」

「………」

「本当にごめん」

 

謝ると、襟首辺りを掴む摩理の手がきゅっと更に引き絞られた。

その後、一言も話をすることもなく。

互いの存在がここに在ることを再確認するように、看護師が呼びに来るまで抱擁は続いた。

二人共に頬を紅くし、顔を合わせづらそうに別れたのは言うまでもない。

 

 

 



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第三話

 

 

 

時計の針が午前一時を差した頃。

裴晴は同化させ黒化した制服姿にドクロの仮面を付け、月明かりの無い街中、雑居ビル群の屋上を足場に縦横無尽に駆け抜けていた。

目的は摩理とは違う意味での"狩り"。

 

彼の"虫"の能力の一つである《蟲喰い》に欠かせない行為。

 

裴晴の"虫"であるタツノオオムカデは、同族である"虫"を糧とし、際限なく力を増大させていく特性を持つ。

走力、腕力、膂力、肉体硬度を飛躍的に高めると共に内外傷に対する肉体の自己修復するなどと個体として最大級の身体能力強化がなされる。

また同化すると腰辺りからムカデの尻尾に酷似した触手を複数展開することができ、それを己が手足の様に自在に操り、多対一の状況でも無類の強さを誇る。

 

更にもう一つ。

現状、"始まりの三匹"…裴晴を虫憑きとした個体、アリア・ヴァレイと彼自身しか知らない能力がある。

その能力を行使する為にも、《蟲喰い》はとても重要な要素となるのだ。

 

「……や、やめて…くれ」

 

だから、裴晴は虫憑きを狩る。

どれだけ喚き泣き叫ぼうと慈悲の心はない。

目に映るのは彼にとって等しく餌だ。

 

「……これで27匹目…」

 

裴晴の腰より伸びる四本の鋭利な触手が、尻餅を付いて後退り逃げようとする少年の傍らにいる"虫"を容赦無用に蹂躙する。

原形を保てなくなるほど滅多刺しにされた少年の"虫"は断末魔を上げる暇もなく、光となって消失した。

"虫"を殺された事で少年の瞳から光が失われていく。

 

ーー欠落者

 

"虫"を殺された者の成れの果て。

自我を失い、他者からの命令なしには動かない人形の様になり、廃人と化す。

その姿を裴晴は一瞥すると、プリペイド携帯を取り出して119番にコールを掛けた。

 

「急患です。○○丁目の路地裏に救急車を一台お願いします」

 

通報を完了すると、裴晴はビル壁を足場に跳ね昇り、

廃ビルの屋上に上がると、光が灯る街並みを見渡した。

 

「さて…次の獲物はどこに居るかな?」

 

一度肉体と同化させていたタツノオオムカデとの同化を解いた。

裴晴のタツノオオムカデは他の"虫"の接近を知らせるセンサーの様な能力も備わっている。

それを使い、効率迅速に彼は狩りを推し進めていた。

一度同化を解かなければならないのが、欠点ではあるが、他者の"虫"を察知出来るだけでもかなりの有利性があるので文句はいえない。

少しばかり待っていると肩に乗ったタツノオオムカデがアゴをガチガチと打ち鳴らし出した。

どうやら次の獲物が掛かったようだ。

タツノオオムカデが、裴晴と同化する。

禍々しい"黒"が身体中を覆い、裴晴の身体に模様が刻まれ浮かび上がる。

 

「今夜は少し多いな」

 

普段では有り得ないペースで狩りが進んでいる。

別にそれは裴晴の目的としては喜ばしい事であるが、何か腑に落ちないものがあった。

 

(何者かの意思が働いているのか?)

 

年月を経るに連れて前世の記憶や知識が薄れてきているせいか、思いがけない事態に直面する事が最近多くなった。

摩理を生存させるという行為はこの世界の進み方としてあってはならない事態だ。

本来なら、世界の修正力とも云える力が働いてもおかしくはない事態であるにも関わらず、そんな兆候も見られない。

原作通りに世界が進んでいるのはある意味で喜ばしい事ではあるが、知識が少しずつ薄れていくと裴晴の最大のアドバンテージが無くなる。

 

(ま、虫憑きになったからプラマイゼロといったところだけど)

 

知識を失う代わりに、力を手に入れたと考えれば悪くない対価交換だ。

なにせ、裴晴の"虫"はアリア・ヴァレイの産み出した同化型虫憑きの中で相性的なものを抜かせば、紛れなく最強だ。

うまく立ち回れば、摩理に憑くモルフォチョウにも引けは取らないだろう。

無いものねだりはせず、現にあるもので打破していくしかない。

思考を巡らせているうちに現場に到着すると、そこでは既に戦闘が勃発していた。

分離型と呼ばれる虫憑きの宿す巨大化した"虫"が三体とその主と覚しき三人の少年、そして身に覚えのある銀の光。

 

「また…抜け出したのか…」

 

怒りを通り越し、呆れとなる。

今日も亜梨子という暴風のような少女のマシンガントークで気力体力が削がれて疲れ眠っていると思っていたが、存外適応能力が高かったらしく、元気に狩りに来ていたらしい。

 

ともあれ…このままでは折角の糧が摩理によって台無しにされてしまう。

既に一匹は摩理の銀槍の一閃で殺されてしまった。

残り二匹を殺らせる訳にいかないので裴晴は入り乱れる戦場にムリヤリ、姿を表した。

裏路地に吹きさす銀粉を散らし、"漆黒"が二者の間に降り立った。

着地でコンクリートの地面が割れ、小さな粉塵が周囲に舞う。

 

「なっ…」

「コイツは…?!」

 

粉塵が晴れ、裴晴の姿を確認すると生き残っていた少年二人が瞠目し、恐怖と驚愕が入り交じる声が漏れた。銀槍を振り回していた摩理も裴晴の出現にピタリと手を止め、身体を硬直させる。

 

「…"黒い死神"……都市伝説じゃなかったのかよ!?」

「ちっ!」

 

二人の少年は巨大化した虫を引っ込めると背中を見せて全速力で裏路地の反対方向へ逃げ出した。その後ろ姿を見据えながら、裴晴は背後にいる摩理へ告げる。

 

「アレらは貰う。構わないな?」

「……好きにして」

 

了承を得ると、裴晴は逃げる二人を追走していった。

同化によって強化した脚力は一息に二人を捉える。

腰辺りから伸ばした鋭利な触手が二人の身体に巻き付き、動きを拘束した。

 

「くっ…そ…はな、せ」

「……なん、で…貴様が…"ハンター"をかばう…?」

 

二人の少年は抜け出そうと抗うが、触手の拘束から抜け出すには、並みの子供の筋力では不可能。

意識はあるので、己の"虫"を使って触手を断ち切ろうと試みるが…

 

『キシャアアアア!?』

 

巨大な虫二匹は残った触手二本に串刺しにされた。

完全に殺すには至らず、地面に針で縫い付けられた様に固定され動けずに身体をジタバタさせる。

 

「エルビオレーネの虫憑きの中ではハズレだな。お前らは……弱すぎる。俺の糧となれ」

 

大人しく喰われろ。

本体を刺した触手が紅く発光し、まるで体液を吸い上げる様に"虫"の身体に蓄えられているエネルギーを吸収する。

 

「い…いや…だ…忘れたく…ない」

「や、やめて……殺さないで…助けて…」

 

虫は悲鳴じみた叫びを轟かせる横で宿主である二人の少年がこれから身に起こる欠落の恐怖に声を振るわせる。

裴晴は懇願に耳を傾けず、無情に虫達を吸い殺した。次の瞬間、二人の少年達は力が抜け落ち、身体を弛緩させ、瞳に感情の色が何も映らなくなった。

欠落者となった二人の少年を裴晴は触手の拘束から解いて、地面に横たえさせた。

再び携帯を取り出し、119番に通報すると踵を返す。

 

「律儀ね。貴方」

「まだ居たのか」

 

振り返った先には帽子にマフラーで顔を隠し白衣とハーフパンツ纏う姿…狩りをするときの服装をした摩理が銀色のモルフォチョウを従え、道を塞いでいた。

 

「さっさとこの場から離れた方がいい。最近、原因不明の爆発事故で警察、消防の対応が早くなっている」

「"アレ"が貴方の虫の能力かしら?」

 

裴晴の忠告を無視して摩理が尋ねた。

そういえば、虫憑きになってから一度も摩理とそういう関連の事に触れていなかったと思い出す。

 

「それがどうした?」

「"虫"を喰らう"虫"。ふふふ、総ての虫憑きにとってまさに貴方は天敵ね」

 

摩理が松葉杖を携えながら白衣の裾と首に巻いたマフラーを翻して近づいてくる。

 

「いつか、私の"虫"も食べる?」

「戯言には付き合いきれない。ほら、帰るぞ」

 

裴晴は摩理の脇を通り過ぎて来た道を戻ろうとした。

しかし次の瞬間、摩理が松葉杖をモルフォチョウに同化させ、銀槍に変化させ、

 

 

ーー銀光一閃

 

 

摩理の銀槍が裴晴の背後を捉える。

裴晴は弾かれる様に身を返し、制服越しで見えないが硬化した腕と膂力でぎりぎり防御して受け止めた。

 

「どういうつもりだ?」

「最近、邪魔されてるから大人しくしてもらおうと思って」

 

槍を弾き返し後退するが、摩理は銀槍の刺突を高速で繰り出しくる。

大人しくさせるどころか、完全に殺りに来ているとしか思えない攻勢だ。

 

「髄分と過激だな。気が立っているのか?君らしくもない」

「煩い」

 

槍を一閃。

穂先が銀粉が吹き荒れ、裴晴を飲み込もうと迫る。

 

「取り付くしまもなしか」

 

 

銀粉に視界を制限されながら槍の連撃を硬化した手で捌くと、キンキン甲高い音が鳴り、火花が散る。

同様に身体能力を向上させていても、摩理には戦闘技術という面がまだつたない。

実践を経て精錬されてはいるが、裴晴には遠く及びはしない。

彼の動体視力は銀粉で制限された視界内でも、突きによって生じる僅かな風の流れを的確に読み取る。

 

「くっーー」

 

槍の穂先をかち上げ、一気に距離を詰めた。

再びジリジリと鍔迫りあいになるが、膂力で勝る裴晴が銀槍をいとも容易く弾き返す。

摩理はふわりと後方に跳んで距離を開けると、銀槍の穂先を裴晴に向けてきた。

 

「本気みたいだな」

「えぇ。だから貴方も本気で来たらどう?」

「あいにくと友人を痛めつける趣味はないよ」

 

えらく好戦的になっているらしい。

裴晴はヤレヤレといった調子で肩を竦めた。

精神干渉系の能力に掛かった様子には見えず、文字通り八つ当たりをしにきている感じであった。

そもそも精神耐性が高い摩理に精神干渉系は聞きづらい。裴晴も同様だ。

 

「君のガス抜きの相手をするのはやぶさかではないけど、こんな形はゴメンだな」

「構えないと痛い目に合うわよ」

「本当に機嫌が悪いんだな……」

 

ここまで摩理が敵意を向けてくるのは初めての事で少々、裴晴は内心で動揺していた。

それほど、今日の"彼女"の訪問が衝撃的だったのだろうか。

 

「そんなに一之黒さんが気に掛かるか?」

「っーーなにを?」

「君が心を乱す理由はそれしかないだろ?」

 

今の摩理の心を強く揺さぶる存在なんて彼女位しか思い当たらない。

 

「何をそこまで動揺しているんだ」

「私は何も…気にしていない」

「嘘が下手だな、君は」

 

伊達に一緒に過ごしている訳ではない。

彼女の些細な変化は手に取るように分かってしまう。

 

「彼女が気に掛かるなら、もう狩りは止めろ。今ならまだ引き返せる」

「いきなり何を…なんで狩りの話なんて持ち出すの?」

 

怪訝そうな表情に戸惑いの色を入り混ぜて摩理が聞いた。

 

「君は"不死"を探す為、俺は力を得る為、理由は違えどその過程は許されるものではない」

 

摩理も裴晴も多くの罪を既に重ねている。

 

「沢山の虫憑きを手に掛け、欠落者にしてきた。それは、沢山の明日と夢を奪ってきた事に他ならない。彼らにも待っていた人達が居た事を知りながらも」

「あ……」

 

自分達の望みを叶える為に屍山血河を数多積み上げてきている。例え理由があっても決して許される事ではない。

摩理は裴晴の言葉に耳を傾けている内に自身の今までの行いが一体どういう結果を招いていたのか気づき、顔色を悪くしていった。

無意識に銀槍の穂先が下へ向く。

 

「あの子の事を思うなら"ハンター"は引退しろ。君の存在は既に特環や多くの虫憑きに知れ渡っているが幸いにも顔はバレてない。今なら"虫"の存在を隠せば誰にも知られずあの子の居る世界に戻れる」

 

少しでも準備時間が稼げるならと、裴晴は摩理には言わなかった事を告げていく。

 

「あな…たはどうなの?」

「何がだ?」

「このまま、続けるの?」

 

裴晴は苦笑しながら応える。

 

「あぁ…俺の"夢"を叶える為には数多の犠牲が必要だ。これからも多くの欠落者を生み出し、多くの虫憑きから怖れ、恨まれても止まるわけにはいかない」

 

君を救うために。

その一言だけは漏らすことなく、胸の内に押し留め、裴晴は今度こそ、この場を後にしようと歩き出した。

 

「なんで、そこまで…貴方の"夢"って何なの?」

 

裴晴が横を通り過ぎようとしたその時、摩理が震える声で聞いた。

問いに応える事なく、裴晴は横をそのまま素通りし、裏路地の闇に溶けていった。

 

 

 



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第四話

 

 

 

今日の朝になって、裴晴は軽く自己嫌悪に陥りながらも学校を終えた後、病院に足を運んでいた。

軽く喧嘩しただけでは、こうも気は重くなりはしない。

説教染みた話をして彼女を追い詰めてしまった。

遠からず自覚してしまう事だと思い、己の口から自分達が如何に罪深いを悟らせた。

このまま、虫憑きの争いから足を洗わせる意味合いもあった。

けど、結果的に摩理を追い詰めてしまったのではないか、とも考えられる。

正直、今日は見舞いをやめようかと思いはしたが、先の摩理の過剰な反応が引っかかり、出来なかった。

暗鬱になりながら摩理の病室へと足を向け、移動していると、

 

「やぁ。昨日何かあったみたいだね」

 

このタイミングで出くわしたくない相手と顔を合わせてしまった。

 

「苦虫を潰したみたいな顔をしないでくれるかい?」

「何でここに居るんですか」

「さっきまで摩理の病室に居たんだけどね。あの娘が来たから逃げてきたんだ。そうしたら君が上の空で歩いて来たわけだよ」

 

どうやら亜梨子が昨日の別れ際の言葉通り、見舞いに訪れているようだ。

 

「別に逃げる必要なかったじゃありませんか?」

「いや…そうなんだけどね…」

 

口籠りながら"先生"は視線を泳がした。

 

「苦手なんですか、一之黒さんが?顔を合わせたことありませんよね?」

「けどね。僕の場合、彼女くらいの少女は"彼"の食欲センサーに引っ掛かってね。」

 

つまり身に宿るアリア・ヴァレイが思春期の少女の美味しそうな"夢"に反応して飢餓感がこみ上げてくるらしい。

 

「よくそれで小児科医が務まりますね」

「まだ新米だから。夢もあやふやな三、四歳の幼児しか診療していないんだよ」

「なるほど」

 

それ位の年頃ならアリアの食欲に見合う夢は持ち得ないだろう。純粋だが未来への感覚が不透明だ。

先生の言う食欲センサーにヒットしないのだろう。

 

「まぁ、僕のことはともかく。君達のことだ」

「誤魔化しましたね?……昨日ーーいや、もう今日でしたか、チョッと喧嘩してしまって」

「へぇ…珍しいね、君達が喧嘩なんて。辺りが更地に変わりそうだ」

「ただ軽く口論しただけですよ」

 

実際は槍を振り回され殺しに来たが言う必要はない。

大仰な言い方をする先生に、裴晴は肩を竦める。

 

「…摩理は相当参ってるみたいだ。昨日返ってきた時、薬瓶の錠剤を規定量以上飲みだした」

「っーーー」

 

先生の言葉に裴晴の顔色が一瞬で変わった。

狼狽し先生の白衣に掴み掛かる。

 

「彼女の容態は!?」

「だ、大丈夫……流石に過剰摂取だけど命に別状はなかったよ…く、苦しい」

「あ…」

 

勢い余って首も締め上げてしまい、先生が掴む手を叩いた。裴晴は慌てて先生を解放する。

 

「す、すいません…」

「い、いや…今のは僕も悪かった。すまない」

 

白衣の乱れを直し、先生は居住まいを正して話を続ける。

 

「でも、病状は悪化している。自然治癒に任せるのが一番最良だけど…今の摩理の状態はーー」

「分かっています。彼女の病状は俺も把握しています。計画を前倒しに出来るよう努めます」

 

幸か不幸か、現在の赤牧市には虫憑きが集まってきている。遠出してまで獲物を探す必要がなく、餌には困らない。

 

「摩理は君の計画のことについては?」

「知りません。以前なら話しても良かったかもしれませんが、今の摩理は絶対に反対しそうですから」

「確かに…」

 

そもそも博打の要素も強い計画だ。

計画によって生じる犠牲を知れば、如何に摩理と云えど反対することは分かりきっている。

 

「くれぐれも口を滑らさないで下さいね、先生」

「信用がないね」

「口が案外軽いですから貴方は」

 

では、と軽く頭を下げて先生と別れると裴晴は摩理の病室に改めて向かう。

病室の前まで来ると昨日と同様、明るい声が室内から聞こえてきた。

扉の取っ手に手を掛けて、裴晴はいつも通りに病室へ入っていく。

 

「こんにちは。摩理、一之黒さん」

 

挨拶を告げると、亜梨子が元気よく挨拶を返してきてくれたが、摩理はフッと顔を逸らして裴晴と目を合わそうとしない。

 

「こんにちは、千堂くん。本当に毎日お見舞いにきてるのね」

「まぁね。一之黒さんはもう帰るのかい?」

 

亜梨子は丁度、鞄を持って椅子から立ち上がるところだった。

 

「うん。今日の摩理、顔色があんまり良くないみたいだから」

 

名前で呼び合うくらい仲良くなったのかと思いつつ、亜梨子の指摘に裴晴は摩理の顔色を確かめようとベッドに近寄った。

 

「確かに、余り調子は良くなさそうだ。朝昼飯抜いて、寝不足な感じだな」

「超能力者かなにか、貴方?」

 

裴晴の列挙した体調不良の原因は総て正鵠を得ていた。それだけではなく、薬の過剰摂取も要因に上げられるのだが、その事には亜梨子が居る手前、理由を聞かれては面倒なので口には出さなかった。

 

「君を近くで見てきた者としての経験だよ。今日はそうそうにお暇した方が良さそうだ」

 

とはいえ、摩理には伝えなければならないことがあるので、まだ帰る訳にはいかない。亜梨子が居たら話せない事でもあるので、彼女が帰るのを待つ。

亜梨子は鞄を片手に病室の扉へと移動し取っ手に手をかける。

 

「あーー」

「ん?」

 

摩理が咄嗟に口を開くと、取っ手に手を掛けたまま、亜梨子が振り返る。

 

「また……来てくれる?」

 

摩理の言葉に亜梨子の表情が固まり、裴晴は懐かしそうに目を細めた。

 

ーー"ねぇ……また明日も来てくれる?"

 

まだ会って間もない頃。

初めて見舞いに来て帰る際に摩理が裴晴へ投げ掛けてきた言葉。

ほぼ全く同じ事を摩理が亜梨子へ口にしたのだ。

よっぽど嬉しかったのか、見る見るうちに少女の顔が輝いていく。

 

「明日、また来るわね!」

 

ーー"あぁ、明日必ず来るよ"

 

かつての自分と似たような返事、似たような反応。

あの日から続く小さな約束はいまでも固く果たされている。

ビッと親指を立てて、亜梨子は去っていった。

ドアが閉じられると、静寂が病室を満たしていく。

ペラペラと摩理が亜梨子に渡されたらしい紙束をめくる。紙面に目を通していくと、プッと摩理が思わず吹き出してしまったように笑った。

 

(そんな顔は久しぶりな気がするな)

 

摩理が笑う顔は本当に貴重だ。

裴晴自身が笑わせた時など、いつの頃だったか…もう思い出せない。

その笑みを陰らせたくはないが、裴晴は口を開いた。

 

「すまなかった」

「……」

 

何が、という返しはなく、摩理は笑みを消した。

紙束に視線は落としたままに言葉を紡ぐ。

 

「最近謝ってばかりね…」

「そうだな」

「謝れば直ぐ私が許すとでも思ってるのかしら?」

「…そういう訳じゃないけど…」

 

中々に当たりの強い台詞に、裴晴は言い淀んだ。

簡単に許されるなどと微塵も思っていない。

寧ろ激しく罵倒されるものと、実際は戦々恐々としていたくらいだ。

あからさまに困った表情を浮かべる裴晴を横目で見て摩理は口元に笑みを戻して言う。

 

「ふふふ…貴方がそんな顔をするのは久しぶりに見た気がするわ」 

 

本当に可笑しそうに笑う摩理。

どうやら、からかわれたらしい。

いつもは裴晴がそちら側なだけに、こんな形で仕返しをされるとは思わなかった。

 

「ねぇ…明日から勉強を教えて」

「はっ?」

 

摩理の唐突な申し出に裴晴は目を丸くした。

 

「私が出来るお礼なんて課題を手伝ってあげることくらいしかできないから……」

 

呟き、本日初めて摩理は裴晴を正面から見た。

 

「それで貴方を許してあげる」

 

惚れ惚れするほど優しい微笑みを浮かべる摩理の願いに断る術がなく、裴晴も口元を綻ばせ、快く了承した。

 

翌日から摩理の勉強が始まった。

午前中は摩理一人で勉強しなくてはならなくなるので、裴晴は本棚の奥でホコリを被っていた中学の教科書を引っ張り出して、自習出来る範囲に付箋を貼って手渡した。

自習で解らない部分は、午後、亜梨子よりも早めに見舞いに来ることで裴晴が教えることとし、スケジュールを組んだ。

 

「勉強するのは良いが根を詰めすぎるのは禁止な?」

「大丈夫よ」

 

微笑する摩理。

昨日の今日で体調が回復するはずも無い。

裴晴は無理はしないようにと念を押しておいた。

取り敢えず、宿題として出された範囲を自力でなんとかしようと費やした。

午後になると、亜梨子より先に裴晴が見舞いに来て、彼女が来る頃まで勉強に付き合う。

 

「こんにちは!」

 

いつもの時間に亜梨子が来た。

今日あった出来事を話そうとした亜梨子に対し、摩理は課題がないのかと尋ねる。

亜梨子は不思議そうにしながらも、ないと言った。

摩理は少し残念に思ったが、すぐに別の話題になった。

亜梨子は思い出したように自分の事を話し出す。

摩理もまた自分の事を話した。

お互いの事を話終えると、二人の視線が裴晴に集中する。

 

「千堂くんも話してよ」

「俺も?正直、二人みたいに良い家柄でもないから君達の期待に答えられるような話はないよ」

 

裴晴の家は平々凡々。

父は公務員で、母は専業主婦。

二人の家のように良家の血筋という訳ではない普通の家系だ。話せるエピソードなんてない。

 

「じゃあ、二人の馴れ初め。どうして仲良くなったの?」

「大した話じゃないんだが…」

 

亜梨子に促され、裴晴は摩理との出会いを語る。

出会いの場は今、自分達の居る病院であったこと。

検査を受けに来た時、待合室で待っていたら摩理が車椅子に乗って担当医と一緒来たこと。

順番が来るまで相手してほしいと頼まれ、そこから初めて言葉を交えた事。

共通の趣味があったので意気投合、以来見舞いに来るのが習慣化、当たり前になっていた事を話した。

 

「ごくありふれた話だろ?」

「そうかな?」

 

なにも特別な話ではない。

偶然にもそこに居合わせた少年少女が共通の話題で盛り上がり、仲良くなった。

特別というより特殊な点は少年が前世の記憶を持っていた転生者で一方的に少女を知っていたというだけ。

 

「単純に趣味が合った者同士が仲良くなっただけさ」

 

興味が先か、同情が先か。

そんな事を忘れてしまうほど、知り合ってから時が過ぎた。

 

「私も本は読むけど千堂君や摩理の読む本って活字だらけで難しそう」

「実はそうでもないんだよ。例えばーー」

 

裴晴は摩理から許可を取らず、本棚からある本を抜き出した。彼が手に掴んだ本を見て、摩理が「あっ」と声を漏らした。

 

「これなんて摩理の一番お気に入りの本なんだよ」

「これって……絵本?」

 

裴晴が亜梨子に手渡したのは摩理が好んでよく読む"まほうの薬"という絵本であった。

 

「俺と初めて顔を合わせた時も摩理が持ってきていたものだよ」

「へぇ〜、そうなんだ」

 

亜梨子はピラピラと絵本の中身を確認する。

ベッドの上で摩理が裴晴へ恨めしい視線をぶつけてきた。

 

「しかも、名前を名乗る時に摩理はーー」

「っーーーその話はしなくていいから!」

 

なし崩しに恥ずかしいエピソードを暴露されかかり、慌てて摩理が待ったをかける。

そんな風に話している間に夜となり、面会時間が終わりを告げた。

 

 

 



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第五話

 

 

 

摩理が夜に病院を抜け出すことも、あの夜以来は一度もなくなっていた。亜梨子という一人の少女によって摩理の日常は明らかに変わっていたのだ。

それは裴晴では変えることの出来なかったものであった。

 

「っーー」

 

ある日の午後、摩理が左胸を抑えて顔を歪めた。

 

「摩理!?」

 

いつものように勉強を教えていた裴晴が慌てて、摩理の顔を覗きこむ。

息が詰まったように呼吸を荒くし、棚のガラス瓶に手を伸ばしかけるが…やめる。

瓶の中の錠剤は一ヶ月前から減っていない。

摩理が落ち着いて深呼吸すると、動悸が収まっていくようであった。

 

「大丈夫。もう治まったわ」

「最近多いな。本当に大丈夫なのか?」

「えぇ。ちょっと胸が痛んだだけ。最近は逆にとても気分が良い日が続いてるの」

 

摩理が裴晴に向かって微笑する。

確かにここのところ、摩理の顔色は良い。

錠剤を乱用したあの夜からだいぶ経過したが、摩理の体調は良くなっている。

たまに発作のような胸の痛みを訴えてくるが、それ以外は到って問題はない。

 

「それは良かった」

「良かった…ね」

 

摩理が笑みを消した。

 

「どうした?」

「私……このまま、亜梨子と一緒に居ていいのかな?」

 

裴晴が眉を潜める。

胸を抑えたまま、摩理は唇を噛みしめる。

己が夢を奪った少年少女達の事を思い出しているのだ。

 

「もし、病気が治ったとして、幸せになってもいいのかな……?」

 

摩理は裴晴を見つめる。

病とは異なる痛みが摩理の胸を苛んでいた。

裴晴は真剣な眼差しで摩理の瞳を受け止め、重く口を開く。

 

「誰かが言った。夢を叶える為ならどんなことでもする。それが"虫憑き"だと」

 

夢を代価に強大な力を振るい、夢を叶えようとする愚か者。

 

「虫憑き同士がぶつかり合うのは半ば必然なんだろうな。なんせ、どれだけ"力"を持っていても所詮は"人"なんだから」

 

"夢"、"願い"、"望み"と綺麗なオブラートに包んだ言葉だが、それは"欲"という人間誰しもが持つものに他ならない。

 

「賭けるべき"夢"があるなら戦ってでも守りたい」

 

闘争はどれだけ論じようと悪だ。

正しさなどない。

それでも、戦わなければ守れないものがある以上、戦うしかない。

 

「君がしたことよりも俺がやっている事の方がきっと罪深いよ」

「………」

 

摩理が裴晴の自嘲の言葉に顔を顰めた。

 

「ねぇ…以前にも聞いたけど」

「ん?」

「貴方の"夢"って何なの?」

 

あの夜、聞いた問いの続き。

裴晴はあの日から一日も欠かさずに"狩り"を続けている。

犠牲の数は最早あの夜の比ではない。

彼はどれほどの虫憑きを欠落者にしたのか、それは本人にしかわからない。

それだけの犠牲を払ってまで叶えたい"夢"とは何なのか、摩理は知りたかった。

 

「貴方だけ教えないのは卑怯だわ」

 

裴晴に虫憑きである事がバレた際。

摩理は彼に自分の"夢"が何か教えていた。

それに対して裴晴はいつ虫憑きになったのかも、どんな"夢"を抱いたのかも明かしていない。

これではあまりにも不公平だ。

摩理の指摘に裴晴は首筋を撫で、どうしたものかと思案げな表情を浮かべるが、意を決して口を開く。

 

「分かった。言うよ」

 

観念して打ち明ける。

 

「俺の"夢"は《大切な人達と幸せに生きたい》、だ」

 

世界平和とか。

人類救済だとか。

大それた願いではない。

自分の身の回り…共に泣いて笑って共に暮らしている家族や友人、はたまた恋人、小さな自身の世界を守りながら生きていく。

それが千堂 裴晴の"夢"みたものだ。

 

「俺は狭量な人間だから。自分の周りに居る人達が無事ならそれでいいんだ。顔も知らない人間の為に泣いたり怒ったりは出来ない。助けようとも思わない」

 

裴晴は聖人君子ではない。

自分の目の前に居る人々にしか関心を寄せられない。

見知らぬ大多数の人間など知ったことではないのだ。

 

「これが俺の"夢"だ」

 

独りよがり自己満足。

どこまでも自分勝手で救いのない"夢"だ。

詰られても蔑まされても仕方のない言い分だ。

けれども…

 

「そう…私の"夢"と似てるわね」

 

摩理はそう思わなかった。

自分と同じだと彼女は言う。

 

「何処がだ?」

「私は"生きたい"と願った。それが叶わないのを知りながら、これから未来(さき)があるのを望んだ」

 

いつ死ぬとも知れぬ身体。

多くの人間は無意識に未来があると思っているが、摩理は常に未来が無いことを感じて今を生きている。

でも、…死を半ば覚悟して諦観していたはずなのに、いつからだろうか…摩理は死にたくないと思った。

その原因はきっと…

 

裴晴(アナタ)と出会ったから私は生きたいと思ったの」

「えっ?」

 

摩理の言葉に裴晴は驚きを露にする。

信じられないといった様子で彼女を見つめ返す。

 

「初めて出会ったあの日から、貴方は約束通り、欠かさず私の元に来てくれてる」

 

彼が摩理の見舞いに来る理由は本当の所ない。

ただ、彼らが初めて出会った日、摩理が半ば冗談で発した約束を、律儀にも裴晴は守り続けている。

 

「親類にも腫れ物同然…病院(ココ)に押し込まれて寂しく死ぬんだと思っていた時に、貴方と会った」

 

彼と会って闇の中に光が差した。

 

「貴方が病室に来てくれて私は本当に嬉しかった。こんな日々がいつまでも続けば良いと思った」

 

一時の慰めでしかなかったかもしれないが、裴晴が来る事で摩理は救われた。

自分が病気であることも忘れて、穏やかに過ごすことが出来た。

 

「私はまだ生きていたい。貴方や亜梨子と一緒に居たい」

 

摩理の腕が震え、視界がみるみる歪んでいく。

不死の虫憑きを探し倒す。それはただの方便だ。

死にたくないから"不死"を…この日常が続いてほしいから求めたのだ。

 

「だから……その……私と一緒にこれからも居てくれる?」

 

泣き笑いのような表情で摩理が聞いてきた。

裴晴は微笑して布団の上に置かれた摩理の手に自分の手を重ねて言う。

 

「居るよ。俺の大切な人達には、摩理(キミ)も勿論含まれているんだから。君がそれで幸せになれるなら側に居る」

 

でなければ、裴晴の"夢"が叶わない。

彼の"夢"はこの生を終えるまで続く。

自分の家族や摩理、今は亜梨子も加わったが、身近なその人達が幸せでないと裴晴は"夢"を見続けられない。

 

「俺が夢の続きを見続けられるように君には居てもらわないと」

 

まるで告白みたいだと内心で笑う。

大切な人達が誰か一人でも欠ければ、裴晴の世界は崩壊する。

その中でも摩理は出会った日から裴晴の日常の大部分を占める存在となっていた。

彼女を失えば、裴晴の世界は…"夢"は脆くも崩れ去る。

だから自分の"夢"(セカイ)を守る為にも裴晴は数多の犠牲を払おうと彼女を救うと決めているのだ。

 

 

 

@@@

 

 

 

ーー夕方。

 

「お帰り、摩理」

 

定期検診を終え、裴晴に車椅子を押してもらって部屋に戻った摩理を、亜梨子が出迎えた。

 

「ただいま」

 

摩理は亜梨子に笑い返した。

 

「千堂くんも摩理の付き添いご苦労様」

「ただいま、一之黒さん」

 

亜梨子に微笑んで返すと、裴晴は車椅子をベッド近くに寄せた。

摩理がベッドに戻ると、いつもと同じように、亜梨子の課題を置いたベッドの上で談笑する。

課題そっちのけで話し合う二人に裴晴は苦笑しつつも見守り続けた。

そうしているうちにすぐに面会時間終了の時間がやってきた。

 

「っと……悪い二人とも少し用事があるから先に帰るな?」

 

裴晴が別れの言葉を言って、病室を後にした。

去っていく彼の背中を見送りながら亜梨子が呟く。

 

「最近の千堂くん、私よりも先に帰っちゃうね」

「……」

 

亜梨子の言葉に摩理は返事をせず、押し黙りながら布団を握りしめた。

彼女の言うとおり、ここ最近の裴晴は早く帰宅する事が多くなり、それに比例して明るい時間から救急車のサイレンを良く聞くことが多くなった。

原因が彼の"狩り"であることは明白だ。

 

ーーおかしい。

 

何か差し迫っているかのように。

裴晴が狩りの速度を上げていることに不審感を抱いてはいたものの、聞き質したところで、のらりくらりと躱されて本当の事は絶対に言わないと摩理は今までの付き合いから理解していた。

心配には違いないが本人が話そうとしない以上、無理矢理聞き出す勇気もないので、一先ず問題を見送った。

 

「ねぇ…亜梨子」

 

別の事に考えを向け、摩理は亜梨子を見上げた。

 

「リクエストがあるんだけど……良いかな?」

「やっと来たわね。なんでもいってちょうだい!」

 

嬉しそうに亜梨子が身を乗り出す。

今まで見舞いの品を受け取らなかった摩理がお願いするのは珍しい事だ。

 

「欲しいものがあるの。でも、それは私の為のものじゃないから……代わりにお願いしたいんだけど」

 

前置きし、摩理は亜梨子に頼み事をする。

話を聞き終えると亜梨子は探るような顔をしたが、「任せて!」と快く引き受けてくれた。

 

「じゃあ、また明日ね」

 

翌日、亜梨子は摩理の頼み通り、小さな箱を持ってきてくれた。

摩理はそれを受け取り、大事にベッドの中に隠す。

亜梨子は箱を渡した後、摩理に「お邪魔したくないから」と意味深な台詞を残して足早に病室から帰っていた。

何を勘違いして…とも思ったが強ちそうでもないので摩理は顔を紅くしながら去る亜梨子を見送るしかなかった。

入れ替わるように裴晴が摩理の病室を訪れる。

 

「…一之黒さん、どうしたんだ?今日はやけに帰るのが早いみたいだが…」

「家の用事があるらしいの」

 

怪訝な顔をする裴晴に摩理はそれらしい嘘をついた。

 

「それよりも…裴晴」

「ん?」

 

まだ頬の紅潮は引いていなかったが、摩理は話題を切り替えながら隠していた小箱を目の前に差し出し、口を開いた。

 

「これ、なんだと思う?」

 

差し出された小箱に裴晴はキョトンとした顔をする。

 

「えっ…と、今日何かの記念日だっけ」

「あら、自分の誕生日を忘れてたの?」

 

クスりと摩理が微笑みながら言う。

裴晴は驚いて病室のカレンダーに目をやった。

 

「…すっかり忘れてた」

 

本気で覚えていなかったらしく、少し慌てた様子の裴晴に摩理は可笑しそうに笑う。

 

「自分の事になると抜けてるわね、貴方って」

「ほっとけ」

「フフフ。拗ねないで。はい、お誕生日おめでとう」

 

摩理は祝いの言葉を送りつつ、小箱は裴晴に手渡した。家族以外の人間…しかも女の子に誕生日を祝われるのは今生では初めてである。

 

「開けてもいいか?」

「どうぞ」

 

裴晴は小箱を開けると中身を取り出した。

それは銀色のネックレスだった。鎖の先に、金色に輝くリングが付いている。

 

「っ……ははは」

 

掌に置いてそれを眺めていると、裴晴が声を押し殺して笑い始めた。

彼の態度に今度は摩理が怪訝な表情を浮かべる。

 

「どうしたの?」

「いや…趣味趣向が似ると贈る物まで似通うんだなっと思って…」

 

なんだろうと首を傾げる摩理に裴晴は微笑を浮かべながら手に下げていた見舞い品である書籍が入ったエコバックから小さな箱を取り出した。

摩理がしたように裴晴は小箱を彼女の前に差し出す。

戸惑いながらも小箱を受け取り、中身を開けた。

 

「これは…」

 

入っていたのは同じ銀色のネックレス。

鎖の先についているのも、全く同一の金色のリング。

所謂、ペアネックレスというものだ。

 

「毎回、本だけっていうのも面白みないからな。一之黒さんと摩理の友情を記念して渡そうと思ったんだが、片方は既に購入された後で、諦めて君だけにプレゼントしようと思って購入したんだけど…」

 

奇縁か、ネックレスの片割れは亜梨子経由で摩理の手に渡り、自分の手元にきた。

 

「あはは…タイミングが悪いな…」

「……」

 

困った様に笑う裴晴の側でベッドの上の摩理はプレゼントされたネックレスを眺めて何か考え込む。

何故かは分からないが怒らせてしまった気がして少しばかり内心でオドオドしていると、

 

「ねぇ」

「…なんだ?」

「着けてくれる?」

 

摩理がプレゼントされたネックレスを裴晴に渡し、背中を向け、長い後髪をかき上げて首を露にした。

病的だが白く綺麗な首肌に少しドキリとしつつ、裴晴は受け取ったネックレスのチェーンを外し、背後から掛けてやる。

 

「似合う?」

「あぁ…」

 

シンプルなデザインのアクセサリーだが、美少女が付けると容姿が相俟って本当に似合って見えてしまう。実際、似合っているのだから否定の反論は思い浮かばない。

 

「そっちは貴方が着けてね」

「へ?いや、それはーー」

「ダメ?」

 

コテンと上目遣いで首を傾げながら聞いてくる摩理に裴晴が断われるはずもない。

当初の予定からかなり外れてしまったが彼女がそう望むなら片割れのネックレスは自分が持っていないといけないだろう。

裴晴は彼女と同じネックレスを付け、首から提げた

 

「これで良いか?」

「えぇ…。これからは肌身離さず着けていてね」

「マジ…?」

「勿論。外してるところ見たら泣くから」

「おいおい…勘弁してよ」

 

酷い脅し文句があったものだと、裴晴が困り顔で返した呟きに、摩理は楽しそうにイタズラが成功した小悪魔な微笑を浮かべた。 

 

 

 



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第六話

 

 

 

次の日、今日から連休ということもあり、朝早くから裴晴は亜梨子より先に摩理の見舞いに来ていた。

今日の摩理は様子がおかしく、上の空といった調子で本を読んでいた。

開いていた"魔法の薬"と題された絵本を閉じると、摩理は静かに窓の外を見ながらポツリと呟く。

 

「私……もうダメね…」

「……」

 

唐突な衝撃発言に花瓶に活けた花を取り替えていた裴晴の手が止まった。

 

「…知ってた?」

「まだダメって決まった訳じゃない」

 

気休めだと分かってしても裴晴はそう返すしかなかった。

 

「手術すれば希望はあるんだろ?」

「耐えられる体力があると思う?」

「やってみないとわからない」

 

言葉でどう取り繕ってもわかっている。

手術をすれば助かる見込みはあるが、彼女にそれを耐えられる体力がないことは医者でなくても普段から摩理と一緒に居る裴晴が理解していた。

 

「なんとかする」

「…どうやって?」

「それは……」

 

聞かれて、裴晴は口籠った。

以前より内緒にしていた摩理を助ける計画は既に最終段階に入っている。

別にここで彼女に計画を明かしても不都合はない。

だが…

 

「私には言えない事?」

 

更に問われるが裴晴は完全に沈黙した。

明らかに疚しい方法であるということは彼の態度から明白だ。

 

「貴方が"狩り"を続けていたのはその為?」

 

聡明な摩理は最近の裴晴の行動から結論を導き出した。沈黙に徹する筈だった裴晴の表情に僅かな亀裂が生じる。それだけで答えが分かってしまった。

 

「もうやめて」

 

諦観と哀しみの混じった顔で摩理が懇願してきた。

 

「死にかけの女の子一人助けるために貴方が無理をする必要はないわ」

「いやだ。もう止まらないし、止まる気もない」

「憐れみのつもり?」

「違う」

 

最初は同情だったかもしれないが、今は違うと断言出来る。彼女を救うために裴晴は虫憑きとなり、異能を手に入れたのだ。

今ここに至る総てが摩理を助けるための筋書きで過程に過ぎない。

 

「俺は俺の"夢"(オモイ)の為に君を救うんだ」

 

例え、助けようとしている本人に請われても。

裴晴は摩理を救うために今日も狩りへと赴くのだ。

 

「…もう少しなんだ。あとちょっとで君を救う手立てが整うんだ……」

「…裴晴…」

「だから…頼むから…諦めないでくれ…!」

 

こうやって話している間にも摩理のタイムリミットは刻一刻と縮まっている。時間はあるようでない。

だが、ここ一ヶ月の虫憑き狩りで力は想定よりも増した。今の裴晴の力量ならば計画が成功する確率は格段に跳ね上がっている。希望はある。

ベッドで半身を起こす摩理へ縋りよる裴晴の態度に彼女は初めて彼の本心に触れた気がした。

 

摩理(ジブン)が"死"を恐れていたように。

裴晴(カレ)は"喪う"事を恐ていたのだ。

 

文字通り、死力を尽くして己の世界(ユメ)を守ろうとしている。

その行動がこの世の倫理や理に反しようとも彼はやるといったらやるだろう。

 

「絶対に助ける」

「……」

 

出会ってから彼は摩理との約束を破った事を一度もない。裴晴が絶対と確約したならば、成功すると確信があり、助けられるという自信があるのだ。

このまま、彼に任せてしまったら、本当に助かるかもしれない。

でも、摩理はーー

 

「だめ」

 

その救いの手を払いのけた。

裴晴の頭部に腕を回して胸に引き寄せ、抱きしめる。

 

「もう良いわ」

「…何がいいんだ…?」

「私は貴方のお陰で救われた」

 

病弱で孤独だった少女に一時の安らぎを与えてくれた。ずっと側に寄り添い、支えてくれた。

 

「亜梨子と出会えた」

 

唯一無二の親友と短いながら楽しい思い出を作ることが出来た。今までの不幸分、充分に摩理は幸せに慣れた。

 

「だからもういい…後はーーー」

 

心臓に限界が来る前にやることがある。

どうしても確かめなくてはならないことが。

身体が動かなくなる前に行かなければならない。

これ以上、裴晴は狩りをする必要はない。

摩理自身の目的を為すためにも彼が"狩り"をしていては不都合なのだ。

きっと、これから摩理がやろうとしている事を知れば、止めに来るに決まっているのだから。

何としてでも説得し、今日は狩りにいかせないようにしなければならない。

最悪…不本意だが泣いてでも彼に諦めさせようと決意し、摩理は言葉の続きを言おうと口を開いたその時、

 

「おはよう〜。摩理、居るわよね。ノックしても返事なくてーー」

 

見慣れた少女が病室に姿を現した。

摩理と裴晴の身体が硬直する。

今の彼らの体勢は大いにいろいろな誤解を招きかねないものだ。普段の裴晴なら咄嗟に摩理の拘束から抜けて取り繕えただろうが、現在の彼は精神的に弱っていた。亜梨子の気配も察せなかったのが証拠。

朝から来ると分かっていたがタイミング悪い亜梨子の来訪に二人は取り繕うのも忘れて頭が真っ白になっていた。

そんな二人の心象をつゆもしらずに病室に足を踏み入れ、真正面にあるベッドに目を向けた瞬間、亜梨子もまた笑顔を固めて身体を硬直させた。

この後、いち早く正気に戻った裴晴は摩理の腕から逃れると居住まいを正して、亜梨子の目にした状況に関しての釈明を始めた。

 

 

 

@@@

 

 

 

亜梨子への釈明を終えると、裴晴は先に病室を後にした。廊下を歩きながら、摩理の病室での言葉について考える。

反対されるのは予想していた事で、問題はない。

問題なのは、彼女が今日何らかの行動を起こすかもしれないことだ。

以前の様に"狩り"へ出掛けるなら深夜に動くだろう。

 

(だが、今の摩理の体力じゃ激しい動きは出来ない)

 

虫と同化して身体能力を上げようと、一ヶ月前とは体調がまるで違う。無理をすれば、死期を早めるだけ。それは彼女も理解しているはずだ。

 

(でも…油断は出来ない…か)

 

自暴自棄になっている訳ではないが、今日の様子から察するに何か行動しようとしているのは薄々感じた。

 

(一月前なら力尽くで止めると言ったが、今の彼女を止めるのは少々骨が折れるな)

 

同化して強化された身体とはいえ、元々の肉体が弱っていては、軽傷でも致命傷となりかねない。

 

(頼むから出てくるなよ……)

 

出てきた時は本当に厄介だ。

ここ最近の赤牧市内はエルビレオーネの虫…分離型の虫憑きの数が多くなって来ていた。

しかも、三人一組…スリーマンセルで徒党を組んで街中を哨戒しているらしく、狩りの際、裴晴と幾度も戦闘を繰り返している。

数人生かして捕らえ、情報を聞き出すとどうやら"黒い死神"と呼称される裴晴と"ハンター"と云われていた摩理を探しているらしい。

 

目的は仲間の仇討ちのようだ。

最近、特環のやり方に不満を持つ虫憑きが集まってレジスタンスの様な組織が生まれたらしく、裴晴や摩理が襲った大部分の虫憑きはその組織のメンバーだったようだ。

狙われる理由として納得だ。

だからこそ、今、摩理に外へ出てこられるのは不味い。如何に摩理が強くても弱った状態で集団に襲われてはひとたまりもない。

 

(始末するか…)

 

病院から出ると、裴晴は近場の公園にあるトイレに入り、リュックに入れている髑髏の仮面を顔に装着した。

同時に襟元からタツノオオムカデが姿を現す。

細長く不気味な身体が弾け、裴晴の制服や肉体に同化する。タツノオオムカデが同化したブレザー制服は漆黒のスーツへと変化し、僅かに覗く肌も首から下は黒く染まった

裴晴は"狩り"装束に身を包み、夕暮れの赤牧市を駆け抜ける。

まだ陽が高い内は市内に侵入しても虫憑きは行動を起こさない。

虫さえ見られなければ怖がられる事はないが、虫憑きの大半は友人や親に裏切られたりした者が多いため、人混みを余り好まない傾向がある。

裏路地などの溜まり場は虫憑きが集まりやすい場所。

あるビル裏路地に入ると、案の定、獲物が歩いていた。

視認した三人の少年達の前にビル壁を足場にして降り立った。

 

「く…黒い…死神」

「っーーリナに連絡入れろ!」

 

唐突に現れた裴晴を見て、少年達は少し浮足立ちながら仲間へ連絡と、戦闘体勢を整える。

トンボ、クワガタ、カマキリといった分離型と覚しき巨大な虫が出現した。

 

「遅いよ」

 

しかし、彼らの対応は遅すぎた。

常に裴晴は臨戦体勢。少年達が虫を出すよりも早く、触手…否、最早巨大な"尾"と表現しなければならないほど成長した裴晴の一本の武器が高速に蠢き、牙を剥く。

尾の鋭利な尖端が三体の巨大な虫の肉体を貫き、体液を撒き散らした。

一瞬で三匹の虫を葬り、三人の少年を欠落者に変える。

胸元から携帯を取り出して毎回と同様、救急に連絡を入れ終わると溜息を漏らした。

 

「戦い慣れていない連中を引っ張り出してまで俺や摩理に復讐したいのか?"リナ"さんとやらは」

 

一ヶ月間、襲撃したレジスタンスの虫憑きが揃って同じ名を口にしている。

"リナ"ーーそれが組織の首魁の名前のようだ。

響き的に女性であると予測出来るが、組織のリーダーを張っているなら強い虫憑きであろう。

 

「安全確保をするなら頭を潰すに限るな」

 

裴晴は再び移動を開始した。

街中を駆け回り、レジスタンス所属らしき虫憑きを片っ端から潰していく。

身内から犠牲が出れば出るほど、彼らの怒りは増す。

挑発すれば幹部クラス…若しくはリーダーがお出ましになるはず。

今までの行動原理から組織連中は頭に血が登りやすく、戦術や戦略が拙い。

ただ、数が多いだけの連中だ。

リーダーが消えればそれら総ては烏合の衆となり、組織は自然瓦解するだろう。

狩りを初めてから時間が経ち、深夜も過ぎて時計の針は午前一時を回った。

一日で十数名以上の虫憑きを欠落者にしたが、レジスタンスの首領は現れず、救急がかなりの頻度で出動しているにもかかわらず、政府機関の特環も姿を見せない。

 

(罠でも仕掛けているか…?)

 

裴晴は"死神"と怖れられ、今や総ての虫憑きに敵意を持たれている。恨まれ、いつ何時襲われる、嵌められる覚悟をしているが、大抵の襲撃や罠は対処がしやすい。

摩理がハンター稼業を辞めてから一月間。

彼女の恨みも裴晴は背負い戦っている間、組織や特環から襲撃され、罠に掛けられた事は沢山あった。

けれども、今日は襲撃、罠一つも裴晴の身に降り掛かってこない。

炙り出そうと派手に暴れているのにどうしたのだろうと相手の出方を少し休憩がてら思案していると、

 

「ーーあれは…」

 

遠くのビル群の一角から粉塵が舞うのが見えた。

強化された視覚で目を凝らすと、キラキラした銀色の鱗粉も混じっているのを確認する。

 

「っーーあのバカ!!」

 

裴晴は必死な形相で現地へ駆ける。

頭の中にあった相手の行動予想など吹き飛んだ。

彼の頭にあるのは為すべき事は一つしかなかった。

薄暗い路地を抜けて、広い空き地に着くと、視界の先には彼が思った通りの光景と、彼にとって尤も大切な少女の姿があった。

四人の分離型の虫憑きと相対して辛そうに槍を杖にしながら立っている。

 

ーー摩理!!

 

心の中で少女の名を叫びながら裴晴は彼らの間に割って入った。

倒れそうな摩理の身体を支えつつ、四人の虫憑きを牽制する。

 

「なっーー!」

「…コイツはーー!」

 

突然現れた裴晴に敵対者四名は驚愕する。

全員身構えると同時に彼らの虫達も其々臨戦体勢に入った。

 

「……はい…せい…?」

「ゆっくり呼吸しろ」

 

息が乱れ、顔色が青く、四肢に力が余り入っていない。同化しているにも関わらずこんな症状はおかしい。夢を喰われているだけではこうはならない筈だ。

 

ーーチッ…嫌な予感が的中したな。

 

虫の力でも症状が抑えきれなくなっている。

このままでは本当に命に関わる状態であった。

早急に準備していた計画を実行する必要がある訳だが、

 

(四対一か…)

 

摩理を抱えて闘り合うには少し分の悪い数。

彼女に対して処置出来る状況ではない。

虫の能力も分からないまま、戦闘に入るのは厳しいものがあった。

それに…

 

(あの天道虫…ヤバいな)

 

眼前に居る四体の内の一体。

幼い少女の傍らで口器を蠢かしている分離型の小さな天道虫を裴晴は警戒していた。

能力の程は定かではないが、この場では一番厄介だと直感が警鐘を鳴らす。

 

「貴方は…"死神"ね。そう…本当に"ハンター"と組んでいたんだ」

 

広場の中央に進み出た少女が凛と響く声で言った。

張り詰めるような静寂を打ち破る生気に満ちた声であった。

 

「どういうつもりでこの街で虫憑きを狩っていたのか、理由を教えてもらうわよ」

 

ーー嵌められた。

標的は摩理だったようだが、少女の口振りから察するに裴晴の登場は想定外であったが、標的の一人に数えられていたには違いない。

 

「…お前たちは?」

 

問うと同時に裴晴の腰辺りから巨大な"尾"が生えた。

二人を護る様に周囲へ伸びていきながら、変質し、一定の間隔で鋭利な足の様なモノも生え、禍々しさに拍車が掛かる。

尋常ではない悍ましい"ソレ"に少女以外の三人は気圧され後ずさった。

少女は彼らを鼓舞するように腰に手を当て言う。

 

「私達はこの街で出会った仲間よ。"あの"機関から逃れるために連絡を取り合ってるの。でもまさか他にも、同じ虫憑きのくせに狩る人間が居ただなんてーーそれも二人…」

「なるほど…。君が烏合の衆の頭目か」

 

はたまた、猿山の大将でも可だ。

狭い了見でしか物事を考えていない。

人が従っているのを見るにカリスマ性はあろうが、ただそれだけだ。

 

「たかが二人の人間を罠に掛ける為に戦闘経験の浅いメンバーも動員するとはな。今日だけでどれほどの人間が欠落者になったと思う?」

「お前ーーー!」

 

自分のした行いを棚に上げた発言に、一人の少年が激昂した。

今にも飛び掛かって来そうな勢いであったが、少女が片手を上げて制する。

 

「しかも全員がエルビレオーネの虫憑きとは。こちらとしても好都合だった」

「エルビオ…レーネ?」

「お陰で今日はノルマ以上稼げた。礼を言うよ」

 

彼らの行為を無意味であるように裴晴は嘲笑交じりに礼の言葉を口にした。

少女達の間に動揺が走る。

 

「あなた、何か知っているの?私達、虫憑きの事を……"虫"のことを!」

「知ってどうする?知ってもその先、お前らには"絶望"しかない。知らないでいたほうが幸せだ」

 

少女達が表情を変える。

 

「一体、何を知っているの?教えてもらうわよ!」

「失せろ。こっちは大事な用がある。ガキと遊んでいる暇はない」

 

裴晴は珍しく口汚く吐き捨てると、異形の"尾"で広場全体を少女達ごと薙ぎ払った。

捨てられていた錆びた鉄骨や建機が宙を舞う。

空き地の地面は抉れ、視界を粉塵が埋め尽くす。

ガシャン、ガシャンと宙を舞った鉄骨や建機が地面に落ちる音が聞こえてきた。

大抵の輩ならこの一撃で勝敗は決する。

 

「……」

 

だが、視界の端を3つの影が過ぎった。

虫たちが散開して死角に潜り込んでいたのだ。

三匹の虫、ムカデの牙、ホウジャクの触覚、まだら模様のハチの針が襲い掛かる。

冷静に戦況を分析しながら、裴晴はその場から一歩も指一つ動かさず、摩理を支えたままで"尾"を俊敏、正確に操作する。

 

「なっ!」

 

裴晴の周囲でとぐろを巻いて動く"尾"が三匹を羽虫を払うかのように弾いた。

三匹の虫は勢い良く広場の端や無機物のゴミ山へ飛ばされる。

軽くあしらっていると、次の瞬間…背後から衝撃が襲ってきた。

タタラを踏むがなんとか持ち堪えて振り返ると、そこには翅を開いた天道虫がいた。

衝撃波の様なものを放ったようだが、出力が弱い。

 

「舐めてるのか?」

 

大層な口の割に弱すぎる。

相手をする気も起きないが今後の成長度合いも考慮してここで始末すると決断した。

異形の"尾"が天道虫の頭上へ垂直に振り下ろされる。

 

「リナ!」

 

少年の一人が叫んだ。

天道虫にまだら模様のハチが体当たりを掛ける。

尾の強大な質量に速度も加わった一撃に潰された。

地面が割れ、衝撃が周囲に走り、近場の建物をも崩壊させる。

 

「ぐぁぁぁっ!」

「リュージ!」

 

リナと呼ばれた少女の絶叫が路地裏に響いた。

三人の少年少女が、倒れていく少年の元へ駆け寄る。

 

「落ち着いてきたか…?」

「えぇ……少し…だけ、ね」

 

抱える摩理に裴晴が聞く。

動かさず安静にさせたおかげか、呼吸が少し治まっていた。

 

「摩理。もう少し辛抱してくれ。安全な場所まで移動したら、直ぐに処置を開始する。奴らのお陰で君を助けられそうだ」

 

裴晴が微笑して摩理へ囁いた。

 

「……何よ、それ…」

 

聞こえたのか。

人形の様に白い顔で倒れる少年を抱きかかえ、リナが顔を上げた。涙の跡を刻んだ顔を怒りで歪める。

 

「たかが、女一人の為にこんな事をしたっていうの!?」

 

リナと同じ顔をした少年二人も裴晴を睨んでいた。

 

「アンタ…絶対許さない…!」

「無能な強者がよく吠える…」

 

別に許されると思っていない。

罪を背負い、罰はいずれ受ける。

 

「時間がない。お前らを最後の贄にしよう。俺達の"夢"の糧となれ」

 

宣言と共に異形の"尾"が更なる奇形へと変じる。

鋭利の足の様な部分が作りかわり、総てムカデの鋭い牙を象り、蠢き始めた。

その異様な光景に残った三人の背筋に戦慄が奔った。

目の前の存在は自分達が出会ってきた虫や虫憑きとはまるで違う。

異質、と形容するしかないほど理解の外側にいる生き物に見えた。

三人の少年少女と3匹の虫は陣形を組んで、これから来るであろうと裴晴の攻勢に対処しようとしたその時、

 

「目標確認!捕獲しろ!」

 

いつの間に近づいていたのか。

空き地を大勢の白装束が包囲していた。

皆一様に顔を大きなゴーグルで覆い隠し、ベルトのついた白いロングコートで身を包んでいる。さらに彼らの側には数匹の虫がいた。

号令が響き、白コート達が一斉に襲いかかってくる。

 

ーー特別環境保全事務局

 

虫憑き捕獲、隔離する為の政府機関からの襲撃であった。

 

「摩理、まだ動けるな?走れ」

 

流石に数が数なだけ摩理を支えていては対処が出来ない。裴晴は摩理を解放し、逃げるように促した。

彼女から手を離すと、裴晴は本日初めて完全な戦闘大勢に入る。

同化した肉体は今までとは比べるもなく強化され、左右の腕は人の手とは思えない…まるで竜の巨大な鉤爪を彷彿とさせる硬く、鋭い形状へ変化させた。

異形の"尾"も二又に分かれ、更に人間離れた姿に拍車を掛けた。

先程とは様子が違う事に特環の局員やレジスタンスの少年達が尻込みする。

その隙に摩理が戦場から離脱しようと足を踏み出そうとしたら、

 

「どこへ行くの"ハンター!"」

「……!」

 

天道虫が摩理に向かって翅を広げた。

咄嗟に槍を振るって迎撃しようとしたが間に合わず、衝撃波が摩理の胸を直撃した。

 

「摩理!!」

 

悲痛な声が摩理の耳に届いた。

裴晴が怒りと不安の入り交じる表情で包囲している特環局員を薙ぎ払いながら駆け寄ろうとしてきた。

そんな彼の姿に、摩理は初めて見る表情だと場違いな感想を懐きつつ、呼吸の苦しさも胸の痛みも忘れ、微笑を浮かべた。

大丈夫だ、という遠回しな意思表示。

摩理は銀槍を振り回し、裴晴が広げた包囲網の穴を抜けて戦線を離脱し、路地裏へと駆け込んでいった。

 

「一人抜けたぞ!逃がすな!」

 

特環局員の誰かが逃げた摩理の追跡を命じる。

戦闘中の局員数人がその方向へ向き直り、駆け出そうとするが、

 

「誰が通すといった?」

 

冷たい声音が彼らの耳に入り、次の瞬間、意識を喪失させる。摩理が逃げた路地裏の前に裴晴が立ち塞がっていた

 

「くっ…"死神"か!」

「ここから先は一歩も行かせない」

 

宝物を守護する"龍"が如く。

特環の局員やリナ率いるレジスタンス組織に向かって言い放つ。

裴晴は虫憑きになってから高め続けた己の異形の爪と尾を以って広場に立っている総ての虫憑きの蹂躙する為に動き出した。

この日初めて公式の記録上、特環は裴晴をその異質さと脅威度から、史上二人目となる"異種一号"に指定された

都市伝説と揶揄されていた"黒の死神"は遂に表舞台へと上がることになった。

 

 

 



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エピローグ

短いです。


 

 

朝日が登り、空き地に微かな光が指し始める。

かなりの時間が経過したが、裴晴の周りには立っている者は居なくなった。虫を殺され、欠落者となった者。身体を過度に痛めつけられ意識を保てず、地面に這い蹲る者。

数多居た特環局員が残らず壊滅した。

レジスタンス側の虫憑き達は乱戦の最中、ドサクサに紛れて逃げ延びたようだ。

 

「逃げ足だけは早いな」

 

戦闘体勢を解いて周囲を見渡す。

空き地の至る所に大穴を開け、周りの建物はほぼ全壊している。激しい戦闘の痕跡がまざまざと残っていた。

 

「行くか…」

 

少し一瞥しただけで裴晴は踵を返し、摩理が消えた路地裏の方に足を向ける。摩理を追うために彼女の気配を辿り、路地裏の中へ入っていこうとすると、

 

「アリア・ヴァレイの変異型……凄まじいな、無指定が束になろうと歯も立たないか」

 

摩理が逃げた通路の向こう、薄暗い道の先から何者かが裴晴に話しかけてきた。

影が存在を覆い隠し、かろうじて人のシルエットしか見えず、性別も身長も判断がつきにくいが、声質から若い少年だと思われた。

 

「誰だ?」

「ーー"不死"の虫憑き」

 

問いに暗がりに居る人影は短的に答えた。

 

「特別環境保全事務局本部長、一玖皇嵩か…」

「ほぅ…。総ての虫憑きから"死神"と怖れられている男に知られているとは驚きだ」

 

不死と死神。

相反するモノ同士が向かい合い、対峙する。

尾を顕現させずとも、裴晴の意識は戦闘体勢に移行していく。

 

「そこを退け。俺はその先に用がある」

「あの槍型の元に行くのか?止めておけ"死神"。貴様ではあの女は救えん」

 

人影が嘲笑し口元を歪めて言った。

言われずともそんな事は分かっている事だ。

今、この場で摩理を救うことは事実上不可能だろう。

でも、裴晴は摩理を救えるという確信を持っていた。

 

「あぁ、そうだな。今のままでは救えない。だから、俺は未来に賭ける事にした」

「なに…?」

「"死"を恐れ、"生きる"事に背を向けたお前には一生理解出来んさ、一玖皇嵩」

 

死を怖がらない人間はいない。

いつか人間誰もは死ぬものだ。

それは裴晴も例外ではない。

不死は死なないだけの生きている振りをした人形だ。

 

「邪魔だ、残骸。俺達の"(ミライ)"の続きを妨げるな」

「貴様ーー」

 

裴晴の台詞に皇嵩は顔を歪めた次の瞬間。

高速で形成された四つの鋭利な触手が皇嵩の身体に貫いた。

普通の人間なら致命傷…否、即死しているが、

 

「無駄な事を…」

 

触手に刺し貫かれているにも関わらず、皇嵩は顔を上げて皮肉な笑みを浮かべた。

モゾモゾと貫かれた腹の辺りが黒い虫が沸き出て蠢き出す。

 

「それがお前の"不死"か。厄介な特性だ」

「あぁ、お陰で死にたくても死にきれない」

「だろうな。だが、対抗策は思いついた。次会うときは必ず"殺してやる"。楽しみにしておけ」

 

腹を貫いたまま、裴晴は皇嵩の身体を適当な方向へと投げ捨てた。皇嵩の身体は放物線を描きながら、ビル群の向こう側へと消えていく。

皇嵩を退けると、裴晴は改めて路地裏を駆け抜け、摩理の気配がする先へ移動する。

気配を辿り、薄暗い路地を駆け抜け、ビル群を横切り、赤牧市の中央…高級住宅街の一角に辿り着いた。

タン、ととある一軒家の屋根に降り立つと、視線の先には白衣に身を包んだ長身の青年が摩理を抱えて立っていた。

 

「摩理!」

 

早朝には場違いな声が住宅街に響く。

脇目も振らず、ただまっすぐ裴晴は摩理の元へ駆け寄った。

近づいてくる裴晴に気づくと青年は華奢な摩理の身体を彼へと明け渡す。

 

「君は賭けに勝ったようだ」

 

青年がそう声を掛けるが、裴晴の耳には届いておらず、明け渡された摩理の身体が無事なのを確かめるのに意識を向けていた。

身体は冷え、顔は蒼白いが、摩理の心臓はまだトクントクンと脈を打っている。

生きているのは確かだが、その相貌には感情といったものが欠落していて、人形のような状態になっていた。

 

「まさか…欠落者に…?」

 

裴晴は予期せぬ状態に愕然とした。

想定外の邪魔で時間をロスし、ギリギリだったのは確かだ。

先のままでは摩理は"死"を迎えるしかなかったのは否定出来ない。

虫を殺し"欠落者"の状態にして、延命を図るのは計画の一部にはあったが、それを摩理には伝えていない

まさか、自らの意思で無理やり虫に夢を喰わせて欠落者になるなど考えもしなかった。

 

「君って奴は…」

 

ー一緒に夢の続きを見続けよう。

ーーまた、明日ね。

裴晴や亜梨子と交わした約束を守る為に、摩理は最後まで抗ってくれたのだ。

ならば、裴晴の為すべき事は一つ。

 

「安心しろ、摩理」

 

必ず救う。

親友の傍らに飛び立った君を迎えに行く。

それがこれから千堂裴晴が為さなければならない事だ。

裴晴はいつも戦闘用で使うような巨大な触手ではなく、細く繊細な触手を展開し、摩理の身体に纏わりつかせた。

 

「始めよう」

 

そう宣言し、裴晴は自身の能力の深奥を解き放った。

彼の虫、タツノオオムカデには《蟲喰い》という特性の他に《変成》という能力がある。

それは身体構造を彼の意思で自由自在に作り替えるものだ。

彼の強靭な肉体と攻防能力、また再生能力はこの《変成》によって齎されたものだ。

蟲喰いによって際限なく高まる力のリソースを総て身体能力と《変成》にまわしているが故に、裴晴は誰よりも強力な個体として存在しているのだ。

では、普段総てに偏らせているリソースをある一点に集約すればどうなるか。

 

「後、少し」

 

答えは自明。

他人の虫を喰らい、奪った"夢"のエネルギーを

摩理の胸…心臓のある付近を中心に同化させた幾重もの触手に集約させる。弱り果てた彼女の心臓を正常なものへ細胞レベルで"変成(つくりかえ)"ていく。

 

「これで…よし…か?」

 

時間に関しては僅か数分。

だが、本人からしたら神経をすり減らし体感時間はそれ以上の…虫憑きによる初の試み、心臓再生手術が無事に終わりを告げた。

 

「"先生"。病院で検査をお願いします。たぶん成功していると思うんですが…」

「うん…心音は正常だ。念の為にCTを取るよ」

 

横たえた摩理の身体に青年は聴診器を当てて軽く診た。弱っていた心臓の鼓動は正常なモノとなり、異常はパッと見では見られない。

成功したと言っても良いだろう。

身体に不具合は出ないか、精密検査をしなければならないのは当然だが。

 

「お願いします。俺は後、野暮用を済ませてから向かいますので病院への言い訳は任せますよ」

「分かった。それなりのシナリオを言い繕っておくさ」

 

青年は摩理を抱き抱えると、霞の様に一瞬で裴晴の前から姿を消した。

計画を最終段階に移行させるため、裴晴は屋根を蹴り、住宅街では一際目立つ屋敷へと向かった。

その屋敷の主は、一之黒涙守。

摩理の親友にして、裴晴の友人…一之黒亜梨子の生家である。

屋敷の敷地内に侵入すると、事前に調査を済ませた間取りの通りに屋内を移動し、誰にも見られずに涙守の書斎へ入った。

 

「誰だ」

 

早朝であるはずなのに、書斎の執務机には既に目的の人物が席に座り、書類を片付けていた。

 

「はじめまして。一之黒涙守さん…いえ、敢えてこう言いましょう…"円卓会会長殿"」

 

裴晴の台詞に男性、涙守の眉がピクリと跳ねた。

 

「俺は千堂裴晴。亜梨子さんの友人で、虫憑きです」

「な、んだと…」

 

驚愕を顕にする涙守に、裴晴は畳み掛ける様に告げる。

 

「少しご協力願いたい事があります。引き受けてくれますか?」

 

その声音は優しく提案しているように見えるが、問われた涙守本人として、選択肢なし容赦のない脅迫にしか聞こえなかった。

涙守には、裴晴の要求を突っぱねる切り札はなく、娘の名が出てきた以上、最早王手を掛けられているに等しい。

政界、経済界に太いパイプを持ち、かなりの権勢を誇る涙守でも、あからさまな弱点を押さえられては彼の頼みを引き受ける以外になかった。

 

 

 



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第一章 夢護る竜尾
第一話


プロローグみたいなもの。
短いです。


 

 

 

広い簡素な病室の中。

ベッドに静かに眠る少女の傍らで、眼鏡を掛けた少年が丸椅子に座り、本を読んでいる。

一年が過ぎ去ってもこの病室に変化はなく、唯一生活感示す本棚は綺麗にされて、いつでも部屋の主が眠りから覚め、読書が出来る状態に保たれていた。

 

「こんにちは〜」

 

ドアがノックされ、病室の中へポニテールヘアの少女が入ってきた。彼女は病室の主である少女の唯一無二の親友だ。

眼鏡の少年は読んでいた本を一度閉じて彼女を迎える。

 

「や、亜梨子さん。早いね」

「お稽古が無いから、早く来れたの。裴晴君はいつも私より先に居るわね。ちゃんと学校行ってる?」

「クラスが違うとはいえ、廊下ですれ違うと思うんだが?」

 

裴晴の指摘に亜梨子はあはは、と誤魔化すように笑って返した。

 

「まぁ、そんなことよりも、"摩理"は?」

「いつもよりは顔色は良いよ」

 

そう言うと、裴晴は座っていた丸椅子から腰を上げ、席を亜梨子に譲る。

入れ替わりで席に腰を下ろすと、亜梨子はベッドに横たわる眠り姫の手を取った。

 

「こんにちは、摩理。今日はお加減良いみたいね」

 

あれから一年。

原因不明の意識不明状態に陥った親友へ亜梨子は語りかける。

今でも思い出す。

いつものように亜梨子が見舞いに訪れると、そこには病状を急変させ、手術で何とか持ち直したものの、意識不明となった親友の姿があった。

反応は勿論ない。いつ覚めるかも分からない…もしかしたらこのまま目覚めないかもしれないと頭の片隅に置いていても、亜梨子は摩理へ話す事を止めはしない。

摩理がまだ元気な時と同様に学校で起こった当たり障りのない事を話していると、面会時間が終了する。

 

「むぅ…家が出資してるんだから少しは面会時間を考慮してくれても良いと思わない?」

「職権乱用だよ。それに亜梨子さんのお父さんが出資してるんであって、君がしてる訳じゃないからね」

「そうだけど…私、知ってるんだからね。裴晴君、一回だけ面会時間延長されたことあるでしょ?摩理から聞いたんだから。"恋人"だからって優遇されるのは狡い」

「コイツは…」

 

眠り続ける摩理を裴晴は余計な事を言うなと、いった目で睨みつけてから亜梨子に言う。

 

「別に俺と摩理は付き合ってはいないよ」

「お揃いのペアネックレス付けてたくせに何を今更」

 

ーー外したら泣くから。

プレゼントしたその日、摩理と約束した通り、裴晴はずっと彼女から贈られたネックレスを着けている。

摩理も本来なら、揃いのネックレスが首から提げられていたはずなのだが、彼女の方のネックレスは今はある人物にお守りとして渡している。

時が来れば、いずれ二人の手元に返ってくるだろう。

 

「もしかして…告白してないの?」

「一度でもしてるように見えたか?」

「一緒に居るとその辺り、私も分からないわよ。摩理もそういう事は話さないし」

「いや、如何に友人とはいえ与り知らないとこで赤裸々に語られているのは困る」

 

摩理個人の話ならともかく、こと恋愛話となると裴晴にまで問題が飛び火してくる。それは勘弁願いたかった。

 

「まぁ、彼女が起きたらちゃんと言うさ」

「ふーん…」

 

亜梨子は探る様な眼差しで相槌を打つと、話を切り上げて椅子から立ち上がる。

 

「それじゃあね、摩理。また明日」

 

別れの挨拶を告げて亜梨子が病室を後にする。

裴晴も摩理へまたな、と軽く告げて亜梨子の後を追う。廊下を一緒に歩き、正面玄関を通って病院から出る。

病院の前には黒塗り車が止まり、誰かを待っていた。

亜梨子の迎えだと察しはつく。

 

「じゃあ、亜梨子さん。俺はここで」

「え?どうせだから一緒に乗っていったら?」

「いや、この後、地方から出てくる従弟を駅で出迎えないといけないから。遠慮させてもらうよ」

 

裴晴は亜梨子と別れると、言葉通り、駅を向かった。

駅構内に入り、改札口前で待ち合わせの人間が来るのを待つ。

予定されていた電車が到着したのを時計と構内アナウンスで確認すると改札口から出てくる人間をチェックしていく。

注視していると、裴晴の視界に待ち人と思われる事前に知らされていた容姿と同じ少年がボストンバックを肩に掛けて現れた。

改札口を通りぬけ、キョロキョロと辺りを見渡して誰かを探している。

裴晴はその少年の元に寄っていった。

 

「時間通りだな。"かっこう"」

「お前は……」

 

コードネームで呼び、声を掛けてきた裴晴に少年が怪訝な視線を向けてきた。

 

「中央本部戦闘班所属"異種一号"オオムカデだ。遥々、赤牧市にようこそ」

「お前が一年前、中央本部を騒がせた"死神"か」

「初対面でご挨拶だな。まぁ、良いけど」

 

少年の不躾な挨拶に裴晴は肩を竦めると彼に背を向ける。

 

「時間も時間だ。今日の泊まるホテルに案内する」

 

裴晴は少年を引き連れて駅のタクシー乗り場に移動する。乗り場のタクシーに乗り込み、彼が今日泊まるビジネスホテルへ向かう。

 

「これがホルス聖城学園の生徒手帳とIDカードだ。絶対に失くすなよ?拾われて調べられたら面倒だ」

 

タクシー車内で、少年が行う任務に必要な物品を支給する。

 

「あの学校のセキュリティ、そんなに厳重なのかよ…」

「偏差値はそこそこだが、授業料が飛び抜けて高い上流階級の子息子女が通う学校だぞ?厳重に決まってるだろ」

「なんでお前は入れてるんだよ」

「金は知り合いに工面してもらって、あとは実力で入った。君みたいに不正はしちゃいないよ」

 

少年も別に不正というわけではないが、入学入試や授業料も払わずに校内に潜入しようとしているのだから犯罪と云えば犯罪。政府公認と注釈が付くが許されることではない。

 

「今回の俺は傍観者だ。ターゲットが動いたら制圧は君に任せる」

「は?捕獲はお前ら戦闘班の仕事だろ」

「ホルスは俺のホームグランドで実際に通ってる学校だぞ。俺が直に動くのは不味いんだ」

 

裴晴が動けば簡単に済む話ではあるが、今回ばかりは場所が場所なだけに迂闊に動けない。

学園生に"虫憑き"と知られる可能性は極端に排除しなければならないのだ。

 

「君の言う通り、戦闘班の仕事だから俺の率いる零番隊の人員を君のサポートに回すけどな」

「そいつらが捕獲するんじゃ駄目なのか?」

「可及的速やかに動く必要がある場合、近い君が適役だろ?」

 

裴晴の率いる本部戦闘班零番隊は、号指定クラスの虫憑きを相手どる為に編成された戦闘班内の特殊部隊だ。他の戦闘班とは戦力が一線を確しているのでおいそれと出動出来ないのだ。

 

「まぁ、無指定相手に俺らが出るのは上の連中が良い顔しないんだよ。俺達零番隊の主任務は本部防衛なんでな。只でさえ、一年前までヤンチャしてた俺が率いてるだけに裏切りを警戒されて目の届く範囲に置いておこうとするんだ」

 

"死神"と呼ばれ、総ての虫憑きから怖れられていた少年が特環に入局するという話は当時、組織各所で紛糾が起きた。身の内に核爆弾を抱え込むものだという意見も出た。

しかし、それら全ての反意は局上層部と政界からの鶴の一声で翻り、裴晴は異例の入局時点で一号指定、戦闘班、新設零番隊の隊長という地位を確立したのだった。

 

「と言う訳で。今回の対象を捕獲、或いは虫の殺害は君に任せる事になった。ご理解頂けたかな、薬屋くん?」

 

少年、薬屋大助に裴晴は意地の悪い笑みを浮かべて言った。

 

「なんで俺なんだよ…。俺は本来、東中央支部所属だぞ?」

「知らん。全部、上の決定だ。従うしかない」

 

所詮お役所仕事。

上の命令とあらば、その通りに動くしかないのだ。 

話をしている間に、二人を乗せたタクシーは目的のビジネスホテルに辿り着いた。

 

「予約は千堂で取ってるから受付でちゃんと名前言ってチェックインしろよ?」

「子供扱いすんな」

「いや、俺もお前も子供だからな」

 

反論する大助に裴晴は苦笑しつつ、今回の滞在費を渡して、彼がホテルの中へ入って行くのを見届けると、踵を返して家路に着いた。

 

 

 



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第二話

いつの間にか日刊一位に…。
評価して下さった皆様、誤字報告をして下さった方々。
ここで感謝を申し上げさせて頂きます。
誠にありがとうございます。
これからも精進し、鋭意更新させて頂きます。


 

 

 

翌日。

学校を休み、朝から裴晴は特別環境保全事務局、中央本部に出頭していた。

赤牧市の地下深くに隠された巨大施設の第6層。

白一色に囲まれたミーティングルームに彼は居た。

広い室内には円卓と椅子があるだけで余計なものは一切ない。高い壁の上部は四方が色の違う材質で囲まれている。マジックミラーになっていて、向こう側には局員が数名くらい待機しているのだろう。

余りにも無駄な備えとしか言う他ない。

 

「何を企んでいるんですか?」

 

室内に居るのは二人だけである。

裴晴と円卓を挟んで向かい合っているのは長身の女性だった。

パンツスーツを着た、細い目の下にあるホクロが艶やかな美人である。

 

「なにがですか?」

 

中央本部副本部長、魅車八重子の問いに、裴晴は惚けた調子で聞き返した。

今の彼は学生ではなく、戦闘班零番隊隊長"オオムカデ"千堂裴晴としてここに居た。

黒いロングコートを纏い、彼女と相対する姿は普段の彼とは雰囲気がガラリと違って見える。

 

「何故、東中央支部所属の"かっこう"をわざわざ呼び出したのですか?」

「なんの話ですか?彼を招聘したのは貴方がた上層部でしょう。俺は何も関わってませんよ?」

 

嘘である。

八重子の指摘通り、大助を中央本部に招聘するように画策したのは裴晴であった。

だが、当初から大助が中央本部に来るのは決定していた。裴晴がしたのはちょっとした八重子に対する嫌がらせのような小細工である。

 

「もともと、彼を呼ぶことにはなっていたと聞きました。俺の意思が介在する隙はないように思えますが?」

 

あからさまで白々しい程の惚け方だ。

異常なまでに面の皮が厚すぎる。

 

「では、彼の預かりが本部そのものでなく、貴方の零番隊になっているのはどういうことですか?」

「さて?奇妙なことがあったものです」

 

鎖の笑みと道化の笑みがぶつかり合う。

狐と狸の化かしあいは平行線となる。

 

「まぁ、良いでしょう。しかし、彼が何かミスを犯せば、その責任は貴方に振り掛かります。よろしいですね?」

「どうぞ、ご随意に」

 

八重子の言葉を歯牙にも掛けず彼は微笑みを崩さない。

例え問題が起きたとしても裴晴に類が及び降格などという処分が降る確率は低い。

彼のバックには政界、経済界関係の権力者すら無視できない存在が控えている。

幾ら八重子でも、おいそれと彼に対して干渉出来ないのだ。

 

「話が以上なら失礼させてもらいます。これから俺の持ち場で荒事が起きそうなもので」

 

裴晴は一礼し、白い部屋から退出しようと踵を返す。

 

「余り下手な考えは起こさない事です、千堂裴晴」

「肝に命じておきますよ、魅車副本部長殿」

 

穏やかな笑みを崩さず、警告めいた台詞を投げかけてきた八重子に、裴晴は振り返ることなく、挑発的な口調で返事をした。

部屋から廊下に出ると、裴晴と色違いの白いロングコートを身に纏い、顔にゴーグルを掛けてコートのフードで頭を覆った三人の局員が待っていた。

 

「裴晴さん、ご苦労様です」

「あぁ、早速だが歩きながら今の状況を聞かせてもらえるか?」

 

裴晴は三人を促すと長い廊下を歩き出した。

三人の局員は追走し、その内の一人が裴晴と横並びになり、報告を始める。

 

「0730、対象は普段通り、学校に登校。今は目立った動きを見せていません」

「"かっこう"は?」

「同時刻、問題なく校内に侵入。対象の監視を開始しています」

 

廊下の終わりに来ると上に行くエレベーターがある。

四人はエレベーターに乗り込むと上の階のボタンを押して上層に移動する。

 

「配置は誰が付いている?」

「"ギラファ"が近場に控えています」

 

出てきた名前は無論、裴晴の配下。

攻撃に特化した虫憑きだ。

 

「"ハンミョウ"は?」 

「即座に"領域"が展開できるよう、かっこうの支援を兼ねて一足早く登校しています」

 

裴晴が名指ししたのも彼の部下。

中でも特殊型と呼ばれる虫憑きで精神干渉系の能力を持ち、《領域支配》という技能に特化している。

 

「我々はどうしますか?」

「"ヴェスパ"は"薄羽"や"アトラス"と共に本部待機。主の防衛任務に従事しておけ」

「了解」

 

裴晴に報告していた少年…"ヴェスパ"というコードネームを与えられた彼は首肯した。

エレベーターは上の階に到着し、地下から地表に舞い戻った。

 

「第四層に収容している"リナ"にも警戒しておけ。施設内で着々とシンパを増やしている。局員が影響されていないか、内密に調べろ」

「リストアップしておきます」

「号指定員が居た場合は、特に優先で報告してくれ」

 

と、言いながら裴晴は着ていた黒いロングコートを"ヴェスパ"に預けた。

コートを脱ぐとホルス聖城学園の制服が露わになる。

 

「俺はこのまま学校に向かう。何かあれば、ギラファは個人の判断で動けと伝えてくれ。"ハンミョウ"には電話で昼休み中に保健室を制圧しとけと連絡を入れろ」

「はい。お気をつけて」

 

事後の指示を出し終えると、裴晴は偽装として上に建てられている赤牧市民族資料館から外へ出た。

途中でタクシーを拾い、学園へと走らせる。

学園に着くと午前中の授業は既に終了し、昼休みに入っていた。門の守衛に事情を話し、IDを通してなんなく登校するとクラスに素知らぬ顔で溶け込んだ。

昼休み中に"かっこう"と接触しようと携帯に電話し、場所を教室前に指定して呼び出す。

数分してホルス聖城学園の制服を着た大助が教室の扉に近くに姿を見せ、裴晴は自然に席を立ち、彼の元へ近づいた。

 

「人の多い場所に呼ばなくても良いだろ。目立つ」

「人を隠すなら森の中。内緒話を伏せるなら喧騒の中だ」

 

不機嫌そうな顔で文句を言う大助に裴晴が苦笑しながら答えた。

 

「で、どうしたんだ?」

「ウチの隊員を内外に一名配置した。対象が行動を起こした場合、即座に動けるぞ」

「昨日の今日で随分手回しが良いじゃないか」

「一応、零番隊は独自行動を許された遊撃部隊だからな。色々と自由が聞くんだよ」

「それはまた…上層部に睨まれる訳だ」

 

一号指定で一部の輩の間では"かっこう"を凌ぐ最強の虫憑きと裴晴は謳われている。

そんな存在、独立行動権を有し、直轄の部下まで居るとなると特環も気が気ではないだろう。

いつ、牙を剥くか分かったものでない。

 

「お膳立ては整えた。後はお前次第だ」

「了解だ…。要件はそれだけか?」

 

大助に他にないか聞かれ、裴晴は顎に手を当てて少し考え込む素振りを見せると、言いづらそうに口を開いた。

 

「もう一つ。校内探索中にポニーテールの髪型をした女子生徒を見つけたら、全速力で逃げろ」

「ポニーテールの女?ソイツがどうかしたのか?」

「俺の友人でな。とある事情から"虫憑き"を探している。下手にバレたらしつこく付き纏われるぞ」

「お前…ソイツと一緒に居るのによくバレないな」

「隠すのは得意でな」

 

現に特環に入局するまで裴晴の素顔を知られた事は一度もなかった。

 

「まぁ、留意してくれ。お転婆で少し無鉄砲な所がある」

「お前、心休まる時あるか?」

「勿論。だからこうして長生き出来てんだ」

 

そうでければ、当の昔に裴晴は虫に夢を食い尽くされている。今もこうして生きていられるのは最愛の少女との約束と夢の続きを見るという誓いがあるからだ。

 

「因みに付け加えると彼女は武道の練達者だ。薙刀持たせたら鍛えてる俺でも十中八九、負ける」

「……嘘だろ……」

 

虫憑きの中でも怪物と称され、"死神"とまで呼ばれた男が負けると断言する相手。本当に人類か疑いたくなる事実だ。

 

「話は以上だ。あまりウロウロして目立つなよ」

「分かってる」

 

大助と別れると丁度、昼休み終了のチャイムが鳴り響いた。

午後の授業が始まる。

普段の裴晴ならばそのまま授業を受けるが、今日はそうしない。

五時限目の担当教師に具合が悪いと嘯き、保健室に行きたいと告げて、授業を合法的にサボる。

実際に保健室には行くので嘘ではないが、大人しくベッドで寝てる気は更々ない。

教室から保健室に移動し、ドアをノックして入室すると室内は視界を覆うほどの霧に包まれ、微かな果物の甘い匂いに満たされていた。

 

「制圧は完了しているようだな、"ハンミョウ"」

「えーえー。アナタの仰せのままに致しましたわ"オオムカデ"様」

 

霧の奥から裴晴に呼ばれ、学園の制服を着た少女が肩に金属光沢のある緑色した"ハンミョウ虫"を留めて現れた。表情には不満の色が帯びている。

 

「保険医は?」

「ベッドに寝かせています。来る生徒も精神操作でお引き取り願っていますわ」

「それは重畳。かっこうがおっ始めたら、予定通りにやってくれ」

「分かりました」

 

ハンミョウと呼んだ少女に指示を出すと、裴晴は保険医が毎日座っている椅子に腰を下ろしてポケットに入れていた文庫本を読み始めた。

 

「宜しいのですか?そんな呑気に読書なんかしていて。副本部長に呼び出されたと聞きましたわよ?」

「問題ない。副本部長の用件はかっこうが俺ら零番隊の管理下に入るということに対する疑念の追求だった。あの女は俺を追い落とせる材料探しをしてるらしいな」

 

入局して一年近くしか経っていないが、裴晴の中央本部での権勢は虫憑きとは思えないほど強大になっている。控えている後ろ盾が後ろ盾なだけに、特環は現状、裴晴を持て余していた。

それこそが裴晴の狙いでもあるのだが。

 

「現状、あの女が俺をどうこう出来はしないから気にするだけ無駄だ」

「余裕ですわねぇ」

「余裕じゃなくて事実だ。封殺して見動きできなくしても良いが残念ながら今は俺個人の目的優先だ。あの女にはまだ生きていてもらわないと困るから排除しないだけだ」

 

八重子の存在は忌々しいが今の日本情勢下に必要だ。

遠からず始末をつけるにもしても、まだ特環の音頭を取っていてもらわねば困る。

 

「本当に怖い(ヒト)。"かっこう"の方がまだ可愛げがありますわ」

「言ってろ」

 

からかうように微笑むハンミョウと呼ばれた少女はそれ以降、裴晴との会話を切り上げ、ポケットから携帯を取り出して弄りだした。

今時の学生らしい仕草である。

裴晴は特に咎めることはせず、彼女のやりたいようにやらせ、読書に没頭する事にする。

そうしている内にニ時間ほど経過し、午後の三時を回った頃。

どこからか悲鳴とガラスの割れる音がした。

警報が校舎内に響き渡り、辺りがざわめき出す。

 

「出番だ、ハンミョウ」

「はいはい」

 

少女は保健室の扉を開けて充満させていた霧を校内に解き放った。いつのまにか肩に止まっていたハンミョウ虫の姿が消えている。

霧はよく見るとキラキラとした光沢を帯びた緑色の粒子状のモノが混ざり合っていた

密室から開放された霧は薄く、広く周囲に散布されたことで普通の人間では感知できないほどの濃度となり、空気中に溶けていく。

 

「これで良いですわ。騒ぎは直ぐに収まりますし、襲われた生徒の記憶操作も楽に出来るでしょう」

「そうか。では、そちらは任せた」

「お任せを。あ、ギラファから連絡ですわ。対象は逃亡…現在、かっこうが追跡中。今その後追随してるようです」

「分かった。体制は現状を維持。捕獲対象、"播本潤"の処遇はかっこうに任せるとしよう」

 

携帯に受信される仲間からの報告を読み上げる少女。

無傷で確保するもよし、虫を殺して欠落者にするもよし。対象の扱いは大助に押し付ける事にして、裴晴はこれからの事後処理をどうするかを考え出す。

 

「あ、更に追伸……貴方の友人の一之黒さんが同じクラスのお友達を連れてタクシーに乗り込んで、播本潤を追跡してるみたいですわ」

「ぶっ!」

 

更なる情報に裴晴は思考が乱れ吹き出した。

頭痛を覚えるほどの厄介な知らせに裴晴は頭を抱える。

 

「……あのお転婆娘はなにしてんだ?」

「どうされますか、隊長?」

「……はぁ…」

 

聞いてくる少女へ直ぐに応えず、裴晴は深い溜息を漏らしながら口を開く。

 

「…ハンミョウは学園側の事後処理をしろ。記憶を改竄し、事件を揉み消せ」

「かしこまりました。けれど、いい加減記憶の改竄だけでは整合性が取れないケースが出て来ていますわ。やはり人工物の損壊とかは誤魔化せませんから、改竄しても思い出してしまうかもしれません」

「今回も最悪、それでいい。物質の修復に関してはアテがある。近々引き入れるつもりの虫憑きがそういう能力だ。暫く辛抱しろ」

 

裴晴はそう言うと、少女に背中を向けて保健室の扉に手を掛けた。

 

「隊長はどちらへ?」

「阿呆娘を迎えにいってくる。ギラファにはメールで俺が着くまでに危険な状況になったら即座にかっこうの支援に入って播本を始末しろ、と伝えろ」

 

メールで送ってもらう内容を伝え、裴晴は足早に保健室から出ていった。

廊下から正面玄関へと走り、学校を抜け出すと危険の渦中に飛び込もうとしている大切な少女の唯一の親友を守るため、裴晴は赤牧市内のビル群を一年ぶりに疾走した。

 

 

 



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第三話

 

 

 

夕日を背にした巨大な高層ビル。

海岸線に近い開発地に建てられたコの字型の建築物は数ヶ月後のオープンを控えており、敷地内は照明でライトアップされている。

コの字の位置する空間には展望台でもある巨大な球体が浮かんでいた。

有刺鉄線の一部が破れ、真新しいアスファルトは靴跡がくっきり残り荒れている。

 

「ビンゴね。行くわ」

 

亜梨子は侵入者と同じく破れた部分を潜り、中へ入ろうとする。

 

「あの…どうして、亜梨子さんが?その警察……とか……」

 

亜梨子に付き添ってきた少女が彼女の手を掴んで止めた。

 

「警察に知らせたいの?」

 

少女は考え、直ぐに首を横にフルフルと振った。

亜梨子は微笑む。

 

「だから、あたしが行くわ。あたしも彼に会って確かめたいことがあるの」

「確かめたい……こと」

「虫憑きって一体、何なんだろうね?」

 

言い、亜梨子はにっこりと笑い掛ける。

少女はキョトンとした顔をする。

 

「お前らは、邪魔だ。ここに居ろよ」

 

二人が話している中、すぐそばから、声がした。

亜梨子達は驚いて振り返る。

そこには漆黒のコートを纏った少年が立っていた。

 

「余計な手出しをすると、怪我じゃ済まなくなるぞ」

 

ゴーグルで顔を隠した少年は冷たく言い放つと、亜梨子達の横を通り過ぎようとする。

だが、亜梨子は腕を掴んで止めた。

 

「あたしたちを尾けてきたのね」

「播本くんを、どうするつもり?まさか、殺ーー」

 

亜梨子の言葉に少女は青褪める。

 

「殺しはしない。"虫"を殺して、欠落者にするだけだ」

「……欠落者?」

 

亜梨子が首を傾げると黒コートの少年は律儀に意味を教えるつもりか、口を開こうとする。

 

「そこまでだ、"かっこう"。一般人に話す内容を越えている」

 

三人の前に白いコートを纏い、顔にはゴーグルを付け、頭にフードを被った少年が現れた。

突然、割って入ってきた白いコートの少年に黒コートの少年…かっこうが怪訝な表情を浮かべる。

 

「誰だ?お前」

「零番隊所属、火種五号"ギラファ"だ。隊長の命により、アンタをサポートに来た」

「"アイツ"の部下かよ。随分遅かったな」

「隊長と同じ同化型のアンタと一緒にしないでくれ。俺ら特殊型はピーキーなんだよ」

 

あんまりな言い様に白コートの少年…ギラファが呆れ混じりの非難する口調で言い返した。

 

「それよりも、だ。女の子と遊んでないでサッサと済ませようぜ?でないと、隊長が来てしまう」

「はっ?アイツ来ないって言ってなかったか?」

「事情が変わってな…」

 

ギラファはゴーグル越しに亜梨子を一瞥したが、かっこうは意味が解らずに困惑する。

 

「ほら、さくっと片付けちまおうぜ?」

「わっ、押すんじゃねぇ!」

 

亜梨子に掴まれていたかっこうの手を解き、彼の背を押してギラファはフェンスを乗り越えようとする。

だが、そんな二人に飛び掛かる影があった。

亜梨子の友人らしき少女だ。必死にしがみつき、叫ぶ。

 

「あ、亜梨子さん……!」

「ナイス、多賀子!」

 

少年達が怯んだ隙に、亜梨子は破れたフェンスを飛び越えた。去っていく後ろ姿を二人は見送る。

 

「おい、どうすんだ?」

「ヤバい、ヤバい、ヤバい、ヤバい…殺される、殺される、殺される、殺される!!」

 

亜梨子に逃げられ、かっこうが聞いているのにギラファは錯乱したように喚き出した。

 

「全く……おい、早く離せ」

「離したら……潤くんに何かするんですよね?」

「それが仕事だからな」

 

それが少年の与えられた任務である以上、立場上、彼にやらないという選択肢はない。

 

「なら離しません。亜梨子さんの邪魔もさせません」

「あのなぁ、遊びじゃねぇんだよ。四の五の言ってると力づくでーーー」

 

黒コートの少年が剣呑な雰囲気を醸し出すのを感じ、少女…九条多賀子は目をぎゅっと瞑り、恐怖心を押し殺して二人を逃がすまいと更に腕に力を込めようとしたその瞬間。

 

「漫才をしている場合か?」

 

頭上から冷酷な声音が振ってきた。

二人を拘束していた腕から力が抜け、だらりと多賀子の身体が弛緩した。

二人は何事かと戸惑いつつ、気絶したらしい多賀子の身体から逃れ立ち上がる。

 

「"ギラファ"。お前がついていながらなんだ?この体たらくは?」

「た、隊長…」

 

声を掛けられ振り返ると、そこにギラファの上司にである裴晴がホルス聖城学園の制服のまま、腰に手を当て、不機嫌そうに立っていた。

 

「お前もだ。かっこう。一般人相手に何を遊んでんだ?」

「遊んでたわけじゃねぇよ」

 

かっこうが肩を竦めて答えた。

 

「お前はどうしたんだよ。今回は傍観者じゃなかったのか?」

「……ウチのお転婆娘は来てないか?」

「…あぁ…あの女か。知り合いなのか?」

「共通の友人がいるんでな。知らない仲じゃない」

 

曖昧な回答に、かっこうは怪訝な顔をするが深く追求はせずに、フェンスの向こうへと視線を移した。

 

「これ以上、邪魔が入る前に終わらせるか」

「そうだな。ギラファ、かっこうのフォローに回れ。奴の居場所を突き止めろ。俺はーー」

 

と、この後の行動を言い切る前に裴晴が何かに導かれるように視線を高層ビルのある一角へ向けた。

 

「どうした?」

「場所が割れた。彼処のフロアに亜梨子さんと播本が居る」

「何で分かるんだよ」

「俺の"虫"の能力だ」

 

裴晴は詳しい説明はせずにそう告げると、かっこうとギラファに向き直った。

 

「二人は播本の所に。俺はバックアップとして控えておく。顔バレするのはゴメンだからな」

「分かった。おい、行くぞ」

 

かっこうがギラファを伴ってフェンスを飛び超え、ビル内部に侵入していった。

ビルの中へ消えていく二人の背中を見送ると、裴晴は目標のフロアへ再び目を移す。

 

「……やっぱり…そこに居るんだな"摩理"」

 

確かにタツノオオムカデは他の虫を感知する特性を持っている。

しかし、今感じたのは捕獲対象のものではなく、裴晴にとって半身に等しい最愛の少女の気配がするのを感じとったのだ。裴晴は二人のフォローをする為に少し回り込んでビルの敷地へと足を踏み入れていった。

階段を上がり、上のフロアへと移動していくと、戦闘が開始され始めたようで、破砕音と衝撃による振動が響き、外を見るとキラキラと窓ガラスの破片が落ちていった。

 

(穏便にいかないのは毎回の事か)

 

特環に入局以来、素直に確保された虫憑きなど、裴晴は片手の指程度しか知らない。

だから今回の捕物もタダで終わるとは考えていなかった。別にモノが幾ら壊れようが、顔も知らない他人が傷付こうが裴晴にはどうでもいい事だ。

彼にとって尤も優先すべきなのは、亜梨子の身柄と彼女に取り憑く摩理の分霊…モルフォチョウである。

亜梨子と摩理は裴晴にとって唯一の弱点と云えた。

徐々に目的のフロア近くの階に差し掛かると、ビルの窓ガラスから衝撃がきた。

まるで爆発を起こしたかのように一斉にガラスが砕け散る。

 

(これはまた…)

 

いつにもまして激しい戦闘だな、と完全に第三者の目線でその光景を眺めていると、虫の残骸らしきものと一緒に小柄な人影が落下していくのが目に止まった。

 

(っーな、にやってんだーー!)

 

条件反射に近い反応速度で、裴晴は割れた窓ガラスから外に飛び出た。

上から下へ向かう地球の重力に逆らい、落下する"亜梨子"を抱え込むと、裴晴は腰辺りから彼の武器である強靭で硬くしなやかな触手を四本生やし、ビル壁面に突き立てた。

 

「あああああーーー!!」

 

咆哮を上げる。

ビル壁に突き立てた触手は刺した箇所で止まる事はやはり不可能であった為、壁面を破壊しながら勢いを殺していく。

どうにか叩きつけられる前に、落下の速度を相殺し、無傷で地面へ降り立った。

息を荒らげながらも、裴晴は抱えていた亜梨子の身体を地面に横たえた。

 

「全く…生きた心地がしなかったぞ…こいつめ」

 

悪態を突きながら、気絶している亜梨子の頭を小突いてやる。

うーん、と唸り返してきたが無意識で口に出たものらしく、手に見慣れた"銀槍"を握りながら起きる気配はまるでない。

このまま放置していこうかと悪い考えが脳裏を過るが、安心の観点から裴晴は眠る亜梨子を抱え上げて、背中に背負うとこの場から立ち去ろうとする。

 

「どういうことか説明しろ」

 

足を踏み出そうとしたその時、背後から鋭い声が聞こえてきた。振り返らなくても、一体誰か分かっていたので背を向けたまま、返事をする。

 

「何の話だ?」

「惚けんな。そいつは俺やお前と同じタイプの虫に憑かれてた。けど、そいつ自身と一体化していなかった。どういう訳だ?」

 

どうやらタイミング悪く、かっこうにモルフォチョウの姿を見られたらしい。しかも、物体に同化して武器化したのも目撃されたようだ。

裴晴としては芳しくない状況である。

どう説明したものかと、思案していると背負った亜梨子の身体が愚図りだすのを感じた。

 

(ヤバい…しくじった)

 

亜梨子を背負いながら裴晴は冷汗を流す。

かっこうの追求から逃れるよりも厄介な相手に絡まれそうだった。

背中から感じる気配で亜梨子が完全に覚醒しようとしているのを処刑台に上がる囚人の気持ちで待っていると、彼女は目を覚ました。

 

「は、い…せいくん?」

 

亜梨子が気絶から起きて最初に目にしたのは、いつも顔を合わせている少年の横顔であった。

裴晴はここに及んで下手な言い訳を考えるのは止め、彼女と普段通りに接し始めた。

 

「おはよう、亜梨子さん。随分と派手な登場だったね」

「ふぇ?あれ、あたし…なんで。裴晴くんもどうしてここに居るの?」

「覚えてない?ビルの上層から落ちてきたんだけど」

 

裴晴は窓ガラス全面が割れ、多大に壁面が損壊した高層ビルだったものを指差した。

 

「そ、そうよ…あたし、落ちたはずなのに、なんで生きて……」

「摩理の思し召しかな?都合良く俺の目の前に落ちてきたから助けられたよ」

 

冷静に考えると本当に神がかったタイミングの良さであった。

 

「あ、あの高さよ!?ど、どうやって?!」

「種明かしはまたの機会にしよう。それよりも後ろの輩に色々説明しなきゃならないんだが…良いか?」

「へ?」

 

裴晴が顎で背後の方にいるかっこうを指すと、亜梨子は彼の姿を見た瞬間、忌々しげな表情を浮かべた。

 

「どうして、コイツが居るの?多賀子はどうしたのよ?」

「大人しく寝てもらった。命に別状はねぇよ」

 

律儀に多賀子の安否を知らせると、かっこうは話の本題を切り出す。

 

「答えてもらうぜ?"オオムカデ"。なんでその女は虫憑きでもないのに俺らと同じ"虫"を持ってんだ?」

 

かっこうから裴晴への質問に亜梨子が一番驚いた表情を露わにした。

動揺はしているようだが、亜梨子は声を荒らげて喚き散らすこともなく、裴晴の代わりにかっこうの質問に答える。

 

「私の"虫"じゃないわよ?この虫の持ち主は意識不明でずっと寝たきりなの」

「はっ?他人の"虫"に取り憑かれたっていうのか?あり得ない」

「そうは言っても実際そうなんだもの」

「…どうして、虫憑きに関わろうとする?」

「知りたいから」

「何を?」

 

亜梨子は裴晴に背負われたまま、唇を噛み、言う。

 

「虫憑きって一体何なのか……どうやって生まれて、そして…どうして、あんな終わり方しか出来ないのか……」

 

亜梨子の言葉を聞き、裴晴とかっこうは押し黙った。

ただの興味本位ではないことは気づいていたが、そんな事を考えていたとは、裴晴も知らなかった。

 

「君らしいな…」

「……?」

 

裴晴の苦笑混じりの呟きに亜梨子は首を傾げる。

一体、何が亜梨子らしいのか全く意味が分からなかったが馬鹿にされている訳でないのは声音から察せられたので深く追求はしなかった。

 

「だ、そうだ。納得したか、"かっこう"?」

「あぁ…。でも、本部には報告する。良いな?」

「やむを得ないだろうな…」

 

実際、今の今まで隠し通せていたのが奇跡だ。

これで八重子に弱みを知られる形となったが、亜梨子は裴晴の後援者の一人娘である。

裴晴を追い落とす為に特環にも多大な影響力を持つ彼の機嫌を損ねる真似はしないはずだ。

 

「そういえば…"ギラファ"はどうした?」

「アイツなら播本を移送させに行かせた。駄目だったか?」

「いや、構わないよ。今のお前の所属は零番隊(ウチ)だし、俺と同じ一号指定だ。部下は好きに使ってもらっていい」

 

と、言って裴晴は亜梨子をおんぶしたまま、その場を離れていく。

 

「ち、ちょっと裴晴くん!もう、大丈夫だから下ろしてよ?!」

「駄目だ。人に心配を掛けた罰だ。暫く辱めを受けるといい」

「な、なによ、それぇ!?」

 

ぎゃあぎゃあと暴れて文句を言う、亜梨子を無視して裴晴は歩みを進めた。

 

「お疲れさん、かっこう。また本部で会おう」

「あぁ…」

 

背中を向けたまま、かっこうに別れの言葉を告げると夕日に染まる高層ビルの敷地を後にする。

彼らの無事を祝うように、銀色のモルフォチョウが翅を羽ばたかせ、空を舞っていた。

 

 

 



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第四話

 

 

 

播本潤の一件は彼の不自然な「転校」という形で幕を閉じることとなって数日後。

亜梨子と大助は赤牧市中央病院の廊下を歩いていた。

受付とエレベーターを通過し、5階にやってきたところである。

数日前の一件で亜梨子は大助の所属する機関に要注意人物として目をつけられたらしく、本来ならすぐに何処かの施設に送られるところだったが、彼女は財界の重鎮の一人娘。様々な事情やある"虫憑き"の思惑が飛び交った結果、監視員を一人つけることで決着した。

その後の行動早く、特環はホルス聖城学園に転校し、一之黒家に居候して四六時中、間近で監視する人間として、火種一号"かっこう"こと、薬屋大助を派遣。

そうして、現在…彼らは常に二人で行動するようになったのだ。

面会時間の終了間際とあって出歩いている人影は少なく、面会者は帰路につき、患者は部屋へ戻っている。

制服を来た看護師が通り過ぎていく廊下を二人は歩いていた。

 

「とにかく、そんな訳でお前の"虫"は今までにないタイプなんだよ」

 

すぐ隣からかけられた声で亜梨子は外の景色を見るのを止め、窓から目をそらした。

 

「ふーん」

「ふーん、じゃないだろ。自分の事なんだから、ちゃんと覚えとけ」

 

興味なさ気な亜梨子に、大助が不機嫌そうに言い放つ。

 

「バカにこんな説明までしなくちゃならない俺の身にもなれよな」

「亜梨子エルボー」

 

大助が腹を押さえてうずくまった。

亜梨子の肘が綺麗にみぞおちに決まったからだ。

彼女は澄ました顔で廊下を先に歩いていく。

うしろから「君、どうかしたの?大丈夫?」「な、なんでもありません」と看護師と大助の会話が聞こえてきた。

暫く歩いていると亜梨子の頭を衝撃が襲う。

大助が復活してすぐ叩いたのだ。

 

「…居候のぶんざいで、ご主人様を叩くなんて、もっとしつけが必要かしら?」

「誰がご主人様だよ。俺だって、さっさとお前なんかのお守りは終わらせたいんだ」

「亜梨子ダブルパンチ」

 

睨み合いの末、亜梨子の両拳が再び大助の腹にめり込んだ。

また蹲って行き交う看護師の一人に覗き込まれる彼を置き去り、さっさと廊下を進む。

 

「……」

 

ある一室の前で立ち止まった。

入り口に掛けられた名札には「花城摩理」の名が書かれている。

一呼吸してからいつも通りにノックしてからドアを開けようとしたが、ふいに横から手が伸び、ドアが無造作に開かれた。

犯人は大助。立ち尽くす亜梨子に何の配慮もない、邪魔なものを避けるような機械的な手つきだった。

 

「早く入れよ」

 

亜梨子に睨まれながらも、大助はどこ吹く風で冷静に言ってきた。

 

「どきなさい」

 

大助を押しのけ、亜梨子は室内に入る。

病室には先客がいた。

この部屋において、そこが彼の定位置であった。

ベッド横に置かれた丸椅子に座り、足を組み、己の大切な人が目覚めるまで側に寄り添い読書に耽る少年。

千堂裴晴が既に病室で待ち構えていた。

 

「やぁ、亜梨子さんに薬屋くん」

 

裴晴は優しく微笑み、二人を迎え入れた。

 

「今日は随分と遅かったね、亜梨子さん。もう面会時間、終わってしまったよ?」

「下僕の世話をしていたら遅れちゃったわ」

「あぁ…ナルホドね」

 

亜梨子は性格的に面倒味はいい。

下僕や執事なとど言ってはいるが、大助がこれから学園生活をするのに場所や知識を教えていたのだろう。

 

「そういう裴晴くんは何で居るの?面会時間終わったけど?」

「君らを待っていたんだよ」

 

裴晴は本を閉じて立ち上がる。

 

「聞きたい事があるだろう、俺に?」

「……」

 

裴晴に尋ねられ、亜梨子は沈黙した。

彼女の心情のほどは推し量れないが、話すなら今の内に話しておいた方が裴晴にとって都合が良かった。

 

「歩きながら話そう。薬屋くんも聞くか?」

「……同行させてもらう」

 

監視者である以上、大助は亜梨子の側を離れられない。それに裴晴の口から語られる事に興味がないわけではなかった。

一年ほど前に特環の心臓部がある赤牧市で数多の同族を欠落者にするという猛威を振るった、大助と同じ一号指定の虫憑き。

大助も知らないような情報を知っているに違いない。

 

「それじゃあな、摩理。また明日来るよ」

 

ベッドで眠る美しい少女の顔に触れながら別れの挨拶を告げると、裴晴は病室から出ていった。

彼と入れ替わるように亜梨子も摩理へ今日のところは帰ると言うと、裴晴の後を追っていった。

最後に残った大助は亜梨子に取り憑いているモルフォチョウの本来の主である摩理へ一瞥し、何やら考え込む素振りを見せたが、すぐに部屋から退出した。

来た廊下の道を戻りながら裴晴は亜梨子に話しかける。

 

「もう誤魔化す気はないから単刀直入に。俺も摩理と同じ"虫憑き"だ」

 

普段と変わらない口調で裴晴は軽くカミングアウトする。

 

「大助…"かっこう"と同じ俺や摩理は《同化型》と呼ばれる虫憑きで物体や肉体に虫を同化させて力を振るう珍しいタイプの"虫"だ」

「物や人に同化……じゃあ、あの槍はーー」

「そう。あの銀槍がモルフォチョウのもう一つの姿。摩理も同様の物を使っていた」

 

同化させる元の物体に違いはあるが、同質のものと言ってもいい。

 

「そして昨日、君を助けた時に俺は同じような力を使った。俺の場合は物に同化させず、身体だけに同化させるという違いはあるが」

 

裴晴の武器は強化された肉体とムカデの形状を模した触手だ。

 

「一年前…丁度、摩理が意識不明になった後くらいに特環の局員になった。それまでは色々とヤンチャしてたよ」

「"ヤンチャ"じゃ済まないだろ、お前の場合」

 

大助が裴晴がオブラートに包んだ物言いをバッサリと切り捨てた。補足するように大助が知る範囲で説明する。

 

「今でこそ"オオムカデ"なんてコードネームを与えられているが所属以前は"黒い死神"なんて異名で呼ばれた史上最悪の虫憑きだ。当時、総ての虫憑きに恐れられていた」

「死…神?」

「特環やそれ以外の虫憑きを無差別に欠落者にした凶気の虫憑き。それがそいつに対する周りの印象だ」

 

大助からの厳しい視線に、「あははは…」と裴晴が恥ずかしそうに乾いた笑いを漏らす。

 

「尖ってたもんだ、俺も」

「いや…そういう不良だったみたいなレベルじゃないだろ」

 

実際に裴晴の餌食になったものは数えきれない。

まだ名も無い特環の反抗組織と思われる虫憑きや、特環の局員である虫憑きと幾度か乱戦になった際で詳しい犠牲者数が把握でき無いのだ。

 

「特環で初めて捕獲度外視した、異例の掃討作戦まで立案されたくらいヤバい奴だぞ、コイツ。俺にも作戦に参加するよう要請が来たしな」

「あたしや摩理に隠れてそんな事を…?」

 

流石の亜梨子も裴晴の行動に呆れ果てた様子だ。

 

「一体、何で……?」

 

「虫憑きになった理由も目的も昔から変わらない。"摩理"を助けたい、この一点だけだ」

 

大切な人を引き合いに出して本当に酷い言い草だと内心自嘲する。

 

「俺は自分にとって大切な人達と幸せに生きていきたかった。家族や摩理は勿論、亜梨子さんとね」

 

大人になっていけば難しくなるから、永遠とは言わないが、今この時を、一時の思い出として大切に出来るように三人で一緒に過ごせていけたらそれで良かった。

 

「俺の"虫"の能力は《変成》。触れたモノを作り変える能力だ。それを使って摩理の身体を変成(なお)すつもりだった」

 

摩理を生かすために頑張っていた心臓は限界を超えていた。手術が不可能なほどに弱り切っていた心臓を復活させるには医療の常識を超えた非常識な力が必要だった。

そういう意味では、虫憑きとなった裴晴は賭けに勝ったと云える。

彼が欲した非常識(チカラ)が取り憑いた虫に宿っていたのだから。

 

「心臓なんて脳に次ぐ重要な器官を弄るには専門的医療知識と、《変成》の微細な操作力…そして、弱りきった心臓と身体を復活させる"エネルギー"が必要だ」

 

医療の専門知識は医師である"先生"に学ぶ事ができ、心臓の細部をイメージする事が出来た。

修復する為に繊細な操作技術も必要な為、襲ってきた虫憑きを負傷させて実験台として練度を上げてもいった。

しかし、問題だったのは心臓という臓器を丸々作り変えるのと弱った肉体を賦活させるエネルギーであった。

 

「エネルギー不足を解決する為に俺は他の虫憑きの"虫"や"夢"を糧にした。幸いなことにそれが出来る力が備わっていたから」

 

タツノオオムカデが有する能力の一つ"蟲喰い"が裴晴の計画を現実にする一役となった。

 

「全ての準備が整えば摩理を助けられる筈だった」

 

元気になって自分や亜梨子の傍らに居てくれると思っていた。

だが、現実は無情にも裴晴の思い通りに事は運ばなかった。最良ではなく、最善の結果で彼の計画は一応の成功をみただけ。

 

「結局……間に合わなかったよ」

「………」

 

裴晴が力ない笑みを浮かべると、亜梨子が顔を歪め、何と答えたら良いの分からないといった表情をした。

あくまでも裴晴にとって思惑通りに事は運んでいなかったが、助ける筈だった対象が思わぬアドリブを利かせてくれたお陰で失敗に至っていない。

モルフォチョウが消えず、亜梨子の側で羽ばたいている限り、裴晴の"夢"は繋ぎ止められている。

 

「後は知っての通りだ。摩理が意識不明になった後、彼女に憑いていたモルフォチョウが亜梨子さんに取り憑いたのに気付いて、俺は君の存在を隠蔽する為に特環に入局することにしたんだ」

「えっ?!気付いてたの?」

「君よりも摩理の側に居るのは長いんだ。俺が彼女の虫が居ない事に気付かないと思ったかい?」

 

モルフォチョウに摩理の意識が宿っているならば、行き先など考えなくても分かる。

だから、直ぐに裴晴は亜梨子の父親である一之黒涙守といち早く接触し、亜梨子とモルフォチョウを守る為に彼から金銭援助や財界のコネクションを用いてもらい、策謀を巡らせたのだ。

 

「尤も数日前の一件で俺の努力も水の泡と化したけどな」

「うっ……ごめんなさい」

 

知らなかったとはいえ、悪い事をしてしまったと亜梨子も少し反省する。

国家組織に所属しているとはいっても、個人レベルで人一人の情報を隠すのはそれなりに骨をおっていた筈だ。

 

「ま、いつまでも隠し通せるとも思ってなかったし、バレるべくしてバレたと思うさ」

 

現状の段階で特環に亜梨子の事が明るみに出てもさしたる影響はなかった。

八重子辺りは宿主を変えて取り憑くモルフォチョウに興味を示すだろうが、裴晴が側に居る以上、下手な干渉をしてくる心配はない。

問題なのは、この情報が変な組織や虫憑きにまで漏れて襲撃されないかどうかだ。

目撃者は大抵欠落者になっている為、大部分の狩りの被害者は裴晴だという事にしてはいるが、中には生き残った虫憑きもいて、その者達は銀色のモルフォチョウを見ている。

モルフォチョウの憑いている奴が"ハンター"という構図が成り立っているだろうから、そいつらが襲って来るのは充分あり得る。

だからこそ、裴晴は亜梨子の監視役が大助になるように少しばかり手を回したのだ。

 

 

「さて…俺の話は終わりだ。何か質問は?」

 

裴晴が二人に向かって尋ねる。

亜梨子が徐に口を開く。

 

「何で監視役が裴晴くんじゃなくて大助(コイツ)なの?」

「対象と親しい人間は基本監視役に選ばれない。それに、俺は元々の担当部署が違うからな。外部から来ていて護衛役として充分な戦闘能力を持つ奴を選んだ結果だよ」

「コイツ強いの?」

「特環最高戦力だ。強いぞ?」

 

戦った事はないが、戦闘能力が最も優れているという点で火種一号指定されてるのだから実力的には五分五分といったところだろう。

 

「そんな奴を護衛につけて大丈夫なの?」

「俺の友人ってだけでも闇討ちされる危険があるからな。少しでも強い護衛をつけないと」

 

亜梨子の指摘通り、兎が獅子に護られている位の過剰な防衛力だ。この件、裴晴は某とある支部の支部長に要らぬ借りを作ってしまったのは思わぬ痛手であった。

 

「ちょっと…!」

「冗談だ。特環以外の人間に顔バレしてないから心配はないよ。でも念には念を入れた上の処置だ。受け入れろ」

 

慌てる亜梨子にカラカラと裴晴が笑いながら答えると、三人は病院一階の広い待合室まで戻ってきた。

すると、三人の姿を見つけた二人の少女が近寄ってくる。

 

「亜梨子〜、薬屋くん〜、お見舞い終わった?」

 

亜梨子の友人の一人である西園寺恵那が声を掛けてきた。隣には数日前の一件に関わっていた九条多賀子の姿もある。

 

「こんばんは、西園寺さん、九条さん」

 

裴晴が二人へ挨拶を告げる。

 

「こんばんは、千堂くん。貴方もお見舞い?毎日飽きないわねぇ」

「もう…恵那さん、失礼ですよ?…こんばんは、千堂くん」

 

恵那や多賀子も挨拶を返してきた。

 

「亜梨子さんの付き添いかな?」

「えぇ、一緒に帰る予定でしたので。亜梨子さんが途中寄りたいとおっしゃったのでついでに」

 

裴晴はそうか、と相槌を打った。

 

「千堂くんも一緒に帰らない?」

「そうだね。君達が良いのなら」

「もっちろん!良いわよね、亜梨子?」

 

多賀子が尋ねると亜梨子も了承した。

大体、病院から帰るときは迎えの車が用意されているが、今日は恵那や多賀子と帰ろうと迎えは断っていた。

三人は待合室から正面玄関へ移動し病院をあとにする。

外は夜の帳がもう降りていたが、街並みは爛々としたネオンの光が輝いていた。

五人は雑談しながら病院の敷地内を出ていく為に歩みを進めていると、

 

「あ…」

 

亜梨子が、ふと足を止め、顔を見上げて何かを見つめ始めた。

何を見つけたんだろうと、裴晴は彼女の顔を覗き込み、視線の先を追う。

そこには煌びやかな光に彩られた観覧車が見えた。

 

ーー綺麗だね、あの観覧車…。

ーー退院したら一緒に乗ろうか!

 

亜梨子が観覧車を見ている姿に裴晴は一年前の彼女達の会話の一つを思い出した。

 

「そういえば……」

 

ポツリと裴晴が呟き出す。

亜梨子や裴晴が立ち止まった事に気づき、先頭で戯れあっていた三人もピタりと足を止めた。

 

「約束していたね。あれに乗ろうかって」

「えっ?」

 

ぼおっと観覧車を見つめたままだった亜梨子が裴晴の言葉を聞いて我に返った。

 

「君と摩理さ。病室からも見えるあの観覧車を見て、二人とも退院したら一緒に乗ろうって約束してたろ」

「そうだったわね…」

 

亜梨子は思い出し、懐かしげに目を細めた。

 

「丁度良いから乗っていくか?そこまで遠くはないし」

「はい?」

「これは告白してOKもらえたらの話になるが……実はアイツが退院したらデートにでも誘おうと思っていたんだ。何処に行こうか決まっていなくてな。デートプランを作成するにあたり、少し協力してくれ」

「気が早すぎない?」

「それぐらいで良いんだよ。あとでバタバタするよりはね。君だって摩理とアレに乗るなら一応、一回は試乗しといた方がいいんじゃないか?」

 

どう見ても何かこじつけている様にしか聞こえない。

裴晴なりの何か目的あっての提案、亜梨子は少し考え込んでいると、横から恵那が割って入る。

 

「良いじゃない、亜梨子。乗ってみましょうよ。私もアレ、まだ乗ったことないのよねぇ」

「恵那……」

「勿論、千堂くんの奢りよね?」

 

恵那がそう言うと、裴晴は苦笑した。

 

「言い出したのは俺だからな…仕方ない。構わないよ」

「よし、言質取ったわよ!さぁ、そうと決まれば行きましょう!」

「ち、ちょっと、恵那?」

 

恵那が話の流れについていけない亜梨子の手を引いて歩き出した。多賀子もそんな二人の様子を見て、微笑を浮かべながら着いていく。

 

「おい、どういうつもりだよ」

 

彼女達の後を追って歩き出そうとしていた裴晴に近づき、大助が耳打ちしてきた。

 

「亜梨子さんの気晴らしだ」

「はぁ?」

「ここの所、色々あったからな。ちょっとでも肩を軽くしてやらないと。少し付き合ってくれ。どうせ、暇だろ?」

 

裴晴の断定したような台詞に大助は不快な顔をしたが、指摘通り予定などはなかったので反論はしなかった。

 

「まぁ、お前も役得だろ?俺の記憶が正しければ、あの観覧車は四人乗りだ。両手に花だな」

「……お前は乗らないのかよ」

「最初に乗る相手は決まってるんでな」

 

軽い惚気と取れる発言に大助は脱力を覚えながらも、任務上、亜梨子から離れる訳にもいかないので渋々、裴晴の言葉に従うのだった。

 

 

 



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第五話

切りが良かったのでここまで。


 

 

 

数分も歩くと五人は目的地に到着した。

大きな広場には長いヘビの様にクネクネとカーブを描く人の列があった。先頭にあるのは巨大な輪っかだ。

直径120メートル、地上高は130メートルある大観覧車。赤牧市が誇るデートスポットの一つだ。

病院を出た場所から六角に区切られて六式のイルミネーションを輝かせていたが、今は全体から淡いブルーの光を放ち、夜空に浮かび上がっている。

 

「うはー、これぞ観覧車って感じね!」

「これに乗るんですよね。私、楽しみです」

「ほら、大助もいつまでもスネないてないで。さっさと並ぶわよ」

 

亜梨子が呼び掛けると、憮然とした顔の大助が彼女達を見る。

先程、恵那達がからかったことをまだ怒っているのだろう。

そんな四人のやり取りを裴晴が面白そうに眺めていると、彼の携帯が鳴り響いた。

 

「おっと…失礼」

 

胸ポケットから携帯を取り出すと、裴晴は四人から離れて耳に当てた。

 

『裴晴さん、今どちらに?』

 

通話の相手は零番隊で副長の地位に居る火種二号に指定されている"ヴェスパ"という虫憑きであった。

 

「大観覧車の前だが…どうした?」

『以前から裴晴さんが目を着けていた虫憑きが貴方の今、居られる所に向かったようです。戦闘班が対象を発見し、追跡していると先程本部に報告が上がってきました…』

「おい、あの娘の確保はウチが主導のはずだろ。何でいっかいの戦闘班がでしゃばってくる?」

『魅車副本部長の指示だからかと』

「…あの女…」

 

単体での戦闘能力は言わずもながら、裴晴の部下は二〜五号指定されている強力な虫憑きだ。

八重子としてはこれ以上、零番隊が戦力を増強するのは面白くないのだろう。

 

『如何されますか?』

「出動準備は整っているな?」

『滞りなく』

「では、直ちに出動を。目標を発見次第確保だ。穏便に、な。彼女の側に居る仲間も一緒に丁重にお連れしろ」

『了解。裴晴さんも合流されますか?』

「近くに友人が居るから派手に動き回れない。彼女達が観覧車に乗り込んでから合流する」

 

と言って裴晴は通話を切る。

亜梨子達の元へ戻ると、彼女達は既に長蛇の列に飲まれていた。大助の姿が見えないのに、嫌な予感がし聞く。

 

「あれ、薬屋くんは?」

「裴晴くんと同じ電話が来た後、用事が出来たって言って何処か言ったわ」

 

裴晴の問いに亜梨子が答えた。

タイミング的に特環からの任務指示であるのは予想が付く。

 

(今のアイツはウチの所属のはず…。俺を飛び越えて本人に直接指示できる人間となると…)

 

思考の中に憎らしい女の笑みがチラついた。

どうやら、裴晴の元にこれ以上優秀な虫憑きが集中するのを是が非でも防ぎたいようだ。

本来なら出向扱いの火種一号を護衛の名目で未だに麾下に加えているのだから尚更だろう。

 

(ま…なるようにしかならないか…)

 

どんなに策謀を巡らそうと予定外の事は起きるものだ。今回は意図的に出だしを挫かれてはいるが、こんなものは誤差の範囲に過ぎない。

邪魔されるのは分かりきっているのだから、臨機応変に対処すれば良い話だ。

幸にもそれを成せるだけの力と人を裴晴は獲得していた。

長蛇の列に並ぶこと一時間ほど待つと、ようやく入り口が見えてきた。大助や零番隊からの連絡がない。

 

(対象は既にこの近辺にいるはず。なのに避難勧告が為されていないというのはどういうことだ?)

 

裴晴の部下達ならばあり得ない手落ちだ。

一般人が犇めく場所で捕獲行動を起こせば、物損だけでなく、人的傷害が起きる可能性がある。

電話から一時間経過している現状、裴晴の部下達ならとっくに現地に到着し、配置完了の報告をしてきてもおかしくない。

だが、連絡は一つもない。そこから導き出されるのは…

 

(したくても出来ない。本部の戦闘班に絡まれてるか?)

 

中央本部の戦闘班と零番隊は相性が悪い。

同じ戦闘班所属にも関わらず、裴晴が設立した零番隊は好待遇で、他の局員とは扱いが異なる。

彼ら自身が打ち立ててきた数々の功績が今の待遇に繋がっているのだが、その他の戦闘班員にとって面白くないらしい。時たまに顔を合わせ鉢合えば、喧嘩(せんとう)になるのが常になり始めた。

 

(身内で争うほど愚かな事はないな…)

 

どいつもこいつも、本当の"敵"を見誤っている。

虫憑き達が戦わなければならない相手は常に身近に居るのだ。誰もが無意識にそれを知りながら目を背けている。

裴晴が無情な現状に軽く内心で嫌気を指しながら、順番を待っていると、残すところ後数組というところまで来た。

 

「申し訳ありません。席は四人乗りでして……」

「参ったな。一人余っちまう」

 

前のグループと係員の会話が聞こえてきた。

五人組の男女である。うち一人、雑誌モデルのような長身でロゴの入ったシャツの上にジャケットを羽織った少女には見覚えがあった。

 

(おいおい…今日は厄日かよ…)

 

その少女は裴晴が勧誘しようとしていた虫憑き。

とある野外での音楽ライブで見かけ、その能力に目を付けてから、強制的に捕獲するのではなく、彼女の方から協力させる形で誘おうとしていた。

それが何の因果か、裴晴の目の前に居る。

状況は最悪のイメージしか浮かばない。

 

「悪い、寧子。俺たち先に乗っていいか?」

「えっ…?」

 

彼女の音楽バンド仲間の一人、ギターケースを背負った少年が少女へ言う。

他の誰も異論を口には出さず、少女自身も反論しなかった事で、一人を残し、やってきたゴンドラに四人の男女が乗り込んでいった。

係員が次の順番である亜梨子達の下へやってくる。

 

「お客様がた、四名様でよろしいでしょうか?」

「いえ、俺は付き添いで乗るのはこの三人です」

「そうですか…。では、申し訳ありませんが、前の方と相席していただけませんか?見ての通り、大変混み合っておりまして……」

 

不味い流れである。

捕獲対象の虫憑き少女と亜梨子達を一緒に乗せるのは最悪の未来しか思い浮かばない。

係員の要望に恵那が「えー?」と不満そうな声を漏らしていることから、体よく断って不味い流れを断ち切ろうと裴晴が返答しようとしたら…

 

「いいですよ」

 

亜梨子が先に返事をしてしまった。

前のゴンドラを睨み付けながら不機嫌な顔をしている。

なにかが彼女の琴線に触れたらしい。

こういう表情をした亜梨子は梃子でも意見を翻したりしないだろう。

係員がホッとしたように「申し訳ありません」と言い残して入り口に戻っていく。

 

「なんでOKしちゃうかな。この子は…」

「良いじゃない。誰だって一人は寂しいでしょう?」

「千堂くんと乗せる手だってあったのに」

「乗らんからな。絶対」

 

喋っている内に亜梨子達の順番がやってきた。

乗車口に新しいゴンドラが降下し、乗客が降りる。

係員の誘導に従って長身の少女と亜梨子達がゴンドラへ乗り込む。

彼女達が乗り込んだゴンドラが無事に上昇していくのを見届けると、裴晴は列から離れて少し遠目から見守る事にした。

 

「裴晴さん」

 

人目の付かない場所まで来ると、背後にあった並木から声を掛けられた。

 

「"ヴェスパ"か?」

「連絡も取らず遅れてすいません。少々、妙な話になっていまして…」

 

何処か奥歯に物が挟まった物言いでヴェスパが裴晴に説明をする。

 

「我々より先に到着していた戦闘班が対象の仲間達と接触して密約を交わしたようで」

「…密約?」

「どうやらあの仲間四人は自分たちを見逃してもらう代わりに対象者を売ったようでして」

「ほぅ…」

 

裴晴はヴェスパからの報告で四人の奇妙な行動に得心がいった。一見、人数があぶれたように見せかけておいて、対象の少女を孤立させ、特環へ引き渡すお膳立てを整えたようだ。

恐らく乗るまで、彼ら四人の予定通りに事は運んでいただろう。

でも現実、問題が生じている。

 

「仲間を売るのは結構だが、俺の友人を巻き込むのは止めて頂きたいものだ」

「は?それはどういうーー」

「対象の乗っているゴンドラに亜梨子さん達も乗ってる」

「はいーーー?!」

 

裴晴の返答にヴェスパが驚愕の声を上げた。

彼としても対象の少女の側に、現状それ以上に気を使わなければならない監視対象の少女が共に居る等と想像もしていなかったのだろう。

 

「"かっこう"は!あの男は何をしてるんです?!」

「副本部長辺りから直通の指示でも受けたんだろう。列に並ぶ前に姿を消してたよ」

「ーーっ、裴晴さんも何故にお止めにならなかったのですか?」

「止める前に亜梨子さんが一緒に乗るのを了承しちゃったんだよ。一般人の友人も居る手前、虫憑きの娘と一緒に乗るな、なんて言えるか?」

 

"虫憑き"の存在を政府はひた隠しにして、現実には居ないものとしている。

人の口に戸口は建てられない為、完全ではなく、噂レベルでそれなりに社会へ浸透していっているが、ここでそれを漏らす事は裴晴の立場上、言えはしない。

 

「…どうされますか?」

「一先ずは様子見だ。"摩理(モルフォチョウ)"が付いているから大抵の危険はどうにかなるはずだしな……。皆はそれぞれ配置に着いているな?」

「はい。"ハンミョウ"は既に静かに"領域"を展開しています。避難誘導の為の催眠を始めておきますか?」

「そうだな。本部の戦闘班(バカども)がドンパチを始める前に、今並んでいる列の客と近隣の一般人を離れさせろ」

 

裴晴から指示を受けると、ヴェスパは顔にしたゴーグルに備え付けられている通信機から他の隊員に伝達した。

 

「裴晴さんはこのまま此方に?」

「待機してるよ。あ、俺のコートと仮面持ってきてるか?」

「必要になるだろうと用意してきましたよ」

 

ヴェスパはそう言って背負っていたリュックから黒いコートと、内側に変声器を内蔵させた髑髏の似た作りの仮面を取り出し、裴晴へ渡す。

受け取ると、裴晴は黒いコートを纏い、顔を仮面で覆ってフードを被った。

特環での仕事装束に早変わりである。

 

「いつか聞こうと思っていたんですが、本部のコートではなく、何故東中央支部のコートを着るんですか?」

『単純な理由だよ。基本、夜行動するのに白いコートは目立つ。態々、見つかりやすい格好するのはバカみたいだろ?』

「…我々部下の今の格好はどうなんですか?」

『別に本部のコート着るように強制した記憶はないが?』

 

変声器で変わった声音でさらりと返してきた裴晴に、ヴェスパはガクリと脱力するように肩を落とした。

確かに裴晴から特に命令された記憶はないが、本部のコート色は白なのでそれが当たり前なのだと思っていたがどうやら違ったらしい。

 

『お前も配置に付け。動きがあり次第、行動は独自の判断に任せるが、基本は一般人の避難と保護を最優先にしろ』

「了解。ではーー」

 

ヴェスパも避難誘導をする為、所定の位置へ移動していった。

一人残った裴晴は観覧車を見上げ、亜梨子達が乗っているゴンドラの様子を注視する。

その間にハンミョウの"虫"の能力である細やかな精神支配によって観覧車の周りから徐々に人が去っていく。列を為していた人達も一人また一人と、何故か観覧車に乗る気を無くして、列から離れて帰っていき、下車した客も足早に帰路についていった。

あと残っているのは未だにゴンドラに乗っている乗客達だけである。

 

『……一般人の避難、八割完了』

『本部戦闘班、また"かっこう"の姿を視認。そちらに向かいました』

 

耳に付けた小型通信機から部下達の報告が上がるのを流し聞く。

亜梨子達が乗るゴンドラは丁度、頂上までの半分を越えた辺り、街の全景が一望出来る高さに達した頃…裴晴の目があるものを捉えたのと同時に通信機から報告がきた。

 

『かっこう及び本部戦闘班、分離型"虫"実体化。対象を乗せたゴンドラへ向かっています』

『不味いな…。"薄羽"、"アトラス"その位置から撃ち落とせるか?』

『殆ど飛行型です。接近すれば可能でしょうが、攻撃範囲に観覧車が入ります。まだ乗っている乗客達に危険が及ぶ恐れが……それに"かっこう"止めるなんて無理ですよ』

 

部下達がヴェスパの指示で其々の視点から独自の判断を下しつつ会話をしているのが耳に入る。

 

『零番隊各員に通達。一般人の避難を最優先。かっこうと戦闘班は俺が対応する』 

『それは……大丈夫ですか、裴晴さん?』

『民間人がまだ乗っているのに強襲しようとしているあのバカ共が悪い。邪魔しても言い逃れの材料はごろごろ転がっているよ。避難誘導完了次第、援護に来てくれれば良いさ』

『分かりました。ご武運をーーー』

 

通信機の会話を終えて、裴晴は改めて視界に収まる巨大な観覧車へ目を向けた。

視線の先に映ったのは特定の……亜梨子達の乗車しているゴンドラに向かって飛翔し、体当たりをしていた。

遠目に見ても凄まじい揺れと衝撃があるのが明らかだが、ゴンドラに破壊の後は見受けられず、ガラス破片一つも落ちていなかった。

 

(あの娘…まさか…)

 

裴晴はその不可思議な現象の心当たりが思いついた。

自分の想像通りなら、そのまま放っておく事は出来ない。

裴晴はタツノオオムカデと即座に同化し、脅威に晒されているゴンドラに居る亜梨子達を救う為、強化した脚力で地を蹴った。

 

 

 



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第六話

 

 

 

支柱とゴンドラを足場に裴晴は亜梨子達の乗るゴンドラへと駆け上がる。

中央本部から派遣された戦闘班の"虫"達は高速で移動する裴晴に気付かず、その異形な強靭な肉体をゴンドラへとぶつけていく。更には支柱を攻撃するように鋭い、大きな爪が虚空から生え、支柱を激しく攻撃的していた。

だが、支柱やゴンドラ本体の損傷は支柱を庇うように張り付いている光輝く"キリギリス"によって瞬く間に修復され、かろうじて大惨事に至る事がないように危うい均衡が保たれていた。

裴晴は一先ず、ゴンドラへの攻撃を中断させようと、襲い掛かっている分離型の虫憑きに接近する。

 

『よっーーと!』

 

同化状態になって出せる鋭く強靭でしなやかな尾のような触手を四本、腰の辺りから生やし、正確無比な速さを持って、飛翔する"虫"へ虚空で擦れ違いざまに叩きつけた。

飛び回る"虫"達は叩かれたハエの如く、四方へ吹き飛んでいく。

 

『おっ…と、と』

 

器用に身体制御をし、姿勢を安定させながら裴晴は亜梨子達の乗るゴンドラの屋根に着地した。

 

「な、なに?」

「だ、誰か飛び乗ってきたみたいですけど…」

「う、嘘…一体、誰が…」

 

突然、ガタンと音を立てた天井に中の彼女達は困惑する。亜梨子はゴンドラの窓を開けて顔を出す。屋根の方を見上げると大助が着ていたモノに似た黒いコートに髑髏の仮面を付け、フードを頭から被った裴晴を発見する。裴晴も亜梨子が顔を出したのに気付くと仮面越しから視線を交わせた。

 

『中の少女に支柱の修復にだけ、意識を割かせて消耗を避けさせろ。ゴンドラの方は俺が護る』

「………」

 

コクリと無言で頷き返すと、亜梨子が頭を窓から引っ込めて中の少女へ裴晴の指示を伝える。

仮面で顔は分からず、声音も変声器を使っているので人物を断定する事は難しい。

しかし、亜梨子は屋根に居る存在が、自分の良く知る少年だという事を薄々だが理解したのだ。

 

『さてーー()るか』

 

欠落者にしない為、本気は出さず、迎え来る虫をつゆ払うだけ。

加減は難しいのだがやるしかない。

四本の触手が裴晴の背後でゆらゆらと蠢き、体勢を整えて舞い戻ってくる虫に対して迎撃の姿勢を取る。

"虫"達も宿主からの命令がある以上、襲撃を止めるということはないが、先程思い切り吹き飛ばされたせいで、裴晴を激しく警戒し、一定の距離を取り、攻撃してこようとしない。

体当たりしかしてこなかったのを見るに先のように迎撃される愚は犯さないようだ。

飛行型でも遠距離からの攻撃方法がないのか、又は他のゴンドラに余り被害が出ないよう加減しているのか、どちらかだろう。

 

(下手に攻めて来られるよりは良いがーーっ)

 

周囲を旋回し、睨み合いが続いていたその時…支柱を攻撃していた爪が裴晴から近い空間に現出して強襲してきた。

迎撃体勢だった触手が反射的に高速で振るわれ、爪を薙ぎ払う。

爪は触手に当たると霞のように霧散し形を崩した。

 

(特殊型…しかも、この能力は…確か"霞王"って奴だったか?)

 

記憶の中にある該当する虫憑きを思い浮かべる。

決まった形状形態を持たない黒い霞を媒体とする多種多様に応用が効く能力。

憑いている"虫"は"死番虫"だったはずだ。

 

(《蟲喰らい》を使用出来ない以上、物理攻撃手段しかない。 簡単に退場はさせられないか…)

 

特殊型の殆どは分離型と異なり、確かな実体を持った"虫"ではない。故に特殊型の虫を殺すには物理による攻撃は有効ではなく、自然干渉系かそれに類する能力が必須となる。

裴晴の"虫"は特殊な能力を有してはいるが、それを使えないからには有効打を与えられない。

面倒だがゴンドラが下に降りるまで迎撃のイタチごっこを続けざる負えなくなった。

旋回する虫達は裴晴が霞を凝固した爪に意識が割かれたのを見て、体当たりを再開しようと勢いを付けるが……

 

『舐めるなーーー』

 

"死神"の手が虫達を再び叩き落とす。

例え、爪の方に注力していても他が蔑ろになる訳がない。

そもそも、裴晴の戦闘スタイルは多対一に向いている。

爪を迎撃しながら他の虫を落とすくらい訳なくやってのけられた。

千日手のような攻防が繰り広げられている間、ゴンドラは下降に入り、地上の側までやってきた。

あともう少しでこの遣る瀬ない攻防にケリが付くと、思っていた矢先、

 

(っーーなんだ?)

 

ピタりと特別環境保全事務局の攻撃が止んだ。

裴晴も動きを止めると、次の瞬間…ゴンドラを襲っていた"虫"達が何者かの攻撃を受けて、地上へ墜落していく。

裴晴との戦闘を利用し不意を突くよう形で、ゴンドラを包囲していた"虫"達へ逆に襲い掛かっているのは、やはり翅を広げた"虫"達。

まさか、こんな場所で仲間割れを始める輩は特環局員に居ない。

となれば、

 

『いち、に、さん、し…と四匹か…彼女の仲間数と合致するな…』

 

呑気に数えた逆襲する"虫"の数は四。

長身の少女の仲間と同じ数である。

現状から導き出される答えは一つ。

 

『一杯食わされたな。 あの阿呆どもめ』

 

ヴェスパーから聞かされた時から違和感はあった。

追い詰められて仲間を売る位なら、ここまでわざわざ逃走してくる必要はない。

追い詰められた、ではなくおびき出された……自分達に充分勝機が見られる戦場に誘導されたと見るべきだ。

裴晴の乱入というイレギュラーがあっても動揺もなく寧ろ利用して奇襲を仕掛けた事から行き当たりばったりの策にしては効果的で、してやられたと反省すべきだろう。

隙を突かれ、たった四体の"虫"達による奇襲で、特別環境保全事務局の"虫"達は次々と打ち斃されていく。

 

『結局、連中の尻拭いか…全く勘弁してーー』

 

激しい揺れはある中、ゴンドラがどうにか地上に辿りつこうとしたその時…

 

"ドォーーン!!"

 

砲撃音が木霊した。

大砲でも打ったかのような轟音。

 

『なんだっ?!』

 

驚きながらも冷静に音の発生点と思われる方向へ目を向かわせた次の瞬間、背筋に悪寒を覚えて裴晴は触手で自分の身体を覆い、対ショックの姿勢を取った。

 

『ぐっーーー』

 

防御に用いた四本の触手の内、二本が高速で飛来した何かに抉られた。感覚的にそこまで大きな代物ではない。

大口径の銃弾に何らかの強化を施したものだと、瞬時に把握した。

威力の衝撃に体勢を崩し、裴晴の身体がゴンドラの屋根から墜ちる。

誰かが名前を呼ぶ声が聞こえた気がしたが、それを確認するよりも裴晴は身体が地面に叩きつられる前にと、残った触手を巧みに操り、ゴンドラから少し離れて着地する。

 

『随分な真似をしてくれる…』

 

自分でなければ死んでいた。

主犯に心の中で悪態を付きながら、着地と同時に観覧車を見上げると夜空を飛んでいた四体の"虫"も裴晴同様に狙撃され、翅を撃ち抜かれて地上に落下してきていた。

亜梨子達が乗り合わせたゴンドラも地上に無事到着した。

すると、地上で待機していたのか。

髪を逆立て、ゴーグルで顔の大半を覆い隠し、漆黒のコートを翻した人物が佇んでいた。

片手に握っているのは既に"虫"と同化を果たし、一体化した大型の自動式拳銃。

黒色の悪魔が握る拳銃から無数の触手が飛び出した。

それらは瞬時に彼の身体に巻き付いていく。

ゴーグルを被った頬に緑色の模様が浮かび上がった。

 

「寧子っ!」

 

強引に開け放たれたゴンドラの扉と黒色の悪魔の間に傷ついた四体の虫が割って入った。

黒色の悪魔は立ちはだかる"虫"達に向けて拳銃を構える。

 

「やめ……てーーー」

 

長身の少女が顔を歪めて懇願し、手を伸ばす。

 

「やめさせるっ!」

 

亜梨子が吼えた。

それに呼応するようにモルフォチョウが開け放たれたドアからゴンドラに舞い込む。

亜梨子が咄嗟に握った金属の取っ手に停まると全身から銀色の触手を伸ばす。

触手は取っ手を引きちぎり、自らの躰を変形させて巻きついていく。

銀光を放つ四枚の翅が開き、一対は槍の刃と化し、残る一対は銀色の鱗粉を周囲に解き放つ。

漆黒のコートを纏う悪魔の握る拳銃から再び業火を噴いた。

 

「……っつ!」

 

亜梨子が四体の"虫"を守る為に銃口の先に躍り出て、直前で手にした銀槍で銃弾を遮った。

衝撃がゴンドラまで突き抜け、開け放たれたドアは吹き飛び、シートを残して屋根が無残に砕かれた。

 

「ちっーー」

 

舌打ちと共に、黒い悪魔、改め"大助"が"虫"めがけて拳銃を構え直す。

 

「やめなさい!」

 

怒鳴り、亜梨子が返す刀で頭上から振り下ろそうとしたが、

 

『両者、下がれ』

 

底冷えのする感情の起伏ない声音がその場に響いた。

それと共に本当に気温が下がったのではないかと錯覚するほどの冷たい殺意の波動が広場を満たしていく。

槍を掲げた亜梨子は勿論、拳銃を構えていた大助の動きがピタリと静止した。

それほどまでに"声の主"から放たれる覇気が彼らやその場に居た関係者の行動を著しく制限させた。

 

『"かっこう"、銃を卸せ。 その銃口の先は敵に向けてるつもりだろうが、その銃口は俺に向けているに等しい』

 

パンパンとコートの砂埃を払いつつ、裴晴が静かな足取りで近寄りながら言った。

 

「誰だ。お前」

『あぁ……そういえば、お前に俺の任務時の服装を見せるのは初めてだったか。 なるほど、先の銃撃は反抗行為ではなく、敵対者に対する銃撃だったか…』

「えっ……もしかして"オオムカデ"か……?」

『良かったな。相手が俺でなければ、あの一撃は死んでいたぞ?』

 

大助が拳銃を握る手を無意識に降ろした。

敵だと思って銃撃した号指定相当の手練が現在の上司である。

その動揺は計り知れないだろう。

しかも、その上司は仮面越しでわからないが、恐らく冷笑を浮かべて自分を見ている。

怒った姿を見たことがない上に、余りに静かな殺意をヒシヒシと当てられ、嫌か予感しか感じない

後で何をされるか分かったものではないと、大助はおとなしく頭を下げる。

 

「…悪かった…」

『謝罪から入るのは殊勝な心掛けだ。 別にいい、今回は俺にも非があった』

 

謝る大助に裴晴は初めて冷徹な口調を崩す。

凍りついていた空気が少しばかり和らぐ。

 

『さて…では、改めて任務に移るとするか』

「ーーっ」

 

髑髏の仮面越しの鋭い視線が亜梨子と長身の少女に向けられた。側には裴晴と大助が会話している間に来たのか、彼女の四人の仲間達も合流している。

亜梨子は背中に冷や汗を流しながら、眼前にいる特別環境保全事務局の局員としての裴晴と相対する。

 

『夜森寧子を売り渡したと見せ掛けて背後から奇襲を掛けるか…阿呆な戦闘班連中相手なら有効策だったな』

 

敵である四人へ賞賛の台詞を送り、騙された仲間へ侮蔑を込めて吐き捨てるように言った。

 

『だが残念、チェックメイトだ。大人しく同行してもらおうか?』

 

裴晴の宣告と共に大助が彼の横から再度拳銃を構えた。それに続く様に広場の並木林から白いコートを翻し、五人の特環局員が姿を現わす。

一人一人が並の気配ではなく、高い練度が垣間見えた。

裴晴の配下、零番隊隊員達が誘導を終えて集合したのだ 

長身の少女ーー夜森寧子の仲間達が自分達の"虫"と共に裴晴達へ向かい合う。

 

「逃げろ、寧子! こいつらは、俺達が何とかする! 

せめて道連れに……!」

「寧子、せめてアンタだけでも……!」

 

決死の覚悟で盾となろうとする寧子の仲間達。

こんな状況だからこそ、麗しき友情が花開くのだが、裴晴は彼らの覚悟を決めた態度に対して、疲れた様に溜息を吐きながら、大助の持つ拳銃に手を置いた。

 

『当初、君達を襲ったバカどもと一緒にしないでくれないか?』

「何を言ってーーー」

『夜森寧子、飯塚 明、志川真琴、氏森香菜。インディーズバンド《CRAWL(クロール)_LIVE(ライヴ)》のメンバー。赤牧市内だけではなく、関東圏では多大な人気を誇り、メジャーデビューも間近だったか? 凄いな』

 

困惑する仲間の一人の言葉をぶった切り、裴晴はつらつらと五人のプロフィールを口にした。

 

『しかし虫憑きになった以上、今まで通りに生活は出来ない。 全ての虫憑きは"虫"を暴走させる危険を孕み続けているからには、管理下に入ってもらうしかない』

「……だからって大人しく殺されろってか!」

『話は最後まで聞け』

 

裴晴は興奮するメンバーを宥めながら話を続ける。

 

『本来なら君ら程度の虫憑きは欠落者にして連行するのが通例だが、今回に限り話が違う。 俺は君達を勧誘しに来た。 そちらの夜森さんの"虫"の修復能力は非常に貴重な部類でね。 できれば、我々の仲間になってもらいたいんだ』

「それって、寧子を売れって事じゃないのか?! さっき俺達がやったみたい!」

『そうかもな。だが、君らにそう選択肢はないだろ? このまま、この場で逃げるために戦い続けていくか、又は我々と共に来て戦うか。大した違いはないがどちらにせよ、地獄への転落切符しか渡せない』

 

勧誘と言いつつも多分に脅しの要素が強い。

酷い詐欺師の手口を見せられているようであった。

彼らには最初から選べる選択肢なんてものなかったのだ。

でも…

 

「……戦う……」

 

寧子が口を開いた。

 

「そう……私達はまだ戦い続ける事ができるかな……」

 

寧子が顔を上げ、視線を一度亜梨子に、そして次に裴晴へと向けた。

 

「たとえ、どんなに辛くても…自由を奪われることになっても……生きてさえいれば、いつかきっとまた歌える…はずだよね……悪魔に魂を売ってでも、生き続けていれば……」

 

その場に居る全員の視線が、寧子に集まる。

今にも張り詰めた空気が弾けそうな中、寧子が深い溜息を零した。

溜息のはずなのに、そこには諦観の色はない。

何か決意のようなものが感じられた。

 

「"夢"を諦めない限りは…な」

 

裴晴が髑髏の仮面を外し、素顔で寧子と対面する。

彼の行動に零番隊全員から驚きの気配が漏れた。

それもそのはず…裴晴の素顔を知るのは本部長クラスの上位の職員か、同じ部隊のもの、局員で親しくした者以外は知らない。

まだ、局員にもなっていない虫憑きに素顔を晒すなど初めてのこと。

それだけ、寧子が裴晴の眼鏡に叶った事を示唆していた。

 

「君はこの先、地獄であろうと"夢"をが抱いて駆け抜ける覚悟はあるか?」

 

フードを被っていているが素顔を晒した裴晴の問いに寧子は消耗した蒼白い顔をしながら言う。

 

「さっきの…貴方の言葉は…信じていいの?」

「……零番隊隊長、千堂裴晴の名に掛けて誓おう。俺の保護化にある以上、何人たりとも君達を害しはしない」

 

大観覧車で起こった事件は、裴晴の誠意ある説得と信じるに足る対応によって誰一人欠けることなく、最後には穏やかな形で幕を降ろした。

 

 

 



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エピローグ

御無沙汰しておりましたm(_ _)m
更新再開です。
現在、絶賛書き溜め中でございまして、完成次第、順次投稿していきますのでご容赦を……


 

 

 

暖かな陽光が窓から射し込む。

赤牧市内にある総合病院……その入院施設内、一目で特別な個室である事が分かる整頓された室内。

高級感あるベッドを中心に本棚やテーブルが置かれ、外線用の電話まで備え付けられている。

ベッドには病院服に身を包み、眠る摩理。

傍らにはそこが定位置と言わんばかりに丸椅子に足を組んで座り、読書をする裴晴。

摩理が眠りについてからの日常的な休日の昼下がり、穏やかな時間が流れていた。

 

「こんにちはー」

 

そんな一時に終わりを告げるように、ガラガラと病室のドアが開けられ、明るい声と共に私服姿の亜梨子が入ってきた。後ろには少しばかり不機嫌そうな顔をした大助の姿もある。

 

「こんにちは、亜梨子さん。薬屋くん」

「マジで……居た。お前、他にすることないのか?」

 

仮にも部隊一つ任されている指揮官が女の元に通い詰めるのは如何なものかと思わなくもない。

大助の台詞に裴晴は苦笑しながら言う。

 

「ご挨拶だねぇ。やるべき仕事はしっかりと終わらせてから来ているよ。寧ろ、播本の一件から怒涛の勢いで虫憑き関連の事案に巻き込まれる君らの事後処理に朝まで働き通しだったんだよ」

「「ごめんなさい……」」

 

疲れた様子の裴晴に二人は素直に頭を下げた。

播本、寧子に続き、つい先日には亜梨子と大助は虫の"成虫化"という事象に巻き込まれ、暴走した虫を相手にしたばかりであった。

大助が監視任務についてからというもの、次々と事件が起こっていた。

 

「ま、二人共、大した怪我が無くて良かったよ。特に亜梨子さん、余り厄介事には首を突っ込まないでくれ。君に何かあったら摩理が起きた時、折檻されてしまう……」

「いくら摩理でもそんな事しないと思うけど?」

「コイツ、君の前ではちょっと猫被ってるんだよ。怒ったり、不機嫌だと本か、平手が平然と飛んでくるんだぞ?」

 

少し遠い目をして裴晴が言った。

実際は本や素手ではなく、槍の刺突と銀粉の刃という

殺意に満ちた攻撃が飛んできたのだが。

 

「まぁ、愚痴はここまでにして。亜梨子さんはいつもの見舞いだろうけど、薬屋くんは何の用事だい?」

「コイツの付き添い。後、その女についてだ」

 

大助は顎でベッドで眠る摩理を指した。

 

「摩理がどうかしたか?」

「どうかした、じゃないだろ?亜梨子(コイツ)に憑いてるモルフォチョウの本来の宿主。俺の今回の監視任務に関して重要な情報の一つであるはずなのに、特環からは一切情報が降りてこない。こんな異常な現象にも関わらず、主だった干渉もしてくる雰囲気もない」

 

"虫"は直接殺されるか、若しくは宿主が死にでもしない限り、存在し続ける。

だが、今回のケースはその法則から逸脱していた。

 

「意識不明とはいえ、生きている宿主の元を離れて他の人間に憑くなんて今までに無かった現象だ。そういった意味で安全を考慮して監視、何か起きた場合、即応出来る人材として"かっこう"を派遣。理屈は通ってるだろ?」

「通ってない。監視だけなら顔見知りとはいえお前でも問題なかったはずだ。なのに東中央支部の俺に任務が回ってきた。仮本部所属のはずが、今はお前の部隊に組み込まれている。明らかに不自然な事ばかりだ」

 

大助の知らない所で何か張り巡らされている。

誰がどんな思惑で策謀を計っているかは分からないが迷惑な話である。

 

「お前、何を企んでやがる?」

「僕が動く動機なんて今も昔も何一つ変わらない」

 

本を閉じて、裴晴は眠る摩理の頬を愛しげに触れた。

 

摩理(コイツ)と一緒に"夢"の続きを見る。その為に僕は今も戦っているんだよ」

 

もう一度、摩理の元気な姿を取り戻す為に。

例え、虎穴の中と分かっていても裴晴は形上でも特環の軍門に下っているのだ。

 

「大丈夫。君や亜梨子さんに迷惑はかけないよ」

「だと、良いんだが…」

「信用ないなぁ。君はともかく亜梨子さんが傷ついたら摩理が悲しむじゃないか」

「おい!?」

 

裴晴の酷い言い草に大助が批難の目で睨みつけながら突っ込んだ。

大助の予想通りとも云える反応に裴晴は声を上げて笑い返した。

そこには"黒い死神"と恐れられていた虫憑きの姿は垣間見れず、この世ただ一人、大切な少女を護り続ける少年(オロチ)の姿があった。

 

 

 



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第二章 夢奪う黒衣
第一話


どうも!上代でございます!
新章突入、ムシウタbugニ巻のストーリーです。
どうぞ、お楽しみ下さい!!


 

 

 

「冗談キツイぜ…ほんとに…」

 

はぁ…と少年はため息混じりに言った。

彼の名は、薬屋大助。ホルス聖城学園中等部に通う中学生である。

髪型、顔つきに特徴はなく、私服姿でも回りに溶け込んでしまう。

唯一、頬に貼られたバンソーコーだけが個性を主張していた。

 

「何よ。今更、文句言わないでよね」

 

一方、大助の隣を歩く少女。

彼女は一之黒 亜梨子。長い髪を後頭部で縛り、オーダーメイドのコートに身を包んでいる。

小柄なわりには大きな態度のせいで周囲から目立ち、どこに居ても直ぐ分かるそうだ。

亜梨子達の頭上には、季節外れの蝶々が待っていた。

鮮やかに輝く羽を持つ銀色のモルフォチョウ。

ごく普通の住宅街の中を二人で歩き、どんどん街の中心から離れていた。

ウキウキ顔の亜梨子とは反対に、大助の表情は憂鬱そうであった。

 

「千堂の野郎が情報開示しないでのらりくらりと交わしやがるから、個人的に花城摩理の調査を進める為に代理の監視まで手配したのに……ワガママもいい加減にしてくれ」

「特別環境保全事務局……虫憑きを捕まえる為の秘密機関。その秘密基地に乗り込もうってのよ!そんなチャンス見逃せる訳ないじゃない!」

「頼むから余計な騒ぎを起こさないでくれよ。今日の任務には千堂(アイツ)も来てるんだ……お前を特環に関わらせるのは本意じゃないだろうから、何かあったら殺される……」

「分かってるわよ。……で、急な任務ってなんなの?それの為に今日は私の監視から外れるはずだったんでしょ?」

 

亜梨子が目を輝かせ、大助を見る。

彼は苦り切った顔で、また重いため息を吐いた。

 

「捕獲した虫憑きを説得しに行くんだよ」

 

前を向いて歩きながら、大助が言う。

 

「説得……つまり特環に加わる様に説得するってこと?裴晴くんが寧子さんにしたみたいに?」

「あぁ。尤もアイツみたいに状況を上手く利用して投降を促すなんてやり方珍しいケースだけどな。大抵、力づくで屈服させて臣従させる方が多い」

 

寧子というのは、先日であった虫憑きの少女である。

裴晴は前々から彼女の"虫"の能力に目をつけており、説得して自分の部隊に組み込もうとしていたのだが、要らぬ横槍が入り、敵対しそうになったが、紆余曲折の末、特環に協力させる事が出来た。

今は裴晴の部隊に配属され、仲間共々、訓練を受けているらしい。

 

「じゃあ、裴晴くんの方が適任じゃない?どうして、わざわざ大助が行くのよ」

「当初はそのつもりだったらしいが、千堂が拒否したらしい」

 

大助の返答に亜梨子が目を丸くした。

 

「裴晴くんが拒否って……なんで?」

「詳しくは聞いてないが、説得対象と因縁があるそうだ。説得どころか、顔を合わせた瞬間、即殺し合いに発展する危険があるって千堂の方から言ってきたらしい」

「殺し合いってどうして……まさか、昔絡み?」

「多分、そうだな。"死神"時代の暴れ方を考えれば、恨みの一つ、二つは買ってるだろ。しかも、アイツから拒否したって事は相当、恨まれてるな」

 

裴晴が"黒い死神"と呼ばれ、虫憑き達に猛威を振るっていた頃の事を亜梨子は知らない。

当時既に特環に入局していた大助でも詳しい情報を一切聞いた事がない。

どういった思想、理由に基づいて同類である虫憑きを狩り、そして何故、急に止めて特環に入局したのか、全て謎に包まれていた。

 

「俺が千堂の代わりに選ばれた理由としては、他に適役が居ないからだろ。目には目を、化物には化物ってな」

「化物……?」

 

大助はそれきり、黙り込んでしまう。

二人が足を止めたのは三階建ての白い建物の前だった。

錆びた柵には、「赤牧市民族資料館」という薄汚れたプレート取り付けられている。

見た目はデザインも何もないただの長方形でしかない建物である。

 

「あ、ちょっと、大助……!」

 

大助が開け放たれた門を過ぎ、敷地へ入る。

亜梨子は慌てて少年を追い掛ける。手押しの入口を開け、中に入る。無人のフロアを進み、奥の通路へあるいていくと、人影が現れた。

職員…スーツを着た壮年の女だ。

「ひっ…!」と小さく悲鳴を漏らし、女性は身を竦ませながら奥へと引き返していった。

 

「ねぇ、今の人…」

「ここの連絡員だよ」

 

エレベーターのボタンを押しながら、大助が皮肉げな

笑みを浮かべた。

 

「交代の時間だったんだろうけど、運が悪かったな。いつもはモニターを監視しているだけで絶対にオレたちとは接触しないようにしてるのに」

「連絡員、モニタ?」

「気付かなかったか?庭に建物の中、監視カメラだらけだ」

 

大助に言われ、亜梨子は言葉を失う。

エレベーターが開き、乗り込むと大助は背中に手を伸ばし、シャツを捲り、隠していたゴーグルを顔に装着する。

特環の備品であるゴーグルは機械的表面に赤い紅点を浮かばせる。

 

「ちなみに、このエレベーターも何かあればガスが出る仕組みになってるそうだ」

「が、ガス……?」

「ここからは、俺の名前を呼ぶなよ。千堂の戦闘班と違って監視班は特環の中でも本名は明かさない」

 

エレベーターが動き出し、下へと降りていく。

黙り込む亜梨子を見て、大助は鼻で笑う。

 

「はっ、もう怖じ気づいたのかよ。普段強がってる分、ヘコむのも早い―――」

「亜梨子ファイナルアタック」

 

大助のスネへ亜梨子は強かに蹴りを見舞った。

不意打ち気味の蹴りの痛みに大助はスネを抑えてうずくまる。

目的階に着いたのか、音もなくエレベーターの扉が開いた。

目の前にあったのは大きな階段。

そして、仁王立ちで二人を待ち構えていたように佇む仮面を着けた白コートを纏う少女だった。

 

「漸く来ましたわね…全く。時間は守って欲しいのですけど"かっこう"?」

「ちょっと遅れたくらいでグチグチ言うな。それより、"ハンミョウ"なんでお前がここに居るんだよ?」

「貴方の案内をと隊長に仰せつかいましたの。で、何故、彼女が一緒に居るのかしら?」

 

仮面の奥にある瞳が亜梨子を見貫く。

話の矛先を急に向けられ、亜梨子の肩がビクリと揺れた。

大助は前に出て、少女…"ハンミョウ"に説明を始める。

 

 

「コイツが来たいって言うから連れて来た。面倒は俺が見るから問題ないだろ」

「大アリですわ。"虫憑き"でもないただの人間をこの先に通す訳には参りません。そもそも施設内に立ち入れるのも禁止ですのに。規則はご存知でしょう…?」

 

特別環境保全事務局は、政府管理下の"虫憑き"という異能者に対処するために設立された超法規的組織だ。

今でこそ、多くの虫憑きに対処をさせては居るが、まだ虫憑きという存在が曖昧であった頃は警察、自衛隊から人員を引っ張り、対処に当たっていた。

無論、表沙汰に出来ないものも多く、政治的に闇に葬りたい事案がある。

故に秘密組織として今日に至るまで存在は秘匿され続けているのだ。

 

「今日はあの方も朝から不機嫌で、更に機嫌を損ねるような要素は省きたいのですけど?」

「はぁ? アイツは説得には関わらないだろ?」

「関わりはしませんが万が一の為に側で控えているだけでも癇に障るようで。あの"女"と"隊長"は因縁深いですから……」

 

やれやれといった様に深いため息を混じらせながら"ハンミョウ"は言葉を零した。

 

「アイツが断ったって聞いて何かあるとは思ってたが、そこまで根が深いのかよ……」

「隊長もまぁ我々の居る手前、仕事だから口には致しませんけど。朝から少し苛ついてはいらっしゃいますね。そこにその方を連れ立てば拍車が掛かりますわよ?」

「めんどくせぇ……」

 

ガシガシと頭を掻きながら大助が愚痴る。

 

「仕方ねぇ。俺が直接、オオムカデと話す」

「話してあの御方が了承するとも思えませんけど…」

「ここでコイツを連れてくにせよ、置いてくにせよ、面倒な事になるのは変わりない。なら、話し通してアイツに了解を得た方が楽だ」

「そういう考え方もありますか……」

 

言われ、ハンミョウも大助の考えに賛同する。

 

「良いでしょう、付いてきて下さいな。一之黒さん、余り周りをキョロキョロ為さらないで下さいね」

「わ、分かったわよ…」

 

ハンミョウは先導するように階段を先に降りていく。

二人も彼女に続いて階段を降りていくと、あったのは暗闇へと続く空洞。レールが敷かれ、分厚い装甲をした二両の列車が止まっている。

ハンミョウは手前の車両へ向かう。

 

「ほらほら、早く乗ってくださいな。時間が押してますのよ?」

 

手招きして二人を呼ぶと、足早に車両の中へ押し込んだ。

内部は向かい合う二列のシートしかない。車両に乗り込むと奥から息を呑む気配が伝わる。

先客が居た。着ている服は違うが、大助と同じゴーグルで顔を覆っている三人の男女。

ハンミョウや大助を見て、驚いているようであった。

「な、なんで…」、「零番隊の女……?」、「ア、アイツも…どうして赤牧市に…」と囁く声が聞こえる。

入り口近くのシートに座らされた亜梨子達から離れるように奥へと引っ込んでいく。

 

「ね、ねぇ、あの人達も……」 

「虫憑きですわね」

 

車両が揺れ、静かに動き出す。

 

「普通の人が虫憑きを見て怖がるのは分かるけど…どうして、あの人達が私達を怖がるのよ」

「怖いでしょうね。かっこうさんも然ることながら、私は零番隊所属の女ですから」

 

フッと仮面に隠し、ハンミョウが微笑んだ。

 

「一之黒さんは私達の事をどこまでお聞きに?」

「基本は防衛戦力だって裴晴くんから聞いたけど……」

「間違っておりませんわ。私達は中央本部を防衛するのが主任務。ですが、他にも特環の戦力になりうる野良の号指定虫憑きを捕獲する事もあります。ほら、寧子……"ねね"さんの様な虫憑きとかを」

 

専らは防衛だが、裴晴の率いる任務は彼の考えで指針が決まる。特環の最高決定者である本部長であろうと命令するのは難しいという異常。

特殊に過ぎる部隊なのだ。

 

「お陰で隊員全ては最低でも五号指定。しかも、特殊型の虫憑きで構成されています。端的に申しますと虫憑きのエリート集団ですわ」

「それが怖がられてる理由?」

「大元の理由は隊長でしょうね。仮にも死神とまで呼ばれた最悪の虫憑きですもの」

 

今でこそ、"オオムカデ"のコードネームを与えられてはいるが、つい一年ほど前まで特環や野良の虫憑き達に猛威を振るっていた裴晴は恐れられる対象だ。

未だに虫憑き達には彼の恐怖が根付いていている。

 

「そんな奴に付いていってるお前らはやっぱり特殊型らしく変わってるな」

「ふふふ…そうですわね。でも、あの御方でなければ、私達も付いていこうと思いませんし、束ねる事も無理。それは"かっこうさん"も肌身で感じておいででは?」

「まぁな。特殊型はおかしい奴が多いけど、その中でもお前ら飛びきりだ。千堂(アイツ)がどうやってお前らを従えているのか、少し興味はあるよ」

「それは単純明快でしょうに。私達の様な言う事を聞かない連中を屈服させられたのは"力"で捻じ伏せられたからに他はありませんわ」

 

生意気で天狗になっていた餓鬼を躾けるが如く、それはもう容赦無用、圧倒的な"力"で高慢な性根を圧し折られた。

 

「今でこそ、あの御方に歯向かう気など更々起きません。昔、刃向かった自分を叩いてやりたいほどです」

「そんなバイオレンスな裴晴くん。イメージ付かないんだけど……」

「普段は本ばかり読んでる文学少年ですからねぇ〜。一之黒さん的なイメージはそちらが強いのでは?」

 

ハンミョウに言われるが、亜梨子は小首を傾げる。

確かに病室に居る裴晴しか亜梨子は知らない。

常に摩理の側におり、面会時間終了まで片時も離れていない。

彼の世界は摩理を中心に回っていたのでは?と思うほどである。

故に亜梨子の知る裴晴とは……

 

「私にとっては…親友の彼氏……かな?」

「……なるほど。間違った印象ではありませんわ」

「えっ!?貴女、摩理のこと知ってるの?」

「隊長の厳命で、零番隊の中でも"最重要保護対象"になって居られる方ですから。あの女が隊長にとって、どんな存在かは同じ女としてある程度察しは付いてますわ」

 

一度、病室に居る裴晴を見たことある人間から見れば、彼が摩理をどれほど大切にしているかなど明白であった。

摩理に何かあれば、ただ事ですまない。

 

「隊長にとっては弱みであり、逆鱗。取扱い注意の厄介な保護対象ですわ」

「俺、そんな事、聞いてないんだが?」

「貴方は正式な零番隊員じゃありませんもの。話す必要があります?一之黒さんを監視しているんですから、摩理さんの方まで気にする余裕ないでしょう?」

 

大助の主な役割は亜梨子の……モルフォチョウ監視であり、零番隊の任務に引っ張ってくる必要はない。

正式な隊員でもないのに此方の内情を教えてやる義務はないのだ。 

 

「隊長がなるべく摩理さんの情報が出ないようにする処置でもあるでしょうけど」

「……お前ら隊員全員は、何か知ってるのか?」

「一番古株の私やヴェスパはそれなりに存じています。貴方に情報を明かさないのは単に信用がないだけですわ」

 

仮にも現在の同僚に"信用"なしの烙印を押す。

ハンミョウの物言いにイラッとしたが、大助もたった数日程度で信頼関係を構築出来るとは思っていない。

話の途中であったが、車両が停止したので三人は立ち上がった。

 

「さて、着きました。ようこそ、奈落の底へ。歓迎致しますわ」

 

芝居じみた口調でいうと、ハンミョウは先に車両から降りていった。

 

「一体、どこなのよ、ここ…奈落の底って……」

「言葉通りだ。赤牧市の地下深く。それ以外は俺も知らない。地上につながってるのは俺達が通ってきた通路と職員専用出入り口、それと空調設備くらいだな。それは、そうと…」

 

大助は亜梨子の顔を見詰めて言う。

 

「覚悟しろよ。着いてきた事を絶対、後悔するだろうし、何があっても勝手に動くな」

「の、のぞむところよ!」

 

大助の忠告に少し怯みながらも、亜梨子は車両を降りていった。

 

 

 



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第2話

皆様、3年ぶりの更新です。
アイルービーバック


車両から降りると、ハンミョウと同じ真白のロングコートを纏い、仮面を着けた者が立っていた。

 

「どういう事だ、ハンミョウさん? 一人多いぜ?」

「かっこうさんが勝手に連れてきたんです。私に文句を言わないで下さらない、"ギラファ"?」

 

待ち構えていた者、ギラファにハンミョウは反論した。

 

「隊長はもう中へ?」

「七階層のモニタールームに控えてます。それより、どうすんです、その娘?隊長の前に連れてけませんよ?」

「かっこうさんが説得してくださるそうですわ」

「つまり、丸投げかよ……」

 

ギラファは肩を落とした。

 

「隊長は先に入ったから、今からじゃ話も出来ねぇぞ。後で怒られろよ、かっこう」

「……わかった」

 

はっきりと連れてくるなと厳命されている訳ではないが、本来虫憑きでもない一般人(アリス)を連れてきたのは規約違反である。

甘んじて叱りを受けるしかない。

これから貰うだろう説教に辟易する大介と、緊張した面持ちの亜梨子は別々の部屋に通される。

同性だからか、ハンミョウが亜梨子に付きそう形で長い通路を一緒に歩いていった。

 

一方、大助の方は亜梨子と同様、ギラファに付き添われる形で長い通路を歩いていた。

その途中ですっと静かに二人の人物が二人の両脇に揃って現れた。

 

「アトラス、状況は?」

「現在、リナは"処置室"にてセーフティネットの点検を受けてる。点検終了次第、予定通り『説得室』に入室する」

 

左脇に立つ白コートに仮面を付けた少年が、ギラファへ答える。

 

「予定通りだな」

「あぁ、ところで例の手はずはどうなってる?」

「お前さんの要望通り、隊長が進言して許可された。準備も完了して、あとはお前次第だよ」

 

大助の問いにギラファは面倒臭さそうに返答する。

 

「あんま変に無茶な作戦考えんなよ。只でさえ、俺らは上に睨まれてんだ。今回、お前が失敗すれば零番隊が不利益を被るのを忘れるな」

 

「心得てるさ」

 

ギラファの脅しとも言える言葉に大助は神妙な面持ちで頷き返す。言われずとも大助は理解していた。自分が裴晴に頼んだ事は幾ら本部付き部隊の隊長とはいえ、容認出来ない類いのものだ。容易く許可が降りた事も内心驚きがあった。

 

「で、あの娘はどうすんだ?そのまま、7階層に連れてって良いのか?」

 

「お前らも仕事があるんだろ?6階層で知り合いと落ち合う予定になってる。そいつも7階層の部屋に行くから、亜梨子はそいつに任せる」

 

「そうかい。精々、隊長に怒られんようにな」

 

ギラファは大助にそう言うと、同僚二人を引き連れて脇の道へ逸れて大助と別れた。

横並びに三人は裴晴に指示された位置へと向かう。

 

「今回の説得、上手くいくと思いますか、先輩」

 

ギラファの右側に並んで歩く少し小柄な白コートの人物。

体型と声音から少女と判断できる彼女はギラファへと聞く。

 

「十中八九、失敗するに決まってんだろ。分かりきった事聞くなよ、薄羽」

 

「そんな……なら、何故隊長はこんな無茶な作戦を採用したんですか?失敗したら隊長の立場が危うくーー」

 

「ならねぇよ。あの人の地位を揺るがすに足らない。こんな失敗は些細なものさ。昔ならともかく、入局以来隊長の上げた功績は計り知れない。数多の号指定虫憑きを捕縛し、反政府組織『ヤドリギ』の本部襲撃阻止、最初の火種一号指定虫憑き「フクロウ」の単独撃退。あの人を今の地位から罷免するのは無理だ」

 

裴晴が入局して関わった事件のどれも、大助が"ふゆほたる"を確保した事件に負けず劣らない特環の存亡に関わる案件ばかりだ。

本人も虫憑きで同類から嫌われ者だが、警察や自衛隊関係者で特環に関わりあいがある者達には、その活躍から裴晴を英雄視する者もいる。

政府関係者も裴晴の存在を危険視してはいるものの、大人しく彼らの命に従い、成果を上げているので下手に機嫌を損ねるような真似はせずに傍観しているのが現状だ。

 

「失敗しても責任はかっこうにおっ被せる腹積もりなのさ、許可した副本部長も」

「何故、副本部長が隊長を庇うんです。あの二人、めちゃくちゃ仲悪いですよね?」

 

分からず薄羽と呼ばれた少女は首を傾げる。

 

「敵の敵は味方…ということか?ギラファ」

「今一番、隊長が失脚して困るの副本部長だろうからな」

 

アトラスの考えにギラファは同意する。

あの得体の知れない女性の思考を読むなど、ギラファには無理だが特環の組織全体のパワーバランスを考えるに中央本部は裴晴を手放す事は出来ない。

 

「東の方が"ふゆほたる"の事件以降、きな臭すぎる。今、隊長が本部防衛から離れたら東中央支部所属の"かっこう"に対せる戦力がない」

「だから、副本部長は隊長を罷免しない。逆にかっこうの方をつついて、東を牽制する腹づもりか?」

「だろうな。隊長としてはどっちに転がっても良いのさ。失敗すれば東を牽制出来て、合法的に"リナ"を始末出来る。成功すれば、リナのカリスマ性に充てられた虫憑き達によって生まれるかもしれない"組織"を一つ潰せる」

 

結果がどちらに転ぼうが、裴晴に不利益はない。

 

「まぁ、誰かの思惑の中かも知れないが隊長にとって損はない。だから静観してるんだろうよ」

 

ギラファも裴晴の考えについて、今の所はある程度予想してはいるが実際は分からない。

自分の隊長が謎多き副本部長並に腹の底が読めないのは、今に始まった事じゃない。

 

「取り敢えず、だ。今日は大変な一日になる。ドジったら隊長が怒る前にヴェスパさんかハンミョウさんに叱られるからしっかり仕事しろよ、後輩」

「わ、分かってます!」

 

ギラファは薄羽へ忠告する。

薄羽は一番部隊で古株の二人の名を出され、緊張した表情を浮かべながら頷き返した。

 

 

 

部下三人が話しながら移動し、配置に付いた頃。

裴晴は7階層にある訓練所とは隔たれた広いフロアに居た。

フロア内には機械が並び、モニターがいくつも備え付けられている。

大勢の白衣を着た大人達がそれらを凝視している中、黒コートに"死神"と呼ばれる存在の気配を纏う裴晴は明らかに異質であった。

そんな中、フロアの入口の扉から二人の人物が入室する。

白衣達の視線がフロアに入室した人物達に集中したのを感じ、裴晴も扉へと振り返る。

すると、そこには顔見知りが立っていた。

向こうも裴晴の姿を視認し、近づいてくる。

 

「何で此処に居るんだ、亜梨子さん?」

「大助に連れてきてもらったの」

「アイツは…なんの為の監視役だ…?」

 

怒りを通り越し、裴晴は呆れた声音を漏らす。

 

「折角の機会だもの。どういう組織か知るには。仕事の邪魔はしないわ」

「どうだかな…。正直、これから起こる事は亜梨子さん的に気分が良いものじゃない。見ないにこした事はないよ?」

「それでも、よ」

 

裴晴の説得虚しく、亜梨子の意思は固いようだった。

此処に居る以上は最早、仕方のない。

 

「何があっても此処を動かない事。それだけは約束してくれ。勝手な真似はしないこと」

「…分かったわ」

 

渋々といった調子で裴晴からの指示に亜梨子は頷いた。

それを見て、次に裴晴は入ってきたもう一人へ声を掛ける。

 

「火種五号局員…名前は確か"アキ"だったな」

「中央本部勤務で異種一号のアンタに名前を知られてるとはな」

「特環所属の全虫憑き達の顔と名前、号指定から能力まで頭に入ってる」

 

裴晴がそう言うと、アキという名の少年は驚きが湧き上がる。号認定で最初から一号指定であった裴晴は特環所属の虫憑きの中ではエリート中のエリート。

大抵は高飛車で他の号指定の虫憑きなど眼中にない感じの輩が多いが裴晴はそんなタイプではないのが、アキにも予想外だったのだ。しかも、所属する全虫憑きのデータが頭に入っているなど、最早異常としかいえない。

 

「悪いが君には彼女の護衛を頼みたい。猪突猛進を絵に描いたような娘だからね」

「あんまりな言いようね、裴晴くん」

「言われたくないなら普段の言動を改める事だね」

 

頬を膨らませ、抗議する亜梨子に裴晴は苦笑を浮かべて言い返す。

そんな二人のやり取りに、アキは本当に眼前の黒コートを纏う少年が"死神"と恐れられる最凶最悪の虫憑きには見えなかった。自分の知るもう一人の一号指定…弟分のような大助とまた別の意味で普通の少年に裴晴は見えたのだ。

 

「火種五号局員"アキ"配置につけ」

「はい」

 

三人の輪へ白衣の一人が声を掛ける。

会話を中断し、命令のままにアキがガラス張りになった奥へ向かい、亜梨子もそれに倣う。

 

「防衛班長殿。準備は宜しいですか?」

「零番隊各員の配置は完了しています。いつでも開始して構いません」

「了解しました」

 

アキへの態度とは打って変わり、丁寧な態度で白衣が返事する。その様をアキも亜梨子も各々、思うところがある表情で一瞬、見るがすぐに超硬化マジックガラス越しのホールへ目を向けた。

裴晴も白衣との会話を済ませると、亜梨子達とは少し離れた距離からマジックガラス越しにホールを注視する。

 

ホールの手前、壁に開いた空洞から一人の人物が現れた。

裴晴と同じ漆黒のコートを纏い、手に拳銃をぶら下げている。

大助である。

 

「さて、お手並み拝見だ、かっこう……」

 

ホールに立つ大助を見ながら、裴晴は誰にも聞こえない音量で囁いた。

 

 



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第3話

説得の定義とはこれいかに。

大助の指す"説得"は実に斬新であった。

説得というよりも最早、恐喝や恫喝に近い。

裴晴も大助と同じ考えが浮かばなかった訳ではないが、それを行なった後のリスクを考慮したのだ。

それに裴晴は端から"リナ"を説得するのは自分では無理だということを理解していた。

なにせ、彼女を特環に捕縛させたのは裴晴のようなものだ。

リナから恨まれているし、裴晴自身も彼女に対して思うところが無いわけじゃなかった。

だから、説得には関わらず彼は別の方へ労力を割いていた。

 

目の前で"かっこう"としての大助によるリナの前で彼女以外の捕縛した虫憑きを痛めつけ、リナを服従させようというヤクザ顔負けの恫喝紛いの手法が繰り広げられる中。

裴晴の意識と思考は眼前の情景よりも別にあった。

 

(裏切り者の炙りだしが楽だな)

 

ホールで行われる非人道的な行為にアキや亜梨子が白衣の研究者達に物申しているのを横目に見ながら裴晴は思う。

 

(リナに共感した特環局員は多い。ヴェスパに探らせてリストは出来たがどう炙り出すか困っていたが)

 

動揺するアキを一瞬見て、裴晴はホールにいる大助に視線を注ぐ。

阿鼻叫喚といった様相に裴晴はそろそろ頃合いかと腕時計に視線を落とすと、ガン!という甲高い音が響いてきた。

音の方へ目を向けると、亜梨子がホールへと繋がる扉の前に立ち、片っ端からボタンを乱暴に叩いている。

 

「おい、やめろ!…ゲストのセーフティネックを稼働させろーーー」

「止せ」

 

亜梨子の首に付けられた安全装置を稼働させようとした白衣の前にある機械を裴晴は即座に"尾"を展開し、破壊した。

これには白衣達だけでなく、アキや亜梨子も度肝を抜かれる。

 

「"オオムカデ"!一体、何を?!これでは被験者達のーー」

「彼女のセーフティを稼働させるな。下手な真似をすれば、貴方達の命が危うくなる」

 

どういう意味が分からず、アキと白衣達は困惑の表情を浮かべるが、亜梨子だけは裴晴の言葉を理解した。

自分の頭上をいつの間にかモルフォチョウが旋回し、きらびやかな鱗粉が舞っている。

せわしなく"虫"が飛ぶ様を見て、他の人間もようやく事態が飲み込めた。

 

「今、ここで彼女の"虫"に暴れられたら怪我では済まない。彼女を望み通り、ホールへ通して差し上げてください。貴方達もここで暴れられたくないでしょう?」

 

裴晴の言葉を聞き、白衣達は先程とは打って変わって迅速にホールへの入口を開いた。亜梨子は身を翻し、扉を潜りぬけていった。彼女が行く姿を見届けると、裴晴はアキに顔を向ける。

 

「何をしている。火種五号局員"アキ"。君には彼女の護衛を頼んだはず。追わないのか?」

「…何を企んでる、お前…」

「何も企んじゃいないさ」

 

肩を竦めて返す裴晴を訝しむ視線で見詰めるも、アキは結局、亜梨子を追って部屋を出ていった。

二人が居なくなったのを機に裴晴は白衣達へ告げる。

 

「これより大規模な虫憑き達の暴動が予測される。安全の為に部屋より退避願います」

「しかし、データの記録が…」

「そのデータに"命"を賭ける価値がお有りならどうぞいてくださって結構。我々、零番隊は守りませんのであしからず」

 

裴晴の言葉に白衣達は一瞬絶句するが、やはり我が身大事なのか、慌てて部屋から退出していった。

部屋にポツンと一人なると、イヤマイクを繋げた通信機に連絡が入る。

 

『どんな状況ですの?研究員達が慌てて出て行っていますけど』

 

ハンミョウが通信機越しに不思議そうな声音で聞いてきた。

 

「うちのじゃじゃ馬姫が暴走してるだけだ。こっちは手筈通りに動け。後、"ねね"を呼びもどしておけ」

『"あさぎ"の教練中です。後で彼女に怒られますわよ?』

「緊急時だ。中断はやむ得ない。今後も呼出があるのは、あさぎにも伝える。彼女の能力は貴重だから仕方ないとな」

 

最後にそういうと裴晴は通信を切り、踵を返す。

ホールの入口へ足先を向け、そのまま扉を潜り、彼も部屋から出ていった。

通路を歩いていく中で、通信機に再び連絡が入る。

 

『状況を送りなさい、"オオムカデ"』

「これはこれは副本部長殿。如何しました?」

『第7階層で問題が発生したと聞きました。状況はどうなっているのですか』

「何も問題ありません。かっこうの作戦通りに進行しています」

『観測員達を部屋から退出させたと聞いていますが?』

「安全上の保険です。只でさえ我々を恨んでいる虫憑き達を一箇所に集めたんですから」

 

問題が起きない方がおかしい。

しかも殆どがリナに共感している虫憑き達だ。

何も起こらないなどあり得ない。

 

『作戦立案段階で分かっていたことでしょう』

「えぇ、貴女も俺も理解していた事だ。それでもゴーサインを出したのは、俺の意図を理解していると認識していますが?」

『…裏切り者達は炙り出せましたか?オオムカデ』

「つつがなく。零番隊以外の局員で最も可能性が高い奴らを呼んで配置させましたから」

『では、速やかに事態の集束を図りなさい。裏切り者は確実に始末を』

「善処しますよ、副本部長殿」

 

了解と確約を述べずに裴晴は通信を切った。

通路が終わり、ホールの中へ進入する。

現場は既に混迷の様相を呈しており、亜梨子と大助が声を張り上げながら言い合いをしている。

その隙きをついて、今まで大助に拷問紛いの攻撃を受けていた"虫"が宿主の意志によって彼へ襲いかかろうとする。

だが、

 

「邪魔だ」

 

そう吐き捨て、裴晴は無情にもその"虫"を身体に顕現させた四つの尾で貫いた。虫を殺され、宿主は身体を一瞬、痙攣させるとバタリと倒れる。

大助や亜梨子が唖然とした顔で裴晴を見る。

 

「何て顔をしている、かっこう。任務を継続しろ。一人くらい問題はない。生贄は腐るほどいる」

 

冷酷な声音でそう告げる裴晴に亜梨子は背筋を凍らせる。

今の大助も充分に冷酷に見えたが、裴晴はそれ以上に同じ虫憑きに対して何の感情も持っていないようであった。

続きを促すように大助へ裴晴が指示するその時。

 

「っ……しに、がみぃぃぃーー!?」

 

憎悪が燃えたぎる如きの憤怒の声がホールに響く。

リナが目を見開き、怒りを讃えた瞳で裴晴を見詰めていた。

裴晴は口元に微笑みを浮かべながら、リナの前に立った。

二人は硬質ガラス越しに対峙し、話し合う。

 

「久しぶりだな。リナ。元気そうでなにより」

「許さない、許さない!"死神"、あんたと"ハンター"は絶対殺してやる!」

「今は特環の異種一号指定局員"オオムカデ"で通っている。余り昔の名で呼ばないでくれ」

「なっ…んですって…」

 

裴晴の言葉にリナは絶句した。

あれだけ無差別に虫を屠り続けた奴が、虫憑き達を弾圧する組織に入ったなど悪夢以外の何ものでもない。

 

「君ら野良の虫憑き達の命は今、俺の掌中にある。下手な言動は慎むべきだぞ?」

「ふざけるな!アンタも同じ虫憑きなのに、どうしてここまで、あたしたちを苦しめる?!」

「君らが勝手に苦しんでるだけだ。特環に服従を誓えば、仲間も君も迫害されることはない。命の安全は保障しかねるが」

「つまり所詮は体の良い奴隷じゃない!そんなのは生きてるとは言わない!」

「どんな形であれ生きているのは素晴らしい事だと思うけどな」

 

ガラス越しに互いの意見をぶつけ合う両者。

その間、リナが顕現させた巨大な天道虫はギチギチと顎を鳴らして裴晴を威嚇する。リナの殺意が天道虫を通して目に見える。

 

「まぁ、君と意見が合うとは俺も考えてはいない。だから、そうだな……少し手法を変えようか」

 

そう言って裴晴は大助へと振り返る。

 

「零番隊隊長として命じる。火種一号局員"かっこう"。リナが服従を誓うまで今から一分ごとにリナ以外の虫を一匹ずつ殺せ」

 

非情過ぎる指示に、指示された側の大助は勿論、亜梨子、リナは言葉を失う。

人とは、ここまで冷酷に非情になりきれるのかと。

 

「どうした、かっこう。復唱もしくは応答しろ」

「……了解」

 

裴晴の命令に首肯し、大助は銃口を集まっているリナ以外の虫憑き達へと向けた。

その光景に、遂にリナの中で何かがキレる。

 

「許せない……死神、いえ特別環境保全事務局、あんたら皆、ブッ潰してやるわ……!」

 

リナが絶叫した。

 

「アンタたちみんな、ぶっ殺してやるっっ!」

 

天道虫が巨大な翅を拡げた。

虫の様子を見て、裴晴は即座にガラスから距離を取り、身を翻しながら、亜梨子や大助を回収する。

 

「裴晴くん?!」

「少し大人しくしていて」

 

亜梨子にそう言うと、裴晴を尾を六本にまで増やし肥大化させ、これから来るであろう衝撃から身を守る為の盾を形成し防御体勢に入った。

そして次の瞬間。

爆発が起きた。視界が真っ白に染まるほどの閃光と衝撃波がホール全体へ拡散し、汎ゆる全てが消し飛んでいった。

天地を揺がすような咆哮が施設内を突き抜けていく中、裴晴だけは、その衝撃に対抗していた。

 

「っーー無差別にも程がある」

 

これでは他の虫憑き達も無傷では済まないだろう。

徐々に衝撃波が止んでいくと、巨大な天道虫の咆哮が上がる。覚醒の咆哮、解放の閧の声だ。

 

「何処に居る、"死神"、"かっこう"、殺してやるわ!"ハンター"も逃さないわよ!」

「やれやれ、初対面の時はまだ可愛げがあったのに…」

 

億劫そうな声音を漏らしつつ、裴晴は眼前に積み上がる瓦礫を押しのけながら、リナの前に姿を現した。

 

「腕を…いや成長したな、リナ。当時の君は歯牙にも掛からない雑魚だったが、認識を改めよう。今の君は充分に俺が相手をする価値がある」

「偉そうに。アンタなんて、今のあたしの敵じゃないわ」

「ははは。そうかそうか。それは楽しみだ。存分に抗ってくれ。それで名目が立つ」

 

彼の腰部から禍々しい6本の尾が伸びて背後で蠢きだす。

完全に臨戦体勢へ移った裴晴を見て、大助は亜梨子を背後に庇う。これから起こるだろう戦闘から亜梨子を守る為。

大助は普段静かな裴晴の気が殺意を迸らせているのをヒリヒリと感じ取っていた

 

「あの時の続きといこうか?」

 

宣言と同時、六本の尾が高速で伸び、天道虫へと迫る。

巨体では、裴晴の一撃を躱すのは難しい。

鋭く硬く柔軟性も兼ね備えた裴晴の尾は正確に天道虫を刺し貫き、蹂躙する…はずだった。

 

「ぐっ…」

「がっ」

 

それを白コートを纏った特環局員が間に割って入り、防いだ。彼らの虫が盾となり、裴晴の尾に刺し貫かれる。

突然のことに困惑するリナを一瞥すると裴晴は庇って入った局員へ声を掛ける。

 

「随分と命知らずな真似をするな、君達」

「っ……そうかい、お前に一矢報いれたなら上々だ」

「…リナは…絶対に…やらせない」

 

尾に貫かれた虫のダメージは宿主に伝わり、二人は片膝を付いて入った裴晴を見上げていう。

 

「馬鹿な奴らだ。本当の"敵"を見失い、そんな奴を庇うとは。馬鹿は死ななきゃ治らんらしいからな。一片、欠落してこい」

「っ…待って」

 

リナの静止虚しく、宣告とほぼ同時に裴晴は貫いた虫達を尾でそのまま引き裂いた。体液が周囲へ飛び散り、宿主達は虫を殺された事で"欠落者"となり、意識を失い倒れ込む。

 

「アンタの…仲間じゃないの?!」

「彼らは裏切り者だ。組織に反旗を翻せば、処罰されるのは当然。当たり前の事だ」

 

理路整然と裴晴は言う。

能面の様にまるで感情が欠落した顔で。

その表情にリナは初めて裴晴に怖れを抱いた。

人とはここまで割り切り、感情のない機械的な顔になれるのか。

裴晴の冷徹な佇まいに充てられ、リナの激情はいつの間にか霧散する。

彼女が知る人間像から逸脱している存在を前にしたがゆえに。

そんな彼女の心情など知らず、背後に阿修羅の如き6本の凶器を揺らめかせ、裴晴は一歩一歩、リナへ歩み寄る。

 

「っ…ナナホシ!」

 

後退りながらも、天道虫へ命じ、リナは衝撃波を裴晴へ放つ。

裴晴は一本の尾を横薙ぎに一閃し、衝撃波をかき消した。

 

「どうした?もう力を使い果たしたか?先程の出力が出ないと俺は殺れないぞ?」

「くっ」

 

挑発する様な発言をする裴晴に歯噛みしつつ、リナは衝撃波を放ち続ける。

見た目、接近戦闘型だと裴晴は思われている。

近中距離戦闘型のリナは相性の良い相手ではないと誰もが、彼女自身もそう思っているはず。

しかし、

 

「射的遊びがしたいなら付き合ってやる」

 

迎撃用に二本の尾で衝撃波を払いながら、裴晴は残り四尾に備わる棘をまるで散弾の周囲へと射出した。

その周りの被害を考慮しない無差別攻撃にリナは「なっ」と動揺をするも天道虫が宿主を守る為に甲殻部を展開し、守勢を取った。

棘状の散弾は残存する虫憑き達へ降り注ぎ、宿主の防衛本能に反応し、顕現した"虫"達の肉体を粉微塵に蹂躙していきながら、リナの巨大天道虫の身体も貫いていく。

その光景を見たアキは、

 

「リナを守れ!」

 

周りの生き残る虫憑き達に呼びかける。

それを見て、裴晴は口元に微笑を浮かべた。

 

「この光景を目の当たりにしても裏切るか、"アキ"」

「今更だろ"オオムカデ"。アンタは知っていたはずだ」

「あぁ、知っていた。そして、此処がお前達、裏切り者達の墓標となる」

 

そう告げると、裴晴の腕がスッと上げられる。

彼の合図に呼応して、控えていた零番隊の戦闘要員達がホール外縁部に姿を見せ、裏切った局員や捕縛された虫憑き達を取り囲む。

 

「零番隊、リナ信奉者全員の"虫"を駆逐せよ」

「やっぱり…そういう算段か!」

 

此処に来てアキは理解する。

どうにも今回のリナの説得には合点がいかない工程があったが、全て眼前の"死神"の企みだったのだ。

今までの過程は全部、自分達の様なリナに賛同する特環局員を燻り出す為の布石。

まんまと、彼らは出し抜かれた。

 

「そう簡単にやられてやらねぇぞ"オオムカデ"」

「そうか。精々足掻け。"元"五号局員"アキ"」

 

裴晴はアキにそう言い残し背を向けてリナの元に向かう。

敵としてすら見ていないその態度にアキは自身の"虫"を展開し、裴晴へ差し向けようと動いた。

だが、

 

「簡単に"(キング)"を取れると思うな」

「ぐっ」

 

数多のオオスズメバチを従えた特徴的な仮面に白コートの人物が二人の間に入り、アキの腹へと蹴りを放ち、後方に吹き飛ばす。

 

「…零番隊か…!」

「零番隊異種二号指定"ヴェスパ"だ。元五号局員"アキ"、お前を駆逐する」

 

コートのポケットに手を入れ余裕の出で立ちを見せ、ヴェスパはアキに宣告する。

ヴェスパの言葉にアキは歯噛みする。

号指定は若い数字ほどその実力と能力を如実に現す。

二号指定、しかも戦闘班零番隊ともなれば、火種という戦闘特化の種別でなくても彼の戦闘能力は推して然るべきもの。

更に、

 

(ヴェスパ…零番隊、噂の副長か…)

 

零番隊の隊員構成は上層部以外には非公開扱いだが、隊長と副長に関して人の口に戸口は立てられず、噂は流れていた。

 

"ヴェスパ"

零番隊No.2にして"オオムカデ"の右腕。

火種指定を受けていてもおかしくない戦闘能力保有者。

戦闘教官"あさぎ"とタメを張るほどバリバリの武闘派だと。

 

「アンタまでお出ましとは"本気だな"」

「隊長が居る時点で"遊び"はない」

 

アキの言葉に答えながら、ヴェスパは静かに構えを取った。

手はコートのポケットに入れたまま、周囲を飛び交うオオスズメバチの群体が羽音と歯を鳴らす。

 

「降伏すれば半殺しに留めてやる」

「舐めんじゃねぇ!」

 

ヴェスパの挑発を受け、アキは彼へと立ち向かっていった。

二人が戦闘開始したと同時に零番隊も特環へ叛意した局員やリナを守る虫憑き達との交戦を始めた。リナは裴晴の散弾をどうにか凌ぎきれたものの、消耗が激しく気を失っている。

そんな彼女を抱え、虫憑き達は逃げながら零番隊達に応戦していた。

 

「リナを…リナを守れ!リナさえ無事なら……」

 

多くの虫憑き達がリナの為にその身を粉にして逃亡戦を繰り広げていく。

零番隊は裴晴の命に従い、そんな虫憑き達を一人また一人と欠落者に変えていった。

 

異種3号指定"アトラス"は激しい雷撃を操り、周囲の虫を焼き焦がし。

 

火種四号指定"ギラファ"は風刃を嵐の如く放ち、虫を尽く引き裂き。

 

異種五号指定"薄羽"は揺らめく陽炎を周囲に放ち、虫を静かに焼滅させていった。

 

それぞれが一騎当千。

どれだけの数がいようが、捕縛されていた虫憑き達や元局員達も徐々に数を減らし駆逐されていく。

そんな地獄の様な光景を大助と亜梨子は眺めるしかなかった。

そこに、

 

「参戦しませんの?"かっこう"」

 

ハンミョウが彼らの側に気配なく現れた。

 

「相変わらず神出鬼没な女だな」

「領域展開中の私を捉えられるのは隊長か、余程優れた感知タイプの虫憑きくらいです。混戦状態じゃ誰も気が付きませんわ」

 

そう言うと、戦場であることを気にしていない様にハンミョウはその場に座り込んだ。

 

「それで?参戦されませんの?」

「お前はどうなんだ?」

「精神汚染、操作しか出来ない私に鉄火場に立てと?あんな場所、入れば死んじゃいますわ」

 

裴晴に見いだされ、鍛え上げられた零番隊隊員達の中でハンミョウだけは直接戦闘能力皆無の非戦闘員。完全な後方支援要員だ。それ以上にハンミョウが全力を出せば、敵味方共にただでは済まないが。

 

「貴方の立案した作戦は失敗しました。少しは戦闘に貢献しておかないと、副本部長に処罰されますわよ」

「最初から……お前らはこうするつもりだったんだろう?」

 

大助の指摘にハンミョウは小首を傾げ、「そうですが、それが?」といった軽い調子で返した。

その態度に大助は悔しさに歯を食い縛る。

 

「…いつから、だ…」

「貴方が本部に来た日には、隊長から"リナ"に汚染された局員を洗い出すように指示されていましたわ。どう始末をつけるかは、貴方が説得の為の作戦を提案してきた時」

 

裏切り者のリストアップは難しかったが、然程手間は掛からなかった。問題だったのは裏切り者の処分方法。

 

「大義名分が必要でしたの。誰もが納得するような」

「他の所属局員に影響を与えないように…か?」

「昨日まで居た仲間が次の日、突然消えたらおかしいでしょう?」

 

特環の仕事は非合法活動に分類され、表沙汰には出来ない。

だが内部で毎日、顔を合わせている同僚が消えれば組織内部で騒ぎにはなる。たとえそれが人間扱いされない虫憑きであろうと例外ではない。

 

「目に見えて裏切りで処分された方が、後々の対策にも繋がりますしね」

 

つまりは見せしめ。

裏切ればこうなるという指針。

以前、東中央支部の支部長が本部にクーデターを画策したが今の支部長と大助によって潰されている。

その時は加担した支部の関係者だけでなく、虫憑きも多く処罰された。

それはそれで内輪で処理され、表沙汰にはならなかったが今回は違う。

 

「今もこの光景は録画されています。この件が終わった後に全ての局員がこれを見せられ、そして心に刻むはずですわ」

「これが…お前らのやり方、か」

「えぇ、これが"零番隊"の…千堂裴晴という男の手口ですわ」

 

使えるものは何でも使い。

目的の為なら非人道的な手段すら厭わない。

汎ゆる全てを用いて目的を達する。

それが千堂裴晴。

数多の虫憑きから"黒の死神"と怖れられる少年である。

 

「どうして…こんな…貴方達は…裴晴くんはこんなひどい真似が、できるの?同じ虫憑きじゃない、の?」

 

悲しげに苦しそうに、亜梨子が絞り出すように零した。

隣でそれを聞いたハンミョウは、

 

「"虫憑き"だからですわ」

 

と、亜梨子の疑問に答える。

この場に居ない裴晴の代わりに。

 

「幼く子供だろうと"虫"という超常存在に取り憑かれた時点で私達は他の人間よりも大きい責務を負います。己が夢を叶える代価に、超常の力を得てしまった我々は他の人間よりも多くの負担を強いられるのは当然」

 

かつてそれは、初めて局員となった時、裴晴にハンミョウ達が言われたこと。

 

「人は己と違う者を受け入れるのに"時"が掛かる。それは世界的人種問題、宗教問題を見ても明らかなこと」

 

自分達と何処か異なる者を迫害、畏怖するのは人類史上珍しくもない。

 

「故に私達"虫憑き"は誰よりも己を律し"人"に害なすものでないと示さなければならない。その過程でどれだけの非道や迫害に遭おうと"始まりの三匹"を討つその日まで、これからも生まれ続ける同胞を護る為、私達は必要悪となりましょう」

 

いつか誰かに敗れ、欠落者になるか。

いつか虫が"成虫化"し命果てるか。

その時が来るまでは。

 

「私達は"未来"の虫憑き達を護る為なら何度だろうと同じ事をしますわ」

 

それが彼らの覚悟。

未来の大を救う為なら小を捨てさろう。

彼らの長が目指すものを実現する決意。

虫憑きを生み出す原虫指定。

悲劇の元凶。

"始まりの三匹"と呼ばれる怪物達をこの世から消し去るまで彼らは今よりも先を護らないといけない。

でなければ、虫憑きという存在は本当に滅ぼされる。

それを防ぐ為、彼らは決して止まらない。

 

入り乱れる怒号と悲鳴、そして爆発音。

特別環境保全事務局の中央本部は一人の少年の策略によって地獄絵図と化した。

三人はその光景を見守る事しかできず。

後に残ったのはほぼ原形を留めないホールと数多の欠落者。

そして、零番隊の隊員達のみが瓦礫の中に佇んでいた。

 

 

 



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第4話

 

 

 

収容者の反乱として処理した一件から暫く。

未だに瓦礫の山と化したホールの一部で裴晴は八重子と並んで立ち話をしていた。

話しの内容は昨日の一件の事後報告。

リナの説得任務ではなく、彼女の信奉者駆逐作戦の報告だ。

 

「駆逐率は?」

「およそ全体で6割程度かと」

「想定していたより削れてませんね」

「仮にも局員だった虫憑き達も参戦してましたから。それに兵士でなくても、命の危機に瀕すれば平民も必死になって戦うものでしょう」

 

眼前で瓦礫となったホールを新しく零番隊の後方要員となった"ねね"があくせくと修復している姿を眺めながら裴晴はしみじみと言う。

 

「想定より削れませんでしたが、良い教訓にはなったかと」

「そうですね。これでまた暫くは他の支部も虫憑き達も変な動きはせず大人しくなるでしょう」

 

裴晴の言葉に八重子は同意する。

しかし、

 

「ですが、火種一号予定の"リナ"を逃したのは失策ですね」

「火種一号?リナは六号指定ではありませんでしたか?」

「これだけの破壊を行える虫憑きが六号程度だと?」

 

八重子の意見に裴晴も納得する。

確かに裴晴と戦闘する前のリナの"虫"が齎した破壊は一号指定を受けてもおかしくない。

 

「それに…周りの助けがあったといえ、貴方や"かっこう"が揃った戦場で生き残ったのです。まだ申請中ですが一号指定しても良いでしょう」

「なるほど…」

 

直接戦闘を行なった訳ではないが、火種一号"かっこう"、異種一号"オオムカデ"が揃った場所で反撃し、生き残っている訳だから同格とされても不思議ではない。

 

「それで?どうするのです。連中が新たな反抗勢力となる危険性は貴方も承知済みのはず」

「えぇ。ですが、そうならない可能性もあります」

「というと?」

「"ヤドリの樹"の連中と彼らは接触したようです」

 

裴晴からの情報を聞き、八重子は笑みを深めた。

 

「なるほど…だから元局員連中は最低限しか削らなかったのですか。ではリナ達は"フクロウ"と合流すると?」

「まだどうなるか定かではありません。しかし、特環に抗するつもりならヤドリの樹を頼るでしょう。"フクロウ"の目的が特環の打倒なら、虫憑きの居場所を作る事を目的とする"リナ"と友誼を結ぶ可能性は充分にあります」

「まぁ、あちこちにレジスタンスが生まれるよりはマシでしょう」

 

八重子も裴晴の目論見に賛同する。

下手にバラバラになられるよりは一箇所に集中してもらった方が叩きやすい。

 

「分かりました。完璧ではありませんが、一先ずリナの一件はこれで手打ちとしましょう。後はリナとヤドリの樹の動向に注視を」

「了解しました」

 

リナの一件はこれで終わりとするという八重子の言葉を聞き、裴晴はその結論を受け入れた。

 

「ところで"オオムカデ"。貴方、"かっこう"に何か特殊な任務でも与えましたか?」

「彼奴は現在、先の一件の責任を取らせ、監視対象の通う学校で監視の継続と謹慎をさせています。任務を与えるなどあり得ません」

 

表向き、今回の説得を行う際の作戦を立案、実行したのは大助であるから、当然責任は取らねばならない。

 

「そうですか。しかし、今日"かっこう"の依頼で"秘種四号ころろ"が向かったようですが?」

「…なに…?」

 

八重子から話された情報に裴晴は眉をひそめる。

裴晴が大助には何も指示を出していないのは本当だ。

つまり、

 

「貴方が把握してないという事は彼の独断ですか」

「……急ぎ確認します。では」

 

裴晴は八重子に背を向けた。

足早にホールを出ていこうとする裴晴に八重子は言葉を掛ける。

 

「部下の手綱は握っておきなさい"オオムカデ"」

「忠告痛みいります、副本部長殿」

 

どの口が言うのか。

大助の行動が八重子の策略なのは明らか。

苦々しく思いながら、裴晴は特環の施設を後にした。

更衣室で私服に着替え直しながら、裴晴は控えている自身の副長に聞く。

 

「今日の二人の行動予定は?」

「私立幌波大学付属中学の文化祭へ行っています」

 

ヴェスパは大助が報告している範囲での予定を伝える。

 

「"ころろ"もか?」

「"ころろ"は別任務中です。恐らくかっこうとそこで落ち合うつもりかと」

 

時間は午後3時を回っている。

既に要件を済ませている可能性は高い。

 

「如何されますか?」

「取り敢えず、幌波へ向かう。後の事はお前に任せる。ねねには適度に休みを取らせて修復作業が終わり次第、あさぎの元に帰せ」

 

ヴェスパにある程度を指示を出し終えると、資料館から外へ出た。

タクシーで幌波中学へ移動する。

現地に到着すると、学校祭でも開かれているのか一般人が多く、人の出入りも多かった。

これでは視覚で亜梨子達を見つけるのは困難と判断し、裴晴は目立たない場所を探し当てると、自身の虫の感知能力を使う事にした。肩に"タツノオオムカデ"が現れ、ガチガチと歯を鳴らしながら、モルフォチョウの気配を追っていく。

すると、

 

「ちっ…あの馬鹿ども!」

 

モルフォチョウの気配を捉えた瞬間。

裴晴は舌打ちしながら、急いで感知した場所へと駆け出す。

校内へと入り込み、階段を駆け上がる。

2階に来ると渡り廊下を走り、特別教室棟と呼ばれる場所に来た。第2美術室と書かれた教室にノックもなく、入る。

 

「"摩理"!」

 

扉を開け、大切な人の名を叫ぶ。

教室の中は特殊型の"虫"特有と云える領域が展開されていて、怪しげな少女と亜梨子が睨み合っていた。

亜梨子の手には見覚えのある銀槍が握られている。

 

くすりーーと亜梨子の顔をした"花城摩理"は裴晴に微笑み返しながら少女に向かい、槍を振りかぶった。

 

「っーー」

 

裴晴は摩理が槍を構えていた段階で駆け出し、二人の間に割って入ると鱗粉により発生する斬撃を、一本の尾で受け止めた。衝撃が拡散し、教室の備品が吹き飛ばされる。

裴晴と摩理、死神とハンターは一年の時を経て対峙する。

 

「久しぶりだな、摩理」

「久しぶり?違うでしょ?私はいつも貴方の側に居た。貴方も私の側に居てくれた。だから、こんばんは、じゃないかしら?」

 

コクリと小首を傾げつつ、槍を構えたまま、摩理は言葉を返した。

 

「そうだな、こんばんは、だ。摩理」

「えぇ、こんばんは、裴晴。話しは変わるけど、そこを退いてくれる?貴方が居たらその娘を殺れないわ」

 

裴晴の背後に居る少女へ摩理は殺気を向ける。

 

「ディオレストイの虫憑きは邪魔なだけ。潰しても問題ないでしょ?」

「あぁ、こいつが欠落者になろうが死のうがどうでもいい」

 

摩理の言葉に裴晴は同意する。

二人のやり取りを聞いて少女は絶句する。

人の命をなんとも思っていない台詞に少女は言葉を失うしかない。

 

「だが、亜梨子さんは違う。摩理、"魂依"を解け。只でさえ、俺らの同化能力は身体に負担が掛かる。槍だけだろうと亜梨子さんは一般人だ。長く憑依を続けるのは良くない」

 

裴晴の指摘に摩理の表情が歪む。

彼女も理解していたのだろう。

モルフォチョウに宿る摩理が亜梨子の人格表層に現れるのは、宿り木であり彼女が危機に瀕した時のみ。

摩理自身が亜梨子に掛ける負担を理解しているからこそ、そのような状態にしているのだ。

これ以上は亜梨子の身体に悪影響が出ると、憑依を解くように摩理へ促す。

だが、

 

「"ころろ"!」

 

摩理を説得して憑依を解除させようとしたところに。

最悪のタイミングで、黒コートにゴーグル、そして拳銃、完全武装の状態で大助は裴晴の前に現れた。

 

「"かっこう"。後で覚えておけ。謹慎では済まさんぞ」

 

怒りを滲ませた眼で裴晴は大助を睨みつけ言う。

大助は裴晴がこの場に居るのは完全に想定外だったのか、ゴーグル越しだが、動揺しているように見受けられる。

裴晴は大助から視線を戻し、改めて摩理と対する。

すると、

 

「そう…貴方が薬屋大助」

 

表情は一変。

くすり、と摩理に微笑が戻る。

薬屋大助。

彼女は彼を知っていた。

 

「"先生"から聞いた事があるわ。同化型で裴晴と同等の強い虫憑き」

 

摩理は槍の穂先を大助に向けた。

このままでは拙いと感じ、裴晴は背後の少女"ころろ"に言う。

 

「秘種四号"ころろ"、今すぐリンクを遮断しろ。流石に人口密集地で摩理とドンパチはできん」

「で、でも、彼女は思っていたよりとんでもない情報を持ってるみたいでーー」

「その情報は俺が持っているものと大差ない。お前らが知らないのは単純に情報開示レベルが足りないからだ」

 

裴晴の言葉にころろは内心で驚く。

裴晴が到着するまで、"ころろ"の能力でモルフォチョウの…"虫"の過去を見たが、その過去映像のどれもが"虫"という存在の秘密に迫るものばかりだった。

それ程の情報を裴晴も持っていて、秘種四号の彼女は勿論、火種一号の大助にすら公開されないとは正直、驚きしかない。

 

「本部長は勿論、副本部長も知っている。知りたければ、出世しろ」

 

そう吐き捨てると、裴晴は摩理との距離を縮めた。

銀槍の穂先を掴み、彼女の動きを制限しようと動く。

しかし、

 

「甘いわ、裴晴」

 

摩理は裴晴から距離を取りつつ、鱗粉を散布する。

教室内の視界を塞がれ、摩理の姿を見失う。

 

(閉鎖空間内じゃ不利か)

 

鱗粉の散布により、裴晴の動きが鈍くなる。

彼女の"虫"の能力が完全ではないが裴晴の"虫"に干渉している為だ。

 

「ちっ…」

 

鱗粉の霧に紛れ、槍の刺突が裴晴を襲う。

腕を硬化し、弾いて応戦するが、防戦一方。

裴晴に亜梨子や摩理を傷つける真似は出来ない。

たとえ数多の虫憑きを欠落者に落としてもだ。

一向に反撃に転ずる気配がない裴晴を見て、大助はころろに声を掛けた。

 

「…やむを得ないか…悪いな、ころろ」

 

大助はころろに銃口を向ける。

銃口を向けられたころろは目を見開くがそれも一瞬。

水球を抱えたまま、床の上で微笑を浮かべて大助を見上げる。

 

「くすり……痛いのは慣れています…、そうですよね?かっくん」

「……」

 

大助は無言で引き金を引いた。

水球の水面に浮かぶ花城摩理が屈託のない笑顔を浮かべる。

 

『また明日ね、裴晴ーーー』

 

大助が放った銃弾は水球を撃ち抜く。

 

「……っ!」

 

ころろが声もなく仰け反る。

水球が弾けた為に映った映像が消えた。

教室に充満した鱗粉の霧が晴れ、亜梨子の姿が現れる。

銀槍から弾き飛ばされるようにモルフォチョウが分離し、亜梨子の身体が弛緩する。

慌てて裴晴は亜梨子の身体を抱き止める。

 

「んっ……」

 

裴晴の腕の中で亜梨子が呻き声を上げる。

 

「あーーれ?私……」

「や、亜梨子さん。大丈夫かい?」

「へーー?あ……な、なんで裴晴くんが此処に居るの?!」

 

亜梨子が顔を赤く染めて裴晴に聞く。そして周囲の惨状を見て、困惑した。

 

「え、え?なにこれ…なんでこんな事に?」

「彼女の"虫"の能力でモルフォチョウが暴走してね。亜梨子さんはその暴走に巻き込まれて気絶してたんだ」

 

ころろを指して裴晴は虚実を交えて亜梨子を支えながら、その場に立たせた。

 

「さ、人が来る。亜梨子さんは一緒に来た友人達の元に帰って。きっと心配してる」

「けど……」

「後は任せて。さぁ、早く」

 

亜梨子に去るよう促す。

何処か釈然としない表情を浮かべつつも、裴晴に言われたように荒れた第2美術室を後にする。

遠くで非常ベルが鳴り響き、室内には気を失ったころろと大助、裴晴が残った。

裴晴が亜梨子を見送った扉の前で振り返る。

 

 

「一度は許す。だが、二度はない」

 

 

裴晴の口から本当の殺意が乗った台詞が放たれる。

大助は裴晴から放たれる殺意の波動を感じ、龍の逆鱗に触れた事を自覚した。

 

 

 



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第5話

 

「かっこうを"二号指定"へ降格させました。異議はありますか?防衛班長"オオムカデ"」

 

特環の副本部長室。

執務机の椅子に腰掛ける八重子は前に立つ裴晴に、大助に下した処分を伝える。

 

「いいえ。妥当な処分かと。私の監督不行届でお手間を取らせます」

 

異議は唱えず、裴晴は部下の処分を受け入れる。

 

「これで特環に所属する虫憑きで一号指定は貴方だけになりましたね、"オオムカデ"」

「号指定にさして意味はないでしょう。二号に降格とはいえ戦力上、特環最強の虫憑きは"かっこう"に変わりはない」

「果たしてそうでしょうか?」

 

八重子は口元に微笑を浮かべる。

 

「貴方は特環入局以来、全力で戦った事がない。本気の貴方なら…"本部長"と同格の貴方ならば"かっこう"に遅れを取りはしないでしょう」

「彼は"ふゆほたる"を打倒、捕獲しました。彼女の能力を聞きましたがエルビレオーネの"分離型"の中で"本部長"に次ぐ凶悪さです。そんな彼女を倒した彼は紛れもなく、"最強"に相応しい」

「貴方が言いますか。貴方の"虫"の本当の能力こそ、凶悪でしょうに」

 

裴晴自身がかつて語った能力。

他者の夢を食らい己が糧とする『蟲喰い』。

同化した有機無機物に干渉して、それらを分子レベルに造り変える『変成』

それが裴晴が虫憑きとなって与えられた"虫"の能力だ。

だが、それらは裴晴本来の能力の"副産物"である。

摩理のモルフォチョウが虫憑き世界のbug(バグ)なら、裴晴のタツノオオムカデは世界の根幹を揺がすirregular(イレギュラー)といえた。

故に裴晴の真の能力を知る人間は限られている。

 

「何が仰りたいのです?副本部長殿?」

「新たな"火種一号"に貴方を指名したいと思っています」

「ご理由を伺っても?」

「聞かずとも貴方なら分かっているはずですが?」

 

八重子は千堂裴晴を過大にも過小にも評価していない。

ただ事実として、彼ならば自分の言いたい事を汲み取り、その意味を図れるくらいに聡いのを理解していた。

 

「最強の称号"火種一号"。それが特環に従属し他の虫憑きに睨みを効かせる。最強への畏怖により、不平不満は抑えられ、統制が取れるのです」

「つまり虫憑き達の首輪が必要で、俺にそれをやれ、と?」

「有り体にいえばそうです」

 

今までは大助…"かっこう"という恐怖の象徴が特環の虫憑き達を抑え付けていた。

"ふゆほたる"という特環史上最悪の虫憑きの捕縛に、東中央支部の起こしたクーデター阻止。それによって数多の虫憑き達を冷酷に欠落者へ落とした行動から彼は特環のみならず、全ての虫憑きに恐れられていた。

だが、

 

「リナの確保失敗は最強の看板を揺がすに充分でした」

 

説得の為の算段を付けたのは大助で、実際に説得は失敗し逃走を許したのだから責任は負う。別に直接戦闘で大助はリナに敗北はしていない。現状のリナ相手なら大助は九分九厘勝つ。

でも、取り逃したには違いない。

あの"ふゆほたる"を捕らえた"かっこう"が、だ。

周りに及ぼす影響は小さくない。

 

「"かっこう"の力に疑問が生じた今、所属前より"黒い死神"と恐れられた最凶最悪の虫憑き。今や"特環の死神"となった貴方の名が必要です」

 

未だに"黒い死神"は総ての虫憑き達に恐怖されている。

彼の行いは根強く、苛烈に彼等の心に刻まれているのだ。

ある意味、特環という非政府組織の普段見えないエージェントよりは、目に見えて脅威であった実在の怪物の方が恐ろしい。

 

「現に貴方の部隊の特殊型の問題児達は貴方という絶対的存在によって統率されています」

「逆に云えば、頭を失えば烏合の衆と化しますが?」

「まさか。貴方がそんな半端な部隊を作った訳がないでしょう」

 

確かに裴晴の存在は重要だろうが、頭が潰れた程度で動けなくなる部隊を彼が作るはずないと、八重子は確信していた。

班員一人一人の練度は並のモノでなく、下手をすれば現役の警官や自衛官と同等。副長のヴェスパとハンミョウに至って戦闘中でも指揮活動を行える程に優秀だ。

裴晴が居なくても問題なく零番隊は活動するだろう。

"千堂裴晴"の意志の元に。

 

「一応、考えておいて下さい。最近、ヤドリの樹達が不穏

な噂を虫憑きの間に広めていますから。聞いていますか?」

「はい。ヴェスパから報告が。確か"蠱独の王"ーーでしたか?」

「えぇ。何れ虫憑き達の中に総ての虫憑きを統べる"王"が降臨し、今の現状を打破しようと世界に反旗を翻す、というものでしたか?」

 

明らかに眉唾と云える噂話ではある。

でも信憑性はなくても、そう思わせる存在は居る。

 

「"フクロウ"と"リナ"のカリスマ性が増すような噂ですね」

「逆を云えば、彼女らを駆逐出来れば簡単に虫憑きの集合体は瓦解します。支援する者達も手を引くでしょう」

 

たかが虫憑きという小さなコミュニティが組織に対して、レジスタンス活動を容易く行える訳がない。

必ず背後には支援するパトロンが居るはず。

恐らく"フクロウ"のカリスマ性に当てられた輩なのだろう。

しかし、そんな奴らも頭を失ってしまえば雑魚の集団。

少しマシな輩が居ようとも裴晴達の敵ではない。

 

「つきまして、"本部長"からの新しい指令です。"零番隊"は防衛班としての任務と並行し、"ヤドリの樹"の情報を収集。可能なら"フクロウ"を駆逐しなさい」

「了解しました」

 

新たな任務を受託し、話を終わらせると裴晴は部屋を退出した。

もう時間は午後であり、学校の授業も終わっている。

八重子とのストレスが溜まる掛け合いを終えて行くのは普段と変わらぬ場所。

裴晴にとって、この世で一番大切な少女が眠る部屋。

何時もと変わらず、病室に入るとベッドの脇に座って読書を始めた。

そして、一時間後。

 

「やっぱり此処に居やがった…」

 

病室のドアが開けられ、大助が中に入ってきた。

 

「何か用か?」

 

本から顔を上げ、入ってきた大助を見る。

顔色が悪く、疲れた表情を浮かべている。

 

「情報を寄越せ…」

「情報?」

「お前や花城摩理に関する情報だ。リナは亜梨子のモルフォチョウを見て"ハンター"と呼んでいた。"ころろ"の能力で意識不明になる前、"ハンター"と呼ばれていたことも、お前と組んで中央本部と戦った事も分かってる」

 

押し殺した口調で言う大助を裴晴は観察する。

 

「花城摩理はお前にとって一体何なんだ?!中央本部は何を隠してる!お前の目的はなんだ!!この事件はいつから始まってる?!」

 

声を荒らげる大助。

裴晴は読んでいた文庫のページを閉じて居住まいを但し、口を開く。

 

「俺の意志は初志貫徹。摩理を救うの一点のみだ」

 

摩理と出会い。

摩理と語り合い。

摩理と想いを通わせた瞬間から。

千堂裴晴の意志は決まっている。

他の目的や計画は二の次だ。

 

「お前が何を知りたがろうと周囲がお前の望む答えを与えてくれると思っているなら、お笑いぐさだ」

 

見通しが甘い。

そんな体たらくでは困るのだ。

千堂裴晴の中で"かっこう"は計画の第2段階における重要な要素。云うがままに動くだけの存在で居てもらう訳にはいかない。

只でさえ、本来のシナリオから大きく外れた世界なのだから。

 

「自分で調べ、自分の目で見定めろ、"かっこう"。そうすれば自ずとわかる。本部が隠してる事も、俺の目的もな」

 

そう締めくくると、大助は「ちっ」と舌打ちしながら裴晴から目を逸した。

裴晴の姿が余りに"同化型"の虫憑きらしく、大助自身の姿に重なったからだ。

否…大助や花城摩理よりも千堂裴晴は同化型虫憑きとして完成されている。

己の目的の為なら手段を選ばない。

冷酷非情の権化。

余りにも居たたまれず、大助は裴晴を直視出来なくなったのだ。

もう、大助からの話はないと判断し裴晴は文庫を開こうとした。

すると、

 

「あーー…ここが花城摩理の病室であってるか?」

 

大助の背後から声が聞こえてきた。

裴晴はまた素早く文庫を閉じ、声の方を注視した。

警戒を怠っていた訳ではない。たとえ摩理の病室でリラックスしていても、裴晴が警戒を緩める事はない。

 

(…虫の能力か)

 

声の主を見据えながら裴晴は考察に入る。

右の頬から首筋にかけたファイヤーパターンの入墨。

癖っ毛の髪は燃え盛る炎の様に暴れている少年だ。

年齢は裴晴より2つくらい上に見えるが、見た目は宛にならない。

どこかの高校の制服で穴だらけのブレザーを着ている。

その人相、容貌に裴晴は覚えがあった。

 

「"オオエンマ"か」

「あん…誰だ。テメェ」

 

大助の事が眼中に入らないのか。

入墨の少年は大助の頭の上から裴晴の事を見下ろした。

器用な事だ。

 

「お探しの花城摩理の縁者だよ。君は"オオエンマ"…名前は確か、ハルキヨくんだったかな?」

「てめー、なんで俺の名前を知ってやがる?」

「君を追いかけ回してる女性の知り合いさ」

 

裴晴の台詞に少年が人間の仮面をかなぐり捨てた…裴晴と同じ魔人の如き視線を彼に向ける。

 

「…特環か」

「あぁ、特環防衛班零番隊隊長"オオムカデ"又の名は千堂裴晴だ」

「千堂…裴晴…」

 

裴晴の名を聞いて、少年の顔色が変わる。

愉快そうに、目当てのおもちゃを見つけた子供のように。

喜悦の笑みを浮かべた。

 

「そうか…そうか…。てめーが"特環の死神"か。あの野郎から聞いてるぜ。現時点、花城摩理と同格の最強の虫憑きだってな」

 

細やかに少年から殺意が裴晴の身に降り注ぐ。

彼の目的は摩理と自分のようだ。

 

「そう。そのあの野郎はお元気かな?青播磨島で会ったんだろ?」

「あん?何を言ってやがる。青播磨島がどうなったか。中央本部の…あの女の配下の、てめーが知らねぇ訳がないだろ?」

「あぁ、知ってるさ」

 

知ってるからこそ、聞きたかった。

"先生"の最後はどうだったのか。

裴晴には知る必要があった。

 

「だからこそ、直に現場に居た人間から話を聞きたいのさ。あの女が君を追っているのは、言わば口封じ。知られたら拙い真実があるんだろ?」

「どんな予想をしてるんだ?てめーは?」

「常に最低最悪…をだよ。人間ほど残酷な生き物は居ないだろ?」

 

お互いにぼかした物言いをしながら裴晴と少年は会話する。

大助が二人の会話を聞きながらも、何の話をしているか分かっていない。

しかし、この会話が虫憑き達にとって重要な情報を幾つもはらんでいる事は理解していた。

 

「…なる程な。まぁ、胸糞悪りぃ話だがオレが最後見た光景は"更地"だったぜ」

「そうか……」

 

更地の一言で裴晴は全てを悟る。

つまり、そういうことだ。

少年…ハルキヨの言うように胸糞悪い話である。

 

「ありがとう。改めて確認出来てよかった」

「くっくっ…おかしな野郎だ。何を確認したかったんだ?」

 

今更、この後に及んで何を知りたかったのか、ハルキヨは分からなかったが裴晴という少年が想像より愉快な人物だと面白く笑う。

だが、

 

「"あの女"は生かしておけない。俺や摩理の夢の為に"必ず殺そう"と再認識できた。礼を言うよ」

 

裴晴が口元に冷笑を浮かべて紡いだ言葉に、ハルキヨは笑みを引っ込めた。

大助が裴晴の放つ気配に戦慄する。

思わず身構えて臨戦態勢を取りそうになるほど。

ハルキヨからのプレッシャーが軽く霧散するほどの凄絶な殺意が室内を一瞬で満たした。

でも、それはすぐにかき消え、裴晴の表情も元に戻った。

 

「それで?摩理に何のご用事かな?ハルキヨくん?生憎と彼女はご覧の通り意識不明なんだ」

 

裴晴はベッドで眠る摩理を差した。

ハルキヨは明らかな病人で長らく目覚めた様子がない少女を見て、苦虫潰したような表情を浮かべた。「あの野郎…騙しやがったな」と怒りを含んだ呟きを漏らしながらも、ため息をついて裴晴へと向き直る。

 

「……仕方ねぇ…今日は引くぜ。花城摩理は駄目みたいだが、死神(てめー)が居るのは確認できたから」

「逃がすと思ってんのか?」

 

踵を返そうとするハルキヨの前に大助が立ち塞がる。

貴重な情報源をこのまま取り逃がす訳にはいかない。

しかし、裴晴は。

 

「構わないよ、"かっこう"。帰らせて」

「な、本気か?!」

 

現時点の上司の指示に驚いた。

見るからに不審人物をそのまま帰そうなど、普段の裴晴では考えられない。

 

「本気さ。ハルキヨくんは俺の知りたい情報を幾つも提供してくれたからね。今日は見逃してあげる事にするよ」

「余裕だなぁ、おい。オレが何で此処に来たのか。分かってんのか?」

「分かってるよ。その上で見逃す。今度会う時は病室ではなく、戦場で。安心するといい。退屈はさせないし、俺は摩理ほど甘くない」

 

残虐性は裴晴の方が摩理よりも強い。

確かな倫理観を持ち合わせながらも、目的の為ならその倫理観すら捨て去り、手段選ばずやり遂げる。

必要なら狂人の皮を被る事も厭わない何処か壊れた常人。

それが裴晴である。

 

「次は存分に殺し合おうじゃないか"大閻魔(ハルキヨくん)"」

「あぁ、そうこなくちゃな"死神(センドウ ハイセイ)"」

 

己が夢を叶えるために戦い合う虫憑き同士。

魔人と死神はそう言って笑いあい、別れた。

 

 

 



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第6話

ランキング入りました。
祝福して下さり、皆様への感謝の意を此処に表します。


 

 

 

凶事とはいつ起こるか分からないモノ。

地震や津波など天災は良い例だ。

それら自然の猛威はいつ何時、牙を剥いてくるか分からない。

だが、それは人間にも同じ事が云える。

人の感情もまた心でも読めなければ分からない。

いつ如何なる時、唐突に殺意や破壊衝動に襲われ、周りに被害をもたらすかもしれない。

虫憑きなど正にそれ。

人の感情を持ち、天災の如き自然の猛威を振るう凶事そのものだ。

でも、その凶事は鎮める事が出来る。

同じ凶事を用いれば。

 

『敵襲!敵襲!第一種防衛態勢!第一種防衛態勢!』

 

特別環境保全事務局本部内。

鳴り響く非常ベルと非常警報。

 

『防衛班戦闘配置!零番隊は至急現場へ急行せよ!』

 

待機している裴晴達、零番隊に招集が掛かる。

虫憑き以外の職員が非常口から慌ただしく避難をしていく。

 

『敵対象は"フクロウ"!"フクロウ"単騎!』

 

警報が鳴り止まぬ中。

配置につく為に現場や持ち場に急行していた裴晴達の足が止まる。

"フクロウ"…それは近年、特別環境保全事務局の中央本部を襲撃し、半壊させた虫憑きの通称。

裴晴に撃退されたヤドリの樹の首魁である。

班員達の視線が隊長である裴晴に集まる。

更に、

 

『地下第5層より火災発生!先日捕縛した"大閻魔"が暴れている模様』

 

病室での約束を果たしに来たのか。

ハルキヨは特環に投降し、尋問を受けるため、本部内にまんまと入り込んでいた。

彼奴の思惑通りか、尋問する階層でどうやらタイミング良く暴れ始めたようだ。

 

「隊長…」

「お前らは"大閻魔"を頼む。陣形を組んで対処しろ。けして無理はするな。ヤバくなったら逃げろ。能力は見てないが、俺の勘が正しければ"一号指定レベル"はゆうに超えている」

『了解』

 

隊員達に指示を出すと、裴晴は襲撃場所へ向かっていった。

普段待機している中階層から上がり、地上近い階層へ到着すると、そこは瓦礫の山と化していた。

多数の白コート姿の局員が地面に身体を横たえている中、"ソレ"は確かな存在感を顕に君臨していた。

 

大きな目玉模様を描かれた巨大な羽毛の様な翅。

蝶と思えぬ巨大さと凶悪な容貌。

まるで他の虫達を複合した様な体躯は醜悪さはなく、美しさすら伺える姿だ。

 

『しに…がみぃぃぃ……』

 

"フクロウ"の"虫"…キメラフクロウチョウから腹の奥底より湧き上がるような重い声が発せられる。

いつか振りに聞いた…特環入局以降出会った虫憑きの中で紛れもなく強敵と断言出来る存在。

裴晴は初手から6本の尾を顕現させ、臨戦態勢に入る。

 

『はぁぁぁ!』

 

キメラフクロウチョウが雄々しくその翅を拡げ、描かれた瞳状の紋様が輝き出す。

瞳の射線から爆炎が上がる。

裴晴は爆発が起こる前に身を翻し、瞳の射線をかい潜り、回避する。

 

『あははは!逃げろ、逃げろ!』

 

瞳の焦点から発生する爆炎は止まることない。

虫から愉快そうな笑い声が上がり、瓦礫の部屋に木霊する。

 

「相変わらず煩い奴だ」

 

裴晴は瞳の射線に捉われない様にしながら、6本の尾から散弾を射出した。図体がデカい分、細かく狙いを定める必要はない。鋭い弾丸は巨大な翅の紋様を乱雑に打ち貫く。

その影響で、瞳の爆炎攻撃が止む。

 

『このーー糞、虫、禿げ野郎!!』

 

口汚く罵りながら翅を羽ばたかせた次の瞬間。

翅の一部一部が形態を変化させ、手腕の形状を取り、裴晴へ襲いかかってきた。

雨の如く、翅から伸ばした手腕が降り注ぐ。

裴晴は手腕の一本一本を躱しながら、キメラフクロウチョウへ接敵する。

 

『ギャハハハハ!』

「理性があやふやなのは変わらずか」

 

本来の"フクロウ"の"虫"の状態を知る裴晴としては、現形態を取った"フクロウ"の相手は疲れる。

何せ、今の宿主は"虫"の体内に入ってる状態で軽く精神が"虫"に汚染されている影響で理性の境界が曖昧になっている。

だが、その欠点を補って余りあるほど、この"融合"状態には利点があった。

まず、宿主が虫の体内に居るが故に、セオリーである宿主を気絶させて虫の顕在化を止める事が出来ない点。

宿主を体内に取り込んだ"虫"はその存在を高次元に底上げ、対物性能、回復性能が異常向上する点。

多種多様な攻撃性能を有する点。

つまり、だ。

 

(巨大な"虫"の鎧を粉微塵に破壊しない限り、止まらない)

 

ある意味、生きた巨大な爆弾の様な存在。

それが良い具合に理性が溶けてるくせに、人間的思考をするから始末に負えない。

あり体に云えば、狂戦士(バーサーカー)の様なモノ。

撃退するにも骨が折れる。

 

(攻撃パターンが変わらないのが救いだな)

 

基本、フクロウは広範囲高火力型。

近接系はストロー…否、鞭のような口吻や鋭い脚で応戦して来るがそこまで脅威のあるものではない。

故にフクロウは巨体と手数の高火力の弾幕で推してくるのが常套手段。

時に今日のような伸びる手腕と翅を変化させる攻撃が繰り出されるが、

 

「飽いたよ。その手順は」

 

フクロウの最早パターン化された攻撃をかい潜り、裴晴は一本に集束させた巨大な尾で、拡がった翅を縦に薙いだ。

翅は半ばから吹き飛び、千切れる。

 

『ぎゃあああ?!』

 

翅の一部を破壊され、虫の口から悲鳴が上がる。

虫と融合状態という事は痛覚も共有しているということ。

虫の巨大な鎧は滅多に傷や欠損するものではないので痛みも相当だろう。

 

『ぐぅ…このーー死ね死ねしね、しね!』

 

片翅の瞳が完全再生したのと同時に絨毯爆撃が再開する。

瞳の視界内全てが紅蓮に包まれ、飛散する。

それと並行し、口吻を鞭の如くしならせ、叩きつけもしてきた。

 

(少し戦術や戦略を学んできたかと思ったが……)

 

以前と大して変わり映えしない。

確かに"フクロウ"は特環入局以来、裴晴にとって大助やリナのような一号指定達と同等の敵に足りうる存在だ。

でも、

 

「その程度に留まるなら君は喰らうまでもないよ"杏本詩江流"」

『っーーせんどう〜〜!!』

 

叫びを上げながら、フクロウの攻勢は苛烈さを増す。

怒りに拍車が掛かり、攻撃に正確性が消え、精細に欠ける。

裴晴はカウンター気味に"虫"の腹部を消し飛ばそうかと考えている矢先。

 

「ハッハッハっ!!」

 

甲高い笑い声と共に地下へ続く地面を突き破り、炎が立ち昇ってきた。

裴晴はぎりぎりで咄嗟に地面から飛び上がり、回避する。

フクロウは翅を全面に拡げ、盾として凌いだ。

炎の中から人影が現れ、周りを見渡す。

 

「随分と楽しそうな事してるじゃねぇか"千堂裴晴"」

「ハルキヨか…(ヴェスパ達で封殺しきれないとはな)」

 

下層で暴れていた魔人がフロアの天井を突き破り、裴晴とフクロウの戦場へ姿を現した。

それが意味するのは零番隊がハルキヨの足止めに失敗した事を示すものだ。

 

「俺の部下達を振り切ってきたか…やるな」

「あぁ?…なるほど、かっこうの後から妙に手強い連中が出てきたと思ったら、てめーの差し金かよ」

「強かったか?俺の部下は」

「そこそこ、楽しめたぜ?逃げ足も見事だ。だが、あれくらいじゃ俺を殺るには足りねぇなぁ」

 

彼の闘気に呼応するように。

ハルキヨの周囲に炎が舞い上がる。

 

「次はてめーが相手してくるか?千堂よぉ?」

「そうしたいのは山々だが、先客の相手に忙しくてな」

 

ハルキヨから視線を移し、裴晴はその背後に聳え立つ異形の蝶へ目を向けた。ハルキヨも振り返ると裴晴と同じものを見て、笑う。

 

「コイツはデケェな。何もんだ?」

「異種一号指定"フクロウ"。以前特環本部を半壊に追いやった怪物だよ」

「へぇ…てめーと同じ一号指定か。強そうだな」

「それなりに手強いぞ。攻撃範囲と手数は多いし、再生能力まである」

 

唯一の弱点と云えば、痛覚共有と鈍重なことくらいだ。

 

「同時に相手をしてやるのも吝かではないが……お前の相手は他に居る」

「あ?何を言ってーーー」

 

疑問符を浮かべ、不思議そうにするハルキヨ。

裴晴の言っている意味が分からなかったが、次の瞬間。

近い地面が下から爆発でも起きたように吹き飛ばされた。

そして、下から黒い影が跳躍し、裴晴達のフロアへ降り立つ。

その人影を見て、ハルキヨは歯を剥き出しに愉快そうに笑みながら臨戦態勢に入った。

 

「ハルキヨの相手は任せるぞ、"かっこう"」

「了解」

 

人影…大助へ裴晴は命令すると、彼もまた有無もなく頷き返した。

 

「クックっ…こりゃいい。最高だ。こういう戦いを望んでいたんだオレは」

「そうか。なら存分に楽しめ。こんなものはまだ序の口だがな」

 

これから巻き起こる大きな戦いを念頭に置きつつ、裴晴はハルキヨに言い放つ。

 

死神、魔人、悪魔、怪物。

 

虫憑きの中で最強にして最悪と呼ばれる存在の四つどもえと云える抗争がここで幕を開けた。

長い戦闘によってフクロウとハルキヨは撃退され。

かっこうは火種一号に見事返り咲いた。

この戦闘跡を見て、特別環境保全事務局は"虫"という存在の危険性を再認識すると共に、行方を再び晦ました"フクロウ"とハルキヨ…『大閻魔』という虫憑きを危険分子とみなし、特別指名手配すると警察各関係所がその捜索に加わる事になっていった。

 

 

 



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エピローグ

 

 

 

夜空に満月が浮かんでいた。

月光浴をするように黒色の"タツノオオムカデ"が一人の少年の肩で蠢いている。

まるで月の光から力を得ているようだ。

千堂裴晴は病院の屋上から赤牧市を眺めていた。

すると、背後から声を掛けられる。

 

「よう、"オオムカデ"。調子はどうだ?」

 

大助が金髪の少女を引き連れ、聞いてきた。

裴晴は街を眺めたまま、答える。

 

「君より良いさ。怪我してないからね」

「あんだけ"フクロウ"とやり合って無傷なのかよ…」

「君は相手の攻撃を喰らい過ぎなんだよ」

 

銃の強化火力と肉体強化だよりで基本がなっていない。

タフさは一人前だが、近接戦闘がお粗末すぎる。

裴晴は振り向くと柵に寄りかかりながら言う。

 

「今度、俺と訓練所で特訓だ。殴り合いの基礎を叩き込んでやる」

「い、いや…遠慮しとく…」

「遠慮はいらない。というより、上官命令だ。従え」

 

無慈悲な命を降され、大助は疲れた様に肩を落とした。

再び火種一号に指定され、実質的に大助…かっこうは特環最強の虫憑きだ。

しかし、今回のフクロウ、ハルキヨの襲撃事件によって大助は自分がまだまだ足りない存在だと自覚した。

確かに自分は頭一つ抜き出ているのだろうが上には上がいる。

ハルキヨが病室で語っていた通り、現時点最強なのは千堂裴晴に違いはない。

あの乱戦下、消耗していても無傷であるのがそれを物語っていた。

故に、裴晴に逆らうという事が物理的に口撃的に大助は出来ないでいる。

 

「"霞王"は…うちの班に着任したそうだな。おめでとう」

「なにもめでたくねぇー」

 

外見と相反する口の悪さ。

少女…特殊型虫憑き"霞王"も大助同様、疲れたように…または憂鬱そうに言い返した。

 

「今まで無指定だったのが、零番隊着任と同時に異種三号に指定されたそうじゃないか。何が不満だ?」

「なんもかんも、だ。その号指定だって、お前の班の特性上、五号以下の戦闘員は入れないからって無理やりねじ込んだもんだろ?」

「良いじゃないか。貰えるものはもらっておけ。肩書きはあって損もない」

 

零番隊の関係者ともなれば、特環内での虫憑きの序列上、それなりの発言権は有するし、限定的な単独行動も許可される。悪いことばかりではない。

 

「それで?亜梨子さんには謝ったのか?」

「最近、学校来てない奴がなんで俺とアイツが喧嘩したの知ってんだよ?」

「学校には"リースフェルト"が居るからな。お前らの情報なんざ、筒抜けだよ」

 

誰か、自分も知らない人間を学校に潜入させている事を聞き、大助が苦々しげな表情を浮かべる一方で、霞王は眉を顰めて口を開く。

 

「なんで、お前があの女を知ってやがる?」

 

苛立ちを隠しきれない口調で裴晴に尋ねる。

裴晴は口元に微笑を浮かべながら、霞王の疑問に答えてやる。

 

「君の義姉…"御嶽リースフェルト"は俺の仲間だ。大助くんにはコードネームの"ハンミョウ"って言ったら分かりやすいか?」

「は?ハンミョウが?コイツの義姉?」

 

唐突な暴露に大助は霞王と裴晴の二人を交互に見る。

余り知られたくなかった情報だったようで、霞王は腹立たしげに「けっ!」と悪態を付きながらそっぽを向いた。

 

「義理だけどな。霞王が捕獲される以前…いや、霞王が虫憑きになる前に家から飛び出したそうだ。それからは顔を合わせていない。だろ?」

「……いつか見つけたらぶっ殺してやろうと思ってたが、お前の側に居たのかよ…」

「紆余曲折経て、な。そもそもおかしいとは思わなかったか?霞王…いや"アンネリーゼ"」

 

裴晴が穏やかな口調で霞王を本名で呼び、語りかける。

 

「君が虫憑きとして覚醒し、あの"御嶽奥"をその力で追い出した後だ。あのプライドが高い老害が君をそのままにしておくと思うかい?」

「……」

 

言われ、霞王もまたその点については疑問は持っていた。

唯我独尊の老婆が容易く己を放置してたとは彼女も思わない。

大助の上司である、いけ好かない東中央支部長の男が何やら画策したと思っていたが、どうやら違うらしい。

いや…関わっているのだろうが、根本的に何かしたのは眼前で微笑する少年だと、彼女にも察しがついた。

 

「俺には強力な後ろ盾がありはするが、世の中って云うのは金が物を言うからね。資金は幾らあっても良い。申し訳ないが、御嶽奥には早々に社会的にご退場して頂いて、御嶽家の資産を根こそぎ回収させてもらった」

「はぁ?!」

 

己の我儘を突き通す程の財力と権力を霞王を親から奪った老婆は持っていた。大抵の事なら犯罪紛いでも実現するほどに、だ。

でも、そんな老婆の"権勢"は千堂裴晴という異常な存在の前では砂上の楼閣に過ぎなかった。

 

「"ハンミョウ"の試用実験も兼ねて、あの老婆には老衰するまで幸せな"夢"を見て頂いている。極度の多幸感に苛まれ、現在は精神病院で療養中だ。全資産、権利は孫の御嶽リースフェルトに移譲され、管理運営は"土師圭吾"に頼んでいる」

『……』

 

大助と霞王は絶句するしかなかった。

相手は司法や政治に介入出来る程度に権力を持った家柄の当主だ。

そんな老女を裴晴は恐れもせず、部下にした彼女の孫を用いて精神的に壊し、あまつさえ老女の家が築いてきた資産や権利の全てを簒奪したというのだから言葉もでない。しかも、その片棒を担いでいるのが、自分の上司など笑えない。

 

「悪魔か…お前…?」

「"黒い悪魔"なんて呼ばれてる奴に言われたくはないな」

 

大助の言いように、裴晴は笑いながら答える。

すぐに普段と変わらぬ穏やかな微笑を口元に作り、大助達に聞いた。

 

「それで?俺に何のようだい?こんな話をしにきたわけじゃないだろ?」

「お前は一体、何がしたいんだ?」

 

周りくどく聞かず、単刀直入に。

搦手など使えない大助には、これ以外の言葉は出ない。

 

「花城摩理が大切でお前は彼女を目覚めさせようとしているのは理解できる」

 

裴晴の能力が『変成』という物質、肉体を自在に造り変える事が出来るのは本人から聞いて知っている。

 

「でも、お前の能力なら花城摩理の異常を今すぐ治す事も可能なはずだ」

 

すぐにでも。

裴晴は目覚めぬ大切な少女を取り戻せるはず。

 

「でも、お前にはその素振りがない。特環に入局してまで亜梨子やアイツに憑いた"虫"を守り続けておきながら現状維持だ」

 

摩理の親友を標榜する腕白少女と彼女に取り憑いた彼の大切な少女の"虫"を汎ゆる干渉から守護しておいて、何も行動を起こさないのは不可思議だ。

出会って数カ月の付き合いだが、大助は千堂裴晴が未だに動きを見せない事に不気味さを覚える。

 

「逆にお前は特環の…中央本部の戦力を増強してる。お前にメリットはない。花城摩理や亜梨子に特環が干渉してきたら、お前は反抗するに決まってる。来るかも知れないその時に敵側が強くなるのをお前が許すはずもない」

 

裴晴にとっても特別環境保全事務局は目の上のたんこぶのはず。摩理や亜梨子には関わらせたくなく彼女達が要因で、もし敵対してしまう場合も想定すれば、戦力増強など好ましくはないだろう。

なのに、裴晴は自分が所属する中央本部に強力な虫憑きを集めている。

 

「お前の目的や狙いはなんだ?あの女…魅車八重子って奴もお前を危険視してた」

「彼女とあの日、何か話したのか?」

「お前が特環内で最も従順な駒で、最も危険な反乱分子だって言ってたよ」

 

八重子の評価を大助から聞き、裴晴はクスクスと声を殺して笑う。

相反する表現だが実に的を射ており、八重子は裴晴の目論見に気付いている事が伺えた。

 

「なるほど。正しい認識だ。流石、副本部長殿だな」

「お前、あの女の事、そう呼ぶけど副本部長って冴えないおっさんじゃなかったか?」

「あ、それ替え玉だから。又は蜥蜴のしっぽ切り要員。実質的に本部長に代わって特環仕切ってるのは魅車八重子だよ」

 

今に始まった事ではない。

裴晴が何気なく爆弾発言するのは初めてではない。

大助も霞王も特環の上層部しか知り得ない情報をサラッと口にする裴晴にもう突っ込みはしなかった。

 

「魅車の目的と俺の最終目標は完全に相容れない。でも、目的を叶えるにはお互い利用しあった方が現状、メリットがあるから手を出していないだけだが」

「そのお前の最終目標って云うのは何なんだ?」

「妙に探るじゃないか、大助くん。魅車に命令でもされたかい?」

「いいや。俺個人の意思だ」

 

一番何を考えているか分からない少年だ。

魅車八重子も底が見えぬ不気味さがあるが、同等に裴晴も思考や思惑が読めない。

だからこそ、知る必要がある。

 

「お前は俺を信用してないだろうけどな」

「良く分かってるじゃないか、大助くん。なら、俺が話さないのも分かるだろ?」

「それでも、だ。どうせ知ったところで邪魔する気もない。土師の奴も一枚噛んでるんだろ。俺もある程度には知っていて問題ないはずだ」

 

大助にそう言われ、裴晴は思案する。

正直な裴晴の計画については話して問題ない。

問題なのは時期の話で、間違いなくその話になると大助は反発する。時期の理由について話すと、申し訳ないが私情も絡む為、いい顔をしない。寧ろ激怒する可能性すらある。

 

(まぁ…その辺りはいつも通りに適当に誤魔化すか)

 

教えたところで考えを変えるつもりはないが、大助は重要な要因の一つである以上、無駄な衝突は極小避けなければならない。あくまで知られて良い範囲を話せば良いのだ。

 

「そうだな…まず、俺の目的は3つある」

 

前置きし、裴晴が話し始める。

 

「第一は言わずながら"摩理の復活"だ」

「復活?」

 

裴晴の言い回しに大助は違和感を感じる。

 

「あぁ現在、摩理は"欠落者"化してる」

『はぁ?!』

 

大助と霞王が今日1番、驚いた声を上げる。

それもそうだろう。

欠落者とは虫が殺された虫憑きに起こる症状。

己の自我を失い、生きた人形と化してしまうものだ。

だが、

 

「花城摩理は昏睡してるだろ?!自我喪失の症状はない」

「大助くんも言ってたろ?俺の能力は"変成"。欠落者化した摩理の身体を強制睡眠化状態にしてる。勿論、身体に悪影響が出ないように医者の診断確認もしてな」

 

欠落者となれば、第三者の命令をただ実行するだけになってしまう。そんな状態で摩理を放置するなど裴晴の判断に存在しない。

 

「だが、花城摩理の"虫"は亜梨子に憑いてるだろ。虫が生きてるのに欠落者ってのはどういう事だ?」

「摩理は能力を複数持っていた。その内の一つが己の自意識を"虫"へ移し替える事だ」

「意識を…虫に移すだと?」

 

虫憑きの前例のない能力だが、虫憑き以外には前例がある。

それは始まりの3匹が一人。同化型を産み出す原虫指定、アリア・ヴァレイだ。かの存在は最早肉体を持たず、精神体のみで人から人へ渡り歩く。

かの存在から生じた虫憑きである同化型に同様の似た事象が出来ないとは言えないだろう。

 

「この能力によって彼女は疑似欠落者化した。通常の欠落者化ではないから戻し方はあるんだが、難しくてな。準備が必要だ。片手間で出来ることじゃないから時間が掛かる」

「…そういうことか」

 

裴晴が能力を使わずに摩理を救わない理由に大助は合点がいく。精神の移動なんて容易く行えるものではない。戻す方法があっても入念な準備が必要になるだろう。

それは如何に裴晴と云えど特環に協力している現状、上手いこと進みはしないはずだ。

 

「2つ目は…"始まりの3匹"の抹殺」

『…っーー?!』

 

それはある意味、総ての虫憑きの悲願と云える。

この点において、裴晴と土師圭吾は利害の一致をし、協力関係にあるのだ。

そして、裴晴と八重子が敵対する理由である。

 

「これに関しては手筈さえ整えば"侵父(ディオレストイ)"、"大喰い(エルビレオーネ)"は問題なく殺せる」

「3匹目は?」

「アリアは精神体だ。器を壊しても残念ながら宿主を何度も変えれる。幾ら感知能力があっても日本全国の人間一人一人調べられない。誰がアリアの宿主かも見た目判断がつかないからな。奴は方法を模索して見つけ次第、処理する」

 

それが唯一の懸念事項。

実体なきアリアはそう簡単には殺せない。

最悪、"封印"という形を取らねばならないだろう。

始まりの3匹の中で攻撃、自衛手段がほぼ皆無なアリアだが自己保存、生存能力という一点なら正に無敵だ。

裴晴もおいそれ、手が出せない唯一の存在といえる。

 

「3つ目は虫憑きの人権、社会的地位の確保だ」

「なんだそれ?」

「今のままじゃ危険な超能力者扱いで一生、特環に…政府に飼い殺しされるのが目に見えてる。正直な話、始まりの3匹を殺しても俺達の"虫"が消えるとは限らない」

 

となれば、今保護されている虫憑きは生物兵器として非人道的な扱いを受けるのは想像できる。

そんな扱いを受ける前に手を打つ必要がある。

 

「世論を操作し法整備を行わせ、俺達虫憑きが安心して暮らせる社会基盤を作り上げる」

「そんなこと…できるのか?」

「俺が土師さんと手を結んだのはその為でもある。これに関しては彼の"妹"さんの将来にも関係するからな」

 

裴晴から土師の妹の話が出てきて、大助は顔色を変える。

 

「お前……なんで"千莉"のこと…」

「そこは企業秘密だ。でも、安心しろ。土師さんとは協力関係だ。俺が特環にいる限りは絶対に"千莉"さんへ特環が手を伸ばすことはない。情報も上がらない様に徹底している」

 

裴晴と土師は互いに自分達の弱みを握りあっている。

違いがあるとすれば、どちらの弱みも裴晴の管理下にある点だ。既に亜梨子や摩理の現状は特環に知られ、最早弱みにすらならないが、土師は違う。

裴晴がバラせば身の破滅だが、土師は自分の利用価値を充分に認識しているので、裴晴が裏切る事はないと知っている。

そういう理解をしあう程度には土師圭吾という男を裴晴は信頼していた。

 

「さて、俺の目的は話した。他に質問は?」

 

話し終えて、裴晴は大助や霞王に聞く。

 

「今後の予定…俺達はどう動けばいい?」

「通常通り、亜梨子さんの護衛だ。あまり彼女が危険な真似をしないようにしてもらいたい」

「難しい注文を……」

 

亜梨子の手綱は容易く引けないのは裴晴も分かっているはずなのに、無茶振りしてくると大助は辟易する。

 

「亜梨子さんの為だ。彼女が危機に陷れば、"虫"の中に居る摩理が表に出てくる。それは好ましくない」

「なんでだよ。花城摩理って女、聞いた限りじゃお前と同格なんだろ?出てきて迎撃してもらえるならいいじゃねぇか」

 

裴晴と同格なら単純な戦闘能力は大助を超えているだろう。

何故、虫の中に居る摩理が亜梨子の身体を借りるのが拙いのか分からず、霞王は首を傾げた。

 

「"魂依"の状態での肉体への同化は対象者を侵食する。現状のモルフォチョウの同化は亜梨子さんの肉体に悪影響なんだよ。下手したら摩理にその意志がなくても身体を完全に乗っ取れてしまうくらいにな」

「なっ?!」

 

そんなにヤバい能力だとはイメージがつかなかったのだろう。

裴晴の説明を聞いて大助の表情に動揺が浮かんだ。

 

「少なくとも肉体への同化はさせるなよ?精々は物の同化までだ。前回の様に迂闊に摩理の意識を表層に出させるな」

 

余りに侵食が進むと、摩理を元の身体に戻す際に亜梨子との魂の繋がりが障害になり得る可能性がある。

出来るならリスクは最小限に留めたい。

 

「フクロウやハルキヨみたいな連中も、モルフォチョウの特異性に惹かれてきてる。亜梨子さんへ度々接触してくる筈だ。いつも以上に警戒するように」

『了解』

 

最後に裴晴は大助と霞王に注意を促した。

怪物や魔人といった大物達がモルフォチョウという篝火に誘引されるが如く、集まり始めている。

良くない状況だが、亜梨子の監視の目は緩められない。

裴晴の忠告に大助と霞王は首肯を返した。

 

 

 



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第三章 夢求む旅人
第一話


 

 

 

『俺が"成虫化"したら躊躇うな、"殺せ"』

 

零番隊発足当時から今に至り。

それが隊長から隊員に降される最初にして絶対の命令。

 

『この部隊の目的は一つ』

 

零番隊の存在意義。

それは裴晴の目的を具現化する為の集団。

 

『"始まりの3匹"を如何なる手段を使っても討つ』

 

自分達に最高で最悪な呪いが如き"虫"を与えた存在達の完全抹消。

それが零番隊本来の…千堂裴晴の目的と意思であった。

 

『たとえ、俺が倒れても君らにはそれを必ず為してもらう』

 

余りの無茶な目的と命令にヴェスパ…須賀(すが) (かがみ)やハンミョウ…御嶽リースフェルトは身体を強張らせた。

その姿を見て、裴晴は苦笑しながら言った。

 

『大丈夫だ。"時"が訪れれば、同じ目的を持った者達がきっと集ってくる』

 

確信を持っているように裴晴は彼等に言う。

 

『俺が居なくなっても"かっこう"や"摩理"が旗印になる』

 

裴晴が不在でも彼に比する少女が起きれば問題ない。

 

『俺が居なくなっても道筋と意思は遺しておく』

 

自分がたとえその場に居なくなっても、鏡やリースフェルト…零番隊が己の目的を達成してくれると。

裴晴は信じている。

 

『これからも宜しく頼むよ、鏡、リースフェルト』

 

虫憑き達に猛威を振るった男は。

大切な少女を取り戻す事を悲願にするも。

誰よりも虫憑き達の未来を憂い。

誰よりも虫憑き達の明日を求め、戦っていた。

この日、この瞬間。

最初の班員たる鏡とリースフェルトは、千堂裴晴にその時が訪れるまで付き従う事を心に誓い。

少数ながら虫憑きのみで構成された最強の部隊が産まれ。

千堂裴晴という"王"を護る集団ができた。

 

 

 

 

ホルス中等部2年恒例行事、修学旅行。

目的地は文化伝統が集う古都、五泉市。

裴晴は新幹線の車両内に居た。

一クラス一車輌を貸し切るという豪快さは流石が上流階級の子息子女が通う学校といえる。

制服姿の生徒がはしゃぎまわっている中、裴晴は静かに読書をしながら目的地への到着まで時間を潰していた。

すると、

 

「久しいな、裴晴」

 

ドカリと空いていた対面の座席に座った人物が裴晴に声を掛けてきた。

裴晴よりも年上で、高校生くらいに見える少年だ。

前髪の一部を小さく編み、変わった眼鏡をかけている。

纏う着衣も変わっていて、各所に余計なベルトがついたビジネススーツだった。

不遜といえる態度で姿を現した少年へ裴晴は口を開く。

 

「こんなところで何をしている、皇嵩?」

 

少年…一玖皇嵩に対して態度を変えぬ裴晴。

何故、此処に居るのかと問いただす。

 

「出張の方がついたから、"槍型"を見に来たまでだ」

「物見遊山で"アレ"に近づくのは拙いんじゃなかったか?」

「別に問題ないだろう。私を害せるのは、この世で貴様ぐらいのものだ。それに"アレ"に近寄って無事でいられるのも、私と貴様ぐらいだろう」

 

一玖と話しながら、裴晴はピラっと本を読む手を止めない。

 

「今のところ、小康状態らしいな。変化はあったか?」

「ハルキヨのせいで、モルフォチョウの侵食が始まったくらいだ」

「物質の同化でなく、肉体同化が始まったか」

「摩理の本意じゃない。モルフォチョウの意思だろう。元の宿主を生かす為の防衛行動だ」

 

虫の意思だけではなく、親友を護りたいという摩理の善意からの行動なのが、またタチが悪い。

 

「なるほど。貴様にとっても不本意な状況だな」

「そう思うなら本部へ戻ったら、少し俺に"休暇"を与えてくれ。摩理を戻す準備をこれ以上遅らせない」

欠陥(バグ)を呼び戻す協力をしろと?それを私にいうのか?」

「別に問題ないだろ?同じ欠陥(バグ)である俺がこうしてる時点で、一人増えようがな」

「貴様はあの女を取り戻したらすぐにでも、我らに反旗を翻すだろうに」

「俺がそんなに馬鹿に見えるか?」

 

実際、現在まで蓄えた力を使えば、目の前の男を屠れる。

だが、今はその時期ではない。

最終的には始末するが、皇嵩には利用価値がある。

主に魅車八重子への目くらましとして。

皇嵩が裴晴を抑えてるように見せておく必要がある。

 

「お前が居る限り、大喰いが倒せない以上、確殺する状況が出来るまで反抗する気はないよ」

「私が居なくなれば、反抗するということだな?」

「この現実的じゃない会話、まだ続けないといけないか?」

 

溜息を吐きながら「まぁ…」と前置きし、パタンと本を閉じると裴晴は皇嵩の軽口に答えるよう言葉を続けた。

 

「お前が"摩理"に手を出せば、反抗するのも構わないが?」

 

寧ろそんな行動を取った瞬間。

敵に回るどころか、裴晴は世界を壊しかねない。

そんな危機感を抱かせるような殺意と狂気を裴晴は皇嵩に叩きつけた。

 

「安心したぞ、"死神"。暫く見ない間に丸くなったかと思ったら、まだ牙は健在らしい」

 

裴晴から放たれる凄絶な殺気に動じることなく、皇嵩は何処か満足したように笑って返した。

 

「今回は本当に様子を見に来ただけだ。手を出すつもりはない」

「そうであることを祈るよ」

 

裴晴が殺気を引っ込めて言うと、皇嵩は肩を竦めて返し、席を立った。通路を通り、別の車輌へと消えていく。

裴晴は再び文庫を開いて読書へ戻る。

 

「ハンミョウ」

「なんですの?」

 

背中越しに座る金髪の同僚へと呼ぶと、返事がすぐかえる。

 

「念の為、"ねね"と"アトラス"を呼べ」

「一体、なんの為に?一玖も馬鹿じゃありませんわ。貴方とこのタイミングで敵対する真似に出ると?」

「皇嵩を警戒してじゃない」

 

皇嵩がこのタイミングで仕掛けてきたりしない事は裴晴も分かっている。

だが、

 

「特異な虫憑きが一箇所に集まって何も起きないと考えるのがおかしい」

 

当初は控えてる自分やハンミョウだけで対処可能と考えたが、皇嵩が現れたことで状況が変わった。

 

「もしかしたら大物が釣れるかもしれない」

「大物?」

 

何が出てくると裴晴が予想してるのか分からず、ハンミョウは首を傾げる。

 

「…俺の勘が当たれば、どちらかが出てくるな」

 

益々と彼等が何を期待し、危険に思っているのかハンミョウは分からない。

だが、

 

「出来れば"エルビレオーネ"であってほしいな。そろそろ奴の現状の戦力を確認しないといけない。昔と比べて"分離型"の数も増えてるし」

 

本の内容を楽しんでいる顔ではなく。

旧友との再会を待ち望む期待に満ちた表情で裴晴は呟いた。

 

そして夜。

五泉市内は露の匂いがする。

裴晴はハンミョウに呼んでもらった"ねね"や"アトラス"と合流し、夜中にホテルを抜け出す不良2名を追跡していた。

 

「すまない。急に呼び出して」

「問題ありません。しかし、何故"ねね"まで?大規模な戦闘が起こると?」

「そうだな、始まりの3匹とやり合うかもしれないからな。一応、"ねね"は保険だ」

 

裴晴の解答に"ねね"と"アトラス"は驚き、うっかり足を止めてしまう。

 

「始まりの3匹が現れる、と?」

「あぁ、多分、大喰い辺りが来そうな気がする。"浸父"の野郎は俺と交戦したくなくて近づいてこないからな」

 

アトラスはなるほど、と裴晴の呼び出しに納得する。

ねねは裴晴に口振りを聞いて戸惑った口調で聞いた。

 

「隊長…始まりの3匹に会ったこと、あるの?」

「ある。3匹全員な。特に"浸父"との交戦が一番多い」

「零番隊の戦闘員全員…"ハンミョウ"さんは除くが、原虫共と交戦している。してないのは君と"霞王"くらいか」

 

歩みを再開させて。

裴晴の返答にアトラスが付け加えて伝える。

 

「"ねね"は交戦する可能性はないよ。ハンミョウと同様で非戦闘員だからな」

「とはいえ、あの人は戦えない訳じゃないからな?空手と合気道の有段者だから素手の戦いなら隊長や副長以外に負けない」

「えっ……?」

 

ねねもヴェスパが強いのは、彼女の教官を務めている"あさぎ"からも聞いている。

裴晴は言わずながら。

戦闘能力なら状況次第で"かっこう"…火種一号に匹敵すると言われるあさぎからも負けないが"勝てない"と言わしめる程の強者だ。

でも、ハンミョウは…典型的な金髪美少女が彼らに迫る強者には見えない。

 

「ねね。戸惑うのは判るがよく思い返せ。ハンミョウさんの能力はなんだ?」

「確か…精神汚染って本人は…」

「そう。あの人の恐ろしいところは、"領域"を展開し能力を最大限使って単純な精神攻撃をしてくるんじゃなく、些細な…本人も気づかない認識の誤差を引き起こす事だ」

 

例えば幻影。

例えば距離感。

例えば五感の異変。

直接的な精神イメージを脳内に叩き込むのではなく、相手も気づかない様な極微少な違和を引き起こし、それが通常だと思わせたまま、戦闘を行えば、果たしてどうなるか。

些細なものでも、誤認したまま、それに適応してしまうと脳はそれを正しい状態と認識してしまう。

戦闘の間はそれが致命傷になりかねない。

 

「ハンミョウさん。鉄火場には立たないなんて言っているが、ねね以外の零番隊の班員はあの人に全員叩きのめされてるからな?」

「…嘘…でしょ?」

「マジ、だ。俺もハンミョウさんにやられて捕まった口だからな」

 

アトラス自身、今思い返しても最悪の一言に尽きる。

それはギラファや薄羽も同様だろう。

戦闘能力なら火種の基準なら間違いなく上位者に数えられる彼らが直接戦闘能力系でない虫憑きに言いように叩きのめされるなど、最早悪夢だった。

 

「君くらいだよ。反発せずに軍門に降った虫憑きは」

「私…戦闘能力、皆無だし。隊長と戦っても勝ち目ない」

 

観覧車内から戦闘風景を見ていたが、完全に人間辞めきっている化け物(ハイセイ)の相手をする胆力をねねは持ち合わせていない。抵抗する暇もなく、瞬殺されるだろう。

 

「それ以前に調査した限り"特殊型"の虫憑きで"ねね"はまともな部類だからな。戦いにはならんと確信はあった」

「俺らはまともじゃないような言い方ですね」

「ねね以外、まともな"特殊型"に会った事はないな」

 

他と比較して"常識"的という話だ。

特殊型の虫憑き達は総じて精神の(タガ)が何処か外れている。厄介な連中には違いない。

 

「まぁ、俺を含め零番隊にまともな奴なんて居ない」

 

願わくば、ねねだけは変わらず常識的であってほしい。

そんな風に話をしている間に3人は亜梨子達が向かった場所に到着した。

ライトアップされた五重塔。内部は大勢の人で賑わっていたが、その喧騒は中で行われていた能楽の演目を称賛するものでなく、異常事態を目の当たりにした人々がパニックを起こしたものであった。

出入り口に殺到してくる人々と入れ替わるように裴晴達は五重塔へ足を踏み入れる。

階段を登り、最上階の舞殿へとたどり着いた。

すると、

 

「俺の勘も捨てたもんじゃないな」

「隊長の勘、大抵当たるじゃないですか」

 

逃げ惑う観客や役者達とすれ違いながら、裴晴達は舞台に立ち尽くす少年を見る。彼の前に紫色の鱗粉が集束し、人型を形成していく。輪郭がはっきりしていくと、長身の女性の形が顕となった。

 

「来たな、"大喰い"」

 

裴晴の視線の先に居るのは丸いサングラスを掛けた長身の美女。深紅のロングコートを纏い、虹色の瞳を細めて少年を見ている。

裴晴は即座に臨戦態勢に入り、四つの尾を展開すると、一本を少年の胴体に絡めて自分の側へ引き寄せた。

突然の事態に呆然としていた少年は悲鳴を上げながら裴晴の元へ来る。

 

「久しいな、"大喰い"」

「あら、今日は先客が多いわね。ご機嫌如何かしら?裴晴ちゃん。相変わらず凄い殺気を放ってくるわね」

 

裴晴から放たれる殺気を感じながら、女性…"始まりの3匹"、原虫と呼ばれる怪物は微笑み返す。

裴晴が戦闘態勢に入ってから"アトラス"や"ねね"もフォーメーションを取って彼のサポートが出来る態勢に入る。

更に銀槍を携えた亜梨子や拳銃と同化した大助も彼等の元に加わった。

 

「見かけない顔が居るわね。また"ディオ"の子を拾ったのかしら?」

「だとしたら?」

「別にどうもしないわ。けれど、貴方が"また"私の食事を邪魔するつもりなら、その限りではないわよ?」

 

言葉に微かな怒りを滲ませて、大喰いはねねを虹色の瞳に映す。大喰いに見られ、ねねは一瞬、肩を震わせるが視線を受け止め、逆に彼女を見据えた。

 

「ふふ。貴方の周りには面白い子が増えていくわね。裴晴ちゃん。どの子の夢も"ディオ"に食べさせるにはもったいない」

「言ってろ。お前の戯言は聞き飽きた」

 

少年を尾から解放すると四つの尾の先端が大喰いを狙い定める。

 

「やはり食事の邪魔をするのね。アリアの子は面倒な子ばかり」

「貴様の産む分離型も俺からすれば邪魔者だ。お前を殺すのに面倒事を増やす」

「ふふふ。それを知りながら私に挑むのね?もう何度目かしら?」

「回数など知らん。それを言うならお前は何度、俺に食事を邪魔された?」

 

大喰いと裴晴。

互いの戦意が高まっていき、空気がピシピシと軋む。

 

「食事の邪魔はさせないわ」

「全力で邪魔してやるよ」

 

どちらともなく。

開戦の合図を交わす事なく、両者は同時に動く。

四つの尾で大喰いの身体を貫こうと伸ばし。

吹き荒れた紫色の鱗粉は集まり、異形の虫と化して、盾となる。

二つの頭部を持ったゲジがその凶悪な牙で四つの尾の幾手を阻んだ。

強大な二者の力がぶつかり合う。

 

「やはり足りないか…」

 

そう呟いた瞬間。

裴晴の背後から新たに尾が2つ増えた。

単純な手数の増加。

新たな尾は素早く動き、双頭のゲジの首を根本から叩き潰した。形を失い、紫色の鱗粉に還り、宙を舞う。

 

「っーおらぁぁぁ!」

 

盾を失い無防備となった大喰いへ裴晴は総ての尾を束ね、巨大な槍の如き尾を作り、一息の間に身体を貫いてやる。

畳の地面へと身体を貫いたまま、叩きつけると床に大穴を空けた。

大喰いの身体もろとも、木造の梁を突き破り、最上階から次々と床を破壊していく。

一切の抵抗を許さず、一直線に突き抜けた。

轟音が鳴り響き、剥き出しとなった地面が大きく陥没する。

裴晴の巨大な尾は大喰いの身体を半壊させ、五重塔の最上階から地上までを貫通していた。

 

「ふふ……以前より力が増してるわね。"ディオ"の欠片を幾つ喰らったのかしら?」

「忘れたな」

 

更に尾を増やした影響か。

皮膚を透過し身体の半身を侵食したタツノオオムカデの躰は模様となって裴晴の顔に顕れている。

片目の瞳は真紅を染まらせ、禍々しい紋様を頬に奔らせる。

 

「そう…でも、分かっているかしら?裴晴ちゃん。貴方、もう"私達の側"に足を踏み入れているのを」

 

どういう意味かという問い返しはせず、裴晴は沈黙する。

それは大喰いの言う意味を理解しているに他ならない。

 

「あの哀しい"虫"を生かす為に"人"である事すら捨てるの?」

「"人"の定義において、俺とお前とでは見解が異なっていそうだな」

 

人の形をしているから人などではない。

異形であるから怪物なのではない。

 

「人を人たらしめるのは"心"の在り方だ。たとえどんな姿となり果てようと"人の心"を捨てたその瞬間、人は"怪物"となる」

「貴方は違うのかしら?」

「少なくとも、お前の様な"獣"に堕ちた覚えはない」

 

"虫"の同化によって紅に染まった瞳を輝かせ、裴晴は貫く巨大な尾に力を込めた。

 

「返してもらうぞ。お前の喰らった数多の"夢"をーー」

「っ…まさか、貴方?!」

 

裴晴の異能。"蟲喰い"が大喰いへと発動される。

彼女が今まで溜め込んでいた沢山の夢のエネルギーが尾を通して、裴晴の中に還元されていく。

 

「喰らい尽くしてやるよ」

「調子に乗り過ぎよ、裴晴ちゃん!!」

 

紫色の鱗粉が大喰いの身体から噴出し、衝撃波が放たれる。

強烈な不意の一撃は、裴晴の身体を吹き飛ばし、大喰いとの距離が開く。

巨大な尾は元の形態へと戻り、体勢を整えた裴晴の背後でうごめき続ける。

 

「やはり、"不死"にも"蟲喰い"が通用するか」

 

大喰いを見据え、裴晴は思案する。

貫かれていた彼女の肉体は傷口から溢れる甲虫達に覆われ、徐々に塞がれていた。

大喰いは裴晴を見返しながら、口元に笑みを作る。

 

「……油断も隙もあったものじゃないわね。私を使って"彼"への対抗策を考えるなんて」

 

そう言った次の瞬間。

裴晴と大喰いの前に、一人の少年が躍り出てきた。

目の前に現れた彼へ裴晴は声を掛ける。

 

「なんの真似だ?皇嵩」

「お前にコイツを喰わせる訳にいかないからな」

 

裴晴の問いに一玖が答える。

それに対して裴晴は背後に居る部下二人に言った。

 

「"アトラス"、"かっこう"。"アレ"を排除しろ」

「「了解」」

 

裴晴の指示に、アトラスは背に翅を展開し紫電を迸らせ。

大助はかっこう虫と同化して一気に一玖の元へ接敵した。

しかし、

 

「っーうっ」

 

どういうカラクリか。

排除しようと伸ばした大助の腕を一玖が片手で掴んだ瞬間、大助の身体が半回転した。

受け身を取れず、仰向けに倒される。

そのまま、流れるような動作で掴んだ腕を逆関節に極めてしまう。

 

「訓練が足りんな、"かっこう"」

「……そうかよ」

 

一玖の皮肉に逆上する事なく、大助は極められた腕の痛みに短く返すと、アトラスへ目配せする。

痛みに耐え強化した腕で一玖の腕を強引に掴み続ける。

その動作に一玖はハッとし、アトラスを見た。

 

「あんたは油断しすぎだ」

 

そう言い放つと、アトラスは背に展開した翅から一玖に向かって雷光を迸らせる。強烈な雷撃が大助ともども一玖へ降り注いだ。

その光景に亜梨子が駆出そうとするが、ねねが肩を掴み止めた。

 

「っ…なんで!」

「ダメ。かっこうくんとアトラスくんの邪魔になる」

 

亜梨子はねね以上に戦力になり得る。

でも、裴晴より亜梨子を必要以上に戦闘させるなと命令されているため、彼等の元に行かせる訳にいかなかった。

それに、

 

「かっこうくんなら大丈夫」

 

そう言った次の瞬間。

雷撃によって生じた粉塵から2つの人影が飛び出てきて、裴晴の両側に着地した。

 

「もう少し上手く助けられないのかよ、アトラス?」

「同化型の頑丈さならあの程度、痛くもないだろ」

裴晴(コイツ)と一緒にするな。コイツと」

「隊長なら敵に掴まれる不様も晒さんよ」

 

裴晴を挟んで言い合いする二人。

そうしている間に粉塵は晴れていき、スーツを所々焼き焦がした一玖の姿が顕になる。

着衣はボロボロだが、身体に一切の傷が見当たらない。

 

「無傷かよ…」

「何者だ、アイツ」

 

雷撃を浴びながら健在の一玖を見て、アトラスや大助は眉を顰める。

二人の呟きを聞きながら、裴晴はもう一方の気配が動いた事に気付き、即座にその場から動き出した。

大喰いが混乱に乗じて、獲物である少年の側へ移動したのだ。

一番近くに居た亜梨子も大喰いの動きを直感で感じ取った。

 

「させない…!」

 

一息に間合いを詰め、銀槍を振るう。

 

「邪魔しないでって言ったでしょ、おチビちゃん?」

 

見もせず、大喰いは片手を上げる。

周囲に紫の鱗粉が吹き荒れ、裴晴を吹き飛ばした衝撃波が放たれた。

 

「う…く…」

 

後方へと吹き飛ばされていく亜梨子。

このままでは建物の壁面に激突してしまうといった状態であったが、

 

「亜梨子さん!」

 

裴晴は尾の一つで亜梨子の身体を絡め取り保護する。

亜梨子を助けると裴晴は大喰いへと残った尾を振るう。

大喰いと少年の間に尾が突き立てられ、その状況に乗じて、ねねが少年の身柄を抑えて大喰いから距離を取らせる。

 

「ほんとに邪魔ね、裴晴ちゃん」

「その少年の夢を喰いたければ、俺を殺す事だ」

 

亜梨子を安全位置に降ろすと、裴晴は大喰いへと攻勢を掛ける。正確無比、高速で動く六本の尾が大喰いの躰に傷を負わせていく。

このまま攻め続ければ、大喰いを倒せるのでは?と周りはそう思い始めていた。

しかし、

 

「させんよ、裴晴」

 

いつのまにかダン!と深く裴晴の間合いに踏み込み、一玖が裴晴へと拳を繰り出す。

一玖の横合いからの拳打に裴晴は冷静に対応。

腕を掴み取り、先程大助を投げたように一玖を地面へ叩きつけた。

 

「ぐっ…」

「さっきの言葉。そのまま返すぞ」

 

そう告げると裴晴は足を振り上げ、一玖の顔面へ降ろした。

付け加え、六本の尾で五体を刺し貫き、破壊する。

一切の容赦の無さに亜梨子が遠くで呻いた。

一玖を一時的に戦闘不能にすると裴晴は再び大喰いへと踊り掛かる。

 

「さっさと死ね」

「ふふふ…これはちょっと危ないかしらね?」

 

裴晴の攻撃だけでなく、大助やアトラスが支援として他方から大喰いへと攻撃を仕掛ける。

更に…

 

「やぁぁぁ!」

 

隙を突いて亜梨子が銀槍を振るう。

銀色の鱗粉が舞い、鋭い刃となって大喰いの胴体を両断した。その手応えに亜梨子は顔を顰める。化け物と理解しても人の形をしたモノを斬ったのだ。普通の少女が何も感じない訳がない。

 

「ナイス!亜梨子さん!」

 

そんな亜梨子の心情を察しているのか。

裴晴は亜梨子の攻撃を称賛しながら容赦なく、大喰いへと追い打ちを掛けた。

尾の形態を再び巨大な一尾に変え、大喰いの2つ分かたれた躰を押し潰すように振り下ろした。

地面に巨大なクレータを生じさせ、大喰いを圧殺する。

 

「やったか?」

 

クレーターの縁側で自身で振り下ろした尾を見つめる裴晴に大助が近づいて問う。アトラスや亜梨子も彼等の元へと駆け寄り、クレーターの中を見詰めた。

全員の視線がクレーターに集まる中で裴晴は口を開いた。

 

「この程度でやられてくれるなら可愛いものだ。ただの化け物で済む」

 

皆に聞こえるようにそう答える裴晴の視線の先。

尾の下から紫色の鱗粉が噴出し、裴晴達とは反対側のクレーターの縁で人の形を取り出した。

 

「ほんとにアリアの子達は厄介ね」

 

裴晴達を見て言う大喰いの躰は完全な人型ではなかった。

所々の四肢と肉体の欠損が見られるが、欠損部から甲虫が這い出て修復している。その修復速度は早く、大喰いの躰を元通りにしていく。

その有様に裴晴は内心で舌打ちした。

 

「やはり"不死"を殺さなければ無理か…お前は」

「えぇ…私を護ってくれる可愛い子よ?」

「思ってもない事を。虫酸が走る」

 

裴晴は尾の形態を元に戻し、再び大喰いと対峙する。

 

「まだ闘るつもり?裴晴ちゃん?」

「"殺せない"が"勝てない"訳じゃないからな」

 

裴晴の言葉に大喰いは笑みを深めた。

彼の言葉の裏を正確に読み取れたからだ。

その意味やこれからの彼等の動きを想像し。

先程までの嘲りや憐れみ、愉悦の笑みではなく。

凄絶な怒りと悔しさを秘めた微笑みに見えた。

 

「そう…仕方ないわね。あの子を食べるのは待つことにしようかしらね」

「殊勝な事だ」

「えぇ…だって食べ頃の"夢"はその子だけじゃないもの」

 

大喰いの台詞に裴晴は顔を顰める。

それは獲物は他にも沢山いて、そちらを食べに行くという事。この場は所詮一時的な仮初の勝利に過ぎないという事だ。

 

「それでは。御機嫌よう」

 

紫色の鱗粉が吹き荒れ、大喰いの躰を覆い隠す。

逃がすまいと大助が拳銃を上げたが裴晴はそれを手で制した。

紫色の鱗粉が収まると大喰いの姿はそこに跡形もなく、消え去っていた。

 

「逃したぞ?」

「どちらにせよ、逃げられていた。怪我も負わせられない相手をどう捕えるつもりだ?」

 

裴晴の言葉に大助は押し黙る。

裴晴の言うとおり、如何な攻撃を加えても再生する存在を捕まえる事など出来ない。

こちらも回復役の"ねね"が居るとはいえ、相手の能力限界が不明確な以上は交戦を長引かせるのは悪手である。

 

「いつもの事だ。大喰い(アイツ)相手では局地戦の勝利しか得られないのは」

 

倒せない以上、その場その時と勝利する以外に予防策はない。

虫憑きを極力増やさないようにするには。

たとえ悪あがきだと理解していても、だ。

 

「それで?いつまでも狸寝入りを決め込んでいる、皇嵩」

 

裴晴は振り返り、自分で行動不能にした一玖へ声を掛ける。

完全に息の根を止める猛攻を受けていた大助達は怪訝な表情を浮かべるが、釣られて見た光景に固まった。

 

「狸寝入りではない。お前の能力を使われ念入りに五体を壊されてはそう簡単には元に戻らん」

 

そこにはズタボロのスーツの埃を払って立ち上がる一玖の姿があった。

確かに仕留められていたのを目撃したにも拘わらず。

どういうことか、と疑問の視線が裴晴に集まる。

裴晴は見られているのを自覚しながらも一玖から視線を外さず、彼を見据える。

 

「槍型の"虫"。懐かしいな、"黒い死神"。あの夜を思い出さないか?」

「あぁ。あの夜も似たようにお前を八つ裂きにしたな」

 

思い出話を語り合うような口調で会話する二人。

傍からは和やかに見えるが、見えない圧をお互いに放ち、二人以外に会話へ入る暇がない。

 

「この目で確認するまでは、にわかに信じられないケースだったが確かに、"本物"のようだ」

 

サングラス越しに一玖の視線が亜梨子を捉える。

その視線と言葉に亜梨子は身を少し強張らせた。

 

「未来に"賭ける"か…確かに現状、"お前達"は賭けに勝ち続けてるらしいな」

 

亜梨子から視線を戻し、一玖は裴晴と向き合うと笑みを浮かべて言う。

一玖の笑みに大助はある人物を連想する。

現上司を危険視している特環の事務官、魅車八重子。

鎖の笑みを持つ女のそれと似ていた。

 

「特別環境保全事務局本部長、一玖皇嵩の権限において、一之黒亜梨子をーー」

 

外見に似合わぬ大人びた口調で宣言した。

 

「ーー正式に虫憑きとして認定する」

 

その宣言を聞いて。

してやられたといった表情で。

裴晴は苦悩に満ちた顔付きで一玖を睨みつけていた。

 

 

 



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