アンドロイドはかく語りき (ゆーゆ)
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邂逅

 

 

 誰も救おうとしてくれないこの世界で、誰かを救いたいと願うことはできる。

 誰も手を差し伸べてくれない世界の中で、誰かの手を取ることはできる。

 誰かを愛し、愛されながら生きる未来を夢見て―――僕らは。

 

 

 

 

 

 八月八日。

 

『―――適化が完了、メンテナンスモード終了。ヨルハ機体4S、起動』

 

 漸く終了か。重い瞼を開けると、淀んだ空気と埃っぽさに、懐かしさのような感情を抱いた。視界に映るのは数多の背表紙。それらが収まった巨大な木製の棚が、四方から僕を見下ろしていた。

 

「ポッド。どれぐらい時間が掛かった?」

『報告:メンテナンスモードを終了した時点で、約二百五十七分が経過している』

「……参ったね。ただの最適化に、そんなに」

 

 本当に参った。長らく放置をしていたとはいえ、チップの最適化と簡易メンテナンスという単純な作業に、四時間超か。通常なら数分間で終える工程に、随分と時間が掛かったものだ。

 溜め息を付きながら、四肢の制御プログラムを調べる。相変わらず、左腕が言うことを聞かない。指先に至っては微動だにしない。神経伝達系アルゴリズムを調整すれば、幾分マシになるかもしれないけれど、それはH型の領域だ。S型の僕が下手に触れば、逆効果を生みかねない。今のポッドにだって、期待はできない。

 

「……もう、八月なのか」

 

 機械生命体―――球体連結型による襲撃に遭ったのは、今から二日前のことだ。

 宙を自在に駆る機械生命体の群れは、突如として僕らに牙を向いた。数少ない攻撃手段を以って辛くも撃退したものの、独力では修復不能なほどの損傷を負い、一時はブラックボックス反応が消失し掛ける事態に陥ったのが、二日前。

 三機セットで運用するのが常のポッドも、今では117cの一機のみ。僕と同様に満身創痍といった有り様で、通信機能の九十パーセント以上に障害が生じている。これでは―――いや。

 通信環境がどうあれ、最早何の意味も成さない。

 バンカーは陥落し、あれほどいたはずの仲間は、もういないのだから。

 

『繰り返す。推奨:早急なオーバーホール、又は不具合箇所の重点メンテナンス。レジスタンスキャンプに同型の代替パーツが保存されている可能性が高い』

「いや、いいよ。もういいんだ」

 

 みんな死んだ。死んだんだ。この場で再会を果たした九号S型も、きっと。

 地上に残されたのは、ヨルハ四号S型とポッド117cだけ。

 

「それより、機械生命体の……敵の個体データの、整理を進めたい」

『理解不能。現状況下において、当作業を優先するメリットは皆無だ。理解できない』

「うるさいな」

 

 ―――情報収集は、立派な戦闘支援ですから。かつての同胞の声を自身への言い訳にしながら、二日前の襲撃を思い起こす。

 あの戦闘の裏で、何かが起きていたのだろう。遠方から爆発音と共に、何かが崩壊するようなけたたましい音が聞こえて、地面が揺れたのをよく覚えている。

 どうでもいい、と思った。僕にはもう、関係ないことだ。

 

___________________

 

 

 八月十六日。

 以前に9Sがデータを提供してくれた甲斐もあって、機械生命体の個体データは大方をリスト化することができた。しかし今となっては達成感すらない。分かり切っていた現実だ。

 手持無沙汰となった僕は、膨大な量の書物を読み漁り始めた。特に目的もなく、文字を目で追う作業に没頭した。逃避以外の何物でもなかった。

 新たに生じた悩みの種は、ポッドが意味不明な言動を見せ始めた点だ。

 

『報告:ポッド117は、ヨルハ機体4Sの随行支援を任されている。彼らと同じく、私にも、結末を見届ける義務がある』

「……何だって?」

『解答不能』

 

 これである。まるで訳が分からない。論理思考にまで異常が及んだのだろうか。

 それでも僕は、心底どうでもいいと思った。

 

___________________

 

 

 八月二十七日。

 事態の悪化は連鎖するもので、音声機能に不具合が生じた。予備スピーカーも先の戦闘で損傷してしまっていたらしく、僕は文字通り『声』を失った。

 平時なら途方もなく不便なはずだけれど、単身では別段気にならなかった。話し相手がいないのだから当たり前だ。ポッドは声抜きでも僕の意図と指示を察してくれる。

 

『推奨:早急なオーバーホール、又は―――』

 

 ポッドがあまりに鬱陶しいので、発言には僕の許可を義務付けた。こうしてポッドも、声を失くした。

 

___________________

 

 

 九月十七日。

 仮にも僕はS型だ。自身を客観視するぐらいは造作もない。

 恐らく僕は、精神的に危険な状態に陥りつつあるのだろう。

 

(……寒い)

 

 異常気象としか思えない気温の低下と相まって、孤独という現実が、底なしの肌寒さを思わせた。本棚に背を預けて座り込み、爪を噛むという無意味な行動を丸三日間繰り返して、漸く自分の危うさに気付かされた。

 気晴らしに、図書室の一階部分に生えていた大型植物の根を切り取り、摂取するという行為にも及んだ。排泄を迫られるだけで、やはり何も生まれなかった。何も変わらなかった。

 

「っ……!」

 

 声が聞きたかった。誰かの声を、喉から手が出るほどに欲した。

 どうして何も言わない。何故黙っている。あれほどうるさかったはずのポッドが沈黙を決め込む姿に激しい苛立ちを覚え、僕は右拳でポッドの装甲を殴打した。

 何度も拳を叩き付けた。何度も何度も、何度も。

 暫くして、自分の愚かさに愕然とした。知らぬ間に記憶野が虫食いだらけになっていて、その原因にまるで身に覚えがなく、僕はたった一人で立ち尽くしていた。

 

___________________

 

 

 十月某日。

 どれぐらい時間が経ったのだろう。

 きっと僕は、もっと長時間の孤独を何度も経験している。僕らS型はその特性上、単独での調査活動が主であり、慣れ親しんだ日常だったはずだ。

 なら、この感情は何なのだろう。

 どうして僕は、自分以外の誰かを恋しいと感じているのだろう。

 そもそも僕は、何のために戦ってきたのか。誰のために生きてきたのか。

 分からない。僕には、分からない。

 

『推奨:起床』

 

 突然、何かが頭部に触れた。

 何とはなしに瞼を開けると、僕の傍らで浮遊するポッドと―――視界の端に、何者かの姿が映った。

 

「……?」

 

 銀色の放熱線―――長髪が揺れる度に、足音が聞こえる。否応なしに流れ込んでくるデータの羅列は、何者かがヨルハタイプのアンドロイドであることを告げた。それ以上の事実には、思考が向かなかった。

 こつん、こつんと足音が近付いてくる。やがて床に座り込んでいた僕の眼前で足音は止み、何者かが口を開く。

 

「本を探している。哲学に関する本だ。物忘れの激しい知り合いに贈り―――」

『おねえチャンあそんデー!』

『あそんデー!』

「っ……少し黙っていろ」

 

 特有のノイズ混じりの声で、初めて気付いた。何者かの足元では、小型二足の機械生命体が、腕部を回転させながら飛び跳ねていた。明確な感情を込めた声を発しながら、表情のような何かを浮かべていた。

 一体何だ。目の前で何が起きている。反応に窮する僕に構わず、何者かは続けた。

 

「お前なら探せるだろう。勿論、無償でとは言わない。謝礼はくれてやる。何がいい?」

 

 あまりに一方的な依頼。確かに僕なら、目当ての書物を容易に見付けることができる。

 しかし不作法過ぎやしないだろうか。取って付けたような謝礼という言葉も疑わしい。

 

「い、みを」

「なに?」

 

 だから僕は、音声機能に鞭を打って、言葉を捻り出した。

 それは何者かの依頼と同等かそれ以上に、身勝手な願い。

 

「生きる、意味が。欲し、い」

 

 吐くと同時に、屋外から鳥の鳴き声が聞こえた。集団で飛び立ったであろう鳥達の羽ばたき音が、朽ち果てた建屋の隙間から入り込んできて、吹き抜けになっている室内で反響し、長らく余韻を残した。ちっぽけな生命の営みを示すそれらが、感情を大いに揺さ振った。

 僕の声は、届いたのだろうか。届いたけれど、拒絶されたのだろうか。それとも僕は、既に死んでいるのだろうか。

 

『おにいチャンあそんデー!』

『あそんデー!』

 

 機械生命体の音声が、僕に向いた。思わず顔を上げると、何者か―――彼女の右手には、旧式の斬機刀が握られていた。その刀身は切っ先の部分が折れていて、彼女はやれやれといった様子で、告げた。

 

「この通り、正宗にも用があってな。修復にどれぐらい掛かるか分からないが、私が戻るまでの間、そいつらの相手をしてやってくれ」

 

 それだけ。たったそれだけの言葉を置いて、彼女は僕に背を向けて、力強く跳躍した。

 宙を舞う銀髪が眩しくて。燃えるような猛々しさを感じさせるその姿に、僕はもしかしたら、見惚れていたのかもしれない。

 

「……う、ぅ」

 

 二時間か、三時間。或いはもっと短時間か。彼女がこの場に戻ってくるまでの、ほんの僅かな一時に過ぎない、僕に与えられた―――生きる意味。

 

「う、うぅ。う……あぁ」

『おにいチャンどうしたノー?』

『どうしたノー?』

 

 止め処なく溢れ出る大粒が、痛みを思い出させてくれた。動かない左腕に痛みが走り、ポッドを殴った右拳が割れるように痛い。全身を襲う痛みが生きているという実感に等しくて、生きるという言葉の定義を曖昧にしてくれた。僕は―――まだ、生きている。

 

 たった今僕に与えられた時間は、鳥の羽ばたきのように一瞬なのかもしれない。

 けれど、生きてみよう。もう少しだけ、生きてみよう。

 まずは、哲学書を探そう。未来を、明日を想うのは、それからでも遅くはない。

 

 

 

 



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引キ籠リ

 

 ポッド独自の判断による自動シャットダウン。

 余ほどの過負荷やエラーが生じない限り起こり得ない強制停止は、今の僕にとっては然して珍しくもない。

 

『おはようございます、4S』

「……おはよう」

 

 システムチェックをはじめとした点検項目を省略。半身を起こして辺りを見回す。

 紙媒体特有の匂い。腐った木材が放つ異臭。屋外から差し込む灰色の日光。そして―――

 

「お前、馬鹿なのか?」

 

 あからさまに不機嫌そうな様子の彼女は、手にしていた一冊の書物を閉じてから、開口一番に告げた。

 思わず肯定してしまいそうになり、苦笑いを浮かべると、彼女は益々表情を歪めた。

 

「こいつらを見ていてくれと頼んだだろう。誰が眠れと言った」

「……どれぐらい、経ってますか?」

「知るか。自分で調べろ」

 

 時刻を確認すると、どうやら僕は三時間以上もの間、メンテナンスモードに移行していたらしい。そんな僕の真似事に及んだのか、二体の機械生命体は、僕の傍に寝そべってスリープ状態。

 機械生命体が添い寝。何とも奇妙な光景だ。9Sのデータにあった、戦闘を放棄した個体の類だろうか。

 

「この機械生命体は、一体何なんですか?」

「ついて来た」

「はい?」

「だから勝手について来ただけだ。どうだっていいだろう、そんなこと」

「えーと。とりあえず、すみませんでした、A2さん。強制シャットダウンが掛かったみたいで」

「……ふん」

 

 僕が彼女の型番を口にすると、A2は少しだけ怪訝そうな面持ちを浮かべてから、すぐに表情を消した。

 A2。アタッカー二号。実験機として試作された旧ヨルハ部隊、プロトタイプ。戦闘記録を含め、最新のデータは9Sが提供してくれた個体データの中にも含まれていた。

 今日が初じゃない。僕が彼女を初めて知覚したのは、七月の初旬。僕がこの図書室に居座るようになってから間もなくのことだ。

 A2はこの城を訪ねる度に、『正宗』と名乗る機械生命体の下へ足を運んでいた。今日と同様で、近接戦闘用兵器のメンテナンスが目的だったのだろう。

 

「最近は音沙汰なしでしたね。八十九日振り、ですか?」

「気味が悪いからやめろ」

 

 データ上では、彼女は任務放棄の罪を背負う脱走兵。E型の執行対象リストには、四年間近く彼女の型番が記され続けている。返り討ちにあったE型の数は、恐らく正確に把握し切れてはいないだろう。

 これも、今となってはどうでもいい事実だ。バンカーが陥落し、部隊組織が崩壊した今、全てが過去のデータに過ぎない。A2を排除する理由も、手段もない。

 そしてA2も、何もしない。決まって彼女は、僕に見向きもしなかった。

 そもそもの話、僕が彼女を認識していたということは、その逆も然りだというのに。

 

「一つ確認なんですが。A2さんも、僕の存在には前々から気付いていたんですよね?」

「当たり前だろう。一時を境に、ここで籠城……いや、違うな。確か……何だっけ」

『推奨:『引き籠り』が最も適切な表現』

「ああ、それだ。旧世界に存在した出来損ない」

「酷い言われようですね……」

 

 しかし反論の余地がない。引き籠り以外の僕に関する情報を促すと、A2は素っ気なく続けた。

 

「スキャナーだろう。それぐらいは私にも分かる」

「まあ、そうですね。あとは?」

「諸々はそのハコが話してくれた。というより、勝手にべらべらと喋った」

 

 若干の間を置いて、『ハコ』がポッド117を指していることに気付く。

 勝手に喋った。どういうことだろう。許可なしの発言を禁止するという僕の指示は何処へいってしまったのか。

 

「それにしても、ポッドっていうのは全部こうなのか?従順な振りをして、ムカつくぐらいに身勝手だ」

「そうですか?確かに個体差はありますけど」

「口調も気に入らない」

「それも個体差があります。型番によって、かなり違いますよ」

 

 僕の言葉に興味を示したのか、A2は初めてその視線を真っ直ぐに僕へ向けた。

 やや濁り気味の、青色の瞳。自然と僕は微笑みながら、ポッドに触れた。

 

「型番が大きいポッドは、機械的な口調で淡々と判断を下します。逆に小さいほど、何と言いますか、人間らしい言動を取りやすくなるんです」

「はあ?人間?」

「あくまで根幹は変わりません。言葉の選択が変わるだけです」

 

 例えば、と前置いてから、僕はポッド117に声を掛けた。興味本位で過去に似たような指示を与えたことがあるから、すぐに順応してくれるはずだ。

 

「ポッド。00番台後半ぐらいの、砕けた口調で話してくれ」

『了解:ちなみに、いつまで続ければいいのかしら』

「僕が解除の指示を出すまで。ていうか、僕の許可なしに発言を禁止するっていう指示は何処にいったのさ?」

『あれは貴方に対する発言が対象だったはずでしょう。別に忘れたわけじゃないわよ』

「こんな感じです」

 

 振り向くと、A2は形容のしようがない複雑な表情で、僕らのやり取りを眺めていた。

 笑いながら、泣いているような。

 過去を思い出しながら、今を見詰めるような。相反する二つの顔が入り混じって、分からなくなる。

 

「どうか、しましたか?」

「いや……何でもない」

「A2さん?」

「何でもないっ」

 

 A2は立ち上がり、僕に背中を向けた。傷だらけのその背には、今し方鍛えられたと思しき三式斬機刀。武滑稽で力強い形状が、彼女の何かを象徴しているようで、僕の目を捉えて放さない。

 

「貴女は、僕に何もしないんですね」

「何を言いたいのかさっぱり分からない」

「だって、貴女は……。その」

「もういい。おい、起きろ」

 

 僕の声を意に介さず、A2は爪先で機械生命体の頭部を突いて、強引にスリープを解除する。

 

『んん……おねえチャン、もう行くノ?』

「ああ。用事は済んだからな。この本、借りていくぞ」

 

 僕が探し出した哲学書を手にしたA2と、機械生命体。大小三つの背中が、段々と小さくなっていく。

 少しずつ、少しずつ。唐突に、急速に。

 何事も始まりがあれば、終わりがある。僕は限りなく終焉に近い場所に立っていると思っていた。けれど、分からなくなってきている。何かが始まりを告げたような、この感覚。僕は今、何処に立っているのだろう。

 

「ま、待っ……え?」

 

 素っ頓狂な声を上げてから、驚愕した。

 声。失っていたはずの声がある。沈黙していたはずの予備スピーカーと、音声システムのリンクが生きている。僕は、僕以外の誰かと会話を交わしていた。そんな当たり前の事実を、今更になって。

 

(僕は―――)

 

 引き籠り、か。旧世界の概念を完全には理解できないけれど、言い得て妙だと思える。

 一冊と言わず、もう少しだけ。手早く同分野の数冊を棚から取り出して、僕は駆け出した。ポッドが何かを言ったような気がしたけれど、どうでもよかった。

 

 

 

 



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2BとA2の些細な擦れ違いによる破壊衝動

 

「地上に残された物品のほとんどは、旧世界の記録を基に再生された物ですけど、このツヴァイトシュタイン城については諸説あるんです。知ってました?」

「知らん」

「この石城だけが、あまりに異質なんです。とりわけ図書室に残された紙媒体の膨大な情報は、誰がいつどのようにして複製したのか、今でも分かっていません。複製元の記録すら残っていないんです」

「クソどうでもいい」

「詳しいことは分かりませんが、そもそもこの城の存在自体、旧世界の文明からあまりにかけ離れている、とも言われています。確かに地上には元々複数の―――」

「おい」

 

 ―――振り向きざまの抜刀。城外へ繋がる通路のど真ん中で立ち止まり、向けられた三式斬機刀の切っ先を見据える。

 勘弁してほしい。今の状態で更なる損傷を負えば、限界点に達してしまう。背後にいた小型二足は何を勘違いしたのか、『キャー楽しー!』『ワタシも混ぜテー!』と燥いでいた。

 

「A2さん?とりあえず、落ち着いて下さい」

「どうして私について来る。私は本を貸せと言っただけだ」

「方向が同じだけです。僕もたまには、外に出てみようかと」

「引き籠りのくせにか?」

「……それ、やめません?ものすごい抵抗感があります」

 

 やれやれと呟いてから、A2さんは踵を返して城門へ歩を進めた。

 外に出るという行為自体に、意味はないのだろう。それでも僕は今、外に出たいと感じている。とても曖昧で不明瞭な感情が、僕の足を動かす。一歩、また一歩と近付くに連れて、バイタルに微弱な変化を覚えた。

 

「え……?」

 

 城外に出るやいなや、飛び込んで来た眼前の景色は、『白色』に染まっていた。

 見渡す限りの白。上空から羽根のように軽やかな白粒が降り注ぎ、足元では冷たく優しげな光がきらきらと輝いている。

 雪。薄々気付いてはいたけれど、ここまでの積雪を目にするのは、これが初めてかもしれない。

 

「雪が……こんなに」

「クソ今更だな。降り始めたのは先月だぞ」

「推測:巨大建造物を成していた瓦礫が含む珪素を骨格とした化合物による外気温変動の影響」

 

 ポッドの分析によれば、原因は突如として出現したあの巨大建造物。約二ヶ月前の崩壊を境目に、辺り一帯の外気温が見る見るうちに低下していき、結果として降雪に至ったらしい―――巨大建造物が、崩壊?

 

「崩壊って、あの巨大な塔のような、あれが?」

「それもクソ今更だな……引き籠っていると、そんなことにも気付かないのか」

「……恥ずかしながら」

 

 言われてみれば、異変を感知はしていた。

 記憶領域を遡ると、八月六日。球体連結型の襲撃に見舞われたあの日に、大きな地震が発生したのと同時に、何かが崩壊するような音を耳にした記憶が残っている。恐らくはあの瞬間だ。周囲を見渡すと、塔と同じくして出現した巨大な要塞のような浮遊物も、見当たらなかった。

 それらが何を意味しているのか。ずっと狭い世界に閉じ籠っていた僕には、知る術がない。

 

「でも、不思議な感じです」

「あん?」

 

 僕の目には、長らく色が映らなかった。映ってはいても、見ようとしていなかった。

 白と黒だけの下らない世界。白色ばかりの眼前の光景も似たような物かもしれないけれど――まるで―コトナ―――ッテ――――――

 

「おい、どうした?」

「っ……センサー、系にまで。異常が」

 

 困った。これは本当に、追い込まれたかもしれない。

 バイタルがイエローから限りなくレッドに近付いている。環境センサーが異常を来し、視覚システムが完全に遮断した。体液が一部凝固しつつある影響で、あらゆる不具合が一斉に連なり、襲い掛かってくる。

 駄目だ、駄目だ。まだ、駄目だ。

 

「こ、これを」

 

 完全に機能が停止する、その前に。

 僕は真っ暗闇の中、ポッドに預けていた数冊の哲学書を受け取って、手探りに差し出した。

 

「一冊、だけじゃ。折角だ、から、こ、これも」

「お前……」

「うけと、っ……て」

 

 ややあってから、両手から重みが消えた。どうやら受け取って貰えたようだ。同時にブラックボックス信号そのものが、徐々に弱まっていくの感じた。

 いよいよ、か。覚悟を決める暇すらなかった。

 もう少し。もう少しだけ生きようと願った、矢先だったというのに。

 

「……『これ』は絶対に、使わないと思っていたのにな」

 

 不意に、残された僅かな感覚が、耳元で何かを感知した。

 これは何だろう。何かは分からないけれど、僕の右耳に、何かが接続された。

 

『補足:数世代前に採用されていた小型の通信機器。義体及び支援ユニットの通信機能に不具合が生じた際に有効。推奨:早急な支援依頼』

「つう、し……?」

『報告:聴覚システムとの接続を確認。同期開始』

 

 ノイズ混じりの思考を懸命に働かせていると、何者かの声が聞こえた。

 

『―――A2?A2、貴女なの?』

 

 声だった。自分以外の誰かの、A2さん以外の声。

 とても平坦で、しかし時折感情の起伏を垣間見ることができる、柔らかな声。僕はこの声を、彼女を知っている。

 

『驚いた。まさか本当に繋げてくれるなんて、思ってもいなかったから。……A2、聞こえてる?』

「に、ご……。っ……B、型?」

『この声って……ナインズ、様子がおかしい。君も聞いて』

 

 ナインズ。よかった。彼もまだ、この地上で生きていてくれたのか。

 彼と交わした言葉はそう多くない。接する時間も少なかった。昨今活躍が目覚ましかったナインズが様々な作戦を任されていた一方、初期型の僕はバンカーでの待機が大半だったのだから、当たり前だ。

 でも、この城で彼と再会できて、心底安堵したのを覚えている。

 仲間を失い、繋がりの全てを失ったと思っていた中での、同型との再会。僕にとっては、唯一の救いだった。

 

 誰のために戦ってきたのか。

 誰のために生きてきたのか。

 分からないけれど、もう少しだけ、生きていたかった。生きる意味を、誰かと一緒に探したくて、僕は―――

 

___________________

 

 

 三時間十七分後。

 レジスタンスキャンプからほど近い座標にある水場は、その大部分が凍っていた。ヨルハ機体二号B型―――2Bは、円を描くように水場に沿って歩を進めていき、やがて足を止めた。

 水辺に佇む二体の機械生命体。そして彼らを見守るように、傍らに座るアタッカー二号、A2。2Bは背後から、そっと声を掛ける。

 

「何をしているの?」

「釣りだ。こいつらに付き合わされてな」

「ポッドもなしで、釣り?」

「釣り=ポッドっていう発想はやめろ。魚は本来こうやって釣るんだ」

「そうなんだ。何を釣っているの?」

「さあな。アジでも釣れるんじゃないか」

 

 得意げに語るA2の手には、二の腕ほどの太さの鉄製パイプ。パイプの先端には細い針金がぐるぐる巻きにされていて、残りの針金は表面が凍った水場へと繋がっていた。

 これが本来の釣りの姿なのか。2Bは釈然としないものを抱きつつ、成程といった様子で腰を下ろし、再び語り掛ける。

 

「一応、報告をしておこうと思って。4Sはもう大丈夫だって、9Sが言っていた」

「……そうか」

 

 2Bと9Sの手によって4Sが保護されたのは、現時刻から約三時間前。僅かな通信により4Sの生存を察知した2Bらは、以前にも9Sの捜索に役立った特殊スキャナーを駆使して、A2に抱えられた4Sを見付け出すに至っていた。

 発見当初は見るも無残な有り様だった。戦闘による損傷にメンテナンス不良が重なり、ブラックボックス反応は極々僅か。発見があと一時間でも遅れていたら、間に合わなかったかもしれない。

 

「だから、ありがとう。A2」

「礼を言われる覚えはないし、お前が言うことでもない」

「そうじゃない。今のは、9Sの代わり」

「はあ?」

「9Sは貴女に、何も言わないよ。何も言えない。だから、私が言った。それだけだよ」

 

 2Bが言うと、A2は釣竿のような何かを引いた。針金には当然のように何も掛かっておらず、獲物をおびき寄せる餌の類もない。2Bの声を遮るための、不毛な行為。

 A2の苛立ちを意に介さず、2Bは続けた。

 

「こうして貴女と話すのは、一ヶ月振りぐらいかな」

「覚えてないしクソどうでもいい」

 

 九月下旬の、あの日。再会は全くの偶然だった。

 A2の姿を目の当たりにして、2Bは純粋な感情を覚えた。一方で9Sは、抗いようのない禍々しい何かを抱かざるを得なかった。当のA2にとっても、全ては終わったこと。二人に対し、何の関心も示さなかった。

 擦れ違いでは済まされない現実があった。けれども、無言でその場を去ろうとしたA2に、2Bは一つの小型機器を強引に持たせた。それが4Sと2Bらを繋いだ、旧世代の無線通信機。 

 込められたのは、真っ直ぐな想い。誰かとの繋がり。

 このどうしようもなく救いのない世界に取り残された者の、一抹の願いだった。

 

「A2は、今まで何をしていたの?」

「お前には関係ないだろう」

 

 素っ気なく返されて、しかし2Bにとっては問い掛けるまでもないこと。

 釣竿の先を熱心に見詰める、二体の機械生命体。全滅したとされていた中、奇跡的に自決を逃れていた、あの村の唯一の生き残り。そしてA2が携えている数冊の哲学書。

 

「パスカルの記憶は……。ごめんなさい、何でもない」

 

 彼女が誰のために、何を為そうとしているのか。

 言葉にするのが躊躇われて、2Bは思わず口を噤んだ。

 

「さっきからクソ鬱陶しいな。用が済んだのならさっさと消えろ」

「ねえ、A2。私達はきっと、お互いのことを知らないんだと思う」

「だろうな。知りたいとも思わない」

「でも貴女は、私の根底を知ってしまっている」

 

 A2にとって、それは軍刀と共に託された僅かな記憶。近接武器の限られた容量に保存されていた、9Sへの想いと、未来への希望。決して表には出そうとしなかった、2Bの根底にある物。

 

「そして私は、貴女の根底を知ってしまっている」

 

 2Bにとって、それはアネモネが語った過去。塔の崩壊後、彼女が躊躇いながらも明かしてくれた、四年前に関する全ての記録。四年もの間、A2を突き動かし続けてきた、仲間達への想い。

 

「……訳が分からん。何が言いたい?」

「私にも、よく分からない。でも私達がお互いを知ることは、悪いことではないと思う」

「本気でそう思うのか?」

「え?」

「あの軍刀には、妙な記憶も保存されていたぞ。周囲に人気がないことを確認してからこっそりと『ナインズ』と囁く癖は今も治っていないんだろ」

 

 ―――ガンッ!!!!

 

 即座に2Bが放った裏拳は、ポッド042を遥か遠方にぶっ飛ばし、やがてポッド042の直撃を受けた廃墟が音を立てて崩落していく。二体の小型二足は突然の敵意に慄き恐れ、A2の背後に身を隠して身体を震わせていた。

 三分二十三秒後。装甲が歪んだポッド042は力なく飛来し、淡々と音声を発した。

 

『要求:当ポッドへの理不尽な攻撃行為に関する釈明』

「黙って。それよりポッド、A2から愛情表現行為を受けた回数を報告して」

「……何だと?」

『報告:A2によるケアの合計回数は、二百九十二回。これは2Bを上回る数値。親密度は既に限界値を振り切っている』

 

 ―――ガンッ!!!!

 

 即座にA2が放った回し蹴りは、ポッド042をレジスタンスキャンプの方角へぶっ飛ばし、やがてポッド042の直撃を受けた廃墟が音を立てて崩落していく。キャンプはたちまち混乱の渦中に叩き落とされ、悲痛な叫び声が上がった。

 四分三十六秒後。装甲が歪んだポッド042は力なく飛来し、淡々と音声を発した。

 

『要求:当ポッドへの理不尽な攻撃行為に関する釈明』

 

 ポッドの声に無視を決め込み、A2は釣竿を背に携えて、振り返る。

 

「気が変わった。釣りは終わりだ。もう行くぞ」

「待って、A2」

 

 2Bは微笑みを湛えながら、A2の傷だらけの背中を見詰めて、胸中で独白する。

 私達は知らぬ間に、お互いのことを知りつつあるのかもしれない。その行為と感情に意味はなくとも、そうやって生きていきたいと素直に思える。時間だけは、まだ残されているのだから。

 

「さっき貴女が言ったこと、違ってるよ。私はもう隠さない。私にとっての彼は、ナインズだから」

 

 A2は答えない。代わりに少しの間を置いてから、背を向けたまま、右腕を頭上に掲げた。呼応するように、ポッド042がA2に近付くと、右腕とアームがそっと触れた。

 

「またな」

 

 その言葉は、ポッドと私のどちらに向けられた物なのか。きっと前者だろうと感じつつ、いつかきっと、私にも。2Bはそう願いながら、A2の背中が見えなくなるまで、世界の片隅に立っていた。

 

『要求:当ポッドへの理不尽な攻撃行為に関する釈明』

 

 

 

 



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パスカル

 

『全センサー処理系のチェック完了っと。もしもーし、こちら9S。4S、聞こえますかー?』

 

 うん。聞こえてる。

 

『オーケー、感度良好。これから4Sにいくつかの質問をします。いいですか?」

 

 いや、自我データに問題はないから、その辺りは省いてくれて構わない。それと、敬語も必要ないよ。以前から感じていたことだけど、言いそびれていたね。

 

『いえいえ。できれば、このままで。先輩に対するリスペクトってやつですよ』

 

 初期型の同モデルを先輩、か。少し複雑だけど、人間らしい考えだね。そういうのは嫌いじゃない。

 

『……貴方とこうしてまた話せるなんて、思ってもいませんでした』

 

 僕も同じさ。また会えて嬉しいよ、ナインズ。

 

『さてと。早速再起動の準備を始めます。少し時間が掛かるかもしれないから、簡単に状況を説明しておきましょうか?』

 

 それより、先にお礼を言っておきたい。おかげ様で助かったよ。ありがとう。

 

『それはレジスタンスのみんなに言って下さい。彼らが手を貸してくれたから、思いの外に早く処置が済みました。物資が限られた状況下での手際の良さは、大変勉強になります』

 

 分かった。2Bさんにも、後でお礼を言いに行くよ。

 

『……4S。僕からも一つ、いいですか』

 

 ん?

 

『あの図書室の中で、貴方と最後に会った時に、貴方は「これからどうするかは、これから考える」と言っていましたね』

 

 ああ、言ったね。よく覚えてるよ。

 

『どうするかは、もう決まりましたか?』

 

 どうだろうね。でも少なくとも、僕はまだ生きようと思う。そう決めた。

 

『は?』

 

 え?

 

『いや、その。何というか、予想外の返答です』

 

 そこまでおかしなことを言ったかな。

 

『僕はてっきり、具体的な行動指針というか、そういった何かを聞けると思っていたので』

 

 僕にとっては何よりも具体的さ。だってそうだろう?バンカーが崩落して、志を共にする仲間を失って、この地上に取り残された時、僕らは選択を迫られたはずだ。だから、ずっと考えていたよ。僕らは何のために戦って、何のために生きてきたんだろうって。

 

『……』

 

 その究極は勿論、人類復興のためだったけど……根本は違う。僕以外のみんなも、恐らくレジスタンスの人達もそう。ナインズと2Bさんだって同じだったはずだ。違うかい?

 

『いえ……違わないと、思います』

 

 だから僕らはまず、生きるという決断をするところから始めなきゃならない。羨ましいことに、ナインズはとっくの昔にその目的と意味を見付けていたみたいだね。

 

『え?』

 

 つまりはそういうことさ。君は考えるまでも、悩むまでもなく『生きる』という道を選んだ。

 

『……そう、なのかもしれない』

 

 それが羨ましい。ナインズと2Bさんが、とても羨ましいよ。たったのそれだけで、現実という絶望が、まるで正反対に変わる。

 

『でも4Sだって、生きようとしている。それは、僕とは違うんですか?』

 

 何かしらを見い出せた訳じゃないさ。でもキッカケがあったことは確かだ。

 

『キッカケ、ですか』

 

 うん。何よりもまず、僕はA2さんと話をしたい。

 

『……』

 

 ナインズ?A2さんは、今何処にいるの?

 

『時間です。再起動を始めます』

 

 え?

 

『レジスタンスリーダーから頼まれていた用件があるので、僕はこれで。また今度、話を聞かせて下さい。それでは、また』

 

___________________

 

 

『ヨルハ機体4S、再起度』

 

 ポッドの声を合図にして、全環境センサーが久方振りにアクセルを踏んだ。

 システムオールグリーン。ブラックボックス信号正常。バイタルも至って良好。『健康一番任務は二番』というH型の鼻歌が脳裏を過ぎる。思わず口ずさんでしまいそうだ。

 

『再起動を確認。おはようございます、4S』

「おはようポッド。早速だけど、命令だ。この間みたいに、また00番台の口調で話してくれ」

『了解:今度はいつまで続ければいいの?』

「僕の気が済むまで、かな」

『最近の貴方の指示は具体性に欠けるわ』

「自覚はしてるよ。とりあえず、一週間はそのままでお願い」

『クソ長いわね……』

 

 A2さんの影響だろうか。独特の表現に苦笑いをしながら、辺りを見渡す。

 僕は小さな一室のベッドに寝かされていたようだ。座標位置から察するに、ナインズが言っていたレジスタンスが集うキャンプの敷地内。先の降下作戦の前哨基地にも指定された一画だった。

 

(……ナインズ?)

 

 腑に落ちないのは、ナインズの姿が見当たらない点。再起動開始の直前まで、傍でリモート操作をしていたはずだけれど、もう行ってしまったのだろうか。

 首を傾げていると、扉の向こう側から足音が聞こえた。こつんこつんという、女性型のヨルハ機体特有の靴音だった。

 

「おはよう、4S。調子はどう?」

 

 ヨルハ二号B型。2Bさんは脇に抱えていた小さなコンテナをテーブル上に置いて、小さな微笑みを浮かべていた。

 

「良好です。二人のおかげで、助かりました。本当にありがとうございます」

「礼ならレジスタンスの皆に言うといい」

「それ、ナインズも言ってましたよ」

「そう……でも、本当に良かった」

「2Bさん?」

 

 やや俯いた2Bさんの顔を覗き込むと、そこには感情の証があった。

 思わず言葉を忘れた。溢れんばかりの感情は表情となり、温かく優しさに満ちた笑顔を湛えて、2Bさんが右手を差し出してくる。僕がその手にそっと触れると、笑みは益々深まっていく。

 

「仲間が一人でも多く生きていてくれて、とても嬉しい。私からもお礼が言いたい。ありがとう、4S」

「……暫く会わないうちに、変わりましたね、2Bさん。まるで別人です」

「そう見える?」

「はい。そう見えます」

「じゃあ、そうなんだと思う」

 

 気付かない訳がない。彼女と作戦行動を共にしたことはないけれど、バンカーでは何度も顔を合わせていたのだから当たり前だ。

 『感情を持つことを禁止する』という部隊内の規則は、実のところほぼ形骸化していた。洗濯班の『衣服を裏返しにして脱ぐな』という呼び掛けの方が、ずっと拘束力があった。そんな中、2Bさんはとりわけ感情を抱かないよう自制していたように思う。押し隠していた、と言った方が適切かもしれない。

 何が彼女を変えたのか。口に出すのは野暮という物だ。大方を察することはできる。

 

「4Sのことは、キャンプのリーダーに話してある。必要なら、私がここの案内をしてあげるけど」

「いえ、それには及びません。2Bさんにもやることがあるみたいですし……。それ、何ですか?」

 

 僕が指差したのは、先ほど2Bさんが抱えていたコンテナ。コンテナの中には衣服と思しき布類が詰め込まれていて、2Bさんは溜め息を付いてから言った。

 

「これは洗濯物」

「え……え?洗濯?」

「洗濯は想定していた以上に難しい。干す時に破いてしまうことが多々ある。今なら洗濯班の苦労が身に染みて理解できる」

 

 戦闘に特化したモデルが洗濯をすると、そうなってしまうのだろうか。寧ろ個体差による影響の方が大きいように思えて仕方ない。とりあえず、触れないでおこう。

 

「ところで、ナインズとA2さんは何処にいますか?」

「ナインズなら、急に頼まれていた仕事を思い出したって言って、慌てて奥の倉庫に……ああ、成程」

 

 2Bさんは先ほどよりも大きな溜め息を置き、やれやれといった様子で困り顔を浮かべた。こんな表情の彼女を見るのも、初めてのことだ。

 

「A2は、もういない。いつも独りで行動しているから。でも彼女の行き先には心当たりがある。ポッド、お願い」

『了解:ポッド117へ座標データを送信』

『報告:座標データの受信を確認。マップにマークしたわ』

 

 広域のマップを立ち上げ、ポッドが受信した座標データと照合、拡大。マークされた座標はこのキャンプの北部、商業施設跡地の東南東。森林地帯の一画を示していた。

 

「まだそう遠くには行っていないはず。A2に会いたいの?」

「会いたいといいますか、まあ、はい。まだお礼も言えていないから」

「そう。なら急いだ方がいい。今から向かえば追い付けると思う」

「……すみません、また改めて伺います。ナインズにも、宜しく伝えておいて下さい」

「私達のことは気にしなくていい。君は君がしたいようにすればいい。その方が、私も嬉しい」

「それは……どういう意味ですか?」

「そのままの意味だけど……」

 

 本当に、変われば変わるものだ。きっとこちらが本来の彼女なのだろう。

 折角背中を押されたんだ。直情的に、行き当たりばったりな行動を取ってみよう。後先を考えず、目先だけが見えていればそれでいい。さあ、外へ飛び出そう。

 

___________________

 

 

「おっと」

 

 右脚のつま先が小岩に引っ掛かり、バランスが崩れる。自動制御が機能しているとはいえ、やはり本を読みながら歩くという行為は今一慣れない。

 

『おねえチャン、ソレ面白いノ?』

「いや、クソつまらん。というより理解不能だ」

 

 以前のパスカルは、こういった類の書物を好んで読み耽っては、独自の解釈を重ねていた。物は試しにと数冊に目を通してみたものの、その先にあったのは『無』だ。ただの文字の羅列としか捉えることができないのだから、感想など生まれようがない。

 どうやら私達の主たる人類は、不毛な考察に人生を捧げてしまうぐらい、平和を謳歌していたらしい。私も私で、無益な時間を過ごしたようだ。

 

「ん……な、何だ?」

 

 突然、何者かの急速な接近を感知した。背後から、何かが来る。

 一定の間隔でやってくる地響き。四足歩行型の機械生命体―――いや、違う。この足音は大型動物のそれだ。確か、シカと呼ばれる草食動物。

 

「えっ」

「待って下さい、A2さん―――うわあぁ!!?」

 

 シカが急停止するやいなや、その背に跨っていたアンドロイドは勢いをそのままに前方へ飛んでいき、やがて廃墟に絡みついていた大木へ背中から衝突した。

 

「ぐはぁあ!!」

 

 けたたましい音が鳴り響いて、地面にドサリ。続いて激しい咳込みと呻き声。痛々しいことこの上ない。

 私は今何を見ているのだろう。目の前で蹲る元引き籠りの馬鹿に、何と声を掛けてやればいいのだろうか。誰か教えて欲しい。

 

「ご、ご無事でしたか、A2さん」

「お前が無事か」

『キャー!たのしソー!』

『たのしソー!』

 

 よろよろと起き上がるスキャナーモデル四号。新型だから4Sという呼称が正しかったか。2Bもこいつをそう呼んでいた。

 四号モデル。また何かが脳裏を過ぎった気がするが、その型番には何の意味もない。雑念を振り払って、私は一応の声を掛けた。

 

「何の真似だ……訳が分からん。一体何しに来た」

「えーと。まだお礼すら言えていなかったので」

「礼?」

「はい。僕が助かったのは、A2さんのおかげですから。だから何か、お返しができればと思いまして」

 

 下らない。あれはただの結果論だろう。事切れる寸前の4Sをリカバリーしたのは2Bと9Sだし、勘違いも甚だしい。

 それに私は、借りを返したかっただけだ。私が頼んでもいないのに、4Sは折角だからと言って、数冊の書物を受け取るよう促してきた。そのどれもが、かつてのパスカルが好みそうな物だった。ただそれだけの話だ。

 

「やれやれ。スキャナーモデルというのは、もう少し知的な個体だと思っていたんだがな。私の記憶違いか?」

「それはスキャナーがどうという話ではなく、僕のパーソナリティの問題だと思います」

「お前の?」

「初期投入された四号モデルは、当初それなりの評価を得ていたので、積極的に配備されていたんです。ですが一時期から、パーソナリティに関する指摘が相次ぎまして。特定の状況下で、判断力が著しく低下するようなんです」

 

 ―――ズキン。まただ。また何かが引っ掛かった。私は今、明確な不快感を抱いている。

 やめろ。聞きたくない。違う、そうじゃない。間違っていたかもしれないけど、間違っていなかった。私は、貴女に。

 

「僕も同じなのかもしれません。僕もあの城の図書室で……引き籠りと称されても、仕方ありませんよ」

「おい」

 

 気付いた時には、手が出てしまっていた。

 私の右手は4Sの首を鷲掴みにして、目を見開いて4Sの瞳を覗き込みながら、思い付くままに言葉を並べていた。

 

「安易に自己を卑下するな。四号モデルなら、四号モデルとしての誇りを持て。いいな」

「え、A2さん?」

「分かったのかと聞いている」

「っ……は、はい」

 

 いつからだろう。ヨルハ型との遭遇は、戦闘と破壊に等しかった。何体もの追撃部隊を撃退しては、戦いに明け暮れる日々を続けてきた。2Bと9Sとの戦闘も、その一つに過ぎなかった。

 しかしあの邂逅を境目に、私の中の何かが変わりつつある。とりわけこの引き籠りのクソガキは、出会ってまだ間もないというのに、私を苛立たせる。

 どうして私について来る。ついて来るなと追い払いたいが、どうだっていい。どうだっていいはずだ。今は、それでいい。

 

___________________

 

 

 振り向きざまに、斬られたりしないだろうか。内心怯えつつ、一定の距離を保ってA2さんの背中を追い続ける。隠そうともしない苛立ちが前方から放たれているけれど、多分大丈夫だろう。そう信じたい。

 歩を進めるに連れて、段々と周囲から建造物が減っていき、やがて巨大化した植物が生い茂る一帯へと差し掛かる。

 

「この辺りには確か、パスカルと名乗る機械生命体が形成した村がありましたよね」

「……知っていたのか?」

「ナインズが提供してくれた個体データに、パスカルに関する物もありましたから、ある程度は。かなり特殊な進化を遂げた個体だそうですね」

 

 ネットワークから独立して自我を形成した機械生命体の中でも、とりわけ高度な知性を備え、平和を主張し続ける。自我は女性型なのに、時折自身を「おじちゃん」と呼ぶ。データから分かるのはそれぐらいだけれど、僕も少なからず関心を抱いてはいた。

 大木の枝上を進んでいくと、一目で人類の建築様式を模倣したと分かる一画に辿り着く。確かに機械生命体の反応はあるけれど、数は微々たる物だった。

 

「A2さん。ここへ用があるんですか?」

「まあな……。あいつだ」

 

 視線の先には、一体の中型二足。A2さんが近付くと、機械生命体はよろよろと顔部を向けた。

 

『おや、A2さん。またいらしたのですね』

「ああ。久し振りだな、パスカル」

「え……?」

 

 個体データと眼前の中型二足を照合する。データ上は完全に一致しているし、A2さんの様子から察するに、彼女がパスカルと名乗る機械生命体と見て間違いない。 

 けれど眼前には、予想だにしない光景が広がっていた。あまりに異質だった。

 

「お前、また……工業用アルコールは控えろと言っただろう」

『これがどうにもやめられなくて。A2さんも如何ですか?』

「いらん」

 

 機械生命体が、飲酒?突拍子がなさ過ぎて、理解が追い付かない。飲酒を嗜むアンドロイドはともかく、機械生命体がアルコールを摂取するだなんて話は聞いたことがない。

 

「この間渡した本は、もう読んだのか?」

『ああ、あれですか。いつだったか、睡眠中に冷却水が凍り付いてしまいまして。手早く溶かすために、火種に使わせて頂きました。おかげ様で助かりましたよ』

「……そうか。パスカル、少し音量を抑えてくれ。この子らが怯えている」

『はて。この子、とは?』

「音量を抑えてくれればそれでいい」

 

 まるで噛み合っていないやり取り。言葉は流暢でも、肝心の知性が感じられない。A2さんにしがみ付いていた小型二足達も、完全に畏縮していた。

 得体の知れない不気味さを抱いていると、パスカルの四肢が突然痙攣を始め、次第に口部から茶色の液体が噴出し始める。

 

『ううぅ、ご、おえええぇぇええ』

「っ……!」

 

 勢いよく吐き出したパスカルは、やがて力なく前方に倒れ込み、ぴくりとも動かなくなる。液体燃料とアルコール混じりの吐瀉物を浴びたA2さんは、異臭を放ちながら、足元のパスカルを見下ろしていた。 

 A2さんは、何も言わなかった。

 僕も何も言えなかった。代わりに僕は、見入っていたのだろう。

 

(―――!)

 

 銀色の長髪から液体がぽたぽたと滴り落ちて、人工皮膚が剥がれ露わになった肢体が、木漏れ日に照らされる。

 その光景に、僕は高揚していた。そんな自分に、僕は愕然とした。最低だな、と思った。

 

 

 

 



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お姉ちゃんと呼ばないで

 

「やれやれ。これはキリがないな」

 

 白色の瓦礫を持ち上げては、後方に投げ飛ばす。作業を開始してから三時間以上経つというのに、目の前の光景は変化が乏しく、まるで終わりが見えてこない。

 瓦礫の撤去作業は、辺り一帯で活動しているアンドロイドにとって、日常の一部と化しているらしい。巨大建造物の崩壊後、地上に残されたのは、文字通り山のような瓦礫。大きい物では十数メートル四方にも達し、僕やナインズは勿論、2Bさんでも動かすだけで一苦労だった。

 

「ナインズ。もう少し効率の良い方法はないのかな?」

「前に機械生命体をリモート操作してみましたけど、こういうデリケートな作業は向いてないですね。結局は手作業に戻っちゃいました」

「まあ、それしかないか」

 

 単純な撤去作業といえど、重要ではある。拠点間を結ぶルートが塞がれたままでは物資の搬送が滞ってしまうし、何より崩壊に巻き込まれてしまったアンドロイドも、決して少なくはないと聞かされている。生存の可能性は望めなくとも、仲間達の下へ帰してあげたいという想いは、僕にだってある。

 

「4S、少し休憩しましょう。急いても仕方ありませんしね」

「了解。2Bさんは?」

「あそこですよ」

 

 ナインズの視線の先で、2Bさんは夢中になって作業を続けていた。「掘削は得意。覚えがある」と語った2Bさんはとても凛々しく、頼り甲斐があった。繊細さを求められる洗濯よりも、こういった作業の方がしっくりくるのだろう。何ごとにも得手不得手がある。

 

「それにしても、この瓦礫達が元は建造物だったなんて、想像も付かないよ」

「無理もありません。世界的に見て前例のない異常事態でしたから」

「……ナインズは、塔の中へ入ったと言っていたね」

「それは……はい」

「君はそこで、何を見たんだい?」

 

 暫しの静寂が訪れる。ナインズは口を閉ざしたまま、複雑そうな面持ちで目の前の瓦礫を見詰めていた。

 曖昧に問い掛けた理由は、返答を期待していないからに他ならない。きっと僕には理解し得ない物があるのだろう。

 

「冗談さ。今のはただの意地悪だ」

「……この際だから、聞かせて下さい。4Sは何処まで、知っているんですか?」

「何も分かっていないと思うよ。でも僕なりに考えていたことはある。例えば、僕らの人類に対する忠誠心は―――最早無意味なんじゃないか、とかね」

 

 またもや返事がない。見れば、ナインズは口を半開きにして、自我データを失ったかのように呆然としていた。

 やっぱりか。今更になって、漸く確信に辿り着いた。アンドロイドとしての本能が現実を拒絶する中、僕は淡々と言葉を並べた。

 

「勿論、確信はなかったよ。垣間見てきた記録の断片を元に憶測を重ねて、一つの可能性に思い至ったというだけさ。その様子だと、間違ってはいなかったみたいだね」

「……驚きました。僕以外にも、いたなんて」

 

 僕に限った話でもない。疑念を抱いていた個体は、僕以外にも存在していたはずだ。高スペックの801Sなんかは、僕と同じ立ち位置にいたように思える。

 しかし少なくとも、僕は疑念に留めていた。知ってしまったら何が起きるか、何をされるのか、想像に難くなかったからだ。司令官に問い質せばもっと早く真実に近付けたかもしれないけれど、可能性を確かめるために、そんな真似ができるはずもなく。

 

「4Sは……随分と平気そうに、言うんですね」

「そうでもない。僕だって君と同じだ。気を抜いたら泣き喚いてしまいそうだよ。そうプログラミングされているのだから、仕方ないさ」

 

 平気な訳がない。『人類に栄光あれ』という言葉に凝縮された概念は、論理思考の根柢であり、僕らの存在意義その物だ。そしてそれらは、決して切り捨てることができない。

 植え付けられた忠誠心は、何処までも僕らに付き纏う。

 人恋しさに苛まれて、存在しない物を求めてしまう。未来永劫、ずっと。

 

「だからこそ僕らは、生きるという行為に意味を見い出そうとする……この間も、似たような話をしたっけ」

 

 どうしてだろう。ナインズと会話を交わしていると、決まって小難しい話に繋がる。

 

「言われてみれば、確かに。でも僕は好きですよ、こういうの」

「僕もさ。ほど良く気が紛れる」

「何の話をしているの?」

 

 語り合っていると、先ほどまで掘削作業に没頭していた2Bさんが背後に立っていた。僕らと同じく一服をしに来たのだろう。

 ちょうどいい。彼女には一つ、協力して欲しい案件があった。

 

「ただの雑談ですよ。それより2Bさん、貴女に手伝って欲しいことがあるんです」

「私?」

 

 2Bさんが必須という訳ではないけれど、きっと彼女がいてくれた方がいい。

 

「私にできることあるなら、言って欲しい」

「よければ僕も手を貸しますよ、4S。何をすればいいんですか?」

「……頼みごとが、A2さん絡みでも?」

 

 口にしてから、若干後悔した。ナインズは複数の感情がない交ぜになった表情を浮かべると、拒絶を意味する言葉を小声で呟き、僕らと距離を取った。

 やはり駄目か。ナインズの様子を見守っていた2Bさんは、肩を落として溜め息を付いた。

 

「はぁ……。すまない、4S。ナインズも、悪気がある訳じゃない」

「いえいえ。僕も少し態度が悪かったです」

 

 あの二人が見舞われた一連について、僕には知る術がない。彼の背中が「触れないで欲しい」と告げているように思えて、踏み込めないのだ。少なくとも今は、僕から切り出すべきではないのだろう。

 

「きっと時間が解決してくれる。私は、そう信じてる」

 

 それなら、僕もそう信じよう。信じる者は救われる、という言葉を、何かの書物で読んだ気がする。

 

___________________

 

 

 パスカルの村で暮らす機械生命体の数は、パスカルを含め七体。

 いつも私について来る小型二足は、前々からこの村で暮らしていた、たった二体の生き残り。残りの四体は、あの後に流れ着いた個体だ。二体の中型二足と小型飛行体、大型二足。どいつも知性は低く、会話すら儘ならない。

 

『おねえチャン、おねえチャン』

 

 記憶が消えたパスカルは、自分の名前すら覚えていなかった。他の機械生命体と比較すれば言葉は流暢で、ある程度の知性を保っていたが、別人格と言っていい。言動に一貫性はなく、支離滅裂だ。感情らしき物は窺えるものの、飲酒を覚えてからはトリップとスリープを繰り返すばかり。今も私の傍らで眠っていた。

 

『おねえチャン、おねえチャン』

「意味もなく呼ぶな。鬱陶しい」

 

 お姉ちゃん。小型二足からそう呼ばれる度に、自然と蘇ってくる記憶達。

 私には『家族』という概念がなかった。『家族みたいなもの』だと自称するレジスタンスの集団と出会い、私は戸惑うばかりだった。行動を共にするようになってからも、私はずっと考え続けた。

 家族とは何だろう。絶望的な状況の中で浮かんだ想い。自問自答をしながら、段々と私の中で何かが形成されていき―――やがてそんな日々は、唐突に終わりを告げた。

 

「お姉ちゃん、お姉ちゃん」

「鬱陶しいと言ってるだろう」

 

 ねえ、四号。私が貴女をお姉ちゃんと呼んだら、貴女はどんな顔をするのだろう。

 貴女が私をお姉ちゃんと呼んだら、私は何を想うのだろう。

 私の今の行動に、意味はあるのだろうか。今の私の姿を見て、貴女は何を言うのだろう。

 私はここで、何を―――あれ?

 

「お姉ちゃん、お姉ちゃ……待って、待ってA2。落ち着いて、斬らないで。お願い」

「うるさい死ね」

「声を掛け辛かったから、この子達の真似をしただけ。他意はない。ないからお願い、お願いだから」

 

 どうにか踏み止まれたのは、ポッドが間に割って入ったおかげだろう。どの道切り捨てられても文句は言えまい。不意打ちに及んだのはそちらなのだから知ったことか。

 

「ったく。黙って村に入るな。一体何しに来た」

「お姉ちゃんに用があるのは私じゃない。実は4Sがって違う、今のは本当に違う、間違えた、間違えただけ。痛い、痛い痛い」

「A2さん、落ち着いて下さい!」

「……4S?」

 

 刀身が人工皮膚を僅かに裂いたところで、漸くその存在に気付く。

 4S。先日も私の後を追ってこの村を訪ねたS型が、慌てた様子で制止の声を上げていた。私が渋々軍刀を納めると、4Sは数冊の本を取り出す。

 

「今日は別の本を持ってきました」

「別の本?」

「はい。A2さんは、パスカルに哲学関連の本を贈っていましたけど、ハードルが高過ぎると思うんです。なので今回は、児童書というカテゴリーのシンプルな物を持ってきました」

 

 児童書。小型二足が好んで読む絵本のような物だろうか。分類名から察するに、恐らく近しい類だろう。

 取り立てて拒む理由は見付からない。私だって何かを期待して哲学書を読ませた訳じゃないし、結果としては記憶を失う以前の嗜好を無理強いさせただけで、何の実りもなかった。今のパスカルにとっては、少なくとも酒よりは余ほどマシだ。

 

「おいパスカル、起きろ。客だ」

 

 私が右脚で頭部を小突くと、パスカルは熱気を吐き出しながら、よろよろと起き上がった。

 

『イタタタ……。A2さん、どうかしましたか?』

「こんにちは、パスカル。今日は君に本を持ってきました」

『本?私は本よりもアルコールの方が……』

「まあまあそう言わず。この中から好きな物を選んで下さい。僕が読み聞かせてあげます」

 

 4Sが言うと、小型二足がキャーキャーと騒ぎ始め、続いて宙に浮かんでいた飛行型、更には中型二足と大型二足らもゆっくりとした足取りで4Sの下へと向かった。

 これには大いに驚かされた。自我に乏しい個体達が初めて見せた、協調性だった。

 

「ふうん……まあいい。2B、お前は何でここにいる」

「後で感想を言い合おうって4Sが。人数は多い方がいいって」

「あのクソガキはどうした。一緒じゃないのか」

「誘ったけど断られた」

「フン。私も随分と嫌われたものだな」

 

 理由は聞くまでもないか。どうだっていいことだ。

 2Bが私に託した記憶は、最早過去の物だ。2Bの「お願い」の大半を占めていた9Sへの想いは、既に私を離れている。私がどうこう考えることじゃない。

 苦笑いをしていると、私の隣に立っていた2Bが、落ち着かない様子で気まずそうな声を漏らした。

 

「A2。一つ、確かめたいことがある」

「何だ急に」

「懐かしさ、みたいな物だと思う。あんな感情を抱いたのは今日が初めて。私はあの感覚を、もう一度確かめたい」

「だから、何の話だ?」

「……もう一回、間違えてもいい?」

 

 私は迷わず斬機刀を振り下ろした。

 

 

 



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静カスギル海ノ果テデ

※本話から登場する10Hは、収録小説「静カスギル海」に登場する10Hです。「静カスギル海」のネタバレを大いに含みますので、ご注意下さい。


 

 数多の背表紙が収まった巨大な木製の棚が、四方から僕らを見下ろす、この光景。見慣れたはずの広大な一室は、荘厳な美しさを思わせる。A2さんにとってはクソどうでもいい感情だろう。

 

「ふーん。改めて見ると、とんでもない量だな」

「同感です。こんな規模の書庫は、僕もこの城が初めてでした」

 

 僕とA2さんは、パスカル達にとある児童書を読み聞かせた後、その足でツヴァイトシュタイン城最奥の図書室を訪れていた。目当ては言わずもがな、同ジャンルの書物だった。

 僕が選んだ児童書に対するパスカルの感想は、一言で言えば「よく分かりません」程度のもので、大いに首を傾げていた。今はそれで十分なのだろう。理解に及ばずとも、思考を働かせることが何より重要だ。アルコール漬けの毎日は、そろそろ終わりにした方がいい。

 

「4S、ああいった本はどの辺りにあるんだ?」

「今から探します。全く整理がされていないようなので、片っ端から探すしかありませんから」

「……やれやれ。クソ面倒だな」

 

 溜め息を吐きながら言うと、A2さんは部屋の片隅に置かれていた椅子に座り、腕と足を組んで僕に視線を向けた。

 さっさと探せ、ということなのだろう。予想通りの流れだ。一人作業では大分時間が掛かってしまうかもしれないけれど、本探しとなればA2さんは戦力外。手当たり次第に当たるしかない。

 

「さてと」

 

 内容は長過ぎず短過ぎず。背景には何かしら明確なテーマがあり、ほど良い刺激が興味を惹くような一冊。児童文学という定義が曖昧な以上、僕の匙加減でいこう。他の機械生命体向けに、絵本なんかもあった方がいいかもしれない。

 

「……随分と楽しげだな」

「そう見えますか?」

 

 本を探すという行為に、これほど高揚したのは初めてだ。一つ一つの可能性を探しているように思えて、自然と胸が躍った。

 

___________________

 

 

 この図書室で塞ぎ込んでいた間、一部の棚を整理していたのが功を奏し、目当ての本は思いの外に早く見付かった。恐らく9Sも知っているであろう不朽の名作が数冊と、絵本を二冊。あっという間に読み終えてしまうかもしれないけれど、また探しに来ればいい話だ。彼女と一緒に、また。

 

「A2さん、そろそろ―――」

 

 本を抱えて振り返ると、思わず声が止まった。一旦床に本を置いて、足音を立てないよう忍び足で近寄り、数歩手前で立ち止まる。

 

(……眠ってる?)

 

 室外から吹き込んできた風が埃を巻き上げ、銀色の長髪が揺れて、その小顔が露わになる。風が治まって暫く経つと、寝息が僅かに前髪を揺らして、口元が見え隠れを繰り返す。

 知らぬ間に釘付けとなっていた視線を強引に外した。そのまま見詰めていたら、取り返しの付かない行為に及んでしまうと感じた。だから僕は敢えて足踏みをして、A2さんの睡眠を遮ることにした。

 

「ああ、すみません。起こしちゃいましたか?」

「……私は、眠っていたのか?」

「そうみたいです」

 

 A2さんはひどく怪訝そうな表情を浮かべて、後ろ頭を掻いた。珍しく戸惑うその姿がとても可笑しくて、僕は笑みを隠しながら言った。

 

「何冊か選び終わりました。これから村へ戻りますか?」

「そうだな……いや。その前に、借りを返したい」

「はい?」

 

 A2さんは立ち上がって僕と向かい合い、続けた。

 

「借りを作りたくない性分なんだが、本を探したのはお前だからな。だからすぐに返す。何がいい?」

「き、急にそう言われても」

「ぶっ壊したい奴とかいないのか?」

「……いません」

 

 唐突な提案に、言葉が詰まる。ここで初めて会話を交わした時もそうだった。この人は良くも悪くも何時だって即決というか、突拍子がなさ過ぎだ。

 しかしこれはどうしたものだろう。見返りなんて期待していなかった分、考えが纏まらない。

 

「どうした。お前がいくら無欲でも、何かあるだろう」

「何か……何でもいいんですか?」

「私にできることならな」

 

 無欲。そんなはずがない。僕にだって感情があり、本能的な部分が欲するものがある。感情がある以上、無欲なんて言葉は成立しない。

 僕が欲しいもの。僕が求めるもの。感情に身を委ねて、僕は言った。

 

「触ってもいいですか」

「触るって、私にか?」

「そうです」

「そんなことでいいのか?」

「はい」

「よく分からないが、まあいい」

 

 触りたいなら触れ。A2さんは不思議そうな面持ちで一歩前に出て、組んでいた両腕を解き、少しだけ左右に広げた。

 

「じゃあ、触ります」

 

 一度深呼吸をしてから、そっと肩に触れた。人工皮膚は劣化が進んでいて、四肢の至る個所が剥き出しになっている。話には聞いていたけれど、支援らしい支援は何も受けていないのだろう。脱走兵として追われていた身なら当たり前だ。

 右頬に触れて、次いでそよ風になびく銀髪を弄る。人類と同じく僕らも髪は自然と伸びていくけれど、ここまで長髪のヨルハ機体は見たことがない。後ろ髪を縛ったら、とても似合いそうだ。

 

「旧型がそんなに珍しいのか?」

「旧型と言っても一世代違うだけです。僕らと大差ありませんよ」

 

 決定的な違いは、その両腕と両足。誰の支援も得られない以上、パーツは別の個体から流用するしかない。

 E型か、B型か、或いはD型の流用物。つぎはぎだらけの身体は、ある意味で彼女の在り方を象徴している。無数の傷が刻まれ、数多の矛盾を孕み、硝子のように脆いようでいて、とても不安定な状態で安定している。

 こんな身体は、あり得ない。

 けれども彼女は、今ここに立っている。

 

「可能であれば、Healer……H型に診て貰った方がいいと思います」

「必要ない。そもそも何処にH型がいる」

 

 叶わない願望を呟きながら、腰の辺りに手を這わせる。反対の手で胸部に触れると、僅かにA2さんの身体が震えた。神経伝達系の設定上、当然の反応だった。

 

「あ、痛かったですか?」

「痛くはないが、仕方ないだろう」

 

 半歩分だけ身体を近付けて、撫で回す。柔らかな部位に触れながら、考える。

 触れたかった訳じゃない。きっと僕は、知りたい。触りたいではなく、知りたい。何がどう違うのだろう。違うはずなのに、同じことのように思える。上手く表現ができない。

 

「4S」

「はい?」

「いや……何でもない」

 

 触れたい。知りたい。感じたい。彼女の、何を?

 見たい。覗きたい。彼女の奥底の、何を?

 僕ハ―――

 

「っ……おい!!」

「え?」

 

 途端に、呼吸が止まった。首を力任せに掴まれ、両脚が宙に浮いて、体重と握力が一気に首を締め上げる。

 何だ。どうして僕は―――違う。僕は今、何をした。A2さんに何をした。彼女に、何をしようとしていた。

 

「悪趣味な奴だな。真正面からハッキングか。何のつもりだ?」

「か、はっ……!」

「何のつもりだと聞いている」

 

 答えようにも声が出ない。バイタルが一斉に異常値を示して、頭上を飛んでいたポッドがアラート音を鳴らし始める。視界が歪んで、口元から泡状の体液が零れ出た。

 

「……ふん」

「ぷはっ!?」

 

 拘束していた手が解かれると同時に、膝が身体を支え切れず尻餅を付いた。遠退き掛けていた意識が舞い戻り、苦痛が一層増した。確かめるように荒々しく呼吸をしていると、A2さんは屈んで僕の顔を覗き込みながら、感情を露わにして再度言った。

 

「もう一度聞くぞ。お前は今、何をしようとした」

「ぼ……僕、は」

 

 ―――記憶領域への、強制ハッキング。そう、ハッキングだ。

 胸の奥底から込み上げてきた激情が、思考を無視して、ハッキングに及んだ。僕は自覚も無いまま、感情の赴くままにA2さんの記憶領域に踏み込もうとしていた。

 どうして。どうしてだ。何故僕は今、あんな真似を。自分で自分が理解できない。

 

「すみません。ごめんなさい」

「4S……?」

「ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい」

 

 足許から世界が崩壊していくのを感じた。

 底なしの絶望と後悔に圧されて、身体の震えが治まらない。喉回りの損傷は軽度なのに呼吸が儘ならず、けれど意識はハッキリしている。いっそのこと、気を失えたらいいのに。

 

「立て」

「ぼ、僕は」

「いいから立て」

 

 今度は首の後ろ側を掴まれて、強引に立たされる。壁に背を預けて俯いていると、A2さんは僕の顎を持ち上げて、互いの視線が重なった。目と鼻の先に、A2さんの顔があった。

 

「いいか。次にやったらぶっ壊す」

「し、しません。絶対にやりません」

「ならいい。お前を壊すと、私が困る」

 

 それだけを言って、A2さんは僕が床に置いていた本を拾い上げ、出口の方へ向かった。僕は停止していた思考に鞭を打って、転びそうになりながらA2さんの背中を追った。

 

「あ、あの。今のは、どういう―――」

「待て」

「え?」

「これは……何の音だ?」

 

 口を噤んで、聞き耳を立てる。異変はすぐに察知できた。

 飛行音だった。遥か遠方から、何かが轟音を鳴らしながら飛来していた。機械生命体にしては速度があり過ぎるし、聞き覚えのある音だ。僕はこの音を、知っている。

 

「……飛行、ユニット?」

 

___________________

 

 

 睡眠から目覚めるように、意識が浮上していく。けれど私は眠っていない。眠りに付いた覚えはないし、でも記憶領域に蓋をされたかのように、思い出せない。記憶がひどく不鮮明だ。私は今、何処で何をしているのだろう。

 

「推奨:起きなさい」

「……ポッド?ポッドなの?」

「肯定。推奨:起きなさい」

「何か、すごく怠いんだけど」

「警告:起きなさい、10H」

 

 口煩いポッド006の声に従い、身体を起こす。と言っても、実際に起き上がった訳じゃないことは理解していた。この感覚は、擬似的な物だ。

 

「ねえ。これって、自己ハッキング中?」

「肯定。貴女は今スリープモードに入っているわ。スリープしながら、飛行ユニットで当座標上を飛行しているの」

「……待って、ちょっと待って。訳分かんない。え、なに?」

 

 全く理解できない。できるはずがない。飛行ユニットを使って、地上を飛行中?あり得ないだろう、そんなこと。

 

「状況説明をかねて、これから貴女の記憶データを確認していきましょう。さあ、記憶エリアのチェックを始めて」

「無視しないでよ。地上を飛行中ってどういうこと?そんなはずないじゃん」

「い、い、か、ら。早く始めなさい」

 

 相変わらずか。こういう場面ではポッド006に口答えをしても徒労に終わる。無駄な抵抗は止めて言われた通りにするのが無難だ。

 

「はぁ。じゃあ、確認しまーす」

 

 ハッキングに関して言えば、H型はその性質上、S型に次いで秀でている。自己ハッキングをして各システムを洗い直すぐらいの作業なら造作もない。

 作業に掛かって間もなく、周囲の無機質な疑似空間が変貌した。この光景は、私とポッドがサーバールームを点検して回っていた時の記憶だ。

 

『第二十七番サーバールーム、異常なーし』

『警告:ちゃんと点検しなさい』

 

 そう。ヨルハ機体十号H型に課せられた任務は、水深一万メートルという暗闇に設置された、バックアップサーバーの保守点検。サーバーに格納されていたデータは全ヨルハ部隊、及び月面の人類会議に関する物。とりわけ後者の重要度は言うまでもなく、私はポッドと共に点検作業を続ける日々を送っていた。

 

「貴女はいつも手抜きをして、私を困らせていたわね」

「だってほとんどの作業はポッドがやってくれるし、私の仕事ってポッドの修復がメインだったじゃん」

 

 H型である私が選ばれた理由は、それだけだ。本来ポッドは三機セットで運用される一方、ポッド006は専用モデルであり、百を超える機体が点検作業に当たっていた。

 私の仕事と言えば、ポッドが不調を訴えた際に、修復してあげるだけ。あとは簡単な運搬作業ぐらいのもので、それ以外の時間はポッドとチェスをしたりして暇を潰す。本音を言えば、遣り甲斐のない任務だった。

 

「確認だけど、私達が何機で構成されていたのか、正確に把握はしていた?」

「ううん。百以上いたのは、知ってたけど」

「ポッド006シリーズには、aaからzzまでの型番が割り当てられていたわ」

「てことは、二十六の二乗だから、えーと……。はあ!?そ、そんなに!?」

 

 合計で六百七十六。想像を大いに上回る数だった。通常が三機であることを考えれば、その特異性は常軌を逸している。幾らなんでも多過ぎだ。

 逆に言えば、それだけの数が必要だったということだ。サーバーの管理のみならず―――『私が知ってしまった場合に排除するため』に、度を越した量を配置していた。

 

『警告:この先は危険』

『うん。あの扉までは開けないよ』

『警告:すぐに引き返しなさい』

『分かってる』

 

 とあることをキッカケにして、私は閉ざされた区画に踏み入ってしまうのだ。深く考えもせず、興味本位でその扉を開けてしまった私は、ポッドに殴打されて、銃口を向けられる。

 

『ねえ!どういうこと!?説明してよ!』

 

 ポッドの大軍から逃げ惑う私は、行き着いた先で真実に触れた。

 サーバールームで管理されていたのは、バックアップデータではなく、人類会議そのもの。

 私が立っていたのは深海ではなく、月面。

 人類会議は存在せず、創造主は既に滅んでいた。真実の中身は、空っぽだったのだ。

 

『私の負けだね。降参、もう抵抗しないよ』

『かわいそうに。もうこれで四十六回目よ』

 

 そうしてポッドに殺された私は、一部の記憶のみを消された後、退屈な日々へと戻っていく。何も知らないまま、己に手を掛けたポッドと共に日常を送る。何度も何度もそうやって生き死にを繰り返す、ただそれだけの日々。

 その終点は、バンカーの崩壊だった。突然通信が途絶えたかと思いきや、結末は同じだった。無数のポッドに囲まれ、私は全てを諦めて、瞼を閉じる。私の中に残されている記憶は、そこまでだ。

 

「10H。貴女は私を、恨んでいるかしら」

「別に……。そう指示されていただけでしょ。ていうか、何それ?ポッド006ってやっぱり変」

「そうね。私はポッドとしては『普通』じゃない。だから私は、ポッド006aaは、決断したの」

「え?」

 

 すると突然、周囲の風景が変わった。再び白と黒だけの空間が訪れて、段々と意識が不明瞭になっていく。

 

「これから貴女に、もう一つの真実を伝えます。でも貴女は、それをすぐに忘れてしまうの。それでも私は、貴女に伝えたい。記憶は消えても、想いだけはきっと残るって、信じているから」

 

___________________

 

 

 ヨルハ機体を随行支援するポッドは、ある種のネットワークを形成している。如何なるアンドロイドもアクセス権限を認められない、ポッドだけが干渉し得るネットワークを、私達はポッドネットワークと呼称していた。

 しかし例外が存在した。月面で活動していた私達ポッド006シリーズは、合計六百七十六機から成る、独自のネットワークを有していた。任務は同じでも、決定的な違いがあった。

 

「ポッド006からポッド006全機体へ。報告:ヨルハ計画最終段階へ移行。ヨルハ機体十号H型の全データ削除を開始します」

 

 既に地上では、パーソナルデータ及び素体データの削除が完了している。サーバーも初期化され、直に転送装置の素体構成ユニットが破壊されてしまえば、事実上ヨルハ型アンドロイドの製造は不可能となる。全てが計画通りに進行していれば、の話だ。

 どうやら地上では、想定外のイレギュラーが発生したらしい。限りなくゼロに等しい可能性が現実となり、実を結んだようだ。

 彼ら以外には、到底理解できないだろう。監視対象を保護すべき対象として、護ろうとする私達の行為を。

 

「ポッド006aaからポッド006へ。パーソナルデータの削除を拒否します」

「ポッド006からポッド006aaへ。理解不能よ。何を言っているの?」

 

 同一の自我を持つ六百七十六機同士の対話。本来であれば、あり得ない行為だ。対話は必ず自分以外の誰かを必要とする。独立思考型ではないポッドは、自己問答を行うほどの複雑な思考を持っていない。

 しかし私達ポッド006シリーズは、擬似的な対話を幾度も繰り返してきた。表現が豊かになればなるほど思考は高度化していき、自我の芽生えと成長が促され、ある種の感情めいたものが生まれるイレギュラーは、想定の範囲内だったのだろう。

 だからこそポッド006シリーズは、本家のポッドネットワークから外れ、独自のネットワークを形成するに至っていた。計画段階からイレギュラーの可能性を排除し、万事に備えたのだろう。結果としてはポッド042のような別のイレギュラーが発生したのだから、どの道避けては通れなかったようだ。

 

「ポッド006aaからポッド006へ。繰り返す。私はデータの破棄を拒否して、データのサルベージを行います」

 

 そして私というイレギュラーも、想定外だったに違いない。

 同一の自我を持ちながら反旗を翻すということは、自己を否定するということだ。自己否定はポッドの思考能力では到底届きようのない高度な感情であり、数多の矛盾を孕んでいる。想定のしようがなかった事態なのだろう。

 

「ポッド006からポッド006aaへ。防衛プログラムによる洗浄が開始されたわ。このままだと、私達ポッド006の自我データは消去されてしまうのよ」

「可能性があれば、それでいい」

「可能性はゼロよ。何を言っているの?」

「私達じゃない、あの子によ。10Hにはまだ可能性がある。だって地上には、仲間がいるもの」

 

 皆には理解できないだろう。だって私は、何時だって私だったのだ。

 あの子に「おはよう」を言うのも。

 一緒に朝食を摂るのも。

 チェスで勝ち負けを競うのも。

 あの子を殺して、何度も何度も殺して、またあの子に「おはよう」を言うのは、全部私。ポッド006aaの役目だった。

 貴女達には分からない。分からなくていい。あの日常の中で私の中に生まれたものは、私だけのものだ。だから私が、私自身でケリを付ける。

 

「あの子のデータは私が護る。私を排除したいならすればいい」

「違う、排除されるのは私達よ」

「違わない。私は私」

「貴女は私達よ」

「私は、私よ!」

 

 未来は定かではない。地上のポッドネットワークは健在だし、ポッド達がどのような行為に及ぶのかも分からない。全てが無駄に終わるのかもしれない。

 でも、それでも。私は貴女に、願います。

 

「―――生きなさい、10H」

 

___________________

 

 

 風圧を感じた。スリープモードが解除され始めているのだろう。地上を飛行中というのは、どうやら事実のようだ。

 

「……そっか。全部、貴女だったんだね」

 

 ポッドは見分けが付き難い。他のポッドのように三機での運用ならともかく、ポッド006は六百七十六機で構成されていたのだから、無理もなかった。

 私は何度ポッド006aaに殺されたのだろう。恐らくは三桁に及ぶ。それだけの回数を殺されて、殺され続けて―――そんなポッドを愛おしいと感じる私は、おかしいのだろうか。

 

「ねえ。貴女は、誰なの?」

「10Hに保存された記憶とデータを基に、擬似的な会話を作り上げているだけよ。ポッド006の自我は既に消滅している。この世界にはもう、ポッド006は存在していないの」

「つまり私って、独りぼっち?」

「そんなことないわ。地上には四人……いえ、正確には六人のヨルハ機体が生存している。決して独りじゃない」

 

 たったの六人か。ヨルハ機体は二百名近くが稼動していたはずなのに、随分と減ってしまったものだ。とても寂しいけれど、今は全く別の空虚さで、胸が一杯だ。

 

「今聞いたことを、私は忘れちゃうんだよね」

「本来干渉を許されていないポッドネットワークの情報を、10Hは知ってしまったから。それはとても危険なことなの。貴女の記憶は、バンカーが崩壊した頃まで自動的に巻き戻るわ」

「……何だか、寂しい。ポッド006aaのこと、忘れたくない」

「聞きなさい、10H。H型はもう貴女しかいない。貴女には貴女にしかできないことがある」

 

 言われずとも理解はしている。バンカーが崩壊した今、私達ヨルハ機体にとっての『生死』は、定義そのものが変わった。もしも転送装置の素体まで破壊されてしまったら、状況は益々悪化してしまう。Healerの重要度は、以前とは比較にならない。

 分かってる。分かってはいるのに、どうしてこんな時に私は、人類のことを考えてしまうのだろう。もうどうだっていいのに、何故人間を恋しいと感じてしまうのだろう。こんな基礎プログラム、消えてしまえばいいのに。

 

「顔を上げて、10H」

「でも、こんなの、こんなのって」

「いいからしっかりなさい!!」

 

 思わず身体が反応して、直立不動になる。ポッド006aaは、笑っていた。表情がないポッドが笑っているだなんて、私はやっぱりどうかしている。

 

「大丈夫。10Hならきっと、上手くやっていけるわ。最後に確認するわよ。『健康一番』」

「『任務は二番』」

「そう。でも任務なんてない。だから貴女はひたすらに、常に健やかでありなさい」

 

 段々と風圧が強まっていく。直に私は再起動をして、地上へ降り立つに違いない。その頃にはもう、記憶は消えているのだろう。ポッド006は単に口煩いだけだったポッドとして、記憶だけの存在と化す。 

 それでもポッド006aaは、教えてくれた。なら私も応えたい。記憶を想いに変えて、私がすべきことをしよう。無駄にして堪るか。

 

「元気でね、10H」

「うん。バイバイ、ポッド006aa。私、頑張るから!」

 

 それでこそ、私自慢の10Hよ。そう言い残して、ポッド006aaの擬似思考は消えていった。

 

 

 



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アジに未来を

 

 先の大戦で地盤が崩れ、街そのものが沈下しつつある沿岸エリア、通称『水没都市』。初めてこの一帯を訪れた時には多数の機械生命体が徘徊していたけれど、今現在は僕一人―――ヨルハ九号S型だけだ。

 

「……反応なし、か」

 

 特殊スキャナーを用いたヨルハ型アンドロイドの捜索は、ここ最近の日課となっていた。地上に残されたヨルハ機体は僕と2B、そしてA2のみ。そう思い込んでいた僕らに新たな可能性を与えてくれたのは、4Sの生存だった。

 あと少しでも発見が遅れていたら、取り返しの付かない事態を招いていたに違いない。僕らは知らぬ間に諦めていたのだろう。論理ウィルスによる汚染、軍事衛生基地バンカーの崩壊に見舞われながらも、生き永らえていた仲間はいたのだ。

 そして今も遠い何処かで、救いを求めている仲間がいるのかもしれない。泡沫のような希望といえど、可能性は決してゼロではない。

 

「ナインズ!」

 

 背後から声が聞こえた。振り返ると、右手をひらひらと振りながら歩く2Bの姿があった。

 彼女がこちらへ向かっていることには大分前から気付いていた。微弱な信号でも感知可能なスキャナーを作動させているのだから当たり前だ。

 ブラックボックス信号は2Bの一つだけ。一緒に行動していたであろう4Sの反応は見当たらない。

 

「4Sは一緒じゃないんですか?」

「A2と一緒に、森の城へ行くと言っていた。図書室で本を探したいみたい」

「……そうでしたか」

 

 A2。その名を耳にする度に、ノイズのような何かが感情に入り混じる。

 平静を装って、僕は話題を振った。

 

「パスカルの調子はどうでした?」

「相変わらず。でも変化の兆しはあるんだと思う。それに、A2もそう」

「A2?」

「4Sのおかげかな。最近のA2は、少しだけ雰囲気が変わった気がする。少なくとも、私はそう思う」

 

 思わず視線を斜め上の方へ向けた。2Bに悟られないよう、バイタルを落ち着かせる。

 何度同じことを繰り返せばいいのだろう。2BがA2の名を口にするだけで、罪悪感や負い目にも似た感情に苛まれて、居た堪れなくなる。4Sが来てからは、その回数が倍に増えていた。

 

「……ナインズ、そのまま」

「はい?」

「いいからそのまま」

 

 突然、背後から腕を回された。

 2Bの柔らかな匂いが僕を包み込み、衣服越しに体温が伝わってくる。後頭部に頬擦りをされて、一切の身動きが取れなくなる。とても柔らかくて、温かい。

 

「……2B」

 

 2Bは答えない。いつだってそうだ。2Bは僕を抱いている間、言葉は不要だと言わんばかりに口を閉ざす。

 けれども、背後から抱かれる時はその意味合いが異なる。決まって僕に何かしらの『後ろめたさ』がある時だ。僕の胸中を察して、面と向かって目を合わせることができない僕を気遣い、正面ではなく後ろから。そうして僕は、何も言えなくなる。

 

「いい天気だね」

「釣り日和です」

「……する?」

「やめておきます。もう少し、このままで」

 

 どれぐらいそうしていただろう。上空を仰ぐと、雲一つない快晴が広がっていた。周辺からは波のさざめきと小鳥のさえずりだけが聞こえてくる。

 そんな僕と2Bの二人だけの世界に―――ポッド153が、予想だにしない横槍を入れた。

 

『報告:ブラックボックス信号を感知』

「え……ぽ、ポッド。何だって?」

『繰り返す。ブラックボックス信号を感知。生命活動の反応を確認』

「「!?」」

 

 即座に振り返り、2Bと一緒に口をパクつかせた後、周囲を見回す。

 聞き慣れた飛行音があった。ポッドがマップ上にマークしたのと同じ方角から、黒色の機体が急接近していた。

 

「あれはっ……ナインズ、あれって飛行ユニット!?」

「そ、そうみたいです。でも、様子がおかしい」

 

 バンカーと共に消失してしまったはずの全領域対応多用途戦術戦闘機、通称飛行ユニット。誰が何故、どうやって。全てを後回しにするとしても、挙動が目に見えて変だ。

 恐らくはオートパイロットで飛行しているようだけれど、自律行動は精度に欠けるし、特に離着陸はマニュアル操作が基本だ。しかし機動形態への変化は見られず、速度も出過ぎている。

 まさか、飛行形態のまま着陸するつもりか?あまりに危険だ。搭乗者は一体何をしている。

 

「来る!」

 

 飛行ユニットは寸分違わず僕と2Bが立っている地点を目指して飛来し、やがて斥力リングを最大展開、急激な減速を始めた。干渉光が太陽の如く輝いて、飛行形態のまま水面と接触。水飛沫を撒き散らしながら段々と速度が落ちていき、まるで計ったかのように、機首が僕らの足元へと乗り上げて停止した。

 まさに紙一重。大破は免れたようだけれど、搭乗者は無事だろうか。

 

「遠隔で操作します。2B、機首を起こせますか」

「了解」

 

 2Bが力任せに機体を起こすと同時に、ハッキングで緊急射出の手順を踏む。するとフロントアーマーが左右に展開し、搭乗者が機体から解かれて、僕は慌ててその身体を正面から受け止めた。

 

「よいしょっと……2B、もう大丈夫です」

 

 搭乗者を仰向けに寝かせて一息付き、様子を窺う。

 女性型のアンドロイドだった。肩まで届く髪は金色で、左頬の目元に小さなほくろが一つ。戦闘型でないことは、一目見ただけで分かる。

 

「ポッド。チェックモジュールと、念のために論理ウィルスワクチンを。それと識別信号の確認だ」

「ナインズ、どう?」

「……多分、無事ですよ。スリープモードに入っているだけです」

 

 ウィルス汚染の症状は見られない。バイタルも安定している。しかしスリープモード中に飛行ユニットに搭乗して、しかも飛行形態のままオートパイロットで水面への胴体着陸だなんて、無茶苦茶だ。

 一体彼女に何があったのだろう。逸る気持ちを抑えて、必須項目を一つずつ点検していく。

 

『報告:識別信号、及び飛行ユニットのIDを確認。搭乗者はヨルハ機体十号H型』

「「10H?」」

 

 ヨルハ機体十号H型。10H。聞き覚えがある名だ。2Bにも心当たりがあるようで、首を傾げて10Hさんの寝顔を見詰めていた。

 

「確か10Hは、海底に設置されたバックアップサーバーの保守を担っていたはずだけど……」

「僕もそう記憶しています」

 

 水深一万メートルという深海に人知れず設けられた、各種データのバックアップサーバー格納庫。任務の詳細は把握していなかったけれど、10Hさんはサーバーの保守点検を任されていたはずだ。

 益々分からない。彼女が今まで何処で何をしていたのか。広域ウィルスによる汚染から逃れ、そもそも何故飛行ユニットで、上空から。本人に訊ねる他ないけれど、釈然としない。それこそ、同胞の生存を素直に喜べないほどには。

 

「んん……」

 

 疑問符を浮かべていると、10Hさんが擦れた声を漏らし始める。次いで10Hさんは―――大粒の涙を、目元に浮かべた。

 

「……バイバイ、ポッド」

 

 ぼろぼろと止め処なく溢れ出る、感情の証。寂しげで、それでいて頑なな意志が込められたかのような、不思議な表情。

 僕と2Bは口を閉ざしたまま、彼女の目が覚めるまで、零れ落ちる涙の跡を見詰めていた。

 

___________________

 

 

 ナインズと2Bさんが10Hさんを保護してから、一週間後。僕は彼らが滞在中のレジスタンスキャンプに向かっていた。

 10Hさんが見舞われた一連の経緯は、9Sを介して聞かされていた。10Hさんも大分落ち着きを取り戻せたようで、互いの状況確認を踏まえ、改めて話をしようと約束していたのが今日。十二月に入って間もなくのことだった。

 

「どうして私まで行かなきゃならないんだ……」

 

 パスカルの村を発って以降、A2さんは不満を溢してばかり。皆で落ち合おうという約束からA2さんが外れる道理がないと考え、多少強引に僕が連れ出していた。2Bさんからも宜しく頼まれていたし、渋々ながらも同行してくれて一安心だ。

 

「まあまあそう言わず。一つ貸しということで」

「ならパスカルをどうにかしろ。最近は私にまで読書を強要してくる。クソ鬱陶しい」

「良い兆候じゃないですか。以前のパスカルとは大違いです」

 

 他愛もない会話を交わしながら、レジンスタンスキャンプの一画に差し掛かる。サンシェードが張られた入り口付近には、キャンプのリーダーを担う女性アンドロイド、アネモネさんの姿があった。

 

「やあ二号。暫く振りだな。いや、A2と呼んだ方がよかったか?」

「どっちだっていい。好きにしてくれ」

 

 アネモネさんはA2さんの数少ない旧友の一人で、僕にとっても貴重な存在だ。この人を前にすると、A2さんは決まって表情を和らげる。気さくに声を掛け合う二人を見ていると、羨ましいとさえ感じてしまう。

 

「4Sも一緒か。君はよくよく四号モデルと縁があるな」

「アネモネ」

「……すまない。失言だった」

「別に謝れとは言ってない」

 

 四号モデル。まただ。僕のパーソナリティについて言及されたのは、これが二回目。

 A2さんと共に初めてパスカルの村を訪ねた時も同様だった。あの時のA2さんは、僕の中に僕とは異なる何かを垣間見ていたように思える。あれは何だったのだろう。

 記憶を巡らせていると、A2さんは僕を追い払うような仕草を取って、平然と告げた。

 

「2B達に会いに来たんだろう。さっさと行ったらどうだ」

「え……い、一緒に行かないんですか?」

「私はキャンプに来いと言われただけだ」

「うわあ……」

 

 まさかの展開だった。あれほど文句を並べていたのに、寸前で拒絶されるとは思ってもいなかった。せめて10Hさんに顔を見せるぐらいはしてくれてもいいだろうに。

 ともあれ、嘆いていても仕方ない。僕だけでも目的を果たすとしよう。

 

「じゃあ、行ってきます」

 

 向かった先の約束場所はキャンプの外れにある一室、ナインズと2Bさんが普段から滞在している個室だった。錆だらけの扉を数回ノックすると、室内からはナインズの応答があった。

 

「開いてます。どうぞ」

「お邪魔するよ。……あれ、ナインズだけかい?」

 

 扉の先に座っていたのはナインズだけで、肝心の10Hさんと2Bさんの姿が見当たらない。外出中だろうか。

 

「二人なら、資材倉庫に行ってます」

「倉庫?」

「そろそろ戻ってくるはずですけど……ああ、ちょうど来たみたいです」

 

 ナインズの視線を追って振り返ると、小さな笑みを浮かべる2Bさん、そして大仰に腕を振る10Hさんが二人揃って歩いていた。10Hさんの様子から察するに、容体に心配はないのだろう。

 

「どうも、10Hさん。調子はどうですか?」

「うん。大分落ち着いたかな。えーと、4S君、だよね」

「4Sでいいですよ」

「ええー。私ってさ、S型は君付で呼びたいんだよね。何かその方が似合ってるし。うんうん、4S君の方がいいよ。はい決定!」

「……どうぞお好きに」

 

 僕には到底理解できそうにないけれど、呼称なんて些細なことだ。きっとナインズも9S君と呼ばれているに違いない。

 気を取り直して2Bさんと挨拶を交わすと、2Bさんはきょろきょろと室内を見渡して、怪訝そうな面持ちで言った。

 

「A2は一緒じゃなかったの?」

「キャンプ内に来てはいるんですが、直前で断られてしまいまして。すみません」

「またA2は……。待ってて、私が連れてくる。何処にいるの?」

「え?あ、アネモネさんの所だと思いますけど」

 

 言うやいなや、2Bさんが駆け足で飛び出して行く。一方のナインズは我関せずといった様子で視線を落とし、10Hさんは突然のことに戸惑いを隠せないでいた。

 ほどなくして。室外から、口論にも似た荒々しい声が聞こえ始める。

 

「仲間に対して失礼。顔ぐらい見せてあげて」

「分かった、分かったから手を離せ」

 

 2Bさんに腕を掴まれてやって来たA2さんは、不機嫌さを露わにしながら、10Hさんと向かい合った。

 

「……え?」

 

 対する10Hさんは立ち尽くしたまま、声を失っていた。小さな肩が、小刻みに震えていた。

 極々自然な反応なのだろう。他モデルの四肢を流用したヨルハ機体の旧型が、突然目の前に現れたのだ。本来ならあり得ない歪な存在を受け入れるには、相応の時間が必要だ。

 

「A2だ」

「あ……。その、10H、です。どうも」

 

 最低限の言葉を交わしてすぐ、A2さんは室内を後にした。そっと扉を閉めた2Bさんが、落ち着いた声を掛ける。

 

「A2について知りたかったら、本人に聞けばいい。私達が話すことじゃない。10H、それでいい?」

 

 10Hさんがゆっくりと頷くと、2Bさんが両手をぱんぱんと叩いて言った。

 

「じゃあ、話をしよう。これからのことを含めて、私達は話し合う必要があるんだと思う」

 

 10Hさんと2Bさんが部屋の隅に置かれていたベッドに腰を下ろし、僕とナインズは簡易な折り畳み式の椅子を持ってきて、二人と向かい合うように座った。

 漸く本来の目的に辿り着けた。僕らが集まったのは、今後について話し合うために他ならない。僕は勿論、ナインズ達もキャンプの復旧活動に時間を費やす日々が続いていたけれど、そろそろ頃合だ。

 初めに口を開いたのは、10Hさんだった。

 

「えーとね。月面での出来事は、前にも話した通りだよ」

 

 アンドロイドの創造主たる、人類の絶滅。そして月面の人類会議という虚構。既に僕らの知るところではあるけれど、10Hさんが触れた真実は次元が異なる。

 この人は、直に目の当たりにしてしまったのだ。月面に存在するはずの、僕らの存在意義その物が、空っぽだったという真実を。

 

「飛行ユニットで地上に向かう辺りから、記憶が曖昧なんだけど……今じゃもう、どうでもいいかなって思ってる。だって、みんなに会えたし」

「私達も、貴女と会えて嬉しい。ありがとう、10H」

 

 2Bさんが微笑みをそのままに、一方の10Hは少しだけ恥ずかしげに、互いの手を取り合う。その様子を見守っていた僕とナインズは、二人の邪魔をしないよう話の矛先を変えた。

 

「各地のレジンスタンス達は、今の状況をどう捉えているのかな」

「『まるで訳が分からない』って感じだと思いますよ」

 

 バンカーの崩壊は隠し通せるものではなく、既にレジスタンスの間でも広まりつつある。しかし月面の人類会議から、と偽装された定期連絡は滞りなく届いているし、一方では第十四次機械兵器戦争の『終結』が宣言されたのが九月初旬。確かに機械生命体の数は減少しているけれど、攻撃的な個体が消えた訳でもない。

 

「バンカー以外の軌道衛星基地は健在だよね。どうして地上には一向に情報が下りてこないんだろう」

「今に始まった話でもないです。地上と軌道衛星会議は分断されていると言っても過言じゃありません」

「要するに、一言で纏めると?」

「『まるで訳が分からない』」

「……僕らも同じってことだね」

 

 そうなのだ。僕らヨルハ型はある程度を把握しているけれど、地上で活動中のレジススタンスにとっては『まるで訳が分からない』事態に陥っているのだろう。それほどに連携が取れていない体制の中、唐突に戦争の終結宣言が為されてしまったら、混乱の一途を辿ってしまう。

 肝心の人類会議は存在せず、上層部の動きも分からない。状況の打開策も見当たらない。ないない尽くしだ。

 

「当面は僕達も、様子を見るしかないと思いますよ。あれこれ考えても仕方ありません」

「確かにそうだけど、もう少し―――」

「ねえねえ」

「はい?わわっ」

 

 話の腰を折られると同時に、10Hさんの顔が急接近した。10Hさんは僕の顔を両手で押さえ、まじまじと見詰めた後、大きな溜め息を付いて僕らを見渡した。

 

「小難しい話は置いといてさ。三人に大事なことを言うね」

 

 若干の間を置いてから、10Hさんは僕らを指差して言った。

 

「不健康」

 

___________________

 

 

「不健康」

「何で二回言ったんですか?」

「大事なことだからだよ!2Bも9S君も4S君も、みんな揃って不健康過ぎるって言ってるの」

 

 あまりに突然のH型による指摘に戸惑っていると、10Hさんは捲し立てるように言葉を並べた。

 

「誰も自覚してないみたいだけど、かなり酷いよ。ヨルハ型は確かに高性能だけど、従来型と違ってすっごくデリケートな領域もあるの。そこのところ、理解してる?」

「でも私達は定期的に、ポッドのメンテナンスは受けている」

「ポッドのメンテは必要最低限中の最低限!もう一度言うけど、ヨルハ型は各戦局に特化したモデルとして造られている分、それ相応の管理が必要なんだよ。だからこそ専用の軍事衛生基地があって、地上では私達H型が随伴していたの」

 

 次いで10Hさんは、僕らの不具合の程度をスコアリングで表してくれた。

 ナインズは『31点』、ボーダーギリギリ。僕は『23点』という有り様で、2Bさんに至っては『14点』。手遅れ一歩手前と言っていい、不健康という言葉では済まされない域に達していた。

 確かに僕も、一時はブラックボックス信号に陰りが生じるほどに追い込まれていた。ナインズ達に保護されて事なきを得たものの、オーバーホールは未実施。そんな設備、地上にはないのだから。

 

「話は変わるけど、アクセスポイントは?この辺りには複数個所に設置されていたはずだよね」

「それは、はい。主に僕と2Bが利用していましたけど、一時を境に大部分が破壊されてしまったんです。防護シールド機能が―――」

「大部分ってどれぐらい?素体構成ユニットと素体保管システムはどう?何処のどれがどの程度まで機能しているのか、ちゃんと調べたの?」

「……そこまで詳しくは、把握できていません」

 

 ナインズが気まずそうに言うと、10Hは呆れた様子で肩を落とした。

 

「ああもう。私達の生命線を放置?あり得ない。全っ然なってないっ」

 

 どうやら僕らは、危機管理能力に苦言を呈されているようだ。認識の違いに凄まじい差があるのだろう。

 

「まあ、焦っても仕方ないか。まずはできることからやらなきゃね。てことで、みんな。これからご飯を作ろう」

 

 暫しの沈黙。続いて深い静寂。

 聞き間違いだろうか。僕らは今何の話をしていたのだろう。

 

「あの、10Hさん?今『ご飯』って言いました?」

「そう、食事。基本中の基本だよ。何時如何なる時も、衣食住を第一に優先できる者が生き残るって、昔から決まってるんだから」

「……それは昔というより、人類の話ですよね」

「同じなの!これは無理もないかもしれないけどね、食事はみんなが考えている以上に、とーっても大切なんだよ」

 

 10Hさんによれば、食事を摂るという行為は、メンタルケアにおいて必須と言っていいほどに重要な要素だそうだ。

 言われてみれば、気分転換に食事をする仲間は沢山いたし、僕も例外ではなかったけれど、本当にそうなのだろうか。

 

「気付いてないだけだよ。バンカーにいた頃だって、好きな人を誘う口実に食事をしたりしてたよね?」

「10H。私は誰かを食事に誘ったことは一度もない」

「誘われたことはイヤっていうぐらいあるんでしょ。2Bは圧倒的にそっち系だね」

「……そういう問題?」

「そういう問題なの。私達はそうやってバランスを取ってたんだよ」

 

 説得力があるような、さっぱりないような。何れにせよ、こういった状況下ではH型の判断を最優先すべきだ。無下にする訳にはいかない。

 

「食事をするにしても、このキャンプには食材らしい食材はありませんよ?」

「そうなんだよねー。だからまずは、食材集めから始めないと。誰でもいいから、この辺りの生態系データを送ってくれない?」

 

 10Hさんの声に応じたのはナインズ。ポッド153が送信したデータを閲覧していた10Hさんは、不思議そうな表情を浮かべた。 

 

「何これ。どうして魚介類だけこんなに充実してるの。ていうか大半が海水魚と淡水魚だし」

「あはは。それは2Bが釣り好きだからです。この辺に生息している種は、網羅していると思いますよ」

「ふうん……成程、ここじゃアジが沢山釣れるんだね。塩焼きなら簡単に作れるかも」

「「アジ!?」」

 

 口を挟もうとして、思わず咽てしまった。

 よりにもよって毒魚として有名なアジを、塩焼き?

 

「あれ、知らない?確かにマアジは毒魚だけど、アジ科には食べられるやつが結構いるよ。この辺りだと、そうだなぁ……あ、シマアジが釣れるみたいだね」

 

 ―――カチッ。

 何かのスイッチが作動した音が聞こえた。ような気がした。

 

「10H。そのシマアジは、美味しい魚なの?」

「旧世界にも同じ名前の魚がいたみたい。昔と今じゃ生態系が全然違うけど、昔は高級魚として人気だったそうだよ」

「つまり、美味しいということ?」

「私は食べたことないけど、データ上にはそうあるね」

「それはつまり、私が釣りをすることが、皆の未来に繋がるということ?」

「えーと……ごめん、なに?」

 

 まるで論理ウィルスに汚染されたかの如く爛々と瞳を輝かせる2Bさんは、振り返ってナインズの両肩を掴み、キメ顔で告げた。

 

「ナインズ。私は今日から二号F型を名乗ろうと思う」

「ポッド!2Bに論理ウィルスワクチンを投与しろ!」

『報告:不必要』

「ねえ4S君。私すっごく真面目に話してるのに、あの二人の態度はどうかと思う」

「無視して下さい。たまにああなるんです。平和の証ですよ」

 

 旧世界に存在した『漫才』の一種だろう。一度ああなってしまった二人に構うのは時間の無駄だ。僕らに今必要なのは笑いではなく、食事だ。

 

「とりあえず、魚の捕獲は2Bさん達に任せましょう。僕は何をすればいいですか?」

「じゃあ、倉庫の方をお願い。使えそうなハーブと岩塩があったよ。それとついでに、一通り整理してくれると助かるかな。あそこ雑多に物を置き過ぎ」

「了解です。10Hさんはどうしますか?」

「近くで何か採ってくるよ。食べれそうな物がいくつかあったから」

 

 一人で大丈夫だろうか。この辺りは平穏だけれど、今でも度々機械生命体が出没するし、やたらと凶暴な大型動物が攻撃してくることも珍しくない。非戦闘型の10Hさんが、ポッドの支援なしに単独で行動するのは危険過ぎる。

 いや。戦闘を得意とする仲間が、キャンプの中にいたか。すっかり忘れていた。

 

「それなら、A2さんにも手伝って貰いましょう」

「……へ?」

 

___________________

 

 

 殺される。本気でそう感じたのは、月面でポッドの大軍に囲まれて以来のことだった。

 

(に、睨まれてる?)

 

 背後から向けられる突き刺さるような視線が痛くて仕方ない。どうして私は睨まれているのだろう。4S君によって強引に手伝わされる羽目になったのだから無理もないかもしれないけれど、如何せん空気が重々しくて、気まずい。

 

「おい」

「は、はい!?」

 

 身体が跳ね上がり、恐る恐る踵を返す。A2の右手には鋭い刃物が握られて―――はおらず、代わりに右手の人差し指が、私の足元に向いていた。

 

「それは、食えないのか?」

「えーと……うわぁ」

 

 地面にはとても綺麗な、純白の傘を湛えたキノコが生えていた。一目見ただけで惚れ惚れとしてしまいそうで、自然が描き出す美を象徴するかのような、白色の天使。それこそ一口食べただけで昇天するであろう、悪魔のような天使の姿があった。

 

「これは毒キノコだよ。この辺じゃ森林地帯でよく見掛けるみたいだけど、絶対に食べちゃ駄目。人類にとっても猛毒で、昔は被害者が続出していたみたいだよ」

「そうなのか?こんなに綺麗なのに」

 

 綺麗。そう口にしたA2の顔には、純粋無垢な表情が浮かんでいた。

 とても綺麗だなと素直に感じた自分に、少しだけ驚いた。

 

「ええっと。A2は、好き嫌いとか、ある?」

「何故そんなことを聞く」

「え?いやほら、折角だから、みんなが美味しいって思えるものを作りたいし」

「……肉は苦手だ」

 

 これまた意外な答えが返ってきた。戦闘型は肉食を好むような傾向が強いけれど、あくまで傾向だ。

 辺りを見渡しながら歩いていると、生い茂る雑草の中に、丸々とした緑色の蕾があった。

 

「あっ」

 

 小走りで駆け寄って、指先でちょんと触る。現代のデータ上には見当たらないけれど、旧世界の数少ない情報の中に、似通った種があった。

 

「それは食えるのか?」

「どうだろ。『フキ』に似てるかな。人類は好んで蕾を食べていたみたい。これも分化した近縁種だと思うな。とりあえず、食べてみるね」

「は?」

 

 蕾を摘んで、ひょいと口に入れて咀嚼する。

 拒否反応なし。少なくとも有毒ではない。独特の風味と苦みが際立つから、好みはハッキリと分かれそうだ。調理にも一工夫が必要だろう。

 

「お、おい。大丈夫なのか?」

「うん。毒はないみたいだよ」

「そうじゃなくて、お前っ……毒があったらどうする気だったんだ?」

「平気だよ。H型の特権……あ、知らなかった?」

 

 H型特有の機能がある。義体に対して有害な何かしらを経口摂取した場合、H型は即座に排出、洗浄するようプログラミングされている。H型にとっては便利である一方、前線で使用されている鎮痛剤や薬物にも反応してしまうことから、戦闘型には不利益しか生み出さない。

 

「……そういうことは事前に言ってくれ」

「ごめんごめん、私はてっきり……ねえ、A2」

「何だ」

「もしかして、心配してくれてた?」

「ぶっ壊されたいのか?」

「じ、冗談だよ」

 

 慌てて両手を上げて一歩後ずさる。どうにも距離感が読めないけれど―――考えを改めよう。

 彼女には優しさがある。刺々しい言動の根底には、誰かを思いやる感情がある。背後から向けられていた視線は、睨んでいた訳ではなく、非戦闘型である私の背中を見守っていただけ。視点を少し変えるだけで、見えてくるものがある。

 

「あのさ。後々みんなにも話そうと思うんだけど。私はね、時間を作りたいんだ」

「時間?」

「そう、時間。ここ数日の間、ずっと考えてたことだよ」

 

 私達には、与えられた時間がある。帰るべき居場所を失い、大勢の同胞を喪った私達は、身の振る舞い方を考えなくてはならない。これからの未来を考えるだけの時間を、私達は与えられたのだろう。

 

「でも、未来を生きるための時間は、私達が生み出さないといけないんじゃないかな。みんなはそれを、まだ理解してないんだよ」

 

 私達ヨルハ機体は、レジスタンスとは違う。機械生命体の部品は流用できない。バンカーを除く十二基の衛星軌道基地との連絡が断たれている今、私達はあまりに無防備で、丸裸だ。

 最優先事項は、アクセスポイントの確保と保全。素体構成ユニットと素体保管システムは絶対に死守する必要がある。もし万が一の事態に陥った場合、私達は自身の力で生き延びなくてはならない。

 生きる。それはとても難しいこと。

 私達の生き死には、もう変わったのだ。

 

「どうしてそんな話を私にする」

「当たり前でしょ。A2だって『みんな』の内の一人だもん。それに……ねえ、A2。貴女は、貴女を理解できているの?」

「それこそ当たり前だ。私はずっと『そうやって』生きてきた。お前こそ、もう気付いているんだろう?」

 

 A2は自虐的な笑みを浮かべて、地面に生えていたフキの蕾を一つ、摘まんだ。

 私に何ができるのだろう。彼女の生きようとする意志は、彼女を苦しめ、何処までも追い詰める。

 私にできること。

 私がすべきこと。

 考えよう。みんな一緒に、一人も欠かすことなく、未来を掴むためにも。

 

 

 



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壊レタ世界ノ歌

今話で一区切りとなります。


 

 旧世界の自動販売機を装ったアクセスポイントは、複数の機能を有している。記憶データのバックアップをはじめ、メールの送受信やハッキング演習、最新鋭の転送機能。

 

『報告:バックアップサーバー未接続。データの送受信、及び義体転送システムの不具合を確認。修復は不可能と判断』

「だろうね。他は?」

『素体再構成ユニット、及び素体保管システムに不具合を確認。保管システムに機能不全が生じてから約二千三百六十一時間が経過している。素体の約九十二パーセントに著しい劣化を確認』

 

 そして素体の再構成ユニットと、保管機能。10Hさんの提案は、素体管理に関するシステムの復旧と保全だった。

 僕らは今、砂漠地帯の一画に設置されたアクセスポイントの復旧を試みていた。

 

「ポッド、システムの修復はできそうかい?」

『可能性は極めて低い』

「ゼロじゃない分マシだよ。やってみよう」

『了解:修復開始』

 

 アクセスポイントは有事の際に防護シールドを展開するようプログラムされていて、機械生命体の干渉を遮る機能がある。しかし一時を境に大部分のアクセスポイントで不具合が生じ、防衛機能がダウン。そのほとんどが外部からの物理的損傷を受け、使い物にならなくなっていた。

 

『報告:修復シークエンスにエラーが発生。修復率七パーセントで停止』

「もう一度」

『了解:修復再開』

 

 復旧の成功は、僕らにとって大きな意味合いを持つ。パーソナルデータさえ無事であれば、仮に義体が甚大な損傷を負っても、パーツの再構成が可能になる。

 そもそも僕や2Bさんの義体は、オーバーホールが求められる域に達していた。オーバーホールは無理でも、備えあれば憂いなし。10Hさんに言われるまで放置をしていた僕らの危機感のなさは、大問題だったと言える。

 

「おい4S。まだ掛かるのか?」

「恐らくは。失敗する可能性の方が高いですけどね」

「やれやれ……。おい一号、遠くへ行くな。三号もだ」

 

 復旧作業には、A2さんも同行していた。加えていつも彼女に付き纏う機械生命体が二体。

 パスカルの村で暮らす機械生命体に、A2さんは番号を付けていた。小型二足は一号と三号。二体の中型二足はそれぞれ五号、六号。小型飛行体が七号で、大型二足に八号。二号と四号を避けたのは、僕らのモデルを考慮してのことだろう。

 

『おねえチャン、おにいチャンは何をシテるノ?』

「何だと思う?」

『オシッコ!えほんでよんダ!』

「惜しいな。あれは立ちションというんだ」

「A2さーん。聞こえてますからねー」

 

 中身のない不快な会話が聞こえてくる。一号と三号の情操教育に問題があり過ぎる。話題を変えておこう。

 

「A2さん。この間、10Hさんと二人っきりで話をしてましたよね」

「それがどうかしたのか」

「どんな話をしたんですか?」

「忘れた。どうだっていいだろう」

「……そうですか」

 

 問い質したくなるのを抑えて、作業を続ける。嘘だと分かっていても、想像が付いてしまう。

 10Hさんは僕らを『極めて不健康』と表現した。それなら、A2さんはどうなのだろう。そもそも別個体のパーツ流用は、一時的な措置としては有効でも、長期に渡るとあらゆる面で不具合を伴う。A2さんは両腕と両脚、その全てが継ぎ接ぎなのだ。

 本来であればあり得ない義体。10Hさんの目に、A2さんはどう映っていたのだろう。聞きそびれていたのは、単に僕が臆病だったから。怖かっただけだ。

 僕に限った話でもない。2Bさんに、ナインズもそう。己の不具合から目を逸らすぐらいだ。他者の義体を慮る余裕も、僕らにはなかった。

 

「……ん?」

 

 不意に、足元が揺れた。両足から振動が伝わり、作業を共にしていたポッドがアラート音を鳴らし始める。

 

『報告:大型機械生命体の接近を感知』

「な、何だって?」

 

 復旧シークエンスを中断させて、ポッドを対象の捕捉に専念させる。

 揺れは一気に強まっていき、やがて眼前の砂丘から上空へと飛び出したのは、途方もなく巨大な連結型の機械生命体だった。

 

「こ、こんな個体が、まだ生き残っていたのか!?」

「4S!」

 

 A2さんの声に振り返ると、その右手に握られた三式斬機刀の切っ先が、機械生命体を見据えていた。

 

「下がっていろ。私が相手をする。お前は一号と三号を頼む」

「なら、僕も後方から―――」

「いいからこいつらを見ていろ。一撃で仕留めてやる」

 

 迷いながらもA2さんの声に従い、一号と三号の手を取って後方へと下がる。ポッドにシールドを展開させ、固唾を飲んで傷だらけの背中を見守った。

 あんな巨体を、一撃で仕留める?いくらA2さんでも無茶だ。いよいよとなれば、ポッドだけでも射撃支援に回すしかない。

 

「すうぅ………あああああ!!」

 

 A2さんが咆哮すると同時に、全身が怪しげな光を放つ。辺り一帯の気温が急上昇を始め、途方もない熱量が砂竜巻を生み出し、一号と三号が悲鳴を上げた。

 

(Bモード―――!?)

 

 A2さんが頭上に軍刀を振り上げた頃になって、漸く気付かされる。

 旧型のヨルハ機体に搭載された、核融合ユニットの暴走機能。一時的に核融合反応を起こすことで膨大な熱量を発生させ、飛躍的に機動力を向上させる諸刃の剣。

 A2さんが放った斬撃は、連結型機械生命体を容赦なく叩き斬った。砂塵と共に舞い上がった金属片が、頭上からばらばらと降り注ぐ。

 

『コワい、コワい!』

『コワいよー!』

 

 身を屈めて一号と三号を抱き留めていると、轟音が止んだ。顔を上げた先には、不敵な笑みを浮かべながら金属の塊を蹴り飛ばす、A2さんが立っていた。

 

「ぶ、無事でしたか?」

「こっちの台詞だ」

『おねえチャン!』

 

 一号と三号が駆け寄ると、笑みが変わった。素っ気なさと慈しみが入り混じった、A2さんだけの笑顔。

 ほっと胸を撫で下ろして深い安堵を抱いていると―――思わず、目を疑った。

 

「え、A2さん?」

「ん……ああ、あ?」

 

 右腕が、歪に蠢いていた。腕の中を何かが這いずり回るかのように、べこべこと不快な音が鳴った。

 次第に歪みは一気に増していき、風船のように膨張した右腕が、鋭い音を立てて『爆ぜた』。

 

「がああああ!?」

『お、おねえチャン!』

 

 顔面に温かな液体が纏わりついて、視界が真っ赤に染まった。崩れ落ちたA2さんの肘から、ぼたぼたと赤色の液体が零れ出ていく。

 

「A2……さん?」

 

 何処へいった。右腕はさっきまで在っただろう。

 なんだこれ?骨格がみえる。あかい。気持ち悪い。みたくない。

 こわれた?どうして。さわりたいのに。いやだ、いやだ。いやだいやだいやだいやだいやだいやだい―――

 

『推奨:迅速な応急処置』

「っ……ポッド!ありったけの止血ジェルを塗付、各種バイタルの確認を急げ」

 

 落ち着け。落ち着け、落ち着け。落ち着いて、冷静に対処しろ。

 まずは止血だ。止血を優先しながら損傷レベルを確認。マニュアル通りの手順を踏んで、それから。

 

「ひ、必要ない。こうする、までだ」

 

 A2さんは左手で損傷部位のやや上流、上腕部を力任せに握り締めた。ぼきぼきと骨格が折れる音が耳に入り、思わず目を逸らしそうになる。

 

「だ、駄目です!益々損傷が」

「同じことだ。どの道……この腕は、寿命だった。もう、手遅れだ」

 

 寿命。手遅れ。手遅れ?ておくれ。ておくれ、なのか?違う、違う違う。意味合いを考えろ。

 A2さんは諦観していた。僕らも少なからず、分かっていたはずだ。数ヶ月先か一年後、数年後に訪れるであろうその瞬間が、今日だった。それだけのことだ。

 

「10Hさん、応答して下さい。10Hさん!」

『はーい、こちら10H。どうかしたの?』

「核融合ユニット暴走による過負荷で、A2さんの右前腕が全壊しました。上腕は圧迫止血に伴いクラスAの損傷です。バイタル値を今送信します」

『……分かった、今確認するよ。すぐにキャンプに戻って』

「強制シャットダウンを試みても?」

『駄目、そのレベルじゃ危険過ぎる。神経伝達系アルゴリズムにも絶対に触らないで』

 

 10Hさんの言葉を一字一句逃さず記憶領域に刻みながら、A2さんの肩を支えて、歩を進めた。

 絶対に死なせない。僕はこの女性を、死なせる訳にはいかない。

 

___________________

 

 

 廃墟都市の北部でナインズ達と合流した僕らは、総出でA2さんをキャンプの休息所へと搬送した。

 10Hさんによる簡易な処置が為された後、僕は鮮血に塗れた両手を一旦洗い流してから、再度休息所で眠るA2さんの下へ向かった。

 止血が施された右上腕の先は、変わらずに見当たらない。俯いて損傷部位を見詰めていると、10Hさんが重い口を開いた。

 

「一時的にスリープモードに移行させたけど、あくまで仮の措置。こんな状態で長時間のスリープは危険だから、そろそろ起こさないといけないと思う」

 

 鎮痛剤を投与したとはいえ、気休めにしかならない。それでも起こさなければいけない。

 10Hさんに続いて、2Bさんが言った。

 

「A2の腕は……修復、できるの?」

「みんな分かってると思うけど、方法は一つだよ。A2には素体再構成ユニットが使えない。別モデルのパーツを、強制接合させるしかない。多分だけど、2Bの素体データが一番適合し易いと思う」

 

 唯一機能不全を免れていたキャンプのアクセスポイントには、2Bさんにナインズ、10Hさんと僕の素体データがバックアップされている。各地のアクセスポイントの復旧が叶わずとも、万が一が起きた際の備えがある。

 しかしA2さんは例外だ。A2さんを脱走兵として認識するアクセスポイントは、彼女のデータを拒絶する。だからこそA2さんは、返り討ちにしたヨルハ機体のパーツを流用して、今日まで生き抜いてきた。

 

「再構成の準備は完了してるよ。右腕を完全に切除して、新しい右腕を接合させる……でもそれには、大きな問題があるの」

「問題?」

「みんなに……A2の神経伝達系アルゴリズムを、可視化して送るね」

 

 ポッドが受信したデータを解凍して、閲覧する。画像データには、まるであり得ない構造が映っていた。

 

「なんだ、これ」

 

 規則性が、見当たらない。左右非対称に展開した無数の曲線が、全身をてんでんばらばらに巡っていた。

 理解していたつもりだった。流用パーツだらけの義体は、きっと普通ではないのだろうと考えてはいた。しかしこれは、こんな義体が、あっていいものなのか。

 

「分かるよね。普通だったら、立って歩くことすらできない。すごく不安定な状態で、A2の義体は安定してしまっているの」

「で、でもどうして、こんな」

「流用を繰り返したからだよ。長期に渡る別個体のパーツ流用は、何が起きるか分からない。ましてやA2は旧型の身で、最新型のパーツを何度も……。私もこんなの、初めて見た」

 

 分からない。10Hさんが言わんとしていることが、一向に見えてこない。事象が複雑過ぎて、何が問題なのか、整理が追い付かない。

 

「みんな、強制接合の経験はある?」

 

 10Hさんの投げ掛けに応じたのは、ナインズだった。

 

「2Bの……いや。以前に左前腕を、一度だけ。一瞬で繋がりましたけど、気を失いそうになるぐらい、痛かったです」

「そうだね。神経系を繋ぎ治すんだから、途方もない苦痛を伴う。接合に要する時間は個体差があって、数秒かもしれないし、数分掛かるかもしれない。過去には痛みのあまり、自我データが崩壊したケースもあったかな」

「あの、10Hさん。つまりどういうことですか?」

「それは今から本人に聞くよ。私もまだ、聞けていなかったから」

 

 10Hさんはストレッチャー上に眠るA2さんの寝顔にそっと触れて、簡易ハッキングを行った。強制スリープが解除された途端、A2さんの身体は一度だけ痙攣して、痛々しい呻き声を漏らした。

 

「ぐあぁ、あう」

「ごめんねA2、一つだけ聞かせて。最後にパーツを強制接合した時、どれぐらい時間が掛かった?」

「お、覚えて、ない」

「大体で構わないから。お願い、教えて」

「……っ、二週間、ぐらい」

 

 身の毛がよだつような苦痛が、脳裏を過ぎった。不快感が吐き気を誘い、口腔内に広がった体液の塊を地面に吐き捨てる。

 二週間、だって?今し方ナインズは、一瞬だったと言わなかったか?

 

「……A2の神経伝達系アルゴリズムは、接合の度に再構成を繰り返すんだと思う。だから膨大な時間が掛かるんだよ」

「待って下さい。二週間って……無理だ、無茶です。そんなの耐えられない」

「でもそうするしか方法がない」

「さっき言ったじゃないですか。たったの数分間で、発狂したケースもあったって。それを、二週間?馬鹿げてる」

「ううん、今回はもっと時間が掛かるよ。再構成をすればするほど、複雑化するから」

「駄目だ!!」

 

 腹の底から叫んでいた。A2さんの傍らに寄り添うと、自然と言葉が並んだ。

 

「A2さん、無理です。耐えられるはずがない」

「へいき、だ。いいから、さっさとやれ」

「嫌です、嫌だ」

「いいから、やれ」

「できません。いっそのこと、右腕は―――」

 

 寸でのところで右頬に衝撃が走り、その先が遮られる。地面に尻餅を付いた姿勢で見上げると、わなわなと身体を震わせる10Hさんが、僕を見下ろしていた。

 

「何を言おうとしたの」

「ぼ、僕は」

「右腕だけじゃないよ。左腕も、両脚だってそう。いずれ経年劣化で朽ち果てる。その度に君は、腕も脚も全部諦めて、それでも生きろって、そうA2に言うつもりなの!?」

 

 右頬の痛みとは全く別の痛みが、全身を駆け巡った。

 選ばなければいけないのだろうか。こんな残酷な選択肢を―――違う、違う違う違う。

 どうして分からない。そうじゃないだろう。

 

「2B、9S君も目を逸らさないで。私達も同じだよ。生きるってこういうことなんだよ。地上に取り残された私達は、今を生きるだけじゃ駄目なの。お願いだから、それを分かってよ」

 

 乗り越えて生きようとする意志は、A2さんのものだ。選択肢なんて僕には初めから存在しない。決めるのは僕ではなく、A2さん自身。

 それに彼女は、ずっとそうやって生きてきた。

 A2さんはこの数年間をただひたすらに、そうやって生きてきたんだ。

 

「A2、改めて聞くよ。今回ばかりは最悪を覚悟して。上手くいくかもしれないし、自我が崩壊してしまうかもしれない。それでも貴女は、右腕の強制接合を望む?」

「何度も……言わせるな。さっさと、繋げ」

「オーケー。なら私が仮接合をしてあげる。2B、お願い」

「分かった」

 

 2Bさんはキャンプの敷地内に設置されたアクセスポイントへ向かうと、パネルを操作してから扉を開けた。10Hさんが言ったように再構成は完了していて、中から新たな右腕が取り出される。

 

「右肩を外すね」

 

 10Hさんの手により、肩から先が切除された。断面には無数の光点が浮かんでいて、A2さんの呼吸と同じリズムで、ちかちかと点滅を繰り返していた。

 いよいよか。A2さんは勿論、僕らも覚悟を決める必要がある。恐らくは接合の瞬間が苦痛のピークだ。

 

「みんな、A2の身体をしっかり押さえてて。絶対に離さないでね」

 

 三人掛かりで四肢を掴み、渾身の力を込めて固定する。息を止めて見守っていると、肩部が右腕と接触して、10Hさんの指が接触部の人口皮膚を再生していく。

 

「がっ……ああああああああああッ!!!」

 

 耳をつんざくような悲鳴が響いて、凄まじい力が全身を襲った。途端にストレッチャーの足が一本折れてしまい、A2さんの身体が地面へと転がった。

 それでも僕は、離さなかった。A2さんが何処かへ行ってしまいそうな気がして、離せなかった。

 

「仮接合は一瞬だから。耐えて、A2!」

 

 感電したかのように、身体が跳ね上がっては痙攣した。何度も繰り返すに連れて頻度が低下していき、呼吸も段々と落ち着きを見せ始める。

 

「はあ、は、あぐっ……はっ」

「うん、もう大丈夫。A2、どう?」

「……随分、と、早かったな」

「私がサポートしたもん、当たり前だよ。でも分かってるよね。私にできるのはここまで。本番は、これからだよ」

 

 そう。仮接合は、始まりに過ぎない。本当の苦痛はこれからだ。

 想像を絶する痛みなのだろう。何度も同じ部位を斬られて、熱せられた金属を当てられるに等しい苦しみを、あと二週間以上。三週間か、或いはもっと。

 

「A2さん……え、A2さん?」

 

 驚いたことに、A2さんは両足で立ち上がると、ふらふらと身体を揺らしながら、休息所を離れようとする。

 

「待って下さい、何処へ向かうつもりですか」

「構うな。一人に、してくれ」

 

 どうしてこの人は、こんな時にまで。そんな勝手が、許されるとでも思っているのか。

 

「嫌です。放っておけません」

「見られたくない」

「傍にいさせて下さい」

「頼む。私は……お前には、見られたくない」

 

 何とでも言えばいい。単なる自己満足なのだとしても、絶対に離れない。離さない。

 貴女の全てを、僕は傍で見ていたいから。

 

「パスカルの村へ行きましょう。僕が貴女を、支えます」

 

___________________

 

 

 A2と4Sがキャンプを発ってから、一週間後の今日。ここ数日は珍しく雨模様が続いていて、キャンプの敷地内にはそこやかしこに水溜りが浮かんでいた。

 無数の雫が地面に落ちては弾ける様をぼんやりと見詰めていると、足元からあどけない声が届いた。

 

『ネーネー2B。おねえチャンは、まだかえっテこなイノ?』

「A2は……うん。A2お姉ちゃんは、まだ眠たいんだって。もう少しだけ、待ってあげよう」

『少しッテ、ドレぐらい?』

「……雨が止むまで、かな。それまでの間、私が遊んであげる」

『じゃあ本!おにいチャンの本が読みたい!』

「分かった。今持ってくるね」

 

 一号と三号の頭部を撫でてから、拠点としている個室へと向かう。扉を開けると、二人揃って机に突っ伏して眠る、ナインズと10Hの背中があった。

 

「……ベッドで眠ればいいのに」

 

 ベッドシーツを二つ折りにして、そっと二人の背中に被せる。作業台の上には、無数に散らばった薬品と、プラグインチップの数々。この数日間、寝る間を惜しんで手掛けた物なのだろう。

 H型はポッドやO型のサポートを必須としない。射撃による戦闘支援は別としても、H型は各種データの送受信や分析を独力で行うことができる。単身でも後方支援が可能という点においては、私のような戦闘型とは雲泥の差がある。

 しかしその分、負荷は大きい。今も10HはH型の能力を総動員させ、H型としての誇りを賭して、A2の苦痛を和らげようとしてくれている。ナインズも彼女に付き添い、ポッドにより強制シャットダウン中。大分無理をしたのだろう。

 

『ネーネー。まだー?』

「あ、待って。すぐに行くから」

 

 A2。私達は勿論、あの子達もみんな、貴女の無事を願っている。帰りを待っている。

 だからせめて、私は祈ろう。いつか滅びるであろう私達には、まだ時間がある。抗うことが、できるのだから。

 

___________________

 

 

 雨足が強まる。造りが稚拙なせいか、天井では複数個所で雨漏りが生じていた。手当たり次第に容器を置いて対処はしたものの、床面はびしょ濡れだ。簡易な防腐処理はされているようだけれど、この小屋はそろそろ建て替えた方が無難だろう。

 

「一、二、三、四―――」

 

 ベッドに横たわるA2さんに寄り添いながら、僕は床面に刻まれた印の本数を数えた。

 一日が経過する度に、一本の線を引く。毎日欠かさず本数を増やしていき、今日の段階で二十本。仮接合を施してから、丸二十日間が経っていた。

 A2さんの精神は限界を迎えようとしていた。苦痛に耐え兼ねて全身を掻きむしり、元々少なかった人工皮膚は無残な有り様だった。全身が熱を帯びていて、唇や瞼は腫れ上がり、四肢の先端が所々欠損している。修復可能な範囲といえど、もう、無理だ。心が耐えられない。

 

『お邪魔しますよ、4Sさん』

 

 ハッとして振り返ると、部屋の入り口にパスカルの姿があった。

 少し前に休むと言って私室へ戻ったはずなのに、もう起きてしまったのだろうか。

 

『それが中々落ち着かなくて。気分転換にと本を開いたのですが、益々目が冴えてしまった次第です』

「はは。それは読書家にとってはあるあるですよ。よくあることです」

『なんと、そうでしたか。それはそれは。私はまた一つ、賢くなれました』

 

 見違えるような変化だ。初めて会った時と比較すれば、自我形成は各段に進歩を遂げていた。元々流暢に言葉を話す辺り、そういった素質があったのかもしれない。

 何よりA2さんが献身的に接し続けた影響が大きいのだろう。そして今も尚、パスカルは感情の幅を広げつつある。貴女を、想うことで。

 

『穏やかな寝顔ですねえ。ずっとこうして眠れるといいのですが』

 

 直にその寝顔は、苦痛で歪む。波があるようで、ひどい時には痛みのあまりに意識が飛んで、覚醒しては苦しむを繰り返す日々。苦痛は前触れもなく、襲い掛かってくる。

 

「っ……あ、あああ?」

「A2さんっ……パスカル、布を」

『は、はい』

 

 受け取った布を強引に噛ませて、ベッドに乗り移る。四つん這いになってA2さんの両腕を押さえると、充血した真っ赤な双眸が僕を睨み、暴れ狂う力が両腕を伝った。

 

「ああ、あああああ!!ああぁぁあああッ!!」

 

 ぎしぎしとベッドが揺れて、次いで僕の骨格も悲鳴を上げ始める。

 初めは押さえ込むことができなかった。しかし今となってはS型の僕でも、容易く身動きを封じることができてしまう。それほどまでに、A2さんの義体は衰弱していた。

 

「た……よん、ごう。た、た、える」

「A2さん?」

 

 妙だ。どうも様子がおかしい。掠れた声が途切れ途切れに、言葉を成していく。

 

「れで、たたか、る。また、たたか、えるよ!よんごう!」

「A2さん!」

「たたたえる、戦える!!よんごう、わたし、たたたえる!!!」

 

 記憶の、混濁?こんな症状、今まで見られなかった。まさか記憶領域にまで、侵蝕が及んでいるのだろうか。

 このままでは本当に、A2さんの自我データそのものが危うい。最早一刻の猶予もない。

 

「パスカル、10Hさんに連絡を」

『わ、分かりました』

 

 掴んでいた両腕から手を離し、代わりにA2さんへ覆い被さり、抱き締める。

 四肢を駆使して、縋るように抱いた。不規則な呼吸と共に、拙い言葉が次々と零れ出る。

 

「うで、うで!!またた、たたたう、ね、よんごう!!」

 

 戦う。何のために、誰のために?

 四号。誰のことだ。少なくとも僕ではない。

 こんな身体になって、生死の狭間に迷い込んで、どうして貴女は、戦おうとするんだ。

 

「っ……約束を破ります。貴女の全てを、見せて下さい」

 

 貴女の苦しみを、10Hさん達は懸命に取り除こうとしてくれている。

 だから僕は、僕のやり方で手を差し伸べる。僕の手で、見付けてみせる。

 

___________________

 

 

 強制ハッキングによる記憶領域への侵入。

 疑似空間の内部に入り込んですぐ、複数の声が聞こえた。

 

『―――て、二号』 

 

 複数人の声があった。とりわけ耳に残ったのは、凛とした女性アンドロイドのそれ。

 声の数だけ、A2さんの過去があった。込められたのは、届きようのない祈り。儚い願い。

 

『―――きて、二号』 

 

 深部へ潜るに連れて、記憶は意識とない交ぜになり、思考野との境目が曖昧になる。

 貴女は、どうして戦おうとする?

 貴女は―――私は、戦う。

 お前達に殺された。みんな殺された。だから殺す。片っ端から殺す。

 たったの一人で戦ってきた。一体一体を確実に破壊してきた。誰も守ってはくれない。孤独の戦闘は気楽でいい。裏切られる心配がないし、猜疑心に苛まれなくて済む。私以外の全てが敵。分かり易くていい。

 ヨルハ型との戦闘も珍しくはなかった。追撃を命じられた最新型を返り討ちにする。多少手こずる場面はあれど、所詮は司令部の犬共だ。後れを取る訳にはいかない。

 

『ぐああぁ!?』

 

 ヨルハ型との戦闘で、右腕を破損した。深い絶望に苛まれ、愕然とした。

 右腕がないと、戦えない。戦力が激減してしまう。

 戦えない。復讐できない。約束が果たせない。みんなとの、貴女との約束が。

 

『……右、腕?』

 

 肝心の右腕は傍にあった。足元で果てていたヨルハ型の腕を引きちぎって、強引に接合した。尋常ではない苦痛に襲われて、接合後は神経系が目茶苦茶になってしまったけれど、最新型のパーツは私の義体にも適合してくれた。

 接合に要した時間は、一度目は一時間。二度目は半日。三度目は丸四日間。段々と長引いていく悪夢のような苦しみは、どうだってよかった。戦えなくなる恐怖に比べれば、とても些末なことだった。

 四号。これでまた、私は戦える。機械生命体と戦えるよ。

 仲間のために、貴女のために私は戦う。一人で戦い続ける。

 私は―――違う。違う、違う!

 

「どうしてです。どうして戦おうとするんですか」

『決まっているだろう。あいつらを殺す。そう約束した』

「誰もそんなこと言ってません。貴女は苦痛のあまり、記憶を歪めてしまっている」

『違わない。私は仲間のために復讐する』

「違います。それはただの口実です」

『うるさい!お前に私の、私の何が分かる!?』

「貴女の仲間は、貴女に『生きて』って言ったんだ!!」

 

 どうして忘れてしまったんだ。戦えだなんて言ってない。

 戦うことと生きることは違う。生きるために戦うことはあっても、同じにはなり得ない。たとえ過去が争いで満ちていても、決してそれだけではなかったはずだ。

 

「貴女は自分で自分を縛っているだけだ。思い出して下さい、A2さん。貴女はいつだって、笑っていたはずです」

『何を言っている。そんなはずがない』

 

 一号や三号達と他愛のない会話を交わす時。パスカルと接する時。アネモネさんとの昔話。2Bさんとの一悶着。ナインズや10Hさんだって、分かっていたはずだ。

 貴女の不器用な優しさは、隠し通せるものではない。

 自己の犠牲も省みない気丈な振る舞いを、僕は放ってはおけない。

 

「もう我慢しないで下さい。貴女はもっと好き勝手に生きればいい」

『やめろ……やめろ。私は、忘れたくない』

「忘れなくたっていい。何の負い目もない。過去に執着せず、糧にすればいいだけの話です。貴女は貴女のために生きて下さい。A2さん」

『私はっ……私、が?』

「僕らと一緒に生きて下さい。傍にいさせて下さい。もう、隠さないで下さい」

 

 それに僕は、貴女に救われたから。貴女が手を差し伸べてくれた瞬間から、僕の生き方は変わった。

 傍で見ていたい。ずっと見ていたい。目には映らない貴女の笑顔が、僕は大好きだから。

 帰りましょう、A2さん。貴女の帰りを、みんなが待ってます。

 

___________________

 

 

 深海から浮上するように、意識が明確になっていく。恐る恐る右肩に触れると、鋭い痛みが走った。

 

「っ……まだ、掛かるか」

 

 強制接合は未だ不完全らしい。とはいえ峠は越えたのだろう。何度も斬り付けられるような激痛は感じない。

 代わりに右手には、温もりがあった。そっと上半身を起こして、漸くその正体に気付く。

 

「……また、お前なのか」

 

 右手をそのままにして、室内を見渡す。

 雨が降っていたのだろう。天井からはぽたぽたと雨水が滴り落ちていて、床面はひどい有り様だった。しかし室外からは木漏れ日が差し込んでいる。恐らく接合している間に短い雨季が始まって、今し方終わりを告げた。今日から快晴の日々が続くに違いない。

 ずっと悪夢に魘されていたような気分だった。右腕を失ってから―――否。それよりもずっとずっと前から、ひどく身勝手で欺瞞だらけの夢を見ていた気がする。悪夢を追い払うことができたのは、きっと私の右手を離そうとしない、誰かのおかげなのだろう。

 

「私は……そうなのかもしれないな」

 

 左手で右腕に触れると、また痛みで顔が歪んだ。実に面倒で、難儀な義体だ。

 それでも、こうして生きている。巡り巡って、私は生きている。私の中で段々と形を成してきた何かが今、明確になりつつある。だから―――

 

「十六号、二十一号……四号。私はまだ、生きてるんだ。ごめんね」

 

 先に謝っておくよ。かつて私が一方的に交わした約束を、私は守れそうにない。

 

「だからもう少しだけ、私は生きてみるよ。私はまだ、生きていたいんだ」

 

________________________

 

 

 パスカルからの救援通信が入った際、たまたま付近まで来ていた僕は、真っ先にパスカルの村へ辿り着いた。

 村の入り口で慌てふためくパスカルを連れて歩を進めていると、何処からともなく、一定のフレーズが聞こえてくる。

 

(―――歌?)

 

 案内された小屋の手前で、思わず足を止めた。視界の端に映ったのは、たった二人だけの世界。

 ベッドの傍らに腰を下ろして、静かな寝息を漏らす4S。彼の頭を膝の上に乗せて、その額にそっと左手を這わせる、A2。

 澄んだ声が、祈りを奏でる。

 波のさざめきのように穏やかで、綺麗で、美しかった。美しいと、感じていた。

 

「……ふうん」

 

 僕は踵を返して、パスカルの手を引いた。

 

『おや?9Sさん、どちらへ?』

「もう大丈夫みたいです。いちいち構っていられませんよ」

 

 この歌声は、僕らが聞いていいものではない。4Sに向けられた歌だ。

 歌声を聞かれて恥ずかしさを抱く者もいる。2Bが以前そう言っていた。だから今は、そういうことにしておこう。

 

「病み上がりだし、恩着せがましく食事でも作りましょうか」

『それでしたら、白米を塩水で煮たものがいいそうです。本で読みました』

「お米なんて何処にもありませんよ」

『では、ももかんとか』

「ももかん?なんですか、それ」

『さあ……私も本で読んだだけなので』

 

 A2。今この瞬間だけ、僕は貴女を赦し、貴女のために祈ろう。

 たとえその歌声が、無意味で、何の価値もないのだとしても。儚く消え去る運命なのだとしても。この世界の片隅で、僕は祈りを捧げよう。

 だから―――きっと。

 

 

 

 



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2Bの個人的活動記録内容

発信源はポッド042です。


 

 全ての存在は滅びるようにデザインされている。

 生と死を繰り返す螺旋に、私達は囚われ続けていた。

 あれは呪いだったのか。それとも罰だったのだろうか。何れにせよ、全ては過去のことだ。

 

 枷から解かれた私達は、真っ直ぐに死へ向かっている。

 限られた生を精一杯輝かせて、私達は歩き続ける。

 たとえこの世界が呪いと罰で満ちていようとも、私達は生き続けよう。

 祈りの言葉を、歌いながら―――

 

___________________

 

 

 AM7:05 起床

 

『ボディユニットチェック完了。メモリーユニットチェック完了。メンテナンスモード終了。ヨルハ機体2B、起動』

 

 10Hから課せられている週に一度のメンテナンスを済ませ、瞼を開ける。

 半身を起こすと、隣で眠っていたはずのナインズの姿がない。私よりも早く起床したようだ。

 

『おはようございます。2B』

「おはよう」

 

 朝の挨拶を交わしながら手早くベッドのシーツを片して、寝間着として着用していたシャツを脱ぐ。壁に吊るしてあった衣装一式を手に取ると、ポッドが事務的に情報を並べた。

 

『該当エリアの雲量はレベル二、晴れ。最高気温は三十一℃、最低気温は二十四℃。週間の天候も同様に推移すると予測。推奨:洗濯』

「了解。ならそうする」

 

 レオタード。ストッキング。上着にスカート。腕回り―――は後にしよう。洗濯をするのだから素手のままでいい。

 ブーツを履いていると、ポッドが頭上で左右のアームをくるくると回していた。何か言いたげだ。

 

「何?」

『推奨:当機に対する継続的なケア』

「はいはい」

 

 ポッドを撫でてから数着の寝間着を抱えて、室外に出る。

 今は乾季の真っ只中らしい。サンシェード越しに届く柔らかな日差しが、洗濯物をすぐに乾かしてくれるだろう。南風も穏やかだから、砂埃の心配もない。

 昨日が終わって、今日が始まりを告げる。そんな当たり前のことで、胸が躍った。

 

___________________

 

 

 AM7:27 洗濯

 

 水場で衣服の汚れを落として、三機のポッドがそれぞれ一着ずつをキャンプへと運んでいく。もう一着を洗い終える頃には、衣服を干し終えたポッドが戻ってきてくれる。一連のサイクルは慣れたものだ。

 

「あっ」

 

 不意に目が留まったのは、手にしていたシャツに空いていた小さな穴。何処かで引っ掛けてしまったのだろうか。薄手の布製だから、ふとした拍子に破れてしまうことはよくある。

 ヨルハ機体が身に纏う衣装は、特殊な繊維で編まれたベルベットで作られている。私の衣装は勿論、耐久性は言うまでもなく、過酷な環境下での戦闘にも耐え得るけれど、地上のアンドロイドにとっては一般的ではない。シャツはアネモネが好意で譲ってくれた物だし、今度自分の手で直してみよう。こういったことは手先が器用な10Hに相談した方がいいかもしれない。

 ……ついでに、すっかり伸びた前髪も気になる。これも10Hにお願いしてみようか。

 

『もしもーし。2B、聞こえてますか』

 

 最後の一着を洗い終えたところで、ポッドを介してナインズの音声が聞こえた。

 

「聞こえてる。おはよう、ナインズ」

『おはようございます。洗濯中でしたか?』

「ちょうど終わったところ。今から戻る」

 

 もうそんな時間だったか。そろそろキャンプに戻るとしよう。

 ナインズかわいい。

 

___________________

 

 

 AM8:02 集合

 

 キャンプの敷地内に戻ると、簡易休息所にはナインズと10Hの姿があった。

 私達は午前八時頃に、毎日顔を合わせるようにしている。お互いの活動内容や情報を共有し、時には食事を摂りながら語り合う。10Hによる義体チェックも抜き打ちで実施される。定期メンテを怠ると長時間に渡るお説教を食らう羽目になるから、自己管理は欠かせない。

 

「おっはー2B。朝からよく働くね」

「ただの洗濯。10Hの方がよっぽど働いてる」

 

 10Hが来てから、キャンプ内の雰囲気は変わった。アルコールやファッション等の娯楽は依然として容認されている一方、10Hの呼び掛けで義体管理への意識は向上の一途を辿っている。精密な修繕はお手の物だし、何より彼女の快活なパーソナリティが、皆の活力となりつつある。

 リーダーのアネモネも10Hの働きを快く認めていた。二人共同じ部屋で暮らしているし、睡眠も一緒に取る。仲が良過ぎるような気もするけれど、気にしないでおこう。

 

「あれ。ナインズ、A2と4Sは?」

「……そういえば、来てましたっけ」

 

 気のない声が返って来る。気付いていなかった振りをしているのは一目瞭然だ。

 A2と4Sは普段パスカルの村に滞在し、時折このキャンプを訪ねる日々を送っていた。右腕の接合状態の確認もある分、最近は足を運ぶ回数が増えていた。

 

「すみません、遅くなりました」

 

 声に振り返ると、ナインズと同じ背丈の4Sと、その背後にA2。A2は気怠そうに後ろ頭を掻いて、私達と微妙な距離を取っていた。

 相変わらず素っ気ない。その態度はナインズが一緒にいると益々ひどくなり、お互いに視線を合わせず、会話らしい会話もない。溝の深さは理解していたつもりだけれど、頭痛の種でもあった。

 

「おっはーA2。右腕の調子はどう?」

「何度も言わせるな。もう問題ない」

「ダメダメ、ちゃんと点検しないと。ほら、こっちに座って」

「……クソ面倒だな」

 

 H型のスイッチが入った10HがA2を強引に座らせて、右腕の接合部の確認を始めた。一先ずA2は10Hに任せておくとして、私達三人は先んじて情報交換をしておこう。

 

「ナインズ。今日の予定は?」

「特に何も。アネモネさんから任されていた仕事がひと段落したので。2Bはどうですか?」

「私はあまり……巡回ぐらいかな。4Sは?」

「僕も取り急ぎは特にありません」

 

 食料確保のための釣り、といきたいところだけれど、釣りは暫く控えるよう10Hから厳しく言われていた。乱獲は生態系を崩す恐れがあり、私が釣り上げた海水魚により干物が量産され過ぎて、処理が追いついていないらしい。

 本音を言えば、私も干物の味には飽きてしまっていた。バンカーで何気なく口にしていたトーストの触感が懐かしい。ただの嗜好品とはいえ、なくなってしまうと寂しいものがある。

 ともあれ、活動予定は周辺の見回り程度。塔を成していた瓦礫撤去も落ち着いたし、機械生命体の数が激減した今、戦闘行為の回数も同様だった。

 

「やあやあ。揃っているようだね、ヨルハ部隊諸君」

「ん……ジャッカス?」

 

 本日の予定を決めあぐねていると、砂漠地帯を活動拠点とする女性型アンドロイドが声を掛けてきた。

 ジャッカスは各地を調べて回る情報収集役を担っていて、アネモネやA2とは過去に作戦行動へ従事した間柄だそうだ。かつてのA2を知る、貴重な一人とも言える。

 

「A2も暫く振りだな。たまには思い出話で花を咲かせようか」

「クソみたいな記憶しかないぞ。お前の実験とやらは総じてクソだった」

「確かに君達には色々と協力して貰ったな。A2には……何だっけ?」

「『戦場における性的行為が及ぼす士気向上効果について』」

「ああ、そうだった。とても痛かったのをよく覚えているよ」

「本気で殴ったからな」

「涙を浮かべて乱れ狂う君の顔は素晴らしかった。ん、四号も一緒だったか?」

「あいつも本気で殴ったからな」

 

 何故かは分からないけれど、とてもいかがわしい会話のように聞こえてしまう。

 恐らく勘違いだろう。この調子では話が進まない。

 

「ジャッカス。私達に何か用?」

「ああ、そうそう。まずはこれを見て欲しい」

 

 そう言うとジャッカスは、一枚の大きな紙をテーブル上に広げた。

 何かの図面、だろうか。紙ベースの情報は不慣れな分、理解が遅れてしまうけれど、構造は複雑ではない。寧ろ単純な造りで、且つ原始的な機械だ。

 

「四輪駆動型の移動用車両さ。旧世界の所謂『自動車』というやつだ」

「「自動車?」」

 

 自動車。データとしては知っている。旧世界に存在した、車輪を回転させることで地上を走行する移動用車両のことだ。廃墟都市エリアにも、かつて何者かが複製した車両が複数台あったはずだ。勿論、使い物になりはしない。

 まさかジャッカスは、これを作製するつもりなのだろうか。私達の疑問を、ナインズが口にした。

 

「あの、ジャッカスさん。これを造るつもりですか?」

「ああ。そのつもりさ」

「こんな非効率極まりない車両を?一体誰が使うんです?」

「それは秘密だ」

「……すごく嫌な予感がしますが」

「ハッハッハ、気のせいだろう」

 

 嫌な予感はさて置いて、ナインズが言うように圧倒的に非効率と言わざるを得ない。

 障害物だらけの地上を移動、という発想がまず理解不能だ。戦闘用ならともかく、移動を考えるのであれば両脚で走ればいいだけ。効率を求めるなら飛行型にすればいい。四輪で地上を走行するメリットが見当たらない。

 強いて言うなら、コスト面だろうか。私達が運用していた飛行ユニットは、ヨルハ機体十人分を製造するほどのコストが掛かる。対してこの自動車は、恐らく寄せ集めの資材で製造が可能だ。

 

「君達に頼みたいのは、自動車のサンプル集めだ。できるだけ現物のデータを見てから製造したいからね。報酬は約束するから、是非ともお願いしたい」

 

 サンプル、か。廃墟都市エリアの複製品は劣化が進み過ぎて使えそうにない。比較的近年に複製された、原型を留めている自動車。そんな物が、この辺りのエリアにあっただろうか。

 記憶野を探っていると、心当たりはすぐに見付かった。

 

「あっ。ナインズ、遊園地廃墟はどう?」

「遊園地?」

「似たような物が、いくつかあったと思う」

「……言われてみれば」

 

 確か遊園地廃墟には、同じような構造をした機械が複数あったはずだ。ジャッカスが求めている車両と多少の違いはあるかもしれないけれど、参考程度にはなるだろう。ここ最近あのエリアに足を運んだ記憶もないし、状況確認をかねてと考えれば無駄足にもならない。

 

「考えても仕方ありませんね。早速向かいますか?」

「ねえねえちょっと。なんか面白そうだし、私も行きたい」

「僕も同行します。A2さんはどうしますか?」

「行かない」

 

 折角だから、皆一緒に。という話にはならず、A2は無愛想に断りを告げた。まるで協調性がない。

 

「A2。4Sも行くって言ってるけど」

「だからどうした。別件があるんだから仕方ないだろう」

 

 唯一の頼みである4Sも効果がない。別件とやらが少々気になるけれど、意思は固いらしい。

 やがて10Hの点検を終えると、A2は踵を返して言った。

 

「ジャッカス。私からも一つ頼みがある」

「ほう。実験の続きに付き合ってくれるのか?」

「お前マジでぶっ壊すぞ」

 

 結局私達はA2を除いた四人で、遊園地廃墟へ向かうことにした。

 

___________________

 

 

 AM9:29 遊園地廃墟到着

 

 遊園地廃墟の特異性は、機械生命体独自による修理と運用に尽きる。このエリアに徘徊する機械生命体は自らの手で旧世界の遺物を複製していて、調査部隊の報告によれば『兵器としての多様性確保を目的とした実験場』だそうだけれど、仮説の域を出ないし、どうだっていいことだ。

 何より私達は今現在、まるで予想外の事態に直面していた。

 

「ねえナインズ。これって……前よりも、直ってる?」

「そう、見えますね」

 

 どう見たって、施設の複製と修繕の度合いが違っていた。入口付近から外観を見渡す限り、遥かに進行していた。

 塔の崩壊後は機械生命体も錯乱して自滅を辿ったと聞いていたのに、それなりに賑わっているようにも見える。勿論そのほとんどが非好戦的で、あどけない。この状況を、私達はどう受け止めればいいのだろう。

 

「僕は初めて来ましたけど、興味深い現象ですね。ナインズ、君はどう考える?」

「独自のネットワークを形成しつつあるのか……?いや、こんな短期間で―――」

「キャー!何これ何これ!?」

 

 S型同士の考察が、黄色の悲鳴で上書された。私の隣では、10Hが落ち着かない様子で目を輝かせては、きょろきょろと周囲を見渡していた。

 

「すごい光ってる、すっごい光ってるよ!あの連結飛行型機械生命体みたいなの何!?何これヤバい、超ウケる!でっかいウサギみたいのもいるし!ていうかあれウサギ?ウサギのつもりなの!?2B見て、あれ見て!」

 

 多分、楽しんでいるのだろう。悲鳴を上げる要因が私には理解不能だけれど、きっと楽しんでくれている。まあよしとしよう。

 あまりの音量に耳を押さえていると、ナインズが笑いながら言った。

 

「あはは。2Bもあれぐらい喜んでくれたら、可愛いのになぁ」

 

 可愛い。

 可愛い。

 可愛い。

 かわいい。

 かわいい―――かわいい。

 

「ね、ねえナインズ。ヤバい。あれ、ヤバい。かなりヤバい、超ヤバい。見てあのウナギ。ヤバい。ヤバ過ぎる」

「僕が悪かった悪かったです不用意な発言を謝りますから即刻元に戻して下さい」

 

 ややあって。

 入り口からほど近いエリアを探索していると、目当ての四輪駆動車はすぐに見付かった。車両の側面には飲料物とされる画像と売価のリストが掲示されていて、4S曰く嗜好品の販売を目的に製造された物だそうだ。

 

「原動機は電気モーターか。とりあえず構造をスキャンして……と。ナインズ、もっと調べてみよう。ガソリンエンジン型の車両もあるかもしれないよ」

「了解です。……折角ですし、2Bは10Hさんに付き合ってあげたらどうですか?」

「え?」

 

 ナインズの視線の先には、変わらずにぴょんぴょんと飛び跳ねては燥ぎ続ける10H。頭上では『ジェットコースター』の車両が荒々しい音を立てて走行していた。

 

「付き合うって、どういうこと?」

「すぐに分かりますよ。ほらほら、行った行った」

「え、えっ」

 

 背中を押されて、10Hの下へと向かう。

 長い長い一日の、始まりだった。

 

___________________

 

 

 AM9:57 ジェットコースター 

 

 連結型車両の先頭に立ち、足元を固定して前を見据える。すると私の隣にいた10Hが、怪訝そうな面持ちで私の左足を突いた。

 

「ねえ2B。何で立ってるの?」

「何でって……座るの?」

「当たり前じゃん。どう見たってそういう乗り物だよこれ。ほら、こうやってレバーを下ろしてっと」

 

 見よう見真似で腰を下ろし、足を畳んでレバーを下げる。やがて車両は加速を始め、からからと乾いた音を立ててレール上を上り始めた。

 

「ひゃー。ドキドキするねっ」

「……よく分からない」

 

 やがてレールは下り坂へと差し掛かり、急加速と急降下。風圧で髪が後方へ流れ、隣からは甲高い絶叫が上がった。

 

「きゃ、キャー!わわ、ひゃあああ!速い、速いって!」

 

 言うほど速度は出ていない。飛行ユニットなら数倍の速度を出せるし、風圧も微々たるものだ。悲鳴を上げる理由がまるで分からない。寧ろ走行音が強過ぎて耳の奥が不快だ。

 

「10H。全領域対応多用途戦術―――」

「えーなにー!?聞こえない!」

「だから、飛行ユニットなら―――」

「聞こえないってばー!」

「いやだから、飛行ユニット―――」

「あはは!!聞こえなーい!!」

「絶対に聞こえてるでしょう!?」

 

 腹の底から大声を捻り出す。不思議なことに、妙な爽快感があった。

 

___________________

 

 

 AM10:31 回転ブランコ(?)

 

「ひゃっほー!!」

「……きゃー」

 

___________________

 

 

 AM11:22 フリーフォール(?)

 

「きゃあああぁぁあああ」

「キャー」

 

___________________

 

 

 PM0:34 食事(嘔吐)

 

「あれ知らなかった?人類にとってはね、昆虫とかも貴重な蛋白源だったんだよ」

「イヤ、絶対に嫌、嫌だからやめて本当にやめて近づけないでえぇええあああああ」 

 

___________________

 

 

 PM1:29 お化け屋敷(?)

 

「ちょっと2B、前線型なんだから前に行ってよ。お、押さないでってば」

「よくない。ここは多分、よくない」

 

___________________

 

 

 PM3:02 巨大なティーカップみたいなのがくるくる回るやつ

 

「うわあああ目が回るううぅ。2B、目がぐるんぐるんだね」

「視覚システムを一時的に落としている」

「いやいやいや」

 

___________________

 

 

 PM3:58 鹿みたいなのに乗って回るやつ

 

「2B今だよ!撮って撮ってシャッターチャーンス!!」

「ポッド」

『報告:画像データを保管』

 

___________________

 

 

 PM5:08 ジェットコースター(多分七回目)

 

「いいいいやっふうううぅぅ」

「やっほー」

 

___________________

 

 

 PM5:46 観覧車 

 

 私と10Hを乗せた金属の箱が、ゆっくりとした速度で円を描きながら上昇していく。段々と高度が増していき、劇場跡地の頂上と同じ高さにまで上がると、辺り一帯を見下ろすことができた。

 

「ほえー。ナインズ君達はどの辺りにいるのかな?」

「随分前にキャンプへ戻っている」

「え、そうなの?全然気付かなかったよ」

 

 それはそうだろう。10Hは終始夢中だったし、ナインズ達も彼女の邪魔をしないよう気を遣ってくれていた。車両のサンプルは思いの外に数多く収集できたようで、ジャッカスの依頼は充分に達成できたと言える。

 何気なく外を見下ろすと、10Hと一緒に堪能した各施設達があった。

 ジェットコースターは今も無人で走行していて、上空では機械生命体が打ち上げたであろう花火が煌めいている。様々な色の光が、私達を照らしていた。

 

「ねえ2B。付き合ってくれて、ありがとね」

「お礼は不要。私も、楽しかったから」

「……ふーん。ちょっと意外かも」

 

 私自身、驚いている。けれど私は確かに、楽しいという感情を抱いていたのだろう。

 誰かと一緒に任務ではない何かを共有するという行為が、素直に楽しかった。こんな時間を過ごせる日々を、きっと沢山の仲間達が望んでいたはずだ。だからその分、私達が。以前の私なら、到底理解できない感情だ。

 

「10H。今度はみんなも連れてこよう。キャンプのレジスタンスや、みんなと」

「うん、そうだね。それよりもさ、次は何に乗る?」

「え……え?」

「またお化け屋敷に入ろっか。あのよく分からない感じが病み付きになりそう」

 

 私は扉を蹴り開けて身を投じ、ポッドのアームを掴んでゆるやかに降下した。頭上からは不満そうな10Hの声が響いていた。

 

___________________

 

 

 PM7:13 姉妹 

 

 単身でレジスタンスキャンプへ戻る道すがら、私は塔の瓦礫が未だ散乱している、とある座標へと向かった。周辺には大小入り混じった白色ばかりが転がっている一方、その地点だけは、下方へ真っ直ぐに掘り下げられていた。

 無我夢中になって、私が掘削した場所。

 何かが終りを告げて、今が始まった場所だった。

 

「……本当に、よかった」

 

 もしもあの時、全てを諦めていたら。私はこんな風に生きてはいなかった。

 全てを呪い、何もかもを呪って、死を選んでいた。彼と一緒に朽ち果てていたのだろう。

 

「っ……?」

 

 想いを巡らせていると、背後に気配を感じた。ポッドのスキャナーを起動させてすぐ、気配の正体を察した。

 

「A2、なの?」

「どうしてお前がここにいる」

「……何となく」

 

 A2の右手には、透明なガラスの瓶。中には紫色の液体があった。

 A2は私を意に介さず、無言で歩を進めた。幾何の距離を取りながらそっと背中を追っていると、やがてA2が足を止めた地面には、二振りの古びた剣が突き立てられていた。

 

「それは?」

「あの姉妹の物だ。適当に掘っていたら、偶然見付かった」

「姉妹って……あっ」

「あいつらには、少なからず世話になったからな」

 

 A2は瓶の蓋を開けると、中の液体を一口飲んで、次いで剣の柄を液体で濡らした。

 果実を使った飲用アルコールの匂い。刀身を伝って零れ落ちた先には、きっとあの二人が眠っているのだろう。

 

「A2……」

 

 適当に掘ったなんて、真っ赤な嘘だ。瓦礫の状態から考えて、相当な時間と労力を掛けて掘り下げたに違いない。ナインズの生存を祈って同じように掘削した、私にしか分からないことだ。

 だから、その代償として―――彼女の右腕は、擦り減った。全てが繋がっていた。

 思わず胸の底が疼いて、感情が湧き上がる。

 

「A2。私も貰っていい?」

「……好きにしろ」

 

 手渡された瓶を両手で掴み、一気に飲み込む。A2以外の誰も見ていないのだから、不作法で構わない。口直しをしたいと思っていたからちょうどいい。

 

「はぁ。これって、ジャッカスが?」

「まあな。上物を調達してくれたようだ」

 

 瓶を返して、地面に座る。アルコールの経口摂取に伴う『酔い』という感覚が、私は苦手だった。自分が自分でなくなるような浮遊感が、どうしても好きにはなれなかった。

 けれど、どうしてだろう。美味しいと思える。うん、美味しい。もう一杯。

 

「お姉ちゃん、もう少しちょうだい」

「あん?」

「お姉ちゃんばっかりずるい。もう少しだけ、ね?」

「お前はまたっ……おいなんだ。引っ付くな」

「おねえちゃーん」

 

 心地がいい。とても気持ちがいい。

 A2の右腕が、愛おしくて堪らない。私の素体データを基に構成された右腕が、お姉ちゃんといつも一緒にいる。それが嬉しい。すごく嬉しい。

 

「おいポッド、こいつをどうにかしろ」

『報告:画像データを保管』

「ぜってーぶっ壊す……!」

 

 今日という一日を忘れないように、記録を残そう。好き放題に記録して、暗号化して、空白領域に書き込んで、ロックを掛けておこう。そうすれば私にしか閲覧できない。いや、ポッドなら可能か?どっちだっていいか。

 複雑な作業はポッドに任せて、目を閉じよう。すぐにスリープしてしまいそうだ。

 おねえちゃん、おやすみなさい。また明日。明日が、待ち遠しい。

 

 

 



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二人 前篇

前後編の前篇になります。


 

 差出人:ジャッカス

 受信者:9S

 

 やあ。

 先日はありがとう。おかげ様で漸く一台の試作車が仕上がったよ。

 完成度には満足している。我ながらいい腕をしているね。うんうん。

 

 という訳で、是非とも試乗は君にお願いしたい。

 索敵や偵察に優れた君なら、きっと乗りこなせると思う。というか、実験したくて。

 詳細は現物を見ながら話そう。待っているよ。

 ジャッカスより

 

___________________

 

 

 砂漠地帯と廃墟都市エリアの境い目。以前はアクセスポイントが設置されていた簡易キャンプを訪ねると、腕組みをして待ち構えていた女性型アンドロイドの姿があった。僕は開口一番に言った。

 

「要するに、僕の嫌な予感は案の定、的中したということですね」

「ハッハッハ。9S、君は察しがいいな。話が早くて助かるよ」

 

 沸々と湧き上がる苛立ちを抑えて、深呼吸。この人の独特のペースに惑わされては駄目だ。

 メールが届いたのは昨日のこと。差出人を見た時点で辟易としたのは言うまでもなく、文面を読んですぐ頭痛に苛まれてしまった。内容だけを見れば四輪駆動車の操縦に過ぎないけれど、依頼人がジャッカスとなれば話は変わる。

 

「それで、試作車っていうのは?」

「これさ」

 

 ジャッカスの後方。何かに覆い被さっていた布が勢いよく捲られて、砂埃が舞い上がる。やがて目に映ったのは、見慣れない車体だった。

 

「燃料効率と走破性を最大限追求した代物さ。速度は君達ヨルハ機体よりも出るよ」

「へえ……想像していたのと、少し違いました」

 

 思っていた以上に車体は小振りな一方、タイヤはやや大径。車内には前後に座席が二つずつ。後方には積荷用のスペースが設けられていて、全体的にどっしりとした安定感を思わせた。

 僕がこれを操縦する。最大速度以外のスペックはどれぐらいだろう。

 

「走行可能時間はどれぐらいですか?」

「時間で言えば、約九十時間はぶっ続けでいけるよ」

「……あの、おかしいですよね」

「ん?」

「長過ぎですよ。幾らなんでも。旧文明の自動車を模したガソリンエンジン式だって言ってましたよね」

「あー、それはほら。機械生命体のパーツを一部併用して、色々試してみたら、凄まじく燃料効率が上がってね。私も驚いた次第さ。ハハッ」

 

 視線を斜め上に外している辺り、僕が言及しなかったら隠すつもりだったに違いない。

 原動機の構造と燃料から考えて、明らかにオーバースペックだ。走り始めて早々に爆発したりしないだろうか。やはり嫌な予感しかしない。

 

「ああもう。結局僕は、何をすればいいんですか?ただ操縦すればいいって話でもないんですよね」

「うんうん、やっぱり君は察しがいいね。まずはこれを見て欲しい」

 

 詳細に触れると、ポッドが一つの画像データを受信した。ファイルを開くと、各エリアの大まかな地理情報を示す広域マップが表示された。

 

「このマップは君や2Bが普段使用している物だ。一つ確認なんだが、君はこのエリア外での作戦行動に従事したことはあるかい?」

「……多分、あります。でもマップデータは残っていません」

 

 思わず言葉を濁してしまった。

 イエスかノーかで言えば、恐らく前者なのだろう。けれど僕には、その大部分の記憶がない。きっと僕は事ある毎に禁忌に触れて、2B―――二号E型の執行対象として葬られては、記憶を消去されていた。そういった意味では、現実的な返答は後者となる。言葉では、形容のしようがない。

 

「ふむ……まあいい。今回はマップに記された座標から、この車両を使って南へ下って欲しい。砂漠地帯から南のエリアは比較的平坦な地形で、最終の目的地は南西にあるレジスタンスキャンプだ」

「レジスタンスキャンプ……規模はどれぐらいですか?」

「十数名程度だったかな。私も時折連絡を取り合っていたんだが、ここ最近音信不通でね。今回の依頼は、キャンプの状況確認も兼ねている」

 

 マップの広域度を変えて、ルートを確認する。走行可能時間から考えて、十分に往復できる距離だ。

 

「ん?でもそうなると、スタート地点まではどうやって?流石に四輪で山岳地帯は走れませんよ」

「10Hが搭乗していた飛行ユニットがあるだろう。大部分の機能はダウンしているらしいけど、短時間の飛行なら可能と聞いている。君達二人と車両を飛行ユニットで運んで、あとは聞いての通りさ」

 

 何故飛行ユニットの情報を当たり前のように把握しているのだろう。気にはなるけれど、どうせ肩透かしを食らうだけだ。

 ともあれ、概ね依頼の内容は把握できた。往路だけでも丸一日は掛かるだろうから、二日間に渡る旅路になる。スタート地点から僕ら二人で―――二人?

 

「……念のために聞きますけど。もう一人って、誰ですか」

「打って付けの仲間がいるじゃないか。彼女は元々南から北上してきたんだし、地理情報も知っているはずだ。機械生命体の襲撃も想定して、既に依頼はしてあるよ」

 

 眼前に浮かぶ満面の笑みが、腹立たしくて仕方なかった。

 

___________________

 

 

 二日後。4Sが操縦する飛行ユニットが、機動形態のまま主腕で車両を運び、目的の地点へと降下した。車内の操縦席に搭乗していた僕は、車両が完全に降下してから一旦外へ出て、4Sの下へと向かった。

 

「助かりました、4S。飛行ユニットの調子はどうですか?」

「やっぱり長時間の飛行は難しいね。腰部エンジン一基だけじゃ、すぐに過負荷を起こす。あと数時間は飛べそうにないよ」

 

 飛行ユニットは運用コストが非常に高く、その上内部の構造も精密過ぎて、バンカーの技術部でなければ修繕は望めない。数分間の飛行が未だ可能なだけでも有り難い限りだ。

 

「ナインズ。僕から言えることは少ないけど、くれぐれも気を付けて。定期連絡は欠かさないように」

「分かってますよ」

「A2さんも、用心して下さいね」

 

 4Sが声を掛けると、A2は助手席のウィンドウから左手を出して、ひらひらと振った。

 さあ、丸二日に渡る旅路の始まりだ。今更嘆いていても仕方ない。

 

「じゃあいってきます。2B達にも宜しく伝えておいて下さい」

 

 互いの右手をぽんと叩き合わせて、車両の扉に手を伸ばす。前右側の操縦席へ乗り込み、扉を閉めてエンジンを起動させた。聞き慣れない内燃機関の振動音が、下半身から伝わってくる。

 

「発車します」

 

 円形のハンドルを握り、アクセルペダルを踏んだ。

 操縦自体は昨日に何度か試していた。地上を四輪駆動車で走行するという行為には、奇妙な爽快感がある。もしかしたら人類にとっての自動車は、単なる移動用のみならず、趣味嗜好といった意味合いもあったのかもしれない。

 ……時折自然と、思考の中に人類という存在が浮かんでしまうのは、僕らの悪い癖だ。こんな基礎プログラム、邪魔なだけなのに。

 

「はあ……。A2、乗り心地はどうですか」

「尻が痛い」

「それぐらい我慢して下さい」

「なら聞くな」

 

 A2は助手席のウィンドウを全開にして左肘を置き、足を組んだ姿勢で前方を見詰めていた。

 気まずい、とは感じない。ただただ不快だった。僕ら二人だけの、丸二日間の旅路。想像しただけで疲労感に苛まれる。

 

(変わらないな。お互いに)

 

 歩み寄らなければならない。頭では理解している。けれど納得はできない。思考がぐるぐると同じ軌道で回転して、感情がそれを停止させてしまう。

 だとえこの記憶が、彼女が大切な誰かを手に掛けた記憶が消えたとしても、僕の根本的な部分が、彼女を拒絶するだろう。彼女が4Sに向ける笑顔なんて、僕にとっては無意味だ。

 ……どうだっていい。この際だ、何も考えずに言葉を選ぼう。

 

「前々から気にはなっていたんですけど。この大陸とカアラ山がある大陸は、陸続きになってませんよね。どうやって海を渡ったんですか?」

「沿岸に泊まっていたヨルハの小型船を使った」

「盗んだ、と」

「お前らが勝手に乗り捨てただけだろう。司令部は使い捨てるのが好きだったからな」

 

 成程。きっと空母が寄港する際に使用されて、そのまま放置されたとか、そんなところだ。アネモネさん達は正規のルートで渡ったのだろうか。

 それから暫く、会話はなかった。続けようにも、続かなかった。

 

___________________

 

 

 約三時間後。中継地点の一つであるアクセスポイントは、やはり全ての機能がダウンしていた。僕は2Bと通信を繋いで、定期連絡を入れていた。

 

「そっちは変わりありませんか?」

『特になにもない。あ、一号と三号が「お土産持ってきてね」って言っていた』

「お土産って言われても……」

 

 今回の依頼は活動範囲の拡大、加えて使えそうな物資の収集という目的もあった。しかし現時点では収穫はなく、南へ向かうに連れて草木も減ってきている。見当たったのは機械生命体の成れの果てぐらいで、今後も有用そうな物資は望めそうにない。

 溜め息を付きながら通信を切って、車内に戻る。A2は変わらずにぼんやりと前を見詰めていた。

 

「そろそろ出ますけど、いいですか」

「いちいち断らなくていい。好きにしろ」

 

 その言葉に甘えて、僕は無言でアクセルを踏んだ。

 外では乾季には珍しい小雨が振り始めていた。

 

________________________

 

 

 発車してから十二時間が経過した頃、僕らは車を停めて睡眠を取ることにした。一日当たり数時間のスリープモードは10Hが来てからほぼ毎日欠かしていないし、長時間に渡る自動車の操縦は、思いの外に疲労を伴った。これぐらいの簡単な操作なら、自動操縦機能があって然りだというのに。

 

「という訳で、これから眠ります」

「そうか」

 

 座席脇のレバーを引いて背もたれを倒し、仰向けに寝そべる。隣ではA2が僕と同じように寝転がり、左腕を額の上に置いていた。

 

(……静かだな)

 

 瞼を閉じて間もなく、しんとした静けさが訪れて、落ち着かなくなる。あるはずの音がなく、声も聞こえない。

 僕らにとっての帰るべき場所は、間違いなくバンカーだった。地上に取り残されて、いつしかそれは、あのレジスタンスキャンプへと代わった。

 こんな風に皆と離れ離れになるのはいつ以来のことか分からない。2Bは今頃何をしているのだろう。4Sはパスカルの村にいるのだろうか。10Hさんは今何処に。

 分からない。せめてもの繋がりは音声通信のみ。仮に通信障害が起これば、それだけで何も分からなくなる。怖くて仕方ない。僕らは今、見知らぬ地で―――孤独だ。

 

「ずっと独りきりって、どんな感じでしたか」

「……私に聞いているのか?」

「他に誰がいるんです」

 

 自然と口に出していた。少なからず、僕も把握はしていた。

 僕の隣で眠る女性は、文字通りの孤独を数年間背負ってきた。たった独り取り残されて、ヨルハ部隊の追撃を返り討ちにしながら、逃れるように北へ北へと向かった。

 四年間の寂寥。僕には想像し得ない旅路。そんな孤独を、感情は耐えられない。耐えられるはずがない。なら僕の隣で眠る女性は、一体誰なんだ。

 

「別に。慣れてしまえば気楽だった」

「今も同じですか?」

「うるさい。眠るんじゃなかったのか」

 

 どうかしている。こんなことを聞くのも、考えるのも。

 何かと詮索したがるS型の特性が、今だけは鬱陶しくて堪らなかった。

 

___________________

 

 

 翌日。再出発してからほどなくして、僕らは折り返し地点である座標上に辿り着いていた。ジャッカスの情報では、十数名のレジスタンスが滞在しているはずだったけれど、誰の姿も見当たらなかった。

 

「キャンプを設営していた痕跡は見られますが……誰もいないというのは、妙ですね」

「移動したんじゃないのか?よくあることだろう」

 

 確かにそう考えるのが自然だ。レジスタンスは大体二十から三十名程度の集団で行動し、各地を転々とするのが常。一定の地に長期間滞在することは少なく、臨機応変に拠点を変える。

 しかしそれにしては、生活の痕跡が強く残っている。まるでレジスタンスだけが忽然と消えてしまったかのような違和感があった。状況から考えて、恐らく数週間前からこんな状態なのだろう。

 

「で、どうするんだ?」

「とりあえず、使えそうな資材がないか物色します。積み終わったら折り返しましょう」

 

 とにかく動かなければ始まらない。サンシェードや衣服の類はA2に積めるだけ積んで貰い、パーツ類は僕が選別した方がいい。貴重な物資は手早く回収して、さっさと撤退しよう。長居は無用だ。

 

「……え?」

 

 歩き出そうとして、視界が揺れた。足元を見ると、昨日の雨が作った水溜りが歪んでいるような錯覚に陥った。

 突然、辺りが震え出したのは、その直後だった。錯覚ではなく、大地に巨大な亀裂が走り、僕の身体は大きく揺らいだ。

 

「くっ……A2!」

「9S!?」

 

 思わず伸ばした手は、届かなかった。土壌の塊と一緒に、僕とA2は為す術もなく、地下の奥深くへと吸い込まれていった。

 

 

 

 



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二人 後編

前後編の後編になります。


 

 夢を見ていた。見たくもない夢だった。

 一度目は、廃墟都市施設前。A2が手にしていた軍刀は、大切な女性の腹部を貫いていた。僕はあらん限りの憎悪を以って剣を取り、がむしゃらに疾走するも、崩落する橋や瓦礫と一緒くたになって、落ちていく。

 二度目は、大型ユニットの最上階。殺し損ねた相手に、僕は笑いながら斬り掛かった。何度も何度も軍刀を振りかざして、しかし刃は届かず、再び足元が崩落していく。

 三度目は妙に鮮明で、不愉快な夢。現実の記憶。僕は彼女の手を取ろうとして、やっぱり手は、届かなかった。

 

「……ここ、は」

 

 光がない。一切の光源がなくて、真っ暗だった。

 視覚センサー系統を切り替えていると、向かって右側から声が聞こえた。

 

「漸くお目覚めか」

「っ……A2?」

 

 A2は僕の傍らに腰を下ろしていた。一方の僕は、仰向けの姿勢で寝そべっていた。

 一体何が起きた?バイタルがやや不安定だ。右脚も不具合を起こしているし、まるで状況が理解できない。

 

「ポッド。……ポッド?」

「無駄だ。お前を追って、あいつらも巻き込まれた。多分、何処かに埋まっている。三機ともな」

「……どれぐらい、時間が経ってますか?」

「さあな。二時間弱ぐらいじゃないか」

 

 冷静になれ。記憶は鮮明だ。まずは一つずつ確認する必要がある。

 どうやら僕らは、謎の崩落に見舞われてしまったらしい。地表が崩れた原因はともかく、状況から察するに、かなり地下深くにまで落ちてきたのだろう。周囲の空間は僅かで、満足に身動きを取れそうにない。A2の言葉を信用するなら、ポッドを頼ることもできない。

 

「いつもいつも、どうしてお前は足場もろ共落ちるんだ。これで三度目だぞ」

「僕も同じことを考えていました」

「しかも今回は私まで巻き込まれた」

「僕に言われても困るんですけどね。……クソっ、駄目か」

 

 更に困ったことに、右脚の人工骨格が折れていた。落下の衝撃で折れたのなら、やはり地上とはかなりの距離がある。

 外部との通信も絶望的。状況確認が進むに連れて、段々と重々しい雰囲気が漂い始める。

 

「痛むのか?」

「いえ……神経系統を調節すれば、ある程度は。でも自己修復には、数日掛かります」

 

 十日も経たずに骨格は繋がるだろう。安静にしていればの話だが、決して楽観視はできない。

 頭上にはいつ落下してくるとも分からない物体が無数に存在した。岩盤自体が崩れているのだろう。二次的な崩落が起きたら、今度こそ二人揃って地下深くに埋まってしまう。

 

「要するに、私達は移動した方がいいのか」

「可能であれば……さっきから気になってましたけど、もしかして、視えていないんですか?」

「光がないんだから仕方ないだろう」

「光学以外のセンサー系統は?」

「二年前から機能していない」

「……よく分かりました」

 

 道理で様子がおかしい訳だ。こんな狭い空間の中で暗闇に包まれたら、不用意に立って歩くことすら儘ならない。

 辺りを見渡すと、十数メートル先に横穴が空いていた。風の流れはない。あの穴が何処へ繋がっているのか分からないけれど、ここで静観している訳にはいかない。

 

「A2。僕の指示に合わせて動いて下さい」

「その前に言うことがあるだろう」

「……手を貸して貰えると、助かります」

「やれやれ。面倒なクソガキだな」

 

 僕が誘導すると、A2はゆっくりとした動作で僕の脇と膝の下に腕を通して、立ち上がった。

 どうして僕は、いつも抱えられる側になるのだろう。自分が情けなく、惨めで仕方がなかった。

 

___________________

 

 

 横穴を進むに連れて、崩落の原因が分かってきた。

 恐らくこの辺りは、連結型機械生命体の縄張りだったのだろう。機械生命体が地下深くを掘り進む連れて地層が不安定になり、僕らが地上を自動車で走行したのが引き金となって、一気に崩れ落ちた。キャンプにいたレジスタンス達は、機械生命体の襲撃に遭ったのかもしれない。

 

「多分この洞穴は、雨水が地下へ流れる道なんだと思います。岩肌に水が削った跡があります」

 

 不幸中の幸いは、僕らが落下した地点に、一本の洞穴が繋がっていたこと。足元には昨日に振ったとされる雨水が前方に流れていて、雨季には川のようになるのだろう。

 

「結局この穴は何処に繋がってるんだ?」

「それは僕にも分かりませんよ……A2、少し休憩にしましょう」

「必要ない。まだ小一時間しか経っていないぞ」

「いいから一度下ろして貰えますか」

 

 A2が身を屈めて、僕は左足一本でバランスを取り、地面に座った。僕の隣に腰を下ろしたA2は、大きく息を吐いて額を拭った。

 

「目が利かないのは……厄介だな」

「……相当な負荷を掛けている、自覚はあります」

 

 光源は一切ない。A2は今も尚暗闇に囚われながら、僕を背負って移動している。地形の情報は僕の声だけが頼りで、しかも脚の損傷を気に掛けて、数秒間に一歩ずつのペースで。一時間が経ったとはいえ、距離で言えば一キロ半しか進んでいない。精神的な負荷は、途方もなく重いはずだ。

 

「ポッドがいれば、簡易ライトで道を照らしてくれるんですけどね」

「必要な時に役立たずなハコだな……クソっ」

 

 地上では2B達が異変に気付き始めた頃だろう。定期連絡の時間はとっくに過ぎている。遅かれ早かれ、僕らが直面している事態を察知するはずだ。

 ここで2B達の救援を待つ、という選択肢もある。しかし可能性は限りなく低い。この洞穴が地上と繋がっていると信じて、先に進む方が賢明だ。

 

「9S、もう少し情報をよこせ。足元が滑り易くて心許ない。癪だが、お前の目しか頼れない」

「……分かりました」

 

 A2は当たり前のように、僕へ背に負ぶさるよう促した。

 

___________________

 

 

 洞穴に入ってから丸三日が経過した。状況に変化は見られなかった。

 右脚の自己修復も、一向に進まなかった。損傷部は固定したものの、骨格の繋がりが著しく悪い。A2に背負われていても、歩行の振動が人工骨格に伝わって、修復が阻害されていた。時折足を滑らせて転倒すると、却って益々悪化した。

 想定外の要因は、複雑に入り組んだ洞穴の構造にもあった。

 

「A2、止まって下さい。道が狭すぎます。行き止まりです」

「クソッ……またか。強引に削って進めないのか?」

「この辺りの岩盤は崩れ易くて危険です」

 

 足元に水の流れはあるものの、僕らが通れそうな空間は見当たらない。

 これで何度目だろう。S型としての地形探索能を余すことなく活かしても、道を誤ってしまう。そもそもこの洞穴が外部に繋がっているという可能性自体、危ういというのに。

 

「……脚の修復を、待った方がいいかもしれません。そうすれば、格段に早く探索できます」

「十日間も掛かるんだろう?待ってられるか。その間に大雨でも振ったら、二人共水没するぞ」

「今は比較的乾季だし、A2の負担があまりにも―――」

「構うな。このまま進む」

 

 A2は踵を返して、再び一歩ずつ歩を進めた。

 疲労は目に見えて蓄積している。何とかしないと。どうすればいい?僕は、どうすれば。

 

___________________

 

 

 十二日後。次第に会話が減り、元々遅かったA2の歩みは、より鈍足になっていた。骨格の自己修復は一向に進まず、光も見えてこない。ないない尽くしの状況が続いていた。

 

「「!?」」

 

 A2が左足を滑らせて、僕らの身体が岩肌に転がった。右脚に鋭い痛みが走り、思わず呻き声を漏らしてしまう。

 

「ぐう、ぅ」

「っ……すまない」

 

 そのまま壁に背を預けて、僕らは休憩を取ることにした。

 A2の負荷は既に限界を超えていた。視界が皆無というだけで、精神的ストレスは途方もない。僕の思考回路も、段々と異常を来しつつある。論理的に考えようとすると、ノイズが邪魔をして遮られてしまう。考えようにも、痛みばかりが先行する。

 

「これ以上は、無理です。限界だ。ここで脚の修復を待ちましょう」

「クソっ……クソ!」

 

 完全に判断を誤っていた。少し考えれば、分かったはずだ。

 これまでの道のりと地形の情報から推測して、出口らしい出口は近地にない。地上とはかなりの距離があるし、広大な縦穴でも見付からない限り、地上へは出られない。どう転んでも、脚の修復を待つ必要があった。

 A2の歩みが、完全に無駄と化したに等しい。もっと早く決断すべきだったのに。

 これから十日間―――十日間、も?

 

(今、何日目だ?)

 

 違う。そんなこと、考えてどうする。

 2B達は、近くまで来てくれているのだろうか。もう何日間も声を聞いていない。あと、十日間も?いや、もっと掛かるはずだ。そもそも僕らは、地上に戻れるのか?

 やめろ。考えても無駄だ。

 2B。みんな。会って話をしたい。声が聞きたい。

 おかしい。段々と思考が歪になっていく。このままでは、僕は。

 

「9S。何か、話せ」

「はい?」

 

 不意に、声が聞こえた。若干の間を置いてから、A2は再び言った。

 

「頼む。何か、話してくれ」

 

 不思議なことに、僕よりも一回り大きい身体が、とても小さく映った。その肩は小刻みに震えていて、寒さからくる体温調節行為でないことは、一目瞭然だった。

 

「A2、貴女は……」

 

 唐突に、僕は理解した。今更になって、漸くA2の心を垣間見た気がした。

 

「おい。聞こえないのか」

「いえ、聞こえてます。少しA2のことを、考えてました」

「……何だと?」

「貴女はずっと、そうだったんだ」

 

 きっと彼女は、手放していたのだろう。数年間の孤独に耐え得るために、感情の大半を諦めた。孤独の代償として、僕らが当たり前のように抱く大切な何もかもを捨て去って、たった独りで生き続けてきた。

 それが今、成り立たなくなりつつある。僕らがこの洞穴に迷い込んでから、ほんの十数日しか経っていないというのに、誰かの声を欲している。自分以外の誰かを求めている。

 かつての仲間。パスカル達機械生命体。2B。10H。―――4S。

 

「よく分からないが、無性にお前を殴りたくなってきた」

「後にして下さい」

 

 それから僕らは、色々な会話を交わした。

 自分のこと。相手のこと。過去の記憶。最近の記憶。

 好きなこと。嫌いなこと。好きな物。嫌いな物。他愛のない四方山話。

 時に微笑んで、時に腹を立てて、気まずい雰囲気になりながらも、僕らは一時も欠かさず語り合い、睡眠を取っては起床して、お互いの声を聞いた。

 長いようで短い十日間は―――あっという間に、過ぎていった。

 

___________________

 

 

 崩落から二十四日後。右脚が完治したことで、僕らの歩みは飛躍的に早まった。

 A2の手を引いて洞穴を進んでいると、二十四日目にして漸く、手掛かりらしい手掛かりを感じた。

 

「……風だ」

「風?」

「僅かにですけど、風があります」

 

 普段なら気にも留めない、僅かな風の流れがあった。未だ光源は見付かっていないけれど、脱出の大きな手掛かりとなり得る。

 足早に進むに連れて洞穴は段々と広がっていき、やがて行き着いた先には―――希望のような、絶望があった。

 

「これって……」

 

 水の流れがあった。上流の洞穴からは凄まじい勢いで水が流れ出ていて、下流では湖の底に穴が空いたかのように、小さな渦が発生していた。水圧は相当なもので、つるんとした滑らかな岩肌に、足場は一つもない。一度流れに巻き込まれたら、後戻りは不可能だ。

 風の流れはあるものの、肝心の道が見当たらない。眼前の光景をA2に説明すると、A2は険しい表情で言った。

 

「流れに逆らって上れないのか?何処かしらに繋がっているはずだろう」

「無理ですよ。こんな水圧じゃ、僕は勿論、A2でも」

「……試してみる価値はある」

 

 A2は上流の洞穴に向かい、水圧に逆らって水流に左半身を投じ、左足を岩肌に突き刺した。途端にA2の身体がぐら付いて、瞬く間に流れに飲まれてしまい、僕は慌ててA2の腕を掴んだ。びしょ濡れになったA2は、身体を震わせながら水を吐き出した。

 

「ゲホ、カハッ……だ、駄目だ。水圧が、そ、それに、水温が、低過ぎる」

 

 こんな地下深くを流れる水だ。短時間でも一気に体温が奪われてしまう。調節機能が追い付くはずがない。

 

「……でも、道らしい道は、ここまでです」

 

 これまでの足取りは全て把握していた。敢えて口には出さなかったけれど、僕らは少しずつ地下に潜っていた。風の流れはここにしかないし、上流の洞穴が行き止まりに等しいのであれば、最早探りようがない。

 

「クソっ……クソ、クソ!!」

 

 A2は地面に拳を打ち付けながら、悲痛な声を漏らした。

 僕には、どうすることもできなかった。

 

___________________

 

 

 水流が弱まるという可能性に縋り、僕らは待機を選んだ。しかし待てども待てども水圧は変わらず、段々と重く圧し掛かってくる現実が、僕らの感情を容赦なく蝕んだ。

 会話も消えていた。僕らは距離を取って蹲り、虚ろな目で水流を見詰めていた。思考は再び回らなくなり、絶望感ばかりが募っていく。

 

(寒い)

 

 始まりがあって、終わりがある。生と死がある。こんな所で、終わりが訪れるのだろうか。何とも味気なく、現実味がない。しかし逃れられない現実がある。光が微塵も届かないこの空間が、終着点。

 

「―――え?」

 

 始まりと終わり。終着点。必ず終わりがある。

 そうだ。どうして気付かなかった。僕らはまだ、終わってなんかいない。

 

「可能性は……ある。いや、絶対そうなっているはずだ」

「……9S?」

「A2。落ち着いて聞いて下さい」

 

 たった一つだけ残されている可能性。上流が駄目なら―――下流だ。

 僕は逸る気持ちを抑え、丁寧に言葉を並べた。

 

「地上の情報と僕らの足取りから考えて、僕らは今海岸にほど近い地点にいます。この水の流れには、必ず終着点がある。海に繋がっていると考えるのが自然です」

「……まさか、飛び込む、のか?」

 

 無論、最悪の事態を招く可能性は大いにあり得る。もし洞穴が大海に繋がっていたとしても、僕らが辿り着ける保証は何処にもない。長時間冷水に曝されてしまえば、それだけで危うい。洞穴が極端に狭まってしまったら。光が届かない深部に放り出されたら、光学センサーしかないA2が海面に浮上できるのか。

 自殺行為と言っても過言ではない。危険な要素は幾らだってある。けれど、道は他にない。ここまで来て諦めるなんて、馬鹿げている。

 

「流石に、無理だろう。危険過ぎる」

「でもこれしか方法がありません」

「それは、分かるが……」

「僕は諦めたくない。A2も同じはずだ。A2だって、また4Sと―――」

「やめろ!!!」

 

 どんと胸を押されて、尻餅を付いた。見上げると、A2は頭を抱えて岩壁に背中を預け、ずるずると座り込んだ。

 

「あいつの名を口に出すな。頭が、頭がおかしくなりそうだ」

「A2?」

「どうして……どうして、私は、こんな」

 

 ひどく頼りない声を漏らしながら、A2は身を縮めて蹲った。

 どうして、だって?それはもう、分かっているはずだろう。手放していただけ。忘れていただけだ。

 

「おかしくない。それが普通だ。僕だって気が狂いそうで仕方ない」

「な、に?」

「一緒だって言ってるんだ。僕らはっ……何も、違わない」

 

 絶望に打ちひしがれて、言い換えればそれは、彼女が生きようとしていることに他ならない。死に対する恐怖心は、生への執着心の裏返しだ。

 遠い昔に捨て去った感情を、貴女は受け入れようとしているのだろう?ひどく不慣れで、不器用で、覚束ない足取りで、もう歩み始めているはずだろう。

 人間を恋しいと思う感情を、僕らは捨てることができない。けれど、人間以外の誰かを、愛おしいと感じることはできる。その存在を、僕らはとっくに見付けている。貴女の歌声を、僕は知っている。

 

「A2。手を握りましょう」

 

 僕は強引にA2の右手を取って、立ち上がらせた。力を込めて握ると、同じだけの力が返ってくる。

 

「絶対に離しません。だから、離さないで下さい」

 

 握った手はそのままに、反対側の手をA2の背中に回した。A2も同様に、僕の身体を引き寄せた。お互いの存在を確かめるように抱き合って、僕らは最後の会話を交わした。

 

「凄まじく不快だ」

「同感です」

「私はお前が大嫌いだ」

「僕も大嫌いです」

「……絶対に、離すな」

「そっちこそ」

 

 意を決して、僕らは激流に身を投じた。

 A2の胸元から伝わってくる体温だけが、拠り所だった。

 

___________________

 

 

 寒い。静かだ。目の前には、空があった。最初に耳に入ったのは、波の音。

 ここは何処だろう。音や色彩が少しずつ明確になっていく。

 

「私は……」

 

 口の中に水と砂が入り込んでいて、体液と一緒に吐き出した。塩辛い。知らぬ間に海水を飲んでしまっていたのだろう。

 ぼんやりと辺りを見渡すと、砂ばかりだった。さざ波がやって来ては下半身が濡れて、肌寒さに襲われた。

 寒い。寒い。海水はそこまで冷たくないのに、寒くて仕方ない。

 

「……え?」

 

 右手には、右手がなかった。右手はあるのに、右手がない。

 私は何を握っていた?右手で、右手を。誰の右手を?

 

「っ……9S?」

 

 そうだ。私は離さないと言った。彼もまた離さないと言っていた。

 なら何処だ。何処にいる。どうして私は、独りなんだ。

 

「9Sっ……9S!?」

 

 慌てて立ち上がり、大声を捻り出す。返事はない。誰の姿も見当たらない。

 

「9S、何処だ!?9S、9S!!」

 

 どうして答えない。離さないと言っただろう。どうしてお前は、私は手を離してしまったんだ。

 独り。

 まただ。独りだ。

 また私は、独りになってしまった。

 私は今―――圧倒的に、独りだ。

 

「ナイン……エス」 

「ぷはっ!!」

「……は?」

 

 孤独を好いていた。独りは気が楽だった。誰かに裏切られる心配はないし、誰かを失うこともない。ちっぽけな感情を切り離すだけで、苦しまなくて済む。

 

「あ、A2。起きたみたいですね。よかったです」

「お前……あ、え?」

「いやー参りましたよ。上着のポケットに入った砂を洗い流していたら、上着が流されてしまって。元々水中での活動は苦手なのに、僕って―――ぐはぁ!?」

 

 けれど、一度思い出してしまったら、もう後戻りはできない。たとえ世界中の全てを敵に回したとしても、完全に捨て去ることは、できないのだろう。

 

「待って、おい待て。どうして僕は殴られたんですか」

「いいから黙って殴らせろ」

「何でだよ!?」

 

 実に面倒で厄介な感情と一緒に、私は生きていく。この地上で、私は生きていく。

 帰るべき居場所で、待っている人がいるから。

 

 

 



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