終わる幻想郷-Last Word- (くけい)
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前奏、あるいは前章:花束
東風谷早苗(1)


 

光の雨に包まれ落下していく少女。その少女の名前は――

 

 

もう残っているのは、私達二人だけ――

 

 

CAST   

博麗霊夢           霧雨魔理沙       

 

ルーミア           チルノ         

紅美鈴            パチュリー・ノーレッジ 

十六夜咲夜          レミリア・スカーレット 

フランドール・スカーレット              

 

アリス・マーガトロイド    魂魄妖夢        

西行寺幽々子         八雲藍         

八雲紫                        

 

伊吹萃香                       

 

上白沢慧音          因幡てゐ        

鈴仙・優曇華院・イナバ    八意永琳        

蓬莱山輝夜          藤原妹紅        

 

射命丸文           メディスン・メランコリー

小野塚小町                      

 

河城にとり          東風谷早苗       

八坂神奈子          洩矢諏訪子       

 

永江衣玖           比那名居天子      

 

黒谷ヤマメ          水橋パルスィ      

古明地さとり         霊烏路空        

古明地こいし                     

 

ナズーリン          村紗水蜜        

寅丸星            聖白蓮         

 

姫海棠はたて                     

 

物部布都           豊聡耳神子       

 

秦こころ                       

 

マエリベリー・ハーン     宇佐見蓮子       

 

稗田阿求           本居小鈴        

 

先代の巫女          ……          

 

 

 

 東風谷早苗(1)

 

 

 周囲は緑で一杯だった。外の世界のような人工物は、ここから見る限りは見当たらない。その景色に東風谷早苗は心地よさを感じる。それに

 緑色の長髪。その髪には蛙と白蛇をあしらった髪飾り。アクセントに青色を入れた白い巫女服を着ている。

 

「早苗」

 

 後ろから早苗を呼ぶ声が聞こえる。早苗は振り返り声の主の元へ向かう。

 声の主――八坂神奈子は守矢神社の前に立っていた。青い髪。白の長袖の服の上に半袖の赤い上着。黒いロングスカートを履いている。

 守矢神社は先ほど外の世界から、東風谷早苗と二柱の神とともに引っ越しをしてきた。

 

「早苗、着いてそうそう悪いけど、使いを頼めるか?」

 

 二柱の神の一人、八坂神奈子は早苗に一つの頼み事をした。

 聞けば、この幻想郷へ下見で赴いた際、出会ったカッパに頼まれたのだそうだ。神奈子はまずはカッパからの信仰得るため、これを了承した。

 信仰。二柱の神は多くの信仰を得たいため、この幻想郷に引っ越しをした。外の世界は技術の進歩により、神への信仰が減ってきたのだ。

 信仰は神にとって、力。外の世界での信仰の衰退は止まらないと考え、彼らと早苗はこの地に移動した。

 神奈子曰く南下した先の川にいる河城にとりを訪ねれば良いそうだ。

 早苗はかご一杯のキュウリを――霊力で重さを減じ――、目的の場所に赴いた。

 

 

 人里は早苗が思っていた以上に田舎――建物が一世代程古く――で、しかし人が多く活気があった。

 ここに来たのは河城にとりから、キュウリのお礼として手書きの地図を受け取ったからだ。二柱の神とは違い、早苗は幻想郷に来たのは初めてで、地理を頭に入れておきたったからだ。

 あと食料も。今は買い置きのものがあるが、ここで暮らしていく以上は知っておかなければいけない。

 地図を見ると、幻想郷は中央に魔法の森が広がっており、この人里はその東のほうに存在する。

 森の北側には霧の湖――上から見た限り、霧が立ちこめ湖は確認できない――があり、その中州に紅魔館という紅い建物が建っているそうだ。霧から北に向かって伸びる川がにとりと出会った川で守矢神社の近くまで繋がっている。

 地図には書かれてはいないが、守矢神社は北にある妖怪の山の中腹にある。山は険しく、頂上は雲で隠れて見えない。

 早苗にはよくわからなかったが、西のほうには無縁塚、南のほうには太陽の畑、無名の丘というのがあるそうだ。あと南東のほうには竹林が広がっていた。

 人里からさらに東には神社があるようだ。なぜ、人里からこんなにも離れているのか早苗は疑問に思ったが、思えば守矢神社はこの神社よりも遠い。

 そんな事(あと地図を見たり)を考えながら歩いていたせいで、前から歩いてきていた二人組みの少女の一人とぶつかった。早苗は転けることはなかったが、相手は早苗より小さく小柄なせいか尻餅をついてしまっていた。鈴の音が鳴る。

 

「ごめんなさい、大丈夫ですか?」

 

 早苗は謝りながら手を差し出す。その手を握り少女は立ち上がった。

 明るい茶色の髪。その髪には鈴のついた髪留め。紅色と薄紅色の市松模様の着物を着ている。

 もう一人の少女――稗田阿求と言うそうだ――が、早苗に「見かけない顔ですね」と声をかけた。

 紫色の髪でおかっぱ頭に鮮やかな色の着物。

 早苗は最近ここに来たのだと伝える。すると先程の少女が一つの通りを指差し、「鈴奈庵という貸本屋を営んでおります、本居小鈴と言います。お暇があればどうぞ遊びに来てください」と営業スマイルで宣伝した。

 早苗は二人の少女から先の神社についての情報を聞き、少し食料を買い、その日は岐路に着いた。

 

【挿絵表示】

 

 

 

 東風谷早苗――奇跡を起こす能力

 ???

 

 本居小鈴――あらゆる文字を読める能力

 ???

 

 稗田阿求――一度見た物を忘れない能力

 ???

 




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それとなく、霊夢は札を手で隠した。


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博麗霊夢(1)

 博麗霊夢(1)

 

 

 遠くでセミの鳴き声が聞こえる。

 丸いちゃぶ台の上には二枚の護符。座卓は南に面した縁側――雨戸とふすまを開けた――から差す光に照らされている。

 朝から風はほとんどなく、神社を覆う森の木々の匂いは、室内の巫女の鼻に微かに香る程度だった。差し込む陽光は暖かく、テーブルを照らすが、彼女の顔には届かない。

 巫女は左側にある護符を左手で右側にある護符を右手で触れる。左側の護符の情報を、右側の護符に送り込む。徐々に札の文字が表面に浮かび上がる。

 

「……」

 

 全ての情報を送り終え、博麗霊夢は一呼吸置いた。

 彼女のしていることは護符の複製。

 博麗神社住居部の一室で、彼女は護符を準備していた。これでオリジナルを含め合計四枚。

 博麗霊夢の能力は様々なものを護符に封印することだ。また、封印したものを解放することも出来る。封印できるものはさまざまで、妖の能力や人などの生物も護符に封じることが出来る。

 ここ一年で起きた紅霧異変や春雪異変などを解決する際に戦ったときには、周囲の暗闇にしてしまう闇の妖怪ルーミアの能力、氷柱――正確には冷気を操る能力だが――を作り出す氷の妖精チルノの能力を封じた護符を使った。

 護符は現実に存在するものを封印できるが、存在しないものも封印することが出来る。封印と言うよりは創造するといった方が正しい。

 自分の中でイメージした情報、あるいは構成を封じ込めることで、空想上のものを再現する。万能だが欠点は大きく二つある。一つは失敗することが多いこと。実在のものより存在が曖昧なため、構築する情報不足が原因で失敗する。かなり堅牢で精巧なイメージを構成しないと形が崩れてしまう。

 もう一つはそれが霊力の塊であり、時間が経てば霊力が霧散し、なくなってしまうことだ。

 ただ霊力を充填することで形を維持することも出来る。加えて一度作ってしまえば、複製することは簡単だ。複製する数の護符と霊力を消耗すれば良い。

 この方法で二年前、私が作ったのはクローンだ。私と同じ記憶、知識を持ち、自身で思考し行動する。作った理由は簡単で、魔理沙との話から、とただ仕事をサボりたいという怠け心からだ。最初から可能だとは思わなかったのだが、偶然にも出来てしまった。一発で出来てしまったこともあり、その護符をすぐ一枚複製してしまった。バックアップという訳だ。

 

「霊夢」

 

 外から魔理沙の声が聞こえ、少し遅れて黒白の少女が姿を現した。

 霧雨魔理沙。魔法使い。いつもと同じ、白のブラウスに薄手の黒いベスト、サロペットスカートを着ている。白のリボンの付いた黒い三角帽が、彼女の顔にかかる日差しを遮っている。白と黒のモノトーン。

 けれど、地味とは思えない。それは陽光を受けて眩く光るブロンドの長髪のせいなのか、顔の横で纏めた一房の髪を結んだリボンの赤色がアクセントになっているのか、大きなブラウンの瞳と端正な顔立ちによるものなのか、霊夢には分からない。ただいつもと同じで――

 それとなく、霊夢は札を手で隠した。

 

「霊夢、花見をしよう」

 

 魔理沙は季節外れなことを言い始めた。

 霊夢が彼女と会うのは久しぶりだった。

 永夜異変から一週間ほど経っている。これほど、間が空くのは魔理沙と会って以来、初めてだった。

 魔理沙の話の内容はこうだ。

 今、南の方で四季折々の花が咲いている――つまりは異変だ。

 が、害もなさそうなので解決する前にみんなで花見でもしよう、と言うわけだ。

 すでに紅魔館の面々、冥界の二人、アリスに声をかけたそうだ。

 しかし、アリスは人形のメンテ作業で無理らしい。

 時間は昼頃とアバウト。

 条件は、それぞれ何かを持ってくること。

 咲夜、妖夢は料理を持っていくと言っている。主人の為に色々と料理を作ってきているので、期待できそうだと魔理沙は言う。

 魔理沙はお酒を持っていくという。

 時間がない以上、あまり手間は掛けたくない。

 霊夢は魔理沙同様、簡単に準備できるお酒を何本か持っていくと伝えた。

 

「ちょっと、護符の整理をね」

 簡単に済ませたい理由として、今している作業を伝える。

 普段も魔理沙なら、興味半分でここにいるのだが、魔理沙は明日の朝迎えに来ると言い、空へ飛んでいった。

 魔理沙はあの子の事を、自分と同じ姿の青巫女についても言わなかった。

 それが、立ち直った証拠なのか、それとも今だ引きずっているのか。ただ、いつものように長居することはなかった。

 正直、ありがたかった。いつものように喋る自信が無かった。時間が経てば、いつも通りに喋れるとは思うのだが――

 かぶりを振り、霊夢は再び作業を始める。

 棚から一枚の護符を取り出す。昨日作ったまま効果を試していない護符。

 巫女は、靴を履き外へと出る。

 札を服に貼り、境内から手頃な小石を拾い、指で小石を頭上に弾いた。

 落下する小石は巫女に当たる前に、透明な球状の膜に弾かれた。

 防護結界の時間を確認する。

 一……二……三……四……五秒。

 構築した通りの結果だった。取りあえずは合格点。

 これは紅魔館のメイド――十六夜咲夜の能力を間近で見るために作った防御結界札を改良したものだ。とは言っても、効果はもはや別物だ。

 あれはギリギリまで、皮膚に触れるか触れないかの所で防御する。しかし、下手をすれば自身をも傷つけるものだった。

 体に張れば、一度の攻撃は誰でも防御できる。

 と、ぐらりと体が傾いた。

 今は夏だが、日差しはそれほど強くない。霊力を消耗しすぎたのかもしれない。

 早くしないと――

 月の異変の前から感じていた胸騒ぎ、それはいまも続いている。いや寧ろ強くなってきている。

 魔理沙が言っていた、花の異変のことなのか。それとも、もっと別の――

 どちらにしても、時間はそれほど残ってはいない。

 調べなければいけないこと、覚えなければいけないことが沢山ある。

 霊夢は意識を集中し、一枚の護符を作り始めた。

 




NEXT EPISODE ???(1)
舟を漕ぎ、彼女は彼岸から此岸へと戻る。


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???(1)

 有頂天。

 妖怪の山を登った先にある浮遊する大地。

 天人が住んでいる天界の世界の一つで、冥界の中に存在する。この冥界への入り口は、

 地上と同じように草木が生え、山があり谷があり川が流れる。地上と少し違うのは空気の薄さだろう。しかし、そこに住まう天人の力によって、高度三千メートルほどの薄さ程度に留まっている。それだけではない。気温もまた、地上と同程度に保持されている。

 どうして、地上と同じような環境にしているかと言えば、天人は成仏した幽霊や修行して欲を捨てた者が行き着く先で、生前と同じ環境を望み作り上げたからだった。

 この天人となる流れに例外はある。比那名居天子がその一人である。

 正確には彼女の一族が、である。

 天子の一族――比那名居一族の上に位置する名居一族が天人となったため、勝手に彼女も天人になってしまった。それは普通喜ばしいことなのだが、天子はそうではなかった。

 

 

 比那名居天子は今日も永江衣玖の家にいた。

 彼女はよく衣玖の家に遊びに行く。

 自宅にいても周りは歌を歌い、踊って酒を飲む生活だ。しかし、歌も踊りも天子には興味がなかった。

 何より酒がそんなに好きではない。酒を飲むことなく、天人となったことが原因なのか――

 とにかく天子にとって家は退屈なのだ。

 衣玖はキッチンで料理をしていて構ってくれない。

 先日作った桃――仙果と呼ばれる天界の桃――のタルトを改良しているそうだ。

 どうも私のせいらしい。

 この間、彼女が作った焼きたてのタルトを食べたとき、おいしかったのだが何か物足りないと率直な感想を言った。

 あれを試しこれを試しと、なにやら試行錯誤している。

 今に限ったことではない。家で食事をすることより、衣玖の手料理を食べる事の方が多い。

 手持ち無沙汰の天子はキッチンを離れ、衣玖が整理してある本棚へ向かう。

 料理ができれば相手をしてくれるだろうと、それを待つ間は本でも読んでいようと考えた。

 自分でも読めそうな本はないか。

 本以外にファイルが一つ。

 天子はそれを手に取り、テーブルの上で広げる。

 それは数十枚の新聞記事だった。

 たいした内容のない幻想郷の出来事が書かれた記事。

 そのとき窓から風が舞い込んだ。

 天子の青い長髪がなびき、一枚の記事がひらりと床に落ちる。

 天子はそれを拾おうと手を伸ばし――

 

 

 ――↑↓――

 

 

「総領娘様。一つ焼き上がったのですが、試食なさいますか?」

 

 焼き上がった桃のタルトを持って、永江衣玖は天子に声をかけた。赤いフリルの付いた薄桃色の上着に、黒のロングスカート。服を汚さないように白いエプロンを着けている。

 

「遠慮しとく。ちょっとやることが出来たから」

 

 天子は仙果の付いた帽子をかぶると、喜々とした表情で出て行った。まるで何かいたずらを思いついた子供のようで――

 天界での退屈な生活が不満で、文句ばかりの天子。

 感情は豊かでコロコロと表情を変えるため、見ているこっちは楽しいのだが。

 もう少し天人としての自覚を持って頂かないと――

 けれど、自身にはそれと相対する感情もあった。

 まあ言っても聞かないだろう。

 その兆候でも出ない限りは――

 テーブルの上にはファイルとばらまかれた新聞記事。

 相変わらずの自分勝手。

 一枚の新聞記事が落ちている。

 衣玖はそれを拾い上げる。そこには天狗が書いた最近起きた異変を解決した内容と、東の巫女の写真を貼った記事だった。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 三途の河は深く底は見えない。周囲は霧で覆われ、昼夜の判別のつかない世界が広がっている。

 岸の間を行き来する渡し舟の航路から外れると、そこには尖形の岩々が川面から飛び出していた。

 舟を漕ぎ、彼女は彼岸から此岸へと戻る。

 

「一度休憩でもするかな」

 

 誰に言うでもなく一人独りごちる。

 肩をまわし、指で揉んで肩コリをほぐす。

 小野塚小町は、増えつつある仕事にげんなりしていた。

 最近霊の数が増えてきている。

 彼女の仕事は、三途の河の渡し守だ。

 舟は大きくはないはないが、幻想郷という狭い世界が彼女の管轄範囲なので、平素はさほど忙しくは無いのだが、この量では、一日がかりでは足りない。いや三日はかかりそうだ。

 余り仕事が遅いと上司から雷が落ちる。

 こんな時にはもっと大きな舟があればと、小町は思う。

 そう例えば――

 タイタニック……ではない。

 確かに大きい船だが、沈んでしまうきらいがある。

 た行ではなかった。

 さ行だったような――

 さ……し……す……せ……せ……

 

「せいれいせん。そうだ、聖輦船だ」

 

 確かそんな名前だった。

 昔そんな名前の船が幻想郷にあったそうだ。小町自身それを見たことがない。あの舟を見た幽霊は皆大業にその様子を語っていた。

 同時に小町は思い出す。

 そして霊が増殖した原因を思い出す。

 およそ六十年周期で発生する異変。

 小町は地上に降りて確認することにした。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 姫海棠はたては山の中腹にある一本の大きな木の枝に腰を下ろし、幹に背中を預けて手持ちのカメラをぽちぽちと触っていた。

 つい先日もここの日陰で涼みながら、記事にできそうな言葉を打ち込み検索していた。

 ここからの景色は、以前見た景色はかなり変わっている。

 守矢神社が見えた。

 みすぼらしい博麗神社とは違い、拝殿には大きな注連縄が飾られ、拝殿自体も博麗神社より一回り大きい。

 そして、大きな湖もある。一部では吸血鬼異変の再来かと思われたが、天狗の長――天魔に対して二柱の丁寧な挨拶もあってか大きな騒動は起こらなかった。

 はたては知らないが、過去にこの山は天狗と鬼との縄張り争いがあった。連日の如く続いた戦いは月面戦争で終わりを迎える。八雲紫が新たな土地を求めて月面 その誘いに多くの鬼達が乗り、結果敗走。鬼達は地下に追いやられた。地下、通称地底界は鬼達の世界となり、地上で虐げられ忌み嫌われた能力を持つ妖怪を迎え入れ、今では地底界の全貌を知るものは地上ではほとんどいないと言う。

 

「あ、いたいた、はたて」

 

 暢気な高い声。見なくても相手は分かる。射命丸文だ。

 

「へぇ、ここはなかなか絵になるわね」

 

 声をかけたわりに、こちらを見ず山に新設された神社の方を見て呟く。

 文ははたてと同じ方向を向き、写真機を構えた。

 清潔さ感じされる短い黒髪には紅玉色の兜巾。赤い瞳。白いシャツに黒のミニスカート。動きやすい格好で、清潔そうな白い半袖シャツから健康的な二の腕が覗く。

 彼女の記事にある魔法使いと同じく白と黒の配色の衣装だが、あちらに比べ、白地が多いため明るさが感じられる。

 

「そう……かしら。別にあっちにある神社と変わりないと思うけどね、私は」

 

 うっかり肯定しそうになり、否定する。

 

「うーん、そういう意味で言ったわけじゃないんだけど、まあいいか」

 

 知っている。構図が、だろう。

 神社とその周りの鎮守の森。その先にある湖と六角の柱が点々と湖面から生え出ている。

 少し前では考えられないような景色ができあがっているのだ。

 落ち着いた緑の瓦と金縁の意匠。栗色の御柱。

 

「この間の写真、ありがとう。とりあえず、残りの一人はがんばって撮ってみるよ」

「記事はもうかけたの?」

「ええ。あとは写真だけね」

 

 文が言っている写真とは、先週に起こった月の異変の事で、スキマ妖怪――八雲紫に頼まれ、事件の首謀者達の写真を現像した。

 ここ一年で起きた異変の記事を彼女は記事にしている。紅霧異変、春雪異変。彼女の書いた二紙は読んでいる。春雪異変の方では、魔法使いの宣伝も載っていた。恐らく頼まれたのだろう。

 この鴉天狗曰く、今回の異変は永夜異変と名付けている。

 永夜、ながい夜。何でも夜を止めて、異変解決に望んだらしい。

 あの夜、星々が弧を描いて光ったそうだ。止まっていた夜が元の時間軸に戻るために、高速で動いた結果だという。

 はたては見ていない。だが山に住む妖怪達のいくつかは目撃している。

 

「ここに来たのはもう一つあってね。花見に行かない?」

 

 文は話題を変えた。

 

「花見?」

「南の方で、四季折々の花が同時に咲いているんだって、どうかな?」

「遠慮しとくわ」

 

 はたては素っ気なく言葉を返す。

 

「知ってるでしょ。これ」

 

 手に持っている黄色い携帯電話をかざす。キーワードさえ打ち込めば、それに関連した画像がオートで表示される。

 

「知ってるわよ。そんな狭い中の花を見るんじゃなくて、広々とした所で花を眺めるのも楽しいんじゃないかと思ってね」

「別に今ので、私は十分よ」

 

 夏は始まったばかり、これからどんどん暑くなる。こんな時に遠出なんて面倒だし、様々な花が同時に咲くと言うなら、それは異変だ。恐らく碌でもないことが起きる、とはたては根拠のない憶測を巡らす。

 少し言葉を交わし、文は南の方へと飛んでいった。はたては何気なくそれを目で追った。

 健康的な太腿と、ちらりと白い――下着が見えた。

 すぐにはたては視線をそらす。

 顔が赤くなるのが自分でも分かる。

 

「ホント、碌でもない」

 

 はたてが日陰から出るのはまだまだ先だった。

 




NEXT EPISODE 十六夜咲夜
美鈴は門番の仕事をしない


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十六夜咲夜

 十六夜咲夜

 

 着替えを済ませて、十六夜咲夜は取ってきたばかりの枝豆を塩ゆでする準備にかかる。鍋に水を入れ、火にかける。沸騰する間に枝豆を洗い、両端を挟みで落としボールに移して塩もみをする。

 この枝豆は、紅魔館の門番――紅美鈴が畑で育てたものだ。

 ここは幻想郷の霧の湖の中州に建つ、紅の洋館――紅魔館で、畑は屋敷の裏手にある。

 霧の湖という名の通り、年中霧が立ちこめているが、館の周りはそれほどでもなく、太陽も肉眼で見る事ができる。これは紅魔館の主人の力による物で、霧で日光が遮られてしまっては、洋館の前にある豪奢な庭園の花々や木々が枯れてしまうからだった。

 紅魔館を訪れる者はほとんどいない。この為、庭園の手入れだけでは暇だった美鈴は作物を作り始めた。

 門番なのだから、門番としての役割に重きを置けと咲夜は思うのだが、原因は咲夜がここの住人になったことにある。

 咲夜は時を止める能力を持つ。この館に無断で侵入した賊の全ては彼女の能力により、何もする事もできずに退場させられる。

 御陰で、美鈴は本来の仕事をしなくなってしまった。

 頼られるのは嬉しいが、頼られすぎる、あるいは任せっきりにされるのは不本意だった。

 こちらも手のかかる主人の世話や、広い館の掃除などで忙しいからだ。

 この洋館には主人である幼い吸血鬼レミリア・スカーレットとその妹フランドール・スカーレット、主人の友人である魔法使いのパチュリー・ノーレッジ、メイドの十六夜咲夜、門番の紅美鈴の五名で暮らしている。

 屋敷の大きさに似合わず、住人が少ない理由は色々あるが、一つあげるとするなら、主の妹フランの能力にある。

 ありとあらゆるものを破壊する力。無生物に対しては本人の意志でしか破壊できないが、生物に対しては意志の有無は関係しない。触れた瞬間、体はねじれ、破壊される。ここに住まう者は彼女の能力で破壊されない、適合者なのだ。

 二人は元々ここの住人ではない。今から四百五十年前結界の外からこの紅魔館という紅い洋館とともに侵入してきた。

 それから、どういった流れなのか、咲夜は知らない――別に知る必要も無いと思っている――が、紅美鈴とパチュリー・ノーレッジが住人として加わった。

 ポットに水を入れ、もう一つのコンロに火をつける。主人の為の紅茶を準備する。

 主人レミリア・スカーレット。

 運命を操る――と本人が言っている――能力を持っている。

 未来視とその未来を対象者に宣言することで相手をその未来に誘導する力。

 そして天狗の新聞に記載された、今から一年ほど前あの紅霧異変の主犯。

 紅魔館の主人とメイドの二人は異変解決を担う博麗の巫女――博麗霊夢に負け、二人は主従関係の一線を越えた。

 そして、それは今も――

 ティーカップを用意する。大きめの皿を取り、作り置きのクッキーを並べる。

 と、訪問者を告げる鈴がなった。

 

「咲夜さーん」

 

 遠くから門番の声も聞こえた。

 珍しく二人目だ。

 鍋の水はまだ沸騰してはいない。

 火を止め、メイドは玄関へと向かった。

 




NEXT EPISODE アリス・マーガトロイド
博麗神社を訪れたその帰り道、アリスは霧雨魔理沙の家へ向かった。


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アリス・マーガトロイド

 アリス・マーガトロイド

 

 

「心がないって……羨ましいわね」

 

 彼女の言葉。

 自身が目指していた完全自立型人形は、博麗霊夢が既に作り上げていた。

 霊夢と全く同じ姿で、違うのは霊力で構成され肉体、心臓は存在しない。

 二人の魔法使いをかばい、右手と右足を失った彼女は霊夢に重なるように消えていった。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 博麗神社を訪れたその帰り道、アリスは霧雨魔理沙の家へ向かった。

 月人達が起こした異変。あれ以降、魔理沙は博麗神社を訪れてはいないと博霊の巫女は言った。彼女の表情、言葉からそれは滅多にないことなのだと、うかがい知れた。

 いまだに彼女のことを引きずっているのだ。それは自身にも言えることなのだが――

 本当は四人で集まり、話し合うつもりだったのだが、八雲紫に先手を打たれ、彼女は消えた。

 幻想郷のほぼ中心を陣取る魔法の森の中に、彼女の家――霧雨魔法店は建っている。

 玄関の扉を、何度かノックするが返事はない。ドアを引くと、扉が開いた。不用心にも鍵はかかっていなかった。

 

「魔理沙、入るわよ」

 

 断りつつも彼女の名を呼び、室内に入る。廊下は真っ直ぐに伸び、右手壁沿いに二階へと続く階段がある。左手にあるドアはトイレと浴室、廊下の先のドアはリビングに通じている。

 アリスはリビングを覗いた。大きなテーブルと椅子が三脚。壁のあらゆる棚に商売用のアイテムが並んでいる。

 左手――部屋の奥――の台所も覗く。食べた後と思われるコップが水を張った小さな桶に浸かっているだけだった。一階にはいないことが分かり、アリスを二階へと歩く。

 時折軋む階段を上がり、正面の扉を開ける。

 雑然と色々な物が置かれていた。魔道書、何かの薬品が入ったガラス容器、秤、壁に貼られたメモ紙、試験管、丸底フラスコ、壁には棚

 寝室であろう扉をノックし、部屋に入った。

 

「入るわよ」

 

 部屋の奥に簡素な大きなベッドが一つ置かれている。

 その上には窓があり、そこから入る陽光がベッドと彼女の体を照らしている。

 ゆっくりと近づく。

 彼女はベッドに横になり、まどろんでいた。

 身につけいるのは、薄い黒のキャミソール。片膝を曲げ、捲れたキャミの裾から白のドロワーズが覗く。

 白い肌と黒のキャミソールのコンストラクト。

 大きな二重の瞳、薄い唇、人形のような端正な顔立ちに、自分と同色のブロンドの髪は、一房編み込まれその先端は小さなリボンで留めていた。

 顔、腕、指、首筋、鎖骨、胸、腰、太腿、足首、足、綺麗な肌が、どこまでも作り物めいた彼女の肉体は、一つの芸術品のようで――

 それでも、彼女は人間だった。

 年相応に膨らんだ乳房、唾液で濡れた唇、汚された性器、情交の風景とその嬌声。

 勝手な美化は、そのとき崩れ去った。

 軽い寝息が聞こえる。

 彼女の枕元に一枚の紙片があった。

 そこに写っているのは笑っている霊夢と魔理沙の写真。

 大きな見出しから、それは春の出来事を纏めた記事だと分かる。

 冥界白玉楼の主人西行寺幽々子が起こした出来事――春雪異変。

 異変の解決は亡霊姫との酒飲み勝負で行われた。

 けれど、これは表向きの話で、実際は八雲紫が博麗霊夢の実力を試すために利用されただけのものだった。

 そして、そのとき魔理沙は人外に体を汚された。

 力なき者は敗北する。守りたければ相応の力を持てと、彼女はそのための犠牲になった。

 アリスは魔理沙の足元の方に座る。

 ベッドが軋む。

 

「……アリス……か」

 

 黄色い瞳でこちらを見やり、短くそう呟いた。

 

「霊夢が寂しがっていたわよ」

「……」

 

 すぐに返事はなかった。

 

「どうせ、いつも通り、縁側でお茶でも飲んで、ぼーっとしてたんじゃないのか?」

 

 場面だけ見れば正解だ。

 フォローの言葉をかけようにも、すぐには思い浮かばない。

 こちらが返事に窮しているのを見て、魔理沙は悪戯気味に微かに笑う。

 アリスはブックホルスターから赤い本を取り出し、枕元に置いた。

 

「こんなことになる前に見せればよかったんだけど……本当に今更だけど、霊夢の症状について書いてあるわ」

 

 魔理沙は表情を変えず、視線だけを本の方に移すだけだった。

 

「元々難しい病気なのよ。症状も多岐にわたるし……結果は、ああなったけど……」

 

 青白の巫女の出現。

 ねっとりした淫蕩な表情。

 

「ホント……今更だけど。魔理沙のしたことは正しかったのよ」

「……まあ、いつまでも湿気っていても仕方ないしな」

 

 体を起こし、魔理沙は胡座をかいた。

 

「もう大丈夫だ。心配してくれてありがとうな」

 

 笑顔で返す魔理沙。

 少し陰が混じったその笑顔。

 必要なのは、言葉ではなく時間。あるいは霊夢との言葉。

 アリスはその言葉を信じ、帰ることにした。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 自宅に戻り、ダイニングの椅子に座る。きぃと音を立て椅子が軋む。

 一体の人形に紅茶を入れるようインプットした行動プログラムを魔力で切り替える。

 頬杖をつき、魔理沙の言葉を振り返る。

 

「……まあ、いつまでも湿気っていても仕方ないしな」

 

 彼女の言葉は、自分にも当てはまる。

 

「そうよね」

 

 小さく呟く。

 満月の日を基準に人形をメンテナンスしていたが、いまだ実行していない。

 それに、寺小屋で行う人形劇についても考えなければいけない。数年前、町で寺小屋の教師――上白沢慧音に出会い、依頼された。評判も良く、年に二回人形劇を披露していた。

 と、かちゃりと音がした。

 人形が紅茶をテーブルに置いた音だった。

 

「ありがとう」

 

 アリスは人形に礼を言い、紅茶を口に運ぶ。

 取りあえず、一つずつ片付けていこう。

 紅茶を飲み、メンテナンスの為に立ち上がった。

 




NEXT EPISODE 霧雨魔理沙
だとするなら、霊夢が、アリスがああなった原因は――


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霧雨魔理沙

 霧雨魔理沙

 

 

 ベッドに寝転んで、お腹が空けば、保存食を少し食べて寝転ぶ。夜になると、ぼーと湯に浸かり、床に就く。

 枕元に置いた新聞記事を見る。もう何度も眺めている。そこには霊夢と魔理沙が写っている写真が載っている。そこに写っている霊夢は正確には霊夢本人ではない。霊夢が作り出したクローン人形だ。

 彼女は死んだ。正確には霊夢に吸収されたのだが、魔理沙にとってたいした違いではなかった。どちらにしろ、霊夢と同じ姿の彼女とはもう話すことはできないのだから。

 霊夢が彼女を作ったきっかけは魔理沙が会話のホムンクルス、賢者の石の話をしたからだ。

 さらにその会話のきっかけは、寺小屋で人形劇を行うと言う話を町で聞いたからだった。

 目を閉じる。

 だとするなら、霊夢が、アリスがああなった原因は自分なのだ。

 

 

 ◇◆◆◆◇

 

 

 ドアの閉まり、一人だけになった。

 アリスには悪いが、魔理沙にはそれを読む気にはなれなかった。言葉を、意味を知ったところですでに起きた現実は変えられない。

 魔理沙は立ち上がり、隣の部屋へと歩き実験台の上に本を置いた。

 何か腹に入れようと一階へと降り、キッチンへと向かう。棚を覗くが、保存食はほとんど残っていない。

 魔力を動力とする冷蔵庫にもほとんど食べ物は残っていない。

 

「そろそろ、本当に外に出ないとな……」

 

 

 呟く側で、先ほど開けた棚ががたっと音を立てた。見れば、蝶番が外れていた。捻子が外れていた。棚木の方は特に朽ちている様子はない。何度も開閉したはずみで捻子が緩んでしまったのだろう。

 これなら、魔法でなんとかなる。朽ちていたなら、それの時間を巻き戻し、朽ちる前の状態にする、なんて事は出来ない。時間に干渉することは難しいのだ。

 魔法は何でもできる万能な力ではない。

 壊れたものを修復するには、何者かの意志が必要である。意志、あるいは情報とも置き換えられる。

 壊れたものがシンプルな壺であれば、術者の記憶を頼りに再生される。これが、発電機といった複雑なものになれば、修復のレベルが一気に上がる。術者の意思に依存するなら、どこがどう壊れているのか、どうすれば直るのかを術者自身認識しなければ直すことが出来ない。

 別の方法として、それ自身に意思を持たせる、あるいは部品に擬似記憶を植えつける方法がある。

 前者は難度が高い。生命を造るというのはいつだって難しいのだ。

 後者は、設計図面を部品に記憶させる方法だ。修理は部品が図面に照らし合わせ、修復する。問題点は記憶維持の為にずっと魔力を供給しなければいけない事だ。まとめて送り込む事も出来るし、リアルタイム供給もできるが、現実的ではない。一長一短なのだ。術者としてのレベルが上がれば、その制約を軟化する事ができるそうなのだが――

 魔理沙は屈み、螺子を探す。床に転がっていたそれを見つけ、魔法で螺子をねじ込んだ。

 何度か開閉させ、直った事を確認し、改めて部屋を見回す。

 この家に住み始めておよそ四年。

 ここがいつ建てられたのかも定かではない。

 すでにこの地にはいなくなった魔法使いの家を、彼女は使っている。

 昔、魔理沙が実家の道具屋――霧雨店にいたとき、森近霖之助という青年が自分の面倒を見てくれていた。

 しかしあるとき、彼は独立し、里から離れたところで古道具屋――香霖堂を始めた。彼に連れられ、訪れた香霖堂には実家にはない様々なものがあった。

 幾何学的な形をしたもの、裡に光を貯め発光するもの、魔力の帯びた石など、実家では見る事のないものが沢山あり、魔理沙はそれらに魅せられ、結果魔法使いになろうと思った。

 両親の反対を押し切り、飛び出した魔理沙を霖之助は、歓迎するでもなく、この家に彼女を連れて行った。

 

「どうやら、素質はあるようだね」

 

 そう言い、ここまでの道中が試験だと言うようなことを言った。

 魔法の森。常に瘴気に包まれた森。常人では、この瘴気に耐えられない。

 霖之助は耐性のあった彼女に廃屋を案内した。

 彼は最低限の説明だけをし、ここでの生活が始まった。

 魔理沙はグラスを取り、蛇口をひねり、水を出す。適当にグラスに注ぎ、飲み干す。急いで飲んだせいで、口の端から一筋、水が流れ、顎の先から雫となって床にぴちゃりと落ちた。

 掃除をし、この家の中の物を集め、本でそれが何なのかを確認する。分からない物や必要ないものは、香霖堂に売り払い、金に買え、不足しているものを里で買う。そうやって一人暮らしの基盤を整えた。

 もう一杯水を飲もうと腕を動かす。肘がシンク台に当たり、グラスを取り落とす。透明なグラスは甲高い悲鳴を上げ、鋭利な刃となって床に散らばった。

 

「痛っ」

 

 破片の一つが、魔理沙の足首を裂いた。傷は浅く、うっすらと血が滲む。大きめの欠片を拾い集め、復元の魔法を唱える。細かい破片が浮かび、それらが一点へと集まり元の形に戻る。

 ついで、魔法で傷を治す。傷がふさがる熱を感じながら、魔理沙は感嘆には戻らないそれを疎ましく感じていた。

 

 

 

 魔理沙がすぐに博麗神社に訪れる事はなかった。

 まずはサボっていたことを大急ぎで行う。

 魔法の森できのこを採取し、ほとんどは乾燥させ長期保存できるようにする。

 家の窓を全部開ける。空気を入れ換え少しばかり掃除をした。

 そして数日ぶりに、魔理沙は人里へと食料を買いに出かけた。

 箒に跨がり、夏の空を飛ぶ。

 ふと、南の方に違和感を感じた。

 無名の丘に、白い色が見えた。あそこは鈴蘭の草原。つまり花が咲いている。本来は春に咲く花が、夏に咲いていると言うことだ。

 南西の方を見れば、太陽の畑は黄色い。例年通り向日葵が咲いているのだろう。

 遠くから種々の花々を見て魔理沙は思い出す。

 そういえば、今年は花見をしていない。

 冥界の少女が起こした異変のごたごたで、思い浮かばなかった。

 ふさぎ込んでお酒を最近、口にはしていない。

 二人で――とは、思わなかった。

 思い浮かんだのは、賑やかに競い合っていたあの二人組だった。

 町での買い物を済ませると、その足で魔理沙はまず霧の中に佇む紅魔館へと向かっていった。

 




NEXT EPISODE 東風谷早苗(2)
この神社の信仰は私達守矢神社が頂きます


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東風谷早苗(2)

 朝の境内の掃除を、傘を持った少女に驚かされつつもこなし、昔使われていた和太鼓やお守りの在庫などを収めた蔵の掃除を一時間ほどかけて終わせた早苗は、それでやっと一息つく。

 失った水分を補給し、彼女は一柱に元へ歩く。

 

「私は今日、件の神社に行こうと思います」

 

 風祝の少女は神奈子に予定を伝えた。彼女はそれを了承し、自身の用事の事を付け加える。

 

「こっちも諏訪子と出かけてくる。まあ、すぐに帰れると思うよ」

「どこまで行かれるんですか?」

「早苗とあまり変わらない、東のほうさ。約束があってね。日程は決めてなかったんだが、この間のかっぱや妖怪の信仰の御陰で少しは力を取り戻せたし、あんまり待たせると悪いと思ってね」

「そうですか」

 

 了解を貰い、早苗は二柱よりも早く、守矢神社を出発した。

 

 

 博麗神社は自身の神社よりも古びた印象を受けた。開けた森の中にこじんまりと拝殿が建っている。住居棟は拝殿と一つの廊下でつながっている。そして、そこから少し離れた所に小さい倉が建っている。

 拝殿は飾り気もほとんどなく、必要最低限といった感じだ。賽銭箱はいかにも空っぽといった感じがする。それはこちらも一緒だが……

 こちらの信仰も頂き、妖と人、両方からの信仰を得ようと彼女たちは考えていた。これでは、神社を制圧するより、人里で信仰を得るアクションを起こした方が手っ取り早いのかな、と早苗は推し量る。

 石段から拝殿までの参道の距離も守矢神社と比べると半分もない。参道の脇に構える灯籠も二基しかない。

 夏を象徴する蝉の鳴き声だけが聞こえる。

 人気が全くない。拝殿は里とは反対の東を向いていた。拝殿の左手、つまりは南の方の地面が踏み固められている。早苗は拝殿の奥の方へと歩く。

 拝殿と一つの廊下でつながっている住居用の建物も古い。縁側の先に住居区に当たる玄関を見つける。早苗は軽く戸を叩き、

 

「ごめん下さーい」

 

 と、声をかける。

 戸を引くと、がらがらと音を立ててスライドした。不用心なことに鍵はかかっていない。

 

「誰かいませんかー?」

 

 中に声をかけるが、当たりは静まりかえっている。

 当てが外れた。本当は「この神社の信仰は私達守矢神社が頂きます」などとぴしゃりと、かっこよく、かつ可愛く件の博麗霊夢に向かって言ってやろうと思っていたのだが……

 

「……出直そう……」

 

 一人呟き、早苗は昼食を食べに里の方へと向かった。

 

 

 まだ時間は正午をまわっていなかったので、少し寄り道をする。

 貸本屋、鈴奈庵。

 

「あっ早苗さん、来てくれたんですね」

 

 小鈴はころころと人なつっこい笑顔で、早苗を出迎えた。

 そして挨拶もそこそこに、営業トークを始める。それが終わると、外の世界について色々と聞かれた。

 それが一段落すると店番の少女は、「そうだ」と今まさに何かを思いついたかのような声を上げ、店の中にいた笠をかぶった人物に声をかけた。なにやら説明をし、早苗の前に連れてきた。

 

「早苗さん。こちらは薬屋さんの鈴仙さんです。隔日で里を訪れるので、良かったら見てみてはどうですか?」

 

 薬箱の中なんてあんまり見ていない。生理痛の薬、風邪薬、包帯などなら入っていたと記憶しているが――

 

「どんな薬を扱っているのですか?」

 

 簡単にだが早苗は彼女に自己紹介をし、薬師に聞いた。

 部屋の隅に置いてある大きなつづらに向かって、彼女は歩く。

「どこにお住まいなんですか?」「お一人でこちらに?」早苗と会話をしながら、ごそごそと中をあさり、数個の小箱を取り出した。早苗の前で小箱を開け、鈴仙は説明をする。笠をずっとかぶっているため、早苗からは彼女の顔がはっきりとは見えない。

 

「様々な病気のための服用する薬に、傷などに塗る塗り薬があります。包帯は里で取り扱っている場所があるので、うちでは扱ってはいません」

 

 声の感じから、彼女は若いように感じられた。薄紫色の髪は艶があり綺麗だ。

 顔は笠で隠れ、見えない。

 見られたくないのだろう。

 これから長い付き合いになるかもしれない。早苗は覗き込むようなことはせず、説明を聞く。

 彼女は様々な症状とそれに対する薬の手書きラベルを見せながら、説明をした。

 早苗は一度家の救急箱を確認すると言うことで話を終わらせた。

 薬師は二冊の本を借りて、早苗にお辞儀をし、鈴奈庵を出て行く。

 と、店の時計が正午を伝える鐘がなる。

 

「もうお昼ですね」

「早苗さんはお昼、どうするんですか?」

「どこかのお店で済ませようと思っているんですけど……」

「それなら……」

 

 早苗は小鈴から今繁盛しているお店を聞いた。

 お礼を言い、店を出ようとすると、入り口の側に貼られてポスターが目に入った。

 涼しげな水面に浮かぶ大玉の西瓜が書かれている。

 立ち止まった青白の巫女に気付き、小鈴が駆け寄って紹介する。

 

「もうすぐ、夏祭りがあるんです」

「夏祭り、ですか」

 

 早苗は相づちを打つ。

 

「楽しいですよ。この日限りの屋台が出ますし」

 

 外の世界と同じように、季節で催し物があるようだ。

 見れば、開催の日付と時間が書かれている。二週間後、時間は昼前から深夜まで。

 特に決まった予定はない。

 早苗は祭りの誘いを了解し、鈴奈庵を後にした。

 




NEXT EPISODE 博麗霊夢(2)
紅魔館の面々と冥界の二人、だけではない。ルーミアとチルノもいた。


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博麗霊夢(2)

 博麗霊夢(2)

 

 

 花見の場所は幻想郷の南。そこは人工的なものは全く見られない自然に溢れた世界だった。霊夢と魔理沙の二人が目的地に着くとすでに全員そろっていた。

 紅魔館の面々と冥界の二人、だけではない。ルーミアとチルノもいた。

 

「霊夢だぁ」

 

 二人に気がついたルーミアがこちらに手を振った。

 闇の妖怪ルーミア。ボブカットの金髪に、白と黒の上着に黒のロングスカートを身につけている。赤眼に、同色のお札で髪を一房纏めている。

 満開の二本の桜、その木陰となっている木の下に薄っぺらい茣蓙を敷いて座っている。

 レミリアと幽々子の二人が睨み合っている。側にはそれぞれの従者が、うんざりと言った顔をしていた。二人の従者はお手上げといった状態だ。

 二人の周りには従者が作った料理が並べられている。共におせち料理に使うような重箱に色とりどりの料理が飾られている。

 

「あんたの所は、味が濃すぎるわ」

「そういう貴女の所は、少し甘すぎるわね。お子様にはお似合いかしら」

「何ぃーー」

「ほい、料理に合う酒を持ってきたぜ」

 

 言い争う二人に割って入り魔理沙が酒瓶を置いた。吸血鬼が魔法使いを睨む。

 

「言い始めはあんたなんでしょ。何遅刻してんのよ」

「別に少しぐらいいいだろう。お前のメイドは優秀なんだから、そのくらいフォローしてくれるだろ」

 

 いいながら、視線を移す。

 視線の先は、美鈴が闇の妖怪と氷の妖精の二人を相手にしている。幼い二人の側のグラスに注がれた飲み物が置かれている。

 こちらの名を呼ぶルーミアの近くに座る。

 

「霊夢、これ私が採ったんだよ」

 

 ルーミアは竹串に刺した緑色の豆を霊夢の口元に近づける。

 

「収穫を手伝って貰ったんですよ」

 

 紅魔館の門番――紅美鈴が言う。霧の湖でよく遊ぶ二人は時々、紅魔館を訪れていたそうだ。最近になって、収穫を手伝って貰っていることがバレ、メイドに怒られたそうだ。

 

「それは、塩ゆでした枝豆を串に刺したものです。そちらの方が手を汚さずに食べられるからだそうです」

「霊夢、あーんして」

 

 とりあえずは、言葉に甘え一口食べる。ほんのりと塩味の効いた枝豆の味と香りが口に広がった。ルーミアは残りをチルノの口に運ぶ。

 

「おいしぃ」

 

 妖精は頬に両手をあて、うっとりとした表情を浮かべている。

 氷の妖精チルノ。ブルーのショートヘアにグリーンのリボン、ブルーのワンピースの背中には氷の羽がついている。心なしか彼女の周りの空気は少しひんやりしている。

 

「ねえねえ霊夢、何食べたい?」

「私は自分で食べるから、チルノに聞いてあげたら」

 

 ずいっと迫る闇の妖精からのリクエストを返し、霊夢は重箱を覗く。

 重箱には天ぷら、魚の焼き物、だし巻き玉子、紅白なます、昆布巻きなどが詰め込まれている。

 色とりどりの料理を眺めていると、「霊夢さん、ありがとうございます」と美鈴が礼を言った。巫女はそれが何の御礼なのか分からない。「何のこと?」と言い返す。

 

「この間私の野菜を買いたいという方が現れたので、霊夢さんが宣伝してくれたんですよね?」

「え?」

 

 記憶を探るが、覚えがない。

 以前咲夜経由でもらった白菜はみずみずしく、形も良く甘みもあって美味しかった。

 野菜をもらった事は魔理沙ぐらいにしか言っていない。加えて、春雪異変で咲夜と出会って以降、紅魔館へ足を運ぶようになった。目当ては館の地下にある図書館と、同種の魔法使いパチュリー・ノーレッジとの談義らしい。

 魔理沙が周囲に言いふらしたのだろうか。それを聞こうとしたが、彼女はレミリアと幽々子の間に入って文句を言われながらも重箱の料理をもぐもぐと食べていた。

 

「咲夜さんも色々お世話になっているそうなんで、寄って貰えれば取れたての野菜など差し上げますよ」

「あぁ、そう。ありがとう」

 

 言葉に合わせ、とりあえず御礼を言う。

 まぁ、大したことではないだろうと霊夢は深く考えず、持ってきた酒の一本の封を開け、美鈴のグラスに注いだ。

 

 

「兎さん、兎さん」「耳長―い」

「うぅ」

 

 ルーミアとチルノが、鈴仙のうさ耳をふにふにと触っている。美鈴が引きはがしたりするが、しばらくするとまたひょこひょこと動き耳を触られた。薬師の格好をした鈴仙の方はもう仕方なしといった感じで諦めている。

 あれからしばらくして、数人がここを訪れていた。

 一人目が鈴仙・優曇華院・イナバ、二人目が鈴仙の背負っている大きなつづらに身を潜めていた因幡てゐである。

 鈴仙とてゐ。二人の深長差から鈴仙が姉で、てゐが妹といった感じに見えるが――

 

「こちらで、只でご飯にありつけ……痛っ……薬の調合に使う薬草を採りに」

 

 ごまかしきれていない訂正を強制的に促され、二人の立場を認識する。

 今も鈴仙は食事もそこそこに幼い二人の相手をしている。対して、てゐは鈴仙の分も、といった感じで飲み食いしていた。

 三人目はもうすでに帰ってしまったが、烏天狗のブン屋――射命丸文だった。

 彼女はこの花の異変をカメラに収めようとここにやってきた。理由通り、彼女は花の写真を撮っていたのだが、鈴仙を見つけると目の色を変えた。聞けば、この間の異変のことで要となる月兎の写真が手に入っていないからだと言う。

 しかし、文は写真を撮ることなく去って行った。理由は二つ。一つは鈴仙がカメラに写真を撮られることを拒否したことだ。苦手なのだそうだ。もう一つが、写真を撮ることにてゐが金銭を要求したことだ。肖像権がどうだの、本人が嫌がっているのだからと法外な金額を提示した。

 喧嘩になるかと思われたが、文は大人しく引き下がり、西の太陽の畑の方へと飛んでいった。

 魔理沙から聞いた話だと、迷いの竹林から外へ出ていない月人――八意永琳と蓬莱山輝夜、二人の写真をこの世界に張られた結界――幻と実体の境界を展開した八雲紫から見せられたという。あの女が写真を撮り、現像するといった事をするようには思えない。恐らくは誰かから手に入れた。つまりは、別に当てがあると言うことだ。

 彼女が書いた春雪異変が出鱈目である以上、あまり異変の事を書いて欲しくはないのだが、話のネタとしては派手なのだろう。

 

「これは、霊が取り憑いて咲かせているのさ」

 

 幽々子とどことなく似たような着物を着た赤毛の少女が言った。

 四人目。文がここを離れてほどなく、現れた大鎌を持った少女。

 幽々子とは旧知で仕事仲間と言うことだ。

 死んだ魂を赤毛の少女――小野塚小町が三途の川を渡り彼岸へと送っていく。

 小町が言うには、幻想郷の外で大量死があり、これらはその霊であること。彼岸へと渡す処理が追いついていないため、霊が拠り所を求め花に取り憑いているそうだ。

 

「つまり、あんたが仕事をさぼったせいなのね」

「まあ、それもあるけど、渡し船が小さくてね。一度に大人数を渡すことができなんだよね。ここから見た限り、千じゃ利かないぜ。しばらくは大忙しだ」

 

 話を聞き、レミリアが棘のある言い方でレミリアをするが、小町はさして気にする様子も見せず飄々と喋る。

 

「まぁあの船じゃあねぇ」

「ゆっこもそう思うだろ」

 

 亡霊姫の言葉に喜々とした表情を浮かべる赤毛の水先案内人。

 

「幽々子様、知っているんですか?」

 

 主人のグラスにお酒を注ぎながら、魂魄妖夢が問いかける。

 

「まあ私は、乗ったことがあるしね」

「いかんせん、普段の数百倍に膨れあがっているからさぁ」

 

 霊が行き着く三途の川へのゲートは無数にある。幻想郷にあるゲートが小野塚小町の管轄であり、そこには幻想郷内だけではなく、その周り――外の世界からもやってくるそうだ。

 小町の説明を聞き、この異変に対し自分がするべき事は特にないと霊夢は思った。

 

 

 日が暮れようとしている。宴はもうお開きだ。

 十六夜咲夜は片付けを門番に少しばかりお願いし、鈴仙に近づき、薬師に耳打ちする。

 どうやら、必要な薬があるようで、ルーミアとチルノを引きはがした鈴仙はつづらから薬瓶を渡していた。

 

「レミリア、咲夜。ちょっといい」

 

 終始、幽々子といがみ合っていた吸血鬼を呼ぶ。

「なによ」不機嫌そうな顔を見せるレミリアに霊夢は自分が作ってきた護符の説明をし、実際に発動させる。

 赤い吸血鬼の上空に陽光を遮るように大きな護符が浮かび上がった。少しばかりどよめきが起こる。そんなに大したものではないのだが――

 試しに高低の調整、護符の拡縮、高度の調整を確認してもらう。

 メイドが終始日傘を差しっぱなしにさせないようにと考えたものだった。実際には桜の木陰があったので不要だったのだが。

 自分が持っていても使うことはない。霊夢は咲夜に作った残りの六枚を渡した。

 改めて、帰る準備をしていると、鈴仙が声を掛けた。

 

「霊夢さん。今日、鈴奈庵で……」

 

 もう一人の巫女、東風谷早苗。外から来訪者。服装と特徴、妖怪の山に移住してきたこと、守矢神社。二柱の神。

 話の途中で、皆が各々の帰路へと帰っていく。残っているのは巫女、魔法使い、月兎、素兎の四名。

 

「その……大丈夫……ですか?」

 

 説明が終わると、鈴仙は心配そうに霊夢に聞いた。

 

「酷く、思い詰めているように見えたので……」

「霊夢?」

 

 魔理沙が霊夢の顔を伺う。

 強くも弱くもない風が吹き、桜の花びらが舞う。

 

「花見と言っても、これも異変だしね。少し気を張っていただけよ」

 

 言葉を返すが、どこまで信じてもらえるのか。

 鈴仙は顔を見たわけではなく、裡を見ていっただろう。それがどこまで、視られているのか、判じられない。

 

「幸いあの水先案内人が解決してくれるし、こちらとしてはありがたいわ」

「そうですか。それなら、良かったです」

 

 それ以上、鈴仙は何も言わず、迷いの竹林の方へと去って行った。

 

 

 博麗神社に戻った。

 赤い鳥居、すり減った石造りの参道、古めかしい拝殿、がらんどうの賽銭箱。

 黄昏時の博麗神社は、我が家の筈なのに、どこか寂しげな場所だと感じてしまう。

 でも、それは錯覚。

 先ほどまで大勢といただけで、その比較に過ぎない。

 霊夢はとぼとぼと参道を歩く。

 夕食は必要ないだろう。

 風呂に入るにはまだ時間が浅い。

 しなければいけないことは沢山ある。

 参道から外れ、霊夢は”それ”に向かってゆっくりと歩いていく。

 




NEXT EPISODE ???(2)
大岩の下には聖輦船が封印されている。


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???(2)

 ???(2)

 

 

 村紗水蜜は無縁塚から少し北に歩いたところに立っていた。彼女の近くには川が流れている。幻想郷を流れる水は妖怪の山から流れ霧の湖へ、そこから東西に分かれて流れる。

 周囲は草原で視界を遮るものはほとんどない、一つをのぞいて。

 十メートルを超える岩が大地に突き刺さっている。

 形状は歪な円錐型で、窄まった部分が地面に刺さり、不安定ながらもこの状態が続いていた。

 岩の上の方は注連縄が巻かれ、一枚の護符が張り付いている。護符は千年経ってもなお風化せず綺麗なままだ。

 水蜜は毎日ここを訪れる。晴れの日も雨の日も雪の日も――

 大岩の下には聖輦船が封印されている。

 僧侶――聖白蓮から与えられた船。

 千年前、憎き博霊の巫女によって封印された。

 そして、千年経った今も封印は解かれていない。

 長年の風雨で岩は少しずつ削れていってはいるが……

 年月によって封印が解かれるのはいつになるのだろうか、そう水蜜は考える。

 岩に触れることはできない。この岩を中心に結界が張られている。

 触れなくとも、一定距離近づけば、体中に電気が走る痛みとともに触れた皮膚がやけどする。

 無縁塚には自分と同じ同士がおり、時々水蜜と一緒に岩を眺め、話などをした。

 彼女がいつものように物思いにふけっていると、突如地面が揺れた。

 その揺れは次第に大きくなり、ぐらりと巨大な岩がその震動で傾いていく。

 やがて、土煙を上げ、岩が倒れた。

 舞い上がる土煙を腕でガードし、岩から距離を置く。

 しばらくして、土埃が収まっていく。

 水蜜が見ている前で、倒れた結界岩から護符がひらりと剥がれ落ちた。

 恐る恐るそれへと彼女は近づく。が、電気が走る痛みなど感じることもなく、岩に触れることが出来た。

 封印が解けたのだ。

 これなら、聖輦船を掘り起こすことが出来る。そして――

 

「みんなに知らせなくちゃ」

 

 村紗水蜜は無縁塚――同士であるナズーリンの住処へと飛んだ。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 空から、一つの要石が落ち、地面に突き刺さったそれから局地的な地震が発生する。

 聖輦船の封印が解けて一時間、人里から南西にある建物、名前のないお堂が地面の震動で少しずつ傾いていく。

 

「地震だぁ」

 

 揺れが収まる数秒前、悲鳴と共に中から人影が飛び出した。金と黒の二色の短髪の頭部を枕で押さえ、お堂から五十メートル先まで逃げ出した。

 頭を抱え、彼女は住処を見やる。

 

「星」

 

 自分を呼ぶ声が聞こえた。

 彼女――寅丸星は声の先を向く。そこには、白とエメラルドグリーンの水兵服を着た村紗水蜜がいた。黒のショートヘアにセルリアンブルーの瞳。

 

「ああ、水蜜か」

「何枕なんて持っているの?」

 

 半目でこちらを見つめる村紗に虎丸はきょろきょろと周りを見る。揺れはすでに収まり、周囲の草木はそよ風で揺れている。古くからあるお堂は、崩落していない。

 

「いやぁ、天気も良いから天日干しでもしようかと……」

 

 視線をそらし、そう答えるも声は小さくなっていく。

 

「まあ、そんなことはどうでもいいわ。星、封印が解けたの」

 

「どうでもいいなら聞くなよ」と言いたかったが、村紗の言う封印が何のことだかすぐには分からない。虎丸は聞き返す。

 

「封印?」

「聖輦船の封印よ」

「ん? ああ、そうなんだ」

 

 適当な回答。「あなた、まだ寝ぼけてるの?」と村紗は言いたかったが、言わない。これから忙しくなる。だから彼女にやってもらう最低限の事だけを伝える。

 

「私達は船を掘り起こすから、星は宝塔を準備して」

「宝塔……宝塔……ああ!」

「何大声出してるの?」

「え? いや、別にぃ……」

 

 村紗の言葉に虎丸は焦る。宝塔はずっと前になくしたままだ。聖輦船の封印が解けるなどまだまだ先のことだと思っていたからだ。

 探さないと……

 自分一人では探すのは無理だ。

 彼女に頼まないと……

 

「そういえば、ナズーリンは?」

「先に掘り起こしてもらっているわ」

「はは、あっそう……」

 

 とりあえずは、まずナズーリンに村紗には内緒で探してもらわないと……

 虎丸は、村紗に言葉を返す。

 

「……それじゃあ、準備してくるよ」

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

「さて、そろそろ準備しないと……」

 

 日が暮れようとしている。

 読んでいた本を棚に戻し、永江衣玖は台所に向かう。夕食の準備に取りかかる為、白いエプロンの腰紐を結んでいると、玄関の開く音が聞こえた。呼び鈴の音はない。

 来客だ。予想は付いている。このタイミングで家を訪ねる者は一人しかいない。

 

「衣玖、お風呂借りるね」

 

 玄関の扉を閉め、彼女の方を見ずに浴室へと一直線に歩いて行った。

 彼女は今日も自宅の屋敷に帰るつもりはないようだ。

 天子が衣玖の家に泊まるときは、必ず食事の準備をする前に訪れる。昔、夜に彼女が泊まりに来た際、彼女のために食事を作ったことがあった。二度も夕食を作るのは面倒であったし、台所の片付けも終わった後だったので、来るなら夕食を作る前にして欲しいと彼女に言った。

 それ以降、天子は泊まるときはこの時間帯に訪れている。

 彼女がここに訪れることは必ずしも良いことではない。それでも、衣玖はその事を天子には言わなかった。

 物事には始まりと終わりがある。たとえ、天人であろうとも――

 ただ、早いか遅いか、それだけの違い。

 いつも通り、衣玖は二人分の料理を作り始めた。

 

 

「久しぶりにいい汗掻いたよ」

 

 乾いていないしっとりとした青髪を揺らし、天子は天真爛漫な笑顔で家主にそういった。

 もぐもぐと衣玖の手料理を、いつものように美味しそうに食べる。

 地上で二度要石を中心に地震を起こした事。これは練習。本命は博麗神社。

 博麗の巫女にちょっかいをかけ、自分の遊び相手になって貰うこと。

 天人らしからぬ言葉が次々に飛び出した。

 まあ、それはいつものことだったのだが――

 

「汗をかかれたのですか?」

「うん」

 

 不安げに聞く衣玖に対し、天子は食事の手を止めず頷いた。

 それが何を意味するのか――

 天子はあれを知らないようだった。

 

「そう……ですか」

「どうしたの? 衣玖、元気ないね。お腹痛いの?」

「いえ」

 

 兆候は、じわじわと出ているようだった。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 寅丸星と村紗水蜜が話をしているその下で、彼女は瞼を擦る。

 

「んっ」

 

 声を漏らし、重い体をゆっくりと起こす。辺りは暗く、空気はひんやりとしている。

 上半身を起こし、うつらうつらと記憶を探る。

 自分の名前は――

 豊聡耳神子。

 顔を左の方に向ける。暗くて見えないが、自分と同じように寝ている人物がいる。

 名前は、物部布都。

 臀部を中心に体を回し、伸ばした脚を石造りの床に下ろす。

 石の寝台は冷たく固い。それは、霊廟の床も同じだった。

 神子が指をパチンと鳴らすと、霊廟に光が灯った。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 博麗霊夢らが花見を楽しむ一日前、彼女はその新聞記事を見て閃いた。

 自身の計画。

 これを上手く使えば、あるいは。

 タイミングはいつが良いのだろう?

 彼女は記事の内容を頭に叩きこみ、記事を丸めて捨てた。

 その記事は、紅霧異変について書かれたもの。

 幼い吸血鬼。

 ナイフを扱う従者。

 紅魔館のこと。

 そして異変を解決した東の巫女。

 彼女は計画の成就を夢想する。

 ――を起こすのだ。

 




NEXT EPISODE 鈴仙・優曇華院・イナバ
聞いていた地上のイメージとはほど遠いものだった。


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鈴仙・優曇華院・イナバ

 鈴仙・優曇華院・イナバ

 

 

 鈴仙が地上に降りて二週間ほど経った。

 ここは、かつての主――今でも主人のペットだと思っている――綿月豊姫、綿月依姫などから聞いていた地上のイメージとはほど遠いものだった。

 地上は重大な罪を犯した者達が堕ちる監獄、地上イコール罪、穢れの温床などと言われており、月にいた頃の鈴仙は、地上はどこか光彩のない灰色の世界が広がっているイメージだった。

 しかし、千年前の月面戦争の遺物で地上に堕ちた世界は、月の都と大した違いはなかった。

 空気も月とさして変わらず、息苦しさも感じない。

 違いがあるとすれば大きく二つ。一つは緑に比べ人工物が少ない事、もう一つは、建物が石造りではないことだ。

 恐らくそれは、領土に対する生活人の数が関係しているのと、技術力の差なのだろう。木造立ての建物が月都ではかなり前から禁止されている。火災による類焼などを防ぐ為だ。

 いま住んでいるこの永遠亭という建物も木と漆喰の壁で出来ており、月都で住んでいた屋敷より一回り小さいが、住人が少ないためか広く感じる。

 永遠亭にすむ住人は、八意永琳、蓬莱山輝夜、因幡てゐ、鈴仙・優曇華院・イナバ

 の四名だ。

 八意永琳。レイセンに地上名を授けた人物。そして、蓬莱山輝夜。八意永琳とともに月から地上へと堕ちた罪人。

 因幡てゐ。地上の兎の長。見た目の幼さに比べ、彼女は鈴仙より年上だ。少しばかり金に汚く、何を聞くにしても金を要求した。

 地上の金銭も持たず、右も左も分からない鈴仙は彼女に従うほかなかった。

 返済方法は彼女の仕事を手伝うことだった。玉兎の姿を隠し、人里で薬を売る。それが彼女の仕事となった。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 鈴仙はてゐと共に花見から永遠亭へと帰る。

 永遠亭に戻ると、薬の売り上げを永琳に報告し、ラフな格好に着替え、夕食の準備をする。四人揃って夕食を食べ、後片付けをした後、三人が入った後の風呂に入る。

 それが終わり、ようやく自分の時間になる。

 空に浮かぶ月での生活とは全然違う。あそこでは、専ら主人の一人――豊姫と一緒だった。鈴仙は使用人の玉兎とは違った。豊姫と一緒に買い物に行き、勉強をし、食事をし、床に就く。仕事はしない。時々、戦闘訓練に参加する。玉兎の性格故、その事で妬まれることはなかったが、鈴仙は心苦しく、主人の部屋の掃除をさせてもらえるようになった。

 脚の低い机の前に座り、鈴奈庵で借りた本を広げる。

 井伏鱒二の山椒魚と、てゐ向けに借りてみた本。

 本を読んでいると、襖を開けて因幡てゐが入ってきた。

 

「この本なんですけど」

「ふーん」

 

 借りてきた本をてゐの前に出す。ぱらぱらと捲る。

 

「私はこんな難しいのは医学書だけで十分よ」

 

 と言い、興味なさげに本を返した。

 

「こっちの本はどうですか?」

 

 もう一つの本を渡す。

 

「全てのページに挿絵が載っているんですよ。漫画って言うそうなんですけど」

 

 本を受け取ると、敷いていた布団に寝転び、てゐはぱらぱらと捲る。

 

「漫画くらい知っているわよ」

「やっぱり有名なんですか?」

「外の世界じゃ、こんな本沢山あるみたいよ」

「そうなんですか。凄いですよね。手間がかかりすぎですよね」

 

 鈴仙の声を無視し、てゐはぱらぱらと本を捲っている。

 

「上でもこんな本はないのか?」

「ええ。あんまり種類がないんですよ。本を読むのはほとんど月人ばかりなので」

「じゃあ、鈴仙は変人か」

「え?」

「陰気だよねぇ、鈴仙は。本ばかり読んで閉じこもっちゃってさぁ」

 

 鈴仙は押し黙る。

 てゐから見た鈴仙はあの騒動で打ちのめされた後から、僅かながら口数が減っているように感じていた。

 あのチビ妖精にいいようにされて、強い抵抗も出来ていない。押し付けたてゐにも原因があるのもしれないが――

 とはいえ、ずっと辛気くさい状態が続くのはしんどい。

 

「八意永琳が言っていたわ。玉兎も素兎も変わらないって。噂好きで、ぐーたらだって」

「……」

「別に責めてるわけじゃないの。聞いてた話と違ったから、聞いてみただけ」

 

 てゐは鈴仙の事をほとんど知らない。月から落ちてきた彼女を、ただ同類である月人の永琳に案内すれば、解決するものだと思っていたからだ。

 しかし、蓋を開けてみれば、彼女は月へ戻ることなく、ここから出て行くこともなく永遠亭に住むことになった。その事に対して、異を唱えることはしない。元々、二人の月人との契約にそれはないのだから。

 人間を寄せ付けなくする代わりに兎達に知恵を授ける事、それが契約内容だ。

 月人が張る空間を歪ませる結界に、てゐの人間を幸運にする能力でもって強化する。

 輝夜の妹紅に対する激しい感情、人――正確には月の追手――に対する攻撃性、その感情の毒気に当てられないように人間の幸運性を上げ、より隠匿性を高める、といった感じの説明を赤青薬師にした。

 実際にはそんなことは嘘――この間この永遠亭に何人もの人間が入り込んだ――なのだが、結果として、素兎達は知識を得、薬売りの仕事を持つようになった。

 面倒だった薬師の仕事を鈴仙に押し付けることが出来て、てゐとしては非常にラッキーだった。

 鈴仙はこの先どうするのだろうか、と因幡てゐは思う。あの万能薬師なら、月へ戻る方法も知っているだろう。月へ戻るのか、それとも――

 ページをめくりながら、自分より一回り背の高い玉兎を盗み見る。俯き押し黙っている。

 てゐは嘆息し、鈴仙に聞く。

 

「鈴仙、この続きの本は?」

 




NEXT EPISODE 八雲紫
「あんたはさ、生まれたときから紫の式神だったの?」


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八雲紫

 八雲紫

 

 

「まったく、子供をつくってほしいんなら、当人にそう言えば良いのに……」

 

 呆れた調子で言い、青白の巫女は畳の上に座布団を半分に折り、枕代わりにして寝転ぶ。

 

「そうすれば、こんな面倒なことにならなかったんじゃないの?」

 

 半目で、この家の主――八雲紫に目を向ける。

 十畳ほどの広さで、寝室として使用している部屋だった。すでに寝るための布団は敷いてある。巫女は最近こちらに住むことになり、布団は用意されてはいなかった。彼女には睡眠は必要ではないからだ。しかし、この世に存在するだけで、体を構成する霊力は少しずつではあるが消費されていく。動かない方が消費は少ない。

 部屋にはこの家の住人全員がいる。布団の上に、だ。部屋の入口側から八雲紫、八雲藍の式神――橙、八雲紫の式神――八雲藍、巫女の順に川の字の状態で寝ている。妖獣あるいは化け猫の橙はすでに寝ている。時間的に就寝の時間に入るからだ。主の式神は巫女がこの部屋に入ることに反対だった。理由は寝首を掻かれるのではないかと言うことだ。これまでの八雲紫が博麗霊夢に行った行動を見れば、そう考える。しかし、紫はこちらを警戒することはなかった。

 紫は巫女の質問には答えない。

 

「言ったところでそうもならないか……契りのいろはの本でも置いといた方が良かったかもね」

 

 巫女は独り言のように喋る。

 

「うるさい。もう消灯だ」

 

 式神――八雲藍が苛立つように言い、部屋で明かりを消した。部屋は巫女側にある窓から差し込む月明かりを残して、暗闇になる。

 式神が苛立っている理由は紫には分かっている。

 嫉妬しているのだ。巫女に対して。

 橙はすぐに博麗霊夢の姿をした巫女になついた。巫女の方もまんざらではない様子だった。もちろんわざと、なのだろう。

 昼間、神降ろしの稽古で藍は模擬戦を行う。それに対する発破なのだ。

 結果は藍の負け。挙げ句、「あんたは、自分の能力に頼りすぎなのよ」と、言われる始末。

 力を御し、妖を負かす。

 それが、妖怪が人間を襲う抑止力となる。

 それが、博麗の存在理由。

 とはいえ、主人の前で負かされるのは、屈辱だろう。あまり感情を出さず、表情を変えない式神は、彼女の式神――橙のように表情を表に出すようになってきていた。

 

 

 皆が布団に入り、しばらくして、巫女は目を開ける。懐から一冊の本を取り出す。それはここに来る前、本棚から借用したものだった。月明かりを頼りに本の中身に目を通す。ぱらりぱらりと静かにページをめくっていると紫の式神が、「何を読んでいるんだ」と小声で聞いてきた。

「うわっ」と、青白の巫女は悲鳴を上げそうになった。

 

「あんた、寝たんじゃなかったの」

「毎日そうやって何を読んでいる?」

 

 小声でやりとりをしつつ、本の表紙を見せた。

 

「その知識が必要なのか?」

「さぁ? せっかく自由なんだし、色々したいのよ……んー……ばれちゃったし……この本のことで聞きたいことあるんだけど」

「なら、場所を変えないか?」

 

 

 八雲藍はリビングの照明をつけ、対面する形で椅子に座った。

 巫女はページを開き、疑問の箇所を指差し、式神はそれをすらりとよどみなく答えた。ついでにページをめくり「ここの部分を理解していれば、簡単に分かるはずだが」と嫌味のように付け加えた。その言葉に巫女は呻く。

 妖狐の指摘を、ページをめくり確認する。藍が口頭で再度説明する。

 何度かページを比較し、巫女は嘆息した。

 

「あんたはこういう事のほうが似合っているわね」

「? どういうことだ?」

「稽古の時よりいきいきしてるってことよ」

「それは、お前が挑発するからだろう」

「そういう意味で言ったわけじゃないんだけど……」

 

 言葉を切り、巫女は背もたれに体重を預け、伸びをする。

 

「あんたは紫に、意見したりしないの? こっちのほうがいいですよ、とかさぁ」

「しますよ」

「なら、あの二人を緊縛して、合体させたほうが早いとかさ、あんたは思わない?」

「さぁ、興味ない」

 

 すっぱりと切り捨てる。

 

「ふうん……中途半端なのよねぇ、やってることが」

 

 巫女は頭の後ろで腕を組んだ。

 

「あんたはさ、生まれたときから紫の式神だったの?」

「……いや、助けられたの。罠にかかってた所をね」

「あの紫がねぇ」

「お前が紫様の何を知っている」

「いや、知らないけど。っぽくないのよねぇ」

「私が有能だからだろう」

 

 有能だったら、罠なんかにかかんないでしょ。そう思うが、巫女はその言葉を飲み込む。

 

「他に聞きたいことは?」

 

 八雲藍は面倒くさげに聞いてきた。

 

「まだ、付き合ってくれるの?」

「見えないところでコソコソされるのが嫌いなだけよ」

「ふーん。まあいいや。ありがと」

 

 と言い、巫女は柔らかな笑みを妖狐に向けた。

 

 

 全てを包み込むような闇。その漆黒の帳にただ一人抵抗するかのように、月が輝いていた。

 有明月、あるいは二十六夜。その身の大半を闇に食われ、僅かに残った鋭く光る体はあと数日で全てが闇に飲み込まれるだろう。

 ぱらりと紙を捲る音が静かな夜の世界に響いた。微かに聞こえるのは二人の呼吸音。二人だけの世界。

 

「どう? これで紫も料理できるでしょう?」

 

 紫の隣に座っている女が聞いた。そこにはたどたどしい字で書かれた、二人で食べた料理の作り方が書き綴られている。

 

「そうね。ありがたく頂くわ」

 

 八雲紫は笑いもせず、女の問いかけに答えた。

 しばらく沈黙が続き、女が激しく咳き込んだ。

 二人の間にあった、人一人分ほどの間をなくすように紫は女の方に近づき、背中をさすった。

 女の髪は艶をなくし、頬は痩けている。さする手から感じられるのは、微かな体温と骨張った感触。袖から覗く手首はやせ細り、背中をさする反対の手で握った彼女の手は、強く握れば砕けてしまいそうなほど弱々しく冷たい手だった。

 か細い月の光に照らされ白い浴衣は、青白く見えた。

 やがて、女の咳が治まり、女の黒い瞳が紫を見つめ――

 

「ねぇ、ゆかり――」

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

「紫ぃ-、朝よー」

 

 女の声がその声にかき消され、八雲紫は夢から覚めた。

 甲高い耳障りな声と同時に体が重くなった。

 あの巫女が覆い被さってきたようだった。胸をまさぐる感触がある。

 

「紫様、朝ですよ-」

 

 何処か甘ったるげな声と同時に頭が重くなった。

 藍の式神が巫女の真似をしたのだろう。

 しかし、橙は主人によってすぐに引き離された。

 

「コラ橙、霊夢の真似なんかしない」

 

 続いて、藍が巫女を紫から引き剥がす。軽くなった体を起こし、彼らに続きリビングに入った。

 

「これ、ぜーんぶ霊夢が作ったんだって」

 

 橙がニコニコと言うそれを、テーブルに並べられたそれらを見る。

 夢の中で見た、あの紙に書かれたものはなかった。

 

 

 もくもくと料理を食べる紫に対し、藍と巫女がなにやら言い合っていた。

 本を開き、指さし、デオキシリボ拡散粒子だとか塩基配列だの隔世遺伝など――生物学だったろうか――の話をしている。

 

「あんたたち、いつのに仲良くなったのよ?」

「どこがよ!」「どこがですか!」

 

 紫の言葉に対し、二人はその言葉に不服といった感じで相手を睨んだ。

 




NEXT EPISODE 幻想郷の夜にむけての夜想曲 Dark side of the star
「いずれ取り返しがつかない事になるわよ」


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幻想郷の夜にむけての夜想曲
Dark side of the star


 幻想郷の夜にむけての夜想曲

 Dark side of the star

 

 

 偽りの月が照らす深き夜。

 八雲紫の登場により、異変解決へと動き出す。

 魔法使いの二人が、紅魔館の二人が、冥界の二人が去り、部屋には八雲紫と巫女だけになった。

 

「主の横恋慕しといて、よく言うわね」

「リボンまで変えて、あの魔法使いの気をひいて……」

「今の貴女のことを知ったら、あの子はどう思うのかしら?」

 

 顔面を叩き付けられる。

 紫は髪を引張り、巫女の顔を天に向ける。指で口をこじ開け、開いた喉に丸薬を押し込む。

 

「三分待ってあげるわ」

 

 スキマ妖怪はそう言い外へと出て行った。

 八雲紫の言う事が本当なら、もう時間がない。

 博麗はずっと八雲紫の奴隷だっただろうか?

 母もまた霊夢と同じ目にあったのだろうか?

 体を起こす。

 何か出来る事は――

 おそらくは――ない。

 

「あはは」

 

 ただ、乾いた笑いしか出なかった。

 痛む体を起こし、家系図を丸テーブルの上に置いた。

 彼女は思考を巡らす。

 何か出来る事は――

 出来る事は――

 彼女は、棚から一枚の護符を取り出し、壁に向けて放る。

 護符は大きく広がり、中から自分と同じ姿の巫女が現れた。

 

「静かに」

 

 現出した巫女の口を押さえ、警告する。触れた手から、これまでの記憶を流し込む。

 数秒経ち、彼女は手を離した。

 

「これって」

 

 動揺する彼女に向かって、巫女は小さな声で喋る。

 

「いままで起きたことよ……いつか、霊夢は必要に迫られて貴女を呼び出すわ……だから、貴女は私のように失敗しないで」

「……」

「時間が経てば、ここに十六夜咲夜が戻ってくるわ、日傘を取りにね。その間に、情報収集をお願いしたいの。霊夢にも知られずにね。八雲紫を出し抜くための情報を探って」

「探すって、こんな夜中に」

「大丈夫。きっと近くにあるわ」

 

 言葉を一度切った。

 

「最後に、私の、貴女との記憶消して。あの子には気取られたくないの」

「消すって、そんな簡単には……」

「記憶を送ることが出来たんだから、消すことも出来るわ。私は……もうガラクタだし」

 

 彼女はもう一人の自分に手を伸ばし――

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 八雲紫に関わらせたくはなかったのだが、主人である吸血鬼は割とわがままな部分があるため、日傘を博麗神社に置き忘れると言う形で強制的に、夜明け前までにこの異変から退場するように、メイドの十六夜咲夜は設定した。

 神社を出るときに主人に指摘されれば、水の泡だったのだが――

 冥界の亡霊――西行寺幽々子に敵愾心を持った主人は日傘など気にせず、冥界の二人を出し抜くことに執心していた。

 結果として、それは鈴仙・優曇華院・イナバの能力のため有耶無耶になり、神社に二人は向かった。

 

 

 神社はここを出る時と変わらず、明かりは付いていた。紅魔館の二人は部屋を覗くと、そこには神妙な顔をした赤白の巫女が座っていた。

 

「あっお帰り」

 

 こちらに、気がついた巫女は、気さくに声をかけた。

 

「なんで、あんたがここにいるのよ?」

 

 吸血鬼は驚いたように相手に問う。

 

「あんたが解決するのが仕事なんでしょう」

「お嬢様、この人は……違います」

 

 主人の言葉に重ねるように従者が言う。

 

「あら? よく分かったわね……まぁ、当然か」

「あんたたちが先に戻ってくると思ってたわ」

 

 そう言って二人の前に日傘を差し出した。

 

「待ってた……と、言う感じですね」

「……そうね。貴女に頼みたいことがあってね」

 

 少し寂しげに巫女は笑う。

 

「いきなり頼むのもあれだから、まずは世間話でもしましょうか」

 

 巫女は吸血鬼を見る。

 

「レミリア、あんたの妹は元気?」

「……何が、言いたいの?」

 

 唐突に妹のフランの事を聞き、レミリアは顔をしかめる。

 

「別に、いつもと変わらないわ」

「そう。じゃあ次。あんたの能力って、その妹の為って感じがしない?」

「……」

「未来視と対象者の存在。まるで適正者を事前に見つける為の手段じゃない?」

「……」

「紅美鈴、パチュリー・ノーレッジ。二人が適正者だと知ったのはあんたの能力じゃないの?」

「そうよ。だから、何?」

「あんたは、妹をずっと地下に幽閉するつもり?」

「そんなのあんたに関係ないでしょ? 私の質問に答えなさいよ」

 

 レミリアの声に苛立ちが少し覗く。

 

「能力を制御させないと、いずれ取り返しがつかない事になるわよ」

「こっちの事情を知りもしないで、勝手なことを言わないでくれる」

 

 レミリアの声のボリュームも怒気も強くなる。

 

「西行寺幽々子」

 

 唐突に神妙な顔をし、巫女は亡霊少女の名を言う。

 

「……あの亡霊女が、何よ」

「彼女の能力は知ってる?」

「知ってるわよ。本人から聞いたし。ねえ咲夜」

 

 主に問われ、従者は「はい」と答えた。

 

「あんたの妹と似てない?」

「あんな女と同じな……訳……ないわよ」

 

 触れたもの壊す能力と、指先一つで生命の糸を切断させる能力。容易く相手を絶命させるが、それほど似ているものだろうかと、咲夜は思ったが、主の口調は滑らかではなく、思い当たることがあるようだった。

 

「彼女は生前、自身の能力をコントロールできていなかった。知らず知らずに能力を使い、近しい者を殺めて……最後は一人になって、自尽したのよ」

 

 三人の間に沈黙が降りる。

 咲夜は主人を見る。

 後ろから見ているため、表情は見えない。

 咲夜は思う。

 レミリアもまた自身の能力を理解するまで、色々とあったのではないか。

 しかし、それを問う事はしない。

 

「フランもそうなるって言いたいの?」

「さあ、でも能力を制御できたほうがいいでしょう?」

「……でも、パチェは」

「居候の魔法使いも全知全能なわけじゃないんだし、色々と調べてみたら」

「……本当に治ると思う?」

「さあ? でも、何もしないよりはましだと思うわ」

「……」

「さて、世間話はこれでおしまい」

 

 巫女はくだけた表情をし、言葉を続けた。

 

「こちらの頼みを聞いてもらえる?」

「……話によるわよ」

「簡単な事よ。私はこの護符の中に戻るから、その護符をそこの棚の中に戻して欲しいの。ここに」

 

 巫女が指さす先をメイドが見つめる。

 

「分かりました」

 

 レミリアの代わりに咲夜が答えた。

 

「……このことは、霊夢には内緒、と言うことですね」

「察しがいいわね。流石は紅魔館のメイドね」

「褒めても、何も出ませんよ」

「単なる感謝の代わりよ」

 

 とらえどころのない笑みを浮かべ、巫女は札に吸い込まれるようにして消える。

 収縮した護符がはらりと色あせた畳の上に落ちる。それを拾い、咲夜は頼まれた通りに、護符を棚へと仕舞った。

 

 

「咲夜はどう思う? さっきの話」

 

 正常化された月明かりに照らされた主人の表情は少し重い。

 

「西行寺の生前の話の信憑性は分かりませんが、能力を制御できるに越したことはないと思います。お嬢様の能力がフラン様の為のものなのかは、それは私には見当がつきません」

「……」

「……」

「まったく、人がどれだけ苦労してここに来たと思ってんのよ」

 

 怒っているわけではないだろうが、咲夜は主人を宥めつつ博麗神社を後にした。

 




NEXT EPISODE 【断章2】
そこには、巫女の遺体が転がっていた。


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後奏、あるいは終章:幻想郷騒乱
【断章2】


【断章2】

 

 

 晴れた夏の昼過ぎ、八雲紫が見た光景は妖狐からの報告通りだった。

 境内に倒れた四人の巫女。

 二人は頭部が無く、残る二人は胸が大きく裂けて、大量の血液が地面を濡らしていた。

 ただ一人生きている巫女が死者の瞼を閉じていた。

 腰まで届く長い黒髪を赤いリボンで束ねている。

 紫はゆっくりと地上に降りる。

 鉄臭い血の匂いが辺りに漂っていた。

 こちらに気付き、博麗の巫女は感情のない顔でこちらを見る。

 紫には印象のある顔の巫女だった。

 以前力試しとして、模擬戦を行った。昔ほど、意味をなしてはいない。

 妖怪に対する抑止力として、あるいはそれを成立させるために背徳的な手段で強化された人間。今や実力の程はもはや、彼ら自身で測ることが可能だからだ。

 あの時の彼女の実力は可もなく不可もなく、たいして印象には残ってはいない。

 

「これは、貴女がやったの?」

 

 紫は生き残っている一人の巫女に尋ねる。

 本気ではない。しかし、望まぬ事を強いられるシステムに反発するものは、今までも存在していた。

 それらに対し、紫は直接手を下してはいない。

 彼ら自身で対応していた。

 時には死よりもつらい辱めを施してまで――

 

「……そう見えますか?」

 

 小さな声。しかしその透き通った声は耳によく通る声だった。

 

「いいえ。念のために聞いてみただけよ。何があったの?」

「別に……いつもと変わらない……いつも通りに稽古をしていただけで……」

 

 紫は死体を観察する。

 頭部のない死体と、胸が大きく爆ぜた死体。

 死体の傷は外からではなく、内側から弾けるような感じだった。

 

「理由はおよそ見当が付いています……話は後でもよろしいですか。弔いたいので」

 

 表情は変わらない。死体だらけの状況に、紫はそれを了承した。

 

 

 巫女は死者を弔う為、棺を用意し、かまどを用意する。

 別に日を改めれば済む話なのだが、八雲紫はできなかった。

 能面のように顔色をほとんど変えない様子を見て、少し不安になる。

 この後、この女は自殺をするのではないか――

 もちろんそんなことはない。自殺を防ぐ為、彼らは自身の頭をいじっている。どういった理屈で脳の書き換えができるのかは紫も分からない。ただそれは薬一粒摂取するだけで完了する。その薬には、それ以外の作用もあるが――

 

 

 かまどが見える縁側に彼女は座り、燃えるかまどを見つめている。

 境内を血で汚れていない地面に四枚の護符を置いた。彼女の合図と共に護符から、かまどが出現した。四体の遺体をかまどに入れた後、境内を染める血を拭き取り、水を何度もかけ、その痕跡を消した。

 紫は彼女の隣に座り、かまどを見つめる。

 ときどき彼女の顔を盗み見る。

 その表情は変わらない。

 

 

 遺体は四体同時に一日がかりで焼いた。

 冷めた骨を骨壺に入れ、神社から少し離れた博麗家代々の墓に収めるため、神社の裏手の木々を分け入っていく。

 巫女の後をついて行くと、少し開けた場所に墓石があった。隣には外来人の為の墓もある。

 作業を済ませ、彼女は静かに手を合わせた。

 

 

「原因はおそらく吸血鬼の血、です」

 

 血塗れの境内を掃除し終えた巫女は、神社の一室に私を招き、そう言った。

 相変わらずその顔は無表情で、淡々と言葉を続ける。

 

 

「吸血鬼異変の事はご存じですよね。あのとき五人の巫女のうち三人が、レミリア・スカーレットに殺されました。彼女を負かした巫女はかなり大けがをしています。たしか彼女の能力を封じるために、鼓膜を潰したとか。そのときに吸血鬼を少し取り込み、その後、出産しています。突発的に死亡することなく寿命を全うしています」

「……」

 

「その人には問題がなくても、何世代後に異常が発現するのは別におかしくないでしょう」

 

 隔世遺伝と言うことか。

 しかし、血液の混入などあり得るのだろうか? 可能だとして、血行障害など起きないものなのか? あるいはこの結果がそれなのか?

 吸血鬼。力の源は妖力だろう。

 力の源泉は大きく生命力。霊力。魔力。妖力。仙力の五つに分かれる。

 生命力(気)は全ての生命に存在する。能力のない人間はこれだけである。能力を持つ人間は次の二つを備えている。霊力と魔力。前者は博霊の巫女の持つ力で、後者は魔法使いになる素質を持つ人間が持つ力である。また魔力は生粋の魔法使いも持つ力でもある。

 違いはあれど、二つは魔法の森が生み出す瘴気に耐性を持つ。この瘴気によって魔力が生まれたと言う考えがあるが、真偽の程は定かではない。

 妖力は妖怪、精霊、亡霊、鬼、吸血鬼、妖獣、獣人、付喪神などが持つ力、仙力は仙人が持つ力である。

 霊力と妖力。相反する力であり、混入すればすぐに拒絶反応など起こしそうな物なのだが――

 

「……それだと貴女だけ助かった理由は? 貴女だけその爆弾のタイマーが違うと?」

「……それは、分かりません」

 

 どうにも原因の理由としてそれは弱い。

 巫女は相変わらず表情を変えず、淡々と話す。

 

「もう一つ、可能性があります。四人は戦闘班、私は記録係という違いがあります。四人は私に比べて霊力がとても強いので。だから霊力が暴走したのではないかと。人の肉体は貴女のように強靱ではありません。肉体が制御できる以上の霊力が身を滅ぼしたのだと。傷は全て内側から発生しているのは貴女もご存じですよね」

「……」

 

 本来の交配で出来た種ではない以上、なにがしかの弊害が生まれる。その障害については何度か目にしている。

 肉体に致命傷を負わせる程の力の放出などあり得るのだろうか?

 彼女たちの能力は封印。力を制御出来なかったというのは考えづらい。

 数多の戦闘で、あるいは歪んだ交配でDNAに何らかの瑕疵があるのだとしたら?

 

「どうでしょうか?」

「さっきの説と同じくらい、説得力はないわね」

「……そうですか。私が思いついたのはこのぐらいです」

「そう」

 

 沈黙。

 結論は出ない。

 彼女が終わりを始めるために何らかの細工をしたのだとしたら? その結果があの亡骸ならば――

 もし、彼女がシステムを拒絶しようものなら――

 どんな手段を使ってでも、この女に継続させなければいけない。

 

「いずれにしても貴女にはしてもらう事が出来たわね。博麗の血が絶えないように。相手をすぐにでも選びなさい」

 

 八雲紫は冷たく言葉を続ける。

 

「三日後にまた来るわ」

 

 返事も聞かず、紫は体を上げる。と、スカートを掴まれた。俯いた巫女の表情は、紫には見えず。文句を言おうとした瞬間、

 

「もう少しだけ……もう少しだけ、一緒にいてくれませんか?」

 

 彼女より強かった者は死に、今やこの幻想郷でもっとも強い人間。

 そんな彼女の声は誰よりも弱々しい。

 自殺などはしない。

 しないはず――

 紫は座り直す。

 

「――――」

 

 無意識に口にした言葉を紫は覚えていない。

 ただその言葉を聞き、彼女は泣き出した。

 紫は静かに彼女の頭を撫でた。

 




NEXT EPISODE 【7月25日(1)】
早苗は腰に挟んだ大幣を抜き、ぴしゃりと赤白の巫女に向けた。


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【7月25日(1)】

【7月25日(1)】

 

 

 翌日、再び東風谷早苗は博麗神社の地を踏んだ。

 古ぼけた拝殿の前には二人の少女が談笑している。

 一人は赤と白の巫女服を纏った黒髪の少女。髪は白いフリルをあしらった赤いリボンで留めている。

 もう一人は昔の魔法使いをイメージしたような白のブラウスに黒のスカート。長いブロンドの髪を隠すような大きな黒の帽子を被っている。

 二人共自身とそう年齢が変わらない感じに見える。

 早苗は腰に挟んだ大幣を抜き、ぴしゃりと赤白の巫女に向けた。

 

「貴女がこの博麗神社の霊夢さんですか?」

「……そうよ。あんたは……」

 

 霊夢はうさんくさそうな顔で緑髪の少女を見る。

 

「私の名前は、東風……」

「東風谷早苗、でしょう?」「東風谷早苗、だろう?」

「そう、東風谷早苗で……あれ? どうして」

 

 かっこよく名乗ろうとした出鼻を挫かれる。

 どうして、この二人は私の名前を知っているのだろうと、首をかしげる。

 

「鈴仙が言っていたわよ。最近外から来たそうね」

「うっ……そうです」

 

 まさかそんな形で、知られてしまうとは。早苗は呻く。

 

「単なる挨拶って訳じゃなさそうね」

 

 赤の巫女は睨みつけるような目で、早苗を見る。その目に怯まず、緑髪の巫女は目的を告げる。

 

「そうです。私達は山の信仰を手中に収めました」

「しんこう?」

 風祝の少女の言葉を魔理沙は聞き返す。

 

「次は貴女の所の信仰を頂きに参りました」

「漬け物なら、店に売ってるぜ」

「お新香でも香の物でもありません。信仰です」

「信仰ねぇ……参拝客なんて、来たことあったっけ?」

 

 魔法使い風の少女が、おめでたそうな色の巫女に聞く。

 

「見たことないわ。大体こんな辺鄙なところまで来る人なんて、魔理沙ぐらいだけだし」

「里から遠すぎるんだよなぁ」

「ふっ、信仰を集めるカリスマのない巫女は不要ですね」

 

 目を輝かせ、早苗が宣言する。

 

「なら守矢神社が、貴女に変わって管理してあげましょう。奇跡を起こす私にかかれば、こんなおんぼろ神社でも人々の信仰は簡単に得られるわ。そうすれば、この幻想郷の信仰は全て守矢神社のもの……」

 

 博麗の巫女は冷めた目で熱く語る守矢の巫女から目を反らし、踵を返す。

 

「それもいいかもね」

「……おい、霊夢。お前、あんな事があったからって……」

 

 黒白少女の声を無視し、赤白の巫女は賽銭箱の裏にまわる。引き出しを開けるような音がした。箱の中身を確認しているようだった。

 

「……と思ったけど、私の知らないうちに参拝している人が居るみたい」

 

 黒髪の巫女の手には一枚の通貨あった。これ一枚で買える物などないが――

 

「参拝してくれる人がいる以上、勝手に鞍替えするわけにはいかないわ」

 

 毅然と宣言する博霊の巫女。

 と、空を切る音、瓦が割れる音、木が砕ける音、そして何かが地面を叩き付けるような音が連続で聞こえた。

 博霊の巫女と魔法使いの地面が揺れる。

 

「おい、地震か」

 

 砕けた瓦が地面に落ちる。拝殿の柱が軋み声を上げる。揺れはどんどん大きくなる。

 拝殿の近くに立っている二人は、揺れに耐えきれず座り込んだ。

 しかし、彼女らから数メートル離れた早苗には立っていられないほどの振動は感じられない。

 地なりが響き、地震は止まない。

 やがて、拝殿が左右にぐにゃぐにゃと大きく揺れ動き、そして――

 けたたましい音と共に、拝殿は倒壊した。

 

「……」「……」「……」

 

 ガラッと瓦礫が音を上げると、早苗が見ている前で崩れた拝殿から小岩が、天へともの凄い勢いで上っていった。

 二人にはそれが見えたのかは分からない。ただ揺れはおさまっていた。

 

「なに?」

「おさまったか?」

 

 魔法少女がきょろきょろと周りを見回し立ち上がる。周囲には薄く土煙が漂っている。

 博霊の巫女も立ち上がった。崩れた拝殿を見、そして早苗の方を見る。

 その目が鋭い。

 

「これが、あんたのやり方って訳?」

「えーっと」

 

 早苗は返事に窮する。身に覚えがない。神奈子、諏訪子の二神がこれを行ったとは思えない。やっているなら、感覚で分かる。

 

「とりあえずは、今日はこの辺で……」

 

 答えようにも、解答を知らない守矢の巫女は焦り、そう言ってこの場から逃げ出した。

 

 

「どうする?」

「魔理沙の魔法で元に戻らない?」

「いやぁ、これはさすがに。復元するにはさぁ……」

 

 後ろ髪を掻きながら、簡単に復元魔法について説明する。

 

「だから、瓦とか、簡単なものなら元に戻せるよ。こんな風に」

 

 魔理沙は真ん中で割れた瓦を拾うと呪文を唱え、瓦を元通りにした。

 

「後は、建築は大工の仕事だな」

「霊夢は、どうする?」

「こんな事されて、このまま黙っている訳にはいかないわ」

 

 

 博麗神社に一人残された魔理沙は、瓦礫から瓦を拾い復元させていく。瓦礫からと言ってもまずは地べたに転がった瓦から取りかかった。

 一刻ほど、作業をしていると「これはまた酷い」と少女の声が後ろから聞こえた。

 見ると、魔理沙より一回り小さな少女が立っている。

 小さな体躯は白い袖のない服に、紫色のスカートに包まれ、ブラウンの長髪にねじくれた二本の角が生えている。手首には囚人が引きちぎったような短い鎖が垂れ下がり、右手には瓢箪を持っていた。

 そして、少女の隣にはスキマ妖怪の式神――八雲藍が立っていた。

 

「霊夢に用事か、あいつならいないぜ」

「知っている。用はこっちにある」

 

 真顔で言う魔法使いの言葉に、妖怪狐は顎で壊された拝殿を示す。

 

「もう一人の霊夢は、そっちにいるのか?」

「ええ。彼女には役割がありますので」

「役割?」

「狐っ子。図面はあるか?」

 

 角の生えた少女が、魔法使いと式神の会話に割って入る。

 

「ええ、こちらです」

 

 八雲藍は袖口から筒状に巻いた紙を取り出し、少女に渡した。

 

「萃香殿、数刻したらこちらに戻ります。足りない物はその時に……」

「まぁそれでいいよ。お酒の方は宜しく」

 

 手短に予定を伝え、妖狐はスキマを開き消えていった。

 

「あんたは?」

 

 手首に繋がった鎖を揺らし、黒白の少女に問いかける。

 

「ここに遊び来たんだ。ここの巫女――霊夢の友人だよ」

「さて、その様子だとあんたも手伝ってくれるよな?」

 

 萃香と呼ばれた少女が、魔理沙の周りに整頓して置かれている瓦を見て笑顔で言う。

 

「それはいいさ。お前は、鬼なのか?」

「鬼を見るのは始めてか?」

「霧雨魔理沙だ。初めてだよ」

「そうか……まだ、あいつは……」

 

 萃香は口を押さえて小さく呟き、「まあいいか」と小さく零した。

 

「さて、仕事を始めるか」

 

 小さき鬼――伊吹萃香がそう言うと彼女のの周りに白い霧が立ちこめ、その姿が埋もれてしまう。その霧から、握り拳ほどの大きさの萃香が次々に飛び出す。

 霧が次第に消え、そこには百を超える小人の萃香が立っていた。

 

「分身の術か?」

 

 少しばかり魔理沙は顔を顰めた。てくてくてくと一体の萃香が前に出て疑問を返す。

 

「まあ、そんなものかな。他にも、巨大化したりも出来るが……天狗の奴らに……いや、今は意味がないか」

 

 言葉を濁し、小人の萃香は「解体作業はこちらでするから、直せるものは直してくれんか? 無理強いはせんが」と魔法使いに聞いた。

 

「式神が恐らくフォローするだろうし」

「私に出来ることなら構わないさ」

 

 了解の返事を聞くと崩れた萃香の大群は拝殿に群がり、瓦や柱などを軽々と持ち上げていった。

 

 

 伊吹萃香 密と疎を操る能力

 分裂や巨大化他、色々

 




NEXT EPISODE 【Fragments2】
DNA認証を開始する音が、イヤリングを通して伝える。


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【Fragments 2】

【Fragments 2】

 

 

 隣の部屋からシャワーの音が聞こえた。宇佐見蓮子の鼻歌も聞こえる。

 マエリベリー・ハーンはベッドから体を起こし、体にバスローブを巻き、端末を取るために立ち上がる。

 ホテルの部屋は広く、壁紙は薄桃色、白いシーツのダブルベッド、テーブルと椅子が置かれている。扉は二つ。一つは部屋を出る扉、もう一つはバスルームとトイレに繋がっている。昔はTVと言う映像受信装置なる物が置かれていたが、もう何百年も前になくなってしまった。

 マリエベリー、もといマリーはテーブルに置いた指輪と片方のイヤリングだけを手に取り、指にあるいは耳に付けた。

 DNA認証を開始する音が、イヤリングを通して伝える。

 ベッドに腰を下ろす。認証確認が終わり、彼女から一定距離離れたところにフラットな画面が現れる。

 起動時の初期画面は、ニュースの見出しの一覧だ。

 TVがなくなった理由の一つが、この端末の普及である。今写っているニュースは昔TVでも報道されていた。しかし、それを報道する機関は、ほとんどの国で他国に乗っ取られており、自国民に対しての報道規制、情報操作が当たり前のように行われていた。

 だが、この端末の発達によって、白日の下に曝されていった。

 その一覧をざっと眺める。指輪をはめた人差し指を動かし、画面をスクロールする。

 新着のニュースは二十件ほどで、多くはとある国の鉄道の爆発事故を知らせるものだった。原因は自爆テロによるもので、被害の規模などが連続して記事になっていた。

 マリーは事件内容のキーワードの幾つかをタッチする。すると、同事件を取り扱う他国のニュースが複数表示される。

 情報の高速化と並列化。

 TV同様消滅した新聞という紙媒体の情報。いずれも偏った情報が流されていて、それが、一瞬にして比較出来てしまうため、情報操作が困難状態に落ち込んだ。この数年前から世界は不況の最中にあり、グローバリゼーション、あるいはグローバル化が叫ばれていた。

 ヒト、モノ、カネ、情報、それらが国を超え行き交う世界。

 他国に寄生していた富を食いつぶしていった彼らは、今度は世界を巻き込んでなお寄生し続ける。

 情報の並列化により、白日の下に晒されたが、時既に遅く世界は混沌の様相を呈していく。

 テロ、クーデターといった不安定な世界情勢を表す言葉は、もはや毎日のように目にしていた。

 世界な不況は何百年も続いている。

 企業は労働賃金の安い国で生産を行う。そして、労働者の求める賃上げ要求に企業は次第にその要求を呑むことに耐えきれなくなり、別の国で同じ事を繰り返す。

 結果、世界の労働賃金は均質化し、この方法での利益は期待できなくなった。

 また、各国の紙幣の価値もほとんど変わらなくなった。一円≓一ドル≓一ポンド……外国為替で儲けることもできなくなる。

 情報化の加速は消費物に対しても同じ、いやそれ以上の早さで食いつぶされ、飽きられる。

 流行りだしたモノは、こぞって他社が模倣物を大量に作り、あっという間に消費された。

 品不足がおき、生産力を上げ、追いついたと思えば、そのころには需要はぱったりと途絶える。

 そんな話は沢山ある。

 倒産する企業は増え、貧富の差が酷くなる。

 そこで、この国は政策として需要が確実な食品関係に力を入れた。

 人が生活していく上で必要な衣食住、の三要素の一つ。

 より多くの食料を、安定的に供給する方法を模索した。

 結果、できたのは植物性の原料でできた合成食品だった。

 技術が確立されたときは安全性が危惧されていたが、それも何度も科学的根拠を含めた説明もあってか、次第に受け入れられるようになった。この技術が世界的に大きく受け入れられたことに理由がある。それは牛、豚、鶏などを殺さず、それらの肉を食べることができる点だった。

 動物愛護団体、あるいは宗教上食することができない人々に受けが良く、瞬く間に世界に広がった。

 巷には合成食品が溢れ、天然のもの、あるいは養殖のものは中級、高級料理店でしか出されない。

 新着メールを知らせるアラームが鳴った。

 メールボックスを開く。

 蓮子の好きなブランドが新作を出したという、ダイレクトメールだった。

 後ろのドアが開き、バスローブを纏った蓮子が出てきた。頭にはフェイスタオルをかぶせている。

 

「マリー、もう使っていいわよ」

「うん」

 

 簡単に返事をし、蓮子を見る。

 上気だった頬が赤い。蓮子の濡れた茶色の髪がベッドの上の彼女より一層妖艶に見えた。

 バスローブからのぞく健康的な脚も艶めかしい。

 蓮子を見ているとその色気に毒され襲いたくなるが、そうもいかない。

 もうしばらくするとホテルを出なければいけない。

 

「蓮子、貴女のお気に入りのお店からメール来ていたわよ」

「ん。確認しとく」

 

 蓮子はベッドに座りタオルで髪をわしゃわしゃと掻き、髪の水気を取っている。

 マリーは立ち上がり、端末を外すとシャワーを浴びにバスルームに向かった。




NEXT EPISODE【7月25日(2)】
地面のあちこちから柱が、もの凄い勢いで天へと向かって噴き出した。


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【7月25日(2)】

【7月25日(2)】

 

 

 霊夢が妖怪の山に足を運ぶのは、これが初めてだった。

 これまで異変を起こしていた人物がここを根城にしていなかったからだ。赤き吸血鬼は魔法の森の北に佇んでいる霧の湖の中州に建つ紅魔館で、亡霊少女は冥界に建つ白玉楼。そして、ついこの間に起きた付きの異変では迷いの竹林へと向かった。

 東風谷早苗がいるであろう守矢神社の場所は、上空から見れば明らかだ。赤い鳥居、拝殿を含む幾つかの建造物、湖と天へと向かって伸びる柱群が見える。

 妖怪の山の山頂は雲で隠れていて見えない。この山の標高はどれほどなのか霊夢は知らない。が、見える限りでは人工的な建物は一つしかなかった。それは守矢神社だ。

 朱塗りの鳥居を抜け、石段を登った先にある守矢神社は博麗神社よりも綺麗だった。周囲から感じる空気もどこか澄んでいる。それは標高が高いためにおこる空気の薄さによるものなのか霊夢には分からなかった。

 博麗神社同様に守矢神社も周囲は木々に囲まれている。とはいえ、拝殿と木々の間は広くとられ、自身の神社に比べると、開放感が違う。

 真っ直ぐに拝殿へと通じる石畳の参道の右手には木々が切り開かれている。恐らくは木の柱が林立する湖へとつながっているのだろう。霊夢が守矢神社の場所に迷うことがなかったのも、その柱の御陰だった。今日のように晴れた日には特に目立った。守矢神社のあるこの森は、人里から見た限りでは人工物は見当たらない。数多の妖怪が住んでいるが、自然の木々により隠れているだけだ。まあ、信仰を集めるために参拝をして貰うには目立つだろう。

 霊夢は真っ直ぐに続く参道を歩き、拝殿を見る。南向きということもあってか陽光に照らされ拝殿の形ははっきりと分かる。博麗神社とは違い大きなしめ縄が飾られている。と、二つの人物が目に入った。賽銭箱の奥、拝殿に続く木の階段。そこに座る桔梗色の髪の女と、市女笠のようなものをかぶった少女。鈴仙の話なら人ではなく、神。

 桔梗色の髪はウェーブがかったセミロング。凛々しさを感じさせる小豆色の瞳。上は長袖の白いブラウスの上に半袖の赤い上着、下はえんじ色のロングスカート。スカートの裾は上着の同じく赤く、スカートから覗く足は素足でわらじを履いていた。

 少女は蛙の姿が描かれた菫色と白のツートンカラーのつぼ装束のような衣装を纏っている。黒の靴を履き、ほっそりとした脚は白のニーソックスにつつまれ、膝近くまでの肌を隠している。大きな笠の下にはブロンドのショートヘア、髪を一房顔の左右で赤い紐で束ねている。

 東風谷早苗はいないようだった。

 桔梗色の髪の女が霊夢に気付き、声を掛けた。

 

「ようこそ守矢神社へ、麓の巫女よ」

「あんたは?」

「この守矢神社の祭神が一人、八坂神奈子。こっちが洩矢諏訪子。早苗から聞いていないのか?」

「まあね。それを言う前に、あんたが神社を壊してくれたもんだからね」

「壊す?」

 

 二柱は互いの顔を見る。

 

「何のことだい?」

「とぼけるつもり? 神社を壊して、そこに残った信仰を取り込もうしたんじゃないの?」

 

 死した魂は、彼岸を目指し小野塚小町のいる三途の川へと向かう。取り残された信仰も消えず、どこかに引かれていくのではないかと、霊夢は考えた。信仰なんて目では見えない。烏合の衆というわけではないだろうが、引かれていくとなれば集めている場所だろう。

 もっとも、魂のようにそこにあぶれて、この間のように花を開花させたりする事はないだろうが――

 霊夢の心の中にある不安の根源がここではない。早めに牽制し、本命の事態を複雑混迷化させたくはなかった。

 二柱の返事はすぐにはなかった。

 

「まあ、こちらの世界の巫女の実力を知るのもいいか」

 

 こちらを睨みつける赤白の巫女に聞こえないほど小さく声で、八坂神奈子が呟く。

 そして、赤白の巫女に向かって答える。

 

「だったら、どうしようってんだい。うちの神社を破壊する、か?」

「そんなことはしないわ。そんなことをしても、泥仕合になりそうだし……」

「なら、力で勝負、ってところか?」

「そうね。そっちの方が手っ取り早いわ」

「それじゃあ、場所を変えようか。諏訪子、どこかいい場所はあるか?」

「ちょっと待って」

 

 坤を創造する能力を持つ洩矢諏訪子は、屈み、右手を大地に触れた。

 能力で彼女の理想とする舞台を作り出すことも可能だが、地形を弄くると目の前の巫女が激昂しそうだったので止める。

 諏訪子は右手から地形データを読み取り、

 

「ここから東に十㎞ほど離れたところに、開けた場所があるわ」

「その場所でいいか? 麓の巫女さん」

「博麗、霊夢よ。それでいいわ」

 

 神奈子の言い回しが気にくわないのか、巫女は名前を名乗る。

 

「諏訪子、案内してくれ」

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 時間は少し遡り――

 神社の上空にスキマを展開し、八雲紫は地上を観察する。

 式神の報告通り、博麗神社は崩れていた。しかし崩れているのは拝殿だけで、拝殿とつながる住居部分は無傷だった。建物の強度にさして違いは無いはず――

 だとすれば、この地震は人為的に起こされたものだ。

 主人に遅れて、式神――八雲藍も博麗神社上空に出現した。

 

「藍、過去にこんな局所的に地震が起こったことは――」

 

 スキマ妖怪は自分の後ろに立つ式神に問う。

 

「二百年ほど前に、二度起きています。原因は比那名居天子です。天人、いえ天人くずれですね。名居の一族の臣下、比那名居一族の娘」

 

 聞き覚えのある名前だった。

 天人となった彼女は能力を何度か地上に試し打ちをしている。

 

「藍、萃香を呼んで、建て直して貰って。適当にお酒を見繕って持っていって」

「紫様は……」

 

 式神の問いを無視し、低い声で紫は小さく呟いた。

 

「人の庭で勝手なことをした報いは受けてもらうわよ」

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

「こんなところだね」

 

 洩矢諏訪子の後を追い、着いた場所は所々で岩肌を見せる、見晴らしのいいところだった。

 霧の湖から流れる水流の一つが、涼やかな音を立て近くで流れている。

 

「まずは私が相手をしてやろうか」

 

 八坂神奈子がそう言うと、

 

「えー、私もやるのー?」

 

 諏訪子は不満げに言った。

 神奈子は博麗の巫女と戦うことで、信仰を獲得したことでのどれほど、力が戻ったのかを確認したかった。加えて、早苗の戦闘センスとの差を確認しておきたかった。

 外の世界とは異なる、力が物を言う世界で早苗はどれだけのことが出来るのか。

 早苗は大した戦闘経験などない。今の早苗は勘とセンスで戦うのが関の山だ。必要であれば、戦闘訓練をしなければいけない。

 

「面倒だわ。まとめて掛かってきなさい」

 

 博麗の巫女は鋭い目で二柱を見つめ、挑発するように言った。

 

「と、言うことだ」

 

 諏訪子は少し気が乗らない様子だったが「仕方ないなぁ」とため息を漏らし、ぱちんと指を鳴らした。

 周囲に黄色みがかった結界が展開された。

 

 

 ――↑↓――

 

 

 三人が音もなく宙に浮く。

 霊夢は目だけを動かし、周囲を見る。

 結界はかなり大きい。結界の天は、雲が漂う高度くらいまであり、結界のそこは見えない。

 東西南北に伸びる結界の縦壁は数㎞離れている。

 諏訪子が展開した結界は以前八雲紫らと戦った時と違う大きな点があった。

 霊夢は高度を上げる。

 結界のそこが見えないのだ。地中深くにそれがあるのか、それとも設定されていないのか。

 いずれにせよ――

 霊夢は下から、地中からの攻撃があると予想する――が、それはすぐに現実となった。

 地面のあちこちから太さ三メートルを越える六角の形をした柱が、もの凄い勢いで天へと向かって噴き出した。

 鍋に張った水が沸騰し泡だったかのような感じだった。数え切れない柱が生えだしている。

 土煙を出し、砕かれた土屑が霊夢の頬をちくりと叩く。

 そのうちの一本が霊夢を狙うかのようにもの凄い勢いで生え出でる。

 身を翻し、巫女服の袖の数センチ側を柱が上っていく。

 ぶわりと風圧で髪が逆立つように舞った。

 霊夢は急いで、二柱の姿を探す。視界は悪い。

 薄く舞い散る薄茶色の霧。柱が死角を作っている。

 背後に視線を移すと、柱の影に八坂神奈子の赤い服がちらりと見えた。

 前方にはもう一柱の洩矢諏訪子が立っていた。

 隠れてはいない。こちらに向けて手をかざしていた。

 洩矢諏訪子は笑うでもなく、起こるでもなく――

 彼女の手から、一つの緑色の光弾が放たれた。

 その弾速は遅い。

 それが、彼女のやる気のなさの現れなのか?

 それとも――

 それを躱すのは容易い。

 諏訪子が二撃目の光弾を放つ。

 一撃目が近づく。

 空を蹴り、緑弾の横を通り一気に諏訪子に近づこうと準備動作に入ろうとした瞬間、霊夢の頭の中で警告音がなる。

 左手に針を顕現し、掴むと天へと向かって伸びるすぐ側の御柱に突き刺した。

 同時に体が上へと引張られた。

 その威力は凄まじく――

 

「っ――」

 

 声なき悲鳴を上げ、すぐに針から手を離す。

 あまりの勢いで、左腕が引きちぎられることはなかったが、肩が外れた。

 痛みに耐え、関節を無理矢理はめ、回復の護符を体にはった。

 回復による激痛に呻きつつ、諏訪子の放った弾をみる。

 再び頭の中でけたたましくサイレンが鳴った。

 霊夢が先ほどまでいた場所で光弾が弾け、炸裂弾のように細かな光弾が周囲に展開された。

 

「痛っ」

 

 肌を、服をかすめていく。

 首を振り、背後を見る。

 上へと逃げると見越した、神奈子が放ったとおぼしき光弾が迫っていた。

 挟まれた形で迫り来る光弾を、強引に体を振って何とかかわす。

 躱しきれない一つの光弾だけを右手に生み出した護符を投げ相殺させた。

 無数に映えた御柱が死角となり、神奈子が見えない。

 確認できるのは諏訪子のみ。彼女は既にこちらに向けて炸裂弾の光弾を放っていた。

 無数に映えた御柱の林とかしている。

 炸裂弾を裂けるため、近くの御柱の陰に隠れる。

 と、下の方で空を切る音が断続的に聞こえた。

 見えたのは巨大な薄い円形の刃。それが幾つも飛び交っている。

 打ち込まれるチャクラムの刃は諏訪子のいる方からだ。

 こちらの姿が見えないため、出鱈目に打っているのか、それとも計算なのか。

 飛び交う刃が、柱を易々と切断する。

 柱はずずずっとずれ、次々にバランスをなくし倒れていく。同じ事は他の柱でも起きていた。

 倒れゆく柱同士がぶつかり、軌道が読みにくい。

 上へと移動すべきだろうかと、目だけを動かし天を見る。

 赤、紫、水色、青、緑。五色の札が、何かの葉を模しているのか幾何学的な形を為して、空を占有していた。

 上に逃げるべきではない。

 刈り取られていく六角の柱。すでに柱は天へと昇る動きを止めている。

 倒れゆく柱の陰に八坂神奈子の姿を視界に捉えた。

 こちらに手をかざしている。

 霊夢を挟み込むように二柱はいた。

 右手を神奈子の方に、左手を諏訪子の方にかざし、巫女は唱える。

 

「二重結界」

 

 両手それぞれに矩形の赤い結界が展開した。

 

 

 ――↑↓――

 

 

 阿吽の呼吸といった感じで、八坂神奈子は柱を隠れ蓑に巫女を挟み撃ちにした。

 崩れゆく柱の中で、巫女に向かって攻撃を開始する。

 巫女は両者に向かって手を構え、赤い結界を展開した。

 結果が消えたときがあんたの最後――

 そう思っていたが、赤の巫女の結界は、こちらに迫ってきた。

 重い音を立て、数本の柱を巻き込みながらも勢いは衰えることなくこちらに向かって突き進む。

 放つ光弾もそれに阻まれ、神奈子は攻撃を止め上に跳躍し結界を躱す。

 巫女はこちらを向いていた。

 こちらを睨みつけるように見ている。

 赤き結界が消えたのか、それとも止まったのか、神奈子の後ろで柱が地面にぶつかり大地を響かせている。

 巫女はこちらから距離を取るように下降する。

 それを追うように神奈子も下降し光弾を展開する――と、

 

「神奈子、よけてっ!」

 

 諏訪子の声。そして間髪入れずに背中に衝撃が走った。

 

「なっ」

 

 重い衝撃に神奈子の息が詰まる。

 視線を背中に向ける。

 躱したはずの赤い結界に背中を叩き付けられていた。

 前方を見る。

 諏訪子の方に展開された結界がこちらに向かってきていた。

 挟み潰すつもりか――

 重力加速度が強く、体は赤き結界に張り付いてる。

 時間はない。

 両手を前方に構え、御柱を現出させる。

 柱は結界に挟まれ、あっという間にべきべきと音をたて、しなり、砕けた。

 半ば予想していたことだが、つっかえ棒の役目は果たさなかった。

 

「ちっ」舌打ちし、右足を構える。

 赤い結界が肉薄し、ずんっと重い衝撃が走り、息が詰まる。

 それ以上、動かない。

 押し潰されることもないが、身動きも取れない。

 音もなく、首筋に鋭い護符を突きつけられた。

 冷たく、鋭い目がこちらを見据える。

 

「分かった。降参だ」

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

「話はこのぐらいにして、続きでも始めるか」

 

 話す内に場の雰囲気が悪くなってきたので、萃香は強引に話を打ち切った

 二本の角が覗く髪を掻きながら、萃香は腰を上げる。

 

「おい、その話の続きは……」

「それは、ここの巫女に聞いてみたらどうだ」

 

 二人は拝殿の奥に建っている住居棟の縁側で休んでいた。八雲藍が再び神社を訪れ、宮大工替わりの萃香が現在解っている修復の効かない柱や梁の数やら寸法を伝え、これを機会に休憩することになった。

 神社の勝手を知ったる魔理沙がグラスを用意し、式神持って来た一升瓶の酒の一本の封を切った。

 世間話程度に萃香は自分が知っている博麗神社の事、霊夢の事を話していたのだが、どうも彼女が知っている事とかなり内容が乖離しているのか……

 このまま話し続けると、紫に怒られそうな気がした。

 萃香は立ち上がり、

 

「早く直せってお達しなんで、夜通しで作業をすることになる。明後日までに終わるだろうから、それまでここの巫女をお前さん家に泊めてやってくれんか?」

 

 と、魔法使いに頼み事をした。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

「♪~」

 

 異変を終わらせる巫女がいつ自分の前に現れるのか、比那名居天子は楽しみで仕方がなかった。

 悪戯を仕掛けたタイミングは適当だった。建物の下敷きになることはないだろうし、なったとしても死にはしないだろう。今まで異変を解決に導いているのだから、この程度で終わることもないだろう、そう。

 操る要石に乗り、戦いの舞台はどこにしようかなぁと有頂天をふらふらと浮遊する――と、

 

「ぷげっ」

 

 天子の後頭部に重い衝撃が走り、バランスを崩した天人くずれは、要石から滑り落ち地面と苦々しいキスをした。

 

「博麗神社を壊したのは、お前だな」

 

 天子は顔を上げつつ、自分の背後にいる人物に対して要石を体当たりさせる。

 しかし、その手応えはなかった。

 

「そうだよ。悪いか?」

 

 顔を上げ、天子は振り向く。

 要石は地面にめり込んでいた。その理由を比那名居天子はすぐに理解した。

 

「悪いわよ。お前如きが遊び半分で関わっていい場所じゃないのよ」

 

 怒気を含む、その台詞。

 そこには、彼女が望む博麗霊夢ではなく、境界を操る妖怪――八雲紫が毅然と立っていた。

 




NEXT EPISODE 【断章4】
「この子の名前は……霊夢、と言う名前にしようと思うの」


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【断章4】

【断章4】

 

 

 約束の時間にはまだ早かった。

 涼やかな秋風が紫の頬を撫でる。

 日が昇り始めて数時間、空は雲一つない快晴だった。

 ざざっと一際大きな風が吹き、白い帽子を手で押さえる。

 ここは博麗神社を囲う鎮守の森を南に歩いた先にある草原。

 所々背の高い木がある程度で比較的見晴らしが良く、迷いの竹林もここから見える。

 紫は北の空を見る。彼女の姿はまだ見えない。

 日差しから逃げるように、近くにある一本の木に向かう。

 その木に背中を預け、風に揺れ葉が重なりさざめく音を聞きながら、紫は彼女を待つ。

 

 

 ◇◇◇◇◇

 

 

「その子の名前は決めているの?」

 

 何気なく、子供の名を聞いた。

 

「この子の名前は……霊夢、と言う名前にしようと思うの」

 

 出産を終えた巫女に、興味のない素振りで答えた。

 彼女は生まれた子供を抱きかかえて、子の顔を見ている。

 

 

 ◇◇◇◇◇

 

 

「紫、貴女もここに住んでこの子の面倒を見て」

「はぁ?」

 

 生まれたばかりの赤ん坊を抱きながら言った彼女の台詞に、素っ頓狂な声を出した。

 

「一人で育てるには大変だから貴女も手伝って、てっ言ってるの」

 

 彼女は言葉を換えて、紫に言った。

 

「それなら、上白沢に言いなさいよ。彼女の方が子供を扱うのは慣れているでしょう?」

 

 赤白の巫女の要望を、紫は押しのける。

 スキマ妖怪の言葉に、束ねていた長髪を梳かし帰る準備をしているワーハクタクが言葉を返す。

 

「私は助産婦の立場だけよ。だいたい私は寺小屋での仕事があるの。彼女が里で生活するなら手伝わなくはないけど、秘匿すべき事が多い以上それは無理でしょう? 八雲紫、貴女なら距離なんて無関係でここにすぐ来れるでしょう?」

「この子に死なれたら困るのは、紫、貴女もでしょう? 血が絶えてしまうわよ?」

「……解ったわよ。手が掛からなくなるまでね。それでいいでしょう?」

 

 巫女と寺小屋の教師に睨まれ、しぶしぶ八雲紫は了解した。

 

 

 ◇◇◇◇◇

 

 

「ちょっと、どうしたらこの子泣き止むのよ」

 

 赤ん坊の霊夢を抱えた八雲紫は彼女に怒鳴る。

 

「紫も子育てくらいしたことあるんでしょう。色々試したら」

 

 彼女が洗濯をしている間、霊夢を預けられた。

 人の子を育てた覚えなどない。

 おもちゃを使ってあやしてみるも全然ダメで――

 泣き声はどんどん酷くなり、耳を塞ぎたくなる。

 

「紫おばちゃんが怖いの? もう大丈夫よ」

 

 彼女は睨みつける紫から霊夢を奪い、あやす。

 

「だれがおばさんよ」

 

 見た目を人で言えば、この巫女よりもわかく見える筈。言うが、彼女はそれを無視する。

 霊夢を胸に抱き留め、よしよしと体を揺らし子供をあやす。

 それを見て自分などいらないのではないかと、紫は思う。

 

 

 ◇◇◇◇◇

 

 

 霊夢はよちよりと歩き、式神の八雲藍のしっぽを引っ張る。

「このガキ」痛みで悲鳴を上げる藍。

 殴りつけようとする式神を、紫を止める。

 

 

 ◇◇◇◇◇

 

 

 八雲藍のふかふかのしっぽの上で霊夢は眠る。

 最近霊夢は藍のしっぽがお気に入りらしい。

 藍は迷惑そうに顔をしかめる。

 

「彼女が後で油揚げを作ってくれるそうよ」

 

 と、式神に言うと、仕方ないですね、と少し頬を緩めて了解した。

 

 

 ◇◇◇◇◇

 

 

 ある朝の神社の縁側。

 よちよちと這っている霊夢とその様子を見つめる紫――

 と、突然風鈴が落ちた。風鈴を結びつけていた紐が日に焼けて脆くなってしまっていたせいだ。

 風鈴は霊夢と紫の間に落ちた。

 縁側の木の床に破片が飛びちっていた。ガラスで出来た風鈴の欠片は鋭く、輝くそれを掴もうと霊夢が手を伸ばす。

 紫は彼女を呼びながら、慌てて霊夢を抱える。

 

「っ――」

 

 痛みを覚えた。

 うっかり破片の一つを踏んでしまっていた。

 

「ちょっと、大丈夫?」

 

 境内を掃除していた巫女が駆けつけた。

 彼女はさっと、ちりとりに破片を集める。

 

「手当てをしないと……」

「傷は浅いから大丈夫よ。すぐに治るわ」

「らいほうふ?」

 

 霊夢が拙い言葉で紫の言葉をまねる。

 

「人知を越えた技は使わないで」

 

 巫女が忠告する。

 

「この子の前で、力で傷を塞がないで。教育上良くないわ」

 

 紫は仕方なく、彼女に処置を任せた。

 彼女は刺さったガラスを引き抜き、消毒し、ガーゼを当て、包帯を巻いた。

 

 

 ◇◇◇◇◇

 

 

 ジリジリと大地を焼く夏のある日、霊夢を泳がせることになった。

 

「使用すると貴女の周りに水の膜が出来るから」

 

 球状のプール。

 使用者の周囲に水の膜が出来る護符。

 1mにも満たない身長の霊夢が、紫の周りに出来た水の中で泳いでいる。

 

 楽しそうに紫の周りを泳ぐ霊夢――

 と、アラームがなった。

 それはもうすぐ、このプールがなくなる合図。

 

「霊夢、こっちに来なさい」

 

 紫は霊夢の手を引き、だっこする。

 しばらくして、水は重力に従い――

 紫を巻き込み、ざばーっと焼かれた大地の熱を消火する。

 紫はずぶ濡れになった。

 

「次からは周囲に水が飛ぶように変えるわね」

 

 事前に忠告しなさいよと言ったが、彼女は悪びれずそう言った。

 ドレスが乾く間、彼女に言われ紫は巫女服を着た。

 

 

 ◇◇◇◇◇

 

 

 霊夢はもうすぐ○歳になる。

 人の手を借りずとも、霊夢は一人で食事も出来るし、トイレにも行ける。お風呂は危ないので誰かと一緒には居るが……つまりは、以前より手が掛からなくなったと言うことだ。

 つまり、八雲紫はここで暮らす必要はほとんどない。

 時刻は夜の十時を過ぎた頃、博麗神社の一室で霊夢の母親と八雲紫と二人が向かい合う形でちゃぶ台の前で座っていた。隣の部屋では、霊夢が寝ている。

 紫は自身の不要性を伝える。

 巫女は簡単にそれに同意した。それが、紫には意外だった。

 あの時見せた彼女の表情。そしてこれまで一緒に過ごしてきた彼女の姿。

 必死に止めると思っていたのだが――

 彼女は腰を上げ、棚から一冊の本取り、テーブルの上に置いた。

 本のタイトルは、幻想郷縁起。それは写本だった。

 彼女は説明する。

 

「これは人里の稗田家が、幻想郷の人間が妖怪から身を守れるように特徴や弱点を記したもの。書き始めたのは今から千二百年以上前」

 

 紫は本をぱらぱらとめくる。

 闇の妖怪 ルーミア 周囲を暗闇と化す。月明かりのない場所に近づいてはならない。

 蟲の妖怪 リグル・ナイトバグ 蟲を操る。寒さに弱い。火を焚くあるいは燻す。

 風見幽香 アンノウン。

 吸血鬼 レミリア・スカーレット 運命を操る。能力の発動条件も書いている。

 土蜘蛛の妖怪 黒谷ヤマメ 感染症を操る。能力にあてられた者は隔離する。

 幾つかを抜き出すとこんな感じだ。

 八雲紫を記したページもあった。境界を操る能力。幻と実体の境界。月面戦争指揮者。その程度で、さしたる記述はない。

 

「何が、言いたいの?」

 

 本当は彼女が何を言おうとしているのかは分かるが、それでも問いかける。

 彼女はじっと紫を見つめる。

 

「私たちのしていることは、これ以上は無意味だってこと、よ。私達がこんなことをしなくても、人は自分たちが生きていけるように知恵を出しているって事なの、これは。」

「だったら、吸血鬼異変はどうなの? 貴女たち巫女が三人も死んだのよ。この幻想郷で最強の人間だった彼女ですら簡単に退けられなかったのよ。それが今後起こる可能性だって――」

「貴女は止めないの?」

「しないわ、そんな事は。抑止力は人が妖怪を退けることで成立するのよ」

「貴女は妖怪だから、なのかしら。どうして何でも力で解決しようとするの? 話し合いとか、ほかに解決する方法はいくらだってあるでしょう?」

 

 八雲紫は答えない。彼女の声のボリュームが少しだけ大きくなっている。

 しかし、霊夢が起きる気配はなかった。

 

「貴女はあの子が泣いたとき、どうしたの? なぐったの? 蹴ったの? 違うでしょう」

「……」

「貴女は、あの子が泣き止まなくて、私を頼った」

「……子供と妖怪は全然別よ」

 

 無駄だと分かっているが反論する。

 

「違わないわよ。あの子は人間で、貴女は妖怪」

 

 八雲紫は答えない。

 

「これ以上、あの子を、子供を縛る必要はないって言っているの」

 

 八雲紫は答えない。

 彼女は一度、言葉を止める。

 

「やっぱり、平行線ね」

 

 博麗の巫女はため息をつく。こうなることは予想済みだった。だからこそ、彼女の言う方法で決着をつける。

 

「なら勝負をしましょう。貴女が計画を続けると言うなら。私を倒して。貴女のいう力で私をねじ伏せてみて。貴女が勝てば、私は貴女に従いあの子を計画の歯車にするわ。でも、もし私が勝ったなら、貴女一人で計画を続けなさい。あの子を好きなように使えば良いわ」

 

 儀式。

 これまでの記憶を削除し、博麗の巫女としての知識を書き込む。

 自殺の防止。

 八雲紫殺害の防止。

 護符の使い方。

 博麗大結界の維持。

 

「随分とこっちに有利な条件ね」

「本当に、そう思う?」

 

 少し寂しげに笑い、彼女は言葉を続ける。

 

「貴女が私に勝てないようなら、貴女はあの子にも勝てない。絶対に」

「そうかしら?」

「あの子は私より強い。だから、決してあの子は貴女の思い通りにはならないわ」

 

 巫女は寂しげに笑った。

 

 

 ◇◇◇◇◇

 

 

 お祓い棒を持った右腕が空を切る。その軌跡にならって無数の護符が次々に出現する。それらは紫に向かって正面を向いていた。

 博麗の巫女の周りに浮遊する人の頭ほどの大きさの赤と白の陰陽玉の二つが、スキマ妖怪を交互に狙って突進する。その間隙を縫って、博麗の巫女が護符を投げる。

 左右に身を翻し、それらを避けながら、紫はくないを投擲する。

 攻撃を行った陰陽玉がすぐさま主人の防衛の盾となり、くないをあさっての方向に弾いた。

 距離を詰めようと前に重心を傾けた瞬間、視界が白く染まった。

 ちらりと視界が捉えたのは、空中で固定された護符がくるりと反転した姿だった。そして眩い閃光が走り――

 護符の裏にでも鏡を仕込んでいたのか、それとも――

 前方にスキマをつくり移動するか、それとも後方に飛ぶか――

 一瞬の逡巡が、致命的だった。

 紫の腹部に重い衝撃が走る。

 蹴られたのだ。

 それを理解した時には、体が木に叩き付けられていた。

 一瞬息が止まる。そして――

 

「動かないで」

 

 紫の首筋に一本の封魔針が突きつけられていた。

 

「負けを認めなさい、でないと本当に刺すわよ」

 

 胸ぐらを掴んで体を木に押し付けながら、彼女は顔を近づけ、鋭い瞳で紫を睨みつける。

 

「早く答えて、時間が経てば手元が狂って、本当に刺すことになるわよ」

 

 黒い瞳がじっと八雲紫を見つめる。

 紫は目を閉じ「負けたわ」と短く敗北を認めた。

 

 胸ぐらを掴んでいた手の力が緩む。

 

「三年後にはあの子も子供を産める体になっているわ。その後は貴女の好きなようにしなさい」

 

 巫女は紫の服から手を離した。

 

「さようなら、紫」

 

 八雲紫を背に、博麗の巫女はただ一人静かに歩いて行った。

 




NEXT EPISODE 【7月25日(3)】
「随分と疲れた顔、しているわね」
と、青白の巫女が自宅に戻ってきた八雲紫の顔を見て、そう言った。


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【7月25日(3)】

【7月25日(3)】

 

 

 帰る道すがら、どうしたものかと霊夢は頭を悩ませる。

 元凶である二柱に修復を命じるわけにはいかない。そんなことをすれば、裏で何か仕掛けを施しそうだったからだ。

 里の大工に頼むしかない。

 拝殿の建て直しにどれぐらいお金がかかるのか。

 質素な生活を送り、蓄えはある程度あるが、少ないにこしたことはない。

 とりあえずは自分でできることがあれば、何かあるだろうか?

 里にいる大工屋に立て直しの見積もりなど出して貰うのは後にして、霊夢は一度神社に戻った。

 崩れた拝殿は解体され、その手前にぽつんと小さな人影があった。

 こちらの気配に気付いた、ねじくれた角を持つ少女がぽかんと口を開け、こちらを見つめる。

 すっと石畳に足を下ろすと、自分より一回り小さいその少女に声を掛けた。

 

「何? 私の顔に何かついてる?」

「……おっと。いや、失礼」

 

 かぶりを振り、少女は詫びた。

 

「今期の巫女は、えらく美人だったもんでな。見とれてしまっての」

「始めて言われたわ、そんなこと……嘘っぽいけど」

 

 喜ぶでもなく、霊夢は言葉を続ける。

 

「今期って。てか、あんたは誰なのよ?」

「私の事を知らないのか?」と、少女は首をかしげる。

「知らないわよ。初めて会うのに……」

 

 自分でも初対面な感じの台詞をのたまっていた分際で――

 

「巫女は勘が良いと聞いていたからね。私の名前は、伊吹萃香って言ったら分かるかな?」

「……スキマ妖怪の仲間ね」

「仲間と言うより友人だよ」

「その友人が、ここに何の用なの?」

「何って。そりゃあ、この崩れた神社を直すためだよ。紫に頼まれてね」

「あの女がどうして……」

「どうして、ここが紫のお気に入り場所だから、かな?」

「そんなわけ……」

「あんまり知らないようだね。伝えられていないのかな?」

 

 博麗神社の移設は結界の管理をしやすいため、加えて秘匿すべき事柄があるからだ。

 上白沢慧音が説明していた。

 鬼は巫女の前で、開けっぴろげに能力を見せた。かなり自分の腕に自信があるのだろうか、それとも――

 霊夢は考える。

 あの女にとって必要なのは、巫女であって神社そのものではないはず。

 その疑問を言うと、からからと萃香は言葉を返す。

 

「ここは友人の家だからね。おっと、これは言わない方が良かったのかな?」

 

 人をあんな地獄のような責め苦を味合わせた女が、友人?

 

「……あんたは、その人を見たの?」

「少しね。もう大分昔のことだからね」

 

 少し嬉しそうにしながら、「あんたに似て美人だったよ」と言い、遠くの方を見た。

 わざと波風を立たないように、そんな言い回しをしているのだろうか?

 

「……」

「早く仕上げてくれって事で、夜通しの作業になる。順調にいけば、明後日には元通りだよ。その間までお友達の家でゆっくりしていると良いよ。黒と白の魔法使い。ええっと、キリサメ……」

「魔理沙」

「マリサね。あの子にそう頼んどいたから。そっちでしばらくゆっくりとしてるといいよ」

「そんなに簡単にいくものなの? 使い物にならないものだって沢山あるでしょう」

 

 目配せで、へし折れた柱の木を示す。玩具の家を造るのとは訳が違うのだ。それとも、妖にとってはたわいのないことなのか。

 

「それは狐の方がなんとかするよ。あいつは几帳面だから、いや計算が出来るから、きっちりしたいのかな? まぁ、とりあえずはきちんとした寸法の物を出してくれる。あのスキマを使って、バツンって木を切断してね」

 

 空間の開閉。能力上、それが出来てもおかしくはないだろう。

 霊夢は改めて、周りを見る。魔理沙が直したであろう瓦。割れて、あるいは変形した材木。使える材木――石筆番号が振られている――ときれいに分けられている。

 

「心配することはないよ。変なことはしない。というか私はそんなこと興味ないし」

 

 意地で拒んでも仕方がないことなのか。

 状況はそんな感じだった。

 とりあえずは任せてみて、仕上がった物を見て判断しようと、霊夢は考えた。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 霊夢が萃香と出会った頃――

 

「随分と疲れた顔、しているわね」

 

 と、青白の巫女が自宅に戻ってきた八雲紫の顔を見て、そう言った。

 式神は何も言わず、グラスを用意し氷と酒を注ぐ。

 その酒を紫は一気にあおる。

 

「なに? やけ酒?」

 

 リビングに当たる部屋で本を片手に青白の巫女は、にやにやと笑いながら茶化した。

 

「別に、ちょっと疲れただけよ」

 

 ぶっきらぼうに言葉を返す。空になったグラスに、八雲藍が黙って酒を注いだ。

 まったく、あの天人くずれめ。と、忌々しく心の中でスキマ妖怪は毒突いた。

 天人の体が頑丈なのは知ってはいたが、こちらの放った光弾やくないは天子の体をほとんど傷つけなかった。

 服がぼろぼろになってもお構いなしに突進してくる。

 全裸で生娘のような体を男どもの前に晒しても、余程のことがない限り平然としていそうな神経の、少女というより餓鬼だ。

 とはいえ、痛覚はある。

 叩けば叩くほど動きは鈍くなり、やがて倒れた。

 眼や口腔、性器にはさすがに弾くことや激痛に耐える――というか、攻撃を弾くとは思えない――とは思えない。

 次にくだらないちょっかいを出そうものなら、そういった手段に出るのもいいだろう。

 その方が短期で決着がつくだろうし、痛みでもがくあの天人くずれを眺めるのも悪くはない。

 妖力は無限ではない。例年通りの冬眠をしていないし、切断された腕を治したりと妖力はそれなりに消費している。

 妖力を消費しすぎれば、この世界に展開した幻と実体の境界の維持が困難になる。それだけは避けなければいけない。

 

「紫。明日私、早苗に会いに行ってくるわ」

 

 物思いにふけっていると青白の巫女が予定を告げた。

 

「どうして?」

「どうしてって彼女、かなり使えるでしょ?」

 

 何が言いたいのか、いや――

 

「今、博麗の血をひくのは霊夢、ただ一人だけ。千年の歴史の中で血をひく者は、最低二人はいた、そうでしょう?」

「つまり、貴女は――」

「そう彼女も計画の歯車になって貰うの。方法は二つ」

 

 巫女は指を二本立て、言葉を続ける。

 

「一つは博麗、守矢の両名で抑止力として機能させること」

 

 指を一本折る。

 

「もう一つは霊夢と早苗でセックスして、子供を作ること。もちろん、東風谷早苗が孕んでね」

「……」

「霊夢と魔理沙の子供、霊夢と早苗の子供。一度に二人も継承できるわ。やったね、これでひと安心だね」

 

 機器とした表情で巫女が喋る。紫は肯定も否定もせず黙っている。

 

「って言ってもね、私としては、最初の方がいいんだけど」

「それは貴女があの魔法使いと一緒に居たいから?」

 

 言うと巫女がむっとした顔を作る。

 

「一緒に居られるわけないでしょう? どうせ、あんたが止めるんだから」

 

 ため息が一つ。

 グラスの氷がからんと音を立てる。

 

「私が早苗とセックスしたいのよ」

「……」

「別に構わないでしょう?」

 

 八雲紫は答えない。式神も何も言わない。

 

「あの護符、調べてみたんだけど、私が使っても孕ませることが出来るみたい」

「……貴女は、相手は誰だっていいんでしょう?」

「そうよ。私は綺麗で可愛く魅力的な子なら何でもいいのよ。紫と、だっていいんだよ?」

 

 巫女は指に黒髪を絡ませながら、無垢な笑顔をスキマ妖怪に見せる。

 八雲紫は答えない。式神も何も言わない。

 冗談だと思っているのだろう。

 が、「冗談はそのくらいでいいわ」とぼそりと紫が呟いた。

 

「そう。でも、早苗を味方につけることは、あんたにとっても得だと思うわ」

 

 今のところ彼女はこちらに言われたことを従順にこなしている。自分の立場も、こちらが望んでいることもほぼ知っている。

 彼女の動静は今のところ問題はない。

 しかし、他者との接触は霊夢との会話の齟齬が生まれる。

 

「双子の姉だか、妹だか言えば、問題ないでしょう?」

 

 思慮している問題を言い当てるかのように巫女が言った。

 問題が起これば、力でねじ伏せればいい。

 

「……あんまり面倒事は起こさないでよ」

「分かってるって」

 

 指に絡んだ黒髪を解き、巫女は笑った。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

「汚い部屋ねぇ」

「随分と酷いこと言うなぁ」

 

 霧雨魔法店二階の研究部屋を見て、霊夢はそう呟いた。

 

「いいんだよ、ここは。見せものじゃないしさ」

 

 半ば予想していた感想を言われ、魔理沙はそう言い返した。

 最初に一階の商品の展示兼商談部屋を見た後ではそう感じるのは当然だった。

 下の部屋は好印象を持たせるために棚に商品を並べて展示し、対して二階は雑然としている。部屋の中央に置かれている横長の四角テーブルの上には実験器具や魔道書、研究途中の試験管などが乱雑に転がっている。

 

「ねぇ、いつもはどんなことやっているの? 見せてよ」

「別にいつも研究しているわけじゃあ……」

「いつも、は言葉の綾よ。何か派手で面白い物でも見せてよ」

「ん。そうだなぁ、簡単に見せられそうな物は……」

 

 少し嬉しそうにしながら、魔理沙は棚から本を取り出した。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 八雲紫にコテンパンにのされた天子は、そのまま草原に寝転がったまま考える。

「んー」と一人唸り、あの面倒な空間開閉を封じられないかな、と考える。

 そよ風が青色の前髪を撫でる。同時に体が震える。寒い。そういえば、服のあちこちに穴が空く半裸状態だった。スキマ妖怪の弾幕を受けた部分が裂けて肌が露出している。肌には傷一つない。のされた直後は一部腫れたように赤かったが、今はひいている。

 八雲紫の弾幕は大した殺傷能力はなかった。相手のそれが分かりと、接近戦あるいは格闘戦となった。相手の顔面に叩き込む拳は、後ろから開いた空間から伸びる腕に掴まれ、ほとんど一方的に殴られた。一発一発は軽いものだったが、それでも、何度も受け頭を揺さぶられ、敗北した。

 

「とりあえずは、着替えに帰るかな」

 

 と一人呟き、天子は立ち上がった。

 

 

 着替えを済ませた天子は地上へと降りる。目的は本来通り博麗霊夢だ。

 崩れた博麗神社はすでに修復作業にかかっているようだった。瓦礫は取り除かれ、側には復旧用の材木や瓦は整列して並んでいる。そして、二つの人影が見えた。子供のようなちっこい人物と、狐の少女だ。

 前者に見覚えはないが、後者は知っている。八雲紫の式神、八雲藍だ。顔を見られるのはまずいと感じ、天子は神社から少し離れたところに降り立った。

 八雲藍が立ち去った――空間に消えた――のを見計らい、石段を登った。

 一人の残った少女には角が生えていた。大きな紙と木材を交互に見ている。と、こちらの足音に気づき、顔を向けた。

 

「参拝なら、今日は無理だぞ」

「……ええ、見たら分かります」

 

 どうやら私のことは知らされていないようだ。そう判断した天子は、二本の角が生えた少女に話しかける。

 

「何があったんですか」

「地震だってさ。どこの誰がしたのかは知らんがな……」

「そうですか。それで、ここの巫女さんは……」

 

 さらりと流し天子は霊夢について、少女に聞いた。

 本当であれば、天子は伊吹萃香の言葉に疑問を持たなければならなかった。普通、地震は個人で起こせるものではないからだ。

 しかし、萃香は巨大化し、大地を叩く、あるいは歩くだけで、地震に相当する揺れを起こすことが出来た。

 加えて、今の萃香は妖狐が置いていった酒の方に興味が向いていた。

 

「それなら、いないぞ。修復が終わるまで、友人の家にいるぞ」

「そうですかぁ。それじゃあ、また今度伺います」

 

 居ないのでは仕方がない。

 天子は踵を返す。

 その時、視界の端に酒瓶が写った。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 早苗が守矢神社に戻った頃には空は黄昏時だった。

 少し里で時間を潰して戻る予定だったが、鈴奈庵から帰る途中の稗田阿求と出会った。外の世界の話を聞きたいという事で、稗田家にお邪魔することとなった。

 外の世界の本には幻想郷にはない物が多い。本の書かれた描写だけではイメージが着かない物も多いそうだ。

 TV、ラジオ、コンピュータ、インターネット、鉄道、自動車、飛行機、警察機構、ロープウェイ、スポーツなどなど。

 話し込んでいたら、日が暮れ始め慌てて守矢神社に戻った。神社は壊れてはいなかった。周りを見ても特になにがしかの被害を受けたといった感じはない。

 

「ただいま戻りました」

 

 今に入ると、いつものように神奈子と諏訪子がいるが、心なしか少し疲れたような顔をしている。

 

「あのぉ、大丈夫でしたか?」

「麓の巫女の事だね。大したことはないさ。それより、まずそっちの報告を」

 

 神奈子に言われ、神社の倒壊を報告する。

 

「誰が起こしたのか、見当はつかないが……」

「博麗霊夢が、来たんですよね?」

「ああ。なかなかの手練れだよ。今の早苗とはかなり力の差があるね」

「そんなに強いんですか?」

「まあね。こっちは……」

 

 諏訪子がこちらで起こったことを早苗に伝える。

 

「と言うわけで、向こうは帰って行ったよ。いずれにせよ、どこかで早苗には戦闘訓練させないとね」

「戦闘訓練ですか……」

「まあ、気楽に考えたらいいさ。こっちに来てまだ日も浅いし、その気になれば天魔から色々便宜を図ってもらえるだろうし。ゆっくりやっていこうじゃないか」

 

 顔を強張らせる早苗に、神奈子は笑いながら言った。

 諏訪子は早苗があのことを言うのか気になっていたが、結局彼女がそのことを言うことはなかった。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 隣の石棺で寝ていた物部布都を起こした豊聡耳神子は彼女と共に霊廟の門の前にいた。

 石造りの霊廟の門は固く閉ざされたままだった。

 

「変ですね。我々の封印だけを解いて、門は封印されたままだなんて」

 

 言いつつ布都が門に手を伸ばす。

 門に触れると電気を流されたかのような痺れる感覚を受ける。

 

「彼女の方で、何かトラブルでもあったのでしょうか?」

「……」

「太子様、何か聞こえますか?」

 

 目を閉じ、黙している豊聡耳神子に布都は再び問いかける。

 ゆっくりと目を開け、

 

「いえ、近くに人はいないようです」

 

 と、布都に言葉を返した。

 

「太子様。どうなさいますか?」

「こちらから何も出来ない以上、彼女が来るのを待つしかありませんね」

 

 神子は悔しがる様子もなく、布都に告げる。

 千四百年の時を過ぎたことも知らない二人は、のんびりと彼女が来るのを待つことにした。

 




NEXT EPISODE 【Fragments 3】
メリーが蓮子と始めて出会ったのは、旅行先だった。


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【Fragments 3】

【Fragments 3】

 

 

 夏休みまであと一ヶ月。

 試験期間に入りつつある二人は大学の講義を終え、近くにある喫茶店に入った。

 京都XX大学。世界でも名の知れた大学でマリーも、蓮子もここの大学生だ。ただし、専攻している学科が違う。マリーは相対性精神学を、蓮子は超統一物理学を専攻している。

 この大学が有名なのは、若い赤毛の大学教授が在籍していたからだ。

 しかし、今はいない。先々月に失踪してしまったのだ。

 原因は彼女が学会で唱えた非統一魔法世界論、というのが世間の見方だ。

 彼女は統一原理とは異なる非統一魔法世界論を世界学会で発表した。だが、それは失笑の嵐だった。

 心が折れて、はたまたそれを照明するためのなのか、第三者には分からない。

 その当時は大騒ぎだったが、彼女目当てでこの大学を選んだわけではない二人にとっては、どうでもいいことだった。

 そんな有名な大学の近くと言うこともあって、席は八割方埋まっていた。

 外装、内装ともにベージュとブラウンを基調とした落ち着いた雰囲気で、カップルが多い。

 周囲で聞こえる恋人たちの言葉のように、店内は甘い香りが漂う。

 蓮子が空いている二人席を見つけ、先を歩いて、マリーを先導した。

 椅子に座り、二人共鞄を降ろし、帽子を脱いだ。

 蓮子の服装はいつものように上は白の半袖のブラウスに赤のネクタイ、下は黒のミニスカート、黒の靴下は短く、素足をかなり晒している。端末の指輪は赤イヤリング

 対するマリーは紫色のワンピース 白い襟袖に蓮子のネクタイと同色のリボンをあしらっている。藤色に近い。菫色が好みだが、あのことがあって以来、着てはいなかった。

 

「私が先に注文するね」

 

 テーブルの上に現れたウィンドウにタッチする。

 蓮子はアイスクリームパフェにホットココアを選択し、続けてマリーがいつも通りのシフォンケーキに冷たいブラックコーヒーを注文した。

 

「さて、蓮子の旅行先の希望は?」

「宇宙、月」

「却下。お金無いでしょう、私達」

「まぁね。一応第一希望はそれね」

 注文した料理、ドリンクが無人の配膳台で運ばれてきた。

 

「私は南の方がいいんだけど、蓮子はどう?」

 

 お互い自分が注文したスイーツを取る。

 

「私は特に決まってないけど、何かお目当てのものでもあるの?」

「ここで、花火大会があるんだけど……」

 

 蓮子にもウィンドウが見えるようテーブルの中央にスクリーンを移動する。

 コーヒーを一口飲み、地図をスクロールする。

 そういえば、メリーは思い返す。蓮子と始めて出会ったのは、旅行先だったと――

 

 あれは大学の合格が決まって、下宿先を決めるために京都へ足を運んだ時だった。

 不動産屋に行けば、バーチャルスクリーンで部屋の様子も、立地周りも見ることができるのだが、受験からの、または高校卒業の開放感もあってか直接足を運ぶことにした。

 二泊三日の旅行。

 一日目と二日目の大半を、町の観光と物件の部屋を見た。残りは大したことの無い観光ツアーのチケットを買って参加した。

 内容は古い建物の観光と、養殖の魚を使った料理。

 マリーがチケットを買った理由は後者の方だ。合成食品だらけのこの国で、養殖ものの魚が食べる事ができる(この金額で、ちなみに天然物は十数倍する)のはまれだった。

 別にグルメではないのだが、格安の事もあり、購入したのだ。

 案内ガイドを端末にインストールし、無人タクシーで移動する。

 現地に着いてみると、ほとんどがカップルと、家族連れ。一人客だったのはマリーと蓮子の二人だけだった。

 話してみれば、進学先は同じ大学ということもあり話が弾んだ。また、ホテルへの移動の際、相席となった無人タクシーが故障で止まり、台車が来るまでの間に蓮子の特技を見せてもらい――

 

「ホテルはやっぱり海が見える所がいいわよねぇ」

 

 蓮子の声で、マリーの意識は現実に引き戻される。

 

「ホテルは和室? それとも洋室?」

「和室がいい」

 マリーはケーキを一口食べ、蓮子の要望を引き出し、コーヒーを啜り、条件でしぼっていく。

 

「露天風呂はどう?」

「値段高くない?」

「まあそれなりにね。でも、あとで変更もできるから、いいでしょう?」

「別にいいけど……条件はそれくらいでいい?」

「んー、ワッフルも頼もうかな?」

「そっちじゃなくて……」

「有名な甘味処があるといいわね」

「はいはい。蓮子はホントに好きねぇ」

「マリー、糖分は頭にいいのよ」

「知っているわ。ものには限度ってものが……」

「別に病気になるわけじゃないし……」

「いえ、昔はそういう病気があったそうよ」

「昔、でしょう? 今は……」

「そうね。でも、どんなものでも、致死量があるじゃない」

「大丈夫、その前にお腹一杯になるから」

「いつも見てると、それくらいしちゃいそうなのよねぇ、蓮子は」

「私にはコーヒーなんて苦いもの、よく飲めると思うわ」

「苦い方が、頭がスッキリするのよ」

「あんな苦いの、飲んだら頭痛がしそうだわ」

「甘党の蓮子にはハードルが高いようね」

「人を子供扱いしていない?」

「別に、考えすぎよ」

 

 そんなたわいもない会話をしながら、マリーは複数のプランをさっとまとめた。

 

「じゃあ、こんな感じでいいかしら?」

「メールで送ってもらえない? 家でゆっくり考えたいから」

 

 蓮子は言いつつ、目配せをする。

 視線の先が店の入り口。学生が並んでいるのが見えた。

 

「分かったわ」とマリーが簡単に返し、データを転送する。

 送信完了のメッセージ音を聞くと、マリーは立ち上がり、それに続いて蓮子も席を立った。

 




NEXT EPISODE【7月26日】
はいみなさまこんにちは。とらちゃんですよ
ねずみもいるぞ!
ニコニコ大百科(仮)willow8713、より抜粋


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【7月26日】

【7月26日】

 

 

 日付が変わって二時間、ナズーリンは人里の古びた家屋の中にいた。彼女の持つダウジングロットがここを示したからだ。

 村紗とともに聖輦船を掘り起こす作業していたナズーリンは、そっと近づいてきた寅丸星に捜し物を探すよう頼まれた。

 部屋の奥から、微かに声が聞こえる。

 引き戸をそっと数ミリほどスライドさせ、中を覗くと一人の少女が奥で寝ていた。

 忍び足で部屋を探る。はたして、目的の物はあった。

 少女を起こさぬよう、ナズーリンは宙を飛び、静かに宝塔を回収するため手を伸ばす。

 暗い部屋の中、宝塔は明かり取りのように梁につるされていた。

 大きな丸い水晶に下は台、上は方形の屋根が付いている。

 彼女は部屋を見回す。部屋中に様々な面が飾られていた。面はそれぞれ違う顔をしているようだった。全ての面を見てそう判断したわけではない。月明かりで暗いため、数枚しか見ていない。観察されているようで不気味だった。

 遠くで微かに音――何の音なのかナズーリンは分からない――が聞こえ、その音に反応してか少女が寝返りを打つ。

 思わず、ぎくりと体の動きを止める。

 寝息が続く。

 宝塔を手に取り、脇に抱えそそくさと部屋を後にした。

 

 

 ナズーリンは気づかない。

 宝塔を手に取った拍子に、尻尾に結わえたバスケットが一つの面に当たり、転がり落ちたのを――

 ナズーリンは気づかない。

 転がり落ちた面がバスケットに入ってしまったのを――

 ナズーリンがそれに気づいたのは、翌日寅丸星に指摘されたからだ。

 不気味なその面は、希望の面と名付けられていた。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 ナズーリンが宝塔を探し出した頃、人里から北に離れた所で間欠泉が噴き出した。

 深夜の出来事のため、また距離が離れていたため、幾人かの里の人々は音を聞いただけで何が起こったのかは分からなかった。

 噴き出した間欠泉は最初の頃は数十メートルの高さの水柱を誇っていたが、数時間でその勢いはなくなり、朝方には一メートルほどものへと収まっていた。

 事の詳細を知っているのは、数体の妖怪だけだった。

 

 

「八咫烏の力ねぇ……」

 

 古明地さとりはペットのおでこを撫でる。彼女のペットの一体――霊烏路空は気絶していた。さとりは空を介抱しようと、彼女の頭を膝に乗せていた。腰まで届く長い黒髪に大きな緑のリボン。主人のさとりよりも一回り背が高く、今ここにいる六人の中で一番背が高い。

 改めてさとりは空の姿を見る。数日ぶり――基本、放任主義のため毎日顔を合わすことがない――に見た彼女の変化はいくつかある。右手、両足そして胸元だ。特に大きな変化のある右手は、重厚な六角の砲身――制御棒がくっついていた。彼女が気絶しているのも、これが原因だった。

 そこから発射されたエネルギー砲の反動で体が吹っ飛んだのだ。これだけ痛い思いをしたのだから、同じ轍を踏むことは……多分ないだろう、とさとりは考える。

 しかし、

 

「燐は二人の姿は見たの?」

 

 さとりは側にいる、もう一体のペットに聞いた。彼女は首を横に振る。

 空をバージョンアップさせた二人の人物。空に聞いても名前を覚えてはいなかった。容姿も朧気にしか覚えていない。

 

「これ、博麗の巫女が解決する案件になるんじゃないの?」

 

 くせっ毛のある灰色の髪の少女が古明地さとりを含めた周りの者達に問う。

 博麗の巫女。

 古明地さとりの周りにいる妖怪達のほとんどは、地上には出ない。唯一、彼女のもう一人のペット――火焔猫燐だけ。

 それは彼女の性質だった。

 その彼女が拾った紙切れには、派手な行動を起こした妖怪は博麗の巫女にシメられた顛末が記されていた。

 

「さぁ、どうなんでしょう?」

 

 燐が首をかしげて言った。

 真っ赤な霧を発生させた吸血鬼がそうなったのだから、空の出した白銀のエネルギーとそれによる間欠泉の発生は、さぞ目立つ物だろう。

 おそらく博麗の巫女は来る。

 たったこれだけのことで、こちらの住処を荒らされても困る。

 勝てる自信が無いわけではない。ただ、静かに暮らしたいだけなのだ。

 

「なら、こっちから一手、仕掛けましょう」

 

 そう言うと、さとりは燐の側に立っている妖怪に仕事を頼んだ。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

「早苗、遊びに来たわ」

 

 表を掃除していた早苗の前に、その巫女はふわりと守矢神社に舞い降りた。

 

「……はぁ?」

 

 突然の事で早苗は気の抜けた声を漏らした――が、

 

「はっ、まさか、今度は……」

 

 早苗は身構える。

 

「それは、もう昨日で済んだ話でしょう?」

 

 早苗の言葉を、麓の巫女が遮った。

 屈託のない笑顔を見せながら、近づく巫女に早苗は違和感を覚える。

 

「あの、本当に霊夢さん、なんですか?」

「どうして、そう思うのよ?」

「だって、服が……」

 

 一昨日見た巫女。白いフルリの付いたリボンで黒髪をまとめ、二色の巫女服を纏っていた。

 赤と白。その二色。

 しかし、今は青と白の二色。今早苗着ている巫女服の配色に近い。

 黒髪の巫女は自分の服を見回して、早苗に言う。

 

「ああ、色の事? それはね、仕事の時は赤で、休みの時は青にしているのよ。おかしい?」

「休みだったら、もっとラフな格好するものでしょう」

「? ラフって?」

「もっと簡単に着れる……」

 

 言いかけて早苗は言葉を止める。

 里で見かけた人々は皆着物を着ている。

 鈴奈庵の本居小鈴も、昨日話をした稗田阿求も着物を着ている。

 着物を着るのも、巫女服を着るのも手間の程度はさほど変わらない、様な気がした。

 

「……どうしたの?」

「まあ、そういう事もあるんですね。こちらの世界では」

 

 早苗はごまかし、「それじゃあ、どうしてここへ?」と聞いた。

 彼女はどこか見たことのある笑みを浮かべ、

 

「外の世界の話を聞きに来たのよ。こんなこと滅多にないわけだし、ね」

 

 と言った。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

「駄主人」

「……え? だしゅ?」

「いえ、ご主人。宝塔、見つけてきました」

 

 昨日、毘沙門天の化身――寅丸星に言われた通り、聖輦船を掘り起こした村紗水蜜に隠れてナズーリンは宝塔を渡した。

 

「うわぁ、懐かしいなぁ」

「……もう無くさないで下さいよ」

 

 いつから無くしたんじゃ、己は、とナズーリンはキレてしまいたかったがそうしない。

 こちらが疲れるだけだ。

 とりあえず無駄だと思いつつも、忠告する。

 

「大丈夫、大丈夫」

 

 暢気な口調で、星は言葉を返した。

 ナズーリンは改めて、虎丸を見る。

 彼女は長い鉾を持ってはいなかった。

 ナズーリンはそれを聞く気にはなれなかった。面倒事が増えるだけのような気がしたからだ。

 水兵ルックの水蜜は掘り起こした聖輦船の泥を、河童からレンタルしたポンプで河の水を引いて落としていた。

 村紗水蜜は鼻歌交じりに、作業をしている。

 それもそのはずで聖輦船は飛倉を、聖白蓮が生前、彼女が乗っていた船に似せた為であった。

 つまり、聖輦船は彼女の愛船なのだ。

 その愛船の中では、河童の一人が物珍しさで探検をしている。

 河童の名前は河城にとり。

 レンタルの代金――キュウリの代わりに船内を見たいということで、今に至っている。

 それはナズーリンとってどうでもいいことだった。重要なのは、この聖輦船で、魔界へと行く事。つまりは、聖白蓮を迎えに行くということだけだ。それ以外は取るに足らないことだった。

 

「この分だと、明日には出発できそうだな」

 

 と、ナズーリンが言う。

 まだ日が出て浅い。今日という時間はまだたっぷりある。

 

「そうだねぇ。ようやく……ええっと、だいたい千年? ぶりですか? 白蓮様に会えるんですね」

 

 ナズーリンの言葉を返し、星は嬉しそうに空を見上げた。

 陽はまだ昇り始めたばかりだった。

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

「何だ、また来たのか?」

 

 萃香は現れた天子にそう聞いた。少女は大きな風呂敷を持っている。

 

「はい。もう完成なんですか?」

「いや、中の方がまだ少し残っているよ」

 

 拝殿の外観は元通りになっている。

 外から見れば、全ての修復作業が終わっているように見えた。

 帽子を被っていない天子が

 

「中を覗いても良いですか?」

 

 と、萃香に聞いた。

 

「拝殿の中なんて、滅多に見られないじゃないですか」

「ん? 別にいいが、中なんてまだ何もないぞ」

 

 それを聞いて、天子の顔に笑顔が浮かぶ。

 

「あのっ、これ、お酒なんですけど……よければ、どうぞ」

 

 風呂敷を開け、六本の酒瓶を鬼の前に差し出した。それを見て萃香の目が輝く。

 

「お、これは。天人が造った酒か」

「ええ、そうです」

「と言うことは、お前さんは天人か?」

「いえ。父が天人さんと関わりがあったらしくて、詳しくは私も知らないんですが……御礼に頂いた物なんです」

「珍しいこともあるもんだねぇ」

「私の家族は余りお酒を飲まないので、こちらにお供えと思っていまして……」

「ああ……完成したら、私が置いておくよ」

「ええと……」

「萃香だよ」

「良ければ、萃香さんも飲んでいただいても大丈夫ですよ」

「そうかい。じゃあ遠慮なく頂いておくよ」

 

 目を輝かせて、萃香は酒瓶を受け取る。

 天子は靴を脱ぎ、拝殿の中へと入る。

 中はからっぽだった。天子は拝殿内の中央に立ち、腰を屈め、右手を木床にかざす。

 要石を遠隔操作で、萃香の死角から右手の床下の地面にまでゆっくりと移動させる。

 目的の位置まで移動させると、今度は要石をゆっくりと目立たぬように地面へと沈み込ませた。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 昨日阿求に話した内容を含んでいることもあり、早苗の舌は滑らかだった。

 二十畳の和室の部屋には八坂神奈子、洩矢諏訪子、東風谷早苗と黒髪の巫女の四人が矩形のテーブルを囲って座っている。

 早苗が優越感たっぷりに話していると、部屋の壁に掛けられていた時計が正午を告げる鐘を鳴らした。

 

「もうこんな時間なんですね。ちょっとお昼の用意をしてきますね。んーと、素麺でも宜しいですか?」

 

 皆の返事を聞くと、早苗はお盆に四つの湯飲みと煎餅を開けていた皿を乗せ、部屋を出て行った。

 早苗の足音が聞こえなくなると、八坂神奈子は鋭い目で巫女を見る。

 

「お前は、昨日の巫女じゃないね」

「ええ。もしかして、服のせい?」

「いや、雰囲気が全然違う」

「そうなの?」

「そうさ。お前は、一体何者だ?」

「私も博麗霊夢。ただし、あの子の悪堕ちバージョンって感じかな」

「負の感情を切り捨てた片割れだと言いたいのか。しかし……」

「負って言うより、淫欲って所かしら?」

「欲を切り捨てたと言うことか」

「まぁ、そんな感じかな」

「つまり、博麗霊夢はお前を封印し損ねたのか?」

「正解」

「……」

 

 眉をひそめ、神奈子は一度言葉を止めた。

 

「その割には、随分と平静でいられるんだな」

 

 それは正気のことを指しているのだろう。

 

「少し反撃を食らってね。そのおかげで年中発情期じゃなくなってね」

「それで、あいつはお前をほったらかしか……」

「いえ、私に利用価値があるから、何もしないだけよ」

「私ら……いや、早苗に近づいたのも、それが理由か」

「一つよ。でも……早苗って、結構可愛いじゃない?」

 

 巫女の言葉を聞いて、神奈子は首をかしげた。

 

「……お前、早苗が好きなのか?」

「え?」

 

 黒髪の巫女はキョロキョロと辺りを見回し、頬を染め、俯き、小さく「うん」と頷いた。

 それを二柱が演技なのか、それとも素の感情なのか見定めようと目をこらす。

 

「女の子を好きになるのってやっぱり変なのかな?」

「……」

「……」

「さあね。少なくとも少数派だな。外でも、同性を好きになる者はいるよ」

「……そう……なんだ」

「同性愛は罪だという考えが、残っている所もある。子孫もできないしな」

「……」「……」「……」

 

 全員が沈黙し、辺りが静まりかえった。

 

「二つ、早苗がいないうちに聞きたいんだけど……」

 

 巫女が俯いた顔を上げる。顔は赤くなっていない。

 

「秘密にしたいって事かい?」

「ええ、出来れば……まず一つ。外の世界では、ここに入る方法は有名なの?」

「それは……」

 

 答えようとする諏訪子を、巫女が手で制する。

 

「もう一つ。どうして、早苗もこちら側に連れてきたの?」

 

 それは、二柱を責めるような問いだった。

 

 

 ◇◆◆◆◇

 

 

 お盆に四人分の素麺を山盛りに乗せた大皿を乗せ、早苗は部屋に入った。

 

「だから、やる気がなかったのか」

 

 神奈子の声に「まあね」と、諏訪子が言葉を返した。

 早苗は大皿をテーブルの中央に置いた。

 

「あ、凄い何これ、三色素麺?」

 

 黒髪の巫女が珍しそうに、素麺を見る。皿に盛られた素麺は赤、白、緑の三色が絡まるようにのっていた。

 

「そうです。赤は梅肉、緑は抹茶を練り込んで作ってるんです」

「すごいわね。蕎麦の応用なのかしら」

「さあ。そこまでは……つゆと薬味の方も持ってくるので、もう少し待ってて下さい。」

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 一日経とうと、二人は空腹を感じることはなかった。

 神子と布都。

 二人は自分たちが寝ていた隣の部屋にいた。

 

「彼女を起こしますか?」

 

 布都が言った。

 自分たちと同じように石台の上で眠っている人物。

 蘇我屠自古。

 深緑のワンピースを纏い、何事も無かったかのように眠っている。

 袖口から覗く細い指、艶やかな緑色の髪に包まれた端正な顔、そしてロングスカートから覗く不定型な二本の白い足。

 その足は尸解仙の秘術の失敗によるものだった。

 

「彼女の寝起きの悪さは、覚えていますよね」

 

 神子は上を見上げる。

 

「私は雷撃を受けるつもりはありませんよ。ここは閉じられた空間ですが……はたして雷撃が届くのか……それでも布都、試してみますか?」

「……」

「……貴女がそれでも彼女を起こすようなら、私は隣の部屋に避難してからお願いしますよ」

「太子様。冗談ですよ。どうにも待ってるだけというのが……」

「心配しなくても、すぐに彼女が来てくれますよ」

「何か聞こえたんですか?」

「いえ、ただの勘です」

 

 霊廟に近づくモノは確かにあった。

 それは彼女とは違うモノで、豊聡耳神子を求めて少しずつ近づいていた。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 霊夢が魔理沙の実験を眺めていると、霧雨魔法店のベルが鳴った。魔理沙は霊夢に断りを入れると、ドアを開け玄関へと歩いて行った。

 しばらくして、再び部屋に魔理沙が戻ってきた。

 

「道に迷った奴がいるんで、ちょっと送ってくるよ」

「私も行った方がいい?」

「いや、ひとっ飛びで終わるし、ここで待っててくれたら良いよ」

 

 言いながら、いつもの黒い三角帽子をかぶり、開け放たれたドアへ歩いて行く

 

「そう。気をつけてね」

 

 黒髪の巫女が言い終わるより早く、ドアは閉められた。

 まるで拒絶されたかのようで――

 やがて、小さく玄関の扉が開き、閉まる音が聞こえた。

 魔理沙のいない、色あせた部屋。がらくただらけの部屋。霊夢は奥のドアを開ける。

 人気のない寝室。部屋の奥にはベッドが一台置いてある。先ほどの部屋とは違い物はほとんどない。霊夢は昨日、ここの床に布団を敷いて寝た。

 ゆっくりとベッドに向かって霊夢は歩く。床が軋む。

 ベッドの手前で軋む床に膝をつく。

 微かに魔理沙の香りがする。

 白い布団に陽光がそこに残る痕跡を浄化するかのようにさらに白い光でつつんでいる。

 霊夢は微かに残るその痕跡を抱え込むかのようにしばらく、布団に顔をうずめた。

 

 

 ◇◆◆◆◇

 

 

「落ちないようにちゃんと掴まってくれよ」

 

 迷い人と後ろに乗せ、ゆっくりと空高く舞い上がる。黒々とした魔法の森は足元からどんどん離れていく。

 最も陽が高くなる時間帯ということもあり、頭上に輝く陽光が強く感じられる。

 魔理沙の胴にまわされた腕の締め付けが少し強くなり、胸の二つの膨らみが背中に押し付けられた。

 

「おいおい、そんなにきつく掴まらなくても大丈夫だぞ」

 

 魔理沙は振り返り、相手の顔を見る。目を閉じていた。

 

「あの……高いところが苦手で……」

「そうか。少し高度を下げようか?」

「はい……その……お願いします」

 

 

 目印である間欠泉についた。湯気立つそれは、地上から一メートルほど立ち上がっている。彼女は運悪く、その間欠泉で魔法の森まで飛ばされたそうだ。飛行能力がないが、幸い木々がクッションになったおかげで大した怪我はなかったと彼女は言った。

 

「このあたりでいいか?」

「あっ、はい。大丈夫です、魔理沙さん」

 

 返事を聞き、魔理沙はゆっくりと下降する。ゆっくりと、草の少ない大地に足を着けた。周りに木々は生えていない。赤みのある茶色い土のあちこちに草が生えている。

 少しは慣れたところに大きく空いた空洞見えた。

 抱きついていた彼女は焦げ茶色のジャンパースカートを揺らし、地面に足を下ろした。

 

「ありがとうございました」

 

 土蜘蛛の妖怪は魔理沙に御礼を言った。

 

「次は気をつけろよ」

「はい、それでは……」

 

 黒の魔法使いは箒に乗って、地を蹴った。

 霧雨魔理沙の姿が見えなくなるのを確認し、彼女――黒谷ヤマメは小さく口にする。

 

「お大事に」

 

 クスリと笑い、スキップをしながら、地底へと続く黒い穴に近づく。

 ヤマメは仄かに溶岩の光が見える大穴に、頭からダイブした。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 陽が落ち始めていた。

 早苗の後について、黒髪の巫女は外へと出る。

 

「私理系なんで、物理や化学のことなら何でも聞いて下さい」

「理系って?」

 

「理系って言うのは……」

「あっ……」

 

 説明しようとした瞬間、重いものが背中にのしかかった。

 幸い巫女の体重が軽いせいもあって、早苗を巻き込んで倒れることは無かった。

 

「ごめん。ちょっと躓いちゃった」

 

 早苗の肩に手を乗せ、黒髪の巫女が体勢を直した。

 

「大丈夫ですか?」

「ええ、ありがと」

 

 振り返り、彼女の具合を見ようとした早苗。

 その早苗の頬に柔らかな感触と、熱を感じた。

 

「えっ」

 

 呆気にとられる早苗。

 頬にキスをされたのだ。

 早苗がそれを認識するよりも早く、黒髪の巫女の足は地を離れていた。

 

「それじゃあ、またね。早苗」

 

 蠱惑的な微笑を見せ、博麗の巫女は南の空へと飛んでいった。

 

 

 ナズーリン――探し物を探し当てる能力

 二本のダウジングロッドを用いて探し物を探し出す。……




NEXT EPISODE 【断章3】
該当する者は一人、霧雨XX


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【断章3】

【断章3】

 

 

 そよ風一つない静かな朝だった。

 時が止まったかのような世界。

 しかし、それは錯覚で――

 その証拠に、朝食の準備が整った事を告げる式神の声が聞こえた。

 その朝食を終えるといつも通り着替えをする。

 帯を緩め、何気なく紫は大きな姿見の前に立った。

 鏡に映るのは、はだけた肌。

 胸の膨らみ、そこからなだらかに下った腹部と小さな臍、僅かに膨らんだ下腹部。

 そこに傷はない。

 まじまじと観察した所でなにもない。

 変化もない。

 無意識に自分の体を観察するのは、恐らく今日が約束の日だからなのだろうかと紫は思う。

 紫は服と下着を脱ぐ。

 とはいえ、自分がする事などさしてない。

 少しばかり、彼女の証言の裏取りを式神に行う程度だろう。

 選択した下着を履き、いつも通りのドレスを纏う。

 八雲紫は着替え、身支度を済ませると式神に改めて予定を告げ、スキマを展開した。

 

 

 いつもと代わり映えのしない晴れた日。

 スキマを博麗神社の正面に近くに繋げて移動する。

 しかし、そこに巫女は居らず、居間へと繋がる縁側近くに二つ目のスキマを開く。

 襖は開けられ、そこから覗く居間には正座をした巫女がこちらを見据えていた。

 

「返事を聞きに来たわ」

 

 紫は巫女に対して、静かにそう言った。

 

 

 心なしか彼女の目が暗く写る。

 これも錯覚なのか――

 落ち着いた声で博麗の巫女は静かに話し始めた。

 

「相手について……ですが、私と同年齢あるいは五歳前後の方なのですが……女性は三百八名、うち素質をもった方は……残念ながら一名だけです。

 この魔力を持った人物が生まれる仕組みは、現在でもはっきりとは解明していません。遺伝といった形で必ずしも相伝されてもいないで……何かきっかけがあって魔力を持ち得る体になるではないかと考えられていますが、その詳細は判然としていません。

 話がそれました。

 該当者の名前は霧雨XX、既婚者です。

 ですが、彼女には既に子を孕んでいる状態ですぐには対応できません。

 出産までにはまだ半年以上掛かる見込みだそうです。

 一世代前の女性も生存していますが、高齢であることと近親者となるのでリスクが高いです」

 

 彼女は巻物状の家系図を、五世代分ほどを開いてみせる。

 

「どうしますか? リスクを背負い、こちらの方々にしますか?」

「貴女はどうしたいの?」

「……」

「すでに決めているのでしょう?」

 

 彼女の答えは予想できている。

 霧雨XX。

 霧雨家の子供が生まれるまで待って欲しいという算段だろう。

 

「考える時間は十分あったと思うんだけど……」

 

 博麗の巫女の答えを

 彼女は顔を赤らめて、

 

「紫……さん」

「……何?」

 

 巫女は小さな声で、

 

「紫さんと……では、ダメですか?」

 

 と、言った。

 

「……」

「八雲紫さん。貴女とではダメですか?」

「……は?」

 

 怒気を含んだ声を漏らすスキマ妖怪。

 彼女は言葉を続ける。

 

「人と妖怪の交配はダメよ。霊力と妖力は相容れない。知らないわけでは無いでしょう。それに貴女は死んだ四人の原因に吸血鬼と仮定したのよ」

「……」

 

 黙る巫女に

 

「紫さん。貴女ならこういった状況がいつか訪れることは予想されていたのではないですか? そして、そのための準備はされているのではありませんか?」

「……何が言いたいの?」

「保険として、交配可能な人物を確保しているのではありませんか? ここではない……外の世界で……」

 

 答えるべきか、あるいは――

 八雲紫は迷う。

 

「紫さんの子供……ですよね」

「……」

 

 幻想郷の外の子供。

 博麗家の計画の始まりと共に博麗には秘密で準備していたことだ。

 千年以上前に人と交わり、産み落とした子。

 そして、倍以上の時間をかけて出来た子。

 使用する頃合いなのだろうか?

 

「一度、貴女の証言の確認を取るわ。それで該当する者がいなければ、貴女の言う通りその子を使うわ」

 

 その身に妖力を失わせる事、何十世代。

 そして、そこから五世代目の子供に能力者が生まれた。

 結界の境目が見える能力者。

 もしかするなら、結界の境目すら触れる事も可能かもしれない。

 彼女の名前は――

 マエリベリー・ハーン。




NEXT EPISODE 【7月27日(1)】
二人の前にいるのは――


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【7月27日(1)】

【7月27日(1)】

 

 

 物音に気付き、巫女は重い頭をゆっくりと起こした。

 音はキッチンの方から聞こえる。どうやら、式神が朝食の準備をしているようだった。

 頭を預けていた本を見る。

『実践 プログラミング 超級編』そう銘打った分厚い辞書のような本。

 八雲紫の家にある本のほとんどが、外の世界の本のようだった。

 外の本は、記憶の中にある鈴奈庵で見る本とは違い、表面がコーティングされたようにツルツルで、綴じ糸が見えない。

 神降ろしについて書かれた本もまた、ここでは作られた本ではなかった。あれは――

 

「ううっ」

 

 呻き、巫女が頭を手で押さえる。頭痛……ではない。これまで感じていた不安の本流が一気に流れ込んでくる。

 気怠げに前髪を掻きあげる。

 終わりの刻は近い。

 手段を選んでいる時間はほとんどないだろう――

 そう巫女は予感する。

 

「どうしようってのよ、全く……」

「起きたのか」

 

 巫女の声に気付いたのか、式神がリビングに顔を覗かせた。

 

「……ええ」

「だったら、テーブルの上を拭いておいてくれ」

 

 式神が放り投げた布巾を受け取る。

 妖怪は食事をとるモノが多い。

 ヒトを喰うモノ、動物の肉を喰うモノ、草花を喰うモノなど様々だ。それは生命を維持するための妖力を獲得するためだ。

 妖力を獲得する方法は他にもある。草木から吸収する方法だ。

 八雲藍曰く、他の妖怪に触れて妖力を吸収することも可能なのだが、馴染まないのだそうだ。

 同種の妖力でも微妙に自身の持つ妖力と異なるため、時には拒絶反応を起こすこともあるそうだ。

 草木からはその生命力を自身の妖力に変換し取り込むのだそうだ。

 八雲紫はどうもそれが出来ないらしい。その代わりが冬眠だ。

 動物は消費するエネルギーを減らすために冬眠をするが、紫は妖力回復の為に行うらしい。

 どういう理屈なのか、巫女には解らないがどうでもいいことだった。

 式神が両手にご飯を盛った茶碗を持ってきた。

 二人分。

 つまり八雲紫と八雲藍の二人分。

 橙の分はない。昨日から出かけていて戻ってきていない。

 彼女はマヨヒガという別の住処にいるそうだ。

 

「紫様を呼んできてくれないか?」

 

 茄子と胡瓜の漬け物を持ってきた妖狐が、巫女に言った。

 

「ええ」

 

 返事をし、黒髪の巫女は立ち上がった。

 ふんわりと味噌の香りがした。

 妖怪が食事をとり、自身は食事を取らない。

 逆しまの風景。

 それが、どうしようもなく自分が人間ではないことを自覚させられた。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

「それは、神霊よ」

「神霊、ですか?」

 

 妖夢は主人に聞き返す。

 冥界。転生を待つあるいは成仏を待つ幽霊が跋扈する場。

 ここを管理する、主人のための白玉楼という屋敷。

 朝食の片付けを終わらせた妖夢はいつも通りの庭師の仕事ために屋敷の外に出た。

 屋敷を出た先は大きな庭になっており、石畳の路が屋敷を囲う塀の門へと真っ直ぐに延びている。

 いつもと変わらない景色に、無数に存在するそれ。

 人魂にも似たそれ。

 妖夢は白玉楼へと戻り、幽々子を連れ状況を見てもらった。

 現れては消え、消えては現れ――

 少し青みがかったもの、紫がかったもの、緑がかったもの、仄白いもの。

 それが、神霊なのだという。

 

「これは異変でしょうか?」

「ん-、そうでしょうねぇ。私もこんなに沢山の神霊を見るのは始めてだし」

 

 妖夢の問いかけに、主人はたいしてこの異常に動じるわけでもなかった。

 

「もしかして、この間の私達みたいに花見に来たんでしょうか?」

 

 妖夢の言う花見とは、西行妖という大きな桜の木だ。ついこの間、幽々子がこの桜を満開にするために、下界から春を集めた。

 この為、地上はかつてないほどの長期的な冬の季節が続いた。

 異常な気象を解決するために現れた博麗霊夢により、幽々子は春集めをやめた。

 この春雪異変で、桜は満開になることはなかった。

 しかし、数ヶ月経った今も桜は残っている。

 ちなみに、この西行妖の下には幽々子の亡骸が眠っており、桜が満開になると、亡骸の封印が解け、最後には幽々子が消滅するという。

 過去に同じ事をしようとしたことがあるらしく、幽々子の友人、八雲紫が止めに入ったことがあったそうだ。

 幽々子はそこに自身の亡骸があることを知らない。八雲紫が教えていないからだ。

 妖夢もその事を知らなかったが、あの騒動の後に八雲藍からその事を知った。

 

「霊夢に知らせた方がいいでしょうか?」

「その程度なら、あの子も知っているんじゃない。言うなら、もっと調査してからの方がいいんじゃないかしら?」

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

「霊夢さん、今日も来たんですか?」

 

 午前十時になろうかという時分、守矢神社を訪れた来訪者に東風谷早苗は呆れたように聞いた。

 

「いいじゃない。別に忙しい訳じゃあないんでしょう?」

 

 鳥居をくぐり、現れた来訪者の青白の巫女は、ニコニコしながら早苗に近づく。

 彼女言ったことは正しいが、どこか言い方が気にくわない。

 

「私、別に暇ではありません。信仰を増やす為に、今日も神奈子様と諏訪子様とで作戦会議があるんです」

 

 言いつつ、早苗は表情で嘘がばれないよう、くるりと体を反転させる。

 

「ホントーに?」

 

 長い黒髪を揺らし、こちらの表情を覗き込む。

 猫のような気まぐれさが混じった瞳でこちらを見る。

 自分は簡単にばれるような嘘をついたのだろうか――

 頬を赤らめ、エメラルドグリーンの髪を揺らし、早苗はまた体を反転させた。

 

「あの神様達は中にいるの?」

「ええ」

「ちょっと挨拶に行ってくるわ」

「それじゃあ、案内します」

「結構よ。大体の勝手は分かってるから。早苗はここで待ってて」

 

 そう言い、五分と立たず巫女は早苗の元に戻ってきた。

 

「さあ、行きましょう」

「はぁ?」

「早苗とのデートの了解は頂いたわ」

「いやいや、デートって何ですか?」

「二人の親睦を深めるものよ」

「いえそういうのは男女の仲で……」

「ごちゃごちゃ煩いわね」

 

 半目で早苗を見る彼女は右足を使って、唐突に足払いをした。

 バランスを崩した早苗の体を博麗の巫女が支える。

 左腕が背中に、もう片方は膝下に、いわゆるお姫様だっこのような形で支えられる。

 

「さて、行きましょう」

「え?」

 

 早苗を抱えた巫女は黒髪を揺らし、地を蹴った。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 午前十時頃、アリスは間欠泉の上空にいた。

 今朝、一昨日前に鉱石収集の命令を出した一体の人形が戻ってきた。

 珍しく帰還する時間が遅かった。かごにはいつもとは違い、沢山の鉱石の欠片が入っていた。収集場所で地盤変化でも起きたのだろうか、とアリスは考えた。

 鉱石は魔法使いにとって研究材料と使われる。魔法使いだけではない。鉱石の種類によっては人里でも売買される。

 鉱石の収集場所は大きく二カ所ある。魔法の森から西北西の方向と、東北東の方向に位置する岩盤地帯だ。草木がほとんど生えておらず、ごつごつとした岩々が点在している。以前ここに来たのはいつだろうかと、アリスは記憶を探る。恐らくは一年以上前で、秋頃だったような――

 

「アリスも調べに来たの?」

 

 と、聞き覚えのある声の方に顔を向ける。

 赤と白の巫女装束、赤い耳飾りとフリルのないシンプルな赤のリボンで漆黒の長髪を纏めている。

 博麗の巫女。

 

「……霊……夢」

 

 小さく彼女の名を呟く。

 彼女はアリスではなく、地上に大きく空いた大穴を見ていた。

 初めて見る大穴だった。

 

「……まあ、そんなところね」

 

 嘘を言う。本当のことを言っても問題ないのだが――

 

「でも、アリスは来ない方がいいわ。何があるのか分かんないし」

 

 彼女の言葉から、あの穴を調査するために来たことが分かる。

 地下深くへと続いているのだろうか。

 地下、あるいは地底の情報は少ない、かつて、妖怪の山で天狗達と鬼達の間で縄張り争いが起こり、敗走した鬼達が住んでいると言われている。

 それ以外にも、地上には存在しない妖怪が住んでいるという。

 アリスも改めて大穴を見る。穴は暗く、何もかもを飲み込みそうな闇が

 

「私も行くわ」

 

 アリスの言葉に承服しかねるようかのように、巫女は顔をしかめる。やがて「いまさら、どこにいても同じかな……」と、小さく呟く。

 

「分かったわ、一緒に行きましょう」

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 妖夢は僅かに開いた――人がギリギリ通れる程の――幽明結界の門を抜け、冥界から現世の地上へと降りていく。ついで半透明の半霊がその後を追う。

 おかっぱ頭の白髪が、緑色のスカートが風に揺れる。

 妖夢は長刀の楼観剣を腰に携え、背中にもう一本長刀を背負っていた。

 短刀の白楼剣は持ってきていない。以前、あの短刀の力で図らずも主との肉体接触――下着で隠すような所まで触れて――をしてしまった。

 月の異変では主人の西行寺幽々子と同行していた事(不面目ながら主人に守ると言われ)もあり白楼剣を背負っていた。

 しかし、似たような事が起こってしまう。

 玉兎――鈴仙・優曇華院・イナバの能力(催眠術のようなものだろうか?)により、主人に斬りかかった。

 主人を守るどころか、その正反対のアクションを起こしてしまう。

 そんなこともあり、白楼剣は白玉楼の自室に置いたままだった。

 妖夢の周りを飛ぶ神霊は明滅を繰り返し、地上のある一点に向かって進んでいるようだった。

 やがて、神霊の向かう先がはっきりと分かる。

 人里から少し離れたぽつりと建っているお堂。そこに向かっていた。

 妖夢はゆっくりと地面に足をつける。

 古ぼけた表札は文字が削れ、ほとんど見えない。

 お堂の扉は開いている。

 中に入る。

 中の照明は付いていない。

 外から漏れる日光に照らされ、中の様子が見えた。

 古ぼけた外観に比べ、中はきれいだった。

 ほこりもなく、誰かが住んでいるようだった。

 

「誰?」

 

 入り口の方から物音が聞こえ、妖夢は刀に手をかける。

 

「? 妖夢?」

「霊夢さん」

 

 フリルのないシンプルな赤いリボン、赤と白の巫女服。

 少しばかり逆光で見えづらかったが、妖夢には入り口に立つ人物が博麗の巫女だと分かった。

 

「あんたも神霊を追いかけてきたの?」

 

 歩きながら巫女は妖夢にそう聞いた。

 

「はい。少し調べて、霊夢さんのお手伝いをしようと思って……けど、ここに来たばかりでまだ、大したことは」

「この建物の地下に向かっているみたいね」

「え?」

 

 言われて、床を見ると、丸い神霊が床に吸い込まれていくように消えていく。

 

「どこかに……」

 

 巫女が部屋の周りを見回す。

 部屋の端に木箱が二つ、中央奥には小さな机と座布団が一つ。

 巫女は座布団を足蹴にし、その机を手でどける。

 何の変哲もない木床が露わになる――と、巫女がその床に手を伸ばす。

 床にある窪みを掴み、引っ張る――と、床に矩形の切れ目が出来、床が盛り上がる。

 

「隠し扉、ですか?」

「さぁ、どうなんだろう」

 

 妖夢の言葉を曖昧に答える巫女。

 開いた穴からひんやりとした空気が流れ込んでくる。

 その寒さに幼い剣士が身震いをした。

 

「神霊はもっと下に降りていっているみたい」

 

 小さな照明を展開し、巫女が中の様子を覗く。

 

「下に何かあるんでしょうか?」

「さあ、行ってみれば何か分かるかも……」

 

 言い、巫女は開けた扉の中へと入っていく。

 妖夢も続いて中へと入る。

 地の底へと続きそうな大きな穴が下へと続いていた。

 種々の神霊がゆわふわと下へと降りていくのが見える。

 巫女が先導するような形で降りていく。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 早苗の顔のすぐ側に博麗の巫女の顔がある。

 彼女の表情は、始めて出会ったときの別人のように大人びていた。

 大きな黒い瞳、小さな鼻に小さな唇。風に揺れる艶やかな黒髪。

 それは早苗の錯覚なのかもしれない。

 体を抱えられ、間近にある巫女の顔。

 

「……けど」

「……えっ」

「信仰を集める方法。一つ提案があるんだけど」

「何ですか、それは」

 

「それはね……」青い耳飾りをした巫女は笑みを浮かべ、「私とあんたが一緒になればいいのよ」と言葉を続けた。

 

「共有化って言ってたっけ? そうすれば、私の信仰は早苗のもの……」

「……一緒って……」

「籍を入れるとか?」

「……籍って……」

 

 プロポーズにも似た言葉を突然言われ、早苗は狼狽し言葉が続かない。

 

「……でも、それは霊夢さんの方にも言えるんじゃないですか? だったら……」

「私は信仰なんて興味ないの」

 

 早苗が引っ張りだした言葉を、にべもなく返す。

 

「私は好きな人がいれば、それでいいだけ……」

「それって……」

 

 私の事ですか?

 そう聞こうとしたが言葉にならなかった。

 口がパクパクと動くだけだった。

 博麗の巫女は早苗を真っ直ぐ見つめる。

 黒髪が――

 風で揺れている。

 早苗は視線をそらして別の言葉を引っ張りだす。

 

「共有化なんて、他にも方法が……」

「例えば?」

「……ええっと、看板を変えるとか……」

「博麗神社を守矢神社に変えるって事? あんまり変わってない気がするけど」

「……うう……」

「早苗は私の事、嫌い?」

 

 早苗は返答に窮する。

 二人だけの会話が空の上で続く。

 

「……いえ、別に嫌いでは……」

「じゃあ好きなんだ」

「そんな事簡単には……まだ会ってそれほど時間も……」

「曖昧ね」

「普通はこんなものです」

「信仰だけの話なのに……」

 

 信仰だけで割り切れる話では全然ないのだが――

 この巫女の提案はそれだけの為のものなのだろうか――

 

「……あのぅこの話はもうちょっと時間をかけて決めませんか?」

「ええー」

 

 相手は残念そうな声を漏らす。

 

「信仰の為に、私と一緒になるのが嫌なの?」

「そんなすぐには……神奈子様と諏訪子様に相談しないと……」

「……早苗」

 

 黒髪の巫女の言葉の温度が下がる。

 

「死なないでね」

「え? なんて……」

 

 小さく呟いた声を聞き返そうとした瞬間、落下する早苗の体。

 五秒ほど自由落下し、早苗は力を使って浮遊する。

 

「なんで、いきなり手を離すんですか?」

「早苗」

 

 怒り詰め寄る早苗に対し、博麗の巫女は感情のない声で守矢の巫女の名を言う。

 

「早苗はどうしてここに来たの?」

「それは信仰を得るためです」

「外の世界では信仰を得る事が出来なくなったから……」

「そうです」早苗は頷く。

「でもそれは、信仰が必要なのは、あの二人の神様にとって……」

「それは……」早苗の声が途切れる。

「早苗自身には信仰なんて必要ないんじゃない?」

「そんな事はありません。私は現人神なんですから」

「でもそれは早苗が望んだから……じゃないんでしょう? 力を失った神々と、神となった人……」

「……」早苗は押し黙る。

「あの二人は早苗に対し負い目を感じている。聞かれたんじゃないの? 一緒に来るのか、それとも残るのか」

「……それ、は……そうです」

「そこそこの信仰はあるんでしょう? ならあんたはもっと自分の為に行動すべきなのよ」

「……」

「あの二人の為に早苗が身を削る必要なんてないわ。でないとあの二人は後悔するわよ」

「……」早苗の口は動かない。

 

 何か言うべきなのだが。

 早苗はその言葉が出ず、考え込むように黙った。

 早苗の表情を見ようと、黒髪の青白巫女は覗き込む。

 俯き加減の早苗の顔に黒髪の巫女の顔が近づき、唇同士が触れあった。

 感触はそれだけではない。

 早苗の口腔に生暖かい感覚が走った。

 

「何、するんですか!」

 

 相手の肩に手をやり、早苗は体を押しのける。

 

「ふふ」黒髪の巫女は不敵に笑う。

 

「ぶたれるかと思ったけど、やさしいのね。早苗は……」

「どうして……」

 

 狼狽する早苗に対し、彼女は笑みを崩さず。

 

「早苗の体を知るのは、案外早いかも……いえ、これから……」

 

 すぅっと近づく妖艶な巫女。

 涙目になりながら、早苗は後退る。

 恐怖と、思考がグルグルと巡る。

 試しているのか――

 望んでいるのか――

 早苗は右手を振り上げ、迫る巫女の頬を叩いた。

 ぱあんっと乾いた音が響く。

 時が止まったかのように、二人の体が固まった。

 振り上げた手を躱され、あざ笑う。

 半ばそういう予想を早苗は立てていたが――

 叩いた手が痛む。

 相手は固まったまま――

 黒髪に隠れ、瞳は見えない。

 

「これが……」

 

 叩かれた巫女の呟きは小さく、早苗には届かなかった。

 

「人をからかうのも、言い加減にしてください」

 

 早苗は体を反転させる。

 北北西には妖怪の山、守矢神社が見える。

 南南東の方向に移動している。このまま進んでいたら、人里の方、更に行けば竹林に行き着く事になる。

 

「帰ります」

 

 短く、はっきりと早苗が告げる。

 

「待って」

 

 言葉と共に早苗の右手が掴まれる。

 

「行かないで」

「離してください」

 

 早苗は乱暴にその手を振りほどく。

 怒りに満ちた目で相手を睨むが、彼女の感情を映す瞳が――

 顔が――

 それを見て、早苗は感情を少し収め、思考を巡らす――が、それを止め、直感で思い浮かんだ言葉を口にする。

 

「霊夢さん……何を……焦っているんですか?」

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 発光する護符を先行させるような形で、二人は暗い大穴をゆっくりと降りていく。穴は下へ下へと続いている。

 はるか底の方で赤い光り――溶岩によるものなのだろうか?――が小さく見えた。

 生物や妖怪と出会っていない。ただただ歪な岩盤に囲われた穴が続いていた。

 

「鬼に出くわすと思ってたんだけど、全然誰もいないわね」

「何も無いほうがいいんじゃないの? 博麗の巫女としては」

「まあ、そうなんだけど……嫌な予感がするのよね。アリスは地下については詳しいの?」

「別に、鉱物資源が豊富な所と妖怪の山の縄張り争いで敗走した鬼が住んでいるって事ぐらいかしら」

「鉱物資源?」

「魔法使いの実験で使ったりするのよ。金銀胴、鉛、ダイヤモンドや酸化鉱物など色々……里で売買できるものもあるわ」

 

 巫女は軽く相づちをし、鬼のことを聞いた。

 

「そっちのことは、あんまり情報はないわね。ただ、幻想郷全土に鬼の住処はあるって聞いているけど……魔法の森の地下を除いてね」

「どうして?」

「魔法の森の瘴気を嫌うみたい」

 

 アリスの話によれば、森の瘴気は森の木々から発生しており、それは葉からだけではなく、地下に張り巡らしている根からも発生しているそうだ。つまり、木自体が瘴気の発生装置なのだという。

 

「鬼が苦手なものって、柊鰯以外にもあるのね」

 

 話をしながら、どんどん地下へと降りていく。

 やがて、下からうっすらと光が見えた。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 妖夢の目の前には大きな門があった。

 高さ十メートルほどの石造りの門。

 観音開きのようで、そこには奇天烈な衣装を纏った男性と漢字の羅列が掘られていた。

 巫女はその扉の前で固まっている。

 

「入らないんですか?」

「……ちょっと迷っているのよね……」と言い、巫女は妖夢に目配せする。

 視線の先には、一枚の札が貼ってあった。

 妖夢が指を近づけると、ばちりと軽く電気のような物が走った。

 触るなかれという、警告のようだった。

 

「封印……されているんですか?」

「ええ。だから、この封印を解かなければこれ以上の事は起こらないと思うんだけれど」

「このままにしておくんですか?」

 

 巫女は黙ったまま動かない。

 妖夢達の立っている足元には紙切れが数枚落ちていた。

 それらは石扉に貼ってある護符と同じ物だが、効力を失っているようで触れても何も起きなかった。

 神霊が集まったのは、この封印が何らかのせいで剥がれ弱まった事によるものだろうと推察された。

 

「これから色々起こるだろうし。後回しにしていいのか。それとも先に潰すか……」

 

 潰す。

 随分と物騒な言葉だが、この元凶を調伏するという事なのだろう。

 そう妖夢は思うが、その前の言葉も気になる。

 

「これから何が起こるんですか?」

「詳しい事は私にも分からない。ただ……予感がするの」

「……」

 

 しばらく扉の護符を睨み、

 

「……もし戦う事になっても、無理はしないでね。逃げてもらっても構わないから」

 

 と、剣士に言った。

 妖夢が了解すると、赤白の巫女は何かを呟きながら、扉の札に手を近づける。

 何事も無く護符に触れ、易々とそれを剥がし放り捨てる。

 護符は、ひらひらと石床に舞い落ちる。

 構わず、巫女は扉に手を掛け、ぐっと力を入れる。

 見た目によらず、重苦しい音を立てず扉が開いていく。

 その先には。

 種々の神霊に囲まれた二人の少女――物部布都と豊聡耳神子が立っていた。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 綺麗になった聖輦船に船員を詰め込み、村紗水蜜は出港の準備をする。

 

「星。宝塔のセットは終わった?」

 

 船首甲板に立つ水蜜の問いかけに寅丸星は「いつでもOKだよ」と言葉を返す。

 星は水蜜から数メートル後ろの甲板に立っていた。

 正確には小さな階段の上に立っている。

 昨日はこんなものはなかった。

 河童――河城にとりに改造してもらったのだ。

 宝塔はこの聖輦船の動力源でもあり、攻撃の主砲なのだ。

 今までの宝塔を置く場所は、背の低い台の上で正面からの敵を打ち抜こうとすると、前方甲板にいる水蜜の頭を消し飛ばしてしまう高さだった。

 加えて、宝塔を固定するようなものも何もなかった。

 振動などで宝塔が倒れれば、聖輦船の動力源は失われてしまう。

 この為、ポンプを借りていた河城にとりに改造を依頼した。

 宝塔を固定できるようにし、階段をつけ、台を高くしてもらった。

 

「それじゃあ、動かすわよ」

 

 水蜜はUの字に曲げられた手すりに付いているスイッチを押した。

 丸い面舵はない。

 にとりによって取り払われた。代わりに半透明のスクリーンと半実体化された面舵が村紗船長の前に現れる。

 スクリーンには幻想郷の地図、聖輦船の位置、船向、高度、速度等が表示されている。

 その様子を気にするでもなく、ナズーリンは右舷で頬杖をつきながら、ぼぉーっと景色を眺めていた。

 やがて、ゆっくりと船が浮かび上がるのを感じる。

 行き先は聖白蓮のいる魔界……ではなく、この世界の中心。

 水蜜と星の考えによるものだった。

 それは、ナズーリンにとってはどうでもいい用事だった。

 二人の付き合いに従う事となった彼女が聖白蓮に会えるのは、もう少し先だった。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 早苗は結局、博麗の巫女に従い人里へと向かった。

 これから起きる事。悲劇。それを回避するために手が必要なのだと彼女は言った。

 具体的な事は分からない。

 彼女の言い分を聞いても、彼女の一連の言葉や行動に繋がらない。

 ある部分で彼女の不信感がぬぐえない――が、それでも早苗の勘がついて行くべきだと告げた。

 

 

 空から見た高い塀で囲われた人里は、ジオラマのようにも見えた。

 高い建物は少ない。

 住居用の建物は一階建てで、商業用や保存倉といった建物は二階建てあるいはその程度の高さで、三階建て以上の建造物はない。

 道行く大通りに多くの人が歩いているのが分かった。

 今のところ、博麗の巫女が言うようなおかしな所は見えなかったが――

 

「恐らく、あれだわ」

「えっ?」

 

 空中で立ち止まった彼女の顔の先を早苗は見つめる。

 東西に延びる大通りに繋がる一本の通り。

 そこに繋がる細い通り。

 人影はほとんど見えない、ただ一つを除いて。

 夢遊病者のようにふらふらと歩く少女。

 ぱたっぱたっと歩く度に揺れる鮮やかな撫子色の長髪、俯いたその顔はここからでは分からなかった。青と緑のチェック柄の長袖のシャツに、鈴蘭の花を思わせるふんわりと広がった桃色のスカートをはいていた。シャツの胸元にはアクセントなのだろうか、大きな桃色のリボン、その下には形状と色が異なるボタンが並んでいる。スカートには幾つか切れ込みが入っている。

 上空からでは夢遊病少女の表情は見えない。

 

「あの子がどうかしたんですか?」

「さぁ? 近づけば分かるわ」

 

 そう言うと、彼女に近づくように黒髪の巫女は降下していく。

 降下していくと、彼女の周りに浮遊しているものがあることに早苗は気がついた。

 仮面。

 歩く彼女との距離が八メートルぐらいになっただろうか。白い靴を履いた足が止まった。

 少女――秦こころが呟く。

 

「……面を返せぇ」

 

 少女の微かな呟きは、二人の巫女の耳にはまだ届かない。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 少しばかり横に開けた所に出た。

 遙か下には赤いマグマによる光りが見える。

 

「ヤマメの効果はなかったのかな? 博麗の巫女がきたよー」

 

 どこからともなく、声が聞こえる。

 

「誰?」

 

 アリスが疑問の声を漏らし立ち止まる。巫女の方もその場で立ち止まり構えている。

 人形遣いと巫女が周囲を見渡す。

 二人の間は二メートルほど。互いの背中の方を見る。

 

「うまく二人に感染させられなかったのかな? それとも免疫があったのかな?」

 

 二人のすぐ近くで声は聞こえるが姿は見えない。

 足元の方を見ると、うっすらと人影が見えた。

 一人ではない。数名――

 そのうちの一つの影が白く光る。

 

「アリス、気をつけて」

「……分かってる」

 

 白い光が白い刃となって二人の地底侵入者を襲う――が、それは二人を直接狙ったものではなかった。

 巫女と人形遣いの間を通って二人の背後――二人の少し上方の岩盤に炸裂した。

 爆音。

 それが戦闘の合図。

 二人に近づく気配が五つ。

 白い光りで見えたのは金髪の少女が二人、紫色の髪の少女が一人、白い刃を放った漆黒の翼を持つ者。やはり、残りの一人は見えない。

 上からの土煙と細かな瓦礫が降り注ぐ。

 二人はそれから逃れるように側方に飛ぶ。

 アリスは魔道書を手に取ると、

 

「マリオネットパラル」

 

 叫び、人形が現れる。

 アリスと巫女の上空で六体の円形に陣取ると、魔方陣の結界が出現し、降り注ぐ瓦礫を防御した。

 巫女の方は視界を広げるために光る護符を周囲に展開する。地底の妖怪の姿が先ほどよりも鮮明に見える。

 金髪の少女が放つ光弾が二人を狙って撃ち込まれる。

 数的有利の為か、攻撃は思いの外激しくはない。何か別の狙いあるのだろうかと巫女は考える。

 

「変ね。心が見えない。ジャミング? 心を閉ざしている? 博麗の巫女はそんな事も出来るのかしら……ノイズが多すぎる……けど……パルスィ、あの人形の子……使えるわよ」

 

 紫色の髪の少女が呟く。

 パルスィと呼ばれた金髪の少女が攻撃の手を緩めず、アリスに近づいていく。

 アリスは攻撃用の人形を一体召喚する。

 巫女はアリスを支援しようとするも、再び下から放たれた白い刃が割って入る。

 ランスを持った人形に攻撃命令を出そうとした構えた瞬間、アリスの体が揺れた。

 

「攻撃しちゃあ、だぁめ」

 

 姿の見えない少女の甘い声。

 ぐいいっと魔道書を持つ手を引っ張られる。

 そこに誰の姿も見えない。

 

「どういうこと?」

 

 アリスの問いに誰も答えない。

 掴まれた腕を振りほどこうとした瞬間、パルスィの柔らかな手がアリスの頬を包み込む。

 金髪の髪から覗く、緑眼の瞳がアリスを見つめる。

 エメラルドグリーンの瞳がアリスの瞳を覗き揉む。

 パルスィは妬ましい笑みを浮かべた。

 

「さあ、私に貴女の嫉妬を見せて」

 

 猫のような瞳が大きく見開かれた。

 ペリドットの輝きを持った怪しげな瞳。

 言葉と共にパルスィの緑眼が妖しく光り、人形遣いの意識は深い闇へと堕ちていった。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 水橋パルスィ――嫉妬心を操る能力

 瞳を介して、相手の嫉妬心を揺さぶり、狂気化する。

 

 古明地さとり――心を読む能力

 人や妖の心を読む。妹――こいしの心は読めない。例外が存在する。

 

 寅丸星――宝塔を扱う能力

 鉾を使った体術も出来るが、専ら使うのが「毘沙門天の宝塔」。聖輦船の動力源+宝塔レーザー――聖輦船の主砲の役割を担う。

 

 村紗水蜜――船を扱う能力

 あらゆる船を操る。水上ではない聖輦船は宝塔の力を借りて動かす。

 




NEXT EPISODE 【Fragments 1】
目の前にいるのは、自分と同じ顔の少女と――


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【Fragments 1】

【Fragments 1】

 

 

 眼の前に自分と同じ顔をした少女がいた。

 何もない空間が突然裂け、この少女が踊り出てきたのだ。

 

 八月の夏休み。

 自室で端末を使っての読書を切り上げ、昼食の準備をしようと立ち上がったときにそれは起こった。

 小さな部屋は、女の子の部屋と言うにはシンプルな部屋だった。

 部屋は東西に長く、部屋の南東に位置する所にベッドが一つ、床のフローリングにはベージュのカーペットが敷いてあった。その上には脚の短い丸テーブル――ベッドとはおよそ対角に位置する――にオレンジ色の丸いクッションが置いてある。壁紙は白に近いベージュで、壁際には扉付きの茶系の本棚と収納棚を置いている。木目の映える扉は二つあり、北東側はリビングに通じるドア、もう一つはクローゼットになっている。部屋の南側――ドアとは反対側――に大きな窓があり、ベランダに通じている。カーテンは日差しが強いこともあり、白いレースカーテンを引いて閉めていた。クーラーが動いている音が微かに聞こえる。

 紫色のワンピースドレスに白のゆったりとした帽子をかぶっていた。

 幽霊だろうか、とマエリベリー・ハーンは思った。

 この世の者でない、どこか希薄な存在。

 しかし足はある。白い足には傷一つなく、作り物めいた印象を受ける。

 姿は自分によく似ている。

 自分と同じブロンドの髪に白い顔。どことなく着ている服も自分の好みと似ている。

 違うのは髪の長さくらいか、長いブロンドの髪が揺れる。

 マリーは空間の裂け目と現れた少女を交互に見る。

 その視線に気付いたのか、自分に似た少女が、

 

「これが視えるのね」

 

 と言った。

 その声色も自分とどこか似ていた。

 

「貴女は、誰なの?」

 

 そう言いつつ、マリーは後退る。

 殺気はない。そんなものを感じ取るセンサーが自分に備わっているのか疑問に感じるが――

 

「始祖」

 

 短い言葉。

 始祖――始まりの人。

 どれほど前の人物なのか。見た目は少女。タイムスリップ、あるいは時間移動ができるというのだろうか。

 非現実的だが――

 そもそも人間なのだろうか――

 訝しむマリーの感情など無視し、相手は言葉を追加した。

 

「今日は貴女に挨拶をしに来ただけ」

「……そう……」

 

 短くも端的な言葉。

 挨拶の後は、世間話……という訳はないだろう。

 要件。

 何かに協力しろ、あるいは何かをしろと言うのだろうか?

 いずれにせよ自分にとって愉快なことではないだろうとマリーは推測する。

 

「……私に何をさせようっていうの?」

「性交。来たるべき時に、貴女はその交配相手になってもらうの」

「ちょっと待って……」

 

 言っている事が乱暴すぎるし、唐突すぎる。

 どこかのだれかと交われだなんて――

 人なら外にごまんといる。

 それに胎外で子供をつくる事だって今の技術で可能だ。

 それらを差し置いて、なぜ私なのか。

 

「他にも候補があるんじゃないの? 私のお母さんとか……」

 

 血筋が重要だというのならば――

 私の母は今の存命だ。祖母は亡くなったが、顔は覚えている。

 血の繋がりで考えれば、候補なんて――

 

「妖力を持たないという点では合格点だけど、彼女達には力がないのよ。貴女と違って……不適格なの」

 

 妖力が何のことなのかマリーには分からない――が、力といえば――

 この次元の裂け目が見える能力のことなのだろう。

 これが、時空を越えて移動する事が可能な空間のひずみなのだろうか?」

 

「その為だけに貴女を作ったの……に千年以上の時間をかけて」

 

 彼女の言葉が本当なら、気の遠くなるような時間をかけて生み出したと言うこと。

 

「その為って……」

 

 人を道具みたいに――

 前時代的なことを言う。

 

「私は……」

「貴女の小言なんてどうでもいいの」

 

 突然の来訪者はぴしゃりと言い放つ。

 

「従ってもらうわよ」

「……なんっ」

 

 マリーの言葉は遮られる。

 マリーの首筋には先の尖ったものが突きつけられていた。それは首元の近くにある小さなひずみから現出している。

 

「貴女を屠るなんて簡単な事なの」

「っ……」

「しかるべき時にこちらの指示する相手とただ性交すればいいのよ、貴女は……経験は既にあるでしょう」

 

 不快な言葉。

 だが、その言葉は正しい。

 そしてその言葉は、自分達の行為を覗き見たという事だ。

 相手とはもう別れた。一年ほど前の話だ。

 羞恥と怒りの感情で顔が赤くなるが、同じ顔を持つドレスの少女は涼しい顔のまま。

 

「要件は伝えたわ。それじゃあ」

 

 突きつけられた刃は収められ、空間のひずみごと少女は消えていった。

 マリーは華奢な体を抱きしめる。

 消えた少女の言う通りならば、この世界で自分は――

 ぞわりとマリーの体が震えた。

 

 

 ◇◆◆◆◇

 

 

 次にあの少女が現れたのは、一年後の夏休みだった。

 いつまた現れるのか気が気でなかったが、一週間、二週間、一ヶ月、二ヶ月とたっていく内に、頭の中であの出来事は記憶の隅へと追いやられた。

 年が変わり、学年が上がり、受験の為の勉強で生活は次第に忙しくなった。

 時刻は夜の九時。

 その日は朝から天気が良く、静かな夜だった。

 早めに風呂を済ませ、数学の電子テキストと電子ノートを開いて勉強をしていると、テーブルの奥で空間がひずんだ。

 音はなかった。

 意識が散漫になっていたわけではない。

 それでも、マリーはそれにすぐに気がつき、あの時の出来事を思い出す。

 血の繋がりのせいなのだろうか?

 現れるもう一人の自分――ドッペルゲンガーとも思える少女。

 以前と同じパープルのワンピースドレスを纏い、もう一人――古めかしい赤と白のみ巫女装束の女が空間の裂け目から現れた。

 

「女の人?」

「え?」

 

 マリーの呟きに、その女性は疑問の声を出した。

 年齢は二十代半ばだろうか。

 綺麗な顔だった。

 腰まで届く艶やかな黒髪。その長い髪は毛先近くで赤いリボンで纏めていた。

 耳元には赤い耳飾り。

 巫女服は肩が露出する変わったものだった。

 どこまでも時代がかった衣装。

 特に髪のリボンは一段と子供っぽい。

 そのせいか見た目以上に幼さを感じさせる。

 マリーは男性が来るものとばかり思っていた。

 その男の子供を産むのだと思っていた。

 この国の法律ではマリーの年で子供を産む事は禁じられていない。

 

「彼女に説明してないの?」

 

 巫女服の女は驚いたようにドレスの女を見る。

 

「したわよ、簡単だけど」

「なんて言ったの?」

 

 巫女は眉をひそめ、相手に聞いた。

 

「こちらの指示する相手と性交しろと言ったのよ」

「……予感はしてたけど……」

 

 マリーの前で彼女は呆れた表情を見せた。

 

「……何よ」

「……紫さん。一日、時間を頂戴。別にそれくらいいいでしょう?」

「……」

 

 紫さんと呼ばれたマリーと同じ顔の少女は黙っている。不服そうなのが見て取れる。

 

「……同意を得なきゃいけないのよ。襲えば話は早いけど……」

 

 襲うと言葉にマリーがぎょっとする。が、彼女の言葉は続く。

 

「手荒なまねはしたくないし、色々面倒なことが起きると思うわよ。監視されながら行為に及びたくないし、私も……恐らく彼女も」

 

 おめでたい二色の巫女がマリーに視線を移す。

 

「……分かったわ。迎えは明後日の零時でいいわね」

「まあ、それくらい時間があれば何とかなるかしら」

「ちょっと、何勝手に決めてるのよ」

 

 空間の間隙から現れた二人はマリーを置いて勝手に話を進め、マリーが話の間に割って入る。

 

「前にも行ったはずよ。貴方に選択権はないの。従いなさい、彼女に」

 

 ドレスの少女が冷めた目でマリーを一瞥し、「それじゃあ」と短い言葉を吐き消えてしまった。

 部屋に残ったのは巫女服の女とマリーの二人。

 彼女はマリーを見ると、自分の名前を言い、マリーの名前を聞いた。

 

「マエリベリー・ハーン、よ。マリーでいいわ」

 

 名前が分からなければ、話しづらいと思い名前を告げる。

 

「変わった名前なのね」

「……変わったって?」

 

 マリーはいぶかしげに相手を見る。

 

「横文字の名前なんて、人間では初めてだもの……それに八雲姓だと思ったていたの」

「八雲……それがあの女の名前なの?」

 

 巫女衣装の女が頷いた。

 

「彼女は八雲紫」

「……八雲紫」

 

 マリーは名前を反芻する。

 始めて聞く名だった。親戚でも八雲姓はいない。

 記憶を探るマリーに巫女は話しかける。

 

「私も紫さんも、こことは別の隔離された世界に住んでいるの……幻想郷って言われているんだけど」

「……幻想郷」

 

 この言葉もマリーには聞き覚えがなかった。

 

「こちらの事情を、貴女にお願いしたい事を説明するわ」

 

 彼女はそう言うとマリーの自分の事を話し始めた。

 

 

 ◇◆◆◆◇

 

 

 彼女の為にゲストアカウントを使い、マリーは操作方法を説明する。

 

「……こうやって分からない所はタップすれば、読みや意味、詳細のリンクが出るから……これだけ覚えれば、私なしでも自由に調べる事が出来るわ」

「ありがとう」

 

 マリーの言葉に感謝を返すと、巫女は半透明のウィンドウを真剣な目で見つめ始めた。

 その様子を暫く眺めると、マリーも自分の勉強の為に端末ウィンドウを立ち上げる。

 電子ノートを広げる、問題文を読み回答を書く。

 解説を見ながら、マリーは彼女の話を振り返る。

 外の世界から隔離された世界――幻想郷。

 人。

 鬼。

 妖怪。

 霊。

 人と人外が住む世界。

 特殊な血筋、そしてその維持、その為の来訪。

 それがどこまで本当なのか、あるいは全てを話しているのかマリーには分からないし確認する手立てもない。

 自身が妊娠、出産する側ではなかったことにマリーが安堵したが――

 

「……だからといって貴女の一族だけに押し付けられるのはおかしいわ」

「私もそう思う……だけど、もうどうしようもないの。彼女を説得できるだけの代替案なんて思いつかないし……」

 

 表情を曇らせながら、黒髪の巫女は言葉を続ける。

 

「それでこっちの世界の事を知りたいの。何か役に立つ事があるかもしれないから」

 

 彼女の訴えを聞き、マリーは考えた。

 過去や未来に行き、事実の改変を行う。あるいは異世界に飛び、現実世界にはない技術を持ち帰る。その事により騒動やトラブルが拡大する。娯楽小説や動画にそう言った話がいくつかある。

 彼女に協力することが正しいのか、それとも間違いなのか、マリーは分からない。

 が、協力せざるを得ない状況だ。

 こんな事に何度も付き合いたくはない。

 近親交配があまりいいことではないことは彼女も知っていた。

 近親交配は劣性遺伝子を受け継ぐ可能性が高い。

 遺伝子と言えば――

 マリーはさらに思い出す。

 彼女の仲間が死んだ原因は、妖怪の血が混じった事による遺伝子異常だと彼女は考えている。

 輸血の際、異なる血を入れれば凝集や溶血が起こる。

 妖怪の血はそんな事は起こらないのか? そもそも妖怪とはなんぞやといった疑問にぶつかる。

 マリーには分からないことだが――隔世遺伝といっただろうか。何世代も後に発現する遺伝現象。

 それに対しての予防薬は存在する。

 試験管ベイビーなどと言われた、体外受精で子供をつくる方法。

 遺伝子操作などを目的として、非合法に濫造された。

 宗教戦争、内紛、国際紛争。そう言った混乱に乗じて、何万何十万という子供がつくられ、ばらまかれた。

 体外受精で生まれた子供の多くは遺伝子異常を抱えており、また隔世遺伝による障害や病気などが問題化した。

 現在、この問題はほとんど解決している。薬が開発されているからだ。

 その薬は重篤な障害や病に対する耐性をつける事が出来ることが分かり、遺伝子のすり替えが行われる予防接種といった形で幼児の頃に接種される。

 それに対する反対運動は今でもあるが――

 考えすぎて問題文が頭に入らない。ゆえに回答も出来ない。

 彼女の世界も、自分の世界もあまり大差はないのかもしれないとマリーは思う。

 今も各地で武力行使による戦争が起こっている。理由は様々だが――

 この国も核の保有についてもたびたび議論される。

 この国は核を持たない。代わりに強力な軍事国を同盟にしていることで、抑止力が働いている。

 なんだか歴史の勉強をしているみたいだとマリーは思い、頭を振り目の前の問題を解くことに集中した。

 

 

 アナログな壁時計を見ると時刻は既に零時を過ぎていた。

 そろそろ寝る時間。

 

「そろそろ私の方は寝るんだけど。貴女は……」

 

 マリーは顔を上げ、巫女に聞く。

 

「許してもらえるなら、まだ読んでいたいんだけど」

「いえ、とりあえず貴女の寝る所を準備しないと」

「別に私は寝なくても大丈夫だから」

「でも、電気も消すし」

「それなら大丈夫」

 

 彼女は右手を上げ、掌を開く――何もないそこに、一枚の紙切れが現れた。

 その紙は白い光を放っている。

 

「貴女、凄い事出来るのね」

「私には天井に付いている照明の方が凄いけど」

 

 そういえば、浴室やトイレなどを案内した時、ずいぶんと驚いていた。

 

「あんまり無理はしないでね。それと――」

「大丈夫。外には出ないから」

 

 外には防犯用カメラがついている。カメラに視認されれば、色々と問題が出てくる。

 その辺は大丈夫だろうと、まあ考えすぎてもどうしようもないとマリーは考えた。

 

「それじゃあ、おやすみ」

「お休みなさい」

 

 マリーは挨拶をして、布団を被る。

 布団に入れば、すぐに寝てしまうマリーだったがなかなか寝付けなかった。

 彼女が大きく動くような動作音は聞こえなかった。

 

 

 ◇◆◆◆◇

 

 

「んっ」

 

 午前六時を少し過ぎ、マリーは目を覚ました。

 

「お早う……」

 

 部屋の主が起きたことに気付いた彼女が声を掛け、続けて

 

「きちんと眠れた?」

 

 心配そうな表情をして

 

「ええ」短く言葉を返し、金髪を撫でる。

 

「いつも通りよ」

「そう。よかった」

 

 ベッドから体を起こし、マリーは立ち上がった。

 

「着替えと朝食の準備をしてくるわ。出来たら呼ぶけど」

「え?」

「丸一日何も食べないつもり? 貴女<寝てもいないんでしょう?」

「……いいの?」

「別に一人分ぐらいなんて事ないわ」

「……それじゃあ、お言葉に甘えさせていただきます」

 

 

 朝食はパンとスクランブルエッグとベーコン、サラダ。飲み物はブラックコーヒー。

 二十畳のリビングキッチン。

 四角いテーブルにマリーと巫女は向かい合う形で座っていた。

 二人の間には半透明のスクリーンが、オートで今朝のニュースを文字と写真で流し続けている。

 

「あの、これ……」

 

 彼女は恐る恐る金髪の少女に尋ねる。

 

「何?」

「これは、何ですか?」

 

 彼女が指さしているのはコップ。

 

「コーヒーよ。そっちの世界ではないの?」

「はい、飲み物ですか? 何か泥水みたいな……ああ、いえ……」

 

 声が小さくなっていく。

 

「あの……お茶とか、ありませんか?」

 

 彼女は申し訳なさそうにマリーに尋ねた。

 

「今はないわね。お茶はほとんど飲まないの」

「……そうですか」

 

 巫女は肩を落とす。そして、まじまじとコップを見つめる。その様子をマリーはコーヒーを飲みながら眺めている。

 彼女はしばし睨みつけ、両手でコップを掴み、恐る恐る口をつけた。

 

「っ苦い」

 

 声を上げ、巫女は顔をしかめる。

 どこか子供っぽい表情にマリーはくすりと笑った。

 

「苦いのは苦手? ブラックが会わないんだったら、ミルクと砂糖を入れてあげるわよ」

「うぅ、お願いします」

 

 マリーは冷蔵庫からミルクを、戸棚から砂糖箱を、スプーンを二本取ってテーブルに戻る。

 

「これで、自分で調整して」

「ありがとう」

 

 コップの縁近くまでミルクを入れ、砂糖をスプーンで十杯ほど入れ、かき混ぜる。

 それでも彼女はこわごわと一口、ちびりと飲んだ。

 

「これなら、飲める」

「そう、良かった」

「平気なの? マリーは」

「ええ。甘い飲み物はあんまり飲まないの」

 

 

「これ、何のことだか分かる?」

 

 食べ終えた食器を食洗機に入れ終えたマリーに巫女が声を掛ける。

 タオルで手を拭き、マリーはスクリーンを見た。

 

「デジタルゲームのイベントみたいね」

「デジタルゲーム……」

「まぁ、知らないのも当然か……ちょっと待って、先にお茶を注文しとくわ」

「別に……無理しなくても……」

「大した額じゃないし、気にしないで」

 

 イヤリングからのウィンドウを呼び出し、お茶と炭酸飲料を注文した。到着時間は一時間ほどだ。

「私の知識も……までくらいだけど……ええっと」

 

 巫女の隣に座り、マリーはウィンドウを操作する。

 RPG、STG、SLG、ADV、PZLなど多種のゲームを、簡単に動画を見ながら説明する。

 その過程で、車や飛行機や種々のスポーツについても説明した。

 その間に注文した飲料が届く。

 初めての炭酸飲料に巫女は驚く彼女を見ながらマリーは話を続けた。

 

 

 時間はあっという間に過ぎ午前十時、二人はマリーの部屋で昨日の続きをする。

 十二時の昼食をはさんで二人の勉学は続き、午後七時の夕食を食べ終えた。

 八時前、マリーが先に風呂に入り、寝間着ではなくバスローブを体に巻き付ける。

 次いで、黒髪の巫女が入る。

 マリーは落ち着かない心を、時計を眺めながら静め――

 ゆっくりと部屋の扉が開いた。

 彼女もまたバスローブを体に巻いただけ。

 

「――――」

 

 彼女の声がどこか遠くから聞こえたように感じた。

 マリーは立ち上がり――

 そして、女二人の夜伽が始まった。

 

 

 ◇◆◆◆◇

 

 

「これで、痕跡は消えたわ」

 

 約束の零時まで後三十分、二人の体液が染み込んだ複製された布団とベッドがお札に吸い込まれるように消え、それはキッチンの換気扇の下で燃やされた。

 情交の証拠が消え、マリーは汗を流す為にシャワーを浴びに浴室に入った。

 シャワーの飛沫が、肌に纏わり付いた汗を、体液を流していく。

 マリーの視線は自然と自身の股間へと写る。

 そこには男性の生殖器はもうついてはいない。少女特有のなだらかな体の稜線が続くだけ――

 激しい情交の運動のせいで体がだるかった。

 シャワーの水音が響く中、マリーは情交のことを思い出す。

 モデルとも思える巫女の綺麗な体。

 肉感的な体。

 ほどよく膨らんだ胸。

 細い腰。

 そして――

 汗で肌に張り付く黒髪。

 彼女の顔。

 彼女の声。

 彼女の表情。

 濡れた瞳。

 濡れた声。

 彼女の表情。

 彼女の表情。

 彼女の表情。

 それが、マリーに一つの疑念を抱かせた。

 

 

 招きに着替えたマリーは部屋の扉を開ける。

 彼女は変わりなく座っている。背中を向けて――

 

「私はあの人の代わり?」

 

 聞いても自身が不快になるだけの問いかけをする。

 ストレートに、わかりづらく聞いてみる。

 彼女は何も言わない。

 微動だにしない。

 自分の考えが正しいのだとマリーは確信する。

 

「貴女にも都合が良かったのね」

 

 冷たい言い放つ。

 そういえば、マリーは思い返す。

 処女を散らした初めての男。

 ただ童貞を卒業したいが為だけに自分に近づいた。

 相手は誰でも良かった、と。

 マリーはベッドに腰掛ける。

 相手の表情は見えない。

 

「結局、私は……」

「そんな事はないわ」

 

 マリーの言葉を遮り、巫女は言った。

 

「ごめんなさい。こんな事今更言える立場じゃないけど……自分を粗末にしないで。いつか貴女の前に大事な……」

「迎えに来たわ」

 

 巫女の言葉を遮る声が、聞こえた。

 

 巫女とは反対の位置で空間が裂けて、八雲紫が立っていた。

 

「すべき事は……」

「大丈夫。いつでも戻れるわ」

 

 俯き、巫女が言葉を返し、八雲紫の方へと歩いて行く。

 

「……」

 

 巫女は小さく言葉を呟いたが、マリーにその声は届かなかった。

 裂け目に二人は消え、部屋にマリーだけが残った。

 

 

 マリーはベッドに横になり、目を閉じる。

 時計は零時を過ぎた。

 いつもの、寝る時刻。

 瞼を閉じる。

 クーラーの音が大きく聞こえる。

 微かに巫女の残り香が香る。

 抱き合ってもいないベッド。

 そこに身を埋め、マリーはただゆっくりと眠りを待った。

 

 

【挿絵表示】

 




NEXT EPISODE 【7月27日(2)】
二人の周りを無数の面が舞う。


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【7月27日(2)】

早苗のシーンを緑文字
妖夢のシーンを茶文字
アリスのシーンを青文字に変更してみた


【7月27日(2)】

 

 

 石室。

 冷たさを感じる岩盤の壁が色とりどりの小さき神霊の光で照らされている。

 部屋の中央。巫女と幼剣士の前に心霊に囲われた二人の人物。

 くせっけのある茶髪をした人物と、烏帽子を被った銀髪の人物。

 神霊は前者の人物を中心に集まっているようだった。

 後者の人物が二人の来訪者に気付き、

 

「太子様」

 

 と、神子に一歩近づき声を掛けた。

 

「――というわけです」

 

 神霊とのやりとりがちょうど終わったらしく――布都の目配せに呼応し、巫女と剣士を見た。

 

「これはこれは――」

「この神霊は、貴女の仕業?」

 

 柔らかな表情を見せる豊聡耳神子の言葉を遮り、赤白の巫女はきつい口調で問うた。

 

「神霊? ああこちら――」

 

 神子は周囲の神霊を、見渡す。

 物部布都は叩扉者の二人を黙ってみている。

 巫女に手で制された魂魄妖夢もまた、二人のやりとりを黙って聞いている。

 

「私のせい――でしょうね」

「一体、これから何をするつもり?」

「特にこれと言ったことは――門が閉まっていて出られなかったので――」

 

 神子は体を巫女の方に向ける。

 

「扉が封印されていたことは、分かりますか?」

「ええ……」

「そういうことです。だれが見かけませんでしたか?」

「……いいえ」巫女は短く返す。

「そうですか」神子は落胆する事なく、そう呟いた。

「それも気にはなるけど、まずは貴女の立場を確認したいわ――人か、それとも妖怪の味方か……」

 

 巫女の言葉に、神子は柔和な表情を崩す。

 

「私達は争いを望みません。それに大した力もありませんし……」

 

 続けようとした言葉を飲み込み、神子は再び話し出す。

 

「……随分と気を急いているご様子ですね……」

 

 妖夢は困惑気味に巫女と神子を交互に見る。彼女もまた、赤白巫女に対してそう感じていた。

 妖夢の背後で半霊がゆらゆらと揺れる。

 

「手が欲しければ、ご協力いたしますよ。まあ私は大した力はありませんが……」

 

 博霊の巫女はどう答えるのか、と妖夢は彼女を見つめる。巫女の後ろに立っている事と髪飾りがあるせいで、巫女の表情は瞳の部分しか見えない。

 

「私は少しばかり人より耳が良い、程度の特技しかありませんが、彼女は――」

「太子様」

 

 きつめの口調で、物部布都は豊聡耳神子の言葉を遮った。

 

「見ず知らずの者に、簡単に話すのは――」

「……わかりました。私の事なら、何でも話しましょう。その方が信用していただけるでしょうが……」

 

 一度言葉を切り、神子は言葉を再開する。

 

「それは道中でも、構わないのではないですか?」

「……わかったわ。一緒に来て頂戴」

 

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 アリスの暗い瞳が巫女を見つめる。表情はない。

 アリスが召還した六体の人形は、ランスを構え巫女に突進する。

 赤白少女は空中を右へ左へ、上へ下へと身を翻す。

 そして、アリスの白い手から青白い光弾が展開される。

 

「アリス、正気に戻って」

 

 博麗の巫女が叫ぶが、凍てついた瞳に変化はない。顔の表情にも変化はない。ただひたすらに巫女を攻撃する。

 

「あの子は、もっと獣のように吼えるかと思ったけど。違ったみたい」

 

 水橋パルスィの呟きに同意する者はいない。なぜなら、彼女の能力で、狂った者を見たことがないからだ。

 彼女は過去に人里に忍び込み、刃傷沙汰の騒動を引き起こした。

 口うるさく喚き散らす者。ただただ黙って凶器を振り下ろす者。この二つに分かれるが、共通するのは嫉妬した相手を屠ろうとする事だ。

 血塗れの凶状をケタケタと何度も眺めていたそうだが、博霊の巫女に見つかり調伏された。

 以降、パルスィは地下――地霊殿で暮らしている。

 ちなみに、相手を殺害し正気に戻った数少ない者達は牢獄に連れ込まれるか、自尽している。パルスィの術に掛かった者はこの暗い縦穴同様、暗く深い所まで堕ちていくのだった。

 青弾をかわし、アリスに呼び掛けるが、変化はない。

 赤白の巫女は周囲を見回し、気付く。

 結界が張られていない。

 四体の地下の妖怪は、ただただ遠くでこちら様子を伺っている。

 姿が見えない妖怪は相変わらず居場所がわからない。

 

「とりあえずは……」

 

 独り言のように呟いた巫女は、後ろに飛び人形を躱す。

 眼だけを動かし相手の位置を確認すると、顕現させた護符を水橋パルスィに向かって投げた。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 少女が撫子色の髪を揺らし、顔を上げた。髪の色より赤みがかった大きな瞳が二人の巫女をじっと見つめる。

 

「霊夢さん、知っている人ですか?」

「たしか……祭りの時に踊っていたような……」

 

 黒髪の巫女は顔をしかめ、記憶を探る。

 スカートを、髪をなびかせ、少女の体がふわりと宙に浮いた。少女の周りに浮かぶ面が揺れ動く。

 

「――を返せぇ」

 

 少女の声が二人の巫女に届いた。

 

「返せだって。あんた、あの子の信仰、くすねたの?」

「そんなことしていません。私、あの子には始めて出会うんです。山でも見かけませんでしたし……」

 

 少女が巫女の方へと近づいていく。

 

「面を返せぇ」

 

 呟く少女の声。次第にはっきりと二人の耳に届いた。

 

「面って、あの子に周りに漂っている? あれって、能で使う面でしょうか?」

「ああっ、それよ。能楽ってやつ。あの子は付喪神――面霊気だったかしら、確か」

「面を返せぇー」

 

 空中にオレンジ色の半透明の結界が展開された。

 

「え?」

「どうやら、相手はやる気みたいね」

 

 少女の背後から無数の面が飛び出した。どこに隠れていたのか、その数は十を軽く越える。

 鈴蘭スカートの少女、青白の巫女らを加工用に面が飛び交った。

 ブウンッと虫の羽音のような音を響かせ、浮遊する面が左右に振動した。その振動で面は青緑色と橙色の二色の面に分裂した。

 少女の周りには五つの青緑の面が、彼女を守るようにぐるぐると少女の周りを浮遊していた。

 

「早苗、能で使う面の数は知ってる?」

「いいえ、でもこの数だと五十はあるんじゃないですか?」

 

 早苗は少女との間合い取るため宙を蹴り、彼女に向かって護符を投げた。

 

 一つの青緑の面が少女をかばうように護符の前に移動する。

 護符は音もなく、その面に吸い込まれていった。

 

「え?」

「早苗」

 

 黒髪の巫女が早苗の襟首をぐいっと掴み、自分の方に引き寄せた。

 次の瞬間、早苗がいた場所に先ほど投げた護符が空を切って通っていった。

 

「橙色の面から出てきたわよ、あんたの護符」

 

 黒髪を揺らし、空中に舞う一枚の橙の面に向かって護符を放つ。面に護符が当たる直前に面の色が変わる。

 橙から青緑に――

 早苗の前方にあった青緑の面が色を変え、護符が飛び出した。色が変化した面の形は同じだった。

 

「どうやら同時に、絵合わせをしないといけないみたいね」

 

 ゆらゆらと揺れる面の中で少女の両手が光る。その青白い光が扇子を形作り、二人の巫女に向かって投げた。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 

 神霊と別れを告げ、博霊の巫女、豊聡耳神子と物部布都、魂魄妖夢の四人は地上に向かっていた。

 霍青娥と言う仙人から道教、そして錬丹術を学び、体を壊した事。

 尸解仙となる事を決め、実験台となった物部布都。そして自らもまた――

 布都は不思議そうに妖夢の半霊を見て、神子の説明を聞いていた。

 仏教と道教の対立。

 その騒動の中で彼女達はほとぼりが冷めるのを待つまで、仙人によってこの地に封印されたという。

 いつか再び、目覚める事を信じて。

 封印が半ば解かれた理由について、巫女は調べる方法があると言った。しかし、今すぐには出来ないとも言った。

 

 

 上へと続く縦穴を登り切り、古びたお堂に戻った。

 そして、陽光が照らすお堂の外へと出る。

 豊聡耳神子と物部布都は久方の地上に青い空を見上げた。

 

「一体どれだけの時間が経ったのでしょうか? 今は船が空を飛ぶ時代に――」

 

 布都の言葉が途中で途切れる。

 布都のいう船は西の空に浮かんでいた。

 布都以外の三人も空飛ぶ船を見ている。

 

「あれが貴女の感じているモノ、ですか?」

 

 神子は神妙な面持ちで、隣に立っている巫女に聞いた。

 巫女は答えない。

 黙ってそれを見ている。

 妖夢もまた巫女の答えを、黙って待っている。

 

「お――」

 

 巫女が口を開けたとき、それが始まった。

 空飛ぶ船が光り――

 オレンジ色の閃光が北の方角に迸った。

 

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 

 ひょいっと身を翻しパルスィは巫女の攻撃を避けた。

 次弾はこない。

 少し間を開けて、再び護符が狙いをつけて飛んでくる。

 赤白巫女は人形遣いへの説得を諦め、パルスィを狙う。

 嫉妬に狂う少女の攻撃もあってか、緑眼の少女への攻撃は多くはない。

 

「そうやって、私を狙ってもさぁ、無駄なんだよねぇ」

 

 少しずつではあるが距離を詰める博霊の巫女に対し、水橋パルスィは笑みを浮かべて言う。

 

「あれの感情はもう一人歩きしているの。私を倒したところで何も変わらないわよ」

「あんなモノは児戯に等しいわ。本気で私を倒すなら全員出来たら」

 

 巫女は身を翻しながら言葉を返し、パルスィとさとりに向け護符を放つ。

 

「ああ言ってるけど、どうする?」

「構わないんじゃない。本人がそう言っているだから」

 

 ひょいっと巫女の攻撃をかわし、

 

「こいし、ちゃんと安全なところに避難しなさいよ」

 

 事もなげにさとりは言う。

「は~い」と、どこからともなく声が聞こえた。

 

 さとりは霊烏路空に後ろに逃げ、パルスィと黒谷ヤマメが身を乗り出す。

 

「空、貴女はもう少し待って」

 

 ぽんと空の頭に手を乗せ、古明地さとりが言った。

 

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 

 空に浮かぶ大型船から光が放たれた。数秒遅れで巫女、妖夢、神子、布都の四人に爆発音と大地を揺るがす振動が伝わった。

 

「なっ」

 

 妖夢が驚きの声を上げた。

 

「あれに対し、私達はどう動きます?」

 

 神子は冷静に巫女に問う。

 

「こんなに早い……なんてね」

 

 博霊の巫女は忌々しげに呟く。

 

「妖夢、あんたは――に。もし駄目なら――」

 

 巫女は早口で幼剣士に要件を伝え、睨みつけるように船を見た。

 

「あの方向は……たぶん紅魔館ね。すぐに堕ちるとは思えないけど……あんた達は私についてきて」

「この四人であの船に殴りかかった方が早くないですか?」

 

 不満げに物部布都が提案する。

 

「貴女が彼女に頼んだのは、恐らく保険、でしょう? まずはあれを止めて見て、出来なければ、この子にそれをしてもらっても遅くはないのではないですか?」

「今向こうにどれだけの戦力があるのかわからない。下手をすると貴女達二人が死ぬかもしれないわ。誰かが死ぬのは出来るだけ避けたいのよ」

「攻撃は最大の防御、とか孫子に書かれていませんでしたっけ?」布都が言う。

「あの攻撃は里の方にも届くはず。でも、今あそこを守れる人はいないの」

 

 すぐさま巫女が言い返す。

 

「今はとにかく守備を整えないと――」

「それは他に頼れる当てはあるのですね?」神子が言葉を待たずに言った。

「ええ。こんな大規模でなければ、私一人でも何とかなるけど。たぶん私一人では勝てない。ここにいる四人がかりでもね」

「わかりました。私も布都も貴女の指示に従いましょう」

 

 再び船から発生したオレンジ色の光が北へと向かった。

 

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 紅美鈴は畑の作物に水をやり、それを終えると紅魔館の門の前で仕事をする。

 門番という仕事は、ほとんどあってないようだった。来訪者はほとんどないからだ。

 この日も、のんびりと門柱に背中を預け時間が過ぎるのを待っていた。

 ――と、美鈴は霧の遙か先で大きな気が膨れあがっているのを感じた。

 それは美鈴にとって初めて感じる強力な気。

 

「念の為っと……」

 

 体を起こし、数歩前へと歩く。

 美鈴は祈りつつ、正面――魔法の森の方向――に構えをとり、右腕に気を集中させる。

 手の甲を前にし、胸を守るように右腕を出した。

 そして――

 数秒後、それは起こった。

 赤みがかった黄色い光が白い霧を一瞬で左右に切り裂いて、紅魔館に迫った。

 美鈴の正面ではない。一メートルほど右にずれている。

 地を蹴り、光の正面に立ち、その光は美鈴を直撃した。

 重い衝撃で体が揺れ、仰け反りそうになるのを我慢する。

 仰け反れば、自身を巻き込み、紅魔館に直撃する。

 右拳に力を入れ、さらに左手を右拳に添え前方に一気に押しやる。

 美鈴はこれらの動作を一瞬で行った。

 力は受け流す。拳をぶつける武術であれば、相手の力を利用する事もあるが――

 美鈴の防御によって光の放流は、角度を変えて門塀と庭園の一部を抉り取って北西の方へと流れていった。

 

「まずいなぁ」

 

 呻く。

 かなり被害が出てしまった。

 光刃の屈折の程度は四十度くらいだろか。

 角度が緩やかな方が体の負担は少ない。

 重い衝撃は体に響く。腕が、踏ん張っていた足が少し痛い。

 何より痛いのは紅魔館の一部が瓦礫と化したことだ。

 レミリアお嬢様に怒られたな――

 そう思いつつ、被害を減らすための次の行動を考える。

 狙いはおそらく紅魔館――

 視界の先にはえぐれた地面と空飛ぶ船。噴煙が舞う。

 攻撃はあの船からだろうと推測する。

 美鈴には見覚えのない船。

 距離があり、こちらからの攻撃は届かないだろう。

 砲撃手を倒しに行く事はできそうにない。

 第二波はすぐに発射されるのか、それとも数分先か――

 それに建物に被害を出さないようにするにはもう少し角度をつけるか、角度を緩めるために前進しないといけない。

 美鈴は門から離れ、船の方へと地を蹴った。

 先ほどの砲撃から、およそ一分。

 船が一瞬光り、紅魔館を狙ってオレンジ色のエネルギー波が放たれ――美鈴はすぐさま身構えた。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 四方八方から飛び交う光弾を博霊の巫女は躱す――が、遠くで音が聞こえた――ような気がした。

 一瞬、巫女の意識が反れ――人形に肉薄される。

 左乳房上に人形が構えるランスが突き刺さった。

 

「痛ッ」

 

 巫女は呻き、右手で人形の頭を掴むと、あさっての方向に放り投げる。

 人形はランスを持ったままクルクルと回り、ピタッと空中で止まった。

 光弾が服をかすめる。

 動きが鈍ったところを間髪入れず空の白光が狙う。

 巫女の動きが鈍ったところを狙い、地獄鴉の右腕の制御棒が火を噴いた。

 白き刃を裂けるため強引に体をひねる。

 

「――――――」

 

 声なき悲鳴。

 

「やった。当たった」

 

 空が嬉しそうに言った。

 白光に巫女の右腕と右足が消し飛んでいた。

 博霊の巫女の顔は激痛で歪んでいる。

 左手で、なくなった右腕の付け根の近くを抑えていた。

 

「口ほどにもないわね」

 

 冷めた口調でさとりが呟いていると、

 

「あ、ああ……」

 

 人形遣いの呻き声。

 アリスの体が固まり、魔道書を持った手で頭を抑え、戦慄いている。

 

「まずいかも…………とも……トラウマかしら?」

 

 人形遣いの様子を見、攻撃の手を止めた水橋パルスィに小さく呟く。

 

「何?」パルスィは攻撃の手を止め、さとりに近づく。

「数える度しかないんだけどね。相手を滅多刺しにしたり、×××を切り取ったりした奴の中に、あんな風になって正気に戻ったのよ」

 

 金髪の人形遣いの様子に疑問を感じたさとりがパルスィの頭の中を覗き見るより早く、彼女が答える。

 

「それって自分のした事が刺激的だったてこと?」

「致命傷を負わせて、嫉妬の気持ちが緩むんだと思うんだけど……」

「……しかし、読めないわね。あの子の中……ノイズだらけ……」

「ああなるとしばらくすると正気に戻るわ……こんな事滅多にないのに……」

 

 二人の妖怪が話している間に、

 

「あああ……ぅああ……ああああ……」

 

 アリスの呻き声は大きくなり、人形達が主の元に集まっていく。

 

「何か……読まれているみたい……あらかじめこうなっても、大丈夫なように何か仕込まれて……」

「……どういう事?」

「あの巫女の様子がね……」

 

 見れば、博霊の巫女は蜘蛛の光弾を躱しながら、再び人形遣いに呼び掛けている。

 ただそれだけ。

 さとりにはただ必死に呼び掛けているだけにしか見えない。

 さとりはペットに命令する。

 

「空、あの女を撃ちなさい」

「え? でも……」

「いいから。もうすぐあの女からパルスィの呪縛が解けるわ。もう囮に使うだけよ」

「うん」

 

 主人に言われるがまま、空は右腕をアリスの向け――制御棒が火を噴いた。

 

 

 

 秦こころ――面を操る能力

 66枚の面を持つ。こころの感情・意志にあわせて面が動く。自動で動く事も可能。

 最大で150枚の面を同時に操る。

 

 豊聡耳神子――数十人の話を同時に聞くことが出来るの能力

 遠くの音も聞く事が出来る。




NEXT EPISODE 魔理沙の見た夢
ZZZ……


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【魔理沙の見た夢】

 

 

「行ってきま-す」

 

 私は両親に挨拶し、玄関へと走る。

 ワンピースの上に撥水性の高い葉で造られた上着をはおり、木製の扉を開ける。

 外は雨が降っていた。

 ここ最近ずっと雨が降り続いている。

 土砂降りというわけでもなく、小雨というわけでもなく、その中間といった感じだ。

 私は空を見上げる。

 灰色の城壁に灰色の空。二つの境界は曖昧だ。

 この町には城壁が二つある。上から見れば、二重丸の形になっている。

 今私がいる場所が二つの城壁に囲われた住居エリア。

 円の中心エリアはこの町の偉い人の住みかと、町の大人達が仕事をする場所になる。両親も仕事のために、ここに向かう。

 私が遊びに出かけた後、両親は城壁内へと向かう。

 今日は私が寝坊してしまったので、両親もすぐに仕事に向かうだろう。

 雨粒が目の近くに当たり、顔をもどす。

 止まない雨。

 そのせいか最近、大人達は荒神様がお怒りになっているのではないかと噂をしていた。

 荒神。

 かつては神と呼ばれていたらしいが……

 この町以外は荒神の逆鱗に触れ、滅んでしまったと言われている。その為、大きな変化が起きないよう、淡々と代わり映えのない毎日を人々は送っている。

 私の生活も大した変化はない。中心を挟んで家の反対側にある図書館に行くか、借りた本を家で読むかの二択。

 しかし、寝坊したときは違う。

 私は彼女に会いに行く。

 地面には茶色い水溜まりがあちこちにでき、雨粒が波紋を立てている。

 震える水池を避けながら歩いて行くと、彼女の姿を見つけた。

 彼女はいつも――といっても数回程度しか会っていない――のように傷だらけの木製の荷車を押している。

 ほとんどいつも通りの姿。違うのは私と同じ雨具を着用している事だ。

 私と年と身長もそう変わらない少女。

 

「おーい」と私は声をかける。

 その声に彼女は立ち止まり、「……何、また来たの」と、いつものように無愛想に言うと思っていたのだが、彼女は無言でこちらをちらりと見るだけだった。

 相変わらずの少し冷ややかな視線を気にせず、彼女に近づくのだが、少し様子が違う。

 

「? どうしたんだ?」と私は聞いた。いつもと違い、少し猫背気味だ。

 

「別に……」

 

 素っ気なく小さく呟いた彼女の顔を覗き込む。

 吐く息がどこか熱っぽい。

 綺麗な顔がどこかくすんで見える。

 

「体調が悪いのか? 今日は休んだ方が良いんじゃないか?」

「そんな事は出来ない」

 

 きっぱりと彼女は言う。

 

「仕事はきちんとしないと――」

「そりゃあ、そうなんだろうけどさぁ……」

 

 私の言葉を聞かず、少女は町の外へと通じる門の方へとゆっくりと歩いて行く。遅れて、私も彼女に付いて歩く。

 荷車の上にのった三つの蓋付きの桶がカタカタと揺れる。

 本来、子供が仕事――働く事はない。代わりに子供の両親が働いている。それがこの町の義務である。

 大人達は働き、その対価としてこの町を収めている者から、生活のための食事を、食材をもらう。

 しかし、例外として親のいない子供は働かないといけない。

 彼女はその一人だった――といっても彼女以外働いている子供を見た事がない。

 鈍く力ない足取りで彼女は歩いて行く。

 閉じられたところを見た事がない大きな門戸を抜け、塀の外に出る。

 外はのっぺりとした大地が続く。

 門は東西南北に各一カ所にあり、私達が通ったのは東の門になる。

 ここから彼女は反時計回りの北東、北西、南西、南東の順に四カ所に置かれた邪神の像の供物を新しい物に交換していく。

 城壁の外のすぐ側にある小さな建物を見て、ふと思いつく。

 彼女から離れ、足早にそこに向かう。

 それは、この門番の為の休憩小屋だった。今はもう使われていない。必要がなくなったからだ。

 入り口のドアノブを捻る。難なく回りドアが開いた。

 私は部屋の中をのぞき込み、そして「おーい、こっちこっち」と少女を手招きした。

 荷車を引きつつ、少女は気怠げに私の元へ歩いてきた。

 

「……何なの……」

「ほら、中を見てみな。綺麗だろう」

 

 少女の小さい手を引っ張り、中へと入る。

 薄暗い部屋の中は狭いが、綺麗だった。埃っぽさはほとんどない。小さなテーブルと椅子、そして簡素な木製ベッドが一台。あるのはそれだけだった。奥に扉が一つあるが、恐らくトイレだろう。

 

「お前はここでしばらく休んでろ。仕事は私が代わりにやっといてやるからさ」

「そんな事できないわ」

「あれの供物を交換するだけだろ。やり方は私も知ってるんだし、誰がやってもいいだろ」

「ダメ」

 

 彼女は私を手で制し、先に外に出ようとした――が、平らな木床で少女は足をもつれさせ 派手に転んだ。

 

「うぅ」

「ほら見ろ。そんなんじゃあ、途中で倒れるぞ」

 

 手を貸し、彼女を起こす。顔を見ると目に涙を溜めている。

 

「……でも……」

「古いワインとパンの交換。コップと皿は洗う事。それだけだろう」

「……うん……」

 

 私は彼女の雨具を脱がし、椅子にかける。色あせたボロボロのワンピースが露わになった。

 彼女をベッドに腰掛けさせ、少女の痛んだ長靴を脱がす。

 

「終わったら、ここに戻ってくるから。それまでここで休んでろよ」

 

 ベッドに寝かしつけ、そう言うと彼女は小さくこくりと頷いた。

 静かに扉を閉め、外に出る。

 ぬかるんだ地面に足を取られつつも、私は荷車を引く。

 しばらく歩き、北東の像の元にたどり着いた。

 女性とも少女とも邪像の姿。

 その像の足元近くには供物台がある。風雨を避けるため屋根付きの小さな囲いで覆われている。

 私はその観音扉を開ける。中には石造りの供物台とその上にお酒の入った酒器、小さなパンを乗せた小皿が置いてある。

 酒器とパンを取り、空の桶にそれを入れる。続いて、水と小さな柄杓の入った桶で、酒器と小皿を洗う。

 三つ目の桶から布切れを取り、水気を拭き取り酒瓶からお酒を、麻袋に入ったパンをそれぞれ献上し、最後に扉を閉める。

 これで終わり。残りは三カ所。

 私は城壁に沿って歩き、北西の像にたどり着き、また城壁に沿って南西の像のところまで歩いて行く。

 途中風が強くなり、頭を覆うフードがまくれ上がる。

 濡れた髪が頬に張り付く。フードをなおし、私は目的の場所に向かって歩く。

 それから私は数時間――多分、彼女の時とそう変わらない――かけて、東の門へとたどり着いた。

 特に何のトラブルもなかった。

 洗浄用の水が少なくなった事、お酒がなくなった事もあり、荷車を引くのも最初に比べて楽になっていた。

 

「終わったぜ」

 

 そう言って私は、休憩小屋の扉を開けた。返事がない。見ると彼女は寝ていた。

 

「おい、もう終わったぜ。帰ろう」

 

 少女の体を揺り動かす。

 

「ぅ……ごめんなさい」

 

 重い瞼を上げ、少女は言った。

 

「別に気にする事はないさ。これを返しに行ったら休めるんだろう?」

「……うん」

 

 体を起こし、少女は頷いた。

 雨具を着、二人で外に出る。

 

「あの……何か変わった事はなかった?」

 

 少女は軽くなった荷車を押しながら私に聞いた。

 

「いいや。いつもと変わらなかったよ」

「……そう」

「しかし、なんでこんな事毎日しなきゃあいけないんだろうなぁ」

「……多分悪い事が起こらないように……だと思う」

「悪い事ねぇ……」

「皆、あの人が怖いのかも……」

「そんなもんなのかなぁ……」

 

 話をしていると、彼女の家の近くまで来ていた。

 

「あの……ここで別れましょう」

「ああ、そうだな。気をつけてな」

「うん。今日はありがとう」

 

 私はそこで彼女と別れ、もうあまり時間もないが図書館へと向かった。

 青髪の女性――図書館長に挨拶を返し、中に入る。

 いつものように白髪の少年と茶髪の少女、紫髪の少女が本を読んでいた。

 挨拶と少しのおしゃべりをする。

 遅れてきた理由、彼女の事――体調が悪い事は隠して――などを話し、その日はほとんど本を読む事なく家に帰った。

 

 

 人のいない、降り続く雨の中、私は家に帰った。

 両親はまだ帰ってきてはいない。

 しばらく図書館で借りている本を読んでいると母が帰ってきた。

 私はお帰り、と挨拶をする。

 母は配給されたパンを切る分けるために台所に向かう。

 私は棚から皿を出していると、父が鍋を持って戻ってきた。

 

「今日はお前が好きなキノコシチューだ」

「おおー」

 

 私は感嘆の声を上げたが、「今日はずいぶんと賑やかでしたね」と、母が言い、「なんでも、背反行為があったらしい……」と、父が返した。

 

 その言葉にドキリとする。

 

「それって、誰の事?」

「そこまではわからないよ。直接は見ていないし……人だかりができていたしなぁ」

 

 胸騒ぎがした。

 

「私、見てくる」

 

 親が止める声を背後に聞きながら、雨着をつけず外へ出る。

 場所は分かる。二重円の中心だ。

 家の近く――南東の門へと一直線に走る。

 雨脚が強くなっている気がする。

 踏みつけた水溜まりから泥水が跳ねた。

 

 

 城門の前で人だかりができていた。こんなに大勢の人を見たのは初めてかもしれない。

 

「誰がやった? 隠しても為にならんぞ」

 

 喧囂な声の中、その声だけがいやに響いた。

 

「――――」

 

 少女の声が微かに聞こえた。

 

「私がやった。私が代わりにやったんだ」

 

 そう言いながら、群集の中をかき分けて進む――と、誰かに腕を掴まれた。

 

「こいつだ」

 

 そう言い、一人の男が私を前へと引っ張った。

 開けた場所に出る。

 少女を中心に人が退いている。

 少女の近くに一人の男が立っていた。父とそう変わらない歳のように見える。

 

「どうして――」

 

 彼女は私を見て、戦慄く。

 少女は泥濘に膝をつけていた。雨着は破れ、服も顔も泥で汚れていた。

 泥まみれのパンとひっくり返った鍋、ぶちまけられた中身が茶色の地面を白く染めている。

 

「そのガキだ。髪の色が同じだ」

 

 少女の側に立っていた男が、私を睨みつけてそう言った。

 

「一瞬だったが、間違いない」

 

 フードが脱げたところを見られたのだろうか?

 あの時の周囲に人の姿はなかった。

 だとするなら、城壁の上から見たのだろうか?

 

「離せ。別に私がやっても変わらないだろ」

 

 掴んでいる腕をぎゅうっとつねる。男が悲鳴を上げ、私は解放される。

 

「誰がやっても一緒だろ。大人だって子供の分の仕事を代わりにしているんだろ」

「それと一緒と言う話しじゃない。アレは特別なしきたりだ」

 

 呪詛めいたぼそぼそとした声。

 取り囲む大人達の視線が痛い。

 

「私が彼女に頼みました。だから、その子に酷い事しないで」

 

 少女が悲痛な声で言った。

 

「そんな事はしないさ。正直に話せばな」

 

 男が少女に向き直り、言う。

 

「いつからだ」

「……えっ」

 

 意外な事を聞かれ、少女は当惑した声を漏らす。

 

「いつから、彼女にやらせたんだ」

「そんな事……今日だけです」

「嘘をつけ。ならどうしてこんなに雨が続いている。これほど長く降り続いく雨は今まで、いや何百年も起こってはいないんだぞ」

 

 男は怒鳴った。

 

「そんな事……分かりません。私はただ……」

「私が代わりにやったのは、今日だけだ」と、私は少女への糾弾を止めるように言う。

「お前には聞いていない」と、男は私を睨み返す。

「本当の事を言え」

「あぐっ」

 

 少女の背中を男が踏みつけ、彼女は悲鳴を上げる。

 

「いつからこんな事を始めた? 正直に答えろ」

「やめろ」

 

 男の問い詰めに、私は叫ぶ。

 どうして、こうなった?

 私が悪いのか?

 私が代わりにやらなければ、彼女は途中で倒れていたかもしれない。

 私は悪くない。

 なら、大人が悪いのか?

 邪神に怯える大人が悪いのか?

 いや、邪神が悪いのか?

 それとも、邪神が存在するこの”世界”が悪いのか?

 

「答え――」

 

 ――と、男の声を遮るように眩い閃光と共に雷が落ちた。

 そして、雷鳴が雨音に混じって響く。

 霹靂は一つだけではない。

 雷は次々と町のあちこちに落ちる。

 火の手が上がる。

 近くの民家に落ちたようだった。

 雷鳴は続く。

 遠くで、人に落ちたという声も聞こえた。

 周囲の大人達が逃げ惑う。

 

「おい、逃げるぞ」

 

 私は倒れている少女に向かって叫ぶ。

 逃げるってどこに?

 この町、この”世界”のどこに逃場が存在するのか。

 そんな思考が一瞬頭をよぎる。

 私は彼女の元へ駆け寄る――が、人の波に左肩を強く押され、私は泥濘に尻もちをついた。

 泥水の冷たさにお尻がやりとする――が、その冷たさよりも人の下敷きになるのを恐れ、私は手で頭を覆い縮こまる。

 この雷は邪神によるものなのか?

「痛っ」脇腹に衝撃が走った。続いて、背中に衝撃。誰かが私に躓いてこけたようだった。

 その痛みと泥水の冷たさに耐え、縮み上がる。

 大人達の喧騒と泥濘を叩く足音は止まない。

 その中に彼女の悲鳴が聞こえた気がした。

 やがて、人の声、湿った足音が遠ざかり――周りに人がいなくなったのを確認し、痛みを堪え、立ち上がる。

 町のあちこちで火の手が上がり、灰色の世界を赤く、黒く染めている。

 悲鳴があちこちで聞こえた。

 

「――大丈夫か?」

 

 私は彼女を探す――必要がないほどに近くに少女はいた。

 手を伸ばせば届きそうなほど近くに。

 まるで床に転がった操り人形のようだった。

 仰向けに倒れた体。

 あちこちが泥で汚れ、投げだされた手足が異様な方向に曲がっている。

 彼女は既に事切れていた。

 動かない瞼。

 鼻からは緋色の筋が流れ、彼女の顔を少しばかり浸している泥水が着色していた。

 

「……なんで……どうして……」

 

 体から力が抜け、膝が折れる。

 町は燃えている。

 立ち上る炎は天から降り注ぐ雨で消火されることもなく、燃え続ける。

 

「――――――――――」

 

 私は叫んだ。

 

 

 ◇◇◇◇◇

 

 

 悲鳴を上げ、霧雨魔理沙は体を起こした。

 見覚えのない部屋。

 そこは自宅の寝室ではなく、永遠亭の一室だった。




NEXT EPISODE 【7月27日(3)】
オレンジ色の巨大なレーザーが地を削り人里をかすめていった。


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【7月27日(3)】

【7月27日(3)】

 

 

「……そろそろ始めるか」

 

 幻想郷の空に浮かぶ大型船――聖輦船は幻想郷中心の位置する魔法の森のほぼ中心で停止した。船首は三時方向、人里および博麗神社の方を向いている。甲板には三人の人影があった。

 

「まずは、厄介そうな能力のいる紅魔館かしら」

「まあ、そうだね」

 

 聖輦船の舵取り役――村紗水蜜の問いかけに、寅丸星が応えた。

 ナズーリンは聖輦船の小縁に凭れ、興味なさげにぼんやりと二人の様子を眺めていた。二人がこれから行う事に関心がなかった。

 こんな馬鹿な復讐劇など止めて、さっさと、魔界のゲートを開き、聖白蓮を助けに生きたかった。しかし、二人はそれよりも、人間に対する復讐が先だと言った。

 無理もない――

 千年前、人と妖怪のバランスが崩れて行く最中、聖は人と妖怪の平等を訴えた。それが、里の人間の逆鱗に触れ、迫害を受ける。そして、里を追い出され、里の側にあった朽ちたお堂で暮らし始めた。このまま、何もなければ良かったのだが、そうはならなかった。

 里の人間は聖がいつか里を襲うのではないかと考え始め、当時妖怪退治も行っていた博麗神社に聖の退治を要請した。一介の僧侶にしかすぎない彼女を退治する訳にもいかず、彼女の住むお堂で話し合いの場が持たれた。

 その場にいたのは聖と妖怪四人、博麗の神主と巫女、三名の里人。話し合いは平行線。

 そこに妖怪に家族を殺された親族が乱入し、聖をかばった村紗水蜜の胸に鉈が突き刺さった。反撃したのは寅丸星だった。星の矛が襲撃者の胸を貫き、死亡した。

 血塗れのお堂は最早話し合いの場ではなくなった。三名の里人が聖に襲いかかる。

 もしかしたら、聖白蓮が女性だったことも影響していたのかもしれない。聖は抵抗せず、ただ訴える。彼女の服に手がかかり、神主、巫女が止めるよりも早く寅丸星が動いた。矛が更に三人の血で染まる。鮮血シャワーを間近で見、卒倒する一輪。星は聖の制止の声を聞かず、神主と巫女に襲いかかる。悲鳴を聞き、駆けつけ人が集まった。

 胸から血を流す村紗水蜜。

 血塗れの矛を持つ寅丸星。

 間近で血を浴びた聖白蓮。

 床に転がった四つの亡骸。

 もはや後には引けないと悟った聖は戦う事を余儀なくされる。

 しかし、ナズーリンら四人に比べ、戦い慣れしていない(ナズーリンもどちかかとういと戦いは苦手。ダウジングロッドしか持ってない)聖は魔力の消耗は激しい。

 数時間の戦闘の末、白蓮は魔界へのゲートを開き、魔力の補充をしようとするも、魔界側にその身を押され、そのまま博麗神主によって門を封じ込められてしまった。

 聖白蓮が魔界に封じられた後は呆気なく、四人は調伏される。

 その後、その時負った傷のせいなのか、博麗神社の神主が亡くなった。

 敗走後の数年、村紗水蜜は凶器に塗られていた毒に苦しめられる。人よりも強靱な肉体であっても、だ。彼女の傷痕もすぐに消えなかった。

 一輪は何も言わず、姿を消した。

 ナズーリンはお堂から離れ水蜜の看病をし、星は報復の為、たびたび博麗神社に単身乗り込んでいた。

 しかし、毎度敗北を喫していたそうだ。

 寅丸は傷を癒やす為、あるいは聖白蓮が戻ってきたときの為に現在のお堂に住んでいる。

 村紗水蜜の傷が治り、聖白蓮を中心に集まった四人はバラバラになった。

 嘆息し、ナズーリンは霧の湖の方を見る。そこにある紅魔館。

 巷にばら撒かれた新聞に、あの館に住むメイドの能力が書かれていた。

 十六夜咲夜。時を止める能力。

 紅魔館の主人である吸血鬼――レミリア・スカーレット。運命を操る能力。漠然とした不明瞭な能力だ。

 聖輦船のメイン武器――宝塔のレーザー砲は連続では撃てない。

 聖輦船を無力化するとしたら、チャージ時間に攻め込まれる、あるいは四方八方から同時に攻められる事だ。船の乗組員は数名いるので、多少は対処できるが――

 止められた時間の仲では誰もが無力。そのメイドを赤白の巫女が打ち負かしたのだから、恐らくは止められる時間はそう長くはない。

 つまりは遠距離攻撃が有効だという事――誰にでも当てはまりそうだが、また主人の吸血鬼は昼間の行動がかなり限定される。

 里及び博麗神社を襲い、その間にメイドに攻め込まれる。

 それを避けたいのが、紅魔館を先に潰す理由らしい。

 本命は博麗神社、博麗の巫女だ。ついでに言えば、聖白蓮を迫害した里の人間共も、だ。人と妖怪の平等を歌った途端に掌を返した人間達。そう水蜜と星は考えている。

 白蓮が知ったら、憤激するだろうが。

 

「怒られても、私は知らないから……」

 

 ナズーリンは小さく呟く――と、「ちゅうちゅうっ」

 鼠が鳴く声が背後から聞こえる。

 見ると、尻尾の籠の中にいる子が、面を囓っていた。

 

「こらっ、そのお面は後で返すんだから、囓ったらダメでしょっ!」

 

 ナズーリンは小さな声で、子鼠を叱る。

 

「っちゅぅぅ」と小さな声が返ってきた。

 言ったものの――と、ナズーリンは考える。

 果たして、本当に返却可能なのだろうか?

 あの町は無くなるのではないか?

 ――と、船首から数メートル後方にある宝塔台座が火を噴いた。

 眩い閃光が紅魔館を襲う。

 

「私は知~らないっと」

 

 何処吹く風といった調子でナズーリンは囁き、船内に入っていった。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 防御結界が、十度目の熱衝撃波を弾く。

 美鈴は額の汗を拭う。

 空船の初撃以降、紅魔館への被害はほとんどない――が、周囲の地面はかなりえぐれ、先刻までとの景色はかなり異なっていた。

 美鈴の前に広がる風景。

 消し飛んだ白霧。半身が消し飛んだ木々と燻る煙。普段はここから見る事ができない霧の湖の漣。堂々と空に佇む船。

 

「全く、肝心の霊夢さんは何をしているんだか……」

 

 美鈴は事も無げに愚痴る。

 異変を解決することが博麗の巫女の仕事。役割。そう周知されている。

 しかし、それは人に対して、だけなのかもしれない。

 美鈴の主人――レミリア・スカーレットの起こした異変に対して、彼女はすぐに紅魔館を訪れることはなかった。紅霧は大きく拡散してからだった。

 あのときの出来事で恨みを持つ仕業なのだろうか、と門番は考える。

 一人でこの状況を打破する事はできない。ただただ、主人の館を守るのみ――

 

「あと何発耐えられるか……」

 

 再び構えようとしたところ、「美鈴」と、 背中から自分を呼ぶメイドの声が聞こえた。顔を動かさず、視線だけで彼女の姿を確認する。

 

「地下へ逃げるわよ」

 

 ぐいっと、手を引っ張った。強引に引っ張る感じではない。合図といった感じ。

「ですけど……」と、門番は動かず否定しようとする。

 

「少し見ていたけれど、貴女一人で守り切れるものじゃないでしょう?」

「……」

「反撃しようにも距離が遠すぎるでしょ? お嬢様は陽が昇っている間は、多くの事はできないでしょうし……私は貴女のような事はできないし、私が打って出てもいいのだけれど……」

「それは……」

 

 美鈴は振り返り、咲夜の顔を見る。その表情は真剣。美鈴は視線を落とし、再びメイドの顔を見た。

 

「霊夢は一体何をしているのでしょうね? 別に誰かを相手にしているのか、それとも……随分と宣伝されているようだし――」

 

 美鈴が言葉を続けるよりも早く、咲夜がぼやくように呟いた。

 彼女の言う宣伝というのは、天狗のブン屋がばらまいている新聞の事だろう。

 博麗の巫女は、昔から妖怪退治をしてきていた。調伏された妖怪達は、噂話のように彼女らを話す。しかし、人は妖怪とは違い、寿命が短い。それゆえ、巫女個人の事はさして意味がなく、その強さだけが曖昧ながら、語られるのみだった。

 

「……それはできませんし、させませんよ。今は……ですが――

 

「好き勝手に蹂躙されるのは、癪だけど。貴女がいなくなる方が、困るのよ。家はまた建てればいいし――パチュリー様が後で復元してくれるわ……多分」

 

 後付けのような曖昧な言葉に、門番は不安を覚えるが咲夜の言葉は続く。

 

「地下の図書館は彼女にとって大事な場所だから、全力で守るでしょう。だから、あそこが一番安全な場所だと思うのよ」

「……分かりました。じゃあ、先にお嬢様の避難を……」

「それは心配いらないわ――今日も地下の図書館に籠もっているから」

 

 そういえば、と美鈴は思い出す。

 

「貴女が手入れした畑も庭もなくなるのは寂しいけれど、今は我慢して……」

「……分かりました。次の砲撃が終わったら、行きましょう――咲夜さんは、私の後ろに下がってて下さい」

 

 美鈴は前を見据え、構えの姿勢を取った。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 白い閃光が人形遣いを襲う。

 苦悶の表情を浮かべながら半身が消滅した巫女は、アリスの前へと飛び、片腕で一枚の護符を展開する。

 護符は三メートルほどの長さに伸張し、白い刃を飲み込んでいく。

 しかし、その衝撃は重く――

 

「くっ!」

 

 赤白の巫女は歯を食いしばり、閃光の勢いに耐える。

 護符が封じ込める許容量は、存在する。それを越えれば護符は消滅し、模糊の体は消し飛ぶ。

 白き光は、やがて細く収束して消滅した。

 

「あれっ、防がれちゃった」

 

 どこかわざとらしさを感じる口調で、霊烏路空が呟く。

 

「なんで、また貴女が……こんな」

 

 アリス・マーガトロイドは巫女の背後で戦慄く。

 

「あんたは、外に帰りなさい」

 

 紅白の巫女が、苛立ちげに呻く。

 

「そんな事出来るわけないでしょ! だって」

「自分の身も守れないあんたは邪魔なだけよ」

「っ!」

「嫌でも帰ってもらうわよ」

 

 巫女は今手にしている護符を懐に収め、別の護符を取り出す。それを放り出すかのように横に投げた。

 それは大きく広がり、もう一人の紅白の巫女が現れた。

 

「これは……」

「上、いえ外へ――アリスを連れて、博麗神社に行って――」

 

 現れた同じ顔を持つ少女に、紅白の巫女が急かすように話す。

 

「――貴女が何をすべきなのかは、そこで分かるわ」

「……分かったわ」

 

 欠損のない巫女は周囲を見渡し、少女の頼みを了解する。

 

「行くわよ」

「だけど……」

「――いいから早く――」

 

 巫女は強引に戸惑うアリスの腕を掴み、上へと飛んだ。《/blue》

 

 

「二人に増えた! 双子?」

「何言ってるの。本物じゃないって事よ……しかも二人共……」

 

 漆黒の翼を持つペットの言葉をさとりは否定する。

 

「馬鹿にしてるつもり? 分身で十分って事かしら?」

「こっちはあんたたちと違って暇じゃないの。体がいくつあっても足りやしないのよ」

 

 光弾を放つ妖怪に護符をなげ、巫女は言い放つ。

 

「随分と生意気言うわね……半死人の貴女一人で、私達五人に勝てる自信でもあるのかしら?」

 

 古明地さとりはくすりと笑みを浮かべ、言い返す。

 

「まったく――先兵人形で私達を退けようだなんて、地底の妖怪は随分と舐められたものね」

「あの子がいると自分のペースで戦えないだけ――最初から私の足手まといなのよ」

 

 巫女は痛々しい笑みを浮かべる。

 

「さっさとあんたを殺して、あの二人も殺してやるわ」

 

 巫女の前で四人――恐らく、無意識という形で見えないもう一人と――が、一斉に行動を開始する。

 赤白の巫女は後方に飛びながら、残った片手で護符を投げる。

 黒い翼をはためかせ、霊烏路空は右手の砲身を巫女へと構える。砲身に充填されたエネルギーが白い光の刃となって博麗の巫女を襲う。

 巫女は左に飛びそれを躱す。巫女の上空左手方向にいた黒谷ヤマメは両手から白い何本もの糸を放射状に展開した。それをバックステップで避けようとしたが、左腕がぐいっと引っ張られた。

 

「捕まえた」

 

 その声は――

 古明地こいし。そこにいるであろう人物は巫女には見えなかった。

 こいしに気を取られ、赤い袴の左太腿近くに白い糸がべちゃりと着いた。糸が太腿を貫通することがなかった。しかし、付着した服がぶすぶすと煙を上げ始める。

 それを気にしている余裕はなかった。巫女の正面いる水橋パルスィはこちらに向けて腕をかざし、緑彩色の光弾を数発連続で放ってきた。

 こいしに絡め取られた以上はほとんど回避できない。残っている左手で、一枚の護符を顕現させ、瞬時に展開した。

 

「っひぁっ冷たいっ」

 

 悲鳴を上げ、緑色の髪の少女が姿を現した。

 巫女の周りにできた水の膜に下半身が浸かり、その冷たさに悲鳴を上げる。巫女は顔を二の腕付近に近づけると、こいしが握っている左手の袖の、腕に留めている赤い紐を噛み、引っ張った。紐は簡単にほどけた。左腕を分離した袖から抜き、こいしの顔面を殴りつける。少女の体は吹き飛ばされることなく、衝撃は水の膜で緩和される。

 水膜にたゆたうこいし。

 潰された鼻から漏れ出した血が、斑に溶け消える。

 博麗の巫女は体をひねり、光弾を躱す。が、完璧に躱すことはできなかった。衣装をえぐり、胸元をかすめた。水膜で、弾速が少し遅れたおかげだった。

 ついで、自由になった左手で、袴の紐を緩め脱ぎ捨てる。

 

「うぐっ」

 

 間に合わなかった。

 すでに糸は袴を溶かし、仮初めの皮膚を溶かし始めていた。作り物の太腿が煙を上げている。じくじくと焼かれる痛みが全身に走る。が、歯を食いしばり耐え、すぐに攻撃の準備にかかる。こんな連続攻撃何度も躱すなどできはしない。

 視界の端で、こいしが水の膜の外へ出るが見えた。

 同じ顔をした少女が言葉を交わす。

 

「こいし、大丈夫?」

「うん、大丈夫。でも、ちょっと……ちょっとだけ、痛い」

 

 台詞の語尾に怒りが混じっている。

 妖怪の強度は人間の比ではない。一発殴った程度では大したダメージはない。

 晒された乳房、剥き出しの下着。

 色気のないストリップを演じる赤白の巫女に、もはやこちらに勝利の軍配が上がったという感じで、四人は笑みを浮かべ――古明地さとりは少し怒りが混じっている――追撃の構えを取った。

 博麗の巫女も次の行動を取っている。

 黒髪の巫女は自身の周囲、水の膜の内側に無数の護符を顕現する。あらん限りの霊力をそれに注ぎ込む。

 護符の数は増え、それは巫女の体を覆うほどに増える。それを見て、ヤマメがさとりに言う。

 

「早く、こっちが攻撃した方が良くない?」

「そうね、でもまあ、最後の悪あがきって事で……」

 

 さとりが全てを言うよりも早く、変化があった。

 水の膜が内側から炸裂した。

 黒谷ヤマメ、水橋パルスィ、霊烏路空、古明地さとり、古明地こいしら五人を襲う弾けた水の膜はそれほどの脅威ではなかった。

 赤白の巫女との距離があったため、水の壁は彼らに接触する距離では単なる水しぶきだった。が、それに混じり、数多の護符が彼らに襲いかかる。

 

「ちっ」

 

 誰かが舌打ちをした。

 水に毒性はない。しかし、ヤマメの蜘蛛の糸は毒性をはらんでいる。巫女の服、皮膚を溶かしているのがその毒素の影響だ。だからこそ、彼らは無色透明のそれに必要以上の防御行動を行った。

 パルスィ、さとり、こいしの三人は片手で目を防御しつつ後方に飛び、巫女との距離を取る。

 ヤマメは簡単な糸の防御壁を作る。空はその場で砲身をかざし、目を防御する。

 髪や服、顔、腕が水に濡れる。そして、護符が服に付着した。

 自ら視界を制限したため、あるいは目を守る体制をとったため、護符を完全に防ぐことが出来なかった。

 空の体に十数枚の護符が張付いていた。砲身に服装、太腿や翼にまで――

 

「うわぁ」

 

 悲鳴を上げる空だったが、体には変化はなかった。

 

「あれ? 何ともないよ」

「もうそんなに力も残ってないって事ね。さっさと殺しましょう」

 

 主人――古明地さとりの言葉を受け、霊烏路空が巫女に向き直る。

 

「ちっ……うぐっ」

 

 巫女が忌々しげに舌打ちする。頭をたれ、霊力の消耗と激痛に呻く。垂れる前髪の隙間から敵を確認する。

 前方にいる四人の体の一部に護符はついている。早くしなければ剥がされてしまう。

 もう一人は後方左にいる。姿を確認するため、後方右に飛ぶ。古明地こいしの姿が映った。消えてはいなかった。彼女の体に護符が見えない。

 何とかしないと――

 左手に護符を顕現する。

 

「させないよ」

 

 白い光は放たれた。同時にヤマメとパルスィも動いている。左に跳躍し、空とヤマメの毒糸からは難を逃れたが、パルスィの光弾が直撃した。煙をあげていた太腿に辺り、足が胴体と切り離され、煮えたぎるマグマの底へと落ちていく。それだけではない。右わき腹の肉も光弾で抉り取られた。

 

「……まだよ」

 

 巫女は声を絞り出し、こいしに向かって護符を投げる。こいしは札を避けつつ、四人のほうへと移動している。

 

「まだ……私は、負けてなんかいない」

 

 叫び、こいしを追うように宙を蹴る。護符を投げる。

 

「お姉ちゃん」

 

 こいしは護符を避け、姉のほうに向かって手を伸ばし、宙を舞った。

 その手を姉の古明地さとりは手を伸ばして掴むと、くるりと一回りした。一周半したところで手が離された。その遠心力の勢いで、こいしは右の方に飛び、さとりはその反動で、左の方へと分かれて飛んだ。

 その時、巫女は翻す古明地こいしのスカートに護符が一枚張り付いているのが見えた。

 二人の軌道をあらかじめ読んでいたかのように、ヤマメ、パルスィはその姉妹の前まで移動していた。

 空が巫女に向かって砲を打つ。放たれた黒弾は巫女と空、二人の中間でピタリと止まる。それは瞬時に強力な引力を発生させる。

 その引力に大きく影響を受けたのが、近くにいる巫女と空。

 引っ張られまいと後方に飛ぶ巫女。

 その引力に身を任せ、前方へと跳躍する空。

 巫女へと迫るパルスィとヤマメの放った光弾の軌跡が曲げる。

 黒弾と黒鳥がぶつかる瞬間、黒鳥が黒弾を消す。

 引力がなくなり、バランスを崩す博麗の巫女。

 引力を利用した霊烏路空は、素早く巫女に肉薄する。

 右手の制御棒を構え、巫女の横を通り過ぎ――瞬間、右手を振り下ろす。

 空の砲身が巫女の後頭部を殴りつける。

 

「がっ」

 

 じゅっと髪が焦げる音。

 揺れる視界。

 揺さぶられる脳。

 気絶しそうになるのをこらえ、懐の護符を掴む。

 それを空の眼前に構えるよりも早く、彼女の砲身が、巫女の眼前にがちゃりの構えられていた。

 

「これで、貴女の負け」

 

 漆黒の鳥が笑う。

 笑顔で勝利宣言をする霊烏路空に、巫女は痛みを堪えつつも不気味に笑う。

 

「どうかしら? これがなんだか分かる?」

 

 残った四肢の一つ――左手の護符を空の眼前に晒した。

 

「あの光――あんたの力を封印した奴よ」

「? それがどうしたの……」

「鈍いのね、あんたは。説明して……」

「おくう、早く止めを刺しなさい」

 

 焦るさとりの声を聞き、空が眼前の敵に注視する。

 

「うん。分か――」

 

 時の流れが遅くなった。

 そう――巫女が感じただけ――

 それは、ただの錯覚で――

 終わりの時は、近い。

 空の頬から流れる透明な雫がゆっくりと流れる。

 それは、汗なのか、水膜のそれか――

 砲身が光る。

 巫女は思う。

 もしかしたら、アリスを正気にさせる方法が他にもあったのかもしれないと。

 あんな記憶を引っ張りださなくても良い方法が――

 でも、そうはならなかった。

 それは、私が――

 白き刃が巫女の頭を消し飛ばした。

 頭部を失った体は、その左手にあった護符の力が解放された。

 支えのなくなった護符は、膨らんだ風船の口を放した時のように、出鱈目に宙を舞う。

 巫女の体が消し飛んだ。

 

「うわぁあーっ」「きゃぁーっ」「ちょっと、嘘でしょっ」「お姉ちゃんっ」「こいしっ」

 

 口々に悲鳴が飛ぶ。

 地が揺れ、岩が砕ける。

 溶岩が弾け、破壊音が鳴り響く。

 白いエネルギー竜は地底の岩石を抉り、五人を飲み込む。

 全てを巻き込んだ光は、やがて天へと上った。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 人里は近く、その空に半透明の立方体が浮かんでいる。

 

「太子様、本当に良かったのですか?」

「何がです?」

 

 北の方へと飛び立っていった白髪少女を見送り、巫女の後ろを飛ぶ布都が神子に囁くような声で聞いた。

 

「防衛より攻撃にまわった方が……」

「数的有利はあちら側ですよ……最低でも“五人”はいます。甲板に二人、船内には恐らく……三人」

 

 神子は軽く持ち上げた耳当てから手を離し、元に戻した。

 

「あの調子では、相手は好戦的でしょうし……」

 

 一拍おいて、神子は言葉を続ける。

 

「まだ目覚めて……」

 

 先頭を飛ぶ巫女が立ち止まり、神子は言葉を止める。

 

「ここで別れましょう……できる限り、そっちにあまり面倒はかけないようにするつもりだけど……」

 

 紅白の巫女は神妙な面持ちで二人を見つめた。

 

 

 巫女と別れた豊聡耳神子と物部布都は、里に静かに降り立った。

 近くに人はいない。

 民家に挟まれた道は北と南に別れている。二人は人のいる北の方へと歩みを進める。

「木の建物が多いですね……」と、布都が感慨深げに言葉を漏らす。

「茅葺屋根ではないですし、しっかりとしていますね」

「そうですね。道も綺麗ですし、上から見た時から感じていましたが、かなり整然としていますね」

 

 里を囲う壁は綺麗な矩形で、その内部もまた道が縦横に連なっている。

 

「……しかし太子様、私達……すること、あるんでしょうか?」

「ないに越した事はないでしょう。

 

 話をしながら歩いていると、ちらほらと人が見えた。

 西の空を見ている者が多い――と、北の空で白い光の柱が立った。

 そして――

 眩い閃光、大地が削れる音とけたたましい破壊音――そして、強烈な突風が矢継ぎ早に展開される。

 

「ッ……」「痛っ」

 

 尸解仙の二人は砂塵混じる風を手でかばう。布都は烏帽子を、神子は耳当てをもう片方の手で押さえる。

 

「あの巫女っ……ぺっ、砂が――」

 

 布都が苦い顔をして、呟いた。

 

「あの巫女、全然役に立ってないじゃないか!」

「彼女を貶しても何も変わりませんよ。これ以上被害が出ない事を祈りましょう――布都、こちらは頼まれた通りに動きましょう」

 

 二人は走り出す。

 土煙舞う先に見えるのは瓦礫――

 あちこちで悲鳴が上がっていた。

 ――と、再び突風が二人の走る通りに吹き荒れた。

 神子と布都が身構える――と、

 

「きゃあっ」

 

 神子の近くを走っていた少女の悲鳴。

 突風でよろめいた茶髪の少女を神子がかばう。

 風が収まり、少女は「ありがとうございます」と神子にお辞儀をした。

 

「ええと……」

「私は豊聡耳神子といいます。彼女は物部布都、私の友人です」

「豊聡耳さん。一体、何が起きてるんですか?」

「私達には皆目……ただ……」

 

 少女は大事そうに風呂敷を抱えている。

 かなりの重さがあるようで、彼女がよろめいたのもそれが原因のようだった。

 

「随分と大切にされているのですね」

「あ? これですか?」

「本、なんですけど――うちの商品なんです。」

 

 少女――本居小鈴が答えた。

 

「本――」

「貸本屋なんです」

「貸本……?」

「ご存じないですか? 本を貸し出しているんです。他にも地図や製本も行っているんですけど」

「……この里の地図と筆を貸して頂けませんか?」

 

 小鈴の言葉を聞き、神子は少女に聞いた。

 

「え?」

「先ほどの衝撃で、生き埋めになっている者達が百名以上います。その者達の居場所を

 書き記したいのです」

「百って――どうして、貴女にそんな事が分かるんですか?」

「私は他の方より少しばかり耳がいいだけですよ。今、あちこちで悲鳴が聞こえます。できれば、こんな声はあまり聞きたくはないのです」

「早く家に戻った方がいいですよ。ご両親も心配しているでしょうし……」と、布都が小鈴に言う。

 

「そうですね――案内します」

 

 途中何度か突風に巻き込まれ、その度に神子は小鈴をかばいながら三人は彼女の家へと向かった。

 

 

 道中、空に浮かぶ立方体に中には博麗霊夢(青白衣装)、東風谷早苗、秦こころの三人がいること――正確には名前――を、尸解仙の二人は小鈴から聞く事となる。

 

 

 貸本屋――鈴奈庵に到着する前に小鈴の父親と出会った。

 周囲の惨状を見、足の悪い客のために向かわせた娘を探していたのだった。

 すでに人々には空船が原因と知られていた。

 それを直前で防いでいる博麗の巫女について、神子は何も言わずにいた。

 鈴奈庵は無事であったが、そこから北の方では多くの被害がおきている。

 神子は小鈴の父親に事情を説明し、鈴奈庵に入る。

 神子は、地図にいくつかの記号をすらすらと書き記していく。さらに数枚同じように神子は地図に書き記していく。

 

「――は子供、――若い女性、――は男性を示しています。これは――」

 

 と、神子は説明していく。

 最初、彼らは半信半疑だったが、知っている家族構成と合致している事もあり真剣な顔つきになった。

 小鈴の父親が地図を手に取り、外へと走って行く。

 

「布都、貴女は救助の支援をお願いします。私は――」

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 「ちょっと霊夢さん。その面ではありません! その右の面です!」 

 

 早苗が半ば怒り口調で叫ぶ。

 

「もうちょっと分かりやすく言ってよ、もう!」

 

 こちらの巫女も怒り口調で叫ぶ。

 秦こころに向かって投げた護符は、彼女の周りを浮遊する面によってふさがれ、その攻撃は二人の巫女に反射される。

 未だ面霊気が展開した結界の中に、二人の巫女が囚われていた。

 西の空には、浮遊する船が北の方に向かって砲撃を行っているが、それを止める事もできない。

 いつまで紅魔館が持つのか、それは分からない。

 黒髪の巫女はただ早くこの状況を脱したいのだろうが――

 タイミングよく攻撃し、破壊できた面はまだ三つ。多くの面が結界内で二人を取り囲むように浮遊している。

 秦こころは巫女達に近づこうとはせず、妖力で構成させた薙刀や扇子を投げつけていた。

 

「だから、霊夢さん、あのほっぺたが丸い面です!」

「えー、アレ全然丸くないわよ」

「それじゃないです! その面の少し上に浮いている……」

「あーもう、面倒くさいわね!」

「霊夢さん、もう少し……あれ?」

 

 早苗が、西の方を見て言葉が途切れる。

 里から少し離れた空に、紅白の巫女が浮かんでいた。

 長い黒髪、そして赤いリボンで纏めている。

 

「霊夢さんが、もう一人……」

「んんっ?」

 

 彼女は早苗の視線を追う。

 

「あぁ、あれは私の双子の妹よ。カザミユウカって言うの」

「そんな話、初耳です……ちょっと待ってください。名字が違うじゃないですか」

「当然でしょ。あの子はもう結婚しているから。だからカザミなの」

「いや、年齢的にまだ……」

 

 早苗は言いかけた言葉を止める。

 こちらの世界の婚姻のルールが、外の世界と同じだとは言いきれないからだ。

 後ろ姿だけでその顔は早苗の方からは見えない――と、

 

「よそ見しないで」

 

 早苗は襟首を掴まれ、ぐっと巫女に引き寄せられる。

 先ほどまで早苗がいた所を、秦こころが投擲した薙刀がかすめていった。

 

「下手をすると死ぬわよ。向こうはかげんなんて分かんないんだから」と、言って手を離す。

「次はあのへんてこな顔の面を狙うわ」

 

 指をさし、博麗の巫女が早苗に指示する。

 

「ちょっと待ってください。相方は……」

「多分あっちの方にありそう」

「ていうか、さっきから自分が狙いやすそうなものばっかり指定していませんか?」

「いちいちうっさいわね。あんたがこっちのタイミングに合わせれば、こんな事に――」

 

 結界の外で閃光と轟音が轟いた。

 

「っ!」「なっ!」

 

 衝撃と突風が人里を破壊する。

 

「そんな――」早苗が戦慄く。

「間に合わなかった――ってわけ――」黒髪の巫女が呻く。

 

 耳をつんざくような悲鳴が一面に響き渡った。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 「もう引っ張らなくても、大丈夫だから」

 

 アリスは沈痛な面持ちで告げる。

 何も言わず、人形遣いの方を見ず、巫女は掴んでいた腕を放した。

 

「何で霊夢がまたあんた達を……」

「……たぶん……」アリスの方を見ず、言葉は続く。

「あの異変の前から、予感があったから――それが複数……」

 

 博麗の巫女は上へ上と微かに光が零れる地上へと進む。

 

「ただの勘。北と西と空から。はっきりと何が起きるのか――までは分からないの。ただ起きる時期はほぼ同じ。たちまち被害がでるような異変じゃなければ、一つ一つ順番に解決していけばいいんだけど――そういう感じじゃないの、これ――いいえ、これらは。だから――どれが、あの八雲紫が裏で手を引いているのか分からない以上、他人の手を借りるわけにはいかない。他人を巻き込めば、また良いように利用されるだけ。借りるとしたら――魔理沙くらい、ね」

「どうして、魔理沙だけ……」反射的に言葉を漏らす――が声は途切れる。

 魔理沙だけ――そう自身で言ったが、その答えはアリスには分かっているような気がした。

 何かが炸裂するような音が聞こえた。

 

「魔理沙もすでに巻き込まれているのよ。八雲紫にね。あの妖怪にとって、魔理沙はたぶん役割があるのよ」

「役割って……」

「……さぁ、それは私には解らない」

 

 黒髪の隙間から見える瞳は、ぽっかりと空いた天を見ていた。

 

 

 地上に戻ってみると、いつもの幻想郷の姿は一変していた。

 西の空に土煙が舞い上がっている。

 そして、空には場違いな船が浮かんでいた。

 

「あれが……もう一つの異変?」

「……たぶんね」

 

 巫女は船を無視し、神社の方へと飛ぶ。アリスもついて行く。

 船は少しずつこちらに向かっているようだった。

 博麗神社を目指す巫女とアリスの前で、オレンジ色の光が横切った。強風が二人を襲い、手で顔をかばい――そして、再び目にした大地は一変していた。

 

「そんなっ」

 

 アリスが絶句する。

 一瞬の内に博麗神社は瓦礫と化していた。それだけではない。里の方にも被害が出ている。

 灰色の煙が立ち上っていた。

 光の軌道は里の直前で少し曲がっている。誰かが弾いたのだ。その瞬間をアリスは見た。

 赤い結界。

 霊夢はあそこにいるのだと、アリスは確信する。

 巫女は何も言わず、神社へと向かう。アリスもそれに追従する。

 やがて土煙の舞う参道に降りる。

 黒髪の少女は、かつて縁側があった場所へと歩いて行く。アリスも後に続く。

 巫女は周囲を見回すと、東――結界の方へと飛び、立ち止まる。

 彼女がアリスの方に振り向き、叫ぶ。

 

「アリス! 伏せてっ!」

 

 言葉に習ってアリスが伏せると、再び光と強風が襲う。

 鎮守の森の木々をなぎ倒す音、大地を削る轟音。光が結界で弾かれる。

 今度は先ほどよりも遠い。

 風が収まり、アリスは立ち上がる。

 巫女の姿が見えない。

 収まりつつある土煙の中に見覚えのあるものを見つけた。

 霊夢にあげた人形。

 霊夢をデフォルメした人形。

 瓦礫の中にあった巫女人形を拾い上げる。

 ボロボロだった。

 体の部分、手足の部分。ところどころが裂け、白い綿がはみ出している。桜の刺繍を施した赤いリボンも千切れている。

 人形の首がぐらりとゆれ、瓦礫だらけの地面にぽとりと落ちた。

 その瞬間、アリスの背後で、光の柱が立ち上った。

 アリスは振り返りそれを見る。

 白く神々しいほどの真っ白な光。

 その光を見て、アリスはそれを悟った。

 

「アリス、手伝って」

 

 遠くで、名前を呼ぶ声が聞こえた。

 

「アリス!」

 

 それは間違いで、すく近くからの呼びかけだった。

 いつの間にか戻っていた巫女が瓦礫をどけようとしていた。

 彼女の元に駆け寄り、一緒に残骸をどける。

 

「うぅ」

 

 少女の呻き声が聞こえた。

 アリスは人形を手放し、両手で彼女の言う瓦礫をどけていく。

 

「ぅくっ」

 

 呻き声が近くで聞こえる。

 瓦礫をどけていく。

 赤いものがちらりと見えた。

 

「霊夢」

 

 アリスは呼び掛けながら、二人で瓦礫をどけていく。

 瓦礫の隙間から霊夢の顔が少し見えた。

 その顔にはぽつぽつと赤い斑点がある。

 巫女の黒髪は()()()()()()()()()()()()()()()()で纏めていた。




NEXT EPISODE 霊夢の見た夢
ZZZ……


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タイトル非表示[陽]

【霊夢の見た夢】

 

 

「全く、なんでこんな大事な時に……」

 

 重い頭を手で押さえ、霊夢は低い声で呻く。

 霧雨魔法店を出たときに感じた体の小さな違和感は、神社に戻った頃には大きなものとなっていた。

 頭がずきずきと痛む。

 とりあえず、常備薬の頭痛止めを飲む。

 少し体を休めたいが――その前に、と一枚の護符を展開した。

 護符から出てきたのは、自分と同じ顔を持つ巫女。

 

「一体、何が起きて……って、あんた顔色悪いけど、大丈夫なの?」

 

 彼女は外へ出ると、深刻そうな顔をして霊夢を見る。

 

「少し横になれば、楽になるとは思うんだけどね……」

「里の医者の方にでも言った方が……」

「それは、まずい気がするの……勘……だけどね……」

「あんたがそう言うなら止めないけど」

「薬は飲んであるから。貴女に頼みたいことがあるの」

 

 霊夢は複数枚の護符を彼女に差し出す。

 

「気が進まなかったんだけど、貴女……達を複製したの。理由は……」

「それは何となく分かるわ」彼女は天を仰ぎ見る。

「この四方から感じる嫌な感覚が……解決するには、私一人じゃ恐らくどうにもならないと思ったから」と、苦しげに息を吐く。

「ここから北と、西と、上。大別するとその三カ所。ほぼ同時だとしたら、まずいわね」

「ええ。できれば、私達だけで解決したいんだけどね……」

「…………」

 

 自分と同じ顔を見つめ、彼女はため息をつく。

 

「まあ、私はあんたの指示に従うわ。私も嫌な気分だし、この状況は、ね――」

「あと、貴女に伝えたい事があるの――」

 

 そして、霊夢はもう一つの護符を取り出し使い方を説明した。

 

 

 ◇◇◇◇◇

 

 

「うわあ~い!」

 

 私は狐色の尻尾に飛びついた。

 もふもふとした柔らかな毛並み。

 ほんわかとした暖かな熱。

 私は藍の尻尾が大好きだ。

 いつも寝ている布団よりも柔らかな感触が肌を包み込む。

 

 

 ◇◇◇◇◇

 

 

「もう帰っちゃうの?」

 

 私は紫お姉ちゃんのスカートを掴む。

 日暮れにはまだ早い。空はまだ赤くはない。

 

「こら、わがまま言わない」

 

 お母さんが私の頭を軽く叩き、私はスカートから手を離す。

 

「また明後日には来てくれるわよ。ねぇ?」

「…………ええ」

 

 ため息をひとつ零し、紫お姉ちゃんは返事を返した。

 

「ばいばーい」

 

 私が手を振ると、お姉ちゃんは微笑み、藍と共に一瞬で消えてしまった。

 

 

 ◇◇◇◇◇

 

 

 お母さんと長い銀髪の女性と話していた。

 ここは里の中にある、女の人の家。

 お母さんに連れられ、ここに来た。

 飾り気のない質素な家で、二人は話があると言って、私は本を渡され待っていた。

 その絵本を読み終わっても二人は話し続けている。

 退屈だったので、本を抱えたままお母さんの元に駆け寄る。

 

「……おおよそ、私が記録したものと相違はありませんね」

 

 紙の束を見つめ、銀髪の女性が呟く。

 

「もうご本読んじゃった」

「霊夢、もうちょっと待っててね」

「もう読み終わったのかい? それじゃあ別の本を用意しよう。私達の話はこの子には退屈だろう」

「すみません」

 

 お母さんが私の持っている本を女性に渡す。

 彼女はそれを受け取り、立ち上がった。

 本棚から本を数冊取り、私の前に並べる。

 

「貴女の好きな本を選んで。貴女のお母さんのお話にもう少し時間がかかるの」

 

 私は頷き、一組の少年少女が描かれた本を手に取る。

 

「相違点についてだが――」と、銀髪の女の人が話し始めた。

 

 

 ◇◇◇◇◇

 

 

「――そこには何もないわよ」

 

 お母さんは拝殿の中を覗き込もうとしている人に言った。

 その人はびくりと体を震わせた。

 私はお母さんの後ろに隠れている。

 綺麗で桜の花びらのような髪の色。

 怪我をしているのかその人の右腕は包帯がぐるぐると巻かれていた。

 

「いえ、私は別に……」

「捜し物? 見たいなら見せてあげるわ」

 

 そう言って、お母さんは拝殿の扉を開け、中を改めさせる。

 

「ご覧の通り、からっぽ。昔は何かを奉ってたようだけどね。ええっと、茨木華扇……だったかしら」

「……ええ……どこかでお会いしましたか?」と、訝しむ表情を見せる。

「いいえ。風の噂でね」

 

 拝殿の扉を閉め、お母さんが私の元へと戻る。

 

「噂ですか。どんな噂か聞いてもいいですか?」

「――大したものじゃないわ。変わった仙人がいるって事だけ」

「……そうですか。私もここの噂を聞いた事があるんですけど。聞いていた以上に寂れていますね。もっと賑やかだと思ったんですけど――」

「みな、亡くなったの。流行病でね。今はこの子と二人だけ」と、お母さんは私の頭を撫でる。

「それは――」

「別に気にしてないわ。それより霊夢。珍しい参拝客よ。ちゃんと挨拶しなさい」

 

 私はお母さんの後ろに隠れ、こくりとお辞儀をした。

 

「こらっ。きちんと挨拶しなさい。ごめんなさいね。あんまり私以外の人と会わないから」

「いいえ。こんにちは霊夢ちゃん」

「……こん、にちは」

 

 母の後ろから覗き込むような形で、私はその人物に挨拶を返した。

 

「貴女は今何歳?」

「……」

 

 私は黙って、手で歳を示す。

 

「そう。大変ですね。一人で子供を育てるのは」

「まあね」

 

 お母さんは私の頭を撫でる。

 

「でも、時々手伝いに来てくれる人もいるから……」とそこで言葉を切り、「貴女の捜し物が、幻想郷にないとしたら、”外の世界”にあるのかもね」

「……そう……あっいいえ。別に探しに来たわけじゃあ……」

 

 慌てて、その人はお母さんの言葉を否定する。お母さんは笑う。

 

「まあ、参拝客は歓迎するわ」

 

 

 ◇◇◇◇◇

 

 

「ひぁあっ」

「ほら、動かないの」

「だって、染みるんだもの」

 

 お母さんとの稽古で擦りむいた膝の傷に、ゆか姉が消毒薬の染み込んだ脱脂綿をポンポンと押し付ける。

 

「こんな事して、意味なんてあるのかしら?」

「体術、護身術、そして霊力――力を制御する事は、大事な事よ。生きる上でも、戦う上でも」

「こんなに天気で、平和なのに?」と、私は雲一つない空を見上げる。

「普遍、永遠なんてないわ。平穏が突然終わることはあるの。なんの前触れもなく――ね。どこかで貴女が人の為に戦うことになるわ。必ずね」

「そうかしら。お母さんは妖怪退治の話なんてしていないし……」

「それは貴女の家系が代々、邪な妖怪を調伏してきた成果。だからといって、その抑止力がずっと続くわけじゃないわ」

 

 包帯を巻きながら、昔話を話すかように語る。

 

「……抑止力ねぇ……ゆか姉が代わりにしてくれればいいじゃない? ゆか姉の異次元移動使えばあっという間でしょ?」

「あんなことは貴女が出来ることに比べたら大したことじゃないわ」と、嘆息しゆか姉刃続ける。「私にはできない。立場上もあるし……それに、私より霊夢、貴女の方が強いのよ……」

「嘘よ。私、あんなことできないわ」

「貴女は私以上のことができるの」

「本当かしら?」

「ええ……はい、これでいいわ」

 

 包帯を巻き終え、ゆか姉は私の頭を撫でる。

 

「貴女は……私以上に……何でもできるのよ」

 

 

 ◇◇◇◇◇

 

 

 拝殿の中には申し訳程度の小さな台が置いてあった。

 神棚の上には二つの榊が生けられた白い花瓶が二つ。

 その間に赤い杯が一つと白い小皿が一つ。

 杯には透明な液体が注がれている。

 小皿には小さな和紙が敷かれ、その上に小豆程度の大きさの二つの錠剤が置かれていた。

 

「………………」

 

 その前で母が大幣を構え、祝詞を唱えている。

 私はその後ろで正座をし、黙っていた。

 

「………………」

 

 この儀式は、皆××歳になったときに行っているそうだ。

 振り返り、ちらりと外を伺う。

 時刻は昼過ぎ。

 ゆか姉は外で日傘を差し、儀式の様子を見守っている。

 顔を戻すと、ちょうど祝詞を唱え終わっていた。

 大幣を置き、両手で小皿を持ち、私の前に置く。続いて杯も。

 

「後はこれを貴女が飲み干した儀式は終わりよ」

 

 静かに母は告げる。

 私は黙って、錠剤二つを口に含み、杯の液体を飲む。

 杯に顔を近づけたときに分かったのだが、それは酒だった。

 私はこの時初めてお酒を飲んだ。

 何となく、私はそれを静かに飲み込む。

 お酒は美味しかった。

 ゆっくりと杯を直す。

 母は小皿と杯を元に戻し、こちらを見た。

 それが数秒――

 

「これで儀式は終わり。お酒でこれを飲むには初めてだけれど……大丈夫みたいね」

 

 表情を和らげ、母が安堵の息を漏らす。

 

「えっ! ちょっと何言って……んっ」

 

 私の抗議の声は途切れる。

 

「何……これ……」

 

 体が、頭が、瞼が重い。

 急激に睡魔が襲う。

 

「大丈夫。貴女が目を覚ました時には全て終わっているわ」母が微笑む。「そして、新しい始まり」

 

 母のその言葉を最後に、私の意識は落ちた。

 

 ◇◇◇◇◇

 

 

「ううーーんっ」

 

 母は最近ずっとテーブルに向かって唸っている。

 原因はテーブルの上に散らばっている紙だ。

 昔に作られた決闘方法――命名決闘法について。

 その中を覗いてみれば、様々な事柄が書かれている。

 特に多いのは数字。頭が痛くなるような数式がいくつも並んでいた。

 

「それって昔に作られたものでしょう? そんなの今更纏めてどうするの?」

 

 お茶と煎餅を出して、私は母に聞く。

 

「ありがとう。これ作られたんだけど、結局広まらなかった。原因はどこにあるのかなぁってね」

「布教でもするの? 今は昔と違って妖怪のトラブルがほとんどないのに?」

「そうよ。これは貴女の為にもなると思うわ。だって私達より、妖怪の方が強いんだから」

 

 母はお茶を一口飲む。

 

「彼らは多少の傷はもろともしない。対して私達は怪我はできない。多少の傷なら体の治癒力を高めて素早く直すことはできるけど、手足の切断なんて事になったらどうしようもない」

「切断って……」

「彼らの思考と私達の思考は全然別。向こう側のルールに従うのは不利なの」

 

 母は煎餅をひとかじりする。煎餅が砕ける音が少しばかり響いた。

 

「だからなんとかしてこちらのルールに従ってもらうのよ。霊夢、貴女だって命のやりとりなんて嫌でしょう?」

「妖怪に負けるつもりなんてないわ。けど本当に異変なんて起こるものなの?」

「さあ、どうかしらね。ただ、私は――」

 

 

 ◇◇◇◇◇

 

 

 強烈な破壊音が響き、母の声が掻き消える。

 体に痛みが走り、私は目を開ける。

 暗くて何も見えない。

 酷い圧迫感と息苦しさ。

 しばらくすると眼が慣れる。

 出鱈目にばらまかれた建造物の破片が周りを覆っていた。

 

「――――」

 

 誰かの声が聞こえた。




NEXT EPISODE 【7月27日(4)】
ナズーリンはロッドを構え――


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【7月27日(4)】

【7月27日(4)】

 

 

 紅魔館は陥落した。

 次は人里。

 聖輦船はゆっくりと向きを変える。人里を攻撃するために――その最中、

 

「忌々しい封印石め」

 

 寅丸星は西の地の要石に向かって、宝塔砲を放つ。

 

「むぅ」

 

 大岩が消し飛ぶ、という星の予想に反して、岩はエネルギー砲を弾いた。それでも宝塔の力が強いこともあり、要石も少しばかり、はじけ飛ぶ。

 それはナズーリンの住処――掘っ立て小屋を完膚なきまでに踏みつぶし、ナズーリンの百一匹の家族の内、尻尾の籠の中にいる一匹を除いて全滅した。その事に寅丸星は気付かない。

 

「ちょっと星、無駄撃ちしないでよね」と、水蜜は眉をひそめて星に注意する。

「うん? まぁ、もうしないよ」

 

 暢気に星は答え、宝塔の標準を里の方へと向けた。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 アリスは人形を一体召還し、瓦礫の隙間から滑り込ませ、霊夢の足に絡まっている瓦礫を退けさせる。

 巫女とアリスとプラス1体は、瓦礫から霊夢の体を引きずり出す。

 幸運にも丸テーブルの下に霊夢の体があった為、目に見える大怪我は負っていないようだった。

 

「大丈夫?」

 

 アリスは肩を貸し、霊夢の体を抱える。

 霊夢は苦しげに顔を歪ませている。

 何かの病気なのだろうか?

 しかし、一瞬で病気を治す魔法はない。あくまで治癒力を一時的に高めることだけ。

 しかしそれには激痛を伴う事もあるし、病気の原因であるウイルスの力を高める危険性もある。そうなれば逆効果だ。

 再び突風が、砂塵が巻き起こる。

 

「痛っ」

 

 アリスは霊夢の抱き寄せ、衝撃をかばう。

 しばらくして砂埃が収まり、複製の巫女は顔を上げる。

 

「紫――八雲紫。出てきなさい。早くしないと本当に霊夢が死ぬわよ」

 

 空中に向かって巫女が大声で叫んだ。

 その叫びを聞き取ったのか、それとも偶然なのか、少し離れた所で空間が開き、八雲藍が現れた。

 

「これは……」

 

 周囲の惨状と霊夢の姿を見、「少しお待ちを……」と言い、スキマへと消える。

 すぐさま新たなスキマができ、八雲紫、八雲藍が現れる。

 紫もまた周囲の惨状を見渡す。

 

「なんとかして霊夢を治療しないと……」と、もう一人の巫女。

 

 地に降り、紫は霊夢を観察する。

 

「八意の所にでもつれて行くしかなさそうね」

 

 霊夢の顔を覗き込み、スキマ妖怪が呟く。

 霊夢は何も言わない。荒い呼吸音が続く。

 紫がスキマを展開した瞬間、アリスは地底での出来事を思い出した。

 

「……待って、魔理沙の所に……」

「どういう事……」

 紫の動きが止まり、彼女はアリスの方を見る。

 

「これは意図されて起こったことなの。地底で聞いたの。二人に感染って」霊夢の体を抱え直す。「霊夢を警戒するなら、直接接触して感染させるより、間接的に感染させる方が動きやすいんじゃない」

「……それが本当なら……一度、彼女の家を確認するわ」

 

 八雲紫は新たな門を展開し、式神が顔だけをそこにいれ、向こう側の様子を確認する。式神が首を横に振る。

 それを何度か行う。

 アリスと共にいた巫女は、足元近くに転がっている”それ”を見つける。

 古めかしいお祓い棒。

 記憶を辿ると、それを最後に見たのは――思い出せない。

 ただ自身は使った事がないことだけが分かっている。

 だとするなら、これは母が使っていた物なのだろうか。

 これから必要になるのかどうか――分からないが彼女は拾い、腰に挟む。

 

「いました」と八雲藍が言った。

「見つけたわ。ついてきなさい」

 

 スキマ妖怪は言うなり、スキマの向こう側へと言ってしまう。

 式神が次に、複製巫女が、最後に霊夢を抱えたアリスが入る。

 はたして、そこに霧雨魔理沙がいた。

 ベッドに倒れ込むよう姿で――

 

「魔理沙」と、もう一人の巫女が声を上げる。

 露出した顔や肌には霊夢と同様、赤い斑点があった。

 巫女が黒白少女に駆け寄り、体を揺する。

 反応はない。少女は気を失っていた。

 ――と、甲高い音が寝室に響いた。

 アリスは音のする天を見上げる。

 天井の梁の一つに一枚の護符が貼ってあった。

 

「あれは――」

「そんなに強力な防御札じゃない。早くしないと建物が崩れるわ」

 

 アリスのすぐ近くからの声。呻くように漏らした声。

 彼女の台詞で、この建物が攻撃されていることを知る。

 

「急ぎましょう。藍、あそこに繋げて」

「はい」と、式神が即答し、スキマを開いた。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

「船底近くにて、不審な反応を確認」

 

 村紗水蜜は寅丸星に伝える。

 聖輦船の船長は宝塔のエネルギーの一部を使って、ソナーを展開していた。

 かっぱが取り付けた物だ。

 どういう理屈で反応しているのか聞いても、村紗は理解出来なかった。

 宝塔の主砲は強力だが死角は存在する。

 それをカバーする為に使っていた。

 相手の姿形までは分からない。

 ただ急に反応が増えた。

 

「死角から攻撃しようとしているわね……多分。だけど……星、目標は三体よ」

「オーケー、副砲の準備をするね」

 

 星は側にある金属製の管に顔を近づける。

 

「メーデーメーデー、こちら寅丸。ナズーリン、聞こえますか?」

「何ですか、駄主人」

「え? だしゅ?」

「何ですか、ご主人」

 

 金属管の繋がった先の船内にてナズーリンは虎丸の声に言葉を返す。

 

「船底近くの森に三体の敵影を確認しました。左舷の副砲の準備をしてください」

「はーい」

 

 ナズーリンは軽く返事をすると、丸い砲丸を抱えた。

 左舷の三カ所が矩形に開き、代わりに無骨な砲台が顔を出す。

 かっぱ――河城にとりが(面白半分?)改造して取り付けたものだ。

 水蜜の所で設定すれば狙いも、発射もある程度自動で行ってくれる。

 ただ砲丸の装填は人力の為、今はナズーリンがそれを行っている。

 砲台がゆっくりと向きを変え、目標を霧雨魔法店に定める。

 爆音を立て、砲丸が発射された。

 その建物には結界が張られているのか砲弾を弾いた。

 しかし、それは長く続かない。

 大きな音を立て、砲撃は続き――

 砲弾が屋根を貫き、中を破壊する。次々と家屋を蹂躙し、大黒柱のような太い柱が次々と砕かれ、霧雨魔法店は濁った土煙を上げながら瓦礫と化した。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 何かを弾く音。護符が悲鳴を上げているようだった

 

「ついてきて」

 

 八雲紫が先導するようにスキマに入った。続いて、霊夢を抱えるアリスと人形、魔理沙を抱えた巫女、最後に八雲藍がゲートをくぐる。

 

「八意永琳、直して欲しい人がいるの」

「……貴女は玄関から入るって事を知らないのかしら?」

 

 部屋に入るなり要件を告げる八雲紫に対し、八意永琳は回転椅子を回し、相手の方に向き直る。

 スキマゲートの先は永遠亭、八意永琳の私室だった。

 魔理沙の家のリビングと同じくらいの広さ。

 部屋の中央に大きな木製テーブルが置かれ、その上には魔法使いが調合に使う機器に似たものがいくつも置かれている。

 部屋の壁には丸窓が一つ、ドアが北側と南側の二カ所、後はガラス扉付きの本棚と棚で埋め尽くされ、本とガラス瓶に入った試薬が収納されている。

 

「生憎時間がないのよ」

「……外が騒がしいのは、それが原因?」値踏みするような目で、永琳は来訪者を見る。

「……そうね」

 

 永琳は気を失っている魔理沙を抱えた巫女と、アリスが抱える巫女を見比べる。

 

「そっちの部屋に連れて行って、鍵は開いているわ」

 

 部屋の主は北側の扉を指さし、反対の扉の方に歩いて行く。

 

「ウドンゲ、部屋に来て頂戴」

 

 扉を開け、それだけを言うと、永琳は北の部屋に入る。

 そこは青白いタイル張りの部屋だった。

 中央には可変式のベッドが一台。他には簡易的な椅子が一台、キャスター付きの台車が二台と金属製の棚が部屋の隅に置いてあった。

 

「そこに寝かせて」

 

 アリスは彼女の指示に従い、霊夢を下ろす。

 永琳は棚からいくつ華道具を取り出し、台の上に置くと椅子に座る。

 

「この症状はいつから?」と問診を始め、霊夢は弱々しい声で応答する。

 霊夢の口腔を見、胸元をはだけさせ、聴診器を当てる。

 

「お師匠様、何です――うっ!」

 

 南側の扉が開き、鈴仙が入ってきた。

 彼女は多くの来客が部屋にいたことに面食らう。

 

「ウドンゲ、至急生理食塩水と水、十名分のコップ、あと保管庫からM-465XXとBTMN-03のピンを持ってきて頂戴。それと姫を連れてきて」

 

 戸惑う鈴仙に対し、永琳はたんたんと注文を告げる。

 

「――はい」と返事をし、鈴仙はすぐに部屋を出て行く。

 永琳は来訪者に向き直る。

 

「これは、××××××症よ。昔からある病気で、感染力も高く、毒性も強い。初期症状は高熱、目眩に吐き気、感染からおよそ半日から一日で肌には赤い発疹を症状。そのうち呼吸器、内臓が痙攣を起こし、早ければ三日の内に死に至る」

「そんなっ!」とアリスが声を上げる。

「けど、今は治療法が確立しているわ。別に大した手術も必要ないし、ウドンゲが持ってくる薬を飲んで安静にしていれば治るわ」

「治るのね」と、八雲紫が念を押すかのように聞き直す。

「ええ、当然でしょう? 私を誰だと思っているのよ」と、凛とした声で永琳は返す。

「これの亜種は現在三種確認されている。それに対しても治療法は確立している」

「感染原因は何ですか?」と八雲藍が問う。

「毒蜘蛛ね。セアカ××××××グモ。この蜘蛛の表面を××××が覆っているのだけれど、その中の××××という成分の影響よ、これは。接触、飛沫あるいは経口と感染経路は広く――」

「――お師匠様、お連れしました」

 

 鈴仙がコップとビンなどを乗せたお盆を持って部屋に入る。そして、その後ろから、

「まったく、騒々しいわね」と、蓬莱山輝夜はつまらなそうに呟いて入ってきた。

 

「貴女は――」

 

 アリスが小さく呟く。

 霊夢の腕を切り落とした女。この永遠亭で出会ってもおかしくはないが――

 

「あら、貴女達はあの時の――」

「ウドンゲ、塩水と水、M-465XXを一つ用意」

 

 退屈そうに喋る輝夜の言葉を遮り、永遠亭の女医は鈴仙に指示を出す。

 一つのコップに生理食塩水を入れ、もう一つは水を入れる。

 玉兎は薬と共に永琳に渡した。

 

「まずはこっちの塩水を飲んで頂戴」

 

 黙って、霊夢はコップを両手で受け取り、ゆっくりと飲み干す。

 飲み終わるのを確認すると、永琳は空のコップを受け取り、薬と水を渡す。

 

「この薬を水と一緒に飲んで。薬は嚙まないように、ね」

 

 黙って指示に従う霊夢。

 

「この病気は空気感染。つまりここにいる全員が――妖怪も病気にかかるのかは分からないけれど――発症する恐れがあるわ。だから、これからここにいる全員に飲んでもらうわ。まあ、薬を飲んで、二三日休んだら大丈夫よ」

「二三日っ!」と、八雲紫。「生憎そんなに待っている時間なんてないわ」

 

 紫は急かすように言う。

 

「知っているわ」

 

 意に介さす、永琳は言葉を続けた。

 

「ちゃんとそれに対する準備もしているわ」と、八意永琳落ち着いた声で言う。

「私の事ね」と、退屈そうな声で呟く。

「貴女に何が出来るって言うの?」と、八雲紫。

「永遠と須臾を操る能力」と、簡潔に姫は言う。

「須臾……永遠……時間を操ると――」と、八雲藍。

「ええ、簡単に言えば、ね」と、永琳は返す。「彼女は任意の領域において、時の停滞と加速を促すの」

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 彼女は聖輦船へと向かっていた。

 船は里へと近づいている。

 閃光を迸らせながら――

 そして、魔法の森に噴煙が立ち上る。

 それが限界だった。

 結界を張り、里を守り続けることが――

 霊夢を待ち続けることが――

 彼女は同じ顔の少女から渡された護符を展開し、もう一人の自分を呼び出す。

 状況を簡単に説明し、自分の代わりに里の防御を頼んだ。

 空から森を見下ろす。

 霧雨魔法店は完膚無きまで破壊されてしまっていた。

 

 

 ◇◇↑↓◇◇

 

 

 ナズーリンは船外にいた。

 こちらに近づく敵影を排除する為だ。

 相手は博麗の巫女……のようだ(距離が遠い)。

 こちらの予想とは裏腹に、砲撃は赤い結界により防がれ続けている。

 まるで、博麗の巫女が二人いるようだ。

 とはいえ、無視できずナズーリンは迎撃にかり出された。

 ナズーリンは片手で黒いダウジングロッドを構え、もう片方の手を手に掲げる。

 ダウジングロッドの両端が鋭利に刃に変形した。

 相手の赤白は一直線にこちらに向かっている。

 

「ディテクター」

 

 声を大きく叫び、掲げた手から五十の緑玉が周囲に散らばっていく。

 それぞれが別々の記号持ち、【あ】から【ん】と五十音を設定している。

 それぞれの緑玉は等間隔に離れ、空中に固定される。

 ナズーリンは敵に向かってダウジングロッドを投げ、その手にもう一つのダウジングロッドを顕現させる。

 ナズーリンは相手に勝とうなどとは思ってはいなかった。

 自分は戦闘なんて向いてはいない。千年前の時だってなにも出来なかったのだ。

 出来ることは、ダウジングロッドを用いて捜し物を見つけるだけ。

 このばかげた騒動が早く終わり、魔界へと向かいたい。

 しかし、露骨な負け試合はできない。

 巫女は体を反らし、回転するダウジングロッドを避ける。

 顕現したダウジングロッドを投げつける。

 すでに躱されたダウジングロッドに緑玉【ゆ】をサーチし、軌道を変える。

 巫女を背後から攻撃する。

 三つ目のダウジングロッドを顕現させ、もう片方の手で光弾を放つ。

 赤白の巫女は体をひねり、易々と避けていく。

 見えていないはずの背後からのダウジングロッドも横に飛んで躱される。

 後方に逃げながら、ナズーリンはロッドを【ゆ】から【ま】、【め】から【さ】、【く】から【み】とサーチポイントを切り替え、攻撃刃の軌道を変える。

 しかし、相手はこちらに向かう速度を緩めず、ひらひらと避ける。

 距離はどんどん詰められていく。

 

「え?」

 

 ナズーリンは驚いた声を上げる。

 右側から斬りつけようとしたロッドがぱしりっと掴まれたのだ。

 すかさず、下の方から巫女を真っ二つに裂かんとダウジングロッドを操作する――が、これも巫女は体を捻らせ、回転ロッドを掴み取られる。

 掴まれたロッドは操作できない。

 焦るナズーリンは新たなダウジングロッドを生成せず、残りの一本の軌道を変える。

 巫女は槍を投げるかのようにダウジングロッドをナズーリン目がけて投げる。

 ナズーリンは空を蹴り、左に飛ぶ。

 ――が、そこに続けざまに投げたロッドがナズーリンの胸へと迫る。

 体をひねり、【ま】をサーチさせ、若干の軌道を修正し、すれすれで回避する。

 しかし、その時すでに巫女はナズーリンのすぐ前におり、彼女は怒りに満ちた目で拳を振り上げ――

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 「巻き戻す事は出来ないのか?」

 

 八雲藍は永琳に問う。

 八雲紫は何も言わない。

 

「不可逆性を覆すことは出ないわ。専ら使うのは停止。加速は元の時間軸に戻す為に使うくらいね」式神の問いに、輝夜が答える。「その気になれば、誰かさんの時間を一瞬で千年飛ばせることも可能よ」

「能力のことは、あまり過剰に広める必要はないわよ」と、諫めるように永琳は言う。

 

 その言葉を聞き、アリスは思い返す。

 あれは――

 蓬莱山輝夜が不死者だというだけ理由だけではなかった。

 あの偽月の騒動は、目の前にいる黒髪の彼女は、時の加速の影響を受けにくい不死者の、あの白髪の藤原妹紅でしか正面から戦えないのだ。

 

「まずは三日、時間を飛ばすわ。とりあえずはまず、一日を十五秒で飛ばすわ。そこに寝て、力を抜いて、リラックスして……ゆっくり息を吸って、吐いて……」

 

 蓬莱山輝夜が霊夢の元に歩み寄り、両手をかざす。

 肌の斑点が少しずつ消え、見える擦り傷が治っていく。

 

「ウドンゲ、塩水を」

「はい」

 

 生理食塩水の入ったコップを霊夢に渡す。

 

「苦しいことはない? そう。それを飲んだら、もう一度、一日時間を飛ばすわ。それと――」永琳が言葉を続ける。「ウドンゲ、棚から殺菌用の霧吹きを。各自自分で服に振りかけてちょうだい」

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 棒を操作し斬りつけようとする少女をぶん殴ろうと接敵する霊夢だったが、反射的に直前で思いとどまり、空を蹴って後退する――直後、そこを天から白い靄のようなモノが落下する。

 続いて、落下するように現れたのは女性。少女をかばうように立っている。

 白い法衣に、水色の髪を紺色の頭巾で隠した女。

 尼僧にも似た格好。

 

「大丈夫? ナズーリン」

 

 現れた女は後ろの少女に声をかけた。

 

「一輪!」驚いた声を上げる「今までどこにいたの?」

「それは後で――随分と無茶苦茶な事やっているわね」

「それは、あの二人が――」

 

 相手の会話が聞き取れたのはここまでだった。

 白い靄が下から迫っていた。

 大きさは自分の二回り大きい。

 その靄には顔があった。

 人間で言えば、初老の男性。

 逞しさを感じさせる豊かな眉と厳かさを感じさせる豊かな口髭に顎髭。

 胴体は見えず、二つの拳が見える。

 こちらに迫りながら、拳を出す白い靄――入道を、身を引いて躱す。

 入道は二人の前に立ちはだかるように空中に留まる。

 そして、尼僧――雲居一輪が前に出る。

 

「千年前のようには行かないわよ、博麗の巫女」

 

 一輪は黒い瞳を輝かせた。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 三日分の時間を加速させ、霊夢の肌の斑点が消えた。

 患者の体を起こさせ、違和感はないかと、八意永琳は問診をする。

 口腔を見、心拍をチェックする。

 一通りの確認が終わり、「ありがとう。助かったわ」と、霊夢は立ち上がり、感謝の言葉を述べる。その顔に笑顔はない。

 

「別に感謝されるほどのことではないわ。次はそっちの子ね」

「ええ、お願い」

 

 女医の言葉に八雲紫が答えた。

 人形巫女が、霊夢と入れ替わりにベッドに魔理沙を寝かせる。

 黒い帽子は、人形巫女が胸の前で抱える。

 永琳は瞳孔を、口腔を、腹部を、心拍を、肌を確認する。

 ひとしきりチェックを済ませると、魔理沙の上体を起こし、指で口をこじ開けた。

 

「ウドンゲ、薬を――」

「はい」

「水」

「はい」

 

 少女の喉の奥に薬をねじ込み、ゆっくりと水で流し込む。

 頭を寝かせ、輝夜がその前に立った。

 

「全員に薬と水を……」と、永琳は鈴仙に指示を出す。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 黒いロッドを操っていた少女はいない。船内へと引いたのだ。空中に張り付いていた緑の光弾も消えている。

 入道と一輪が交互に巫女を攻撃している。

 入道は接近戦を、一輪は遠距離戦を仕掛け、互いをサポートしながら巫女を追い詰めていく。

 入道に投げた護符は形姿を変えて避け、一輪は腕輪を回転させ護符を弾く。

 さらには空中船の鉛玉が、巫女を目がけて砲撃される。

 三方向からの攻撃に巫女は為す術がない。

 ただ、砲撃だけがゆっくりだった。

 砲台の死角に入る為に巫女は、攻撃を避けながら聖輦船に近づく。

 船の右舷――船尾の方に接近する。

 案の定、砲台は巫女に狙いを定めるには角度が足りないようだった。

 砲撃は封じた。

 しかし、入道がこちらに接近しつつある。

 右手に護符を生み出し構えようとした瞬間、背後に気配を感じた。

 左に首を回す。そこは緩やかにカーブする木製の船端があるだけ――ではなかった。

 直径五十センチほどのに船端が丸く切り取られていた。

 そして、そこから誰かが顔を覗かせている。

 青い髪。青い瞳。微かに見える服装も青い。

 船長の村紗水蜜、砲撃主の寅丸星、服砲撃主のナズーリン。そして、四人目の乗員――霍青娥が顔を覗かせていた。

 

「はあ~い!」と、軽い調子で手を振る女。

「あんたっ痛っ」と、巫女の右肩に激痛が走る。右肩を見る。

 額にお札を貼り付けた女が噛みついていた。

 星の付いた帽子。黒い髪、濁った瞳に土気色の顔。

 派手な赤い中華服。

 五人目の乗員――宮古芳香。

 鋭利な歯が更に深く食い込み、仮初めの体が食いちぎられた。

 

「あああぁーーーーーっ」

 

 激痛に悲鳴を上げる。

 痛みで苦しんでいる暇はない。

 

「アレ、肉じゃっ」

 

 歯を食いしばり、しゃべる芳香の顔に右肘を叩き込む。

 すぐさま肘を引く。

 体をひねり、回し蹴りを腹部に打ち込む。

 吹き飛ぶ相手を見る余裕はなかった。

 青髪の女は何をするのか、それを思案する余裕もない。

 入道が目の前にまで接近していた。

 入道が大きな拳を振り下ろす。

 身を躱す猶予はない。

 腕を胸の前でクロスさせ防御姿勢を取る。

 拳が、巫女の腕にぶつかる直前――入道の拳が鋭い円錐形の、槍のような形に変形し、少女の細腕を砕き、胸を貫く。

 間髪入れずに、入道の後ろから雲居一輪が飛び出す。

 身動きの取れない巫女は、彼女の膝蹴りを顔面に受け、雲の槍は巫女の体から抜けることなく砂塵と帰した。

 

「これ、本物じゃないわね」船内から覗いていた霍青娥が呟いた。「さしずめ式神ってところかしら?」

「……さあ、私には……」一輪は訝しむように青娥を見る。

「賢いやり方ね。事前に相手の戦力を推し量って……次が本番ってところかしら?」

「貴女は?」

「霍青娥よ。単なる魔界ツアーの乗客よ」

「確かにこの船で魔界に行く事は可能だが……」

「なんか先に報復したいみたい。千年前だったかしら?」

「ええ、そうよ……けど、こんな事をし、聖様どう思うのかしら」と、周囲を眺め、一輪はため息を零す。「それ、貴女が開けたの?」

「ええ、大丈夫。すぐに戻すわ――芳香、戻ってきなさい」

「あーい」

 

 けろりとした中華服の女が船内に入る。

 

「少し離れて、危ないから」青娥は、髪留めの鑿を持ち、くり抜かれた淵を反時計回りになぞる。

 仄かに縁が白く輝き、そして、くり抜かれて地上へと落下した部分は、まるで時間が巻き戻ったかのように浮き上がり、切り口にピッタリとはまり込んだ。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 「――――――――――」

 

 悲鳴にも似た声を上げ、魔理沙は上体を起こした。

 患者が起きたことで、輝夜は身を引く。

 

「魔理沙っ」と霊夢。

 

 荒い息を整えながら、周囲を見渡す。

 

「ここは……私は確か……」と周囲を見渡し、赤白の巫女が二人いることに気がつく。

 

 魔理沙の目の色が変わる。

 少女の金髪が揺れる。

 

「なんで、お前はまた――」

 

 立ち上がり、霊夢の胸ぐらを掴み引き寄せると、魔理沙は声を荒げた。

 その様子にビクリと鈴仙は怯える。

 

「魔理沙、止めて」アリスが割って入る。

「彼女に助けてもらったの。私も、貴女も」

「だから、何だって……」

「喧嘩なら外でやってもらえる?」と涼やかな声で永琳が言った。

「これで終わり? なら、私は部屋に戻るわよ」

 

 冷めた口調で、輝夜が部屋を出て行く。

 

「金髪に茶色のスカート……」アリスは地下で見た黒谷ヤマメの特徴を言う。「見たことない?」

「ああ、知っているさ。道に迷って家を訪れたんだ」

「魔理沙、貴女が倒れたのは、その子が原因なの」アリスが言う。「霊夢の感染させる為にわざと貴女に近づいたの」

「倒れた?」

「霊夢も倒れたのよ。彼女が助け出してくれたの」と、アリスはもう一人の巫女を見る。

 彼女は、魔理沙から目を反らして俯いている。

「××××××症よ。貴女がかかっていた病は。病状から、彼女より貴女の方が進行していたわ」と、永琳。

「黒谷ヤマメ。確かそんな名前だったかと……」と八雲藍。「地霊殿に住まう者」

「地霊殿?」と、魔理沙。霊夢は黙ったまま――

「妖怪サトリの屋敷名ですよ。数々のペットが住んでいて……」と式神の言葉が消え、「古明地さとりと戦ったのですか?」

 

 続けて、古明地さとりの特徴を説明し、アリスが言葉を返す。

 

「読心する能力。かなり厄介な能力ですが、彼女なら対抗できると考えたということでしょうか?」

「……」

 

 八雲藍の問いに霊夢は答えない。

 巫女の胸ぐらを掴んでいた力が緩む――と建物が揺れた。

 

「なんだ、地震か?」

「いいえ」

 

 魔理沙の声にスキマ妖怪が答える。

 

「船が――」

「聖輦船が人里を攻撃しているのよ」

 

 アリスの声を遮るように八雲紫が答えた。

 

「セイレイセン――」聞き覚えがないのか、魔理沙は顔をしかめる。

「千年前、博麗の巫女が魔界に封じ込めた聖白蓮の門下の船よ」

「千年……何だってそれが――」

「どこかの馬鹿天人が封印を解いたのよ。遊び半分でね」少し怒気がこもった声で紫が答える。

「それだけのことが分かっていながら、お前は何もしないんだ?」

 

 魔理沙が八雲紫に問い質す。

 

「それは博麗……霊夢の役目で、私の役目ではないわ」

「だが、お前は結界を張って、ここを――」

「霊夢、里の外に繋げたわ。行きなさい」

 

 魔理沙の言葉を遮り、紫はスキマを開け、霊夢に告げる。

 

「……」

 

 霊夢は何も言わず、スキマをくぐる。

 

「……魔理沙」

 

 もう一人の巫女が魔理沙の黒い帽子を差し出す。

 黙ったまま、魔理沙は手に取り目深にかぶる。

 魔理沙は「……私も行く……このまま……」と、言って走るようにゲートに潜った。

 もう一人の赤白の巫女も魔理沙の後を追うようにスキマに飛び込む。

 アリスは動けずにいた。

 足手まといで彼らの足を引っ張るのが怖かった。

 

「薬は後五錠か……ちょっと心許ないわね」と薬瓶からスキマ妖怪へと目を向ける。

「紫。あの子を呼んでちょうだい。薬を作りたいの」

「藍。お願い」

 

 空間を開け、式神が姿を消す。

 

「ウドンゲ、部屋を消毒する準備をお願い」

「はい」

 

 居心地の悪さを感じていた玉兎は、すぐさま部屋を出て行く。

 

「どうして、貴女は霊夢にばかり頼るの?」

 

 アリスはスキマ妖怪に問いかける。

 

「妖怪を牽制するべきは人よ」

「あんな状況にまで追い込まれて、それでも霊夢だけがすべき事なの?」

「そうよ。これまでずっとそうしてきたのよ」

「だからって――」

「はいはーい、あっ」

 

 明るい声が二人の間に割って入る。

 式神が開けた隙間から、少女が飛び出した。

 金髪に赤いリボン、青い瞳。黒のブラウスに赤のスカート。

 

「仲間だぁ」と、少女はアリスを見て言った。

「えっ」

「貴女の名前はなーに?」

「えっ、アリス……だけど」

「アリス、私はメディスン。この子の名前は?」

 

 少女はアリスの側にふわふわと浮いている人形を指さした。

 

「えっと、特に名前はないの」

「えー、ダメだよ。ちゃんと名前つけてあげなきゃあ」

 

 助けを求めるように、アリスは八雲藍の方を見る。

 

「彼女のメディスン・メランコリー。鈴蘭畑に捨てられた人形だ。長い年月を経て、妖怪化した者だ」

「……付喪神ということ?」

「まあ、その類でいいだろう……メディスン、頼みたいことがある」

「ん~なーにぃ?」

「また、いくつか抽出したい成分があるんだ。頼まれてくれるかい?」

「いーよ。アリスも一緒に行こう。仲間でしょう?」

「え? 私も?」と、メディスンが袖を引っ張る。

 

 アリスは困惑し、八雲藍の方を見る。

 

「貴女がよければ……構いませんよ」と、八雲藍は真顔で返した。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 涼やかの音を奏で、冷たい水が流れている。

 天界に流れる小川のほとりで、比那名居天子は釣りを楽しんでいた。

 天子の天界での退屈しのぎは、専ら釣りだった。きらきらと輝く水面と川のせせらぎ。

 大木が作る日陰の中に天子は座り、釣り針を川に垂らしている。

 少し離れた大木にもたれ、衣玖が本を読んでいた。

 衣玖はあまり喋らない。表情もあまり変えない。別に不機嫌ではない。天子が話しかければ普通に返答は返ってくる。

 今も話しかければ、簡単な返事が返ってくる。

 

「今日は中々釣れないな-」

 

 天子は小さく呟く。釣り糸は動かない。

 

「場所でも変えてみようかな?」

「――なら、水中にでも、沈めてあげましょうか?」

 

 天子とも衣玖とも違う声が混じる。

 

「総領娘様、あ……」

 

 天子の後ろでスキマが開き、スキマ妖怪が天人崩れの頭部を足蹴にする。

 

「……ぶないですよ」

 

 遅かったが、衣玖は最後まで言葉を口にする。

 

「私がここにいる理由は分かっているでしょう?」

 

 天子の側でゴトリと落ちる。瓦礫と化した博麗神社の転がっていたそれは、要石。

 

「あれ? ばれちゃった?」

 

 押し付けられる顔を力任せにあげ、天子は笑いながら言った。

 

「あそこは、あんたのような小娘が弄んで良い場所じゃないのよ」

「それくらいにしてもらえませんか? 八雲紫さん」

 

 紫が天子を足蹴にしている間に近づいた衣玖が、表情を変えずに言った。

 少し右腕を曲げ、人差し指だけを突きだし、銃のポーズを取る。

 指先からバチバチと青白い火花が散っている。

 八雲紫は視線だけを動かし、自分の右側に立っている人物に質問する。

 

「貴女は?」

「この子の付き人です」

「付き人? 飼い主の間違いじゃない?」

「少しやんちゃなところはありますが、大事な人なんです」

 

 相手が言い終わるやいなや、スキマ妖怪は右手を水平に伸ばす。

 拳の先はスキマ。その先に繋がっているのは、衣玖の右腕。

 紫が相手の腕を掴むより早く、衣玖が動く。

 構えた腕をずらし、電撃を放つ。

 初撃は意図的に外した。八雲紫に当たれば、足蹴にされている比那名居天子にも電流を浴びせることになるからだ。

 衣玖の今の電撃に大した力はない。

 当たったところでちくりとした痛みと体を痺れさせるだけ。

 初撃を放った後、すぐにスキマ妖怪の眉間に狙いを定め、電撃を続けざまに放つ。

 腕をスキマから引き、後方へと飛んで、相手との距離を取る。

 頭の重しが取れた天子が立ち上がる。

 

「さて、今度こそは博麗の巫女を連れてきて貰いましょうか!」




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NEXT EPISODE 【断章5】
森近霖之助は来客に声をかける。


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【断章5】

【断章5】

 

 

 人里から離れ、魔法の森の側にある店――香霖堂に彼女は訪れた。

 彼が店を始めたのは数年前。

 建物は小綺麗で、個人の家としてはかなり大きい。

 玄関扉は開き戸で、その上には黒墨で店名が大きく書かれていた。

 扉を開けると、鈴の音が鳴り響いた。見ると、開き戸の上に鈴が付いている。

 部屋は薄暗く天井が高い。

 書面に続く廊下はすぐに左へと折れている。

「ごめんくださーい」と奥へ向かって声を飛ばす。

「奥にどうぞ」と男の声が聞こえた。

 廊下を折れた先には扉もなく広がった空間が展開している。

 部屋には窓はない。

 左手側は棚になっており、壺や書籍、照明ランプのような物などが置かれている。

 部屋の中央には低いテーブル台が有り、奇妙な構造体がいくつも置かれている。

 右手側は引き出しの多い薬棚、奥にはカウンターと白髪の男――森近霖之助が座っていた。

 彼の眼鏡がきらりと光る。

 

「これは珍しい……」

 

 驚いた口調だが、表情はいたって平静だった。

 

「博麗の巫女とは……何をお探しで」

「実は――にプレゼントをしたいの。出来れば役に立つ物がいいのだけれど」

「――と一口にいっても、彼らは多種多様な研究をしている者達です。必要としている物とすると、かなり広範囲で限定的な物になりますね」

「そうなの?」

「具体的な名前を。もし、僕の知っている方なら、見合った物を提供することが可能ですが……」

 

 巫女は相手の名前を告げる。

 

「ああ、彼女なら――」と、霖之助はカウンターの下を覗き、一つのマジックアイテムをカウンターの上に置いた。

 

「これを買うために、がんばっていますよ」

「随分と古めかしいわね」

「……よく分かりますね。元々はこれより一回り大きかったのですが、深い傷が多くて、削って、研磨、染色。新品同様に仕上げたのですがね」

「見た目は新品。だけど魂っていうのかしら、それを見るとね」

「付喪神ですか?」

「どうなのかしら……まぁ、それを買うわ。いくらなの?」

 

 店主がさらりと金額を告げる。

 

「うっ! 結構するのね」

「一点物ですからね。これよりも高価な物はまだまだありますよ」

 

 霖之助は涼しげな表情で返す。

 

「はぁ、多めにお金を持ってきて正解だったわ」

 

 諦観の声を上げ、巫女は懐から財布を取り出した。

 

 

 ◇◇◇◇◇

 

 

 魔法の森の中にある一軒の家。

 彼女は外に掲げてある看板で名前の確認をし、ドアをノックする。

 開き戸のドアノブを回す。ロックはかかってない。

 玄関の扉は難なく開く。

 中は薄暗い。右手は二階へと上がる階段、左手にはドアが一つ、そして正面にドアが一つ。

 香霖堂の時のように声をかけるが、返事がない。

 人の気配はある。正面の奥の方で物音がしている。

 巫女は音のする方向に歩いて行く。

「ごめんくださーい」と再び挨拶し、ドアを開ける。

 中は雑然とした感じで様々なものがあふれかえっていた。

 部屋の外周は、二カ所の窓を覗いて、扉のない棚が設置され、雑然と元が置かれている。

 部屋の中央には香霖堂と同じくテーブル台が有り、奇妙な構造体がやっぱりというべきか

 いくつも置かれている。

 その器具の間に揺れる金髪が見える。

 そして――

 ぽんっと軽い音と共に、灰色の煙が一筋立ち上った。

 

「……ちょっと爆発したりしない?」

「そんな事はしないさ。これは赤い××××液が××鉱石と反応して青くなる時に起きる現象だ。液量も少なし、発生するガスも悪性ではないから大丈夫さ」

「へぇ」

「……って、あれ? 誰だ?」ひょこっと金髪の少女が顔を覗かせる。「客? お客なのか?」

「ええ、そうよ」

「東の巫女さんが! まさか転職? それとも魔法巫女という新たな職業が」と、言いながら、霧雨魔法店の店主――霧雨魔理沙はいそいそと動き回る。

「まず、魔法使いについて知りたければこの本、簡単な魔法を使いたいならこのハウツー本。これと一緒に×▽液や△▽鉱石の入ったこのキットを買えばすぐに魔法の効果を実践できますよ。さらにこの……」

「ちょっと待って」と巫女は矢継ぎ早に喋る少女を制止させる。「私は、魔法使いになりたくてここに来たんじゃないの」

「えっ」

「期待させて申し訳なんんだけど……」

「じゃあ――」

「貴方に買い取ってほしいものがあるの?」

「はぁ、買い取りかぁ」と、落胆の声を漏らす金髪の少女。

「見てもらえる?」

「んっまあ見てみるだけなら……」

「これなんだけど」

 

 巫女は先ほど香霖堂で買った物を懐から取り出した。

 

「それはっ! どこで手に入れたんだ」

 

 小さな魔法使いは目を見開いて驚いた。

 巫女からそれを手に取り、様々な角度から観察する。

 

「香霖堂よ」

「やっぱり……あいつ、どうして……」

 

 少女は手にとってそのマジックアイテムを見る。

 ミニ八卦炉。それがこのマジックアイテムの名前だった。

 

「どうかしら? 買い取ってもらえる」

 

 巫女の言葉を聞き、少女は巫女の方を向く。魔理沙の表情は暗い。

 

「その金額としては○○……何だが……欲しいし……買い取りたいんだが……あいにく手持ちの金が足りなくてな」少女の顔が赤い。「すぐには全額払えないんだ」

「お金なら要らないわ」

「え?」

「ただ、一つだけ頼みたいことがあるの」

「頼み?」

「博麗神社……場所は貴女も分かるでしょう」

「んっああ。行ったことはないけど」

「一度、遊びに来て欲しいのよ」

「? それだけか?」

「ええ、それだけよ」

「……割に合わなくないか? 私はいいけど……これ、かなり高かっただろう?」

「まあね。貴女がこれを受け取ったら、交渉は成立ってことでいいわよね?」

 

 

 ◇◇◇◇◇

 

 

 翌日、彼女はいつもと変わらぬ調子で娘の霊夢に出かけることを告げる。

 霊夢が母を見たのは、これが最後。

 以後、彼女を幻想郷で見た者はいない。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 午後二時頃、色々あって少女はあれから十日後、博麗神社を訪れた。

 少女は朱塗りの鳥居をくぐった。

 石畳の参道が真っ直ぐ拝殿へと流れている。

 どこか寂れた印象を感じる。

 周りを見渡す。

 誰もいない。

 境内の方に回まわる。

 縁側に一人の少女が座っていた。

 紅白の巫女。頭には赤いリボン。

 少女は彼女に声をかける。

 

「巫女ってのは、随分暇なんだな」

 

 小さな巫女は半目でこちらを見、「誰よ? あんたは」と返した。

 

「私は霧雨魔理沙。新米の魔法使いさ」

「魔法使いが家に何の用? 異変の解決をお願いしに来たの?」

「いや特に暇だったから、話し相手を探してっこに来たんだ。お前の名前は?」

「霊夢、博麗霊夢よ」と、簡潔に答えた。




NEXT EPISODE 【7月27日(5)】
「緋想の剣よ」
比那名居天子が叫ぶ。


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【7月27日(5)】

 【7月27日(5)】

 

 

 僅かばかりに開いた幽明結界という門を抜け、妖夢は慌ただしく白玉楼に戻ると、枯山水の見える縁側へと向かう。白玉楼の主はよくそこで酒を飲んだり、昼寝をしたり、まあゴロゴロとしていることが多い。

 はしたないが、駆け足で廊下の角を折れる。はたして、そこに主――西行寺幽々子は、朱色の座布団を枕に寝ていた。

 

「幽々子様、幽々子様、起きてください」

 

 主の肩を揺する。体を揺すりながら、二度呼び掛けると「んー?」と寝ぼけた声を出した。

 

「あら、用事は終わったの? だったら、何かおやつ作って」

 

 幽々子は体をゆっくりと起こし、寝ぼけ眼を擦りながら、従者に聞いた。

 

「いえ、その事で話が――」

 

 妖夢は、赤白の巫女から頼まれた事、下界で起こっている事を早口で伝えた。おっとりとした白玉楼の主は「ふあぁ」と大あくびをした後、のんびりと返事を返す。

 

「それは、私の仕事じゃないわね」

「やっぱり、そうですよね……」

「それは、小町の仕事。だから小町に言わないといけないわ」

「小野塚小町さんの所へはどうやって行くんですか?」

「あぁ、妖夢は行ったことがなかったっけ? ああ、だから私の方へ先によこしたのね」

 

 と、幽々子は言い「んんー」と両腕を上げて、伸びをした。

 

「それじゃあ、一緒に小町の所へ行きましょうか」

 

 妖怪の山の渓谷の先、その先にある中有の道。北へとそこを抜けた先にある三途の川へと冥界の二人は向かう。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 幻想郷の北に位置する妖怪の山。その山の麓――北東側に木々に囲まれた一軒の家があった。

 マヨヒガ。

 そう呼ばれている家。

 古びた家の主は、八雲紫の式神の八雲藍、その式神の式神である化け猫――橙。

 ここには彼女以外に様々な猫が住んでいる。

 二人の八雲が住んでいる家もねぐらの一つではあるが、彼女は専らここに住んでいる。

 

「なんかさーヤバそうだよ、ここも」

 

 外の様子を伺っていた赤毛の少女が心配げに告げた。

 長い赤髪は三つ編みに、三角形の猫耳が付いている。

 

「もう、あちこち砂嵐だらけ」

 

 深緑のワンピースを揺らし、外の惨状を付け加える。

 

「どうしよう」

 

 彼女――火焔猫燐の言葉に橙は当惑した声を上げた。

 橙が燐と出会ったのは、最近の事。

 燐は黒猫に化けることが出来ることもあり、すぐに仲良くなったのだった。

 

「私の家にしばらく避難しない?」

「いいの?」

「ちょっと暗い所だけどね」

 

 橙は頷き、燐は仕事で使う猫車に猫を乗せていく。

 全員を乗せ終える。

 

「橙、付いてきて」と、言い、燐は猫車を押し、東の方へと向かう。

 一際木々が固まっているその中に、地下へと続く穴がある。

 燐の住処の地霊殿、燐の仕事場――灼熱地獄跡など地下へと続く穴は幻想郷にいくつか点在している。

 鬼火で周囲を照らしながら地下へと降りていく。

 地霊殿はもうすぐ――と、随分と地形が変わっている。

 あちこちの岩盤がえぐれている。

「わぁ、すごーい」と、橙が周りを見て驚いた声を上げている。

 戦闘があったようだ。

 今は激しい物音はしない。

 時折カラカラと細かな岩屑が流れ落ちる音が聞こえるくらいだ。

 辺りの岩盤は非常に堅く、この穴が倒壊することはないだろう。

 岩に張り付いたように燐の仲間の妖怪達が散らばっている。とりあえず、一番近くに位置する霊烏路空の方に向かう。

 近づいてみると空は透明な球体に包まれていた。燐は恐る恐るその球状の膜に触れる。火傷を負う、あるいは電気的な刺激などを受けることはなかった。

 

「空、大丈夫?」

 

 透明な膜を軽く叩き、問いかける。

 

「うっ……うーん」

 

 空は頭を左右にふらふらと揺らしながら、呻くような声で答えた。

 目を回しているかのような感じで――目に見える外傷はなく、命に別状はないようだった。

 空の服――白いブラウスや緑のスカートやそこから伸びる脚、漆黒の翼のあちこちに御札が張り付いている。そのうちの一つ、スカートに貼られていた札が一枚消えた。

 この透明な膜は札のせいなのだろうと、燐は見当をつける。続けて、周りを見る。

 黒谷ヤマメ、水橋パルスィ、霊烏路空、そして古明地こいし。

 燐は目を凝らして見回す。やはり、燐の主人である古明地さとりの姿が見えない。

 嫉妬を弄ぶ水橋パルスィの元に燐は駆け寄る。彼女もまた球状の檻に囚われていた。空ほど、札が張り付いてはいない。頭を押さえ低い呻き声を漏らしている。

 

「パルスィ、さとり様の姿が見えないんだけど、どこにいるか判る?」

「たぶん……微かに見えた感じだと……」

 

 燐の問いかけにパルスィは、天に指を指した。

 

「上に飛ばされたわ」

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 乾いた木が真っ二つに割れる音が結界内で響く。

 秦こころの面がまた一つ砕けた。

 すでに半数の面を破壊しただろうか。三十数枚の面を潰した。

 神子の指示により、二人の巫女は確実にこころの力を削いでいく。

 

「一体どうして、こんな事になっているのですか?」

 

 浮遊する面の数が減り余裕が出てきたのだろう。神子が二人の巫女に尋ねた。

 

「そりゃあ、こっちが聞きたいわ」と、黒髪の巫女が嘆息する。

「彼女は何か言っていませんでしたか?」

「……たしか、面を返せって……」と、もう一人の、蛙と白蛇の髪飾りの巫女が言葉を返す。

「面……ですか……」

 

 顎に手を当て、神子は少し考え込み、

 

「おそらくですが……その面、どこにあるのか心当たりがあります」

「――どこにあるの?」

 

 神子の言葉に秦こころがすぐに反応する。彼女は巫女の方ではなく、神子の方に視線を移していた。

 

「――どこにあるの?」

 

 面霊気が再び、神子に尋ねる。同時に分裂した面が音も無く、次々に消えていく……結界も消えていく。

 

「なによそれ、こんな事で解決するの?」

 

 黒髪の巫女は気の抜けた声を漏らした。

 

「何だったんですか、これは……」

 早苗も大きな徒労感を感じた。彼女にとって戦いなど外の世界では全くしていない。簡単な護身術を習ったぐらいで、霊力を費やすことなどない。

 無表情でずずずいーと神子に近づく面霊気。

 その様子を早苗らが見ていると、「霊夢」と、巫女の名を呼ぶ声が聞こえた。

 女の、その声は早苗と黒髪の巫女と近く――何もない空間が裂け、そこから聞こえる。

 声に遅れて、すぐに人が現れる。

 金髪の少女――といっても大人のような風格が早苗には感じられた。

 その姿の特徴と、空間が避ける出来事。

 二神から聞いている、この世界に結界を築いた妖怪だ。

 どこにでも自由に行ける扉を開く、異彩の能力。

 深く関わるべきではないと忠告された。

 彼女は早苗には興味が無いようで、軽く一瞥するだけだった。

 

「霊夢、手伝って欲しいことがあるの」

「……分かったわ」

 

 西の様子――見覚えのある少女の姿を確認し――を見やり、黒髪の巫女は了解する。

 

「あの……私は」

 

 当惑している早苗は東の巫女に、

 

「あんたは信仰を集めるんでしょ? ほら、今がチャンスよ」

 

 と、首の動きで里の現状を指し示す。早苗はその先を見る。

 人の救出や手当、倒壊した建物の瓦礫の撤去などで慌ただしい。怒号や悲鳴、泣き声が聞こえる。

 

「それじゃあ、がんばってね」「え?」早苗が何かを呟く前に、二人は虚空へと消えてしまった。

 

「早苗殿、彼女は一体……」

 

 目の前で起きた不思議な現象に神子が早苗の方に顔を向ける。

 

「私も最近ここに来たばかりで……詳しくは知りませんが、ああいう力、どこでもドア? が使える人? 見たいです」

「どあ?」

「ええとっ、とにかくあまり関わらない方がいいみたいです。実力行使となったら、おそらく勝てないでしょうし……それよりも」

「傷ついている方々を助けましょう」

 

 と言う神子の袖をクイクイと面霊気が引っ張った。

 

「あぁ、先に貴女の面を拾いましょうか」

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 天界とは別の所に一時跳躍し、紫は巫女に経緯を説明する。

 天人の体は強靱で飛び道具はあまり効果が無かった。それは以前の戦闘で得た経験。

 比那名居天子のすぐ側に空間を開き、ただ拳を突き出す。それだけで勝てる……筈だった。

 天子の顔面に向けた拳は、体を後ろに倒して拳を躱す。さらにはその突きだした腕を掴みかかる。すぐに拳を引く。

 同様の事を行うも、それは全て避けられる。理由は永江衣玖が喋る言葉にあった。彼女は比那名居から少し離れた空中にいる。

「頭」「右肩」「左腕」と、彼女が天人に短い言葉で指示していた。

 しかし、衣玖の指示は非常に素早い。スキマを展開した直後、言葉を発している。

 

「どういう事……」

 

 紫は小さく呟く。別に問いかけたわけではないのだが、

 

「私は――」

「衣玖は空気の流れが分かるのよ」

 

 本人の言葉を遮り、天人くずれが得意げに喋る。

 

「だから、あんたのお得意のスキマなんて全然怖くないわけ、分かるぅ?」

「…………」

「分かったんならさぁ、あの博麗の巫女を呼んできてくれなぁーい」

「…………と言うわけです。手間をかけたくないなら、彼女の望む博麗霊夢を連れて来てください…………それと…………」

 

 竜宮の使いである妖怪――永江衣玖は目を細め、スキマ妖怪に使いを命じる。

 衣玖の周りの空気がバチバチと帯電した。小さな光があちこちで発している。

 

「私がそれしか出来ないなんて、思わないでくださいね…………」

 

 紫は少し逡巡し、本意ではないが身を引いた。

 

 

「……と言う訳よ」

「まったく、この忙しいときに……無茶苦茶してくれるわね」

 

 紫の話を聞き、頭を掻きながら巫女はため息を漏らす。

 

「まあ、なんとかしないといけないか……何度も壊されたらたまったもんじゃないわ……」一拍おき、言葉を続ける。「紫にひとつ頼みたいことがあるんだけど……」

 

 

「まさかこのままって訳じゃあないわよねぇ」と呟く比那名居天子の前方で空間が裂けた。

 

「……さて、お望み通り来てあげたわよ」

 

 スキマから降り立った巫女は、天子に対峙する。

 

「やっと突き止めたようね。私があんたの神社を破壊したのよ」

 

 ふんぞり返る天人くずれ。

 

「さぁ、また壊されたくなかったら私と勝負して、勝ちなさいっ」

「…………」

 

 得意げに喋る天子に対して、永江衣玖は黙って巫女を見つめるだけ。

 天界の大地に仁王立ちしている天子。その少し後方で宙に浮いている黙する少女。

 

「紫は手を出さないで。私一人で十分よ」

「ふふん、ホントにそれでいいの? 後悔するわよ。こっちは衣玖のサポートがあるんだから」

「…………」

「私は……」巫女はすぐ側の地面に護符を投げる。そこから、六体の巫女が浮かび上がった。「こういうことができるの。だから一人で十分よ」

「ふん。強がって、すぐに後悔するわよ」

 

 黒髪の巫女は天人の言葉を最後まで聞かず、後ろに飛んだ。

 その瞬間、立った今巫女が立っていたところに人よりも大きな歪な円錐型の要石が落下した。

 振動と土煙が舞う。

 その土煙と要石の死角を利用し、天子が前方へと飛び出す。

 六体の巫女が前方に飛ぶ。

 天子は前進する巫女に赤い閃光を放とうとするも、塵埃を裂いて飛ぶ護符を裂けるため身を翻す。

 それを躱したのは衣玖の声のお陰。

 すかさず、天子を狙っての物なのか、数枚の札が次々と土煙を裂いて飛び出してくる。

 同時に六体の攻撃を予想する天子だったが、彼らの狙いは後方にいる衣玖のようだった。

 赤い閃光を前方方向に出鱈目に放ち、視界を晴れさせる。

 赤閃は巫女にかすりともしない。

 巫女は天子と距離を取るために後方へと跳躍する。

 それを追う天子。

 一方、六体の巫女は衣玖に対して護符を放つ。

 同時にではなく一体一体、彼女の回避先に合わせて攻撃する。

 彼女は上へと回避するだけで、攻撃は行わない。

 複数の巫女が無表情で攻撃をしながら、衣玖の周囲を囲うように移動する。

 上に下に右に左に前方に、そして後ろに回る。

 

「…………こんな事をしても無駄なのに…………」

 

 衣玖にしてみれば、多少回り込まれたところで攻撃をかわすのは簡単だった。

 相手の砲撃は直進的、空気の流れからどこに動けば回避できるのか、簡単に判る。

 もっと相手が距離を詰める、あるいは数で押すか――が、突如半透明な蒼い壁が現れた。

 六体が封魔陣を展開したのだ。六つの陣は隙間なく展開し、彼女を閉じ込める。

 

「…………っ…………」

 

 同時にブツリッと天子に伝えるべき言葉が遮断され、衣玖は焦る。

 ノイズが消えた。

 受信器と発信器は隔絶されたのだ。

 

 

「それは電話機だね」と、河童の一人――河城にとりが言っていた。

 あれは昔、衣玖がたまたま拾った物だった。

 外観からそれは明らかに外から紛れ込んだ物だと判る。この世界ではたびたび起こる現象だが、誰もそれを咎める者などいなかった。張り巡らした結界に不備があるということなのだろう。

 河童が外の世界のガラクタを集めていることを知っていた(というか有名らしい)衣玖は、それがどういった物なのか何となく知りたくなり、河童の住処を訪れた。

 自称技術屋のにとりが言うには、電話機とは音を遠くに伝える物だという。音を吹き込む発信器と音を伝える受信器。

 衣玖はお金を貰う代わりに目立ちにくいもっと軽量化したものが欲しいと言った。

 河城にとりは小さくするほど性能は下がると言ったが、衣玖はそれでも構わないと返す。

 自身の能力を見せ、にとりが納得する。

 糸電話は振動で音を伝える。電話機は振動の波を電気の波に変換して伝える。

 結果、衣玖は小さな発信器と受信器を二組手に入れた。

 

 

 発信器はお互いに胸のリボンに付け、受信器は耳(髪で隠れて見えにくいが)にイヤリングという形で身に付けた。

 たとえ自身の肉声が届かなくとも、イヤリングを通して、言葉を伝えることができる。

 ノイズが多いがそれが途切れた。

 目の前の青い壁に電撃を放つ。しかし、結界はビクともせず、電撃は跳ね返り、衣玖自身に浴びせられる。

 壁は少しずつ狭まっていく――と、衣玖の後ろで空気の流れが変化する。

 前方へと体を寄せようとするも、その前方でも空気の流れが変わる。

 衣玖の予想通り、スキマが開帳し、腕が伸びる。八雲紫の腕。

 

「…………っくっ……」

 

 その腕が永江衣玖の胸ぐらを掴み、前へと引っ張る。

 スキマが大きく広がり、スキマ妖怪が顔を覗かせる。その瞳は鋭い。

 

「貴女は降伏しなさい。最初から貴女は私達に手を出すつもりなんてないんでしょう? あの子供が大事なんでしょうが……貴女が本気で私達に対立しようものなら、彼女はあれを殺すことはないでしょうけど、私は殺すわよ。どうなの? 返事は三秒以内しなさい」

「判りました。降参します」

 

 

 ブツリッと音が消え、比那名居天子は後ろを振り返る。永江衣玖のいた所に青いキューブが浮かんでいた。

 

「衣玖っがっ!」

 

 巫女の蹴りが天人の鳩尾にめり込み、後ろに飛ばされる。

 

「痛いったぁ。頑丈ってのはホントみたいね」

 

 響く脚をブラブラされ、巫女が呟く。

 

「あの子には降参してもわうわ。私があんたに勝つと、あんたは負けた原因をあの子にするでしょう?」

「……そんな事しない」天子は立ち上がる。

「そうかしら? あんたみたいな子供はよく人のせいにするのよ。それに彼女の声に従い続けるのは嫌にならない? どこかで”黙って”って言うんじゃないの?」

「そんな事はしない」

「ホントに? サシで勝負した方が判りやすいでしょう? どっちが強いか、なんて」

「ふん、後悔しても知らないから」

 

 強気の顔を見せる天子。

 

「じゃあ、本気で行くわ。緋想の剣よ」

 

 叫び、天子を天へと顔を上げ、右手を掲げる。

 青白の巫女は空を見る。ゆっくりと流れる雲があるだけ――

 

「――っ!」

 

 咄嗟に巫女は左に跳躍する。

 さっきまで立っていた所を何かが後ろから通り過ぎた。

 天子は前方に跳躍し、前から飛んできた緋想の剣を掴み、飛んでくる札を避ける。

 赤い気を纏った剣を振りかざす。

 三日月型の赤い気が放たれ、博麗の巫女を目がけて空を切る。

 姿勢を下げ、赤い斬撃を躱す。

 青白巫女が護符を投げる。

 しかし、それは相手にまで届かない。

 巫女と天子の間に要石が落下し、札を弾いた。

 再び一面に土煙が舞う。

 巫女は素早く後ろに引く。

 要石がその場で回転し、土埃が広がり、視界が晴れていく。

 天子は片膝をつき、左手で大地を触れる。

 博麗の巫女が立っている大地が円形状の切れ目ができ、凄い勢いで立ち上った。

 

「ぐっ」

 

 押し潰されそうな圧力。

 下へと引っ張られる強力な力に片膝をつく。

 両手を地につけ、倒れこまないよう踏ん張る。

 大地の上昇はゆっくりと止まった。

 お陰で吹き矢の矢のように飛ばされることはなかった。

 しかし、間髪入れず、天子が斬りかかる。

 

「伊邪那美よ、退け」

 

 博麗の巫女が唱えると、せり上がった大地が下がっていく。

 天子の斬撃が髪を掠めた。

 だが、天子の攻撃はそれで終わらない。続けざま、斬りかかる。

 

「もらったぁ」

「金山彦命よ、刀を成せ」

 

 右手を掲げ、巫女が叫ぶ。

 一瞬で周囲の金属成分を収縮させ、巫女の右手に一振りの刀が現出する。甲高い金属音が響かせ、刃がぶつかる。

 刃を押し付け、その反動を利用し、巫女は身を後ろに引く。

 天子は赤い閃光を放ち、巫女を追う。

 刀で弾き、地面に着地すると、そのまま地を蹴って天人と距離を取る。

 顕現した刀は本物とは違い柄の部分も金属で使いづらい。

 天人が自分を追って着地するタイミングを狙って、刀を投げる。

 天子もまた巫女の動作を見、彼女に向かって緋想の剣を投げた。

 巫女は顔を目がけて飛んできた緋想の剣を、首を横に振って躱す。

 一方、天子目がけて投げた刀は天人にかすりもしない。

 真っ直ぐに巫女を目指す。

 巫女はこちらに向かう天人に護符を投げる構えを見せ――その時、上空から岩が落ちてきた。

 一つだけではない。次々と落ちてくる。大地を抉る破壊音を立て、地面に突き刺さる要石の数々。

 巫女は身を翻す。

 

「剣よ」叫び、天子は大地を蹴り、上空へ。

 上から砂塵舞う舞台から巫女を探す。

 一方の巫女は砂金の中で天石門別命の名を呼ぶ。

 ちらりと天子の瞳に青い色の何かが写った。

 すかさず、天子をそれに向かって斬りかかる。

 

「今度こそ、もらっ……」

 

 緋想の剣を振り下ろす瞬間、その青いものがフッと音もなく消えた。

 剣は大地にめり込む。

 緋想の剣を引き抜いたその時、天子の前に土埃のカーテンから博麗の巫女が躍り出た。

 彼女の右手は前に突き出され、天子の頭をがしりっと掴み、そのまま天人の後ろの要石に叩き付ける。

 ちょうど天子の頭の所に注連縄が撒かれており、岩に直接叩ぶつけられることはなかった。

 それでも、その衝撃に脳を揺さぶられ、息が詰まる。

 顔から手が離れる。

 天子は巫女に「神須佐能袁命よ、捉えて」掴みかかろうとするが、鼻先に刀の刃が突きつけられ制止する。天子の頬に汗が流れた。

 

「痛っ」

 緋想の剣を踏みつけられ、剣を掴んでいた手が地面に叩き付けられる。

 

「触らない方がいいわよ」青白巫女が目を細める。「神が造った刀よ。切れ味がかなりものもだから」

「なによそれ。神様の力を借りたっていうの?」

「そうよ」

「卑怯よ。そんなの」

「人一人のできる事なんて高が知れてるのよ……まあ別に使わなくてもよかったんだけど、せっかく覚えたし」

「ふんっ、えらそうに。今度はそうはいかないから」

「今度なんてないわ……死にゆく者にはね」

 舌をだす天人にいつの間にか近くに降り立った八雲紫が淡々と告げた。近くには永江衣玖も立っている。

「はっ。私が死ぬなんて、そんなわけないでしょう」刀の檻の中で嘲笑う。「だって私は天人なんだから」

「……何も知らないのね、天人くずれ」冷めた口調で紫が呟く。

「五衰ね。かわいそうに」巫女が同情の欠片もなく、

「なによ、それは」

「衣裳垢膩、頭上華萎、身体臭穢、脇下汗出、下楽本座」と、再び八雲紫。

「えしょ……何言ってるのか、全然判らないんだけど」

「えしょうこうじ、ずじょうかい、しんたいしゅうわい、えきげかんしゅつ、ふらくほんざ。貴女の状態がどんな状態なのか言ってあげたら」と、再度スキマ妖怪が呆れ声で繰り返した。

「頭上華萎、以外の全て症状が……」と、衣玖が静かに告げる。

「嘘でしょ? だって私こんなに頑丈なのに……」

「天人が不老不死だとでも思っているの?」

「かわいそうに」と青白巫女が哀れんだ目で天人を見る。

「嘘よ。だって私全然元気だし……」

「――いいえ、間違いなく死ぬわ」

 

 突如、頭上から声が聞こえた。四人が同時に顔を上げる。そこにいたのは背の低い薄紫色の髪の少女。

 

「誰?」

「だって彼女は、すでに二人の天人を見殺しにしているんだから」

「古明地さとりよ」巫女の疑問にスキマ妖怪が答える。「地底に住む妖怪の一人よ」

「地下暮らしの妖怪が何でまた……」と巫女が呟く。

「その女も”心の中”でそう言っているわ」

 

 さとりの言葉で三人の視線が永江衣玖に向く。

 

「…………」

「え?」と、目を丸くする天子。

「どうゆうこと?」

「彼女は人や妖怪の心を読み取る妖怪よ」と、巫女の疑問に八雲紫が答えた。

「心を読むなんて随分と厄介な妖怪ねぇ」

「その女はすでに一人の天人を殺しているわ」

「殺してなんか…………私はあの人の意思を尊重して…………彼は天人としての生なんて望んでいなかった…………人として生きていたいって…………それに…………私はただあの人が私の料理を嬉しそうに食べてくれるから…………」

「この子供と同じく、他人の都合で天人となった人がいたみたいね」

「ふんっ、本音が見え見えね。そんな事で殺しちゃうなんて酷い女ね」

「? どういう事?」

「彼らはそういうことには興味を無くすのよ。心変わりが怖かったってところかしら」

「もっと判りやすく言ってよ」

「人の時の欲求が希薄化するのよ」

「もっと具体的に言って」と、巫女は眉をひそめる。

「人の三大欲求は睡眠欲、性欲そして食欲。これらを必要としなくなるの」

 

 彼らは仙果という桃と丹を食べる、それだけだと紫は付け加える。

 

「へえ。つまんないわね」巫女は肩をすくめた。

「しかし、むかつくわね。あんたもニセモノなわけ?」

 

 巫女を指差し、さとりは苛立つような声を上げた。

 

「何がよ?」

「何であんたも心が読めないのよ。人も妖怪も何だって、何者だって――私に掛かれば心の裡を隠す事なんてできないはずなのに」

 

 古明地さとり。心を読む妖怪。心を読み取る、それこそが自らのアイデンティティー。

 こんな短時間に心を読み取ることができないことが起こるのは屈辱的だった。

 心の読めない覚はさとりであらず、ならば自分は何者なのか?

 今まで心の読めなかったものがいなかったわけではない。

 たった一人、卑近な者として妹のこいしがいる。

 しかし、彼女は例外。心を読み取るメカニズムを知って(?)いるが故にできることなのだ。

 その怒りを、鬱憤を晴らすために衣玖の心をつついた。

 

「ヒトモドキ。あんたは一体何者なのよ」

 

 巫女はさとりの言葉を聞き、俯き、小さく呟いた。

 

「ゎ――――――」

 

 その言葉は誰にも聞かれることはなかった。続けて「紫」と、彼女の名を呼び、右手の握りしめた拳を横に伸ばした。

 その拳はスキマの中へと消え――

 

「ホントむかつくのよ。にんげっ」

 

 スキマの先――さとりの顔正面にへと繋がり、妖怪の顔にめり込み、言葉が途中で消えた。

 よろめいたさとりの首根っこを紫がスキマ越し掴み、もう一つのスキマへぽいっと投げ捨てた。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

「どうする? 探しに行く?」

「結構、今地上荒れてるよ?」

「う-ん?」

 

 球状の膜から解放された妖怪達が相談している中、上から地霊殿の主が降ってきた。

 

「あっ、帰ってきた」と、暢気な声で空が言った。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

「衣玖、私まだ死にたくないよ」困った表情を浮かべる天子。

「えっ、私は総領主様があの人のように人で有りたいと……」

「私、そんな難しいことなんて考えないよ。ただ、あんな事一日中しているなんて退屈なだけ」

「…………そう……なのですか…………」

「どうしたらいいの?」

「徳を積む事よ。私としてはそのまま自死でも何でもしてほしいけど」と、紫がぽつりと言った。

「徳?」

「言い換えるわ、善行を積む事」

「善行っていっても何をしたら――」

「なら、地上に降りなさい」

 

 困り顔の天子に巫女が静かに言った。

 

「地上……そこで私は何をしたらいいのよ?」

「人里に来れば判るわ」巫女はスキマ妖怪を見る。「紫、地上に戻して――それと、少し休んどきなさい、大変だろうから」

「どういう事よ?」

「さぁ、先の事なんて詳しくは分からないけれど、用心はしといて」

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 ナズーリンは泣いていた。

 

 

 戦闘が一段落し、船内から甲板に出る。改めて、一輪と話をしようとしたのだが西の方を見て愕然とする。

 自分の家――掘っ立て小屋がなかったのだ。ナズーリンは言葉を失う。

 小屋があった場所には大きな岩が転がっていた。そして、その周囲にはえぐれた地面。明らかに聖輦船の宝塔によるものだった。

 寅丸星に対する怒りと住処を無くなった悲しみが混じるナズーリンは星に詰め寄る。

 

「なんで私の家が無くなっているんだっ!」

 鼻声混じり声に星と水蜜は同時に「えっ?」と、何も知らないといった声を上げた。

「どういう事?」

 船長が西の方を見る。砲撃主も。

「なんて事してるの、星。あそこは、ナズーリンの家があるのよ。二百八十一年前に貴女に言った筈だけど」

「わざとじゃないんだ、ナズーリン。あの岩が弾かれて、結果的にああなったんだ」

 とぼけた調子の星を殴ろうとしたナズーリンを一輪が抱き留めた。

 一輪の胸の中でナズーリンは泣き崩れる。

 

「大丈夫。きっと、聖様がなんとかしてくれるわ」

 

 一輪がナズーリンの頭を撫でる。

 

「この辺りにしといて、魔界に行く?」

 村紗は言うが、「――すぐには無理みたい」と続けた。

「どういう事?」

 

 ナズーリンの背中をさする一輪が尋ねる。

 

「こっちに近づいてる」

 

 村紗の目に映るソナーに二つの影がこちらに向かっていた。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 スキマから出た途端眩い光が魔理沙を出迎えた。

 咄嗟に手で目をかばう。

 破壊音を立て魔力の塊が魔理沙の横を通り過ぎ去り、周囲を見る。

 

「――なんだよ……これは――」

 

 里の様子を見て、魔理沙は言葉を失う。

 北側の建物はグチャグチャ。地面は抉れ、それは東へと延び博麗神社も巻き込んでいた。

 神社の姿は見る陰もない。

 爪痕から空中に立つ一人の少女が里を守っていたことが判る。彼女と目が合った。それは一瞬だけだった。彼女は霊夢の方を向く。

 

「遅れてごめんなさい」と、結界を張った少女に霊夢が謝った。

「こっちは私でなんとかするから……お願い」

「まかせて」

 

 霊夢は聖輦船の方に顔を向かう。船が再び暖色の光を放つ。

 魔理沙はミニ八卦炉を握り、前にかざした。

 

「マスタースパーク」

 

 船からのオレンジの閃光と、魔理沙の手から放たれた白の閃光が衝突する。

 そのエネルギーは拮抗し、目標を貫くことなく消えてしまう。

 

「あれは私が止める」

「うん……無理はしないで」

 

 霊夢は頷き、聖輦船へと飛んでいく。

 魔理沙の後を追うようにスキマから出た赤白の少女は里を守っていた自分と同じ顔の少女の元へ飛ぶ。

 再び、船から光。聖輦船との距離を詰めようとした魔理沙は「マスタースパーク」と叫び、エネルギーの塊を放つ。

 歯を食いしばり、出力を上げる。

 やはり互いの的にまで届かず消えてしまう。しかし、先程よりはこちらの閃光が押していた。

 白光の消滅と共に体が脱力感に襲われるが、その虚脱感に身を任せるわけにはいかない。里の防衛をまた彼女に押し付けてしまうことになるからだ。

 全部消し飛んでしまえ――

 腹立たしさを魔力に込め、聖輦船の閃光にぶつける。

 そして、十三度目のエネルギーの白刃はオレンジ色の刃を押し潰し、聖輦船の左舷を抉った。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 聖輦船は霊夢に対して正面を向いてはいない。正面から40度ほど傾き、右舷を晒していた。

 近づくにつれ、その船体の大きさに霊夢は圧倒されるが、構わず前へと進む。

 船尾の方で動きがあった。

 黒い――金属色のものがせり上がる。

 長い筒状のものが船首の方に伸びている。

 ゆっくりと筒先が霊夢の方へと向けられた。

 金属の長い筒を見て、吹き矢と連想した霊夢は瞬時に身構える。

 

「封魔陣」

 

 赤い結界を眼前に展開する。

 同時に河城にとりが聖輦船に取り付けたガトリングガンが火を噴いた。

 夥しい弾丸が博麗の巫女を襲う。

 高速で撃ち放たれる金属玉の数々に後方に押されそうになりながらも耐える。

 踏ん張る巫女の上空から白い靄が降りてくる。

「雲?」呟く巫女の前でそれは次第に巨大な拳と厳めしい老夫の顔を形作り、少女に襲いかかる。

 

「入道か――」

 

 霊夢は力を抜き、銃弾の勢いに身を任せて後退する。前方右手に人が見えた。

 紺色の頭巾をかぶった女――雲居一輪。僅かだが、何かをこちらに投げるような準備動作を捉える。

 弾丸が靄を貫き、結界が弾く。その顔に変化はなかった。

 拳が下へと流れ、再び霊夢の方に向かってくる。

 弾雨を終わっていた。

 霊夢は左に飛んで拳を避けつつ、護符を投げつける。白い雲はふわっと札を避けるように割れた。霊夢にとってそれは予想通りの結果だった。

 結界を尼僧の方に向ける。相手は距離を詰めようと近づいている。

 船の方を見ると先程の金属塊は小さな細い煙を出していた。

 甲高い音を立てて結界が薄い円形の金属を弾き、消滅する。

 

「雲山」

 

 一輪が叫んだ。それが入道の名前なのだろうと霊夢は確信する。

 雲山は一輪と対称の位置に回ろうとしていた。

 霊夢は護符を一輪に向かって投げ、距離を詰める。一輪は持っている戦輪で弾き、反対の手で白い光弾を放つ。

 横に飛び白光を躱す霊夢。距離を詰めた一輪が巫女の顔面に向かって拳を打つ。

 霊夢は払うように受け流し、一輪の顔面に向かって拳を打つ。

 弾いたはずの戦輪が音もなく、一輪の顔の前に移動し、つきだした拳の右手首を輪に引っかけ、外側に引っ張る。

 拳は相手に届かず、更には体勢を崩され、鳩尾に一輪の右膝が食い込んだ。

 衝撃に息が詰まりながらも霊夢はすぐに戦輪から腕を抜き、戦輪を掴む。戦輪の妖力を霊力で浄化させる。

 右腕を支店に体を反転させ、相手の背中を蹴り込もうとするが、軽い身のこなしで一輪は避けた。

 これで挟み撃ちはなくなったと思った瞬間、すぐ側を何かが通り過ぎた。それは森に着弾し、土煙を上げ木々が倒れた。

 目だけで発射先を見る。聖輦船からの砲撃だった。霊夢は後ろに飛ぶ。

 正面には一輪、その奥に入道の雲山。

 一輪が雲山の壁となり、攻撃ができないと思っていたが、一輪の後ろの白雲が放射状に伸びた。

 先の鋭い蜘蛛の脚にも似た白い針。巫女の体を串刺しにせんと次々と襲いかかる。

 空を切り、砲撃が横切る。

 左手の指に挟んだ護符で一本を切るがまるで手応えがなかった。それでも四方八方から迫る白槍を切り落とし無効化する。

 だが、その間にも一輪は動いていた。

 気がつけば、眼前に尼僧の姿。

 彼女は左手に握った戦輪で巫女の首を狙う。

 霊夢は右手に握っていた戦輪でそれを弾く。

 だが、一輪の膝蹴りは躱せなかった。

 

「っ!」

「さっきの女より弱いわね。動きも鈍いし――貴女、本気? それともこちらを馬鹿にしているつもり? 貴女も本当の巫女じゃなくて、さっきと同じ式神かしら?」と言いながらも、弾かれた戦輪を巫女の顔面を狙って投げた。同時に霊夢もまた戦輪を投げる。

 甲高い金属音を立て、服を掠めて落下していく。

 すかさず空を蹴り、霊夢は右腕を振りかぶる。一輪の顔面を狙うも、ずっと相手は後退し、空振りする。一輪の鼻先を長い袖が掠めた。

 一輪は交代と同時に博麗の巫女の顎を狙って、右脚を蹴り上げる。

 霊夢は左腕でそれを受け、押し返すように後退した。

 

「さぁ、どうかしら?」

 

 顔を歪めつつ答える霊夢。

 実際、霊夢の体の動きは鈍かった。

 毒された体を回復させるために加速された数日の時間は筋力を弱らせていた。

 一輪の背後から白い槍の群れが飛び出し巫女に迫り来る。

 霊夢は後ろに飛び、一輪を狙って護符を投げる。

 本来なら身動きの取りづらいはずの一輪は物ともせず、護符を弾き、あっという間に距離を詰められる。

 

「封魔陣」

 

 赤い結界を紡ぎ、相手の進行を止める。

 一輪は結界を蹴って跳躍する。一方、雲山は下から回り込もうと動き始める。

 霊夢は結界を消し、雲山に向かって護符を一つ、続けて一輪に向けて護符を投げた。

 先の護符の周囲に水の膜ができる。雲山は膜の内と外の二つに分かれてしまう。

 顔の方は水膜の内側。

 白い槍で水の層を突き破ろうとするが、白い泡の連なりと突き破ることはできない。外のほうは只の白い靄となった。

 一方、一輪に向けた護符は彼女の周りを暗闇と化した。すぐさま霊夢は一輪に向けて飛ぶ。

 左手を右の袖口に入れ、

 霊夢の予想通り、一輪は後退した。暗闇から抜け出した彼女に接近す、顔を狙って右腕を

 振り上げた。

 しかし、拳は僅かに身を引いた一輪の鼻先を掠める。

 涼しげな表情を浮かべていた尼僧だが、その表情はすぐに崩れた。

 一輪の左のこめかみに重い衝撃。

 氷の塊を入れた巫女服の長い右袖が相手の頭を横殴りする。

 すかさず、霊夢は相手の胸ぐらを掴み、一輪の首筋に護符を突きつけようとする――その直前、勢いを利用し、巫女の顔に頭突きを見舞う。

 霊夢は怯まず、一輪の首筋に護符を突きつける。

 

「引きなさい」鋭い目で霊夢は一輪を見る。先の鋭い護符を首に食い込ませる。

「私の両腕がまだ自由なのに、そんな事を言うの?」一輪は笑う。「そんな事をしても――同時に貴女も命を落とすことになるわよ」霊夢の胸元にくさびを打ち込むが如く揃えられた一輪の指が触れた。

「式神一人に貴女の命を犠牲にするの? 随分と貴女の命は安っぽいのね」

 

 固まった二人。

 その近くで破壊音が聞こえた。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 早苗は布都とは別に行動していた。

 布都は倒壊した家の瓦礫から人を救出する手助けをしていた。それが彼女の能力を十二分に発揮出来るかららしい。

 彼女は森羅万象の気を見ることが出来るようで、人の気を、瓦礫の気の流れを見て、効率的に瓦礫の撤去をしている。

 早苗は怪我人の手当の手伝いを行っている。

 包帯や消毒薬を運んだり、骨折している人の添え木で固定する手伝い、泣きぐずっている子供をあやしたり……

 喧騒や悲鳴は無くならない。

 

 

 ◆◇◆◇◆

 

 

 空飛ぶ船が煙を上げている。

 

「……そろそろか……」

 

 幻想郷の空に浮かぶ小さな古城――輝針城の側で呟く声。

 空飛ぶ逆さ城から彼女は赤い瞳で下界を観察していた。強者どもの諍いも一段落と言ったところか――

 風が吹いた。

 赤と白のメッシュが入った黒髪が、黒と赤のいくつもの矢印が連なったワンピースが揺れる。

 この風は神風なのだろうか?

 彼女――鬼人正邪は考える。

 かつて、これほどまでに人里を蹂躙した者がいただろうか?

 博麗神社をここまで破壊した者がいただろうか?

 恐らくはいない。

 そして、それを実行した者達は敗走の様相を呈している。

 彼らの敵対者もかなり消耗しているのでは?

 

「今がチャンス?」

 

 正邪に問いかける声。それは彼女の左肩から聞こえた。

 菫色の短髪に赤い着物をきた少女。帯には一本の針を武器として携えている。

 小柄過ぎる体躯の小人族。少名針妙丸。

 

「かもな……意外と早かったな」

 

 もっと何十年、何百年も掛けて行うはずだった下克上。

 その為にあれらをもっと色々な所に散らばらせる予定だったが――

 紅魔館のメイドにナイフを渡し、人のいない神社の倉をあさり、古めかしい棒を引っ張りだした。

 柔らかな風が顔を撫でる。

 鬼人正邪がここまで幻想郷が目茶苦茶になっているのを目の当たりにするのが初めてだった。

 強者達のつぶし合い。

 鬼人正邪が生まれる前の今から千年前、鬼と天狗の諍いが幻想郷で最も激しい争いだったと聞いている。

 それに匹敵する騒動ではないかと、正邪は考えた。

 

「これから始めよう――下克上を。針妙丸」

 

 正邪の合図に針妙丸は小槌を掲げる。

 

「さあ、秘宝よ! もの言わぬ道具に夢幻の力を与え給え!」

 

 打ち出の小槌を中心に発した見えない光が幻想郷全土を包んだ。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 魔理沙の攻撃により、里への被害は押さえられていた。

 時折、強い突風が吹く。

 二人の巫女は里に向かって飛んでくる金属玉を防いでいた。

 ――と、不気味な話し声がどこからか聞こえる。赤白の巫女は声の出所を探す。腰に挟んだお祓い棒からだ。右手でそれを引っ張りだす。聞き取れない声が次第に大きくなり――

 ずきんっと重い頭痛がした。

 顔をしかめ、お祓い棒を掴んだ右手で頭を押さえた。

 周囲が一瞬で暗闇と化し、巫女の意識はその闇へと飲み込まれた。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 大量の魔力の消耗に、体がだるさを訴えていた。

 魔理沙は宙に浮き、煙を上げる船の様子を伺っていた。

 ――と、不気味な話し声がどこからか聞こえる。魔理沙は声の出所を探す。右手に持つマジックアイテムからだ。聞き取れない声が次第に大きくなり――

 ずきんっと重い頭痛がした。

 顔をしかめ、ミニ八卦炉を掴んだ右手で頭を押さえた。

 周囲が一瞬で暗闇と化し、魔法使いの意識はその闇へと飲み込まれた。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 不気味な話し声がどこからか聞こえる。咲夜は声の出所を探す。

 左太腿から――

 ナイフホルスターからだろうか?

 いや――

 咲夜はホルスターからナイフを抜き取った。

 そのナイフは最近手に入れた物だ。

 門番の美鈴に呼ばれ、玄関に出ると白いワンピースを着た一人の少女が立っていた。

 胸元には大きな青いリボン。スカートの裾には矢印にも似た赤と黒の模様があしらわれている。

 大きな麦わら帽子を被っているのでその顔は見えにくい。

 微かに見える前髪は一部が赤と白のメッシュが入っている。

 側に立っている門番が言うには、お金の代わりにと、ナイフをと言うことで。

 聞き取れない声が次第に大きくなり――

 ずきんっと重い頭痛がした。

 顔をしかめ、ナイフを掴んだ右手で頭を押さえた。

 周囲が一瞬で暗闇と化し、メイドの意識はその闇へと飲み込まれた。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 遠くの空で、船が浮かんでいる。

 光の衝突が続き、今は煙を上げていた。

 アリスは黄色いマリーゴールドの花々に囲まれていた。

 側では、メディスンが一方的アリスに話しかけながら、花から必要な成分らしき物を引き出している。

 八雲藍はいない。

 彼女は次に抽出すべき花、あるいは木の場所を確認しに行っていた。

 それは小さな光の筋となって、手渡されたガラスの瓶に流れていく。

 白い粉がすこしずつ山になっている。

 

「それでね、わた……」

 

 メディスンの言葉が、唐突に途切れる。

 光の筋が崩れ去った。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 物部布都は空から不気味な気を感じ取った。

 上を向けど、空は緋色に染まっているでもなく、蒼い。

 言いようのない不気味さを感じた布都は一度、神子の元に戻ることにした。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 豊聡耳神子は地図に救出が終わった場所を書き込んでいた。

 面霊気は神子の後ろで蹲っている。たった一つの面の為に多くの面を失い、しょんぼりしている。

 筆を置き、神子は嘆息する。

 救出は順調のようだったが、この町を立て直すのは容易ではない。

 家々の破壊は凄まじい。元の状態に戻すのにはどれだけの時間が必要になるのだろうか――と、考えていた神子の耳に何かの異音を聞き取った。

 はっきりとは判らない。音ではないのかもしれない。もっと別の――そう考えていた神子の後ろで、

 

「――――――――」

 

 表現できない声。

 秦こころが獣のような咆哮を上げた。

 

 

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NEXT EPISODE 【断章1】
声に遅れて襖が開く。
現れたのは赤毛の女。
彼女の名前は――


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【断章1】 

【断章1】 

 

 

 彼女は生まれたばかりの子供を優しく抱きしめる。

 

「その子の名前は決めているの?」

「この子の名前は……霊夢。名前にしようと思うの」

 

 何気なく子供の名を聞いて、八雲紫は言葉を失った。

 

「……そう」

 

 紫は平静を装い、出産を終えた巫女に、興味のない素振りで答えた。

 彼女は生まれた子供を抱きかかえて、子の顔を見て微笑む。

 こちらの表情を、恐らくは読まれてはいないだろう。

 助産師としてここにきたワーハクタク――上白沢慧音も赤子に注意が向いていて、こちらの表情を見てはいないだろう。

 紫の心がざわめく。

 名前の由来を聞こうと口を開けたが、それ以上動かなかった。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 千年前。

 少しずつ――

 少しずつではあるが、幻想郷に諍いが増えつつあった。

 幻想郷――

 あの女が定義した、特に人と妖怪が近くに集まっている地域。

 かっちりとした枠があるわけではない。

 ただ漠然とした瘴気の森を中心とした領域。

 そこから北に進んだ山で妖怪同士の縄張り争いが起こり、その様子をゆかりは空からこともなげに見ていた。

 寒風が髪を揺らす。

 今は卯月(一月)の半ば。一年の始まりの行事が終わり、人々が普段通りの生活をしている。

 今年の冬は暖冬のせいか、雪は降っていない。

 その日も何の目的もなく地上を眺めていると、南東の方から女の声が聞こえた。

 人の集落の方で宙を飛ぶ白い服を着た妖怪兎の後を、同じように宙を飛び風呂敷を抱え白衣に緋袴を纏った少女が追っている。

 巫女は自分が誘い込まれていることを分かっているのだろうか。

 兎――因幡てゐの向かう先は彼女の住処である竹林だ。

 ゆかりはてゐが竹林まで、招き入れ集団で飛びかかるものだと思っていたのだが、彼女はくるりと振り返り、飛びかかった。

 ………………

 

「あっはははははーー、なによこいつ、すげーよわーーい!」

 

 高らかに笑い、てゐが少女の尻に蹴りを入れる。

 

「あんた、それでもあの神社の巫女? 弱すぎ、この私に楯突こうなんて百万ね早いのよ」

「うぅー……きゃんっ」

 

 少女は情けない悲鳴を上げる。

 

「その程度にしときなさい」

 

 蹴りつける白兎にゆかりが、肩に手をやり制止させた。

 

「なによ、あんたは」

 

 突然の乱入者をてゐは睨みつけた。

 

「こっちは彼女に用事があるの。引いてもらえる?」

「……」

 

 てゐは無言でゆかりを値踏みするように上から下までを見る。

 ゆかりは目を細め、妖怪兎を見ていた。

 

「ふん。運がよかったわね。今度、私に楯突こうものなら、死を覚悟することね」

 

 最後に一発、巫女の尻にべしっと蹴りを入れ、竹林の方へと妖怪兎は消えていった。

 

「痛つーっ」お尻をさすりながら少女が立ち上がる。「ありがとう……」

 

 肩の所で切りそろえた黒髪の土汚れを払い、少女がゆかりを見る。

 小さな顔に大きな黒い瞳。小さな口。どちらかと言えば美人の方の部類に入るだろうかと、ゆかりは頭の中で評した。

 

「ええっと……お名前は……」

「ゆかりよ」

「助けてくれてありがとう。ゆかりさん」

「貴女は何のためにあの妖怪兎を追いかけていたの?」

「あぁ、それはね」

 

 彼女は白衣の胸元に手を突っ込み、ごそごそと動かし、何かを引っ張りだす。

 巫女の開いた手には華やかな石の首飾り、鮮やかな石の数珠、光沢のある石があった。

 魔力のない只の石を少し飾り付けした物だ。

 

「これが幸運の首飾り、こっちが開運の腕飾り、それでこれが安泰の魔法石」

「……貴女、本当に幸運だか、開運だかが本当に来ると思っていたの?」

「うぅ……そうよ。悪い?」

「悪いわよ。貴女、あそこの……」集落には神社が一つあった。「博麗神社の巫女でしょう?」

「そうよ。でも、まだ修行中なのよ」

「……」

「彼にも勧めたの。ドン引きされたの。ようやく彼と手を繋ぐ仲にまでなれたのに。御陰でまた振り出しよ」

「……貴女、かなりの阿呆ね」

「うぅ、言い返せないわ」と、赤面する巫女服の少女。

 

 博麗神社。

 人の集落で神事、冠婚葬祭の儀式を受け持ち、人を妖怪から守る。

 この幻想郷で唯一、妖怪を凌駕する可能性のある力の血筋。

 

「妖怪退治もしているわりに……ずいぶんと頼りないものね」

 

 ゆかりの言葉に巫女は俯く。

 

「私はまだ新米で……空を飛ぶくらいしか、力がないから……」

 

 少し寂しげに答えて、顔を上げこちらを見た。目を輝かせている。

 

「でも、他のみんなは強いわよ。私は博麗の巫女の中で最弱。私に勝ってもたいした自慢にならないのよ」

「別に威張って言えることじゃないわよ。さっきの事だって下手したら貴女が死ぬのよ?」

「うーん……まあ、結果的にはそうはならなかったんだし、いいじゃない。貴女みたいな親切な妖怪もいることだしね」

 

 巫女は朗らかに笑う。

 

「あっ、そうだ。何か御礼をしないと」

「別にいいわ。私は大した事なんてしてないんだから」

「それじゃあ私の気が収まらないし……うーん、お腹空いてない? 私、料理はできるの」

「……」

 

 ゆかりは黙って考える。

 料理。

 食事なんて、生まれてこの方摂取したことがない。知り合いの鬼にお酒を勧められ飲んだことがあるくらいだ。

 そもそも、そんなことをしなくても、寝れば己の妖力は回復できる。

 ゆかりは黙って考える。

 人の肢体をもった妖怪はそう多くないとあの女は言った。

 だから、この肉体で生まれたことは意味があるのだと。

 とはいえ、自分の体を人の体をすみずみまで検分したことはない。

 どこまでも人と同じ事ができるのか、機能はしているのか?

 食べたものをきちんと消化できるのか?

 自分は子供を産むことができるのか?

 等々考えていると――

 

「あのー……どうかなぁ?」

 

 一向に黙って動かないゆかりに、少女が恐る恐る声を掛ける。

 ゆかりは黙したまま考える。

 人の事など自分はほとんど知らない。

 この近くにある集落についても。

 彼らのことを知ることは十二分に価値のあることだ。

 この頭の軽い女なら、ぺらぺらと喋ってくれるに違いない。

 

「それじゃあ、お願いしようかしら」

「貴女、名前は?」

「あっ、そう言えばまだ言ってなかった。水無月……じゃなかった。博麗、博麗霊夢よ。よろしく」

 

 

「ゆかりは凄い事ができるのね……妖怪はみんなこんな事できるの……んな訳ないか……」

 

 スキマをくぐり抜け、霊夢は感心した声で自己完結する。

 

「ここがゆかりの家ね」

 

 少女は目の前の家をもの珍しそうに見る。

 だが目の前にある家は別にどこにでも転がっている家だ。

 葦を敷いた屋根の竪穴住居と人が呼んでいる家。

 位の高い者であれば、寝殿造という木造立ての立体的な建物に住んでいた。

 この家はゆかりが建てたものではない。

 元の住人は殺し、適当な河に流してしまった。

 こんな人の集落から外れた所に住んでいるのだから、いなくなって問題ない。

 来れば、殺すだけだ。

 しかし、余程のことでもない限り人は来ない。

 この家の周囲は深い木々で覆われていて、森の前からでは家があるとは誰も思いはしないだろうから。

 

「どうぞ」と、ゆかりは少女を招き入れる。

「おじゃまするわね」

 

 霊夢は頭を少し下げ、中に入る。

 

「私達と同じ暮らしなのね」と、感嘆の声を上げ、「薪はどこにあるの?」とゆかりに聞いてきた。

「案内するわ」

 

 家の裏へと回る。

 そこには薪の保管場所、薪を切る切り株、小さな川が流れる。

 井戸はない。

 水を汲む桶が一つ。

 

「うん。大体判ったわ」少女は一人納得し、「それじゃあ、準備するわね」と、腕をまくった。

 

 

「お母さんの顔は知らないの。私を産んですぐに亡くなったって、お父さんが……」

「……」

 

 喋りながら火をおこしている少女。

 ゆかりは地面に敷いている筵に腰を下ろして、彼女の話を聞いていた。

 出産により母親が死ぬのは決して珍しくはない。

 妖怪の方はどうなのだろうか。

 聞いたことはない。

 人は妖怪に容易く食い殺される。

 強度の問題だろうか。

 

「あっ、別に気にしないで」

 

 黙っていたこともあってか、霊夢は慌てて付け加えた。

 父親の方は半年ほど前に猟で熊に襲われ、亡くなったという。

 天涯孤独となった霊夢は博麗神社の神主に引き取られた。

 

「私には特別な力があるって言ってね。でも全然教えられたことができなくて……」彼女は砕けた口調で「食事はいつも私が用意しているの」と、続けた。

 常人にはない霊力を持ち、操れる力。

 博麗の神主や巫女は妖怪を調伏させるための護符を生み出したりできるのだが、彼女はまったくできないそうで、唯一できたのが空を飛ぶことなのだそうだ。

 博麗神社には神主が一人、巫女は彼女を含めて三名いるという。

 集落に一際大きな家は稗田と言う人物の家。

 他にもどういった人物が生活をしているのかなど、少女は警戒することなくぺらぺらと喋った。

 

 

「はい。できました」

 

 彼女が差し出した台には一枚の皿と箸が置かれている。

 その皿には適当な長さに切った茹でた緑色の葉っぱのようなものが盛り付けられていた。

 

「どうぞ、召し上がって」

 

 霊夢は微笑む。

 ゆかりは手を伸ばし――はたと手を止める。

 箸の使い方を知らない。

 彼女には帰ってもらって、手づかみで食べるか?

 それとも聞いてみるか?

 迷いながらも、「これ、どうやってつかうの?」とゆかりは霊夢に聞いた。

 

「箸を使うのって難しいよね。私もお父さんに何度も教えて貰ったわ」

 

 霊夢はゆかりの側に座り、手に触れる。

 

「えっとね。こうやって……二本の指で……こういう風に……うん……それで……」

 

 少女の手に支えられ一口食べる。

 

「どうかな?」

「……おいしいわ」

 

 正直、味なんてものはゆかりには分からなかった。

 指がつりそうだった。

 

「よかったぁ」

 

 霊夢は安堵の息を漏らし、「そろそろ戻らないと」手を離した。

「ねぇ、またここに来てもいい?」

「別に……でもいつもここにいるとは限らないわ」

「ありがとう。またね」

 

 箸に意識が集中していたゆかりは生返事を返したが、霊夢は嬉しそうな声を上げ、帰って行った。

 

 

 ◇◆◆◆◇

 

 

 あれから約一ヶ月。

 霊夢は三日おきにゆかりを尋ねた。色々と調査をしていたゆかりが、家にいる時間帯はバラバラだったが、彼女はいつもゆかりがいるときに訪れた。

 外は妖怪達の争いごとが相変わらず起こっている。特にここから西にある大きな山――別名、妖怪の山と呼ばれる――の近郊で生じていた。

 彼女はいつも買い出しを終えると、こちらに寄る。

 彼とのよりは戻せたそうだ。

 彼女はよく喋る。

 こちらは大体相づちを数回打つ程度だった。

 彼女はゆかりに料理を振る舞う。

 料理と雑用が彼女の仕事だった。――と、

 

「ゆかり、遊びに来たぜ」

 

 玄関の方から、声がした。

 酒瓶を片手に持った声の主はゆかりの友人、伊吹萃香だった。

 

「誰?」と霊夢。

「うおっ、なぜ人間がココに」と、驚いた声を上げる萃香。「ゆかり、お前は人間に飼われるようになったんだ?」

「失礼ね。ただの友人よ」と、ゆかりは冷めた口調で答えた。

 

 萃香はすっとゆかりに耳元で小さな声で告げる。

 

「私は固い肉の方が好みだっていってなかったか?」

「知っているわ」と、小さな声で返す。

「お前、目でも腐ったのか? 明らかに、これは……歯ごたえがないぞ」と霊夢を値踏みする。

「ゆかり、この人は?」

 

 警戒心のかけらもない霊夢がゆかりに来客の事を聞いた。

 

「伊吹萃香よ。私の友人」

「はじめまして。私、博麗霊夢って言います」

「え? ああ……伊吹萃香だ。よろしく」

 

 霊夢は挨拶を済ますと、背中を向けかまどの方に――萃香を背中にする。

 

「どういうつもりで人間を住まわせてるんだ?」と、萃香が小声で尋ねる。

「別に住んでいないわ。時々ここに来ているだけよ」

「なんで、追い払わないんだ。博麗って言えば妖怪退治なんかもしている奴だぞ」

「彼女はそんな大した力はないわ。只の雑用かがりよ」

「……確かに、力はありそうには見えないが……」

「あの集落のことを知るには便利でしょう?」

「たかが、人間のことなんざ知ってなんになるんだよ。こっちからしたら、人間より天狗の方だろ」

「別に貴女のためにやっていることじゃないの。これは……単なる私の気まぐれよ」

「気まぐれねぇ……」

 

 呟きながら、萃香は部屋の中央を見る。そこには円弧状に石を敷き、火をおこしてあり、

 木の枝を刺した川魚が炙られていた。

 

「だいたいお前、いつからメシを食べるようになったんだ?」

「……最近よ。彼女が用意してくれるからね」

「お前、何か盛られてないか?」

「私はお邪魔かな?」

 と、霊夢がゆかりを見ていた。

「別に、そんな事はないわよ……けど、雨が降りそうね」

「え? 本当?」

 

 霊夢は歩いて、玄関口から外を見た。

 如月に入っても今年は未だに雪は降ってはいなかった。空を埋め尽くす雲は雪や霙ではなく、雨を降らすだろう。

 

「本当。早く帰らないと」

 

 てってと少女はかまどの方に戻り、ゆかり達の前に皿の乗った台を置くと、「一緒に食べて」と慌てた様子で出て行った。

 

 

「お前がメシなんか喰うなんて思わなかったな」

「そう」

「それにそのちまちました喰いかた……大変だねぇ」

 

 ゆかりが箸でひとつまみして、口に運ぶ様子を見て萃香は笑う。

 

「別に、慣れれば大したことなんかないわよ」

「ふーん」

 

 萃香は川魚を一口でがぶりと食べてしまう。

 

「最近はどう?」

「美味しいな、これ。けんかが多いよ。まったく

 面倒な縄張り争いだよ」

 

 増えてきている天狗と鬼。彼ら(他の妖怪にとっても)がそこで暮らすための土地として、河が流れ、樹木の多い山は非常に住みやすい環境だった。

 広く大きな山だが、住まう者が増えれば、他種族が出会うことも多くなる。

 なにも起きなければいいが、時には獲物の奪い合いなどが起こる。

 

「いずれもっと大きな争いになるだろうな。全面衝突って感じの」

 

 萃香は酒を飲む。彼女にとってはどうでもいいらしい。酒を飲んでのんびりとできれば、それでいいそうだ。

 

「あれは飯を食うことを覚えた、お前の非常食か」

「あの子はそんなんじゃないわ。さっきも話した通りよ」

「……あんまりなれ合うと、人を殺せなくなるぞ」

「そんなことになるわけないでしょ」

「まぁ、お前が人間に負けるとは思えないけどな」

 

 

 ◇◆◆◆◇

 

 

「……そこで、私は勇儀に言ってやったのさ……」

 

 萃香は喜々とした表情を浮かべて、もったいぶって言葉を切った。

 

「なんて言ったの?」

 

 霊夢は萃香の言葉を求める。

 

「……お前が見ている方が正面だってな」

「あっはははははっ、お腹痛いぃー」

「……」

 

 目頭を押さえながら笑う霊夢と、得意げに喋る萃香。

 つまらない萃香の話に、ゆかりは黙って二人の様子を見ていた。

 あまり話さないゆかりに対し、霊夢と萃香は話すことが好きなことも有り、次々と互いに話したいことを投げ合っていた。

 

「私、そろそろ帰らないと――」と、笑いを収め、霊夢が言った。

「そうか」

「霊夢、どこかで狐を見せてくれないか?」

 

 彼女の去り際にゆかりは聞いてみた。

 

「うん、あの子が嫌がらなければね。それじゃあ」

 

 手を振って、彼女は出て行った。

 

「随分と話が弾んでいたようだけど……喋りすぎじゃない」

「まあ、別にいいじゃないか。大した奴じゃないんだし」

「萃香……人に忠告していたわりに彼女と仲がいいわね」

「そんな事言ったっけか……ゆかり、妬いているのか?」

「そんなわけないでしょ」

 

 ゆかりは嘆息し、昨今の霊夢の話を思い浮かべる。

 印象的な事柄は二つ。

 一つは脚を怪我した小狐を助け、一人黙って面倒を見ていること。

 もう一つは、森で二人の女性を助け、神社で看病をしていることだ。

 前者は彼女が助けた小狐は、只の狐ではなく妖狐である。理由は尻尾が多いことだ。二股であれば怪我のせいで、と言うことも考えられるが、十近く(正確な数を覚えていない)枝分かれしていると言っていた。

 ――あと、ふわふわらしい。

 後者についての出来事は決して珍しいことではない。

 集落の西にある森は、瘴気の森と呼ばれ常に瘴気が漂っている。人に依るがその瘴気の毒気に当てられ倒れる者がいる。

 その二人は凄く変わった服装をしていた。その服はとても滑らかで肌触りのよいものなのだそうだ。

 一人は赤い髪に赤い服の女。もう一人は黄色い髪に白い服の女。色彩で考えると随分とおめでたい格好だ。

 行商人なのだろうか?

 などとゆかりが考えていると、

 

「それでな――」

 

 霊夢のせいなのか酒のせいのか判らないが、いつになく口が滑らかな萃香が再び話し始めるのだった。

 

 

 ◇◆◆◆◇

 

 

 三日後。いつものように霊夢が訪れたのだが、いつもと様子が違った。

 

「どうしたの?」

 

 筵に寝転がっていたゆかりが声を掛けるが、彼女は玄関口の前で微動にしない。

 

「? 入っていいわよ」

「……」

 

 彼女は返事もしない。動きもしない。

 

「霊夢?」

 

 ゆかりは体を起こし、玄関へと歩く。彼女の体に触れようと手を伸ばしたその時、「ばぁ」と、玄関口の壁から霊夢がひょっこりと顔を出した。

 

「………………なんなの?」

「驚いた」

「………………驚くわよ」と、冷めた口調でゆかりは続ける。「なによ、これは――」

「んふふ。なんと霊夢は進化したのです。この私そっくりなこれは――」

 

 彼女は普通に玄関口に立った。霊夢が二人横に並んでいる。違いと言えば、今話している方の霊夢は子狐を抱えている。

 

「人型? それとも式神かしら?」

「うーん。どうなんだろ? どっちもあんまりかわらないとおもうんだけど……じゃなくて。なんでそんなに平静なの?」

「平静じゃないわよ。驚いたっていったでしょ?」

「その割には反応が薄いのよねぇ」

「これは貴女が作り出したの?」

「当たり前でしょう! だから私は進化したのよ! 空を飛ぶだけの霊夢じゃなくなったの」

 

 霊夢は少し鼻息を荒くして自慢した。

 

「実はね――」

「まぁ、中に入って」

「あっ、うん」と、霊夢は頷いた。

 

 子狐を抱えた霊夢が先頭に、棒立ちしていた霊夢もどきが瞬きもせず、中に入る。

 筵の上に並んで座る。

 なんだか不気味な光景だった。

 

「前に森で倒れていた人のこと話したでしょう? 今も体調悪いんだけど。いつも私の稽古を見ていてね。少し視点を変えてみてはどうかって言ってね。いろんな事を教えて貰ったの。そしたら――」

「これができたの?」

「うん? 人には向き不向きっていうのがあって――テキザイなんとかっていってたような――まずはできることを調べて、そこからできることを伸ばしてみようって」

「彼女も巫女なの?」

「ううん。違うって、ただの物理学者だって」

 

 霊夢と話しながら、見比べる。そこに大した違いは見受けられない。ただ片方は瞬きもせず固まっている。

 

「どう凄いでしょう?」

「ここまですっと彼女と一緒に来たの?」

「ううん、違うよ。えっとね――」

 

 霊夢は片手で子狐を抱え、微動だにしないそれに触れる。するとそれは小さな光の群れとなり、そして霊夢の手の中で小さな紙切れとなった。

 

「こんな感じで、ゆかりの家の前で展開したの」

「……」

「どう凄いでしょう?」

「凄いわよ」

「なんか驚きが少ないなぁ」

「その子は妖狐ね」

 

 狐からは妖力を感じる。それほど大きくはない。小さく非力な狐に化けているわけではないようだった。生をうけて、まだ歳をそれほど重ねていないのだろう。

 

「わっ、話題変えてきたぁ」

 

 霊夢は子狐の頭を撫でる。

 

「可愛いよね。この子」

 

 子狐の方はくすぐったいようで首を小さく振る。

 

「でも、ずっと貴女の側に居るわけにはいかないでしょう?」

「そうなんだよねぇ」

 

 博麗神社には妖怪を寄せ付けないための結界を張ってある。余程の実力のある妖怪でなければ

「この子をゆかりの式神にしてみる? 前に人手が欲しいって言ってたよね」

「できるの?」

「うん。勉強したからね……だから、しばらくこの子を預かってくれない」

「は? どういう……」

「少しくらいこの子と仲良くなって貰わないと困るの。一方的じゃなくて、ある程度心を通わせていないとね。かわいそうでしょう?」

「…………判ったわ」

「ありがとう。この子は何でも食べるから、きっと世話はしやすいと思うわ」

「ねぇ、霊夢――」

 

 自分のような妖怪になつくとは思えないが、ゆかりは話ながら考えていたことを話そうとしたが――

 

「あとね、ゆかりの姓名を考えてきたんだけど――」

 

 姓名。

 いつだったか、同じ名前の人がいると言うことで、何か考えて欲しいと頼まれた。伊吹萃香と出会ったことも関係しているのだろうか。彼女に対して姓名の由来を聞いていた。

 けれどゆかりに取っては興味のないことだったのでほったらかしだった。

 

「私も色々考えたの、ゆかりに似合いそうな姓をね。田村とか結月とか……でも、なんかしっくりこないのよね。それでね、一番しっくりきたのが、八雲。どうかな? 八つの雲って書くんだけど……」

「いいんじゃない」

 

 ゆかりは生返事を返す。別に興味などなかった。

 

「あとね。ゆかりの履いている括袴の色が紫色でしょ? 紫っていう字にはゆかり、っていう読み方もあるんだよ」

「つまり、貴女は八雲紫というはどうかって事ね」

「うん。どうかな?」

「そうね。いい名前ね。これから使わして貰うわ」

「良かった。気に入って貰えたみたい」

「霊夢、頼みたいことがあるんだけど」

 

 ゆかりはさっきまで考えていたことの一部を、彼女の手が必要と感じた部分だけを話した。

 

「うん。最初の方は多分できる。今それをできるようにするために勉強しているの」と、そこまでは霊夢の言葉は滑らかだった。「もう一つは……出来なくはないけど……ゆかりに協力して貰わないとできないの」

「私にできることなら、協力するわ」

「うーん、ちょっと……は大変だから……」

 

 霊夢は顔を赤らめ、言葉が尻すぼみする。

 

「きちんと言ってちょうだい。何をすればいいのか判らないわ」

「えーとね。その人にそっくりな人型を造るにはその人のことを詳しく知らないといけないの」

 

 一呼吸を置いて、霊夢は続ける。

 

「私はまだゆかりの事、全然知らなくて……その……んーと……もっと知らないといけないの。髪も手触りや肌の質感や……ね……」

「つまりは見た目だけの知識では造れない、と言う訳ね。体を触らないといけないわけね」

「うん」

「いいわ。私はどうすればいいの?」

「えっ、今から?」

「早いほうがいいわ」

「うーん。その……裸になって……筵に仰向けになって」

「いいわ」

 

 ゆかりは服を脱いだ。家の中は風が吹いていないので寒くはない。

 そのまま、筵の上に体を倒す。

 霊夢は抱えていた子狐を床に置く。狐はもう一つの筵にごろんと寝転がった。こちらの様子には興味がないようだった。

 

「あのね……本当に色々体を触ることになるけど……」霊夢の顔はまだ赤い。

「判っているわ」

「嫌だったら、言ってね……すぐに止めるから」

「止めたら、造れないんでしょう?」

「……んっ、まぁそうなんだけど……」

「別に気にしないわ。やってちょうだい」

「うん……ごめんね」

 

 霊夢が何に対して謝っているのか、ゆかりには判らなかった。

 辺りが静かになった。

 霊夢の浅い呼吸音だけが聞こえる。

 彼女の指が髪に触れた。櫛で髪を梳るように撫でる。

 次は頭皮に触れる。

 顔。

 ゆかりの顔を覗き込むように霊夢は顔を近づける。

 その顔をいつになく真剣そのもの。

 赤らめた頬は、いつもの色に戻っていた。

 瞼を軽く押し、ゆかりの瞳を覗き込む。

 表情はこれまで見たことのない真剣な顔だった。

 額に触れ、耳を触る。

 鼻を撫で、頬を優しく包み込む。

 

「ゆかり、口を開けて」

 

 言われるがまま、ゆかりは口を開く。

 霊夢の右手の人差し指が下唇に触れ、中指で口腔をまさぐる。

 内頬を撫で、歯茎を歯の形を覚えるように触れていく。

 下唇から手を離し、今度は上唇を触れ、歯並びを確認する。

 

「もういいよ、口の中は終わったから」

 

 指を引き抜き、淡々とした声で言った。

 ゆかりの唾液で濡れた中指を霊夢は自分の口に含み、服でぬぐい取る。

 顎を触り、首を、肩を撫でる。

 霊夢の指先は下へと降りていく。

 胸の膨らみを、その頂きを、お腹を触れる。

 弾力を確かめるように――

 下腹部、鼠蹊部、性器、大腿、膝、下腿、足裏。

 

「上半身は終わったわ。今度は仰向けになって」

 

 言葉が間違えているが、ゆかりは訂正することもせずに、黙って姿勢を変えた。

 霊夢の指が再びゆかりの体に触れる。

 頭皮、項、背中……

 

「はい。これで完了。もう起き上がって服を着てもいいわよ」

 

 全身を調べ尽くし、霊夢が声を掛けた。

 

「今から出してもらえる?」

 

 ゆかりは服を着ながら、霊夢に聞く。

 

「すぐには無理かな。何度か試してみないと。一度目だとまだツギハキのような状態だから。そこから曖昧な部分をなくしていくんだけど」

 

 霊夢は目を瞑り、天を仰ぐ。

 

「多分、次にここに来るときには紹介できるわ。さて帰らないと」

 

 霊夢が立ち上がると、子狐が彼女の足元にすり寄った。

 

「こら、ダメよ。君はこれからここで暮らすの」

 

 子狐が鳴いて抵抗するのを、ゆかりが捕まえ、胸に抱く。

 

「ちゃんと可愛がってね」

「ええ」

 

 子狐は名残惜しそうに鳴いた。

 

 霊夢が再びここを訪れる三日間、現金なもので子狐に餌(能力を使ってかすめ取った人の食べ物)を与えるとすぐに紫になついた。

 霊夢は子狐の名前を提案した。藍。虹の色彩からだという。

 雨上がりの虹を見て思いついたそうだが、紫にとってはどうでもいいことだった。

 その日、彼女の言葉通り、紫は自分にうり二つの人型を見る。

 そして、霊夢の協力のもと、八雲紫は西行寺幽々子を殺した。

 もちろん、彼女は返事一つで協力はしなかった。

 理由を聞かれ、紫は大した感情も入れずに答える。

 

「彼女は制御できないの。それもかなり強力な力をね……あらゆる生物を容易く、一瞬で殺すことができるの――」

 

 いいながら、あの時のことを思い返す。

 

 

 今から半月前、数年前から何度も遠くで感じる異常な力を追って、ゆかりは一人の少女を見つけた。

 西行寺幽々子。

 彼女の姿を空から追っていると、誰かが自分に声を掛けた。

 

「あんたも彼女のことが気になるのかい?」

 

 紫は声のする方に顔を向けた。赤い髪の女が立っていた。

 

「貴女は?」

「あたいは黄泉の水先案内人さ」

 

 彼女は続けて、小野塚小町と名乗った。

 貴族のような華やかな着物を纏い、大ぶりの鎌を肩に担いでいる。

 

「彼岸へ先導する死神が

「はっきりと判らない……ただ死の予感がしたのよ。だからその出先を調べていたの」

「――まぁ、それは当たりだろうさね」

「……貴女は彼女の力がどういうものなのかも知っているのね」

「まぁね。近い将来、同僚になる子だからね」

 

 小町が話し始める。

 彼女は読みへの道すがら死者と色々な話をする。始まりは、自分がどうして死んでしまったわからない死者と出会ったことだった。

 大抵の者は自身がどうして亡くなったのかは、知っている。あるいは見当がついている。

 たびたび出会う異質な死者。

 小町は上司に詳細を聞いた。

 

「彼女は指先であらゆる生命の生命線を切ってしまうのさ。挟みで糸を切るようにね。対象距離とは無関係にね」

「無限なんて有りえるのかしら?」

「正確には有限なんだが、この星一つに収まるようにしろものじゃないのさ」小町は天を仰ぐ。「なんとあの太陽までの距離――さらに数倍の射程を持っているのさ。驚きだろう!」

 

 再び、紫の方に顔を向ける。

 

「彼女はこの星全ての生ける者の生殺与奪の権利を持っているのね」

「――随分と難しい言葉を使うねぇ。まぁ、だいたいそんな感じだね。はっきりしているのは、彼女は自分の力を理解していないし、制御もできていないってことさ」

「そこまで知っているなら、貴女が教えてあげればいいんじゃないの?」

「あいにく、此岸への干渉はあんまりするなって上からのお達しでね――」

「あんまり……って随分と緩いのね」

「ごくたまぁーに必要なときがあるのさ」

 

 言葉とは裏腹にどこか暢気な声で小町は語った。

 

 

 困った、あるいは返事をしずらそうな顔で霊夢は紫に問いかける。

 

「ねぇ、他に方法なんかないのかな?」

「……」

「私みたいに色々教えて力を上手く扱えるようにさ――」

「その為にどれだけの人が死ぬのかしら。仮に貴女の所の神主が取り扱って、死なずにいられるかしら? さらにいえば、博麗神社の近くには多くの人が住んでいる。彼らを死なせてしまう可能性もある」

「うぅ……でも……」

「言ってはいなかったけど、彼女はすでに数千人もの生命を殺めているわ」

「千――って、嘘でしょう? だったら、もっと噂になってるはずじゃあ――」

 

 もちろん嘘だった。本当の数は二桁程度。

 

「それはただ単に力が方向はそっちに向いていなかっただけよ」

「…………」

「今の貴女も私も、首筋に彼女の刃が突きつけられているのよ」

「でも、彼女はわざとしているわけじゃないし」

「意識的、無意識的なんて差はないわ。人は殺されている」

「…………」

「私は貴女には死んで欲しくはないの」

「私だって紫には死んで欲しくはないわ」

「…………」

「……でも……」

「…………」

「……………………わかったわ」と、渋々といった表情で霊夢は頷いた。

 

 

 行きはスキマを使ったが、帰りは空を飛んで帰った。

 お互い言葉はない。

 今更、どうしてこんな面倒なことしたのか、紫は考えてしまう。

 服を奪った時のように首をはねてしまえばいい。

 しかし、答えは出ない。

 無意識――なのだろうかと、紫は思い起こす。

 無意識。

 昔に聞いた言葉。

 意識と無意識の間隙からお前は生まれたのではないかと、あの女は力を披露したゆかりに言った。

 妖怪のほとんどは人の心から生まれる。理解できない事象に対する恐怖から擬人化されたものだという。

 それが正しいのかどうかは判らないし、興味のないことだった。

 自分は出自に興味のないというと、それもまた妖怪の特徴だなと女は言った。

 酷く自分が馬鹿にされているようだった。

 

「それじゃあ、紫……またね」

 

 彼女の言葉に紫の意識が現実に戻る。

 見覚えのある集落が目の前にあった。

 

「ええ。それじゃあ」

 

 手を振る彼女に紫はそれだけを言った。

 家に戻ると子狐が足元にすり寄ってきた。

 餌がほしいのだろう。

 紫は力を使い、盗んだものを食べさせ、すぐに寝てしまった。

 

 

 ◇◆◆◆◇

 

 

 霊夢はいつものように家に訪れた。

 ごろんと筵の上で寝転がっていた子狐は彼女の姿を見ると、ひょこっと体を起こし、足元にすり寄った。

 

「藍、久しぶり」と、霊夢は出迎えた子狐を抱いた。

 紫は体を起こし、挨拶をする。

 

「ちゃんとこの子の世話した?」

「当たり前でしょう? やせ細って見える?」

「冗談よ」と、霊夢は狐の頭を撫でる。

 

「これから、式神の儀式……手ほどでもないけど……をするわ。紫にも協力して欲しいの」

「なにをすればいいの?」

「えっとね……」と、霊夢は懐から紙切れを一枚取り出した。

 

 少女の握り拳ほどの大きさの十字型の白い紙。端の一カ所だけ丸く膨らんでいる。

 いわゆる人型のような形だ。

 

「これを使うんだけどね、紫の血を染み込ませるの」

 

 依り代となる紙を血湿らせ、対象の額に貼りつける。霊夢は説明しながら、包丁を手に取る。

 紫は右手を差し出し、霊夢は手を押さえ、包丁の先で親指を浅く切った。

 浮き出た血溜まりに人型を当て、血を染み込ませる。

 半分ほど血に染まった紅白の人型。

 少し怯える妖狐を宥め、霊夢は人型を狐の額に近づける。

 依り代はすっと狐の額に吸い込まれるように消えてしまった。

 妖狐は目を閉じて寝てしまう。

 紫は傷を塞ぐ。

 

「はい、これで終わり」

 

 霊夢は妖狐を紫に渡す。

 

「もしかしたら、紫の力が使えるかもね」と、霊夢は笑う。

 彼女のその顔が紫にはいつもより暗く感じた。

 

「……」

 

 口数の少ない。しばしの沈黙の後、彼女が口を開く。お腹をさすりながら――

 

「……あのね、紫。しばらくは会えなくなるの」

「……どういう事?」

「私ね、お腹の中に子供がいるの」

 

 霊夢は視線を紫から自身のお腹に移る。

 

「……そう。それは良かったわね。彼はなんて……」

「……ごめん。言ってなかったね。彼はもう亡くなっているの」

「それは――」

 

 霊夢の台詞に対し、反射的に口をついて出る。しかし、その先の言葉は出なかった。

 

「気にしないで……」

 

 そう言うと、彼女はいつものようにかまどの方には向かわず、入り口の方へと歩く。

 

「よかったら、こっそり遊びに来て」

 

 一度振り返り、それだけを言うと霊夢は外へ出て行った。

 

 霊夢を会わなくなって、半月

 が過ぎた。

 紫は山での諍いを沈静化させるにずっと動き回っていた。

 しかし、それももうすぐ終わる。

 日付が替わり、日が昇り始める。

 紫は力を使い、博麗神社の前に降り立った。

 目の前には境内を掃除していた男が一人。

 

「貴女が、この博麗神社の神主ですね?」

 

 突如現れた人物に男は声も出さずに驚く。

 短く刈った黒髪。柔和な黒い瞳。優男といった風貌で、歳は三十には達していないと思われる。背は紫よりも高く、服装は白い装束に袴は紫色。

 

「私は八雲紫。貴方に折り入って頼みたいことがあります」

「貴女は一体……」

「あまり私のような者がここにいることは知られない方が、貴方にとって得策だと思います」

 

 強ばり、言葉を失う男に対し、促すように紫は告げた。

 

「……判りました。中へお入りください」

 

 

 案内されたのは社の裏手にある建物だった。

 入り口は木の扉、左手は木の壁、正面と右手には他の部屋へと通じる襖が立っていた。

 座る紫の正面に神主が、左右に一人ずる紅白の巫女が座っている。霊夢ではない。名の知らない二人。右側の巫女は我が強そうな鋭い目つきをしており、もう一人はそばかすのあるおっとりとした顔をしている。

 紫は現状を説明し、これから行うことを説明した。そして、協力を乞うた。

 

「月に……にわかには信じがたい話ですが……」

 

 呟く神主は、紫の表情をじっと見つめていた。話の真贋を判断しているのだろう。

 

「しかし――」

「この地上のどこかに、押し付けることも難しいですが可能でしょう。貴方にそれが出来ますか? 時間が経てば、抗争から逃れようとする妖怪達が一斉にこの里に雪崩れ込みます。そうなれば、貴方方で人々を守り切れるでしょうか?」

「……」

「どうですか?」

「……もし、断れば――」

「生憎、こちらは既に好戦的な者達に呼びかけています。月の都は、彼らにとって魅力的なようで――喜々とした顔をしていましたよ」

「なら、最初から――私達には選択肢などないのではないか!」

 

 黙した神主に変わり、右の巫女が声を上げた。

 紫は静かに告げる。

 

「当たり前でしょう? 断れば、実力で従ってもらうわ」

 

 言い終わるやいなや隙間を介し、怒りを露わにした巫女の喉を締め上げる。

 

「判りました。協力しましょう。ですから――」

 

 神主の言葉を聞き、紫は手を離した。

 

「では、これから一緒に来て貰いましょう」

 

 咳き込む巫女を無視し、紫は立ち上がる。

 神主は咳き込む巫女の背中を撫で、「少し準備をさせてください」と、言った。

 

 

 結界の端となるところに木槌で杭を打ち込んだ。東西南北に各一カ所ずつ打ち込む。この杭自体に意味はなく、印象づけさせ深く記憶させるためにするのだという。

 

「貴女はこの扇動の結果がすでに見えているのではないですか?」

 

 南の、二本目の杭を打ち込みながら男は言った。

 

「こちらが敗走することになるわ」

「それは勘ですか? それとも何か理由が?」

「……見てみる?」

「何をですか?」

「月の町よ……覗き込まないで」

「――これが――」

 

 隙間から見える世界を見て、神主は言葉を失う。

 

「この地の文明より遙かに高度よ。数百年……いえ、それ以上かもね」

「……しかし、彼らがこの地にまで攻勢に転じるとは考えないのですか?」

「それはないわ。理由を教えてあげる。今から二百年前、月の咎人がこの地に逃げてきたの。不老不死という罪を犯した者がね」

「――不老不死! そんな事が――」

「できるみたい。それで、彼らを捉えるために追っ手が来たのだけど、彼らは短時間、この地にいたけれど、拘束もせずに帰還していったわ。そして、そのまま今に至るわ」

「それだけでは、何も――」

「彼らは穢れを嫌う」

「……穢れ……とは」

「単一ではなく、複数の事柄をまとめて穢れと呼んでいるそうよ。彼らにとってはこの地は穢れに満ちているそうよ」

「……貴女はそれを――」

「咎人から直接聞いたの。今のこの近くに住んでいるわ」

 

 それを聞き、神主は周りを見回す。それを見て、紫はくすりと笑う。

 

「さあ、次の場所に移りましょう」

 

 

 ◇◆◆◆◇

 

 

 いつものように陽が昇る。雲一つない空。

 時間通りに紫は神社の参道に降り立つ。博麗の神主は本殿の前に立っていた

 

「――これから……ですね……」

「ええ」

「行く前に、貴女にこれを……」

 

 彼は一枚の護符を紫に差し出した。

 

「霊夢からお守りです。彼女を助けていただいたそうで」

「別に、大したことではないわ」

 

 受け取った札を、紫は服の袖口にしまった。

 

「それではご武運を」

 

 

 無数のスキマから百を超える妖怪が宇宙空間に飛び出した。月の裏側にある町は煌々とした白い光に照らされている。距離はまだ遠い。

 彼らは喜々とした表情を浮かべ、月へと向かう。まるで光に集まる蛾のように。

 紫はそんな様子をしばし見、スキマを開くとこの場から去った。

 数度、慎重にスキマの先を確認し中に入る。

 のっぺりとした白い壁に囲われた部屋だった。

 窓はなく、艶のある木のドアが一枚、一歩の壁際に艶のある大きな机と背もたれのある椅子、その横の壁には一面に棚が置かれている。

 床は動物の毛を敷き詰めたような赤い絨毯が敷いてあった。

 紫は不用意に触れないよう宙を飛び、棚の方に向かう。棚は全部で六つ。ガラス戸のついた棚には焦げ茶色の背表紙の本が隙間なく詰め込められている。ただ、一つだけ壁際の棚の戸が開け放たれ、床に乱雑に本が山となっておかれている。どうやら整理中のようだ。しかし、本と棚の容量を見比べると、明らかに本の量が多い。本は地上の書物のような和綴じではなく、厚めの皮の表紙になっている。

 紫には月の文字が判らす、表紙だけを見ても、何が書かれているのかは判らない。

 音を立てずに、一冊を手に取り、ぱらぱらとめくる。見たこともない文字に時折絵が描かれている。別の本も手に取り、同じように中身を見る。

 ――と、部屋の外で物音がした。足音。

 紫は急いで二冊の本をスキマに放り込み、部屋から去った。

 

 

 しばらくして部屋のドアが開けられた。

 入ってきたのは、屋敷の奴隷の玉兎。掃除機を片手に持った玉兎は部屋の掃除を始める。床に落ちていた紙切れを拾う。

 それは紫が落とした護符。

 栞と勘違いした玉兎は、床に放り出された本の一つに適当に差し込んだ。

 

 

 もう一カ所ほど物色する予定の紫だったが、一度外の様子を見る。

 静かだった。

 紫は周りを見渡す。

 苦悶の表情を浮かべる千切れた鬼の首。手足のない胴体。スライム状の赤い血の塊。細切れにされた肉塊。

 辺りには鬼や妖怪の骸が音もなく漂っていた。

 周りに動いている者は――一つだけあった。

 そちらに顔を動かす。

 薄紫色の長髪の女が刀を構えて立っていた。

 白いブラウスに膝下まで隠れる正面にスリットのある赤いドレス。体のラインが透けて見えそうな、あるいは窮屈そうなスカートのスリットの長さはボタンで調整できるようで今は太腿までさらけ出している。

 距離は遠い――が次の瞬間、紫の肘から上のところで左腕が切断された。

 

「――っ」

 

 突然の事で悲鳴が出なかった。

 相手はすでにこちらに対して、攻撃を行っていたのだ。

 腕を治すためにすぐさま右手で切断された左腕を掴み、切断面を合わせる。

 傷口を塞いだ瞬間、今度は膝から下の所で右脚が切断された。

 紫は自分の前に大きくスキマを展開する。これで相手の攻撃は届かない。

 相手は見えなくなるが、距離も遠い。すぐに接近されることはないだろう。

 切断された袴ごと脚を拾い、回復する。

 しかし、紫が予想していたよりも早く相手が動いている。

 本来起こる事のないことが、スキマに白銀の刃が飛び出していた。

 それに紫は気付くことなく、刃はスキマごと紫の胸を切り裂いた。

 

「――っぐっ」

 

 両断されたスキマは消え、薄紫色の長髪の女――綿月依姫が紫の首筋に剣先を突きつけた。

 

「お前がこの騒動の頭か」

 相手の言葉を聞かずに、依姫は続ける。

 

「お前は、じゅん――!」

 

 綿月依姫の言葉が切れた。依姫は視線だけを動かす。

 スキマを介して、紫の指が依姫の胸を第一関節分ほど押し込んでいた。

 

「貴様!」

 

 身を引き、依姫は刀を振るう。

 同時に紫も身を引き、後ろに展開したスキマに消える。だが、依姫の斬撃の方が早く、紫の胸を斜めに切り裂いた。

 

 

 再び博麗神社に現れた八雲紫を見て、神主は言葉を失う。

 紫の衣服はボロボロだった。胸の部分が×印のように大きく切り裂かれ、赤黒く変色している。左腕から下と、右脚の部分の服は切り落とされ、露出した肌は血に塗れていた。衣服に吸いきれない血がぽたぽたと石の参道を垂れ落ちている。

 

「悪いわね、汚してしまって」と、紫は顔を歪め、非礼を詫びる。

「そんな事よりも貴女の手当を――」

 

 紫は蒼い青ざめた彼の言葉を手で制止する。

 

「いいえ、結構です。傷自体は塞ぎました」

「ですが――」

「手短に状況を説明します。戦線は一方的にこちらの敗北でした……すでに私の方が結界を張りました」

「分かりました。こちらもすぐに結界を張りましょう」

「向こうで起こったことを詳しく話したいところですが……」

「気にしないでください。貴女は体を休めてください」

「悪いわね」

 

 紫は力を使って自宅へと戻り、筵の上に倒れる。

 体から力が抜ける。重くなった瞼に抵抗する事なく目を閉じると、そのまま深い眠りに落ちていった。

 

 

 ◇◆◆◆◇

 

 

「どうするの? これから」

 

 綿月豊姫が妹の後ろから問いかける。

 ちょうど妹を使えば、相手の死角に入れると判断しての行動だった。

 

「追いかける?」

 

 危機感のない声で聞き、眼下にある星を見る。

 

「いや、しばらく様子を見よう。純狐との繋がりがないか、聞き出せなかった」依姫は嘆息し、「おそらくは関係はないだろうが、しばらく様子を見る。この騒動をきっかけに純狐が行動を起こすとも限らないからな」

「依姫がそう言うなら私は止めないけど……」

 

 剣呑な面持ちの妹に対し、豊姫は軽い口調で返す。

 

「ところで、これは何とかしといた方が良いんじゃない?」

「分かっている。これから処理する」

 

 依姫は神降ろし――伊豆能売を身に降ろす。

 長身の巫女が現れ、神楽鈴を持ち優雅に舞う。そして、血や肉の骸の全てが一瞬で浄化――消滅した。

 

「結界が張られたわね」

 

 降霊を解除した依姫が呟く。

 

「そうみたいね」

「誘いか、それとも――」

 

 顎に手を当て、依姫は思考を巡らせる。

 

「お姉様は上に行って現状を報告、結界の監視を頼んどいてちょうだい」

「気をつけてね」

 

 豊姫は月の都に帰還する。

 依姫は一人監視を続ける。姉が一度、弁当を渡しに来たが、それを拒否。

 そして二十時間後、依姫は警戒を解いて、帰路に着いた。

 結局、十四分間の月面戦争は地上の敗北で終結したのだった。

 

 

 ◇◆◆◆◇

 

 

 ……

 …………

 声が聞こえた。

 狐の鳴き声――なのだろうか?

 紫はゆっくりと瞳を開く。

 肌色の一面から徐々に焦点が合わさって、はっきりと

 少年とも少女ともつかない綺麗な顔。

 人間――ではない。茶色がかった黄色の髪に二つに三角の耳がついていた。

 人に化けた藍だった。その瞳は涙で潤んでいる。

 

「大丈夫。少し眠るだけよ」

 

 頭で撫で、優しく囁く。

 

「……だから、心配しないで」

 

 紫は再び深い眠りについた。

 

 

 十二日後、紫は目を覚ます。

 顔を起こすと、胸に藍が寝そべっていた。人の姿ではない、元の姿で。

 紫は両手で藍を抱え、体を起こす。

 血を吸った服は固く、パリパリと音を立て布生地が折れ、黒い塊がポロポロとこぼれ落ちる。

「!」

 

 その音に藍も目を覚ます。

 

「もう大丈夫よ。心配させたわね」

 

 こちらを見る、式神の頭を軽く撫で、床に降ろす。

 朝焼けの外に出て、血の塊をある程度落とし、中に戻る。月から盗んだ本はもう一つの筵の上に転がっていた。

 

「藍、私がどれくらいの間眠っていたか教えてくれる?」

 

 藍は地面に十二本の爪で掘った後を見せた。

 

「十二日……随分長く寝てしまったわね……藍、もう自分で餌は取れるわよね。少し出かけてくるわ 大丈夫。危ないことはしないわ」

 

 

 山へと飛び、これまでの様子を妖怪から聞くと、紫は博麗神社へと飛んだ。

 神社の石畳に降りる。血はすでに洗い流されており、神主ではなく、一人の巫女が本殿の高欄に座っている。目つきの鋭い女はぼんやりと空を眺めていた。

 

「彼は中に?」

 

 彼女に近づきながら尋ねる。

 

「……知らないのか?」

 

 紫の問いかけに巫女は驚いた声を上げた。

 

「あれもお前が仕掛けたものかと思っていたが……」一呼吸置き、巫女は続けた。「死んだよ。彼は……」

「……! どうして……」

「その反応ならやはり……中で詳しく話す」

 

 彼女は案内するように紫の前を歩く。

 

「それと……替えの服はないのか?」

「ないわ。体を回復させるのにかなり時間が掛かったからね。それは後回し」

「……替えを用意するから、それに着替えてくれ……あと、あの子を助けてくれたそうだな、礼を言う」

 

 霊夢の事だろう。紫は彼女の後についていく。

 

「気にしないで……必要だから、したまでよ」

 

 

 紫は渡された彼女らとそう変わらない服を着た。

 紫の正面に先程の女、右後ろのそばかすの女と霊夢が座っている。話は全て、正面の女が代表して話した。

 月面戦争の三日後、双日前から里に滞在していた尼僧――聖白蓮と住民とは話し合いが行われた。妖怪との関係――人も妖怪も神も仏も全て同じという平等主義――についてとの事だったが、村民が尼僧の従者に襲いかかり、話し合いは決裂。争いとなり、神主は尼僧自身が開いた魔界という別世界に閉じ込め、命を落とした。

 その後、彼らが乗っていた大船をここから西にある大岩を封印のための要石として使い、地下深くに封じ込めたということだった。

 次は、紫が博麗の巫女達に話す番だった。鬼を服も百三十七体の妖怪が月へ向かってのしばらくの後、滅多に自分から動くことのなかった天狗の首魁――天魔を含めた天狗達が鬼に向かって攻勢を開始した。大きな数的差もあり、瞬く間に鬼達は拘束され、その日のうちに地下へと追いやられた。その後、今に至るまでは森で大きな抗争は起こっていないと伝える。

 

「遙か天上に……そんな……我々は、その脅威に晒されているのか――」

「それについてはそれほど憂慮する事柄ではないと、私は考えています」

 

 紫は月の咎人、穢れについて話す。

 

「本当にそうなのか……たとえそうだとしても……だが、私、いや私達は彼ほどに強くはない」正面に座る巫女の声は弱々しいものになっていく。

「聖白蓮の時と同じ事が起きれば、私達は止めることができない」巫女は呟き、紫を見つめる。

「貴女は私達の味方であるならば、力を貸して欲しい」

「それは出来かねます。特に私が直接、妖怪を退けるという点に関しては、ですが――」

「どうしてですか? 先日のことも我々を憂いてのことではなかったのですか?」

「私の力などたかがしれています。貴女も見たでしょう? ぼろきれを……それに人が妖怪を退けてこそ、意味があるのです」

「私達は貴女を倒す力もないというのに、それでもですか?」

「ええ」

 

 ――と「少しいいですか?」

 

 別の所から女の声が聞こえた。

 とんとんと正面の襖を叩く音がした。

 遅れて「失礼する」と言う声が聞こえ、こちらの返答も聞かず襖が開かれた。

 現れたのは赤毛の少女。

 名前は確か――

 ゆかりは記憶を探る。

 岡崎夢美。

 外の世界の住人だった者。

 燃えるような赤い髪とは対照的にその顔は青白い。

 彼女は幻想郷に来て、ずっと病気なのだそうだ。彼女の看病はずっと霊夢が主で行っている。

 

「八雲紫殿。人のいないところに妖怪は存在しない。ご存じでは?」

「……ええ」

「それは、どういう事です?」紫に問いかけていた巫女が、夢美に対して問いかける。

「人が妖怪を生み出すということです」

 

 夢美は咳き込みながら続ける。

 

「昔、私達が理解できない現象や事柄を擬人化……というには語弊があるか思いますが、そういったことで造られた存在なんです。実際に妖怪が具現化しうる所を観測した者はいませんが……人がそう認識することで存在でき、認識を失えば、消滅する……小規模ですが、私の周りの人たちはそう考えています」

 

 夢美は再び苦しそうに咳き込んだ。

 

「だから、彼らに恐怖する者が必要なんです。しかし、距離を置き彼らの存在を忘却してしまうと彼らは死んでしまう。違いますか?」

「生憎私はそこまで詳しく観測したことはないわ。けど……」

「妖怪と人との均衡が保たれることが望ましい、でしょう? けほっ」

 

 霊夢は夢美の側に駆け寄り、咳き込む彼女の背中をさする。

 

「ええ。誰だって、安定している方がいいでしょう?」

「私もそう思います。まれにそれを退屈だと考える者もいるが……話を戻しましょう。状況を一番楽な方法として、限られた条件で勝負をすることです」

「……どういう事だ?」

 

 紫ではなく、正面に座っている巫女が尋ねる。

 

「命のやりとりを行わない方法で決闘をする、ということです」

「……」

「そうすれば、誰も死なない」

「そんなことをしても彼らが従うかしら?」と紫。

「何もしないよりかはいいでしょう。時間を少し頂ければ、こちらで考えておきます。それを紫殿が目を通し、彼らがこの条件を飲み込めるように改変してくれればいい……どうです?」

「…………いいわ。とりあえず、それに応じるわ」

「それともう一つ……一つ聞いてもいいですか?」

「質問によるわ」

「彼ら種族はどのくらい交配を行うのですか? 別に直接見たものでもはなくても構いませんが……」

「……あまり聞いたことがないわ。けど、多くはないはず」

「やはりそうですか。ではもう一つ考えがあります」

 

 枯れた声で、岡崎夢美は言葉を続ける。

 

「子を作ることです」

「なぜそうなる?」と巫女が問う。

「人個人の成長には必ず限界があります。しかし、人は無限に進歩する可能性はあります。いえ、子孫を残す生物、全てにおいてこれは当てはまります。けほっこほっ」

 

 呼吸を整え、夢美は話す。

 

「人が住めないような極寒の地に生息する生物がいます。かれらは長い時間をかけて、寒さを耐え凌ぐ体へと進化したのです」

「それが人でも同じだと?」

「ええ、この場合は妖怪に対抗しうる力を持つことが目標になります」

「けど、貴女の説明では、彼女達は何らかの負傷などを負う、といった困難が必要になるのでは?」

「その必要はありません。子は必ず親よりも強い。母親と父親の優れた部分を掛け合わさってね。ただ、今回は時間がない、と見た方が良いのかもしれない。けほっ」

「夢美、辛かったすこしやすんでも……」と、霊夢。

「大丈夫。私の所では優生学という学問があります。簡単に言えば、故意に人の進化を促す方法を探る……私の極々小規模な範囲で……いう事ですが……」

 

 咳き込みながら、言葉を続ける。

 

「優秀な者同士を交配させることで、より優秀な子を生み出すことが可能だと分かっている」

「理屈は分からないでもないが……」

「別に男女にこだわる必要もない。女同士、男同士でも可能だ」

「――は?」目つきの鋭い巫女が気の抜けた声を上げた。「いや、そんな馬鹿な事――」

「遺伝子レベルで見れば男女の差異はそれほど大きくはない。反転させることはできる。他にも胎外で子供をつくることも技術的に可能だ。ここでは設備がないのでできないが……」

「それは……何というか……冒涜的ではないか?」

「それは昔から言われている。未知を解明しようという考えは、どの分野でも同じで……生命の神秘なんて、綺麗な言葉をよく使われていましたが……妖怪が生まれることも、考えはほとんど同じで、分からないことを人が納得させるために擬人化された」

「うーむ」巫女は顔をしかめた。

「性交渉の同じ事を、子宮内と同環境を用意すれば母体がなくても子供を作れる。それは、生まれつき子供を産めない女性にとっては願ってもないことで……たしか、そういった方に祈祷など行っていませんでしたか? それと大差はない」

 

 巫女と夢美だけの会話が続く。

 話を聞いているだけの紫。

 

「実行するなら、女性同士の交配がいいと思う。理由もある。第六感は女性の方が高いと言われているからだ」

「すまない。よく分からない。説明して欲しい」

「目を使って周囲を見る視覚、鼻で匂いをかぎ取る嗅覚、舌で味を感じ取る味覚、耳で音を聞き取る聴覚、肌に触れたものを感じ取る触覚。これが五感と言われている。第六感はその次の感覚で、別の言葉で直感と言われている」

「――直感――」

「霊夢殿、貴女は彼が亡くなるあの日、彼を引き留めましたね。なぜですか?」

 

 背中をさする霊夢を見て、夢美は問いかける。

 

「――それは――ただ、嫌な予感がして――」

「貴女方も同じようなことを感じませんでしたか?」

「……」

「……」

「これが第六感です。今の例は一種の未来視ですね。相手の一手先を読み取れるようになれば、それは強力な力になります」

「ちょっと待ってくれ……理解が――」

「女性同士から生まれた人物ならここにいます。私がそうです」

「なっ!」

「物理学者の女性と化学者の女性の卵子と反卵子――精子によって、母胎ではなくガラスの容器に培養されて私は生まれました」

「……」

 

 重い空気が流れる。

 ――と、外で声がした。来客のようだった。

 目つきの鋭い巫女が立ち上がる。

 

「理にかなっているわね。なら、それで進めてちょうだい」紫は立ち上がる。「一月後にまた来るわ。その時に案を見せてもらえる?」

「分かった。人が来ている。帰ってくれ」

「ええ。そうするわ」

 

 紫は部屋の中から消えた。

 巫女は来客の為に部屋を出る。

 

「もう少し話したいことがあります。よろしいですか?」

 

 二人の巫女に対して夢美が言った。

 

「うん。でも大丈夫?」

「ああ、少しくらいは役に立たないと」

 

 少しして巫女が部屋に戻ってくる。

 

「どうした? もう休んでいた方がいいのでないか?」

「いえ、八雲紫の気配はありませんか?」

 

 夢美は周囲を見回す。

 

「いや、気になるのか? だったら、もう少し時間をおくか?」

「ええ、これは知られたくはないので……」

 

 少しばかりの沈黙が続いた。

 奥の部屋で寝ている北白河ちゆりの寝息が微かに聞こえる。

 しばらくして夢美は話し始めた。

 人の技術のより、妖怪が存在し得ない状況が広がっていくこと。

 この結界がそれを守る布石――忘れられた者達の最後の楽園――ではないかということ。

 今の霊夢の力。式神。夢美の知識と技術。

 八雲紫を出し抜く力として、夢美は考えを伝える。

 

「この世界の全ての情報を手に入れる。神主殿が張った結界を利用して――」

 

 

 ◇◆◆◆◇

 

 

 紫は彼女らが作った案をそのまま流布した。正直、これを大人しく受け入れる妖怪は少ないだろうが、何もしないことよりはいいだろうという考えだった。

 

 

 ◇◆◆◆◇

 

 

 秋風がススキを揺らす満月の夜。一人、神社を抜け夢美は墓石の前に立っていた。

 石は削った直方体ではなく、そこいらに転がっている縦長の歪な異ものだった。

 その下に眠っているのは、彼女の助手ちゆり。

 今日は彼女の四十九日だった。

 夢美はその石をずっと見つめていた。

 

「やっぱり、ここにいたんだね」

 

 後ろから声が聞こえた。

 彼女は夢美の側まで歩くと、母性の前で拝んだ。

 

「私の世界は、技術の発達によって生活は豊かになったんだが、人が様々なものを消費する、あるいは要求する早さが加速度的に早くなった。新製品や新技術はあっという間に模倣、消費され、飽きられ、さらに高スペックのものを要求する。人が増えすぎたということも原因らしいがな。きりがなかった。新技術によって、兵器が作られ、対立が生まれ、テロが起こる。人が沢山死んでいく……まあ、そんな事はどうでも良くて、それに振り回され続けているのが、いい加減うんざりしていた」

 

 統一理論とは別の新たな可能性――非統一魔法世界論を提唱したときのこちらを嘲笑う顔。

 屈辱だった。

 

「あんな世界を終わらせてしまいたかった。いや終わらせようとしたんだ。私が考えた理論の証明と同時に」

 

 夢美は重いため息を零す。

 

「なのに……何の成果も上げられず、一番大事な人を死なせて……私は……」

「あんまり、自分責めちゃダメだよ」

 

 俯く夢美に霊夢は大きなお腹を抱えて言った。

 

「こんな事言ったら悪いのかもしれないけど、私は貴女に出会えてよかったわ。だって、貴女に、それに北白河さんに教えてもらって、私、色々なことができるようになった。前は食事の準備ばっかりだったけど……」

「ふっ私の所では料理ができる人などほとんどいなかったぞ。皆機械任せだったからな」

 

 夢美は少し寂しく笑い、「戻ろう。お互い、体にさわるだろう」と墓石を背にした。

 

 

 ◇◆◆◆◇

 

 

 巫女達は自分たちが警護できる範囲を設定した。その範囲を脱したものは助けることができないと。

 人々はそれを非難しなかった。神主が死んでしまったことを知っていたから――

 

 

 ◇◆◆◆◇

 

 

 秋を迎え、冬が来る。

 年が明け、如月も半ば、寝ていた紫は目を開ける。夜ということも周りは暗闇。

 誰かに呼ばれたような気がした。

 上体を起こし、周囲を見回す。誰かが側に居るわけではない。微かに藍の寝息が聞こえるだけ――

 紫は立ち上がり、外に出る。

 全てを包み込むような闇。その漆黒の帳にただ一人抵抗するかのように、月が輝いていた。

 有明月、あるいは二十六夜。その身の大半を闇に食われ、僅かに残った鋭く光る体はあと数日で全てが闇に飲み込まれるだろう。

 そこにも、誰もいない。

 紫はスキマを開き、博麗神社へと飛んだ。

 夜の神社は静かだった。明かりもない。境内には誰もいない。

 地面に脚を着けず、ぐるりと神社の周りを回る――と、彼女が白い服を着て縁側にひとり座って月を眺めていた。

 

「――久しぶりだね」

 

 紫に気がついた霊夢が小さな声で挨拶をした。

 

「紫はちゃんと食べてる? 私がいなかったけど」

「いいえ。私は貴女ほど器用じゃないから」

「やっぱり……そうだと思って、ちょっと書いてみたの。どう? これで紫も料理できるでしょう?」

 

 霊夢は紫に紙の束を渡した。

 紙束は元々霊夢の側にあったようで彼女の影で隠れて見えなかっただけだった。

 紙は数十枚ほどで、そこにはたどたどしい字で書かれた、二人で食べた料理の作り方が書き綴られている。

 

「そうね。ありがたく頂くわ……けど、貴女はどうなの?」

「うーん。あんまり食欲ないんだよね」

 

 ぱらりと紙を捲る音が静かな夜の世界に響いた。

 霊夢の髪は艶をなくし、頬は痩けている。さする手から感じられるのは、微かな体温と骨張った感触。袖から覗く手首はやせ細り、背中をさする反対の手で握った彼女の手は、強く握れば砕けてしまいそうなほど弱々しく冷たい手だった。

 か細い月の光に照らされ白い浴衣は、青白く見えた。

 

「あれから、色々あったの……けほっ」

 

 咳き込みながら、霊夢は話し始めた。

 出産のこと。子供のこと。子供を産んでから体調が思わしくないこと。子供のこと。子供のこと――

 喋り終えたのか、それとも着かれたのか、しばらく沈黙が続き、霊夢は激しく咳き込んだ。

 二人の間にあった、人一人分ほどの間をなくすように紫は女の方に近づき、背中をさすった。

 やがて、女の咳が治まり、霊夢は紫の肩にもたれかかる。

 

「ごめんね。少し喋り疲れちゃった」

「別に気にすることなんてないわ」

「……うん」

 

 霊夢は目を閉じた。彼女の呼吸がゆっくりと遅くなっていき――

 そして、聞こえなくなった。

 

 

 ◇◆◆◆◇

 

 

 霊夢が死に、その四日後、後を追うように岡崎夢美も亡くなった。彼女の骨は北白河ちゆりと同じ場所に埋められた。

 

 

 ◇◆◆◆◇

 

 

 女性同士の交配は霊夢の子供をもってして始まる。

 

 

 ◇◆◆◆◇

 

 藍が言葉を解し、人化を会得し、紫が月から奪取した本を六百年かけて読み解く。

 一冊は彼らが解析した世界の法則を書き記したもの、そしてもう一つは神降ろしについて書かれた写本だった。




魔理沙は魔具を持った腕を構えて叫ぶ。
「ダークスパァークッ」


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【7月27日(6)】

【7月27日(6)】

 

 

 遠くで聖輦船が灰色の煙をあげている。ここの守備はそろそろ必要ではなくなるのだろうかと、巫女は思う。

 ――と、ぞくりと、寒気にも似た嫌な感触を黒髪の巫女は背後で感じた。

 

「ねえ、何か嫌な感じがしない」

 

 後ろにいる、自分と同じ顔の巫女の声をかける。

 返事がない。

 どうしたのだろうか、と振り向こうとした瞬間、彼女は直感で体を一歩分ほど横にずらした。

 

「痛っ!」

 

 背中が切り裂かれ、彼女は呻き声を上げる。前方に飛び、振り向く。

 さっきまで自分がいた位置に一本の木の棒があった。それの先には白い短冊が付いている。

 古ぼけたお祓い棒。その大幣を握っているのは、もう一人の黒髪の巫女だった。

 

「何で動いちゃうかなぁ?」

「あんた、どういうこと?」

「そのままそこにつったっていれば、楽になれたのに……」

 

 突然の攻撃に戸惑うに巫女に対し、相手の巫女は笑みを浮かべている。

 

「嫌にならない? こんな世界。理不尽を一人に押し付けてさぁ」ため息を零す。「都合に良いときだけ呼び出されるなんて。うんざりしない?」

「都合に良いときだけって、私達はまだ初回でしょ?」

「初回って……あっは。あんた、自分の言っていること凄く変だと思わないの?」

「そういう貴女こそ変よ、どうしちゃったのよ」

「あの子が霊夢に辱められて、挙げ句どうなったか知っているでしょう? 私達だって、最後はああなるのよ」

「何言ってんのよ。そうならないように、あの子が伝えたんじゃない」

「異変の解決に貢献して、はいさようならって? 冗談じゃない」

 嘲るような笑みが消え、

「あんたは寂しくないの。私は嫌。私はもっと魔理沙と一緒にいたいの」

「そんなことをしたら、あの女が黙ってないわよ。それにそうならないためにあの子は」

「だからこそ欲するのよ、私の心が。それにあの女に対抗する切り札は、この世界に存在する。あんたも知っているでしょう? あんたは私でもあるんだから」

「だからって、そんなこと」

 

 呻く巫女に対し、もう一人の赤白の巫女は笑う。

 

「全部捨てれちゃえばいいのよ。だって、世界はここだけじゃない。結界の外にだってあるんだもの。ほら、魔理沙だって、そんな感じだし」

 

 彼女は顎で魔法使いを指し示す。黒い光が船に炸裂する。

 

「魔理……沙……どういう事?」

「さぁ? 私に聞かれてもねぇ」

 

 嬉しそうに声を返す。

 

「気にすることなんてないわ。だって、あんたは

「博麗霊夢は私一人で十分なのよ」

 

 赤白の巫女は宣言し、同じ顔の少女に大幣で斬りかかる。彼女は体を捻り、斬撃を躱す。

 

「だからって、こんなこと……」

「ふんっ、願わないなら消えてしまいたいって思ってるくせに、大人しく死になさいよ」

 

 大幣が赤い光を帯び、その光が伸びる。まるで、大幣が紅の剣のように。

 巫女はお祓い棒を振り上げ、もう一人の巫女に向かって振り下ろす。

 彼女は体を捻って、斬撃を躱す。巫女は振り下ろしたお祓い棒を、こんどは横に繰り出す。

 しかし、彼女は体を後ろに引いた。彼女の立っていた場所にどこからともなく一枚の護符が飛んできた。目で札の等できた方を見やる。

 

「なに? 仲間割れ?」

 

 そこに、青白の巫女が立っていた。

 

「あんたは……」

「――というわけじゃあなさそうね」

 

 暢気な声で青白の巫女が呟く。

 

「よくも、まぁ堂々と出てこれたものね。この好色女」

「……」

「それとも、こんなときでも女を物色中?」

「お祓い棒か……それがあんたを調子づかせている?」

 

 赤白の巫女の言葉を無視し、疑問の声を漏らす。

 

「ぎゃははっ、どうやら上手いこといったみたいだ……しかし、新聞には書かれていなかったが、どうやら博麗の巫女は三つ子のようだな」

 

 三人の巫女の頭上から、高笑いが聞こえた。赤と白のメッシュの入った黒髪にちょこんと伸びた小さな角。白いワンピースの袖は矢印柄。鬼人正邪が悠然と立っていた。

 

「お祓い棒はきちんと受け取ってくれたみたいだな」

「誰よ、あんたは――」と、お祓い棒を握った少女。

「鬼人正邪。力を解放させてやった、お前の主人さ」

 

 ぎゃははっと正邪が笑う。

 

「さあ、これから私と一緒にこの幻想郷に弱者が見捨てられない楽園を、下克上を起こすのだ」

「はぁ? 嫌よ」

「え?」

「何で私が、よく分かんない面倒なことをしなきゃなんないのよ」

 

 お祓い棒を握った巫女が呆れた声を漏らす。

 

「おい、話が違うぞ、針妙丸。力を解放したら協力してくれるんじゃないのか」と、小さな声で、肩口に乗っかっている小人族の少名針妙丸に文句を垂れる。

 

「何ぶつくさ言ってるのよ」

「ふん。まあ、いいさ。いざとなったら私の力で従わせるだけさ」

「誰だか知らないけど。嫌われたみたいね」と、青白の巫女。

「私は、私がしたいことしかしないの。邪魔をするなら殺すわよ」

 

 大幣を持った巫女が大地の方の手をかざす。彼女の足元から数メートル下に、彼女を中心に赤いサークルが何重にも現れる。そして、そこから瓜二つの巫女が現れる。

 一人だけではない。十を、百を、千を超える。なおもレッドサークルが展開する。

 

「何だ、こりゃあ。分身の術って奴か」と、身を引く正邪。

「もう無茶苦茶ね。博麗霊夢の大安売りじゃない」と、青白の巫女は複製巫女から距離を置く。もう一人の赤白巫女の警戒するようにサークル中心の巫女から距離を取る。

 

 百重の赤円から万を越える赤白の巫女。そこに表情はない。

 

「あんたを殺すわ。命乞いなんかしても遅いんだからね」

「別に、そんなことしないわ。でも、あんたも大丈夫。体、消えかかっているわよ。力の加減ってのが、分かってないみたいね」

 

 お祓い棒を持った巫女の足はなくなっていた。巫女衣装のスカートも半分ほど消えてなくなり、さらさらと塵となって消えていく。

 

「このままだと、力の使いすぎであんたも消えちゃうわよ。あんたも離れなさい。下手すりゃ、喰われるわよ」

「言われなくても――」

「あっははっ」

 

 大幣を握る巫女は嗤う。

 

「こんなの、別に大したことじゃないわ。だって、霊力なんて簡単に補えるもの」

 

 大幣を握る巫女は嗤う。

 

「それも当たり前に存在し――」

 

 大幣を握る巫女は嗤う。

 

「莫大な霊力を持ったものが――」

「! あんたは――止めなさい!」

「もう遅いわ!」

 

 赤白の巫女は大幣を掲げ、叫ぶ。

 

「博麗の名のもとに第×××期、七月二十七日、○○時○○分○○秒において博麗大結界を解除する!」

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 霊夢と一輪は微動だにしない。共に爆発音には反応しなかった。それが何を意味しているのかを知っている。

 

「まったく……負けてんじゃない」

「なら、貴女も降参したらどう?」

 

 だが、霊夢と一輪のにらみ合いはそう長くは続かなかった。

 怒り、憎しみ、恨み、嫉み、悪意、そんな様々な負の感情が空中に現れた。

 それは一つの塊、破壊衝動の黒い光となり――

 自身に向けられたと感じた霊夢と一輪は、同時にその光に目を向けた。

 しかし、漆黒の光は聖輦船へと向かい――

 船尾が跡形もなく消し飛んだ。

 

「まずいわ。下手すりゃ、魔界に行けなくなっちゃうじゃない!」

「――魔界? それがあんたの目的なの?」

「少なくとも私はね。あの二人は昔の報復がしたいだけよ! あの船を封じ込められて、私達は聖様の後を追えなくなったんだから」

 

 昔――千年前の事など、生まれていない霊夢にとって昔話のようなのものだ。現実感もない。だが、彼女の言う二人にとっては屈辱的な事だったのだろう。

 

「雲山、船を守って!」

 

 一輪は焦る。雲山は霊夢の使った水膜から逃げ出していた。一輪の命に従い、聖輦船へと飛び、一輪も後に続く。霊夢は彼女を止めることができなかった。

 

「魔理沙、どうして……」

 

 黒い感情の塊が、魔理沙から解き放たれる。

 雲山は黒煙を上げる聖輦船の前に立ち白い球に変形し、魔理沙が放つ二度目の黒砲を弾いた。

 四方に拡散する黒いエネルギーは大地を易々と砕いていく。

 光が通りすぎ、雲山は形を戻す。その顔は苦情の表情を見せていた。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

「ちょっと、どうなってるのよ! 危うく死ぬところだったじゃない!」

 

 甲板に上った霍青娥が怒鳴り声を上げた。遅れて、芳香とナズーリンが駆け上がる。

 

「ああぁ、こんな事になるなんて――」と、星は頭を抱える。

「どういう状況なの?」

「力負けしてる……宝塔の力は一個人の持つ力以上のはずなのに――」

「船がなくなったら、魔界へ行けないんでしょう? だったら、早く離脱して!」

「こんなはずじゃぁ、なかったのに――」

 

 弱々しい声を漏らしながら、寅丸は宝塔の力の一部を使い、魔界ゲートを開くための準備にする。零から九までの拳ほどの大きさの光のリングが十個、寅丸の周りに発生した。

 その時、船が大きく揺れた。黒い光が横切っていく。

 

「わぁ!」

「きゃあ!」

「っととっ!」

 

 乗員が口々に悲鳴を漏らす。

 

「早くしなさいよ!」

 

 青娥が急かす。

 

「それが、こっからが大変で――」

「呪文を唱えれば開くんじゃないの?」

 

 予想していた行動ではないことに、青娥は問い質す。

 

「それは、呪文式は聖様のように魔力を持つものでないと駄目で、いまは船に宿っている聖様の魔力を借りて、呪具でゲートを開くんです」

「じゃあ、これからどうするのよ!」

「まず、呪具に言葉を打ち込みます」

 

 強い口調で責め立てる青娥に対し、星は懐から一冊の本を取り出した。表紙には「図解 円周率の不思議」と書かれている。

 

「言葉を打ち込めば、呪具が完成して門が開きます」

 

 星はページをめくりながら、これは数字の羅列になるけども、と続ける。

 

「六百六十六文字の数字を打ち込まないと――」と、三の印を押し、続けて、一、四と押していく。

 

「ろっ! そんなこと、事前にやっときなさいよ!」

 

 再び、青娥ががなり立てた。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

「魔理沙!」

 

 霊夢は自分の声が届く距離まで魔理沙に近づいた。

 

「霊夢か、安心しな。もうすぐ、あの船は静められるぜ」

「もういいわ――これだけの損傷を与えただけで十分よ」

「はっ、冗談言うなよ。これだけの事をしたんだ。あれを消し炭にしなきゃあ、割に合わないんだぜ」

「それだけの力を見せつければ十分でしょう? 相手はもう白旗を上げているようなもんよ。だから――」

「里は目茶苦茶だ。私の両親も死んだかもな」

 

 魔理沙はマジックアイテムを持った手を聖輦船へと向ける。

 

「――なら、相応の報いを受けるべきだろう。それは誰がやっても構わない」

「まだ死んだと決まっている訳じゃあ――」

「こんな事になって、妖怪の味方をするのか? 体を犯され、それでも守るって言うのか?」

「違う。私はただ、この世界を守るために――えっ」

「! なんだ?」

 

 霊夢が途切れた。

 それは、唐突に感じた違和感だった。魔理沙も、それを感じ取っていた。

 それが何なのか、すぐに思いたる。

 博麗大結界が消えたのだ。なにがしかの破壊行動による結果の結界の瓦解ではない。一瞬で全てが消滅した。

 誰が?

 思い当たるのは――

 

「ふふっ。どうやら、他の霊夢はお前とは考えが違うようだな」

 

 魔理沙もまた霊夢と同じ思考に至ったようだった。

 

「そうだな、こんな間違った世界、壊れてしまえばいい。別に困らないし、世界は結界の外にもあるんだからな」

 

 構えた手に魔力を込める。

 

「魔理沙、やめて!」

 

 霊夢は魔理沙と船の延長上に立つ。

 

「お前はいらない。霊夢は他にもいるんだ。そして、その霊夢は私のことを理解してくれる」

 

 魔理沙は嗤う。

 

「さよならだ」

 

 魔理沙は魔具を持った腕を構えて叫ぶ。

 

「ダークスパァークッ」

 

 黒い光が真っ直ぐに霊夢へと迫る。

 霊夢は両手を前に突きだし叫ぶ。

 

「封魔陣」

 

 霊夢の全面に赤い結界が張られ、黒のエネルギー光が衝突する。

 その衝撃は凄まじく、掌から感じる衝撃は、瞬く間に両肩に掛かり、霊夢は悲鳴を上げる。

 

「痛っ、ああああああ――――っ!」

 

 つい先日、肩がはずれたこともあり、踏ん張りきれない。

 霊夢の体が後方に飛ばされ、聖輦船の右舷に背中を叩き付けられる。

 

「がっ!」

 

 一瞬、息が詰まる。しかし、力を緩めるわけにはいかない。船と結界の間に押し潰され、圧死してしまう。

 霊夢の頭上で声がしたが、それを気にする余裕はない。

 霊夢は両脚をあげ、結界に足をかける。

 

「こんのおおぉっ」

 

 低い呻き声のように声を上げ、脚に力を入れる。

 赤の結界陣は上方向に少し傾くが、エネルギーの本流は変わらず霊夢を叩きつぶそうとしている。

 霊夢の力は有限であり、限界はある。真っ直ぐ伸ばしていた腕の肘が曲がり、肘が船の舷板に押し付けられる。

 もう持たない。

 前腕が砕かれ、顔が拉げ、全身が押し潰され、船に乗員している妖怪共々、消し飛ぶ。そう思ったその時、船が傾いた。

 聖輦船が降下し、船体が倒れていく。

 それに伴い、封魔陣も上方向に傾斜し、黒い閃光は、空へとはじけ飛んでいった。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

「ちょっと、まだゲートは開かないの」

「まだ、あと二百桁入力しないと……」

 

 焦る村紗水蜜の声に、焦る野寅丸星が言葉を返す。一輪もまた同様にゲートの催促する。一輪の相方であるらしい入道はあの攻撃を無傷で弾く事はできないらしい。

 

「また攻撃が来るわよ。何とか躱せないの?」一輪が叫ぶ。

「無理よ。そんなに機敏に動かないわ!」水蜜が言葉を返す。

「ええっと、三、三、零……」数字を声に出しながら、押印する星。

 

 大きく船が揺れた。口々に悲鳴が飛ぶ。

 本が星の手から滑り落ちる。

 赤い結界が黒の光から船を守っていた。水蜜が船縁から、下の覗く。博麗の巫女が船と結界に挟まれるような状態に置かれていた。

 こちらの劣勢は明らか。

 水蜜が舵を握り、叫ぶ。

 

「みんな、どこかに掴まって、傾けるわよ!」

 

 舵を回す。船は左舷を下に大きく傾いていく。

 床を滑る本をナズーリンが掴み取り、

 

「私が読み上げるから押していって」と、星に呼びかける。

 黒の閃光が結界を弾き、天へと昇っていく。

 

「よし、これで最後。門が開く」

 

 船首の少し先の空間が、パリパリと電気を帯び始め、門が――スキマ妖怪の力とは異なり――水にできる渦のように円形のスキマが広がっていく。

 門が聖輦船の入る大きさに広がる前に、水蜜が船を発進させた。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 音もなく、光もなく、匂いもなく、周囲は何も変わらないまま、幻想郷を包み込む結界が一瞬で消滅した。

 

「あっははははっ」

 

 消えかけていた肉体が、巫女服が戻り、黒髪が逆立ったかのようにゆらゆらと揺れる。

 

「ご覧の通りの元通り……いえ、それ以上……でしょう?」

 

 相手を嘲笑うかのように問いかける。

 青白の巫女は距離を取るように後方に飛ぶ。

 

「この子達であんたを殺してあげようと思ったけど……あはっ、少し考えが変わったわ。この子達には、あの女を苦しめるために利用するわ」

 

 彼女が言い終わると同時に、数多の巫女もどきが北の空へと一斉に飛んでいく。

 

「うおっ」と、その風圧に正邪は顔をかばう。

 

「もしかしたら、これだけじゃあ足りないかも――」

 

 再び、彼女らの足元で赤の円が何重にも展開し、万を越える巫女が生み出される。

 

「あはっ、これだけあれば十分じゃない?」

 

 それは誰に問いかけたのか。その言葉を始めに巫女の第二陣がやはり、北の空へと飛んでいく。

 

「あっははははっ。――が死んだら泣くかしら?」

「ねえ、あんたは魔理沙の所に行って! こいつは私がなんとかするわ!」

 

 青白の巫女はお祓い棒を持たない赤白の巫女に向かって叫ぶ。彼女が返事をする前に言葉を続ける。

 

「霊夢が魔理沙を止めるなんて思う?」

「それは……」

「二人がかりなら、なんとかなるかもしれないわ。早く行って!」

 

 巫女が逡巡していると、黒い閃光が再び放たれるのが見えた。

 

「わかった」

 

 大幣を持つ巫女は止めなかった。

 

「ふん。そんな事をしたって、もうどうにもならないわ。幻想郷は今日で終わりよ」

「それはどうかしら。あんた、妖怪を舐めすぎよ」

「あっはっ、いまに分かるわ。金山彦命よ」

 

 赤白の巫女は神の名を叫ぶ。

 右手は大幣を握ったままで、左手に一振りの刀が顕現する。

 

「神降ろしを使えるのは、もうあんただけじゃない。情報(ログ)を利用すれば、こんな事もわけないわ」

「ちっ、結界を丸ごと取り込んだのか――」

 

 嗤う赤白の巫女は、青白の巫女に向かって刀を投げた。




NEXT EPISODE 【Fragments 4】
ヒロシゲ35号はまだ到着していない。


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【Fragments 4】

【Fragments 4】

 

 

 ニュースを自動音声で流しながら、自動追尾型キャリーバッグではなく、昔からある手押しのキャスター付きキャリーバッグにマリーは荷物を詰めていく。

 携帯化粧品を入れ、タオル、洋服、靴と入れていく。

 下着はどれを持っていこうかマリーは迷う。

 派手できわどさのあるワインレッド、シックな黒、汚れが目立ちやすいためほとんど身につけないホワイト……などと逡巡していると、緊急速報を知らせるアラートがなった。手を止め、詳細に耳を傾ける。内容は北の方で地震があったこと、電車の影響はないということだった。

 私達の旅行先とは反対方向だけど、と少し不安になる。――が、どうにかなるものではない。元々、複数の大陸プレートの境界に近いため、この国は地震が多いのだ。当日、そして、旅行が終わるまでは大きな地震はおきてほしくはない。

 速報が終わりと、国外の報道に移る。頭はテロ事件についての報道。

 

「まったく、明日から楽しい蓮子との旅行なのに、暗いニュースばかりね」

 

 マリーは一人で愚痴り、お気に入りの曲をかける。

 小一時間迷い、下着は結局迷っているもの全てを入れてしまう。ベッドインするその時に蓮子に選んでもらえばいい、と考えた。

 

 

 翌日、8月7日の天気は良好だった。

 マリーはキャリーバッグを片手に、京都駅に向かう。

 駅は強化ガラスのドーム状になっており、駅の姿は一度、戦争で大きく破壊されてしまった。過去の姿などマリーは見たことがないが、駅は修繕により千年以上前の面影を残しているそうだ。

 乗る予定のヒロシゲ35号の発車は10時2分。

 京都駅に着いた今の時刻は8時49分。ヒロシゲ35号はまだ駅に到着していない。

 すでに多くの人が行き交っている。集合時刻は9時20分で、いつものように遅刻をする蓮子を予想して早めの時間に設定した。

 30分ほど時間があるので、駅のカフェで休憩をする。

 マリーはガラス張りのエレベーターに乗り、三階のカフェに向かう。ほとんどの飲食店は10時から開店なので、落ち着いて休憩できるところはいまの時間帯ではここだけだ。

 駅の大通りを望める窓側の席に座り、注文したブラックコーヒーを少しずつ飲む。多くの人が待ち合わせに使っている噴水が望めるので、蓮子が来れば、すぐに分かる。マリーはスクリーンでネットをしながら、ちらちらと窓の様子を伺う。人がどんどんと増えている。このカフェに入る人も増え、席の半分が埋まっている。

 時間の9時20分になったが、蓮子はやっぱり来ていない。姿が見えるまで、ここで待ってみようと思ったが、コーヒーを飲みきってしまった。これ以上注文をしないのであれば、長居はしないほうがいい。

 マリーは席を立つ。その時、何気なく視界に一人の人物が目に入った。人混みの中で特に目立つというわけではない。紺色のスーツにサングラス、手には黒のスーツケース。

 構わず、マリーは店を出る。エレベーターを待っているとき、緊急速報が入ってきた。目の前にスクリーンと音声が入る。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 旅行当日の天気は良好だった。

 蓮子は大きなキャリーバッグを片手に、京都駅――遅れ気味だが大丈夫、といつも通り気楽に考えながら――に向かう。

 蓮子の後ろで子連れの女性の話し声が聞こえていた。楽しげな親子の会話。

 同じように京都駅に向かっているようだった。

 通りを折れ、ようやく駅が正面に見えた。

 後ろから一陣の風が通り過ぎるように、少女が駆け抜けた。

 おかっぱ頭の女の子だ。

 どうやら、先にある大きな噴水を見て、興奮しているようだった。ぱたぱたと駅に向かって走って行く。

 そのこの姿を追いかけるように駅の方を見る。

 行き交う雑踏の中で、一人の人物に目がいった。

 紺色のスーツケース決して珍しい姿ではないが、なにか嫌な予感がした。

 男が手に持ったスーツケースをタイル張りの地面に置いた。そして、その荷物など、自分のものではないかのように――男はこちらの方に歩いて――離れていく。

 蓮子の眼がその男と眼が合った。もちろん、相手はサングラスをしているので、その眼を直接は見えてはいない。

 はっきりと男の動きがぴたっと止まったのだ。

 蓮子は構わず、歩みを進める。さっきまでより早く――

 そのとき、緊急速報が入った。速報が電子音声で伝えられる。端末を身につけている者全てに伝えられる情報。

 

「ただいま、世界的テログループ『Vermillion flags』からこの国に対する犯行声明が伝えられました。声明の内容は――」

 

 男がくるりと背を向け走りだした。

 

「――より、不審な物を見かけた場合は、直ちに近くの――」

 

「爆弾よっ!! そこから、逃げてっ!!」と、蓮子は大声で叫ぶ。

 男は人を押しのけ、走り出す。

 誰かが悲鳴を上げた。男が置いていった荷物に気がついたのだろう。爆発の恐怖が伝播し、人々が噴水から、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。

 蓮子はバッグを掴んだまま、駅と走る。マリーを心配してのことではない。女の子だ。彼女はまだこの異常事態に気がついていなかった。母親が子供の名を呼んでいる――が、それは悲鳴で掻き消え、子供には届かない。

 警報サイレンが鳴り響いた。赤いアラートランプが駅を照らす。ゆっくりと金属性のシャッターがガラスのアーチを覆っていく。

 少女には、ただの演出にしか見えていないのだろうか。逃げるそぶりはない。

 少女に追いついた蓮子は少女の肩を掴む。こんなときどうするのがベストなのか、全く分からなかった。

 ただ直感で思いついたことをする。

 蓮子はキャリーバッグのロックを外し、バッグを傾け中身を地面にぶちまける。荷物は少ない。度の土産を入れるために最小限のものしか入れていないかった。

 

「――ちゃん。この中に入ってっ!!」

 

 時間がない。少女の名を呼び、少し乱暴にかばんに少女をバッグに押し付け、ロックをかける。両手をかけ、地面を滑らせるように駅から遠ざける。

 自分はどこへ逃げるべきが、バッグと同じ方向に走るべきか。それとも、噴水の水の中に入るほうが安全か、逡巡する。その時――

 

「蓮子っ!!」

 

 自分の名前を呼ぶ声。

 蓮子は声のした方を見る。マリーがいた。

 瞬間、閃光と衝撃が蓮子を襲う。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 白い閃光が走り、爆音と爆風が周囲を破壊する。突然の爆風にマリーは背後の壁に叩き付けられた。

 打ち付けた頭、視界が揺れる。

 目に映る黒煙にきらきらと輝くガラスの破片。それを、最後にマリーは気を失った。

 

 

 京都○○総合病院の廊下のベンチにマリーは一人で座っていた。廊下は比較的静かで、小さなパルス音が一定の間隔で聞こえる。

 今の時刻は午後十時半。

 あの時、京都や旧首都東京を含む主要都市を中心に約二百カ所で爆発が起こった。道があちこちで断絶され、主要の交通網は壊滅状態。そのせいで、蓮子の両親は夜の十時を過ぎても、いまだ病院に到着していない。

 今現在で死者は百名を越え、重軽傷者は三千名を超えている。

 マリーは小さな火傷と少しばかりの切り傷だけで比較的軽症だった。打ち付けた頭も特に後遺症もなく、いまは包帯を巻いている。

 しかし、蓮子は――

 マリーはガラス越しに隣の部屋――集中治療室を見る。

 蓮子の体に包帯が巻かれ、管と人工呼吸器に繋げられていた。

 千切れた体を縫合し、一命を取り留めたものの、火傷の深度、さらに広範囲に広がっていることから、今夜が峠だと医師は言った。

 蓮子が助けた子供は無事だった。けれど、少女の母親にとっては複雑な心境だろう。

 包帯で顔が分からず、それが本当に蓮子なのか分からない。

 ミステリー小説のようにこれが入れ替わりのトリックかなにかで、五体満足のいつもの蓮子がひょっこりと自分の前に現れてこないかと思う。

 けど、そんな事は起きない。

 マリーの胸にぽっかりと空いた穴が広がっていく。




NEXT EPISODE 【7月27日(7)】
森の木々が黒い星々に砕いていく。


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【7月27日(7)】

【7月27日(7)】 

 

 

 パチンッと大幣を持つ巫女が指を鳴らした。一振りの刀が無数の短刀となって、青白の巫女に襲いかかる。彼女は護符で短刀を弾き、もう一人の赤白巫女に顔を向ける。

 

「あんたは魔理沙の所に行きなさい!」

「──けど……」

 

 戸惑う巫女。

 自分の分身である少女。

 彼女を豹変させた天邪鬼。

 数多の分身が紅霧の如く北へと向かい、魔理沙は異様な力を解き放っている。

 止めるべき事柄は複数ある。

 

「あんなの大したことじゃないわ。あっちで解決できるでしょう。それより、魔理沙を止める方が大事よ!!」

 

 彼女は北の空を見て、声を上げる。その声は少しばかり余裕を失っているようだった。

 

「──本当にそうなの……?」」

「当たり前でしょっ! 他は大したことじゃないわ。第一にあんたは魔理沙の所に行きたいんじゃないの?」

「……」

「それに、よその力を借りるような奴なんて、大したことはないしね……私一人で十分よ!!」

「言ってくれるわね。こっちだって、あんたと同じ神降ろしが扱えるのにさぁ?」

 

 嘲笑う巫女。手に持ったお祓い棒の紙垂が、音もなくわさわさと揺れている。

 

「──それをあんたが言うの?」

「別にいいじゃない! 私はたいして強くないの。この子の方が強いわ。だから行かせるのよ」 

「さっさと行きなさい!!」

 

 神妙な面持ちで頷き、彼女は西へ飛ぶ。

 

「ふっ、一人で私に挑むことを後悔させてあげるわ!」

「まぁ、できるならやってみなさい」と、彼女をかばうように青白の巫女は立つ。

 

 赤白の巫女は護符を投げる。青白の巫女も遅れて、護符をなげ、相手の攻撃を弾く。

 

「金山彦命よ──」

 

 大幣を持った巫女の周りに次々と銀の短刀が現出する。大幣を振るうと、相手を目がけて短刀が次々と飛びかかる。

 青白の巫女は護符で襲いかかる短刀を退ける──が、

 

「天照大神よ──」

 

 赤白の巫女の頭上で眩いほどの神々しい白い光が展開する。

 

「うっ……くっ!!」

 

 そのまばゆさに目がくらむ。白光に隠れ、二本の短刀が青白の巫女の腹部に刺さる。

 結界を展開するべきだったか──

 見えない攻撃をかわすのは難しい。巫女は後退──地上へと降下する。地上の木々であれば、視界を遮ることが出来る。もっともあれをずっと展開し続けることはないだろうが──

 距離をとったことで照度が下がり、短刀の姿を捉えることができた。

 攻撃を弾きながらも、ほとんど見えないお祓い棒を持つ少女に対しても、護符を投げる。

 照度が上がる。

 どうやらこちらを追っているようだった。腹部に刺さった短刀を掴み、金山彦命を呼び、分解させる。

 

「威勢は最初だけ? ──封魔陣っ!」

 

 声が聞こえ、天照大神の神々しい光が消える。空中に無数の赤い結界が生まれる。

 結界は地上へと勢いをつけて降下する。

 

「ちっ」

 

 舌打ちし、青白の巫女は横に飛ぶ。少し前まで自分がいたところが、結界で木々ごと押し潰された。

 木々の隙間から見える彼女は相手を捉え、護符と短刀で攻撃を繰り返す。

 拉げ、悲鳴を上げる木々と大地。

 相手の視界から逃れるため、地面すれすれをジグザグに飛ぶ。

 次々と叩き付けるように落下する緋色の結界。

 相手はこちらの動きを予測し、徐々に距離を詰めていく。

 破壊音が近づく。

 いよいよ振り切れない──

 

「金山彦命よ」

 

 手に短刀を顕現させ、地面に突き立てる。

 瞬時に、青白の巫女の周りに無数の刃が地面から生え出た。

 その刃が赤の結界にぶつかり、斜めに倒れこむ。

 祇園様の力。

 本来は相手を捉えるために使うのだが──

 青白の巫女は顔を上げ、空を見る。

 再び同じ場所に落とさんとする結界。

 それに、笑みを浮かべている赤白の巫女。

 大幣を持つ手と、もう片手には一本の短刀。

 彼女はその短刀を、自らの胸に突き刺した。

 同時に青白の巫女の周りの刃が地面に沈んでいく。

 祇園様の力は自らが持つ刀剣を何かに突き立てることで発揮される。青白の巫女はすぐさま短刀から手を離し、地を蹴る。

 刃が服を掠め、肌を裂く。構わず刃の檻を抜ける──が、

 

「痛っ、あ゛あああああああ──ッ!!」

 

 少女の悲鳴が轟く。その声は周りの破壊音に吸い込まれていく。

 赤い結界の方が早く、袴ごと膝から下の左脚が押し潰された。

 激痛が少女の全身に迸る。しかし、相手の攻撃は止まらない。

 巫女の頭上には緋色の圧殺結界が迫る。

 袴が地面と結界に挟まれ、動かない。

 青白の巫女は護符を顕現させると、袴の紐をきり落とす。すぐさま袴を乱暴に脱ぎ捨て、下着姿のまま、残る右脚で大地を蹴る。

 木々が悲鳴を上げ、脱ぎ捨てた袴ごと結界が押し潰す。

 次の圧殺結界が来る。

 飛ぶ。

 風圧と土埃が舞う。

 バランスを崩し、頬を大地に擦りつける。

 

「うっ!」

 

 攻撃が止んだ。

 赤白の巫女はクスクスと嗤う。

 

「最初の威勢はどうしたの?」

「……」

 

 痛む頬を押さえ、声の方──上空を見上げる。

 

「ホント、たいしたことないわね」

「……」

 

 左脚のない体を起こす。

 

「ふんっ、下着姿なんて好色なあんたにはピッタリね……」

「……」

 

 ピタリと笑みが消える。怒りの表情に取って代わる。

 

「……私と同じ顔でなければ、こんなに不快に思わないけど……ホント、むかつくわ」

「──無駄口叩いてないで、さっさととどめを刺せばどうなの? 後悔するわよ?」

 

 苦渋の表情で、しかし口だけは笑みを浮かべ、言葉を返す。

 青白の巫女は左腿を押さえ、霊力で脚を復元させる。

 

「今の復元で、どれだけの霊力を消耗したのかしら?」

「さぁ、どうでしょうね? 案外大したことはないかもしれないわよ?」

「……」

 

 冷めた目でしばし観察し、「ふん、強がって! その減らず口もここまでよ!」と、あら笑うように吐き捨てる。

 彼女は上へと飛んだ。

 お祓い棒を振るう。

 ──と、無数の封魔針が現れた。

 隙間なくというわけではないが、隙は数十ミリ程度でとてもではないが、体を横にした程度では避けることは出来ない。

 結界を使えば防げる。

 しかし、連続では使えない。

 その時、彼女は空に“終わり”を見る。

 もう時間はないのだと知る。悠長に引いている訳にはもういかない。

 

「さよなら」

 

 大幣を持った巫女の声を合図に、針の壁が迫る。

 青白の巫女は三枚の護符を針に向かって投げる。

 それは、針に接触する前に水の球へと変化した。

 水に針の勢いは吸収され、壁に三つの穴が開く。

 地を蹴り、開いた穴へと飛ぶ。

 壁を抜けた先に針の壁はなく、相手はこちらを待ち構えていた。夥しい刀剣類と共に──

 彼女の周りに漂う凶器。

 その量に圧倒されるが、引いている時間はない。

 青白の巫女は一直線に彼女の元へと飛ぶ。

 凶器が動き出す。青白の巫女に向かって──

 青白の巫女は叫ぶ。

 

「金山彦命よ──」

「──金山彦命よ──」

 

 相手は被せるように言葉を吐く。

 

「分解して」

「──保持しなさい」

 

 解き放たれた刀剣は消えず、巫女の体を切り裂く。

 短刀が黒髪を、リボンを、肌を裂き、槍が太腿を貫き、剣が腹を突き貫く。

 それでも、止まれない。

 顔を狙う短刀を、首を少し曲げて避けるが、髪が、耳を切られる。

 さらに顔面を貫かんとする剣を、左手──切り裂かれながら──で払いのける。

 一向に怯まない相手に、動揺する巫女。

 

「金山彦命よ──」と再び叫ぶ。

「金山彦命よ──分解して──」

「──金山彦命よ──そのままよ──」

 

 やはり、凶器は消失しない。

 距離が狭まる。

 もうすぐ手が届く──

 少女は結界で防御体勢を取ろうとする。

 

「ふうまっ──」

「遅いっ!!」

 

 青白の巫女の右手が動く。

 相手が結界を展開するよりも早く、右手の護符でお祓い棒を持つ手首を切り落とした。

 

「っああああああああああああああああああああ──ーっ」

 

 手首を押さえ悲鳴を上げる少女。

 落下する手は塵と化し、お祓い棒だけが紙垂を揺らし、落ちていく。

 

「ああああああっ……ううぅ……わたし……うっ私は──」

 

 悲鳴は慚愧の嗚咽へと変わる。

 青白の巫女は小さく呟くと、体に刺さった金属の塊がすうっと消える。

 後に残ったのは傷だらけの体。

 

「封魔陣」

 

 右手を上げ、青白の巫女は頭上に結界を展開する。

 

「……気にすることはないわ」

 

 青白の巫女は震える彼女を胸に抱きしめ、優しく声をかける。

 傷だらけの左手で少女の頭を撫でる。

 結界が悲鳴を上げた。

 

「貴女があの子を瓦礫から助け出してくれたんでしょう?」

「ううっ」

 

 嗚咽を漏らす彼女に優しく声をかける。

 

「それだけで十分なのよ」

「んく……ううっ……」

「ありがとう」

「……」

 

 彼女は泣き止んだ。

 

「後は私がなんとかするわ……私が今日までやってきたことは……もう()()()いるでしょう?」

「……ええ……」

「霊夢は貴女の助けを必要とすることはなくなる。そんなことをしなくても助けてくれる人たちがいる。だから彼らに託して、消えた方が──」

 

 その先の言葉は言えない。

 

「私も役目が終えたら……貴女のように……だって……私も……」

「……信じて、いいの?」

「ええ。その為に急いでいろんな事をしてきたんだもの」

「……ごめんなさい」

 

 少女は体を預けるように青白の巫女の胸に頭を預ける。

 やがて、少女は彼女に重なるように、静かに溶け消えた。

 しかし、周囲では世界を破壊する音が鳴り響いていた。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

「ダークスパァークッ」

 

 喜々とした大声で叫んだ魔理沙の声。

 放った閃光が霊夢を狙う。

 身を引き、帯電する光を避けながら、霊夢は思考を巡らせる。

 いつもの魔理沙ではない。何が原因なのか。

 病毒を撒いた妖怪が保険として、もう一つ何かの仕掛けを施したのか──もしそうなら、体内ではないだろうと思う。もし、経口であれば、あの日、話題に上るだろう。

 では体外では──

 魔理沙を見る。

 いつもの服装。

 少女は箒に乗っている。その箒が原因ではないだろう。あれは魔理沙自身が魔法で召喚した物だ。大元は瓦礫の中。誰かが何か出来る物ではない。

 ならば、彼女が握っている魔具──ミニ八卦炉。あれは彼女が常に持っている。

 あれが、魔理沙を操っているのかもしれない。

 八卦炉を魔理沙から引き剥がすには、彼女に接近しなければいけない。

 結界の消滅。

 魔理沙の台詞はあれを分身が起こしたように聞こえた。恐らく、それは正しいだろう。北の空へと向かうもの。それも向かう先は──

 原因は、何か? 

 自分から分離したあの巫女が、彼女に接触して──と、一瞬考えたが、すぐに否定する。

 ただの勘だ。

 魔理沙でもない。

 では誰が──

 

「霊夢、逃げてばっかりじゃあ、私を止められないぜ! ダークスパァークッ」

 

 魔理沙が叫ぶ。

 霊夢は横に飛ぶ。巫女の横を黒光が通り過ぎる。

 距離があれば、確実に避けることが出来る。だが、接近すればするほど、回避は困難になる。

 呼びかけど、魔理沙の戦闘態勢は変わらない。

 逡巡し、魔理沙に撃ち放った護符は黒い光に呆気なく焼き払われる。

 小さな護符程度では軌道すら変えることも出来なかった。

 その光は霊夢をも狙う。

 

「──ッ!」

 

 霊夢は横に飛び、黒い閃光をギリギリで回避する。

 

「そんなヌルい攻撃じゃあ、私の所まで届かないぜっ!」

 

 再び、魔理沙は腕を掲げ、魔砲を放つ。

 霊夢も、魔理沙に向かって護符を投げる。

 魔理沙は後方に、霊夢は横に飛んで、互いの攻撃をかわす。

 霊夢の後ろで、激しい爆音が轟く。

 西の大地は激しく形を変えている。

 森や里が、聖輦船によって嬲られたように。

 時間はない。

 霊夢は距離を詰め、接近戦を挑もうとするも、黒い光がそれを阻む。

 黒閃は大地を揺らし、深い爪痕を残す。

 さらに、「スターダストレヴァリエ」と、魔理沙が叫ぶ。

 金髪の魔法使いの周りに、無数の大きな魔方陣が現れ、黒い星々が弾幕のように展開する。

 左右に身を振って、光弾を避け、魔理沙に接近する。両手に護符を顕現し、矢継ぎ早に魔理沙に向かって投げた。

 魔理沙に攻撃を中断させる為だったが、彼女はひょいひょいっと躱し、霊夢に向かって魔具を持った手をかざす。

 

「ダークスパァークッ」

 

 躱しきれないと感じた霊夢は、瞬時に叫ぶ。

 

「くっ!! 封魔陣!!」

 

 両手を前に着きだし、結界を展開する。

 

「うっ、くっ……あぁ!!」

 

 肩に激痛が走り、踏ん張りきれない。

 圧倒的な力の奔流に為す術なく、霊夢の体を後方に押しやられる。

 巫女の背中に地面が迫る。

 結界の端が地面を削り、結界全体が少女を押し潰す方向に傾く。

 霊夢は咄嗟に結界を蹴って難を逃れる──が、大地を炸裂させる衝撃の突風に身をさらされ、体を吹き飛ばされる。

 

「っ……ああぁっ!!」

 

 瓦礫に肌を叩かれ、悲鳴を上げる霊夢は大きな岩に背中を叩き付けられる。

 息が一瞬止まるが、すぐに体を起こす。

 魔理沙の光弾が周囲で弾ける。

 森の木々が黒い星々に砕いていく。

 当たらなかったのはただの幸運だった。

 

「くっ」

 

 漂う土煙に腕で口を覆い霊夢は空を見上げるが、視界が悪く、魔理沙の姿は見えない。

 視界が晴れるまでここにいるつもりはない。上へと上がる。

 空に浮かぶ魔理沙を見つける。

 魔理沙もまた霊夢を見つけた。

 

「ドラゴンメテオ!」

 

 魔理沙が高らかに叫んだ。同時に黒い星々が空中で停止し、そこから次々と黒い閃光が四方に展開する。

 マスタースパークほどを大きさではないが、数が多い。

 その時、魔理沙の更に奥で光るものが見えた。

 一つではない。

 いくつもある。

 白い光。光のシャワー。

 それが、幻想郷の大地に降り注ぐ。

 霊夢を見ている魔理沙はそれに気がついていない。

 

「魔理沙!! 避けて!!」

 

 魔理沙が上を見る。

 彼女がそれに気付いた時には、すでに手遅れだった。

 光の矢が魔理沙の胸を貫いた。

 体に走る衝撃に、魔理沙は目を見開く。

 

「──なっ!」

 

 魔理沙が小さい悲鳴を漏らす。

 魔法使いの体から、急激に力が抜けていく。

 魔理沙の手から八卦炉がこぼれ落ちた。

 瑕疵のついた肉体は用済みと言わんばかりに地上へと落ちていく。

 ぐらりとバランスを崩した彼女の体はマジックアイテムを追うかのように落下していった。

 

「まりさあああああぁぁ────────────ーっ!!」

 

 霊夢の叫び声は、周りの破壊音にかき消された。

 

 

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 Power :??? 

 




NEXT EPISODE 【Lost Fragment】
…………


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【Lost Fragment】

【Lost Fragment】

 

 人気のない夜の病院の廊下。

 蓮子の両親もこちらには向かってはいるが、あちこちで起こったテロの影響で、未だ病院に到着していない。

 心電計のパルス音が廊下に微かに漏れている。

 その電子音がふいに不規則に歪んだ。

 心電計の心音を刻む間隔は次第に長くなり──

 そして、止まった。

 すぐさまベッドに搭載された自動蘇生装置が起動し、電気ショックと心臓マッサージが続けられた。

 それはきっちり十五分続けられ、ピタリと止まった。蓮子が蘇生することはなく──

 宇佐見蓮子は死んだ。

 医師も駆けつけ、彼らによって死亡が確認された。

 結局、マリーはもう一度、蓮子の綺麗な姿を見ることはなかった。

 静かになったろうかを一人歩き、ぼろぼろになったキャリーバッグを引き、外に出る。

 時刻は零時を過ぎてようとしていた。

 駅とは離れているため、辺りは静まりかえっている。周囲に人はいない。車も走っていない。

 マリーは病院近くにある小さな無人ショップで、飲み物と道具──少し面倒な手続きがあったが──を買った。ここでも人はいなかった。

 歩きタクシー乗り場に行く。

 タクシー乗り場はどこも明るい。風雨がしのげるように屋根が付き、照明が旅行案内を照らしている。

 マリーは案内表示に据え付けられたボタンを押した。

 灰色の地面から柵が飛び出し、その中の地面が割れ、一台の車が上昇する。

 柵が地面へと吸い込まれ、車のドアが自動で開いた。

 バッグを助手席側に置き、運転席側に座る。

 別に運転するわけではない、昔の名残でその名前が残っているだけだ。

 乗り込むと音声ナビが行き先を尋ねる。

 マリーが行き先を言うと、候補地の詳細地図が現れ、

 車は静かに発進した。

 車内での宣伝映像はOFFにした。

 等間隔で置かれた街灯が、一定のビートで過ぎ去っていく。

 白い光が、去っては現れ、現れては去って──

 買った飲み物を取り出す。

 ストローを取り、パックされた薄い膜を鋭利なストローの先で突き破る。

 半透明なストローを奥までいれ、口をつける。

 コーヒーにココアをミックスした飲み物。

 美味しくはなかった。

 ホットの方が飲みやすかったのかもしれない。

 ざらっとした粉っぽさと、ねっとりとした甘さが受け付けない。

 やがて、車は都心部を抜ける。

 街灯は少なくなり、白い光の鼓動が、不規則でゆったりとしたものになっていく。

 路面も都市部のように舗装されてはおらず、時折車体が揺れる。

 変わらないのは車のヘッドライトと車内の静けさだった。

 

 

 二時間ほど揺られ、目的地が近いというアナウンスが流れた。

 甘苦い飲み物は一口しか飲まず、車内のゴミ箱に捨てた。

 停止のアナウンスが流れ、車がゆっくりと止まる。

 名前を告げ、指輪をスキャニングさせ、支払いを済ませた。

 自動で扉が開く。

 バッグを取り出し、マリーがドアを閉めるより早く、自動で閉まった。

 車は近くのタクシー乗り場に自身が収まるため、出発して消えていった。

 かたかたとバックを揺らしながら、歩いて行く。

 不気味な潮騒が聞こえる。

 マリーが目指したのは海だった。

 そこは使われなくなった工場跡地だった。

 少し離れた所に古い灯台があり、回転灯が周囲を照らしている。

 今では稼動していない工場設備が、照明に照らされ不思議な光景を作っている。

 廃工場旅行。初めて、蓮子と出会った場所。

 現代建築の構造物では見る事のできないシルバーメタルの無骨な建物。そこに機能性などあるのかと思えるほどの奇妙な構造群。規則性があるのか判然としないパイプ。

 警備といえるものは、まったくない。

 申し訳程度に設置された一筋の金属チェーンが通せんぼをしているだけだ。

 マリーはバックから手を離し、チェーンを跨いだ。

 マリーが歩いている場所は船舶を停泊させる所で、歩くたび、かつんかつんと真っ平らな金属板が響く。

 月は雲に隠れて見えない。

 暗い闇夜にぽたぽたと地面が濡れていく。

 雨が降り始めた。

 灯台の光がまわっている。

 マリーが気にせず、前へと歩く。

 雨足が強くなり、服が雨を少しずつ重くなっていく。時折強い横風が吹いた。うねる漆黒の海面が見えてくる。その時、降り注ぐ雨がなくなった。雨が止んだ訳ではない。灯台の光で見えたのは、薄紫色の傘だった。

 

「風邪を引くわ」

「──何の用?」

 

 突如、背後から聞こえた声に驚くことなく、マリーは問いかける。

 振り返らずとも、誰なのかマリーは分かっていた。

 自分とよく似た女。

 

「──少し──貴女の様子を──」

「また──種馬としての仕事?」

「──いいえ──」

 

 八雲紫は短く答える。

 

「──ここが、貴女の死に場所?」

 

 相手はこちらの問いを無視し、マリーに問いかけた。

 

「友人の一人が死んだくらいで……」

「貴女に何が分かるの?」

 

 相手の言葉を遮るように、マリーは強い言葉で激昂した。

 

「人を単なる道具にしか思わないくせに……」

 

 マリーは向き直り、八雲紫を睨みつける。

 灯台の光が二人を一瞬だけ照らす。

 

「蓮子は──蓮子は、私にとって一番大切な人。あんたなんかに──」

「たった十数年しか生きていないくせに、どうして一番大切だって言い切れるの?」

 

 感情を剥き出しにするマリーに対し、八雲紫は表情を変えず淡々と呟く。

 時折、暗闇を切り裂く灯台の光。

 

「この先も貴女は色々な人と出会うわ。それでもなお──」

「心にもない綺麗事なんてどうでもいいわ。あんたはただ私を利用できればいいだけでしょうがっ!!」

 

 マリーは右手でポケットにしまい込んだ、買ってそう間もない刃物を取り出した。マリーは白銀の刃先を出す。

 周囲を飛ぶ蠅を追い払うように刃を一閃する。

 しかし、それは空を切るだけだった。

 紫は後ろに身を引いていた。傘を手にしたまま──

 紫のもう片方の手がスキマを介して、マリーの頭を掴み、ぐっと後ろに押しやった。

 

「うぐっ」

 

 呻き、マリーは金属床に尻もちをつく。

 灯が二人の姿を一瞬だけ映す。

 傘を差したまま、冷めた目でマリーを見つめる紫。

 上体を起こし、紫を睨みつけるマリー。

 雨降る暗闇の中、一陣の強い風が吹き、マリーは再び切りかかる。

 斬撃を紫は能力を使い、苦もなく退ける。

 それでも、マリーは凶器を片手に挑む。

 

「無駄よ」

 

 短く、落ち着いた小さな声。

 一閃は再び紫に躱される。しかし、それはマリーが狙う本命ではない。八雲紫の力。半歩ほど攻撃を引いたこともあり、マリーは自分に掴みかかる相手の腕を──手首を掴んだ。

 紫はマリーが自分の腕を切りつけると思い、腕を引っ張り相手の体勢を崩そうとした。

 だが、マリーは掴んだ紫の腕を切りつけることもなく、相手の腕を自分の腕ごとスキマへと押し込んだ。その為、逆に紫の方が体勢を崩すことになった。紫の体が後ろに倒れそうになる。

 だが、マリーは紫の体に斬りかかる事はなかった。

 マリーは何もない空間を──開いたスキマ近くの空間──掴んだ。それは紫が予想していた事では全くなかった。

 そして、マリーは腕に力を入れ、自分の腕が入った空間を一気に閉じた。

 すぱっと綺麗に切断されるマリーの右腕。

 

「ああああああああ──────────っっ!!」

 

 耳をつんざくような悲鳴が雨降る暗闇に溶けていく。

 鮮血。

 必然か幸運か、切断面から勢いよく噴き出した血が、妖怪の顔を濡らした。

 

「ぐっ、こんなっ」

 

 彼女は呻き、顔を押さえる。傘が金属地面に落ちた。

 熱く粘ついた血液が眼に入り、呻く妖怪。

 マリーは相手に背を向け、歩く。

 大量の血が流れ、体から力が抜けていく。

 痛いはずなのに、次第に感覚がなくなっていく。

 脚から力が抜け、膝が折れる。

 マリーは受け身を取ることもできず、顔を地面に打ち付ける。

 受け身を撮る事もできず、顔を金属地面に打ちつけるが、その痛みも感じない。

 小さく、マリーの口が動く。

 

「蓮子──いま、いくね──」

 

 それきり、マリーは動かなくなった。

 

 

 ──↑↓──

 

 

 誤算だった。八雲紫は歯噛みした。傘から手を離し、血のシャワーを遮断した。

 傘でカバーすれば効率がいいはずだが、咄嗟の事でこうする事しかできなかった。

 彼女が力に干渉できるとは──

 まさか、彼女がスキマを見ることだけではなく、触れることもできるなんて──

 灯台の光で微かに見えた彼女の後ろ姿。

 スキマを使い、捕まえようとするが、距離感が合わず、空を掴むだけだった。

 風が吹き、傘が飛んでいく。

 血をぬぐい取り、目を開ける。そこには──

 地面に大量の血で作られた赤い線が引かれていた。

 その緋色の線の先に、うつぶせに倒れた少女があった。

 血だまりがマリーを中心に広がっている。

 脈を確認する必要もない。マリーは死んでいた。

 紫はスキマを開き、切断された左腕と取り、マリーの体の上に放り投げた。

 

「──なんで──」

 

 どうしてこうなったのか──と、紫は考える。

 いまさら、彼女を殺した罰なのか──

 いや──

 マリーまで数十世代、近しい人を失うことは誰にでも起こった。

 当然だ。

 人はいつか死ぬ。

 しかし、後を追うように自尽する者は誰一人としてなかった。

 誰一人としてなかったのだ。

 マリーが他と異なる点は、その能力と博麗の巫女との接触──

 あの女が彼女に吹き込んだのだ。

 何せ一日と時間を引き延ばされたのだ。

 あの女に対する怒りがふつふつとわき起こる。

 

「……私が、あまいことしか出来ないなんて──」

 

 血と雨に濡れた紫は低い声で──恨みの声が続く。

 

「霊夢に何もできないなんて、思わないことね──」

 

 唇をきつく噛む。

 八雲紫はただ、じっと亡骸を見下していた。

 灯が再び流れ、辺りは暗くなった。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 八雲紫は元の時間軸、座標地点に戻った。そこにはいつもと変わらぬ幻想郷があった。

 すぐ側には式神がいた。演算のバックアップの為に就いて来てもらっていたからだった。

 

「紫様、何かお怪我を──」

 

 血に汚れ、ずぶ濡れ姿の主を見て、驚きと心配の声を上げる。

 

「心配要らないわ。ただ──早く着替えたいわ」

 

 感情の少ない声で紫は呟いた。

 それは吸血鬼が赤き霧を展開する、二日前の出来事だった。

 




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右手奥には美鈴が倒れている。
誰よりも早く咲夜の異変に気がついた彼女が近寄った結果、首筋をナイフで切られ、蹴り倒された。

――とある短編から抜粋。


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【7月27日(8)】

【7月27日(8)】

 

 

 万物には全て気が存在し、風水を操る物部布都はその気の流れを見る事ができる。

 倒壊家屋から下敷きになっている人達をほぼ助け終えた布都は、空から感じる違和感から神子にこの事を伝えるため、戻ろうとしていた。

 その時、里のあちこちで気が大きく膨れ上がるのが分かった。

 

「なっ、これは――」

 

 里の外れでも、同時に同じような現象が起こっている。

 特に爆発的に気を大きくなったのは太子の近くにいる面霊気だった。

 

「太子様、危ない!」

 

 布都は地を蹴って、急いで太子の元へ向かう。

 神子も秦こころの異常を察知してか、彼女と距離を取ろうしている。奇しくも、布都に近づく格好だった。

 

「布都!」

 

 布都の前方で、神子が声をかける。

 

「布都! 早くこっちに――」

 

 こころが面を従え、太子の後を追うように、こちらに向かってきていた。

 

「きゃあ」

 

 どこからか東風谷早苗の悲鳴が聞こえた。

 それとほぼ同時に布都と神子の周りにオレンジ色の半透明の結界が展開し、その結界に布都と神子は囚われた。

 わさわさと逆立つこころの長髪。それは怒髪、天を衝くといった感じだった。

 妖力で造られた薙刀を構え、こころは二人に突進する。布都と神子は左右に分かれ、一閃する斬撃を躱した。

 

「これは、一体……」

「太子様、先程空から異様な感じを――恐らく何者かが、彼女に力を与えたのではないかと――」

 

 空中にいた二人を様々な面が取り囲んだ。

 羽虫のような音を響かせ、面が二枚に分裂する。

 しかし、今回はそれだけではなかった。

 さらに青緑の面が青と緑の面に、橙色の面が赤と黄色の面へと分かれした。

 面の数は六十六枚。二つに分かれれば、百三十二枚。

 二人の巫女に割られた面の数は三十五枚。残りは三十一枚。

 三十一枚が四つに分かれ、百二十四枚。

 

「このまま、面を割り続けるとねずみ算式に増えていきそうですよ」

 

 と言い、布都は一枚の緑の面に光弾を放った。面は避ける様子はなく、接触する直前に赤の面に変化した。

 三方向から光弾が布都を襲う。体を翻しそれらを躱す。同時に、こころは神子に狙いをつけ、襲いかかる。

 

「どうしたんですか、皆さん」

 

 再び、下で東風谷早苗が聞こえた。見れば、鋤を持った男が、早苗を襲いかかっていた。他にも平鍬を構える者や三叉鍬を手に持った者も近くにいる人々に襲い掛かっている。

 早苗は身を翻し、振り下ろされた鋤を躱したが、どうすればよいのか、手をこまねいているようだった。

 

「付喪神です」と、布都が神子に向かって言った。

「何者かが付喪神に力を与え、暴走させているようです。あの薙刀女は私が引きつけますので、太子様は彼女にこの事をお伝え願いませんか?」

「分かりました。布都、しばらくお願いします」

 

 神子は早苗が一番近くにいる結界端まで動き、呼びかける。

 

「東風谷殿」

「はい!」

 

 神子に気がついた早苗が返事を返す。

 

「付喪神が彼らを操っているようです。付喪神の力を封じる、あるいは弱めることはできませんか?」

「――付喪神……」

 

 言われて、早苗は改めて、彼らの持つ農具を見る。磨耗や補修の跡などがあり、どれも使い込まれた様子が見て取れた。

 

「分かりました。やってみます」

 

 意を決して、早苗は男が持つ鋤に向かってお札を投げた。男はまるで憑き物が落ちたかのような一瞬ほうけたような顔をし、正気を取り戻した。

 

「……やった……よし!」

 

 お札を構えると、青い袴を翻し、同じように付喪神の傀儡と化した者達に向かって駆けていった。

 神子は布都の方に向き直る。布都はこころの突進を避けていた。そして空中に漂う無数の色とりどりの能の面。

 

「布都」

 

 神子は彼女に近づきつつ、呼びかける。

 

「太子様、気をつけてください」と、布都が言うと右手に生み出した一つの光弾をこころ――正確には心のそばに浮かんでいる青の面――目がけて、撃ち放った。それは命中する寸前に青色から赤色へと色を変え、すっと音もなく飲み込まれていった。同時に同じ形の三つの面――黄色と青色、緑色の面―から、光弾が吐き出された。

 

「やはり、前と同じように、色を変えてこちらの攻撃を弾き返すようですね」

 

 様子を見て、布都は予想通りといった感じで言葉を呟いた。加えて、「恐らく、面の数が減るほど、多く分裂するでしょうね」と、予想を告げる。

 

「ええ。ならば、どうするべきかは、一つ」

 

 言い聞かせるように神子は声に出す。

 

「そうなる前に止めなければ――布都、全ての面を記憶して下さい。準備ができれば、合図をお願いします。一気に攻勢をかけますよ」

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

「それでね、わた……」

 

 メディスン・メランコリーの人間に対する呪詛めいた繰り言が唐突に途絶えた。

 いい加減辟易していたアリスは彼女の話を聞き流しながら、戦闘をしている北の空を見ていた。

 

「それで、どうかしたの?」

「……」

 

 唐突の沈黙に合いの手を打ってみたが、変わらない。

 

「どうしたの?」

 

 そう言いアリスがメディスンの顔を見ようと覗き込んだ瞬間、メディスンの白い手がアリスの胸を押した。

 

「えっ」

 

 その力は強く、頭一つ分ほどの身長差があるにもかかわらず、メディスンは容易にアリスを押し倒した。

 倒れた拍子にカモミールの白い花びらが舞い上がる。りんごのような甘酸っぱい香りが広がる。地面に打ち付けたお尻の痛みがゆっくりと全身に広がっていく。

 

「……」

 

 黙したままのメディスンは倒れたアリスに近寄ると、白い手がアリスの白く細い首筋にかかる。白い手にゆっくりと力が込められ、締め上げられる。

 メディスンの顔を見る。不気味なほど無表情で、青い瞳に光りはない。

 

「メ……ディス……ン……どうし……て――」

 

 ぶつ切りに漏れる声。

 振りほどこうと、動くがびくともしない。

 魔法で抵抗しようにも、アリスの魔法は魔道書と呪文のセットでしか発動しない。

 首が痛い。

 ギリギリと締め上げられるアリスの白い首。

 窒息よりも前に、骨を折られる。

 

「……う……ぐぅっ……」

 

 ブックホルスターの留め金を外し、分厚い魔道書を握る。そのまま、魔道書の背表紙でメディスンの頭に叩き付けた。

 首を締め上げる力は変わらない。

 アリスは心の中で謝りつつ、力を込め思いっきり殴りつけた。

 ぐらりと、メディスンの顔が揺れ、首を締め付ける力が弱まった。

 しかし、それは一瞬だけ――

 メディスンの表情は変わらない。

 再び、アリスの首を締め付ける。

 できうる限りの力を込めて本を叩き付ける。

 ぴしりっと、メディスンの顔に亀裂が入り、更にもう一度打ち付け、メディスンの体が倒れた。

 

「げほっげほっ……うくっ……」

 

 痛む首を押さえ、咳き込みつつアリスが立ち上がる。

 一体、彼女に何が起きたのか?

 疑問を感じながら、彼女を見る。

 メディスンもまたゆっくりと立ち上がった。そこには何ら表情はただ瞳が赤く光っていた。

 アリスは後方に飛び距離をとる。それを追うようにメディスンが飛ぶ。

 魔道書を持った右手とは逆の手――左手の五指で、魔力の糸をメディスンへと伸ばす。人形劇の人形を操るように、種々の場所、頭、右手、左手、右足、左足に絡み付かせる。地面に腹ばいにさせようとするが、メディスンの力が強く、ただその場に固定する事しかできない。

 

「――メディスン、どうしたていうの?」

 

 力はメディスンの方が若干強い。押し返されそうになるアリスは力を込め、魔糸をきつく拘束する――が、メディスンの側に浮かんでいた人形――メディスンがスーさんと呼んでいた――が、アリスに向かって動き始めた。そこに表情はない。

 魔道書から手を離し、魔糸をスーさんに絡み付かせる。音を立て本が地面に転がる。

 スーさんの力もメディスンほどに強力だった。

 相手の力は衰えない。

 ゆっくりとアリスは二体の人形に押されていく。

 

「くっ」

 

 抗うメディスンの力の方が強い。

 魔糸の絡んだ五指がゆっくりと、ぎしっぎしっと本来指が曲がる方と反対方向に押されていく。

 

「うっくっ!!」

 

 アリスは指に力を込め、抵抗する。ただ、いつまでもこの状態を維持できるわけではない。

 傷つけまいとしていることが、状況を少しずつ悪化させていく。

 火の魔法か、氷の魔法か。

 どちらにしろ、すぐに相手の動きを封じる事はできない。

 簡単な魔法が火の方だ。

 覚悟を決めたアリスは地面に転がる魔道書を足で蹴り、メディスンの体にぶつける。人形がよろめいた。次いで、魔糸を解く。

 メディスンに向かって、右手を構える。

 アリスが魔法を放つ直前、メディスンの体が地面へと押し倒された。

 そこには、スキマから飛び出した八雲藍が立っていた。藍はすぐにメディスンの首関節の隙間にくないをうちこんだ。メディスンの体がすっと脱力した。

 

「これは一体どういう事です?」

 

 落ち着いた口調で、睨みつけるように式神がアリスに問うた。

 

「分からないの。急に固まって、私に襲いかかってきたの」

「近くに誰かは?」

「いいえ。だれも、いなかったわ」

「――ふむ」

 

 唇に手をやり、藍は少し考え込む。

 

「彼女は捨てられた人形に魂を宿した付喪神。住処は鈴蘭の咲く無名の丘。彼女の唯一の友達は側に居るスーさん。彼女は自立した物ではなく、メディスン自身が無意識に動かしている。能力は、植物から特定の成分を抽出する。成分は一度に一つだけではなく、複数を抽出することも可能。捨てられた事による人に対する憎悪をもつ」

「……」

「私が彼女について知っている事です」

 

 スーさんは地面に力なく転がっている。動いてはいない。

 

「少し調べてみましょう」

 

 藍はメディスンの体をひっくり返すと、顔を近づけ、メディスンの頭を軽く叩く。

 

「……」

 

 手に持ったくないでメディスンのブラウスを引き裂いた。つるんとした人形のボディが露わになった。さっきと同様

 

「中には何もないようですが……」

 

 八雲藍はくないを構えた。

 

「ちょっと、何を――」

 

 当惑するアリスを藍がちらりと見る。

 

「復元魔法は使えますね」

「えっ、ええ。まぁ……」

「それでは――」

 

 藍は躊躇いなく、くないをメディスンの胸に突き刺した。胸に蜘蛛の巣状に亀裂が走る。くないを引き抜き、藍はそこにできた穴から、体内の覗き込んだ。

 

「何もない……か。復元をお願いします」

「……まかせて」とアリス。メディスンの胸に手を当て、呪文を唱える。

「時限的なものはないという事は、遠隔で誰かが操っていたのかしれません」

「……それって簡単な事だとは、思えないけど……」

 

 ぐるりと改めて、アリスは周りを見回す。辺りには魔法の森のような大木などなく、見晴らしはいい。相手を操るなら、その距離が遠いほど困難だ。

 

「何か、別のアンテナを仕掛けているのかもしれませんが……しばらく、このまま様子を見ましょう」

 

 藍は目を細めて、呟いた。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 咲夜の異変に最初に気がついたのは美鈴だった。咲夜の持つ気に、別の気が混じっていると、美鈴が感じ取ったからだ。

 紅魔館の地下図書館の天井は聖輦船の砲撃により、大きく穴が空いていた。直接、紅魔館を狙った攻撃はかなり前になくなっていたが、外から響く騒音と大地の揺れから目標の対称が変わったからだと判断し、未だに結界を張って潜んでいた。

 図書館は魔法光と大穴から漏れる陽光で斑に部屋を照らしている。

 今はこの書庫を根城にしているパチュリー・ノーレッジが結界を展開し、紅魔館の住人を守っていた。

 館の主――レミリア・スカーレットはこの状況に苛立っていた。

 何もできないからだ。

 いや、正確にはしようと思えばできるのだが、日傘を差して戦うなど弱点を教えているようなものだ。

 メイド、門番、魔法使いの三人が止めた。

 簡易のベッドにはレミリアの妹、フランドール・スカーレットが寝ていた。

 そんな状況で、唐突に咲夜の耳に、不気味な話し声が聞こえた。

 ホルスターのナイフを見る。

 花見の前日の記憶を引っ張りだす。

 玄関の扉を開けると、門番と一人の少女が立っていた。

 少女の黒髪に赤と白の髪が混じっている。小さな顔のその表情は無理矢理笑顔を作っているようだった。

 美鈴が状況を説明する。

 美鈴の作った野菜が評判なようで、買いに来たとのこと。お金がなく、変わりに一番値打ちのある銀のナイフを持って来たと言う。

 美鈴が二人の名前を言った。

 鬼人正邪、少名針妙丸。

 もう一人はどこにいるのかと、思っていたら少女の左肩に小さく動く者があった。それが訪問者のもう一人だった。

 帽子がお椀の蓋で、その下の髪はラベンダー色。赤い着物を身に纏っている。人なつっこい笑顔をこちらに向けている。

 黒髪の少女が差し出したナイフを見る。

 黒い柄に焦げ茶色の皮でできた鞘。

 手に取り、鞘を抜いた。

 真っ直ぐな刀身。

 光る刃が、メイドの姿を鏡のように映した。

 刃こぼれもしていない。

 そして、軽い――

 咲夜は彼女たちに渡す野菜について門番に聞いた。

 レタス、トマト、なす、きゅうり、枝豆。

 それだけでは釣り合わないと感じ、キッチンに戻ると昨日館の主が残したクッキーと大きなかごを用意し、二人を見送った。

 咲夜はホルスターからナイフを抜き取った。途端、咲夜の意識を遠くに引きずり込まれた。

 

「……」

「咲夜さん、あの……いつもと――」

 

 美鈴は咲夜に近づく。メイドは美鈴の方を振り向く。その目は赤く光っていた。それと同時にナイフを握った左手が大きく動いた。

 

「えっ?」

 

 突然のことで美鈴は何もできなかった。

 咲夜のナイフが美鈴の首筋を切り裂いた。鮮血が噴き出し、無意識に血を止めようと手で傷を塞ごうとする。血の匂いが広がる。

 レミリア・スカーレットがその匂いを知覚し、アクションを起こすよりも早く、咲夜は次の行動を起こしていた。

 咲夜の右足が、美鈴の腹部を蹴りつけた。美鈴の体が吹っ飛び、本棚に叩きつけた。美鈴の血が床に広がっていく。

 その音で、パチュリー、レミリアの二人が、咲夜と美鈴を交互に見る。

「んー」とフランドールが寝ぼけた声を漏らす。音、あるいは血の臭いに反応したのかもしれない。

 背の高い本棚が軋み声を上げ、倒れる。

 ――ブツンッ――

 唐突にレミリアの視界が漆黒に覆われた。

 レミリアの能力――未来視。

 これは、どういう事なのか?

 レミリアの体が固まる。

 しかし、答えはすぐに判明する。

 全身に走る激痛。

 その痛みでレミリアは未来視の意味を理解した。

 体を切られ――

 そして、眼を潰されたのだと――

 この状況を止める方法。

 いつもの咲夜の匂いに混じった小さな異物感。

 いつも彼女が身につけているナイフと異なっている。

 

「お姉様!!」と、フランドールの悲鳴。

「フラン! さく――」

 

 ――咲夜のナイフを破壊しなさい。

 そう告げようとしたが、その言葉は途切れ、代わりに大量の血液が噴き出した。

 喉を切られたのだ。

 

「フラン。咲夜の握っているナイフを壊して!」

 

 レミリアに代わって、パチュリーが命令した。

 妹だけに任せるわけにいかない。レミリアは四肢を失った体で翼を広げ、体当たりを行う。

 フランがベッドを蹴る。

 ベッドが軋む音。

 レミリアに押し倒される咲夜。

 主の背中にナイフを突き立てようとするメイド。

 フランは咲夜のナイフの刀身を掴む。更に力を加えると、銀色の刃がフランの手の中で粉々に砕けた。

 

「……わ、わたしは……」

 

 はっと目を見開いた咲夜の震えた声。震える両手。

 

「お姉様、死んじゃやだよぉ」

「どうして、こんな……」

 

 血まみれの咲夜は声と共に体を震わせる。

 

「大丈夫よ。吸血鬼は頑丈だから。幸い、頭と胴体はまだ繋がっているみたいだし……」

 

 咲夜らの側に近づいてきたパチュリーが告げた。

 

「フラン、レミィの腕と足を集めて」

「うん」

「レミィより先に、美鈴の方が先になんとかしないと……」

 

 トテトテと、パチュリーが美鈴の元へ走って行く。

 

「――お嬢様……」

 

 咲夜は、主人の前で糸が切れた人形のように座り込んだ。メイド服のスカートが血を吸っていく。

 

「……申し訳ありません。私は――」

「……たい……ゃ……な……」

 

 回復させつつある喉から、レミリアが声を漏らす。声と共に喀血した。

 

「お姉様、大丈夫だって」

 フランが姉の言葉を伝えた。

 

「……ですが……」

 

 しかし、今の咲夜には気休めにもならない言葉だった。




NEXT EPISODE【7月27日(9)】
「残念だけど……」と、聖白蓮はナズーリンの頭を撫でる。


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【7月27日(9)】

【7月27日(9)】

 

 

「うわっ! ひどい。誰がこんな事したんだろう?」

 

 天界から地上へと降りる比那名居天子と永江衣玖。

 先日、地上に訪れた天子は地上の変化に驚きの声を上げた。

 衣玖もまたその様変わりに驚きを感じたが、表情を変えず地上を見渡す。

 霧の湖 西洋館漂う紅魔館の姿は消え、魔法の森から人里の方に向かって、幾重にも地面が抉り取られ、あちこちで土色の粉塵が漂っている。山の中腹ほどにも見覚えのない建物――最近建てられたものと思われる――でも噴煙を上げていた。

 そして、未だに戦いが空中で繰り広げられている。

 

「船の封印が解かれたようですね」

 

 衣玖は西の様子を観察し、呟いた。

 

「船って?」

「あそこに大岩が見えませんか? いつの頃だったかははっきりとは覚えてはいませんが……昔、白蓮という尼僧? がおりまして、彼女は箱船を使ってこの地を訪れたのです」

「――へぇ。で、なんで封印されたの?」

「さぁ。はっきりとは……博麗の者と対立したらしく、かの僧は魔界に、船はあの地に封じ込められ――」と、衣玖は朧気ながら覚えている事を天子に伝えた。

 

「あー……じゃあ、アレ、私のせいだ」

「どういう事ですか?」

 

 天子は博麗神社を倒壊させる前の事を話した。

 

「………………」

「あれ? 衣玖、怒ってる?」

「…………いいえ。少し……改めて、情報を整理していたので……」と、途切れ途切れに言葉を返した。

 

「……まぁ、総領主様が生まれる前の出来事ですので……」と、衣玖は落胆し、ため息をこぼす。

 それは天子の行動に対してなのか、それとも、それでもなお、彼女に対し怒号を飛ばす事のできない自分に対しての気落ちなのか、衣玖には分からなかった。

 ゆっくりと二人は里の方へと降りていく。

 

「衣玖、もしかして……アレを助けるのかな?」と、天子が指さす。

 

 彼女が示したのは、暖色の結界。中には三つの人影があった。

「…………あれは、結界が張られている以上、加勢するのは難しいかと――」

「じゃあ、ああいう怪我している人の手当とか?」

「いえ、それは私達には向いていないかと……」

 

 衣玖はすぐさま否定した。人見知りの衣玖にとって、ホイホイと人に近づくなんてできなかった。加えて言えば、天子が他人に対し献身的な行動を取るとも思えない。

 

「そうだよね。あんな事、私メンドーでやってられないし」

 

 天子の言葉を否定すべきなのだが、できなかった。

 巫女の求めている事は何なのかは分からない。

 徳を積むためにする事は――

 

「――もう少し、様子を見ましょう」

 

 答えの出ない衣玖は、そう提案した。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 洩矢の鳥居の側で南の様子を窺っていた洩矢諏訪子の背後で轟音が響いた。音の先は倉庫から。舞い上がる砂塵の中から一つの人影が飛び出した。

 赤みがかったブラウンの短髪、整った顔立ちに異彩を放った赤い瞳。服装は黒と赤のチェックのブラウスに、白のパンツスーツ。手には木の棒を握っている。

 

「あれは……太鼓?」

 

 彼女――堀川雷鼓――が握っていたのは、太鼓のバチだった。

 

「ヴォォ―――――――ッ」

 

 言葉にもならない咆哮を上げる雷鼓。その咆哮は一つだけではなかった。それは別の方角からだった。山の木々から飛び出したのは薄暗い紫色の和傘を携えた付喪神の多々良小傘だった。

 小傘は何度かここを訪れている妖怪の一人だ。早苗が彼女に驚かされており、その反応がいたく気に入ったようだった。

 堀川雷鼓と多々良小傘は互いを敵と認識したようで、空中で襲いかかった。

 二人の体が重なる。太鼓のバチが、和傘が、互いの左脇腹を刺し貫いた。

 

「ッヴァガァァ―――――――ッ」

 

 肉食獣のような悲鳴を上げる二人。

 だが、雷鼓に対し、小傘の攻撃はまだ終わってはいなかった。

 刺し貫いたままメリメリと肉を裂き、和傘がぱっと開かれた。熱い血の雨が降る。

 くの字に折れる雷鼓の体は力を失い、地面に叩き付けられる。

 追い打ちをかけようと、和傘を構えた小傘が雷鼓を狙う。

 ――と、一陣の風切り音が鳴き、傘を持った小傘の右腕が切り落とされた。

 

「ガァァ―――――――ッ」

 

 飛びちる血飛沫。獣の咆哮が轟く。

 一方、雷鼓は体に力を入れ、起き上がろうとする。

 びしっと持ち上がった頭が、再び地面にめり込んだ。しかし、一度だけでは、獣の意志は砕けず、もう三度、足を振り下ろし、ようやく雷鼓は動かなくなった。

 片腕を失った小傘が狙いを神奈子に変え突進する。振り上げた隻腕は再び、風切り音と共に切断された。

 鮮血が舞う。

 両腕を失ってもなお突進する小傘。付喪神の赤い瞳が光る。

 神奈子は手前の地面を隆起させ、小傘を叩き付ける。さらに別の地面もボコリと盛り上がり、それは鞭のようにしなり、小傘を上から挟み込むように押し潰した。

 果汁を搾るように赤い血が溢れ出る。

 それきり、小傘は動かなくなった。

 

「まったく、何の騒ぎだか――」

 

 八坂神奈子は誰に言うでもなく呟いた。

 

「誰かが、付喪神に擬人化させるほどの力を与えたようだね」と、諏訪子。

「ふーん。で、あんたはこちらの監視かい?」

「ええ。さっきのは余計でしたか?」

 

 小傘の両腕を切断した射命丸文が返事を返す。彼女の後ろには仏頂面をした姫海棠はたてが控えていた。

 

「構いやしないさ。あれくらいなら誰でも、どうとでもなるだろうさ。それより、こうなった原因は知っているのか?」

「もしかして、こちらを疑っていますか?」と、騒動の主役が沈黙したことで、文は神奈子らの近くに降り立った。はたては、土柱の様子を見ている。

 洩矢神社がこの地に済む事が許されたのは、彼女らのトップである天魔との交渉の結果である。簡単に言えば、山に対して、危害が及びかねないときに守護すること。

 船の攻撃は山からやや逸れていた事と、洩矢神社と大きく離れていた事もあり、諏訪子達は様子見だった。

 さっきのは、山と言うよりは自分達に降りかかった火の粉を払った程度だ。天魔との交渉時、今はこういったトラブルはほとんど起こらないと聞いていた。しかし、こちらに移住して一月も経っていない僅かな時間で、こんな騒動が起こるのだ。こちらを試すために意図的に仕掛けているのではないかと、神奈子は考えた。

 

「……まぁ。そういう可能性もあると少し考えただけさ」

「こちらに来て早々、役割を果たせといった感じですが、私達も自分たちの領域を破壊してまで、貴女方を試すような事はしませんよ」

「こういったことは、これまでも?」

「いえ。私の知る所では一度も……といっても私はまだX百年程度しか――」

 

 その時、はたては視界の隅にそれを捉える。それは、細く、鋭利な――

 

「皆、避けて!!」

 

 文が話す中、はたてが大声で叫んだ。

 神奈子と諏訪子は瞬時に反応し、後方に飛んだ。文だけが、反応に遅れた。瞬間、文の体を何本もの細槍が差し貫いた。

 

「――ッ!!」

 

 体に走る衝撃に文は眼を大きく見開いた。

 

「あや!!」

 

 はたては右手でかまいたちの斬撃で槍を切断した。

 

「これは――やらかしちゃいましたね――」

「――傘の方か――」

 

 緊迫した面持ちで、神奈子が呻く。神奈子の言う通り、それは小傘の持っていた茄子色の傘から伸びていた。細槍は傘の親骨が伸びたものだった。切断された腕の側で、和傘が少し開いた状態で立っている。傘の一部がしなり、十数本の親骨が文の方に伸びていた。

 本来、細い親骨に大した強度はないはずだが、今は鋼鉄並みの強度を持ち、天狗の体を刺し貫いた。

 傘におよそ五十の親骨がある。攻撃に転じた骨は全てではない。

 

「飛べ!! あいつはお前を標的にしているぞ!!」

 

 左腕に突き刺さった骨を引き抜こうとしていた文に向かって、神奈子が叫ぶ。

 文が行動を起こすよりも早く、はたてが動いた。正面から文の体を抱き、すばやく上空に飛ぶ。

 遅れて、文の立っていた地面から数十本の骨が勢いよく生え出た。

 諏訪子が土の集積し、ハンマーを形作ると、小傘の和傘をぐしゃりと叩きつぶした。

 骨が伸びる事を止め、その場で固まった。

 

「――はたて、助かりました」

 

 呻くような声で感謝を伝える文。

 

「何が助かりましたよ。全然、助かってないわよ」

 

 涙声ではたてが怒る。

 文の白いシャツは赤く染まり、その血ははたてのブラウスまで赤く染めていく。

 

「――ああ、服を汚しちゃいましたね――」

「馬鹿! そんなんじゃないわよ」

 

 はたては文のからだをぎゅっと抱きしめる。刺さったままの骨の一部がはたての体に食い込んだ。

 

「……くっ……」

「早く手当をしないと――」

 

 はたては、河童の所に行こうと勧める。文の傷は浅くない。自前の妖力である程度の回復はできるだろうが、完治は難しい。河童の妙薬を頼るべきだろう。

 

「……しかし……」

「あの二人の監視は椛に任せておけばいいでしょ? あいつの千里眼なんてこういうときにしか役に立たないんだから」

 

 はたてはぐっと唇を噛み、河童の元に向かった。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 能面の位置を覚えた物部布都と豊聡耳神子は、秦こころに対し、一気に攻勢をかける。四つの面を二人がかりで同時に攻撃し、淡々と破壊する。薙刀を構え突進するこころを布都が引きつけ、太子を守る。

 

「太子様、もういいでしょう? 私が直接、引導を渡してやります」

 

 半分の面を割っただろうか、しびれを切らして布都は告げる。

 

「待って下さい! まだ早すぎます!!」

 

 神子の制止を振り切るように、

 布都はこころの薙刀を左腕でいなし、右腕を振り上げ、こころの左頬を殴りつける。

 しかし、布都の拳はこころに届かなかった。砕かれた能面が集まり、主を守護する盾となっていた。

 

「ふっ、まさかまだ面を利用するとはっ……あぐっ……」

 

 いつの間にか、薙刀から手を離した心の手が、衣服越しに布都の腹に食い込んでいた。こころの長い指が皮膚を裂き、白い水干を赤く染めていく。

 

「ちっ、往生際が……」

「布都、引きなさい!!」

 

 神子の命令が飛ぶ。だが、それよりも早く、三つの薙刀が別々の方向から、布都の体を貫いた。

 薙刀は三つの面からそれぞれ飛び出したものだった。左ふくらはぎ、両の乳房下、いずれも、布都の背後から突き刺さったもので、ぬらぬらと光る血に濡れた刃が胸から突き出している。

 

「――痛ッ!!」

 

 こころの手からこぼれ落ちた薙刀が、能面を通して分裂したものだった。

 

「このっ!」

 

 薙刀の刃は、布都のすぐ側にいるこころにまで達していない。ならば、すべき事は決まっていた。

 左腕をこころの腰に回し、ぐっと自分の方に抱き寄せる。胸に刺さった刃が、ぐずりとこころの体に突き刺さり、こころは雄叫びを上げる。

 こころの顔面を防御していた面盾が崩れていく。すかさず、布都は右拳をこころの顔面に叩き込む。

 逆立っていたこころの髪はゆっくりとしな垂れ、体から力が抜けた。周囲を囲っていた結界が消える。

 

「布都、大丈夫ですか?」

 

 青い顔をした神子が布都に近寄った。

 

「依代が頑丈ですから、すぐに治りますよ」

「治る、治らないの問題ではありません。あまり私を心配させないで下さい」

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

「残念だけど……」と、聖白蓮は胸に抱いたナズーリンの頭を撫でる。

 

 場所は聖輦船の甲板、そこには白蓮を慕う妖怪達――ナズーリン、雲居一輪、村紗水蜜と寅丸星――と雲山、魔界行きを望む観光客の霍青娥と宮古芳香の八名は集まっている。

 白蓮と聖輦船の合流にそう時間は掛からなかった。白蓮の住み処とゲートが手近にあった事が大きな要因だった。

 彼女は迎えが来たと言い、生活を共にしていた男と別れを告げ、聖輦船に降り立った。

 懐かしい面々。

 しかし、久方ぶりの挨拶もなく、ナズーリンは白蓮に自分の置かれた絶望的な状況を話した。

 彼女の言葉を聞き、聖は悲しげな顔を見せ、残酷な言葉を告げる。

 

「難しいわね。貴女から聞いた状況では――」

「貴女でもできないの? 大魔法使いだと言っていたけど」

 

 青娥は白蓮に聞いた。青娥に落胆はなかった。おおよその予想はついていたからだった。

 

「私にもできる事とできない事があります。特に彼岸の領分ともなれば、こちらから干渉する事はできませんから……」

「白蓮様、私達に分かるように説明してもらってもよろしいですか?」と、一輪が真剣な表情で聞いた。

 

「魂が肉体から離れれば、よほど強い情念がない限り、その魂は彼岸も元へと流れていってしまうの」

「制限時間があるという事ですか?」

「ええ。正確な時間は分からないけれど。けれど、問題は他にもあるの。肉体の問題がね」

「……」

 

 青娥は黙って、白蓮の言葉の続きを待つ。

 

「肉体が傷ついたときに傷を治すための治癒魔法が存在するわ。けど、これは万能ではないの。傷ついた細胞を再生させるにはエネルギーを必要とするのだけれど、同時に副作用と言っていいのかしら、色々な事が起きるの。発熱や大きな痛みが伴うのよ」

「けど、それは術者が肩代わりする事も可能よね?」と、霍青娥。

「ええ、もちろん。けれど、問題はそちらではないわ」

「何を元にして再生しているのか、でしょう?」

「ええ。設計図は当人の細胞。もちろん術者が設計図を書いて、その通りに組み立てる修復する事は可能だけれど……それは複雑なものほど、難しくなるの」

「鼠は難しい方に入ると……」と、一輪が問うた。

「鼠に限らず、生命体全ては複雑なものよ。一朝一夕で理解できるものでもないし――」

「完全な設計図――情報が必要ってこと。まっ、私は知っているけど――」と、青娥。

「たしか道教で、尸解仙という仙人になる方法があるわね。必要となる依代に肉体の情報を保存する。けど、その依代に大きな瑕疵を負えば、不完全な肉体となる」

「ええ、その通り」と青娥が合いの手を打った。

「それと――もう一つ問題があるわ。今の事と重なるけれど。今仮に不慮の事故でなくなった二人の女性を蘇生させるとするわね。一人は……そうね、二十歳くらいの女性で、もう一人は老衰した老女という事にしましょう。二人を蘇生するために、肉体と魂を結びつける。さて、どうやって、組み合わせる?」

「それは彼らの声を聞けば、分かるのではないですか?」と、一輪が聞いた。

「残念だけど、声帯ない霊の声にあまり違いがないから判断する事は難しいわ。もちろん力のある者であれば、生前の声を出す事も可能だけれど……それに――」

「――二人が本当に自分の肉体を指し示すか?」

 

 青娥が聖より早く、問題点を告げる。

 

「そう……それに彼らは嘘をつく事ができる。欲が出れば、なおさらね」と、聖は寂しげに告げる。「結局、信用にたる情報がなければ難しいのよ」

「……うぅ……ぐすっ……」

 

 白蓮はナズーリンの頭を撫でる。

 

「――それでも、私にできる事があるかもしれないわ。すぐに戻りましょう」

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 パチュリーの魔法のお陰で、美鈴とレミリアは目に見える傷はなくなった。今も気絶していて、状態は落ち着いていた。

 咲夜が嗚咽を押さえると辺りは静かになった。

 元々、パチュリーと咲夜は大人しく口数が少ない。唯一おしゃべりなフランも怪我で寝ている姉のこともあり、はしゃぐ事はなかった。

 その沈黙は唐突に破られる。

 一筋の光の雨が、パチュリーが張った結界を突き破り、彼らのいた地下空間に炸裂した。

 パチュリー、咲夜、美鈴、レミリア、フラン、銘銘がその衝撃で吹き飛ばされた。

 

「痛ぁっ!!」と、悲鳴。

「むきゅー」と、気絶音。

 

 そして――

 

「きゃあ゛ああああああああああああああああ―――――――!!」

 

 絶叫とも言えるフランドールの悲鳴。

 痛む体を起こし、咲夜は周囲を見回す。額から血を流しているパチュリー。瓦礫にまみれたレミリアと美鈴。

 フランは顔を押さえ、両足をバタバタとさせていた。フランの顔から白い蒸気が立ち上っている。

 埃っぽさに混じった肉の焼ける匂い。陽がフランの顔を照らしていた。彼女は姉以上に陽光に対する耐性がない。

 咲夜は時を止め、急いでフランの体を抱き、日陰に移動する。

 

「パチュリー様」

 

 動き始めた時間。咲夜は魔法使いに助けを呼ぶが、彼女はぴくりともしない。フランは咲夜の腕の中で気絶した。爛れた顔と腕があまりに痛々しい。

 

「どうすれば――」

 

 改めて、咲夜は周囲をも渡す。蹂躙された地下。天井は以前よりも大きく裂けている。

 咲夜はレミリアと美鈴の体を抱く。どちらも息もしている。咲夜は日陰の一カ所に皆を集めた。

 それだけしか、できる事がなかった。

 咲夜は魔法を使えない。先程の攻撃を防ぐ事はできない。

 

「何か――」

 

 メイドは必死に思慮を巡らす。不意に触ったスカートのポケットに異物を感じ、取り出す。

 

「これは――」

 

 それは、以前に花見の時に霊夢からもらった札だった。

 すぐさま、咲夜はそれを自身の体に張った。

 空中に出来上がった矩形の傘。

 ――と、があぁんっと大きな音が咲夜らの頭上で響いた。効果はあるようだった。しかし、本来の用途で使っている訳ではない。そう長くは持たないだろうと、咲夜は思う。

 手の中にある数枚の護符。それまでにこの事態は収束するのだろうかと、不安な面持ちの中再び、騒音が鳴り響いた。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

「私の近くに――」

 

 アリスに指示する八雲藍の顔は険しいものだった。

 突如幻想郷全土に降り注ぐ光の雨。遠くで炸裂している惨状を見れば、その強烈さは理解できる。

 それがどこから来るものなのか、藍には分からない。特定しようにも、主命から薬の成分を抽出するための植物群を守ることに専念せざるを得なかった。

 広範囲の攻撃から複数箇所を防衛することは、藍の能力で以てしても難しい。

 スキマは無限に展開できるものではない。空間を干渉できる面積には限界がある。それは主人である八雲紫も同じ。ただ、その限界が違うだけだ。

 広げたスキマが大きければ、展開できる数は少なくなる。小さなスキマであれば、数多くのスキマを展開できる。数が増えれば、その数だけ座標を操らなくてはならない。

 守るべき場所は四カ所。今離れている三カ所は大きなスキマで対処するが、完璧な防守ができているかと問われれば、返答に窮する状態だ。

 

「……今度は誰が――」

 

 メディスンを抱くアリスの呟きに、答える余裕は今の藍にはなかった。身動きが取れず、ただこの状況を耐え続ける状況は、ひどくはがゆい。ただ耐え凌ぐだけで、妖力は確実に消耗していき、状況は悪化していく。この事態を引き起こしている首謀者を探すこともできない。

 苛立ちが募る藍は、近くに落下する一本の槍を見落としてしまう。

 見逃した光の槍が大地を砕き、彼らを瓦礫の突風が襲いかかった。

 砂塵が悲鳴を飲み込んだ。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 深い霧が立ちこめる彼岸と此岸の境界――三途の川。

 逆さつららのような岩々に不思議な色をした川の水。一隻の小さく古びた小舟が川縁に泊まっている。

 主の亡霊少女と共にここを訪れた妖夢は、巫女から頼まれた要件を小野塚小町に伝えた。

 

「それなら、気にする事はないさ。まだこの間の花見の時の霊の処理が追いついてなくてね」

「あんまりゆっくりしていると、上に怒られるわよ」と、幽々子は冗談めかして言った。

 仕事――といっても、今の霊とだべっているだけ――の邪魔をしないという事で、幽々子は妖夢の手を引き、岸辺を歩く。辺りで聞こえるのは涼しげな川のせせらぎだけ。暑くもなく、寒くもない、不思議な空間。

 

「――ではないですか?」

「残念だけど、ハズレ。まぁ、少し惜しいんだけどね」

「じゃあ、正解はないですか?」

「そんな簡単に教えたんじゃ面白く――」

 

 亡霊少女が、言葉を止めた。

 従者と進んだ、ここまでの道のり、あるいは帰り道の方に顔を向ける。

 

「……」

「幽々子様?」

 

 妖夢の問いかけに主人は応えない。特に何かがあるというわけではない、少なくとも妖夢にはそう見えた。

 

「走るわよ、妖夢」

 

 グッと手を引き、幽々子は走り出す。歩幅の違いもあり、妖夢はよろけそうになるが、そう長く走る事はなかったので大丈夫だった。

 近くには霊とだべる小町がいた。

 

「小町!」

「んんっ?」

「構えて!!」

「何だ?」

「念の為よ!!」

 

 と、幽々子の手が従者の襟首を掴み、ぐっと、自分の体に引き寄せ、そのまま抱きしめた。

 身長差のせいで豊満な主の胸に従者の顔が埋まる。

 

「ぅ、幽々子様?」

 

 息苦しさを感じながらも、再び妖夢の問いかけに主人は応えない。

 

「小町、私の後ろへ」

 

 幽々子は体を顔の方へ向ける。

 

「何があるって言うんだ?」

「まだ、見えない?」

「ん? あれは……」

 

 小野塚小町も異変に気がついたようだ。

 狙いは私だと西行寺幽々子は思っていたが、そうでない者も混じっているかもしれない。なぜなら、相手はこちらの登場人物を知っている。

 

「小町、早く!!」

「ああ」

 

 始めて聞く幽々子の怒鳴り声に、小町は戸惑いながらも従い、彼女の数歩後ろに下がった。

 亡霊少女は妖夢を抱き留めている左手と反対の手をかざす。

 

「ギャストリドリーム」

 

 紫とも青とも就かない不思議な色の結界は三人の前に展開する。

 十数秒後、結界が攻撃を弾く。その音は耳を覆いたくなるほどの爆音で、妖夢は首を回し結界を見る。

 遠くから飛んできたのは護符だった。霊夢が使っている護符。それが、夥しい数の護符がこちらに向かって飛んできていた。

 

「お前ら、あの巫女に何か怒らせるような事をしたのか?」と、小町は幽々子に向けていった。「尋常じゃあねえぞ、この数は――」

「知らないわよ、そんな事。直接聞かないとわからないわ」

 

 静かになった。でも、それで終わりではない。遠くに赤い点々が見えた。それが次第に大きくなる。

 そして――

 

「第二波か――」と、小町が言った。

「小町……悪いけど、使うわよ――」

 

 返事を聞かず、幽々子は妖夢の背中に回していた手を離し、両手を広げ、両腕を上げると、胸の前でクロスさせる。

 その動作で、万を超える複製された巫女は消滅した。さらに返す手で、半数以上の巫女を滅する。もう一度々動作をし、残りは数体。三度目の攻撃をさせることなく、複製巫女は完全に消滅した。

 幽々子は展開した結界を消去する。

 

「この中で、恨まれるようなことをした奴、挙手……ちなみに、あたいはないぞ」

「私は……まあ、あるわね……」

「――やっぱりな……けど、これだけの事をしても、無傷っていうのも……なんか……えげつないねぇ」と、呆れた顔の小町。

 

 幽々子に対し、人海戦術など無意味。彼女に対し、あらゆる生命はゼロ距離でその生命線を握られている。

 

「……」

 

 妖夢は言葉もなく、巫女達が来た方向を見ていた。今は人っ子一人見えない。

 

「――そうかしら?」

「お前なぁ……さっきのは、確実に指で数えられるような量じゃなかったんだぞ! あんな圧倒的な物量で攻め込まれたら、普通ひとたまりもないぜ!」

「……」

 

 妖夢は言葉もなく、巫女達が来た方向を見ていた。人っ子一人見えない。いやな予感がした。

 それは、はっきりと形になる。

 

「……幽々子様、また――」

「ええ、分かってる。二人共そのままで――」

 

 再び、幽々子は結界を構成し、力を使い巫女もどきを一掃していく。幽々子の指が命の糸を躊躇なく切り落としてく――

 が、その指先が止まった。

 

「――えっ!?」

 

 その様子を見て、小町が声を漏らす。

 幽々子の体が青白い光を放ち始めた。

 

「まさか――」と、小町は驚きの声をこぼす。

「――これは」と、きょとんとした表情の幽々子。「――ああ……そういうことね」

「何が……起きてるんですか?」

 

 当惑する従者は得心する主人に問いかける。

 

「妖夢……お別れみたい……」

「妖夢! ゆっこを押さえろ!」

 

 言うが早いか、小町は大鎌を構え幽々子の前に躍り出た。幽々子が倒しきれなかった数名の巫女に対峙する。巫女の攻撃はひどく単調で、一直線に幽々子を狙っているだけで、簡単に大鎌が護符を防いだ。

 

「西行妖が――桜の封印が解かれたんだ! まずいぞ、これは!」

「封印……そんなことは! だって、春を集めていないのに!」

「春? 何言ってんだ!?」

 

 小町の大鎌が巫女を両断する。すかさず、迫り来る巫女に向かって鎌を振る。

 

「幽々子の封印を解く方法なんて、いくらでもあるんだぞ! この間の花見の事を忘れてんのか!?」苛立ちげに小町が叫ぶ。「もうすぐ、ゆっこは本当の肉体を求めて動き出す。向こうの肉体に接触すれば、幽々子は完全に消滅する。永遠の別れだ――」

「えっ!?」

「――だから、しっかり押さえてろ!!」

 

 大鎌を振り下ろし、巫女の分身が縦に裂け、消滅する。

 妖夢は顔を上げ、主の顔を見る。

 

「ごめんね、妖夢」

 

 幽々子の瞳から光が――すうっと生気が消えていく。

 

「……さよなら……」

 

 声はなく、唇だけが動いた。

 

「妖夢、幽々子を止めろ!!」再度、小町が叫ぶ。「私は向こうに行って、肉体の再封印を行う。命張ってでも止めろよ!!」

 

 返す手で巫女を切り落とし、小町は此岸へと飛んだ。

 

「……そんな……幽々子様」

 

 うなだれる妖夢。

 感傷に浸る暇もなく、幽々子のお腹を押さえた妖夢の両手にぐっと重い力が掛かった。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 鬼人正邪は巫女達の戦いに注視していたため、それに気づいた時には、すでに各地でそれによる被害が出始めていた。

 そして、その一つ――一本の光の槍が、正邪目がけて落下してきていた。

「ふん」と、つまらなさそうに一息漏らすと、手を掲げて叫ぶ。

 

「――逆転」

 

 正邪は力を一気に発動させる。光の槍の力のベクトルは瞬時に反転し、天から地へ、ではなく地から天へと流れていく――

 その筈だった。

 しかし、光は正邪の力を物ともせず、直進し、正邪の脇腹を苦もなく貫いた。

 

「――がはっっ!?」

「正邪!!」

 

 吐血する正邪に針妙丸が悲鳴を上げる。

 刺し貫かれた正邪の体は力なく地面へと落下していく。

 

「正邪、しっかりして!!」

 

 針妙丸は右肩の服をぐっと引っ張り、落下を阻止すようとするものの、落下スピードは全然変わらない。

 このままでは、地面に叩き付けられる。そうなれば――

 

「うっ……ぐっ……ぎゃ……ぎゃくてん……」

 

 途切れ途切れに正邪は力を放つ。自分自身に――

 自身に作用するベクトル――落ちていく力をゆっくりと反転させていく。

 だが、勢いは変わらない。土色の大地が近づく。

 

「正邪、死んじゃダメ――!!」

 

 衝撃に恐れ、目をつぶった針妙丸が叫ぶ。

 

「あ……あぁ……ぎゃく……てんしろぉ!」

 

 声を絞り出す正邪の体が急激に落下速度を緩め、地面すれすれでピタリと止まる。次の瞬間、とさっと正邪の体が地面に着地した。

 正邪と針妙丸、二人が安堵する間もなく、横殴りの突風が襲う。

 二人に近い大地が、光の槍で砕かれた衝撃だった。

 

「ぐあああっっ!」「きゃあああっ!!」

 

 呆気なく引き飛ばされる二人。血をまき散らし転がる正邪。針妙丸は服から手を離してしまい、別れ離れに。

 

「けほっけほっ、正邪! 正邪、どこ?」

 

 正邪と引き離された針妙丸が呼びかける。土煙で周りの様子が見えない。

 しばらくして別の方向から砂塵が吹き荒れ、ちらりと正邪の姿を捉える事ができた。

 針妙丸は小さい体で姿勢を低くし、正邪に駆け寄った。

 裂けた腹から血が止めどなく溢れ、地面を濡らしている。正邪の顔は青白い。

 

「針妙丸……お前は逃げろ……」

「そんなこと、できな……いよ」

 

 絞り出すような正邪の声に、針妙丸の言葉が近くにいたその存在で途切れそうになった。

 正邪を、針妙丸を見下ろすように、青いリボンで髪を束ねた博麗の巫女が立っていた。

 

「全く、面倒な事をしてくれたものね――」

 

 そう言い、巫女はため息を漏らした。

 

 

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NEXT EPISODE【7月27日(10)】
「あら、レイセンったら、こんなところにいたの?」
ウドンゲの頭上で懐かしい声が聞こえた。


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【7月27日(10)】

【7月27日(10)】

 

 

 時間は少し遡る。

 部屋から、博麗霊夢と霧雨魔理沙が出て行った。次いで、アリス・マーガトロイド、メディスン・メランコリーの二人が、妖狐が作ったスキマから八雲藍と一緒に出て行った。同時に妖狐の親玉である八雲紫も別のスキマを作り出し、出ていく。

 それほど広くもない部屋から、六人がそう時間を置かずに去り、場が一気に静まりかえった。鈴仙は時折起こる揺れが心持ち大きくなっているような感じがした。迷いの竹林には特殊な結界を張ってあるために、外からの干渉はほとんどないが、大地を伝っての揺れには何の妨げにはなっていなかった。

 沈黙を破ったのは、八意永琳だった。

 

「ウドンゲ、貴女も準備なさい」

 

 鈴仙の返事を待たず、永琳は言葉を続ける。

 

「──外の様子が随分と騒がしいようだし、貴女が様子を探って。必要に応じて、この子に外の状況を送ってちょうだい」と、永琳は顎でてゐを示す。

「は、はい!」

 

 必要以上に外との干渉を行う事を良しとしない永琳がこう言うのだから、よほどこの事態が珍しいのだろう。鈴仙はすぐに準備をし、竹の迷路の出入り口へと向かう。

 

 

 迷いの竹林の出入り口近くまで来た。そこで、はたと鈴仙の足が止まる。

 自分はどこへ行くべきなのだろうか?

 深く考えず、永遠亭を出てしまった。

 人里にはいけない。今は薬売りの格好をしていない。

 一度着替えるべきだろうか?

 いや、一度外へ出てみれば、分かるだろうか?

 このまま、霊夢達の方へ行くべきか、それとも──

 ふと、周りを見渡す。

 

「あっ」

 

 竹林。そこからのぞく切り取られた青々とした空。

 ここは、自分が地上へと降りてきた場所だった。あれから、地上に降りて二週間ほど経った。

 鈴仙はここに降り立ったときの事を思い返す。

 

 

「見かけない顔だな」と、てゐは訝しげにレイセンを見た。

「あっ……レイセン……と言います」

「やっぱり知らない名前だな。どこから来た?」

「ええっと……」

 レイセンは住まいの住所を答える。

「……むっ……月?」と、てゐは引っかかりを覚える。「永琳だな、これは……」

「えいりんって……八意永琳様のことですか?」

「何だ、知っているのか? ──だったら、ついてきて」

 と、鈴仙はてゐに案内された。

 

 

「話しながら出いいから、ここに寝て頂戴」

 挨拶もそこそこに、レイセンは鈴仙をベッドに横にさせる。

「はい……それで、本の……」

 永琳は手に収まるような小さな金属箱を持つと、鈴仙の頭から足へとかざしていく。

「……というわけで、なぜかここに来てしまいして……」

「貴女、病院に入院したことは?」と、永琳は手を鈴仙の頭部にかざしたまま質問した。

「たしか……二度ほど……」

「もう少し詳しく説明して頂戴」

「ええっと──」と、レイセンはたどたどしく説明する。

「親はご健在?」「能力は?」「戦闘訓練は……」と、矢継ぎ早に説明を求められた。

「まぁ、大体のことは分かったわ」

 一通りの説明を聞き終え、

「レイセン、貴女が私をサーチする為の先兵ではないことはわかったわ」と、告げる。

「貴女の頭にはARSNが埋め込まれているわ」

「え-あーる……」

「簡単に言えば、玉兎感応通信網を抑制する物よ……これは罪を犯した玉兎に埋め込まれる代物よ。脱獄幇助を防止するためにね」

「え? でも、私はそんなこと──」

「ええ、知っているわ。これは貴女によって、月の玉兎全てが統御されるのを恐れた為ね。玉兎感応通信網も一つの波だから──」

「っ! そんな──でも、私は──」

「……まぁ、潔癖な上の連中なら……」と、永琳は声を漏らす。「二度の手術は貴女の成長により、機器が脳を圧迫してきたからでしょうね」

「…………」

「…………」

 

 俯き、黙ったレイセンを値踏みするようかのように見つめる永琳。

 

「さて、ARSNを取り除きましょうか」

「……え!? それって、あの……」

「心配しないで……別に物理的に排除するわけじゃないから、肌を切り裂く必要なんてないわ……まぁ、貴女がどうしてもっていうなら、時間が掛かるけど手術もするわよ」

 

 レイセンは流されるままに了解し、永琳は先程かざしていた機器を再度、頭に近づけスイッチを押した。それでARSNの機能は停止した。

 

 

 それからは大変だった。手が欲しいということで、様々な雑用を手伝ったり、解放された通信能力を使って因幡てゐと交信をしたり、新たな名前をもらったり、薬のことを覚えたり……

 月に居た頃が懐かしい。鈴仙はそう思った。

 ──と、

 

「んっ?」

 

 頭が重い。何かが強い力で自分を押し潰そうとしているような──

 鈴仙は踏ん張ろうとするも、頭がゆっくりと沈む。

 

「ぅ……重い」

 

 ぐらっと重心が前へと傾き、どたっと鈴仙は倒れ込んだ。

 

「ふうん、ここが地上ね……青クサッ!」

 

 頭上から聞こえる、聞き覚えのあるその声。

 踏みつけられている頭が痛い。

 

「──と、あらっ? レイセン、こんな所にいたの?」

 

 ゆったりとした白のブラウスにブルーのサロペットスカート。腰まで届く艶やかな金髪を揺らし、彼女はペットの名前を言った。

 

「──と、豊姫様っ!!」

 

 頭上から聞こえたのは、レイセンにとって懐かしい主の一人──綿月豊姫の声だった。

 

 

「それは、さっきの巫女のことじゃない?」と、永琳が豊姫の疑問にぽつりと答えた。

「巫女って、何?」と、豊姫はなぜか鈴仙に聞き返した。

「ええっと、巫女というのは……この地では、神事を行ったり、妖怪などが起こすトラブルを解決したり……まあ色々です」と、上手く説明しようと苦慮しつつ、鈴仙が答える。

 

 部屋に居るのは、八意永琳、因幡てゐ、綿月豊姫、鈴仙の四名。蓬莱山輝夜はいない──と言うより姿を見せないように、鈴仙は豊姫を永遠亭に案内する道すがら、通信網を使っててゐに表に出ないよう、お願いしたのだ。

 綿月姉妹にとって輝夜は、師である八意永琳を地上に追いやった人物である。それゆえ、姉妹はいい感情を持っていない──と、鈴仙は思っていた。

 

「神事ねぇ……それって、よく行うの?」と、豊姫は鈴仙に聞いた。

 

 豊姫がこの穢れた地に降り立ったのは、妹の潔白を証明するためだった。

 月の上層部は幾度かの神降ろしを観測し、月都で唯一神降ろしを行うことができる綿月依姫を問い質した。だが、彼女は否認。他に容疑者などおらず、現在彼女は造反容疑で自宅謹慎中なのだそうだ。月の都以外ということで、姉の豊姫がこっそりこの地を調査しに降りたというわけだった。

 

「うーん、そこまでは……」

「でも、神事には神託を得たり、口寄せを行うこともあるそうですから……それに──」

「神の言葉を聞く……ね……レイセン続きは?」

「うーん。なんて言えばいいのか……この世界のトラブルを解決する役目があるみたいな……」

「攻撃的に?」

「うーん。たぶん……ですけど……」

「ふうん──で、その人物の名前は?」

 

 鈴仙は霊夢の名前を伝える。

 

「彼女には今すぐ会える?」

「それは……ちょっとわからな──あ?」と、何かを思い出す鈴仙。「最初の神降ろしが観測された日はいつですか?」

 

 最近こちらに来たもう一人の巫女──東風谷早苗のことを思い出す。

 豊姫から帰ってきた答えから、早苗ではないようだった。彼女がここに来る前に観測されている。早苗が嘘をついていなければだが──

 

「はい、情報量」と、手を豊姫に向け、ぷらぷらとせがむように動かす。「情報はこっちでは高いんだ」

「てゐさん!」

 

 豊姫に対し、地上の兎が手を差し出し金銭をする。それを慌てて、鈴仙が止める。

 

「可愛い子ね。鈴仙のペット?」

 

 豊姫はてゐのサインを無視し、頭をくしゃっと撫でた。

 

「誰がペットだ! 見た目か! 身長か!」

 

 てゐは不躾なことを言う豊姫の顔を引っ掻こうとするが、腕が届かない。

 

「鈴仙が私のペットだ!」

「ちょっと、止めて下さい」と、鈴仙がうろたえる。

「あまり、長居をしているとまずいんじゃないの?」と、永琳が冷静に聞いた。

「──はい。お心遣い、感謝いたします」

「それについては、ウドンゲに調べさせるわ。はっきりとしたことが分かれば、玉兎感応通信網を使ってそちらに連絡するわ」

 

 豊姫は特に表情を変えず、提案を受け入れた。

 

 

 ウドンゲは綿月豊姫を玄関まで案内する。歩きながら鈴仙は月の主に疑問に思っていたことを聞いてみた。

 

「ここも、月と変わらなくてびっくりしました。穢れ穢れと言われていたので、もっとおどろおどろしい所だと思っていたのですが……あの、豊姫様、穢れって何なんですか?」

 

 月では地上は汚れきった不浄の世界だと、教えられた。穢れに充ち満ちた世界。そう、漠然とした世界で語られ、具体的な事はほとんど知らなかった。

 鈴仙の疑問に豊姫は少し考え口を開いた。

 

「──まあ、色々あるけど……そうね、レイセン、月の空気中の成分を言ってみて」

「空気中の成分ですか?……ええと……窒素が約八割、XX素が約二割、あとはアルゴン、二XX化炭素などですけど」

「それじゃあ、ここの空気中の成分は?」

 

 豊姫に問われて、ウドンゲは答えに悩む。考えたこともなかったからだ。

 

「え? 同じじゃないんですか? 特に息苦しさもないですが……」

「正解は窒素が約八割、酸素が約二割、後は色々ね」

「酸素……ですか?」

 

 聞いたことのあるような、ないような元素を言われた。いや、薬の成分化学式に乗っていたような。うろ覚えながら引き出した情報はそこまでだった。

 

「酸素はXX素とほぼ同じ性質を持つ。月にも微量に存在するけれど、ここの何万分の一程度ね」

「はぁ」

「酸素は生物を著しく酸化させるの」

「……酸化……錆びるんですか?」

「そう。地上は月よりも何千、いえ何万倍何億倍も速く酸化するのよ」

 

 酸化=老化。

 そういえば、薬を売っているとき、皺の多い人や腰の曲がった人たちがいた。それが酸素の影響なのだろうか? 年をとれば、人は皆ああなると聞いてはいたが──

 

「これが穢れの一つね。他にもあるけど……説明するのも面倒だわ──」

 

 永遠亭の玄関に着いた。

 豊姫が髪を揺らしながら、靴を履いた。ついで、鈴仙も靴を履く。

 鈴仙の三歩前に豊姫が立っている。

 

「──レイセンは、月に戻りたいって思ってないのね」

「え?」

 

 そう、月に戻る手段は今目の前に存在している。豊姫の用事はどうあれ、月に帰るのだ。

 返答に窮する鈴仙に、豊姫が背中を向けたまま、

 

「あんなに表情をコロコロ変えるレイセン、始めてみたわ」

「そんなことは──」

 

 背中越しに主人の声が聞こえる。表情は見えない。光を屈折させ、主の表情を盗み見ることも可能だが、出来なかった。

 自分はそんなに変わったのだろうか?

 

「私たちとの生活は苦痛だった?」

「そんなことは……そんなことは、ないです」

 

 強く否定した……のだろうか? 外の騒動の揺れが、響いているにもかかわらず、二人の間にある空気を冷たく、静かだった。

 

「あの事は、もう関係ないです。お二人と一緒に入れて幸せでした」

「そう」

 

 短く、言葉を返し、かつての主人はペットを見る。

 

「それじゃあ、レイセン。後はお願いね」

 

 そう言うと、豊姫は空中へと消えた。

 少しの間俯き、鈴仙は外へと歩いていく。

 月兎が出て行った玄関へと続く長い廊下に素兎が立っていた。

 

 

 豊姫の言葉に足が止まっていた鈴仙は、大地の揺れで我に返る。

 首を左右に振り、気分を切り替え、鈴仙は頭の中で霊夢の波長を探る。

 ラジオのチューナーをいじくるように固有波長を合わせていく。

 チャンネルを合わすその道すがら、ルーミアの波長に合わさる。

 

「どうしちゃったの、チルノちゃん……きゃああっ!」

 

 悲鳴──

 発信源はここから相当遠くない。西の方からだった。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 自宅のトイレから出た豊姫を待っていたのは、険しい顔をした妹──綿月依姫だった。

 

「体調の方はどうだ?」と、心配そうな声で聞いた。その表情は、体調の悪い姉を心配する、それ以上に険しい表情だった。

「うん。少し出せたから、これからよくなるだろうと思うわ」と、豊姫は少し曇った顔をして、言葉を返した。

 造反の疑惑から私達は監視されていると、依姫は考えていた。豊姫はまあ無くはないだろうという程度の認識だ。具体的にどういう形で監視しているのかは定かではないが──

 豊姫は鈴仙には伝えていないが、造反の疑惑は神降ろしの件だけで疑われたわけではない。

 レイセンの失踪。

 月の上層部で最も危険視している玉兎がレイセンだ。表向きは綿月のペットというのがレイセンの位置づけだが、実のところ綿月姉妹によるレイセンの監視だった。

 彼女の能力の汎用性は高く、その片鱗の結果を彼らはすでに見ている。

 状況を改善させるには、一つはレイセンを見つけ、確保すること。あるいは状況にもよるが、抹殺。もう一つは秘密裏に神降ろしを行っている者を特定し、月の重鎮どもに他者による神降ろしの証明をすること。

 月の中で疑わしい者がいない以上、穢れの星へと捜索を広げる必要性が少なからずあった。とはいえ、穢れの存在などもあり、簡単な事ではなく──

 豊姫が地上に降りる事も知られてはいけない。さすがに女性が用を足すところまでは監視はしないだろうと踏み、今の状況となった。

 

「まったく、嫌になるわ」

「少し、横になっておくか?」と、言いつつ依姫は指を動かした。

 

 それは、綿月姉妹二人だけで造った手話。

 ──じゅ・ん・こ。

 ──純狐が、攻めてきた。

 




NEXT EPISODE【7月27日(11)】
「イッツ、ルナティックターイム!」


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タイトル非表示[坤]

【7月27日(11)】

 

 

 純狐とは、遙か過去から現在進行形で月都を苛む怨霊だ。

 月の都を滅ぼすため定期的に――約三十日前後の誤差はあるが――襲撃を繰り返し、その度に綿月らは迎撃を行った。XX年前からは仲間を連れての襲撃となり、迎撃戦は激化する一方だった。

 造反容疑で月都防衛の任を外された綿月姉妹に変わり、現在陣頭指揮を執っているのは月の賢者の一人、稀神サグメだ。

 彼女の計画は、部下の玉兎を通じて知っている。かつて月都に布告のない戦争仕掛けた穢れの星の一端で、昨今不可解な現象が観測され、第二次戦争が仕掛けられるのではないかと噂されていた。サグメはそれを真と仮定し、穢れの星と純狐らを対立させるよう画策している。

 もっとも、嫦娥への恨みから月の都もろとも滅ぼそうとする純狐が、簡単にターゲットを切り替えるとは思えない、と依姫は考えている。仮にそうなるとすれば、彼女の側に居る二人の動きだろう。

 

「もう、瞑想は始まっているが……」

 

 依姫は姉に現状を伝える。サグメは遷都――月の都を穢れの地に移す――を餌に純狐の興味を惹かせる。その為に、月の都を凍結させ、月の住民を別の場所に移動させる。最近放送を介して行われる瞑想をして、本人に気づかせずに瓜二つの月の都へと転送させている。

 

 

「依姫はどうするの?」と、豊姫が聞いた。

「私は、このままここに残る」と、依姫は即答する。

 

 豊姫にとって予想していた妹の答え。

 

「それじゃあ私も残りましょうか」

「いいのか? 別に付き合う必要なんて――」

「構わないわよ。人任せにはしたくないんでしょう?」

 

 言いながら、豊姫は指を動かす。地上での出来事、レイセンや八意永琳の事を伝えた。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 清蘭の折れた両腕がだらりと揺れる。

 浅黄色の髪が血に濡れている。出血の原因は引きちぎられた右耳からだった。流れ出た血が右目に入り、瞳を開くことが出来ない。

 血がすでに止まっている。力を使い傷口を塞いだからだ。しかし、意識がそれに集中しすぎたため、相手の攻撃を防げなかった。

 月面に叩きつけられる体。

 踏みつけられた両腕。

 空中に放り投げられ、腹部に相手の膝がめり込む。

 吐血した体は、着ている浅黄色のワンピースの襟首を掴まれる。

 

「依姫らがいないと、こうもあっけないものなの?」

 

 薄ら笑い純狐は苦痛にあえぐ清蘭の顔を覗き込む。

 

「だらしがないわね……一体、どういうつもりでこんなちっぽけな戦力で……」

 

 独り言のように純狐は呟く。

 彼女の言うそれは、千年前の月面戦争のことだ。地上の連中が、月の都を侵略しようと攻めてきた。結果は二時間足らずで出た。

 

「彼らの計画を聞いてきたわ」

 

 純狐に近づいてきた人影が言った。

 ヘカーティア・ラピスラズリ

 黒のTシャツに赤青緑の三色のチェック柄のミニスカートとラフな格好。

 彼女は鈴瑚から情報を引き出すために、青い月兎をちょっとばかりいじめていた。

 

「遷都計画……ね。本当に彼らがこの地を捨てると思う?」

「さぁ? でも、穢れを極度に嫌う連中があんな所に移住するかしら?」

「そうね……だとするなら、時間稼ぎ?」

「何のための?」

「知らないわ。でも、結界が一つ消えているわね」

「結界ね。月のもの比べれば、たわいもない膜だけど――」と、純狐は半歩ほど後ろに身を退いた。

 次の瞬間、純狐の鼻先を負の感情が籠もった黒いエネルギーが掠めていった。それが向かって来た先――眼下に見える星を涼しげな表情で見ながら、

 

「――そういう挑発をしてくるのなら、軽く相手でもしてあげましょうか――」と、笑みを浮かべる。

 ――と、純狐は周りを見回す。

 

「そういえば、あの子は?」

「あの子は、先に遊びに行ったわ。別に問題ないでしょうし――」

「ヘカーティア、貴女はどうする?」

「三人であんな小さな箱庭に行く必要なんてないと思うけど――」と、ヘカーティアは黒髪をクルクルと指に絡ませる。「どうしようかしら?」

 

 指に絡めた黒髪がスルスルとほどけていく。

 

「貴女に決めてもらおうかしら、貸して」

 

 純狐は掴んでいた清蘭を放る。ヘカーティアは清蘭の胸ぐらをつかみ取る。

 

「さぁて、いつ静かになるかしら?」

 

 痛みに呻く清蘭に言葉を向ける。

 

「ひぃっ!」

 

 ヘカーティアの表情に怯え、清蘭は顔を引き攣らせる。怯える清蘭を無視し、彼女は清蘭の右手の親指を掴む。

 

「行く……」

 

 清蘭の親指を本来関節が曲がる方向とは正反対の方に曲げ、躊躇なくへし折った。

 

「ッ――――――――――――――!!」

 

 激痛に目を見開き、清蘭は悲鳴を上げる。ヘカーティアは隣の指を握る。

 

「行かない……」

 

 まるで花占いをするように――

 ベキリッ。

 清蘭の人差し指がへし折れた。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 無名の丘より北、あるいは迷いの竹林より少し西。

 最初に見えたのはルーミアと彼女を追いかけ、鋭利な氷塊を飛ばす血だらけのチルノの姿だった。

 

「ルーミアさん!」

「あ、ウサギさん! 助けて、皆が――」

 

 ウドンゲの呼びかけに、青い顔をしたルーミアが駆け寄る。ルーミアはチルノに向かって、黒い玉を放った。それはチルノにぶつかると、直径四メートルほどの球体へと拡張した。

 

「あのね……あの子が、私達の所にきて……」と、ルーミアが早足で説明する。

 

 あの花見の後、彼女らは友人達――サニーミルク、ルナチャイルド、スターサファイアの三妖精――とお花見をする計画を立てた。今日がその日だった。

 だが、聖輦船から放たれた閃光で大地が火を噴き、お花見はお開きになった。とはいえ、破壊工作を続ける船は彼らの住み処である魔法の森に居座っているため、変えることもできず、この場で動静を窺っていた。

 だが、船が消え、しばらくして一人の人物が空から降りてきた。その人物に近づいた三妖精は突然、互いを攻撃しだした。慌てて駆け寄ったルーミアとチルノだったが、すでに彼女達は互い重傷を負い倒れ伏してしまった。

 その人物は、新たに近寄った二人に対し、右手を天へと掲げた。その動作は、三妖精が互いに攻撃し合う前に行っていた動作から、ルーミアは咄嗟に力を使い、自分の含む周りを暗闇にした。そして、身を引いたルーミアをチルノが襲いかかった。

 

「あれは……」

 

 歪な帽子とけばけばしい赤と青の服装。赤と白のストライプ、白い星をちりばめた青生地。鈴仙より一回り小さい体躯。彼女は純狐が従えている妖精。

 

「クラウンピース! どうしてここに!」

「知ってる人なの?」

 

 クラウンピースは豊姫を追ってこの地に来たのだろうか?

 鈴仙が最初に頭に浮かんだことだった。

 だとしても――と、考えている最中、チルノを包んでいた黒球が消える。チルノがそれを吹き飛ばしたのではなく、単なる時間による消滅だった。

 キョロキョロと首を動かしていたチルノがルーミアらを見つけると鋭利な氷柱を飛ばす。

 

障壁波動(イビルアンジュレーション)

 

 ルーミアの前に立った鈴仙は防御バリアを展開し、氷柱を弾いた。

 チルノはさらに氷柱を放ちながら、鈴仙らに向かってくるが、防御結界に叩き付けられる。

 チルノは攻撃を弾かれている事も構わず、防御結界に突進する。

 頭を打ち付けるも、なおも攻撃を続ける。

 

「っ!!」「やだっ!!」

 

 自身が生み出した氷柱が、手のひらに突き刺さるも、チルノは攻撃を止めなかった。結界で防いだ氷柱が次々とチルノの体を傷つける。

 鈴仙は結界越しにチルノを覗き込み、近距離で力を使う。一瞬でチルノは失神してしまう。

 結界を解くと、ルーミアがチルノの体を抱きかかえた。

 

「ルーミアさん、聞いてください」と、鈴仙はルーミアに向かって力を使う。「あちらの竹林に、青いマーカーが見えますか?」

「う、うん」

 

 道筋の一部の波長を誇張して見えるように細工をしたのだ。

 

「それを追って下さい。私の師匠がチルノさんを助けてくれます」

「ウサギさんは――」

「私が食い止めます。ですから早く……」

「うん」

 

 ルーミアを守るように、鈴仙は前へ、クラウンピースに近づく。同時に通信網を使って、てゐに伝言を伝える。

 

「どうして、貴女がここにいるんですか――貴女は」

「何よ。穢れた動物の分際で、どうしてあたいのことを知ってるのよ?」

「貴女方は月の都を滅ぼすことが目的ではなかったんですか?」

「あんた、どうして――さてはあんた追放された玉兎なんだぁ」

「私のことはどうでもいいです。どうして――」

「はあん、あんたは知らないのね。遷都計画のことを」

「――遷都……計画……?」

 

 遷都。都を別の所に移す。

 

「まさか、この地に――」

「もしかして、あんたはホントの目的を知らされていない尖兵って立場?」

 

 にやぁっと笑みを浮かべる赤青の妖精。

 

「まあ、そんなことなんてどうでもいいわ。あんたも私の奴隷になりなさい!」クラウンピースは松明を持つ右手を鈴仙に向ける。「イッツ、ルナティックターイム!」

 松明が虹色の光を放つ。

 

「なっ!」

 

 鈴仙は咄嗟に目を覆う。

 光が収まり鈴仙は辺りを見回す――が、何も変化はなかった。

 

「……あれ?」

 

 不思議そうに、クラウンピースは松明を見る。

 そして、再び構える。

 

「イッツ、ルナティックターイム!」

 

 クラウンピースが必須ではない文言を唱える。

 

「どうして、あんたはこれを見て、狂わないのよ」

 

 月の妖精の怒鳴り声に対して、鈴仙は静かに応えた。

 

「それは、多分私の能力も貴女と同じ事ができるから――」

「はぁ? それが何なのよ」

「私、自分の能力が反射されても、大丈夫なように耐性があるんです。だから……」

「……ふん。だったらこれはどう?」

 

 不機嫌な顔をしたクラウンピースが横に飛ぶ。

 鈴仙は後悔する。会話などせず、拘束するために動くべきだったと――

 クラウンピースは倒れた三妖精の元に駆け寄り、その一人の頭を足蹴にする。

 

「ほら、起きなさい!」

「ううっ」

 

 呻くサニーミルクの瞼を指でこじ開け、眼前に松明を突きつきえる。

 

「私のために働きなさい!」

 

 途端、まるで糸で吊り上げた人形のように立ち上がる。左脚は折れているようで力なく揺れている。同様に残りのルナチャイルド、スターサファイアも傀儡と化していく。

 

「酷い……」

「あんた達なんか、お仲間同士でつぶし合えば良いのよ。あーはっはっは!」

 

 最初に起き上がったサニーミルクが瞬きもせず鈴仙に迫る。身構えた鈴仙の前で、サニーミルクは風景に溶け込むようにその姿を消した。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

「――さて、どうなるかしら?」

 

 穢れの星へと純狐は降下する。長い金髪を靡かせ、彼女は右手を掲げると、掌から数十センチほど浮いた所に黄色い光球を生み出した。純狐が手を戻すと光球はその場と留まり、数瞬で人一人の大きさにまで膨張する。さらには大きさを保ったまま、四方に分離する。それがさらに分離、またさらに分離複製され、バラバラに散らばっていく。

 三十以上の光球が空中に漂い、それは放物線を描くように無数の光の槍を吐き出した。

 光の雨が幻想郷に降り注ぐ。

 降り注ぐ光を見ながら、純狐は降下していく。

 光球群は天界よりも下で発生したため、ダメージはなかった。しかし、光球の側にあった逆さ城――輝針城は為す術もなく幾つもの槍に砕かれ、地上に落下していく。

 

「そろそろ、誰かが私に気付いてもよさそうだけど――それとも、何もできずに滅びるかしら?」

 

 純狐の呟きに答えるように、それは飛んできた。

 純狐は上体を少し後ろにずらし、高速で飛んできたものを左手で掴む。

 それは白い日傘だった。

 飛んできた方向を見る。

 黄色い大地。そして、鮮やかな緑髪の人物が見えた。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

「使えないわね。こんなに弱いの? この星の妖精は――」

「貴女がそうさせているだけです」

 

 光の雨が降る中、対峙する二人。

 鈴仙が言ったように、三妖精は喫して弱くはない。ただ傀儡化したことで単純思考となり、その能力が生かしきれなかっただけだ。

 サニーミルクのステルス能力は、補正に大きなラグがあり隠蔽性など皆無だった。ルナチャイルドやスターサファイアについては、どういった力を持っていたのかさえ鈴仙には分からなかった。

 ただチルノの時のように失神させるには近距離で力を使わなければならず、傷を負うことはなかったが、衣服が数カ所裂けてしまった。

 

「しかたないわね」

 

 嘆息するクラウンピース。

 鈴仙は身構える。降り注ぐ雨。純狐の攻撃と思われるそれから、三妖精を守りたいがそれを相手が許さないだろう。

 

「あたいが直接相手してあげるわ」と、邪悪な笑みを浮かべる。「覚悟しなさっ!!」

 

 クラウンピースの言葉が途切れた。

 何者かの足が、上からクラウンピースの頭を踏みつけていた。妖精の頭はそのまま地面に叩き付けられ、ピクリと体を痙攣させ、動かなくなった。

 鈴仙はその人物を見て驚く。

 鮮やかな銀髪に端正な顔、ルビーのような赤い瞳。逆さ花びらのような特徴的なスカートの裾、白い片翼。

 

「――貴女は、サグメ様」

 

 クラウンピースの頭を踏みつけたのは、月の賢者――稀神サグメだった。

 




NEXT EPISODE【7月27日(12)】


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【7月27日(12)】

 

 

 巫女は正邪よりも背が高く、少名針妙丸にとって巫女はあまりに巨大だった。

 その大きさに圧倒される小人。

 

「世話が焼けるわね……まったく――」

 

 小さな針妙丸のことなど無視し青白の巫女は古紙を屈ませ、天邪鬼の体に触れる。

 

「正邪に、触るな-」

 

 正邪が殺される。そう思った針妙丸は覚悟を決め、腰に携えた縫い針を引き抜くと、巫女の顔目がけて投げつける。

 鋭い光を反射した針は、巫女の右目に突き刺さった。

 

「痛っ――たいわね」

 

 顔を押さえた巫女が小人を睨む。

 その表情に「ひっ」と、針妙丸は悲鳴を上げる。

 殺される――そう確信した針妙丸。

 青白の巫女の白い手が伸び、針妙丸を抓む。

 

「離せ!」

「うるさいわね。あんた一人でこの子を守れるの? 出来ないんでしょう? だったら黙って」巫女は正邪を両腕で抱える。「ホントは山の方がいいんだけど、生憎こっちは里の用事があるの。今近くて安全な所はそこだから、着けば誰かが守ってくれるでしょう」

「……助けて……くれるの?」

「死なれた方が困るのよ、色々と……ただ……それだけよ」

 

 どこかつかれたようにも見える表情を見せ、巫女は呟いた。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 見知らぬ二人の少女が慧音の頭上で空からの攻撃を防いでいた。だが、降り注ぐ槍はあまりに多く、完全に防ぐことなど到底できない。彼女らから離れたところでは、里を囲う壁や畑が破壊されている。

 

「おーい、慧音。大丈夫かぁ?」

 

 呼びかけられた声の方を向くと、そこには宙に浮かぶ妹紅がいた。両脇に人を担いでいた。

 

「妹紅」

「派手なことをする妖怪がいるもんだ。目茶苦茶じゃないか」

「それは――」

 

 妹紅が小脇に抱えている二人の人物を指さす。ブラウンの短髪と青紫の長髪を後ろで束ねた少女。

 

「いや、いきなり襲われたんだ。私の曲を聴けぇーってさぁ」

 

 よく見れば、一人は赤い琴爪をつけ、もう一人は古めかしい琵琶を片手に持っていた。

 

「慧音、預けるぞ」と、妹紅は二人をひょいっと放った。

 

 慧音は慌てて、二人を受け取り、地面に横たえた。

 

「気絶しているから、たぶん大丈夫だ。まずかったら、頭に一、二度蹴りでもいれときな」

 

 妹紅は天に顔を向け、両腕を構えた。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 ゆっくりとだが傷が治っていく物部布都と、側にいる豊聡耳神子。

 空から降り注ぐ光の槍の力は彼女らの力より数十倍強力で歯がゆいながら見守るしかなかった。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 狭い幽明結界の門を抜け、白玉楼へと続く長い石段を越え、小野塚小町が白玉楼の門の上を飛び越える。その瞬間、小町の目に入ったのは満開の桜だった。

 白玉楼の最奥に位置する西行妖が咲いていた。

 ふんわりと、春を感じる桜の香りがする。微かに桜の花びらが空中を舞い踊っている。

 それは、見る者を魅了する満開の桜。

 眩いほどに――

 屋敷を越え、西行妖の全体が見えた。

 コの字に囲われた枯山水の先にある桜の木。

 地面近くの幹周は三十メートルを超え、高さは八十メートルを超える。

 力強く根を張った幹は今や夥しい護符が張られている。

 そして、幹の手前には西行寺幽々子が浮かんでいる。

 白の死に装束を纏い、両手を胸の前で交差させている。袖口から覗く手首は細い。顔は青白く少し痩け、桜色の瞳は閉じて、髪は艶めきを失っている。

 つい先程まで見た彼女の面影とは正反対だ。

 死の間際の彼女は人と会うことを避けていた。

 結果の食べる事がなく、飢餓状態に落ちつつあった。

 舞い散る桜吹雪の中に、赤白の巫女達が宙を飛んでいる。

 百を超える巫女が一斉に、小町を見た。そこに表情はない。

 彼女らはすぐに赤髪の水先案内人を敵と認識し、一斉に護符を構えた。

 

「随分と不気味な光景だね」

 

 小町は大鎌を構えると、巫女の一人に向かって宙を蹴った。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 鈴仙は豊姫の事は伏せたまま、三妖精の守護をサグメに任せ――了承したことが不思議だったが――霊夢の元へとたどり着く。

 迷うことはなかった。なぜなら、そこにはドーム状の赤い結界が張っていたのだ。

 

「これは……」

 

 砕かれた大地の横たわった黒白の魔法使い。霧雨魔理沙。

 胸を貫かれ、左足は膝下から下はなっている。

 口元に残る血痕がなければ、穏やかに眠っているような顔だった。

 魔法使いの側で座り込んでいる赤白の巫女。博麗霊夢。

 ただじっと魔法使いを見つめ、動かない。

 まるで、それは一対の像のようだった。

 二人のいる上空で赤白の巫女が結界を張り、像を守っている。

 それが、鈴仙が見た風景だった。

 

「霊夢さんが……二人?」

 

 鈴仙の声に気付き、空中にいる巫女が振り向いた。

 

「鈴仙、貴女の力で、霊夢を正気に出来ない?」

「え? 正気……」

 

 結界は簡単にすり抜ける事ができ、霊夢の側に月兎は着地する。結界は天から降り注ぐ雨から身を守るためのものだった。

 巫女は魔理沙の服を握っていた。

 瞬きをせず、じっと魔理沙を見つめている。

 口はだらしなく、半開きのまま。

 心ここに在らず、といった感じだった。

 

「貴女は一体……」

「私のことは気にしないで。あんたの力で霊夢を呼び起こして!」

「いや、そう言われましても……」

 

 鈴仙は放心状態の霊夢を見る。

 ショックとなった原因は目の前で死んでいる少女だろう。だとするなら、彼女を蘇生させれば解決するだろう。しかし、こんなに肉体を損壊している者を蘇生することなんか鈴仙にはできない。

 

「――私はもう、限界なの」

「え?」

 

 見れば、彼女の足が塵と化し、消えていっている。

 

「私の存在全てを結界に変えるわ。何とか、霊夢を助けて――」

「けど、私にはどうしたら――」

 

 鈴仙の言葉を待たず、彼女は結界を残して音もなく消え去った。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 突然の出来事で、赤蛮奇は里から出られなくなっていた。

 蛮奇は時々里の中に入り込み、居酒屋で酒を飲むのが趣味だった。この日も日中に店に入り、ちびちびと飲んでいたのだが、突然の騒動でゆっくりとしていられる状況ではなくなった。勘定を済ませる必要はなくなったが、あちこちで悲鳴や助け声が轟く状況に隠れて外に出ることができなくなった。今も建物の影に隠れていたのだが――

 

「ちょっと、そこの赤いの」

 

 こちらを呼びかける声が聞こえた。

 

「聞こえているんでしょう? 早く出てきなさい!」

 

 急かすような声に蛮奇は顔だけを物陰から出す。そこには青いリボンで髪を纏めた博麗の巫女がこちらを見ていた。

 

「早く!!」

 

 無銭飲食の刑罰で退治されては堪らないと、蛮奇はいそいそと彼女の元に走る。

 

「悪いけど、この子達を頼みたいの」

 

 巫女の足元には一匹の妖怪が横たわっていた。頭に二つの角の生えた小鬼。一目で致命傷を受けていることが分かる。

 

「この子の傷を塞いで……私より同類の力を使った方が、親和性が高いでしょう」

 

 この子を助けろと言うことだった。

 

「そこまで、できなくても出血だけでも止めてくれれば大丈夫よ。私の力だと完全に止血するのは難しいから」

「私からもお願い。正邪を助けて」

 

 小さくも力強い声。正邪の腕の辺りに小人が見えた。蛮奇は頷くと、両手を傷口に当て、妖力で傷を覆う。

 

「さて、早苗がどこにいるか……」と、正邪の手当を尻目に明後日の方を見る。

「霊夢さん!」

 

 声を上げ、東風谷早苗が近づいてきた。

 

「ああ、ちょうどよかったわ。探してたの」

「れ、霊夢さん……眼」と、彼女の姿を見て、早苗がさぁーっと青ざめる。さらに倒れている正邪と博麗の巫女を見比べる。

 

「ああ、忘れてたわ」

 

 黒髪の巫女は、目に刺さった針をさっと引き抜いた。

 

「ほら、返すわ」

 

 巫女は腰をかがめ、それを針妙丸に返す。

 

「こんな小さい……貴女が……」

「早苗、怖がらせちゃ駄目でしょっ」と、巫女が早苗を手で制す。

「あの……御免なさい」

「別に気にしてなんかいないわ」

 

 近くで炸裂音がし、横風が巫女の黒髪をなびかせた。

 

「完全にここを守る事はやっぱり無理ね」と、独り言のように黒髪の巫女が呟く。「早くしないと……早苗、一緒に来て」

 

 言い終わるやいなや、洩矢の巫女の腕を掴む。

 

「先に霊夢さんの傷の手当てを――」

「そんな事はどうでもいいわ……」

「どうでもいいわけないです。傷が脳に近いんですから」

「生憎時間がないの。これ以上、ここを――幻想郷を目茶苦茶にされるのは避けないといけないのよ!」

「――だけど――」

 

 少しきつい口調で言ったが、早苗は青い顔のまま。

 ただ、心配なだけなのだ。言い争うのも時間の無駄。

 

「わかったわ。けど早くして」

 

 早苗はすぐさま包帯を取りに戻り、帰ってくる。

 傷ついた眼に消毒液をしみ込ませた脱脂綿を当て、包帯で頭を巻いた。

 

「応急処置です。全て終わったら、病院で診てもらって下さい」

「はいは。分かったわ。あんたたちもここが危ないと感じたら逃げなさいよ」

 

 蛮奇らにそういうと、巫女は早苗の手を掴み、西の空へと飛んでいく。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 一度動き出した幽々子を妖夢一人で止めることなどできない。体格差、それによる体重差あるいは本来持つ力の差による影響もあるかもしれない。

 幽々子は磁力に引かれるように真っ直ぐ西行桜へと向かう。

 

 

 妖夢の背後に幽明結界の門が近づく。

 このままの勢いのまま通り過ぎてしまうと思われたが、妖夢の背中に携えた楼観剣が閂のような役割を果たし、入門を拒んだ。楼観剣の鞘と柄が声なき悲鳴を上げる。

 その衝撃はまず妖夢の肉体に突き刺さる。力は細い楼観剣からかかり、背骨が折れ、続けて肋骨が折れる。もちろん、妖夢の肉体だけでは衝撃は吸収できず、幽々子もまた腹部に妖夢がめり込み、肋骨が折れ、肺腑に突き刺さる。だが、肉体が幾ら傷つけられようと、幽々子の進行は止まらない。幽明結界の門が少しずつ閉まる方向に動き始める。

 声なき悲鳴を上げる妖夢の体を、幽々子の体をギチギチと締め上げていく。

 食い込む楼観剣の鞘に亀裂が走る。

 ――と、ベキンッと楼観剣の柄部分がへし折れ、閂が外された。

 主と剣に挟まれた妖夢はサンドイッチの状態から解放される。しかし、脊椎を損傷した体に力はいらない。妖夢は頭から石階段に叩き付けられる。その目に逆さに写った白玉楼へと向かう主人の姿がちらりと映った。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 もはや、それは博麗霊夢一人で処理すべきレベルを遙かに超えていた。

 八雲紫は光の原泉を探す。

 見つけるのは簡単だった。一つの光球のすぐ側にスキマを作り、光の雨を異次元へと飛ばす――はずだった。

 スキマを作った瞬間、一つの光球が大きさを変えず四つに分離した。加えて、スキマから距離を置くように移動する。

 もう一度行うことはせず、今度は一本のくないで光球を狙い撃った。しかし、光球は分裂、命中することはなかった。

 

「……術者を止めなければいけないって訳ね」

 

 苦々しく呟く。もしかしたら、別の方法で攻撃すれば潰せるかもしれないが、下手をすればより苛烈な雨が幻想郷に降り注ぐ。

 紫はその場から地上を見下ろし、術者を探す。南西にある向日葵畑で目立つ動きがあった。紫はスキマを使い、近くまでジャンプする。

 

「どうして――」

 

 絶句する紫。そこには二人の人物が戦っていた。

 一人は風見幽香。もう一人は名の知らぬ金髪の女。しかし、その人物の脅威はすでに知っている。前年前の月面戦争で出会った女が、何度対決しようと倒せなかった相手。

 風見幽香一人で何とかできる相手ではない。いや、誰一人として勝てる相手ではないのかもしれない。それでも――

 

「……ッ!!」

 

 その人物は幽香の攻撃を軽くあしらいながら、上空にいる紫を視た。笑みを浮かべて――

 




NEXT EPISODE【7月27日(13)】


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【7月27日(13)】

 

 

 ――てゐさん、てゐさん、応答願います。

 ――うるさい! 聞こえている! 何度も言うな! 頭の中に直接話しかけられるのは気持ち悪いんだ!

 ――ちょっと、また困ったことがおきまして……

 

 鈴仙は玉兎感応通信網を使って、永遠亭にいるてゐに現状を伝えた。

 

 ――いま、お前が案内したガキの対応している最中だ、少し待ってろ。

 

 どうやら、ルーミアは無事永遠亭についたようだった。

 放心状態の霊夢を見ながら、しばらく待っていると、

 

 ――鈴仙、聞こえるか?

 ――はい。

 ――相手にとってショックな事をしろ、だそうだ。

 ――ショックって……具体的にどうすれば――

 ――それは自分で考えろ! 五感はきちんと機能しているはずだ。とにかく相手の琴線に触れるようなことをすればいいんだ。意識を現実に引っ張りだせ! それじゃあな

 

 プツンと通信が切れた。

 霊夢は魔理沙の死が受け止められず、現実を見ることを拒んでいるのだろう。しかし、そこから具体的なアクションが思い浮かばない。

 

「霊夢さんのバカ!」

 

 とりあえず、罵倒してみる。

 

「霊夢さんのアホ、うんこたれぇ」

 

 とりあえず、侮辱してみる。

 

「……やっぱり、意味ないよね……」

 

 がっくりとうなだれる鈴仙。そこに、「何してるの?」と、背後から声がかけられた。

 

「はっ!?」

 

 振り向けば、色違いの霊夢と緑髪の巫女が立っていた。

 

「いや、あの、これは……」

「この人は……」と鈴仙とは別に、早苗は倒れた魔理沙を見て驚いている。

 鈴仙は赤面しながら、たどたどしくこれまでの経緯を説明する。神降ろしの事、クラウンピースや純狐といった月の宿敵が降りてきている事、サグメの事、この赤い結界内で起きた事。

 早苗は月に生命体がいることに驚いていた。

 

「なるほど、あの子は命を賭して霊夢を守ったのね……よかった。最悪私が……」

「あのーちょっと聞きたいんですけど――」

「ん? 何?」

「カザミユウカって名前じゃあ」

「ああ、あんなこと真に受けてたの? 冗談よ」

 

 その言葉に早苗はムッとむくれる。

 

「本当、霊夢はこっち。私は単なる亡霊よ。からっぽの――」

「神降ろしの事は紫に伝えて。すぐには対応できないだろうけど」

「この子の事は私に任せて。鈴仙は自分の所に帰りなさい。心配でしょう?」

「――ですが……」

「後の事も全部、私に任せときなさい。その純狐って奴も、この惨状もなんとかするわ」

「一人でそんな事無理ですよ。純狐は私のご主人が何度も戦って、退けるのがやっとな怨霊なんです!」

「向こうが知っているのは千年前の実力でしょう。あれから、こっちも色々と準備してあるんだか……」

 

 言葉の途中で、彼女のすぐ近くにスキマが開いた。

 

「紫……」と、青白の巫女が小さく呟く。「ごめん、鈴仙。やっぱりもう少し手伝ってもらえる?」

「これって、何かの救難信号ですか?」

「おそらくは……ね。あっちに行って、時間稼ぎをお願いしたいの。霊夢が正気に戻るまでの、ね。全てを終わらせるに霊夢が必要なの。お願いできる」

「――はい」

 

 鈴仙としては月の宿敵がこの地を荒らしている以上、何もせずというのは抵抗があった。もちろん、勝てる見込みなどない。主人である綿月姉妹ですら、完勝したことなどないのだから。

 

「無理はしなくていいわ。危ないと思ったら、逃げていいから。死んじゃあ駄目よ」

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 傘は広げれば、人一人隠れる事も可能な大きめのものだ。

 純狐は掴んだ傘をその人物に向かって投げる。同時に地上に向かって降下する。

 相手は動くことなく、傘を右手で掴み取った。

 白い長袖シャツに赤いチェックのベストと同色のスカート。肩に掛かる緑髪、美人とも形容できる端正な顔、目つきの悪い赤い瞳。

 風見幽香は左手で光針を純狐に放った。

 純狐は針の腹を手の甲で払い、軌道を反らす。

 次々と狙い飛んでくる針を軽いあしらい距離を詰める。

 

「人の庭を、勝手に荒らしてんじゃねーよ!」

 

 低い声で叫び、再び日傘を投げる。

 純狐は体を傾け日傘を回避し、右手を幽香に向け光弾を放った。

 幽香は純狐と同じように手の甲ではじき返す。同時に近くに降り注ぐ光の槍に光針を放つ。それは空中で相殺された。

 幽香が向日葵畑を庇っていることは明らかだった。

 

「そんなものが大事なの? 遅かれ早かれ消滅してしまうのに」

 

 純狐が手を下さなくとも、月都の遷都計画が事実ならば、彼らの好きなようにこの世界は解体される。

 

「勝手なことほざいてんじゃねーぞ!」

 

 敵意剥き出しに幽香は、純狐を睨みつける。

 それは挑発で、純狐は明後日の方補を見ながら、すっと身を横にスライドさせる。

 ――と、先ほどまで純狐がいた場所を日傘が通り過ぎ、再び幽香の元へと戻った。

 

「見え見えよ、貴女。あの子なら騙せたかもしれない――」と、純狐は手を上げ、顔の横で飛んできた青いくないを受け止めた。握り締めるわけでもなく、ただ開いた掌に突き刺さる直前で止まっていた。

 

「――けど、ね」と、途切れた言葉を続けた。

 

 それが飛んできた先を見ると、そこに険しい顔をした八雲紫が立っている。

 

「なぜ、貴女のような者がこの地に襲うの?」

「知りたい?」純狐は嘲るように笑う。「なら、もう少し私を楽しませてもらいましょうか?」

「ざけんじゃねーぞ、てめぇ」

 

 その存在を見ただけで、紫には格の違いが分かる。圧倒的に月の怨霊の方が強い。幽香もそれを理解しているはずだ。彼女は強い。何人とも、その向日葵畑に侵入させないほどに――

 

「ふふっ、貴女がそれをどこまで守れるかしら?」

 

 くないが分解され塵と化す。純狐が右手を上げ、彼女の周りに幾つもの眩い光弾が生まれる。

 それらは、幽香が守る向日葵畑に向かって落下する。

 幽香は軽く空中に日傘を放り、両手で次々と光針を光弾目がけて射出する。

 しかし、針は弾かれる。相殺できず、光弾の軌道が少し変わっただけだった。

 

「くっ!」

 

 苦々しく呻く幽香。

 同時に幽香の前で、大きなスキマが開帳され、光弾が飲み込まれていった。全てを飲み込むと、スキマは何事も無かったかのように閉じた。

 

「ふうん。面白いことをするわね」と、純狐は感心する。

「余計なことを……ババアはすっこんでろっ!」

「貴女一人でどうこうできる相手ではないわ!」

「黙って見てろ!」

 

 幽香は光針を投げつつ、距離を詰める。純狐は片手で易々といなし、もう片方で幽香を狙い撃つ。

 距離を詰めるほど、工芸の度合いは幽香から純狐へと変わっていく。はじき返すことが困難になった幽香は日傘を広げる。妖力を纏ったが、光弾を弾き、大地を砕く。

 防御態勢になった幽香を見、純狐は勢いづく。

 純狐の周りに浮かび上がる無数の光弾。

 

「これは耐えられる?」

 

 幽香に向かって一直線に向かう。光弾のプレッシャーに幽香は後方に押されてしまう。

 

「あらっ、存外――」

 

 ――耐えるわね。

 そう続けようとした純狐の言葉が途切れる。後ろを振り返った先に右拳を振り下ろす幽香がいた。為す術もなく殴られ、純狐の頬に衝撃が走った。

 すぐさま幽香は左手を純狐の背中に近づけ掌に数十本の光針を顕現すると、相手の心臓を狙って刺し貫く。さらに右手を後ろに回し、背後にあるスキマに手を突っ込む。即座に折りたたんだ日傘をスキマから引き抜くと、純狐の首を両断せんと斬りつける。

 しかし、傘は純狐の首筋でピタリと止まった。

 

「ちっ」

 

 舌打ちし、すぐさま身を引く幽香。

 その判断は正しかった。純狐の手刀が幽香の腹部を掠める。

 

「ふふっ、仲が悪いわりに連携してくるなんて……随分と面白いことをしてくれるわね」

 

 薄ら笑いを浮かべる純狐。どこか壊れた笑みに悪寒を覚える幽香。

 その時、

 

「やっぱり――じゅんこ――」

 

 幽香でも紫でもない声が聞こえた。予め展開したスキマから鈴仙が出てきた。

 

「貴女は――」と、紫が鈴仙に向かって口を開く。「霊夢はどうしたの?」

「霊夢さんは、この事態を終わらせるために準備中です。ですから、代わりに私が来ました」

「ここに来ないで、どうやって止めるのよ?」と、焦り顔の紫。

「さぁ、そこまでは聞いてませんけど……」

「穢れ兎か。見た目は月の連中と変わらないのね」

 

 眼を細め、鈴仙を観察する純狐。

 その視線に悪寒を覚える鈴仙。

 

「止めるですって。いったい何ができるというのかしら?」

 

 周りを見やり、純狐は嗤う。

 

「どうやるのか知らないけど、少しあぶり出してみましょうか?」

 

 純狐の右手の平の上で小さな赤い光球ができる。それが、コロンと純狐の掌から転がり大地へと落ちていく。

 それは地面に溶けるように消えたかと思うと、地表のあちこちから火柱が立ち上がった。

 

「てめぇ!」

 

 幽香は無数の針を純狐に向けて放つ。

 鈴仙の目に純狐の周りに違和感を感じた。すぐさま、鈴仙は無数の光弾を幽香と純狐の間に向けて放つ。

 

「引いて下さい。そこにいては駄目です!」

 

 鈴仙が放った光弾は何もない空中でスパッスパッと切断され霧散する。鈴仙は視覚を調整する。超高速振動する透明な刃が幽香に向かっていている。純狐は相手を攻撃射程に収めるため、幽香に向かって跳躍する。

 振動刃が見えていない幽香は直感で身を引く。光弾を弾いていた手の甲には血が滲んでいた。妖力でコーティングをしていたが、純狐の攻撃はそれを破りつつあった。

 相手の攻撃を防ぐため、日傘を前に構える。

 傘の先端近くがスパッと見えない刃で切断された。

 さらに傘の柄に向かって、切断される。

「速く逃げて!」

 

 鈴仙が叫ぶ。すでに幽香は後方に身を引いている。それよりも早く、純狐の放つ刃の方が早い。相手に背中を向けて飛んだ方が早いが、それをすることは躊躇われた。

 鈴仙は純狐に向けて光弾を放つ。しかし、攻撃は相手に届かず、切り刻まれる。

 幽香の目の前で、次々と切り落とされる切り落とされる日傘。

 そして、純狐の攻撃射程に入った幽香の手首が切り落とされる。

 さらに――

 直後、幽香の体は後ろに引っ張られる。スキマを介して紫が背中を引っ張ったのだ。

 だが、純狐の刃もスキマを介して、襲いかかる。幽香と紫の前腕を裂く。

 攻撃の追従をするため、純狐は幽香を追い、スキマに入り――

 それきり、純狐はいなくなった。

 

「ぐっ」と、幽香は切断された苦痛に顔を歪める。

「どうなったんですか?」と、鈴仙が質問する。

「出口のスキマを塞いだわ」紫が傷を塞ぎながら回答する。「ここから、離れた場所に出口を作れば、しばらくは大丈夫でしょう」

「お前に、感謝なんかしないぞ」と、幽香は切断された手を取りに動く。

「本当に終わったんでしょうか?」

 

 小さく呟く鈴仙は周囲を見回す。相手は綿月姉妹が一度として捕縛できなかった者なのだ。それが、自分が対面してする決着がつくことに納得できなかった。

 純狐が展開したや光の雨や火柱は未だ存在する。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

「少し、気の流れを変えてみます」

 

 傷を回復させた布都は神子に言った。

 

「あの三人でここを完全に守れない以上、少しは被害を減らせると思います」

 

 天子と衣玖、それと妹紅が、上空で光の槍をひじき返している。

 

「そんなことができるのですか?」

「少し軌道を変える程度です。周りの気を借りて、ですけど……」

 

 布都はまず人の多い場所に移動すると、腰を下ろし両手で大地に触れる。

 ゆっくりと地面を介して、種々が持つ気を集め、一つの大河にし、風呂敷を広げるように、気の流れをドーム状に形成させる。

 目に見えない気の結界が光の雨を弾き、里の外のほうへと流れて炸裂する。

「うまくいっているようですね」

「凄いですね」と、神子は感心する。

 

 神子はほとんど布都の力を見たことがなかった。

 風水を操る、または気を操る能力。本来ある気の流れをあまり変えることを良しとしていなかった。今あるべき気の流れに合わせて、行動することが一番望ましいと考えていたからだ。だからこそ、神子は布都の実力を全く知らない。

 

「しかし、これも気休め程度です。時間が経てば――」

「っ!」

 

 布都と神子は同時に気付く。

 

「太子様、気をつけてください!」

 

 西のほうから、赤い火柱が次々と立ち上っていく。それは確実に里のほうに迫っていた。

 

「これでは――」

 

 ――気の結界を解除せざるを得ない。下手をすれば、火柱を拡散させる事態にもなりかねない。

 台地が大きく揺れる。

 布都の行為をあざ笑うかのように里に幾つもの火柱が生え出た。

 熱風が襲い掛かる。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 微かに聞こえていた衝撃音がはっきりと聞こえ、アリスは目を覚ます。頭だけを動かし、周囲の様子を伺う。

 

「痛っ!」

 

 痛みが走る頭を抑え、顔を上げる。そこにはメディスンが立っていた。さらに周囲を見渡す。

 八雲藍の姿が見えない。いや正確には彼女の服が転がっている。そして、その側に八つの尾を持つ狐が倒れこんでいる。

 反射的にアリスはこの八尾の狐が八雲藍だと理解する。人型を保てなくなったのだ。

 アリスが見ている前で、狐の額から少し紅く変色した人型が浮かび上がると、塵となって空中に解け消えた。

 ――と、呻き声がアリスの耳に入ってきた。

 

「メディスン?」

 

 アリスは痛む体を起こす。

 

「お姉ちゃん、大丈夫?」

 

 意識を取り戻したアリスに気がついたメディスンが振り返った。綺麗だった顔に亀裂が入っている。彼女は結界を張り、アリスらを雨から守っていた。その姿は自分を庇って傷ついた霊夢にも見えた。

 

「貴女こそ大丈夫なの?」

「うん」

「今からは私が皆を守るわ。メディスンは薬のための作業に戻って」

 

 西の方から赤い柱が立ち上っている。天と地、その両方から攻撃してきている。アリスは魔道書を拾い、呪文を唱えた。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 暴れていた付喪神は今も気絶していて動かない。

 

「諏訪子、そっちもどうにかなりそうか?」

 火柱の出現に神奈子が諏訪子に問いかける。

 

「うん。まあなんとかなるよ。問題はどれだけの時間晒されるかなんだよね」

 

 それくらいの時間持ちこたえられのかははっきりと分からない。

 

「まあ、もうすぐ片付くだろう」と、神奈子は楽観的な口調で言った。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 山の麓の川沿いの地下は河童の住み処として広く開拓されている。

 河童の妙薬のお陰で文の傷は塞がった。とはいえ、流れ出た血液と妖力により、文の体力は消耗し、ぐったりとしていた。

 気落ちしていたはたての耳に、悲鳴が聞こえた。

 

「ビニールハウスがぁっ!」「私のエドゲイン君6号がぁっ!」「私のきゅうりがぁっ!」

 

 洞窟のあちこちで木霊する悲鳴と破壊音。そして突風。

 彼らの住み処は諏訪子による守備の範囲外だった。

 はたては肩を貸し、文を立たせる。

 

「ここも危ないみたい。文、山に戻りましょう」

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

「本当に、こ――」

 

 疲れた顔した紫の呟きは唐突に途切れた。

 

「ッ!!」

 

 重い衝撃が腹部に走る。見れば、お腹に血塗れの腕が生え出ていた。赤い指が霊夢を蝕んだ触手にも似た動きを見せて蠢いている。その異常な光景に紫の呼吸が止まる。血塗れの右手が何かを求めるように動き、やがて指先が紫の左乳房に触れる。

 ――と、まるでそれを求めていたかのように胸脂肪をぎゅうっと握りしめた。爪が肉に食い込み、血が衣服を湿らせる。

 

「あああああああ―――――っ!」

 

 そこでようやく紫は悲鳴を上げた。

 

「なっ!?」

 

 鈴仙は悲鳴を聞き、紫の惨状に驚きの声を上げる。駆け寄ろうとした瞬間、腕が引き抜かれた。

 腹部から腕が引き抜かれたと同時に体から力が抜けていく。紫は何の抵抗もできず、落下していく。

 

 鈴仙の目の前に空間の亀裂があった。それが歪に開かれ、笑みを浮かべた純狐は出てくる。

 

「たかだか、十八次元に私を閉じ込めようだなんて、随分と甘く見られたものね」

「そんなっ」

 

 後ずさりする鈴仙。

 

「貴女近くで見ると随分と綺麗な顔をしているのね」

 

 その笑みに恐怖する。見えない何かが、鈴仙を取り囲みつつあった。距離は近い。

 

「でも、それも今日が最後。かわいそうだけど」

 

 鈴仙は純狐の目を見る。能力を使い、相手に幻覚を見せようとするが、

 

「児戯ね」

 

 呆気なく一蹴された。

 

 

 地面に叩きつけらた紫。止血することで手一杯の彼女の瞳に、純狐に立ち向かう幽香の姿が映る。

 純狐は再び、赤い光球を降下させる。彼女の攻防も虚しく、向日葵畑は消失する。

 火柱が立ち上り、衝撃と突風が容赦なく紫を巻き込んだ。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

「一体どうするんですか?」

 

 放心した霊夢を心配そうに眺めて、早苗はもう一人の霊夢に問いかける。

「うーん」と、彼女は唸り、まぁ、こうするわと、霊夢の背中を足蹴にした。

 

「ちょっとっ!」

「魔理沙が死んだくらいで 何馬鹿みたいに呆けてんのよ!」

 

 踏みつけている足に力を込め、ぐいぐいと霊夢の背中を揺り動かす。

 

「女なんて、他にもゴロゴロいるっていうのに」

「ひ、酷い言いかた……」

 

 霊夢は動かない。

 

「小鈴ちゃんって小さくて可愛いよね。数年経てば、いい感じにプロポーションになるんじゃない。まだまだ青い果実って感じだけど、今から色々と教え込むのも面白いかもね」

「うげっ」

 

 霊夢は微動だにしない。

 

「同じ感じだと、妖夢もいいかもね。レミリアも悪くないわね。咲夜と絡むのも悪くはないし――」

「あの……」

「アリスは意外と激しく声を上げそうな感じがしない?」

「何を言って……」

「それに、この早苗なんか、胸がすごく大きいの!」

「え?」

「私より、それに魔理沙よりも一回り大きいわ。ホント羨ましいわ」

「は?」

「おっぱいって大きいほど感じやすいっていうじゃない? 早苗のおっぱい揉んでみたら、早苗はどんな声をあげるのかしら? きっと魔理沙より官能的で――」

 

 霊夢ががばっと起き上がり、バランスを崩した彼女の胸ぐらをすばやく掴む。怒りと憎悪混じりの顔で相手を睨みつけた。

 

「みんなはあんたの玩具じゃない!!」

「……」

「あんたみたいな奴は誰だっていいんでしょうけど――」

「……」

「私にとって、魔理沙は……魔理沙は――」

「知っているわ」青白の巫女は冷静な声で答える。「だったら、すべき事はもう分かっているでしょう? 短い期間だったけど、その為に霊夢は準備をしてきたんじゃない?」

 

 襟首を握っていた手の力が緩む。

 

「……無理よ。こんなに被害が出るなんて、予想していなかった」

 

 うなだれる霊夢。その声は弱々しい。

 

「私は全てを記憶できている訳じゃない。だから、完全に元に戻せない」

「記憶できていなくても、記録はまだちゃんと残っているわ」

「嘘よ! 全てを記録していた博麗大結界は消えてしまったのよ! 慧音の所に全く同じ記録が残っているとでも思っているの? あれはどこまでもこの世界の事を細かく記録されて――」

 

 襟首から霊夢の手が離れた。

 

「博麗大結界はまだ残っている。あの子から預かったわ、全てね」と、巫女は冷静に告げる。「あんな事を言っていたけど、結局全てを捨てきれなかったのよ。あの子は――」

「……まだ……仮にできたとしても……今の私の霊力だけじゃあ、到底全てを復元するなんて……」

「早苗がいるわ」

「……え?」

 

 二人だけの会話に唐突自分の名前で出て、早苗は驚き彼女の顔を見る。

 

「早苗もまた巫女であり、霊力を操る事できる。若干の違いはあるけど、問題はないわ。確認はもうしてある」

「……本当に……」

「分かったわね。猶予はあまりないわ。鈴仙たちもどれだけ頑張れるか分からないし」と、巫女は手を上げ、霊夢の額にピタリと指先を当てる。

 

「世界復元の為に記録を渡すわ。私は博麗大結界を再構成させる。同時に結界内におけるほぼ全てのものを非干渉化させる」

 

 指先を離し、手を下ろす。

 

「月の連中は私が責任を持ってあっちに連れて行くわ。あとは貴女の出番、復元の方は任せるわ」巫女は早苗の方を振り返る。「それじゃあ早苗、後はお願いね」

「ちょっと待って下さい! さっきから何を言って……私には何が何だか――」ただ、これが彼女との別れだと言うことだけは分かる。「それに、もっと別の方法があるんじゃないですか?」

「悪いけど、時間がないの。後のことは霊夢に聞いて……千年分の記憶が私の中で犇めいて、正直しんどいの」と、青白の巫女は悲しげな顔で嘆息する。「早く楽になりたいの、私は」

「ですけど……」

「話はこれで終わり」と、彼女は天を見る。「それじゃあね。霊夢、早苗」

 

 青白の巫女は上に飛ぶ。そして構えをとると叫ぶ。

 

「博麗の名のもとに第×××期、七月二十七日、△△時△△分△△秒において博麗大結界を再構成する!」

 

 少し遅れて、巫女の体が音もなく消滅した。

 ひらひらと早苗が巻いた包帯が落ちていく。

 それは、導かれるように早苗の元に落ち、早苗は包帯をつかみ取る。

 

「あの霊夢さん……」

 

 不安げな早苗が霊夢に声をかける。

 

「魔理沙、もう少し待ってて――」

 

 霊夢は早苗の方に向き直る。

 その時、魔理沙の体が透明な球に包まれた。

 

「私、どうすれば……」

「世界を元に戻すわ。その為の霊力を借りたいの。東風谷さんは手を握ってもらえるだけでいいから」

「……早苗でいいですよ。あの人はずっとそう言ってましたから」

「……そう……早苗、どれだけ時間がかかるか分からないけど……」

 

 霊夢は右手を差し出し、早苗が左手で握る。

 

「いいですよ。私は大丈夫です」

 

 何かが左手にゆっくりと吸い込まれていくのを感じながら、二人の巫女の体が少しずつ浮き上がっていく。

 大地が、木々が、大地を破壊していた光の槍も、大地から吹き上がる火柱も全部透明な球に包まれていく。

 霊夢らを包んでいたドーム状の結界が消えた。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 サグメの目の前で拘束していたクラウンピース(気絶したまま)が透明な球に閉じ込められた。それに遅れて、サグメ自身も同じ球に閉じ込められる。鈴仙に頼まれ、付き添っている三妖精もまだ同様だった。

 押しても叩いてもびくともしない。

 唇に指を当て考えていると、見覚えのない人物が目の前に出現した。

 

「あんたが、サグメね」

「――貴女は誰です?」

「神降ろしをしていた者よ」

「ッ!!!?」

「証明してあげたいところだけど、今は時間がないの」

 と、その人物はクラウンピースを見つける。

 

「あんた達には……そうそう、元の所に帰ってもらうわ」

 

 そういうとサグメの返答も聞かず、一瞬で場所を移動した。

 

 

 八雲紫、風見幽香、鈴仙、そして純狐もまた、透明な球状の膜に覆われている。

 

「霊夢さん、サグメ様」

「鈴仙、お疲れ。助かったわ」と、巫女が答える。

「これは貴女がやったの?」

 

 純狐は文句を言いたげな表情で巫女を見る。純狐であってもこの球状の檻からは脱出はできなかった。力が全く働かなかった。次元の壁さえ越えることもできずに――

 

「ええ、そうよ」

 

 巫女は幽香を見る。巫女を睨みつける彼女は横やりを入れられて事に不服そうだった。

 

「さて、あんた達をつまみ出すわ。そっちの喧嘩はそっちでやってもらえる?」

 

 巫女に合わせて、サグメとクラウンピース、純狐が上へと昇っていく。

 

「あっ、そうだ」

 

 巫女は一人別の場所にジャンプする。

 

「随分と手酷くやられたものね」

 

 その言葉は血塗れの紫に向けられたのもだった。

 

「ええ。そうね」と、疲れた表情で答える。

「後は私に任せて、傷もしばらくしたら治ると思うわ」

「これは貴女の力? それとも、神降ろし?」

「さぁね。でも私だけの力だけじゃないわ」と、さらりと答える。「時間がないから、手短に言うわ」

 

 紫に近づき伝言を伝えると、巫女はさよならと別れを告げ、背を向けた。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 赤髪のヘカーティアと綿月姉妹の死闘は唐突に終わりを告げる。

 

「まさか――」と、小さな声で驚く依姫。

「――まさか、こんなことがあるなんて――」と、ヘカーティア。

 

 捕らえられた純狐とクラウンピースを見て、ヘカーティアは白旗を揚げた。

 豊姫がヘカーティアを拘束する。

 

「貴女が穢れの連中に負けるなんて思わなかったわ」

「それは、私もよ」

 

 純狐は冗談めかして、巫女を睨みつけた。

 その視線を無視し、巫女はサグメに純狐とクラウンピースの拘束を求めた。

 

「必要な事は彼女に聞いて。理由は分かるでしょう?」

「……ああ」

 

 依姫が巫女に対して口を開く前に、巫女は口をついた。依姫はやむなく首肯する。

 

「……助かったわ」

 

 ただ一言だけ患者の言葉を述べた。

 

 

「これで……まあ、後は大丈夫でしょう……」

 

 眼下に浮かぶ丸い星を眺めながら、彼女は独りごちる。

 彼らが月の都へと引き上げ、暗い宇宙空間で巫女一人になる。

 役目を終えた巫女の体がゆっくりと塵と化していく。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 門をくぐり、聖輦船は幻想郷に帰還した。

 

「ん? 何だ!?」

 

 寅丸星が驚く。体が球体に包まれていた。それは同乗していたナズーリン、村紗水蜜、雲居一輪、雲山も同じだった。

 ただ一人、白蓮だけが、何も起こらなかった。霍青娥と宮古芳香はいない。二人は魔界をもう少し探索したいと言うことで船を下りた。

 

「これは――」

 

 当惑する白蓮の前で聖輦船自体も透明な球に包まれた。

 

「ナズーリン、少し下がって!」

 

 白蓮は近くにいた仲間を包む透明の殻に、魔力で攻撃するが弾かれてしまう。

 

「どうすれば――」

 

 当たり前だが、叩いてみてもそれはびくともしない。

 その時、白い光が船を壊れたあるいは黒焦げになった部分に広がっていく。

 ナズーリンの籠の中にあった面が誰に気付かれることもなく、忽然と姿を消した。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 赤白の巫女を全て切り倒した小町は、西行妖に張られた護符を一枚一枚はぎ取ってみようとした。

 ――が、指に痛みが走り弾かれる。

 樹を傷つけることにもなるが、鎌でざっくりと切り裂いていていく。

 

「おそらく、全部は剥がさなくてもいいと思うんだがなぁ」

 

 実際、西行妖に変化が起こっていた。花が少しずつ消えて行っている。

 

「でもなぁ、そのままにするわけにはいかないよなぁ、えーちゃんになんて言われるか分かんないしねぇ」

「当然ですよ」

「ですよねー」

 

 突然の声に気にする様子もなく、小町は鎌でざくざくと護符を切る。

 

「小町、えーちゃんとは誰のことです?」

「え? 分からないんですか? えーちゃんですよ?」

「海老のことですか?」

「違いますよ。本当に分からないんですか?」

「分かりません。正解は何です?」

「私の上司のことに決まっているじゃないですか……んっ?」

 

 小町は何か気がつき、恐る恐る振り返る。

「ずいぶんな口の利き方ですね」と、白けた視線の小町の上司――四季映姫・ヤマザナドゥが立っていた。

「!!!? 四映姫様!! ど、ど、どうしてここに!?」

 

 西行桜に背中を押し付け、小町は目を丸くした。恐怖でもっと距離をとりたかったが、桜がそうさせてくれない。

 

「混じってますよ。私の名前……」

「映姫様!!」と、小町は言い直す。「どうしてここに!」

「言っていたはずですよ。封印が解かれるようなことがあれば、私も出向くと――」

「ええ……ああ、そうでしたね」

 

 生返事で返す小町。

 ため息をこぼす映姫。

 

「小町、貴女はそのまま作業を続けなさい。私はクリスタルの修復を行います」

 

 小町の返事が返っている。

 

「まったく万年地獄行きの一族が、面倒なことを――」

 

 映姫の言葉が途切れた。訳も分からない球状の檻に閉じ込められたのだ。手で触れ、破壊しようとするがびくともしない。

 それは、小町の方も一緒だった。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 里の合いたる所で透明な球がただよっている。人や倒壊した家屋、えぐれた地面、亡くなった者、天人や不死者、付喪神や妖怪達、ありとあらゆるものが包まれる。

「何だ! 炎をが出せない」と、妹紅が拳を叩く。

「衣玖。緋想の剣でも切れない」と、天子はかんかんと剣で叩く。

 

 がつがつと叩く横で衣玖が冷静に周りを見渡す。

 

「総領主様、どうやら終わりのようです」

 

 光の雨は止み、火柱も消えている。さらに白い光が里を包み始めた。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 二体の付喪神――堀川雷鼓と多々良小傘が透明な球に包まれ、遅れるように八坂神奈子と洩矢諏訪子も透明な球に包まれる。

 神奈子と諏訪子は特に慌てる様子もなく、球を観察する。

 

「力が使えないな。諏訪子、お前の方は?」

「――同じだね」

 

 小傘を押し潰していた土塊が球に包まれ、白い光に放つ。後には綺麗さっぱりなくなっていた。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 咲夜の手元にある札は残り二枚となった。

 いよいよ万策尽きつつある。

 

「何、これは……」

 

 紅魔館の住人全てが、不可思議な丸い膜に包まれる。

 何をしてもびくともしない。気がつけば、響いていた衝撃音がなくなっている。

 音が遮断しているのはと咲夜は思ったが、それ以上の出来事が起こる。周囲のものも同じ透明な膜に包まれ、周りは白い光には溢れかえる。

 やがて、白い光が収まると、そこには、以前と変わらないと図書館があった。倒れた本棚、砕かれた天井や壁、床、全てが元通りだった。

 それだけではない。スカーレット姉妹、美鈴、パチュリー。そして咲夜自身の服の血の汚れや破れが綺麗さっぱりなくなっていた。

 咲夜は全員の首筋に手を当て、脈があることを確認する。

 

「パチュリー様」

 

 体を揺り動かし、気絶している魔法使いを起こす。

 

「んんっ、あっ咲夜……」

「あの、これはパチュリー様がされたのですか?」

「! 私は……これは――」

 

 驚くパチュリーは周囲を見回す。

 

「咲夜、私は倒れてからどうなった」

「実は――」

 

 咲夜は、起こったことを手短に説明する。

 

「私は事前にそんな仕掛けなんてしていないし……第一、そんなこと簡単にできないわ」パチュリーは自分の服を触り、レミリアの傷を触診する。「傷がなくなっている。こんな短時間で?」

 

 さらに美鈴の傷を確認する魔法使い。

 

「こっちも……咲夜、建物や周りもどうなっているか確認して」

「はい」

 

 咲夜は立ち上がり、図書館の扉を開く、いつも通りの階段、変わらない廊下。

 玄関の戸を開ける。

 そこにはいつもの変わらない景色が広がっていた。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 幻想郷の地下深く、地霊殿とはかなり離れたところで、伊吹萃香と星熊勇儀は酒盛りをしていた。そんなとき、萃香は近くを通る仲間に声をかける。

 

「おーい、華扇。ひさしぶりだな」

「珍しいなお前がこんなところに戻ってくるなんてな」と、勇儀は杯を片手でかざす。

「ちょっと、こっちの荷物の整理をしにね――」

「お前も飲まないか? 萃香が珍しい酒を持ってきたんだ」

「珍しい酒?」

「これさ」

 

 萃香は瓶のラベルを華扇の方に向けてかざす。

 

「これって、仙果を使った酒じゃない! どうしたのよ?」

「神社の修理しているときにもらったのさ」

「神社? 博麗神社のこと?」

「当然だろ。 壊れた理由はよく知らないが……そうそう、あそこにお前の腕はなかったぞ」

「知っているわ」

「いつになったら見つかるんだろうな」と、勇儀。

「外での話も聞きたいしさ……それにしても随分と揺れるな」

「夏祭りでしているんじゃないか?」と、萃香が杯を傾け、一気に酒をあおる。

「これって、そういう規模かしら?」

「まぁいいじゃないか。何かあったら動けばいいし」

 

 切迫状態の地上とは関係なく、暢気な酒盛りが続く。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 神子と布都が封印されていた部屋で呟きが漏れる。

 

「あーもう! うるさいわねぇ ゆっくり寝れないじゃない!」

 

 戦いの収束間際、半目で体を起こす蘇我屠自古。

 しかし、大地の揺れが収まると彼女は再び眠り出した。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 白い光が消えると、砕かれた大地は元の草木の生えた大地となり、へし折れた木々が青々とした葉を取り戻す。

 傷が消えた魔理沙を包む球膜はなくなる。

 宙に浮いていた霊夢と早苗の体は静かに下降し、草の生えている柔らかな地面に着地する。覆っていた透明な球が消える。

 

「これで、終わり――」

 

 

「早苗、ありがとう」と、霊夢はどこややつれた表情を見せた。

「そんな、御礼なんて――」

 

 謙遜する早苗の前で――

 霊夢の体がゆっくりと、前に倒れた。

 




NEXT EPISODE【それから(1)】


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【それから(1)】

 

 

 微かに聞こえる音。

 

「……」

「…………」

「……いむ……さ……」

 

 魔理沙の耳に聞こえる、朧気な少女の声。

 

「……れい……ん……れ……」

 

 魔理沙の意識は次第に呼び起こされ、声ははっきりとしてくる。

 

「霊夢さん。起きて下さい!」

 

 魔理沙ははっと目を覚まし、上体を起こした。

 

「――霊夢」

 

 横になった霊夢の体を揺する緑髪の巫女の姿があった。

 

「おいっ、何が――」

「気付かれたんですね。実は――」

 

 早苗はこれまでの事を話す。

 空船、秦こころ、付喪神暴走、結界消滅と再構成、復元、そして霊夢の事。

 

「くそっ、私は――」と、魔理沙は歯噛みする。「いや、今は霊夢を医者に診てもらおう」

「でも、普通のお医者さんに原因が分かるんですか?」

「里とは別に医者だ」

 

 魔理沙は側に転がっていた箒を掴む。

 

「早苗、霊夢を担げるか? 案内するからついてきてくれ」

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 赤蛮奇は針妙丸を乗せた正邪を抱え、里から逃げ出した。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 聖白蓮はナズーリンとともに里の門の前に立っていた。

 聖輦船は封印されていた場所の近くに留め、村紗、寅丸、雲居、雲山らは船を固定する為に行動をしている。

 

「……聖様、本当に謝るんですか?」

「寅丸達が行ったことは決して許される事ではないのよ。たとえ、全てが元通りになったとしても――、さあ行きましょう」

 

 弟子の悪行、その懺悔の為に聖は里に入る。ナズーリンはその後をついて行く。ナズーリンは大きな麦わら帽子を被って耳を隠し、尻尾は服の中に隠して、普通の人間の女の子ようにしている。

 

 聖は人の声を頼りに、人の多い場所へと向かう。

 

「あの聖様、やっぱり――」と、小さな声でナズーリンが話しかける。

 

 リンチ。下手をすれば、殺される可能性だってあるのだ。

 歩いている先に人集りが見えた。

 

「あの、すみません」と、聖は人混みの外周にいる一人に声をかけようとした。

 

 その時、

 

「遅いじゃないですか、聖!」

 

 人混みをかき分け、変な寝癖のついた人物が飛び出した。彼女はすぐさま聖に近づき、顔を近づける。

 

「神子と言います。今は話を合わせて下さい」

「……はぁ……」

 

 耳元で囁く神子の言葉に、聖は小さな声で曖昧な言葉を返す。

 人々の視線が神子から聖に移動する。

 

「これも、ここだけで収めていただきたい話なのですが、こちらの聖殿で助けもあってできたことなのです」

 

 おおーっと感嘆の声を漏らす人々に若干思いプレッシャーを感じる。ナズーリンも少しびびっているようだった。

 そこにはかつて、対立するときに向けられた恨み、暗い感情は一切見られない。

 

「ただ彼女もかなり消耗していますので、少し休ませていただきたいのです。よろしいですか」

 

 了解をとると、「さぁ、こちらへ」と、神子は聖の肩に手を置き、聖らは入ってきた門の方へと歩く。

 

「近くに今は使われていない家屋があるようなので、そちらで詳しく説明します。君もついてきてくれますか?」

 

 明るい笑顔で神子はナズーリンを見る。

 ナズーリンはこくんと頷いた。

 

「布都、貴女もついてきて下さい」

 

 人混みに紛れて返事が返ってくる。遅れて烏帽子をかぶった少女が人混みをかき分けて出てきた。

 

 

「こちらです」

 

 神子が案内した先は、千年ほど前に聖達が住んでいた所――それほど長い間ではないが――だった。

 

「……そう、まだ残っていたのね」

 

 聖は屋内をぐるっと見渡す。かつての惨状の痕跡は全くといっていいほど見られない。

 

「懐かしそうですね。もしかして――」

「ええ。随分と昔に住んでおりました」

 

 聖は改めて自分たちの名前と千年前の事などを話した。次いで、神子もこれまでの経緯を説明する。

 

「まさか、この地下に――」と、白蓮。

「貴女のような方が気付かれないということは、それだけ彼女の施した結界が優秀だったということでしょうか」

 と、神子が答える。「これから、神社の方をうかがう予定ですが――」

「ええ、ご一緒します」

 

 玄関の戸を叩く音が聞こえた。

 

「もうしばらく、難しいようです」と、神子は続けた。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 回復したチルノとルーミアと入れ違いに、魔理沙らは永遠亭に入った。

 てゐは矢継ぎ早に来る客に辟易しながらも、永琳の元へ連れていく。

 永琳はあまり表情を変えず、状況を早苗から確認する。

 呼吸、瞳孔、脈拍、服の上から心臓の鼓動を一つずつチェックする。

 

「彼女は一時的に衰弱しているだけよ。自然に回復するわ」

「本当か?」と、魔理沙。

「ええ。だけど、それにどれだけの時間がかかるのかは私にも判らないわ」

「植物状態、ということですか?」と、早苗が聞いた。

「ええ。栄養カプセルを処方しとくわ」

「そんな――」

 

 永琳の回答を聞いて、魔理沙と早苗の顔は青くなる。

 

「それと、彼女の体を定期的に動かしてちょうだい。やり方は後で説明するわ」

「褥瘡、ですか?」

「あら、知っているの?」

「言葉だけですけど……」

「あれを使えば早いんじゃないのか、永琳」と、てゐが聞いた。

「本来、ああいう使い方はするもんじゃないわ」

「なんのことだ?」と、魔理沙が聞いた。

「時間の加速よ」

「私に使ったやつか」

「ええ、そうよ」

「どうして使えないんだ? その方が早いんだろ?」

「貴女の時と状況は全く異なるわ」

 

 薬の効果が発揮され、およそ完治する時間。意識を取り戻すまで不確かな時間。永琳はその差による能力のリスクを説明する。

 

「――それに、もし彼女の意識が回復するのに十年かかるとするわね。彼女の力を使えば、十年は一瞬で過ぎる。でもね、自分一人が年をとった状況、耐えられる?」

「それは……」

 二人は答えられない。

 

 

 薬を受け取り、看病の方法を学んだ二人は霊夢の家である博麗神社に行く。

 早苗は霊夢が里で行っていた儀式などを魔理沙から聞き、神社内でそれらに関する書物を探す。一方、魔理沙は霊夢を着替えさせ、布団に寝かせる。

 

「どうだ、なんとかなりそうか?」

 

 魔理沙は隣の部屋に入り、早苗に問いかける。

 

「はい、多少の違いはありますけど」

「分からないところがあれば、里の上白沢慧音に聞いてみればいいと思うぜ」

 

 相談の結果、早苗は霊夢の弟子として使いっ走りにされているという設定にした。

 二三時間複数の本の中身を二人で確認し、幾つかの本を持って早苗は山へと帰っていった。

 少し遅れて、八雲紫が現れる。魔理沙は霊夢の現状を話す。納得したのかしていないのか判断に困る八雲紫の変わらない表情。彼女は魔理沙に質問もせず、静かに消えた。

 さらに少し遅れて、アリスがやってきた。

 現状を説明し、他に回復させる方法がないか魔理沙は聞いた。

 

「確かに滋養の高い物を作ることは可能だけど、体の衰弱の程度によるわね。霊夢の場合は――残念だけど、無理なの。体の働きが弱っている以上、無茶はできないの。本来持つ機能を傷つける可能性もあるし――役に立てなくて御免なさい」

「別にいいさ。アリスの方が魔法に詳しいから、少し聞いてみただけさ」

 

 暗い顔を見せるアリスに魔理沙は努めて明るい声で言った。

 

「――うん。早く良くなるといいわね」

 

 アリスが去って、今度は妖夢と幽々子、四季映姫が博麗神社を訪れる。

 妖夢は明らかに怒気を含む顔つきだった。

 幽々子は映姫を上司だと説明し、自分たちの周りで起きたことを説明する。そして、霊夢が襲ってきた理由を問う。

 もちろん、魔理沙と早苗に理由など分かりはしない。だが、早苗は思い浮かぶ。

 付喪神の暴走だ。その事を早苗は話す。話しながら、暴走の首謀者と思われる人物を思いつく。

 青の霊夢の眼を怪我させた、小人と一緒にいた妖怪。特徴を伝える。

 

「鬼人正邪ですね」と、映姫は言った。「一度、小町がちょっかいを掛けられた事があります……小人族を利用したか――」

 

 今度は映姫が話し始める。

 正邪のこと、小人族のこと、そして小人族が持つ打ち出の小槌について。

 

「――というわけです」

 

 さらに、手痛い目にあった正邪はまたしばらく何も出来ないでしょう、と映姫は付け加えた。

 

 

 話を終えた頃には妖夢の表情も軟化していた。三人が帰り、遅れて早苗も帰り、日が暮れる。

 食欲のない魔理沙は霊夢の横に布団を敷き、横になった。

 翌朝、魔理沙は永琳から処方されたカプセルを少量の水と一緒に霊夢の喉に流し込む。しばらくして、霊夢の体をマッサージするように動かす。

 それが終わると、霊夢がしていたように境内の掃除を簡単に行う。

 ――と、博麗神社に来客が訪れる。

 いずれも魔理沙には面識がない。彼らは順に名乗る。

 豊聡耳神子、聖白蓮、寅丸星の三人。

 霊夢を訪ねた彼らに魔理沙は部屋に案内した。

 

「――と言うわけです。不肖の弟子が――」と、聖が頭を下げる。

「はい。すみませんでした」と、寅丸が頭を下げる。

「別に謝られてもなぁ。色々ありすぎて……」と、魔理沙は言う。「あの出来事は誰かに触発されて、次々起こった感じなんだよなぁ、将棋倒しみたいに――」

「付喪神に力を与えた者については、不明ですが――」と、神子は言う。「調べるべきだと思いますか?」

「それについては……」と、魔理沙は幽々子らから聞いた話を伝える。

 その途中で、早苗が神社を訪れる。ここを離れられない魔理沙に変わり、食料を持ってきたのだった。

 神子と魔理沙が早苗を聖に紹介した。聖と寅丸が改めて、頭を下げる。

 

「そんな、頭を上げて下さい」と、早苗は慌てる。「今は元通りになっているんですから」

「それにもう過ぎたことだ」と、魔理沙が言う。

「ですが、そのせいで博麗さんが昏睡状態なのでしょう?」

「まぁ、それは霊夢さんが私にも負担させてくれなかったからです。自分一人で背負い込んで……」

「……」

 

 早苗の尻すぼみになっていく言葉に、場は静かになった。

 

「私がここに来て、日が浅いせいもあるんだと思いますけど」と、早苗は言った。「とりあえずは霊夢さんが起きるまで、霊夢さんがこなしていた仕事を私が代わりに行います。もし、手が必要なときは助けて頂いても宜しいですか?」

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 月は変わり、八月に入った。博麗霊夢は目覚めない。

 八月六日は夏祭り。

 早苗は約束していた小鈴と阿求と一緒に祭りを見て回る。初めての祭りということもあり、二人は早苗に色々と説明して回る。

 先ずは腹拵えと、私達は屋台をいくつか見て回る。

 すでにいくつかは列が出来ていた。

 うどん、焼きそば、丼もの、焼きトウモロコシなどなど、早苗達は焼きそばと飲み物を買い、女子だけのおしゃべりを楽しみながら食事を楽しむ。

 歩きながら、秦こころの能を舞う姿を見たり、上白沢慧音が指揮する子供の演奏会を聞いたり、陶器のお店で食器を見たり、呉服屋で服を見たり、ストレートの長髪に髪飾りをあててみたり、と休憩がてらにかき氷を買う。

 食べながら、林檎飴の食べづらさを漏らす二人に早苗は店から道具を借り、スライスした林檎飴を一緒に食べる。

 器を店に返し、輪投げ、金魚すくい、吹き矢の射的、駒回しなどのゲーム。そして、空中にシャボン玉が舞っている。

 三人は金魚すくいをする。

 小鈴と阿求は惜しく逃げられ一匹も取れず、早苗だけが一匹だけすくい取れた。

 早苗の方をじっと見つめる子供に、早苗は金魚をあげる。

 それから、おしゃべりと屋台の食べ物を楽しみ、夜空に光る打ち上げ花火を楽しんだ。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 霊夢は少しずつやつれていく。

 渡された薬がもうすぐなくなることもあり、永琳がウドンゲを連れ診察に来た。

 魔理沙は霊夢の変化に対する不安を吐露するが、長期的になる以上これは仕方のないことであり、必要最低限の事が出来ていれば十分だと言って帰って行った。

 夏祭りから数日が過ぎた。

 早苗は里で買ってきた食材と簡単な焼き菓子を渡し、魔理沙と少しの間だけだべる。

 魔理沙は霊夢の褥瘡予防の為、体のケアをする。早苗も永琳から方法を学んだが、魔理沙はあくまで一人で行うと早苗の助けを拒んだ。霊夢の体を濡らしたタオルで拭くことも、霊夢の下着や服も魔理沙が洗い、乾かす。霊夢に関わる直接的な事柄は全て魔理沙が行った。早苗は神社の掃除や動けない魔理沙の代わりに食材を買い、時に料理を作る。

 それは責任からではなく、一番付き合いが長い自分がした方が、霊夢も抵抗が少ないだろうと早苗に言ってはいたが、早苗には少し寂しさを感じた。

 早苗は境内の掃除を終え、気まぐれに神社を覆う森にある一本の小道を歩いて行く。

 その先には少し開けた所があり、墓石が二つ建てられていた。一つは博麗家の墓、もう一つには岡崎夢美と北白河ちゆりという名が刻まれていた。二人は何らかの関係があって、ここに墓が建てられたのだろうかと早苗は思う。墓地は里の近くにまとまって存在しているからだ。

 道はまだ続いている。その先へと歩く早苗だがすぐに違和感を覚えた。

 境界。

 自分は結界の境界上にいるのだと――

 早苗は何気なく、見えない結界に手をかざす――と、ピッと小さな機械音が鳴った。

 

「えっ!?」と、早苗は周囲を見渡す。しかし、そんな音を鳴らすような機械など鎮守の森には見当たらない。

 

 そんな早苗の正面に大きな半透明のスクリーンが浮かび上がった。

 スクリーンは少し、水色がかっていた。

 

「なんで、こんな――」

 

 場違いな機械技術があるんだろう、と早苗は思った。その矢先、スクリーンに文字が浮かび上がる。

『DNA照合中…  』

『DNA照合中 … 』

『DNA照合中  …』

『DNA照合中…  』

『DNA照合中 … 』

『DNA照合中  …』

 DNA。デオキシリボ核酸。生物の遺伝子情報を持つ生物物質。

 照合するということは、どこかで基本となるDNAを採取されたのだろうか、と早苗は思考する。

 それはこちらの世界に入ったときなのだろうか、それともまた別のどこかで抜き取られたのか。

 DNAは採取した様々なものから鑑定できる。

「ええっと、たしか……皮膚片、髪の毛、汗、涙、唾液、粘膜……」

 TVドラマで見た知識を思い返す。

「……唾液……」

 なぜだか、その言葉だけを反芻する。

 早苗は唇に手を当てる。あの時の、霊夢とのキスを思い返す。

 早苗は首を横にする、彼女は機械でもないし、採取したものを保存する試験管でもない。それにあんなキスでは二人の唾液が混じり合う。

 思い返し、顔が赤くなる早苗の前で、スクリーンの文字が変わる。

『DNA照合完了 東風谷早苗と認識しました』

 さらに早苗の前に見覚えのある半透明のキーボードが出現した。

 スクリーンの画面が切り替わる。横に10列に並ぶ文字の羅列が上から下へと流れている。とてもではないが、眼で完全に追えるものではない。

 ただ、頭に書かれている数字の意味はすぐに分かった。一つは時間を表している。もう一つは三つの数字、これは三次元座標だ。

 その次には人名とその時の発言とおぼしきことが書かれていた。

 早苗は理解する。ここには幻想郷全てのものを記録しているのだ。

 あまりに場違いなほど、高度な技術。早苗がかつていた外の世界でもこれほどコンピューターは存在しないだろう。

 あの墓石に書かれた名前の者がこの技術の提供者なのだろうか、と早苗は考える。だとすれば、彼らはどこから来たのか――

 早苗はキーボードに触れる。見覚えのあるインターフェース。左下に僅かにあった空白。文字入力の為にカーソルが点滅していた。

 両手を動かし、試しに『博麗霊夢』を検索する。

 すると、画面は5×5の25分割にされ、種々の画像が張り出された。どうやら、早苗は画像検索を行ったようだ。

 早苗の見たことのない表情の霊夢の顔と姿。どこから、だれが撮ったのかさえ分からない。

 その一つに早苗の目が釘付けになった。右下の一枚の画像。

 

「うっ!!」

 

 沸き上がる嘔吐感を押さえる様に早苗は口を押さえる。

 ヌラヌラと照り光る赤黒い触手。

 一本ではない。

 何本もの触手が、画像中央に写っている霊夢の巫女服の中に潜り込み――

 そして、霊夢の表情は――

 表情は――

 

「おーい、早苗……」

 

 早苗の後ろから自分を呼ぶ魔理沙の声が聞こえた。決してここから遠くではない。

 

「消さないと――」

 

 早苗はウィンドウを閉じるためにあちこちを触る。

 

「ひっ!!」

 

 件の画像が拡大される。指先が空を掻く。――と、画面が元に戻る。

 試しに別に画像に指を近づけると、その画像が拡大された。

 どうやらタッチパネルになっているようだ。

 早苗は左下を何度かタッチにし、目的のアイコンを見つけ、クリックする。

 画面は一瞬で消え、

 

「なんだ、ちゃんといるじゃないか……何で返事をしないのさ」

「それは……」

「……墓か」

「……ええっと、はい……」

 

 魔理沙は墓石を見つめ、そして首を振る。

 

「お茶を淹れたんだ。さっき持ってきた菓子を一緒に食べようと思ってさ」

「……すいません、魔理沙さん。私、これから用事があって……ごめんなさい」と、慌てる早苗。

「んっ、そうか……まあいいさ。お茶の一杯くらい」

 

 

 早苗の後ろ姿を見やり、魔理沙は部屋に戻る。

 

「早苗は用事があるってさ」魔理沙は霊夢に話しかける。「お前の代わりに色々頑張っているみたいだぜ」

 

 魔理沙を両手にコップを持つ。

 

「代わりに飲むか?」

 

 魔理沙は霊夢に勧める。

 霊夢からの返事はなかった。

 

 

 博麗神社より北に向かった早苗は再び、博麗大結界に触れた。

 先程と同じように認証画面が展開し、文字の羅列が目の前に広がる。

 操作方法を確認する。早苗が外で触ったコンピューターと大きくは変わらない。

 オペレーティングシステム名は、Red Magic Ver.9.1という見知らぬOSだった。

 キーワードを入力し、ここ最近の霊夢に関する事柄を調べる。彼女のプライベートを覗き見ることの抵抗感はあったが、それ以上に彼女がどうしてあんな辱めを受けたのかを知る必要性を感じた。

 日が暮れ始め、早苗はRed Magicからログオフする。

 おおよその出来事を調べ終わった早苗の表情は険しい。

 じわじわと早苗の中で芽生えた感情。

 それは、八雲紫に対する激しい怒りだった。

 




NEXT EPISODE【それから(2)】


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【それから(2)】

 

 

 最初は安直に考えていた。

 しかし、あらためて様々な出来事を経験し、早苗は自分の弱さを痛感する。

 神奈子や諏訪子に早苗は勝てない。博麗霊夢や八雲紫にも勝てないだろう。

 八雲紫の力。

 真正面からその力に対抗することなど出来はしない。

 自分が彼らより勝っていることは、おそらく――外の世界の知識。そう早苗は考える。

 だからこそ、早苗は時間を見つけてはRed Magicにアクセスする。この世界全てに干渉できる力。

 彼女がやったようにあの球に閉じ込めることはできる。しかし、それだけでは納得できない。

 八雲紫に恐怖を覚えさせるほどの力がなければ――

 彼女がした事を後悔させるほどの力を示さねば――

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 八月二十七日。

 その日も魔理沙は早苗と何気ない世間話していた。

 ただいつもとは違い、話の途中、音もなく八雲紫が現れた。

 

「霊夢の様子がどう?」

「何も、永琳がこの間診てはくれたが、何も変わっちゃいない。眠ったままだ」

「……そう……」と、それだけを言い紫は踵を返す。

 

 わざわざ聞くまでもないだろう。能力を使えば、こっそり様子を伺うことも可能なのに、と早苗は思う。

 

「待ってください!」と、早苗は帰ろうとする紫を止める。実際彼女の足は止まった。

「決闘を申し込みます」

「――は? 何言ってるんだ、早苗」

 

 突然の言葉に魔理沙は驚く。

 

「八雲紫! 私は貴女が霊夢さんにしたことを許せません!」

「……何のこと?」

「貴女が霊夢さんを辱めたことですよ」

 

 紫は早苗を睨む。

 

「貴女は――」

「それに、魔理沙さんにも――」

「早苗、どうしてそれを――」

「この世界を守るために霊夢さんの一族だけを束縛することは止めて下さい!」

「……それでは、誰が人を妖怪から守るの?」

「私が守ります!」

「大した力もない貴女に何が出来るっていうのかしら?」と、紫は冷めた目で、緑髪の巫女を見る。

 

「そう思われるんだったら。確かめてみたらどうですか?」と、早苗は挑発するような目で紫を見た。

 

 

 魔理沙の前で早苗は紫に戦いを挑む。結界が二人を包む。

 早苗は右手に大幣を持ち、距離をとり無数の護符を展開する。それは紫の力を危惧してのことだろう。紫は能力を使うことなく、身を翻し、弾幕を躱す。

 

「どうしたんですか? 攻めないと私を倒せませんよ!」

「……」

 

 早苗が次々と護符を打ち出すが、紫は避けるばかりで攻撃に転じてはいない。力量を測っているのだと、魔理沙は思う。

 早苗は決定打となるような攻撃は一度として出来てはない。八雲紫は表情一つ変えず淡々と護符を避けていく。

 そして、およそ一時間が経つ。

 魔理沙が予想していたとおり、早苗は一気に攻撃の手が緩んでいく。疲弊しているのだ。体が汗ばみ、呼吸も荒い。

 

「さっきまでの威勢はどうしたの? まだ、貴女は私に傷一つ付けていないわよ?」

 

 紫は挑発するような言葉を早苗に向ける。

 

「……やっぱり、正攻法では無理なようですね」

 

 頬を伝う汗を拭い、早苗は呻くような声をこぼす。

 

「――なら、これはどうでしょう?」

 

 早苗は左手に一枚の護符を構成し、紫に向かって投げる。

 

「……!?」

 

 護符は驚く紫の右頬を浅く切り、髪を数本切り落とした。

 

「動けないでしょう?」と、早苗は笑みを浮かべる。「八雲紫、貴女の体をその位置に固定しました」

「……何をしたの?」

 

 落ち着いた声で紫は早苗に問いかける。

 

「博麗大結界は結界内における全ての存在を監視しているです。貴女達妖怪を打ち負かすために手がかりを得るために……」

「……」

「同時に博麗大結界は檻なんです。結界内における全ての存在の力を封じ込めるための――」

 

 早苗は一枚の護符を構成し、紫に向かって投げる。それは、紫の左腕を浅く切った。

 

「それは貴女の力ではないわね」

「うるさい! こうするようにシステムをアップデートしたのは私です。霊夢さんには出来なかったことです」

 

 早苗は怒りを露わにし、護符を次々と放つ。紫の服を切り裂き、肌を浅く切りつける。

 

「恐怖しなさい! 貴女の生殺与奪の権をにぎっているのは私ですよ!」

 

 痛覚を持たないかのように表情を変えない紫。

 

「人を馬鹿にして――」

 

 早苗はRed Magicと意識とをリモートアクセスし、実行していたコマンドを変更する。

 

「八雲紫、貴女の体を右腕の付け根を境界に二分しました。これから、それぞれを別々の方向に移動させるとどうなると思います?」

「……さぁ? やってみれば?」

 

 表情を変えない紫。睨みつける早苗。

 

「後悔しても遅いですよ!」

 

 早苗は頭の中で命令文を書き込む。実行すれば、八雲紫の右腕がすっぱりと切断されるだろう。

 だが、

 >その命令は実行できません。

 早苗の命令は、システムに拒絶される。

 

「どうして……」

 

 早苗は焦る。

 再度、命令を実行する。

 >その命令は実行できません。

 拒絶。

 

「どうして、どうして……」

 

 命令を実行。

 >その命令は実行できません。

 

「どうして……なんで……」

 

 命令を実行。

 >その命令は実行できません。

 命令を実行。

 >その命令は実行できません。

 命令を実行。

 >その命令は実行できません。

 命令を実行。>その命令は実行できません。命令を実行。>その命令は実行できません。

 命令を実行。>その命令は実行できません。命令を実行。>その命令は実行できません。

 >全ての命令をキャンセルします。

 

「なんで!……なんで、なんで……悔しくないんですか! 霊夢さん!!」

 

 早苗は叫ぶ。それは単なるシステムの拒絶。だが、早苗にはそれが意志ある判断であるかのように感じていた

 

「…………ッ!!」

 

 早苗の目の前に紫がいた。

 早苗の首筋に鋭いモノが突きつけられていた。鋭い目が早苗を睨む。

 

「まだ、続けるつもり?」

 

 早苗の首筋に一筋の血が流れる。

 

「…………いえ……」

 

 押し当てられていたモノが退かれた。

 

 

 紫がいなくなり、泣く早苗を魔理沙が慰める。

 落ち着きを取り戻した早苗に魔理沙は言う。

 

「一体どうやってあのことを知ったんだ? 結界が監視しているって言っていたが――」

「ぐすっ、それは――」

 

 早苗は博麗大結界について話す。

 

「そんな機能がねぇ……それに未来人とは――」と、そこで魔理沙はため息をこぼす。「随分と大っぴらに喋ったもんだな。秘匿事項じゃないのか?」

「ううっ」

「まあ、過ぎたことは仕方ないか……霊夢が起きたら、謝っときな」

「……はい……」

「怒ってくれてありがとうな」

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 八月が終わり、九月に入る。

 九月三日。祭事を終えた早苗に耳に聞こえたのは霊夢に対する中傷だった。

 不満が始まりは霊夢が早苗の働きぶりを一度として確認しないことだ。

 早苗が止めるも立場上そうとしか言えないから大変ねと返されてしまう。

 さらに過去いっこうに冬が開けないため、神事が行われたが効果がなかったことをあげた。

 冬明けの儀式など早苗は知らないが、別の儀式――雨乞いなど――でも効果が現れるには時間がかかる場合もある旨を伝えたが、信じてもらえない。そのまま彼らと別れ、早苗は一人になる。

 

「良かったじゃないですか。上手く利用できて――」

 

 早苗は声が聞こえた方に顔を振る。神子と布都が立っていた。声は布都のものだった。

 

「打倒、博麗神社。そう言っていたらしいですね。夢が叶ったりじゃないですか?」

「……」

「洩矢神社の知名度は上がり、内心嬉し――」

「口が過ぎますよ」

 

 神子が布都の頭を叩いて、言葉を止めた。

 

「気にしないで下さい。手伝いのため私といる時間が減って、嫉妬しているだけですから」

「ヴッ」と、布都はばつが悪そうにする。

 

 実際、里にずっといないこともあり、里の様子を神子らに聞いたり、時に神事の手伝いをお願いしたりしていた。

 彼らの住まいは里から少し離れた所にあり、いまは里の大工によって拡張工事を行っている。

 

「これから、上白沢殿の所へうかがうのですが、一緒にどうです?」

 

 

 三人は上白沢慧音に霊夢の現状とあの騒動について説明した。霊夢の状況を里で大っぴらに広めることは、里が無防備であるように外に知らせる可能性がある。それにより一波乱が起きることは避けたい。その為に行ったことが、今度は別方向の悪い方に向かっていることを語る。

 さらに――

 

「里に赴く前に、彼女に言われたんです」と、神子は言う。

 

 

 里へと向かう、赤白の巫女は神子と布都を見る。(【7月27日(3)】)

 

「この世界は二十の結界を持って、その世界から隔絶している。それは外の世界に変化について行けず、消滅してしまう者達が多く住まいからなの。それは普段の生活から道具、技術、色々な所で異なるわ。もし、あんた達がこの世界から出るのなら、どこかで時間を作って説明するわ。でも、ここで定住する、あるいはしばらくここにいるなら――この騒動を自分たちの都合の良いように利用しなさい。そうすれば、早く里の人たちと打ち解けるでしょうし――」

 

 

 その言葉を聞いて座って話を聞いていた早苗が立ち上がり、布都を睨む。

 

「貴女の方がこの状況を利用してるんじゃないですか!!」

「当たり前だ。構わないだろう。本人がそう言っていたのだからな」

 

 異に返さず、布都は答えた。

 

「私らはお前と違うぞ。本人のお墨付きだ。対して、お前はどうだ? 今度、分社を建ててもらうんだろう? さぞ、心の中では大爆笑であろう?」

「……私は……」

 

 言葉が出ない。布都の言葉は当たっている。幻想郷に来た当初は、外の世界のようにうらびれることなく、やっていこうと誓ったのだ。逃げた先でも同じ事になれば、もう早苗らが逃げる場所などどこにもないのだから。

 

「泣こうがだまされっ!?」

「いい加減にしなさい」

 

 神子が布都の頭を叩いた。上白沢慧音もまた布都を諫める。

 人の口に戸は立てられぬ――だが、私に出来ることは協力しようと、慧音は続けて言った。

 稗田家に協力を求めるといい、あちらもある程度は博麗のことは知っているからなと、慧音は付け加えた。

 三人は稗田家に向かい、稗田阿求にも説明をする。彼女のまた事情を察してくれた。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 九月十六日。昨日降り続いた雨は深夜には止み、静かな朝を迎える。

 その日も魔理沙はいつものように目覚め、返事の返ってこない霊夢に挨拶する。

 日に日にやせ細っていく霊夢。頬は痩け、髪は艶をなくしている。

 魔理沙は引き戸を開けた。涼しい風が顔を撫でる。

 顔を洗い、栄養カプセルを霊夢の口に流し込む。

 自分の朝食を作り、霊夢に話しながら食べ、片付ける。

 霊夢の体をマッサージする。やせ細った腕。大きく浮かび上がる鎖骨。

 風が肌を撫でる。それ以外何の音もしない。

 永琳は今のまま看病を続けていればいいと言っていた。医療の知識などほとんど知らない魔理沙にとって、それほど懐疑的ではなかった。

 だが、日に日に外観が悪化の一途辿っている様を見ていると、自分のしていることが本当に正しいことなのか分からなくなる。

 もっと別のことをした方がいいんじゃないか?

 永琳に頼らず、魔道書の中に解決できる方法が隠れているんじゃないかと考えてしまう。

 

「なあ……早く起きろよ……霊夢……うっ……」

 

 不意に魔理沙の目から涙が零れる。

 こぼれ落ちた涙が、霊夢の頬を濡らす。

 

「ううっ……う゛うっ……グスッ……ンッ」

 

 嗚咽する魔理沙の耳に小さな声が聞こえた。

 

「ま……り、さ」

 

 小さな声で霊夢の小さな口が僅かに動いた。

 僅かに開いた瞼。

 

「……霊夢!!……本当に……本当に!!……」

 

 魔理沙は霊夢の顔を覗き込む。

 霊夢はこくりと小さく頷いた。

 

「医者を呼んでくる。しばらく一人になるが大丈夫だな?」

 

 涙を拭い、魔理沙は立ち上がり、バタバタとせわしなく音を立て、外へと飛んでいった。

 部屋が静かになった。

 霊夢は一人で起き上がろうとしたが体は動かず、しかたなく魔理沙の帰りを待つ。

 しばらくして、別の声が外からした。

 

「魔理沙さん、どこですか、トイレ? 上がりますね?」

 

 しばらくして、部屋に早苗が現れた。

 

「お早うございます、霊むさ……」

 

 霊夢と早苗の目が合った。

 

「霊夢さん!!!!!?」

 

 がばっと早苗は霊夢の枕元に座る。

 

「いつ目覚めて……ああ、魔理沙さんは永琳さんと所へ行ったんですね?」と、外を見て早苗はいった。

 

「皆心配してたんですよ」

 

 早苗の目からじわっと涙が溢れる。

 

「なんで、もっと私を頼ってくれなかったんですか……私、そんなに頼りないですか?」

 

 早苗の問いに霊夢は動かない顔で複雑な表情をした。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 摂取する水分を少しずつ増やし、流動食を食べさせる。魔理沙が体を支えながら歩く訓練を始める。

 霊夢が若いということもあり、体の回復はかなり順調だった。

 普段と変わらぬ食事も取れるようになり、うっかり支えられる回数も減っていった。

 やつれていた頬もふっくらと膨らみ、髪の艶も取り戻していく。

 九月二十八日。

 代理で神事を行った早苗を労うため、霊夢は料理を作る。早苗は里の店で一度奢ってもらうだけで十分だと言ったが、霊夢は金を払うだけでは申し訳ないと言った。

 料理が出来たタイミングに合わせて、魔理沙が訪れる。

 食べながら、あらためて里での霊夢の評判を取り戻す話しをする。霊夢は別に大したことではないというが、早苗はそれでは気が重いという。

 その食事で早苗は酒がほとんど飲めないと言うことが判り、魔理沙は下戸と上戸ということを利用しようと考えた。

 外の世界の考え、内の世界の考え。

 下戸と上戸の考えはいつの時も平行線。

 飲酒を控えさせようとする早苗と、隠れてお酒を楽しむ霊夢。

 とりあえずはその設定を広めるようにした。

 

 

 九月三十日。

 以前と変わらない姿となった霊夢と、魔理沙が軒下でおしゃべりをしていると、音もなくスキマを介して八雲紫が姿を現した。

 霊夢と魔理沙の表情が硬くなる。

 早苗からスキマ妖怪との対決した話は聞いている。長い過去から随分と秘匿していた事柄を盛大にぶちまけたと――

 その事を問うために来たのだろうかと、霊夢は思惑する。

 ――何の用、と霊夢は言おうとしたが、それよりも先に紫が動いた。

 紫はうやうやしく頭を垂れる。

 

「博麗……霊夢さん。貴女にお願いがあって参りました」




NEXT EPISODE【それから(3)】


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【それから(3)】

 

 

 十月三日。

 その日も博麗神社に魔理沙と早苗が訪れた。

 約束の時間より少し早く、霊夢は参道の掃除を終えていない。

 これからの予定について話し合うため、霊夢はさらっと掃除を済ませる。

 部屋へと歩く魔理沙と早苗と追うように霊夢は箒片手に歩く。

 その時、博麗神社の正面――鳥居から八雲紫が現れた。

 

「待って下さい」

 

 紫が言った。三人が声の先を見る。

 

「博麗霊夢さん。貴女にお願いがあって参りました」と、紫は頭を下げた。

「どこかで、異変が起きたっていうの?」と、霊夢は胡散臭いといった調子で聞いた。

「いいえ、これは私個人のお願いです」

「……」

「霊夢さん、行きましょう。そんな自分勝手な人の言うことなんか聞かなくっていいですよ!」と、早苗が怒りを露わにしていった。

「……そうね」霊夢はかぶりを振り、魔理沙らの後を追う。

「待って下さい! 博麗霊夢さん。貴女にしか出来ないんです。どうか……」

 

 霊夢は足を止める。

 

「私はあんたがしたことは許さない」

 

 霊夢は紫を睨む。

 

「何でもします。だから……」

「何でも? 格好つけて……」と、霊夢は言う。「何でもあんたの言う通りに動くと思わないで」

 

 紫は頭を下げる。

 

「霊夢、早く行こうぜ」と魔理沙。

「ほっときましょう」と、早苗。

「……」

「本当になんでもするのね?」と霊夢が言った。「私はあんたをなぐらなきゃあ気が済まないわ」

「……それで、よければ……」

「そう、いいのね」と、霊夢が言った。

「おいっ」と、魔理沙が言う。

「霊夢さん、徹底的にやっちゃっ――」と、早苗の言葉が途中で切れた。

 

 パアンッ

 霊夢の右手が紫の頬を平手打ちした。紫の体がよろめいた。

 霊夢の左手が帽子ごと紫の金髪を掴んだ。

 霊夢は左腕を引くと同時に、左脚を上げる。

 霊夢の膝に紫の顔がめり込む。紫の体から力が抜ける。

 霊夢の右手で護符を正面に投げる。それは神社の鳥居にピタピタと張り付いた。

 左手を掲げる。霊夢の顔の前に、だらしなく鼻血を垂らした八雲紫の顔。

 霊夢は軽く紫の体を浮かし、腹部に足蹴りにする。

 紫の体は後方に飛ばされ、鳥居の所で何もない壁に磔にされたかのように固定される。

 霊夢の指の間に三本の退魔針。

 投げられた針は紫の体に突き刺さる。

 霊夢が二歩歩く度に退魔針がスキマ妖怪の体に突き刺し、服に赤いシミが作られていた。

 六本、八本……

 

「……霊夢?」と、かすれた声で魔理沙が言った。

 

 十四本、十六本……

 退魔針が突き刺さるたびに小さな呻き声を上げる紫。

 さらに一歩踏み出した瞬間、霊夢は後ろに飛ぶ。霊夢に向かってどこからともなく飛んできた光弾。

 霊夢と魔理沙と早苗の三人は光弾が飛んできた先を見る。

 そこには八雲紫の式神――八雲藍が立っていた。

 

「邪魔しないでくれる?」と、霊夢は藍を睨む。

「それ以上はやられはしない!」と、藍は霊夢をにらみ返す。

「――藍! どうして来たの!?」

 

 うなだれた顔を上げ、紫は驚く。

 

「主人として無様な姿は見せたくなかったのね」と、霊夢は紫を横目に嘲る。

「主人を守るのが私の役目です!」

「はん、もう忠義を尽くす必要なんてないでしょ? あんたを縛るものはもうなくなっているのに――」

「そうだな――」と、藍は肯定する。

「藍、どうしてそれを……」と、紫は目を見開いて驚く。

 

「だが、それでも私は紫様の式神だ!!」と、藍は両手に光弾を生み出し、霊夢に向かって飛ぶ。

 霊夢もまた八雲藍に向かって飛ぶ。

 至近距離で放たれた光弾を躱し、すれ違いざまに藍の胸を袈裟切りにする。

 血飛沫が舞う。

 

「ぐっ!!」

「藍!!」

 

 紫が叫ぶ。

 藍は姿勢を変え、再度霊夢に攻撃を仕掛ける。

 だが、動きの鈍った藍の攻撃はあっさりとかわされ、背中を蹴り倒された。

 うつぶせに倒れた藍は胸に右手を当て、傷を塞ぐ。

 

「っ!!」

 

 藍の体をいくつも退魔針が突き刺さり、地面に磔にされる。

 さらにその頭を霊夢が踏みつける。

 

「止めて下さい、霊夢さん。藍は関係ないわ!!」

 

 紫が悲痛な声で叫ぶ。

 魔理沙と早苗は固まったままだった。

 

「本人はそう思ってないようだけど――」

 

 押し返そうとする力が霊夢の足に伝わっている。霊夢は藍の左腕を護符で切り落とした。

 血飛沫が霊夢の顔を、服を汚していく。

 足越しに藍の体が弛緩するのかが分かる。

 

「どうせ、妖怪のあんたならこの程度で死なないでしょう?」

 

 藍の頭から足を離し、霊夢は紫の方へと歩いて行く。

 

「霊夢、そのくらいで……」と、魔理沙が小さな声でいった。

 

 早苗は何も言えずにいる。

 体一つ分ほどの距離まで近づいたとき、紫の戒めが解かれ前に倒れこむ――が、その顔を霊夢が蹴りつける。

 土埃を立て紫は石の参道に仰向けに倒れこむ。

 霊夢が馬乗りになる。

 拳を振り上げ、紫の顔に叩き込む。

 何度も、何度も――

 

「あんたなんかに――」

 

 血に濡れた拳が――

 

「私に痛みが分かってたまるもんですかっ!」

 

 何度も振り下ろされる。

 

「おい、止めた方がよくないか?」

 

 魔理沙が早苗に言った。

 

「…………」

 

 血が飛びちる。

 

「おいっ!止めないとまずいだろ!」

 

 再度、魔理沙が言った。

 

「……そ、そう……ですよね……霊夢さん」

 

 二人は霊夢に駆け寄る。

 

「霊夢!」

「霊夢さん、もう十分、だと思います」

 

 早苗がそう言うと、霊夢は振り上げた拳をゆっくりと下ろした。

 

「……そうね……どうせこれ以上やっても、私は……」

 

 紫と藍に突き刺さっていた退魔針が消失する。

 

「早苗、これでこの件は終わり。いいわね?」

 

 霊夢は立ち上がり、振り返らず早苗に向けて言葉を発した。

 

「……は、はい」

「二人で話がしたいの。悪いけど、今日は帰ってもらえる?」

「でも、片づけるっていうか、掃除するっていうか……」と早苗はいう。

 

 早苗は参道の石畳や地面が血に濡れていることを気にしている。あるいはそれを理由に霊夢と八雲紫らだけにすることに抵抗があるのか、あるいはその両方か。

 霊夢は「私がしたことだから、それに一人で十分よ」と、言った。

 

 

「立てる?」

 

 魔理沙と早苗を遠くに消えるのを待って、霊夢は紫に聞いた。

 

「ええ」

 

 紫は立ち上がる。帽子を脱ぎ、その帽子で傷だらけの顔を隠す。

 遅れて藍も立ち上がった。腕はすでに繋がっている。

 

「まったく、予定通りにいかないものね」と、霊夢が嘆息した。

 

 九月三十日に話した予定。

 

「私はあんたを許さない……だけど、幻想郷を守るためなら協力はするわ。どのみち降りかかりそうな火の粉は払うけど……」

 

 霊夢は頭を下げる紫に言う。

 

「ただし、早苗にも協力してもらうわ。私一人で出来る事なんて、たかがしれているからね」

「私も手伝うぜ」と、魔理沙が言った。

「ありがとう。あの騒動を収めるには早苗は必要だったの。恐らくこの先で、早苗に頼る時が来るわ……なら、どうやって早苗を納得させるか?」

「……」

「早苗がしようとしていたことを私がするわ。早苗が私を止めるまで……いいわね?」

「……はい」

「その時は魔理沙、できる限り何も言わないで。早苗が納得しないと意味がないしね」

 

 そんなやりとりをしたが、式神の藍がしゃしゃりでてくることは想定外だった。紫はそんな事を言っていない。

 手加減など出来ない。

 早く終わらせるなら、視覚的に惨い方がいい。

 それを察していたのか、八雲藍の攻撃は霊夢に命中するものではなかった。

 

「服、貸しといてくれたら、縫っといてあげるけど」

「……心配いらないわ」と、紫は言葉を返す。

「そう……」

「三日後にまた来るわ。それでいいかしら?」

「……ええ……」

「それじゃあ」

 

 二人が消えた。

 あとに残されたのは血に汚れた霊夢と戦闘の爪痕。

 血の臭いがいやでも鼻につく。

 

「……ううっ……」

 

 霊夢は蹲り、嗚咽を漏らす。

 その時――

 

「泣いてるの?」

 

 少女の声が聞こえた。

 霊夢は涙を拭い、顔を上げる。

 八雲藍の式神――橙が目の前に立っていた。

 

「ちょっとね」

「あのね、藍様がこれをって――」

 

 橙が霊夢の前に手を差し出した。中身の詰まった布袋が掌にのっている。

 

「汚れているところにかけたら、綺麗になるって」

 

 霊夢は涙を拭い、手を伸ばした。

 

「……ありがとう。試してみるわ」

 

 受け取ると、橙は後ろで開いていたスキマへと走り入っていく。

 すぐさまスキマが消えた。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 十月二十日。

 霊夢は鈴仙に連絡し、豊姫とともに月の都へと移動した。豊姫と鈴仙の二人に案内され、依姫と出会う。

 造反の疑惑を払拭するため、月の都の任意の場所で実際に神降ろしをしてほしいと頼まれた。

 依姫にとって久しぶりの鈴仙との再会だったが、言葉こそは喜びを感じるものの、表情はほとんど変わらなかった。それが、彼女の性格によるものなのか、立場的なものなのか、造反疑惑ゆえのものなのか分からない霊夢はこっそり豊姫に聞いた。特に後半の出来事ゆえであれば、まあ申し訳ないと霊夢は思った。

 

「ああ、大丈夫よ。あれでいつも通りだから、ねえレイセン?」

「はい、別に怒ってはいないと思いますよ」

 

 豊姫はあけっぴろげに話し、鈴仙にも話を振った。

 

「まあ、初めて依姫に会った人は大体同じ事を言うのよね」

「お姉様!!」

「あっ、これが怒っている時ねっ」

 

 豊姫は飄々と言葉を返す。

 不作法は謝ると、依姫が霊夢に言った。

 

 

 月の町並みは里とは異なり、華やかだった。整然とした路に色鮮やかな建物が並び立つ。等間隔に植えられた見たこともない青々とした植物や照明灯が並んでいる。遠くの方には大きな建造物が見える。

 今霊夢が歩いているところでは玉兎がほとんどで、綿月姉妹のような月人はあまり見受けられない。

 方方から玉兎の驚嘆が聞こえる中、霊夢は依姫に指示された通り神降ろしを行う。

 

 

「すまないな」と、依姫は霊夢に言った。

 

 場所は綿月の屋敷のリビング。部屋は広い。大きな豪奢な白テープルにティーカップが人数分置かれている。

 

「別に謝る必要なんてないわ。大体こっちが盗んだことが発端らしいしね」

 

 霊夢は出されたお茶を一口飲む。不思議な味がした。

 

「――純狐を捕らえてくれた事だ。あれには昔から手を焼いていたのでね」

「ああ、そういうこと……」

 

 霊夢は直接姿を見てはいない。断片的な記録を読んだに過ぎない。足止めあるいは囮となった清蘭と鈴瑚はかなりの重傷だったが、命には別状はないらしい。

 

「とはいえ、逃げられてしまったが――」

「へ?」「え?」

 

 霊夢と鈴仙が同時に声を上げる。

 

「逃げられたんですか?」と、鈴仙が続ける。

「ああ、詳しくは話せないがな」と、依姫が嘆息する。「まあ、簡単にはいかないということだ」

「じゃあ……」

「心配ない。向こうの狙いはこちらだ。またそちらの方を囮に使うこともないだろう」と、依姫が言った。「二度同じ手は通じないだろうしな――」

 

 

「ごちそうさま」

 

 カップを空けた、霊夢は立ち上がる。

 

「それじゃあ、送りましょうか」

 

 豊姫が言い、皆が立ち上がる。

 霊夢とウドンゲは豊姫の元へと歩く。

 

「それじゃあ、送っていくわ」

 

 依姫は表情を変えず見送った。

 

 

 豊姫が月に戻ると、依姫は暗い顔をしていた。

 

「やっぱり、嫌われたのかしら?」

「そんな事、本人に聞けばいいのに」

「訊けるわけないでしょ!」

「あの子なりに気を遣っているんでしょ」

「私達、そんなにレイセンの前で――言っていたのかしら?」

「さあ……これからは、いつでもあの子が中継できるんだし……」

「……」

 

 依姫はため息をこぼす。

 

「珍しく頭が回っていないようだから私が言うけど、レイセンがこちらに戻るなら、またARSNの手術を受けないといけなくなるわ、恐らくね。それはレイセンにとって酷でしょう?」

 

 たとえ、今回の純狐捕縛の功績をもってしても変わらない。

 

「だから、これでいいのよ?」

「お姉様は、本当に……」

「別にゆっくり悩めばいいじゃない」

「……」

「時間はあることだし――」

 

 いつもの口調で依姫は言った。

 

 

【Last Fragment】

 

 

 人気のない夜の病院の廊下。

 蓮子の両親もこちらには向かってはいるが、あちこちで起こったテロの影響で、未だ病院に到着していない。

 心電計のパルス音が廊下に微かに漏れている。

 その電子音がふいに不規則に歪んだ。

 心電計の心音を刻む間隔は次第に長くなり――

 そして、止まった。

 すぐさまベッドに搭載された自動蘇生装置が起動し、電気ショックと心臓マッサージが続けられた。

 それはきっちり十五分続けられ、ピタリと止まった。蓮子が蘇生することはなく――

 宇佐見蓮子は死んだ。

 通路のドアを隔てて、医者がこちらへと歩いている音が聞こえた。

 蓮子の死亡を確認するためだ。

 しかし、自動ドアは開かず、ガチャガチャとドアノブを弄る音が聞こえた。医師の声も聞こえる。

 ドアが開かないようだった。こちらからも何かアクションを起こすべきだろうかと、マリーが悩む中、視界の隅で赤いものが写った。

 マリーは蓮子の方を見る。そこには昔見た古めかしい紅白の巫女衣装の女の子が、ベッドの側に立っていた。

「彼女でいいわね?」と、少女の声がガラス越しに聞こえた。

「ええ、お願い……」と、別の女の声。

 黒髪の巫女は蓮子の側に立ち、両手を蓮子の方にかざした。

 透明な球状のもの蓮子は包まれ、白い光が当たりを包む。

 心電計の電子パルス音が再び鳴り出した。

 光は数秒で収まり、蓮子を包み込む物がなくなった。

 巫女は蓮子の顔に巻いている包帯の一部をめくり、中を確認すると指を離す。

 

「終わったわ」

 

 そして、彼女は踵を返す

 

「貴女は……」

 

 不意にマリーの口からついてでた言葉に、巫女が反応した。

 マリーの顔を巫女は驚いた顔を見せる。

 

「貴女は誰なの?」

 

 マリーは巫女に問う。

 

「私は、霊夢……博麗霊夢よ」と、巫女は優しげな表情で言った。「終わったわ。帰りましょう」

 

 霊夢の前にスキマができる。そのスキマの先にマリーと同じ顔の女がちらりと写る。彼女はこちら見るだけで何も言わず、巫女はスキマに入るとそのまま二人は姿を消した。

 

「んんっ」と、ベッドの方から声がした。

「なんなのよ、これは! くるしいったらありゃしないわ!」

 

 蓮子は強引に顔に巻かれた包帯をぐいーっと引っ張る。包帯の隙間から血色のいい、いつもと変わらない蓮子の顔が見えた。

 

「あれ? マリー?」

 

 蓮子がこちらの姿に気がつく。マリーは蓮子に微笑む。

 廊下のドアが開いた。




NEXT EPISODE【それから(4)】
[兌][乾]は同時(完結まで)に投稿します。


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【それから(4)】

 

 

 三月二十二日。あの騒動――通称、幻想郷異変と命名された――から八ヶ月ほど経った。

 

「――というわけで、説明は以上。質問は?」

 

 河城にとりは得意げには説明していた。対して、周りは頭痛に悩まされているような苦い顔をしている。

 日が傾きつつある夕時。場所は紅魔館の大広間。

 第三回決闘法案会議。

 十二月二十日に第一回、二月九日に第二回と不定期で実施している。

 部屋には霊夢と魔理沙、説明役の河童――河城にとり。

 紅魔館のパチュリー、紅美鈴、咲夜、レミリア、フランドール。

 お花見を楽しんでいたルーミアとチルノ、サニーミルク、ルナチャイルド、スターサファイア。

 白玉楼の二人――幽々子と妖夢。

 八雲紫と八雲藍。

 永遠亭の因幡てゐと鈴仙。

 迷いの竹林に住む藤原妹紅。

 鬼の伊吹萃香と星熊勇儀。

 地霊殿からは古明地姉妹と霊烏路空。

 里の近くに住む聖白蓮と雲居一輪とナズーリン。雲居一輪とナズーリンは村紗水蜜と寅丸星の二人と交互に出席している。豊聡耳神子と物部布都。

 山からは射命丸文と姫海棠はたて。

 少名針妙丸。赤蛮奇。

 魔法の森からアリスと一緒に住んでいるメディスン、森近霖之助。

 守矢神社は早苗と諏訪子。諏訪子と神奈子は交互に出席している。

 天界から比那名居天子と永江衣玖。

 付喪神の多々良小傘と堀川雷鼓。里からは上白沢慧音。

 仙人の茨華仙。

 風見幽香は第一回目以降来ていない。彼女は配布された資料に幾つかを書き込み、もっと煮詰まってから呼べと言って出て行った。幽香が指摘した事柄に対して今だ全員が理解はしてはいない。にとりから言えば、彼女の指摘は二歩三歩先の話になり、この内容を砕いて話し合うことはまだ先になりそうだと言う。

 会議の中では皆難しい表情をしている。

 進行兼書記の立場の文がほいほいと意見を聞いていく。

 ――が、皆意見はしどろもどろだ。

 内容を把握し切れていないのだ。

 命を張った諍いでケリをつけるのではなく、別の方法で勝敗をつける。

 八雲紫に提案(プラス協力の強要)した霊夢もまたにとりの説明に理解が遅れていた。

 多くの妖怪達が納得する形に時間がかかる。

 まぁゆっくりやればいいと霊夢は思っている。

 

 

 会議が終わった後は、いつもの酒盛りだ。

 一部の妖怪はこちらが目当てで来ているような感もある。

 持ち寄った酒や食材を使った料理が並ぶ。

 料理は妖夢や早苗、衣玖、魔理沙、霊夢が手分けをして作った。

 本来なら、館のメイドも手伝うのだが、咲夜は現在妊娠九ヶ月とお腹が大きいため大事をとって休んでいる。あの花見の後に妊娠が分かったそうだ。

 八雲紫と藍は宴会に参加せず帰る。

 

()()()も一緒に飲みましょう」と、幽々子は誘うが、紫はやんわりと断った。

 

 同じように霖之助もまた、魔理沙の誘いを断って帰っていった。

 賑やかな酒盛りとともに夜は更けていく。

 

 

 霊夢はゆっくりと体を起こす。

 部屋は暗い。窓にはカーテンが引かれているため、外の様子は分からないが、完全に真っ暗ではないことから夜明けが近いことが分かった。

 部屋のあちこちに布団が敷かれ、皆まだ眠っているようだった。紅魔館の住人はこの部屋にはいない。

 すぐ側には魔理沙が寝ていた。

 霊夢は音を立てず、魔理沙の側に近寄る。

 覗き込むように彼女の寝顔を見る。

 魔理沙の髪を撫でる。

 

「んっ」

 

 魔理沙はくすぐったそうな仕草をし、目を瞬いた。

 

「起こしちゃった?」

「もう朝……ってわけじゃないみたいだな」

「うん。でも、もうすぐ明けると思うわ……」と霊夢は言った。「魔理沙の髪が綺麗だなって……」

「こんなに暗いのにか? だいたい毎日見ているだろ」

「あんたは毎日こっちには来ないじゃない」

「あんなの毎日といっても変わらないだろ?」

「そんなこと……ないわよ」

「……そうか……?」

「……」

「……」

「あのさ……」

「んっ?」

「私ね、まだ魔理沙に言わなきゃいけないことがあるの」

「……何だよ、あらたまって……」

「私……私は魔理沙……」

「ふぁあー。あっ霊夢さん、もう起きたんですか?」

 

 少し離れた所から、早苗の声が聞こえた。

 霊夢の口が、体が固まった。

 

「まだ、暗いかな?」と、早苗は這いながら近くの窓を覗き込む。「もうすぐ夜明けですね」

「そう」と、霊夢は気のない返事を返した。

 

 魔理沙は体を起こし、伸びをする。

 

「……早苗、私達先に帰るわ。レミリアに伝えといてくれる?」

「いいですよ」

 

 二人は立ち上がり、障害物を避けながら扉の方へと歩いて行った。

 

 

 二人が出て行くのを見送った早苗。

 しばらくして早苗の後頭部に衝撃が走る。

 遅れて何かが落ちる。

 枕だった。

 

「早苗、せっかくの舞台が台無しじゃないか」

 

 声の方向を見ると、諏訪子が体を起こしていた。

「諏訪子様、起きていらしたんですか?」

「当たり前だ」

「だって、盗み聞きはいけないと思います!」

「盗み聞きだって、人聞きが悪いね。あっちが大衆の前で話していただけじゃないか」

「うっ、それはそうですけど……」と、早苗はたじろぐ。

 

 ――と、早苗は他にも起きている者がいることを知る。

 

「そりゃ、あれだけ話し声が聞こえればね」と、勇儀はニヤニヤと笑う。「こりゃ、次に会うときが楽しみだな」

「もう、見世物じゃないんですよ!」

「なんでお前が怒ってんだ?」

 

 

 霊夢と魔理沙は真っ直ぐ続く赤い絨毯の上を歩く。

 正面に観音開きの玄関扉が見えた。

 その側には美鈴が椅子の背にもたれ掛かって寝ている。

 二人は美鈴を通り過ぎる。

 手をつないだ二人。

 魔理沙は左手で、霊夢は右手で扉を開ける。

 白い光が差し込み、二人を包んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

終わる幻想郷

終わる幻想郷 -Last Word-

 

 

CAST

 

 

博麗霊夢           霧雨魔理沙        

 

ルーミア           チルノ          

紅美鈴            パチュリー・ノーレッジ  

十六夜咲夜          レミリア・スカーレット  

フランドール・スカーレット               

 

ルナサ・プリズムリバー    メルラン・プリズムリバー 

リリカ・プリズムリバー    橙            

アリス・マーガトロイド    魂魄妖夢         

西行寺幽々子         八雲藍          

八雲紫                         

 

伊吹萃香                        

 

リグル・ナイトバグ      ミスティア・ローレライ  

上白沢慧音          因幡てゐ         

鈴仙・優曇華院・イナバ    八意永琳         

蓬莱山輝夜          藤原妹紅         

射命丸文           メディスン・メランコリー 

 

風見幽香           小野塚小町        

四季映姫・ヤマザナドゥ                 

 

河城にとり          東風谷早苗        

八坂神奈子          洩矢諏訪子        

 

永江衣玖           比那名居天子       

 

黒谷ヤマメ          水橋パルスィ       

古明地さとり         星熊勇儀         

火焔猫燐           霊烏路空         

古明地こいし                      

 

ナズーリン          多々良小傘        

雲居一輪           雲山           

村紗水蜜           寅丸星          

聖白蓮                         

 

姫海棠はたて                      

 

宮古芳香           霍青娥          

蘇我屠自古          物部布都         

豊聡耳神子                       

 

秦こころ                        

 

九十九弁々          九十九八橋        

鬼人正邪           少名針妙丸        

赤蛮奇            堀川雷鼓         

 

清蘭             鈴瑚           

稀神サグメ          クラウンピース      

純狐             ドレミー・スイート    

ヘカーティア・ラピスラズリ               

 

サニーミルク         ルナチャイルド      

スターサファイア                    

 

マエリベリー・ハーン     宇佐見蓮子        

 

稗田阿求           本居小鈴         

 

森近霖之助                       

 

茨木華扇                        

 

綿月豊姫           綿月依姫         

 

北白河ちゆり         岡崎夢美         

 

神主             先代の巫女        

???                         

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【断(ち切られる事なく続く)章(6)】

 

 

 結界を抜けた先は雪国ではなく、鎮守の森と同じように木々が生い茂った森だった。ただ博麗神社に向かうための道が切り開かれていた。舗装されたものではなく、踏み固められた地面が細々と続くだけ――

 彼女は獣道にも似た道を辿り、森を降りていく。

 

 

 森を抜けた先は幻想郷では見たこともない光景が広がっていた。

 灰色の凹凸のない地面。そこに書かれた真っ直ぐな白い線。矩形の灰色の建物、灰色の柱がワイヤーで繋がって並んでいる。

 それは、マリーの部屋から見た風景とは大分異なる。当たり前だ。マリーといた時より千年ほど前の世界なのだから。

 目の前の道を青い車が通り過ぎていく。キョロキョロと周りを見回し、人のいそうな方向に向かって歩く。

 

 行き交う人が増え、横切っていく車の種類や数が増えていく。

 暗い色のスーツ姿の男、小さな子供を連れた母親、恐ろしく肌を露出された女の子の集団。

 彼女の姿が珍しいのか、行き交う人たちはちらりちらりとこちらを盗み見る。眼が合えば、スッと視線をずらし、知らない振りを決め込んだ。

 このまま待ち続けるわけにはいかない。

 こちらの世界で生きることを決めたのだから。

 彼女は背中を向けて信号待ちをしているスーツ姿の男に声をかける。

 

「あのぅ、すみません」

「ああっ」

 

 男が振り返った。

 こちらを見る目つきが鋭い。

 その眼光に体が萎縮し、声をかけたことを後悔してしまう。

 しかし、なんとか先に進まないと、このまま日が暮れてしまう。そうなればもっと悲惨だ。

 

「――あの、ここは、どこですか?」

「はあ?」

 

 男は眉をひそめる。

 

「これって、何かの勧誘?」

「勧誘? いえ、あの、実はですね。私は――」

 

 しどろもどろになりながも身振り手振りを使って、出鱈目なことを吹聴する。これが、駄目ならまた別に説明を別の誰かにするだけ。

 

「うーん。よく分からないですが、この近くに大きな××神社があるんで、そちらに行って聞きましょう」

「――あのー、いいんですか?」

「困っているんでしょう? なら早いほうがいいですよ。仕事はなんとかなりますし――」

「――お願いします」

 

 彼女はぺこりと頭を下げた。

 

 

 ◇◆◆◆◇

 

 

 いくらか塗装がはげたブランコに、彼女は腰を落とす。

 揺らすと、キィキィと独特な音を立てた。

 少し離れた所で、子供の声。

 五歳の子供と旦那が砂場で遊んでいる。

 あの時、声を掛けた男が彼女の夫だ。

 素性の判らない彼女を自分のアパートに泊め、彼はずっと彼女の身元を照会するために奔走した。

 彼は母親と二人暮らしで、彼の母親も彼女のことを身元が分かるまでと簡単に受け入れた。

 親身になってくれる彼に嘘をつき続けることに心が痛んだが、本当の事は言わなかった。

 様々な場所を巡り、様々な書類や手続きを経て、彼のプロポーズを受け入れた。

 ズボンのポケットから携帯を取り出しメールを確認する。

 携帯につけたお守りが揺れた。

 守矢神社で買ったお守り。

 ふと彼女は思い返す。

 買ったのは今から六年ほど前――

 新年を迎えた一月五日、彼の実家から戻るときだった。

 高速道路が事故のために渋滞となったため、下の路を通ることになった。

 緑が多い路を白い軽自動車が走る。

 木々の隙間から鬼板と大棟が見えた。

 それだけなら、何てことのない風景。

 ――が、大棟に座る一つの人影があった。

 繰り返し、隙間から覗く人影を観察する。

 小柄な体躯に大きな帽子。

 その少女と眼が合った。

 

「ねえ、ちょっと寄って欲しいところがあるの」

「トイレか?」

「ううん。近くにある神社に寄って欲しいの」

 

 彼は車にセットされたナビを見、車を走らせる。

 白い小石が敷き詰められた広い駐車場には車はなかった。

 彼が手を引き、エスコートする。

 砂利道を歩き、参道に出る。

 彼は厠所を見つけ、用を足すためにそちらに歩いて行く。

 

「さっきの人だね」

 

 少女は何の躊躇もなく、屋根から参道へと降り立った。

 

「あんな遠くから、私のことよく分かったわね」

「不思議な気配がしたからね」

 

「立派なわりに、随分と寂れているわね」

「高速道路が出来たせいさ。参拝客が別の所に流れてしまってね、この有様さ……」

 

 少女――洩矢諏訪子――はため息を漏らす。

 

「日に日に力が弱まる一方さ」

「……幻想郷って知ってる?」

「幻想郷……噂ぐらいは知っているよ」

「そう、なら説明が楽だわ」

 

 彼女は簡単に説明する。

 

「あんたはどうして外の世界に?」

「私はここでするべき事が出来たの。それは他の人には出来ないことだから」

「また、なにか視えるのか?」

 

 いつの間にか、こちらの知覚まで歩いてきていた彼が言った。

 

「ここの神様よ」

「神様まで見えるのか?」

「たまたまね、貴方も見てみる?」

 

 彼女は彼の手を取った。

 

「――これは随分と小さく、可愛い子だな」と、彼が言った。

「あんまり見た目にだまされちゃあ駄目よ。姿形は変えようと思えば変えられる人達だから」

 

 二人は諏訪子に案内され、守矢神社を参拝する。

 そして、社務所の方に声を掛ける。

 

「何ですか、諏訪子様。まだ夕食には早いですよ」

 

 巫女服を着た緑髪の少女が現れた。

 

「違うよ、早苗。参拝客だ」

「あっ!? ようこそ……って私人前で――」

「気にする必要はないよ。この二人は私のことが見えているから」

「珍しいですね」

「ああ、珍しい参拝客だ」

 

 彼女――東風谷早苗――は社務所を開ける。

 神札、除札、破魔矢、お守り、絵馬、清め塩、魔除けステッカー、御朱印帳などが並べられている。

 

「……もしかして、お子さんが生まれるんですか?」

「ええ、今七ヶ月ってところかしら」と、彼女は返し、安産祈願のお守りと健康祈願のお守りを買った。

 

 ――と、頭上にあるスピーカーから五時半を知らせる夕焼け小焼けが鳴った。

 子供が彼女の方に走ってくる。

 守矢神社が消失してどれくらい経ったのだろうと、彼女は考える。二三年だろうか。

 当時はテレビで連日報道されていた。

 早苗は霊夢と仲良くしているだろうか。最初の方では色々対立するだろうが……

 八雲紫は守矢神社の進入に私が関係していると考えているのだろうか。

 ……

 八雲紫といえば、あの四人が死に、一人だけが生き残っていた理由。

 多分ばれているだろう。

 あの時意図的に家系図の全体を見せなかった。見れば、血の繋がりがないことが一目で分かるからだ。

 ……

 霊夢は紫と上手くやっているのか。

 考えていても、どれもこれもそれを確認するにはどれもここで確認する方法はない。

 

「コーヒー買ってきたんだが、どっちがいい?」

 

 彼は手を洗ったついでに自販機で飲み物を買ってきていた。

 缶のブラックコーヒーとカフェオレ。

 

「じゃあ、こっち」

 

 彼女は少し迷いブラックを選んだ。

 

「珍しいな」

「たまにはね」

 

 子供はペットボトルのお茶を飲んでいる。

 彼女はプルタブを開け、一口飲む。

 凄く苦い。

 ――でも、昔より飲めなくはない。

 それだけこちらの世界に馴染んだと言うことだろう。

 

「夕飯何食べたい?」

 

 彼女は子供に聞く。

 この子は二十歳になった時、世界を巻き込んだ戦争が起こる。

 第三次世界大戦。

 この戦争で、この国の国民三分の一が死ぬ。

 そして、この戦争から約六百年後、再び戦争が起きる。

 第四次世界大戦。

 回復していった人口は半減する。

 全世界では二十億から三十億もの命が失われる。

 マリーの先祖はそんな世界から生き続け、生命をつないでいた。

 この子が紡ぐ命の先にマリーがいる時代がある。

 大きな時間の隔たりがある彼女にとって、マリーに対してできることがこれしか考えられなかった。

 自分の子孫が彼女の人生のなにがしかの手助けが出来ればと――

 この広い世界でその二人が出会うことは限りなく零に近い――でも、歪ながらも強化された力がきっと二人を引き寄せる。そう彼女は思う。

 これが正しいのか、間違っているのかは判らない。

 ただ、マリーの幸せを願う。

 ――と、子供はハンバーグが食べたいと言った。

 彼女は夫に「貴方にも手伝って欲しいんだけど大丈夫?」と聞いた。

 ハンバーグは手間がかかる。

 夫はいいよと答え、材料について聞いた。

 冷蔵庫の中に入っているものは把握しているので、彼女はお肉を買わないといけないと言う。

 

「それじゃあ、飲んだら、スーパーに買いに行くか」

 

 彼は子供の飲みきったペットボトルを取り、コーヒーをぐっと飲み干した。

 彼に合わせて、彼女のブラックコーヒーの残りを一気に飲む。

 

「そんなに慌てることないのに」

 

 苦みに顔をしかめた彼女を見て、彼が苦笑する。

 彼女はブランコから立ち上がる。彼は器用に片手で三つの空き容器を持ち、もう片方の手で子供の手を握った。

 ゴミ箱に向かう二人を追うように彼女は歩く。

 町並みの屋根に有夫が見える。

 日が暮れるのはもう少し後になりそうだった。

 

 

 了

 




これで終わりです。お読み頂きありがとうございます。
同時に投稿した[乾]はおまけで、外の世界の話です。
文章書くの向いてないなあ。飽きっぽいし。書いている最中に読み始めた『鈴』『茨』『三』の要素を入れた形にリメイクしたい。
後述する妄想をどれだけ投稿するかは未定です。
とりあえずはR-18例外の書きかけを終わらせたい。

・向日葵はカメラに写らない 『花』キャラ短編
A:射命丸文の元を訪れた霊夢は……
B:???????????????

・グランギニョルの終劇(R-18)
A: 白蓮はその部屋で既視感のある少女を見かける。
アリス。同姓同名の彼女は何者なのか……
B: 多々良小傘は魔法の森で一人の半裸の少女を見つけ、世話をするが……
C:少女の前に全裸の男が……

・Dawn of Dim. Dream(D3) 『夢』キャラ短編
北白河ちゆりは外の空気中の成分を分析する。
異常がないことを確認し、岡崎夢美と共に可能性空間移動船から降り、森に足を踏み入れた。

・扉は開かれたまま 『天』キャラ短編
摩多羅隠岐奈が旧友の八雲紫の元を訪れる。
同じ頃、霊夢は博麗神社で狛犬に似た少女と出会う。

・Rendez-vous 『星』キャラ短編
魔界に幽閉された聖白蓮。
そんな彼女に声を変える一人の男。
その男の顔に白蓮はドキリとする。
なぜなら、男は白蓮の弟――命蓮に瓜二つだった。

・かみさまはこいをしない
博麗の巫女と、洩矢の巫女、そして黒白の魔法使いのなんて事のない日常回。


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タイトル非表示[乾]

本編は終了しました。こちらはおまけです。


【Unnecessary Fragment】

 

 

 夏休みはもうすぐ終わる。

 マリーと蓮子は久々に二人揃って、カフェに足を運んだ。そのカフェは今日が初めてで、マリーはアイスコーヒーとビターチョコレートアイスを、蓮子はオレンジジュースとイチゴパフェとパンケーキのベリーソースを注文した。

 

「それでね――」と、蓮子は一口サイズに切ったパンケーキを口に運ぶ。

 

 マリーと十日ぶりにあった蓮子は色々と調べ物をしていた。

 病院での軌跡は病院の外にまで広がった。何せ身を焼かれた機械により死亡判定がなされた少女が無傷の状態になったのだ。

 患者監視カメラから、霊夢の姿と声がはっきりと残り、さらに毛髪が発見される。

 情報の流出から、蓮子の名と霊夢の名が知れ渡る。その為、蓮子は一時的に外出を控えた。病院での軌跡と霊夢の古風な見た目ということがあって、かなりの話題となったが、それも一週間も経てば別の話題で次第に消えていった。

 病院が霊夢について調べた結果、彼女は蓮子の血筋と関係があると思われた。そこから蓮子の縁者の追跡が行われ、顔の相似率が高い女性が発見される。

 その人物はマリーと面識があった。凡そ千年前に存在した人物。彼女は冴月麟という名前だった。

 彼女がこちらの世界に来たのは恐らく自分のせいだと、マリーは思う。あの時の彼女の答えなのだ。

 

「だけどね、その人がどこから来たのかは幾ら調べても分からないの」

 

 記憶喪失だと言われている彼女は冴月家の男性と出会い、その男性と結婚した。

 

「――で、その人も不思議な力を持っていたそうなの」

 

 彼女は憑物落としとしていたそうだ。それを生業としていたわけではなく、人助けとして行っていたらしい。最初の頃は憑物落とさなければ命に関わる人と偶然出くわしたことだそうで、それが何度かあり特殊なネットワークを介して、憑物落としをしたという。

 マリーは蓮子の話を聞きながら、コーヒーを飲む。

 

「ねぇ蓮子、このコーヒー結構甘いんだよね。ちょっと飲んでみて」と、マリーはふと思いついた事を口にする。

 

「いらないわよ。マリーがただ砂糖入れすぎただけなんじゃないの?」

「まあそうなんだけど。ちょっとシロップを入れすぎたと思うのよ。だからこれぐらいなら蓮子も飲めるんじゃない?」

「ホントかしら?」

 

 ストローに口をつける。蓮子はコーヒーを少し啜り、すぐに口を離した。

 

「何よ、凄い苦いじゃない!!」

 

 その表情はどこかなつかしい。

 

「ごめんごめん! ちょっと蓮子のそういう顔が見たかったの!」

 

 むっとする蓮子に笑いながらマリーは謝った。蓮子はすぐさまオレンジジュースを口に含み、口の中をすすぐ。

 

「酷いわ。なら、今度ベッドで私が攻めさせてもらうわよ」

「たまにはそれもいいかもね」

「……」ジト眼でマリーを睨む蓮子。「なんで、ビビらないの! 面白くないわ!」

「別に……嬉しいから」

 

 むくれる蓮子。

 マリーは謝り、一品奢ると言う。それで蓮子の機嫌がすぐに直る。

 追加注文した苺のシフォンケーキとパンケーキを交互に食べながら「マリー、秘封倶楽部って知ってる?」と、蓮子は話題を変えた。

 

「実は彼女のことを調べているときにね、知ったんだけど……宇佐見菫子っていう私のX代前の人がいて――」

 

 心なしか、さっきまでと目の輝きが違うなぁと、マリーは感じる。

 たぶんこれからが、蓮子が話したいことなのだろう。

 マリーは相づちを打った。

 

 

 了

 

 

【挿絵表示】

 

 

 ・マエリベリー・ハーン

 八雲紫の子孫。

 境界を見ることができる能力。+触れることもできる。

 

 ・宇佐見蓮子

 冴月麟の子孫。

 星を見ただけで今の時間が分かり、月を見ただけで今居る場所が分かる能力

 冴月麟は外の世界も観測するために博霊大結果を細工、蓮子は無意識下でそのシステムにアクセスし、時間と場所を特定する。

 

 ・博麗霊夢

 マエリベリー・ハーンと冴月麟の子。

 夢想天生:博霊大結果にRed Magicを利用し、幻想郷内にあるあらゆるものを世界と非干渉化させる。

 



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